① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
最近の脳医学、精神医学でも、逆に心とか精神が、脳内の反応だけでは無さそうであり、その活動位置が科学的にハッキリしない事になる可能性もあるかと思います。
A I で、人間の精神的活動、心、愛情が作り出せるなら、人間もまた、機械だと言い切れるかも知れませんけどね。
憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。
中山みきは土下座して信者に謝罪すべき
2020年2月5日 11:25 AM
とても過激なタイトルですが読ませて頂いてなるほどと思いました。金は命、命は金、とは?まるで金融ドラマの台詞のようでとても宗教とは言えませんね。教会の集まりに行っても善亮さんの悪評の話ばかりですが、不思議に思うのが血縁に無い本部員の方が咎められ無いのは分かりますが、中山家の親族の方は何故善亮さんの横暴な言動を指摘しないのでしょう?私の会社でそのような事を行った時には大騒ぎです。いくら私が社長や会長であっても一瞬で首が飛びます。熱心な信仰者ではございませんがあえて言わせて頂きますと、中山家の方は育ちが良すぎて世間知らずすぎてかえって育ちが悪いのではないでしょうか?他の記事も読ませていただきましたが、昨今反社とのかかわりは当会社でも重々気をつけて従業員にも指導しているさなかに、中山家の親族に元と言えど反社の方が居るのはこの御時勢許されない事でしょう。どなたとは存じ上げませんが、もし仮に後継者の大亮さんの血にも反社の方との血縁があるのならば考えものでは無いでしょうか?これは内部の人間がと言うより外部から指摘を受けた際弱点に成りかねません。このような事態も見据えられない様であれば今後会社などの組織運営は続かないでしょう。
匿名
2020年5月16日 6:08 AM
>>ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!<<
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。天理教の人間は人ではないんですか?簡単に傷つけて良い存在ですか?皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
ワーキングウーマンのためのイベント「WOMAN EXPO TOKYO 2017 Winter」が12月2日(土)、12月3日(日)に東京ミッドタウンで行われました。そのオープニングを飾ったのが、「なでしこジャパン」のキャプテンとしてW杯優勝を成し遂げた澤穂希さんのトークショー。「夢と目標を実現できた要因に迫る~澤穂希さんが実践してきた健康のための自己管理」と題して、一流アスリートとして、一人の女性として、夢を実現してきた澤さんならではのメンタル&フィジカル管理術を余すところなく教えていただきました。
カイン様、
旧コメント欄を読めるようにしていただき、
また、新コメント欄を準備いただきまして本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
天理教校学園の学生募集停止はが非常に深刻なわけ。
●そもそも天理高校があったうえに新たに学校を作ったのは、天理高校の教員(組合)が思い通りにならず、信条教育を図ろうとする当時の本部の思いに一致していなかったから。野球や吹奏楽など、教外者をスカウトすることも多かった。そこで、次代を担う布教専従者の育成を目指し、男子校の付属高校をつくり、卒業後は5年の第二専修科への進学を義務づけた。その後、親里高校をつくり、海外布教の要員育成をめざして、外国語の授業を充実させた。しかしうまくいかず、両校合併。第二専修科も廃止。そして今回の廃校。つまり、天理教が布教のために力を入れた学校(政策)は失敗したのである。
●教会子弟が多い学校が、本部の財政を理由にして真っ先に切り捨てられた。本部で子弟教育を面倒見てもらっていた教会としては、かなりショックではないか。子弟教育は、天理教が数十年強調していた「縦の伝道」に他ならないから、その根本を揺るがす事態である。
●教会子弟が無償化政策で地元学校へ進学できるようになったことで、本部へ来ないという傾向が強まる、あるいは強まっているということであれば、そもそも本部の理念によってつくられた学校への魅力がない、ということを示してしまっている。
●とはいえ、現実には、天理高校2類・1類・教校学園、天理高校2部という偏差値による輪切りもあって、本部の方々は教校学園にはあまり進学させなかった。基本、天理高校である。果たしてどこまで真剣に布教要員を育成しようとしたのか、検証されてしかるべきところである。
●久保理事長は三代真柱の子であり、学校を優先して考えるのであれば、その立場を利して予算をとってくるべきだろう。しかし、逆に廃校に向かった。本部の中枢は、次世代を担う子弟教育より本部の運営が大切だということを、端的に示したことになる。このことは、本部の他の関係施設、医療大学、天理大学(法人)、にも影響を及ぼすだろう。憩の家についても同様である。本部から派遣されて運営を担っている人は、本部を守るために動いても学校や病院を守るためには動かず、経営努力をせずに、それらの施設を切り捨てる可能性を示唆している。(医療大学も廃止のうわさがある)
以上、こどもおぢばがえりの縮小をあわせてみれば、ただでさえ縮小モードなのに、それを加速するような一手である。将棋でも変に攻めを受けると、手が一気に進むことはよくあるはなし。教会の次世代の育成という、もっとも手をつけてはいけないところに手を付けた。天理高校に手を付けたらマスコミに騒がれてイメージが悪い(たとえばPL学園を見よ)かもしれないが、内部では教会子弟・縦の伝道は本部で支えますといえたはず。しかし外づらを気にした対応のために内部的なダメージはかなり大きいと推測される。また、運営(経営)の無策も露呈したので、悪評により、病院・大学によい先生が来なくなることもやむをえないだろう。
これからは組織に頼らずに個々が強くならなければならない。
身体的にも 精神的にも 経済的にも 地位的にも 時間的にも
戦後から急速に科学や医療技術、栄養も教養も全体的に豊かになった。
年寄りは長生きして数が増え、子供は数が減り、過去に想定されていた未来よりもかなり早く事態が悪化してきている。
宗教もこの時代の変化の早さに置いていかれている。
世界情勢も一瞬でひっくり返るであろう予断を許さない時代。
またひと昔前の弱肉強食が色濃くなる時代の再来が懸念される。
強くならねば
天理教に強い疑問を持ち、あれこれ資料を探しているものです。
秀司が始めた天理教団が強欲から始まった事実や、現教理に教祖の教えに無い神道の神名が入って来ている事実を知りました。十柱の神名は信者が押し寄せ賽銭が相当上がるようになりその旨味を知った強欲な秀司達が、教団設立の為に神道の神名を利用して「転輪王」として唱えるとし、吉田神ぎ官に願い出たものだそうで、この時に初めて教祖の教えに無い神道の神名が入ったと言う事のようですね。
大正5年1月号「新宗教」飯降本席様の息子さんの著述による記事によると、
秀司とその妻まつえの人格について、「秀司もまつえも仕様のない方らしかった。その為に教祖の心を休ませられたと言うことはなかった。」と述懐しています。
教祖は秀司出直しに際しては、「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」と仰った。
嫁のまつえの出直しに際しては、「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」と仰ったそうだ。
中山家の強欲の遺伝子は今に続いています。教祖が現中山家の強欲に対して天から仰っています。
「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」
「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」
終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。
ツイッターより
8月7日
梅
次の三年千日には教勢ももどるので耐えましょう!という話が以前あったが、真柱様が今の身上のままおさづけの数もふえないのにお供えが増えるという根拠がない。それにその時財政的に厳しいため館建築資金の取り崩しの話もあったが、本部勤務者を減らしてもいいのではないだろうか、国の奨学金も増え
いちれつかいに頼らずとも進学は可能、行事も無駄に多い。同じ顔ぶれしかこない支部行事、ようぼくのつどい、母親講座、「良い話」でおわるだけなら不要。よほどこどもおぢばがえりで次世代をになう子供に予算を回したい。
8月8日
☀️睦輝☀️(むつき♀)
予算削減話で「140年祭になれば教勢は上がる!今は耐えよう!」
誰が言ったと思います?
なんと!
表統領、中田善亮!
_人人人人人人_
> やっぱり <
 ̄^Y^Y^YY^Y ̄
節目には御供え増とか楽観し過ぎorz
そして「教勢=御供え」な思考回路の残念さも露呈です。
匿名
2019年8月8日 6:38 PM
>終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。<
地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう。
はじめまして。わたしは元天理教末端教会の娘です。ようぼくですが信仰はしておりません。大教会は、福岡県にある 鎮西大教会なのですが10年ほど前天理教の知り合いに聞いたのですが、いま、鎮西大教会の大教会長家族は、たしか破産して、京都にある別荘である中心山荘で暮らしているらしいのです。
一体どうなってるのでしょうか?月次祭は直轄の教会長さんが交代で執り行っているそうです。
わたしは
20歳の時修養科にいき、あれから約30年、さすがにじんわりと離れなかった洗脳もとけました。
お時間がありましたら教えて下さい。
退職信者から退職した元信者に変更します。
投稿を始めた頃は、洗脳が解けていなかったので退職した信者という名前でしたが、既に完全に天理教を捨てているので名前を変更しました。
昨年末の大掃除では、神棚の鏡も捨てたし6人分のおかき下げも庭で焼き捨てました。
(おふでさきは残しています。)
それでも、家族は皆 仲良く朗らかに生活しています。
10-54「このようふのぢいと天とハぢつをや それよりでけたにんけんである」
と歌われいます。
地球上の生物は、地と天に抱かれ 火水風に守護されて生きているのです。
本部のお陰ではありません。
≧地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう
大きい波になれば成る程 引き波も更に大きくなり被害も増大するという事ですね。
最近、天理教ライブカメラをよく見るのですが、本部前に人が集まるのは、毎月26日の午前10時から12時の
2時間ほどです。集まると言っても礼拝場前のパイプ椅子は隙間だらけです。
礼拝場内も隙間だらけだと思います。
一か月間にたったの2時間弱しか人が集まらないのです。
後は、土日も祝日も大型連休になっても ほぼガラガラ、一人っ子一人いない状態が続いています。
私が思うには、天理教に縁の有った人々は 既に殆ど去ってしまったと思います。
今時本部に行く人々は、姻戚関係で繋がってしまい逃げるに逃げられない人達だと思います。
沈んで行くのがわからないふんぞり返っている連中もいますけど・・・・。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。<<
負の連鎖・負の現象
お供え激減、館の修理費ありません、詰所の修理費ありません、配食部門も人がいません、パンと粉スープで我慢してね、教校学園は潰します、お金が掛かるから布教師養成出来ません、日本一のブラスバンド、そんなのお金にならないから潰します、本通りの土地買収 お金が無いから出来ません、黒門倒したけど、お金が無いから再建出来ません、、、修養科生殆どいません、本部勤務者志願者激減してます、天理市寄付金10億円 はもう出来ません、、最高40億超えして便宜計って貰ったけど、もうお金ないからちょっとまけてちょうだいよ、、
これが天理教団の現状。
理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
>一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。<
自らの非を他者の責任にすり替える。教会本部の卑劣な常套手段です。一部の本部員ではなく教会本部全体の「考え方」「やり方」です。世間ではそんな不条理な「屁理屈」は通用しません。天理教はいよいよ終焉です。
読者の皆さん、皆で最期を見とどけましょう。
組織は組織
信仰は信仰
分けて思案しないと、幸福や充足感から離れていきますよー
天理教の起こりや、そもそも論をしたら、元も子もないですけど…
日本で信仰できる宗教は天理教以外にもたくさんあります。
天理教、さらにはその組織活動に人生を費やすのは少しもったいないと思います。
昔より個人の思想や権利が尊重される現代、江戸時代からそんなに変わることがない凝り固まった思想では時代の変化に対応できません。弱い立場、思想、満たされず、自分に嘘をつく人生にならないように…人に喜んでもらい、人助けのできる人生がよろしいかと。
先を楽しめ…
しかし先案じはよくない。神にもたれろ。難しいことをいう教え。
神にもたれても、組織にもたれたらいけない。
組織と信仰
人と神
男と女
陰と陽
二つ一つが天の理
対になるもの、相反することがらをよく見極めないと
組織と信仰、人と神は相反するものではないと思いたいのですが…
ここに書き込んでいたらよくわからなくなりました。
天理教以外の宗教の勉強もしようと思います。
みなさま、まだまだ暑い日が続きますが、お元気で
某・コメントより
他系統・教会番号一桁の某大教会の部内教会長の友人が電話をくれた。
今日、その友人の携帯へ、彼の所属する「大教会役員」より電話があったという。
内容は、
「大教会長は何も仰ってないが、」と前置きして、
「教校学園高校閉校へのいかなる反対署名・嘆願署名の依頼があっても応じないようにしてほしい」
そして、
「大教会長は、ぢば一条でそんなことは、お嫌いだから」と付け加え、
「くれぐれもご部内(彼の教会の部内教会のこと)にも徹底して頂きたい」
と、語気を強めたらしい。
でた〜〜〜!!!
これが、「忖度(そんたく)!」
が、その系統の役員の友人に確かめたら、
それは、大教会長自らの通達らしいことがわかった。
でた〜〜〜!!!
これが、「圧力!」
が、彼らは二人とも、
自ら、署名を取りまとめてくれる。
部内には署名を薦めてくれる。
忖度、失敗〜
圧力、失敗〜
善因善果悪因悪果も心通りの守護の内にある天理です。
中山家の短命、断絶、難病因縁の連鎖は、当人達の神の意図しない心の道に起因するものでしょう。
タスケ一条のこのところのお地場の再生には、天保九年からの問答、「天啓を受け入れてくれるなら世界中を救けさそう、不承知ならばこの家粉も無いようにする。」という神の預言が、神と中山家の問答が続いているからなんでしょう。
本部における天啓者達の擁立が、愛すべき天理教系集団の再生にも、中山真柱家の健康回復にも、必要なんでしょう。
集計表を見るかぎり、ポチポチ満席でおさづけの理が渡されているようだがどのような状況なのか知りたい。
どなたか詳しい方おいでですか?
真柱が渡しているようだが、渡せる状態まで回復したわけだろう。
では、お話の原稿も考える事ができるのではないだろうか。
代読をたて、生存している証を発信すべきだろう。いつまで大亮に言上させているのか。せめて大亮が真柱の言葉の代読とするべきだろう。
思い出すのは時報での正月挨拶は弟が出しゃばっていて違和感があった。
おりしも参議院では発声が困難な新議員をサポートするにはどうしたらよいか、関係者が心を寄せて実行しているではないか。
このまま大亮時代にズルズルと移行させるつもりなのか。
何だかそんな気がしてならない。
時報ですら真柱の近況を伝えようとしないのは、既に時報社も表統領派となっているという事なのか。
教団トップの執筆連載があってもいいのではないか。
まぁ、こんなことを言ったところで、とっくに大亮時代になっているのだろうね。
あ・・・・・・いやだぁ。大亮が真柱? 肉を巻け? ウマシカにつける薬は無いしなぁ。
大亮真柱を発表したら、一気に信者が本部から引いていくよ。
いくら従順な青年会が大亮真柱に肉を巻いたとて、頭と心は本人次第。
大亮に暴走させるのが消滅の早道かも知れません。世間でもトップがウマシカでは人がついて行かない。もう引き潮の流れに入っていますから、ウマシカに好き勝手にさせて置くのもありかもしれない。消滅を急ぐ親神が敢えて彼をトップに座らせるでしょう。
苦労も経験も無い若造が腹黒い親父に手綱を引かれて、口先だけの講釈を垂れ、誰がついて行きますか?ウマシカ親子がこの引き潮をどう食い止めるか見ていましょう。
因みに真柱は車椅子に乗って出てきていると数ヶ月前に見た人から聞きました。車椅子に座っておさづけの理を渡しているのでしょうか、、、。その時聞いたのは渡すのは1日限定の人数だそうです。今は増えているのかも知れません。
それにしても、教祖の怒りをかっていた、ならず者の秀司も足の身上、今に至って善司さんも足の身上。中山家の因縁が切れて無いのに、信者に因縁き切りを言える資格があるのかと思う。
御守護の貰えない中山家、病の完治しない現真柱は信者の手前、出来るだけ隠して置きたいのが本部の本音でしょう。
善司さんは頭の身上じゃないの?
足の身上なの?
どうなの?
真柱の身上。
そもそもは頭の身上です。脳梗塞と聞いています。車椅子で移動と言うのは脳梗塞の後遺症が足に出ていると言う事でしょう。この後遺症は人によってはリハビリで好転はするでしょうが、今現在は完治したとは聞いていません。
秀司も性病が原因でびっこだったそうですが、中山家の因縁は色情も含めて切れていない様ですね。
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
日本の宗教はチャイナの諸問題にはノータッチだと思います。
話はずれますが、ある経済学の巨人と呼ばれる人の書物に、なるほどーと思った一文がありました。
個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。
確かに!
天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
私は、天理教末端分教会にはからずも生を受けましたが、幼い頃から天理教の「悪い側面」ばかり見聞きして育ちましたので、10代後半に天理教以外の宗教について勉強してみたいと考えて、ミッション系の某大学に進学し、キリスト教や聖書について少し勉強させていただきました。その当時、宗教について悪い印象、悪い思い出しか持っていなかった私ですが、キリスト教を勉強するにつれ、その教えの素晴らしさに感動し、枯渇した荒野に大雨が降り、大地に吸収されていくような「爽快感、納得感、充実感」を覚えました。
私は、幼少期から天理教という宗教に不信感と軽蔑感を抱いて育ちましたので、生家は天理教の末端分教会でありましたが、教会を継ぐ意志も無く、大学卒業後、直ぐに就職し定年退職を迎え、現在、人生二度目の勤め(仕事)をしています。
今回、偶然にも当掲示板中のやりとりの中で、若き日に学んだキリスト教の教えの素晴らしさに改めて気づきました。残された余生を心穏やかに聖書を読みながら過ごしたいと考えています。しかし、僭越かつ大変生意気な言い方ですが、純情で正直で善良な天理教の一般信仰者、末端分教会を毒牙から守るために投稿は続けさせていただきます。
キリスト教の教えを誰にも分かりやすく簡単に解説されているサイトを見つけましたので、よろしければお読みください。
http://seishonyumon.com/coach/509/
最後の改革をどうぞ
宗教ビジネスに堕落した組織をぬけだして本当のたすけとは何かを考えさせられます。
https://www.youtube.com/watch?v=wDFiwAh_Ikc
①おやさとパレードは廃止
②天理教校学園高等学校閉校
立て続けにダブルパンチですね。
パレード無くなるとは、こどもおぢばがえりの一番のイベントのメイン行事だったのでは?と思うと今後は何で参加者を引っ張ってくるのだろう
衰退には目に見えて分かりますが、
現在の天理教の総資産ってどれくらいだと皆さん類推されますか?
上記、キリストの「最後の改革」を見せていただきました。感動的でした。神と心が通じる時、全身が神の愛に満たされ、皆んな自然と涙を流していましたね。現在のキリスト教会も問題を抱えていて「建物」「教会」に信仰の目が奪われているようですね。キリスト教会が神の身体を売って金儲けをしていると言う表現がありましたが、天理教でも現トップは正に神を売って金儲けしていると実感します。キリスト教世界にも真実を求めて真実の生き方をしている方々がおられるのですね。感動的でした。
今の天理教は嘘ごとですね。この映画の中でもキリスト教会が堕落し、キリストの原点に帰れと言ううねりが起きているようですが、天理教も原点に帰って、あれこれ中山家人間の欲得感情の混じっていない、純粋な教えに触れて見たいと思いました。タイムマシンがない限り、また中山家一統が罪を認めて洗いざらい罪を告白し、改心でもしない限り、教祖の純粋な教えに触れる事は叶わぬ夢ですね。
神の愛に触れることが出来るならキリスト教を知りたいと思いました。
善司さんもバプテスマを受ければ、夢の様に全快するのではないかと思いました。
バプテスマを受けて下さい。
今の天理教では、誠、真実がないが故に、また神を利用した最終目的が「お金」なだけに、ピント外れの営業活動ばかりに執心しているように見えます。そもそもトップの心が神に向かっていないから人々を救う力も真柱自らが救われる力も無いと感じました。神への背信行為で道が伸び栄える理はどこにもありません。
現在の縮小、廃止の波は自らの損得勘定でトップ自らの手で起こしていますね。実は神が入り込み、瓦解に向けてそうさせている様に思えます。
匿名
2019年8月13日 9:50 PM
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
>天理教団は上記のような世界的諸問題についておそらく何にも考えていないと思いますよ。
まあ、一応は考えているフリをして新聞などで何らかのコメントはするでしょうが、自組織がガッタガタで瓦解・崩壊の危機に直面しているのでそんな余裕も無いし余裕が有っても自組織の肥大化を目標にしているので世界的諸問題など我関せずだと思いますね。
視野狭窄若しくは視野が外向きじゃなく、内向き、しかも、とことん内向きじゃないかと感じます。
> 天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
> まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。
でないと本部内で「それまで予算厳しくなりますが、皆で耐えましょう」などと鼓舞する為の救いとして、そのような事を口にしないでしょう。
何方かが私のツイートと梅さんのツイートをここへ転載して下さってますが、本部内からリークを頂いた確実な情報です。
ちなみにリーク頂いた方曰く、その表さんの話を聞いた周りの人々は殆どの方が何も違和感を覚えていなかったそう。
三年千日が来れば予算削減の必要は無くなる!と素直に思ってる本部の人が多いのでしょうね。
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。<<
彼は崩壊、瓦解の根本原因が何かわかっているんだろうか。ここは神を語る宗教団体であり、営利を目的としない筈の団体ですよね。
学校を潰したり、天理市寄付金を減らしたり手当たり次第の事をしているが、限りなく下降線を辿るマイナスエネルギーに付きまとわれている以上、負の連鎖が渦巻いていて回復は限りなく無理でしょう。
信者にお金で神の守護を買わせるような金、金の体質を心を培う体質に方向転換せずして、回復はあり得ない。彼は何を根拠に盛り返すと言っているのだろう。
この期に及んでも、根拠なく140年祭にはお供え金が回復する!とお金にこだわる腹の内が思わず出てしまうんですね(笑)
教勢回復とおそなえ回復を信じるぜんすけもバカだが違和感持たない本部の奴らもバカばっかかよ
さすがにそんな根拠の無い理由での鼓舞を真に受けてると思うと呆れるを通り越しかわいそうになるな
違和感持った奴はぜんすけ叩き落として自浄しようとは思わないのかよ
百四十年祭でおそなえ増えるわけないと思うのは本部で力ない奴らか?
本部の人も(少しわかっているなら)、いまの表統領で天理教が決定的にダメになるのであれば、教祖の血統の方、つぎの真柱の父が仕切ったものだから仕方ない、と思っているのではないですか。東西礼拝場普請を「心のふしん」といっていたころが懐かしい。年祭活動を何だと思っているのでしょうか。年祭活動でうたってきた人だすけとか人類の将来のビジョンがない、あるいはあっても、こんなふうにお金がさきに見えるぐらい薄っぺらい。年祭活動にあわせ、おやさとやかた構想の断念、詰所の統廃合を宣言するぐらいでないと(これができるのは真柱かそれに準じる人以外にはない)。人材育成(教校学園・おぢばがえり)を先に切ってどうするの。
↑の匿名様。
だから善亮さんは、馬鹿だって言われているのです。物事の優先順位さえも分からない。どこまでも損得勘定で動く人です。こんな人に神を語って欲しくないし、語ると支離滅裂でしょ?こんなの信仰じゃない。
損得勘定、神がするって聞いたことがあるけれど、理のない欲望は神がきちんと勘定するんです。
心配ないです。確実に消える方向に神が持って行くと思っています。
ツイッターでの投稿です。
>うちの大教会の直轄教会は毎月大教会の月次祭のお供えとは別に大教会長と奥さんに「お礼」として最低1万円を渡しているらしい。
二人だから2万円は必要だが、それが厳しい直轄もたくさんあるようだ。
何のお礼なんだか意味がわからないけど、他の大教会直轄も同じようなことしてるんだろうか?
そういえば100年祭の頃、本部直轄教会の後継者が「ある教会から小遣い10万円もらった」と言って飲みに連れて行ってくれた。
そんな時代だったので、その時は深く考えなかった。
しかし、こんな事が習慣化されると、まともな感覚をもった会長になれる筈がない。
本当に、金まみれの組織になってしまった。
なんだかんだと言いながら時が過ぎて、あと4年もすれば秋の大祭終了時には、善司さんだか、大亮さんだか知んないけれど、諭達第〇号なんてタイトルの上から目線丸出しの書類が配られ、さもありがたい書類のように受け取る人たちが居るんでしょうね。その頃まで生きていないと思うけれど、振り返れば、諭達、諭達と騒いでいた人たちの今の思いはいかばかりかと思わずにはいられません。
一刻も早く、洗脳から解放されんことを祈るばかりです。
余談ですが、諭達が配布される年祭ごとに、教会での月並祭後や講社祭りの終わりにこの諭達を捧げ持って一礼し、拝読していました。今思えばよくぞやっていたよなぁーとの思いです。
今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。
毎年、毎年、どんだけお金を使ったことか。カラーテレビが珍しい頃に、いの一番に上級に持って行きました。そのカラーテレビは、初代の意向を無視してその上の親の教会へ持って行きました。
だから上に近い教会には苦労知らずのぼんくらばかり(今は老人になっている) 居るんだと納得してます。
「芹沢光治良文学愛好会」ブログに興味深いコメントを見つけましたのでお知らせします。
文学評論連載「③芹沢光治良氏と天理教」芹沢光治良と天理教」芹沢文学研究会代表小串信正氏
匿名 2019年8月16日 11:42 AM 様
>今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。<
子供(部内)が親(上級、上々級)にお年玉をあげるとは、これ如何に。 普通は親が子供にお年玉を渡すものだが、いかに天理教世界が世間と真逆かということを改めて思います。
しかし徹底的に親(上)に仕え、親(上)の機嫌取りをしていた子供(下)も悪かった、というと語弊があるが、上を増長させてしまった所はありますね。洗脳されていた、ということでしょうが、悲しいですね。
mami様、芹沢先生に関心を持っていただいて、ありがとうございます。
芹沢先生の文学は、日本の自然主義文学の流れをくんで、日常の出来事を日記のように書いていくものですが、そこには、ただ<人間>が描かれていました。芹沢先生も<神>について語られることがありましたが、それゆえ、先生の語られる<神>は<人間の眼>を通して描かれたものだった言えるのではないか、と思います。
天理教百年祭のちょっと手前のころでしたが、先生に天の将軍がとりつき、先生はその指導を受けて色々と修行をさせられました。そのあたりのいきさつは晩年の八冊ほどの書き下ろし小説に述べられているのですが、これを読んだとき、先生の心に変化が起きているのを感じました。先生はこの本で、<生命>をテーマにして<神>を語られていたからです。それは、今までの自然主義文学ではなく、一段ステップアップした文学と言えると思いました。
この時、先生は90歳を超えられていました。先生をここまで指導した天の将軍もすごいのですが、それが出来る人間を創られた神様もすごいと思います。ともあれ、芹沢先生によって、人間は何歳になっても修行をすれば精神面でステップアップできるということを証明していただきました。
で、その後なんですが、芹沢先生や芹沢文学について語られることはあまりないようなのですが、芹沢文学はこのままうずもれていくのでしょうか?だとしたら、神様は一体何のために芹沢先生の老骨にムチを打ってあれだけの修行をさせられたのか、不思議に思います。
ぶたまん様「芹沢光治良文学愛好会」は今も続いておられます。明日(2019・8・18)も東京・三鷹市で月例会が開かれるようです。(私はT教に関連して興味を持ったので芹沢文学の一部しか読んでいないので参加したことはありません。)
専修科の従兄が何を思ったのか『教祖様』(1959年)の新刊をくれたのです。T教について話ったことも無かったのに。今になって従兄と話しておけば良かったと。数十年も前に亡くなりました。私の人生に大きく関わる「本」になるとはその時知りませんでした。
神シリーズで『死の扉の前で』の頃とは違った芹沢氏を感じました。中山正善との距離や天理教に対しても。
昨日、大串信正氏の文章でよりわかったこともありました。葬儀のありかたを通したも。
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」この姿勢を貫かれた見事な一生でした。
若い人に芹沢文学に触れてほしいです。
旧天理教の崩壊期に、新しい普請をしている馬鹿教会っていまだにあるんですか?
新しい普請を計画している教会は、何軒も有ります。今更?と思いますが、そこは雨漏りがひどくてどうしようもない程の老朽家屋です。もう一つの教会も古くてぼろぼろです。したくて普請するのではなく、生活上の必要に迫られて。
しかし雨漏りは自分で出来る範囲で修理されたし。部内を当てこむ根性だけは金輪際捨てて頂きたい。私は、断固拒否します!自己責任でやられたし。
しかし、こう言う老朽化が進む教会建築物に住む教会はこれからどんどん増えるはずです。貧乏人教会同士が上だ下だ親だ子だと互いを痛め合っている状況です。バケツで神殿を走り回るのも気の毒ですが、トバッチリが部内に飛んで来ても、もう末端部内だって余裕はありません。本部は修理巡教だ何だと全国回れば自ずと端々の懐状態はわかる筈だが、一向に子いじめ体質から脱却せず、取る事ばかりを大教会経由で号令掛けているようです。
教会は税金がかからず良いね、と言われるが修理せねば暮らせない程のボロ教会は、自力で補修せざるを得ず、私も信者に頼まず自腹をはたきましたが、建て替えとなると上級も部内も強盗して金を工面するしかないような状況です。
ただ、素直な彼らは神にもたれて普請するつもりの様ですよ。
だったら部内は当てにするな!と早めに釘を刺して置きたいと思います。
時報に「いちれつ会扶育生」志願案内が掲載されていた。
教校天理高校が廃止される事を知ったから、志願案内に目がいったのだろう。
驚いたことに、扶育の対象に天理小学校と天理中学校をもが含まれているのだ。
扶育を受けてまで私立の小中学校に通わせる人々がいる点に関しては、
まっ、人それぞれ事情が有るのかもしれないが。
そもそも、なぜ、小中学校から私学に行かせるのだろう。
天理周辺に居住する子供たちが通学する公立校は無いのだろうか?
天理教の偉いさん達の子や孫が通うために私学が必要なのだろうね。
しかも将来の忖度力溢れる取り巻きを用意するには小さいうちからの選別と養育が必要と、まさかの皇室もどきの考えなのか?
経済的にひっ迫する中であっても、天理小中学校を存続させる理由は、そうか、大亮さんの子供のためだね。
公立校へ行けば、いろいろ子供を通じてばれてしまう事が多いからかもしれない。
だからこそ、子供誕生の際に大亮さんから多額のいちれつ会へ寄付があったんだ!今になって納得。
表統領の意味不明で根拠の怪しい言葉を信じる人たちは、「洗脳」された取り巻き集団。
子供の時からの洗脳教育にお供えの一部が使われてきた・・・・。
今やプレ「表統領+大亮真柱」体制であることは時報が最も端的に伝えてくれているようだ。
洗脳軍団生産現場の小中学校廃止こそが真っ先に手を付けるべき整理対象だと、賛同していただけるご父兄の方々がおられましたら、26日説明会にて発言して頂ければ幸いです。
でも、無理だろうね。子供が人質にとられている状況だから・・・・。
親神様、今こそ出番ですよ。
天理教の塩尻美智子さんご夫婦(天理教の教会の方)のケニア孤児院の番組が今放送されています。
天理教の人助け、世界助けを身をもって無給で実践しておられます。
番組では「天理教」の名は出て来ませんが、こんな過酷な土地で誠真実が無ければできない事です。頭が下がります。こう言う生き方こそ、不言実行。親神様の御心に添った陽気暮らしへの実践です。
同じ天理教でもふんぞり返ってお金、お金とお金集めの事ばかり考えているどこかの太った親子とは思考回路が違います。信仰とは何かを考えさせられます。
真実の信仰生活がケニアで実践されています。私達は、どうでもいい不毛な活動に時間と金を無駄に消費せず、この塩尻夫妻の様な真実の信仰生活は何か?を追い求めたいものです。
天理教は本当に大丈夫?
宗教法人法第25条には次の条文がある。本部にだって同条第2項第3号に基づいて作成された財産目録があるはずだ。
更に、同条第3項において、信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
この場合、信者の範囲はどのように解すればいいのか。本部直轄の信者でなければならないのか、末端教会の信者では閲覧ができないのであろうか。末端教会の信者であろうと直轄信者の委任状があれば拒否できないだろう。
どなたか、本部の財産状況を明らかにしようという意思のある方が居られないのだろうか。
財産の状況を知ったところでどうにもならない面があるだろうが、本部にどれほどの不動産があるのかはハッキリとするだろう。
用木といわれる立場であれば本部に名簿があるはずだから信者と理解してよいのではないか。立場の法律的な解釈は素人では判断しかねるが、法律の専門家に相談してみる価値はあると思う。
もともと、宗教家と呼ばれている方は法律に疎い面があるように思われる。
責任役員に月並祭の祭典後に会議と称するものを開き、決算書(案)を示して役員会などと言っているが、公益法人では理事会の数週間前までには必要な案件書類を送り、会議当時に質問が出来るように十分な時間的余裕を与えるのが常識だ。
天理教ではこのような常識的なありかたさえ理解できていないのであるから、ましてや、書類の信者等への閲覧なんて考えも及んでいないのであろう。
どんぶり勘定的な会計処理をする天理教に風穴を開けることが出来る法律が宗教法人法だ。特に、第25条は信者一人ひとりが自覚すべき法律だと思う。
宗教法人法抜粋
(財産目録等の作成、備付け、閲覧及び提出)
第二十五条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、毎会計年度終了後三月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
一 規則及び認証書
二 役員名簿
三 財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
四 境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
五 責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
六 第六条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後四月以内に、第二項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項第二号から第四号まで及び第六号に掲げる書類の写しを所轄庁に提出しなければならない。
5 所轄庁は、前項の規定により提出された書類を取り扱う場合においては、宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない
天理教の衰退が著しく、仮に存続が本当に厳しくなった場合は今の本部の建物はどのようにされると考えられますか?
また、旧の天理よろづの建物はそのまま今もありますが、あれらも解体される可能性がある感じでしょうか?
あの辺り一帯は更地になる感じになるでしょうか?
1つの宗教が解体される場合、今まで歴史上はどのような形になっていってますか?
この辺り、無知なので教えて欲しいです。
>信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
信者というのは、その宗教法人に属する「信者」と解釈するのが妥当でしょう。
当たり前の話ですが、本部には「宗教法人天理教」と「宗教法人天理教教会本部」があります。
本部の包括関係にある本部直轄教会とはいえ、大教会や直轄分教会は、全て、上記2つの法人とは別法人です。ましてや末端教会などは当然に「違う法人」です。
ですので「天理教の信者」とはいえ「本部の信者」ではありませんので、財産目録や事務所備え付け書類の閲覧を請求したところで、本部側には応じる義務はありません。
もっとも、「宗教法人天理教」か「宗教法人天理教教会本部」の信者(ようぼく)という人とは会った事がありませんので、存在するかどうかも疑問です。
とはいえ相手は人間ですから、中には勘違いして見せてくれる担当者がいるかもしれませんので、多くの人が「閲覧させてくれ」と申し出るのは良い事かもしれません。
加藤ハルアキ 様
解説を下さり有り難うございます。
本部は、正に伏魔殿ですね。何もかも隠そうとする忌むべき体質が改善されない限り、さっさと崩壊してほしいと願うばかりです。
信仰は、このような腐りきった本部につながらなくても十分に維持できると確信しています。今は無神論者ですが、加藤様のように確信をもって信仰を求められる姿を拝聞して、多くの末端教会がこのような取り組みをされんことを望むばかりです。
加藤ハルアキ 様
2019年8月21日 9:40 PM
東風Z様が紹介していただいたように、宗教法人法第二十五条第3項には次のような規定があります。
>3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。<
「宗教法人」とは、国(文化庁)の認可があって、始めて、「宗教法人〇〇教」と公的名称を名乗ることができます。つまり、極めて「公共性」の高い団体です。とりわけ、天理教は一新興宗教の名前が、「地方自治体」の名前として使用されています。また、公共性の高い駅名にも「近鉄天理駅」や「JR天理駅」のように宗教名が使用されています。私の幼少期の記憶では、かつて、天理市は「丹波市」という名称で呼ばれ、私の祖父母達は天理教教会本部に参拝することを「丹波市に参る」と表現していました。天理市内の殆どの公立小中学校や公共施設の名称にも「天理」という宗教名が使われています。また、「天理市」という地方公共団体も天理教から長年にわたり、多額の財政的寄付を受けてきました。私は、かねてから、一地方公共団体が一新興宗教と密接な抜き差しならない関係を持つことは、日本国憲法の「政教分離の原則」に抵触すると考えています。
話は少し脱線しましたが、宗教法人法第二十五条第3項に規定されている「その他の利害関係人」には、天理市に居住し納税している一般の天理市民も含まれ、仮に天理教とは全く別の宗教を信仰している天理市民、あるいは、宗教を全く信仰していない天理市民から情報公開の請求があつたときには、「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
崩壊 さま 2019年8月22日 6:37 PM
>「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。
でも実際に情報公開するかどうかは、情報公開を請求された本部(「宗教法人天理教」および「宗教法人天理教教会本部」)です。実際に、誰かが「情報公開を請求」し、それに対する本部側の回答が「情報は公開しません」というものなら、東風Zさんや崩壊さんが言うような理由で、「情報公開をしろ」と訴えればいいのです。
ここで「情報公開するべきだ」とか「情報を公開しないのはおかしい」という議論は、学問的・学術的解釈をするなら意味はあるでしょうが、我々には全く無意味です。
私としては、実際に誰かが「情報公開請求をした時の本部の回答を知りたい」と思いますので、是非とも実行して頂きたいのです。私は明らかに「利害関係人」ではありませんので、請求することは出来ません。
加藤ハルアキ 様
2019年8月23日 7:14 PM
>勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。<
私も同様に、「情報公開して欲しい」と考える立場というよりも、むしろ、当然、情報公開をするべき義務があると考える立場です。国から宗教法人としての認可を受けた以上、公的性質を帯びた団体であり、情報公開の義務が発生すると考えます。宗教法人法をもう少し拡大解釈すれば、公的性質を帯びた団体である以上、天理市民あるいは天理教の信者であるなしに関わらず、情報公開は、日本国民に対し、教会本部が積極的にするべき義務があると考えます。かつて、オウム真理教が起こした残虐な一連の事件を未然に防止する意味でも、宗教団体の「透明性」は確保されなければならないと考えます。
天理教校学園廃校について、25日・26日に父兄への説明会があったようだ。
その時の様子を記事にしている人がありました。記事の添付です。
廃校決定はすでに、奈良県に報告されていた。天理時報での素早い発表といい、県への報告といい、既成事実を作り「もう下々は、つべこべ言うな」という表統領・中田善亮の声が聴こえてきそうだ。
「たくさんの署名が集まっても、最早この決定が覆ることはない」と天理教校学園高校理事長の久保善平は言い放った。
「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
そう、中田、久保、真柱は実の兄弟。
命名しよう。
「廃校3兄弟!」
参加者は「真柱様がまさか廃校をお認めになるわけはない」と思っていた。
ある父兄が、昔第二専修科が幕を閉じる時、最後まで反対していた3代真柱がその寮にやってきて第二専修科生に「もうしわけない」と頭を下げたというエピソードを話した。が、当時第二専修科で何か役目に付いていたこの日の司会役の本部員の永尾洋夫が、「そんな事実は全く無かった」ときっぱりそれを否定した。この司会者はかなり阿呆か、そのエピソードを全否定してどうする。真柱の親心を伝えるためそのエピソードを少し訂正して利用したらいいのに。
真柱謝罪の真偽は解らないが、我々下々の教会長や信者は、真柱を親と慕う気持ちから、たとえそんな事実は無かったとしても、そんなエピソードを作ってでも、真柱を心から慕いたい熱い心を皆持っているのだ。
それを打ち消して真柱の威厳を保ち、護ることは、取巻きのお偉方の役目か?いや、これは自らの立場を守ることだろうに。
真柱は神ではない。
我々は心底親と仰ぎたいだけだ。
莫迦な取巻き本部員の言動で我々下々の心から、真柱はどんどん離れていく。
一番後ろの席に座られていた布教所長夫人は、非信者から天理教布教師の夫に嫁してアフリカで布教生活を送り、子供たちに我慢に我慢を強いて最低の生活費以外は全てお供に回してきたという。帰国しても生活は変らずそれでもお供を続けてきた。彼女の友人からは「天理教は何の保証もしてくれないんやね」と言われてやっとその保証らしきもの、教校学園高校に上の子供を入れれば、この度の廃校、下の子供の「お兄ちゃんと同じ学校に入りたい」との夢を奪った。
この布教所長夫人は、「これからは、お供を減らして子供たちのために使いたいと思いました。ありがとうございました」と言い残ししてスッキリした様子で会場を後にした。
この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。
さて、本日8月26日現在集まった1万7千5百2名分(うち教会長201名、布教所長45名を含む)の署名をどうするか思案中だ。署名を受け付けないとする教会本部に無理に渡すと個人情報を悪用されかれない。もちろん「悪用」というのは、世間での悪用ではなく、教内での「圧力」という意味だ。
>>この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。<<
私のように天理教から離れた人間が読んでも、「むかっ腹」がたちます。現在天理教の信者さん方、一刻も早く天理教から去りましょう!!
苦しい立場の人に寄り添い、、人助けに邁進、、などと天理時報では良い事づくめのご託を並べていますが。
実際本部がやってる事は、苦しく弱い立場の人達を無視し、谷底からの文句も意見も受け付けないと言う冷酷さ、傲慢さ。
この度の閉校問題で本部の本質が見えました。
お供えお供えと貧乏人から巻き上げる事ばかり考えて、自分達の子や孫はピアノやバイオリンを習わせ優雅にやってるんですか?!
全国の信者とその家族の方々、教会関係者の方々。この現実を良く見ましょう。
我々信者を馬鹿にするな!!と全国から声をあげましょう!!
中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
廃校三兄弟 は姓が異なっていたからこれまで兄弟と知るのは一部の方たちだったろう。
兄弟と知って、見えてくる状況が一層、くっきり見えてきた。
各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々が、どのように縁組し、各地に存在しているのか、つまり、相手を知ることから始めたい。
本部員の娘を嫁にもらっている教会長も各地にいるが元の姓はみな、口を閉ざしている。
情報を集めればまた、見えてくるものがあるだろう。
かぐらづとめに出ている家系は、殆ど中山家と姻戚関係があります。
〉「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
その場にいたのではないし、事実も全くわからないが、久保理事長がどの程度覚悟を持って「真柱も了解されている」といったのか。通常、天理教の常識では、これは真柱の裁可だということですよね。とすれば、今後の後継者育成について真柱が出てきて自ら説明しなければならないことになります。これをうやむやにすれば、ますます信用を失うでしょう。これからの人材育成方針を誰がだすの? それにしても身内を要職に就けるリスクが前面に出てしまった感じです。本来両統領は真柱のかわりに泥をかぶるために法的に宗教法人の組織の長になっている。ただでさえ教団のトップとして真柱は責任が問われるのに、身内でやってしまうと、まったく泥除けにならないんですよ。今回のように、「廃校三兄弟」のようにいわれて真柱の責任を問う声が大きくなる。悪い方へ転がっているようにしか見えませんねえ。3代さんの身内で固める教団運営ビジョン、行き詰って来てますね。
>各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々
中山家とか中山一族という捉え方をすると本部や天理教の実態を把握できないと思います。
そもそもおや様の子供に男子は秀司一人しかいません。
秀司も妻のまつえも早くに死んでしまいます。
中山家に残ったのはおや様と孫娘のたまえだけです。
この たまえと結婚したのが梶本の次男真之介(初代真柱)です。
真之介の姉ひさは、山澤為造と結婚しています。
おや様が亡くなった後、この山澤為造を核として梶本・前川・飯降・上田・永尾等々の親戚連中やおや様の高弟とかいう奴らがが天理教という宗教団体を作っていったのです。
その末裔たちが「中山」という商標を掲げて純朴な人々から金をまき上げて来たのです。
強欲な本部の人々は、降嫁だけでなく男子後継者のいない直属大教会には、自分たちの息子を養子として送り込み直属大教会も支配してきました。
狙うのは当然大大教会です。弱小大教会は眼中にありません。
この方法を直属大教会が真似をして、部内の有力分教会に息子や娘をを送り込んで姻戚関係を結んできたのです。
本部や大教会がやっているんだから分教会も当然同じことをします。
金周りの良い分教会同士が姻戚関係を結んで行きます。
こうしておや様亡き後、130有余年 天理教は上から下まで殆どがどこかで姻戚関係で繋がってしまった異常な組織なのです。
繋がった最大の要因は「金」です。
労せずして手に入る「金」です。
何代にも渡って他人の金で暮らしてきた集団です。
つまり天理教という組織は、本部を頂点とする乞食の様な大集合体だったのです。
こんなこと神がゆるす筈がありません。
教祖百年祭で「白紙に戻って一より始める」が打ち出されたのです。
「白紙に戻る」は、「消える」と言う事と今は思っています。
一週間ほど前に九州の会長さんと電話で話したのですが、
会長さん曰く
「5月も6月も7月も月次祭に参拝したが、本部は本当にガラガラだった。
東礼拝場に入ったが隙間だらけだったよ。今月も少ないだろうな」・・・
「金」・・・先細りである。
「金の切れ目が縁の切れ目」・・信者達が天理教の実態に気が付いたのです。
そして、天理教と縁を切ったのです
今では、どこもかしこも事情教会ばかりです。
確実に白紙の戻っています。
間もなく消費税が10%になりますが、これを切っ掛けとしてお供えも参拝者も更に減る事になると私は思っています。
退職した元信者様、ありがとうございます。
そういうことだったのですね。
姓名の姓を省いて、真之介さん、おひささんと教祖伝に出てくるものだから、錯覚していました。
おや様亡きあとからは、天理近在の「なんちゃって集団」だったのですね。
だから本席様やその後に現れられた神がかりの女性たちを排除し、自分たちの既得権益を守り続けて今日に至ったのですね。
何しろ「なんちゃって集団」なのですから。
ようやく話が見えてきました。
須藤花井さんの予言通りになりましたね。
8月もパイプいす席はガラ空きだったと報告されておいでの方もいましたから。
今更ながら、宗教はアヘンですね。
これを断つには努力が必要ですから。
お供えを減らすことは簡単に実行できます。
けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
自立した信仰、神様とおや様と自分との関りでしっかり生きていかなくてはと、改めて思います。
これ迄も教会とは距離を置いてきましたが、元からこのような集団だったことが判ると、厳しく自身の覚悟が問われますね。
においがけ、神名流しなど、無責任な行為に思えてきます。
教校学園閉校に反対しているとの意見が散見されますが、もし高校が存続となれば、学校を運営する資金すなわち我々末端の負担が増えることになるのでは? 「お供え反対」と声高に言いながら、「教校をつぶすな」と言うのは矛盾していますよね。
かな子 様
過去のスレを熟読してください。例えば、音研これって絶対に必要ですか。
教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。
教校学園も誰かの趣味が高じて作られたものでしょうか。
全ての機関・施設は、設立の趣旨が大切だと思うのです。例えば、おやさと館は二代さんがバチカンを見て、これに負けない物を作ろうとの思いで構想し、建設が始まったと聞いています。教祖は八丁四面鏡屋敷と言われたと聞いていますが、館まで言及されていたのでしょうか。
大きいことはいいことだとばかりに作ったものを失くすことが先決ではありませんか。
私も教校学園閉校は賛成です。
おかしいと思うのは、本部自ら布教師養成の場所をつぶそうとしている思考回路です。教勢を盛り返したい筈の本部「閉校三兄弟」が本丸をつぶすのは支離滅裂だと言うだけの事。
本部は何考えてんだか?あたまがおかしいの?と思うだけの事だろうと思います。布教師を養成して天理教被害者をこれ以上出してはいけないと多くの人が思っている筈で、閉校は我々末端教会の思う壺です。(笑)
かな子様
そういうことではなく、優先順位から見えてくる教団の「あり方、方向性」に
対して矛盾や戸惑いを感じているということではないでしょうか。
元々信者さん方のお供えで築き上げられた自分達の資産や既得権益等は
一切崩したり負担することなく守り、主に末端教会長や信者さん方の子供が
通う教校学園高校を真っ先に切るという判断に寂しさや虚しさ、怒りを
感じるのでしょう。
今迄盲目的に尽くすことが信仰だと思ってきた末端の方々にとっては、
見たくない、信じたくない、優先順位から見えてくる教団のあり方、方向性
やり方、だったのでしょう。
匿名 様
2019年8月27日 11:45 PM
> けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
そうですね。この問題があります。このことは「問題」と言うほどでもないと思いますが、しかし、私も、教会を離れるということは、おやさまと離れることでもあるような気がします。でも、よく考えると、気がするだけではないでしょうか。おやさまは、いつも我々のそばにいてくださる、私はそう確信しています。私が良い事をしたら、私の成績表を取り出されて、そこにマル(〇)をつけてくださいます。悪いこと(神の思いとは違うこと)をしたら、頭にゴツンと一発食らいます。
おやさまが、大徳寺さんの口を通して言われたことは、「わしは分身の術が得意だ」 とのことです。聖徳太子は一度に7人の人の言うことを聞き分けた(7人の人を相手にした)、と言われていますが、おやさまはその比ではなく、分身の術を使われて、一度に1億人や10億人の人を相手にされることができるンですね。きっと匿名様のそばにもおられると思います。(これ、マジで言っています)
大徳寺さんをまだ知らない多くの方々の為に。
今なおご存命のおや様である大徳寺さんは熱海に住まわれ、ほぼ毎日親神様のお言葉を「おやさま」として語り続けておられます。温かく、前向きで光に満ちた誠真実のお言葉を生で聞くことが出来ます。私もどんなにかお言葉で癒された事か。小さな庵に悩み事を抱えた人々が大勢押し寄せています。
皆様の参考までに、、、。
>>教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。<<
歴代真柱氏の趣味や道楽が高じて作られたものは、本当にたくさんありますね。建築費や維持管理費に全て信者の「お供え」が使われています。思いつくままに箇条書きで下記に列挙してみますが、その他にも多数あると思います。
① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
以上、思いつくままに列挙しましたが、他にも、たくさんあると思います。教校学園という天理教にとって芯になる教育機関を廃止する前に、どうして、上記のような無駄な施設やハコモノをスリム化あるいは廃止しないのでしょう。教校学園の廃止はキリスト教で言えば「修道院」を廃止するようなものであり、教会本部が「もはや天理教は宗教ではありません」と世間に公言しているようなものです。(現に宗教ではないと私個人は思っていますが)。
皆さん「匿名」を使われているので、誰がどの「匿名」さんか解らないのですが、上記
> おや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、・・・というコメントを読ませていただいたとき、この方は、信仰上それなりのレベルに足しておられる方なのだろうと思いました。この方は、もう天理教の教理に関しては十分に知っておられるので、人に教えれる立場に立たれてもいいのではないかと思うほです。ですから、教会を離れられてもご自身を見失うということはないような気がします。どれが本当か、どれがデタラメか、を識別する眼力も持っておられると思います。(←私の独断かもしれませんが、偉そうに言ってすみません)
社会科学として、音楽と社会は切り離せません。
真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。
教校学園も趣味で作られたものではない。
教祖は「道に学問いらんのや」といわれたのに、山名系の学者が天理教の若者に学問として天理教を教え込んで;教団教理の普及を図ったもので。天理教校学園は、はびかっていた山名教理での武装を夢見て、親神に嫌われたのです。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
実は私自身、これは問題だと考えた時に、人から聞いただけでは判断できないからと思い、実際、本部へ確認したことがありますから、本当の事です。
たまたま天理という地方都市に、才能ある子弟が多数お生まれになり、真柱の肝いりで存続していただけでしょう。
全国から子弟が集まっていた学校には、天理貴族の方々のお子様は進学なさらないから、簡単に閉校を決めただけでしょう。
「わが身可愛い」では判断の目が曇ります。緊縮財政で心苦しいと感じる「まともな感性」をお持ちの父兄であれば、サッサと自主的に退会される事でしょう。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。<
うーーーーーん、「卑しい」・・・この表現はズレているから、少しも読み手の胸に響いてきませんよ。
まぁ、劣勢回復したいがための「決めセリフ」のつもりだったのかもしれません。
「卑しい」という表現の使用例として思い浮かぶのは、表統領のなりふり構わぬ金集めの言動でしょう。
それこそ卑しいの極地です。
人の財布をあてにすることは卑しいことだと、一般的に言われます。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所・・・
須藤花井さん曰く
「善衛の奴 歌ばっかりうたいおってと神さんが怒ってる」・・・
善衛が音楽に入れ込んだのは趣味ではありません。
正善に対する劣等感からです。
四方正面の礼拝場建設も劣等感から生まれたものと思います。
別席場の真東棟から眺めると三島神社が邪魔で邪魔で怒りが湧いて来たのでしょう。
だから池を埋めて神社もどかして見事な四方正面に仕立て上げたのです。
「俺だって正善に負けてないぞ」・・・こんな気持ちだと思います。
正善に比べれば、学歴も人脈も見識も劣る善衛は全てが内向きです。
直属の子弟をお宅に呼び寄せ内々で「お上」と呼ばせ悦に浸っていたそうです。
このしきたりは現在でも続いているらしいです。
全国の分教会を巡教と称して訪れ、豪華な饗宴を強いたのです。
迎える側は、客間客殿を新築するために信者にお供えを強いたのです。
百年祭に向けての3年間は、本当は毎年500億は集めていたと本部勤めをした方から聞きました。
善衛が神殿講話で「金ではない」と一言発言すれば多くの教会長や信者達は救われたはずです。
でもその様にはならなかった。
莫大な金が本部に集まり、百年祭は盛大に執り行われた。
そして、信者の心は疲弊し、遂に切れてしまった。
私の母親は布教所を開設していました。
百年祭に向けて布教やお供えに熱意を持って取り組んでいました。私も母親と同様でした。
百年祭が終了して半年ほど経った頃、母親が「白紙の戻って一から始めると言っていたのにちっとも変わらん」とボソッと口にしました。
母親は、「白紙に戻って一から始める」を心の底から信じ切っていました。
百年祭をきっかけにして天理教は変わると信じていたのですが、結局は裏切られたのです。
私が所属していた末端分教会は、110年祭頃までは平日の月次祭でも40人ほどの信者が参拝して居ました。
お勤めを3交代にしても手が余る事もありました。
しかし、信者さん達は、途切れることのない「お供えの強要」に疲れ切ってしまったのです。
殆どの信者さんが自分は死ぬまで教会に足を運ぶが子供達には望まないと話していました。
そして、今では月次祭に会長夫妻を含めても四、五人ほどしか集まらない状態になってしまったようです。
須藤さんは「善衛さんは、昭和7年7月7日生まれ 切って切って切りまくる人だ」と言っていました。
善衛は、末端分教会長や信者の心を「お供え」で切りまくったのです。
天理教の衰退の口火を切ったのは劣等感の塊の善衛だと私は思います。
教会を作るなとおや様が止めるのも聞かずに始めた強欲な教団ですから消滅するのは当然の事と思います。
親神も消滅を望んでいます。
おふでさきにも掃除するとしっかり書いてあります。
宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな
無神論者 様
2019年8月29日 12:05 AM
>>宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな<<
その通りです。だから、オウム真理教が天理教システムを真似たのです。教会本部自ら、「天理教という名称は商標である」と主張し、最高裁まで係争した挙句、敗訴したのです。教会本部自ら、「天理教は宗教ではなくビジネスである」と公言しています。実際、その通りだと思います。「金のつなぎは命のつなぎ」という摩訶不思議な言葉がでることが、それを物語っています。
人の心が通じ合えるのは、人対人以外にはあり得ません。通り一遍の時報記事や神名流しではありません。
「このよのじとてんとをつくりとりふうふをこしらえきたるでな・・・」をじっくりと心に治めれば分かりそうなものなのに、天理教は何を考えてんだか。
カネ、カネ、カネ。カネが敵の世の中を作った張本人が何を言ってもダメ。
総本山のある城下町。お坊さんが托鉢に歩かれる。軒々から茶碗一杯のお米が差し出される。恭しく受け取られるお坊さんの背後に後光がさしている。真冬だというのに、御坊さんの足元は白足袋に藁草履が濡れていた。
禅寺の修行僧、作務、勤行、托鉢、指が5本ともはみ出た藁草履ですごい速足で往復40キロ、首から提げた袋に施米を入れ帰りは相当な重み。新米、古米混ぜこぜの施米なので普通に炊けず、かまどの大鍋が沸騰したところに洗米を入れて炊くそうです。朝は薄い粥に沢庵と野菜物少々、昼はご飯と沢庵と野菜物少々、夜は厚揚げの入った炊き込みご飯と沢庵と野菜物少々。この繰り返し。勿論肉、魚、卵など論外。3時半起床、2時間睡眠。睡眠不足と重労働と栄養失調で倒れて山から降りられることを願って修行に耐えていたのに、一年後ふっと悟りの境地に至ったとか。35人の雲水で残れたのはただ一人。大学で物理を学んだ青年が、現在では70歳の老師に成っておられます。比叡山延暦寺の荒行、千日回峰行を一回ならず60歳で2回目を満行された酒井雄哉大阿闍梨に至っては、ここに書くのも畏れ多いです。写真のお顔を見せて貰っても涙が出てきますよ。直会でのお酒だけでは満足せず、家でも神さんのお下がりやからと飲みたいが為に、日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウイスキーと必要以上に買い込んで、おまけに酒のあても食べていたら、生活習慣病にならない方が不思議です。糖尿、通風の会長のなんと多いこと。脚切ったり、失明したり、人工透析もしてますよ。いつだったか、天理教からお酒を取ったら、参拝に来る人が減るやろねー、と言ってたんですが、確かにお勤め二の次の人は多いですね。修行も戒律も一切ない宗教、信者はまだしも、悩める人を導かないといけない立場の人間はそれではいけないですよね。上も下も、それこそ卑しい浅ましい人間たちの集団が天理教です。
>匿名
>2019年8月27日 7:41 PM
>中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
仏教の各宗派(全部がそうかはわかりませんが)大変な修行を究めた僧侶が血筋関係なくその宗派のトップになれます。天理教は例え修行なるものがあったとしても、永久にトップにはなれません。それどころか、教会長止まりです。最後に創設された大教会はどこで、いつかは知りませんが、大教会長になるのも、厳しい修行ではなく、部内教会を60以上?従えるかという布教の実績あるのみです。トップは、一般信者からは登りあがれません。教祖以来の最古参家系か、中山家に繋がる家系の者だけが、本部員としてトップに君臨しているのです。世襲制は権力争いは起こりませんが、トップになって現行天理教を改革したいと考える熱心な一般信者が仮にいたとしても、残念ながらいつまでも下っ端でトップにはなれないということです。
偏見ツイートにより炎上し
釈明にてんやわんやのバリ天分教会長がまた一人…….笑
様々な事情で結婚できなかった人たちは以下のツイートをどう思うだろうか?
↓
>>酒井耕平(教会長) @chansankohei
>>天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
>>夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
>>特に結婚するまでの青春時代に、
>>どれだけ親に合わし、尽くしたか。
>>喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
おなじ酒井姓だけど大阿闍梨さまとは月とスッポン(スッポンに失礼か)この人は未だお子様というか、何の苦労も至難の経験も無しで生きてこられた生活苦の無い上級教会のボンボンですかね。まさしく井の中の蛙で世間の情勢も知ろうとしないし、知っても動かない。毎日教会の雑用とイクメン振りを発揮して、嫁さんに重宝されて、それだけの狭ーいお人と思います。子どもと一緒の写真を載せる時点でもうアウト。教会の子沢山は経済的な事もあるけど、上の子を見る助っ人が居るから。世間の働く母親はもっと産みたくても実家は遠い、夫は仕事で居ない、保育園の空きはない。少子化の協力してるみたいな間抜けな事言う会長居ましたが、所得税住民税を払わない教会が児童手当貰うだけじゃなく、外へ働きに行ってない家族居て、十分子の保育出来るのに、どうして保育園に入れるの!?育休終わり再度入れてもらえず仕方なく高い無認可に頼む家庭もあるのに。役所はちゃんと調べるべき、贅沢してる教会が保育料タダってどうなってるんでしょう!税金納めず、他人の納めた税金で楽してるって。本部のいちれつ会も同じ。働かないとやっていけない教会の子弟、信者が扶育受けられず、生活費要らず、たんまり自由に使えるお与え、お礼を貰っている大教会子弟が受けられるって、もう、メチャクチャですわ。
79歳の尾畠春夫さん、佐賀の水が引いた所へ駆けつけはりましたよ。嫁さんのご機嫌とりしてる暇があったら貴方も動いて下さい。
改名しましたさんへ
なんの根拠もないあなたの頭の中の想像だけで語る他人への誹謗中傷やめませんか? こういう書き込みっていつまでも残るんですよね。 ネットの掲示板は匿名性があるように思えても、捜査機関が調べればすぐに足がつきます。被害を受けた当該者さん、今すぐ名誉毀損で訴えるべきです。
信仰の目的は、本当の親孝行をすることである。
自身が健康で、夫婦になり子どもを与えてもらい、家庭円満、家が続いていく。仕事があり、お金の与えがあること。親に心配をかけず、安心してもらうことである。
それらを実現するために、教えを実践し、ほこりを払うのである。
本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。
本当の親孝行ができるように、今できる親孝行をするのである。
人間は親に喜んでもらった分しか幸せになれないのである。
元初まりの話によると、
夫婦は一対一、一すじ心であるこら、親孝行で相思相愛。
子どもは親の心通り素直に育っていく。
この生まれ替わりの中に、親が子となり、子が親となり、互いにたすけ合い、陽気ぐらしする。
だから、家が絶えない、命が続く御守護は尊いのだ。
天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平
>特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
刷り込まれ、叩き込まれた洗脳の為の似非教理です。
せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる 一 74
と、おふでさきにあります。
「親におべんちゃらしたら、素晴らしい配偶者を与えていただける」とは 書いてありません。
かな子さま
名誉毀損って、誰が被害を受けたんですか?実名を晒しましたか?
残念ながら真実ですよ。ずるいことしてる、慎みが無いって事を本人や家族が誰一人として分かっていない、感じていないというのが一番たちがわるいのです。少なくとも、本当に困っている人を助けたいという気持ちが薄い人達であるのは確かです。
>よろしかったらどーぞ。http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
興味深く拝見させていただきました。ありがとうございます。
中山の名を掠め取った梶本と山澤の姻戚だけで17の直属が見て取れます。
直属大教会
兵神 高知 高安 東肥 本島 大江 城法 堺 撫養 南 泉 中和 雨竜 南海
直属分教会
田原 道昭 大和御幸
梶本山澤だけでこの有り様です。
まるで幾重にも重なりあった蜘蛛の巣状態です。
更に その他の直属大教会145ヶ所 直属分教会78ヶ所 直属部内の上上級や上級も既得権益存続の為に互いに絡みあっているのです。
この集団は、何世代にも渡って他人の金で食って来たのです。
汗水流すことも無く、税金も納めず、大きな家に住み、綺麗な服を身に着け、大きな車を乗り回し・・・
この乞食の様な巨大な親戚集団を誰がどの様に改革すると言うのでしょうか。
本部の実権は、既に善亮大亮親子に渡っています。
取り巻きは、善亮の姉や妹の嫁ぎ先の増野・仲野・鹿尾や久保善平等々でしょう。
こんな奴らが改革など口にする筈がありません。
期待するほうが馬鹿です。
姻戚関係で繋がった天理教の組織は余りにも巨大であり、強固です。
信者が改革を叫んでも叶うはずがありません。
末端分教会関係者や信者に残された手段は逃げ出す事だけです。
須藤花井さんは世界情勢の大激変で天理教本部は潰れると常々言っていました。
親神が天理教を潰すのです。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平 様
>本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。<
上の言葉、そっくりそのまま真柱氏や大亮氏に言ってください。
言われる方向が間違っています。
皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?
例えば、本部神殿すらも最終的には更地になる可能性があるとか、おやさとやかたも跡形無くなるとか、もっというと天理市自体もどういう風に様変わりするかとか、ご意見お聞かせください。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
お答えします。
本部員で諸井慶徳、著作物は天理教神学序章、天理教教義学詩論などアマゾンで買えます、
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諸井慶徳
もろい・よしのり
1914(大正3)~1961(昭和36)年。宗教学者、宗教哲学者。天理教神学の歴史は諸井慶徳の『天理教神学序章』『天理教教義学試論』に始まるといっていい。主著は博士論文『宗教神秘主義発生の研究――特にセム系超越神教を中心とする宗教学的考察』、と『宗教的主体性の論理』である。彼は井筒俊彦と同じく、30を超える言語に通じていた。語学力を駆使し、テキスト原野に分け入るという研究態度だけでなく、イスラームにおいてはコーランに神秘主義発生の始原を発見し、スーフィズムを論じ、さらにはキリスト教においては、パウロに教神秘主義の源流を見ると哲学的視座において、諸井慶徳と井筒俊彦は一致する。諸井慶徳は3月30日、井筒俊彦は前年の5月4日の生まれである。二人は互いの存在を知りつつも、おそらく会ったことはない。
・・・諸井慶徳のイスラーム研究が、私たちに垣間見せる深みは、彼が天理教の信仰者であることと無関係ではないだろう。絶対的普遍者としての一神教、啓示の介入と教祖の出現、聖典の誕生、さらに聖域 の認識、天理教とイスラームそれぞれの宗教生誕の経緯は、驚くほど似ている。
二者の近似を、単に比較宗教学的に論じても、深みがそこを通じて現れてくるとは思えない。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
天理教の戦争協力体制を指導した超エリートです。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
「はびこっていた山名教理」とは
以下の天理教の学者です・天理教学研究者たちで、天理教校の大幹部、天理教学を専門としている研究者、あるいは天理教に関する著書、論文を書いている研究者や天理大学宗教学科の教授たちです。
井上昭夫 金子昭 澤井義次 澤井義則 深谷忠正 松本滋 諸井慶徳などで、論文は天研などの機関誌にて論文は読めます。
基本が会話できた人物は天理高校初代校長塩谷寛。天理大学学長大久保昭教であったが、天理教学には縁のない方々で、信仰者としての会話を基本としている。
はびこっていた山名系教理とは初代天理教表横領の諸井慶五郎は、「報恩の道」を説いて、「理の親に尽くせ」と、天理教団をリードした。山名大教会では「赤貧」が最も素晴らしい信仰ととかれ、全財産お供えを説く一方で山名大教会は、観光施設として大教会の建物が観光ルートにはいるほどの大神殿を建てた。
いまも、山名には観光の宣伝がある。
諸井慶徳は山名大教会初代の血筋で、諸井誠一の孫で、慶五郎の長男。戦時中は戦争協力を指導した、
その長男の諸井慶徳はイスラム教の学者として、戦後はキリスト教、ユダヤ教の神学を天理教にもちこんだが、真柱とは反した天理教教義学の確立に努力し、若くして死んだ。
深谷忠政は本部員で、諸井慶徳のいとこであり、慶徳の路線を全天理教団に指導した。
諸井と深谷は山名大教会、河原町大教会を発信元とし「人間完成の道」を天理教の教えと定義した。
甘露台は人間完成の、道の後に降る甘露を受ける台だと、うそを教義にしてしまった。
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。
1 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:04:21 ID:qHzKZU4w
現在の、天理教教団教理は、教祖七十年祭に過熱化した教理研究熱の中、諸井慶徳、深谷忠政の二人の学者によって、展開された「神学」系の弟子達によって、構築され、展開されてきた。
特に、深谷忠政氏の教理研究は、天理大学おやさと研究所などの研究者のひとつの規範として、おやさま百年祭までの間に、天理教団全体を衰退に導くという結果をもたらす、悟り違いの様相を呈した。
そこで、特に、深谷忠政氏の教理研究の中でも、「元の理」についての研究の、批判をなし、少なくとも明らかな逸脱点を認識することは極めて大切だと思う。
きちんと議論し、「虚構の神学」と言うしかない、「勇みの神学」なるものの、いかさまを、世界に対して示すこととしよう。
教団内部の宗教指導者の、「から」を分けてしまうことは、大切な事とおもう
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
知らせておけば神は働くので、きちんと呪詛しておいた。
2 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:05:36 ID:qHzKZU4w
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
そのはしがきには、このように記されている。
・・教祖七十年祭を契機に教内にまき起こった教理研究熱にこたえ、教理研究に「みちのとも」の頁を割こうとする編集部の要望にこたえるもので、筆者の試論にすぎないことを、特にお断りする次第である。・・・
だが、現実には、この筆者の試論は、おさしづに知らされた「風・説・理」の順で、結果として、「悪理」となり、今日の天理教団の信仰を歪めている事、これを議論しようというものである。
3 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:20:38 ID:qHzKZU4w
おやさまは、「皆めんめん口で言わす」と教えられていて、それを基本教理として「自白の教理」と呼ぶが、深谷忠政氏は、先ずはしがきに、何を自白しているかと言う事である。
それは、天理教典第三章「元の理」が、未信者に教典を渡す上で不都合だという事を原因として、何らかの解明の手がかりが必要だとして、それを痛感して書いたという、自白である。
おやさまは、みかぐらうたにて、特にこのように教えられている。
「この元を詳しく聞いた事ならば、いかなものでも皆恋しなる」
詳しく聞くということは、おやさまの教えられたことを、聞くということであり、人間が解説すると言うことは、人間の解説を聞かせるという事であり、それは、神意と必ずしも合致しない。
神様の話を詳しく聞くという態度と、初心者にも分かるように解説するという態度には、人間の中途半端な思い上がりがあるという事だ。
もともとの初代たちは、教祖の教えとして、元を取次ぎから聞いた。詳しく聞いた。
そして、恋しくなった。
元を詳しく聞く気のない人には、聞いてもらわなくてよいというのが、逸話にきちんと示されたおやさまの態度である。
聞く気のない人に、それが解説で聞く気を起こす糸口になればという人間思案は、まさに、とんでもない理の間違いである。
解説という「一見した未信者への親切」は、実は、教師と称する人たちが、おやさまの話を詳しく取り次げないと言う現実をどうにかして糊塗使用という、厚化粧の醜さだと、そろそろ分かっても良い頃だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塩谷先生は基本は頭が良すぎると言っていた。大久保先生は私は本当は信仰が分からないと言っていた。
山名系教義は「理の親にお供えしろ」「人間を完成しろ」と扇動し、70年蔡から100年祭をミスリードした。
>>皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?<<
後10年経れば、本部に上がるお供え金は限りなくゼロになります。
間も無く消費税が上がり今後益々信者の財布の口は固くなっていくでしょう。頼みの綱の現在の年金受給者は10年のたてば随分減るでしょう。事情教会90パーセントと言われていますが!周囲の教会を見回してみても建物ばかりで信者は殆ど居ないのが現実の姿です。
140年祭にはお供えが増えると、夢か幻を見ている善亮氏ですが、それは有り得ない事です。
神殿含めた巨大な建物群は埃をかぶり、解体する事なく年月と共に朽ちていくと思います。
本部終末期の頃は参拝してくる信者も居ないのだし、お供え金もゼロの筈だから(今でさえ、本部月次祭に来る信者は悲しいほど少なくなっている。)意味の無い伽藍堂は中山家が今まで積み上げて来た隠し財産で解体すれば良い。
信者のお金で買い占めた白川など周辺土地を売り払い解体費用に充てて宗教法人天理教は消えてなくなる。
金食い虫の参考館、図書館などは、地方自治体管理下となるのでしょう。詰所の扱いは各大教会下。大教会も最近では金欠状態になり、落ちぶれてきているので解体する金も無く当てにする信者も減る一方だから放置し朽ち果てるしか無いでしょう。どうにもならなくなったら最終責任は本部に行くと思いますが。
過去の栄光にしがみついている善亮、大亮親子の野望と夢が破れ、落ちぶれた姿が周辺の嘲笑を誘うでしょう。大亮さんの時代は無いでしょう。10年後、参拝者のほとんど居ない神殿で中山家一人の月次祭を想像す
ると哀れです。「金にならないから天理教本部、もう畳もうか、、」と親子で本気に相談しているのかも知れません。
悔しくて、つい想像をめぐらしてしまいました、、。
天理教教団は衰退しますが、天理教は信者が本物になりますから、教としては、膨大な資金を得ます。
天理教団は衰退するが、教団ではない、信者が効能の理で、宝の山から金銀を掘り出して、世界たすけるから、
教会本部は、にぎわいます。
基本さんの言う通りになるかどうかは解りませんが、一理あるのではないかと思います。昔は修養科生さんもたくさん来ていましたが、その分修養の質(内容・レベル)は落ちていたようにみえました。各地の教会で、ノルマ達成が先行していたからなのかもしれませんが、修養科に放りこんでおけばいいや、というよう感じで、誰でも彼でも修養科に入れていたようなところがありました。今後は、数は減っても、真実おやさまを慕う人が来られるかもしれませんね。
退職した元信者様の
2019年8月30日 7:01 PM
> 親神が天理教を潰すのです。
で、聖書の一節、
<わたし(神)が羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。>
を思い出しました。
イエスのこの言葉は、イエスご自身が処刑されることを予言して言われたものです。
今まで、なぜ神はわざわざ羊飼い(イエスのこと)を打つのか、とフシギに思っていました。
しかし、これは、親神は「教団は要らない」 という意味なのではないかと思いました。
実際、イエス亡きあと、教会組織はなされなかったようです。
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
天理教団は長年おみちのために尽くした教会長が野垂れ死のうが孤独死しようが、
かまうこっちゃないのです。
骨の髄までむしゃぶりつくしたらあとは見殺しです。
以下のツイートがそのリアルをまざまざと語っております。 ↓
末端天理教会長男坊が通ります @IY9gprpe7afcRRd さんのツイートより抜粋
>>現教会長はおとん。
>>アルツハイマーと脳の病気で神殿でしょんべんを垂れ流すのが日課。
>>止められない。
>>そろそろ畳抜けそう。
>>オババも同じ病気で半分寝たきり。
>>オカン介護疲れの上、月並祭、上級への御用、お供えする為に借りたサラ金返済。
>>金などまるで無いから施設も入れないし、
>>仕事に出ようにも理の親に仕事したらダメ言われてる。
>>発狂なう。
>>どーしたらええのん?
>>上級は複利厚生しっかりしてるて何でや??
>>うちのおとんボケる前はお道一本、定職にもつかず上級への御用三昧。
>>バイトで得たお金はほぼお供え、民間の保険など加入するわけなく神様保険。
>>天理教徒の見本みたいな人。
>>今となれば上級教会行っても煙たがられ笑い者。
>>そして借金三昧。
>>おかしない?
>>しかも連帯保証人になっているという。
>>上級の信者の分。
>>上級の教会では相手にされなかったんだってー。
>>うちくるな!
>>その前に金返せ!
>>おかしない?
G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記ありがとうございました。
見ているうちに吐き気を催しそうになりました。
G-FOX様の労作のお陰ではっきりしました。
毎月目を通すみちのともの本部祭典役割表。
月次祭かぐら・てをどりは、中山家を中心とした親戚縁者が演じていることがわかりました。
これ迄は特に女性の名前は見てもピンとこなかったのが、彼女らも何のことは無い、皆、親戚縁者だった!
結局のところ、庄屋敷村の村祭りのかぐらの担い手は村民に限定ということだ。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
本席様が亡くなられ、ナライト様が邪魔者扱いされ、所謂神の声を聞くことができる人が不在の天理教。
そうした中で、何故か飯降家との縁組が成立しなかった!
つまりは自分たちの既得権益を守るためには邪魔だからだったのか?
中山家一族と高弟達の皆さんに問います。
あなた方は教祖に親神が降りたことを、本当のところ信じていないのではありませんか?
神の啓示ということを信じてなどいないのだろうね。
もしも信じているのであれば本席の血筋を中山家に向かいとるという考えが起きるのが自然の考えではなかろうかい?
今更言っても始まらないけれどね・・・。
それと真柱夫人の父、橋本武人さん(元天理大学長)は橋本道人さんと親戚ですか?
本の広告では名草分教会長とあるが。
ある方のツイッターより。
明治31年11月13日のおさしづに
「子が満足して親という。どんな事も成らんなか、育てるのが親の役」とあります。
親孝行を強制する天理教会長はこの神意からズレてる事を自覚して貰いたい。不勉強な教会長が多すぎる。子供を満足させられないのに親面する教会長の何と多いことか!
******* ****** ******
明治21年7月7日のおさしずでは
「親と言うのは子に満足を与えてこその親である。」ともありますね。
今現在の改ざん天理教教理では、理の親が黒いものでも白だと言えば子は泣き泣き「白です」と歯を食いしばり、ハイその通りですと阿保親を立て、立て切るところにご守護が有ると天理教では言うんですね?そうすればある教会長の言葉に拠れば良い配偶者にも恵まれるとか?!
狂った親に合わせているから合わせ鏡の様に子供も共々に狂った親子になるんです。狂った親は早速見限るべきなのです。目どうは狂った阿保親ですか?
世界を無償の愛で照らす神ですよ。未熟な阿保親に合わせるんじゃ無くて「神の御心」に合わせるべきなんです!
そのストイックさは狂った精神世界での自己満足に過ぎない。気の毒だが人生を棒に振っている事に気付いていない方々です。
信仰を理解出来ていても信心の出来ない哀れさを感じる。
「世界を無償の愛で照らす神です」と、 そんな神などどこにもいない。
値をもって実を買うのである。
親と子の話ですが、親夫婦がもめていて家庭崩壊の状態の子供に、
「あんたが親なんだから、あんたが親をきちんとさせろ」と教えたら、ちゃんと親を仕切った子供がいた。
何人もである。
「親が子となり」なのだ。「子が親となりなのだ」。天理はそう教えている。
匿名
2019年8月31日 2:50 PM
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
この言葉には、助けこころが無い。
自分の人生の充実など神は教えていない。人たすける。
誤りには説教する、理を諭す。そして天罰を与えてでも、助ける。たすける心無い信仰者は、
天理教団幹部であり、匿名さんあなたです。
呪詛します。
基本さん
御自分のスレにお帰り下さい。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1468629402
https://yomi.tokyo/agate/toki/psy/1277001717/294-/dta
内の 382より
>質問、宗教板に居つく、基本。て何者?
>>机上のお勉強はよくできるが口先だけで己を省みることもなく
>>妄想と偏見に満ちた持論をネットで垂れ流し、矛盾を突かれれば知らん顔
>>社会に出ればセコい場末の商いのクセに客を生徒と呼び、上から目線で
>>客をあしらう傲慢この上ない底辺のクズ人間
>>それがコテハン基本。こと飯田の演歌王(苦笑)こと坂〇明〇、である。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
上記の自分の投稿を訂正します。
飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
投稿後、翌朝気になって調べ、慌てました。
皆さんm(__)m
基本はカルトでオカルトです。
社会科学と言いながら、科学と無関係でカルトでもオカルトでもないカインについて、
意見をのべに参ります。基本は論戦一度でも逃げた事はありません。ごめんね。
天理教はユダヤ教や皇教と同様に近親交配を推進していた時期がありますが、遺伝子操作の、高慢と言う、
その錯誤が、天理教青年会に残っているようです。
https://www.tenrikyo-seinenkai.jp/seinenkai/basic-policy-2019/
天理教青年会は天理教の素人ばかりで、貧乏を「貧のどん底」をしらず、難儀の味も知らないので、
山坂一つ越えた事のない、畳水練の天理教で、「信仰者」(おやさまへの謀反人)ばかりです・
だから、こんな活動目標を下ていますと。
一、原典を学び、人に伝える技術を身に付ける
⇒ 原典に違反します。方法に頼るはおやさまお嫌い。
一、例会やオンラインサロンでの学びを、分会・教区・海外青年会で共有し深める
⇒ 貧乏しないと、教理など分かることはできません。諭し悟りをするにも貧乏せいです・
一、自らの徳分に気づき、お互いに認め合う
⇒ こんな徳分なんて教えは天理教にありません、徳というのはあります。
⇒ とく‐ぶん【得分】の意味 国語辞典では、出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 もうけ。利益。
2 ある人がもらう分。とりぶん。分けまえ。
3 中世、荘園の領主・荘官・地頭などが、所領から年貢として得た収益。
⇒ 天理教組織の信仰者であるという事は、甘露の門の門外漢です。世間でいう徳分はゼロ。
一、社会問題に目を向け、自分にできるおたすけに動き出す
⇒ 自分で出来るおたすけなんて何一つないのが天理教の基本です。
イエス様にお願いして、お釈迦様にお願いして、お助けいただくのがおたすけです。
⇒ 徳分があるというなら天理教団の分け前を分配しなさい。
⇒ お指図にじだんじだんはならん、とあります。つまり社会問題など目を向ける名です。
天理教青年会のこのレベルの「無信心ぶり」、滑稽な限りです。
素人集団天理教青年会には、高慢はあっても検挙がありません。
カルトもオカルトもありません。どのように思案しても人をたすける心がありません。
おやさまに終わ部申上げて、呪詛してあげます。
一、おはなし会や講話日を設ける
整理しましょう。
天理教会に生まれたという事は兄魂姉魂であり、因縁は悪い、徳が無いのです。
徳とは、徳(読み)とく(英語表記)aretē; virtus; perfectio
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
哲学,宗教の中心的課題の一つ。
倫理的,道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは善を実現する恒常的能力をいう。したがってそれがみずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたものでなければならない。
デジタル大辞泉の解説とく【徳】
1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。
「徳が高い」「徳を修める」→徳目
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。「徳をさずかる」「徳を施す」
3 ⇒得(とく)1
4 富。財産。
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教会に生まれたという事は、徳が無い。
これが天理です。
それを天理教団の獲得した財産資産を「徳分」だと私物化するけれど、基本はこうして理を知らせ呪詛しますので、正体はバレます、赤い衣装のてんりんおうが、そのいかさまは許しませんから、
神が怒りやすいように、人は怒らず、見下げてみていましょう。
天理教の基本です。
芹沢光治良先生の<神の慈愛>P.216に、<神の微笑>を発表して以来、先生のところに押しかけてくる人(読者)が増えた、というようなことが書かれかています。先生はそのことに関して、「現代日本人の旺盛な神だのみ精神というか、迷信の盛んなことに、今さらながら驚いた」 と、言っておられます。
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
それはそれとして、そういう風に、芹沢先生や伊藤青年のところに人が集まりだすと、あやしげな宗教を説く人たちもやって来て、芹沢先生に、「(我が)教団の組織に入って、力を借りたい」と申し出た、とありますと
私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。
秀司さんは儲け口があるというので、中山家で団結して、金儲けの道へ走っていきました。私はそう見ています。ですから、本当のことを言う飯降伊蔵翁はけむたい存在で、たもとを分かったと思います。(飯降家と中山家はあまり縁組はなかったようですね)
具体化しましょう。
天理教会に生まれたという事は信仰組織因縁があるという事です。
信仰組織因縁とは生まれる前の、善政が宗教組織に関係があって、
「選民思想」を持っている。
「搾取怨念」を持っている。
「高山因縁」を持っている。
以上です。
天理教祖のお筆先では代表者は「秀司・まつえ」です。
秀司は、選民意識から、当時有名な漢方医の娘と婚姻していて最初の奥さんです。
秀司は、金貸しで貧しい農民から土地を巻き上げた地持ちの中山善兵衛の長男で、搾取因縁を持ち、
中山家とは格式の違う町家の女を正式な結婚でなく、内縁関係の女として油売りに協力させ金儲けし。
女の名はお知恵は、中山家の格式とお屋敷利用の商売で、みきが死んだら全財産をと企てました。
みきが、金貸し因縁と宗教家業因縁で、「因縁よせてと演壇まとめた3人目の妻小東まつえは、
中山修司同様「選民思想」を持っている。「搾取怨念」を持っている。「高山因縁」を持っている。
だから信者を見下す、信者からなにかと金を絞る。「こじまつ」のケチで、小言うるさく、
「こじまつにすると、こじまつにする」と、中山みきから呪詛されています。
天理教会に生まれたら、因縁を悪因縁ということで、ひながたです。
>飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
知人に永尾家について尋ねたら、飯降家と上田家の子が結婚をして永尾家を作ったのだと教えてくれました。
なぜ永尾を名乗ったのか調べたが分らなかったと話していました。
本席の息子 政甚の評判も芳しいものではなかったそうです。
要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
「おや様 本席 ナライト」ここまでが正当な親神の意志だと思います。
ぶたまん 様
2019年9月1日 5:47 PM
>>私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。<<
人の心というものは大変弱いものです。おっしゃる通り、古今東西を問いません。例えば、日本の「厄除け参り」や「七五三」、「神社仏閣への初詣」、「おみくじ」、「交通安全のお札やお守り」等、数え上げればきりがありません。人間の力では如何ともしがたいことが起こった時、人間には「何かにすがりたすけてもらいたい」という心理がはたらきます。不安なこと、心配なことから逃れたいというのは人間が生まれながらにしてもっている心理です。仏教や神道等も宗教の違いこそあれ、いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。信者の生活を追い込み、人生を破綻させ、自殺にまで追い込むほどに「お供え」の集金をします。天理教が「カネカネ教」と呼ばれるのは至極当たり前のことです。
ぶたまんさん
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
このご意見ですが宗教家業で生きている人間達は、そんな生易しいものではありません。
「救世主なんているはずない」前提で、同騙せるかだけです。なんでもいいのです。迷信ほどいいのです、
実際に中山みきが救世主として現れた時、善兵衛や親せきは宗教としてみきをまつる祠をつくります。
ところがみきが宗教家しないので、拷問しています。
そんなものです。
芹沢先生が言われているように「迷信」が好きなのです。
本物は嫌われます。
皆さま、コメをありがとうございます。
> 要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
> いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。
> 本物は嫌われます。
こうしてご意見を並べさせていただきますと、人の心がドロ沼みたいです。「よくにきりない泥水や」というところですか。
反面、「蓮(ハス)は、泥沼の中に花を咲かせる」 と言います。おやさまの教えは、泥の中に開いたハスの花の美しさにたとえられるかもしれません。やはり、おやさまはありがたいです。
話が飛んで申し訳ありません。
黒門に死体の山が出来ると予言された須藤花井さんと言う方は、今現在ご存命なのでしょうか?
過去の投稿を読み返せばその方が存命か存命でないかは分かるとは言うものの、、
ご存命ならばどこにお住まいで、面会すると言う事は可能なのでしょうか?どなたかお知らせ下さいませ。
天理教本部の遠い昔の過去を知り、その成り立ちから現在まで綿々と続く欲にキリない泥水の実態を知れば知るほど、今まで何を信じ何に振り回された年月だったのかと、その徒労の時間の余りにも長かった事に愕然とします。今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
ぶたまん 様
2019年9月1日 10:03 PM
「男はつらいよ」という日本人なら誰もが知っている映画のテーマソングの中に次のような一説があります。
”どぶに落ちても根のあるやつはいつかは“蓮(はちす)の花と咲く”
泥田の汚い中で育っても、蓮の花はきれいに咲き、蓮根は食材として使われます。きれいな花を咲かせ、食材としても珍重される蓮は、自らの成長に必要な養分を泥の中の天然肥料(有機質等)を養分として吸収し、栄養にしているからです。世間には、色々な人がいます。蓮のように、泥田の天然の有機肥料で育っても、きれいな花を咲かせて、人の目を楽しませ、その上、人間に蓮根を恵んでくれる植物もあります。一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。
2019年9月1日 11:08 PMの匿名様の投稿
>今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
教祖年祭のお供えをと、国民年金を繰り上げ受給までされていた方が居られました。当時、繰り上げ受給は大幅に減額されての支給でした。その大半をお供えされ、年祭後も減額されたままの年金受給。繰り上げ受給をされると障害年金の対象からも外される。
ご自分で判断されたとはいえ、余りにも酷な将来が待っていました。天理教はこのような人を称えていたのです。
この方も故人となられたが、匿名様投稿の問いかけを教団本部はどのように感じているのか。中山家の面々は鼻にもかけていないのでしょうね。
むごたらしい宗教です。
匿名9月1日11:08PM様
須藤花井さんは平成10年4月18日(教祖誕生200年目)に亡くなられたそうですよ。
平成7年に須藤花井さんが発行された「月よりの神言」を、夢の中の御告げで自費で再発行され、毎月26日の10時から11時の間に頂ける、という情報をこの場で知り、早速去年、かぐら勤め終えてからその駐車場まで行きました。先に二人来てらして暫くの間四人で話をしました。その方のお名前も聞かずじまいで心残りですが、全て無くなるまで毎月来ます、と、言ってらしたのでもう14ヶ月経っているので全て渡し終えられたのではと思います。
改名しました様。
情報ありがとうございました。お亡くなりだったのですね。残念です。駐車場で配布されているとお聞きしていていつかまた、、と思っている内に月日が経ってしまいました。どこかで手に入れたいです、、。
こうして須藤さんのような神の遣いの方々があちこちに現れ、組織を作らずご神言を広めて下さった。湯河原の大徳寺さんもその一人だと思いますが、神は悪の行く末を目を離さずにじっと見ている。試練の天理教徒にとっては教会本部と言うそこらに転がる駄石にとらわれず、人間を作り給うた「神」の御心だけを信じて生きると言う一本道がありますね。
ありがとうございました。
<<蓮の花 続編>>
>一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。<
私は上記の文章を書くにあたり、天理教教会本部を意識して書きました。蓮の花は、高価な化学肥料を施肥しなくても、泥田の中で成長し、見事に綺麗な花を咲かせ、掘り起こすのが難渋なくらいに地中深くに根を張り(蓮根)私たち人間の食糧となってくれます。人間に例えれば、たとえ、生活環境に恵まれず、幼い頃から貧しく劣悪な環境で育たれても、人間性が豊かで、思いやりがあり、やさしく、困っている人を見れば、手を差し伸べることができる人達をこれまで生きてきた人生の中で数多く見てきました。まるで蓮の花のような人達です。
一方、高価な化学肥料(金銭)を使っても、根が浅い故に吸収する力を持たず、あるいは葉や茎が栄養過多になり朽ち果てる植物、それこそが、現在の天理教教会本部です。根の浅い植物にいくら高価な化学肥料を施しても吸収する力がないので、朽ち果てて腐り異臭を放つだけになるのです。天理教信者の皆さん、もうこれ以上高価な化学肥料を施すことは止めましょう。天理教教会本部が朽ち果てていくスピードが早まるだけです。もっとも、完全に朽ち果てて消滅したほうが「世のため 人のため」と考えておられる信者さん達は、私一人ではないとおもいますが・・・
匿名
2019年9月1日 11:22 PM
以下のご意見いただきました。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
基本はカルトです。「少数の熱烈な信奉者を指す用法」でのカルトです。
痔本はオカルトです。「1 超自然の現象。神秘的現象。」としてのオカルトです。即、神秘的な存在です。
効く人、読む人に響かせたいというのはオカルトではなくアジテーターです。
基本は呪詛として語り、語る事で神仏への影響力となるからで、神仏が相手です。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 呪詛じゅそ ギリシア語 anathēmaは動詞 anatithēmi (上に置く) に由来し,原義は「上に置かれた物」であり,旧約聖書では cherem (別つ,離す) がこれにあたり,「神への捧げ物」を意味していた。
匿名 2019年9月1日 11:22 PM さんは基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、
何を訳の分からないことを、あたかも自分が天理教の基本だと語っているのかと思われたのでしょうが、
基本が天理教の基本です。
基本は神様への捧げものとして、投稿をしていますが、カインさんがカインとして投稿したように、です。
シャーマニズムの世界では「なりきる」ことは祈りです。仮面をかぶる場合もあります。なまはげとか。
基本は天理教の基本となり、カルト、オカルトで、
基本は天理教の基本として2002年ころからWEBにいます。
基本が投稿しておくと、早くて1年、ほとんどの場合5年で実体化します。オカルトだからです。
基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、基本の呪詛で実体化したとは誰も思いません。
殆どの場合皆から嫌われて、狂っていると思われますが、カルトですから、それが当然です。
カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
信仰組織と言うのは、信仰者であることを権威としています。
信仰組織の指導者は徳があると相互で持ち上げます。
オカルトは信仰を否定します。呪詛します、病気の治癒も呪詛します。天候の呪詛もします。
その手法の専門家が中山みきで、弟子が基本で、まるで少数しかいないからカルトです。
信仰賛美も、信仰批判も、病気ひとつ治せません。
信仰とは、カスです。信心の効能はカルト、オカルトです。
基本ちゃん 早く巣におかえり。
他の皆さんの素晴らしい投稿の邪魔です。
どうぞご自分の板で 独り言 をお楽しみ下さい。(ついでにヘタクソなカラオケも)
お薬も忘れずに。
お大事にどーぞー。
大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判されるばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙ってるに限るとだんまりを決めたのか。
次期真柱の器でも無い人が、本部月次祭の芯を務め、持ち上げられて勘違いもするでしょうが、何も分からない若造が最近ではお供えは命の繋ぎを言い出したそうです。彼は思慮の浅い裸の王様。しかも乞食。この王様は自分が乞食と言う事にさえも気がついていない。
衰退、消滅への道が静かにしかも確実に忍び寄っているのは多くの末端教会、その他教会が感じている事。
彼は本気で教団整理の青写真をしっかり描いて、信者にこれ以上の迷惑をかけず、去る鳥跡を濁さずでしっかりと任務を全うしてもらいたい。
取り敢えず大亮くんは本部月次祭参拝者がこれ以上減らないように心定めをしてもらいたい。何ですか?このガラガラの月次祭は!!各教会に数字で人集めの心定めをさせるなら、本部こそ月次祭参拝者の心定めをきちっとしろ!と普通に思いますが。
我々地方の教会長には心定めと称して色々数字をあげさせプレッシャーをかけておいて、足元の本家本元が年々歳々この情けない姿では、本部のこけんにかかわるでしょうよ。信者のせいでは無いよ!
大亮くんは、自分達のことは見て見ぬ振りではいけません。あなた達は自覚のない無責任この上ない本部ですよ!浮かれてないでしっかりしないと全部あなた達に返っていきますからね。
古い話です。
昭和61年か62年頃の事です。
須藤花井さんと高知大教会に寄った事があります。
神殿の御神楽歌は十一下りが掲げられていました。
参拝が終わった後、須藤さんが次のように話してくれました。
「今ね、 八つ やしきの土を掘り取りて 所替えるばかりやでってどんな意味があるのと神さんに聞いたんだ。
そしたらね、所替えるとは 掃除の後の天理教は、天理で話し合う事はしない。
天理で話し合ったら元の天理教に戻ってしまう。
新しい天理教は、ここ高知で話し合うという事だと言ってたよ」
この様に話してくれました。
今、私たちが持っている天理教に対する歴史的知識や信仰に対する概念 通念など諸々の価値観が一掃されるという事がこの歌に込められているという事です。
幾度も申し上げてきたことですが、須藤花井さんは面足命です。
預言者でも霊能者でもありません。
正善を始めとする本部中枢の人達は、須藤花井さんの存在を認識していましたがこの事実を隠してきたのです。
本部は、専修科生や天理高校生を含めたすべての本部関係者に対して須藤さんのアパートを訪れる事を禁止しました。
その裏で、本部は高知大教会長 島村國治郎(梶本國治郎)の妻島村ヒサノ(山澤為造の五女ヒサノ)を名代として須藤花井さんに会いに行かせています。
ヒサノは、須藤さん宅を訪れた際に、この紙に神様の話す事を書いて下さいと言って白い紙の束を須藤さんに渡したそうです。
須藤さんはヒサノから渡された紙に親神の話す事を書き留めて、纏め上げた本が「月よりの神言」です。
第三次世界大戦については親神の話として 次のように話しくれました。
「この世に武器があっては陽気ぐらしはできん。
人間は、子供がオモチャで遊ぶように 自分たちが作った新しい武器を使いたくてうずうずしている。
人間たちは、必ず第三次世界大戦を始める。
わしが、戦争を始めるのではない。 人間が勝手に始めてしまうんだ。
この地球は既に海も山も川もドロドロの汚れている。このまま放って置いたら元の泥海に戻ってしまう。
しかし、そんな事したらわしは、みきに申し訳が立たん。
みきの苦労を考えたら元の泥海に戻す事は到底できん。
だから、人間が勝手に始める次の大戦争を切っ掛けとして大掃除をするんだ。
人間は、もう一度大戦争をやらねば武器を持つ事が無意味である事に気が付かん
次の大戦争に懲りてやっと武器を手放すようになるんだ。
掃除の後は、真の共産主義にする。
人間に共産主義はできん。共産主義はわしがする。
身分に上も無い 下も無い 本当に平らな(ろくじ)世界にする」
真の天理教の基本は、親神です。
もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
>もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
まさしく基本さんの仰る通りです。
親神は、戦争を望んではいません。
強欲な人間と強欲な人間の争いの行き着く先が戦争です。人間が勝手に始めてしまうのです。
本当に人間どもは愚かだと思います。
7-7 月日にハ たんゝみへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので
7-8 月日より そのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ
7-9 にんげんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
親神は、人間の悲惨な行く末を案じて「みき」にさがり、勤めを教えかんろだいを建て 争いの無い平和な地球へと導きたかったのです。
そのシナリオを狂わしたのが、秀司や良治郎、その息子の為造や親戚連中 その他の高弟とかいう連中なのです。
もし、当時の人達がおや様の言葉に従い かんろだいを立てひっそりと勤めを行っていたら第一次世界大戦も第二次世界大戦も起こらず、そして核の火も点く事はなかったのではと思うのです。
当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。
親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。
退職した元信者 様
2019年9月3日 7:04 AM
>>親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。<<
天理教の教えでは、親神は「人間が陽気暮らしをするのを見て共に楽しみたい」(神人和楽)との思いで人間を創造されたということですが、現実の人間の有り様は、親神の思いとは全く正反対の状況です。親神は、自ら創造した人間に、つくづく愛想をつかし、絶望し、もう一度世界大戦をおこして、現人類をすべて出直しさせ、親神が真に理想とする「真の陽気世界」を創ろうと思われているのかもしれません。(あくまでも私の想像ですが・・・)
>>当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。<<
本部幹部とここの投稿をチェックしている本部関係者の皆さん、真実に目を背けず、
実態をよ〜く認識してくださいね。
博打狂いで借金責めとなっていた長男秀司始め、貧乏人に金を貸してはその土地を奪い、そうして地域でも有数の「土地持ち中山家」となりましたね。その頃から貧乏人を泣かしていた中山家の因縁は今も切れていなくて、いまだに食べるのに精一杯の年金受給者や若者、貧乏教会から「命は金と引き換える」と言う脅し文句にも聞こえる偽教理を吐いていますね。善亮、大亮に続く中山家DNAの恐ろしさです。
金が払えなくて土地を取られた当時の貧乏人の嘆きと、中山本部に納める金が集められなくて自殺した貧乏教会長の気持ちが重なります。容赦なく金を盗る中山家の遺伝子。よ〜く中山家の過去の歴史を学んだ方がいい。
これは親神の目から見たら重罪ですぞ。長い物に巻かれるのでは無く、親神の心に巻かれて
続き。
真実に生きて下さい。本部幹部、関係者さん、偽の人生を歩むのはあの世に行って後悔しますで。
>匿名
>2019年8月31日 8:58 PM
>G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
>よろしかったらどーぞ。
>http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記の匿名様に紹介いただいた、中山家・梶本家・山澤家の家系相関図を見て言葉を失いました。
〇〇に群がる〇〇を想像してしまいました。それ以外に思い浮かぶものがありません。信仰の理念なんてサラサラの恐ろしく悲しい世界ですね。
今となれば、所属していた大教会の直轄教会長も半分以上が大教会長と何等かの血縁関係でしたし、部内教会長でさえも数は少ないながらも同様でしたから、もう、逃げるに逃げられないんだと思います。
今更、教理なんてどうでもいいことです。知らなかったとはいえ、このような世界に永年付き合っていたなんて、忸怩たる思いです。それでも7年前に縁が切れたことが救いだと思っています。
恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。
どこかの大教会子女が親族大教会の末端教会後継者と恋愛し、これを絶対阻止した理由がわかります。
親族もろとも利権の湯の中に浸かっていて、娘であり、また可愛い姪である人間を吸い取られる立場に置くのはめまいがする程考えられない場所なんでしょう。
天理教が神様を語るなら、差別意識は神とは対極にある意識でこの際返上して頂きたいと思う。
基本ちゃん、早く巣にお帰り。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1563701747
他の皆様
基本ちゃんはスルー推奨です。
ここがカイン氏の管理サイトなのにも関わらず
> カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
などと管理人呪詛を仄めかすカキコするよなヤバい奴です。
ただの掲示板荒らしですよ。
匿名 様
2019年9月3日 10:47 AM
>>恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。<<
近い将来、真実は白日の下にさらされるでしょう。
芹沢光治良が二代真柱に呼ばれ田園調布の三代善衛真柱の家に行った時の話だ。予備知識として登場人物について書くと、僕(芹沢光治良)、東井夫人(三代真柱の養育係で、現在の東井本部員の先代)O先生(東京大学宗教学科の教授)時期は第二次世界大戦後、三代真柱が慶応大学に入学した頃の話のようであるから昭和24,25年頃の話かと思われる。以下は「死の扉の前から」の抜粋である。
確かに天理教は一神教です。多神教ではありません。教祖様に降りられた実の神は、宇宙を創り、人間を創り、生物を創り、あらゆるものを創り、これからも創りつづける絶対創造神です。それを人間に理解し易いように、言葉で月日だと説いたり、水、火、風と説いたりしたが、創造神、即ち親神です。日本人に解らせるために、十柱の神の名を挙げてその働きを説いたが、十柱の神様が存在するのではなくて、創造主、親神の働きを一つ一つ挙げて、それに便宜的に神の名をつけたのに過ぎません。敗戦後、日本人はアメリカから食糧といっしょに民主主義をもらって、有頂天になって喜んでいるけど親神は天保九年(1838年)からすでに、教祖を通じて説いているでしょう。世界中の人間はみな一列兄弟だと、それ故、仲よく助けあわねばならない、そしたら自然に、世界は平和になると。人間には上下の区別はない、みな可愛い神の子だと。また人間には男松女松の区別もない、男も女も神の前では同じ人間で差別はないと。それ故、夫婦の間で、どちらが偉いのでもなく、たがいにたてあい助け合って、夫婦揃ってひのきしんのつもりで、家庭を治めれば、家は陽気暮らしができて、幸せに栄えると、説いている。そしてすべての人が平等であり、みな神の可愛い子であるから、人を助ければ、神が喜んで不自由をさせない。食糧がなくて困るようなこともなく、他国から食い残した食糧をもらって喜ぶ必要もない。病まず、飢えず、幸せに百十五歳の寿命をいただいて、陽気にこの世においてもらえるのだ…
「これが復元の教理かと、僕も驚いたが、そばに仕えていた東井夫人が突然真柱に言ったのです。」
―真柱さん、わたくしは小さい時から耳に胼胝ができるほど両親から教理を聞きましたが、こんなお話は聞いたことがありません。
―おれは真柱だぞ。お道については真柱の言うことが正しいんだよ。
―天理教がお話のようならば、私でも信者になれます。
「そうO先生が真柱へか、東井夫人へか、その二人に向かってともとれるように話したが、その時、真柱が顔色も蒼白で、血走った目を据えて酒を呷るように飲むのを見て、僕は息を呑んだものです。一体今の話は酒の上の話であるか、本当に復元しての教理であるか、それとも半年前の僕の手紙への答えであるかと考えてー」
(「死の扉の前で」P57~58」)
これを読んでどう感じるか。昭和、平成、令和の時代に生きた人には子供の頃から教えられてきた復元の教理そのものであり、明治、大正の時代から信仰している人たちにとっては違和感があることがわかる。では復元以前の教えとはどういったものなのか。『死の扉の前で』は二代真柱と芹沢氏の交流記とも言えるが、登場人物など実在の人であり、天理教の中ではタブー視されている朝日神社の井手クニの話なども載っており、自分自身の信仰を見つめ直すためにも読むべきものなのかとも感じる。上記の二代真柱が話した「人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無い」というのは教会本部だけは例外なのだろうか。封建時代を思わせる身分制度が表向きにはないように見えて、実質的に教団内部にもあり、それを踏襲するかのように大教会、分教会の会長も同じように振る舞い、最下層の末端教会、布教所はいつまでも固定された末端として喘いでいる。これが果たして正しい信仰なのだろうか。もちろん全部が全部そうではない。しかしインターネットにはそういった声があふれ、わかっていても変えられない現状があり、改革しなければならないとわかっていても、具体的には誰も動けない。本当の信仰を伝えるべき時が来ているようにも感じる。改革をするなら二代真柱が人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無いと言うように家柄で人事を決めず、人材を育成、登用し、過去の隠ぺいされた部分も隠さず、真実を伝えて研究を進め、本当の教えを伝えるべきではないか。二代真柱は孤独だったようだ。孤独にしてしまったのは誰なのか考えてみるべきで、四代真柱の今の姿も同じなのかとも思う。
>>大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判される
>>ばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙っ
>>てるに限るとだんまりを決めたのか。
Facebook にちょこちょこ発信しておりますね。
下記転記
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青年会から、お道で初めての公式スマホアプリがリリースしました‼️その名も、Wa-luck(わらっく)です
お道の機関紙がスマホで読むことができるニュース系アプリです。道友社をはじめ、各部・各会から提供されている読み物系のコンテンツなどをカテゴリごとにまとめています。日常的に陽気ぐらしのエッセンスにふれるツールとして、ぜひお使いください!
また、その他アプリの機能として、記事検索機能や、記事のお気に入り機能、他にも朝夕の本部のおつとめの時間やおぢばイベントが見られるカレンダー機能などがあります。まずは、ぜひダウンロードいただけたら幸いです。
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わらっく さん
2019年9月4日 5:57 PM
>>Wa-luckは、
お道(天理教)の信仰の喜びを
皆様のスマホへお届けする、
陽気ぐらしの
サポートアプリです。<<
お道(天理教)の信仰の喜びを皆様のスマホへお届けする、陽気ぐらしのサポートアプリです。
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今さら何を血迷っておられますか? NHKの番組で有名なチコちゃんではないですが、「バカ言ってんじゃねーよー!!」と顔を真っ赤にして怒りたくなりますよ。何が陽気暮らしのサポートアプリですか? 「陰気暮らし」と「お供え搾取」のサポートアプリの間違いではないですか? 誰もそんなアプリなどダウンロードし、インストールしたい人なんていませんよ。本当に馬鹿馬鹿しい。天理教もこの期に及んで随分往生際が悪いですね。どんな小賢しい小細工を考えてたところで、天理教は既に終わっています。信者の心は離れています。無駄な抵抗は止めなさい。
カインさんはツイッターで「天理教団は衰退し、本当の教えに沿った組織運営ではないと言われる。組織を作る時の一つ一つに教祖の思いを想像せず、中山家が仕切ってしまったことがボタンのかけ違いだろう。」とコメント。しかし、教えに沿った運営組織なるものはおそらくない。「講」が念頭に置かれることが多いが、現代社会において果たしてどれほど有効かと考えると否定的にならざるをえない。そもそも大組織になりえないし、仮になったとしたら官僚制的なものができてきて、現在と五十歩百歩の組織になると思う。伸びているときにはさして問題ではなかったが、衰えてきたときに矛盾とか閉塞感とかが募るばかりということじゃないでしょうか。それから、教祖は中山家が仕切ることを期待していたのではないでしょうか。梶本から養子をとったのも「真柱の真之亮」といったのも教祖なんですから。トップの力量そのものが問題なんでしょう。
チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。
>>チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。<<
良く存じています。わざわざご指摘ありがとうございます。チコちゃんのセリフを私なりにアレンジしただけです。チコちゃんのオリジナルの「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」というセリフも教会本部のお偉い先生方にはピッタリのセリフだと思います。(笑)
今更ながらの繰り言になりますが、やはり、かんろ台が倒された時にすぐにまた木製のかんろ台を据えたのが真柱の身上につながっているように思えてなりません。
木製模型のようなかんろ台はいつまた倒されても良いように木製なのかと思ってしまいます。
真柱邸の庭に在るという、警察に押収され、その後戻ってきた、あの石のかんろ台を据えるために「大反省会」を本部の皆さんが開いて自己反省したうえで、神様にお詫び申し上げ、本部の皆さんの合力で据えるべきだったのかもです。
据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから、そもそも神様からはその時がご注意のお知らせだったのではないでしょうか。
夜遅くまで据替の儀があったから寝不足だったのでしょうと、返答された会長さんがいまして、「何だかなぁ」でした。
なーーーんて、いっかいの信者が申し上げたところで誰も聞く耳は無いですよね。
黒い親でもハイハイとついて行け。理の親を立て切る事、それが信仰だと今だに聞かされています!!
いい加減にしてくれと吐き気をもよおすこのナンセンスさです。
「理の親が何をどう言おうと、理不尽だなあと思ってもハイハイとついて行け」と大教会で聞かされるこの馬鹿げた偽信仰。我々は限られた時間の中で生きている。馬鹿を相手にハイハイとやってる時間はありません。人一人の限りある命の時間を軽んじる。都合よく上下差別構造を作り、「末端や末端布教所は相手が馬鹿でも立て切れ。馬鹿を相手に死んで行け」と言ってるようなもの。末端は馬鹿の犠牲になれと。
本当に今の信仰組織内には閉塞感が溢れています。
誰かが賢明な判断を下し、本当の信仰を伝える契機を作らなければこのままズルズルと本部の無責任な悪意と共にもろ共沈んで行くのは必至です。
二代真柱は神の思召しを自ら立派に発言しながらそれを改革せず、何故今に続く間違った教理を許したのでしょう。
「死の扉の前で」は衝撃の書です。全ての天理教信仰者に目を通して欲しい。天理教の黒く醜い真実が手に取る様に見えてくる。有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。
>>有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。<<
現在もそうした盲信状態の方はおられるでしょう。過去には山ほどおられたことでしょう。世間一般の人に天理教の印象を聞いても、悪く言う人は大勢おられますが、良く言う人はほとんどおられません。本当に怖ろしい宗教です。天理教を悪く言う人のほとんどが、天理教に関われば、「身ぐるみ剥がされてもっていかれる」と必ず「カネ」にまつわる話がでてきます。
話は変わりますが、現在信者の皆さん、芹沢光治良著「死の扉の前で」を是非、読んでみてください。盲信と洗脳の呪縛から解き放たれるでしょう。
通りすがりさんは、芹沢光治良著「死の扉の前で」はフィクションだと断定されていましたね。
でも、フィクションでないことは、二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
追伸
上記の投稿は、81歳元気老人の繰り言と思ってください。
ウィキペディアより。
中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
若くして糖尿病で杖が手放せなかったということは、糖尿病の合併症が相当ひどかったということですね。
おそらく、腎臓や眼にも合併症がでていたのでしょう。人工透析や眼底出血の治療も受けていたのかもしれませんね。糖尿病の末期症状です。戦後の食糧難の時代、一般庶民はサツマイモのツル、イナゴ、蜂の子、タニシ等を食して飢えをしのいでいました。そんな時期に信者の「お供え」で輸入ワインや刺身を食していれば、寿命が短くなって当たり前です。各大教会長クラスの方々、そして、教会本部のお偉い皆様方、巡教に行って御馳走ばかり食べていると、本当に殉教しますよ。(真の殉教でないことは言うまでもありませんが)
東風Zさんのおっしゃる通り、現行天理教は信仰に値しないということです。
>>中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。<<
額に汗して働くこと無く、信者から搾り取った「お供え」と称する「あぶく銭」で、己の趣味を満たしていたとしか言いようがないですね。天理図書館や天理参考舘の貴重な資料は、天理教が完全崩壊する前に、公的施設に移管し、しっかりと管理してもらったほうがよいと思います。既存の「おやさとやかた」なるハコモノは、大規模災害発生時の避難所や、仮説住宅、その他社会福祉施設等、「世のため 人のため」になる施設として有効な使い道があると思います。
次の文は×大教会から派遣された賀川氏と芹沢光治良の『稿本天理教祖伝』に関する会話の一部だ。登場人物の「先生」は芹沢光治良で「若様」は二代真柱である。「山沢」は山澤為造、「松村」は松村吉太郎、と思われる。道友社発行の書籍では扱うことができない事項も芹沢は見事にまとめている。昭和、平成と信仰してきた我々には知らされていない歴史があることを知り、本当の信仰とは何かを考える時期が来ているとも思える。
現在の本部員は年代的にも「死の扉の前で」を読んだ経験があるとは思えない。存在さえ知らされていないかもしれない。いや、そんな研究などしている本部員、大教会長はほぼいないだろう。二代真柱に世話になった前世代の本部員は二代真柱についていろいろ書かれたこの本には批判的であったろうと思われる。しかし、後世に生きる我々は歴史を正視し、未来を考える必要があるのではないか。以下は「死の扉の前で」からの抜粋である。
「根本的なことは、教祖ははじめから神で、人間ではないとしています。先生の親様は、一人の心優しい農村の主婦が、神がかりがあってから、神の思召しに添おうと五十年間超人的なご苦労をして、ようやく神の社となりますね。それが教祖の実像です。決してはじめから神ではなくて、人間であって、ただ神に近づこうと精進なさった。だから教祖の雛形をふむという教理も成り立ちます。教祖が生まれながらに神であるならば、雛形として人間は従えません」
「教祖が生まれながらに神である方がどうして真柱に都合がいいの」
「教祖様が昇天してから、飯降伊蔵先生が本席として、約二十年間、神のおさしずを取り次ぎましたね。その間、初代真柱様は行政の柱として、本席は信仰の柱として、天理教を支えたが、信者は言うまでもなく先生方も、神の取次者であり信仰の柱である本席に、自然に心を寄せがちでした。教祖の孫であり、相続者である初代真柱夫妻は、そのことがご不満であったが、教祖の定められたことですから、どうにもできなかったのでしょう。本席が亡くなると、また神のおさしずに従って上田ナライトさんが『おさづけおはこび』をなさることに決まっていました。『おさづけおはこび』は、また、信仰上の中心行事であるから、信者はナライト様を本席に代わった信仰の柱と仰いだのです。それはまた、初代真柱夫妻は喜べなくて、若様こそ行政の柱と信仰の柱とを兼ねた強い真の真柱に育てようとしたのです。初代真柱様が大正三年に四十九歳の若さで亡くなられると、十歳の若様が管長になったが、ご母堂様は、後見人の山沢や松村という大先生方の力を借りて、少年真柱を絶対権力を持つ真柱に成長させようと懸命でした。その手始めに、大正七年にはナライト様が狂気だとして、御母堂様が自ら『おさづけのおはこび』をなさるようにしました。これで行政の柱と信仰の柱とを、中山家の掌中におさめて、現真柱様にゆだねたという、歴史があるのです。大変孝心の厚い真柱様は、ご両親の口惜しさや願望をじっくり胸におさめていると思います。それ故、天理教の専制君主のような独裁者になったが、敗戦前は、天理教自身が政府や軍部から弾圧を受けて、真柱様も絶対権力を振えないで、自制していたのでしょうが、敗戦後は信仰の自由が保証されたので、復元という美しい名目で、大っ平に自己の復権をはかっているのです。行政面では、しきりに教規を創って、教庁機構を変え、中央集権をはかっています。信仰面では明治教典にかえて新教典を創り、正式の教祖伝を編集して、天理教の絶対権を中山家のものにしようと励んでいます。その点、真柱様は偉大な徳川家康です。……教祖伝で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりなってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなく、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。新教典も精読してみれば、中山家の天理教だと、判明します。ですから、先生にお願いするのです。真柱様を説いて、まちがったお道にするのを防いでください。」
(『死の扉の前で』P75~76 )
時報に『教祖様』を連載していた芹沢氏に賀川氏がお願いする場面であるが、天理教の歴史を正しく理解するために大事な文かと思われる。どうして現体制の天理教本部が改革できないのかを知る貴重な資料とも言える。「お道の内外に、時々、神がかりになって…」という部分は飯田岩治郎(水屋敷事件)、井出クニ(播州の教祖様、朝日神社)、茨木基敬(元本部員で天啓あり)、大西愛次郎(ほんみち)のことを指していると思われる。異端研究は教内ではタブー視されるようにも思うが、それらを研究することによって見えてこない部分が現れてくる。異端が現れる要因に本当に教祖の雛形を通り、天啓を受けるようになっても、専制君主制のような組織の中では正しくお道が広がらないという思いもあったのかと思われる。
教祖三十年祭に井手クニが天理に来て教祖殿事件を起こしたが、第一次世界大戦の真っ只中で世の中も混乱していた時期である。教祖三十年祭の翌年、大正6年に須藤花井が生まれているが、何かしらの神の思いがあったようにも思えてくる。「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」芹沢氏の著作を読むと全くその通りだとも思う。
人間の運命はお読みでしょうか。
井出くにの肉声を、芹沢光治良先生が記録しています。
伊藤青年の記録として、神のシリーズもありますが、天啓なるものを、実態を克明に描いています。
専制君主制のような組織、ではなく「神政政治」であり、
真柱に関する書物や文献でわかりますが、いう事聞かないと病気になるという恐怖政治です。
体験談ばかり。。。実質的に現人神という状態で、権力者であったわけです。
真柱のご命と言えば通用してしまう社会ですから、実際に病気になった人も、伝え聞いた人も、
すすんで真柱の代理ばかりになるわけです。
そして真柱の意と違う行為に走る。真柱様のご命だと、。。。
真柱もわかっていて、そういう特殊社会を構築していたのでしょう。ある目的があってでしょう。
悪は「はびからす」教えですから。
戦争協力の人事は、教庁が全て握っていた、真柱の年齢を思えば「摂政政治」です。
教団名部では「ご母堂様」が全権力を握り、お屋敷へのご奉公の統制をした。
教庁支配の中心は諸井慶五郎、若手リーダーは諸井敬一郎。報恩信仰の金出せ信仰。
本部内はご母堂が専制君主にしたてあげ、教団は満州への布教の中心、軍部協力の教庁が真柱を祭り上げて、支配。
その歴史は、教庁そのものが歴史編集当事者だから、隠蔽されていて、大教会は理のおや集金組織となった。
二代真柱は、その中、悪をはびこらせながら、神政政治を行い、天理教の復元を、三代真柱に託した。
そして、数理に通りに、死んでいます。
オカルトです。
天理教教庁、WEBで調べてもなにも悪事は出てこない・
満州への軍事物資の輸送を一手にひきうけて、からは日本の地にしてあるを、堂々行い、
満州布教を行わせた。
天理教校も天理大学も、教庁の真相は、隠しこんでいて、悪です。
おい基本さん。
金もらって荒らしているのですか?
雑音がうざいです。
基本、無視していますけど、ゴキブリみたいに出てくるのは不快です。
来ないでください。
二代真柱を尊敬していて、教義の父との認識です。
天理教会の大教会、本部内部の生活の実態も知らぬ貴殿がきちんとした調査もせず、根拠なく、二代真柱を中傷し非難していることについては、放置すべきではないと考えております。
批判します、
真柱とは、禰宜であって最高権力者ではない。
天理教のおふでさきの理の上の立場で、教庁などの機関とは行政的なつながりはない。
天理教団の真柱を批判するなら、それなりの論拠をしめすべきです。
芹沢光治良先生と二代真柱の交流は、芹沢光治良先生が著作の中でも語られており、
二代真柱への追悼の文章にも残されていることです。
証拠もない二代真柱批判は、批判のための批判であって社会科学の場での主張は慎むべきです。
神の館を一般開放の参考館にしたり総合病院にしたりしていることを批判するにしても、中身の検証行為をしてからが社会科学の研究の常識です。
こともあろうに人格攻撃に出て、二代真柱の短命を信仰の欠落かのごとく非難し、出所不明な想像混じりの病状を特定、並べ立て、医者でもないあなたが、真柱が病気になったことを、信仰の間違いの証拠だと非難していますが、社会科学どころか、重大な人権侵害行為であり、信用。名誉への毀損行為ともみえます。
天理教への攻撃であって社会科学ではない。
それで、基本をゴキブリと呼ぶのはおやめください。
真柱が教祖の予言を形にしていくのは、信者からみて、教義の実現ですから、当然のことです。
八兆四方神の館は、記録に残された天理教祖のお言葉であり、奈良、長谷七里は門前との予言で、今に宿屋が立ち並ぶとは、それも教祖の予言です。
天理教祖の予言そのものがおかしいという批判は異教徒としての立場でならあっても自然ですが、異教徒としてのやみくもな批判は社会科学ではない。
仮に創価学会員カインの意見ということなら社会科学を偽装しないことです。
貴殿はもう根拠のない誹謗中傷を消せないWEBに記録してしまったのですから、その意味を深く用心して、慎み深く、対応ください。
ハ町四方構想参考資料
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/11/1/11_299/_pdf/-char/ja
八町四方の話は「稿本天理教教祖伝逸話編」に書いてあるんでしょうけど、そもそも、この本自体の信憑性が薄いと思うのですが、、、、
基本 様
人は夫々だと思っています。しかし、宗教家の、それもトップの位置にある方々が、成人病の連鎖だなんて恥ずかしくないですか。
日野原重明医師は、腹七分目を唱えられ100歳を超える天寿を全うされました。クリスチャンだったと聞いています。だから、私は腹七分目を目指して頑張っていますが、なかなか達成できていません。でも、81歳の今も常用する薬もなく、もたもたしながらも動き回り、10㎞くらいなら平気で歩くことが出来ます。
ところで個人攻撃的な投稿と指摘されていますが、公人に等しい人は、なかなかプライバシーを守ることは難しいですね。美智子上皇皇后さまも乳がんを公表されています。真柱たる立場の方は、より強い克己心が求められて当然でしょう。四代さんの病状をひた隠すようでは公人とは言えないでしょう。
さっさと職を辞されてゆっくりと静養されればいいんじゃないですか。そうすれば、誰も何も言いませんよ。
教義に「たんのう」という教えがあることは子供の頃から聞かされていました。我が身を「かりものかしもの」と理解されているのであれば、自分に打ち勝つことがいかに大切かが理解できるはずです。理解できなければ、教団トップとして恥ずかしい限りではありませんか。
中山家の後継者が夜の銀座で名前が知れ渡っていたなんて聞くと、バッカバカしくて現行天理教なんて信仰できませんよ。
現行天理教に、柏木庫治さんじゃなくて、酒井雄哉さんのような方が何故出てこられないのでしょう。
残念ですが、基本さんが何を説かれようと現行天理教は信仰の対象とはなり得ませんね。
比叡山をバカにする人は居ないでしょう。一方、天理教はこの欄を見れば分かりますよね。先ず、万人がなるほどと言える宗教に立ち返るべきです。
東井朝仁 随想録
「良い週末を」
先週の週末エッセイでは、母校・天理高校(奈良県天理市)時代の想い出の一端を述
べました。
十数年前から配信しているこの「良い週末を」のエッセイを、長らくお読みになって
いる方は、すでに何かを感じておられることと思います。
そうです。かっては「私の母校は、奈良県の某高校」とか、「両親は、ある宗教団体
の布教師で、家は貧しかった」などという表現をしていましたが、近年のエッセイで
は、母校は天理高校であり、宗教団体は天理教と明確にしているからです。
昔は、両親・家族が天理教に帰属し、私もそのミッション・スクールである天理高校
を卒業している事実を、心を許せる友人以外には、あえて表明しないで来ました。
「職場や関係団体など、私が接触する社会の人々は、何がしかの宗教を信仰されてい
て、中には熱烈な活動家もいるかも知れない。また、全く宗教には無関心な人もいる。
だから、宗教の話などをして余計な先入観を与えるのはやめよう。」と考えていたか
らです。
さらに付言すれば、友人などから天理教の教えを聞かれた場合には要点を説明し、天
理の地の見学を請われれば、奈良まで引率して案内することはしていましたが、こち
らから入信(教団加入)を勧誘することはありませんでした。
なぜなら成人になってからの私の心の底には「宗教団体に入ると、神(教理)との純
粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。
だから、教理・経典の教えに救いを求めるとしたら、一人で教理・経典に触れ、神と
自己とが静かに向き合える立ち位置をとったほうが良い」との考えが強かったからで
す。
勿論、宗教団体に加入することにより、「仲間が増え、孤独から解放され、同志から
守られている安心感がある。また、指導者から教理を諭されて信仰に厚みが出来る」
という人もいるでしょう。教条的に絶対的な帰依を求めることにより、全信者を組織
防衛的に統括する宗教団体。その国家権力も容易に介入できない傘の下に入ること、
不安と孤独とコンプレックスに陥っている人は、人生で今だかってなかった安寧が得
られるのでしょう。
極端な例をあげれば、あのオウム真理教に加入した若者たちの心情も、かようなもの
であったのでは、と私は推察するのです。
だからこうしたほうが良いという断言は、私には出来ません。
しかし、もうその様な思惑や配慮が、私の心をとらえることは無くなりました。
何故なら、私共家族は20数年前に天理教団を離脱して(離脱させられて)おり、ど
の宗教・宗派にも属していないからです。誰がどんな宗教団体に加入していようが、
どんな教えを信じていようが「どうぞお好きに」という醒めた心になっているのです。
宗教団体に関しては全く興味がありません。
離脱した理由は、ここでは「抜き差しならない諸般の事情から」としておきますが、
一言。
巨大なピラミッド型の天理教組織。その下部の一隅に位置する小さな教会の長(宗教
法人法では代表役員という)を、戦前戦後を通じて40数年間必死に務めてきた父。そ
の父が死去した際のことでした。
教団組織の上層部から、現住する教会(敷地)からの東井家の立ち退きを、突然に命
令されたのです。本来はその地で長の任に当たって生活してきた父母の長男、私の兄
が後継者となることは、教団内では衆知の事実となっていたのです。そこで教会関係
者一同の嘆願書などをたずさえて、何回も請願に伺ったのですが、全く聞き入れて頂
けなく、みな絶望のどん底に落とされてしまったのです。
私は「これは宗教上の問題ではなく、教団上層部の人間的な我慾(注・当時はバブル
経済真っ盛りで、広大な教会の土地価格は高騰していた)に端を発していることだ。
社会的・道義的に認められるものではない。宗教上の親(教団指導者)と子(下部組
織の信者)の問題に歪曲化して、教団幹部は「真の信仰とは、親の言うことに子供は
素直に従うことだ!」と有無を言わせずに恫喝しているが、問題のすり替えだ。これ
は一般社会の問題として、民事として法律的に厳正に処するしかない」と判断し、民
事裁判に解決をゆだねたのです。
結果、4年にわたる係争は、私の敬愛してやまない老師に仲介に入っていただき、よ
うやく和解となりました。
後日、地元の税務署長が「巨大宗教団体と個人の係争で、このように個人の側がつぶ
されずに対等和解で解決した例は、日本では初めてじゃないですかね」と感嘆されて
いたとのことでした。
父の死後、和解が成立するまでの期間、残された母親や長兄一家は、教団からの有形
無形の圧力を受け続け、私にも、ある親しい人から「向こうは暴力団などを使って何
をしてくるかわからない。朝チャン、くれぐれも駅のホームでは前に並ばない方がい
いよ。気をつけて頑張ってな」と、密かな助言がありました。
仕事で疲弊して帰宅しても、神経は高ぶり、幼い子供3人の寝顔を覗きながらウイス
キーをストレートでコップ一杯飲みほしても、全く酔えず、緊張した不安な日々が続
いたのです。
この時こそ「宗教団体は恐ろしい組織だ」と痛感したことはありません。
そうした事態を夢中で乗り越えてきたのですが、最近になってようやく、「天理」と
いう実名を表現出来るようになったのです。
今でも教理は素晴らしいと共感し、教団の信者さんらには立派な方も多くおられます。
みな温和で親切で腰の低い、良い人ばかりなのです。
しかし、信仰の名のもとに宗教団体が巨大組織化されていくと、必然的に集団は官僚
制に組織化され、残念ながら権力の中枢にいる一部の指導者らによって、人間社会の
どろどろとした欲望が渦巻いてくるのです。
ようやく歳月が苦しみや悲しみを洗い流し、今は静かな澄んだ心境から、懐かしく天
理高校時代を想い出されます。
私は世界中のどの宗教でも、人々の心を励まし、生きる希望を与えてくれる素晴らし
い教理・経典を持っていると思っています。
絶望に伏した人を立ち上がらせ、涙にくれている人の心に、明日への望みをさとして
くれる。それは神や仏にすがるように向き合ってこそ生じる、信仰の光でしょう。
しかし!純粋に信仰を希求する人々も、集団に組み込まれ、ヒエラルキーが貫徹する
上下関係が成立する組織となってしまうと、徐々に組織内部には名誉欲、権勢欲、金
銭欲がはびこり、宗教団体は社会一般の常識は通用しない、排他的な特殊な人間集団
に化してしまうのです。
だが現実は「正しい教えを広く国民に広めることが、弱者の救済と社会平和に貢献す
ることになる。そのためには個人だけでは無力で何もできない。だから信者を増やし、
統制のとれた強い宗教組織が必要になるのだ」と強弁する宗教関係者が多いのです。
私のつたない経験から、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する・・」(憲
法第20条第一項)「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを
強制されない」(同条第二項)とありますが、はたして日本では完全に信教の自由が
擁護されているのだろうか、と疑問に思います。
敵は国家権力だけではないのです。憲法第20条をないがしろにするのは、不幸なこと
に各宗教団体自身でもあり(宗教間の争いは陰湿。世界的に見ても不毛で残虐な宗教
戦争ばかり)、同じ宗教団体内の排他性にもあります。
私が中学を卒業して東京を離れるまでの幼少年期の頃、前述したように教会だった私
の家の門には、人糞(当時はまだ汲み取り便所ばかりだった)が捲かれていたり、塀
には白ペンキで「邪教!」と大書されたりする嫌がらせが、頻繁に起こっていました。
また、私が小学生のころ、近くの商店街の八百屋に買い物に行った時、店のおばさん
から「天理教だね。あんたのとこには売らないよ!」
と怒鳴られ、悔し涙で帰ってきたこともありました。
一方、所属の宗教団体から離れた人は、かっての極左暴力集団内のリンチではありま
せんが、「地獄に堕ちろ!」とか「子孫の代までたたりがあるぞ」などの嫌がらせ電
話や機関紙などによる誹謗中傷を日夜受け、地域によっては村八分にされて一家離散
したり自殺に追い込まれるという痛ましい事例を、私は教団・宗派を問わず、嫌とい
うほど見聞きしてきました。
こうした経験から、私はいつの頃からか「宗教でも政治でも、教団や政党には入らな
い。自分達だけが正義かの様な独善主義と、人が人を隷属して成り立つような閉塞し
た人間集団は、必要悪かもしれないが、私はノーだ!」との信念を形成してきたので
す。
ただし、様々な宗教において、日夜一生懸命に布教に没頭されている方や、政党の党
員として志を高くして活動されている方の中には、人間的にも素晴らしい方がおられ
ます。
そのような方々とは、心楽しく交流を続けさせて貰っています。
毎晩、テレビの横に置いてあるフクロウの絵が描かれた七宝焼の絵皿に向い、神様、
ご先祖様、今日も無事に過ごすことが出来ました。有難うございました。明日も一家
揃って、無事に元気に過ごすことが出来ますよう、お守りください」と手を合わせて
いるのです。
これが、私のスタンスです。
それでは良い週末を。
基本的に”基本さんはスルー”に賛成なのですが、なんとなく、基本さん像をイメージすると、なんとなくこの方も宗教・信仰に浸かった結果の一例のようにも思え、一回だけ反応することにしました。
一回だけというのは、申し訳ないのですが今回限りの反応という意味で、私自身神経が細いので、お相手することでエネルギー消耗が激しいため、更なる対応からは逃げますという意味です。これにより、卑怯と言われても全く構いません。
基本さんが一生懸命5チャン板も含め、社会学に投稿されている努力は素晴らしいと思います。ただ、もう少し気配りがあればもっと良いのではないでしょうか。
人間は例えば話す時にも、無意識的にも、相手が信頼できる人かどうかを見定めながら話していると思います。
文字だけで判断する場合は、表示されている文字がその判断に代わるわけですから、誤字脱字も含めての表現になり、効果が読み手の感覚に入ってきます。
つまり、意識しての誤字脱字もスタイルの一種となり得るということを言っているのです。
基本さんは恐らくは高齢者の方かな・・・・・。仕事で入力する立場ではなさそうナ。。。
自分も高齢者なので、なんとなく、同じ匂いが感じられるだけなので、この想像は無視して下さい。
基本さんは一生懸命入力してくださるが、脱字と誤変換が多いですね。
初めて読んだときは正直なところ、わざとかな?と思ったほど。
いや、これはネットに慣れていない人なのだという事が判ったのは、基本さんが「山名教理」の解説を書いている文面の意味が通らないので自分でサーチし、元記事を見つけたからでした。
基本さんがコピペする際の、不注意のようにも思える手際の悪さが原因で、一読しても「?」となってしまっているようです。
ですから、基本さんにお願いしたいのは、もう少し投稿する前に読み直しをされては如何かということです。
そうすれば「不気味感」は払しょくされ、単に意見、主張が異なる人としての存在になる事だろうと思います。
また、基本さんに賛成の方もいるでしょう。
怒らせるつもりは全くないけれど、カインさんを学会人と決めつけていますが、これは誤解だと思いますよ。
それと、二代さんを尊敬されているのでしょうかね。(私の誤解だったらこの指摘は無視してください。)
二代真柱の限界にも目を向けるべきだと思います。おすすめ本として「新宗教と総力戦」永岡崇著 を挙げさせてください。
若手研究者ですが目配りのきいた視野と思考で、信者ではない方なのに本教に深い理解をされています。
基本さんも読まれていたかもしれませんが、自分が昔、村上重良や小栗純子の本を読んだときに感じる違和感を本書でバッサと指摘している部分を読んだときには、さっぱりしましたよ。
若い自分の感性が、何年も経過した今になって、若手研究者の研究のお陰で整理がついたような感じです。さっぱりしました。
勿論、上記の感想は冗談のような些細なもので、本の価値は大きく、一般の信者としての自分には探し出せないような資料を広く読まれたうえでの研究成果であることを強調します。
基本さん、頭が良い人は世の中ごまんといます。
自分は基本さんよりIQは高いと思います。(想像ですよ。)
どうですか、この様に書かれたら、腹が立ちませんか?
基本さん、自分の頭の良さを書きつける理由は、もしかすると、現状の環境で、基本さんは能力なり、何かを皆に認められていないから、フラストレーションを抱えているのではありませんか?
これはあきらめるしかありません。
自分で自分の心を収めるしかありません。
自分なんて、何事も期待せず、気にせず、するっと寿命まで生きる事を信条に生きているだけです。
人生は修行の場。生まれ変わりもしたいとは思えません。次の世で牛馬となっても結構。牛や馬が不幸だと決めつけるのはヒトが傲慢だからです。
以上、基本さん、暴言お許しください。
カルトであり、オカルトである基本に、丁寧なご対応ありがとうございます。
二代真柱、あるいは真柱に対する批判的見解は、お持ちになるのは自由です。
と、言いますか、ぜひ正しくご批判を頂きたい。
神・親神・存命の教祖・中山みきの「元の神・実の神」説、この創作者は正善真柱、親神の説とは違う。
論の出発点で、初期の原子記録の資料は、そう示していない。
「我は元の神、実の神である」「この屋敷に因縁あり・世界救済に天下った」説は、二代真柱の稿本説であり、基本曰く(稿本との自白)で、「我は天の将軍なり」が正しく、稿本教祖伝は第一章の冒頭から大間違いという事に基本的には解釈できます。
その稿本説の基づいて「やかた普請」も、稿本と同様に、いずれ正本説に訂正されるでしょう。
「我は天の将軍である」が正本説です。
お言葉の「八町四方」とは。八兆四方が正説で、「八町四方神の館」説は、二代真柱の創作です。
宇宙をさす「八兆四方」を現地の「八町四方」に縮めて語る歪曲する。
嘘も方便で、大教会レベルにはちょうど良いお話で、
応法の真柱の役割をちゃんと実行しています。
「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。
この場は二代真柱の応法批判を述べるに相応しいので、教義の父のいかさまを暴露します。
「匿名」さんが多いですね。だから「匿名」がいいのかもしれませんが。私は2019年9月6日8:46PMの「匿名」です。基本さんへの返答ですが、「人間の運命」ももちろん読んでいます。私が書き込んでいる意図は天理教の過去の事実や歴史を知り、その上で信仰を考えてもらいたいからです。余計なお世話かもしれません。誰かと信仰問答をしたいわけでも、論争をしかけたいわけでもありません。ただ読んでいただいて、考えてほしいだけです。特に若い人にです。芹沢氏の作品は長い上に、絶版されて手に入らないものもあり、また昔、教団が回収したという話も聞いています。ですから読んでもらいたいと思う部分を抜粋して投稿しているわけです。
私も含め、復元以降の教義で昭和・平成時代を生きてきた人にとっては矛盾していると感じながらもどうすることもできず、喘いでいるようにも思います。芹沢光治良は実際に二代真柱と交友があり、作品の中でその交友を赤裸々に綴った部分が多く、資料としても価値があると考えます。人を助けて我が身助かるというのが本当であれば、教内で悩んだり、矛盾を感じながら喘いでいる人々を助ける努力を少しでもすることが神の望むところではないでしょうか。現状では本当に若い後継者が悩み、離れて行っているように思います。このサイトを見ている若者も多いと思います。もちろん本部関係者も見ているはずです。本当に信仰するに値する宗教なのかと、誰もが思っているのではないでしょうか。
他の「匿名」さんが東井朝仁随想録を投稿されていましたが、その随想の中で「宗教団体に入ると、神(教理)との純粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。」というのは全く同感です。生まれた時からこの団体の中にいて、逃げ出せない人も多くいることも事実です。これは天理教に限ったことではありませんが。親の代のそれを散々、見てしまったら自分の代で終わりにしたいと信仰を離れる人も多いとも思います。東風Zさんの投稿も貴重な御経験をもとに述べられていると思いますし、9月7日7:45分の匿名さんのハ町四方構想参考資料の紹介も現在の教団を考える上での貴重な論文だと思います。
おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。人間の運命の森次郎(芹沢氏)のような生き方をするのも、一郎(芹沢氏の兄)のような生き方をするのも人それぞれだと思います。ただ混迷する今の世の中をよくしていくには宗教(宗教団体ではない)が必要なのかとも思っています。
>おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。
私事です。
私の息子が、月に一度ほど研修の為に奈良に出かけます。(天理教関係ではありません)
帰途は、東京駅に着くのが遅く地元の終電に間に合わず私が東京駅まで車で迎えに行きます。
東京駅に向かう途中、夜の10時過ぎですが首都高速のPAエリアに寄るのです。
そのPAのトイレでは、いつも腰が九の字に曲がった老人がトイレを掃除しているのです。
容姿から推測すると既に70歳半ばは越しているかも知れない。
夏も冬も夜の10時過ぎに弱弱しい体を動かして一人でトイレ掃除をしているのです。
この世では、たいして働きもせずに贅沢三昧な生活を送る人間が沢山いる・・・
80歳に近いのでは思われる老人が、夜の10時過ぎにPA のトイレを掃除する姿を見るとこの世の理不尽さ
不公平さにいつも涙が流れてしまうのです。
幕末の世の中に生きたおや様も 正直に生きて居るのに貧しさに苦しむ人々を見て、神仏に何とかならないかと願ったのではないかと思うのです。
世の中の理不尽さに嘆き悲しみ そして神仏に救いを求めたのではと思うのです。
「みき」は、神や仏を信仰したのではなく、貧しい人々を救って欲しいと願ったのだと私は思います。
そして、「みき」の思いに神が答えたのでしょう。
だから、「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。
信じたり 願ったり 仰ぎ見たりなどと言う宗教的な価値観を親神は求めていません。
我々が、この世を真実に生きる事 真実に通る事を親神は願っているのです。
5-62 だんゝとこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし
5-63 いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうっかりと
5-64 はやゝとしやんしてみてせきこめよ ねへほるもようなんでしてでん
5-65 このよふのしんぢつねへのほりかたを しりたるものハさらにないので
5-66 このねへをしんぢつほりた事ならば ま事たのもしみちになるのに
この道は「真実の道」だと親神は明確に示しています。
「お供え金」や「追従」の道ではありません。
>>「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。<<
まさにその通りだと、深く共感します。
5-62から5-66までの御筆先の神意を信者さん達に伝えて行きたいと思います。
信仰とはお供え金でも追従の道でも無い事を。
当方は教会ながら両親が職業を持つことをぶれずに実践してくれたお陰で自分も長く社会で働かせてもらえ、一般社会と同じ経済に恵まれ、今の自分があります。
信者さんに心の痛む嘘の教理でお供え金を出していただこうと苦しまなくていいし、真実の信仰に目をそらさず見つめる事が出来るのはありがたいです。
お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
何が言いたいのかわからなくなりました。失礼しました。
天理教の現在と問題点について。以下の著作をご紹介します。
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
現天理教の教会の貧困、教団の衰退の現実が数字と共に細かく書かれています。ご一読を。検索をかければネットで出てきます。
この中に記載されている信者数、ようぼく数、その他の数字は本部から出されたものであり実際には5割掛けで見積もる方が現実に即していると感じました。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック]
稿本天理教教祖伝は「稿本」と正善真柱は名付けています。
事実と違うから「稿本」です。
最も史実と相違しているのは「立教の宣言」です、
正善真柱は本部神殿で立教の宣言について稿本の内容に異説を唱える本部員に講話させています。
https://blog.goo.ne.jp/oyatan/e/ac44d16eee3f093b95a8e904e3a2c6b6・引用します。
『 天保九年十月二十六日、教祖様に神懸りがありました。「さあさあ我は天の将軍、国常立尊なり、この度みきの身体を神の社と貰い受けた。これに承知しない時は一家断絶」というてお降りになる。続いてまた天井でガタリと音がして、「さあさあ我は天の将軍、面足尊なり・・・・・」というておおりになる。こうして次から次へと十柱の神様皆お降りになりました。それからというものは、御教祖様の身体は神様の身体で、今まで中山家にあった沢山の田地田畑家屋敷庫まで総べて人助けのためにほどこせと仰せになるとおっしゃって、皆お恵みになったのでございます。 』 (引用終わり)
あの時代、正善が右と言えば右、左と言えば左の専制的時代。故意に「稿本」なる教祖伝で、正善の言いなりにならない信者を発掘する仕掛けでした。
まさに獅子の子を谷底への正善の応法レトリック。
芹沢光次朗先生は正善真柱の対等な友情で、「おやさま(不思議な女の一生)」を、再版していることは、書籍冒頭に書かれています。
芹沢先生も光の子として「別な意味の稿本」を数々書き、小説としました。正善真柱は嬉しかったと思います。
ところが基本は、稿本など書いていられない。
根を掘りきるには稿本ではなく正本が必要なのです。
二代真柱に命じられた本部の資料集成部が「教祖伝史実校定本」を作成し、原始資料を集めて整理していて、
教会長レベルなら申し込めば、購入出来たので基本の手元にはそれが届いたものがあります。
おさしづも、戦前教会本部は、焼却処分させましたが、基本の手元にはそれがあります。
正本としての天理教教祖伝は天理教の基本でありますが、現在も教祖存命伝が進行中であるところです。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック②]
八兆四方は神の館を、「八町四方」は神の館に読み替えて、大教会から集金して、
医者薬は不要になるという教祖の教えなのに、天理教の病院を立てた。いかさま。
創価学会はお題目で病気が治るからと布教した池田大作先生の教えを守り、病院立てていないのに、
おさずけで病気治せという教えなのに、病院立てた。まるで詐欺である。
道に学問はいらんという教えなのに、大学を立てた。謀反者。
説教はいらんという教えなのに、説教をさせた。裏切者。
最大の裏切りは「八棟八商売」の教えを完全に埋葬した事。
おやさまは、おやさと館では八棟八商売と教えているのに、
ぶっ壊した正善真柱。
「家業第一」と教えはあるのに地場での経済活動の教えを消した正善真柱、それほどに「集金に走る諸井慶五郎以下の大教会、部下教会」を信用していなかったのだ。
創価学会は組織結成の第一歩に7つの企業を立てて会員の信仰活動に行いての商売を学会で独占する仕組みを作ったというのに。
一番金の儲かる信者そのもの対象のビジネスを本部にさせないのは、信じていないからである。本部員以下の内部信者もである。
だが、おやさまが言われた八棟八商売は、家業第一は世界たすけの基本であるのだ、
這い上がってこい、いかさまだらけの天理教教義のレトリックを見破って這い上がり、地場に、最も人間らしい経済活動のひながたを打ち立ててみよ。
いかさまのレトリックで 鼻で笑う、
正善真柱こそ、教義の父。基本の恩師である。
なめるな、お前なんぞに騙される天理教の基本ではないと、そういい続ける、
匿名
2019年9月8日 様
>>お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
>>真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。
わらっく
断りたいのに 手配りで ポストに入れる某時報
子供が成長すれば 記事が気にならない親子冊子
安くあげようと 夜行バスを利用する気持ちの逆なで 某飛行機CM裏表紙
ごめんなさい うちは女だらけです 某とうりょう
印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか? 印刷物とネットで 数字アップ⤴️ が目的でしょうか?
ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
購買停止はできますか?
>心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。<
いつも思うのですが、この掲示板の存在をマスコミに大々的に発表し、オウムの一連の事件のように大きな社会問題として報道してもらう術はないものでしょうか? 一新興宗教の問題などマスコミにとってはどうでもよいことであり、報道してもカネにならないのでしょうか? 心のモヤモヤをこの板に書き込んで少しはスッキリする以外に方法は無いのでしょうか?
>「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。<
冗談じゃない、と言いたいです。八町四面の館が完成して、仮に、毎日毎日別席場が満杯になるような状況になった時に、真柱一人でおさづけを渡し続けることが出来るのでしょうか。
真柱は神じゃあるまいし、物理的に考えても不可能なことは明らかでしょう。
おさづけを渡す人が複数人(20人でも30人でもいい、100人でも構わない)必要となれば真柱が複数人必要になる。このようなことを想像しただけで、この宗教は破綻していると言えるでしょう。
お許しにおさづけにと、切りの無い活動がたった一人の真柱で賄えると思っている方が余程正常を欠いていると言わざるを得ません。
まあ、比叡山の12年籠山行を満行された方ならば可能かもしれませんが、早々と病に倒れられるような方が職務を遂行できるとは到底思えませんね。
出来もしないことを軽々しく説く宗教なんて信じる方がどうかしています。
「天理教の布教の現実と問題点」金子 昭著
中央学術研究所紀要 第47号より
>>教会制度の弊害については、教内からも告発の声が上がっている(12)。末端教会の場 合、月次祭など自分の教会の信仰行事だけでなく、上級教会や大教会のために人力に よる奉仕(ひのきしん)や金銭の上納(お供え)もあるので、末端教会では貧困が常 態化してしまう。そうした中、教会家族そのものが疲弊するという事態も生じている。 教団機関誌(紙)には決して掲載されることはないが、教会子弟の中には、心を病ん でアルコール依存症になったり、家庭がうまくいかずに離婚したりする者の話もしば しば聞く。<<
上記は研究の書の一部分で色々なデータを基に書き上げられており、「天理教の教会組織は既に破綻している」と見てよいと個人的には思った。
教団組織はもとより、全国に広がる16000箇所の教会のその多くが死に体である事がデータと共にわかる。当方教会でもこのデータ通りの衰退を辿っており手に取る様に実感する次第です。
天理時報の発行部数の衰退、布教の家入寮希望者の減少、天理教教会の身内化にも触れられており、今後横(世間)に広がる事は見込める術なく、衰退、瓦解、消滅の道へ確実に時が刻まれるのを実感しました。
データは2016年現在で書かれています。その後3年を経ていますので、数字としての減少、衰退は益々拍車がかかっているのは間違いないと感じました。
教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。
>>教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。<<
現行天理教は、太平洋戦争において敵艦の魚雷を何発も被弾し、船首を空に向けて今まさに沈没しようとしている旧日本海軍の巨大戦艦のようなものです。乗組員の皆さん、艦と運命を共にして海の藻屑とならないうちに、即刻、退避しましょう。
匿名 様
2019年9月8日 11:25 AM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
上記を拝読しました。一読だけでは理解できませんが、宗教全体にとって苦難の時を迎えているのでしょうか。
拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。
神名流しだ、路傍講演だ、大教会だ、分教会だ、布教所だ、天理時報だなんてどうでもいいことではないかと思うのですが。それでだめならやめればいいだけのことです。無駄な努力ほど空しいものは有りませんから。
>>拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。<<
神社仏閣の拝み祈祷でも、僧侶や神官の説諭の言葉があり、人の生き方として納得させられ、癒やされ、すがすがしい気持ちになります。つまりある種の説得力があります。
天理教の場合、「おさづけ」をしてもらっても何も残りません。残るのは、とってつけたような訳の分からない「いんねん話」と、ダジャレをこじつけたような意味不明の話、そしてつまらないことにカネを使ってしまったという後悔の念です。つまり、天理教の「おさづけ」は金儲けの為に利用され、取り次いでもらった人間には何も残らないどころか、腹立たしさと虚無感さえ覚えるのです。
話は変わりますが、昔、「いこいの家」に入院していた肺癌の末期患者の知人(故人)がいましたが、事情部から毎日のように黒い教服と帽子を着た人が「おさづけ」を取り次ぎにきて、性懲りも無く訳のわからない「おさとし」をしたそうです。大病を患い病床で苦しんでいる身にはあまりにも煩わしいので、お供え袋に金一封を入れて「手切れ金」のつもりで渡したところ、それ以来、その事情部の人物は来なくなったということです。今でも、そうした事情部の黒装束の人は「いこいの家」の中を金儲けのために虎視眈々と病棟内を俳諧しているのでしょうか?もしそうだとしたら、私が大病を患っても、絶対に「いこいの家」には入院しません。
以下の ほりけん さんと、nuno さんのツイートを読むと、
教校学園の閉鎖は、本部がなんの相談も無く、コスト削減を優先し、
有無を言わせず虫けらのように教校学園の職員を切り捨てたのかがよくわかります。
こんな組織が世界をたすけられるわけがない!!
天理教団、終わりましたね。
ほりけん @VgWEED0EslbRqQk
教校学園の廃校に伴って、職員の先生方の就職先はネット上で流れていた通り、
自分でどーにかしてくれみたいな感じって今日、実際に先生から聞いて、
それを聞いたある先生の奥さんは発狂して実家に戻ったところもあるらしい。
そーいうとこのケア本部はしてるんでしょうか?
nuno @toarukyoukaino
全然してないらしいですよ。
「天高にはいけません」
「本勤したいならどーぞ」
って言われたそうで。
とある先生は「すぐにでも辞めたい」って言ってました。
来年も新入生いるみたいだけど、先生いるのかしら?と心配してます。
東風Z 2019年9月8日 7:23 PM
おさづけの理を渡すのは真柱の仕事ではありません。
誰でもいいのです。
正しい教義ではそうなります。
人は神ですから元の地場で、役に当たれば、誰でもいいのです。
実例では、松村吉太郎は東京本部で、おさづけ渡しています。
おさしづに記録があります。
ナライトさんは、今で言えば引きこもりですが、。
おふたりとも、たいして信心していません。おたすけもしていません。貧乏もしていません。
誰でも良いという見本としての、両名でした。
おやさまは、布教しろという教えはしていません。
神名を流せというのは、「中山みきの名」としての神名「天理王命」です。
拍子木を叩いて、ばくちで大損した人を探す行為が、拍子木のひながたです。
「早乙女心」もなにも、放蕩の兄貴を探し出して救出せよというひながたです。
「ばくちに負けた方」「パチンコ損した方」とさがすのを、拍子木たたきはしなくちゃいけません。
「ひとことはなしはひのきしん」、は「においばかり」をかけるのであり、
病気助けるとか、正味を売ったら、理の間違いです。
親父が死んだら、しめたと、ばくちを打ちにいく兄貴。
そういう人から、たすけなさいというおやさまの教えです。
借金でやくざに負われて、パチンコだけで生活する人、お預かりしましたが、生命力はありましたよ。
必ず勝ってくるのです、その人が食費を稼いでくれて、生きてました。。楽しかったですよ。
天理教校に就職するということは、
「この屋敷に住んで給料貰うているものあるのが残念」という、お指しすに実は反しているのです。
ある時期、天理大学の教授とか、給料を丸ごとお供えしようかとか、そんな時代もありましたが、
就職先としてm最悪にしておくことが大切です。
基本は年金少しは井田抱ける資格有馬氏が、一円も頂いていません。
天理供してて、給料貰うなんて、大間違いだから、基本は会社つとめしてたときは、最低賃金で絶対に給料上げさせなかった。
基本の後任は、銀行の支店長代理をスカウトして後を任せて、その人基本の4倍以上の給料。
それ普通でしょう。
天理教信心してるなら。おたすけしたいなら、。
会社から人並み以上の給料もらうなら、天理教などしないことです。そんなもの貰っておいて、天理教のお助け人です。
鼻で笑います・
基本の仕事のスタッフなんて、若い子、一日千円。これが基本。衣食住の最低は見るとして、
、500円の洋服かって、「どんなもの着ても美人であれ」と、素直なものです。
肌荒れはなおり、医者にかからずアトピーは治り、顔立ちまできれいになって、朝八時から夜は辻まで、
あんたのお店になるようがんばるんだよです。お店に住んで、お店のまかない食べて、仕事用の車はありますが、
燃料込みで一日千円。
まあ、天理教で飯を食っていこうなんて、おやさまへの謀反ですね。、
「理立て」の意味を問われている投稿を見たことがありますが、私見を述べてみますね。
理立てとは、要はおカネです。一例を書きます。
期末(3月)の繁忙期に講社祭りの日程が取れず、已む無く講社祭りは見送りとなったが、教会は暗に理立てをするようにと宣ってきた。それで、翌月に金封に御礼と書かずにお供えと書いて持って行ったところ、素晴らしい理立てだとお褒めの言葉を頂いた。
これが理立てです。
大教会長から親父へ10月のかなめ会に同伴するよう連絡が。秋季大祭後のかなめ会には同伴者を用意するよう言われたようだ。親父指名は大教会役員だからか。かなめ会同伴命令など初で驚いている。先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
理立てについて。
私達一家の例です。
50年も前の事。教会普請の際、理建をしろと、上級から圧力をかけられていました。子供心に親がお金のやり繰りで悲壮な相談をしている最中でした。上級教会からの冷徹とも思えた金銭の要求。上級教会への恐怖を感じました。容赦ない迫力でした。
両親は建築費用、本部お運び、新築報告祭等々で数々の出費が最高潮に重なる踏ん張り時でした。突如上級から飛び出した理立て要請は、強制でした。当時の会計簿を見ると、近所の同じ組内の有力者に借金していたことが判明しました。50年も前の事、近所に借金を頼んだ両親の屈辱はいかばかりだったでしょう。今更ですが可哀想で仕方ない。
理立てとは、つまり良き事を身に付ける前に先にお供え金を出す事。新築前の理立て、受験前の理立て、結婚前の理立て。出産前の理立て、手術前の理立て、事故後の理立、入院前の理立て、、、数えれば切りが有りません。
こうしてお「金と引き換えに良き事は身に着く」と言う発想で、「命のつなぎは金」と言う発想と同じです。
理立てとは、要するにお金で幸せを買う事です。私は上記の理立をその都度上級に伏せ込みましたが、そのお金が仕事を持たない彼ら教会一家の生活費になっただろう事が今頃に理解に及んだ次第です。
従順は時として馬鹿。ただただ「理立ては神の思召し」と信じて上記理立てを全て実行してきたけれど、単なる自己満足だったと同じ自分の中に居た「ばり天」な自分を苦笑して思い出しています。
神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。
>>神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。<<
全くその通りだと思います。「死に銭」を使わないようにしましょう。
匿名 様
2019年9月8日 4:42 PM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」より
ただ、手配り運動を始めて10年後の2017年の『天理時報』の発行部数は、さらに減
少して11万1千部になっている。最盛期の30年前の3分の1にまで落ち込んだ数字で
ある。手配り運動と発行部数減少の因果関係は明らかにされてはいないが、次のよう
な3つの可能性が考えられよう。すなわち、①手配りをしてきたから、発行部数の減
少をこの程度に抑えることができた、②手配りの有無にかかわらず発行部数の減少に
歯止めをかけることができなかった、③手配りをしてきたことによって、逆に発行部
数の減少に拍車がかかった、という可能性である。関係者としては、①であってほし
いと望みたいところであるが、②もしくは③の可能性すら完全に否定することはでき
ない。というのも、昨今は個人情報保護法の施行に伴って、人々の間にプライバシー
の意識が浸透してきた結果、たとえ同じ教友同士であっても見知らぬ人に家の所在を
知られ、ポスティングされるのはあまりいい気持ちがしないことが想像されるからで
ある。
あるいは、天理教のホームページやSNS等を通じて情報を得ることができるように
なったので、紙媒体の週刊新聞は自ずと読まれなくなっていっただけなのかもしれな
い。実際、一般紙でも軒並み発行部数の減少が続いているからである。かつて全国の
どんな小都市にもあった映画館は、テレビの普及とともに入館者が激減し、次々と閉
鎖を余儀なくされた。同じように新聞や雑誌や書籍一般ですら、インターネットの浸
透によって紙媒体のものは読まれなくなり、全国の書店を次々と廃業に追いやってい
る。また、たとえ紙媒体の書籍類であっても、人々が読みたい本がかつてないほどに
多様化しているので、中小の書店ではもはや対応しきれず、自ずとアマゾンなど巨大
ネット書店で本や雑誌を購入するようになったことも挙げられるであろう。
インターネットが普及し始めた当初、宗教界は期待と不安をもってこの高度情報時
代を迎え、宗教界や宗教学者の間でもさまざまな議論が取り沙汰されたが、近年のス
マートフォンやSNSの普及により、いっそうバーチャル世界がリアル世界を浸食して
しまっている状況が起っている。しかし、このような相互発信は、使い方を間違えな
ければ、教友の繋がりをむしろ強めるものではないだろうか。ネット時代の情報ツー
ルの活用法については、今後も研究開発の余地があろう。
>>印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか?
>> 印刷物とネットで 数字アップ?? が目的でしょうか?
>>ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
>>購買停止はできますか?
Smartphone で読むのは購読料無料です
Wa-luck,JOYOUSLIFE 等本当に良くやりますね
こんなので教勢衰退の歯止めになるとは思えない
第95回 天理教青年会総会前夜祭のお楽しみ、出演芸人がついに決定しました!
ザコシショウ&みはる!みなさんお待ちしてますって、大亮君頑張ってみても
コロンブス解散したオネエサンと R-1 優勝して鼻高々、吉本、ナベプロ、SONY
次々と事務所変える変なオジサン達で本気で人集め出来ると思っているの?
子供おぢばがえりの少年会じゃないのに、肉食べながら歌うまの次がコレ???
大亮君 逸話篇159【神一条の屋敷】読んでる?
梅谷四郎兵衞が、ある時、教祖のお側でいろいろお話を承っていたが、ふと、「ただ今、道頓堀に大変よい芝居がかかっていますが、」と、世間話を申し上げかけると、教祖は、その話を皆まで言わさず、
「わしは、四十一の年から今日まで、世間の話は何もしませんのや。この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。」
と、お誡めになった。
また今年も性懲りもなしに青年会総会ではお供え金が、お楽しみ会行事費として使われていく。
本部青年会長&青年会委員長よ!
「感謝・慎み・助け合い」
口先だけで唱える経文は身につかないということで、化けの皮が剥がれました。
「慎みの心」を持ち合わせていないから、平気で人の心を踏みにじる行為に至るのだろう。
高校閉鎖に伴う教職員の失業対策をきちんとたてないまま、放り出す天理教団。
その一方、今年も青年会総会での無駄な金の使い方をする天理教。
天理教の狭い世界の中では得られない高揚感のようなものを味わってしまうのが「呼びや」担当。
ちょっとした有名人とコンタクトして打ち合わせをするうちに、自分も「ひとかどの人間になった」ような勘違いをしてしまう。
昨年の批判を「おいらは気にもしてないよ」と強がりポーズを演出するのか?
昨年は、二人の頭の程度が判明したが、今年は二人の心の中がうかがい知れた。
皆さん下記の宣伝文は青年会のホームページの文章そのままです。
この様な知的レベルの本教上層部では恥ずかしくて街中で顔をあげて歩くことはできません。
一昔前に天理本通りで果物を購入した際、店主が「天理教の馬鹿たちが・・・」とはっきり口にしました。
修養科生の私は意味不明と聞き流しました。
今は理解できます。
ほんとに君たちはウマシカ丸出しです。
産んだ親の顔が見たいとさえ思います。
「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。
読む価値のある印刷物は、時間を費やして読む価値があります。遠方の図書館に出向いて借りてきてでも読みたくなります。天理時報のように中身の無い無価値の印刷物は、タダでもらっても読む気にはなりません。ゴミ箱に直行です。
>>「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。<<
読んでいて情けなくなります。ウマシカさん達!! 信者からまきあげたカネをいつまで浪費するつもりですか?
次の話は芹沢光治良が二代真柱と佐野原大教会で会って、天理時報連載の「教祖様」の資料として『稿本天理教祖伝』の草案七、八、九をもらった時の話だ。まずは読んでいただきたい。「私」は芹沢氏、「真柱」は二代真柱、「父」は初代真柱だ。現在の若い大教会長や分教会長や後継者、あるいは熱心に信仰を求めている方々に読んでいただきたい。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書かれておりますか」
「そうだよ」
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
そう話している間に、ここの大教会長が教会の役員や青年を従えて、挨拶に伺候しても、真柱はああと答えるだけで、顔も向けないで私と会話をやめないが、会長はじめ控えの間に並んで伺候する人々の迷惑そうな表情が見えて、私は身の置き場のない思いがした。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」
そこへ風呂の用意ができたからと、会長自ら入浴をすすめたが、それには答えずに、
―ここには下付した『おふでさき』と『天理教原典集』があるだろう、見せてくれんかと、会長に命じてから話すのだった。
「これまで、誰も『おふでさき』や『原典集』など読まずに、古老の語りつづけたことを、教祖も、お道も、自分で心に創り上げて信仰したようだ。古い信徒の初代は信仰上いろいろ苦労して、さまざまな信仰体験があって、それはそれで立派だが、その信仰体験が即天理教だとしては、まちがうのだが……例えば、教祖のお言葉だとかお話だとかいって、大切に伝えたのが、記憶ちがいや伝えちがいがあって、いつの間にかちがっているのを、それを真の言葉だと思いちがえて、自分の信仰の芯にすることがすこぶる多くてね……こうした蒙を啓くために、先ず教祖自ら書かれた『おふでさき』に註を加えて、立派な書物にして、二十三年の秋に各教会に下付したんだよ。それから、四年かかって、二十七年の春『天理教原典集』を出版して下付したんだがね……」
その二冊の書物を、その少し前に、会長はうやうやしく持参して卓上へ置いた。真柱は白い表紙のその書物の頁を一寸めくってみて、会長に言った。
―これは全くよごれていないが、読まないのか、
―はい、勿体ないから、大切にしてあります。
―読んでもらうために、下付したのだから、よごしていいんだよ。
―はいと、会長は頭を畳につけて、どうぞお風呂をお召しくださいと、はばかるように言った。
―誰でも先に入浴させなさい。大切な話をしているからと、言うなり私に話すのだった。
「こんな調子だから大変だよ。下付しただけでは、どうにもならんからなあ。各教会で『おふでさき』や『原典集』の講義をさせて、真の教祖の道にかえそうとしているのだが……」
私は客間の外の気配に、大教会側の狼狽ぶりが痛いほど感じられて、早く切り上げなければと密かに焦慮した。
「真柱、さっきの教祖伝ですが、教祖が人間か神かの問題よりも、『稿本天理教祖伝』の三まで読んでみると、文章がきれいすぎて、読む者の心を動かす力が足りないような気がして、その原因を考えたのですが……それは教祖の日常性が欠けていて、生きた教祖が感じられないからではありませんか。教祖の苦悩にみちたエピソード、教祖が信仰上行った奇跡や実際に庶民に向かって語った逸話など、洗いすててしまったからではありませんかー」
「さっきも言ったとおり、そうした話はみんな不正確だからな」
「真柱さんも福音書をお読みになったでしょう。聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっているが、キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
(『死の扉の前で』93~95頁)
ここまで読んで、どう感じるでしょうか。子供の頃から天理教の家庭で育ち、教義を習い、自らも信仰を求めてきてはいたが、天理教の書物は完全すぎる、一分の隙もなく、理路整然とした教えだと感じていました。これを読んで耳にたこができるほど聞いてきた教理が味気なく、素晴らしいけど理想でしかないものだと感じていた理由がわかった気がします。また中山家の安泰に関わるような資料は伏せているのかとも感じます。
東京帝大の姉崎正治に宗教学を学んだ二代真柱がまとめたものばかりで、切り捨てられた日常性や逸話が多くあると推測できそうです。高野友治をはじめ、多くの学者さんたちが残した本にいくつか残ってはいるが、そういった書物を地道に探して読む以外に生きた教祖像に触れることはできないのかもしれません。
それにしても上記の大教会関係者の慌てぶりなどは現在と変わりないようにも思います。本部から巡教やお入り込みがあるとなると大騒ぎの対応をするのは伝統なのでしょうか?ネットにはその際に包む御礼やお供えなどの情報も出ていたように思いますが、全く時代錯誤も甚だしい感じがします。尊い信者のお金が使われているのかと思うとやりきれない気持ちにもなって当然かとも思います。これでは信仰が縦に続いていく道理はないのではありませんか。本部員の小遣い稼ぎと揶揄されても仕方がないようにも思います。信仰を稼ぎにしてはいけないとも思うが、現実問題として食って行かなければなりません。あまりにも組織が大きくなり過ぎた弊害なのだろうか。
何も持たずに 生まれ堕ちた僕
永遠の隙間で のたうち回ってる
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神もどこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは目を背ける
それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる
世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今ここにいる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
運命とはつまり サイコロの出た目?
はたまた神の いつもの気まぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしかは遥かな 揺らぐことのない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と
許しあう声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい
答えてよ
愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした
そんな荒野に 生まれ落ちた僕
君 それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
ーRADWIMPSー
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
つまり芹沢光治良先生のご意見は、信仰上の人としての教祖も語れという事ですね。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書か れておりますか」
「神である教祖より、人の心を動かす、日常的な生きた教祖の伝記であるべきだ。」
「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」
「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」
「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」
「天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
対する真柱は、教義書を書いた。
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
・・・・・・・・・・「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……
人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、
教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
だから民主的な会議では大多数は初代真柱の考え(芹沢光治良先生の考え)に一緒であり、民主的大衆の求めるものはそれを資料としては資料集成部に「復元」という書物で出版させて、
もう一方では、真柱の専制権力を駆使して、信仰の部分を排除し、神としての記録の書として稿本天理教教祖伝を書いた。
それは、教義書作成の王道です。
基本は教義の父を正しいとみとめ、信仰の書の嘘と虚構を否定するものです。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と正善真柱を呼びますが、教義とは、ギリシア語でドグマ(dogma)。
1 各宗教・宗派独自の教理・教義。
2 独断。教条。「ドグマに陥る」
この二つの意味があります。
正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、k伽の意味の2 独断。教条。「ドグマに陥る」 そのものであると貴殿は述べているわけです。
では、その根拠はどこにあるのですか。
基本は正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、意味の1の1 各宗教・宗派独自の教理・教義。であると認識しています。
根拠はお筆先にあります。第十五号 明治十三年一月ヨリです。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13
この一連のお筆先ですが、「あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10」のお筆先は直近の明日の理は来年という事で、お筆先の翌年4月8日(陰3月10日)、おやさまに背いた秀司出直(61才)です。
歴史上に実現しています。
つぎの、「いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11」ですが、「をやがはじめかけた」のは天理教立教の1年前で1837年陰暦10月26日です。その日、西暦1837年11月23日、秀司足痛となる。があって、43年目⇒1880年のお筆先です。
秀司の足を痛めた、その行為を「をやがあらハれはじめかけた」と言われているのでありますから、立教以前にをやは働きとして出現していたとわかります。
そして、お筆先は「けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13」と続いています。
お筆先10号に「さあけふハ月日のはらがはぢけたで 」とあるのは、予言であって、
1880年、この年、眞之亮は中山家へ移り住む ⇒43年後
1923年、大正12/09/01、月日の腹が弾けました。
関東大震災・関東地震(関東南東部)大火災。相模トラフ境界断層破壊。
死者10万5千人。
月日の腹が43年で弾けるという教義には、嘘が混じってはいけないのです。
眞之亮は、教義上、教祖を神と認めていなかった。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
・・・・
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
初代真柱は信仰者であったが、教義を曲げていた。 天災の原因です。
と、基本は考えます。
知恵袋より
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10189542480
>>天理教の教会の人って、信者が病気になったりトラブルに見舞われると、待ってましたとばかりに、
>>上から目線で偉そうなことを言ったり、御供えして徳積みしなさいと言いますよね?
>>弱っている人間に情けをかけたり、優しい言葉をかけて支えるのではなく、そういう病気になるのは、
>>こういう心遣いをしているからだ。とか、
>>因縁が強いからそれを断ち切るために御供えしなさいとか言われ続けました。
>>心が冷たいというか、人として魅力の無い人が多い気がします。
>>人の弱味に漬け込んで、自分達は大して働きもせずに、天理教の御用をしているからとか言って、
>>楽してばかり。世間知らずな人ばかり。
>>特に大教会の人達。御供えしないと分かったら手のひら返し。
>>人助け人助けとあれだけ騒いでおきながら、本当に信者が辛い時は助けてくれない。
>>今まで御供えしたお金返してほしいです。
>>今はもう距離を置いてますが、教理も疑問だらけで、もう時代が違うなと思っています。
>>同じような気持ちの方いますか?
知恵袋の回答期限は切れているのでこちらをお借りして一言。
「全く同じ気持ちです。」
匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?
いほり 様
2019年9月11日 4:00 PM
>>匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?<<
匿名様への質問ですが、私なりに推測することを述べさせていただきます。
仮に数取りがいなかくても、毎日、朝夕おつとめをしているのであれば、必ず誰かがカウントしているはずです。洒落にもならないようなミスです。
風鈴はぐれ雲 様
2019年9月10日 11:16 PM
新海誠監督の新作『天気の子』映画観ました。もの凄く面白かったです!
主題歌「愛にできることはまだあるかい」歌詞がイイ!!良い曲です。
私も好きです。
わらっく 様
投稿ありがとうごさます。
映画の主題歌にも、使われていたんですね。
スポーツジムのBGMに流れていて。
あっ!RADWIMPSだと思って。
あらためて、YouTubeで聞きました。
良い曲ですよね!
RADWIMPSは、デビューアルバムが鮮烈で。
最初は、何枚目かのCD買ってました。
独特の世界観、響く言葉…
僕自身も、RADWIMPSの曲には、自問自答しつつ、応援しています!
RADWIMPSならではの世界があります。
天理教も同じです。
響かなければ、想いが伝わらない。
実行しなければ、何もかわらない。
バンドは下積み時代から、何年も苦労や苦悩を繰り返して、残り、育っていきます。
天理教は、崩壊した組織で成り立っている。
徳だことの、因縁だのことの。
縦のアップダウンの機械的言葉じゃ。
心には響かない。
人も振り向きもしない。
天理教人も、成人といいつつ。
日々の鍛練や心構えができていない。
人助けとは、天理教の勉強をしなくてもできる。
要は、やるかやらないか。
熱量があるかないか。
今の崩壊した天理教では。
人として生まれ堕ちた、熱量もエネルギーも。
育たないだろう。
社会学ブログを読んでる若い方々へ。
難しいことは、なくてもいいから。
日記みたいな投稿でもいい。
天理教で感じた、気持ち想いを。
言葉で、文章で、広めてみませんか?
僕はRADWIMPSがすきです。
そんな投稿でもいいんですよ!
そこから、繋がっていくもの、広がっていくものもあるから。
社会学ブログは、人間交差点だと思っています。
縦の伝導ではなく、交差点です。
沢山の声があつまり。
天理教が少しでも、良い方向へ向かえば良いかなとおもったり。
最小限の被害のまま、天理教は消滅したほうがいいとおもったり。
世界も心も。
今日も、まわって動いています。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をなお具体的にのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
光の作家は、「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」。「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」と、信仰の書でないことの批判をした。
教義の父は教団の民主的な解釈も父親の初代真柱の精神も、光の作家と同じであると理解は染めしたが、言葉の上である。
教義の父は独裁的に教条的にドグマとして教祖は神で稿本天理教教祖伝とした。
光の作家は不思議な百姓の女の生涯と言う見立てで「おやさま」を再刊した。
・・・・・
基本はおふでさきの中に真実を求め、43年の数理の真実において、天理教教祖伝を教義書として公刊した正善真柱を正しいとの意見を表明しています。
続けます。
おふでさきに記された真実です。1号に天保8年の事実の記載があります。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり (1-33)
りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり (1-34)
このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ(1-35)
このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)
歴史的事実としては、稿本教祖伝に記録があります。
天保八年:
天保八年十月二十六日のこと、十七歳の長男秀司は、母親みきに伴われて麦蒔の畑仕事に出た折、急に左足に痛みを覚え、駒ざらえを杖にして辛うじて家に辿りついた。早速、医者に診せた処、薄荷薬などを用いて手当ての限りを尽してくれたが、一向に痛みは治まらない。そこで、人の勧めるまゝに、近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞に使者を出したが、あいにく市兵衞は仁興村へ行って不在であった。
(つづきます)
(つづきです)
心配の余り、善兵衞自ら市兵衞を訪れ、折入って相談した処、そういう事ならば、一層の事、お宅で寄加持をするが宜しかろう。との事であったので、一旦家へ帰り家人とも相談の上、その意見に従う事にした。
市兵衞は、勾田村のそよを雇い、幣二本を持たせて台とし、近所の誰彼にも集まって貰い、護摩を焚き寄加持をした処、痛みは治まった。
半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・
これが、お筆先1号31以下のお歌の事実です。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
中山家は金貸しをして農民から土地を奪って地持ちになった、秀司は長男であり、家は人の家を立てないようにし小作に陥れた。
この理の話には秀司の信仰談義は意味を持たない。
『 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)』は、啓示であり、
啓示の事実を正確に記録するのが、教義書としての天理教教祖伝であるという教義の父の見解は、王道であり、一点の曇りなきドグマ(教義)そのものです。
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
ただの大亮の真柱継承の正式発表かもしれませんね。
血も涙もない本部の事ですから
分教会がより活動しやすくなる、あるいは負担が軽減されるような
前向きな教団改革の指針の発表はおそらくないでしょう。
心配なのは130年祭時に行われた、天龍講、眞明組、斯道会、心勇講等の旧講元系統別の別席団参です。
あの意味不明な団参が、
例えば、弱小大教会を旧講元のもとにすべて吸収合併する等、
さらに本部や旧強力大教会の集権を強化するような悪しき改革の布石になっていなければいいのですが……..。
その悪しき改革の発表が来月のかなめ会だったりして……..。
まあ今更何を足掻いても無駄でしょうがね。
補足しておきます。
3 :基本。:2014/01/16(木) 02:32:41.78 ID:e/QsDK0l
天理教教祖伝にはこう書かれています。
天保九年:
かくて、天保九年十月二十三日、夜四ッ刻(午後十時)、秀司の足痛に加えて、善兵衞は眼、みきは腰と三人揃うての悩みとなった。
この日は、庄屋敷村の亥の子で、たま/\市兵衞も親族に当る乾家へ来て居た。呼ぶと、早速来てくれ、これはたゞ事ではない、寄加持をしましょう。
とて、用意万端調え、夜明けを待って、いつも加持台になるそよを迎えにやったが、生憎と不在であった。
やむなく、みきに御弊を持たせ、一心こめての祈祷最中に、「みきを神のやしろに貰い受けたい。」
との、啓示となったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長滝村の市兵衛というのは、大峰山12先達の一人と言われた高名な行者である。
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf
民俗宗教における柱の信仰と儀礼
宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)によれば、
みきは長男が足の病になったので、当山正大先達内山永久寺の配下の山伏
市兵衛に祈祷を依頼した。けれどもその時市兵衛が災因を明らかにするためにする憑祈祷の依り坐が
不在だった。そこでみきが依り坐となった。すると何時もの神霊とは全くちがう「元の神、実の神」
(現在は親神天理王命と称している)が憑依してみきを神のやしろとして貰いたいとの神託があった。
・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。
ところで、
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
かなめ会と言うのは「悪ははびからす」理において正善真柱が命名したもので、直属大会長らの会ですが、
教団のかなめと言う自白をさせていて、バラバラ、という、風ひとつ起こせない組織ですから、
そういう気の毒な人、「大教会筆頭役員もです」が、
みな中山秀司とおなじ因縁です。
月日の腹は、いつでもはじけます。話題にすらしない用心をし、巻き込まれないことです。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
おうぎのさづけを頂いていたら、一言で病人助けたりできます。
おうぎの伺いを許されていたら身上事情諭しがいつもできます。
処が、扇のかなめはあっても、「紙」(神)がはってないから、風を起こせない実は無能力のかなめ会。
お笑いでしょう。お気の毒でしょう。お筆先一つ読めない、おさしづ解説もできない。
身の内の教理もわからない、かなめだと威張っている人たちは、掃除されて、病気で苦しんで、建物をでると、お筆先に書いてあります。
筆頭役員とは、その一族の幹事長ですから、心を定めて、おやさまとのみ信心してください。
期待します。
故・植田先生のような立派な教学研究者の教えこそ、広く教内に広めるべきだと心から思います。
「つくし・はこび」の錯覚 配信日:2009/2/19
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-533.html
以下、一部抜粋
>>布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費も掛かるのだ。
>>教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や時間を布教のために
>>「つくし・はこび」していたのであり、
>>人に「つくし・はこび」を説教していたのではなかった。
中山家が経済活動で、間違うと大地震と言うことを、
4(資本・資産)、3(金銭・経済)の理で、数理43年で
歴史的事実に残しています。
秀司・小寒 家業に入る。 秀司の相場、ばくちで化合できず、 → 43年 濃尾地震
初代真柱が中山家に入る 真柱と認めない周囲と、宗教家業への堕落 → 43年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め 真柱の宗教家業、会議で確定の道に → 43年 阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任 中山家の家業、財産資産化 → 43年 東北大震災と原発事故。
それは個人においては身上事情、災難という事です。
子供お地場かえりで営業していた教会には・・・
教会を社会福祉施設化していた教会は。。。
投身自殺したとか、急に奥さん死んでしまったとか、全部事実です。
人助けをしませんか、家業第一にして、里の仙人、しませんか。
天理教のプロなどおやさまは、欲しくないのです。陽気遊山が見たいだけです。奥義を頂いて、陽気に暮らしませんか。
4と3の理に気を付けて、マジ自分が貧乏しましょう。
植田さんは、私の処に尋ねて来た方だとすると、住み込みさんのことでご相談ありました。
置いてよいか悪いかと、。。
お人柄は良い方でしたが、原典の事は、あまりお分かりでないと思います。
教団改革の一役でしたが、天理の怖さをご存じなかった。
まあ、私を確認に来られたのでしょうが、基本は、ただのカラオケ屋のうたスキですから、
一通りの、住み込みの対応はご相談しまいたが、他の事情は一切触れていません。
天理教会本部内部では、中心的人物であることは植田さんは言わないし、基本もきかないでお相手しましたが、
それだけのことで、後一切交流、交信はしていません。
ひとを目標とせず、原典と口伝以外を参考とせず、実は何もできない教団人、頼りに思わないことです。
天理教の教団人は、表裏があります。
批判の中心人物が実は「体制派」だったり、植田さんも典型的な体制派です。
昔でいえば八島英雄さん(この方にはお会いしていません)は、典型的な体制派です。
天理教はもう変わらないと維持できない。改革が必要だというのは、実は体制派。
教会の維持,特に自分の教会の維持存続運営が大事であって、教会と言う建物、資産財産、43の理というものが、恨み(3の理)、腹立ち(4の理)の埃であり、批判者は実は4にこだわり3を欲しがる。
天理教会はm元々の効能があってのもので、おうぎを持てば、存続して良し、効能の元でないなら、かなめはバラバラです。
植田先生には効能はなかったですよ。本人もそのお立場でした。
効能の元は、貧乏せいです。難儀せいです。
とんでもない住み込み人をすみこませて、それは布教の手段ですがね、おたすけではないから、
教会において良いか悪いかで悩む、素人さんです。
澄みこませる前に「あんた裏切るね」と見えん先から諭せないと、ただの人数集めで、おたすけではない。
初代講元は、それくらいできた。ただし貧乏の頃ですがね。
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
うえだ
2019年9月12日 6:07 AM
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
・・・・・・・・・・・・・
そうですね。
私のお会いしたうえだ先生は、上田性だったかもしれませんが、・・・
布教して修養科生をご守護頂いたという、ご紹介記事の内容は、同じ匂いがしましたので、
引用文を用いず、私の記憶のご本部役員のお家柄のお方の面談記録の方で、説を述べました。
布教して、修養科生をなんて、教祖のひな型に無い。
その意味で、布教し修養科生のご守護、丹精で困惑するというパターンとして、
そういう信仰に陶酔する事の危険性を申しあげました。
ペンネームですからね、植田の名は、天理教の先生はテーマごとに顔を変えますから、
私は、植田=上田、うえださん。そんな受け止め方です。
世界たすけの人材となる道具衆を寄せるのは、ひながたであり、おやさまの教えです。
それは布教ではありません。信者獲得ではない。人材の確保です。
それには、身の知らせが大切な意味を持ちます。
おたすけは、たすけておけばよい。後は無関係です。
神の道具衆なら、ともに通るように、年限かけて、育成する。
その区別が、瞬時にできなければ、悪意ある入信希望者のために苦しみます。
いるも神様に相談し、ひな型に照らし、お筆先に尋ねる、です・
亀レス、すみません。
本部の朝夕勤めに数とりはいるはずと思いますが、かんろ台近くに陣取るような熱心な方とは違うので目視確認はできていません。
据替の儀の翌朝の模様を思い起こしてみますと、通常、21回目は判りやすくスピードを落としますよね。
なので「ああ、21回目だ」と感じ取るのが自分の常なのです。
その日も同様に感じたところ、なんと「おまけの1回」がありました。
態勢が崩れた感じの「おまけの1回」という感じで鳴り物が奏でられましたから、音的なボリュームで説明すると、フル演奏の音量ではなく、慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
一番目立つのは太鼓ですよね。
その時私自身が21回のカウントをしていれば、プラス1なのかマイナス1なのかがはっきりしたはずです。
ところがカウントしていなかったので、もしかすると本当は20回目だったのに、これで終わりと考えた(間違い)人がいて、20回目をゆっくりズムで演奏したため、隣近所がつられてしまった。
でも、正しくカウントをしていた楽器が21回目を演奏したため、慌てて他の楽器も加わったため、聞いている人にバレてしまった、というような状況だったのかもしれません。
今となってはどうでもよいことになりますが、一応、詳細を書きました。
皆さん読んでくださってありがとうございます。
説明が判りにくくて、申し訳ありません。御疲れ様でした。
兎レス、すみません。
> 慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
> 一番目立つのは太鼓ですよね。
皆さんご存じでしょうが、太鼓は心臓の鼓動を表しているとか、お聞きしましたが、確かに、あの、ドーンドーンという音は、神の心臓の音みたいです。 おつとめであの音を聞くと、私メは自分が神の身体の中 (胎内) にいるような気になります。 このよふわ 神のからだやしやんしてみよ (3-40) というお歌を思い出します。
そういえば、胎児も6か月くらになると、子宮の中で母親の血液の流れる音や、心音を聞くことができるようになるらしいです。胎児が聞く母親の心音や血液の音や、その他もろもろの音は、チャンポンやスリガネや拍子木などがないまぜられた音に似ているのかもしれません。母親(人間)の身体はそんなにうるさくはない、と言われるかもしれませんが、私には、人体は、おつとめで使う楽器が奏でるような、リズミカルな音で満ちているような気がしてなりません。
冒頭に引用させていただいた匿名様の一文は、ですから、不整脈が一回起きたという感じです。神様も文字通りドキッとされたかもしれませんが、お怒りになられることはないと思うのですが・・・
少し以前は、巷にはいろいろな音に満ちていたように思うのです。
先ずは、子供の声が賑やかでした。ロバのパンの音楽、豆腐屋さんのラッパの音、さお竹を売る人の声、ちんどんやの楽器の音、寒行のうちわ太鼓のドンツクドンドンとオーォーの行者の声、子供による夜回りの拍子木の音と呼びかけの声、金魚エーギンギョもありました。数え上げればどれほどあったのでしょうか。
近年は子供の声さえ騒音ととらえる人間の傲慢さ。
耳の不自由な方には、これらの音さえ届かないのですよ。あまりにも身勝手な人たちが多すぎると思っているのですが。
おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。
東風Z 様
2019年9月13日 9:18 AM
>>おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。<<
確かに、その場所に合った打ち方をしなければならないと思うのですが、教祖ご存命中の頃と違い、現在は生活様式が多様化し、昼間働いて夜就寝する人ばかりではありません。夜勤の経験がある方はお分かりだと思いますが、夜中に勤務し早朝に帰宅して入浴し朝食をとった後、就寝しなければならない人、例えば、24時間操業の工場労働者、3交代勤務の看護師や消防士、警察官、コンビニの深夜勤務の店員等様々なライフスタイルの人達がおられます。そういう人達にとって、夜も明けやらぬ早朝に帰宅してやっと寝付きかけた頃、近隣の教会から「おつとめの騒音」が聞こえてきたら、よほど神経の図太い人でない限り、起きてしまいます。不思議なもので人間は寝入り端を起こされると、なかなか寝付かれるものではなく、その後、熟睡できるものではありません。熟睡できないと次の仕事にも悪影響がでますし、本人の健康にも悪影響がでます。教会は近隣にどういう人達がお住まいなのか、例えば、どういう職業の人達なのか、乳幼児がいるのか、病人がおられるのか等まで詳細に把握できていないはずです。「おつとめ」の21回の回数を間違えるような「いい加減なたるんだ気持ち」で「おつとめ」をするのであれば、はじめからやらなければよいのです。「あさひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ」どころか、近隣住民の平穏な生活に様々な弊害を及ぼすだけです。
崩壊 様
仰る通りかもしれません。
本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。
所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。
また、韓国の教会では、拍子木は打たないと聞いたことがあります。
路傍講演だとか神名流しにしても、少し騒々しい宗教ではあります。
匿名さま
詳細ありがとうございました。
>21回目は判りやすくスピードを落とします
間違いようがないと思いますが、あるんですね〜こんなことが。
Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。
立て続けに失礼します。
「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。<<
住宅密集地では、せめてそれぐらいの配慮は必要だと思います。私は定年退職後、深夜1時から午前10時までの夜勤を経験したことがあります。午前11時過ぎに帰宅し、それから入浴し、朝食兼昼食を摂った後、午後12時半頃から午後5時頃まで就寝するのですが、就寝中、救急車のサイレン音やゴミ収集車の音、選挙の街宣車の放送、廃品回収車の放送等の生活騒音で度々起こされ、とても熟睡できる状態ではありませんでした。その結果、慢性的な睡眠不足となり、ある日、帰宅途中に居眠りをしてしまい、前方の車に追突する交通事故を起こしてしまいました。いわゆる玉突き衝突で、私の前方の車が衝突の衝撃で、更に、その前方の車に衝突し、3台が絡む玉突き衝突となりました。幸いにして、道路が渋滞しており、どの車も低速で走行していたので、私のすぐ前方の車の後部と積み荷を破損させ、運転手さんにも軽い腰の打撲傷を与えてしまいました。大変、申し訳なく思っています。事故の完全解決までには約8ヶ月ほど要しました。自宅の近隣には天理教の教会は無いので、「おつとめ騒音」による睡眠の妨害は無かったのですが、私の経験談の一例として紹介させていただきます。
いほり 様
2019年9月13日 4:34 PM
>>Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
私も見たことがない「おつとめ」ですね。天理教もこれから、分派や独立が益々増えていくだろうと思います。
>>「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。<<
昔、森永製菓のチョコレートのコマーシャルに故 山本直純氏が指揮をされ、合唱団が「大きいことはいいことだ」と歌うコマーシャルがテレビで放送されていたのを思い出しました。まだ、白黒テレビの時代だったかもしれませんが、記憶は定かではありません。天理教の全盛期、カネがありあまっていた頃、「大きいことはいいことだ」という単純で馬鹿馬鹿しい発想で、本部神殿をはじめとする構造物や、祭具等、あらゆるものを大きくしたのでしょう。「お供え」の浪費の典型的な例だと思います。全て大きくすることによって、見る人に威圧感を与えていたのかもしれませんが、現代人はそんな「まがい物」に騙されるほど愚かではないと思います。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。<<
2年程前、天理市内のクレーン業者のオペレーターから聞いた話ですが、午後2時になるとミュージックサイレンが鳴り、鳴っている間、クレーン作業を中断しなければならないので仕事の段取りが狂うという愚痴をこぼしておられました。発注者が天理教教会本部であるので仕方がないとも言っておられましたが、確かに工事関係者や、その他の一般市民にも何らかの迷惑がかかっていると思います。
いほり 様
>韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。
匿名 様
2019年9月13日 8:43 PM
>>この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。<<
大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、教会本部の傘下にはないということでしょうか?
天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
前半、中盤、ぐだぐだ何が言いたいのか訳の分からない事ばかりを述べて最終章に金金、金銭と記述されている。金銭が人と神をつなぐんだと!言っております。
親神様、教祖が金が人と神をつなぐから金銭を出せ!と仰いましたか??
ここまで来たか!天理教。断末魔のあがき。悪あがき。
まあ読んでいて天理教の腹の内が透けて見えた。キャッシュレスで現金を持たない社会になり、しかし「お供えもカードで」、とはいかない本部の苦しい胸の内現ですか。
こんな記事を載せて、金欠本部の焦りでしょうか。
筆者は言う。十全の守護の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある事でつなぎにも金銭が含まれると悟ると。
「金銭縁談万つなぎ」ってこの筆者の悟りは正解ですか?単なる悟りレベルを大々的に時報にのせるのは偽教理でも知らぬ間に教理となる。こんな記事を正々堂々と出すのはそう言う意図が教団にあるからだと思う。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。<<
天理教の本性を、また天理時報に露呈したんですか。カネカネ教の本性は変わることはないでしょう。信者の皆さん、一刻も早く天理教から退避しましょう。それがベストです。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
匿名様、ご指摘有り難うございます。
常々、時報は訃報欄のみ見ています。この欄のお陰で昨年も二部同窓生の会長さんが3名出直しされたことを知りました、早速、匿名様のご指摘で古紙入れから取り出して、「視点」を読みました。
筆者の洋さんは何を勘違いされているのでしょうか。キャッシュカードは持った時点で、そのカードの、融資枠の金額が負債と見なさるのですよ。カードを使うとか使わないとかは関係ないです。
仮に、キャッシュカードを2枚持つと100万円近い借金があるとみなされるんです。ですから、キャッシュカードを複数枚持つことは極力避けるべきです。
それと、カネが無いのは首が無いのと同じだと言っていた人が居ます。金銭による「つなぎ」の理の働きなんて書いているが、おカネが無くて生きている人が居ますか。つなぎの理の働きをいかに生かすかであると思う。なんて本部自体が最初に考えるべき事案でしょう。無駄なことばかりをして、おカネが足りない、足りないって言っているんだからバカにするなって言いたいんです。
こちとらは、月額14万にも足らない金額で二人が生活しているんだから。年間130億円も使いながら何の不足があるのか聞きたいよね。
「お金が人と神をつなぐ」と言う偽の教理について。
時報を読んだ息子いわく、「これじゃあお金の無い人は神とつながれないんだね。そうはっきり言ってる。」
この一文はどの方向から読み解いても、お金の無い人は神とつながり得ない。
「お母さん、金の切れ目が縁の切れ目、もう縁を切った方が良いよ」と天理教の在り方に呆れ果てていました
教校学園切りも本部員用の学校は残しておいて、金の無い末端子弟の行く所を封鎖して、今後金の無い子弟はどこの高校に行けると言うんだ!と怒り心頭でした。
江戸時代の武士子弟の為の藩校よろしく天理教貴族の為に残した天理高校。心の底に貴族中心の差別意識が垣間見える。
皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。
https://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
↑
当たらずとも遠からず?
里の仙人 様
2019年9月14日 12:49 PM
>>皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。<<
「お道は宗教ではない」とおっしゃるのであれば、宗教法人の認可を国家(所管文化庁)に返上されるべきです。宗教法人の認可を受ける目的は、建造物や敷地が非課税、入ってくる莫大な「お供え」も非課税、要するに財テク目的だとしか考えられません。「お道は宗教ではない」のであれば、宗教法人の認可を即刻返上し、納税義務のある税金は当然納税するべきです。「合法的な脱税」をするために、宗教法人という仮面をかぶっているだけではないのでしょうか?
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 さん
以下、思わず笑ってしまいました。
>>「おさづけ(「おちゃづけ」と間違えないように注意)」とよばれるてかざしで
>>ヒーリングを行う回復魔法のマニュアルを信者株主たちに渡し、
>>人間という名の医療機器を製造している。
>>信者は今でもここで教祖創設者は生きていると妄想し「教祖ゾンビの理」と呼んでいる。
>>信者株主ばんざい。
崩壊様
一度、リンクを貼って投稿したのですが、なぜか表示されないので再投稿します。
>大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、
>教会本部の傘下にはないということでしょうか?
Googleで「韓国における天理教の受容」というキーワードで検索をかけてください。
PDFの論文が出てきますが、103頁の「韓国・朝鮮における布教」のところから読めば、
おわかりになると思います。
言い方が悪いかと思いますが、あの先生が気に入らないから 信心できないとか子供と同じだと思います。
どうでもいやで不足でできないなら立ち止まるのも一つの方法かな、、世の中には天理教で行うより世上
でも活躍できる場所がいっぱいあるとおもいます。
ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。
素直と言う言葉は危ない言葉です。理不尽な事柄に対しても素直な心になれと言われれば、それは服従にもなり得る。
低い心も服従に繋がり得るし、優しい心も自分を無くする場合もある。
きちんと正義を主張し、物事の道理を通し、自分を抑えてしまわず、ありのままの思いを誠実に発言し、自分を自分として世の為人の為に生きることも、あるいはより神の御心に叶うのかも知れません。実るほどこうべを垂れる稲穗ですから低い、は良いです。素直は場合によっては危険です。
率直に自己を主張する強さ、相手によって態度を変えず、真っ直ぐに筋を通す正義感と行動力。私は「低い、優しい、素直」よりよほど世の中を変え得る前向きなパワーと魅力を感じます。
天理教は素直になれで人の人生と経済を奪ってきました。
里の仙人さん、どなたの書き込みに対して説教しているのですか?
あなたは心が澄んでいるのでほこりが見えないのですか?
まあなにもかも知ったような気になって勘違いしているのがバリ天気質の典型的特徴ではありますが、
そもそも里の仙人さんの上から目線の説教こそが「高慢」のほこりをつんでいるのではありませんか?
それと、たんのうの漢字の当て字は天理教事典にもあるように「足納」ですよ。
(悪識などという日本語もありません。あるとすれば造語です。)
里の仙人 様
2019年9月14日 9:10 PM
>>ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。<<
世の中の不正や誤りを容認しかねない非常に危険な考え方ですね。極論かもしれませんが、麻原彰晃が地下鉄でサリンをまけといえば、低い、やさしい、素直な心でまくのですか? 天理教の教会が、法外な「お供え」を要求してきたら、我が身を犠牲にしてでも、低い、やさしい、素直な心で支払うのですか? 天理教ピラミッドの上層部にとって非常に都合の良い考え方ですが、過去から現在にかけて、どれだけ多くの信者さん達が、低い、やさしい、素直な心になるように言いくるめられて、辛酸を舐めてきたのかご存知ですか?
今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 様
2019年9月14日 1:26 PM
アンサイクロペディア滅茶苦茶面白い!
久々に笑ってしまいました。
( ^o^)ノ◇ ザブトン1マイです。
私メはザブトン5枚を!
>>天理市財政崖っぷち 天理教から寄付金減少
日本一の宗教都市・天理市の平成24年度決算は支出が収入を上回り、経常収支比率が100.5%となり4年ぶりの100%を超える財政悪化の決算となることが明らかになった、任期満了に伴う同市長選(10月13日告示、20日投開票)に向けて立候補予定者3人の動きが本格化しているが、選挙の最大の争点は瀬戸際財政の建て直し。ピーク年度に47億円あった天理教から市への寄付金は、昨年度決算額で10億2000万円まで減少している。新たな市長に求められるのは、国から財源を引っ張ることのできる「政治力」。市の台所事情と課題を徹底解剖する。[2013年09月20日]<<
古い記事情報ですが。目に留まったので上げておきます。
天理教本部の財源のその後6年間、2019年の今年に至るまでの歩みは確実に減少し続けています。年々10億円づつお供え総額は減少の一途と聞きます。後10年で教団が消滅するシナリオは現実味を帯びています。
現在天理市は財政難に陥っていると聞くが天理教がこけたら天理市もこける事に。天理市はもう終末期を迎えている天理教は当てに出来ないと心得るべきです。
天理駅前のコフフンと言う円形の建物は天理市が天理教と言う宗教都市のイメージを払拭する為に整備したものだそうだ。
天理市は既に将来的展望のない天理教からの脱却を考えているのは確かだろう。
過去の一心同体関係からの脱却を余儀なくされている。
>>今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。<<
日本人・外国人の違いは問わず、初めて見聞きする人は、気味悪くて怖がると思います。どうして馬鹿げた逆効果のことをするのでしょうね。天理教の異常さを感じます。奈良市の観光イメージダウンにもなりかねません。
昨日の夕方、奈良から天理に私の大好きな餃子を買いに天理駅へ
焼き待ちの間 CoFuFunと駅の構内ぶらついていたら、
「地域貢献とわたし〜人生の幸福度は与える喜びで決まる」
| team 聴きデリ 貴方の心に寄り添う聴き屋
| 聴きたすけ やってます 1周年記念イベント
やっていました、少し見ていましたがこれって 傾聴?
カウンセリングのまねごとですよね。教会後継者が主体で行っ
ているとかで、カウンセラーになるためには一定の訓練が必要
です、「公認心理師」「臨床心理士」「認定心理士」資格の無
い若い人生経験の少ない後継者方で本当に心治療までは行かな
くても、気持ちが整理されスッキリする事!人助けが出来るか
どうか?マスターベーション自己満足のようで疑問に思います
!私は聴いて貰いたくないし話したくないですね。
この聴き屋と言うのは、青年会発案?だいすけ君主導?だいすけ君認可公認の活動ですか?
聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。
戸別訪問でお授けを拒否されてもその家人を無視して、家の外で勝手にお授けを取り次ぐ人達。土下座する人達。教祖がついて居て下さると勝手な妄想と自己満足で、おかしな行動をする天理教信者達。誰も聞いてない空気に向かって声を張り上げる一生懸命しゃべる弁士。
駅前で踊ったり、街中で拍子木をたたいたり、狂人にしか見えません。笑われる事こそ徳積みと思う彼らにはいくら良識を教えても馬耳東風です。恥ずかしい限り。
天理教に品性を望みます。
>聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。<
私は、現役の頃、公的で正式な臨床心理士の資格を持ち、複数の教育委員会で雇用されていたベテランの女性の臨床心理士と共に仕事をしたことがあります。彼女の年齢は決して若くはありません。短大卒業後、複数の民間企業で勤務した後、某大学の大学と大学院へ進学し、臨床心理士の資格試験に合格された苦労人です。現在も、公立小中学校のカウンセラーとして、複数の自治体の教育委員会で雇用され、頑張ってお仕事をされています。
カウンセラーの仕事は、先ず、相手の話をひたすら聞くことから始まりますが、カウンセラーがカウンセリングを受ける相手(相談者)に対して適切なアドバイスを出せるようになるまでには、その相手と相互に家族のような信頼関係を築き、何でも話できるような人間関係を築く必要があるということです。カウンセリングは、まず、相手の「言いたいこと」をひたすら聞くことに徹することから始まることは確かなようですが、相談相手との人間関係や信頼関係を築くまでに、相当な時間とコミュニケーションが必要であるという話を彼女から聞きました。
駅前の通りすがりの見ず知らずの人の相談を、人生経験の極めて乏しい若造が聞いても、相談する人の本当の悩みや苦しみが一回や二回で理解できるはずがありません。まして、臨床心理学等の専門的学問をおさめ、何人もの異性異年齢の人達から、様々な相談を受けた経験の無い若造が、アドバイスをすることなど到底不可能です。訳の分からない素人が、その場限りの無責任なアドバイスをすれば、相談者の人生を狂わせることにもなりかねません。病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。
病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。<<
全く、同感です。資格も無く人間的レベルもピンキリの人間が通りすがりの人の話を一回聞いたとしても、その場限りの刹那です。その後をフォロー出来るものでもありません。何時間も駅前に立ち尽くして声をかける人が無ければすごすご帰るのでしょう。しかし行きずりの相手に対して無責任な行為です。神の目から見たら意味を成さないもったいない時間です。
ちゃんと働いて、お金を貯めて資格を取って、きちんとやりなさい。無資格カウンセラーが何をしようと中途半端なだけで、自己満足以外の何物でもありません。
彼らは突拍子のない事をして満足している様だが、無責任で表面的でいかにも考えが浅い気がします。
だいすけ君から良い感触を得たからやっているのか。いかにも軽い。
「今日は秋晴れの運動会の日」と言う合図の為に朝打つ花火を辞めた仙台市。
夜勤明けだから、朝からうるさい等々苦情がここ数年寄せられ花火打ち上げは止めるに至ったそう。
この時代に夜勤でも非正規でも仕事が有ればまだマシと言うもの。
3K現場は言葉の流暢な勉強熱心な外国人達が変わって占め、わざわざ労働経験の無い日本人を雇わなくても労働者は掃いて捨てるほどいる。
30代40代で労働経験が無いもしくは、大学のアルバイト程度では派遣すら難しいだろう。
他方地方のホテルやコンビニ、はたまた老人施設ありとあらゆる所には外国人労働者が占める。
ただ昔から有る、ウチの方が先に建ったと言う理由で朝早くから太鼓を大きな音で鳴らし続ける天理教大教会、教会。
だめの教えだが何だかんだで、一向に改善される余地なく現在も続けられて、近隣住民はこの時代に迷惑極まり無い。
せめて朝の太鼓だけでも無音にしようと言う教会は無いのだろうか?
人を助けると言う前に自分達の行為そのものを見直されては如何だろうか?
気軽にお参り?町内会も誰も行かないけど。
結局はやってる事自体が軽いんだろう。
何をやっても時代に合わない天理教。
東日本大震災で防護服を着ないで除染させていたのは、今でも語り草。
そちら方面では有名な話です。
とっとと宗教法人を返す、もしくは過疎地・限界集落に引越ししてはどうだろうか?
月に数日でも人が集まれば未だ未だ活気は出るだろう。
限界集落辺りにある教会はそもそも教会として運営するのさえ難しいだろうに。
残念だが天理教の社会に対する宗教としての役割は既に終わっているのでは無いだろうか?
後は個々の教会がどれだけ人々の心に寄り添い宗教としての役割を全うするか?
これに尽きると思う。
花火中止よりも日々の生活の方が重要だろうに。新聞の記事がふとそう考えさせた。。。
信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。
>>せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
そのとおりだと思います。せかいたすけの心を常にもち、自分のできる範囲で実践していれば、教団や組織、宗教儀式など全く必要ないのです。
興味深いブログをみつけました。
『ひきのエクェクのブログ』2019年09月06日
「天理教本部の「ひな形甘露台」が倒れてから2年と一が月か?2代真柱と上田ナライト」
宗教儀式は単に儀式。目に見える儀式よりも目に見えない心の在り方こそ信仰。
朝晩の近所迷惑なお勤めも月次祭も、年祭も記念祭も、必要無い。
来年の婦人会110周年記念祭も迷惑千万。カネ集めの機会とばかりにお供えの要請が早々と来ている。
こんな金集め行事が10年ごとに訪れ、大教会創立◯◯年記念祭、大教会婦人会創立◯◯年記念祭、上級創立◯◯年記念祭、、、上級が沢山ある末端はどんだけ金が有っても追いつかない!!その度にお供え金を要請されるのだから。
世界助けの心を持ち、利他の心で自分も世界も共に立つ事。
信仰は組織が無くても出来る、正にその通りです。極端に言えば、お勤めも神饌物も何も要らない。
神とつながるのにお金も儀式も、また人参、大根、酒に米、、そんな供え物さえもそんな媒体は必要ないと思う。自己満足出来るなら勝手にすれば良い事だ。
また現在の互い立て合い苦しめ合いの天理教上下組織のやり方には断固反対します。江戸時代の年貢か。上が勝手に色々決めて、下の了承もなしに勝手に無理やり金を出させる。
また、末端信者の立場で言えば、どこに所属するかで上級が増え、上納金が格段に増えるのはおかしいのではないか。
死に体天理教の変わらぬ理不尽の数々、、思いつくまま。
誠真実 様
2019年9月16日 9:47 PM
「天雅」私もよく行きますよ、美味しいですね。(^^)
崩壊 様
2019年9月17日 6:15 PM
日本全国至る所で愚痴聞き屋 ココロメンテナンスと称する輩が蔓延っています。
有料の所無料の所それぞれです。人に話すことで気持ちが楽になる人ならない人
それは様々です。殆どが傾聴・聞くだけのサービスです。解決策は提示できません
が・・それでも世の中が複雑になり、生きにくくなり、経済が停滞し、生活するの
が大変になり、政治に一票の声が届きにくくなり、本音で話せる仲間・話し相手が
作りにくくなり、ますます「傾聴」は必要だと感じています。「助言よりも傾聴を」
つまり“傾聴”の本質は、何かを相手に与えるのではなく、悩み人の中にある自己
回復や自己治癒の力を最大に引き出すこと、ここにあります。 だからせめてやる
からにはメンタルケアアドバイザーの講座なり受けて資格等取ってしっかりした
対応でやって貰いたい。
下記、team 聴きデリ HP より
team聴きデリは奈良県天理市周辺で活動している聞き屋です! 奇数日20時から22時
まで、天理市限定で活動中! 天理駅周辺で活動しています! あなたの話を聞かし
てください! 投げ銭も大歓迎! 傾聴500人突破 ”魅力引き出し屋” …
↑
金くれは全くもって天理教!! 本気で人助けなら資格くらい取ってやるでしょ!
(だから教会大教会ボンボン後継者が青年会のPR、大亮君へのゴマスリでやってる)
匿名様
2019年9月17日 7:43 PM
大学で心理学を専攻、ひのきしんスクールでカウンセリング講座を2回受講しました。
こんな良い講座もやっています (^^)/
おたすけのための ひのきしんスクール
人は自分の悩みを信頼のおける人に聞いてもらえるだけで、心がやすらぎ、気持ちを落ち着けることができます。
カウンセリングとは、信頼関係に満ちた人間関係を通して、悩みをもつ人自身が問題解決の糸口を見つけ出せるように援助する方法のことです。
カウンセリングの基礎的な知識や、具体的な事例を通じて家族を見つめたり、年齢別に心の発達について学び、悩む人の理解を深めておたすけの場におけるカウンセリング技術の有効な用い方について学びます。
カウンセリング ~聴くことの大切さ~
カウンセリングとは、信頼関係に基づく態度や言葉がけを通して、悩みを持つ人自
身が問題解決の糸口を見つけだせるように援助する方法のことです。
この講座は、傾聴をはじめとするカウンセリングの基本的な考え方と技術を学ぶと
ともに、それらを積極的におたすけにも活用していくことを目的として開催します。
◇内容
講義 「おたすけとカウンセリング」
「カウンセリングの基本」
演習 「ロールプレイ」
「箱庭実習」
パネルディスカッション
「おたすけとカウンセリング」
など 天理よろづ相談所 – 臨床心理士 宇田 まゆみ先生のお話は素晴らしかったです.
匿名O
2019年9月18日 5:10 PM
私この天理教内の心理学の機関の人に聴いたこと有りますが(あと心理と書きます)心理の人は教団反対派らしいです。教団の空気の悪さをつくづく感じていたそうです。上からの抑圧だけで、中山家とその周辺を中心とする家柄と血筋だけの組織作り反対派だそうです。 本部中枢と天理大学を中心とする心理学派がどう戦うか見ものです。
天理大学の心理学派もいい加減、「中田善亮のお尽くしは金」発言を正すときが来たかもしれませんね。心理学が権力に屈するようでは心理学にあらずですしね笑
台風15号により千葉県を中心に関東が被害を受けました。天変地異は神の示し だと教祖も言ってますが調べてみるとやはりそうだったようです。千葉県内のとある教会が法人乗取りにも加担していたようです。それを良く思わない方も多く居たようで、知人の教会長等を介して伝って話が舞い込みました。法人乗取りの際に死人も出たらしくその方が千葉県の方なのかは不明ですがなんとも神の教えに反する行為だったのかをこの「成って来くるのが天の理」により明確に分かりました。
教団には忌み嫌われるこの社会学の書き込みですが、実際大教会以下の我々では情報が乏しく社会学を興味本位で見始める人は多いと思いますが、社会学の書き込みこそ教団の真の姿を書き出してる唯一サイトだということでしょう。最近では、有名掲示板 5ちゃんねる や 2ちゃんねる の書き込みも 社会学さんの書き込みを引用して書かれて居ます。これほど影響力を持ったサイトは今まで無かったかと思います。 この運営が公正中立であるが故に、嘘もあるでしょうが大半が真実の書き込みと言えるのでしょう。
昔の事で恐縮です。
東京で開催されていた民間の女性カウンセリング関係者が集まる会がありました。
世話どりをされていた方はキリスト教関係の方でしたが布教の場ではありませんでした。
講演者を招いて講演を聞くことと、練合のような話し合いの場がもたれました。
当時はまだカウンセラーの資格は4大卒でもOKの時代でしたが、いずれ資格は大学院となると聞かされていました。天理教信者の私は当然ながら、大学進学なんて許されず、高校生の時からアルバイトで学費を稼いでいましたから、カウンセラーを目指すことが「できない」事実を知らされた会でした。
受講生は現役のカウンセラーたちが多く、自分の知識の向上のために参加されていたようです。
興味深かったことは、カウンセラー自身も学ぶ中で、自分自身もカウンセリングを受けなくてはいけないという事でした。
つまり、自分自身の事が判らないようなレベルの人では他人の話を分析することはできないということでしょう。
そういえば、箱庭療法を確立された、天理教とも縁の深い、河合先生も、スイスのユング研究所でカウンセリングを受けています。
それも英語で、です。パイオニアの苦労は計り知れないなぁと、以前、本で読んだ際に感じたものです。
日本でも企業内カウンセラーとか、教師が退職後につく自治体での相談窓口とか、所謂医療機関ではない民間の資格で行われているカウンセリングがあります。
相談にあたる係員のレベルはまちまちで、人間の心に対する洞察力の有無には正直なところ「?」のような人も見受けられます。
結局、自身の人生を深く分析したり、整理・反省したり、今生で生まれ変わるくらいの精神的心理的人生経験を経てからでないと、難しい仕事だと思えるのです。
まして、安易な聞き取りで、「投げ銭」なる収入を得ようという「さもしい根性」がちらつくようでは、いつか、事件さえ起きるやもしれないという危惧すら持ってしまいます。
不思議な事にこうした若者たちの行動を良しとする年配者がいる事です。
天理教の会長って、無責任な人でもやっていける証左かもしれません。いい加減なことを言わないでほしいものです。
生業に就いたことの無い会長後継者は、せめて世間での「土持ちor砂持ち」で体をはった底辺の仕事を数年経験せよと、半ば実現不可能と感じつつも言いたくなります。
例えば、福島の復興企業に属して労働すれば、「ひのきしん」や災害救援隊では見えない部分が実体験として見えてくるでしょう。いまや教内では「ひのきしん」が天理教のシンボルのような扱い方で要請、紹介されています。最近の被災地、自然災害に見舞われた所で救援活動をされている方々には感謝の気持ちでいっぱいになります。ただ、それで終わりでは天理教の布教活動の一環であり、自分の責任において労働契約を結び、結果責任も負う条件の下で、道専務ではない人たちは日々、働いているという事とは、大きく異なることを自覚していただきたいと思います。救援活動の方々の多くはそうした自分の仕事をやり繰りして休みをとって自分の財布から交通費を出して、被災地に駆けつけているのです。天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。
とはいえ被災地での活動を否定するものではない事を付け加えます。
そのうえでの意見です。
労働契約に基づく働きの厳しい現実を知らずして、やれ、オンラインサロンだとかオンライン講師だとか口先講釈で若者をだましても、そんなことで信者増加を目論んでも、むなしくはならないのでしょうか?
要するに本部中枢の人もお供えで生きる人生は止めるべきだという事が理解できないうちは、何をやっても大亮組の取り巻きたちの田舎芝居となり、一般信者たちはあきれるばかりなのです。
>>天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。<<
全くその通りです。
本部のプロバガンダの一部として本部に都合よく使われている本部ニート、教会ニートの身の彼らと、一般社会の厳しい責任下でやり繰りしながらの社会奉仕とは自ずと身に課せられている責任や厳しさが違います。
教会ニートの面々には、一度社会に出て、社会の厳しさ、金儲けの苦しさを知ってから、災害ひのきしんでも口先講釈でもやればいい。
上下組織に甘んじて人の金で食べている限り、どんな立派な行為でも誠を伴わない単なる本部の猿芝居にすぎないのかも知れません。
匿名2019年9月18日 6:13 PM
教団のネット戦略は成功しまえんね。あまりにも教団と中山家事態が実力がない魅力もないそしてこの上なく悪どい ですからね。 インターネットを使い始めると良い情報より悪い情報が拡散されます。
それにユーチューバーもタイミングの問題だけで、今では芸能人の参入で既存の問題あるものは殆ど消えるといわれてます。
ネットはそう簡単なものじゃありません。
中山家と一部上層部が、教団の資産を持ち逃げしないように監視しないとダメですね。不動産管理会社の天理館 もあれも私物でなく 株式会社と公共性があるので 天理教被害者の会 が発足した際の弁済責任を訴えかける対象となります。
皆さんもご存知の 千葉県 市原ゴルフガーデン も天災と装おうとしましたが、基礎工事と台風の際ネットを降ろしていなかった。人災の面を認め始め ています。
鉄柱で家屋破壊のゴルフ場オーナー、謝罪と補償意向
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201909110000727.html
このようにして、多方面から訴えかけることによって、不十分な司法判断だけでなく、歴史的事件事故として法改正の契機になります。
教団は正に人災です。人がしていることですから、中山家と一部血族がやりたいようにした結果が現在ですからね。隠されてきた事件も山積みにあるそうです。各所からちらほらリークも増えてきているようですし、今後教団は縮小、問題は拡大していきます。
台風15号の神の思いとは?様
2019年9月18日 5:51 PM
本部は神に背いたどころか神に喧嘩を売ってしまったのでしょう。ここ最近の出来事はあまりにも分かり安すぎる。偽者の教理を各地で振り撒く 中田善亮 の姿を見るだけでこれは異常事態だと思いました。各教会や大教会、本部関係者でも社会学で情報を得ていると聞いた事が有ります。
それに本部朝づとめの際 教校学園廃止差し止め を訴えた人への対応の悪さが決定付けたと言われます。言った人を 回廊を立ち去る、中山家と本部員は嘲笑っていた聞き憤りを感じました。嘲笑われているのは自分とも気が付かない人の心も見失った知的劣化の下等集団だと確信した!と各協会長からも耳にします。
もう仕組みとしての組織は残っているでしょうが、教団と信仰心の解離は顕著です。我が教会も系統もここ数年で信者数激減しております。これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。
>これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。<
この匿名様の投稿を、教団上層部はどのように受け止めているのでしょうね。
信仰の目的を見失ってしまったような教団上層部には、最早聞く耳は持ち合わせていないのでしょう。
用木はともかく、教人は今一度信仰の目的を見直さなければ、教団本部と共に共倒れになってしまいますよ。
感謝・慎み・助け合いのスローガンなんかどこ吹く風の教団の姿を見ていると、7年前に見限った自分が正解だったと確信が持てます。
その意味からも、2019年9月18日 10:22 PMの匿名様の仰る実現のためにも、教団は史料集成部を一刻も早く全面開放すべきです。そうでなければ信仰の価値は皆無です。
私たちの信仰対象は親神様です。その親神の御心に従う事が信仰です。
しかしながら、もはや人間信仰の天理教。青年会は大ちゃんへのごますり信仰。
分教会は上級教会に従う。大教会直轄教会は大教会長に従う。大教会長は本部の顔色を見る。上級がアホでも従うのが信仰だそうだ。本部が腐って居ても、本部の声に心を寄せろと言う。食べる時食べる前に腐っているかどうか確かめるだろう。
本部の方針やその在り方が腐っているか、腐って居ないか折々に検証せずして、永遠に食べられると思うのは大間違い。所詮、欲を持つ特権階級が運営しているのだから。我々教会はお人好しでは大切な本質を見失う。
人生経験も苦労した体験も無い世界一幸せ夫婦のだいすけクン、楽しいことが大好きらしい。早々に命のつなぎはお金、とあちこちで偽教理を振りまいているらしい。誰も止められない。中山家の独走をままにさせている限り。その先に見える光景は親神が既に用意しているのだが。欲の埃で鏡が曇ってしまって見えないのだろう。
今一度、本部中山一統は御筆先を読み返して欲しい。教祖による厳しいその筆の先は中山家に向けられているのですから。
mami 様
2019年9月18日 3:56 PM
『ひきのエクェクのブログ』読みました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hikino-effect/index.html
下記転記
天理時報 陽気ぐらし世界建設に「金銭」による ”つなぎ” の理・・・?
本教では、親神様の十全の守護の理の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある。”つなぎ”の理の働きに「金銭」も含まれていることを踏まえるとき、「金銭」には、物と物、物と人、人と人、あるいは人と神などを”つなぐ役割”があると悟れる。キャッシュレス社会となっても、この役割は変わらない。私たちが常に心がけるべきことは、陽気ぐらし世界建設に、この「金銭」による”つなぎ”の理の働きを、いかに生かすかであると思う。
誰が書いているかは知らないが、基本的に意味不明である。
以前中田表統領が
「おつくし」は「命のつなぎ」であり、親神様にお受け取りいただく真実である。
と書き、信者の顰蹙(ひんしゅく)をかったわけだが、時報の文章も同じ類いのものだ。
「おつくし」「金銭」・・・ ”つなぎ” で調べてみると、奇妙な教えに出会う。
十全の守護
○くにさづちのみこと・・・の働き。
教典では
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
とあるのに、最近は
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では金銭・縁談、万つなぎの守護の理。
『金銭・縁談』・・・がなぜか追加されている。なんか我が祖神大国主命のような?
私は、今の今まで『金銭・縁談』が挿入されていることを知らなかった。
十全の守護とは理の話・・・原理とでも言える、いわゆる基本的な概念の部分の教えだ。
その中に『金銭・縁談』とはあまりに具体的で細目・場違いな言葉である。
この教えを、まともにとれば『くにさづちのみこと』・・・世界での一番の働きは『金銭』となってしまう。・・・これは間違いだろう!と普通ならわかるだろう。
Web上でよく調べてみると、様々なところで「金銭縁談万つなぎ」が一つの単語のような使い方がしてある。
稿本教典の中に『金銭・縁談』なんてない・・・ということは、どこかの時点で誰かが『金銭・縁談』を挿入した。
普通まともな集団なら、おかしいと気付いてどこかの時点で『金銭・縁談』を細目に移す修正がかかるであろう。しかし、現在の天理教は ”金が無くて嫁も来ない” 神様にすがるつもりで「金銭縁談万つなぎ」が定着してしまったかもしれない。
こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。
キャッシュレスの普及・・・どう考えると・・・
陽気ぐらし世界建設に、「金銭」による ”つなぎ:くにさづちのみこと” の理の働きをいかに生かす。
になるのか?
「陽気ぐらし」を「金銭」で繋ぎ止める?・・・まてまて、「陽気ぐらし世界」は建設途中だから、引っ張ってくる?
全く意味不明である。
天理時報は信じがたいほど頭が悪いと言わねばならない。
この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
>>こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。<<
裏返して考えれば、「お供え」をしない信者は不要なので、つながってくれなくてよいというように解せますね。みなさん、別に無理につながる必要などありません。どんどん離れていきましょう。邪宗教にいつまでも関わっていれば、それこそ命を落としかねません。
組織はなくても信仰できる! 様
2019年9月18日 12:39 PM
>>信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
まったくその通りなんです。中山一族やその取り巻き連中を養うために信仰するのではないのです。教団組織など全く必要ありません。自分ができる範囲の「人たすけ」は別にお金や財産など無くてもできます。以前、この掲示板でも紹介させていただきましたが、仏教の教えに「無財の七施」という素晴らしい「人たすけ」の術があります。「組織」や「お供え」や「お布施」を全く必要としない「誰もができる人たすけ」です。以下にその概要が説明されているHPを再度、紹介させていただきます。
http://ichigu.net/pillar/service02.php
匿名
2019年9月19日 12:32 PM
こんな事を公式の機関紙で書いてる時点で意味不明です笑 お前ら中山とその血族と取り巻きが「つなぎ」の対極にある「立てる」が出来てないからからこの財政難に陥ったのでは?信者はみんな分かってるけど? 本当天理教の上層部は本当焼きがまわってるのね。こいつらが一番親神様を立ててないから真柱頭の病気 財政難、甘露大倒壊 が起こったのにまた他人のせい? 呆れる笑
「金の繋ぎが命の繋ぎ」と、うそぶいた事を指摘されても謝罪はおろか訂正も出来ないでまた良からぬ嘘を吐き散らす笑 中田善亮 氏は 宗教家として明らかに失格です。
文部科学省に天理協に対する教義と運営の是正勧告要求でもした方が良いですよ。もう宗教ではなく集金目的の営利法人に成り下がりましたしね笑
カネカネカネとカネを語れば金は遠のく その意味も分かってない 詐欺乞食集団 それが天理教の上層部ですね。もう取り返しつきません笑
匿名様 『龍頭が狂うたら皆狂うで』、私もこのおさしづは重いと思います。おさしづは、こうした重い言葉をさりげなく書いていますが、読む方もそれなりに重く受けとめなければなりません。
実際その通りで、かつての麻原彰晃がそうだったし、ヒットラーがそうだったし、卑近な例で言えば、K国の文〇寅もそうですよ。トップが狂っただけで、その集団は破滅の道をたどりました。(文〇寅政権はまだ存続していますが、非常に危ういと思います。)
オウム真理教なんか、麻原の取り巻き連は、麻原の指図に従ったために自らを殺人鬼に変えてしまい、その結果、<縛り首台の露>と消えました。これがヒエラルヒーといものなんでしょうが、私は処刑された人たちをお気の毒に思って冥福を祈らないではいられません。
こうした極端な例を引いた後で天理教について語ると、天理教が何か悲惨な集団に見えるかもしれませんが、<龍頭>に当たるところにおられる方たちは、どうか針路を見誤られないように、しっかりと羅針盤を見つめていてほしいと思います。
仕事で某大教会へ行ってきた。誰も人(信者)が居なかった。電気代節約の暗い事務所に1人青年さんが見えただけ。街なかで広い土地建物、維持費だけで勿体無い。月に何日人が集まって使われるのだろうか?こんな無駄な建物が全国各地に存在している。大教会でさえこんな有様だから、分教会はもっと悲惨だ。本当に教会&詰所の統廃合が急がれる!!
いっそ全て無くしてしまえば・・・・
匿名様 2019年9月9日 12:32PM
あの中の宇野たきゑ「『上田ナライト抄伝」の「~御母堂様が御用をお勤め下さるように迄の尊いつなぎとして~」
に注目しました。本席の後継者であったナライトを「つなぎ」としてさらーと!このようにいろいろと本部(中山家)の都合のよいように。一事が万事!教外の作家、ジャーナリスト、学者のおかげでいろいろわかり有難いと同時に疲れます。「復元」とは?『ひのきしん」とは・・・・・・・etc
崩壊様
「裏返して考えれば「お供え」をしない信者は不要なので、繋がってくれないでよいというように解せますね」
思わず笑ってしまいました。あまりにも適切で。
ごめんなさい。脱字。「お勤め下さるようになる迄の尊いつなぎ」です。
ある末端教会後継者のつぶやき、、
>世界の支配構造を天理教が模倣してるわけよね。
ワザと見せてくれてるわけ?
奴隷契約いつもしわ寄せは末端。
親様はそれこそ変えたかったはずなんだけど。
甘い汁吸い過ぎると脳みそ腐るのかなワイの教会、昔から信者さんのお供えは1円も手を着けず全額上級へ。
末端教会はお金に手を着けてはならない暗黙のルール。
そのお金を小遣いとして嗜好品買ってる上級。
神様に与えてもらってるだとよ<
これが正常だと言えますか。一列きょうだい、互い立て合い助け合いの理想世界がいつのまにかこんなに腐れてしまった。
馬鹿を相手にするほど我々の人生は長くない。悲しすぎます。
腐れ教団の息の根を止めるには「金は出さない」事に尽きる。これ以上不幸な人々を生まない為に。
匿名
2019年9月19日様
>>この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?
>>我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?<<
幸いにして、私は若いうちに、そうした思考回路を断ち切ることができました。世間的に見れば親不孝したのかもしれませんが、「間違っていることは間違っている」「成らぬ事は成らぬ」という断固たる信念がそうさせたと思います。また、年齢的な若さゆえに、決断して突っ走ることもできたのだと思います。私の人生も終盤にさしかかりましたが、私の判断は正しかったと思います。若い信者の皆さん、親や先祖の思想信条が必ずしも正しいとは限りません。自分自身の信念をしっかりと持ち、自分が正しいと思う道を歩んでください。それが「陽気暮らし」に少なからずつながるはずです。
里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
千人 ⇒ 仙人 ※訂正いたします!
>>通りすがり
>>2019年9月20日 8:30 PM
>>里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
>>私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
↑
こういうイヤミったらしい粘着質な書き込みをしている人間の
どこが「低い優しい素直な心」なんだ?
「高慢 冷徹 ひねくれ者」だろ
働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな
通りすがり
2019年9月20日 8:30 PM
君は目球着いてるの?笑 それ言うなら、高慢代表、中山家と血族とその取り巻き に言えよ特に中田善亮にw
今の若い修理人もカネカネ病にかかって各分教会でも顰蹙買ってるんだぞwww それも中田善亮が「お尽くしは金」とウソは八百教理を唱えてるからだろwww
通りすがりさ、解説するとか言ってたけど一向にしてないよな?wwwお前が解説しての何の意味も無いけどなwww
それに本部が「お尽くしは金」が誤解だ!と言いたいならちゃんとした解説文を機関紙で発表しろよ!
大学教授にでも論文書かせろよwww 出来ないししないだろ!つまり大学教授もそんな屁理屈論文書いてたの享受に叩かれて教授生命絶たれたらこまるから誰も書かないしなwww
つまり訂正も修正も解説もできてない時点で嘘八百教理は確定なんだよwww
>>働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな<<
その通り、もう一言加えると「世間知らず苦労知らず」。しっかり働きなさい。
通りすがりって、あの本部の若者PC部隊かな?www 程度低いwww
先日 現在の本部や教団の体制に対して、天理大学の心理学派が呆れてるって聞いたけど、天理おやさと研究所も呆れてるのでしょうね。この2者がこのの書き込みで全員を説得したらいいのでは?と前々より思っていましたが一向にそれらしき人は現れません。それどころかここに書き込んでる方々と論調が同じなのだと思います。学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑
通りすがり のその名前はこの現実から通りすがっいると言う事を自らが気が付くべきなのではないでしょうか? 現状、教団内で暴動や離反が生まれそうとマズイから気休めの書き込みしていることが余計火をつけている事に気がつけない大馬鹿なのかな?
通りすがりさんにも少なからず期待してるからもっと皆さんが納得できる事「成るほどの人」になってよ。通りすがりはそれに成れてないという事がここで発覚するんだけどね。
がんばれ 通りすがり!
>>学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑<<
そもそも学問とは、理論の上に存在するものであり、理論のないところに学問は存在しません。宗教学という学問分野がありますが、理論の上に成り立っています。学問と宗教は根本的に違うものです。まして天理教のようなカルトに理論など存在しません。
「皆つなぎに困っている」とは、天啓の繋ぎ役としてのナライト様の住居を本部に設置する事を、会計的にためらった増野正兵衛さんに対する本席様のお言葉ですが、この「つなぎ」を金としか解釈できない馬鹿が中山家に生まれるというオチは悲しすぎますね。
Z亮とその取り巻きの事ですね。
崩壊
2019年9月21日 2:35 PM
人間の知りえるものは全て理論上にしかない。それ以外を知るのは神で有ったとしても、この人が知りえる世界に存在する以上天理教は言葉はしっかり使ってもらいたいですね笑
文字では天理教は天理教ですが、天理教は中山家の事ですと成っているのが現状でこの惨状を生んだ原因でもあるのは皆さんもご存知の通り
中山家と血族とその取り巻きの勝手な解釈で、教理を汚しているのであれば彼らは現在の真柱あるいはそれ以上の惨劇を体験するでしょう。
今の現状を受け入れたくないのは中山家血族取り巻きだけ、それ以外は受け入れている。この中山家がどう考えても暴走している。それ以外の何物でもない。権力で代えれるものと代えられないものがある事を未だに分かって無いのが親神教祖も「神の残念」と口を揃えるでしょう。
中山家は神に背いたなら、悪魔に魂を売ったとなります。
中山家と愉快な仲間たちの皆さんこのまま突き進みますか?笑
天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。
通りすがり ちゃん
2019年9月21日 8:53 PM
>>天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。<<
あいかわらず、毒舌だけは達者ですね。「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」 自分自身のことをよくもまあ的確に表現できるものですね!! あなたの自己分析力には脱帽します。
通りすがりさん。
現行中山教の素晴らしい所を具体的に書いてもらえませんか。私達は散々中山教による被害とその苦労話を見聞きしてきました。ここにも書きました。
多くの人が精神を病み、家庭経済は破綻し、まともに高等教育も受けられず、親子は断絶し、教会会長夫婦は離婚に至りと、どれだけの人生が狂った事でしょう。
あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
現中山教の信仰の良い所、良い結果を是非具体的に言って下さい。真柱の病気さえ治せないのが現中山教ですがね。
私は天理教で飲み食いしている者ではありません
ただの末端信者に過ぎないものです。先代の信仰に縁があり、天理教に引き寄せられた者程度です。
私は高校卒業後 公務員試験に失敗しプータローの時分父が身上になり父の代理で修養科いったことがあります。19歳の時分1か月たった頃ホームシックにかかりどうしても家に帰りたくて天理教が大嫌いで神様にお願いする姿が乞食みたいでどうしても信仰する気になれません。もうやめて帰らせて下さいと甘露台に話したことがあります。
神殿退出後 詰所に帰る時 ふと拝む姿が嫌いなら 皆に感謝され あなたの背中を拝む人を一人でもいいからつくる練習をしてみたらどうか? という考えが相反することが頭の中にこだまして それから帰りたくなる不思議な経験をしたことがあります。それから私の信仰の基礎として勤めさせてもらっています。教祖無き 現代にも神様は居るんだと実感したことがあります。それから実践するなかに不思議だらけの経験があるから教祖お言葉を書き込んだだけです。決して見下して話していると思わないで頂きたい。通る通らないは本人の勝手、無理には言いません。通ったもの勝ちです。もったいないことです。
>>通りすがり 2019年9月21日 8:53 PM
>>稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
>>無法者ですから、まともに議論しても無駄です。
>>運命下り坂で、気の毒な人です。
>>もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
>>かわいそうで涙がでます。
以上、
盛大なブーメラン、
このコメント欄の おまいう大賞
「通りすがり」 の自己紹介 Part2 でした
私はこの掲示板に感謝しています。中山みき亡き後にできた天理教教団そして、それに繋がっている現天理教教団に関心がある方々が投稿されているのではないでしょうか。
教団でよく実施されている「感話」大会の場所ではないと思います。神を実感する人もしない人も投稿される方はそれぞれと思います。
匿名様
>あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
多分、違うと思います。そういう人は、天理教の矛盾をイヤと言うほど知っている人です。
彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。
>>彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。<<
真実を知る恐怖感はよく理解できます。誰しも知りたくないと思います。しかし、知らないことには道は開けていきません。癌患者が治療を拒み続けて逃げているようなものです。
「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。
>>「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。<<
3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
悪魔に魂を売った 様
聖書にもこんな話があります。話は途中からになりますが、イエスはバプテスマ(洗礼)を受けられたあと、聖霊にともなわれて荒野につれていかれました。そこで40日間さまよったのですが、その時に、サタンから3っつの誘惑を受けました。それは、イエスが救世主として適任者であるかどうかという試験のようなものでした。 つまり、サタンはイエスの心の中にあるエゴイズム(利己心)を甘い言葉でくすぐり、そうすることで、イエスを挫折させようとしていたようです。
その試験ですが、サタンはイエスを高い山の上に連れて行き、世のすべてこの王国とその栄光を見せてこう言いました。
「もしあなたがひれ伏して、私(サタン)に崇拝の行為をするなら、私はこれら(王国)のすべてをあなたにあげましょう」
イエスは答えました。「サタンよ去れ!『主だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあります。」
こうしてイエスはサタンの誘惑に打ち勝ちましたが、しかし、これはイエスだからできたのであって、たいていの人はこの試験に失敗するだろうと思います。実際、この3っつの誘惑をすべてクリアーするのは至難のワザではないでしょうか。
すべての権力と富と地位を独占し、一国の最高権威者として君臨(くんりん)する。民衆はヒレ伏すようにしてすり寄ってき、ご機嫌うかがいをし、神のように心底アガメたてまつってくれる。しかもお金は使い放題・・とまぁ、こういう地位を目の前にちらつかされたら、そりゃ、並みの人間、コロリとまいりますよ。「地上の王」というか、「神」になれるんですからね。
でも、普通は、自分は神だと思うこともなかった人が、アガメたてまつられる地位につくことによって、知らずしらずのうちに神になっていく、というパターンを通るのではないでしょうか。そして、「神」になった瞬間、その人は悪魔に魂を売ったということが言えるのかもしれません。
天理教に関して言うと、私はおやさまも、神様の試験に合格されたと思っています。これ、世界に誇っていいことなんじゃないですか・・?エラソーに言ってすみません。
『さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
悪風に向こうたら、つまずくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。』
『さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。』
匿名くん、意味わかるかな?何度も読み返して、少しはまともな人間になりなさい。
通りすがりさん、苦言を呈する人ほど大切にしなければならい、と思っているんです。苦言とは、悪口ではありませんよ。
少しでも風通しを良くしようと、敢えて言いにくいことを言っているんです。私なんぞは、過去のスレを見れば誰だか明らかですよ。昨年中に二部同窓生の会長さんが3名出直しされたとか、いちれつ会扶育成で詰所勤務生だったとか書き込めば、身元がバレたも同然です。だって、私の年代でパソコンをやっている仲間なんて居ないも同然なんですから。多分、本部は身元を確認しているでしょうね。それでも、東風Z名で書き込んでいます。それでも悪風と断定されるのであれば、あなたと私には基本的な認識に大きな違いがあると言わざるを得ませんね。
ただ、あなたも体制側の人として頑張っておられることだけは認めますが、9月21日の脅迫まがいの投稿をされた時点でアウトですね。
>>悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで<<
あなたが解釈する悪風は、これからも吹き荒れることでしょう。吹き止むことはないはずです。
>>一時に出たる泥水、ごもく水やで<<
あなたが解釈する「ごもく水」は「ごもく水」ではありません。真の「ごもく水」を洗い流す清らかな渓流です。
親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。
匿名 ちゃん
2019年9月24日 1:02 PM
>>親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。<<
あなたは、上記のことを普段から実践されているのですか? 上記の美辞麗句に騙され苦しんできた人達が、どれほど多くおられるのか知っているのか?? 月並みな「教理と称する美辞麗句」を並べて自己防御をはかる教会本部側の体質を露呈する典型的な投稿だ(怒)。もう無垢の人々を苦しめるのはいい加減にしなさい(怒)。
>3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
半日で自分から脱け出すw
>>半日で自分から脱け出すw<<
面接後、即、逃げ出すかも(笑)
亀レスですみません。
誠真実 様
2019年9月19日 9:34 PM
私の住んでる所(奈良県じゃないです)
車で30分圏内に大教会が三ケ所もあります、大教会並みの分教会もあります。
いつも薄暗く人も車も見かけません。婦人会、月次祭くらいかな?人が居るのは
その他は
休みの日隔週で鼓笛練習している子供見かけるくらいかな?
こんな、人も居ない活用されない施設は廃止が望ましい!
信者様の負担以外何者でもない
天理市内の詰所もそうですが、ご商売をなさっている本通り歩いていても人数は
少ない!こんな状態でやっていけるのかな?(閑古鳥鳴いてました)
2週連続3連休といえどもこの有り様です。
夜なんか人通りゼロでした(7時8時だよ)
ここまで教勢衰退の事実がお偉いさんは分からないのでしょうか?・・・・
mami 様
2019年9月19日 9:57 PM
2019年9月22日 1:23 AM
”天理教本部の「ひな形甘露台」が倒されてから二年と一ヶ月か?
二代真柱と上田ナライト”興味深く読まさせて頂きました。
考えさせられる所(history)がありますね。
>>私はこの掲示板に感謝しています。
みんな賛否両論色んな意見出し合って良いと思う。
「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。
>>「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。<<
「事議論?」の後ろの?マークの真意は私には理解しかねますが、この掲示板の投稿内容を読む限り、天理教から大なり小なりの被害を被ってこられた被害者の方々の投稿が圧倒的多数であると私は理解しています。もしそうでないとしたら、そもそも、この掲示板自体存在せず、まして、毎日のように投稿が連綿と続くはずはないと思います。
2019年9月24日 1:02 PMの匿名 様
>世の中すべての人が助かるようにおつとめし、身上の人にはすぐにおさづけを取次ぐ。<
一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。
おつとめだって、近隣の方に迷惑にならないようにしてください。
天理教の人達は、余りにも独りよがりすぎるのです。ダメの教えと理解されるのは自由ですが、あくまでも、内々のことですよ。
病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らない、、<<
こんなお授けは本当にやめて頂きたい。
そうでなくても心が弱っている時に、傷口に塩を塗る様な言葉を平気かける勘違いの洗脳された教会長達。信心が足りないからこうなった、出すものを出さなかったからこうなった。心を入れ替えて◯◯するように、、等々。治るものも治らない。想像力の欠如と言おうか、人間性の問題か。大元はこんな偽教理を扇動した教会本部にあると思う。
信仰と言うものは、人に安心感を与え、希望を持たせるのが仕事だと思う。恐怖心をあおったり、絶望感に落としれる様では、そもそもその信仰に関わった意味が無い。
天理教は「ダメの教え」が「ダメな教え」になったねえとは熱心だったが完全に棄教した知り合いの言葉。冷笑しながらあきれています。天理教の事は知れば知るほどボロが出てくるのでもう完全に距離を取って相手にしていない様です。これが常識人のまともな感覚です。
>>一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。<<
知り合いの女性が、くも膜下出血で頭蓋骨を切開するほどの大手術をされた後、ICU(集中治療室)で治療を受けておられました。全身麻酔でしたが、麻酔がようやく覚めかけたものの、依然として嘔吐を繰り返えし、人の話など到底聞ける状態ではありませんでした。ちょうどその頃、黒い教服と帽子を纏った天理教信者2人が、ICUまでノコノコと進入し、ご多分にもれず訳の分からない「おさとし」や「いんねん話」を始めたので、待合室にいた私は、見るにみかねて、黙ってその2人を力ずくでICUから引きずりだしたことがあります。そのICUには術後間もない複数の患者さんが治療を受けておられました。本当に天理教の信者は常軌を逸したことをするものだとつくづく思いました。
崩壊さん、
それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。
>>それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
天理市のよろず相談所病院ではありません。患者さんのプライバシーの問題がありますので、詳細は延べませんが、脳外科の権威がおられる某公立病院です。立派な教服とお帽子を被っておられたお二人は、その女性が所属されている分教会長と役員です。それにしても、部外者をICUに入れる病院側にも問題があると思います。
>>一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
よろず相談所病院であるにせよ、一般の病院であるにせよ、術後、ICUの中で嘔吐を繰り返し人の話すら満足に聞けないほど苦しんでいる患者に「おさづけ」を取り次ぐこと自体、常軌を逸しています。狂っているとしか思えません。それでもお道は捨てたものではないのでしょうか? 宗教以前の問題です。人間としてTPOを考慮するべきです。
ぶたまん
2019年9月24日 7:23 AM
素晴らしい解釈で他の宗教の勉強にもなります。
「天理教や親神、教祖、その他宗教的意味合いを含む言葉」が、中山家を中心とする中枢部と信者などその他では解釈が全く持って乖離が発生しているのが明確化されてきたのでしょう。
おそらく中枢部は「真柱を神と勘違い」してるのでしょう。「中山家を天理教、天理教は中山家」だと思い込みすぎているのでしょう。この様な状態だと確実に「天理教は天理教に有らず」が発生してそれを野放しにしてきた。となるのでこれでは中山家が悪魔と言っても決して過言ではないでしょう。宗教学者が反論しようにも反論できない状態です。宗教にはその体系の中で矛盾があってはイケないのです。何故ならば「神は矛盾を生まない。」との前提で先導者と信仰者が互いに信じているからです。教理が有りそこに沿った信仰がある。 しかしその教理が教団を乗っ取った中山家には不都合なので、「隠蔽とかいざん」を繰り返した歴史だと言う事も間違ってないでしょう。そうでないとこれほど辻褄の合わない風紀が漂うようなことはございません。それら疑問をいくら権力で押さえつけてもそれすら悪政と判断され結果収益が上がらなくなった。のが現在ですので明らかに中山家に責任がある。となりますそしてその責任を取って引責辞任をするべきだということにもなります。それをしないから人は離れドンドン収益が落ちる。を繰り返しているのでしょう。これを悪魔の仕業と宗教界では言い。その「悪魔とはつまり中山家と成る」と言う事の方が辻褄が有ってしまうのです。
総括
なので中山体制は現在の惨状をご覧になって分かるように、事実上崩壊の一途を歩むでしょう。
神の目と専門家の目は騙せません。信者をその場で騙せても誰しも心の奥底で持つ真理を騙す事はけっして出来ません。
崩壊さん、
質問に丁寧にお答え頂きましてありがとうございます。
勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。
ICUの患者さんということは、関係者の皆さんは切羽詰まった状況だったのでしょう。そんな時は、TPOなんて言ってられませんもんね。教服姿で病院に無許可でICUに入り、赤の他人におさづけを取り次ぐ、羞恥心の欠片もなく、常軌を逸した布教師が未だに存在しているのかと内心ドキドキしましたが、話の背景が分かり、想像していたことと違い少しガッカリです。
ICUは家族以外の部外者は立ち入り禁止では?
入れる病院側も病院側ですが、何か言って入室されたのでしょう。
家族でも無いのに、診察室に押し入り先生につまみ出された人もいます。
病状を聞くためだったと言いますが、聞いてどうしたんでしょうか?病のさとしで又どうせ金銭の要求でしょう。
この方達は医学部を卒業してるんでしょうか?
悪魔でも医者より自分達の方が神に近いと言う話をしてます。
後で家族が平謝りに謝ったのは当然です。
悪魔よりの使者です。勘違いもほどほどにして欲しい。
電車の中でカップヌードル食べてる若いネェちゃんも見苦しいが、それ以上に図々しい。
>>勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。<<
病院側にもっともらしい理由を告げて入ったのかもしれませんが経緯は聞いておりません。いかなる理由を告げたにせよ、病院側の管理体制の甘さは否めません。またICUがどういう部屋か知りながら、敢えてそういう常軌を逸した行動をするのが、狂った洗脳された連中なんでしょうね。「おさづけ」を取り次ぐのであれば、患者がある程度回復し、病院の談話室等で普通に会話できるようになってからでも遅くはないと思います。病室には、いろいろな症状の、また、他宗教の患者も入院されているので、病室で「おさづけ」を取り次ぐのは、厳に慎むべきです。TPOをわきまえて、病室の外の休憩ロビーや談話室等でやるべきだと思います。
ひのきしん 様
2019年9月24日 9:36 PM
私が入院していたのは、公立病院でしたよ。一応、おさづけをすることは禁止されていなかったのですが、その後、病院内でのこのような宗教行為は出来ないようにしてほしいとの要望を公益社団法人全国病院協会にお願いしたことがあります。
憩いの家病院なら、いざ知らず、これ以外の病院では余程の配慮が必要なのではありませんか。
教団上層部の方から次の話を聞いたことがありましたので、ご参考に投稿します。
寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。
天理教の方たちは思い上がっていませんか。
>>寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。<<
読んでいて思わず爆笑してしまいました。確かにそうですね。天理教の方々(全てだとは思いませんが)は思い上がっていると思います。
悪魔に魂を売った 様
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
「私心」で生まれたホコリは、いずれ病気を生み出す原因になりますから、早く取り払わなければなりません。それで、「私心」の反対の「公心」の心を使うようにしてみようと思いました。ちょっとキザですが、「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。
崩壊さん、
ICUは、病院側はもちろんですが、患者さん本人、ももしくは、本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。恐らく、その方達は、狂信的な布教師ではなく、世間の常識を逸脱せずに、ICUに入室し、信者さんにおさづけを取り次がれたのだと思います。周りの目があるにも関わらず、教服に冠姿というのも、その方達の信仰信念も感じます。ですから、このサイトでよく語られるカルト紛いの諭しや横柄な態度の大教会長や大きい分教会の会長連中とは種類が違うと思います。
信者さんに真摯に向き合われている会長さんだと思います。
>>本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。>>
確かに、ICUには近親者以外は入れてはいけないはずです。先に述べた「くも膜下出血」でで開頭手術受けられたを女性患者さん(高齢)には配偶者(現職の末端分教会長)がおられます。その配偶者の方が手術の当日、遠方の信者宅へ講社祭り(お供えの集金)に行かなくてはならないという理由で、どういう訳か、私がその患者さんの容態を見届けて連絡するように、その末端分教会長から依頼を受けました。私はわざわざ、職場に有給休暇までとり、その患者さんの術前から術後までの様子を見守っておりました。私はその末端分教会長によほど信頼されていたのでしょうか?(自分で言うのもおかしいですが 笑)それとも、その末端分教会長さんに信頼に値する近親者がおられなかったのでしょうか? 今となっては不明ですし、改めて聞きたいとも思いません。しかし、一般常識から考えて、自分の妻が生死の境をさまようような大手術を受ける日に、自教会の信者さんの講社祭り(お供えの集金)に行く神経を疑いたくなります。天理教にとって人命よりもカネが一番大事であるという本音を露呈するような逸話の典型だと思います。これ以上詳細な内情を書けば、様々な方々へのプライバシーに影響を与えかねませんので、以上をもちまして私からの本件に関する投稿は終了させていただきます。これでも、かなり詳細はぼやかしておりますので、後は読者の自由なご想像におまかせいたします。
ぶたまん 様
2019年9月25日 12:21 PM
>>「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。<<
おっしゃることは理解できるのですが、天理教で言う「ひのきしん」や「おさづけ」は、天理教という特定の宗教団体に属していなくても、様々な方法でできるはずです。現に、「人たすけ」は国連機関等の活動を見ればお分かりになると思いますが、宗教の枠組みを超越して「人道的な考え方、人間としての良心」に基づき実施されています。私は個人的に宗教団体や組織など不要であると考えています。人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。宗教団体や宗派は、ともすれば争いや対立、テロや戦争の元となり、過去から現在に至るまで数えきれないほどの人々を不幸にしてきました。
実家のお墓のある寺から合同法要の案内が来ました。
このご時世墓じまいする家や、はたまたお墓を引っ越しする家やら様々です。
逆に遠くに引っ越したなど年々参拝者も減っているらしいです。
寺側も考えたもので、年会費壱万二阡円の他に年二回お彼岸の合同供養会で、なるべく寺に参拝に来て貰うと言う趣旨のもの。
供養費は参阡円。他に供養塔を希望で出す。一口が二阡円から、希望で何口でも。
この案内は全檀家さん及びお骨を納めた人、過去に供養をした人等寺側に住所がある人に案内が届くそう。
大勢の方々と一緒に合同供養をして来たが、玄関で「御苦労様です。有難うございます。」と丁寧に挨拶された。
天理教では壱万円をお供えで包んでも「少ない少ない足りない足りない。」等々とよく母が怒られていた。
しかも『ひのきしん』と称してこちらの都合に関係無く呼び出す。
一体このちがいは何なんでしょうか?
思い上がっていると言えば確かにそうですね。
一度お寺に聞いてみるといいです。
>真摯に向き合われている会長さん
真面目な会長さんは沢山います。
私の所属していた末端分教会の会長も真面目です。
問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
所属の会長は
親神は、おや様を通して教会を作るなと伝えているのに 自身が会長職に就いていることに疑問を抱かない。
しんじつの根を堀取れとおふでさきを通して伝えているのに 「しんじつ」について深く思索しない。
おふでさきに現れた親神の怒りを、全く感じ取ろうとしない。
親神が人間に何を求めているか考えもしない。
会長が、信者に求めるのは「金」・・・
おや様は、目に見えない神を人々に認識させようして50年間苦労してきた。
その50年の道すがらの中で、貧しい人々や病に苦しむ人々を救っただけだ。
本部は、「おや様」亡き後、目に見えない神の意志を伝える事ができないから目に見える「おや様」を利用した。
「教祖様雛型」と声高に叫んで「貧に落ちきれ 欲を捨てよ 不足を言うな 親をたてろ」等々・・・
人々は、教祖様の真似をする事が真実だと思い込まされてしまった。
財産を、本部に供えてしまう。
貰った給料は、供えてしまう。
病人を探し回り、おさずけを取り次ぐ。
事情に苦しむ人々を見つけて信者に取り込む。
本部・大教会・上級の上意を素直に聞く事は徳を積む。
「教祖様の雛型を歩む事」は真実であり 教祖様に喜んでもらえる。
親神も喜んでいるはずだ。
とんでもない勘違いだ。
視点がずれているんだ。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。
親神の真意は、病助けではない。
真実に通る事だ。
上記の匿名様
投稿を読み、とても心に響くものがありました。
「とんでもない勘違いだ。
視点ずれている。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。」
僕も、そのように強く思います。
自分も同感しました。
このコメント欄に出没するまともではない教団擁護派達にも言えることですね。
洗脳されている人間は、洗脳されていることに気が付かない。
「かわいそうで涙がでます。」
崩壊 様
私も特定の宗教団体に属さなくても、色々な方法でひのきしんやおさずけ(人助け)はできると思っています。
>人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。
このご見解に、私も同意いたします。これは、「悪魔に魂を売った」様の言われた「誰しも心の奥底で持つ真理」ということに通じると思うのですが、私はこれが真実の「神」だと思っています。
私の心には、生まれつき備わっていると思われる、「心の奥底の真理」(神)と、サタン(悪魔)が住み着いています。このサタンをあまり活動させないようにするために、「私心(エゴ)」の心遣いを出来る限り抑(おさ)えることが肝腎だと思っています。
またご指摘通り、宗教を組織化することによって、逆に争いを起こすようになり、それが戦争にまで発展してしまうこともあるようです。スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。
>>スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。<<
イスラム教のように、元々、同じ宗教がスンに派やシーア派に分裂し、血みどろの争いを繰り返してきました。キリスト教においても、アイルランド紛争のようにカトリックとプロテスタントが対立し、凄惨なテロ事件が次々と発生し、アイルランドから離れたロンドンでも無差別テロが発生しました。オウムのようなカルトは別として、どの宗教も「他者を殺しなさい、傷つけなさい」とは教えていないはずです。キリスト教では「汝の隣人を愛しなさい」と教えています。本来、人間を幸福にするための宗教が教えと真逆のことをして人間を不幸にしています。宗教の対立によって、最も被害を被り不幸になるのは、子どもや老人、病人や障がい者、貧困層の人達、祖国を追われた難民、といった社会的弱者です。宗教を信仰していない人まで無差別テロの犠牲になっています。宗教によって人間が不幸になるのであれば、宗教など始めから存在しないほうがよいと思います。人間に生まれながらにして備わった「良心や理性」に従って生きれば、それだけでも、人間は今よりもっと幸福になれると思います。
****** ひのきしんと人たすけについて ******
ここ数年、地球をとりまく異常気象や地球の温暖化の影響か、毎年のように豪雨災害が発生し、各地で甚大な被害が出ています。つい、先日も、台風の強風で千葉県で甚大な被害がでました。河川が決壊し洪水により家が流されてしまった人、洪水に流されて溺死された人、家が浸水し、居住できないようにまで被害を受けた人、土砂崩れで家が押しつぶされ下敷きになって亡くなった人等が大勢おられます。そうした自然災害が起こった後、必ずと言ってよいほど、日本の各地から被災地にボランティアが駆けつけて、救援活動をされています。ボランティアの中には、休日や連休を返上して来られる人達、会社に有給休暇をとって来られる人達など様々な方々がおられますが、ボランティアの方々の活動をテレビ報道で見ていて、本当に立派だとつくづく感心させられます。誰が呼びかけるということもなく、困っている人を助けたいとの「良心」で、遠方からはるばる手弁当で来られています。阪神淡路大震災の時も東北の震災の時もそうでした。ボランティアの中には宗教関係者もおられると思いますが、大半の人々は「困っている人達を助けたい」というやむにやまれぬ気持ちで来られているのだと思います。人を助けたり、被災地でボランティアをするのに宗教は関係ありません。必要なのは「良心」だと思います。
熊田元衆院議員を略式起訴
公選法違反罪
2019/9/20 21:01 (JST)
https://this.kiji.is/547742755751953505?c=39550187727945729
7月の参院選に自民党の比例代表候補として出馬し落選した熊田篤嗣元衆院議員(48)が、公示前に奈良県などの有権者に投票を呼び掛ける趣旨の文書を送ったとして、公選法違反(事前運動など)の罪で略式起訴されていたことが20日、捜査関係者などへの取材で分かった。
捜査関係者によると、有権者約30人に文書を送ったとして、奈良県警が書類送検していた。
熊田氏は2009年の衆院選で当時の民主党候補として大阪1区から出馬し初当選。離党し、12年の衆院選では日本未来の党(当時)から出馬したが落選した。
東本大教会本阪分教会ようぼく、くま田あつし氏。
ハガキやポスターでみた御記憶のある方もおられる事かと思います。
この件について、私のツイートはこちらです。
https://twitter.com/o_muthuki/status/1176794764366114816
某大教会の月次祭で会長からこの立候補者の名前が紹介されました。
10名以下の一般信者の参拝者たち(私も含む)は聞き流していました。
我が所属大教会では、そんなものですよ。
月次祭講話、いまや聞いても内容の無い話を、それも若いのにもかかわらず、同じことを
一回の講話の中で繰り返し話すありさま。
記憶力が悪いのならば、せめて要点だけでもメモをする準備が必要なのではないかと。
東本もどうかしているんじゃぁないですか?
思考停止状態なのでしょうか?
中川会長初代は立派であっても、「お徳」なんていうものは努力した本人一代限りのもののはず。
「お徳」信仰はニンジンのような働きでしかないと目を覚ましてほしいものです。
そうすればスッキリ晴れやかな、欲のない信仰ができるのではないでしょうか。
お供えを「ねだる方」に関しての書き込みはたくさんありますが、この辺で、「出す方」の私たちも根本から考え直す必要があるのではありませんか。
「お徳」の言葉に惑わされてきた長い歴史。「先祖のお徳のお陰」というお陰信仰は、もともとは自分一人で生まれてきたわけではない、一人では生きられない、この社会的生物としての仕組みを謙虚な気持ちで見直すと、自然と感謝の念が湧いてくる気持ちを言葉に表したものだったと考えます。
「お徳貯金」感覚を持っているから、それこそ貯金感覚でお金を差し出してきたと、天理教教外者から見れば、その様に見られることも有ります。
もっとも、神社仏閣、日本中の神様たちは、喜んで賽銭箱を準備していますし、チャリ・・ンと投げ入れ、願い事を安直に伝える人のなんと多いことか。
我々天理教信者に限ったことでもないようですね。
ナンテ、偉そうなこと書いてごめんね。選挙違反はダメですよね。
見ず知らずのの我が教会にもポスターなどの応援セットが届いてましたね。勝手の良い時だけ天理教の看板を利用するのかと、はっぴ姿の候補者を見て、辟易しました。何回も何回もお願い電話がかかってくるし、私、その人知らないんですけど、って感じでした。落選しても、ありがとうの一言もないし、何回もダイレクトメールを勝手に送りつけて捨てるのに無駄な労力が要り、いい迷惑でした。
東本に言って下さい。大迷惑でした。
それから一言。こんな絶滅寸前の天理教にすがりついても、藁一本の力にもなりませんから。落ち目の天理教を買いかぶっておられたのでしょうが、人や組織を上手に使おうなんて根性はいけません。落選は当然です。
「月よりの神言」まだ手渡しされていました!
毎月26日、10時から11時の間、北大路西3駐車場向かいの駐車場です。フェンスに札を吊るしてあります。
駐車場入って右側に、車を止めて運転席に居られます。眼鏡の男性です。
昭和63年に須藤花井さんのアパートを訪ねて以来、本の発行業務などをお世話されていたそうです。
色んなお話が聞けて楽しいですよ。
来月、大祭でも同じ時間帯だそうです。
匿名さん
<問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
それで相応の対価(おつくし)が得られないと教団的にはずれてくるのかもしれません。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。それは数字です。世の中は、時間もお金も人も空間も全て数字で管理されています。
信者数、おつくしの金額、初席者、参拝者数、教会数、布教所数、講社数等の増減に一喜一憂し、その結果、カルトの様な諭しが横行したり、それが長年続いた為にさも正当な教理だと誤解され、トラブルや離反を招いていると思います。本部の中には、そういう誤った教理を是正したい気持ちがあるが、カルト的な教理をヨシとしている系統ほど少なくなったとはいえ、未だに教団全体の中でもおつくしの金額等の数字の面で多大な影響力があり、本部としても表立てて是正できない状況ではないかと思います。まさに毒まんじゅうを食べ続けるとダメなのはわかっているが、それを食べないと生きてはいけない状況。
真実、誠さえあれば教祖の教えはなくならないのに何を本部はビビっているのでしょうか?
本部員講話でよく『世上に流されず…』と言われる度に、肥大化した為に数字のがんじがらめに陥っている本部の中心的な人が何もわかっていないことにガッカリしてしまいます。
三島村の中でどんだけ白い目を向けられようとも、毎月数千円の真実のお供えをする為にアルバイトをする様な本部員先生が出てこないかと期待する毎日です。
ひのきしんさん
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
よつばさん
<確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
おさづけの目的は、その方に助かってもらいたい為にされたのだと思います。
<またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
繰り返しになりますが、ICUには勝手にズカズカとは無許可では決して出入りできませんので、病院側、患者さんともにコンセンサスがあった上だと思われます。逆にお坊さんが患者さんを見舞う為に袈裟姿でICUに入ってきても、貴方は違和感を感じますか?
<その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
その後のおさとし等は、おさとしの内容が問題なのではなくて、それまでの人間関係が重要だと思います。
そんなにお金を巻き上げられたと感じられるのは、貴方をお道につないでいた方のつなぎ方に問題があるのではと思います。いわゆるカルト的なつなぎをされたのだと思います。
<私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
本当に気の毒です。教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。法被は、確かに威圧感がありますね。ただ、誰かに強制的に着せられているものではないかと思います。暑い地域の海外では、すでに法被ではなく、別のものを来ている国もあります。
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。<<
相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として避難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。
そのお金は自分達の自由に使うのに、、(酒やタバコとは言いませんが、神様はそのお金、使いません、使えません。)
「命のつなぎはお金」の精神が天理教全体を覆っていて、会長さんが病人からお金を受け取って帰るのがつまりは人助け、御守護をもらって頂くことになっている。お金はそうやって教会組織内を上に上にと吸い上げられ、途中で少しずつピンハネし、そのお金で教会家族が生き延びているんだ。彼らは気持ち悪く無いのか。良心は痛まないのだろうか?
>>相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として非難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。<<
30数年前、知人が末期の肺癌で、「憩いの家」に入院していました。癌は脳にも転移し、意識も時折うつろな状態でした。「憩いの家」の身上部から、毎日のように黑い教服をまとった方が病室にこられ、その知人に「おさとし」をされるので、余命いくばくもない末期癌の知人は、同じような「おさとし」を毎日聞くのがとても疎ましくなり、ある日、お供え袋に金を入れて、黑い教服をまとった方に渡したところ、その人は、金を受け取った後、そそくさと退散されたということです。それ以後、その人は二度と知人のベッドの傍らに来て「おさとし」をしなくなったということです。要するに金儲けが目的であったのです。知人は、数週間後、息をひきとりましたが、病床で苦しんでいる余命いくばくもない人まで金儲けのカモにするひどいやり方だと思います。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『本部中枢の人間達』です。
ぶたまん
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
>>
上記の通りです。
気着心地が悪かったようですが、簡単に説明します。
悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
「お尽くしは金?これは正しい教理ではない。」のは天理教理を理解したものなら勿論至極当然の事、教理かいざんと粉飾をしているのは人間の中山家のなす事これは神ですか?という質問事態がもう矛盾で、中山家は人間です。なのも至極当然です。
つまり利己的エゴによりかいざんと粉飾を繰り返す中山家は善人です。とはならずつまり悪人となります。
これが宗教の話にあると、神か悪魔か、天国か地獄なのか?と簡単な対義語があるだけです。
そして改ざんした教理と人間中山家の神格化は神です。と言う文章もこれも矛盾 矛盾を超えた虚偽んいなりそう見せたがっている人間が居るならそれも人間の利己的なエゴですので、それが悪人のなす事で悪魔の所業と言われてもいた仕方ありません。これを理解できないなら布教しても一般人は誰も納得はしてくれません。そもそもこのようなものはもう宗教と言わずこれこそ一般的にカルト宗教と呼ばれるもになりますので、現在の状態を逸早く中山家自身が是正する事か?それか立ち去ってもらうだけの二択になりますが、中山家と中枢はどちらもせず出来ず誤魔化すを選んでいるのが現状でしょう。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
それは数字です。
数字に意志はありません。
その数字を操る『本部中枢の人間達』に問題があるのだと思います。
>教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。
親神とおや様の教えを捻じ曲げて「お供えを要求する事しかできない本部中枢の人間達」のせいで人々の心がおぢばから離れてしまったのは非常に残念です。
悪魔に魂を売ったのは誰だ?
2019年9月27日 6:40 AM
レスをありがとうございます。
> 悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
そう定義されておられるのなら、それはまたそれでよろしいかと思います。ただ、私としましては、「悪魔」という日本語が、「人に災いをもたらすだけの者」とか、「そのやり口は、非人間的で血も涙のない」とかいったイメージがあるので、「中山家が悪魔だ」という直情的な表現は、扇動を目的とした<人身攻撃の手段>として使われているとみなされるんじゃないかと心配になったのです。
西洋人のいう悪魔は「堕天使」と呼ばれて、もともとは「み使い」一人でした。私も西洋人の言う悪魔には、ある種の親しみを覚えています。つまり、誰しもが「悪魔の誘惑に負けて、魂を売る」 ということが起こり得るものと思っていますから、中山家の人も例外ではなかったんだと思います。私だって、いや私こそ、教団のトップの地位に就かされたら、中山家の人々と同じことをしたと思います。
それから、<人間中山家の神格化>という重要なご指摘がありました。これは大きな矛盾です。
私も人は誰しも自らを神格化した時、その人はまさしく「悪魔に身を売った」者となったといえるでしょう。たぶん、モハメッドがそうなったんだと思います。その他、その候補者として、中国の習近〇などなど・・・つまり、「俺が神だ、みんな、俺を拝め!」と言った具合になったんじゃないかと思います。
よつば 様
2019年9月26日 8:02 PM
>私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。<
若い人たちばかりでなく我々の年代の者もそう思っているんです。
法被どころか、教服もおつとめ着も要りませんね。教祖が亡くなられた翌日にはせ参じた信者さんたちの写真を持っていますが、寒い時期だったから皆さん綿入りの厚着で写っておられますよ。ハッピ姿も教服姿もおつとめ着姿もありません。それぞれ常着のような服装ですよ。
いつの間にか、権威を付けたくなったのでしょうね。変な宗教です。
徳川 @iyeyasu0080 さんのツイートより
本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。
>>本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。<<
額に汗して働くこともなく、何の苦労も無しにお育ちになられた面々のやりそうなことですね。決して不思議ではない話です。そのうち、ボーイング社から政府専用機ならぬ「教会本部専用機」を購入し、世界各地へ「においがけ」に行くかもしれませんが、異教徒の空軍機に撃ち落されるかもしれませんよ(大爆笑)。
天理教教祖は「難儀しなければ 難儀している者の気持ちが分からない」とおっしゃたらしいですが、本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラスを使い、行った先では山海の珍味で至れり尽くせりの状態では、難儀している者の気持ちが分かるはずなど絶対にありません。読者の皆さん、これこそ、今の天理教の実態です。
本部員や役職者はつまるところ常識のアップデートができていない、ウマシカ集団なのですよ。
想像すると、本部出入り、又は天理市内の旅行代理店に丸投げで、予約を取っているのでしょう。
それと「マイル」を貯めたいんじゃないですか。
要は自分の懐が痛まないから、平気で贅沢をしているのです。
何様を気どってるんでしょうね。
エコノミーで十分です。そんな贅沢三昧の為に、命のつなぎは金と年金暮らしの信者や貧乏教会から脅し取ってうさん霧散に浪費する本部の馬鹿ども!!
時間のある時に目を通している「みちのとも」に、また、とんでもないエッセーが掲載されていることに気がついた。
本部員・天理大学学長(!)永尾教昭氏は毎号、「きょうだいへのまなざしー道と世界の思案ー」という題で連載を持っている。
その9月号の内容は首をひねるようなもので、あきれるばかりのものだ。
北方領土をビザなし交流で訪問し、その団長に向かって島を取り戻すには「戦争しないとどうしようもなくないですか」発言をめぐっての見解を書いたものだ。
勿論、その発言は「言語道断」としているのだが・・・・。
問題は次の段落でのこのように書いている事だ。
「ただ、民主主義には言論の自由がある。刑事罰を受けたのならともかく、いかなる意見でも、それが原因で強制的に議員の立場を剥奪することはできないと思う。これは極めて重要な点だ。なぜなら、意見を表明して処罰されるとなると、時の為政者が自分に都合の悪い考えを持つ者を弾圧することにもなりかねないからである。それはそれで恐ろしいことである。」
引用が長くなったが、その後にフランスの哲学者の意見を紹介し「これが民主主義である。」としめくくっている。
フランスに派遣されていた筆者の得意とする地点に結び付けているのだろうが「民主主義」が問題ではないことに気が付いてほしいものだ。
問題とされている議員が、なぜ、顰蹙をかったのか。
酒に飲まれて醜態をさらしたことも、大人として恥ずかしい限りだが(北方領土で女性との性的交渉を望んでいたようだ)、公式訪問での態度としても常識の無さをさらけ出している。
何よりも問題視されているのは憲法無視の態度そのものだ。
「戦争放棄」がうたわれている以上、議員は、個人の見解のまえに、憲法を守るべき立場のはずだ。
日本で義務教育を受けた人ならば、戦争放棄という言葉程度は頭に在るだろう。
しかし、この議員と永尾氏は、どうも憲法を軽く見ているようだ。
馬鹿な議員はいずれ消えていくだろ。しかし本部員・天理大学学長という立場は、どうだろう。学長といえば世間的には教養ある人物と期待されることも多いのではないだろうか。
恥ともいえる今号の内容は掲載した天理教道友社の見識をも疑われる。
以上、書き連ねる間、むなしくなる一方だ。
この社会学板で、どれほど指摘事項があがっていても、本部は一向に変わらない。
謙虚に振り返ってほしいものだ。
防衛力を維持して有事に備えることは大切だろうが、日本が積極的に攻撃に出て取り返せると思う発想が幼稚だと思う。エネルギーも食料も輸入に頼る国が長期の戦争などできるはずがないだろう。
千島や樺太を先の大戦で失った責任論すら出てこないのに、いきなり戦争論が出てきて、これを非難すれば、民主主義を振りかざしてしまう愚。
話は逸れますが、先の大戦でソ連軍はドイツ戦に総力をつぎ込んでいた。その時点でポツダム宣言を受け入れていれば、北方領土を失うことはなかったかも知れない。いや、それでも、ソ連軍はで極東に移動してきたかもしれない。
ドイツには申し訳ない言い方だが、日本軍の指導者は何を見失ってしまっていたのか。そのような議論の方が大切だと思うが如何でしょうか。もっとも、過ぎしことを議論しても何の益もないことだが。
天理教がやるべきことは、先の大戦への反省の弁ではないでしょうか。
エイミー・ツジモト氏著 満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊を読んで思うことは都合の悪いことにはだんまりを決め込む天理教の姿で、一言のコメントもないように思われるのが悲しい。
そもそも戦争というものは、他国の領土を奪い自国の領土とし、その資源や権益を奪おうとする「欲」や「利己心」から始まるものであり、その為に罪のない多数の犠牲者がでます。神は決して人間の争いは望んでいないはずです。戦争に正義はありません。「やられたらやり返す」という考え方は、未来永劫にわたり「憎しみの連鎖」を生んでいきます。「戦力の不保持と戦争の放棄」をうたった日本国憲法9条の崇高な理念は、神の思いと一致するものであると思います。「過ちは繰り返しません」という誓いの言葉が広島の平和記念公園の慰霊碑にも刻まれています。
はるえ婦人会会長あいさつ
「、、、、一日も早く親神様にお喜びいただける陽気暮らし世界が実現できるように、しっかりと頑張っていただきたい。」
もう30年、40年、50年も前から同じことの繰り返しを聞かされて。いつになったら実現するの?100年経っても同じ事言ってるんだろうな。はるえさん、馬*鹿の一つ覚えですね。高級な着物をきて大教会に来て最大限の持てなしを受けて、キッチリ懐に入れて帰る御仁ですよ。自分が自らしてないのに偉そうな事を言うなよ、です。
本部としては結局の所、金集めの方便の為には陽気暮らし世界が実現したら困るんです。皆さん頑張ったおかげで陽気暮らし世界が実現しましたね、なんて言ったらお金集めの理由が無くなる。陽気暮らし世界が実現したら本部は一貫の終わりになって困るんですよね。営利集団中山教天理本店としては世界が不幸な方が儲かるんです。
何のための宗教団体なのか。
我々信者はエンドレスで中山家の金儲けの為に、馬車馬の様に神様を思って走り続ける。ところが中山家は神様なんて見てないんです。その証拠に金、金、金であちこちの大教会、分教会を徘徊して大札束を懐に入れて帰るんですよ。
信者の皆さん、その事知っていますか?
早く沈み行く泥舟、墜落寸前の低空飛行機から離れましょう。お供えはやめましょう。意味の無い行事には行かない事です。脅しに屈しない事。天理教には神は居ませんからばちは当たりません。安心して反論しましょう。
「世界中の女性が婦人会員になる事を目指して、、、。」とはるえさんの挨拶。痛々しくもあり本気かと失笑。日本中でも20万人居るかいないでしょうよ?
初投稿です。この掲示板に書き込んで良いのかどうか迷いましたが、人生の大先輩方
達が多そうなので投稿させて頂きます。
私は、結婚するまで天理教をよく知りませんでした。
これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
縁あって教会の娘さんを妻に貰い、色んな教会人達と出会い、見聞きしながら自分
なりに色々と考えたのですが、この宗教を好きになれません。
おやさまの教理自体は素晴らしいと思うのですが、教会の人達が色々とややこしい~
「お勇み様」ってよくお道の人から言われますが、別に勇んでません普通ですよって
答えたら変な顔されました
少し私の事を書きます
義理の父は結婚当初、未信仰家庭で育った私に別席だけは運びなさいと行かされまし
た。嫁さんは天高卒業、修養科も上がって、大教会で1年間女子青年務めさせて頂い
たバリ天です。義母の実家(妻の祖父宅)も大きな分教会です。妻は3人兄弟姉妹の
長女で実家は長男の義弟が後継者です。義弟は部内布教所の娘さんと結婚して子供が
2人います。一番下に義妹が居ます。義妹の旦那様は凄くお優しい方で、私同様未信
仰家庭だったのに、結婚を期に別席を運び修養科へ、結婚後暫くしてお父さんが亡く
なられて、お寺にお仏壇を返して、自宅に神実様をお祀して教会でお葬式を上げられ
ました。社会人の子共が2人いておちば病院で先生?(技師)と看護師として働いてい
ます。(毎月おぢばがえりもしていて、すっぽりと天理教に染まってます)
私はと言うと、ごく普通のサラリーマンで結婚当初は仕事の付き合いで月4~5回は
ゴルフに行って接待?とか出張と超忙しかったので、妻の実家の用事はした事があり
ません。(嫁さん一人神様の御用頑張っております)
子供達の小さな時は妻の実家に盆と正月位はご挨拶に伺いましたが、毎月の月次祭は
一度も出た事がありません(そもそも平日休めない、お手振り鳴り物出来ないので)
お正月も元旦祭が終わった2日か3日に伺います。徹底して教会の御用?して来なか
ったのですが、別に今まで身上・事情は一度もありません。
私の2人の子供達も小学生の頃は子供おぢばがえりだ少年会だと教会で遊んでおりま
したが、大きくなるにつれ塾がある勉強しなきゃいけないからと段々と教会から離れ
て行きました。上の子共は有名私立大学卒業後公務員試験に合格して働いています。
下の子共も難関の国立大学へ合格して通っています。私も嫁さんも働いていて家族全
員今まで何日も寝込む様な病気や怪我になった事も無いです。
子供の小さい頃は、子供が熱を出すと夫婦仲が悪いのと違う?と直ぐに義母からお仕
込みがあり、腰が痛いと言うと頭が高いからもっと頭を低くしろだの、伯父さん(義
母のお兄さん)がやたらと修養科行く時間無かったら3日講習へ行きなさいとか、よ
うぼく大会があるからいついつ大教会へ来い、だれそれ本部の偉いさんが来るから、
お話聞きに来いとか、妻の従弟が感話大会で話すから教区に来いだの、陽気ぐらし講
座やお話し会の度教会に来い、しのきしん3日隊に参加しろとか、今まで散々色々言
われ続けましたがそれら全て仕事に託けて無視し続けて一度も行た事がありません。
最近では、嫁さんが一生懸命お道に繋がって頑張っているので、お前は助かっている
のや、このままではその内フタが開いてくるぞ!などと言って脅してきます。一体何
の蓋が開いてくるのやら?
今年銀婚式を迎えましたが、夫婦仲も悪くないし子供達も元気で来年あたり上の子も
結婚します。お相手も未信者で天理教と繋がってません。義父からは五月蠅く言われ
ていますが子共達も私の親兄弟も別席をまだ運んでいません。
後5年で取り合えず定年を迎えます(多分嘱託で+5年は務め続けるでしょう)
定年で一区切りしたら修養科へ行って来いと凄く義父から言われています。
別席を運んでから25年間におじばに帰ったのが10回位あったのかな?
をびや許し2回とお守り授与2回、年祭の人数合わせのバス団参に2回くらいしか思
いつきません。
働き方改革でわが社も年間5日は有給休暇を取りなさいと言う事で、有給消化の為に
今年初めて3日講習1なるものに行って来ました。教理なんて何も知りません、すわ
りづとめ第二節も覚束ない、よろずよなんて全然できないのに、頑張って行ってきま
した。先生に余り悩みの無い貴方みたいな人が来るのは珍しいと言われました。感想
は来ていた人は僕から言わせて貰うと変な人ばかりでした。教会と離れると何か起っ
てくると言う人(先月自教会の月次祭行かなかったら子供が交通事故に遭ったとか、
お供え少なかったので階段から親が落ちて脚の骨折ったとか)、家系が色情因縁で私
もつい不倫してしまって結婚がダメになったとか、居酒屋店舗増やし過ぎて潰れて自
己破産したとか、隣人や近隣住人から電磁波攻撃をされているとかまあ妄想の酷い変
わった人達ばかりでした。天理教信者って変な人の集まり?って思うくらいまともな
人は居ませんでした。もう二度と行くものかと思いました。
私の家には先祖代々のお仏壇があります。檀家でお盆両彼岸にはお寺で木魚を叩いて
南無阿弥陀仏のお経を唱えます。住職とも仲が良く住職の説法も非常に面白くて為に
なります。
これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
義父母、兄弟姉妹とも好きですが、
教会人達の付き合いとか、人数合わせ?ノルマの数字稼ぎ?上級、大教会への御用が
多すぎる現状ではどうもこの宗教に魅力を感じません。
本来、信仰は自発的な気持ちで行う物で、人に言われてやらされる物では無いと考え
ます。どう自分を磨くかは、自分次第だとも思います。無理やりやらされて嫌気が指
す様な、そんな宗教ではダメです。
とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
稚拙な汚い文章を長々とすみません
どうかご教授願います
>>とりあえず今の私のスタンスとしては
>>お供え・・・「致しません!」
>>上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
>>無駄なひのきしん・・・「致しません!」
>>困っている人は助けます
これで全然いいと思います。
迷わず行けよ、行けばわかるさ!!
>>これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
人生悩み人 さま、何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。
匿名くん、君にもそのうち「旬」がくることでしょう。それまで元気いっぱいにここで毒舌を吐いていればそれで良いのです。
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
上記の私の投稿は、人生悩み人さんに対する投稿です。念のために申し添えます。
>>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
人生悩み人様、毒リンゴを食べて死ぬ場合もあります。通りすがり君の「戯言」に惑わされないでください。
人生悩み人様
私と私の妹は教会の娘で、妹は未信者の家の男性と結婚しました。結婚後、婿殿は教理が素晴らしいと感動し、父を立て、それはそれは熱心に自前でにおいがけパンフを自作する様な人でしたが、ある時天理教の真の実態を知ってすっかり距離を置く様になりました。教理と実態が違う事に気がついた様です。兎に角、事あるごとにお金が掛かること、組織内に理不尽な上下関係がある事、虐げられる嫁の実家である末端教会の実態、意味の無い人数の競い合いがある事、意味の無いお供え金の心定めをさせられる事、神様とは遠い所で人間思案に過ぎない行事等に振り回されている事に気がついた様です。
妹も婿殿同様に潮が引くように天理教から心が離れていきました。
私は実家が教会ながらも姉として妹夫婦が天理教に関わらない事を応援している状況です。
親子の縁は切れないので、妹夫婦は天理教を離れた所では子や婿としての気遣いはしっかりしてくれました。なので父母は十分満たされていた様です。その分、教会からはしっかりと、賢く距離を置くというスタンスでした。
私自身は、上級から色々誘われたり、お金の居る事を言われた時は、自分が納得してからでないと出来ません、とか、すみませんが、出来かねますとか、すみませんが行けませんとか、はっきり言う事を心がけています。
仰るように、
お供え、しません。行事、お手伝い、しません。を貫き、天理教からしっかりと距離を置く事です。この人はこう言う人、何誘っても動かん人、頑固な人、と思わせる迄が重要だと思います。これは私の経験です。
親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。
通りすがりさんは「自称まともに議論ができる人」なのでしょうから質問させていただきます。
あなたの発言である
「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」
これらの発言は毒舌ではないのでしょうか?
天理教を信仰していながらあなたのこうした発言は、
「天理教を信仰していてもこんな低レベルな人間にしかなれないのか」と世間の人たちに思われるかと思います。
あなたの発言は天理教を貶めることになっているかと思いますがご自分でどう思われますか?まともな議論ができるのならお答えいただけますよね?
>>親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。<<
全くその通りだと思います。お金と時間を失うだけでなく、家屋敷まで失った人もいます。末端分教会長の中には多額の「お供え」をするために借金をし、返済できなくなって縊死された方もおられます。骨の髄までしゃぶりつくされます。天理教に中途半端に関わらず、全く関わらないほうがよいと私は思います。
>>あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
いきなり上から目線の毒舌で絡んでくる通りすがりさんは信仰のすべてが分かっているらしい。そのすべてを教えて下さい。是非。
人生悩み人さんへ
>これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
天理教を好きになる必要はありません。
神様を好きになる事が大切です。
「火水風」が神と言われています。
人間の体には、大人なら約65%の水があります。体温は36度五分の熱(火)。そして空気(風)を吸って生きています。
寝ている間も空気(風)は、口を通して出たり入ったりしています。
人間は、生きているのではなく神の守護により生かされているのです。
天理教によって生かされているのではありません。
文面から察すれば平和な日々を過ごされているようです。
それは神の守護だと思います。
これからも今のスタンスを貫いてください。
「親神・おや様」と天理教は別物です。
日々の生活の中で神(火と水と空気)の守護を肌で感じつつ、真実に通ってください。
そうすれば、神は貴方の思いの倍の力で貴方を守護します。
おや様は、「神には倍の力あるで」と話されたそうです。
神が強いと言っているのではありません。
神を信じる者は、その者の思いの倍の力で守護すると言っているのです。
「思う」と「願う」は違います。
「思う」とは日々の生活の心使いです。
日々神を忘れず、いつでもどこでも誰にでも優しく そして、真実に通ってください。
その思いを持って生活すれば、神は常の貴方の傍にいて倍の力で貴方を守護します。
今のスタンスを持ち続けてください。
通りすがりさんへ
貴方が投稿するたびに反天理教の勢力が強くなっていくようで私としてはとても楽しい気分です。
貴方が投稿するたび天理教の崩壊速度は加速するようです。
貴方が投稿する気になったのも親神の計らいと思っております。
親神は理不尽な天理教の思考体系を貴方を通して広く教内教外の広めているのだと思います。
貴方は天理教崩壊の強力なアシストであると思います。
これからも天理教崩壊に向けて「理不尽な天理教擁護」の投稿を宜しくお願い致します。
期待しております。
退職した元信者様
心に響くご投稿を、いつもありがとうごさます。
また、退職した元信者様のご投稿を楽しみにしております。
財政難になった本部が事情教会の土地売ったら揉めるでしょうね。使って無い土地なら早く寄付して下さった方に返すべきですしね。不動産管理会社、東京天理教館を使って土地転がしする積りみたいです。これじゃ反対運動起きても仕方ないな~笑
人生悩み人様
>とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
あなたは大丈夫な人です。
自分の考えを、ちゃんと持って自分の責任で行動されているのですから、周りの言動に惑わされる事なく、今のまま家族を大事にしてお過ごし下さい。
素晴らしい素敵な方だと思います。
通りすがり様
> 何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。
人の足を踏み続けている人は、踏まれている人の痛みは分かりません。
この方は、もうすでに、このリンゴは不味い味だと実感している方だと思いますよ。
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
本部が信仰の為の寄付を勝手に転売して勝手に本部の財政難に使うなら言語道断!必ず反対します!
今まで「いう事聞け!」と言って来てるのは聞いたことありますが、意見を聞きに来た事は一度もございません! 寄付して下さった方にお返しします。誠に恥ずかしいみさかえも無いんですね!
土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。
「満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊」は、教団本部が出版するべきものですよね。
それが出来ない天理教なんて要りません。
何でも、かんでも都合の悪いことは隠すというより、無かったことにしようという魂胆が見え見えです。
だから、何を説かれても信用できないんです。通りすがりさん、この本もフィクションと言われるのであれば、もう終りです。そろそろ目を覚まされては。
砲撃のあとで、という本を読んだことがあります。満州から引き上げの際に、囲いの無い貨物車がカーブを切った途端に、体を支える術がなく振り落とされて満州の荒野に散った人の断末魔の声を想像したことがありますか。満州の荒野には、まだオオカミが沢山いたと聞いたことがあります。あとは想像してください。
天理教は何の想像力も働かすことが出来なかった哀れな団体です。そのような宗教に人助けができるのでしょうか。真宗大谷さんは先の大戦への反省の意を表しておられますよ。
>土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。<
宗教法人の主管課は奈良県庁の場合は法務文書課、国の場合は文化庁ですが、役所に相談する前に、まず、法律の専門家(弁護士等)の意見を求められた方が良いかもしれません。役所に直接行かれても無駄足を運ぶ可能性があります。
通りすがりさんへ
2019年9月28日 10:03 PM
>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。
天理教を味わってみたらとても美味しくて幸せな心になるのであれば、更に普遍性があれば130年祭の帰参者は300万人に達したかもしれませんね。
しかし、現実は違います。
多くの人々が、天理教を食べて その心根を味わいました。
その味は、とても不味くて飲み込める代物ではなかったのです。
そして、人々は天理教から離れって行ったのです。
私は、90年祭には所属の末端分教会の帰参者の世話取りで帰参しました。
100年祭の前年の秋の大祭にも帰参しました。
東名阪道・名阪国道を天理に向って連なって走る観光バスの列は、それはそれは壮観なものでした。
しかし、今は本当に寂れてしまいました。
当然の成り行きなのですが、自分の目の黒いうちに天理教がこの様な状態になるなど当時は想像できませんでした。
「天理教ライブカメラ」をパソコンで検索できます。
本部南礼拝場の現実の姿を見る事ができます。
今日は日曜日です。しかし、南礼拝場前には誰もいません。
80年祭・90年祭・100年祭の光景は、夢まぼろしのようです。
天理教の旬は、100年祭で終わったのです。
これから将来、天理教の信者数は益々激減していくと思います。それに伴い、教会本部に入る「お供え」収入も激減していくはずです。教会本部が財政難になることは必至です。そうなった時、教会本部が真っ先に手をつけるのは、ほとんど信者がいなくなり採算性の悪くなった末端分教会です。登記簿上、教会本部名義となっている末端分教会をどんどん売却していくことでしょう。教会本部のやることですから、教会長家族の「居住権」などお構いなしです。末端分教会の家族は住む家を失い、家賃の安い公営住宅に転居し、生活保護を受給しながら生活しなければならない羽目になるでしょう。都合の悪い情報は平気で隠蔽し、少しでも儲けになることは、法的にブラックあるいはグレーなことでも平気でやってのける、それが天理教です。ヤクザよりも恐ろしい団体です。
今まで黙って、黙認して、思うことも言えずに泣き寝入りしてきた、信者さんや会長家族等、SNSの発達によってここまで知れ渡ることになるとはね。まさに、蒔いたる種通りですね。
上層部全員が原因とは思いませんが、体質を改善しない限り、今後もますます信徒の減少に繋がるでしょう。
もとい、貧困に近い状態になって、本質が見えてくる可能性もあります。
まず、高級車はいらない等ですね。事改めて、大きい建物も要らない。大教会長連中は本当にわかっているのでしょうか?かなめ会、機能してますか?
現場を理解できてますか?
おやさまの教え通り生活してますか?
朝の神殿掃除起きてますか?
大教会やかなめ会なんて関係無いです。巨大建築を乱立させ勝手に財政難で困ってる本部が暴走してるのです。大教会長は見せかけ銀行の支店長、本社が財政難だから「お前の所を空き地売ってお供えするか、こっちによこせ!」ですよ。ドラえもんのジャイアン ヤクザ以下な考え笑
海千山千だから荒れるでしょうね~ 信者の方には元ヤクザ 被差別部落 在日朝鮮人 の方などもいますからね。本部も調子に乗ってると確実にやられますね。
本部中山家がここまで馬鹿なら、揺すられるのも当たり前ですね~
匿名様 2019年9月28日 9:52 PM
今のスタンス守り通して行きたいと思います
通りすがり様 2019年9月28日 10:03 PM
「旬」とはそのうち蓋が開いた時ですか?
自分が人の文句ばかり言って非難ばかりしていないかを考えてみましょう。
文句ばっかり言う人と話してもおもしろくない。そんな人を誰も好きになってくれ
ないし、好きになってもらえなければ、ますます文句を言ったり非難したりしたく
なる。この悪循環に陥れば、「どうせ誰も自分をわかってくれない」と、自分で殻
を作って元気をなくす原因をつくってしまいますよ。陽気ぐらしの逆になります。
崩壊様 2019年9月28日 10:23 PM
Going my way! 「私の道を行く」ですね
『低いやさしい心になりなされや。人様を救けなされや。自分の癖性分を取りなさ
れや』 と心遣いに気を付けて頑張って行きたいと存じます
匿名様 2019年9月28日 11:07 PM
なんか境遇が少し似ているので・・・笑顔でいるから幸せになれる
『神はな、あほなものが欲しい、あほが神の望み』
あほうになる、あほうだから人のために必死になれることって沢山ある。私もあんまり
賢くない。賢かったら要領良く逃げていたことだって、今から振り返ったらいっぱいあ
ります。
退職した元信者様 2019年9月29日 1:41 AM
>>神様を好きになる事が大切です。
今日の幸福を感謝して・・・
「人がめどか、神がめどか。神さんめどやで」ですね。
神の守護、素晴らしいお言葉ありがとうございます。
古い元教会長様 2019年9月29日 7:09 AM
無理せず、等身大の自分と向かい合って、自分のこと家族親戚のことちゃんと考えて
行きたいとおもいます。
皆さまのレス親身なご意見ありがとうございます
参考にしたいと思います。
最近、お道の本を沢山読んだので(逸話編とか)偉そうな引用レス、誠に申し訳
ございませんでいた。
シェイクスピアも「人生は舞台」っと言っています
ここからの筋書きは自分で作るですね(^^)/
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
「はー?」教高学園の次は事情教会の土地売却? そもそも本部のものちゃうのにどう売却すると?本部アホなの?お前らの土地を先に売ってからせいよ!本当に本部終わってますねー! 中田善亮が表統領になってからほんまに暴走してますやん笑 ほんま中山家を追い出さないとダメですわ
そのうち右翼にやられるんちゃいます?笑
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
人生悩み人 様へ
>>苦しい人生を導く世界一有名な名言 ウィリアム シェイクスピア
世界中で最も知られていると言っても過言ではない名言がこちらです。
「この世は舞台、人はみな役者」
良く知られた名言ですが、これはやや省略した形です。元々の文章を逐語的に訳すと、「全世界は一つの舞台であり、すべての男女は、単にその役者にすぎない。彼らはみな舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々様々な役を演じるし、役は年齢によっても七種類に分かれているのだ。」となります。
人生は自分が主人公だと良く言いますが、シェイクスピアは我々は脇役に過ぎないと語っています。地球を舞台と考えると、私たちは登場しては退場していく役者のようなものです。
自分は役者であり、いろんな役を演じることができる。そう思うと自分自身に対して悩む必要なんてありません。これから何にだってなれるということです。<<
上記の引用は下記のサイトから全文引用いたしました。
https://loohcs.jp/articles/136
私は大学で英文学を専攻し、シェイクスピアの作品も、ほとんど読みました。「この世は舞台、人はみな役者」というシェイクスピアの考え方は彼の主要な作品に共通して流れているものです。人間はこの世に生を受けてから、人生という舞台にたち、様々な役柄を演じながら死を迎えます。
大変失礼な言い方かもしれませんが、あなたは、本当の「あほう」にはなれないと思います。しかし、その方がよいと思います。本当の「あほう」になれば、天理教の格好の餌食となり、いいように利用されて、最終的に後悔を残して、人生を終えることになります。しかしながら、あなたは「あほう」を演じる役者にはなれると思います。あなたの今後の処世術として、ご自身の信念は、信念としてしっかりとお持ちになり、「あほう」を演じながら天理教が終焉を迎える日をお待ちになるのも一つの方法であると思います。天理教は近いうちに終焉を迎えるはずです。
通りすがり 君
2019年9月29日 2:57 PM
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
今更、いくらご託を並べても無駄ですよ。皆、少しでもリンゴをかじったり、食したりしたからこそ、この掲示板が生まれ、毎日のように連綿と投稿が続いているのです。そもそも「三日講習会」なるもので、何が理解できるのですか? 教えてほしいくらいです。
その日が来れば、みな分かる事です (^▽^;)
今日は2年ぶりぐらいに天理教本部に行ってきました。
この掲示板で知った、三島神社の移転の経緯。
ある日天理に行ったら、突然、池と神社が無くなっていてびっくりしましたが、当時は何の情報もなく不信感だけが残っていました。
お供えしたお金が、どういうことに使われていたのか・・・
この掲示板は、私の目を覚まさせてくれました。
今日、初めて三島神社に参拝させて頂きました。
もうお詫びしかないです。
三島神社の道を隔てて向かい側に、閉校が決まっている天理教校学園高等学校があります。
グランドでは、高校生たちがフラッグの練習をしていました。。。
その後、神殿に行き参拝しました。もちろんお供えは一銭もしていません。
願いはない。日々のお礼のみ、申し上げました。
教祖殿では、結界の中の教服着て座ってる人、居眠りしていて激しく揺れていました。
その前では、修養科生たちがおさづけを取り次いでいます。
何なんでしょう。この光景は。
初めて気づいたのですが、おやさまが存命の時の建物が公開されていました。無料です。
リゾートホテルのプールのような北庭プールの西側です。
「つとめ場所」やおやさまが過ごされた部屋のある建物など。
そんなところにあったなんて。
知らなかったのは私だけ?昔から公開されていましたか?
「順路」の看板があったりして、観光地のように思いましたが・・・
人っ子一人いませんでした。
天理教本部は、どこに向かっていくのでしょう。
これからもこうやって、たまーに見学しに行くつもりです。
通りすがり様
貴殿のおっしゃることは、100年祭までを支えた 戦争で 学校で十分に教育を受けることの出来なかった方々には 通用したことだと思われます。
その当時と比べて 風向きが変わってきているとは 感じませんか?
法律が変わった事 法令遵守を気をつけるようになってきている事 に 無頓着で
昔ながらの応援で 公職選挙法違反 になるとは、、、
>>その日が来れば 、みな分かる事です。
他宗教でも 最後の審判 終末思想ありますが 地球上の 最後のひとりぼっちの人間になりたいのですか?
睦輝さん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
睦輝 @o_muthuki さんのツイートより
【今月のかなめ会速報】
★教会整理の実行
・活動ようぼくゼロ
・おめどうを上級引き上げ済
・会長不在
3要件を満たす教会を正式引き上げ。
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
本部在籍者は国民年金でなく、厚生年金らしいですよ。
親神様にもたれて生きるのだから、国民年金など払わずその分お供えしなさい!
と上級に言われていた末端も有るとか、前に古い会長さん
@huruikyoukaityo が言ってたような。
それ言った側の大教会長サマが、本部在籍で厚生年金貰える立場なら…滅茶苦茶酷い話ですよね…。
風向きは確かに変わっていますね。ますます強風となる事も予測されます。ただ、別の風も吹き始めている事も事実です。この先どうなるかは誰にも分からないと思います。
ほぼ一年ぶりくらいにこちらに伺いました。
本部の学校が一つ閉鎖ですか。
崩壊への蟻の一穴が広がっている段階なのかもしれません。
私の両親も某大教会長に年金をお供えするよう促され、
老後も極貧生活しながら分教会長として死ぬまで尽くしていました。
そして、他界する前にやはり
「天理教は100年祭で終わった宗教だった」とも言っておりました。
昨年私が書き込みをした際にもちきりだった、
百田尚樹の本部での講演に象徴的なように、
今の天理教本部は強者であり、富裕層であり、体制擁護派であり、
弱者たる分教会や末端信者、格差に苦しむ大多数の国民を支える側ではありません。
耳障りの良い教理に騙され、関わると骨の髄までしゃぶられます。
どうか関わる方々の目が早く覚め、苦しむ方々がいなくなりますように。
天理教教会本部の凋落は、格差が広がり
高齢化が進み、非正規化が進んで貧困化した勤労世帯の没落という
この国の望ましくない社会情勢がもたらしている面があります。
搾取しようにも、貧乏人に無い袖は振れない。
国も大企業も大教会も欲をかき過ぎた。
しっぺ返しはまず天理教で始まった。
やがて店をたたむか組織の縮小を進めるかするでしょう。
逃げ得、持ち逃げ、責任とらずは許しがたい。
が、この国はそれを認める司法制度であるのは東電裁判の判決を見ても明らか。
巨悪ほど滅びない、神も仏もないということを
図らずも中山家の去就が証明することになるのやも。
何とも皮肉な話ですが。
すみません。本部在籍とはどう言う意味ですか?本部員、凖員の事ですか?
大教会長も本部在籍扱いなのですか?
70歳以上の本部在籍のお与え廃止とは、無い袖は振れぬと言う事ですね。我々末端も無い袖は振れぬのですから実行出来る良い旬が来ました。お供えのストップ、やり易くなりました。無理せず、本部にならいましょう。
別件質問です。大教会家族には本部からお与えが降りていると聞いた事が有るが、それも廃止になるのでしょうか?
大教会も厳しい環境になりましたね。結構な事です。お徳の違いで結構、結構と勘違い発言していた思い上がりの彼らも、今後は思い知る事でしょう。
ここまで来たら通りすがりさんも、目を覚まさざるを得無いでしょうね。
親神がこの誠の無い営利団体をたたみにかかっておられるのです。
この先どうなるか誰にも分からないとその気持ちはわかりますが、天理教の将来は実は誰の目にもわかっている事です。今後順次縮小に向けて動き出します。教校学園閉鎖を手始めに、今回のかなめ会決定はそれに続く「縮小」に向けた動きです。
天理に神は居ません。その証拠は今見えている衰退の現実です。
いずれ暴動が起きるだろうと言われていますが、通りすがりさんの様な洗脳された盲目的信仰の人こそ、目が覚めたときの茫然自失の失望感は怒りとともに噴出するのです。ここに書かれた多くの被害の事実があります。天理教団が如何に暴力的で冷徹で無責任であったかが理解できる旬があなた様に訪れますように。
>★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
>「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
なるほど。
「おつくしは命のつなぎ」は
「おつくしは(本部在籍者の)命のつなぎ(=生活費)」
という事を自白しましたね。
教会の整理も進めるようですが、信者もおめどうも教会長もいない教会って、看板出てても単なる空家じゃん。
法人格を移転させて不動産は売却かな?
土地に手を出すと必ず揉めます。三島神社問題も今でも尾を引いてます。本部がいくら子孫の法人と言えど、他法人の土地を吸収合併で割譲しようとしているなら必ず反対するべきです。事情教会であっても寄付者や信者は残ってる場合も多い。本部にお供えなんてしたつもりも無い人が殆ど、教団は土着信仰が殆どで「本部がなに?」とはっきり言って関係ありません。教高学園より必ずもめます。死人も出るでしょう。真柱の身上悪化、たの中山家の者も身上になるでしょうね。
土地の持ち去りが事実ならこれぞ戦うチャンス、各教会決起の時です!
馬鹿な大教会長も多いですが、その大教会長も説得して逆に担いで本部に文句言うのも有りです。その末に包括関係解消するのも有り
とにかく信者様の土地を本部と偽る金の亡者中山の財政難に当てる必要は一切無し
戦いましょう!
本部の中山さんのお宅の中田善亮さんが教祖も言ってない宗教的にもおかしい「お尽くしは金」と偽教を流布しているから「お供え」寄付、お布施が減っている事に気が付かないのですか?本当に常識が無いのですね。政治家だってちゃんと政治をしてくれる人には献金が払われます。してくれない人には払われません。日本人は表立って揉めるのを嫌うので「なんならお供えの額落とそ」と成っているだけですしね。それで今度は「部内と呼ばれる被包括法人の土地をよこせ?」カネカネ言ってる「守銭奴中山 」言われても仕方ないですね笑 中山家追放も有りだと思いますね。もうこんなトップだから組織の信頼関係も教義も壊れたのでしょう。勿論世間的信用は一切ございませんしね。
私も知人数名に連絡を入れました。皆この噂を聞いて驚きも呆れも通り越して憤りを感じていたようです。「部内の土地収奪」の噂は一気に広がるでしょうね。
中山家が運営する本部はおろか教理にも背を向ける人も増えるでしょう。財政状況が悪くなって金を集めて逃げるつもりなのでしょうか?それか、不動産管理会社、天理教館でロンダリングをしようとしているのでしょうか?とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね
>>とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね<<
ネットでこれだけ騒動になれば、少なくとも宗教法人を管轄する所管の役所は既に情報を入手しているかもしれません。メディアもまた然りです。
「本部に土地お供えしろ?」と言いたいのかもしれませんがまた中山家だけ得してその他は確実に損する制度やろうとしてるの? これは飛んだ不動産詐欺ですね。
私は包括関係解消をするしない別にして、社会学さんを参考にして色々話を聞いて回りましたが、現在の教団の状況は他の宗教団体の末路と同じようです。「金に汚くなり約束を守らない平気で人を騙す」など手段を選ばなくなるそうです。
相談してる弁護士の方もここだけの話で教えてもらいましたが、教団の弁護団の人達の中には弁護士会でも評判があまり良くない方が多数居るそうです。成人君主の顔をして裏では何やってるかわからないものです。
吉本問題でも弁護士が出てきてましたが批判の荒らしでしたし、どんなに違法でなくて有ったとしてもやり方を間違えたらあそこまで荒れ、評判もガタ落ちするるわけですし弁護は法律は良いが法的対応が始まった時点で会社など組織は終わってると仰ってました。
皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。
各教会が単立教会になれば、スッキリ組織になるかもしれませんね。
きっとその様な「旬」が来たのですよ。
かんろ台が倒されても目の覚めなかった教団。
真柱身上でも悟り間違いを強情にも改めない中山一族。
そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。
各教会の皆さま、仏教界、神道界でも数年前から見られる単立化現象です。
ようやくネズミ講文化が少しでも是正される「掃除」の時旬が訪れたと
皆で勇みましょう!!!
被包括解消の準備しといて良かった。 様
2019年9月30日 10:19 AM
>>皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。<<
私の知っている限りでは、長野県諏訪市にある天理教豊文分教会が、愚かなピラミッド組織(教会本部)と訣別し、被包括関係を解消するために、教会本部と最高裁まで係争されました。結局、天理教豊文分教会が勝訴され、教会本部から独立されました。日本の裁判では、最高裁の判例が最重要視されますので、以後、教会本部からの独立(離脱)が非常に簡便かつ容易になったということです。奈良県内でも教会本部から独立される末端分教会が徐々に増え始めているということです。貴教会に限らず、教会本部からの独立を切に願っておられる他の末端分教会が多数存在するはずです。貴教会がどのような方法で独立されたのか、読者の皆様に具体的に教えてあげていただけないでしょうか? ピラミッドを構成している石の一個一個が抜け落ちていけば、ピラミッドは自ずから「崩壊」するはずです。
>>そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。<<
末端分教会が全て「単立教会」となれば、当然のことながら教会本部は「兵糧攻め」となります。どれくらいの兵糧(貯え)があるのか知るすべはありませんが、「砂上の楼閣と化したピラミッド」を完全崩壊させるに足る十分な効果となり「組織正常化」の一歩となることでしょう。そもそも信者を苦しめる教団や組織など始めから不要であったと思いますが、いつのまに出来上がってしまったのでしょう?
nunoさん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
nuno @toarukyoukaino さんのツイートより
厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
本部員だけでなく、お役に当たって定期的な「ひのきしん」をしている奥様方も、それなりの「お与え」貰ってるそうです。(単発的なひのきしんには出ないので、全員ではないと思いますが)
教会から本部員に嫁に行った友人は、実家家族にもお金の事は言わないと言っていました。
慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
家賃いらないし、電気代と光熱費と食費は義両親が出してくれるそうで、子ども3人に複数の習い事をさせています。
義母のお供でよく京都の伊勢丹にお買い物に行くと言っていました。
お歳暮やお中元は伊勢丹だそう。
永遠のパズル
自分までだまし
首尾よく生きてなんになる
全力を尽くし
倒れてしまえばおしまい
だけどひとつひとつ
祈ることだけが
うまくやるコツと学んできたよ
それぞれの理由で
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
他人の気持ちなど
簡単に理解できない
自分に置き換えて
考えるなんて意味がない
そうさ いつか君が出会う真実は
君だけのために輝くはずさ
自分より大きな
自分の影を追いかけて
いつまでも絶対
追い越すなんてできない
悲しいけれど
志は高く 夢は天を越えて
いつかひとつになれば幸せ
そうだよね
努力が一番 向上心をわすれず
辛いことも忍耐
あきらめず
清く正しく道草もせず
まっすぐ進んで壁にぶつかって
とにかく負けないで
礼を尽くして弱き者を助け
自分を殺し人を恨まず
わかってるわかってる
でもできない
迷ってるうちに
日が暮れて前が見えない
暗がりの中で
誰かの足跡探しているよ
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
本当に君を救っているかい
ー橘いずみー
1/17000の闘争と逃走https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12298340482.html
ある方のツイッターより。
>>「東京の教会の屋根が飛びました
なんとか住んでいますが 上級や本部はなにもしないんです
親なんですよね???
理の親ってなにもしないんですね!!
親なんて語るな!!」<<
本部員はボーナスも出るんですね。厚生年金も会社員並に支給されているんですよね。家賃いらないし、修理費の責任も無いし。修理は末端教会から順番に上がるお供金が現資ですよ。
私たちが飲まず、食わず、着るものも着ないで供えるお金は、つまる所、彼ら本部員達の命の繋ぎの為のお供えなんですね。
馬鹿馬鹿しくてやってられないです。お供え金ストップして彼らを干上がらせる事が先決ですよ。つまらない巡教員を貧乏教会に寄越してお礼と称して金を巻き上げて帰らせるんではない!まごころのお供えだと?人のまごころを自分達の贅沢に使うな!
通りすがりさんの言葉。
>この先どうなるかは誰にも分からないと思います。<
教団本部すら分からないものを、どうしようもないんじゃないですか。ケセラセラの世界です。
一寸先は暗闇、一番にこの言葉を教団本部に捧げましょう。
なに、教団本部は、何事も見抜き見通しだって。冗談もほどほどに。
終りに、教団本部の皆さんに送る最適の言葉は「贅沢は敵ですよ」にしました。くれぐれもご注意を。
>厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
>厚生慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。
ネットを知らない・利用した事のない末端教会の老齢会長さんや信者さんに、現実を知らせる効率的な手立てはないものか。
本部がなんで大教会や分教会の売却やその売却益を考えてるのか意味不明、別法人の場合がほとんどなので違法性高いですね。
それに本部が勝手に火の車に成ってるのですから、本部の所有している土地や財産を売却するのが先です。順序のはき違えです。順序履き違えるって事は、理の違いですので教祖曰く「理の違いは気の違い」となるのでやはり現在の本部 善司、善亮体制は狂ってると言えます。
中山家の散財のお尻を拭いてほしいなら土下座したらいいのでは?土下座しても飲めないは無いですがね。それだから「お供え」という言葉で騙してでもやるならもう訴えるべき状態です。
本部がどこにお金が出て行っているのか?どこに借金をしているのか>反社会勢力とのつながりがあるのではないのか?等々徹底的に追求すべきです。警察や税務署に通報して家宅捜査させたほうがいいですね。
本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
宗教法人天理教教会本部は、他法人の大教会、分教会の土地や財産を狙ってる時点で明確に黒です。このまま善司 善亮では、教団だけでなく天理教の歴史は後数年で終止符を打つでしょう。中山家は金だけ持って逃げるつもりなのでしょうか?逃げられると思っているのでしょうか? 滑稽です。
人のもの奪うのが神のやることですか? 神では無くただの悪魔ですね。悪魔なら倒さないといけません。
悪しきいんねん 成らば切るのが用木と言われる信仰者の使命、 中山家を切ることがいんねん納消です。
敵は外におらず内に有り、敵は本部に有り 敵は中山 なり 暴走本部はもう帰れなくなりましたね。もう言い訳は通用しません。
用木の皆さんいざ戦いの時です。土地の話が出てきたら親神様も教祖も土地はいりませんので迷わず戦いましょう!他の分教会や大教会にも連絡しましょう! 悪魔に魂を売った 中山家とその使いを天理教理を持って成敗しましょう。神の立腹 が必ず中山家を倒すでしょう。
天理教 の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
中山家が 教団を私物だと思ってた事が確定されそうです(笑)信仰心も一切無い(笑) 親神と教祖も中山の家の味方はしないでしょうね(笑)
教団は先ず、東京都千代田区一番町31-2にある中山家の私邸か教団所有か分からないが、処分すべきだ。売却すれば数十億円になるだろう。優先順位が違うだろ。
オウム真理教の末期は人殺し 本家天理教の末期は土地収奪 これは酷い。乞食 詐欺師 泥棒と化した中山家とそれに悪用される教団
戦い 様
>本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。
>>これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。<<
国民年金保険料を20歳から60歳まで40年間、規定どおりに支払っても、1か月あたりの支給額は、約7万円程度です。生活保護費を満額支給されたとしても、1か月あたりの支給額は13万円程度です。また、生活保護費を受給した場合、医療費は無料です。ただでさえ少ない国民年金を足してまで、高齢の末端分教会長夫婦に「お供え」を強要する教会本部をはじめ上級教会の連中は「鬼畜」としか表現のしようがありません。長い人生、労働らしい労働もせず、厚生年金やボーナスの支給を受けることができる天理教特権階級は狂っているとしか表現のしようがありません。
>>まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。<<
「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。追い出された教会長夫妻は、しばらくの間、賃貸料の安いマンションにお住まいになっていましたが、ほどなく、お二人とも続けてお亡くなりになりました。ご心労がたたったのでしょう。天理教に常識や人情などありません。
>>「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。<<
やりかねません。子沢山の天理教上層部教会子弟は職を持って居ません。自活する能力も家を持つ経済力も、持とうと言う意欲活力も持ってない。彼らは部内教会を狙って居ます。高齢であり信仰が冷めたのもありで、諸々の教会行事から遠ざかっている、冷やかな視線の私など一番に狙われているのを感じます。部内は事情教会だらけなので、彼らは何処が一番早く空くかと居住地を求めて部内教会をじっと狙っています。生活力の無い彼らはとりあえず、「家ゲット」を狙っています。このご時世教会の立て直しなんて出来る訳無い。棚ボタ式で住む家を欲しがっている。やれやれです。
悪質で理不尽な天理教本部、中山家、上層部の取り巻き一族、上層部の連中。
神が天罰を下すか。
末端から、純粋に信仰してきた方々や。
天理教に、苦汁を飲まされたり、人生を狂わされたりした方々から、天罰を下すか。
天理教は組織です。
組織内のことは、天理教人、天理教外人が天罰を下すしかありません。
大きな出来事から、小さな出来事まで。
投稿し、声を上げ。
悪徳中山家、悪徳本部、を丸裸にしてしまえば良い。
まだまだ、天理教内外のお力添えが必要です。
ささいなことでも良いので、投稿し声を届けてください。
金と贅沢三昧と高慢にとりつかれた。
上層部に、悪魔の鉄槌(ルシファーズ・ハンマー)をふるうときです。
小さな積み重ねが、大きな波を起こします。
天理教が元始まりのささやかな、控えめに、人助けを実践できるよう。
大掃除の時が来ていると思います。
社会学ブログは、小さな波の発信源です。
色々な意見、声。
人間交差点です。
多くの方々からの、投稿、さらなる声を期待しております。
始末の観点からは上級教会の資産になるのは分かります。それを本部が横取りしようと言う考えが余にも下品極まりないです。寄付者からの不満が続出するので揉め事は絶えなくなるのは必須。以前甘露代が倒れましたが今回は寒露代だけでなく教団自体、信仰そのものが倒壊するでしょう。
それを理解できない血迷った中山家と本部 それと相対峙する各法人の真の信仰者 用木の真価が問われます。用木は中山の為の用木でなく、親神の用木であるので、中山家は神に虚言を吐くことに成ります。もう限界なのでしょう。神の仕打ちを甘んじれない中山家はその辛さを部内教会の土地収奪でなんとか延命しようとしているのでしょうが、もう遅いです。中田善亮をはじめとする本部の言う事は一切当たらず一方社会学にコメントを寄せる方々の言葉に神を感じます。親神は中山家に立腹しておるのでしょう。眠っていた用木も目覚め、教団の自浄を始めそれで喚き出したのが中山家なんともわかりやすい。中山家には悪霊が付いてるのでしょう。中山家の代々の悪しき因縁 早く納消すべきではないでしょうかね?それを怠るから、生きるために人を騙すことしか出来なくなった。しかし騙せずそれすらばれるので、今後は牛馬になるしかないでしょう。
悪魔の化身を許す用木は誰一人居ないでしょう。むしろその悪魔を退治するのが宗教の役目ですから、もう皆さん動き出してます。各地各箇所、土地の収奪があったなら連絡しあって現地に集い本当の教理を叩き付ければ悪魔は自ずと退散します。
社会学さんでも再三再四反省を促しても受け入れなかった本部の不徳のいたす所 本部の言いなりになった者は、他のものに詰め寄られ責任を問われ自殺に追い込まれるかもしれません。決して本部の悪行に加担してはなりません。人は強くない。中山が強がっているのも弱いからです。中田善亮は器が小さく他人の事を考えることも出来ない。法律や倫理も理解できない可哀想な人なのでしょう。理解できないなら信仰者を辞めてもらうまで、用木を通して神により制裁が下るのでしょう。
「中庭で宗教裁判される日」 もそう遠くありませんね。
どのようなことでも、おカネでものを言わせてきた天理教。教祖100年祭の前年の本部予算は540億円だった。
現在の貨幣価値に直せば如何ほどになるのだろう。三島神社を移転させ、鏡池を埋め立て、東西礼拝場を建てた。
何れもおカネにあかせて実行されたもの。不動産屋も顔負けと呼ばれていた三代さんは何を思って実行されたのか。今となっては、全てが裏目になってきた。
三島神社を移転されれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及された橿原神宮宮司さんの言葉が現実となってきている。
目覚めた人たちは潮が引くように去ってゆく。残るのは大教会長クラスと本部の取り巻き連中だろう。
いや、大教会長と親戚縁者の立場にある人達は去るに去れない哀れな立場かもしれない。
本当に惨い組織を作ったものだと、つくづく思う。
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
人は「想像力」という能力を神様から頂いています。
武●喜●さんにも勿論有るはずの能力です。
お立場は判りませんが、
「そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。」という強気の言葉!
ちょっと恐ろしくなります。
実は私の所属する大教会でのことですが、修理が必要な所がずっと放置されています。
どうして放置なのか、怖くて教会に聞けません。
信者間では「下手に聞いたところで修理費用を出せないから黙っているしかないね。」と、考えることは皆同じ。
それでも毎月のお供えは人により減額してはいるものの、きちんと差し上げている面々です。
大教会会長といえども立派な手足が有る人なのですから、自ら修理するという選択肢もあるはず。
なぜか、放置なのです。
教祖の時代でも、お助けして頂いても「それっきり」という人々は普通にいたでしょう。
現代においても同様です。
現に京都在住の知人の母親は「天理教の布教師に命を助けられた」そうですが、教会名すら記憶にないそうです。
「それっきりですよ」と聞き、内心、唖然としたものです。でもその布教師さんが「格好いい」とも思ったものです。私も若かった!
かっこいいと見えたのは、つまり「助ける事」が目的で、その経験が自分の人生を輝かせてくれ、満足感をも得られる、と。・・・・霞を食べていたのでしょうか。(笑)
結果が思わしくない場合でも、助けようと努力した自分の行為は自分の心を満たしてくれるものです。
「おたすけ・丹精が足りていない」から、「金を出す(念のためにお断りしますが、経済的な余裕の有無は問題にしていませんよ。)信者がいない」という指摘は、武●喜●さんという方のおごり高ぶった意識の表れのように思え、信仰者としては残念なことだと感じます。
教会によって教えと実情が千差万別の天理教では、こんにちネットのお陰で、本部周辺と他系統・他教会の実態が見えるようになりました。一般信者であっても、その視野は以前より拡大されています。
視野は拡大されたものの、思考が浅いままでは迷惑な結果を招きかねないと、自戒を込めた上で書かせて頂いています。
「自分ならこうする」という決意は貴いのですが、これはあくまでも「現状の自分」というある意味、限定的な時間・空間のなかでのことを表明しているわけです。
人はいつか無収入という境遇にあう確率は高いのです。「想像力」をもって周囲を見渡し思索を深めてほしいのです。
私はTwitterをやっていませんからこの場をお借りして武●喜●さんに反論させて頂きました。
何しろ15日の年金支給日までカウントダウン状況の今です。
残金から月次祭費用を出すと、どうやって食料を確保できるかと悩むような自分なので、貧民クラスの代表として一言申し述べました。
因みに息子からの援助は無理です。何しろ氷河期世代の非正規社員ですから。武●喜●さん、若い世代の息子のような人をどうぞ、努力の足りない落伍者のようには見ないでくださいね。
かつての三島神社は、山の辺の道の景観にも溶け込み、天理教立教時の様子を彷彿とさせるものでした。また、鏡池には鯉や亀がいて、信者や子ども達の憩いの場にもなっていました。とりわけ、重要なことは、当該神社が天理教とは切っても切れない縁で結ばれているということです。今更、詳細は述べませんが、この掲示板の読者の方々は天理教と三島神社の関係はよくご存知のことと思います。
三島神社の移転理由を教会本部に問い合わせたことがありますが、信者数が増え境内地が狭くなってきたので境内地を拡幅するために移転したということです。しかし、今や信者数や参拝者数も激減しており、巨額の経費を投じてまで移転する必要などなかったと思います。移転に際して三島区で賛否を問う住民投票が実施されたということですが、噂によると本部勤務者等の住民票を一時的に三島区内に移転させ、本部勤務者等の票を移転賛成側に取り込み住民投票に勝利したという話です。これはあくまでも噂であり真偽のほどは分かりません。橿原神宮の宮司さんが三島神社を移転すれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及されたということですが、実際、信者数は激減し、三代真柱は病気で亡くなられ、四代真柱は重篤な病を患われている事実を見るにつけ、これは三島神社の祟りではないかと考える時があります。
天理教は、「おたすけ 丹精 御守護 徳」 等と知ったような口を利く愚かな集団としか思いません笑 人助け?人として当然ですよ。それを神だ本部だ大袈裟に言ってる病的集団としか思いません笑 いつまでそのおたすけ だの丹精だの偉そうな口を聞けるか楽しみです笑
天理教は有名な論文が一つも存在しない教義?こんないい加減な教義もないです。聞いた話天理教の教義は真柱の一存で改ざんできるそうですね。中山家に都合よく合わせてるわけですよね? これじゃ万人に理解されるはずも無いことすら気が付かないのでしょうかね?理解されないと言う事は布教力の無い教義になっているということです。においがけでー? も悪臭でしかない。世間からは人も寄り付かない異常な宗教都市か見られてない。そもそも相手にされてない事に気がつきましょう
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
ひのきしん様
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
曲がりなりにも信仰者ですから、いくら何でも、そこまで悪意はないと思います。
昨今懐事情の苦しい大教会も多い様ですから、詰所主任や、若い後継者夫婦で詰所台所の世話に入っている方達のお与えも減額になるのでしょうね。そうなったら、今後後継者の若夫婦も入りたがらなくなるでしょう。
いっその事、詰所利用者が激減している現在、若い後継者夫婦を詰所主任にを充てて彼らだけで詰所のやり繰りするのも方法かと思う。
弱小大教会はお供え減で会計は苦しく、はるえさんご臨席の時など、札束も包まねばならず、その他詰所修理も頭の痛い問題で、大教会一家も貧乏する悲哀をじわじわと感じている事でしょう。最近の大教会長の声が元気が無いのも気のせいか、、。
ご臨席ははるえさんにとっては金儲けに他ならず、信者、大教会が有難がっているのは表向きで、本当に迷惑千万な事。大教会長も本当の腹の内は頭の痛い悩みでしょう。真柱やはるえさん等の臨席は大教会が要請しているのでしょうか、それとも本部からの迷惑な要請なのでしょうか?
末端の我々には何の情報も入ってきません。
大教会一家には本部からお手当(毎月の給料)が入っていると聞いた事があるのですが本当ですか?
大教会一家は本部からの庇護による国民年金、厚生年金はあるのですか?
神にもたれよ、年金も生命保険も必要無し。と言われて神を信じた我々最下層教会は生活保護水準以下の生活です。本部員のボーナス事情、年金事情を聞くにつけ腹立たしく、本部や上層部に上手いこと騙されたと、今更ながら納得いきません。
三島神社移転と鏡ケ池埋め立てについて
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/iten.pdf
東京教務支庁
錦江大教会
本芝大教会
中央大教会
本理世大教会
牛込大教会
東大教会
東本大教会
日本橋大教会
本荏大教会
大森町大教会
東中央大教会
麹町大教会
都大教会
浅草大教会
深川大教会
本保大教会
はるえさん、東京都内に有る大教会でも山手線の内側に有る大教会なら売り飛ばしても高い金になりそう。
たけくまメモ さんのブログより
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_6c21.html
平田弘史先生訪問記 一部抜粋
●天理教脱会の真相!
親の代からの敬虔な天理教徒であった平田先生。しかし若い頃から、ある「違和感」を抱き続けていたと告白します。
その違和感は、教団の機関誌から『教祖・中山みき伝』の劇画連載を依頼されたところで頂点に達しました。当初は己のライフワークにしようと、それまでにもまして徹底的に史料を調べ、執筆を開始された平田先生でしたが、よくよく原史料に当たると、中山みきの教えと、教団の教えに食い違いがあることが判明。
「そもそも、中山みきさんの本当の教えは“身のうちひとりひとりに社(やしろ)あり”なんだ。要するに、自分の心の中に神さんはいるので、“教団を作れ”なんて一言も言っておらん。だから、教団があること自体間違っておるし、彼らが神を代理できると考えることも間違っている。
天理教に限ったことではない。仏教もキリスト教も、イスラムにしたところで教祖が教団を作ったわけではないよな? 必ずその弟子だの身内だのと称する、凡人どもが教団を作る。組織ができると、組織を維持する目的が必ずできてしまう。そうしたら信者を集めなければならない。人を集めるために、権威を作って、階級を作るんだよ。
中山みきその人を尊敬することと、教団に属することはまったく別の問題なのだ。他人の私利私欲の道具になってたまるかよ。この事実に気付いた俺は、そのことを劇画に描こうとしたのだ」
当然、天理教本部的には青天の霹靂と申しましょうか、パニック状態に。かくして平田先生渾身の力作『中山みき伝』は連載打ち切りと相成りました。もちろん先生は泰然と、家族を連れて教団を脱会したことは言うまでもありません。
そもそも、誰よりも物事の本質を突き詰める性質の平田先生に、教団の宣伝マンガを依頼した天理教本部の認識が間違っていたのではないでしょうか。
匿名
2019年10月2日 5:19 PM
給養関係で誤解があるみたいですが、詰所の運営管轄は大教会など非包括法人からの給与です。(土地建物は恐らく本部)だと思われます。本部からの給与は、本部在籍者以外には出ないです。これに大教会長本部員は含まれると思われます。
なぜ大亮や青年会員を各地事情教会に送って布教をさせようと思わないのでしょうか?大亮自ら布教をして大教会を2~3つ作ればいいのではないのでしょうか?この実行はおろか判断もしないで、土地の売却? は?と信者なら用木なら誰でも思います。中山家に実力はおろか魅力も感じません。
大教会や分教会の被包括法人の土地の売却は間違った判断です。買い手が付いて一時的に売却益が出たとしても、その後、。土地売却政策を取った本部に寄付をしようと思いませよねー
本部は偉そうに講釈垂れてる積りでしょうが、ただの妄言でしかない事に本当に気がつけないのでしょうね。土地なんて一般的に考えても倒産政策出しかない事が理解できないのでしょうか?本当に世間知らずは怖いです。
無知で申し訳ないのですが、本部在籍者とは、どの範囲の方を指す言葉でしょうか?
どなたかご教示頂ければ幸いです。
匿名
2019年10月3日 8:39 AM
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者、それ以外は勤務者やひのきしん者としての扱いです。在籍者も血族で選ばれます。これの頂点が、社会学で言われるでも中山家とその血族と言うことでしょう。この家柄血のピラミッドがこの教団の本当の姿です。
宗教でありながら露骨な階級差別を取り仕切ってるのが中山家とその血族と言うことです。
これをまねて 大教会などでは構内役員などの構内と部内で別れると言うことでしょう。
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者<<
*青年とは本部員と凖員の子女(女子青年)、子息(青年)の事ですか?
(とすればボーナスが出るのは一家総ぐるみで人数頭で出るって事ですね。)
*大教会構内と言う言葉は初めて聞いたのですが、大教会直轄分教会の事ですか?
(直轄?構内?の役員は末端教会から見たらお偉いさん扱いになり、だから順番に「大教会巡教」と称して、各貧乏教会にお礼を貰いに回るんですね。真柱やはるえさん、だいすけなどのたかりと同じ構図ですね。)
各段階でお偉いさんを作り、こうしてピラミッドが形作られ、最下層はいつまでも最下層で苦しむ事になる。天理教思想の悪どい全体像が見えてきました。
*上記の用語が分からないので想像に終わり、理解が進みません。教えてください。
本部青年は
・本部直属教会子弟
・本部在籍者子弟
のどちらかです。
なので、本部員でも准員でもない大教会長家の分家(次男以降)も、天理に行けば本部青年からの本部在籍者となり、その子も本部青年に…となります。
本部員でも准員でもない大教会長家の子どもも、本部勤務する場合は本部青年です。
大教会長を継ぐ長男が本部に居る場合は、本部青年(在籍者)を辞めて教会に帰り大教会長就任となる模様です。
本部員や准員と、大教会長を兼任するパターンについては、私はわかりません。
構内役員は、大教会の敷地内や隣接地に家を構える大教会役員のことではないでしょうか。
基本的に構内役員は教会を持たず、布教所や講社までで、役員に繋がる信者は大教会所属になります。
事情教会の長を受ける構内役員もいます。
教会長を兼任する構内役員の場合、教会には住まず通いになります。
部内役員は、大教会直轄分教会長が任命されるので、住居はその分教会になります。
本部在籍者は
・本部青年(女子青年含む)
・本部員
・准員
・本部員や准員の妻で役を務めている人
ですね。
一般本部勤務者とひのきしん者は入らないと思います。
天高二部生が一般本部勤務者なのか、ひのきしん者扱いかはわかりません。
本部在籍者と一般本部勤務者は本部に雇用されているので、雇用元の本部の厚生年金に入っているという事になります。
お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。
>>お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。<<
当たり前のことだと思いますが、「お役」とは、一体どういう「労働」でしょう?
匿名 2019年10月3日 8:39 AMさま
在籍者
宗教法人天理教教会本部(御本部です)に所属しているもの。保険は天てい。本部員・准員・青年など。昔は住宅の土地建物光熱水費電話もすべて本部支弁。今はどうも、土地を借りて建物は自分で建てる。電話等自弁になった。借りている借地借家から退去を求められることはない。
勤務者
宗教法人「天理教」(包括法人)の勤務するもの。保険は天てろ。〇〇号館に借家。停年有。勤務が終了すると借家から退去を求められる。
本部が包括、被包括関係を大教会や分教会に求めたのはそもそも組織の分割化はリスク回避でしょいう。部内が何か不祥事を起こしても本部は関係ございません。と言いきる為です。なのに本部が自ら浪費して資金難になったら、その被包括法人から、「土地よこせ!多額の寄付をしろ!出来ないのならば土地よこせ!」と言うのは都合がよ過ぎますね笑 どこの寄付者も、そこで宗教をやってほしいが故に寄付したのですから、それをもう教義的問題を起こして包括関係解消条件を満たしている本部が乗っ取り売るような事をしたら大問題に成る事ぐらい分からないのでしょうか?笑 本部の弁護士も本当何を考えているのやら?この不動産詐欺に加担して弁護士資格を失ってでも得れる報酬でも有るのでしょうね笑 下衆の極みです。極潰しと中山家と、下衆の極みの弁護士がのなせる業だとしか思いません。
以前よりこちらに各種警告文が上がっていましたがその上をはるかに越える 不動産詐欺事件が起きようとしてるのですね笑
崩壊速度がドンドン加速してますね。もう中山は天理教はやる気はないでしょう。そんな如何わしいやり方で土地を始末したら必ず信者からの不信と不満そして信者離れと独立多発は必然だからです。
来月のかなめ会重大発表って、教会整理について改めて話し合うためみたいですね。
しかも、
お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。
な~んだ。。やっぱりね。
そして、
〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。
子供たちが親里で学べるようしっかりおつくしをさせていただきたい。
だそうですよ。
がんじがらめさん
2019年10月4日 1:50 PM
内部情報ありがとうございます。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロこの3つの条件を満たしている教会のみ。これに近い教会は、今後対策を考える。
と言ってますが目的は金になる土地笑 でしょうねー笑
騙されるか騙されないかは教会長次第です!
それにしても凄い内部情報が出てくるもんですね。 中山家が以下に嫌われているかが分かります。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。<<
やっと、キツネがシッポをだしましたね。いつまでも騙し通せるとは思っていませんでした。不動産を売却して一時しのぎしようとする魂胆でしょうが、何をしても後の祭りです。天理教はもう終わりです。いや、もう既に終わっています。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。決して騙されてはいけません。ひどい目に遭い後悔しないうちに、早々に「カネカネ教」から去りましょう。
本部はありがたい存在どころかたすけてもくれない。たすけるどころか皆さんの財産を狙っているただの泥棒です。この宗教と偽る不動産屋には要注意です。宗教を利用した土地転がし占有屋バブルの頃の暴力団となんら代わりがない。手口が古い。ここに集う真のあらき棟梁達よ。土地の話が出てきたら反撃の合図ですよ!
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
最近の本部の崩壊具合をこの掲示板やツイッターで見ていると、僕の尊敬する天理教を離れた方の言葉を思い出します。
「現行天理教はな、坂を転がり落ちるリンゴのようだよ。転がるリンゴは外からの力でしか止めることはできないんだ。甘い蜜を求めてリンゴの中に巣くったアリたちは、そのまま転がり落ちて最後はつぶれるだけさ」
この言葉は見事に今の崩壊する本部にぴったりだと思います。金という甘い蜜に群がった本部在籍者たちにはこの崩壊は止められないんだと。今僕は天理教をぬけ出したので転がり落ちていく欲のかたまりの本部の姿を坂の上からながめているようなかんじです。
最近うわさになっているかなめ会報での『70歳以上の本部在籍者のお与えの廃止』。ってことは今まで死ぬまでお与えもらってたってこと!?!?ありえないですよね。世間では60才で定年ですよ。厚生年金とお与えのW受給。どんだけ甘い蜜吸ってんだよって感じです。
甘い蜜を吸っている本部員の西浦さんとこの子どもたちはTVのコマーシャルでよく見る保険会社のチューリッヒ社長だったり、海外のオーケストラに所属していたり、宮森さんのとこの息子さんは越の国の娘さんと駆け落ちだし・・・。伊降さんの関係者も関東に逃げ出したと、この掲示板に載っていましたよね。
本部でも逃げている人はいるんです。信者のみなさん逃げるなら今ですよ!まだ間に合います!
こんなホコリまみれの現行天理教なんかとは縁を切りましょう。
逃げることは本当に精神力のいる辛い作業ですが、今一瞬辛い時期を乗り越えて普通に生活していくか、今のままで江戸時代の封建社会のように上級に大教会に本部に土下座しながら年貢(天理教は毎月取られる)をしぼりとられる生活をしていくか決めるのはあなた次第です。
みなさんがつぶれるアリの餌食にならないことを願っています。
早く抜け出して転がり落ちる本部を坂の上からながめましょう
みなさん早く決断してください。
最後に今僕は毎日国常立さんと面足さんとおやさまをを忘れずに明るく生活しています。
頑張ってください。
「まあ本部員の人相の悪い事、真柱様の後をゾロゾロ歩く教服姿の人の、どの人もどの人も1人残らず陰気な顔してるね〜!あれは一体どう言う事なの?」
久しぶりに会った他教会の一般信者さんの驚きの発言を受けて、やっぱりそうなんだと納得。限りなく下降線を辿る教団だからこその陰気のオーラ。衰退の証明は彼らがしてます。本部の面々、みんな見てます。ご注意を。
本部の内部は足の引っ張り合いでドロドロが渦巻いてるらしいと教えたが、こんな顔を見せて陽気暮らしと言う言葉は何処から出てくるんだろう。
新しい人など本部のお勤めに呼べやしない。100万人会員だとか打ち出しても本部員が甘露台の前で悪い匂いを発しているので、どうしようもない。
10/4の大教会子弟の匿名様。
これからも天理教で苦しむ人が一人でも救われる様、こちらへのご投稿をお願いします。
本部員の顔が陰気だと、話してくれた一般信者さんの姉は、癌になった時、1000万円お供えして、今はもうお金がなくなってしまったと仰っていました。某悪名高い大教会の下、重篤な病人にとって、わらをも掴みたい心境なんです。その弱みに付け込むのが天理教。癌を告白した時所属教会長婦人は笑って聞いたと憤慨していました。この奥さんを殺して自分も死ぬ、奥さんを車に乗せてもろとも崖から飛び込もうかと思い詰める所まで憎しみを持ったと仰っていました。
妹の方も同じく酷い目に遭っていて、「姉さん私と奥さんと3人で一緒に崖から飛び込もう。奥さんを殺そう」と我が命を捨てて思いつめたそうです。
こう言う思いをする人が全国に人知れず居ると言う現実。許せない現実です。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。<<
教校学園をやめたあとの後継者の育成 具体的な対策あるのかしら。天理教の魅力がなくなったからじゃないの。お供えしろって、そんなん。頭下げてお金集めたら。
学校本部理事長って大学とか天理高校の理事長ってこと? こんな調子の理事長(経営者)だったら、そっちもすぐにつぶれるね。
10月6日付け天理時報を見ての感想。
長らく団体職員を勤めた経験から言いますと、大臣表彰なんて貰う人の気持ちが分からない。
関西電力に多額のわいろらしきものを送っていた人も何等かの表彰を受けておられると想像します。あくまでも想像ですが。私の職場でも毎年社員(会員のことです。職員の呼称ではありません)の中から役員(理事)に選ばれていた人が、地方局長表彰や大臣表彰、さらには叙勲の申請をしていた。
ところが、この表彰に値する人たちが、これらを受けていたのであれば納得できたのですが、実態はそうではありませんでした。
役員(理事)の中でも無理難題を吹きかける人、すなわち関電に無理難題を吹きかけたような人が重き役に付いて表彰の対象になるという現実です。
団体とは、本来法律を順守してより良き社会づくりに貢献しましょうとの趣旨で設立されるもの。ところが、現実はエゴが丸出しのところが多いのです。
年に一度は研修を受けなければならないと定められているにも関わらず、研修を受けずに受けたことにしろと強要して、挙句の果てに大臣表彰受章なんて実態を数多く見てきた者にとって、表彰なんてと思ってしまうのです。
最も、杉良太郎さんのような純粋な立場で活動して居られる方も居られますが、数少ないお一人ではないでしょうか。多くが関西電力を脅迫していたような方もおられるのが現実です。亡き森〇さんは役場の助役まで勤めておられるのですから、それ相応の表彰を受けておられると想像するのです。
その意味からも、天理時報が大臣表彰の報道をするのに違和感を感じています。もっとも、今回掲載の方々はまじめな方と思いますが、天理時報は表彰記事は掲載しない方が良いのではと常々思っているものです。その意味で私は現職時代に〇〇局長表彰をと言われたのですが、意味のない表彰に違和感を覚え辞退しています。
弱い立場の職員に無理難題を吹きかけて表彰を受けて何の意味があるのでしょうか。関西電力の問題と併せて考えさせられる表彰問題です。
学校の校長を何事も無く、無事勤めあげて定年退職した人も叙勲を受けられますが、私の経験では、校長や教頭ではないヒラの先生でも、管理職以上の立派な仕事をされている方々が大勢おられます。しかし、ヒラの先生方は叙勲の対象にはなりません。叙勲や表彰とは、社会的に一定以上の地位についた人々が受けられるケースが多いようですが、そこには、なにがしかの利害関係が働いていると思います。世の中には、人の知らない目立たないところで、コツコツと社会のために一生懸命働いたり、ボランティアをされている方々がおられますが、そういう人達こそ表彰するべきだと思います。
話は変わりますが、天理の豊田山の「お墓地」に初代真柱が叙勲を受けた功績を讃える大きな石碑があり、戦争に協力したことに対する功績であると、以前、この掲示板で読んだことがありますが、具体的にどのような功績であるのか、ご存知の方があれば再度教えていただけないでしょうか?
関電事件と教会本部の普請について。
ここ数日、関西電力の経営幹部が高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていたとして、マスコミ等でも大きく報道されています。金品の出所は、元助役が役員を勤める地元のY開発であるらしいということです。
かつて、天理教教会本部の「おやさとふしん」が盛んな頃、教会本部の殆どのハコモノは、日本でも最大手のゼネコンのT工務店やその下請け業者が請け負っていました。つまり入札を実施しない随意契約で、請負業者の「言い値」で教会本部が工事を発注していた可能性があるということです。もし入札を実施していなければ、工事を受注した会社は暴利を得ることができます。これはあくまでも私の一個人の想像の範囲であり、確たる証拠もなく、事実ではないかもしれませんが、受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。
本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。教団幹部に流れることは竹中も問題になりますし、日本最大のゼネコンが、一宗教で問題になるようなことはしないと思うのは私だけでは無いと思います。昨今の天理教の問題は色々あるでしょうが、話しが大きくなりすぎている部分もあるので聞いた事実をお伝えしました。
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。というのは本部からの発表です。
本部にというより、担当者のトップに相当な〇〇〇が動いているでしょう。
建築関係の友人に見積もりしてもらったら、「いくら高くても1億円ぐらいだね」と言っていました。
公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?
>>西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。<<
早々に情報をご提供いただきありがとうございます。仮に施工費が1億円であったとしても、あまりにも高すぎますね。私は現物を見たことがありませんが、どんな立派なスロープを設置されたのでしょう? 仮に車椅子(電動を含む)の利用者が、車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用したとしても、耐荷重はそれほど必要ではないと思います。素人考えですが、1億円よりはるかに安い金額で済んだのではないでしょうか? また、神殿の靴脱ぎ場には、教会本部勤務の青年さん達がおられるので、その方達の補助で神殿に上がることも可能だと思います。スロープは本当に必要だったのでしょうか?
>>本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。<<
私のあくまでの想像の範囲であり、決して断定的なことは言えませんし、何の証拠や根拠もありませんが、T工務店は過去からの天理教の恩義に報いたいという意図もあったのかもしれませんね。
誤字がありましたので訂正いたします。
記
車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用(誤) → 車椅子のアシスタント(介添人)と共にスロープを利用(正)
>>公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?<<
財政上の問題は教会長の責任ではなく、教会長に圧力をかけノルマを強いている大元の教会本部の責任だと思います。信者数の激減もまた然りだと思います。教会本部の実態に矛盾を感じて天理教から去っていかれた信者さん達は大勢おられると思います。
スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。今でも北礼拝場は瓦の吹き替えがありません。それはその時はお金の掛かった普請であったかもしれないけれど、時が経てば十分元の取れる普請だと思います。安普請で何回も修繕をするよりは少々お金がかかっても良いものを、特に信者さんからの御供えだからこそ無駄にしないように建てたものと私は思いますね。
100年後…
>>スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。<<
天理教の現状を鑑みれば、100年後まで見据えて檜等の高価な部材を使い巨大な建造物を建てる必要があるのでしょうか??? スロープは靴脱ぎ場におられる教会本部勤務の青年さん達が、身障者の方を介助すれば、用が足りると思います。
なんでも先を見据えることは大事ですね。
青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。
だめの教えのお道でも例外ではありません。あまり本部を責めるのは良くないとおもいますよ。
私は中山家が贅沢しているとは思いませんね。
中山家は贅沢してません。しっかり溜め込んでいるだけです。。表向きを質素を装っているだけなのです。
あちこち出向いて、札束を持って帰っている事は周知の事実です。みんな知っています。そう言う現実を知ってあちこちから不満が噴出しているわけです。
表と裏の使い分けを知らずに騙されているのは、単純な見方であり、そう言う人間を育てるのが彼らの本心です。違うと言うなら邸宅から出て、自ら布教に出るでしょう。模範を示すべき人が模範を示せない、つまり今の本部の姿は嘘であり、虚構です。ついていくのは個人の自由。騙されるのも個人の自由です。
>受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
今では余り聞かなくなった【談合】と言う言葉が有ります。但し天理教の場合は竹中の一社受注(専任受注)なので、この言葉は適用外です。
ただ竹中側での協力会社と対竹中側ではあったと思います。いわゆるキックバックです。協力会社も大教会関係の配下の会社だったり。
教団側幹部及び担当者についてもこれはあったはずです。仕事を紹介したいわゆるマージン(紹介料)と言うやつです。請求書の水増し、裏書き等がこれです。
そんなでも社会は廻って致し儲かってもいたし、誰も困っていなかったです。困っていたのは末端教会と騙された信者達です。普請ごとに金を集められ、何十億何百億もの受発注の為に、銀行から借金迄強いられた。
鬱病にもなるし自殺者も出るはずです。
世間はバブル景気に沸いていたし、それで社会も潤っていました。誰もおかしい?とも思わなかったです。
竹中は元々は神社や寺を建築する大工棟梁が始まりです。天理教とどこで出会ったのかは匿名さんが記載されてる話しの道りだと思います。
本題に戻ります。利益の一部は間違いなく幹部担当者に流れてたと思います。
竹中は非上場です。これが全てを物語っていませんか?
そもそもあんな大きな箱物がいくつも必要だったのでしょうか?参拝する神殿ひとつが有れば充分だったのでは?
今となっては権力を誇示する箱物以外の何者でも無いでしょうから。いつもガラガラ。
いい思いをしたのは天理教貴族とその貴族にご機嫌をとる為に金集めした人達とGCだけです。
今では建物の補修費も事欠くのか、ある建物のトイレは長い間【故障中】といつ行っても貼紙がしてありました。
竹中側は何も天理教だけが顧客では無いだろうが、この先も非上場なら天理教とは運命共同体だろうし(この会社も役員が半端無く多いが、人はそれを竹中貴族と呼ぶ)(下級社員は現場で突貫工事で馬車馬の様に働かされる)
天理大学ご出身の社長の居る吉本だって同じもんだろう。聞けば聞くほど教団システムとソックリだ。
そもそもオウム真理教が天理教のシステムを習って教団を立ち上げたのをご存知無いのだろうか?
両社共に大きなツケを払わなくてはならないだろう。
書けば書くほど罪作りな宗教団体だ。
匿名
2019年10月5日 10:38 PM
信者の金ではじめた不動産業はどう説明を付けるのでしょうか?ちゃんと営業利益を信者に配当したのでしょうか? オウム真理教も活動資金を捻出するために、弁当屋とパソコンショップを運営していたのは有名な話です。信者の金は活動資金を作るために作られたのか?純粋にはそうは思えない状態です。
(法)本部所有の土地建物はそもそも信者の寄付により取得しているものです。資金ならそこから売却するのが常識なのに、(法)〇〇大教会や(法)〇〇分教会 を吸収合併して売却しようと言うのは常識外もはなはだしい。
天理不動産で無く、宗教ですからね。そこを間違えると中山家も終わります。三島神社より多大なるダメージがあるのは当然でしょう。
中山家は代々世間知らずの馬鹿なのでしょうね(笑)
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
今回の関西電力の事案は、国税局が税務調査に入って発覚しました。つまり、税務調査が無ければバレなかったということになります。私は天理教に限らず全ての宗教法人を課税対象にして税金を徴収するべきだとかねがね考えています。そうすれば、宗教団体の透明性もある程度確保され、また、納税することは、天理教も含め、「人たすけ」を教理とする宗教全体にとって、教理に添ったことであると思います。
今、日本の国では、少子高齢化が深刻な問題となっています。「団塊の世代」の人々が高齢化していくにつれ、少子高齢化は益々加速し、日本の社会保障制度は破綻すると言われています(現に破綻しているのかもしれません)。10月1日から消費税も増税されましたが、経済活動に混乱を来しただけで、焼け石に水だと思います。定年制を70歳に延長するという案もでていますが、あまり効果は無いでしょう。国内に18万以上ある宗教団体に課税することにより、社会保障費に充てるかなりの財源が確保できるのではないかと考えています。
天誅さんへ
般若心経を2回投稿されていますが意図不明です。できれば投稿された意図も教えてください。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。<<
大祭時に、どれ程多くの参拝者が来られるのか、長らく参拝していませんので不明ですが、昔は神殿の前庭や中庭に多数の長パイプ椅子が多数設置され、神殿に上がることができなかった健常者も、そのパイプ椅子に座って参拝しておられました。これから、高齢者の参拝者も増えていくのかもしれませんが、前庭や中庭に風雨を凌げるようなテントを張り、参拝できるような体勢をとる方法もあったはずです。金をかけずに安くすませる方法は、智惠を働かせればでてくるものです。また、仮に神殿に上がれたとしても、身障者や高齢者は正座するのが困難です。身障者や高齢者が利用しやすい椅子を神殿内にも準備する必要があると思います。一般の分教会でも高齢者は正座ができないので、神殿の後ろにパイプ椅子を並べておられます。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思います。
貧乏は羨望や憎しみしか生まない事を知らないんでしょうか?
この宗教本部が身障者や高齢者に金かけると思いますか?
あれだけ沢山の金を集めて建てた箱物達。
竹中のHPでは紹介すらされてませんよ。
かろうじて紹介は、第162母屋 天理教河原町大教会信者詰所➡︎竹中工務店 作品紹介群
2億5千万円のスロープ棟は何処に行ったんでしょう?
100年建築なら写真の一枚位掲載され、100年建築と堂々と紹介されててもいいのに。
そりゃ今更【故障中】と書かれた貼紙のある建物の掲載なんか出来ないでしょうし。
全ては絵空事、虚構の世界の出来事でした。
まっ、でも建物は100年くは持つんだろうな。
そして残ったのは多額の金を集め、莫大な箱物を作っただけの事実。
➡︎今日の天理教のライブカメラ
東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。
吉本はお笑いを業としている。
即ち人を笑わせてナンボの商売だけど、竹中は箱物作ってナンボの商売だ。
天理教式に言ったらそう言う意味では未だ吉本の方が人を笑わせて来ただけお徳は有るが、
竹中は箱物作る為に、多くの人を泣かせ、金を集めそして人生を狂わせ、自殺に追い込み、あれだけの箱物を作っただけの業は深いのでは?
真っ黒の闇に包まれたあの巨大な箱物群を見てると、将来幽霊宗教都市になるのもそれ程遠い話しでは無いと思う。
天理教と運命共同体と言っても過言ではないでしょう。大きなツケは恐らく竹中の方が払うのでは?
>>東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。<<
億以上の金がかかるはずがないということは、素人でも常識で分かりますね。消火栓のように高圧の水圧を必要としない「水飲み場」の配管であれば、地中を浅く掘削し、口径の細い塩ビパイプを本管から枝分かれさせて、「水飲み場」まで引き込むだけの工事で済むはずです。一般家庭に引き込む家庭用水道の工事と同額程度だと思います。一体、差額のお金はどこへ消えているのでしょう???
とある分教会長さんから教会を次ぐつもりのない息子さんの愚痴を聞かされた。
息子が孫が学校に遅れそうになって学校まで車で送った時、孫から送迎代をとったと聞いてあきれたと、
『親が子からそんな形でお金をとるなんて聞いた事がない』
それを聞いた時に思わず、その会長さんに言ってしまった。『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』
それを聞いてその会長さんは空いた口が塞がらない顔をされていました。
天理教と世間の常識の違いが顕著な一例です。
>>『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』<<
天理教の場合、上級(親)に世話にならなくても、部内(子)は自動的あるいは半強制的にお礼(何のお礼か知りませんが・・・)をしなければならないのではないでしょうか???
上記の「ひのきしん」さんの紹介エピソード、笑いたいけれど笑えない・・・。
そもそも論を言ったところで何もならないのが現代で、半ばあきらめていますが、
学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。
まぁ、もう、どうでもいいかな、って、天理教の現状を見ていると思ってしまいますが。
かなめ会の例の「おたっし」ですが、ふと、疑問が湧きました。
この情報はTwitterのむつきさんから寄せられたものでしたので、Twitter本文も確認しましたが、この限られた同じ情報のみでした。
情報が寄せられてからだいぶ時間が経過しましたが、それ以上の内容は出てこないようなので改めてここに情報提供をお願いするものです。
かなめ会席上で発表された際には、当然、背景説明やら、質疑応答が有ったのではないでしょうか。
具体的には、どのようなスケジュールで実施するとか、或いは実態調査を各教会で行った後、調査報告をいついつまでに提出して下さいとか、関連情報が伝達されているはずです。
(まさか、告知方式で、問答無用?)
古い元教会長様、もしもお手元に何か情報が集まりましたら公表願えませんでしょうか。
むつきさん情報だけで我々がここで盛り上がっていても、何か、本部のこの板を監視している連中にあざ笑われているような感じがするのは私だけでしょうか。
情報番長の皆さま、よろしくお願い申し上げます。
キリンビールが早期退職を実施!
キリンホールディングスは(含むキリンビール)45歳以上の社員を対象に早期退職の募集を行っています。
10月1日から受け付け開始だそうです。・・・実は10月2日に「匿名」で投稿した匿名です。
冒頭のみコピペさせて頂くと、(時間の有る方は元記事もお読み頂ければ嬉しいです。)
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
この投稿では触れませんでしたが、実はこの方のTwitter画面では個人情報が晒されていました。
勤務先がキリンビール、たしか数名の方との飲み会の様子の画像も貼られていました。
ずいぶんと無防備な方だと思ったものでした。(その後、Twitterは当然ながら削除されています。)
投稿時点では私にキリンの社内事情など知る由もなく、幸せな人にも優しさをもって他の人を見てほしいとの思いで苦言を呈した次第でした。
一言、今、感想を言えば、「厳しい」社会状況だと、今更ですが感じます。
いくら首相が張り子の日本経済を自慢したところで、現実には非正規社員が就活しても雇用されないどころか、若手の正規社員をも切り捨ててでも、企業を守ろうという日本社会の風土には、暗い明日の姿しか見えません。
おりしも東京新聞によると、あの百田氏!を「いい気持ちにさせる」公告文案を、あの新潮社が募集したところ、ネットで顰蹙をかい、撤回したとか。
小さな声でも「まともな(誠の)」言葉を発信する努力が報われたのでしょう。
ふりかえると、ここ社会学も貴重な場となっていますね。
立場の違いを超えた、真摯な皆様のご指摘、ご意見を拝読させて頂いております。
維持管理してくださるカイン様には心から御礼申し上げます。
>>学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。<<
学校に遅れるから車で送るように親にせがむ子も子ですが、子どもからせがまれて学校まで送る親も親ですね。徒歩で登校して、もし学校に遅刻したとしても、子は学校の先生にこっぴどく叱られたらよいのです。学校の始業時間に間に合わなかったのは子どもの落ち度ですから、親は学校に子どもが遅刻する理由を電話で連絡し、教師に謝り、子どもは学校に到着してから、遅刻した理由を教師に告げ、教師とクラス全員の生徒に謝るように指導するのが躾だと思います。学校は学業だけを習得する場所ではありません。団体生活も学ぶ場所です。その子どもが成長し、社会に出たとき、基本的な社会のルールや礼儀を知らないで一番困るのは、その子ども自身です。
信頼のおける、某大教会の身内の方からの情報です。
________________________
昨晩(26日)の内統領からの発表です。
もうじきかなめ会で発表なので公表OKです。
あと、公式発表と違う箇所があればすみません。
・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在
以上の要件を満たした教会を引き上げとのこと。
無担任は千ほど?
うち上の3条件を満たすのは500ほどの予想。
お供えが減っているので、70歳以上の本部在籍者のお与えを廃止とのこと。
今更感がありますが、いい報告です。
それでも厚生年金ありますし、立派なお庭のついた本部住宅も支給されてます。
内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
>>・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在 <<
上記のような状態になった根本的な原因を「かなめ会」は認識しているのでしょうか? 認識していても「知らないふり」をしているのでしょうか?
いよいよ、不動産売却が始まるかもしれませんが、大きな社会問題となることでしょう。
スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。
これからは私個人の考えですが、メンテナンスのいらないものにしたかったのかなと思います。
車椅子の方に優しい設備では全くありません。設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
>>スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。<<
私は現物を見たこともないし利用したこともないのですが、結局、利用者側の視点に立たず、また希望や意見を聞くことも無く、教会本部の勝手な判断で設計し巨額の資金を投じて作ったということですね。教会本部の他者の意見を聞かず何事も独断で行う姿勢は、建築物に限ったことではないということです。
エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。
>>エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。<<
仮にあるにしろ、車椅子を押している会長さんのように、その存在をご存知でない方がおられるということは、教会本部側の周知方法に不備があるのではないでしょうか? また、そうした高額で大がかりな装置を設置しなくても、私が先の投稿で述べたように、本殿の東側、南側、中庭等に雨風等を凌げる車椅子専用のテントを設置するなど、コストのあまりかからない方法もあったと思います。
>設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
本部の建物は竹中の一社発注つまり専任受注なので、設計も竹中が請け負っているはずです。
ただ竹中は他にも病院やホテル等も建築してるので、そんな凡ミスは間違ってもしないはずです。
大方本部関係の何処かの三流大学の建築学科を出た三流設計士が担当したんじゃ無いですか?
そして設計費を稼いだ(浮かせた)と言う事なら、話しの辻褄も合います。
さりとて竹中は一流の会社で、中に居る人間も仕事に関しては一流です。間違ってもそんな誰が設計やったか?なんて言われる様な仕事はしません。
間違いなく本部の三流設計士の人間が関わったのでしょう。
✳︎専任受注 一社で設計から施工迄を請け負う。
✳︎専任受注だけど、設計でパートナー、施工でパートナーとそれぞれ他社と組む。JV工事と言う(表JV)
✳︎専任受注だけど、表向き竹中、裏で実はパートナーと組んで内緒で工事する。でもパートナーと組んでる事は言わない内緒(裏JV)
✳︎専任受注だけど実は下請協力会社に丸投げ。
等々設計施工には色んな形態が有ります。
もし竹中がやっていたら何処か丸投げしたか手抜きかでしょう。どちらにしろこんな文句が出る馬鹿げた事に大金を払ったものです。全て人様のお金。お供えです。
お供えはもう辞めましょう。
GCはしょせんブラック。
最初からブラック。
どう頑張ったところでブラックですから。
雨風しのげる車椅子用の建物あります。そこからエレベーターで上がれます。
古い元教会長
2019年10月6日 4:49 PM
>>内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
本部からしたら、他の法人である大教会、分教会は他人の土地です。それを目当てにしてる時点で意味不明です。名称の理 までは許しましょう。しかし土地建物財産は決して本部のものではございません。寄付してくださった方々の思いがその土地場所ところどころに困っている現実を知らないから、この様な心無い考え方をでき結果違法行為をしているのでしょう。
「お尽くしが減っている」金の繋ぎは命の繋ぎなどと教義を歪曲し改ざんした奴にだれが寄付するんですか?中山家はいい加減責任とって教団を後にした方が良いです。必ずとんでもない事態になります。信者だと思っていた多くの人々が全員的になった時中山家に何が起こるのやら想像するだけで怖いです。
そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。
>>そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。<<
おっしゃる通りです。そもそも巨大な構造物など不要なんです。あと、100年後には誰も来ないガランガランのガラン堂と化していることでしょう。松尾芭蕉の有名な俳句に「夏草や つわものどもが 夢のあと」という句がありますが、あと100年も絶てば、「天理教 馬鹿者どもの 夢のあと」と揶揄される時代がくることでしょう。
以下の教会長さんのツイート、意味がわかる方解説よろしくお願いいたします。
酒井耕平 @chansankohei
>世の中物事の価値を測るのがお金である。
物だけでなく働いた価値は給料、プロ野球選手の価値は年俸によって表される。
人の恩であっても、お礼としてお金を渡す。
神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平<
>>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。<<
そもそも神様はお金を必要とされません。意味不明ですね。
この文章からは意味が理解出来ません。読解力が無いせいで、、。
ただ、人間世界の恩の返し合いはお金でします。盆暮れ、事ある毎に物やお金で御礼をし合います。
しかし人間と神との兼ね合いに於けるご恩返しに、お金を介在させるのは神の冒涜です。親神にお金を見せてご守護の取引をしようとする傲慢な人類。親神は「絶対神が金など見せられて動じると思うのか!見くびるな!」と言う宇宙を創り給うた絶対的存在です。神は人間からお礼してもらおうなどの意識は皆無の存在です。金があろうが無かろうが無条件に人種を超えて世界中守護し続けて下さる。神は「お金」と言う人間社会の価値感など毛頭眼中にあるはずが無く、ご恩ほうじは人間同士の助け合う姿を見ていただく事だけです。つまりご恩奉じは人間をこしらえた時の親神の思い、その動機に報いるのがご恩奉じです。助け合う事です。
親神様はそれ以外の物を欲しがりません。
神を語る本部がお金を欲しがっている。
いかに本部が神との対極に居るかわかると言うものです。
絶対神を人間社会に引きずり下ろし、人間社会のお付き合いと同列に語る天理教本部の浅はかな欲心と神の冒涜を思わずにはいられません。
匿名
2019年10月7日 3:03 PM
酒井耕平 @chansankohei
>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
神の守護を値踏みした時点で不敬で天罰が下る事を宗教法人天理教と名乗るカルトは理解できてないんでしょう。
神を値踏みした時点で悪魔と同じです
すみません発言の引用の仕方がわかりませんので、そのまま記入します。
エレベーターも知っています。雨露しのげる建物も知っています。
私が言いたいのは、新築するのならば、なぜそこにエレベーターをつけないのかなと言うことです。立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。
26日車椅子押しておられ方はご高齢です。スロープの途中で困っておられる方もいます。玄関の担当者の方からは見えない場所です。声をかければ直ぐに助けていただけますが中々声も出せず困っておられます。そのような方を何回も手伝いました。
車椅子を押すのがご高齢の場合は、あの場所から回廊に上がるのは避けた方が良いと思います。
建築の費用の話がありましたので、本当にそのような金額であれば、何を作っているんだと本部に言いたいです。
>>立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。<<
如何に独善的で、使用する信者の身になって考えていないのかと言う事ですね。
意見集約したのでしょうか。エレベーター付ければ金が要るから見栄え重視で作ったんでしょう。2億円以上かけた不便で有り難がたがられない100年以上持つ建築物。人の心に寄り添えない体裁重視の本部のやりそうな事です。
補足です。
間違えていたらすみません。車椅子用の駐車場、又北側の駐車場から来ても一番近いのがスロープ棟だと思います。
匿名の方が言われていました場所より近くにあると思います。車椅子の場合は出来るだけ移動距離を短くしたいです。
車椅子の方に優しい事をアピールするために作ったのであればなぜと思います。
檜をふんだんに使ったあの建物見た事ない方は一度ご覧ください。
高い金払って竹中のHPに写真一枚掲載もして貰えないスロープ棟。
天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。
本部は綺麗事を言うが、最後はお金に行き着く。新規婦人会員を、と思っても、お金と縁の切れない本教団信仰には、誘うに誘われない。わずかにでも良心が残っているから騙しに加担する行為に等しく、とても誘えない。
そうして集めたお金は人の金だから、湯水の様に無駄金を使う。誰も喜ばない巨大建築物。私腹を肥やす貸しビル数々。最近ではだいすけ結婚の打ち上げ花火。海外巡教はファーストクラス。目先のお供え減と赤字に驚いて信者、教会子弟の拠り所であった教育機関の閉鎖。人助けは掛け声だけで、頭の中は弱きをくじいて自分ら最優先。
そんな本部の私腹と無駄金の為に我々末端は人生を棒に振り、いずれ土地建物は売り払われて、ボロ雑巾は捨てられる。
先祖が汗水流して購入したであろう教会土地建物は今後本部に奪われるのである。
西側の駐車場から一番近いのはエレベーターの方ではないでしょうか?
西岡寛麿 @hiromaro0422 大先生のツイートより
>執着を捨てる。
これができるだけで、むちゃくちゃ生きるのが楽になります。
こだわり、プライド、経験、立場。
しがみつくのをやめてみませんか?
楽しいですよー < 引用ここまで
いやいやいや、こだわり、プライド、経験、立場に執着することを
末端や信者にやめられたら困るのは天理教団自身だし.。
理の親絶対服従、お供え、教会名称…….。
そんな脅迫的固定観念にしがみつくように洗脳してきたのは天理教団じゃないのかよ。
バリバリ教団内部の人間がこんな発言とは矛盾もいいとこ。笑
ぜひ神殿講話で発言していただきたいもんだ。
みなさん、
理の親の言うことに従うことに執着するのはやめましょう。
お供えすることに執着するのはやめましょう。
教会名称の理は末代という偽教理に執着するのはやめましょう。
貧乏末端教会長という立場もプライドも捨てましょう。
現教団の被差別的立場を捨てて、被包括法人を解消しましょう。
西岡大先生のお墨付きです。笑
楽しいですよー 笑 笑 笑
そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
天理教に携わる方々は、『立場』と『血縁』が最重要ですよね。
能力や実績が無くても周りに立ててもらえて、気配りと心配り(忖度?)で落ち度があっても責任を取らなくても生きていけます。
下々の方々に支えられて生きている、そして神様に生かされている自覚が必要。
末端 様
2019年10月7日 10:22 PM
>>天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。<<
「屋敷をはろうて 田売りたまへ てんてこまいのみこと」という天理教を揶揄する有名な替え歌がありますが、昔、明治生まれのお年寄りに、替え歌はいつごろからあるのか聞いたことがあります。そのお年寄りが子どもの頃、天理教信者の子どもに対して、その替え歌を歌ってからかって遊んだことがあるので、遅くとも大正時代には、替え歌があったのではないかということです。天理教の拝金主義は古くからの伝統があるようです。
匿名 様
>そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
そうかも知れないですね。本部の普請は竹中と思い込んでいました。
でも、どこかで竹中がかかわっていると思いますよ。
奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。
確か、どこかの業者が入っていたと思います。
2億5000万円も、その業者に支払ったのでしょうか。
>>奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。<<
奥村さんは奈良県出身ですが本部とは関係ないはずです。
そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
そこがそもそも違うのではないでしょうか?仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
>そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
130年祭のお供えを集める時に、本部から発表されました。
ウィキペディアより。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E5%96%84
二代真柱は教会本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?
こんな記事がありました。
第3回 瓦屋根設計コンクール(1984年)
http://www.yane.or.jp/iraka/iraka.cgi?vkai=s03
天理教教会本部神殿東西礼拝場
受賞者 天理教営繕部/(株)竹中工務店/奥村音造・高山廣二
所在地 奈良県天理市
施工会社名 天理教営繕部/(株)竹中工務店
匿名
2019年10月8日 11:35 AM
>>仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
競売入札をかけて安値を目指している背景があればまだしも、竹中工務店一社との癒着なので、ピンはねは無いどころかありえると言う見方の方が妥当です。関西電力と高浜原発の件も癒着からですしね。そもそも、資材の原価、人件費等々の原価は当の竹中工務店しか分かりません。竹中工務店の提示した金額に対して還流金(バックマージン)が含まれていればそこから発生するのが仕組みです。
竹中工務店側で調整はいくらでも可能です。今日内では疑わしい話は多々有ります。膨大教会は毎度普請で膨大な借金をしているが、一向に大教会長が首を切られない。それは本部との還流金の癒着が疑われてます。
本部が70代以降のおあたえ(給料の給付)を廃止すると言っていますが、退職制度の視点から見れば、当然の様に見えますが、現在働き盛りの者からすると「安月給だし70でなくなるし、今後それが60になるかも知れないしな~」と思わせるとモチベーションも下がり教団中枢部からの教団離れも益々加速します。現在の中枢部は自分達だけの事しか考えてないので他人にしか痛みを与えてない政策で誰が納得いくのでしょうかね?笑 何も見れてない愚かな政策です。
スロープ棟など普請の話が出ているので話しますが、そもそも親神や教祖の普請とは、建築物ではなく、心の普請と言ってるのです。しかし二台真柱からやかた構想が始まり馬鹿みたいに建築物を立て、信者たちの心は教団から離れたのではないでしょうか?それすら気が付かないのがもう致命的です。
ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。
まずは、もう普請をしないと打ち出した方がいいと思いますね。詰所も建てるところがありますが、既存の建物を利用するとか、本部施設を利用するとかそういう改革は必要ですね。あと、炊事本部もそれぞれの詰所に任せて、縮小して、勤務者や学生の配食だけにするとか?
あと、いい案ありますか?
匿名
2019年10月8日 1:56 PM
最終的には中山血族の排除も必須ですね。
現在の教団の目的が「教団の維持」なら良いのですが、どう考えても「中山家の維持」に成っています。「金のつなぎは命のつなぎ」発言が有名ですが、中山家は代々天理教を理解できてません。神さま立てないから寄付が減る。無駄な建物建てたから金が無くなる。こんなの十全の守護を理解できてれば当たり前の事では?
こんな簡単な事も理解できてないから教団はおかしくなったのだと思います。神様の言うとおりです。中山家は生きながらにして衰退地獄を味わえばいいと思います。
>>その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?<<
全く関係ありません。氏がたまたま同じだったのでしょう。
>>ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。<<
その通りです。ナチスドイツが造った有名なアウトバーンは、今でこそドイツの高速道路として有名ですが、当初の目的は、高速道路兼戦闘機の滑走路という目的で造られました。滑走路として使用する為に、できるだけ直線部分が長くなるように設計されています。北朝鮮の軍事パレードや中国の建国70周年のパレードを見ても明らかなように、おびただしい数の戦闘車両や兵士、ICBM(大陸間弾道ミサイル)等をパレードに参加させて、自国の軍事力を誇示しています。かつてのソ連もご多分にもれず同様のイベントをしていましたが、今の時代、そうした軍事力の誇示は、世界的な緊張感や警戒感を生み、実施している国家に対しての反感を生んでいます。
政治と宗教は別者であるという考え方や意見もありますが、所詮、人間の考えることですから同じです。「おやさとふしん」という錦旗の下、天理教も巨大な建造物を次々と建ててきましたが、その究極の目的は、天理教という宗教の威厳や威容を誇示したかっただけにすぎません。天理市に存在するそうした天理教関係の建造物や施設を初めて見た人達は、最初にその立派さに驚くことでしょう。しかし、その次に思うことは、一体、こうした建造物群をつくるための資金をどのようにして調達したのだろうという疑念です。
建造物群を造るための原資は、いわずもがな、信者さん達の「お供え」です。さすれば、何も知らずに天理教のご立派な建造物群を初めて目にした人々は、天理教に入信すれば、さぞかし多額の「お供え」を「ボッタくられる」のであろうという警戒心をいだき、天理教に近づこうとしないでしょう。「おやさとふしん」は、その意味でも天理教にとって大失敗のプロジェクトであったと言えます。つまり、ハード的にもソフト的にも
愚かなことをやってしまったということですが、今となっては、「覆水盆に返らず」です。
本部の被包括法人(大教会や分教会)の土地の乗取り、そして在籍者70歳以上の給与打ち切り
こんなに削減政策したら来年度の寄付は激減します。大馬鹿政策極まりない笑 こんな馬鹿げた非人道的な政策は金の勘定と法律だけ見てやってるのでしょう。毎年10億減ですが、来年から15億から20億減ります。そう考えると中山家は天理教を健全に運営しようと思えないと思われても仕方ないです。やはり不動産業天理教館に転売する積りなのか?逃げる準備をしているのでしょうか?
一般的には自分の法人の土地から売りますよね? 奈良市内の土地を売却してはどうですか?笑 もしかして中山家の血縁でも住まわせてますか? 闇が深いなー笑 中山家のやり口は苦しいし見苦しい笑
馬鹿げたことをするのは、天理教の伝統的お家芸です。これから先、どんな馬鹿げたことをするのかしれませんが、大きな社会問題となるのは必至です。
とら@備忘録さん、
こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
とら@備忘録 @kamekichi0402 さんのツイートより
今まで持ち合わせて無かった感情の芽生えに自分自身驚いている。
恨みとか憎しみとかいう感情。
歳経て突然教会の後継者と言われ葛藤を乗り越え我が事として
教会の現状を憂い改善しようと試行錯誤してきた。
そんな行為に対し身勝手な行いと一蹴したり無視されたり無関心を装い裏で批判されたり
内容を把握もせずにパワハラ紛いの批判で押さえつける。
伏せ込む私らの如何なる保証もしないくせに教会への過度な従属を要求してくる。
想いがあってがんばる人ほど叩かれ潰されるのがこの世界なのか。。
私は平和で仲良しのペンギン(天理)村でずっと生きてた。
大人になりこの天理村の本質が排他的で無関心で己さえ良くばが蔓延している事実を目の当たりにし、
悲しみと失望に苛まれている。
それが高じて言い様の無い恨みへ変貌しているのが自分でも怖いしとても辛い。。
金に困って人の財産目当てにする天理教中山教団(笑)
万が一エレベーターが止まる自体になった時、どうなるのかということも必要かなと思います。
自体→事態です。
とらの備忘録さんの心境に共感します。
知り合った一般信者の方に今の天理教の実態と教理が嘘である事を教えてあげると、目をむいて、それなら私ら信仰出来んわ。それ本当?本当なん?と取り乱された。
毎月、1ヶ月分の生活費に相当するお供え金を出していると言う人です。
とらの備忘録さん同様に驚愕とその後に押し寄せる恨み、取り乱す感情は私も経験して今に至ります。この衰退は神の残念じゃないのか、神が働いていたらこんな無様な事にはならない筈、と上に訴えても黙るばかりです。
彼女が洗脳から目覚めて心の呪縛から解放されて自由闊達に生きる事が出来るようにと思っています。天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。
消費税も上がり一億総下流と言われる今の日本経済。高齢信者が退場した後、毎年10億から15億、20億円のお供え金減少は当然の流れです。
我々犠牲者はこんな「守銭奴人間集合体天理教本部」の企みに乗らず、駆け引きなくどこまでも温かい御心で守護し続けてくださる天の親神様に心を委ね、絶対安心の心で日々を自分らしく豊かに、笑顔で暮らしていきたいものです。
小の流れが
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小の流れが<<
ミス入力です。
大きめの紙に実際に書いてみてほしいのだが、ちょっと自分の系図を作ってみていただきたい。
兄弟姉妹はこの場合無視して、自分の両親、そのまた両親、そのまた両親・・・というように。
すると、甲子園の高校野球のトーナメント表をひっくり返したような図ができあがるだろう。
この図を眺めていて気づいたことがある。
自分がいま存在している、それにいかに多くの先祖たちが関係しているかということだ。
六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
実際には、近親者同士が結婚した場合、先祖に重複する部分がでてくるので、そこまでの数字にはならないだろうが、それでも相当に多くの先祖が存在するだろうことは間違いない。
もし本気で先祖供養しようとすれば、一体いくつの墓参りをしなければならないのか、想像もつかない。
だが話はこれで終わりではないのである。
どこまで先祖を遡れるかということを考えてみた。
仮に、どこかで系図が止まったとする。
ところがその人物にも両親が存在することは確実であり、無からいきなり現れたということはありえない。
そのように考えてゆくと、驚くことに、系図が止まることはないのだ。
どこまでも遡れてしまうのである。
人類がどのように誕生したのか想像もできないが、もしも最初の人間がいたとするなら、そこまでさかのぼる事が出来る。
地球上の人類全ての一人一人について考えてみても、間違いなくさかのぼる事が出来る。
これがどういうことを意味するかというと、地球上の人類は、全て、血縁者であるということになる。
例えば文明と隔絶されたどこかのジャングルの原住民の方々も、我々の親戚なのだ、実は。
そしてまた気付くのは、「血筋が良い」だの、「生まれが卑しい」などということのバカバカしさである。
どう見ても、すべての人間は対等、等価だろう。
どこかの王様だろうが天皇だろうがなんだろうが、明らかに対等である。
つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
そうして考えてみると、国と国に分断されて、いがみ合わされていることの、なんと虚しく愚かしいことか。
政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
>>天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。<<
残念ながら犠牲者を救い出す方法はないでしょう。天理教のような宗教は「合法的詐欺行為」なので、法律で取り締まることができません。しかし、天理教から去りゆく人々は激増しているので、天理教がなぜこうした状態になったのかという社会の関心や注目度は増していき、天理教は社会的大バッシングを受けると思います。ともあれ、遠からず天理教は完全崩壊するでしょう。
>政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
おふでさき
2ー31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
32 とうぢんがにほんのぢいゝ入りこんで まゝにするのが神のりいふく
33 たんゝとにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
2-45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぃぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで
中国・ロシア・北朝鮮の核弾頭弾道ミサイルはその照準を東京や大阪など多くの都市に合わせているのが現実の東アジア情勢です。
TBSの「ひるおび」という番組に出演していた日本の軍事専門家は、
中国共産党は、月の裏側にミサイル基地を作る計画を持っていると説明していました。
月の裏側は地球から見えないので、そこからミサイルを撃たれると迎撃できないと話していました。
これに対抗するため、トランプ大統領は、宇宙軍創設のコメントを出したと思われると説明していました。
中国共産党の習近平指導部は、10月1日の建国記念日に大規模な軍事パレードを行っています。
そこで初公開された新兵器の東風41は最大射程1万2000キロ以上と推定される。命中精度が高く、発射台は車両で移動。核を含む10の弾頭を搭載可能で、迎撃が困難と分析されている。
軍事パレードの予行演習では、極超音速兵器を搭載する中距離弾道ミサイル「東風17」とみられる兵器が目撃されている。極超音速兵器は音速の5倍以上で飛行。低空を滑空し現在のミサイル迎撃システムでは対応できないといわれている。
中国は、この極超音速中距離核弾道ミサイルの照準を何処に向けるつもりなのでしょうか。
中距離だから、アメリカには届きませんよね。
10月3日、韓国では文政権を糾弾する大規模なデモが実施されました。このデモは文政権擁護派のデモをはるかに凌駕する規模でおこなわれたと韓国内で報道されました。
金正恩にべったりの文大統領に保守派が猛反発しているのが現在の韓国です。
今の韓国国内は保守派対北朝鮮派の分断状態だそうです。
アメリカを始めとする欧米諸国は、北朝鮮寄りの韓国を切り捨てに動いているそうです。
この動きは、既に2010年頃から始まっているらしいです。
おふでさきの核心部分は、2号(明治2年3月)から3号(明治7年1月)の約5年間だと須藤花井さんが話してくれました。
この隠された部分にこれから先の地球の本当の事が書かれてと言っていました。
おふでさきを今一度じっくりと読んでみてください。
(教会で声を張り上げ唱和するような読み方ではなく本を読む様にしてください)
おふでさきには、戦争がなくなるとか平和になるとか何処にも書かれていません。
そろそろ生前整理をしようと、家財を取り出していると、中学校の卒業記念写真が出てきた。驚いたことに、男子はすべて黒詰襟の学生服を着ているが、自分は色の薄い襟付きの母が作ってくれたと思われる服を着ている。
昭和29年と言えば、まだまだ、貧しい時代だったが、それなりに経済も回復してきたことも確かだ。
教会生活の貧しさが如実に伝わってくる証拠だろう。何もかもが本部、本部へと流れていたのだろうから。
当時、他人と違った服を着ていても幸いにもいじめには合わなかったことが唯一の救いだろうか。
天高二部に入り、詰所で寝泊まりしていたが、毎食時のおみおつけの具は刻んだキャベツばかり。業を煮やした修養科生が、たまにはトーフを入れろと文句を言っていた。
そのような折にでも、中山家は贅沢三昧だったのだ。それが証拠に二代さんも、三代さんも、ぽっちゃりと太って、いかにも裕福な家庭の子女を想像できた。2年生の時に軽い肺浸潤と言われて栄養を摂るように言われたが、栄養を考えることは夢の世界の話だった。
1斤30円の食パンを買って5枚の食パンを5日にかけて布団の中で食べるのが精いっぱいだった。
人の顔色ばかりを見る精神的な弱みを背負ってしまったが、よくぞ81歳まで生きられたものと思っている。
天理教のような宗教はコリゴリだ。子供達や孫たちには絶対に継がせてはならない宗教だ。
貧しいことは、ある意味幸せだったのかもしれないと思っているが、精神的なトラウマを負わされたことは取り返しがつかない。
追伸
食パンも買ってから5日目ともなると、表面にポツポツと黒い斑点が出ていた。今、思えばカビだったのだろう。多分カビと気付かずに食べていたのだろう。そういう時代があったということです。
人間を創られた神様が、我々人間に自由な心を持たせて下った。
神様の元始まりの設計思想では「人間たちが生き生きと生きる様」を想定していたのだろう。
ところが、自由な心であるが故に、神様の思惑を超えてしまった人間たちの心の使い方。
現実世界は天理教団の中でさえも、いまだに「普通に」「当たり前のように」分け隔てが「まかり通る」あり様。
「ご先祖様のお徳のお陰で」あるいは「先祖代々の因縁を納消するためには」という言い回しに振り回される我々信者。
これは誰かのTwitterであざ笑われてしまったが、以前投稿した、DNA情報と因縁の結びつき。
自分が選択した(つもりの)自身の思考・行為も、DNA情報に生まれつき刻まれている設計図の組み合わせによる結果のようである。
とすると「因縁」だからと言われる状態も、産まれた瞬間から身に持つ基本設計そのものなのだろう。
一組の男女から受け継いだDNA。
遡ると、「宗教は合法的なねずみ講 様 2019年10月9日 10:39 AM」のご指摘のごとく、
≫六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
≫仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
≫四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
≫つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、
≫単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。
退職した元信者様2019年10月9日 12:18 PM と 宗教は合法的なねずみ講 様 のご指摘に触発されました。
>>因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。<<
天理教の「因縁のさとし」自体、教団の金儲けのために人為的に造られた「まがい物」です。天理教の言う「おつくし」「いんねん」「徳」「ひのきしん」といった「天理教用語」もまた然りです。全て教会本部にとって都合の良いように造られ、あるいは解釈されてきましたが、そうした「天理教用語」を信じ込み、騙され、人生を棒にふってきた人達がどれほど多くおられることでしょう。私が「天理教は合法的詐欺」と言う理由の一つです。読者の皆さん、決して惑わされたり、騙されたりしないよう十分注意しましょう。
それにしても天理教信者の中には信者として恥ずかしい行為を平気でする輩がいることに呆れる。
バリ天に嫌われる内容の投稿をここに書き込むようになって以来、ここ最近、妨害行為を受けている。
警告音?異音?のような音を発するものだ。
投稿内容がバリ天が忌々しく思うような、ポイントを突いているから攻撃されるのだろう。
反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。
邪魔な奴だからといって嫌がらせをするのでは信仰者とは言えない。
多分、命令する輩がいるのだろう。
社会で天理教がカルトと見なされ、馬鹿にされる理由がこれだ。
命令に従う!
>>反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。<<
教団の意のままに動くロボットや傀儡を多くつくることが教団側の作戦ですが、洗脳されてしまっている、あるいは、元々知能が低く、物事を論理的に分析し論破することができないので、核心をつかれたことを問われると合理的な返答を即答できず、間の積まないチャランポランな返答しか帰ってこないのです。お気の毒な連中です。
匿名
2019年10月4日 8:16 PM
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
要会員の子弟がこの掲示板に投稿してきたという事実は何を物語っているのでしょうか。
皆さん、キャップストーンという石をご存知ですか。
ピラミッドの頂点に据えられた四角錘の石の事です。
天理教という巨大なピラミッドの頂点に居座る善亮一族とそれに連なる姻戚連中がそのキャップストーンであるならその下を支えるのが要会員であると思います。
その直属の子弟がこの掲示板を読み、深く考えた結果天理教を離れる決意をし、そして行動したのです。
更にこの掲示板に書き込んだのです。
この掲示板を通して天理教の理不尽さを糾弾する動きは、遂にキャップストーンの真下まで浸透して来たという事だと私は思うのです。
この動きは、既に本部在籍者にも深く静かに浸透して来ているのではと思います。
昭和55年3月 初めて須藤花井さんに会った時、次のように話してくれました。
「神さんはね、本部の連中は綺麗な着物を着て座敷に座って金をせびっている。
あいつらは座敷乞食だと怒っているだよ」
「次の大掃除の時には、本部の連中の三分の二はさらしてしまうと神さんは怒っているんだ」
当時の私は、天理教どっぷりでしたから 何と酷い事言う人だ思いましたが、今になってみればまさにその通りだと思います。
「三分の二はさらす」つまり「三分の一」ほどは神の目にかなっているという事でしょうか。
本部の皆さんも自宅で人目を忍んで、コッソリとこの掲示板を読んでいるのでしょうね。
そして、みんな「自分はのこれるのかな それとも死んでしまうのか」と自問自答している事でしょう。
おふでさき17号には、次の様に書かれています。
57 このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじょの事
58 このざねんなにの事やとをもうかな かんろ大が一のざんねん
59 このざねん一寸の事でハないほどに どんなかやしを月日するやら
「60 どのよふな事がありてもうらむなよ みなめゑゝにしてをいたのや」
「どの様な事があってもこのワシをうらむなよ
お前達はみきの言う事聞かんで好き勝手にやって来たんだろう」
親神は怒り心頭なのです。
この掲示板が出現したのも親神の計らいであるとブログ主に感謝しつつ思う次第です。
教団が今後抱える今後の負債を計算すると恐ろしいです。不動産管理業も連鎖倒産する勢いが有ると思います。やかた構想 で乱立させたあの気味の悪い建物たちの撤去費用はどうするのでしょうか?一つにつき何億?いや数十億かかるでしょう。「1つ土地を売って一つ潰す」を繰り返すのでしょうか?それもおかしな話です。中山家の運営方針の責任を何故教団全体で負わなければいけないのでしょうか?これもまた疑問 そこまで執着する意味はもう無いはず。もう中山家は教団を去った方がよろしいと思います。
どんな名の有る家に成長させても、一度汚点が着くと社会はおろか、世の名家からもそっぽ向かれます。
ここ最近の教団の焦った様な政策発表を見ていると銀行への借り入れが多いのではないでしょうか?と思います。多額の返済があるのでしょう。月額数億円の返済
寄付の激減、本部組織の維持費、銀行借り入れと返済、何れ来る膨大な建物の撤収費用 これらのリスクはもうテコ入れ不可能 保有するビルも早々に他人に売却した方が良いですね。
自分の身は自分で守るしかありません。
もうお供えの必要などありません。
「天理教」がさらに危険な団体になってしまう前に、いっときも早く洗脳から解かれ、勇気をもって被包括関係を解消することを望みます。
天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。
またもや台風がやってきますね。前回のを大きく上回る勢力だとか、神はお怒りですね。
>>天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。<<
天理教の最大の弱点というよりも、最大の武器だと思います。難儀して心の弱っている人、精神的に追い詰められている人に、更に追い打ちをかけて洗脳する非常に有効な手段です。本当に恐ろしいです。無実の人を心理的に徹底的に追い詰め、虚偽の自白を強引に引き出す警察や検察の取り調べの方法によく似ています。「身上・事上は道の花」という天理教の言葉がありますが、病気や困難で心の弱っている人達の弱さにつけ込み、天理教に引き込むための有効な手段であり、信者を増やす為の手段として非常に有効なのです。皆さん、
決して騙されないよう注意しましょう。
天理教では信者の身上は金品を差し出させる最高の機会ととらえられています。
だから信者達は、会長の前では自分や、家族の病気を大ぴらにしません。信者同士でのひそひそ話で終わらせます。
私は洗脳から解放されているので金品巻き上げる会長では無いが、彼らは代々の上級教会のえげつない恐喝の経験をしているので、今だに教会に知れたら、そら、お供えだ、出すものを出さんから、、等言われると思って恐れているみたいです。自分も含め天理教教徒は怯えながら代々信仰して来た。怯える信仰。怖れる信仰。心を縛られたストレスいっぱいの信仰。これが信仰だろうか。幸せと言えるだろうか?
彼らは心を恐怖で支配されているのでやめる気は無い。しがみついている。
徐々に心の解放に向かう様、親神様は愛でいっぱいの存在である事を伝えて行きたいと思っています。教会は心安らぐ場所でありたい、、。
二言目には金、金と恐喝、恫喝していた上級教会は代を重ね、信者家族からの裁判沙汰を複数抱えたまま出直して現会長へと交代となっております。人を困らせ、訴えられ、何やってんだか、です。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
未だにゴルフ練習場の鉄塔が倒れ込んでいる家々、ブルーシートに覆われた家々、さらには未だに電気さえ来ない家があると聞くと言葉を失う。
更に、19号が追い打ちをかけるように被災地を通るという。遠くに居る者には大難は小難にと祈るしか方法はない。教団本部はこの事態に何を思うのか。せいぜい災救隊を送るのが関の山だろうか。
中山家が教団を去れば、このような事態を少しでも減らすことが出来るのではないかと思うのは、余りにも穿った思考か。
天理教が陽気づくめ世界実現を標榜しているのであれば正念場を迎えている。
これからもお願いいたします。
読まさせていただいております。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
中山家が教団を去ったら、この様な事態を避けられる?
台風は台風、地球温暖化の影響もあるでしょう
東風Z 洗脳が解けてませんよね?
ヒノキエフェクト様のブログから転載させていただきます。
天理教の信者なら『台風=大風』
『おふでさき』
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
私のblogで何回か取り上げてきた。
月日りいふく=月日立腹 神の怒り である。
にほん(日本) から(唐) とふじん(唐人)・・・をキーワードに様々な文献等をあたっているが、”月日りいふく=月日立腹 神の怒り” が当然のような気がしてきた。
今世界中を『嘘』が覆っている。
二酸化炭素と地球温暖化
アマゾン大火災
消費税増税
韓国・・・慰安婦・竹島・旭日旗・・・
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」
原発
日本国憲法
太平洋戦争
あらゆるものに『嘘』が混じっていたり『嘘』そのものだったり。
もちろん天理教本部もだ。
12.111 いまゝでハとのよなうそもきいていた もふこれからハうそハきかんで
12.112 これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか
12.113 月日にハうそとついしよこれきらい このさきなるわ月日しりぞく
03.057 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
・・・結論から言えば
天理教の真柱 中山善司 は『唐人』
国の柱・・・総理大臣 安倍晋三 は『唐人』
世界の柱・・・国連 は『唐人』
04.016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい
から・・・とは・・・中身がない
神を識らない空虚な人間・・・嘘つき・・・嘘つきに従っている・・・心これがをかしい
これらが世界に蔓延(はびこ)っている。
13.034 それしらず月日ゆう事みなけして あとわにんけん心はびかる
13.097 高山でとのよなものがはびかるも このしんちつをたれもしろまい
14.033 このたびもまだせかいにハなに事も はびかるばかりなにもしらすに
14.039 このいけんとのよなものがはひかりて ゆふとをもゑばすぐにしりぞく
この蔓延(はびこ)っているものを、どうすれば除去できるのだろうか?
人間ではどうにもならない様な気がする。安倍晋三を辞めさても、次の安倍晋三が出てくるだけ。
だから・・・神としては・・・それに気付かせようと・・・立腹
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
あぁどうなってしまうのでしょう。
でも・・・神様を信じるのみですね。<<<
少なくとも嘘の塊である天理教団が重年にわたる自ら為した悪の所業を詫び、、誰もが納得する綺麗な形で自ら進んで教団を畳む事で、神の立腹も多少は違ってくるのかもしれない。悪がはびこっている・・・とは、此の期に及んで全国津々浦々の教会不動産をままにし売り払う、そんな画策が見え隠れする誠も真実もない我が身勝手な教団の存在そのものだ。
東風z様。
人生経験より出てきた貴重な体験、ご意見は本部以下未熟な人間集団に洗脳されてしまう若者や、いまだに恐怖を植え付けられ理不尽を甘んじて受け続けている現天理教信者の指針の1つになり得ます。この掲示板で救われた方々、後に続く方々の為に、
今後も体験に元ずくご発信をよろしくお願い致します。
匿名
2019年10月12日 10:10 AM
以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか
天理教団の悪行。ツイッターより。
>>理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。<>8月11日
匿名より
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
ウゾイ◯
うわ~正にその通り!
人を助け、励まし、喜ばせたらそれが還ってくる。これは道理。
逆にいじめ、虐げ、苦しめたらこれもまた還ってくる。
今の天理教団の姿を見れば後者の道理が顕れているのがハッキリわかる。
人助けを謳い、標榜しておきながら真逆をいっているという倒錯に驚くしかない<<
教団衰退の話題で、「本部が言うにはお供えが集まらないのも人が集まらないのも、悪いのはぜんぶ教会長なんだってさ!」と言うと、それを聞いた信者さんの開いた口がしばらく閉まらなかった。昨日の話です。
自然災害はあくまでも自然現象であり、宗教とは関係ありません。自然災害の原因は科学的視点から色々と考えられると思いますが、例えば、最近話題になっているリチウムイオン電池の開発が更に進み、再生可能エネルギーが、火力発電や原子力発電にとってかわるような時代がくれば、CO2も削減でき、地球温暖化や異常気象、放射能汚染の歯止めとなるかも知れません。地震や火山の噴火は別として、その他の自然災害は、人間側のライフスタイルにも責任がある「人的災害」なので、楽観論かもしれませんが、人類の叡智で、ある程度克服していけるのではないでしょうか?
>>以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか<<
台風の進行経路が、気の毒なことに千葉県に甚大な被害をもたらす結果になったということです。天理教とは何の縁もゆかりも無い千葉県民にとっては、単なる自然災害であり、「運が悪かった」とあきらめるほかないのではないでしょうか? 日本列島は、所詮、小さな島国です。台風の進路の角度がたとえ1度ずれるだけでも、被害を被る市町村は違ってきます。地震にしろ同じことが言えると思います。地上や海底の活断層の走り方や過去のマグマ等の地殻変動のしかた、あるいは、海岸線から近いか、あるいは内陸側にあるか等の地理的条件等、様々な要因によって、甚大な被害を被る地域と、それ程被害を被らない地域に分かれますが、日本列島のように、小さな島国の中に、47もの都道府県があり、その中に更に小さな市町村という行政区がある国家において、宗教の問題を持ち出すこと自体ナンセンスです。もっと視野を広く持ち、地球という惑星全体、そして、そこに暮らす。人間をはじめとする、あらゆる生物、そしてそれらを取り巻く地球環境の将来を考えることこそ一番重要だと思います。
天理教の壺世界のお話ですよ、親神が絶対神で、地球を動かしているなら
中山家のお話なんて、矮小過ぎます。
所詮、壺の中のお話に過ぎません、他宗派、他の宗教から見たら、どうでも良いお話です。
東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは? 洗脳が解けたなら、そんな考えはやめたら
良いんじゃないのかな?
日本の政治を変えるのは、投票からですよ
宗教は心、個人の問題だと思いますよ
>>日本の政治を変えるのは、投票からですよ
>>宗教は心、個人の問題だと思いますよ
その通りだと思います。自然災害は自然現象。人間の叡智と努力で克服し、解決できるものもあれば、そうでないものもあるかもしれません。すべては、人間の努力次第です。
崩壊さん、本当にそう思いますよね
災害は忘れた頃にやってくるので、備える事が大事ですし、公共事業など
それは行政の仕事でもあるし、
フクイチの惨事だって、人災の面がありますよね
災害に備えて、いろいろ考え備えるべきであって、神に祈るのは
人間として、できる努力をした、最後にお願いするものだと思います。
今回の台風は甚大な被害は出ていない様で、良かったと思いますけど
被災された方には、お見舞い申し上げます。
ノストラダムスの予言、当時の騒ぎを思い起こします。
御筆先、止筆とか、予言書の様に思える部分もありますけど
教祖様は、予言者では無いと思いますので
親神様がお怒りだーって、別に良いんですが、違和感あります
教団が廃れていくのは、なってくるのが天の理の結果でしょう
悪しき種が、花を咲かせてしまったんでしょうか?
そりゃ、親神様は、呆れておいでだとは、私も思いますよ。
>東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは?
思っていないんですよ。誤解を与えてしまって御免なさい。カキコから見てとれるのは、そのように思っておられる方もあるかもしれないと感じているからですよ。もともと、私は神仏の存在に大きな疑問を感じている方です。
例えば、人間は地球にとて癌のような存在ではないかと思うようになっているんです。癌は唯一この世で矛盾した存在だと聞いたことがあるんです。伝染力を持たない癌は宿主の死亡により、自分も亡くなる運命にあるからだそうです。
際限なく核兵器やそれを運ぶ手段(ロケット等)を開発する人間は地球にとって癌に似ていると思っています。
平和利用の核でさえ、そのゴミの処理方法一つさえ解決されていません。10万年安全に保管する手段を考えていると言いますが、10年程前の記録さえ見つからないとか、記憶にないとか騒いでいる現状を見れば、言っていることが絵空事としか思えないのです。
それでも、これらを解決できるのは人類以外ににありません。目に見えない神仏ではありえないと思っているのです。
さて、6千年は知慧の仕込み、と説く天理教は自然災害を始め人類の行動にどのような指針を示せるのか。多分、何も言わないのか、それとも、何も言えないのか。おさづけだけではどうしようもないのではありませんか。
人を助けようと思っている心がある一方で、人を殺めようとする心が潜んでいるかもしれない心。不思議なものです。人間らしく生きるということは一言では言い表せませんね。
天理教が心底から人を尊重する宗教であったならば、今のような状態にはなっていなかったでしょう。何が間違っていたのかは、教団中枢部が考え、反省することです。その第一歩は、人をバカにしないことです。
中山真柱以外で、それに次ぐポジションとしての本部員人事に対して信者が関与できないなら、金家ならぬ中山家独裁主義になるのは当たり前だが、そんな事が百年以上も続いてきたの? 馬鹿なの? それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
世界救世教だったでしょうか、教主の岡田氏が信者の総意で解任されたとか聞きましたが、信者が束になれば、引きずり降ろせると言う事だと思いました。
天理教も中山家独裁に対して信者が束になれば、解任に足る悪業を継続して来ています。天理教徒はもっと怒っても良いし、徹底的に隠したい資料の有る開かずの書庫がある事や、それに元ずく教理改ざんや、透明な不動産取得と売上金の隠蔽、疑惑事案が多数隠されているのが現天理教の実情です。
徹底的に欲に切りない埃をかぶった人間集団、中山家一族。神の化身は天理教団には出ようも無く、神の化身は既に日本各地に出ていますよね。
天理教はもはや中身の無いスカスカのかすです。
訂正。
透明なを訂正して不透明な、とします。
今回の台風で、避難所になった台東区の小学校に避難しようとしたホームレスの男性が、受け入れを拒否されたそうだ。
ホームレスの方々も、避難所など行かずに、天理教の教会に行けばよかったろうに。
常日頃から、「人を助けてわが身助かる」などと大層なご立派なことを散々のたまわっていらっしゃる天理教の方々は、
まさか受け入れを拒否したり、しませんよねぇ?
100年前のこと
大正7年(1918 立教81年)2月15日 茨木基敬本部員の免職の辞令
大正7年(1918 立教81年)3月22日 北大教会の土地・建物その他全部の名義を本部へ引き継ぎが完了。茨木父子免職事件は一段落を告げる。
大正7年(1918 立教81年)3月23日 上田奈良糸、おさづけストップ
大正7年(1918 立教81年)7月11日 中山たまへ、おさづけの運び初め
平成29年(2017 立教180年)7月26日夕勤め前、一青年によって甘露台が倒壊した。
平成30年(2018 立教181年)7月21〜23日 本部にてお願いづとめ
真柱の回復を願う、お願いづとめが7月21〜23日、本部朝づとめ後に行われるそうです。(Ameba. https://ameblo.jp/sikiie5429/entry-12392237936.html)
昨年の甘露台のふしよりも強い警告のように思う。(天理教ORTHODOX 2018-06.24最終警告…? http://blog.livedoor.jp/mkosetu-jr/archives/1071714004.html)
>それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
本部中枢の人間達は、この様な考えを持っていないと思います
その理由
おや様は、孫娘の梶本ひさに「先いったら高知から神さんが出て来る」と話していたそうです。
おや様の三女はるが、梶本惣次郎に嫁ぎ、孫娘のひさが生まれました。
八島氏によれば、
ひさは、おや様が亡くなるまで側にいておや様の身の回りのお世話をしていました。
その為本部中枢の人間達も知りえない話を沢山聞いていたそうです。
梶本ひさを口封じする為に、山澤為造が強引に自分の嫁にしたそうです。
おや様が亡くなった後の事です。
山澤為造は、子供のいない高知大教会の島村菊太郎の養子に妻ひさ の実家の甥 梶本國治郎を送り、そこへ自分の三女サワを嫁がせました。
サワが亡くなると 為造は五女「ヒサノ」を嫁がせています。
為造は、高知大教会から神が出て来ると信じ、自分の娘を次々に送り込んでいたと思います。
為造は、播州のおや様「井出くに」ではなく「高知大教会の神」を待っていたのでしょう。
為造は、自分の娘から神が出て来ると思っていたのかもしれません。
しかし、高知大教会に神は現れませんでした。
神は、高知県安芸郡田野町に現れたのです。
その人物が「須藤花井・面足命」です。
昔、本部のすぐ西側に三島という名の小さな公園がありました。この公園の本部側に木造の古いアパートがあり、須藤花井さんはそこを住まいにしていました。
前述の「ヒサノ」(山澤為造の五女で高知大教会夫人の島村ヒサノ)は、本部中枢を代表して密かに須藤花井さんに挨拶に出向いています。
ヒサノは、須藤花井さんに次の様に挨拶したそうです。
「私は、小娘の頃から神さんは高知から出て来ると聞かされてきました。
やっぱり間違いはなかったですね。
どうぞこの紙に神さんの言う事を書いて下さい。」
と言って白い紙の束を置いて行ったそうです。
島村ヒサノに話したのが、母親のひさ(おや様の孫娘梶本ひさ)です。
為造本人や息子の山澤為信も当然聞いてるはずです。
須藤さんは、「ヒサノ」から貰った紙に国常立の言う事を書き留めて纏めたのが「月より神言」だと私に話してくれました。
「月より神言」P186に次の様な一文があります
「あとのこうきはなんぼお前が書かんと言うてもわしは書かす」
「月より神言」が「後のこうき(口記・後記・稿記?)」だと私は思います。
須藤花井さんの肉声を聞いたみたいと思う人は、「月より神言」を検索してください。
平成4年に須藤花井さんが東京の日本橋公会堂で行った講演(60分)が3分割されてアップされています。
須藤花井さんは平成9年に亡くなりました。
須藤さんは、生前 善司さんの身を案じていましたが、やはり病に倒れてしまいました。
おや様が亡くなり、本席が亡くなり、井出くにを追い出し、ナライトを排除し、高知からの神も退いた・・・
天理教本部には、舵も無く、舵取りも居ません。
行くあてもなく、ただただ世情に漂うおんぼろ船です。
追伸 「月より神言」を検索するとトップページに 「6.お日様の東京講演より」の項目があります。
そこで 須藤花井さんの話が聞けます。
各地の河川で、越水、氾濫、決壊が相次ぎ洪水が相次ぎました。天理教では火と水がお互いに作用する対極的関係でしたよね? 火のつけ方を間違えたから水に問題が出ではないですか?
「金の繋ぎは命地の繋ぎ?」洪水で死んでいった人に金は一切関係有りません。それにその間違った事を表統領 中田善亮が言い続けているからこの事態が起きたと言えます。
さいきゅう隊?さいきゅうする前にちゃんと祈り天変地異が起こらないようにすべきです。まともな考えを持つべきです。天理教は何の役にも立ちません。
BBC NEWS JAPAN
台風19号「ハギビス」被害拡大、各地で死者 記録的豪雨で河川氾濫
https://www.bbc.com/japanese/50029221
匿名
2019年10月13日 6:44 PM
教団の業績が悪いのはトップの責任です。そのトップを立てているなら役員の連帯責任なので、本部員にも責任があります。その教団の例の様に信者の多数決で、真柱と本部員を降ろすことはできます。過半数あれば降ろせます。揉めるなら裁判所や文科省に提出すると良いでしょうね。
このままずるずる続けても教団も中山家に引きずられて無実の信者さんたちも巻き込まれてしまいます。まるで洪水ですね
教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
全くその通りです。しかし、トップは業績悪化は教会や教会長が悪いと現在言っている。本部修理人にトップの責任を問うた時、指示、命令、方向性を考えるのは本部では無く大教会だと言った。それでは本部は飾りか?
本部の打ち出しに素直に従えと、何度も何度も刷り込まれたのは何?
衰退もお供え不足も人が集まらないのも、ぜんぶ大教会以下末端教会長の怠慢だと言う間抜けた感性。
トップとしての自覚も無ければ当然責任を取ろうとしない。全ての責任は自分達にある事に気がつかない大馬鹿野郎です。(汚い言葉で失礼)
昔、山一證券が潰れた時、社長が「悪いのは全部私です。社員は悪くありません!!」と涙ながらの絶叫を見たが、神の心を見た気がしました。
神に背いているのに正面から開き直り、見栄と体裁を繕うこの組織とトップ達はこの衰退を見る限り、完全に神の目からは弾かれています。
<<教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
宗教や教団の「業績」とは一体如何なるものでしょうか? 私には理解できません。宗教は営利企業ではありません。
現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。
中山大亮氏の結婚披露宴について、この掲示板でも大変物議を醸しましたが、近日、予定されている天皇陛下の就任祝賀パレードは予定どおり執行されるのでしょうか? 台風の甚大な被害で多くの国民が苦しみの渦中にある中、敢えて、天皇陛下の就任祝賀パレードを実施すれば、日本国民のみならず、世界中から顰蹙を買い、日本の国は世界中から馬鹿にされても仕方がないでしょう。本掲示板の趣旨からはずれたと思いますが、敢えて投稿させていただきました。
>>現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。<<
全くその通りだと思います、民間営利企業であれば、社員個人個人の売り上げや契約件数等によって、月々のサラリーやボーナス、昇進の査定が決められます。
いうまでもなく、宗教とは見返りを求めるものではなく、信者数の獲得や「お供え」の獲得を競うものではありません。「人間の心のあり方、人間の生き方についての指針を示すものです。」現教団がやらせているのは「信者数の増加やお供え金の増加を目的とした業績アップ」を狙っているのであり、真実の宗教でもなければ信仰でもありません。
いずれ棟梁四人いる。
天啓者の巣窟であって、神の化身のような人達、世界人類の棟梁達のお姿を拝する事が出来る、お地場のお屋敷はいつ実現するんでしょうか??
本部人事の責任者の方にお尋ねしたのですが。
本部の責任転化、やかた構想の偽り うそしかつついてきてない神を追い出し教団を乗っ取った中山家ですから、大教会に業績を競わせても事すでに遅し、もう離脱論を支部や教区での仲間内の雑談の主題で毎回話してるぐらいです。カネカネいってる宗教とはなんとも滑稽100年の洗脳も解けることに気が付かない愚かな輩しか居ない本部も滑稽全て滑稽(笑)もう遅くても10年後には本部は残っているのでしょうかね。今後残る教会も信者も人柱として寄付しろと言っている本部に未来は無い。ネットでの書き込みの方がもうすでに真実味と信仰の域に達してしまって以上、上級、大教会はじめ天理時報はおろか真柱の存在価値すらないことに気がつけないのが痛々しい。
組織と中山敬治のためだけの言葉にどのような信仰の意味があるのかしっかりお伺いしたいものですね。答えられないでしょうが(笑)
東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。
中山家、教団幹部も、末端で活動する、教会や信者の方を向いていないんでしょうかね?
信者に寄り添わず、その心も支えもしない教団なら、だんだんとみんな離れて行くでしょうね。
首相の支持率48%なんて報道するけど、実際は10%も無いと言われている様に、本部の支持率も低下しているのでしょうね。
宗教団体と言うのは、強く信者を惹きつける、魅力ある存在が中心にいてこそ、成り立つと、私は思います。
現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。
>>東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。<<
本当に、今の内閣も天理教幹部も「御身大事」ということですね。天皇陛下のパレードは予定通り実施するらしいですが、実施すれば、後の世まで未来永劫、語りぐさになり、世界中から笑いものになることでしょう。 下々の窮状に眼をつむるものは、政治にしろ、宗教にしろ、指導者の資格などありません。
>>現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。<<
重たい重量物を運搬することができる象でさえ、許容重量を超える荷物を背に積めば、足を痛め、歩行不能になります。競走馬のサラブレッドですら、過重な騎手が騎乗すれば、重さに耐えきれず、骨折したり、本来の実力を発揮できません。トレーラーやトラックでさえ、所定の積載重量を超過すれば、ブレーキがききにくくなり、正常な安全運転はできません。今の天理教が全く同じ状態です。有り余るものを持っているのかどうか存じませんが、おそらく持っているのでしょう。しかし、持っているものの過重に耐えかねて自滅の運命を辿るのは、とりもなおさず天理教です。まさに「因果応報」、「悪因縁」のなせる技です。みなさん、しっかりと天理教が崩壊していく様を見とどけましょう。
崩壊
2019年10月14日 5:46 PM
日本国と天理教では組織規模が違います。先進国と、潰れかけのカルト宗教を比較するのはちょっと間違ってまよ。日本に失礼です。真柱はナンチャッテ神様だそうです。天皇は人間です。日本人統合の象徴です。その下に居るナンチャッテ神様を祭ってる天理教中山教団なのが現実です。恥ずかしいですね(苦笑)
匿名様(10月15日 3:01 PM)
比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
日本人として誇れる母国であってほしいのは言うまでもないこと。
けれど、政府と一部文化人・マスコミの「すばらしい日本・日本人」キャンペーンに騙され続けるばかりの我々です。
即位の礼に関して言えば、儀式を先送りにしてきた「ツケ」が今回の惨事にもかかわりが有ったのかもしれませんね。
きっちり自分の役目を果たす覚悟の無いまま結婚した彼女の現在をみるにつけ、何ともはや・・・。
「かわいそう」と、同情するばかりでは人は成長できないというよい例でしょう。
なぜか美智子様を非難する人々は現皇后を支持する。これってどうなのよ?という素直な庶民の感想です。
パレードは実施されるにしても、都民としては見物には出かける気持ちにはなりません。
この庶民感覚は私一個人のものではなく、スーパーマーケットのレジ打ちの皆さんとも共有しています。
所謂、井戸端会議。美容院での話題でも「そうだよね」とか、「勝手にやってください」とばかりの冷たい反応です。
人の不幸を悼む感覚の持ち主であれば、喪に服すような心持を、何かで表現するでしょう。
とは言えパレードに群がる人々を非難することはしません。お祭り騒ぎが好きな日本人なのですから。
でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。
当日は小雨交じりの曇天だったりして・・・。
来年の事で恐縮だが、東京教区設立百十周年記念祭(2020年4月4日)に真柱夫妻と大亮さん夫妻が参加するそうだ。
真柱の身上からすれば付き添に夫人が同行することは当然だろうが、大亮さんの夫人はいったい何しにやってくるのだろうか。
子供も当然連れてくるだろうから、いわば一家揃っての上京だろう。
東京教務支庁はソメイヨシノの誕生地でもある巣鴨に在るから、桜の季節にはお花見にうってつけの地でもある。
お花見に子連れでくるのは別に構わないと考える向きもあるかもしれない。
しかし考えると、各人それぞれにお礼が渡されるのだろうから、集金旅行という面も併せ持つ訳で、布恵さんもその一員だ。
その上、デズニーランド好きで知られているから、子供も大きくなって、季節も良い4月に、デズニーランドへ行こうとでも考えているのかもしれないと、想像してしまう。
勝手な想像だから、スルーして頂いて構わないが、「ちょうちん持ち」の親戚の教会の女子供も同行するのかもしれない。お忍びで、といっても、必ずどこからか漏れる。何故か。それは耳にした人の中におかしいと考える人が増えてきたからだ。だから噂話の中で積極的に広まるわけだ。
こんな指摘をすると、必ずやTwitterで「そのくらい、いいじゃないか」という擁護派が訳の分からない判断基準で考えをアップするだろう。それは考えるポイントがずれている人たちだ。
働いて自分の収入がある人達であれば「陽気遊山」をしゃれこんで一家で遊んでも結構な事だ。
しかし、集金旅行のついでの「物見遊山」では親神様が嘆くのではないか。
世間的にも通る話ではない。
たとえ非上場会社であっても、社長の出張旅行に嫁と孫まで同行するようでは社員から顰蹙をかうだろう。
天理村の狭い価値判断で東京へ来ないでいただきたい。
たとえ予定通り記念祭に参加したとしても、私は暖かな気持ちで歓迎する気にはならない。
第一、大亮夫人は何の役目をおっての上京であるのか、答えられるものならば答えて頂きたい。
公私混同を平気でするようでは世間知らずというだけではなく、後継者夫人としては勉強不足だと、だれもが感じるだろう。
恐らくは危機感がないのだろう。
危機感が薄い理由としては、お供えが減っても、中山家としての資金がどこかに有るからなのかもしれない。
教高高校閉鎖、教会整理という現状下での「顎・足・土産つき陽気遊山」は「恥」と思え。
>>でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。<<
その通りだと思います。
のぶえ奥様が東京の記念祭に来られてもべつにそこまでは言わなくてもいいと思います。擁護派がそのくらい、いいじゃないかと言っていますが、ほんとうにそうだと思いますよ。
来て欲しくないなら、あなたが行かなければいい話です。
匿名
2019年10月15日 4:49 PM
>>比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
根っこが日本と思い込んでるだけではないでしょうか? 現在の中山家は日本人とは思えない判断をしています。それに国とカルト宗教では財源とお金の回転が違います。
国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。
一方1団体の浪費は皆さんご存知の通りの浪費です。教団の財政が厳しいのに数億かけて結婚式をする意味は無かったのです。
と国の経済は、一家庭や団体会社の経済とは全く持って別物だという事ですね。しかしこれをTVや新聞がちゃんと教えないの問題なんですがね。
経済の形で言っても、国と民間ではこれほど違うので、トップの振る舞い方は真逆なのです。
その昔オウム真理教が、各セクションを省や庁と名前をつけて問題になっていました。国を模すのはいいが建国しようとしていたのか?とこれに対してオウム真理教側も是正報告をメディアに出していました。
天理教や中山家を見ていても、国を模倣しているが中身が追いつかずと見て取れます。奢り高ぶったただの狂人でしょうね
貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。
若い時に貧しかったのは、天理の皆さんばっかりじゃないですよ。
日本全体が貧しかったんです。
食事が豊かでも勉強勉強とストレスの多い生活であることもある。
悪口ばかり考えていても楽しくないですよ。
九州も北海道も東北も災害復旧中、今度は千葉に長野に茨城に仮設住宅も必要だし、復旧予算も必要だから、大変なんだけど、でも景気回復には、陛下のパレードが重要だ! 8000万のオープンカーも、一回限りで使い捨て! でもきっと国民は喜ぶぞ? ラクビーも勝ったし、悪いニュースは伏せて、景気の良いニュースだけ流そう! 首都の被害は、放送自粛だ、何、この程度で済んでまずまずだからな!
馬鹿な大将、敵より怖い・・
匿名 様
>貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。
若い時に貧しかったのは、天理の皆さんばっかりじゃないですよ。
日本全体が貧しかったんです。
食事が豊かでも勉強勉強とストレスの多い生活であることもある。
悪口ばかり考えていても楽しくないですよ。
私もそう思います。
でも、言いたいのはこの組織が持っている理不尽です。
真実に目を閉じてはいけません。口を閉じてはいけません。耳を閉じてもいけません。
真実を知った上で、それを分かった上で、自分自身の責任で前を向いて歩いていきましょう。
大教会記念祭における最低ラインの予算書(部内50)
御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
何と悲しい宗教でしょうか。このような高額の御礼を何のためらいもなくポケットに入れて帰れる神経が分からない。
よくにきりないどろみずや、と説いておきながらだから質が悪すぎる。
教団上層部は庶民の暮らしの現実が見えているのかと言いたい。国民年金を40年間加入した満額でも手取り額は月額6万円にもならない現実。その中からお供えをしている人が居られることに、思いが至るのであれば、このような高額御礼を何のためらいもなく持ち帰れる神経が理解できない。
もっとも、出す方も出す方だが、双方に神経が狂っているとしか言いようがない。
お入り込み人も、一般信者と同じく出された直会食を食べて帰ればいいだけのことだ。お腹が空いている時は、一膳のご飯がどんなにおいしいことか分かっておられるだろうか。
私が勤めていた職場では、総会後の宴会では政治家、行政府の長等の来賓はじめ職員も含めて全員が同じものを食べていましたよ。
やはり、「集金旅行」という問題点から目をそらす投稿が現れましたね。
後継者夫人としてどのようなお役目が有って来られるのかを問いただす答えにはなっていませんね。
天理教組織の問題の根深さは救いようがないと、改めて外野の自分は感じさせられました。
問題提議に対して、記念祭に
≫「来て欲しくないなら、あなたが行かなければいい話です。」
これが大人の回答でしょうか。
たとえ信仰していない人でも、教養ある人はこのような「切り口上」の言葉を口にしません。
問題提議を「悪口」としか受け取れない人たちだからこそ、ここまで天理教は落ちたのでしょう。
中山家が封建的な組織の頂点に立つことを許してきた天理教組織の体質は、「匿名さん」のいう「日本」そのものの体質だと私も考えます。
平らな世界にせよという教祖様の教えをいまだに実行できない人々が「陽気暮らし」を説いたところで「口先三寸」の言葉は信者から聞き流されるだけです。
匿名 2019年10月16日 12:03 AM さんへ
あなたの文章 ↓
「国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。」
本気でそう考えますか?
匿名
2019年10月16日 4:18 AM
>>貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。<<
理想論は現実とは異なります。幼い子を何人もかかえ、寝る間も無くパートやアルバイトを「はしご」して、自らの健康まで害するほど働いているシングルマザーにとって「もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。」という心の余裕など到底ありません。生活していくためにただひたすら働かなければならないのです。
>>国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。<<
税金は一部の国民(特に富裕層)に戻っていくのかもしれませんが、被災地で難渋している人達には戻っていきません。そんなに国民行事が日本経済にとって有効であるのならば、毎年のように巨額の経費を投入して国民行事を実施をしたらよいのではないでしょうか? 北朝鮮のど派手な軍事パレードを実施するために、どれほど多くの一般国民が苦しんでいることでしょう。
天理教が衰退した原因を考えるスレ より
俺の元カノが天理教信者だった
顔は可愛くてバージンだったけど
どうしようもない性格に何回も泣かされた
若かったけどつまらないことで悩んで考え込んで・・・天理教の害毒だったと今ではわかる
一緒にいても楽しくないし結局5年も付き合って結婚しなかったけど
これで良かったと今では本当に心から思う
もし結婚してたら俺の給料ほとんど天理教へのお布施
時間もエネルギーも休日も天理教へつかわれる
地獄の家庭 100%確実別れることになってたと思う
天理教の害毒と中途半端な大学卒のプライドが彼女を不幸にしたんだろな
私達夫婦は、妻の私が洗脳状態。夫に隠れて実家教会にお供え金上納。夫には絶対言えない金額。各種行事の参加へは、今日は友達と旅行と言い、今日は習い事の友達と出かけます、、と言い、夫を騙し続けて来たが、ある時、嘘が発覚。
現在別居生活10年越えです。先日夫が離婚用紙を持って来た。さて、どうしようかと悩む日々です。
洗脳が覚め、大金を失い(実家の親の顔が上級に立ったなら良し、としていますが)
天理教の教え通り、天の貯金を信じて子供に対して徹底的に物から遠ざけ、物は与えず、天の貯金を楽しみに苦労させた。その結果こんな毒親に育てられた子供達とは親子断絶状態に。貧乏させた結果、満たされずに育った過程で精神的に自信を持てない
子に育ってしまった。
「あんたには何もしてもらってない」と言い、何かアドバイスしようものなら、「あんたに言われたくない」と言う。私は天理教を信じたからこその極端な親だった。
結婚生活は破綻し、子達の心は母親から離れ、親に愛される温もりを経験せず。子供を持っても子育ての仕方が解らないと悩む娘。「私はあんたに育ててもらってないから、どうして良いか解らない、、」と。
天理教からの実害は本当に大きかった。
今更悔やむが、もう済んでしまった事。この苦しみの連鎖が子や孫にまで続き得る現実。子は当たり前の子育てが出来ないと今苦しんでいる。
幼少時からの刷り込みを本部少年会などは良しとしているが、将来的な判断能力を幼少期から抹殺してしまう養育環境は、子供の健康的な精神を全否定することに等しかったと悔やみきれない。
我が子達が天理教の二次被害者となった現実がここにあります。
理だてについての投稿コメント 『ヒノキエフェクト様ブログに投稿されたものより』
「私の場合、もう55年も以前の事ですがその年に収穫した果物を中山に持って行きますと長らく待たせておいて奥様がこられ、果物なんかいらん、お金を持って来なさいとはっきり言われました、家族に話したところそれ以降天理教団の中山との付き合いはありません
教団として規模を大きくするために理立と言って金銭を集めるようになったと思います、真柱の中山は元は梶本であり商売人であり、金儲けが主であった事が証明されています、教祖中山みきの教えとは違うことは言うまでもありません。」以上。
梶本が商売人なら中山は金貸し。土地を担保に金を貸し、農民から土地を取り上げて来たのです。当時から「中山さん地持ち」と言われたのはそう言う事です。お金を返せなかった貧乏人から担保の土地を取り上げて太っていったのです。ろくな者ではありません。中山家は当時から血も涙もない「金取りの質屋家業」です。今の中山家の天理教がいまだに金を取る家業をしているのは、その精神が連綿と続いているからです。
教祖在世中の貧乏も長男の博打の借金返済に土地を年切り質に入れて貧乏していましたが、後でお金をこしらえてちゃんと買い戻しています。難渋に施したのが原因で貧乏した訳ではありません。
貧のどん底の原因を作ったのは女狂いで博打狂いのならず者の秀司。脚を患った原因も女狂いの性病が原因。純情な信者はこう言う事実を全く知らされずに美談だけ聞かされています。
教祖はお金に目がくらんだ長男秀司には手を焼いたらしいが、ひな形としての教祖の
晩年は決して貧のどん底に居た訳では有りません。史実を調べれば当時の様子が書いてあります。
貧のどん底をひな形にして利用し、どこまでも信者の金集めに利用する中山家。
いまだに騙されたままで真実を知らない信者さんが私の周りに多勢います。言えば皆さんびっくりされます。
この掲示板を新たに見に来るかもしれない方々の為に、今では周知の事実ですが敢えてここに書かせていただきました。
2019年10月16日 6:22 PM の匿名さま
洗脳が覚めたのですね? それはなぜですか? 洗脳が解けた原因は?
わたしも匿名様と同じような子育てをしてしまった教会の娘です。
自分もそう育てられて来たので、そのようにしか育てられませんでした。
子どもが中学生の時に自分の間違いを自覚し、今は実家の親とも決別。
今までの自分の価値観が崩れ去り、一時は何が正しくて何が間違っているのかもわからなくなりました。
それから価値観の再構築、物の見方が180度変わるまで、何年もかかりました。
今でも自分の判断が誤っているのではないかという不安は時々あります。
天理教の子どもは「毒親」に育てられています。間違いなく全員。親が同じ考え方と価値観なのだから。
「毒親」に育てられた子どもは、同じ「毒親」になるか精神を病むかどちらかです。
教会、特に末端教会で育つ子どもたち、育ってしまった大人たち。
一生、生きづらさを抱えて生きることになります。
匿名さんです。様。
2つ前の匿名です。
私は末端教会の娘で両親達はとにかく上の圧力と権力に口を封じられ何も言えずに、上に従うと言う、押さえつけられた環境で育ちました。匿名さんです様も私と同じ道を歩まれたのですね。偏狭で偏った環境が精神に及ぼす悪影響は地方の 小さな教会で育つ子供達の上に人知れずあちこちで起きていると言う事ですね。
不健全な精神に育ってしまう影響は子孫に及び、自分だけの問題にとどまりません。親から子へ孫へと、その毒が連鎖していく恐ろしさがあります。
私は今、愛情のかけ方が解らないと言う娘の戦いにも似た子育ての苦しみを目の当たりにして立ちすくんでおります。
洗脳から醒めたのは、金、金、金の容赦ない要求をしてくる上級教会の存在に深い疑問を感じていたと言う事。思春期から老年の今に至るまで、何の精神的癒しも得られなかったと言う事です。
押し付けの教理が嘘、誤魔化しであった事、各種美談も嘘である事など、この掲示板で知りました。その後、図書館で天理教関連、宗教関連の資料、芹沢光治良の本を読みました。湯河原の大徳寺さんの存在を知り、話を聴きにも行きました。
最終的に、天理教がろくでもない集団である事が今頃確信に変わりました。
ただ、匿名さんです様と同様、恐怖の刷り込みがわずかに残っているのか、自分が間違っているのでは、と時々不安が頭をもたげる時があります。
長々失礼しました。
2019年10月16日 6:22 PM の匿名さま
私も全く同じです。この掲示板で情報を得て、図書館で芹沢光治良の本を借り、人生でこれほど本を読んだことがないぐらいに関連する本を読みました。
亡くなられた植田先生の集会にも参加しました。
私たちのような教会子弟は、大勢居られるのではないでしょうか。
この掲示板は本当に貴重です。
これからは匿名さまが、人生を自分のために楽しんで生きることです。
お嬢様には、自分の人生を語り、これまでのことを謝罪して、人生を楽しむ姿を見せることがお嬢様の悩みを解決することになると思います。
偉そうにすみません。。。 返信ありがとうございました。
2019年10月16日4:18AM匿名さま
あなた様のコメントを読んで様々な思いが湧きおこりました。子供時代よく思ったものです。今より貧しくていいから教会の子共でなく労働者の家に生まれたかったと。お父さんとお母さんが協力して働き一生懸命に家庭を作っている周囲の子供たちがどんなにか羨ましかったか。
先祖は親神信仰も本部も上級も一体と思って信仰に励んでいたのではないでしょうか。財産もお供えし単独布教し熱く燃えたでしょう。そして親も先祖の信仰に迷いなくついて行った。しかし子供はたまったものではありません。
子どもは親の所有物ではありません。この当たり前のことを子ども自身が自覚し親から自立するのがいかに難しいかここのコメントに寄せられる方々で感じます。
若い方々に言いたい。まず精神的に自立をしてください。次に経済的に自立する計画を立ててください。
その思いを胸に秘めながら。信仰をするかしないかはその後でいいのではと私は思っていますが。
私は子供に天理教の信仰を継げてません。同居の母が宗教嫌いだからです。だから仕事のふりをして行事に行っています。
でもうちの子も「何もしてもらってない」「あんたに言われたくない」的なことは言われたことはあります。
それは一般家庭でも普通に聞かれる言葉ではないでしょうか。
天理教のせいだ、毒親だと皆さんおっしゃいますが、無宗教の祖母や主人や親を大切にする教えに添って同居した私に甘やかされて育った子供も結局は言います。同じです。
厳しく育てられたお子さんは、厳しかったことが糧になっていると思います。子育ての仕方が分からないと悩むのは、皆そうです。
父は無宗教でヤギの乳で育ちました。母はいなかったです。父の父は子供の頃に亡くなりました。それでも私は育てていただいたです。偏った父に感謝する心を教えてくれたのは天理教でした。
秀司さんが性病で足を患ったと書かれてます。足を患う性病、何ですか?片足を患う性病とは何ですか?
櫟本の考え方でも十全の御守護の配置は一緒です。国家神道政策で多少無理矢理変えられた部分はありますが、大筋は生きていると思います。
全てを洗脳だったといって切り捨てるべきではないと思います。
別居されて信仰を守った方は、全てが嘘だったと思わないでほしいと思います。
私は十全の守護の配置に感銘を受けています。配置で対になる御守護を裏守護といいますが、裏守護で一方が見落としがちだけれど、大切にしなければいけないことが裏守護で出てくるという、人生の妙があります。うまく表現出来ませんが、大筋で理屈としてあっていることを否定してしまうのは、人生の法則を失うことでもあると思います。
一般家庭ですが、子供と一緒に旅行に行ったのは実家が連れていってくれた父親なしの一回だけ。旅行にも行ってないです。
確かに子供の頃は旅行によく行きましたが、小中学生の頃夜中の0時まで勉強させられる毎日でした。
一般家庭には一般家庭の苦労がありますよ。
信仰で離婚しそうになられている方に私の心も泣きそうですが、決して天理の芯の部分が間違っているわけではないと私は思っています。
子供おぢば帰りは泊まりで子供と一緒に行ったので、旅行といえば子供おぢば帰りですね。
ちなみに梅毒では妄想や進行性麻痺が出たりするそうですが、麻痺に至るまで時間がかかると思います。18から症状の出ている秀司先生には性病からの症状というには早すぎるように思うにですが。
宗教家業最聖感とお地場の人事は、間違ってるんでしょうね。
そのせいの選民観念と専従者同士の上下関係やイジメがキモイんですけど。
でも、そのほかはいい教えだと思いますよ。専従の方もお人よしというか、善人が多いですしね。
配置で対になる御守護を裏守護といいますが、裏守護で一方が見落としがちだけれど、大切にしなければいけないことが裏守護で出てくるという、人生の妙があります。うまく表現出来ませんが、大筋で理屈としてあっていることを否定してしまうのは、人生の法則を失うことでもあると思います。<<
大筋の理屈、これは天然自然の真理で、相反するものが互いに補い合って1つのものが完成します。宇宙の森羅万象はこの真理で成り立っていて天理教が特別な事を発見した訳ではなく、科学の世界でもこの真理を否定したら全ての現象が成り立たない世界です。天理教の専売特許ではないです。
貧困は世界的な課題です。貧困を推奨する流れは今のところありません。神の望みは真の意味での豊かさです。我々には知らされていませんが、教祖は食べて着て、楽しめ楽しめと言う言葉を残されています。贅沢せよではありません。天の与えは享受すれば良いと言う事です。与えを返上させて貧困を推奨しているのが現天理教です。
相反するものが補いあって一つのものが完成するという宇宙の森羅万象とは分かりやすい表現ですね。十全の御守護の場合その2つは相対する位置にあって、その2つが相関関係にあるとは普通に生きていたら気がつかないことが表にまとめられていると気がつきました。ここはまさに教えの部分だと思っています。
また現代の教育が追い付いていない部分でもあるのではないかと思っています。
記憶が曖昧ですが、「食べるもの、着るものに心をわずらうな」といったような意味のことは聖書には出てくると思います。
神の望みが物質面でのいきすぎた豊かさだと私には思えません。
世界の方々の衣食住が整うのは大切だと思いますが、貧困でなければ育たない感性ということも存在していると思います。
貧困を貧困と思わないで楽しむことをおっしゃっているのではないでしょうか。
>>ちなみに梅毒では妄想や進行性麻痺が出たりするそうですが、麻痺に至るまで時間がかかると思います。18から症状の出ている秀司先生には性病からの症状というには早すぎるように思うにですが。<<
性病は胎内感染する場合もあります。胎児が性病に感染した場合、出生直後から知的障害等を発症する場合があります。
崩壊様
逆もまた真なりという言葉を御存知だと思います。その言葉の固定観念で見られたお母さん方がどういう思いで受け止めるでしょうか。
お母さん方がそういう目で見られるかもしれないということも考えて書きこまれていますか?
私はそういう子は必要があって、愛し慈しむことを皆に教えてくれるために生を受けて頑張ってくれていると思っています。尊いことだと思っています。
シングルマザーのことも書きこまれておられましたが、シングルマザーはPTA活動を通してボランティアはされていると思います。シングルマザーはかけもちをしながら頑張っておられて、明るく逞しく頑張っておられると思います。
>>逆もまた真なりという言葉を御存知だと思います。その言葉の固定観念で見られたお母さん方がどういう思いで受け止めるでしょうか。
お母さん方がそういう目で見られるかもしれないということも考えて書きこまれていますか?<<
一般論のつもりで投稿しましたが、そこまで考えが及びませんでした。深くお詫び申し上げます。
>>シングルマザーのことも書きこまれておられましたが、シングルマザーはPTA活動を通してボランティアはされていると思います。シングルマザーはかけもちをしながら頑張っておられて、明るく逞しく頑張っておられると思います。<<
私の知人のシングルマザーを引き合いにだしましたが、シングルマザー全てが精神的にゆとりを持てず、苦労しておられるという総論的印象を与えてしまったようです。この件についても深くお詫び申し上げます。
匿名 様
> 神の望みが物質面でのいきすぎた豊かさだと私には思えません。
世界の方々の衣食住が整うのは大切だと思いますが、貧困でなければ育たない感性ということも存在していると思います。
貧困を貧困と思わないで楽しむことをおっしゃっているのではないでしょうか。
匿名様、最近やっと、まともな反批判の書き込みが出て来るようになって、嬉しく思っています。
匿名様の言われていることは、よく分かります。私も貧から学んだ事は多くあります。
ただ、望んで貧困にならなくても良いと思いますし、もし仮に、それが騙されて貧困になったとしたら大いに問題が残ると思います。
「貧におちきれ。」と指導している者たちが自分たちだけが豊かになるシステムを作り上げていたとすれば許される事ではありません。
これは、ほんの一例です。
大教会記念祭における最低ラインの予算書(部内50ヶ所)
御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
私も貧しさから多くを学びました。天理教を揶揄されたり太鼓打ちやお手ふりを真似されたり、、、そこからも学びました。弱者や少数者の痛みを。
私も芹沢氏の著書に慰められましたし力をいただきました。やはり、芹沢氏と同じように晩年の2代真柱にお会いになったこの方の著書から自分の疑問は間違ってなかったと確信を持った青地晨氏の『天理教』(1968年)の中で提案されたことが正しかったと現在の状況で思っています。
P301「、、、、、こうした教勢の下降線を打開するためには、どうしても天理教の信仰革命が必要である。その第一着手は、世襲化し、固定化し、停滞した教会制度そのものの改革が先行するであろう。教会制度を根底から改革することなしに、天理教の火は燃えない。天理教の将来はない。ことに大教会長の世襲制は、まず第一に検討すべき対象である。第二に真柱、大教会長など貴族化した教団の最高幹部が率先して教祖の<ひながた>を実践して、単独布教の意気ごみで布教に打ち込むならば、二、三年をいでずして天理教は面目を一新するだろう。これは言うにやすく、行うに難いことはいうまでもない。だが天理教に危機を真に打開する道は、基本的にはこの道以外にはないのである。第三に天理教の布教活動を、現代人の要請に密着させることである。天理教は現代から遊離している。宗教は、その時代の人間が苦しみ、救いの手をさしのべている問題から遊離してはならない。、、、、、、、前真柱(2代真柱)は<心の成人>、<陽気ぐらし>、<助け一条>などを説いたが、それらは抽象的な心の持ち方を説くだけなら、それは日本人の当面している危機となんのかかわりも持たないだろう。、、、、、、、天理教の救いは、死後の世界ではなく、あくまでも現世救済である。現世救済の天理教が、日本と世界とが直面している危機を避けてとおっては、現代から取り残されるだけでなく、信仰のエネルギーは衰弱するほかはない。天理教の信仰革命は、こうした問題と深くかかわりあっているのである。」80年祭後すぐのこの本に触れた時は的えた指摘と思いましたが今日の天理教になるとは思っていませんでした。
前コメントはmamiです。
梅毒と母子感染
妊娠初期の妊婦が梅毒に感染すると、流産、死産、母胎内死亡になりやすい。
出生後、3週間から3.4ヶ月で皮膚、骨、内臓、脳に影響
長じてからの発症は、目、歯、耳、そして回帰性関節炎(関節リウマチ)だそうです。
母親が未治療の場合、40%に胎児性梅毒が出るとか。
近年、梅毒患者が増えてきているらしいです。先天梅毒の赤ちゃんも年々増えているとか。
治療せずに不特定多数の相手に移しているんです、恐いですね
現代でこうなんですから、あの時代は相当な感染率だったでしょう。女遊びの夫に移され、未成年の女衆にも手を出すわで妻の心中いかばかりか。そりゃ胃潰瘍にもなりますわ。かのさん、レイプされるわ、犯罪者にされるわ可哀想過ぎます。実在の人物かどうか分かりませんが。
昔から女は業が深いなんて言われてきてますが、男からも、味方になるべき同性からも、長年にわたり、理不尽な扱いをされていると、身体も頭の中も異常な状態になってきて、ある日突然爆発するんですよ。
それが神憑りの様に思われる。その後、力関係は逆転して、妻が一家の中心となる、のです。
青地晨氏の『天理教』(1968年)の中で提案されたことが正しかったと現在の状況で思っています。<<
301p以下の文章は、正にその通りと思います。信仰革命から目を背け、結果として廃れてしまった現在の天理教の姿。天の理としての結果を見せています。
長く信仰して来た者として感じる事は、天理教はスローガン倒れと言う事です。掛け声が抽象的で、実際にはどうすれば良いのかが、わかりにくい。
陽気暮らしとはさて?人類がどう言う形になるのがゴールの姿なのか?
助け一条とは?具体的には我々信者はどう言う助けをするのをを親神は良しとするのか。人を天理に呼ぶ事?修養科に入れる事?別席を運ばせる事?それとも単純に人に手をのべ助ける行為?一体どう言う事を行動したら親神に褒められる行為ですか?
心の成人とは?
我々信者は具体的にはどう言う人間になれば成人したとして親神の目に叶うのか、、、?
陽気暮らし建設とは?
陽気暮らし世界実現に向けて、とは?
どう言う姿が実現後の姿なのか?
抽象的掛け声で無く本部はそのイメージを知らせて欲しいです。もやもやの霧の向こうにある陽気暮らし実現後の世界。何をどう行動したら良いのか、信者がイメージ出来るようきちんと説明して欲しい。
(もっとも、代々お金第一主義の天理教本部としてはぼんやりさせていた方が都合が良いのは分かっています。「皆さんの頑張りで陽気暮らし世界が実現しました。解散!」となってはお金を集める教団最大の意義がなくなりますからね。)
上記は素朴な疑問です、、、。
退職した元信者 様からの情報、ありがとうございました。
(元の文がだいぶ上へスクロールしないと読めませんので下記にコピペします。)
☆退職した元信者 2019年10月14日 9:35 AM
≫追伸 「月より神言」を検索するとトップページに 「6.お日様の東京講演より」の項目があります。
そこで 須藤花井さんの話が聞けます。
音声ファイル、早速聞かせて頂きました。
バツ印が付けられた地図は現存するのでしょうか?
会場では資料が広げられたようでしたね。
退職した元信者様は以前、須藤花井さんと車で回られて3.11の被災地に×印を須藤花井さんが付けるのを実際にご覧になった旨、投稿されていました。
拝読したことが具体的に、肉声で聞かされますと、或る意味では覚悟が固まる感覚を持ちました。
そして、なんと!===ポールシフト===にまで話が及び、これは驚きでした。
(注:ポールシフトという言葉は使用されていません。その「現象」が起きる事を繰り返し話されています。)
現天理教団とバリ天の言い分などはもう、どうでもよいゴミのようにも感じるほどの衝撃でした。
ポールシフトに関しての説明が、神様の説明として、納得いきました。
衝撃的です。
月よりの神言のホームページをひらいて「6お日様の東京公演」を開いてみましたが、その1は音源が聞けますが、その2、その3はアルファベットによる「サービスノンアライアブル」の表示が出て、視聴出来ません。
視聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。
上記の匿名です。
視聴出来るようになり、解決しました。お騒がせしました。
天理時報で「金の繋ぎをようき世界実現に!」とかバンバンかかれてて正直爆笑してしまった。本当に終わってます爆笑 天理教さんは宗教団体だったのではないでしょうか? 天理教の機関紙は天理教と言う宗教の素晴らしさを伝えるためにあるのでは?経済の事は経済紙や経済誌を見ればいいのでは?中山家も天理時報も焼きが回ってますね(笑)金に困ってなりふりかまわず行儀が悪いですねー御仕置が必要ですね爆笑
そもそも「ようきぐらい」の説明をしてください。出来ないでしょうけど(笑)
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
中山の人間ってほんまにアホなんやな
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
>>天理時報で「金の繋ぎをようき世界実現に!」とかバンバンかかれてて正直爆笑してしまった。本当に終わってます爆笑 天理教さんは宗教団体だったのではないでしょうか? <<
天理教は、公的(表向き)は宗教団体としての認可を受けていますが、実質は「宗教団体」を名乗るのもおこがましい団体です。
文化庁の「宗教年鑑」によれば、現在、日本の国には18万以上の宗教団体がありますが、年々、国民の「宗教離れ」が進み、日本に古来からある仏教寺院や神社ですら、「経営難」に陥ってきているということです。では、どうして、日本の国内に18万以上の宗教団体が存在するに至ったか? 私なりに考えてみるのですが、これまで、宗教法人は税制面で大変優遇されてきたということです。「お供え」、「お布施」、「固定資産税」は非課税、言葉は悪いかも知れませんが「坊主丸儲け」のような税制面での優遇措置があるからだと思います。
語弊があると思いますが、これまで大変儲かる「ビジネス」であった「宗教経済」が「国民の宗教離れ」によって、陰りがさしてきたため、天理教に限らず、日本に存在する宗教団体は、大なり小なりの危機感を持っていると思います。
この際、宗教法人に対する税制面での優遇措置を撤廃し、国税局が個々の宗教団体に税務査察に入れるような体制に変えていくべきだと思います。もっとも、宗教法人が18万以上も存在すれば、国税局の査察も物理的に不可能かもしれませんが、せめて、課税はするべきだと思います。
匿名
2019年10月16日 11:48 AM
経済面から見たらそうですね。「日本は借金が」等などTVでも言ってますが、あれは体内借金で日本国内の国民や民間企業からの借金です。TVや新聞は日本国民を馬鹿にしてますからね。
中山家と天理時報も読者を馬鹿にしてますしね。
即位の礼に関して、「式はするが、パレードは延期」になったようですね。皇室が国民を見つめていて良かったですね。素晴らしい政治判断だと思います。
天皇家と中山家では月とすっぽん雲泥の差です。世界から認められる天皇家と、信者にも見放されていく中山家例え話には良いですが、もう比べようが無いですよ。日本の左翼系学者ですら「天皇の発言にはとてつもない政治的威力がある」と恐れていますし、日頃無関心の国民ですら、韓国の大統領が「日王謝れ!」と言っただけで「ふざけんな韓国如きが!」と切れるわけですし、反日政策から方針転換できない韓国は後にGOSOMIA(軍事情報協定)で自滅していくわけです。
部内の土地詐欺問題から、皆さん本当に気が付いて来たみたいです。あの話は本部だけ生き残る政策なので、本部以外からの反発批判がとうとう出てきたそうです。私の系統でも「本部がおかしいから離脱を本当に考えている」と言う言葉今まで口にしないような会長さんからも出てきてます。それを大教会長にも上げてます。やはり「先祖や信者さんがお供えしてくださった土地を本部に?なぜ返せと成る?」と疑問は起こりますし、それを通り越して怒りに変わってる方も多いようです。本部への信頼は一気に崩れましたね。本部は「中山家の神格化をしたいが、金が無い、金が無いから部内の土地売却しちゃえ!」と短絡的に考えてしまったのでしょうが、そもそも中山家は神でも何でもありません。真柱は脳卒中の病人 ただの人です。それを神だとは高慢と言うものです。それは神の怒りを買います。それが今の真柱と中山家と本部の姿です。
>>即位の礼に関して、「式はするが、パレードは延期」になったようですね。皇室が国民を見つめていて良かったですね。素晴らしい政治判断だと思います。<<
はたしてそうでしょうか? 私は左翼主義者ではありませんが、元号が平成から令和になり、天皇皇后両陛下が新しく即位したことは、国民だれもが周知しているはずです。1台8,000万円もするトヨタセンチュリーをオープンカーとして新調し、ものものしい警備をしてまでパレードする必要があるのでしょうか? おそらく巨額の費用が必要だと思います。台風19号で甚大な被害を受けられた被災地や被災者は、復旧のために必死です。途方にくれ、疲弊しています。天皇皇后両陛下のパレードどころではありません。いかに国事行為といえどもパレードを中止し、浮いた経費を災害復旧に充てるべきです。それが「人たすけ」だと思います。皇室が国民を見つめているというよりも、内閣が皇室に遠慮しているだけだと思います。
崩壊
2019年10月18日 4:18 PM
贅沢問題も国民目線で語るほうが間違いなんです。民間の資産と、そういった類の事もTVや新聞が無責任に書いてますが、民間の資産と国の財政は全く持って別です。国には通貨発行権と税金があるからです。
総理大臣の給料や裁判官の給料がなぜ高いのか、安くしたら買収されるからです。国王や共産主義の主席でも警備するのは当たり前です。
疑問に持つのは良いですが最後まで調べたほうが良いです。
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
教祖は「コロコロかわるから心」 とは言うたが教理コロコロ変えるとか中山家はブレブレやな笑
真柱さんは発症後あまり時間の経過なく電車で東京から帰ってきたと聞いています。それぐらいの状態なのに今の状態を、アナウンスありませんのでわかりませんが考えますと、もう一度発症したのかなと思います。続いての発症は厳しいのではと思います。
勝手なこと書くなと思う人は本当の現状オープンにしてください。
真柱さん、この身上でいくらお供えしたのかな、足りないから治らないのでは?
>民間の資産と国の財政は全く持って別です。国には通貨発行権と税金があるからです。<
民間の資本や資産も、株式会社であれば、資本は株主が出資したものです。資産も企業が資本をもとに営利活動をして築いたものです。国や地方公共団体の行政も国民が納めた税金で行われています。
>総理大臣の給料や裁判官の給料がなぜ高いのか、安くしたら買収されるからです。国王や共産主義の主席でも警備するのは当たり前です。<
総理大臣や裁判官の給料を安くしたら買収されるというご意見も極論かと思います。要は総理大臣や裁判官の資質の問題だと思います。十分な給料をもらっていても、ロッキード事件で逮捕された総理大臣が過去におられました。
>月よりの神言のホームページをひらいて「6お日様の東京公演」を開いてみましたが、その1は音源が聞けますが、その2、その3はアルファベットによる「サービスノンアライアブル」の表示が出て、視聴出来ません。
視聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。
私が、「月よりの神言」のページで須藤花井さんの肉声が聞けると投稿したのでアクセス数が増え繋がりにくくなっているとの事でした。
本部から真柱の病状のアナウンスがないのは誠に不思議で不誠実な対応です。どうして隠したがるのでしょう。信者に言ってきた事と自らの姿とに合理性が無くて、つじつまの合わない状況に落ちっているからでしょうね。
命のつなぎはどれだけしたのでしょうね?完治しない、或いは再発症したなら、つなぎのお金が足りないんでしょう。
信者の方からハッパをかけてあげましょう!真柱さん、命のつなぎは金ですよー。しっかりとお金をつないで完治した姿を見せて下さいねー。
そうじゃないと、「命のつなぎは金」と言う信者に向けた教理の説得力はゼロでしょう。
この教団は品のないお金の匂いばかりがして、神に対する崇高さ、気高さが感じられません。俗世界と同じレベルのまたはそれ以下の人間が神を語るからどうしたって神には近ずけないし、現在の様な本部の醜態をさらしているのは当然と言えば当然ですが。神とは正反対のトンチンカンな事ばかりです。
須藤花井さんの語る世界の方がより神を感じますね。金、金、金の世界は世俗の世界。須藤花井さんによれば2030年に何か起こるらしいが、後11年。丁度その頃、天理教が終焉を迎える頃になる気がしています。
終焉に向けて今年手始めに天理教にとっては非常に大切な筈の学校を閉鎖しましたね。終焉に向けて神が手引きしている様に思えてなりません。
天理時報で金の話をしてましたがこれは中山教の言い分です。本当の天理教では人の心を神がほしがると言ってました。神が本当に欲しがってたのは中山家の改心でしょう。それがもう果たせない反省の色も無い懺悔も出来ないのであるから、甘露台、真柱を引き取り始めたのでしょう。それでも金や土地やと省みない本部に対して次は教団を引き取るでしょう。人間が作ったお金など神様はいりません。それよりも真の信仰心あるいは命を欲しがるでしょう。上層部も神のお引取りがあるでしょう。
「金の繋ぎによるようき世界の実現」なんですかこの無意味な夢物語は?天理教は無駄な建築しろとは誰も言ってませんよ(笑) 今の天理氏の巨大建造物はただの陰気でしか成りません。陰気ぐらい世界は早く無くなるべきです。
>真柱さん、この身上でいくらお供えしたのかな、足りないから治らないのでは?
お供えしても自分のふところに戻ってきてしまうじゃないですか 笑 笑 笑
この言葉、本部に直接言いに行ってみたらどうですか?笑
匿名ですさんは金額の多寡で身上が治ると本気で思っているのですか?
だとしたら重症です。洗脳による悲しい被害者ですね。
それとも嫌味やギャグで書き込んだんですか?
金額で治療が決まるなら病院で十分です。神様はお金いらないですし、金欲しがってるのは中山家ですよね。ちなみに中山家は神ではありまえん。神の名前を利用した宗教家とも呼べない詐欺師と言うと一番しっくり来る一族です。現在四方八方か天罰が下っております笑
2019年10月18日 6:52 PM 発言の「匿名 様」へ
「疑問に持つのは良いですが最後まで調べたほうが良いです。」と崩壊様宛てに投稿されていました。
失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
その原因は偏った食生活(偏った情報)なのか、生活を共にしていない私には判りませんが、最近、良薬を見つけましたのでお知らせします。
YouTubeで経済解説をされている黒川さんという方の考察がそれです。
あらかじめお断りしますが、この方は政治活動をされていますが、注目していただきたい点はそこではありません。
経済を学ぶ一つの指摘として参考になるかと思うのです。
匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
YouTubeは誰でも発信できるだけに、その真偽を見分ける力が必要で、騒がしい世の中になったものだと「ボンヤリ」生きるのも一つの生き方かとも思えるほどです。
けれど、天理教に関してはボンヤリ見過ごすことは社会悪を産むことになるのでできません。古い元教会長様や「匿名」様(東京教務支庁記念祭に関する投稿の)ご指摘のような中山家総出でお礼金を集金するような行事に関しては、例えば大亮夫人が「私は東京へ行くのやめとこう」とさえ決断すればすぐにでも一つだけでも改善が実現できるのです。
現状認識ができていればの話ではありますが。
YouTube
オリーブの木ちゃんねる旧ピープルパワーTVチャンネル
(登録者数 9.52万人)
真柱さん、お供えをされるのであれば、、お供えをする先を間違えてはダメです。世間にはおカネで困っておられるところが多いんです。
ホームレスを支援する団体、子供施設、介護施設等々、数え上げればいくらでもあります。
そのような方々へ、どうぞ使ってくださいとお供えするのです。そうすれば、おカネは生きてきます。
大亮君がいちれつ会に寄付なんて、所詮は身内間の遣り取りで、このおカネは死に金です。
常々、施しを説きながら何も分かっていらっしゃらないんですね。我さえ良ければの典型です。
>>真柱さん、お供えをされるのであれば、、お供えをする先を間違えてはダメです。世間にはおカネで困っておられるところが多いんです。
ホームレスを支援する団体、子供施設、介護施設等々、数え上げればいくらでもあります。
そのような方々へ、どうぞ使ってくださいとお供えするのです。そうすれば、おカネは生きてきます。<<
まったくその通りだと思います。過去から信者から搾取してきた「お供え」を全て「生きたおカネ」として「社会に返却」するべきです。
匿名様
>例えば大亮夫人が「私は東京へ行くのやめとこう」とさえ決断すればすぐにでも一つだけでも改善が実現できるのです。
そうすれば、接待費と交通費は、わずかながら節約は出来ると思います。
しかしながら、大教会の記念祭となると、来られても来られなくてもお礼は包む事になる筈です。
>>そうすれば、接待費と交通費は、わずかながら節約は出来ると思います。
しかしながら、大教会の記念祭となると、来られても来られなくてもお礼は包む事になる筈です。<<
そもそも「集金旅行」を全廃するべきだと思います。
そもそも信仰は教祖のひながたの道をたどるのが、真の信仰の姿で、これがお道と言われる所以です。
例えば、嘘っぱちのひながたを説いて、有りもしないこかんさんの浪速の町の神名流しを、さも、ひながただと説いて未だに神名流しがお道の一端だとばかりに、天理王命ののぼりを立て、拍子木を打ち鳴らして歩む姿は、お道でも何でもない。
大阪の町に、こかんさんが神名流しをしたという伝言なり、記録が残っているのだろうか。お陰参りの伝言を聞いたことはあるが、神名流しの伝言を聞いたことはない。
話しは逸れますが、暗がり峠はお陰参りの通る道だとも聞いたことがあります。
9月22日付けの天理時報は、特別企画・おぢばから天理市長滝町へは、本当の話なのか。
以前、聞いた話と、この時報の記事には相違があると思うので書いてみます。ただ、どちらが言ったり、書いたりした記事が正しいのかは読まれる方の判断にお任せします。
稿本教祖伝によれば、修験者の中野市兵衛が、寄加持の台に勾田村の「そよ」を雇うのが常であり、と書き、この1年の間にも市兵衛宅で9回も寄加持をしていたとも書いている。
たまたま、天保9年10月23日は生憎と「そよ「」が不在だった。そこで「みき」が加持台を勤めることになったと。
ところがです。聞いた話では、勾田村の人別帳を入手した天理大学のある教授はこの人別帳を天大付属図書館に寄贈された。後日、この教授が必要あって、この人別帳の閲覧を申し入れたが、すでに図書館にはなく、閲覧できなかった。
この人別帳には「そよ」なる人物の記載が無かった為に、処分したのだろうか。と聞く。
これでは立教の基本部分の著述が壊れてしまう。
更に、長滝村の中野市兵衛宅は今もご子孫が居られ、この子孫が言われるには市兵衛は学僧であって、祈祷師のようなことはしておらず、天理教の説明に困惑憤慨されていると聞いた。
時報には、市兵衛宅に残されている物の写真が掲載されているが、ご子孫へのインタビュウー記事はない。
一体、どちらが本当のことなのか。
立教の根本部分の教団による著述にすら疑問が残るのであろうか。
1990年から1995年ごろに、橋本氏なる人物が中野宅を訪ねられて聞かれた話だと聞いていました。
匿名
2019年10月19日 8:48 AM
現教団にたしては完全否定派ですよ笑 皇室と中山家は次元が違う。と言うことです。
あとオリーブの木ちゃんねる旧ピープルパワーTVチャンネル の 黒川あつひこ と言う方 「オリーブの木」からふと思ったのですが、この方左翼系の経済論者ですよね。ラインナップを見てもソフトバンク倒産?、デリバティブ破綻?
左傾経済論者は同じような話しっぷりですね。有名どころで言うと、同志社大学教授の浜矩子が同じような手法です。
センセーショナルな話題で気を引く宗教で言えば「終末思想的手法」で危険ですし大きな予測何一つ当たってません。
経済詳しい人なら、左傾経済論者をデータには使いません。せめて21世紀の資本論のトマピケティぐらいにすべきです。
匿名
2019年10月19日 8:48 AM
>>崩壊様宛てに投稿されていました。
>>失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
>>匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
等など、指摘しているるもりでしょうが、事がらに対しての明確な指摘 反論の論拠も曖昧です。私の文章をちゃんと読解してない証拠です(笑)勧めている黒川と言う人も、意味不明です(笑)
崩壊さんの事を指摘したのでなく、「皇族と中山家、国家と教団」 を比べると間違えますよ?
と言う 事に対しての反論を述べたまででし
>>崩壊様宛てに投稿されていました。
>>失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
>>匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
↑この入り口は事の入り方ではなく、人に対しての入り方で意味不明ですし
事の指摘を出来てない以上それはあなた自身が理解できてない事を意味します(笑)
なにが言いたかったのか不明ですが、新手の 通りすがり さんみたいですよ(笑)
崩壊
2019年10月19日 11:20 AM
>>「集金旅行」を全廃するべきだと思います。
その通り真柱はじめ本部は金銭の授受を拒否して巡教べきです。だがしかし天理時報でカネカネ言ってるぐらいですから集金は加速するでしょう。修理人巡教でも各教会でカネの話で顰蹙買ってます。本部で苦労を知らないのだと言うのが皆さんの意見ですね。頭痛い
「匿名」が多くて誰が誰だかサッパリ分かりません。私がアホなだけですか?
せめて匿名の後に記号を付けるとか、性別、年代とか付けて下さるとすごく助かります。
>>修理人巡教でも各教会でカネの話で顰蹙買ってます。本部で苦労を知らないのだと言うのが皆さんの意見ですね。頭痛い<<
修理人巡教は迷惑です。修理と言う響きも吐き気がします。何も知らないぼんぼんが、苦労している下々の所へ来て、何を修理するのか?こちらこそ彼らを修理したいです。しっかりしろと言いたいところです。
猫の小判を握らせても、豚に真珠を持たせても、神の目に叶う使い方を知らない。
自分の懐を温める事しか眼中にないのです。70歳でお手当ストップ。これからも全国を乞食旅行するんでししょう。
お知らせします
2019年10月19日 3:36 PM
>>「匿名」が多くて誰が誰だかサッパリ分かりません。私がアホなだけですか?せめて匿名の後に記号を付けるとか、性別、年代とか付けて下さるとすごく助かります。
名前を入れたい方は入れれ場言いと思います。加藤ハルアキさんなどは、ご自身でブログをやっているので名前を売りたい部分もあるでしょうから
匿名性の議論については、以前もなされ中山家の人間ほど匿名を嫌がり名指して攻撃するので匿名である事になりましたよ。ハドルネームに関してもさほど必要は無いと思います。意見を大切にする場で名前はさほど大切ではないです。ましてや、性別年代に拘る意味も無いです。結婚相談所ではないです。こちらは天理教の教理と実像の解離を嘆く憂う意見する場ですから自由性の方が大切です。
それにあなた主でもないのに、「お知らせします」等とはおこがましいです。ネット初心者なのかどうなのかはさておき恥ずかしいのでそのような書き方はおやめになった方が良いです。過去にもこちらに集う方々は議論を積み重ねて今の形になっているのです。過去の書き込みを読んできてはいかがでしょうか
本質を深く見つめた方がよろしいと思います。誰しもが分け隔てなく書ける場、異論反論があってもそこから個々に学べる場それが無いから教団も世の中もおかしくなったのですから
中山系の人って個人を特定したがったり現体制に都合の悪い事を発言してる人に特定や名指しをしたがりますよね。全て嫌がらせをする為ですしね。教団のネット監視団の青年なのかな?(笑)ちゃんと天理教をt理解して欲しいですね。中山家中心で物を考えるからおかしい事に気がついてほしいですね。
匿名 様
2019年10月19日 2:48 PM
>>崩壊さんの事を指摘したのでなく、「皇族と中山家、国家と教団」 を比べると間違えますよ?
と言う 事に対しての反論を述べたまででし<<
「皇室と中山家」、「国家と教団」というのは、あくまでも人間が人為的・政治的に作りだした「組織や階級の違い」であり、個々の組織を構成しているのは、宗教的に言えば、神様が創造された同じ人間です。いかに皇室といえども、太平洋戦争が一旦終結し、極東国際軍事裁判で昭和天皇の戦争責任が問われ、昭和天皇がA級戦犯として処刑されていれば、日本国の体制や世界情勢は大きく変わっていたでしょう。昭和天皇が処刑されなかった理由は、GHQが戦後の日本が左翼化し、ソ連や中国と同盟関係を結ぶことを怖れたからではないでしょうか? 天皇制を温存することにより日米安保条約の締結が比較的容易になり、日本に米軍基地を置きやすくなるというアメリカ側にとって大変都合の良い思惑があったからだと思います。
崩壊
2019年10月19日 6:56 PM
天皇の戦後史はそれで間違ってないと思います。だから何があったんですか?と言う蛇足に過ぎません。
「国家と教団」の経済規模の違い、国家と民間の経済の仕組みの違いがあるいのにもかかわらず同じに語っていたので 説明しただけです。
理解できないですか?
崩壊
2019年10月19日 6:56 PM
崩壊さん はまず自分が天皇や国家に例えて何がいいたいのか?を主張するほうが先決です。 崩壊と名乗って以上教団が崩壊するをお望みなのでは? 無駄に他の方に屁理屈捏ねてると自身の主張が崩壊しまよ。
匿名 様
2019年10月19日 7:15 PM
>>天皇の戦後史はそれで間違ってないと思います。だから何があったんですか?と言う蛇足に過ぎません。
「国家と教団」の経済規模の違い、国家と民間の経済の仕組みの違いがあるいのにもかかわらず同じに語っていたので 説明しただけです。
理解できないですか?<<
理解できないですね。天理教の教理では、「世界一列は皆、兄弟姉妹や 他人というはさらにないぞや」という教えです。たとえ、経済規模や仕組み、政治構造が違ったとしても、そうした「垣根を超えて」、同じ人間であるという真実には違いがありません。困っている人や苦しんでいる人を見れば、何とかして力になりたいと思うのが人間としての当然の心情ではないでしょうか? 現に、台風の被災地には、土曜日、日曜日にも関わらず、小学生らしき子どもをはじめ、多くの人々が復旧ボランティアとして集まっておられます。現地に行けない高齢者の方でも、乏しい年金の中から自分のできる範囲で経済的支援を申し出ておられます。私も現地に行くことはできませんが、少しですが救援募金をさせていただきました。人的支援、経済的支援以外にも支援の方法はいくらでもあると思います。
匿名 様
2019年10月19日 7:20 PM
>>崩壊さん はまず自分が天皇や国家に例えて何がいいたいのか?を主張するほうが先決です。 崩壊と名乗って以上教団が崩壊するをお望みなのでは? 無駄に他の方に屁理屈捏ねてると自身の主張が崩壊しまよ。<<
私は、このままでは、現天理教は何もしなくとも自然に崩壊し終焉を迎えると思っています。先の投稿でも述べたように、天皇制や国家という垣根を超えて、同じ人間である以上、こうした非常時には人間として当たり前の行動をとるべきだと考えています。私の意見を屁理屈と解されようが、そうでなかろうが、それは読者の方々個人の自由だと思います。 以上
崩壊
2019年10月19日 8:08 PM
崩壊さんはもう少し理解力のある人だと持ってたんですがね。その文脈だと「教えでは〇〇だから〇〇でなければいけない!」と言う主張で万人に受け入れがたい話し方です。悪い例で言うと、通りすがり となんら変わらない文脈です。簡単に言うと洗脳されたままです。現教団もそうですが、教祖中山みき ですら達成できなかったことですしね。そう言うのをきれいごと言いますし感情論なんですよね。ここの人は、色々な方が居ます。教団否定、教理賛成 の方や、教団も教理も教祖も否定 の方も居ます。形に囚われないで様々な視点から様々な意見を取り入れて予測を立て探し出す方が大切です。
「理解できないですね。」と理解できない時点で話は終わりですがね。議論にもルールがあるので、崩壊さんは崩壊したと言うことですね(笑)
「世界は今よりもっと深い光を必要としています。私はそれを見い出し、それを分け与えたいのです。それにはどうしたらよいでしょうか?」
「真理を知れば、人類に最善の奉仕をするためになすべきことが正確にわかる。また、それをする力にも事欠かないだろう。もし花に蜜があるならば、ハチは自然にそれを見つける。もし人が霊的な知恵と力とをそなえていれば、彼は人々を探しに出る必要はない。頼まれなくても彼らの方から来る。内なる自己を十分に知るまでそれを養え。他の教えは必要ない。することはこれだけだ」
矛盾と言えば矛盾宗教っていい事言っておきながら、階級制なのが殆どですし下らない(笑)中山みきですら後に階級制の俗物団体を生み出したに過ぎないですしね。こうなると中山みきにも責任が発生するんですよね。
匿名 様
2019年10月19日 8:26 PM
>>崩壊さんはもう少し理解力のある人だと持ってたんですがね。その文脈だと「教えでは〇〇だから〇〇でなければいけない!」と言う主張で万人に受け入れがたい話し方です。悪い例で言うと、通りすがり となんら変わらない文脈です。<<
私は、天理教の教えをたまたま引き合いに出しただけです。「世界一列は皆、兄弟姉妹や 他人というはさらにないぞや」という考え方は、天理教に限らず、人類が普遍的に持っている「人間の良心」の一つであると思います。
様々な人はここには存在しません。基本さんはどうなりましたか?
他にも書きこみが出来なくなった方々もおられます。
ここは様々な意見があるのではありません。
このサイトを今もカインさんが運営しているのか、カインさんが元所属されていた所が運営されているのは知りませんが、誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。
>>「理解できないですね。」と理解できない時点で話は終わりですがね。議論にもルールがあるので、崩壊さんは崩壊したと言うことですね(笑)<<
理解できないので理解できない旨をお伝えしたまでです。議論のルールとして理解できないとの答弁をして議論を中止したら、国会や地方議会その他の会議は成り立たなくなると思います。
真理を知れば、人類に最善の奉仕をする為になすべきことが正確にわかる。<<
本当にその通りですね。
真理。物事の本質を求める事でしょうか。
今の天理教は真理つまり神の本質を求める事を忘れてしまい、人間がこしらえた俗物、「お金」に心奪われ、お金に振り回されている俗物中の俗物。
金がある時は無駄ずかいをし、金が無くなれば信者に無心する。
>>真理を知れば、人類に最善の奉仕をする為になすべきことが正確にわかる。<<
難儀している人、困っている人を見れば、やむにやまれない気持ちになり、自分が今できる精一杯のことをする。真理であり良心ではないでしょうか。
崩壊
2019年10月19日 9:09 PM
理解できないなら理解できるようにお調べになったらいかがですか?
国会もちゃんとした議論なんて出来てないですしね。与党も野党もどちらもダメですね。
そう言う言えば前日の台風19号で多摩川が氾濫しましたが、あれは民主党時代のレンホウ議員が予算を出し渋ったせいと話題ですね
匿名 様
2019年10月19日 9:58 PM
今は亡きイギリスのダイアナ皇太子妃は、いうまでもなくイギリス王室の王族でした。彼女は生前、東南アジアの地雷埋設地帯を防具を身に纏い、地面を這いながら地雷の撤去活動をしていました。知らずに地雷を踏み、脚を無くしたり死亡する現地の人達があまりにも多かったので、「自らの意思」で勇敢にも地雷の撤去をしていたのです。「人たすけ」に皇室や王室と一般国民の垣根はありませんし、国境もありません。「国境なき医師団」や国連のユニセフの活動も同じだと思います。
崩壊
2019年10月19日 11:42 PM
崩壊は、国連が正しい 国境は無いとか、夢見がちで新聞やTVがいうきれい事が答えになってましす。
スマホやパソコンがあれば誰でも調べられるんだからもっとそれらを疑ってもっと調べたほうが良いよ。
匿名
2019年10月20日 3:05 PM
>>スマホやパソコンがあれば誰でも調べられるんだからもっとそれらを疑ってもっと調べたほうが良いよ。<<
鄭重なるアドバイスを賜り、厚く御礼申し上げます。私は、地球儀をはじめ、スマホやパソコンも有していますので、地球上の国境線はほぼ把握しておりますが、再度、調べてみます。(笑)
キレイ事を答えにすると楽なんですが、それだと本部と変わり無くなりますし、騙されやすくなりますね。国連のような かなめ会 それを仕切る本部員会議 ユニセフのように偽善を売り物にしている さいきゅう隊
神の為でなく、中山の為に悪用してますしね。しかも宗教でです。世界はただの政治ですから、宗教家の偽善はそれよりタチが悪い。
匿名様(2019年10月20日 4:26 PM)、やっとまともな落としどころを見つけられましたね。
いきり立って書き込むのも結構ですが、人の投稿をやたらに左翼呼ばわりなさるのは悪い癖でしょう。
天理教には様々な考えを持つ人がいます。何でも決めつけるのでは視野狭窄に陥りますよ。
紹介した黒川さんという人のYouTubeは左翼でも何でもない若者の意見が披露されています。
口先だけではなく実際に経験された貴重なバックグラウンドを持ち、今も社会のために発言しています。
偶然ながらネットワークビジネスにも言及していますから、もしかすると天理教本部近くの青年会層が夢中になっていることを否定されたような気がして、余計に苛立っているのかもしれません。
文章の趣旨を読み誤らないように冷静にお願いしますよ。
視野を広げて頂く良い資料が有ることをお知らせしたまでで、貴男を否定しているのではありませんよ。
正直な所、貴男が自分の考えこそが正しいという姿勢を露わになさっていたので、老婆心ながら少しばかり他の情報も有ることを、ここの板をお読みの方にご披露しただけで、読むも読まぬも各人の判断です。
何もそんなにいきり立つことは無いじゃぁないですか。貴男もきっと成績が良い頭が良い人なのでしょうし、黒川さんという人の動画では明快に経済状況を整理して伝えてくれていますから、視聴すれば得る事もあると思いますよ。しいて言えば一歩前を行く人からの啓蒙という色合いの動画です。
政府や御用経済学者の言いなりになって、挙句苦しむのは一般人です。
これも左翼の意見と仰いますか?
左翼とか赤とか人にレッテルを張る目的は何かあるのでしょうか?そういう無益な行為は私には理解できません。
本当に左翼とか赤とかの人は天理教に関係する訳ないでしょう。
だって、神様を否定する人たちですよ。中学生でも知っている事ですよ。
一昔前の会社社会では、労働組合で活動する人を貶めるために、係長や課長レベルの人は「あいつは赤だ」と決めつける傾向がありました。
その様に言う事で上司に気にいられようとする憐れな心の持ち主です。
上司に「おもねる」態度です。何だか古い昔と変わらない様子が天理教にまだ根強くあることに気が付かされました。貴男が天理教であるのかどうかは知りませんが。
須藤花井さん月よりの神言(お月様(神)からの神言)より。
○今の天理教の組織は一列の陽気暮らしの話をしておりながら、徳川幕府と一緒で江戸家老国家老。世界助けは出来ても、一列ならしの陽気暮らしにはほど遠いぞ。
○天理教の者は、信者がお供を運ぶのが当たり前の様に受け取っておる。運んでおる信者の苦労が分かっておらん。残念な。(私は)天理に入って三十年になりますが今の天理教の組織には納得が行きません。お月様は天理教だけではないぞ。いずれの世界も一緒ぞ(と言われています)。
この言葉を須藤花井さんの口を通した神言と信じるなら、やはり天理教は「神の残念」であり、神様も今の姿を嘆いておられるんですね。親神様にとって、本物と偽物の見分け位は当たり前に見極めておられるし、実害の垂れ流しを放置する訳にもいかないでしょう。
後10年か20年のうちに現教団の方向性を見せて頂けるものと私は親神様のなされる事を期待を持って待っている者です。
横から失礼します。
オリーブの黒川さんの動画のことが触れられていて、少し関心のある話題だったので。
ソフトバンクの破たんなどに触れている方ですから、
現時点では荒唐無稽な話に聞こえるのもわかります。
ですが、リーマンショックだって、その前から警鐘を鳴らしている方はいました。
(本など形に残るもので残されている方もいます。)
全くない、そう一笑に付すのは簡単ですが、傾聴に値する提言もあるように思います。
ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、
単純な「左翼」という区別もいかがなものかと。
(私自身は戦争美化、靖国神社参拝は大反対です。)
安倍政権批判にネトウヨ桜チャンネルが転じたように、
左翼VS右翼 という図式は崩れつつあり、 貧困層VS富裕層 という図式に
世の中は転換しつつあるように思います。
それは、天理教内部における 教団本部・既得権益者 VS その他
という図式に近いように思います。
「熱心」で従順、盲目的に信仰する方々は、この図式の中では
教団本部存続に加担する、既得権益者に属すことになるのかもしれません。
ただただ、自分がこれまで信仰し金と労力を注いだ宗教が邪教でない、
それを証明しようと躍起になり、かえって被害拡大の手助けをしている。
そういう皮肉な図式に見えます。
親との情愛に満ちた関係も築けず、ただ第一に天理教がある家庭に育ち、
教団にひときわ強い憎悪を抱いている者の戯言です。
御読み捨て下さい。
ただ、このページをご覧になり目が覚める方々が増えることを願ってやみません。
匿名
2019年10月20日 7:14 PM
>>匿名様(2019年10月20日 4:26 PM)、やっとまともな落としどころを見つけられましたね。
いきり立って書き込むのも結構ですが、人の投稿をやたらに左翼呼ばわりなさるのは悪い癖でしょう。
天理教には様々な考えを持つ人がいます。何でも決めつけるのでは視野狭窄に陥りますよ。<<
私は、左翼主義者でもなければ右翼主義者でもありません。また、天理教の信者でもありません。天理教からは遠い昔(青春時代)に自らの意思で脱却しました。私がこの掲示板に投稿する理由は、現在、天理教に洗脳されている人達、あるいは、天理教の矛盾や理不尽に気づきながら、天理教から去りたくとも様々な事情で去ることができない人達が、このまま天理教という「どろ沼」に足をとられ、たった一度しかない貴重な人生を反故にしてほしくないとの一念で投稿しております。
最近教内で本部が定年を設けようとしている。なぜこの期に及んで定年を持ち込もうとしているのかと考えてみるとどう見ても金でしかない。先日本部に定年を設け老人の給与を無くすとの書き込みを見ましたが、大教会分教会はじめ部内教会にも定年を持ち込もうとしているらしい。定年にさせて後継者が居ないならとまた土地を収奪する為の政策を考えているらしい。本部には本当呆れた。忌々しさしか感じません。
宗教なのに定年?
2019年10月21日 5:45 PM
>>最近教内で本部が定年を設けようとしている。なぜこの期に及んで定年を持ち込もうとしているのかと考えてみるとどう見ても金でしかない。先日本部に定年を設け老人の給与を無くすとの書き込みを見ましたが、大教会分教会はじめ部内教会にも定年を持ち込もうとしているらしい。定年にさせて後継者が居ないならとまた土地を収奪する為の政策を考えているらしい。本部には本当呆れた。忌々しさしか感じません。<<
おっしゃる通りです。教会本部は人件費の削減を目論んでいるのです。後継者のいない教会の不動産収奪を目論んでいるのです。宗教法人が聞いてあきれます。人間のすることではありません。ヤクザ以下です。これこそ天理教の実態です。皆さん、いつまでも天理教に関わっていればひどい目にあいます。早々に天理教から脱却しましょう。
現在の本部が教祖の仰った事を改ざんしてる時点で親不孝してるので本部を立てる気には一切ならなくなりました。早く本部と中山家は消えてなくなって欲しい。甘露台ももういりません。
煉獄行け
2019年10月20日 10:21 PM
>>ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、単純な「左翼」という区別もいかがなものかと
現在の左派反日派ネットで惨敗でもう反日以外を騙すため愛国を装うことが多々あります。靖国神社参拝するから左翼は反日ではないとは言い切れません。ツイッターでも炎上していたのが、「維新の会の橋下徹と足立議員 が靖国参拝を憲法に盛り込み法改正する」だけで反論を超えて炎上しました。
何故炎上したかというと、「憲法変えたら天皇を動かせる (人気取れる)」との思惑が見え見えだったからです。これを知った支持者からも支持を失い 維新の会ですら売国と断定されましたしね。
橋下徹という人間も口からでまかせが多いですし、専門家から批判本も出されています。
煉獄行け
2019年10月20日 10:21 PM
>>ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、単純な「左翼」という区別もいかがなものかと
「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。まだまだ教内では騙されているかたがたが多いので、多くの騙されている方を助ける為にももっと細部や根本を疑うよう発信していく事が大切です。
匿名 様
2019年10月21日 6:54 PM
>>「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。まだまだ教内では騙されているかたがたが多いので、多くの騙されている方を助ける為にももっと細部や根本を疑うよう発信していく事が大切です。<<
その通りだと思います。これ以上、天理教の被害者を出してはいけません。
私の周りで現天理教に騙されている教会長の方々は本当に素直で純粋で疑う事をしない、いわゆる良い人達が多いです。ひたすらに本部や大教会の打ち出しに真摯に向かおうとしています。上の指示には手抜きをせず、不器用に自らを苦しみの方へ追いやっている様にも見える生真面目な人達です。本部や大教会と言った上の指図は神の声と受け取り、 素直に従う事が信仰と思っておられます。自分の意思を持たない、自分を持たない人達です。
中山天理教の闇と嘘を広く信者に暴き、生真面目な善い人達が人生を棒に振ってしまわない様、被害を食い止めなければなりません。
代々教会をさせてもらってるものです。書き込みずっと見させてもらいました。私自身の疑問と気が付いた事を書かせてもらいます。本部は何故布教をしないで、部内の土地を返せと言えるでしょうか?天理教は宗教は布教してこその宗教です。私の教会にも事情協会や開いてる土地はあります。「布教するのでそこを貸してください。」と言ってくれれば快く貸しました。でも返せとはなんですか?布教もしないで返せ?どういうことですか?本当に金しか考えてない金の亡者なんだと確信しました。もう「布教するのでそこを貸してください。」と本部に言われてももう遅いです。
離脱する決意が付きました。
布教が何故伸び悩むかと考えても本部の言っている事がおかしくそれに伴い大教会や上級の意見も狂っているからですよね。もう離脱して現在の天理教の悪事を引け合いに布教したらこちらのブログのように人に理解を得られるという事ですよね。もう離脱して、ドンドン天理教を批判して、本部教理のおかしさと本来の教えで比べて布教をしなおそうと思います。
離脱
2019年10月21日 9:50 PM
事情教会がいくらあろうとも各大教会、分教会が、にをいがけ(布教)に伸び悩んでるのならその悩みを解消するのが本部(親)の役目ですよね。 土地を返せと言いその土地を売却する本部は天理教をやる気が無い現在の運営責任の中山家に天理教をやる気が無いと言われてももう致し方ありません。徳や理があるなら布教してみたらいいんですよ。「飲まず食わずで布教しろ!)と言ってやりたいです。
私も離脱さんの意見で心が固まりました。現在の本部体制から離れます。
匿名様 2019年10月21日 6:49 PM
>現在の左派反日派ネットで惨敗でもう反日以外を騙すため愛国を装うことが多々あります。
匿名様 2019年10月21日 6:54 PM
>「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。
なるほど。参考になります。
私自身は装ったものでなくても、靖国神社に参拝することは愛国にならないと考えています。
靖国は軍国主義のためのつくられた神社、作られた信仰です。
天理教本部が教祖の考えられた自然で本来的な天理教から離れたことを
批判する須藤さんなどを好意的に引用されている方の多い掲示板ですから、
私の言わんとすることを理解されましたら同意いただけるのではないかと
期待しているのですが。
(戦争で犠牲になられた方は大変気の毒ですし、自己犠牲の精神で散っていかれたことも
重々理解しております。ただ、その方たちが国家に利用され命を落とされた事実があるからこそ、
靖国神社で参拝することは決して望ましくないことだと思うのですが。
この辺は政治信条や歴史認識に関わるので、この掲示板の趣旨から外れるのでこの辺にしておきます)
話を天理教教会本部(もちろん真柱を含む)に戻すと、
私自身は、政権にも批判的、もちろん天理教教会本部にも批判的です。
左翼だから、天理教教会本部だから賛成だの反対だの言うつもりもありません。
ただ、今の政治は明らかにおかしい、天理教教会本部のやり方はおかしい。
自分なりの観点をもって批判し、少しでもここをご覧になっている方に
我が家と同じ苦しみを味わってほしくないだけです。
(金に狂う天理教教会本部もおかしいし、台風被害の中どさくさに紛れて
公務員国会議員給与引き上げや30兆円の環境保護技術への投資を決めた政府もひどい。
弱者への配慮が全くないのがおなじ。だから同じように批判します。
もしその批判が当たらないなら、
教会本部も政権も堂々とメディアなどで土地建物の御召し上げや
公務員国会議員給与引き上げの正当性を主張し、周知を徹底すればよろしい。
それをしない時点で、後ろめたい、さっさと分からないうちにやってしまえ、
という同じインチキ、薄汚さを感じます。
私は政権に批判的という意味では左翼寄りと言われる方もいることと思いますが、
私自身の中では行動原理として一貫しています。)
崩壊様 2019年10月21日 7:43 PM
>これ以上、天理教の被害者を出してはいけません。
私自身強くそう思っております。
その意味で、教会本部に比して弱者である信者は連帯し、
情報を共有し、おかしいものはおかしいと声をあげ、
納得のいかない活動への参加やお供えは行わない。
税金もお供えも、しっかりとした監視と
きちんとした批判によるチェックの上で活用されなければ、
腐敗します。
現時点の日本という国・日本というシステムが
抱える深い問題の表出という意味では、
政治も天理教も同根であるように思います。
長々失礼しました。
久々のぞかせていただきましたが、相変わらず天理教に対する不満が噴出していますね。よくぞまぁ種切れにならないものかと感心するくらい、不満が後から後から湧いてきているようですね。
ゴエモンの句をもじって言うと、「浜の真砂(まさご)は尽きるとも 天理教への不満の種は尽きまじ」 というところ・・
けどそれは、天理教の方(ほう)が、<不満の種>をまいているからではありませんか?
「わしもしっかり種をまこ」 とおっしゃっていますが、みかぐら歌にあるこの「種」 は、世のため人のためになるものの種のことでしょ?ちゃんとした種まき、やってくださいよ。
離脱様が > ドンドン天理教を批判して、本部教理のおかしさと本来の教えで比べて布教をしなおそうと思います。
と言われていますが、正しい姿勢だと思わせていただきます。
そうされることによって、ご自身の教理に対する理解を深めることにもなるでしょうし、汚れを取ることにもつながるだろうと思うからです。なまいきなことを言ってすみません。
50 60鼻たれ小僧。
どこまでも人間性とさとりを深め、お話しおたすけにも深みを増してゆく。そんな信心自体を本部が自己否定している様なもの。
お地場に帰っても、ジジババの話しのなつかしさが潰え、心に寂しい風が吹く。
煉獄行け 様 2019年10月21日 11:29 PM
全面的に賛成です。
たいへん目配りの行き届いたご投稿に感謝します。
つまるところ、暴言をたしなめるには知識と教養が肝要だということになりますね。
匿名様
2019年10月19日 9:14 PM
≫様々な人はここには存在しません。基本さんはどうなりましたか?
≫他にも書きこみが出来なくなった方々もおられます。
≫ここは様々な意見があるのではありません。
≫このサイトを今もカインさんが運営しているのか、カインさんが元所属されていた所が運営されているのは知りませんが、誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。
この匿名様の記述は事実ですか?「書きこみが出来なくなった方々もおられます」とは具体的にどのような事が有ったのか、お示しいただければと思います。
「誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。」とは、私は感じたことは有りません。
誰かにこのんで頂きたくて書いているなんて、あり得ないことです。本部もこの板を注視して閲覧しているようですが、仕事として閲覧している人の中には、或いは関係者であれば「誰かの好む文章を書く」可能性も有るかもしれません。
サイト運営者がどなた様なのか気になどしていません。ただ、この場を提供してくださる事に感謝しているだけです。
そもそもですが・・・、サイト運営者の考察を拝読した事がきっかけで投稿させて頂く、今や、意見交換の貴重な場になっているという事実は大きいことだと思います。
蛇足ながらサイト書き込みに関するルールは明記されています。
☆崩壊様 2019年10月21日 8:59 AM
匿名2019年10月20日 7:14 PMは私なのですが(匿名で申し訳ありません)、崩壊様のご意見にはいつもうなずきながら拝読している匿名です。
「まともなおとしどころ」は別の匿名様を揶揄した表現でした。誤解されたかもしれないと小心者の匿名は急ぎ弁解する次第です。
以前のご投稿の、母子家庭の母親に関する内容に関してあやまっておられましたが、私は崩壊様のお書きになる通りだと思いました。
遅ればせながらお伝えする次第です。
本日は「即位礼正殿の儀」が行われましたが、歴史的な瞬間の天候が「神話的」「ファンタジー」とネットで話題になっています。
以下 https://mayuponstyle.com/news/7315/ から引用
即位礼正殿の儀当日に起きたこと
・富士山の今季初冠雪が気象台から観測される
・天照大神の祀られる愛知、前日の予報では大雨だが晴れる
・皇居では天叢雲剣のチカラで雨模様
・かと思いきや儀の始まる直前に晴れて低空に虹がかかる
・儀式終了後再び雨模様
流石ファンタジーの国よ
天叢雲剣のパワーで雨が降り
天照大神のパワーで日差しが出て
即位の儀に東京に虹が出て
富士山に初雪が降り
儀式の終了と共に曇りになる。
なんか凄い神秘!!
ファンタジー!!
即位礼正殿の儀、 天叢雲剣で雲を呼び、雨が穢れを落とし 儀式直前で晴れ、からの虹。。 すごい国・・・
引用ここまで
みなさんご存知のように
本日は天皇陛下の即位礼正殿の儀においてご即位を宣明なされてから、
関東地方は途端に晴れ間が出現しました。
またさらに、即位を祝うかのよごとく皇居をまたがるように大きな虹がかかりました。
確かご成婚パレードのときも、直前まで雨だったのが途端に晴れましたよね。
文字通り 天照大神 の霊験あらたかな祝福が自然現象を通じて現れたと言えましょう。
感動で涙が出ました。
神はやはり日本を、そして世界を見守ってくれている。
神は確実に存在する。(天理教団にはもういないけど)
それにつけても奈良の田舎の「中山らの集団」たちは、
人から無心したお供えで、下品な花火にレーザービームのどんちゃん騒ぎ…..orz
ファンタジーじゃない クレイジーだ!!
匿名
2019年10月22日 8:58 AM
仕事で書いてるのは本部のネット監視団だけじゃないですかね。 一例を挙げて話をそらして話題を変えさせたいのではないでしょうか。後は洗脳された方や感情的に反論だけをしてる人もまだまだ多いだけですからね。それは以前から繰り返したことですし、教理の言い合いでは、通りすがり、と言う荒らしが居ましたしネットあるあるですからね。
中山派が何を書こうが善亮がアホ政策乱発してるので意味が無いですし、現実がそうなら成って来るのが天の理 真柱が頭の病気も天の理 教団が衰退するのも天の理 それに反発是正する面々が現れるのも天の理
全て天の理なんですから笑 天理教と名乗る本部あれど本部は天理教にあらず。
さぁ倒しましょう!!! 土地問題が神の合図、気付き始めた面々も増え各地で立ち上がり始めましたね。
打倒本部!打倒本部員!打倒中山! 中山家と本部員を追放して!皆さんの手に天理教を取り戻しましょう!
今朝8時58分の匿名様
私は以前匿名ですというHMで擁護意見を書き込みましたが、擁護派は書き込みをブロックされたり、書いたものを消されたりしました。これに関しては御存知の方々も多いと思います。
他にも匿名ですというHMの方がおられますが、匿名ですは少なくとも二人は存在します。
私が匿名ですのHMを使わないのは、ブロックされたり、書き込みを消されたりするからです。
擁護派がほとんど存在しないことが不思議ではないですか?
私は今も天理教を信仰しています。書き込みたいことは多くありますが、サイト管理者がブロックをかけられます。
ここは思想統制が行われているのです。
何故今書き込めたか?それはデバイスが故障によって新しい物になってまだブロックがかかってないからです。
多くの教会で育った方の御意見を見ています。
けれど、私は天理教を信仰しています。
何故信仰しようと思うのか書き込もうと試みたこともありますが、ブロックされ続けたのと、天理は自分が分からなければ、人に言われて分かるものでもないと思っているのとで、結局信仰し続ける人間だけが信仰するのかなと思います。
>>サイト管理者がブロックをかけられます。
>>ここは思想統制が行われているのです。
管理人さんが告知しているサイトガイドラインに抵触したからじゃないですか?
もしも投稿にブロックがあったのなら
通りすがりを筆頭に、参謀=実態、ラグビーとおぼしき者、匿名です等
これまでの擁護派達が、
「他者の意見に耳を貸さず、非論理的な文章をたれ流し読者に配慮しなかった」ため、
管理人さんにブロックされたと思います。
その自覚がないあんたが終わっているのであり被害妄想もいいとろこです。
これまで「さんざん偽教理で洗脳してきた教団」側の擁護派が、
いまさら「思想統制されている」ってどの口が言っているのでしょうか 大爆笑
前を行く人にただついて行くだけ。途中で、この道は違うと気付いて引き返せる人も居れば、気付かない人、気付いても後戻り出来ない人、あらぬ所へ連れて行かれて後悔しても後の祭り。
好きな名言
この歳になったら怖いものは無い。忖度せずにストレートにしゃべろう。老人には若い人に代わって
しゃべる義務がある。忖度しないのは高齢者の特権。(倉本聰)
知ろうとしない事、行動しない事は、僕たちにとっては罪なんです。(命懸けのジャーナリスト清水潔)
いつ死んでも恥ずかしくない生き方をしていたら、それで良いのと違うかな(酒井雄哉大阿闍梨)
人生は恐れなければとても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして
少しのお金だ。(チャールズ、チャップリン)
勇気と決断、行動あるのみ
匿名
2019年10月22日 5:30 PM
今の教団には擁護する部分はないからと言うことでしょうが、ブロックはしなくていいとも居ますがね。
匿名2019年10月22日 5:30 PM
教団擁護なら天理教社会学で無く天理時報に投稿すればいいんでしょうな、それぐらいの統制はあっても仕方ないでしょうね(笑)
2019年10月22日 5:30 PMの匿名様
>私は以前匿名ですというHMで擁護意見を書き込みましたが、擁護派は書き込みをブロックされたり、書いたものを消されたりしました。これに関しては御存知の方々も多いと思います。
本物の匿名ですさんは、本部の理不尽に気付き始めたようですよ。
ところで、あなたは教祖の声が今でも聴こえるのですか?
身上の真柱さんは、お尽しが足りないと思いますか?
ブロックを非難するより、ちゃんと質問に真摯に答えて下さい。
皆さん、様々な御意見をいただきありがとうございます。
それでは、これにて失礼いたします。
古い教会長様
身上の真柱様がおつくし云々は、もう一人の匿名ですさんが書かれています。その方に聞いていただきたいです。
また真柱様は更に回復されることと思っています。
教祖の声だったのか、御本部におられる何方かだったのか分かりません。
今はおさづけの時に教祖を感じさせていただいています。
匿名
2019年10月22日 5:50 PM
これ見よがしに否定批判をしてるだけで、「現実見れて無い教団擁護派が擁護しろ!差別だ!」って言うのもね。いわずもがな それぐらい自分で気が付け ですよね笑 その意見が通るなら、教団反対派が天理時報などの教団の機関紙に投稿でなく寄稿する権利を貰えないと公平ではないです笑
悪人ほど被害者や善人ぶりますよね。中山教団の人達見たく笑
天理教のことを知っているようで、あまりわかっていないと勉強しなおしてから長い年月が経ってしまったが、その間、関連書籍を読み、現地調査を繰り返し、ようやく概要がつかめてきた気がする。それらをこのコメント欄で文字で表現するには莫大な字数とまとめる時間が必要になってくる。短くまとめるなら現在の「天理教」というのは神ではなく人間の集まりに過ぎず、神不在のまま人間が儀式を整え、制度を作り、純粋な人々を取りこみ、肥大化したに組織に過ぎないように感じている。人間思案の集団体質は「おふでさき」が書かれていた明治2年から15年の間でも起こっており、それを嘆く歌が詠まれてもいる。それを体制にいいように解釈して不都合な部分はぼかしてもいたが、今の時代では隠しきれないようになってきている。
明治20年に教祖が現身を隠してから、その後を継ぐ本席も神がかりになって「さしづ」もしてはいたが、普段は人間であり、神道直轄天理教会になり、本席が出直す明治40年まで、だんだんと教祖の望む道とは違ったものに変質していき、飯田岩治郎水屋敷事件、不良教師事件なども起こり、異質な集団への道を歩んでいた。そんな折、大正5年には教祖30年祭が行われ、教祖みきがまた現れるとのうわさ通り、井出クニが教祖殿に現われる。天理教側ではタブーで、朝日神社の方でも天理教の人たちに対してはタブーにしている。しかし、教祖みきのように本当に人を助けっぱなしだったように井出クニも多くの人を助け、助けられた人々から親さんとして慕われている。そして決して天理教と対立するような態度は取らず、兵庫県三木市の朝日神社で人助けしていた。
ちょうど100年前は教祖30年祭も終わり、茨木事件の起こった頃である。100年たてばだんだんと真実が明かされてくると聞いたことがあるが、本当にそうなってきているようにも感じている。
本席が出直す2年前に二代真柱が生まれたが、教内では期待も大きく真柱中央集権体制を揺るぎないものにするために時の本部員は苦心した。大正期に入り、山田梅次郎事件、茨木事件が起こり、大正10年には愚かな倍加運動を松村吉太郎が行い、現在の末端教会が喘ぐ状況の原因をそのころから作り出していた。大正も終わり、昭和が始まる頃に教祖40年祭、正善氏が管長に就任し現在の体制に続いていくが、人と金が集まり肥大化していったが、所詮人間集団の神不在の教団では100年祭を機に衰退していくのも無理からぬ話である。多くの教会長、信者は「白紙に戻って一から始める」を信じたのに全くの期待を裏切られた形で、多くの純粋な人たちが落胆したことだろう。須藤花井の出現も神の計らいなのかとも思えてくる。
私の所属教会も倍加運動の頃からの教会で、芹沢光治良の実父と同じように家、財産すべてを捧げ、布教から始まった末端教会だ。食うや食わずの生活から現在の教会の姿になったが、「人間の運命」を読んだ時に、全く同じではないかとも思った。しかし真柱崇拝のような信仰はやめ、教会制度の改革なしでは続く道理はなく、決して将来が明るいようには思われない。皆が不幸になるように思う。
歴史的なことを細かく述べ始めたらきりがないが、現役教会長で本当に道を求めるのであれば上記に挙げた事件、人物について調べ、歴史を知るべきである。単に教内では「異端」だと単純に片づけられたり、タブーになっているが、実際に行って話を聞いてみれば全く違うことがわかってくる。それに関しては「天理の霊能者」などを参考にし、本当かどうか自分で確認するために本に出てくる場所へ実際に足を運び、人物の末裔に会い、話を聞き、自分自身で裏を取っていく作業をすれば現体制の天理教がやはりおかしいと気が付く。心配しなくてもお金を要求されたり、無理な勧誘をされることもない。
「復元」、「新宗教」があれば読むべきで、芹沢文学の「死の扉の前で」「人間の運命」などを読めば、どうして「人が助かる教え」から「人が苦しむ宗教」に変わったのかが分かるはずである。自分の「目」と「耳」で確かめてくれば自分が進むべき道も見えてくるように思う。現役の会長の友人も多いが、難しいことはわからない、純粋に教えられてきた信仰を守ればいいという人も多い。それはそれでかまわないが末端の教会、布教所、信者の心は信仰から離れていくことは間違いない。代が変われば尚更のことである。
擁護派、批判派などと言い合うより、親神にとってかわいいすべての人間が本当の道を歩めるようにすべきではないだろうか。
匿名様 2019年10月22日 8:24 AM
当方の長く拙い書き込みをお読みくださりありがとうございます。
弱い立場の者が泣き寝入りする世の中にはしたくないものです。
匿名様 2019年10月22日 5:30 PM
>擁護派がほとんど存在しないことが不思議ではないですか?
少し不思議なのですが、こちらのサイトに書かれていることが
事実だとしたなら、そしてそれをごく常識的に理解したなら、
無条件の擁護がなされるということの方が不思議に思われるのですが。
むろん、私の常識や理解が全く誤っていない、とは申しませんし
その懐疑を抱きつつも、敢えて訊かせていただいているのですが。
具体的に教団のどういった点を擁護されているのでしょうか。
>私は今も天理教を信仰しています。
誤解なくご理解いただきたいのですが、私個人は天理教を信仰している方を
悪く言う意図はございません。恐らくここに書きこまれている方々もそうなのではないでしょうか。
純粋に、教会本部の言うこと「も」信じてしまっている方に
目を覚ましてほしいのです。
天理教の教祖が説いた教え自体を否定するのではありません。
むしろそこから離れてしまっているのが、問題なのです。
(前述の須藤さんなどもそういった点を問題視されていたのではないでしょうか?)
現教団が「今だけ、金だけ、自分だけ」の為の
宗教に天理教を堕してしまったことが問題であり、
純粋に他人様の為に力を尽くそうという信仰を今も尽くされている方は、何も悪くありません。
むしろ食い物にされている被害者であり、そのことに気づきいてほしいのです。
>書き込みたいことは多くありますが、サイト管理者がブロックをかけられます。
どういったことを書きこみたいのでしょうか。
教団の無条件の擁護でしょうか。
だとしたなら、例えば下記の話題についてはいかがお考えでしょうか。
問に対しきちんと答え、その議論の中でご持論を展開なさってはいかがでしょうか。
>ここは思想統制が行われているのです。
では、天理教団では思想統制はなされていないのでしょうか。
例えば天理図書館に収蔵している教祖関連の史料は、
複数の天理教教理研究をなそうという教会関係者にも不開示とのこと。
二代真柱の時代に「お供え」を原資に買いあさった膨大な史料は
信仰人全ての共有財産のはず。大学も設置し学問の一翼も担う法人が
こうした不公正ともいえる姿勢を貫くことに対しいかがお考えでしょうか。
都合の悪い情報を絞り、自分たちに都合の良い方向へコントロールすることも
立派な思想統制の一つです。
この掲示板の書き込み削除を批判されるなら、天理教団がやっていることも
(事実なら)同じだとお分かりですよね?
こうした情報不開示の壁に阻まれ、
教祖の説いた天理教から離れた現状を嘆き、教団を批判して
天理教を離れる方が多くいる、という事実はどうお考えなのでしょうか。
そういった方々の主張は全て一方的な思い込みであり、
そういった事実自体が全く無く天理教は公明正大であり、
全て教祖や教理に関わる資料は明瞭に開示され、
天理教創立当初の姿を学術的にも確実にたどれる状況を
天理教本部は構築しているでしょうか。
現時点で公式のものとされている教理についての批判的検討など
どういった機関で行われ、それをどうオープンにすすめているのでしょうか。
金を出すことが救いになる、という昨今の教団の主張は
教祖や親神のどういった教えから導かれるものなのでしょうか。
あるのなら、具体的にご教示いただきたいのですが。
こういった教理の学術的研究がもし万全公正に行われていなければ、
それは教理という最も宗教団体として根本的な思想思考を恣意的、
私利的に曲げている可能性も否定できず、
つべこべ言わず信じて金を出せ、というなら
それはりっぱな信者への「思想統制」であり、
宗教のビジネス化であり、
そのやり口は宗教家として不誠実であり、自己否定でもあり、
もはや宗教の態をなしていないともいえると思うのですが。
本当に教祖は「金の繋ぎ」がなければ救われない、などと説いたと思いますか?
そんな宗教が幕末の貧しい民衆に広く支持されると思いますか?
そういった事実についてはどのようにお考えで擁護されているのでしょうか?
そうしたことを差し置いて、一個人が運営している掲示板での
書き込みを削除されたことに対し「思想統制」というのならば、
まず現天理教団の姿勢こそ批判すべきではないでしょうか。
どのようなご回答を戴けるのか、非常に興味があります。
こうした事実や関わる教理理解など、
お考え・認識をどうか教えていただきたいです。
(建設的な発言を書いているわけではないので忙しい方はスルーしてください。)
「匿名」というハンドルネームで投稿している者です。混乱を招き失礼しております。
自分ではない別の匿名様の投稿を拝見して、「アレレ、これ、私ではないけれど自分で書いたような気がするほど自分そっくりの考えだ!」というビックリ経験もしています。
社会学の場はそのほかにも複数、匿名さんがいます。これは不思議でも何でもない事です。世の中にはネットができる以前から、「匿名希望」での発信はザラにありました。
「匿名(希望)」という名称は、紙の新聞の読者投書欄などでは毎日のようにお目にかかるモノでした。
現在は投書を送稿する際には実名明記を求められ、事情により匿名を希望する人に関しては、新聞社側の判断で紙面上での匿名が認められる仕組みです。これは新聞社側が内容などで確認を取りたい場合に備えて連絡先明記を要求しているのです。投書が新聞のネット版に掲載される現在では、投稿者のリスクは大きくなっているように感じます。
氏名のほかに肩書・年齢も記載されるスタイルがオーソドックスではありますが(退職者の場合、「元○○」という記載)、最近の世相を反映して「主夫」とつける男性からの投稿も珍しくありません。
確かに同級生の投書が載った時には、実名が書かれていたからこその「読んだよ」コール(電話)ができました。
とは言え物騒な現代です。SNSで実名をさらしている方をみると、老婆心ながら個人情報開示に不安はないのかと思ってしまいます。
もっとも、登録する際の「国」を実態は日本であっても外国にしたり、名前を架空の外人名にしたりすることもできますから、案外、日本名であっても実は実名ではない場合も有るかもしれません。
かようにネット上は虚実ないまぜとも言えるようです。個人情報を守りながら、でも発信したいことが有れば工夫の余地が有るわけです。(注:SNSの会社によりルールの違いはあります。)
煉極行け様
一つずつお答えしていいでしょうか。今回の書き込みは一部にして後日追々に書いていっていいですか?
皆さん本部がお金を独り占めしてる。上が取り込んでる。それを繰り返しおっしゃってます。
しかし客観的に見て、システムとして分配されているように思えます。巨大組織であり、海外布教の拠点もあり、病院への援助などもあり、出版社もあります。
組織の維持に使われていると思います。
組織の維持は、天理の教えを伝えるために必要だと思っています。
すみません。まだ書いている途中ですがもう遅い時間であり一旦書き込みを中断します。
全員が助かる宗教ではない
誰かが支えて、誰かが支えてもらう。
互いに支え合えることが出来れば良いのだが、実際は片方に負担がかかり、時には共倒れにもなる。
助かった と思えない人には、考え方、見方を変えたら助かっている と答えたり、本人の得心次第だと答えたり、まだまだこれからだ と先延ばしをしたり…良い結果が現れなければ、逃げ口上のオンパレードである。
助かった、助けてもらったと思えた人には御礼として、金と時間を供えろと言う。そして、あなたも人を助けて『もっとお供えを増やそう』と提言。
助けてもらったら、他の人を助ける手立てをしたら良い。『お供え』や『人』を増やせ、連れてこい持ってこいと言うのは如何なものか。
早く信仰をはじめた者が上に立ち
、後に続く者はそれを支える。
本部も教会も人もこの組織の形から逃れられない。自浄作用も根本的な変革も不可能。
時代が味方をし、たまたま伸び栄えて発展したが、現在の社会情勢では伸びる訳も無く、新たな神の啓示者も現れず、認めず、血脈と肩書きと立場だけで推し進めて辿り着く先は果たして…
匿名
2019年10月23日 11:41 PM
分配システムを私は否定してません。それより本部の金の使い方と運営方針が間違っていた。それが曲がりも無い現状です。ではその責任は?と成った時に代表一族の中山家だと言う至ってシンプルな話です。
おやさと館と銘打ったあの悪趣味な建築物が何故必要だったのか?
本部が機関紙に出す収支決算報告も上乗せ発表との噂、実際は半分以下との噂も聞いたことが有ります。
なぜ本部が本部の土地を売却する前に、包括法人の土地を収奪し売却をもくろんでいるのか?
等など本部の問題を挙げて行ったら切が有りません。
そしてこの回答に関しての答えは求めません。答えはもう現状として出ていますので、現実は嘘をつきません。成って来るのが天の理、神も嘘は付きません。
甘露台倒壊、真柱身上、教校学園廃止、包括法人の土地売却計画 崩壊寸前の組織の所業 語るに落ちるだけです。
今は一人でも多くの被害者を出さない事が人と言うものです。本部にはその人の心を持ってるとは到底思えません。
一般人の友人にも、天理時報の、「お金の繋ぎをようき世界実現」 の記事を見せたら、「これ宗教がいう事ではないよね?」この世間の常識すら理解できない本部が世間から淘汰される事がまさに今まで積んで来た無理 と 不徳だと言う事に気がつけない。それが本部と中山家です。
「お金の繋ぎを陽気世界実現に」と信者を喚起する天理教の偽教理。とどの詰まりはやっぱり「金」。
ここまで言うかと思う。もう本部の頭の中は末期症状。
天理教の黒い策略が「命の繋ぎは金」発言から重ね重ねで出てきた。神の怒りは現状の姿に答えとして出している。これは天理教懐疑派の人達の多くが感じている事。
嘘に嘘を重ねる天理教。スロープに2億円とか?
みちのともに会計の収支報告はしているが足したり引いたりして信者の監査など通して居ないのだからどんな報告でも出来てしまう。スロープ1億円でも2億円にしておけば、1億円は不透明な金の流れとなるでしょう。
ここまで不信感を持たれた教団の会計報告は信じるに足りません。(信者、末端の監査を通すべきです。)
とにかくこの時報紙面は証拠にとっておこうと、棄教した姉妹が呆れて果てていました。
煉獄行け様、ここは思想統制された掲示版です。私も何度もブロックされ、投稿も削除されました。まともな議論の出来る場所ではありません。
うさこ @ptp69 さんのツイートより
天理教本部の財務関係のとこにいるひとが、
財政的に本部はあと5年持たないって言ってたから、
もう永年とか言ってないで他の仕事探してた方がいいよ
天理教本部の財務関係のとこにいるひとが、
財政的に本部はあと5年持たないって言ってた<<
後10年の内に何らかの動き(答え)が出ると思っていましたが、実際にはもっと厳しい状況なのですね。
周囲の教会を見ても活気のある教会はありません。枝葉が枯れて来ているので、幹は当然枯死しますよね。(所属大教会も近所の大教会も活気がありません。)
幹(親)ばかりを大切にさせ、これでもか、これでもかと末端教会(子)である枝葉の養分を吸い取り尽くした結果、青々とした葉っぱを茂らす事ができずに力尽きてしまっている多くの末端教会。
本部は親と言う大義名分で子供虐めを正当化してきた。躾と称して暴力を振るう親の如くに、信仰と称して精神的、経済的暴力行為を肯定して来た。どれだけの子供達が虐げられ、強制を強いられ、精神を病み、経済基盤を失い、取り返しのつかない事になっているか。
その挙句、本部は地方の潰れた教会の土地を取り上げると言う。 骨の髄までしゃぶり尽くす悪魔の様な天理教団です。
通りすがり
2019年10月24日 2:09 PM
思想統制と言うならまず天理時報から批判しない事には始まりませぬが?通りすがり 通りすがれないで毎度出落ち滑り芸人のよう(笑)
ここは、「本部は機関紙などでこう言っているが実際は?」を語る場でしょう。教会を運営してる人間なら実際の所が必ず気になる。通りすがりはどこから議論しようと思ってるの?天理教の振りして天理教じゃないんじゃないの?との疑問をもたれますよ。この疑問を本部に対しても皆さん思っている事なんですよね。
本部を隠れ蓑にした中山家のご都合主義の思想統制より断然ましです。皆さん教祖がおっしゃった本当の教え教理を会得したいんですから、無理と不徳の中山家とその血族に金も時間も労力も思いですら割く暇は無しです。
教えを背くものは消えてなくなれば良い。嘘を突き通すなら無様な姿をみなに晒すがよい。
教えに背いた中山家は神に背いたのも同然 御守護どころか運も天にも見放されたのは誰しも気が付いていることです。 今教区や大教会の集まりに参加しても、「本部がおかしなこといってるから今後どうするか?離脱するか?子供にはさせたくない!」との意見が皆が同じくする所その最中に 通りすがりは毎度何を寝ぼけているのか?現実を見ろ本部にいるからその現実が見寝ないのか?本部以外はもう本部への信用はもう崩壊しているぞ?その現実を見たくないのか?夢は寝てる時に1人で見るもの、善亮の妄言は右から左、誰が聞く耳持つのか 腹が痛い(笑)
2019年10月23日 11:41 PMの匿名 様
あなたは何か勘違いをなさっていませんか。
おカネが要るっておっしゃいますが、誰でもおカネが要るのです。ただ、多くの人は実力を知っていて、その範囲で生活をしています。教団本部の実力って何なんですか。
過去に、本部員が1億円近い脱税をしたと聞いたときに、この宗教は終わったと思っているのです。
よく考えてください。助かりたい一心から少ない国民年金から捻出されたお供えの持つ意味は、余りにも大きいですよ。
そのような人の思いを、おもんばかる気持ちなどさらさらない教団の浪費。勤め先が倒産して失業保険を受給しながらお供えを減らしたことを、何も知らずに叱り飛ばす教会長。その信者さんに、何かあったのですかと尋ねる繊細な気持ちの欠片も持ち合わせていない宗教家。それが天理教団の一員なのです。
そのような宗教には近づかないようにと云い続けているだけですが、余りにもおカネに拘る教団の姿を見るにつけ、信者さんたちの日常に思いが至らない人たちの集団なんか消えて無くなればいいのです。
最も、下記の現実を見ていただければ、そろそろ終わりが近づいているのでしょうね。
50畳余りの会堂に溢れんばかりの信者さんが居られた教会の今の姿は、会堂の片隅に並べられた椅子に座る高齢者が10人に満たない現状を見れば、天理教が何だったのかは語るまでもないことです。
昨年末世間を騒がせた詐欺事件 はれのひの倒産前と 現在の教団は被ります。崩壊前の会社や組織で、誠実に崩壊していった話は殆ど聞いたことがありません。
はれの日は着物のレンタル業、一方 〇〇教団は、人体のレンタル業だそうだ(笑)ここから話がもうおかしいのですが、そこはおいといて
その〇〇教団は「人体は神の貸しもの」と言う教えだそうだ。ここもそう言う教えね。とおいておこう。
しかし、この教団の一部組織では「レンタル料を請求しているらしい」ここで誤りが出る。
神には借りていたとしよう、しかし教団には借りて居ないとはっきりいえる。
もし仮に人体を本当に貸しているのなら、医師免許が必要だろう。よろず病院で貸してるのかな?でもこれも倫理的にも法的にも今では駄目だろう。
つまり教団は人体を貸しては居ない。そして貸主の神様はお金は必要ないでしょう。
上記は〇〇教の団体の話だったが、今度は、「金の繋ぎは命のつなぎ」と脅迫めいた教えを説き始めた人が居るらしい。もうこの時点で(笑)なんですが、
これ教祖が言いましたか?言ってないですよね?「金の繋ぎは命の繋ぎ」は偽教だそうです。
「命に代えてでも金がほしいの間違いなのではないでしょうか?」
このように「とにかく金を集めたい!」意思は伝わりますがね。ほどほどにしないと、教団解体になった後も、この発言者は大変なことに成ると思いますがね(笑)
今は後先考えずに組織維持の為に形振りかまわず金集めしたんでしょうね。
ここからはもしも、の話ですが、教団解体に成ったら、この はれのひ事件 のような事が散見されるのではないでしょうか? はれのひは、まだ着物を借りれなかっただけで済みますが、〇〇教団は、どうも被包括法人などの土地や建物財産まで寄付せよという傾向が伝統的に見られる宗教団体なので、気が付いたら土地や財産がなくなったや酷いと全財産無くなったという人が黙っていられるでしょうか?黙っては無いでしょう。 しかも信者数100万人と豪語してるなら、100万人の被害者と成るのでしょうからこれは大変、実質10万~20万としてもそれでも大変な事件となります。
参考
はれのひ元社長 実刑 被害者、今も晴れぬ思い「成人式 悲しみ思い出す日に」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121902000244.html
「名前すら聞きたくない」 はれのひ被害者たちの思い
https://www.asahi.com/articles/ASL6R5VX0L6RULOB00T.html
芹沢光治良が天理時報の連載に「教祖様」を書くに至る前の話だが、道友社社長と布教部の岡島氏が芹沢宅を訪れ、「教祖様」連載を依頼する時のことである。その場面の抜粋だが、読んでみて考えてほしい。
岡島「天理教では敗戦を機に復元することに決定しました。明治20年代から今日まで、国家の法律や時の政府の方針にあわせて、応法の道を歩いて、教組の教えを歪めて来たのを、もとの教えにかえそうとするのですが、全教団を挙げて、教組にかえる運動をはじめています。それ故、先生の汚れない目で、真の教祖を探求して、教祖像を描いていただければ、教団も信者も、襟を正して啓蒙されましょう。その点、ご安心ください。」
芹沢「教祖像を通じて、天理教の神が、他の日本の神々のように、死んだものになっても、いいのですね。」
岡島「そう私は信じませんが…、その時は、天理教は衰亡して、伽藍だけが残りましょう。私など一生を無駄にしたと、あきらめます。」
芹沢「真の神だとわかった時には、必然的に、現在の教団について、批判が伴いますが、それでもいいでしょうか」
岡島「それこそ望ましいことです。教団の中におる私でも、天理教は大改革を断行しなければならないと、考えることが多いのですから…。」 (人間の運命 第14巻再会)
恐らくこの会話があったのは第二次大戦後の日本がまだ貧しい頃で約70年位前の話だと思われる。そんな過去の話であるが、今、この文をお読みの皆さんは、その70年のうちの何十年かを経験して現在に至っていることになるが、どう感じるか? 私個人としては「何も変わっていないじゃないか。むしろ、その通りになってきているではないか。」というのが正直な気持ちだ。応法の道を説いて、戦争が終わり、時代が変わっても結局、復元はなされたものとは思えず、中央集権化が進んだだけであるとは言い過ぎだろうか。これは記憶に新しい百年祭でも同じことだ。
「伽藍だけが残る」とは「おやさとやかた」が完成もせず、八町四方に点在し、時間と共に修理もされず風化し、70年後の人々が地方の珍しい神社仏閣を見学するように訪れるようなものに変わってしまうことを意味しているのだろうか。建物はできた時は新しくていいものだ。しかし、物である以上、劣化もし、何もしなければ風化もする。それこそ「きりなしふしん」で新しいモノを建て続けるには順番に建てたものの修理も必要になり、いたちごっこを続けなければならない。信仰は伽藍を作ることではないことを歴史は物語っている。それとも70年後には「おやさとやかた」が重要文化財にでも指定され国の保護を受けて残るようにでもなっているのだろうか。
或いは岡島氏の言うように大改革を断行し、やっぱり教えは本物だったと今から70年後には教祖の教えが本当に広がり、世界中が陽気に暮らせる世の中に変わっているということだろうか。芹沢氏が言うように「現在の教団について、批判が伴いますが…」というが、既に教祖70年祭以降にはそんな声があちこちに挙がっていたのではないか。中澤隼人氏のように集会でも意見が出ていたはずだ。そんな声が現在ではインターネットを利用し、更に拍車をかけている。岡島氏の言うように「それこそ望ましいことが実現」しているとも思えてくる。やはり神はあるのだろうか。
しかし、現在に生きる我々は道を求めながらも教団は変えることができないと信じ込み、自分の「たんのう」が足りないと自らを責め、陽気とは程遠い思いをしながら、ありがたいと思わなければと親の代からの信仰を途切れさせてはという思いで、つないでいるのではないだろうか。
本部員も大教会長も分教会長も布教所長も信者も、まじめに考え、大改革をしなければならない時期が来ているとも思えるのだが、所詮、変えられないものと思うのなら、他の日本の宗教と同じく伽藍だけが残り、今から70年後には「昔、ある新興宗教団体がここにあって、『やかた』という建物が、、、」とリュックサックを背負って山の辺の道を散策に来た人たちが足を止めて眺めることになる。今、これを読んでいるあなたも出直して、生まれ変わってそのリュックサックを背負った人になっているかもしれないという笑い話として、流してもいいものだろうか。
東風Z様
若い時に結核から回復されたとか。どれほどの方々があなたを思いお願いつとめされたのでしょうか。おそらく肉親も教会の方々も様々な方々があなたを思い、お願いつとめされたんだろうなと思います。
あなたが離れておられても、お願いつとめされたんだろうなと思います。
これは想像のお話です。
私も誰かが誰かにおさづけを取り次いでくれるように祈りをこめて、100回の廻廊拭きをしていたことがあります。
その人は自分のためを思って廻廊拭きをした人間がいることなど御存知ないでしょう。言ってないですからね。
誰かが東風Z様のために心定めをされていたのではないかと思います。心さだめが何だったのか、分かりませんが。
当時結核がおさまるということは凄いことだと思います。
御自分のお力だけでおさまったわけではないと、私は思います。
貴方様が天理教から出られて50年なのか60年なのか存じ上げませんが。結核は今も耐性菌があって、医療でおさまらないこともあるそうです。
高額納税者に名前を連ねていても、私は何か事情があってのことだったのではないかと思います。と、前にも書きました。そうお答えしましたね。同じですみません。
お供えを減らしたことを叱り飛ばす教会長の存在はここに載っていたのでしょうか。人間の悲しさは全体責任ですか?
医療で割りきれないことが天理教にあると思われませんか?
結核がおさまった理由を探したくはありませんか?
私は貴方様や他の方々が何故、薬によらず結核がおさまったのか知りたいです。だから天理を支えようと思っています。
2019年10月24日 10:11 PM の匿名さま
頭の中が、お花畑ですね。
現実を見る勇気もなく、見ようともしない。
被害を訴えても声を聴く耳も持たず。。。
善人のふりをした、最悪に人に害を与ええる人種です。
2019年10月24日 10:11 PM の匿名
あなた、天理フリーフォーラム さんのサイトの
資料コーナー 1 にある 昭和11年内務省警保局天理教関係資料 を読んだことないのですか?
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
以下一部抜粋
医療の功を認めず、これを否定し、療病の唯一絶対の方法を「たんのう」に求める結果、
無知 から起こる不自然な生活をなさしめる。
安静を必要とする結核や腎臓病に日の寄進なる奉仕労働を強 い、
食生活を無視させる等治療の目的に逆行せしめる。
現に丹波市町は日本一の確率の結核死亡率を示 している。
これは、奈良県衛生深砂川技師が統計の上で発表した。
阪大教授今村荒男博士は、日本一と は世界一の死亡率であり、
迷信禍宗教悪の恐るべきを指摘し、これを学界及び大衆に発表して天理教本部の猛省を求めた。
抜粋終了
昭和11年当時、「天理教は世界一の結核死亡率の原因」であったのです。
こうした歴史的事実を知らずに、たまたま結核がたすかった東風Zさんの事例に、
陰でお願いづとめがあっただとかむりやりむすびつけて美化し
天理教の手柄のように我田引水する。
まさにヤクザのいんねんつけと同じだ。
あなた(2019年10月24日 10:11 PM の匿名)の書き込みは反社会的組織の人間と同じです。
昭和11年といえば戦争の真っ最中ですね。国民が栄養を取れないそもそもの原因は戦争にもあったのではありませんか?
昭和11年といえば結核の薬はまだなかったようですね。
肺を外科手術で一部を取るという医療をしばらく後に行ったようですね。
天理に病気の治癒を求めて大勢の方々が戦時中にも関わらず集まってこられたのだと思います。
天理は結核をおさめるために隔離されるのが一般的な結核の患者さんに寄り添っていたのではないかと私は思います。
そんな美談も今はもう昔の話、今の中山教は、真柱の頭の病気も治せない。これが現実です。
中山派の人間はここで講釈垂れないで、真柱の前回の御守護 ぐらいの奇跡を起こしましょうねー 起こせないけど(笑)
起こせない文句は、善司、善亮、大亮、本部員に言ってください(笑)
祈る姿勢は崇高です。しかし天理教徒もキリスト教徒も金光教徒も仏教徒も皆同じ様に祈ります。それで治れば祈りのお陰、と皆それぞれに思います。しかし治ったとしても偶然かも知れません。
この世は確率の世界です。治る者も居れば治らない者もいる。確率と言えばにべも艶も無くなりますが、世の中と言うものはそう言う風にできているんだと思います。
東風z様が治られたのも神のお陰と言うより偶然であり、どんなにか多くの人が、或いは一人の人が必死の心定めをしたとしても治癒せず亡くなる人は亡くなるのです。
そう言う例はいくらでもあります。治れば心定めか効いたと言い、治らなければお前達の誠真実が足らなかったと言う。天理教の常套手段です。
これが今まで私が見てきた天理教です。当たるも八卦当たらぬも八卦でしかない事です。
当たった時は天理の神が直してくれたと言う、治らなければ口をつむぐ。単にそんなものだと思っています。実際真柱身上に対して本部は隠匿の姿勢を見せ、信者も大教会でさえも詳細は知らされず、煮え切らない気持ちの悪い対応でした。
おそらく治っていれば大々的にプロバガンダしたはずです。場面に応じて態度を使い分ける偏狭でペテン師体質の集団に過ぎないと思っています。
2019年10月24日 10:11 PMの匿名 様
7年近く前に天理教を離れました。理由はこれまでに投稿した通りです。今の心境は人間らしく成れたかなってところです。20年前に定年退職後はお供えを減らし、時には会長さんから挨拶を返されることもなかったことが多々あって気分を害しながら教会に行っていた頃よりも、よほどのびのびと過ごしているんですよ。
天理教の組織の在り方は、最初から破綻していると書きました。
仮にですよ、来る日も来る日も数千人のおさづけ拝戴者があったとします。真柱お一人でこなすことが出来る数字で無くなりますよね。教義を簡単に解釈しなおして、先ず内統領におさづけを渡す資格を与え、次に表統領に、さらには中山家に繋がりのある本部員にまでその資格を与える。
事なかれ主義を取り入れなければ処理できない事態は目に見えていますよね。
世界たすけを標榜する宗教にとって、矛盾した組織形態。おさづけって勿体ぶった儀式を取り入れて悦に入っている姿は滑稽ですらあります。
最も、そのような状態になることを本部が心配なさることは、さらさらないと思っていますが。
私はお書き下げを捨てました。物理的に考えても何の意味も持たないものに拘るよりも、自分自身の実力を知り、決して奢らず、また、卑屈にならずにあと何年あるか分からない日々を大切に生きようと思っています。
中山派が講釈たれても所詮中山の講釈 社会学でコメントを書く人は隠蔽体質の教団ながらも少ない情報から現実を踏まえ個々に分析と考察を重ねるここまでの結果を見れば圧倒的に社会学のコメントは予言のように教団崩壊シナリオを語り的中させている。的中と言うより予想以上に教団の悪化が先を行っているというべきだろう。
「成って来るのが天の理」と教理がいうが、どちらが天の理に適っているのだろう。現実を踏まえている社会学のコメント
中山派VS親神派 の戦いと言ってももはや過言ではないのかもしれない。神に背いた中山派は崩壊するのは当然のシナリオ 親神派にはそれは当の昔に分かっていてこちらでも議論が重ねられていた。
神様の教えに戦うという教えはありません。何か勘違いをなさっているのではないでしょうか!あなた方、誰からも相手にされていません。あの神殿前での署名運動も気の毒でしたよ。
東風Z
2019年10月25日 1:18 PM
>>私はお書き下げを捨てました。物理的に考えても何の意味も持たないものに拘るよりも、自分自身の実力を知り、決して奢らず、また、卑屈にならずにあと何年あるか分からない日々を大切に生きようと思っています。<<
私も遠い昔、「お書き下げ」を破り捨てました。今から思えば懐かしい思い出です。破り棄てましたが、これまで。大病を患うことも無く大きなトラブルにも遭遇しておりません。
匿名 様
2019年10月24日 11:24 PM
>>昭和11年といえば戦争の真っ最中ですね。国民が栄養を取れないそもそもの原因は戦争にもあったのではありませんか?
昭和11年といえば結核の薬はまだなかったようですね。<<
結核の特効薬であるストレプトマイシン(抗生物質)が臨床に使われ、結核の完全治癒率が飛躍的に上がったのは、昭和20年代の中頃からです。らい病の特効薬であるプロミンがアメリカで開発され臨床に使われ出したのが昭和30年代の初めです。「おさづけ」で病気は直りません。単なる非科学的「まじない」にすぎません。かつて不治の病と呼ばれていた病気が医学の進歩により、次々と治癒するようになりつつあります。今後、Ips細胞の研究開発が進んでいけば、現在、不治の病と言われている病気も治癒する時代がくると思います。
通りすがり 様
>神様の教えに戦うという教えはありません。<
冗談じゃないですよ。エイミー・ツジモト氏の著作『満州天理村「生琉里」の記憶・天理教と七三一部隊』をお読みください。
満州人の土地を奪った事実は戦い以外の何ものでもないでしょう。東大谷派は第二次大戦への反省を示されましたが、天理教からは見聞きした覚えはありませんよ。
それは知りませんでした。ただ神様の教えにない事だけは事実です。謀反の根を切る教えであり、悪風には逆らわないやう、ハイハイと這い上がる道だと教えられています。ですから戦闘モードになられても、何の意味もないのです。
若い人たちはあまり歴史のことも知らないでしょうから、せめてネットにある記事や論文でもいいので、読んでみて天理教のことを知るべきです。天理教が戦争協力をしていた紛れもない事実で、実際に送られて引き揚げてきた人たちの苦労も知るべきで、若い婦女子の犠牲の話も知り、本当の信仰とは何かについて考えるべきです。
満州天理村
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%9D%91
「満州「天理村」異聞」池田士郎
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3744/JNK001503.pdf
「怪奇な存在ハルビン郊外の天理村」
http://www.aurora-design.sakura.ne.jp/archives/papers/book-digital/1938-1437346.html
「満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊」
https://book.asahi.com/article/11585549。
今でも伊賀上野の名阪友生ICすぐのところに伊賀生琉里分教会があり、奈良市生琉里町160に生琉里分教会があり、近くに満州開拓団の碑があります。一度、訪れて苦労された方々の碑の名前を見ながらご苦労を偲んでみることも意味あると思います。松村吉太郎の「道の八十年」にも満州のことは書いてあります。昭和9年に入植が始まった満州移民ですが、二代真柱が30歳で松村吉太郎が68歳の頃の話です。国の政策や戦争に協力していた事実は隠しようがないと思っています。
もちろん純粋に布教を志して行った人もいたでしょう。しかし、歴史的に,結果的にみて、教団にとっては大失態であっただけでなく、取り返しのつかない汚点を残したように私はとらえています。やはり神不在の教団にとってそのトップや取り巻きの人たちの都合で振り回された悪例の一つなのかとも思えます。教祖の教えとは違う路線を歩いた結果なのだと見るべきで後世に生きる我々はそれを知り、二度と間違ったことの無いようにすべきであると思います。
通りすがり
2019年10月25日 4:52 PM
神の教えに戦うが無い? 辞書には書いてあるよ(笑)まあいいとして
神の教えに「信者を騙せ!」と言う言葉も書いてないよ(笑)
通りすがり
2019年10月25日 4:52 PM
簡単に書かないと理解できないおバカさんなのかな?
「信者を騙してる中山家を親神様は許しまえんよ~」って事 現に 何で甘露台倒壊、真柱頭の病気、教校閉鎖、パレード中止、土地収奪 これ見せられてるって言うんだよね(笑)これお前が信じ込んでる教理ね。中山教だけでなく 月日親神の社 教祖が言った天啓な
本部の無駄遣いで資金難なだけなのに、せっせと寄付するバカは早々いないぞ(笑)本部の広報している収支決算だれも信じてないしね(笑)
「金の繋ぎはお金の繋ぎ」 と神様いったんか?(笑) 腹が痛い(笑)
本部は90億で悲鳴?最低年間何円必要なのか(笑)飛んだ金食い無私すぎて笑える(笑)
「早く貧に落ちきれ!」これも教祖の言葉な 贅沢すぎるんだよ(笑) カネカネ言ってる肥満集団にどこの誰が好んで寄付するんだよ(笑)異常性極まりない(笑)それにも気がつけない異常性を、教祖は「理の違いは気の違い」とおっしゃったよな?(笑)
つまり「金の繋ぎは命の繋ぎ」と似非教理を公言している本部は気違いとはっきり理解できないなら、通りすがりも 気違いなんだろうね。
以前からも言われてるのに気がつけないからみんな気が付いてるけどね(笑)
通りすがりが本部でも同じキチガイ発言なので何も不思議でないしね(笑)
キチガイでひかからないでね~これ教祖のお言葉を短縮しただけだしね(笑)
放送禁止用語とか言い出したら、天理教すべてが規制対象になるぞ(笑)
おはようございます。朝づとめ前に見るのが日課にしています。
また通りすがりさん現れたんだ。この人はどう考えても教会の人ではないですよね。何も考えてないですし現状どれだけ教会が大変か的が外れてます。善亮さんの事は、表立って認めて、皆散々裏で悪口しか言ってません。近頃では、会議とかでも善亮さんの発言は流石におかしいと良いはじめる人も出てきましたし
理の違いは気の違い ってどなたの言葉?
2019年10月26日 3:58 AM
さんの発言どおり、似たような事を言ってるお方もいました。
やはり、甘露台倒壊の跡に真柱様身上ではね。御本部の不徳のいたす所なのではないでしょうか。
事情教会の土地の返却要求は当系統でも話が出ました。現実に耳にして、法人乗取り も事実だったんだと申しわけありませんが遅ればせながら理解しました。
今は上級や天理時報の言う事は信じないで、毎朝御本部の反省を親神様に願っております。早く悪を懲らしめて欲しいと、それを親神様がしてくだされないなら、離脱します。とも心定めもさせてもらってます。
本部が無くなる、教団がなくなっても分教会の私は何も驚きはしません。本部や大教会は大変でしょうが、親神様、教祖の教えに背いているなら当然の報いです。
通りすがり 様
だったら、教祖・親神の教えと現行教団とは、別物ですよね。
おぢ場に教祖・親神は居られません。今の教団の姿では、居たくても居られないでしょう。あるのは張りぼての神殿・教祖殿や館群だけです。
通りすがり様も、やっとそのことに気付かれましたね。
>通りすがり 2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。>
>通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>
改めて通りすがりさんにお聞きします。
「まともな議論」をよろしくお願いいたします。
なんでおつくし(金銭のお供え)で御恩奉じしないと
二度と体を貸してもらえなくなるという道理になるんですか?
この質問に答えない場合、
通りすがりさんが【都合の悪い文言は無視、自説を主張】しているだけとなりますよ。
日本の法学者であり、歴史学者であり、教育者であり、モラロジー(道徳科学)の提唱者である広池千九郎がどうして天理教を離れたのか、信仰を考えていく上で勉強になると思うので紹介したい。明治43年に天理教に入信し、天理中学校校長を務め講演活動もしていた。教団にとっても重要な人物であった人がどうして離れて行ったのであろうか。大正・昭和初期に大きなカギがあるとは思っているが、広池氏の離脱も無理からぬことであったのだろう。ネット上に面白い論文があるので、読んでみていただきたい。
「大正時代末期の天理教団と広池千九郎」桜井良樹
https://www.moralogy.jp/wp-content/themes/mor/img_research/41sakurai.pdf
上の論文の中でも増野鼓雪と諸井慶五郎が飲酒して登壇して話していたことなどを痛烈に批判しているが、天理教の直会と言えば酒というような習慣にも呆れていたのかとも思える。また倍化運動、海外布教についても述べている。広池は道徳化を通じて日本をよくしていこうと考えていたようだが、そのために教徒の教育にも力を入れ、徳を兼ね添えるようにしたかったのだろう。しかし教団は金集め、信者集めにばかり走ることにほとほと嫌気がさしていたのであろう。もし、この人物が教団にずっと残り、実動していたら今とは違った有能な人材が育ち、自然と天理教は延び広がり、日本社会にも大きく貢献し、教祖の理想とする社会に近づいていたかもしれないと思うと残念なことでもある。教えに触れて、これこそ真の道だと入信したが、現実を見て落胆し、去って行った有能な人物の一人なのかもしれない。
教団の発展を考えるのではなく、日本を、世界を助け上げるのが本来の天理教ではないのだろうか。その為に人材を育成し有為な若者が教祖の望む社会実現に向けて活動できるようにしていくことが教団としての重要な役割ではないのだろうか。しかし、現実は本部員、在籍というような時代と逆行する幕藩体制を築いてしまい、参勤交代のように遠い地方から天理へ通わせるようなことを繰り返したがために地方の教会(特に末端)から疲弊してしまい、教えを広げるどころか衰退への道を推し進めていったともいえるのではないか。有為な人材がどうして天理から離れていくのか再考すべき時が来ているのではないか。
>通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>
あれあれ~間違ってますよ~www
「身体は貸しもの~魂は皆のもの~」と3原点のおふでさきに書いてますが~(笑)
身体だけでは命は有りたたないので、魂が入らないと駄目なのですが~(笑)
ですし、「命をレンタルしてる!」って神様からね。教団が貸しててそれに対しての金払えっていてるから霊感商法抵触してるんだよwww
すなわち、教団 も 通りすがり も違法性がある。つまりカルト(笑)
本当バカにつける薬ってないな
教祖に限って!はまだしも、「中山家が!御本部が!嘘をつくわけない!」と思い込んでるとバカ見ます。「金の繋ぎは命のつなぎ」これは明らかに教祖は言ってないので異端です。これを公言しているのが、真柱の実の弟 中田善亮氏 です。この発言を機関紙でバンバン宣伝し本部も認めてしまった以上本部が異端なのは当然です。本部運営陣も信者を騙せると思って自信持って発表してしまったが故に墓穴を掘りました。信者を騙そうなんて考えが異端です。こんなの信者は誰でも気が付いてます(笑)寄付金も大幅に減ったし(笑)ただいろんな人がいるだけ、寄付金がお幅に減ったのは、急ピッチな学校閉鎖や統廃合を見れば明らか(笑)神の怒りはもう本部の堤防を越えようとしてるんですよねー ここ最近の大雨と同じで、越水して氾濫しているが、大規模すぎて気が付いてないだけでしょうがね。災害も後にならないとその被害には気がつけないので
千葉県の台風や水害が立て続けで起こり、社会学さんのコメントで、台風15号の際に、千葉県の教会がどうとか書いてましたが20号と21号と3連続であってびっくりししました。またもや神の予言が書いてあったと思いました。今日教団で起きている状況ももう数年前には記事で危惧され、記事以外のコメントではより現実味をもって詳細に書かれていました。あたる方に皆さんの気持ちが寄るのは当然のことです。本部よりも社会学さんの記事やコメントの方が誠実かつそれが予言となんて現れる。これぞ天の理と思います。恐れ多くも感想を述べさせて頂きました。
>あれあれ~間違ってますよ~www
「身体は貸しもの~魂は皆のもの~」と3原点のおふでさきに書いてますが~(笑)
原点→原典
魂は皆のもの→??笑笑
かなりレベル低いですね!議論するラインに達していません。
おはようございます。
こう言うコメントとかは、当事者同士のやり取り、勝ち負けでは無く
客観的に見ている、第三者にどれだけ訴えられるかが、重要だと思います。
宗教やってるのに、この人、性格悪いって言う印象を第三者に持たれる様な
そんなコメントを書く様では、未熟な人だなって、感想です。
通りすがり様、一度、御自分のコメントを客観的に御覧下さい
通りすがり様の人格が、ちゃんとコメントに出ておりますよ
正直、あなたを信頼する人物だとは、感じません
東風Z 様の方が、言葉に事実の重みを感じます。
上から目線でものを言う「通りすがり」という方。
世間でも嫌な性分の人がいるが、比べものにならないくらいの嫌な性分だ。
人から学ぼうとしない。
自分が何より正しいと思い込んでいる。
天理教が生み出した「信仰高慢」という、やっかいな代物だ。
人ごとではない。
私も気をつけよう。
通りすがり 様
誤変換はよくあることではないでしょうか。私もよくやります。
全く意味が違えば問題ですが、通りすがりさんも「原点→原典」と指摘されていますので、意味がお分かりのことではないでしょうか。そういう意味からも、ある程度意味が通じればよいではありませんか。
もう少し広い心をお持ちになられては如何でしょうか。
そのほうが楽しい日々を送ることが出来ますよ。
訂正、二つ前の匿名
正直あなたを信頼する人物 → 信頼に足る人物
客観的に見ていて、通りすがり様のコメントは、教団擁護より
教団の今のありようを表していて
むしろここを見る人の反本部の気持ちを、さらに、増加させる事に、加担されておられます。
煽ってるのと同じですよね、だから、あなたは意図的にやってるのかはわかりませんが
ここを、盛り上げて下さっているとも、言えます。
通りすがり様、結果として、ここを盛り上げて下さって、ありがとうございます。
(笑)
皆さん、書かれていることが可愛くないです。
もっと可愛らしい文章を書くようにされた方が、良いです。
集中して通りすがりさんに書いてて、見てて、はぁぁ!と思います。
歳をとってきたら、いかに可愛くなれるかが、生きるためのポイントになります。
目指せ可愛い愛嬌のある自分!
三原点?では話にならないでしょう!
たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
議論のしようがないです!
三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
モリジロウ
2019年10月26日 8:20 PM
>>広池は道徳化を通じて日本をよくしていこうと考えていたようだが、そのために教徒の教育にも力を入れ、徳を兼ね添えるようにしたかったのだろう。しかし教団は金集め、信者集めにばかり走ることにほとほと嫌気がさしていたのであろう。もし、この人物が教団にずっと残り、実動していたら今とは違った有能な人材が育ち、自然と天理教は延び広がり、日本社会にも大きく貢献し、教祖の理想とする社会に近づいていたかもしれないと思うと残念なことでもある。教えに触れて、これこそ真の道だと入信したが、現実を見て落胆し、去って行った有能な人物の一人なのかもしれない。<<
私の元同僚やその家族も元天理教の信者でしたが、今はモラロジーの熱心な会員です。モラロジーだけに限らず、天理教教会本部につくづく嫌気がさし、本部から離脱や独立していく人々は、これから益々、増えていくことでしょう。
匿名 様
2019年10月27日 10:57 AM
>>皆さん、書かれていることが可愛くないです。
もっと可愛らしい文章を書くようにされた方が、良いです。
集中して通りすがりさんに書いてて、見てて、はぁぁ!と思います。
歳をとってきたら、いかに可愛くなれるかが、生きるためのポイントになります。
目指せ可愛い愛嬌のある自分!<<
可愛らしい文章を書くということは、「教会本部を擁護する都合の良い文章を書け」ということですね。言論の自由は、日本国憲法で保障されています。あなたにどうのこうのと指図される筋合いはありません。
匿名 様
2019年10月27日 10:57 AM
通りすがりさんに集中するのは、通りすがりさんが現行天理教を擁護される投稿があるからだと思っています。現行天理教にコリゴリの感情を持っている者にとっては、通りすがりさんの投稿が天理教被害者を増やす結果にならないかと心配しているからです。
兎に角、隠し事をしている現行天理教は何を発信されようと信用できないんです。そのことに早く気付かれることが何より大切ではないでしょうか。
あらゆる過去の史料を開示して修行の基本としている比叡山延暦寺と、史料集成部を開かずの部屋などと揶揄されている教団本部を比較した場合、どちらを信頼されますか。
教祖が仰った嘘と追従これ嫌い、をどのように捉えられますか。
もう、このような議論をしても詮ないことですが、天理教を信仰して不幸になったなんて、笑い事では済まされませんよ。
通りすがり ちゃん
2019年10月27日 11:39 AM
>>三原点?では話にならないでしょう!<<
心が偏狭で臆病者は、人の「あらさがし」をするものです。自分の論点が容易に論破されることを常に怖れているのです。まさにあなたがそうです。自分の意見に自信がない証拠です。「三原点」という誰もがするような変換ミスを大仰しく取り上げること自体、話にならないでしょう。単なるケアレスミスを寛大に斟酌し、「三原典」と解釈するのが普通の大人です。あなたは本当に幼稚ですね(笑)
通りすがりと同じく幼稚なレベルに合わせて、低レベルな揚げ足取りの反撃させてもらいます 笑
>通りすがり
2019年9月29日 2:57 PM
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。
御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、
どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。<
そもそそも 笑 笑 笑
参加しのか? 笑 笑 笑
プギャー 笑 wwwwwwwwwwwww
通りすがり様。
モリ ジロウ様による「広池千九郎」の天理教離脱の経緯の貼り付けを読んでみました。通りすがり様も、一度読んで、100年以上前からあらぬ方向に向かっていた天理教の堕落の実態に思いを馳せてみて下さい。そして擁護派として、なおも擁護するその理由をおきかせください。
教祖40年祭の頃の事の記述で、その頃から教会制度の弊害、「天理教は宗教にあらず」の苦悩が書かれ、結果広池氏は離脱しておられます。
真面目に社会の事を思う人程、天理教に絶望して去っていく実態は今に始まった事ではない事が伺えます。
広池千九郎
1910年(明治43年)、天理教に入信。天理教教育顧問・天理中学校校長を務める(1915年(大正4年)まで)。天理教本部から三教会同に関する講演の依頼を受けて、以後全国各地で講演活動を展開する。「支那古代親族法の研究」を主論文とし「支那喪服制度の研究」と「韓国親族法親等制度の研究」の二部を副論文として東京帝国大学へ提出する。その後、論文は審査会を満場一致で通過。1912年(大正元年)12月10日に学位授与の知らせを受ける。日本で、第135番目の法学博士号。
通りすがりさん
>たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
>議論のしようがないです!
>三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
「おふでさき」
たかやまにくらしているも たにそこに くらしているもおなじ たましい 13号45
もういいかげん、一人をいたぶるのはやめましょう。それこそ恥ずかしいことで、読んでいる人たちが不快に感じるのではないでしょうか。
通りすがりさんも人を挑発するようなことは慎んだほうがいいです。読んでいて人を不快にさせるのは神の望むところではないと思います。
通りすがり ちゃん へ
「おふでさき」
たかやまにくらしているも たにそこに くらしているもおなじ たましい 13号45
「おふでさき」の中でも、最も有名なくだりですが、人の上げ足をとる前に、あなたこそ、天理教の「原点」を勉強しなさい。敢えて「原典」ではなく「原点」という表記を使います。悪しからず。
通りすがり様
たましい と たまひい を読解できないのがかなしいかな(笑)
通りすがり
2019年10月27日 11:39 AM
三原点?では話にならないでしょう!
通りすがり
2019年10月27日 12:23 PM
たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
議論のしようがないです!
三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
たましい も出てきます。嘘は良くないよ嘘は、苦し紛れの嘘も嘘
話に成らないのはあなたね。
通りすがり氏が本部側の嫌がらせ説がありますが、これが本部なら絶望的な知的劣化ですね。
匿名
2019年10月27日 10:57 AM
>>皆さん、書かれていることが可愛くないです。
ここの恒例行事みたいなものですよ笑 昔は 通りすがり 見たいな荒らしがもっと居たものですが最後の生き残りです。 誤字脱字をつついたり、苦し紛れの嘘をつくのは反論が出来ないから
以前違う荒らしでは、「俺の教会に来ていろ!シバイてやる!」見たいなのが結構いましたからね。教団は上品な人よりそのような下品で高圧的な人の方が多いのが現実ですしね。
思ったより組織崩壊が早そうです。中山家が本部に居座るなら崩壊はこのまま加速、出て行ったとしても、信者の金で立てた不動産管理会社など資産の持ち逃げされないようにしないとダメですね。金の繋ぎがと主張し続ける以上崩壊は免れません。居座るにしても、出て行くにしても、おやさと館 は明日にでも解体を開始しないと健全化できません。なんとも苦しい状況です。
私が広池の話を持ち出したのは教団を批判するのが目的でもなく、擁護派と言われる方々を論破しようというものでもありません。愚かな人間はずる賢い者が人を動かそうとし、自己の欲を満たすために知恵を絞るものだと思います。天理教に限らず教団を形成し教義をもとに人を支配し始めたら、それはもはや宗教の団体とは言えないと思います。
擁護派というような人はここには書き込めないでしょう。袋だたきにあうのは目に見えていますし、また書き込めるだけ史実を研究し、実体に迫ろうと熱心に研究する人もいないと思います。したくとも「お前は異端か?!」の常套句に怯えて、真実を知ろうとすることに待ったをかけられるからです。検閲のかかった書物ばかり子供のころから読まされ、真の教祖像に触れたくてもできないわけですから。ただ傍観するしかないのではないでしょうか。それでも研究を始めたら本当に愕然としてしまい、黙り込むか、道を失うしかないように感じます。
バリ天と言われる人々もある水準までは理解し、これこそ真の道だと信じて疑わず道を求めようとするでしょう。純粋な信仰熱心な若い人たちの洗脳を解こうなどという考えもありません。教団自体をつぶしたいのかと言えばそれも違います。私は組織は必要だと思っています。「天理教」という名称にこだわりがあるのかもしれません。それがなければ天理教から離脱した他教団に移るか、とっくに棄教しています。現状はこの教団が「天理教」と名乗るのにはふさわしい状態だとも思えません。そこに自分が研究する根源があるようにも思います。過去を把握し、何が原因でこうなったのかを詳しく調べ上げ、真の「天理教」を名乗るにふさわしいものに改革していくべきだと個人的に考えています。
具体的に言えば明治維新、大政奉還のような形で中山家は教祖の末裔として象徴とし、運営には関わらず、貴族制度廃止で在籍制度をなくし、教団自体の運営は宗教法人「天理教~~」が民主的に行うなど、組織の大改革を行うべきだと考えます。言い換えれば「天理教令和大維新」です。更に申せば集会が形だけの物でなく集会自体が教団の動きそのものを談じ合う組織として中核を担うような形になればとも漠然と考えています。
今のように教会をやめようにも教会は本部にお供えしたものだからとやめることもできず、教会をたたんで出ていくこともできず、信者もおらず鳴り物も揃わず会長夫婦が三代真柱のCDでみかぐらうたをかけておつとめしているようなところもかなりあるはずです。それで陽気暮らしだ、布教だなどと、若い後継者たちが勇めるはずもない。これも神の働きあってのことでもあり、本当に神に働いてももらえるように前向きになるべきだと考えます。しかし、ここまで書いたことは絵に描いた餅で何も変わらないようにも思います。神が勇んでいるように思えないからです。今の日本のようすをニュースで見ていると。
本部の皆さん。現状教会の悲惨な現実です。
鳴り物の皮は破れたままで直す費用は無いです。もう、この破れ三味線は直さないつもりです。何せ信者が数名しかいません。奏でる出番が今後も無い。鳴り物は太鼓だけ。拍子木と太鼓だけの月次祭はさみしいものです。弾く当てのない破れ三味線を形ばかりに置いて、琴も胡弓も笛もツツミも「形」ばかりを整えて、人が居ない、、、。
かつては20人30人の信者さんが神殿を埋めていて、直会の料理作りにも活気がありました。上級上納金も年間300万前後出来てました。今考えれば無駄金でした。もっと有効に使えたお金だったと思います。
今は高齢信者さん数人だけで自教会の維持さえも出来かねています。教会制度の理不尽と制度破綻はなるべくしてなったと思います。本部に金が集まらなくなったのもうなずけます。どんなに命の繋ぎは金と言ってももう末端にお金はありません。
この期に及んでも、本部の興味関心は組織維持の為の金集めばかりですね。悲しい程に誠が無いです。偽物はもう見たくも聞きたくも無いです。
>>おやさと館 は明日にでも解体を開始しないと健全化できません。
解体するお金さえもうないでしょう。
巨大な廃墟になるのを待つばかりです。
>>本部に金が集まらなくなったのもうなずけます。
>>どんなに命の繋ぎは金と言ってももう末端にお金はありません。
>>この期に及んでも、本部の興味関心は組織維持の為の金集めばかりですね。
>>悲しい程に誠が無いです。偽物はもう見たくも聞きたくも無いです。
全く同意です。
「理の親には絶対服従しろ!黒と言ったら白いものでも黒だ!
未来永劫世襲で身分は固定だ。
お前ら末端や信者は人を集めて来い、金も集めて来い!!
末端には給料なんてもちろん一銭も払わん!
お供えは命のつなぎだ、お供えしなければ命はないぞ!
もしも金を払わなければ二度と体はレンタルしてやらないからな!
まあ俺らはその金で贅沢するけどな!俺の物はもちろん俺の物、お前の物も俺の物だ!!」
まあ教祖亡き後、こんな反社なカルトが130年あまりもよくもったなって感じですね。(笑)
さあ皆さん、これから教団の沈没する様をしっかり見届けていきましょう。
モリジロウ
2019年10月27日 10:03 PM
具体的に言えば明治維新、大政奉還のような形で中山家は教祖の末裔として象徴とし、運営には関わらず、貴族制度廃止で在籍制度をなくし、教団自体の運営は宗教法人「天理教~~」が民主的に行うなど、組織の大改革を行うべきだと考えます
教祖の末裔だから象徴としてもいりません。一族郎党残らず追放しないと民主性には出来ないでしょう。あなたが紹介してくださった広池氏の見聞した教団の惨状を許してきたのも中山家です。管理者責任は当然あります。新渡戸稲造などの国の有力者にもあいそつかされる反社会教団だっただけです。飯降いぞう 上田ナライト など天啓者を排斥し権力が欲しかった強欲の中山家です。つまり原因は中山家です。血は水より濃いなら尚のこと追放、強欲つくしビルを建て裏で何をしてたかわかりません。年月は掛かりましたが答えが出たまで、強欲の烙印を押し、追放してやりましょう。 天啓者上田ナライトはじめ他にも異端の烙印を押され追放された者のためにも、成って来るのが天の理ならば、これら語られ知れる事に成ったのも天の理、親が見の意思は中山以外に有り
普段は聖職者の顔、酒飲んで暴れる。とかただのアル中の病人 言う事聞かす為にパワハラ、暴行 教団はアル中、うつ病、など精神疾患などを見て見ぬ不利する教団なんですかね。 反社以下のカルト教団ですね。
もう元には戻りませんね。
本部の東にある手水舎ですが、(具体的な費用は忘れましたが)建築費が〇憶円だったと聞き、驚きました。
建築費用をネットで調べると。
「規模や装飾の程度、外構工事の範囲など、様々な条件により、費用は異なりますが、例えば、柱間6尺×5尺程度の手水舎の建て替えですと、水鉢は別で、およそ600万~1,000万円ほどになると思います。」
と、出ていました。
http://www.orido.co.jp/appurtenant-works/temizusha
どうして、おぢばの普請の建築費はけた外れに多いのでしょうか?
古い元教会長 様
2019年10月28日 7:28 AM
>>どうして、おぢばの普請の建築費はけた外れに多いのでしょうか?<<
いわゆるキックバックでしょう。差額がどこかに流れているのでしょう。
本部の金の流れは不透明ですね。
因みに親里7号館は本部員住宅と思われるが2017年にトギタニ建設によってリフォームされていますね。
一銭の給料も無い末端が自力でやっているのに、本部員の住まいは信者のお金でリフォーム。給料と、おまけにボーナスまで貰ってね。やりたい放題ですね。
信者には命の繋ぎは金と脅迫教理で金を集めておいて、自分達はより一層快適に住む為に金をつぎ込む。何処から出た金かは言わずと知れた事じゃありませんか。
美味しい汁を吸ってる本部員。偽教理に反対する本部員が居る筈が無いです。ズブズブで腐った舟は沈むしか無いです。
人は、一歩下がって物事を見なおし考えることが、なかなかできないんです。1986年から始まったバブル経済が5年後にはじける。人はみな酔っていたのです。山奥の土地を買い漁った企業は倒れ、そこへおカネを貸した金融機関は苦境にあえぐことになりました。
天理教だって教祖70年祭頃から何かに酔っていたのです。いや、それ以前からかもしれません。今のようなソーシャルメディアもなく、二代さんの発する一言一言になんの疑いも持たずに浮かれていたのです。
旬に蒔かぬと芽は生えずなんて言われると、前後の見境すら見えなくなってしまったのです。そして、あの館の建設が始まってしまったのです。
当時は少しばかりの利用価値もあったようですが、今では重荷になっているのでしょうね。
二男がよく言うんです。人類なんて、あと1億年はおろか、1千万年さえ続くかどうか危ういものだと。
仮に、人類が100万年生き延びたと仮定して、天理教本部はどのような未来像を描いているのか。
今々のおカネのことを云っているようでは、人間思案そのものでしょう。
「旬をの逃すと芽は出ない」こう言われると今を急ぐように金策してお供え金を包んだものです。
農事の種まきの旬を利用して 上手く納得させるものです。
確かに種まきには旬はある。真冬に蒔いても芽は出ない。今が旬だ、と言われれば一粒万倍を信じて先々の結構をお金に託したものです。
しかし年祭が旬だと言うのは何を持ってなのか?今だに解らない。
旬の御用?旬って何ですか?
本当に言われるがまま、理解もせずに狂っていました。
誰かが言ってました。天理教徒は今は「転離狂徒」。真実が明るみになり、狂ったように逃げ出す人々、、
東風Z様
地球はあと30年で人が住める環境ではなくなるという研究があります。
そのこともあって、天理教の精神を伝える必要があると思うのです。
もったいないという考え方で出来るだけ生活を質素にするということを世界でしていかないといけなくなってきていると思います。
匿名 様
2019年10月28日 10:12 AM
教祖は、諺を用いて分かりやすく教えを説かれたと聞いていますが、教団は返って悪用したと言いますか、うまく利用したのですね。
用木、用木と言われて浮かれていた部分はありました。反省しきりです。
匿名 様
2019年10月28日 10:33 AM
>地球はあと30年で人が住める環境ではなくなるという研究があります。
怖いですねぇ。若い人たちは本当に気の毒です。私はあと数年の命と観念しているんですが、足るを知ることがいかに大切かを痛感しています。亡き日野原重明医師が提唱されている腹7分目には及びませんが、日々頂くものが美味しく感じられることは何よりの喜びで、好き嫌いが無く過ごせる一因は貧しい教会に育ったお陰と感じているんです。
夏になると、教会の裏の畑で採れたナスとニシンの煮物の毎日でした。今となれば、これが良かったのかもしれません。
もう、40年以上も前になると思いますが、アメリカでは赤ん坊が一人生まれれば、日本人の25倍のエネルギーが必要になると聞いたことがありました。先進国といわれる国々は生き方を考えなければならないと思うんですが、一向に改められないようですね。
この度の台風と豪雨被害を考えますと、時間的な余裕はないかもしれません。
環境問題に対する認識は、日本はかなり遅れています。ヨーロッパ諸国、とりわけドイツは、早くから風力発電等の再生可能エネルギーの開発をしています。また、電気自動車(EV)やトロリーバスも普及しています。海を隔てたお隣の中国でも、電気自動車の普及率は日本を遙かに凌いでいます。小泉環境大臣は日本の現状をどのように変えていくのでしょうか?
汚職だらけなのでしょう。重要な建築や学校や病院などは血族が担当し業者と山分け組織内で悪者にされるのをおそれて中山家にも上納もされるでしょう。教団の総収入が100億切った位で、悲鳴を上げているのがおかしいです。最低コストが高すぎるのでしょう。どれだけ金食い虫なのか? やかたの維持管理修繕費、人件費で考えてもやはりコストが高すぎます。天理教規模になるとしっかりした会計士が必要ですが、そんな人もいれずに汚職汚職汚職が想像できます。もししっかりした方を入れたら汚職が出来なからです。次ぎ入るのは国税局から会計集団が入り徹底的に調べ上げられて終わるのではないでしょうか(笑)
日本は素晴らしいと、悲惨な現状から目をそらさせるTV番組のなんと多い事か!
経済事情にしても、ネットで個人として果敢に発信している少数の人を紹介しても反応が薄いとう現実。
認めたくないという心理が邪魔をしているだろうことは想像がつく。
東京教務支庁の来年の記念祭に、大亮夫人がたとえ来なくともお供え金は出ていくと、古い元教会長さんは指摘される。
どうも、社会学板での傾向として、大亮夫人に関しては中山家一員としての責任を問う人は少ないようだ。
やはり女性は「徳」というか、若い女性は庇護の対象にでもなるのだろうか。
そんな生ぬるい事では中山家に対応できないのではないだろうか。
お供え金の個人的消費(中山家の生活費、遊行費)に疑問を問う事は基本中の基本であるはず。
その出席が用務を伴い、明らかな出張扱いにできる用向きに対する出費であれば、誰も文句は言わない。
東京見学、桜のお花見等々が考えられるという書き込みがあったが、それをOKする人もいる。
いったい天理教信者は下々の者には厳しくお供えを要求するのに、若殿・若嫁にはかくも甘いのは何故なのか。
若い人であれば少なくとも考え方に柔軟性も有るだろうから、改革は若者たちこそ率先してやりたいと考えるものではないのか。
海外の若者たちと比較しても意味は無いのかもしれないが、「気概」という言葉は日本から消え去ったのか。
少なくとも高齢者たちは保持しているだろう「気概」。
30万円という額だから目こぼししようなんて考え方では教団の悪行を追求できやしない。
若者に問いたい。あなたの親が2か月に1度、受給している年金額(つまりは2か月分の生活費)は30万円を超えているのか。
若嫁が遊びがてら上京するだけで30万円もらえるなんて、理不尽だと感じないか?
年金は長年にわたり日々、勤勉に勤め上げた結果、得ている金だが、若嫁はどうなのか。
些細な事から見えてくる理不尽さに目を向けて頂きたいと考える。
おりしも、即位のパレードは延期になったものの、美智子前皇后のようにきっぱりと、自身の誕生会を中止に決めた気概とは程遠い現皇室に失望した。
パレードにさかれる警護の人員を当たり前のように使役する感覚を、恐らくは美智子前皇后は戒めたかったことと推察する。
さすがにキリスト教の信条教育を受けた方は、人を想う優しくも広い心をお持ちなのだろう。
これでこそ国民に寄り添う皇室だろう。
(付け足しだが、私自身は普段は皇室なんて興味の対象外としか感じない者だ。)
そう言えば、現皇后の語学力を盛んにもちあげた報道はバカバカしくて笑いました。
ニュース画面を見て気が付いたのは、他の皇室の面々も「通訳なし」で外国からの賓客と語らっていましたよ。4~5人の他の女性皇室メンバーがしっかりとコミュニケーションをとっている姿を何処かのチャンネルでは放送していました。とりたてて「通訳なしで」と称賛するキャプションは無くとも、1対1で話す姿から、公務をしっかり勤めていることがわかりました。
今時、「数か国語を話します」と褒めているのも、他に褒める事が無いからだという人もいますね。
まぁ、どうでもいいことですが。
秋篠宮が経費に関して正論を述べたら、何故か叩かれたという日本ですから、まだまだ皇室を無条件に信奉する人々が多いのでしょう。天理教信者と重なり合う部分も、もしかすると、かなりあるのではないかとも感じます。これだけ実態経済が疲弊した日本で、お金持ちの所にはますますお金が集まるのですから、庶民の中でも最貧民の天理教信者は、しっかりと目を開けて世の中を見据えない事には悲惨な未来を必然的に受け止めるしかなくなるでしょう。
私自身はピンピンコロリを祈るだけです。家族に迷惑をかけないように人生を終えるには安楽死法案成立を願っています。生きていればよいことも有るだろうと思えたのはもう、ずいぶん昔の事となりました。
外見だけを見れば、天理教信者として教会にも行き、減額した形だけのお供え(千円)を月次祭にだしているだけです。これには笑い話のような実話があり、教会に行けばトイレを使い、水も流すから、必要経費と思って出しているという人がけっこういるのです。世界助けという教えも何だか、遠い話にしか聞こえてきません。「御恩返し」と言われても、信者にだけそれを求めていることに、根本的な無理があります。
ご恩返しとは「寿命が来る迄、苦しくても生き抜くこと」のはずです。そして神様のお慈悲でピンピンコロリでお迎えとっていただければ言う事なしの「助かり」です。
>>おりしも、即位のパレードは延期になったものの、美智子前皇后のようにきっぱりと、自身の誕生会を中止に決めた気概とは程遠い現皇室に失望した。
パレードにさかれる警護の人員を当たり前のように使役する感覚を、恐らくは美智子前皇后は戒めたかったことと推察する。
さすがにキリスト教の信条教育を受けた方は、人を想う優しくも広い心をお持ちなのだろう。
これでこそ国民に寄り添う皇室だろう。<<
全く同感です。パレードも含め即位の礼の一連の儀式に費やされる経費は160億円を超えています。一方、台風の犠牲者数や被害額は毎日のように更新され、どんどん増えています。皇室は本当に国民に寄り添っているのでしょうか?
Twitterより
Michael ミカエル @MichaelMikaMori · 10月24日
教皇フランチェスコ(フランシスコ)聖下は
大司教+枢機卿となった後も 小さなアパートで自炊し
バスや市電地下鉄を使い
貧民街に通い続けた方
著書もぜひ読んでみて下さい
来日をお楽しみに
会いに行けなくても TVが日本語字幕で
お話しを伝えてくれるでしょう
https://www.youtube.com/watch?v=p43wkUPcRfI&feature=youtu.be
ここで天皇家や国を主要に叩くのは、論点の解離を生み、本部中山家に「天皇家もそうだから」と言い訳に使われます。天皇家や天皇制に関しての議論は、2ちゃんえる や 5ちゃんねるの政治板にいかれたほうがよろしいです。
>教祖の末裔だから象徴としてもいりません。一族郎党残らず追放しないと民主性には出来ないでしょう。
心情的にそうおっしゃるのも理解出来ます。しかし、明治維新がそうであったように簡単なことではありません。ただ単純に追放というのは現実的ではないばかりか、実際に権力を握っている、動かしているのは誰か、そして現状を本当に把握して未来を描けるのが誰なのか、考えなければならないと思います。そして無血開城にもって行くことを考えなければならないとも思います。元々、天理教は教祖中山みきの神憑りから始まっており、神の言葉を民衆に伝えることから始まっています。しかし人間は病助けを求めるだけで、心の建て替えまで、できた人は限られています。それは井出クニも言っていることです。
問題は中央集権体制を作り上げようとしたところにあり、その時期が明治末期から大正期であり、神不在の人間主体の神の皮をかぶった輩たちに振り回されてきたということだと私は認識しています。追放すべきだという心情も理解できなくはないですが、何も追放しなくても皆が棄教すればいいだけの話で相手にしなければいいわけです。
しかし、棄教も出来ず縛られている人がたくさんいることも忘れてはいけません。本当に愛想を尽かした人々はとっくの昔に離れています。ここへも書き込んだりもしないでしょう。既に心は離れているわけですから。それとも怨念だけで書き込んでいるというのでしょうか。仮にそうだとしても、それではその人が救われないとも思うし、タタリ神になってはいけないとも考えます。ですから実権を握っていて、教団を動かせる人物が真柱に働きかけ無血開城を目指して、大きく改革するべき時が来ていると訴えているわけです。
飯田岩治郎、井手クニも茨木基敬も皆、神が現状の教団ではだめだと遣わせた使者なのかとも思えてきます。須藤花井もしかりで、このままでは本当に天変地異が起こり、三分の一になるのもまんざら嘘ではないのかとも思います。集会委員の役割は大きいとも思います。もっともその集会員も本部側の意向で人選されて反旗を翻さないような人物ばかりが集められている上に、部内教会がいくつかあるような安泰な教会長が多いのかもしれません。しかし、現状をよしとしないのであれば、将来を見据え、考えてもらいたいものです。
全朝教運動と天理大学問題
http://zenchokyo.web.fc2.com/166Temri.htm
一部抜粋
>これは、「大学の自治」に対する全くの無知を示す驚くべき議論でしょう。天理大学も学校教育法以下の諸規定に規制された独立の公教育機関である以上、教団といえども、規定に基ずかず学内の合意なしに大学に代わって交渉の当事者の位置に着くことなど出来ません。にも拘らず、教団を代表する表統領がそのように言明したのは、事実上、天理大学の支配権力である教団にとって大学の自治に対する介入どころか、大学を「教団の私物」と見なしていることの証左でしかないでしょう。各機関や諸個人の独立を認めず、一律に教団的権威に服従することを求める教団・法人・大学を貫く体質こそが、例えば4回生は天皇、1回生はゴミと言うような、「事件」を起こした南寮の在り方に集約的に表れていた事は、他ならぬ啓発委員会の認めるところでしょう。従って、これを「大学自治への介入」と批判するのは、まさに当然でしょう。 >
教団組織内の階級差別だけではなく、天理教内の教育機関も同じように差別的かつ暴力的な体質なわけです。
なんでも本部員や大教会の子弟は教授や教師やらからあからさまな特別待遇(依怙贔屓)があり、
また末端等弱小教会の後継者等の立場の物には差別的扱いがさまざまな場面であるそうです。
天大の寮生の階級は、4回生は天皇、3回生は人間、2回生は奴隷、1回生はゴミ(虫けら)
なんて聞いたことがありますが、今でもそうなのでしょうか?
結局、今月のかなめ会ではどんなはなしがでたのでしょうか。
3原点さま
強弁とでっち上げ、自作自演の作り話、教理の改竄と歪曲、果てはマズイ投稿の削除…
まともな掲示版でない事は、あなた方自身が分かっている事です。
つづく
3原点さま
あなた方は真柱発言を捏造した事を覚えていますよね!
つづく
通りすがり様
どうも、あなた様は、何も聞かず、理解せず、駄々っ子の様に、わめいておられるだけの様です
客観的に見て、あなた様のコメントには、誠意も無く、説得力も微塵も感じませんが
ただ、あなた様が、書くと、教団批判の方の意見が、さらに多く掘り起こされるので
結果として、ここを、盛り上げて下さってる事に間違いはありませんよね。
それを承知で、書かれているなら、ここにとってプラスになりますので、どうぞ書いて下さい
承知されていなくても、別に困りはしません、どうぞ、わめいて、盛り上げて下さいませ。
通りすがりさんは単に洗脳された人で哀れな方と思って見ていましたが、、、。わめき散らす様は天理教擁護派の知的レベルの低さが見えて議論するに値しないお方なのかと思ってしまいました。
擁護派レベルがこう言う事で有れば天理教が消滅に向かっている現状は自然の流れかと思います。幹部がもっと神を畏れ、賢明で知的かつ大局的判断が出来ていたらもう少し違う方向に向かっていたでしょうが、、。
代々幹部は素直に欲を出し過ぎて、神を敵につけてしまいました。哀れです、、。
3原点さま
天理教トップの発言の捏造したこの掲示板は既に死んでいます。
かなめ会について議論している場合ではありません。
真柱発言を捏造したあなた方は、私を批判する資格はないのです。
捏造の内容をここで検証してみましょう。
久しぶりにライブカメラに行きました。10月26日の午前11時、正午及び午後1時の映像が有りません。
恐れ多くと大祭時は避けたのでしょうか。それとも検索方法が悪いのでしょうか。
午後2時の映像が有りましたが、寂しい限りですね。二部生の頃は詰所もごった返していたのですが、魅力を失うということはこういうことなんですね。
亡き三代さんが、詰所の明かりが無く寂しいと漏らされたと、亡き母から聞いたことがありますが、このような状況になるとは、母も想像できなかったのかもしれません。
信仰初代の僧祖父母の一族は80人を超えていますが、教会に繋がって講社祭りをしているのは、従弟ひとりです。それも家族はついてきていません。従弟が亡くなれば信仰は途絶えてしまうでしょう。
なぜ、このようになったのかを教団関係者は一考されることです。
やりましょう!ぜひやりましょうー!
真柱の発言、中田善亮さんその他のトップの発言も含め、ここで検証しましょう。
通りすがり様もちゃんと参加してくださいね。
高圧的な文面はやめて、冷静に皆で話し合いましょう。
久しぶりに秋季大祭に行きました。
東名阪国道天理東インターから降りて北大路を通りました。
以前と違う事は、横断歩道に専修科生や教校学園の生徒による交通整理が全く見られませんでした。
法被を着た生徒が一人もいなかったのです。
駐車場の入り口に立っていたのは、警備会社の社員でした。
本部境内やその周辺で修養科生の姿も殆ど見る事ができませんでした。
北大路脇の観光バス専用の駐車場に止まっているのは、ほとんどが中型の観光バスやマイクロバスでした。
以前は、大型観光バスで埋め尽くされていたのに・・・
本部から人が去っているのを実感しました。
途中の伊賀パーキングで愛町の観光バスを見かけたのですが、降りて来るのは年寄りばかりでした。
かく言う私も、もうじき70歳ですけどね・・
境内の帰参者の様子は、90年祭や100年祭を見ている私からすれば激減状態ですが、秋季大祭なのでそれなりにはいました。
「広大な境内、壮大な神殿、それなりの帰参者」
この様な環境の中にいる大亮君や他の若い本部の青年達には、天理教の衰退がもはや止める事の出来ない動きになっている事を認識できないと思いました。
彼らが、天理教本部の破綻を知る日は突然に訪れるのかもしれません。
3原点さま
>匿名 2019年5月4日 9:52 PM
通りすがりさん へ
…………
4代真柱は、平成12年1月26日、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、
と指針しましたが、その原典根拠は何ですか?
いまだに全国の教会ではかんろだいを囲んだおつとめが実現できておりませんよね?
…………
真柱様はこんな事は一言も言ってはおられません。「真柱訓話集」第59巻の9ページから34ページに、平成12年1月26日の真柱様の講話の全文が掲載されています。この書き込みを読まれた皆さん、ご確認下さい。
教団トップの発言がとんでもない文言に改竄捏造されています。
と同時に、この書き込みの文言はもう一つの事実を暴露しています。
つづく
通りすがり様
私は擁護派の匿名です。HM匿名ですのうちの一人です。
私は現真柱様がそうおっしゃったとしても全く不思議はないと思います。
私は真柱様を神殿でのお話やおさづけ拝戴でしか存知あげておりません。
しかしそういうことをおっしゃったとしても、納得出来ます。
甘露台つとめをお恥ずかしながら一度も拝見したことがありません。
しかし、真柱様がそうお考えであるならば今一度考えるべきことであるかと僭越ながら、一信者として考える所存です。
ちなみに東風Z様の40年前の日本人はアメリカ人の25分の1のエネルギーで暮らしていたんだなと昔の日本人の偉大さを思います。
私も子供の頃は冷暖房のない部屋では寒ければ毛布を巻いて、暑ければ我慢で(日本式建築は以外と涼しいです。)行ってたなと、車を運転しながらエアコンの効いた部屋の今と比べています。
そして、地球があと30年で人の住む環境ではなくなるという研究ですが、それはアマゾンの大火事のおこる数年前に言われていたことです。
以外とは意外とですね。間違えました。
ちなみにかぐらづとめを本部以外でされても、本部の甘露台としての重要性は変わらなく同じだと考えます。
「昨日、天理教さんの前を通ったんですよ。もの凄い立派ですねえ、びっくりしましたわ!」
新聞代集金の男性が話されます。同好会のメンバーで山の辺の道を歩かれたとか。バイクのエンジンかけっぱなしで歴史の話で盛り上がりました。神殿の他にも大きな建築物だらけなのと商店街が長いのにも驚かれたそうです。「建物は立派でも人は居なかったでしょう、商店街もシャターの店が多いし」と言うと、「そうでしたねー、皆で、なんか知らんけど活気が無くて寂しそうやねーって言ってましたわ」東大阪市の賑やかな所に住んでいる人達にすれば、少し異様な風景だったのかもしれません。青年会総会はどうだったんでしょう。11月3日は女子青年大会、うちは両方とも声掛けしていませんが、、。
2019年5月4日 9:52 PM に旧コメント欄に書き込んだ匿名の者です。
通りすがり 2019年10月29日 11:28 AM さんへ
遅ればせながら補足させていただきます。
(ちなみに私はあなたが呼びかける「3原点」さんではありません。)
【東風Zさんの書き込みにもあるように
4代真柱は、平成12年1月26日、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、
と指針しましたが、その原典根拠は何ですか?】
と投稿したのは、東風Zさんの書き込みに対しての質問だけではなく、
れんだいこさんのHP
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_89.htm 内の
以下の一連の年表の書き込みに対しての疑問です。
【 1997(平成9).1.26日、「国々の教会で教祖の教えたかんろだいつとめ」と真柱指針する。
1998(平成10).4.26日、中山善司が第4代真柱に交替する。かんろだいつとめの指針行われず。
2000(平成12).1.26日、中山善司が第4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、と指針する。】
これら一連の年表の根拠について、何か本部内部に詳しい方がいればと思って質問致しました。
公式アナウンスの真柱訓話集にこれらの発言はないことはわかりましたが、
どこかほかの場面で、たとえばかなめ会等で発言があった可能性は否定できませんよね。
なにせかなめ会報は分教会には配布されませんし、ほぼ密室談議ですから。
真柱の発言内容に対する改竄捏造だととおりすがりさんが騒ぐのなら、
まずれんだいこさんに問い合わせていただきたいと思います。
徳川幕府は、200年以上の長きにわたり、鎖国政策をとり、キリスト教を禁教とし、世界情勢に目をつむっていました。しかし、アメリカやイギリスの軍事力を目の当たりにし、とても欧米列強には太刀打ちできないという考えが、当時の名だたる学者や知識人、また、その門下の弟子達を中心に全国的に広がり、倒幕派(勤王派)と佐幕派(幕府擁護派)が対立し、戊申戦争で勤王派が勝利して明治維新(革命)に至りました。江戸城は無血開城されましたが、明治維新に至るまでに、戊辰戦争で多くの人が死傷しました。維新後の西南戦争でも多くの死傷者をだしました。
徳川幕府と天理教を比較するのは間違っていると思いますが、本質は同じだと思います。徳川幕府は150年前に崩壊しましたが、天理教は頑なに世界の動きに眼を閉じたままです。天理教は今も「江戸時代」です。世界は近代化されても天理教は「ぽつんと江戸時代」です。様々な矛盾が発生するのも無理からぬことです。明治維新のような革命では、多くの人達の血が流れるのが通例ですが、天理教の場合は、腐敗した味噌にカビがはえて腐りきるように、内部矛盾により自然崩壊の道をたどると思います。
匿名
2019年10月29日 1:56 PM です。
リンクが正しく投稿できませんでした。
改めまして「れんだいこさんのHP」のリンクです。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_89.htm
3原点さま
まず第一に、
真柱発言の捏造という、とんでもない暴挙がこの掲示板で平然と行われたという事が明らかになりました。「れんだいこ」のせいにしているようですが、自らの発言に責任を持たない事を宣言しているのと同じです。
捏造しました。もう訳ありません!と言って、どうして素直に謝れないのでしょう。人間性が問われますね。
さらにもう一つ重大な事を読み取る事ができます。それは、投稿した者が全く天理教を理解していないという事です。「かんろだいづとめ」は「ぢば」でしか勤める事は出来ません。これは神楽面を付けて勤める「つとめ」は「ぢばに限る」という「おさしづ」に基ずくものです。「つとめ」は世界たすけの根幹に関わる事ですから、ぢば以外で勤めてはならないものです。ところが「おさしづ」を曲解して「かんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」などと言っているグループがあります。八島英雄の残党です。
いずれにせよ、天理教を全く分かっておられない人々がこの掲示板に投稿しているという事を読み取る事が出来るでしょう。
……公式アナウンスの真柱訓話集にこれらの発言はないことはわかりましたが、
どこかほかの場面で、たとえばかなめ会等で発言があった可能性は否定できませんよね。
なにせかなめ会報は分教会には配布されませんし、ほぼ密室談議ですから……
こんな発言が天理教に関しての無知をさらけ出しているのです。
つづく
もう訳ありません!⇒もうし訳ありません! 修正しておきます。
3原点さま
この掲示板の暴言の一つを以下に引用させていただきます。
>匿名 2019年4月13日 9:40 PM
「通りすがり」は自ら書き込んだアホなコメントの反応を、ビクビクしながら一日中読んでいた!笑
「通りすがり」は自分のアホさ加減にどうやらほんの少しだけ気が付いて、恥ずかしくてたまらない 笑
「通りすがり」は恥ずかしさで自らを傷つける10000ポイントのアホアホダメージ!
赤っ恥をかいた「通りすがり」は逃げ出した!
しかしまわりこまれてしまった!
自らにベホイミ(おさづけ)を唱えるも、全く効かない! 笑
なんとか立ち上がり、
悔し紛れに捨て台詞を吐いて 命からがら顔を真っ赤にして地獄にヨロヨロ逃げていった! 笑 笑 笑 笑 笑
この方の品格と人格が疑われる書き込みだとは思いませんか!
真柱発言の捏造、教理に関する無知、そして暴言、
こんな人たちが、私を批判する資格があるでしょうか?
通りすがりは他人に暴言は吐きまくるのに自分が攻撃されると「わが身可愛い」で被害者面ですか。
醜いですなあ。
それはさておき、通りすがりの言っていることは矛盾だらけです。天理教がいろいろな意味で全く理解できていないようですなあ。
通りすがり 2019年10月29日 3:54 PM
>「かんろだいづとめ」は「ぢば」でしか勤める事は出来ません。これは神楽面を付けて勤める「つとめ」は「ぢばに限る」という「おさしづ」に基ずくものです。「つとめ」は世界たすけの根幹に関わる事ですから、ぢば以外で勤めてはならないものです。ところが「おさしづ」を曲解して「かんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」などと言っているグループがあります。八島英雄の残党です。<
すごいなあ通りすがり、こんなこと言い切ることが出来るって。自分の無知を堂々と晒しているよ。笑
元天理教表統領清水国雄は、1991年5月31日に東京地方裁判所にて、
「八島英雄氏が主張する教説、いわゆる八島教学について真柱が、異端とか、異説とか、異安心と裁定したことはないし、意見を述べたこともない。また、天理教及び天理教教会本部の正式機関では、八島教学が異端とか、異説とか、いかなる判定も下したことはない。」
という内容の証言を述べているのになあ。また、旧コメント欄の以下の加藤ハルアキさんのコメントについて通りすがりは反論できるかなあ?(できないだろなあ。加藤様引用させていただきます。)
引用ここから
加藤ハルアキ 2019年5月5日 1:38 PM
ここの「通りすがり」さんと、天理教を信仰するメリット板の「ただの父親」さんは、主張が似てますね。
八島英雄氏の「オカルト不可思議を排する教義解釈」を否定して攻撃し、中山みきさんの教え全体の雰囲気や内容を考えようとせず、おさしずや教理の文章を一部だけ切り取って限定的な解釈をしようとしています。
同一人物か同じ仲間の人でしょうか?
教祖が亡くなる前に「つとめをせよ」と急き込んで、つとめたのは「かんろだいを囲んだつとめ」で、神棚や社の前に並んで座って「つとめ」ではありません。
教祖が教えてくれたのが「かんろだいを囲んだつとめ」で、それを「山の中でもあちこちとてんりんおうのつとめする」と書いてあります。
だから、山名に「面をつけたつとめ」が許され、「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にもあります。
「めんはぢばかぎり」というおさしずは、明治教典を見れば明らかなように「国家神道を教える教会の『つとめ』に面を使ってはならない」という意味だった訳ですが、それを「本部以外ではつとめてはならない」と解釈するのは山名の件とあまごいつとめに矛盾が生じます。 引用以上
通りすがりの反論はいかに。答えられない場合はお決まりのスルーでしょうけどねえ。
>通りすがり
>捏造の内容をここで検証してみましょう。
寒(サブッ)!!
まったく検証になっていない!!
自分自身の発言が矛盾だらけで幼稚で無知で荒唐無稽だという恥をさらしただけではないか。
れんだいこ氏のHPの引用がなぜ捏造になるのか、通りすがりは人に無理やり因縁つける暴力団と一緒だ。
通りすがりは反社会的危険人物である。
『そもそそも』なんで議論する能力も読解力もないのにこのコメント欄に『参加しのか?』www
15、6年前の事か、親友が天理教本部に観光がてら立ち寄ったと言う。久しぶりに会った教会の娘である私に賛辞をおくってくれた。
「天理教ってすごい立派な神殿だね〜。シ〜ンとしていて、誰も人が居なくって。神秘的だったわ〜。」
彼女はその伽藍の大きさ、静けさを褒めたつもりだったのだろうが、教会を預かる私としては、そのシ〜ンとしたと言う一言に傷ついた。教団本部に人が居ないと言う事は全くの褒め言葉では無いから。
110年祭が終わった頃から人が引き始めていたのかと、今更だが思い出す。
かつては駐車場を埋め尽くしていた大型バスはこの10月の大祭時には中型かマイクロバスばかりに様変わりしていたとの事。多方面から眺めてみても限りなく縮んでいるのは確かです。嘘か誠かわからないが天理大学の授業料が無料になるとの噂だが、そうなるといちれつ会に借金する必要も無くなり結果として本部勤務者も激減し、本部は圧倒的人手不足に陥る、、。教校学園閉鎖で次代を担う若者の育成も本部自ら放棄している。配食センターもほぼ機能してなくて詰所朝食もパンと粉スープだけに変わったとか。真柱は病に倒れ、本部員を養う金も底をつき、役に立たない全国の教会は潰していく、、今度再び甘露台が倒れても本部に再建する財源は無くなっているだろう。それとも「天理の親分」はヤクザよろしく倒した人の所属大教会にお詫び金を出させるのだろうか?何を考えてもおぞましい事ばかり。
どこをとっても発展的要素が無い。詰所は真っ暗で不気味な幽霊屋敷だし、金ずるの信者は激減だし。
大亮は、あちこち出向いて30万、50万当たり前の様に懐に入れ、下手な習字を書いては札束を貰って悦に入ってるらしいが、この肥大化した沈没船の次期リーダーならば冷静にこの瓦解の足音に心の耳を澄ませよ。
信者の心を掴むには自ら貧に落ち切る手本と覚悟を持ってのぞめ、、、と思う。
3原点さま
言い逃れが出来ないからと言って、感情的にならないでください。
>黄昏
2019年10月29日 8:47 AM
やりましょう!ぜひやりましょうー!
真柱の発言、中田善亮さんその他のトップの発言も含め、ここで検証しましょう。
通りすがり様もちゃんと参加してくださいね。
高圧的な文面はやめて、冷静に皆で話し合いましょう。
黄昏さんのおっしゃるように、高圧的な文面はやめて、冷静に話し合いましょうや。
いずれにせよ、この掲示版が真柱発言の捏造に加担したという事は紛れもない事実です。捏造に加担したという事は捏造したのと同罪です。
「つとめ」にいて補足しておきますが、八島英雄は「色眼鏡」で史実を解釈した。私は「神の言」によって史実を理解した。という事に尽きるのです。
3原点さま
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にもあります。
これこそ、教祖伝の改竄捏造です。八島英雄の得意技ですね。
ハッキリ言います。稿本天理教教祖伝には「ありません」。
3原点さま
真柱発言の捏造、稿本天理教教祖伝の改竄、こうした事が平然と行われる掲示板である事が明らかになったと思います。
つづく
崩壊さんへ
>江戸城は無血開城されましたが、明治維新に至るまでに、戊辰戦争で多くの人が死傷しました。
>維新後の西南戦争でも多くの死傷者をだしました。
江戸時代と比較するのはおっしゃる通り間違っていますね。気持ちとしては比較したくはないのですが、ついたとえて話そうとすると出てしまいました。それで戊辰戦争と西南戦争ですが、教祖ご在世時のことだとも思い、調べてみると戊辰戦争時、教祖様は71歳でお筆先を執筆される1年ほど前だったようですね。西南戦争は明治10年の事ですから、お筆先の13号を書かれている頃なのかと想像しています。おやしきでも蒸し風呂などを営業し、教祖様は女鳴り物などを教えられていた頃かとも想像しています。きっと戊辰戦争のことも知っていたでしょうし、心を痛めていたのではないかとも思います。そこから神の言葉を伝えようとお筆先も執筆されたのかとも、ふと思いました。
しかし既に神憑りがあり、みき様が完全に神であったのであれば、すべて見抜き見通しだったわけで、私はその段階では神憑りはしても、やはり人間であったのではないかとも思えてくるのです。芹沢文学を通して思うのですが、二代真柱はみきを神として描き、教典を書いたようで、芹沢はあくまで大和の農家の嫁として神が入りこむという立場で「教祖様」を描いているように見受けます。では維新後すぐのお筆先1,2号を書き始めた時にはどんな様子だったのかとも思えてきます。
話は戻りますが、崩壊さんのおっしゃる通り戊辰戦争では多くの人が亡くなったでしょうし、無血開城というような生易しいものではなかったのかと改めて思います。「争い」は後に悲しい気持ちや辛い気持ちが残ってしまうものだと思います。しかし、愚かな争いをしなければ人間という生き物はだめなのかとも情けない気持ちも起こります。このコメント欄を読んでいてもそれは感じています。
もうやめませんか。これ以上、読んでいるのが辛くなります。勝手な個人の思いを書き連ねて失礼しました。
通りすがり様
擁護派匿名、匿名ですです。八島英雄さんではないだろうか?と、今も思っている方(推測ですが)を御本部でお見かけしたことがあります。髪は黄色くいらっしゃいました。勿論推測なので、いい加減です。
それからしばらくのちに八島英夫さんが出直されたと、この掲示板に書いてありました。
何故御本部でお見かけしたのだろうかと考えています。
御本部で教祖の導きがあることを通りがかりさんは御存知ですよね。
私にとっても意味があるからこそお見かけさせていただいたのだと思います。
甘露台を囲んでのかぐらづとめで甘露台が大きくて相対する人の動きは甘露台に遮られて見えません。まわりの人には相対する動きが連動されいることが分かる。でも自分達にはお互いに見えない。
この説明を受けた時、人間関係もそうだと思いました。病気もまたそうであると。
本当に自分にとって大切な人が大切であると、連動していると分からないところがあるのではないだろうかと。そう思いました。
八島流であっても御守護の配置は同じですよね。そしてこの御守護の配置はおやさまが説かれたものであるということだそうです。
配置で対面にある働きの御守護を裏守護というそうですが、裏守護を重視することで自分のやまいの御守護に相当する御守護を強めることが出来るそうです。
でも本来それが関係していることは気づきにくいのです。
本物のかぐらつとめを拝見したこともない、教理をきちんと習ったこともない、ただ様々な先生方のお話を聞いて考えた手探りの信者の思い付きですが。
2019年10月29日 1:56 PM の匿名です。
私は通りすがりが恋しがる3原点さんではありません。
なぜ、れんだいこ氏のHPにある(東風Zさんもふれていらっしゃいましたが)
「4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、と指針する。」
との掲載事項に対して、その出典や根拠(もちろん原典を含めて)を質問しているだけで、
捏造ということになるのか意味がわかりません。
そもそもそのことについて本当かどうか質問する時点で、
いわゆる嘘や捏造の可能性も視野に入れて私が質問していることは誰が読んでもわかるかと思います。
それなのに鬼の首を取ったように私が捏造したのだと決めつけて
悦に入っている通りすがりは幼稚で本当に哀れです。
言わせてもらうなら「通りすがりが捏造だと決めつけていること」こそが捏造じゃないですか。
これではまともな議論になるわけがありません。
私のオリジナル発信でいつ
「中山善司が第4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」と投稿しましたか?
モリジロウさんが読んでいて辛くなるとのこと….。
自分もサイコパスな人間との不毛な議論に
心も時間も消耗するのはバカバカしいと思うようになりましたので、
相手にするのはもう終わりにしたいと思います。
最後に謝罪要求する通りすがりに謝るとすれば、
「読解力、理解力のないサイコパス=通りすがりに、
まともな議論をもちかけて申し訳ありませんでした。」 といったところでしょうか。
P.S. 通りすがりに吉報があります。もう読んでいるかと思いますが、
2019年9月29日に、退職した元信者さんが、通りすがりの投稿を、
「神の計らいにより理不尽な天理教の思考体系を貴方を通して広く教内教外の広めている。
天理教崩壊の強力なアシストであると思います。」と褒めてくださっております。
サイコパスに対して「神の計らい」なんてもったいない最高の誉め言葉ではありませんか。
通りすがりは人の心を逆なでしながら、「逆においがけ」に大いに励んでください。
このやりとりにおきまして不快な思いをされた通りすがり以外の方々、
大変申し訳ございませんでした。心より謝罪致します。
キックバックがあるならば、竹中工務店を信者に持つ某本部員ですかね?
通りすがり
2019年10月29日 4:04 PM
品格とか言う前にまず質問に答えてからにしたら良いと思けどね~ たましい が出てこないとか散々嘘や間違いを起こした自身の発言を棚に上げて何とかプライドを保とうと必死なだけ(笑)ここ最近来た人にはその同情を買う様な書き込みも効果的かもしれないが、前から見てる人達には「またか、通りすがりもこりないね~(苦笑)」なだけでしょ
中山家も中山家に指定された異端もどちらが異端でどちらが捏造でもさほど意味が無いんですよね。
擁護派の方が出てきたようですが、今の本部や教団を擁護しても「成って来るのが天の理」なので語るのも実は無意味なんですよ。何を理由を立ててももう良いわけでしかない。甘露台倒壊で皆「え?」と思いその後真柱頭の病気でなお思い。教団の財政難でさらに思い。ここ連日の天変地異で確信に至ってるだけですしね。
御恩報じ、足りない、不徳、金の繋ぎと信者に求める前に、それが足りないのは、中山家と本部でしかないです。お供えなどの寄付金緒の用途も間違っていたから立ってられなくなったんでしょう。それぐらい十全の守護見たら分かるんですがね。
中山教団は十全じゃなく、中山家の守護 とお考えなのだと聞く、中山家が気に入れば重宝し、気に入らないと外す。このようなワガママを通してきたから現在のありよう。治すつもりも一切なし、手遅れという前に何も改善はできないしそれすら気がついてない模様 お気の毒に
匿名様
私達現代人は不徳なことを一切していないでしょうか?
私達の今の世は乱れきっていますし、エネルギーも使い放題に使い、食べ物に関しても不自然な形で動物達の命をいただき(私もいただいています。極力少なくしようと心がけ始めましたが)、薬といっては動物の命を使っています。
皆がやっていることは(私も含めて)、親神様の求める姿ではなくなってきているのではないでしょうか?
甘露台の倒壊は、私達全員が反省を促されていることではないでしょうか?
誰かがやったことではなく、親神様が目に見える形で見せて下さったにではないかと私は思っています。
それぐらい地球に危機が迫ってきていると思います。
また通りすがりさんがサイコパスだと私は思いません。出典の根拠をおっしゃっています。
しかし時代背景、日本の法律、思想によって影響を受けざるを得なかった部分はあったということです。
でも、私達は生きた教えの中にいます。天理教は生きています。
自己の反省の指針としていきたいと思っています。
3原点さま
皆さま、冷静になりましょう。
[たましい]と[たまひい]は別ですよ。あえて魂と書かず平仮名で書いたのは、[たまひい]イコール魂じゃないからです。
れんだいこさんに断りもなく、勝手に引用し、都合が悪くなったら、れんだいこに聞いてみろ、はないでしょう!
ともあれ、
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
この投稿について、皆で議論しましょう。稿本天理教教祖伝を用意してください。
通りすがり
2019年10月30日 6:23 AM
>[たましい]と[たまひい]は別ですよ。あえて魂と書かず平仮名で書いたのは、[たまひい]イコール魂じゃないからです。
ではなんなの?ちゃんと答えろよwww
匿名
2019年10月30日 6:22 AM
全員の責任と責任転化する議論は当の昔に終わってます。全員の責任と言うと、真柱などの立場は要りません。表統領、内統領もいりません。そのような状態でないでい現実の中で、全員の責任と言うのはいたって的外れなことに気がつきましょう。
責任者は、宗教責任者は真柱、法的責任者は表と内統領、なんの意味も無い意見になっている事に気がつきましょう。
現実を踏まえて意見をしない事にはそれは机上の空論です。
今の教団に魅力ある?あるならそれを教えていただけます?擁護派の人はそれを語ったほうが言いと思いますよ。各所から様々なリークがあるのに、それを無視して、全員の責任や教義の副産物の書籍で語っても何の意味もございません。夢なら寝てる時に見てください(笑)
天理時報は「ネットのウソを信じるな!」と言ってるので、教団擁護派がわざわざ社会学まで来て意見すること事態に矛盾があるんですがねーウソ情報なら相手にしなくても良いのでは?なんですよね(笑)
思いのほか社会学の記事やコメントに影響力が出て危機感を覚えているのでしょうか?でしょうね。もう天理時報の「ネットのウソ情報を信じるな!」という言葉が嘘だと信者にはバレてますからね(笑)
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
どこにあるのか?まず説明して頂きましょうか
言い逃れは出来ませんよ
応えたら、あなたの質問に答えてあげてもいいです。
2019年10月30日 6:22 AM 匿名 様
現行天理教の教えの在り方が地球規模の危機、例えば、温暖化を防ぐことは出来ないと思っています。
何故なら、教団本部自身が率先して危機対処をしているとは思えないからです。
比叡山の僧侶と天理教の本部員の生活を比較して見てください。比叡山の僧は食事の最後に残しておいた、沢庵で器に残っている汁などを綺麗にさらえて食され、その沢庵を最後に食べられて食事を終わられるのですよ。
それに比べて、天理教の人達は、これでもかという程のご馳走を並べて、最後は食べ残しの数々。
何を考えてんだか。足るを知ればこのような食べ物を粗末にすることなどできるはずがないでしょう。
大祭の直会で、入り込みの上級に出された料亭からの取り寄せの料理の食べ残しの数々を見ていると情けなくなりました。
料理人の方も、おいしく食べてもらおうと心を込めて作っておられると思えば、一品一品をおろそかにできないでしょう。
本部の第5食堂でいただいたカレーに一切れの沢庵があれば、その沢庵で器に残っているカレーを寄せ集めて一口頂ければ、それこそ、教祖の説かれた、水を飲めば水の味がするの実践に繋がるのではありませんか。
天理教には、派手なパフォーマンスばかりが率先して、物を大切にする心が欠けていると思っています。
稿本天理教教祖伝の258ページから265ページまで、雨ごい勤めについての記述があります。
残念ながら
「かんろ台の模型をたててつとめた」
という文言はありません。
この掲示板では、こうしたデタラメが蔓延しています。
東風Zさま
そもそも、あなたがれんだこさんのHPを見て、訳もわからず引っ張って来たのが事の始まりでしょう。何を寝ぼけた投稿をなさっているのですか?
[かんろ台の模型]ってどんな模型なんですか? 教えて欲しいです。
東風Z
2019年10月30日 9:18
>それに比べて、天理教の人達は、これでもかという程のご馳走を並べて、最後は食べ残しの数々。
何を考えてんだか。足るを知ればこのような食べ物を粗末にすることなどできるはずがないでしょう。
>天理教には、派手なパフォーマンスばかりが率先して、物を大切にする心が欠けていると思っています。
大徳寺さんも同じようなことを言われていました。かなり前のことですが、ある時、おやさまが大徳寺さんの口を通して
「私らの時は、お野菜一本(ダイコンとかニンジンを指していると思われる)でも大事なものやったで。それが、今はたいへんもったいないことをしています」と、言われたことがあります。
今は農薬とか設備とか、農業技術などが発達して、いつでもたくさんの野菜がとれるようになっているので、食べ物なども軽々しく扱うようになってしまっているのでしょう。それをおやさまは天界から見られて、ご注意下さったようです。
でも、ここで東風Z様が取り上げられているのは、「姿勢」 の問題です。食べ物や物に対する「姿勢」 が問題になっています。肉にしろ野菜にしろ、命あるものをいただくという慎みや細やかな礼節が欠けていることを言われているのでしょう。
食べた後の残飯など見ると、食い散らかしているようで、これじゃまるで野獣の食事みたいだと思われたことでしょう。食べること一つにも、教えはあるのですが、このテイタラクでは、とてもとてもおやさまが言われていることにまで到達できないという嘆きが聞こえてくるようです。
だったら、何故、山名面なるものが存在するのか。説明してください。山名にのみ存在して、以外の国々所々にない不思議。誰がストップをかけたのでしょう。
通りすがり
あなたのような投稿する人が、いくら天理教の教義がどうの教祖伝がどうのと言ったところで、あなた自身の人間としての格がなさ過ぎて、読んでいて不快感しかありません。
狭い世界しか知らず、自分の価値観に合わないことは攻撃することで排除しようとし、言った言わないで争い、誤字脱字を指摘し、、、低レベル過ぎます。
熱くなってここに書き込む前に、ご自分の幼稚さや偏狭な考えを自覚して、ご自身の精神的な成長を最優先されるべきではないですか。
気付いた人たちは離れていき、ここで危険性を発信してるということです。
被害者を増やさないようにということと、今教団内で苦しんでいる人が一刻も早く気づいて、自分の人生を生きることができるようにと。
通りすがり
2019年10月30日 9:09 AM
そんな不誠実な質問で優位性を保てたと思っているから天理教の人間は世間に相手されなくなったんでしょう。 あなたがあまごいづとめ の話をしたいなら、あなたが説明し進めたら良いだけ、会社の会議はそのように進められます。
私は 稿本天理教教祖伝 の話は一切してません。どなたかとお間違いでは? 以前より教祖伝 ですら改ざんがあると言うのはこちらで議論されています。それより天理教は、教祖自身が書いた教義書などがあるので、そちらに資料の重要性があるのは当然です。
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
誤りを指摘されたら、謝る!…これ世間の常識です。ごたくを並べる前に、当たり前の人間として事に当たる事をお勧めします。
ここのメンバーはすっかり八島教学?に汚染されていて、天理教のオーソドックスが分かっておられません。山名の面は、明治17年7月に許され、明治22年4月24日に「面はぢば限り」という「おさしづ」によって禁止されました。この日以降、ぢば以外で「かぐらづとめ」が勤められた事は一切ありません。雨ごい勤めも山名の許しも「学び道」として許されたにすぎません。「かぐらづとめ」は「ぢば・かんろだい」以外の場所では勤められない事は「おふでさき」に明示されています。
>匿名 2019年4月13日 9:40 PM
「通りすがり」は自ら書き込んだアホなコメントの反応を、ビクビクしながら一日中読んでいた!笑
「通りすがり」は自分のアホさ加減にどうやらほんの少しだけ気が付いて、恥ずかしくてたまらない 笑
「通りすがり」は恥ずかしさで自らを傷つける10000ポイントのアホアホダメージ!
赤っ恥をかいた「通りすがり」は逃げ出した!
しかしまわりこまれてしまった!
自らにベホイミ(おさづけ)を唱えるも、全く効かない! 笑
なんとか立ち上がり、
悔し紛れに捨て台詞を吐いて 命からがら顔を真っ赤にして地獄にヨロヨロ逃げていった! 笑 笑 笑 笑 笑
私の品格を問題にする資格があるんでしょうか??
本当にひどい掲示板だ。通りすがりの言うとおりだな。
デタラメ言ってシラを切る。最低な人間。
人間のクズの集まりだわ。
特に三原典氏のおっしゃる
>>デタラメ言ってシラを切る。最低な人間。人間のクズの集まりだわ。
は中山家や本部や大教会天理時報に当てはまるんですけどね。
どんな講釈たれても、今の教団がこれじゃね~中山家があれじゃね~で終るのよね。
教義云々より現実問題話しましょう。
通りすがり
2019年10月30日 3:48 PM
匿名
2019年4月13日 9:40 PM
ブーメランをお互い投げ合ってて楽しそうですね(笑)
社会学の記事以外のコメントに書かれる内容を本部の実情が超え始めてから、とてもカジュアルな書き込みが増えましたよね。罵声を浴びせるだけなのは良くないでしょうが、本部の不信用さから考えたら致し方ない事だとも思います。混乱と混沌は現実教会でもおきてますしね。
現実問題を考えていかないとどうにも成りません。「金の繋ぎは命の繋ぎ」を言ってしまった以上 異端は異端ですしね。
三原典さま、
たしかにこの掲示板は人間のクズの集まりです。ただ神様は人間のクズとは言わないで、ホコリの提灯持ちと言っています。先はロクな事ありません。気の毒な人たちです。
批判派、擁護派で無益な論争をしていますね。その戦いどちらが勝っても教団は得しません。なので擁護派がここで勝利に拘る意味が分かりません(笑)「なって来る理が天の理」と現実を踏まえて考えましょう(笑)
原典の話がでていますが問題は天理教という宗教の根幹は一次教義書の原典、それが未だ曖昧なのが全ての問題の原因です。有名な論文発表もされてません。つまり論文で定義が定まっていない以上、揉め事は絶えなくなるのは当然です。論文は批判に晒されて磨かれるものです。しかし教団は「批判するやつは排除だ!」との姿勢が見受けられるので、その論文も意見も磨かれないので「成って来るのが天の理」までの経緯の理解に及んでいないとなり、何一つ成長もせずむしろ衰退をしている現状が生まれているだけでしょう。批判に対して精神的に意弱いのがこの教団の弱点、そのやり方で信者が増え、寄付金も増えているのならそれでも結構でしょうが衰退の一途 肥満の裸の王様が偉そうに講釈たれても誰も聞く耳は持ちません。むしろマリー・アントワネットのように、重税を課し「パンが無いならケーキを」と言ってしまっているような現状ではその王族は長くは続きません。「なぜ理解できないかな?」っと悩んでくれてるうちは信者はいますが、「話しても無駄」と思われたら最後教団を後にするのは当然です。
対応にしてももう遅すぎますし、対応し始めた時点から正しい対応をしないと信者や寄付金の減少は止められなかっただけでしょう。
もう遅すぎますね。
悩みに悩んだ20年でしたが、通りすがりさんのおかげで天理教をやめる決心がつきました。
心からありがとう。
社会学さん、これからも頑張ってください。
以下、私語のような投稿でこの場の皆さんお許しください。
通りすがりさん、私は81歳目前、身長は175㎝、体重は55㎏キリギリス同然の体で、余命いくばくもないでしょう。ですからご安心ください。もう、あなたの神経を逆なでするような投稿をする元気もありませんから。
投稿の趣旨は、天理教被害者が出ないようにとの思いと、比叡山の僧と教団本部の人達との、宗教家としての違いを訴えたかったからです。千日回峰行を2度達成された酒井雄哉大阿闍梨さんの講話を聴いた経験からそのように捉えているからです。
仮に、仮にですよ、大阿闍梨さんが滋賀県のどこかのゴルフクラブの理事さんだったら、比叡山をどのように思われるでしょうか。
まあ、天理教が繁栄しようが、消滅しようが私にとってはどうでもいいことなんですよ。
通りすがりさんは、多くの方々が、成る程思われる発言を続けてくださいね。
四代さんの発言の趣旨を投稿したのは、れんだいこさんのブログで見たことがあるので、借用したまでです。失礼しました。
通りすがり 様
孤軍奮闘、お疲れ様です。
また、三原典 さんとの一人二役もお疲れ様です。
あなたのような考えの人は私の周りには誰もいません。
いくら天理教擁護派の人であっても、必ず何かしらの問題意識を持っています。
あなたは、まったく異質です。
本当に変です。
あなたは、天理教の先生の中で最も影響を受けた先生はどなたですか?
聞かせて下さい。
よろしくお願いします。
擁護派匿名ですが、通りすがりさんが話し合おうとされることを話し合う場所にされないのですか?
八島教学と本部の考え方の違いの中心部分について通りすがりさんが話し合おうとされていますよね。
それは櫟本を通過した方々の最も話し合うべきことなのではないですか?
話し合って分かることでもないですが、そのことについて話し合うこともこの場だからこそ出来るのではないでしょうか。
ぢばがおぢば以外にも存在しているというこふきも存在していましたよね。荷台様の書かれた火水風にそのこふきを彷彿とさせる文章が載っていました。少なくとも二代様の時代まで、そちらのこふきで教えられていたのかもしれません。だとすればぢばは複数あることになりませんか。
荷台様と書いてしまって、大変失礼いたしました。
二代様です。
十全の御守護というのは、十柱の神様のことです。
上から目線な表現になって申し訳ないですが、私は教理について詳しいわけではないです。なので知識を持って話し合われるのを拝見して学びたいと思っているのです。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
知り合いが本部勤務先でパワハラやいじめに遭っていた
知り合いのJの彼女(未信者)はそれを聞いてショックを受け、腹が立ったので、天理教 啓発委員会に電話をし、Jの状況を全て言った。
電話を担当していた人から第一声に「あなたは天理教ですか?」と聞かれた。彼女は「いいえ」と答えた
すると啓発委員会の人は「未信者の方は天理教の内部事情に口を挟まんといてくれや。あんたが知らんだけで、Jさんいうとこの勤務先はなんもないねん」
これを聞いた彼女は愕然として電話を切りました。
教庁の相談窓口がこんな態度じゃ、本部勤務のハラスメントは無くならないでしょうね
教会に参拝する普通の信者の自分だが、子供の頃から天理教の教会長の子息たちと一般信者の子供の自分の間には大きな差別待遇が有る事に気が付いていた。
子供おじばがえりの時に小学校4年生の私ははっきりと認識してしまった。会長の子供たちは通路に直に寝ることなく、向かい合わせの席に板を渡して就寝していた。
このことは親には話せないと、子供心に思ったものだ。未信者の父が怒るだろうから。
決まりのコースどおり、教人にもなったが、教団への不信感と、教えに対する疑問は、18歳くらいからずっと抱き続けてきた。教えと乖離した人間たちの姿。かく言う自分もホコリをつんでいるが。
真柱後継者結婚の際の車でのパレード姿はどう見ても、皇室もどきで、天理教の泥臭さの元は金の使い方が原因と感じたものだ。
かんろ台倒壊では、悟りを信者全般に求められ、本部は気が狂ったのか?とさえ感じたものだ。責任転嫁は小人のすることだろう。天理教信者として恥ずかしい。
ついで、真柱の身上。これは人間なのだから病気になる事も有るだろう、きっと、中山家はそれなりの額の心定めをするだろう、治る治らないは神様次第だが。そのうち真柱の心境を綴った一文が発表されるだろうと、待っていた。
ところが真柱はちゃんと生存されているにもかかわらず、時報には言葉一つ発表されない。
工夫すれば考えを文章にすることはできるはずで、月次祭で息子が代読すればよいではないか。
なぜ、生きている父親をないがしろにするのか。それでは親不孝だろう。
人は病んでみて初めて思う事があるものだ。
深い悟りと思慮に満ちた考えを、真柱は信者に向けて披歴してこそ真柱職にある者としての矜持を示すことになる。なぜ、それをせずに引きこもるのか?
子供の頃から「天理教の人ってなんか変」と感じる一方、教祖もキリストも仏陀もその他の聖人たちにも同じ一つの神様が「教えを」下さったと理解していた。
子供時代に未信仰の父から「天理教ってどういう宗教なの?」と聞かれ答えた内容が上記の言葉。
子供の頭で思いつく言葉ではないだろう。誰かに教えられたわけでもなく、不思議なことに口をついて出た言葉だった。勿論、その教えの内容など知りもしない頃のことだ。
以前の書き込みで紹介されていたものだが、災害が頻発する今、日本にキリスト教の偉い方が来るそうだ。
Twitterで拡散希望というその動画によると、質素な生活と、清廉な生き方をされていることが紹介されていた。天理教の状況とは大違いの様子がわかる。
きっと神様がその様に取り計らってくださったのだろう。
何とも心強いではないか。
残念ながら天理教の祈りは今や芯が揺らいでしまい、祈りの力が無いから助けに来てくださるのかもしれない。
以上、あくまでも感想です。読み流してください。
連投お許しください。
匿名様 2019年10月30日 9:37 PM
≫電話を担当していた人から第一声に「あなたは天理教ですか?」と聞かれた。彼女は「いいえ」と答えた
≫すると啓発委員会の人は「未信者の方は天理教の内部事情に口を挟まんといてくれや。あんたが知らんだけで、Jさんいうとこの勤務先はなんもないねん」
関西弁はやくざ者の会話のように聞こえてならない。
言葉使いから勉強してほしい。
関西では人を「あんた」呼ばわりするのか!
知的レベルが低すぎる。
この対応を本部は問題にするべきだ。
きちんと聞き取る姿勢も無く職務怠慢、これでは啓発委員会を設置したところで、給料泥棒と呼ばせていただこう。
お供え泥棒ともいえる。
信者、未信者は無関係です。パワハラはパワハラですしね。人権を守らない時点でカルト宗教です。
「 たしかにこの掲示板は人間のクズの集まりです。ただ神様は人間のクズとは言わないで、ホコリの提灯持ちと言っています。先はロクな事ありません。気の毒な人たちです 」
まるで、SNSで上から目線で絡んでくる、ネトウヨと同レベル以下ですよね
最初から小馬鹿にして、絡んでくるから、普通は即ブロックです
ただ、このおかげで、この後、まともな意見がゾロゾロ出てくるから、ここでは
ただの、盛り上げにしかならないし、まともな閲覧者は
クズと一括りにされた所で、(こいつアホやな?おもろい見ていよ・・) って
さらに、閲覧者が増えますから、良いですよね
もっと、まともな、天理教の実態の告発コメントが、増えてくると
いろいろ、信仰について、考える参考になると思います。
「三原点・三原典」 私にとってはどうでよい
以前、別席係りの主任先生に尋ねた事があります。
「いったい何処に行ったら本当の天理教に会えるんですか」
主任先生の一言 「おふでさきです」・・・
古い元教会長さま
いつも自作自演の物語をご投稿なされ、お疲れ様です。
新しいネタ探しに悪戦苦闘している姿が目に浮かびます。本当に御苦労さまです。心よりおねぎらい申し上げます。
一度、ウソやデタラメを発信すると、もう取り返しがつきません。私ひとり如きに「全員」で必死に立ち向かってもどうにもなりません。哀れです。
真柱発言の捏造に加担したこと、稿本天理教教祖伝の改竄がこの掲示板の中でリアルタイムで行われた事は、誰の目にも明らかであり、この掲示板の信用が地に落ちた瞬間であります。
あなたも自称・古い元教会長だと言うなら、もう少し良識と分別を持って事に当たる事をお勧めいたします。私が「異質」であり「変」なのではなく、あなた方が「異質」であり「変」なのだと申し上げておきます。
東風Zさま、この掲示板で唯一当たり前の人間だと認識しておりました。最近、筆の力が落ちてきたのを感じておりました。どうぞご慈愛下さいませ。
退職した元信者
2019年10月31日 7:52 AM
>>主任先生の一言 「おふでさきです」そのおふでさきの解明すら未だできてないので誰が何を言っても本来は問題ないんですがね(笑)と言う落ちに誰も気がついてないんですよね。
その一次教義書の改名を怠り都合よく使ってきたのでしょう
批判派と擁護派が戦って得するのは?さんがおっしゃってる
2019年10月30日 6:19 PM
>>原典の話がでていますが問題は天理教という宗教の根幹は一次教義書の原典、それが未だ曖昧なのが全ての問題の原因です。有名な論文発表もされてません。つまり論文で定義が定まっていない以上、揉め事は絶えなくなるのは当然です。論文は批判に晒されて磨かれるものです。しかし教団は「批判するやつは排除だ!」との姿勢が見受けられるので、その論文も意見も磨かれないので「成って来るのが天の理」までの経緯の理解に及んでいないとなり、何一つ成長もせずむしろ衰退をしている現状が生まれているだけでしょう。批判に対して精神的に意弱いのがこの教団の弱点、そのやり方で信者が増え、寄付金も増えているのならそれでも結構でしょうが衰退の一途 肥満の裸の王様が偉そうに講釈たれても誰も聞く耳は持ちません。
この事に気が付いてないのが教団全ての人の問題なのでしょう。
中山家だけに都合のよい論文を書いたら批判に晒されるでしょうし、本当の論文を書いたら元教団を全否定にも近い解説が出てくるでしょう。なので論文教義の探求がおろそかに成っているのでしょう。
現在の惨状からの脱却は「本当の論文」だけなのですがね。
松村吉太郎氏の著書、「 道の80年 」の中に、松村吉太郎氏が
教義編纂をしっかりしなくてはならない、現場がバラバラになり過ぎ、神が失われていると言う
そう言う危機感を持っていた事が書かれていたお話を見ました。
外部からの識者、学者も入り、神道や仏教も入り、大元の
教祖様の、みんなに伝えたかった、陽気くらしの、真髄、本当の事ってのが
巨大教団運営の為の、教義に変わって行ったのでしょうか?
末端の、一信者であるだけで、誘われて、おぢば参拝する程度の私には
未だに、サッパリ、その真髄がよく判りませんし、守護のお礼にお供え(お金)なんて
体のレンタル料だとか、全然、違和感しか無いです。
なので、友人のお付き合い程度にしています。
ボロボロの教義と教団 との印象しか受けません。宗教として擁護目に1mmも見れないほど矛盾だらけです。
「中山家の利己主義」が原因なのでしょうね。本席コンプレックスが凄く強いと聞きます。真柱という立場を設けましたが、天啓も受けてない宗教指導者とまた曖昧で中途半端な立場 にも関わらず。真柱を神の様に崇めている人も多いそうですね。
中田善亮氏の「金の繋ぎは命の繋ぎ」は100歩譲ってそうかもしれない。としましょう。だがしかしこれ世間的過ぎますし、一般人ほど宗教の拝金主義に嫌悪感を感じるものです。「宗教でこれを言ったらおしまいでは?」との反応をもらうのです。すなわち布教力の無い教えを放ってしまった中田善亮氏、当人が布教すら出来ない魅力も無い人物であるのでしょう。
被包括法人の土地を奪取して売却 の考えも世間的に見ても「お金に困って店じまいするんですね。」といたってシンプル 90億の寄付金で運営できない組織と運営方針が問題視されるのは当然です。
やかた構想 が大半の出費に成って即中止にすべきです。これも教祖が言っていないにも関わらず、二代真柱の名声欲の為であるのに、あたかも神託であると摩り替えているのも問題
これら様々な問題は、教義書の解読を疎かにしたせいと自他共に認めた方がまだ救われるのではないでしょうか?これを認めないと必ず中山家とその血族への責任追及が始まります。
天理教ほどのなの知れた団体で、信者も少なくは無い。そこで中山家だけで資産を持ち逃げしようとの動きばかり、そう見られても当然です。一旦メディアにでたら日本では生きては行けないでしょう。
ところで、通りすがり様。
是非、お聞かせ下さい。
この素晴らしい、お道の中で、
あなたの最も尊敬する、お道の先生は、どなたですか?
あなたに一番影響を与えた、お道の先生はどなたですか?
もしくは、そんな先生はいないのですか?
何を言っても、教団運営も教義の解釈もおかしいのは明らかですから中山家とその一族は言い逃れは出来ないんです。まだ破綻や解散が起こってないだけでしょう。
擁護目で見ても教義解読もないがしろにした結果 宗教としておかしくなった。のは当然でしょう。
悪意目で見れば、中山家都合で改ざんしたといわれるわけですしね。
コロコロ変わるのは心 だけで教義がコロコロかわってはおかしいわけです。
天理教義は人によって立場によって変わるかのような発言を、中田善亮氏もしていたようですが、それでは宗教の教義とはいえません。最低でも普遍的でなくては名言にもなりません。反対派と擁護派の発生原因もそこにあります。
中山家の誰しも、その天理教義を理解できていないとも判断が出来ますし、教祖の教え自体が間違っているのか、のどちらかでしかありません。
もし教祖の教えが間違っているのであれば、是唯一無二の絶対の教えの意味をなす「だめのおしえ」は使えなくなるのです。皮肉を言えば「駄目な教え」に成るわけです。
このようなことに成る事が理解できない教団運営責任一家の中山家にが問題なのは誰の目にも明らかです。
櫟本分署跡保存会という名称は、中山慶一氏が命名されたと聞いています。その証拠が保存会に残されています。当初は、教団本部も肩入れしていたのです。当時の本部員も次々と訪れていた、と二部同窓生が語っています。なのに、いつの間にか目の敵視してしまいます。
興味のある方は、是非、保存会を訪ねてください。
教団本部は本当のことを知られるのが余程怖かったのでしょうね。
教祖の教えを正確に伝えられないようでは、天理教でありえない。一時も早く、神道形式を破棄すべきでしょうね。山澤家と守屋筑前の守とは関係があり過ぎます。
東風Z
2019年10月31日 2:14 PM
櫟本分署跡保存会が余程不都合だったのでしょう。都合が悪いから異端、これを繰り返し本部中山家が困った時には誰も助けてくれないどころか周りは敵だらけだったと見て取れます。自業自得です。挙句の果てに「金の繋ぎは命の繋ぎ」と教義に金銭苦を盛り込んでしまう。信頼関係はすでに崩壊 あとは教団財政が無くなるまで続けるのか?というだけです。騙して取った土地を売却しても一時的な利益それもやがて尽きます。
天理教道友社編集部に連絡し、どうして真柱の身上の件について天理時報で報道しないのか聞いたところ、折りにふれて報道しているという回答でしたが、本当でしょうか? どなたか、読まれた方はおられますか?
櫟本分署跡保存会は、櫟本小学校から南へ徒歩10分くらいのところにあり、櫟本小学校の児童も史跡見学に行っているようです。旧村の中にあり位置がわかりにくいかもしれませんが、小学校の近隣の方に尋ねられたら、すぐに教えてもらえると思います。天理教信者の方は是非、訪ねてみてください。
古い元教会長さま
私は貧しい、それは貧しい教会で生まれました。私の母は、カボチャを卵の黄身だと言い、ホウレンソウを畑の肉だと言って、私に食べさせてくれました。一個のレモンを珍しいとて、いつまでも神棚に御供していた事も思い出の一つです。高校の頃から父(教会長)の言動に疑問を持つようになりました。その疑問を解決すべく、大学では専門の勉強よりも天理教の教義の勉強に専念したものです。おそる恐る櫟本分署跡保存会を訪れたこともあります。そこにはスチール製?の甘露台がありました(汗)。文鮮明の開いた統一教会の合宿にも参加した事もあります。懐かしい思い出であります。そんな求道生活の中で、私の信仰に決定的な確信をもたらした人物がいます……
つづく
通りすがり ちゃん
2019年10月31日 5:00 PM
>>そこにはスチール製?の甘露台がありました(汗)<<
甘露台の素材について、何かおっしゃりたいのかもしれませんが、そもそも、甘露台とは何かということについてご説明いただきたいと思います。(笑 笑 笑)
通りすがり
2019年10月31日 5:00 PM
>>高校の頃から父(教会長)の言動に疑問を持つようになりました。その疑問を解決すべく、大学では専門の勉強よりも天理教の教義の勉強に専念したものです。<<
私も末端分教会の長男として生を受けましたが、私の場合、父(教会長)や母の言動に矛盾と疑問を感じ、
他の宗教を勉強したいと考え、キリスト教系の大学へ進学しました。私の専攻は英文学でしたが、一般教養でキリスト教についてしっかりと学びました。これまで、宗教(天理教)について抱いていた嫌悪感にも似た悪いイメージは完全に払拭され、キリスト教の教えに感銘を受け、大学在学中に洗礼もうけました。卒業後、私は天理教から完全に離れ、一般社会人となりました。大学在学中に受けたキリスト教の教えは、今も、私の基本的生活指針となっています。
通りすがりは自分が中心になりたくて、しつこく投稿し絡んできたかつての有名父親を想起させる。
だれも反応しないのが一番なのだが、嵐行為に慣れない天理教の人はついつい相手になってしまう。
わざと論旨を読み違えたり、煽ってみたりと、この場を貶めることが使命のようだ。
自分の物語を綴るようだが皆さんはスルーするだろう。それでよし。
注目を浴びたい心理が前面に出ている事、滑稽なオヤジと呼ばせて頂こう。
通りすがり さんは、親父なの? 文章から来る印象は、もっと若く未熟な方と言う印象です。
信仰ってなんのために行うのかな?
長年、天理教を学んで来た結果が、上から目線で小馬鹿にする、ネトウヨ文章では
それは残念な、事だと思いますけども
ネットの文章って、作ってみても、案外、人格がにじみ出てしまう物です
掲示板のコメント欄は、交流を求めるより、自説、自分の意見を公開する物だと思います
スルー当たり前で、書いたら良いと思いますが
それでも、通りすがり さん、もし年配の信仰者であるなら
ここを読んでる、多数の(サイレントリーダー)(リードオンリー) の方の、心に響く様な
説得力のある、そう言う文章を書いて欲しいと願います。
よろしくお願いします。
通りすがりさんが、現行天理教を信仰され、体験に基づくすばらしさを強調されることは何も問題はないと思うのです。
一方、天理教の環境に生まれ、育てられた経験から天理教は絶対に嫌だと思われた方もあると思うのです。私もその一人です。
時間と少なくないおカネの両方に縛られた経験は、容赦のない過酷ものでした。長年の住宅ローンを抱え、子供たちの教育ローンを抱え、そのような生活実態を知りながら、何のねぎらいの言葉もない中を月々の月次祭のお供えと参拝、教組○○年祭のお供えはじめ、大教会の建築と創立記念祭のお供え、上級教会と所属教会の創立記念祭のお供えと、講社祭りの御礼と際限のないものでした。
特に、教会の20日直前の月次祭はサラリーマンにとっては、参拝しようにも参拝できない繁忙期に当たり、後日落ち着いた日に参拝をすると、有給休暇を取って参拝しろと嫌な顔をされたりと、決して、喜び勇んでの教会との付き合いではありませんでした。
敢えて言えば、信仰を続けてきた両親を悲しませないとの一点だけでした。
だから両親が亡き後に、余り時間を置かずに天理教から離れる決心をしたのです。
最も、他にも離れた理由は多々ありますが、今更書くことでもないので割愛しますが、よくぞ付き合ってきたものだと、忸怩たる思いをしたものです。
教会を離れる決意を述べた折に、関係者から恩を忘れればろくなことがない等と、脅迫まがいの言葉を投げかけられた時に、きっぱりと離れる決心がついたことも、今となっては正解でした。
通りすがりさんの脅迫に似た言葉も同様ですよね。
私は、自分の経験から天理教に近づかないようにしてくださいと投稿しているだけで、信仰熱心な方を誹謗中傷する意図は持っていません。
投稿の理由は、そうだったのかと思うことが余りにも多すぎるので続けているだけです。
何度も書きますが、一番バカバカしいと感じたことの一つに、大教会の立派な神殿と教祖殿を取り壊して、本部に向けて参拝できるように建て替えた神殿の、土地と建物のちぐはぐさを見ると、大教会に行くたびに嫌な気分になったものです。
借入金の返済がなかなか進まず、領収書まで出してお供えを呼び掛けた時には、あっ気に囚われてしまいました。
天理教のバカバカしさこれに極まれりでしょうね。
天理時報 様
一度も見たことはありません。隅から隅まで読みませんのであるいは見落としいるのかもしれませんが、掲載されていたら、そのことをどなたかが投稿されると思うんですが。
四代さんのことは、90%がこの社会学から教えて頂きました。あとの10%は二部の同窓生からです。
週刊新聞天理時報は残念ですね。終わっているとは、このことですね。
東風Z 様
2019年11月1日 3:57 PM
私も四代真柱の病気に関する記事を天理時報でも天理教のホームページでも読んだことがありません。この掲示板で初めて知りました。個人の病気については、プライバシーの問題もあるので詳細な情報は掲載できないのかもしれませんが、真柱という一宗教団体の代表者は、公的立場にある人物なので、病気療養中であることぐらいは信者に何らかの形で周知するべきだと思います。真柱の病気について信者に知られることは、教団側にとって不都合なのかも知れませんが、私の知っている大半の信者は口コミで知っています。変に隠蔽することにより、教団に対する不信感が増すだけだと思います。
中山家が正々堂々としていないのが問題の元凶なんですよね。教義、内部ルール、組織全てが中山家都合でルール改変も教義改ざんとも思える「金の繋ぎ命の繋ぎ」なども行っているので全教(組織)の方々も薄々気がついていますし、社会学さんの書き込みなどをみて知る人も居るぐらいですから、信用性が天理時報よりも社会学が上がるのは当然です。
それに、中山家が正しいなら上記の事は起こりません。信者の寄付で成り立ってる土地や財産を狙おうともしません。こんな当たり前の常識も理解できない中山家が問題があるのは当然です。これが理解できないから、「金の繋ぎは命の繋ぎ」などの馬鹿な発言が出来るのでしょう。この程度の知性しか持ってないので、誹謗中傷はまだしも批判反論を天理大学や各研究機関や組織からの反論者が出ると排除して異端とレッテルを貼って来たとも見て取れます。
今まで教団に関わった賢者が尽く教団を後にした。国の有力者すら教団を問題視した。この時点で皆さんも理解しなくてはなりません。
時が立ち国家のあり方や法のあり方も様変わりしました。しかし今でも「法は関係無い」と鵜呑みにしている天理教の人は多いようでこれでは問題です。賢者も帰ってきません。中山家が全てを駄目にしているのです。中山家の知性の低さが地名的過ぎます。
中山家を擁護する方がもし居るなら、はっきり言いましょう。法で言っても中山家が組織の上層部に君臨し、各役員会議に血族を送り込んでいる事態は曲がりもない事実です。その結果が良いなら運営上問題はないですが、約90億もの寄付金が集まれどもうあからさまに資金難だというこの悪い結果は中山家とその一族の責任でしか有りません。
中山家みずからいつ責任を取るのでしょう?だれが中山家に責任を問うのでしょう?
これが現在の組織内の情勢でしょう。中山家と教団は別物です。教団と活動資金を捻出するための不動産管理会社を手放し中山家が教団を後にするべきです。
きれいに後始末できないと大問題が起こるのは想像がつきます。
1教団に対する寄付金を等を被害者や信者に慰謝料として再分配をして教団解散する流れを取れる日がちゃんと来るのかも心配です。
2教団の資金が回らなくなり、教団自体を売却しなくてはいけない日が来ることも考えられます。
現在、「廃法人の土地を本部に返せ」との動きが有りますが、これはどう見ても土地売却の動きです。ちょっとまってください。これは法人解散の流れで起きる事態です。なのになぜ、信者や被害者にその資金を保証しないのでしょうか?ここにも中山家の血族一部上層部だけの「我さえ良ければ」が見えている事に気がつきましょう。
このままでは社会問題化されるのは時間の問題です。現在のこの混沌は社会問題化が顕在化されるまでの前哨戦でしょう。
>中山家みずからいつ責任を取るのでしょう?だれが中山家に責任を問うのでしょう?
これが現在の組織内の情勢でしょう。中山家と教団は別物です。教団と活動資金を捻出するための不動産管理会社を手放し中山家が教団を後にするべきです。
教団を食い物にしているのは、中山家だけではありません。
他にも、山澤・梶本・飯降・上田・永尾・宮森・松村・鹿野・仲野・・・
まだまだ居ます。
本部月次祭を見たことが有る人なら分かるはずです。
教祖殿・祖霊殿と回廊を回ってゾロゾロと神殿に入ってくるお勤め集団も教団を食い物にしているんです。
そして、この連中の子供達も教団の金を食い物にしているんです。
中山家を追い出しても解決しません。
本部に係る全ての人間を追い出さなければ本当の天理教にはなりません。
つまり本部月次祭の時に結界の中にいる人間全てを本部から追い出さなければならないという事です。
天理教本部は、奈良のならず者集団なのです。
集団で信者の金を食い物にしているんです。
おや様が嫌った取次人の末裔たちが今でも信者の金をむさぼり食っているんです。
おや様が亡くなられてから130有余年、 地場・鏡屋敷の強欲な泥水は下へ下へと流れだし天理教組織全体にしみ込んでしまったのです。
中山家の追放で解決するような問題ではないと思います。
天理教は、本当に腐った偽宗教団体だと思います。
退職した元信者さま
>つまり本部月次祭の時に結界の中にいる人間全てを本部から追い出さなければならないという事です。
いや〜何とも言えない。
何と言えば良いのだろう?
言葉が出てこないけど、おっしゃっていることが胸に突き刺さる。
まあ言ってしまえば結果責任。
政治の世界でも治世できず混乱を招き引き起こせば責任を取って、潔く職を辞するものです。
そうしないと流石の国民も黙っちゃいません。
暴動でも起こり世の中が乱れる可能性をはらみます。
それを防ぐために責任を取って退場し、新たに人事を選ぶ作業に入るわけです。
政治と宗教組織を同列に扱うのはおかしいと言うような意見も出ますがこれに関しては関係ないですね。
治めることも出来ず混乱をきたし組織の衰退を招き、組織内部の士気をこれでもかと下げてしまった責任は『重い』の一言では済まないですし、頭を下げて謝罪をしたところでどうにもなりません。
何の解決にもなりません。
やはり解決は総辞職することです。
そうです、とりあえずでも良い、一旦でも良い。
とにかく辞めることです。
じゃないと前には進めません。
何も展開していきません。
ただ、いたずらに時間だけが過ぎ去り重苦しい世界を漂うだけです。
日本人はとかく責任を取らないと言われていますが、奇しくも同じ構図が描かれているように思われます。
最近では東電の首脳部が裁判の末、無罪になりました。
規模が大きくなればなるほど有耶無耶になっていきます。
誰も責任を取らない。
どう考えてもおかしい、間違っている、と分かっているのに誰も責任を取らない。
昔よく聞いたモラルハザードが起こり何でも有りの世の中になってしまうでしょう。
いや今現在もそういう風潮が蔓延してきているように感じられます。
それにしても間違ったことをすれば謝る。ごめんなさいと言う。幼稚園ぐらいでもすでに教わる大事なことです。
それを誠、真実を尽くすことを謳う組織が非を認めずに居座れば、また居座ったとしても何の説得力も無く、誰もついてこず、求心力の欠片も無い本当の裸の王様になって行くでしょう。
いやもう既になりつつ有るかもしれません。
シーンと静まり返り、人の気配の無い不気味な巨大な館群と、ほんの一握りの盲信洗脳された信徒だけが残り、存在意義も無く、世間からも見放され見向きもされない不気味な集団だけが残るだけでしょう。
こうなればもはやカルトです。
何が有っても居座ることがあれば、それはやはり自分達は特別に選ばれた魂なんだと、下々の信者信徒とは違うんだという選民意識がそうさせることになるのでしょう。
「神に選ばれし我々は、永遠に上に立つものであると・・・」
医者が病気になって、その病気を医者の家族や息子が治せないのではそれは医者としてどうなのか?
この状態が中山家とその血族の逃れキレない問題の説明で分かりやすいです。そして現在の天理教の衰退原因で
身上(病気や怪我)事情(各種トラブル)の原因は、皆さんがおっしゃってるような様々な事が根深くあるのでしょう。
土地問題もおかしいですよね。神様にお供えした土地や寄付金が、金に困ったから売却? 信者に内緒で 不動産など資産運用?
現在の運営人は神への冒涜も甚だしい!
これでは神から病気やトラブル与えられても当然ですね。早く気がついてこんな教団やめましょう
退職された元信者様
かつておやさまが出て来られて道案内までして下さいましたよね。
以前書かれていましたよね。そのおやさまが導いておられるんですよ。今もおやさまは貴方を御覧のはずです。おやさまは今もひのきしんされているとおもいます。
結界の中におられる方々が以前結界の中で移動のために一斉に立って回られた時、渦が巻くように大きな力が発生しているのを感じました。
真柱様や御本部の先生方の御移動の時も御神気を感じました。
渦が巻く様な力、御神気? 感じようは人それぞれでしょうが
他宗派の影響を受け過ぎでしょう? どっかの親父に毒されましたか?
そう言うスピリチュアルと天理教は無縁だと思いましたけどね。
重要なのは、今の教団運営に問題がある事であって、ここを改善しなければ
天理教と言う教団に未来が無いと言う事です。
人間の問題です。
>何の解決にもなりません。
やはり解決は総辞職することです。
そうです、とりあえずでも良い、一旦でも良い。
とにかく辞めることです。
じゃないと前には進めません。
何も展開していきません。
天理教は巨大ですから 皆さん 出て行って欲しいといっても実際のところは無理な話ですよね。
私の様な普通の信者にできる事は、金を出さない・天理教から離れる これだけでしょうか。
古い話ですが、須藤花井さんと高知大教会に寄った事があります。
その時、神殿のみかぐらは十一下りになっていました。
そこで須藤さんは 八つの意味を親神に訊ねたそうです。
「今ね、やしきのつちをほりとりて ところかえるばかりやでって どういうことって聞いたんだよ
そしたら 神さんはね 新しい天理教は ここ 高知で話し合うって言ったんだ
天理で話し合ったら今の天理教と同じになる
だから、天理で話し合う事はしない といってるよ」
親神からしたら 現在の、広大な境内、壮大な建築群、巨大な組織はご本部がご自由にお使いください。
金がどこまで続くか分かりませんが、好き勝手にやって下さいね と言う感じですかね。
親神は、「新しい天理教・本当の天理教」を作ると言ってるそうです。
それが「十一下りの八つ」の意味だそうです。
※高知と言っても高知大教会ではありません。
匿名様(2019年11月2日 5:06 AM)のコピー
≪かつておやさまが出て来られて道案内までして下さいましたよね。
≪以前書かれていましたよね。そのおやさまが導いておられるんですよ。今もおやさまは貴方を御覧のはずです。おやさまは今もひのきしんされているとおもいます。
≪結界の中におられる方々が以前結界の中で移動のために一斉に立って回られた時、渦が巻くように大きな力が発生しているのを感じました。
≪真柱様や御本部の先生方の御移動の時も御神気を感じました。
==コピー以上
貴方は何となく感じたことを、さも、ご自分は何らかの能力が有るかのように書いておられるように思えます。
自称霊能力者。確かにこの世の中には不思議なこともあります。けれど、そのような経験をした人は軽々には口に出しません。
それ以前に、その事象をどのように受け止めるべきか悩み苦しみます。だから、やたら口にはしないのです。
例えばこんな分教会長夫人もいます。その人はかんろ台の上空空間にひとすじの光が差したことを不思議現象と皆に話していました。
かんろ台に限らずこのような事は室内でも起きます。光の性質で直進するわけですし、空中の浮遊物が光を反射しているだけで不思議現象とはいえないでしょう。
そう、思いたいのだろうと、あえて否定はしませんでしたが、子供でも知っている知識です。
貴方が上記のように感じることを全否定するつもりは全くないのですが、神様の働きと、本部結界内の人間とを結びつけ、権威づけすることに何の価値も生まれはしないと知っていただきたいのです。
感覚的なことほど、慎重に自分の内部で検証してから発表しましょう。そうでないと単なるお花畑の人となります。
退職された元信者様
≪そしたら 神さんはね 新しい天理教は ここ 高知で話し合うって言ったんだ
≪親神は、「新しい天理教・本当の天理教」を作ると言ってるそうです。
注目!➡ ≪ ※高知と言っても高知大教会ではありません。
拝読して、ゾクッとしました。
数年前の事ですが、月次祭の時に知り合いが境内地で知らない婦人さん二人と立ち話をしていました。
知人でもない人と、けっこう長い時間(数分ですが私には長く感じた(-_-;))の話だったので、何を話していたのか聞きました。
すると、「四国に住んでいるお婆さんがすごいお助けをしていると、言っている。」とのことでした。
何処の教会の人かわかりませんが、はっぴ着用でしたから修養科生かな?と思ったものです。
四国に住んでいる方であれば、このような噂を聞かれることも有るかもしれません。
でも、本部がすぐに「異端」と決めつけますから、これ以上の本人確定の追及はしない方が世の中のためになるでしょう。
大徳寺さんの口を通じて教祖様の言葉を頂いたこともあります。大徳寺さんに近い方がもし、おいででしたら、どうぞ、お力添えをお願いします。
今、天理教組織は崩壊し始めています。ただ、この組織に連なる善意の皆さんがいる事を考え合わせると、崩壊する姿の中にも、誠真実の方々には被害が最小限に抑えられることを祈っています。
その善意の方々にも、お願いがあります。しっかりと見開いた目でできごとを見届け、しっかりと耳を澄まして、真実の声を聞き届けましょう。
「親」だってまちがったことを言うものです。「親」がぜったい正しいなんて、傲慢すぎる勘違いです。一人一人の価値は等しいのですから。
(こんなことは判り切ったことで、偉そうに書いてしまいすみません。)
今後の展開を注視します。擁護派の方とは天理教組織を擁護する人々なのでしょうが、私は言うならば「神様派」です。それも古神道とは別物の地球上の生き物全てを見守る神を信じています。特定宗教の神ではありません。なので参拝する時も二礼なんてしません。昔は所属教会でも二礼などという神道に準じた拝礼はしなかったと記憶しています。神道ではないと宣言したはずですがいまだに神道よりなのは、表統領が関係していると噂を聞いたこともありますが真偽は判りません。ただ、日本国ファ-ストとでも呼べばよいのか、皇室に準じた感覚の持ち主は教内にもいるようで・・・。その皇室でさえも即位と儀式の間をあんなにも置いてしまい、結果、祈りをその職務とする仕事ぶりに嘆きの雨が降ったかのような即位の礼。短時間、雨がやみ、虹が出たと騒ぐ向きも(元宮家の竹田某の話)ありますが、下品な態度・話す姿(YouTube)からは何の説得力も感じられません。(こんなことはどうでもよいが)
組織は人の集団で、その組織の闇から目を背ける事は直接的にも間接的にも不正義に加担することになり、悪組織の一員と見られても仕方ないでしょう。
私のようにいまだ天理教信仰者として存在していても、心中では組織に疑問を抱き続ける人もいるのです。
けれど、これ迄も多くの方が投稿の中で触れているように、お供えはトイレや水を使う費用として出しているだけの少額になっています。
教会長の子供たちを私立学校に通わせていた経費になってしまった過去のお供えは、いくら良質の教育を授けても立派な人間ができるものでもないという結果を見させていただき、使い方を誤るとこうなるという、なるほどと納得する結果を得ました。
長文投稿、お許しのほど!
今日の天理はしびれました!
天理5-4履正社 サヨナラ勝ちです!
ひさびさの甲子園が嬉しいです!
天理教がどうだろうが、本部がどうだろうが、大教会がどうだろうが、上級がどうだろうが、高知に天理教が移ろうが、どうでもいいことです。
神様はいるけれどあとのことはどうでもいいことです!
ようは自分のできるおたすけができれば、神様もおやさまもよろこんでいただけると思います。
お供えや、おつとめや、おさづけや、おふでさきはどうでもいいことだと思うのです。
一人一人が優しい気持ちで、ひと様をたすけられる心になれればそれでいいと思います。
いつまでも、本部がどうのこうの、大教会がどうのこうの、上級がどうのこうの
一度、お供えをSTOPして元はじまりにもどったほうがいいかと思います。
今のままではネズミ講と同じで先に信仰したものが後で信仰したもののお金を詐取しているだけの信仰です。
一人のお助けもできない無能なそこに生まれただけの馬鹿な会長ばかりがふんぞり返る世界が決していいわけないと思うのです。自然淘汰です。
神はどこにでもいるので天理教だけが特別だとは何も思いません!
>神様の働きと、本部結界内の人間とを結びつけ、権威づけすることに何の価値も生まれはしないと知っていただきたい
>しっかりと見開いた目でできごとを見届け、しっかりと耳を澄まして、真実の声を聞き届けましょう
これに尽きる。
本部員の子供とか知人にいましたが、大半が教団嫌いで両親の事を嫌ってた人がおおかったです。人前で宗教家の振りして裏では贅沢三昧ゴルフ三昧、金に困ったら「金の繋ぎは命の繋ぎ」つまり金もってこい!ですから笑
「金の繋ぎは命の繋ぎとゴルフ代」と天理時報に載せるべきでしょう笑
金が無いのに、後継者に贅沢結婚式? 中山と本部員は常識も無い感性は異常笑
徳積が足りないのでは? 理が無いのでは?もっと徳積しろ!でないとあと数年で赤字 数年後には破産 全不動産売却、ビル管理会社も売却
組織はなくても信仰できる! 様
2019年11月2日 4:17 PM
>>今日の天理はしびれました!
天理5-4履正社 サヨナラ勝ちです!
ひさびさの甲子園が嬉しいです!<<
天理高校野球部の戦績と、この掲示板は一体どういう関係性があるのでしょうか? ご投稿の趣旨が理解しかねます。
少々この掲示板から離れていたら私の書き込みを引用して議論されているようなので、あまり気が進みませんが書き込みさせて頂きます。
私は八島教学を学んだなどとは言えない程度の浅学薄識な者ではありますが、、、
>通りすがり様 2019年10月30日 3:37 PM
①雨ごい勤めも山名の許しも「学び道」として許されたにすぎません。
②「かぐらづとめ」は「ぢば・かんろだい」以外の場所では勤められない事は「おふでさき」に明示されています。
どこのどのような文章を解釈すると「学び道」とか、「おふでさきに明示されている」というような答えが出て来るのでしょうか?
「めんはぢばかぎり」というおさしずは、おふでさきの書かれた年代より後だったかと記憶しています。
おふでさきを書いた教祖が「山名やあまごいつとめ」で許した事を後に本席が禁止したのですから、禁止される側に問題があったと考えるのが妥当だと思いますが、通りすがり様の主張される根拠は何なのでしょうか?
首里城が全焼しました。確かにこの事件もショッキングだったのですが、修復建設で掛かった33年間で掛かった費用が240億円と聞いて、どこぞのやかた建設の費用になおさら疑念が高まりました。
首里城の全焼もネットでは様々な憶測が飛んでます。単なる火事でなく、33年間年間に治すと7.27億円づつ建設業者に落ちていて完成してはその収入がなくなるとの思惑と、余にも冷静な県知事のコメント、炎上中も一切反応しなかった県知事に不信感を抱いてる国民等から、放火説が濃厚だと言う声も聞かれます。
かたや「限り無し普請」と教祖の教義を悪用して、不必要建築を繰り返した教団 やかた建設費用は幾らなのでしょうか、法外な費用が掛かっていませんでしたか? 建設会社と発注担当の間で汚職など闇取引が疑われます。
首里城再建 費用負担焦点に 復元にかかった総事業費は33年間で240億
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018326.html
おやさとやかた一棟が50憶円と聞いていました。
首里城は世界遺産でもあり沖縄の観光資源でもありましたが、某ガラン堂群は何の役にもたたず莫大な維持費がかかっています。もったいないことです。
首里城の再建には、莫大な経費がかかったと思いますが、アメリカ軍の艦砲射撃で旧首里城を焼失した沖縄県民にとっては、心のよりどころであり、「うちなんちゅー」としてのアイデンティティーを感じる建築物であったはずです。3年前の地震で被災した熊本城に対する熊本県民の思いと良く似ていると思います。また、今回、焼失した首里城を再建したのは、どこの建築業者が知りませんが、沖縄には観光資源以外にこれといった産業はありません。どこの業者が受注したにせよ沖縄県の経済に少なからず経済的恩恵をもたらしたと思います。沖縄は日本で唯一地上戦が行われたところです。また、米軍基地が集中している地です。「判官びいき」ではありませんが、せめてなにがしかのの恩恵があってもしかるべきだと思います。
理の親とは教祖の代理だと理解している、親は子に尽くすが本道であります。
ましてや、親に尽くせというどの親はこの世界にはいない
この理聞き分けて信者、世上の人々に元の親の手伝いとして尽くしきることが
悪因縁切りの台と思います。
とほり道の行者より
2019年11月4日 1:08 PM
>>理の親とは教祖の代理だと理解している、親は子に尽くすが本道であります。
ましてや、親に尽くせというどの親はこの世界にはいない
この理聞き分けて信者、世上の人々に元の親の手伝いとして尽くしきることが
悪因縁切りの台と思います。<<
あなたが、どのように解釈されようがご自身の自由だと思います。この掲示板の殆どの投稿者や読者は真に受けないでしょう。
いずれにせよ、天理教は程なく(崩壊=終焉)を迎えるはずです。私は天理教被害を最小限にくい止めたいとの一心で投稿を続けていますが、そのこと自体、私にとって何のメリットもありませんし、デメリットもありません。結局、私個人のこれまでの人生経験に基づく結論に過ぎないのかもしれませんが、天理教にいつまでも関わっていれば、ろくな事は無いという自分自身の人生経験に基づいて、自分自身の意見を述べているだけです。もちろん、「創価学会」や「光の輪」等、訳のわからなない新興宗教が正しくて、入信しなさいという意図など毛頭ありません。「信教の自由」は日本人個々人に保障されていますが、私が確信をもってお伝えできるのは、「少なくとも天理教からは去るべきだ」ということです。
鏡屋敷地場から打ち出す言葉は天の言葉であるほどに。
いつかお地場から、百年以上途絶えた、天啓が復活する時代が来るのでしょう。
それまでは天理教会本部の大掃除の時代なのでしょう。
天啓が復活する?
いろいろ復活しては、異端だと排除して来たのが、本部ですから
おぢばに天啓が復活するには、今の後継者にでも降りなければ
本部も認めないでしょうし、今の後継者には、ありそうも無いですしね
本部の大掃除では無く、現行天理教が、大掃除の対象になっている様にも見えます。
別の場所から、新たな教祖様が生まれ、また始まったら良いんじゃ無いでしょうか?
それがどこかの教会長なら、離脱して、真、新、天理教になって、大きくなれば
良いと思います。
今の時代に、教会長を勤めるなら、本部に従う末端では無く
いっそ、天啓者を目指して、親神様にお願いするくらいで無いと
面白く無くないですか?
現行天理教は、付き合いが長くなればなるほど欠点が見えてくるのです。こんなはずじゃなかったなんて生や優しいものではありません。
何故、と問われれば、もうこの欄にすべてが語られていますが、その中でも一番の問題点は、精神を壊されてしまうことです。
理不尽すぎる上級の要求。皆さんは何故このことに気付かれないのかが不思議でなりません。次から次へと、よくもまあ言えたものだと思わずにはいられません。
修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
これが、人助けを説く宗教の実態だということを知っていただきたいのです。
今は亡きクリスチャンで医師の日野原重明先生こそ真の宗教家だと思っています。命を輝かせよう、と何の見返りもなく仰った言葉。この言葉を天理教に投げつけたいですね。
>>修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
<<
全て「洗脳」のなせる技です。皆さん、絶対に騙されないように本当に気をつけましょう。
>>修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
<<
高校入学金をお供えさせられて、高校進学を断念し、中卒の学歴のまま今にいたり、就職もバイトでさえも門戸を閉ざされている教会の娘を知っています。「勉強はいつでも出来る、この旬に伏せ込めば一粒万倍」と上級に丸め込まれたのです。娘が犠牲になるとの思いにも至らなかったのか、会長である両親の洗脳状態がこんな悲劇をも生むのです。
天理教の偽教理がどれだけ無責任に希望ある若者の人生を振り回したか。
この上級会長夫婦は共に癌で苦しんで亡くなりました。人を苦しめた因縁とはこう言う事でしょう。
現天理教団が無残な凋落の形相を見せているのも、長い間人々を苦しめたのが因縁で、現在の通り返しの結果を見ていると見て間違い無いでしょう。
金貸しから始まった天理中山金金狂は「とんでも偽宗教」である事の確信をしています。
騙されるのは自己責任で。
どんな商売でも、得するから始めるわけであって、損する宗教をある意味が無いwww
>>金貸しから始まった天理中山金金狂は「とんでも偽宗教」である事の確信をしています。
騙されるのは自己責任で。<<
正直で素直で人を安易に信用する人ほど騙されやすいのが、この世の常です。高齢者を騙す特殊詐欺グループのように、法律で取り締まりができないものでしょうか? この掲示板の読者の中に司法関係者がおられましたら、良い智惠をおかし願いたいものです。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑
↑
ほんまや
>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
>学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)知り合いは天理教の人のみ
>そんな人に「ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!」てドヤされたけど、おまえの方がやばいやんけ笑笑
もし反論があるのなら、たった三日間で良いので天理教とは全く関係のない店にアルバイトに行ってその体験談を克明にご披露いただきたい。
>>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑<<
大阪市西成区の「あいりん地区」で路上生活をしながら日雇いの仕事で、その日その日の生活費を稼ぎながら、生活している人達の気持ちが理解できますか? 天理教の信者よりも「あいりん地区の住人」のほうが、よほど心が温かく、人の痛みを理解できると思います。たとえ1ヶ月でもよいので、「あいりん地区」で日雇いの仕事をしたらよいと思います。「難儀しなければ、難儀している者の気持ちが分からない」その通りだと思います。
そういえばあいりん地区で亡くなられたキリスト教徒の女医さんの命日がもうすぐですね。西成のマザーテレサと呼ばれた方だったようですね。
11月の14から15日にかけて亡くなられたそうですね。
ホームレスの方々に御自分の御給料で寝袋を買ったり、お世話をされてボランティアで巡回されていたそうですね。
愛の人ですね。
数十年も昔、新聞の読者の声欄に今も忘れる事の出来ない投書がありました。あいりん地区で労働者のお世話をされているキリスト教のシスターさんの投書です。沢山の労働者の中に、話を聞いてみると戦争中何年も戦地に居て当然軍人恩給を支給される立場の人が居たそうです。その事を尋ねると、その人は、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と、言われたそうです。きっと兵隊に取られるまでは、穏やかな心優しい青年だったのでしょう。それを読んでショックでした。私の父と叔父も日中戦争に行き負傷はしても無事帰国出来ました。戦友のいとこと結婚して私達が生まれたのですが、父は死ぬまで戦争批判はしませんでした。批判をする事で自身の消し去れない青春時代を否定すると思っていたのかどうか、分かりません。お陰様で父は弱い身体ながらも定年の後も嘱託で働く事ができました。でも多くの精神を病んだ帰還兵は死ぬまで精神病院の中だったとか。手を汚さず心病む事なくのうのうと天寿を全うした戦犯達。(首相の祖父もです) 世間からの偏見、差別の続くあいりん地区には、道路や橋や危険な工事をして住みやすい今の日本を作ってくれた人達が、ちょっと生き方が下手だったり、本当の温もりを求めて集まっている場所なんです。今は、キリスト教だけでなくNPO法人や学生ボランティアも賑やかに活動されているようです。
本部さん 部内から土地巻き上げて不動産業する見たいでっせ~ 皆さんの教会の信者さんや先代がお供え(寄付)した土地で商売とは、道一条 どこにいったん? 部内には商売すんな!言うて自分達だけ不動産業ですか~?いい身分ですわ~「金のつなぎは命のつなぎ」と言うてるから道一条やめて、カネ一条 に成りはったんですね~
これでは神さんも御立腹ですわ~精々気張っておくんなはれ~(笑)
>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑
笑笑 似非宗教家がどこに行っても3日でクビだわ。
コンビニでバイトも出来ひんに、こいつら。
無名 様
2019年11月6日 7:07 PM
>>あいりん地区で労働者のお世話をされているキリスト教のシスターさんの投書です。沢山の労働者の中に、話を聞いてみると戦争中何年も戦地に居て当然軍人恩給を支給される立場の人が居たそうです。その事を尋ねると、その人は、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と、言われたそうです。きっと兵隊に取られるまでは、穏やかな心優しい青年だったのでしょう。それを読んでショックでした。<<
何回も読み返しましたが、涙がでて仕方がありません。誰も戦争に行きたくて行く人はおりません。人を殺したくて殺す人などおりません。(志願兵や職業軍人は別として)。全て国の命令です。自らの意思に反して徴兵され、戦場で負傷したり戦死したりした兵士が復員後、軍人恩給を支給されるのは、当たり前といれば当たり前だと思いますが、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と言って軍人恩給の支給を拒み、あいりん地区で、不安定な日雇いの仕事をしながら、一生涯、贖罪の人生を全うされるのでしょう。おそらく、その方はキリスト教の信者だと思いますが、戦争や紛争、テロというものは、敵を殺傷した者にも大きな傷を負わしてしまうということです。戦争は絶対にしてはなりません。
なんの罪も無い信者から金銭を巧妙に騙し取り、騙し取ったお金で贅沢三昧の生活を満喫する天理教トップの皆さん!! これを「犯罪」と呼ばずに何と呼ぶのでしょう? 近いうちに「天罰」がくだることでしょう。
天理教ばかりでは無く、どの新興宗教も、不景気日本です、衰退は避けられない時代だと思います。 緩やかに減るのか、急激に減るかの違いでしょうね。
21世期は、団体宗教の時代では無く、個々に、個人を導き救う宗教とか信仰が要望されていると感じます。
天理教も、個々に個人を導き救うと言うより、団体維持が優先されている様に思うので、求心力を失っていますよねえ、お供えが命のつなぎとか、何せ団体に寄与する事が親神様の守護を得る事だと言ったら、ただの団体維持だもの、今の若い人は離れるばかりかと思います。
個々の導きも救いも、末端の教会任せ、その末端を大事にせず、教団自ら絞りあげているのだから、末端教会も、信者を導き救う能力が無くなっている様で、何をやって良いのか、判らなくなってる会長さんも、みえる様に感じます。
お助けも効かず、守護と引き換えにお供え、何かと言えば、精神的圧迫を伴うお諭しでは、魅力が失せてしまいます。
こんな時代に、教会長を務めるのは、大変でしょうし、我が子に継がせる事も、普通の感覚なら、どうかな?って思いますよね。
まずは、末端の教会が、やっていて良かったと思える様に、改善しなければ、根っこが衰え、大木も、倒壊してしまうのは、致し方無いでしょうね。
私は、末端の信者なので、天理教が絶対ではないので、ただただ、離れるだけですから、気楽な物ですけども。
「カネの繋ぎは命の繋ぎ」と天理時報をはじめ至る所に書いてますが、親神、十全の守護を軽視発言ですからね(笑)親神を立てない時点で金の守護はもうありません。それにも気が付けないから致命的な事に中山家が気がつけてないのが大笑いです。天理教をしていない事は明らかなので中山教と馬鹿にされても仕方ないでしょう。カネしか信じられない時点でもう終わりです。公言してしまっている以上もう後戻りは出来ないので後が怖いですね(笑)
系統にも寄るのでしょうが、薄々上(うちの上級や大教会長)も現在の本部方針が間違っているのを感じているのではないかと感じています。お金で命が続くなんて余りにもおかしな話過ぎますし、神の御心に添って考えても全く嘘くさ過ぎますもの、、。各教会がどんなお助け活動をしていても、最終目標である心定め、つまりノルマの達成と言うハードルを越える目標から解放される事はありません。
うちの系統はノルマ達成が出来なくても強制されないし嫌味を言われる事も無いので良いですが、他系統では厳格な上下関係のがんじがらめで度々殿様大教会長より「お供え金を頑張る月」が設定されている様です。
そこの一つの部内教会は一際目を引くボロボロ教会で土壁が落ちています。
ゆるい我が系統でさえも、私は身内に後継する事は真っ平ごめんですが、一方でこんな殿様大教会長に引っかかってしまうと人生を奪われてしまったのも同然です。長い年月かけて多くの末端教会が消滅している現状は、もう何十年も前から予想がつく事でした。
私達一族は教会長としてやって良かったとは今、思えません。嘘だと分かった事を、信者さんや世間に説けますか、、?良心が痛みます。時の流れに身を任せていれば、我が教会も終焉が来るので教会の後始末は子供達に頼んでいます。親が汗水流して購入した教会の土地ですが本部が売り払うなら売り払え。そんな人の恨みや怨念のかかった土地を売り払って我が物にしても、本部関係者、中山一族に良い芽が芽吹く筈がありません。
お供えをしない。布教はしない。可能な限り行事に参加しない。お礼の額を減らす。上が勝手に来るなら場合によってはお礼をしない。当然交通費は出さない。看板料だけ払う、、。しかし赤字は赤字の現状です。
子供が苦しんでいても振り向きもしない親なんて。文句を言うな、黙って言うこと聞けと何度上級から押さえつけられた事か。
天理教は親孝行は語れど子供の苦しみに寄り添わない。天理教は、神様を利用して上層部の満足と組織維持のための活動をさせているに過ぎないです。我々教会は最終的には組織維持の為の活動をさせられていると言って良いでしょう。
長々失礼しました、、。
金で命を繋ぐということ自体、自己矛盾をはらんでいます。なぜならば、天理教に「お供え」をしない人達、例えば、無宗教の人や、天理教以外の他宗教の信者は、命が繋がらずに死に絶えてしまうという理屈になります。そんなことはあり得ないことです。天理教の傲慢さや欲深さがよくあらわれています。
他人にさんざん無駄なおカネを使わせておいて何が楽しいのか。
お運びだとか、お許しだとかは序ノ口。おっと、序の口ではない。天理から遠方の人は大変だ。本部に向かって神殿を建て替えろだって、人をバカにした最大の愚行だろ。
このような宗教に向き合っている人の本心は何ぞや。
教会が土地・所のひながたと言うのであれば、何も本部に右に倣えでもあるまいに。土地・所のやり方があるだろう。それすらも大切に出来ないなんて、思い上がりも甚だしい限りだ。
天理教は最早反社会勢力団体です。
「金の繋ぎが命の繋ぎ」等と謳い文句。
街中では詐欺同然でも、さらに宗教勧誘。
黒い法被を着て路傍公演。誰も近寄らないし異様な光景。でも、
自分達のやってる事、関わってる事がどんな状態だか洗脳されてて認識すら出来ない。
反社会勢力以外の何ものでも有りません。
街中では詐欺同然でも、さらに宗教勧誘。
黒い法被を着て路傍公演。誰も近寄らないし異様な光景。<<
講演と言うなら聞く人が居ないと成り立たないだろう。しかし天理教の路傍講演は誰一人聞く人が居なくて、車ゴウゴウの車道に向かって、声はかき消され何を言ってるのかも聞こえないのに大声を張り上げている。
聞こえない講演なんて意味不明です。意味不明な行動様式だから傍目から見ると頭がおかしい?と思われる。天理教のナンセンスさを公道で証明して益々世間から距離を置かれるだけです。
神が見ている気をしずめと言った天理教独特の自己満足で、した事に意味を見出しているんだと思いますが、ナンセンスな時間です。賢明な人のする事ではないです。教会長はみんな馬鹿なんでしょうか?
私は馬鹿な教会長ですがこんな意味の見出せない行動は恥ずかしくてやってられないです。
どうせ海外布教するなら中国で布教したらいいのに。
そしたら幾人かは見直すんじゃない?なんで中国とかロシアにいかないのか
>>どうせ海外布教するなら中国で布教したらいいのに。
そしたら幾人かは見直すんじゃない?なんで中国とかロシアにいかないのか<<
中国やロシアで布教活動をすれば、即座に逮捕され帰国できないかもしれませんね。
>>聞こえない講演なんて意味不明です。意味不明な行動様式だから傍目から見ると頭がおかしい?と思われる。天理教のナンセンスさを公道で証明して益々世間から距離を置かれるだけです。<<
大阪の心斎橋筋を黒いハッピを着た青年の集団が「神名流し」をしているのを見かけたことがありますが、多くの通行人は気持ち悪そうな表情で、距離をおき避けるようにして歩いています。彼らは世間に迷惑をかけているのが理解できないのでしょうか。「洗脳」の怖さです。
神名流しと言うのは、初期の江戸時代、明治時代なら、判りますけど
令和の現在では、もう天理教は、大宗教であった時代を経ていますので、無用な行事だと思います。
今、それをやるとすれば・・セミナーなどの洗脳すり込みの為の強制行動にしかならないでしょう。
対外的には、無用な行動だと言えます
天理教の若い教会長が、人生相談や、そう言う類いをネットでやられているのを見かけますけども
人が、人を理解するのは、そう言う訓練を受けないと、本当はできない事だと思います。
人は、意外に客観的にはなれず、主観でしか見ていないと、思います。
ただただ、教理に当てはめて、それを正しい条規として相手を判断する事は、相手の心に響くのか?
人の心を救うって、誰にでもできる事ではありません。
教理を説いて、人を救うのか? 神導きで人を救うのか? お助けするのか?
今の天理教に接していると、実にあやふやだなあ・・って思います。
誘われておじばに行ってるだけなら、別に困りませんが・・私は平気ですが・・
実際、やっておられる教会長さん達は、大変だろうな? また
その大変さも、道だ、道だ、お道の苦労だと、言い聞かせておられるんでしょうね?
いっぺん、外に出て、客観的に、自分達を見るのも、お道のためにも、必要じゃないかなあ?
などと、冷めた目で、見ております。
これほどまでに、問題点を指摘されているにも関わらず、何の反応も示さない教団に、ついつい、洗い言葉で投稿しましたが、考えてみれば無視することが一番なのに、自分でもどうかしていると感じています。
路傍講演は、何処にひながたがあるのでしょうか、教組が路傍講演をされたのでしょうか。
こかんさんの浪速の町での神名流しが、ひながたの走りでしょうか。でも、これって本当のことなのか?符を感じています。秀司さんの借金返しの浪速行きが神名流しに組み立てられて、さらにヒートアップして路傍講演に繋がったのでしょうか。
天理教に入信の挙句に、路傍講演をやらされると想像すれば、うかつに入信できないと考える方-がまともでしょうに。
若い方たちは分かっておられるでしょうが、時間とお金を失う天理教に近づかない方がいいですよ。
人を救うって、教理を説いて人を救うのか?神導きで人を救うのか?お助けする事か?
今の天理教に接していると、実にあやふやだなあ・・って思います。<<
この事は教会長していて感じる事です。
信者さんに真向かう時の自分の姿勢がどうであれば良いのか。信じる芯がないと言うか、、、ただ経験で感じることは、未熟な人間がいくら教理を説いて相手の足らない所を指摘しても、反感こそされても、心が救われている様には思えない事です。
教会長は自分が同じく未熟者である事をまず知ることだと思います。私のおたすけの結論はただただその苦しみに寄り添い共感に徹する事。黙って祈る事。
経験では苦しみを共感してもらうだけで、半分以上の苦しみから解放されている様に感じます。未熟者の教会長と言うだけの人生経験も乏しい者が、若かろうが年配者だろうが、相手を救うだなんておこがましい事です。
寄り添い、その苦しみを相手と共に感じ、伴走する様な気持ちでいる事。
苦しみを分かち合ってくれる相手がいる事は当人にとっては心が軽くなり苦しみを乗り越えられ易くなる。押し付けの教理など説いたって苦しみが増すばかりです。
教会長は苦しむ相手にl説教なんか不要。時間をかけて苦しみに共感する。
教会長としての自分の在り方に信じる芯がなくてあやふやしていましたが、そんな事しか出来ないが、しかしそんな事こそ人の心を癒すんだと言う事を最近悟りました。
もう一つ、、。
また天理教は系統によって説く事が違うと言うのもおかしいと感じています。天理教の説く親神様の教理が何筋も有っていいのでしょうか?どの筋が正解なのか?と思います。愛町系は関根氏を崇め奉っていますし、、。
筋の通らない姿を公然と黙認している天理教本部の心は何処にあるのでしょう。
何でも有りの形相です。
こう言う姿を見るにつけ、自分の心も芯が見出せずあやふやしてしまいます。
初めましての初コメント。
みなさん、よくもうあと数年しか生き残れない天理教について熱く議論されてますね笑
さぞかし暇で退屈でストレス発散場所を探していることでしょう。
天理教という狭い世界でしか生きてこれず、社会のことは何一つ理解していない無教養の皆さん。
このブログを読んだら自分でも天理教を改革できるとお思いで?
腹が捩れるほどに愉快です
あなたたちにいいことを教えてあげます。
今すぐに天理教から離れて就職してください(まあ大半はもう手遅れで天からのお迎えを惨めに待っているだけの人だらけでしょうが笑)
そしたら、あなたたちが以下に馬鹿げているかを認識できますよ笑笑
天理教を信仰していたら幸せになれると思ってましたか?
あなた方は天理教の洗脳された奴隷であり、本部にお金を持ってくるための駒でしかないのですよ
だからさっさと目を覚まして、現実を見て、社会に迷惑でしかないことを自覚してください
人を助けた?いやいやいやいや、洗脳が完了して、また奴隷が増えたの間違いでしょう笑
さ!皆さん!
反論があればどうぞ!
レディーファイ!
Twitterにこんなのがのっていました。
>少し前 世話科で勤務していた知人からのリーク
年末調整で名前は伏せてあるが本部勤務者、在籍者、本部員、真柱の年収をチェックを行う。
トップ機密なので在籍者or本部員かは明かせないが、そのレベルで年収2000万は貰ってるとのこと
年収が 2000万円・・・!!!
教会長を務める方のお話、ありがとうございます。
「 信者さんに真向かう時の自分の姿勢がどうであれば良いのか。信じる芯がないと言うか、、、ただ経験で感じることは、未熟な人間がいくら教理を説いて相手の足らない所を指摘しても、反感こそされても、心が救われている様には思えない事です。」
(やっぱりそうですよね、何を基礎に説くと言えば、教理になりますけど、それだとあなたは何のために存在するの? って言う事もあります。)
「 教会長は自分が同じく未熟者である事をまず知ることだと思います。私のおたすけの結論はただただその苦しみに寄り添い共感に徹する事。黙って祈る事。」
寄り添う為に、存在すると言う事は、重要かもしれませんよね。
「 経験では苦しみを共感してもらうだけで、半分以上の苦しみから解放されている様に感じます。未熟者の教会長と言うだけの人生経験も乏しい者が、若かろうが年配者だろうが、相手を救うだなんておこがましい事です。」
「 寄り添い、その苦しみを相手と共に感じ、伴走する様な気持ちでいる事。
苦しみを分かち合ってくれる相手がいる事は当人にとっては心が軽くなり苦しみを乗り越えられ易くなる。押し付けの教理など説いたって苦しみが増すばかりです。
教会長は苦しむ相手に説教なんか不要。時間をかけて苦しみに共感する。」
「 教会長としての自分の在り方に信じる芯がなくてあやふやしていましたが、そんな事しか出来ないが、しかしそんな事こそ人の心を癒すんだと言う事を最近悟りました。」
( 末端で、真面目に活動されておられる教会長さんの、苦労が、想像できます、この上で、お供えを頂かなくてはならないとなれば・・相手の為なのか? お供えの為なのか? もちろん相手の為でしょうけども、それで教会長自身が生きていくのは、大変な事だと思います。 そこへ、道一筋、ふせこめ、たんのうせよ? お供えが命のつなぎと来ては、さらにしんどかろうと想像します。)
神のお助けで、病気も快癒、親神様にもたれる事で、人生好転、開運上昇と言う事実が明確に見せられ、物心共に豊かな、不安の無い (陽気暮らし) を体現できているなら、それが宗教の魅力にもなるでしょうが、実際はそうでは無い様ですしね。
天理教の魅力って何ですか? って問うても、解りにくい、難しい、見せられないなら、末端布教者は疲弊して行くのは、当然かもしれませんね。
教団本部は、もっとそれを指し示す必要がありますよね、掛け声だけ、号令だけかけても、魅力を示せ無ければ、その声も届かなくなります。
おつくしをしてみえて来る世界がある? とか言われても、いや? 他の宗教に当たりますわって、言いたくなります。
2019年11月12日 7:28 AMの匿名様の投稿の一部
>おつくしをしてみえて来る世界がある?<
現行天理教に、尽くして、尽くして、尽くし切れと言われても見えてくるのは、地獄に等しい心の闇だけです。
母は、97歳まで居ましたが、晩年(85歳ころ)は教会に参拝できなくなり、母の依頼で貯金通帳のカードを預かり、月々数万円のお供えを運んでいました。
ある時、母から電話が入った。お供えを続けてくれているのかとの問い合わせの電話だった。続けているよと言ったのですが、教会からは御供の一つも送ってこないから、私がネコババしているんじゃないかと疑っていたんです。
このようなことってありますか。教会は、お供えをするのが当たり前みたいな感覚だったんじゃないでしょうか。母が一生涯にお供えした額は、今思えば莫大な金額だと想像できます。
高齢の妹は月額4万円余りの国民年金で息子の嫁に遠慮しながら細々と暮らしています。母がお供えの一部でも妹に残しておいてやってくれていたならば、妹はどれ程助かったでしょう。
このような宗教に嫌気がさすのは当然でしょう。何が助かりだか雲の上の人には何も分かっていないんです。
年収が 2000万円!
・・・・・・母子家庭の我が家では長い間、200万円台でやり繰りしてきました。
(お陰様で50歳前にしてようやく年収300万円を超える仕事につくことができました。)
子供たちは非正規社員で時給での生活です。
今の時代、私どものような低収入の家庭は多いと聞いています。
政府は就職氷河期の雇用を企業に義務付ける事だけではなく、企業内での行き届いた教育をも義務付けるべきでしょうに、経団連とつるんでばかりいます。
低収入の人が若いうちは気力もあり、プライドもありますから何とかその環境でも生きていけますが、退職後、無職になるや生活の厳しさは年々増していくのです。
「オリーブの木」が主張するベーシックインカムは私にとっては救いの神です。
頭脳明晰な方々から見ればベーシックインカムにも欠点が有る事を指摘できるでしょう。
理解していただきたいのは、完ぺきとは言えない制度であっても、現状だけではなく今後も、多くの若い世代が救われる制度であるということです。
進行形で社会が疲弊していることの解決策の一つであると言えるのです。
以前、この社会学板でオリーブの木の黒川さんの動画を紹介したすぐ後に、東京新聞では日曜版でベーシックインカムを特集して解説していました。
ここへ投稿した直後には、私を揶揄するような経済学「通・気取り」の人からの書き込みも有りましたが、経済的に恵まれた人は何とでも言えるのでしょう。何しろ2000万円ですから。
日本という国の実体経済から目をそらそうと「お・も・て・な・し」で稼いだ女性もその巨額の資産が露わになってしまいました。
イベントで甘い汁を吸える立場の人々には、フクシマや災害被害者の姿は見えたとしても「自己責任」と切り捨てるだけ。
過去には節目にはまとまったお供えもしてきました。
お供えの使い道には文句を言えないという考え方をする人は、まだまだ多いのが天理教です。
(話が脇道にそれますが、パレードを見ていて天理教信者の精神構造と沿道で旗を振る方々とが重なり合って見えました。)
お上に従順であることが日本国民の(そして天理教信者の)基本的・歴史的姿勢だからでしょうが、毎日の生活が厳しい低所得者層は、そんな馬鹿な精神では生きていけませんから、とっくに目覚めています。
本部はまともな会計監査ができる人に相談するべきでしょう。
閉鎖する教会の資産の整理は、法的にも、信仰者としても、正義に沿ったものであってほしいと思います。
もし、それが実行できない時には信者一揆がおきます。中山家の皆さん、古くからの天理村村民の皆さん、覚悟してください。
たぬー @JsohF5 さんのツイート(スクショ)より
大阪である教会が解散した。名称を返した。収入 が途絶え、教会を維持していけなくなったのだ。 古くなった神殿をそのままに借地を地主に返却し、会長夫婦は府営住宅に移った。 熱心に上級教会に勤め、支部活動にも積極的に参加し、布教しおたすけされていた高齢の会長が主な役員・信者数人が出直したあとの苦渋の決断だった。 「申し訳ない。申し訳ない」会長が絶えず口にしていた。上級教会もそこを抱えて通る力はもはやなかった。なら、大教会はどうか。若い会長には抱えて通る心がなかった。1箇所くらいなくなっても大教会には何の影響もないということだろう。 ならば、教会本部はどうか。やはり心がないのだろう。本部に引き寄せ住居を与え、最後の御用与 える事さえしない。本部在籍者やその家族は最後まで面倒みるが、 端々、末端は簡単に切り捨てる。かんろだい倒壊事件を、我がことにすべきは、末端で必死にもがく教会長ではなく、毎月、月末に 「お与え」と称する給与をもらえる本部在籍者と教会が数カ所潰れてものうのうとしていられる直属や中間教会の一部のトップ・心無い人たちだろう。
そして上記大阪の教会の解散に関してのフォロワーさん達のツイート を読むと、
もはや天理教は上層部を除いて
「ようきぐらし」ならぬ 「地獄暮らし 奴隷暮らし」だということがよくわかる。
カリメロ @KarimeroWith さん
酷い例だけど、よくある話。
何もかも下に押し付けるくせに、下が困ったときは何の手も差し伸べないのが天理教の組織。
教会が存続できないほど信者が減ったのはにをいがけ、お助けを怠ったからだ!と言うけど、上級も部内が行かなかったらどれだけ信者が残ってる?
天理教を信仰してるのが恥ずかしい @usjV189qSdRRQgI さん
天理教の助け合いなんて絵に描いた餅。世間に出て働いたことのない教会関係者は、
自分の立場が不利なると決まって「人のせい」にする。
人が離れて行くのも当然、いつまで経っても幸せになれるわけがない。
こんな組織が崩壊しないのが不思議。
yukinkoko @yukinkoko1516 さん
何組も知ってます。見方によっては、老後公営住宅はラッキーかもしれません。
上級や大教会で住みこんだら、人目があるし身体が不自由になれば子どもが引き取らなければ
結局は施設(それだって入れない可能性高い)。
住まいを提供してくれるのが理想ですがきちんとした制度がない以上、求めても無駄…
東風Z 様
2019年11月12日 10:14 AM
>>母は、97歳まで居ましたが、晩年(85歳ころ)は教会に参拝できなくなり、母の依頼で貯金通帳のカードを預かり、月々数万円のお供えを運んでいました。
ある時、母から電話が入った。お供えを続けてくれているのかとの問い合わせの電話だった。続けているよと言ったのですが、教会からは御供の一つも送ってこないから、私がネコババしているんじゃないかと疑っていたんです。<<
人の善意を踏みにじるばかりでなく、犯罪者扱いにまでするのですね。天理教は宗教の仮面を被った犯罪者集団です。絶対に関わるべきではありません。現信者の皆さん、こういう悪質極まりない事例を看過していれば、いつかは我が身に降りかかってきます。即刻、天理教から去りましょう。
東風Z 様
まさしくその通りです!
天理教は人の弱っているときにつけ込み、さも天理教がその人を助けたかのように洗脳する宗教です。
また、何も悪くなくても”いんねん”という言葉を使い、自分が悪いと思わせます。天理教に入信すれば、本部にお供えすれば助かります!と言い寄ってくるまさにドクズの集まりです。
こういう人らは怖いですよー
何せポジティブを押し付けて来て、思考停止にさせ、あたかも”陽気に暮らしている”という幻想に誘って来ます。
気をつけましょう
人助けが主な目的だろうに、なぜ人を食い物にするのか。苦しめるのか。
生きていくためか。
八つのほこりだらけの教団。
うそとついしょで日々を通る信仰者たち。
どんな過程や結果を目の当たりにしても、『助かっている』『ありがたい』『御守護』
何故人が離れていくのか、よく考えたら良い。
考えても分からないなら末期。
3原点の皆さま
真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
この掲示板の上で行われました。未だに、一言も反省とお詫びの言葉はありません
この掲示板は既に死んでいます
ひとのことを言っている場合ではありあません
何を言っても誰も聞いてはくれません
時間の無駄です
私は匿名の1人ですが、三原典や真柱様、教祖伝については触れておりません。
それらには感知しないで、教会長の現実や、教団の現実について、触れています。
だから、このコメント欄には、様々な意見が交錯しており、多くが匿名ですから
興味の無いコメントはスルーするのが普通です。
だから掲示板は死んでもいなければ、役に立っています。
私は、通りすがりさんには興味がありません、ネトウヨレベルの方だと感じます。
末端教会の教会長家族や、信仰3代、4代の方の、今の現実が判ることに、興味があるし
事実なら、十分な、価値を感じます。
私は現役の教会長ですが、各教会の活動が最終的に組織維持の活動になっている事を強く思います。
天理教上下関係内での「非人間的日常の肯定」は経済の面でも精神の面でも下に位置する人間は押さえつけられ、自らの感情に蓋をし、自らの尊厳を胸にしまい込み、そうした長年の苦しみが「現実の事実」としてありました。ここに書かれている悲劇、苦しみは現在も起こっているし、また過去に起こった現実です。
私の経験した限りでは、これは信仰ではありません。冷静な目で見て私たちのこの活動は本部、大教会の奴隷としての偽宗教活動です。
洗脳は恐ろしいです。奴隷として扱われているにもかかわらず自分では熱い信仰に徹していると思う訳ですから。
うちの上級教会内では子息子女が先代から代々「素直」、「文句を言わない」を最上級の信仰姿勢として教育され洗脳されています。ですから彼らは若いにもかかわらず大教会や本部の声をいまだに神の声と信じている模様です。一般から来た若嫁の辛そうな顔を見ていると可哀想です。教会から逃げ出す嫁達の多い実態がいかに陽気暮らしを叫ぶ足元で陽気暮らしが実現していなかったかを物語っています。
この掲示板にあげられる悲惨な情報は偽りのない苦しみであり、苦しんだ挙句に逃げ出した方々が神の願いである真実の自由と陽気を手に入れた実話でもあります。
諸々の個人的な事情で逃げられない自分ですが、自意識に目覚め洗脳から解けて見えてきた景色は不条理そのものです。この腐った上下関係の組織がある以上とても世間に広めるしろものではないと断言したい。
もしも中山みきの天啓に共感を持つなら、個人でやった方がいい。この封建組織に組み込まれず一人一人が親神様に真向かえば良い事です。
ここにも情報としてあげられていましたが本部勤務や大教会に於いて奴隷と化し中味を知って逃げ出す青年、女子青年達。彼らの不満がさざなみの様に広がっているのもまた事実です。擁護派がいくら恨み節を言ってみても、事実上この衰退ですから現実が全てを語っていると言う事です。偽信仰から神が手を離したと認識すべ
きだと思います。
自分たちの過ちを認めず、興味が無いと言って逃げる姿はあまりにも醜すぎますよ。
天理教トップの真柱発言の捏造は簡単に済ませる事のできるものではないでしょう。
教祖伝の改竄もヒドイですね。一言、謝るべきです。
通りすがり氏が言うように、ここは天理教邪怪学研究所だと思いますよ。
>通りすがり氏が言うように、ここは天理教邪怪学研究所だと思いますよ。
まさしく その通りです。
天理教は、よこしま(邪)で あやしい(怪) 偽の教えです。
それを学ぶ掲示板だから、「天理教邪怪学」 ですね。
100年祭までの人波は、それはそれは凄いものでした。
いまは、本当に寂れてしまいました。
土日、休日でも境内はガラガラ 「通りすがり」 の人影もありません。
天理教が「邪」であり「怪」である事に 殆どの人が気づいてしまったのです。
新天理教 三大理念
第一にお供えをしない
第二に布教をしない
第三に人として上下の差別をつけない
悩んだら教団より行政を頼ったほうがいいと最近学びました。
お供えして悩みを相談しても、教団(というかわたしの所属)は心を低くとか耐える事しか教えませんでした。
でも行政は相談に乗っても否定する事はしないし、的確な提案をしてくれるので、とても助かっています。
税金払ってて良かったなと思ってます。
これからも、教団には頼らず行政を頼って行きたいと思います。
また通りすがりがなんか言ってるの(笑)真柱発言の捏造 教祖伝の改竄 中山家が教義が捏造したから何を言っても捏造、通りすがりちゃんもやっとそこに気が付いた?(笑)
そんな事より早く真柱の頭の身上治ると良いね。善亮くんの心の病気も(笑)
「金の繋ぎは命の繋ぎ」とは脅しでなんとも陰湿で教団全体を陰気させるお言葉
教団は ようきぐらし って辞めたんだねwww
自分がこね回せる一点のみを全体に広げて誹謗中傷するのがネトウヨのパターン
だから、通りすがりはネトウヨレベル
それと、ここは、HNを変えても、匿名を使い分けても管理人さんは、投稿内容重視で
その事は、とがめない様です、だから、通りすがりさんも、匿名を使い分けることができる。
まあ、そんな事はスルーして
末端の現実を、本部の行状をネット上に晒す事は、親神様の御心に背いていないと思います。
正しい教えを、楽しく信仰する為には、今あるホコリを掃き出す必要があると思います。
教会長を自殺に追込んだノルマ地獄。「教会長も使い捨てか!」
天理教の年間行事のなかでも、とりわけ重要とされるのは、一月二十六日の春季大祭(教祖の亡くなった日)と、十月二十六日の秋季大祭(立教の日)の二つである。
ここ数年、天理教内で起きている不祥事を象徴する事件が起こったのは、昭和五十九年の秋季大祭前日であった。この十月は、天理にとっては、二十四日が親神(人間創造の神)が人間を宿し込んだとされるぢばの証拠として立てられた、かんろ台(甘露台)の据えかえの儀が行なわれ、二十五日が東礼拝場の落成の儀、そして二十六日が秋の大祭、即ち教祖・中山みき氏に神が天下ったという立教の日という具合で、三大慶事が重なった、とりわげおめでたい時期であった。
このおめでたい最中、十月二十五日に、山名大教会( 静岡県袋井市) の部下教会である静岡県の鮎ケ瀬分教会長( 伊藤辰彦氏) が天理詰所で自殺してしまったのだ。
″教会長、山名詰所で自殺す″ のニュースは、その日のうちに教団関係者の間を駆け巡った。
「十月二十五日、東礼拝場が完成した後、本部では三つの慶びだなんて浮かれていたんです。特に、山名大教会はこの十月一ヵ月だけで、三億五〇〇〇万円集めた。そこで、大教会長は約二〇〇名いる山名系の教会長を召集。詰所の大広間でお礼の意味をこめて、お勤めをやった。そのお勤めが終るころ、パタンという大音響がしましてね。窓の外をのぞくと、伊藤教会長が上の窓から飛び降り自殺をしたとわかったんです」
その場に居合わせた山名系の教会長は語る。
自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもないが、その日の午前中、その教会長はある友人に悩みを打ち明けていたのだ。
「自分はいかに本部や大教会からノルマを課せられようとも、食うには困らない。しかし、食うや食わずの生活をしながら、お供えをする信者たちがかわいそうだ。それも、やれ九十年祭、やれ百年祭だときりがない。信者たちの貧困生活を見ていると、これ以上、お供えをしろ( 金をよこせ! ) とは、良心に呵責を感じていえない。だが、そんな泣き言をいえば、上からおとがめをちょうだいする。私はもう、疲れはてた」
その結果の自殺であった。
死ぬ数日前からは、「大教会長に殺される! 」という言葉まで口走っていたといわれ、かなり追い詰められた精神状態であったようだ。
というのも、お供え(上納金)がその10年一ヵ月間に、「一教会につき、お供えが一五〇万円に達しない教会長は申し出ろ」ということで、いわばノルマを達成できなかった教会長が、絞り上げられていたのだ。
自殺した教会長も、何度か大教会長のところに行っているのである。そして、「教会長を辞めたい」ということも申し出ていたというが引き止められていたのだ。
これは、実は一教会長の自殺という個人的な問題ではなく、現在の天理教の在り方に対する痛烈なアソチ・テーゼであった。すべてが金集めに集中していく教会の在り方、そして、まともな論議も行なわれないやりきれなさに対する無力感は、他のほとんどの教会長にも通じるものであろう。
一教会長の自殺が本部の中心、天理の詰所で、しかも三つの慶びが重なったなかで起こったことは、かなり象徴的であった。
その衝撃は山名大教会系の教会長たちにとって、人ごとではないだけに大きかった。ほとんどの教会長は、ショックで、その晩眠れなかったという。
だが、その後、袋井市の山名大教会で行なわれた定例の首脳会議の席上、大教会長が語ったことは、彼らをさらに驚かせたというべきだろう。
「山名大教会は一教会当たり一五〇万円を集めたが、甲賀大教会は二〇〇万円だった。山名だって、私のいうとおりやっていたら、二〇〇万円だってできたはずだ」
そして、教会長の自殺については、
「礼拝場落成という慶びの日に、ああいう不祥事が起こったことは、あの礼拝場があるかぎり、染みのように付きまとう」
という発言をするだけであった。
じっと聞き耳を立てていた教会長たちは、「教会長も使い捨てか! 自分だけいい顔できればいいのか」と、口々にいいあったそうである。
(『新興宗教の正体』早川和廣)
自殺には原因不明のケースが良くあるよね。借金や女性問題、鬱病などいろいろあるからね。
「自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもない…」んだったら、大教会が悪いとは言えないでしょう。なんでも悪い事は教団だと決めつける。まあ、このあたりがこの掲示板の歪んだ所だな。人間の九図だわ(笑)
管理人さんは、HNを使おうが、匿名を使おうが、使い分けても、その辺は構わない様です。
しかし、クズクズ連発する、ろくでも無いアカウントにも、鷹揚ですよね。
客観的に見て、例の教会長の自殺は、教団の問題点をあぶり出していると思います。
真摯に受け止めず、クズクズ連発する方が、もし? もし?ですよ
天理教の真摯な信仰者であるとしたら、教祖様は、呆れられるでしょうね。
自分の発言が、サイレンリーダー、リードオンリーの天理教関係者に
客観的にどう受け取られるのか? ご理解されておられない様ですから。
>2019年11月13日 4:46 PM
>「自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもない…」んだったら、大教会が悪いとは言えないでしょう。なんでも悪い事は教団だと決めつける。まあ、このあたりがこの掲示板の歪んだ所だな。人間の九図だわ(笑)
「いまとなっては知るすべもない…」と前置きした上で、
>「自分はいかに本部や大教会からノルマを課せられようとも、食うには困らない。しかし、食うや食わずの生活をしながら、お供えをする信者たちがかわいそうだ。それも、やれ九十年祭、やれ百年祭だときりがない。信者たちの貧困生活を見ていると、これ以上、お供えをしろ( 金をよこせ! ) とは、良心に呵責を感じていえない。だが、そんな泣き言をいえば、上からおとがめをちょうだいする。私はもう、疲れはてた」
でしょ?
あまりにも読解力のない書き込みに、ただただ失笑。
歪んでるのが自分だっていう自覚症状もないなんて、それこそクズだわな。
こういう人、天理教の上層部に多いでしょ。裸の王様みたいな人ね。内では威張り腐ってるけど外では何にもできない人、他人の話しを聞かない人。
(「他人の話しを聞かない人」というのは「他人の話しに素直に耳を傾けず、理解しようとしない人、自分が一番正しいと思ってる人」のことです。「耳を傾けず」というのは「聞かない」「受け入れない」という意味です。わかりますか?「素直」は「すなお」と読みますが、わかりますか?)
これからもせいぜい独りよがりの人生を送っていきなさいよ。誰も助けてくれないのを覚悟した上でね。
連続投稿すみません。
あのですね、「これじゃいけないから!!!」って、心ある方々がこれだけ助け舟を出しているんですよね。
そういう人の気持ちがわかってもらえないなんて、、、、と言うことなんですよ。これがすべてなんですよ。
天理教のお偉いさん。
上級、大教会、本部の善亮、大亮。時々通りすがる洗脳されて自分を見失ってしまっている典型的ひと昔前によく居たような盲目的天理教徒。
精神的に成熟していない幼稚レベルで適切な判断力が出来なくて柔軟さがなくて頑なで上に良い顔するが下の者はいじめても自分は徳があると思っていて、、、。
知的で教養があるとはとても言い難くて、自分が裸で嘲笑されているとは露ほどの自覚もなくて、、。恥とも思わず偉そうにふんぞり返って、、。
お偉いさん達を表現するならこう言う言葉しか思い浮かばないです。哀れで痛々しい人達。
かかわって後悔している者として老婆心ながらこれからの若い方達に申し伝えたい。将来ある若人は特に天理教に近ずいてはいけませんよ。人生を棒に振ります。心を縛られます。神を利用して恐怖感を植え付けられ、いつも脅されている様な精神状態に陥ります。
この場を借りてこの事をとにかく少しでも伝えたいです。
カルトはどう言い訳をしてもカルトでしかない。元々集金体質で信者を犠牲にし本部、特に中山家とその血族が美味しい思いをする組織体制で集めるだけ集めて枝葉は枯れ、枯れた原因も分からず「金の繋ぎは命の繋ぎ」となお金を要求する教団?こういう話って仰天ニュースなどの過去の怖い事件で聞かれる話が、教団では現在進行形で行われている事は間違いない訳ですから尚更危険でしかないですね。
匿名 様
2019年11月13日 10:22 PM
>>かかわって後悔している者として老婆心ながらこれからの若い方達に申し伝えたい。将来ある若人は特に天理教に近ずいてはいけませんよ。人生を棒に振ります。心を縛られます。神を利用して恐怖感を植え付けられ、いつも脅されている様な精神状態に陥ります。<<
全くその通りです。若者に限らず全ての現信者の皆さん。何度も同じ事を投稿していますが、天理教には絶対に関わってはいけません。自滅の道を歩みます。他者に布教すれば他者まで巻き添えにします。
元天理教信者です
教会の人が嫌いで天理教をやめました
天理教は素晴らしい教えだと本当に思っていましたし、いい人らばかりだと思っていました。
にをいがけもひのきしんも朝夕の参拝も毎日のようにやっていたら時期がありました。
しかし、ある日自分が身上になった時、同じ教会の人から仮病だの心の使い方が悪いだの、ちゃんと参拝行けとまあだいぶ否定されましたね
その時思ったんです。
天理教の人たちはまだ出会ったこともない人たちを助けたいと思っていて、それに向かって意気揚々と意識の高いことをして、さも勇んでいるかのような生き方をしている方が多いですね。
しかし、身内や下のものが助けて欲しい、手を差し伸べて欲しいと思った時は甘えだ、我慢しろ、たんのうしろと、厳しい口調で叱咤することが多かったです。
まだ出会ったこともない人には、未信者には優しいし、自分を犠牲にしてでもこの人らを助けたい!という気持ちになれるのに、近くにいる天理教徒が困っていて、苦しんでいたら、見向きもせす、寄り添うこともせず、お前がたるんでるだけやといわれる。
結局この人ら”人助け”とでかくいうてますが、いざその人が目の前に現れたら何もできない偽善者ばかりなのだなと個人的には感じました
> まだ出会ったこともない人には、未信者には優しいし、自分を犠牲にしてでもこの人らを助けたい!という気持ちになれるのに、近くにいる天理教徒が困っていて、苦しんでいたら、見向きもせす、寄り添うこともせず、お前がたるんでるだけやといわれる。
つまりは、<釣れた魚にエサはいらない>ということなんですが、このことは、以前にも指摘されていました。こういうことは非常に多いんですね。というより、人間にとって「永遠の課題」 かも・・
ぶたまん 様
2019年11月14日 10:38 AM
>>つまりは、<釣れた魚にエサはいらない>ということなんですが、このことは、以前にも指摘されていました。こういうことは非常に多いんですね。というより、人間にとって「永遠の課題」 かも・・<<
釣れた魚の数=上からのノルマということに他なりません。人間にとって「永遠の課題」というよりも、天理教独自の体質そのものだと思います。仏教やキリスト教ではこうした下劣な話は聞いたことがありません。
衰退を示唆する意見と心配をする意見に対して、 邪会学とレッテルを貼る人の構図に成っているのがおかしくてたまりません(笑)論より証拠 各所から被害のクレームが続出しているだけでレッテルを貼って押さえ込めるわけが無い(笑) 教理がどうとか実際は関係無くて、教団の体質とその結果が今なわけです。教理に関してもどうやこうや言ってる方いますが、天理教の教義ってそもそも信用性無いですからね(笑)不信なものを不信だと衰退意見、心配意見者が言ってるだけで、「お前らわかっとらん! 邪会学だ!」と言ってっては、これぞ教団の悪い体質が出てしまってますよね(笑)教団は事実をここまで嫌うのですか?事実ただの現実ですら受け入れられないとはそれでは危ない思想集団カルトと言われても当然です。本部や大教会や部内を保有する分教会にとって相当都合悪い現実なのでしょう。
もし仮にここに書かれている内容がウソだとしたら、教団自体が元気でなければいけないはずが、学校法人閉鎖、学校の統廃合、被包括法人の土地の収奪、など評判の悪い事をする意味がなくなります(笑)あげくには「金の繋ぎは命の繋ぎ」と明らかな資金難からの狭義改ざん、信仰上も、聖地の倒壊、トップの方の病気、一族の教団の私物化 など問題でしないのも現実です。
この現実に対してどう言い訳をしようとも現実は現実のままである事にも気がつけないのがもうカルトでしかない証拠ですね。
宗教が教義を改ざんする時点でその宗教は宗教で無い事ぐらい宗教家の方なら理解できなと問題なのですが、それすらも語られない時点で相当問題だともいますが(笑)
神という不確かな存在を作り、意識することにより、様々な効果が現れる。
思い込みの力等、科学では証明、検証できない事象はまだまだたくさんある。
人間は呼吸をして栄養を摂取して新陳代謝しながら老化し、子孫を残して死んでいく。
自分が生きていく上で必要なこと、不必要なことを選別していく。
その中の一つの考え方が『天理教』という宗教。
教祖中山みきは宗教団体を作ろうとはしなかった。
しかし、教祖の師弟達は宗教団体を作り上げた。
紆余曲折しながら、混迷の時代を経て月日が経ち、現在に至る。
科学技術、医療、教育、栄養状態
国民全体的に全てが昔より高い水準まで上がり、
お金と時間があれば、大抵のことでは困らない時代になった。
現代は需要の無いもの、過去の遺産は淘汰されていく。
需要があれば、人々が必要とするものは残り続ける。
衰退、退廃していくものは需要が無い。
今は宗教の宗教が無い。
宗教の需要がない
です
別の匿名です。
↑の匿名さんのご指摘どおり、確かに需要が減少していますね。
ただ、心の不安というものが曲者でして、そこにつけ入る巧みな言葉でカルトに誘導する者がいるのです。
ボンヤリ生きてはいけない世の中なんですね。
それにしても真柱夫妻+後継者夫妻計4名の「お入込み」が決まった記念行事は東京教務支庁だけではありません。大教会レベルの記念祭でも4人が来ると聞いています。
4人もくれば渡さなくてはならない金額も増えます。準備に駆り出される人々の迷惑も顧みず、にです。
同行の人々へも渡される訳ですから、団体集金旅行とも見えてしまいます。
せめて、日本社会の経済事情を考えて、「お礼は辞退します。」と、言えないものでしょうか。
出張旅費は経費なのですから本部予算から支出するのが筋ですが実態はどうか、知る由もありません。
もしも私が上記の面々のような立場にいて、この様な指摘を受ければ居たたまれない気持ちになるでしょう。
「恥」とさえ感じるでしょう。食事も喉を通らなくなり、顔をあげて表を通ることもできなくなるかもしれません。お勤めの時には、背中に注がれる信者からの視線に、刺されるような痛みを感じて頂きたいものです。
何故か、天理教のお偉いさんたちは当然のこととしてお供えから2000万円ものお与えを頂いても、気がとがめないまま生きているのです。そして中山一族は「貯め込んでいる」と人から見られたら恥ずかしくないのでしょうか。教祖の教えと真逆の生き方をして、よくも信仰者として生きていけますね。
まぁ、熱狂的な通りすがりさんのような古いタイプの信者たちが貢いでくれるから、当面は生活できるとばかりにたかをくくっているのかもしれません。
「今は宗教の需要が無い。」はたしてそうでしょうか? 日本の国は、確かに他の発展途上の国々に比べて、経済的、物質的にも恵まれ、医療や産業技術も格段に進歩し、一見、大変恵まれているように見えますが、その視点は日本のマジョリティー(多数派)を見てそのように見えるだけだと思います。マジョリティーという言葉を使いましたが、マジョリティーの中にも「心の貧困」に苦しんでおられる方々が大勢おられることはマザーテレサが来日された折、彼女が日本の国を見て感じられたことです。人間として生を受けた以上、人間は神からも祝福され、誰からも祝福されるべきですが、経済的に豊かな状態で長生きしても、結局、家族から疎ましがられて「高級老人ホーム」に入居させられ、孤独感を抱いたまま亡くなる高齢者が大勢おられます。
経済的に貧困である一人暮らしの高齢者はもっと悲惨です。ぎりぎりの生活保護を受給し、誰にも気づかれることもなく「孤独死」をされる高齢者、あるいは、「あいりん地区」の日雇い労働者のように、路上生活をしながら体の続く限り働き、最期は誰にも看取られることもなく孤独なまま人生を全うされる人達、いわゆる「精神的・経済的貧困」「精神的・経済的マイノリティ」が日本の国にもおられます。
日本だけではなく、世界中に目をやれば、国家間の意味の無い憎しみ、紛争や戦争、テロによって傷つき、命を失い、愛する家族を失っている人々がどれほど多くおられることでしょう。そういう難儀、困窮している人達に手を差し伸べ、何らかの形で救済することこそ、宗教の役割であると思います。「宗教の需要」は決して無くなっていません。
中国の俗諺(ぞくげん)に、「無事、不登三宝殿」 というのがあります。「無事だったら、誰も神殿にお参りには来ない」 と言う意味です。日本流に言うと、「困った時の神頼み」 ということなんですが、一般的に、宗教もその程度のものとして捉(とら)えれれているのではないかと思います。「困った時に助けてくれる、それが神様なんです。そうでなかったら、何のために神様があるのか解らない」 大抵の人はそう思っているんじゃないでしょうか。神様に、自分の苦痛や苦悩を取り除いてもらいたいためにお金を出し、そのお金できらびやかな社(やしろ)を建て、目いっぱい厳(おごそ)かに礼拝をする。こんなのって、神さまに対する<ついしょ(追従)>なんじゃないかと思うんですが、病める人たちは、そうは思わない。一生懸命神様に尽くしているんだから、「誠」だと思っているようです。
確かに、日本は科学も発達しているし、良き習慣も培(つちか)われているし、社会制度もいいです。したがって、宗教の需要も、昔に比べりゃ減ってきていると思います。しかし、それは<拝み祈祷>の需要が減ってきていることだと思うんで、減ったとしても、それはそれでいい現象ではないかと思います。つまり、宗教が持っている一側面の 「病気直し」とかいったものは、科学や医学に任せて、宗教が本来持っているコンセプトというか、神の思いそのものを追求していくことになると思うからです。
宗教の需要が無いと言うより、新興宗教の需要は無いということでしょう。古代から伝わる宗教に変わる存在が新興宗教から出なかったのが問題です。教団も天理教にはじまり現在明らかに中山教へと豹変しましたがそれにも需要が無いのと同じでしょう。中山教も今に始った事で無く、初代真柱就任と本席追放辺りからと言うだけの事でしょう。
天理教は宗教法人と言うかぶりものをまとっているだけで、過去に於いて最大のアピールポイントだった「病助け」の効能も無く(代表者本人が病に倒れ完治しない。二代、三代の死因も老衰ではなく贅沢病やら心臓病)。そう言った説得力の無さから目をそらして「命のつなぎは金だ」といまだに方針を変えていない。
こんな 偽教理でも一旦口に出した以上、引っ込める潮時がないのが実情でしょう。
天理教団が現在悪あがきしているのは 正に論より証拠です。ガラガラの商店街に始まって、ガラガラの神殿、ガラガラの境内。何回も倒壊する甘露台、人不足でほこりをかぶった回廊、真っ暗な詰所、本部勤務者の減少、給食部門の縮小、布教者養成所とも言える教育機関の消滅、憩いの家の二流化により赤字病院への転落、、、。明るい要素があるのでしょうか。
世の中から必要とされていないからこその現象なんです。一般的に不採算部門は潰すのが世の中ですから必要とされない宗教は存在する価値が無いと言う事だと。個人の悪趣味による集金活動はひいては日本経済にも悪影響を及ぼします。無い中から金を出す人達。貧困に陥った教会や信者さん達の生活保護者をこれ以上出してはいけません。
そんな中で集金旅行にお付きを引き連れ、性懲りもなく出歩く。お礼を遠慮する気配もない。真柱始めトップの精神性と人格は「不誠実・冷徹」の一言に尽きます。
自殺の本当の理由は遺書でもない限り本人しか分からないものです。
第三者が勝手に想像して、こんなお下劣な掲示板で大騒ぎしては迷惑だと思いますよ。本人がかわいそうです。そっとしておいてあげてくださいな。
匿名
2019年11月15日 3:08 PM
>>自殺の本当の理由は遺書でもない限り本人しか分からないものです。
第三者が勝手に想像して、こんなお下劣な掲示板で大騒ぎしては迷惑だと思いますよ。本人がかわいそうです。そっとしておいてあげてくださいな。<<
誰も大騒ぎはしていません。「死人に口なし」「臭い物にはフタ」的発想は、教会本部のお家芸ですね。クワバラ クワバラ。
真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
上記の二点についての感想をお聞かせください。
匿名
2019年11月15日 5:46 PM
>>真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
上記の二点についての感想をお聞かせください。<<
あなたは常識がありませんね。他者に質問する時には、質問する相手方を指定するのが常識です。それとも、この掲示板のサイレントリーダーを含む不特定多数の読者や投稿者に対して質問されているのでしょうか? また、他者に質問する前に自身の見解や感想を述べるのが常識です。
2019年11月15日 3:08 PMの匿名 様
>第三者が勝手に想像して、・・・・<
それでは、この事実を書かれた早川和廣氏がでたらめを書かれていると想像されたのですね。
想像と断定される証拠は何でしょうか。
早川氏は、前後の状況を検証して書いておられると思います。氏の書かれた他の著書にも同様のことが書かれ、さらには、教会長による強盗事件や大教会長さんの自殺事件も著わされています。
全て、早川氏の想像で書かれていると断定さるのでしょうか。
人の死の重さの裏にあるものを追求することは、いけない事でしょうか。ましてや、自殺であれば尚更検証して原因を追究するべきだと思いますが。教団の闇を少しでも明らかにすることは、続く人たちの警鐘にこそなれ、蓋をするいわれはなないと思うのです。
崩壊
2019年11月15日 6:17 PM
>>真柱発言 の 捏造教祖伝の改竄上記の二点についての感想をお聞かせください。<<
崩壊さん 通りすがり系の虚言者は相手にしなくて良いです。以前も書かれていましたが、天理教の教義としての書物はあっても、それが明確に論文として解読されていない以上語るいいみが無い、つまり教義に一切の信用は無いのです。それを良い事に中山家と取り巻きが好き勝手に教義を改ざん捏造してきたのがこの教団の歴史です。
今後教団は中山家有利の論文を出す事もないでしょう。 中山家有利の論文を書こうものなら反論の嵐でその論文は必ず却下されます。一説聞くところによると、天理大学などの研究機関では、論文を出しているが、その中山家に不都合な論文は教団側が認めないそうです。総じて社会からの信用も得られなかったわけです。全ては中山家体制を維持する為からでた。身から出た錆なのですよ(笑)
ここは、HNと匿名を使い分けても、それだけでは、管理人さんは、削除されませんので
通りすがりさんも、匿名と使い分けていると思います。
投稿内容と文章で、教義や三原典にこだわる人は、少数でしょう
教団の実態、実際、現実に、多くの方が幻滅しているんです、それに対しては
擁護しようが無いと思います。
崩壊様
>一説聞くところによると、天理大学などの研究機関では、論文を出しているが、その中山家に不都合な論文は教団側が認めないそうです。
それは聞いた事があります。だから誰も読まない、目に触れないような冊子で、やっと論文等の発表をしているようです。
川向こうと言って、布留川を挟んで天理教の教義も教団の歴史も改ざんされ、強力な力で真実を抑え込んでいるのです。
教理勉強をしていると、異端者のような扱いをされます。
天理教のまずい部分、
例えば真柱の所得や、ノルマに耐えられず自殺した教会長、勘違いしている大教会長や役員たちのことを指摘されると
顔を真っ赤にして批判する人や、それは捏造だと必死に弁論してくる人や、そんなこと言うな!真柱様は素晴らしい!と言うてくる人ら、
それもう半分正解やと言ってるのと一緒やで?
真実を言われて、まともな証拠も出さずにお前らは何もわかってない!スタンスでくる人らを見ると本当に馬鹿なんだなーと思います。
では仮にその事実が真実ではないとして、それを否定するだけの証拠を持って来なさい
11月17日付け天理時報の巻頭言に、みかぐらうた四下り目の四ッ及び五ッが載っている。
扇の手の扇が何故日の丸なのか。月日の扇の紋を使うべきだと思うのですが、通りすがりさんの見解をお聞きしたいものです。
月日の紋は明治6年ころに作られたとあるが、菊の紋章は類似のものも含めて皇族以外は使用を許されていなかった。
戦後の復元の折に何故月日の扇に変更できなかったのか。丸に梅鉢の教紋も昭和16年3月31日制定の教規によって定められた、とある。
月日の紋で見ると、『教祖は、かぐらつとめ人衆の着衣に「月日の紋」12弁の菊の紋章を付けることを、早くから言われていたようだ。
それは、明治8年に安堵村の飯田岩次郎(文久3年入信の善六の子)18歳の時に手伝わせて作られたのが、はじまりであるようだ。・・・・』飯田岩次郎御伝記:一瀬幸三・初子 S63.5/30には記されている。とあります。
おつとめ着や教服の紋が梅鉢では、中山教と揶揄されても仕方がないのではありませんか。
このような議論をいつまでも続けていても詮ないことですが、教組が使われていたものでさえ、否定する意見が出てくるのが不思議でならないし、天理教の全ての信徒さん達が疑問を抱かれない不思議さが倍増どころか、何倍にも増幅してしまうのです。
ある意味で、信じこむことの恐ろしさを痛感しています。
ちなみに、月日の扇の図柄が掲載されているが、注釈に、明治20年頃、〇原町大教会でおつとめに使われたもの、とあります。
天理時報6面。
「失敗を認めて“逃げる”」と言うテーマの記事を読んでみた。失敗したのは我々信者と置き換えて読んでみた。
白いと思って手に取ってみた宗教は実は真っ黒だった。この信仰のせいで人生が大失敗だったと騙された側の我々と思って読んでみた。
一般的な事業や紛争やギャンブルを絡めての記事であるが「偽信仰」をつかまされた我々にも通じるものがある。
「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」
無意味に過ぎ去った日々も失ったお金も元には戻らないが、天理教にかかわった事が失敗だったと分かったら「早急に逃げる事」。それが宗教であれ、一般社会におけるどんな場面に於いても自分の身を守ることだと思いました。
「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」
紙面ではギャンブル、新規事業の投資等の話題になっていますが我々天理教徒も一緒です。逃げなければ多額のお金を取り続けられます。損失が拡大するだけです。
逃げる事が大事だと、天理時報が我々に「納得の説得」と言う記事で指南していると言うことですネ。
「・・・一生懸命頑張った結果、逃げる事を選んだとしても、それはが卑怯でもだらしないでも情けないでもありません・・・」と。
自分なりの解釈ですが、偽宗教に関わって損失拡大する前に上手に撤退しましょう!逃げて身を守りましょう!と受け止めました。
匿名 様 天理教信者の皆様
2019年11月16日 4:25 PM
>>「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」<<
「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」
大爆笑しました。大変面白い記事ですね。多くの信者が間違い(天理教)に気づいて既に逃げ出しているのです。この記事を書いた天理時報の記者さんも、きっと本心は天理教から逃げ出したいのでしょうね。人生を棒にふらない間に「迅速」に逃げ出したほうがいいですよ。
>>「・・・一生懸命頑張った結果、逃げる事を選んだとしても、それはが卑怯でもだらしないでも情けないでもありません・・・」と。<<
>>「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」<<
その通りです。後悔先に立たずです。いくら頑張ったところで徒労に終わり、損失を被るだけです。喜ぶのは「天理教幹部のお偉い方々」だけです。天理時報の記者さん、天理教信者の皆さん、決して悪いことは申しません。「迅速」に天理教から去ったほうが、あなた方ご自身やご家族のためです。
「失敗を認めて“逃げる”」
余計なことかも知れませんが、この記事を書かれた方は、島田久仁彦さんと言う方です。ご参考までに。
匿名 2019年11月16日 4:25 PM 様
>>天理時報6面。「失敗を認めて“逃げる”」と言うテーマの記事を読んでみた。<<
面白い記事ですね。
理の親が「黒だと言ったら白い物でも黒だ」と絶対服従をさせ、
大教会青年や本部勤務、あるいは結婚や進学・就職にまで干渉し、
しばしば無理やり進路を決定するなど乱暴狼藉をはたらいてきた、
これまでの理の親達の悪しき慣習とはまったく異なる価値観だと思います。
珍しく天理時報の記事としては、個人的には納得できて素晴らしい記事だったと思います。
教団の無償労働力確保のために、若者の進路や夢を、
何かにつけて明治二十九年の『おさしづ』の一部を切り取って、
「いかんと言えば、はいと言え。ならんと言えば、はいと言え。
ハイハイハイと這い上がる道や。理の親の言うことをを立てて、
しっかり伏せこんで理づくりさせていただきや。せやないと助からんで。」と脅し、
若者にとって大切な10代後半から20代前半を、無理やり縛り付けてきた教団…….。
その教団がよくこの記事掲載を許可したものだなあと思います。
>>「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」<<
天理教に縛られている皆さん、教団教理の理不尽に苦しめられている皆さん、
「卑怯でもだらしないでも情けないでもありません」と、
天理時報さんお墨付きですから自らを守るために教団からも脱兎のごとく逃げましょう (笑)
ボクシングでも攻撃だけではすぐに倒されてしまいますから、
ダッキングやスウェーバック等のパンチを避けるディフェンステクニックを身に着けるのが大切なのと同様、人生においても逃げるテクニックは必要ですね。
(この記事の執筆者の島田さんという方はこんな方みたいですね。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/jiho/)
天啓者不在の中山チュチェ思想教本部から逃げられる日本人は幸せです。
本部の大掃除が終わるまではトバッチリを避ける意味でもクワバラですね。
リンクが正しく投稿できませんでしたので訂正いたします。
この記事の執筆者の島田さんという方はこんな方みたいですね。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/jiho/
島田 久仁彦 しまだ・くにひこ
1975年、大阪府生まれ。同志社大学法学部卒。ジョンズ・ホプキンズ大学大学院(SAIS)国際学修士。 98年から国連紛争調停官として各地の紛争調停に従事。2005年から現在に至るまで、日本政府代表交渉官として気候変動交渉に従事。 12年世界経済フォーラム「ヤンググローバルリーダー」に選出。2011年から(株)KS International Strategies代表取締役社長として、紛争調停やM&Aに携わる傍ら、後進の育成にも取り組む。著書に『交渉プロフェッショナル』(NHK出版)、『最強交渉人のNOをYESに変える技術』(かんき出版)など。
簡単に考えましょう。年間寄付が平均数百億を超える組織なのに資金難になるような組織のトップが如何に無能か笑 人々をまとめる能力も魅力も無く、口から出てくる言葉は、事実真実に対する「ウソだ!信じるな!」と言うことしか出来ない狂気(笑)ウソだ!信じるな!」といった矢先に、学校法人閉鎖や各種法人の統廃合、他法人への土地の売却の持ちかけ、どの面下げて、どの口が 「ウソだ!」といったのでしょうか?w
これこそ天罰 「嘘つきは中山家とその取り巻き」ともう答えが表面化しただけです。
皆さん早い所避難しましょ 「さらぬ神と悪魔に祟り無し」教団は神の罰と自らの虚言で呪われてるのでさあ逃げましょうw
従兄弟の嫁が、愛町分教会のようぼくで、子供達を鼓笛隊とかに連れて行っています
嫁は熱心な、天理教徒なのか、月並祭に、数千円のお供えをしていると言います
でも、3元典とか、よく知らないって言います
愛町に参加してるのが、良いらしいです。
どちらかと言うと、教祖様より、初代様 (関根豊松氏)の方が中心になってる?らしい
建物も新しくなってるし立体駐車場も増設されて、愛町分教会は、大きくなってると言います
ヘェ〜って思います。
愛町教、関根豊松を崇拝する関根教とも言える愛町を本部が認めているのが変です。本部員に正してみたけど、困惑の表情は一切無かった。
結局、大勢の信者を送り込んでくれるので、よしとしているのだと思った。
本部はなり振り構わず、金に通じるものは何でもオッケーなんだと思いました。
天理教を名乗ってはいるが関根を拝しているので有りまた男尊女卑の体質で異質なものを感じます。
立教182年(令和元年/2019年)11月17日 天理時報4645号
納得の説得 国際交渉人が指南する交渉術 島田久仁彦
「逃げる」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。
「卑怯だ」とか「だらしない」「情けない」と思われるでしょうか。
もし何の努力もせず、ただ逃げるのであればそうかもしれませんが、一生懸命に頑張った結果、逃げることを選んだとしたら…..。
一度でも〝逃げた〟経験をお持ちであればお分かりになると思いますが、逃げるためには、かなりの勇気が必要です。
最近までは「緻密(ちみつ)な計画を立てて、それを達成すること」が成功の証(あかし)とされる風潮が、教育や仕事の現場に存在しました。しかし、AI(人工知能)やロボティクスの登場で、環境も目まぐるしく変化するなか、計画通りに進まないことばかりです。もしかしたら、その変化のスピードについていけず、失敗の坂道を転げ落ちてしまうかもしれません。
ここで必要なのは、失敗を認めて〝逃げる〟(撤退する)ことなのです。しかし、実際には「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」と考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです。ギャンブルで陥りやすい心境もそうでしょうし、新規事業へ多額の投資をした場合でも、もう少し頑張れば取り戻せるのではないかという虚(むな)しい期待から、途中で引き返すことができないのです。
紛争の世界でも、負ける側は、いつまでも逃げることができずに損失を大きくしていきます。おそらく太平洋戦争中の日本も同じだったのでしょう。たとえば、ミッドウェー海戦で大敗した際に「これは敵(かな)わん!」と講和に舵(かじ)を切っていたら、その後の多くの悲劇は避けられたのではないかと思います。
もし間違いに気づいたのであれば、また、どうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げることが必要です。時代や環境の変化を敏感に感じ、自らが進める計画が、その変化に応えるものでないのであれば、いつまでも元の計画にこだわるのではなく、迅速に内容を修正していくことが重要でしょう。
仕事や教育の現場でも、〝逃げること〟をしっかりと教えなくてはいけないと考えています。「いい大学を出て大企業に勤めれば将来は安泰」という時代は終わりましたが、まだ「こうあるべき」というルールに縛りつけ、「こんなことをやったら面白い」というオリジナリティーの芽を摘んでしまっている気がします。
変化がとても速い、これからの時代に活躍するには、計画に沿った教育よりも、好奇心を存分に発揮して、「とりあえずできるだけ多く試して、うまくいったものだけを残し、結果を見て修正する」という柔軟な姿勢が求められるのです。
逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見いだし、自らの身を守る術(すべ)として捉えられるようになりたいですね。
匿名 様
2019年11月17日 10:56 AM
>>ここで必要なのは、失敗を認めて〝逃げる〟(撤退する)ことなのです。しかし、実際には「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」と考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです。ギャンブルで陥りやすい心境もそうでしょうし、新規事業へ多額の投資をした場合でも、もう少し頑張れば取り戻せるのではないかという虚(むな)しい期待から、途中で引き返すことができないのです。<<
私は、末端分教会に生まれましたが、十代後半頃から天理教に幻滅し、自分の意思で天理教から去りました。その後、ミッション系の大学に進学しキリスト教を学びました。大学時代に洗礼も受けました。今から振り返れば、若かったので随分思い切ったことができたのかも知れませんが、人生も終盤に差し掛かり、結果的にこれで良かったと思っています。「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」という心理は理解できますが、天理教は好転することは無いと思います。様々な矛盾点が今後も噴出し、信者数は拍車をかけて激減し、終焉を迎えるはずです。さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やされてきたのであれば、これ以上、無駄なお金と時間をつぎ込み、被害が拡大しないうちに、天理教から逃げるのではなく、勇気を出して天理教から去るべきだと思います。
結局、自分達、教団本部の権威を脅かす存在は、それが天啓であっても
異端として排除する。
それが天啓者であっても、権威に触れず、要請通り、上納金を納めてくれるなら
分教会のまま、下部組織と巨大化しても、見逃しておくと言う事ですよね。
教団の考えは、非常に簡単な倫理であって、分かり易いと思います。
関根豊松氏が、お金を集められたのも、初代様と崇められる、霊能力
奇跡のお助けを、実現できたからだと、「天理の霊能者」には書かれていますね。
ただ、今の愛町分教会の会長様には、それ程の力は無い様に聞きますけども
愛町には、存命の初代様が、お働き下さっているんでしょうかね? (笑)
>十代後半頃から天理教に幻滅し、自分の意思で天理教から去りました。その後、ミッション系の大学に進学しキリスト教を学びました。大学時代に洗礼も受けました。
自分も分教会ではありませんが天理教4代目の家庭に生まれ、鼓笛隊に参加させられていましたが、天理教から離れることを希望して、大学生の時に洗礼を受け、いま牧師になるために神学校に通っています。
一連の投稿を見ていて本当に天理教から離れてよかったと思っています。実家が天理教になったのは、もとはといえば曾祖母が夫や子を亡くして天理教に入れ込んで寺から離れたのが原因と聞いています。ずっと、天理教の中の人たちがキリストに導かれるように祈ってきたので、主がその祈りを必ず聞いて下さったと確信しています。
匿名 様
2019年11月18日 10:33 AM
>>自分も分教会ではありませんが天理教4代目の家庭に生まれ、鼓笛隊に参加させられていましたが、天理教から離れることを希望して、大学生の時に洗礼を受け、いま牧師になるために神学校に通っています。
一連の投稿を見ていて本当に天理教から離れてよかったと思っています。<<
思い切って決断されて本当に良かったですね。私の大学の創立者 新島襄も幕末に国禁(鎖国)を冒して渡米し、アメリカで10年余りキリスト教の勉強をして牧師になられました。どうぞ「迷える子羊」を正しい方向に導き、「神の愛」を伝える立派な牧師さんになってください。ご検討をお祈りいたします。
以前投稿させて頂きましたものです。
信者の皆様無事逃げ出しておられますでしょうか?坂道を転がり落ちるりんごに巣食うアリにならないよう、一刻もはやく逃げ出してください。
さて、今回は、大教会、分教会で逃げ出せない立場におられる人々の参考になるかと私が実践した逃げ方をご紹介したいと思います。私はチキンなので立ち向かうことなく、全てを投げ出しました。
1.協力者を作る
本当に信頼できる協力者(内外問わず)を必ず一人か二人作ることは本当重要です。
2.消える時はいきなり
消える日をあらかじめ決めたら、その日に携帯電話番号、メールなどを一斉に変える準備を。アドレス帳などは協力者以外全消しすることが大切です。携帯は機種ごと変えた方がいいかもですね。
3.逃げる先は物理的に遠い場所に
近くだと精神的に落ち着きません。逃げる先に働ける場所を用意しておけるとベスト
4.準備は入念に
消える日を設定してからやること
・住民票の転出証明書を取得
転出先は自分が引っ越す先ではなく、違う場所に設定
・戸籍謄本など重要書類の発行
・マイナンバーカード、資格関係の証明書が自分の手元にあるか確認
・郵便物の転送依頼
郵便物は足がつきやすいので協力者の知り合いとかに協力してもらいその家の住所を転送先にしておくとよいでしょう。
5.場所の撹乱
ちょっと仲の良い人には消える直前くらいに自分のウソの行き先を言っておくと効果的です。言う人によって行き場所は変えて伝えると撹乱できるかもしれません。。出来るだけ具体的な方が信憑性が上がります。言い方も「お前だけに言うんやけどと」前置きも忘れずに。
6.手紙を残す
探さないでの一文を入れて手紙は必ず残しましょう。あと、自殺するつもりはないことも明記しておいた方がいいと思います。なぜなら警察に捜索願いとか出されたらめんどうだからです。
7.お金を貯める
動くのにはお金が要ります。最低50万くらいはないと逃げた先で厳しいではないでしょうか?消える日を設定する前にお供えはやめてとにかくお金を貯めてください。
以上、参考になるか分かりませんが逃げるにあたって大切なことを箇条書きにしました。これらのことを頑張って隠密に行ってください。そうすると逃げ出してからがグンと楽になります。
皆さん頑張って逃げてください!
以下は、天理教社会学研究所のtwitterの投稿です。天理教とキリスト教の違いが如実に見て取れます。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1196280479550328832
先月 大祭で天理を訪れた時、知人から聞いた話です。
知人が天理市内で出会った複数の本部勤務者の話によると 本部勤務者の間でも社会学の投稿がかなり読まれているとの事でした。
出会った本部勤務者達も天理教の衰えを実感しており、今後の身の振り方を真剣に考えている様子だったとの事でした。
この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。
>>この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。<<
天理教の問題は、日本の国の大きな社会問題に発展していくような予感がします。
今日の某全国紙のオピニオン&フォーラムにハビエル・ガラルダ神父へのインタビューが載っている。
タイトルは「ゆるし」への一歩、ローマ法王来日とあります。
今日まで、この欄には「許し」ということがなかったように思うのです。そうです、天理教にはゆるしという広い心の醸成が皆無ではなかったのではないでしょうか。
徳分とか、因縁とか責める言葉ばかりだったように思います。ここに決定的な違いがみられます。
人の心の深い闇を少しでも明るくなるようにと願う心の大切さを想わずにはいられません。
退職した元信者
2019年11月19日 9:36 PM
>>この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。
考えるだけでは意味が無いですし本部中枢中山家の異常性が暴露され正どころの話じゃないのは明確なので、それ以外の方や個人の守り方になっただけだと思います。その中で一番適切で効果的なのが離脱と成っただけでしょう。
教会の「子ども食堂」もあわよくば天理教信者獲得の布石と考えている節があります。無償の愛。無償の奉仕であるべきですが。
ローマ法王の下心の無い大きな愛の大きさと比べると天理教教会の愛には取り引きの行為を感じます。
ローマ法王の心根の足元にも及びません。人としての在り方は目先の一見愛の行為で済まされる程浅いものではないのでしょう。
匿名
2019年11月20日 11:06 AM
カトリックの法王も所詮下心ですよ。ですが中山教(天理教と名乗る教団)との大きな違いは、奴隷問題 女性差別問題、LGBT問題など、過去の過ちに対して謝罪しています。
一方中山教は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と寄付の強要を教義に含んではね。後に世界宗教者会議にも出席できなくなりますよ
>考えるだけでは意味が無いですし本部中枢中山家の異常性が暴露され正どころの話じゃないのは明確なので、それ以外の方や個人の守り方になっただけだと思います。その中で一番適切で効果的なのが離脱と成っただけでしょう。
仰る通りだと思います。
本部や直属の人達は、自分たちは「神様の仕事」をしていると本気で思っています。
何を言っても聞く耳を持っていません。
複数の大教会長と直接会って話した事も在りますが、世間知らずで常識外れの態度や物言いには呆れかえってしまいました。
相手にするほどの価値の無い人間達だとその時 思いました。
天理教の改革など不可能です。
早々に天理教教団から離れる事が最善の方策だと思っています。
私は7年程前にお供え金を出すのはやめました。
所属していた末端分教会へも行きません。
昨年末の大掃除には、御鏡を不燃物として捨てました。
また、別席を運んでくれた方々や家族のおかき下げを集めて庭で燃やしてしまいました。
それでも皆、元気です。
知り合いの家族も子供さんたちが大学に合格したり就職も無事に決まったり結婚したりと皆順調な生活を送っています。
天理教本部が無くても全く困りません。
日々、「火・水・風」の守護を感じつつ真実に通る事が神の真意だと思います。
>ローマ法王の下心の無い大きな愛の大きさと比べると天理教教会の愛には取り引きの行為を感じます。
>本部や直属の人達は、自分たちは「神様の仕事」をしていると本気で思っています。
良い子ぶっている。
言葉には出さないが、「私たち、こんなに良い事してるのよ。わかるでしょ?」という態度が目を見ただけでわかる。
表向きは優等生、裏では陰口・いじめ・金集め。
これじゃあ陽気づくめも無理だわ。
社会学研究所さんのツイートにて紹介がありましたので、奈良県議会議録を検索しました。
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefnara/SpMinuteView.html?council_id=23&schedule_id=5&minute_id=6&is_search=true
三島神社に関して、以下の件については驚愕な事実!! 初耳でした。
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三島神社移転において造成中の土中から刀剣等が出土
↓
天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をした
↓
しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められている
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え~~~ッ!!
なんということでしょう。
この代表役員とは誰なのでしょうか?
どうしたらこんな罰当たりな恐ろしいことができるのでしょうか?
例えるなら他人のお墓を勝手に掘り返して、お骨等出てきた物を自宅にいったん持ち帰り
勝手に粉々にし、それをプラスチック容器に入れて
よその場所に埋めちゃったってくらい粗末に扱ったって事ですよね。
これは祟られますよ~~ 。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
以下、奈良県議会議録 三島神社関連部分の引用
平成8年奈良県議会第235回定例会(第四号)
◆二十七番(吉川新太朗君) (登壇) 議長より発言のお許しを得ましたので、質問をさせていただきます。
~中略~
昭和五十九年から昭和六十二年にかけて天理教が全力を挙げて移転した三島神社の跡地から出土した埋蔵文化財の件でお尋ねいたします。
この神社のあった場所は、天理市史によると、布留遺跡の一部に属する位置に当たる場所であり、地下を二十五センチメートルから八十センチメートルぐらい掘ると埋蔵文化財が出土するところであると記されております。また、有名な国宝七支刀のある石上神宮の関係が深い神社でもあります。この三島神社は、読売新聞が本年一月に「地方パワーの断面/天理教」と題して取り上げていたように、天理教八町四方構想の中にあって天理教としては、先代の中山真柱と今の中山真柱の親子二代にわたって、どんなことをしても移転をさせたいと、全力で動いて移転をさせた神社であります。なぜなら、天理教の一つの大きな事業である百年祭にはどうしても間に合わせたかったからであります。そのために、中山真柱みずからが他宗教の橿原神宮の山田宮司や石上神宮の森宮司に頭を下げて頼みに行って、やっと神社本庁の承認を取りつけたという経緯があります。
この神社移転には、旧三島町住民の賛成派、反対派に分かれて、旧三島神社の宮司に対して訴訟をしたり、新三島神社の工事に対して工事中止の訴訟をしたり、その他一、二の関係の訴訟事件は今も奈良地裁で行われている、しかも、訴訟事件が後を絶たない状態が統いているのであります。こんな地元住民の状況の中で、神社本庁の移転の承認が昭和六十二年九月十二日に決定するわけですが、天理教としては一日も早く念願の旧三島神社を取り壊したかったのでしょう。天理教の代表役員畑林清次氏のおられる表統領室の一部局に埋蔵文化財天理教調査団という立派な組織を有しながら、そことは何の相談もせずに、先ほど申し上げました布留遺跡の一角にある旧三島神社の建物の取りこぼちと造成を天理教の一部の人たちで急いで実行したわけであります。そのときにかかわった旧三島町の役員の方からの手紙で私はこのことを知ったのでありますが、造成中の土中から刀剣等が出土したのでありますが、これは大変なことになったと、出土してからでも、埋蔵文化財天理教調査団に相談しようかという意見もあったようですが、何としても天理教の百年祭という大きな節目に造成を完了する必要があったために、天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をしたのであります。しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められているのであります。私も先日この三島神社に行ってまいりました。確かにそれらしいものは埋められているようです。
最初に申し上げたように、旧三島神社の付近は石上神社の国宝七支刀の出土するような布留遺跡に属する位置ですから、どんな重要な古文化財が出土してもおかしくないわけですから、私の申し上げた刀剣の調査を、信頼できない天理教の一つの部門の埋蔵文化財天理教調査団に任せるのではなく、県として特別調査団でもつくって調査をする気はないか、お伺いいたします。
また一つは、県の考え方として、この天理教の埋蔵文化財調査団を、今までどのようなとらえ方をしてきたのか。また、これを機会に今後どのように考えるのか、お答えください。
私の質問はこれで終わります。答弁はわかりやすくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
>>造成中の土中から刀剣等が出土したのでありますが、これは大変なことになったと、出土してからでも、埋蔵文化財天理教調査団に相談しようかという意見もあったようですが、何としても天理教の百年祭という大きな節目に造成を完了する必要があったために、天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をしたのであります。しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められているのであります。私も先日この三島神社に行ってまいりました。確かにそれらしいものは埋められているようです。<<
事実であるとしたら、文化財保護法違反、器物損壊にありますが、天理市並びに天理教はその後、どのような対応をしたのでしょうか? また、奈良県文化財保存課はこのことを知っているのでしょうか?
入力ミスがありましたので、下記のとおり訂正します。
器物損壊にありますが、(誤) → 器物損壊になりますが、(正)
崩壊様
議会では質問に対して以下のような答弁がありました。(後からすみません)
しかし以下の答弁にあるように「文化財保護法の発掘届の手続は不必要」であったとしても、
埋蔵文化財に対する天理教の意識や態度というのもには不信感を抱かずにはおられません。
奈良県議会議録より引用
◎教育長(西川彭君) (登壇) 二十七番吉川議員のご質問にお答えいたします。
文化財発掘調査についてのお尋ねでございますが、埋蔵文化財の包蔵地、いわゆる遺跡地におきまして開発行為を実施される場合は、現在届出制や協議制をとっておりまして、その内容を審議し、発掘調査を実施しているところでございます。ご質問の天理市三島町地内にありました旧三島神社の旧社殿等につきましては、これは解体のみでございましたので、文化財保護法の発掘届の手続は必要でございませんでした。
それから、お尋ねの第二点の埋蔵文化財天理教調査団でございますけれども、これは文化財保護法第五十七条第一項に基づき文化庁に届け出、発掘調査を実施しておる、そういう団体でございます。
以上でございます。
大分県宇佐市にある宇佐大教会が競売物件として売りに出されている。遂に事情大教会が出てきたのか。神殿普請で借金まみれの果てに返済出来なくなったのだろうか?競売されるまでは使い続けることは可能だろう。誰も買わないからね。
大教会家族は、そして部内教会はどうなってしまったのでしょうか?
移転したとかではないのでしょうか?
内覧の写真を見ると、もうだいぶ使用していない雰囲気が感じられます。
このまま廃墟になるのを待つばかりなのでしょうか……..。
https://競売公売.com/auction/151940.html
2019年11月21日 10:44 PMの匿名様の情報は驚きですね。
地方の教会では、若い人たちが皆無で大変です。包括関係を解除してくださいね。先祖からの土地や家を手放さなければならないなんて、泣き面に蜂ですよね。
本部を見ていたら腹が立つだけです。不動産会社まで経営していて、何が道一条か。部下教会の人達をバカにしている。
競売物件は落札されなければ今まで通り使用することができる。今日は宇佐大教会の月次祭ですが、いつも通り勤められているようです。三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?宇佐大教会は一説には4億3千万円の債務を負っているとのこと。第二の宇佐大教会を生まないように借金の有無と金額を把握すべきだと思う。創立130周年記念祭が各大教会で執行されているが浮かれていてはいけない。明日は我が身である。
>>三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?<<
坪単価約1万円ですね。ほとんど「たたき売り」の状態ですが、新興宗教の施設跡はやはり敬遠されるのかもしれませんね。神殿等の建築物の解体費用も相当かかるでしょう。これからこうした大教会は増えていくと思います。天理教はいよいよ終焉ですね。
4億3千万円の借金ですか。数億円の借金を抱えて部内教会にお供えの締め付けをしている殿様大教会が近くに有りますが、信者減で支払いが滞り、お手上げ状態で競売となると、信者の今まで飲まず食わずの献金は水の泡だったと言う事になりますね。
もう言葉もありません。宇佐大教会所属の分教会も信者さん達もこの有様では神が信じられなくなるのではないでしょうか。力が抜けるでしょうね。
もっとも真実の神は天理教団にはそもそも居ませんから、空っぽの神を拝んでいても仕方がなかったまでの事だとも思えます。
これからはあちこちで大教会が潰れるでしょうね。
匿名 様
2019年11月22日 10:12 PM
>>もっとも真実の神は天理教団にはそもそも居ませんから、空っぽの神を拝んでいても仕方がなかったまでの事だとも思えます。<<
結局そういうことです。それにしても恐るべし集金集団です。
今日は、天理高校2部のオープンスクールですね
なので、夕方までに、おぢばに行って、学校参観して、詰所に泊まり
明日は、息子とご飯を食べて、こずかい渡して、
いろいろと話をしようと思います。
そろそろ卒業後の進路についても、話し合わないとならないしね
卒業後は、専門学校に行きたいらしいです、2年で数百万円必要ですが
親としては、何とか、その希望をかなえてやらないとね・・
私の別席は、4回で止まっています・・興味本位で受けていますが
ここを読んでると、ちょっと、意欲が失せてしまいますよ (笑)
借金踏み倒しで世間に迷惑をかける天理教って一体何?人助けどころか借りたお金を踏み倒す?競売?助かりたければ金を出せ?本部に金出して宇佐大教会以下教会、信者一同は助かっていますか??天理教教会本部は長年にわたり脅し文句を吐きながら金品脅迫してきましたが、今は詐欺、踏み倒しですか。何でもありですね。宇佐大教会の失態の責任は当然本部がするべきが筋だと思いますが無責任な本部ですね。
こんな醜態をさらして善亮はこれからも命の繋ぎは金!!と嘘ぶくのでしょうか。
天理教のメッキがはがれ実態が暴かれ始めましたが神さえも見放してしまった天理教の今後は時が解決して行く事でしょう。教祖が母屋とりこぼちの時、「祝ってくだされ」と新しい動きが始まる事をそう仰ったみたいですが、競売や、大教会家族の逃走、逃亡が相次ぐ昨今、その上本部も金欠で前にも後にも動くに動けずですから予想どうりのシナリオで進んでいるのは間違いないでしょう。
天理教はガラガラと音を立てて崩壊こそあれ、建設的な未来は在りようもないです。
ここの所10年が待てずに色んな騒動が現実になっていますもんね。
平成12年1月26日に中山善司真柱が言った「つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」は、その後どうなっちゃってるの?
>>宇佐大教会の失態の責任は当然本部がするべきが筋だと思いますが無責任な本部ですね。<<
宇佐大教会の財政破綻の原因も本部への法外な「お供え」だったのかもしれませんね。昨日、天理教教庁に電話し、宇佐大教会が競売にかかっていることを知っているのか尋ねたところ、知らないという返答でした。本当に知らないのかどうか不明ですが、教会本部の無責任さに開いた口がふさがりませんでした。
匿名
2019年11月22日 1:45 PM
>>三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?宇佐大教会は一説には4億3千万円の債務を負っているとのこと。第二の宇佐大教会を生まないように借金の有無と金額を把握すべきだと思う。創立130周年記念祭が各大教会で執行されているが浮かれていてはいけない。明日は我が身である。<<
競売価格3175万円程度の金額は、教会本部は今直ぐにでも調達できるはずですが、教会本部も「悪知恵」だけは働くので、仮に3175万円の金で、九州の一大教会を救済できても、今後、宇佐大教会のように財政破綻する大教会が立て続けに増えていくことが分かっているのです。そうなれば、教会本部の財政も破綻しかねないので、宇佐大教会の件については、見て見ぬふりをしているだけなんです。天理教という団体は所詮、狡猾で、「我が身かわいい」だけの団体なんです。みなさん、決して騙されてはいけません。
不動産屋から売り出しでなく競売は痛々しい。こう見ると尚更単なるカルト宗教にしか見えません。天理教を真面目にやっていれば良かったものを中山教団では道は続かず。
中山教団では道は続かず 様
2019年11月23日 2:36 PM
>>不動産屋から売り出しでなく競売は痛々しい。こう見ると尚更単なるカルト宗教にしか見えません。<<
見えないどころか、「カルトそのもの」なんです。それ以外の何ものでもありません。
中山家と天理時報はなぜ報じない?三島神社の件では世間と世に迷惑をかけ、宇佐大教会の競売は放置、もう無責任極まりない。信者は道一条中山は二枚舌の不動産管理会社(笑)信用なら無いので追放しましょう。
本部は部内助けられずに、人助けを謳うとか笑えません。ビル数本売ってでも買い戻せばいいものを天理教に対する愛は0無いとこれで確定しました。天理教をやるきない中山家は追放すべきです。ビル管理会社だけ持ち逃げしそうですのでそれすらも許さないよう監視を続けましょう。
天理教本部のお偉い様方へ
教団関係者の皆さんならば、既に宇佐大教会が競売にかけられていることは知っていますね。
では、その資料を見たことはあるのでしょうか。
78ページに及ぶ競売資料には神殿の間取り図だけではなく中段から撮影した、(写真13)物件5の主たる建物内部(神殿)と神殿内部の写真が公開されています。他の内部も丸裸にされています。
お偉い皆さん、自分の目で確認してください。
競売ではこのような資料が誰でも簡単にアクセスして閲覧できること、「知らない」では済まされません。
笑われますよ。
来年の東京教務支庁記念祭へは、真柱家家族4人はどのような顔で来られますか。
各地の大教会の創立130・100年記念にも4人で来られるといいますが、顔を上げてこ来られますか?
競売を放置しているあなたたちは、どれほど「むごい」人種であることか、信者の多くは胸糞悪い思いで注視しています。恥をしれ!
宇佐大教会の競売がどのような事情かは知らないが、現に第二回目(11月27日期限)として情報は開示されています。
天理時報の記者(存在するならば)は教内での報道が難しければ、個人で(匿名で)報道するくらいの矜持を示してほしい。
このように発言すると、すぐに「むりだ、できない」と外野から否定されるのが天理教。だめですよ、そんなことを言っても何も変わらないのだから。
自分が「動かない人」だから他人も同じと決めつけないでください。
各人が動かなくては天理教内でのモラルハザードの犠牲者が増すばかりです。
本部は天理教愛が無い。宇佐大教会の土地建物を見て良く分かりました。なぜ即買い戻さないのか?理解不能です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」言ってる善亮土地を売る(笑)低脳極まりないんですね。
匿名 様
2019年11月23日 6:30 PM
>>本部は天理教愛が無い。宇佐大教会の土地建物を見て良く分かりました。なぜ即買い戻さないのか?理解不能です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」言ってる善亮土地を売る(笑)低脳極まりないんですね。<<
教会本部は、天理教という宗教をビジネスの手段として使っているだけなんです。そもそも天理教という宗教に愛情などないんです。「金儲けの道具」にすぎないんです。3175万円程度の価格で買い戻せるならば、すぐに買い戻せるはずですが、教会本部は将来、大教会や分教会が連鎖倒産していくことが分かっているのです。最悪、教会本部所有の敷地建物の「切り売り」も念頭にあると思います。みなさん、天理教は宗教ではなくビジネスだったのです。今さら、こんなことを言っても「時既に遅し」ですが、天理教被害を最小限にくい止めるためにも、天理教から去れる人は迅速に去るべきです。
今日のオープンスクールは、授業で教義を始めてみました。
まだ、見識もない高校生が、身上について学んでいましたが
これは、一見、英才教育の様で、子供に、理解もできないのに、鵜呑み
させているだけだとも、見えました。
このまま、天理教内だけで生きて、布教者になっても
とてもじゃ無いが、人の心は動かせないだろうなあ・・
毎回、アンケートに、その由、書いて置いてきますけどね、(笑)
まあ、別に、なんでも良いですけどね・・
明日は、息子と、いきなりステーキで、ステーキでも食べながら
進路について、話し合おうと思いますよ。
崩壊
2019年11月23日 7:25 PM
宗教ビジネスと言えばそうも見えますが、分教会が競売ならまだしも大教会の土地が競売では、布教師は布教に困り、内部でも本部や教団の不信感がつのり寄付も減り離脱者も増えるのでその経済損失は3000万円では済みません。今の寄付金がほぼ壊滅に至る可能性もあります。少なく見積もっても3000万の10倍の30臆の経済損失はあるのではないでしょうかね。教団はビジネスにも成っていませんね
宗教ビジネスでも宗教でもビジネスでもないただのカルトだというのが笑えますw
お供えすれば助かると言われ続けて久しいが「お供えしても助からない」と言う事実を、宇佐大教会が証明しました。
4億3千万円の内の、多くの金が教団本部にも上納された事でしょう。その結果が結構な姿になるどころか衝撃的な落ちぶれた姿となり、家、土地、財産すべて差押えになった。
これは破産って事ですよね。飲まず食わずでお供えした結果が「破産」です。天理教教会本部はこの事実をお得意の「金の教理」を持って信者に説明する責任があります。天理時報には都合が悪い事実は秘匿し、勝手のいい事ばかりを大袈裟に褒め讃える様な記事ばかりで信者をもてあそんでも、ネット上では画像付きで情報は瞬時に駆け巡ります。
真柱は身上だからと言っても、話す事が出来ない訳ではないんだから、この事態を教理上の説明をして立場的責任を果たして貰いたいものです。
甘露台が倒れた時も本部は信者が悪いと言いましたね。宇佐大教会の破産も宇佐の信者が悪いと言う教理ですかね。
>>宇佐大教会の財政破綻の原因も本部への法外な「お供え」だったのかもしれませんね。昨日、天理教教庁に電話し、宇佐大教会が競売にかかっていることを知っているのか尋ねたところ、知らないという返答でした。本当に知らないのかどうか不明ですが、教会本部の無責任さに開いた口がふさがりませんでした。<<
分教会に真柱が来る(いわゆる入り込み)となると、
一生にたった一度のその巡教のために借金してまで客間を新築して、
豪勢なもてなしをてきた(せざるをえなかった)教会がこれまでたくさんあった。
しかも御礼は大金を用意。
そんなバカげたことを全国の教会にさせておきながら、
大教会まるごとが競売にまでなっているのに本部は知らぬ存ぜぬか?
いろいろと事情はあるのだろうが
宇佐大教会はじめその部内教会もこれまで本部につくしてきただろうに…….。
このまま宇佐大教会が消滅したら部内教会はどうなってしまうのか本部は考えないのか?
(部内教会は離脱して独立するきっかけになったと喜んでいてくれればいいが)
親だ親だと普段威張っておきながら、いざ子供が窮地に立たされたら無慈悲にも見放す。
もはやこの組織で中山みきの「せかいろくぢ」の教えを実践することは不可能。
全分教会は被包括法人を解消し、離脱独立すべし。
今こそ末端、信者側が教団本部を見放す時である!
愛町風にいうなら
本部の因縁が悪いので今の姿となったというであろう!
成ってくるのが天の理!
なんでもかんでも因縁で縛ることがいいとは思えないが、、、、、
お供えをせず
布教をせず
上下の立場に縛られず
ひとをたすけなされや
やさしいこころになりなされや
くせしょうぶんをとりなされや
純粋なおやさまへの信仰をしようではないか?
今朝の中席の最初の参加者は、20人位でした、初席は何処かの教会が
20人位? の団体が見えました 多いのか少ないのか、私には判断できない
流石に月末の日曜日のぢばは、数千人の参拝者が見えますね、
商店街も人が、たくさんいます。
毎月数千円程度のお供え、年に数回のおぢばで、千円程度の
浅ーい信者が多数見えるうちは、おぢば自体は維持できるでしょうね
一方で、破産したのか競売にかけられる大教会もある・・
本部にいたら、末端の苦労は見えないのでしょうね
さて、この先はどうなるのかなあ・・浅ーい信者の私は、見守るだけですね
中山家はじめその血族がこの悪質な組織体制を維持したいが故に天理教すら捨てたのですから、本部追放、ビル管理会社没収で、完全追放を目指しましょう。もう許せません。
陽気12月号のテーマが皮肉にも『救いの手』。宇佐大教会が競売にかけられているが、直属以外の部属教会にも競売にかけられて他人が住んでいる所がある。救いの手は差し伸べられない。時報に大亮が長野県の被害教会を訪問したと報じた。テーブルにはお茶と茶菓子が並んでいる。被害から1カ月も経ってのこのこやってくる。迷惑である。接待負担も馬鹿にならない。遊び半分でくるな!受け入れる側も迷惑だ!時報は何故か訪問した教会名を出さない。教会名を公表する、しないの基準でもあるのか?いっそ被害教会の全教会名を公表すれば良いのに。公表すれば救いの手を差し伸べる事もできるはずだ。
匿名
2019年11月24日 12:46 PM
中山ではダメだ(笑)中山早めに教団運営を血族以外の第3者に譲ればいいものを居るだけで汚名も負債も膨らむ悪循環です。
ただ父親 様
2019年11月24日 11:15 AM
>>流石に月末の日曜日のぢばは、数千人の参拝者が見えますね、
商店街も人が、たくさんいます。<<
今日は2連休の二日目なので、商店街も「山の辺の道」のハイキング客等で一時的に賑わっていたのでしょう。教会本部は「御身大事」なだけで、配下の大教会や末端分教会、布教所がどのようになろうと「我関せず」なんです。中山不動産株式会社は、タコやイカの足が1本ちぎれようが数本ちぎれようが、どうでもよいのです。とりあえず中山不動産株式会社の本社の温存を考えているだけです。
匿名 様
2019年11月23日 10:35 PM
>>教団はビジネスにも成っていませんね
宗教ビジネスでも宗教でもビジネスでもないただのカルトだというのが笑えますw<<
その通りです。プロのビジネス社会でも予見できないことが突然発生すれば、それで終わりです。天理教の場合、信者数やお供えの額が右肩下がりに激減していることは、過去30数年前から分かっていたはずですが、その原因を究明しようともせず、無為無策のまま今に至っているのです。ど素人のカルトが宗教ビジネスに手を染めたら、こういう結果になるということです。しかし、天理教が崩壊することにより、社会が少しでも良くなれば、それはそれで良かったと思います。
本日、ローマ教皇が原子爆弾被爆地長崎を訪問し、スピーチをされました。皆さんは「宗教の役割や使命」についてどのような感想をお持ちになりますか?
https://mainichi.jp/articles/20191124/k00/00m/040/044000c
ローマ教皇のスピーチ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52551350U9A121C1000000/
>>中山大亮 @daisukeke123 2019年11月23日 ツイート
帰宅すると部屋が掃除されていた
テレビをつけようとすると、つかない
コンセントが抜けている
つい、「つけといてくれよ」
と求める心
“コンセントを抜いてまで”
しっかり掃除してくれたにもかかわらずだ
気を取り直して
「いつも綺麗に掃除してくれてありがとう」
と認める言葉
求める→認める<<
↑
コンセントぐらい自分で挿せや!!
つーか自分で部屋ぐらい掃除せい!!
そんなことよりテレビ見とる暇があったら早く宇佐大教会なんとかせい!
宇佐のたった40カ所程度の部内教会なら、
一軒一軒現状視察もかねて勇気づけるために声がけに行ったれや!!
大金積まれにゃ動けんか?!
御馳走で接待してもらわな行きとうないか?
ぼろぼろの末端教会なんぞ敷居を跨ぐのも嫌か?
おやじのポケットマネーで3000万の入札くらいなんとかなるやろ!!
こんな大変な時に呑気にテレビなんざ見さらすなドアホーーーー!!!
ますのこせつ さん
二代真柱に切られて自殺してますよね。
東大卒で無かったからですよね
私は二代真柱の師である姉崎正治が諸悪の根元だと思いますが。この人が教祖を全て隠せと…
匿名ですが 様
>私は二代真柱の師である姉崎正治が諸悪の根元だと思いますが。
私もそう思っています。
二代は嫉妬深い人だったと思います。
自分になびく優秀な人間は取り上げましたが、
自分になびかない優秀な人間は遠ざけたと思います。
決して信仰者と呼ばれる資質のない人だと思います。
二代真柱が姉崎に「キリスト教や仏教のように優秀ない弟子達による分派を防ぐ方法」を尋ねたところ、教祖を徹底的に隠せと
二代真柱が姉崎にキリスト教や仏教のように分派を防止する方法を尋ねたところ、教祖を徹底的に隠せと言ったそうです。
誰かこの話知っていませんか?
二代真柱は夜伽で八島でしょ
正善は秀司の生まれ変わりだって伊蔵が言ってましたよね?
秀司が生まれたときに「お久し振りです」と
善亮だけは表にするなと、善亮が表になると教団が滅びると当時の役員が言ってましたよね。何せランボルギーニですしね、子供もこの親ですから狂ってます。宇佐は悲惨ですね。全ての大教会、早く終われ。
高安の松永も二代び斬られてますよね。
高安の松永も二代に斬られてますよね。
本部月次祭の際、いまだに真柱邸の前で深々と拝をする教会長。
教会長)何故お前は拝をしないのか」
私「神ではない、必要ない」
教会長「…」
私、心の中で「バーカ、そんな事もわからないのか」
教会長「親は親や」
私「子供を可愛がらず、搾取しか考えない上級や本部は親ではない。」
妻が癌になった、夫は修養科に行った。
家も売ってお供えした。
第三者の私、教会長に「搾取は止めろ。御守護があってからでも遅くはない。今お供えをしろと言えば、余計天理教のイメージが悪くなる」
教会長「…」
信者夫:お供え
信者妻:出直し
信者妻:全て財産を処分して全てお供えして教会住み込みしてたすからずに出直し
おさずけ 効かない
善亮、大亮
何とか言ってみろ
大亮
てめーの部屋位自分で片付けろ
お前早く布教の家に行って人助けしろよ
大亮
てめーの親父が美人局のときは三千万嫁の実家に頼ったよな。
宇佐の方が大事じゃねーのかよ?
お前東京行くなよ
天理教
大亮、一時的に復活する方法教えてやろーか?
大亮
お前一人でも未信者にお授け取り次いだことあるのかよ?
参拝者ゲットだろ?
あるわけないよな。
親父にもあるのか聞いてみろよ。
お前生きてて恥ずかしくないのかよ?
俺は未信者に沢山お授け取り次いだよ
知らない人に「私天理教、お授け取り継がさせて下さい。」、相手「お願いします」。それから毎日お授け取り次いだ。相手は涙流して喜んでくれた。
因みに後継者じゃないよ
でもね皆んな死んだよ。
善亮、大亮はじめ馬鹿な教会後継者ども
こんな経験できないだろ
俺「我が子を捧げてまで他人を助けてと親神に言えるか?」
教会長妻「いえる訳ない」
私「教会止めろ!」
教会長妻「お前、お供え少な過ぎ」
私「信者止めます」
おい大亮、これが現実だぜ
何とか言ってみろよ
何も言えねーだろ
古い元教会長 様
同意頂けるということは、姉崎のことを何かご存知なのでしょうか?
崩壊さん、こんにちは。
崩壊さんは元天理教からの現キリスト教徒でしたっけ?
流石に連休です、商店街に居るのは、おぢばに帰参した
天理教徒ばかりでしたよ・・一種の観光旅行だと感じます
お伊勢参りみたいに、おぢば詣でしてる人達
石上神社には、人がいませんでしたからね、参こう館も
見学者が、ポロポロと途切れ無い程度に、いましたよ。
おびやゆるしの場所にも、人が何人もいました。
毎月、数千円程度のお供え、観光旅行の様なおぢば帰参
御筆先は読んだことも無いって言う程度の、軽い信者が
実際大勢、見えるうちは、おぢばの維持くらいはできるでしょうね?
そう言う信者は、教団本部など、逆にどうでも良いだろうし
無理を言われたら、知らんぷりをするんじゃ無いですかね?
実際、うちの義母は、(本音は全然、神とか信じてないのに)
何故か、友人知人を別席に誘って、連れて来てる様です
歳を取ると、こう言うのも、楽しみなのか?って思います。
宗教に軽くしか、関わらない層って、結構大勢居てますよ
そう言う人たちが、結構下支えを、してるんじゃ無いでしょうか?
しかし、日曜日の朝の別席の先生・・
やる気ゼロ!って感じでした・・そう言うのは良く伝わる
聞いてるこっちも、聞く気ゼロ! ってなります・・(笑)
もうちょっと、真剣にやって欲しい、眠くて辛かった・・
そうか! わざとつまらなく話して、聞く方を辛くしてるのか?
息子といろいろ話したけど、おぢばの現場は人出不足で
教高学園、天理高校からのお礼奉公の勤務者さんって、大勢居るので
教高学園が無くなったら、勤務者が全然足り無くなるらしいですね
教高学園の偏差値は2部より低く、テストがダメでも12下り
踊れたら合格できると言われてるとか・・そこからの
天理高校1部の偏差値は高くて、合格できる人は、限られるから
2部は、現在倍率1、5倍くらいで不合格者が多いから、2部を倍増して
そこに教高学園の分の定員増やすのかな?
いったいどうなるんだろうね? って話してるらしいですわ
でも、2部ってしんどいよ〜 とか言っていましたわ・・
現在2部に来ている生徒は、未信者も多いし、教会子弟は半分もいないとか
卒業後は、天理教を離れて、専門学校、就職したい同級生が多いとか
その分、2部のしんどさを覚悟して来てるから、耐えられるとか?
しかたなく2部に来ても、たぶん耐えられないでしょ? って
本当に大亮の頭のヌルさに絶望ですね。一つの大教会が破産し、信者が飲まず食わずで伏せ込んだ教会建物、土地、動産、全て競売にかけられ、全部失い、追い出されていると言うのに。
当事者意識のまるで無い、こんな事件が起きている正にそんな時、ツイッターで のんきにテレビがつかない、コンセントが抜けてた、うんぬんかんぬん。テレビなど見ている場合か!
こちらでも怒りのコメント多数ですが、全く同感です。
善亮は女と金に目がくらみ、息子は阿呆丸出し。
今更何を言っても馬鹿馬鹿しさが先に立ってしまう。こんな教団は早く潰れた方が世の為だと心底思います。教団に身を捧げた我が家の先祖もさぞかし悔しがって居ると思う。
ただ父親
2019年11月25日 7:53 AM
>>宗教に軽くしか、関わらない層って、結構大勢居てますよ
そう言う人たちが、結構下支えを、してるんじゃ無いでしょうか?<<
おそらくそうでしょうね。大半の人が宗教に軽くしか関わっていないと思います。皆、平常の仕事や生活で精一杯なんだと思います。昭和40年代、正月に教会本部に行けば参拝者であふれかえっていました。天理本通りも同様で、歩くのが困難なほど参拝者で一杯でした。境内地の一隅にある総合案内所からは頻繁に迷子の呼び出し放送が流れていました。しかし、今、正月に教会本部に行っても、閑古鳥が鳴いています。天理本通りも同様です。本当に静かなものです。その当時、天理教を熱心に信仰していた信者さんやその家族が天理教に見切りをつけて去っていったのでしょう。お隣の桜井市にある大三輪神社は、正月ともなれば、初詣客の自動車で周辺道路が大渋滞します。初詣客が波のように押し寄せます。1月10日頃まで、そうした状況が続きます。やはり、日本古来からある有名な神社仏閣は、ありがたく思われているのでしょう。
東井朝仁 随想録「良い週末を」
2019/11/21 11月10日の青空に想う(2)
http://kjass.net/tooi/yoisyuumatsu/yoi20191121.html
滋賀県にあるK大教会とは?
蒲生大教会
甲賀大教会
湖東大教会
中野大教会
日野大教会
水口大教会
そして、火災を起こしたことのある大教会は
甲〇大教会 ?
天理教の金権体質は、根が深いですね
フランシスコ教皇がバチカンから来日しています。世界中の行く先々で心待ちにされ歓迎を受けています。バチカンの壮大な建物を見て我もそれをしのぐ建物を建てたい、と思った二代真柱。
時代は下がって、現天理教の現実。バチカンに負けず劣らずの建物は空っぽ状態で立ち尽くし、創り始めたが信者に逃げられ完結せず。
だめの教え、世界助けを標ぼうしているが実際世界に出て地球を救う全地球上の人々を救う働き掛けをしているか。世界の人は誰も天理教の真柱なんか相手にして無いでしょ。相手にするのは天理教教会関係者の忖度接待だけです。自分の身の程をどの程度に認識しているのか。
窮地の子供も助けられない、本部にメリットの無い子供は放置して知らん顔の宗教に、何処に存在価値があると言うのか。
災害地に行って現状復帰へ力は貸しているが、心底魂のレベルで救い上げられなければ、行政の復旧活動と何ら変わり無いと思っています。
大亮さんが「Angmar」さんの書き込みをリツイートしています。
日付は11月15日。
競売など「しったこちゃない!」のでしょう。
11月15日の大亮さんは「大教会競売」よりも高校ラグビーに関心を示している!
スポーツ脳だから仕方ないでは済まされませんね。
もう、ほんと、ウマシカな人よ!としか言えない。
自分の立場を考えればこんなこと書き込めないでしょうよ!
恥ずかしい! 世の中の人に知られたくない!後継者がこんなレベル!
*** 中山大亮 @daisukeke123 · 11月15日***
今年も来ましたこの時期が。
今年こそ全国制覇のチャンス!
接戦になること間違いなし。
なんとか勝ち切ってほしい!
参考までにリツイートした元の「Angmar」さんの書き込みは以下の通り。
第99回全国高校ラグビー大会
奈良県予選 決勝
11月17日(日) 14:00〜
橿原公苑陸上競技場
【 天理 vs. 御所実業 】
奈良県から花園出場をかけた大一番。
皆様には、天理の、天理の、天理の、
熱い熱い応援、よろしくお願い致します。
頑張れ天理高校ラグビー部!!
匿名 様
2019年11月25日 1:48 PM
>>だめの教え、世界助けを標ぼうしているが実際世界に出て地球を救う全地球上の人々を救う働き掛けをしているか。世界の人は誰も天理教の真柱なんか相手にして無いでしょ。相手にするのは天理教教会関係者の忖度接待だけです。自分の身の程をどの程度に認識しているのか。<<
カトリック教徒は世界中に13億人の信者がいます。日本の人口が約1億2千万人程度ですから、日本の人口の10倍以上の人達が、カトリックの信徒ということになります。まさに世界規模の宗教です。カトリックの信徒がなぜそんなに多いか、よくよく考えて見ると、キリスト教の教えは、世界に存在するあらゆる宗教に共通する普遍性をもつからだと思います。私自身、天理教は宗教ではないと考えていますが、天理教と呼ばれる新興宗教が日本に存在することを知っているのは、世界中を見わたしても、ほんの一部の宗教学者ぐらいだと思います。まして、天理教の真柱という人がどういう人なのか知っている人は、ほとんどいないでしょう。
天理教は「世界たすけ」どころか、「我が身たすけ」ばかり考えている集団です。到底、宗教と呼べるものではありません。
2019年11月24日 12:46 PMの匿名様の投稿の一部
>いっそ被害教会の全教会名を公表すれば良いのに。<
>公表すれば救いの手を差し伸べる事もできるはずだ。<
本当に教団本部といい、天理時報といい何故こんなに冷たいのでしょう。
お供えされた一部でも共済制度を作って回せばいいのに、そのような考えは皆無。悲しい程の冷たさに心が萎える。もっとも、お見舞い程度は出るそうだが、貰ったら最後その何倍ものお供えという名目のお返しが目に見えない圧力で迫ってくる。そもそも、見舞金が出る基準すら見えないのだから、出す方の胸先三寸では、制度としては存在しないんでしょう。
それにしても、災救隊のように対外的に目立つものには力が入る不思議。
おはようございます。
某詰所にいつもの様に宿泊させて頂きました。 23日の土曜日でしたが
私以外には、6人くらいの宿泊者が見えましたけど、基本的に7人でお供え7000円か?
他に修養科生やら、何やら、見えますけど、維持費は稼げていない印象を持ちます
まあ、宗教法人は税金が少ないから、一般に比べたら、維持費は要らない代わりに
宿泊費は取れないですからね、あくまで、個人のお供えですから
だから、鍵もかからない大部屋、テレビも無いですし、コンセントも少ない
殺風景過ぎて、おぢばツアーに使うにしても、寂し過ぎますね・・
もっと、集約して、まとめて2箇所位にして、大浴場、部屋にテレビくらいあったら
使いやすいでしょうが、無税事業と課税事業の狭間で、難しいとは聞いています。
経営という物に対する危機感が、足りないとは、感じます。
神様の思し召し、守護でどうにかなる、位に考えてらっしゃるのかな?
私個人の考えは、神様は個人の想いに応えては下さっても、個人だって
働かなきゃ、お金を稼がなければ、祈ってたって、腹は膨れませんからね
改革は、簡単な事だと思いますけど、危機感の無さから、変えないといけませんね
会社が倒産寸前なら、いくらハッパかけても、経営構造を変えなければ、そのまま倒産します。
時代に合わせて、大きく構造を変えていくだけでしょうね。
浅い信徒の1人としては、こればかりは、教団の執行部の問題であり
執行部の自己変革が無ければ、みんな、さらに離れていくだけだ・・と言い切れます。
頑張ってね?
ただの父親 様
まあ、いろいろなお考えがおありですが、詰所は一応修業の場のような考え方が支配的です。
例えば、食事ですが、一食250円。これもその一環のようですが、一方で行政(税務署)の指導もあるようです。この金額を超すと課税対象になるような話を聞いたことがあります。
もう、何年も以前から同じ金額なのもおかしな話ですが、税務署が未だにそのような指導をしているのでしょうか。それとも、本部の認識が甘いのでしょうか。
物価も上がり、消費税も上がっているにもかかわらず、昔のままというのも疑問に感じています。
四国お遍路の宿のように宿として営業出来る詰所があればいいのですが、そうなれば、税務処理も今のようなことではすみません。
二部時代に詰所勤務をした経験から、詰所は貧しいところという観念がしみ込んでいます。
当時、来る日も来る日も、おみおつけ(味噌汁)の具は、刻んだキャベツばかりで、業を煮やした修養科生が保健所に苦情を言いに行き、保健所からせめて週に一度は豆腐を入れてと指導があったが、主任は無い袖は振れんと息巻いていたことがありました。
風呂も毎日薪をわって沸かしていました。余談ですが、80歳を超した今も薪割はお手の物です。
確かに、詰所は参拝者の宿泊施設ではありますが、一方では、先に書きましたように修業の場でもあると理解されているのでしょう。
そうでなければ、何時までも一食が250円なんて設定が出来るわけがありません。本部も税務署もこの価格を見直す時代になっていることを考慮すべきだと思っているんです。
とりとめのない話になりましたが、他の宗教にも詰所のような施設があるのでしょうか。あるとすればどのような運営をされているのか、本山のあるような宗教団体と話し合いでもすればいいのですが、如何でしょうか。
各大教会ごとに設置されている詰所の稼働率を調べ、稼働率が極端に低い詰所は閉鎖していくべきだと思います。自動車は所有しているだけでも、車検費用、税金、自賠責保険料、任意保険料等の維持費がかかります。詰所の場合も、エレベーターの保守点検料、消防設備保守点検料等、法律で定められた保守点検料がかかります。また、経年劣化による修繕費も発生してきます。詰所の維持管理に要する経費は信者の「お供え」で賄われています。これから先、信者数は益々減少し、「お供え」も減っていくことは目に見えています。信者の負担をこれ以上、増やさないためにも、稼働率の低い詰所を閉鎖し、他の詰所との合併や統合を進めていくべきだと思います。
東風Zさん、こんにちは。
霊友会とか、無いですよ。 地方支部は全部、個人施設ですしね、
東京の本部、釈迦殿には、宿泊施設なんて無いです
静岡に研修施設、弥勒山がありますけど、研修の時の団体宿泊施設です
個人では泊まれません。
今の私の、教団も、東京と長崎に礼拝堂があるだけで、宿泊施設なんて無いです
自由にホテルを個人で取って、参拝します。
天理教は、教会といい、詰所と言い、おぢばと言い、巨大教団ですよ
おぢば帰りとか、子供の頃、すごいと思いましたよ
しかも、大教会ごとに詰所を持っているなんて、他に無いでしょうね
普通、本部一括で、1箇所、2箇所とかでしょう?
これほどの広大な施設を持っている教団は、他に無いでしょうね。
それだけに、信者が減ったとたんに、負担になるのは、致し方無いでしょうね
息子がお世話になっているし、オープンスクールの度に詰所を利用していますから
悪く言うつもりはありませんけども
まあ、今後は、教団本部と税務署で、話し合って、変えて行く必要は
あるんだろうなあ? って思いますよね。
>>それにしても、災救隊のように対外的に目立つものには力が入る不思議。
いい子ぶりっこ。
ほかになにがある?それだけじゃん。
>他の宗教にも詰所のような施設があるのでしょうか。
立正佼成会の本部(東京・杉並区)には「団参会館」という信者のための宿泊施設があります。
https://www.kosei-kai.or.jp/040honbu/0407/
地方公共団体でも、少子化の影響で学校の統廃合をしています。ハコモノの維持管理費は、地方公共団体にとって深刻な財政負担になっているからです。今後、ジリ貧になっていく天理教が無駄なハコモノをいつまでも保有していれば、「お供え」の絞り上げがエスカレートしていくと考えられるので、無駄なハコモノは整理統廃合していくべきでしょう。
匿名
2019年11月26日 11:36 AM
善亮大亮親子は本当アホなんですね。大亮のあのつくり笑顔も気持ち悪いですよね。
皆さん、いろいろとご教示有り難うございます。
箱モノに拘った二代さんの将来を見通す力がなかったことが証明されたんですね。バチカンに負けないものを作るなんて何を考えて居られたのでしょうか。
そもそも、徳があるとか、徳が無いとか、という言葉は、軽々しく言う言葉ではないのかもしれません。
天に唾する言葉だということを痛感すべきです。何事も重荷になって初めて気づくことなのかもしれませんが。
息子の話を聞いていて、天理で働いている、勤務者さんには、教高学園卒業からのお礼奉公と言う
教会子弟が大勢居るので、単純に教高学園が無くなると、勤務者が不足してしまうのでは?
と思うんですが・・
もちろん全日制高校だから、一列会の扶育に対してお礼奉公、(現在は3年)の
義務があるわけですけど、2部は、基本的に普段から働いているので、
お礼奉公の義務は課せらていないので
卒業とともに、天理を離れて、進学も、就職もできるので、ありがたいんです。
偏差値的に、天理高校の1部、または2部に入れない、教会子弟が、地元の高校に
自費で通う事になるなら・・逆に朗報かもね?
教会の自費にて一般高校なら、卒業後は自由じゃ無いですか? お礼奉公も無い訳です
自由に、進めるなら、お与え2万円から3万円で勤務者を務める義務も無いし
教区で布教者をするか、しないかも個人の自由じゃ無いですか?
自由に教会を離れて働けるなんて、その方が自然ですよね?
まあ、教会に自費で自分の子供を高校を出すお金も無いって言うなら・・・
今の時代に、貧困過ぎますよね、教高学園が無ければ、高等教育も受けさせられないなんて?
ちょっと問題外、今は、高校の学費は無償ですし、経費だけなら、なんとかなるでしょう
天理教を一旦離れたい、教会の子に取って、教高学園閉鎖は、だから朗報じゃ無いの?
世界一の陽気な夫婦?と大亮夫妻が言っていましたが、その意味が宇佐大教会競売の件でよーく分かりました。負債約4億 競売価格約3千万 一方 世界一陽気な夫婦の結婚諸経費は3億とか? ようきようき!陽気と言うかノー天気じゃないと出来ない所業ですね~(笑) 大亮夫妻だけのせいにしてはかわいそうなので、その結婚式に携わった人そろいもそろっておバカ揃い、この程度のバカじゃないと「金の繋ぎは命の繋ぎ」等と信じがたい言葉を開発しませんよね。
大亮負債は世界一の陽気な負債と言うことでしょうね(笑)
連投すみません。
教会出身の子は、門限が、夕務めまでしか、認められないとか
食事の前には、4回、手を叩いて、拝礼してからとか、その他
天理教ならではのしきたりが世間一般常識だと、思ってる子がいて
一般家庭出身の人から見たら、ビックリだそうです。
実際、今の2部は、一般信者家庭が多いらしく、偏差値も高く、
倍率も1、4倍くらいで、いくら天理教が好きでも、教会子弟でも
毎年、40人くらい、不合格になります。
そんな、子供達でも、2年の終わりには、禁止されてる携帯電話を
ほぼほぼ、みんな持ってるとか・・禁止の意味は無いですよね
教会を継ぎたいとか、布教者になりたいって言う子は
実際本当に少ないらしくて、普通にサラリーマンしながら、
親神様を信仰する人生で良いと言う、そう言う子達が、
信仰者としても一般的であって、純粋な教会の子も、感化されて
一回外に出たくなって来るのが、当たり前じゃあ無いですかね?
そう考えると、教高学園が閉鎖されるのは、天理教3代、4代の
バリ天の親を持つ子に取っては、将来が天理教一本より
人生の選択肢が増えて、返って良いんじゃないか?
なんて思ったりします。
子供達には、人生の選択の自由があるのが、普通ですからね。
その中で、あらためて自分の意思で天理教を選択するなら、
やる気も違うでしょうし、教団に対する批判力、
改革をして行く力も付きますよね?
純粋培養では、実際、生命力が弱いですからね・・
まあ、浅ーい信者の、個人的な感想です、すみません・・・・
やっほー!
上層部の方々みてるー?!
俺だよ俺!
とうとう帰ってきましたよ。
これから少しずつ真綿で首を絞めていくからよろしくー笑
東風Z 様
2019年11月26日 5:33 PM
>>箱モノに拘った二代さんの将来を見通す力がなかったことが証明されたんですね。バチカンに負けないものを作るなんて何を考えて居られたのでしょうか。<<
フランシスコ教皇は、昨日、バチカンに帰られましたが、教皇のスピーチは「世界平和」、「世界中の陽気暮らし」の達成に対する指針に満ちあふれていました。やはり「本物の宗教者」だと思いました。うわべの箱モノだけを真似てバチカンと張り合おうと考えた二代真柱の「愚かさ」がよく理解できます。やはり、天理教は体裁ばかり繕う「ハリボテ宗教団体」であるという感を再度、強くしました。
(※ ハリボテとは関西地方の表現で、中身のない「形だけのまがい物」という意味です。)
中山大亮、フォロワーからツッコミたおされる 笑
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>>中山大亮 @daisukeke123 11月23日
人にたすけられる人になるには
自分の弱みをさらけ出すこと。
いかに意地やプライドを捨てれるか。
こちらが心を開けば
きっと
相手の心も開いてくれる。
弱みをさらけ出せば
きっとそこを補ってくれる人がいる。
たすけあいは
さらけ出すところから始まるのかもしれない。>>
ゆー @ym19590319 11月24日
まずは、ら抜き言葉を直しましょう。 助けたいと思う方に、お会いしたら、まずはこちらから胸襟を開かなければなりません。 助けて欲しいと願う方は、内容は話しても、自分のせいだとは思いません。 自分を晒けだし、少しずつ心を開いていって下さるのを待つしかありません。
天理教お助け隊山ちゃん @tenriyamachan 11月25日
んー、なんか他人任せですね。 人に助けてもらうことを期待すると、助けてくれなかった時に腹が立つものかと。それより、何か助けてもらったら倍以上恩返しするくらいの方がいいと思います 助けて欲しいなら、その10倍は動かないといけないとも思います。弱みを見せたら、そこを突かれると思います。
馬瀬 稜 @mitiyukutoki 11月25日
助けられて助かるわけですが、この 助かる という言葉の意味がはっきしません。 助かるの定義を示していただけたら助かるのですが。
ウゾイタる @ITzQ4ECQmIfcbap 11月27日
大ちゃ〜ん! 「人に助けられる人になるには」って、、、 助けられるのに条件なんかいるのかよ。 助けられるのに注文つけられるのかよ。 人を助けるのは無条件だろがっ、このくそガキ坊っちゃんよ。 いよいよこの宗教団体も来るとこまで来たな。 高みの見物と洒落込むで〜
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弱みをさらけ出すと相手も心を開いてくれるって?
弱み(窮状を)訴える人達のアカをブロックするのは心を閉じる行為ではないの?
矛盾もいいところではないか。
ま、それが大亮クオリティってことか。笑
ツイートの最後にいつもこう書けば?
だいすけクオリティだもの
ツッコミを入れたこの方々がブロックされないことを祈ります。
去年、「中山秋のバンまつり」なんてあったしね~笑
そもそも人をたすけるのが大亮君の仕事ちゃうの?
>>人にたすけられる人になるには
自分の弱みをさらけ出すこと。<<
よく言えますね!! 宇佐大教会のように弱みどころか破綻した状態をネットでさらけ出しているのに、本部はたすけるどころか、その事実すら知らなかったではないですか。氷水で顔でも洗って出なおしてこい。だいすけちゃん!!
大亮、自分がどれくらいのアホウなのか、それさえも判らない位のアホ。
助けを求めている人を無条件で助けるのが大亮の仕事でしょう。次期真柱候補でしょ?本当に真柱になるつもり?ご冗談でしょ。
助けて貰いたいなら、どうせい、こうせい。助けを求める人への指図ですか?どこまで上から目線で尊大なんだ。
大亮もその父親も違和感だらけの人物。社会では新人は灰皿掃除から始める。大亮も便所掃除から始めるべき。修養科生は頭低くする事を学ぶために便所掃除をしてますよね。中身が空っぽで実態が伴わないのに立場だけ与えられているからする事なす事がトンチンカンなんだ。
崩壊さんの言われる様に、宇佐の人達は弱みをさらけ出すどころか天地がひっくり返っていると言うのに知らん顔。この件の情報が本部中枢に上がっていない筈が無いです。
大亮親子は真剣に責任を感じなければいけない事案。知らぬ存ぜぬを装い、全くの他人事。
支離滅裂、人格破綻者と言うのは大亮くん、あなたの様な人物のことです。
大亮安心しろ!お前は次期真柱だ!しかしその時にはもう金もない負債だらけの教団だけどな(笑)
信者はおろか社会から嘲笑の的だがそれもこれも「金の繋ぎ命の繋ぎ」とアホ抜かした親父のせいでな親父でも恨んでろwww
教高学園閉鎖って、本部にとっても、勤務者のなり手を減らす訳なんですね?
2部出身者は、卒業後に、お与え2万で勤める義務は無い訳ですし
高校まで地元で出た、教会子弟を、専修科に行かせても、勤務者で3年も
引き止める根拠がない訳です・・根本的におぢばの維持作業員が足りなくなる訳です
それは本部の問題ですからね・・
地元で高校出られたら・・俺は(私は) 自由だ〜って話しですよね?
なら・・実際、歓迎すべきことでしょう?
大教会に、お与え2万で、いる必要も無い・・
通常の勤務者のお与え、10万以上あったら、貯金もして免許も取って・・
適当な時期に、天理を離れて自立もできますよね!
そうじゃ無いのかな?
うちの息子みたいに、一般家庭の子は、親がバックアップしてるから
2部卒業後は・・完全に自由です・・
子供達が自由に進路を選べるなら、良いことです!
って・・思いますけど・・どうなのでしょうか?
アンチ天理教にとって、教高学園閉鎖って、歓迎すべき事だと思えますけど
それも、本部の批判になっていますけどね
それは、教会子弟にとっては、自由を得る可能性の広がり? じゃあ無いですか?
教高学園閉鎖って、本部も自分の首を締める結果になる気がします・・
どうなのでしょう?
匿名
2019年11月27日 9:17 PM
似非宗教中山カルトを潰すのなら全員で倒すまでですよ! 通りすがりでも味方につけます笑
宇佐大教会の特別競売が今日11月27日で終了した。入札があったのだらうか?入札が無ければ今まで通り教会として使い続けられるのか?仮に落札されても債権者は、今回の競売では債権回収も僅かだろう。何故大教会というだけでこれほどデカい箱物をつくるのか。返済計画もろくに立たず借り入れで安易につくるのか。身の丈に合った規模にできないのか。本部が救済すべきだという意見もあるが、案外大教会など不要かもしれない。いまだに権威主義者の毒大教会長がいる。何か諫言しよものなら、怒り狂い誰に物を言っているのだ、大教会長だぞとまくし立てる。まるで裸の王様でイエスマンしか居なくなった。いま
そいつは普請返済に困窮して金しか見えない。第二の宇佐になるだろう。哀れな醜態を晒す。大教会など無くなった方が清々する。
宇佐大教会は本部が買い上げようです。
土地の購入や神殿普請の願書は各教会から出されますが、それを許可するのは本部ですからね。
本部も責任を感じたのでは?
宇佐大教会は、25,405,600円で落札されたみたい。誰が落札したのか・・・
もしも本部が買い取ると言うのなら、複雑です。
本来必要の無い大教会だったかも知れない土地建物に当該大教会信者、部内教会は無理に無理を重ねて貧に落ち切った筈です。挙句の果ての破綻となった。彼らが拠出した莫大なお金は意味を成さなかった。水の泡と消えた訳です。
真偽の程は判りませんがもしも本部が買い取ると言うならその四千万円弱のお金は、現在も上納し続けている我々教会や信者からの原資金からですよ。負に負の金をつぎ込んでいる様に思える。
本部が責任を取るのは当然の行為だと思うが、限りなく衰退が続いている現状において負に負の金が今後生きることは無いと思う。あちこちで破産、競売が進み、負に負の金を注ぎ込み、どつぼにはまって最終的には本部が破綻するシナリオか、、
嫌、やけくそで金が無くなるまで買い取って全国に土地を所有し、不動産業に転身する目論見なのか。しかし元々は無理矢理もぎ取った血と涙と汗のこもった人の金が原資だから上手くいく理はないのだが。
私も大教会は不要と考えます。縦組織は神の目に叶いません。虐げる者と虐げられる者の力関係が存在してはなりません。この組織が早くゼロにリセットされる様、親神様の更なるお力を望むばかりです。
宇佐大教会 競売 久しぶりにこちらを覗いて、のけぞりました。
いよいよ破産の時代ですね~
東京都が子供の剥奪指数というのを掲げています。
海水浴に行く
キャンプやバーベキューに行く
毎月おこづかいを渡す
習い事に通わせる
年に1回家族旅行に行く
お年玉をあげる
子供用のスポーツ用品、おもちゃがある(時流にあった新しいもの?)
博物館、科学館、美術館に行く
スポーツ観戦や劇場に行く
毎年新しい洋服、靴を買う
学習塾に通わせる
クリスマスプレゼントをあげる
年齢に合った本が家にある
自宅で宿題をする場所がある
昭和50年代の私が育った末端教会は完全に子供を経済的虐待に陥れてたので、現代の教会子弟が
気にかかります。間違いなく、私は剥奪された子供時代を過ごしました。
上記の項目を子供に提供できていない家庭は、一般的ではないと行政は考えています。
末端教会の皆様。どうぞ天理教の活動よりも自分の子供たちを大切にしてください。
さもなくば、私のように家族不和が待っていますよ。
崩壊 様
そもそも、教皇と真柱を比較することが、おこがましいと言いますか、比較という言葉が適正なのか。
余りの違いに言葉がありませんね。教皇は82歳のご高齢でもエネルギッシュに回られました。言葉の一つ一つにも重みが感じられました。核エネルギーの使用を戒められたのも全人類の幸福を願わずにはいられない思いから発せられたものだと信じています。
一方の真柱は、教会の年祭等に行かなくてもお礼がたんまりと入る不思議。
信仰者の人の数の比較ではないでしょう。如何に誠心誠意努めておられるかだけです。
東風Z 様
教皇と真柱を比較するというよりも、「宗教指導者のあるべき姿」を教皇を引き合いにだして書きました。教皇と真柱を比較することなど到底、不可能です。立派な指導者に大勢の信仰者がついていくのは必然だと思います。
競売大教会は見るも無残な光景でした。しかしこれが現実本部運営の天理教はもう経営破たんしている。皓組織は上手くは回らない。何故ならば本部の経費が膨大であるから、本部さえ居なくなれば分教会大教会は生き残る道はある。しかしそれらを道連れにしようと中山は非道にも居座っているのが現状これが天理教団の現実 これは宗教ではないただのカルトです。御守護?ようきぐらし?十柱の神?もうこの教団には無い。その報いを 競売大教会 競売分教会 と言う形で現れてくる。
「妖気ぐらし」に変えたらどう?
本部は、年内に数百の専任者不在の教会の整理に取り掛かるとか言われています。さて、どのように整理するのか。
今までにこの教会に尽くしてきた人たちの意向が斟酌されるのか。上級教会なり本部が我が物にしてしまうのか。
いずれにしても、過去の貢献が無にされるようであれば、今後は、お供えなんて名目の金銭を前後の見境なく出すことは、結局バカを見ることになるのだろうか。
教会制度の矛盾が露呈したことはまちがいありません。整理教会の不動産等の行方を注視する必要がありますね。
教祖は、このような訳の分からない制度を作れと言われたのか。教団本部は納得が出来る説明をしなければならないでしょう。
いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。
又、天理時報がこの整理についてどのような報道をするのかも注視しなけえばならないでしょう。まさか、だんまりでは済まされないでしょう。
東風Z 様
2019年11月28日 5:41 PM
>>本部は、年内に数百の専任者不在の教会の整理に取り掛かるとか言われています。さて、どのように整理するのか。<<
おそらく、本部の不利益にならないように整理するつもりでしょう。「金儲け」にかけては抜け目の無い団体ですから。
>>今までにこの教会に尽くしてきた人たちの意向が斟酌されるのか。上級教会なり本部が我が物にしてしまうのか。>>
教会本部は、自分達に尽くしてきた真面目で善良な人達の意向など意に介していません。「我が身かわいいだけの団体」ですから。上級教会なり教会本部が我が物にしてしまうに違いありません。
>>いずれにしても、過去の貢献が無にされるようであれば、今後は、お供えなんて名目の金銭を前後の見境なく出すことは、結局バカを見ることになるのだろうか。<<
そういうことです。結局、正直者がバカを見るということです。
>>いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。
又、天理時報がこの整理についてどのような報道をするのかも注視しなけえばならないでしょう。まさか、だんまりでは済まされないでしょう。<<
天理時報は、所詮、一新興宗教の機関誌にすぎません。創価学会の聖教新聞と同じです。日本の大手新聞社である朝日、毎日、読売、産経、日経等の新聞でも、新聞によって論調は違います。天理時報はきっと「だんまり」を決め込むか、教会本部を擁護する記事を書くはずです。そうでなければ、天理時報の存在価値がないからです。しかし、その頃には、天理教の問題は「大きな社会問題」として、新聞だけではなく、テレビやインターネット等で大々的に報道されているでしょう。
補足
>>いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。<<
過去半世紀にわたり、信者数は目を見張るばかりに減少しています。天理教が崩壊する時期のほうが早いはずです。その後、天理教の分派らしき団体が発生するかもしれませんが、現信者さん達は関わらないほうが良いと思います。
部族組織が借金で困っても助けない。競売に係りネットで晒され買い戻す?もう遅い!天理教の人、中山家の人は人格破綻、何が親だ?この毒親が! もう信者の不信は止まらず不満に変わってます!
天高二部の廃止まで取りざたされると聞きました。なりふり構わず手を付けてゆくと言いますか、本部は二部生全員の面倒を見切れなくなってきたのでしょうか。
花壇などの世話をしていた農事部女生徒も居なくなれば、益々殺風景な景観になってしまうでしょう。
まさか、そこまでするとは思えませんが、切羽詰まってきていることだけは間違いなさそうです。
仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。
本来ならば、本部員と言われる方たちのお与えを削減若しくはセロとするべきでしょう。
一般社会では、組織に問題が発生すれば、先ず、責任者が給与の半減だとか、ボーナスを止めるとかの処分をしています。
どこ情報ですか?教えて下さいお願い致します。
東風Zさん、今のところ、2部のお話は、子供達は何も聞いていませんよ
何回も書いていますけど、2部生無しに、おぢばの労働力は足り無い様です、生徒の日当は、扶育費だけなら、1日当たり数千円ですが、人を雇えば、万円かかります。
実際は、教高学園などの卒業生の、昼間の高校の扶育費のお礼奉公 3年と言う義務で、勤務者としておぢばで働く労働動力が無ければ、2部生だけでは、いろんな作業が滞ってしまうと、うちの子はもう上級生ですから、現場から、そう言うのは、判る様です。
だから、高校閉鎖は、これ以上、絶対にでき無いはずです。 花壇なんてレベルじゃ無く、ありとあらゆる現場に、そう言う、学生労働者とお礼奉公の労働者を組み込んで、おぢばは成り立っているのが、現実の様です。
扶育も受けていないのに、勤労奉仕を強制する事は、できませんよ、法律に抵触しかねない・・
それで、600人からの労働力は満たせないし、給料払ったら、さらに予算が要ります。
まあ、私も、子供から、いろいろ聞いていますけど・・教高学園閉鎖したら
全然人が足らなくなるのに、どうするねん?って、現場の勤務者とかは、話しているそうです。
私は末端ですが、お与えなんてゼロです。教会を日夜守り、各種行事に出て一応の事は曲がりなりにもやっています。しかしながら、信者が数人では生きて行く上で少々でも給与として欲しいですが会計的に無理です。
大木の根ばかりが太り、この根は栄養を枝葉に送ってくれない。末端と言う枝葉は枯れ果てていつポキッっと折れるかと言う状況です。すでに大教会クラスがポキッっと来てますね。あちこちで予備軍多数の状況ですね。
我が家は他所から後継者が来ようとも渡せるお金はゼロです。ボイラーは25年経過していて昨年の夏には水が吹き出しました。最近では温度がなかなか上がりません。
水道管も50年越しで今夏漏水して漏水場所を探すのに困りました。
こういった諸経費は全て自腹です。
この親は知っていて知らない顔をする。世間ではネグレクトと言います。内に向いては子供を虐め、世間に向かっては「人助け」を叫び、災害救援などで良い顔だけはアピールする。
本部内に一握りでも崇高な人格者が居れば、また借金にまみれた子を思って心を痛める人間が居れば、今の様に子供が破産したり競売にかけられたりする様な事象は食い止められたでしょう。本部は長く伏魔殿と呼ばれ、善亮は金に執着し、次期後継者はピントが外れ、皆んな今さえよくば、我さえ良くばの人間ばかりです。
本部員だけ結構な給料を貰い、その上、貧乏教会に更なるお礼を出させる巡教に押しかけて来て、、。
もう調子に乗るのもいい加減にして下さい。
東風Z 様
2019年11月29日 2:37 PM
>>花壇などの世話をしていた農事部女生徒も居なくなれば、益々殺風景な景観になってしまうでしょう。
まさか、そこまでするとは思えませんが、切羽詰まってきていることだけは間違いなさそうです。
仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。<<
元々、中身が殺風景極まりないので、花壇の整備を端折るくらいのことは平気でやりかねないでしょう。少子化の現代、いずれ二部も廃校になるでしょう。教会本部にとって、天理高校や天理大学は、野球や柔道、ラグビー、ホッケー等のスポーツによる「宣伝手段」でしかないのです。
>>仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。<<
天理教の現状を鑑み、天理高校二部に進学を希望する生徒も自然に減っていくことでしょう。つまり、天理高校二部は、自然に消滅すると思います。天理高校二部に進学して、雀の涙ほどの「おあたえ」を稼ぐよりも、公立高校の二部に進学し、昼間、実社会で働き、夜間、学校で勉強したほうが、よほど部が良いからです。境内地花壇の整備や神殿等施設の清掃等は、人件費の安価な天理市シルバー人材センターに委託していくかもしれませんが、それも長くは続かないでしょう。
>>本来ならば、本部員と言われる方たちのお与えを削減若しくはセロとするべきでしょう。
一般社会では、組織に問題が発生すれば、先ず、責任者が給与の半減だとか、ボーナスを止めるとかの処分をしています。<<
民間企業の場合、業績が悪化して一番先に手をつけられ、路頭に迷うのは、一番弱い立場の労働者です。いわゆるリストラです。天理教は、上層部の温存しか考えていない団体です、よほどのことが無い限り、本部員と呼ばれる上層部の人達は、「我が手で我が首を絞める」ようなことはしないはずです。
崩壊さん
この不況時代、一円も親の負担の要らない、天理高校の2部の受験希望者は、年々、増えているんです。
定員は増えていないから、昨年だけでも、40人も不合格になっているんです。
お与えなんて、元々、洗剤代、日用品分しか無いんですよ・・
今の、2部生の父兄は、一般信者家庭が、大半の様です、学費はともかく、こずかい位は渡せます。
だから、携帯代も小遣いも親が、渡しているんでしょう、その実態は、私は、我が子から聞いています。
天理高校の2部生は、一般家庭からしても、本当にありがたい存在です。
崩壊さん、ただただ天理憎しのコメントなら、私は、あなたを支持しません。
崩壊さん
批判は、正当に正論でやらなければ、通じないと思います。
私は、我が子がお世話になっている、一般家庭の人間です、だから、天理教に感謝もしています。
基本的に外部の人間ですから、教団の圧力とか何もありません、もちろん知ってると思いますが
私自身は他宗派であり、親神様を、恐れても、守護を当てにもしていません。
天理教を選んだのも子の自由であり、卒業後も子の自由です。
今の私は、天理教団から、何も困る様な事は要求されませんし、もしされたら、我が子の卒業と共に
逃げ出すだけです。
教団本部が、内部の人間に牙を剥き、虐げているのは、問題だと思います。
それは、改善された方が良いと思いますけども、あっても無い事を、とにかく天理憎しで、思いだけで、たくさん書いても、支持はできません。
批判は正当に、事実を書いて、やるべきでしょう、そうで無いと、通りすがり氏の擁護と、
同じレベルだと、私は思いますよ。
もう一つ、言うなら、2部生は、昼間にひのきしんをしていますので
卒業後の、お礼奉公や、一列会への寄付義務がありません。
今後もそれを、無理に課す事は、できないでしょう、その時こそ、希望者がいなくなります。
今は、人気が高く、全日制の教高学園より夜間の2部方が偏差値が高いんです。
親としてはして、ありがたい限りです、
適当な話をされたら、父兄として、黙ってはいられません・・・・
天理教の現状を鑑み、天理高校二部に進学を希望する生徒も自然に減っていくことでしょう。つまり、天理高校二部は、自然に消滅すると思います。天理高校二部に進学して、雀の涙ほどの「おあたえ」を稼ぐよりも、公立高校の二部に進学し、昼間、実社会で働き、夜間、学校で勉強したほうが、よほど部が良いからです。境内地花壇の整備や神殿等施設の清掃等は、人件費の安価な天理市シルバー人材センターに委託していくかもしれませんが、それも長くは続かないでしょう。
何を持って部が良いと言うのか判らない、600人以上いる、ひのきしん者に本部は頼っているので、これを外部に求める事は、予算的に不可能に近い。
崩壊は、キリスト教の回し者か? コメント欄にやたら書くけど、本当に元天理教か疑わしい
事実をともなわない批判は、誹謗中傷に過ぎない
それでは、通りすがりと同列になってしまうだろう
本部にとって2部生がそういう大切な人材ならばいくらご恩奉じとは言え、ただ同然の安月給では人は寄って来ないでしょう。
また、待遇面とは別に 天理教本部が神の目に逆らったまま、本質的に変わろうしなければ人は必然的に去って行くと言う事は天然自然の理です。そう言う意味で、2部は今後下降線を辿るのが自然ではないかと想像します。
今現在では教会長も働きに出る人が増え、我が子の教育位は自力でと言う人達も今後は多くなって来るでしょう。最終的には本部として2部生に頼れなく事態は遠い将来来ると思います。これは長くこの世界に身を置いている者の感覚的想像ですが。
そもそも、二部の設置目的は何なんかをもう一度認識しなおすことですよね。それに沿って存廃を議論すべきでしょうね。私が二部に行かされたのは、勉強はどうでも良かった。ただ、他人のメシを食って苦労してこいの一点でしたから勉強には身が入りませんでした。
昭和30年前後の二部生の勤務先は多岐に亘りました。神具店有り、すし屋、魚や、詰所、教庁、時報社、刺しゅう部、農事部、まだほかにもあったでしょう。だから、中途退学者も多かったように思います。仕事がつらかったのでしょう。魚屋に努めている人は冬になれば手が赤く腫れていましたから。私なんか当初は月月火水木金金でしたから、時報社勤務のものが休みだと言っているのが羨ましかったことを覚えています。
何時の頃から全員が本部勤務になったのか、その経緯は知る由もありませんが、とにかく勤務先が一律になったことは、よい選択だったと思っています。
ただ、本部はあくまでも勉学が目的であるということを忘れないでほしんです。安易な働き手という認識であれば、崩壊様が仰っておられるように公立の二部を選択する方が目的達成には近いと思います。
天理教的に弱い立場の子弟だから使い勝手が良いでは、当事者の気持ちは萎えてしまいます。一にも、二にも勉強しなさいと言ってほしいですね。
二部の廃校の話は教校の話よりも以前に本部の内部事情に詳しい人(二部同窓生)から聞いていました。ただ、先生の処遇の問題は人事のことですから簡単ではないでしょう。でも、天理高校に限らず、少子の時代になれば一般の学校経営も何らかの影響を受けるでしょう。永遠なるものはないと思っておく方が気が楽です。
普通の16歳の子供が、親元を離れて、アパートを借りて仕事ををしながら、夜間高校に通うのは、大変厳しいと思います。そう言うお抱え企業の寮に入るなどしなければ大変ですし、新聞奨学生とかの選択しか無いでしょう。
天理教2部は、健康保険は親の保険ですが、病気になっても、怪我をしても、自費負担分は扶育費から出ますし、寮で面倒を見てくれます。
親は安心して、我が子を、預ける事ができますし、親から自立したい子にとっては、自立も可能です。 お与えは、生活用品を買うのに困る額ではありません。生活費を差し引いて、高校生なら妥当な金額です。
この学校経営に、お供えを投入するのは、十分親神様の想いに叶っていると思います。もちろん、勉学優先で、勉強する時間もあるし、お金に困らず、部活もしっかりと楽しめます。
仕事も覚えられるし、うちの子を見ていても、地元の同級生より、団体生活に耐え、周りを見て動く能力を鍛えられ、大人びており、この先卒業して、企業に就職しても十分生きられると、見ています。
現状としては、父兄として、ここに不満はありません、感謝しております。
希望者もいなくなる? 連投すみません。
息子の受験時より、年々、希望者が増えているのが現状です、現役父兄として、事実を書いているのに、それを無視して、2部に対して適当な評価を下すのは、放置できません。
教団の駄目なところは、改善していただきたいと思いますが、現役父兄としては、学校に対しては、ありがたいと思うから、在学中はお供えもするし、一列会に寄付もしますよ。
受験時に、詰所で一緒になった学生たちは、いやいや受験している子は、判りませんでした。 うちの子もですが自分で志願して受験している印象でしたよ。
実際、いやいやでは、続きませんよ、私の義姉は、2部を最初の夏休みで退学したそうです、団体生活が耐えられなかったそうです。 息子の学年も、5人くらい辞めたそうです。
しかし、だったら最初に40人も不合格者を出す現状に、定員を増やせば良いのにって思います。
今、旧校舎は耐震工事で補強中で、2部生は、仮では無く、新しい新校舎で、学んでいます、旧校舎と合わせたら、かなり定員を増やせるはずなので、教高学園の定員を、天理高校で増やすのか? まあ知りませんけど、そんな状況を、先日のオープンスクールで、見て、ヘェ〜って言う感想を持っています。
教団への批判は、事実なら、それは当然かと思いますけど、高校に関して、父兄が今の事実を書いているのに、それを無視して憶測で、適当に書かれると、我が子を馬鹿にされている様で、親として、見過ごす事は、できませんでした。
崩壊さんは、憶測で適当な事を言わないで頂きたいです。
父親が健在で、高校を夜学ですか。私なら稼ぎの少ない父親を恨むでしょうね。
悪意の中傷ですね、子供達をも中傷していますよね、そう言うのは信仰者にあらず、心貧しき行為だと思います。
うちの場合、私の反対を押し切って、息子が自分で志願したのです。
なぜなら、地元は田舎ですから、勉強嫌いな息子は、下の方の学校しか進めず、そのヒエラルキーは、ずっと言われます。 大人になっても、〇〇高校卒業って言うと、ああ、あそこかって、ずっと言われます。
そう言うのを嫌ったのと、田舎を離れたいのと両方でしょうね、父親からも離れられるしね。
親から離れたい年頃ですからね。
中学校の担任も反対、父親も反対したのに、母親がようぼくだったから、自分で探して、教会長に電話して話しを進めて行った、ここらからもう、自立心が強かったです。
今は上級生になり、2部暮らしを満喫してるし、卒業後は、専門学校へ進みます、その金は、2年で約500万円要りますけど、もちろん、お父さん出してくれって言うので、もちろん私が、ちゃんと用意しますよ。
その後は上京して就職したいそうなので、それも我が子の自由にさせます。
2部に進学した子達は、それぞれ事情はあれど、みんなしっかりした子たちに育っていると思います。
親を恨みながら、生活している子は、ほとんどいないでしょう、子供達は立派に育っています、中傷しないで頂きたいです。
崩壊さんのコメントは、その子達を否定してる様に感じるので、現役父兄として反論させて頂きました。
ただ父親さま、匿名さまへ
…批判は正当に、事実を書いて、やるべきでしょう、そうで無いと、通りすがり氏の擁護と、同じレベルだと、私は思いますよ…
…事実をともなわない批判は、誹謗中傷に過ぎない。それでは、通りすがりと同列になってしまうだろう…
私がいつ事実を伴わない意見を言ったのでしょう??ご提示くださいませ。私の言っている事は簡単です。次の二点がこの掲示板の上で行われたという事実です。
➀真柱発言の捏造
➁稿本天理教教祖伝の改竄
➂作り話とでっち上げ
以上、事実ですよ!
訂正 次の二点⇒次の三点
それは、それは、気に触った様で、すみません
私の興味の範囲は狭いので、じゃあ、この部分は、間違いですね? どうもすみません、謝罪致します。
私にとって、事実と言うのは、教団で起きている物事を指しており
言った言わない、発言の真偽については、見ていて、何の事やら良く判らないです。
社会学に書かれている事は、事実に基づく事が多いので、その揚げ足取りの様なコメントがあると、それはあまり関係ないんじゃないの? と言う印象を持ちます。
教団が行なってる行為、その当事者の告発に、意味があると思います。
崩壊さんの、天理高校の、2部生の実際について、事実を調べてもいないだろうに、私のコメントを無視して、一方的に評価されたのは、現役父兄として、ちょっと待って下さいよ!と言う言う気持ちで、書かせていただきました。
それは・・
通りすがり氏を引き合いに出したのは、教団が末端を虐げている事実、金金になっている、教祖の教えを曲げているであろう、事実を告発されてる当事者の存在を軽視して、あるいは無視されて、邪界学と一括して括って書かれておられる事に、形が似ていると思いましたので、引き合いに出させて頂きましたが・・違うんですね? それは、どうも、すみません。
ただ父 様
従弟も二部に入学しました。北寮の生活に馴染めず、物がなくなるなどのストレスで2か月で退学しました。
良くなったと言われる所以は、色々なプロセスを経て今のような環境が作られたからかもしれません。
でも、信仰とは一面を見ただけでは納得できません。この組織の末端に居た者の悲哀を経験した者にしか苦しみは分かりません。
ただ父様と、崩壊様はじめ天理教に幻滅を感じられた方々及び私とでは立場が余りにも違い過ぎていると思っています。経験しなければ分からない闇の世界があったのです。
その上で、この場で論じられていると思うのです。私は現行天理教は無くなればいいと思っているのです。
でも、信仰をされている方々は、そのようなことは微塵も思っておられないのですから、議論はかみ合いませんね。それでいいんじゃないでしょうか。
東風Zさま
寝ぼけた発言は控えた方がいいと思います。
明治16年当時、雨ごい勤めに使用したとされる甘露台の模型とはどんなものか教えて下さい。
以下の低レベルな妄言こそ、「捏造改竄でっちあげ」の紛れもない事実……..(笑)
いつ教祖が
「「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です」
と言ったのか教えて下さい。(笑)
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
東風Zさん、おっしゃりたい事は、よく判ります。
事実を否定はしません、教団の持つ、闇も、理解は出来ます。
私は、それを否定しているのではありません。
今の2部の父兄として、実態と違う事を書かれて、子供達が誤解されるのが、いやなのです。
崩壊さんは、教団憎しで、2部など行く人は無くなるって、今、2部に行ってる子達を否定した様にも受け取れるのです。
私の説明を一切無視されて、話しを進めました。
それについては、私個人としては、謝罪を求めたいですけど、それはまあ良いです。
だから、事実に基づけば、ある程度一致できますが、人のコメントを丸ごと無視されては、誰が見ても、ちょっと、頂けないかと思います。
あまり正確に内容を書くと、まだ我が子が在学中なので、身バレするから、大雑把にしか書いてはいませんけどね。
崩壊さんのコメント態度は、頂けません。
>>崩壊さんは、教団憎しで、2部など行く人は無くなるって、今、2部に行ってる子達を否定した様にも受け取れるのです。<<
私の投稿が誤解を与えてしまったようですね。大変、申し訳ありませんでした。2部で勉学しておられる生徒さん達を否定しているのでは決してありません。過去から現在に至る天理教団の趨勢を客観的に見て、私なりの将来の予測に基づいて、天理教被害者がこれ以上、増えてはいけないとの思いで投稿をさせていただいています。あくまでも、私個人の予測ですので、天理教が現在の状態から好転していく可能性が0パーセントであると断言できませんが、私には到底そのように思えません。(あくまでの私個人の感想です。)とにかく、2部で一生懸命学んでおられる生徒さん達を否定するような印象を与えたことについて、深くお詫び申し上げます。
また、私は、はからずも、天理教の末端分教会に生をうけ、幼少期から天理教の不条理を見て育ちましたが、幸いにも、青年期にキリスト教と出会い、洗礼を受けることができました。私は現在、プロテスタント系のクリスチャンですが、先日から来日訪問されていたローマ教皇のスピーチには深く感動し、共感を得ました。キリスト教も大きくカトリックとプロテスタントに分裂し、同じ宗教の中で血みどろの戦争やテロを起こしてきた歴史があります。宗教は人間の信仰の仕方や政治利用、解釈次第でいかようにでもなるが故に、反面、大変、恐ろしいものです。「両刃の刃」と言ってもよいでしょう、天理教も、これ以上、本来の教えから逸脱していかないことを祈ります。
…分かり易く、俗なる表現で申し上げます…
…信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば…
文章は良く読んだ方がいいです! 読解力のレベルの話じゃないでしょう。
むろん教祖の言ではありえない。
付け加えれば、rentとlendの違いについても私は言及したと思うよ。
万事こんな訳だから、ここは邪怪学研究所なんだねーー
さて、雨ごい勤めに使用したとされる甘露台の模型について真剣に答えて欲しい。
デタラメを一度言うと取り返しがつかない事になる。
崩壊さま
何を言っても無駄です。言い訳すればするほど、みじめになるだけです。あなたが2部で勉学しておられる生徒さん達を否定した事は誰の目にも明らかなのですから。
通りすがり ちゃん
2019年11月30日 8:22 PM
>>何を言っても無駄です。言い訳すればするほど、みじめになるだけです。あなたが2部で勉学しておられる生徒さん達を否定した事は誰の目にも明らかなのですから。<<
あなたが、どのように解釈されようがあなたのご自由です。どうぞ御勝手に(笑)
崩壊さま
>>あなたが、どのように解釈されようがあなたのご自由です。どうぞ御勝手に(笑)
何を言っても無駄です。
通りすがり ちゃん
2019年11月30日 8:54 PM
>>何を言っても無駄です。<<
それでは、もう何も申しません。さようなら。
崩壊さま
もはや、あなたは何を言っても無駄なのです。
言い訳は自分の首を絞めるだけです。
なぜなら
憶測で適当な事を言う人物である事が明らかとなり
人のコメントを丸ごと無視する人物である事も明らかとなり
何よりも、二部で勉学しておられる生徒さん達を否定してしまったからです。
先日、本当に久しぶりに天理に参拝しました。
数年ぶり?1、2年ぶり?
南礼拝場でお勤めをせず柏手だけを打ち参拝終了。
それから教祖殿、祖霊殿と回りました。
正直甘露台を前に拝をしましたが自分が一体何に対して拝をしているのかわかりませんでした。
とてもその場に神が鎮まっているとは思えない。
信じられない。
思い込まないといけないのか?
なので自教会にも神が鎮まっているとは到底思えない。
と言うことで虚ろな気持ちで神殿を後にしました。
せっかく来たので他の所も回っておこうと思い。
三島神社跡を眺めながらそこに神社があった形跡は全く無く完全に消し去られ、忘れ去られ、亡き者にされたことを思い何とも言えない気分になりました。
教祖は存命だと教団は言いますがもし姿があれば一体教祖は何と言われるだろう?
まず間違いなく怒りを通り越し呆れ果てられるだろうことは想像できるように感じます。
そのあと東側のおやさと館の方に行き閑古鳥の無く館内を歩きました。
そうしてまた思ったことは教祖はこんな館を林立させることを望まれたのだろうか?と想像してみましたがこれも違うのではないかと、そんな形などどうでも良い、もっと大事なことがあるだろう・・・と言われると思わざるを得ませんでした。
正直そうやって回っているうちに気分が悪くなって来て早々に天理を後にしましたが自宅に戻って来てからも気分が悪く調子を崩してしまいました。
とても身も心も洗われるような場所ではないと痛感しました。
特命 様
2019年11月30日 10:22 PM
>>教祖はこんな館を林立させることを望まれたのだろうか?と想像してみましたがこれも違うのではないかと、そんな形などどうでも良い、もっと大事なことがあるだろう・・・と言われると思わざるを得ませんでした。正直そうやって回っているうちに気分が悪くなって来て早々に天理を後にしましたが自宅に戻って来てからも気分が悪く調子を崩してしまいました。
とても身も心も洗われるような場所ではないと痛感しました。<<
特命様と同じような思いをお持ちの方は、きっとたくさんおられることでしょう。
通りすがりさんの崩壊さんへの攻撃はあまりにもしつこすぎませんか?ただ父親さんと崩壊さんとの対話に勝手に割り込んで、あなた関係ないじゃないですか。ただ父親さんは崩壊さんに「私個人としては、謝罪を求めたいですけど、それはまあ良いです。」と仰ってます。また崩壊さんは、「私の投稿が誤解を与えてしまったようですね。大変、申し訳ありませんでした。2部で勉学しておられる生徒さん達を否定しているのでは決してありません。」と誠実に謝って釈明もしておられるではないですか?教祖は「むごいこころをうちわすれやさしきこころになりてこい」と教えられたのではありませんか?それなのに執拗に攻撃を辞めない。あなた(通りすがり)はこれまでの投稿での数々の暴言悪態を諫められても決して謝罪なんかしない。
通りすがりさんのような変態的で気持ちの悪い人格破綻者になるのなら、天理教信者になりたいなんて世間の未信者の方たちは絶対に思わないと思います。通りすがりさんの投稿は現行天理教団の崩壊を進める上では皮肉にもアシストしてますけどね。あなたこそ何を言っても教団擁護においてはもうすべて無駄です。
それと、「真柱発言の捏造」なんてこの掲示板では行われておりません。れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論しただけではありませんか。通りすがりさんが捏造だと勝手に決めつけて因縁をつけ、単にあなたが勝手に大騒ぎして滑稽で惨めなザマを晒しているだけです。
× 真柱発言の捏造
〇 通りすがりが捏造だと騒いでいるだけ
通りすがりさん、これまでの投稿からあなたこそ何を言ってももうすべて無駄であり気持ちの悪い変態異端者です。
崩壊さん、いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
これからもかわいそうな変態異端者など相手にせず、博識かつ素晴らしい投稿よろしくお願いいたします。
特命さんのおっしゃること、すべて同意いたします。リアルなレポートありがとうございます。神は世界全人類一人一人の胸の内にいるのであり、森羅万象が神なのだと思います。
決してあの奈良の田舎の一地点にのみに鎮まっているのではないと思います。
匿名さま
あなたも何を言っても無駄です。なぜなら、甘露台の模型については何のコメントも無いからです。
崩壊さま
信用を無くした後のつまらん戯言はおやめになった方がいいです。
おはようございます
崩壊さんからキチンと一言頂けたので、私は、それで構いません。
今の2部生に、いやいや行かされてる生徒は、ほぼいないと思いますよ、定員100人に対して応募者140人、受かりたくても40人程不合格になります。
自宅から公立高校に行かせる事すらできない父兄も、学費無償化の今、少ないでしょう、親にほとんど、負担をかけずに、生活できて部活も楽しめますから、2部でも良いから、天理高校に行きたいと言う子は、全国区ならそのくらい、いる訳です。
4年間の全寮制夜間高校をやり遂げた事は、子供達の自信になると思います。 そのあとまで、天理教に縛られる訳ではありませんので、そこから羽ばたいていく事ができます、だから2部の存在は、一般信者父兄から見ても、ありがたいと思います。
分が悪いとか、希望者がいなくなるとか、そんな事は、現状ではありません。
もう一つ、2部生は全部で400人、他に、教高学園は全日制ですが、教会子弟はその扶育費を卒業後3年間、同じくおぢばで勤労奉仕する事で返納する見たいですが、その数百人も、2部生と同じく、おぢばを支えている勤務者なので、息子に聞いたら、そこがいなくなったら、作業する人が全然足らないよって、言う話だったので、単純に閉鎖では、おぢばの労働力が足らなくなるから、教高学園の枠を天理高校で増やす予定はないのだろうか? 寮はあるし、天理高校の校舎も増築していますので・・って言う、単純な質問です。
天理教でも、キリスト教でも・・私でも
敬虔な信仰者なら、間違っている、あるいは意図せず不愉快にさせてしまったと、悟ったら、そこは、それはすみませんでした、以後気をつけますって、言えば良いですし、言われた方も、それを快く受け入れて、次に行けば良いと思います。
遺恨を残さず、心サッパリと生きる為に、信仰って言うのは、あると思いますよね。
今回、崩壊さんが信仰者として、どう出られるか? と思っておりました。 私のコメントに、他の方から、私が言われた時も、その件に関しては謝罪訂正しましたが、あえて嫌味を含ませたのは、相手の、ここでの態度がとても信仰者だと思えないからです。
昔書いたけど、信仰するのは、自分の為、自分の性格、人格を高めて行くのが第一だと思いますので、コメントを読んで、この方は性格が悪い? と言う印象を与える様な、そう言う表現は、改められた方がよろしいかと思いますよね。
崩壊さんも事実に基づく批判は当然としても、過剰な盛り批判は、返って信頼を減らす様に感じます、御一考下さい。
おぢばを一周して、私が感じたのは、観光参拝者が多い時でしたから、巨大教団なら、普通の印象ですね。 みんなのいろんな想いと声が空中に溢れていて、ああ、にぎわしいなって言う気持ちです。
個人的な見解ですが、親神様とおぢばは通じている、聞いておられる、教祖殿でも、聞いておられる、祖霊殿・・よくわからない・・ただ、今の天理教は、親神様教祖様に祈りを聞いてもらう事はあっても、逆の方法は無いので、残された教えを元に自分で考え、守護を感謝するしか無いのかな?って思います。
神と双方向の交流ができたら、さらに良いのにって思います。
出せる範囲でお供えを出し、できるだけ参拝をして、残された教えを元に、自分を磨いている分には、天理教に参加していても、特段何も困らないでしょうね。
うちの子も、卒業後は、困らない程度の付き合いにとどめると言っていますからね。
余計なコメント、失礼しました、ありがとうございました。
「真柱発言の捏造」なんてこの掲示板では行われておりません。れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論しただけではありませんか。通りすがりさんが捏造だと勝手に決めつけて因縁をつけ、単にあなたが勝手に大騒ぎして滑稽で惨めなザマを晒しているだけです
真柱発言の捏造について詳しく説明いたしましょう。そもそも「れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論した」のではありません。東風Zさまと匿名さまが、「真柱が全国の教会でかぐらづとめをやれ」と言っているのにやらないのはオカシイだろう」と私に暴言を吐いたのです。要するに東風Zさまと匿名さまは自分の意見として言っています。私に捏造だと指摘されてから、れんだいこのHPにあったもので俺は知らんよ!と言って、れんだいこ氏に責任を押し付けたのです。他人のHPから断りもなくかってに引用して、都合が悪くなると自分の意見ではないと主張するのはまともな人間じゃないでしょう。たとえそれが他人のHPから引用したものであっても、自分の意見として言ったのだったら最後まで責任を持つべきじゃないですか。要するに、東風Zさまと匿名さまは真柱発言を捏造したのと同罪、つまり捏造した事になりませんか。れんだいこ氏は昔から真面目な天理教の研究家ですから、迷惑をかけていると思いますよ。
つづく
ただ父親 様
2019年12月1日 8:00 AM
>>崩壊さんも事実に基づく批判は当然としても、過剰な盛り批判は、返って信頼を減らす様に感じます、御一考下さい。<<
ご指摘ありがとうございます。これから気をつけたいと思います。
崩壊さん、おはようございます。
余談ですが、2部に来ている教会子弟でも、教会に戻り、教会長、布教者を目指すと公言する子は、ほんの数人だと言っていました。 あとは、卒業後に、一般企業に就職を目指しているらしいです。
考えてみたら、2部は、そのまま高卒で就職できますが、3年の勤務者を経ると、履歴書に、天理教教団勤務と書かなくては、なりませんし、経営者が天理教の企業なら良いですが、一般的には、受けが悪いかも?
まあ、今は、若者の人手は不足していますから、杞憂ですかね。
車の免許、できれば準中型を取得していたら、寮付きの配送業など、すぐ就職可能かと想像できます。
天理教子弟の自立の為にも、お礼奉公の無い、天理高校2部は良い存在だと思います、ただ、在学中の生徒のお与えからの貯金では免許取得費用は賄え無いと思います、身の周りの物を買ったら残りませんからね。
そこだけどうにかなったら、十分、ありがたい存在ですよ、天理高校2部は無くなら無い方がいいです・・
ただの親父様
> 自宅から公立高校に行かせる事すらできない父兄も、学費無償化の今、少ないでしょう、親にほとんど、負担をかけずに、生活できて部活も楽しめますから、2部でも良いから、天理高校に行きたいと言う子は、全国区ならそのくらい、いる訳です。
4年間の全寮制夜間高校をやり遂げた事は、子供達の自信になると思います。 そのあとまで、天理教に縛られる訳ではありませんので、そこから羽ばたいていく事ができます、だから2部の存在は、一般信者父兄から見ても、ありがたいと思います。
まったく同感です。
しかし子供を二部に行かせた親としては、子供たちはたくましく育ってくれてはいますが、経済的にそれ以外の選択肢がない情況に追い込んだ教団は許し難いですね。
どこかで子供たちに申し訳なかったと思う一面を、最近感じます。
天理教から離れて7年が経過します。これほど気楽に生活できるのかと日々を満喫しています。掛かりつけ医からは、今の状態ならば長生き出来ますよと言っていただいていますが、自分では、あと、数年の命だと思っているんです。それで十分です。残された時間をより楽しく暮らせることを期待しながら生きていこうと思っています。
16年ぶりにできた4人目の孫娘も2歳になり息子家族共々に充実した日々です。
でも、教会関係者は遠回しにこういうのです。何時までも続くと思うな。これが天理教の本性を現していますね。
よかったの一言が何故言えないのでしょうか。悲しいかな、教会を離れた者への当てつけの言葉としか受け取れません。
個人的な投稿で失礼しました。
特命様。
同感です。私も本部神殿を回ってみても侘しさが募るばかり。心癒される感覚が無い。三島神社があった場所の真っ平らな広場を見る時、見てはいけない物を見てしまった時の様な、嘆きの様な、うなだれてしまう様な、そんな気持ちになります。本部はやってはいけない事をやってしまった。もう取り返しがつきません。
人間思案の行き着く先がこの閑古鳥の鳴く本部に導いたと思っています。ですから地方の教会が現在どう言う状況に置かれているかは推して知るべしです。
うちも今では 人一人来ない教会です。朝晩神殿に佇み、ほんとに此処に神が宿っているのかと思います。空っぽでは無いかと思うこの頃です。
最近、天理教宗教施設で軟禁状態に置かれ、掃除草むしり等を会長夫人の監視状態の中でやらされ、身も心も深く傷ついた人が胸のつかえを吐き出しに来られています。せめて人一人の癒しの場所になればと教会の存在意義をその様に考えていますが、、、。お供え金額や数字や体裁を追う現体制は人間不在で、はっきり言って衰退の元凶だと確信しています。
☆☆☆ 匿名様(2019年12月1日 10:17 AM)☆☆☆
上記の匿名様はもしかすると
匿名
2019年12月1日 1:20 AM 様かと勝手ながら想像しました。
なにせ、私の貧しい筆力では表せないことをズバリ書ききって下さった投稿でしたから、
感謝したほどです。崩壊様に関する気配りにも賛同しました。
今年も12月を迎え、この一年は天理教崩壊の過程が今まで以上に信者の目に耳に露わになった年となりましたね。
本部がこの社会学板を読んでいると噂に聞いていますから、ここは天理教にとって貴重な場であると認識しています。
この場を提供してくださっている方がどのような方かは知る由もありませんが、感謝と共に、今後もご厚意を期待します。
大教会が2回目の競売で落とされたそうです。写真で見る大教会内の様々な部屋や施設。
これまでの信者さん方のお供えが形になったものが教会ですね。
内部の事情通の方々の口からは、経緯を公表することも困難なことと推察します。
しかし、福岡教区の皆様の中にはきっと、いつの日か事情を公表し、今後に向けた提言を出したいと考える方がいるかもしれませんね。
Twitterのような細切れな情報ではなく、例えばこの場にでも公表して頂ければ、今後の教会関係者の道標ともなることでしょう。
以前の投稿の繰り返しになり恐縮ですが、来年の東京教区の記念祭をはじめ、各大教会の創立記念への真柱一家の集金旅行は何としても改革するべきです。
こんな簡単なことすら実行できないようでは天理教本部及び中山一家には「良心のカケラ」さえ無いことがばれるでしょう。
人が運ぶお金で生きてきた方々には、世間の皆さん(私もその一員)がこの暮に来て、クリスマスやら、お節料理やら、やたら出費が増えることに対応できず、心を痛めている状況ってご存知ないのでしょう。
私は売れる物は既に昨年売り払い、年を何とか越しました。今年は苦戦しています。あてにしていた物はお宝やで買い取ってもらえず、先日はブックオフに本を運んで、それでも120円入手できました。
120円でも野菜一つは買えません。しかし100円ローソンに行けば税込みで買える物がいろいろありますから、ありがたく120円を持ち帰りました。
問題は12月の月次祭のお供えでした。一年の終わりの月次祭をはずす(欠席の意味)ことも考えました。それも「アリ」だとも思っています。
ところで!!!そんな私ですがこの度、雑誌のパズルにあたりました!
現金が入手できます!(まだ送られてはいないのですが。)
僅かな金額ですが、雑誌購入にかかる経費を差し引いても黒字です。
あとはUCCインスタントコーヒーのラベルを貯めて応募したスイーツプレゼントが、息子や孫に当たれば、クリスマスプレゼントに代わるモノとなるでしょう。
私の技術を生かして作った手作りの物などは、喜んでもらえない淋しい世の中です。流行の「スイーツ」、これならば喜んでもらえるでしょう。
今年も体にいろいろ問題を抱えながらも医療費削減に協力することを目的に自己治癒能力に期待して過ごすことができました。
18歳から始めた献血は、今年を最後とするつもりです。70歳の誕生日の前までは献血可能なのですが(継続者にかぎっての条件です)、今年の献血で怖いことがあり、もう、限界かもしれないと悟りました。
皆様、どうぞ来年もこの場をお借りして、皆さんで学びあいましょう。
古参の投稿者の皆様方、経験豊かな皆様方からのご意見を拝読することで、私もそれなりに信仰生活を生きる方法を学ばせて頂いています。
ありがたいことだと感謝しています。
ただ父親 様
2019年12月1日 9:29 AM
>>余談ですが、2部に来ている教会子弟でも、教会に戻り、教会長、布教者を目指すと公言する子は、ほんの数人だと言っていました。 あとは、卒業後に、一般企業に就職を目指しているらしいです。<<
おはようございます。きっとそうでしょうね。現在の天理教の状態を考えた時、天理教と関わりをもつことを希望する若者は稀少だと思います。
>>3年の勤務者を経ると、履歴書に、天理教教団勤務と書かなくては、なりませんし、経営者が天理教の企業なら良いですが、一般的には、受けが悪いかも? <<
コンビニの高校生アルバイトや、その他事業所での高校生アルバイト、あるいは新聞奨学生でも履歴書に〇〇事業所勤務と記載する必要はないはずです。天高二部の卒業生だけ天理教教団勤務と書かなくてはならないのは不思議ですね。一旦、社会にでれば、後は、本人の努力次第、実力次第でいかようにでもなるはずです。「受けが悪い」とのご心配は無用かと思います。
>>在学中の生徒のお与えからの貯金では免許取得費用は賄え無いと思います、身の周りの物を買ったら残りませんからね。<<
生徒を社会に送り出す以上、せめて就職必需品ともいえる運転免許取得費用ぐらいは「お与え」に算入するべきだと思います。学校側の配慮が必要だと思います。
東風Z 様
2019年12月1日 9:58 AM
>>教会関係者は遠回しにこういうのです。何時までも続くと思うな。これが天理教の本性を現していますね。よかったの一言が何故言えないのでしょうか。悲しいかな、教会を離れた者への当てつけの言葉としか受け取れません。<<
本当に「天理教の本性」そのものですね。真の宗教者であれば、人の幸福を祝福するものです。
「命のレンタル料」。
地球上の70億人。我々70億人の中の一人一人ですが生命が始まって以来長い歴史を刻んでいますが神様に料金を払って進化を続け今まで生きてきたのではありません。神は一人一人の身体に入り込み、またあらゆる生命体の中に入り込み、守護し続けておられます。
たまたま人間として生まれた我々高度な生命体は、その感謝の思いを周囲の人々にわたして行く事こそが報恩感謝の行為です。神にレンタル料とは神の冒涜です。
神様は天然自然の理であり神と人間の関係性において料金が発生する事は有り得ないです。神は無条件にして全てを包み込み守護し続けます。
教団が言う「無い中を出すのが尊い」とはその通りです。
神の真意は我さえ良くばの欲を捨て、きょうだい達に使えと言う事であり、助け合う隣人愛こそが親神の望みですからその体現に為に無い中から人の為に金を出すのが尊いのです。
我々が出したお供え金が教団一部の欲深い人間の所へ流れている事実を知らされず、無理して無い中出すお金は尊い物でも何でもなく、ドブに捨てる様なものです。
はっきり言えば、あなたも私も教団に「騙された」と言う事です。
ここでも証言され暴露されていますが、真柱一家、後継者一家諸々の権力者が全国の教会からどれだけの莫大な札束を持ち帰っているかということです。我々が無い中神を思って出したお金ですよ。
彼らは徳が高い訳でもなんでも無く、徳は使い果たして擦り切れ、ただ中山家に生まれたと言うだけの権力者であり、残念な事に欲が深く、信者より自分の方が大切な人達で、信者には極貧を要請するが自分達は貧に落ちきっていない。そう言う事実が厳然と横たわっているわけです。
命のレンタル料と言う発想は神を利用した強欲な詐欺的発想です。)
人間同士の助け合いが見たいと思った親神が人間を創られた。その最初の御心に思いを致しましょう。決してレンタル料を出させようと言う差し引き勘定的発想はあり得ませんから。
本部の虚言に騙されない様に気をつけましょう。
命のレンタル料ということは、レンタル料を支払わないと人間は生きていかれないということですね。それでは、天理教に「お供え」しない他宗教の信者さん達は、全て命が繋がれずに死に絶えるということですね。本当にナンセンス、馬鹿馬鹿しいとしか表現のしようがありません。さすれば、天理教に全くお供えをしていない私や妻は、近々、天に召されるのでしょうか? そろそろ身辺整理をしたほうがよろしいのでしょうか?
そういう馬鹿なことを平気で言ってのける表さんは、一度、精神科の専門医を受診され、精密な検査を受けられる必要があると思います。お金持ちの表さんこそ、たくさん「お供え」になり、幾久しく命を繋いでもらってください。
古い元教会長さん・・
「しかし子供を二部に行かせた親としては、子供たちはたくましく育ってくれてはいますが、経済的にそれ以外の選択肢がない情況に追い込んだ教団は許し難いですね。
どこかで子供たちに申し訳なかったと思う一面を、最近感じます。」
経済的にそれ以外の選択肢が無いって、どう言う事でしょう?
教会子弟は、卒業後も天理教に関わる契約をして、全日制の多額の扶育を受けられるので、教高学園に行きますが、一般信者家庭は、そんな、条件は聞いて無いので、普通に、全日制の天理高校に進むと、自費負担が大きいと言われました、ただし、天理教に縛られる事はありませんけど・・だから2部を選択してるのは、一般信者家庭が多く、1部に行かないのは、成績が足りない・・全日制の学費、寮費を負担するお金がない (私は寮費まで出す余裕は無かったのと、息子の成績が足りなかった) と言うだけで、地元の公立高校に進め無い訳では無いと思いますけども。
いろんな理由で、地元の公立高校を蹴って、天理高校2部を、選んだと思いますけども、お金が理由の子は、今現在かなり少数派だと思います。
みんな、内緒で携帯持っていますし、親から小遣い送ってもらってるみたいですし・・直線的に、教団許し難しって言う具体例が判りませんわ・・
まあ、免許証に関しては・・おぢばの正規勤務者になれば、お与えも増えて、取得できるとは聞きましたけどね・・
上記の匿名様
心に響く投稿、読ませていただきました。心豊かに過ごされているご様子が伝わって、私の反省の一助にさせて頂きました。私の経験から申しますと、宗教は大人になってからでも遅くないという思いです。
教団自身が大人になっていただきたいです。でも、もう遅いかもしれませんね。天理教の関りの全てが悪かったとは思いませんが、子供に説く教えではないと思っています。
ただ父親様
>経済的にそれ以外の選択肢が無いって、どう言う事でしょう?
分かってもらえないと思いますが、その頃の教会の貧困は常識を超えていました。
お金を持つこと、貯めることは悪でした。
神を信じ、上級を信じて全てを捧げ、無理に無理を重ねて「おつくし」をしていたのです。
子供に必要な者は、お下がりを貰いまわり、何一つ買ってやる事はできませんでした。
高校進学についても、費用のかからない二部以外は考えられませんでした。
その子から毎月、お供えを貰っていました。
今の天理教の常識とは、また違う常識がありました。
疑問も質問もあると思いますが、そんな特別な世界観が天理教の常識だったのです。
おそらく、理解出来ない世界だと思います。
東風Z 様
2019年12月1日 7:15 PM
>>私の経験から申しますと、宗教は大人になってからでも遅くないという思いです。
教団自身が大人になっていただきたいです。でも、もう遅いかもしれませんね。天理教の関りの全てが悪かったとは思いませんが、子供に説く教えではないと思っています。<<
その通りだと思います。宗教はある程度、社会経験を積み、一般社会の価値観やルール、常識を少しでも知った年齢になってから始めたほうが良いと思います。「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが、社会経験の乏しい、善悪の判断が正常にできない若者が宗教に交われば、そのまま「朱の色」に染まってしまいまう可能性があります。「朱の色」のようにきれいな色に染まれば良いですが、「汚い色」に染まる場合もあります。天理教には少年会や鼓笛隊という幼少期から加入できる組織がありますが、幼少期から「汚い色」を刷り込まれ、洗脳されれば、脱色するのがとても困難になってしまいます。「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、その通りだと思います。
色々な方々のご意見勉強になります。私は、以前より教団がもっと、直属が、大教会が、その直属がもっと所属する教会の状況をみて、親身になり我がことと思い、つとめてくれていたらと残念でなりません。が、一つ言いたいことは、そういった中でも、御供えをしないのも自由、おさづけを取り次ぐのも自由、上級に参拝するのも自由。何かを恐れているのでしょうか? 私は私用で、ご相談申し上げたら、全てのご用を強制自体しろといわれ、「なんだそれ」! 。 親身になって下さる先輩会長さん、信用をおける道の仲間にだけ事の由をお伝えしたら、「直訴してやる」とか「これも、なにかのチャンス」と、本当に私の道の仲間はありがたい存在です。 それと、天理教というものをひとくくりにするのではなく、教会本部のやりかた、又は、ひどい教会とかにして頂きたい。こんな私でも現在も、共におやさまの教えを根を掘りながら、組織に屈しない弱小分教会もあることを、記しておきたいと存じます。
まだ使える雑巾様
そうですね。真面目に親身になって悩んでくれる、組織に屈しない教会があるだろう事は想像しています。皆本部のやり方に疑問を持ちつつ、しかし教会として人のお役に立とうと誠実に人間らしく生きている方々です。
誠実な人ほどもがいています。どうあるべきか苦しんでいる。誠実であろうとすればするほど悩みの深みに入って行くのです。
誠実な人は立ち止まって悩み、開き直った人ほど自分が濁流に流されている事に気がつかないんです。何事にも思慮深く物事に対峙したいと思います。
一握の正義が苦しみながらもこの世界にまだまだ残っているのも現実です。
東風Zさま
※※※
れんだいこ様
とても残念な事ですが、あなたのHPに掲載されている「真柱発言」は、あなたが捏造したという事になっています。あなたに断りもなくかってに利用し、捏造を指摘されると「おれは知らねえよ、れんだいこに聞け」と言って、すべての責任をあなたに押し付けています。あなたのHPが良識あるHPである事は昔から存じあげています。たぶん八島グループにダマされて掲載したものだと思います。ここの掲示板は思想統制がされていて、正統な発言も、「桜を見る会」の不正を与党が全員で隠蔽を画策しているように、隠蔽されてしまいます。常に正統な発言を繰り返している「通りすがり」さんも排除されました。私が「通りすがり」さんに代わって、この掲示板の不正を指摘させて頂きたいと思います。
※※※
東風Zさま、あなたはとても立派な記事を投稿されているようですが、真柱発言の捏造をれんだこ様に押し付けたという卑劣な行為をどのように思っておられるのでしょう。良識ある人間のする事ではありませんよ。
東風Zさま
人間は一度過ちをおかしていまうと取り返しがつきません。
他人に濡れ衣を着せてしまいました。どんな言い訳がありますか?
お答えください。
思想統制されているなら、ただ父親など、出入り禁止になりますよね。
HNで書いてから、連続で匿名で書いても、別のHNで書いても、暴言で無ければ、管理人さんは、放置してくれます。1人何役でも可能です、管理人からは、判りますけどね。
真柱発言に触れてない人が多数です、それに関知しない人は、その話題に興味は無いですよね。
本部の行動、偉い人の言動、それらの、事実、実態を聞くことが出来ることに価値はあります。
もちろん、ウソ、だと思える内容、本当の嘘は、ダメですけどね。
事実、経験に基づく、内部告発を、知りたい人が大半であって、通りすがり氏みたいに、邪会学などと揶揄する、アカウントには、、多くの読み手は興味が無いんだと思います、だから返事も相手にもしない訳です。
私も、通りすがり氏には、興味が無いんですよ。
真柱発言の捏造とか、でないとか、どうでもいいんだですが?そもそも教祖、本席亡き後の天理教自体が捏造なんですから
「常に正統な発言を繰り返している「通りすがり」さんも排除されました。」
(自分)で自分を正統ってか? 自分以外は、ここではスルーだからな?
つまり、正統な、天理教徒は、上から目線で、人を小馬鹿に、揶揄するって訳だ、自分への揚げ足取り、「命のレンタル等」 には答えないけど、人の揚げ足は、ずっと取り続ける、ねちっこい性格も、正統なる ようぼく、の姿なんだな?
やめてくれよ、親神様も教祖様も呆れてるよ、客観的に見て、あなたさ、性格が未熟にしか見えないよ? ネトウヨと同レベルだよ、悪いけど、今後も無視しても勘弁ね!
東風Zさま
れんだいこ氏のHPを利用するだけ利用して、都合が悪くなると、れんだいこ氏に責任を押し付ける。同じ人間として恥ずかしくないんですか!
管理人さま
通りすがり氏を排除した理由をきちんと示すべきです。根拠もなく排除しては、思想統制された掲示板だと言う事を認めた事になりませんか。
普通の親父さま
たわごとはおやめなさい!
ヒステリーかい? (笑)
たわごと? 興味ないな、ここを炎上させて、攻撃してるのは、あんただよ。
興味が無いから、大半の人が無視してるんだよ、命のレンタルとかやめてくれよ。
思想統制って言うのは、異論を書かせないって事だが、あんた書いてるじゃ無いか?
あんたこそ、ここを閉鎖に追い込みたいんだろう? それを思想統制って言うんだよ。
自分で、掲示板でも作りなよ、どっかへ行ってくれよ?
あんたを仲間外れにするのは、嫌な奴だからだよ、バイバイ〜
匿名各位様。
東風z様は情報元を開示しただけで、詳しくはそちらにお尋ね下さい、と仰ったまでだったと思います。ソース元の人間が捏造したなどと言う悪意のある事は仰ってなかったと思いますが。
正当な発言をしている方々への言いがかりの様に思えます。陰険ですっきりしません。
私が経験した天理教の上級の方々もこんな感じでした。道理をねじ曲げて無理を通しておられました。まともに話のテーブルにつける方々ではなかったので、どうぞどうぞで道を開けてお通しさせていただきました。
天理教の現実を直視し、衰退の原因がどこにあるかを冷静に分析し、改めるは改めて考える方向に向かわないと結局は自分達の首を絞める事になるのではないかと思っています。
あるツイッターより
>>たまえ奥さまは、母が身上での困りごとを相談すると、すぐに解決して下さり、遠慮なく参拝する事が出来ましたが、大亮様は、お願いしても、何もして下さいませんでしたね。
不足してはいけない事は、解っていますが、対処する…とのお言葉を信じていただけに悲しいです。<<
もう 期待しない方が良いのですね。彼は苦労を知らず経験も浅く身が詰まっていないのにただ持ち上げられてハシゴを外されているお方です。する事為すこと本筋から外れた事しか考えられなくて、ましてや人の心に寄り添う度量も無いのでしょう。
ツイッターで愚痴をこぼさざるを得ない方がいる。彼は神を語る次期真柱として、人の苦しみに寄り添える事が出来るのか?それとも口先だけでその場を濁すだけの人なのか?
ラストエンペラーならぬ
ラスト真柱
そうならないように頑張ってもらいたいけど、難しそうですね。
教祖150年祭が最期の年祭でした。おしまい。
みたいな将来が頭に浮かんで来ます。
まあ、自分の身は自分で守り、さらに神の守護があっての人生だと思います。なんでもかんでも神頼み、人任せでは危うい。
明日も頑張ろう
阿呆になりなされや〜。
アホになったらみんなまぁるく治るんや〜。
そやからみんな阿呆にならにゃあかんのやあ〜。
そう言われたといい、10年たって意味が分かってきたとおっしゃってました。
難病の診断を受けながら、症状もほぼ出ずに毎日健康に廻廊拭きをなさって、毎日12下りを踊って、足腰も肩も痛くないとおっしゃる方がおられました。
その方の御子息はがんが消えたとおっしゃってました。
誰のためでもない。自分のためにやって、結果は自分のためになると思います。
阿呆になりなされや 今ではこういうことを言ってくれるのは高齢の方々だけです。
こも言葉の意味は深いと思います。
阿呆になって、それから随分先になって、あるいは世代を超えて結果を出すのだと、一ようぼくは思います。
信仰というのは、神を中心に自分と向き合う事でもあると思います。 自分の問題なんです。 人には寛容さを持ち、人の尊厳を守り、人に優しくあると言う、内面を作るのが、信仰と言うものではないかと、私個人は考えています。
思想統制とか、面白いことをおっしゃる方が見える。 思想統制って言うのは、真柱様万歳! しか言わせないか、あるいは、表頭領は阿呆だ! 以外の意見を言わせない場合を指します。 どちらでも書けるなら、思想統制などされて無いんです。
サイコパスに何言っても、無駄かもしれませんけども。
正統なる教えを習得された、「ようぼく」を自認する方なら、天理教は、やっぱり素晴らしい!って、どれだけの方に訴えられるか? やっぱり天理教しか無いって、どれだけ、サイレントリーダーに説得力のある事が言えるのか?
あるいは、教団本部は正しい! 表頭領こそ真実! でも良いと思いますよ。
このコメント欄では、それを書く事も可能です。 ただしアウェイですけどね。
正統なる教えを習得された、ようぼくは、教団本部への批判をしないと言うなら、揚げ足取って、取るに足らない存在扱いされる人を責めて、ヒステリーを起こしていないで、大多数のサイレントリーダーを唸らせる様な、説得力のあるコメントを書かれたら良いと思います。
宗教法人天理教本部教
これが天理教
人が立て合う世の中、それは、異なる文化、異なる宗教観を持つ人達であっても、互いに認め合い、尊重し合い仲良く暮らせる世界では無いかと思います。
だから、地球は、一つの価値観、宗教観で統一される事は無いとも思います。
いろんな考えの人、文化的背景を持つ人、地域性もあります、それらの人々が、互いに互いの尊厳を大事にして、尊重し合って、仲良く暮らせる社会を、地球上に実現するには、
実は、宗教に取っては、自分の宗教を拡大するのでは無く、互いに異教徒をも尊重すると言う、相反する考えを、持たなくてはなりません。
お前の神は、我が神の敵だ! 滅ぼしてやる!・・悪魔です。
だから、宗教とは、内面の追求であり、それぞれ個人で一つの神を追求されたら良いですが、社会の運営は、一つの神に頼らず、人権を重んじ、哲学と法律と話し合いで運営する必要があると思います。
陽気暮らし社会を標榜する宗教教団であっても、実態は、互いに否定、尊厳を奪う、身分の上下ありです、これは、まだまだ、みんなで練り合わなきゃ行けないと思いますよ。
古い元教会長さんの話に出てくる、昔の教会のお話、それしんどいお話ですよね。
東風Zさんの経験談、良く我慢されましたよね、大変でしたね?って思います。
崩壊さんのお話も、判ります、毎回恨みがこもっていますもん (笑)
しかし自己責任ですよ、確かに、信仰3代、4代、生まれた時から、レールに乗って、気がついたら、走ってるんだもの、なかなか変えられないですよね?
でも、結果として自己責任になってしまうよねって思います。
だから、皆さんが、ここで告発、警告しているお気持ちは、良く判ります。
ただ、怨嗟を書き連ねても、読んでいて、理解はできるけど、つらいだけです。
できるなら、今、その渦中の中で、悩んでいる教会子弟などに、信仰的自立を目指せるように、希望ある導きのコメントを、もっとされたらよいとも思います。
例え子供でも、一般家庭に育った子は、天理高校で教義科目で教えを習っても、染まる様で染まらない、ましてや、普通に生きてる大人は、何度、別席を運ぼうと、守護と引き換えにお供え? まあ、お付き合い程度にしておこ・・今の時代はそんな物ですからね。
ここは思想統制はされていない場所です、異教徒でも意見を書けます、ありがとうございます。
2019年12月2日 5:28 PMの匿名 様
お尋ねの件、私がどのような投稿をしたかを探し出していますので、もう少しお待ちください。
続投をお許しください。
私の投稿が原因でこの場を始め皆様にご迷惑をお掛けしてしまいまして、深くお詫び申し上げます。また、支えを下さっている方々には感謝の気味でいっぱいです。
先の投稿の現状ですので、ハッキリした折には改めてコメントさせていただきます。
又、れんだい様の著作権を侵害したとの申し出がありましたら、私の出来る範囲でお支払いできるものであればさせて頂きます。
とりあえず、御礼と併せてお詫びを申し上げます。
東風Zさん、話題にあげただけなのに著作権侵害はありません。ご心配なさらないでください。
USA大教会の土地、建物の競売はUSAの部内教会が買い取ったそうです。
どうなってるんだ、この流れは
匿名の一人です。
以前と比べ匿名が増え、しかも訳の分からない匿名書き込みも見受けられる現状。
読んでいてイヤな気分になることが増えました。
●しつこく「からむ」人。
●発言の趣旨をねじ曲げて受け取り、自説に引き寄せようとする人。これはある種の暴力的発言にも等しい。
●やたら文尾に「?」をつける気味悪い人。共感を求めているのかもしれないが薄気味悪い影がちらつく。
●オカルト信者の自分を棚に上げ、キリスト教ベースの人を揶揄する人。
●まじめな東風Zさんの人柄も理解しないで「いんねん」をつける人。この「いんねん」はヤクザの言いがかりのこと。
匿名として時々書き込むことで、この板の存続を図ることに少しでも協力したいと考えるのですが、そのような私でも読んでいて嫌な気分になることが多いこの頃です。
時に流れを変えようと試みても、上記のような人たちの「しつこさ」には辟易します。
これでは本部を喜ばせるだけでしょう。
以前には、親のいう事は黒でも白と思えとばかりの封建的なおさとしが横行していました。
今でも理不尽な親はいるものの、社会学の板から得る考えや、各種情報などで、救われる思いでいる人は確実に増えています。
これはTwitterとの大きな違いです。
「あらし」行為をして楽しんでいる輩と、まじめに宗教・信仰と社会問題を考える人たちと、見分けをつけながら読むようにしていますが、正直なところ、アラシの人を見るにつけ、いい加減にしろっ!と感じます。
そして怨嗟を書くことに批判する向きもあるようですが、綺麗ごとでは救済できない事実を披露している人への理解が浅いと感じます。
綺麗ごと、掛け声、うちの大教会長はいつもそうです。具体的お助け・においがけなどできない人だから、そのような講話になるのも必然なのでしょう。
つまり、「わかっていない」人が多いからこそ、社会学の場での発言が貴重なのです。
前にも書きましたが、中には立派な大教会長さんもいます。その方の月次祭講話を聴かせて頂くと、感激するほど天と地の差を感じます。人間としての資質の違いなのでしょう。問題を我が事として深く考え、その後、浮かび上がった言葉で話しますから、結論の違いが有る事があっても、真摯な宗教者として尊敬できます。
想像するに、その方は社会学にも目を通されているのだと思います。
宇佐の部内が買い取ったとは。買い取った部内教会の信者達はその行為に納得してるんだろうか。
信者に相談したのだろうか。 信者が納得したとは思えないが、その為に信者にとって終わりのないお尽くし地獄がが待っているなら本当に気の毒だと思う。きっと信者達の内部では泥々した思いが渦巻いていると思う。
文句を言わさず、はいはいと素直に親の言うことを聞けと飼いならされた我々信者の悲劇がこんな所でも起きているのかも、、と思うと改めて上の人間にとっては家来の出すお金には重みがないんだろうなあ、と思います。
東風z様。
実体験は説得力を有します。筆舌に尽くせないほどの苦しみを体験した人は人の苦しみに寄り添えます。この掲示板は多くの人々に天理教の実態を知らしめ生きる導きになっていると思います。本部の偉い方々や上の位置に置かれた上級教会の偉いとされる方々の多くは我々が受けた様な苦しみの体験がほとんど無く理解できないので口先三寸に終わり、人を感化する力も癒す力も持ち合わせないのが現状です。天理教の残酷さは後世に語り継がねばならないと思っています。
2019年12月3日 10:48 AMの匿名 様
ご教授有り難うございます。もう年齢ですので、そろそろ失礼させて頂こうと思いながら、ついつい同じことや余計なことを投稿してしまったのではないかと反省しております。
天理教にとっては、一番大切なおつとめについて、本部と八島氏の大きく違った見方を見ますと投稿したくなってしまいます。以前にも同様の内容を投稿しましたので、ご容赦ください。
例えば、本部員の永尾隆徳氏が著わされた「みかぐらうたの心」を読んで頂ければいいのですが、一例では、あしきをはらうてたすけたまへは、当初慶応2年(1866年)、教組が69歳の時に、あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと、というお歌を始めておつくりになりました。これが。みかぐらうたの始まりであります。『稿本天理教教祖伝』73ページ参照とあります。以下、中略。
明治15年に二段まで出来ていたかんろだいの石が官憲によって取り払われた。そのとき、第三節の手振りは元のままながら、「いちれつすます」の句は「いちれつすまして」と改まり、それに伴って、「あしきはらひ」は「あしきをはらうて」とあらためられました。(稿本天理教教祖伝)100ページ参照。と書かれています。
一方、八島氏の説では「あしきをはらうて」は、明治21年東京に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして、本席の許しもなく作られたものであります。と櫟本分署跡参考館発行〈立教165(2002)年10月26日発行〉の『みかぐらうた』【復元版解説付き)に書かれています。
ご参考。永尾氏の著による。
第一節 あしきはらひ 慶応2年
第二節 ちょとはなし 明治3年
第三節 いちれつすます 明治8年
第四節 よろづよ八首 明治3年
第五節 十二下り 慶応3年
とあります。
なお、第一節から第五節という呼び方は、二代真柱が、その著書にお使いになっています(中山正善著『続ひとことはなし その二』2ページ参照。
このように、教組が出直しの際に急き込まれた「おつとめ」がこれほど違うのは教義の根本を問う問題だと思うのですが、関係者は誰一人として問題提起されないのが不思議です。
更に、八島氏の著書には次の内容が書かれています。れんだいこ様のブログと混同してしまったのか、あるいは、この著書の内容を誤って投稿したのか、今のところ以前の投稿が見当たりません。更に探しています。しばらく猶予を頂ければと思っています
〈(立教160(2002)年10月26日発行・立教168(2005)年4月18日改訂・櫟本分署跡参考館・〒:632-0004天理市櫟本町3071番地・℡:0743-65-4902)より転写しました。
立教160年正月26日の春季大祭の真柱の神殿講話で、「教祖が教えてくださったかんろだいつとめを国々所々の教会でつとめるのがよふぼくの任務である」というお言葉を頂きました。それ以来、その努力を進めて四代真柱様も立教163年春季大祭の神殿講話で「つとめは、第一義はぢば・かんろだいを囲んで勤めるかぐらつとめを指しますが、その理を頂いて、国々ところどころでも月々のおつとめを勤めるのであります。」と仰いました。
教祖が教えてくださったおつとめに復元いたしますと、このようになります。
教祖時代のおつとめは、よろづよから始まって十二下り、そして、かぐらつとめです。
よろづよから十二下りのておどりの部分で心を作って、かぐらつとめをする。だからこの順番になっているのです。かぐらと言われる部分は「ちょとはなし」から始まり「いちれつすましてかんろだい」です。
皆様のなじんでいる「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」というつとめは明治21年東京に神道天理教会本部が出来た時、朝夕のおつとめとして、本席の許しもなく作られたものであります。
神道天理教会本部が奈良に移転した後、東京で前川菊太郎の名前で出版された『御かぐら歌』に初めて載ったもので、教祖の時代にはなかったのです。
教祖時代のみかぐらうたが、今まで整理されず、解り易く印刷されたことがなかったから、この度、出版することにしました。
明治の初めから天皇制国家の神道教理に基づく思想統制が有って、応法の理しか印刷できない日本の歴史がありました。
敗戦によって法的な規制が無くなっても、占領軍に合わせなくてはならないという事の他にも、いろいろな事情があって、永年皆が覚えてきた応法の理で良いのではないかという意見もあって復元が遅れました。
世界の情勢は天皇制軍国主義時代の思想の説き方が許される状態ではなくなっています。それで、真柱様の教祖への復元が、強く説かれたものと思います。このような時代の要請で、この度、初めて『みかぐらうた』(復元版 解説付き)として印刷いたします。
念のため申し添えますと「天理王命」の神名は、明治21年東京の神道天理教会本部が、本席がおさしづで禁止しているのに、目標札を発行いたしました。その時から使われるようになったのです。
ですから、本部が説くみかぐらうたと八島氏が説くみかぐらうたのどちらが本当なのかという事です。
これを明らかにするためには、史料集成部をオープンにしなければならないのか、という問題にも直面します。
立教から200年を経ていないにもかかわらず、このようなことになったこと自体が不思議ですね。
仮に、八島氏の説かれる説が正しいとしますと、あしきをはらて・・・を朝夕に21回も称名として唱えていることの無意味さが際立ってしまいますね。
教団本部は、八島氏が異端だと決めつける前に、根拠を示して現行の正しさを証明していただきたいですね。何故このようなことを言うかといいますと、言っておられることと、やっておられることが余りにも違い過ぎるから信用できなくなるからなのです。
天理教を調べていくと、八島英雄氏があり、いろんな所で取り上げられていて、片鱗しか判らないですが、天啓を排した、劇画中山みき物語の基礎でしょうか?
神がかりを否定した、天理教学という印象です。
もう一つ、芹沢光治理文学と井手国子のお話など
死の扉の前で、こんな一聞がありますよね
「真柱が、「いくら献金しても、神様は喜ばんのだ。神様の欲しいのはまことだからなあ。」
芹沢氏が「真柱、本部で普請をしていれば、信徒も大教会長も、なんとしてでもお地場へ尽くそうとします、その努力はお道でいうまことではありませんか。僕は少年の頃信徒の月掛を集める役を仰せつかって、子供心に悲しい経験をしたことがありますが・・・(中略)家族のうち大人が絶食して献金をつくった信徒もありましたよ。少年の僕は、ご本部って、いやな所だなあって思ったけれど・・・この貧乏な信徒の身をけずるようなおつくしはまことではありませんか」
「うん、そうだ。だから、この男が献金額を信仰だと考えて、その額の多いことを競うのは、まことでも信仰でもないんだよ」」
芹沢氏は、神がかりを肯定されていますが、現教団のありようを否定されている。
今の教団本部の印象は、一言で表すと
「理立て(お金)を神様の元(本部の運営の事)へ運んで、人助けのために運んでいただく」
お供えを本部にあげて、世の為に使っていただくのが、守護のお礼、守護と引き換えって言う事でしょうか?
正統なる、天理教徒の定義とは、なんだろうなあ、八島教学的に言うと、教祖様の教えを、理論的に実践している人だろうか?
芹沢氏的には、神の意思をしっかりと体現できる人なのだろうか? お助けを表せる人なのかな?
現教団的には、親に逆らわず、せっせとお供えを、持ってくる人と言う事かな?
通りすがりさんは、こう言う意味で「正統」な人って言う意味でいいのかな。
?ばかりで気持ち悪い?? いやあ、天理教自体、? が多いからしょうがないじゃない。
子供の頃、母から、第一節の21回は「じゅうじゅう(十々か充々)もう一回」という意味合いのように聞きました。
21回も「たすけたまえ」と唱えるなんて、すっかり拝み祈祷になっていますが、おそらくは転輪王に親しんできた信者たちに新たな神名を受け入れさせるための刷り込みが目的だったのではないかと。それと単調なリズムで特定の言葉を繰り返すことは人間の思考力や判断力を低下させる効果があります。国歌や軍歌・社歌など半分近くがリフレインなのもそのためです。オウム真理教の「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!」という掛け声も同じく、マインドコントロール・洗脳の常套手段と言えるでしょう。
成ってくるのが天の理と言う教えがあります。成ってくる姿は神の思召しであり、希望しない姿を見せられても喜びに変えようと言う事であり、どれだけ救われた言葉であったかと思います。
支部長の話では今現在、全国の天理教教会に於いて、名称はそのままに無人の教会が1000箇所以上有るそうです。本部からの郵便物が受取人不在でそのまま本部に舞い戻って来る数だそうです。
かろうじて息絶え絶えで生き延びている教会がその後に続いています。その数はおそらく数千箇所でしょう。現状を鑑みると数千箇所ではきかないと思います。
教会名称を保持する3条件が満たない教会は2000箇所以上あるとのお話でした。
おそらく2000箇所ではきかないだろうと言う教会関係者の声も上がりました。
本部参拝者数も10年前と比較してジリジリと減少しているそうです。確実に底辺へ向かっている印象です。
大教会一家が逃げ出し破産の挙句に差押えられる現実。天理教は長い時を経てやっと成るべき姿を体現し始めました。
成ってくるのが天の理ならば、本部はもとより我々信仰者は現状を受け入れ喜びましょう。生き残りをかけた昨今の本部の悪あがきは見っともないばかりでそこに意味は有りません。
親神様はゼロからスタートせよと現状を潰しにかかっておられます。神の思召しに狂いはないと思っています。
参考意見
2019年12月4日 12:22 PM
>>それと単調なリズムで特定の言葉を繰り返すことは人間の思考力や判断力を低下させる効果があります。国歌や軍歌・社歌など半分近くがリフレインなのもそのためです。オウム真理教の「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!」という掛け声も同じく、マインドコントロール・洗脳の常套手段と言えるでしょう。<<
人間の心は大変弱いものであるということから考えてみても、十分、納得できる説明だと思います。幼少期、私の祖母(天理教信者)は、雷鳴を聞いたり稲妻を見るたびに、「南無天理王命」と呪文のように唱え、手を合わせ、雷鳴や稲妻が止むように拝んでいました。自然現象に関する教育をほとんど受けていなかったために、雷鳴や稲妻等で恐怖感を感じるたびに、何か超自然的存在にすがりたい、頼りたいという真理が働いていたのだと思います。天理教に限らず、キリスト教の「アーメン」や仏教の「南無阿弥陀仏」等の祈りの言葉も、そうした人間心理からでてくるように思います。また、語源は知りませんが、雷鳴を聞いたり稲妻を見たりして恐怖を感じた時、よく「クワバラ クワバラ」という言葉を人々が発していたのを覚えています。軍歌や社歌、応援歌、校歌等の類いも、誰もが歌いやすく覚えやすいように作詞作曲されています。軍歌は愛国心を煽り、応援歌や校歌も応援するチームや母校愛を鼓舞する心理的作用があると思います。早稲田大学の校歌や、六甲おろし等の応援歌が典型的な例ですが、マインドコントロールの手段としては大変有効だと思います。
ネット上では、教団関係無く、外国や、日本で、病院の出口とかで、やたらお授けを実行して、治った?と聞いて、結果をブログにあげてる、布教者も、見かける。
思うに、明治初期の布教者の姿の再現にも感じるので、復古派かもしれない。
私が以前、天理教の出来事は壺世界の出来事だと書いたら、それを取り上げて、違う親神様の、思し召しは全世界に通じる出来事であり、真柱の身上は、人類に対する警告だと言う人も、見かけた。 誇大妄想に感じる。
何をやって良いのか悩むのか、セミナーを模索している、若い教会長さんも見える。
神の存在を想定せず、オカルトを嫌い、劇画中山みきの世界を信仰の拠り所にする人
そう言う人は、上記のやたら、お授けを一般人に実践してる布教者のやり方を否定していると言う事になりますよね。
守護のお礼にお供え、何かと、お供えに集約されてしまうお話を、教団が良く公表してしまう現実
天理教は幅が広い信仰を受け止めると、言えば聞こえが良いけど、本部も含めて全部異端かもしれない混沌とした宗教と言う印象も、持てます。
世の中、宗教団体は、たくさんあるので、自分に合った宗教を選べば済む事です。
良いお話なら、本屋に行けば、いろんな方が、説いておられます。
いろんな本を読んで参考にして、生き方を模索した方が良いんじゃない? って思いますが。
経済的に苦しいなら教会長などはやめて、働き、家族を養いながら、教祖様を信仰し、真実の神でも、教えでも、求めたら良いと感じます。
過度なお供えを要求されても、一般市民は、無理ですって言うだけですし、逃げます。
やっぱり、教祖様の後継者たる、天啓者が存在して、親神様の意思、お言葉を取り継ぎ、信仰のメドウ、目標をしっかりと示した方が、ハッキリしますし、望ましいですよねと言う意見と、いや、今の本部も応報の理を正さず異端だから、資料室にある全ての資料を解放して、研究者に自由に研究させ、教祖様が説かれた真実だけの教えの書を作り上げ、教えの中心に置いて、みんなで学び実践するべきだ、と言う意見になるかな、 それとも両輪かな。
このままでは、じわじわ衰退するのは、親神様の思し召しか、なってくるのは天の理であり、理の通りか? そりゃ、金を中心に置いたら、逃げる人も居ますわ、って言う現実なのか、巨大教団の舵取りは、難儀ですね。
考えても下さい。
皆様の社会学に書きつけた思考の跡が、後日の史料となる日がくるのです。
教内発行の各種雑誌や新聞に書かれた資料と異なって、信仰者、或いは脱退者それぞれの心の軌跡がこの場に記録されているのです。
「後日」天理教がどのようになろうとも、宗教史を研究する人はいつの時代にも存在するはずです。
その研究の一級資料となる内容に値するのがこの場の皆様方の書き込みだと、いつもその様に感じています。
親神様、或いは他宗教の神々の思惑が何処にあるのか、現時点では知りようもないという事だけはどなたさまも了解できることと思います。
目線を少し先におくることで書き込む心の自由さが増すように思えます。
とはいえ対照的な本部の天理教教学に対する真摯さのカケラも見えない姿は、東風Z様の丁寧な書き込みにもあるように、不信感をまき散らし続けてきたと言えます。
これが世界宗教を目指す姿だとしたら、「井の中の蛙大海を知らず」と切り捨てm(__)mと言えるでしょう。
葬式仏教と揶揄される仏教界においては、真摯な研究が日常的に続けられています。宗教心のないまま仏教系の大学に再入学し、博士課程まで進んだ親友は「奴らは重箱の隅をつつくような事を研究している」と批判もしますが、言葉一つをとっても、中国を経て日本に伝わった経文は外国語翻訳というフィルターを通過する間に、その国の習俗や感覚までにも影響を受けた内容で日本人僧に渡されてきたのです。研究ということは検証の積み重ねでもあるのです。
たかだか明治時代という近世に起こった天理教の教理内容に疑義が有る事を本部はもっと敏感に受け止めなくてはなりません。何も二代真柱を尊敬する人に、止めよとまでは言いませんが、いい加減に二代真柱を崇拝することで目を曇らせることからは脱却して出直ししていただきたいと願います。
そして何よりも間違った行為は指摘されるまでもなく自ら改める姿勢を示さない事にはリーダーとしての資質を問われます。
集金旅行だけでも今すぐストップするべきです。
親なら子供の喜ぶお土産を持参するくらいの暖かな心があってもいいでしょう。
トップとしての見識を示していただきたい。
皆さんの話に割り込むようですみません。
2019年12月2日 9:07 AM tokumei 様
2019年12月2日 9:45 AM 匿名 様
2019.年12月5日5:28PM 匿名 様
2019年5月3日 8:52 PMの私の投稿が原因で、通りすがりさんの逆鱗に触れたのですね。気分を害されたことを私の不徳の致すところと深くお詫びいたします。
れんだいこ様のブログから無断で拝借したことがいけないという事でしたら、れんだいこ様に幾重にもお詫びいたします。
2019年10月29日 午後1時56分の匿名様がれんだいこ様のHPをご案内頂いていますが、私がこの記事を見た覚えがあることと、櫟本分署跡参考館が発行されている「みかぐらうた・復元版」に記載されている、真柱の指針にも1997年(平成9年・立教160年)1月26日の春季大祭の三代真柱の神殿講話で、「教祖が教えてくださったかんろだいつとめを国々所々の教会でつとめるのがようぼくの任務である」というお言葉を頂・・以下省略(2019年12月3日の投稿を参照ください)
を見て真柱の発言が本当と信じて投稿しました。
確かに投稿をする際に、引用先を書かずに「次の記事を見たことがあります」と投稿したことが倫理観の喪失と指摘されたのであれば反省とお詫びを致します。
言い訳がましいですが、私は教団本部の教義の在り方を信用していません。いまだに講社祭りには八咫鏡を飾ってお祭りをしています。ですから、みちのともに書かれた真柱の講話集そのものも信用していません。どこまで本当のことが書かれているのか。嫌な思い出ばかりの天理教がどのようになろうともどうでもいいことなんです。
若い方は勿論多くの人が天理教に近づいて、こんなはずじゃなかったなんて思いをされないようにとの思いで投稿しているだけです。
都合の悪いことは何でも蓋をしてしまう教団本部。今回の宇佐大教会の件についても、教会の信者さん達(せいぜい10人程度)も誰一人として事件を知っている人は居ませんでした。
勿論、競売事件ですから官報には公示されていると思います。そもそも、官報を見ている人なんて法律事務所の職員か、不動産業者か、一部の公務員か、関連の公益法人くらいでしょうか。
本当は、天理時報が事件を報じて、教会の在り方の参考にしてくださいというのが本来の時報だと思うのですが、知られたら具合の悪いことでもあるのでしょうね。競売事件にはプライバシーは存在しません。
余談ですが、官報は毎日発行されています。どれほど多くの破産事件が掲載されているか見てください。悲しいかな殆んどの破産事件が、破産財団さえ作れないのが現状ですよ。競売に掛けるものすら存在しないという事です。
益々、話が横にずれました失礼致します。
話がとんでもないところに飛んでしまって失礼しました。
ご参考:2019年10月29日午後1時56分に匿名様が、れんだいこ様のアドレスをご紹介いただていますので、よろしければご覧になってください。
>>若い方は勿論多くの人が天理教に近づいて、こんなはずじゃなかったなんて思いをされないようにとの思いで投稿しているだけです。<<
全くその通りですね。
宇佐大教会が破産して競売にかけられ、大教会長は何処かに逃げて太鼓やすり鐘、神具一式はもとより、箸一本さえも持ち出せない状況になっていた事実を古参の信者さんに知らしたら、絶句していました。本部は知っているのか?と。
彼女の頭に天理教教会、ましてや大教会の破産と言う話が出て来る時点でもう一体何が天理教に起きているのか理解出来ないご様子。声が上ずっていました。スマホもネットも関係のない世界に生きて、神様一筋に自宅で講社をお祭りし、熱心に神様につながって来た方ですので理解が及ばない、、。
大教会の破産、教会が1000も2000も潰れて異常事態に成っているなんて事は高齢の彼女達は何も知らないんです。
ネットにあぶり出される本部の不誠実で自分勝手なやり方、婚礼や派手なパーフォマンスの本部本位のお金の使い方、また信者や教会に課す心定めが「お金」と言うのは誠におかしな話だとお話しさせていただきました。本部の間違いが全国の教会を破産や一家離散の空っぽ教会に導いているのですよ、とお話したら深く納得しておられました。
黙って上の言う事に応える事こそが神への信仰と信じている老若男女の被害者をこれ以上出してはいけないと思う一心で私も書き込みをさせていただいています。
この掲示板が広く世間の目にふれてもらえる事を念じつつです。
危機感を持ってお供え額を元々少なかったけれど、少し増やしました。
これが私に出来たことです。
彼女も同じかもしれませんよ。
匿名 様
2019年12月3日 10:48 AM
ご丁寧なご支援を頂き有り難うございました。何より安心しております。私の最初の投稿が分かりましたので、お詫びと経緯を投稿させていただきました。
これからは、登校日と投稿内容をノートに記録してゆきます。もう、思いの大半を投稿しましたので、投稿回数は減っていくものと思っています。
今の会長さんは、何かに追われるような焦燥感に見舞われて、どうしてもギスギスされているのがありありと分かるのです。結果、アルコールに流れられて痛風という重い病を抱えられているのです。
天理教を信仰することによって心広く、温かい人に成人されんことを祈るばかりです。
東風Z
2019年12月5日 7:58 PM
>>天理教を信仰することによって心広く、温かい人に成人されんことを祈るばかりです。<<
上記お言葉を返すようでうが、お許しください。今の天理教にのめり込めば、のめり込むほど、温かい人どころか、人の痛みや辛さか分からない「冷酷な人間」になるだけです。現在、信者の皆さん、特に若い世代の皆さん。決して悪いことは申しません。一刻も早く天理教から離脱してください。
in deepというブログの 『未来の世界で「日本人だけがリアルな人類として生き残ることができる」理由』 という記事に興味深いグラフが載っていました。
とても長い記事ですが中ほどにグラフと共に次の様な事が書かれていました。
日本は、「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」について、
・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %
という、他のどんな国とも比較にならないほど、「権威と権力が嫌い」なのです。
2位は、・・・スウェーデンですが、それでも、
・良いと思う人 → 22.5 %
・悪いと思う人 → 50.2 %
と比較にならない差です。
その後に、台湾、韓国と続きますが、日本とはあまりにも数値がちがいます。
いくつかの国をピックアップしますと、以下のようになっています。
「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」についての考えの比率
アメリカ
・良いと思う人 → 55.2 %
・悪いと思う人 → 7.1 %
ロシア
・良いと思う人 → 56.9 %
・悪いと思う人 → 3.5 %
ブラジル
・良いと思う人 → 76.4 %
・悪いと思う人 → 6.3 %
これらの数値を見た後、日本の数値を見ますと、改めて驚きます。
日本
・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %
とにかく、地球の全人類の中で、日本人は異常なほど「権威が嫌い」なのです。
(引用ここまでです)
日本人は異常なほど「権威が嫌い」・・・まさしく天理教衰退の根源的な理由がここにあると感じました。
衰退の原因には、切れる事の無いお供え金の上納も確かにあります。
しかし、それにもまして信者が反発する事は、上級や大教会の会長、そして本部の連中の傲慢な態度や物言いなのです。
私が所属していた末端分教会でも多くの信者が離れて行きましたが、その理由は会長夫婦の日頃の冷たくそして横柄な言動や上級の会長の言動でした。
私が教会を離れたのも 真心の無い会長の言動が原因です。
中山みきは権威や権力に対抗して「一列は皆兄弟」と言った筈です。
しかし、本部在籍者達は「中山」という名字を振りかざし信者に土下座させ来たのです。
(今でも土下座させている・・・天皇陛下の前でも土下座しないのに)
「中山」という名字で権威付けし「本部」という名称で権力を振りかざして来たのが天理教教団だと思います。
三島神社の杜を取り払い池を潰して殺風景な境内をコンクリートの巨大な館で取り囲んだ風景は日本的ではなく西欧的な権威と権力の空間なのかもしれません。
日本人の根源的なDNA が、現本部の空間を拒否したのかもしれません。
伊勢神宮に行った事があります。
今でも年間数百万人もの人々が訪れています。
鬱蒼とした杜の奥に簡素な建物があるだけです。
権威や権力を誇示する物はありません。
もちろん土下座させられる事もお供えを要求される事もありません。
天理教の衰退は、本部員達が振りかざす「権威と権力」に対して日本人の根源的なDNAが嫌ったと言ってもあながち外れてはいないと思います。
現行天理教は、世界に広まる前に日本人から嫌われてしまったのです。
金の切れ目が縁の切れ目ではなく、「縁の切れ目」が「金の切れ目」となって現れて来たのでしょう。
門外漢なのに、投稿をする失礼を深くおわびします。
守秘義務の関係から詳細は言えませんが、法律系の資格を持っており、その関係である女性の相談を無料で受けたことがありました。
相談の内容についてはここでは触れませんが、相談者の方は女性でかなり経済的に逼迫されておられ、また、精神も病んでおられました。子供がいるので働けないため、生活保護を受けていたが、それではお金が足りず、出会い系サイトで売春をしていました。驚いて、それを制止すると、彼女は自分の育ちについて述べました。
実家は天理教の教会をしており、両親は熱心な信仰者だったが、本部に献金をするため、家族はいつも貧乏で食事にも事欠く有様だった、また信仰を子供達にも強要するので嫌だった、貧乏だったので中学を出るとすぐに働きに出て夜間高校を出たのだが、自分も自分の兄弟も大学や専門学校に行けなかった、と延々と過去を呪う言葉が続きました。親の面倒も見なければいけないが、自分も働けないので苦しんでいる、と言うのです。
天理教とは無関係ですが、私も特定の信仰は持っており、天理教は立派な宗教だろうと敬意を払っていたので、彼女の言葉にショックを受けました。私の信じている信仰も含めて、開祖や教祖は立派ですが、開祖や教祖が亡くなると、教えが曲がることがあります。しかし、彼女の言う天理教の話は今でも半信半疑でいます。
最近、別件で天理教について調べていた時に、このサイトを偶然に拝見し、彼女のことを思い出したので、失礼を顧みず、投稿しました。
なお、私は中山みき先生は立派な信仰者であると信じており、上の文章は天理教の信仰や信徒の方々を批判する意図で書いたのではありませんので、その点、ご了解のほどお願い申し上げます。
門外漢様
貴重なご意見を教外から聞かせていただきましてありがとうございます。
>>彼女の言う天理教の話は今でも半信半疑でいます。<<
とのことですが、
売春云々はあまり聞いたことはありませんが、門外漢さんの投稿にあるような女性の環境は
親がバリ天で、教団用の偽教理に洗脳されて熱心であればあるほど
天理教の末端教会ではよくあるあたりまえの話です
(バリ天とは「バリバリ天理教団を盲信している信者」の略で、教内ではしばしば使われている俗語です)
かくいう私も似たような極貧環境で育ちました。
その女性の仕事や経済状況が好転することを、同じ教友として(ある意味同じ教団被害者として)
陰ながら祈ることしかできませんが
門外漢さんにおかれましては、何卒その女性のためにできる範囲でおたすけ下さると幸いです。
匿名 様
本当にそうですね。人柄によるところも多少なりともあるようですが、多くの上層部の人達は、確実に上から目線です。
挨拶をしても言葉を返せず頭を軽く下げるだけの人はまだしも、酷い時は無視。お供えするのが当たり前。大教会のご分家と言われた役員は給与の10%~15%するのが当たり前なんて神殿講話してましたからサラリーマンの実態をご存じないのです。
仮に、生涯のサラリーが1億5千万円とすれば、2千5百50万円もお供えしなければなりません。住んでいるところで2千5百万円も出せばビックリするほどの豪邸が買えますよ。
このようなことを言っている宗教があるってこと自体が、人を救う教えでないと断言できます。
それを命のレンタル料だなんて言い方を出来る傲慢さにあきれてしまいます。それほどの自信がおありであれば、年間に3万人近く居られる自殺者を救ってくださいと言いたいです。
匿名様
ご丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。大変勉強になりました。
私の信じている宗教でも、開祖の教えを現在の指導部が都合よく変えたり、幹部の「宗教貴族」化という現象はあります。無料法律相談を通じて知り合った人の中には、色々な宗教団体や政党の活動者の家族の人もいて、そこでも同じような問題を抱えている人もいました。ただ、天理教のお話を聞き、教団内部の貧富の差がそこまで酷いのは想像もできませんでした。
余談ですが、昔、少林寺拳法を習っていたことがあります。少林寺拳法の開祖は、宗道臣さんといい、笹川良一の側近だった人物です。少林寺拳法が「宗教法人」であることは知らない人も多いですが、その宗道臣さんは、自分の母親が天理教の信徒であったが、病気になったが神様が治してくれると信じて手遅れになったとかで、終生、天理教の悪口を言っていました。その少林寺拳法も、開祖が亡くなり、2代目になると、開祖の教えを曲げた、とか、幹部が蓄財に走ったという批判が部内で起こり、「分裂騒ぎ」を起こしておりますから、皮肉なものだと感じております。
「次期真柱の結婚披露パレード」の映像には驚きました。天理教の内部の人はどうお考えかわかりませんが、部外者が見たら、悪い印象しかありません。これでは天理教の悪宣伝をしているようなものです。失礼を顧みずに申し上げると、これでは宗教というものが誤解を受けるのではないか、と感じました。
天理教に生じている問題は、どの宗教でも起こりうる問題だと感じます。私も反省の材料としたいと思います。
外部から見ると、天理教の教団はおかしい点はありますが、これは、開祖の教えから現在の指導部が逸脱した結果、生じたものだと思います。色々な問題は開祖の教えに戻れという神様の掲示であり、この掲示板もそのためにできたのではないか、と思います。
門外漢の投稿を許してくださった寛大な姿勢に感謝するとともに、皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
門外漢 様
2019年12月6日 10:44 AM
>>無料法律相談を通じて知り合った人<<
私の勝手な推測で申し訳ありませんが、違っていたらお許しください。門外漢様は弁護士さんでしょうか?
もし、そうであるとしたら天理教の諸問題を司法的に解決する術は無いのでしょうか?
崩壊様
私は天理教にも天理教の問題にも疎く、また、天理教以外の信仰を持っているので、天理教の問題に介入することは越権行為かと思います。ただ、一般論として、いくつかの問題を言えるかもしれません。
以前は、法律で宗教の問題を解決するのはかなり難しかったです。
1 憲法20条(信教の自由)を根拠に、宗教団体には高度の自治権が認められていること。
宗教団体は、よほどのことがない限り、官憲の支配に服さないため、問題が起きても行政が入りにくい。(宗教団体内部の出来事は、ブラックボックスと同じですから、外部からは判断することが難しいので、行政も手が出しにくいです。)
2 裁判所法3条1項に「裁判所は法律上の争訟を裁判し」と規定されています。反対解釈をすると、
「宗教上の争いは扱いません」ということになります。これは、大石寺の曼荼羅訴訟事件に関する
最高裁の判例で確認されています。(教団の指導部に敵対的な言動をする信者を追放しても、宗教上の理由を根拠にあげれば、裁判所は”請求棄却”の判決をするしかないのです。)
3 どの宗教団体も、程度の差はあれ、政治家との繋がりがあります。国会を構成する議員も、選挙を意識して、宗教団体の問題には及び腰になりがちです。(何かあったら、政治家に頼んで、不祥事をもみ消してもらうことも可能ということになります。)
つまり、司法、立法、行政の三権とも宗教には及び腰だったのです。
さらに、莫大な財力と権力を持つ巨大宗教団体に対して、信徒が個人で戦うのは、力量の差がありすぎて、不可能に近いことです。特に宗教団体は、裁判になると、汚い手段を次々と使って相手を潰そうとします。過去に某巨大宗教団体が裁判をした時には、相手方の弁護士を買収するようなこともしたと言われています。
弁護士も、宗教の分野には介入するのは嫌がる人が多いです。
ただ、オウム真理教の一連の事件が起きてから、世間様も行政も司法もメディアも、以前ほど宗教には寛大ではなくなってきたと感じます。もちろん、宗教法人法が改正されない限りは根本的な解決にはならないのですが、それでも、いろいろな法律を駆使して巨大な宗教団体の一部の指導者の横暴に対応することは可能です。
これについて、全てをここで書くのはできませんが、とりあえず言えるのは、以下のようなことだと思います。
1 宗教団体(以下、「教団」と略す)から多額の寄付を求められた場合は、できる範囲の寄付をするという返事はし、それ以上の寄付をしないという真摯な意思表示をする。一旦寄付をしたら、民法上の贈与契約(民法550条ただし書)が成立し、取り消しが難しいので、納得するまでお金は出さないという姿勢が大事です。
2 教団と信徒とのやりとりで、紛争になる可能性がある場合は、できるだけ証拠として残る形で行うこと。
これは日本の民事訴訟法は、弁論主義という発想で運用されているので、証拠は本人が収集する必要があるのです。会話の録音も民事訴訟の場合は、例外はありますが、原則として証拠になります。メール、ファックスなども保管し、場合によっては、問題が生じた場合に弁護士に相談すればいいです。
3 寄付や無償奉仕をする以上は、自分には発言をする権利があるという発想をしても良いと思います。
宗教団体でこれをするのは至難のわざであるのは私も知っていますが、できる範囲でやってみたら良いと思います。なお、法律の本(民法、刑法、行政法など)を暇があれば読み、相手が変なことを言い出した場合に、これを制圧するだけの理論武装をされることをお勧めします。
以上は法律論ですが、教団のある程度の地位にある人や教学に詳しい人は、別の使命があります。
どの教団でも、寄付行為や無償奉仕を正当化する理論武装を、教義を元に完成させているはずです。
しかし、行き過ぎた寄付などを正当化する言動を教祖がするはずはありません。
教団側の理論武装を打破するだけの理論武装も、だれかがする必要があると思います。
以上、思いつくまま書きましたので、とりとめもない内容になりました。失礼をお許しください。
中折れ、失礼いたします。
動物の世界では、「自分の方がおまえより地位は上であるぞよ」 ということを示すために、強い者が弱い者の背中に馬乗りになることがあるようでして、こういうの<マウンティング>というらしいのですが、それを、テレビで初めて見て知った時、カメラが遠方に捕えていたため交尾に見えて、思わずハッとしたものですが、後から解説でこれがオス同士の行為であることを知って、「このお猿さんはゲイかな?」と思ったりしました。
なぜこの話をここに持ってきたかと言うと、「お供え」がこのマウンティングの役を果たしていた(いる)のじゃないかと思ったからです。つまり、天理教では、お金は弱い立場の者が強い立場の者に対して出します。お金を出す方がお金を受け取る方よりも弱いのですから、会長さんは信者さんに対して、力関係(上下関係)を明示するために、お金を信者さんに要求したんじゃないかと思ったのですが、どうでしょうか。
会長さんの実力は集金力で表されていて、たくさん金を集めれば、その分だけ立派な会長さんということになるんじゃないでしょうか。とすると、集めた金の額で他の会長さんにマウンティング(俺の方があんたよりエライよと言い合ったり)することもあったのではないかと思うんです。そうすることによって、知らず識らず金集めのための競争を煽(あお)られてしまっていた、ということになったのでは・・?
つまり、お金を請求するのに、ちゃんとした<目的>があったのか、これは~~に使うため、どうしても〇〇万円必要なのだという<必要性の度合い>を明示していたか、その必要性は信者の皆さんを<納得させる>に足るものであったか、という問題があったと思うんです。
まさか、「お~い、金を出せよ~」というと、信者は懸命に金を集めて持ってくる、それがマウンティングになり、オモシロくもあった、というんじゃないでしょうな・・。冗談じゃない、言う方は遊びででもできるでしょうが、金を出す方はタイヘンなんですから。0
門外漢 様
2019年12月6日 8:00 PM
ご多忙の折、早々に、丁寧なるご説明をいただき、ありがとうございました。大変参考になりました。
YAHOO知恵袋に12/6付けで質問が載りました。
質問者さんは詳しい情報も書き込まれていますので、参考までに
この場に転載させて頂きます。
Twitter情報を集めたと書いておられます。
===以下コピペ===
ツイッターで天理教の宇佐大教会(大分県宇佐市)が
銀行に差し押さえられて、
競売に掛かった話で盛り上がっています。
大教会が差し押さえられたことは
きっと初めてでしょうが、
今まで教会や布教所が
何らかの事情で、差し押さえに遭って
競売に掛かったケースってあるんでしょうか?
もしあるのでしたら、具体例を挙げて
ご教示いただければありがたいです。
ちなみにTwitterで得た宇佐大教会のケースです。
平成7年に三和銀行(現三菱UFJ銀行)奈良支店から
限度額4億3000万円の抵当権設定。
要は宇佐大教会の土地、建物、神殿を担保に
4億3000万円のお金を借りたってことです。
借金が返せなくなり、
2019年5月に差し押さえで、
6月~8月にかけて現況調査と物件撮影。
で、9月か10月に大分地方裁判所中津支部にて
3176万円で期間入札(オークション開始!)始まるも
入札者ゼロ。
そして11月に宇佐大教会の部内教会が
特別売却の2540万円で落札(購入)。
特別売却というのは、
オークションに出したけど、
買う人が誰もいなかったので、
もっと安い価格で、早い者勝ち!ってカンジで
再出品ってことです。
天理教本部が動かなかった(入札しなかった)のは、
本部と宇佐大教会とで、
何らかの確執があり、
本部は宇佐を
見放してる可能性が高いです。
普通でしたら、
1回目のオークションの時点で
本部が買って、
現大教会長を罷免して、
本部から新しい大教会長を派遣するっていう
動きにならないとおかしいですよね。
差押えが5月だったので、
それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。
最初に戻りますが、
今まで教会や布教所が
何らかの事情で、差し押さえに遭って
競売に掛かったケースってあるんでしょうか?
もしあるのでしたら、具体例を挙げて
ご教示いただければありがたいです。
≫ 差押えが5月だったので、
≫ それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
≫ 本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。
ご指摘の通りですね。
あり得ないほど低レベルの本部関係者たち、なのでしょう。
しかも銀行は奈良支店です。
当然、本部の耳に入らないはずはありません。
天理教は今や人間の「欲」を刺激してイベント集客を図って、その時だけは神苑に賑わいを演出して見せています。偽りの実態です。
お供えが減って困っていると学校までも閉鎖する状況下で、イベント関係にお金を使うのは浪費としか言えないでしょう。
イベント好きな青年層は言ってみれば人の金(お供え)で有名人に会ったり、肉を食べたりして喜んでいるだけ。青年層を馬鹿にしているのでは?まじめな青年も大勢いますから。
YouTubeに昨年の青年会総会がアップされましたが、これにもあきれるような場面が映し出されていました。
せっかくの青ヘルのメンメンのパフォーマンスに絡むようなピンクダンス。
あの腰の振り切り方は(18歳以下の方、ごめんなさい)ジャズダンスのセンスからは外れる「H系」ダンスです。誰が踊っていたのか知りませんが、あれを喜んで観ていたとしたら鏡をその顔面に突き出して自分の顔を見せてやりますよ。場所柄をわきまえるだけの分別を求めても、いまや通じないのでしょう。青年を参加させるために女性の体の魅力を使わざるを得ないほど、おじばに人が集まらないということでしょう。或いは考え無しの企画?ウン、きっとそうだ。考え無しの天理教だものね。恥ずかしい・・・・。
日光東照宮を見ても分かるように、徳川幕府の時代においては日本の主流の宗教は仏教であり、神道はその一部のような存在でした。
教祖、中山みきも浄土宗の尼僧を志望し五重相伝を受けるほどの熱心な信者だったと聞きます。それ故、私は教祖が教えた神名は「転輪王」だったと考えるのが自然であると思います。
明治になって神道が絶対的な地位を占め、天皇を神とする時代となり他の宗教に対する弾圧が始まりました。しかし明治2年から執筆の始まった「おふでさき」にも「天理王命」という神名は登場しません。その他「命」の付く神道式の神名も出て来ない(くにとこたちに、おもたりさまや等)。さらに「天理・天の理」といった単語さえ一回も出てきません。
明治13年、中山秀司が営利目的で設立した組織の名は「転輪王講社」。
明治17年、諸井国三郎がおぢば帰りの際に、旗の中央に日の丸を描き、その中に大きく墨書した文字は「天輪王講社」(逸話編一三九 フラフを立てて参照)。この時点で「転」から「天」へと変化したのは、明治5年に教部省が発した「三条の教則(教憲)」の影響があったのではないかと思えてなりません。三条の教則の一つは宗教団体が「天理人道」を教えることを要求していました。「天理」とは政府から出た言葉であり、これに応えるように、明治18年に神道天理教創立事務所なるものから「これまで天輪王命だった神名を天理大神へと改める」という改正諭告が全国に向けて出されました。三条教則と改正諭告のいずれも国立国会図書館で閲覧可能な歴史的事実と言えると思います。神名に「命」がいつ頃から付いたかは不明ですが、これだけでも既に、慶応2年に第一節の「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたとか、嘉永6年に大阪で「天理王命」の神名を流したという話には無理があるように思えます。
明治21年に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたという八島英雄氏の説に、私は高い信憑性を感じていますが、櫟本分署跡参考館発行の『みかぐらうた』(復元版)のオリジナルが残ってさえいればと残念に思います。戦争中の空襲で多くの事実を知る証人や証拠となる資料が失われたことは教団にとっては好都合だったことでしょう。
しかし手書きでも印刷物でもいいから、少なくとも三条教則が出された明治5年以前に残された「天理王命」の文字でも見ない限り、私は本部員の永尾隆徳氏の説を信じることはできません。おそらく史料集成部をひっくり返して探しても、そんなものは出てこないでしょう。あるならば本部は大喜びの得意満面で出してくるはずですから。
門外漢様や参考意見様のご意見は心強く胸に響きました。
人は心身ともに弱いものを持っています。身体的には三度の全身麻酔を受けています。心の面でも、何かにつけて悪い因縁が出る、お前には徳が無い、ひどい時には夕勤めに来なかったとして夕食をストップ、小学生の頃からこのような場面が再々でした。
宗教が恐怖心を植え付け、人の顔色を見る人間にしてしまったのです。
これまでの皆様の投稿始め上記のお二方の投稿を拝見して、天理教を離れたのが正解だったと改めて感じ入っています。多くの皆さんが、人助けという言葉に惑わされないように、くれぐれもご注意いただきたいと思っています。
神名の変遷について関連のサイトでご指摘がありましたので、少し整理して補足させていただきます。あくまで私見ですが。
江戸時代から明治初期までは「転輪王」。
明治5年以降、三条教則の影響からか「天輪王」に変化。
その後いつの時点で「天輪王命」という神道式の神名に変化したかはわかりませんが、少しずつ変化させて信者たちを慣らしていったものと思われます。
明治18年の改正諭告で「天理大神」が登場。この神名は以後の教典に長く使われることとなります。
明治21年、神道天理教会本部の設立後、おつとめに第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が加わり、朝夕21回も唱えさせることによって「天理王命」という神名を信者たちに定着させた。(刷り込みと催眠の効果狙いか)そんなところかと思います。
各教会は歴史的事実を自分の手と目で選り分ける必要がありますね。
本部は嘘を吹き込んで簡単に信者を騙しますから。
教団本部も心があるなら、今まで欺いて来た事実を真摯に受け止め、歴史的史実をしっかりと受け止めて、間違いをこれ以上信者に押し付けたりしないで頂きたい。
本当に卑怯な集団です。
小寒さんが拍子木を鳴らして浪速の地に天理王命の神名を初めて流したなどと、感動話もよくよく歴史を辿れば嘘八百じゃありませんか!!
参考意見様が言われるように、本部が言っている歴史的時点で既に天理王命の名前があった証拠があれば正々堂々全面に出せばいい。嘘だから探しても無いし出せないんです!
布教じゃなくて秀司の博打の借金尻拭いに行ったと言うのが事実の様だが、これまた美談に仕立てられた作り話。本部は嘘の上塗りで信者を騙し、今だに修養科などでも大嘘を信じ込ませています。
全国の教会長は、教祖の時代の原点に立ち時代考察する必要がありそうです。上の嘘に騙されて金集めや人集めに翻弄させられる様では、なんら社会に前向きで建設的な影響を、ましてや人助けなど出来よう筈が無いです。
大亮の結婚披露一大イベントをyoutubeで改めて見て、北朝鮮の将軍様でもあるまいに胸くそが悪くなりました。時は丁度甘露台が倒壊した直後でしたよ。馬鹿かと思った。挙句が世界一の幸せ夫婦になりま〜す。だった。
金返せ〜です。枝葉の子は枯れ果てました。後は根腐れでも何でも好きにやって下さい!
匿名 様
2019年12月6日 9:42 PM
>>差押えが5月だったので、
それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。<<
本部は宇佐の変調に気づいていますが、教庁も表統領室も渉外広報課も詳細は知らないという返答です。(真偽の程は不明です)本部と宇佐との間に何があったのか知りませんが、本部の無責任な態度には呆れかえってしまいます。何があったにしろ、本部は正確で詳細な情報を公式に、正確に、迅速に、信者に周知する義務があるはずです。天理教には立派なホームページも、天理時報という機関誌もあるのですから、決して難しいことではないはずです。教会本部が真相を隠せば隠すほど、傷口は益々化膿し、信者の不信感は益々深まり、天理教の崩壊に拍車がかかることでしょう。
天理教の歴史を調べると、応法の時代について、弾圧を避けるためやむを得ず神道の形式を取り入れたというように説明されていますが、はたして本当でしょうか。
教祖の教えを伝え広めるだけなら江戸時代の隠れキリシタンのように活動することもできたはずです。信仰とは目に見えない無形のもの。心の中まで調べることはできません。(踏み絵のような手段はありますが)
しかし利益を得ようとするならそうはいきません。事実、中山秀司は転輪王講社を設置する以前から、教祖の不思議な助けを利用して信者からの礼金や、をびやほうその御守の販売などで利益を得て他の宗教団体とトラブルを起こしたり、人集めのために宿屋、蒸風呂を無許可で営業して警察のお世話になったりしています。
さて、ここからは私の推測であり、与太話と言われて結構ですが・・・
秀司と妻まつえの死後、中山の姓を手に入れた真之亮は、秀司が残した宗教ビジネスを拡大し、天下御免で商売したいと考えた。それなら国家権力と手を組むのが手っ取り早いけれど、それは教祖が許してくれない。真之亮の目的は商売であり、布教は手段でしかなく、欲しいものは教祖を慕って集まった信者たちであって、もはや教祖は邪魔な存在でしかなかった。明治20年に教祖が亡くなると、待っていたかのように翌年には神道天理教会を設立、初代真柱(当時は館長)となった中山真之亮は教内における絶対的な権威を手に入れた。
そういえば教祖最後の御苦労の際、真之亮は一人早く釈放されていますね。教祖は命を縮めるほどの凄まじい拷問を受けたというのに、真之亮と警察の間には何かありそうな気がするのは私だけかな。まつえの死にも不自然な点があったり、なにぶん科学的捜査のない時代ですから。もはやサスペンスの世界、いつか「中山家の一族」なんて映画化されないものか。
冗談はさておき神道天理教会の設立後、教団への弾圧は教内において天皇を神とする応法派による教祖派に対する弾圧へと変化します。
長い時を経て第2次大戦が終結し、天皇が人間宣言すると天理教の信者たちにとっては中山家が皇室に取って代わったようなものでした。これで中山家は神の血統として権威を確立できたわけです。戦後、復元と称して神道の様式を捨て始めたのは戦争協力を追及されるのを恐れたのでしょうか。しかし天皇が戦犯となることもなく、GHQが去ってしまうと復元も止まってしまいました。
天理教という組織は長い時間をかけて腐敗したのではなく、はじめから営利目的の組織だったのだと思います。明治21年の神道天理教会設立は教祖に対するクーデターのようなものだった。それが130年も続いたのは神道の様式をとって国家権力を上手く利用したこと、天然痘と結核の爆発的な流行、戦争による混乱などによるものでしょう。しかし最大の理由は、教団に利用された親神様と教祖が真実のものだったことだと、私は信じています。
宇佐大教会部内末端教会は大教会建設時(平成7年)に相当額のお供えをしてるでしょうね。その借金も終わらない内に破綻して更に又部内が買い取った。
二重の借金で部内信者にとっては二重の借金地獄で有り二重の借金苦です。
まさにきりなし普請。
直ぐに銀行から借りろみたいな事をお上は言うが一体こいつらは何様なんだろう。
銀行から借りて返せないと途方に暮れた所で待っているのは自殺か鬱か大教会一家の様に夜逃げか?
これが世界たすけ?
これが人だすけか?冗談じゃない。
そろそろ本部も本当の事を発表したらどうなんだろ。
参考さんのお話は、説得力ありすぎです。
つまり、今ある、天理教の信仰的外形は、教祖に関係なく作られて来た
それが、事実なら、教団のあり方、存在が問われる、重要事項です。
もう天理教が瓦解してしまうお話です。
実際、結婚パレードなど、なんの宗教的意味合いもありませんけどね
ただ、愛町分教会初代様に見られる様な、助けの奇跡があったのも
事実かと思います、ただのプラシーボ、思い込みだけなら
普通の拝み祈祷、加持祈祷だって、もっと一般化していますよね
一方で人間思案で教団組織が作られながら
一方で、真実、神が求められ、加護と奇跡も起きたからこそ
一時は、日本を席巻する程の巨大教団になったわけで
今でも、教団の嘘を暴いても、教団は教団、私は親神様を信じる
身上助けの奇跡を頂いた、神はいらっしゃる!
と言う教会長や信者さんが、多数見えるので、天理教は、
教団は衰退しつつも、信仰はまだまだ続くと思います。
神を信じていない人には奇跡も信じないし起きにくい
そう言う人は離れるでしょうし
信じて持たれた人には、時に奇跡が起きる
そんな人は、離れないでしょう
まあ、教団と距離を取って、わずかなお供えと参拝時のお賽銭
その位で生活していたら、天理教を信仰していても困らないので
教会子弟とか濃い関係者は減り、薄く信仰する信者は
そこそこ居るって言う構図が続く気がします。
>>直ぐに銀行から借りろみたいな事をお上は言うが一体こいつらは何様なんだろう。<<
宇佐大教会は九州にもかかわらず、本部お抱えの南都銀行から借金させた(させられた?)みたいですね。借りさせる時には本部後ろ盾があるとして本部口利きで簡単に借りられたのでしょう。
神を利用した嘘の理屈で、教団では普請、修繕、大掛かりな工事等の前には莫大なお金を理立てと称して上納させます。
宇佐に対しても本部は誰がどこで借金しようと自分の腹は痛まないのです。その人に借金させたお金から一部を自分達の懐に入れるのです。今回、宇佐が破綻しても本部は知らん顔で我関せずです。
さすが、教祖の反対を押し切って金儲け目的で教団を立ち上げた秀司を筆頭に中山家末裔が編み出した巧妙、かつ卑怯な手口です。
営利目的の似非宗教団体の中に身を置いても、神様は何処にでもいらっしゃるから奇跡を頂くこともできる。この世界、いや宇宙すべてが神様の懐の中なのだから。
私自身、信仰3代目として生まれ60年近くの間、何度となく命の危機から救われ、奇蹟を体験してきました。そのため親神様と教祖に対する想いは今も変わることはありません。
しかし、いつの頃からか教会の行事や、そこで関わる人々の言動や態度などに違和感とか矛盾のようなものを感じることが多くなりました。100年祭の頃、週刊誌で教会長の自殺の記事を見ましたが、その頃はまだあまり考えないようにしていました。
甘露台の倒壊以降だったと思います。何かの調べ事をしていて、このサイトに行き当たりました。ここには長年抱いてきた疑問を解決するのに必要な情報が溢れかえっていました。これまで書いてきたことは殆どが、この社会学のサイトと、その関連のサイトから得た知識と情報を、整理し再構築したものです。第一節に関してなど今では確信に近いものがあります。非社交的な性格ゆえ、なるべく沈黙を通すつもりでしたが、匿名さんの一人の「社会学に書きつけた思考の跡が、後に宗教史を研究する史料となる」という言葉に心を動かされました。私たち、特に4代、5代と古くから関わってきた人々は可能な限り、持っている知識・情報・自分自身の体験などを提供すべきかと思います。高齢者の方も最後までお願いします。
ここまで思いながら未だに天理教から離れられない理由は、母が教会の娘だった、ただそれだけなのですが。
匿名 様
2019年12月8日 12:56 PM
>>宇佐に対しても本部は誰がどこで借金しようと自分の腹は痛まないのです。その人に借金させたお金から一部を自分達の懐に入れるのです。今回、宇佐が破綻しても本部は知らん顔で我関せずです。<<
金儲けの為には手段を選ばない。我がさえ良ければ後は野となれ山となれ。カネカネ本部のやり方は終始徹底していますね。宗教法人名義を国に返上するべきです。
知り合いの大教会にしても、返済は信者任せで数億円の借金をしています。バブル期の借金をまだ払っているらしいが、利息分をやっと払ったくらいで中々元本までの返済には程遠いとの事。
要するに大教会は平気で借金をします。後は下へ下へとはっぱをかけて信者や末端に金を上げさせればいいんですから。しかし昨今は信者も馬鹿じゃ無いから逃げる人もいるでしょう。こうしてバブル期当初の目論見は想定外に外れて返済は滞り、第二、第三の宇佐が今後出て来るはずです。それでもこの大教会長は人々が土下座する中、その真ん中を大手を振って歩く殿様をやってます。可哀想な輩です。
天理教はとんでもない集団ですね。歴史をひもとけば嘘がぼろぼろ出て来ています。21回も神名を刷り込んでいかにもありがたい神は天理教にしか居ないかのような工作をしたんですね。もう全てが嘘に思えて信用出来ませんね。
皮肉ですが真実の天理教を求める純粋かつ真実の人ほど、現天理教のやっている事に疑問が噴出して逃げ出されるのですね。皆様こつこつと深く天理教の歴史を検証しておられ、内容の矛盾をあぶり出し、私も多くの事を学ばせて頂いております。
しかしながら、こんなに暴かれても本部本体から反論が出ないのが不思議です。勝ち目が無いからだんまりを決めているのでしょうか。
30年位ぶりに『天理教よ蘇れ!』を読み直した。本当に心が痛むような事件や苦しむ教会長の様子などが今更もって心に刺さってくるような気がする。あの百年祭は何だったのだろうか。各大教会の集金、心定めなどのノルマ等、本当に心から教祖を思い、勇んでやっていた教会長、信者は何%位いたのだろうか。あれから30年以上が過ぎたのに何も変わっていないような気がする。変わったのは世の中であり、天理教教団は何も変わらず、変われないが故に衰退している。財政的にも人材的にも衰退の一途を辿っていることは紛れもない事実で誰もが認めるところだ。
その原因やそれに至る過程などを調べていくと、だんだん見えてくるものがある。今の「天理教」というのはそもそも「天理教を名乗れる団体ではない」と言ったら、信じられるか? 教祖が中山みきであり、その教えの団体であるから間違いないとついて行ったり、我家の代々続いている信仰が「天理教」だからということで、心の中では何かおかしいと思っても離れられなかったり、距離を置きながらでもつながろうとしている人も多いように見受けられる。何も調べず、ただ与えられる教内の出版物だけで道を求めようとすれば、必ず葛藤が起こるはずである。
発想を変えて、教祖中山みきと現在の天理教は関係ない、或いは根元はそうだが、時代の流れの中で教祖みきの描くものとは違う教団に変わってしまったものだとしたら、葛藤も和らぐのではないだろうか。世界助けを急ぐから明治20年に姿をかくし、今も人間の陽気に助け合う世の中を実現するために働いている。しかし、みきが在世の時から既に宗教というモノに、金というモノに、教団というモノに憑りつかれた側近者がいて応法の道を選び、神道の一派として生き延び、組織を強固なものするために国とも連携しながら大きくなってきた組織が現状の『天理教』であると少し調べればわかってくる。本席亡き後は更にその傾向は強まり、二代真柱の時代で完成し、教団としては安泰になった面もあるのかもしれない。しかし、本来、白紙に戻って一からやり直さなければならない旬に、神籬、しめ縄、玉串をやめ、神道色を少し削るくらいのことで、肝心要の教祖の教えを忠実に守り、みきの理想とする世界の実現へ向かう組織としては何も変えられなかったのではないだろうか。もっとも中山家を中心とした宗教の大きな教団を作ることなど教祖みきは望んでもいなかったのではないか。
あと4~5年もすれば140年祭に向けて「三年千日」だと、また掛け声が始まるのだろうか?笛吹けど誰も踊らずになるのだろうか。今のままではいけないことは誰もが思っていることではないだろうか。100年祭前の悲惨な事件が繰り返されるのだろうか。
やめるにやめられない教会長も多くいることだろう。がんじがらめになっている上、長く続いた我が家の信仰から離れるという罪悪感で一歩踏み出せない人も多いのかと思う。ある教会長に「教会をお返ししたら?」と言えば、「そんなことをしたら、家族全員、住むところから考えなければならないし、路頭に迷うことになるから無理だ」と。では、「包括関係を解いて、一宗教法人として独立して、真に教祖みきの教えを実践し、陽気世界実現のためにがんばってはどうか」と勧めても、「難しい手続きはわからないし、反旗を翻すことはできない」とのことだ。八方塞とはこのことだろうか。
しかし、どこの大教会でもいよいよ会長不在や信者がいないなどの分教会整理が始まっているようだ。名称だけ残っているところも全国に多々ある。大正時代の倍加運動で異常に増えた教会が末端教会としてピラミッドの底辺で喘ぎながらも教団を支えてきた構造が崩れ、更に加速しているように感じる。これも神の働きからくるものだとすれば、人間は受け入れるしかないのかとも思う。
人は神ではない。神格化したり組織の中で上下を作るようなことをしてはいけない。この世をはじめた親神からみれば世界一列はみな子供であり、その一列は皆、兄弟であり他人ということはない。まずは教理と組織が乖離したその部分から改革しなければ教会の名称整理などしても意味がないのではないだろうか。
下々の信仰者からの上に対する発言は、ほぼ全て『不足』として捉えられる。
何を言ったか
ではなく、
誰が言ったか
で捉えられ方が変わる組織。
教会の上下も、婦人会も、青年会も、教区も、全て『誰(立場)』が発した言葉か が重要。
本部の思わくから外れる者や教会はたしなめられ、疎外、阻害される。
しかし、多くの人足とお供えを持っていき、黙認されている某分教会もある。
複雑だが、金と力の関係が確実に形に現れている。
経済弱者、情報弱者、下級教会はいつまでも支える側に回る。
それにあぐらをかいて踏ん反り返る上に立つ者達。
教祖が望んだ姿や人々の生き方、考え方、親神からの教えを説きながら、昔からこの様な現状である。
もう変われないし、変わらない。
衰退し続けるしかない。
真柱の後継者に神が降りてくるしか道は無い。
降りてきても、それを本部が認めて受け入れるかは分からないが。
宇佐のように財政が逼迫している大教会はどこですか?
国立国会図書館デジタルコレクションは非常に便利だと思います。「天理教」で検索しただけで700冊は出てきました。いろいろと検索ワードを変えて試してみましたが、最も古い「みかぐらうた」は明治21年10月印刷のもので、著者が中山美支とされています。当時、思想犯とみなされた教祖の名は教団設立の障害と考えたのか。残念ながら教祖在世中の「みかぐらうた」はみつけられませんでした。
明治21年以降は教団の宣伝のため提供されたのか、多くの書物が残されています。昭和16年12月、日米開戦時に出された諭立第12号の表紙に大きく書かれた「必勝日本」の文字には笑ってしまいましたが。
天理教を批判する書物も多く、昭和5年には「天理教その搾取戦術」なんて本も出版されていて、けっこう社会学に書かれた事柄に通ずる内容のようで興味深いですね。
皆さんも国立国会図書館デジタルコレクションを大いに活用してみては。文字が小さい、漢字が古いなどの難点はありますが、ダウンロードしてPDFファイルで保存できますし、拡大すればなんとか読める。それに何といっても、タダですから。
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&viewRestricted=0
国会図書館のデジタル資料を見てみました。
昭和11年発行の「社会科学から見た新興宗教の暴露」の中、「天理教の巧妙な搾取の組織」と言う部分を読んでみました。
・・・財産は心の芥(ゴミ)だから、そんなものは捨ててしまえ、と云うのであるが、捨てる所がちゃんと決まっていて、よそへ捨てたら何にもならんのである。
捨てる場所と云うのは丹波市の御地場の御本部と、こうウマイ仕組みになっているので、芥(ゴミ)は他の社会事業や国防費や慈善に寄付したらアカン!逆さまに正しく云えば「財物は心の芥(ゴミ)だから本部へ持って来い」と、こう云うのである。・・・
・・・そうでなけれな管長がデカイ税金取られたり、デカデカした建物が、丹波市にじゃんじゃん出来る訳はないのである。・・・
この冊子は昭和11年発行で、11年当時の管長(真柱)の所得が70余万円だと記載されています。信者に心の芥は本部に捨てろと。それ以外に捨ててはお陰は無いなどど扇動し、管長自らは驚くべき桁違いの金を我が懐に入れていたと言う事実です。
正に「搾取の天理教」は過去から延々と美味い汁を吸って来た。その味が忘れられず、此の期に及んでも今だに搾取の体質を変えていない。過去の資料を鑑みて、善亮の「命の繋ぎはお金」は正に今だに続く「搾取の精神」そのものなのです。
国立国会図書館に保存されている各種資料を丁寧に一つ一つ調査すれば天理教の搾取の歴史、本部の矛盾等、全容がもっと明るみに出るのではないかと思いました。
参考意見さん、ありがとうございました。
すみません。上記資料の著者は佐藤信淵先生。発行元は大阪都民新聞社発行です。
追記させていただきます。
教団運営が神の思し召し、教祖様の想いから外れて、人間思案で肥大化した事は事実の様ですね、しかし一方で、神の守護、お助け、不思議もあるから、広がったとも言える。
とは言っても、創価学会、霊友会、立正佼成会などの昭和の仏教系大教団には、仏のお助けと言う明確な話はほとんど無く、横のつながり、団体帰属意識を利用した、時代の流行りの様な物だとも言える。
私自身、実際に霊友会子弟として育っても、それ以上の想いは持っていませんので。
天理教も、集団おぢば帰りなどの、団体帰属意識を利用した、巨大化がないとは言えませんよね、昭和40年代50年代は、信者では無いけど、観光バス旅行気分でのおぢば帰り参加って、ありましたもん。
私の従兄弟の嫁は、愛町の熱心な信者ですけど、話して行くと、信仰心やお助けの不思議より、団体帰属意識が優先されているのと、神社に願掛けするのと変わら無い意識で信仰してる部分が多い、単純に参加するのが楽しいからやってると言う印象です。
親様様は、本部の行いに天罰を与えない、放置されている、偉い人の心使いの間違いに、見える形で天罰を与えない、だから最初から、いないのだ、と言う意見も判ります。
教団の衰退は、単に時代の流れだとも、言えますからね。
真柱様が、不摂生で早めに亡くなってる様ですが、天罰より、不健康は短命であると言う、当然のお話の様に見えます。
私個人の意見に過ぎませんが、(神)と言う存在は、個人に影響を与えても、社会を直接動かそうとはなさらない、と感じます。 社会を形作るのは人間の仕事であり、神は個人の祈りに守護と知恵を与えて下さっても、目に見える形で、社会には手を出さない、それは教団運営にも、直接は手を出さない、本部が神のお心、お知恵を無視しても、神は手を引かれるだけで、本部を罰したりしないと言う事でしょうね。
だから、教団運営を批判して、神のお心に沿う様に変えて行くのは、信者の行動であり、間違っていると思われる決め事に、批判なく従う事は、神から見ても嘆かわしい?と言えるのでは無いでしょうか?
神に祈っても教団は人間の欲と行動で動いていますから、変わらない、教団を変えるのは、祈りを持って、教えを理解して、神のお心を理解して、理想の姿に変えて行こうと行動する信者の(仕事)でしょうね、
だから教団運営に正当な批判を行う事は、神に逆らう行動では無く、これも神の思し召しであると言えると思います。
社会を動かすのは、人間の仕事であり、異なる文化、異なる思想、異なる宗教であっても、互いに尊重しあい、共存共栄できる社会を作るには、社会哲学や人権意識、法律と言うのを大事にする民主主義を確立する必要があり、一つの神の名の下に世界を統一するのは、無理であり、神は個人的なものであると言う事を理解できたら、もうちょっと、イスラム教キリスト教などの争いも無くなると思います。
ヒンズー教のインドだって、人権意識の無さは中東と同じく酷いと感じますもんね。
まだしも、多神教の日本の方が、他者に寛容か?民主主義に近いかな?なんて思ったりします。
天理教を変えるのは天理教徒の仕事でしょうか?頑張って下さい。
追伸、訂正、連投すみません
親様様は→ 親神様
私個人は、実在する御守護神に祈り、エネルギーとして、神の知恵とお心、命の力を頂き、私や家族を守護して頂くのと、同時に自分の魂を向上させ導いてもらうと言うのが信仰の目的であり、自分を人間として良くして行くのが第一です。
だから、社会に対しては、神と言う存在は出さず、理念、思想により、政党に参加して、選挙活動や、ボランティアなどを通じて社会参加をしています。
神への信仰と、社会哲学、思想を分けていますので、無神論者と思われる事も多いですけどもね
ただ父親
2019年12月10日 7:55 AM
>>私個人は、実在する御守護神に祈り、エネルギーとして、神の知恵とお心、命の力を頂き、私や家族を守護して頂くのと、同時に自分の魂を向上させ導いてもらうと言うのが信仰の目的であり、自分を人間として良くして行くのが第一です。
だから、社会に対しては、神と言う存在は出さず、理念、思想により、政党に参加して、選挙活動や、ボランティアなどを通じて社会参加をしています。
神への信仰と、社会哲学、思想を分けていますので、無神論者と思われる事も多いですけどもね<<
要するに、自分自身、自分の家族のための「御利益信仰」というレベルだということですね。つい最近、アフガニスタンではからずも殉職された故中村医師(クリスチャン)とは、やはり根本的に違うのでしょうね。
こんにちは。
中村さんは、素晴らしいと思いますよね、私も、悲しいです。
ところで、崩壊さん
私を見下げて、楽しいですか? 人の信仰心を誹謗して、あなたは楽しいのですか?
私はそう言う事を言っているのです。
崩壊さんは、性格が未熟であると、私は感じています。
私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
その、私の志を支えているのが、信仰であって、
その信仰を人に押し付けたりはしない、人に説くためにやってるのでは無いのです
あくまで、私の人間性を向上させる、内的な物です。
ただ父親 様
2019年12月10日 12:21 PM
>>私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
その、私の志を支えているのが、信仰であって、
その信仰を人に押し付けたりはしない、人に説くためにやってるのでは無いのです
あくまで、私の人間性を向上させる、内的な物です。<<
そういう崇高な信念をお持ちであれば、決して貴方を見下げるどころか、尊敬いたします。私は精神的に未熟だと自分自身でも感じることがあります。不愉快な投稿をして申し訳ございませんでした。
誰もただ父様の孤独論に興味が無いってことです。
「財物は心の芥(ゴミ)だから、よそへ捨てずに本部へ持って来い」なんて、ほとんどコントのネタのようですね。
今なら誰も本気にしないでしょうが、まだ医術の発達していない時代、特に命の危機に瀕した人々は、藁にも縋る思いで信じ、従ってしまったのでしょう。
それにインターネットやテレビのような情報もない時代、たとえ嘘でも天皇を神として祀る宗教団体に逆らうことは、国家に対する反逆のように、信者たちは感じたかもしれません。
あの軍国主義の時代、教団は国家の政策に迎合し、戦争にも積極的に協力して、初代真柱は勲章まで授与されています。
それだからこそ、今なら霊感商法などと、マスコミにとりあげられ社会問題になるようなことも、まかり通ってきたのだと思います。
昭和55年(1980年)に福永法源により創始された法の華三法行が平成15年(2003年)の解散までに集めた金は、約一千億だそうです。
天理教は130年のあいだに、どれだけ集めたのでしょうか。
地球上がね、異なる文化、異なる思想、異なる宗教を持つ人々であっても、男でも女でも、互いに尊重しあい、助け合い、共存共栄できる世界になれば良いと思っていますよ。
一つの宗教、一つの神様で統一できる様な世界では無いと思っています。
その為に、神の知恵として民主主義があり、みんなで話し合い、法律を作り、それを守る事が必要であると思っています。
それとね
あなたの言う事に興味無いのも自由ですが、一言、くさしてやろう、皮肉を言ってやろうというのが人間の我であり、性格ですよね、(笑)
その我を自らとらえて、正すのに、信仰は助けになるかと思います
ご利益を求めて、お供えしようとするのは欲であり、欲を制御するのは信仰だろうとも思います。
だから私は、必要以上に、宗教にお供えは、しませんよ・・・
ありがとうございました〜
教会長です。
教会は独立採算にしてはと思います。
信者さんに頼らず会長の稼ぎで教会を運営してお供えは信者さんと相談して使用目的を考えるそれはおかしいでしょうか。
上級を食べさせるお供えはやめてもよいと思います。
抱括解除は難しいです。これからどうしようかなと思っています。
上記の匿名です 様
先ず、宗教法人法をしっかりとお読みください。包括解除を意思表示された時点で、上級や本部は一切手出しができなくなりますからご安心ください。いろいろな手続きが必要になりますが、訳の分からないお供えをする必要はなくなります。
包括解除は難しいことはありません。ここに投稿されている能力をお持ちのことからも分かります。
先ず、お住いの都道府県庁の宗教担当課へ相談に行かれることです。そのためにも、くどいようですが宗教法人法の要点を理解されておくことが大切です。特に、第4章は大切ですから熟知してください。
次に大切なことは、一にも、二にも記録を録られることです。何時何時の何時から何時までどこへ行った、その目的と会話の結果を残さず一冊のノートに時系列的に記録されることです。時には録音機を持って行き、相手の了解が得られれば、会話なり要件を録音されることです。全ては記録から始まります。
加藤ハルアキさんのブログをご覧になったでしょうか。教会長さんですから時間的余裕はサラリーマン等に比べればおありでしょう。迷われることはないと思います。
おっしゃて居られる趣旨に大賛成です。親神は本部にのみ居られるのではないと思っています。国々所々の言葉通りだと思っています。
>>私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
>>政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
それはそれは大層ご立派であらせられます。
でも本当に偉い人ほど、そういうの口に出さないよね。
天理教上層部の人たちを見てごらんなさいよ。大手を振って歩いてる人ばかりだから。
ただ父さんは人から愛されれば変われるでしょう。
自分の姿は見えにくいから、まずは奥さんと心を通わせたら良いのでは?
子供さんもまだ、高校生であれば、あたたかな家族が必要な時期です。
我を正すのに信仰が助けになると、自分で解っているからには初めの一歩は家庭でしょう。
知りもしない人、見ていない事も見て来たかの様に書かれるのは、毎回慣れていますけど、思わず、噴き出しました・・(笑)
まあ、互いに否定し合い、皮肉を言い合うのが、人間の我ですと書いたわけです。
私の文章が高慢であると言う風にとらえる人もいれば、そうですよねって、気にされない人も見えるでしょう。
そう言うのも、受け手の我の問題だと、何度も書いたよ。
私の言った事は、私にもブーメランになると承知しながら、書いています
だから、切りが無いので言い返しはしませんけども
言いたい事は、宗教は外に誇示する面がありますけど、信仰とは、内面的なものでしょうと言う事です。
信仰で内面を磨き、思想と理念で社会に参加する、と言う方法であれば、宗教同士も、否定し合う必要が無いだろうにって思う事ですよ。
神の働きは、教団の欲とは無関係に働くかもしれない、だから親神様は、教団本部に直接戒めを与えないから、ここまで来たのでしょう。
だから、天理教団を変えて行くのは、信者の仕事だろうって、言ってる訳ですよ。
離脱だって、本部は怒っても、親神様はお怒りにはならないと、私は考えています。
離脱した方が良いと考えるなら、躊躇無く離脱されたら良いと思っています。
頑張って下さい。
追伸、連投失礼します
私個人は自営農家で夫婦共働きです、上の子は国立大学に行っています、末っ子は天理高校2部ですが、地元の高校を嫌い自分で決めましたし、次は専門学校から東京に行って就職したいと言っていますし、基本的に息子の自由にさせています。
おかげ様で、夫婦仲、親子関係も、まずまずです、これも、信仰による加護と自己制御のおかげでしょう。
その信仰により、家族に制限させる事、我慢を強いる事は、私の場合は、何もありません、ただ、そう言う話をするだけで、友人の天理教教会長の生き方を(否定する)事にもなってしまう、信仰が家族生活に制限を与えて、長男に教会を継がせると決定している事の否定になる事も承知しています。
私個人は、信仰と思想を分けているけど、それも天理教信者には否定に聞こえる、致し方ありませんよね。
どうもすみません、聞き流して下さいませ。
♡♡♡ 中村哲医師の活動について思うこと ♡♡♡
中村哲医師の殉職後、毎日のようにテレビや新聞で彼の功績を讃える報道を見るたびに、私も妻も涙を流しています。世界は何と貴重な偉人を失ってしまったのでしょう。残念でしかたがありません。彼のアフガニスタンでの活動は「人間愛」「隣人愛」に満ちあふれたものだったと思います。彼は熱心なキリスト教徒ですが、「隣人愛」を説くキリスト教の教えを忠実に守り、体現していたのでしょう。彼の真似をできるような人は、そうそういないと思いますが、天理教の「人たすけ」という言葉が、陳腐で空虚に感じるのは、私たち夫婦だけでしょうか。
https://youpouch.com/2014/10/12/228076/
匿名です 様
2019年12月10日 5:13 PM
再度、失礼します。カトウハルアキ様のブログに次の案内が書かれています。一度アクセスされては如何ですか。
>この度、本ブログ「1/17000の闘争と逃走」の記事を参考にして、所属教団から離脱し独自の活動を始めた教会(宗教法人)が複数集まり、「ひながたの会」を設立することになりました。
離脱後の活動や行政手続き、信仰について情報交換をし、銘々の活動に役立てると共に、自分達が救われた事(離脱の経験)を伝え、後に続く人(教会・宗教法人)の支援をするためです。
詳しくは、http://mikagurauta.grupo.jp/をご確認ください。<
と、あります。限界集落にある天高二部同窓生の教会も名称の維持が難しくなってきて、カトウ様のブログを見て勉強しています。
南都銀行から借金、ですか?
宇佐大教会の抵当権は三和銀行奈良支店にあったようですが、その他にも南都銀行から融資を受けていた、という事ですか?
いろいろな事に詳しい人から聞いた話では「悪◯高き南都銀行」からと聞きましたが、、。南都からも有ったのかも知れません。
こちらで三和銀行と聞いてあれ?と思いました。
アメリカのどこかの大教会が5億円を借りて神殿普請したという話を聞いたことがあります。その場合、銀行は日本とアメリカのどちらなのでしょうか。
どこでも南都銀行というように決まっているなら、自分のところの教会も安心はできないかもしれないと、ちょっと気になったものですから。
その人云く、本部は借りる時は簡単に「借れ借れ」と言うそうです。貸す方も本部がついているからハードルが低く安心して貸すのでしょう。銀行ですから当然担保は設定していたでしょうが。
今回、当該大教会と関係がねじれ、その後支払いが滞って大騒動になっても本部は知らん顔のようです。結局取られてしまう前に部内が買い取ったと言う事ですね。
今回三和か南都かは定かではありませんが、本部と南都は仲良し関係で、信者は注意して用心するに越したことはありません。
余談ですが、うちの上上級教会が借金する際、我々末端教会などへは借り入れ金額も返済計画の相談も皆無で、末端が口を挟む隙間はなく、長年借金のつけだけ覆いかぶさって来ました。相談もない借金、なんでうちが払う義務があるんだ。教会の土地でも切り売りして自分で払え、いい歳の子供らに大教会でぶらぶらさせずに社会に出て働かせて親の借金なら払わせろと言ってやりました。相談しないといけないのか?とふざけた事を言ってました。天理教は上意下達が当たり前です。我々は黙って踏みにじられる虫けらです。
上が勝手に借金して払えなくなれば、第2の宇佐と言う事です。
明治36年・本部は教祖を否定する
教祖を神として教え、天皇を神と教えない教師は不良教師として粛清する。平野樽蔵らが「天理教会本部は天皇と天皇の先祖を神様と言っている。教祖を神様と言う者は不良教師である。辞任してお詫びせい」と迫り、約1400名の教師が辞任させられている。泉田藤吉、万田万吉ら大教会を設立していた教祖直系の高弟まで累に及んでいる。
明治37年
戦争協力体制へ進んでいくことになり、「借金をしてでも戦時国債を買え」という本部方針の下で250万円以上の戦時国債を買い協力した。日露戦争後、真柱の真之亮に勲六等の勲章が出される。
明治時代の1円は現在の約2万円。
天理教は約500憶円の戦時国債を買った事になる。そして、初代真柱に勲章が出された。
1914(大正3)年
12月31日、初代真柱(中山真治郎)が出直し(享年49歳)。背中に出来たできものが原因。
昭和11年当時の管長(二代真柱)の所得が70余万円。
米10Kが2.4円 現在3000円としても約1000倍。
当時の真柱の所得は、現在の7~8億円以上となる。
まさに金権体質だと思う。
(参考・れんだいこブログ)
♡♡♡ 中村哲医師の活動について思うこと ♡♡♡
中村医師の活動により広大な砂漠が緑豊かな大地に変貌しました。
素晴らしい活動です。
しかし、この緑の大地に起こった次の出来事は何と「土地争い」だそうです。
ペシャワール会の会見によると
中村医師が用水を建設すると土地の値段が30倍から40倍に跳ね上がり、土地をめぐって部族間の争いが起こったり、土地の軍閥が勝手に陣地を構築して土地を私物化する状況が起こってきたそうです。
現地の情報のよると、中村医師はこの争いに巻き込まれたらしいとの事です。
この世は、本当に欲に切りない世界だと思います。
> 今回三和か南都かは定かではありませんが
抵当権があったのは三和銀行(現三菱UFJ銀行)奈良支店で間違いありません。
登記簿謄本の画像を確認致しました。
少なくとも、宇佐大教会の土地建物を担保に融資をしていたのは南都銀行ではありません。
(本部と南都銀行の蜜月は否定しませんが)
匿名です
2019年12月10日 5:13 PM様
>抱括解除は難しいです。これからどうしようかなと思っています。
私はこの掲示板に出会い近年離脱した末端教会の長男で教会長です。
僭越ながら、1つアドバイスさせていただきます。
先ず、「被包括関係の廃止」はとても簡単な法手続きです。
ご安心ください、難しくありません事務的に必要書類を作成し手順通りにするだけで完了します。
手続き方法は全て管轄行政/都道府県庁の文書課の担当者が教えてくれます。
ただし、絶対にやってはいけない事が1つだけあります。
事前に「被包括関係の廃止を検討していることを教会関係に知られてはいけない」です。
教会関係とは、大教会はもちろん上級や兄弟教会、支部や近隣教会など教団関係全てです。
情報漏洩すると、必ず妨害や邪魔が入りますのでご注意ください。
ベストな方法は、先ず加藤ハルアキ氏のブログを確認されることをお勧めします。
実際の手続き方法や課題などがノンフィクションのストーリーでわかりやすく掲載されてます。
ご自身のシミュレーションのご参考になると思います。
参考:加藤ハルアキ氏のブログ
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12356106667.html?frm_src=favoritemail
「ただ父親」様
横レス、失礼をします。門外漢なのに、再三、投稿する失礼をお詫びします。
「匿名」様と「ただ父親」様の議論は、おそらく多くの宗教団体でも同様の議論が起こりうると思います。
天理教を例にあげると、天理教という組織が目的とする「中山みき先生が説かれた真理を実践し、世界に広める」という目的自体は何もおかしなことはありません。天理教が学校法人を設立し、多くの子弟を教育されているのは立派なことです。学校法人の設立にかかる莫大な費用を考慮すると、偉業と言えるでしょう。
しかし、組織が目的を達成する活動をするためには、お金も人手も必要です。その負担は、当然、組織の構成員にかかってきます。想像ですが、天理教の人たちが憤慨しているのは、おそらく、その負担があまりにも重く、決定事項に教義との整合性がない点や情実や縁故が散見される点にあると思われます。その結果、熱心な信徒の家庭が破壊され、子弟が貧困に喘ぐという窮状が起きていたのです。
逆に言うと、仮に、天理教の全部の信徒が、立教以来、それぞれ必要最小限のお布施や献金しかしなければ、天理教の学校などできなかった可能性があります。天理教の高校も、言い方は悪いが、天理教の人の中には、多くの人の血と涙の上にできていると感じる人もいるかもしれません。
私個人は、「ただ父親」様のお考えに共鳴できる点も多いです。ただ、この掲示板は、いわば「天理教の被害者」が多く投稿される掲示板です。そう言う場所で意見を述べる場合は、組織と距離感を保つ信仰生活をされていると言う投稿は、一部の人のトラウマと抵触する危険性もあります。天理教がそうだとは言いませんが、政治団体や宗教団体は程度の差はあれ、信徒をマインドコントロールすることで組織運営をする傾向はあります。そう言う被害に実際に合った人にとっては、傷口に塩を刷り込まれるような反応を覚えると思います。
その点を配慮されたら、もっと素晴らしい投稿になったと思います。
せっかく、素晴らしい投稿をされたのに、ケチをつけるような投稿をした点をお詫びします。
また、「ただ父親」様のご投稿を拝見し、多くの点で勉強になった点も申し添えます。
最後になりましたが、益々のご健筆を心からお祈り申し上げます。
「教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。彼らは与えられた特別な能力によって神の意志を受け取り、それを人々に伝えるという役目を受けて送り出されてきた人間であり、私たちの教祖も、その一人だったのだと思います。
人間であれば、その命には限りがあり、だからこそ「おふでさき」を書き残し、自分の死後、教示を伝えることのできる飯降伊蔵や上田ナライトといった弟子を育てていたのでしょう。組織を作ることなく、人から人へと教えが広まる先々で、人々が助け合う講が自然に結ばれることを望まれたのだと思います。
それなのに中山・梶本家を中心とする宗教屋たちが、山澤為造の親戚である守屋筑前守の協力のもと、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。天啓者の上田ナライトが排除され、国家権力をバックに教祖に忠実な弟子、すなわち教団にとって都合の悪い弟子たちの大粛清が始まりました。泉田藤吉、万田万吉など名だたる高弟たちが辞任を迫られ、暴力を伴って追放され、なかには自殺する者もあったといいます。かつて教祖に無い命を救われたという平野樽蔵は、あっさり教祖を裏切って応法派の筆頭となっていますが、やはりヤクザは宗教ビジネスの旨味をよく理解していたのでしょう。
飯降伊蔵は教団の暴走を抑えたくて残ったのかもしれません。しかし「おさしづ」に「理」という字が約15800回も出てくるところをみると結局は教団の方針に流されていったのかも。まあ、家族を守るため仕方なかったのでしょう。
戦争が終わり、民主主義の時代が訪れ、天皇が神ではないとなると、今度は教団によって天理王命が神、教祖中山みきは地上の神であるということになりました。教祖は姿は無くとも今もこの世界にいて働かれているとされ、その子孫である中山家は神聖不可侵な一族となり、真柱の地位は血統によって受け継がれることに。
そして、ぢばを人間を始めた場所とし、甘露台づとめを独占して、そこに人と金が集まるシステムが構築されていったのだと思います。今では日本国内のみならず、海外にまでも。
どんな宗教にも聖地があり、巡礼というものはあるのでしょう。しかし天理教ほど年中、頻繁なのは珍しいことなのではないでしょうか。
参考意見
2019年12月12日 2:52 AM
「教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。
理路整然とした説明 ありがとうございます。
理解が深まりました。
私も、「みき」は親神の真意を伝える伝道者と思っています。
本席は、神懸かりにはなりますが、神との対話は出来なかったと思います。
普段は実直な大工の伊蔵です。
本席一人で山澤為造やその他の強欲な連中を抑え込むことは非常に困難な事であったと思います。
本席亡き後は、山澤為造・為信親子が天理教を完全に牛耳ってしまったのです。
山澤為造の妻は、梶本ひさです。
ひさの弟が真之亮です。
天理教の初代真柱は、梶本真之亮です。
真之亮が中山家に婿入りして初代真柱になったのです。
つまり、山沢為造は、初代真之亮の義理の兄であり 正善の伯父になります。
更に為造は、長男の為信を正善の妹 玉千代と結婚させて中山姓を手に入れました。
そして為信を御分家と呼ばせて権威付しました。
要するに天理教の実態は、中山家の仮面をつけた山澤教だったのです。
こんな天理教が「世界一列皆兄弟」とか「命の繋ぎは金」とか言ってます。
素晴らしい中村医師、寛容と平等ですかね、中村医師は、アフガンでキリスト教の布教活動をしていた訳ではありませんよね、アフガンのために尽力を尽くした。 中村医師の志を支えていたのが、キリスト教と言う事ですね。
天理教であっても、それを心の支えに、社会参加して人助けに奔走していたら、良いんじゃ無いですか? そう言う素晴らしい人が居るかもしれません。
信仰の道一筋って言ったって、それは布教が仕事になるんだもん、仕事だからお布施をもらう必要があるなら、中村医師とはそりゃ違うでしょ?
参考意見様、ありがとうございます。
参考意見様、おっしゃる事はよくわかります、それはまさにその通り、ありがとうございます、気を付けたいと思います。
もう一つ、私は、人の我と我は、すれ違いに摩擦を生じると言う事も考えています。私は、ここに匿名でコメントもしていますけど、匿名だと意見だけでサラッと抜けても、ただ父親を使うと、奥さんと話し合え? みたいな、本文と無関係な個人の我が現れる、匿名だと相手をイメージできませんが、ただ父親は一定の姿を持っていますからね。
私自身の信仰観は、徳を積んで神になるのでは無く、徳を積むのも肉体の仕事位に思っています。
中村医師は素晴らしい活動をされていました、でもそれで中村医師が天国、上に上がれるかどうかは、中村氏の心持ちの問題であり、他人からは判らないとも思っています。
この世でいろんな経験を積む事で、異なる存在に、寛容さ、情、許す、特に情と言うのは、穏やかな優しさとか、この地上でしか身に付かない事、それらを身につけた上で、霊界に進むと、そう言うことを、普段の神との交流の中で、学んでいます。
こう書いただけで、てめえみたいな、この野郎偉そうに!と言う想いを持つ人を、一定に起こしてしまう、地上とは、そう言う仕組みになっているから仕方がない。
地上においては、異なる文化、異なる思想、異なる宗教であっても、男でも女でも、互いに尊重し合い、たてあえる社会を目指す事、でも人の一生は短いから、社会は、なかなかそうはならない、それを繰り返し繰り返し、理想に近づけて行く世界、その様なことを、経典では無く、祈りの中で守護神から習っているんです。
私にとって、信仰と言うのは、そう言う物なのです。
社会に偉業を成す様な素晴らしい人間では無くとも、できる範囲で、社会に貢献して、積める徳を積んで、寛容さと情、穏やかな優しさを身につけて、あの世に向かおうと言う、個人の志の元です。
ありがとうございました。
中村医師の活動は、見返りを求めない「無償の愛」だと思います。
中村哲 > ただの父親
誰が読んでも文章からにじみ出る書き手の人柄は、比較するのもおこがましいと思うのでは?
無償の愛、神の愛
中村氏の、無償の愛の元になったのが、キリスト教であると言うのは判ります。
天理教でも、教祖様の本当の教えは、無償の愛であったと想像しますが
守護のお礼に、お供えって言う現在では、まったく違ってしまいますよね?
残念でなりません。
天理青年に向けて「世界中の国でお助けを」と大きな展望を持っている大亮青年会長だが、天理青年が中村医師と同レベルの仕事、つまり「無償の救済」をせよとその胸の内を理解して良いのか?
事実上の権力者である彼の父親は「命の繋ぎは金」と公言している。よって困窮の地においても命の危機に瀕している貧困の民に向かって「命の繋ぎは金」と言わねば、教えとしての理屈が通らない。筋が通らない。
大亮は父親が公言しているこの「金と命の教理」をもって世界の救済とどう向き合って行くのだろう。救済は美しいだけの物ではない。誰にも動かせない岩の様な強固な信念が必要です。
大亮が中村医師の様な救済を青年達と共に突き進むなら、善亮が黙っていないだろう。何故なら、無償の救済は「金」にならないから。中村医師の様な救済では人助けの宣伝にはなるだろうが、彼にとっては金の旨味は無いのだから。
また、大亮には有言実行を期待する。衣食住を他人のお世話になって無頓着でぬるい今の生活様態を改め、生きるか死ぬかの最前線で自ら指揮できるのか?出来ないなら、有限不実行ならば誰でも青年会長は出来ますよ。交代制でやって下さいね。
天理教の言っている事は矛盾だらけ。
天理教とは中山の姓を騙った梶本教だとばかり思っていたら、さらに進んで山澤教だったのですね。今まで御分家とは何か、よくわからなかったのが、これで理解できました。
そういえば山澤為造は、教祖の最後の時まで最も近くにいた梶本ひさを監視するためにか、強引に妻にしたなんて話もありましたね。男尊女卑の時代のこと、女性が自分の意志を通すことは難しかったかもしれません。
明治5年の、梶本惣治郎の妻おはるの出直しは、酒席で中山秀司に難癖をつけられた惣治郎が、腹立ちのあまり妻に向かって「去(い)んでくれ」と、捨て言葉を使ったため、神様が望み通りにしたのだということになっています。しかし私は神様が、ただ一度の過ちに、まるで売り言葉に買い言葉のように命まで奪ってしまったとは思えません。もしかしたら逸話編にある「仏惣治郎」などとは二代目真柱によって創られたキャラかもしれず、そこには日常的な家庭内暴力(DV)の存在を疑ってしまいます。また教祖が、桝井伊三郎に
「女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように。」と、仰せになった。(逸話編137 言葉一つ)これも表現を抑えてのDVに対する戒めのように思えます。
この時代、夫の妻に対するDVは珍しくなく、多くの女性が鬱で無気力の状態だったといいます。東本大教会初代の女性会長・中川よしも入信する以前はバタード・ウーマン(被虐待症候群の女性)でした。
私は、教祖が強く望まれたことの一つに、女性の解放と自立があったように思います。そのため読み書きや針仕事などを教えながら、人間のあるべき姿と心を説いて聞かせたのではないでしょうか。
逸話編に幾度となく出てくる、屈強な男たちとの力比べも、女性を侮るなかれという、教祖のデモンストレーションだったかもしれません。農村で働いた教祖は実際に強かったのだと思います。テレビで得た知識ですが、普通の成人女性には片腕で70kgを持ち上げる筋力があるが、それをやれば骨が折れたりするので脳が痛みを発して止めさせるのだそうです。火事の中から死に物狂いの女性が、大切なピアノを一人で引きずり出したなんて話もありましたね。
力比べのエピソードは神の力を示すものとして、教祖を神格化するのに利用されていますが、もし本当に神の力なら、某漫画の主人公みたいに指2本で倒立したり、某空手家より見事に10円玉曲げができたかも。
しかし実際には最後の御苦労で、親指を縛って吊り下げられるという拷問によって、教祖の指は変形してしまっていたそうです。
天理教の諸問題については、法的解決も容易ではないという門外漢様のご意見を受け、昨今「桜を見る会」なる摩訶不思議な国のイベントが野党に追及され、マスコミでも大きく報道されています。今後、どのような展開になっていくのか分かりませんが、天理教の問題についてもマスコミの力を借りてみてはと考えている今日この頃です。具体的な方法については、現在、思案中ですが、何か良いアドバイス等があれば、ご教示願います。
キリスト教をここで持ち上げる方が見えますが、キリスト教と言えども、いろんな歴史がありますし、戦争と切っても切れないですしね、大航海時代なら、植民地にする為の布教や弾圧もあったと思います。
キリスト教だって黒歴史はある。
中村医師は素晴らしい活動をされていたと思いますけど、それは中村医師の生き方であり、1つの人生であると思います。その中村医師が、キリスト教を信仰して、心の拠り所にしていたと言う事が事実だとして、偉人が何を拠り所にしていたかは、人それぞれだとも言えます。
誰しも、あそこまでの生き方は、普通できない、もう別格であると思いますけど、中村医師の生き方を、あれこそ徳を積む生き方だとしても、逆に市井の人間は、多くが徳が足りないって事になります。
徳を積む、人助けをする、善行を積む、それは良い事だと思います。
乙武さんみたいな5体不満足な人の場合、生きていて、子供を作り、不倫までして見せるだけでも、すごい人だと言えます、体の不自由な人に希望を与えます。
宗教は特定しませんが、宗教やるなら、信仰するなら、とりあえずその人生において、できる限り精一杯生きて、家族を幸せに、周りを幸せに、社会を良くして行こうって言う思いで、周りの人に気を使わせず、常に親切で笑顔でいられるか? 毎日自分を向上させて行く指針に、その教えを据えられるか? そう言うことこそ、重要だと思っています。
宗教やってるのに、信仰持ってるのに、感情に任せて人に怒っては、良くないですが、人間だからしょうがないですが、その日のうちに反省するのもしと言う物でしょう。
信仰に限らず、人間性を向上させるための反省模索の心の行動は、誰でもあった方が理想ですね。
偉人と比べて自分は大した事は無いとか、人に、あなたは大した事は無い、なんて言う事も、思う事も、要らない、心のホコリだと思います。
あえて比べて、自分を否定したり、人を否定しても、それは無意味でしょう、自分の向上につなげて行けたら、それが良いと思うんですよね。
天理教者であっても、家族を幸せに、周りを幸せに、いつも笑顔で優しくある事、教祖様の教えを理解して、自分を向上させて、人生を良くして行ったら、それは正解じゃ無いのかな?
天理教が悪いって言うより、そうできない、そうさせない、現実の教団運営に、問題があると言う事ですね。
そう言う現実を変えて行くのも、善行の一つですよね、頑張って変えよう。
訂正 その日のうちに反省するのもしと言う物でしょう。
その日のうちに反省するのも、信仰と言う物でしょう。
すみません
中村医師の座右の銘は、天台宗の開祖 最澄の説いた「一隅を照らす」という教えです。彼はキリスト教徒でしたが、キリスト教という特定の宗教に固執せず、宗教の垣根を超えて「人類の幸福」を追求した人物だったと思います。下記に「一隅を照らす」のあらましを天台宗のHPをお借りして紹介いたします。
http://ichigu.net/digest/index.php
よく不正や不当な出来事が生じると、裁判に訴えて違法不当な出来事を正そうとします。
確かに裁判の目的は「社会正義の実現」ですが、実際の裁判では社会正義の実現が難しいのも事実です。
もちろん、明確な法律違反があり、かつ、しっかりとした証拠があれば、裁判で勝訴するのは可能ですが、それでも費用や労力は大変なものがあります。
そこで、メディアに訴えて、社会正義の実現を目指す人が多いです。実際、裁判よりもその方が確実だと言えます。しかし、メディアでも、やはり名誉毀損や信用毀損などの理由で訴えられる危険性があり、雑誌社などは常に訴訟を意識しながら、記事を出しています。メディアに訴える場合は、訴訟になっても大丈夫なだけの資料や証拠を提供することが必要です。
それで思い出すのは、伊藤律の伝記「偽りの烙印」です。伊藤律は、日本共産党の幹部の一人でしたが、共産党内部の権力闘争に負け、中国で監禁されます。その後、ゾルゲ事件などに関して、共産党側から「スパイ」との烙印を押されて除名されます。伊藤は、なんと、27年間も正当な理由もなく中国で投獄されます。その後、釈放され帰国した時には廃人同様になっていました。帰国後、伊藤は、自分はスパイではないと語りますが、松本清張や尾崎秀樹などの大物作家が伊藤をスパイであるという著作を広めたので、彼の声は無視され、失意のうちに世をさります。
伊藤の寂しい葬儀に出席した支援者の一人である渡部富哉は、伊藤の名誉回復を考えます。そして「事実をして語らしめる」というスタンスで、入手できる限りの資料を検討し、存命中の関係者に取材し、その調査の結果を「偽りの烙印」という本にまとめます。その内容は、取材した事実を持って、伊藤のスパイ説の根拠を一つづつ論破するというスタイルでした。この本が契機となり、伊藤に有利な証拠が次々に発掘されます。これを持って、伊藤の遺族や渡部は、メディアに伊藤をスパイとする出版物の訂正(例えば、松本清張の昭和史発掘など)を要求し、メディア側も善処を約束するに至ります。
今日では、伊藤をスパイとする説は、ほぼ否定されています。
主義主張に違いはありますが、渡部のやり方は、社会正義の実現というスタンスで考えると、一つの手本になると思います。
政治や宗教の問題となると、やはり感情に走りがちですが、それでは限界があります。
「事実をして語らしめる」というスタンスは、ある出来事について事実を淡々と述べると同時に、それを裏付ける証拠も淡々と述べるということになると思います。
追伸
あと、思いつくままに書かせていただきます。
*生存している人への名誉毀損は成立しやすいですが、亡くなられた方については名誉毀損の成立条件は厳しくなります。
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損がしにくくなります。(月刊ペン事件)
*事実であっても、プライバシー侵害にあたる場合は、不法行為(民法709条)にあたる場合があります。
*宗教の教義についての争いは、裁判にならないとして却下される場合が多いです。
*正当な訴えに対して、適当な裁判をふっかけて嫌がらせをする訴訟を「スラップ訴訟」と言います。最近、「幸福の科学」が行ったスラップ訴訟に対して、違法との認定がされました。
*大正時代の下級審判例ですが、浄土宗に「永代念仏」を条件に多額の寄付をした人が、寺院側が約束を履行していない事を知り、契約違反を理由に訴えた裁判で、寄付をした人を勝訴させています。教団側が約束を守らない場合は、信徒側が裁判に訴えることが可能な実例だと言えます。
以上、思いつくまま書きました。失礼をお許しください。
訂正
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損がしにくくなります。(月刊ペン事件)
を以下の通りに訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損が成立しにくくなります。(月刊ペン事件)
教義の真偽ついては双方ともに物証は無く、法的には争いようがないように思います。しかし、
宗教法人でありながら、各教会に生活に必要なだけの給与というものが無く、信者からのお供えが上納される前にその一部が直接教会の家族の生活費になっており、組織形態がマルチ商法に近い。
下部組織の問題や不祥事について、上層部が無責任。
集められた金の利用が投資など、出資者の思惑からかけ離れ、宗教団体として不適切なことがある。
組織内で働く人々の待遇や労働条件が特異である。
こうしたことを、宗教法人法、労働基準法、最低賃金法、憲法の保障する基本的人権などの観点から、世間に訴え争うことはできないものでしょうか。
参考意見 様
天理教の場合、大教会や分教会は、宗教法人 天理教と包括・被包括の関係にあると考えても良いのでしょうか?
最初に申し上げるのは、宗教法人と言えども、治外法権ではなく、違法行為があれば、法律は平等に適用されます。浄土真宗で僧侶の労働組合ができたり、神護寺で元職員が公益通報制度を利用して告発するなどは、その実例です。
ただ、宗教法人の方も、巧みに法律の適用を回避しようとします。天理教の場合、各教会が独立性であることは、本体である宗教法人 天理教には極めて有利な仕組みになっています。信徒数が増加している時期では問題は生じませんが、一度、信徒が減りだすと、現場の教会は悲惨な境遇になります。これを例えると、最近のコンビニ各社とフランチャイズ契約をしているコンビニ店長のような関係にあります。しかも、宗教法人なので、政府の介入が難しい面もあります。
こう言う場合は、個々の法律は犯していませんが、全体として、教会の人たちは天理教から人権侵害を受けていると捉えることも可能です。
例えば、弁護士会の人権相談や行政の宗教法人の窓口などに相談する手もあります。
相談の相手としては、極力、公的な機関を推薦します。一部の政党や宗教団体は、他の宗教団体のスキャンダルをネタにして、自分達に有利な工作を仕掛ける場合もあります。
なお、ヤマギシ会やエホバの証人などの団体では、信徒や元信徒が漫画で内実を告発し、団体の対応の改善をもたらしたとも聞いています。わかりやすくて良いかもしれません。
バタバタしており、走り書きですみません。
また、時間があるときに改めて書きます。
門外漢 様
2019年12月14日 4:38 PM
>>例えば、弁護士会の人権相談や行政の宗教法人の窓口などに相談する手もあります。<<
横レス失礼いたします。オウム真理教の一連の凶悪事件の際、紀藤弁護士やジャーナリストの江川紹子氏が脚光を浴び、マスコミ報道等でも再三、テレビに出演しておられたことを記憶しておりますが、両氏のように宗教問題に詳しい弁護士やジャーナリストは他にもおられないのでしょうか?
参考にならない意見 様
2019年12月13日 6:38 PM
>>キリスト教をここで持ち上げる方が見えますが、キリスト教と言えども、いろんな歴史がありますし、戦争と切っても切れないですしね、大航海時代なら、植民地にする為の布教や弾圧もあったと思います。
キリスト教だって黒歴史はある。<<
「キリスト教をここで持ち上げる方」とは、おそらく私のことを指しておられるのであろうと推測するのですが、私はキリスト教を決して持ち上げている訳ではありません。過去から近代の歴史を振り返っても、キリスト教にも恐ろしい暗部があります。中世の十字軍の遠征やカトリックとプロテスタントの血みどろの争いやテロもありました。殆どがキリスト教徒である欧米列強が黒人奴隷を売買したり、アジアの植民地支配を進めるために、キリスト教を利用した時代もありました。しかし、キリスト教の真の教えに触れた人達は、長崎や天草地方の「潜伏キリシタン」のように、江戸時代に幕府から「踏み絵」をさせられ弾圧を受けながらでも、命がけで現代まで信仰を守ってこられました。アフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師も、天台宗やキリスト教の真の教えに感銘し、突き動かされて活動をされていたのだと思います。
私は末端の一信者ということで、包括・被包括というものの意味がよくわかりません。所属する教会の教会長も本当に理解しているのか怪しいもので、宇佐大教会の件も他人事のような様子です。
しかし、やはり人種問題や差別問題絡みの事案と同じく、宗教に対しての司法の介入は難しいのですね。オウム真理教もサリンや自動小銃など作らなければ、まだまだ続いたのかもしれません。
ブラック企業の社員が行政指導を期待して、第3者に頼んで監督署に通報なんて話も聞いたことがありますが、その場限りの対応で根本的な解決にはならないようです。
マスコミも、よほどの確かな材料が無ければ、名誉毀損による逆訴訟を恐れるでしょう。実際、オウム真理教も一時は訴訟が大好きな教団と言われていました。
漫画による告発が成果を上げたというのには驚きました。これなら、いざとなれば漫画だからで切り抜けられるのかも。某漫画などは、カトリック対プロテスタントの抗争の中で、バチカンの暗殺組織なんてものまで登場しますからね。小説ともなれば、山崎豊子なみの徹底した取材と調査に基づくものでも、組織名や人物名は架空のものに変更されますから。
今の私にできることと言ったら、悪く言えば天理教の粗探し。二代目真柱によって編纂された教典と教祖伝の内容について、歴史的・客観的事実と比較し、科学的・合理的に検証していくことくらいです。とにかく根気よく続けていきたいと思います。
ところで私は、他の多くの匿名さんとの混乱を避けるため、一応ハンドルネームを使っていますが、このサイト内で教団擁護派に付け入られるような争いが生じることを避けるため、特定の誰かを名指しすることはせず、あくまで独白の形を取らせていただいています。(身に覚えのない返信などもありましたが。)それゆえ礼を失することがあるやもしれませんが、どうかご理解頂ければと思います。
「包括・被包括」ですが、例えば、今のコンビニを例に出しますと、うちの近所で酒屋を経営していた会社が、お酒が売れなくなったので、酒屋を廃業してコンビニに業種転換をしました。その時は、大手のコンビニチェーンと契約をし、その名称を使わせてもらい、商品の仕入れなどもお願いする代わりに、その大手のコンビニチェーンの会社にフランチャイズの料金を払います。乱暴なたとえですが、それに近いものです。天理教の教会を設立し、天理教の名称やシステムを使わせてもらう代わりに、お金を本部に支払う関係みたいなものです。
私自身も特定の信仰を持っており、宗教団体の問題点や矛盾を感じる点は多々あります。ただ、天理教の場合、部外者がこう申し上げるのは失礼ですが、本部の偉い人が結婚式のパレードをしているのに、末端の教会では極貧の喘いでいるのは、いくら何でもひどすぎると思います。天理教の教義自体を否定するわけではないのですから、このような矛盾ははっきりと指摘するのは、教祖のご意志に合致するのではないでしょうか。
私は、宗教問題のジャーナリストの知り合いはいますが、天理教については、カルト教団ではないので、なかなか取り上げてもらえない可能性はあると思います。you tube などで動画を出している人などに連絡をしたら、取り上げてもらえるかもしれませんが、確実ではないです。やはり、ご自身で何らかの形で警鐘を鳴らすのが確実だと思います。
なお、実名をあげると、日本共産党、創価学会、統一教会などは、日本の宗教団体についてよく調査をしております。共産党などは宗教委員会などを設立し情報を集めていますし、創価学会は、他の宗教団体の信徒を折伏するマニュアルを作っています。統一教会も同様の話を聞いたことがあります。こう言う所は、他の宗教団体を自分たちの活動に利用をしようとしているので、全く信頼ができません。が、こう言う人たちが寄ってくる危険性もありますから、宗教問題の専門家やジャーナリストと接する時は、調べてからの方がいいと思います。(ちなみに、これらの団体も上層部は比較的贅沢で、下部組織の人たちは貧乏だと聞いています。)
走り書きですみませんが、よろしくお願い申し上げます。
早く親神に降りてきてもらいたい。
本部が異端認定できないレベルの人間に降りてくれば、大きく変わる。
>天理教についてはカルト教団ではないので
カルト教団です。カルトです。
間違い無くカルト教ですよ。
天理教でも教会運営がバラバラなのと災害ひのきしん隊の成果も有って、世間の人は良い印象を持ってるだけです。
一歩中に入れば悲惨な状態です。
犯罪集団です。
>天理教についてはカルト教団ではないので
カルト教団です。カルトです。
間違い無くカルト教ですよ。
天理教でも教会運営がバラバラなのと災害ひのきしん隊の成果も有って、世間の人は良い印象を持ってるだけです。
一歩中に入れば悲惨な状態です。
>>本部の偉い人が結婚式のパレードをしているのに、末端の教会では極貧の喘いでいるのは、いくら何でもひどすぎると思います。<<
一般の方が見ても、理不尽であるこの現実が、実際に上層部では疑問にも恥にも思えないで実行されている。
この姿を大亮本人はどう考えているのだろうか。彼は「世界助け」の次期真柱である。
若者に良い事尽くめの綺麗事だけ言って居ても、彼らの将来は、手に職無し、技術無し、生活力無しの手も足ももがれた様な人間を増産する、彼らはそのラインに乗っているに等しい現実。大亮は彼らの将来に深い洞察の眼は持ち合わせて居ないのか。そこが問題だと思っている。
小さな壺世界の中のひのきしんだけでは生きて行けない今の日本の現実に眼を向け、社会で働く事の尊さ、自力で生きる大切さを認識し、天理教は彼らが社会で生きる道とその可能性を塞がないて欲しいと切に願います。
彼らの老後が生活保護のお世話になるのであれば(彼らの今の生活レベルは完璧な生活保護水準だと思う)、次期真柱の感じ方、とらえ方は宗教者としては本末転倒です。
崩壊様 (アフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師も、天台宗やキリスト教の真の教えに感銘し、突き動かされて活動をされていたのだと思います。)
「感銘して突き動かされた」 それが信仰と言う物の基本では無いでしょうか?
信仰とは、人の内面を支えるものであり、私は宗教をやっていますと口にする様な物とはちょっと違うと言う事でしょう。
身上諭し、みたいな教えに沿って、人を指導する、(人を屈伏させる) 宗教的行動は、信仰心とは違うと思うんです、信仰心に厚い人は、愛のある言葉で、人に寄り添い手を差し伸べると想像します。
後継者の結婚パレードなんて、普通の人から見たら、ああ、この団体に近づいてはいけないって、そう言う宣伝に見えます。
天理教はカルトです。下から吸い上げ、上が贅沢な暮らしをしているなら、カルトと断定すべきです。それに、天理教団の教える教理は、人を不幸に落とし込むものばかりです。
阿部総理が移民推進、外国人労働者多数受け入れ政策を推し進めており、今後ますます、外国人に仕事を奪われ、日本人の生活は圧迫され、経済的に苦しくなっていくでしょう。
当然、天理教のお供えも、今後、減る一方。末端会長、信者さんも、上へのお供えは拒否して、自分たちの為に蓄財しておかなければ、将来飢えるようなことになりかねません。
<阿部総理が移民推進、外国人労働者多数受け入れ政策を推し進めており、今後ますます、外国人に仕事を奪わ<れ、日本人の生活は圧迫され、経済的に苦しくなっていくでしょう。
これは短絡的な見方です。
少子化がまず発端です。そして団塊世代がいま、順次出直している中で、今後更なる労働人口の減少。
じゃあ、女性にも働いてもらおうと、少子化問題との困難な兼ね合いに苦しむ中で、「労働移民」で解決を図ろうとしているのが現実です。
ネットに蔓延している短絡的な愛国主義者の言説に惑わされないことをお勧めします。
日本がとる移民政策は、移民というよりは海外からの出稼ぎ者に来てもらうための施策にすぎません。
いつも不思議に思うのは、嫌韓、嫌中の人々は何か、個人的経験が有ったから韓国・中国の人を嫌っているのだろうか。或いは骨身にしみるような戦時中の記憶を、子や孫の代の今でも、代々継承しているからなのか。
私自身はそのような経緯は無いし、個人的に知っているかの国々の人との交流も無いので、何故かくも嫌うのかが理解できず不思議に思うばかりだ。
一般人ではない例えば百田氏などはどのような経験から極端な愛国史観を持つようになったのか。友人曰く、「商売だよ」だそうだ。そればかりでは一貫して主張することも辛いだろうから、育った環境によるのかもしれない。例えば近畿地方では特定地域の出自を「部落」と表現して蔑視する風潮が強いが関東では他人に向かって「部落」だなんて呼ぶことは、長い人生の中で聞いたことは一度もない。
新年が来てもこの国に希望を見つけることは困難だ。新年は現在と地続きだから、そう簡単に問題が消えるものではない。そんなことは皆さん重々承知の事。だから新年の挨拶では、せめて言葉で希望を願うのだろう。
親神様にお願い申し上げます。
来年こそは少しでも人間の生活と地球環境に明るい展望が開かれますよう。
世界の人々がお互いに理解しあえるよう、その知能と心をバージョンアップして頂けますか。
私自身は周囲に心を配り、目を配り、気配りでアシストする生き方を続けていきます。
役に立つうちは生かしてください。
社会学のこの場を維持してくださる方、経済的にも時間的にもご負担・ご苦労が多い事と推察します。世のため人のためにご尽力下さり、誠にありがたく感謝しています。
すみません。大事な点を書き落としました。
国と企業は「就職氷河期」の人たちを放置してきました。
今になってようやく公務員として迎えようとしていますが、限られた人数でしかありません。
企業がブラック化している現状ではたとえ氷河期世代が入社しても、恐らくは「使えないやつ!」とばかりに自主退職に追い込むかもしれません。
一昔前は入社すれば職場で一から指導、教育して一人前の仕事ができるように成長する仕組みがありました。
今や「即戦力」が要求されます。アルバイト・パートですら即戦力が要求される時代です。
表面的な施策じゃだめです。
氷河期世代を教育して職場で有力な働き手に育てようとする仕組みと心が無ければだめです。
人間的にダメなリーダーの元で生きている我々日本人。
日本は素晴らしいなんてマスコミのまやかし番組で喜んではいられません。
>ネットに蔓延している短絡的な愛国主義者の言説に惑わされないことをお勧めします。
ありがとうございます。あなた様も、テレビや新聞での、韓・中擁護派の意見に惑わされないことをお勧めいたします。人それぞれに、いろいろ意見も違うのでしょうね。
ここは政治に対しての意見を交換する場ではありませんから、これ以上は差し控えます。
親神様、世界の人々がお互いに理解しあえるよう、その知能と心をバージョンアップして頂けますか? その気持ちはよくわかります。
人類の歴史は進化の歴史でもありますけど、神のお知恵を頂くのは、個人の努力でしょうね。
アホな政府に苦しまされるのは国民、アホな大臣を許しているのはアホな選挙民、つまり国民です、アホな政治を正すには、選挙で変えられるのだから、変えたら良い、政治家がダメだと思うなら、仲間を集めて自分が出れば良いんです。
天理教も任意の宗教団体です、嫌なら辞めるという選択ができます、逃げても、何も罪にはなりません。 本部と別に、我こそは天啓者として新たな宗教を起こす事も自由ですし、信徒で反逆してお供えを、止めてしまったって、罪にはなりません。
日本を住み良くしていくのは、国民の選択であり、責任でしょう
天理教を変えるのも、信徒の選択と行動でしょう。
こんな例も有ります。
私は天理教は以前は立派な団体だと尊敬をしていましたが、結婚式のパレードを見て、それが一瞬にして吹っ飛んでしまいました。昔、「金日成のパレード」という映画が流行りましたが、あれでは北朝鮮のパレードと同じような印象を与えてしまうと思います。
ところで、宗教家で貧乏な人はたくさんいます。最近、ブログが炎上したので有名になった岡口基一裁判官などは、著書「裁判官は劣化しているのか」で、ご両親がキリスト教の牧師であったがとても貧乏だった、と回顧しております。また、経済的に余裕ができて逆に堕落した宗教家もあるので、貧乏な事自体は、そこまでは否定できないかもしれません。
ただし、それは上から下まで、質素倹約をしていることが前提です。例えば、キリスト教会の偉い人が贅沢をしているのはあまり聞きません。キリスト教の組織でも使途不明金が多額に出ているのはキリスト教の内部文書で書かれていたので事実みたいですが、それは、左翼運動をしている人たちが教団の金をネコババして活動資金に使っている類のもので、私利私欲に使っているわけではないみたいです。ところが、天理教の場合、現場の人たちが必死に集めた金を結婚式のパレードに使っています。これは、現場の人たちが激怒するのも当然でしょう。
それと、それぞれの教会が経済的に苦しくなったのなら、上層部に収めるお金も減額するのが、筋です。また、人間としての情です。ところが、教会の懐具合を無視して、お金の取り立ては変わらずするのは、おかしいです。今では、あの山口組ですら、親分への上納金の割り当てがきつすぎるという理由で分裂したのです。
中国の諺に「貧しくを憂いず、等しからざるを憂う」という言葉がありますが、今の天理教は、全然、平等ではないと思います。
天理教という存在は、過去は、私のように違う信仰の持ち主から見ても、それなりに尊敬の対象でしたが、三島神社の移転や池の埋め立ての件からパレードの件も含めて、最近の動きを見ていると、とても尊敬できない、という印象を外部に与えています。
これは天理教ひいては、中山みき先生の教えにとっても、惜しむべきことだと思っています。
(部外者の感想なので、間違いがあれば、お許しください、)
門外漢様のご指摘は今の天理教の現実に対してまさしく的を得たご意見と存じます。
世間から見た天理教が異常である。尊敬には値しない。そう見られてしまっている現状の姿に、トップ責任者は目を見開いて自分達のやっている事の無意味さを良く考えて欲しい。
大事な教祖の歴史的史跡をいとも簡単に埋めてしまう愚行。信者の嘆きなど考えた事はあったのか。
度重なる年祭、記念祭、その度ごとのお供え要請。これは大教会や本部にとっての「集金の為の旬」であり、開催すればするほど金が入ってくる。こちらとしては迷惑千万だ。
次期真柱の結婚祝金を全教会から強制的に集金して、やった事はあのピカピカドンドンの結婚パレード。批判が出ない方がおかしいです。
現在の日本経済は諸外国と比べても考えられないほどの水準に落ち込んでいて、給料水準も低く世界と比べてみても日本国民は並べて全体が貧しくなっていると知りました。もはや日本国民は先進国から大きく水を開けられているそうです。
日本国民全体がそれならば教会生活者がどれだけ貧しいか推して知るべしです。世界だすけどころか身内の教会を踏みにじり、その上にのうのうと高給料を取って立っているのが現在の天理教教会本部です。
自分達のやっている事がいかに恥知らずであるかを良く良く認識しなければ、あとは望まなくても消滅するのみ。
今の天理教は70歳以上のご老人のためにのみあるだけ
これからのことを考えて、意味のない時間をすごさないようしてください。
無駄なお供え
無駄なひのきしん
無駄な御用
そんなことよりも自分の時間を大切にしてよき人生をおくられることを望みます!
「よくにきりないどろみずや、こころすみきれごくらくや」
へんな組織の中でへんな立場をもらうことに一喜一憂するのはむなしい!
そんなことのために人生はあるのではない、
たった一人の人でも手をさしのべてたすけていただく、その方が喜んでいただければ
それだけで意味のある人生だと思うのです!
決して、もっと多くのお供えを
もっといい立場を
なぞと意味のない組織の中で求めないよう
意味のある時間をすごしいただきたくこれからの方々にお願い申し上げます!
「死ぬ瞬間の5つの後悔」は、看護師のブロニー・ウェアが死の間際の人間の後悔をもとに著した有名な本です。
ブロニー・ウェアはオーストラリアで緩和ケアの看護師として働く女性である。彼女は人が死の間際において後悔する内容を記録し、5つにまとめた。ここではそのブログ(REGRETS OF THE DYING)とポール・グラハムのTODOリストを参考に、自戒を込めて5つの戒めを紹介する。
〇自分に正直な人生を生きればよかった
最も多くの人が死ぬ間際に告白したのは、「自分に正直な人生を生きればよかった」というものでした。
もちろん、本音では「もっと自分に正直に生きたい」と考えている人は多いでしょう。
しかし、つい周りの目や世間からの評価を機にするあまり、自分の思いを心に押し込める苦しい生き方をしている人が大半なのではないでしょうか。
全てを自分本位に振る舞うのは現実的には難しいものです。それでも少しくらいは、自分に正直に生きた方が後悔しない人生を送れる気がしますね。
〇働きすぎなければよかった
多くの人は仕事をしなければ満足に生きていくのは難しいでしょう。
しかし、本来生きていく手段であるはずの仕事に追われて、自分が本当にやりたかった多くのことを諦める生き方は、果たして本当に幸せなのでしょうか。
生きていくために仕事をすることは必要ですが、あなたは仕事をするためだけに生まれてきたわけではないはずです。
仕事よりも大切なもの。例えば、家族や友達、自分の夢に時間を使ってもバチは当たりませんよ!
〇自分の気持ちを伝えればよかった
嫌われたくない。恥ずかしい思いをするかもしれない。プライドが許さない。
いろんな理由はあるにせよ、自分の気持ちを相手に伝えられなかったという思いは、人生の最後に思い出す後悔の1つになるのでしょう。
家族に「ありがとう」、恋人に「大好きです」、親友に「お前と一緒にいると楽しい」。
少し恥ずかしいですよね。でも、ちょっとだけ勇気を出して、あなたの気持ちを素直に伝えてみませんか?
〇もっと友達と連絡を取ればよかった
よく「死ぬ瞬間は一人だ」という言葉を聞きますが、本当にそうなのでしょうか?
確かに、最後に誰かと一緒に死ぬことはできません。でも、その人の心にはその人生で出会った友達(もちろん、真っ先に浮かぶのは家族でしょうけど。)が思い浮かんでいるのだと僕は思います。
別にあいつとはいつでも会えるし。そう思う気持ちもよくわかりますが、たまには自分から友達に連絡を入れてみたらどうでしょうか?
あなたも楽しいでしょうし、何より相手からしても連絡をもらえるというのは嬉しいはずですよ!
〇もっと幸せに生きればよかった
結局、最後に思い浮かべるのは、いかに仕事で成果を出してきたかなどではなく、いかに幸せな人生を生きてこれたか七日もしれません。
幸せという言葉は抽象的で、その定義は人によって千差万別です。それでも、誰もが「自分なりの幸せ」は持っているはず。
言葉にするのは難しいですが、少しの間自分の胸に手を当てて「自分は今、幸せか」を自問してみるといいでしょう。
死ぬ瞬間の5つの後悔から学べること
最後にもう一度、死ぬ瞬間の5つの後悔について見返してみましょう。
1自分に正直な人生を生きればよかった
2働きすぎなければよかった
3自分の気持ちを伝えればよかった
4もっと友達と連絡を取ればよかった
5もっと幸せに生きればよかった
この5つの後悔を見て思うのは、「もっと自分の好きなように生きればよかった」と思って死んでいく人が多いのだろうなということです。
社会は私たちに様々な常識を押し付けてきます。「もっと仕事をするべき」「もっと他人を気遣うべき」「もっと謙虚になるべき」と。
でも、あなたの人生はどこまでいってもあなたのものです。社会の常識よりも自分の素直になる生き方をして何が悪いのでしょう。
もちろん、限度はありますが、多くの人はもっと自分にわがままに生きてもいいと思うのですが、あなたはどう思いますか?
>自分達のやっている事がいかに恥知らずであるかを良く良く認識しなければ
認識できるほど賢い人たちではないので、ほっときましょう。
消滅も近いし、自業自得というヤツですな。
巨大な建造物や派手なパレードが、人心収攬や大衆操作に効果的だった時代も確かにありました。次期真柱の結婚イベントを見てまず思い出すのは、1935年のニュルンベルクにおけるナチス党大会。(記録映画「意志の勝利」参照)
巨大なスタジアムやホールに集まった数十万の人々。揃いの制服その他の衣装。大音量で単調なリズムの歌その他の音楽が延々と続く中、繰り返し絶叫される共通のスローガン。夜空を照らす無数のサーチライトや数千人の松明行列。
このような小道具や演出によって興奮状態に陥った人々は、大量に発生したドーパミンとかアドレナリンといった脳内麻薬の作用によって、正常な思考力を失っていったのでしょう。
このようなメカニズムが解明された現代でも、まだ同じようなことが繰り返されているとは、つくづく人間とは過去から学ばない生き物だと思います。
結婚パレード以降、あの頃の青年会会員の気持ちの悪い高揚感もまたそう言ったドーパミン、アドレナリンの作用からなる、所属意識だったのかもしれません。
実力も人格も何も実態を知らない若者が「大亮サマ〜!!」と言う高揚感は側から見ていて大変滑稽でしたね。
しかし滑稽では終わらないのが、天理教の根深さです。
耳栓のAmazonカスタマーレビューに、天理教騒音問題登場 (笑)
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星五つ 天理教による太鼓の騒音対策に是非とも ├2016/2/15
私の隣の家は天理教です。
知っている方も多いかもしれませんが、天理教は「おつとめ」と称して太鼓などを打ち鳴らす習慣があります。天理教を信仰している人間全てを否定する気はないですが、私の隣に住む輩共は朝の6時半と夕方の6時に必ず太鼓を鳴らし騒音を撒き散らします。それも平日、休日、祝日、全て関係なしに。
周りには小さな赤ん坊がいる家庭や受験生のいる家庭、夜勤明けの人が住む家庭もあるのに、近所のことなどまるで考慮していないのです。
今、学生である私にとっても朝は少しでも長く寝ていたい時間です。休日、祝日ならば尚更です。近所の方々も諦めて何も言わない状況の中、私も殺意に等しい激しい嫌悪感を抱いていますが、このモルデックス社の耳栓に出会ってから何とか眠れるようになりました。
太鼓の振動までは消せませんが、ドーンドーンという不愉快極まりない太鼓の音がかなりシャットアウトされるようになりました。
また、その天理教の家の人間がいわゆる道路族というもので親も一緒になって子供と道路を占拠し、騒ぎ立てることが多いのですが、そういった人間が起こす騒音にも効果覿面です。
ちなみに目覚まし時計が聴こえるかどうか試したところ、あくまで私の場合ですが枕元に時計を置いておけばきちんと聴こえました。
本来静かな住宅街で騒音を撒き散らすような人間には文句を言ったところで大抵無駄に終わります。こちらは悪くないのにむしろ逆恨みされることも多いでしょう。
天理教に限らず、私と同じように何も悪くないのに理不尽な近隣の騒音被害に悩まされている方々は沢山おられると思います。そういった方々には是非ともこの耳栓をお勧めしたいです。
夜早く寝て朝超早く起きて勉強する型の方が点数はよくなると思いますよ。
私もギリギリまで寝ていた時より、早く起きて勉強した時の方が効果を上げました。
私自身は天理教の触れる前より天理教に触れてからの方が人生が充実しています。天理教に関わることで人生が価値のあるいとおしいものに変わりました。
太鼓の音は心臓を鼓舞する重要な働きをしているとおもいます。
昔天然痘が流行った時期があって、その天然痘にかかった赤ちゃんのためにおやさまは心をくだかれて、天保の飢饉の時には飢えた方々に施しをされてきました。
学生さんが今後地球で未来を生きていかれるのに、必要な教えである「もったいない」というエコの精神も伝えておられます。
そのタイトに生きるということがこれからの社会には重要です。
天理教の隣という環境にお生まれになられたのは意味があってのことでしょう。このサイトに導かれたのも意味があってにことでしょう。
人生にとって、社会を生きていかれるのに学ぶべき教えです。
学生さんの人生を大きく切り開くために朝のおつとめに参加されてみませんか。
清浄な空気がありますよ。
私はただの信者なんですけれども。
コミュニケーションの技術を持たなかった私です。
天理教の方々はコミュニケーション技術をさりげなく教えて下さいます。
コミュニケーション技術は人生を開拓していきます。
上記の匿名さん。
こう言う天理教徒の人の迷惑を省みない、この自分中心の発想が絶望的に救えない点です。天理教に疑問を持ちつつ関わっている方々、消滅寸前で一般世間からも尊敬に値しないと認識されているこの集団からとにかく出て頭を冷やして冷静に俯瞰する時間を持ってみてください。
洗脳状態の人で何を言っても判らない方々は自己責任で自分と教団の最後の結果をみたら良い。
我々の人生に彼らを相手にするほどの無駄な時間は残されていません。普通におかしい事がおかしいと思えない感性は精神を教団に乗っ取られて操られている事にきずい
てほしいです。
自分の金も時間も教団に取られ、金にまつわる自殺や、家庭崩壊の信徒家庭、離婚に至る教会夫婦が私の知っている周囲の天理教団内にいかに多いか、上記の匿名さんは知らないんだろう。
無責任な発言は世間から益々距離を置かれるのです。だからこその衰退、凋落ですが人の心に寄り添えない好き勝手な事を言っている方が消滅を速める事につながるし、世界の幸福の為にはなっていますが。
自己満足では生きて行けません。いくら頑張っても神の応援が無いからこその凋落だと認識して下さい。
天理教会の太鼓の音が気になるという意見ですが、音源(天理教会)の存在そのものが気に入らないという心理状態です。その場所から発せられるすべてに嫌悪感を抱くのです。太鼓の音に限らず、拍子木、鐘、笛、鼓等全てです。
私は生まれた時から天理教会で育ちました。教会の大人たちのやること為すことの全てが嫌でした。しかし、音に対する嫌悪感は未だにありません。これを慣れとでもいうのでしょうか。
学校の近くの音楽部の楽器の音がうるさい、幼稚園や保育園の子供の声がうるさい、赤ちゃんの声がうるさい等私には考えられない感情です。赤ちゃんは本来、泣くのが仕事です。言葉を発せられないから泣いて意思を表します。赤ちゃんの泣きかたで、ある程度何を言わんとしているかも分かります。
乗り物の中で泣いている赤ちゃんには水分を与えると泣き止むことが多いです。
話がそれましたが、気になることを気にならないようにするためには時間が必要です。
どうしてもいやなことは、避けるしかありません。
確かに、宗教施設の側にも配慮が求められていると感じます。講社祭りの際に小さな部屋で拍子木を力一杯打たれれば騒音になってしまいます。
相手を思いやる気持ちが求められているのでしょう。
匿名 様
2019年12月17日 7:33 AM
>>夜早く寝て朝超早く起きて勉強する型の方が点数はよくなると思いますよ。
私もギリギリまで寝ていた時より、早く起きて勉強した時の方が効果を上げました。<<
世の中には、夜働いて昼間就寝しなければならない勤務の人達、いわゆる夜勤をしている人達がいます。そういう人達にとって早朝に帰宅し寝入り端を起こされた時、睡眠のリズムが狂い、その後、熟睡できません。そうした状態が連日続くと、慢性的な睡眠不足になり、通勤途上に交通事故を起こしたり、仕事中に事故を起こしたりする場合があります。そういう人達のことも考えて、思いやりの心で「おつとめ」をしてほしいものです。
私はいつまで続くか不明ですが、夜勤の仕事をしています。何回も何らかのことに起こされます。でもまた眠ります。
夜勤の仕事の方々は寝ている間生活音に何回か起こされながら寝ています。
家族がテレビを見ていても、眠らないといけないという気持ちで眠りにつきます。
夜勤の仕事についている方々は意外と多いですし、夜勤入りのリズムも様々です。夜勤入りでも朝は何のかんのといって起きないといけない時間ですし、夕方は私は仕事に入るけれど、眠らないといけないリズムの方もおられるでしょう。今日も夜勤入りです。
参考意見
2019年12月16日 3:53 PM
>>このような小道具や演出によって興奮状態に陥った人々は、大量に発生したドーパミンとかアドレナリンといった脳内麻薬の作用によって、正常な思考力を失っていったのでしょう。
このようなメカニズムが解明された現代でも、まだ同じようなことが繰り返されているとは、つくづく人間とは過去から学ばない生き物だと思います。<<
昔、阪神タイガースが優勝した時、酒の勢いか群衆心理か知りませんが、大阪の道頓堀にダイビングしたり、ケンタッキーフライドチキンのサンダース人形を道頓堀に投げ込んだりする輩がいましたが、脳が興奮状態になると自制心がきかなくなり、理性が働かなくなるのでしょう。昨年も、東京の渋谷でハロウィンの時、暴徒化した若者が軽トラックを横倒しにする事件がありました。パチンコ等のギャンブルでも勝った時の一時的な快感で脳内にドーパミンが大量に発生し、ギャンブル依存症になり人生を破綻させる人達が大勢いるらしいです。人間の一種の生理現象といってしまえばそれまでですが、生理現象のおもむくままに行動すれば、社会秩序が維持できなくなります。そういう時こそ、一時の感情や群集心理に流されるのではなく、理性を働かせて自己をコントロールしてほしいものです。
いつだったか、どこかの神殿講話で「五色の石」というお話を聞きました。知っている人もいると思いますが、ご守護を願う盲目の娘に、教祖は近くの川の中から五色の石を探して来るようにと要求します。盲目の身では到底無理と、初めは諦めていた娘が、やがて一大決心し川に入って手探りで石を探すと、何日か続けた後に突然、目が見えるようになったという。これについて教祖は、無理と思える要求にも応えようとしたから、神も無理な願いに応えたのだと言ったそうです。
以前は結構いい話と思ったりもしましたが、冷静に考えるとそうでもなかったりします。まず、神のご守護が無償のものでなく交換条件があること。それに全てを見抜き見通しのはずの教祖が、相手の心を計るためのような試練を与えていること等。
それよりも私が強く感じたのは、天理教においては無理をするということが、非常に尊いことのように捉えられていることです。子供の頃の林芳松が教祖に言われるまま、脱臼して痛むほうの右手で茶碗を持ち上げようとしたら、ご守護を頂けたという話。(逸話編49 素直な心)
増井りんが吹雪の中、雪の降り積もった欄干のない細い橋の上を、跣足になって這うて進んだ話。(逸話編44 雪の日)
このようなお話は、高齢であったり身上であったり、また裕福でない信者たちに、お供えや労働を要求するのに利用されてはいないでしょうか。「無い中から出すことに意義がある」とか「借金してでも」というように。
無理とは、理が無いと書きます。何にでも「理」をつけたがる天理教が、無理を美徳のように扱うとは、なんとも皮肉な話ではありませんか。
匿名 様
2019年12月17日 12:58 PM
>>私はいつまで続くか不明ですが、夜勤の仕事をしています。何回も何らかのことに起こされます。でもまた眠ります。
夜勤の仕事の方々は寝ている間生活音に何回か起こされながら寝ています。
家族がテレビを見ていても、眠らないといけないという気持ちで眠りにつきます。<<
私も夜勤の経験はありますが、眠りについてから何回も中途覚醒をすれば熟睡はできません。医師にも相談しましたが、中途覚醒をすれば、どうしても睡眠が浅くなり熟睡は不可能になるということです。ある日、仕事からの帰途、無意識のうちに睡魔に襲われ、前方の車に衝突し、さらにその車が前方の車に衝突し、車3台が絡む玉突き事故を起こしたことがあります。渋滞路でどの車も低速でノロノロ運転をしていたので、幸い被害者の怪我は軽くて済みましたが、前2台の車の後部を破損させてしまいました。事故を起こす前、居眠りをしないようにコンビニやスーパーの駐車場を借りて、3回程仮眠をしていたのですが、それでも、突然、無意識に居眠りをしてしまいました。匿名様も、車で通勤されているのであれば、居眠り運転には十分気をつけてください。
おつとめの太鼓の音に関しての書き込みを興味深く読ませて頂いています。
まずは教会の隣にお住まいの方に、一信者として深くお詫び申し上げます。
同時に近隣の迷惑を考えない「我さえよければ」の自分中心の考え方の多い天理教集団を恥ずかしく思います。
もしかすると書き込まれた方は既に「やっぱり天理教って駄目だな」と見限ってしまわれたかもしれません。
どうぞ、その教会の玄関に掲げられている木製の看板を確認なさってください。
必ず「天理教△〇×〇大教会(又は分教会)」と名称が明記されています。
読み方は分からなくとも漢字で写し取れば大丈夫ですから、貴方様がお住まいの地域の教区事務所にご一報されて、太鼓の音を小さくするように、その教会を指導していただきたいとお伝えください。
ノイローゼになりそうだとお伝えください。騒音問題で神経を病むことは恥ではありませんから遠慮なくご指摘頂ければ幸いです。
太鼓は叩き方ひとつでかなり変わります。月次祭で見ていても、力任せに乱暴に打つ男性や近隣に配慮して軽くポンと打つ女性など、人によって様々です。
力を込めて打つことが許されるような田舎に在る教会ばかりではないでしょう。
都会では壁一枚隔てて隣家との間が人間の幅ほどしか離れていない、建て込んでいる環境も在ります。
敷地にゆとりのある教会ばかりではないでしょう。人間は自分の住む限られた地域の事情からしか理解できない事もあります。
どうか、太鼓が騒音となる環境も有る事に理解を広げてください。これは「慣れ」とは別次元のことです。生存を脅かすことにもなりかねません。
何事も教祖の時代の逸話に範を求める我々信者ではありますが、おつとめ環境の変化に関しては、天理教は謙虚にその変化に対応すべきです。
せっかくこの社会学の場に書き込んでくださった方に対して「朝勉」を勧めるような、からかい半分の対応は、「いじめ」との共通の根っこを感じます。残念に思います。
各地の教務支庁はネットで検索して頂ければわかりますので、お手数ですがよろしくお願い申し上げます。
年末恒例「除夜の鐘」深夜ではなく…昼間に
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191217-00000397-nnn-soci
世間様に気を遣って、年に一度の除夜の鐘でさえ昼間につくご時世ですから、
天理教の朝夕の太鼓は自粛、もしくはめちゃくちゃ小さい音でたたくなどはあたりまえの配慮だと思います。布教になるんだなんて言って喜んで大音量でたたく人がいますが、神名流しや駅前の手踊り同様、
逆効果で気持ち悪がられるだけです。(もちろん他の鳴り物も小さくたたくことにも注意)
月次祭は主に昼間で月に一度ですから、
ご近所に普段からお下がりを配り挨拶をしておくなどの配慮があれば、
それほどトラブらないのではないでしょうか。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought4/sp-th4p2-brainwashing/sp-th4p2-brw-5.htmより抜粋
宗教組織の崩壊の始まり
――洗脳による組織維持の限界
狂信的な教団では“洗脳”が功を奏して、一時的に信者が激増し、強大な宗教組織が形成されることがあります。ここ数十年の間に日本でも、勢力を急拡大して世間から注目されるようになった教団が次々と現れました。しかしそうした急成長した教団は、洗脳が完成した時がピークとなり、時間とともに内部から崩壊が始まるようになります。今をときめく巨大宗教組織も、必ず衰退していくようになるのです。
それは“洗脳”という方法自体が、神の摂理に反しているからです。無知な人間を騙して組織の一員とするような間違った方法が、いつまでも続くことはありません。教団が衰退し始めると、教団の指導者や幹部は焦り、危機感を抱くようになります。何としても勢力を維持しようと考え、さまざまな策を講じて必死に抵抗するのですが、いったん衰退期に入った教団を立て直すことは、もはや不可能です。今この時も、かつて強大な組織を誇った教団の指導者や幹部たちが、組織の崩壊を食い止めようと血眼になって努力しています。しかし、時間とともに崩壊は確実に進行し、衰退の道をたどるようになっていきます。
ここではそうした「宗教組織の崩壊・衰退のプロセス」を見ていきます。
宗教的情熱が色あせ、教団に対する疑念が発生
信仰を始めた当初は、信者本人は自分が洗脳されているとは思っていません。心の底から、「自分は幸運にも最高の宗教に導かれ、最高の奉仕人生を送ることになった」と思っています。「他の人には体験できない素晴らしい人生・最も価値ある人生を送ることができるようになった」と考えています。そして教団に導かれたことを、何度も神に感謝します。そこではすべての時間が充実し、信仰に対する一点の曇りもなく、教団に対して疑いを抱くこともありません。
教団では、信者に優越心と特別な使命感を持たせるための“洗脳”が徹底して行われます。そのため入信したばかりの信者には、まさにバラ色の人生が訪れたように感じられます。しかしその喜びと感謝に満ちた信仰生活は、徐々に色あせていきます。時間とともに、当初抱いていた教団への絶対的な信頼と、自分の人生をすべて捧げようという決意が揺らぎ始めます。教団に対する疑念が頭をもたげるようになるのです。
摂理に反した偽りの信仰は、いつか必ずほころびが生じるようになります。初めは天国のように思えていた信仰生活も、徐々に感動のない普通の生活になり、やがて苦しみのともなう“地獄”のような生活へと変化していきます。
教団内の人間関係の醜さ
信仰を始めた頃は、教団(宗教組織)の一員になれたことを最高の幸運と信じていた人も、時間とともに教団内の人間関係が、教団の示す教えと違っていることに気がつくようになります。教団の教え(真理)に最も忠実でなければならない教団の指導者や幹部たちの実生活が、あまりにも真理とかけ離れていることが分かるようになります。
教団の指導者や幹部たちは、外部に向けては博愛や正義を声高に唱え、世の中の不正や醜さを指摘し非難します。信者たちもそれに倣って、理想を唱えて布教に携わります。ところが目を教団内部に向けると、そこには理想とは正反対の世界が存在し、この世の醜さよりもさらに醜いエゴの実態を見せつけられることになります。組織の末端にいる信者たちは、自らの未熟さに心を痛め、修行を積んで教義どおりの理想的な人間に近づきたいと願っています。そうした純粋な信者にとって目の前の現実は、期待を裏切る絶望的な状況として映ります。
こうした教団内部の醜い人間関係の実態を知った信者たちは、疑念と不信感と絶望感を抱くようになります。否応なく目にした、この世の人間にも劣るような醜さ丸出しの人間関係が信者の心に疑いを引き起こし、教団全体に対する不信感を決定的なものにしていくことになります。
教団(宗教組織)の中では、入信したばかりでまだ教団内部の実態を知らない人間は信仰心を燃え立たせ、使命感を持って人生を捧げようとしています。その一方で、期待を裏切られ、ノルマに疲れ果て、情熱と意欲を枯渇させた年輩(古参)の信者がいます。ほとんどの教団では、こうした“二極構造”ができ上がっています。そして時間の経過とともに、教団創設時の宗教的情熱が内部から失われ、教団そのものが衰退の道をたどり始めるようになるのです。
教祖や指導者のカリスマによって急拡大したような宗教組織では、教祖や指導者が死亡すると内部分裂が発生し、あっという間に崩壊が始まり、衰退していくことになります。
教団の“ノルマ”に疲れ果てる
こうした教団内部の醜い人間関係とは別の理由によって、教団から宗教的情熱が失われていきます。しばしば“カルト”と批判される教団では、強烈な洗脳によって信者に使命感を吹き込み、がむしゃらに活動に走らせます。そして次々と“ノルマ”を課し、多額の献金を要求します。信者が教団に対して疑いを抱かず、宗教的情熱に動かされているうちは、そのノルマを“神のため・人類の救いのため”という思いで前向きに受け止めます。
しかし、疲れ果ててもなお次々とノルマを与えられ、実績を追求されるようになると、もはや心がついていけなくなります。そして身動きがとれない苦しい状況の中で、悶々とした時間を過ごすことになります。やがて教団からの非難の声が耳に入るようになると、自分自身を責める感情と教団に対する不信感によって、心はグチャグチャになってしまいます。
しかし、追い詰められ苦しい状況に立たされることは、霊的に見ればよいことです。本人にとって、これまでの考え方・あり方を広い視野から客観的に見直すチャンスとなります。“洗脳”によって動かされてきた、自分のこれまでの歩みを振り返る時となるのです。
教団の指示に従ってノルマ達成に必死に取り組んでも、常にそれを成し遂げられるとは限りません。この世の営業マンと同じで、精いっぱいやっても全く実績をあげられないこともしばしばです。教団では、実績をあげれば指導者から「信仰心がある」と褒められ、いつまでも実績をあげられなければ「信仰心が乏しい」と責められるようになります。そうした中で、他の信者が実績をあげる姿を見ていると、焦りを超えて“嫉妬心”が湧き上がるようになります。教団の指示に従って実績をあげないかぎり評価されない、目に見える実績によってしか信仰心が認められないと考えると、虚しさと不満が募り、さらに嫉妬心が燃え上がり、醜い思いが渦巻くようになっていきます。
実績をあげている人間の信仰心のなさ・純粋さの欠如は、日常生活を見れば一目瞭然なのですが、教団の指導者は“実績”という表面的な結果だけですべてを判断します。「自分の方が、もっと厳しい状況の中でノルマ達成に取り組んでいるのに」と思っても、そうしたことは一切考慮されません。しだいに「自分は長年、体の不調を押して精いっぱいやってきたのに、人間性も信仰心も劣る者がただ“実績をあげた”というだけで評価され称賛されるようなことは、教団の教えと違っているのではないか?」と考えるようになります。そして「信仰とは、いったい何なのか?」といった疑問が湧き上がるようになります。これが、どこの教団でも見られる信者の実態です。
入信したばかりの信者が意気揚々としている一方、長年、教団のメンバーとして歩んできた信者は疲れ果てて気力を失い、「みんなの後からついていくだけでいい」と思っています。当初の使命感や情熱が失われた中で、惰性で歩んでいるのです。
教団サイドから見れば、これはまさに危機的状況です。そこで何とか情熱を取り戻させようとアレコレと策を講じるのですが、思うようにいきません。いったん失われた宗教的情熱を沸き立たせることは、もはやできません。そこでさまざまな“洗脳”の手段に訴え、アメとムチを駆使して情熱を喚起しようとするのですが、いっこうにノルマは達成されません。こうした中で、次々と古参の信者たちが離れていくようになり、分派をつくるような動きも現れて、教団は一気に衰退の道をたどることになります。
“教義”に対する疑問の発生
こうした教団の状況を見ている信者たちの中には、他の宗教の教義や思想に関心を向ける者も現れます。現代のネット社会では、さまざまな情報を簡単に知ることができます。書店に行けば他の宗教の書物が並んでいて、容易に自分の教団の教えと比較することができます。すると、他の宗教でもなかなかよいことを言っていることに気がつくようになります。なかには、ネットを通じてスピリチュアリズムの存在を知り、その教え・思想の素晴らしさに釘付けになる者も現れます。ネットに掲載されているスピリチュアリズムの情報を貪り読む中で、これまで自分たちの教団だけが真実の信仰であると信じてきたことが、単なる思い込みであったことを知るようになります。
世間から“カルト”と呼ばれている狂信的な教団や新宗教・新興宗教は、洗脳によって強力な組織体制を整え急激に勢力を拡大してきましたが、今述べたような理由から、いずれ限界を迎えることになります。教団内部の宗教的情熱が失われ、分裂を生み出して衰退していくことになります。“洗脳”を利用して短期間に無知な人間を“盲信者・狂信者”に仕立てても、時間とともに内在していた矛盾が噴出し、自滅の道をたどるようになっていきます。短期間に急拡大した宗教組織は、短期間に衰退する運命にあるのです。
確かに、天理教は我が身勝手なところがあります。今はどうか知りませんが、本部では午後2時になるとサイレンのような大きな音で、よろづよのメロディーを流していました。周囲の人で迷惑に思っていた人が居られたと想像します。
私が所属していた教会も、移転当初は周囲に民家が少なく音に対する配慮は不要でしたが、今では民家が建込み太鼓や拍子木に対する苦情が来て以来、朝勤めは1年を通じて午前7時と決めていました。夕勤めは季節に合わせています。それでも周囲には相当に気を使っているようです。
ただ、苦情を言いに来た人は相当の年配者で、いきなり怒鳴り込んできたのでビックリしたと聞いています。
ただ、最近は余りにもいろいろな音源に建苦情があり過ぎますね。隣家のピアノ等の楽器の音、ステレオの音、子供の泣き声等、数え上げればきりがありません。
子供の頃に真冬の夜の8時過ぎになると、団扇太鼓を打ち鳴らして歩く寒行の音が有りましたが、うるさいという苦情を聞いたことはなく、むしろ、お米や小銭を渡していたことがあります。
今だったら、多分、うるさいといった苦情が来るのでしょうね。
時代が変わったこともありますが、騒音規制法では宗教的な音に対する規制は難しいのでしょう。
騒音規制法では、第一種区域では、昼夜を問わず45~50デシベルの規制がありますが、このレベルの規制の実態は分かりにくいです。
何事も解決には、喧嘩腰ではなく話し合いを通じて解決を図ることが大切だと思います。
何を騒音と感じるかは、人それぞれ個人差があると思います。私の場合、暑い夏の日、時たま風に吹かれて鳴る風鈴の音は、聞く者にとって心地よい清涼感を与え、心をリラックスさせてくれます。おそらく、アルファ波とよばれる人の心をリラックスさせる脳波がでているのでしょう。しかし、台風が近づいてきて、強風が間断なく吹き、風鈴が鳴りっぱなしの状態になれば、風鈴の音はうるさく、不快なイライラさせるものになります。また、朝にきく雀やウグイス等の小鳥のさえずりも、聞いていて大変、心地良いものです。しかし、路上のゴミをあさりに来るカラスの気味の悪い鳴き声は、大変、不快です。CDのレンタルショップに行けば、脳内のアルファ波を発生させるというふれこみで、小鳥のさえずりや、川のせせらぎ、さざ波の音等のCDがレンタルされており、私は、時々、借りてきて聞いてみるのですが、大変、心地良いものです。しかし、天理教の太鼓や拍子木、カネ、チャンポン、地方等の狂想曲は、私には、聞いていてお世辞にも心地良いものではありません。たぶん、天理教が大嫌いなせいもあるのでしょうね。「あさひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ」というおつとめの歌がありますが、初めから、近隣に迷惑がられ、うとましく思われると分かっているのであれば、どうして、敢えて「おつとめ」をするのでしょうね。
逸話編91 踊って去ぬのやで より
明治十四年頃、岡本シナが、お屋敷へ帰らせて頂いた時の話。教祖に誘われ一緒に入浴したシナは、教祖が一番下に召しておられた赤衣のお襦袢を、幾日か後に頂くことに。
教祖は、
「着て去にや。去ぬ時、道々、丹波市の町ん中、着物の上からそれ着て、踊って去ぬのやで。」と、仰せられた。
つまり、着衣の上からとはいえ、下着姿(しかも目立つ赤色)で衆人環視の中、踊りながら帰れということです。まるで罰ゲームみたいですが、恥ずかしさや不安を克服してシナは実行し無事に家まで帰り着いたという。
おつとめ、神名流し、路傍講演など、人々から笑われ馬鹿にされてもやる、また人々から迷惑がられ嫌われてもやるという行為は、組織への忠誠心や信仰上の覚悟などを計るうえで重要な意味を持つのだと思います。
>>教団が衰退し始めると、教団の指導者や幹部は焦り、危機感を抱くようになります。
焦りも危機感も持たない宗教団体がありますね。
いえ、たとえ持っていたとしても、教団の指導者や幹部が人の話を素直に受け入れないから、気づいた時には手遅れなんですね。
まあ、どちらにしても、あり方が現代の世情には合わなくなってきているのでしょうね。路傍講演にしても、神名流しにしても教祖のひながたになかったと思われることを、さもあったように言い伝えているんですから、稿本教祖伝や逸話篇もどこまで信じていいのか疑いは強まるばかりです。
今更教義がどうであろうとどうでもいいことではありますが、周囲に迷惑が及ばないような配慮が益々求められることになるでしょう。
そもそも、幕末の混乱期に興った宗教というところに、一抹のうさん臭さを感じてしまうのです。この時期にいくつかの宗教が発生していることからも、なおさらそういう思いが吹っ切れません。
崩壊様、御心配いただきありがとうございます。車間距離をとって気をつけたいと思います。崩壊様も何回か寝覚められるとのこと御自愛下さい。難易度の高い大学を卒業されています。努力をされてきたことでしょう。
匿名様、私は夜型の勉強で2時まで勉強して途中からうつっぽくなって卒業式に出ないような人間でした。大人になってから同じ4時間睡眠でも朝型の方が効率が良いと身を持って知ったんです。なのでちょっと先輩ぶってしまいました。失礼しました。
東風Z様、お気遣いありがとうございます。
参考意見様のお話勉強不足の自分のいましめになります。
東風Z
2019年12月18日 7:31 PM
>>そもそも、幕末の混乱期に興った宗教というところに、一抹のうさん臭さを感じてしまうのです。この時期にいくつかの宗教が発生していることからも、なおさらそういう思いが吹っ切れません。<<
私もそう思います。浦賀沖に、今まで見たこともない黒い煙を吐くアメリカの巨大な蒸気船が4隻も現れ、250年以上続いた太平の江戸幕府に開国を迫った時、その当時の民衆のみならず、幕府や諸藩も計り知れないほどの不安感と恐怖感に恐れおののいたはずです。人心の恐怖感や不安感をベースに、様々な新興宗教が発生したのだろうと思います。
匿名 様
2019年12月18日 8:09 PM
>>崩壊様、御心配いただきありがとうございます。車間距離をとって気をつけたいと思います。崩壊様も何回か寝覚められるとのこと御自愛下さい。難易度の高い大学を卒業されています。努力をされてきたことでしょう。<<
ありがとうございます。私は定年退職後、数年、別の会社で夜勤の仕事を経験しましたが、現在は完全にリタイアし、毎日、悠々自適の日々を過ごしています。夜勤は大変な仕事です。車を運転していても突然、無意識のうちに睡魔が襲ってきます。こまめに仮眠をし安全運転で通勤してください。
どちらかと言えばバリ天だったころは、逸話編のお話を全部、本当だと信じていた、いや信じたかったのかも。それが教祖以外の者によって書かれたものと気づいてから読んでみると「あれ?」と思うことの多いこと多いこと。
特に多いのが教祖の言動について、こんなこと本当に教祖が言ったり、したりするものかと、しまいには「こんな教祖はイヤだ!」とさえ思うことも。例えば・・・
教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。(逸話編七 真心の御供)
貧しい信者がやっとのことで搗くことが出来た正月の餅。その搗き立てのところを持って来た真心を喜ぶというのはわかります。しかし裕福な信者が、搗いた餅から正月に必要な分を残し、余った分を持って来た。特に傷んだわけでもない綺麗な小餅を、わざわざ立派な重箱に入れて。よほど失礼な態度でもなければ、ありがたく受けるべきではないかと、貧乏性の私は思ってしまいます。
人の真心を欲することは、物や金銭を欲する以上の強欲と聞きます。仮に、相手に高慢心があったとしても
「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない」なんて、「水を飲めば水の味がする」と言った教祖の言葉とは思えません。(この話って、キリスト教のカインとアベルの物語のパクリでは?)次に・・・
「二升にして置け。」「いや三升にしよう。」と、家の中で言い争いをしてから、「惜しいけど、上げよう。」と、言って、餅を供えたところ、教祖が、召し上がろうとなさると、箸は、激しく跳び上がって、どうしても、召し上がる事が出来なかった。(逸話編一八〇 惜しみの餅)
誰もが楽で、お供えをしているわけではありません。協議の末、惜しいという気持ちを克服して供えたのだから、むしろ褒めてあげてもよいのではなかろうか。さらに・・・
教祖にお食事を差し上げる前に、誰かがコッソリと摘まみ喰いでもして置こうものなら、いくら教祖が召し上がろうとなされても、どうしても、箸をお持ちになったお手が上がらないのであった。(逸話編八九 食べ残しの甘酒)
教祖は、私たち全ての人間の親であるはず。親は子供に食事を摘まみ喰いされるのが、そんなに許せないものでしょうか。
「そんなの神様に残飯を出すようなものではないか!」と、会長さんは言いますが。
ならば、誰かが真心を込めて供えた食材でも、調理の途中か運ぶ途中に、誰かが摘まみ喰いしたとしたら、教祖はその食事を退けるのでしょうか。穿った私は考えてしまいます。
「 教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。彼らは与えられた特別な能力によって神の意志を受け取り、それを人々に伝えるという役目を受けて送り出されてきた人間であり、私たちの教祖も、その一人だったのだと思います。
人間であれば、その命には限りがあり、だからこそ「おふでさき」を書き残し、自分の死後、教示を伝えることのできる飯降伊蔵や上田ナライトといった弟子を育てていたのでしょう。組織を作ることなく、人から人へと教えが広まる先々で、人々が助け合う講が自然に結ばれることを望まれたのだと思います。
それなのに中山・梶本家を中心とする宗教屋たちが、山澤為造の親戚である守屋筑前守の協力のもと、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。天啓者の上田ナライトが排除され、国家権力をバックに教祖に忠実な弟子、すなわち教団にとって都合の悪い弟子たちの大粛清が始まりました。泉田藤吉、万田万吉など名だたる高弟たちが辞任を迫られ、暴力を伴って追放され、なかには自殺する者もあったといいます。かつて教祖に無い命を救われたという平野樽蔵は、あっさり教祖を裏切って応法派の筆頭となっていますが、やはりヤクザは宗教ビジネスの旨味をよく理解していたのでしょう。
飯降伊蔵は教団の暴走を抑えたくて残ったのかもしれません。しかし「おさしづ」に「理」という字が約15800回も出てくるところをみると結局は教団の方針に流されていったのかも。まあ、家族を守るため仕方なかったのでしょう。」
大人になってから、天理教に接したので、私にとっては、参考意見様の、これら一蓮のコメントの印象がピッタリとハマってしまいます。
天理王の命の名は、教祖が亡くなった後に使われ出したと言う事
21回のお勤めも、明治21年、やはり教祖の亡くなった後に始まったと言う事
大阪の神名流しのお話は、時期的にあり得ない事
編纂された逸話は、心理的誘導が組み込まれている事
しかし、不思議なお助け、神の守護もある事、神は教団運営とは別に存在し続けている事。
個人的想像から、愛町初代様は、親神様の天啓があっても、教団の本音を見抜き、分教会組織で愛町を守っていると言う印象。
私個人の印象は、本心から親神様と呼ばれる存在、教祖様の教えを求めて生きるなら、天理教教会組織に近寄り過ぎず、組み込まれないで、普通に生活しながら、参加していた方が良いなって感じます。
太鼓も鳴り物も、決められた時間も、教団が決めた事に過ぎないなら、日常生活に合わせて、やったら良いでしょうしね。
後悔先に立たず。本当のことを説けばよかったのに、何故、美化してしまったのか。
美しすぎる内容に本当の感動はない。真相は、もっと生々しいはずだ。
>>太鼓も鳴り物も、決められた時間も、教団が決めた事に過ぎないなら、日常生活に合わせて、やったら良いでしょうしね。<<
知り合いの教会では教会長出直し後、会長不在となった。今で言う事情教会。近所に住む元教会長の高齢の親戚2人が親子交代でお勤めをしていると言う。親は80歳手前で病気持ち。息子は独身で仕事持ち。
こう言うギリギリの状況で月次祭は2人だけですると言う。上級会長も死亡で無人教会となっている。その上の教会長も病気で部内教会に出向く事が不可能な状態。
こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?
>>こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?<<
これから先、日本国内では少子高齢化がますます進みます。天理教は信者数が激減の一途をたどると同時に、信者の高齢化もますます進みます。「お勤め」は物理的に不可能となっていくでしょう。
>>こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?<<
追伸です。そもそも本部や上級教会にとって、「お勤め」なるものは「お供えの集金手段」としての意味あいもあり、宗教的要素は極めて薄いように思われます。
教祖が食事中、箸が飛び上がったり、手が動かなくなったということは、実際にあったのではないかと思います。いいトシした中二病患者の妄言と思って、聞き流していただいて結構ですが・・・
もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。
しかし天啓者である教祖は、神様からの無言のメッセージによって守られ、どのような危機も乗り越えてしまった。業を煮やした応法派の輩は、最後には官憲と手を組んで教祖を・・・。
『ほんあづま』2000年6月号巻頭言の中の分家の言葉、
「真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」とは、そういうことか?疑惑は深まるばかり。
明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家の仏壇を取り片付けさせたという話。(逸話編二七 目出度い日)これも廃仏毀釈の波に乗った応法派の輩の手によるものだと思います。なにしろ仏壇どころか、お寺まで燃やされた時代でしたから。
かつて尼僧を志したほどの教祖が、仏壇を取り片付けるなどという要求をしたなんて、私には信じられません。第一、明治17年に教祖が奈良監獄に収監された時の警察の資料では、教祖の宗門は浄土宗となっているではありませんか。
参考意見
2019年12月19日 2:06 PM
>>もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。<<
無きにしも非ずの話ですね。推理小説が好きな私には大変興味がそそられる話です。キリスト教にしろ仏教にしろ宗教に迷信はつきものです。もうすぐクリスマスですが、キリストが12月の寒い時期に馬小屋で処女マリアの胎内から生誕した話など、今どき誰が信じるでしょう。あり得ない話です。
>>明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家の仏壇を取り片付けさせたという話。(逸話編二七 目出度い日)これも廃仏毀釈の波に乗った応法派の輩の手によるものだと思います。なにしろ仏壇どころか、お寺まで燃やされた時代でしたから。
かつて尼僧を志したほどの教祖が、仏壇を取り片付けるなどという要求をしたなんて、私には信じられません。第一、明治17年に教祖が奈良監獄に収監された時の警察の資料では、教祖の宗門は浄土宗となっているではありませんか。<<
私もそう思います。明治政府の廃仏毀釈政策に迎合するために意図的に捏造された話だと思います。教祖は浄土宗の五重相伝を受けたほど熱心な仏教徒でした。
自分の祖母が天理教の信者で幼い頃よく教会に遊びに行ったものだが、まわりの信者が会長の陰口を言ったりしているのを見聞きし、とても不思議な感覚を覚えたのを今でもはっきり記憶している。
参考意見
2019年12月19日 2:06 PM
>>もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。<<
八島氏から直接聞いた話です。
秀司が死んだ後に妻の松枝が妊娠したそうです。
不倫相手は、前川だそうです。
まつえは、堕胎の為に薬を飲んだのか はたまた盛られたのか・・・???
中南の門屋の右側の部屋で口から泡を吹いて死んでいたそうです。
前日までは元気だったそうです。
八島氏が、当時を知る古老たちから直接聞き集めた情報だと話してくれました。
退職した元信者 様
2019年12月20日 4:18 PM
>>八島氏から直接聞いた話です。
秀司が死んだ後に妻の松枝が妊娠したそうです。
不倫相手は、前川だそうです。
まつえは、堕胎の為に薬を飲んだのか はたまた盛られたのか・・・???
中南の門屋の右側の部屋で口から泡を吹いて死んでいたそうです。
前日までは元気だったそうです。<<
なんだかサスペンスドラマを視ているようですね。恐ろしい話です。
だから、本部は八島氏を追放したんだ。ところがどっこい、逆に裁判されて、こてパンにやり込められてしまった。
天理教青年会に言いたい。八島氏の著書に反論する本を出しているが、信用できない。なぜならば、本部が正しいというのならば、何故裁判で堂々と反論しなかったのか。何かやましいところがあるから、後出しじゃんけんのように変な本を出したのじゃないですか。
裁判を批判する人が居られるようですが、恥をかいたのは教団でしょ。
このような事実を多くの会長さんや信者さん方は、ご存知なのだろうか。私の所属していた教会の信者さんたちは、八島氏の存在すら知りませんよ。
このような事実を知った時どのような反応があるのか興味のあるところです。
口から泡を吹かれていたとお聞きして思うのは心不全だったのかなということです。
こういうことを書くのはやめませんか?
松枝さんの人権はどうなりますか?
もし服毒ならばドラマだと血を流していたりしますね。
皆さんお助け人ですよ。
逸話編七三 大護摩 より
明治十三年九月二十二日、転輪王講社の開筵式の時、門前で大護摩を焚いていると、教祖は、・・・お坐りになって、一寸の間、ニコニコとごらん下されていたが・・・・・
ニコニコと?・・・そんなの絶対あり得ない!と、私は思う。教祖は終始一貫して教団の設立に反対し「そんな事すれば、親神は退く(ご守護を失う)。」とまで、仰せになっていたのだから。この逸話、副題として「大嘘」と付けたくなる。
「たとい我が身はどうなっても。」と、一命を賭した秀司の真実・・・なんて、美化し過ぎ!ただの銭ゲバの執念と言ったら、言い過ぎだろうか? この年の「おふでさき」には書かれています。
さあ今日は 月日の腹が はぢけたで(堪忍袋の緒が切れた) 控えていたる ことであれども(15.13)
親の目に 残念の者は 何時に 夢見たように散る(死ぬ)や 知れんで(15.67)
事実この翌年に、中山秀司は61才で出直しています。秀司は、教祖を母として捉え、一貫して中山家の戸主としての立場から、世上常識に沿った利益営業を主張していたといいます。それって結局は、教祖を神とは思っていなかったということではないのかな。
秀司の嫁の死因はどなたかご存知ですか?
私は一般信者で被災地なんですが、災救隊の費用分担はどうなってるんですか?受け入れの大教会や教区の人は煙たがってる人が多いので、まさか費用の負担を被災地の教会や教区に求めてないですよね?
会長さんや関係者の方は口を濁している感じでしたのでこちらで知っておられる方がいらっしゃったらと思い書かせてもらいました。
逸話編七八 長者屋敷 より
教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に、
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ 思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで。」と。
それが今では、リアルに長者屋敷になってしまいましたね。
住んでいるのは「大飲んべのみこと」やら「大食漢のみこと」やら、それが肥満化した「重たいのみこと」、あとは「賢くねえのみこと」といったところか。せめて「月並みのみこと」であればよいものだが・・・。
>結局は、教祖を神とは思っていなかったということではないのかな。
秀司さんは、おやさまになにかが取りついているとは思ったでしょう。それを「神」と呼ぶなら呼んでもいいでしょうが、秀司さんはおやさまとりついたこの神をよく理解してはいなかったと思います。
ただ、おやさまの傍に毎日いて、どんな難病でも次々にあざやかに直してしまうのを目撃していたでしょうから、この神さまの実力は認めていたはずです。しかし、この神の「思い」というもの、なぜこの神はオフクロのところに舞い降りてきたのか、その「目的」とするところは何か、ということに関しては、さっぱり解らなかったんじゃないかと思います。
誰かタイムマシンに乗って、秀司さんの所に行き、「いいですか、秀司さん、あなたのオフクロさんに取りつた神は世界救けする神ですよ。上級霊中の上級霊なんです」と言ってあげるとよかったんでしょうが、でも、たとえそうしても、秀司さんは解らなかったかもしれません。
神と言っても、「元の理」とか「おやの心」とか「人類を助ける」とか、そういうスケールの大きいものや、奥の深い教えなどは、どーでもよろしいんで、神様は、ただ病気を直してくれたらいいんだ、くらいのものとして捉(とら)えたんじゃないかと思います。
時は江戸、封建時代であり、医学や精神的な思想などほとんど発達していなかったころのこと、万病をたちどころに直してくれる神は、実はありがたかったことでしょう。秀司さんも、「これをほっとくテはないな」ぐらなことは思ったかもしれません。「これで、いいジェニ儲けができるで」・・・
しかし、おやさまが病人を助けると、ケーサツがやって来て取り締まる。じゃまをする。それで、お上(かみ)の目をくらますために、既存の仏教組織の名前を借りて、その傘下で、堂々と誰にエンリョ気兼(きが)ねすることなく、オフクロにお救け(病気直し)をしてもらう。
秀司さんがそう考えてしまったとしても、ムリはないと思います。病人は助かるんだし、こちらとしても、まぁ、ジェジェコが入って来る、双方得するんで、ええんでねーかい。
つまり、秀司さんは、仏教の傘下に下って、護摩などを焚(た)いたりすることが、ベターだと思ったんでしょう。こうして彼は、イエスやシャカやマホメットや孔子と並び称せられたかもしれない名誉をもらいそこねたのでありました。チャン、チャン。
災救隊への疑問様
詳しい事は判りませんが、教会が毎月支払う支部費が4月から値上がりになりました。教会の懐事情はギリギリを超えて赤字経営の所が大多数の中、支部長からの一方的通知でした。どの会長さんも口に出して反論する人は無く、結局言われるがままになります。皆黙って払っています。この押し付け体勢は変わらないです。
会計係りに聞いた所、災害対応への出費が増えたので、との事でした。翌月の支部会でやっと値上げ理由の説明が全体へ一言だけありました。
災害なら仕方がないと思う傾向が有りますが、信者の居ない教会への一方的押し付けで納得はしていません。不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。
逸話編一三 種を蒔くのやで より
慶応元年、また子供が生まれることになった。・・・すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と、お教えになった。・・・こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の 胸に伝えて廻わった。
逸話編一五 この物種は より
慶応二年二月七日の夜遅くに、教祖は、・・・・・なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと と、唱えながらお通しになった。
おつとめ第一節に関する本部員、永尾隆徳氏の説は、こうした話に合わせたもののような気がします。
慶応2年とか嘉永6年とか言われても、なかなかピンとこないものですが、すべて西暦に直して年表にでもしてみると、色々と矛盾とかが見えてくると思います。
匿名様
>不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。
元々の予算は取ってあると思いますが。それ以上は決して負担はしません。
義援金を集めていますが、全て被災地へ持っていくのではなく、持って行くのは一部です。
その中から、災救隊の経費を捻出しています。
本部の懐は決して痛まない仕組みです。
元々、本部という所は肥を置く場所。
お金も労力も全て本部のもの。
本部から出すという発想はありません。
災救隊員は常時待機しているのではなく、急きょ集められます。
仕事を休み、教会の用事も出来ない。余裕のある教会はいいですが、末端は死活問題です。
匿名 様
2019年12月21日 7:55 AM
>>会計係りに聞いた所、災害対応への出費が増えたので、との事でした。翌月の支部会でやっと値上げ理由の説明が全体へ一言だけありました。
災害なら仕方がないと思う傾向が有りますが、信者の居ない教会への一方的押し付けで納得はしていません。不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。<<
何も会計資料を提示することなしに、支部長の「鶴の一声」で値上げするとは、大変、不自然ですね。天理教の会長さんも皆、おとなしいのか、何も反論や質問がでないのが不思議ですね。「災害救援」を「錦の御旗」にして、増額したお金を別の所に環流させているのではないかという疑惑もでてきます。値上げするからには、しかるべき資料を提示して誰もが納得のできるような説明をするべきであるし、災害対応の費用は本来、教会本部が全て負担するべきであり、貧しい末端教会に負担を強いるのは筋違いだと思います。
末端 様
2019年12月21日 8:23 AM
>>本部の懐は決して痛まない仕組みです。
元々、本部という所は肥を置く場所。
お金も労力も全て本部のもの。
本部から出すという発想はありません。
災救隊員は常時待機しているのではなく、急きょ集められます。
仕事を休み、教会の用事も出来ない。余裕のある教会はいいですが、末端は死活問題です。<<
肥は植物が成長するのに必要ですが、過度な肥を与えると、根が腐り植物は枯死します。それが今の本部の現状だと思います。いつまでも末端を奴隷化する「天理教経営」は近い将来、必ず破綻します。
参考意見様の過去の投稿に
「 明治になって神道が絶対的な地位を占め、天皇を神とする時代となり他の宗教に対する弾圧が始まりました。しかし明治2年から執筆の始まった「おふでさき」にも「天理王命」という神名は登場しません。その他「命」の付く神道式の神名も出て来ない(くにとこたちに、おもたりさまや等)。さらに「天理・天の理」といった単語さえ一回も出てきません。
明治13年、中山秀司が営利目的で設立した組織の名は「転輪王講社」。
明治17年、諸井国三郎がおぢば帰りの際に、旗の中央に日の丸を描き、その中に大きく墨書した文字は「天輪王講社」(逸話編一三九 フラフを立てて参照)。この時点で「転」から「天」へと変化したのは、明治5年に教部省が発した「三条の教則(教憲)」の影響があったのではないかと思えてなりません。三条の教則の一つは宗教団体が「天理人道」を教えることを要求していました。「天理」とは政府から出た言葉であり、これに応えるように、明治18年に神道天理教創立事務所なるものから「これまで天輪王命だった神名を天理大神へと改める」という改正諭告が全国に向けて出されました。三条教則と改正諭告のいずれも国立国会図書館で閲覧可能な歴史的事実と言えると思います。神名に「命」がいつ頃から付いたかは不明ですが、これだけでも既に、慶応2年に第一節の「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたとか、嘉永6年に大阪で「天理王命」の神名を流したという話には無理があるように思えます。
明治21年に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたという八島英雄氏の説に、私は高い信憑性を感じていますが、櫟本分署跡参考館発行の『みかぐらうた』(復元版)のオリジナルが残ってさえいればと残念に思います。戦争中の空襲で多くの事実を知る証人や証拠となる資料が失われたことは教団にとっては好都合だったことでしょう。」
というのがありますけど
なら逸話編の、慶応2年に教祖様が、なむてんりおうのみこと、とおっしゃったのは、作り話になりますよね
当初の、教祖様は、親神様を、なんと言い表していたのが、本当なのでしょうか?
日光東照宮を見ても分かるように、徳川幕府の時代においては日本の主流の宗教は仏教であり、神道はその一部のような存在でした。
教祖、中山みきも浄土宗の尼僧を志望し五重相伝を受けるほどの熱心な信者だったと聞きます。それ故、私は教祖が教えた神名は「転輪王」だったと考えるのが自然であると思います。
八島氏の説だったと思いますが、当時の教祖は浄土宗による救済に限界を感じており、真言宗も学び始めていた。「転輪王」とはそこで出会ったような話でした。
八島氏の説については、下記の資料をご参照ください。
https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho22-05.pdf&type=G&prt=3230
これも嘘♪、あれも嘘♪、たぶん嘘♪、きっと嘘♪、てな調子で、今日も教祖伝をほじっていきます。
逸話編三九 もっと結構 より
明治七年のこと。西浦弥平の長男楢蔵が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて・・・
ちょっと待った!ジフテリア菌が発見されたのは明治16年。よく診断できたものだ。後世に診断されたのであれば、カルテなど病状の記録があったのか?
逸話編一四八 清らかな所へ より
・・・その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。・・・
ちょい待ち!コレラについて調べてみると、1日20~30回もの水のような激しい下痢。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、急速な脱水症状、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚脱を起こし、死亡する。・・・とある。某ドラマの話にもありましたね。突然、七転八倒の苦しみをはじめ、医院へ運ぶ途中で死亡なんて、急性膵炎なら身近にも発症から死亡まで30分という人がいましたが。
おおかた二代目真柱は、信者なんて無学無教養の集まりだから、むずかしげな病名さえ使えば、みな驚嘆すると考えたのではないかな?しかし!私が一番わからないのは次の例。
逸話編一一 神が引き寄せた より
・・・忠七の妻そのは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、既に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし。」と、匙を投げてしまった。・・・
え……!? 痔の病? 痔(じ)……? 手持ちの稿本天理教教祖伝逸話編を開いて確認すると、たしかに「じ」と振り仮名までついてる。痔によって流動物も喉を通らずなんてことがあるのかな。もしかして人工肛門も無かった時代、出すものが出せないと食べることもできなくなったとか。……って言うより、これって単純に、癌(がん)のマチガイではないのかな。二代目真柱って東大出てたのでは?本の校正か写植の段階でミスがあったのかもしれないが。それなら、なぜ正さないのか。それも二代目真柱への忖度か?
参考意見 様
2019年12月21日 4:52 PM
内痔は化膿したまま放置しておくと、虫垂炎(盲腸)と同じで腹膜炎を併発し死亡する可能性があると思います。また直腸癌であれば、2年間抗がん剤を投与せず手術しなければ、全身に転移し死亡する可能性もあります。
痔の危険性について、私は知識が不足していました。
ただ「流動物さえ喉を通らず」という部分から食道癌を連想してしまいました。これからは専門外の事柄については気をつけたいと思います。
参考意見 様
2019年12月21日 6:44 PM
いずれにせよ、宗教には迷信や嘘がつきものです。宗教の違いは関係ありません。どの程度まで信用するかは、個々人の判断だと思いますが、迷信や嘘を盲信すれば、自分自身がひどい目にあうばかりか、何も関係ない他者にも多大な迷惑をかけてしまいます。オウム真理教の地下鉄サリン事件がその典型的な例です。よくよく気をつけなければならないと思います。
最近『殉教の人』(京城大教会・大熊忠次郎の伝記)を読み返してやはり感動するのですね。師と弟子、親と子の愛を感じます。不思議な助けも信じれます。きっと自分の祖先もそうだったのだろうと。過去にそういう時代があったとしても現代には通じません。皆様のコメントを読ませていただきながらいろいろと考えます。
教団が戦争協力にそれも積極的に関わっていったのは何故か、開祖中山みきからあまりにも遠くに来てしまった現在の教団。
大本教の事はほとんど知らないのですが開祖出口なおのように教祖出口王仁三郎のような人物が中山みきの側近に存在したら違ったのではないか。血縁に取り囲まれて応法の道の芽が最初からあったからではないか。中山みきは孤独の中で亡くなったのでないか。
そんなことを考えていたら『天理フリーフォーラム』に「教祖の教えと教団」(天理教と金光教の比較)を見つけ読んで金光教の教団が羨ましくなりました。
また、永岡崇(『新宗教と総力戦ー教祖以後を生きる』の著者)氏の「宗教とは誰のものかー『大本七十年史』編纂事業をめぐってー」(『日本研究』no47・2013)を読んでやはり大本教の教団が羨ましくなりました。
それぞれについて自分で述べるのは手に余りますので時間があったらぜひご一読ください。
教会に生まれ育った母の影響で、私も近年までは狂信的な天理病患者の一人だったと思います。一か月の内の三日間は他人のために働くという意味から、収入の一割をお供えするのを社会人になってから最近まで続けてきました。少ない休日も教会の行事があれば逃げることなく務めました。次第に教会組織のあり方に疑問や矛盾を感じるようになりましたが、それでも確かに神様はいて、何度も命の危機を助けられて、60年近くを生きてきました。それだから多くの事実を知った今でも、神様と教祖への想いは変わることはありません。また信仰は自分の心を律するためのものだったのだから、騙されたとか損をしたとも思いません。
しかし、自分が頑張ってやってきたことが、とんでもない巨悪を育てることへの協力であり、多くの人々の人生を奪い、地獄へ突き落としていた。それが何よりも悔しく、また申し訳なく思います。そんなわけで一人でも多くの人々が盲信をやめ、思案するキッカケを作りたいと願っています。私自身は教会親族という柵から、なかなか抜けることができませんが。
天理教で散々痛めつけられた人が金光教で救われたと言っておられました。天理教は最低、最悪だとも。あれは宗教じゃないと。
人を責めず、脅さず、相手の苦しみを自ら共にして祈る金光教の先生の姿勢に安らぎを感じたそうです。
天理教と違って、金の話は出てこない、脅しに聞こえる諭しもなく、ただあなたの幸せを祈りましょうねと言う姿勢に、謙虚だなあと私自身感じました。
そもそも、金集めのノルマなんて金光教には無いようです。
天理教の二枚舌は最低、最悪です。
今年は◯◯◯◯万円の目標に達しなかった、来年こそは頑張れと目標達成にハッパをかける大教会長。
金集めの心定めをさせる天理教は金光教から感じる品の良さが無く、さすがヤクザ組織を真似て無理やり金をむしり取るだけの凄みを感じます。
天理教は全く信用には値しません。
参考意見様
参考意見様、八島氏のお話はよくわります。 某加藤氏のブログも読んでいますので、神なき教祖様のお話は、理解はできます。
神懸かりと天振り、井出くにさんは、記録を読むと天降りですね
愛町初代は、どちらでも無い、私の教団と同じ、神霊能力者と言う印象
大徳寺さんは、神懸かりでしょうか?
息子が天理高校に在学してるから、天理教ってなんだろうと踏み込んで、社会学を探し当て、こっちの世界に足を突っ込んでしまったので、さっぱり分からなくなりました。
友人の教会長とかがしてくれる、教えのお話の根拠がどんどん崩れて行って、まったく天理教が入ってこなくなりましたし、私個人は自分の信仰があるので、それでもいいですが、もし、そうで無ければ、もっと真剣に昔の資料と合わせて、教祖のお姿を求めたかも知れません。
最初に天理教の看板があって、その奥に入ったら、全然違う世界が見えて混乱してる状態です。 教会子弟で育ってきて、大人になって、これを認めたら、ガラガラと足元が崩れて、自己崩壊してしまますよね。
友人の教会長が、ネットは一切見ないで下さい、異端ですから、放置して下さいって、本気で嫌な顔をする意味が判った・・絶対議論しないのは、知らないんじゃ無くて、多分知っていて、自分に言い聞かせているのかも知れません。
しかし、神様もいらっしゃる・・神懸かりなのか、天降りなのか、絶対神とか地球の親神様とか、キリストにも降りた神様だとか、実際記述も無いし、なんの根拠も無い、しかし教祖様を導いた、教祖が転輪王と想定した、神霊体は存在し、本席様やナライト様に神懸かりが受け継がれたと感じます。
転輪王の神懸かり、導きを受けながら、教祖の仏教の知恵を使って、人を導き、女性の地位向上や、世界平和に導いた?
天理教の人には失礼になりますけど、ここに来て、これだと、私個人の信仰、大霊界世界観に一致してしまいます。
連投すみません、追伸
今、別席を5回目を運び、息子が卒業するまでに、何でも経験だから、一緒にようぼくになってみようかと思っていますが、友人の教会長の成績を応援してあげようかと言うのが第一の理由です。
それで自分の持つ、信仰が揺らぐこともありませんしね。
だけど、この別席にも、真柱様のおさずけにも、今はまったく、根拠が無いんだなあって思うと、本当、これは歴史上の形だけなんですかね・・多分、これを受けなくても、親神様、神様って、天理教的に想う、信じる、祈るだけでも、当初の転輪王と言う神霊体なのか、格個人の守護霊、守護神なのか、それ以外か、不思議の守護が得られるなら、私の世界観とも一致します。
個人的な戯言ですが、私には教祖様の方が存在がくっきりと認識できるのに、親神様が漠然とした印象しかつかめないのは、天理王の命と言う存在は、後から作られた物だから? やはり八島氏の方が正しいな? と勝手に思ってしまいます。
昔教会に参拝に行ったら、拝殿では無い奥の居住スペースに安物のクリスマスツリーがかざられて居た。
そしてわざわざプレゼントまで用意されてて、会長家族は「メリークリスマス」だってさ。
どうせこんなレベルですよ。
日本人(ゴチャマゼ人種)だからクリスマスやるなとは言わないけど。
クリスマスが終わったら新年度の心定め。
バカバカしくてもう天理教は終わってますよ。
あー、それに最近はハロウィンが加わったかな?
ハッピーハロウィンだって。
ハロウィンにはいっそ仮装して各大教会でも周ったら如何だろうか?
私個人としては、神とは全世界、さらには全宇宙の創造主であると考えています。宗教以外の言葉で言えば「大自然の摂理」とか「絶対原理」とかいうものかもしれません。
おそらく教祖は、その時代その土地の人々が理解しやすいようにと、自分の宗教的知識の中から「転輪王」という名を、仮のものとして使ったのではないかと思います。
会長御子息へのクリスマスプレゼントの請求が来たのは言うまでも有りませんが、プレゼントを受け取った後で、プレゼントで貰うなら現金の方がいいと言って来た。
古は駄目で何でも新品。
廻りは皆used着てますけどねー。
何でも金カネかね。
図々しいにも程が有る。
天理教の「おさづけ」にしろ、「おびやゆるし」にしろ、「赤衣のお守り」にしろ、私はすべて迷信であると考えています。医学をはじめ、科学技術が発達していなかった幕末期に、当時としては原因不明とされていた病気も多く、また、お産で落命する女性も多かったと思います。そうした時代に、人は何かにすがりたいという心理がはたらくものです。現代でも、新車を購入すれば神社へ行ってお祓いをしてもらい、神社の名前が書かれたシールや反射板を「お守り」として車体後部に貼付して走っている車をよく見かけます。また、安産や婦人病の治癒を祈願して多くの女性が参詣する仏教寺院もあります。また、「厄除け参り」のように、男女それぞれが、厄年を迎えれば、厄を払うために、多額のお金(お布施?)を寺院にお供えし、厄払いをしてもらうという習慣も古くからあります。こうした「霊感商法」まがいとも呼べる風習や習慣が、いまだに日本の国に根強く残っています。あと10日ほどで新しい年を迎えますが、正月ともなれば、あちらこちらの神社仏閣が大勢の初詣参詣者で賑わいます。初詣の参詣者が、その年1年間の家内安全等を祈り、賽銭箱にお金を投げ入れます。これも何か超自然的なものにすがりたいという人間の心の弱さをあらわしていると思いますが、所詮、迷信にすぎません。
むかし読んだ漫画のなかに「神無月には神々が出雲の国に集まるので、それ以外では日本全国、神も仏も無いそうな」というのがありました。ただのギャグだと思っていましたが、最近になってネットで神無月について調べてみたら、実際に過去の神無月におきた災害を、神不在によるものと伝承している地方もあったりしてびっくり。
こんな漫画を思い出したのには訳があります。どこかの神殿講話で聞いたのですが、アメリカの某大教会長は、毎月二万円の飛行機代をかけて本部に参拝し、ぢばの理をアメリカに持って帰るのだそうです。
それじゃあ神様って、おぢばにしか居ないのか?帰る途中で飛行機が墜落したら、その月アメリカは神不在となるのか?いくらなんでも神というものを矮小化し過ぎてはいないだろうか。そんなことを考えてしまったものですから。
因みに、子供の頃の私は、早々と親にサンタクロースを虐殺されてしまい、クリスマスプレゼントを貰った経験がありません。
訂正
飛行機代は20万円でした。
参考意見様のコメント
「 私個人としては、神とは全世界、さらには全宇宙の創造主であると考えています。宗教以外の言葉で言えば「大自然の摂理」とか「絶対原理」とかいうものかもしれません。
おそらく教祖は、その時代その土地の人々が理解しやすいようにと、自分の宗教的知識の中から「転輪王」という名を、仮のものとして使ったのではないかと思います。」
つまり、参考意見様は、天降りも、神懸かりも、神霊などの、見えない世界の働きかけは、直接無かったと思う、 ザ、グレート、サムシング、への畏敬はあるが、大自然の摂理と言う事ですね。 我々は死後、物体として消滅する、消えると・・
まあ、そう考えて、理想社会を高い倫理観を持って目指す生き方もありでしょう。
私個人も、それが間違って居るとは思いません、内面の向上を目指すのが信仰であるとして、それを持つのに、決して見えない世界の働きかけが必要だとも言えないのが、地上ですから、神など迷信ですって言い切っても困る事はありませんもんね。
ただ、どこから来て、どこへ行くのか? どうして存在するのか、なぜ運命は様々なのか? こう言った事が知りたいと思うのも、人間なので、様々な思想、世界観が生まれて来ますし、神の守護を心の拠り所にしたくなるのも、人間の弱さと言えば、そうだと思います。
本物?も、嘘もあれば迷信もあれば、ダマシもありますから、あとは、自分が納得できる、信じられる物、(神様)、世界観を見つけるしか無いですね・・としか言えませんよね。
なら、やっぱり天理教を変えて行くのは、信者の責任ですし、本部が異端なら、教団を離れて、(親神様)を求める努力を個人的にするしか無いでしょう。
私個人は、自分が納得できる、大霊界世界観と御守護神に出会えて、幸運だったと思っています。
ひとこと言い忘れたことがあるのですが・・よろしければお聞き下さい。
これまでの ざんねんなるハ なにの事 あしのちんばが 一のさんねん (1-31)
みのうちに とこにふそくの ないものに 月日いがめて くろふかけたで (12ー118)
この二つのお歌は、ともに秀司さんのことを言ってるんですが、ちょっと見ると、矛盾しているように見えませんか?
上の句(1-31)の方では、秀司さんの心に悪事(あくじ)るので、その悪事がのかないから、ちんばという 「身の障り」 となって現れて来ている。と神さまは言われています。
こうして見ると、秀司さんの心には、親神に「残念」と思わせるほどの悪事があったのですが、ところが、下の句(12-118) では、「身のうちにとこに不足のない」 と言われています。
一瞬、「どっちやねん」 とつっこみたくなるのですが、しかし、神様というのは、常に真っ正直に、ストレートに思ったままを話す方(かた)だということを考えますと、ある条件下において見ると、秀司さんは悪事をかかえている人なのですが、別のある条件下において見ると、秀司さんは「どこに不足もない人」ということになるんでしょう。
つまり、用木として使おうとすると悪事があり、使いものにならない。が、しかし、神の僕(しもべ)ではなく一般人として生きる分には、十分りっぱに生きていけれる、ということでしょうか・・
で、悪事ということですが、私が知ったところでは、どうも内縁の妻の「おちえ」さんのことらしくて、二人の間には音二郎という子がいたそうなのですが、おやさまは、この二人を中山家から追い出したそうです。芹沢光治良先生は、この時のおやさまのこうした強い姿勢を不思議がっておられて、「ふだんはおやさしい方でしたが、この時ばかりは強く出られたようですね・・」と言っておられたのを覚えています。
私は江戸時代がどのような因習や風俗に包まれていたか知らないのですが、内縁の妻ならそんなに悪い事ではなかったのではないかと、思ったりしたのですが、まぁ、神さまの目には、どこかかなわぬところがあったのでしょう。
要するに、神の道は厳しい道であると思います。
秀司さんは、江戸~明治初期に生きた人であり、その時j代の風俗習慣の中にどっぷりとひたって生きてきたのですから、時代を超越してものを言われるような親神様を相手にした場合、通じ合うということはなかったと思います。
世界に目をむけても、宗教者として神の目にかなった生涯を貫きおおせた人はそんなに多くはなかったことでしょう。あのマホメットも、道をたどる途中で、サタンに心を売ったかのごとく私利私欲に走り、教えを自分にとって都合のいいように変えてしまったと聞きます。(芹沢光治良<神の計画>p,207 )
だから、・・・秀司さんが挫折した人であったとしても、(実際、挫折したんですが)、赦(ゆる)してあげてほしいです。
それで、こんな事を長々と言ってしまいました。
ぶたまん 様
2019年12月23日 4:30 AM
「おふでさき」のみならず、「旧約聖書」は荒唐無稽な迷信や嘘が多く、「新約聖書」も同じです。日本の「建国神話」も同じです。宗教に迷信や嘘、矛盾はつきものです。
大教会長が憎いです
夫はとある教会の会長でした。
5年前までは信者さんもたくさんいて、月次祭があると、4〜50人ほどが集まり、直会も楽しいものでした。
5年前のある日、大教会長が巡教にきて、教会長である夫に言いました。
「今度知り合いの教会がふしんするから、お供えよろしくな。20万円ほどでええわ。」
うちにはそんな大金ありませんと言うと
「ほな信者から貰えや。知り合いに金は用意するもう言うてもうてるから頼むで。」と返されました。
夫はどうしたらいいかわからず、上級の会長に相談しましたが、親孝行したらいい、と言われ納得のいかないままお供えすることを放置していたら、毎日のように大教会長から電話がありました。「お供えまだか?』と言うような内容の電話ばかりかけてきて、私も夫も心が折れて、渋々払いました。
一度払えば終わりかと思えば、三ヶ月後、半年後にまたお供えするよう言うてきました。
夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が「われ誰のおかげで協会持ってると思っとんのや!?大教会長のワシのいうこと聞けへん言うんか!?どうなっても知らんで!?」と怒鳴られました。
この時点で、夫はストレスで胃を弱め、白髪も増え、うつ病になっていました。信者さんに対するあたりも悪くなり、信者さんも協会に寄り付かなくなって行きました。
私は必死に夫を説得しようとしましたが、うつ病だったせいか、ちゃんとした判断ができなかったのかも知れません。
そんな状況が5年も続き、夫はとうとう全てが嫌になり、天理教を辞めることにしました。
私もそれに賛同し、教会も全て畳んで今は天理教とは無縁の生活を送っています、
ふと、家のまえで神名流しをしているのを聞いて、天理教のことを思い出し、ネットでこのサイトを見つけたので、書き込みました。
こんなことがないような宗教になって欲しいです、
いつか本当に人を殺すかも知れないと言うのを気づいてください。
大教会長が憎い様。
ご苦労されましたね。こう言うダニの様な大教会長が日本中いたるところに居るんですね。私もその類いの大教会長を人づてに知っていますが人に取り付いて生き血を吸うんです。生きていても何の役にも立たないダニ。自分がダニだと気がついていないんです。
人間的に歳を重ねても心が実らないから思考も精神も未熟でかつ幼稚。俺様を誰だと思ってるんだ?の低レベルですから相手にする様な人間でもないんだけど。上下関係に組み込まれると相手にしない訳に行かないんですよね。よくわかります。
先々の長い人生を考えたら教会を捨てて正解だったと思います。住居の問題、仕事の事、うつ病の回復に向けてと、本当に大変だったですね。
腐った図領について行っても道を違えるばかりです。見限ったのは大正解です。新生活が充実されます事を心から応援しています。神は誠実に真面目に生きる人間の側に寄り添って下さいます。必ず!
崩壊 様
2019年12月23日 2:23
迷信、嘘、神話 ・・「物語世界」には、それが多いです。みんなで造り上げた「架空の殿堂」です。みんなで架空のもの(ありもしないもの)によたれかかって生きていると気づく時もありますね。危なつかしいんですけど、それが実際に存在しているように思ってしまうんです。そうして裏切られる・・・私は、もう嘘は要らない。
↑ 上の文、ぶたまんの投稿です。スミマセン。
1
あります。存在しています。
いばらを針でかくようなでしたか。
本当にそれほどのものです。
あります。存在しています。
決して指の間からこぼさないで下さい。
失わないで下さい。必ず心の中で守って下さい。
お願いします。
水木しげる先生の晩年の幸福論
「お金を追い求めて金持ちになっても人間は幸福にはなれません。幸福はお金で買えないのです。ただ、私がその境地に至ったのも、漫画で成功して使いきれないお金を得てからです。なので、幸福になろうと思ったらとりあえず最初は金持ちを目指しましょう」
庶民の安心や幸せに、お金って大事です。
教会長も、かなり過去には、布教師から教会を作り、お供えを集められ、おぢばに競って寄進できた時代もあったのでしょうが、現在、それができる人は、ごく少数です
黙っていても、信者がお供えを持ってくる程、徳も無ければお助けもできないのに、下部教会、信者にお供えを出せと言うのは、まったく道理が通りません。
教団組織に組み込まれていない信者から見たら、ただ威張ってる大教会長様は滑稽なだけです、嫌だなと思ったら、離れるだけですね、神の守護のお礼にお供えをして下さいって言われたら、その神様を変えるだけです。
世間には、信者に寄り添う宗教も、心を導く信仰もいろいろありますからね、自分が気に入った宗教を信仰するまでですね。
(大教会長が憎い 様の投稿より)
≪夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が「われ誰のおかげで協会持ってると思っとんのや!?大教会長のワシのいうこと聞けへん言うんか!?どうなっても知らんで!?」と怒鳴られました。
「われ」って何という言葉なのか。犬にでも投げかけるような「ぞんざい」な言葉だろうに。
読むだけで心臓がキリキリ痛い。
関西弁の一種なのだろうが、「やくざ言葉」としてしか伝わらない。
会社の同僚、関西弁の石島氏の言葉には、同じ関西弁でも頭の良さがにじみ出ていて、聞いていて心地よかった。
「言葉は人」、だから多分、この大教会長は下品な人物なのだろう。
天理教布教に最初に火が付いたのも大阪だから、関西人をけなすつもりはないけれど、他の地域の言葉で育っている人にとっては、やくざに脅かされているとしか伝わらない。
関西人は、このことを頭に入れておいて良いのではないか。投稿文から推測すると、投稿者様は関西弁を日常語とする方ではないことがわかる。だから上記のような言葉を投げつけられた時のダメージは大きいと思う。
言葉の問題は上に立つ者ほど気を配る必要があると考える。(勿論、内容こそが重要であるという前提だ。)
ここまで書いてきてフト思った。教典は標準語で書かれているものの、逸話は天理付近の言葉や関西圏の言葉のためか、自分の英語読解力レベル同様、「判ったような、判らないような」モヤモヤ感が時に残ってしまう。
いくらテレビで関西弁をお笑い芸人たちがまき散らしていても、雰囲気しかわからない、ニュアンスが伝わらないという問題もあるが、そんなことはどうでもよいから、教内文書は標準語・口語体での表記がほしい。
本部講話まで標準語にせよとは言わない。しかし、文書は標準語にすべきだ。これは日本語から外国語に翻訳する際に重要な問題にもなることだ。翻訳者が天理育ちの日本人ばかりではないから、誤訳にもつながる恐れもあり、また、海外の人が日本語を学び、後に翻訳を試みる場合、標準語の他に古文・大和言葉をも習得しなくては正確な翻訳は難しいだろう。
この忙しい師走に、些末な事を書いて済みません。
大教会長が憎い 様の投稿の言葉の部分を関西弁ではない標準的な言葉に直してみました。
5年前のある日、大教会長が巡教にきて、教会長である夫に言いました。
「今度知り合いの教会がふしんするから、お供えをよろしくお願いしますね。
20万円ほどでかまいませんので。」
うちにはそんな大金ありませんと言うと
「それでは信者さんから頂いて下さい。知り合いには既にお金は用意すると言って
しまいましたので、よろしくお願いします。」と返されました。
夫はどうしたらいいかわからず、上級の会長に相談しましたが、親孝行したらいい、
と言われ納得のいかないままお供えすることを放置していたら、毎日のように大教会長
から電話がありました。「お供はまだですか?」と言うような内容の電話ばかりかけてきて、
私も夫も心が折れて、渋々払いました。
一度払えば終わりかと思えば、三ヶ月後、半年後にまたお供えするよう言うてきました。
夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が
「あなた誰のおかげで協会持ってると思ってるんですか!?大教会長の私のいうことが
聞けないと言うんですか!?どうなっても知りませんよ!?」と怒鳴られました。
言い回しや表面的な言葉の丁寧さを変えても、先方の脅迫恐喝的で強引な姿勢や内容自体
が変わる訳ではないですね。
参考意見様、他詳しい方
教祖様が最初に神懸かりになった時、憑いたと思える存在は、何と言ったんでしょうね? 我は元の神、実の神である! でしょうか?
それも後から作られたお話っぽいですよね、教祖様が転輪王と言う仏教系の呼び名を当てた、その親神様って、本当はなんて言ったんだろう。
個人的な感想ですが、神道系の神霊は、最初は〇〇の命って日本人向けには、名乗る事が多く、神格によっては大神と名乗ったりしますが、霊のハッタリもあるから審神能力が要ります。
天の将軍と言う説もありますよね、しかし、土地、社に鎮まる神なら、〇〇の命と最初から名乗る可能性が高い、将軍とは、神道には無い、呼び出す人に合わせて名乗ると思いますけど、将軍と言うのは、あまり聞いた事がない。
何も存在せずに、お助けや不思議を起こせるなら、ただの超能力ですから (笑)
個人的意見ですが、親神様なる、神霊が存在していると思いますけど、それはグレートサムシングとは違うと感じています。
どうでも良いお話ですみません、最初の呼び名・・何だったんでしょうね。
ある漫画の中にあった言葉。
「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。」
この度令和二年正月一日から施行される、中一部変更という「教区規程」「一般教会規程」で、これから末端教会などではどういった影響はあるのでしょうか?お詳しい方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
第十五条 3.懲戒に関する調査 新「及び」 旧「並に」その具申に関すること。
その他、第二十八条 最後に追加分、 第三十条 2の変更
父親 様
> 我は元の神、実の神である! でしょうか?
おやさまが大徳寺様の口を通して言われたことですが、最初に言われたのは、「我は天の将軍なり」ということでした。 「我は元の神・実の神である」ではなかったのです。
それから、「将軍」は、江戸時代、当時一番偉い人だったので、「天の将軍」 といったほうが解りやすいだろうと思ったから、そう言った、とお聞きいたしました。ご参考になれば幸いです。
(追:このことは、30年ほど前にお聞きいたしました)
教部省の三条教則に合わせて「天理王命」という神名を捏造した中山・梶本・山澤の宗教屋たちが、他の宗教と比較して最高・最強の神と人々に思わせるために「元の神、実の神」と言ったなんて話をでっち上げたのだと思います。
参考意見 様
2019年12月24日 1:49 PM
>>ある漫画の中にあった言葉。
「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。」<<
なかなかの名言ですね。敢えて付け足せば「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。ありあまるお金で身を滅ぼす場合もある。」でしょうか。
そもそも、「神がかり」という現象自体、今後、精神医学や脳科学の分野で詳しく解明されていくと思います。
ここに相応しい話題ではないかも知れません、すみません。
参考意見様の
「 教部省の三条教則に合わせて「天理王命」という神名を捏造した中山・梶本・山澤の宗教屋たちが、他の宗教と比較して最高・最強の神と人々に思わせるために「元の神、実の神」と言ったなんて話をでっち上げたのだと思います。」
これが本当なら、今の十全の守護とか、天の筋道を持ってだのも、後付けの可能性が高いですね。
ぶたまんさんのコメント
大徳寺さんの信頼性は、とりあえず置いておいて、人間の知恵の範囲で当てはめるのが普通なので、将軍と言ったのは、判りますが、当時江戸時代の庶民は将軍様とか、天皇とかも、一般的では無く、単に幕府と呼んでいたらしいですし、身近にはお奉行様ですから、この将軍も、「 天の奉行なるぞ!」と言った方がリアリティありです。 (笑)
高級神霊は言葉を使わず、エネルギー想念だけで伝えて来ますので、人は、持ってる知識から当てはめて、言葉に変換するしか無いので、交流する人により判断が変わっても、来ると思います。
人に近い心霊は、まだ言葉で人に霊言して来ます。
耳元で囁いてくる霊聴などは、単なる心霊です、関わらない方が正解ですね。
天理教のある人から、天理教者でも、親神様とか教祖様と神霊的に通じてる人は居ますけど、公言したらすぐ破門されるので、そう言う人は黙ってお助けしていますよって、聞きましたよ。 その人の理の親は、それで破門されたと。
教祖様に降りたとされる存在は、記録は不確かな物だと言えますけども、その後本席様や破門された茨木基敬氏とか井出クニ、新しくは関根豊松氏に現れていますし、親神様のお助けが多くの信者に現れているから、強い神霊体が存在し関わってると感じます。
教祖様の霊体、関根豊松初代様の霊体の方が、信者なら、より波長を合わせ易いと思いますが、この話ここまでにします。
八島氏のお話の様に、教え、だけをシンプルに考えた方が、扱いは良いですね。
最近の脳医学、精神医学でも、逆に心とか精神が、脳内の反応だけでは無さそうであり、その活動位置が科学的にハッキリしない事になる可能性もあるかと思います。
A I で、人間の精神的活動、心、愛情が作り出せるなら、人間もまた、機械だと言い切れるかも知れませんけどね。
憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。
年の瀬に、失礼いたしました。
父親 様
2019年12月25日 9:34 AM
>>憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。<<
憑依症に限らず、私たちが日常的に睡眠時にみる夢や、催眠術師による一時的な催眠状態中に起きる現象、有名な青森県恐山の「イタコの口寄せ」等は、すべて、人間の脳が何らかの変調を起こしている状態であり、近い将来、科学的に立証されるものと私は考えています。
宗教団体は、ご寄進をいただく会費をいただく、宗教団体の神々に、先祖様にお供えすると言っても。本当は、冷暖房・人件費・施設維持、その他団体の将来の運営のために、必要なだけですよね? それが、冷静に考えるこの世の実態ですよね。
寄付が多いほど、神様と先祖が喜び、守護が増す?
これこそが本当の迷信では無いでしょうか?
「心の自由、生活の自由、金銭の自由を奪い束縛する宗教があるとしたら」
そう言う宗教こそ、今後、廃って言っても不思議では無いと思います。
崩壊様は
あの世も、大霊界も一切否定なさってますが、それは個人の自由ですから。
生き方はそれぞれ自由ですから、人が存在する意味を問わず、自分を向上させるモチベーションとなる理論的信仰が持てて、生きられるなら、それで良いんじゃ無いですかね。
欲を抑えて、愛を信じられ、社会に尽くして生きられるなら、良いんじゃ無いですかね。
明日死んで、無になっても怖くない、何も思い残す事は無い、と言い切れるなら、それで良いんじゃ無いですかね。
私は、そう思っています。
連投すみません、崩壊様
私は弱い人間です、欲望のままに生きても、愛に生きても、死んだらみんな同じとは、思いたく無いんです。
この世に存在する理由が知りたいのと、欲を抑えて、愛に満ちた人生を目指す事の必要性が欲しいんですよ。
生活も安心安全に過ごせる社会が良いし、それは倫理的に求めていますが、心豊かに、与えられた人生を精一杯真っ当する(意味)が欲しいんです。
私は前世の因縁と言う概念は、大嫌いでもありますし、それを否定するだけの根拠も欲しいんですよ。
前にも書いたけど、二十歳くらいの時、いろいろな自己否定から、自分はどうしてこの世に存在するのか? 無駄じゃ無いか? 死んだ方が世の為だって思い詰めた時、今の信仰にであい、自分の存在価値と言う意味を知り、生きる意味を知った、その時に、本気で神のエネルギーを引いたら、引けてしまい、体の不調、身上も日に日に回復したし、心にもエネルギーを得られてしまった、以来30年、普通に働きながら、深い信仰の道に入り、神のエネルギーを引き続けていますので、私個人は今の信仰に縁があって良かったと思ってます。
だから、これを人に勧めても、本気にならないと神と交流はできませんし、布教活動があるとしたら、他者浄霊をして、エネルギーと効果を体感してもらう以外にありません、感じない人には、力不足ですみませんって言うだけですよ。
神の教えてなんて無いんですよね、言葉では伝えきれないのが本当です。
天理教で言うなら、最初にお助けして、結果が出れば、布教できるし信者も増えるでしょうって事ですね、毎回お助け受けてエネルギーを感じられたら、教会にお布施も集まると思いますよね、過去は、それで教団は大きくなった訳ですから。
天理教の本分、本領は、教えとお助けの両輪であって、良いお話、セミナーとかでは無いと思ってます。
良いお話、考え方だけなら、別に神も要らないし、お布施も要らないでしょう。
長々と、どうもすみません、そう思っています。
この場に関係無い部分が多いです、すみません、スルーして下さい。
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、れんだいこさんに謝りなさい。
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、れんだいこさんに謝りなさい。
誰に言ってるのでしょうか?
東風Z 様ですか? 連投のお父さんは、れんだいこ氏には、関わっていませんね。
まあ、お子様を除けば、お父さんは、ほぼ部外者ですから、無視で良いでしょう。
東風Z さんも、以前、れんだいこさんの件は、ちゃんと説明なさいましたよね?
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、みなさんに謝りなさい。
↑ 2:04PMの人
通りすがり様
謝りなさいはいかがですか?
れんだいこ様は謝罪を求めているのでしょうか?
わたしには分かりません。
貴方様がどんな御立場の方かわりませんが言葉の使い方かんがえてもと思います。
私の意見にご気分わるくなさったら申し訳ございません。
大道教の方から聞いた限りでは、現在の教典が出来るまでは、「我は天の将軍なり」であったと断言されています。二代さんが教典作成の際に「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり、この度、世界一列を助ける為に天降った。みきを神の社に貰い受けたい」と変えられたのか。
長滝村の中野市兵衛宅は今も子孫がご健在で、この子孫が言われるには、市兵衛は学僧であって祈祷師のようなことはしておらず、天理教の説明は困ったものだと憤慨されていたそうです。
又、寄加持の台の「そよ」なる人物も、勾田村の人別帳には記載が無かったとも語られています。
教典がねつ造か、あるいは、大道教信者の方の語りが作り話なのか。いずれにしても異論が出るような宗教は、まともに信仰しない方が得策でしょう。
勾田村の人別帳は天理大学附属図書館に寄贈されたが、今は存在しないというのも不思議な話です。教団にとっては都合の悪いものなのかもしれません。
とにかく、コピー機が無かった時代の話ですから、どうにでもなったことは確かですね。
余談ですが、一度、ある本を借りに、はるばる天理まで行ったところ、一片の紙片を渡されて所属教会長の印を貰って来いと追い返されました。
家に帰ってネットで中古本を探すと、300円で買うことが出来ました。このようなことがあるにも拘わらず、
勾田村の人別帳が無くなっているというのも解せない話です。
櫟本分署跡保存会ですら何とかして取り壊そうと画策する、すなわち、教祖の足跡を無きものにしようとする天理教本部の姿勢に疑問を感じない方がおかしくありませんか。
極端な話、教祖が立教宣言をしたのかも疑問だと思います。ただ単に人助けの活動を始めますという、家族に対しての決意表明だったのかもしれません。その根底にあるのは仏教の思想であったと思いますが、教祖は自分の救済活動を宗教とは認識していなかったのでは?宗教にしたかったのは、教祖を利用し利益を得たい者たちだったと思います。
>>櫟本分署跡保存会ですら何とかして取り壊そうと画策する、すなわち、教祖の足跡を無きものにしようとする天理教本部の姿勢に疑問を感じない方がおかしくありませんか。<<
若江の家なる意味の無い建築物を大事に温存し、天理教草創期の大切な遺産である櫟本分署跡を取り壊そうと画策するなんて、天理教教会本部はどう考えてもおかしいですね。おっしゃる通り、教祖の足跡を無きものにしたいのでしょう。
若江の家なる意味の無い建築物を大事に温存し、天理教草創期の大切な遺産である櫟本分署跡を取り壊そうと画策するなんて、天理教教会本部はどう考えてもおかしいですね。おっしゃる通り教祖の足跡を無きものにしたいのでしょう。<
全くの同感です。若かりし頃、教祖最後のご苦労の場所を見てみたいと、素朴な発言をした時、上の教会関係者から蔑まれるような目で制止されました。「あんなところに行くんじゃない」と言いました。ー信者なら見てみたいと思うのが心情ですが、「あんな所」と言った意味が近年判ったのです。今は亡き八島先生の拠点のような所なんですね。
天理教行事で史跡巡りがありますが、教祖最後のご苦労場所、櫟本分署へ案内される事が絶対に無かった。その意味が今頃わかります。
本部のやる事は、損得、駆け引きばかりで、三島神社埋め立て含めて教祖は良いところどりのー商売道具でしか無いのでしょう。教祖の嘆きが現在の天理教の瓦解、消滅の実態を表しています。
3000箇所とも4000箇所とも言われる整理教会の存在。新年号の天理時報も金の話で始まりました。「値を持って実を買え」と。読んでいけば「値」とはつまり金である、と言う意味合いが読み取れ、こうして洗脳信者を益々惑わすのです。
天理教、これで凋落の勢いは益々加速されるでしょう。金、金ともっと叫べとそう思う。沈没の最後の姿を見届けたい。
逸話編二 お言葉のある毎に より
天保九年十月の立教の時、当時十四才と八才であったおまさ、おきみの二人は、・・・「私達は、お言葉のある毎に、余りの怖さに、頭から布団をかぶり、互いに抱き付いてふるえていました。」と・・・
つまり、教祖の神憑りは中山家の家の中で起きたということでしょうか。稿本天理教教祖伝には、寄加持の準備段階から詳しく書かれています。(かかった費用まで書いてあるのは話にリアリティをもたせるためか?)
しかし、天理教ウィキペディアによると、
1838年(天保9年)12月12日(陰暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて中山みき(40歳)に「天理王命」が憑依し、天理教が発祥。・・・とあります。
また天理市の三島神社で検索して調べてみると、「天理教の教祖・中山みきが天啓を受けたことで知られる三島神社。本来の天理教のおぢばがえりはこの場所なのかもしれない」という解説もあったりします。
もしも、これが事実ならば、中山家が何が何でも三島神社を遠くへ移転させたかった理由が、わかるような気がします。
「この屋敷にいんねんあり」とは中山家が神の一族となるための重要な意味を持っており、まちがっても他の宗派や場所で教祖の神憑りが起きたのではマズいのでしょう。
もっとも、明治以降「天理王命」という神名を捏造し、天皇を神と祀る教団だったころは関係なかったかも。それが時代の変化によって、いまさら「教祖存命の理」などと、よくもまあ、いけしゃあしゃあと・・・。
教祖に心酔して入信した筈の有名なヤクザ、平野楢造など、コロッと信念を曲げて天皇こそが神である、天皇に無礼のある者は出てこい、などど言い、本部諸共「天皇こそが神」と政府におもねる姿勢を取っていたくせに、誠、いけしゃあと教祖を利用し「存命の理」などとコロッと話を変えてよく言うものだ。
だから天理教は創立以来の長の年月、折々に七変化してきた信用出来ない代物なのです。
ウィキペディアのパロディであるはずの、天理教アンサイクロペディアのほうに所々、真実が書かれているように感じてしまうのは、私だけでしょうか?「教祖ゾンビの理」なんてうますぎ。不謹慎ですみません。
子どもの頃、1月1日の元旦祭が終わり、一息ついた翌日の1月2日に家族で教会本部に参拝するのが我が家の恒例行事でした。その頃は、神殿や天理本通は参拝者で溢れかえっていました。ところが、今は正月といえども、神殿も天理本通も閑散としています。昔の状況が嘘のようです。天理教の信者が激減してしまったことが、はっきりと分かります。今年の初詣は、妻と二人で理不尽に移転させられた三島神社と由緒ある石上神宮に参拝する予定です。教会本部には参拝しません。
参考意見 様
2019年12月27日 4:56 PM
>>ウィキペディアのパロディであるはずの、天理教アンサイクロペディアのほうに所々、真実が書かれているように感じてしまうのは、私だけでしょうか?「教祖ゾンビの理」なんてうますぎ。不謹慎ですみません。<<
天理教アンサイクロペディアを誰が書かれているのか存じませんが、私も、かねてからそう感じています。
また一組のカップルが天理教の末端教会をあずかることの重圧によって不幸になりました。
なぜ末端の教会の後継者に嫁が来ないのか、
本部、大教会、上級のセレブと勘違いしている人間どもは、
以下のKさんのツイートを読んでよくよく考えていただきたい!!
あなた方のセレブな生活の陰で、多くの人たちが不幸に陥っているんですよ!!
↓
K @8_noir_8 さんの12月15日の 一連のツイートより
天理教関係でフォローしてくださっている方がいるのでご報告。
さっき彼氏に、好きだけど「天理教の教会長の嫁」にはなれないと伝えた。この歳でこんな話をLINEでするのは良くないと思いつつ、今日会う予定がドタキャンされ、年内は会うタイミングなく、電話もあまり取らない人なのでやむなくLINEで。
今後、天理教と結婚について悩み、私と同様の悩みを持ってここに辿り着く方がいるかもなのと、色んな人に色んな事を教わったので、何をどう考えてその決断をしたのか書いてみます。不快な思いをする方もいるかも、その場合は無視(ブロック)してください。
一番の理由は、私はこの10年くらいの人生を捨てるレベルで、仕事、友達、地元、両親(他に親の面倒見れる兄弟は無し)を捨てることになるけれど、彼には「親や信者さんの期待に応えることが大事」で、「宗教関連のトラブルに関しては、私の味方になるとは言えない」と言われたこと。
ここで前提として、彼家は天理教の末端教会であることを補足する。信者さんは祖父母世代の高齢信者数名、彼らのお布施は月に3-4万程度。彼両親は働いておらず、国民年金は満額受給不可、生活費は世帯を共にする彼両親の兄弟が援助している状況。つまり、教会長継ぐには、将来の金銭的リスクが高い
二番目の理由はお金。教会長するにはフルタイム不可になるらしく、私側がガッツリ働いて稼ぐことを提案、それ故に土日は休むことと家族のために時間を使いたく、宗教活動は難しいだろうと話すと、天理教は夫婦で活動すべきものだからと難色を示された。平日仕事して土日は宗教事して、私いつ休むの?
彼にはお金ばかり心配して、と言われたが、自分達の生活費、子どもができたら養育費、宗教関連費、彼両親の老後にかかる費用、どう捻出するのか考えるほどに不安しかなく。 添付※ は概算だが、頼りの信者さんも彼両親の兄弟も、あと数十年で生物学的にいなくなる。どう生きていけば良いのか見えなかった
※添付
https://twitter.com/8_noir_8/status/1206073121368707072/photo/1
今までの人生を捨て、彼のいる生活を選んだところで、私には理解できない部分が多い天理教に対して熱心にはなれず、それでトラブルが起きたとしても彼は私の味方になってくれない可能性が示されている怖さ。一般家庭以上の出費に一般家庭未満となる収入が予測されているが、彼一家は「なんとかなる」と謎の楽観視をしている怖さ。必死の努力せずとも神様が良いようにしてくれる、と現状を正しく認識できていない様子に見える怖さ。私はどうしても現実的に考えてしまうので、それらの将来不安を受け入れられなかった。
三番目に親のこと。彼側は、実家近くに住む他の兄弟がいるが、私の両親には私しかいない。私の父親は60過ぎている今も仕事していて、現在も10日くらい出張中。この歳になってもなお仕事して、今まで家族を支えてくれた自分の親を見放して、今まで働いてこなかった彼親のために稼いで、介護できるか?
自分の親よりも優先して面倒見れるか?と考えてみたときの答えは「No」だった。今まで家族のために頑張ってきてくれた親の老後が孤独って嫌だと思ったし、正直なところ、彼親が厚生年金全くないどころか、国民年金も満額貰えない生活をしてきたのは、私の生きてきた世界と違いすぎて怖いと思った。
彼のことは本当に好きだったので、この半年ほどずっと悩み、私側の考えを変えられないかとも悩んでいたけど、今までブラック企業で頑張ってきて、ようやく掴んだまともな会社での仕事や安定した生活を捨ててまで、友達や親を捨ててまで、苦労が見える生活に飛び込む勇気はどうしても出せなかった。
とどのつまり私は、彼への愛よりも安定した生活、つまりお金や自身の平穏さを選択したことになる。所詮その程度しか愛していなかったと言われればそれまでだし、そうなのだろう。もし彼や彼実家に、働かずとも、老後も安定した生活を送れるような資産があったならば、結婚していたかもしれないし。
今回、天理教信者ではない私が、天理教の後継者問題にぶち当たって感じたのは、たぶんに一般信者よりも信仰と近いところにいるが故の、漠然とした「なんとかなる」思想の怖さ。深く考えない、確認しない、正しく現状認識しないのは、個人の性格もあるだろうけれど、そういう家庭内教育の連鎖があり
就学や人付き合いも天理教で囲われ、世間一般的な考え方や教外の社会に触れる機会が少なく、そのようにして世代を紡いだとして世の大半は天理教ではないので、「茹でガエル」よろしく、じわじわと湯温が上がってることに気付けず、後世ほどに問題が大きくなり破綻を起こすんじゃないかなぁと感じた。
なお私の彼氏に関しては、散々にお金の話をした中で、少なくとも彼一人であれば、他の兄弟と協力しあうことでそんなに不自由なく過ごせるだろうと思えたのも「やりきった」と別れる決心に繋がった。なお寝ているのか、今のところLINEの既読は付いていない、、、。
さっき彼氏から電話があって2時間くらい喋った。別れ話しながら、お互いに好きだと再確認して、でも人生の目的とするものが違うから別れないとねという話や、思い出話などもして。ダメもとで、私の方が稼ぎがいいし今後の年収も増える予想なのでうちに嫁ぎにおいで!と言ってみたけどダメでした。笑
先の投稿では沢山のコメントありがとうございました。信者が少なかろうと、生活が厳しかろうと、教会の家に長男で生まれたならば教会を継がなければならない、なんていう身分制度が改まってくれることを願いつつ、私の天理教関係の投稿は以上になると思います。
彼氏にも言ったことだけど、教会の家の子だろうとも、親や信者さんの期待を大切にするのも良いけど、自分の人生、自分が何をしたいか、自分が楽しい人生を送るということ、自分を大切にしていただきたい。Twitter民の皆様にはお世話になりました。沢山の情報をいただき本当にありがとうございました。
東風Zさま
あなたの言っている事は八島が捏造改竄したものです。こんな事を本気にしているなんて、気の毒でもあり、哀れです。あなたは真柱発言の捏造の時もそうでしたが、自分で調べるのではなく、人の話を鵜呑みにしている無責任な人間なのです。そのうち貴方は次のように言うに決まってます。
俺は知らねえよ!八島に聞け!
匿名 様
12月27日
> 彼一家は「なんとかなる」と謎の楽観視をしている怖さ。必死の努力せずとも神様が良いようにしてくれる、・・・
こういう考え方をしている人達の元中に入り込んだら、あなたは、たちまち四面楚歌の憂き目を味わうことになるでしょう。人は、何よりも先ず、田を耕してパンを得なければなりません。それで、
> ようやく掴んだまともな会社での仕事や安定した生活を捨ててまで、友達や親を捨ててまで、苦労が見える生活に飛び込む勇気はどうしても出せなかった。
これで、正解だったと思います。
・・こんなところに、天理教が今抱えている問題もあると思いますが・・エラソウなことを言ってすみません。
本日大教会長よりお話しがありました。
親の心配事、大教会普請に全てを出し切ってこそ、真の親孝行である。
とのことでした。しかし、部内教会の事情に対しては。
自教会の事は自分達で解決してもらわないと困る。
そんな親に誰が従うのか?
年の瀬に大きな不足をしてしまいました。
分離大教会の関係者が出直した。名前も顔も知らないし会ったこともない。玉串料として各教会○○○円持ってこいとのこと。何十年も前に分離したところの大教会なんぞ知ったことではない。部内教会はATMではない。なんでも部内に頼るな。玉串料ぐらい大教会長が払えばいい。セコイ大教会長はいつまでもヒルの如く吸い付いてくる。部内教会は必死で剥がそうと苦悶する。吸い尽くすまで離れない。別れましょう大教会から消えましょう大教会から。カースト制より酷い階級組織はいずれ消えて無くなるだろう。
ある方のツイッターより。
>>様々な身上事情からのたすかりを願って、万感の思いでかぐらづとめを拝している信者も大勢いる中、ちょとはなしのちゃんぽんを間違えて、何が本部員でしょうか。
何がつとめ人衆でしょうか。
呆れてモノが言えない。<<
昨日の本年最後の本部かぐら勤めのちゃんぽんが、正にチャランポランで間違えて2度も拍子木とかぶっていたそうです。
こんな程度の勤めしか出来ない本部員に何も言う資格はありません!真柱は、こう言う実態に対して、当事者達に緊張感を持つ様きつく指導すべきです。
鏡屋敷の曇りは世の曇りと言う。しっかりして貰いたい。高給取りの茹でガエルよ。自分達は守られていて安泰だから、必死に祈りを捧げる信者を前にしても緩み切っているんだろうな?
こんな緩んだ馬鹿を背後から拝している我々もいい加減にしていれば良いのだ。
皆、無理して遠方から来ている筈なのに本部参拝の有り難みが消えた!!
色々な大教会のことがこの掲示板に出るけど、どこの大教会なのか言わないのはみんな自分のところを守りたいという思いもあるのではないか。本当に大教会のことを不足してるのであれば、包み隠さずどこどこ大教会長と言えばいいのに。言えないんだなぁ。
私が、「道の80年、松村吉太郎 著」 を借りて読んだ印象では、詳しい事はうろ覚えなので、すみません、大雑把な話で勘違いもあるかもしれませんけど。
当時の教団本部は、常々、本席様、(親神様)の意向を確認していた
本部員も、親神様を、畏怖していたと言う印象を持ちます。
松村氏自身も、身上で死にかけており、神様にお詫びをして、心定めをしたと言うお話もあり、常に神様を意識されている印象でした。
茨木氏に、天啓が出た時も、天啓自体を否定せず、教団の為に困ると言う問答が書いてあった。
公認活動も、親神様は、賛成してくれないけど、とにかく、親神様に、お願いしようと言う話
公認のため、教団として運営する為に、教義を編纂して、学校を作り、布教師を養成しなければならないと言う話、この辺りが、応報の理の始まり?
教義を編纂する為に、外から学者を入れて作ったと言う話
日本の人口の半分をお助け人にしなければならないと言う野望
戦後、宗教が自由になってからは、おぢばの神殿に、神が不在になってはならない、教団幹部自ら、神殿奉仕に出て、神を取り次ぐべきであるとか、でした。
松村氏の著書を読んだ限りでは、親神様の意向を、ずいぶんと気にしてると思いましたし、神への強い決意と言うのは、何度もありました。
当時の教団幹部は、本席様、親神様を怖れていた様にも感じます。 だから、ナライト様が不安定で、天啓者として不十分であったのを都合良く引退させて、その他の天啓者も、異端として、封じる事で、教団運営が人間の都合だけで出来る様になり、やれやれ・・とみんな思ったのかも? と言う印象を持っています。
松村氏自身、神の存在を信じて畏怖は持っていたと感じます。
教祖様、本席様の、神の天啓を信じて、怖れてもいたと言う印象ですかね。
劇画、中山みき、とは違う印象ですかね。
自伝なので、何が本当かは、判りませんが・・
個人的な見解であり、ここでは興味の無いお話ですから、読み流して下さい。
教祖様が、神憑りになった時、子供たちが怖がったと言う逸話が、本当なら
天降りですか、一時的に人格を渡して、口伝する霊言タイプですね。
意識して、渡すのと、無自覚に乗っ取られるのとありますけどね、呼び名がいろいろあった、安定しない、痛みなどの症状で戒めを与えるなら、神レベルでは無い強い心霊と言う印象です。ただ心霊も進化向上して行きますので、変わってきます。
関根豊松氏は、自らの意思で、神の力を取りに行ける、持ってるものに、祈りを込められると言う点で、教祖様の時より、神の方も関根氏も進化している。
大徳寺さんは、教祖様の霊体を、降ろして口伝している、親神様が降りてる訳では無く教祖様なら、過去の教祖と同じパターンに入ってる。
これらの事から、私的には、前にも書きましたが、教祖に降りたのは、大和の古代人の霊体の印象であり、平成の今は、信者のお助けなどから、進化され、人に直接降りてくる事は無いレベルに達しており、教団のあり方に嘆いてはおられても、捨て置かれておられるが、信者の願いは聞いておられると言う、印象ですかね
この辺りは、私の持つ、大霊界世界観に一致するんですよね。
まあ、天理教者には、お笑いでしょうから、捨て置いて下さい、ただ、世の中には、そう言う信仰や宗教も存在しますからね、いろんな宗教があるので、自分の信じられる宗教を選んで、信仰したら良いと思います。
みんな自分にとっては、自分の信仰が唯一無二だと思ってますので、自由でしょう。
天理教に縛られてるのは、あくまで、この世のしがらみだと思いますので、組織を離れても、神様の戒めは無いでしょうし、組織を離れて親神様を信仰されたら良いんですよね。
その点では、今の教団の指し示す、親神様は存在しないのと同じだと感じます。
ただの、グレードサムシング、概念上の神様
もちろん、お供えと守護は関係無いと、私的には言い切れます。
>>本当に大教会のことを不足してるのであれば、包み隠さずどこどこ大教会長と言えばいいのに。言えないんだなぁ。<<
実態の告発は匿名では出来ても、やはり自分に不利益が降って来るような事は出来ません。狭い世界ですから袋叩きに会うでしょう。現状を変えたいと思う人の世間に向けてのせめてもの告発だと思います。
大教会集会などでも、皆表向きは「頑張ります」とその場をしのいでいますが、一度個人に戻るとそれぞれ一人ひとりは内面に不満を抱えています。言わないだけです。
だから表に出ない不満がくすぶっていて特に若い世代の現状不満と教団未来への不安が渦巻いています。個人で寄り合うと不満、不安の話ばかりです。
教会後継者などは、立場上逃げられないから上にあからさまな不満は言えないし、だからひそひそ話の不満大会になるのです。
固有名詞は出さないまでも実態の公表は内外の意識改革には必要な気がします。
教会本部「これからは人も金も減っていくし、建物も老朽化していくから大変だけど、食わせていかないといけない人間がいるから維持に努めるから、末端の方々には諦めずに頑張ってもらいたい。」
大教会「各教会単位でにをいがけとおたすけに励み、教会を盛り上げ、上級と本部に信者とお供えを連れて足を運び、ひのきしんに励み、報恩、感謝の心で日々を通る。そうすれば明るい未来が拓けてくる。」
分教会「お前らも頑張れよ。」
教祖「やはり教会はいらなかったんや。講でよかったんやないか…?もう話せへんからしゃあないなー」
信者「あかん、今の時代に合わへんわ」
こんな感じですか?
>>教祖「やはり教会はいらなかったんや。講でよかったんやないか…?もう話せへんからしゃあないなー」<<
教祖「教会も講もいらなかったんや。全部白紙に戻す時が来たんや。」
通りすがり 様
世の中は、いろいろな考え方や思いの人達が居られていいんじゃないですか。暴力を肯定される方は別ですがね。ですから、通りすがり様は通りすがり様の生き方をされればいいんじゃないですか。
人は、それ以上でも、それ以下でもないんですから。要するに、人は神や仏ではありませんから。
神や仏となりますと、どうしても上から目線になりがちですから、そのようなものをバックに持ちたくないんです。普通に生きれば、偉ぶることもなく、卑下することもなくなりました。
終戦の後、GHQがもっと詳しく調べてくれたら良かったのに。ニュルンベルク裁判の場合、その後の継続裁判でナチスに協力した司法関係者、医者、教育関係者、宗教家なども訴追されています。そうすれば、こんな非人道的な組織は、早くに無くなっていたかもしれません。残念!
道具衆とその周辺の魂達が(進化の先頭付近にある魂達が)心の成人をされて、天啓を受けながら永遠のたすけ一条をつとめてゆく処が、お地場のお屋敷なのだし、その天啓者の中に人類の棟梁になりえる、神格者、神の化身の様な人物達も複数現れる。という教え。
善亮君も八島のおじさんも頓珍漢なのだが、病まず死なず弱らずの雛形を実現していない、分派も含めた天理系の偉いさん方も、なんだかな~ って感じですね。
感謝、喜び、優しさ、朝起き、正直、働き、創造性、向上心、謙虚さ、を培いながら、未来に現れる本来のお地場の姿を想像しながら、今のところは、自他共の健康長寿安全繁栄を祈りながら、独り陽気暮らしを深めてゆくだけなのかな~。
大掃除の後、大輔君の子供の世代にはおやさま級の神々しい神人達がお地場で御用を勤めておられるんだろうな~。
参考意見 様
2019年12月28日 12:01 PM
>>終戦の後、GHQがもっと詳しく調べてくれたら良かったのに。ニュルンベルク裁判の場合、その後の継続裁判でナチスに協力した司法関係者、医者、教育関係者、宗教家なども訴追されています。そうすれば、こんな非人道的な組織は、早くに無くなっていたかもしれません。残念!<<
当時、天理教は神道の仮面を被っていたので、天皇制と同様にGHQは温存したのでしょう。あるいは奈良県の片田舎の新興宗教など眼中にも無かったのかもしれません。
神風特攻隊のような尋常でないものを見てきたアメリカは、当時の日本人の精神状態を考慮し、もしも天皇を断罪するようなことがあれば日本国民総自決の可能性もあると考えたのかもしれません。中山家が未来を予想していたわけではないけれど、神道様式でのスタートは大正解だったわけですね。今となっては日本の政府も、かつて持ちつ持たれつの関係だった天理教が、少々おかしな宗教でも追及しにくいかもしれません。
非人道的と切って捨てるような発言はおかしいと思います。
真実誠の心で頑張っておられる方々に、その言い方はよくないと思います。
参考意見
2019年12月28日 4:05 PM
>>神風特攻隊のような尋常でないものを見てきたアメリカは、当時の日本人の精神状態を考慮し、もしも天皇を断罪するようなことがあれば日本国民総自決の可能性もあると考えたのかもしれません。中山家が未来を予想していたわけではないけれど、神道様式でのスタートは大正解だったわけですね。今となっては日本の政府も、かつて持ちつ持たれつの関係だった天理教が、少々おかしな宗教でも追及しにくいかもしれません。<<
GHQは、日本の西側に中国やソ連という共産主義の超大国がいたので、日本が共産主義化、社会主義化するのを極端に恐れていたはずです。また、そういう状況下にあって、アメリカ合衆国は当然のこととして、日本に軍事基地を置きたかったはずです。日本が左翼下し、社会主義や共産主義国家になることは、アメリカ合衆国にとって、大変、都合が悪かったのです。それ故に、GHQ総司令官マッカーサー(米国人)は、天皇制や神道を温存したのです。その結果として、日本列島にアメリカ軍の軍地基地が置かれることになり、特に沖縄には米軍基地が集中する結果になりました。現在もその状態は続いています。日米安保条約締結後も沖縄は依然としてアメリカ合衆国の領土であり、沖縄がようやく日本に返還されたのは昭和47年(戦後27年)のことでした。そうした歴史的背景を基に、今の天理教という宗教(?)を考えてみるのは重要なことだと思います。
匿名 様
2019年12月28日 5:48 PM
>>非人道的と切って捨てるような発言はおかしいと思います。
真実誠の心で頑張っておられる方々に、その言い方はよくないと思います。<<
確かにそうだと思いますが、「天理教的誠真実の心」というものは、大変、くせものです。何が真に誠真実かということは、過去の歴史的背景や現実を十分研究し、認識したうえで判断するべきものだと思います。
なるほど、アメリカには重要な損得勘定があって、ただ日本人を心配してくれたわけではないみたいですね。確かに子供の頃、あさま山荘事件など連合赤軍による事件のニュースを何度も見たものです。日本の共産主義化、社会主義化を望む者たちもいたのでしょうが、あまり国民の共感を得ることはできなかったようです。
時は流れ、本家ソビエトは崩壊し、中国も社会主義の皮を被った資本主義の帝国になりはてた現在、日本は様々な問題を抱えながらも民主主義の法治国家という形態を保てているほうだと思います。自由競争、能力主義による格差はあれど、福祉その他の制度によって、人として生きる権利を保障しようとしている。
しかし天理教という組織の中はどうでしょうか?まるで江戸時代のような封建的階級制度、北朝鮮のような権力の世襲制、貧困の奨励、強者による弱者からの一方的搾取、信教の自由も認めない。これほど人道的ではない組織の中にあっては、真実誠の心で頑張っておられる方々とやらがいたとしても、それは組織の維持と自分の保身のためであり、自己満足な行為にしかならないと思います。まあ教団擁護派の人とは1000年かかっても接点は見いだせないと確信しているので、議論する気もありませんが。
ところで子供の頃よく聞いた「赤の他人」とは、昔は共産主義者は家族からも絶縁されたことからきた言葉かと思っていたら、どうも違ったようです。ネットで調べても、よくわかりません。
以下の大教会長の言動は、もはや反社会勢力の人間にしか思えません。
大教会長や上級のパワハラの被害にくるしんでいる末端、信者の皆さん、
発言の証拠として録音をしておきしましょう。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
一れつ会を金で返していくと大教会長 に言った時の返事が
「お前、伏せ込みせえへん気か?そんな んしてみ?お前の弟の一れつ会止めた るからな。
扶育続けて欲しかったら、 黙って言うこと聞け。
俺は大教会で一 番偉いんやぞ!?」
と怒鳴られました。
>>「お前、伏せ込みせえへん気か?そんな んしてみ?お前の弟の一れつ会止めた るからな。
扶育続けて欲しかったら、 黙って言うこと聞け。
俺は大教会で一 番偉いんやぞ!?」 <<
以上の言葉はパワハラの次元を超え、日本国憲法で保障された「教育を受ける権利」の侵害、「恐喝罪」になると思います。宗教者の発する言葉ではありません。
教団内のヒエラルキーが固定され、上に立つ人から、パワハラを受ける。
そこには信仰心による、愛も、精神的向上も無い様なお話ばかり。
神を信じる恩恵よりも、権威として使われるだけの親神様
社会を良い方向に変えていくと言う目的があるのに、形骸化してる。
教祖様の目指した教えの世界はどこにもありはしない様に見える。
普通に仕事しながら、信仰して、ストレス無く、自身に神の愛が感じられ
守護が感じられ、感謝の想いで生きられる宗教の方がいいでしょう?
日本人には、選択の自由があります。
宗教も玉石混交ですが、いろいろあります。
もう、それ、辞めたら?
普通に、勤めて、働きながら、お助けしたら?
その方が、スッキリするんじゃない?
来年あたりから、教会の整理などで訴訟など起きることもあるかと思います。裁判を経験するかもしれない人々のために、裁判においてNGな言葉を一つ。
相手の主張に対して
「それは確かにそうであるが」
は、いけません。相手に更なる主張展開のチャンスを与えてしまいます。はっきりと
「それは違います」
と言えるように心がけましょう。
この掲示板では、まだ解決していない事が三つあります
➀真柱発言の捏造
➁教祖殿の捏造
➂天理高等学校第二部が卑下された
これから私が一つひとつここで取り上げますので、皆さまのご意見をお聞かせ下さい。
教祖殿⇒教祖伝 訂正します。
その内容は明治16年に雨ごいづとめが行われた際、模型の甘露台を使用したと、この掲示板に書き込みがありましたが、この模型の甘露台とはどんな模型かという問題です。御存じの方、よろしくお願い申し上げます。
いちれつ会から学費が出ていて、数年ふせこむことでその学費は払わなくても良い。いちれつ会を利用させていただいたことはありませんが、ようぼくですが、学費の対価としては私はなるほどの仕組みだと思っています。
もしもいちれつ会の制度がなかったら困る方々もおられるはずです。
学費というものは、意外と非常に高額です。人生をかけて自分で払っていくとおっしゃいますが、今社会で働きながら実際に入手出来る収入は思いの他少ないです。その収入の中、高額な学費を支払っていくことになります。成績が優秀でも進学出来ない無宗教の一般御家庭は多くあるし、全部の学費を借りて自分が払う形で進学する無宗教の一般御家庭もあります。
私はいちれつ会の存続の一部になるならばとお思い、お供えしています。
働きながらお助け、充分に出来るものではありません。ひのきしんなど出来る範囲でさせていただきますが、休みに物理的に休息も必要で充分なお助けの時間はなかなか取れません。
働きながらのお助けは当然時間を限定されますし、体を酷使することになります。
私は本来はやはり信者が支え、教会の方々が充分なお助けの時間を持てるように支える力を強くすることが必要だと思っています。
私達信者に出来ることは布教所や教会を支え、お助けをされる方々を支えることだと思っています。
ふせこむ中で学ぶことは社会に出ても生きると思います。ふせこみをさせていただいたことはありません。なので偉そうに言えません。しかし、現代社会のゆがみに気がついて、そこでバーンアウトする前に、しっかりふせこんで学ぶべきことを学ぶことはこの先の人生で生きていくと、私は思います。
子供のお話
息子が帰省して来た、盆と年末は、真柱様からのお与えが一月分でるんですね、中山って書いた寸志封筒に入っています。
天理大学と専修科に進む生徒は、3割以上かな、天理大学を出て一般企業就職とか、目指す生徒は優秀な方らしい。 専修科は、教会子弟位で、一般は行かないとか。
そのまま、おぢば勤務者とかも居る。地元帰って就職とか専門学校とかも、多数。
もう一人前の天理教者、お勤めもなんでも一通りできるみたいですね。
教高学園でも、iPad等の所持は公認、そうじゃなくても、大概、隠れてスマホ持っています。
子供達はネット情報を自由に得ている様です。
檪本分署跡保存会の存在も八島氏の事も知っていました。
大人にそれを聞くと、子供らは洗脳されやすい、八島は異端、檪本分署跡など行ってはならないとか、言われるそうですが、存在は知っています。
Twitterや、YouTube、インスタですね、それらで、教団の実態を、実話を、公表するのが、一番でしょう。
実話、経験談が、一番よろしいかと思いますよね。
社会学ブログ? 知らないって言ってました、ブログとかつまらないから見ないよって・・子供達は、そんなもんか、オッサンが多いかな (笑)
天理高校2部生のお話は当事者ですから、言っておきますが
天理高校2部生の子供達は、精神的にもしっかりしており、心配ご無用です。
ネットなどでも、情報を得ており、普通に一般社会に出たいと願う子は多いです。
私個人は、一列会にも、教団にも感謝しています、2部生は、普段のひのきしんから、卒業と共に、自由になる事ができますし、いろいろ仕事も経験させて頂き、感謝しています。
卒業生達は、心身共に、しっかりしており、決して柔ではありません。
天理教信徒も、教団に深く関わらなければ、困る事はありませんからね。
一般家庭の信徒の子供が、天理高校で学ぶ事は、なんら問題は無く、2部は、親の負担も少なく、高校教育を受けられる良い機会です。
実際、不景気な日本、夜間高校なのに、希望者が毎年増えていて、倍率が上がっています。
来年は1、5倍位になるかもしれません、つまり、50人位は、不合格になる。
だから、2部希望者が居なくなると言う指摘は、当てはまらないと、言っただけです。
某◯◯さんが、なかなか認めてくださらないので、しつこく、言わせていただきましたし、天理高校2部生は、しっかりした子達であり、決して教団の言いなりには、なったりしないと感じます。
◯◯氏の謝罪があったので、私個人は、それで結構です。
あとは御自由に願います。
どうしてこう言う低度の低い人間が上に立つのでしょう。車のドアも開けられない、閉められない。草履も自分で揃えられない。夫婦共に食べたものは食べ散らかし。酒は飲み散らかし。自分達の部屋のかたずけも側近の仕事。そう言えば大亮君も自分の部屋の片ずけは他人任せの様子が伝わって来ていますね。
ふんぞり返って、皆の衆に送り出される「馬鹿殿様」。また北海道のどこかの大教会長も本部準備の夕食を前に「本部はフランス料理、中華料理、和食。それぞれシェフを抱えていてな、食材も取り寄せられない物はないんだぜ。何でも揃う。本部は凄い所なんだぜ、、」みたいなニュアンスの事をノー天気な顔して言ってました。教会長就任の御招宴か何かの時だったかな、、?脳みそも一緒に茹で上がったタコの様に見えてしまいました。現状に危機感を持たない気の毒な緊張感のない人だなぁと思いました。さすが下から上がった他人のお金で食べている人の発想はこうなるか、、と思いました。
何食べさせられても、結局我々がなけなしの金の中から出したお金が原資であり、御招待とは聞こえは良いが、自分の金で食べてる様なものだと気分は良くなかった。
話があちこち脱線しましたが、上下組織の弊害です。中味のない馬鹿が大教会長となり牛耳る形相を見せているので、天理教に未来は無いと感じます。
理の親として畏敬の念、恐れを抱く対象は親神様と教祖だけの筈なのに、馬鹿に恐れを抱かなければならないこの現実はちょっと違う気がします。
いちれつ会
学修
災救隊
この三つが天理教の良心
北海道の大教会は、雨龍、網走、夕張の3つのうちのどこかですね。馬鹿な大教会の下にいるだけで辟易する。殿様気分でいられても困る。昇級に必要な50箇所部内もなく、せいぜい20箇所位しか部内がなくても大教会というのもおかしくないか?降格制度を作るべきだと思う。
みなさんが例を示して開陳された、天理教に対するみなさんの不満などは、一つ一つ真偽のほどを確かめなくても、「そういうことは起こりそうなことだ」とか「ありうることだ」とか思ってしまいます。だいたい、何でもその人にとって似つかわしいことが起こるものなんです。(逆に言うと、その人にとって似つかわしくないことは起こらないです、ハイ)
ここで不思議に思うことは、教団側のこうした矛盾、こうしたペテンとも言えそうな行為を神様はいつまでも放っておかれるのはどうしたことか?ということです。どうして、悪を懲(こ)らしめないのか?、天の法廷は休業中なのか?、はたまた、天の裁判官たちは居眠りをしているのか?・・etc
以前お聞きしたことがあるのですが、神様が(病気などを通して)ある人を注意をされたとします。注意を受けたその人がそれを悟って、「ああ、そうでした、私が悪ぅございました。改めます」とお詫びすれば、その人は許されるんだそうです。なぜなら、神様は親だから、だそうです。
かの人は自分の行った悪行に対する罪つぐないをしなくてもよいんだそうで・・
私はこれを聞いて、「神様は悪を見逃さず、悪を捕えてちゃんと懲らしめてほしい。この人のために苦しんだ人たちはたくさんいるんだろうから、そういう人たちにつぐないもしてあげてほしい」と思ったものですが。
まあ、神様のことですから、そこらへんのことは、ちゃんと辻褄(つじつま)をあわせていただいているんだろうと思いますが、神様の心には、人を懲らしめてやるという気持ちはないようです。
寛容で、心が広くて、何でも赦(ゆる)してしまわれるんですね。
とある教会の長男 @hinagata1798 さんのTwitter上のスクショより
はじめまして。僕はある天理教の教会に長男として生まれました。小さい頃からずっと「お道的優等生」であることを意識し続けてきて、いろんな選択をする際に一切自分の気持ちは表に出さずに天理一色になるよう心がけてきました。今思えば当時は洗脳状態だったため、「将来自分のやりたいこと(仕事や趣味)にかまけててはいけない。世間に出ずに本 部勤務などの伏せ込みをするんだ」と思っていました。天理高校に入学して以降、自分の教会の用事は言わずもがな、7、8分ほどの距 離にある大教会の用事にも限りなく参加しました。そのため、ほとんど遊んだ記憶はありません。6人兄弟の一番上なので僕がわがま まを言ったら下の子に示しがつかないという感覚もありました。
そんな調子で自分の人生設計を微塵もするこ となく流れ作業のように天理大学へと進み卒 業してしまいました。はっきり言って学生時代の思い出はほぼありません。追いかける夢を持てていなかったので空虚な時間でした。実はずっと心の隅には「やりたいことを見つけて仕事してお金をいっぱい稼いで普通の暮らしがしたいなぁ」と言う気持ちは正直少しあったんです。でも全て抑え込んできました。なぜそうしてきたのか。上記のように、自分からそう思っていたと僕は思い込んでいましたが、振り返るとそうではない部分もあ ったんです。
実は自教会が所属する大教会は大人たちに言 わせると “本来であれば 継いでいるはずの息 子さんがいます。しかし彼は自分のやりたいことを見つけ、就職をし、元旦祭以外は帰ってきません。そんな彼のことを大人たちが 「ええ年して教会のことほったらかして何をしとんのや。あんなようではあかんわ。」とネチネチ言ってるのを中学生の頃から耳にしていました。「会長も会長や。自分の息子には好き放題させといてなにが縦の伝道やねん。」と言うことも耳にしたことがあります。夢に向かって努力してそれを掴んで立派 に生きているのになんでこんな言われ方をするんでしょう?それを聞いた僕が、自分が夢を追いかけてしまったら僕はもちろん親まで そんなふうに陰で言われてしまう。そんなこ とは耐えられない。となってしまったのは自 明です。 たしかに大教会長は自分の子どもには何も言 ってないくせに、僕や他の教会子弟には、こ とあるごとに「おぢばの学校で学ばせてもら いなさい」とか「伏せ込みが何よりも大事だ」などと言っていました。
それが変だと気づいたのは大学3年になった 頃です。同級生や地元の友達が実習に行った り、就活をしたり、すでに就職してる話がたくさん目に耳に入ってきて、自分との差に気づいたのです。「自分の意思で進学先を選 び、高校の頃から夢に向かって勉強に勤しんでいたら、就職して社会人として立派に生きていけるのかもしれない」という現実がちらついたのです。もちろん簡単に仕事につけるとは思っていませんが、他のみんなと同じようにチャンスはあったはずだと思います。しかし、洗脳というものは怖いもので、そんな状態になっても「いややっぱりダメだ」と言 ってしまう自分がいました。 自分で言うことではありませんが、僕は中学 の頃、塾へ行かずとも(教会にそんなお金は当然ありません)学年で常に1位か2位の成績で、県内トップの公立高校にも普通に受かるぐらい勉強はできました。先生からもかなり説得されました。でも上記のことから天理高校を「無意味に選び、進学しました。高校時代も2 類生を含めてもトップクラスに位置していましたが、また無意味に天理大学を選びました。そして、就活を一度もすることなく卒業してしまいました。しかし心の中に「このまま本部勤務を始めてしまったらもう本当に後 戻りができなくなる。」という意識があった ので、なんとか避けて今は夜勤のアルバイト をしています。今は周りの大人に何を言われ ようが構わないと思っています。それを理由 に自分のたった一度の人生を不意にするなん て情けないからです。 本当はもっと早く気づくべきでした。友だち は正規雇用でもうバリバリ働き家にもお金を入れ、自分の趣味にも使えるお金や時間があるのに僕はフリーターです。お金も少ないし 時間もありません。バイトの休みはほぼ教会の用事だからです。ちなみに大学は一れつ会 だったので毎月お金を返済しています。
新卒じゃないだけで就活が厳しい日本にあっ て、何の資格も持たないフリーターの僕はかなりディスアドバンテージを背負わされました。普通の人であれば夢を探し、努力していたはずの6、7年ほどが僕の場合0に近いのです。自分で選んだんやろと言われればそれまでかもしれません。だから余計に悔しいんです。自分に何度腹が立ったか分かりません。 何度も1人で泣きました。でもそうさせられていたことも事実なんです。
Twitterは別アカウントで以前からやっていま したが、たまたま流れてきた同じような悩み を抱える方のツイートを見つけ、自分だけじゃないんやと思いました。それでこのアカウントを作りました。いろんな方のお話を見たり聞いたりしたいですし、愚痴もいっぱい言 いたいです。
たしかに宗教自体はダメなものとは思いませ んけど、それを子どものうちから上から押し 付けるようにして自分の選択ができない状態 に追いやるのは本当に間違っていると思いま す。成人したときに自分で選ぶべきです。それが信仰だと思います。ただ普通に暮らす人 生を送りたかっただけなのに。そこに向けて 少しずつ努力していこうと思っています。 長々とすみませんでした。
tokumei 様
>➂天理高等学校第二部が卑下された<
このような投稿は有りましたか。
二部卒業生ですが、卑下をしたことはありません。言いたいことは意志を大切に理解して欲しいということです。行きたい学校があったにもかかわらず、二部に行って他人のメシを食って苦労してこいという会長の言い分がどうかと言っているだけです。
次に、詰所勤務中に感じた一例です。本部の月次祭後に、詰所で会長たちが車座になって酒を飲みながら赤ら顔で談笑するのは勝手です。
ただ、その中の一人の会長に呼ばれて行けば、この会長がおカネを投げてよこして、近鉄の切符を買って来いと言った態度はどうかという事です。本部参拝の帰途に買えばいいだけのことではないですか。
当時の輸送部切符売り場は本通りにあったから、寄り道をしなくても買えたでしょう。
詰所主任の命令ならば聞かなければなりませんが、全ての会長の命令を聞かなければならなという事になれば、100人以上の会長の命令をいちいち聞くことになりますよね。
二部の学校が嫌にはなりませんでしたが、合格していた公立夜間の電気科の勉強がしたかっただけのことです。同窓会にも何回も参加しました。楽しい思い出も、嫌な思い出も話し合いました。それは今も続いていますよ。卑下していれば、同窓会なんか参加しません。
父親様の息子様は幸せです。自分の思い通りに進むことがどんなに幸せかという事です。普通科か、工業科か、はたまた、高専か、高専にはコースがありますよ。自分の能力に応じて進むことが出来る事は最大の幸せです。私には、それすらなかっただけのことです。
何だか愚痴っぽくなりましたが、要は、自分の能力を知り、それに応じた道に進むことが出来るのは最大の喜びであるという事です。
終りに、81歳の現在多くの同窓生が出直しましたが、教会長さんの出直しが多過ぎるのです。生徒時代に問題児だった者の方が長生きをしているんです。私もその一人です。これをどのように感じるかです。会長職が大きなストレスとなっているんじゃないですか。そうとしか思えないのです。
陽気暮らしの天理教の名が泣きますよ。昨年、出直された同窓生の奥様は生涯を通じて怒った顔を見たことが無いと仰っていました。そのような温厚な会長さんが、何故80歳で出直しをされたかです。この方こそ、115歳まで生きて頂きたかったです。人生は無情です。天理教の思い通りには行きませんね。
二代さんの時代に、二部にゴルフキャディ養成コースがあったとは知りませんでした。奈良市内に有って二部の先生が出張して授業をしていたとも聞きました。その生徒を二代さんは連れまわしていたとも聞きました。二部同窓生で天理大学まで進学した者(大教会直轄教会長の嫡男)の言ったことですから嘘の話ではないでしょう。
この話は同窓会の場で聞いただけで情けなくなりました。幻滅以外の何ものでもないです。末端教会長さんたちは苦労を重ねておられるときに、二代さんはゴルフ三昧っだったなんて、聞いた人の中には二部を卑下する人が出てきてもおかしくないです。
とにかく、現行天理教はまともじゃないと感じている一人です。
ぶたまん様
>「神様は悪を見逃さず、悪を捕えてちゃんと懲らしめてほしい。この人のために苦しんだ人たちはたくさんいるんだろうから、そういう人たちにつぐないもしてあげてほしい」と思ったものですが。
まあ、神様のことですから、そこらへんのことは、ちゃんと辻褄(つじつま)をあわせていただいているんだろうと思いますが、神様の心には、人を懲らしめてやるという気持ちはないようです。
寛容で、心が広くて、何でも赦(ゆる)してしまわれるんですね。
そうでもないようですよ。本部の重鎮も次々と倒れ、お抱えの「憩いの家病院」には行かず、病室には仮名の名札を付けて別の病院に入っているそうです。
気の毒なものです。いくら名誉も地位もお金もあっても、惨めな晩年を送っていると聞きました。
「ちゃんと天理の信仰をしていれば間違いがないのに」と思います。
東風Z様
>二代さんの時代に、二部にゴルフキャディ養成コースがあったとは知りませんでした。奈良市内に有って二部の先生が出張して授業をしていたとも聞きました。その生徒を二代さんは連れまわしていたとも聞きました。二部同窓生で天理大学まで進学した者(大教会直轄教会長の嫡男)の言ったことですから嘘の話ではないでしょう
三代さんの時代までありましたよ。その頃は本部の先生が連れまわし、週刊誌にも問題を指摘され、その後、廃校になりました。
地獄耳様
> いくら名誉も地位もお金もあっても、惨めな晩年を送っていると聞きました。
やっぱりそうですか。私が知らなかっただけですね。これ、神様の辻褄合わせだと思いますが、ヘンな生き方をすると、こうした病が似つかわしくなってくるんでしょう。それで、自然現象のように、病がその人の体内に発生する、ってことですね。
> 「ちゃんと天理の信仰をしていれば間違いがないのに」と思います。
言えてます。紺屋(こうや)の白袴、医者の不養生。お気の毒です。
病と縁を切るために、世のため人のため、目いっぱい人に尽くして尽くして尽くす、人だすけする、という生き方に変えられたら、病と縁は切れると思うのですが・・
三日講習での作文に、自分の身上体験について「神罰」という言葉をつかったところ、担任の先生から天理教に「罰」というものは無いので「手入れ」か「手引き」に直すようにと言われました。なんだか言葉遊びみたいで釈然とせず、悪事に対して罰を与えないような神様では、なんか頼りにならないなんて思ってしまいました。
今思うに「神罰」があって一番困るのは、教団の上のほうの方々なのではないでしょうか。実際、私の周辺の大教会、上級教会でも多くの教会長が身上を患っています。特に多いのは癌と脳梗塞で、上のほうの人たちは生活習慣にもよるのでしょうが、末端で頑張ってきた会長さんでも、最後は癌というケースが少なくありません。それは一生懸命に頑張るということが、組織のための人集めと金集めになってしまって、結局罪を作ってしまっているからだと思います。
天理時報の元日号に、真柱の年始挨拶が出ていますが、本当のところ今どんな状態なのでしょう。緘口令でもしかれているのか、教会の月次祭でも全く話がありません。経験が無ければわからないと思いますが、脳梗塞って、末期がんのような痛みや苦しみこそ無いけれど、けっこう辛いものですよ。まあ、これまでのこと全てが嘘だったとカミングアウトでもしない限り、「たいしょくてんのみこと」のご守護さえ受けられないと思いますが。
「とある教会の長男さん」の様な悲劇は天理教内では当たり前にあると想像しています。周囲にもいます。
いい歳頃になっても経済力が無い、資格が無い、スキルが無い。ないないずくしで教団に時間とお金を捧げた結果です。
この「とある教会の長男さん」も今更ながらの後悔をしておられますね。失った時間はもう戻りませんが、早めに気がついただけ良かったです。知り合いの息子さんは青年勤めを終えて世間に放り出されても、その都度教会行事に駆り出されるのでコンビニアルバイト位しか仕事が無く、一生アルバイトで食いつなぐだけのものです。家庭を持つなんて夢のまた夢で、世界一幸せな夫婦になります、とにやけた事を言えるどこかの偉いさん一派への尽くし運びのお陰で、世界一惨めな人生を送る多くの若者達が心の片隅で心底泣いて涙を振り絞っているのです。気の毒でなりません。
将来のある若者達よ、こんな理不尽を黙って飲み込んでいてはいけません。
ツイッターより、
本部による捏造の数々。
小寒さん神名流しの捏造。(真相は秀司の博打の借金の尻拭い)
天理王命の神名の捏造。(この神名が存在し得ない時期に小かんが神名を流したと捏造。)
母屋とりこぼちの捏造話について。
以下
ざっくり言うと、嘉永六年(1853年)に神名流しをした事になってますが、事実としては小寒さん達が大阪に行ったのは二年後の安政二年で、何をしに大阪へ行ったのかと言うと秀司がヤクザがやっている米相場で負けて人質に取られてたので、その借金を返しに行ったと言うのが真相です。
午前3:26 · 2019年7月13日·Twitter for iPhone
た◯ー
@JsohF5
返信先:
◯◯さん
この借金が原因で、お屋敷の母屋取り毀になるんですけど、これも施したという嘘事にすり替えられてるんですよね。
肝心の神名もこの時は転(天)輪王で、天理王命又は天理大神の神名が出てくるのは明治18年の改正諭告に初めて出てきます。
故に、明治18年以前で天理の神名が出るのはありえません。
不用意な欲望にうながされて自由な生活をして、最後のつけは負わなくてよい、と考える人は、自分の生涯をうつろな夢に託しているも同じだ。
仲間に対して、または、自分に対して罪を犯すものは誰でも、その時点で自分に判決を言い渡しているのだ。
他人の目からはその罪を隠すことができよう。だが一切を記録する神々の目からは隠し通せない。
正義は冷酷な重みをもってこの世界を支配している。その運用がしばしば目には見えず、それが石造りの法廷にあるわけではなくても。
この世の法廷の裁きを免れた者も、神々が課する罰則から逃れることは決してできない。
冷酷で執念深い復讐の神ネメシス(ギリシャ神話、掟の女神)は、このような男を必ず危難におとしいれる。
以下の、おそらくご自身は未信者であろう方のツイートを見つけて本当に悲しくなった。
これだけネット上で「おつくしは命のつなぎ」なんて発言は偽教理であると警告されているのに
2000万もの大金を簡単にお供えしてしまうほど深刻に洗脳されている人がいるのかと…..。
もはや振り込め詐欺レベルで取り締まってほしい。
偽教理の洗脳とは恐ろしい。
教祖は銭金をたくさんお供えしろとは言っておりませんよ。
makuta @makuta69 さんのツイートより
年末にまさかの判明。
嫁の親が嫁の口座のお金を天理教に2000万お布施してたらしい..
しかも嫁の口座なのに、地域密着やからと言って本人の了承も取らずに下ろしてたと。。
切ないなぁ。、
昨年夏にはこんなツイートも。ということは義母+嫁で3500万お供えした可能性も!?
makuta @makuta69 さんの 2018年8月16日 のツイートより
天理教って奈良に住んでていい印象やったのに、義理のお母さんが1500万もお布施で取られたわ。
絶対にこのお金返ってこないやろなぁ..
6、7年前の事ですが、同じ系統のある信者さんが言ってました。事業している親が1000万円お供えしたと。自分の所属教会はうちの親でもってるとも言ってました。
大教会では自分の所属が一番の稼ぎ頭だと自慢げでしたね。
かの親御さんは資産を持っているので1000万円位は懐にはこたえなかったのでしょうし、1000万円でおかげがあるなら安いもんだと言った所でしょう。
こうして彼らにとっては端金かもしれないお金が楽々集まる実態も有るんですね。
心定めの◯◯◯◯万円達成できたと、大教会長から今年も伝達がありました。
一年間 教祖を崇め、その結果報告が数千万円の心定めの達成報告。
何円集めたではなく、何人の人を助けたか、その人助けの実態を詳細に披露し褒め讃えるべきではないのか。
こころ通りの神の守護.
未来によき守護を賜る心の道、まことの心とは何かを説き続けるのがお地場のお屋敷の役割。
このままでは、中山天理教は、短命や難病因縁を見せ続けるのではないか??
百年以上たっても、よき雛形を実現できない真逆の、マイナスのひな形が現れるのは、百年前からの本部人事の瑕疵からくるものだろう。
地獄耳 様
ご教示有り難うございました。そうでしたか。三代さんまでもがでは、もう終わりましたね。週刊誌等に書かれなければもっと、もっと続いていたのかもしれません。三代さんの若き頃、奥方に皇室の方をとの話が、やはり週刊誌に掲載されて沙汰止みになったとかの話も二部同窓会で聞きました。
天理教は何処を向いているのでしょうね。
参考意見 様
脳梗塞や心筋梗塞は、軽くても数種類の薬を飲み続けるようです。知り合いも一見は普通の状態のようですが、6種類の薬を毎食後服用しています。それでも、時間の経過とともに片方の手足が正常に機能しなくなってきています。医師に薬を辞めたいと言ったところ、トンコロだと言われて苦さっていました。
一度壊れた脳組織の部分は修復できないのですね。
また、癌は日本人の死因のトップになるとか。日本人の二人に一人が罹ると言われていますが、天理教的にはどのような諭しをするんでしょうね。
とある教会の長男 @hinagata1798 さんへ
何事も、遅きに失したとは思いませんよ。全国に公立の能力開発センターがあります。35歳を過ぎてからシーケンスを学ばれて工場の電気や機械の回路のメンテナンスをされています。福利厚生も完備していて65歳の定年後も70歳まで働けるそうです。
優秀な方とお見受けしますので、是非チャレンジしてください。教会関係者の多くは人のうわさはするけれど、困ったときに手を差し伸べることはありません。なぜならば、そのような力を持っていないからです。自ら自分の無力さをさらけ出しているからです。実力のある人ならば必ず手を差し伸べられるでしょう。芸能人のサンマさんはそのいい例です。サンマさんに助けられたとよく聞きますよね。
何か困ったことがあれば、因縁が出たとか、徳を食いつぶしたとか、まるで自分が神でもあるかのような発言ばかりするのです。
そのような人はうっちゃっとけばいいんです。
終りに、この一年大変勉強させて頂きました。皆様良いお年をお迎えください。
一度壊れた脳組織の部分は死滅して、二度と修復されることは無い。私が過去に、本やテレビから得た知識もそうでした。
だから自分が脳梗塞による視野狭窄で、ほとんどの視覚を失ったときは、正直なところ神も仏も無いと思ったものでした。光も感じない闇の世界、わずかに鍵穴から覗いたほどの視界が残っていたおかげで、なんとか家の中での生活はできましたが、人ごみの中を歩くことも恐ろしく、仕事も失うことになりました。テレビの画面も部分的にしか見えず、好きな映画を楽しむこともできません。左半身の麻痺は、ひどいときは体の中を無数の虫が這いまわっているようで、毎日が自殺への誘惑との戦いでしたが、それでも身上を勝手にお返しするわけにもいかず、毎日のおつとめで、一日も早く神様が迎えに来てくれるようにと祈っていました。
それが一年ほど過ぎた頃から少しずつ、本当に少しずつですが視野が拡がり始め、一年ほどかかって右半分の視界が戻ってきたのです。今では左半分も、光は感じるようになりました。私の場合、目というカメラは正常で、頭の中のテレビが故障しているということなのでしょう。左右どちらの目で見ても、写真の左半分にモザイクをかけたような世界なのですが、タブレットやパソコンくらいでなら、なんとか映画鑑賞もできるようになりました。
人間の脳は全てが使われておらず、必要に応じて回路が切り替えられた。そんなふうにも説明できるのかもしれません。しかし、それは医者にできたことではなく、やはり私は神様のおかげと考えたいと思います。ただし、まちがっても「天理王命」ではありませんが。
今後、どこまで回復できるのかはわかりません。私としては、麻痺による難儀や不自由には最後まで耐えぬくから、全てのご守護は「見る」ということに向けてもらえたらいいなと願っています。仕事を失ったぶん教会との関りが増え、それまで見えなかったものが見えるようにもなりました。それで、いろいろと調べるうちに、このサイトに行き当たりました。あのとき死んでいたら、真実を知ることも無かったと思います。神様は少々手荒にしてまで、私の目を覚まさせてくれたのでしょう。
今の私の願いは、かつての私のような天理病患者たちが一人でも多く真実に目覚め、解放されること。あと、できることなら人生最後の一週間でいいから、脳梗塞になる以前の視覚を戻してもらうことでしょう。そしたら、その一週間は好きな映画三昧で過ごすつもりです。
因みに、私は血液の状態改善、血管の拡大のための薬を3種類、一生飲まねばならないそうです。幸い、血圧低下の薬までは飲まずにすんでいますが。
中山家はいつ教団を出て行くんですか?「鐘の繋ぎは命を繋ぎ」とかアホな教えを述べて天理教をやってないんだから早く出て行ってください!おやさまも「法より神」とおっしゃったのに中山家は裁判がお好きなようでしかも敗訴連発惨敗(笑)なに考えてるんですか?これがまさに中山家が天理教を汚した確固たる証拠!追放有るのみ!
中山教は天理教の異端だ!用木よ!異端の中山教を許してはいけない!
最高裁判決 敗訴
http://www.wada-pat.jp/hanrei/hanrei-11.htm
中田善亮は集会員(選ばれた分教会長など)を追放し始めたようですね(笑)
古い元教会長
小耳にはさんだのですが、中田善亮表統領は、現天理教に対して意見を述べる集会員を首にしているそうだ。
それでは #天理教 に未来はない。善亮教になってしまう。
#天理教の改革を支持する
#お供えを減らすキャンペーン
#集会
#表統領
https://twitter.com/huruikyoukaityo/status/1124420914378989568
おつとめを手離してしまうのですか?
左が回復したのに。奇蹟は起こったのに。
手離さないでいただけませんか?
天理から帰省した息子と、スキーに行こうと思ったら雨だったから、映画を見に出かけた。
スターウォーズを4Dで見た、息子と2人で食事をして映画を見るのは久しぶりです。
出かける車の中で、いろいろ話もできました。
高校で、御筆先、お指図、みかぐらうた、良く学んでるみたいです。
親神様が、元始まりの神で無かろうと、天理王の命が、明治18年以降に名付けられた物であろうと、教祖伝や逸話が、創作に満ちていようとも・・
息子にとっては、とりあえず、どうでも良いそうです・・・・
お父さんは、御筆先やら、習ってもいないのだし、天理教には関わらなくて良いと思う、ほっとけば良いじゃん、だって・・・息子がそう言うなら、もう感知する必要も無いですよね。
息子は、自分の将来の夢を見据えて、卒業後の目標に向かおうとしており、この先も天理教を生活の中心に置くつもりは無いそうで、まあ、一つの宗教哲学を学んだって言う感じですね。
一般家庭の信徒の子弟なら、そんな物ですかね、なんら心配要りませんね。
息子の将来の夢は、◯◯ですが、商売人でもあるし、ある種のカリスマ的な仕事です。 ストイックに独創的に、自分を信じ切る、わがまま、高慢と紙一重の自信も必要な職業です。
帰りに本屋で、息子は、自分で本を選んで買っていましたが、私も息子に、一冊、「ローランド、俺か俺以外か」 今の息子には、これが良いと思って、プレゼントしました。これは天理教の教えとは真逆の部分もありますが、未熟な小僧だもの、まずはおのれが何者なのか、何を目指すのかを、良く考えて欲しいと思っています。
若い時は、高慢になる位で良いですよ、せいぜい思い上がれ!って思います。
未熟なのに、人助け、とか言って欲しく無いとも思っています、優等生は求めてないです。 自由に、夢を追いかけてみやがれ、親として出来る限りの応援はするから・・
きっと、天理高校2部で、学んでる経験は、この先の人生に役に立つと思っています。
息子さん、来年は卒業ですか。
おめでとうございます。
ほんとにめでたいことだ。よきことだ。すっきりするね。
そういえば父親さんの「聖の・・・」サイトはいつの間にやら閉鎖されてるね。
内紛でもあったのかな。
天理教の人は他所のサイトを閲覧しても邪魔はしなかったよね。
サイトの存在を知られてしまったと、陽気何とかさんが自分の落ち度として、酷く反省謝罪した書き込みを見た記憶があるが、陽気〇さんの書き込みがヒントではなく、しっかりサーチした結果だったのだけどね。
結局社会学の人たちは何も邪魔な書き込みはしなかったから、陽気〇さんの心配も杞憂に終わったね。
霊をひくことができるようなすごい人だと自認している父親さん、あなたはすばらしい!
偉い人だ!
政治にもかかわっているって!すばらしい!
子供も優秀!すごい人がいるもんだ!
わがまま、高慢、なんでもござれ!
今年ももうすぐ終わりです。ゆく年に別れを告げて、くる年をお迎えします。中国では「辞旧迎新」なんて言いますが、これって今年と来年に区切りをつけて、来年も(は)よい年でありますように、という願いをこめているようで、何かかわいらしいような気がします。
ゆく年とくる年に区切りはない。ただ時間の無機的な流れがあるだけ・・・私はそう思う派の人間ですから、年が入れ替わるこの瞬間が来るといつも、「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの」 という句を思い出してしまいます。
ところで、この「棒」って、人間の力では到底あらが(抗)えないような力を持っている気がしてなりません。
自然は今ゆっくりと動き出しているような感じです。
皆さまにとって、2020年がよいお年でありますように・・
あけおめ
謹賀新年
投稿者の皆様、読者の皆様、あけましておめでとうございます。
何がおめでたいのか、自分でもよくわからずにご挨拶させていただいていますが、ご了承ください。
さて、今年のNHKの大河ドラマは、「麒麟が来る」というタイトルで明智光秀を主人公として、収録も10回程度終わっていたようですが、某女優が覚醒剤事件で逮捕されたため、放映が大幅に遅れるようです。私にとっては、そんなことはどうでもよいことですが、NHKの大河ドラマも、たまには、日本の新興宗教を題材にとりあげ、例えば、天理教であれば「お供えが来る」とか、「お金がくる」とか、あるいは「人を騙して我が身助かる」とかいうタイトルで放映すれば、視聴率は相当上がるのではないかと思います。主人公は一体誰にすればよいでしょうか?
匿名
2019年12月31日 6:02 AM
>中田善亮は集会員(選ばれた分教会長など)を追放し始めたようですね(笑)
古い元教会長小耳にはさんだのですが、中田善亮表統領は、現天理教に対して意見を述べる集会員を首にしているそうだ。それでは #天理教 に未来はない。善亮教になってしまう。
邪魔な集会員までクビにしてるとか本当に天理教は終わり中山教と言う異端が横行してるんですね中山家は中山教を信仰する異端確定www
ある教会からのツイッターより
@18aJCVsTzPE4·
明けましておめでとうございます。婦人会本部から年賀状、、
なんか、テンション下がる、、
1人あたり2人ノルマで百万会員、、
以前は1人あたり1人だったよね❔
はるえさん、無駄遣いはやめて下さい。63円使って16000箇所。
ハガキ代100万円越えの大金ですよ。しかも1000箇所以上の無人教会から宛名不明で返送されていると聞いていますが。無駄な抵抗はやめましょう。
あと、一手一つで勇めと、、 。本部維持の為の一手一つは、意味を見出せません。
世界の貧困下にある人々の為、病に苦しむ不幸な子供達や戦禍で翻弄される人々の為、天理教団一手一つで一列きょうだいの幸せの祈りを捧げましょう、勇みましょう、手を差し伸べましょう、なら胸を熱くして頑張ります。
教団維持の目的しか直感的に感じ取れないから、正月早々に気分が落ち込むのです。
ツイッターより。
古い◯◯会長
@huruikyoukaityo
甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。<<
ピピ
@sinkiittend
人間宿し込みの場所が中山家の土地ww
今まで何も疑問にも思わなったけど、何で??<<
この事実に納得出来ますかね。
人間宿仕込みの場所が個人所有地になっている。聖なる場所を私有地にしてるんです。何を目論んでの事か、傲慢、強欲、金の亡者の中山家の腹の内側がわかると言うものです。
個人的な邪念の上に建つ天理教本部。正月参拝者の少ないこと!年々減っている参拝者。人間宿仕込みの場所なら世界中から親を慕って人が押し寄せているのが真っ当な姿なはずだけど。この有り様です。
·
いづれ人類の棟梁たる神格者達を出現させる、啓示霊能者達の巣窟になる、世界で最も尊い徳のある場所なんでしょう。
現在、中山ご一統様の貯金箱かどうかは知りませんが、いつかは世界一列を優しく幸せにたすけてゆく、世界人類が慕う親里になってゆくのでしょう。
そのための神による本部の長い掃除の時期なのでしょう。世界の大混乱もその掃除の後に治まってゆくのでしょう。
甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
私は以前ブラジル伝道庁に勤めていたものです。
現在は天理教とは極力関わらないような生活をしています。人を助けたいという気持ちは忘れず、天理教を離れて社会貢献できるとあるNGOに所属しています。
ブラジルに行った経緯は大学でポルトガル語を専攻していたこともあり、大教会からの派遣で行きました。
伝道庁では朝晩のおつとめ、神殿掃除、ひのきしん、にをいがけ等色々なことをしました。
私が天理教を離れようと思ったのはブラジルでの2つの出来事があったからです。
1つ目は
ある日、路傍公演をしている時に、『貧に落ちきりましょう』という天理教の有名な言葉を言いました。するとそれを聞いていたブラジルの方が「その神は本当に私達を救う気があるの? 今も貧困で苦しんでいるのに、何故まだ貧しい思いをしないといけないの?この苦しみから救ってくれるのが宗教なんじゃないの?」と言われて、私は初めて天理教に対して疑問を持つようになりました。
2つ目は
ある日伝道庁に女性の方が来ました。彼女は痩せこけていて、ボロボロの服を着ていました。恐らく貧困層の方でしょう。彼女は私と伝道庁長が挨拶をすると、その場に崩れ落ちて泣き始めました。伝道庁長はどうしたのかを訪ねました。
彼女は2歳になる子供がいたのですが、3日前に病気で亡くなったそうでした。彼女は絶望して三日三晩泣き続けたそうです。夫は既に亡くなっており、その上子供まで亡くなったので彼女の心境は計り知れたものではなかったと思います。聞いているうちに私も泣けてきました。伝道庁長はどんな言葉をかけるのかとまっていました。伝道庁長は彼女に言いました「良かったね。旦那さんもお子さんも、神様が新しく生まれ変わってくるためにそうされたのさ。だからあなたがする事はその状況に感謝することだ。そして毎日ここに通いなさい。そしたら2人はもっと早くに生まれ変わってくるから。」
それを言われた時の彼女の呆れた顔は今でも忘れません。彼女は絶望していた所を救ってもらいたいから伝道庁に来たのに、待っていたのはさらなる絶望でした。これを聞いた時本当にこの宗教は人を助ける気があるのか?と思っていた疑問がこの宗教は人を助けることは出来ないという確信に変わりました。
天理教を信仰している皆さん、さっさと離れましょう。
もし人助けをしたいなら、医者になって人を救いましょう。カウンセラーになって人を救いましょう。介護士になって人を救いましょう。
少なくとも大教会青年、本部勤務、青年会/婦人会なんかにいても人助けなんてできません。
この宗教の言う人助けは誰も助けていません。
匿名 様
>甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
これは本当です。現在の宗教法人法が改正され、もし宗教法人の土地が国家に没収された場合、ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。
初期にブラジルに伝道に行かれた御夫婦は船の中でお子さんが出直されましたね。私の心の中にいつもあります。
ブラジルはキリスト教が多かったから出直すという概念ではなく、天国に召された地獄へ行くという概念ですね。
出直すという概念を初めてお聞きになれば、カルチャーショックをお受けになると思います。けれど出直すという言葉は人を救うと思っています。死を間近に感じた時、もう一度出直されるのだという思いでいます。また身近に戻ってくることもあるようだから、しっかりと受け入れられる優しい社会であるようにと思っています。
救うということは側に寄り添うということだと思います。
ここに来て下さいという言葉は彼女に寄り添う言葉だと思います。
ブラジル伝道では危険な状況に遭遇されることも多かったかもしれないですね。命のせめぎあいを間近に感じられることも多くあられたでしょうね。
充分に尽くしてこられたと思います。
ただこの宗教にも寄り添っている方々は多くおられましたよ。
少なくとも人の死に対し、「良かったですね。」は無神経過ぎます。
その方の傷が癒え、時間を経て自らその死を悟り理解できて初めて「良かった、、」と思えるのだと思う。第三者からいきなり「あなた、良かったんですよ。」は人の心を理解していない。拙速過ぎるし高慢過ぎる。
こう言う未熟なくせに高圧的で高慢な説教をする教会長を何人も見てきた。そして更に傷ついた彼らは天理教を見限ることになる。
涙を流すその心に寄り添う事。天理教に決定的に欠けている事は「黙って寄り添う態度」「共感の態度」。本部をはじめこの温みの欠落に気づいていない気がする。厳しければ良いと言うものではない。未熟者の自分が気づいていないその厳しさが神の受け取りに通じるものでも無いと思う。
天理教に謙虚さを求めたいです。あなたも私も、皆一れつ上下のない神の子ですよ。
人間には、生まれながらにしてもっている死に対する恐怖感があります。死ぬことは誰にとっても怖いはずです。昔、出撃前の神風特攻隊員に、恩賜のチョコレート(天皇陛下から賜ったチョコレート)と称して、モルヒネ入のチョコレートを特攻隊員に食べさせて特攻隊員の恐怖感を和らげていたということです。仏教の極楽浄土の思想や、キリスト教の天国の思想、天理教の出直しの思想等、死後の世界の存在を肯定する思想は、宗教や宗派の違いを問わずに共通するものだと思いますが、私個人は、死ぬことは、とりもなおさず消滅すること、無になることであると考えています。近親者を亡くすことは非常に悲しいことですが、亡くなった人はもう戻ってはきません。千の風になって吹くこともありません。近親者を失い悲嘆にくれている人、あるいは不治の病に苦しみ、死の恐怖におののいている人に対してできることは、ひたすらその人の心に寄りそうことしかないと思います。
ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。
どこでそのような説明があったのですか?
「匿名 様
>甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
これは本当です。現在の宗教法人法が改正され、もし宗教法人の土地が国家に没収された場合、ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。」
宗教法人の土地が国家に没収される場合というのは、宗教法人の存在や活動自体が禁止されるような事態です。確かに、個人名義にしておけば、収容される可能性は低くなりますが、そういう体制になれば、登記名義など関係がなくなるでしょうから、少し説得力がないように思います。
ただ、大変失礼な話ですが、仮に、天理教が将来、財産的に窮乏し、本部の土地が差し押さえや競売された場合に、中山家名義にしておけば、土地の処分の対象から外れます。
さらに言えば、天理教内部でクーデターが発生し、中山家が天理教から追放されるような場面になった時に、中山家が天理教に対して、甘露台の立っている場所への立ち入り禁止をすることが可能になります。つまり、中山家はこの事実を切り札にして、天理教の指導的な地位を世襲することも可能になります。
以上はあくまでも法律的な観点からの観察で、中山家がそんなことを考えているか、どうかとは関係がありませんので、ご注意ください。
匿名 様
2020年1月3日 9:18 AM
>>こう言う未熟なくせに高圧的で高慢な説教をする教会長を何人も見てきた。そして更に傷ついた彼らは天理教を見限ることになる。
涙を流すその心に寄り添う事。天理教に決定的に欠けている事は「黙って寄り添う態度」「共感の態度」。本部をはじめこの温みの欠落に気づいていない気がする。厳しければ良いと言うものではない。未熟者の自分が気づいていないその厳しさが神の受け取りに通じるものでも無いと思う。
天理教に謙虚さを求めたいです。あなたも私も、皆一れつ上下のない神の子ですよ。<<
おっしゃる通りだと思います。人の弱みにつけこみ、傷つき病んだ心に塩を刷り込み、教団を気球のように肥大化させてきたのが天理教です。それ以外の何ものでもありません。
門外漢 様
2020年1月3日 11:56 AM
>> ただ、大変失礼な話ですが、仮に、天理教が将来、財産的に窮乏し、本部の土地が差し押さえや競売された場合に、中山家名義にしておけば、土地の処分の対象から外れます。
さらに言えば、天理教内部でクーデターが発生し、中山家が天理教から追放されるような場面になった時に、中山家が天理教に対して、甘露台の立っている場所への立ち入り禁止をすることが可能になります。つまり、中山家はこの事実を切り札にして、天理教の指導的な地位を世襲することも可能になります。<<
いつも、法律の専門家としての見地から、ご投稿いただき大変感謝しております。将来、天理教が財政的にも宗教としての内容的にも、窮乏、腐敗していくのは明らかなことだと思います。また、現状を考えれば、天理教内部でクーデターが発生しても決して不思議ではありません。そうなれば、甘露台の立っている敷地を中山家が私物化したところで、天理教信者にとってはどうでもよいことだと思います。宗教利権を利用し、天理教の私物化を図ろうとする魂胆は、宗教以下ですし、誰も天理教など信仰する人はいなくなるでしょう。
このサイト内で多くの人たちが、中山教は天理教の異端だと言っていますが、それは事実を正しく認識できていないと思います。
まず第一に、私たちの教祖、中山みきは「天理教」なんて宗教団体を作ってなどいません。教祖が説かれた神名は「転輪王であり」、おふでさきには「天理」なんて言葉は一度だって出てこない。「天理」という言葉は政府が出した三条教則にあったもので、これをもとに中山家の銭ゲバたちが「天理王命」という神名をでっち上げた。そして官憲の手を借りて教祖を排除し、教祖を信じて集まっていた人々を騙して、天皇を神と祀る「神道天理教会」を設立した。そして国家権力と上手く協調して中山家に不都合な人々を排除していった。これが天理教の成り立ちなのだと思います。
とどのつまり天理教とは中山教そのものなわけで、その目的は最初から富と権力であり、人類の救済なんて名目にすぎなかった。天皇を神と祀っていれば、従わない者は非国民と看做されたであろうし、もし日本が戦争に勝ち続けていたら、まだまだやりたい放題が続けられたのかもしれません。
ところが日本は戦争に負けて、天皇が神様をやめてしまったものだから、いまさらのように教祖を引っ張り出して、中山家の安泰を謀っている。それが現実であり、だから私はこのような宗教の皮を被った営利団体に、改革の可能性などあり得ないのだと考えています。
地獄耳様 門外漢様
法律にお詳しいようで、私ごとき者が物申すのもなんですが、私は、人はこの世のあらゆる物に対して 「所有権」を主張することはできない、と考えています。なぜなら、この世は一切が 「かりもの」 だからです。手にするすべてのものは、神様のもの、あるいは神そのものということになるんじゃないか、と思います。
私は戦後生まれですが、父母の世代は戦前で、天孫降臨でトヨアシハラの水穂の国(=日本)に、神々が降り立たれて以来、日本人は、神々の住まわれているこの国に、神様に許可をいただいて住まわしてもらっている、と言うふうに考えていた人もいたようです。人は仮に住まわせてもらっているのであるから、この土地の真の所有者は神である・・とまで思ったかどうかは解りませんが、ま、そんな思潮もありました。
そういう大人がいる中で、私もその影響を受けたのでしょう。のちに運んだ別席で教えてもらった、この世は「かしもの・かりもの」 という教理も、すんなりと入ってきました。かりものだから、自分のものではないとスグ思いました。
たとえば、犬なんですが、散歩中によく電信柱とか人家の塀とかに、オシッコをかけていくのがいますが、あのマーキングという行為は、「ここはオレの縄張りだぞ」 といって、縄張り内の所有権を主張しているんですが、その所有権は同じ犬に対してこそ主張できるのであって、人間に対してはできません。
それと同じように、人間も 「ここはオレの土地だ」 と主張しても、それは同じ人間に対してこそ主張できるのであって、神様に対してはできません。その所有者が死んだら、その土地は誰のものでもなくなってしまうのですから。彼が所有者になっていれるのは、生きている間のほんのわずかな時間内のことにすぎません。
深いお話ですね。法的には守られる。しかし別の見方をしたなら神のかしものだからあくまでも借り物。中山家がどんなに貪欲に囲い込んでもいずれ死に絶える時が来たらならいっ時の刹那の所有物、、。人間とは浅はかな者なのかもしれません、、。
お正月から良い勉強させて頂いております。
匿名 様
おそれいります。同意していただき、ありがとうございます。
> 中山家がどんなに貪欲に囲い込んでもいずれ死に絶える時が来たらならいっ時の刹那の所有物、、。
つまりは↑そういうことなんですが・・
どんなに囲い込んでも、神様がそれはダメだとおっしゃったら、ダメになるでしょう。
ぶたまん
2020年1月3日 10:59 PM
年始から皆さんの書き込みが盛で何よりです。「借り物料」や「金の繋ぎは命の繋ぎ」等と申している善亮くん自身が「神からのかりもので悪戯している」のが現状ですからね(笑)年々日に日に信者の足は遠のき寄付も遠のき組織は確実に蝕まれている。さて何年もつのか
天理教と中山教の関係に関してご教授頂いてますが天理教は中山教ですと言っている内容で笑えました。しかし宗教法人法などを見ると中山家の所有物ではないのは明らかなのでこれもまた面白い話です。
世界救世教など他の宗教団体では信者の占拠により教祖が追い出されたとの事例がありますように中山家は追い出される前に自ら本部や組織を後にする方がよろしいのになにを勘違いしているのか中田善亮の暴走を黙認している中山家とその血族も罪づくりな面々だと思います。
当教会の信者さんで自営業の社長さんが近頃本部批判を始めました。
「善亮さんの発言(金の繋ぎは命の繋ぎ)は本当に残念だった」とおっしゃっていました。経営は甘いものじゃないどんなに努力しても天井で頭打ちが来るこれは不景気でも好景気でもその一線を御守護がもらえると思うから信仰している。その当の本人たちがそのような甘い考えの発言をしたことに呆れたと言い、私はただただ聞くことしか出来なかった。
それに教団の経営者の集いなどに参加した際にとある弁護士にも会った事があるそうですがその弁護は愛人と出席したりしていたそうだ。「弁護士の浮気」と聞くと、山尾志桜里衆院議員と倉持弁護士の件を思い出す。明らかに弁護士としてあるまじき行為だった。
その社長さんは最後に、「あなたたち家族は好きだが、中山家は出て行って欲しい」とはっきり言ってました。出て行かなくても本部はやがて潰れるともおっしゃってました。その理由に「中山家がやっている天理教本部に一切魅力を感じない。」とはっきりおっしゃってました。
至極真っ当な意見に私は何も言い返すことは出来なかった。
中山家と血族の方々は何をもって中田善亮の暴走を放置しているのでしょう?最後は「善亮が悪い!」と言い逃れするつもりでしょうか?それもまた無責任です。そうは問屋はおろしません。中山善司、中田善亮が追放される日、中山家の婿や嫁に行った血族も一族全員追放されるでしょう。それとも組織に居座り続け心中でもするのでしょうか?それが教団全体の信者に対して大迷惑なのを理解できないのでしょう。
善司も善亮もですが家族や親戚も同罪です。
館(やかた)構想と中山家体制ありきの教団存続にもう無理が生じている。実弟善亮が出てきたとたん中山家の評判は地に落ちました。聖地甘露台倒壊にはじまり法人乗取り、大教会の土地競売など等語り尽くせない惨状、中山家を代表する善亮に信用が無いから、お供え(寄付金)が激減するのは当然それでも黙認する本部員、窘めない親族、もう組織上層部の病理と症状は始まっているでしょう。自らの認める事の出来ない上層部は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と言い放ちこの明らかな義教を謝罪はおろか訂正もせず、中山教や善亮教と揶揄され、熱心な天理教信者から弾圧してるようにしか見えません。シナリオはいくつか考えられますが、いずれも中山家には最悪のシナリオばかり、おろかな宗教家が権力をふるい反対派を排除しても被害者の会などを結集され外部から訴えられたら社会的にも下手すれば刑罰すらありえる。宗教法人の土地建物の吸収合併に関しても、吸収目的で教会長家族を追放しているとも噂され、これは宗教法人法改正のきっかけに成る事件になりかねません。宗教法人法を利用した土地収奪事件 不動産詐欺とも言えるでしょう。
甘露台が倒され、真柱が倒れられたころを境に、一気に教勢が衰えているように感じます。これはいたって感覚的なものですが、もしかして、2~3年ほど前に本部で何か重要なことが発生しているのではないかという気がしています。表に出ていない何か。しかし、その克服をリードすべき両統領、とりわけ表統領は評判がよろしくないようです。大亮さんのことも、お披露めのやり方は信者の気持ちから大きく離れたものだったと思います。各教会に割り当てられたお供えなども考えると、信者は本部に対してそれぞれに考えるところがあっただろうと推測します。
しかし、元のおやは一つ。これは見失いたくないものです。さきの「参考意見」さんもそうでしたが、あまりに八島教学を信じすぎている印象(あくまで印象です)を多くの方に見受けられます。八島教学は参考にすべきところもあれば、首をかしげるところもあり、あくまで一つの参考としての「解釈論」で捉えるべきかと考えます。教祖に中心を置くがため、おさしづを軽んじすぎている感も受けます。おやを一つとして考えるのであれば、おさしづまでを含めた「解釈論」が望ましいのではないでしょうか。
また、多くの方が、井出くにさん、大徳寺さん、はたまた茨木さん、大西さん(この方はあまり話題に出ませんね)、花井さん、モラロジーさんに違和感なく接していらっしゃるようですが、井出くにさんの出現は、本当にそのまま教祖殿で受け入れるべきだったとお考えでしょうか。あるいは、大西さんも?飯田岩次郎さんも?おさしづとしては岩次郎さんは否定されていますね。須藤花井さんも本部できちんと受け入れるべきだったと?天理教の教えとしてソ連等の戦争話をすべきであったと?逃げる準備をしておけと?ともあれ、きりがない話です。あまり振り回されない方がよろしいかと思います。おやは一つ。そして、天啓は本席までということになろうかと思います。あとは個々の方々がなるほどなぁと受け止められることがあるのであれば、他の天啓を受けた方々のお言葉も、時にご参考になさればよいのではないかと(ナライトさんに対しては痛ましいばかりですが…)。
私個人としては、「おさしづ」がなかなか手に入らない現状が望ましくないと考えます。教会には置かれていますが、書店ではどこで買ったらよいものでしょうか。何やら、おさしづは既刊の「おさしづ」がさっと買えるものでもなさそうです。本部の隣の書店に行っても原典である「おさしづ」全巻が売っているわけではない感じですので、原典として軽んじられているのではないかという感じを否めません。
何はともあれ、皆さんの書き込みを読ませていただいていると、明治時代も今もあまり変わっていないのだなという感覚を覚えます。教祖と周囲の人たちとの思いの違い。私としては、教祖と、本席のお言葉を慕い、ぢばを大切に思うばかりです。お供えは、生涯教会にすべてを尽くしきった母に比べれば、ごくわずかなものです(母が出直した時、貯金はほぼゼロでした)。これは、私も仕事で忙しく、なおかつ怠惰なため、お道のことが少ししかできないので、せめてもの神さまへの気持ちだと思っています。
お道への接し方は、人それぞれでよろしいのではないでしょうか。まぁ、教会から「すべて供えよ」と言われれば、私も逃げますが、教祖と本席のおことばは、私には財産です。
キリスト教の話もよく出ますね。私は聖書にもしばしば触れますが、お道の教え(原典のことば)のほうが好きです。いちいち比較せずとも、それぞれにどこか得心するところがあれば、自分の心の糧にすればそれでよいのではないかと思います。
以上は、気軽な一信徒としての話ですが、末端教会等で苦労される会長さん、ご子弟、本当に大変だと思います。天理教本部は、これまでお供えされてきたとてつもない金額のお金をどうしているのでしょうかね。この2~3年の本部の経済的な苦境の声は、過去からの財産を考えると通常は考えにくいものです。上からまずは貧に落ちきらないと、と思ってしまうのも当然でしょうね。海外にファーストクラスで行かれる本部員の方の話を聞いたことがあります。神さまは泣いていらっしゃると思います。泣いているのは末端の教会関係者だけではなく、神さまも泣いておられる、そう思います。
長文、失礼しました。
コメット
2020年1月5日 2:04 PM
>>元のおやは一つ。これは見失いたくないものです。
これが重要なポイントですよね。他のコメントも読んで想ったのが、天理教自体が元々中山家が作り出した教祖の思惑に反する存在で天理教の本質が中山教であるという話ですから、これでは表統領中田善亮どころか、真柱と元の親の関係性は疑われる。いやそもそも無いのでしょう。
「教祖は貧落ちきれ」と言ったにも関わらず表統領中田善亮は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と並べたら明らかに異端ですしね。
資金なんで大変なのは分かりますが中山家も一からやり直すか、やがて信者から追放されるかなのでしょうね。
年始早々、皆さんの熱心な議論が続いています、大変、良いことだと思います。教団の矛盾点を指摘されるのは無理からぬことです。当然のことだと思います。しかし、天理教は程なく崩壊します。長くは続きません。私は、現在、天理教を信仰されている全ての信者さん方、特に若い方々に申し上げます。ひどい目にあわないうちに、即刻、天理教から退避しましょう。最悪の事態を回避するための最善の方法だと思います。
おさしづより。
この道といふは、もの言ふまでのものである。金銭ずくで求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。又日日稼ぎと言ふ、皆働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩まで働いたとて、何ぼうのあたゑあるか、よう思やんせい。(40.4.10)
一日の日でも心たんのうの理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何ほどの金(きん)を持って来て、今日からと言ふても受け取るものやない。(23.6.17)
道のため運ぶ尽す理は日々にある。(補遺28・4・3)
尽す一つは道という。助けりゃ助かる、思えば思う、回れば回る。この理第一諭し置く。(24.6.3)→[コメット注:「回れば回る」という言葉を解釈すれば今話題の「金の繋ぎは命の繋ぎ」ともなるのかもしれませんね。しかし、神さまは、運び尽しを日日の中に見ておられ、また、おかきさげにもあるように、家業が第一ということはとても重要かと思います。「繋ぎ」で大事なのは心でしょうし、たんのう、日々の感謝、よろこびなのだろうと思います。]
>今話題の「金の繋ぎは命の繋ぎ」ともなるのかもしれませんね。しかし、神さまは、運び尽しを日日の中に見ておられ、また、おかきさげにもあるように、家業が第一ということはとても重要かと思います。「繋ぎ」で大事なのは心でしょうし、たんのう、日々の感謝、よろこびなのだろうと思います。]
これは正に天理教面している 中田善亮をはじめとする中山家に向けるべき言葉です。
例文としてか行きますが
心が無い中田善亮
たんのうが出来てない中田善亮
日々の感謝が出来てない中田善亮
よろこべない中田善亮
高慢な中田善亮
教理を分かてないと教内の信者からばれている中田善亮
「金の繋ぎは命の繋ぎ」もこのような極端な文章に纏めすぎです。これを中田善亮本人が機関紙で訂正と謝罪をしない限り宗教家として中山家は消されていくでしょう。しかも神の使いの用木によって
中山家の人は「今さえ良ければ」と思ってるのですかね?もしそう考えてたら甘いです。教祖の教えおふでさきも理解できてない事になりますし、仮に教団がなくなっても中山家は残ります。中山家と血族以外の元信者たちの恨み辛み暴露は止まらなくなるでしょう。訴えられれば警察や司法から政治家からも圧力は下ります。財団は解散させられるでしょう。末代まで恨まれ、呪われ生き地獄が続くのでしょう。
そうならない為にも親族の人はおろかな教理を説いて暴走している中田善亮を制止するべきでしょう。出来ないし無い時点で一族もやはり同罪扱いになりますからね。生きながらにして生き恥、どの面下げて人前に出ているのか?人間性を疑いますねwww
コメットさん
わかったような物言いで驚きましたが、
>お道への接し方は、人それぞれでよろしいのではないでしょうか。
そう思われているのであれば、お指図至上主義に誘導することなく静観していればいいのでは?
コメットさんのコメント(←オヤジギャグ・・というほどでもないか)
コメットさんの、おやの心を見失わないようにしていたい、という気持ちは、私も同意いたします。
おやの心を見失わないようにするためには、道具が必要ですが、コメットさんの場合は、その道具がおやさまが言われたことやお指図ということになっているのでしょう。
私も、おみちだけではなく、色々な宗教に接してもよいと思ってます。イエスやブッダといった、その宗派の開祖となったような人たちの言葉が、自分と神を結びつけてくれるものであると感じたなら、それを一つの警句(アフォリズム)としてとらえ、<心の糧と>するのもいいでしょう。別に宗派にこだわる必要はないと思います。この点も、コメットさんに同意させていただきます。
おみち、もしくは宗教への接し方も、おやの思いを見失わないでいる限り、人それぞれでよろしいかと思います。「むりに来いとは言わんでな」とか、「むしょうやたらにせきこむな」とか、神様もそう言われていますように、信仰者に対して押しつけがましいことは、してはいけないと思います。
論点がずれている人が多いのですよね。この期におよんで教理云々をテーマに話しても意味が無く、教団的に言うと「なってくるのが天の理、成って来た天の理」の話「教団の疲弊と中山家の暴走」をテーマに語るのが当たり前の事です。もっと簡単に言うと「中山家と教団が明らかに間違っているのをどうする?」なだけです(笑)そこに 教義書を持ってきて「間違った教団と中山家」を肯定していたら、「金の繋ぎは命の繋ぎ」と偽教を称える異常者に等しくなります。教団の信者、本部もこういう人がいるからいっこうに改善されないのでしょう。世の中は人の道や人として至極当然な答えがあり溢れている。その中で、天理教や中山家は「神様は違う!天理教は天理教だ!」と嘘をつき続けてしまった歴史がありそれにより洗脳し洗脳されの悪循環を続けていると見て取れます。
「金の繋ぎは命の繋ぎ」で信者を騙せ!と始まった言葉でしょうが、いくら信者を騙しても何も改善されない現実の方が騙した中山家にとっては恐ろしい事だと思います。中山の愚かな面々は神は愚か人を見る能力も無いと言うことです。
「神の気持ちは愚か人の気持ちも理解できない愚者の異常者」と言うことです(笑)
天理教が世間から相手にされない。気が付いたものから笑いものにされるのは当然、近頃では、大教会に集まった分教会の会長からも、本部批判や独立を示唆する話が出ている現状です。いくら「本部本部」と偉そうにしていても、稼ぎ頭の分教会にそっぽむかれったら終わりです。
中山家がこのまま教団本部に居座るなら、本部は崩壊するでしょうね。
本部も正しい事を言っているのならば現実問題的中して宗教ではそれを予言と呼び重宝されると思います。ですがこれが残念な現実で、本部のボンボン中山家の発言より、こちらに寄せられるコメントから予言が出てきてしまっている現状です。皆さんだって何故こちらのコメントに注目するのか?本部が本当のことを教えないから、こちらのコメントを見るわけですよね。
こちらのコメントでも再三再四、教団機関紙「天理時報」などの発言と内容方針の指摘はされてきました。しかし改善されない。なので皆さんまたこちらのコメントを見る。
悪いのは誰だ?教団は「ネットの嘘情報!」と言ってましたが、時が経ち明るみに成ったのは、「教団はリアル現実に嘘をついている」と言うことですよね。
生き恥晒して毎月元気に嘘をつく「中山家と天理時報」(笑)
ですよwww
予言者と狼少年では雲泥の差 「中山家が狼少年」であるのはもう確定と言ってよいでしょう。
中山家と本部は、生き恥の次期から次は生き地獄期が始まるのでしょうね。
部内教会数確保と事情教会整理の動きに戦々恐々としている上層教会。信仰の中身の推敲をしようとせず形と数にこだわる彼ら。彼らは教会確保の為に誰でも良いから教会長にすえて「整理」から逃れたいのだが、送り込もうにも希望者がいないのが現実。
大教会、本部を神の声と信じ込まされ盲信して来た彼らだが、これから計画されている本部の想定外の動きは実際、彼らにとっては想定外の事態のようで狼狽の色が見て取れます。
当系統でも教会長が集まれば、縦組織の解体、上級教会からの精神的経済的独立の話題が出て来ます。教祖の意志に無い人為的上下組織にほころびが出て来ているのです。
ハイ、と従わない教会長が出現し始め、生身の苦悩が声となって表に出て来ています。「 この教団は無い方が世の為になる」と判断した親神の計画に導かれているんだと思います。
失礼しました。
詐欺と解っていながらそれに協力する信者。
悪因縁と言えば黙っていても多額の献金が入る教団及び教会関係。
更に始末悪いのはその詐欺に同意して宗教勧誘をする人達。どっちもどっちだが。
「献金」と言う性格のものは、余程立証が出来ない限り返還はされません。本部も大教会も返還に関しては黙りを決め込んでいる様で当事者同士で話し合ってくれ方針です。
何方かが被害者の会を結成して云々と言う話しをしていましたが、被害者の会を結成した所で返還はまず無理でしょう。なぜなら「献金」は自ら進んでしている性格のものと見なされ、金を出した時点で「献金」と言う行為が成立してるからです。法的には何の差し障りも無いです。
彼らは信者に対しては現金でのやり取りを望み決して銀行振込等は望みません。
これからそれでもやはり献金をすると言う方々は、銀行振込をお勧めします。
でも銀行振込をした所で、オレオレ詐欺と変わらんが。
結局の所、ペテン師です。
でも宗教法人なので、これも当てはまらない。
法的にはどんなに詐欺であり、ペテン師でも宗教法人なんです。
天理教は宗教法人を辞めたらいい。
最早メンヘラとオタクの集合体でしか無いんじゃ無いですか?
> 論点がずれている人が多いのですよね。・・以下、了解いたしました。
私も、しかるべき地位の人が失言したりするのを聞くと、「船・飛行機で言えば、パイロットに当たる人が、このていたらくでは」 とは思います。船は海の上ですからまだしも(しかし、沈没すれば非常に危険です)、飛行機はいったん事故ると、ほぼ生存者ゼロを覚悟しなければならない状態になります。
「あの~、パイロットさん、この飛行機、高度がだんだん落ちてきてませんか?」「このままだと、墜落するかもしれませんよ」 なんて、聞いていても、返事がないという状態です。パイロットさんたちは、黙秘権をフル活用しています。
それとも、何ですか、パイロットさん自身どう答えたらいいか解らず、「そんなこと、オレに聞くな!飛行機に聞いてくれ!」と言ってるみたいです。
(それでは、と言って、「もしもし飛行機さん、この飛行機、ひょっとして墜落するんじゃありませんか?」と、飛行機に聞きに行ったら、こら、アホでんがな。そこまでアホにはなれまへん)
尾翼を失って操縦不能に陥った日本航空123便。そのボイスレコーダーに残された、墜落11分前の機長の言葉を思い出しました。
「これはもう、だめかもわからんね・・・」
>>尾翼を失って操縦不能に陥った日本航空123便。そのボイスレコーダーに残された、墜落11分前の機長の言葉を思い出しました。
「これはもう、だめかもわからんね・・・」<<
随分、昔の話ですね。結果的には「だめでした」。機体最後尾の圧力隔壁が金属疲労の為に破れ、その結果、機内の気圧で尾翼が吹き飛び、操縦不能となった日航機123便は御巣鷹山の尾根に墜落しました。搭乗者で助かったのは、今、看護師として活躍している少女(当時中学生)を含む数人でした。大阪の某大教会の後継者は、不幸にも当該機に搭乗していて犠牲になりました。当初、東京から新幹線で「おぢば」まで帰る予定だったそうですが、新幹線のダイヤが乱れ、不幸にも羽田から空路で伊丹まで帰ることになったそうです。
今の天理教は、あの時の日航機とそっくりだと思います。尾翼どころか主翼さえも失い、今や墜落しようとしています。天理教信者の皆さん、教団がクラッシュしないうちに安全に退避しましょう。搭乗しようとしている皆さん、搭乗してはいけません。「これはもう、だめかもわからんね・・・」と呑気なことを言っている場合ではありません。「これは間違いなくだめです」。
日本航空123便事故では坂本九さん他、多くの著名人が亡くなられたのは知っていましたが、天理教の関係者のことは知りませんでした。逆に明石家さんまさん等、ぎりぎりのタイミングで搭乗を回避していた著名人も多くいたようで、人の運命の分かれ目とは、本当に解らないものだと思います。
高慢な中山家の方々とその血族の皆さん神様は見てますからね。
そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
>>今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
どう凄いのか具体的に教えてください。
例えば、この天理貴族達におさづけを取り次いでいただいたらどんな難病も御守護頂けるとか…
>>むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
これはありますね。どうしても関わらねばならないパワハラ大教会、上級とか….
直接害がある分、中山家より先になんとかして欲しい深刻な問題です。
末端はやはり離脱が一番良い策なのでしょうがなかなか柵がね~
天理教を見限った瞬間
1. 真夏の猛暑の中、交通整理ひのきしんを頑張っている専修科生に横柄な態度をとる本部員を見た時。(交通規制で通れないみちに対してご立腹だった様子)
2.金銭をお供えしないと救われないと言う内容の講話を聞いた時。身上が治るんだから、金銭をお供えするくらい当たり前だろと言われたこともあります。
3. 会長がセクハラに悩んでいる女性の信者さんに対して、「あなたがセクハラをさせたことで、相手にホコリを積ませてしまった。その自覚はありますか?」と聞いていたこと。結局女性が悪いと言っていて、腹が立った。もちろんその女性もそれ以来来ていません。
4. うつ病と診断された私の弟に対して、親戚(全員天理教)全員がそんなの心が弱い、ホコリ積んでるから、普段の行いが悪い、他にも苦労している人はいるのに甘えるな、と言った無慈悲な言葉ばかり。弟は現在私以外の親戚とは絶縁状態。弟は就職してそこそこお金も稼いでいるが、教会にはびた一文も入れていない。(いいぞ弟よ)
5.そもそも人を助ける気がない。上でも書いている人がいましたが、「人助けをする!」と豪語している天理教徒をたくさん見たが、うちの家族のように身内が困っていたら助けの手を差し伸べようともせず、終いには甘えとされる。誰のための人助け?誰を助けようとしているの?身内には厳しく、未信者には甘く、自分には激甘な人しか見たことがない。
匿名 様
2020年1月7日 9:57 PM
>>うつ病と診断された私の弟に対して、親戚(全員天理教)全員がそんなの心が弱い、ホコリ積んでるから、普段の行いが悪い、他にも苦労している人はいるのに甘えるな、と言った無慈悲な言葉ばかり。弟は現在私以外の親戚とは絶縁状態。弟は就職してそこそこお金も稼いでいるが、教会にはびた一文も入れていない。(いいぞ弟よ)<<
うつ病を病む人に対して、最も言ってはいけない言葉ですね。人を助けるどころか、その人の心の病を逆に悪化させてしまいます。
>>そもそも人を助ける気がない。上でも書いている人がいましたが、「人助けをする!」と豪語している天理教徒をたくさん見たが、うちの家族のように身内が困っていたら助けの手を差し伸べようともせず、終いには甘えとされる。誰のための人助け?誰を助けようとしているの?身内には厳しく、未信者には甘く、自分には激甘な人しか見たことがない。<<
全くその通りだと思います。天理教は宗教ではありません。悪質な詐欺集団です。
どう凄いのか具体的に教えてください。
例えば、この天理貴族達におさづけを取り次いでいただいたらどんな難病も御守護頂けるとか…
人ですからね。叩けば埃はいくらでもでてきますよ。
真柱様ご夫妻のことは直接は存じ上げておられませんが、見聞きする中で凄い方という印象です。大亮さまご夫妻は大亮さまは直接お話をさせていただいたことがありますが、偉そうでもなく、むしろこのままのお道ではいけない。なんとかしなくてはという思いがひしひしと伝わってきます。奥さまは専修科の友人が凄いいい子で、魂があの時から違っていたのかもねと言っていました。
凄い人とは?
真柱ご夫妻、大亮ご夫妻は、天理教教義に裏打ちされた完成された人格をお持ちでしょうか。そもそも、天理教教義自体が胡散臭いと揶揄されている限り、何を基準に凄い人だと感じられるのかが理解できません。
ご自身が教義に照らして、その責にないと感じられたのであれば、直ちに下野されるべきです。
ましてや、・・・このままのお道ではいけない。なんとかしなくてはという思いが・・・であるならば、自らの思いを真柱に直言されるべきです。それが出来ないのであれば、やはり、潔く下野すべきです。連綿と今の地位にしがみついていると思われても仕方がないでしょう。むしろ、手放したくないんじゃないんですか。
本部員の善亮・大亮詣でが始まったなんてことは、もう、数年前に聞いた言葉ですよ。
見ていて、なんて情けない集団だろうと思っています。
教会の責任役員に有った時、お許しに同伴した際に、ご用場で説明を受けた際に聞いた、決して真柱の顔を見てはいけない、という注意は未だに心の引っかかりとして残っています。二度と天理教とは付き合わないとね。
吉野彰氏がノーベル賞のメダルを受賞される折のカール16世グスタフ国王と握手をされる際に、シッカリと目を合わされていました。
顔を見てはいけないという意味が理解できていません。
教会の責任役員に有った時、お許しに同伴した際に、ご用場で説明を受けた際に聞いた、決して真柱の顔を見てはいけない、という注意は未だに心の引っかかりとして残っています。
理解できないのであれば、顔をご覧になられたら良かったですね。
みんな、見てるんじゃないですか?私はしっかり見ましたね。
苦虫つぶしたような、魂の抜けたような、心ここに在らずのお顔でした。
見るなと言われる筋合いはないですから。戦前の天皇でもないのだし、ましてや埃まみれの人間の顔はどんなものか、見聞の為に見ましたね。
感想は上記の通りです。世間一般人と比べても魅力の無いただの人間とお見受けしました。
ただ神格化したいだけです。本人も恥ずかしく思っているんじゃないか。
満席でおさずけを頂く際にも言われました。
「真柱の顔を見てはいけない。」
何を時代錯誤のセリフを言っているんだ!、心底反発したものです。
なのでベルトコンベヤー的な流れを一瞬ながら、そのリズムに乗らずに乱して受け取りました。
30代になったばかりの自分ができたわずかながらの抵抗でした。
一人の「匿名」さんは、毎度、ご自分の思い込みのような基準で反論なさっています。
真柱をはじめ皆さんが「凄い方」とは、根拠なしの感覚的な捉え方ですね。
昔ながらの天理教信者のパターンとも言えるかもしれません。きっと優しい方なのでしょう。質素に暮らしている一族が資金難の中にも関わらず、ド派手な結婚披露宴をやりますか?
大亮夫人の人柄を、≪奥さまは専修科の友人が凄いいい子で、魂があの時から違っていたのかもね・・・
魂がちがっていた?ならば頂点に立つ前に、夫婦で天理から離れた地で布教の苦労をすべきと考えるのではありませんかね。まぁ、書きながら虚しくなるだけですが。
でも、この場で皆さんが(私も含め)問題としていることは「凄い方」であるかどうかという曖昧模糊とした感想でかたずけられるような問題ではないのです。
問題は昔から続く構造的な搾取の蓄積が宗教法人の在り方から照らして、まずいんじゃない?ということなのです。
「匿名」さんはどうもこの場の投書を「悪口を書いている」というレベルで受け止め、反応をされているようですが、社会的責任を考えましょうよ。何しろ「匂い掛け」をせよという行動原理が必須の教団なのですから。オウムと置き換えて考えれば、私が何を言いたいか、簡単に理解していただけると思います。
>匿名
2020年1月7日 8:19 PM
そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ
大亮君夫妻がどんなに凄くても 時すでに遅しです。
既に天理教は、多くの信者から見放されてしまいました。
信者が見放した宗教に新たな信者が増える要素はありません。
本部のライブカメラを見ると 正月三が日やお節でも本当にガラガラです。
私からすれば大亮君夫妻は、腐り果て滅びゆく巨大組織を背負わされた哀れなご夫妻のようです。
真柱も人だから叩けば埃はいくらでもでてくるというなら、その程度の人を特別な魂の人として崇め、年貢を納める必要も無いのでは?
見聞きする中で凄い方ですか。オウム真理教の全盛期、麻原彰晃の空中浮遊を信じるオウム信者に、実際に見たのかと尋ねると大抵こう答えたそうです。
「自分は見ていないが、見た人を沢山知っている」と。まるで信じ方がマニュアル化されているようです。
そういえばあの頃、麻原彰晃の風呂の残り湯をミラクルポンド(奇蹟の水?)という名で売っていましたね。牛乳瓶1本で3万円だったと思いますが、中山家も金に困ったらそんな商品も考えるのかも。バリ天のなかには買う者もいたりして。
2020年1月8日 11:05 AMの匿名 様
もとより、苦虫を噛み潰したような顔を見たくもありません。そのことより、このような言葉が出てくる教団の体質を言っているのです。だから天理教と縁を切っただけです。無駄な信仰生活だったと後悔しているだけです。
投稿の趣旨は、このような宗教の面をかぶった集団には近づかないようにとのPRをしているだけです。もっとも、、言うまでもなく若い方々は気付いておられるようですから、杞憂に過ぎないのかもしれません。
> 真柱も人だから叩けば埃はいくらでもでてくる
埃はいくらでもでてくる、ということは、ポンポンと叩くとまだでてくる、また叩くとまだでてくる、ということですね。ということは、さらにまた叩くと、まだ埃がでてくる。そうやってポンポン叩き続けると、しまいに何もなくなってしまう、というんじゃないでしょうね。
「あら、この人、埃で作られていたんだよ」って言われる。そんなん、イヤですよ。
真柱さんとは話をしたこともありませんから、どのような方か存じませんが、まぁ、私も埃多き人間ですから、叩かれ続けたら、皮一枚がモヌケの<抜け殻>となって残されてしまうでしょう。
私という人間は、この<抜け殻>の中に、欲や腹立ちや高慢といった埃をいっぱいギュウギュウ詰めに詰めこんでいるだけなんです。
こんな私の手を取ってお導きいただいたおやさまには、ただ申し訳なく思うばかりです。
このサイトをご覧になられて、(それが直接の動機というわけではないでしょうが)、天理教から離れて行かれた方もいるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか、その方々は、天理教はイヤだったが、おやさまや神様には助けていただいたという思いは、まだ残っておられるんじゃないでしょうか。
そういう方々は、かつての天理教の友人と交際はまだ続けられておられるんでしょうか。
天理教を辞めてもおやさまが手を引いてくださっているということを感じられたら、その御手をむやみに振りほどかないでいてほしいのですが
結局このサイトに投稿している人たちって、天理教のことを色々言っていますが、最終的には天理教のことが好きなんだなと思いますね。どうでもいいなら投稿しませんもんね。
どうにかしたいということですかね?
それが過激な投稿になっているだけと想像します。
私は何十年も恐怖労働させられ周りは部内教会長にしても辛い想いをしている私に相談に乗る形で話しているうち君は大変だね?〜と言いながら口走った言葉が私の名前で何々君を虐めちゃえ!え、?とお互いに、、
人間は嘘はつけないものだ。やはり部内教会長でさえそんな人間性。その会長は先日、出直したと聞いております。当然、私は決死の覚悟で信者を辞めさせて貰っていた。それに週刊誌にふと眼に飛び込んで来た文字が
天理教信者半減。これじゃもう終わりだね?天理さんは!タダこの天理王と言うのが曲者。なんか私にピタリ張り付いているストーカーみたいです。実際に天理教の分教会に住み込みの時も女性からの有るまじきセクハラ行為。教会で何を考えてるんだ!と言いたかった。そんな訳であれじゃカルト教団と言った方が妥当でしょう?
匿名 様
2020年1月8日 4:01 PM
>>結局このサイトに投稿している人たちって、天理教のことを色々言っていますが、最終的には天理教のことが好きなんだなと思いますね。どうでもいいなら投稿しませんもんね。
どうにかしたいということですかね?
それが過激な投稿になっているだけと想像します。<<
私は天理教が大嫌いで投稿しています。洗脳されている信者の方々、特に若い信者の方々がつまらないものにのめり込んで、たった一度しかない貴重な人生を無駄にしてほしくないのです。決して過激な投稿ではありません。天理教のありのままの姿を見て感じたことを忌憚なく投稿されていると思います。
参考意見 様
2020年1月8日 12:05 PM
>>そういえばあの頃、麻原彰晃の風呂の残り湯をミラクルポンド(奇蹟の水?)という名で売っていましたね。牛乳瓶1本で3万円だったと思いますが、中山家も金に困ったらそんな商品も考えるのかも。バリ天のなかには買う者もいたりして。<<
麻原彰晃のオウム真理教は、元々、天理教システムを真似たものです。いかにしたら霊感商法でカネが儲かるかということについて、天理教システムは大いに参考になったはずです。遠い昔、私が天理教の信者だった頃、「赤衣のお守り」という存命の教祖?が着られている赤い着物の切れ端を買った記憶があるのですが、今でも販売されているのでしょうか? 販売されているのであれば、一体、値段はいかほどなのでしょう? 読者の中にご存知の方がおられたら、参考までにご教示願います。
崩壊 様
詰所勤務をしていた頃の記憶ですので、現状とは違うかもしれませんが、当時は詰所で「お守り」下附願いなるものを作っていた記憶があります。
所属教会から立ち上げて、上級教会へのお運び、さらには上々級教会を経て大教会へ行き、最後は詰所という順序だったと記憶しています。
その都度、金封が要ったのでしょう。詰所でも金封を作っていましたが、金額の記憶はありません。
もう、60年以上前のことです。今も同じようなことをしているんでしょうね。順序順序と言ってましたから、お守り一つを貰うにも旅費や手続きは大変だったのではないでしょうか。
匿名
2020年1月7日 8:19 PM
>>そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
まだこういう人いるんですね(笑)
中山家が高慢じゃない?何をもって? 甘露台倒壊、真柱「頭病気」、善亮「金の繋ぎが命の繋ぎ」と教祖の教えに釈迦に説法する高慢なのに?なにを言ってるのですか?
大亮くんは人の意見を聞けないツイッターブロック男なのに?w
本部の支店、大教会が!と言っても本店の本部がおかしいから大教会もおかしい事に気がつけないなら天理教学びな推したほうが良いですよ。
「竜頭が狂えば?( )」
()内を埋めよ。
答え
皆狂う
皆とは、大教会を含め信者も狂う
勉強してから反論してください。
東風Z 様
2020年1月9日 8:51 AM
早々にご回答いただき、ありがとうございます。そう言えば、別席を運ぶ時も「順序参り」をしましたね。上級教会、大教会、本部という順番に、ヒエラルキー(階層構造)の下部から上部それぞれに、お供えをした記憶があります。集金システムとして極めて巧妙な方法だと思います。お守りの時もそういう順番でお供えをした記憶がありますが、さすがに天理教は集金に関しては抜け目がありませんね。オウム真理教の「手本・ひながた」になったのもうなずけます。そもそも、「お守り」や「ごくさん」自体、天理教の教理とは全く関係ないものだと思いますが、一体、誰が考えだしたものなんでしょうね。
「お守り」に使われる赤衣は毎朝、教祖殿に供えられているものだと聞きました。修養科時代に三方に載せて運ばれているのを見たことがありますが、これも教祖の存命を、それらしく見せるための演出のように感じます。
教祖殿の奥の方には冷房も備えられていて、これも教祖は存命だからだと聞きましたが、本当に教祖が喜んでいるのかは、あやしいものだと思います。
よく教祖殿で奇蹟体験した人の話を聞きますが、エアコンの電磁波障害による幻覚という可能性も考えられるのではないでしょうか。
崩壊様
>上級教会、大教会、本部という順番に、ヒエラルキー(階層構造)の下部から上部それぞれに、お供えをした記憶があります。集金システムとして極めて巧妙な方法だと思います。
今は知りませんが、ある大教会では、お運びの時、大教会長夫婦・親会長夫婦・子供・孫までお礼の袋があったそうです。
お守りは、今は詰所の願書だけで良いと思います。
鰯の頭も信心から
今までに費やした時間とお金がもったいない、ここまできたのだから、と、離れられない方々、
今ですよ!今が『旬』ですよ!
来世に期待しないでください!
現世ですよ!大事なのは!
生きながらにして生まれ変わるのが教祖の、親神の教えですよ!
死んだら、また別の人生(人間とは限らない)ですよ!
今なんですよ!これからなんですよ!生きているうちが人生なんですよ!
うちの実親は死んでも参拝どころかお悔やみ電報ひとつ来ませんでした。
一生「教祖様」と言って信仰してました。
お供え、ひのきしん、あげればキリが有りません。
親が選択した道なので批判はしませんが、
そんなもんですよ。この宗教。
お供えが引き出せ無いと解るとお悔やみ電報ひとつよこしません。
もしも、教祖様がご存命(ありえない話ですが)だとしたら、今の教団をたちどころに潰されるに違いありません。
>>来世に期待しないでください!
現世ですよ!大事なのは!<<
その通りだと思います。二代真柱中山正善はその著書「陽気ぐらし」の中に「来世の安息の様な死後の世界像は描かない」とはっきりと記しています。
以下。
「天理教では来世と言うものを問題にしていない事を言っておきたいと思います。来世の安息であるとか、極楽浄土、地獄焦土と言う様な死後の世界像は描きませんし、従ってこうした死後の世界と現世の因果応報的な関係などにも言及しておりません。天理教では現世のみを問題にするのです。現世での人間の幸福を考えるのであって、教理では、来世とか死後の世界の為に現世があるのでは無く、現世は現世の為にあると言うことになっております。そして現世での幸福の究極の姿が「陽気ぐらし」なのです。」 中山正善著「陽気ぐらし」より。
二代の真柱がこのように現世のみを問題にする。とはっきり言明しているのに、なぜ、教団はいまだに前世の因縁だの前世の因縁切りだの言って、それを脅しの様に説教して来たのだろうか?金儲けの手段になっていたのは間違いないと思っているが、全信者の中から、また教会長たちから疑問や矛盾として問題視せず今に至っているのが不思議でなりません。二重教理、正反対の教理がある時ではまかり通り、ある時期では真柱が否定している。
天理教教会本部は過去から現在に至るまで、一体何が言いたいのか?真柱の言及を無かった事の様に今日を迎え、因縁を説き、貧に落ち切るその辛抱が来世の助かりに繋がるみたいな様な事を言い、エンドレスの陽気ぐらしを扇動し、それがまかり通っている。二代に言わせれば、「現世は現世の為にある」のである。
当時の教団のトップがその著書で明言しているにもかかわらず、筋道の立たない因縁を説き続け歪曲教理を放置し続けているのは、得心せよと言われても得心出来ない大きな矛盾です。
上記の匿名様が仰る通り、生きているうちこそが人生なんです!現世こそが人生です。有限の現世の時間を有意義に生きることこそが重要なんです。
本部のお偉い先生。分かるようにここに説明して貰えませんか。
匿名 様
2020年1月9日 3:38 PM
>>上記の匿名様が仰る通り、生きているうちこそが人生なんです!現世こそが人生です。有限の現世の時間を有意義に生きることこそが重要なんです。<<
全くその通りだと思います。「死後の世界」の思想は、人間が誰しも本能的に持っている「死に対する恐怖心」に由来するものです。仏教の「極楽と地獄」やキリスト教の「天国と地獄」の思想がその典型的な例だと思いますが、宗教の違いはともかく、そうした思想はどの宗教にも共通するものだと思います。人間は誰しも
死ぬのが怖いのです。そうした人間心理を利用し、因縁や出直しの思想をもっともらしく説き、教団の金儲けに利用しているのが今の天理教です。二重教理、正反対の教理が、ある時期では真柱が否定し、ある時期ではまかり通っているのは、その時々で天理教という教団が教理を正反対に歪曲してまで、金儲けしようとしている証拠に他なりません。要するに、教理などどうでもよいのであり、教団にカネさえ入れば良いという教団側の「我が身思案」に他なりません。教団側の勝手な都合で右へ左へと翻弄され続けてきたのが真面目な信者さん達ですが、そんなことがいつまでも通用するはずがありません。信者さん達も馬鹿ではありません。過去から現代に至る教団の矛盾に気づき、信者が激減しつつあるのが今の天理教の姿です。
毎度おなじみの睦輝さんがTwitterでアンケートをとっていますが皆さんはもう、投票されましたか?
内容は次のようなものです。
【#天理教 信者アンケート】
あなたは結婚する時に結納金を用意した、または結納金を頂きましたか?
※結納金無しで家電家具、着物、婚約指輪があった場合でも『結納金なし』を選んで下さい
〇教会や本部勤め、結納金あり
〇教会や本部勤め、結納金なし
〇一般信者、結納金あり
〇一般信者、結納金なし
アンケートの目的が判らないのですが、自分の例を披露しますと、
〇一般信者、結納金なしでした。
貧乏暮らしの比較をするためのアンケートでしょうか。
つまらない例かもしれませんが、東京在住の貧乏人の一例を書かせて頂きます。
我が家の親は、高校までは出してやるが結婚資金は自分で作るようにと中学生の頃から耳タコのように言いました。
高校時代も1年ほどの間、放課後はアルバイト。
就職した企業には高校の制服で出社。勿論、校章ははずしましたが。
ようやく初めての給与で衣服を購入。
父は一部上場企業勤務で人並みには収入があったはず。母が天理教信者。
高卒の少ない給与から毎月定額を家へ入れ、アフターファイブ(古い言葉!)には自費でいくつか勉強に励みましたので、もろもろの学費・教材費の負担は厳しかったものです。
その上、母は私を「金ズル」のように思ったのか、妹たちにケーキを土産に買ってこいとか(母もおいしそうに食べていました)
妹にスーツを用意してあげろと言うので小太りだったため、オーダーしてあげましたが、妹は何が気に入らないのかブスッとした顔で数回しか着ませんでした。
私自身の身を飾る余分な物は買う余裕など有りませんでした。
幸い、職場の人と付き合っては勉強する時間が無くなるので、変人レベルの立ち位置に徹し、遊行費の心配もなく過ごせました。
結婚した相手もつましくて指輪は私が一人で購入。7千円位だったと記憶しています。
新婚旅行なんて行かず、後日、東北の唐桑の国民宿舎に一泊しただけ。
年金暮らしの今、食べる事と光熱費、住居費は年金で賄えるものの、交際費や遊行費に費やす余裕は全くないのが実情。
総合口座から借りては次回の年金の入金で返済というように、やり繰りしながら生きています。
お供えをゼロにする勇気がないから、ゼロ=教会から消え去る方法しかないと思っています。千円札を包むたびに内心ではため息が。
その様な気持ちのお供えは神も喜ばないとか言う方もいますが、その言葉に傷つく私のような者もいる事を知ってほしいものです。
お供えに関して綺麗ごとを言ってほしくないのです。
賽銭箱に入れる小銭で済まないのが天理教でしょう。近所の神社なら十円玉一つですみます。
でもそれでは教会経営が成り立たない事も分かっています。
だから本部は各教会へ組織維持に関する費用を経費として渡すくらいの気持ちにならなければ今後、一層の高齢化と共に生活苦から信者は減少するしかないのです。
本部はすぐにでもできる改革として、宴会の飲食を廃止し、意味のない各大会を廃止すべきでしょう。
教内行事での酒飲み(男女ともに)が多い天理教という現状を変えましょう。
近所の神社の神主さんたちはどのように生活しているのでしょうか。
神主不在の場合は地域住民の力で清掃などをしているのでしょうか。
都会に住む自分には判りませんが、誰かの努力で支えられているのだろうと想像します。
お供えの不安・心配が無くなれば、純粋に信仰できると思いませんか。
そうですよ、大きな額をお供えしたい方も無記名で、お賽銭箱に投げ入れれば純粋性が担保できます。
これ、いいアイディアだと思うのですが・・・。
まぁ、本部がやるわけないよと、またまた、くさされそうですが。
上記匿名様
基本的に洗脳状態ですよね?
お供えやめて、自分が助かるなら、やめたら良いんです。
なんの為に、信仰してるのでしょうか?
ご自身に、何が積まれ、何が残っておられるのでしょうか?
貧乏は恥ずべきことではありませんが、それが宗教によるのであれば
恥ずべき事になるかも知れません。
天理教外の人間には、まったく理解不能な理屈かと、思います。
↑の匿名様
天理教にかかわってしまった庶民はやり繰りしながらお供え金に悩まされるのですよね。
私は昼食代、お下がり代として1000円一枚、のし袋にいれて帰ります。ただ食い、乞食は出来ないので。
本来神の望まないお供え金と言うものはする気が全く無いので上の会長さんには食費と思ってくれたらいいと思っています。
お供えなんて必要無いです。1000円以上する必要はないと思います。
ところで、 自分は苦しい財布事情の教会長で、信者さんにお供えの請求も強要もした事は有りません。神様は物やお金で御守護の駆け引きはしません、と常日頃から言っています。しかしながら、教会運営上の出費、出金の多い事。
本部は息絶え絶え状態の各教会へ最低限の運営費くらいは分配するべきだと思います。
本部からの最低限の運営費の分配?
もともと本部の資金は、各教会から、上納されたお供えですよね?
じゃあ、上納する時に、各教会の運営費は、そこから引いても良いはずですが?
違いましたっけ?
全部上納したら、どうやって生活するん? 愛町分教会の攻勢など、成り立たんやろ
もともと、お供えで生活費も足りない教会は、成り立っていないんやろ
意味不明、理解不能、教会を辞めるのが正解ちゃうの
本部からの運営費の分配とは
要は、生活費以上にお供えを集めてる教会の余剰分を
集められない教会にも下さいって言う意味ですよね?
それは、自分で集められない大教会が、下部教会要求するのと同じですよね
同じ、思考って事です、甘えではありませんか?
お供えで、生活費を得る事もできないなら、専業の教会長を辞めるのが正解でしょう?
仕事しながら、布教する、普通の布教者が良いんじゃ無いですか?
教外の人間には理解できない大甘の甘えです
私は天理教とは中山教そのものなのだと思っていますが、宗教法人法によれば教団は中山家の所有物ではないとのこと。ならば企業みたいに、代表者のリコールなんてことも有り得るということでしょうか。それが可能だとして、中山家の退場を望んでいる人々は、あくまで「天理教」という名の教団の存続と改革を望み、その中で「天理王命」という名の神を信仰することを望んでいるのでしょうか。
私は今でも朝夕の「おつとめ」を欠かすことはありませんが、第一節は家では完全にやめてしまいました。みかぐらうたは「なむ てんりんおう よしよし」と唱え、もう柏手も打ちません。教会では第一節は唱和せず口パクだけで、柏手も寸止めで打ってるフリ。まあ、ささやかな抵抗ですが。
教会の月次祭で、全てが神道の様式の中で「南無」と称えている。その珍妙さを通り越したインチキ臭さを誰も感じていないのが不思議でなりません。
中山家を排除できたとしても、130年かけて育まれた腐敗と因習は、大教会や上級のみならず、すでに一部の末端協会や信者にまで浸透してしまっていると思います。良い教会と悪い教会の線引きも非常に難しく、組織の改革や正常化などあまり現実的とは思えません。
私は信仰、いや信心というべきか、そうしたものは人間にとって、とても大切なものだと思っています。無神論さえも信仰の一つと言えるのかもしれません。しかし宗教組織というものの必要性には、すっかり疑問を抱いてしまいました。特に天理教なんて、形ある商品も無ければ、利益配当も無いマルチ商法みたいなもの。
「天理教」という名の宗教組織が存在するかぎり、教会家族、教会親族、それに重度の洗脳状態にある信者たちが、常識的な社会、正気の世界に戻れる可能性は極めて低いように思えます。一度、完全にリセットされて、そこから単立教会でも新宗教でも始めたほうが良いのではないでしょうか。
教祖のひながたの道50年をゆがめてしまったから、天理教と言うんでしょうね。自ら墓穴を掘ってしまったんです。
参考意見様の仰る通りです。それ以外に道はありません。虚実を取り混ぜている現行天理教が、「お道」なんて言えた柄でしょうか。
学生時代、一人の先生が言っていました。
「ジャーナリストという奴らは正義だ真実だと言ってるが、あいつらは戦争や犯罪や事故といった世の災いが無ければ、飯を食えない奴らなのだ」と。
天理教でよく耳にする「身上事情は道の花」とは、まさしくこれにピッタリで「身上事情は宗教屋の飯のタネ」と言い換えることもできると思います。かつて天理教の信者数が500万人とも言われた時期があったのも、天然痘と結核の爆発的な流行など多くの病苦を抱えた人々がいたおかげで、科学や医学が発達していない時代、特に貧しい人々は医療を受ける機会も無く、神に救いを求めるしか無かった。そうして逸話編で語られるような奇蹟があったことも、教祖の時代には少なくはない事実なのだと思います。
しかし、それが今現在の信者数は100万か60万か、あるいはそれ以下か? この状況から想像できるのは、今日までに助かった者よりも助からなかった者のほうが圧倒的に多かったということではないでしょうか。
助かった者は、自分の身に起きた奇蹟を人々に話し、それは口コミで拡がっていく。しかし助からなかった者は、死人に口なしとなり、それっきり人々に知られることも無かった。なかには全財産を投げ出した者もいたかもしれません。全てが教団にとって都合の良い時代だったのだと思います。
科学、医学の発達した現在、多くの身上が医療によって助かるようになりました。また福祉などの制度によって、誰もが最低限の医療は受ける機会を持っています。それ以上のことが必要になった時のためには各自の備え、すなわち金が必要です。宗教は、そのようなものを奪ったり阻害したりしてはならないと思います。
今でも、医学が万能というわけではありません。神様の力を借りなければならないこともあるでしょう。私の身上に起きた奇蹟だって、人間の医者では絶対に不可能なことだったと思います。
しかし、よく耳にする話ですが、病院の前に張り込んで、出て来た人を相手に「においがけ」をする。自分の足で歩いて通院できるレベルの病人を相手に「おさづけ」をして、良くなったら神様のおかげ、ダメだったら信心や努力が足りないなんて、そんなダメ元詐欺みたいな布教活動は、いいかげんにやめて欲しいと思います。
他人の不幸を飯のタネにしてはいけません。
世間から条件付許可で不適切な勧誘(洗脳)してると指摘を受けてます。教団は即改善してください。
自治体直営の山村留学センター所長が入寮児童と保護者にレリハラ/不適切宗教勧誘か
https://hbol.jp/209640
ハーバー・ビジネス・オンライン > 社会 > 自治体直営の山村留学センター所長が入寮児童と保護者にレリハラ/不適切宗教勧誘か
不適切な宗教勧誘が行われた疑いがある本郷山村留学センター
母親「所長、女子中学生の受け入れ、何とかなりませんか。いろいろ問い合わせしているのですが、なかなかうまくいきません」
所長「うちで預かってもいいんだけど、決めていることがあるからねぇ。天理高校に行く子だけ預かることにしてるから。じゃあ、○○子(娘の名)、天理高校に行ってくれる?僕は教会長なんだけど。天理高校は天理教の信者じゃないと受けられないんだよね。決まりがあるからね。今度、そういうの(別席)があるから、4人(所長夫妻、母娘)で行きましょう。おやさまという方がいるんだけどね、どういう教えでどうして大事なのか」
思いがけない提案に面食らった母親は思考停止状態になり固まってしまったという。脈があると思ったのか所長はその後、30分以上天理教についてブリーフィングを続けた。明確な返答ができないまま施設を後にした母親だったが、その後、友人にこの交換条件の提示について話したところ「それはおかしい」と指摘され、立場を利用した宗教勧誘であるレリジャスハラスメント/religious harassment(レリハラ)の被害に遭ったことに気付く。
「身上、事情は道の花」という天理教の有名な言葉があります。病気で苦しんでいる人、何かトラブルで困っている人の弱みにつけこみ、あるいは心の隙間に入り込んで信者を獲得してきたのが天理教ですが、そうした卑劣で姑息な手段は、これからは通用しません。
本当に人が人を助けることができるのだろうかと思う時があります。イエスも言ったように、「あなたの信仰があなたを救った」 というところが「真」なのであって、神ならぬ身で、人が「人助け」するなんて、実におこがましいではないか・・・
人を助けるという超能力を持った人も現れることがあるかもしれませんが、基本、「天は自らを助ける者を助ける」というのが本当なのではないか。
それはそれとして、特に困ってしまうのは、人助けといって、病人さんや不幸な人を探し求める人たちがいることです。そういう人達は往々にして病人さんを貶(おとし)めるところがあります。「あんたは、~~が悪い」、とヘーキで言います。
この時、お説教に夢中になっている彼は自分のことをタナにあげています。「あんた、よーゆーなぁー、それ前部あんたの事やないかぁ?」と、病人さんは思って、反発するでしょう。
どうか、天理教の善男善女(ぜんなんぜんにょ)よ、不幸な人を探し求めて、その人のアラ探しをしたりすることが無いようにしてほしい。人からとやかく言われなくても、大抵の人は自分で立ち上がれる能力を持っているんだから。
人の不幸をみつけると、ニンマリ笑うあの、悪魔のようなほほ笑みをみせることのないようにしてほしい。これ、人が不幸になることを望んでいる感じで、イヤァ~~な感じを相手に残してしまうよ。
「人助け」なんかしなくてもいいから、ただ、その人が幸せになることを祈ってくれさえすれば、それでいいんだが
↑ あぶたまん → ぶたまん
前部 → 全部 訂正いたします
不幸な人を探し求める天理教人を見ていると、古いコントの一場面を思い出してしまいます。
ボロボロな寺の住職が、訪れた人に一言。
「なかなか人が死なんでなあ・・・。」
人助けとか大嘘(笑)
参考にならない意見 様 2020年1月9日 10:36 PM
>本部からの運営費の分配とは
>要は、生活費以上にお供えを集めてる教会の余剰分を
>集められない教会にも下さいって言う意味ですよね?
>それは、自分で集められない大教会が、下部教会要求するのと同じですよね
>同じ、思考って事です、甘えではありませんか?
>お供えで、生活費を得る事もできないなら、専業の教会長を辞めるのが正解でしょう?
>仕事しながら、布教する、普通の布教者が良いんじゃ無いですか?
>教外の人間には理解できない大甘の甘えです
ご説、ごもっとも。
末端教会であれ大教会であれ本部であれ、「自分たちで自分たちの食い扶持分のお金を集められないなら専業などやめるべき」です。
つまりは、教会の上下関係など関係なく、どのような教義解釈や脅し賺し説教されようが、各教会・末端教会は年15000円の教会教費(これは被包括関係の法律上の義務、もっとも、滞納しても大した問題にはならないが)以外は「他所の教会や上級、大教会、本部にはお供えや御礼など出す必要はない」という『参考にならない意見様』の主張に賛成します。
久々に掲示板を読ませて頂きましたが、とても有意義なご意見を読むことができました。
有難うございました。
加藤ハルアキ 様
2020年1月10日 10:04 PM
>>ご説、ごもっとも。
末端教会であれ大教会であれ本部であれ、「自分たちで自分たちの食い扶持分のお金を集められないなら専業などやめるべき」です。<<
天理教では「道一条」が異常に美化され、教会長やその家族が世間で働くと「事情働き」をしていると言われ、あたかも何か悪いことでもしているかのように非難されます。教会本部は教会長やその家族を天理教に専従させることによって「お供え」の増収と安定的確保を目論んきたのです。こうした本部都合の誤った考え方は、教祖の「朝起き・正直・働き」という教えや「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」という教えと根本的に矛盾します。世間で一生懸命仕事をすることは自らの生活費を確保するだけに留まらず、社会に貢献すること、すなわち、「人たすけ」につながります。教会本部は自らの金儲けのために、本来の教理を正反対に歪曲し、誤った価値観を信者に植え付け、末端分教会を奴隷のように集金マシーンとして酷使してきたのです。
当たり前のことですが、
限られた人生の時間は
その人個人が
本来自由に使って良いもの
アホな理の親に支配され指図され、そいつらの贅沢のために
精神も時間も浪費するなんてバカバカしいこと
ささっと経済的に自立して、こんな糞カルト教団からはオサラバしましょう
尚、末端教会は被包括法人の廃止をおすすめ致します
みたま祭後の教話の常套句は、入信の元一日を忘れるな、今日結構に暮らさせて頂けるのは、祖霊殿にお鎮まり下さる〇〇〇柱の先輩諸先生方のご苦労のお陰あってこそ・・・。だったら、今のご苦労な信仰生活はさっさと辞めませんか。あえて天理教本部維持のための苦労なんてまっぴらです。
天理教は中山ねずみ講なだけだろ
何が「教え!」だよ
天理時報に真柱年頭挨拶時の写真が掲載されていた。見違えたかと思う程の別人に見えたのだが、身上に倒れた時は一切広報せず、回復した時だけ顔写真を見せて、だいぶん回復した、と聞かされても、遠方の一般信者は身上の事実を知らない方々も多いので、何か真柱にあったのか?と思うばかりでありましょう。
御都合主義で都合の悪い事は伏せる。こんな新聞を部数を増やせと言われても真実をありのままに記載しない新聞なんて読む意味があるのか。廃れて当然です。本部の顔色を見るのではなく読者の側に立って発信して欲しい。
匿名 様
2020年1月11日 12:23 PM
>>天理教は中山ねずみ講なだけだろ
何が「教え!」だよ<<
全くその通りだと思います。今の時代のように、天理教教祖が自らの口から発した言葉、先に述べたような「朝起き・正直・働き」や「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」は、テープレコーダーやVTRに残っているものではありません。教祖伝等の文献や口伝え等で残っているものであり、多分に歪曲されている部分もあり、真実では無い部分もあるはずです。しかし、今の信者さん達は確かに教祖が言われたというように刷り込まれてしまうのです。教祖が確かに教えられたかどうか、現代に生きる人々には誰も断言することはできないし証明することもできないでしょう。しかし、「朝起き・正直・働き」や「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」とは、宗教の範疇を超えて、人間として当たり前のことであり、わざわざ一新興宗教の「教え」として論ずる必要もありません。人間として当たり前のことをもっともらしく、教祖の言われたことのようにとりあげること自体が、うさんくさいのです。今の天理教団は「ねずみ講」以外の何ものでもないのです。
匿名 様
2020年1月11日 5:07 PM
>>御都合主義で都合の悪い事は伏せる。こんな新聞を部数を増やせと言われても真実をありのままに記載しない新聞なんて読む意味があるのか。廃れて当然です。本部の顔色を見るのではなく読者の側に立って発信して欲しい。<<
極論かもしれませんが、真柱の病状など信者にとってはどうでもよいことです。真柱も人間である以上、いつかは病気になり死を迎えます。「死」は人間やその他の生物と同様、この世に生きとし生けるもの万物平等にやってくる宿命です。天理時報という天理教教会本部ご都合主義の新聞を半強制的に定期購読させられる読者の皆さん達、そうしたインチキ新聞をわざわざ手配りしなければならない末端分教会にとっては、本当に迷惑なことです。
アンケートの件、取り上げて頂き恐縮です。
アンケートは2本立てで、もうひとつは
「結納したか否か、結納金の有無、扇一対交換のみだったか」
です。
私の知るところでは、教会へ嫁ぐ場合は「扇一対の結納」をする所が大半でした。
一般信者ですと今は結納自体をしない事が多い時代ですので、それも合わせて「天理教は扇だけの結納か、結納しないものだ」と思っていたのです。
ところが結納金を含め大教会以下でもきっちり結納する系統が関西に多いとか、教会に同居なら結納金を頂かないとタダで手に入れるお手伝いさんみたいで失礼だとか言う話を聞いたので、個人的興味でアンケートしてみました。
対した意味の無いアンケートですみません(^^;
諸教が教えておいて尚明かさなかったダメの一点とは、
天啓者が永続し、将来の人類をタスケル棟梁になる魂達が明かされる地場の理なのでしょう。
「いずれ棟梁四人いる、はやく伺いたててみよ」
啓示霊能者を追放してきた報いが、全天理教専従者達を襲っているのが現状でしょう。
このままでは、頭の中が、金一族擁する嘘八百のチュチェ思想になってしまうぞ。
みき様始め、道具衆とその周辺の魂が天啓者になり続け、たすけ一条をつとめ続けるところをお地場の理というのだろう。
道一条という美名に騙された、専従者一族達は気の毒だが、今からでも中山一族に天啓者を要求する事は理にかなった事だろう。
悩み事を本部の天啓者に伺って下さいと、中山家の人達にお願いすべきなのではないか??
宗教には、教義、教条の無い、形の見えない存在、神的存在に祈り、感謝して、自分を高い世界、人格に導いてもらう、自分をこの世で守護してもらう、神霊主義、祈り主義の宗教 (自分で祈り向上を目指すのであり、拝み祈祷とは違います)
個人的な信仰で高い人格を目指して、この世の社会的状況も、人として良い方向を目指して行くと言うのが、神霊主義宗教の理想のあり方だと考えられます。
教義、教条を定め、それを学びながら、日常生活の中で、行動で実践を積んで、自分の人格を高めて行く、行動として社会貢献をして行く、行動から徳を積むと言う生き方を目指す、こう言うのは、教条主義宗教だと言えるでしょう。
この場合の神様は、象徴的存在であり、人知を超えた偉大なる存在になります。
教条主義は、個人の人格を高めると言うより、個人の行動規範であり、社会参加においても、この行動規範で、動く事が多くなり、行動の自由を縛る部分もあります。
宗教同士の対立は、教条主義宗教の物ですね。異なる教条に対して寛容より排除の行動をするから、戦争になるし、神の名の下に殺しあったりできます。
天理教は、どちらの面も持っていますね、教条主義と神霊主義、現在は教条主義が主体であり、神は概念上の存在と化している様に見えます。
連投、失礼いたします。
教会子弟に生まれ、環境が固定されていると、身動き取れないので、それが一番の問題であって、教外の人や、一般家庭信者は、組織に距離を置けるので、どんどん離れて行く事ができます。 離れられないから、教団が変わって欲しいと言う怨嗟の想いが出て来てるのが、ここなのかな、と思います。
私の理解と印象では
布教者の道の路銀として、親神様が与えて下さったのが、お助けでしたよね。
布教者は、あざやかなお助けをして見せて、神の存在を証明してから、神の教え、生き方を説いて、信者を増やして、教会を構えて来たのが、歴史の始まりですよね。
先にお助けありきで、神の不思議を魅せてからの、神の存在を実感させて、陽気くらしの教えを浸透させて来たと思っていました。
関根豊松、初代様は、最初は関東に居たけど、知多から尾張と、場所を変えながら、布教活動をして、今の愛町分教会を作られたけど、それはあくまで信者とお布施を集めて作られたので、財産を投じた訳では、無い様ですね。
その根源は、この門を潜った人に助からない人は無いと言われた、初代様の凄いお助けの力、神の不思議だったと言う事らしいですね。
初代様は、先を見通し、愛町を分教会にとどめ、配下を布教所でとどめたりと、本部の干渉を最小限にとどめる方策をして、親神様、教祖様にもたれた。
神霊主義かな?と言う印象です、もちろん今の愛町でも、お助けが無くなれば、だんだん衰退するかと想像しますが、従兄弟の嫁一家が熱心な愛町信者だったので、聞いた話ですが、大きな鼓笛隊など、次世代の子供達を取り込む知恵も、持っておられる様ですね。
本部から運営費をくれって言う意見は、その、余剰力のある、ほかの系統が上納したお供えをこっちにも回して下さいって言う事なので、なんだか、悲しいですよね。
私が、一教会長なら、悔しいって感じるでしょうね。
神のお助けを表せられない、信者を得られない、もし自分がそう言う立場なら、情けなくて、悲しくなる。
専業で宗教やって行くなら、命懸けで、宗教者とは何かって、神の存在を求めたり、いろいろ、信者を惹きつけることを、模索するしか無いとも思います。
私自身は、専業宗教者では無く、一信仰者なので、友人知人が入院したり、頼まれたりした場合のみ、浄霊をしますが、少しは結果がでますし、無料であり勧誘もしないので、まったくストレスは感じません。
天理教も、働きながら一布教者として、生きる分には、楽しく、その方が、何も困らないんじゃないかな?って思います。
神なんて存在しない、教祖の教えこそ全てであると言うなら、そもそもお助けは、無いので、教条と教えを説くしか無く、キリスト教と同じですよね、毎週ミサでもやるしかない?
参考意見様へ、父親はこう思っています。
人間の体は、20歳位で成長のピークを迎えます、人間の脳味噌も、40代位でピークを迎えるらしいです、実際50代になり、記憶力も反射も衰えました。 もちろん体は20代とは比べものにならず、かなりくたびれています。
ところが、脳味噌には衰えが見えても、人格的には進化は止まらない感じがします。 経験の蓄積から、洞察力、推察力は20代はおろか、40代よりも深くなっています。
人格的にも、気力も衰えてはいません、肉体の念力では無く、想念力、祈る力は、加齢による衰えを感じません。
脳味噌は衰えているのに、より深く物事を捉える能力は、まだ成長しています。
極端な話、読心術に近い位、相対する人の心を読める様になり、優しく受け入れる力もついた、未来も、かなり正確に予想できるようになって来た。
しかし、おもしろい事に、これは個人差があるのです。
心を大事に、祈りや、自分を律して、信仰などで成長させようと言う生き方をした人と、死んだら終わりって、割り切って、人間的向上を軽視した人、周りを見ていても、その差は、50歳を境に、じょじょに広がって行くように見えます。
信仰をないがしろにするなかれ、体だけだと、死んだら無くなると、割り切る事無かれ、常に自分を見つめて、人として向上を目指した方が、ボケないと思います
人間が肉体なだけなら、借り物の脳と体の衰えとともに、人格も落ち、生物としての存在価値も落ちてしまうと言えますが、心と言う衰え無い存在があるからこそ、老いても、人間としての価値は落ちること無く、出直す事は、私個人は大霊界に霊体として生まれ出る事であり、祝うべき事だと思っております。
連投すみません、ありがとうございます。
永遠の魂たる我々人類の中でも、特に進化した道具衆の魂の方々が存在した事も、その魂が天啓者へと成人した事も、世界が旬刻限を通過して、永続する新しいニンゲンとしての天啓者達を中心にする文明が現れる事も、奇跡的な天恵に恵まれる時代にさしかかっている事も、大いに祝うべき事だろう。
必要なのは、本部の人事権を掌握する中山ご一統方による本部人事の百年間の違いを猛省する事だけだろ。
天理時報第4651号 2020年1月12日
中山善司・真柱様の「年頭あいさつ」が4 日夕づとめ後、本部会議所で行われ、
本部在 籍者、直属教会長、教区長、集会員、各会委員、施設長ら5人が参集した。
真柱は冒頭新年のあいさつを述べられ、昨年の一年間の一同の務めをねぎらわれたうえで、
「一年を振り返ってみるとからだもすこしずつ回復しているように思う」と話された。
続いて、「昨今の道の状況に鑑みて、
「私たちの基本、道を通り後に続く人をしっかり育てていくうえにおいて、
歩み方の中で基本となるところを、だいぶ忘れてしまっているのではないか。
「だんだんと流されてしまって、『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」
「前真柱様はよく、この場で、『去年よりも少しでも成人させてもらいたい』というようなことを、まずはお話くださっていたように思う。
それは大切なことなので、惰性というか、流れにまかせてしまわないように、
つとめていただきたい」と述べられた。
—————————————————————-
>「だんだんと流されてしまって、
『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」<
え?
は?!
いまさら?
それとも〇〇症も入ってきたのか?
小学校の学級委員長でももう少しましな挨拶ができるよ….笑
成人の定義も基準も曖昧で、ポエマー進次郎よりひどい…..笑
おまけに権威付けに父ちゃん(三代)頼み….
これが教団トップの年頭挨拶?
一日巡教するだけで100万以上?も平気で貰っちゃう精神状態のお方だから無理ないか orz
>『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに<
が、
『まだ搾り取れるやろ』と思っているうちに としか聞こえない。
もう本部ごと西之島にでも 「流されて」 くださいな。
結局この挨拶で真柱から出てきた言葉は、
「世界の苦しむ人達のことを慮る言葉、そしておたすけしようとする決意」ではなく
自分の身上のこと、教団の窮状のこと、
ひいてはわが身可愛いばかりの事。
これでは神が退くわけだ。
ダメだこりゃ…… (いかりや長介風に)
お地場の救け力を強化しないで、二の次三の次の伽藍づくりに勤しんできた本部の人達。
二代真柱を含めた道具衆と云われた人達さえ、人間力で間違ってしまった負の教訓を生かして、天啓者達を発掘して、お地場の屋敷のオタスケ力を強化するという基本に立ち返るしか道は無い。
昨年久しぶりにおさづけの拝戴の時の扉が開いているのを見た時、感動しました。
それから幾度か扉が開いているのを拝見させて頂き、また強い御神気を感じさせていただいた後真柱様が歩かれているということをお聞きし、おさづけの拝戴者らしき方々の数が少しづつ増えていくのを回廊から拝見させていただき、度々感動させていただきました。真柱様の御言葉を頂戴出来てとてもありがたく思います。
御神気のような気配があり、回廊でその御神気を感じさせていただくことが度々ありました。もしかして真柱様が歩かれているのかもしれないと思いながら、御神気の圧を感じました。
御言葉を頂戴出来てとても嬉しいです。
私のおさづけを喜んで頂ける方々がおられます。手のぬくもりを感じていただいています。
私は真柱様におさづけを拝戴しました。数十年かかっての拝戴でした。
この手のぬくもりをこれからも多くの方々に受け取って頂きたいと思っております。
『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」<<
まだ大丈夫は上層部の本音。まだ金を取れる状況が許されるだろうと思っていたと言う事。
一般信者が読む新聞に「内輪話」を記載して信者を馬鹿にしているのかと思った。
何も知らない一般信者は「え?天理教は大丈夫じゃないんだ」、と気づいてしまう。
(まあ、船が沈んでいる事を広報するのも時報の役目だからいいか、、)
こんな内輪話を聞かされたら皆不安になるし、トップ層一丸となって目を覚ましてこの難破船の舵取りに本気で取り組めばいい事。
本部はじめ上層部の気の緩みを広報誌で暴露する行為は馬鹿。
信者の存在が眼中にないのも読み取れる。真柱身上ご守護さえ頂けない天理教。
もう何おか言わんや。
今年最初の月次祭での上級の教会長の神殿講話で、部内教会の一つが名称を返却するという話がありました。信者3人でスタートしたという、典型的な倍加教会だということです。その話の中で上級の教会長は言いました。
「百年祭の年、お供えは330億円あった。(みちのとも発表の254億円は下降修正されたのか?)それが今では130億円にまで落ち込んでしまった。昔の信者たちは、かしものかりものの理を大事にしていたのに、今の信者たちは結構な身体を使わせて頂きながらレンタル料を払おうとしない。」
そう、ハッキリと「レンタル料」と言いました。こんな田舎の最末端の分教会で「善亮教」の手先に遭遇するとは。この教会長は百年祭の頃、自殺した教会長や銀行強盗をやらかした教会長がいたこと、そして当時の借金を今だに返済し続けている人々がいることを知らないのでしょうか。さらに彼は、
「こんなに立派な神殿やら、何から何まで用意してもらっているのだから、信者はより一層の努力をせねばならない」とも。
用意してもらった?その金を出したのは信者たちではないか。教団には信者たちを食い尽くしたという自覚が無いようです。まるで後先考えず全てを食い尽くす、イナゴの襲来のような災害なのでしょうか。
教会親族でなければ、途中で退席するところでした。新年早々、気分が悪い・・・。orz
上に行くほど狂っている組織なのか?
レンタル料よこせ、、、 魂のやくざ者、、、 根っから腐ってる。
今の信者たちは結構な身体を使わせて頂きながらレンタル料を払おうとしない。
そう、ハッキリと「レンタル料」と言いました。
え? 何? 天理教が貸してるの?
じゃあ、信者辞めたら、返さないといけないのか?
もはや、視野狭窄の極みだね
人間でも世話になった人には盆暮れのお礼をするだろ?と親神の「無償の貸与」を人間レベルのお付き合いに例を出し説教する愚行。
人間レベルの慣行を畏れ多くも親神に当てはめる大間違い。
絶対的な親神は対価を求めません。
心だけが我が物と言われ、心の使い方崇高な人間愛を求めているので有り、現金、現ナマを求めているはずがない。
感謝の最後は現金だ、金を持って来いと御筆先、みかぐらうたの歌詞中に書いて有りますか。欲を忘れて、とか欲があるならやめてくれ、、とかは、私利私欲を忘れて利他に心を尽くせと理解している。これなら教えとしての体を為すが、欲を忘れて神に現金を出せと言うのだから天理教は完全な偽宗教です。
100年の計がどうしようもない衰退と言う形で今はっきりと出ているのに金、金、金と殊更に強調するのは断末魔の叫びのようで哀れであり、レンタルしているはずの身上さえすっきりご守護の貰えない真柱の痩せてやつれた正月明けの写真を見せられても憐憫の情を誘われるだけで自分としては納得感がない。
だから天理教は偽宗教だと世間から言われ、白い目で見られ、街中で天理教の犠牲者が哀れにも踊っているのを遠巻きに避けて見られているのです。
弱肉強食の世界
盛者必衰で諸行無常で栄枯盛衰で…
天理教という宗教団体もこの摂理から逃れられない。
何故なら人間が作りあげた組織だから。
親神が教団を作った訳ではない。
人間が教団を作ったのだ。
天然自然、命のことわりを司る神だが、教団は神の所業ではなく、人間の欲や思惑の元に作られたものである。だから、いずれは衰退し、消えていく運命にある。
人間(生命)は命次の代に繋いでいく。
組織はいつまでも続かないものである。
皆様、どうか、今生きている間に、どこに身を置くことができるか、次代に何を残していくか、死ぬまでに何を成すか、視野を広げ、俯瞰的に、全体的に物事をよく見据え、考えて欲しいです。
『何』のために、『誰』のために生きていくのか…
神に生かされている、もたれているとお考えの方も、神が全てを動かし決めているのではないと、心は自由だと、よくよく考えて欲しいです。
全ての存在は全知全能の親なる神のかしもの、全ての現象は人の心どおりの神の守護。
感謝と謙虚さを養い、お地場に現れるはずの天啓者に心と現象の関係と誠の心とは何かを、永遠に身をもって教えて頂ける道が現れる筈だったのだが、、、。
かしものの理をユスリタカリに利用した朝鮮宗教、スピリチュアルマフィアへと落ちてゆくのか。
教祖時代とは逆に、上にゆくほど曲がっていたら大崩壊大掃除大解体からしか再生の道はないだろ。
心の道と賜る現象の関係。過去生前世まで遡って見える人間の存在は我々凡夫にとってみれば奇跡的なことではあるが、教祖本席時代にはそれが存在し、病まず死なず弱らずのひな形も現れようとしていたのだろう。
宗教屋たちも必要だが、中心に神人達が不在なら、純情な専従者は苦労存になってしまうだろう。
本部宇中山家には、お地場に天啓者の擁立を要望します。
教団にとって、公認の天啓があると、人間思案の教団幹部の方達にとって、不都合極まりありません。天啓の「おさしづ」には公認ですから逆らえなくなります。要するに教団運営にとって絶対的なものです。過去に本席飯降伊蔵さん、教祖が指名した上田ナライトさん、異端とされた井出クニ(国子)さんなど過去の扱いを知れば一目瞭然でしょう。今の教団が天啓者を公認することはないでしょう。出ればすべて異端扱いでしょうね。まがいものな天啓者と真実の天啓者を見分け出来ないでしょうから。天啓があれば、
祝賀パレードや学校閉鎖、現在の教団に対してどんな「おさしづ」があってでしょうかね。
三日講習の授業で聞いた、ある会長さんのお話です。
彼の教会に、たいへん信仰熱心な一人の女性がいました。彼女には女手一つで育て上げた20代前半の息子がいました。
その息子が交通事故の被害にあい、もう絶望的と言われた時、会長さんはICUの外から必死で、おさづけと願いづとめをしたそうです。たとえ助からなくとも、最後に一言でもいいから母親と会話をさせてあげてもらいたいと。
しかし、その甲斐も無く、意識の戻らぬまま息子さんは亡くなってしまい、その時の会長さんは、神様を責めずにはいられなかったと言います。
しばらくして、息子を亡くした母親から電話があり、おぢばに連れて行きたい人がいるので、会ってもらいたいとのこと。
その相手というのは事故の加害者の20代前半の女性と、その両親。いずれも未信者の3人だということを知った時、はじめて会長さんは、神様の深い思惑というものを理解することができたのだと言います。
会長さんのセンセーショナルな話っぷりが上手いこともあって、周囲の人たちは涙ながらに感動して聞いている様子でしたが、私はむしろ恐怖のようなものを感じてしまいました。
この加害者の女性には、もう自由な人生など有り得ないのではないか?命の負債とは、そういうものなのかもしれません。しかし、おぢばに行ったが最後、次は別席だ、次は修養科だと、要求はエスカレートしていきそうで怖い。こんなことなら交通刑務所にでも入ってキッチリ償ったほうがマシだった。そんなふうに思う日も来るかもしれません。
この会長さんは、すでに信者を3人獲得したつもりになっているみたいですが、-1で+3なんて、神様はそのような算数的な思惑で物事を決めているわけではないと思います。
穿った見方と言われるかもしれませんが、息子の死を布教に利用する母親というのも、なんだか怖さを感じます。
いずれにせよ、自分に対し絶対的な負い目を持つ相手に対し、宗教勧誘を行うのは、究極のレリハラであり反則技と思ってしまう私は、どこか変わっているのでしょうか。
天理教信者の身上レンタル料へのご意見·
だーかーらー!
借りた覚えないし、契約もしてないけど、レンタル料なら神様に直接払うから、支払い方法
おーしーえーてー!
先日の天理時報で、真柱の写真を拝見し年を取ったと言うより、困窮困惑衰弱しているように思いました。もう、頑張らないんで良いんじゃ無いですか?一度宗教法人法に則って、末端まで個人法人とし、神様、おやさまの真実の教えを、嘘偽り無く、資料修正部を完全オープンにして、対外に示していけば、なんとか復元への道はあるのではないでしょうか?このままでは、今現状元気なおぢばに蔓延る一族の思いのまま進んで自滅しそうな気がする。なにかチュチェ思想とかぶってしまう教団権力組織には、そろそろメスが入ることを望む。
参考意見 様
2020年1月13日 3:53 PM
>>いずれにせよ、自分に対し絶対的な負い目を持つ相手に対し、宗教勧誘を行うのは、究極のレリハラであり反則技と思ってしまう私は、どこか変わっているのでしょうか。<<
自虐心で苦しむ人に対して宗教勧誘をするのは、究極のレリハラだと思います。本人は十分に自覚し反省しているのですからそれで良いのではないでしょうか。失敗や過ちを起こさない人間はいないと思います。
先日紹介した、ある会長さんのお話について、まだ心に引っ掛かるところがあったので追記します。
交通事故で息子を失った母親が、加害者の女性とその両親、合わせて3人を、おぢばに連れて帰ったという。過失とはいえ、息子の命を奪った相手を赦し、お道へ導いた崇高な行為として、会長さんは話しているわけですが、どうしても私は素直に受け取ることができません。
まず第一に、亡くなった息子さん自身は天理教を信仰していたのか。そして親子の関係は円満なものであったのか。
こんなことを考えてしまうのは、このサイト内で、いわゆるバリ天の親に育てられた人々の悲痛な書き込みを、数多く目にしていたからです。
それにもう一つ、加害者の女性の家にも、普通に宗門というものがあったのではないのか。少なくとも冠婚葬祭の様式を決めるためのものはあったはず。しかし、命の負債ある者ともなれば、被害者の要望を拒否していくことは難しいのではないか。
このようなことを考え始めると、この会長さんのお話を、単なる美談で片付けることができないのです。交通事故の保障や賠償は宗教とは切り離して考えるべき問題だと思います。そうでなければ極端な話、「当たり屋布教」なんてものも重度のバリ天なら考えかねないような気がします。
10年程前の事です。膝の治療で整骨院へ行った帰りです。どうした訳か通ったことのない道に入ってしまい、坂を上ってきた車と私の自転車が接触してしまいました。ジャンプして正座で着地、Gパンをめくって見ると、治療中の左膝が擦り傷、慌てて降りて来た若夫婦が「病院に行って下さい」と言っているけど、頭の中は、娘夫婦と重なり、「大丈夫、大丈夫、普通に歩けるよ」と、自転車に乗ろうとしたらグチャグチヤに折れ曲がってる状態。仕方ないので自転車共々車に乗せてもらい教会へ。会長が居たので事情を話し、若夫婦が「念の為病院へ」と頼むのを断り、自転車の弁償をと言うのにも、「子どものお下がりでガタがきていたから寿命」と、車についたキズの方が気になり謝って無理矢理帰ってもらいました。翌日留守の時に果物を持参して来られ 居合わせた娘が受け取りましたが、お互いの名前も知らずに終了です。何回も通った道を間違えた不思議、治療中よりも調子が良くなった膝も不思議です。不思議は神の働き?気づきを与えて貰ったんだとスッパリと自転車はやめました。講社勤めに来て貰えなくなるからと信者さんが買って届けてくれたけれど会長が乗っています。暴走気味のおばちゃんがいつか加害者になるか自分が大怪我するかの瀬戸際だったのかも。片道40分を早足で歩くのでお陰様で今はすこぶる健脚です。60歳のあの時より健康になりました。このサイトのお陰で、匂いがけはしない、子ども達の配偶者に義理で別席を運ばせない、上からの目標の数に関係することには気を揉まない、敢えて数にならないお助けをする様にと考えを変えて実行してからは本当にストレス無く、罪悪感なく生きているからもあるんでしょうかね。
上からの目標の数に関係することには気を揉まない、敢えて数にならないお助けをする様にと考えを変えて実行してからは本当にストレス無く、罪悪感なく生きている<<
月次祭が近ずく度に気分が重くなり、終わって2、3日間は疲れが出て集中力が切れ財布を落とすは、物を置き忘れるわ、、、。虫歯でも無いのにしばらく歯が痛くて。
月次祭に手を揃えろ、家族を呼べ、と気が重くなる事ばかり。家族は兄弟姉妹子供達も皆天理教の事は信用していなくて距離を取っています。今更お呼びがかかっても迷惑がられるだけと言うのは良く分かっているので、本当に数字合わせの天理教は悩みの種の厄介物です。
上からの目標の数に関係する事には気を揉まない、敢えて数字にならないお助けを実行するよう心掛ける、は私も日頃から感じている事で、同じ苦悩の方が居られる事に大いに安心し、力を貰いました。
月次祭を迎えるのが憂鬱で大嫌いな教会長とその家族は意外と多いと聞きました。心と裏腹な事をして何してるんだろうと自己嫌悪に陥ったりします。
本音は早く逃げ出したい、、。
>>月次祭が近ずく度に気分が重くなり、…………
>>月次祭を迎えるのが憂鬱で大嫌いな教会長とその家族は意外と多いと聞きました。
>>本音は早く逃げ出したい、、。
教会運営がいかに負担になっているかということですよね。
古い元教会長さんのTwitterでの以下のアンケーと結果がその本音を如実に物語っています。
古い元教会長 @huruikyoukaityo さんのアンケート結果より
>教会家族の方に教会と信仰と生活について質問します。
教会を離れて、一信者として信仰したい。 42%
教会とも信仰とも離れて生活したい。 27%
教会の中で信仰者として生きて行くのが最高の生き方 21%
教会で生活するけれど、信仰はしないつもり。 10% <
教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!
教会で生活するけど信仰はしないつもりの10%を含めると、おおよそ8割に昇る天理教教会家族が現状を素直に受け入れられないのですね。
私は他所で教会関係者の7割が月次祭前の数日間を憂鬱に感じていると言うアンケートの結果を聞きました。苦痛の度合いは様々でしょうが、おおよそ7〜8割は苦に感じているのが本音と言う所でしょう。
苦しくても有り難いと自分で無理矢理に思い込ませ表向きには綺麗事を言い、本音が言えないのが天理教世界です。喜び勇んでいる教会が何%いるのでしょうか。
アンケート結果は本音の表れだと思います。
>教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!
離れたければ思い切って離れればいいのに。それでも未練があるのかしら?
教祖「無理な願いはしてくれな」
はい無理でしたね。
所詮人間思案
神のことわりには敵わない。
組織などその程度
神の懐で騒いでもしゃーない
nuno さんと 天理新喜劇 さんの最近のツイートだが、
貧乏末端教会毒親育ちとして同感することばかり。
うちの親もこんな感じだったなぁ。
外面は良くて、陽気ぐらしだの世界助けだの大きいことは言うくせに、
家ではいつもイライラ夫婦喧嘩(貧乏ゆえの金銭がらみの喧嘩が多かった)、
これでは教会子弟は教会から離れたくなるよ。
nuno @toarukyoukaino
子どもの頃の記憶で、1番悲しかった思い出は、日々父母に殴られたり、真冬に裸で外に立たされたり、何時間も正座点せられたり、「役立たず」と罵倒されたりした事より、たった一つの心の拠り所だったタオルケットを「ボロボロだから」と言う理由で、「捨てないで」と泣いて懇願しても捨てられた事。
子どもの頃は、そんな感じでしたね
私が社会人になった頃には金銭の搾取と、カード会社や消費者金融での借金を無理強いされたりしました
そんな人たちが教会長、教会奥で、外側では良い顔してたんですから、人間不信にもなりますよね笑
天理新喜劇 @tenri_hanako
なんか分かる。天理教 の教会子弟は両親(会長夫妻)から暴力受けるケースは多いと思う。
両親がしたくもない貧乏して表面上は「ひながた」だの「おつくし」だの「徳積み」だの言いつつ本心じゃなくて無理してるからフラストレーションが溜まり暴力として子供(家族)に発散する。ただの甲斐性なし。
さっと出られるなら皆出ているでしょう。
出たいけど出られない。現実的には出られない事情がいっぱいです。
この組織は歪んでます。心を腐らせ、中味を腐らせて行くのです。
本音を言わせない体制に甘んじている本部は、中味が腐りつつあるのを知らない。
人は嫌なら出ればと言う。
しかし組織の中のほどけない紐の様な歯車。思い描いたように簡単に飛び出してはいかないのが現実です。
ヤフー知恵袋にて、教祖になって儲けたいと言う質問のベストアンサーがこれ。
1・ご利益は実現できる範囲の事。
手からなんか出てアトピーを治すとか、本部の井戸水飲んで癌が治るとか言わない。薬事法に触れます。
2・奇跡はやめとく
胡座のまま空中浮遊とか、ガリラヤの湖を歩いて渡ったとか公言すると大槻教授やキッチュさんにボコボコにされます。韮沢さんしか擁護してもらえません。もう21世紀なので昔ほど簡単に民衆は騙せません。
3・年収の15%以上搾取しない。
某教祖の指針では信者の年収20%以上の搾取は組織の寿命を縮めるそうです。信者が長く活動できる事が肝要。
※5%は優しさ。宗教に必要なのは[愛情]と[脅し]
4・「地獄」や「霊障」を武器にして壷やハンコを買わせない。
何の価値もない壷に[幸せになる]等のアホみたいな付加価値をつけて高額で売ってはいけません。
高齢者にン十年ローンとか言語道断です。
5・聖地の制定
人がまずやって来ないような険しい自然で「悟り」「おつげ」があった事にしましょう。
ある程度、財源が確保できればそこに本部を設置して[教祖様・開眼の地]とか立て看板置いて全国から定期ツアーをさせましょう。いわゆる[聖地巡礼]です。歴史ある宗教でもやってます。
6・選挙にでない
おかしな事になります。対立政党を盗聴したりと(略
7・多角経営
ラブホテルや飲食店、不動産を運営しましょう。
全国に支部を置くような大宗教でもやってます。
8・機関誌を発行する
全国の信者に教祖の思想を並列化・維持したいなら重要です。
毎日書く事がないなら、海外から表彰されましょう。金で買えます。
後は、まぁ「勝利!勝利!」言っとけば「あぁ勝ったのか」と信者も納得します。
9・歴史ある宗教には敬意を払う
1000年以上前から民衆から守り賃とってるキリスト教や仏教から見れば、新興宗教はショバ荒らしにしか見えません。シマの拡大にはしっかり「スジ」を通すように気をつけましょう。仁義を通さないと[十字軍]やら[一向宗]やらが武装してカチ込んできます。
10・勧誘には大学のサークルという体裁をとる
「自分がなんのために生きているのかを教えてくれるセミナー」や「人生にプラスになるセミナー」等の曖昧かつ意味不明のサークル名で宗教団体の名称をボカして社会を知らない若者を取り込みましょう。
11・コミューンはやめる
あれな、内にも外にも波風たつから結構大変なんだわ。
12・なんでもいいから「神」は置く事
教祖=神とか言い出したらもう見てらんない。
ブッダ、キリストの生まれ変わりとか禁止。
過去の大物実業家のネームバリューを利用するのは詐欺です。
以上のルールの範囲内で上手くやれば、5年くらいでサラリーマンの年収超えるんじゃないでしょうか?
さて、いくつ当てはまるでしょうか?
伊勢神宮に団体参拝して来ました。
伊勢神宮の内宮の本社と下宮の本社には、本来賽銭箱は無いらしいです、それは、参拝は、生きてる事に感謝と世界平和を祈願する場所だからだそうで、個人的なお願いは、荒祭宮など別宮にするんだとか、そちらには、ちゃんと常設のお賽銭箱があります。
そうは聞いたけど、本社だってちゃんとお金を入れられる場所はあるから、来るものは拒まないんでしょうけどね。
神道的にも、世界平和を大きな神に願うなら、お供えは要らないのが筋ですね。
個人的なお願いには、お賽銭を出して、別宮、小さな神様に祈願しなさいって事ですが、土の神様には、豊作を、風の神様には、天災からの守護を・・
芸事と恋愛は、佐瑠女神社へ・・などなど・・
必要以上に、たくさんのお金を召し上げる神様って言うのは・・・存在しません、神様じゃありません (笑)
陽気暮らしの世の中って、世界平和を願うレベルだから、親神様には、本来、お供えは、要らないと思いますけどもね。
いまさらですが、本来、大きな存在とは、そう言う物でしょう。
匿名+
2020年1月14日 7:00 PM
>>離れたければ思い切って離れればいいのに。それでも未練があるのかしら?<<
離れたくとも、教会を住居にしている教会家族は居住するところが無くなりホームレスになってしまいます。借家を借りるにも教会専従の家族は、生活費が0となる為、家賃が払えません。天理教から離れて仕事が見つかれば良いのですが、見つからなければ生活保護に頼らなければなりません。天理教に未練があるのではなく、離れられない諸事情があるのです。
天理時報1月12日号より 『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、気がついたら今のようになってしまったような気もする。言い換えると→『まだ人を騙して金も集まってくるから何とかなるのだろう』と思っていたが、案外人は見かけによらず賢くなって我々の悪事を見抜いてしまった。我々の今後の贅沢な暮らしを続けるには何とかせねばならない。
さあさあ、皆の者、知恵を絞り組織運営のために金を、労働力を確保するのだ。
昔と違い、学力、治安、栄養状態、衛生環境、物資、人間の移動手段、情報の流通等々、あらゆる面で生活レベルは向上し、宗教にかかわらなくとも生きていける世の中になってきている。
しかし、我々は信者が支えてこそ成り立つ存在である。
従って、時代や環境を言い訳にせず、創意工夫をして食べていかねばならない。
諦めず、これからも信者に支えてもらう組織を維持、繁栄させることに勇んで欲しい。
開き直りましょう、そうすれば楽です。
上からの圧力があっても馬耳東風、聞き流す。自分が強くなるしかないです。
「そんなの無理ですわ、うちはこれで精一杯」何と言われようと、まともに受けなければいいんです。
月次祭に多額の祭典費と時間と労力を費やしているんだから、同じ勤めるなら、明るく楽しくやらないと損ですよ。
うちは、仕事、学校優先で休ませてまでお勤めに出しませんでした。休みの日は子ども、孫達が集まり賑やかです。一番人気の太鼓は取り合いで、間違いまくるわ、途中でトイレに行くわで、少年会お勤め練習の様です。上級の会長も仕方なさそうに笑っています。この教会を任されて20年余り、厳しかった前々会長の時に、孫を連れて来た信者さんが叱られたとか。お勤めは厳粛なもの、子どもが居ると気が散る。それ以来、小さい子だけでなく嫁さんも行きにくいしで、爺さん婆さんだけの集まりとなったとか。会長さんの子や孫も全員用木にしていて、ほん近くに住んでいるのに教会に来ない。相当なお供えをしていた末端教会ですが、私達になってから、年々信者さんは亡くなっていくわ、お供えは10分の1になるわです。でもこればかりは自然の摂理ですしね。若い信者さんが出来ても、自分の生活で精一杯ですし。かつての教会は、お金に余裕のある方が多くて競争していた感じで、100年祭当時、世話した信者さんが身銭を切って用木を大量生産したのかも?60人以上の用木名簿を見てたまげましたよ。手紙を出したら所在不明で返ってくるし、同じ町内の人も「えっ、私天理教違いますよ!〇〇さんに天理に連れて行ってもらっただけやし。」との事。いくら大阪で近いとはいえ、10回もの交通費に昼食代、幣帛料、若くもない信者さんの体力を思うと、何故?ですね。信仰を伝えるのではなく数、数、数、つまりええカッコしたい欲でしょうか。教会の息子さん達が後を継がなかったので何も知らない私達が来たのですが、近所の親戚の人から、「赤の他人のあんたらに、あの広い土地と建物を盗られたんや、ここらの人みんなそう思てるわ!」と、罵られ、先の見えない喜べない教会生活が始まったのです。
匂いがけなんてほど遠い、太鼓で迷惑かけない、町内のひのきしんに励み、いつも愛想良く爽やかに、、、
20年経てば周りも若い世代に代わり、住みやすくなってきました。でも、匂いがけも、大教会からの、活動方針の全教会陽気ぐらし講座開催もしていません。今年もやりません。息子達は協力はするが後は継がない、親もそれを望んでいない。未信者の婿さん達はお勤め中は自由に時間潰しをして、終わったら片付けを手伝ってくれ、賑やかに直会をしています。
高齢の信者さん方が亡くなり、私達夫婦もいつ何時かわかりません。会長は家族葬、私は献体登録しているので、それなりの費用を残しておけばいいです。医療にお金をかけなくていい様に気をつけるだけ。
毎日お餅を頂いていますが、カビが出て来ました。包丁でえぐり取って食べています。餅カビは癌の原因になるからと捨てる人がいるそうですが勿体ない。カビよりも癌になり易いのは精神的過度のストレスだと思います。笑う門には福来るです。これは確かです。開き直りで上に忖度しなくなってから良いことばかり起こっています。それもこれもこの場に参加させて貰ったお陰です。感謝!!
教校学園時代に、放課後参拝の帰り本通を歩いていたら、教服をきたおじさんが乗った原付に跳ねられたことがあったなー
私は道に勢いよく倒れた。原付に、しかも結構スピードが出ていたから当然と言えば当然だが。
おじさんは大丈夫?とか怪我はないか?とかいうのかなと思ったら、「どこ見とんねん!邪魔じゃ!」といわれた。
当時は驚いてパニックになり「すいません!」って謝ったけど、これ普通に考えたら警察沙汰ですよね?
時は経ち、まあそんなことも笑い話になり、今じゃ本部勤務青年ですけど、この前講話を聞く機会があって行ってみたら、あの時のおじさんが講話してた。
世界平和だの、人を助ける用木を目指しましょうだの、他人に優しく、気を使える人になりましょうだの、
能書きばっかたれてたけど、私はお前がしたことを忘れないからな。
輸送部長の山本利彦
お前のことやぞ
本通りってたしか自転車でさえ降りて押して歩くのが法的に正しくて、
バイクは通行禁止だったはずですよね。
道交法違反の上、恫喝して逃走、まさにひき逃げです。
しかも 『輸送』 部長っていうのがなんとも……. 笑
こんなやつが神殿講話(2016年5月26日)してるんですね。
世も末です。
笑い話では済まされませんよ。よくぞ実名を晒して下さいました。
本部勤務を辞める良い機会を与えてもらったんですよ。
どういう風に動けば良いんでしょう、どなたか良きアドバイスをお願いします。
無名様の教会と当教会の衰退加減(失礼な言い方お許し下さい)が同じなので我が教会を見てきたのかと思ってしまいました。信者は出直して減る一方、お供えは10分の1、家族は信仰する熱意が無い。(これは仕方ない。天理教はおかしな事ばかりで信仰する魅力も意味も無いと考えている。)何枚もにわたる用木名簿見たら町内の近隣住所でもう亡くなっているはずの見たことも会った事も無い人がいっぱい記載されている。遠方の方の名簿も多数あるが会ったことも無い。今頃、のこのこにおいがけに行ったとしても「あんた、誰?天理教?何それ?知らん。」と相手にされないのは目に見えています。
現在は4、5人の信者のみです。80万人とか言われているが実際は30万人くらいの信者と思う。きちんと名簿の手入れをしたら実働信者は20万人くらいではないか。
とにかく、上へのいいカッコの為の努力はしない。どうでも良い事に気を揉まず、出来ないことは出来ないと言い、ストレスを溜めない事が陽気ぐらしには大事。医学的にもストレスが病気を誘うと言う事ははっきりしている事ですから。
無名様教会の様な陽気で気楽な生き方は大いに力になりました。
介助なしに生活できなくなられた方の家に胸をはって怪しくなくいけるのは天理教ならではで、天理教ですで通ります。
それは先人の御苦労の上にあります。
公的なサービスでは突発的な事態にどうしても対応出来ないこともあります。
おさづけに伺いながら、食糧を運ぶことが出来ます。
ポータブルトイレの中身をトイレに捨てることだって出来ます。
洗濯も出来ます。
私がたまに行くその方は自らの信仰の他に、天理にもお供えをされていたとか。親戚の方が布教所をされていたとか。
時を超えて、人を変えて、その方は天理の恩恵を不思議と受けています。
皆様の大教会の後継者と言われる方はどんな方ですか?
うちの大教会の後継者さんは若いのにみなさんに人気で、先が楽しみですよー。
うちの大教会後継者はお勤めに出ない、ひのきしんしない。青年さんは使い勝手のいい働き手としてお抱え。お坊ちゃんはどこで何をしているのだろう?これでは将来の人望も尊敬も受けないでしょう。母親もお勤めしたりしなかったりで、いかにも自己中な口八丁だけの実働しない誠に人間的な方ですよ。
神の守護、御加護があったと感じる
神の守護、御加護だとしか言えない出来事がおきた
神にもたれたら、なんとかなった
これは、実際、天理教に限った事ではありません
いろんな宗教で、持ち出されるお話です
私の子供の頃、霊友会でも、先祖の守護、
御仏の加護があった! そんなお話を、良く聞きました
今だって、私自身、御守護神の守護とエネルギー
自身の魂親様の導きを感じて生きてる人間です。
大霊界世界観からしたら、様々な神々や魔神や
地獄に落ちたり、迷える霊体、エネルギー体が
あなたの放つ想い、想念、心のエネルギーに
関与してきていますから、事情、身上に現れます
だから、天理教も、霊友会でも、キリスト教でも
神や御仏の守護、先祖霊の、背後霊の、守護霊の
高き神の守護と言うのは、あると思いますよ。
天理教組織を離れても、親神様、教祖様の
加護に守護にお助けは、人間社会の都合に関係無く
あると言う方が、普遍的だと思います。
組織を離れても、地球上どこにいても大丈夫じゃ無いですか? (笑)
神前に神饌物を山のように積もうが、積むまいが、祭儀式が厳かであろうが、人がまばらで寂しかろうが、お手振りの手を間違えようが間違えなかろうが、神はそんな事には頓着していないでしょう。
まさしく神の守護は人間社会の都合に関係なく、地球上の何処にいても守られていると言うのが俯瞰的に発想してみて感じる思いです。
三宝の盛りが貧相だ、右足左足の踏み方が違うわ、お供えが少ないわ、どうたら、どうでもいいケチをつける人は神の本質が分かっていないんだと思います。
みんな組織ばかり見て人間信仰しているとしか思えません。すでに有り余る守護をされている現実を認識できず、幸せを下さい、守護を下さいと願う不幸。大事な時間を無駄にしていると思います。条件無しに無償で守護されているんだから神にもたれていれば良いんです。
ささやかな抵抗ですが、おつとめのときてんりん王と唱えています。
どうでもいいことですが?
神社では雅楽が奉納され三宝や社などほとんど天理教と同じです。
神道のトップは伊勢神宮であり、天皇の祖先をお参りしております。
おやさまは天皇も人間とおっしゃいました。
それなのに初代真柱様の迎合により今の神道からは脱却したものの形式上神道のような天理教になっている状態です。
異端ですが韓国の天理教などは社もやめてかんろだいを中心にすえてある教会もあります。
形はどうあれなかなか脱会も難かしいと思いますので
ささやかな抵抗はいかがでしょうか?
なむてんりんおうよしよし
組織はなくても信仰できる! 様
2020年1月17日 4:51 PM
>>神社では雅楽が奉納され三宝や社などほとんど天理教と同じです。
神道のトップは伊勢神宮であり、天皇の祖先をお参りしております。
おやさまは天皇も人間とおっしゃいました。
それなのに初代真柱様の迎合により今の神道からは脱却したものの形式上神道のような天理教になっている状態です。<<
天理教は神道と仏教を織り交ぜたご都主義の団体です。団体の保身の為の教理など必要ないのです。宗教ではありません。団体です。
>>異端ですが韓国の天理教などは社もやめてかんろだいを中心にすえてある教会もあります。
形はどうあれなかなか脱会も難かしいと思いますので
ささやかな抵抗はいかがでしょうか?
なむてんりんおうよしよし<<
そもそも、「なむてんりおうのみことよしよし」の「なむ」(南無)という言葉は、古代インドのサンスクリット語(梵語)であり、「無条件に仏に帰依する」という意味です。また、天理教で使われている「みこと」という言葉も本来、日本古来の神道に由来するものです。要するに天理教とは、前述のように神道と仏教をチャンポンにした得体の知れない団体(パチモンの宗教)です。韓国の天理教を何故、異端であるとおっしゃられるのか私には理解できませんが、私は、現在の天理教教会本部こそ異端以外の何ものでもないと思います。
↑
訂正します。
宗教ではありません。団体です。(訂正前)→ 宗教ではありません。営利団体、詐欺集団です。(訂正後)
社会学さんのツイートで
>今月の天理教本部の月次祭の神殿講話は「献金は命の繋ぎ」発言で批判殺到中にも関わらず地位にしがみつき信者離れを招いている表統領中田善亮氏ですね。
前回の講話では「私は教祖が大好きです!」と爆笑ズッコケ講話でしたね。
今月の講話ではどんなフレーズが出てくるかな?ワンチームですかね?<
とありましたが、
「おつくしは命のつなぎ」と発言した張本人ですから、
ここはひらきなおって
神殿講話のマイクに向かって
「大きなお供えをく~だ~さい ♪ 」
「大きなお供えをく~だ~さい ♪ 」
「カウンタックが買えるほどの~ ♪ 」
「大きなお供えを僕にく~だ~さい~ ♪ 」
と歌って思いっきりスベってほしいです。笑
「南無」だけではありません。
甘露台の「甘露」だって、サンスクリット語の「アムリタ」(インド神話に登場する神秘的な飲料)を漢訳したものです。
このようなことを言うと、うちの会長さんなどは、この道は知恵学問の道ではない、などと言います。それなら天理大学の宗教学科なんて、いったい何を学ぶ所なのでしょう。
前にも書きましたが、私も家では「なむ てんりんおう よしよし」を徹底し、手は合わせるだけで柏手も打ちません。第一節はとばして、「ちょいとはなし」から始めます。教会では仕方なく周りに合わせますが、第一節の、あの単調で洗脳的な響きには、最早おぞましさしか感じなくなってしまいました。
毎日、おつとめで神様にお願いしていることの一つですが。
一人でも多くの人が、真実に目覚めることができるように。そのために、目をそらすことも、耳をふさぐこともできないような、そんな奇蹟を見せていただけないものかと。
例えば本部月次祭の最中に、ゼンスケでもダイスケでもいいから、乱心して甘露台の上で裸踊りでも始めるとか。
そんなことがあれば最高なのに、なんて考えてしまいます。
参考意見 様
2020年1月17日 7:08 PM
>>甘露台の「甘露」だって、サンスクリット語の「アムリタ」(インド神話に登場する神秘的な飲料)を漢訳したものです。
このようなことを言うと、うちの会長さんなどは、この道は知恵学問の道ではない、などと言います。それなら天理大学の宗教学科なんて、いったい何を学ぶ所なのでしょう。<<
神をカウントする単位として神道では「柱」という言葉を使いますが、天理教でも例えば「十柱の神」というように、「柱」という言葉を使います。これも神道からパクったものだと思います。知恵学問の道では無いというのであれば、天理教関係の学校や医療施設である「憩いの家」は、一体、何のために存在するのでしょう。そもそも、天理教という団体自体が内部矛盾を孕んでいるのです。
>神をカウントする単位として神道では「柱」という言葉を使いますが、天理教でも例えば「十柱の神」というように、「柱」という言葉を使います。これも神道からパクったものだと思います
崩壊さま、「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。天理教を語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。
通りすがりさま、「レンタル料」なんて教理はありません。中山みきさまの教えを語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。
>通りすがり 2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。>
天理教も当てはまりまくり
音田恭伸 @indi_coop さんのツイートより
神仏第一ではなく、トップ、幹部のみが贅沢三昧宗教団体は10年で崩壊します。
集金システム崩壊中。
お布施の大半の出し手の60歳以上、消費税増税などの増税と年金額ダウンで、余裕資金が無くなり、お布施出来なくなっている。高額お布施の高齢者が、10年以内で施設に入り、お布施出来なくなるから。
強大な集金システムと膨大な出費(コンサートチケットの大量購入)とで日本の政財界に影響を及ぼしてきた宗教団体の仕組みが成り立たなくなります。
芸能界、TV業界、献金による政治家への影響、議員数による地方公共団体への支配、変わります。
消費税増税、見えない増税で、定年退職者は、毎月のお布施を数千円の減額をします。お布石金額との率で言うと、数十%。例えば、月に5千円、年間6万を月に1千円⇒年間1万2千円。
ボディブローのように効いてきます。また、特別祭などのイベント企画しても集まらないでしょう。
幹部真っ青でしょうね。
宣伝広告みたいな組織は必要であってもつぶしたり、資産運用の失敗をごまかすために、組織をつぶしたり、負の情報が信者に伝わらないように隠蔽したりなど、信者(信徒)の不満がつのり、信仰ではなく、ヤクザと同じだと気づかれるでしょう。
通りすがり ちゃん
2020年1月17日 9:27 PM
>>崩壊さま、「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。天理教を語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。<<
久しぶりのご登場ですね! お元気でしたか? 私は若かりし頃、聞きたくもない別席の話を9回も聞かされたのではっきりと記憶しています。別席の取次人様は「十柱の神」という表現をしていました。いつのまにか表現方法が変わってしまったのでしょう。
>「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。<
明治36年の中山新治郎著、天理教教典には、確かに「十柱の神」と書かれていますが。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815852
>それぞれに神名かみなを配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱とはしらの神名」と呼ばれることもありますが
「呼ばれることもあるそうです。」
親神様おやがみさまの広大無辺なご守護を、十の守護の理をもって体系的に説き分け、それぞれに神名かみなを配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱とはしらの神名」と呼ばれることもありますが、決して十柱の神々がおられるという意味ではありません。
これらの神名は、人間世界をお創はじめになるに際して、親神様のお心に溶け込んで、一手一いってひとつに働かれた道具衆の働きの理に授けられたものです。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/jyuzen/
決して十柱の神々がおられるという意味ではなく、道具衆であると言うのならば、もういいかげんに「みこと」を付けて呼ぶのはやめませんか。
おふでさきのように、「月よみ様」とか「をもたり様」ではダメなのですか。
どうしても神道式の神名にこだわるなら、いっそ「南無」をやめて、明治29年頃のように「あな てんりおうのみこと」と唱えてはどうでしょう。(復元30号65ページ参照)
仏教と神道のチャンポンなんて、いくらなんでも信者を馬鹿にしているとしか思えません。江戸時代のような無学文盲の集団ではないのだから。若い世代の者でも、不自然でインチキ臭いと感じ始めています。それに僧侶を志し、熱心に学ばれていた教祖に対しても失礼なことだと思います。
十柱の神と言う言われ方は私もはっきりと聞いて来ました。
甘露、南無、も無教養な私でも仏教臭を感じて来ました。子供の頃から南無ほうれんげきょう〜と仏壇の前で大人達の読経をあちこちで聞いて来ましたから。
そして中央に鎮座する鏡。これは神道ですよね。仏様に神様。天理教はまぜこじゃ創作宗教と言う事だったんですね。
根本に金儲けを目論んで中山家によって「創作」された訳の分からない集団だったと言う事です。
教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!<<
婦人会費一人年間200円だと最新の時報ではるえさんが言ってましたが、一人200円って本当ですか?3人しかいないうちなら自分ふくめて年間800円の年会費です。でも年間11000円払ってます。将来的には全額教会家族の自腹になります。
会費としての受け取りが無いのに集金だけをべらぼうに取るのだから、今後教会は立ち行かないでしょう。
最近では消費税増税を機に、ほかの各種年会費含めて納めない信者さんがほとんどです。
教会家族も生身の人間です。綺麗事では生きていけないです。「教会から離れたい教会家族が69%」は現実の生の声です。
持続可能な教会の在り方を本部は真剣に考えるべきです。
私は親里高校に通ってました。
レスリング部の先生方は素晴らしく私の人生を明るく陽気な道に変えてくださり感謝しかありません。レスリング部の先輩後輩同期は一生の宝です。
教会子弟の一部の同級生や先輩後輩はクズでしたね。
私の家族写真を破り、金銭も盗み、大切な祖父の形見の万年筆を壊すなどとても許せない。
そんな奴らが今お道の中心なんで笑うしかありませんよね。
あと、久しぶりに連絡してきた友人からいきなり100万貸してってホンマありえない。
まず、お前学生時代に貸したお金数万円返せよな。
これから信仰始める人達に言いたい、よく見極めてからお道に入って欲しい。
自分と同じように辛い思いをして欲しくない
通りすがり 様
「レンタル料」なる言葉は、私のような夫婦で月額13万円余の末端に言うよりも、世界の主要国家の指導者層に向けて発言してください。そうすれば、諍いも減ることでしょう。
でも、多分一笑に付されるどころか、寝言にすら認識されないと思いますが。
「レンタル料」なる言葉は、天理市内の三島町内の更に狭い地域にのみ通用すのかもしれません。せいぜい頑張ってください。
南無とか甘露とか、神仏混合になっていると言いますが、伊勢神宮だって、江戸時代より昔は、神仏混合です。
戦乱で遷宮ができない時代に、遷宮をするために、活動されたのは、僧侶であり、今その僧侶は、別宮に、神様として祀られております、僧侶が神になっています。
万歳だって、明治からの伝統ですしね、天理教が神仏混合であっても、教祖は仏教出身、明治政府の廃物毀釈に国家神道しか許されない時代を経てるから、驚く事ではありませんが、それより、信仰の中心になる神様に関わる神官、天啓者、本席を失ってるのだから、教え中心に教義で進めなければならないはずなのに、人間思案で親神様を解釈活用してるから、八島氏だの、神霊主義だの、理の親だの、命のレンタルだの、混沌としているので、そんなのいまさらですよね。
神仏混合より、10柱でも10全でも良いですが、天理教を信仰する価値は、どこにあるのか? それを明確に、定義する必要がありませんかね?
教えを履行して、神の思し召しに沿って生きるなら、お供えは運営費だけでいい
神の守護、命の為に、お供えをするのが、教義なら、金だけ払っていたらいい
なんの為に、お勤めをするのか? 神がどう存在して関わっているのか?
もっと、倫理的統一感が必要では無いでしょうか?
天理教は本来、神霊主義では無いですよね、ただ、八島派の様な教条中心で神は概念と割り切ってる人も少数派だと思いますが、大いなる神、として、存在を信じるのが今の教団の主流の方針ですよね。
先日、ある天理教の相談所をやってる、知り合いから、おさづけは、別席を9回運んで身を清めて、真柱様から理を頂く事で、神様に降りて貰える様になり、おさづけは拍手2回で、降りて頂き、助けて頂き、また拍手2回で帰って頂くと言う説明を聞いたけど、所属の教会長にその話をしたら・・
そう言う人も見えますが!とお叱りでした。教会長は、親神様のお働きは、そう言う単純な物では無い、と説かれます、それが、現役教会長の主流でしょうか? それはそれで理解できますが、でも一部に、神霊主義でやってる人も見える様です。
八島教学を主にしたら、しかし、また違っていて、お授けなんて、ただのおまじない、祈りに過ぎませんよね・・
神霊主義の方は、八島は異端だよって私に言うんだけど、いや、神霊主義も、天理教内では、ほぼ異端だと思いますよ? と言うと、ムッとされた・・(笑)
一概に天理教をやっていますと言っても、ずいぶん違う物だなあって思いますが、息子の学んでる天理教は、教会長の説く説なので、それが主流だと理解はできます。
現に、真柱様には、お授けの正当性は無いと思いますし、それは天啓者しかできないはずですし、真柱様に現れた身上について、教団本部では、どうにもできないから、まさに本来真柱は、教団運営の為の中心の存在であって、天啓者では無い。
ただ、神霊主義の人は、天啓者では無い、真柱様でも、(親神様)は、降りて下さると言います。 そして、おさずけの時、自分に降りて下さる、取り継がさせてもらえる、助けて下さると言いますし、その方は、信者さんを持っていて、何度か奇跡を見せて下さったと言うから、まあ、私自身、神霊主義者だから、それは判ります。
勝手な意見で、申し訳ありませんが、私自身は
(親神様)と呼ばれる、存在は、ちゃんと見えて、教団運営とか、一切関係無く、信じる信者の祈りかけに、いろんな形で、働きかけてくださっていると確信します。
ただ、大いなる全能の存在だとは思っていません、その理由は、私個人は、大霊界世界観の中で、別の力のある(神)を奉じしていて、(親神様)は別に存在を感じるからですけども・・・
>さっと出られるなら皆出ているでしょう。
>出たいけど出られない。現実的には出られない事情がいっぱいです。
あらあらそりゃ大変。せいぜい苦労して人生の幕を閉じてくださいませ。
匿名+
2020年1月18日 12:39 PM
>>あらあらそりゃ大変。せいぜい苦労して人生の幕を閉じてくださいませ。<<
上記の投稿は一体どういう意味ですか?
東風Zさま
高齢者なのですから、もう少し分別ある発言をお願いいたします。何度も言いますが、あなたはれんだいこ氏を真柱発言の捏造の張本人にしてしまった人間なんです。もはやここで何を言っても無駄です。れんだいこ氏に謝罪して、許してもらってからご発言願います。
私が「レンタル」と言ったのはあなた方のように「信仰のカケラも無い人間」でも理解できるように、「俗なる言葉」で言ったまでの事です。「レンタル」「レンタル」と騒いでますが、私は「rent」と「lent」は別であり、本当の意味は「lent」である事をこの掲示板にキチンと書き込んでいます。こんな簡単な英語が分からないのでしょうか。この一番肝心な部分を黙殺し、「レンタル」「レンタル」と騒いでいるだけなのです。ですから、あなたの質問は何の意味もありません。
崩壊さま
もう少しお勉強なさった方がいいです。あなたの投稿記事を読んでいると、あまりに低レベルで可哀そうになります。あなたはサンスクリット語を学んだ事があるんですか?ネット検索で引用しただけでしょう。「南無」は仏教用語ではありません。あくまでもサンスクリット語です。どうかお勉強をお願いいたします。
争いは 同じレベルのもの同士でしか発生しない
さあ今日も元気に戦おう
通りすがり様、私のような無知蒙昧の者が褒めても嬉しくとも何ともないかもしれませんが・・・。
あんたは偉い!!!
あんたは博士!!!
お勉強に励んだ立派な信者様!!!
このくらいほめてあげたのだから、満足してよ。
もう、いい加減に、特定の人を勉強が足りないとか
高齢者がどうのとか、一般信者の投稿されている方々を非難するのは止めたらどうかな?
争いは同レベルの間でしか起きないというのも、なんだか上から目線の感じで、決して真実でも何でもない。
この場に書き込む人の中には「かまってくれよ」とばかりに絡んでくる人が貴方様の他にもいますが、周囲は迷惑に思っていますよ。
東風Z様、崩壊様、言いがかりをつけられてしまい、災難でしたね。
誹謗中傷、気になさらないでください。
誰とは言いませんが、特定の事柄に執着し、執拗に絡んでくる総会屋みたいな人がいてくれるおかげで、むしろこのサイトは活発化していると思います。
もっともっと馬鹿をやって炎上させて、信者離れを促進させてくれることを期待します。
崩壊さま
別席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
東風Zさま
天理教の悪口はいくら言ってもかまいませんが、他人を卑しめる事だけは止めてください、人生のエピローグなんですから。
天理の三島では「lent」が使用されています。「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
真柱発言の捏造、教祖伝の改竄、天理高校2部の侮辱、……どれひとつとっても許される事ではありません。
※言いがかりととは、身に覚えのない事への攻撃の事です。言葉の使い方に注意された方がいいです。
多分、読解力、理解力の問題でしょう。
。通りすがりさんが指摘する
≪「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
えーーーーっ、いつから「rent」なんて、わざわざ表記した人いましたか?
比較をするならば、そもそも現在形で書くべきだろうしね。勉強している人はね。
「俗なる言葉」という新たな切り口を見せてきましたが、これも意味不明。
要するにこの板であれこれ書いたところで意味不明。
私はまじめに相手をするのは止めて、読み飛ばすことにします。
バカバカしい。
mouroku?
匿名 様
2020年1月18日 3:37 PM
>>東風Z様、崩壊様、言いがかりをつけられてしまい、災難でしたね。
誹謗中傷、気になさらないでください。<<
お気づかいいただき、感謝申し上げます。私は大学の宗教学の講義で学んだことをありのまま投稿いたしました。今後、愚者の投稿はスルーし、この掲示板が健全な議論の場となるよう、私なりに配慮していきたいと思います。
参考意見 様
2020年1月18日 4:05 PM
>>誰とは言いませんが、特定の事柄に執着し、執拗に絡んでくる総会屋みたいな人がいてくれるおかげで、むしろこのサイトは活発化していると思います。
もっともっと馬鹿をやって炎上させて、信者離れを促進させてくれることを期待します。<<
おっしゃる通りだと思います。皮肉なことに愚者の投稿により、このサイトが活発化することは確実です。
馬鹿な投稿で、このサイトが炎上し、信者離れが加速することは、私の投稿の本意でもあります。天理教被害をこれ以上、拡大させたくはありません。
この場所は基本的に、交流する場所では無いと思います。
天理教について、自分の意見を書く場所であって
関連するお話を、書いて、サイレントリーダーに読んでもらうのが
目的の第一だと思いますし、異論でも反応を見て、
自分の意見がどう捉えられるかで、その考え方も理解できます。
常に、第三者を想定して、自説を書いたら良いと思います。
(◯りすがり)さんも、自分の正論を書かれ、第三者に訴えたら
それで良いと思いますが、どうしても、一対一に持ち込まれ
それで罵倒して、客観的にみんなに見せていますが
それは、自分の信頼を損ねるだけで、あまり意味が無いと思います。
一般的には、この方は(サイコパス)と言うふうに判断されますよね。
私個人は、興味の無い話なので、別に流すだけですから
気にもなりません。
どんな投稿でも、気に入らないのは、読み飛ばせばいいし
面白いと思ったら、一対一では無く、関連する自分の意見を
書いてみるまで、ですよね。
だから、迷惑かどうかは、ブログ主が決める事で、読み手は
気に入らないのは、自由にスルーすれば良いけど、
あえて、あなたは迷惑だとか、名指されると、その人には
刺さってるんだな?って、逆に判断できますよね。
コメント欄とは、そう言う楽しみ方が、楽で良いと思いますね。
とりあえず、離天された、崩壊さんの投稿回数を
下回る様には、気をつけております (笑)
2020年1月18日 3:37 PMの匿名 様
お心遣いを下さり有り難うございます。通りすがり様には、通りすがり様の信仰スタンスをお持ちなのでしょう。残念ながら私には天理教は残酷過ぎました。小さな子供にまで似非教理を植えこみ、希望の目まで摘んでしまった在り方に、陽気づくめの教えの片鱗も見いだせなかったことです。
色々な矛盾をはらんだ天理教の実態が少しでも明らかになることを願っています。
「残念ながら私には天理教は残酷過ぎました。小さな子供にまで似非教理を植えこみ、
希望の目まで摘んでしまった在り方に、陽気づくめの教えの片鱗も見いだせなかったことです。」
この文を読んで涙がこみあげてきました。
東風Z様、心から同意致します。
「おつくしは命のつなぎ」「レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。」
などと教義を歪めて脅しをかける。
天理教団とはなんと罪深い組織なのでしょうか。
父親 様
2020年1月18日 6:44 PM
>>とりあえず、離天された、崩壊さんの投稿回数を
下回る様には、気をつけております (笑)<<
私の投稿回数をわざわざカウントしていただき光栄に存じます。今後とも意味の無いカウントをよろしくお願いします。(笑)(笑)(笑)(大爆笑)
年をとってくると、子供の頃に観た、古い映画とか漫画とかを無性に観たいと思うようになりました。
「ベン・ハー」という、ちょっとキリスト教の宣伝っぽい古い映画の中で、ガレー船(手漕ぎの軍船)の内部の様子が描かれているのですが、そこでは漕ぎ手の奴隷や罪人たちは、足を鎖で床に繋がれ、戦で船が沈むことがあっても逃げることも許されない。まるで今の天理教の教会家族や教会親族を見ているようでした。
それと昭和40年代の特撮ヒーロー物で、ただ一度だけ使われたエンディングテーマが、これまた末端教会の後継者にピッタリの内容です。
ヤマトタケシの歌
1.どうせ この世に 生まれたからにゃ
お金も欲しいさ 名も欲しい
自分の幸せ 守りたい
僕だって 人間だ
僕だって 若いんだ
けれども その夢 捨てさせる
この世の悪が 捨てさせる
2.肩に 背負った 十字架の
使命の重さに 耐えかねて
たまには 泣けるときもある
僕だって人間だ
僕だって 若いんだ
恋もしたいさ 遊びたい
わかって欲しい この気持ち
動画サイトで検索すれば聴くこともできるし、カラオケにもあったかもしれません。上級のいる直会で合唱してみてはいかがでしょう。
匿名さま
>≪「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
えーーーーっ、いつから「rent」なんて、わざわざ表記した人いましたか?
これだから困ります。この機会にハッキリ言っておきます。私は最初から「rent」と「lent」の違いを申し上げています。過去記事を閲覧すれば明らかです。人の話はチャンと聞いてからコメントましょうね。
崩壊さま
>私は大学の宗教学の講義で学んだことをありのまま投稿いたしました。
どこの宗教学科なのでしょう(笑) 「南無」が仏教用語だなんて(笑)それが講義の内容なんですか?
ところで「十柱の神」はどうなんですか? スルーする資格もないでしょう。
東風Zさま
あなたも不幸な方ですね。こんな「埃の提灯持ち」サイトに夢中になって…今年はロクな事ないと思いますよ。年齢相応の分別ある行動をとられた方が良いと思います。
「おふでさき」の第12号が書かれたのは明治9年頃の話であり、明治2年に戊辰戦争が終わり、6年の
神道国教化政策により三条の教則が徹底され、神名も「天理大神」となっていた頃だと思われる。
7年には秀司が庄屋敷村の戸長になり、大和神社のふしや教祖が山村御殿へも出向かれたあとである。
8年にぢば定めも行われ、小寒の出直し間もない頃である。小寒についてはその前のおふでさき
9.10.11号にいろいろ書かれている。教祖は79歳、秀司は56歳頃である。秀司が教祖の反対にも
かかわらず、大阪堺へ蒸し風呂屋の申請に行った頃でもある。この12号が書かれた頃のおやしきの
様子なども踏まえ、12号を読んでいくと教祖がいかに残念な気持であり、孤独であったかとも感じる。
今日の月日の心ざんねんわ よいなる事でないとをもゑよ 12号 22
にんげんハあざないものであるからに 月日する事しりたものなし 12号 23
おやしきの中では既に小寒はおらず、教祖の思いが伝わっているものはいなかったのだろうか。
秀司もまつえも教祖の思いを理解していなかったのだろうか。それとも世間並みに暮らすことばかり
考えていたのだろうか。
月日にハなにかよろつをだんだんと ことハりてあるこれがしよちか 12号 24
いままでも何か月日のざんねんを たいていくどきつめてあれども 12号 25
何度も何度もくどいように説いて聞かせてきたのに全然わかっていないじゃないかと嘆いている
ようにも感じるが、この歌がよまれた時にはお屋敷の中で誰も理解者がいなかったのだろうか。
せかいにハたれかしりたるものハなし 月日の心ざんねんをみよ 12号 26
このたびハことハりたゆへまだくどき そのゆへなるのことわりである 12号 27
いかほどにくどきことハりゆうたとて たれかききわけするものハない 12号 28
くりかえし、くどいように神の言葉を伝えて指示しているのに、それを聞き分ける者がいないという
ことはどういうことだろうか。この頃は飯田岩次郎19歳で教祖にもかわいがってもらっていたはずだ。
飯降伊蔵は43歳の働き盛りでおやしきにも通っていたと思われる。仲田儀三郎、辻忠作、山澤良助など
既に入信し教祖のもとに古参の信者も通っていた頃であると思われるが、教祖の長男であり戸主でも
ある秀司に皆がついていったのであろうか。この12号の頃の入信後、間もない信者は山本利三郎、
泉田藤吉、増井りん、西浦弥平、板倉槌三郎等がいるが、おやしきの様子をどのように見ていたの
だろうか。教祖には絶対的な信頼と助けられた恩を感じていたのは当然として、やはり秀司との関係も
微妙なものがあったように感じる。
現代においても、この12号に書かれている状況があるような気がしてならない。人間はあざないもの
であり、神の思いをなかなか理解できずにいるものなのだろうか。人間思案の混じっていない純粋な
教理を伝え、人々を救っていくのが宗教の役目のように思う。しかしながら人間が教団という組織を
作ったら、やはり人間心がどんどん混じって神の思いとは離れたものに変質していくのは世の常である。
そうは言っても、組織がなければ純粋な教えを広めていくこともなかなか容易なことではないようにも
思う。教団などいらない、不必要だ!つぶしてしまえというのも感情に任せた乱暴な意見に思える。
要は組織の在り方の問題であり、人々に受け入れられない運営が間違っているのではないだろうか。
阪神淡路、東北と震災があり、神の立腹も皆が経験している。大正5年教祖30年祭以降、天啓者が現れても
受け入れられることはない。それでも神は人間を見守り、それぞれの心を見てご守護しているのかとも
思える。そう考えると些細なことで言い争ったり、つまらないことに心を奪われたりしている暇など
ないようにも思う。神の立腹は臨界点に来ているように思うし、人間を救済するために神が降りてきて
「神の社」を通して進むべき道をどこかで説いているようにも思う。しかし教団からすればそれは異端で
ある。仮に自分がその「神の社」に会ったとしても容易には信じられない。
異端研究を続けていると、教団がどのようにして現在の姿になったのかもわかってくる。伝道史を
調べていくと、やはり親神が待ったをかけていたのだと思わざるを得ないような史実にも出くわす。
詳しくは書けないがそんな事例を読むたびに人間試案の間違った解釈をして、苦しんだり、苦労したり
した人がたくさんいたのかと思うと陽気暮らしとは程遠いことだとも思える。月日の心を理解せず、
この残念を月日はどう晴らすのであろうか。早く方向転換をしなければならない節に来ているのでは
ないかと思う。(1.17に思いついたままを書き連ねてしまいました。長文、お許しください。)
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
>通りすがり 2020年1月18日 8:42 PM
>「南無」が仏教用語だなんて(笑)
通りすがり様 もっと勉強してから投稿してください。
『南無』 は たしかに、サンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo 敬意、尊敬、崇敬をあらわす)」を音写した漢訳ですが、仏教用語です。
世界宗教用語大事典にも以下の説明があります。
世界宗教用語大事典 より
なむ 【南無】
仏教用語。梵語ナマス(namas)の音写(那摩・那謨・那莫・納莫などとも)。
帰命・帰礼・敬礼・信従などと漢訳。帰依信順する意を表した言葉。
通りすがりさんって面白い人ですねー。頭いいのか悪いのか、若いのか歳いっているのか、男なのか女なのか、自分で稼いでいるのかヒモなのか、一度会って拝顔したい思いです。自己愛の強い人なんですかねー?
ますます興味が湧いてきました。次のコメントをお待ちしています。
神仏混合が日本の風習だから、南無だろうが、神道だろうが、そんなに気になるものでは無いと思っています。
Lend 貸す Rent 借りる 神様が体を貸して下さる、神様から体を借りる、どちらでも、あらわす意味は、そうは変わらないでしょう。
貸して下さるのは、それが神様が世界を作ったからであって、神様はこの世のお金を集めたくて、人の世界を作ったのでは無い事は、教義にもありますよね。
お金は、陽気くらし世界を作る為に、世界に再投資せよって言っていますよね。
神霊主義に否定的な態度を示す、うちの教会長ですら、親神様へのお供えは、健康保険とかと同じで、守護して下さる代わりに出しているんですって、真顔で言うんですよね。
私としては、そっちの理屈の方が、よほど神様を何と心得る!と感じますけど、平然と言い切られると、はあ・・御自由にどうぞ・・私は遠慮しますってだけです。
互いに、受け入れられないお話になるんですよね。
私より一歳先輩で、信仰3代目の教会長であり、社会に出た他の兄弟もお供えで支えている様ですし、それで30年生きてきたから、今更、他の世界観を認めたら、いろいろ崩壊してしまう、だから、逆に天理一本で殉教する気だなとも感じる。
あなたは良いよ、ここまで来たんだから、このまま行けば良い、だけど、まだ中学生の長男に、天理教を継がせると決めていると言うのには、賛成できない。
上に姉が数名いるから、一般に嫁がせて、支えさせるつもりだろうか?
私が、子供の人生の選択は、子供の自由ですよ、親として支えてやるだけですって、天理高校入学時に言ったし、今もそう思ってる。
だから、教会長も、息子の自由にさせたら良いと思いますって言ったら、我が子は、道一本で生きる、その様に育てたって・・
神様から、体を借りたんだろう? どんな人生を選択しようが、それこそ、神様と息子で決める事だろう? 何で親のあなたが決めるんだ? 何か根本的に無理があると、いつも感じる。 愛情溢れる父親だとは思うけど、何か、精神的に縛られて自由が無いと、いつも感じる。
神の御意思を継ぐ親の想いは、すなわち神の御意思同然か? しかしそれが、理の親だの、親の言う事に逆らうなだのの、理不尽でも従えって言う、同調圧力の根底じゃないのか?
神霊主義では、神様は、理不尽な事は、要求しないし、同調圧力も無い。
同年輩であり、同じ年齢の子供もいるから、ついつい教会長と自分の生き方を信仰を通して比較して、いろいろ考えてしまいます。
通りすがり ちゃん
2020年1月18日 8:42 PM
>>どこの宗教学科なのでしょう(笑) 「南無」が仏教用語だなんて(笑)それが講義の内容なんですか? ところで「十柱の神」はどうなんですか? スルーする資格もないでしょう。<<
あなたの常識の無さには辟易します。私の学歴等は私のプライバシーであり、あなたに聞かれて返答する義務もありませんが、某有名大学を卒業させていただきました。また、当初の投稿で私は「南無」がサンスクリット語であると述べているはずですが、お読みになっていないのですか? とにかく、あなたのように非常識な方と議論するのも馬鹿馬鹿しく無駄な時間を浪費するだけですので、あなたの投稿については徹底的にスルーいたします。悪しからず。バイバイ
ななし 様
仰る通りですね。永年勤めた職場にもこういうタイプの方が居ました。会議の席でもこういう方の発言が基で会議が延々と続きました。
通りすがり様の意見が基で、いろいろな方の考え方や、知識が出てきて勉強になります。
幸、不幸の思いは立場や考え方で千差万別です。私の場合、夕食のご飯は麦の混ざったご飯150gが美味しく頂けることが幸せなんです。医療のお世話になることもなく、自分の行動が自由にできることほどすばらしいものはありません。
願わくば、昨年のような風水害や大きな災害が無い平穏な社会であることを願うばかりです。
統合失調症 + アスペルガー症候群 + 自己愛性人格障害 + サイコパス。
そんな究極のモンスターに会ってみたいだなんて、世の中には勇気のある人もいるものだ。怖いもの、いやキモいもの見たさというやつか、それとも動物行動学的な見地からの探究心からなのか。
私だったら、防弾ガラス越しででも無ければ恐ろしくて、とても観察なんてできそうもない。しかし、このサイトにとっては、ニトロ添加剤のような貴重な存在であり、今後の活躍にも期待したいところです。
皆様の直属の会長様ご夫妻は夫婦仲いいですか?
私の直属は微妙です。お道を信仰しているのに残念です。
本部も末端もリレハラしてるのに 通りすがり はのんきだなwww
夫婦仲が良いとはどんな状態でしょうか?喧嘩しないこと、いつも楽しそうに話していること?
家事一切しない、朝勤め、夕勤めに出て来ない嫁に対して一言も注意しない、住み込みが動いているから、部内が動いているから成り立っている会長宅の生活が快適過ぎて、仲が悪くなりようが無い所もありますが。
お互いの相手が改善すべき所を指摘し合いそれから喧嘩になる方が健全でしょうね。そちらのご夫婦の仲の悪い原因は分かりようもありませんが、もしかしてゼンスケさんみたいに女癖が悪いのかも、、、、
>皆様の直属の会長様ご夫妻は夫婦仲いいですか?
私の直属は微妙です。お道を信仰しているのに残念です。<
詳しくは語れませんがうちの大教会はてんやわんやです。orz
非常識な天理教人 においがけのパンフレット配り で不法侵入だと警戒される
1月19日
きみひこ @w3AqpbUpSveY0Sb さん 以下敬称略
天理教の人が勝手に玄関開けてなんか置いて行ったんやけど(笑)
狐家 杏@夢狐 @kitsuneya_kyo さん 以下敬称略
なんやそれwww
きみひこ
いや、僕も理解できないです(笑)
玄関がガチャって音したんで見に行ったら置かれてました(笑) →※
狐家 杏@夢狐
不法侵入やんwww
きみひこ
ビビりました(笑)
狐家 杏@夢狐
これからは施錠せなあかんな!
きみひこ
ほんますね!
※置かれていたのは天理時報特別号
うちの会長さんは、ネット情報を信じようとはせず、天理時報の記事を見て、天理教は今や海外にまで進出する勢いなのだと言います。まるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようです。
会長さんは、今日まで一度も職に就くことなく、道一条で通ってきました。それは先代の考えによるもので、世情働きによって安易に収入を得ることを覚えてしまうと、もう布教によって生活することができなくなるからと、学校を出た後も社会での勤労というものを経験させなかったのだそうです。
自らを背水の陣に追い込んでという考えは、わからないこともありませんが、普通に働くことのほうが楽というのは、ちょっと納得できない気がします。
お供えを持ってくる信者たちが、そのお金を手に入れるために、どのような苦労をしているか。どれほど人に頭を下げ、神経をすり減らし、時には命を削るようにして稼いでいるか。そうしたことに、会長さんの思いは至らないようです。だから、お供えの金額について、心無い発言も出たりするのだと思います。
初代が集めた信者は減る一方で、数人の高齢者のみとなってしまいましたが、代々の会長が子沢山だったおかげで、今では兄弟親戚のお供えだけで、教会家族は余裕で暮らしていけるようになりました。会長さんも、もう一般の信者を増やすつもりも無いようです。
今では教会の活動といえば、とにかく上級と大教会の御用に一生懸命で、これもまた先代からの仕込みなのだそうです。月に一回、神名流しをやっていますが、私には布教活動をしているということのアリバイ作りにしか見えません。
その会長さんに最近、孫ができました。男の子なので天理教がある限り、いずれは5代目の会長ということなのでしょう。家族にも信者さんたちにも可愛がられ、幸せそうに笑っている赤ん坊を見ていると、私は何とも切ない気持ちになってしまいます。
ああ、この子は「大きくなったらサッカー選手になりたい」とか「ピアニストになりたい」というような夢を持つことも許されないのだな。そして親の愛情を受け続けるためには、天理教を職業とすることが大前提となるのだなと。
親と上司は選べない
産まれてくる時代も性別も選べない
配られたカードで勝負するしかない。それがどういう意味を持つにしろ…
さあ、限られた人生を最大限に楽しみましょう!
人生は死ぬまでの暇つぶし
生きてるだけで丸儲け
色々な考えがあるんだなぁ
兄弟親戚のお供えだけで、教会家族は暮らしていける部分がある。
うちの教会長が、兄弟の信仰について口籠る理由に、それがあると気がついていました、兄弟からも、支えてもらってる様なのは、想像できます。
でもそれだけでは、生きられないでしょう。
若い頃から跡取りのいない教会に入った、教会長で、マメに信者さんの所を回っている様ですし、女房の実家の家族が入院すると、お授けに病院まで見舞いに来てくれる。
いろんな関係性から、うちとその教会はすごく離れているけど、息子の手続きにうちまで来るくらい、信者の所を動き回り、相談に乗り、動き回っています。
車も、毎回信者さんのお下がりをもらってる様です。
とにかく、今いる信者の家を周り、仕事のお手伝いから、人生相談、お授けと、教会に座ってる事は無いらしいですね。
そうなると、新たな信者は、信者さんが連れて来てくれるでしょうし、2代目信者も、出てくるでしょう。
教会が、ジリ貧な印象はまったく無く、かなり頑張っておられる様です。
バリバリ音が鳴る様な、バリ天で、神霊主義の私のお話に、すごい拒否感を出されますが、それでも、信仰一本で家族を養っているのは、尊敬に値します。
私自身は、普通に働きながら、自分の信仰を深めているだけで、布教活動もお供えも、もらっている訳ではありませんから、精神的には楽です。
個人的な事だけど、大霊界の先祖の霊を背負ってる部分もあるけど、だからと言って、継がせる義務も無いけど、お蔭様で、継いでくれる子はいます。
信仰一本で家族を養って行くのは、自分より、信者や信仰を優先して生きねばならず、私から見たら、正直、しんどいなあって思いますけど、おそらく、教会長本人は、道一本で行きられる事が、無常の喜びであるのだと、想像できます。
だから、長男にも、それを体感してもらいたいと、道の英才教育を行い、継がせるつもりなのは、理解はできますが・・
教会長自身は、本部勤務、教区で布教師からの後継のいない教会に入る、と道一本ですが、私個人は、それでも、一度、息子さんは外に出して、自由に選択をさせた方が、思考に幅を持てるし、神霊主義や、八島教学も客観的にとらえられて、より時代にマッチした、教会活動ができると思いますし、いざとなった時、どこでも生きていける様に思えるんですよね・・
親子は、似ていますが、反発するのも、親子ですしね・・
Twitterやってる人は自分を知ってる人もいるかもしれませんが、ohohohというアカウントでやってたものです。
Twitterを上司に特定されて、今までの暴露していたのがバレて、しこたま怒られました笑
監視されながら愚痴とか言えなくなったので、アカウント消しました。
DMで長文送ってきたり、アカウント凍結しようとしてきたり、ホンマに陰湿やわ〜
バカと絡むのはしんどい
上の続き
普通に睦月さん、古い教会長さん、ミライさん、とある教会の長男さんとかのツイートは面白かったし、勉強になる意見もたくさんあったから色々と絡んでみたかった泣
こういう意見を持った人たちがもっと表に出てきて、天理教のおかしいところを世間に広めていって欲しいと思った、と同時に自分もいつまでも愚痴ってないで、何か革新するための動きをしなければと思った。
どうにかして天理教と離れ、そしてこれ以上の天理教団の奴隷や搾取対象にならないように自分の周りから啓蒙活動でも始めようかな笑
教えが間違ってる、正しいかどうかは勉強不足なのでわからないが、天理教団の人が不条理で非常識なのは確かだ。
自分は幸いなことに、自分で天理教から抜け出そうと思うきっかけがあり、天理教がおかしいという点を気づく瞬間がたくさんあった。そのおかげで天理教に疑問を持つことができたし、社会をもっとみたいという意欲も湧いてきた。
最初は家族や親戚、教会の評価や世間体を気にしていた。「俺がやめたら、家族や教会に信者を一人逃したという汚点が残ってしまう」とか思っていた。家族や教会が人質にとられている気がして一歩を踏み出せなかった。
しかし、今の自分は家族や教会に悪いレッテルが貼られようとも社会に出ることを決めた。そしてその事を家族と話したら、「お前が幸せになるならそれでいい」といわれた。
自分は社会に出て「人助け」をしていきたい、それも天理教の教えを使わず、布教せずに。
天理教徒としてではなく一人の人として、困っている人を助けれる人になりたい。
参考意見様には共感の思いが強いです。
全時代的な環境において、人権も無く、将来の展望を持つことさえ閉ざされている教会に生まれた人達。
社会貢献を布教よりも下に見る不条理。私もですが、息子達も神経をすり減らし、人間関係に疲弊し、それでも家族を思い、健康を壊しながらでも家族が食べる為、家族に着せる為、子供に教育を施す為、歯を食いしばって働いて来ました。経済の為でもありましたが、社会貢献も確かに出来たはずと確信しています。働く事がどれだけしんどい事であるか、自身の体験と子供達の今の苦労している姿を見るにつけ、教会環境に甘んじている上層教会のぬるま湯状態とその締まりの無さには、呆れるのを通り越しています。人として経験すべき貴重体験をせずに未熟者のまま人生を終える彼らは、神に仕えた自己満足だけで死んで行くのでしょう。
かつてのうちの上層教会は無計画に10人近い子供を産んだ。下から上がる「人のお金」で生きて食べ継いだ彼ら。自分達が使ったお供え金が血と涙と汗の結晶だったと言う事をどこまで知っていたのかと思う。
部内集めれば100人以上の信者が集まっていた威勢の良かったその上層教会は現在、90歳前後の高齢信者が4、5人のみとなった。自前では月次祭の手も揃わない寂しさ。「もうすぐ信者がゼロになる。あと5年持たない」と兄弟教会の後継者同士、危機感を持って話しているそうです。
健康不安の方々は別だが、神は汗して働く者の味方であり、働かずして人の財布に頼っているような者に手を貸す訳は無いのです。教会人よ、働け。社会の厳しさを知れ。世知辛い世の中、働かざるもの食うべからずです。
社会で働く事を通じて神の御心を伝える行動は出来ます。教会内でゴロゴロしていてお供え金頼りの生活でも「自分は神一条」と勘違いしている彼らの発想は、天理教の常識は社会の非常識と知って欲しい。
昔と同じ事は不可能です。若い後継者達には是非社会で苦労して働き、お金を得る苦しさを知り、自立と人助けの両立を模索して欲しいです。
参考意見 様
2020年1月19日 11:40 PM
>>うちの会長さんは、ネット情報を信じようとはせず、天理時報の記事を見て、天理教は今や海外にまで進出する勢いなのだと言います。まるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようです。<<
洗脳の典型的な恐ろしい例の一つだと思います。昭和20年8月15日の終戦放送(別名 玉音放送)を聴くまで、日本国民は「天皇陛下は神様」「神国日本」という思想を刷り込まれ、信じこんでいたのです。「玉音放送」という表現自体がそれを物語るものです。その最終結果として、日本の国は焦土と化し、多くの出征兵士が負傷落命し、一般国民にも計り知れないほどの犠牲者を出しました。一新興宗教である天理教が崩壊するまでに、それほど時間は要しないと思いますが、天理教が完全崩壊し、無条件降伏を受け入れるまでに、現在の信者さん達は天理教から早々に退散するべきです。
↑の匿名です。Ohohooさん。ツイッター見てました。残念でしたね。
応援しています。天理教は方向転換させないと、社会の害になりかねません。
ある教会の奥さんの叫び!!
◯ピピ
@sinkiittendesia
·
1月18日
もーーー!!
どうでもいいじゃんそんな事!!
あーーー
もーーー!!!
うっとーしー!!!
無くなってしまえ!!!
・・・・・・・・・・・・・
同感です。私も切に願います。
あ〜も〜うっとおしい!どうでもいいじゃん!箸の上げ下げ一々言うな!
つい先日、上のお偉いさん?のご指導?に切れてしまった私。不眠が続く、、、。
も〜、無くなってしまえ!!!
ニュースにならない普通の暮らしこそが主役なのよ。←ある全国紙に掲載された、.歌手の加藤登紀子さんの「ひらり一言」より。
堅ぐるしい教義解説よりも、たまには、天理時報もこれくらいの言葉を載せて。
天理教の意見をポジションごとに纏めてみました。
中田善亮(旧中山)「金の繫ぎは命の繋ぎだ!」
(本音 用木は中山の言う事を聞け!)
本部員「そうですね!」
(本音 大丈夫ですか?)
大教会長本部員「そうですね!」
(本音 部内から本部の事聞かれて大変なんだけど!献金よけい減ったし!)
分教会長「・・・」
(本音 間違ったこといってる本部の中田善亮に!何とか言ってください!改善されないなら離脱します!)
信者「会長さん本部おかしくないですか?」
(本音 本部おかしくないですか?)
本音で語っているのは信者だけですよね。この教団は建前ばかりで本音が無くなっているから壊れたのでしょう。
九つ こいつは小細工統領や
建前だけの統領は これはいかんな
いろいろな方の書き込みを読んでちょっと感じたことを書かせていただきます。
会長さんのことをまるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようだと例えられていましたが、面白い例えだと思いました。発表を盲目的に信じ、玉音放送を聞いたら、誰もが信じられなかったのかとも思います。しかし、そんな会長さんばかりではないようにも思います。現実を見据えておかしいと思っている会長さんや信者さんも一昔前より増えているのではないかとも思います。しかし、その中でおかしいと思いながらも喘いでいる人がほとんどではないでしょうか。
情報機器がラジオくらいしかなかった時代と今は違います。むしろ情報過多の時代でどれが正しい情報か、信じるに値する情報かを嗅ぎ分ける能力が必要不可欠な時代になっています。まして自分が信じるに値する情報なのかは自分で調べて検証することもできる時代です。過去の文献や資料を集め、調べていくと都合よく解釈されているものに出会うこともあります。
元々、教会というのは会長ににをいをかけられ、その人柄や尊敬の念により、信者となり教会のために尽くそうとしてきた信者で構成され、教会単位で強固な結びつきを持ち、運営されてきた面もあると思います。しかし上からのお達しに対し、従うような体制が長く続き、それが信仰だと植え付けられてきた面もあるように思います。
その時代を通った人たちは教会はいいところだ、尽くしてよかったと思えるでしょうが、それを傍で見ていた子供たちの中には反発を覚える子供も少なくなかったのだと思います。二代真柱時代に揺るがない強固なシステムが出来上がってしまった弊害なのかとも思います。芹沢文学を読めばその時代のことがよくわかります。
末端の教会であれば、少子高齢化の波をもろにかぶり、信者の激減で頼れるのは息子、娘になるのでしょうが、子供の中の一人が教会を後継し、兄弟たちは働いて経済的にも助けるという構図も多くあるように思います。しかしそんな末端はいつか破綻します。集会員だった中澤隼人氏も昭和42年に「五十年後の天理教を想う」で危機的状況を述べています。ちょうど50年が過ぎたのが今です。中澤氏の杞憂は現実になったとも言えます。
「五十年後の天理教を想う」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/50nen/50nen.html
世情働きはよくないとか、道一条で通ることが大事だとか刷り込まれて、現実の生活との板挟みになって悩んだりする後継者も多いと見受けます。確かに後継者本人が信仰に目覚め、自らの意思で教会を後継し、勇んだ気持ちで世直しをするんだと教会運営をするのなら、理想的なことであり、それに賛同し、運営面で会長をサポートする役員、信者もついてきたら素晴らしいことだとも思います。しかし、それは少数派になっているようにも感じます。私はその原因は少子高齢化や長引く経済の低下にあるとは思っていません。もちろん少なからず影響はあるのでしょうが、それよりも人間思案で組織の運営第一で、本来、目指すべきところを失ったまま、組織全体が流れていることが原因のように感じます。
キリスト教のようにコンクラーベを行い、その立場にふさわしい人を選び、その人格者についていくような組織運営をしなければ教団というものは成り立っていかないのではないでしょうか。血統主義で人事も家柄などで決まるようなことを続けていては「人材育成」などといくら掛け声をかけても、若い人たちはついてくるはずもありません。やはり天理教は教団として「熟成していない」のかと思わざるを得ません。まだまだ人々が本物だとついていくに値する教団ではないのかとも思えます。まだまだ紆余曲折を繰り返さなければならないのかもと思います。
人材育成だけではありません。お供えの制度にもメスをいれなければなりません。大教会に割り当てのように集金ばかりしているようなシステムで下から順に吸い上げるようなことをやっていては破綻します。今の教会制度、カーストのような形では結局、大教会も分教会も同じことで、ただの中間構成員に過ぎず、無理な集金を親子何代にもわたって続けることは心の負担にしかなりません。むしろ会費制のように明朗な会計でやる方がましです。
本部勤務をする友人とも話しましたが、人材育成がうまくいっていないことを嘆いています。いちれつ会扶育という制度を使い、大学まで出て、その扶育を返すために2年間ひのきしん者として勤め、勤務者になっても5年でやめていく人がほとんどだそうです。部署の構成員も20代の若手と50代以降の古株で中間層がすっぽり抜けているようで、その若手層も30歳までを目安にやめていく人が多いようです。無理もない話です。夢も希望も未来も感じられないでしょうし、本当にこの信仰の元である本部なのかとも勤務の中の経験から感じ取っているからだと思います。それではいくら人材育成が大事だと言いながらもうまくいく道理がありません。何のために教団が存続するのか、存続しなければならないのか根本的に考えなければ、今の流れは止めることもできないばかりか、大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことにもなりかねません。むしろ神はそうなるように仕向けているのかとさえ感じます。
以前の書き込みで教服を着てバイクに乗って親高生とぶつかった書き込みがありましたが、笑ってしまいました。本部員といってもそのレベルです。誰がついていくのでしょう。大勢の信者の前で講話を熱心にしたところで教理に関して薄っぺらさを感じるだけで、人の心を心底から動かす話などできるはずがありません。しかし、それを論(あげつら)ったところで何の意味もありません。その人たちもその将来本部員になる家柄に生まれたくて生まれたわけではありません。そしてその環境から抜け出せなかったのですから。
研究をすればするほど、矛盾を感じ、がんじがらめになっていくのが天理教です。まして立場が一般教会長、一般信者ではなく本部在籍者であれば尚更のことです。悲しい話や気の毒な話も聞いたことがあります。中澤氏は「アブ的人間」が現れることを期待すると結んでいるが、50年後の今、ネット上は「アブ的人間」であふれかえっているように思います。
>天理教は方向転換させないと、社会の害になりかねません。
アハハ、もうとっくに社会の害ですよ。
悠長な事言ってますね。
それが証拠に町内会の誰一人として寄り付きません。
その様な教会はご注意を。
なぜなら御近所は知ってるからです。社会の害と。
だから誰も寄り付きません。
その上元旦から大きな音で太鼓を叩き、叩き起こされるんです。大晦日ギリギリ迄働き、急ぎ脚で帰宅しやっとホッとして翌日の準備をしても朝にはいつもの時間に叩き起こされる。時計がわりとか目覚ましに丁度いいなんて言う時代じゃ無いんですよ。
町内会の誰一人来ない教会か良く観察する事ですね。
数えた事有りませんが、天理市の駅前商店街の一体何人の人達が本部のお参りに来られるんでしょう??
一応参道ですよね。
でも遠くからばかり来る人が詣でるだけで、商店街の人は行かないんじゃあ無いんでしょうか?
別に信者でも無いし、その地に居て商いしてるだけで。
中には信者って人も居たかも知れないけど。
天理教のお陰で食わせてやってるんだって?
何処も似た様な事やってるんです。
>中山大亮 @daisukeke123 1月1日
中山大亮さんが青ヘルくん【青年会公式】をリツイートしました
あけましておめでとうございます。
旧年中は、青年会の上にたくさんのお力添えを頂きまして、誠にありがとうございました。
今年は、「世界たすけへの挑戦」を胸に、さらに楽しく、ワクワクするような活動を進めていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。<
「世界たすけ」とほざく前に、
せっかくのTwitterなんだから自分の気に食わないフォロワーブロックなんかしてないで、
「教団運営上、何か改善できることはございませんか?末端および信者の皆様のご意見をお聞かせください」くらいのこと言ってみろ!
お前は将来理の親の頂点に立つんだろう?(理の親は偽教理だが)
世界を助ける前に教団内の理の子が苦しんでいるんだからまずそれを助けろよ。
ワクワクしてるのは一部の御供えあぶく銭貰いの天理貴族だけじゃ!
最近は、教会ニートなんて言葉まで耳にするようになりましたが、うちの会長さんが言うには、道専務の教会後継者というものは、自分のやりたいこと諸々や、自分の夢というものを神様にお供えしているのだそうです。そう言われると確かに、誰にでもできることではないのかも。私だったら、金をもらって頼まれても真っ平御免です。それでもやはり、今時の教会を見ていると、その生活態度や意識に、矛盾や不条理といったものを感じずにはいられません。
代々、子沢山だったおかげで、兄弟親戚のお供えだけで豊かに暮らせている教会。事情教会が8割とも言われるなか、生き残っていることで、自分たちを信仰のエリートのように錯覚し、信者の意見には耳を貸そうともしない。選民意識が強く、常に上から目線で、しまいには信者のお供えで食べて育った教会子弟が、信者の生活レベルを見て、見下した態度をとることも珍しくありません。うちの教会の家族には美食家が多く、ただ美味しいだけでなく、高級であることが大事なようです。回る寿司や発泡酒なんて、まずバカにされてしまいます。
そんな教会で年末年始にかけて、3人の家族が立て続けに病気と怪我に見舞われるということがありました。致命的なものではありませんが、これについて会長さんは、まだまだ上級への伏せこみが、足りてないからだと言います。これまでだって、さんざん組織のための、理の親信仰ばかりやってきたのに、他に反省すべき点を思いつかないのでしょうか。つくづく上の方しか見えない人のようです。神様からの警告を正しく受け取れなければ、いずれ取り返しのつかないことになりかねないのに。
うちの会長さんは、パソコンもインターネットも使える人なのに、自分に都合の悪い情報は絶対に見ようとはしない。これまで書いてきたようなことを話しても、まるで私を憐れむかのような笑みを浮かべながら言いました。
「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」と。
その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだということです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。
昭和20年8月15日の終戦の時、軍人だけでも500人以上が自殺したといいます。長年、信じてきた価値観の崩壊というものに、彼は耐えられるのでしょうか。それとも案外、器用に変わり身できる人だったりして。
新さん @solar753 1月19日
カード会社にお金借りてまで教会にお供えする必要ないと思うし利子付いて返済すんの大変だんだし
教会の会長に「お供え金ないなら生活保護制度を使って国から金貰って教会に金持ってきなさい。」
って前に言われましたが、そんなことしたくないです。
↑
こんな教会長は逮捕されればいいのに。
恐喝罪であり、間接的な生活保護の不正受給だ。
文春とか大きなメディアが叩いてくれないかな。
天理教の闇をもっと暴いて外部の意見(世論)によって粛清する動きが活発化して欲しいものだ。
天理教は福祉と言う「国家予算」に寄生し、太って行く。
これは天理教が故意に目的外にお金を流出させる詐欺行為ではないのか。
血税に目をつけ偽教理を立て、最低限の生活レベルを脅かす行為。
生活保護費をかき集めている天理教の行為を一般市民に広く広報すべきだと思う。
だいすけ君、皆感じています。お気楽にワクワクしてるのは貴君だけ。貧者が天理教手下の者に更に生活を脅かされてる事実を知ろうとせよ。未来ある青年をムードで洗脳し、手を汚さずして夢ばかり見るな。掛け声は要らない。自ら汚れ役の先頭に立つ事こそが人望となり、人がついていこうと言うものだ。
もう一つ。謝礼付きなら世界助けの実働にはならない。
謝礼は置いて帰れ。行くだけで懐が温もるならそりゃワクワクするわ。貧者は最低限の生活の中にワクワクする心の余裕がどこにあると思っているんのか。貴君の周りに群がっている青年達も、口には出さないが中味を覗いてみれば仕事も持たされず生活苦でブルブル震えている若者も多いはずだ。
東風z様、有難うございます。
おトキさんの「自分からの人生」(好きなことを好きな人と、好きなように、、、、50才を過ぎたら嫌なことはしない、と心に決めたの。私だって若い日には無理をしたのよ。だから今は最高の人生を!)
私の場合は68才を過ぎてからですが。
遠い昔、高校の卒業アルバム用に寄せ書きをしました。私は「自分に素直に!」でした。
教会の三男坊と結婚してからは、自分の心に蓋をして不足、腹立ちの数十年でした。
でも、だから今がある、強くなれた自分があると思える様になりました。
今年は古希の学年同窓会をバスケ部だった男子が開催してくれるそうで楽しみです。それまでケガしないよう、病気しないよう、万全の体調を保たないと、、、
大変でしたね。
ROM垢だけ改めて作るか、ここからツイートログを閲覧して頂ければと思います。
https://twilog.org/o_muthuki
>>うちの会長さんは、パソコンもインターネットも使える人なのに、自分に都合の悪い情報は絶対に見ようとはしない。これまで書いてきたようなことを話しても、まるで私を憐れむかのような笑みを浮かべながら言いました。
「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」と。
その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだということです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。<<
嘉永6年(1853年)と言えば、神奈川県浦賀沖にアメリカ合衆国のペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻(黒船)が、日本に来航し、開国を迫る足がかりとなった年です。約250年余り続いた江戸幕府の封建制度が完全に崩壊(明治維新)し、日本国が近代国家へと船出しようとする先駈けとなった事件でもあります。
そうした時代にあって、「天理王命」という神名を口にだすこと自体、そもそも時代錯誤、狂っているとしか表現のしようがありません。読者の皆さんはどのような感想を持たれますか?
>「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」
こんなことを真に受けている会長さんもいるんですね。よろしければリンクを貼っておきますから、是非、その会長さんにご紹介いただければと思います。嫌味で紹介するのではなく、本当の道を求めるよすがになればと思うからと付け加えていただければとも思います。
「天理教の神名変更について」早坂正章
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/1247/GKH010703.pdf
天理大学の早坂教授が書いたものです。以前、小寒の浪花布教について調べたり、神名流しについて調べた時に読んだものですが、嘉永6年はありえません。
「天理教における親神・天理王の命の神名」澤井治郎
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2053&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1
これも同じく天理大学の澤井講師の論文ですがPDFになっています。上記の早坂教授の論文についても触れ、神名について述べています。この二つを読むだけでも「天理王命」は明治以降の神道国教化が影響し、「天倫王」や「天輪王」が変わったものであるとわかります。更にその時代についても考えると嘉永時代というのでは矛盾が多すぎるように思います。
嘉永6年(1853年)黒船が来航し、おやしきでは母屋の解体、夫善兵衛の出直し、こかんのなにわ布教、長女おまさが福井家へ嫁ぐ、などがあったとされる年です。教祖がおびや許しを始めたのは、その翌年の安政元年(1854年)であり、まだ「天理」という言葉さえ現れもしないころです。「天理」という文字が現れ始めるのは上記2つの論文を読んでもわかるように明治になってからの話です。三条の教則が出てからと考えられます。
ひらがなの発音「てんりん」に漢字をあてはめたもので「天輪」あるいは「天倫」と表記していたのであり、嘉永の時代に「天理」というのは不自然です。まして教祖直々に書かれた「おふでさき」には「天理」の文字も「てんり」もありません。「おふでさき」自体も明治(1868~)に入って書かれたものであり、嘉永時代に「天理」はどう考えても不自然です。桝井家に秀司が書いた書が残っているようですが、それにも「天輪王命」と書かれていることからも発音は「てんりん」であっただろうと思われます。
教祖に助けられ信者ができ始めたのは文久、元治、慶応の頃であり、それ以前の嘉永の時代に「天理王命」という神名があって、それを唱えていたというは考えにくいです。もし唱えていたとしても「てんりんおうのみこと」だったでしょう。
以前、現役の教会長さんにこんな話をしたところ、「そんなむずかしいこと、わからん」と一蹴されました。それどころか「どうでもいいやん、神名なんか…」
本席亡き後に徐々に国家の流れに追従し、第二次大戦が終わって、やっと縛りがなくなって本来の教祖の教えのままに世界の全人類にだめの教えとして伝わっていくべきものが、ゆがめられて、現代に続いてきてしまった弊害なのかもしれません。共に真実を見極め、本当の平和な世の中、陽気にくらせる社会実現のために道を追求したいものだと思います。
うちの会長さんと天理教の神名について話した時、澤井講師の論文も示して話したのですが、それでも教祖伝など道友社によってキチンと製本されたものしか信じようとはしませんでした。
まるで桝井孝四郎の意見みたいですね。
「これは初めから「てんり」であるべきものであると聞かせていただいております。・・・その書は・・・今天輪王命とはっきり書いてございます。しかし、これはそう書いておりますのでございますけれども、言うまでもなく、天理であると聞かせていただいております。」
天輪王命とはっきり書いてあるが、言うまでもなく、天理であるだなんて、ちょっと強引ではないのかな。
あれこれ話しても、やはり最後には「どうでもいいじゃないか」で終わってしまいます。赤の他人の会長なら、もう好きなように思わせておくところですが、なにしろ従兄弟ということで放ってもおけません。
早坂教授の論文は知らなかったので、これから読んで他の資料と合わせて考えてみたいと思います。でも本当は、天理教という組織が健全でさえあれば、神名なんて問題にすることも無かったのかもしれません。
新さん @solar75
パートに行けてるので、早い内にメンタルクリニックにかかった方がいいよ。
天理教の悪い所は医者や看護師でも無いのに、いかにも医学治療分野を勉強したみたいな事を言って金に結びつける事です。
皆さんが仰る様にそんな教会長は逮捕どころか役所に通報すれば良い。最寄りの地域支援センターに行き相談員に相談をして然るべきクリニックを紹介して貰うといいですよ。相談員は優しい人が多いから話しをちゃんと聞いてくれます。
天理教からは離れる方が良いし、金の要求には一切応じない事です。
相談員に、しつこい様なら天理教の教会長から金を要求されてると伝えなさい。
単細胞の生命をはじめ、地球上の生き物が産まれたきっかけは何か、諸説ある様です。
偶然か、あるいは神秘の力によるものか、いつか解明される時がくるのでしょう。
解明のその過程にある現在のところ、世界に在る様々な宗教に心を寄せている(又は、寄せていた)人々の人口は決して少なくはないようです。(宗教関係の統計は天理教に見られるように、幽霊信者数が闊歩していますから、実態は知り様も無いのですが、全くの無神論者数という統計が無いようなので、曖昧な印象になりますがお許しください。)
その現状を踏まえての神名に関しての私見です。
「親神」という呼称も二代真柱の教義整理の天理教教典に見られますが、中山みき=教祖に神がかりがあったことから考えると、教祖自身は神の存在をキャッチされていたことが唯一、天理教のはじまりとしての拠り所になるかと思います。なので、私は「神」様に心を寄せています。
口先では座り勤めで決まり文句を(私にとってはただの決まり文句にしか感じていないので)唱えていますが、「△×の命」という存在は子供の頃から頭に在りませんでした。(そういえば子供の頃は「てんりんおうのみこと」と唱えていました。子供って素直ですから周囲の人の声から学んでの事だったと思います。)
「神様」という世界標準の言葉にのみ畏怖の念をもって対峙しています。
加えて言うのならば、天理教だけが唯一の信仰とは考えません。たまたま親がお道についた二世ですが、組織としての天理教、上に都合の良い教義を信奉する世界には住んではいません。
宗教の細かい教義やら祭事やらは、すべて人間の考えた組織内の決まりごとにすぎません。茶の湯の手順とか、和弓の作法と同じようなものです。「心を整てから事にあたる」という意義はあるにしても、です。
(注)神霊主義に傾倒する人が、神に種類があるという、それらの「神」は私にとっては神様とは思えません。神霊主義は独善的になりやすい傾向や、思い込みを排除することが難しい世界のように見受けられます。
@@@@@@ 父親さん、見解の相違ですから絶対に絡んでこないでください。@@@@@
神の存在をキャッチということで最近バシャールというものがテレビにネットにあらわれますが、
もし、神が高次元の別の宇宙生命体であるとするとじゃおさづけは何なのという疑問が残ります!
未来の化学のDNA治療が働いて、人間の自然治癒力を高めるのか?はてさて?
信じるも信じないもあなた次第であります!
ダリルアンカは本物なのか詐欺師なのか!
水と神とは同じこと心の汚れをあらいきる!
真実を神様が受け取って人間の自然治癒力を高めると信じたい!
私は、教祖が五重相伝を受けるほどに熱心な浄土宗の信者であったこと。しかし浄土宗による救済に限界を感じ、真言宗をも学んだことから「転輪王」に出会ったという八島英雄氏の説から、教祖が最初に教えた神名は「転輪王」だとばかり考えていました。
しかし、早坂正章教授によれば「転」の字が使われたのは、明治13年の転輪王講社の設置から明治15年までの極めて短い期間だとのこと。確かに明治15年頃の御神楽歌の本を見ると、「天」の字になっています。
この頃は既に三条教則も出された後なので神道式に「みこと」までついています。「ちょいとはなし」から始まっていて、「いちれつすまして かんろだい」の後に、第一節みたいなものがあるのですが、「あしきをはろうて」ではなく「あしきはらい たすけたまえ てんりんおうのみこと」となっています。もしかしたら、おさづけに使われたものかもしれません。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/hon-mikagurauta/hon-mikagura.html
もう一冊の古い御神楽歌の本では、第一節は一切ありませんが、破られたわけでもないようです。歌の終わりでは「天輪王命」と唱えるようですが、九下り目の八つは「やまのなかでも あちこちと てんりんおうの つとめする」となっています。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/mikagurauta1/mikagura.html
いずれにせよ、明治18年の改正諭告以前、まして江戸時代に「天理王命」という神名は絶対にあり得ないし、神仏習合の江戸時代とはいえ、五重相伝まで受けた教祖が、わざわざ「命」のつく神名を考えたとも思えません。
ところで関連のサイトで知ったのですが「転輪王」というのは、あくまでも理想的な「王」の概念であって、神というものではないのだそうです。そういえば、おふでさきには「天理」や「てんり」の文字は無いかわりに、「転輪王」や「てんりんおう」といった文字も無く、ただ「をや」「月日」「神」と書かれているだけです。それでも御神楽歌を作る過程で、必要に迫られて「てんりんおう」という仮の神名を決めたのでしょうか。
早坂教授の論文によると、明治29年以降は神名は「天理大神」に一本化され、「天理王命」という神名も公の場からは消されてしまったということですが、「南無」をやめて「あな」にせよと指導があったのも、この頃ですね。
以前、会長さんから聞いた話ですが、本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。あれはあの時代に、おつとめを蔵に隠れて続けた本部員がいて、それを知った二代目真柱が、戦後その者に命じて書かせたのだとか。
戦後すぐに復元に取り掛かったことで、二代目真柱を高く評価する声もあるようですが、それならどうして神道天理教会以前、それこそ教祖在世の時代にまで戻さなかったのでしょうか。ただGHQによって神道との関りを追及されることを心配しただけではないのかと疑ってしまいます。
終戦当時、GHQは「国家神道」こそは日本国民を戦争へと駆り立てた悪の源泉として糾弾する構えを見せていました。被占領地の信仰への干渉を禁じるハーグ条約などもあって実現はしませんでしたが、それでも天理教の中で利益を得ていた者達としては、神道との関りなど無かったことにしたかったはず。やがてGHQが去ってしまうと、復元も中途半端なかたちで止まってしまいました。もう永遠に再開されることもないのでしょうね。
参考意見様
前の書き込みに対する意見をまとめていたところですが、次の書き込みがあったので、それに対して先に書かせていただきます。また神名に関しては次に書きこみます。
>以前、会長さんから聞いた話ですが、本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。
>あれはあの時代に、おつとめを蔵に隠れて続けた本部員がいて、それを知った
>二代目真柱が、戦後その者に命じて書かせたのだとか。
神殿南礼拝場にかかっている「よろずよ八首」の額は高安の初代、松村吉太郎の書です。それ以前は天理フォーラムの資料1にあるように「信徒参拝心得」の額を飾っていたはずです。写真もあるのでリンクしておきます。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/sinden/sinden.html
松村吉太郎についてもずいぶん調べてきたつもりですが、現在の天理教の元を作った元凶の一人と言っても過言ではないと思っています。「道の八十年」はお読みになっているかもしれませんが、中の内容をよく読んで史実を一つ一つ整理し、他の資料と比べていけば二代真柱が成人し、カリスマになるまで実務面で実権を握り、いいように体制を作ってきた人物であるとわかってきます。時代背景もありますが、国家と結びつき満州天理村などにも関わり天理教の異端とされるような過去の歴史的な事件にも深くかかわっています。
>戦後すぐに復元に取り掛かったことで、二代目真柱を高く評価する声もあるようですが、
>それならどうして神道天理教会以前、それこそ教祖在世の時代にまで戻さなかったのでしょうか。
「死の扉の前で」をお読みでしょうか?復元にかかった時の話がいくつも出てきます。全部書くとか長くなるので書きませんが、特に東井夫人の話が真実を物語っているように思います。芹沢氏の驚きもさぞや大きかったと思います。「復元」を読んでいくと本部の中で教祖を直接知っている古参の人たちと二代真柱の間でいろいろあったのだろうと感じます。二代真柱を高く評価するのは文化的な面で大きく貢献している部分もあるからだと思います。豪快な人柄ながら、頭脳明晰で人情も厚く、やはりカリスマ性を持っていたのかとも思います。秀司が生まれ変わって、前世ではうまくいかなかったことを今世で自分の思い通りやったのかとも感じています。それだけに井出くにのことは避けていたのかとも思います。
中山家は側近を血族で固め体勢維持を図ってるようですが体勢は守れても教団存続はきびしいでしょう。血族以外の者からすると「その教団天理教では無く中山教ですよね?」とはっきりとばれてしまった。近年の法人乗っ取り、甘露台倒壊、真柱病気、そして中田善亮の「金の繫ぎは命の繋ぎ」これこそ異端教理として皆さんに周知させてしまった。この発言に関して中山家の親族の中でも批判しているものが居るといいます。血族の中から批判するのもいいですが、皆さんに示しをつけるために、中田善亮は退陣させた方がよろしいです。時期真柱の実の親が異端ではね。呆れます笑
2020年1月21日 11:01 AMの匿名 様
81年を生きてきて感じたことは、自分に正直に生きることだと思っています。言うは易し行うは難し、ですが加藤登紀子さんの一言で一層、背中を押していただいたように思っているんです。
難しい天理教教義の議論には加わることは出来ませんが、歩んできた人生を反省の材料として残された人生を生きていこうと思っています。
例えば、今日は体調が思わしくなく食べたくないと感じた時は、無理をして食べずに水分と多少の塩分(梅干し)を摂って過ごします。二日も過ぎると体調は戻ります。煩わしい因縁論を気にすることもなくなりました。
まだまだ、お若いですから、一挙手一投足を楽しみの糧として過ごされんことを願っております。
神名は大事かも知れない、どうでも良いかも知れない。
経典主義なら、想定する神名が変わるのは、経典の信頼性に関わるから問題かも知れないけど、それが実在する偉大なる存在の場合、てんりんおうでも、てんりおうでも、指し示す存在が同じなら、信仰上の問題にはあまりならないでしょうね。
偉大なる存在なら、名前はありませんからね。
ヤハべ、エホバと同じ様な存在なら、てんりんおう、てんりおうの違いは、まあ人間の都合と時代の問題と言う事で、良いんじゃ無いかと思いますね。
神は偉大なる存在で、人間とは別であるとすれば、我々は、神の作った宇宙と言う箱庭世界で陽気暮らしをする、ペットみたいな存在と言う事になり、死んでは出直し、死んでは出直し、永遠に箱庭でしか生きられない存在と言う事になる。
仏教の曼荼羅は箱庭を表している物であり、どこかで解脱して、別の箱庭に移り行くのか?
エホバの証人は、この箱庭が最後の審判のあと、永遠に変わらない箱庭になり、人々は永遠に箱庭で仲良く暮らし、神はそれを見て、喜んでいると言う事になる。
スピリチュアルや大霊界世界観には、この世に永遠の存在はありません
あるとすれば、絶対的存在がいる、最も深奥の世界であり、我々は、そこを目指して、肉体消滅後も旅を続ける事になる。
この広大な世界(宇宙の外を含む)全体を、それぞれいろんな段階の存在が、神として運営に参加していて、世界(宇宙の外を含む)の秩序を保っている。
同じ、神を信仰すると、日本語で言っていても、想定する世界観が違うので、互いに、相容れないのを承知して、へえ〜って、聞き流したら良いでしょうね。
お授けも、偉大なる存在を想定するのと、スピリチュアル神霊主義では、仕組みが変わってしまいますが、良かれと想う、人の祈りに違いは無いですね。
それは、愛の祈りだと、ありきたりに、考えたりしますね (笑)
参考意見様
>その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだと
>いうことです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。
二代真柱は絶対の存在で現代に続く信仰面でのカリスマであったのかと思います。しかし、その実態は芹沢光治良の「死の扉の前で」を読めば、神ではなく、むしろ人間臭さ満載の人であったと感じるはずです。また本部の重鎮の方々が独裁的な動きに焦燥感を抱いていたこともわかります。二代真柱が人間でありながら神の代理であると植え付けられてきた人にとっては、自分が信じてきたことを全否定されるようなものですから、簡単には受け入れられないでしょう。
「何かおかしい」と感じ、矛盾していると思ったら、自分で調べ、腑に落ちるまで検証し、納得がいけば、その道を信じて通ればいいのだと思いますが、何でも他人任せで盲目的に信じ込んでいては、人に、組織に、いいように使われるだけで気の毒な結末を迎えるしかないのかとも思えます。おっしゃる通り「手遅れ」になる前にしっかり自分の目を開いてもらえるようにしていくべきかと存じます。
>あれこれ話しても、やはり最後には「どうでもいいじゃないか」で終わってしまいます。
>赤の他人の会長なら、もう好きなように思わせておくところですが、なにしろ従兄弟と
>いうことで放ってもおけません。
お察しいたします。しかし、天理教の場合、大多数の人が年号がどうのこうの、史実がどうあったとかは関心の外の話であり、教会長にしてもそう思っている人が多いのではないでしょうか。私もどうでもいいじゃないかと思っていますが、どうでもいいと割り切れないのは、誤った情報や創作で都合のいいように教理面を説かれ、苦しんだり、嫌な思いをする人がいるのは健全ではないと思うからです。だから昔から伝わる逸話や教典、教祖伝などに矛盾がないか、それを元に都合のいいように人々を間違った方向へ導いていないかを正したいので、こちらのコメント欄に書かせていただいております。
神名にしてもそれは人間が暮らしていく上で便宜上、必要だから名称があるだけの話で、日本語を話す日本人だから、日本語の「天理王命」と付けられているだけで、「TENRIN-OH」と表記して、音を読めてはいても、漢字を使わない民族には「理」でも「倫」でも「論」でも何の意味も持たないと思います。私にとって神は「親神」であり、親なる神であり、人間とこの世を創造したもとだと思っています。その「神」の名称が時代の影響を受けて、いろいろな変遷があったというだけのことかもしれません。
“本物”の「神の社」が人々に「てんりんおうのみこと」だとしっかり伝え、それを唱えることが正しい道だというのであれば、それに従うべきかとも思います。しかし文字化して表記しなければならないことから「天輪」だの仏教由来の「転輪」だの「天倫」だのと出てきたのかとも思えます。しかし、そもそも漢字を使わない言語の外国人にこんな話が通じるでしょうか?日本人はともかく外国人に「てんりんおうのみこと」と唱えなければ救われないよということになるのでしょうか?世界宗教であるなら、究極のだめの教えであるなら言葉を超えた真理がなければなりません。
大事なのは本当に人が通る道のことであり、平和に陽気に明るく暮らせるための道を説いていくことができる組織が宗教の団体、教団であると私は考えます。残念なことですが、今の「天理教」がそうであるとは思えません。人に関してはカースト制度、教会運営はピラミッド体制のままで、誰がついていくのでしょう?そもそもそんな階層制度を作り上げることを「神の社」となったみきが唱えていたのでしょうか?おふでさきに残したでしょうか?すべて大正期から昭和初期にかけて“人間”が作り上げたものではないのでしょうか?
誰がそれを作り上げていったのか、そしてどうしてそうなっていったのかを調べていって、過ちを繰り返さないようにしていかなければ未来は変わりません。その旬が百年祭だったと思っていますが、何も変わっていません。
やはり、「どうでもいいじゃないか…」で済まされる問題ではないようです。
人間にしか宗教、神という概念は認識できない
他の動物には、祈る、祀る、拝む、そういった行為は見受けられません。人間に近い猿やゴリラ、チンパンジーにも見受けられません。
宗教を始めたのも人間。
天啓を受け、伝えたのも人間。
石や木に綱を巻き、神の依り代としたり力士の最高位の横綱も。
みな人間がやること
人間以外の動物には、群や集団、ボスを中心とした組織くらいしか
作れません。
人間がはじめたのが宗教。
そこに、人間より高い位置、存在を作り上げ、様々な事象に当てはめたものが宗教。
人間がはじめたものを、人間が続けていく。
人間がいなくなれば宗教は無くなる。
天理教世界観とスピリチュアル世界観について、ちょっと考えると
心とか魂とか、肉体以外に連続する存在を認めるなら、人とは違う、大いなる神と言う世界観であっても、人が神へと連続する世界観であっても、そうは違いが無いと思いますね。
神は偉大なる存在で、人間とはまったく別であるとすれば、我々は、神の作った宇宙と言う箱庭世界で陽気暮らしをする存在と言う事になり、死んでは転生し、死んでは転生し、この箱庭宇宙で、生きていく存在と言う事になる。
心とか魂とか、永続的な存在を認めなければ、ただの生物と言う存在で、それはそれで成り立つし、外側に神様も存在してもしなくても、どっちでも良くなります。
人はただの、生物と言う存在に過ぎない、と言うお話。
エホバの証人は、この箱庭が最後の審判のあと、永遠に変わらない箱庭になり、人々は永遠に箱庭で仲良く暮らし、神はそれを見て、喜んでいると言う事になる。
それだと宇宙の時間軸が固定されてしまうので、神の目的としても、それは有り得ないと思える。
心とか魂とか、連続する存在を認めると、この箱庭に閉じ込められる世界観では、宇宙も変化していき、またいつかビックバンを起こすので、どこか、現存宇宙以外に、心とか魂の存在できる世界を求めたくなる。
人とは違う、大いなる神が作ろうとしている世界であっても、それはやはりどこか宇宙の外にあるのでは無いか?と思いたくなります。
大霊界世界観は、連続する世界観であり、物質宇宙界から、さらに小さく細密になる素子へと変化しながら、心と魂と言う連続する、エネルギー体と言う個を維持しながら、進化向上を続けて行く、そして、最終的に、親である絶対的存在のいる世界にたどり着き、親神と共に、子として神々の世界を発展させて行く事が、最終目的である、と言う事です。
末端の人間から見たら、上の段階の進化向上中の存在は、神に等しい存在に見え、また、どの段階に置いても、上の段階から、導くために、手を差し伸べる存在がいると言う事です、当然、この世に生まれ変わる事は無く、必ずどこかの世界に行く事になる。
偉大なる神が、ただ1人存在し、連続する(魂と心)を大勢、子として育てているのか?
偉大なる神と、神が生み出した我々、連続する子供達が、それぞれ、段階で神として下を導いているのか? と言う違いだけですね。
スピリチュアル神霊主義の人は、多くの霊人、神々に、直に祈りで接するので、親神1人だとは、思えない訳ですよ。
自分に多くの、霊人、神霊が関わっていると、心と魂で感じている訳ですね。
神とは? と聞かれたら、神のエネルギーは、心で感じるのは、愛そのものであると思いますけどね。
人が生物以上の存在ではないとするならば、愛と言う存在も、無いのでは無いかと思ってる訳です。
本日久しぶりに南礼拝殿より朝勤め参拝をいたしました。
一番前の真ん中に相変わらずの方がお元気に参拝されていました。えーぃとかおーっとか独特な奇声とふりですが雨の日も風の日も変わることなく毎日ご参拝されていることは素晴らしいことです!
このかたにとっってはおつとめさえも形式はどうでもいいことで大事なことは毎日、変わらず、真実を尽くすことなのだなと思わせていただきます。
永尾よしえ先生のおつとめの地唄がありますのでご紹介いたします。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/mikagurauta/iburi.html
うちの会長さんみたいに今現在60歳前半くらいで、まだ3代目の教会長というものは、教団にとっては最も都合よく、扱いやすいカモのような気がします。
会長さんが子供の頃、初代はまだ在世中であり、その思い出もあって、教会の元一日というものには強い思い入れがあるようです。道一条で通った初代と先代の苦労を見たり、美談として聞かされながら育てられ、そのおかげで結構な今があるものと実感してはいるが、自身にはそうした苦労は無く、不自由を感じている様子もありません。
4代、5代と、それこそ教祖の時代から続いてきた古い教会に伝わるような話を聞いて育つこともなく、道友社の検閲済のような書物だけで天理教を学んできたのでしょう。
信仰の相手は神様だけだと、口では言いますが、上級を理の親として絶対視していて、行事の体裁や数字的な目標といったものは、とても大事なものみたいです。
一度、真柱邸に入ったことがあったせいで、すっかり頭の中がお花畑になってしまい、真柱様の暮らしは質素なもので、調度品や家具も粗末なものだった。出かける時は自転車だったなどと力説します。それが信者へのパフォーマンスだとか、税金対策というように考えることはないようです。次期真柱の結婚パレードとか、若江の家を疑問視する様子もありません。それは特別な魂の人だからなのだそうです。
いずれ一般の信者が一人もいなくなっても、兄弟親戚だけで充分やっていけるのなら、いっそ組織とは手を切って、天理教豊文教会のような単立教会になってしまえばいいのにと、私などは思ってしまいます。べつに給料をもらってるわけでもなく、上納金やら一方的な奉仕があるだけなのに、それでも大きな組織に身を置いて宗教活動をしたいものでしょうか。私には今だって、すでに世界助けには程遠い、身内だけでの自己満足な宗教ごっこにしか見えていません。こんなことを言ったら、さぞや激怒されて、話す機会も失われてしまうことでしょう。
これまで天理教の不条理に気づいてもらいたくて、神名の問題やら歴史的な矛盾やらを切り口に論じてきたのですが、60年以上かけて形成されてきたポリシーは、人がどんなに言葉を尽くしても変えられるものではなさそうです。
そう遠くない将来、会長さんは引退することになりますが、次からの世代のためにも、なるべく辛くないかたちで神様が、いろいろと考えざるを得ない機会を与えてくれることを願うばかりです。
ちょっと友人の教会長から聞いた話ですが、問題だと感じたので投稿いたします。
今、教会本部が各大教会に実働していない教会、名称だけの無担任教会などを整理し始めていると聞きました。大教会以下の分教会では「分教会」という名称でも部内教会があり、その下にまた部内教会があり、さらにその下に布教所があるというような形ですが、後継する者もおらず、教会自体をお返ししたいということも多々あるように見受けます。末端はもちろんのこと、中間に位置する教会でもそれは起こっています。
大教会からも部内教会にそういった教会があれば申し出てくるようにという動きがあるにも関わらず、何とか名称を残そうと他の部内教会の前会長やあるいは奥さん、子供、会長の兄弟などを立てて、残そうとしている事例もあるようです。私自身も他系統の会長からそういった話を直接聞いたことがあります。
しかし、この行為は明らかに間違っていると思います。
まず、第一に本部が整理をしていくという方針を出して実行しているのに逆らっていることになりませんか。第二に無担任教会になるまで上級教会は丹誠もしてこなかったから、結果的にそうなったのではないか?仮にやっていたとしても力不足でそうなった結果ではないのか。それを部下教会に押し付けるような形で体裁ばかりを取り繕うとするのは神が望むところなのだろうか。第三にそういったことをやっていればそんな姿を見ている部内教会の子弟の心はお道から確実に離れて行ってしまう。子弟だけならまだしも信者さんも愛想をつかしてしまうでしょう。本物ではないことを本物だと信じ、矛盾を感じながらもそうすることが信仰だと勘違いした結果が無担任教会という結果ではないのでしょうか。私にはそうとしか思えません。
私は大正期の倍化運動で急激に数だけ増えた教会が内容を伴わず淘汰されていった結果としか思えません。もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。それは部内の下の教会であればあるほど、そう思うはずです。固定されたカースト制度のようなものですから。誰が好き好んで、上級教会の言いなりで苦しい道を選び、子供に苦労をかけたいと思うでしょうか。
本当に信仰に目覚め、やはり世の中を立て直すにはこの道しかないと教会を盛り上げていけばいいが、下の部内教会が頑張れば、助かるのは上の教会であり、親教会を助けるのが子教会の務めなのだろうか。何かはき違えてはいないだろうか。
今の教会制度では若い人が離れていくだけのように思います。腹を据える覚悟がなければ通れるものではないとも思います。だめの教えにウソ偽りがないかを自分で検証し、道を求め続ける覚悟がなければ到底、務まるものではないように思います。ただ組織の中で江戸時代の封建制度のような中で無難に過ごしていこうというような気持では先は見えているようにも感じます。
現状の天理教という組織にはついていけないと真実を求めようと、教会役員、信者と相談して単立教会として独立することもできるようですし、無理難題ばかり言ってくる上級と縁を切ることもできる時代です。上級は部内からお金を吸い上げ、自分の子供には高い教育を与え、部内の末端教会の子弟は教育の機会さえ奪われる。天理教の中で嫌になるほど見聞きしてきた事例です。いいかげんにやめませんか。体裁を整えるために天理教をやっているのではないでしょう。
無担任教会、名称だけの実働もないような教会はすぐにでもお返しするべきです。恥ずかしいことでも何でもないです。もともと無理な倍化運動をやった結果なのですから。
とっとと名称をお返しして楽になりたいといった友人の言葉が胸に突き刺さって離れません。
天皇も人間といったおやさまの言葉に対し
天理カーストを作って人間に上下を作ってしまったのが今の組織です。
そこに生まれただけで、何の力もなく、本人は徳の違いと常に上から目線の人々です。
血筋でつぐのを避けるためあえて飯降伊蔵先生を後継者とし、息子や孫に継がせなかったのもおやさまです。
後継者は血筋ではなく一番信仰に燃えるものが継ぐべきです!
一度つぶしてしまって原始天理教に帰るべきだと思います!
おさづけもたまへさんから以降は親神様の承認しないおさづけなのでただのオカルトだと思います。
一〇〇〇人やれば一人や二人はプラシーボ効果で助かるでしょう!
現代は病だすけの時代ではなくいくらでも世の中のためになることをすることがおやさまの思いにかなうことだと思います。
>>もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。<<
いますよ、ここにいます。
我が子にはお前達は自分を大切にして自分らしく生きなさい、と伝えています。子供達には懇々と天理教の不条理と阿呆らしさ、馬鹿らしさを説き続けております。(ついでに友人知人にも。)「安心しなさい。貴方達にこんな信仰はさせるつもりはないからね」と宣言しているので彼らは安心して自由に神を求めているようです。
天理教は体裁だけの活動です。数だけの辻褄合わせです。あからさまですね。「心」と言う大切な物を置き忘れています。うちの大教会も会長不在の教会には教会長を引退したような老人を形だけの教会長にして数字を保っています。他にも会長不在教会を沢山抱えていますので、そう言う意味のない体裁維持の為の努力をする。
我々教会家族は形を保つ為の一つの駒で有り、自由にあちこちに送り込まれ、組織助けの一つの駒位なもの。その為に高齢になっても尚、己れを無にして大教会と言う権力者に人生を振り回されるのです。
せっかく戴いた命を、道を外した欲ぼけ組織の為に捧げているのです。皆目を覚ましましょう。自分らしく生きましょう。自分を大切にしましょう。神はいつでもどこでも無条件にご守護し続けてくださっています。意味のないプレッシャーに押しつぶされる無駄な苦労は返上し、健康を害する不条理なストレスから解放されましょう。
数年前までは、こちらの書き込みも真っ向から信じる人は少なかったでしょうが現実本部中山家の行いが表面化しこちらで書かれた先行きの懸念は予言のように当たり天理教と中山家のひずみは明らかになりました。こちらでも書かれる「中田善亮が悪い!」のも分かりますが、中田善亮を表統領と言う重要なポストに置き続けている。「真柱、親族、血族、本部員」など囲いの連帯責任です。
次期真柱は大亮くんなんですよね?大亮くんの実の父親が評判悪いと次期真柱の評判も悪く成る事が理解できなかったんでしょうね。ネット社会になっても隠蔽体質で逃げ切れると思っているのもお恥ずかしいです笑
その大亮さんを取り巻く若手連中がワンサカ活動している青年会!
心ある青年や、社会の厳しさを肌身に感じている青年たちの苦労を知らずに肉を食って喜んでいる天理村民。
人の時間を奪ってしつらえた後継者の結婚を何とも感じないお祭り好き天理教の人々。花道に飾り付けられた多数の花は、誰の手によって、誰の時間を犠牲にして作られたかと考え、吐き気がしたものだ。
大亮夫人は「魂がちがっていた」と話したり、書き込んだりするお花畑住民たち。
お徳がある?そう説明すれば納得するとでも思っているウマシカ動物園管理者たち。
表統領+大亮夫妻体制がここ数年の間に出来レースで整えられつつあるのが現状だろう。
うちの会長はことあるごとに大亮さんの名前を引用する。
それを聞かされる私は、参拝するための時間と交通費、内容の無い講話を聴かされる苦痛に毎月耐えている次第だ。「こういう親しか持てない我々に徳が無いのだ。」という天理教独特のあきらめが信者たちの間でつぶやかれている。自分の親から受け継いだ信仰の中で生育してきた、素直すぎる老人たちには「面従腹背」というエネルギー消費の少ない方法で抵抗するしか道がないのだろう。そして自分の子や孫には信仰を継がせないだけではなく、自らが教会からの「防波堤」となっている例も多い。「防波堤」!一気に参拝を止めれば、その後何かの不幸に襲われた時に、「信仰を止めたからだ」と自分を責める事になるかもしれない。そう思うと、面従腹背が穏やかに信仰を止める最適方法だと言えるのかもしれない。止める覚悟ができる人ばかりではないからだ。
「みちのとも」によると、まだまだ地方では地元密着の教会も存在するようで、狭い国土の日本であっても、多様性が有る事に、今更ながら驚かされる。仏壇を廃し、講社祭りにかえること、全村150戸中100戸。そういう地域もあれば、都会ではたとえ教会の人であっても狭い部屋に招き入れる事を躊躇する面もありと、様々だ。人の心が激しく変化しているその中でも最も変わっていることが女性の心だろう。今や女性が台だと説けば「私はそうは思いません。」と反論する女性は半数位はいるだろう。たとえ教会長夫人であっても心の中では反論している人も多い事だろう。「こうしたらどう?」なんて口にすれば「あー、もう、うるさい」と心の中で毒を吐く人のなんと多い事か。Twitterを見ると、もう、天理教の教えはパワハラ・モラハラ・毒親の言葉としか受け付けられない女性たちがいかに多いかと感じる。そういう人を相手の布教なんて無理じゃないかと感じている。
人間の中身がこれほど乱雑になっているからやたらな人には近寄らないように身を守る必要も感じる。けれど、離れられないのが家族であり、そうした中でこちら(高齢者)が心をやられ、挙句には体に不調が起きる事も有ると、整体の先生が話していた。思う事を口にしない高齢者は多く、マッサージをしていても、体をほぐすためには、まず、心をほぐさない事には効果がでないそうで、先生はマッサージ中に、言いたいことを言わせ、否定することなく聞いてあげるのだそうだ。これは天理教の先生にも聞かせたい言葉だ。
分教会レベルでのはなしになるが、月次祭の後、信者たちが居残って雑談しないように忙しそうに振る舞ったり、無駄口をしないようにしている会長夫人もいる。早く帰ってもらいたい、解放されたいと願う気持ちも理解できるが、信者からすれば時間を都合して参拝してきたこの機会は、他の信者たちとの談笑の機会でもあるので、もう少し、一時間程度はゆっくりしたいと思っているそうだ。忙しい毎日だから仕方ないね、と、物分かりの良い老人たちはあきらめているそうだが。お勤めを務める事で感謝を表すと言ったところで、教会が心の中を吐き出す場所になっていなければ、教会の存在価値などどこにあるといえようか。若い人から見れば、老人のくだらない話に付き合いたくないのだろうが、教会の社会的存在価値は世界だすけなどという高邁な理想(しかも口だけの)の前に、寄り集まった人たちが楽しく談笑し心の中を掃除して、家路につくこと、これはお金が無くても実現できることだろう。高齢者たちが少ないながらもお供えを運んでくるのだから、その日一日は信者のために費やしてみてはいかがだろうか。
>>もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。<<
ここにもいますよ。私は若い時教会長の親が急死し、会社勤めをしていましたが親孝行になるからと説得され会社を退職、しばらくは原典を勉強したりにおいがけに出たり友人に別席を聞いてもらったりバリ天に近い活動をしてきました。しかしながら三島神社移転問題の頃から何かおかしいと思うようになり、その後教団に対する不信感は日に日に膨らんでいきました。同僚の会長から教えてもらったこのサイトを知り、二代真柱により教祖の教えが教団の都合のいいように歪められたことにも確信が持てるようになりました。自身が信じられない組織に使い捨てにされることが分かっていて子供を巻き込むことはできませんし人に勧めることもできません。今、後継者候補となっている方々に言いたいのは自身が100パーセント納得出来ていなければ教会(特に末端)を継いではいけません。この組織は一度承諾したら自身の後継者を決めない限り出直すまで辞任という手続きがないのです。教会長にならないほうがよほど人救けはできます。
それにしてもこんなに内部から批判が集中しているのに全く聞く耳を持たない組織は聞いたことがありません。本部の中枢におられる方々は基本優しくていい人たちなのは認めますが今はやりの忖度が横行し、何も手を打とうとしない罪は指導者として半端なく大罪だと思えてなりません。
以下のような思考停止したバリ天が、改革を阻害し、上層部をつけあがらせ腐らせている。
皮肉にも批判を黙らせることが、教団崩壊を促進していることに気が付かない。
批判と愚痴や不足の違いも理解していないようである。
「批判」は主に特定の物事について誤った部分を指摘したり、
それらの改善を求めることを指して使われる。
批判に耳を傾け、改善するための努力を怠るような組織は消滅するのみである。
こんな教団にコミットしている時点で既に堕ちていることに気が付いていない。
まことに哀れだ。
↓
こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
巡教に来ていた上級の若造後継者に腰をくの字に曲げてへこへこしていた大好きな祖父母の姿を見るのが哀れで不思議で、情けなかった子供時代。古傷が心を蝕み生涯にわたってその貧困と不条理のトラウマと戦わねばならない教会関係者と信者の子女子弟。
癒えることのないトラウマです。我々のような教会家族の孫、ひ孫、信者子弟やその孫世代に、そっぽを向かれるような事を天理教団はやってきたんです。
変わろうとする意欲も意志もない腐ってしまった教団を外から変えようとしても無理です。教団が自らを助け維持したいなら善亮、大亮などの次を担う人間が目を覚まし、踏みつけたかつての全国800万人の信者とその子孫、教会関係者に懺悔し、生まれ変わらなければ道が生き永らえる訳がない。天は自らを助くるものを助くるという。ここまで意固地に嘘に塗り固められた悪道を押し通そうとしても神が許さないのは道理です。
こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
この方は、教団本部は、神の代弁者であると思っておられるのか?
天理教の盛衰は、世の中、日本の社会が決める事であるから、神の動きとは無関係、天理教を批判するのは、神を批判するのでは無く、人間がやっている教団運営に尽きるから、それは、なんら神的に問題は無いと思える。
都合良く神を持ち出し、自分の心の濁し、堕ちている事を、見ないフリをする事こそ、成人に程遠いのでは無いか? と考える。
なって来るのが天の理なら、教団の衰退は、教団運営に問題があるのと、社会情勢の動きがあるから、時代に合わせて変えなくては、衰退は止まらない。
親神様が、偉大なる唯一の神なら、なおのこと、教団運営の中枢にいる人達は、真摯に、神の思し召しを想い、求めて行くべきでしょうね。
天啓者もおらず、天啓者にお伺いを立てる事も無く、我らが決める事が、神の御意志だとするなら、湧き上がる不満もまた、神の御意志だと受け止める事だと思います。
上の立場の人間に対し、従順になるのは、日本人の特性でしょうか?
一昔前なら、お上に逆らう事は命懸けでした。小林多喜二を始め多くの心有る愛情深いひとたちが不当に
拘束され拷問で殺されました。今現在の社会でも内部告発して大変な苦労をされているひと、冤罪で裁判費用に困難されているひと、森友事件で抗議の自殺をされたひと。一握りのトップの為にどれだけの人達が犠牲になっているのか。今朝のテレビで、官僚になりたい若者がこの3年で急降下。グラフで示してましたが滝の様です。愛想尽かしされている安倍政権と同時進行の天理教。これだけ問題起こし、醜態をさらけ出しているにも関わらず、選挙では周りに言われるまま無能な候補に票を入れる人達、上からの声に従って数を作るのに必死になっている教会の人達、もう少し自分の頭で深く考えて下さいとしか思えないです。
昨日、婦人会の会議で、支部長(大教会長妻)が総会に向けての自分の思いを滔々と述べ委員たちの意見を聞いていて、私と他の人の意見が気に入らなかったらしく、机をバンバン叩いて声を荒げました。
おお、ヒステリーとはこういうのかと、感慨深く見ていたのですが、「何もせん姫」に自分の望みばかり言われて誰が叶えてやるか!の心境です。私みたいな、信仰浅い末端教会の者を委員にしたのが大きな間違いで、もっと嫌われ、向こうから、やめて下さいと言わせる様に、今年の心定めと致します。
無名様、頑張ってください。我が大教会長妻も何もせん姫です。自分は何もせん姫なのに、それでもって大上段から嫌味を言う。
な〜んにも出来ない、な〜んにもしない。自分の事も満足に出来ない。掃除なんかした事無い。料理なんかも作った事無い。子供が大人になった様な未熟な人でプライドだけで生きている。
ヒステリーといえば上級のかつての教会長夫婦もヒステリーで、教会お守り所で夫婦で喧嘩を繰り広げていました。感謝、慎み、ではないのか。
上級教会も上下組織のストレスを受けていたのか部内教会の我々に怒りをぶつけて、机をバンバン叩いて金の要求して来ました。
他所の教会でも信者が所属教会夫婦のヒステリックな「公開喧嘩」を嘆いていました。 ヒステリーは天理教内に多いのでしょうか。
下品なキ◯ガイ集団の様です。
秀司と正善の類似性
この二人について調べれば調べるほど、類似性を感じてしまう。一説には生まれ変わりであるから似ているのは当たり前かとも思えるが、生きて活動していた時期が違うのであるから、似ていると感じているだけなのかもしれない。しかし、自分が教えられてきた教理から考えても、同じ魂であるのかとも思えてくる。
明治13年に秀司は金剛山地福寺へ「親神は退く」との教祖のお言葉にもかかわらず、出かけていく。そして
明治 14 年4月8日に61 歳で出直すことになる。一方、正善二代真柱も教祖80年祭のあと、昭和42年に63歳で出直している。秀司は中山家の長男として、何不自由のない暮らしをしていただろう。人柄もよかったとようだ。しかし、おふでさき12・13号を読めば秀司が神の「ためし」には適わなかったのかとも思えてくる。
一方、正善二代も最後には癌でやせ細って出直したと聞く。教祖70年祭におやさとやかた構想や稿本教祖伝を出したりして復元のもとに体制を作っていこうとしてはいたのであろうが、志半ばで出直したようにも思える。
時代が変わり、生まれ変わっても「ためし」には適わなかったのかとダブって見えてしまう。革新を行ったことが残念だと後に語っていたはずだが、若き二代真柱が国家との間で苦しんでいたのかとも思える。
日本は結果的に軍部が国家を動かし、第二次世界大戦に向かい、うまく天理教も利用されてしまったのかとも思う。戦争協力をしたと批判の声もあるようだが、それも秀司のケースと同じく神の「ためし」であったのかとも思えてくる。国家の動きに追従し満州に天理村を作るなど戦前、戦中の資料などを見ると複雑な事情が絡んでいたのだと思う。しかし、上が打ち出したことに下のものは純粋な気持ちで勇んで応えていこうとしたのではないだろうか。天理村から731部隊に召集された青年の話など消え去ることのない辛い記憶を植え付けられてしまっただろう。気の毒でならない。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/pdf/kaitaku.pdf
私は積極的に教団挙げて戦争協力を行っていたとは思わない。しかし結果的に加担してしまった形になったのかとは思う。「神意の実現であると同時に、国家の事業を翼成する」と上層部から打ち出されれば、下層の人、純粋な信者は勇み立ちもするであろう。教団において大事なのは「隠して無かったことにする」のではなく、事実がどうであったのかをしっかり検証し、未来のために今の教団を改革していくことだと思う。これだけインターネットが普及した現代である。隠ぺいできる時代ではない。
おふでさきに出てくる「上」は国家権力、警察などと解釈されているが、私にはおふでさきを読んでいくうえで、「国家権力」ではなく、教団の中、「おやしきの中での上層部」ではないかと思えてならない。ここを読み違えてしまうと根本的におふでさきは分からないものになってしまうようにも思う。それほど、おふでさきを読むうえで「上(かみ)」は大事なものであり、道を間違ってはいけないものだとも思う。令和に時代が変わっても「上」の役割は重い。
>こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
>教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。
そうだろうか?この人は批判も擁護も関係ないのだろうか。意味がないと本気で思っているのだろうか。
>天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。
本当にそうだろうか?神が決めているのではなく、組織の上層部の間違った運営によって盛衰しているのではないのか?多くの人がそう思っているからこそ、これだけいろいろな意見が出てくるのではないか?
>むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
本当に天理教人か?この人は、、、? 堕ちていく人がいるのであれば、救うのが天理教人なのではないのか?「よふぼく」をやめた人なのか?それとも心を濁した人は救う必要はないのか?
私は教祖が見ていたらどう思うだろうか?親神が望むことだろうかと考えているが、もう一段、大人になって批判している人も擁護している人も共に救われる道を考えようとは考えないのか?「こせつ」さんも「更に大人になって欲しい。」ものだと思う。
「なってくるのは天の理」とはどこから出てくるのでしょうか?。おふでさき、おさしづ、には一言も出てきません。「なってくるのは因縁」としか書いてありません。
なって来るのが天の理なら、教団の衰退は、教団運営に問題があるのと、社会情勢の動きがあるから・・・・・
ではなく因縁です。
今起きている出来事には、当然、原因があり、その結果であると思います。
その原因があっての結果だから、表現の問題でしょうが、成ってくるのは当然であり、悪い種を蒔けば、悪い目が出て来ると言う因縁だとも言えます。
大教会の教会長とか嫁とかが、貴族の様に振る舞い、慎みがないのは、天理教には、自己制御のための、方策が弱いからですね、本来、その行動も、因縁と成って、心上身上に現れるのですから、下部教会の離反は、大教会長に現れた身上でしょう。
身分制度があり、それを選ばれし魂だと肯定してしまいますが、教祖様はそんな事、肯定しましたか? 選ばれし魂だと自認するなら、ぜひ教祖様を真似て頂きたい。
>>今起きている出来事には、当然、原因があり、その結果であると思います。<<
仏教的に言えば、「因果応報」ということですが、この世に起きる全ての事象には原因があります。原因を探求することなく、目の前の結果だけに気をとられ騒ぎ立てることは本末転倒です。この世の全ての事象の原因を追求し解決方法を探ることは、宗教以外の森羅万象について共通するものであり、問題解決の最短経路だと思います。
>女性が台
図々しいおばさんばかり。
若い内は初々しさもあるんだろうが、歳と共に図々しさに磨きがかかり、おばさん・おばあさんは言いたい放題、やりたい放題。おまけにオッサンは鼻持ちならない働かない、言いたい事うけど、辻褄合わない変な説教ばかり。
ただの図々しいおばんとオッサンの集団だわ。
憩の家 (公益財団法人 天理よろづ相談所病院)勤務の方から直接聞いた話し。
中山家とその親族は当該病院でVIP登録されているそうです。
「親族」の厳密な範囲までは確認しませんでしたが姓を聞く限りN田、M野、N野、S尾などが挙がっていたので少なくとも現真柱の兄弟姉妹の配偶者(の家族も含まれるかは不明)は対象のようです。
当該病院はF通の電子カルテを使用しているそうですが患者の目に触れず院内でのみ共有できるコメント欄に「VIP」の表示が出るとか。
「VIP」の扱いについてですが全てを聞いた訳ではありませんが驚いたのは「診察、治療費は病院持ち」との事。
私は信じられなかったので
「病院で立替て後日請求してるんでしょ?」
と確認しましたが
「本人に請求せず病院で支払っている」
との事。
VIPの制度については民間企業や民間病院なら反対はしません。
創業者親族(所謂オーナー)や多額の寄付をしている方が特別扱いされることについては賛否はあるでしょうが私は不快に思いません。
しかし、憩の家病院は別。
そもそも中山家の私費で設立、運営されている病院ではありません。
当該病院の運営母体が天理教というだけで、真柱は天理教の統理者ではありますが病院のオーナーではありません。
このVIP制度は病院が中山家一族の所有物であるかのような誤解を招きます。
天理教本部は財政難などと騒いでいますがこんな事をしていて全国各地で信仰をしている人が喜ぶ、納得する、不満に思わない訳がありません。
病院側の配慮だとしても本人が特別扱い(診察、治療費免除)を断れば良いだけの話し。
いよいよ組織としての天理教に嫌気がさしてきました。
この汚れた組織のなかで教祖の教えを信仰するのは難しい。
教祖の教えを純真に信仰するなら組織とは距離をおくほうが得策かもしれません。
情報源(前出の病院勤務の方)から聞いた話しに意訳等を加えず極力そのまま記しました。
当該病院のスタッフは全員が天理教信者ではありません。天理教に疑問を抱くスタッフも沢山います。
情報源は本部の役職者ではなく天理教組織の上層部に忖度する必要もありませんし比較的ニュートラルな視点を持っていると感じます。信仰についてはさておき病院の実態についての情報です。
万が一、情報源に誤解があれば上に記した通りではありませんので悪しからず。
天裏狂 2020年1月27日 5:28 PM 様
これは初耳でした。驚きです。
大変貴重な情報をありがとうございます。
このリークで天理教が更に異常な組織であることが明るみ出ました。
末端教会長達の中には、年金さえもお供えしてきた極貧者が多くいるのに
教団VIP達は厚生年金にジバリーヒルズの豪邸住まい、そして医療費は生涯無料……。
VIP達が考えているのは所詮自分たちの「命のつなぎ」だってことです。
(まあ仮にVIP達が自費で支払ったとしても、それさえも所詮搾取したお供えですけどね。)
憩いの家病院は確か赤字だと聞いていますが、彼らの耳にも入っている筈です。
それを承知でただ診療を受けているとは。呆れた輩達ですね。
最高医療をただで施せば赤字にもなるでしょう。
本来の天理教教理からはVIPと言う言葉とその意味合いは一番遠い所にある筈の概念ですが、その病院側の忖度を甘んじて受け入れ素知らぬ顔で利益を享受し続けている現実は、宗教家、教団トップ層としては大問題。彼らは恥と言うものを知らないのか。
メッキの下の顔がネットのお陰で暴かれ始め、 叩けばどんどん埃が舞い上がりますね。
この話が事実ならば、 こんな腐れ教団に関わるのは時間の無駄だと心底その思いを強くしました。どこまで腐っているのか。もっと詳しい事実が出る事を待っています。
そして、これが根拠のない全くのデタラメと言うのであれば、N家以下、ここで反論し、潔白を訴えるべきで、沈黙を守るならば、これは「黒」だなと思う。
金の亡者、本部N家以下が無料受診している事は今後ネットで全国を駆け巡るでしょう。本部には無料受診の事実関係の反論をしていただき、我々信者を安心させて頂きたく思います。
教会の悲鳴!
あるツイッターより。
お供え以外に固定費を徴収する教団、しかし払う方の財布は一つ、ただ名目を変えより多く徴収し生かさず殺さずの手綱の調節をしている。まだ、その金が人だすけのために使われているならまだしも、無駄な建造物や上層部たちの安定した生活の為に使われている。
twto
@ichiro0026
·
1月21日
教団は、人だすけを提唱しているならなぜもっと国際、国内支援に乗りださないのか?集まった金を無駄な建造物を建てたり、上層部の贅沢に消えてなくなるよりずっといいではないか。世界には、まだまだ支援が必要な場所がある。
*****
本部の贅沢もそうだが、他人の財布を当て込み、ただ診療。この教団トップは何をしてもどっちに転んでも人の金頼みである。そして今も弱いものの財布に食らいつく。
何が人助けか。何が世界助けか?
天理教団とは、中山一族の「わがみかわいい」だけの団体です。宗教を名乗るのもおこがましい利権だけの団体です。みなさん、決して悪いことは申しません。早々に天理教団から退散するべきです。
東京のとある教会のものです。
父親が会長をしております。
もう経営も維持もしんどいので畳もうかと思っています。
しかし、ある問題が
うちの教会は宗教法人なのですが、名義が天理教本部、または上級教会になっているため、畳もうと思ったら本部に許可が入ります。
そして畳んだ場合今住んでいる建物、土地には住めなくなります(名義が本部のため)
どうにかして、今住んでいる建物と土地を本部から奪うことはできませんか?
知っている方がいたらお願いします
先ず、法務局で土地と建物の登記簿謄本を取り寄せてください。
所有者が誰だかハッキリとします。
仮に、土地と建物の名義が本部又は上級教会になっていた場合、どのような経緯で本部又は上級の名義になったのかが分かるかもしれません。
過去に、建物を新しく建て替える場合に、借入金(資金)を借りる場合、本部は大教会名義でのみ南都銀行から融資されるやに聞いています。
負債の返済は当該教会が行いますが、債務完済までの間は金融機関なり本部又は上級教会が抵当権を設定しているでしょう。債務の完済後も登記がそのままになっているのかもしれません。
いずれにしましても、どのような経緯で本部又は上級の名義になったのかが分かりませんので、その辺の事情を詳しく説明されれば、司法書士なり弁護士から適切なアドバイスを受けることが出来るかもしれません。
ただ、土地及び建物をお供えされたのであれば、取り返すことは難しいかもしれません。欲深い天理教本部のことですから、価値のある不動産であれば、これ幸いとニンマリとしているのかもしれません。
お供えされたものは返すというような親切心はコレッポチモも持っていないでしょうから、あくどい宗教であることは間違いありません。
少しでも、良い方向に向かよう皆さんで応援してあげましょう。
教会を畳みたい。アドバイスください! 様
詳しくは分からないのもですが、上級、本部に相談したら、間違いなく追い出されるでしょう。秘密裏に実行して下さい。
離脱するという手もあります。
離脱に関しては「加藤ハルアキ」さんが詳しいです。
http://mikagurauta.grupo.jp/
出来るかどうか分かりませんが、代表役員の印と責任役員の印があれば、個人名義に変更できないのでしょうか?
その場合、個人に取得税が、かかってくると思います。
教会を畳みたい。アドバイスください!2020年1月28日 1:30 PM 様
「ひながたの会」(http://mikagurauta.grupo.jp/)では、貴方のような方の相談を受け付けています。
「お問い合せ」からメールを頂ければ返信させて頂きます。
お待ちしております。
(東京なら近いですから、直接会って相談も出来るかもしれません)
コロナウイルスが日本国内で確認されました。それも奈良で 60代バス運転手だそうです。今月からおぢば帰りは春が過ぎるまで行かない方が良いです。天理市を媒介に感染拡大する恐れがあります。本部や大教会が中止しなくても、行くのを辞めましょう。「天理教が全国に撒き散らした!」って言われかねません。
【速報】感染者は奈良の日本人男性 新型肺炎 日本人初確認
https://www.fnn.jp/posts/00431122CX/202001281835_CX_CX
奈良県内病院で治療受けておられるならわざわざ天理方面へ行くのは危険ですね。
4/19の婦人会総会参加も要請されていますが行くのはやめた方が良いと思いました。それまでに終息すれば良いが。
数にこだわる本部が信者命を守る事を第一の重点に置き、信者に自粛要請する程の誠実さがあるとは思えないので、各人、自分の事として自己責任で動きましょう。彼らは必ず「神にもたれて、、」などと無責任な事を言うのですが、何かあっても絶対に責任取らないですから。
総会に何人集まろうが知ったことではない。我々にはその体裁は関係ないです。
コロナウイルス、目に見えない怖い感染力。おじばに神が居るならお膝元奈良県に日本初の患者がいます。天理教の力で奇跡を見せてよ。世界助けの天理教!それくらい簡単に出来るでしょ!?
俗な言葉に、「通さぬは、通すがための 道普請(みちぶしん)」てェのがあります。
道路工事の現場で、ヘルメットをかぶったオジサンの絵が頭を下げているその横に 「多大なご迷惑をおかけしております」という文字が書かれていたりします。
道路工事があるというと、人々は回り道をして工事現場を遠ざけますので、人の通りは減ります。<通さない>のですから、そうなるのもやむを得ません。
しかし、通さないのは一時的なもので、工事が終わり、きちんと道が整備されれば、人の通りは又よみがえって、大勢の人でにぎわうことになります。
希望的観測かもしれませんが、天理教は今、工事中なんじゃないかと思うんですが・・
ちょっとの間みちが通れなくなるのは、きれいに整備して、人々が楽に矛盾なく通れるようにする「道普請」のためじゃないかと思うんです。
(こう書くと、多分皆さんから私メに向けて、一万本の矢が放たれるかもしれませんが)
コロナは速乾性の手指消毒剤も有効っぽく書いてあるので、それも用いて手洗いの励行が大切かと思いました。手指消毒剤は飲むと大変危険で命に関わるので飲まれないように安全に配慮して使うべきかと思います。
速乾性手指消毒剤はアルコールにアレルギーのある方の使用は出来ません。
工事中、そうかも知れません。
天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理を望みます。世間では完成を急ぐあまりの突貫工事、中身の伴わない手抜き工事で、格好のいい体裁だけを整え、時の経過と共に徐々に不都合が露呈していく悪質な工事で、被害に遭われる多くの例を見聞きします。天理教が正にそうだと思います。
設計図の基本は教祖の教えであるはずなのだが、本部の代々欲深い「ただの人間」が引いた設計図を元にしているから、工事に例えるならば人を欺く本質的手抜き工事。悪徳業者なんですよね。
浅はかな目に見える現象だけに心を奪われず、真理、本質を見つめて慎みの心で改革して欲しいが、、、。無理だろう、、
地獄耳様の投稿の次の一節を見て、改めて天理教の恐ろしさを痛感しました。
>詳しくは分からないのもですが、上級、本部に相談したら、間違いなく追い出されるでしょう。秘密裏に実行して下さい。<
大教会長さん一家でさえ、真柱に不都合な一言を発したばかりに追い出されている実績がありますから、いとも簡単に追い出すでしょうね。人を何と思っているのでしょうね。まさか、犬や猫のように思っているんじゃないでしょうか。犬や猫はノラになっても何とか生きていけるでしょうが、まさか、一家がホームレスになれと言わんばかりです。
それぞれの教会の不動産が、何故本部名義になるのでしょうか。仮に、部内教会からお供えをしますと相談が有っても、それだけは、信徒の皆さんで守ってくださいと、何故言えないのでしょうか。
ましてや、不動産の価値が高いところであれば尚更でしょうに。
このような宗教を有難がって信仰している方々の気持ちが知れません。
教団に対して、少しでも不満の気持ちを持っておられる信徒さんは一刻も早く天理教から離れるが得策です。かく言う私も離れて8年になりますが、普通に暮らしています。離れる際には、教会関係者からロクなことが無い等と脅迫じみた言葉を投げかけられましたが、2年前には4人目の孫娘も生まれて、貧しいながらも幸せに暮らせています。
天理教を辞めるとはなかなか言い出しにくいものですが、天理教の人達は、思い切る理が因縁切る理、なんてよく言いますから、思い切って辞めると一言云えばいいだけのことです。あとは何を言われようと気にしないことです。辞めた当初は、会長さんが何の連絡もなく訪ねて来られたりしましたが、お茶一杯のみで対応しましたから、その内に来られなくなりました。そして、3年も過ぎれば忘れ去られましたから。
上級、上々級はもてなさない事です。旨味のない部内なんて、彼らにとって本来抱えている意味がないんです。利益があるから来るんです。抱える意味があるのです。
勝手に来てもお礼はしない。もちろ車代も出さない。暑い時はお茶くらい出します。ただ、手ぶらで帰って頂きます。苦労し損のくたびれ儲けを実感して頂来ます。だんだん学習し、彼らは来なくなります。
体験済みです。煩わしさが減って気分的に風通しが良くなりました。
匿名 様
1月29日 8:47
的確な例えをありがとうございました。
天理教は今修理が必要になっているのですが、おっしゃる通り 「天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理」を望みます。」
ゼニだけ取って、おから工事をする悪徳業者になってはなりません。まして、自分勝手な教理を作って、世の人を惑わすことをしてはなりません。(私は、天理教の人がそのようなことをしたという証拠を押さえているわけではありませんが、神の名を借りて物言われるのですから、悪徳業者にならないよう強く望みます。)
残念ツイート紹介 「批判すると脳内麻薬が出ちゃうよ だから黙ろうね」 だそうですよ
>天理教のミライ @tenrifuture
>ツイッターやってみて2ヶ月。あれこれ見てみるが、天理教批判の中には、思い通りにいかないことや、自分が幸せじゃないのを誰かのせいにして自己正当化しようとしているものも多いと思う。批判に共感を得たり、批判的な投稿を見つけて喜んでも、その快感は一時的な偽物でしかないのにねっていう話。<
>天理教批判者の中には、もはや批判することが目的になってしまっている人もいる。批判によって脳内麻薬になり得る物質が放出するために一時的な快感を得るが、脳は繰り返しさらなる快感を求めるようになる。思考が習慣化すると、思考が鈍り、視野が偏り、他責と批判体質がその人の性格と化す危険性も。<
↑
この上から目線のツイートの端々からにじみ出るものこそ「他責と批判体質の性格」を表していると思いますが?
ご自身こそが一時的な快感を味わって悦に入っていること丸見え。笑
苦しみを叫ぶ人達を一括りにして見下し断罪する人間が、
おたすけなどする気も、そしてできるわけもないでしょう。
本部員や大教会長達が「不足するな」と恫喝するのを、
少しばかり丁寧に言い換えたものと変わらないですね。
こんな傲慢冷徹な人と天理教を議論しても、
「天理教のミライ」 は絶望的に暗い というオチでした~笑
先日Yahooのニュースで尾畠さんの記事を読んだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200126-00010004-fnnprimev-soci
本当に頭が下がる思いだが、ひょっとして親神が望む人間というのはこういう人なのかとも思えてくる。何かの宗教に帰依しているのかどうかは知らないが、そんなことは構わず自らの意思で本当に人を助けて、それを喜びに変えている姿には深い感銘を受ける。
人はその行動のもとが何であるのか、知りたがるであろうし、どうしてそこまでするのかと不思議にも思うだろう。この人の言葉からは「よく」というものが感じられない。反対に「感謝」ということが原動力になっているのかとも感じられる。
小学校での講演会で一人の生徒が「ボランティアで心がけていることや大切にしていることは何ですか」と問うと、尾畠さんはまっすぐにその目を見て答えた。「お手伝いさせてもらったら、必ず結果が出ます。結果が出たら依頼した人が、ありがとうってニコッと笑ってくれる。その笑顔が、私には何よりの宝」と答えています。
これは天理教人ならどこかで聞いたことがあるような気がするのではないか。人を助けて喜んでもらい、その喜びを見て自分も喜べるというのは最高に幸せなことではないのかとも思える。それを実践の中から経験し、それをモットーにして次への活力にもしているのかとも思えてくる。宗教に帰依して学んだことではなく自分の実践から学んだとすれば「真実」なのかとも思う。
記事の中の次の文がおもしろい。今、80歳だそうだが、元気でまだまだこれからだと思っているようだ。
「あと50年ぐらいは続けられますかね、アッハッハ。命はひとつ。人生は一回。だったら、この世にある間に悔いのないように生きたいなって。あの世に行くときも、『さいなら~、バイバ~イ』って明るく逝きたいです。あと50年でも130歳やからね。まだまだ大丈夫です」
定命115歳などとケチなことを言ってないで、豪快に130歳まで生きて、たくさんの人々に有言、無言のメッセージを残していってもらいたいものだとも思う。このブログのコメント欄にああだこうだと書き込んでいる自分が小さく見えてしまう。他の人の書き込みを読んで、感情のままに書いたりしたこともあるが、尾畠さんに比べればちっぽけな人間なんだと知らされているようにも感じる。自分の能力を使ってできることを人を助けるために努力してやることは大事なのかとも思う。
憩の家のVIP待遇の話を読んでいると、一族経営で会社を食いものにして経営が立ち行かなくなる会社と同じだとも思えてくる。憩いの家でまじめに働いている人たちが気の毒になる。憩の家で働いている知人に連絡したら、まんざら嘘ではない情報のようですね。こんな状態では教会をたたみたいとアドバイスを求める投稿があるのも無理ないと感じる。本当に人を助ける心なら神が受け取る。しかし、人を助けるのではなく、苦しめているだけなら神は受け取るどころか、叩き潰すのではないか?
大教会が売りに出たり、教校学園高校をなくそうとしたり、次は何だ?と言いたくなる。天理教では因縁で説くのだろうが、次から次へとここで暴露されることも因縁なのだろうか。因縁なら果たして通らねばならないと聞いたことがあるが、まだまだ果たし切っていないのだろうか。
尾畑さんの記事読みました。人生は恩返し。尾畑さんの恩を返す対象は広く人、人、人。一列人間同士の恩の果たし合い。親神の望む姿を体現しておられます。なんのてらいも無く、欲も格好付けも無い。その純粋な誠の心。たった一度の人生を、人の為に喜んで生きておられる。やらされるのでは無く、自ら湧き上がる喜びと祈りを持って。
恩返し、、、。どこかの教団が恩返しだ、ご恩報じだ、命のレンタル料を出せだと言って神を利用して金品取ることばかり言ってますね。神を語る者が無料診療を享受し、特別待遇を当たり前として恥じる心を持たず、人としての精神レベルは雲泥の差です。尾畑さん、崇高な生き方です。自ら持たず、清貧に生きる清々しさ。
それに引き換え、我らが天理教トップの金満かつ下品な生きざま。魂の違いでしょうね。お恥ずかしい、、、
天理教への批判を封じ込めようとする人達は、とにかく現状を変えてほしくないのだと思います。おそらく今現在、天理教で不自由なく飯を食えている、あるいは何らかの利益を得ている人達。うちの会長さんも、その一人なのでしょう。
このような人たちは、他人の痛みは1000年でも我慢できるものだから、何とでも立派なことを言ってくださいます。
末端が苦しいのは、布教活動の努力が足りないだとか。ちょっと考えてみたら解ることですが、仮に一人が5人に声をかけたとして、5×5×5×5×5×・・・と、ピラミッドの12段目で2億人を超えてしまいます。他の宗教だってあるのだし、少しは現実的に物事を考えるべきだと思います。
日本人はよく、気合いだとか根性といった精神論に頼る傾向があって、それ故に大国相手の無謀な戦争まで招いてしまったように思います。
「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」という東郷平八郎の有名な言葉。これだって実際にやったら、1回目の射ち合いで0対99になってお終いです。
上のほうの偉い人たちが何と言おうと、無理なものは無理だとしか思えません。
≪ 上のほうの偉い人たちが何と言おうと、無理なものは無理だとしか思えません。
面従腹背 聞き流し 忘れた振り ・・・これに限ります。
本部にしても婦人会にしても青年会も、すべからく人に何かさせるための号令をかける事が上層部の仕事だと勘違いしているのでしょう。真柱夫人も一人が二人に布教するように説いていますが、そんな簡単に布教ができるとでも考えているのだろうか。
入信すればお金と時間がかかる信仰なのだから、やたら声掛けをしたところでその家の経済状況をひっ迫させるという迷惑をかけてしまう事に対する謙虚な考察がないようだ。
そもそも「助けて頂けた」経験が少ない現状だから、軌道修正して「御恩報じ」「感謝の心」と、お供えするハードルを低く設定し直しただけの事だろう。生きている御恩に関して言えば、誰もがお供えする要件を満たしてしまっているのだから。うまい事考えたつもりだったのだろうが、なにせ、号令をかけている面々が、お供えを我が収入として高額所得者になっているのだから、全く説得力もクソもない。
信者家庭の子供は大学進学できなくとも、上級教会や本部関係者の子供は留学までできている現実は、どう見てもお供えのおかげだろう。信者さんに幸せになっていただきたいと教会関係者は願うのが筋だろう。いやならばさっぱりと教会を止める。
教祖の時代から続く家柄の人たちで頑張ればいいんじゃない。あの人たちの生活を支えてきたお供えが、たとえ少なくなってきたからと言って、一般信者には関係ない。ビップと呼ばれる人たちはなおさら、お助けに励んで、そのお礼のお供えを自分たちの手で稼げばよいでしょう。自らの正当性が証明できますよ。(これ、すべて皮肉です。)各地の大教会の記念行事に参列することは「お助け」じゃないのだから、お礼と称する金を持ち帰ることは道から外れた行為だと、もう、あきらめなさい。交通費は経費だから本部の支出で賄えば済みます。一般団体企業では当たり前のことなんだけどなぁ。
国内感染者の方が奈良県の方と聞き、全国の信者たちは、甘露台倒壊➡後継者のバカバカしい結婚披露➡真柱の身上➡表統領の問題発言と、そして奈良県!と、一連の流れに思いを致したのではないですか。
高速道路を通過する際に利用したトイレなども確定されておらず、お地場帰りの高速道路内でのトイレ利用の際に、ひよっとすると近距離での遭遇も有ったかもしれないと思う方もいるかもしれません。
今後、国内での患者数が4~5か月後に爆発的に増えた場合、月次祭も中止することにもなりかねません。
もう、お供え、お供えと唱える事、やめにしてください。表統領に代表する欲の心は天理教の混乱だけではなく、世の中の混乱も招いているのかもしれませんから。
ぶたまん 様
2020年1月29日 12:56 PM
>>的確な例えをありがとうございました。
天理教は今修理が必要になっているのですが、おっしゃる通り 「天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理」を望みます。」<<
修理にも色々な修理があります。ものの5分か10分ほどの時間で終わる修理もあります。今の天理教を修理する場合、ほとんど現状を解体・分解し、オーバーホールをしなければなりません。おそらく膨大な時間がかかることでしょう。また、天理教をオーバーホールできる技量をもった優秀な技術者(語弊があるかもしれませんが)がはたして存在するでしょうか? 私にはそうは思えません。天理教は崩壊を待つのみだと思います。
思考停止、脳内御花畑のバリ天さんの最新ツイートがこちら
>>こせつ @mkosetu 2020年1月29日
天理時報の素晴らしさは、悪口や批判の文言は一切掲載しないという点にある。教祖の教えを確りと守っている新聞だと思う。教内の他の出版物も同様のコンセプトで編集されている。さすがである。<<
もしかしたらこのお方、教団VIP?
現在の既得権益を失いたくないから必死で教団擁護しているようにしか思えない。
毎度保身が動機の見え見えツイート、ぶれてない。
「さすが」である www
表 統 領 挨 拶
○ 非常に重たい話を御報告させて頂きます。みちのともの教報に山添哲、
平成20年9月13日教人登録を取り消すと載っております。(みちのと
も参照) 本年1月16日の会合における真柱に対する失礼な言動が発端、1月19 日にお詫びをしましたが部内教会が反発し、会長との話し合いが続きまし た。3月22日、日野大教会の月次祭での話し合いで前会長の発言がきっ かけとなり、大教会長更迭願いが部内93ヶ所の内85ヶ所の会長名で上 奏され、両統領の元、直轄教会長との話し合いがもたれた。借財の返済を 何十年に亘り部内は頑張ってきたが、これ以上大教会長の理不尽な言動に ついて行けない。そこで大教会長夫妻を呼び猛省を求めたが、聞く耳を持 たなかった。部内教会長から上申書が提出され、再び大教会長を呼び話し 合ったが、反省の色がみられなかったので審判会にかけることとなった。 8月13日常詰会議にかけ、8月25日、26日、9月3日の3日に亘っ て審判会を開催し、上記の結果となった。
・大教会長を利し、女子青年に性的行為 ・右翼の暴力団に3千万円
・オーストラリア日野出張所を弟の無断処分により私した ・・・
これが金、金、カネの天理教の実態!
暴力団に流れたお金も信者、末端からのお金?
こう言う表統領、善亮さんも女性関係で相手方より3000万円ゆすられたと話題になった事がありました。
重い話を報告しなければならないと言うが、自分の不始末の報告はもみ消した。
天理時報の利用法
ツイッターより
天理時報は素晴らしいですよ!
野菜の保存に使えるし窓拭きにも使えるし、火を起こしたり服の間に入れれば暖かいし…
ゴミみたいな内容でも十分に役立ちますw
私の活用方法:
ストーブのこぼれた灯油の拭き取りに。
料理のハエ避け、埃よけに。
窓の隙間風の詰め物に。(ぼろ家なので)
タンスの引き出しの敷物に。
生ゴミ袋の水分吸わせ用に。(水分が滴らないので廃棄処理時に重宝。)
子供の工作机の汚れ避けに。(汚すが丸めて捨てられる。)
犬の散歩時のウ◯チ取りに。
風呂の焚き付けには必需品です。
天理時報は毎年、毎回、同じような内容なので新鮮味がないと、若い人からは面白くないと不評です。読者を惹きつける魅力的な時報を期待します。
>天理教への批判を封じ込めようとする人達は、とにかく現状を変えてほしくないのだと思います。
>おそらく今現在、天理教で不自由なく飯を食えている、あるいは何らかの利益を得ている人達。
>うちの会長さんも、その一人なのでしょう。
批判を封じ込めることなどできるはずがない。表向きに批判ができなければ裏の見えないところで活発化するだけのことだろう。おっしゃる通り生活面で安定している教会の会長さん、つまり部内教会をいくつか持った分教会、あるいは親類・縁者がやる布教所を持った分教会だろう。元々、天理教校専修科、本科などで二代真柱時代に出来上がった教理書、それを強化する本部員が書いた参考書などで仕込まれてきたのだから無理もない話だ。
二代真柱著の「稿本教祖教祖伝」と芹沢光治良著の「教祖様」を読み比べれば、どちらが本当の教祖像かは言うまでもない。そもそも本の厚さからして比較にならない。「稿本」の方は二代真柱が収集したみきにまつわる文献・メモまでかき集めて保存されている環境がある中で書かれたはずだ。一方、芹沢氏の「教祖様」はそういった資料は本部から提供されず、時報の連載で読者に呼びかけ、古老の人や心ある人から提供された過去の資料などをもとに書かれている。みきの教えが脈々と生き続けているのは果たしてどちらの本だろう。私は善本社や新潮社などの出版社の回し者でもなければ、芹沢文学の心酔者でもない。ただ信仰に悩む人がいれば、おせっかいに一読を勧めるだけのことだ。
本の薄さからして、どれだけ体制維持のためにまずい部分をカットしたのかと、この二冊の読み比べをしたことがある方なら感じたはずだ。もっとも昭和20年、30年代に生まれた人は「稿本」しか目にしたことがない方がほとんどだろうから、真柱を神の代理者として崇めていくことが信仰のかなめだと思ってしまうのも無理のない話だとも思う。明治、大正期生まれで末端の方々は信仰面でも相当苦労されているはずだ。矛盾やおかしさも感じながらも道を求めていたのかとも想像できる。
私が不思議でならないのは昭和45年教派神道連合会離脱、教祖90年祭から100年祭に起きた教会長自殺などの一連の流れの中で何も改革されず、100年祭を迎え、そこから神の怒りが噴出したように、教内でも世間でも様々なことが起こったことだ。三島神社移転、バブルの崩壊、ソ連の崩壊、阪神淡路大震災と続き、鏡池埋め立て、甘露台飛び込み事件、東日本大震災、福島原発事故、甘露台倒壊事件、挙句に四代真柱身上など、これだけ見せられても、まだ変わらない。教祖みきにまつわるものは、とにかく消し去ろうとしているのだろうか?異を唱える者が出てきたら「異端」の一言で切り捨て、体制維持のために後世の研究につながらないように仕向けているのだろうか?やはり新興宗教でまだまだ紆余曲折を経なければならないのだろうか。
さて、日野大教会のことが書き込まれていたが、あの元大教会長はまだ日野に住んでいるのだろうか。一時、天理にも現れ、町の人に迷惑をかけていると噂を聞いたことがあるが、その後、どうしているのか知りたいところだ。天の理の通りになっているのだろうかと気になる。今まで調べてきて本当にひどい大教会長もいたものだという思いしかないが、半世紀近く自大教会の姿も見てきて、なるようにしかならないものだという思いもする。この社会学研究所の過去記事で不祥事について詳細に述べられているが、読み返すと呆れかえって話にならない。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=628
これだけひどいと、次の不祥事は何だろう?と思えてくるが、もう耐性ができて、驚きもしないのかもしれない。
元は正しかった組織が、長い歴史の中で腐敗してきたのであれば、大規模な工事なり外科手術による修復とか回復も有り得るし、意味もあるかもしれません。
しかし「天理教」と名の付く組織に関して言えば、その始めから一握りの人間たちの富と権力の獲得が目的であり、宗教なんて表向きの看板でしかなかったように思います。
転輪王講社の頃であれば、どんなに中山秀司が強欲で博打好きで、美食家で(酒は飲めなかったらしい)女癖が悪くても、そこには教祖がいて、奇蹟も救済もあったはず。秀司にとって教祖はドル箱でもあったけれど、それでもまだ親子の情というものもあったものと思います。
しかし中山眞之亮はそうではなかった。ユダは金貨3枚でキリストを売ったと聞きましたが、眞之亮の場合は金貨3枚どころではない、今の価値にして年収7億円という暮らしが待っているとなれば、悪魔に魂を売り渡してしまうのも無理からぬことかと。そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにした。それが「天理教」という組織の成り立ちなのだと確信します。
「屋敷をはろうて 田売りたまえ てんてこまいのみこと」
私も子供の頃に聞いたことがありますが、これは単なる揶揄ではなく現実にあったこと、しかも珍しくもなかったことなのだと、今では思えます。天理教による過酷な搾取に関する記述は明治・大正から昭和初期の出版物にも多く見られます。
このように生まれ嘘で塗り固められた組織を、大規模な工事をしてまで存続させる意味はあるのでしょうか。汚物をいくら掻き混ぜても綺麗にはならないし、下水を覗き込んで美点を探すような努力は、エネルギーの無駄でしかないように感じます。修理するよりも買い換えたほうが早くて安くあがるなんて、よくあることですし。
いっそ組織など無くなってしまえとは言いませんが、少なくともピラミッド型の階級組織など絶対にあって欲しくありません。そうやって直していくと、結局は全く別物の組織になってしまうような気もしますが、それならもうパチモンでしかない名前など使わなければいいのにと私は思います。色々な歴史的事実を知っていたら、天理教豊文教会も裁判をしてまで「天理教」を名乗りたがらなかったかもしれません。
天理時報の利用法を読んで、おおいに笑わせていただきました。
それで思い出したのは文化大革命の最中、紅衛兵に殺されてしまった一人のおばあさん。彼女はただ毛沢東の写真が載った新聞紙で大根を包んでいただけなのに。
集団ヒステリーというものの恐ろしさに、ここが平和な日本でよかったと思いつつ私には、この紅衛兵たちの姿と今の天理教の青年会が重なって見えてしまいます。
崩壊様のご意見はじめ、皆さま方の真摯なご意見をうかがって、私の方も慎重に熟考せねばならんと思いましたが、しかし、お聞きいただけるようなことは、今のところ申すことができませんので、しばらく考えさせてください。
でも、気になったことがありましたので、ここに開陳させていただきたく思います。
参考意見 様の 2020年1月30日 10:12 PM のご意見ですが、
> しかし中山眞之亮はそうではなかった。ユダは金貨3枚でキリストを売ったと聞きましたが、眞之亮の場合は金貨3枚どころではない、今の価値にして年収7億円という暮らしが待っているとなれば、悪魔に魂を売り渡してしまうのも無理からぬことかと。そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにした。それが「天理教」という組織の成り立ちなのだと確信します。
というところですが、これはちょっと疑問を感じます。
当時、親神様は、真柱を軸にして一つの体制のようなもの(これはややこしいのですが、組織化しようという目的でなされたのではなかった思うのですが)を作ろうとされていたようです。
そう思うのは、おさしづで、<真柱を芯にして肉を巻け>というようなことを言っておられたからです。
しかし、真柱の周囲は、その時すでに汚れていました。
お歌にも、 このはしら はやくいれよと おもへども にごりのみずで ところわからん (3-9)
にごりり水 はやく澄まさん 事にてわ しんのはしれの いれよふがない (3-66)
つまり、眞之介氏は、親神様の目にかなった方だったと思うのです。その周囲が悪かった。
周囲はおっしゃる通り、サタンに魂を売ったんじゃないかと思われるくらい、私利私欲でにごり切っていたんじゃないですかね。
(眞之介氏は、お若いのに、おやさまに同行されて奈良の監獄にまで入られました。)
さて、眞之介氏のその後ですが、49歳でお出直しになられました。ここからは、芹沢光治良先生の<神シリーズ>を根拠にして言うのですが、親神様の意思として、眞之助氏の周りが汚れすぎているために、一旦眞之介氏を迎えとり、百年祭にまた現世で働かれるように、49年間、天国で抱きかかえておられたのだそうです。芹沢先生はそのようなことを書かれておられました。この眞之介氏の魂は、天命庵の伊藤青年です。
天皇も人間といったおやさまなら今はこういうはず
真柱も人間!
天理教の闇と裏の顔。
天理教の起こした過去の不祥事。
抜粋を以下に挙げます。
>>借金の取り立てに、ある暴力団が間に入って動いたこともあって、本部がその借金を肩代わり、暴力団に金を渡して、騒ぎを食い止めたといういきさつがあった。天理教本部は、その上で、中野大教会以下の各教会長を罷免、それ以上、問題が表面化しないようにしたのであった。(p97)
「中野問題以後、本部は心配になって、全国の大教会の借金の有無の総点検をやった。その結果、全天理教の教会の借金は、中野大教会を除いて、約100億円あったと言われている。」(p100)
「日野大教会は現在、山添理一前会長が実権を握っているのですが、この前会長についてはなにしろ袖の下を使って、上に取り入り本部役員になったと一般に噂されているぐらいで、悪い噂がいっぱいという人物なんです。この前会長時代に、日野大教会は滋賀県の山中に大きな敷地を買って、そこに大神殿を建てた。その費用を、カネに余裕のない部下教会に割り当てたのです。当時は、さらに教祖100年祭に向けて、本部へのお供えもしなければならない時期でしたから、各教会は非常に苦しい状況だったわけです。しかし、日野大教会側の言い草は決まっていて、『親のいうことはハイと素直に聞け!』という天理教の金科玉条を持ち出し、命令に逆らえば教会長の資格はないということで、クビを切られてしまう。そうなると、その教会長一家は路頭に迷うわけです。つまり、大教会に生活権まで握られているから、すべての命令に対してはイエスとしか答えられない。そこで、彼ら教会長たちは窮余の策として、自分の土地や建物を担保に入れて、金を借りまくり、サラ金や高利貸しにまで手を出さざるをえなくなる。ところが、利息も払えない。その結果、暴力団が借金の取り立てにくる。とうとう、部下の教会は逃げ場を失って、最後の手段として天理教の真柱に自分たちの窮状を訴えるために直訴したわけです」その金額が、全体で36億円であったというのだが、結局、天理教はその36億円を天理教の”御用銀行”である地元の南都銀行に立て替えさせたのである。そして、部下教会は、今度は南都銀行に、借金の返済をするという形にしてのであった。(中略)つまり部内で36億円という借金を生み、暴力団が介入、真柱への直訴騒ぎまで起きたにも関わらず、本来、そうした問題を起こしたことに対する責任が問われる山添理一前教会長は何も処分されず、逆に天理参考館館長に就任、出世までしているのである。」<<
先日、本年1月26日にも、善亮氏が新たな重い話を報告したのであるが、(大教会長を利し、女子青年に性的行為。暴力団に3000万円などの不祥事の報告をした。)何ら過去から学ばず反省も教団の体質改革の断行も行われず、今だに上層部人間による女性への性的犯罪や暴力団へのお金の還流が行われ続けているのかと驚きを禁じ得ない。
この天理教団が泥々した闇組織と関わりあっている裏の顔を信者達は何も知らない。
暴力団に脅され金で解決しようとしたと言う事ならばその種を天理教側が持っていたと言う事で、善亮の胸中の根本にある「金の発想」が暴力団を呼び寄せ、災いを呼び寄せる必然の中に居るのだと思う。
こんな不気味な教団に身を置く必要は全く無い。
匿名様
>表 統 領 挨 拶
○ 非常に重たい話を御報告させて頂きます。みちのともの教報に山添哲、
平成20年9月13日教人登録を取り消すと載っております。(みちのと
も参照) 本年1月16日の会合における真柱に対する失礼な言動が発端
>先日、本年1月26日にも、善亮氏が新たな重い話を報告したのであるが
この話は平成20年の話で、この表 統 領 というのは、現・表 統 領 の中田善亮氏ではありませんのでご了解を。
地獄耳様。
失礼致しました。。ありがとうございました。
いちれつ会報が届きました。
理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
「 親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。 しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」
素晴らしいお話、ありがとうございます。
ところで、私には判らない部分があります、3度程読み返して見ましたが・・ここに出てくる(理)とは、(お供え)を伴う真心と言う意味でしょうか? 教えとは、毎日参拝せよ、(お供え、つまり現金?)を伴う、真実の心を、親神様に供えよ? と言う意味でしょうか・・・ 私には、参拝して、毎回ちゃんとお供えしたら、守護が得られて安心して生活できるよ、それを繰り返して、信仰信念を固めて行くんだよって、読めましたが、違うのでしょうか?
このお話の天理教の教えって、明確で分かり易いですよね、どうもありがとうございました。
参考意見様
ちょっと私と認識が違うようなので、書かせていただくことにしました。
>そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。
これは真之亮が主導でしていたことではないと思います。真之亮が梶本家からおやしきへ来たのは明治13年頃の話で15歳頃にあたります。おやしきでは秀司が金剛山地福寺に願い出て、転輪王講社を始めた時期でもあります。教祖を排除して神道天理教会を設立したわけではありません。神道部属六等教会になったのは明治18 年の頃ですから、真之亮はまだ子供というか20歳にもなっていません。ただ、秀司・まつえ亡き後に若い中山家の戸主として苦労はしていたでしょう。
>さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを
これもちょっと違うと思います。参考意見さんの以前の書き込みであった「本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。」を書いた松村吉太郎がやったことです。自伝の「道の八十年」でも、そのことは書いています。真之亮は教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにしたというのは、ぶたまんさんも指摘の通り、違うと思います。
また高弟と言われるような人は1400人もいません。高弟を切ったのではなく、むしろ逆で教祖に助けられ、教祖を慕い、熱心に布教をしていた人々です。無学で文字も読めないが教祖の教え通りに人を助けて回った人達で、今の時代でいえば末端の熱心な布教師に当たると思います。教祖の思えとは違うと本部の動きに反対するものたちを粛清したのかと思います。
真之亮は第一次世界大戦の頃、大正3年に出直しています。念願の天理教一派独立を果たし、数年後に亡くなっています。教祖が現身を隠す明治20年から明治40年の間は天啓を伝える本席がいて、伺いを立てて物事を進めていた時代です。真之亮と松村吉太郎は歳も近く、学のある吉太郎を頼りにしていた面はあると思います。親類でもあるから当然かとも思います。
時代的には明治41年以降で、天理教教会本部ができてから現代に続く体制が始まったのかと私は認識しています。急に始まったわけでもなく、徐々に形作られていったのかとも思います。布教師を育成するような教育機関もなく、田舎の神がかりしたおばあさんを教祖にして国から認められるものでもなかったでしょう。そこから組織だった体制を作らなければとなったのかと思いますが、当時の日本の時代背景を考えれば、国を相手に認めてもらわなければ先がないとも考えたのでしょう。その実働者が松村吉太郎です。
大正3年の真之亮亡き後は、大正7年に神がかりした本部員茨木基敬を罷免し、またナライト事件などもあり、混とんとしていた時代だとも思います。結局、大正14年に二代真柱が管長就任するまでの間、山澤為造摂関体制の中で徐々に体制が作られていき、昭和に入り、二代真柱が教理面でも組織運営面でも、その体制を確固たるものに仕上げたというのが私の認識です。
誰が悪者なのか、首謀者なのかと単純には言えない構造があると思います。結局、人間思案ばかりで、神の言葉を封じ込めるようにして組織を作り上げたことが誤りの始まりかとも思えます。人間の愚かさが具現化しているだけのようにも思います。人間は置かれた立場で意見も見方も変わってくるものかと思います。一個人として見て、付き合えば決して悪い人間でもないと感じることもあると思います。天理教の歴史上の人物をいろいろ調べているとそんなことを感じます。
仲田義三郎のように「にしきの布と見立てた者やが、、」とまで言われながら、最後には「すっかり腐ってしもうた」と言われ、諸井政一に「まことに悼ましき事の限りなりけり。すっかり腐ってしもうたと仰有るには如何なる過ちのありしにや」と評された高弟もいるわけで、教祖の手足となり取次までしていた人でも人間である以上、過ちを犯し、助けてもらえなくなるのかとも思います。よほど教祖に頼まれた「こふき本」の出来が悪かったのだろうか?または教祖の目には残念に映る行いがあったのだろうか。謎としか言いようがありません。やはり人間は人間です。
隠ぺい体質を改善し、間違っていたことはそれを認めて正し、これから皆でよくしていこう!とトップが変わっていけば、多くの会長、信者が勇み立ち、それで神も勇んで働いてくださるものだと思うが、まったく逆ですからどうしようもないです。更に混沌とした教団運営が続くのでしょうか。
仲田義三朗さんは、櫟本の監獄の、立つことも寝転がることも出来ない四角の角を上にして並べた木々の上に体を乗せる形の小さな檻に入れられて、その半年後出直されたと書かれてましたね。
あの形だと皮膚に角の形に床擦れが出来るでしょう。
あの監獄のあの檻を私達は見るべきだと思います。
おやさまも真冬に井戸の水をかけられたということです。
生きたまま体が腐ることは生易しいことではないです。
本来教祖の最後のご苦労場所を本部が眉をひそめて行かさない様にするのは何故でしょうか?本家、異端のわだかまりからだと思いますが、教祖の貴重な史跡の筈です。
また、中田儀三郎は教祖をして「腐ってしまった」と言わしめた、その腐った内容、何をしでかしたのでしょう。生き様を詳しくお教え頂けたらと思います。
仲田儀三郎についてはこちらが参考になるかと思います。れんだいこさんのページですが。ご参考までに
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_79sekikomico..htm
私は何かをしでかしたのでもなく、教理派の人として最も教祖から信頼されていた人なのかと思っています。しかし、応法派の人たちにのまれていった面もあったのではないかとも想像しています。しかし、それを確証するものもなければ単なる想像でしかありません。ですから謎なのですが。
想像や思い込みで書き込みをするのは危険ですし、ネットで誤解が広がるのも怖いことです。よく調べてから書くようにはしているのですが、まだ自分の中で整理できていないこともたくさんあります。
仲田儀三郎についてまた何か文献が出てきて謎が解ける日も来るのかと思います。
モリジロウ 様
2020年1月31日 8:18 PM で発表いただきましたご意見は、まことに以てその通りだと思いました。
よくぞここまで調べ上げられたと感心いたしております。私自身、啓発されることが多くございました。ありがとうございました。
> 誰が悪者なのか、首謀者なのかと単純には言えない構造があると思います。結局、人間思案ばかりで、神の言葉を封じ込めるようにして組織を作り上げたことが誤りの始まりかとも思えます。人間の愚かさが具現化しているだけのようにも思います。人間は置かれた立場で意見も見方も変わってくるものかと思います。一個人として見て、付き合えば決して悪い人間でもないと感じることもあると思います。天理教の歴史上の人物をいろいろ調べているとそんなことを感じます。
というご意見は、殊に我が意を得たりと思いました。
おやさまは、懐妊されたおはるさんに、「今度、前川の父の魂を宿しこんだ」 と言われています。前川の父というのは、おやさまのご尊父だということになるのですが、この時宿しこまれた人が眞之亮氏です。
思うのですが、こうしたことになったのも、前川のお父さんは、天国から現世を眺めていて、生前、愛娘(まなむすめ)だったおやさまが、世間の無理解にさらされ、狐憑きよ、気が違ったよと言われたりした後、教内においても、 衆愚政治というのですか 神のみ心をあまり理解していない人々が組織を造ってうまい汁を吸おうとしているさまを見つめられ、ついに居ても立ってもいられなくなって親神様に直訴して、おやさまの孫として生まれかわり、おやさまを支えたいと訴えられたからじゃないかという気がしています。
おやさまの善意を<食い物>にする人間の何と多いこと!そうした中でも、人助けの道を歩まれたんだから、やっぱりおやさまはすごい方です。
教祖伝などを読むと、そういったおやさまの<孤軍奮闘>ぶりが目につきます。天理教を理解していたのは、おやさまお一人だった(?)んじゃないでしょうか。・・などと、エラソーなことを言ってますが、私も天理教を理解しているとは言えない者の一人なのですが。
戦争は軍部や財閥の野望や利欲によるもので、天皇は国民を戦いに駆り立てるための道具として利用された。それと同じことで、真之亮も強欲な輩に利用されたということでしょうか。
確かに、二十歳そこそこの真之亮が主導でクーデターというのは、ちょっと無理がありますね。しかし、その後の展開を見ていると、全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えないのですが。監獄まで教祖に同行したのは、信者たちの信用を得るうえで、避けて通ることのできない通過儀礼だったと思います。その頃は既に警察との裏取引もあったかもしれません。
指摘されたとおり、粛清された1400名というのは、高弟ではなく教師でした。ここでいう教師とは、いわゆる布教師のことでしょうか。ということは、教祖に最も近いところの高弟こそが、教祖を裏切って応法の道へ進んだということなのか。そういえば、泉田藤吉に引導を渡したのは、無い命を教祖に救われた平野楢蔵でした。
これまで度々、山澤為造こそは諸悪の根源のように聞いてきたけれど、そこに松村吉太郎まで加わって、本当にどうしようもない組織になってきましたね。
仲田儀三郎については、教祖は悪い意味で「腐ってしまった」と言ったのではないと思います。教祖の最後の御苦労の際、彼は十露盤(そろばん)板のような床の拷問檻に10日間も入れられました。石まで抱かずとも「壊疽」をおこした可能性は高く、本当に身体が腐ってしまったのかもしれません。「腐った」という教祖の言葉の一部だけを利用して、応法派の輩が仲田儀三郎を貶めているのではないでしょうか。
以前うちの会長さんに、天理教にはキリスト教のような殉教者はいるのかと尋ねたら、仲田儀三郎の名をあげていました。
十露盤(そろばん)板とは、どのような物かは次を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%8A%B1
私もまだまだ知らないことばかりですが、この場で根気よく意見交換を続けていけば、少しでも真実に近づけるような気がします。できれば今世のうちに真実を見届けてから来世に向かいたいものだと思います。
櫟本の監獄は諸刃の剣。
自分の人生を変えてしまうかもしれないです。
匿名 様
2020年2月1日 5:07 AM
>>櫟本の監獄は諸刃の剣。
自分の人生を変えてしまうかもしれないです。<<
自分の人生を良い方向に変えるという意味でしょうか? 悪い方向に変えるという意味でしょうか? 諸刃の剣であれば、良い方向にも変えるし悪い方向にも変える双方の作用があると思いますが、具体的にお教え願えないでしょうか?
天理教のお筆先にしろ、よろずよの歌にしろ、あまりにも幼稚でギャグのように突っ込みどころ満載なのに、どうしてこんな稚拙なものを信じられるのか私は不思議でならない。仏教で育った母なのに洗脳され、「この道しか幸せになる道はない」と言い切った母が、借金を残し46歳で孫の顔をみず、残された私はまだ18歳だったが大学への進学も諦め必死で借金を返し、28歳で自教会も売りました。辛いこともたくさんあったけれど現実に即した生き方が安定した生活を送れ、言葉遊びを信じ騙された者は破滅しかないことを経験をもって知ることができました。天理教は中山みきが密室で神がかりになったのも脚色されていて、本当は違うのではないだろうか。
匿名 様
2020年2月1日 9:32 AM
>>天理教のお筆先にしろ、よろずよの歌にしろ、あまりにも幼稚でギャグのように突っ込みどころ満載なのに、どうしてこんな稚拙なものを信じられるのか私は不思議でならない。<<
私も若い頃(10代後半)、あなたと全く同じことを考え、天理教から去りました。
>>仏教で育った母なのに洗脳され、「この道しか幸せになる道はない」と言い切った母が、借金を残し46歳で孫の顔をみず、残された私はまだ18歳だったが大学への進学も諦め必死で借金を返し、28歳で自教会も売りました。<<
私の実家は、高祖父母の代まで浄土宗の信者でした。私の母の実家も浄土宗の信者です。母の実家の近所にカトリックの教会があり、母は日曜日ごとにミサに通い、日曜学校にも行っておりました。見合い結婚で、どういう訳か天理教の末端分教会に嫁ぎましたが、以来、すっかり天理教に洗脳されてしまいました。母には元々色々な宗教を受け入れる寛容性(???)があったのかもしれませんが、私はどうしても天理教を受け入れられず、天理教から去りました。世の中には色々な境遇の人達がいるものだとつくづく思いますが、私個人としては、結果的に天理教から去って正解だったと人生も終盤にさしかかり思っています。
いちれつ会報が届きました、その2
「 理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
「 親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。 しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」 」
天理教人の友人が読んでくれた意見では、天理教では、「ひのきしん(日の寄進)」といって、日々の感謝と奉仕(おたすけも含む)を形で表すことを勧めます。ほんとうは、おたすけを毎日させていただくことなんですが、だいたい皆お供えをしているのですって・・・
「おつくしをして見えて来る世界がある」と言うのも前に聞いたなあ。
松村吉太郎氏の道の80年には、日本の人口の半分をお助け人にするのだ! と言った決意が書いてあったと記憶しています。
いちれつ会報なんだから、いちれつ会に寄付して下さいと言うなら判るけども、日々お供えをしたら、安心して過ごせる様になったと言うより、日々、感謝して、親神様の思し召しに応えよう、とか、日々お助けをしたら、不思議な人生の味わいを感じたとか、言って欲しいですよね。
父親様
>いちれつ会報が届きました。 理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
ということなので、添削します。
>親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
神様の働きは常に感じているものです。本部員ともあろう人が、時々では駄目ですね。
>私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。
自教会の賽銭箱にお供えを入れると言うのは、我が教会に返ってくるだけでしょう。
誰の為にもなっていません。末端教会は、給料の全てが教会の運営と上級のお供えに消えているのです。
余分な小銭もありません。
>しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
神に対して失礼ですね。お金で守護をするとは、低級な神にしてしまっています。
>( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」
神のお指図の解釈を金を集める為の道具にしているに過ぎません。
ぶたまん様
>>教祖伝などを読むと、そういったおやさまの<孤軍奮闘>ぶりが目につきます。
>>天理教を理解していたのは、おやさまお一人だった(?)んじゃないでしょうか。
“天理教”を理解していたというと、ややこしくなると思うので、“真実”を神から聞き、理解して、それを人々に伝えていたのだと私は考えています。おふでさきを読んでいても孤軍奮闘していたことがよくわかります。
参考意見様
>>確かに、二十歳そこそこの真之亮が主導でクーデターというのは、ちょっと無理がありますね。しかし、その後の展開を見ていると、全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えないのですが。監獄まで教祖に同行したのは、信者たちの信用を得るうえで、避けて通ることのできない通過儀礼だったと思います。その頃は既に警察との裏取引もあったかもしれません。>>
「警察と裏取引があった」とか、「信者の信用を得るため」というのは、それを証明するだけの文献や資料がなければならないと思います。それらを精査したうえで、結論として、そう考えられるというのならわかりますが、根拠なしに憶測ではまずいと思います。
「全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えない」というのもわからなくはないですが、明治20年に教祖が現身を隠され、明治40年の本席の出直しまでの約20年間、つまり真之亮が22歳~42歳になりますが、その間に神道本局部属教会になり、内務省秘密訓令、水屋敷事件、明治教典発布、日露戦争、不良教師事件など大きな出来事があり、本席のおさしづがあっても、組織のトップとして板挟み的な状況があり、苦労したのだろうと思います。そのそばで実働していたのが松村吉太郎であり、当時の国の情勢や内務省との駆け引きの中で、真之亮も吉太郎も奮闘していたのだろうと思います。
結局、それがいいことか、悪いことかとは単純には言えないと思います。なぜなら立場が違えばよくも見え、悪くも見えるからです。後世に生きる我々は冷静に史実を調べ上げ、そこから未来を見据えるべきかと思います。
>>泉田藤吉に引導を渡したのは、無い命を教祖に救われた平野楢蔵でした。これまで度々、山澤為造こそは諸悪の根源のように聞いてきたけれど、そこに松村吉太郎まで加わって、本当にどうしようもない組織になってきましたね。>>
教祖20年祭の明治39年の段階で松村吉太郎40歳、平野楢蔵は61歳です。平野の入信は他の人より遅く、屋敷の常詰になったのは41歳の頃です。そこから本席が出直す明治40年までの間、約20年にわたり本部に尽くしたのですが、本席と同じ年に62歳で出直しています。現在の天理教では平野楢蔵のことが高弟として紹介されていますが、安堵事件(水屋敷事件ともいわれますが)関係の資料を見ると、やくざそのものの活躍?をしていたようです。
不思議でしかたがないのが、教祖にかわいがられ人足社と言われた飯田岩次郎(安堵事件)も飯降伊蔵本席、平野楢蔵も皆、明治40年に出直しています。いったいどんな神の計らいがあったのか。神の粛清だったのだろうか?
その少し前の明治38年に二代真柱正善氏が生まれていますが、大きな教団の転換期であったのかとも思われます。山澤為造は51歳、松村吉太郎41歳です。本席もいなくなり、一派独立後の天理教教団を分派させずに統率していくにはどうすればいいのかと苦心したのではないかとも思えてきます。教理のかなめである本席という立場はナライトさんに引き継がれるはずだったのを、たまえ(ご母堂)に変え、おさづけの理を渡すシステムに変えました。これは中山家一族に教理面、行政面を一手に集中させなければ、本席時代と同じように神に伺いを立てて、なかなかスムーズに事が運ばないのを変えたかったのかと思えます。
教祖の血筋でトップの座に就き、教理面でも組織面・運営面でも統括する真柱を早く据えなければと二代真柱正善氏が成人するまでの間の繋ぎ的役割を山澤為造、松村吉太郎は担ったと見ることもできます。そうしなければ異端発生や分派どころか、政府に教団そのものが潰されていたともいえます。単純に善悪を問うことはできないと思います。天皇が人間であるといえない時代です。
前回の書き込みで書いたように誰が悪者なのか、首謀者なのか、そして何が善で、何が悪かとは単純には言えない構造があると書いたのはこのような背景からです。しかし、こういったことも今の教会本部では時間とともに忘れ去られていくように仕向けている印象を持っています。天理教学の研究者の皆様には“真実”を追求していってもらいたいものだと思います。
ようやく『満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と731部隊を読むことができました。とても重い内容でした。731部隊のことは知っておりましたがまさか天理教が関わていると考えもしませんでした。確かにモリジロウ様のお話には納得できるものがありますが戦後、天皇が人間といえる時代になってからの教団の在り方が問題だと思います。GHQからの追及がなくなってからも教祖の道に復元せずの二代真柱はじめ上層部の在り方が問題だと思います。そのことが今日の教団の衰退をまねいていると思います。
地獄耳様、わざわざ、取り上げていただきありがとうございます。
「自教会の賽銭箱にお供えを入れると言うのは、我が教会に返ってくるだけでしょう。 誰の為にもなっていません。末端教会は、給料の全てが教会の運営と上級のお供えに消えているのです。 余分な小銭もありません。」
私は、あまり教会については存じません。 賽銭箱のお金は全て上級に差し出すと言う教会もあると聞いたので、これは、日常持っている多少のこずかい銭を、出すのか? と思いました。 私の印象は、もう、持ってるお金は、とことん出してみよ? と言う流れに感じました。
見開き1ページに、松村の苗字を持たれる理事さんが、寄稿して下さったのが、とことん、お供えをして見なさい? と言う風に受け取れる文章だったので、これは、マジで、マジか? と感じたのです。
「道の80年」には、日本人の半分をお助け人にする、神殿に神が居なくなってはいけない、年寄りこそ積極的に神前?神殿?奉仕に立つべきであると、自らおぢばに詰めたと書いてあったので・・
いちれつ会理事様のお話ならば、卒業後は、親神様の思し召しに応えて、陽気くらし社会の実現に向けて全力を出そう、とか、教祖様と同じ様に人助けをしよう、とか、積極的に、我が身を投げ出して、お助けをして行こう、そうしたら、見えて来る世界がある、毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ、と感じられ守護が得られて安心して生活できるよ、それを繰り返して、信仰信念を固めて行くんだよって言うのなら、なるほどって思うのですが・・
ああ、そうか! それは当たり前なんですね? つまりそれは当たり前だから、さらに、持ってる(お金)はとことんお供えして見なさいって事? なるほど・・・
もちろん父兄としては、いちれつ会には、それなりに(常識的に可能な範囲で)寄付はさせて頂くつもりですよ。
もちろん、おぢばに参拝する時は、パラっじゃ無くて、チャリーンってお供えは致しますよ・・
扇の伺いをしている宗教団体です。
病気、事故、災難、家庭内における事情、そして、現代社会における経済不況と政治混迷を背景に人の心も乱れ、数多くの … おうかんみちでは、この原因を『扇の伺い』を通し、親神様じきじきのお指図を頂く
http://www.oukanmichi.or.jp/tokushoku.htm
最後のご苦労でおやさまが12日間の拘留となったとき真之亮は「天皇が神である」と申し上げ早々と1日の拘留でかえったと思われる。
最後の御苦労:
二月十八日(陰暦正月十五日)、心勇組の講中が大勢、お屋敷へ参詣に来て、十二下りを勤めさして下され。と頼んだけれども、目下、警察より厳しく取締りあるに付き、もし十二下りを勤めるならば、忽ち、教祖に御迷惑がかゝるから。と、断った。
上村吉三郎はじめ、一部の者は、勇み切った勢の赴くまゝに、信徒の宿泊所になって居た、門前のとうふやこと村田長平方の二階で、てをどりを始めた。早くもこれを探知した櫟本分署から、時を移さず、数名の巡査が来て、直ちに、居合わせた人々を解散させ、つゞいて、お屋敷へやって来て、表門も裏門も閉めさせた上、お居間へ踏み込んで、戸棚から箪笥の中までも取調べた。すると、お守りにする布片に字を書いたものが出て来たので、それを証拠として教祖と真之亮を引致し、併せて、お屋敷に居合わせた桝井、仲田の両名をも引致した。
警官の言うには、老母に赤衣を着せるから人が集まって来るのである。と、それで黒紋付を拵えて差入れた。教祖は、分署に居られる間、赤衣の上に黒紋付を召して居られた。
さて、夜も更けて翌十九日午前二時頃、教祖を取調べ、十二日の拘留に処した。その様子を、この時、共に留置された真之亮の手記によれば、 教祖様警察御越しなりし当夜二時頃、取調べを受け玉へり、神憑りありし事、身の内御守護の事、埃の事、御守りの理を御説き被成れたのである。尚仰せ玉へるニハ、
「御守りハ、神様がやれと仰せらるゝのであります。内の子供ハ何も存じません。」と申玉へり。
と。つゞいて午前三時頃、桝井と仲田の両名が取調べられた。二人とも、御守護を蒙りし御恩に報いるため、人さんにお話するのであります。と、答えた。午前四時頃から、真之亮を取調べた。真之亮は、お守りは私がやるのであります。私は教導職で御座ります。教規の名分によってやります。老母は何も御存じは御座りません。と、答えた。これは、この前年に真之亮以下十名の人々が、教導職の補命を受けて居たからの申開きである。
その夜御一同は、そのまゝ分署の取調所の板の間で夜を明かされた。教祖は、艮(東北)の隅に坐って居られた。お側にはひさが付き添うて居た。真之亮は、坤(西南)の隅に坐って夜を明かした。取調所の中央には、巡査が一人、一時間交替で、椅子に腰をかけて番をして居た。桝井、仲田は、檻に入れられて居た。
>冨松幹禎 (陽気の記事)
最近は「おつくし」をあまり説かれなくなったのではないかと憂慮する。「かしもの・かりもの」の話を聞いても、おつくしをするようになるには、 もう一つ、超えなければならない壁がある。それは、親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 いくら熱心に教会に出入りしていても、おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。
おつくしをして初めて味わえる世界がある。思い切ったおつくしをする と、不思議に不安や先案じがなくなり、晴やかになる。親神様の親心を魂 に感じることができる。信仰が深まるのである。
できることなら毎日、ぢば・かんろだいに参拝してお供えをし、お礼を申し上げたい。その心で各地の教会や家庭で日々にお供えをする。「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(明治5・4・8)と教えられる。
人だすけが最高のご恩報じであり、いんねん納消の道である。おたすけに専念できない人は、たすけ一条の上にお使いくださいと、おつくしをする。また、人生には、いんねんの苦労をするか、道に真実をつくして苦労を喜ぶかを選択しなければならない時がある。
今はみな結構になり、徳分以上の生活をしてしまいがちである。絶えず「おつくし」の声をかけてもらって、ちょうどいいのである。私たちは「おつくし」「ご恩報じ」「お供え」「理立て」と言うが、教祖はに真実を神の田地にまいた「ものだね」としてお受け取りくださる。<
匿名 様
2020年2月2日 2:09 PM
>>もう一つ、超えなければならない壁がある。それは、親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 いくら熱心に教会に出入りしていても、おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。<<
カルト特有の「屁理屈の展開」としか私には思えません。今どき常識ある人は誰も信じないでしょう。読んでいて背筋が寒くなる思いがします。
ほんぶしん、おおかんみち、れいりしどう会、いばらきグループ、天命庵、etc 、
啓示霊能者を擁する集団の全てを検証する責任が、おじばの責任者にはあるのではないか?
人集めと金集めに熱心であるほど、その責任は逃れられないのではないか?
たすけ一条のこのところ、よろずたすけの元締めであるべき地場屋敷なのだから、救済力の増進は日々に励むべき事ではないか?伽藍創りは二の次三の次だろ。
こんなことを書くと身バレしてしまうかもしれませんが、昨日うちの会長さんが、同じ教区の教会の神殿落成奉告祭とやらで出かけていきました。この衰退の中、まだ神殿普請できる教会があるなんてビックリしたものですが、さてはまた信者たちを当てにしての借金というやつでしょうか。私の周辺に、このサイトを読んでいる者はいないようなので大丈夫・・・いや、いっそのことバレてしまったほうがいいのかな?
教会生まれの母の影響で、バリ天として生きてきた私がこのサイトを知ったのは2017年、脳梗塞による視野狭窄に奇蹟のようなご守護を頂いたことがキッカケでした。若いころ修養科で朗読ひのきしんというものを経験していた私は、視覚の不自由な人々のため、教祖伝や逸話編の音声化を思いつき、地名や人名の読みなどを確認するためインターネットを検索。「天理教」と入力すると「天理教ヤバい」とか「天理教こわい」なんて検索候補が出てきてビックリ。さらに調べるうちにリンクして、このサイトに辿り着いたのでした。初めは半信半疑でしたが、甘露台倒壊の後、教会の月次祭での会長さんの言葉で目を覚まされました。信者たちを前に会長さんは言いました。
「これは我々みんなに対する神様からの警告なのだ。我さえ良くば、今さえ良くばの心が、まだまだ残っているということなのだ。」と。
これまで自分を含め、信者が悪い心を使えば、すぐに辛く苦しい身上事情となって表れてきているのに、本部で起きた事まで信者のせいだと言うのか?いくらなんでも、おかしすぎる。それ以来、ここに書かれた内容に対する見方が変わっていきました。
昨年12月の初め、おつとめ第一節と神名の真偽について、どうしても真実を確かめたくて、このコメント欄に参加しました。それ以来、昔から抑えてきた疑問について、自分なりに考えたことを書かせてもらっています。
私の見解には、それを証明できる物証や資料もなく、状況から推察した憶測にすぎないことは承知しているつもりです。だから当初は、いいトシした中二病患者の妄言としてなんて前置きを付けたりもしたのですが、ところが思いもかけず共感してくれる人もいたりして、つい調子に乗ってしまったかもしれません。
しかし証明できないのは、教団とて同じだと思います。長年にわたり信者たちに説いてきたこと、誰が伝えたとか誰から聞いたとかいう逸話編の話、極めつけは誰が誰の生まれ変わりだとか。証明できない事でも、巨大な組織によって活字化され綺麗に製本されれば権威付けられてしまうのが悔しくてなりません。
ところで私が真之亮を好意的に見れない理由。
よく戦争において見られる場面ですが、パルチザンやテロリストが敵に捕まった後、一人だけ拷問を受けることも無く解放されて帰ってきたりしたら、こいつは怪しいと思うのも自然なことではないかと・・・。
>>おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。<<
いえいえ、富松さん、貴方は天理教以外の世界を知らない人だから自信たっぷり言ってますけどね。天理教徒がおつくしの強迫観念で家族の絆が切り裂かれ、本人はもとより子供達も心を病み、一家諸共陰気な貧乏生活を強いられているのを横目に、天理教を見限って離れ、当然おつくしをやめて、心も生活レベルもすっかりと助かった状態になり、生き生きと心の自由を得て人生を陽気に暮らしている人々は山ほどいますよ。
それからおつくしお尽くしって言っていますが、人助けに使われてはいませんよね。レーザービームに打ち上げ花火。ちょっと古い話になりましたが、こんな事に使うお尽くしって、何ですか?
自分たちがやっている事をきちんと検証してから言いなさい。詐欺師集団と言われても仕方がない実態です。
教祖は人を助けよ、と言われました。親神様へのご恩奉じは「人間同士の助け合いの行為」をお見せする事です。本部と言う一点へ金を集める事が神へのご恩奉じと扇動し、貧困と心の呪縛へ罪なき人々を導く行為は大罪です。
教祖みき様が存命中に「お屋敷にお金を運びなさい。そうする事が人間の助かる道だ」と書き遺しておられますか?
真心を持って朝起き、正直、働きで、みんなしっかり働いて、わが身勝手な心を慎み、欲の心を忘れて谷底で苦しむ人々に寄り添う心を持ち、高山で理不尽な権力を振るう者は引き降ろし、いちれつがロクジの世界で互いに助け合いなさいと。ただそれだけのシンプルな温かい教えなんだと思います。
今では欲を離して本部に金を尽くせ、「命が繋がるのはお金だぜ、」と命はお金と引き換えだと言わんばかりの発想だなんて。私には余りにも本部のわが身可愛いだけの空恐ろしい身勝手教理にしか思えません。
富松さん、頭がおかしくないですか?正気に戻ってください。
冨松幹禎 様
「おぢば」と聞いただけで不愉快になりますよ。熱心な天理教徒だった父母を悲しませないようにとの思いで付き合ってきた天理教。
二部同窓生だった知人から同窓会の席で聞いた、本部には開かずの部屋がある、という一言で離れる決心がつきました。
ただ、それだけです。教えの全てを披歴して純真な信仰を求めるのが宗教でしょう。それが出来ていない天理教なんて信ずるに値しません。
70歳を過ぎるまでそのことを知らなかったのが唯一の不覚でした。長い教会との付き合いの中でも、このような話の欠片も語られることが無かったのです。会長さんも、このことを知っていたのか、あるいは知らなかったのかは分かりませんが、専修科を出ているのであれば知っていた可能性がありますよね。
参考意見様も、きっと、モヤモヤとしたものを抱え込んでいらっしゃるのではないでしょうか。
本部の、井の中の蛙発言なんて一切信用していません。
おつくしの意味は、お供えだけでは無いのでしょうが・・
「 親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 」
それは理解できますが、結論的に、お供え(お金)をしなさいって言ってる様にしか読めないです。
うちに届いた、いちれつ会会報の理事の寄稿を読んで、やっぱりそう言うのが、根柢にあるのか?と、リアルに感じました。
世の中、玉石混合とは言え、宗教って、いっぱいあるんですよ、子供おぢば帰りは、ポピュラーな行楽で、親戚に天理教者が居たら、誘われます、それで天理教には馴染んでいますから、だからうちの息子の場合、地元を離れたいのと、天理高校への進学とマッチした訳です。 周りからは、止められましたが、親としては、本人が行きたい所へ行けば良いと言う方針でしたから、私は異教徒ですが、別に構わないよって思った訳です。
息子さんが天理高校に進学した(入信した)のは親神様の思し召しですから、お父さんも、お願いいたします、と来る訳ですが・・いや、私は結構でございますってなります。 私個人は、信仰は親子、家族であっても個人の自由であり、自分で選択したら良いと言うプライベートな物だと、硬く決めています。 もちろん、家族に勧めますが強制しません。 そうは言っても、この世はいろいろなので、別席を運んでる訳です。
そんな親もいるので、いちれつ会報の寄稿文には、猛烈な天理教(幹部)に対しての、拒否感を持ってしまいましたが、そう言う父兄もいると言う事を言いたいのと、卒業証書をもらうまでは、決してリアルには、言えないのと・・
以前に、12月納めの月次祭のかぐらづとめでチャンポンが間違っていたと指摘されていましたね。
みちのとも2月号で調べたらなんと冨松さんでした。頭がおかしくないですかと、言われていますが
本当にその疑いありです。うちの大教会の世話人なので、毎年1月の月次祭ではお話をされます。
いつもは、住み込みさんや、引きこもり、精神を病んだ人達に自ら積極的に関わりお助けされた話ばかりで、感心して聞かせてもらっていました。ところが今年の講話は、話し出しから、終わりまでずーっと
「おつくし」でした。何回言ったでしょう。後で大教会長も「びっくりしました」と、首を傾けた位です。
冨松さん、大丈夫ですか?それこそ晩節を汚すことのない様に余生を過ごしてください。
私は冨松さんの講話を数回聴いて、こういう真摯な信仰している人がいるんだ、と尊敬さえしていたのですが、最近おつくし、お尽くしと殊更強調する記事を読んで、興ざめしている者の一人です。見損なったというか、、。
え? 冨松さんどうしたの?冨松さんってこんな人だった?って、、。
上から言わされてる?
ご立派な説教を垂れても、厳粛な本部お勤めを間違えるようでは、、。
きちんとお役が果たせない人は本部お勤めの席に座る資格はないでしょう。この際、退場を申し出られてはどうか。
本部はマンネリなお勤めに甘んじているから度々間違う。世界助けを祈るお勤めならもっと厳粛に取り組んで下さい。マンネリでは駄目!親神が呆れています。襟を正せと申し上げたい。
東風Zさま
(2020年2月3日 8:43 AM)
本部には開かずの部屋があるというのは、どういうことでしょうか。もしよろしければ教えていただけないでしょうか。お供えが一か所に集まるとかいう空間とは別の何かの部屋でしょうか。
年明けから明るい話題がサッパリなので、気分直しに替え歌なんぞ作ってみました。有名な「勇敢なる水兵」の節で歌ってみてください。ジョークですよ。ジョークですからね!
「散々なる用木」
人影見えず金も無く 奇蹟も起こらず役立たず
空き家のごとき教会は 本部が乗っ取りいつの間に
信者に知られぬイカサマか 神を恐れぬインチキか
疑惑は本部にたちこめて 神のおかげもチト怪し
百年祭のたけなわに つとめ尽せる用木の
尊きお金で神殿は 絢爛豪華に飾られつ
銀行金貸し飛びまわり 数多の借金身に負えど
その返済に家売って 住み込み暮らしの用木は
教会長の貧乏を 疲れたまなこに見とめけん
声をしぼりて彼は問う 「まだ目覚めぬや中山は」
会長の眼は潤えり そのうえ声も力なく
怒り沈まれ中山は ただ金目当てになりはてり
聞きえし彼は悲しげに 深い溜息もらしつつ
「俺の人生返せよ」と 言う程もなく息絶えぬ
本部につくす用木の 向う所に救いなく
梅鉢の旗わらわらと おぢばの空を汚すなり
「まだ目覚めぬや中山は」 この言の葉は短きも
おやさま思う用木の 胸にぞ永くしるされん
富松さんの巻頭言は読み流すしかないと読み捨てておいたが、それは私自身は富松さんを知らなかったから、どうでもよい人としか認識できていなかったからなのだが。社会学は貴重な情報交換の場であると皆さんへ感謝している。
社会学に書き込んでくださった方々の感想では、以前の講話ではお助け話をされていた彼が、「お尽くし」一辺倒の講話内容に驚くほどの変化を遂げていたとある。
彼の心中を図るに、彼が真実の信仰者であるのならば葛藤があるはずだろう。
昔から天理教では葛藤を抱え込んだ信者の中には自殺する例がある。確か高名な本部員さんの息子も自殺したとか。
思うに富松さんは多分50代60代? まだまだ若くエネルギーも有るのだから自殺などせず(いえ、何も決めつけているのではなく、絶対に自殺の道を通ることはなさらないと思いますよ、話のアヤです。)、自身の心持に反した、本部の意向を反映した内容の講話を苦しみながら話すよりも、いっそのこと、本部員を辞退し、天理教教会長を辞任したらよいのではないか。教会長は辞任しても誰かが継ぐだろうから心配ない。一信仰者に戻ることで残りの人生を清々しく過ごせることになるだろう。強くお勧めする。
チャンポンを間違えたという事は、心に葛藤を抱えていたからだろう。
自教会への責任よりも、間違ったお尽くし説を説くことで多くの信者に迷惑をかける責任の方が大きいだろう。人間の人生は今しかないのだから、生まれ変わりとか、次の人生などのために「徳を積んで、因縁をきろう」などという、現実問題からの逃避的考えとはきっぱり手を切るべきだ。
生まれ変わりなどというあやふやな希望的観測は馬鹿ばかしい。天理教は前向きの解決から目をそらし、お供えで解決せよという、後ろ向きの努力を良しと教えている。困ったものだ。我々は今を生きているのだから。
>思うに富松さんは多分50代60代?
いやもっともっと高齢なはずです。前桜井大教会長ですよね。
80才近く、もしくはそれ以上ではないかと思います。
チャンポンも重くて体力的に厳しいのかもしれませんし、
なにせ高齢なのでリズムのキープも厳しいかと思われます。
たしか、遠い昔、少年会本部の委員長をやっていて、
『リトルマガジン天理教少年』では「トミザクラ編集長」というキャラクターで
少々悪役的なノリで連載されていた記憶があります。
コメット 様
お尋ねの件ですが、教団本部にある史料集成部というところと聞いています。
二部同窓生は天理大学に行き、教理の勉強をしていましたが、現行天理教の教義に納得できずにいたところ、史料集成部があることを知り、以降、何度も入室を希望するも許可されず、83歳の現在に至るも希望はかなえられていません。
大教会直轄教会の嫡男にも拘わらず、希望は一切相手にされないそうです。本部でも余程の地位にある人だけが入室を許されるのでしょうか。その辺の基準があるのかもわかりません。
教団本部にとって都合が悪いところなのか、あるいは、中山家にとって都合が悪いところなのかと思ってしまいます。
宗教には秘仏だとか、数百年に一度のご開帳だとか、勿体ぶったものが存在するようですが、本部にとって史料集成部も勿体をつけなければならないところかもしれません。
以前、史料集成部に関わった方が二人も自殺をされたというような投稿もありましたので、余程謎に包まれたところなのでしょう。
有名な天理大学教授が著わされた、天理教史参考年表なる小冊子ですら、真柱から発表はまだ早い等の理由をつけて、いちゃもんを付けるくらいの教団ですから大した宗教ではないと思っています。
ちなみに、私はこの小冊子を持っていて読んでいるのですが、どの内容が教団にとって都合が悪いのかさっぱり分からないのです。
睦輝さんのTwitterの画像にあったのですが、麹町大教会を会場に、以下のような講演があったそうです。
講師の先生は、画像からははっきりと読めないのですが、
加古大教会の会長さんで医師の、松尾太郎先生のようです。
有料の講演でありながらその上「お供え「」に言及している点でなんともなあという……。
どんなふうにお供えの教義的整合性を話したのか興味深いですが、
「金を払ってまで聞きたいとは思わない」との意見がTwitter上ではみられましたが、
社会学のコメント欄の皆さんはどう思われますか?
講演タイトル」 『天理教って必要なの?って思った人が、最初に聴く話』
「お供えってなんでするの?」
「そもそも天理教ってなに?」
「月次行かないといけない?」
話題の講師がすべての疑問に答える!
講演
前売券1,000円
当日券2,000円
持ち物「天理教への疑問」
50名限定 特別講話
2020年2月1日土曜日 14時~
富松氏は70代後半です。匿名様2/2 2:09PMを読んで気になり確かめました。卒業アルバムで。表統領のことばであれほど話題なってるのにそれよりもっとおつくし=お供え(=お金)を強調するようなる話などしてと。やはりいつも大教会の立場(肯定してくれる人たちばかりに囲まれてる)などなんの力もならない天理教などマイノリティの場の体験のないまま今に至たったのかと。せっかく埃かぶったアルバムを出したのでしばらくぶりに丁寧に見ました。天理教豊文分教会の裁判で被控訴人:宗教法人天理教:の代表役員I・M氏、天理教検定委員長
M・M氏、100年祭に自殺された教会長の大教会長M・K氏(年齢的にたぶん大教会長就任してると思う)は同学年同クラス成人寮(本部員子弟)でした。
東風Zさま
2020年2月3日 7:27 PM
どうも有難うございました。史料集成部でしたか。「本部」とありましたので、教会本部(神殿)かと思っておりましたが、あるいは史料集成部でしたら、教庁の一角かどこか特殊な庫などになるのでしょうか。場所さえもよく分かりませんが、想像するに、私が知る限り天理教関連の史料あらゆるものを集めているところと承知しているので、史料の保存という面で、最大限の神経を使っているのだろうと思います。天理図書館でも、見られない資料が意外とあります。修養科の名簿とかは見せてくれなかったですね。ほかにも天理図書館は文化財関係は見られないものと承知しています。史料集成部も後世に史料をきちんと残すのを使命としているのでしょう。必要があればごく限られた人に、限られた条件で閲覧となるのではないかと思います。文化財のように。個人的にはきちんと保管するのであればデジタル化して、閲覧室でも設けたらよいと思います(書籍類は普通に天理図書館で見られますので問題はなさそうです。異端関係の本は天理図書館には所蔵していないように見受けられますが)。活発な研究のために、工夫をしてほしいですね。
さて、最近、本部からの「お尽くし」の声がかなりストレートで、何やら行き過ぎた感さえ覚えるのが多くの信者さんたちの感想ではないかと思います。何か厳しい事情があるのでしょう。ほしい、ほしい、そんな声をあげたところで信者は動かず、むしろ逆に疑問を感じるだけではないかと思います。お尽くしは心にあります。誰しもに喜んで「誠」の心を持っていただけるように、自らが厳しくあるべきが本部員なり大教会長の姿であろうと思います。本部は、財産を売ればよいと個人的には考えています。今持っているさまざまな各地の不動産など、現金化して、お道や苦しむ人たちのために有効に使う方法はあるのではないでしょうか。そうやって本部が必死になることで、信者も自然とついていくことでしょう。お金、お金だけでは心には何も響いてきません。
私の亡き母が居住のための「家」を除くすべての財産をささげ、最後まで教会のために尽くし切った姿を思うにつけ、お金お金と声をあげる現在の本部の姿に、情けなさを感じるばかりです。(亡き母は尽くし切ってもまだ足りないと思っていたでしょうが、老いて安らかに出直しました。残ったのは残額数千円の通帳だけでした。服も何着もありませんでした。年金もすべてお供えしていました。それはそれで誠としてきっと神さまは受け取ってくださっていると、私は信じています。洗脳と言われるかもしれませんが。)
加古大教会長、松尾太郎。香川大学医学部を卒業。結婚12年目に生まれた一人っ子です。まだ36歳かな。
3カ所のクリニックの院長です。私達が考えている過重労働で成り手のいない小児科医や産婦人科医 などではなく脱毛、シワ、たるみなどの美容皮膚科です。阪大出の医師が居るので時間はあるんでしょう。儲かって仕方ないので3院目を開院したみたいですね。医者ではなくて経営者でしょう。母親の真理子さんと同じく講演業に勤しんでおられる様ですね。
真理子さんとこの太郎さんは息子ですか。大教会長の夫も医者と聞きましたが。
大教会長しながら、複数医院を持っていて忙しく働いていると。
真偽は判りません。
しかし、教会主催の講演に講演料まで取るとは。お金持ちはもっともっとと欲が膨らみ、益々谷底と高山の差が広がりますね。
神の目に合わせれば 無料ひのきしんが筋でしょうが、真理子さんも講演に走り回っていますね。
私のような違う信仰の持ち主から見ても、中山みき先生の教えは誠に優れた良い教えだと思いますが、天理教教団側の信徒に対する献金の姿勢は常軌を逸するものだと思います。「死の扉の前で」を読むと、本部に献金するために娘を売るような異常な行為が昭和の時代から行われていたみたいで、このような暴挙が長年続いたことに驚きを感じます。私が信仰する教団でも不合理な事は多々ありますが、幾ら何でも天理教の本部のやっていることは酷すぎると感じます。
有名な「貧に落ちきれ」という有名なお言葉も、「物質に対する執着から解放されよ」「貧しい人たちへの思いやりの心を持て」というような趣旨に解釈するのが普通だと思います。本部に献金するのは「徳積み」ですが、それだけが「徳積み」ではありません。公の事に使うお金はみんな「徳積み」だと思います。また、家族が調和し、近所とも仲良くし、仕事や学業、家事にそれぞれが励み、真面目に働いて得たお金を感謝の気持ちで、無理のない範囲で献金をするから「徳積み」になります。小作人が庄屋様や代官様から脅されて年貢を取り上げられるような感覚で本部に献金をしても、「徳積み」どころか、悪業を積むだけになると思います。特に、神様の名前を使って献金を強要するのは、神様を悲しませる事になると思います。
想像ですが、天理教は立派な学校も病院ももち、豪華な施設を多数保持しているので、多額の維持費が必要な体質になっていると思います。信徒の減少により収入が減少し、財政的に問題が生じたので、信徒に献金をお願いすることが増えたのでしょう。宗教団体の維持に多額のお金が必要なのは当然であり、信徒による献金の必要性は否定しません。しかし、どこかの大臣ではないですが「身の丈に合わない」ことはすべきではないと思います。私のような部外者から見ると、「きりなし普請」とは心の問題であり、教団の規模を拡大することではないと思われます。
規約に定められた会員の会費は払うし、可能ならそれ以外の寄付も応じるが、生活ができないような多額の寄付に応じるつもりはないとはっきりと意思表示をすることは、大事だと思います。
長年、このような悪弊が続いていた状況を考えると、今すぐに状況を改善するのは容易ではないとは思います。しかし、これが続くのは信徒さんにとっても、天理教にとっても良いことだとは思えません。最近は「司法改革」のおかげで、弁護士の数が倍増し競争が激しくなり、弁護士の相談の窓口も増えて敷居も低くなりました。法律の無料相談の機会も増えています。教団内で出世を目指すならともかく、生活もできないほどの寄付を強要されて、それに応じる法律上の義務はありません。
納得のできないことは、地元の弁護士に相談をしてください。
なお、法律相談は弁護士によって見解が異なることがないとは言えません。(「行列ができる法律相談所」で、弁護士ごとに見解が異なるのを見てもわかります。)顧客が複数の弁護士に相談することは「弁護士職務基本規定」という決まりで認められていることですから、弁護士に相談し、その弁護士の返答に納得できない場合は他の弁護士に相談をすることをお勧めします。
最後になりましたが、他の信仰を持つ人間が天理教内部の問題に口を挟むという無礼な行為をしたことを深くお詫び申し上げます。気分を害された方がおられたら、お許しください。
門外漢 様
2020年2月4日 3:27 PM
>>最後になりましたが、他の信仰を持つ人間が天理教内部の問題に口を挟むという無礼な行為をしたことを深くお詫び申し上げます。気分を害された方がおられたら、お許しください。<<
私も若かりし頃、天理教から去った人間ですが、この掲示板には再三投稿させていただいています。天理教外の人達が天理教というものについて、いかに考えられているかということは、天理教内の人達にとって大変参考になると思います。特に、法律の専門家としてのご意見は大変貴重であると考えます。これからも奇譚の無いご意見、ご感想をお寄せ願います。
教外の方の冷静で客観的な視点は大変有意義なものでした。やはり天理教団に体質的に常軌を逸した側面が有るのを一般の弁護士の立場の方がお見抜いておられたと、心を強くしました。
大手T大教会では、今回教会整理の対象が80箇所にのぼると言う事です。原因があって結果がある。調子に乗って雨後の筍の様に数字、形だけを追い求めた教会倍増計画。現在の私の教会もかつて上級からそそのかされて新しく出来た教会です。そういった教会が今、子々孫々にも受け入れられず、中味を伴わないまま朽ち果て、整理され消滅しようとしています。私が担当する教会も後10年で信者さんは消滅してしまいます。そして会長の私の命も持つか持たないか、、。お目どうは上級に移し教会長死亡、信者無し。この流れなら整理される運命でしょう。
今は教会の名称看板は辛うじてぶら下がっているが、各種行事に引っ張り出されるだけで、布教も何もしていません、、。全国的にもそんな看板ぶら下げただけの教会が多いと感じています。
子供の頃に見たあの勢いは夢か幻だったのか、、私達一家は上級の圧力で貧乏暮しに甘んじたけれど。今だに悔しい思いが忘れられませんが、その頃高度経済成長期で本部の懐は莫大潤い、本部はやりたい放題が出来たんだけど。
現在の状況を見ると隔世の感があり、此の期におよんで益々お金にこだわり始めた本部のなり振り構わぬ姿には全く持って虚しさが募りますね。もうどうあがいても教勢回復は無理なのにね。やってきた過去を学べば発展する道理が無いんだから。
愚痴とも嘆きとも言えない独り言で。失礼しました。
おやさまは、人に頼み事があった場合、頼む前にその人がしてくれることを<最高善>のように言われています。
曰く、「言われてするのは正直者。言われてせんのは横着者。言われぬ先からするのが真の誠」
用事をするのも、言われる前に先んじて自主的に動いてやること、これを「誠」とされました。
この背景には、「どうせぇこうせぇ、これは言わん、これは言えん」 という「言わん言えん」 の理があるからでしょう。つまり、よい事をするのも、人から言われてするのではなく、自分の意思ですることが大切とされているようです。
…………………………………………………………………………………………………………………………
さて、お立合い。ここからが本番です。
上記の 「言われてする」の 「する」、「言われてせん」 の 「せん」、それともう一つの 「する」、この3つのサ変動詞 「する」 の前には、何の名詞もついていません。「勉強する」とか、「化粧する」とかいったように、「する」の前に何か名詞をつけて具体的に何をするのか言い表すべきなんですが、ここでは名詞がついていないために、こんなこともできてしまいます。
「する」「せん」の前に「お供え」という名詞を入れて、「言われてお供えするのは正直者」「言われてお供えせんのは横着者」「言われぬ先からお供えするのが、真の誠」
私の村の小さな分教会では、もちろん、会長さんは↑そのようなことを言ったりはしませんでしたが、しかし、教会の中には、「会長さんは黙ってても、信者の方から自主的にお供えする、これが「誠」だ」、という雰囲気があったようです。
これは、教理をユガメているわけではないのですが、そういう雰囲気は教会の中にはあったようで、それが一つの圧力となって、信者さんの肩にのしかかっていたような気がします。
中山家と反社会勢力の関係
聞いた話 中山家の親族に元反社会勢力の方が居るそうですね。宗教は確かに万人のお受け皿で葉ございますが、今のご時勢反社会勢力元反社には厳しい時代です。その教団のトップの親族にはふさわしくない人が居るそうです。
「次期真柱の人の親族が元反社会勢力」と言われる日も近いでしょう。
近年の中田善亮氏の方針は明らかに反社会的であり、「金の繫ぎは命の繋ぎ」「土地の返却」などありもしない騙しの数々でとても宗教とは認められません。ご親族の影響もあるのでしょうか。
ここまで来ると、豊田商事事件のように、豊田商事事件 のような結末を迎えるのではないでしょうか。
豊田商事事件
https://www.youtube.com/watch?v=O6ESK8A2qoE
「金の繫ぎは命の繋ぎ」に関してですが、この言葉に関して、教会に言った言葉だ!等との言い訳が有るそうですが、信者も教会も一緒ですので何の言い訳にもなっていない。
それに 「金の繫ぎは命の繋ぎ」を分解しますと「繋ぎ」は前後同じ意味で「は」前後を修飾する接語ですので、
「金は命です。」や「命は金です。」と文章にしても間違いはございません。
つまりこれは宗教家の言葉とはとても言えないのです。
それに、未だに中山家は「血」のこだわりがあるそうですが、中山みきの子孫が「金の繋ぎは命の繋ぎ」と言ってるのなら、中山みき は「申し訳ない」と土下座で謝罪しても足りませんね。
未だに言い間違いの是正を図らない時点で言うこと聞く必要は無いのです。
真柱一同が土下座して今の天理教は間違っていますというべき!
天皇をまねたような真柱を廃止して血族で固めた組織を解体すべき
新しい組織は民主的にすべて選挙で長を選ぶべきである
いずれにしても現在の組織から百分の一ぐらいの組織に変更して
優先順位をさだめるべき
①参拝 (神殿)
それ以外の組織、たとえば大教会は廃止、教区のみとする
一般分教会はその教区の配下とし教費金は教区にお供えする。
信者からのお供えは本部または教区にお供えをしノルマ(1教会10万)を廃止する
②詰所の廃止
各大教会の詰所を廃止し、本部1か所に統合する。
修養科生も本部詰所からいく
③憩の家廃止、炊事本部廃止
④天理大学、天理高校の廃止
以上でだいぶ予算削減となるであろう
ようは組織はなくても参拝だけできればいいのである。神社と一緒
ちょ、ちょっと待って下さい。私が先 ↑ に言ったことは、誤解を招いたかもしれません。
私が言いたかったのは、おやさまがお話しされると、後世の人々は、その話しを往々にして「お供え」に結びつけようとしていた傾向がある、ということだったのです。
例えば、おやさまは、「言われぬ先からするのが真の誠」と言われましたが、これは、ごく一般的な用事について言われたのですが、この話しを、会長さんは、「言われぬ先からお供えをするのが真の誠」 というふうに話され、そのように何でも、落としどころを 「お供え」 にもっていかれることが多かった、ということだったのです。
なるほど、「言われぬ先にしたお供えを、誠あるものとして受け取る」と言っておきゃ、会長さんは黙ってじっと座っていても、お金が入ってくるな、と思ったからそう言ったまででした。おやさまが悪いわけではありません。
誤解を招く発言をしたかもしれないことを、お詫びいたします。(私も、チョンボをやってしまいましたが、発言って、難しいですね)
>>「金の繫ぎは命の繋ぎ」を分解しますと「繋ぎ」は前後同じ意味で「は」前後を修飾する接語ですので、
「金は命です。」や「命は金です。」と文章にしても間違いはございません。
つまりこれは宗教家の言葉とはとても言えないのです。<<
文法的に解釈すると全くその通りです。例えば、「私は日本人です」という文は、「私」が主語で「日本人です」は述語です。主語の「私」と述語の「日本人です」の間の「は」は、イコールという意味です。「金の繋ぎ」=「命の繋ぎ」ということになります。こんな馬鹿げたことを平気で言ってのける表さんはとんでもない馬鹿です。救いようがありません。
松村義司理事は道友社社長、高安大教会長、現真柱の中山善司や表統領の中田善亮とは従兄弟である
詰所は全て本部が管轄する。新たなものは建てない。今ある既存のものを利用する。修養科生は38母屋に寝起きし、一期講師も一緒にする。毎期男女100名ずつ。そうすれば一貫した修養になりますし、大教会毎のお手振りの違いもなくなるのでは。
分教会詰所の廃止。
先ずは其処から手をつけていくことがいいと思います。
みなさんどうでしょうか?
↑同意です。弱小大教会によっては今後、古くなる一方の詰所の維持管理、修理などの体力はなくなるものと思われます。既に本部にお供えした物件なのですから本部の責任下として管轄させ、各大教会は修理等の負担から解放されるべきだと思います。
中山みきは土下座して信者に謝罪すべき
2020年2月5日 11:25 AM
とても過激なタイトルですが読ませて頂いてなるほどと思いました。金は命、命は金、とは?まるで金融ドラマの台詞のようでとても宗教とは言えませんね。教会の集まりに行っても善亮さんの悪評の話ばかりですが、不思議に思うのが血縁に無い本部員の方が咎められ無いのは分かりますが、中山家の親族の方は何故善亮さんの横暴な言動を指摘しないのでしょう?私の会社でそのような事を行った時には大騒ぎです。いくら私が社長や会長であっても一瞬で首が飛びます。熱心な信仰者ではございませんがあえて言わせて頂きますと、中山家の方は育ちが良すぎて世間知らずすぎてかえって育ちが悪いのではないでしょうか?他の記事も読ませていただきましたが、昨今反社とのかかわりは当会社でも重々気をつけて従業員にも指導しているさなかに、中山家の親族に元と言えど反社の方が居るのはこの御時勢許されない事でしょう。どなたとは存じ上げませんが、もし仮に後継者の大亮さんの血にも反社の方との血縁があるのならば考えものでは無いでしょうか?これは内部の人間がと言うより外部から指摘を受けた際弱点に成りかねません。このような事態も見据えられない様であれば今後会社などの組織運営は続かないでしょう。
今、早急に調べる必要があるのは、大教会を含むすべての教会の負債の状況を把握することではないでしょうか。
本部のお供え攻勢や巨大建築費用及び維持管理費用が重荷になっているように思えます。
所属していた教会も、先の台風被害で借金をせざるを得なくなってしまったようだ。協力要請の文書が来ているが、年金生活者て、すでに教会を離れてしまっている者にまで当てにするなんて余程困っているのではないかと想像してしまう。
やみくもに突き進んできた教会名称が最大のガンになってしまったことに早く気付くべきです。
所属大教会長は、本部のお供え攻勢にもう勘弁してくれと批判や疑問を向ける事はなくて、益々頑張らねばと言う心向きの様に見えます。「今年は心定めの◯千万円本部にお供えできました、ありがとうございました。」と胸をなでおろす表情の大教会長発言を聞いてそう思います。弱小は弱小なりに同規模の大教会と本部上納金額を張り合っている様です。金額クリアーで自分の責任が果たせた、思っているのでしょうが、曲がりなりにも宗教家なら基本は「人を癒し、助ける事」が出来たかどうか?なのですが、一生懸命になって見つめるポイントが「本部命」で、ずれている。
実際本部に捨てるお金は無いのです。内実は詰所修理にその都度信者にお供え要求しなければならず、金が廻らない状況にもかかわらず、です。
匿名 様
2020年2月5日 10:01 PM
>>詰所は全て本部が管轄する。新たなものは建てない。今ある既存のものを利用する。修養科生は38母屋に寝起きし、一期講師も一緒にする。毎期男女100名ずつ。そうすれば一貫した修養になりますし、大教会毎のお手振りの違いもなくなるのでは。<<
38母屋は、「本部の迎賓館」で教会本部に訪れるVIPのみを宿泊させる施設だと昔聴いたことがありますが本当でしょうか? 外観は立派に見えるのですが、ほとんど稼働していないようにも見えます。また、天理市内でも修養科生のハッピを来た人はほとんど見かけなくなりました。詰所の利用者が激減するのは当たり前のことだと思います。38母屋にしろ各大教会の詰所にしろ、老朽化が進み、それらの維持管理費は最終的に末端分教会なり一般信者の肩にのしかかってきますが、それすら限界があります。早急に、他の公共施設や福祉施設に譲渡転用するなり、何らかの使用方法を考えておかないと、天理市街地は廃墟と化し、信者さん達のこれまでの「お供え」はドブにすてた結果となるでしょう。
>中山家と反社会勢力の関係 2020年2月5日 10:24 AM
>聞いた話 中山家の親族に元反社会勢力の方が居るそうですね。
もう少しだけ詳しく教えていただけませんか?
一番目の大教会の郡山初代会長・平野先生のことではなく、存命でそういう方が中山家の親族にいるのですか?
匿名
2020年2月6日 4:41 PM
現在の健在の方です。宗教内だとうすぼけてしまいがちでしょうが中山家が貰った嫁の血縁等に元反社会勢力に所属した人が居たりするそうです。中田善亮氏が何であのような発言をしたのか?その血縁の影響なんですね。と思えて成りません。これ組織内だと防げることでしょうが、外部からは叩かれるととても弱い部分です。例えば、他の宗教団体のトップの家族が元反社会勢力だったら?他の宗教団体をはじめ世間一般の方も当然批判します。
皓組織は善亮が崩し大亮で終わる。でしょう。
「金の繫ぎは命の繋ぎ」と人を恫喝すること自体、反社会勢力以外の何ものでもありません。宗教団体は国(文化庁)から認可を受けた公的団体ですから、天理教内外を問わず、大きな社会問題として国会等で議論するべきだと思います。
>>中田善亮氏が何であのような発言をしたのか?その血縁の影響なんですね。<<
金の繋ぎは命の繋ぎ発言。あれはヤク◯の発想。まぎれもない脅し文句です。善亮自身に反社と引き合うものがあるからそう言う文言が自然に出て来る。善亮、大亮一族が反社を親族に抱えているとは。
大亮も東南アジアで女性を買うような人間です。元気一本だが、宗教家として本質的に持ち合わせるべき精神の崇高性がない。これは致命的です。
善亮が崩し大亮で終わる。確かに。
カルト宗教やめました、というタイトルの本が出ているんですね。
母との確執、崩壊する人生設計、社会常識とのズレ、とあり、さらに、”宗教2世”の著者が25年間の信仰を捨てた後の物語。
「離れたら不幸になる」と言われたけれど、本当にやめてよかった! 累計5万部のコミックエッセイ、待望の続編
と書かれています。ちなみに、著者は、たもさん、という方です。
まさか、天理教じゃないでしょうが、興味がありますね。離れたら不幸になるなんて、天理教が言う常套句ですから、ついつい邪推してしまいますが、私はこの欄で、同じことをある方から云われましたし、教会からも云われましたから、宗教が言うことは、揃いも揃って皆んな同じようです。怖いですね。
中田善亮が放った言葉「金の繫ぎは命の繋ぎ」は宗教とは程遠い、誘拐や反社の台詞ですね。
天理教は中山家を離れ教団だけ消え去るのでしょうね。表立って誰も文句を言わずだがもう二度と教団の地に足を運ばないものが日々増えて行く教団の終わりはもう皆さん分かってるでしょう。
著者はエホバの証人を辞めた方だが天理に重なる部分はあると思われる
天理教も中山教もどうなったって、何とも思いません。
私メが望むことは、教友とおやさまの教えを分かち合いたい、ということです。
神さまの話ができたら、それでいいです。
では、教友とは何か。それは
友人 ≦ 教友 < 兄弟姉妹 (友人以上、肉親の兄弟姉妹 未満の関係)
また、
恋人 - 肉体関係 = 教友
(神さまを間に立てているのだから、友人関係より密度は濃いい。)
エホバの証人の二世さんですね。両親が熱心なところの子供は悲惨です。この人の様に逃げだせた人はいいですが、自由を奪われ洗脳に気付いていない若者も多い様です。うちにもしょっちゅう二人連れが来ましたがいつも年配とちょっと若めの婦人のペア。一回、男性が一人で来ました。20才くらいの男女が来た時は驚きましたね、初めてですから。、平均以上のルックス、今すぐにでもテレビに出したい様な爽やかで好印象の二人です。女の子の方が前に出て、一生懸命話して、男の子は後ろでニコッと笑っているんです。孫くらいの子を前にして、バアさんは、少し、平常心を失いかけて、いつもの様に、「こんなとこもなんやから、神殿へどうぞ」という退散の決めゼリフが言えず、「ご苦労様です」と、最高の笑顔で見送りました。昔、まだ教会へ来る前住んでいたアパートの隣の家に、美人でスタイルも抜群の奥さんが居ました。うちの子達とも仲良くしてたんですが、ある頃から二階の窓を開けて大きな音量でテープを流す様になったんです。ものみの塔の小冊子も目につくところに置いていて、ああ、入信したのかと思っていたら、暫くして子二人連れて家を出て行きました。あとへ来たのは、その奥さんより数段落ちる女性でした。後でよく知る人の話では、浮気性の旦那のことで悩んでいた時に布教に来た人から導かれ、熱心になり、旦那の親のお葬式に、他宗教の葬儀などの行事一切参加してはいけない教えを守って出なかったそうで、それが決定打となり奥さんに不利な離婚となったみたいです。子どものクラスのお母さんもエホバが原因で離婚したとか。家族を引き裂く宗教、子どもの精神を破壊する宗教、万とある宗教、まともなのはどこですか。
エホバの勧誘は本当に執拗です。我が家にも何回も勧誘に来ましたが、最終的に私が旧約聖書の話を持ち出し、エホバの教えとの矛盾点をついたら、それ以後、全く勧誘に来なくなりました。
私の遠縁の女性で乳癌を患った方がおられましたが、その女性はエホバの熱心な信者でした。ご存知の方も多いと思いますが、エホバでは、手術の際に、輸血を受けることは禁じられています。気の毒なことに、その乳癌を病んでおられた女性は、手術や輸血を頑なに拒まれ、癌が全身に転移し、結局、お亡くなりになりました。新興宗教の迷信の恐ろしさを私は痛感しました。
すみません、つまらないことですがエホバさんをうらやましく思った過去を告白させてください。
当時住んでいた集合住宅に賢そうな控えめなご婦人がいました。
その方と何処かのやはり美人で聡明な感じのご婦人(ともに私より恐らく10歳位年長)とで勧誘にこられました。勿論、お断りしましたが。
或る日同じ住宅の方が近所に戸建て住宅を建てて越されました。
直後に近所なものですからバッタリ遭遇した際に、「良かったですね」と私。
すると「お陰様で宝くじにあたったので。」と仰いました。
当時私は30代に入ったばかりで、そのご夫人から見れば妹のようなもので、何の警戒心も持たずにお話下さったように受け止めましたし、他の人に口外することもしませんでした。
エホバであっても神様には違いないのだと妙に感心したものです。
そして現在、エホバ関連でこの記憶を改めて思い出して感じることは、恥ずかしながら、
「いいなぁ・・・・私は天理教を信仰していてもいつも運が悪い。」という浅はかな感想なのです。
突っ込みたい方はいくらでも上げ足とってくださいまし。
我が家の信仰初代は実家の愚痴をこぼす先が教会でした。
病気を助けて頂いたというような「助けられた元一日」なんてものは存在しないので、皆さんのような立派な信心とは言えないから、運が悪いままなのかもしれませんが、どうでも良いと言えばどうでもよいことで、ただ、うつむきながらも毎日をまじめに生きているだけです。
「いくら金があっても墓場には持っていけない」などと偉そうにのたまう方もいますが、その様な方は金のありがたみを、ヒリヒリするような切望感を持たずにすんでいる恵まれた御仁だと言えるかもしれません。
(「強欲」ではなく、私目が切望するのは「小金」程度なのですが。)
とは言え、何といわれてもお金があれば叶う事って、世の中にたくさんあるんでございます。
ダイヤモンドプリンセス号に乗船されている方々の船室は、金額で仕様が異なります。
お金をだせばバルコニー付きの部屋での周遊。
まぁ、今回の厄災は全船室平等にふりかかってはいますが、その中でも窓無し部屋に捕らわれる方と海が眺められる部屋との差異は、マネーの差であることは確かです。はい。(どうでもいい事をかいてm(__)m)
くだらないことを書きつけ失礼いたしました。
マネーの差は幸、不幸を確かに左右しますね。先日も所持金が底をついてライフラインを止められ高齢の姉妹が自宅で亡くなって数日後に発見されたと聞きました。小金さえあれば生きていれたでしょうに。
天理教はお金を持つことを否定しますが、お金は必要です。世の中はお金で幸せになる側面は多々あります。病気の治療一つとってもお金さえあれば最高医療が受けられ、死ぬはずの人が死なずに済む場合があります。
命の繋ぎは金って言うけれど神様にお金を差し出してそれで助かる確率はどれだけあるだろう。むしろお金の力を借りて最高医療を施して貰う方が命を拾う確率は格段に高い。真柱も最高医療を受けたお陰で命を拾っているのだと思う。(イヤイヤ親神が助けたと言うなら、なんで完治しないのかと思います。)
お金と人間の幸せの関係はあらゆる面で密接に結びついていると常々感じます。
大金は要らないがそこそこの小金は幸福を感じる生活には必要です。人間を創造した親神にとって一列人間が貧に落ちきりボロボロになる姿は望む姿では無いです。
(天理教は教祖の習って貧に落ち切り慎ましく生きようと掛け声をかけているが、そのトップの張本人達がお金を溜め込んで大金持ちなんだから馬鹿げた団体です。)
理事寄稿について、天理教の友人に、どうなのかって聞いたら、天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良い、(むしろお金が欲しい?)になっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になるから、特におかしくは無いと言われた。
それがおかしいと思ったら、やらなければ良いと、そう言う事になります。
私の叔父叔母はエホバ、従姉妹も大人になって自分から、パブテスマを受けた。
ところがちゃんと輸血は受けている、そこまで拒否はしていない。
叔母も、普通の主婦であり、人柄は大変良い人です。
そこの従兄弟の嫁は愛町分教会の熱心な信者、子供達は鼓笛隊ですが、お供えは、できる範囲で行い無理はしないで、参加する事を楽しんでいる。嫁姑も、同居しているけど、互いの信仰に踏み込まず、天理教とエホバが一軒の家に共存しています。
要は、信仰する人間の理性がしっかりしていて、常識的な判断をして、自分で決めて行動していたら、天理教であっても、エホバであっても、特に困りはしないと思います。
誰かのせいにする前に、理性的に、よく考えて行動できたら、別に困った状況にはならないと言う、ありきたりの結論になりますよね。
変だ? おかしいと思ったら、立ち止まって検証してから、行動する事ですよね、それに宗教、信仰は個人的なもの、親子でも強制しない、変だと感じたら教団の言いなりにはならないと言う理性が有れば、スピリチュアルでも、神霊主義でも、日常何も困らないと思いますよ。
匿名 様
2020年2月8日 12:21 AM
仰る通りです。仮に、この姉妹の方が大教会に相談に行かれても、多分、ここはあんたの来るところじゃないと追い返されていたでしょうね。天理教の教会なんておカネを持ってこない人は眼中にありません。
永年信仰されていた人が、事情でお供えが出来なくなった時の会長の態度を見てきた者には、困っている人を助けるなんて思いは、これっぽちもないことを経験から想像できます。
現行天理教なんてさっさとなくなればいいんです。
匿名 様
2020年2月8日 12:21 AM
>>マネーの差は幸、不幸を確かに左右しますね。先日も所持金が底をついてライフラインを止められ高齢の姉妹が自宅で亡くなって数日後に発見されたと聞きました。小金さえあれば生きていれたでしょうに。
天理教はお金を持つことを否定しますが、お金は必要です。世の中はお金で幸せになる側面は多々あります。病気の治療一つとってもお金さえあれば最高医療が受けられ、死ぬはずの人が死なずに済む場合があります。<<
先日、NHKをはじめとするテレビで報道された「困窮死」のことを仰っていると思うのですが、人間の生存権は日本国憲法第25条で次のように保障されています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条文ですが、生活に困窮し止むにやまれない状況に追い込まれている人々は憲法25条の趣旨に則り、生活保護費を受給する権利を有します。昔、どんなに生活が困窮し、光熱水費を滞納していても市町村役場は、水道給水だけは止めることができませんでした。なぜならば、水は人間の命に直結するものであったからです。しかし、時代が変わり、飲料水がスーパーやコンビニで購入できるようになってから、水道料金を滞納すれば、水道局は滞納世帯に対して水道給水を停止できるようになったということです。
ともあれ、私が疑問に思うのは、日本国憲法第25条で「生存権」が保障されているにも関わらず、なぜ、困窮死されたご兄弟は生活保護を受給されなかったのかということです。生活保護を受給されていたら、必要な医療も無償で受けられたはずです。また生活に必要な最低限の経費は国から給付されていたはずです。
天理教の教会なんておカネを持ってこない人は眼中にありません。<<
私の系統ではお金を貸して欲しい、と言ってくる人にはお金を渡してはいけないと言う、暗黙の了解があります。おにぎりを持たすとかして派出所を紹介するように言われています。お金を渡すとその人の徳を減らす事になるんだと。もっともらしいが、、。
それと、度々来ることによる教会住人への危険回避だそうです。
確かに人を助けるとは生半可では出来ないです。しかしこう言う指導姿勢にはわが身可愛さが見え隠れしてすっきりしない矛盾を感じています。言うは易し行うは難しですが所詮、天理教の教会の人助けなんて綺麗事なんだなぁと思ってしまいます。
教会はお金を持たないで助けを乞う人は、受け入れてはいけない、警察へ案内せよ、ですから。
生活保護を受給するに際して、行政はあらゆる手段を講じて申請者の親戚縁者を探し出して援助が出来るかどうかの有無を調査すると聞いたことがあります。
申請者は、親戚縁者に自分が困窮していることを知られることを嫌がり、なかなか相談しないのでしょうか。
地域には民生委員も居られて体制は出来ているのですが、人にはプライドを捨てることが出来ないのかもしれません。
少しでも優しい社会であって欲しいと願わずにはいられません。
ちなみに、私の住んでいる地区の民生委員が何方なのか知りません。
過去にも、生保を申請していない高齢の姉妹がひっそりとアパートで衰弱死をしていた出来事がありました。確か所持金が小銭で僅かしか残っていなかったとか?社会保障制度の難しさは、生活保護が必要な人たちの中には、書類をかいたり、必要なものを揃えて、役所に申請するという仕組みに対応できない境遇の方もいるようです。あくまでも、個人で申請するのが建前ですから。中には民生委員とか知り合いの方の手助けがないと難しい方もいるようです。残念ながら、その制度を悪用して取得していた事例もニュースになったこともあります。いい方法があればよいのですが。
国民皆保険、生活保護、義務教育、信教の自由…
日本には素晴らしい制度や保障がたくさんありますが、全ての人がその恩恵を受けることが出来る訳ではありません。
様々な宗教や支援団体がありますが、それに関わる全ての人がその恩恵を受けることが出来る訳ではありません。
万人受けする物や、多くの人に支持される物や人も、必ずしも10万人全員が認める訳ではありません。
人は、生まれる国、時代、性別、親、兄弟、家庭環境等は選べません。
先天的なものを理解し、後天的な要素、これからどう生きるか
これを真剣に考えて行動し、自分の望む人生にいかに近づき全うできるか。
自分にはどんな選択肢があり、どんな幸や不幸がやってくるのか…
同じ人間でも、国、人種、性別、身体能力、精神力、経験値…
みんな違うんです。一卵性の双子でも違う人生を歩みます。
前世だの来世だの言う前に、今までの人生を踏まえて、死ぬまでのこれからの残りの人生をどう生きるか…
代々の遺伝や行いを知ることは、これからの人生において色々なヒントとなり得ますが、前世などという科学的にも社会的にも証明できない事象に囚われず、弱肉強食の世界を強く生きて欲しいと思います。
そして人は死にます。死ぬまでに何を成すか、何を残すか。
天理教に携わる方々には強く生きて欲しいと思います。
弱者が弱者のままでは、生きていく上で得られるものも減ったり、少ないままです。
まず、自らが強くなること。
身体的にも精神的にも。立場や経済力は二の次で構いません。
まずは清濁併せ呑むことのできる健全な身体と精神を培いましょう!
それでは今日も明日もより良い人生のためにお元気で
「困窮死」を未然に防ぐために、市町村役場は水道料金や公営住宅の家賃等の滞納状況をしっかり把握し、社会福祉事務所や社会福祉協議会と密接に連携を取りながら、地球より重い人の命がいたずらに失われないように努めるべきだと思います。それが行政に課せられた責務です。「困窮死」のみならず「児童虐待」の問題も、縦割り行政ではなく、行政の横の連携により、相当防げるはずです。
貧困の問題は政治の問題です、宗教の直接の問題ではありません。
よく考えて、日本の政治の選択をしなくてはいけませんよね。
政治は選挙権があり、選択できるのですから。
天理教の教会に生まれたがために、ひどい目に会ったとしたら、それは親のエゴの犠牲になったと言う事かもしれません。
先祖がお供えした教会、天理教をやめたら、教団に持っていかれる、だからやめられないと言うのも判ります、確かに困りますよね。
一般的に見て、長男に継がせる、家族を教団に巻き込む、これは一方的な正義の押し付けだと、私個人には感じます。
職業が天理教の教会長と言うだけであって、家族を養う義務が夫婦と親子にはありますが、それで十分暮らせるなら、老舗や職人の様に、代々継承して行くのは、まあありなのでしょうけども・・
教会長は職業なのか? 信仰なのか? と言う境界の問題ですね。
そこが、混ざるから、複雑にしていますよね、本来、職業選択も信仰の選択も個人の自由であり、子供には強制すべきでは無く、それを継ぎたい弟子にでもやらせたら良いと思いますけどね。
教会に生まれると、職業も、信仰まで決められてしまう、ついでに教団内のヒエラルキーまで固定されて、決まってしまう。
それを、前世の因縁とか徳とか、根拠の無い理由で正当化されてしまう。
伝承させる技も、特技も、名誉とかも、あまり無いと言う現実。
側から見たら、理不尽でしか無い立場の人も居る訳です。
領主は領主、家来は家来、奴隷は奴隷のまま
下克上できるならまだしも、それもできないなんてね
親神様と教祖様は、当時の封建制度を打ち壊す様に、教えを広めようとしたのでは無いでしょうか? なのに、令和になっても、教団の自家封建制度が今ある教団の問題の根源かも知れないなんて・・・・
もっと、理性的に、問題を検証して、修正しないと行けませんが、宗教とはある意味、その理性を殺す装置でもあるんですね。
架空や概念上の神を祭り上げて、知性と理性を曲げさせる事も、宗教はやります。
だから、私個人は宗教団体の団体行動が好きではありません、宗教に参加しても、信仰としてプライベートに理性で自己管理する方が好ましいと思っています。
天理教者も、理性でもって、道理を通して、道を通るべき時でしょうか?
余談ですが、今の日本の宰相は理性も道理も無く、自分だけお友達だけ良ければそれで良いと言う方ですね、でも、公的な存在です、日本は独裁国ではありません、この宰相は選挙で拒否できます。 次の選挙で、拒否しないと日本はさらに酷くなる。
教団も、トップを選挙で変えられたら、良いですね? しかし本来、任意で参加する私的集団ですから、自分から教団を拒否すると言う選択肢を取るしか無いですよね。
そう考えると、独裁国家って、嫌ですね。
貧困だけでなく、その他の社会問題も確かに政治の問題です。しかし、政治には宗教が大きな影響力をもっています。日本の政権与党も自民党と公明党(新興宗教)の連立政権です。また、海外に目を転じても宗教の違いによる紛争やテロ、戦争なども過去から数知れないほど繰り返されてきました。宗教と政治は密接に関係しています。
父親 様
教会の常詰(住み込み使用人みたいな者)の子として育ったものとして言いますと、会長始め奥様、親奥様と呼ばれる方から二言目には、誰に食べさせてもらっているんだ、全て信徒さんのお陰だ、と言い続けられたことです。
一理はありますが、これって小さな子供に言うことではないと思うんです。
でも、これが日常でした。人の顔色を見るゆがんだ人間に育ちました。
当時、学校の先生の家庭訪問という制度がありましたが、家庭訪問の都度、先生から私達6人の兄弟姉妹は、全員が人の顔色を見る性格が強いとの指摘を受けたと母が語っていました。
81歳になった今も人の顔色を見る癖が残っている居るんです。兄弟姉妹が集まった際にもこの話は良く出ますよ。
天理教の教会がどのような所かは、この一面を見て頂いただけでもご理解いただけると思います。
大教会の青年さん、女子青年さんたちの不都合な扱いが、よく投稿されていますが、言われるまでもなく同情を禁じ得ません。
末端教会の立場や雇われ人の立場を想いますとハッキリと云います。現行天理教の教会は不要です。
死の扉の前で抜粋
上田ナライトさんの事件の後、本部では、真柱中心にすんなり信仰の灯を輝くようにはかったのだが、突然その若い真柱が三十年祭直前に亡くなったし、ナライトさんは狂人だと噂が流れて、福井氏のような青年達は、天理教の危機感に戦(おのの)いていたそうだ。その危機感のなかで、親神の約束どおり、三十年祭に神がおもてに現れるという希望が、若い人々の胸に蘇(よみがえ)って、秘かに心の準備をしようと、心懸けたそうだ。
芹沢光治良 死の扉の前で 199頁途中から
「いいや、真柱は最初会った時に、井出くにのことを話さないという誓いをさせられたからね」
「そうでしたね。先生、その井出くにって人は、一体どういう人ですか」
「この人も、その余波の一つだろうが、この人を識ったおかげで、僕は聖書を通じてキリストを理解できたが、また、天理教の教祖をすなおに理解できたし、『教祖様』を書く自信を持ったのだね……」
「それなのに、どうして真柱様は話すなと約束させたのでしょう」
「僕にも解らなかったのです。処が、『教祖様』の資料を調べているうちに、天理教の歴史に目を向けて、偶然手にはいった天理教関係の参考年表に-大正五年一月教祖三十年祭執行とあって、同八月、播州井出くにむほんと、あるのを発見して、目を見開きましたよ。このために、真柱はああ言ったのだなと、合点したが………その三十年祭前後に、天啓事件を起した水屋敷事件の茨木基敬や天理本道の大西愛次郎は、元来天理教の信者であるばかりでなく、教会長で重要な人物ですから、謀反人(むほんにん)の極印を押されるべきだが、天理教の信者でないこの婦人のむほんは、何か重大な意味がありそうで、教祖の三十年祭前後の天理教の歴史を、あれこれさぐったものです……君は天理教の歴史を勉強していませんか」
「いいえ…・・・不勉強で・・・・・・」
「三十年祭前後の四、五年間の天理教の歴史は、奇怪で変化に富んで、何か重大なことがあったようだが……君のような有能な人には、信仰上研究の価値あることだと思うがね」
「全然知りませんでしたが-」と、賀川氏はますます膝をのり出すので、忙しいのに、私も話の進行上やむなく話さざるを得なかった-
三十年祭の二、三年前に早稲田大学の漢学者の教授で広池千九郎博士が入信すると、天理教では大袈裟(おおげさ)に本部に迎えて、天理中学校長にして、熱心に布教宣伝にあたらせたが、三十年祭が終ると、博士はいつのまにか天理教を去ったが、その理由も期日もとどめていない。三十年祭の二年前(大正三年)には、教祖殿も本部神殿も落成して、信者は勇んだと話しているが、その年の十二月三十一日に、初代真柱が四十九歳の若さで死去したね。翌四年に十一歳の嗣子正喜が真柱に襲職したが、その後見入として本部で最重要な大黒柱である松村吉太郎が私文書偽造容疑で奈良監獄に、翌年まで収容された。その私文書偽造容疑が、どういうことか明瞭でないんだ。大正五年の一月に教祖の三十年祭が執行されて、八月「播州の井出くにむほん」とあるが、その前年四月一日、当時お地場で最も求道的な知識人だと評された大平良平が、「新宗教」という個人雑誌を創刊して、若い天理教人を勇気づけたものの、三十年祭が終って、井出くにのむほんとある月、八月に、十九号で廃刊した。この年本部員の増野正兵衛の息子、道興が弱年二十六歳で、異例にも本部員に抜擢(ばってき)されて、道友社の編集主任になり、天理教の機関誌「みちのとも」に、はじめて青年信徒の魂を奮起させる随想を多く発表して、自らそれを実践するために大教会長となって信仰活動を始めたが、間もなく死亡した-こうしたことを話してから、私は加えた。
「……それで僕は、その大平良平の『新宗教』という個人雑誌を探すのに苦労したものだよ。アルバイト学生の努力と多くの費用をかけて、ようやく創刊号と五、六号と最終号を手にいれたが
……それに目を通して、この人が天理教の教会組織に批判的で、三十年祭には神がおもてに現れると言い伝えられたことを、文字通り信じていた真摯(しんし)な信仰者だと、分ったけれど……最終号の廃刊の辞ともいうべき文章に、神がおもてに現れた現在、『新宗教』のような雑誌の存在理由は喪失したと、いうような言葉が目に飛びこんだ瞬間、僕は、それが、井出くにむほんの月であることを思いあわせて、目から鱗(うろこ)がおちた思いがしてね……何か起きたにちがいない-と」
「あの、三十年祭に神がおもでに現れるという言い伝えって、何のことですか」
「君のように若い人は聞かないかも知れんが、僕は少年の頃、よく聞いたものだよ。僕の父は明治二十二、三年頃の入信だが……家中皆それを信じていたね……尤も僕は三十年祭の頃には、自意識のはっきりした旧制一高生で、信仰などすてた後だし、生れた家へも帰らなかったから、天理教にどんなことが起きたか、何も知らなかったが……あの播州の井出くにが生きていたらば、むほんの顛末(てんまつ)について訊きたいと、切実に思ったものです」
「亡くなったんですが、その井出くにって、人-」
「敗戦の翌年、八十五歳で病死した。僕はその後、『教祖様』の取材で大和へ出向いた帰途、播州のその人の家へ寄ってみたんだ。その家に、親様の長女のおまささんの孫で、福井勘治郎という人が、ずっと同居していると噂を聞いたから、今も健在ならば、何か聞けるだろうと、思ったからだが……ところが、その家は 〝朝日神社″になっていて、耳の遠い老人の福井氏が神社の神主役をしていて、僕の質問に、-あんた、そんなことを知らなかったですかと、大きながら声で、だてつづけに一時間以上も話すのを、僕は仰天して聴き惚れてしまってね。無骨な人で、話も下手でしたが、その話の内容がとてつもなくて面白くもあり、吃驚しながら……」
「どんな話でしたか、先生、是非聞かせてください」
「うん」と答えたものの、どう話すか迷ったが、
「その福井勘治郎氏は三十年祭までは、天理教本部の家付きの人間で、本部で青年勤めをしていたそうだが、本部の神殿が落成する二年前ぐらいから、信者の間に灯が消えたように信仰が燃えないので、本部でも心ある青年は何か危機感を抱くようになったと言うのです。それも、氏の考えによると、明治二十年に教祖の死後、孫の真之亮が初代真柱になり、飯降伊蔵が本席として神の啓示を『おさしづ』で伝えることで、天理教の信仰の火が日本中に盛んにひろまったけれど、明治四十年に本席が亡くなってからは、教祖の血統による真柱と神中心の本席と、二本の柱で支えて来た天理教本部は、信仰中心の柱の方を失ったわけですね。血統による真柱は、それまで信者の心が自然に本席に傾くのを、無念に思っていたが、本席の死によって、信仰が真柱たる自分を中心に一本化するものと、期待したというのです。こんなことは、君は十分知つていたね……上田ナライトさんの事件の後、本部では、真柱中心にすんなり信仰の灯を輝くようにはかったのだが、突然その若い真柱が三十年祭直前に亡くなったし、ナライトさんは狂人だと噂が流れて、福井氏のような青年達は、天理教の危機感に戦(おのの)いていたそうだ。その危機感のなかで、親神の約束どおり、三十年祭に神がおもてに現れるという希望が、若い人々の胸に蘇(よみがえ)って、秘かに心の準備をしようと、心懸けたそうだ。大平良平の『新宗教』も、増野道興の感動的活動もその準備の一つだそうだ……」
「それで、三十年祭に、ほんとうに神が現れたと、言うのですが」
「それが……三十年祭は一月二十六日に行われて、いつ神が現れるか、若い人々は期待と不安をもって毎日待望したそうだ。その頃福井家は、晩年の親様のすすめに従って、本部の鼻先で開業した福井屋という宿屋を、母親と細君が細々と営業しながら、福井氏は毎日本部に青年勤めをしていたが、八月のむし暑い夜、十二時近く奉仕から戻ると、奥の客室から、低い女の声で、『みかぐらうた』が聞えていたそうだ。その日午前中に着いた女客だと聞いて、不審にも思わなかったが、翌朝五時前に目をさますと、同じ歌声が微かに聞えていた。主(あるじ)が起きたら会いたいと言っているという細君の言葉で、座敷に出向いて挨拶すると、豊かな容姿の中年の田舎の婦人が端坐していて-福井はん、ご苦労さんやなあ……親様にたのまれて、きのう教祖殿に坐りましたぜ。
親様のお言葉にまちがいない証拠を見せるためになあ………あそこに坐ったら、世界もお道も助かるように、神様のおさしずが刻々あるのやで………それがなあ、本部の人々が来なはって、引きずり出しましてなあ、袖は千切れて、えらいめにあいました。これから三昧田へ戻りたいが、お母さんはいなはるか……と優しく言うので、福井氏は退(さが)って、改めて洗顔したそうです。前日教祖殿に狂人が頑張っていて困ったという噂を聞いたことを思い出して、再び婦人の部屋をのぞくと……母親が婦人と旧知のように親しく話していて、しかも涙をこぼしでいるし、話の内容は、おまさ祖母(おばあ)さんのことや、四、五十年も前のことばかりで、驚いたことに、婦人は変貌して、話に聞く教祖になっていたと、言うのです。それからが大変で、母親はその婦人を教祖である祖母扱いをして、三昧田の教祖の生家である前川家へ歩いてお伴したが、暑い田圃路を下駄ばきで速いこと、福井氏も母親もついて行くのに息を切らせたそうで……前川家では、また、教祖が戻ったようで、誰も疑わなかったし、近所の老人達まで集って来て、昔語りをはじめた……と、福井氏は話したが………
「そうした有様を、とにかく福井氏はじっと観察しつづけて、三十年祭に現れると待望した神は、この人ではなかろうか、一体この人はどういうお方かと、婦人のあとをつけるようにして、播州の三木町へ来てしまったと言うのです。噂は本部にも伝わって、大平良平はじめ熱心な若者が集って来たが、婦人は問われるままに、誰にも、親神や教祖の思召(おぼしめ)しを納得の行くまで話して、神の力を示しては、すぐ本部に戻るようにすすめたけれど、福井氏は頑として本部へ帰ることをせずに、四十年以上たってしまったそうですよ」
「先生、井出くにのむほんと、本部で言うのは、その人が教祖殿に坐ったということでしょうか」と、賀川氏が吐息した。
「坐っただけなら狂人扱いして、済ませて、むほんなんて大袈裟に年表に書かないだろうが、教祖殿でお助けでもしたのではなかろうか。その上、教祖の重要な親族の福井氏が新しい神が出現したといって出向いたし、多くの信者が播州へ行って、天理教には大きな衝撃だったろうね。そのへんのことは何も僕は知らないが-」
その時、家内が夕食の支度ができたからと、合図した。そんな時刻になったことも、私達は気がつかなかった。
教団の本部員の人はどうも女が好きなようで、愛人、セフレ の噂が絶えません。大教会長兼本部員が部内教会長に手をつけている等等噂がどんどん舞い込んでおります。教団も疲弊してきているので崩壊してからではろくに慰謝料ももらえないので愛人をされている人方々はドンドン民事裁判をして慰謝料や手切れ金を貰いましょう。手切れ金をケチったらドンドン暴露しましょう。弁護士を雇う際は、教団に無関係の弁護士を雇いましょう。
教義問題、金銭問題そして女性問題今まで聞きなれない暴露が飛び交ってきたらその組織はもう崩壊間際です。その当事者の側近、知人、家族や愛人まで人間関係に終止符を打ち始めたようです。金と女と権力と汚職にまみれた天理教はもう宗教とは呼べません。
教団も、トップを選挙で変えられたら、良いですね? しかし本来、任意で参加する私的集団ですから、自分から教団を拒否すると言う選択肢を取るしか無いですよね。<<
トップを選挙で決めるのは大賛成です。傲慢な善亮率いるこの教団に人を救う力は無い。
息子が知り合いのつてで近所の某他教団の教会に参拝してきたと言い、「心が洗われた。お母さんも一度行って天理教の悩み事を相談したらいい。教会はこうあるべきだと思う。行って良かった。また行こう!」との事。
間違っても「命はお金で繋いで頂くもの」、なんてはしたない事は言わないそうだ。天理教でも良く聞くが「ご守護は心次第」とそこの会長さんが仰っておられたそうだ。ご守護に関するお金の話は皆無らしい。天理教の教会に生まれた我が子が他教団に行って心救われて返って来る。この事は私にとって深く考えさせられることでした。
天理教は縦の伝道と言うが、内容が矛盾だらけで人を魅了する力がないのだからこの体たらくなんだと思う。真面目に人生を見つめる教会子弟はどんどん他所を求めるようになると思う。
その教団のトップは選挙で決めるらしい。羨ましい。いいなあ。
独裁と民主主義の違いが同じ宗教でも人の幸不幸を決める。人間に真向かう姿勢の在り方の違いだと思う。
匿名
2020年2月10日 3:42 PM
天理教も例外でなく教団トップは選挙で決まります。しかし中山家と血族で本部役員を抑え談合をしているのが現状です。つまり天理教は天理教でなく中山教といえる最大の理由がここにあります。なので真実の天理教を辛苦したい場合教団から離脱して天理教としてやっていくほかないのが現状です。
これが天理教の本当の真実です。天理教教会本部は名ばかりで本当は中山教或いは天理教宗派中山 なのです。
「ネットの情報は嘘だ!」と天理時報が全教に呼びかけていたのが懐かしいです。今では大教会や教区の会議に参加しても本部の方針に対する疑問、不平不満、ばかりです。善亮氏はじめ中山家への不信感をあらわにする人も多く見受けられます。反本部の人は今や多数派です。ネットの情報は嘘であったら良かったですよね。だがしかし本当だった。ネットにしか真実がかかれないこの教団はもう風前の灯なのかと思う事が多々あります。
東風Z 様
2020年2月10日 1:57 PM
>>教会の常詰(住み込み使用人みたいな者)の子として育ったものとして言いますと、会長始め奥様、親奥様と呼ばれる方から二言目には、誰に食べさせてもらっているんだ、全て信徒さんのお陰だ、と言い続けられたことです。
一理はありますが、これって小さな子供に言うことではないと思うんです。
でも、これが日常でした。人の顔色を見るゆがんだ人間に育ちました。
当時、学校の先生の家庭訪問という制度がありましたが、家庭訪問の都度、先生から私達6人の兄弟姉妹は、全員が人の顔色を見る性格が強いとの指摘を受けたと母が語っていました。
81歳になった今も人の顔色を見る癖が残っている居るんです。兄弟姉妹が集まった際にもこの話は良く出ますよ。
天理教の教会がどのような所かは、この一面を見て頂いただけでもご理解いただけると思います。<<
私も末端分教会の長男として生まれ、全く同じような経験をしながら幼少期を過ごしました。確かに、信者さんの「お供え」で食べさせてもらっていることに相違は無いのですが、おっしゃる通り、子どもに言う言葉ではありません。そういう言葉を聞きながら育てば、子どもはだんだんと卑屈になっていきます。まず信者さん達の顔色を見るようになります。そして、隣近所の人達や友達の顔色を見るようになります。「教会の子どもは、親が働かなくても生活できるからいいな」という皮肉を友達から言われ、いじめられ、何度も悔しい思いをしました。こうした経験は教会に生まれた子どもでないと理解できないと思います。私が天理教が嫌になり、天理教から去った大きな一因だと思います。自分の食い扶持ぐらいは、自分で働いて稼いでみせるという反骨精神が幼少期から培われていくのです。
天理教の場合は寄付者出資者はどう見ても信者さんなのに、事情教会の土地を返せと言う本部は明らかに筋違いの理違いですよね。お供えには信者さんの念が篭っているので本部は呪われるばかりです。罰被り本部、罰被り中山家、行きはよいよい帰りは怖いですね笑
愛人の方々は即慰謝料や手切れ金を貰ってください。
2020年2月10日 3:33 PM
異常性欲者の2代真柱の真似をしてるのでしょうかね?そのような情報が漏れるという事は、その浮気相手からかその周りの人からでしょうね。信者さんも見てるでしょうしね。
本部の先生方は、皆さん、どれだけお供えをされているのでしょうか。
よくは分かりませんが、少なくとも、本部員以上になるとあまり清貧のイメージはないです。
本部勤務の方、皆がそうであるとは言いませんが。
本来は、本部員であるほど、もっと貧に落ちきり、末端でつぶれて行く教会に移り住んで教会の再興をはかるなどの努力などはしてほしいような気もします。
巡業に行くときにはお礼などをもらうなどしているようですが、もってのほか。
むしろ手弁当で、しかも元気のない教会であれば一緒ににおいがけしましょうと街をともに歩き、食事はすべてご神饌のおさがりを原則として皆で調理し、信者さんたちとともにお道の話をゆっくりする(教会には迷惑かも。しかしそうならないような土台を作っていくべき)。教会側でも信者の動員もせず、普通通りに日常の食べ物でもてなし、教会のありのままの姿で、ありのままの信仰を見てもらいながら、本部員と一緒に話したらいい。
教祖や本席は先生になるような人の高慢を何より怖れていたように感じます。
表統領も、名称の維持も苦しい末端教会で、1か月ほどでも布教するのを所を変えながらでも数年やってみるといい。そうしないと分からないこともあるし、信者もついてこない。少なくとも、今の表統領の評判を聞く限り、天理教は危機的とも言える。現真柱に何かがあったときには、本当の危機が訪れる。昔なら、何かがあれば「神は退く」と厳しいおさとしまであった。表統領の「さんげ」がない限り、天理教は一気に理が働かなくなるのかもしれない。
ちなみに私の小学校時代の謎。
こどもおぢばがえりなどで本部に行くと、真柱邸の前を通るときには、いつも頭を下げて、通った。子ども心に不思議でならなかった。真柱って人間でしょ?何でそんなに拝むの?その疑問は今も解けない。中山家の天理教ではなく、信仰者のための天理教であってほしい。今は、信仰者はどんどんと去っている。そして幹部たちは、残念ながら、何も気づいていない。お金がない。お金が欲しい。いろいろと耳にする限り、それしかないらしい。どうでもいい話だが、大教会長にも土下座まがいのことまでしていた子供時代。私にはトラウマになっている。素晴らしい大教会長さんもおられる。そのことを知ったのは、随分とあとになってからのことだった。
教理のことを考える上で「出直し」は大きなテーマである。教祖様が残した逸話などをもとに調べていけば、人間というものは出直して、次にいつごろに生まれ変わるのかわかってくるのではないかとも考えた。それで調べた例をいくつか挙げて考えてみたい。
秀司さんの娘で18歳で出直したお秀さんだが、1870年に出直し、たまえさんが生まれたのは1877年だ。すなわち7年後に生まれ変わったことになる。このことは「おふでさき」にも3号と7号に出ている。「このたびのはらみているをうちなるわなんとおもうてまちているやら 七65」「このもとは六ねんいぜんに三月の十五日よりむかいとりたで 七67」「それからハいままで月日しっかりとだきしめていたはやくみせたい 七68」「なわたまへはやくみたいとをもうなら月日をしえるてゑをしっかり 七72」後に初代真柱と結婚することになるたまえさんはお秀さんの生まれ変わりだと教祖様はおっしゃった。
初代真柱の真之亮だが、前川の父の魂を宿しこんだと言われていて梶本家の長男亀蔵として生まれ変わるが、長男で養子にもらえないということで1860年に一度迎え取り、1866年に眞之亮として生まれ変わる。つまり6年で生まれ変わったことになる。
教祖様のご主人、善兵衛は1853年に出直し、教祖様の実家である前川家では真柱の控え柱とも言われる前川菊太郎が1866年に生まれた。菊太郎は善兵衛さんの生まれ変わりだと教祖様はおっしゃった。つまり13年後生まれ変わったということになる。
教祖様の末娘の小寒だが、教祖様の次女で夭折したおやす、四女で夭折したおつねの生まれ変りと言われている。小寒は1875年に出直して後に二代真柱のお姉さんである玉千代として1902年に生まれ変わる。つまり27年後に生まれ変わったことになる。
教祖様の長男である秀司は1881年に61歳で出直しているが、後に1887年二代真柱として生まれ変わったと言われている。つまり出直してから6年後に生まれ変わったことになる。
これ以外にも撫養大教会初代の土佐卯之助の長女お初が胎毒でできたできものが元で明治17年に幼くして出直してしまうが、卯之助夫婦が医者、薬に頼ってばかりいて、出直させてしまったことをさんげして、長女を生まれ変わらせてくださいと願っていたところ、翌明治18年に次女のたつのとして生まれ変わったと言われている。長女のお初さんには胸に二つのほくろがあったそうだが、生まれ変ったたつのさんにも同じく胸に二つのほくろがあったそうだ。卯之助さんは教祖様の教えには間違いがなかったんだと更に信心を深くしたそうだ。この例ではわずか1年で生まれ変わったことになる。
この他にも似たような逸話があり、教祖様が天保9年に神の社となられてからは魂の因縁がお見えになるようで、出直しや生まれ変りについてたくさんの話が残っている。こうしていろいろな事例を調べてみると、人間は早ければ1年くらいで生まれ変わることもあれば、しばらく神のもとに抱かれて20数年あとに生まれ変わってくるということもあるようだ。
しかし、中には人間として生まれ変わるのではなく牛やイタチなどの動物に生まれ変わってしまった話も残っているようだ。おふでさきにも「たん/\とをんかかさなりそのゆへハ きゆばとみへるみちがあるから 八 54 」という歌もあり、昔から悪いことばかりしていたら牛や馬に落ちてしまうと年配の方は聞いたこともあるのではないだろうか。しかし今の教義解釈では牛馬に落ちるのではなく、神の恩を知らずに、報恩と感謝の道に気付かずに、だんだんと恩に恩が重なったその先には、牛馬のような道が待っているので、そうなってしまうのが気の毒でならないと解釈されている。だから報恩のため、レンタル料としておつくしを持って来いという論理なのだろうか。この世の中の77億の人の内、ほとんどがお供えしていないから地球はそのうち滅亡するのだろうか。この逸話にも解釈した人の何か忖度があるように思えてならない。
更に古い文献を調べていると牛馬に落ちてしまった話も残っていた。 教祖様の夫善兵衛様は、下女「おかの」という者を妾としてかわいがっていたが、そのおかのが教祖様の食事に毒を盛って自分が善兵衛の本妻になろうとした話がある。これは教会本部の復元第三号39頁にも出ている山中彦七のお話で信憑性のある話なのかもしれない。このおかのという人のことが気になり、以前調べていたところ、古老の話がいくつか残っていた。
教祖様、晩年のこと『今日は因縁ある者が来るさかい、ご飯をたんと炊いておいておくれ』と仰せられた。ところがそれらしい人は誰も来なかった。夕方になって布留街道を西から東へ、一台の牛車が瓦を満載してやって来た。その牛車は、中南の門屋の入り口の所まで来ると、御者が引いても叩いても頑として動かず、お屋敷の中を見つめていた。お屋敷にいた人々は「変な牛やなあ」と言うて見ておられると教祖様がおいでになり、牛に向かって『よう帰ってきたなあ。かわいそうに』と仰せられ、朝炊いたご飯を持って来させ、牛に与えられた。牛は涙を流しながらそのご飯を戴くと、「モウ」と一声鳴くと、御者に連れられて東の方へ立ち去った。 教祖様は側の人に「あれが、おかのの成れの果ての姿やで。色情をつかって金をとった者の姿や」とお聞かせ下されたそうだ。傍らで聞いていた乾やすさんは教祖様に「そうでしたら世の中の女郎は、みな牛馬に堕ちるんですか」と問うと、教祖様は、『女郎というても色々あるで。自らすすんで女郎になる者もいるが「親のため、家のため」と言うて、余儀なく女郎になる人もいる。「親のため、家のため」女郎になった者は、牛馬には堕ちんで』と仰せられたそうだ。また復元第二十九号100頁にもこの話は載っていて、教祖様はその牛に向かって「お前もこれで因縁果たしをしたのや」と優しくお聞かせになったということも載っている。
出直しや生まれ変りについて調べている時に思ったのだが、人間の寿命というものは人間にはわからない。直接、神に聞くしかない。しかし、容易なことではない。茨木のように神懸ったり、信仰を究めて神の声が聞こえるくらいにまでなった人なら自分の寿命までわかるようだが、簡単にはそのレベルまでは行けるものでもない。それこそ神のみぞ知るという話になるが、少なくともはっきりと言えることは教祖様が教えられたことを守り、人間としての道を正しく通っていれば何も案じることはいらない。牛や馬に生まれ変わることもない。
人間の目から見ればどうして若くして出直すのか、あんないい人がどうしてということも多々ある。逆になんであいつが長生きするのかということもある。しかし、それは人間にはわからないもので、神の思惑があるのかとも思う。人間にはそれが見えないから、残念がったり、うらやましがったり、理不尽だと感じたりするのかもしれない。
上記のような牛馬の話は最近では説かれなくなっているようにも感じるが、過去の話として風化させようとしているのだろうか。或いは教団にとって都合の悪いものとして、昭和史にかかわる4.5がカットされた「教祖物語」のように消されていくのだろうか。時報で中城健雄氏の訃報が出ていたが、神のもとでどんな思いをされているかとも思う。
以下は、古い元教会長 @huruikyoukaityo さんが行ったアンケート結果ですが、
社会学のコメント欄の皆さんはどう思いますか?
ちなみに自分はバカバカしいに一票です。
>「子ども出来ないのは高慢(子を産まん)だから」と言う悟しを納得出来ますか?
納得できる。 7.1%
納得できない。 20.6%
バカバカしい。 72.3%
総投票数 155票 <
丹念に教理をおさめないと見えてこないですね。
もっとしっかりしないといけないですね。
天理教においては、出直し、生まれ変わり、と言う概念といくつかの逸話はありますが、基本的に神霊主義でも無いし、大霊界世界観でも、スピリチュアルでも無い。
だから、魂の事や、霊体の事、死後世界の事を論ずると、自己主観に基づく想像論になり、基本的に異端となってしまいますね。
天理教でも、神の声が聞こえるって言い出して、破門される人が、少数ですが、いらっしゃる様ですね。
しかし耳許で声がすると言う現象は、ままある事ですよ。
ちょっと、個人的な話ですが、それはただの霊聴であり、精神的波長が近い霊体と、体質によっては、声として聴こえてしまいます。
実際、うちの娘でも、おぢばの詰所でも、夜一人でいたら、(オーイ、オーイって呼びかけられ、意識を向けると、よりはっきりと、そうだよ気がついてくれた?とハッキリ聞こえだす) と言う経験があります、天理高校行ってる息子も中学生の時、同様の経験をしています、ただ、親の私が、それを一切無視して、即座に御守護神に意識を合わせ直して、気合でうるさい!って拒否する様に言ってあったので、それで済んでいます。
ちょっとそう言う体質が子供に見えた当時のお話ですが、大人でもあり得ます。
おぢばであっても、そう言う現象が起き得ます、だから、声が聞こえても、神とは限らない、神のフリをした、浮遊霊、背後霊の場合もあるし、神聖な神殿であっても、今現在、それらの存在は居る様に感じます。
天啓者になりたい! なんて思って、神の声を期待するのは、人間に関わりたい霊体に取って、格好の餌食になりますので、お気をつけください。
神的レベルの存在は、神から声で話しかけては来ません、人の正しい努力に、理性を持って考える知恵に、そっと寄り添う様に守護し導いてくれる存在ですから、感謝の祈りで、日々過ごしたら正解だと感じます。
天理教を信仰するなら、天啓者も審神者も現在は居ないので、スピリチュアルは無視して、心で親神様と教祖様の想いを模索して、親神様教祖様の導きを願って、残された教えの生き方を理性で模索して求めるのが、良いんじゃ無いかと、思います。
生まれ変わりとか、前世の因縁とか、考えても、本当の所は判らないんです。
例えば女郎の生まれ変わりが牛? それは仏教的思想でしょう、世の中広い、そう単純では無いと思いませんか?
高慢だから子を産まん? 日本語の語呂合わせ遊びに過ぎないでしょ?
(この文章は、教祖様の初期神懸かり状態を否定する部分が含まれています、だから、ある意味、親神様とはいったい何であるか? と言う事も理性を持って模索した方がいいかもしれません。)
大霊界世界観やスピリチュアルを扱う場合でも、大事なのは、人間としての理性だったりします。
この世は肉体を持って、魂を成長させる場所である、だから、完璧を求めて努力する場所であって、完璧を得られる場所では無い。
人類が、異なる文化、宗教や思想の違いを互いに認めて、共存共栄できる社会を目指す、滅亡では無く永続的な社会を目指す場所だと思います。
しかし、太陽の動きによる氷河期、破滅的火山活動、巨大隕石の衝突などによる、地球生物の交代も起きますし
生命はたかだか100年足らず、だから今だって、政治は戦後生まれの戦争を知らない日本会議みたいな戦争カルト団体参加者が、多勢を占めてしまう。
戦争を知らなくても、その悲惨さを伝えられると言う手段が与えられてるのに、欲が勝って、また戦争するし、遠くの国の戦争は他人事になり、気にならない。
それが地球でしょう。
ここは、理想を求めて努力し、目指す場所であって、理想を達成できる場所では無いって思います。人類を作った、神が居るとしたら、ここは人として、努力し続ける事が、求められてる場所であろう?って、思いませんか?
ここで大霊界世界観に戻すと、努力した魂は、神を求めて上の世界に向かい、努力し無かった魂は、地獄で肉体を持たずに修行させられる。(あるいはまた別の場所で生まれてやり直しさせられるかもね?)と言う事になります。
どんな宗教に参加していても、スピリチュアルであっても、この世はなぜ存在するのだ? と言う普遍的な事を模索して、もし絶対神が居るとしたら、何が私達に求められているのだろうか? とか、人の基本とか、常に冷静に理性で考えていたら、教団に振り回される事も無いかな? などと思います。
冷静に模索したら、命のレンタルにお金、守護にお金、ハイハイ言わないから肺が病気になるとか、まったくもって、ナンセンス・・だと思いますよね。
連投失礼いたします。
教会が実家では、ナンセンスだと思っても、変えられない・・
でも、神様って言うのは、理不尽だと思って、黙って耐えていても、ご褒美をくれるとは限りません。
なぜなら、地球は行動する場所だからです、願っていても、願うだけでは変わらないでしょう。
願って行動しないと変わらない、もし神の御加護があるとしたら、正しい行動があるなら、その行動を加護して下さる、正しい願いなら、そこに神の知恵を下さる、そう言う物では無いでしょうか?
教団がダメだと感じる、嫌になる、ならば、教団を変える方向に進むか? 教団が変えられないなら、自分が変わる、つまり教会ごと離脱する、教会から離れる、とかの選択肢になるでしょうね。
あるいは、親神様を深く信仰して、教団行事はサボタージュするとかです。
政治は選挙で変える、希望が無いなら自分で立候補するとかしないと、変わらない。
世界もまた、祈っていても変わらないし、天理教を世界に広げるのが社会正義だと信じるなら、それを実行するしかありませんが、その正しい天理教、普遍的な教え、とかをまずしっかりと、自分の物にして、正しい行動の指針にする必要がありますね。
どの選択にしろ、現状を変えるためには、頑張って行動するしかないですね。
ここで切ります、どうもありがとうございました。
大して意味の無い事しか言えない善亮さん。
ツイッターより以下。
>>中田善亮表統領の神殿講話、「みこーとー」という呼称は間違いである、というのが、教団幹部としての公式見解であるなら、それはそれで良いだろう。
しかしそれなら、修養科や教校、その他の管内学校の指導者にもそれを徹底させるべきではないか。
結局、指導者の認識が一致していないからバラつく。<>同じことはみかぐらうたの歌い方などにも言える。
第二節「ぢいと」のリズムや、第三節「かんろだい」の節回しなど、一体いつになったら本気で統一する気なのか。
細かいことだが、そういったことから統率が取れていないことも一つの問題ではないか。
中途半端に神殿講話に残されると逆に厄介である。<>「その先生が正しいと思うならそうすればいい。素直に聞けんのなら習わなくてけっこう」と言われました。
同じ大教会の中でも全く統一されていませんし、なんなら会活動でおつとめまなびがあったら「自分と違うと思っても、1番上の人に合わせてください」とだけ言われました。<>そんな言い方では、信者に不満を持たせたり惑わせたりするだけだということが、何故分からないのでしょうね。これだけ長い歴史と大きな教団の規模があるのに、一番重要なおつとめに公式な見解が無いというのが不思議でなりません。<<
頭の悪い善亮ではミコトとミーコートー位しか指摘出来ないか。
私も教会の現場で困惑しています。私自身、疑問があっても上級の言う事と他系統の言う事では回答が違うので、信者さんに問われた時に「正解は分からない」としか答えられないです。信者さんから「え?会長なのに分からない?」と不信感を持って見られている状況です。
みかぐら歌も人によっては節回しも音程の取り方も違う。統一しないと、年々歳々別物になって行くのでは?
記憶が曖昧なのですが 昭和前半?の永尾?と言う本部のご婦人が歌う音源を聴いたが、現在のお歌とは別物に聴こえました。今のお歌のメロディーは歳月と共に変化してきたはずなので、この昭和初期?の歌い方の方が正解に近いのだと思う。
一事が万事、 統一見解を示さず「上級の言うことに兎に角合わせろ」の現状では現場は混乱してしまう気がします。統一見解も出せない本部の怠慢、何考えているんだろう。
ただ、神の望む姿は形式ではなく、形式が信仰ではないと言うのが神の真実だと思います。信仰の要は手の振り方だの角度だのと言った形式ではなく、本質的には信仰とは精神の在り方。精神とその生き方を問うものだと思います。
手が高かろうが低かろうが、右足左足の順番間違えようがどうでも良い。それぞれが陽気に楽しんで踊る姿こそ親神が望む最上の姿だと思う。
>>ただ、神の望む姿は形式ではなく、形式が信仰ではないと言うのが神の真実だと思います。信仰の要は手の振り方だの角度だのと言った形式ではなく、本質的には信仰とは精神の在り方。精神とその生き方を問うものだと思います。
手が高かろうが低かろうが、右足左足の順番間違えようがどうでも良い。それぞれが陽気に楽しんで踊る姿こそ親神が望む最上の姿だと思う。<<
おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。
崩壊 様
>おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。<
>宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。<
本当に仰る通りです。祭儀式でも、中足から座れとか、立つときは下足から立てとか、下がる時は中周りでとか、拍子木の重ね打ちを会長に咎められたりとか、お許しの時の服装は、羽織袴又はおつとめ着に白鼻緒の下駄ばきとか数え上げればきりが無いほどの窮屈さです。
教組が居らる時代はどうだったのか。以前にも書きましたが、教祖の葬儀の参列者の服装は、綿入れの厚着を着て写ってますよ。誰一人として喪服なんか着ていません。
今時の若い人に言わせれば、言葉は悪いですが、バカバカしすぎて付き合い切れないでしょうね。
天理教を離れて、貧しいながらも、ゆったりとした気分で過ごせる今が幸せなのかもしれません。
いろいろな宗教の作法について、ちょっと思った事ですけど、書かせてください。
宗教の目的と言うのは、いろいろあるでしょう。
前にも書きましたが、宗教とはある意味、その理性を麻痺させる装置としても機能します。
架空や概念上の神を祭り上げて、知性と理性を曲げさせる事も、宗教はやります。
自分達以外は邪教であり、殺しても構わない、邪教に捉われた人達を殺すのは、魂を邪神から解放させるので、功徳になる、だからためらわずに、邪教信者は殺せ!
などと言う狂信的な考えも、肯定してしまいます。 宗教は麻薬でもある。
実際、中東、アフリカではそれに近いことが行われてしまってる。 少数宗教を迫害し、殺すことも躊躇わない悪魔、魔神の行いを、聖戦として正当化する。
聖戦で、殉死すると、神に救われると信じて、特攻させるのは、麻薬ですよ。
地球は、一つの宗教や思想で統一できる様な場所では無いし、人の命は高々100年足らず、だからせっかく得られた平和も世代交代すると失わせる人が現れる。
この地球、地上に永遠のものは存在しないのだ、常に理想を求めて行動し続ける事が必要なんだって、理性的に理解できたら、良いんですけども。
異なる文化、思想、ジェンダー、地球上で、いろんな人々が、互いに認め合い共存共栄できる社会の仕組みと言うのは、私個人は、神によってなされる、神が統治するのでは無く、神を求めて、祈る、その想いに神が知恵として授けて下さると信じています。 正しき神は、愛だと感じています。
神の愛を持って理性で考える事は、自分の心を、宗教から自由にするためにも必要だと思います。
天理教でも、祈り、お手振りしながら、親神様の愛、教祖様の愛を模索して、理性を持って、教祖様の残した教えを心に収める様にして行ったら、本来の教祖様の想いに通じる気もしますし、成人とはそう言う物では無いだろうか? と思います。
大事なのは、神の心、愛を模索することじゃあないかなあ・・と個人的な意見です。
ちょっとぶっ飛びましたけども、書かせてもらって、ありがとうございます。
>おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。<
>宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。<
そもそも、歌って踊るこの天理教の祈りはどこから発生したのかと思っていました。
知人が言うには、教祖は浄土教の熱心な信者であった。当時は神仏混合の時代だった。その故に、教祖中山みきは神道の伊勢神宮へ「お伊勢参り」と言って度々出掛けて行ったそうだ。伊勢神宮に至る長い道中を当時人々は「念仏踊り」をしながら歌って踊って歩いていったそうだ。教祖が始めた歌って踊る様式は念仏踊りが発祥だとの事。
どなたか歌って踊る念仏踊りと天理教のどんちゃん踊りの関係を知っていられる方がおられましたら宜しくお願い致します。
念仏踊りでは太鼓や鐘やほら貝などでドンチャン踊って歌って念仏唱えながら歩く念仏です。浄土宗に熱心だった教祖がお伊勢参りで影響されたのもあながち嘘ではなく、当たっていると思います。
宗教に限らず、テレビで葬儀のアドバイザーが放映している葬儀参列の服装一つとっても、革製品、特にバッグはダメだとか、男子の礼装はセンターベントやサイドベンツはいけないとか。それじゃー革靴もダメ、ベルトも革製はダメ、革製の財布もダメとなってしまうでしょう。勿論、腕時計の革製バンドもダメでしょう。
若い頃の葬儀参列は服装はまちまちで、単に腕に喪章をつけていました。葬儀に参列できない場合は、職場の帰りにそのままの服装に喪章をつけて行きました。
前会長の十年祭の折も、もう十年だからとグレーのスーツにダークグレーのネクタイで行ったところ、他の方は全員が黒のダブル礼服に黒のネクタイの喪服姿でビックリしたことがありました。
何よりも弔う気持ちが大切なのに、なんだか、だんだんと住みづらくなってきましたね。
中身が無いんです、中身を見ないから、形にこだわるんです。
巨大宗教も、神がいないから、形にこだわる事で権威を付けているに過ぎない。
巨大な神殿、重厚な神殿は、見る人を威圧し、強い影響を与えるために作られている。
建国記念 の 日 一応、のがついています。
主役の神武天皇陵は、明治初期に作られた、後から演出された天皇の陵墓
あえて古い木を植生して、神々しさを演出していますが、中身はただの小さな塚だった
だけど、あそこを訪れた人は、神々しさに騙される。
形として、神々しさの演出は、宗教の騙しであり、人は気分で気持ちも変わる。
感動する様な神秘的な体験は、確かに心が洗われ、気持ちのリフレッシュにはなると思います。
だけど、それ以上のものではないと割り切った方が良いでしょう。
もう一つ、霊聴現象も、人間を騙すために、霊が嘘をつく事もあります。 憑依霊は元人間が多く人間の心を読み取り、騙してきます。 我は天地をつかさどる大神なり〜 我はそなたの守護神なり〜と耳元でささやき、心の中に、光を見せて、騙して憑依します。 霊界で向上できない霊にとって、人間の精神に取り付くのは、逃げられ、心地よいからです。 感覚を騙して幸福感を持たせる事もあり得ます。
我は天地創造の神なり! 本当の神レベルの神霊は、大きい事は言わない。 個人をしっかり、導き守護して、正統な修行をさせる、何でもかんでも助けない、正統な努力を要求する。
見た目と、雰囲気と、権威に惑わされず、真実を見抜く、理性と知性を鍛える必要があります。
神の存在は愛そのものである、愛なきものは、偽物である・・愛の中にも厳しさがある、厳しさの中に、優しさがある。 それは、理性で見極められます。
個人的な意見です、スルーして下さい。
匿名
2020年2月13日 11:18 AM
>>そもそも、歌って踊るこの天理教の祈りはどこから発生したのかと思っていました。
知人が言うには、教祖は浄土教の熱心な信者であった。当時は神仏混合の時代だった。その故に、教祖中山みきは神道の伊勢神宮へ「お伊勢参り」と言って度々出掛けて行ったそうだ。伊勢神宮に至る長い道中を当時人々は「念仏踊り」をしながら歌って踊って歩いていったそうだ。教祖が始めた歌って踊る様式は念仏踊りが発祥だとの事。<<
大変、興味深い話ですね。幕末に大流行した「ええじゃないか踊り」の時期とも一致します。天理から伊勢までは、桜井、長谷、榛原を経由する伊勢街道を歩けば、そんなに遠距離ではありません。中山みきさんが「ええじゃないか踊り」を踊りながら伊勢神宮に度々参拝している姿を想像し、思わず吹き出しそうになりましたが、無きにしも非ずかもしれません。お伊勢参りのみやげは「赤福もち」だったのでしょうか?(笑)
今後は、教団と中山教は消え、天理教の教えだけ残ることになるでしょうね。
中山家は「天理教は中山教では無い」とおっしゃりたいでしょうが「金のつなぎは命のつなぎ」「代々血によって」と虚言と血筋頼りなのが実力や魅力の無さをなおのこと際立たせだたせています。組織と言う集団が何故形成されるかと言うと、参加者全員に参加する利益があるからです。現在の教団と中山教には全員でなく中山家とその血族にしか利益が無い事を教団全体が気が付いてしまった事が発端でしょう。「人助け」と言いながら信者を騙し、借金棒引きの為には大教会の競売もいとわないというその傍若無人な様には教団全体が中山家に呆れたようです。皆さんから中山家は「触れず触らず相手されず」このまま衰退して行くので皆さんの都合のよい機会に「離脱、独立、脱会、そして中山家被害者の会など」を発足すると良いでしょう。
「金のつなぎは命のつなぎ」と言う文言をいまだ是正せずの事態を鑑みると、天理教と中山家は別物だと見る事が打倒だと思います。 中山家が教団に居残ろうが出て行こうが、被害者の会の名称は天理教でなく中山家被害者の会とするべきでしょうね。
偽教を説いて信者を騙そうとしたその罪は宗教上大罪でしかない。その報いと責任は中山家自身が末代までおうことに成ったのでしょう。
父親 様
2020年2月13日 6:45 PM
>>巨大な神殿、重厚な神殿は、見る人を威圧し、強い影響を与えるために作られている。
建国記念 の 日 一応、のがついています。
主役の神武天皇陵は、明治初期に作られた、後から演出された天皇の陵墓
あえて古い木を植生して、神々しさを演出していますが、中身はただの小さな塚だった
だけど、あそこを訪れた人は、神々しさに騙される。
形として、神々しさの演出は、宗教の騙しであり、人は気分で気持ちも変わる。
感動する様な神秘的な体験は、確かに心が洗われ、気持ちのリフレッシュにはなると思います。<<
現在の橿原神宮は、建国神話を基に明治政府が国策で造った神社です。橿原神宮が造営される以前、当該地に洞部落(ほらぶらく)という被差別部落がありましたが、明治政府は、強制的に部落を他所へ移転させました。見た目には境内地も広く神殿も立派です。神武天皇陵も隣にあり、荘厳な趣きを感じる人も多いと思いますが、橿原神宮が造営された経緯を知れば、お世辞にも立派な神社だとは思えません。
現在の天理教の歌って踊る様式のルーツについて。
仏教徒でありながら伊勢神宮に熱心に参拝していた教祖にとって世直し踊りのええじゃないか踊り、念仏踊りが日常的に目に入っていたと思う。
教祖率いる中山家に連なる人達が 大和神社前で太鼓や笛や鐘を打ち鳴らして祈祷の邪魔をしたとして捕らえられた件を教祖伝で見聞きするが、腰に太鼓を携え、鐘を打ち鳴らす様は、太鼓や鐘を打ち鳴らして踊る念仏踊り、ええじゃないか踊り同様の様子を想像します。天理教が神仏ミックスで現在の様に訳の判らない様式になっているのは浄土宗と神道伊勢神宮の影響下で出来上がったのかと言う気もしています。
捕らえられた時の歩きながらの「どんちゃん踊り」は確かに当時の念仏踊りに似た様子だったと思います。
当時、世の中では様式などそこまで細かく規制されていなくて陽気に踊る事が世直しの祈りのパーフォーマンスであったはずで、今の天理教が組織の権威付けでやっているのか、厳しい儀式の様式や作法など本来はあまり意味が無いのでは?と思っています。
現在の天理教の踊って歌う様式は教祖がこの念仏踊り、ええじゃないか踊りにヒントを得て自分なりに独自様式を整えたのかなあと、、思ったりしています。
私はみんなが 陽気に踊り歌う事が江戸時代の世直しの祈りであり、儀式、作法などにあまり意味を感じていない一人です。大して意味の無い、枝葉末節だと思っています。
右が天、左が地のお供えですが、伊勢神道では中心が神と考えるので
中心から左がわは右が天、左が地 中心から右は右が地、左が天となります。
また、年祭の意味ですが、ほとんど用語は神道の用語で3年千日とか年祭だから仕切って伏せこめなぞという意味合いはなくおやさまが言った言葉でもなく都合のよい金集めに使われたと思います。
年祭時だけ特別神様が働くわけではなく どんなときも どんなばしょでもいつでも真実にのって働くのが神様、おやさまだと思います!
年祭の伏せ込み、旬に種を蒔かねば、、等々教祖が言ったのでは無く、今の善亮レベルの欲ばり者が考えたのでしょう。
年祭が旬、と言う意味がさっぱりわかりません。年祭と言うピンポイントで神が働くはずは無く、3年先と言って特別の人参を鼻先にぶら下げ3年間お供えに励まさせる都合の良い集金方法です。
どんな時もたゆまず神は守護をし続ける存在で、愛そのものだと教団本部なぜ悩める信者に安心を与えないのか?
教祖は、次の様に仰っておられます。
「おや(親神)の思案と言うものは、わが子(人間)をたすけることばかり思っている。」
「神さんの信心はな、神さん(可愛いわが子)を産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで。」
我々子供も神さんだと言っています。そして、おや(親神)を信じ大安心してついて行く姿勢さえあればよいと。人間の上下意識、徳の有り無し等の差別意識は教祖の言葉にはありません。
現教団の言う事、やっている事の中に多大な矛盾があります。やはり教団運営者に神をないがしろにした欲が絡んでいるからに他ならないからでしょう。
貸しもの借りもの教理を「命の借代を奉じなさい。命はお金で繋がるんやで。」などと言う脅し文句を上手に使い分ける現教団は恐ろしや、と言う以外にないでしょう。
神を棄てた欲張りの言葉に惑わされず、「教祖の心」に今一度我々信仰者は回帰すべきです。
匿名 様
2020年2月14日 1:47 PM
>>現在の天理教の歌って踊る様式のルーツについて。
仏教徒でありながら伊勢神宮に熱心に参拝していた教祖にとって世直し踊りのええじゃないか踊り、念仏踊りが日常的に目に入っていたと思う。
教祖率いる中山家に連なる人達が 大和神社前で太鼓や笛や鐘を打ち鳴らして祈祷の邪魔をしたとして捕らえられた件を教祖伝で見聞きするが、腰に太鼓を携え、鐘を打ち鳴らす様は、太鼓や鐘を打ち鳴らして踊る念仏踊り、ええじゃないか踊り同様の様子を想像します。天理教が神仏ミックスで現在の様に訳の判らない様式になっているのは浄土宗と神道伊勢神宮の影響下で出来上がったのかと言う気もしています。
捕らえられた時の歩きながらの「どんちゃん踊り」は確かに当時の念仏踊りに似た様子だったと思います。
当時、世の中では様式などそこまで細かく規制されていなくて陽気に踊る事が世直しの祈りのパーフォーマンスであったはずで、今の天理教が組織の権威付けでやっているのか、厳しい儀式の様式や作法など本来はあまり意味が無いのでは?と思っています。<<
約250年(四半世紀)余り続いた江戸幕府が崩壊し、明治維新を迎えようとしていた日本国の近代国家黎明期において、勝海舟と西郷隆盛の決死の直談判により、江戸城は無血開城され、江戸庶民にさしたる犠牲者を出すことも無く、日本国は近代国家へと歩み出しました。世界史的にも類を見ないクーデター(革命)が成し遂げられた時です。おそらく、日本国の庶民は、将来に対する不安と恐怖に恐れおののいていたはずです。
そんな時期にあって、天理教という新興宗教は、おそらく「人心の癒やし」となったのでしょう。明治維新から150年以上経過し、日本の国のみならず、世界全体が新たな脅威に晒されています。例えば、地球規模の環境問題や未知の感染症問題ですが、未だに具体的な解決の糸口さえ見いだされず、世界中の人達が困惑し、難儀しているのが現状です。そうした状況下にあって、「我が家一族郎党の救済」しか追求しない(天理教=中山教)の存在意義はどこにあるのでしょう? はっきり言って、天理教など存在しないほうが、世のため、人のためになると思います。
↑
上記投稿文中訂正がありましたので訂正いたします。
約250年(四半世紀)余り続いた江戸幕府 (誤) → 約250年余り続いた江戸幕府 (正)
天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良いことになっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になり、それが今の天理教の基本ですよって言われた。
お供えを出して祈るって言うのは、どんな気持ちなんだろう?
お供えを置いて、親神様、どうかご守護をお願いしますって、願ったら、まさに、守護の依頼で、お金を神様に払ってるみたいになってしまうよね。
祈りとはなんだって言うのに、極論ですけど、私が良く想うのは、もし病気で我が子の命があとわずかの状態になってしまったら、親なら、もう心の奥から、命を投げ出しても、神様!どうか、私の命を差し上げますから、この子の命をお助け下さいって、お願いしますよね、それが心からの祈りだと思います。 教祖様の逸話にもありますよね、ただ、引き換えるのが我が子の命だったので、私あんまりこのお話は好きじゃ無い。
親神様、今月は30000円お支払いしますので、どうか家族全員無事で過ごせます様に、30000円は、私にとっては大金です!から・・・って言うのかな?
自分の命と引き換えにって言うのは、それだけ本気であり、心の底からの祈りと言う事であって、本気度の問題だと思います。
そうなると生きるか死ぬか、毎月ギリギリまでお供えしたら本気なの? そのくらい自分を追い込みなさいって言う脅迫でしょうか?
もう祈りと言うよう、それは願掛けですけどね。
神に祈る事って、どう言う事なのか? お供えをするってどう言う事なのか、冷静に理性を持って、良く考えると、いろいろ思い浮かんで来ますね。
親の因縁か子の因縁か、そんな事はいいから、とにかく助けて下さいーって一心に神にすがるのも、祈り。
いろいろ思いが巡ります・・・・
井伊直弼の居城彦根城がある滋賀県彦根市の次年度の予算は483億円と知りました。
翻って、約30年余前の教祖100年祭前年の天理教本部の予算は540億円だったとか。今の価値に直せば如何ほどでしょう。
このおカネのために教会長さんの自殺を始め強盗事件と悲惨極まりない事柄があった。
にもかかわらず、相変わらずおカネに執着する天理教。何の反省の態度も示さない、このような宗教にどれほどの魅力があるのだろう。
数え上げればきりが無いほどのボロが出てくる教団なのに、まだまだ、この事実を知らない信者さんたちが大勢居られる。高齢の信者さんの中には、天理教がそのようなことをするはずがないと思い込んでいる方が居られるという事実に悲しくなります。
>>お供えを出して祈るって言うのは、どんな気持ちなんだろう?
お供えを置いて、親神様、どうかご守護をお願いしますって、願ったら、まさに、守護の依頼で、お金を神様に払ってるみたいになってしまうよね。<<
親の子に対する愛情は無償です。天理教の神様は「親神様」と呼ばれています。親が子どもを守護する為に、そもそも「お金」が必要でしょうか? 「お金」は必要ないはずです。「お金」と引き替えに「守護」を求めること自体、神に対するこの上も無い冒涜です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」という言葉自体が、神を冒涜していることになるのです。
東風Z 様
2020年2月15日 9:31 AM
>>数え上げればきりが無いほどのボロが出てくる教団なのに、まだまだ、この事実を知らない信者さんたちが大勢居られる。高齢の信者さんの中には、天理教がそのようなことをするはずがないと思い込んでいる方が居られるという事実に悲しくなります。<<
本当に数え上げればきりが無いほどボロがでてくる教団なのに、大勢の天理教内外の方々はご存知ではありません。特に高齢の信者さん達は、長年ドップリと天理教の中に浸かり、「洗脳」されきっておられるので無理も無いと思います。この掲示板の役割は天理教の実態を暴き、天理教被害者を少しでも減らすためにあるという思いで投稿をさせていただいております。
徳を積むということも天理教ではなく四書五行にかかれていることでいわば儒教です
本当に数え上げればきりが無いほどボロがでてくる教団なのに、大勢の天理教内外の方々はご存知ではありません。特に高齢の信者さん達は、長年ドップリと天理教の中に浸かり、「洗脳」されきっておられる<<
宇佐大教会が競売にかけられた話、上級教会が複数の裁判にかけられていた話、今まで秘匿していた事実をこの際話し、それを知った高齢者信者さん、びっくりして声が上ずる様な驚きようでした。神様の世界で大教会が競売にかけられるようなそんな不名誉があり得るのかと、、。
我々のお金を本部が人助けには使ってない事、神様はお金を欲していない事。本部の醜聞の現実をお伝えして信仰の談じ合いをしました。だから若い人がついてくるはずがない、と言ってため息をついておられました。
信仰にお金はいりません、正しい信仰をしましょうね、と誠心誠意のお話をしている所です。
「誠一つが天の理」なんかも、孟子の言葉「至誠天に通ず」のアレンジなのでは?
教祖の踊って歌う様式のルーツが念仏踊りというのを読んで、改めて教祖と仏教の関りの深さを確信できました。明治17年の警察の記録でも教祖の宗門は浄土宗となっており、それは終生変わることは無かったものと思います。
それにしても、いまだに「天理教」と「中山教」を別物と考えている人がいるようですね。
何度でも言いますが、私たちの教祖は「天理教」なんて宗教団体を作ってなどいません。「天理教」とは、中山・梶本・山澤家を中心とする強欲な輩が、教祖に背いて始めた営利目的のネズミ講であり、教祖の言葉や歌を都合よく利用して宗教に見せかけた組織にすぎません。軍国主義の時代には天皇を神と祀って信者を支配し、戦後は教祖存命の理などと言いだして中山家の安泰を計り、教祖の教えと真逆の封建的階級制度を築き上げてきた。それが「天理教」なのだと思います。
「天理教」を始めた者たちにも高い理想があったとか、複雑な事情があって一概に善し悪しを判断できないという意見もありましたが、やはり私の幼稚な思考力では到底理解できそうにありません。私が考えるうえで最も重要なことは「誰が笑って誰が泣いたか」であり、それについては今現在すでに、ウンザリするほど十分な結果が表れていると思います。
「天理教」という教団を作った彼らに「人を助けたい」という気持ちは少しでもあったのか、教祖の教えを正しく伝えようという意志はあったのか、そして本当に「天理教」という宗教団体が無かったら、教祖の教えは今日まで残らなかったのでしょうか。
「我は元の神、実の神である」
「みきを屋敷に貰い受けたい」
「条件を受け入れれば、この世を救う。でなければ、屋敷をなきものにする。」
これって脅迫ですよね。
渋々受け入れてはみたものの、世界は救われてますか?
社会学研究所の皆さんは「意識高い系」の方々だと思うので、天理教から離れたトピックではあるが、事の重大性から鑑みて、広い心で投稿を許して下さると、お願いする。
本日現在のところ、誰も指摘しない事を指摘する。
新型コロナウイルス感染の収束に関して、気温が上がる頃としている識者ばかりが高説を垂れている。
オリンピックを開催したいがために国民の健康を守る施策がゆがめられている。
国内にしか視線が向いていないから、地球全体に視野が広がっていないから、日本が暑くなる頃にはウイルスは死滅するとばかりの、「視野狭窄」な見解を述べているのだ。
日本と気候が反対の国々が存在することは小学生でも知っている事。
オリンピックには赤道の反対側の国々からも参加するし、一年中気温が低い国からも参加する。
ウイルスは日本から消えたところで、寒い国からの訪日者の体を介して、或いは荷物や機材を介して人間と共に訪日することを認識してほしい。
オリンピックを中止すべきだ。
残念ながら私には権力が無いから、中止を実現することはできない。
できることは、気が付かないうちに感染する機会を減らすよう、注意喚起をすることだ。
皆さんの家族、友人知人が、ボランティアとしてオリンピックに関わる予定であれば、ぜひ、参加中止を説明されてはいかがだろうか。
本来であれば、感染に知見がある専門家が広い視野で、オリンピック中止を説いてくれれば世の中は動くだろう。
けれど今の日本はすべての基準が「マネー」だから、中止による経済的影響を第一に考えてしまう。
なんとも「はしたない」「品位にかける」「命をないがしろにする」日本になっているから、絶望するしかない。
せめてあなたの大事な人を守るため、不参加を決断することで、いまだ振る舞いが解明されていないウイルス感染から逃れよう。
そして、今から農業の心得がある方々は、国内自給が難しくなるかもしれない事を見越して、庭や畑で生産活動を開始してください。
庭で鶏を飼い、食料自給率をあげることもできる事の一つだろう。
食料不足は十分に考えうることだから、庶民は政府や政府の回し者(笑)の言説は聞き流し、庶民はしっかり自衛策を考えよう。
誠に仰る通りと思います。オリンピック中止、そしてこれからは自給自足出来る人が生き残って行くのだと思います。
マネーで動いている日本国。それは否定する所ではないが日本政府は自国民の健康と安全を守る事よりは目が外に向いている。対外的な体裁もあるのだろう。体裁かと思う?
毅然として中止を申し出る国民を真に守ろうとする真実が無い。こんな政府に身を託しているのが我々国民だ。
オリンピックの開催で世界中の人たちがシャッフルされ、ウイルスが想像以上に劇的に蔓延したなら、もうエンドレスの最悪の環境下に日本は置かれるだろう。元気に見える人がウイルスを撒き散らしていると言う現実。このサイレントキラー。あなたも私も疑心暗鬼の見えない敵との恐怖におののく日常となるだろう。日本政府にオリンピック中止の断行を求めたい。
ひるがえって天理教であるが、四月に婦人会総会が開催される。本当に人助けを標榜する宗教団体であれば、迷う事なく中止を決定し、信者を守るだろう。
残念ながら、天理教トップ層には真の人助けの意識が欠落しているのが現実だ。信者やこれから信者になろうとしている人たちを慮る心が無いから、中止宣言には至らないだろう。人が寄ればお金が動く。金集めも三年前から要請されている。三年千日と言う事か。だから鬼畜の様な天理教トップはおそらく中止にはしないだろう。
私達は一致団結して、この春の婦人会総会には行かないと言う流れをみんなで作っていきましょう。
自分の身は自分で守る。天理教は信者の命を守るつもりは完璧無い体質。「命のつなぎは金」と虚言を言うが死ぬ時は死ぬのが現実の姿なのです。
中山幹雄 様
2020年2月15日 5:20 PM
>>「我は元の神、実の神である」
「みきを屋敷に貰い受けたい」
「条件を受け入れれば、この世を救う。でなければ、屋敷をなきものにする。」
これって脅迫ですよね。
渋々受け入れてはみたものの、世界は救われてますか?<<
親である神が、子である人間を脅迫するはずがありません。天理教立教以来、子である人間は救われるどころか、大変ひどい目に逢い続けています。世界は救われていません。
匿名 様
2020年2月15日 5:33 PM
>>本来であれば、感染に知見がある専門家が広い視野で、オリンピック中止を説いてくれれば世の中は動くだろう。
けれど今の日本はすべての基準が「マネー」だから、中止による経済的影響を第一に考えてしまう。
なんとも「はしたない」「品位にかける」「命をないがしろにする」日本になっているから、絶望するしかない。<<
オリンピックが、灼熱の東京で開催されることになったのも、アメリカのマスメディアの都合です。アメリカの利権が多大な影響を及ぼした結果です。結果として、マラソンコースが東京から北海道に変更されました。日本に限らず世界中がマネーの虜になっています。オリンピックは、本来、「参加することに意義がある」という趣旨で、オリンピックを通して世界平和を実現するという崇高な理念のもと、クーベルタン男爵が提唱したイベントでした。しかし、今やメダルの獲得数のみを争う大会となっています。それに輪をかけるように、マスコミの放映権等、マネー獲得の手段として利用されています。本当に情けない限りです。私は、パラリンピックのみを残し、オリンピックは将来的に廃止するべきだと考えています。ともあれ、天理教に限らず、世界中がマネーの虜になっています。返す返すも本当に情けないことです。
NTT西日本までがこの掲示板の広告出すんですね。
ドコモ使ってるのがちょっと気になってきました。
別にドコモにこだわらなくてもいいのかもしれないですね。
自分の払う通信費がこの掲示板の主の収入になっているんですね。
ある大教会の教会長夫妻を対象とした年頭お仕込みの席上で、本部員松田元雄氏が次の講話をされている。その要が時報に掲載されています。
元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切、と。
この話を聞いて、天理教が素晴らしい宗教だと感じる人が居るのだろうか。一体、何を捨て去るのか。本部こそあらゆるものをさっさと捨て去れば如何ですか。
家も財産も全て差し出して、上九一色村のサティアンで生活していた信者を「出家信者」と呼んでいましたね。これって天理教の「住み込み」に通じるものがあるし、そこでの「ワーク」なんてズバリ「ひのきしん」の言葉を変えただけのような気がします。
越美分教会初代会長の筒井敬一は「かまど返し」と言って、全財産をお供えさせたら布教者として大成功などと言ったそうですが、貧困を通り越した生活の破綻を要求することの意味が理解できません。
そういえば、うちの教会には柏木庫治の書の掛け軸があるなんて会長さんが言っていましたが、あんな百年祭のA級戦犯みたいな奴のものを有難がっているのなら、なんだか悲しくなってしまいます。
相手を傷つけても、自分自身は傷つけない。
それが、天理教中山教!
参考意見 様
2020年2月17日 2:37 PM
>>家も財産も全て差し出して、上九一色村のサティアンで生活していた信者を「出家信者」と呼んでいましたね。これって天理教の「住み込み」に通じるものがあるし、そこでの「ワーク」なんてズバリ「ひのきしん」の言葉を変えただけのような気がします。<<
オウム真理教の教祖 故麻原彰晃は、天理教システムを真似てオウム真理教を作りました。天理教システムと酷似していて当然です。サティアンで生活していた信者は、天理教的に言い換えれば「修養科生」、サティアンは「詰所」、ワークはおっしゃる通り「ひのきしん」すなわち「タダ働き」です。上九一色村は「おぢば」です。奈良県の上九一色村は、いつ消滅するのでしょう?
東風Z 様
2020年2月17日 1:26 PM
>>元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切、と。
この話を聞いて、天理教が素晴らしい宗教だと感じる人が居るのだろうか。一体、何を捨て去るのか。本部こそあらゆるものをさっさと捨て去れば如何ですか。<<
本当にその通りだと思います。本部こそあらゆるものを捨て去るべきですが、捨て去るにあたってドブに捨て去るような捨て方をしてはいけないと思います。本部所有の諸々の財産は、信者の「血と汗のお供え」で築き上げられました。せめて、世のため人のため、社会に役立つような捨て方をしなければいけません。
松田元雄氏や山田眞氏は「年頭お仕込み」ですからまず最初に一信仰者として2019年のご自分自身の親神に
持たれてあらゆるもの捨て去って生きた経験を話してほしいものです。「偉い」方々の話はいつも自分自身は別のようにお話なることが多い。だから具体性ない。全国の分教会の現状などに関心が無いのだろう!
匿名 様
2020年2月17日 3:59 PM
>>松田元雄氏や山田眞氏は「年頭お仕込み」ですからまず最初に一信仰者として2019年のご自分自身の親神に持たれてあらゆるもの捨て去って生きた経験を話してほしいものです。「偉い」方々の話はいつも自分自身は別のようにお話なることが多い。だから具体性ない。全国の分教会の現状などに関心が無いのだろう!<<
そもそも、「年頭お仕込み」と上から目線の言葉をほざく前に、自分自身を仕込むべきだと思います。天理教の「偉い方々」の常套句です。真に受けたらだめです。
崩壊様
ありがとうございます。本当にそうですね。
私はまず、松田氏、山田氏それぞれがご自身に対してどんな仕込みをしてきたの?と皮肉のつもりで書きましたが!「仕込み=教え込むこと」だから私の使い方は変でした。
私が言いたっかたはまずは「自ら見本をみせよ。」ということでした。
お仕込みだの修理だのいつだって上から目線。出来てない自分を棚に上げておいて偉くなった様な勘違いの上級教会長の前に正座させられ、我々一家はどれだけ苦しめられ、血の涙、悔し涙を流した事か。
天理教の最大の罪は神の前で人間に序列をつける「上下組織」と言うペテン組織を作った事だ。そして金が最上のお供えと言う本音。色々言うけど詰まる所はお金が一番好きなのだ。
馬鹿がのさばる天理教。馬鹿を崇めさせられる天理教。反論も文句ひとつも言えない天理教。
この期に及んでまだあらゆるものを捨てされと言っているのか。苦しんだ者として吐き気がする。
皆さま、この掲示板を通じて知った天理教の悪の数々、本当はペテン宗教だと言う事を世の人達に広く広く知らしめてほしいです。
貧乏すれども救われる事はありません。擦り切れた上に心に傷が残るだけ。
神の喜びって?
天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良いことになっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になり、それが今の天理教の基本ですよって言われた。
徳を積む行為を神が喜ぶと言うのは誰でも判ります。
神が作られた世界を、より良くする行為、陽気暮らしを皆で堪能出来る様に目指す行為を神は喜ばれると言う事ですね。 だから、お金であっても、この世が良くなるため、皆が幸せになる為に使うなら、徳積みになると言う事なら、納得できます。
元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切。 これも、あらゆる欲望、心の埃を捨て去り、サッパリとした気持ちで一心に神にもたれよ! と言うなら、理解できます。
でも、食欲、性欲を失ったら、滅びます。 向上心も欲です、怒りも社会を変える原動力です。 だから、捨て去るべき、あらゆるものとしては、憎しみ、妬み、強欲などの心使いだと、誰でも判りますよね。
お金は、社会システムとして必要な物です、生きていくのに必要な物として、命とお金まで、誰かに差し出す理由は無いと思います。 命の次に大事なお金を差し出せ、そうしたら神様も本気だと思って下さる? 私に取っては、どうひっくり返しても、その理屈を受け入れるのは無理ですね。
神の喜びって
天理教以外、例えば、私などは、神の喜びをこの様にとらえています。
あくまで、天理教以外の例です、読み流して下さい。
大霊界世界観とか神霊主義の場合、中心は、肉体ではなく物質より微細なエネルギー体の、魂の存在であり、この物質宇宙は、魂の助走期間として、とらえています。
つまり肉体の死後からが本格的な、生命体としてのスタートであると言う事です。
そう言う世界観からとらえる神、(神的になった存在)の喜びとはなんであろうか?
それは、人間、人間界からは、愛の祈りである。
神的存在とは、魂のエネルギー体が進化向上して行った存在であり、向上すればするほど、人から見ればそれは、愛という波動のエネルギー体になる。
神に祈る時、御守護神に祈るときは、愛の想いで、守護と導きを願う訳です。
どんなに必死の願いでも、根柢に、神に対する愛の想いで祈らなければ、神的存在とは波長が合わないと思います。
その愛の想い、祈りは、神自身を向上させる原動力になり、神も喜ばれ、奉じし祈る人々に、守護と導きとして、エネルギーを返して下さるのです。
だから、神への祈りと守護は、相互のエネルギーの交流で成り立っており、それ以上の物は必要がない。 誠の祈り、愛の祈りだけである。
人間に必要なのは、エネルギーの受け皿としての謙虚、礼節、敬いの心の器であり、心の器を作って、一心に神に祈り、神から、愛と慈しみと尊びのエネルギーを守護と導きとして頂くと言うだけです。
だから、神の守護を得るために必要なのは、想念の器作り、管理であり、いたって個人的な物です。
善行は神の為にする訳では無く、自分自身の神に相応しい想念管理の結果として行動に現れると言う訳です。
甘露があるとすれば、その心の器にこそ、降りて来ると言う想いです。
そう言う考えで日々生きていると、お供えと言うのは、あくまで、教団維持の為であって、それ以上の意味は無いと、考えるのです、必要以上に、お供えを出させるのは、強欲な人間のやる事に過ぎないと思うので、拒否します。
身上持ちだったうちの父も上級会長に言われてました。「身上を助けてもらいたいなら命の次に大事な物を差し出せ。精一杯のお尽くしをせよ。命を出せとは言わん。」
こうして我が家は貧乏し幼な子達は心が折れ、ひねくれ者になる寸前で目覚めて天理教から手を置いた。
幼な子だった我々きょうだいも遠に還暦を過ぎ、「天理教なんてあれ、糞よ。」と言い合い、再確認し、今は平和にそれぞれの生活を楽しんで通らせてもらっております。心の囚われが無くなった今の生活に感謝です。
宗教に関係のない愛知県の藤田病院がコロナウイルスの受け入れに200人の受け入れを政府に申し入れたようです 天理教はなにもしないのか?
情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので
>>宗教に関係のない愛知県の藤田病院がコロナウイルスの受け入れに200人の受け入れを政府に申し入れたようです 天理教はなにもしないのか?
情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので<<
空き箱同然の詰所を感染症対策の整った医療施設に改装し、患者を受け入れることができないものか? 私も同じことを考えていました。多額の費用がかかり天理教単独では無理かもしれませんが、国との話し合いで補正予算なり予備費をなんとか捻出できないものかと考えたりしています。
>>情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので<<
コロナウィルス感染に関する先の私の投稿は、私の理想論です。人たすけを標榜する宗教ならば、当然、人たすけの為に、しかるべき対応をするべきです。しかし、教会本部は「御身大事、我が身大事、我がさえ良くば」という体質ですので、所詮、理想論、机上の空論にしかなりません。教会本部は人をたすける心など、さらさら無いのです。本当に情けないの一語に尽きます。
参考意見様の投稿の一部
>越美分教会初代会長の筒井敬一は「かまど返し」と言って、全財産をお供えさせたら布教者として
大成功などと言ったそうですが、貧困を通り越した生活の破綻を要求することの意味が理解できません。<
全くその通りですね。大成功の裏で二代さんは、若い頃、お手伝いさん付きの、若江の家に住み、真柱になっては再々に亘り億円単位のお金を持って古書を漁りをしていた。その結果が、今の参考館に繋がっていると聞きますが、貧に落ちきった信者さんたちの怨念がこもっているんじゃないかと思ってしまいます。
昨年亡くなった教会住まいの先輩は、僅かの額の国民年金を65歳を待たずに早期受給して減額された少額の年金をもお供えに励んでおられた。二代さんの贅沢極まりない品行の数々を知らずに亡くなったのが、せめてもの救いだったのかもしれません。
どこまでも人をバカにした教団に何の魅力があるのだろう。
まだまだ、洗脳から解けることのない多くの信者さんたちが居られるようですが、一刻も早く意味の無い信仰から目覚められることを願うばかりです。
信者は金が中山家の本音では?
「金のつなぎは命のつなぎ」の意味は「金のは命、命は金」と以前書いてありましたが、これよくよく考えると、信者は金と言ってるようなものですよね。
つまり中田善亮と言う似非宗教家をはじめとする中山家とその面々の本音が浮き彫りに成りですね。
ひのきしん と銘打って、させることは無報酬労働
お供え と銘打って、させることは多額の上納金
そして本部からの給与支援金は一切ゼロ
これでよく「金のつなぎは命のつなぎ」と言えたものですね。世間知らず、浮世離れ、もいいところ、誇大妄想と言っても過言ではないです。
匿名 様
2020年2月18日 4:14 PM
>>ひのきしん と銘打って、させることは無報酬労働
お供え と銘打って、させることは多額の上納金
そして本部からの給与支援金は一切ゼロ
これでよく「金のつなぎは命のつなぎ」と言えたものですね。世間知らず、浮世離れ、もいいところ、誇大妄想と言っても過言ではないです。<<
決して過言ではありません。全くその通りです。付け足す所も、削除する所も、訂正するところもありません。人間として許されないことを教会本部は平気でノウノウとやっているのです。今までこうした事象が社会的に許され、法的責任を問われることなく、まかり通ってきたこと自体が不思議で仕方がありません。何故、こうした「社会悪」、「法的悪」が公然とまかり通ってきたのでしょう? 返す返すも不思議です。
仰る通りです。天理教の本音は信者は金。においがけお助けで信者を増やそうとハッパをかけるが信者が増えれば金も増えると言う算段です。
貧乏暮しに甘んじている貧困教会に本部からお手当の只の1万円でも貰ったためしが無い。
それで持って全亮はゴルフ場の理事、女からのゆすり(火の無い所にゆすりに来ません)、次の真の柱の大ちゃんは東南アジアで女買いをしたと。さかのぼれば二代も信者の娘でも御構い無しにお伽要求する様な輩で、修司以降代々の女たらしの家系だ。信者が田を売りすってんてんになっている時、若造だった二代は若江の家なる豪奢な家で貴族生活をしていた。また二代は信者のお金を湯水の如く使って世界中から古本を買い漁り現天理図書館が出来た。(芹沢光治良先生の死の扉の前でに詳しく書かれています。)
参考館の品々も自分の趣味が高じて買い漁った品々で、我々信者がすってんてんになりながら頼んだ覚えもないのに自分の金の如きに人のお金を使って買い漁ったもの。
信者が金ならもう金は寄らない。教会も1000単位で整理縮小され、信者も増えない現状。
幼い時からの 貧乏暮しは理由が分からずこんなもんだと通り過ぎたが、大人になってあれこれ理不尽な問題点が見え始めると震えるような怒りが込み上げてきた覚えがある。
金の亡者の天理教なんかに人生を奪われない様、今足を突っ込みかけている人たちに注意喚起を申し上げたい。
天理教のブログに9年前の「東日本大震災 被災教区・災救隊支援募金へのお礼」なるお知らせが掲載されていました。当時は震災募金と教区・災救隊支援募金の2本立てだったと記憶していますが、掲載文によると後者の募金が総額5億753万2520円とあり信者の善意には驚きました。それに反して遣いみちに「震災直後からの災救隊の諸活動をはじめ、教区支援・被災地慰問などに活用させていただきました。」とあります。被災教区や災救隊ねの支援はともかく、本部からの慰問とあり、その費用くらいは募金ではなく、本部が出すべきではないでしょうか?当時、表統領が被災地を慰問している写真が天理時報に掲載されていましたが、なんと教会に関係者を集めて、神殿講話のように前で話しをしている光景でした。関係者は救助支援で忙しくしているのに何だろう?と思いました。現地に出向いて一緒に活動している写真ならともかくと思いました。私の思い違いでしょうか?
二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もちろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでましょう。
>>匿名
>>2020年2月19日 12:26 AM
>>二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もち>>ろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでましょう。
は?
あなた、二代さんの子孫?
天理教団の体質そのものが私利私欲なんだよ。いまさらふざけたことを書くな!!
そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも、天理教から離れればいいだけの話です。
まぁ離れていると思いますがね。わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
匿名様
>二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もちろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでしょう。
一昔前の、先生方が、よく言われていた文言です。
本当に、そうかどうか検証してみたらいいですね。
>そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも、天理教から離れればいいだけの話です。
まぁ離れていると思いますがね。わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
三流のお店が、客のクレームを嫌がったり、従業員の意見を無視するのと似ていますね。
新型コロナウィルスによる肺炎の勢いが治まらない現状に鑑み、本部は2月の月次祭の参拝を自粛されるよう案内されては如何でしょう。万が一にも感染拡大の手助けをしていたといわれることのないようにすべきですね。
それとも、天理教に限っては親神様がご守護下されているので、その御心配は御無用にとでも思っておられるのでしょうか。
特に、高齢者の参拝者が多く、寒冷の中での参拝は大きなストレスになります。参拝を考えて居られる方も今回は見送られることが賢明かと思っているんですが、皆さん如何でしょうか。
連投すみません。
二代さんは、有り余るおカネを前に、貧乏人になりたいなんて冗談を云っていたことがあると聞いたことがあります。
人をバカにするとは、これ以上の言葉が見つかりません。この言葉もいろいろな情報をくれた二部同窓生から聞いた数々の教団スキャンダルの一部です。
別の宗教なら、この様に考えていたりします。
親の思いに沿わない心遣いをしたら子供の身上でみせられるって、誰が言えるんだろう? 親は親の生を生きています、自分は自分、子は子です。
他人でも親子でも、感謝、慎み、助け合いですが、自分の想いを押し付けてはいけませんよね。
親子と言っても、信仰も職業も結婚も個人の自由ですから、神を理由に人を縛るのは、人間のやる事で、神は本来、そういう事に感知しないと思います。
親の願いは、あくまで親の願いなので、頭を下げて、理由を説明して、子に頼むべきでしょうし、拒否されたら、親も反省すべきでしょう。
身上は、いろいろですが、大霊界世界観だと、生まれ変わりはないですし、親子間には霊的連鎖はありますが、親の罰が子に出るとしたら、親か先祖に恨みを持った霊体が、子孫に災いをもたらしますが、その人の守護が勝てばそれも避けられる。
身上の、そこに当てはまる事に、人間の知恵でいろいろ理由を見出しても、無駄ですよね、自分の人種や顔や性別も、選んだ記憶は無いんですから。
命を与えられた場所、肉体、条件の中で精一杯生きるしかありません。
地球には、生まれた時から戦争や貧困で、幼くして死んじゃう魂もあるんですからね、それでもあの世のスタートは平等です、運良く生きられて、先に高い神になって行けたなら、そう言う、不運な幼き魂を、救い上げ、引き上げてあげる事もできるんだから、それをやるんですよ。 だから、望む人間を導き守護する事も、社会が良くなる事も神レベルの存在なら、願いでもあり、喜びでもある訳です。
運悪く地獄に落ちたら、そこで苦しみながら、上を目指すしかありませんけども、もう一度肉体を持たされる事は、無いです。
ところで、真柱様は、高い世界に登っていると思いますか?
最初からそんな物を約束された存在はありません、この世の栄華も一切関係ありません。
死後は魂と心だけしか残らない、あの世には物は持っていけない。
歴代の真柱様によっては、地獄に落ちていても、不思議では無いと思っています。
生前、心から神を奉じして、そう言う生き方をしていなければ、親神様とも波長が合わず、真柱様と言えども、救ってはくれません、と言うか、救おうにも神と波長が合わないなら、地獄でしっかりやり直せってだけですね (笑)
末っ子が初産で超安産でした。この娘も姉達と同じく未信者と結婚したので、ダンナに気を使ってか、「をびや許し、もらいに行かんとあかんの?」と聞くので好きにしたらいいと言いました。ただし、「お腹の赤ちゃんにはお父さんが居る時に生まれてきてねとお願いしときや」とは何度も言っておきました。私の5回の時も嫁、娘二人の7回の出産の時も全て父親が居る時に陣痛が始まり入院させることが出来たからです。
胎児は親の言葉を聞いている。我が家には何人も守護霊さんが居るから大丈夫という自信があるので気安めに4千円は必要ないと考えていました。かくして日曜日、父親が会社休みの日に陣痛が始まり入院して3時間で生まれました。初産でこの早さだから二人目からは気をつけるように注意されたとか。をびや許し頂いてても難産、死産、何人も知っているので信頼はしていませんでしたが、強い娘を改めて見直しました。
無名 様
2020年2月19日 11:35 AM
>>初産でこの早さだから二人目からは気をつけるように注意されたとか。をびや許し頂いてても難産、死産、何人も知っているので信頼はしていませんでしたが、強い娘を改めて見直しました。<<
そもそも「おびや許し」自体が迷信です。天理教立教時、女性の「お産」や天然痘(ほうそ)、結核等の疾病は、ともすれば命に関わることでしたが、今やNICU(新生児集中治療室)を備えた医療施設もでき、超未熟児で生まれた赤ちゃんも助かる時代です。天然痘は種痘の発見と普及により世界から根絶しました。死の病と言われた結核もストレプトマイシンの開発により完全治癒できる時代です。今流行しているコロナウィルスの治療薬もいずれ近いうちに開発されると思います。今後、癌ですら早期発見、早期治療、Ips細胞の研究開発による再生医療により治癒する時代が来ると思います。
おびや許し、は迷信でしょう。受験の時などにお守りを握りしめていればなんか守られている様な気持ちになると言う、その程度の事だと思います。おびや許しを貰ったから大丈夫、と思い込めるフラシーボ効果で、それはそれで個人の自由。安らぎ程度のものです。
おびやを貰わなかったから難産すると言う訳でもありません。
私の娘も嫁もおびや許しなどに興味は無く、私も意味を感じないので言いませんでしたが、皆安産しました。教会の孫に当たる我が娘も全く天理教には不信感の塊ですが、彼女の上に数々の幸運が重なり、母子共に命を落とす難局に遭遇しながら無事出産しました。天理教信者にのみ守護が有り、娘の様な無神論者には守護がない、宇宙の神とはそんな存在ではないです。
天理教信心に深く入れ込み過ぎるとおかしな教理に心を縛られ生きずらくなるだけで、自分の心の声を聞きながら心通りに生きると言う晴れやかな主体性はなくなりますね。人に操られる人生は自分の人生と言えるでしょうか?
神は地球上の遍く全ての人々を守護する。宗教、宗派の争いは人間レベルでやっている事で、我々は唯一神の前にただただ安心して感謝と自他を大切に思う心を持って生活していれば良いのでしょう。お金のお供えと守護を重要な教理として説くおかしな宗教に縛られて自分の心と肉体を虐める事は神の哀しみだと思います。
話があちこちしてしまい失礼しました。
>匿名
>2020年2月19日 6:07 AM
>そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも…..
>わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
このクソリプ、そのままそっくりお返しする。
私たちは、衛生状況が良い日本国内であっても既に市中感染が始まっていることを認識すべきだろう。
多くの会長たちは自家用車で天理までくるのかもしれないが、一般信者の多くは公共交通や団体でのバス便利用だろう。
私の所属大教会からは、いまだに月次祭中止の連絡はない。皆さんの教会ではいかがだろうか。
月次祭以外にも各種行事が有ろうかと思うが、そもそも大教会家族は移動することなく、自分の住まい(教会)に人々が来てくれるから、感染する危険度が低く、現状を甘く見ているのかもしれない。
大教会家族だけで月次祭を執り行うという選択肢があるはずだ。
世間的には月次祭は「不要不急」の行事にあたるから、真の神様目標(めどう)が心に納まっていれば、収束迄の数か月間は教会家族で勤めようと考えるのではないか。
しかし、本部がこれを許すはずはないと推測できる。
何事も「ガン」は中山家あるいは本部中枢の人々なのだろう。
信者数が減ったとはいえ、本部拝殿は人と人の間隔はほぼ握りこぶし三つ程度に詰めて座っている。
2メートル程度は距離をおきたいと識者から聞かされているが、天理教では本部をはじめ各教会でも実現は難しい条件だろう。
まして集団での飲食がつきものの天理教では感染が広まる場となりやすい。
厳しく言えば、新規修養科生募集もストップして「様子を見る」良識が求められよう。
広い意味でのイベントは、何も「今」、実施しなければならない理由など、何があろうか、ちょっと考えてみれば、何もないことに気が付く。
ましてやオリンピックすら中止をしても生きていけない人が出るとはいえない。
何事も日本を中心に考えるようでは視野狭窄と言えよう。
医療が整っていないような国々迄へも感染を広げてしまう恐れが在るイベントは中止しなくては第二の中国を産んでしまう。(海外からは既に日本も中国と同レベルの批判を受けてしまっているが・・・。)
選手が気の毒だと、方向違いの同情を述べる人もいるが、浅いレベルでの同情は危険を招くのだと学習していただきたい。
水泳関連で天理教の広告塔になっている一族もいて、天理教団としては格好の宣伝活動の場ともなりそうなオリンピック・パラリンピック。
そもそも、福島の復興や原発が収束していない日本が、オリパラ開催に巨額の活動費を注ぐこと自体が「愚行」なのだから、現状は神の答えの一環なのかもしれないと、深く受け止めている。
学生の頃、別席の空き時間に天理参考館を覘いてみました。そこで見たものは東洋や南米の物が多く、オタク趣味の私の目を楽しませてはくれませんでしたが、特にインパクトが強く記憶に残った物といえば中国の纏足の靴とエクアドル・シュワル族の干し首(現在では展示していないらしい)くらいです。
全体的に見て学術的な価値のあるものばかりなのかもしれませんが、あまり布教伝道の役に立つものとも思えず、リビドーの赴くままに生きた二代目真柱の趣味道楽の産物にしか見えません。
ところで、このコメント欄でも度々話題になり、多くの人たちがその開放を望んでいる史料集成部について、私も以前は中山一族にとってのパンドラの箱のように考えていました。しかし最近では、もしかしたら中には何も無いのではないかという不吉な予想が頭をもたげてきています。
教祖の真の姿を伝えたいという想いも無く、教祖に所縁ある三島神社を強引に移転させ、鏡池を埋め、できることなら櫟本分署跡さえも消し去りたいと考えるような輩が、自分たちに都合の悪いものを、わざわざ残しておくでしょうか?
おふでさきの2号と3号の約5年間程の空白部分とか、戦時協力にふれるような資料とか、隠すだけでは充分とはいえません。いっそ戦災によって焼失したことにしてしまえば、最も確実で安心できるとは思いませんか?
四方を海に囲まれた日本では、敗戦が決定的となった時から占領までに全国各地で昼夜を問わず書類その他の資料の焼却作業が行われました。天理教だって、何も手を打たなかったとは思えません。陸に囲まれ本国そして最後には首都までが戦場になったドイツだと、米軍だけでも1100tの政府公文書を押収したといいますから、
しかし史料集成部に何も無かったとしても、教団と中山一族の正当性を証明できるようなものだって無いのも確かだと思います。繰り返し言いますが、手書き・印刷を問わず江戸時代に残されたなんていう「天理王命」の文字でもあるならば、本部は狂喜して公開するに違いありません。
子供の頃から虐げられて長〜く見てきた天理教は究極の無責任体質ですから、本部月次祭への参加の自粛、婦人会総会参加への自粛、あるいは中止、を言い出せるか否かは見ものです。善亮は時報などでも色々とごたくを並べて格好いい様に振舞っているがその頭の深層は全て金盗りの発想だから、信者の命を守る事に慎重を期する事はないでしょう。
今の時点では婦人会総会に何人参加するのか各教会に集計取ってますね。うちの大教会も危機感無し。本部に進言する勇気も無し。我が身可愛いだけ。信者の命は二の次か。
参考館は、オープンスクールの時に2度ほど見学させてもらいました。
あくまで、資料館であり、文化遺産として面白いと思いますね、国宝級の古文書など、文化財保護としては、素晴らしいとは思いますが、これらの収蔵原資は全てお供えからできていると思うと、見学する分には、ありがとうございます、としか言いようがありません。
天理教には直接関係無いと言う印象です、あくまで宗教団体の社会貢献の一つでしょうね。 そう言う意味では、社会貢献だから良いのかもしれませんね?
天理教では、死後世界について、世界の構成について書かれていないので、そこについては個人の憶測になってしまいますし、前に私が書いた箱庭論でも、世界の構成が説明できなければ、本当は神様の存在の定義もできないので、親神様と言うのが何者であるのか? 実は漠とした存在な、ままな訳です。
ライブな教団なら、天啓者、霊能者、審神者を擁して、どんどん真実の世界を解明して、人間のあり方、世界のあり方をもっと突き詰める部分があって良いと思いますが、天理教はそこについては止まっているので、致し方無いですよね。
どうして日本人なの、その家なの、その生い立ちなの、男なの女なのって説明もできないのに、親の因果が子に報いなんて、そこだけ言える事では無いと言うのが、理論的な考察です。
日本人は、理論的に考えで合理的に行動するのが苦手であり、忖度が得意で、感情的、和を持って良しとする部分が多いから、宗教団体も、右へ倣え!で良しとされるし、理論は曖昧な神で封じられ、不合理な事でも教義で押し付けられるのは好きじゃない。
息子へも、理論的に考え、合理的に行動せよ、ただし義理人情は大事にしろと教育して来たので、天理高校に行こうと、全然染まらなかったのですが・・
私の信仰は、仮想のエネルギー理論ですが、実際、行動から守護と導きを感じるし、結果も出ているので、これは実在すると、個人的に仮定し、信じられる訳です。
天理教においても、一般信者は、そんなに困って無いよね? 付き合いで、人間関係を楽しんでいる人も多勢でしょう。 ただ教会に生まれると大変ですよね? でも、そこから、これはおかしい! って声を上げるのも、怒りを持つのも、それは全て正しいこの世の仕組みであり、真実の神的存在は拒否しないと考えられます。
これ程問題提起がなされているにも拘わらず何も手を打たない天理教団。
学習とは、問題解決の手段を学ぶことですよ。独りよがりの集団を相手にする空しさ、これに極まれりです。
女子プロゴルフの開幕戦も無観客試合と決まりましたよ。
とりあえずひのきしんデーと婦人会総会は絶対中止だと思います。
2月月次祭も自粛すべきだと思うのですけど。
所属の大教会は2月末に婦人会の行事をするそうです。
絶対参加言っています。何を考えているのやら。
行かないと後で吊し上げをくうのですが、行かないでおこうと思います。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、本日、厚生大臣も不要不急の行事等は控える様にとテレビで国民の向けて発信しています。全国各団体はその諸行事の中止、延期を次々に打ち出しています。
神殿にすし詰め状態で行われる本部月次祭です。感染するには一番危ない体勢です。危機感を持って各大教会に「世の状況を鑑み、積極的に参拝を要請するものではない。特に高齢信者の参拝は自粛されよ。」と信者の命を守る親心を示して然るべきである。
今月26日は直ぐそこまで来ている。何の発信も無く感染の脅威などどこ吹く風の態度を貫く天理教本部の冷徹かつ徹底的な無責任体質がこう言う非常時にこそ判明してしまう。
天理教も以下のようなニュースにならなければいいのだが、
各種祭典・行事をどうやら自粛する動きは今のところないようだ。
新型肺炎、韓国で初の死者 感染者100人超、教会で多発
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020022001001487.html
韓国、南部で新型肺炎急増…教会で集団感染か
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200220-00000577-san-kr
韓国で新型ウイルス感染者急増-宗教団体施設で集団感染か
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-20/Q5Z6U2T0AFBN01
匿名
2020年2月20日 10:10 PM
>>神殿にすし詰め状態で行われる本部月次祭です。感染するには一番危ない体勢です。危機感を持って各大教会に「世の状況を鑑み、積極的に参拝を要請するものではない。特に高齢信者の参拝は自粛されよ。」と信者の命を守る親心を示して然るべきである。
今月26日は直ぐそこまで来ている。何の発信も無く感染の脅威などどこ吹く風の態度を貫く天理教本部の冷徹かつ徹底的な無責任体質がこう言う非常時にこそ判明してしまう。<<
全くおっしゃる通りです。教会本部は本部神殿に参拝者が集まれば集まるほど、賽銭箱にお金が落ちるという考え方なんです。天理教とはそういう宗教(?)なんです。本部に参拝し、コロナウィルスに感染する信者さんが幾人でようが、本部にとってはどうでもようことなんです。本部にとっては神殿の賽銭箱に「お金」がどれくらいの量、投入されるかが一番大事なんです。読者の皆さん、これが天理教の実態です。何が「人だすすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。現在、天理教信者の皆さん、これから天理教に入信しようとしている若い方々、絶対に天理教に関わってはいけません。自分自身の身の破滅にとどまらず、ご家族やご友人、親戚縁者の身の破滅に繋がります。
てんりさん @ten_ri_san のツイートより
>先日、他系統の教友から聞いた話。その教友の所属教会に大教会を批判する内容のFAXが送られてきた。送り主は部内教会の奥さんで、その系統全体に送信。その奥さんは精神的な病気だったようだが、文章は理路整然としていて、内容も皆が口に出して言わないだけで、誰もが共感できるものだったらしい。
しかし、そこの大教会長は、その内容を見て反省するどころか上級教会の会長も揃って「お詫びに来い」と呼び出し、謝罪させたという。<
↑ ↑
誤字がありましたので、下記の通り訂正いたします。
何が「人だすすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。(誤)
↓ ↓
何が「人だすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。(正)
↑の匿名様、てんりさん@ten_ri_sanの教友の方はもしや「東京都内の大教会」での事を紹介してくださっているのでしょうか。一信者の私には流れてくるはずもない内部情報。所属大教会では上記のような告発文が出たとか出ないとかの話は聞こえてきてはいませんが、他大教会の事とすれば、同じような状況が有る事に、今更ながら、天理教の欠点が露わになった結果だと思えるのです。(勿論、立派な大教会長夫妻もいますので、全員の人柄を非難している訳ではありません。この社会学板に書かれた批判を深く咀嚼して、ご自身の深い考察による言葉で、直球の回答を月次祭講話で話す方もいます。)
ウーーーン、どうしても、これは、うちの大教会のことのように思えてならない。
東京都内の大教会かどうかだけでもヒントがほしいものです。
私自身の経験をご披露します。
その部内教会の奥さん同様、「あの人はちょっと精神的に病んでいるから」と大教会奥さんが決めつけ、その部内教会夫人の話すことを、さも、内容に疑義があるかのように、私に言うのでした。聞かされた私は、ひっくり返りそうになりました!その方は「狂ってしまった人」扱いなのです。けれど、私自身がその方と直接話しても、そう、「理路整然」とされていました。それを狂ったというのならば、私も狂っているのでしょうか。ならいと様が狂ったことにされてしまった歴史がありますから、自分に都合の悪い事をはっきり物申す人を狂人扱いにするのでしょう。一昔前に社内で常識的な発言をしたら「アカ」と決めつける馬鹿丸出しの上司がいましたっけ。一部上場食品会社での経験ですが、社員のレベルはその程度。言いなりになる人だけが好い扱いを受ける企業体質は、恐らく今も変わらないでしょう。日本人の体質だと思います。天理教内の事だけではないのです。今の政府を見ていても同様。もう、高齢者には早くこの世を去ってほしいのでしょう。
まぁ、そのうち出直しますから。その時は信者が一人減ったとしか受け止めないでしょうね。
肺炎の身上サトシは、素直でない心でしたっけ?
詳しい人、肺炎の原因となる心使いを教えて。
教えて君 様
2020年2月21日 6:26 PM
>>肺炎の身上サトシは、素直でない心でしたっけ?
詳しい人、肺炎の原因となる心使いを教えて。<<
確か、結核の身上さとしは、「高慢」だったと記憶しています。肺炎も結核も肺の病気です。ハイハイ(肺肺)と素直な気持ちを持たないから肺を病むそうです。素直な気持ちとは、とりもなおさず、上級教会や教会本部に対する絶対的服従と忠誠心です。天理教は「身上さとし」や「事情さとし」を教団本部の維持の為に、巧妙に利用してきたのですが、今の時代、そんな非科学的迷信は通用しません。病んでいる人達を救済するどころか、その人達の心を「どん底」に突き落としかねません。
馬鹿な権力者は強い、どんなに倫理的に証拠を示して追い詰めても、シラを切り続け、言い逃れ、司法に手を入れ、メディアも抑えて、役人も平伏せさせ、自分とお友達を守り切る。 それでも、さすがに国民も、馬鹿が自分の妄想で行う政治は恐いと気がつき出したのは幸いだ。 自分達の上にこんな馬鹿を置いておくのは恐い、そう思ったら、次の選挙で落とさなくては、何も変わらないし、変わらない国民が多かったら、その被害の責任は、やっぱり気が付かない国民の責任になるだろう。
日本の民主主義を破壊する馬鹿な宰相と政党を拒否しないと、さらに酷くなる。
天理教は、国家では無い、私的集団だ、しかしそこに、生活を組み込まれた教会関係者は、日本国から逃げ出せない国民と同じかもしれないが、教団運営には国政と違って選択権が無い。
組織相手の対策は、唯々諾々と従い続けるのか? 財産を放棄して逃げるか? 逆に離脱して財産を持って逃げるか? と言う事だな。
教団に民主主義的な運動があれば、そんな事は心配しなくて良いんだがな
そこは、神とは別だろう? 神は人間の社会運営に直接手を出さないだろう、つまり、馬鹿でも元気であるし、正直でも病気になる。
教団の自浄作用を神に期待するのは、無理だろう。
ここは一つ、冷静に、対処する事が望まれる。
ハイハイ言わないから肺にくる、それが高慢だって?
諭しって、屁理屈こねて、相手を追い詰める事なのか?
誰がそんな馬鹿な事を言ってるんだ? そう言うのが、馬鹿なんだ
馬鹿は言っても理解しないから最強だよな?
上の人間が馬鹿なら、選択肢は、二つ
上手に機嫌を取って、持ち上げて、交わすか?逃げるか?
やっぱり、離脱するか?
真面目に付き合ってると、こっちが心を病んでしまうだけだな
馬鹿に付ける薬は無いんだよなって、割り切って
現実的な対処を取るしかないよ
こっちが、強くなるしかない。
馬鹿に対処する方法を考えろって、神様は言ってるかも知れない。
少なくとも、そう言うのは、神に祈っても解決しない
確かにお供えしたら、馬鹿は喜ぶから解決するな?
それはしかし、捨て銭だ
心が病んでしまう前に、早く逃げた方が良いだろうね。
> ハイハイ(肺肺)と素直な気持ちを持たないから肺を病む・・
こんなん聞くと、「天理教は ‘トンチ教室’ か!」と、叫びたくなります。昔、ありましたなぁ、長崎バッテンさん、石黒ケーヒチさん、清川虹子さん、←これらの名前を知っている人は相当のお年かと思いますが、珍問珍答の連続だった、あのNHKのラジオ番組。
こんなオヤジギャグとも駄ジャレともつかないものを教えにないまぜて言うの、やめていただきたいデス。
コロナウィルスのことなんですが、パンデミックを引き起こすような強力な病原菌だということを思いますと、神様の思いも相当強いものがあると思います。ですから、一つ二つの心遣いの誤りがこの病気を引き起こしているとは思えません。もっと複合的な原因があって、この病気の流行を招いたんじゃないでしょうか。
この病気が人から人に感染するということを考えれば、人の心についたホコリも感染するんだな、と思います。何が正しいか何が正しくないかといった判断を、間違えることなくできるようにしたいものです。
今中国は、他の国を泣かせてまでも自国の利益を追求してるんじゃありませんか?
南シナ海の領海侵略、人権無視の臓器移植、ウィグル侵略、国内の経済格差や不平等、とくに貧富の差といったらもう、民衆は忍耐の限界を超えて今にも爆発しそうな怒りを抱きかかえているんじゃありませんか?
最初に、理想の社会論、21世機は、異なる文化や宗教を持つ人達が互いに存在を認め合い、肯定しあって共存共栄できる社会が望ましい。 個人のジェンダーの尊重、役割の尊重と尊厳が守られる社会、人権が守られる社会がいい、私利私欲や強欲を法律、ルールで抑えて、社会の再分配をしっかりする事が良い、誰もが、平和に安心して暮らせる社会が良い
そう言う前提で、物事を考える基本があると良い
時に、宗教は利己的になり、社会的な理想から離れます。
だから一つの宗教、一つの神で地球が思想的にも社会的にも統一されたら、必ず抑圧される存在が生まれると思います、宗教には限界があるんです。
冷静に、理性で、理論的に考え判断したり、合理的に行動する事は、地球で生きる以上は、どんな信仰をしていても、大事だと、個人的に思っています。
コロナウィルスを神の怒りに結びつけるのは宗教、それは中国への罰と考えるのも、宗教的であり、狭い発想で妄想的です、だから宗教には限界があると感じます。
神の罰では無い、パンデミックは、社会の有り様を再検討せよと言う神が与えた機会だと思います。 考えて変えるのは自分達に課せられた問題です。
地震は、繰り返し来ます、だから先人の残した痕跡、知恵から、防災インフラに投資するんです。
コロナウィルスは致死率は低い、だから、国民皆保険のある日本では、インフルエンザ同様、重症化しにくいから、政府も甘くみてる事に気がつく。
日本の対処は世界から批判されています、真摯に受け止めて改善する必要がある。
アメリカでは、インフルエンザでパンデミックを起こし、もう12000人も亡くなってる、これは、皆保険がなく、病院に書かれない貧困者が多く、重症化するからです。
アメリカは、貧困と無保険が国民の命を奪ってる、だからサンダース議員が若者の支持を得られるんです。 アメリカと言う、国の有り様が問われているんです。
中国も、もう大国です、世界中から批判されてる、だから上層部は世界の信頼を得るために、必死に国を引き締めている、だんだんと、これから中国も開かられた大国になって行くでしょう、何しろ、日本より豊かになりつつありますからね。
コロナウィルス発生源とした、必死にいろいろ改善しなくてはならないでしょう。
世界は、中国が止まっただけで、日本も倒れるくらいの相互依存関係がありますから、互いに、国が栄える方法を取らなくてはなりません、もう日中間も米中も現実的には戦争はできないんです。
連投すみません
大霊界世界観の私として、神的にはどう考えるかと言うと、ウィルスは、大霊界から送られて来るエネルギーで、突然変異を引き起こすとか、みています。
だから、インフルエンザでも、掛かった人には、細菌とは別の、マイナスのエネルギー体が作用している様にも見える。
理由はいろいろあるけど、良いエネルギーでは無いと感じます。
私個人や私の所属する教団の経験では、浄霊、つまり神の良いエネルギーを送る事で、インフルエンザの持つマイナスエネルギーを消すことができる、だから我が子の高熱も、浄霊で普通の風邪位に落ち着かせた事は、何度もあります。
しかし、声高に、インフルエンザは、大霊界からのマイナスエネルギーだ! なんて言っても、誰も信じないでしょうし、宗教的解釈の違いから対立も引き起こします、だからこそ、その存在が社会に与える意味と機会について、神の知恵をもらいながら、理性的に考えて、地球で人類がやるべき事は何であるかを、冷静に考え、やる事が大事であると、思うんです。
自分の神様の存在を声高に表に出さず、個人的に模索する範囲内なら、対立も避けられます。
教会は信者の身上が深刻なら深刻な程、心底ではニンマリしている。
「癌は頑固だから癌になるんだ、、。あんたのその頑固な性格が災いしてる。思い当たる所はないか?」と諭されて、「ここはひとつ精一杯のお尽くしをして助けてもらうしかないな、どうや?」と言われたらその人は「いいや」と言えるだろうか。
自分は頑固じゃないと思っていても、そうかもな?と思うものです。占い師が万人に通じるような諭しをするが、悩んでいる本人は当たってる!と思ってしまう心理をついている。要するにペテンにかかってしまうのが弱っている時の人間の弱さです。
また癌は頑固、は日本語圏だけで通じるギャグ。英語で癌をガンとは言わない。トンチかギャグか人を小馬鹿にした天理教独自の低級なペテン師の発想です。
埃は避けて通れ、と教祖が言っています。天理教教団の最大の埃は本部中枢に積もっています。彼らは親神が最も嫌う「埃」を撒き散らしています。こんな埃を相手にしていては大事な時間とお金の無駄と言うものです。
参考にならない意見 様
2020年2月22日 10:52 AM
>> ハイハイ言わないから肺にくる、それが高慢だって?
諭しって、屁理屈こねて、相手を追い詰める事なのか?
誰がそんな馬鹿な事を言ってるんだ? そう言うのが、馬鹿なんだ
馬鹿は言っても理解しないから最強だよな?
上の人間が馬鹿なら、選択肢は、二つ
上手に機嫌を取って、持ち上げて、交わすか?逃げるか?
やっぱり、離脱するか?<<
長年、天理教は屁理屈とダジャレを織り交ぜた偽教理、偽さとしによって、信者を騙し獲得してきたのですが、今の常識ある人々にはもちろん通用しません。そんな馬鹿げたことを説く宗教(?)から信者が離れていくのは無理からぬことです。天理教被害から逃れるベストな方法は離脱しかないのです。
以下は、おそらく熱心な信仰をお持ちの方のツイートの引用なのですが、私には理解ができません。
これが天理教的「信仰熱心な事」なんでしょうか?
「息子が旅行に行くというので
気を遣いながら
理立てを提案した
すっと出してくれた
うれしくて
大教会へお供えに行った」
疑問.1
そもそも旅行に行くのになぜ「理立て(おそらく現金によるお供え)」が必要なのか?
そんな教理が教祖の教えにあるのか?
疑問.2
なぜその「理立て=現金によるお供え」を大教会に供える必要があるのか?
どなたか教祖中山みきの教えに照らして、納得のできる教義的整合性をもって
アホな私にお諭しいただけませんか。
ちなみに天理教原典であるおさしづには金銭について以下のように諭されていますが、
教会にお供え(おつくしや理立て)をせよとの教理は説かれておりません。
『おさしづ』における「金銭」についての神意
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。
心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。
これだけよう聞き分け。
おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
思うよう〈に〉成るも「いんねん(因縁)」成らんも「いんねん」。
皆んな(みんな)だん/\「いんねん」知らず/\越せば、どんな「いんねん」が持って出るや分からん。
どねしても(どのようにしても)成らんが「いんねん」。
金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが「いんねん」という。
おさしづ 明治23.8.26 補遺
これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。
おさしづ 明治34.5.25
〈神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない。
おさしづ 明治35.10.7
道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない。
おさしづ 明治37.7.15
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずく(尽く)で求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。
又(また)日々稼ぎという、皆(みな)働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩) まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え/給与)あるか、よう思やん(思案)せい。
おさしづ 明治40.4.10 (陰暦2.28)午後五時半
短期間で偉くなっちゃった当時のにわか重鎮達も、本質より金儲けに心を奪われてたんでしょうね。教えに泥を混ぜてでもね。
自国民の臓器売買って、狂った中共人はさておき、国民の健康を疎かにした安倍自民も対中施策(特に入管法)と経済施策(特に消費増税)では、おかしくなっちゃったね。
何を信じていいのやら (T_T)/~~~
神一条は金銭ではいかん、、、本部にとっては都合の悪いご神言です。
本部はこう言うおさしずの言葉をどう見ているのでしょうね。ご神言として今更クローズアップはしたくないでしょう。
お供え激減で欲の心が抑え切れず。そんな神言知らんと目を伏せて通る善亮、、。
背に腹はかえられぬから見て見ぬ振り、知って知らぬふりを通すのでしょうね。信者は馬鹿だと見くびっているのでしょう。
ことさら真実のご神言を知らしめて寝た子を起こす事は無い。ご守護は金、カネ、ゼニ!!これ以外に無い。この方針で行く!!
しつこく繰り返して恐縮ですが、本部月次祭は本部員たちに任せて、拝殿に座る一般信者は自主的に欠席すべきだとは思いませんか?
感染が爆発的になると医療崩壊になるという指摘は重要な指摘なのです。
中国の失敗を日本国内でも繰り返すことになるのです。
天理教上層部は優先的に入院ベッドを憩いの家に確保できるのかもしれませんが、一般人は運命の波に翻弄されるやもしれません。だから日本全国から天理市に集合する(移動する)状況は、感染拡大につながることになると認識すべきです。
政府が移動制限を指示しない現状は、責任をイベント主催者にゆだねているわけだから、天理教としては社会的影響を考慮して、自主的にイベント中止を決断するべきです。大きな団体としての社会的責任を果たしてください。
世界救済を唱える上層部なのだから、今こそお勤めに力を入れると考えるのでしょう。
けっこうですよ、皆さん、本部員の底力をみせてくださいよ。あなたがたがしっかり勤めてくださいよ。
見物人が居なくても、あなたがたがしっかり真剣につとめてくださいよ。
移動することで感染が広がることは、既に明らかになっていることを「知らないふり」でやり過ごそうとしないでください。あなた方の入退出時に、毎月頭をたれている我々信者の犠牲(感染の危機)は必要ないでしょう。事が収まる迄のことなのだから、どうぞ命がけのお勤めで役目を果たしてください。
・・・このような私見をいくら言い立てたところで、洗脳された信者の多くは各教会での月次祭レベルでも、はずすことに(欠席すること)恐怖をもってしまうのです。私は次回の教会祭典日は欠席することを決めたと身内の者に告げたところ、糖尿病を患うハイリスクの身なのに、家庭内のごたごたの解消を願って出席すると言います。その事情は天理教では何年も経過しているが解決しない事情なのですが。
公共交通を乗り継いで時間をかけての参拝なのに、判断する理性が働かないのです。
未来永劫、この状況が続くわけではないのだから、そして一人の判断が周囲に大きな迷惑をかけてしまう(感染)かもしれないのだからこそ、理性的な判断が当然必要だと判らない洗脳状態を人はどのように見るのだろう。
天理教のホームページには下記のお知らせが掲載されている。
信者に周知徹底したい趣旨から、ここにコピペするけれど、まさか、バリ天の人から、文句は出ないだろうね。訴えるとか脅す輩が必ずいるからね。
新型コロナウイルス感染症について 2020年02月21日 (金)
帰参者の皆様へ
新聞・ニュースで既知の通り、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者が多数確認されております。国としては、一人ひとりの咳エチケットや手洗いなどの実施の重要性を訴えています。
咳エチケットとして、マスクの着用を心掛け、マスクがない時にはティッシュやハンカチで口や鼻を覆うようにする。また、帰宅時や調理・食事前に石けんと流水による手洗いをこまめに行い、アルコールで消毒する等が感染症対策として挙げられています。帰参者の皆様におかれましては、咳エチケットや手洗いの励行、感染症予防にお努め頂きますようお願い致します。 信者部公衆衛生課
国が国なら本部も本部。すべて個人の責任落とし込む。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
情けないがこれが国の現状であり、本部の現状。(そんなことは皆さんとっくにご承知の事ですが)
これで感染したら、どのような「おさとし」をたれるのだろうか。
どなたか(万が一にもあっては困るが)感染後に受けた「おさとし」を今後、参考までにご披露ください。
上記、すみません訂正です。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
大きなしてからの ➡ 大きな視点からの
匿名 様
2020年2月22日 11:17 PM
>>新型コロナウイルス感染症について 2020年02月21日 (金)
帰参者の皆様へ
新聞・ニュースで既知の通り、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者が多数確認されております。国としては、一人ひとりの咳エチケットや手洗いなどの実施の重要性を訴えています。
咳エチケットとして、マスクの着用を心掛け、マスクがない時にはティッシュやハンカチで口や鼻を覆うようにする。また、帰宅時や調理・食事前に石けんと流水による手洗いをこまめに行い、アルコールで消毒する等が感染症対策として挙げられています。帰参者の皆様におかれましては、咳エチケットや手洗いの励行、感染症予防にお努め頂きますようお願い致します。 信者部公衆衛生課
国が国なら本部も本部。すべて個人の責任落とし込む。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
情けないがこれが国の現状であり、本部の現状。(そんなことは皆さんとっくにご承知の事ですが)
これで感染したら、どのような「おさとし」をたれるのだろうか。
どなたか(万が一にもあっては困るが)感染後に受けた「おさとし」を今後、参考までにご披露ください。<<
天理時報の記事は、天理教の責任逃れ、言い逃れ以外の何ものでもありません。コロナウィルス感染問題が完全に終息するまで、教会本部の「おつとめ」をはじめとする諸行事は全て中止するべきです。もしも、教会本部に参拝した信者さんがコロナウイルスに感染したら、ハイハイ(肺肺)という素直な心にならないからという馬鹿げた「おさとし」をするのでしょうか? 賢明なる読者の皆さん、こうした教会本部や天理時報の無責任な対応一つをとっても、天理教という宗教(?)が、「我がさえよくば」という超利己的な考え方によって動いているのが、よくわかるはずです。信者の皆さん、こんな宗教(?)に長居は無用です。即刻、離脱しましょう。
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
おさしづは、本席様が出した物ですね。つまり教祖様亡き後の教団に、親神様が出された言葉と言う事ですね。
それだけでも、当時の教団の方針が想像できますよね?
コロナウィルスはすでに、国内に入っています、そのうち一斉に患者が増えるのではないかと予想されるので、個人的には、自主回避、無用に接触を避けて不要な外出を止めると言う選択肢を取るのが正解でしょう。
私の教団でも、神の守護があれば大丈夫とか言う信者個人も見えますが、それは自分の内心に留めて、ウィルスの蔓延を防ぐ現実的対応を求めるべきだと思います。
こう言うのは、自己責任もありますので、当面、参拝自粛の選択肢は正しいと思いますが、お供えを集めたい団体としては、神の守護を持ち出し、自主選択させながら、内心に圧力をかけて来るのでしょうね。
もし発生しても、信者の自主的行動であり、個人の心使いが良く無いから守護が足りないとか、言うなら、公的に存在する宗教団体としては論外でしょうね。
あくまで、想定です。
お供えは、振り込みまたは郵送で、受け取る・・信者は自宅でお勤めせよ? と公式に出しても、世間的には天理教ってお金だねって、言われるのがオチ・・
年会費制なら、参拝は自粛または自己責任で無理せずにって言えるのにね。
いろいろ、個人でも団体でも、そのありようを試されていると、考えるのは、正論の一つかと思います。
政治を見ていても、世の中には理性的に考えるより、感情的にしか考えられない人の方が、多いんでしょうけどねって、思っております。
連投失礼いたします。
日本政府も、ダイヤモンドプリンセス号と言う博打クルーズ船での対応をミスっているのに、おおむね成功していると言い張る。
問題ない、問題ないって、偉い人が言い張ると、問題点の検証と改善を行う事は、偉い人の言った事の否定になるから、検証と改善が出来なくなってしまう。
パンデミックは、いろいろ社会を改善せよと言う神の与える試練だと考えた方が、正論だと思います。
私と同じ信者でも、中国は傲慢で酷い国だから神の罰だとブログに書く人もいて、あんた、それ思い込みだから、間違ってると私はコメントしています。
だったら、この先、日本も手酷いパンデミックにオリンピック中止に追い込まれる。 いや、神の罰で無くても、このまま無反省なら確実にそうなるかもしれません。
天理教においても、いろいろ上がってる声を無視して、抑えつけたままなら、信者離反、教会離脱は、そりゃあ増えるでしょうよ?それが、地球における道理と言う物でしょう。
地球においては、神の思し召しは正論とか道理として作用すると考えた方が正解に近いと思っています。
大霊界も姿は見えないし、見えない理由があるんです、想い、祈りでしか判らない世界です。
地球において、やらねばならぬ行動は、見える事ですから、簡単なんです。
理性で考えて、合理的に行動すれば良いんです。
神の守護は、行動に心で祈る事で現れると感じます。
新型コロナウィルスについて思う時、皆さんが思い起こされるのは、アルベール・カミュの<ペスト>という小説でしょう。カミュはこの小説の中で、ペストが流行したのは神の下した<罰>なのだ、としていたと思っていたのですが、今、この年になって思うと、事はそう簡単なものではないという気もしてきています。
この病気が大流行すれば、ある一帯は<死>に取り囲まれ、老いにも若きにも、死が平等に訪れて来ること、そのために、問われているのは<死>ではなく、むしろ<生>のほうであるのではないか、人間は根本的にどう生きなければならないか、まで猛省しなければならないのではないか、といこと。
これと、おやさまの言われる「病のもとは心から」ということ。
以上、復習しますと、
①新型コロナウィルスは神の下した罰ではないのか、
②これによって、人間は猛省を促され、生き方の根本まで問われている、
③「病のもとは心から」
この三ッつで、今から『三題話し』を作らなければなりません。
結論:これは私の能力を超えているナンモンです。しがって 三題話しはできません。
しかし、稚戯めいていると言われるかもしれませんが、二十歳ころに読んだカミュの<ペスト>の最後の部分が記憶に残っていて、その場面は、すでにペストの大流行は終わっていたのでしたが、カミュはこれを「ペスト菌は活動を休止しているだけであり、今はハンカチの縫い目の縁などにじっと潜伏しているが、やがてまた『人間に反省させる時』が来たら、そのときはいつでも復活する用意はある、というようなことをいていました。
カミュの<ペスト>はもう一度読み直してみたいです。
心の八つのほこりは、お互い様のエゴと支配欲からやって来るのだから、天与の健康を享受して、病まず死なず弱らずが実現されるには、エゴと支配欲に流れるエネルギーを進化生長欲に向けることが不可欠だろう。
より優しい穏やかな陽気な社会を目指して心身共に働かせる事が誠なのではないか?
先ず優しい心になりて来いというたすけ一条のオジバの人事が狂って、宗教を利用して他人を支配搾取してきた、エゴと支配欲の深い人達がリーダーになれば、お地場でさえホコリが積もるばかりだろう。
ホコリのコロナが蔓延る世界からお地場に還ってきても、教祖の様な神通力も暖かい親心も感じない、木枯らしとホコリが舞う、寂しい風景を心情を感じるんですよね。
ところで、講演家の筒井何某の教会はその後どうなっているのかな??
弱者救済か弱者タカリか? 様
2020年2月23日 4:39 PM
今の天理教は、死肉にたかるハイエナやハゲワシと同じです。我が身(教団)が生き残るために、息絶え絶えの末端教会や信者の痩せ細った肉さえあさろうとしているのです。宗教ではありません。八つのホコリにまみれきった団体が、今さら何をあがいているのでしょう? 末路はもう間近です。
崩壊さんは、かなり教団に厳しい気持ちがあるのは、良く判りますけども
書きよう、表現、繰り返しからの印象は、強い執念、怨念すら感じて
崩壊さんと言う人物に対する印象も落ちてしまい、逆にコメントの説得力も落ちるので
その辺は、もうちょっと客観的にプロデュースされた方が、よろしいかと思いますよ。
余計なお世話でしょうが。
印象の良い人の批判と、憎しみばかりの人の批判では、受け取られ方も違いますからね。
天理教教会本部は2月26日の月次祭の参拝客の受け入れを中止することを決定すべきだ。
それくらいの社会的責任を負っていると理解しています。
安全とは、危険を予知して、その危険を未然に防ぐ技術です。これくらいのことが分からなくて何が宗教法人を名乗ることができるのか。今からでも遅くないでしょう。代表役員は学習能力の有無を問われている。
何も起こらなくて良かったでは済まされない問題だと思っています。
本日23日18:30分からの加藤厚労相省臣の記者会見での一部内容です。
「(新型コロナウイルス患者が増加する)スピードと言いますか、角度は、対策によって高くも低くもできるという専門家の方々からいわれております。」
初めて、患者数増加のグラフ(イメージ的なもの)を示して、国民の対応を求めていました。
この時点で、まだ、国民の自覚を促すだけで、国が例えば外出制限をかけるというレベルの考えは持ち合わせていないことが判明したものです。国民生活への影響の大きさを考えての事なのでしょう。
陰性を示したクルーズ船からの下船者に対しても「不要不急の外出は控えてください」程度のお願いなので聞く者に危機感はあまり伝わらないと思います。大臣の言葉には国民からの忖度を求めている感すら受け取った私は過剰反応者なのでしょうか。(笑)
とは言え、患者数が爆発的に増加すると医療機関で対応できなくなる事を防ぐことが重要だということは認識されているからこそ、イメージ的なグラフを示しての説明をしたのでしょう。
問題対応初期からの厚労省の危機感の薄い対応がここまでの感染の広がりを招いたことは誰の目にも明らかな事です。さて、翻って天理教本部の見解は相も変わらずなのでしょうか。
唇~寒し~日本国~天理教~
そして天皇誕生食事会・・・さぶっ・・・・
× 加藤厚労相省臣
〇 加藤厚労省大臣
恥ずかしながらの訂正です。m(__)m
2/23(日) 17:32 東海テレビの報道です。
『名古屋市は23日、市内に住む70代の男女2人が新型コロナウイルスに感染していたと発表しました。
愛知県内で感染が確認されたのは17人目です。
感染が分かったのは、名古屋市に住む70代の男女で、
いずれもハワイ旅行から帰国後に感染が判明した60代の女性が訪れた市内の屋内施設で感染したとみられていてます。2人とも容体は安定しているということです。』
この施設で感染したとみられる10人(愛知県内の感染者は17人)は、たった一人の女性からの感染でした。
夫婦でハワイ旅行から帰国後、夫が感染し入院中のことで、妻は濃厚接触者として自宅待機すべきではなかったかと多くの非難が寄せられているようです。
彼女の活動日・時間がはっきり特定できていることと、複数施設にわたっていることから推測すると、教えている立場の人なのかもしれません。この件は関東圏での報道はまだありません。
「施設」としか報道されていない中、良心的に当該施設からの情報がホームページに掲載されています。
☆ 言うまでもないことですが、「天理教」と置き換えて想像すれば、本部の鈍さにイラつく私の気持ちもご理解いただけるのではないかと思います。
天理教に不信感を募らせて数十年。中山家と本部が非難されることは構いません。けれど万一、感染して死亡するなんてことが起きたら、その家族は嘆くことに。
どうぞすぐに対応策を発表してください。
本部員だけでお勤めをつとめると決めてください。
参拝は遠慮するようにと布告を出してください。
各家庭で祈ればよいだけの事。
それができないのは、お賽銭が集まる機会が消えてしまうから決断できないのですかね。
バカみたい。いえ、馬鹿なのでしょう。
・・・・・・・・・・・・
《お客さまへのお知らせ》
・・・・・・・・・・・・
2月16日(日)、名古屋市熱田区保健センターからの連絡により、
新型コロナウイルスに感染した方が、当ショッピングセンター
2階「イオンスポーツクラブ3FIT」を利用されていたことが分かりました。
この連絡を受け、改めて衛生管理を徹底するため、
「イオンスポーツクラブ3FIT」は2月20日(木)から当面の間、休館いたします。
今後の営業等につきましては決定次第ご連絡いたします。
同時刻にご利用された会員さまには、イオンスポーツクラブより個別にご連絡させていただきます。
【新型コロナウイルス感染症に感染した方が施設利用した時間】
2月9日(日) 午前10:40~午後12:40
2月10日(月)午前10:05~午後1:10
2月12日(水)午前9:10~午前11:10
2月15日(土)午後1:50~午後6:10
2月16日(日)午前11:30~午後4:30
ご迷惑ご心配をおかけし誠に申し訳ございません。
イオンタウン熱田千年館内についても清掃・消毒を強化しております。
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グリーンスポーツクラブ 会員の皆様へお知らせ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2月19日(水)の深夜、保健センターからの連絡により新型コロナウイルス感染症で陽性反応の方が出た方が当施設を利用していた事がわかりました。その方のご利用時刻は13日(木)昼12:00頃からとの事です。
この連絡を受け2月20日(木)と2月21日(金)に臨時休業とし、保健所の方と連携を取り清掃消毒を行います。
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スポーツクラブ アクトスwill名古屋みなと
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日頃、スポーツクラブアクトスWill名古屋みなと店をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
この度、港保健センターからの連絡により、新型コロナウイルス感染症に感染した方が下記の日時に当施設を利用していたことがわかりました。
当該日時以外のご利用のお客様は感染の可能性はほぼございませんが、皆様に安心してご利用いただくため2月21日(金)、22日(土)に臨時休業し港保健センターの指導の下、施設内の清掃消毒作業を行います。その後におきましても港保健センターの指導のもと、適切に対処してまいります。
また、上記時刻にご利用されていました会員様の中で2月29日(土)までに次の症状がある方は、お住まいの市区町村の保健所、保険センター及び帰国者・接触者相談センターに至急ご連絡ください。
■新型コロナウイルス感染症に感染した方が当施設を利用した日時
2月14日(金) 午前10:30~12:00
2月15日(土) 午前10:00~12:15
コロナウイルス感染はもう既に初期段階では無いと専門家の話です。政府は国の経済活動への影響を考えてまだ初期段階だと小さめな認識を示していますが。20代の若い女性が呼吸器を要する重篤状態に陥っているそうです。小学校などの教育機関にも蔓延の兆しが見えています。専門家の話では今はもう既に拡大期で爆発的蔓延を今の段階で何としても抑えておきたいそうですね。
翻って人を助ける天理教。「言うべき事は言った、後はお前らの責任やで」と言わんばかりの当たり障りの無い無責任な対応です。70代80代の重症化率は格段に高くいと言われ高齢信者で何とかよろよろ立っている天理教は彼らこそ大事な存在じゃないですかね。
人を助ける天理教、、世間に向けて彼らはこう言っております。しかしやっている事は多くの皆様の批判にさらされる様な薄っぺらい対応しかしない。
命が大事、高齢者は自宅にてお祈りせよ。となぜ言えないのか、、
今後、本部三殿を防護服を着て消毒液を振りまいている情景はあり得る話です。
そこまで行ったら天理教看板の名折れだろうに。
教団トップに良心と言うものが無いと言う事実が良く分かった。
どこまでも偽物の匂いがしてきますね。
参考にならない意見
2020年2月23日 5:52 PM
>>崩壊さんは、かなり教団に厳しい気持ちがあるのは、良く判りますけども
書きよう、表現、繰り返しからの印象は、強い執念、怨念すら感じて
崩壊さんと言う人物に対する印象も落ちてしまい、逆にコメントの説得力も落ちるので
その辺は、もうちょっと客観的にプロデュースされた方が、よろしいかと思いますよ。
余計なお世話でしょうが。
印象の良い人の批判と、憎しみばかりの人の批判では、受け取られ方も違いますからね。<<
ご忠告ありがとうございます。確かにおっしゃる通りだと思いますが、この掲示板に投稿する人達は、天理教に対する、様々な思いや体験を胸に投稿されていると思います。私もその一人です。私の表現方法や言い回しは、読む人それぞれにとって、色々な印象を与えていることは十分、承知しております。私は、「印象の良い人」というイメージを読者の皆さんに抱いてもらいたいとの意図で投稿しているのではありません。また、プロデュース(作文・脚色)している訳ではありません。私は自分の思いのたけを単刀直入に投稿させていただいております。日本の新聞社や放送局でさえ、同じニュースや社会問題の伝え方一つでも会社が違えば論調や表現方法に違いがあります。前述のように、天理教に対する考え方は人それぞれ違いますので、投稿内容に差異があるのは、当然のことだと思います。私は天理教に対して私なりのスタンスで投稿をさせていただいていますが、「表現の自由、言論の自由」は日本国憲法第21条でも保障されています。私の投稿内容に干渉されるのも結構かと存じますが、まず、ご自分の投稿内容を検証されてはいかがでしょうか?
この度の新型コロナウイルスによる肺炎に対するコメントは知事クラスの方々がされていることを見ても、非常に重大なこととして捉えられていることが分かります。
如何に感染の拡大を防ぐかに腐心して居られる姿が見えてきます。それに比べて天理教は何とのんびりしていることか。少なくとも、表さんか、内さんクラスがコメントを発してもおかしくない状況じゃないんですか。
最大の問題点は、不特定多数の人々に迷惑をかける結果になるという視点が欠けていることです。本部に参拝した人だけに問題が発生するんじゃなくて、心理的な不安感が醸成され拡散される恐れがあることが問題なのであって、自分たちだけの問題じゃないということです。
どうしても参拝を容認されるのであれば、本部のあらゆるところにアルコール消毒液を配置し、全ての人にマスクを配って装着を義務付けることです。近くの小さな食品スーパーですら入り口にアルコール消毒液が置いてありますよ。
何を言っても聞き入れない教団の体質を見れば、云う方がバカバカしくなってきますが、多くの信者さんに言いたいことは、これを機に天理教から離れる絶好のチャンスだととらえているんです。
まさか、天理教を信仰していれば新型コロナウイルスによる肺炎には罹らないとでも思っておられるのだろうか。
東風Z 様
2020年2月24日 2:09 PM
>>何を言っても聞き入れない教団の体質を見れば、云う方がバカバカしくなってきますが、多くの信者さんに言いたいことは、これを機に天理教から離れる絶好のチャンスだととらえているんです。
まさか、天理教を信仰していれば新型コロナウイルスによる肺炎には罹らないとでも思っておられるのだろうか。<<
まったくその通りだと思います。教会本部に参拝すれば、親神様の御守護により新型コロナウィルスに感染しないとでも考えているのでしょうか? もし何事も無く、月次祭が終了すれば、結果オーライで、「親神様の御守護のお陰で」というように天理教独特の「こじつけ」をするのでしょうか? しかし、感染症だけに、参拝者が家に帰られる途上、あるいは、家に帰られてから2次感染、3次感染、4次感染が、あたかも「将棋だおし」のように引き起こされる危険性もあります。教会本部はそこまで考えているのでしょうか?
これ迄政府の意向を汲んだかのような発言をしていた元WHO関係者が、今日24日になってようやく発言を変えてきた。
「このウイルスは手強い」・・・・アリバイつくりの発言か?一般人を馬鹿にしている。
爆発的感染の元となった韓国の教会での参拝方法・状況を指して、感染リスクが高いと説明。
腕を差し伸べれば隣の人の体に届くほどのスペース。
長時間の会話。(お祈り)
飲食を共にする席。
・・・・これは天理教と全く同じ条件。
天理教本部は発病は個人の責任に落とし込むつもりなのだろう。心つかいで積んだホコリの結果だとか因縁だとか。感染の機会を放置することは、場合によっては殺人に至る道を放置したことになるのだが、信仰者の心はそれでも痛まないのだろうか。
お賽銭箱に投げ込まれる「お金」の取れ高を気にするあまり、参拝中止の決断ができないのだろう。
万が一にも信者が感染しても、その行動歴を天理教参拝と告白しなければ隠しおおせるからと、教団への帰属意識の高さに期待しているのか。
ところで教会によって感染防止の対応策に違いもでているようだ。
ある分教会はちゃんとアルコール系手指消毒薬を玄関に設置している。
その上級大教会は玄関は勿論、トイレにも設置。
ところが、ある大教会は全く用意なし。勿論トイレにもなし。
でも、多分大教会長宅には用意してあるのだろうと邪推したくなる。なにせ自分たち一家が一番大切な人たちなのだから。信者のことなんてイベントの頭数にしか見ていない。多くの人が不満に感じているが、何しろ信者の方が格段と悟りが深いから、たわごとは聞き流すことで信仰を続けてる。
全くバカバカしい限りだ。
24日になっても動かない本部。
もう、やる気が無いのだろう。やはり何を言ってもダメな中山家と本部なのだね。
須藤花井さんの予言にあった「黒門の前に死人がかさなり、各家は戸を立ててひっそりする(意訳)」は1年ほど前のことかと思っていたが、この新型コロナウイルス蔓延を予言していたのだろうか。そういえば黒門撤去をした時はこの予言を思い出して笑ってしまった。
コロナウイルスで宗教団体の集会も禁止すべき事態です。天理教も月次際をコロナが終わるまで中止すべきです。全国から集まり全国に散らばる この行動そのものがウイルスを蔓延させる元となります。
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55924820R20C20A2PPD000/
以前、このサイトで知った「昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)」ですが、最近の事象に通ずる内容があったので再度紹介します。
・・・(中略)
(②) 病気の原因となった埃、即ち物欲を除去することによって救われるという教理でありながら、その物欲の結晶たる物質を献納せよ、その交換条件として疾病が救治されると言う矛盾、そしてここに悲しむべき生活資力の放棄と私経済の破壊が起こる。
(③) 医療の功を認めず、これを否定し、療病の唯一絶対の方法を「たんのう」に求める結果、無知から起こる不自然な生活をなさしめる。安静を必要とする結核や腎臓病に日の寄進なる奉仕労働を強い、食生活を無視させる等治療の目的に逆行せしめる。現に丹波市町は日本一の確率の結核死亡率を示している。これは、奈良県衛生深砂川技師が統計の上で発表した。阪大教授今村荒男博士は、日本一とは世界一の死亡率であり、迷信禍宗教悪の恐るべきを指摘し、これを学界及び大衆に発表して天理教本部の猛省を求めた。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
この資料には、私が子供の頃よく聞かされた身上諭しについても多く記載されていて、そのトンデモなさに今読むと笑ってしまいます。八つの埃を全て揃えるとライ病とは・・・。
しかし昭和11年の時点で既に、天理教という組織について、特に搾取の手口に関してなど、かなり正確で客観的な調査・分析がなされているものだと感心しました。
それにしても結核死亡率が日本一なんて不名誉な記録を作ったものです。もしも天理市を爆心地として感染爆発でもあった日には、地下鉄サリン事件よりも大きな人的被害を出した宗教として歴史に名を遺すことになるのかもしれません。
天理教幹部は月次祭他諸行事を強行しウイルス感染拡大の一翼を担うのですか?
人助け、世界助けを語るなら、国民のこれ以上の不幸を食い止める行為は諸行事の中止です。拡大原因を作る機会を一つでも多く持たない事。誠実で賢明な決断をし、いち早く率先して行動に移す、人助けのイロハのいの字だと思います。
申し訳無いが天理に参拝する人だけ感染しないとお思いですか?天理に今居る神は、残念立腹の神なんですよ。今の本部はご守護なんていただける環境にないんですよ。
今自粛しないと大変な事になる、と医療従事者の警告が日に日に熱を帯びているのだが。善亮、大亮の脳みそは今何を思考してるんでしょう?真柱は口がきけないのか?真柱は身体は不自由だが思考は出来てるんでしょうに。トップとしての責任感と言うものはないのか?子を思う親心は無いのか。本部の無責任で感染拡大を手助けし、肺炎を起こしバタバタ死んで行く、、。まことに本部の考えは殺人助長とも言えるのではないか。
>「黒門の前に死人がかさなり、各家は戸を立ててひっそりする」
これは須藤花井さんの預言ではなく おや様が存命中に周囲の人に話していたようです。
私の母親は、所属の教会の初代会長から聞いたようです。
私は、小学4年か5年頃に母親から聞きました。
この話について須藤さんに質問したら これは第三次世界大戦の様子だ説明してくれました。
以前 海外よりさんが ほぼ同じ内容の話を母親から聞いたと投稿されていました。
平成8年に須藤さんは以下の様な事を話してくれました。
「あのな 5月になったらな 天理にお参りに来る者はおらんようになるからな」
この話は、複数の人が須藤さんから直接聞いているようです。
天理在住の知人も聞いており、昨年までは3月から4月頃 朝鮮半島で再び戦争でも始まるのかなと話していましたが、先月下旬に知人から「もしかしたらコロナウイルスの影響で5月頃になったら参拝者が来なくなるのかも?」と話がありました。
全く関係ないかもしれませんが・・・?
匿名 様
2020年2月25日 9:17 AM
>>天理教幹部は月次祭他諸行事を強行しウイルス感染拡大の一翼を担うのですか?
人助け、世界助けを語るなら、国民のこれ以上の不幸を食い止める行為は諸行事の中止です。拡大原因を作る機会を一つでも多く持たない事。誠実で賢明な決断をし、いち早く率先して行動に移す、人助けのイロハのいの字だと思います。<<
人助けのイロハのいの字すら無い教団に何を言っても無駄です。誠実で賢明な決断ができる教団であれば、今日のように衰退はしなかったはずです。信者さん一人一人、我が身を守るのは自分自身です。明日、2月26日、教会本部の月次祭に参拝してコロナウィルスに感染しても、教会本部は「知らぬ存ぜぬ」を決め込むのは目に見えています。信者の皆さん、我が身は我が身で守りましょう。
今、ウイルスは全国に拡がっている。感染者も24日の時点で日本国内だけで145人、死亡者1人、これはクルーズ船で罹患した人を除いての数字だ。先日、クルーズ船から下船した日本人達も、各県の自宅へ帰宅した。その人たちが陰性のままなのかどうか、解らない。
26日、全国16677か所の教会から一斉に会長さんや信者さんらがおぢばに集まって来る。ちょっとした民族大移動だ。おぢばの神殿だけに、感染の危険があるのではない。感染者のいる地域から来る人もいるだろう。また、移動の途中に感染する場合もある。旅の途中で、ウイルス保持者の中国人から感染するかもしれない。そして感染した人たちが何人かいるかもしれない神殿に、祭典、講話を含めて2時間以上密集するのだ。この怖さを、もっと真剣に考えるべきである。
政府は大勢集まるイベントの中止、学校の休校なども勧めている。
本部は、今からでも各大教会に通達し、おぢば参拝は取りやめるように、上級教会から部内に連絡させるべきだ。もう遠方からは出発している人もいるかもしれないが、仕方がない。できるだけのことはすべきだ。もし、本部の人たちが、信者らの感染より、お供えの減ることの方の心配をしているのなら、失望というか、もう言葉が無い。
匿名 様
2020年2月25日 4:36 PM
>>もし、本部の人たちが、信者らの感染より、お供えの減ることの方の心配をしているのなら、失望というか、もう言葉が無い。<<
本部神殿の至る所に置いてある賽銭箱や、大屋根を支える巨大円柱の根元にある賽銭投入口の「これでもかと言わんばかりの数の多さ」を考えれば、毎月の月次祭は教会本部にとって「お供え儲け」の貴重な機会ではないのでしょうか? 本当に参拝者の健康や命を真剣に考えているのであれば、明日の月次祭は中止するはずです。いくら本部神殿が広いと言えども、飛沫感染を防止するためには、人と人の間を最低2メートル空けなければならないということです。
この世で自分の身を守るのは、最後は自分では無いですか?
参考意見様の貼り付けた資料を見たら、戦前から、天理教は感染症の発生などについて、政府から注意を受けてると書いてある。
まず、教団から、参拝中止、自宅にて静穏にしろなんて、言わないでしょう。
まあ、月次祭だからって、今はそんなにおぢばに参集しないもんね、割とガラガラですから、恐れるほどの問題にはならないでしょう、何しろ政府が、感染者数を増やしたく無いから検査も控えてるんだもんね。 潜伏感染者はもう、パンデミック寸前だと予想されていて、国が検査もしないんだから今更、天理教が責任を責められる様な事態にはならないでしょう、それほど今の天理教は社会に影響力を持ってはいない。
とりあえず、自宅で静かにしていたら良いんです、呼び出されたら、風邪で熱っぽいのでご無礼しますって言えば、大丈夫でしょう。
どっちみち教団は何にも責任取らないし、何もケアしないんだから、自分の身は自分で守っても、良いんじゃ無いの?
まあ、最初からそう思える人は、言われなくても、行かないでしょうけどね?
勇んで行く人は、全て自己責任だと、親神様を信じて特攻するしか無いでしょう。
月次祭は中止など考えられず強行したいのだろうけど、驚くことに天理教のHPを見る限り、25日の午後と26日の午後(どちらも13:00~15:00)おやさと講演会まで通常通りの様です。館の東講堂という密室の場所で行うようですが、現在の感染被害の懸念されるこの非常時に講演会に参加する信者などいるのでしょうか?それにしてもせめて講演会くらい中止の決断が出来なかったのでしょうか?感染が起こってしまう恐れの危機感がなったく感じされません。
退職した元信者様、詳細情報をありがとうございました。
私のうろ覚えな記憶が訂正されてありがたく思います。
この度お寄せくださった情報で、なお一層、この預言が身に染みて感じられます。
この社会学板は本部関係者も閲覧しているようなので、おや様のこの言葉を、もう、「知らぬ存ぜぬ」では許されないことになるかもしれません。
おや様の言葉を複数の人が聞いていたという事実、この一点を無視している事だけでも、あってはならない事です。良心が有るのならば、いたずらにネット発言の監視をしている不毛の作業に励んでいないで、肝心かなめの「やるべき事」は何かを考えてください。
人それぞれの受け止め方、考え方が有るから、私見をごり押しすることはしません。
けれど、多くの人の安全を考えるのならば、本部行事は中山家一族と本部関係者でやる、このくらいの気概を示すべきでしょう。
なにせ、「血統正しき御一族様」であり、今日まで信者の皆様から寄せられたお供えで生きてこられた面々なのですから、ここ一番という今こそ、「ご恩返し」行動にとりかかるべきではないでしょうかね。
「御恩報じ」は一般信者だけに向けられる言葉なのですか?
中山家ご一統様は、一般信者様にむけて「御恩報じ」を果たす絶好の機会ですよ。
高額報酬を得ている本部員さん方々、信者さんへの「御恩報じ」のため、準備・実行・撤収まで、下々を使うことなく、あなた方とあなた方の家族を集めて実行して見せてください。
これ迄受けた恩恵は、すべて信者のお供えからいただいてきたのですから家族総出で恩返ししましょう。
無観客試合という決断ができる人たちも存在します。どれほどの興行収入を失うかもしれないのに、ファンの健康安全を優先した大人の決断です。このような立派な決断を天理教に求める事は無理なのでしょうか。
また来月もくる月次祭。4月の婦人会。
思考停止は何も天理教だけではなく日本人の持つ傾向とも言えますが、欲を捨てて、よーーーーーく、考えれば判る事。
いずれ収束するまでの期間限定なのですから、覚悟を決めてやって見せてください。
匿名
2020年2月26日 8:08 AM
住吉大社での土俵入りが新型ウイルス拡大防止のため中止されました。一方、世間知らず中山家が運営する天理教と名乗るカルト宗教は月次際と言われる月1の祭典を中止にはしないのでしょうか?
天理教では最近「金のつなぎは命のつなぎ」と言う狭義が盛り込まれたので金を繋がないと新型ウイルスにかかるとでも言うのでしょうか?
日本の新興宗教である幸福の科学では、「感染撃退祈願」と銘打って奉納目安1万円と言っています。やはり天理教も他の新興カルト宗教となんら変わりない証拠ですね。
コロナも 天理教の異端で中枢部に規制している中山カルトの本性暴く為に神の思し召しなのでしょうかね。成ってくるのが天の理 ですものね!善亮さんwww
大相撲 住吉大社での横綱土俵入り中止 新型ウイルス拡大防止
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012302061000.html
各地の青年会では、新型コロナ流行の世間の対応を見た上でも、行事や総会を執り行う所が多々あるようです。
学生会行事や少年会のおつとめまなびは軒並み中止を決めています。
婦人会と青年会は止まれない列車の様な状態なんですかね?
月次祭やめたほうが良いですよね。教団の収入の多くは老人の年金だっと聞きます。コロナで死ぬ方のほとんどが老人です。早かれ遅かれまた一段と収入は落ちます。これは神様の異端討伐の御守護ですね。
うちの大教会は婦人会110周年記念祭に向けて広く信者にお供えの要請をしています。下から下から順番に大教会へ。その金は当然本部に上がっていきます。本部は全国の大教会から莫大な記念祭のお供えを貰う流れになっている筈です。婦人会記念祭を中止したらそのお供えを受け取る筋道が宙に浮くから中止に躊躇しているのか?
記念祭やらなかったじゃないか、金だけ受け取るのか?って言われたくない。
人の命は軽んずるがお金は一番の関心事。もう見え見えな感じです。
中山家はいつまで天理教のふりをしているのですか?大亮に変わる際に善亮大亮アホ親子教団にでも改名して良いので早く出て行ってください。出て行かないから事情身上ばかり起きてる事に気がつかない宗教指導者とかただの笑いものです。
昨日の神殿は本当にすきすきでした。祭文奏上の頃でもすーっとかんろだいの一番前までいけました。
結果が分かるのは三日後くらいですが天理教から一人でもコロナが発生すれば修養科、講習も中止となるだろうしそれより世間様からひどくたたかれるだろうなと思います。
中山家だけでなく大教会をはじめ今の組織では末端の教会に生まれたものは何もモチベーションがなく
根性論では到底やっていけないだろうなと思います。
いくら、親神様と教祖が信仰の対象であり組織がどうであろうが関係ないと言われてもです。
新型コロナは神の警笛であり、日本をはじめ天理教が試されているんだろうなと思います。
中山家のことは死の扉にもありますようにあの頃から狂っているんだろうなと思います。
死の扉の前での最後から10頁前ぐらいから糖尿病の2代さんの話がでてきますが、あれから60年、70年たっているのに今の天理教と全く同じような状況が書かれています。
情けないどのよに思案したとても人をたすける心ないので
信仰家ではなく信仰ビジネスと化した教会長のすがたもかかれています。現代と全く一緒です。
まず、あり得ないことだと承知しながら馬鹿な質問を敢えて投稿しますが、教会本部は月次祭はしても、コロナ撲滅の「お願いつとめ」はしないのでしょうか?
崩壊 様
> コロナ撲滅の「お願いつとめ」はしないのでしょうか?
実は、私も ↑ そう思っていました。
集団で「お願い勤め」をすると、その思いは天に届くのではないか。
でも、いかんせん、「人を助けるこころがない」
じゃあ、というので、せめて形だけでもお願い勤めをすれば、カッコウがつき、世間に顔向けもできそうなものだが・・と思うんですが、これもダメ。災いが我が身に降りかかってこないうちは、動こうという気配はない。
「お願い勤め?・・へっ!!バカバカしい。こんなものやったって、何のキキメがある?」
まさか、そう思っているんじゃないか、と疑ってしまう。
違うっつ~の!、<誰がために鐘(警鐘の鐘)は鳴る>だ。新型ウィルスの、この警鐘の鐘は、あんたのところにもいくかもしれないんだ。あんたのために鐘は鳴っているのだ。
>>「お願い勤め?・・へっ!!バカバカしい。こんなものやったって、何のキキメがある?」<<
それが、教会本部の本心でしょう。お勤めは人たすけの為にあるのではなく、金儲けの為にあるのですから。
うちの教会の次男坊は天理大学の授業で、布教部の先生による「おさづけ」を見学したそうです。末期がんで七転八倒していた患者が、見る間に静まって眠りについたと話していましたが、これが「憩の家」で行われたのであれば多分にヤラセ臭いような気がします。
上田ナライトを排除して中山たまえが渡すようになった「おさづけ」も真柱の病気によって効果のないパチモンと証明されたようなもの。このうえ「願いつとめ」なんぞやれば、さらに効果のないパチモンと証明してしまうだけだと、本部はよく承知しているのだと思います。
哀しいかな。天理教教団本部に人を助ける心無いので、、。
3流、4流の宗教団体と呼ばせて貰おうと思いましたが、ランクをつけようも無い。
つまり宗教団体とは呼べない本当のパチモンだった事が今回の対応を見て判明したと思う。
今回の月次祭強行も腹の底は見え見えです。
崩壊様が言っておられますがもう一度私めも言わせていただきます。
「本部月次祭のお勤めは人助けの為にあるのでは無く我々の金儲けのためにあるのだ。命の繋ぎは金だと言っておるだろうが。月次祭に来て音のしない紙の賽銭を落として命を繋げ!わしらは信者がコロナに感染しようが、拡散しようが知った事じゃ無い。次の婦人会総会も金儲けの旬だ。強行するで。」
それにしても真柱は発言権は無いのか?あれは単に飾りか?
善亮の胸の内を代弁させて頂きました。
このような資料も見られるとは良い時代になったものだと思います。あと半世紀早くインターネットが登場していたら、百年祭の悲劇も防ぐことができたかも。
https://donburi.accountant/history/?ds=84875&do=5&cname=%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E5%A0%B4%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
参考意見 2020年2月27日 1:58 PM 様
>うちの教会の次男坊は天理大学の授業で、布教部の先生による「おさづけ」を見学したそうです。末期がんで七転八倒していた患者が、見る間に静まって眠りについたと話していましたが、これが「憩の家」で行われたのであれば多分にヤラセ臭いような気がします。
憩いの家で行われたのであれば、病院の、眠り薬の入った、痛みを緩和する薬が、ちょうど効いてくる頃だったのかもしれませんね。
「本部月次祭のお勤めは人助けの為にあるのでは無く我々の金儲けのためにあるのだ。命の繋ぎは金だと言っておるだろうが。月次祭に来て音のしない紙の賽銭を落として命を繋げ!わしらは信者がコロナに感染しようが、拡散しようが知った事じゃ無い。次の婦人会総会も金儲けの旬だ。強行するで。」
その通りです。音のしない紙の賽銭を投入して命をつなげるのであれば、古新聞紙を紙幣サイズに裁断し、無記名で古封筒に入れて賽銭箱に投入したほうが、コスパ的観点からもベストだと思います。(語弊のある表現かも知れませんが?)天理教の「お供え」とはそれほど意味のない無駄なものです。
匿名 様
2020年2月27日 4:56 PM
>>憩いの家で行われたのであれば、病院の、眠り薬の入った、痛みを緩和する薬が、ちょうど効いてくる頃だったのかもしれませんね。<<
おそらく、医療用モルヒネを投与されて一時的に痛みが緩和しただけのことでしょう。太平洋戦争に従軍された帝国海軍軍人(故人)に聴いた話ですが、船酔いが激しく戦力にならない兵士に軍医がモルヒネを投与し、無理矢理、戦力として酷使していたそうです。
私は単純に、偽の患者を使った演技かと思っていたのですが、そうか!モルヒネという手がありましたね。
もうね、学生会の行事の中止だの、みみっちいこと言っとらんで、
欲に切りない泥水の「今だけ、金だけ、自分だけ」の、
現行天理教団を 『中止』 すればいいのじゃ。 by 親神
全国で興行中止が相次いで居ます。ウイルス蔓延、拡大阻止の為の苦渋の決断です。皆、倒産覚悟、しかし人命には変えられないと言う事での決断です。
天理教も此の期に及んで明らかに金儲けの興行は中止すべきです。何を躊躇してるんでしょう?皆さま言われるように、本部員だけで命がけでお勤めをすべきだと思います。(鳴り物を度々間違うようでは神に祈りは届きませんよ。老婆心ながら、、。)
天気中山教、倒産したって本望じゃないですか。コロナから信者を守り、拡散を防ぎ、間違え、間違え、お勤めをし、多くの人を助けた?訳ですから。
天気→天理の訂正です。
匿名 様
2020年2月28日 8:21 AM
>>天理教も此の期に及んで明らかに金儲けの興行は中止すべきです。何を躊躇してるんでしょう?皆さま言われるように、本部員だけで命がけでお勤めをすべきだと思います。(鳴り物を度々間違うようでは神に祈りは届きませんよ。老婆心ながら、、。) <<
天理教の化けの皮が剥がれた今になって、教会本部もわざわざ金にならない「お願いつとめ」などしないでしょう。「金に結びつかないことは一切しない」それが天理教です。
親神やおみち の本当の意味
天理教は、親神(おやがみ)やおみち 等の言葉を多用しますが、これらの意味を考えると、今現在の中山体制が見えてきます。
単刀直入に言いますと、「金のつなぎは命のつなぎ」で明らかになったのですが、おみち は「中山家に金を運ぶお道」 でしかない。
親神は、これが不思議なことに、みかぐらうた、おふでさき、おさしず の3原典には「神や月日」は出てくるが、親神はほとんど出てこない。むしろないのでは無いでしょうか?つまり、教祖は使っておらず、後の造語となるわけです。はっきりもうしますと、親神自体が嘘となります。
ではその実態は、「金のつなぎは命のつなぎ」を訂正しない中山家の横暴と頭おおかしさから鑑みてみますと、親神とは、中山家をさしている言葉になります。つまり中山家は自らの事を神と思いこんでいるのでしょう。
「そんな馬鹿な!」
とお思いの方も居るでしょうが、甘露台倒壊の事を思い出してみてください。あの当時、後継者大亮の結婚を控え、倒壊の後即修復してしまいました。
善亮も「甘露台が無いとなんともさびしいものです」と神の聖地と思えない私物を失ったかのような発言を残している。
大亮に関しては、自身のツイッターで、NYセンターの社を「カッコイイ!」とそのまま写真を載せています。
これは中山家が何を言い訳しても彼らの行動がそう表している証拠となります。
親神、おみち と銘打って、信者を騙し、今現在も騙している中山家だったという事です。
追伸
今後どうなるのでしょう? このまま居座れば、以前より言われている「中庭宗教裁判」はおこなわれる事は確実でしょう。
親神 おみち の本当の意味
2020年2月28日 7:07 PM
親神と言う言葉おかしいですよね。神の親などと言うと一神教的で日本の宗教ではない。やはりこれも二代真柱がバチカンに影響を受けて改ざんしたのでしょうか、それに親神は中山家と言う観点とても興味深く見させてもらいこれは確信を射ている。中山家の教団の私物化が告げられてきましたがこの疑いを解消するもにも教団を去った方が良いのですが、彼らは教団が私物で我ら中山が親神であると言っているのと同じ状況を作り出しているのですね。だから中田善亮は「金のつなぎは命のつなぎ」等と到底宗教ではありえない言葉を発することが出来たのでしょう。いくら財政が厳しくても、教義の如く信者を誑かしてはいけない。それを訂正もせず今日に至る。しかも新型肺炎で世があれる中も集会を中止しない反社会的集団であるのが現在の天理教です。今月も月次祭と言われる金のつなぎ集会はおこなわれ、それと同時に新型肺炎ウイルスも全国に撒き散らされたに違いありません。これは後に大問題になる出来事になるでしょう。おみちと言う名の誤った道とは正に非行と同じなので、やはり中山体制の教団からは離脱したほうが良いのでしょう。
これまで何度も言ってきたことですが「天理」とか「天の理」という言葉自体が「おふでさき」には無いのですから。「天理王命」という神名も「天理教」という組織も、全て中山・梶本・山澤家を中心とする宗教屋たちが知恵を寄せ合って考え出したもの。
しかし言われてみると、確かに「親神」という言葉も出てきませんね。「親」を強調するようになったのは、おそらく「理の親」という偽教理による、封建的な支配体制の確立が目的だったのでしょう。
その「親」という言葉から、ふと頭に浮かんだ話。
中山家の女中で、善兵衛の妾で、殺人未遂なんぞやらかしたあげく、牛に生まれ変わったという「おかの」。その姿を指して教祖は「あれが、おかのの成れの果ての姿やで。色情をつかって金をとった者の姿や」とお聞かせ下されたとか。
女性が職業を持てなかった時代。16世紀のベネチアほど極端でなくとも、生きるために結婚か職業的娼婦という選択を迫られたような時代に、教祖が女郎を貶めるような発言をしたとも思えないのですが、私が気になるのは次の一言。
「親のため、家のため女郎になった者は、牛馬には堕ちんで。」
つまり親のために女郎になるのはOKだと。天理教では実の親以上に理の親が大事。ならば理の親のため、すなわちお供えのために女郎になるのは、むしろ良いことなのだと。言い換えれば、売春をしてでもお供えをせよ。
・・・と、このように誘導するために作られた話のような気がします。借金してでもなんてサラっと言ってのける輩ですから。実際、お供えのために娘を売ったなんて親もいたそうですし。
天理教では実の親以上に理の親が大事。ならば理の親のため、すなわちお供えのために女郎になるのは、むしろ良いことなのだと。言い換えれば、売春をしてでもお供えをせよ。<<
その昔、天理教偽教理に騙された天理教徒が娘を売ってお供え金を用立てた話は「死の扉の前で」に芹沢先生が書かれていたと思います。
現実には背筋が凍るような話ですが、二代が巡教先で中学生を夜のお伴に所望していたのは有名な話で、天理教は仮面を被った犯罪者集団。今でもお供え金を巡っては恐喝、詐欺まがいの集金手法が取られていて何でもあり、でしょう。
私の知っている会長は古い信者に「太鼓を買うからちょっと貸して」と大金を借り、「返してと言われても後は返さん」と言って笑ってました。貸した方は、いつまでも返して貰えず、「神さまに供えた」と思って泣き寝入りだったそうですが、この会長はこの流れを想定した上での確信犯です。
ダニ以下の会長ですが、大きな顔してました。こんなのがまかり通るのが天理教世界です。
14時のミュージックサイレンが27日から停止しており、
本部としてはもう鳴らさないらしいんですが、
詳しい事情を何かご存知の方いらっしゃいますか?
本部の人達も、ぶっちゃけ2時にいちいち活動停止するのが
めんどくさくなったんでしょうかねぇ 笑
匿名
2020年2月29日 1:17 AM
現在の中山家の人々はぶっちゃけ教祖の事なんてどうでもいいと思ってますからね。「親神は中山であり中山は親神である。」と思っていると言われてももう過言では無いでしょう。当教会の会長さんも修理巡教に来た先生に「善亮さんのせいや!」と言ってあげたそうですw その声は修理巡教の先生で止まってしまってるでしょうが、その先生も何も言い返せなかったと聞きます。もう引き返せない所まできました。今後教団と共に衰退していく淫行2代真柱の血を引く、悪因縁悪党集団中山家を黙って眺め続けると致します。
さんげが足りぬのは悪因縁中山家です。
吹き出た因縁とめど無く、知らぬ存ぜぬ信者と金は離れゆく、縁者側近は善亮を裏切り、善亮のせいで治めるのか まさにこれぞ 金のつなぎは命のつなぎか 見るも無残な悲劇の続く
性欲怪物中山正善の末裔は信者に偉そうに講釈たれる暇があったら早く因縁納消すべきじゃないですか知らないふりをしていてもだめ私の知人でも正善の婚外子の血筋の人が沢山居ます。その人たちらは本家からあしらわれています。その人たちらの怒りも無かったことですか?骨肉の争いは怖いですね。
お金がないからでしょうね。ミュージックサイレン
匿名 様(2020年2月29日)
≫ 私の知人でも正善の婚外子の血筋の人が沢山居ます。
そうなんですか。婚外子という事は認知だけはしているということなのでしょうか。
黒歴史は忘れ去られば無かったことにもなりますから、どなたか知る限りの事実を
記録されてはいかがでしょうか。
子供の頃から教会へ通っていた中、どうも、天理教は「色情因縁」ともいうべき色恋沙汰が多い教団だと見ています。多くの人が集まれば、人も動物も同じく本能があることから、きれいごとを言うなと笑う向きも有るかもしれません。けれど、何十年も天理教の人たちを見ていると、「金のかからない娯楽」としか思っていないような気がしてならないのです。
つまり、「親が親なら・・・」とばかりに。二代真柱を親と呼ぶならばの皮肉ですが。
衰退期に在る天理教はとうの昔から、モラル崩壊から、内部崩壊が進んでいたと、年寄りの観察結果です。
うちの大教会の奥さんは妙に色っぽくて、男性に語り掛ける時はすり寄るように話していますが、女性たちには笑顔をむけるときは少ない(ほとんど見たことが無い)ように感じています。ほんと、すり寄るように身をくねらせて・・・。気持ち悪くゾッとしますが、代々色情因縁の教会だからかとも思えます。(色情因縁などという表現を、あえて使いました。要するに個人の傾向を表しているだけで、天理教の教えを「おちょくって」みただけです。)
・・・・信者に向かって因縁を説くのが通例でしょうが、大教会と言えども「因縁まみれ」の姿は、信仰していても因縁なんて切れない事を証明している訳でしょう。出直しなんてことに惑わされず、今の人生を誠実に生きていく事こそ、人間の務めだと思います。
匿名 様
2020年2月29日 1:17 AM
>>14時のミュージックサイレンが27日から停止しており、
本部としてはもう鳴らさないらしいんですが、
詳しい事情を何かご存知の方いらっしゃいますか?<<
教会本部は教祖崇拝から中山家崇拝へと信者の意識を逸らそうとしているようにも思えます。中山家一局集中体制を作りたいのではないでしょうか。
匿名 様
2020年2月29日 12:26 PM
>>衰退期に在る天理教はとうの昔から、モラル崩壊から、内部崩壊が進んでいたと、年寄りの観察結果です。<<
その通りだと思います。モラル(道徳・倫理)とは人間のあるべき姿、人間の生きる道として、宗教の違いや範疇を超えて存在するものです。宗教とはモラルという次元を超越して、人間をはじめ万物のあるべき姿を説くものだと思います。モラル自体が崩壊している宗教は宗教ではありません。
2時のサイレンですが、Twitter情報では、本日は鳴ったらしいですね。
ならばただの故障とかメンテナンスだったのでしょうか。
教団の衰退は明らかに中山家のせいです。真柱の発する諭達の道一条(教会だけに専念する意味)どおりやっての結果です。末端教会は貧しくお供えのために尽くしてきました。しかし今になってその財政難が本部でも現れただけでわめいてる中田善亮をはじめとする中山家と血族本部には呆れます。出て行けと言う人の言葉がごもっともで、責任を感じているなら中山家一族郎党、教団を後にすべきです。金のつなぎは命のつなぎなどとほのめかし、法人乗っ取り、部内無担任教会の土地を返せとの発言にも本部の馬鹿さすら感じました。無責任な中山家に憤りしか感じません。無能なのは中山家です。この意味を理解できない無能さも持ち合わせているのでしょう。初代真柱は首の身上で死亡、2代真柱は色情因縁で性病で死亡との噂あり、3代真柱は歌ときれいごと、4代は何もせず頭の身上、この様はなんですか?中山家に偉そうに言われたくないですね。これが全国の信者用木の本音です。だれも中山家ありきの教団の復興なんて願ってません。大変な事態になる前に教団を後にされるべきでしょう。
中山家の方針は中山家だけが得する方針だと皆からの文句しかでません。土地返せから、「中山家は本当信者のことなんて考えてないんだ・・・」と皆さんの知れるところになりました。
これほどの悪しき因縁を積んできて、今日になり限界を突破し神の堪忍袋の緒も切れ、神の立腹が続く中、反省の色も一つも無い中山家には神が様々な命の取り方をするのでしょう。
全ては神のかしもの、全てはかりもの。心どおりの神の守護、心一つ自由用。
中山家や教団幹部家に対する神の心どおりの返しも、怖いものですね。
病まず死なず弱らずの天啓者が現れて、現象と心の道の関係「理」を詳しく説き聞かせて頂ける日はいつになったら来るのでしょう。
本来なら、短命や難病や血族が中断する事が少なくなってくる筈のお道の幹部家のひな形が本部で見られる筈ですが、現状は、、、。やっぱり本部人事に根本問題があるのでしょう。
↑
>>やっぱり本部人事に根本問題があるのでしょう。<<
本部人事というより、中山家を筆頭とする教会本部一族郎党が狂っているのです。
新型コロナウイルスの感染拡大が続いている、から始まる時報の「視点」。
表題は、「日々月々のおつとめに心を込めて」である。
誰に向けて言ってるのだろう。時報社は真柱邸、善亮邸、本部員邸に各1000部づつ切り抜きにして送りつけるべきです。
毎月毎月、やる気のない間違いだらけの本部勤め。この表題はそっくり本部にお返しします。「本部は月々のお勤めに心を込めてやれ」
本部員による心を込めないチャランポラン、間違いだらけのお勤めに全国教会長が自教会を留守にしてまでして、祈りを捧げに来ているのです。人に説教垂れる前に本部自らの足元をしっかり見つめ気の緩みを厳に慎み、真柱始め、善亮、大亮、本部員はしっかり本部勤めに心を込めよ。
天理時報はお金を払ってまで読むようなものではないですね。内容はいつも綺麗事ばかりのこの程度で、、。
以下のニュース、天理教の東京の教会長が容疑者との話がTwitter上で語られています。
路上で寝ていた人を轢いてしまうなんて運が悪いと言えば悪いのですが、
飲酒運転が根本的にダメでしょう。
宗教団体幹部がひき逃げか 路上に寝込んだ男性死亡 2020年2月28日 19時12分 テレ朝news
死亡ひき逃げの疑いで宗教団体幹部の男を逮捕です。
仲間と酒を飲んだ後、道路の上で男性は寝込んでしまいました。事件はこの後に起きました。宗教団体幹部の清康雄容疑者(58)は23日、東京・葛飾区で乗用車を運転中に道路に横たわっていた男性(40)をひいて死亡させ、現場から逃走した疑いが持たれています。警視庁によりますと、清容疑者はレンタカー店でアルバイトをしていて、勤務する営業所から別の営業所に車を移す途中でした。取り調べに対して清容疑者は容疑を否認しています。
上記のニュース確認しましたが、どこをどう読めば「飲酒運転」になるのですか?
> 仲間と酒を飲んだ後、道路の上で男性は寝込んでしまいました。
この文の主語は「ひき逃げされた男性」です。したがって、飲酒していたのはひき逃げされた男性です。
ふつう「飲酒運転」というと、車を運転していた人が酒を飲んでいたことをいいますが、ここでは、車を運転していた人は酒を飲んでいません。そう読み取れます。
この文、ヒジョーにややこしいですね。意味不明です。
飲酒運転は読み間違えました。大変申し訳ございませんでした。
このようなごていねいなお詫びをされるほどの問題ではないと思います。私らも、しょっちゅう言葉のミスをいたします。
天理教本芝清分教会(認証番号:6562)
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/shukyo_houjin/files/0000000614/houjinmeibo291231.pdf
ぶたまん 様
2020年3月1日 9:04 AM
>>ふつう「飲酒運転」というと、車を運転していた人が酒を飲んでいたことをいいますが、ここでは、車を運転していた人は酒を飲んでいません。そう読み取れます。
この文、ヒジョーにややこしいですね。意味不明です。<<
飲酒運転は、社会的にも法的にも許される事案ではありません。しかし、私は警察の摘発を逃れて、飲酒運転をし、あたりまえのように摘発を逃れ、事なきを得た天理教会長や信者さん達を山のように知っています。今となっては、警察も摘発の仕様がありません。
天理教は「おつとめ」終了後、「なおらい」(直会)という慣習があり、アルコールを含む飲食をし、そのまま帰宅される信者さん達が今だに多いようです。この際、警察も各分教会や大教会の祭典日をきっちりと把握し「なおらい」終了後、飲酒検問を要所要所でするべきだと思います。
直会とは、基本は神道の行事ですからね、祭典の後に、みんなでお供え品とお神酒を頂き、会食をするのは、どこの神社でも同じだと思います。
だから、天理教も、歴史の流れで、神道の儀式を踏襲し、因縁とか、南無天理王の命とか、仏教の教えも混ざってる、チャンポン宗教なのです。
純粋に教祖様が説いた、教えと言う、本当のオリジナルな部分というのを、抽出して、さらに磨いて、天理教の根本原理にするとか、新たに霊能者でも集めて、再び(神様)にコンタクトを取って、修正するとかしなければ、まあ・・
今の時代では、もう最後(ダメ)の教えとは言えないですね。
参考にならない意見 様
2020年3月1日 6:32 PM
>>今の時代では、もう最後(ダメ)の教えとは言えないですね。<<
世間の人々が、汗水流して一生懸命働いておられる真っ昼間から、酒を飲み「おさがり」を喰らうこと自体が、そもそも間違っているのです。最後(ダメ)の教えというより、元々、最後(ダメ)な教えなんです。
↑ 訂正
元々、最後(ダメ)な教えなんです。(誤) → 元々、駄目ダメ)な教えなんです。(正)
しつこく何度でも言いたいと思います。
天理教本部の月次祭は日本各地からの(場合によっては他国からも)人の移動が伴う行事で、更なる感染拡大に影響します。
祈りの形態も韓国の新興宗教教会での大規模感染の教会内の状況とよく似ています。身震いするほど似通った状態です。
感染拡大を防ぐには、3月月次祭は真柱一家と天理教本部員とその家族総動員で勤めてください。
勤め人以外の信者の参拝は遠慮するようにと「布告」をだすべきです。
月次祭の勤めはなにも参拝者がいなくともなり立ちます。
心ある信者は各自の家で勤めれば良いのです。
参拝者が天理に来ないと賽銭箱に入るお供えが期待できない事から、こうした決断ができないのです。
お供えをせよ、お供えは命のつなぎなのだからとばかりに号令をかけている天理教団は、欲にまみれてしまった憐れな組織なのです。
憐れでも社会的責任からは逃れられません。社会に存在を許されるためには公益を優先しなくてはなりません。
教服姿でつとめる人と準備のためにその家族が心を込めて働くべきです。恩返しを身をもって示すべきです。
神奈川県には中華街があります。美味しい中華料理が提供されている歴史も長い、日本人に愛されている場なのです。
ここで働く中国の人々は、今年の春節には里帰りをしないよう、帰国を自粛していたそうです。
過去の感染症の広がりの際に、痛い目にあった(風評被害)経験則が生かされたものです。
そして今、中国在住の家族からは「日本は大丈夫なのだろうか?」と心配の声が寄せられているそうです。
政府のぬるい対応を見聞きして、武漢の二の舞になるかもしれないと心配しているのです。
子供への外出規制がかかったということは、とりもなおさず、大人の行動自粛につながるものです。
天理教の場合は「お供え問題」さえ飲み込めれば、欲を捨てる事ができれば決断できる、単純な組織なのですから、今すぐ頭をクリアにして問題解決に臨んでください。
まさかと思いますが、真柱一家と本部員家族一同は、世間を敵に回してでもマネー確保の臨戦態勢をとっているわけではないでしょうね。
目を覚ましてください。
大相撲春場所も無観客で実施すると「観客無し開催」を決断しました。
天理教も本部員だけで賽銭度外視で実施せよと、以前からこの場でどれだけ多くの人達が進言している事か。何の問題も無いんですから。
それでも賽銭収入にこだわるなら、政府にお賽銭損失を計上して損失補てんしてもらえば良いんじゃ無いですか?!
妻蹴り大けがか 高校教員を逮捕
03月01日 12時42分
自宅で妻の顔を蹴り、鼻の骨を折る大けがをさせたとして奈良県にある私立高校の56歳の教員が傷害の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは奈良県内の私立高校の教員で天理市に住む近藤勲容疑者(56)です。
警察によりますと、近藤容疑者は29日午後11時前、自宅のリビングで家事をしていた54歳の妻を両手で押し倒したあと顔を蹴り、鼻の骨を折る大けがをさせたとして傷害の疑いが持たれています。妻から通報を受けて警察官が駆けつけたところ容疑を認めたため、その場で逮捕したということです。調べに対し、「妻の家事のやり方が気に入らず、腹を立ててしまった。申し訳ありません」と供述しているということで、警察が詳しいいきさつを調べています。
神道でも、神社の月次祭の後は、直会はありますし、真昼間です。
まあ日曜日が普通ですけどね、だから、神道と同じだと言ってるだけで
天理教も同じだと、コメントしたのですが、ことさら天理教を否定してる訳ではありません。
そこにかこつけて、なにかと人のコメントから天理教批判を重ねる姿勢を、以前私は
あなたの信頼をそこない、批判の軸が弱くなりますよって、言わせて頂きましたが
その返事は、うるさいなぁ! お前もだ! でしたよね。
だから、あなたには、関わりません。
「結婚式のパレード」の件は驚きましたが、「二代が巡教先で中学生を夜のお伴に所望」にも驚きました。様々な文章を読むと、残念ですが、真実である可能性があるとも思えます。
確かに、江戸時代には、殿様や高僧への「御伽」の話はありましたが、大正や昭和の時代になると流石に、この手の話はスキャンダルとして認識されるようになりました。例えば、浄土真宗の暁烏敏さんなどは愛人がいたのでメディアに激しく攻撃されましたし、「希望社」という教化運動をしていた後藤静香さんは、未成年の女性と関係を持ったことが問題になり、「希望社」は事実上、潰されてしまいました。
しかるに、「二代」さんへの性接待が長年続いたという話がもし事実なら、これは常軌を逸する話です。
教団への異常な献金も大きな問題ですが、これはまだ、「行き過ぎ」という表現をすることは可能です。しかし、性接待は明らかに「間違い」というレベルの話です。特に、「中学生」というのが事実なら、とてもひどい話だと思います。
私は、中学生の時期に性的虐待を受けた女性から相談を受けたことがありますが、精神的なトラウマはもちろん、肉体的にも損傷を受け、妊娠しにくい体になったと医者に言われたと言います。もし、未成年の女性に対して、そういうことが組織的に行われていたとしたら、ひどい間違いだと思います。
というか、本来、正しい信仰を持つ人間なら、「それはおかしい」というべきだと思います。そのような悪弊が続いた事を、天理教のためにも惜しむものです。
門外漢
2020年3月2日 4:07 AM
二代真柱の淫乱ぶりは色情因縁でまとめられない断罪されるべき行為です。それを中山家、本部員が容認しているなら天理教はカルト宗教どころかSEXカルト教団となりカルトでも最も悪質な信仰カルト集団に該当します。いくら中山家や本部員でもこの件はこの事実否認は出来ない。実際中山正善の婚外子の方は多数健在です。中山家体制の血族と本部員は引責し総辞任すべき事案です。中山正善はじめ中山家の人間は宗教を利用した性犯罪集団と言っても過言ではないでしょう。
近親相姦 淫乱 婚外子 天理教の御守護 ようきぐらし は性的快楽なのでしょうか?皮肉にも笑えない人間ともいえない輩が意気揚々と何も無かったように営み続けた。その報いが今罪深き血族に現れたのでしょう。神さまは見てらっしゃいますね。
ネット上には、いろんな方が見えます
統合失調症を患い、一旦敵だと思い込むと、執拗に絡んで、相手がネット上から消えるまで攻撃し続ける人も見えます。
この人はやばい!・・・そう言うのは見てる人は客観的に判りますが、本人は冷静さを欠いており、判っておられないので、執拗に書きこんでいたりします。
それを、注意しよう物なら、お前こそ!と逆切れされる事もあり、今度は自分が攻撃対象になったりするから、やばい!と感じたら触らないのが一番です。
まあ、そう言う人は、5chに多いですね。
そこまで酷くなくても、ちょっと病的かもなって人も、見えますので、まあ静かに触らないのが一番でしょう。
二代さんの中学生っていうのは、時代的には、戦前の女学生なら、今の高校生くらい?かなとも思いますが、本当なら、それも精神異常者レベルですね・・怖い怖い
私はまだ小学生でしたが、教会長だった祖母と父が声を潜めて悩ましげに話しているのを覚えています。その後、誰になったん?と白羽の矢の当たったのが誰になったか詮索していた様子も覚えています。何か困り事の話をしているなあ、とその時の戸惑いの空気感を今だに覚えています。うちの子はまだ小学生だから、、と父は取り敢えずホッとしていたと思います。
しかし、怒るとか憤慨するとか言うのでは無くどうしよう、どうしよう、、と言う雰囲気でしたね。何とか探さないといけない、とにかく何とかしないといけない、と言う、、
子供の私は 祖母達が悩ましげにしていた真柱の御伽の相談を「おとぎ話」の話として子供らしくトンチンカンに受け止めていましたが。
性接待の準備をし、巡教となれば客間まで新築し、理不尽なお金は信者、教会から搾り取った。末端教会だった我が家は、上級、上上級の度重なる普請に父親が悲鳴をあげていたのを思い出します。客間を一棟新築したのは真柱の一泊の為だったと知ったのは最近の事です。家族の苦悩と悲鳴の原因を作っていたのはこの建物か!と何部屋も有る天井の高い豪華な造りの施設を見て、天理教と言う組織に底知れぬ無念と絶望感を持ちました。真柱の巡教一泊の為だけの分厚い手順書も今だに残されていますが、部内一同、誰がおしぼりを渡すだの、ご案内は誰がするだの、分刻みのスケジュールを一から十まで書かれていました。馬鹿馬鹿しくも、一冊の本の様な分厚い仕様でした。私もすっかり高齢者と言う大人になり、上級から問答無用で渡されたのであろう両親の遺した大真面目な書類の山を見て、当時の大人達は何て事をしていたんだろう、馬鹿馬鹿しい限りだなあと、、。抵抗出来ない立場にあった両親達の経験した過ぎ去った過去の時間に思いをはせると、無念の一言。遺影を見上げて語りかけるのですが、可哀想で言葉も出なかった思い出ですね。
天理教団は人を救う団体では無かったですね。どれたけの罪深い行為を重ねて来たかを、しっかり見つめるべきで、もう消えて無くなるべきですね。もう結構です。
今回本部はお願い勤めをするとか言ってますが綺麗事はけっこうです。パーフォマンスはいりません。腹にヘドロを抱えた人間が幾らやっても時間の無駄でしょう。神は見抜き見通し。見ていますよ。
門外漢 様
2020年3月2日 4:07 AM
>>教団への異常な献金も大きな問題ですが、これはまだ、「行き過ぎ」という表現をすることは可能です。しかし、性接待は明らかに「間違い」というレベルの話です。特に、「中学生」というのが事実なら、とてもひどい話だと思います。<<
性接待、特に「中学生」が関与していれば、これは「間違い」というレベルではなく「犯罪」だと思います。
曽祖父母の代からの天理教に終止符を打ったものとして、天理教に対しては執拗に絡んでいる一人かもしれません。そのような心境に至った数々の苦い経験を語って、このような苦い思いをする人が一人でも出ないようにとの思いで投稿し続けています。
この場に書けない出来事も経験しているのです。絡まり取られると想像されている方も、想像を絶する苦い経験をされた方ではないかと想像しているのです。
天理教内で平々凡々と暮らしてきた人たちとは比較にならない地獄を見てき者の意見です。
フランスは5000人 スイスは1000人以上の集会禁止となりました 詰所も受け入れ禁止の所がでてきました 修養科は神様が助けてくださるところだから休校にしないらしい オカルトであり根性論です!
東風Z 様
2020年3月2日 9:05 AM
>>曽祖父母の代からの天理教に終止符を打ったものとして、天理教に対しては執拗に絡んでいる一人かもしれません。そのような心境に至った数々の苦い経験を語って、このような苦い思いをする人が一人でも出ないようにとの思いで投稿し続けています。
この場に書けない出来事も経験しているのです。絡まり取られると想像されている方も、想像を絶する苦い経験をされた方ではないかと想像しているのです。
天理教内で平々凡々と暮らしてきた人たちとは比較にならない地獄を見てき者の意見です。<<
私もその一人です。天理教の被害者をこれ以上出したくないという思いで投稿しています。読者の皆さん方は、私の投稿について、どのような印象をもたれ、どのような感想をもたれているのか全員の方々のご意見を聴くことは、掲示板という特性上、不可能だと思いますが、私の意図するところ、本意は冒頭の通りです。
色情因縁>
ウチの会長、赤や紫色にラメ入りのパンティはいてた。50才をとうに過ぎてるけど。何か?
理の親だってさ。馬鹿!
もしも教会へ参拝した後、感染してしまったらどうしますか?
行動確認として立ち寄り先を尋ねられます。
正直に教会所在地を申告しないでいたら、消毒ができません。
多くの方々に迷惑が掛かってしまいますから、正直に話すしかないでしょう。
消毒作業をテレビなどで見ますと全ての屋内設備に噴霧しています。
神様の上段だって噴霧されますよ。
本部であればかんろ台なんて造作物もその対象になります。
天理市保健所がどの程度の危機感を持っているのか知る由も有りませんが、万一の時は天理教からも人手を借りる事ができるからと思っているのでしょうか。それだけの数の防護服一式をそろえる事ができますか。
何しろ広大な境内地と詰所群。毎日二回のおつとめには学生生徒も参拝しますから、天理市内は人の移動は日常的にあります。天理高校二部の学校長名の保護者へのコロナウイルス感染に関するお知らせによれば、二部の生徒は不特定多数の人との接触は少ないそうです。認識の違いと感じます。
表統領と大亮さんの力で新型コロナウイルスに対するバリヤーを張ってくれるのでしょう。
そのバリヤーの中には一般参拝者も囲い込んでくれるのでしょうか。
何しろ都会では疑わしい症状の患者でも検査をしていただけない状況がずっと続いています。
天理では憩いの家があるから安心なのですか。
しつこく投稿しているので精神疾患の人のように言われてしまいました。
天理教では正論を吐くと精神疾患扱いになって口をふさがれる例は身近にも有りました。
「あの人のいう事はおかしい。」と信用を失わせることが狙いです。
では天理教を止めてしまえばいいのでは?それもありです。
けれど神様がいる事を実感し、経験しているからこそ、胸を張って言える事もあるのです。
わが身が可愛かったら口出ししないのが一番安全な組織です。
しかしこれほど世界がネットワークで結ばれる今、たとえ天理教の偉い人たちやその周辺の人たちが、「ネットに影響されるな」と言ったところで、中国の若い人たちと同じく、「私たちは判っています。馬鹿ではありません。」と発言するでしょう。
明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。
匿名 様
2020年3月2日 12:08 PM
>>明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。<<
やっと重い腰を上げたんですね。私が得ている教会本部からの情報では、2月27日現在、教会本部は「おねがいつとめ」は、月次祭の趣旨と被るので実施しないとのことだったのですが、各方面より問い合わせが相継いだために、やむなく「おねがいつとめ」をすることになったのでしょう。体裁を繕うだけの意味のないことのように思えます。
江戸時代の遊郭における遊女のデビューは、およそ15、16歳の頃でしたが、初潮が早ければ12、13歳でも「水揚げ」という儀式を行い客をとるようになったそうです。水揚げを行うのは40歳以上で常連の上位客だったとか。江戸ことばでは処女との性交を「新鉢を割る」と言ったそうで、そうした場面が艶本に多かったことから、多くの男性が憧れたようです。そのような願望が二代目真柱にもあったとしても不思議ではないでしょう。
二代目真柱の巡教の際、ずばり中学生を用意せよとは言わなかったかもしれません。しかし神のごとき存在である真柱の姓接待に、職業的娼婦など使うわけはなく、素人であっても確実に処女であることが求められるならば、そのような年齢の少女、だいたい中学生ということに帰結していったのではないでしょうか。児童福祉法など整備されていなかった時代でもあり、なかには名誉なこととして喜んで娘を差し出した親もいたかもしれません。また極度の貧困ゆえの悲劇ということも考えられると思います。人から聞いた話ですが、自爆テロを行った者の遺族は、その組織から一生困らないほどの金を貰えるのだとか。
常に新鮮なもの、高級なもの、希少な物が欲しい。
逸話編七「真心の御供」において、おすそ分けの餅には目もくれず、出来立ての最も良いところの餅を喜ぶ教祖の姿は、こうした二代目真柱の心理の表れのような気がします。そうなると逸話編八九「食べ残しの甘酒」に出てくる古くなった甘酒なんて、熟練した職業的娼婦を意味しているのでは?
二代真柱のこう言った有り得ない逸話を知らない若い人達は多いと思う。威勢ばかり良くて、意味の無いイベントなどに燃え上がり、若い大亮などにカリスマ性を求めておかしくなっている若者層に、過去の指導者?がどう言う事をして来たか、きちんと知らせ、目を覚まして欲しいものです。
未来有る若者が大事な人生を棒に振るのは過去の人達だけ十分です。
直属やら支部から連絡があり明日のお願いづとめに合わせて教会で祈念しろとの事。
つとめで拡散阻止できるなら簡単だ。拝み祈祷の如きなら。
感染拡大を阻止するのは「集会するな!」なので神頼みする事ではない事を理解できない本部中山家はこれこそ病人の所業です。何かしらの知的障害を疑わざるおえませんね。
2020年3月2日 1:58 PMの匿名 様
知っていても、知らんぷりをしているのか。あるいは、洗脳されているから、まさか嘘だろうと思い込んでいるのか。どちらにしても罪は重いです。本当のことを知ろうとしない、上から言われたことを鵜呑みにする態度。
これが一番危険です。少しの疑問点に対しても、納得させることが出来なければ宗教としては失格です。
私の叔母は、それこそクソが付くほどの真面目で熱心な信者でしたが、二代さんの淫行には寛大でしたから、話のつじつまが合いませんでした。
目を覚ますのは難しいですね。
続投御免なさい。
叔母が曰く、真柱さんも男だからねぇー、では本当に済まされないでしょう。洗脳とはこのことです。
幸福の科学の祈祷と同じようなことを始めたのですね。
東日本大震災の時もおつとめしてましたね。
毎日したらいいのに
新型コロナウィルスの拡大防止、早期終息を願ってのお願いづとめですが、おやさまは、確実に、我々皆に、このお勤めをすることを願っておられます。(←これ、どこから聞いたんだ、とは言わないでください)
おやさまは望んでおられるのですが、ここにも、言わん言えんの理は働いていて、「おやさまが望んでおられるんだから、あんたもやり」、と言って、おつとめを信者の皆さんに強要しては、意味がありません。
「言われん先からやるのが、真の誠」とか言われているんで、強要されてしては、どんな善行も誠のないただのパフォーマンスにすぎません。ですから、あくまでも自主的に、真実をこめて、神に敬意を払って、真剣に祈らなければなりません。
明日、正午から、ですか。私メも参加させていただきたいと思っています。
東風Z 様
2020年3月2日 3:18 PM
>叔母が曰く、真柱さんも男だからねぇー、では本当に済まされないでしょう。洗脳とはこのことです。<
まったくその通りだと思います。男だから何をやってもよいという理屈も法律もありません。嫌々ながら真柱の夜の相手をさせられた女性達(中学生から??歳)の心の傷は一生癒えることはありません。まして、真柱の私生児として何も知らずに生まれた方々は、どんな気持ちで生きていかねばならないのでしょう。私の想像の域を遙かに超えています。宗教者としてはもちろんのこと、人間としてもあるまじき行為です。
青森縣分教会長。
息子さんだと思います。
色んな事言いませんが、後じまいに結婚された方のご苦労は計り知れません。
私は夜の神殿の教祖殿の前を回廊拭きをしているときに、二代様のことで「本当ですか?」と、おやさまに心の中でお聞きしました。
「あんたには見えるやろ。」という念が来ました。「私にはそういうのは見えないんですよ。」と念でお答えすると、バッと影絵の様なものが浮かびました。
二代様が何方かに降霊のような状態でおやさまにお入り頂いて、二代様とおやさまが何方かの体をお借りしてお話されているところが浮かびました。「そうなんですか?」とお聞きすると「そうや。」「しっかり伝えてや。」という念がまた来ました。
なので私は二代様とおやさまがお話されていたと思います。
そしてその話の内容を末端教会子弟様が夢で御覧になられたかもしれないという状況がありました。
私は「しっかり伝えてや。」という念を教祖殿で受け取りましたので、お伝えいたします。何年か前のことです。
すみません、何を言っておられるのかよくわりません。なんらかの返答でしょうか?
霊の声だの、念だのを受け取ったら、天啓者になりますが、実際何が、誰が言ってるか判りゃしないんです。
神殿の中にも、神以外の、いろんな霊体の存在が普通に居ると感じます。
人間に接触してくる霊体なんて何を言いたいんだか、意味不明な事も多いですよ?
理性的に判断して、合理的に考える事が重要です。
若い女性の夜伽を所望する権力者は、精神的に異常だと判断出来ます。
そんな好き放題の権力者の魂がまともに向上できるとは、考えられない。
教祖様は、叱りこそすれ、それを認める事はあり得ないと考えられます。
そんな権力者の魂は、今世の地位に関係無く、地獄(そう言う修行の場)に落ちますね、天理教は天国入りを導く宗教では無いので、偉い人だって、下に落ちます。
神霊と交流する場合、しっかりとした理性と人間的経験、判断力が必要です。
見させられる物を鵜呑みにしないで、冷静に判断されて下さいね。
二代様が中学生をとおっしゃったのは、小学校卒業も多い中、旧制中学ということは、ある程度高い語彙力を持っているということかなと思います。
純粋でおやさまが入り込みやすい言葉でいえば巫女的な存在の方を、おやさまとお話される目的で呼ばれたのではないかと思います。
匿名さま。
>二代様が何方かに降霊のような状態でおやさまにお入り頂いて、二代様とおやさまが何方かの体をお借りしてお話されているところが浮かびました。「そうなんですか?」とお聞きすると「そうや。」「しっかり伝えてや。」という念がまた来ました。
なので私は二代様とおやさまがお話されていたと思います。
教祖も色情には寛大だったと言いたいのでしょうか?
教祖も二代も、淫乱だったと言いたいのですか?
私達は文明や利便さ、贅沢さや家畜の肉食とひきかえに何かとても大切なものを失ってきたのではないでしょうか。
だから見えなくなってしまったのではないでしょうか。
二代真柱さんが短命で出直したことを熱心に信仰されている方に聞いたら、「早く出直して生まれ変わった方が良いことがあるのよ」と答えられました。
その様な教えは聞いたことが無かったのですが、どなたか分かる方いらっしゃいますか?
早く出直すことを喜んで受け取ろうとするとこのような考え方にぬるのですかね?
この理論なら、早く死のうが長寿だろうが、喜べるんですかね?
どんなことでも、なんでもかんでも喜べるのが教祖の教えなんですか?
カソリック教会で、聖職者により未成年の少年少女への性的虐待が世界的に頻発していました。長年、教会内部でタブーとされていましたが、被害者が声を上げ始め、ついに民事、刑事の裁判へと発展しました。結果として、教会が多額の賠償金を払い、有罪の判決を受けた聖職者が出て、ローマ教皇も対策を約束するなど、社会に大きな衝撃を与えました。
カソリック教会の場合、独身制が背景にありますが、犯行はあくまでも各聖職者の個人的な行為でした。ところが、天理教の「二代」様の件は、教団が組織的に実施していたもので、悪質性はカソリックの比ではないものがあります。
ここのところが、この問題の特異点です。もし、以上の疑惑が事実だったとしたら、天理教の存在そのものを揺るがす事態になりかねないです。
天理教の「二代」様の件に関しては、おそらく、「御伽」の相手をした女性の多くは鬼籍にはいっており、生存している方も証言をするとは期待できないと思われます。また、証言が得られても、それを立証する証拠や証言が存在するとは限らないし、時効の壁もありますから、法的な対応は難しいでしょう。
さらには、天理教側としたら、下手にこれを認めたら、社会的なスキャンダルになるのはもちろん、女性の人権軽視というので、社会から激しい批判が集まりますし、裁判沙汰になったら莫大な賠償金を取られるので、否定せざるを得ないでしょう。下手をしたら教団が崩壊してしまいます。
天理教側としたら、これは絶対に認められない問題であるとも言えます。
私は天理教の信者ではなく、この問題を告発する立場でもないので、これ以上の言及は避けますが、この問題をスルーするにしろ、真面目に取り上げるにしろ、被害にあった女性たちの心情を思いやることは大事だと思っています。
匿名
2020年3月2日 8:31 PM
あなた頭大丈夫ですか?無知にも失礼にも程があります。霊、天啓、などの言葉で擁護するのはやめて頂きたい。そもそも真柱身上、表統領善亮は偽教理、教団財政難、事情身上は頻発、これらの状況は全て中山家の不徳の致す所です。
中山家には徳はない。徳が有るならこの状況にも至っていない。
真柱は天啓(てんけい)してない。天啓者は本席までです。
おさづけ、はいたい はあれは厳密には中山教のおさづけで、天理教のおさづけではないので効かないのです。
被害女性を教祖と見立てては無いです。
教祖、中山みき は、善兵衛の浮気と秀司のほうとうぶりに頭を悩ませてました。
つまりあなたの言っている事はおかしすぎます。
結婚外子の子孫は今でも沢山生きてますので証拠はあります。それは法的問題云々では無く、宗教としての体をなすかなさないか問題です。無論成しません。どんな理由をつけても二代真柱中山正善の色情因縁であり不徳の致す所そしてその直系として、中山、善衛、善司、善亮、大亮 は居るのですから、因縁は代々持ち越されるのであれば、その償い天理教理で言えば「因縁納消(いんねんなっしょう)」すべきで宗教指導者としての手本を見せる事が義務となります。つまりそれが足りない不足しているから、教団の各種事情(事件)身上(病気など)があるのです。そして神は待ち続けたがもう待てない状態が来ので中山家を追放、出て行かないなら貧に落とす事にしたのでしょう。それが現在です。
中山家も中山正善の婚外子問題は表に出ないようにしてきたみたいですがこのような情報が漏れ出すという事は、婚外子家族への保障がしっかり成されてないからでしょう。教団外に追放された婚外子家族も居るそうですし、今から再度口止め料を配る事もできないのでしょう。
以前から中山家の骨肉の争い と言う人もいましたが本当だったのだと思います。
二代真柱がヨーロッパ各国を歴訪した旅行記が「種撒旅行」(しゅばんりょこう)と題して発刊された時、教会内では皆口々に、あれは子種を撒く旅行。あちらの女性、こちらの女性への種まき旅行だと皮肉っていました。当時から真柱の女好きは有名だったのです。発刊の本来の目的は種撒、つまり真柱自ら天理教の教えの種を世界に伝える歴訪の旅と言う大真面目な意味だった筈です。ところが実際には女好きの種まき旅行だと皮肉られていた。
色情因縁は教祖の長男から途絶える事無く現在に至り、善亮の女性問題(3000万円のゆすり問題)、大亮の東南アジア女性買春、と色情因縁は連綿と続いているようです。
お松雌松の隔て無し、と人間の平等を説いた教祖の当初の教えから、いつのまにか二代の頃には女性蔑視、女性軽視、男性の性の道具扱いに。そんな流れが出来ていた。とても神など語る資格の無い一族だと思っています。
善司を除き正善、善亮、大亮は性欲が強く肥満とかただの駄目人間の典型です。表立って皆さんお世辞を駆使して持ち上げてるでしょうが本音では魅力もカリスマ性も感じてないでしょう。
〉善亮の女性問題(3000万円のゆすり問題)
親戚縁者である本部員仲野芳行や教区長篠田欣吾に縋って天理教神奈川教区のお金を横領したんでしょ。
「純粋でおやさまが入り込みやすい言葉でいえば巫女的な存在の方を、おやさまとお話される目的で呼ばれたのではないかと思います。」
2代真柱問題を炎上させる為に、ワザと焚き付けるための投稿だと思いますが
わざわざ、若い女性の夜伽を所望する理由にはなり得ません。
それなら、そう言う天啓を行う、宗教儀式を昼間、何人もお勤めを行いながら、教団で考案して試行、実行されたら良いのです。
実際、教祖様は、加持台になられて天啓を起こされた訳です、この加持台は、神の言葉を受ける巫女と同じ物です。 教祖の持たれていた、仏教の知識と、それまでの生き方による精神的素養を、降りた霊体が波長が会って、気に入ってしまったが故に、この体をもらい受ける! と宣言されたのが、始まりでしょう。
若い女性には、霊媒になりやすい体質の方が多い、だから人知れず、霊が見えて苦労されてる人もいる様ですが、霊体が自身の向上の足がかりとして、知恵と素養のある大人に降りる事もあり得ます。
加持祈祷師に呼び出される心霊は、そんなに高級では有りませんし、人間に近い波長を持っているので、強引に乗っ取る可能性もありますし、心霊に悪意があったり、人間側の精神が弱ければ、加持台は発狂、精神異常を引き起こす事もあるかもしれません。
井出くに氏も、常に強烈な神の振動?を抑えていると、天理の霊能者に書いてありましたね。
だから、霊の声が聞こえたら慎重に対応する必要があります、神だ! などと持ち上げず、お前は誰だ!何者で私に何用であるか? と毅然と跳ね除ける意思が要ります。
もし、教祖様、親神様を降霊、降神させるなら、真柱自身が台になるか、ちゃんと大人を用いて、数名がかりで、お勤めを行う様な儀式を模索試行しているでしょう。
もともと、血筋を選ばぬ天啓者は、中山家を中心とする教団運営に、じゃまな存在でしか無いので、あえて本席を空席にした訳ですから、そんな天啓者を作る事は絶対しないでしょう。
若い女性、それを信者から夜伽に所望するなんて、異常な性的欲望を抑えられないだけですし、文化的脈絡も無く、目的があったとも思えない収集も、金持ちの骨董収集と同じ様に個人の趣味でしか無いでしょう。
真柱自身が、欲望のおもむくままに生きられて、何かのインタビューで陽気くらしとは、私自身の事だとおっしゃったらしいですが、誰かを虐げての、陽気くらしなんですか? って思えませんか?
冷静に、理性的に、理論的に、合理的に模索して考えてみてはどうでしょうか?
DNA鑑定が格段に進歩した現代、親子関係をほぼ100パーセントの精度で立証するのは可能です。しかし、二代さんの時代は不可能だったのでしょう。それをよいことに、世の中のあちらこちらに種をまき散らせておられたのでしょう。返す返すも「人間として下の下」だと思います。今日、コロナウィルス感染症終息の「お願いつとめ」をするそうですが、二代さんが手をつけた女性達と図らずも彼女らの婚外子としてお生まれになった方々への「謝罪と幸福を祈るおつとめ」もされたらいかがでしょう。
匿名様 2020年3月2日 12:08 PM
≪明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染≪拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。
??? 本部ホームページには、何処にも「感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください(後続)・・・。」
かかれていませんよ。本部のお知らせは下記のごとくそっけないものです。
これでは単なる祈祷のお知らせでしかありません。
このお知らせのどこに感染拡大防止の問題意識が見えますか?
因みに参考までに社会学さんがりつリツイートされた一文を後段に貼り付けました。お読み下されば
中山家&本部の本音が見えます。いつも感じていた事ですが、やはりキャツラはそういう考えだったのだと、自分の(すみません手前味噌をお許しください)洞察力が正しかったと思えた次第です。
2020年03月01日 (日)
新型コロナウイルスの感染拡大の早期終息等を祈念し、3月3日正午、教会本部神殿でお願いづとめを勤めます。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に進行しています。
天理教教会本部では、感染拡大の早期終息はもとより、罹患された方々の身上平癒とともに、さまざまな困難に直面している方々の、一日も早い平穏な日常への回復と、社会的・経済的な混乱の収まりを願って、3月3日正午、本部神殿でお願いづとめを勤めます。
また、それぞれの教会やようぼく・信者においても、日々のおつとめのなかで同様に祈念してくださいますよう、お願いいたします。
立教183年3月1日
天理教教会本部
【社会学さんのリツイート】
OGAWA Kandai @grossherzigkeit · 3月1日
一方でまあ、天理教の本部系統の人に話を聞く機会があったんだが「天理市が守られればそれでよく、長期的には東京も大阪も不要」みたいなことを結構あけすけに言うんだ。で、そんな彼は当然全国的な視座をまるで持っておらず、結構偉い人のはずなのに「取材」として話がまるで参考にならないのである。
・・・・・絶句する方もおられるかもしれませんね。このジャーナリストは上品な表現で書いていますが、要するに「イナカモン」だということですよ。誰を取材したかは容易に想像がつきます。
バカな発想ですね。東京・大阪が無くなれば天理教は維持できなくなるでしょう。いや、日本そのものが大変なことになることが何も分かっていない。言葉を失うとはこういうことです。私の周辺の教会は既に死に体状態ですから影響は少ないでしょうが、天理教にとって東京・大阪は、まだまだ頼りになるでしょうに。
最早、人の言うことじゃないですね。
地下鉄サリン事件のターゲットが永田町であったことを考えると、無政府状態は権力奪取のチャンスと思っていたりして・・・。
テレビの時代劇や漫画で見たような場面ですが、お城の天守閣の上で殿様が、望遠鏡を使って町の若い女性を物色している。家臣たちも、殿の今夜の夜伽相手に使えそうな美女を求めて、街を探索する。
強大な権力を手に入れた男がハーレムを望むのは、世の常というものでしょうか。江戸時代の大奥といい、北朝鮮の喜び組といい、中国の皇帝なんて2000人の妻?がいたとか。
宗教界も同じことなのか、ラスプーチンから麻原彰晃まで枚挙に暇がありません。世間から隔絶された世界ゆえに、その発覚にも時間がかかり、時には悲惨な結果を生み出すことも。昔、イタリアの何処かで古い修道院を解体した際、トイレの便槽から大量の嬰児の白骨死体が発見されたといいます。おそらくは長い歴史の中で、そこの修道女たちが産み落とし始末された子供たちなのでしょう。こうなると、宗教家も男だからなんて言ってられませんね。
宗教団体による殺人 KILLER CULT
https://www.madisons.jp/murder/room/cult.html
春学中止みたいです。
新型コロナウイルスの感染が拡大しつつある国内外の現状に鑑み、日本政府から防止対策の更なる基本方針が発表されました。
教会本部では、これを踏まえ、3月28日に開催予定の「立教183年春の学生おぢばがえり」式典及び直属アワー、前夜祭「春まつり」等の関連行事すべてを中止することに決定いたしました。
参加予定の学生生徒をはじめ、保護者の方々、および学生層育成に携わる教内各位には、今回やむなく開催中止に至ったことについて、ご理解くださいますようお願いいたします。
立教183年3月3日
天理教教会本部
3日正午からとり行われた 「お願いづとめ」 に参加させていただきました。
失礼ながら、こんなに多くの人たちに来ていただいたのか、というほど多くの方が来られて、おつとめを勤めてくださいました。
私はおやさまや親神さまと違って、皆さんの心の中までは見えませんが、こうして集まられるということは、やはり心あればこそできることなので、皆さんのその心は、きっとおやさまにも受け取っていただけたことと思いました。
新型ウィルスで、不幸にして亡くなられた方もいらっしゃったのですが、健康で過ごせている我々もひょっとしてこの病に倒れることがあるかもしれないと思うと、人間は人間同士皆繋がっていることを強く感じました。人間はやっぱり兄弟なんですね。おつとめをしていただいた方々に感謝いたします。
父親の死後、子供が父親に対する強制認知の請求をする期間は父親の死後3年となっています。ですから、2代さんへの認知の請求はできないことになります。生まれた子供に戸籍上の父親が存在する場合は、親子関係不存在の訴えを起こすことは可能ですが、その場合も二代さんについてのDNA鑑定が認められる可能性は少ないでしょうから、法律上は打つ手は少ないでしょう。
ただ、法律上は時効や除斥期間があったとしても、信仰の世界では重大な問題だと思います。第三者委員会などを設けて事実関係を精査するのが本来の筋だと思っています。
さらに、二代さんは公人に準ずる存在(月刊ペン事件参照)であり、亡くなっているので、仮に公共の場所で「御伽」の話を持ち出しても名誉毀損は成立しにくいです。二代さんの婚外子の人が名乗り出ても、逆に、天理教側は打つ手はありません。その点も付け加えておきたいと思います。
2代真柱様が亡くなられたのは、昭和42年、もう50年以上前、夜伽をした人も、おそらく70代になって、恥として喋らなければ、もはや、伝説でしかありません。
しかし、逆に伝説は生き残るんですよ、そして今の教団の姿勢は、相変わらず強権的な人が多いと来ては、それほど否定もされない。
東風Zさんら、経験者は、遠慮なさらずに、もっと過去の経験を語って、ここに記録を残し、伝説を強化して下さい。
二代目真柱の夜伽について考えていて、頭に浮かんだのは「人身御供」という古い風習。
人間にとって、最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は、神への最上級の奉仕だという考え方から、洪水など自然災害の多い地方では、その季節が迫ると人身御供の儀式が行われたのだとか。「ヤマタノオロチ」なども水を支配する竜神と考える説があり、生け贄とされた者は、川に投げ込まれたり、自ら入水したり、時には人柱として生き埋めにされたりしたそうです。
生贄となる者の条件は、15~16の美しい処女であること。選ばれた娘の家には何者かによって目印の矢が立てられたとかで、これが「白羽の矢が立つ」という言葉の由来なのだそうですね。
相手が神ではありませんが、黒澤明監督の「七人の侍」の一場面。皆殺しを免れるために、村は定期的に食料と若い娘を山賊に差し出さねばならなかった。順番の迫った娘の父親は我が子を守りたい一心で娘の髪をバッサリと切り落とし、村人たちの非難を浴びることに。これに似たような修羅場が、二代目真柱の巡教を控えた教会でも見られたのかもしれません。
なんだかもう教祖が「我が子の命を差し上げます」と言ったなんていう話も、人身御供を要求する二代目真柱の願望から生み出された作り話のような気がしてきました。
しかし伝説というものは、常に何らかの真実を秘めているものですね。ヤマタノオロチ退治は大規模な治水工事だったとか、桃太郎伝説は瀬戸内海での海賊討伐が元ネタだとか。他人から聞いた話ですが、昔とても我儘な殿様がいて、明日どうしても狩りをしたいとかで、晴天に恵まれるよう一人の僧侶に祈祷させた。ところが雨が降ってしまい、怒り狂った殿様はその坊さんを縛り首にしてしまった。それが「てるてる坊主」の由来なんだそうですが、ほんまかいな!?
広島や長崎の被爆地は世界遺産に指定され、「負の遺産」として未来を生きる人々の為に残されることになりましたが、それでも、原子爆弾の惨劇を体験した被爆者は年々、高齢化し、実際に被爆された「原爆の語り部」の方々も年々お亡くなりになっています。ユダヤ人が強制収容されたポーランドのアウシュヴィッツ収容所も世界遺産に指定されていますが、広島の場合と同様、収容されていたユダヤ人の方々は高齢化し、年々、お亡くなりになっています。要するに、実際の体験者の「生の体験談」を聴くことが困難になってきています。「生の体験談」を語り継いでいくことは、「伝説」として風化させない為に、非常に重要なことですが、個人のプライバシーにも十分、配慮しなければなりません。
芹沢光治良の「小説」の一部をどうして現実として喋ってるんだ?
被害者やその家族が証言でもしているのか?
全くの出鱈目とは思わないが、又似たような事があったかもしれないが、「現実」と決めつけて非難している君達は教団本部以上に変だ、これって坊主憎けりゃ袈裟までの類だろ。
全くの出鱈目とは思わない。そして似たような事があったかもしれないとは認めているのですね?
「事実は小説より奇なり」なんて諺もあるように、実際はもっとエゲツないものだったと思いますよ。それに芹沢光治良の小説だけを問題にしているのではないでしょう。
なんとかして批判を封じ込めたいのでしょうが、社会的弱者であるがゆえに、泣き寝入りせざるを得なかった被害者やその家族の心情を慮ると、まだまだ手ぬるいくらいです。
仮に「二代様」についての「御伽」の話が事実無根だとすれば、これはご本人にとってはもちろん、子孫の人々や天理教にとっても大変な侮辱になります。むしろ、天理教側が率先して事実関係を調査し、潔癖を証明すべきだと思います。
ご本人が亡くなられたのが昭和42年だとしても、まだ関係者の何人かはご存命だと思います。当時の資料も残っているでしょう。弁護士による第三者委員会を設置し、事実関係を調査すれば良いと思います。
先ほど、従軍慰安婦の強制連行報道をした元朝日新聞記者が高裁でも敗訴したとの報道がありました。あの報道の場合でも、歴史家が70年前の関係者の証言や証拠を発掘し、当時の人々の証言を集めて、「強制連行の事実はない」との結論を導き出しました。類似の事例は他にもあります。
ここは、天理教側が、積極的に調べるべきだと思います。
教団本部以上に変だ・・・ということは教団本部も変だと思っているということかな?
宗教的指導者に、ご落胤が複数存在すると言う時点でアウトです。
何でも難儀はささぬぞえ、たすけ一条のこのところ。
お地場が、たすけ一条のお屋敷から遠ざかっている事に失望したからとといって本部と同じような無茶をしている分教会も分派も変だが、宣伝と違う本部が最も変だよね。今のところ開祖の預言は外れたという事でしょうか??
無茶をしているのは部内を多数抱えた教会だけだと思います。末端教会は上に振り回されるのが精一杯です。生活がかかっており布教する意欲など削がれているのが現実ではないでしょうか。働き始めた会長たちは多いです。
お供え金をいかに工面するかは真面目な教会長は無理してでも工面しています。涙ぐましいですよ。
教祖逸話でどうしても納得できないのは、他人の子供を助けるためにわが子の命と引き換えにと祈った場面。こんな事を美談のように信者に言ってはいけません。実際人間の本能として自分の子を犠牲にして他人の子を助けたいと思う本能は無い。こんな人間離れした話は教祖を神と祭り上げる為の教団の作り話ではないかと思っています。
真柱に愛おしい娘を夜のお供として、いけにえにすることを信者にのませた教団本部がいまだに名誉棄損の訴えも起こさない、起こせないのは認めざるを得ない現実があったからだと思います。
我が子を犠牲にすることを善しとし、その引き換えに膨大なご守護を貰える。その思想は我が子に食べさせなくても着せなくても修学旅行に行かせなくても、貧乏させてでも、お供え、お尽くしを徹底した暁には、その対価としてご守護がある、、。子をも犠牲にして人を助けたと、おや様雛形を声高に叫び、これが天理教の貧のどん底思想につながっていった。逸話編は二代の時代に書かれたものだと思いますが、彼の人為的な思惑が根底にあったに違いないと思います。
実際、逸話編にはいるはずのない女性の名前が語られていたりと嘘が多いそうですね。
匿名様
>芹沢光治良の「小説」の一部をどうして現実として喋ってるんだ?
被害者やその家族が証言でもしているのか?
現に、本部関係者から聞いています。
>全くの出鱈目とは思わないが、又似たような事があったかもしれないが、「現実」と決めつけて非難している
現実だから本部からの正式な反論がないのです。
>君達は教団本部以上に変だ、これって坊主憎けりゃ袈裟までの類だろ。
教団本部は確かに変ですが、坊主は憎くありません。教祖の教えに反した行為を許せないだけです。
火のないところには煙は立たず、ですよ。
>>火のないところには煙は立たず、ですよ。<<
その通りです。「壁に耳あり、障子に目あり」です。
芹沢光治良の小説といえば人間の運命とか伊藤幸長本とかありますが、教祖様の中で「我は天の将軍なり」という一説があります。徳川時代に倣ってそういったのか本当に天の将軍であれば「元の神、実の神」と言った教典も二代様の創作であります。みかぐら歌の原本9下り目が隠されたのも中に「てんりんおうのつとめする」の一文があるからではと思います。今ある、教典、教祖伝、逸話編、みかぐらうたなどすべて?として本当におやさまの言いたかったこと
「ひとをたすけなされや」
「やさしいここころになりなされや」
「くせしょうぶんをとりなされや」
の三つを心として信仰していければなあと思います。
神様が受け取るのは真実の心だけなのでおつとめもおさづけもどうでもいいことだと思います。
天理教の組織のほうをみるのではなく今の世の中で苦しんでいる人、自殺しそうな人、そういった人によりそって助けてあげられる信仰者でありたいとおもいます。信仰ビジネス者ではあかんと思います。
>>天理教の組織のほうをみるのではなく今の世の中で苦しんでいる人、自殺しそうな人、そういった人によりそって助けてあげられる信仰者でありたいとおもいます。信仰ビジネス者ではあかんと思います。<<
本当にその通りだと思います。巨大な建物や組織など無くても信仰できるのです。
連合赤軍あさま山荘事件も日本航空123便墜落事故も、映画化の際には被害者のプライバシー保護のために、人物名や会社名は架空のものに変更されています。しかし、それによって歴史的事実まで無かったことにはなりません。山崎豊子さんにはもっと長生きして、是非とも天理教を題材とした作品を書いてもらいたかったものだと、私は残念でなりません。
やはり被害者保護という理由から、芹沢光治良は小説という形をとったのだと思いますが、もし彼がドキュメンタリーとして週刊誌などに発表していたら一体どうなっていたのでしょうね。
教祖が、他人の子供のために我が子の命を差し出したという行為に疑問を抱く人は少なくないようで、天理大学の学生たちの間でもよく議論のタネにされるとか。30年以上前、私の修養科での授業でも質問した者がいました。見るからに暴走族風のその若者(たぶん10代)は言いました。
「たとえ我が子とはいえ、自分以外の他者。その命を勝手に交渉の材料に使うようなことが許されるのですか?」と。
先生は明確な答えを出すことができず、結局は神の思惑は人間には計り知れないということで終わってしまいました。
教祖を神格化するために、とかく教祖の人間的な部分を排除したがる教団ですが、最近の修養科の授業では、こんな質問も出たそうですよ。
「教祖って、子供がいるからには、セックスしてますよね?」
みきちゃん、あんたも好きね~~
中山みきは紛れもなく人間です。今は埋め立てられてしまった三島神社の池に神と家族の板挟みになり苦し紛れに飛び込もうとしたりした。いわゆる自殺を試みた。みき様は神では無く生身の人間でした。しかし、教団側が神に仕立て上げたかった為、人間らしい行為の現場など残して人間であったと言う側面を語り継がれたくなかった。埋め立ての理由としてそれも1つだったとお聞きしました。
教祖が人間では教団的には不都合なのですね。
お伊勢参りを楽しんだり、美味しいものを食べていたり、家族を食べさせる為に稼業に勤しんだり、教祖の存命中の中山家の経済は豊かなものとして史実に残されていて、決して貧のどん底生活に徹しては居なく、今日より明日とより豊かな生活を求めて生きた、普通の女性だった想像します。神に仕立て上げたのは金儲けしたかった中山家の思惑だと思います。
大川隆法・幸福の科学グループ創始者 兼 総裁が22日、香川県観音寺市のハイスタッフホールで、「法力を身につけるには」と題して講演を行い、約1300人が詰めかけた。
講演の模様は、同グループの中継網を通じて、四国や近畿、中国地方にも中継された。
中国発の新型コロナウィルスの影響で、日本でも全国的にさまざまなイベントが縮小・中止される中、会場にはマスク姿の参加者も散見された。
冒頭、大川総裁は「(マスクは)実際全然要りません。(中略)コロナウィルスを死滅させることも可能です。そういう法力を持っております。だから全然気にしないで、治しに来たと思った方がむしろいいかもしれません」と語った。
https://the-liberty.com/article.php?item_id=16834
参考意見 様
2020年3月5日 3:14 PM
>>山崎豊子さんにはもっと長生きして、是非とも天理教を題材とした作品を書いてもらいたかったものだと、私は残念でなりません。<<
もし山崎豊子さんが天理教を題材とした作品を書いたとしたら大変、センセーショナルな興味深い作品になることでしょう。小説のタイトルは「白い巨塔」ならぬ「紫の虚頭」にでもなるでしょうか? 彼女の秀逸作である「大地の子」においても、主人公の陸一心(中国残留日本人孤児)という名前をはじめ、固有名詞は全て架空です。小説である以上、固有名詞は当然、プライバシー保護の対象になると思いますが、有吉佐和子さんの「華岡青洲の妻」のように、登場人物のほとんどが実名で書かれている小説もあります。山崎豊子さんは「大地の子」を書くにあたり、何回も中国を訪問し、現地取材を重ね、当時の中国トップの地位にあった鄧小平氏からも取材の協力を受けており、ストーリー自体は現実にあった話だと思います。
>>やはり被害者保護という理由から、芹沢光治良は小説という形をとったのだと思いますが、もし彼がドキュメンタリーとして週刊誌などに発表していたら一体どうなっていたのでしょうね。<<
いくらドキュメンタリーとして週刊誌に掲載したとしても、被害者や被害者家族の人権やプライバシー保護の観点から、最初は匿名で掲載すると思います。新聞やテレビ等のマスコミでも、警察が公式に発表しない限り、被害者名は匿名で報道すると思います。
>>「たとえ我が子とはいえ、自分以外の他者。その命を勝手に交渉の材料に使うようなことが許されるのですか?」と。<<
我が子と言えども、親の所有物ではありません。人格を持った一人の人間です。神の創造物に違いはありません。上記の若者の質問は当を得ていると思います。
>>教祖を神格化するために、とかく教祖の人間的な部分を排除したがる教団ですが、最近の修養科の授業では、こんな質問も出たそうですよ。
「教祖って、子供がいるからには、セックスしてますよね?」<<
もちろん、性交渉をしたから子どもがお生まれになったのでしょう(大爆笑)。コウノトリは運んで来てくれないと思います。
結婚さえしてなかったら、処女懐胎なんて話もデッチ上げたかもしれませんよ。なんたって宗教ですから。
>>結婚さえしてなかったら、処女懐胎なんて話もデッチ上げたかもしれませんよ。なんたって宗教ですから。<<
聖母マリアならぬ、聖母ミキになっていたかもしれませんね!!
旧暦(天保9年10月)の26日は、立教の元一日、23日から続いた夫善兵衛との問答が治まらず、みきの容体に危機が迫り、致し方なく善兵衛がみきを神の社に捧げる事に同意した日である。
と、あるところからも教祖は神ではないと思っています。
教組は、ひながたを示されたと教えている。天理教の信仰とは教祖のひながたの道をたどることである。ならば、ひながたとは、あくまでも人でなければならない。ひながたが神であるならば、人は到底その道を歩むことは不可能と考えられます。人が神になるなんてありえないことでしょう。
>>ひながたとは、あくまでも人でなければならない。ひながたが神であるならば、人は到底その道を歩むことは不可能と考えられます。人が神になるなんてありえないことでしょう。<<
その通りです。
金のつなぎは命のつなぎ、土地を返せ、等の事実無根教えにもありえ無い宗教としても絶対にありえない事を言い出した中山家を代表する中田大亮大先生の妄言が全ての発端でしょう。ご落胤は調べる以前に有名な話です。本部中山家は隠してるつもりだったのかは知りませんが大教会の長老にでも聞いたら皆知ってます。
親神様もでっち上げの神だそうです。中山みきも月日や神とは言ってますが、親神は言ってません。おそらく二代真柱のでっち上げでしょう。
今の本部中山体制を作る為に「理の親(りのおや)」と名前をつけ、これは皆さんご存知の上級をさす言葉です。親神?とはとなると、つまりこれは本部中山体制をさす言葉なのでしょうと先だって存在しない神の親神 のコメントを見て思いました。
つまり理を違えたのは紛れも無く本部中山体制です。御守護があるわけございません。もし仮に中田善亮氏辺りが「俺らは徳人が違うのだ!信じろ!」と言ってきたら「では真柱の身上回復は?教団の財政悪化の御守護は?」としっかり答えが出るまで聞き続けましょう。
最後に本部がどんな対策を打ってももう終わりです。今ではコロナウイルスで各教会の月次祭、講社祭、葬儀のキャンセルが続出です。つまり教会には金は回ってません。それなのに「金のつなぎは命のつなぎ」と金のつなぎ祭こと月次祭をやめない本部 金のつなぎ祭りは、コロナウイルス蔓延もつないでますのでご注意を
以下、いつTwitterで見かけたのかは忘れましたが、某スクショをテキスト化しました。
まずナ〇オ先生が以下のような返答をした状況なのですが、
おそらく教団特権階級の子弟がお供えを原資に留学しているような生活を享受していることに反して、
末端教会は窮状化しているような差別的格差に対する疑問を
どなたかがナ〇オ先生に尋ねたのだろうと推測されます。
ナ〇オ先生の以下の返答は疑問とツッコミどころが満載です。
まあ説得力のないことないこと。笑
この程度の物言いで言論弾圧できるとでも思っているのでしょうか?笑
栄えている教会を例に出して、窮状にあえぐ教会を無慈悲にも切り捨てていますが、
そもそもナ〇オ先生は教会を布教してゼロから立ち上げたことがあるのでしょうか?
末端教会の貧に落ちきった生活を経験したことがあるのでしょうか?
しかも愛町、本芝房、天浦を引き合いに出して説得しようという情けなさ。笑い
人のふんどしで相撲をとるとはまさにこのこと。笑
現在洗脳から解けた自分からすれば、「ぢばの理」などと振りかざされてもちゃんちゃら可笑しいですが、
洗脳されている人間からすれば、
印籠を持ち出されたような威圧感を受けて、何も言えなくなってしまうんでしょうねぇ。笑
あとナ〇オ先生、
「おつくし(金)のつなぎは命のつなぎ」「理の親制度」等の
偽教理にまみれている現行教団こそまさに『異端』ですよ。笑
こせつ@mkosetuとか、ナ〇オとか教団VIPは頭に虫が湧いてる輩しかいないんですねぇ 笑
ほんと、天理教、嫌いだわーーーーー笑
引用テキスト化開始
>>ある方からメッセージがはいりました。旧知の本部在籍者の方です。全文コピペします。
>>「私も一理あると思います。しかし、本教としても才能ある若者にはできる限りその素質を高めて上げたいとの思いからの留学でないか と思います。さらに、教会の窮状と言 われますが、頑張っておられる教会も 多くあります。窮状に陥っている教会 は、全てとはいいませんが、その使 命であるにをいがけ・おたすけが滞っ ている姿じゃないのですか。真剣に使 命を全うすれば、教会の窮状なんて有 り得ないと思います。その証拠に愛町 や本芝房(本理世)天浦(兵神)など いくつもあります。私からすれば甘えとしか思えません。ぢばの理を頂かな いと教会も栄えません。そのためには、何人もの本部のそれぞれの関係者が考えて実行する様々な動きにものを言うのは、ぢばの理を軽んじる姿でし かありません。ある意味、あなたの主 張は異端に近いと私は思います。お気 をつけください」
だとよ。 ぢばの理を軽んじる?異端?ハァ?オ モロいじゃないか。ますます、モノを 言いたくなりました。ありがとうござ います。ナ〇オ先生!!<< テキスト化終わり
やっぱり天理教団はただの中山教だったんですね。中山家のワガママを擁護するためだけの集団に成り下がり、教理関係なく「つなぎは金」と大声で言うほど落ちたわけですか情けない笑
天理教は終わりの無い陽気暮らしを目指させて、その間、生きている限り金を取る。天理教が陽気暮らしの完成を宣言したら金を取る理由が無くなる。だから陽気暮らし成就の宣言など出す筈がない。10年ごとの年祭。陽気世界を目指して!と100年経っても同じ事の繰り返しを聞かされる。だったらいつ陽気世界が来るんだよ?となる。つまり、終わりなき搾取され続ける人生旅。
要するに我々は騙されて金だけ取られているんです。天理教に関わったが為の終わりなき苦行。展望無き生活。人生の振り返りで見えてきた事は、苦しかったと言う実感だけだ。
結果を出せない天理教。見えてきた結果は、地震、災害、コロナ、地球の灼熱化、、。生きていけない地球環境。どこに天理教発のご守護があります?金しか興味の無い人間達が集まって、太鼓もまともに打てないお願い勤め?何を意味のない、結果は出せないと自分達も分かっているパーフォマンスをやっているんだ?です。お願い勤めに寄り集まる信者の誠こそ真実を感じます。本部は子に学べです。本当に情け無い。
天理教が詐欺だと言う、一番分かりやすいのが、真柱の病気が治らないと言う現実です。本部財政破綻と言う神に見放された現実です。事もあろうに大教会の差し押さえです。散々金を絞った挙句、親が子である教会の土地財産を奪おうとしている諸々の現実です。これが人を助けて我が身助かる?どれだけの人を経済的、精神的に踏みにじった事か。
天理教教団本部は人をいじめて我が身つぶれるを地で行っている。われわれ被害者は怨念を込めて良く見届けましょう。天理教が潰れて初めて陽気暮らし世界が実現するのです。
陽気暮らし世界の実現に向けて、みんなで偽教団消滅への啓蒙、努力、精進しましょう。
教団は教祖中山みき や 本席制度を廃止した時点で天理教は消滅し現在の中山教へと変貌してしまったのでしょう。本席を廃止したのが何を隠そう中山家の嫉妬からとも聞いてます。
本部側からしてみたら様々な諸問題も中山教に改名すれば解決するのでしょうが、多くの離脱者が生まれるので騙し騙しで天理教を運営してきたのが本当のところでしょう。やかた構想や教勢倍化運動など本部主体の政策が教団を破滅に向かわせたのですからこの衰退と共に中山教撲滅を目指し天理教復興運動が開始され中山家追放への流れができてしまうのですから、もういい加減改名した方が良いと思います。
現在の中山体制の親族、本部員などがいくら講釈をたれても、天理教で無く中山教の話なので誰も納得させることはできないのが現状です。「天理教を信仰したいのに中山教を信仰させられる。」のでは、信者は愚か布教も上手く行かないのは当然です。それで教団縮小するのなら、中山教に改名して離脱者を作るか、中山教が出て行くかの二択に成るわけです。中山家にとっては苦しい二択に思われるでしょうが、今まで教団全体を騙してきた罪を考えたら苦しくもなんとも無いでしょう。それより信者や中山教の被害者の苦しみを知る事もできないから、今現在身上や事情として味わってとも言えるでしょう。つまり中山体制で実質中山教と言う間違った教団のあり方である以上どこを補強しても無意味なのです。誰も心からついて行ってません。この先がとても恐ろしく思います。いくら側近でもやがて中山家を裏切る側近しか居ないのですから、中山家の側近や親族からでも情報が漏れだすようではもう、現在の中山体制は限界が崩壊寸前そこに来ての新型肺炎ウイルス、本当の神が親神の本当の正体傲慢中山体制を消滅させる日が来たのでしょう。
匿名
2020年3月6日 6:39 AM
中山家が本当に天理教を信仰しているなら、上級理の親の廃止、天理教の規制の無い研究、中山血族以外の宗教指導者を立てる事ぐらいできますよね。変えたら良いだけなのでそれを変えないのは中山家の責任です。
これらが出来ないのであれば金目的で中山家が教団を乗っ取ったと言われても仕方ありません。ここで中山家の本当の信仰心を試されているのに出来ないようであれば求心力は無くなる一方です。
金のつなぎは命のつなぎ、立場と信仰は血筋、などと恥ずかしげも無く騙し騙しでやってるから、教団全体から笑われてる事に気が付けないほど非常識で信仰心のないおかしな人間に成長してしまったのでしょう。
中山家の宗教家の真価を今問われてる時なのです。このままでは、中山家と共に一度教団(中山教)は潰れ、悪どい中家抜きの形で天理教が復活するのも良いでしょう。
人足社とは。
天高二部の宗教学科の授業でも教えられた覚えがない人足社とは。多くの教会長さん方もご存知の無い言葉だと思っている。
天理時報は解説をしてください。教祖が発せられた言葉であれば尚更でしょう。それとも教団にとって余程具合の悪い言葉なのでしょうか。
「人足社」は私も聞いたことがありません。一体、誰が教祖の発した言葉と言っているのでしょう?
東京のイスラーム文化協会では合同礼拝を中止しました。
天理教で月次祭を中止した教会があるのでしょうか。
感染拡大防止の策をとらないまま、3月の月次祭が迫ってきます。
過日、天理市に問い合わせをしたところ、市からは本部へはたらきかけを既にしているそうです。
市は信教の自由に十二分に配慮されていて、しっかりした行政としての在り方を示されていました。
既に公共施設でのイベントは中止している状の中で、本部がどの程度危機意識を持っているか。
信者の自分から見た本部の危機感はぬるいと感じていることをお伝えしました。
繰り返しの提案で恐縮ですが、本部月次祭は本部員とその係累家族でつとめるべきです。
信者各位には参拝を遠慮するように布告を出してください。
筋金入りの信者たちは自分から参拝を止める事はできないからなのです。
止めてしまったら、後々何か悪い事が起きた際、「月次祭をはずしてしまったからだ」とおかしな悟り方で後悔するのです。
思考方法が、このように定型化されてしまった信者にとっては本部からの布告であれば素直に聞き入れるのです。
特に年寄りは自分の定例行動を変える事がとても難しくなりがちです。
皆さん、貴方の両親や高齢信者さんに、ぜひとも言ってあげてください。自宅でお勤めくださいと。
自家用車で移動されている天理市付近居住者は危機感が薄いのでしょうか。
東京では人間距離に関しても、例えば信号待ちの際、それなりに配慮している人も見られるようになりました。
混雑したスーパー店内でも通行する際にお互いに会釈して配慮しあう姿も見られます。バス停の行列でも距離の取り方がこれ迄とは微妙に変わってきています。
インフルエンザの死亡率と比較して「騒ぐことは無い」と宣う人もいますが、病気になると本人は苦しむことになりますし、周囲の人にも迷惑をかけてしまいます。
また、政府系のO(お)氏は本日のテレビで「感染者5名のうち他人に感染させるのはその中の1人だけです。」と、まだ確証も無い情報を垂れ流しています。
このように、死亡率とか感染程度とかの「数字」でものを言うのは一見、科学的な匂いを発しているのですが、感染防止策には「的外れ」な言葉遊び程度の情報といえましょう。
国民をなめている権力者の実態が見え隠れしていますね。
昨年の12月初めから、もう何度も書いてきたことですが、「天理教」は教祖が作った教団ではありません。おふでさきにも、みかぐらうたにも「てんり」という言葉はありません。最近になって気づいたけれど「親神」という言葉も無かった。教祖が亡くなる3年前、奈良監獄に収監された時の警察の記録でも、中山みきの宗門は浄土宗ということになっています。
「天理王命」とは明治5年に政府が出した「三条教則」にあった「天理人道」という言葉をもとにデッチあげられた神名であり、「天理教」とは婚姻によって中山姓を手に入れた梶本眞之亮を長とした利益目的の宗教ビジネス。教祖からパクってアレンジした「おふでさき」と「みかぐらうた」を使って信者を騙し、時流に合わせて天皇を神と祀り、国家権力と上手く協調しながら、真柱の独裁による信者への支配体制を固めていった。
戦後、天皇が神をやめると、今度は「教祖存命の理」などと言って中山家を神格化し、その権力の世襲を正当化し、「親神」とか「理の親」という親を強調した造語を使ってピラミッド型の封建的支配を確立させた。
このように「天理教」とは最初から、教祖の教えとはかけ離れた「中山家の中山家による中山家のための教団」なのです。「天理教」が腐敗して「中山教」になったわけではありません。まずはその事実を知り、受け入れることが大事だと思います。
中山家を異端として追い出したい人達は、そんなに「天理教」という名の教団で梅鉢紋のついた着物を着て、神仏チャンポンの儀式で「天理王命」という神名を唱えていたいのでしょうか。立派な神殿や、これまで出したお供えを無駄にするのは、もったいないと思うのかもしれません。私も40年ちかく用木として人生の多くを費やしてしまいました。しかし、それがとんでもない巨悪を養い、さらに多くの不幸な人々を生み出していたことを想えば、高い授業料だったのだと諦めることにしています。教会親族という事情から、私自身は天理教から離れることができないけれど、せめて不幸な人々をこれ以上増やさぬよう、命ある限り声を上げていきたいと思っています。
情報の豊かな今の時代、信仰をするのに宗教団体は無用、むしろ邪魔と言ってもいいくらいです。私は今でも神というか「目に見えない力」というものの存在を信じていますが、天理教という教団には、いずれ消滅してもらいたいと思っています。たぶん今世では最後まで離れられそうにないけれど、来世にまた天理教の家に生まれてしまって、否応なく同じ過ちを繰り返すことのないように・・・。
>崩壊様
人足社というのは教祖中山みき様が定めたもので、「神の社」として貰い受けた者のことです。三人いると言われ、乙木村の山本吉五郎、安堵村の飯田岩次郎、上田ナライトがそうです。別鍋を食べさせ、心を濁さないようにして、腹を立てないようにしなければならず、人間のように働かなくてもいいという人のことです。神の社として働くのですから、心を濁すようなことがあってはいけないとされています。
現在の天理教では伏せられていることのようですが、飯田岩次郎は水屋敷事件で異端とされていますから、今の天理教では「人足社」という言葉もナライトさんもタブー視されているのかと私は推察しています。
参考になるリンクを貼っておくので、ご一読されてはと思います。
「乙木村の山本吉五郎」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/ninsoku/ninsoku.html
「飯田家へのおたすけ」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_31_2.htm
「大道教 管長(飯田尚)の話」
http://www2.mahoroba.ne.jp/~daido/kantyou.html
参考意見
2020年3月6日 3:04 PM
歴史的背景はよく理解しました。
天理教と中山教
「親神や理の親」と違って天理と言う言葉には一部の利害は含まれないので天理は天理で良いと思います。中山家からしても「天理教は中山家のものだ」とは決していえません。信者側も教えと組織体制の矛盾を感じてる人は沢山居ます。
「天理教と中山教」と区別する事で現在騙されている人には分かりやすいですし今はこの表現で良いと思います。
仮に中山家が教団は中山家のものだ。と言うのであればその時点で天理教は消滅し中山教が発生するということです。現時点でも中田善亮をはじめとする中山家の私物化が露呈されるほど天理教は薄れ、中山教が目立つ状況です。信者からしても、中山教は信仰したくないが天理教は信仰したいわけです。
確かに「天理」とは、もともと神道にある言葉であって、中山家のオリジナルではありませんね。信者が「天理教」という教団名を望むのなら、それでよいのでしょう。私は少し抵抗がありますが、それは気持ちの問題なので・・・。
しかし、もし中山家の退場が実現したとしたら、教団のシンボルマークは当然、改められますよね。朝夕のおつとめで神床の御簾に、これでもかとばかりに散りばめられた梅鉢紋を見る度に、気持ちが萎えてしまうものですから。
参考意見
2020年3月6日 7:13 PM
天理教なのに、中山家の梅鉢の家紋が教団のマークに使用されている事への指摘をする方も多く私も違和感を感じます。中山家は天理教や教団を私物化する意思がそこに見え隠れしていると言ってもおかしくない証拠の一つだとも言えます。そもそもそのつもりだったのでしょうがもう中山家教団私物化計画は終わりにして頂かないと今後より酷い問題が起こる事になるのでもういい加減中山家の人々も気が付くべきだと思います。
金のつなぎは命のつなぎ、信仰と立場は血筋 等とその場しのぎで言い続けにも限界があります。これらの中山血族の発言と意見も、教祖の教えとは全くもって解離している意見です。裁判所判決でも天理教の名称独占は出来ないとでています。
騙し騙し天理教と言わず、いっその事勇気を持って中山教あるいは、天理教中山宗派にでも改名し方針転換を図るべきです。
親神と上級理の親制度の関係を考えますと確かに中山家を中心とする現体制が親神であると成るのが本当に恐ろしい病原であるのは間違いないです。中山家の人は本当に自分達は神に等しく徳が高く選ばれた人間だと思い込んでいるのでしょう。そこから考えてみると、中田善亮の「金のつなぎは命のつなぎや信仰は血筋」等の妄言が発せられるのが理解できます。理解を出来ると同時に愚かな考えをした痛々しい人々なのも確かですので、教団衰退と共に中山家の傲慢さや中山教と揶揄されるもの致し方の無い状態でしょう。
世間では新型肺炎ウイルスで集合集会を控えているのに、教団は一向に月次祭を辞めない。それは神に等しい中田善亮神が「金は命」とお告げを下ろしたからなんでしょう。
これは誇大妄想で病的状態であり危険な段階入ったと思います。
問題は中山家だけではありませんね。
本部婦人と呼ばれる皆さんも、自分の立場を誇るだけでは今の時代、信者からの視線を知らないままでは滑稽な姿を晒すことになってしまいます。
古いTwitterを掘り起こすと、この様な書き込みがありました。
≫ 1月4日の第二食堂で行われるすき焼き会に来られる婦人会本部の奥様方の登場の仕方が
≫ 毎回大奥みたいだなあ…って思って眺めていました。
フムフム、誰かが準備してくれた「すき焼き」を奥様方が召し上がる行事なのですね。
お返しに、準備して下さった方々を自邸に招いてねぎらった奥様はいますかね。
食い逃げですか?すき焼きの良い匂いだけ鼻先に漂わせて、自分たちだけが食べるなんて恥ずかしくないのでしょうかね。
もう、この様な浪費は止めるべきです。学校を閉鎖する財政状況の中、おかしな金銭感覚に疑問を持たない婦人達は神経が図太いのでしょう。
所詮、人の金、お供えだから使い放題の感覚なのでしょう。
何かと「ひのきしん」に価値をおく天理教。
これは労働奉仕の事です。ただ働きしてくれる労働力を、信仰の一部に上手に組み込んでいるのです。
教祖様はなかなかのやり手でした。うまい仕組みを考えついたものです。
教会に参拝したら「ひのきしん」をするものだ、そうです。
公共交通機関を乗り継いで到着するのですから疲れ切っています。教会に住む人々は移動の疲れが無いから理解できないのでしょう。
また、一応は外出着を着用して参拝していますから、その服装のまま、ひのきしんをさせられても困るのです。貧乏人の外出着は教会貴族から見れば、外出着クオリティを満たしているとは見えていないのでしょうか。
もう、何を言われてもできないことは、はっきりと断るしかありません。
それらの天理貴族は中山王家を基盤に形成されたわけです。婦人会、青年会、少年会、学生会など各会には必ず中山の血族が配属されています。一見苗字が違っても血縁がある血族は無数に居ます。階級制度は、中山が頂点に君臨する為に作ったわけですし、今では中山家を崇拝しされる為の機能を果たしているのです。
細部を語るとこのような解説になると思いますが、これらももう終わりです。
彼らは天理教の信仰者の上に立っているはずだったのですが、中山家と血族と貴族は中山教だったことが判明したのです。それが「金のつなぎは命のつなぎ」「信仰、徳、は血」等の中山体制を保つ為の偽教理の数々です。それに信者は猛反発をしている状態です。
それに面白いのが、中山家や血族、貴族であっても、自分達が中山教と気が付いてなく、天理教だと思い込んでいるのです。中山家、血族、貴族の中でも混乱が起きているのです。ですので「天理教と中山教」の視点はとても面白い問題を巻き起こすことになるでしょう。
真実の天理教を取り戻す為に戦う。しかし戦うと言っても直接戦わずとも、権力を貪り虚言だけを吐いている中田善亮を筆頭とする中山家に加担し無いだけで良いのです。
献金しない(無理な減らす)活動に参加しない。疑問がある場合はちゃんと質問をし明確な答えがない場合は相手にしない。
これだけをすれば、天理教の皮を被った中山教は消えてなくなります。もうすでに資金難は起こり、数々の身上、事情も多発、それに教理(教義)自体も中山家や血族、貴族に合わせたかったのですが、数々の指摘でもう嘘はつけない状態です。そして新型肺炎ウイルスと、成って来るのが天の理
もう親神と言う偽の神を殺す為に、本当の神が現れたと思ってよいでしょう。
モリジロウ 様
2020年3月6日 5:41 PM
>>人足社というのは教祖中山みき様が定めたもので、「神の社」として貰い受けた者のことです。三人いると言われ、乙木村の山本吉五郎、安堵村の飯田岩次郎、上田ナライトがそうです。別鍋を食べさせ、心を濁さないようにして、腹を立てないようにしなければならず、人間のように働かなくてもいいという人のことです。神の社として働くのですから、心を濁すようなことがあってはいけないとされています。<<
ご回答ありがとうございました。それにしても妙な話ですね。人間であるはずの中山みきさんが、他者を「神の社」として貰い受けることなどできるのでしょうか? 人間中山みきさんは、腹を立てることはなかったのでしょうか? 心を濁すことはなかったのでしょうか? 天理教というものが益々インチキ臭く感じられます。
他の宗教信仰者はこんなふうにとらえていたりすると言う、一つのサンプルです
箸休めだと思って、読み流して下さい。
偉大なる何かの存在は信じているけど、天理教の示す親神様がそれに該当するかは分からない、と言うか、親神様とか、元の神とか、そんな事は教祖様のお話には無い様ですから、天理教の神様って、いったい誰? と言う事になります。
唯一絶対の神と神以外人間と言うなら、この宇宙は箱庭であり、生まれ変わりながら箱庭に居続けるなら、私達は、神の箱庭のペットみたいな存在だと言う事になります、それでもいつか地球は消えるからペットの存在理由が不明です。
だから、本当は、偉大なる何か、神は存在せず、私達は死んだら消えるだけで、何もないんだ、虚無に帰るとと考えるのが、正しいと思います。
ただ、それだと刹那的で悲しいので、神が存在するなら、いつか神に会える、神と暮らせると考えた方が希望がありますね。
人は神になれないって言う人がいますが、肉体は神にはなれませんが、魂が神から分けて頂いた命の萌芽だとしたら、魂は神の子なので、徐々に成長して神になり、親である神に会い、そこで新たな永遠に続く世界を親神と共に作ると言う考えが成立します。
それが、大霊界世界観であり、スピリチュアルと言う事です、大霊界世界観では、唯一の造物主を除いて、全ての霊体の存在は皆延長線上にあると言う事です、これが、神の前には命は平等と言う事です、魂の無い肉体だけの動物は残りませんので、動物は肉を食べても大丈夫と言う訳です。 もしかしたら、高度に発達したイルカの魂とか、いるか、な? それは判りません、波長が合わない様で、見た事ありません。
続きです
天理教の成り立ちは、教祖様が加持祈祷の加持台になり、祈祷で降ろした霊体が、教祖様とつながりがあった(先祖かも) あるいは、教祖様の素養(五重奏伝などの仏教研鑽や心の優しさ)を気に入って、因縁あり、この体をもらい受ける! となったと言うのが、客観的な状況です。
霊界で生きる霊体にとって、魂と想念のエネルギー体だけで向上して行く、より研ぎ澄まし創造主と言われる存在に近づく努力は雲を掴む様に大変らしいです、方法はいくつもあり、少し上の霊体に導いてもらう、あるいは、人間の背後について、導く、守護する、力が得られたら、台になる人間を見つけて、大きく守護をして人間の信者から祈ってもらう事も、飛躍的に向上する方法の一つ、つまり宗教の守護神になる事は、霊体にとって、向上の一つの方法であり、だから地上には、いろいろ神が降りてきた、と言う宗教が、結構たくさんあるんです。
霊体の方が、人間を引きつける為に、我は最高の神であるぞ!とか言うんですよ、でもね人間に降りてくるのは、人間に近い存在であり、神と言えるレベルの存在は、神から人間には降りてこない、波長が合わないから、だから神レベルとの交流は人間側から、望んで交流してもらう必要があるし、神側にも合わせてもらう必要があるんです。 承諾した神霊に守護をして頂くと言う訳ですが、もともと、人間には、守護霊とか守護神とか、ガイドする存在が付くようになっていますので、先ずはそっちに感謝して、守護と導きをお願いした方が良いかもしれませんしね
奇跡的な体験、守護を感じた時、実は背後霊、守護霊と自身の波長が良くあって、守護と奇跡を起こす事ができた! と言う事も多いと思います、それが、神はいらっしゃる!と言う気持ちになり、ますます、守護霊とつながりが強くなるんです。
今年の正月、おぢばの神殿で親神様とは何であるか、強く波長を探って祈っていたら・・強烈に苦しくなってきて、重圧を感じたので、急遽謝罪して止めました。
以前は金色の光を感じたりもしましたが、まあ良い加減なお話です。
今は、相当レベルが高くなっておられる様で、神レベルにうかつに降りられたら、こっちの精神、肉体が破壊されると言う恐怖ですね。
どうしたら、感じられるのか? それは霊体とか魂の存在を信じる事ですね。
今回のコロナは、宗教や政治や経済体制であろうが、人類の弱い者イジメの酷い心に対する神の警告じゃないのか?
中共の終わりの始まりであることは間違いないが、我々も唐人心を慎もう。
一番慎むべきは、中田善亮を筆頭とする中山家と血族とそれを支える貴族の天理教の皮を被り続ける中山教団ですね。
金のつなぎは命のつなぎと言い放った中山教団に信者の心は切れましたからね(笑)
コロナウィルスを神の怒りに結びつけるのは宗教的発想ですね、それを中国への戒めと考えるのも、狭い発想であり、妄想的です、だから宗教的発想には限界があると感じます。
神の罰と言うより、パンデミックは、社会の有り様を再検討せよと言う、神々が与えた機会の一つであもあり、自然現象でもあると考えた方が、より判りやすいかと思います。
どこをどの様に捉えて、考えるのかは自分達に課せられた課題だと言えます。
今の日本を見ていても、政治(オリンピック優先、緊急事態と言う独裁的手法、国家の情報コントロールなど) や国民のいろんな改善点、問題点があらわになっています、(例えば買い占めとか)
この機会をどのように考えるか?
自分の考え方、人間としての有り様とか行動も問われていると考えた方が、よろしいのでは無いでしょうか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00000024-jij-soci
新型コロナウイルスに感染し亡くなられた80代男性の最後の様子が時事通信社記事に(上記)在ります。
内容をかいつまんでご紹介します。
毎日発表される亡くなられた方の人数の「重さ」は命の重さであることを改めて感じさせてくれます。
2月上旬に発熱し治療を受けたが改善されなかったので新型コロナウイルスの検査を漸く受けた結果が陽性。
基礎疾患があったことから重度の肺炎で容態は悪化する中、坑エイズ薬が投与されるも病状は一進一退。
2月下旬、遺族の要望で窓ごしの面会が数分、許されたが直接声をかける事はかなわず「おじいちゃん、がんばって」の声は男性に届かず翌日お亡くなりになったそうです。
家族は隣接した部屋の窓越しの面会であっても、防護服・高性能マスク・手袋・靴カバーを着用し、携帯電話の使用も禁じられた(ウイルス対策の為)とのこと。
人工呼吸器を装着した男性の顔はパンパンに腫れあがって別人の顔のようにかわっていたそうです。
お気の毒としか言えません。
真柱夫妻をはじめとした天理教の権力者の皆さんに知っていただきたい。
このウイルス感染の厳しさは亡くなられたあとにも続くのです。
感染者の火葬経験のある社に依頼した火葬は、防疫のための袋におさめられお顔を見ることもかなわず、霊きゅう車の利用も断られたため別車両での移動となったそうです。経験のある社であっても、しかも自治体からの紹介を受けての御用であっても、すんなりと受けてもらえた訳ではなかったそうです。ご家族の方々の気持ちを斟酌するに、何とも言えず、厳しい現実がここにあったのです。
・・・・・・・・・ご冥福を祈ります。
感染拡大防止策を求めてしつこく何度もこの場をおかりして投稿させて頂く意味をどうか、ご理解いただきたいと思います。状況を想像して対策を実行する決断を下してください。洗脳された信者は参拝遠慮するようにという布告が出されない限りは、「月次祭をはずすこと」への恐怖から、行動を自分で決められないのです。
全国的な人の移動を伴う本部月次祭は3月から当分の間、中山家一族と天理教本部員とその家族でお勤めください。各人は各家庭で祈れば同じことです。(違いはお賽銭がお供えが本部へ集まらない事だけ)
感染を甘く見るような情報を意図的に流す専門家もいる現状ですが、各人が賢く判断し、拡大を防ぐ努力をしたいものです。私たちは天理教徒であっても、社会人として存在していることに責任を持たなければ、カルト教団の一員と同じ事になってしまいます。
これだけ言葉を尽くして提案しても、理解できなとしたら・・・・。
崩壊さん、私も中山みき婆そのものが胡散臭いと思っております。
これからは、みき婆さんに焦点当ててみて、キリストとの比較検証していただきたいものです。
朝夕のおつとめに1000人以上の人が集まっていますが危険ではないでしょうか 本部員だけですべきです 無責任な天理教です
匿名
2020年3月7日 4:31 PM
中田善亮狼中年のせいで、教祖中山みき まで汚名を着せられ可愛そうですが致し方ないことでしょう。信者はみな天理教を信仰したいのに、中山教の中山家が主導したために教団は中山教に変貌し、使わない建物ヤカタをたて、中山家と血族と貴族は贅沢三昧し、信者はもう呆れてやる気は無い。ただそれが今明確に暴かれただけですね。ますます衰退は加速するでしょう。
匿名 様
2020年3月7日 4:31 PM
>>崩壊さん、私も中山みき婆そのものが胡散臭いと思っております。
これからは、みき婆さんに焦点当ててみて、キリストとの比較検証していただきたいものです。<<
キリスト教にも説明のつかない胡散臭い部分は多々あります。一例ですが、キリストは十字架にかけられ一旦死亡しますが、再度、復活します。死亡するということは人間であるという証拠です。迷信であることはキリスト教信者でも分かってます。常識では考えられない話です。中山みきさんも存命であると言われていますが、一旦、死亡されたからには人間であるということです。存命であること自体、常識では考えられません。天理教では「不思議が神」という言葉がありますが、私には信じられません。
森田療法で有名な精神科医森田正馬氏が、天理教教祖中山みきは祈祷性精神病であると何かの本に書かれており、お家没落の憂き目に合い、年齢的にも更年期もあり不定愁訴などかなり精神が病んでいて、これを身内の者が神がかりとして、「病直しの生き神さん」として宣伝したんでしょうか?
聖書を時々読んでいます。崩壊さん早々にコメントありがとうございます。
無責任教団は4月18日おや様誕生祭、19日婦人会総会を現時点では開催決行の腹づもりの様です。支部の話です。
まだ様子見でしょうか?学生会、少年会の集会は中止を決めて居るのに、大口の集会は特段の金の集まる機会なので簡単にはあきらめきれないのでしょうね。
規模が大きいほど感染リスクは高いのに。どうでもいい集会から中止を決めている。
金が欲しいんだなぁ。浅ましい。
唐人心とは、今さえよくば(未来はどうなってもいい)、我さえよくば(他者はどうなってもいい)という優しさの欠けた心なのでしょう。病根たる八つの埃の根源たる、支配欲とエゴの深さも唐人心と云うべきではないか?
コロナウイルスだけでなくグローバルスタンダードたる強いもの勝ちの世界観が蔓延っている事への神の残念と捉えるべきではないか?
ローマ教皇だけでなく、宗教の指導的立場の人間でさえ、経済力のある国にすり寄るご時世に、現天理教指導部もアメリカンいやチャイナ発のチャイニーズグローバルスタンダードに精神が汚れている事への残念なのではないか?
こころどうりの神の守護。唐人が日本の地に入り込んで、我が儘にするのが神の残念。神の残念今ぞ顕す。
匿名 様
2020年3月7日 7:05 PM
>>森田療法で有名な精神科医森田正馬氏が、天理教教祖中山みきは祈祷性精神病であると何かの本に書かれており、お家没落の憂き目に合い、年齢的にも更年期もあり不定愁訴などかなり精神が病んでいて、これを身内の者が神がかりとして、「病直しの生き神さん」として宣伝したんでしょうか?<<
十分あり得る話だと思います。私の親戚にあたる若い人で、精神を病んでおられた方がおり、森田正馬博士が、まだご健在の頃、東京の森田博士のお宅に本人を連れてうかがったことがあります。昔の話ではっきりとしたことは記憶しておりませんが、一見、診療所のように見えない民家の応接室に通され、博士に本人の症状等について色々と聴かれた後、しばらくの間、森田博士の治療施設で1ヶ月か2ヶ月程度の宿泊を伴う治療が必要であるとの診断を受け、私一人で帰ったことを思い出しました。幸いにも、本人は治療の甲斐あって、精神の病は完治し、無事に社会復帰いたしました。中山みきさんも、家庭的な複雑な諸事情や更年期障害等で、精神を病まれていたのかもしれませんね。
奈良・天理の保育所職員関係者が大阪のライブハウス訪問、保育所は臨時休園へ
2020.3.7 20:09産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/200307/wst2003070013-n1.html
奈良県天理市は7日、市立南保育所に勤務する職員の関係者が、複数の感染者が出た大阪市内のライブハウスを訪れていたと発表した。天理市は22日まで保育所を臨時休園し、職員を自宅待機とした。
市によると、職員の関係者は2月中旬にライブハウスを訪れ、その際に感染者と濃厚接触があったという。職員は今月6日まで保育所に出勤していたが、発熱やせきなどの症状は確認されていない。
保育所で18日に予定されていた修了証書授与式は23日以降に延期。市は児童の健康状態を電話で確認するとともに、保護者には児童に外出を控えるよう要請している。
月日の社、神の啓示者と名乗った教祖の言行と奇跡的な救済物語を検証するなら科学的ともいえるが。
何でもかんでも神の啓示者をじたがるのも、何でもかんでも精神障害の症状にしたがるのも、議論以前の問題ではないか?
崩壊さんは無神論者なのか??人間の中心が魂であることも認めないのか???
中共の終わりの始まりではあるだろうが、おじばにたすけ一条の元締めになってほしいものだ。集金一条じゃなくてね。w
崩壊様
>ご回答ありがとうございました。それにしても妙な話ですね。人間である
>はずの中山みきさんが、他者を「神の社」として貰い受けることなどできるのでしょうか?
中山みきは人間です。神ではありません。「耳うつし」という言葉をご存じでしょうか?口のない親神が中山みきに対して、神の声を伝えることです。それで、みきが見抜き見通しだと言われているのは月日親神から「耳うつし」で聞いていたからです。みきに直接、息の授けをいただいた高井猶吉が語っています。(『教祖より聞きし話』高井猶吉P5)
つまり、月日親神の方からみきに対して「耳うつし」があり、その3人を神が人足社としてもらい受けたいと伝えたと私は考えております。
ですから、月日親神は、みき同様に神の思いを人間に伝える者を人材育成していたのかとも思われます。その一人が飯田岩次郎であり、水のさずけをもらうほどの人物であったのに、結果的には分派してしまって、本部からは異端扱いになっています。もう一人のナライトさんは狂人扱いで戻されています。
私の推測に過ぎませんが、ナライトさんも見抜き見通しだったエピソードが残っているので、恐らく親神が「耳うつし」でいろいろ教えていたのかとも思います。ちなみに飯田岩次郎も「耳うつし」があり、分派していきました。茨木もそうだったのかと思われます。
>人間中山みきさんは、腹を立てることはなかったのでしょうか?
>心を濁すことはなかったのでしょうか?
人間ですから、腹も立てれば感情移入することもあったと思います。二代真柱が作った教祖伝や現在の教典では中山みきを最初から神だと扱っていますが、芹沢光治良もいうように最初から神だったのではなく、月日親神の「やしろ」であり、それほど神に見込まれた人物だったのだと思います。ですから別鍋で、働くことも必要なく、心を濁すようなことをしてはいけない上に、いつも心にほこりのついていない状態に保たなければならなかったのかとも思います。「天理の霊能者」に出てくる人物たちは、その神に見込まれるレベルにあったか、神から見て候補者レベルにあった人々だと私は思っております。
神さまの「腹立ち」というのは、人間の腹立ちとは違って、「ホコリのない腹立ち」 というようなものではないかと思います。
おふでさきに
「人間の我が子の意見思てみよ 腹の立つのも可愛いゆえから」 (5-17)
とあるのですが、この「腹立ち」 は、子どものことを思って意見しているのであって、感情的になって腹を立てているわけではありません。したがって、この「腹立ち」 の後に続く「可愛い」 もホコリの可愛いではありません。
可愛い子どもの将来を思ったら、どうしても意見や注意をしなければならない。だから、むごい言葉を使って意見をする、意見をするが、子どもを見捨てたりはしない。なぜなら、憎くて叱っているわけではないのだからです。よって、むごい言葉を吐いても、憎いというホコリはありません。、
人間の腹立ちと神さまの腹立ちは、やはり同質のものではなく、次元が違っていると思います。
おやさまも、ひながたの道を通られる過程において、たとえ、心遣いに人間らしいホコリがあられたとしても、それを昇華することをマスターされていかれたのではないでしょうか。
解り切ったことばかり言ってすみません。理屈をこねたついでに、一つ言わせてください。
私も、モンリジロウ様と同じで、おやさまは」最初から神ではなかった、と思います。おやさまは人間のところからスタートされて、神に近いところまで昇りつめられた、と考えます。このことは、修行を経ることによって、人間は誰しもおやさまのようになれる、ということを語っているのではないでしょうか。
だから、おやさまのことは、そのまま伝えられるといいのではないかと思います。なぜ、二代さんは、おやさまは最初から神だったということにこだわられたんでしょうか・・。
匿名 様
2020年3月7日 10:09 PM
>>月日の社、神の啓示者と名乗った教祖の言行と奇跡的な救済物語を検証するなら科学的ともいえるが。
何でもかんでも神の啓示者をじたがるのも、何でもかんでも精神障害の症状にしたがるのも、議論以前の問題ではないか?
崩壊さんは無神論者なのか??人間の中心が魂であることも認めないのか???<<
私は、齢を重ねるにつれ、無神論者に近づいているように自分でも感じます。例えば、今回のコロナウィルスの問題も、若い頃は、「神からの何らかの啓示、警鐘かもしれない」と感じることもありましたが、今は、地球の温暖化等、環境問題と何らかの因果関係があるのではないかと考えるようになりました。もちろん、万物の霊長と言われる人間を人間たらしめているのは魂であると思います。人間が他の生物と比べて決定的に違うのは「理性」や「良心」を持っていることであり、人間の魂は理性や良心に他ならないと考えています。
個人的な意見です、読み流して下さい
最初から神なら、宗教の教祖として都合が良いですね、特別な存在であり、存命の神として扱うことで信者はついて来ますからね。
私の様な大霊界世界観から見たら、教祖様だけが特別なのではありません、人間なら誰しも持っている素養だと思います。 誰の体もみんな同じ様に、肉体と想念体と魂で構成されている事に変わりはありません。
愛町信者は、初代様を特別視していますが、実際、初代様の霊体は神的に向上して存在し、信者を助けておられる様に感じます。
教祖様も、同様に、進化されて存在しています、だから、私は教祖が降りてきたと言っても老婆では無いと感じています、もし赤い着物の老婆が降りて来たと言うなら、ほかの霊体に騙されてるように思います。
肉体は神にはなれませんが、魂は、神が分けてくれた命です、だから、誰しも、肉体から解放された後は霊界で生き続け、時間をかけて階段を上る様に進化しながら、時に子孫を、人間を導き守護する事になると思います。
因縁として、怨みを残し地上に残って、人に取り付く方も見えますし、加持祈祷師とかが呼び出すのを虎視眈々と狙ってる霊体など、いろんな霊体が存在するので、霊の
声を神の声だと勘違いして、取り憑かれる事もあるから、要注意です。
神になればなるほど、人間に通じる言葉を話すことはなくなります。 波長が全く違います。
肉体に魂の萌芽を植えて、地上に生まれるのは一回のみです。
心づかいを間違えば、この世でやり直しでは無く、そう言う世界からスタートして、想念にこびりついた埃を削り取られます、それが地獄と言う苦痛の世界なのです。
誰だか判らない、漠然とした神、神と想っているより、守護霊様ありがとうございますって祈った方が、守ってもらえるかもしれませんよ。
もちろん、お供えは、要りませんしね。
神とは何であるか、この世界の構成はどうなっているのか? なぜ私達は存在するのか? どこへ向かうのか? そう考えだすと、天理教には明確な完結する世界観が教えに存在しないので、結局、個人の思索になり、どんどん天理教から外れて行きますし、異端になってしまいますね。
そう言うことを指し示す、神レベルの存在とコンタクトを取って探索する本席様の様な存在を無くして、人間の考えで教団を運営して来てると思うので、偉い人の言うことでも、全て人間思案でしか無いと感じてしまいます。
天理教の範囲内で真摯に生きるか、天理教を超えて異端となっても、神様を探求して行くか? 突き詰めたらそうなって来ませんかって思いますし、いっそそんな物は一切存在しない、人間死んだら終わりだと決めてしまうかですね。
人は死ねば終わりです。水と空気と土に返ります。この思いはあくまでも自分の思いであり、他の方の死への思いを否定はしません。魂なんて言ってますが、魂も生きている限りのことではないでしょうか、二度の全身麻酔を受けた経験からの感想です。幸いにも麻酔から目覚めましたが、目覚めなければ終わりでした。
ただ、それだけのことです。82歳目前の超健康老人の繰り言です。
なんだかんだと理屈をつけておらるようですが、それぞれの経験から語っておられるだけだと思っています。
再度、言います。他の方の思いを否定はしません。なぜなら、人はそれぞれだからです。
父母を始め親戚縁者の墓参も3年以上していませんが、申し訳ないとも思っていないし、別段、精神に異常をきたしているとも思っていません。
日々、腹8分目に食し、飲酒はせずというより出来ない、タバコも40年前にやめています。雨の日以外はよく歩きます。バスを降りる時も二駅前でおりて歩きます。バス運賃も10円安くなり、一挙両得です。
小・中学校の同窓会では、何を楽しみに生きているのかと問われますが、笑顔を返すだけです。
信仰による幸福論を説きますが、天高二部の同窓生の死亡率が一番高いですよ。小・中学校同窓生の方が生存率ははるかに高いです。
介護保険や後期高齢者保険をなるべく使わないのも一種の人助けだと思っているんです。大げさに人助けなんか叫んでいるが、なんだか悲壮感が漂っているようで馴染むことが出来ません。
新型コロナウイルス肺炎も、いろいろに発せられる注意事項を忠実に守る以外に予防方法はないでしょう。
注意事項を守ることも、人助けの一環だと思っています。
天理教布教部長・柏木庫治氏から教会長資格検定講習修了証を受けた者のとりとめのない繰り言です。
東風Z さん
私も他の方の思いを否定はしません。なぜなら、人はそれぞれだからです。
私も、もちろんそう思っています。 だから自分の考えを書いているだけです。
いろんな現象について、系統だてて説明出来る様にしています、それを書いて、ここで誰かに足りない部分を突っ込んでもらえたら、さらにそこを模索して答えを出そうと言う意図は持っています。
全てを系統だてて説明出来る世界観が欲しい、これが私の信仰の原点です
それと、前にも書いたけど、奇跡と不思議が得られ、自分の存在意義をハッキリさせてくれる今の世界観に出会った時、衝撃であり、それも信仰のモチベーションになっています。
私はこれで幸せだし、いろいろ救われていますし、自分の死の先も判っています。
長年の信仰せいか、ある程度、見えますし、判りますしね。
それも洗脳と言われても、どうしようもないし、友人の教会長を説得できるわけでも無いです、教会長は、神について私とは絶対話しをしません、価値観が崩れてしまうからでしょう。
人を変えられない、ただ、天理教の価値観に、こう言う世界観からの判断もあるよって当てて見てる訳です。
天理教をやめても、他にも神様は、いろいろあるよって言いたいのです。
息子が天理高校に行って無ければ、ここに書いたりはしませんでした。
信仰による幸福論を説きますが、天高二部の同窓生の死亡率が一番高いですよ。小・中学校同窓生の方が生存率ははるかに高いです。<<
少しずつ洗脳から解け始めている熱心な70代の信者の知り合いから安否の電話があり、今回部内教会合わせて50万を本部婦人会にお供えするから4月の総会には皆んな参加してほしいと言われたんだ、、と。
こんな非常時に自分は行かないと返事したそうです。「本部は狂ってるね。電車と言う箱の中に詰められて移動する人も多いのに。何がご守護だか。自分の身は自分で守る。第一真柱の身上が治らないんだから、ほんま天理教も笑いものだね。どこにご守護があるんだか〜。」
信仰した筈の天高二部生の方が寿命が短く、世間一般の方が長生きすると言う現象は、「真柱も完治せず。つまり信仰してもご守護が見えず」を証明していて、天理教信仰がいかに意味のない、意味不明な活動であるかと言う現実を表して居ると思う。
幹部から脅迫めいた諭しを受け、事ある毎に自分の発露からなる行為を否定し疑問視する生活習慣を植え付けられる。 天理教から植え付けられた神への怯えと強迫観念を捨てたら天理教信仰者は世間一般の人々の様にもっと長生き出来るのだと思います。
コロナウイルスが流行したため、社会全体が動きが止まっております。
私が所属する宗教団体でも、既に全ての行事の開催が原則として中止され、どうしても必要な会議なども、小規模なものに限り厳重な条件付きでの開催となっています。大きな行事も急に中止になりました。会議もネット会議なども代替に使っているみたいです。
このような現状ですが、宗教を信じる人は、「祈る」と言う手段が残されています。
信じる宗教は違いますが、至誠天に通ずと思います。天理教の皆様も祈っておられると思いますが、私たちも祈りを深めたいと思います。
みき教祖の話しを読んだときにに「理性」や「良心」の発露を感じましたが、後の宗教家の話しを読むのには疑問と疑いと修正が必要で、なんだか肩の凝る作業ようでしたね。
病まず死なず弱らずという信仰の効能を説かれている以上、信者と未信者の寿命を比べる事は有効ですね。
何代も本部の云う事を聞いた人達の平均寿命が、世間様より短命なら、有益どころか有害とさえ言えますね。
どんな栄養のあるミルクでも泥を混ぜれば有害ですが、ご自身で濾過しながら飲む必要のある現在は、骨の折れる仕事が加わったようですね。水源地から泥を混ぜたら詐欺的犯罪的という悪口を完全否定はできないですね。
本部関係者各位
いまだに教会関係者の間の抜けた感性に戸惑っている信者さん達がいて、所属会長に総会開催の有無を聞いても返事は頓珍漢だそうですよ。あるの?ないの?と聞いてるのに話を逸らされるそうですよ。本部から婦人会総会中止の連絡が無いらしいが、どうしたんだろう?と本気で心配しておられますよ。本部に中止要請の電話してみようか?と一信者の立場でそこまで真剣に悩んでおられますよ。
天理から感染者が出たら絶対に本部が疑われる。そうなったら大変な事になる、と言っておられます。本部を消毒する様な事になったらお終いだ。とそう言う心からの心配をしている信者の心があると言う事に寄り添って下さい。自分の事の様に本部が世間から叩かれる事態を恐れ、我が事の様に本部を心配する信者の思いに、ちょっとは本気で考えて下さい。命をお与えくださった親神様の前に命を大切にする事。集団感染の渦の中へ招き入れる様な行為は命を粗末に扱う行為です。強行開催は親神様から頂いた互いの命を大切にせよと言う神意に反します。中止宣言したなら、本部の株も上がるんだが、と誠にかように思う次第です。
二代目真柱が教祖を神に仕立て上げたかった最大の理由は、教祖の子孫である自分の権力を正当化し、中山一族を特別な魂を持つ神聖不可侵な一族として、未来永劫その安泰を確固たらしめるため。そうとしか私には考えられません。
真柱が倒れて後、ブラジルから来た修養科生が、おさづけの拝戴を受けることなく帰国したことについて、うちの会長さんは言っていました。
「それほどに真柱の理というものは重いものなのだ」と。
しかし「神」の能力とか素養といったものが遺伝するわけもなく、真柱には天啓を受ける能力など有りはしないし、おさづけの効果さえ怪しいものとなってしまいました。
今では私は、教祖は人間だった。ただし、ただの人間ではなかったのだと思っています。病人が奇蹟のような回復をできたのは、あくまでも神の守護によるものであり、教祖は神様のメッセージを人々へと伝えるスピーカー付き翻訳機(なぜか関西弁仕様)として送り出された一人の人間なのでしょう。それは誰にでもできることではなかったと思いますが。
後世の人間によって、人間的な側面を否定されているのは教祖に限ったことではなく、聖書においてもキリストが笑ったという描写は一つも無いのだそうですね。精神的な意味とは思いますが、神は自らに似せて人を創られたとも聞きました。それでは人間らしいとは、あまり良くないことのように聞こえてしまいますね。そうそう、うちの会長さんは月次祭の神殿講話で言っていましたよ。
「私は神様の目線で物事を見るようになってから、不足したり腹を立てたりすることが無くなりました」って。
彼は自分が何を言っているか解かっているのかな?
イタリアの首相は、ロンバルディア州全域および14県の封鎖を発表した。
経済拠点ミラノや観光都市ヴェネツィアも含まれ、総計1600万人の住民が影響を受ける。
隔離中は結婚式や葬式も、開くことができない。
住民はできる限り家に留まり、不要不急の外出を控えるよう求められている。
こうした爆発的感染拡大状況のなかでローマ教皇庁は7日、教皇が毎週日曜にサンピエトロ広場で
行う、「正午の祈り」を、8日はビデオ中継で実施すると発表した。
広場に信者が大勢集まらないようにするためという。
今を生きている信者を尊重した立派な決定だと思う。
本教信者の中には、「おじばの理」を持ち出して反論する人もいるが、そんなことは信者は誰でも
知っている。
お願い勤めに千人集まろうが、このたびの新型コロナ感染拡大防止の前には的外れの視点であろう。
じばの理が信仰の要だというのならば、親神が何故に人間を創ったのか、その元一日に思いを巡らす
ことの方が、信仰の要だ。
人間創造の意義を全うするには、未知のウイルスの前で人間の理性を働かせ、感染防止策をとる事は、
教えに添った行為なのだ。
これが理解できずに、洗脳結果なのか「月次祭ははずせない」などと縛られている信者を救うには
本部からの布告が必須と言えるだろう。
本部が決定できないならば、各自の判断で本部参拝は中止することで信仰者の真の心を示しませんか。
うちの教会の人たちは躊躇する様子も無く、1歳児を含む全員が2月の本部月次祭に参拝していました。そのうえ2月までは修養科1名、2月からは、ひのきしん隊2名を出しています。移動には自教会の車を使っていますが、この様子だと本部から来るなと言われない限り、3月の本部月次祭も同様になりそうです。神事を抜かすことへの恐怖からなのか、それとも典型的な恒常性バイアスなのか・・・。
試される信仰心。(信者)
試される組織への忠誠心。(教会従事者)
求められる自発性。(青年会)
応えられない、答えたくない、自分は悪くないというスタンスの教会本部。
如何なる神の思わくか
この度の新型コロナウィルス流行という節。
生き節か死に節か
さあ思案だ。先案じではなく、思案思案。
大人しくしていよう
自分は
地方教会の人が救けを求めても、偉いさんは知らんふりなんだろうな~
地球の生命は100億年と言われています。想像を絶する長い時間の如何ほどの時間を人類は生きるのだろう。
下手をすれば、人類は原子力の使い方を誤って、人類のみならず、地球の生命そのものも死滅させるのではないかと思っています。
高レベルの放射性廃棄物は地中深く埋設するといっているが、地球には何が起こるのか分からない不安定な要素を抱えていると思う。
福島原発だって、もう少しの所で首都圏を含む約3千万人の避難を余儀なくされていただろうと言われている。世界には250基を超える原発がある。1基の不調が連鎖的に他の原発に影響を及ぼせば、と想像すると地球は暑熱疑獄になるのだろうか。
杞憂に過ぎないとは思っているが、原子力技術者はあり得ないことではないとも語っておられたのを聞いたことがある。
人類は、そのような刹那の中で生きているのかもしれない。新型コロナウイルス肺炎が発生することだって誰が想像しただろう。
教団本部の人達程お目出度い人たちが他に居られるのだろうか。お願いつとめだとか、婦人会総会だとか何を考えて居られるのか。神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。
>>神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。<<
若狭湾沿岸だけで15基の原発があります(原発銀座)。考えただけでも恐ろしいことです。地球上に住んでいる人間をはじめとする生物は、卵の殻より薄い膜の上に住んでいるようなものであり、いつ終末を迎えても不思議ではありません。
>神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。<
ただ、助けてくれ、助けてくれ、と言って願うだけでは、助けてもらえません。
その代償として、あなたは何を神に供えるつもりですか?
もちろん、金銭を以て代償とすることはできません。(金銭はすでに否定されたんでしょう?)
私は、この世に起きる戦争や紛争、自然災害、原発事故等、人間やその他の生物を不幸にしてきた事象は、全て「なるべくしてなった」ことだと考えています。神が存在すると仮定しても神に起因することではありません。全て人間の果てしのない欲望や利己主義に起因すると考えます。天理教的表現を借りれば、「我が身恨み」であると思います。全て人間の責任です。人間は過去から現在まで惹起した様々な事象を検証しないで、欲望や利便性、効率性のみを追求してきた結果が、今の姿です。人間はもっと謙虚になり、過去に犯してきた過ちを猛省し、検証しなければ、地球の未来へとつながる糸口すら見つからず、破滅へと向かうことは目に見えています。
>総会開催の有無を聞いても返事は頓珍漢だそうですよ。あるの?ないの?と聞いてるのに話を逸らされるそうですよ。
話をはぐらかすのは天理教分教会長・大教会長ほか、幹部の常套手段ですな。
そこまでカネが大事かいな?崩壊寸前でありながらまだ絶対王政を装うの?
まったく素直になれない人たちね。
「命の危険をものともせずに行くか?私は行くわけないでしょ!」これが正常な人間。
「どんなことがあろうと行く。」こう思ってる人は意志のない人。善悪の判断ができない人。他人の言いなりにしか行動できない人。
手遅れにならないように後悔しないように、もう答えははっきりしていますが、ここまで言われてもまだ行きます?
> 人間はもっと謙虚になり、過去に犯してきた過ちを猛省し、検証しなければ、・・・
その通りです。金は要らん。金を持ってきても、神さまは受け取られん。みんな、生き方を変えよ。心をを変えよ。
1億総ザンゲ。70億総々ザンゲ。・・と、エラソーなことを言わせていただきます。
>>その通りです。金は要らん。金を持ってきても、神さまは受け取られん。みんな、生き方を変えよ。心をを変えよ。
1億総ザンゲ。70億総々ザンゲ。・・と、エラソーなことを言わせていただきます。<<
本日、教会本部からの情報では、教会本部の月次祭は3月26日予定通り挙行するとのことです。月次祭は、人類の救済を目的に執り行うという本部側の言い分です。傲慢極まりないと思います。教会本部は、もう救いようがないほど狂っています。
婦人会総会、関連行事中止みたいです。天理教ホームページに掲載されました。
月次祭の挙行は別に構わないと思います。問題なのは特に参拝者が県外から来て、地元に帰っていくということです。だから、本部員やお地場在住者のみで行えばいいんです。県外者は会長は自教会で、信者は自宅もしくは教会(近ければ)で遥拝をすればいいんです。そのことを本部がHPで発信するべきです。どなたかが、投稿していましたが、参拝者が万一感染していた場合、本部の消毒等、行政の天理市も大変なことになるのです。市内には保育園勤務者の大阪ライブハウスに行っていた方がいて、濃厚接触者?かもしれませんから。本部は県外者の参拝自粛を訴える気もないのでしょうか?
婦人会総会中止の発表がありましたね。遅きに失した感があります。「行政の要請を受け」の一言には違和感を覚えます。命を大切にする教団ならとっくの昔に自発的に中止の決断が出来た筈。この非常時にノー天気な動きしか見せないから天理市行政も黙っておれなくなったのでしょう。本部は天理市の要請を受け渋々重い腰を上げたと言う所でしょうか。
本当は開催したかったが、行政が許さなかった。渋々中止せざるを得なくなった。結局そう言う事なのでしょう。
天理教本部と言えども行政管轄下で生きていると言う事を忘れてはいけない。
「親神」が、理の親教理による支配体制を強化するための造語というように考えていたら、とんでもない疑問が頭に浮かんできてしまいました。
教祖「中山みき」は在世中、本当に人々から「おやさま」と呼ばれていたのでしょうか。言い伝えではなく、それを裏付けるような手紙などの文書が、明治20年までに残されているのでしょうか。
「親」に「様」を付けたような呼び方なんて、まさに理の親教理に利用するための発想のような気がしてきたもので。
一時期ここのコメントでも擁護されていた 大亮の嫁のぶえも最近はすっかり高慢になったみたいですね笑 高慢してると真柱みたいに頭の身上にかかるので お大事にw
一億総懺悔、七十億総懺悔、要りませんよ。
コロナウイルス自体、昔からある風邪のウイルス、新種ってだけですね。
衣食をしっかりして、免疫力を付けた人は重症化もせず、重い風邪程度で回復しているとも言われています。
しっかり手洗いと、うがいをして、無理せず、人混みに出なければ、恐る程では無いと思います。
この混乱に乗じて、儲けようとする人、非常事態宣言で国民を支配しようとする内閣、無能な首相、買い占め、利権、ライブハウス閉めてもパチンコ閉めずの不思議。
社会の問題がいろいろあぶり出されてますね。
天理教も本部の運営の問題点が、良く見えた・・と言うだけでしょう。
無用に、漠然とした神様に結び付ける必要も無いかと思います。
死んだペットは何処へ行く?
動物は、魂体と言うほど、強い霊体を持っておらず、肉体消滅後は、その霊体も、大霊界のエネルギーの流れにまた霧散して行くと言われています。
魂や想念などを維持しているエネルギーこそ、絶対的存在である造物主が中心から放射するエネルギーであり、我々の霊体は独立した意思を与えられているけど、造物主につながったエネルギー的存在である。
動物レベルは独立しておらず、霧散するが、人間に飼われたペットは、人間の意思が望む事により、再びエネルギーを集めて、自分の身近に自分に属するエネルギー体として置くことができる。
だから、死後の世界でも、ペットに再開する事は可能であるが、自分自身がエネルギーを集められるだけの、霊的レベルに達していなければならない。
どこかに書いてある文章ではありません、いろんな人の意見と、御守護神に尋ねて、浮かんで来た答えです。
犬でも猫でも、長く飼うと、人間の愛情を受ける事により、霊体が強化され、個として固まって行きますので、死後の霊界でも、それが残り、自分が呼び寄せ、現すキーポイントになります。
どうでも良いお話ですが、ペットについて尋ねられた時、ちゃんと仮説を立てて説明できた方が良いですよね? 天理教ではあまり触れられて無いので。
新型コロナウィルス肺炎も自然災害の一種になるのでしょうか。近年、地震・津波・台風・水害。雷等の災害多発がいわれていますが、明治29年の琵琶湖大水害は近年の水害とは比較にならないほどの被害が出ていることが、滋賀県大津市の南郷(現・瀬田川洗堰)洗堰に隣接して設置されているアクア琵琶というところを訪ねるとよく分かります。
一度行ったことがありますが、素晴らしい施設です。
ところで、天理教では全ての禍は神の立腹と説かれていますが、これをどのように受け止めればいいんでしょうか。天理教を信仰されている方は、この教えを受け入れられているように感じていますが、先の東北の津波では、いたいけな幼児までもが亡くなられている状況を同様の想いで受け入れるのには、余りにも観念的過ぎると思います。むしろ、何の罪や咎もない幼児までもが災害に遭われている状況を見ると、人と云えども所詮は自然の一部であり、その自然の禍に会うのは無常と言える過酷な状況ととらえざるを得ません。
人知では超えることのできない、目に見えない一線があると考えるしか気持ちを納得させることが出来ないのではないでしょうか。
酷な見方かもしれませんが、ではどうすればよいのかの答えは永遠の課題でしょう。
改めて思うのは、あらゆる災厄は自然の中で生きる厳しさを思い知らされる出来事として捉えるしか心の処し方が無いということでしょうか。
天理教を信仰することにより、あらゆる艱難辛苦を受け入れることが出来る心づくりが出来るということでしょうか。
そこでお聞きしたいことは、信仰の頂点に居ながらも体の一部に不自由を抱えておられる真柱さんの心境を忌憚なく吐露していただけるのかということです。
あらゆる災厄は自然の中で生きる厳しさを思い知らされる出来事<<
天理教では神の立腹とか言って信者に更なる回避の為の献金などに繋げているが、所詮あらゆる自然現象は天然自然の姿そのものであり、意味とか大いなる存在の意思とかは無いように思う。宇宙エネルギーに飲み込まれているだけなのかと。
罪も咎も無い善人、幼児が何故死ぬか。天然自然の世界では死ぬ時は死ぬ。生きる時は生きる。ただそれだけの事ではないのか、、。
真柱が治るのも、治らないのも、神がどうのは関係ないかと思う。善人も悪人も等しく死んでいく、、。
人を助けて我が身助かるは、人間関係の上では作用するが、宇宙的エネルギーの爆発の前では、人間と言うものは人に踏まれる足元の蟻のような存在ではないかと、、。踏まれた無垢なる蟻は何故今突然踏まれ死んだか、理由がわからなく殺される。生きると言う事は理不尽と背中合わせと言う事かと。無情が人の一生の本質であり、天理教がいう命の繋ぎはお金と言う発想は、お金で生き延びよ、と言う低レベルな欲張りが考える発想に過ぎないかと。
天然自然の前では真柱も治らない。治らないものは治らない。代々の真柱も苦しんで死んだ。当然の事、信者の信仰心を咎めるような本部の姿勢や考え方は傲慢そのものでありナンセンスそのもの。現状神は一々の人間の願いなど聞いちゃいない。
今を生きる我々はせめて周囲の人間を大切にし、助け合う中で互いに笑い合い、痛みを分け合って生きるだけ。人を助け、助けられてそこに幸福感を感じて生きる。それ以上でも以下でもなく。それで良いのではないか、、。おかしな宗教団体の権力者の欲望に振り回されるのは全く意味を持たないのかと、、。
わからない事だらけです。失礼しました。
前にも書きましたが、答えはありますよ。
私は、この様にとらえています、簡単な理屈です。
異なる文化、異なる思想、宗教の人同士が互いに存在を認め合い、尊重できる、社会的仕組みを作ること、自然災害に備えて、防災をする事、病気や怪我に備えて医療を発達させて、誰でも受けられる様にして行く事。
人間も地球の一部、だから地球環境を守り、自然のバランスを保つ事
それを目指す場所、でもなかなか全部は整いはしませんね。
人1人の命は短く、人間には神の理性と共に、欲と動物の心、悪魔の心が与えられていますから。 それを持って、霊体を磨く場所、修行の場所
大震災は繰り返し来ます、だから備える、人間は世代を超えて伝える事ができます、考える知恵も与えられています。
人間は、いろんな事ができる、人類には英知がある、地球と言う奇跡の場所にいる事もわかっています。
地球では、繰り返し災害は起きます、学んで知恵を出せと、言う事です。
神々は、人類に必要な知恵を常に、エネルギーとして下さっているのです。
神々は、罰を与えない、戒めない、常に愛の手を差し伸べています。
受け取れない、気がつかない人が多い。
欲を増幅させる魔神のエネルギーもある、それに乗れば地獄に進めます。
地球は、霊体を短期間に成長させる場所、だから修行の場所。
幼くして亡くなった、魂は、小さなエネルギー体の集まる場所で、長い時間をかけてゆっくりと成長を続けて行きます、愛情のエネルギーを出す神的霊体に育てられ、神への階段を登るだけです、決して消える事は無い。
神々は、罰を与えない、戒めない、常に手を差し伸べています。
それを心でしっかりと受け止め、自分の魂に神への階段を登ってもらうのが、信仰だと思います。
人間をはじめ、この世に生きとし生ける生物、コロナウィルスのような細菌ですら自然の一部です。地球上に存在する万物、地球という天体そのもの、あるいは地球以外の天体(宇宙)も広い意味での自然です。自然のほんの一部にすぎない人間が、自然の計り知れない力に抗うことは不可能だと思います。
匿名 様
2020年3月10日 10:38 AM
>>今を生きる我々はせめて周囲の人間を大切にし、助け合う中で互いに笑い合い、痛みを分け合って生きるだけ。人を助け、助けられてそこに幸福感を感じて生きる。それ以上でも以下でもなく。それで良いのではないか、、。おかしな宗教団体の権力者の欲望に振り回されるのは全く意味を持たないのかと、、。<<
その通りだと思います。それが本来の「陽気くらし」だと思います。
天理教教会本部に3月の本部月次祭への信者参拝の自粛の布告を要請します。
地方では規模の大、小かかわらずそれぞれの教会が各信者に自教会月次祭参拝への自粛の要請を出し始めています。教会家族だけで実施するとの流れが出始めました。教会長は電車利用の信者に対し、参拝しないで欲しいと、敢えてはっきり自粛要請の連絡を入れています。これが誠意と言うものです。
それなのに本部は、、。
地球規模で感染拡大していると言うのに、この非常時に本部はどうなっているのだろう?と信者は本部の煮え切らない姿勢に疑問と不信感を持ち始めています。
天理教教会本部は信者のコロナ被害を相当軽く考えているんでしょう。世間の感覚から一歩も二歩も遅れてる、、。無責任の極み。
改めて3月本部月次祭への参拝の自粛を要請します。教会本部は国の方針に従いましょう!!
アルバイト中にひき逃げ逮捕された天理教幹部の意外な窮状
3/10(火) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200310-00000013-pseven-soci
事件は“バイト中”に起こった。警視庁は2月28日、東京都葛飾区の路上で男性をひき逃げして死亡させた疑いで、同区に住む清康雄容疑者(58)を逮捕した。メディアは清容疑者の肩書きを「宗教団体幹部」と報じ、事件発生時は「アルバイト」の最中だったと伝えた。宗教団体関係者に取材を進めると、都内在住のある天理教信者がこう証言した。
「彼は葛飾区にある天理教の教会長です。レンタカー店でアルバイト中で、運転業務中にひき逃げをしてしまったらしい」
ひき逃げという犯罪の悪質さもさることながら、気になるのは「なぜ天理教の幹部ともあろう人物がアルバイトを?」という点だ。奈良県天理市にある教会本部に問い合わせると、容疑者が教団の教会長だったことを認めた上でこう話した。
「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事をしている教会長も多数います」(広報担当者)
前出の信者が窮状を明かす。
「本部にお供えを出しながらバイトをかけ持ちし、疲弊しつつ何とか生活している教会長も全然珍しくありません」
清容疑者の自宅を訪ねると、古い一般民家のような建物に教会の看板が。近隣住民に聞くと「常に多くの人で賑わっているわけでもなく、お金のある感じではない」と印象を話した。
清容疑者は容疑を否認しているが、前出の広報担当者は「人として許されないことで残念」と語った。「宗教はカネになる」ともいわれるが、その対極にある事件だった。
※週刊ポスト2020年3月20日号
葛飾の教会名が分かれば、上級の教会長の意見を聞きたい。
貧乏教会長は、神殿だけではなく車両の修理もままならない方も多く、危険運転を強いられるが、本部や大教会は献金を奨励するばかりで、かえって危険度を増しているのではないか?
この宗教の幹部人事に大欠陥があるのではないか?
天理教教会は多くが貧困です。この記事では教会家族は信者のお供えで生活すると言うが、そもそもこの記事のように、教会に賑わいなど無い。人が来ない、信者が居ない。世間一般よりは格段に生活レベルは低いです。
この会長さんは貧乏教会故に、自動車保険にも加入出来ていなったのかもしれない。やった行為は罪だが、思わず逃げた心情は理解できる。相手に補償は出来ないんだから。天理教教会の貧困の現状は哀しいがここまで心を荒ませてしまう。
天理教幹部は黒塗高級車に乗り、底辺教会の会長さんはお金がないからバリバリとおかしな故障音を響かせて、信者宅を訪問しておられる。廃棄寸前の値がつかない様な中古車を手に入れて修理を重ねて乗り継いでおられる。
教会家族も 最低限の生きる権利がある。上に行くほど豊かになるこのシステムに忠実に従い、人を跳ねても逃げざるを得ないほど追い込まれる環境に居る多くの教会です。もう上にお供えする必要は更々無いと思う。陽気とは程遠いです。
2020年3月10日 10:53 PMの匿名様の下記の投稿の一部
>「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。<
>基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事を<
>している教会長も多数います」(広報担当者)<
教団本部のこの素気無さのコメントから感じ取れるのは何という冷たさか。散々搾り取っておいて都合が÷悪くれば、途端に手の平を返す態度。このような宗教を信仰してたなんて馬鹿だったとしか言いようがありません。
せめて、亡くなった方への冥福を祈る言葉の一つもなかったのでしょうか。教えの不徳の致すとこくらいは言えただろうに。
東風Z 様 読者の皆様
2020年3月11日 8:39 AM
>>教団本部のこの素気無さのコメントから感じ取れるのは何という冷たさか。散々搾り取っておいて都合が÷悪くれば、途端に手の平を返す態度。このような宗教を信仰してたなんて馬鹿だったとしか言いようがありません。
せめて、亡くなった方への冥福を祈る言葉の一つもなかったのでしょうか。教えの不徳の致すとこくらいは言えただろうに。<<
天理教団とは、そもそも「我がさえ良くば」という利己主義にまみれた団体です。宗教と呼べるシロモノではないのです。ひき逃げを決して肯定はしませんが、ひき逃げをするに至った一末端分教会長の事情や背景は法廷の場で十分審議され、裁かれなければなりません。今回の事件に限らず、天理教被害に苦しんでおられる方々は、世の中に大勢おられます。現在、信者の皆さん、天理教からは即座に離脱しましょう。
天理教は中山教、金のつなぎは命のつなぎ教団らしい回答ですよね。
>「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。<
>基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事を<
>している教会長も多数います」(広報担当者)<
独立採算制で、包括被包括である以上 「土地を返せ!」と言った本部もおかしいのですよね。だがこれこそ「金が命の中山教団」真骨頂なのでしょう。戸惑う事も無く
トラブルはその教会責任、本部の経営不振は本部以外の教会の責任 ともまあ無責任な本音が浮き彫りに成りましたね
>>独立採算制で、包括被包括である以上 「土地を返せ!」と言った本部もおかしいのですよね。だがこれこそ「金が命の中山教団」真骨頂なのでしょう。戸惑う事も無く
トラブルはその教会責任、本部の経営不振は本部以外の教会の責任 ともまあ無責任な本音が浮き彫りに成りましたね<<
全くその通りだと思います。「金が全て」「責任転嫁」「弱者いじめ」教会本部の体質はそれに尽きます。
他に何か付け足す言葉はあるでしょうか?
長く教会をやってきて金が全て、責任転嫁、弱いものいじめ。本当にそれにつきます。もう一つ付け加えるなら「低能」・「低脳」。人としての能力がないし各種事案に考える力も無い。的確な判断力、アカデミックさは無いと思う。
江戸時代を地で行っているお方達ですから放って置くしか無いと思っています。
無い袖を振るのが誠真実という。言われたことは忘れません。要は借金をしてでもお供えをしろっていうこと。
これって、心理的な脅迫罪でしょ。振り込め詐欺よりたちが悪い。悪すぎます。
偶数月の15日になると銀行のATMに来る多くの高齢者。この姿を見て、待ちに待った年金からかすめ取る気持ちが湧きますか。普通の人間ならできませんよね。それが出来るのが天理教です。
>>偶数月の15日になると銀行のATMに来る多くの高齢者。この姿を見て、待ちに待った年金からかすめ取る気持ちが湧きますか。普通の人間ならできませんよね。それが出来るのが天理教です。<<
高齢者の年金は高齢者の生活費です。生活保護受給者の保護費も生活困窮者の生活費です。天理教が肥大化した陰には信者さん達の汗と涙と命があります。天理教という「害悪」は、一刻も早く無くなってほしいものです。新型コロナと同様に・・・・
天理教と教団は中山教に呪われ、その中山家自体因縁と言う呪いにかかっていますね笑
天理教は終わりやがて教団も終わり最後に中山家が滅亡するのでしょうかね。そうならないように治すのも無理でしょうから早いうちに辞任していただきたいものです。
のぶえさんも高慢になり始めたとの噂ですね。沈没寸前の船長の嫁と言う自覚は無い模様ですね。こういう人に限って乗客をほっといて船長夫婦が一番に逃げる。今の天理教の無責任さを見ると我が身可愛い無責任船長。信者の事なんか考えちゃいない。持ちつ持たれつの取り巻きにちやほやされるから自分が見えなくなってるのでしょう。
本部員は相変わらずお尽くしお尽くしと自分が出来てもいないお尽くしの説教を垂れるし。お金の話は出せば出すほど人は逃げて行くんだから、まあ言える間にしっかり言えば良いわ。
神様はお金は使わない。使えない。そのお金、誰が使うんですか?!
このたびのウイルス感染拡大状況において、情けない天理教本部の姿勢を見せつけられる毎日です。
本部月次祭の際の、信者の参拝を、どうしても止めようとしない「戦犯」は誰なのでしょうか。
ここ迄お供えにしがみつく姿は、もう、救いようのない餓鬼そのものです。
組織の運営費が足りないのならば、今こそ中山家は貯えている財産を吐き出しなさい。
各教会長さんへのお願いです。
「こどもおじば帰り」も中止の段取りをお願いします。
責任をもって子供たちを預かることができますか?無理でしょう。
「こどもおじば帰り」は本部にとっては渡りに船だと、
コロナのおさまり具合によっては結構簡単に中止を決定するんじゃないでしょうか?
なにせ教校学園閉鎖もパレードもコスト削減が理由でしたから
多額のお供えを持ってこられない子供たちのおもてなし行事も、
本部は削減したいコストのうちの一つであると推測できます。
なんならついでに今年でこどもおじば帰りも永久に終了なんてこともありうるかも….。
なるほど同意なツイート紹介
「人生設計を放棄させてきたカルトの社会的責任は問われるべき」
Joel Mitsuru Kurashiki @Joel_326 さんのツイートより
既にエホバの証人は、無年金など老後の備えを怠ってきたことにより
生活保護受給者が急増するなど、社会資源を食い潰す存在になっています。
生活保護受給者の大半が高齢者という中で、
人生設計を放棄させてきたカルトの社会的責任は問われるべきでしょう。
それに対する教内の方のツイートより
↓
とある教会の長男 @hinagata1798 さん
天理教も同じやん。
「人生設計を放棄させてきた」ってとこがまさに。
そうか、社会資源を食いつぶす存在になってしまってるんやな。これは考えたことなかった。
人に迷惑かけてるやん。あかんやん。
苦しみの道を歩むのは助かりのためとか言うてる人これにはなんて言うんやろ。
富松と言う本部員、どうにかならないか。コロナで多くの中小企業、零細小売業、母子、父子家庭の経済がギリギリに追いやられている昨今。皆、生き死にの渦中にあり、相次ぐ倒産の憂き目の中でどれだけ夜も眠れないほどの日々を過ごしている事か。そう言うお金の苦しみを知らない者の一人富松説教人。所詮、本部に給料貰い、ボーナス貰っている。貧者の献金の上に裏ずけられた安泰がそこにある。裏付けがある人間が無責任を言うな。世間の人々は明日の分からない真剣勝負で生きている。明日から路頭に迷う潜在危機と共に生きているんだ。
簡単にお尽くし信仰が重要だの、借り物のご恩奉じだの、口先三寸なら誰でも言える。ぬるま湯に浸かる人間が暇つぶしでやって来て信者のお金で持てなしを享受し、高級なシルクの着物なんぞを着て謝礼を貰って帰る。こんな人間が何を言おうと高慢そのものである。茹で蛙に何が分かっていると言うのか。信者の献金のごくつぶしである。先が見えない倒産家族にまだお尽くしせよと言うか?自分はシルクの服を着てね。
何度投稿すれば得心がいくのだろうと思ってしまう。
数千万円単位の所得税を払う教団最上層部が居る一方で、市町村民税さえ課税されない信者さんたちが、わんさと居られる。
この落差というか矛盾にも等しい現実。上級教会長たちは何故この現実に目覚めないのか。大教会長に至っては完全な洗脳状態が続く。
お許しの御礼を何の臆面もなく事務的に受け取る現実を見たものとして、むなしが募るばかりです。
このような宗教が何時まで続くのだろう。創立130年記念祭を打ち出した大教会が、何とかの繰り返しのように唱える一手一つという呪文に続き、親神様にお喜び頂くという殺し文句。何のことはないおカネ集めだけが目的ではないのか。御恩報じなんていわずとも、謙虚に生きていれば十分です。
目を覚まそう、教内の若者たち。
ひとをたすけてわがみたすかる
なんて心が一つもない無責任な天理教本部
本当にそう思うなら真柱をはじめ本部員、大教会長、全員、単独布教にでよ!
何も能力がないのに親から受け継いだ既得権にあぐらをかいているだけの方々
もう誰もあなたがたの言う通りには動かないのだから!
ご存知の通り、選抜高校野球も中止になりました。でも、3月の教会本部月次祭は強行するということです。
それほどまでにして「お供え」が欲しいのですか。
>>ひとをたすけてわがみたすかる<<
「信者を苦しめて 幹部儲かる」 それ以外の何ものでもありません。
天理教はやはり詐欺そのものだったのかと、100年という長い歳月を騙され続けた我が先祖、子孫の最後はお家断絶、そして消滅と精神障害です。
何ひとつ幸せだと感じることのない、苦しみだけの末端教会に生まれた己の運命を呪ってきたが、そもそも天理教が騙しの教えだから、信じた者が詐欺に騙されていたのだから苦しみしか味わえなかったのは仕方のないことだったんだと。
脅しや脅迫で信者を繋ぎとめてきた天理教だが、その終焉も間近に迫ってきている。嬉しい限りです。
立場と血脈と肩書きだけで生きて来た方々は、死ぬまでそのままですよ。いまの立場を失わない限り。
教会の中で生きていく方々も、離れない限り教会の中で死んでいきます。
来世に期待してないで、現世を楽しみましょうよ。
せっかく日本に生まれたのだから
速報
直属教会長各位
ただいまの新型コロナウイルス感染拡大を防止する社会全体の取り組みを踏まえて、教会本部3月の月次祭および春季霊祭は例年通り勤めますが、参拝者の殿内への昇殿をご遠慮いただき、代表として直属教会長、教区長の参拝のみで勤めさせていただくことにいたします。
部内教会長はじめ、ようぼく・信者の方々に、本部3月月次祭への参拝をお控えいただき、当日は、教会、布教所、信者詰所、自宅などから遥拝をしていただくように周知徹底をお願いいたします。
取り急ぎメールでご連絡いたしましたが、詳細につきましては追って書面を郵送しておりますので、ご覧くださいますようお願いいたしま
す。
立教183年3月12日
天理教教会本部
とのことです。
流石に本部も対応せざるを得なかったようです
↑ ↑ ↑ ↑
匿名 様 読者の皆様
2020年3月12日 4:13 PM
さすがの教会本部も教内外からの痛烈な批判に晒された挙げ句の果ての対応だったのでしょう。この掲示板も役に立ったのだと思います。
匿名
2020年3月12日 4:13 PM
崩壊
2020年3月12日 7:27 PM
本部はまた重要な事を隠しましたね。天理教会本部内でコロナ感染者が出たんです。ここに来てまで隠蔽体質なのが呆れます。
あれほど、各会を中止しろ!と言ったのに、いう事聞かないからこうなった。1月前に全て中止しべきだった後手後手の対応ですよ。
感染拡大をさせた天理教団の責任はありますね。
また天理教が感染拡大さえていたと言う社会学の予言的中ですね。
ニュースに出るのを楽しみにしておきます。
未信者
Q「天理教ってなんですか?」
布教師
A「御守護により病気やトラブルが治せます!」
未信者
Q「なぜ真柱さんは治らないんですか?」
布教師
A「あ・・・」
未信者
Q「なぜ中山家がずっと真柱にいるんですか?血縁宗教なんですか?」
布教師
A「あ・・・」
未信者
Q「教祖が書いた、おふでさき、みかぐらうた、おさしず に血が大切とは書いてないですよね?」
布教師
A「えぇ・・・」
未信者
本部は中山家とその血族で牛耳ってると、ネットで見ましたよ。
布教師
A「あ・・はい」
未信者
中山さんだけが得する宗教を誰が信用すると?
布教師
A「失礼しました・・・」
これが各現場で起こってる現状で人であるなら誰でも思う疑問です。
その疑問も教団の現在の体制に無理があり矛盾があるからです。
天理教が勢力を拡大できないのも、中山家に徳が無いにもかかわっらず、天理教のふりをしているのが原因です。つまり根本的に「この宗教は嘘だ!」と悟られるからです。
>匿名
2020年3月12日 9:44 PM
天理教会本部内でコロナ感染者が出たんです。<
本当ですか?
もう少し語れる範囲で教えていただけませんか?
本理世の本芝清分教会です
>本理世の本芝清分教会です<
それはひき逃げ事件ですよね。
そうではなくて教会本部内でコロナ感染者が出たというソースが知りたいのです。
どなたかなにかご存知の方いらっしゃいませんか?
匿名
2020年3月13日 12:29 AM
ソースもニュースが取り上げるまで出てきませんからね。現場の人に聞くと良いと思います。知人に聞いたらチラホラそんな噂が出てるみたいです。検査に入ったとか
検査ではコロナ発生とはいえないんではないでしょうか?
天理市の幼稚園か保育園に勤務している人が経過観察中ということは報道されていますが、その人が天理教かどうかは定かではありません。
最初2月末に修養科で一人憩いで検査という噂はでましたが、ニュースにはなっていません。
この時期にほんとかうそかわからない情報をだすのはどうかと思います。
>>本理世の本芝清分教会です<<
情報ソースは分かりかねますが、虚実はともかく、虚実がはっきりと確定するまで、固有名詞を掲示板に掲載するのは、いかがなものでしょう?
組織を通して、神の思いを伝えるというのは、危険すぎます。
組織から人間の思いを払拭するのは不可能です。
組織の中でそれなりの地位が出来てしまうと、カッコウを保つことが優先されます。
人の苦しみとか悩みとか、人を助けるまごころとかいったものは、わきに追いやられます。
信仰をしたければ、組織から離れる方がいいです。
神様と一対一で直接向き合ってください。
三月だけではなく
「教会長はじめ、ようぼく・信者の皆様におかれましては、
これからは 永 久 に、
各教会・布教所・信者詰所、自宅などから遥拝されますようお願いいたします。
上級や大教会・本部へのお供え、ひのきしん等もしていただかなくて結構です。
親神様はそんなことをしなくても、御守護くださいますからご心配しないで下さい。」
って言うてくれへんかなあ….ねぇ本部さん。
さすがの教会本部も教内外からの痛烈な批判に晒された挙げ句の果ての対応だったのでしょう。この掲示板も役に立ったのだと思います。<<
その通りだと思います。本部は確実にこちらの意見や批判を閲覧しているはずです。
本日のホームページで3月月次祭に本部神殿に昇るなとの通達ですね。参拝は控えるようにと。
今頃になって遅すぎます。一般教会、信者がどれだけ本部の生ぬるい動きに気をもんだ事か。この無責任体質が本部なんですね。時を逸すると本部としての誠意は半分しか伝わらない。まあ彼らに誠意なんてものは無いんだけど。旬を逸したら芽が出ないとよく聞かされてきたが、まさに本部こそこの重要な通達の旬を逸した。効果半減。むしろ多くの信者に気をもませた分、そのぐずさ加減に不誠実さがクローズアップされた。すべて後手後手。
今回、靴脱ぎ場あたりに賽銭箱を設置するんだろうな。金を取る事にぬかりはないから。
>>今回、靴脱ぎ場あたりに賽銭箱を設置するんだろうな。金を取る事にぬかりはないから。<<
これでもかと言わんばかりの数の賽銭箱を設置するかもしれませんね。もしかしたら、神殿階段下に有名な神社仏閣で初詣の時に設置される投げ入れ式の超大型賽銭箱を設置するかもしれませんよ(笑)
組織はなくても信仰できる!
2020年3月13日 10:09 AM
>>検査ではコロナ発生とはいえないんではないでしょうか?天理市の幼稚園か保育園に勤務している人が経過観察中ということは報道されていますが、その人が天理教かどうかは定かではありません。
経過観察と言うことは濃厚接触か感染の疑いと言うことです。それにコロナウイルスは発症しないから感染拡大しないのでなく感染はするが発症しない人がいると言うことです。検査で感染が確定されているだけで、感染者数の数十倍の患者数はいるといわれてます。
>>本日のホームページで3月月次祭に本部神殿に昇るなとの通達ですね。参拝は控えるようにと。
本部のこの厳戒体勢に何が隠されているか?考えてください。 今まで不対応だったのいきなりおれです。
私も社会学さんのコメントをみて知人に聞きましたが、確かに教団ではない。記事の内容でしたが、教団関係者の家族がその施設に関わっていたと聞きました。発祥はしてなくても感染の疑いはあります。コロナの検査方法 pcr の精度は40%から70%と制度もまばらで今まで感染してても陰性だった事がたくさんあります。
今後教団内で発症者が出たとしても日本の報道では固有名詞までは出さない可能性はあるでしょう。
ネットニュースも尽く消されてます。
2020/03/06 – 奈良県で新型コロナウイルスの患者が新たに3人確認されたことが分かりました。3人はいずれも奈良市在住です。 … 下船後の検査では陰性でしたが、2週間の健康観察が終わり検査したところ、陽性と確認されたということです。2人に症状はなく経過観察期間中は自宅待機をしており、周囲への感染の恐れ … 奈良・天理の保育所職員関係者が大阪のライブハウス訪問、保育所は臨時休園へ:
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-00010002-tvnv-l29
皆さん喜びもつかの間奈良のバス運転手がコロナ感染とわかった時点で普通は対策します。教団はこの一月なにをしていたのでしょうか?
元々教団は隠蔽体質なので先に注目しておかないともし教団内で発症者が出てきた時どうなるのか考えたときが一番怖いです。隠蔽体質の教団なら病気を隠蔽するのか、それとも患者自体を隠蔽するのか、本部の月次祭厳戒体勢をみて違和感しか感じません。また何か隠してるのでしょう。
それに月次祭で本部員だけならまだしも直属教会長の出席はさせませんよね?させてたらまた感染拡大します。それにその月次祭で本部員が感染し発祥したらどうするのでしょうか?それこそ隠蔽してしまうのではと心配です。しかも新型コロナウイルスは死体からも感染します。その対応はどうするのでしょう。
本部だけでなく、大教会、分教会の集会の禁止をなぜしないのですか?天理教の人でももう感染しているのに病院にもいかず、或いは行けない、教会長の意向で通院させてもらえない教会や家庭はあるのではないでしょうか?無いとは言えませんしむしろ多くの教会がそう言う状態でしょう。神様が御守護を・・・で治るならコロナは感染拡大してません。コロナは回復しても2度3度感染するので「宗教施設で濃厚接触を繰り返し1月放置地域の感染源に」との見出しでも出際はこの教団は本当に終るでしょう。
それに月次祭で本部員だけならまだしも直属教会長の出席はさせませんよね?させてたらまた感染拡大します。<<
これはダメだと思いましたね。直属教会長は犠牲にさせるのですね。請われれば彼らは拒否出来ないだろう。
婦人会総会や前夜祭はコロナウイルスの影響でなくなりました。
しかし総会のお祝金は既に集めているので婦人会本部にするそうです。
8,000円×教会数なのでかなりの額になります!
結納が納まってから破談になったにもかかわらず、お祝金を返却しないようなものですネ!
お祝いする方(直属教会)も受け取る方(婦人会本部)もどうかしています。
ウチはまだお祝金を上納しておりませんでしたので催促がありました。
…ひょっとしたら婦人会本部には渡さずに大教会の会計に入るのかも知れませんネ⁉️
本部だけでなく、大教会、分教会の集会の禁止をなぜしないのですか?<<
そうなんです。各教会は困ってるんです。信者から問い合わせはあるは、上からの指示は一切無いわで。無責任の極みですわ。お金の集金司令はスカッと下まで届きますがね。金の集金に関してはもれなく信者に浸透させて、きっちり持っていきますが。
天理教団は人命軽視。物、金重視。こういう緊急時にこそ、本部の本音がさらされたと思います。人命軽視でやる事為す事、全て後手後手。やってる事は最後まで殿様思考。直属会長をお供に従えないと、お勤め出来ないんか?直属と言う命を持つ犠牲者を事もなく従え巻き添えを食らわせるのだ。
そもそも、教団は人間を造ったのは親神と言っているんだから、人類が困る原因を造ったのは一番にも教団本部の行いが悪かったからではないのか。お願いつとめをするよりも先に中山家一同と取り巻きが懺悔すべきです。
そうでなければ、お願いつとめをしたからと言ってご守護を頂けるはずもないでしょう。
新型コロナウイルス対策に関する、全国の教会へ教団本部からの指示は一切しないでしょう。国はお願いという形を含めて指示を出していますが、当然補償問題が発生します。国は今回のウイルス問題で多額の臨時予算を使います。当然、指示をだせば各教会もお供えの収入源がたたれ、本部はそのお供え補償などに責任がかかるはめになりますから。
御神言を拝読すれば、おじばには最も進化した魂達が引き寄せられ、最も成人した上で、永遠にたすけ一条を勤められる筈ですよね❓
教祖の様に、お優しくて、超能力を発揮して、困った人達をたすけあげる人達がおじばにいらっしゃる筈ですよね❓
何でも難儀はささぬぞえ、たすけ一条のこのところのおじばは、まだ始まってないのかな??
でも未来には、成立する筈ですよね❓
より優しい世界へと導く、人類の棟梁達が登場する筈ですよね❓
病まず死なず弱らず、健康.・長寿・安全・繁栄の雛形を実現させた人達が溢れて、神と共に世界にそれを分かち合う勤めが舞われる処でもある筈ですよね❓
又それによって奇跡的な救けが巻き起こる場所でもある筈ですよね❓
もしかしたら、たすけ一条のおじばが始まっていないのか❓いまだしょやしき村は天保9年のままなのか❓
神が出て何か一切を説き聞かす筈ですよね❓
直属教会長たちが月次祭に参集するという事は、教会長家族のお世話をするための
詰所の人手が必要という事になります。
ある大教会長家族は数名の乳幼児を連れての帰参。
会長夫人がおじばで外出する時は、子供たちを「数時間」詰所にいる人にあずけていく。
詰所にいる人間にはそれぞれの仕事が有ることを知らないのだろうか。
子守を引き受ける人的余裕が無い状況が見えないのは、目が曇っているからだろう。
目が曇るという状況は、脳にも情報が届かない事を意味している。
勿論、大教会の若嫁がすべてそうだと言っているのではありません。
数年前のことですが、S大教会夫人は赤ちゃんをおんぶして(今時珍しい!)
自教会の別席信者をお世話していました。
子供連れの修養科生の皆さんは、みんな子供を連れて歩いていますね。
筈ですよね?様。
「筈」なんですがね。これは騙しの手口ですから永遠に実現しません。実現したら「皆様実現しましたね。ご苦労様でした。解散。」になってしまい、大亮の子や孫の食い扶持の金をとる手段がなくなります。100年たっても200年たっても延々と「陽気暮らしの実現の為に一手一つで~」「命のつなぎは金~」と神が言っていない事を馬と鹿の一つ覚えの様にやらすんです。すべては金の為です。
神が働けば、こんな非常事態にしません。少なくともおじばのある人類発祥?のこの日の国、日本で。おじばに巣食う悪の存在こそが、神の救いの邪魔をしているのです。
騙しの手口に神が働く筈がございません。
本部の新型コロナウイルス対策はずさんです。直属教会長はじめ一切の帰参を禁止しない限りは感染拡大の原因になります。
金のつなぎは命のつなぎ、も恥ずかしいですが、金のつなぎは菌のつなぎ までしている。
天理市関連のコロナ情報です。
1)天理市長「県の対応危惧」 3月11日18時30分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20200311/2050003981.html
新型コロナウイルスへの感染が確認された未就学の女の子が通う施設がある天
理市の並河市長は、11日、県に対して「同じ施設に通う子どもなどが希望し
ても検査を受けられず県の対応を危惧している」などとして改善を求めました。
県内では今月8日、30代の男性の感染が確認されたほか、その長女で未就学
の女の子も翌日に感染が確認され、天理市は、男性の濃厚接触者が勤務する保
育所と、長女の通う施設を臨時休業にしています。
これに関連し、11日、天理市の並河市長と市議会議員13人は、県の鶴田医
療政策局長に要望書を提出しました。
この中で並河市長は「臨時休業している施設と保育所に通う子どもや職員が検
査を希望してもほとんど受けられていない。県の保健所の対応を危惧している」
として、すみやかな検査を求めました。
また、「施設などに通う子どもの家族がほかの病気で近くの診療所を受診しよ
うとしても拒否されるケースも出ている」として、適切な対応を求めました。
これに対し、鶴田局長は「保健所のすみやかな対応に向け体制を強化したい。
また、医療機関を適切に受診できるようしっかりと対応したい」と述べました。
要望書を提出したあと、並河市長は「県と市が連携して感染拡大を防ぐための
対策を講じたい」と述べました。
2)※この天理市の情報はホームページから何故か削除されていますので閲覧できる
サイトを貼り付けました。
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=0-n8CTzyg6IJ&p=%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%B8%82+%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A&u=www.city.tenri.nara.jp%2Fkakuka%2Fshichoukoushitsu%2Fkohoka%2F1583727970901.html
新型コロナウイルス感染症対策について(第四号) 令和2年3月9日天理市
3月7日付、市対策方針(第三号)で、「市立南保育所職員の関係者」として
お伝えした「大阪市北区のライブハウスで発生したとみられる新型コロナウイ
ルス感染症クラスターの濃厚接触者」がPCR検査の結果、3月8日時点で「陽性」
であったことが判明しました。
また、未就学児童1名(同感染者の「濃厚接触者」)も、PCR検査の結果、3月8日
時点で同じく「陽性」であったことが判明しました。
「濃厚接触者」である南保育所職員は、3月8日時点では「陰性」でした。
(※ ご本人の同意を以て公表しています)
つまり、検査結果が陽性であった方が天理市内では2名となったということですね。
天理市のホームページ内容が削除されている理由が不思議です。
市内の大型商業施設は限られていますから、買い物の際の市中感染が気になります。
あっ、そうか、一族と本部員関係者は「上げ膳据え膳」でした!
気にもならないのかもしれません。
情報公開という点からも気になります。
東京の或る区の感染相談窓口で得た情報では、ある程度の情報公開されている例では、
関係先の協力が得られた場合だそうです。(勤務先企業など)
個人の行動履歴は自治体が聞き取りをしていますが、これを公表したくない人もいる
のは無理からぬことと理解できます。
けれど多くの接触可能者が生まれることが予想される場合、感染防止の観点から、
関係先の公表は必須と言えるでしょう。
この天理市の市民の方が信者さんとは今のところ、どこからも聞こえてきません。
仮に天理教関係者が濃厚接触者に含まれている場合、本部はどのような行動をとる
のでしょうか。市のホームページ削除の理由が知りたいものですね。
コロナウイルスは対策が移動制限と隔離しかなく特効薬もまだ発見されてないから世界中パニックなのです。コロナウイルス感染者確認 と言う報道を良くみますがあの報道の仕方も勘違いします。症状があり検査し感染したことを確認できただけですので、それ以外の人が感染してないとは成りません。感染しても症状がでない。検査も制度がまだ低いのも問題です。
コロナウイルスは元々風邪の菌が変異したのですから感染力は高いわけです。
風邪のウイルス
ライノウイルス、コロナウイルスが多く、RSウイルス、パラインフルエンザウイルス、アデノウイルスなどが続きます。
https://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=2
天理で2名の感染者が発見されたとするならば、10倍と言う記事は葉kk年出来ましたが100倍のコロナウイルス感染者いると予測するほうがいいでしょう。実際は何倍いるのかも分かっていません。だから怖いのです。
武漢で39倍と言う記事もありますが、「武漢はもっとあったのではないでしょうか?」と誰でも分かりますよね。武漢では数万人が死亡しその死体を焼却 実際の数も共産党政府が隠蔽しています。
CNN「日本のコロナ感染者は氷山の一角…実際は10倍」
https://s.japanese.joins.com/JArticle/263400?sectcode=A00&servcode=A00
どう考えても感染者が数が少ないです。大阪55人に対し、中国人観光客の多かった京都が12人 和歌山が14人 この数字はあてに成りません。奈良県が7名中、天理で2名この高確率の感染力、この数に対し10倍100倍をかければ実際の数字が見えてくるのではないでしょうか。
新型コロナ感染者 兵庫・奈良であらたに4人確認
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20200309/GE00031980.shtml
月次祭での帰参各地からの参拝は新型コロナの流入流出の原因となり教団外の天理市民には迷惑です。ただちに直属教会長の帰参も禁止すべきです。それに天理市に対する新型コロナウイルスの持込と天理市外への新型コロナウイルス持ち出しの危険性があります。持ち出し感染したらまた教団が天理市に対する風評被害の原因を作る事に成ります。
月次祭での帰参各地からの参拝は新型コロナの流入流出の原因となり教団外の天理市民には迷惑
2020年3月14日 5:49 PM
このコロナ感染者が天理市内ででたにも関わらず教団本部は本部へのお供え(献金)は銀行振り込み や 現金書留など代わりの方法があるにも関わらずなぜ直属教会長の帰参での手渡しをこだわるのか考えて見ると本部会計の不正会計をしているのでは?と思われても仕方ないです。
例えば、100億円を現金でお供え(献金)されているとします。そのうち20億を会計計上せず、お供え総額を80億と書く、20億は税務署も分からないお金に換わります。
このようにして会計計上してない資金が大量にあるのではないでしょうか?ライブドア事件なども税理士の共犯の不正会計事件です。
教団や中山家など資金難みたいなので、消えた現金はそちらに流れてるのですかね?と疑われて当然
これはコロナ対策のすざんさから大事件が発覚しそうです。
コロナの対応がずさんである理由が献金の手渡しにこだわる為その理由は不正会計ができなく成るからなら辻褄が合います。
粉飾決算を行ったとされるライブドアの手法とは?
https://www.e-zeirisi.com/livedoor-4236.html
天理で感染者がでたとするとそこに通園している子もしくは父兄が日曜日に朝づとめに参拝しているかもしれません 朝夕の参拝も禁止したほうがいいと思います 中山家とご親戚だけでどうぞ!
天理教も韓国のカルト宗教と同じ末路をたどりそうですね
密着して「アーメン」が感染原因となると、手で触れるおさづけも本部だけでなく全教会や信者に禁止すべきです。
新型コロナ 韓国の新興宗教団体からなぜ広がったか 独特の礼拝様式 組織の閉鎖性も
会長や幹部を告発 解散求める請願は110万人超に
大邱市での感染拡大を受け、韓国大統領府のホームページでは、教団の解散を求める請願への賛同が三月一日時点で百十万人を超えた。また、教団の被害者団体は、感染拡大防止を妨げたとして、感染病予防法違反などの疑いで李総会長を刑事告発し、検察が捜査を始めた。ソウル市も、保健当局の業務を妨害し死者が発生したなどとして殺人容疑などで教団幹部らを告発した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202003/CK2020030402100060.html
日本の各アーティストだけでなくライブハウスやイベント会場が逆にキャンセルを入れるような状態なのに、教会本部は見せかけの対策だけ打って日本全国にある直属会長だけ献金手渡しの為だけに呼び出そうとしている。椎名林檎の東京事変も以前は強行の姿勢を見せていたが各所からバッシングを受けてこの記事に至ったわけです。
天理教ももう明確にバッシングを受ける時期かもしれませんね。コロナウイルス対策のずさんさを許すと教団内だけでなく日本各地で死者が増えるかも知れませんので皆さんで拡散しましょう!
椎名林檎さんの東京事変、5公演中止「改めて話し合い」
https://www.asahi.com/articles/ASN346DS4N34UCVL01H.html
公益財団法人・天理よろづ相談所病院「憩の家」 も新型コロナウイルス対策に関してなにをしていたんですか?予防は感染者が出てからのではなく出る前から対策を打つ事です。教団本部の月次祭に直属教会長を呼ぶのは今出来る感染予防の移動制限と隔離に反します。これをする本部は公益性は欠き、それを指摘しない公益財団法人・天理よろづ相談所病院「憩の家」にも公益性はございません。
どこまでこの組織は腐ってるのでしょう。
直近の皆様のコメントで本部への金の流れがよく分かりました。こんな非常時でも本部月次祭に直属教会長に命をかけて参集させるのは、お供え金現金手渡しの機会だからなのですね。リアルに解って来ました。
全国から電車を乗り継いで来る大教会長もいるでしょう。そう言う行為が彼らに感染リスクを負わせる事、また加害者になる可能性を秘めている事に本部は考えが及ばないのでしょうか?現状、感染予防の移動制限と隔離と言う世の方針に反しています。
適切かつ常識的な判断力に欠ける頭の悪い本部の人間達。
根底には金しか興味が無いからやる事為す事、全てがずれてくる。
また、直属から直接現金の受け渡しとなると、確かに粉飾の余地は有りますからグレーな事をやってるんでしょうね、天理教は。命は金で繋げ、と脅し取った金が本部で何に使われているんだろう?こんな非常時でも金とセットで物事を考えている金満で頭と性根の悪い善亮の顔がチラチラ浮かんで気持ちが悪くなって来た!
天理市からの情報
新型コロナウイルス感染症対策について(第四号)
令和2年3月9日
天理市
3月7日付、市対策方針(第三号)で、「市立南保育所職員の関係者」としてお伝えした「大阪市北区のライブハウスで発生したとみられる新型コロナウイルス感染症クラスターの濃厚接触者」がPCR検査の結果、3月8日時点で「陽性」であったことが判明しました。また、未就学児童1名(同感染者の「濃厚接触者」)も、PCR検査の結果、3月8日時点で同じく「陽性」であったことが判明しました。「濃厚接触者」である南保育所職員は、3月8日時点では「陰性」でした。
(※ ご本人の同意を以て公表しています)
天理市新型コロナウイルス感染症対策本部は、上記の感染者2名が発生した状況を受け、以下の対策を取ります。市民の皆さまの命と健康を守るため、引き続きのご協力をよろしくお願い致します。
1.市対策方針(第三号)に基づく市立保育所での対応
(1)3月7日付、市対策方針(第三号)で決定したとおり、令和2年3月9日より3月22日までの間、南保育所を臨時休業しています。再開については、3月22日の時点で状況を確認し、改めて決定します。
(2)なお、未就学児童の関係施設(以下、「施設X」)も、市対策方針(第三号)に基づく市要請に応じた対応を取られています。
2.施設関係者への対応
(1)南保育所職員については、9日時点でPCR検査の結果「陰性」が確認されていますが、潜伏期間等を考慮し、全児童には休業期間中、外出を控えるようお願いします。また、南保育所より、各児童の健康状態を電話で確認いたします。
(2)「施設X」の全関係者(※児童及び施設勤務者)に対して、自宅待機を求めます。発熱や呼吸器症状がないか、市としても、「施設X」と連携して健康状態を確認します。また、保健所等と連携し、濃厚接触者の把握に努めます。症状があった場合には、直ちに「奈良県帰国者・接触者相談センター(0742-27-1132)」に相談いただき、適切な対応が受けられるよう、市も支援します。
(3)南保育所及び「施設X」の消毒作業を行う他、市内での感染拡大防止のため、関係者と緊密に連携した対策を取ります。
3.学童保育所及びその他の保育所、小学校の「一時預かり」について
(1)「施設X」関係者の兄弟姉妹が通っている学童保育所と、小学校の「一時預かり」は、最悪の事態を想定した予防的措置として、令和2年3月10日より3月23日までの間、臨時休業します。臨時休業となるのは、前栽、丹波市、井戸堂、朝和、柳本、二階堂の各学童保育所と小学校の「一時預かり」です。
(2)市立北、中央、嘉幡保育所、やまだこども園には、「施設X」関係者の兄弟姉妹がいないため、3月9日時点では、感染症対策を徹底の上、「預かり」を継続します。上記(1)で臨時休業とならない学童保育所と小学校の「一時預かり」も同様に継続します。
(3)ただし、今後、感染が拡大する場合や、経路が不明な市中感染が発生した場合、2月28日付、市対策方針(第二号)に沿って、いささかの遅滞も無く、直ちに全ての学童保育所及びその他の市立保育所・こども園、小学校の「一時預かり」を概ね2週間臨時休業とします。
4.市民の皆さまへのお願い
(1)市では、感染拡大の抑止に向け、市民の皆さまと協働し、全力で取り組むため、個人情報保護のため問題がある事項を除き、市が把握する情報の共有に努めます。市民の皆さまには、手洗い、うがい、咳エチケット、部屋の換気などの感染症対策の励行と、冷静な対応をお願いします。
(2)大阪市のライブハウス「大阪京橋ライブハウスArc」(大阪市都島区)や「Soap opera classics-Umeda」(大阪市北区)など、新型コロナウイルス感染症の陽性患者が確認された施設を利用された方で、発熱や呼吸器症状があり感染の不安がある方は、直ちに「奈良県帰国者・接触者相談センター(0742-27-1132)」までご連絡ください。
(了)
※ 保育所や学童保育所、小学校での「一時預かり」事業は、奈良県ではなく、天理市の所管事務です。この市対処方針第四号に関するお問い合わせは、奈良県ではなく、天理市新型コロナウイルス感染症対策本部までお願いします(市役所代表0743−63−1001にお電話いただき、交換で「対策本部」とお伝えください)
※※※ 全ては「金の為」 ※※※
新型コロナ関連の投稿が連日続いていますが、教会本部の考え方は、「お供え至上主義」、「私利至上主義」、「利己主義」に尽きると思います。信者の皆さん方、未信者の読者の皆さん、決して騙されてはいけません。
【BBC】新型コロナウイルス感染拡大の「震央」となった欧州で、主要国のスペインとフランスが14日、イタリアに続いて緊急規制を実施すると発表した。
https://www.bbc.com/japanese/51893583
以下抜粋
スペインではペドロ・サンチェス首相が14日、非常事態を宣言。日常不可欠な物資と薬品の買い物、仕事が目的の場合を除いて、【市民が自宅から外出するのを禁止した。】
【美術館や博物館、文化施設、スポーツ施設も閉鎖される。】『レストランとカフェは、デリバリーでの営業のみ認められる可能性がある。』
『生活に重要な銀行やガソリンスタンドなどは営業を続ける。』【学校はすでに全国で休校となっている。】
EUはじめ国際社会がコロナ予防対策のため移動制限を実施している。銀行振り込みなどでの受け渡しも出来るにも関わらず代替手段を無視し本部月次祭の各県からの直属教会長の集合を呼びかけている教団本部は社会から批判されるべきです。反社会的組織確定です。世界宗教者会議にも連絡を入れたほうがいいです。現天理教団はカルト確定です。コロナをまきチラそうと画策しているに等しい悪魔教団です。反国家思想でオウム真理教のように共産主義国などの出先機関の疑いもあります。大変危険な思想を持っているに等しいです。
ツイッターや各所で拡散お願いします。
天理からかなり離れる地方の教会です。
切に思うのは。
本部から、4月からの各教会の月次祭の停止(教会長のみで務めてもいいです)を指導してほしい。できないなら、せめて直会を禁止してほしい。上級・大教会への日参も禁止してほしい。
この件が終息したら、今まで通り、往復5万かけてのおぢば帰参、往復2時間かけての上級日参はいたします。
中山家が金儲けしたっていいよ、ダイスケがアホだっていいよ。
とにかく、本部は社会的責任をしっかり感じてほしい。
地方で教会やってるのは辛いのよ。
>>銀行振り込みなどでの受け渡しも出来るにも関わらず
代替手段を無視し本部月次祭の各県からの直属教会長の集合を呼びかけている<<
それは本当ですか?
大教会に各分教会から集められたお供えは、大教会長が直接現金を持参して本部に納めているのでしょうか?
そんな危険なことを本当にしているのでしょうか?
天理教は、この状態でも行事を開催されているのですか?
私が所属する教団では、一切の活動を停止し、ネットで代替しております。
ちょっと驚きました。
上級の月次祭の神殿講話で聞いた、どこかの大教会の後継者が本部月次祭の御供を届けに行った時のお話。
御供の受領場所である本部の一室に入ると、その時の受付係は彼の叔父だったそうで、閻魔様みたいな叔父の前に置かれた机の上に、ぶ厚い御供袋を置いて退出しようとした彼を、叔父は呼び止めました。
「待て!これで全部ではあるまい」と。そこで彼は自分の財布を机の上に置いて下がろうとしましたが、それでも叔父は
「まだだ。まだ全部出してはおらん」と言います。しまいにポケットの小銭まで全部出して、ようやく叔父は
「よろしい」とニッコリ笑ったのだとか。彼は自分は信仰者として、まだまだ甘かったと深く反省・・・、なんて美談仕立てのお話だったと思います。
道友社の小冊子か何かから引用された話なので、本部月次祭の御供が現金の手渡しなのは事実のようですね。銀行振り込みのように数字の記録が残る手段は選ばないとは思っていましたが。
しかし、この話で感動する人っているのでしょうか?私は聞いていて不愉快でしかありませんでした。
匿名
2020年3月15日 8:04 PM
なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。公序良俗を乱し社会不安を煽る行為なで公安警察など政治事件の扱いだそうです。
本部の対応がずさん過ぎます。感染拡大の原因になり発症者を大量に出し、最悪死傷者を出た際どなたが責任を取るのでしょう?真柱ですか?中山家ですか?全本部員ですか?
3月末の月次祭は本部と各地の直属教会長参加と言うことですがこの決定は本部員会議で決定したのでしょうがこの決定事項には重大な難点があるので早急に変更させるために事を皆さんで拡散しましょう。
2月19日に、2月26日の本部月次祭の参拝は取りやめてはどうかと言う意味の投稿をしたものですが、本部は聞き入れませんでしたね。今となって、ようやく重い腰を上げたのでしょうが、遅きに失したと感じています。
余りにも独りよがりの思考が露わになってだけです。恥さらしもいいとこです。
感染源になったとか、ならなかったとかの問題ではないでしょう。片田舎に居るものでも手洗いとウガイの励行。マスクは予備が無いのでキッチンハイターを薄めた液に浸した後にお湯で洗って使っています。
自分が感染しないためでもあるが、花粉症でクシャミをするので、他人にも嫌な思いをかけることのないようにとの思いで早い段階から励行しています。
結局、本部はおカネ集めのための月次祭に過ぎないと思われても仕方がないほどに落ちぶれてしまったのです。
本部員や直轄教会長さん達も良心がおありなら、3月月次祭、4月の誕生祭及び4月の月次祭は参拝なさらないことが賢明な判断ではありませんか。自分のためだけではありませんよ。
本部の顔色を窺っていても何の価値も生みませんよ。
本部が今後、月次祭の出席を完全本部だけに変更しても、このまま強行しても本部の判断が頼りにならない信頼におけないものだという事がはっきりします。しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。この対応の悪さの悪名は世間にとどろく事に成るでしょう
>>結局、本部はおカネ集めのための月次祭に過ぎないと思われても仕方がないほどに落ちぶれてしまったのです。
本部員や直轄教会長さん達も良心がおありなら、3月月次祭、4月の誕生祭及び4月の月次祭は参拝なさらないことが賢明な判断ではありませんか。自分のためだけではありませんよ。
本部の顔色を窺っていても何の価値も生みませんよ。<<
全くその通りです。自分のためだけではありません。天理教クラスターが発生しかねません。
>>しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。<>なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。<病家探求-そこで目標は病人及び病家に称される。その方法としては病人怪我人の後をつけたり、飲食店、商家の小僧、道端に遊べる児童に尋ねたり、産婆の出入り、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。かくして、病家を見分けると拒絶されても何回でも執拗に訪問し、一寸した家事の手伝いをしたりして、「お話させて頂きます」と言っては天理教を説く。その真摯な態度、不撓の精神に屈服せしめて、病気災難は自己及び祖先の悪因縁のためであることを知らしめ、終に入信の決意を抱かしめるにいたるのである。<
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
これって、うちの教会の初代に匂いをかけた布教師が、やっていたこと全てなので驚かされました。その布教師は病院の清掃のおばさんから情報を得て、癌で入院中だった初代会長夫人(私の祖母)を訪ねて来たのだそうです。
医学の発達した現代においても、思考が江戸時代のままの本部のことだから、今の状況を教勢回復のチャンスくらいに考えていたとしても不思議ではありませんね。
前のコメントで貼り付けに失敗したので、やり直します。
どうもすみません。
>>しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。<>なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。<病家探求-そこで目標は病人及び病家に称される。その方法としては病人怪我人の後をつけたり、飲食店、商家の小僧、道端に遊べる児童に尋ねたり、産婆の出入り、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。かくして、病家を見分けると拒絶されても何回でも執拗に訪問し、一寸した家事の手伝いをしたりして、「お話させて頂きます」と言っては天理教を説く。その真摯な態度、不撓の精神に屈服せしめて、病気災難は自己及び祖先の悪因縁のためであることを知らしめ、終に入信の決意を抱かしめるにいたるのである。<
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
これって、うちの教会の初代に匂いをかけた布教師が、やっていたこと全てなので驚かされました。その布教師は病院の清掃のおばさんから情報を得て、癌で入院中だった初代会長夫人(私の祖母)を訪ねて来たのだそうです。
医学の発達した現代においても、思考が江戸時代のままの本部のことだから、今の状況を教勢回復のチャンスくらいに考えていたとしても不思議ではありませんね。
おかしいな。なぜか送信が上手くいかない。
抜けた部分の補足です。
実際に歴史を振り返ると、天理教の急成長は天然痘・結核、そしてコレラといった伝染病の流行なしにはあり得なかったとも言えると思います。
昭和11年内務省警保局の調査報告にある、信者の獲得方法の2番目の項目には次のように書かれています。
>病家探求-そこで目標は・・・
日刊ゲンダイが弁護士に事例として取材しています。
他山の石として天理教本部関係者も知っておくべきでしょう。
この社会学研究所は本部関係者もチェックしているそうですから、しっかり、関係先への
お取次ぎをして下さい。
●●●「陽性」でスポーツジムに行ったら犯罪か?
スポーツジムからの感染事例が相次いでいる。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客の60代男性が、下船後すぐに静岡市内のジムを訪れていた。
また、現在東京都をはるかに上回る数の感染者を出している愛知県では、夫婦でハワイから帰国後に感染。
先に発熱・入院した夫を置いて、60代の妻が、その間、一日の中で、複数のジムを「はしご」をしていた為、多くの人へ感染させている。
このため複数のジム店舗では閉鎖・消毒に追われた。
このように患者と濃厚接触したことが明らかであったり、「陰性」でも自宅待機を命じられていたのに外出したことで、結果的に複数人に感染させている例が報告されている。
店が営業停止になったり風評被害で潰れたりした場合、原因となった人に賠償を求めることは可能なのか。
「感染している蓋然性が高いとわかっていたり、自宅待機を命じられていたにもかかわらず外出し、立ち寄った先で多くの人を感染させたことで、業務に支障が出たという場合は、不法行為に基づく損害賠償請求を受ける可能性がある。
また、人に対しては故意や過失により感染させたとして、傷害罪や過失傷害罪に問われる恐れもあるが、その人が他人に新型コロナウイルスを感染させたということの立証は難しい。
しかし、立証のハードルは高いが、「自分だけは大丈夫だ」と考えていると痛い目に遭う可能性はある。
韓国では、新興宗教の教祖が新型コロナの集団感染をさせたとして殺人罪で告発されている。
韓国の教祖は土下座をしていましたが、土下座だけでは許されませんね。
そういえば、天理教の場合、だれが土下座担当なのか。
>>内務省警保局調査報告書<<
これを読むと、天理教は昭和11年頃には内務省警保局からその搾取の犯罪性に目をつけて問題視していたのですね。天理教には「神が怖いか律が怖いか」と言う国家の法を犯しても神一条の方が優先する、と言う人を盲目的にしてしまう脅し文句があります。神こそ錦の御旗で、犯罪行為を犯罪とも認識せず、結果として国家に問題集団として調査、追跡の対象になっていたのですね。現行天理教も同じような詐欺的搾取、人権蹂躙は為されていますが。管轄は警察署なのか法務局なのか、ジャーナリストの方でも良いです。天理教の実態を調査し、取り締まり、告発し、社会に問題提起してほしいです。
こういう事実はうちの上級も上上級も若い大教会長も知らないでしょうね。。お調子者の大亮なんかにしっぽを振っている若い会長の姿を見ていると、天理教の犯罪的過去から現在に至る歴史など知ってるはずが無いようなお気楽さです。上級教会は信者家族から金返せ裁判が最近まで継続していたと言います。天理教はオウムに引けを取らないほどの巨悪詐欺集団ではないのか。日本国法曹界は天理教の金にまつわる人権蹂躙、神をカタル詐欺的金品要求の実態に目を向けて欲しいです。
これを読んで先祖が受けた搾取の実際が同じなので、そう言う事だったのかと再認識した。うちの先祖は被害に遭っているともしらずに信仰だと思って助かる道は喜納、喜捨と信じ、泣き泣き喜んですってんてんになっていました。
騙して建てた大伽藍。人の居ない詰所群。善亮が金、金、と叫べば叫ぶほど白ける現行詐欺師集団中山教。国家全体がコロナの非常事態に陥っていても、社会に迷惑をかけてでも金の運搬人直属教会長だけは参集させるんだね。
蒔いた種が実りその実は自分で刈り取るのが天の理です。その昔おかしな病気諭しは当たり前で、病弱な父親とその母親は息子が快癒するならばと、信じて金品巻き上げられましたが、弱みにつけ込む行為です。
教団本部が現在天の理にたがわず、真っしぐらに衰退しているのがせめてもの救いです。
この掲示板は天理教から受けた心の傷を癒す精神衛生の場でもあります。一方的な独り言をとりとめもなく、、。失礼致しました。
>一方的な独り言をとりとめもなく、、。失礼致しました。<
いやいや、一方的な独り言ではありません。立派な戒めの内容になっていますよ。
弱り目に祟り目とは天理教のごり押しのことです。助かって頂くなんて言いながら、本心はおカネを貢ぐ人を増やす目ろみです。
なぜならば、月次祭に参拝してもお供えを持ってこないか、お供えが少ない信者さんには挨拶の一つもしませんから。上級教会長になればなるほどこのような人が多いんです。経験者語るです。
挨拶一つ返せない人が、天理教でいう成人とは恐れ入ります。
韓国の教会で新たに集団コロナ感染。前回とは別の宗教団体で恵の川教会と言う。
命と健康があっての信仰だとテレビでのコメント。宗教関係者は考えて欲しいと。
天理教がいつまで意地を張るか?金にこだわっている場合では無い。
大教会に集まったお金は来月か再来月か、コロナが終息してからしっかりとかき集めれば良いではないか。
本部関係者だけで実施すべきだと強くおもう。
日本国内で宗教団体天理教からコロナ集団感染、とテレビに出されたら本部はアウト!!どう開き直れるか。本部、欲はこの際捨てよう。
ふと感じたこと。余談ですが失礼します。
>天理教には「神が怖いか律が怖いか」と言う国家の法を犯しても神一条の方が優先する、
と言う 人を盲目的にしてしまう脅し文句があります。<
ん?神って怖くないですよね。神様は罰を与えないし。寧ろ遍く全ての者に愛を注いで助けてくれてるだけ
のイメージ。
もしや意味を『神=教団』にすり替えられているのでは?
神=本物の親神様=愛なら、
「愛が怖いか律が怖いか」と言われたら、
愛は大切です。良心を大切にしますと言えるけど、
神=教団(や上級など)と、刷り込まれていたなら、
意味が「教団(や上級など)が怖いか律が怖いか」になって、
思わず「言う事聞きます!」と『神=教団(や上級など)』に条件反射的に
従わなければならないような思考回路になってしまうのかも。
とふと思いました。
間違っていたらすみません。
もしや意味を『神=教団』にすり替えられているのでは?
>>神=本物の親神様=愛なら、
「愛が怖いか律が怖いか」と言われたら、
愛は大切です。良心を大切にしますと言えるけど、
神=教団(や上級など)と、刷り込まれていたなら、
意味が「教団(や上級など)が怖いか律が怖いか」になって、
思わず「言う事聞きます!」と『神=教団(や上級など)』に条件反射的に
従わなければならないような思考回路になってしまうのかも。
とふと思いました。
間違っていたらすみません。<<
全くその通りです。「洗脳」の恐ろしさです。戦前の「神国日本」思想。「天皇陛下は神様」思想と全く同じです。私は左翼主義者でも右翼主義者でもありません。過去の日本史を含む世界史を顧みたとき、結局、そういう結論に達するのです。広島の原爆記念碑に刻まれている世界史的に有名な碑文「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆、戦争被害の犠牲者や遺族の切なるやりきれない思いを無にすることなく、世界人類(自然現象も含む)は「真の陽気暮らし」に向けて突き進む「旬刻限」が到来しているのだと思います。
本部は今月の集金祭りに各地の直属教会長をコロナの街天理市に呼びそして各地に帰すのでしょうか?変更した方が良いでしょう。支持率の高い安倍首相ですら今回のコロナ対策で水際対策を打たなかっただけで致命的といわれてます。それに面白いのがオリンピック中止の可能性でも国民は落胆していない。むしろ「オリンピック中止で良いからコロナ対策打って!」が本音だった。なおアフリカでもコロナウイルスが感染拡大し始めたので気温が上がっても感染は止まらないとの見込みが出ているようです。
オリンピック開催に関しても、佐野研二郎のロゴ問題に始まり、東京都知事小池百合子の開催地問題とゴタゴタが続き最後にコロナ問題で国民もつくづく政治家に呆れたようだ。
一方教団でも表統領中田善亮氏をはじめとする中山家に対して不信感を通り越し怒りをあらわにする人が増えてきているのは当然の事でしょう。
現在の中山体制は白紙に戻すために、真柱と本部員は全員辞任すべき事態が起こるでしょう。
安倍首相、森元首相と面会
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020031601075&g=pol
日本国民7割「五輪開催できない」…森喜朗会長もピリピリムード
https://japanese.joins.com/JArticle/263729
問題は自分の頭で考えることのできない馬鹿会長ばかりということです 上級の意向とかまったく関係ありません 何が正しいか自分で考えろ!
そうなんですよ、ウマシカ会長は困る。こころのアホはいいけど、頭のバカはダメ。頭のバカは自分のことしか考えとらん。
けど、こころのアホっていうような人、天理教の信者さんの中に多くいませんか?私メは信仰しているうちに入らないんだけど、天理教信者の方々に対して好感度は高いんです。天理教の人というと、思わずこころのアホを求めて近づいていってしまいます。
欧州入域、30日間禁止 対新型コロナで連携模索―EU首脳会議
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020031701159&g=int
イタリア 死者2000人超える わずか4日間で1000人以上増加
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200317/k10012334731000.html
EUでも入国禁止と移動制限対策を打たざる負えないにもかかわらず。この二つの記事をみただけでも天理教教会本部の決定には異常性しか感じない。本部は月一回の月次祭で直属教会長だけは全国から呼び寄せて全国に帰すのでしょうか。一般信者と直属で無い会長と直属会長の違いとは、本部に献金上納金をするかしないかだけでしかない。直属教会長に金を運ばせ、各地に菌を持って帰らすのだろうか?天理市では2名の感染者が分かっていて潜伏感染者が何名いるかは今の技術では分からないのが現状だ。特効薬が出来てない。検査も高確率ではない。だからこれだけの世界的パニックと死者も多数出してのパンデミックなのに、世界情勢はおろか一般常識に欠ける以上に世間では対策しているのにどう考えても天理教教会本部は非常識としかいい言いようが無い。
直属教会長の参加も禁止と急遽変更しても内部からは叩かれるだろう。しかし直属教会長の帰参と帰郷の動きで感染源に成り、発症し感染者が出てしまい、挙句の果てに死亡者まで出たら内部どころか世間から圧力をかけられる日が来るでしょう。いくら内緒にしても天理市内の一般市民も教団の動きをみてスマホでネットに投稿でもされたら炎上の火種になるでしょう。
EUのような先進国でも渡航制限による対応をかけているにもかかわらず天理教教会本部が今月末の本部月次祭に各地から直属教会長を帰参させたとしたらそれは、「お願い勤めをしたのでコロナでうちらは死なん!」と思っているのでしょおうがこれも確証はないですよね。それに「教団外の人間に感染が広がろうが関係ない!」と明言してしまってるようなものです。中小企業や小規模宗教団体では無いですから教団内外はおろか社会からもみられて居る意識が欠如しているのでしょうか、これでは無責任の域を越え社会悪に成ってしまいます。
それに直属教会長さんにしてみたら「我々直属教会長は死んでもかまわない!と思われているのだろうか?」と疑心も湧きます。
しかも,もし月次祭以降感染者が地方の宗教施設から出たら本部が責任を取れるのですか、この際は週刊誌で答えたように「地方の教会は包括被包括関係ですので」と言い逃れするのでしょうかね笑
本部の決定は考えが甘いそして、信者や地方教会はじめ直属の分教会大教会にも人命を優先しない本部の愚かさを露呈してしまった。
直属教会長さんにしてみたら「我々直属教会長は死んでもかまわない!と思われているのだろうか?」と疑心も湧きます。<<
全くその通りです。金を運ぶ任務を負っているが故に命が軽んじられています。
直属教会長は被害者にも加害者にもなり得ると言う重い現実。お前ら被害者になるのは辛抱せい。ならまだ内輪で許せる。しかし、加害者になり得ると言う視点が、決定的に欠落している。
本部は馬と鹿しか居ないのか?と言われて、「ハイ、そうで〜す。」と開き直りで済む話では無い。
3・16日付朝日新聞に各宗教団体のコロナ感染防御関連記事が掲載されたそうです。
デジタル版では以下の部分のみ無料で読めます。天理教が取り上げられたのかどうか、
どなたかご存知ですか?
創価学会本部がある東京・信濃町。ふだんは礼拝施設「大誓堂(だいせいどう)」の
誓願勤行(ごんぎょう)会に日々約千人が訪れ、にぎわいを見せる。
だが最近は人通りがまばらになった。同会が2月中旬、勤行会の中止を発表したからだ。
機関紙「聖教新聞」も再三、感染の注意を呼びかける。
地域の座談会などすべての会合を中止とし、訪問や激励といった活動の自粛も打ち出した。
立正佼成会(東京・杉並)は5日に予定していた教団創立記念式典の開催を見送った。
月に4度ある大聖堂への団体参拝も中止。
訪問や対面による布教はしないことにしたという。
既成仏教教団で最多の寺院数をもつ曹洞宗は、宗務庁(東京・芝)での毎日の座禅会、
写経会を中止した。
歴代首相らがたびたび訪れた臨済宗国泰寺派の全生庵(東京・谷中)も8日、15日の
日曜座禅会を中止した。
多くの教団は、感染拡大の対策について「今月中旬」までを一つのメドとしているが、
真宗大谷派の東京の拠点、東本願寺真宗会館(東京・練馬)は2月末の時点で、今月
20日の彼岸会(え)と永代経法要の門徒の参拝を取りやめにした。
混乱の長期化をにらんだ措置で、4月の釈迦(しゃか)の誕生日「花まつり」などの
行事も延期を決めている。
会館では「高齢者の門徒さんもたくさん集まる行事だけに安全第一に考えた」という。
天理教だけが意固地になって月次祭をいつも通り実施していたら・・・。
直属教会長だけが参集と言っても、詰所に宿泊すればひのきしん者も必要。
曖昧な態度の本部通告だからか、熱心な信者はそれでも各教会に参拝している状況だ。
本音が透けて見えるからだろう。上記各宗教団体のように、心の底から真摯に
信者の安全を願う気持ちがあれば、信者は素直に従うはずだ。
忖度まみれの教団心理が邪魔をしているということだ。
政府系のプロパガンダもどきのTV出演者の情報も「現状を信じたくない」という
バイアスに加担している。新しいウイルスに関しては防御しながら対応するのが
求められている社会的対応のはずだ。
本部の3月の月次祭には直属教会長だけと言うが、おつきが必ずついてくるはずです。数百万の札束と盗難のリスクを抱えて一人で来るはずが無いです。表向きは一人でも、実際には必ず複数人数で来るはずです。
詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。そんな時に直属教会長、その家族や運転手などが群れて来れば詰め所のお世話係りはコロナ感染リスクを背負います。人の移動は自粛せよと言う流れに逆らっています。
日本のメディアでもコロナウイルス感染拡大の原因懸念として「新興宗教」が多々出始めました。新興宗教は、本山への巡礼と各所での集団生活 により感染リスクがとても高いといわれている。天理教は正にあてはまる組織体制だ。三月末の月次祭で感染拡大は濃厚でしょう。
もし仮に天理教で感染拡大が発覚したら教団トップである真柱は謝罪できるのでしょうか?韓国の新興宗教ですら土下座をしていたのですか?謝罪も非も認められな中山家と本部員はどう責任と謝罪をするのですか?ちゃんと考えてますか?
【襲来! 新型コロナウイルス】元凶の宗教団体を「殺人罪」で告発! 朴槿恵前大統領の名まで浮上する泥沼政争 韓国紙で読み解く
https://www.j-cast.com/kaisha/2020/03/08381582.html?p=all
2020年3月18日 5:30 PMの匿名様の投稿の一部
>詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。・・・<
無理難題を言わなければならない立場を想うと、何という悲しくて空しい現状。奢るもの久しからず、と書かれた平家物語を持ち出すまでもなく、地に足のついた活動が出来なかった教団の姿が痛々しい。
表さんが笛吹けど踊らず、益々萎縮していくことでしょう。あらゆる身分を捨てて裸一貫で出直す覚悟は、一般信者さん達ではなく、教団中枢部に求められる姿勢でしょう。
真柱、内統領、表統領、本部員、大教会長などのきらきら星のような名称も捨てて、ただ、ただ一人の人間として生きていくことが求められているように感じています。
何の肩書もない今が一番幸せな立場だと思えるようになって来ました。
>詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。・・・<
もったいない限りです。どうしても詰所が必要であれば、どこか1ヶ所か数カ所必要最小限に集約し、他の詰所は売却して売却金を信者に還元するという方法もあるでしょう(現実問題としは難しいのかもしれませんが・・・)あるいは、もっと有効に活用する方法があるかもしれません。教会本部はいつまで旧態依然を通すのでしょう。どうして智惠を働かせないのでしょう? 愚者の集まりとしか言いようがありません。
無能の集まりであり 低能の集まりです!
私の妻がスーパーに買いものに行けば、スーパーの食品売場の棚から私の好物の納豆やアオサ(海藻)が売り切れてしまって店頭に無いそうです。理由は新型コロナウィルス感染に対する効用が納豆やアオサにあるという科学的根拠のないデマが爆発的に広がり、仕入れることさえできない状態だということです。
納豆やアオサと比較するのは、全く次元の異なる話かもしれませんが、医学や科学の発達していなかった幕末から明治にかけての天理教立教時、当時、不治の病とさえ言われた結核等の感染症や、治癒困難とされていた天然痘(ほうそう)等の感染症、あるいは、当時、死産や難産でやむを得ないこととされていた女性の「お産」が、天理教の「おさづけ」や「おびやゆるし」等の今で言う「まじない」で、たまたま偶然に助かった人達の噂やデマが爆発的に広がり、今の天理教に至ったのではないかと考える昨今です。人間の「溺れる者は藁をもすがる」という心理は昔も今も変わっていないようですね。
明日は上級の月次祭。
悩みましたが…早朝に御供を運んで休みます。
喘息あるしコロナをもらったら大変‼️
皆さんどうされますか?
月光仮面
2020年3月19日 8:43 PM
>>明日は上級の月次祭。
悩みましたが…早朝に御供を運んで休みます。
喘息あるしコロナをもらったら大変‼️
皆さんどうされますか?<<
それは個々人の自由だと思いますが、いわれの無い「お供え」をどうしてそこまでして運ぶ必要があるのでしょう? その「お供え」は一体、何に使われているのでしょう? 私にとっては疑問だらけです。(真相は私なりに把握はしておりますが・・・)。読者の皆さん考えてみてください。(考えるまでもないことと思いますが・・・)。
確かにですよネ⁉️
私は信者さんには一切御供を強要していません。
…と言ってもお運び下さいますが月次祭の祭典費用で維持費も上納金も出ません。
私は会長になった時から将来を予測して、起業をし無事に成功を致しました。
故に上納金は私個人的にしている状態です。
私は祭典講話でもどうどうと大掃除の話もし、コロナ騒動もその予行演習と話しております。
既に中国でのコロナ騒動がありました1月より本部も大教会の月次祭にも参拝しておりません。
私は上級からの出向で今の教会に来ておりますので色んなしがらみがあり仕方なしに上納金を運んでおりますが…
正直、危機感のなさに呆れております
月光仮面 様
2020年3月19日 10:26 PM
>>私は信者さんには一切御供を強要していません。
…と言ってもお運び下さいますが月次祭の祭典費用で維持費も上納金も出ません。
私は会長になった時から将来を予測して、起業をし無事に成功を致しました。
故に上納金は私個人的にしている状態です。<<
月光仮面は「正義の味方」です。「疾風のように現れて、疾風のように去って行く ♫ ♪」という歌の文句にもありますが、個人的に上納金をされるのは、「正義の味方」さんの勝手です。はたして、その上納金は正義の為に使われているのでしょうか? 私には甚だ疑問です。一握りの集団の「私利私欲」を満たすために使われているのではないでしょうか? 本当の「正義の味方」さんならば、諸悪の根源に上納金を出すのでは無く、世の中の本当に困っている人達、弱い立場の人達を助けることだと思います。悪を見つければ「疾風のように現れて」、悪を退治すれば「疾風のように去って行く」のが、私のイメージしている月光仮面です。
今までのコロナウイルス対策は一定の成果は現れているようだが、オーバーシュート(医療での対応不能、医療崩壊状態)の恐れもあるとのこと、緊張感溢れる会見であった。
内容をポイントで抜粋
・CPR検査に関しても精度の不安定性を公表
・移動制限対策に関しては成果は現れているだろうが、個々の一定性かを抽出することはできない。
・宗教団体による感染拡大は、韓国の新興宗教の事例もだし指摘
クラスタ(集団)を観察と対策をおこなっているが、やはり新興宗教団体の聖地巡礼と帰省の行動は、感染拡大原因に成るのは明らかでしょう。
動画
イベント自粛は継続?解除?専門家会議が見解
https://www.youtube.com/watch?v=Ldc–rAw9sI
東京五輪「予定通り」も・・・「無責任」批判相次ぐ(20/03/19)
https://www.youtube.com/watch?v=U6eDnrZeCQg
IOC(国際オリンピック委員会)が東京オリンピック・パラリンピックを予定通り開催する方針を表明したことに対し、IOC委員が「無神経で無責任」と批判しました。
元アイスホッケー選手でIOC委員を務めるカナダのへイリー・ウィッケンハイザー氏は自身のツイッターで、新型コロナウイルスの感染拡大について「この危機はオリンピックより深刻だ」と指摘しました。そして、IOCが17日に予定通りの開催を表明したことについて「無神経で無責任」と痛烈に批判しました。また、リオオリンピック女子棒高跳び金メダリストのギリシャのエカテリーニ・ステファニディ選手もツイッターに「これは4カ月後に状況がどうなっているかではなく、今の問題だ」と投稿して「IOCは私たちを危険にさらしている」と批判しました。
私は全く商売なんて分かりません。
ただ教祖の高く買っては問屋を喜びませ、安く売っては客を喜ばせるを実行しております。
正直、利益は二の次に考えておりますし、赤字を出してもその方の生活を考えて切る事は一切しません。
損さえしなければ慈善事業でも良いと考えております。
故に会社を辞める人はおりませんし、仕事も人も増える一方です。
贅沢さえしなければ普通に生活は出来ます。
私は若い頃に本部勤務をしておりましたので疑問に感じる事ぎ沢山ありました。
天理教では世間並みと言う言葉をよく耳にしますが、正直今の天理教は世間以下です。
父に呼び戻されて良かったと思います。
私は微力ながら改革を推し進めてまいりましたが、もはや諦めモードです。
上納金は上級の維持費程度しかしておりません。
月光仮面 様
>上納金は上級の維持費程度しかしておりません。<
それでも立派です。なかなか出来ることではありません。上級と聞くだけで嫌な思い出がよみがえります。大祭の際のお入り込みの様子は、殿様かそれ以上のお出迎えとお見送り。特に、黒塗りの車でお見送りの際の万歳三唱のバカバカしさ。たんまりと入ったお礼を懐に帰られるのでしょうが、責任役員を務めていた折にも、その金額が如何ほどなのは知る由もありませんでした。責任役員なんていっても形だけでした。それにもまして、万歳三唱は大きな声で近所迷惑この上なし。
系統により違いがあるとは思っていますが、何時までこのようなことが続くのでしょうか。
三月末の月次祭の直属教会長の出席の是非で賑わっていますがそう言えば先日行った【お願いづとめ】は何の意味があったんでしょうか効果0ゼロでしたね。本部は何事もなかったかのようにしていますが現在の中山体制では、おさづけ、お願いづとめ、一切の御守護は無いと言うことです。社会学のコメントを書かれる方、閲覧されている方は分かっているでしょうが、まだ御守護がある前提で実質中山教の天理教の異端を信じてる方もいらっしゃるのでドンドン拡散していきましょう。
毎度毎度、無慈悲な「さらし首」…….。
これが教祖の教えを伝える教団のやり方か……..。
情けない……。
みちのともより
= 告 =
法人の所在地 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
法人名 宗教法人天理教〇〇〇〇分教会
代表役員名 〇〇〇〇
責任役員名 〇〇〇〇
責任役員名 〇〇〇〇
右法人(本文は縦書きなので)は、今般、宗教法人天理教から離脱し、宗教法人天理教とは関係のない 宗教団体となったことにより、今後は、右法人はもちろん、右法人の代表役員、 責任役員並びに今後とも右法人と行動を共にする信者は、右法人が宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。
令和二年三月五日
宗教法人天理教代表役員 中田 善 亮
アホ善亮と買春大亮はじめ犯罪本部員らを晒し首にしてやりましょうや。
今度はどこの教会の離脱ですか?? 教会の離脱や棄教はどのくらいのペースですか?
匿名 様
2020年3月20日 1:07 PM
>>右法人(本文は縦書きなので)は、今般、宗教法人天理教から離脱し、宗教法人天理教とは関係のない 宗教団体となったことにより、今後は、右法人はもちろん、右法人の代表役員、 責任役員並びに今後とも右法人と行動を共にする信者は、右法人が宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。>>
離脱された上記分教会は、被包括関係にあった当時、どのような権利を有し、どのような利益を享受されたのでしょう。いわれのない多額の上納金を搾取され続け、詰所建設に至っては多額の金を「お供え」として支払われたはずです。利益どころか大変な損失をこうむってこられたはずです。教会本部は「さらし首」のつもりかもしれませんが、教会本部自身の腐りきった体質を、みちのともにさらしているようなものです。これでは、益々、離脱していく教会が増え、信者も減り続けるに違いありません。
横浜市 本伊勢分教会です。
上級には私の自宅もあり出向で部内教会に来ております。
従いまして維持費位は仕方ないのですが…
私の上級教会は全教でも50番目以内の教会ですが、教勢は教祖110年祭から右肩下がりです
同世代の部内教会長が立ち上がり今改革しなければ未来はないと言う事で上級会長と役員の解任をチラつかさせて改革を推し進めております。
しかし反対勢力もあり厳しいものがございますが、会長や役員にも意見し、短気な私はキレる事もあります。
未だに上から目線、理の話を持ち出しますので呆れております。
改革するのは今しかないと思います。
>>信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。<<
読めば読むほど腹が立ちます。本伊勢分教会がどこの大教会の所属が知りませんが、詰所の建設時におそらく、多額のお供えをされたはずです。被包括関係を解消しても詰所を利用する権利はあるはずです。もっとも、老朽化した詰所など利用しなくても、天理市には比較的安価で宿泊できるスーパー銭湯もありますし、その近くには新しくできたビジネスホテルもあります。詰所の利用価値などほとんど無いといってもよいでしょう。事実、現在、天理市内にある詰所ですら、ほとんど利用者もなく、空き家同然の状態です。
月光仮面 様
2020年3月20日 6:50 PM
>>私の上級教会は全教でも50番目以内の教会ですが、教勢は教祖110年祭から右肩下がりです
同世代の部内教会長が立ち上がり今改革しなければ未来はないと言う事で上級会長と役員の解任をチラつかさせて改革を推し進めております。
しかし反対勢力もあり厳しいものがございますが、会長や役員にも意見し、短気な私はキレる事もあります。<<
大きな教会になるほど、既得権益も大きくなり、それにしがみついていたい会長や役員もいると思います。
ご存知のとおり、天理教全体の教勢も右肩下がりどころか、「崩壊」に向かって垂直落下している状態です。
せっかく改革を推し進めておられるのに、水を差すようで申し訳ありませんが、ほどなくして、天理教は完全に崩壊するでしょう。
東本です。
月光仮面様
上も下も無い平らな組織にして下さい。それが無理なら上に上下意識、選民意識、理の親意識を持たせない関係性を作ってください。対等に話ができる教会組織に。
上から巡教に来てもお礼、お車料は出さない。加えて下は上にお尽くしはしない。経済的困窮度は下ほど苦しいと言う、その窮状を上にはっきり理解させる。
上は下を当てにするな。自分の事は自分でせよ、という当たり前の意識を上に持たせる事。
下に旨味を求めないで、と私ははっきり言っております。下にお尽くし金を出させる事。下は上の行事に出るのは当然という意識。ひのきしんと称して自由に人の時間と交通費を盗む事。上も下もない、自分の事は自分でせよ、です。
天理教の場合、特に上下意識は百害あって一利なしだと思っています。現実、頭が空っぽのお偉いさんを作るだけです。
どうか、よろしくお願い致します。
自然淘汰されるものを抗う必要はないかと無能で低能な上が気づかないのが可笑しいのであって気づいた時にはもう遅いでしょう 今からその準備をしておくに限ります!
己の支配欲とエゴの為に「神」をさえ利用してきた悪因縁が、肺炎として現れているんじゃないか?
お地場に蔓延しない事を祈るが、私が感染したら、お地場に平癒の願いに上がるだろう。
匿名
2020年3月20日 1:40 PM
離脱法人は相当数有るそうですがこの離脱開示も本部側のさじ加減ですので公表してない教会がたくさん存在します。それに開示するにも離脱法人に迷惑にならないよう数年の猶予をあけなくてはいけないので、開示ざれるものは数年前のものになります。
和風総本家の最終回で、若くて、なりたての職人さん数名の、その後を取材していましたが、皆さん、若い時より、生き生きとして、柔和で、良い顔をしていました。
師匠とかの祖父は亡くなっていて、後を継いでる孫の、自信にあるれる笑顔は、とっても素敵で、若い頃の方が尖って、焦った顔をしてるのが、良く判ります。
きっと、職人の技能を追求して生きる事は、生き方にも反映されて、良い年齢の取り方をするんだと思いますし、魂も向上して行くと思います。
宗教団体に加入していても、良いとは限らない、宗教は理性を麻痺させたり、良心のカケラを捨てさせる機能もありますよ、実際、世の中の大宗教は様々であって、それが社会悪として存在してしまう場合がありますからね、一つの思想、思考に絡め取られるのは、良い事ばかりでは無いと思います、宗教に入っていたからこそ、苦しむ事もあるでしょう。
どうせ生きるなら、生き生きと人生を楽しみ、社会に貢献できる生き方が良いですね、それこそ神様の望む、陽気暮らしと言う物でしょう。
現状が苦しいとか、ストレスを感じるなら、それきっと、現状が間違ってるんですよ。
コロナでちょうど良い理由になるから、近所の手前、信者も教会に集められないし、教会長も出歩けないので、当面、お布施は無理です、自分の生活費で精一杯ですって言って、静かにしてたら良いんですよね。
文句言われたら、私もう4日も熱があるんですが、会いますかって、言えば良い。
>離脱された上記分教会は(中略)
>教会本部は「さらし首」のつもりかもしれませんが、教会本部自身の腐りきった体質を、みちのともにさらしているようなものです。これでは、益々、離脱していく教会が増え、信者も減り続けるに違いありません。
上から目線。で、自分の首を絞めることになるのを想像もできない本部。
頭の良い人というのは先を先を読んでいくものだけど、目先の事すら想像もできない人の配下にいる信者・関係者は哀れとしか言いようがない。まあ、洗脳されてる自覚がないのだから哀れじゃなく陽気に暮らしてるのかな。天理教だから。
それにしてもよくまあ、こんな人達の御機嫌取りができるもんだ。
最も進化した魂達が、最も成人しながら、永遠にたすけ一条を勤める処を地場神屋敷というのであって、教祖の御苦労の意味もそれを了解させるためだったのだが、教祖の血の末裔は、八つの埃の根源である、支配欲とエゴの温存と増長のままに、宗教にさえそれを投影したまま続いてきたのだが、とうとう恐慌的お手入れにも対処できず、お手上げ状態を呈しているのが中山執行部の現状だろう。
よろずたすけも甘露台世界への善導もなしえぬまま滅びさるのは一族支配の金王朝にも似た精神構造の人達であって、お地場の本来の機能と構成が再生発展する事を願う人達の想いは、神の想いと合致するゆえに、実現化してゆくのだろう。
節から芽が出る。恐慌間近の世界においても、未来には執行部が神の化身のような人達を中心に研鑽されているのを拝見できるお地場の未来の姿があるのかもしれない。
世界と教会本部の大崩壊が立て合って起こっていても、神がお地場に世界人類の棟梁としての神人達を登場させるに違いない。
天理教教会本部が倒産しても天理教は消えないので心配はいりません。現在の本部は中山教なので中山教が消滅するだけです。離脱しても天理教を名乗り天理教を信仰して行けます。中田善亮「金のつなぎは命のつなぎ」をはじめとす本部が明らかに天理教から逸脱してしまった昨今本部との包括関係を解消する方が天理教の正当性が有ると言うことです。以下に国立国会図書館の最高裁判決を添付しておきます。
この裁判に関しても中山教の中田善亮が中心に信者に無断で裁判を行い勝手に敗訴した裁判です。この責任もまだ取ってませんよね?善亮さん?なにしてるんですか?恥ずかしくないですか?中山家の面々はいつまで天理教のふりをし続けるのでしょうか(笑)
国立国会図書館
被包括関係を解消した天理教の地方分教会が「天理教豊文教会」を宗教法人の名称として用いることは、不正競争防止法による規制の対象とはならないとし、さらに、宗教法人天理教の氏名権を違法に侵害するものでもないとした事例(最高裁平成18.1.20第二小法廷判決)
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7990493-00
ただの父親ちゃん
2020年3月21日 9:28 AM
>>宗教団体に加入していても、良いとは限らない、宗教は理性を麻痺させたり、良心のカケラを捨てさせる機能もありますよ、実際、世の中の大宗教は様々であって、それが社会悪として存在してしまう場合がありますからね、一つの思想、思考に絡め取られるのは、良い事ばかりでは無いと思います、宗教に入っていたからこそ、苦しむ事もあるでしょう。<<
全くその通りです。今日は地下鉄サリン事件が発生して25年目ということですが、マスコミのニュースを見るにつけ、つくづくそう思います。
皆さま皮肉混じりのコメントされていますね。
感染者が続々と平癒、快癒の願いに押し寄せたら、本部は両手を広げて迎え入れるだろうか?答えは目に見えて「ノー。」お願い勤めなどやっているがただの格好つけです。善亮、大亮が陽性者一人、一人を膝元に座らせてお授けを取り次いでくれるだりうか?本気のお願い勤めならやらなきゃ嘘でしょ。
金にしか興味の無い彼らがする訳が無い。手下を使って本部敷地内からつまみ出すのが彼らのやる事です。
>・・・宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。>
まさか、おさづけまでもが効かなくなりますよって、云ってんじゃないだろうね。元々、効くわけないだろうと思っているのでどうでもいいことだが、ついつい、言いたくなってしまいました。
そもそも、権利と利益ってあったのかなぁ。むしろ、取られる一方だったように思っているのですが。本部さんは何か勘違いをしていませんか。
一人ひとりの信者さん達を大切にしなかった付けが回ってきて、言うに事欠いたのでしょう。
とんでもおさしずトメフデの黒門に死体の山って文言が、伝染病患者が押し寄せたら現実になってしまう。
病院を作った理由は、死の直前の重病人が人目につかない為なのか?
本部が提供するたすける方法に欠陥があって有効性に欠ける為か?とも疑ってしまう。
中山ご一統様方には、地場屋敷が提供するはずのヨロズタスケとは何かを聞かせて頂きたいものだ。
病まず死なず弱らず、無事無難、世界世の中処繁盛、百十五歳定命、歳を寄るめはさらに無し。
このままでは健康長寿安全繁栄でいつまでも若々しい人類達が溢れる場所としてのお地場とは反対になってしまうじゃないか?
お金が地球上に出回る以前から、人類は無条件に親神様のご守護に守られて来ました。
お金なんか無い時代。野山を駆け巡って生きてきた時代。人類はたくましく生き継いで来ました。今頃高々200年で金と命の引き換えと言う脅し文句を持ち出す中山は詐欺師集団そのものです。
金に魂を奪われた中山の来し方をみんな良く考えて欲しい。
お金ってい良いもんだな。貨幣と言う概念が出来はじめた頃人類は初めてお金と言う物に価値を置きはじめた。命の発祥とお金とどう言う関係性があるのだろう。お金の出現前に命は連綿と守られ続けて来たと言うのに。
天理教は中山と言う金儲け主義者達が教祖を利用し、神の名を利用して立ち上げた詐欺師集団でしか無い。
良く見てみよ。トップは病気が治らず、頭の悪い弟は人品軽薄、ただの欲深で、ゴルフ場の理事?この息子も色情因縁を受け継いでいる様子がうかがえる。色情因縁は頭の悪い親父さんにも言えるが、神奈川あたりで女性問題で3000万円の脅しに遭ったとか?
天理教ご守護メニュー。
Aランク・・しっかり金出したな。ご苦労であった。即快癒が見込めるかも。だが、しかしあくまでも、かも。
Bランク・・これだけか?しばらく苦しむが、ご守護の見込みはあるかも。あくまでも、かも。もっと金出せば早く治るかも。
Cランク・・金、出さんのか。金の繋ぎが命の繋ぎだと言ったろうが。金を出さない者は救われないと心得よ。
こうして、どこまでも保証のない「かも?」の世界で出しても出しても脅迫観念に苦しみ、結局快癒もせず、貧乏しただけで苦しみ、むしろ早死にする場合も現実あったりする。
金さえ手に入れば本部的にはオーライ。出した信者が死んでもおわびは無い。保険会社ならそれなりのランク保証はあるだろう。天理教に金を出すのはどぶに捨てるに等しい。隣近所に出しておけば、まだ助け合いの協調と言うものがあるだろう。
天理教は最低最悪の詐欺師だと思う。
地下鉄サリン事件という世界的にも類を見ない悲惨極まりない事件を引き起こしたオウム真理教教祖麻原彰晃は天理教システムを真似てカルト教団を作ったという事実は、出版物等でも広く知られています。天理教教会本部は少なくとも社会的道義的責任を感じるべきではないですか?
あの最高裁まで行って天理教本部が負けた裁判、中山善亮が主導して起こしたんですか?どこまでも頭の悪い人間ですね。再認識しました。
大教会乗っ取り事件では欺瞞会議で大教会長さまを悪人に仕立てて辞任に追い込み、刑事告訴を逃れるために莫大な示談金を支払ってんて笑
私は教会に生まれ育ちました。
親々が因縁を切る為に大変な中を通ってくれ、また信者様方も同じようにお通り下さいました。
お陰で教会も伸び栄えて今の私があります。
先ず皆んなが丹精して下さった教会を何とかしたいと言う思いが強いです。
天理教どうこうと言うよりは、先ずは自分の所属する系統から何とかしたいです。
教祖100年祭以降の教勢の下降は、教勢調査を担当しておりました私には直ぐに分かりました。
公共料金は滞納。国民年金は払えず。家族旅行も出来ず。子供達はTDLやUSJにも行けず。外食も出来ず。
こんな中を通りながら上納金を運んでいても、上級や大教会に参拝に行っても誰一人挨拶もしてくれない。
そりゃしばいたろか!と思いますし、子供達が親の後を継ぐ気になんかなれません‼️
未だに上から目線でものを言い、理がどうとか伝家の宝刀の様に振り回す。先ずはこれからやめさせなくてはなりません。
そして言いたいのは、上納金が集まらないのは部内教会の所為ではありません。
私にはただの悪代官にしか見えません。
ふんぞり返っていないでバイトをする事から始めて欲しいと思います。
そうする事で初めて、部内からの上納金は血と涙と汗の結晶だと分かると思いますし、まともな挨拶くらいが出来るようになると思います。
私の経営します会社には100名以上の方々働いておられます。
先ず社員が幸せになってくれなきゃ経営者としては失格です。
それは教会も同じかと思います。
今の天理教には自浄作用はありませんし、それぞれの既得権益を守るのに必死です。
教祖の年祭→大教会記念祭→上級記念祭と息つく暇もない末端教会はただの金づるとしか考えてられていないのかも知れませんネ!
実際、改革派の私も最近嫌になっております。
私は上級の記念祭よりも部内教会が喜び勇んでつとめて下さるように丹精させて頂く事が先だと訴えましたが…大教会長にご臨席賜って記念祭をと力説する上級会長に失望しました。
それもお忙しいから平日になるかも…
誰の為の記念祭で何の目的があるのか?
色んな事に腹が立つので「お前が勝手にやれ!」と小突いてしまいました
私から熱いものが無くならない限りは「改革」は推し進めます。
私の父が話しておりました。
「K大教会は偉いもんや!役員が会長に向かっておまはんさっき神殿講話で言うとった事は間違っとるぞ!」と意見しとる。
だからK大教会は伸びるんや‼️
へいこら大教会長に胡麻をする大教会には未来はあらへん…
更に本部に至っても同じだと思います。
月光仮面 様
2020年3月21日 2:14 PM
私も天理教の末端分教会に生まれ育ちましたが、思春期を迎える頃、天理教がつくづく嫌になり、別席を最後まで運んだものの、教会は継がずに、かねてから興味のあったミッション系の大学に進学し、宗教学の講義でキリスト教をはじめ、仏教やイスラム教について勉強しました。世界的にメジャーと言われるそれらの宗教も立教時のオリジナルの理念は素晴らしく立派であったと思いますが、開祖の後を引き継いだ信者達が作ったつまらない組織により、当初の理念は信者の勝手な都合の良いように歪曲されてしまったと考えています。私は宗教に組織など必要ないと考えている一人です。この掲示板に投稿されているどなたかのHNのように「組織は無くとも信仰できる」のです。
月光仮面様。
よくぞ言って下さいました。上は下の苦労なんぞ知らない。金は勝手に上がって来るもんだと思っています。うちの父親が亡くなった時、大教会へ合祀に行きました。幣帛料は持参していましたが、事務的な役員に催促されて出しました。その後合祀祭前に神殿に入ってきた大教会長は私に気づいたが、立ったまま知らん顔をしました。天理教内にどっぷり浸かるとこんなに非常識な人間になるんだ、と呆れた。恩を売るつもりは毛頭ない。「お父さんお寂しくなられましたね。長い間、お世話になりました。」当然この程度の言葉はかけられると思っていました。ところが、こちらから畳に座り手をついて生前の父親のお礼を申しても、突っ立ったまま「ああ。」だけでしたね。肩すかしを食らったようで、すっかり失望してしまいました。
お尽くし、お尽くしと、末端故に、上級、上上級、大教会と普請だ、年祭だ、記念祭だと、出さねばならない機会は終わっても終わっても、押し寄せる波のようにやってきた。息つく暇もないお尽くし、お尽くしに貢献してきた父親の会長人生。その事実を娘の私は知っている。しかしこの人は、人の金で生きてきた人。人の苦労や痛みを知らないが故の致命的欠陥を内包している自称「大教会家族は徳の高い人」。これでは、天理教に長く関わるだけ時間とお金の無駄でしょう。
こんな馬鹿の勘違いがこの組織を牛耳っている限り、神の残念は形として確実に現れ出て来るはずです。いや、もう現れています。人助けの天理教が所在するのは近畿圏ですが、コロナはその近畿圏に拡大されていますね。もう、ご守護なんてはじめから無いのだし、それを解ってやってるその詐欺的行動様式はやめましょう。
月光仮面様。天理教に期待も未来も見えませんが、せめて現組織で虐げられる人が一人でも少なくなる様、宜しくお願いします。何を言われようと、神が見ている、気を静めです。
私は当該教会の役員さんや信者さん方に神様がこの世の大掃除をされて陽気ぐらしの世の中になると教会はなくなると説いております。
実際には今でも全ての方が神様と一対一で対峙する天理教で良いと思いますけど…
1日も早くにそんな世の中になって欲しいです。
匿名 様
2020年3月21日 4:37 PM
>>うちの父親が亡くなった時、大教会へ合祀に行きました。幣帛料は持参していましたが、事務的な役員に催促されて出しました。その後合祀祭前に神殿に入ってきた大教会長は私に気づいたが、立ったまま知らん顔をしました。天理教内にどっぷり浸かるとこんなに非常識な人間になるんだ、と呆れた。恩を売るつもりは毛頭ない。「お父さんお寂しくなられましたね。長い間、お世話になりました。」当然この程度の言葉はかけられると思っていました。ところが、こちらから畳に座り手をついて生前の父親のお礼を申しても、突っ立ったまま「ああ。」だけでしたね。肩すかしを食らったようで、すっかり失望してしまいました。<<
これに似た話は私も聞き及んでいます。知人の義父の末端分教会長がバイクで信者さん宅に講社祭り行かれた折、不幸にも交通事故に遭われてお亡くなりになりました。その分教会長さんの属されていた大教会長は、弔いやねぎらい、慰めの言葉等は一切口にせず、開口一番「おつくしが足らんからや」と言ったそうです。さすがの知人もそれを聴いてぶちぎれてしまい、奥さん(交通事故で死亡された教会長の娘さん)と共に、天理教から離れていかれました。こうした話は他にもたくさんあるはずです。
私はここに書けないような過激な事を今までにやりました。
人物を特定されてしまいますので書けませんが…
その時には私の立場などどうなっても良いからと関係各省庁に働き掛けました。
結果、負けてしまいましたが⤵︎
最後の手段はマスメディアを利用する事でしたが、天理高校がセンバツを控えておりましたので断念致しました。
やるからには腹を括らないと返り討ちに遭ってしまいます。
先ずは身近なところから改革を推し進めて参ります。
とりあえず4月は家族だけで月次祭にします。
来てはいけません。
今月は自制できませんでした反省します。
うちから出してはいけません。努力したいです。
末端が努力したらとんでも上級から伝わったら良いと思います。
匿名です様。
あたり前の事をあたり前にすれば良いのです。とんでも上級、とんでも上上級、上に行くほど世間知らずのとんでも大教会となります。末端こそ凛として手本を示しましょう。
大教会はお金をいくら本部に持って行けるか、大教会同士で見栄の張り合いをしているのが現状です。弱小は弱小なりのお供え金額の目安があるらしいですよ。我々のお供え金は大教会長の本部忖度金、本部ご機嫌伺い金です。彼は自分の立場上の見栄も有り、その目安に向かって部内や信者にペテンにかけるのです。信者は馬鹿だと思っているのか、なめているのか。
今更分かりきった事ですが、お金でご守護はもらえません。心通りの守護です。
また、月次祭参拝を信者様に自粛して頂けば、お供え金は当然減ります。上納出来ない正当な理由付けの出来る良いチャンスです。これを機に上への上納金は減らしましょう。末端は一致団結して本来為すべき自教会のお助け活動にお金を使いましょう。
「信仰の元一日を忘れるな。」
この言葉は、うちの会長さんも大好きで、月次祭でも講社祭でも度々口にしてきました。教会の初代がこの道に入って通ってくれたおかげで、今日の結構な暮らしがあるのだと。
うちの教会の歴史は、私の祖母が癌で入院していた時に、一人の布教師から匂いをかけられたことに始まります。その布教師A先生は、普段は病院の前に張り込んで、出てきた人を家まで尾行して家を確かめた後、訪問布教を繰り返していたそうで、病院の掃除おばさんから情報を得て、祖母の病室を訪れたのでした。このあたり、内務省警保局の報告にあった布教スタイルそのままといった感じですね。
まだ幼い子供を何人も抱えていて、死ぬに死ねない想いの祖母は天理教に入信し、自らも布教師となって匂い掛け・お助けの道を歩み始めました。そんな祖母の命を助けてもらいたい一心から祖父もまた商売を畳んで道一条を通ることを決意します。それが私の母の実家である教会の始まりでした。
自分を信仰へ導いたA先生に対する祖母の忠義は徹底したもので、それが今の会長さんの理の親信仰、上級至上主義のルーツとなっているようです。月次祭の神殿講話で会長さんが話した、祖母の忠義ぶりを示すエピソードをひとつ。
病を抱えながら休日も無く、朝早くから夜遅くまで布教に歩いた祖母。その甲斐あって信者も増えていきました。A先生に喜んでもらいたくて、がんばって集めた御供を納めに行った時のことです。A先生は祖母の胸ぐらを掴んで激しい口調で言いました。
「こんな目腐れ銭で助かると思うな!」と。
初め聞いたとき私は、大事なのは金銭ではないという意味でA先生は言ったのかと思ったのですが、会長さんに確かめたところ本当に金額を問題にしていたのだそうです。
どんな理不尽にも腹を立てず、A先生への祖母の忠義は揺らぐことはなかったと、これまた美談めかして会長さんは話すのですが、やはり私は感動することができません。
信者たちが楽に出したわけでもない御供。それを「目腐れ銭」なんて「はした金」よりもっと酷いヤクザ言葉を使ったA先生に対して、祖母は一言くらい抗議すべきだったと、孫である私は残念に思います。
結果としては癌が治ることも無く、祖母は私が生まれる少し前に亡くなりました。驚異的に延命されたと言えるかどうかは見方次第ですが、母はよく「私は母を、とても早くに失った」と言っていました。癌になる前に、既に子供たちも生まれていたのだし、一体どれほど歴史が変わったというのでしょうか。
教会にならなかったら、母の人生も違ったものとなって父と出会うことも無く、私も生まれてこなかったかもしれません。それなら、こんな事を考えたりすることも無かったのだし、それはそれで悪くない気もするのですが・・・。
病まず死なず弱らず、無事無難、世界世の中処繁盛、百十五歳定命、歳を寄るめはさらに無し。
健康長寿安全繁栄でいつまでも若々しい人類達が溢れる場所としてのお地場思想って、エルサレムに神が降臨して、契約した人々を復活させて、神と共に永遠に生きる世界ができるのと同じ構図ですもんね、エホバの証人と変わりないです、天理の証人ですよ。
何度も言いますが、この地球には、永遠の理想世界は実現しないでしょう。
地球は、理想を求めて、努力する場所でしょう。
この世を治める神人など、現れない、仮に神人レベルが現れても、必ず寿命はある。
おぢばに、神人が現れる可能性を信じられるなら、それも自由。
誰でも、与えられた、生を、一生懸命生きる事しかできないんです、この世は変えられる事は、変えたって良いんです、元一日は先祖の人生のお話なんです、継ぐ義務はないんです、自由です、本当に前世の因縁など無いんです、そんな事は無視しても問題ない、あなたの人生はあなたがオリジナルでしょう。
自分の人生は、自分の物です、神様は正当な努力を要求されます。
人に預けず、神様に甘えず、精一杯頑張って生きましょうぞ。
コロナにも負けず、手洗い、うがいに、免疫を上げて乗り切りましょうぞ!
神はより優しい世界が見たいのだ。
やさしい心とは正反対の中山教本部は、弱い者イジメの中共にすり寄るローマ教皇のおひざもとイタリアの様に、ウイルスが蔓延するんじゃないか?
神の大掃除が加速度的に起こる事を喜びで受けるにしても、犠牲者に対する気の毒さは拭え無いな。
財務省に騙されたお上が消費税で庶民を苦しめ、入管法改正で日本の国柄を貶めている現政府。
ローマ法王も経済人も目先の金目当てで中国マンセー。
イタリアパンデミックは象徴的な神の手入れだな。
人類発症の地と言っている地点で胡散臭い そういうことを主張するから他の意見も聞くことができない 世界中に人を助けるポイントは数多くありおぢばもその一つといえば諍いも起きないのに 神様はどこにでもいる 真実の心に乗りて働く 諍いのある所や 不平不満の多いところで働く訳はない 組織はなくとも一人一人が真実の心でとおれば世界も人も救われると思います!
>>組織はなくとも一人一人が真実の心でとおれば世界も人も救われると思います!<<
全くその通りだと思います。
天保の大飢饉と迫るコロナ恐慌への対処。
善亮さん達には、神の言葉を宣伝に使いながら、人集め金集めするよりも、権力者に対して民のカマドの逸話を説く神道家のように、教祖が中山家の財産まで、貧者に施していったひながたをお見せいただきたいものだ
その延長線上に神人達が登場する下地があるのではないか?
善亮ご一統とツイショウ大教会長達が奈落に落ちるのに付き合いたくはないですがね。
とりあえず弱い者イジメはヤメテね。
>>教祖が中山家の財産まで、貧者に施していったひながたをお見せいただきたいものだ<<
誠に中山一統のやっている事は現行不一致もはなはだしい。
現中山家の財産を守り固めて、行く先々で信者のお金を御礼と称して臆面もなく懐に入れて、信者、教会にのみお尽くしと、貧乏になるのを解くのは、理の通らないデタラメ説法です。中山さん、理とは道理の事ですよ。物事の筋道って事ですよ。わかります?
中山さんと一族郎党の方々、天理教という温室から出られるべきです。天理教も少しは良くなるかもしれません。
私が会長になりまして10年間はアルバイトをせずに生活が出来ました。
しかしその後、御供頭の役員さんの身上と事業の失敗やギャンブル依存症から田地田畑を売り飛ばされて自宅が残るのみとなられました。
お金で人は助けれませんが、自動車ローンも受けれないので名義を貸して上げた結果、私が支払う事になってしまいました
最近では、月次祭にはお参り下さいますが御供が無い月もあります。
ある月には、金封の中にお詫びの手紙が入っておりました。
私は御供ってお金でするものだけではなくて、時間(おつとめ奉仕)の御供もありますし、身体(ひのきしん)でするのもOKだと思います。
教会に心を寄せて下さるだけでも有り難いと思います。
「目腐れ銭」なんて言葉は初めて聞きました!(◎_◎;)
私は、「部内」「役員」「信者」と呼ぶ会長は信用ならない奴だと思います。
私は親から「ご部内さん」「役員さん」「信者さん」と呼ぶように教わりました。
皆様方のご丹精、真実のお陰でお育て頂いた事を考えれば呼び捨てには出来ません。
その真実の結晶が教会であると思うから何とかしなくてはと思います。
勿論、金封に手紙だけで御供金が入っていなかった!なんて言うつもりもありません。
今の天理教は天理教ではありません。最も適切に表現すれば中山教です。過去の歴史を顧みても、天理教から分派独立した「ほんみち」や、現在、宗教法人ではありませんが「モラロジー研究所」も天理教から分派独立した団体です。中山教に矛盾と疑問を抱き、中山教から離れていった団体は他にもあると思いますが、これからも分派や独立、離教は続くことでしょう。中山教は誰かが大改革の狼煙をあげない限り、崩壊することは間違いありません。中山さんと一族郎党、取り巻きの方々が実権を握っている限り。
天理教メキシコ出張所のひのきしんからの帰りでなければいいのですがねぇ。
Twitter情報では、天理市も管轄内にある郡山保健所扱いとなっているようです。
↓
奈良県で女性1人の感染確認
2020年3月22日 15時11分 共同通信
奈良県は22日、40代女性の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。
ボランティア活動のため昨年からメキシコに滞在。
今月16日に帰国した後、せきや胸の痛みなどの症状が出て検査を受けていた。
おたすけに熱心なことは素晴らしいと思う。
だがこれからコロナ患者が増えていった場合、
「我が身どうなっても」の玉砕覚悟精神の
おたすけ熱心なようぼく達がコロナ患者の方におさづけをして、
以下のイタリアの神父たちのようにならなければいいが…..。
【神も仏もないのか】
新型肺炎患者の最後の秘蹟を行い多くの神父が感染・死亡 イタリア
2020/03/22
https://twitter.com/vismoglie/status/1241377853817618433
カトリックでは、危篤に近い段階で司祭(神父)を呼び、逝去の前に「聖油の秘蹟」=塗油式を行うが、その際にコロナウイルスに感染したくさんの神父が亡くなっている。ベルガモでは15人の司祭が亡くなった。ここ3日間でミラノも3人の司祭を失った。パルマは6人の司祭と次々に……
コロナウイルスで病中の真柱は死んでも良いのか?と本部のコロナ対策のずさんさから思うようになった。それは月次祭の全国各地からの直属教会長の帰参を未だに変更してないのでしょうか?変更してないのであれば疑問しか浮かびません。コロナウイルスも色々情報が明確になってきましたが、老人と持病もちの方の死亡率だけが以上に高いです。現真柱の善司氏は脳の病気をしてると聞きます。
CPR検査でも確実性がないので、全国各地の直属教会長が感染して無いとは言い切れない。むしろ感染はしているが発症していない。と見るのが適切です。それに、効果があるといわれるアビガンも副作用が非常に強く妊婦や他の疾患を持ってる方には使用できない。
ここまでの情報はTVニュースでも流れているのに全国各地からコロナ感染していないと言い切れない直属教会長を発症者2名いる天理市に呼び寄せるという事は、真柱、中山善司氏の死亡率が高まると言えます。
以前より実弟の表頭領中田善亮氏と真柱との確執が言われてましたが「真柱は死んでも良い。という判断として受け取っても仕方ない判断だと思います。
紙幣や硬貨も相当数のコロナウイルスをはじめ細菌が付着しております。
現金書留、銀行振り込みなど代替手段はあるになぜ直属教会長を呼びよせるのか?理解に苦しみます。
コロナ対策大きく左右される求心力
IOC委員「大会の延期は決定された」米紙報道
東京オリンピック・パラリンピックについて、IOC=国際オリンピック委員会が開催の延期を含めた検討を始めると発表したことを受けて、アメリカの全国紙「USAトゥデー」はIOC委員が「延期は決定された」と述べたと伝えました。
「USAトゥデー」が23日、ホームページに掲載した記事によりますと、IOCのディック・パウンド委員は電話でインタビューに答え、「IOCが持っている情報に基づいて大会の延期は決定された。大会は7月24日に始まることはない。これから延期による甚大な影響を処理することになる」と述べたと伝えています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200324/k10012346291000.html
コロナウイルスによる感染拡大予防のため東京開催のオリンピックは延期が決定した。その最中天理教教会本部の毎月26日に開催されるお祭り月次祭(つきなみさい)では毎月全国各地から奈良県天理市の本部施設への巡礼が行われている。今回は直属教会長と呼ばれる本部直属の教会長以外は参加禁止になったようだが、この直属教会長の参加が物議をかもしている。この直属教会長も他の教会長と同じく全国に点在している。コロナウイルスの感染予防移動制限の原則に反する決定だからだ。それに天理市では2名の感染者(発症者)が確認されていてこの2名の感染者との報道は実質2名の感染と確定しているわけではない。発症者が診察を受け制度もまばらなpcr検査で陽性反応がでて初めて報道各社は(感染者)と報道している点だ。つまり奈良県天理市の潜在的感染者数を誰もわからない状態である。それに教団トップの真柱(しんばしら)中山善司氏は以前より頭部の病気でもあり、コロナウイルスによる持病もちの死亡率が高い事もあり心配は後を絶たない。その世界的に非常事態宣言がいつ出てもおかしくない中、天理教は全国各地から直属教会長を呼び寄せてしまう教団本部の決定に多くの教団信者が不信感を抱くようになった。月次祭まで残り数日となったが教団本部の今後の適切な判断と決定に注目が集まっている。その判断如何で本部の求心力は大きく左右されるだろう。
コロナ、宗教界にも波紋 座談会やミサなど中止相次ぐ
https://www.asahi.com/articles/ASN3J3DRWN3BULZU00Z.html
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国内の宗教団体が集会の中止や活動の縮小を次々に打ち出している。問題の長期化で、春の彼岸への影響も避けられなくなった。
創価学会本部がある東京・信濃町。ふだんは礼拝施設「大誓堂(だいせいどう)」の誓願勤行(ごんぎょう)会に日々約千人が訪れ、にぎわいを見せる。だが最近は人通りがまばらになった。同会が2月中旬、勤行会の中止を発表したからだ。
機関紙「聖教新聞」も再三、感染の注意を呼びかける。地域の座談会などすべての会合を中止とし、訪問や激励といった活動の自粛も打ち出した。
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)(東京・杉並)は5日に予定していた教団創立記念式典の開催を見送った。月に4度ある大聖堂への団体参拝も中止。訪問や対面による布教はしないことにしたという。
既成仏教教団で最多の寺院数をもつ曹洞宗は、宗務庁(東京・芝)での毎日の座禅会、写経会を中止した。歴代首相らがたびたび訪れた臨済宗国泰寺派の全生庵(東京・谷中)も8日、15日の日曜座禅会を中止した。
多くの教団は、感染拡大の対策について「今月中旬」までを一つのメドとしているが、真宗大谷派の東京の拠点、東本願寺真宗会館(東京・練馬)は2月末の時点で、今月20日の彼岸会(え)と永代経法要の門徒の参拝を取りやめにした。混乱の長期化をにらんだ措置で、4月の釈迦(しゃか)の誕生日「花まつり」などの行事も延期を決めている。会館では「高齢者の門徒さんもたくさん集まる行事だけに安全第一に考えた」という。
うちの系統では大教会役員による年一回の月次祭巡教が、
このコロナショックの中通常通り行われています。
皆さんの系統ではどうなさっていますか?
普段の巡教でもマンネリなつまらない話に加え、
高い御礼と食事の接待等で負担がかかっていてただの大迷惑なのに…..。
はっきりこちらから断れれば良いのですが、
バリ天の両親はとてもじゃないけど断るなど口に出せないと言います。
本部から指導していただけないものでしょうかねぇ…..。
いっそのこと、アホな本部員の話でもいいから
ZOOMとかで巡教を全国一斉にしてもらえないものでしょうか。
100円くらいなら払いますよ。笑
>>普段の巡教でもマンネリなつまらない話に加え、
高い御礼と食事の接待等で負担がかかっていてただの大迷惑なのに…..。
はっきりこちらから断れれば良いのですが、
バリ天の両親はとてもじゃないけど断るなど口に出せないと言います。
本部から指導していただけないものでしょうかねぇ…..。<<
本部自身が巡教の甘い汁を吸ってきたので、本部は指導するどころか推奨するはずです。あちこちの教会に巡教に行って御馳走や酒をたらふく飲食していれば、生活習慣病になり殉教すると思います。
天理教が言う、有難い話なんか聞き飽きましたよ。時報を見ても空しさが募るだけです。
大切なことは、先ず、自分を知ることです。それが出来なくて他人を説得することは出来ません。50歳代の若さで酒に振り回されて亡くなった大教会直轄教会長さんを知るものとして感じたことは、天理教は一にも、二にも数字、数字ばかりで人を責め立てて何になるのでしょう。
心定めとは、人を責め立てるだけです。この一言で酒に走らなければならなかった立場を想うと、天理教って何が目的なのかが分からなくなりました。
天理教教会本部員関係者などが安泰で暮らせることが目的なのでしょう!数字にこだわる姿勢は保身以外の何物でもありません。天理時報にしても、この世界の危機的な状況化で、予定になかった今週号は来週号と合併号?(要するに休刊)ですよ。掲載する記事が無いからでしょうか?こんな時こそ、通常にはない本部員たちの世界的規模のコロナウイルスに対する神のお示しとは何なのかを本部員全員の考えを載せるとか、特集号を出すべきでしょう。天理時報が通年のお決まり行事だけの新聞であることが明白になっています。それから4月29日に予定されている全国一斉ひのきしんデーに関する何らかのお知らせ(例えば一斉を中止して、日時や場所なども個々の都合に合わせて行う形に変更するとか)をすべきでしょう。いまだに何一つ発信していません。現場の判断にゆだねているから全国の支部の判断はまちまちなことになるでしょうし。当然担当者はどうすべきか悩むところでしょう。これは全国の月次祭や催し行事も同じことです。本部でありながら都合が悪いことは統制をとろうとしません。お供えやお礼は積極的に集めているのに、この大問題に対して何もしようとしません。世界助けを願っている宗教法人の代表がこんなことで良いのでしょうか?
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2019/10/18/30752/
「令和元年台風19号 災害救援募金ご協力への御礼
本教では、「令和元年台風19号」の被災地の一日も早い復興を願い、10月18日から令和2年1月10日にかけて、道友社を窓口として「天理教災害救援募金」を実施してまいりました。
期間中の募金総件数は1371、募金総額は6246万9165円に上りました。
真心をお寄せくださいました大勢の皆さま方に、心から御礼を申し上げます。
この募金は、後日、被災地へ義援金としてお届けいたします。
また、災害救援ひのきしん隊の活動、および被災教区の復興支援にも活用させていただきます。
多額の募金をお寄せいただきました各位のご協力に対し、重ねて御礼を申し上げます。
天理教災害対策委員会」
その内訳です(みちのとも4月号)
千葉、栃木、岩手、福島、宮城、茨城、長野の各県庁を訪れ、計2千600百万円の義援金を寄託した。
なお、義援金の残高(3646万9165円)は、災害救援ひのきしん隊の活動、および災害教区の復興支援に活用される。
「しっかりお供えは受け取りまっせ~おたすけはせーへんけどな!」
Information
一般帰参者の3月月次祭前後の 施設利用について
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2020/03/16/32215/
2020年03月16日 (月)
3月26日の月次祭および27日の春季霊祭におき ましては、新型コロナウイルス感染拡大防止のた め、一般帰参者の殿内、回廊、境内地での参拝はご 遠慮ください。両日とも祭典終了後まで、お茶所、 インフォメーションセンター、西地下、スロープ昇 降口、殿内エレベーターのご利用はできません。
なお、お供え物につきましては、神殿西御守所へ 下ならびに教祖殿御守所にて、それぞれ受け付け おります。
また、3月25日・26日・27日の「説教・神殿おたすけ」はございません。 ご理解の程よろしくお願いいたします。
立教183年3月16日
「境内地での参拝はご遠慮下さい。」ですが、神殿西お守り所、教祖殿お守り所は境内地内ではないのですか?お供えする人は境内地入場させるのですか?え?え?
お供えする人は感染していいんですか、、
ひのきしんデー、うちの支部は中止となり安堵しています。毎年大層に幟を立て、おぢば方向に拝をし、支部長が上からの言葉を代読し、市役所から提供された大量のゴミ袋。ひのきしん内容といえば、1メートル四方の小さな草をむしりながら、おしゃべりをしているご婦人方、雑草と植えられている植物の違いも分からず、めったやたらと草刈機で刈り取る男性方。休みの日の朝からの草刈機の音は近くの家にとっては迷惑でしょ。湿った土を払いもせずに重くなったゴミ袋、回収の人が大変です。まだやり残しの所が多く虎刈り状態の公園なのに、時間が来たから終了となり、又おぢば方向に拝をして休憩時の残ったジュースを貰って、お疲れさまと解散。本当に地域のためにひのきしんするのなら、一年に一回では少ないですよね。定期的に施設などで活動している地区や教会も多い様ですし、本部主催のこんなつまらない行事はやめたらいいんと違いますか。
時報に何ページにも開催場所やら写真やら。いくら載せる記事がないからって、ムダですわ。わざわざ開催場所調べて車や自転車で行く事自体おかしい。自分の近くの公園や家の周りの掃除してたらいいですやん。
昔、あの広い鶴見緑地に、車で信者さん達とワイワイと行ってたのが懐かしい。公園側から、もう結構と、断られた様です。他の遊びに来ている家族さん達に迷惑だったんでしょうね。褒められたり感謝されたら徳積みにならないからと、昔の人は隠れてひっそりと良い事されたとか。ハッピ着て、幟立てて、そのくせやる事成ってなかったら恥ずかしいだけです。もう、永久にやめましょう。
オウム真理教以降数々の新興宗教が有名になり社会から嫌われる一方です。世界的感染拡大の最中に集団で居たら違和感でしかないですし下手すると通報されます。パナウエーブ研究所などは、真っ白の衣装で違和感があっただけで有名になったわけです。天理教もそう変わりない事に皆さん気がつきましょう。
3月25日・26日・27日の「説教・神殿おたすけ」
月次祭前後だけであっても、そんなのが残っているんですね。ところで説教する人達は、誰がどんな資格で選ばれるんですか??
全教一斉ひのきしんデーは中止にならないのか?この状況でやる気満々とは呆れる。速く中止宣言すべきだ。ある支部では
飲食を提供するらしい。天理教は馬と鹿の集まりなのか?
志村けん感染で波紋、菅田将暉との“初共演現場”が急遽中止に
志村けん(70才)が新型コロナウイルスに感染し都内の病院に入院していることが明らかになった。主演映画『キネマの神様』の撮影にまもなく入る予定だったという。
https://news.livedoor.com/article/detail/18022185/
著名な志村けんさんですらコロナに感染し映画撮影を中止したのに本日月次祭ですが全国各地の直属教会長出席さ各地に帰すのでしょうか?理解に苦しみます。それに感染者が出た時点で感染拡大助長教団として天理教の名は世を轟かす事は間違いなく各地の教会の布教成果の更なる減退は間違いなくなるでしょう。
結核菌は感染していても、発病して開放性肺結核にならない限り伝染しないと聞いていますが、今回の新型コロナウイルスは感染しただけでも他人に感染すると聞いている。
天理教の人達はこの辺の事情をご存知なのか。とにかく人が集まらないことが重要なのに、今日26日に本部に集まる人たちは、余りにも無責任すぎる。
それとも、天理教徒、特に本部関係者や大教会長はじめ本部直轄教会長たちは感染源にすらならないとでも思っておられるのだろうか。そうであれば、思い上がりも極まれりといえるだろう。
イギリスのチャールズ皇太子も感染されたと聞くと、庶民の我々は特段の注意力が求められています。
天理教ライブカメラを朝から見ております。新型コロナウィルスの関係もあると思いますが、境内地はガラガラの状態です。コロナウィルスが終息したとしても、毎月26日の本部月次祭は、ガラガラの状態になるだろうと彷彿させるような今日の映像でした。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/livecamera
八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!
いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。
通りすがり ちゃん
2020年3月26日 2:25 PM
>>八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!
いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。<<
久々のご登場ですね!! お元気でしたか? 教会本部はほとんど鎮圧・制圧されています。ワクチンも特効薬も必要ありません。 教会本部は天然痘のようにこの世界から根絶するでしょう。
またまた「アホな通りすがりウィルス」が発生 笑
「恥ずかしい自演がばれたことのほとぼり」が冷めたのでまた投稿を始めたのでしょう 笑
クラスター等とトレンドに絡めて、うまいことを書いたつもりなのでしょうが思いっきりスベっています 笑
しかし「通りすがりウィルス」の周りには相手にする人間が誰もいないので感染させる心配はありません。笑
そのうちこの投稿欄からも管理人様に再び駆除されることでしょう 笑
東風Zさん、あなた気をつけた方がいいです。高齢者は死亡します。反省するのは今のうちです。崩壊ちゃんはどうでもいいが、貴方が心配なんです。命は大切にしましょうや!
岐阜県の合唱団から6人の感染者が出たそうです。また、その中の一人は別の合唱団にも所属していて、そこでも感染者が出ています。
合唱と言えば通常は対面するのは指揮者だけで、皆さん横並び。
けれど団員数が多ければパート別に二重、三重の列が作られます。
やはり唱和するのはリスクが高いのでしょう。合唱練習は週に1~2回程度。
教会のおつとめは???
今更ですが本部の朝夕のおつとめの状況では1~2メートルの人間距離がとられているのでしょうか?
誰かからの指示待ちではなく、自分の安全を守るために自分でできる事にはつとめてください。
翻って、天理市民の安全を脅かすような信者の無自覚な行動は、厳しく身を律して慎むべきでしょう。
集団で歩き回る姿は、今や「ブブッー」でしょう。
通りすがりさんは、だから、皆から嫌われるのだね!
通りすがりくんは教団本部の痛い点を突くと出てくるよねwww
ライブカメラでガラガラの本部見られるのがいやだったのかな?
本部の不透明な金の動き?
コロナ感染拡大の元凶のことかな?www
通りすがりが行かないと本部ガラガラで閑古鳥が鳴いてるみたで余計廃るからはよ行って来いwww
通りすがり
2020年3月26日 2:25 PM
>>八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。
八島をたたく前に「金のつなぎは命のつなぎ」と言い放っち是正もせずい一年以上たち事実上中山の意見として提唱した中山家に問題があるやろwww
勝手に名称裁判して最高裁で敗訴して異端に名称を取られたのは誰のせい?八島せい?中山家の中田善亮のせいですが?笑
二代 真柱正善の隠し子問題は八島のせい?正善のせいやろ笑
教団衰退は八島のせい?中山家の今までの行いが悪いからやろ笑
中山教団の人は本当に頭が沸いてるんやな笑アホラし笑
まさに 『鬼畜カルト』 の発言
↓
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
ヤシマコロナも変異して、猛毒なウィルスになってしまったようね(^。^)
東風Zさま、レンダイコ事件は水に流してあげますから、どうか心を入れ替えて欲しい。命を大切にして下さい。
とどのつまり、金と人足が欲しいのだ。本部は。
その流れが大教会や部内を抱える分教会に行き着く。
なんてことはない、食っていく為の算段である。
感謝と報恩を叫び、様々な事象に教理を当てはめ、納得させて、時間と手間と金を集めるのだ。
昔はwin-winの関係が成り立っていたが、経済や科学が発展するに従って、宗教以外にも縋るものが増え、楽しみが増え、生活水準が上がり、自分で物事を考え判断する人々が増えた。
明治以前に発生し、大正時代に骨格が作られた組織の構想は、現代では淘汰されていくのであろう。
もっと変化をしなければ、組織は生き残れない。
教えは残すことはできるが…
東京都も不要の外出は控えるようにとの要請が出されましたね。要は迷惑をばら撒かないようにとの配慮からでしょう。そのような配慮が出来ない集団があることに悲しみさえ覚えます。
爆発感染が起これば医療崩壊が起きる姿は、イタリアやスペインの現状を知れば言うまでもないことでしょう。
万が一にも感染が分かれば、自分ちのみならず、向こう三軒両隣が消毒されますよ。自分がコロナに感染するのは自業自得ですが、他人に迷惑を及ぼすことを一番恐れます。
だから、行動を自粛するのは当然のことでしょう。近くを運行する路線バスにも乗客は殆んど見ません。皆さんも我慢をして自粛されているんでしょう。
それをあざ笑うがごとくに本部に人を集める神経を疑います。
命のレンタル?とか平気で言ってる人間は本当に危ない奴だわさすがカルト笑
借りに百歩譲って神様には切り手いたとしても、中山にも教団にも借りてないからなー笑、しかも教団が言ってる「親神」て後付やろ笑 教祖は 神か月日としか表現してないしな
頭に問題が有り過ぎて発言の問題点に気がつけないほど脳みそ沸いてるんやな笑
匿名
2020年3月26日 5:11 PM
>>
まさに 『鬼畜カルト』 の発言
↓
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
>>
これが天理風教の代表者の1人中田善亮大先生の解釈なんですね!だから信者が減ったんですねWWW
「これが道理です」の使い方が「これが定説です」の ライフスペースと同じでワロタWWW
ちょっと前の懐かしい事件~カルト宗教編~
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_69.html
神のかしものかりものの理を知って、全てに感謝の心を深めるという教えは素晴らしいが、神になり代わってお金を取るのは、オレオレ詐欺とかわらんだろ。善亮君は馬鹿なの?
通りすがり ちゃん
2020年3月26日 6:56 PM
>>ヤシマコロナも変異して、猛毒なウィルスになってしまったようね(^。^)
東風Zさま、レンダイコ事件は水に流してあげますから、どうか心を入れ替えて欲しい。命を大切にして下さい。<<
あなたが訳のわからない投稿をすればするほど、あなたの意図する方向と逆方向、逆効果になっていることに気づきませんか? あなたの投稿を真剣に読んでいる人など誰もいませんよ。ご自身の低脳ぶりを披露するのは、いいかげんに止められたらどうですか?
教団が誇る使命感が社会に受け入れられるのであれば異論は申しませんが、現実はそうじゃないでしょう。
命のレンタル料だとか、人を呼び寄せるだの、現状では及びもつかないことを何の臆面もなく実行せよと言うんだから。
これを指摘するとヤシマコロナ変じて猛毒ウイルスと断定されると、八島さんも墓場で苦笑されているんじゃありませんか。
教祖中山みき曰く「コロコロ変わるから心」と仰ったなら、今の御時勢なら「中山と天理風教も終わるコロやナ」と言うやろうなーしかも教祖中山みきは存命なんやろ?本部中山家がうまく行かないのは全部教祖中山みきが阻止してるんちゃうか?教祖じゃなくでも一般人ならあんたらの異常さはわかってるで気がついてないのはあんたらだけやろ笑
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>>
この論理には重要なことに間違いがあります。
神様から借りた身体を神の思いに沿ったお礼をすることです。
本部に、教会に、金を出すことではないはずです。
本部に金がないのであれば、「道の路銀」として渡された人助けにまい進すればよい。
巡教などとやった気になるようなことをせず、人助けにまい進すればよいのです。
本部にいる役員さんも、人助けをし預かっている自教会を盛んにし、大教会へとすればいいのではないですか?
教団の低能ぶりは既に判る人にはわかっています。教団擁護の方が騒いでおられますが、取るに足らない教団中山の一分子で同じ穴のむじな。高次元の真実を求める人たちにとっては同じ土俵に立って議論できるお方ではない人と拝察します。だから人が離れて今の惨状です。
天理教が廃れたのは、高い精神性を求める集団にはあまりにも受け入れがたいお粗末さと内容の不条理さ、ナンセンスさ。ダジャレ説教の数々。
ご守護とお金をセットにしている教理はあり得ないし、悪質な詐欺です。コロナを機に全国の教会へのお供え金は劇的に減少しています。つまり本部へ上がるお金の予想外の減少は自明の理です。コロナは天理教衰退、消滅への神の意志でもありましょう。脅しては取り、取っては人が離れていく。この循環に入ったら後は時間の問題です。いえもう既にこの循環に入っていると思います。
閑散とした今の姿は教祖100年祭から比べたら坂を転げ落ちる勢いですね。
お金を一番手っ取り早く手に入れるのであれば、「コロナ退散」 の御供 を各教会に有償配布すればいい。
BBC 新型ウイルスの死者、世界で2万人超す 東京都は外出自粛要請
https://www.bbc.com/japanese/52044652
全世界的に移動制限かけている中天理教は何をしました? しかも3.26だけでなく2.26も全国各地から人を呼び寄せました。人助け?世界助け?とは感染拡大の手助けですか?感染拡大の世界助け?宗教は社会悪でしかない証拠
匿名 様
2020年3月27日 1:48 PM
>>教団の低能ぶりは既に判る人にはわかっています。教団擁護の方が騒いでおられますが、取るに足らない教団中山の一分子で同じ穴のむじな。高次元の真実を求める人たちにとっては同じ土俵に立って議論できるお方ではない人と拝察します。だから人が離れて今の惨状です。
天理教が廃れたのは、高い精神性を求める集団にはあまりにも受け入れがたいお粗末さと内容の不条理さ、ナンセンスさ。ダジャレ説教の数々。<<
ズバリ、その通りです。本質をついておられます。何も補足することはありません。中山の一分子がこの掲示板にいかなる投稿をしようと、だれも真に受けないでしょう。時々、投稿される中山の一分子さん、あなたの投稿は天理教の心象を益々悪くしていくだけです。もういい加減にご自分の低脳ぶりを自覚されるべきだと思います。
訳の分からない通りすがりはもしかしたら表統領その人かもね。
短文しか入力できない人=スマホを何とか使っている人(PCとは無縁の人)
ところで、いよいよ須藤花井さんの予言が現実味を帯びてきましたね。
「黒門の前に死体が重なる」は黒門撤去で防いだと、ホッとした人々もいたでしょう。
でも、新型コロナの前には天理教の一度のお願い勤めは、むなしくかすんでしまいました。
たしか、5月でしたかね。家々は戸を立てて、その陰で人々はひっそりと。
外出禁止令はいまだ出されていませんが、今日明日の外出自粛要請は今後につながることは明らかです。
預言の当たりはずれを問うているのではなく、どのように現状を認識するかを自身の心に問いかけています。
天理教発生以前から存在する神を、地球誕生にかかわった事象を神の業ととらえ、新型コロナウイルス発生を、繰り返されてきた一連のウイルスと生物の宿痾の戦いと捉えれば、スッキリ胸の内に納まるような感じがします。
その「今に」存在する私たちが、偶然にも天理教という組織に関りながら(過去形の場合も含め)、その組織と教えに幾つもの問題点を見つけ自分の言葉でこの場をお借りして発信しているのです。
天罰とか、因縁とか、カルト集団内での言葉での表現は、もはや社会に通用しません。
信仰していようが止めようが、当たり前のことを書いて申し訳無いのですが、大切なのは一人一人の頭で考え、行動する、これに尽きるのではないかと。
そのためには「洗脳」状態から抜け出る事が自立への第一歩になるのです。
神の存在を信じていても、自分と神との関係性を、依存から自立した個人へと自身が変容すれば、信仰は生活の中で瑞々しくも存在できると思います。
濁り水の世界である教会組織や中山家一族の力を借りなくても、神との日々は誰にでも存在しているのですから。(言うまでもないことですが、そんな事は既に身についておられる立派な方々もおられます。)
さらに言えば天理教だけが最高の教えではないことを謙虚に受け入れなくてはなりませんね。
(とは言え、わたし自身は多神教は民俗学的な社会観からは理解していますが、それを信仰の対象にする事はバカバカしいと感じています。)
「訳の分からない通りすがりは、もしかしたら表統領その人かもね。」笑
またはアホ善亮の飼い犬ども(例えば乗っ取り事件実行犯の前内統領山澤廣昭の兄弟の島村廣義。そのまた飼い犬の中山治信(はるのぶ)または高井久太郎あたりかな笑笑笑
感染爆発してしました。天理教さんは自粛要請を無視して集会を開きましたよね?しかも3月2月千葉県の福祉施設で57名施設内の人間ほとんどが感染しました。教会ごとクラスター化するのは時間の問題です。お願いづとめ は無意味 月次祭 集金祭 は続行 直属教会長を全国から呼び寄せる。
新型コロナウイルス
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000967.html?word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9&utm_int=all_header_tag_001
障害者福祉施設で57人感染確認 千葉 東庄町 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200328/k10012355661000.html?utm_int=word_contents_list-items_001&word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
崩壊ちゃま、あなたが「必死!」なのは分かりますが、相手にされていません。
レンダイコ事件ではこの掲示板が完全フリーズしました。なぜなら、デタラメな内容ばかりの掲示板である事が明らかになった瞬間だったからです。東風Zさま、いいお年なんですから、もう少しまともなコメントをお願いします。新型コロナで命を落とさなくても、あなたはヤシマコロナの猛毒にやられて既に命を落としています。この掲示板は世の中を知らない高校生が大騒ぎしているレベルです。それも成長の一コマでありますから、大いに盛り上がって下さい。ただ、「憎い、恨み、腹立ち」の心に新型コロナウイルスが寄って来ます。命を大切になさることをお勧め致します。
アホの通りすがり、 自分こそがデタラメばかりの低脳であることがバレる 笑
顔真っ赤やな 笑
通りすがり 2020年1月18日 4:56 PM
別席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
通りすがり 2020年1月18日 1:05 PM
もう少しお勉強なさった方がいいです。あなたの投稿記事を読んでいると、あまりに低レベルで可哀そうになります。あなたはサンスクリット語を学んだ事があるんですか?ネット検索で引用しただけでしょう。「南無」は仏教用語ではありません。あくまでもサンスクリット語です。どうかお勉強をお願いいたします。
匿名
2020年1月18日 9:49 PM
『南無』 は たしかに、サンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo 敬意、尊敬、崇敬をあらわす)」を音写した漢訳ですが、仏教用語です。
世界宗教用語大事典にも以下の説明があります。
世界宗教用語大事典 より
なむ 【南無】
仏教用語。梵語ナマス(namas)の音写(那摩・那謨・那莫・納莫などとも)。
帰命・帰礼・敬礼・信従などと漢訳。帰依信順する意を表した言葉。
通りすがりさんは、以前の通りすがりさんですか?どうも違うように見えます。別人28号でしょうね。
通りすがりという人間は、本当におやさまの教えを信仰している人間なのか?
まともな議論が出来ずに論破されてばかりだからといって、腹いせに人をウィルス呼ばわりしたり、年寄りを小ばかにしたり…..。
きっとお供えで生活しているニートで、教団の財政が逼迫しているから大切な金づるシステムの批判は黙らせたいのだろう。
まあこれが偽教理によってつくられた今の天理教人のレベルなんでしょうな。
「短文入力しかできない」と書かれたから少し長文を投稿してくるあたり、なんとも幼稚で情けない w
ご愁傷様でーす。
通りすがり が来なくなるのも寂しいので書き込みしてもらうと中山教徒と天理教徒との差が明白になるので好都合なんですよね。通りすがりの反論は論点をずらす為の反論で議論の方向がずれるものではないので意味は無いんですけどね。何とか変えようにも変わらない何故なんでしょう?それは中田善亮を筆頭とする中山家と中山教の本部が変わらないから論点が変わるわけは無いわけです。このような簡単なことも理解出来ないようでは通りすがりくんは反論する意味は無いですよね笑
席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
「十柱の神」でも「十全の守護」でもどちらでも意味が伝わればいいのでは?年代層によって、呼び名が変わるだけです。
それに南無が仏教用語ではない? 南無 阿弥陀仏?は何教でした?www 反論が痛々しいwww
サンスクリット語だから仏教ではないもおかしいwww そもそも仏教の原書は大体サンスクリット語ですがね? サンスクリット語であるが仏教用語ではないも間違いでそもそも仏教によりサンスクリット語は中国を経由して日本に伝来していますがねwww
「中山みきは他の宗教の影響を受けていない」と仕向けたいようですが、中山みきは熱心な仏教の信仰者だったのは教団内でも有名だったのでは?
ネット上には、統合失調症や、ADHDや、その他精神的に、病院通院者も普通に参加されます。
私自身、ある場所だ使ってるHNを使われて、もうめちゃくちゃ、そのHNが5chで誹謗中傷を繰り返して、私を演じて、あいつはとんでもない奴だ!と、その病気の方にやられました。 病気だもんね、もう弁護士通じて裁判するしか無いけど、ネット上のHNのやり合いで、50万も使えません。
某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。
某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。
某◯◯すがりさん、やばい印象です、間違いないADHDでしょう、触ってはいけません、お大事に・・・本気で、思います、お大事に〜
いえいえ。崩壊様も東風z様も、有益なご意見を出され、毎回納得のご投稿です。
ここに投稿される方々は知的にも高く、見識高い方が多いように感じています。
高校生の大騒ぎ感はむしろ最近出現された本部寄りのお方に一層強く感じられます。駄々をこねている大人子供の様で、ちょっとお可哀想。
中山から利益を受けているお方か、それとも洗脳されて自分を見失ったお方かとお見受けします。
頭が硬く柔軟性が無く、ちょっと突っ込んだ話を向けると答えられない、、天理大学宗教学科を卒業していても深い話には何も答えられない。何を勉強して来られたのか?と思ってしまう。知性を疑うこう言う方が天理教教会長あたりに多いんですよね。だから世間には通用しない井の中の蛙です。
少なくとも中山一族は社会の役には立っていません。災害救援隊の費用も中山が自腹を切っている訳ではありません。その都度別途に義援金を信者に募り、隊員にかかる諸費用もその義援金の中で維持運営されていますね。よって義援金の多くは被災地に渡っていないそうですね。中山の彼らが最前線で泥にまみれている訳でもありません。中山は自らの身を切らず、汗を流さず、ひのきしんと称して若い信者にただで労働させ、信者のお金で天理教の看板を世に光らせ良い格好をしているだけです。中山一族には宗教ビジネスのお金の匂いと嘘の匂いがプンプンします。
話が脱線しました。崩壊様、東風様、ぶたまん様、弁護士の方やその他多くの見識高い方々の幅広いご意見ご投稿、今後も社会を良くする為にどうぞ宜しくお願い申し上げます。
参考にしないでの意見 様
2020年3月28日 10:19 PM
>>某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。<<
私は別に意図的に執拗に投稿したいという気持ちで投稿している訳ではありません。現天理教に対する理不尽さや矛盾についての投稿が余りにも多いので、私の投稿回数も「自然に増えていく」のです。誤解なさらないようにお願いします。現天理教が本当に素晴らしくリスペクト(尊敬)に値する宗教であるのならば、私は一切この掲示板に投稿はしないはずです。
現状の天理教が不可解な点
①教祖存命の証明
②かんろだいが人類発症の地である証明、そこに天理王命が存在し御守護をくださっている証明
③おさづけの理論的な証明
たとえばおさづけでいいますと一般的にヒーリングとかスピリチュアルの一種であるとすると
世界にはさまざまな能力者がいます。なべおさみなどもそうかも
最もポピュラーなスピリチュアル・ヒーリング
スピリチュアル・ヒーリングと言うと、おそらく多くの人は、ヒーラーが病人に手をかざしたり、患部に手を当てて治療している様子を思い浮かべるのではないでしょうか。中国で始まった“気功”や日本発祥の“霊気(レイキ)”、日本の新興宗教(救世教・真光教)で行われてきた“手かざし”、アメリカ人D・クリーガーによって考案された“セラピューティックタッチ”などが、この種のヒーリングとしてよく知られています。
スピリチュアル・ヒーリングの中では、この「手かざし」や「手当て」というシンプルな方法が多く用いられています。その意味で、手かざし療法・手当て療法は、最もオーソドックスなスピリチュアル・ヒーリングのスタイルと言えます。スピリチュアリズムにおいて展開しているスピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)でも、この手かざしや手当てが用いられています。
古い時代の有名な「手当て療法」としては、イエスによる“奇跡治療”を挙げることができます。聖書には、イエスが患者の体に触れることで病気が癒されたという記述がしばしば登場しますが、これはイエスが「手当て療法」を行っていたことを示しています。また、中世ヨーロッパ(*特に英国とフランス)で800年間にわたって行われてきた国王による“ロイヤル・タッチ”も、この手当て療法の代表格と言えます。
※ロイヤル・タッチ(王による手当て療法)
英国では17世紀の国王チャールズ2世が、10万人もの病人に手を触れて治療をしたことが記録に残されています。また、ウェストミンスター寺院を建てたエドワード王、ローマ教皇に反抗して国教会を設立したヘンリー8世、その娘のエリザベス女王も優れた治療能力を持っていたと言われています。英国では、王に手を触れてもらうことが国民の権利の一つとして、当時の憲法に定められていました。
フランスでも国王が手を触れるだけで病気が治ると信じられており、国民が王のもとに殺到しました。13世紀のルイ9世(聖ルイ)の時代には“ロイヤル・タッチ”が連日行われ、押しかけた国民の多さに、とうとう時間制限を設けることになりました。その後、ルイ11世の治世には、病人を選別して“ロイヤル・タッチ”は週に1度と決められました。17世紀には治療日が定められ、ヒーリングの当日には千人もの民衆が押しかけたことが記録に残されています。ルイ13世の時代にはさらに多くの病人が殺到し、1日に2400人もの病人を治療しています。国王は“ロイヤル・タッチ”のあまりの人気に悲鳴をあげ、嘆いたとも言われています。ルイ14世の時代には、1日に3000人近い病人が押しかけ、かの有名なベルサイユ宮殿内において治療が行われました。
中世においては“ロイヤル・タッチ”はある意味で、国王の義務として位置づけされており、国王自身もそれを受け入れていました。国王にとってロイヤル・タッチはとてもハードな公務でしたが、多くの王が忠実にその責務を果たしました。国王は、自らの義務としてヒーリングを行うことによってその権威を国民に示すとともに、国民の信頼を勝ち取ってきたのです。
英国のロイヤル・タッチは、ピューリタン革命(清教徒革命)を機に終わることになりました。フランスのロイヤル・タッチも、ルイ16世治世のフランス革命をもって終焉を迎えることになりました。
3種類の手かざし療法・手当て療法
手かざし・手当ては、ヒーラーが患者に“治療エネルギー”を与えるための方法です。治療エネルギーを患者に与えるという目的からすれば、「手かざし」でも「手当て」でも、それほど違いはありません。「手かざし」ではヒーラーは患者に直接タッチしないのに対し、「手当て」では患者の身体にタッチするという違いがありますが、肝心な治療エネルギーを与えるという点から見れば大差はありません。
その一方、「手かざし療法・手当て療法」では、治療エネルギーの内容において天と地ほどの違いが生じます。治療エネルギーには、霊界の霊たちがつくり出す「スピリット・エネルギー」と、地上のヒーラーの霊体に存在する「サイキック・エネルギー」と、地上のヒーラーの肉体に存在する「マグネティック・エネルギー(生体磁気)」の3種類があることを説明してきました。スピリット・エネルギーを用いる治療が「スピリット・ヒーリング」、サイキック・エネルギーを用いる治療が「サイキック・ヒーリング」、マグネティック・エネルギーを用いる治療が「マグネティック・ヒーリング」です。
「手かざし療法・手当て療法」は、用いられる治療エネルギーの違いによって「スピリット・ヒーリング」と「サイキック・ヒーリング」と「マグネティック・ヒーリング」に分けられることになります。治療風景はどれも同じように見えますが、内容的には全く異なる治療が行われているのです。
スピリチュアリズムにおける手かざし療法・手当て療法では、霊界の霊たちがつくり出す治療エネルギー(スピリット・エネルギー)が用いられるため、多くの場合「スピリット・ヒーリング」になっています。一方、世間で広く見られる手かざし療法・手当て療法では、サイキック・エネルギーやマグネティック・エネルギーが用いられており、「サイキック・ヒーリング」や「マグネティック・ヒーリング」になっています。
手かざし療法・手当て療法はどれも同じように見えますが、それぞれのヒーラーによって用いられる治療エネルギーが全く異なります。そしてそれにともない治療効果も違ってきます。
※私たち「日本スピリチュアル・ヒーラーグループ」では、「スピリット・ヒーリング」としての手かざし療法・手当て療法を行っています。
「オーラ療法」は、手かざし療法と同じ
さまざまな手かざし療法・手当て療法について見てきましたが、これらは形式は少々異なっていても、いずれも「ヒーラーを通して治療エネルギーを患者に与えることで病気を癒す」という点では共通しています。ヒーラー自身が有する生体エネルギーには「サイキック・エネルギー」と「マグネティック・エネルギー」があり、状況によってはこの2つを同時に与えることもあります。
サイキック・エネルギーもマグネティック・エネルギーも、ヒーラーの身体内をめぐっているだけでなく、ヒーラーの体外にも放射されています。それがよく言われる“オーラ”です。手かざしなど患者の身体に直接触れない治療では、オーラを投射することで治療エネルギーを患者に与えます。この意味で「オーラ療法」と呼ばれているものは、「手かざし療法」と同じと言えます。
手かざしによって、神のエネルギーを流すことはできるのか?
世の中には、「自分のヒーリングは、神から送られてくるエネルギーをストレートに用いるため治療効果が最も強力である」と豪語するヒーラー(治療師)がいます。ヒーリングにおいて神のエネルギーを直接、使用しているかのように主張するのですが、すでに述べた通り、そうした言い分は霊的事実とは一致しません。
神が造られた宇宙と霊界には“神のエネルギー”が充満しており、人間をはじめ、すべての生命体はそのエネルギーを取り入れて生存しています。しかし“治療”ということになると、神のエネルギーをそのまま“治療エネルギー”として用いることはできません。神のエネルギーは、治療エネルギーに転換されるプロセスを経て初めて、治療に用いることが可能となるのです。治療薬は、純粋な水(蒸留水)にさまざまな有効成分を加えてつくられますが、神のエネルギーはこの“蒸留水”のようなものなのです。神のエネルギーを直接“治療エネルギー”として用いるというようなことは、あり得ません。
これについては霊界の実態を知ると、より明瞭になります。幽界(霊界下層)でも、他界して間もない霊に対してスピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)が行われていますが、それは神のエネルギーをそのまま与えるといった漠然としたものではありません。そこで用いられる治療エネルギーは、神のエネルギーにさまざまな霊的要素を加えるという薬を調合するようなプロセスを踏んでつくられたものなのです。
地上人が神のエネルギーをストレートに用いて治療をするというようなことは、一方的な思い込みに基づく勝手な空想にすぎません。
「サイキック・エネルギー」を与え過ぎて、へとへとになるヒーラーたち
サイキック・ヒーリングの場合、ヒーラーは自分の“生体エネルギー”を患者に与えて治療をするため、エネルギーを消耗してへとへとになってしまうことがあります。「何とか病気を治してやりたい、早く治してやりたい」と気負って無理をしたりすると、自分の生体エネルギーを一度に与え過ぎて破綻してしまいます。ヒーラーは常に“神のエネルギー”を自らの内に取り入れる努力をしていないと、治療によって生体エネルギーを使い果たし、すり切れてしまうのです。
ヒーラーや治療師には、大気中から“霊的エネルギー(神のエネルギー)”を取り入れるための瞑想や祈りが不可欠です。霊的エネルギーをしっかりと補給し、自分の健康を維持するのに必要な生体エネルギーを確保したうえで、余ったエネルギーを患者に与えるというのが「サイキック・ヒーリング」と「マグネティック・ヒーリング」の鉄則です。
実はこれはヒーラーや治療師だけでなく、病人や老人を相手にする仕事に携わっている人たち全般に当てはまることなのです。医者や看護師・介護福祉士・カウンセラーなどは、相手(患者)と接する際に、自分の“生体エネルギー”を無意識のうちに与えることになります。特に霊的に敏感な体質を持っている人の場合には、生体エネルギーを相手に奪われるような状況に置かれ、自分自身の生命力が急速に枯渇することになってしまいます。医者や看護師・カウンセラーといった人たちは絶えず、精気を失うような状態にあるのです。相手が精神病患者や衰弱した老人などの場合には、より多くの生体エネルギーを消耗することになります。まさに“身を削って相手を癒す”ことになっています。医者や看護師やカウンセラーは、ある意味でサイキック・ヒーラーと言えるのです。
※イエスは、大勢の病人に対して「サイキック・ヒーリング」を行いました。しかしイエスの場合には、今述べたヒーラーや気功師のように生体エネルギーを消耗して、へとへとになるようなことはありませんでした。必要な“霊的エネルギー”を自由に取り入れることができたからです。
それが可能となったのは、イエスの霊的器(霊的キャパシティー)が別格だったからです。イエスは「霊性」が並外れて進化していたことに加え、「心霊能力」も飛び抜けていました。そうした高い霊性と心霊能力によって、完璧とも言えるような霊的コントロールが可能となったのです。
「聖水ヒーリング」とは
水に治療エネルギーを吹き込んで行うヒーリング
手かざしや手当てという方法は、どこまでも“治療エネルギー”を患者に与えるための手段にすぎません。それと同じようにヒーラーは、水に手をかざすなどして“治療エネルギー”を吹き込んだ“聖水”をつくり、それを患者に飲ませたり注ぐことによって病気治療を行うことができます。これが「聖水ヒーリング」です。
治療に用いられる“聖水”は、治療エネルギーを吹き込むヒーラーの内容によって大きな違いが生じます。「スピリット・エネルギー」を吹き込むことができるヒーラーがいる一方で、「サイキック・エネルギー」や「マグネティック・エネルギー」しか吹き込むことができないヒーラーもいます。見た目には同じ水ですが、ヒーラーによってつくり出される“聖水”の内容は全く異なったものになります。
今こそ天理教がノーブレスオブリュージュの精神で世界の人に施しをすべき時であると思います。
義を見てせざるは勇無きなり
真柱をはじめ各リーダーたちが日本をはじめ世界を救ってほしい!
人の上に立つリーダーにこそ才や弁でなく、明確な哲学を基軸とした「深沈厚重」の人格が求められます。謙虚な気持ち、内省する心。「私」を抑制する克己心(こっきしん)、正義を重んじる勇気。あるいは自分を磨き続ける慈悲の心、一言で言えば「人間として正しい生き方」を心がける人でなくてはならないのです。
そうした高潔な生き方を己に課すこと。それが人の上に立つものの義務、ノーブレス・オブリージュ。
これが本来、上に立つ者のあるべき姿だというわけです。 上に立つ者は、ノブレス・オブリージュの精神で自らを律し、同時にそれによって自らを鼓舞し、それに従う者はその姿を見て勇気づけられるのです。
詳細な説明なしに決め付けする方どうかしてるって成るからやめた方が良いです。
「参考にしないで下さい」なら分かりますが「参考にしないでの意見」という文章も不明ですし書くく文章を指摘されたときの口実の名前なら「通りすがりの意見なんで!」と言い逃れしようとしてた通りすがりと変わりないですしね
>>参考にしないでの意見
2020年3月28日 10:19 PM
ネット上には、統合失調症や、ADHDや、その他精神的に、病院通院者も普通に参加されます。
私自身、ある場所だ使ってるHNを使われて、もうめちゃくちゃ、そのHNが5chで誹謗中傷を繰り返して、私を演じて、あいつはとんでもない奴だ!と、その病気の方にやられました。 病気だもんね、もう弁護士通じて裁判するしか無いけど、ネット上のHNのやり合いで、50万も使えません。
某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。
某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。
某◯◯すがりさん、やばい印象です、間違いないADHDでしょう、触ってはいけません、お大事に・・・本気で、思います、お大事に〜
組織はなくとも信仰できる!
2020年3月29日 9:32 AM
金のつなぎは命のつなぎ と言い出す中山家には到底無理な話です(笑)
未来に出現する四人の人類の棟梁達に先立つ、神の器械達は啓示者霊能者の能力を備えているのだろう。
それらを地場に貰うのは、人事の最高責任者としての真柱の根本的な仕事ではあるでしょうね。
けれどもまた、それを取り巻く宗教屋達の仕事の根本でもあるでしょう。
天理の宗教家達が率先して、神の器械をお地場にもらう意識を持たなければ、世界の恐慌群も治まらないのではないか?。
それが、つなぎ問題を解決する根本でもある筈ですね。
不要不急の外出は控えて下さいとの要請に対して、庶民はどのように応えることが出来るのでしょうか。
田畑に面した小さな住宅街では、窓を開ければ新鮮な空気に接することが出きます。少し足を延ばせば、降り注ぐ陽光に体いっぱいに温かみを感じることが出来ます。有難いことです。
閉じこもり生活を乗り切る極意は、との問いに対して宇宙飛行士スコットケリー氏は「宇宙で1年暮らす」ような心構えが必要だと言っておられると、新聞は報じています。
医療崩壊を招かないためには、一人ひとりの行動で乗り切ることが大切だとも。
ローマ法王庁のフランシスコ教皇はただお一人で祈りを捧げておられましたよ。真柱もお一人でお願いつとめを勤められればいいんじゃないですか。
2020年3月28日 10:36 PMの匿名様。私ごときの投稿がお役に立つとは思いませんが、ご期待頂き恐縮しております。おかしいことはおかしいとご指摘いただければと思っております。よろしくお願い申し上げます。
不要不急の外出は控えて下さいとの要請に対して、天理教は応じてません。 わざわざ全国各地から直属呼び出して現金受け渡して帰省させる。その後全国で感染拡大してますし全部とは言わずにしても大きく関わる可能性はありえます。大企業でも一度に多くの社員を全国各地に移動させる事は無い。全国の直属教会約230箇所から1人以上の移動があるわけなのである意味テロ幇助行為と見ることもできる。
コロナが治まりしだい政治経済など無責任行為を働いた国や人に事後制裁が始まるのでしょう。中国はコロナウイルスの発祥地であるにも関わらず、米国や日本などのウイルスだと無理なウソをつき始めて、米国から正式に「チャイナウイルス」と命名されてしまった。天理教ももう少しおとなしくするのが懸命でしょう。
>>某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。<<
もしかして、私のことかな?自分が正常だと言い切れるほどの自信はありませんし、とりあえず人畜無害だとは思っていますが・・・。
私は天理教の中で、苦しみ悩んでいる人達が考えるための材料になればと思い、自分の知識や体験といった情報をこの場に書くことにしました。それで「こんな見方、考え方もありますよ」くらいの気持ちで「参考意見」というHNを選びました。
しかし書いてきた中には、中二病のオタクの妄言と言われても仕方ないようなものもあったりして、むしろ「参考にすべきではない意見」だったのかもしれない。私のHNをもじったらしいHNが使われるのも、そうした指摘のような気もします。
「参考意見」なんて大層なHNを不快に感じる人もいるかもしれませんが、少しでも共感してくれる人がいるうちは、このHNを使わせてもらいたいと思います。いずれ時が来たら、うちの会長さんにも全部読んでもらうつもりなので。
うちの会長さんは今月26日も夫婦で帰参していました。末端なので本部まで金を運ぶ用も無いはずなのですが。よほど神事を抜かすことに恐怖を感じるのか。自分たちには神様がついている。疑えば神が退くと思うのでしょうが、自分がウイルスを運ぶことになるかもしれないとは、どうしても考えることができないみたいです。
感染の状況を報告する記者会見を追いかけて視聴しています。
感染してしまった人々の感染経路やどういう立場の方か、挙句は年齢性別すらも個人情報として、
開示を拒む方々が多いため、明かされる情報は少ないのが現状です。
感染すると差別を受けるという現状があるそうで、いくつかの意味あいから、残念に思います。
さて、以前からTwitterで天理教内のコロナ関連の情報を共有しようと呼びかけている人もいます。
実際のところ、感染した方々がどのような信仰を持っていようがいまいが、情報的価値はありません。
その上で個人的には、天理教教会関係者で教会実務の中で感染した方がおられるのか否か、
どなたかがカウントしているのか興味はあります。
もしかすると私自身、参拝の途中で感染したかもしれないなどと感じる事が有っても、多分、正直に告げる事はしないかもしれません。いや、ウソはダメだから正直に詳細を話してしまうか?
そうなったら教会の神床だって防護服に身を包んだ方々が消毒して回りますよね。
最悪のケースでは鏡の表面にだってウイルスが付着しているかも・・・。
この様な時にでも、私は普段からの捉え方が「不届き者」なので、心は平らです。
何故かと言えば、鏡は「物」でしかない、人間が工業技術をもって製造した物です。
お金を払って入手できる物であり、神様の体ではないのですから、消毒OKです。
この様に考えるうちに気が付きました。天理教には「聖なる遺物」が無いことに。
教祖が作った「ぬいぐるみ」位ですか、残されているものは。
それとても厳密な意味の「聖なる遺物」ではないような気がします。
教祖と「おやがみ」の関係性にまつわる遺物が無い事の不思議に今、気が付きました。
しいて言えば教祖が身投げしようとした鏡池が「聖跡」でした。
その重要性を無視して埋め立てた本部の考え方は、どう考えても納得できません。
今更言っても始まらないのですが、誰の発案で、誰が同意した事なのか、
天理教の歴史にきちんと記録を残しているのでしょうか。
教えとして聞かされてきた幾つもの話が、教祖以降の「人間思案の結果」の
話(つまり教理とは言えない)かもしれないという、だんだん明らかになり、
何となくうさん臭さも漂い始めた現行教団と権力者たち。
このままでは新型コロナを切っ掛けに、世界中の人々がこれまでの生き方に
自分なりの疑問を持ち始め、心や考えを再検討し始めている状況の中で、
既成宗教が更なる衰退を加速することは容易に想像できると思いませんか?
どなたかがご指摘のように、法王は一人で特別の祈りを捧げました。
その姿を映像を通じて見た人は、感動したのではないでしょうか。
真摯な姿、欲にまみれていない清浄な空気感を纏っていたと見えたのです。
寡聞にして無知な私ですので、断定できる学識根拠は持ち合わせていません。
誤りもあると思っていますので、その点、お許し下さい。
外出自粛の中、降りしきる雪も昼頃にはピタッとやみました。
暇に任せての繰り言と読み捨てて頂ければ幸いです。ファンキーー!
中山教の人間が天理教の話しに反論を書く必要性は本当は無いのにどうしても反論してしまうのは相当資金繰りが厳しいのでしょうね。精神的にも経済的にも疲弊困窮し始めてるのでしょう。
匿名 様
2020年3月29日 4:09 PM
>>しいて言えば教祖が身投げしようとした鏡池が「聖跡」でした。
その重要性を無視して埋め立てた本部の考え方は、どう考えても納得できません。
今更言っても始まらないのですが、誰の発案で、誰が同意した事なのか、
天理教の歴史にきちんと記録を残しているのでしょうか。<<
三島神社移転の経緯については、早川和廣 著 「天理教・その堕落と悲劇」(株)あっぷる出版社発行という書籍の中で詳しく書かれておりますが、掲載内容の要約をこの掲示板に掲載すれば、誤解を生じてはいけませんので差し控えます。当該書籍は既に絶版となっており、一般の書店で購入はできません。私はアマゾンで中古本を購入しましたが、アマゾンの在庫も少なくなってきているようです。出版時の販売価格は1冊1,000円でしたが、現在、アマゾンの中古本の価格で、1冊7,000円から8,000円程度の値段がついています。どうしても手に入らない場合は、国立国会図書館(東京都)や国立国会図書館関西舘(京都府)でも貸し出しや閲覧は可能だと思いますので、図書館に問い合わせてみられたらよいと思います。
匿名
2020年3月29日 4:09 PM
かがみ池の埋め立てはやかた構想予定地の内側なので二代真柱の中山正善の考えでしょう。埋めた以降天理教の没落が始まったのでしょう。神仏や先祖を尊む気持ちがなく祟られましたのが現在の教団、各教会そして中山家でしょう。
先祖を一番粗末にしているのが、現中山一家、一族です。
初代の元一日を忘れるな、と言い、会ったこともない初代会長の苦労を知ってそれを真似ろと本部中枢は言いますが、本部中枢こそ、中山みきと言う元一日を忘れてしまっています。
中山一族はみき様の元を知る努力をするどころか、隠すべきは隠し、利用するべきは利用し、全てはお金の為に改ざんに改ざんを重ね、元の姿は何処へやら?に成っています。
元々金貸し、質屋をしていた非道な中山の創作天理教で神など宿っているとは思えません。
匿名
2020年3月29日 11:25 PM
現在の中山家が何故皆さんの目に滑稽に見える原因がそれですよね。教祖中山みきに不敬気周り無い子孫たち人に教示すること無し自らが享受すべき
天啓前の教祖が他人の病気平癒を願った三島神社だって「聖跡」でしょうし、八島教には異論百出だが、櫟本保存会はGJだと思うね。
教祖の面影を消しても天理教本部が存続できると思うなら、中山家ご一統様方は慢心の極致にいるのだね。
ホント世界大変を招いているのは、中山教本部そのものではないか?とさえ思ってしまう。
コロナ滞在施設について。
現在増え続けている軽症者の自宅隔離は実質的、現実的に非常に難しいそうです。
天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。
各自治体は一時滞在施設として利用できる施設を探していると言う事です。
感染爆発前の切迫した問題だそうです。
本部はお金以外に興味が無い。それは分かっていますが、汚名挽回には確実になりますし、誠真実の発表の場だと思います、、。
志村けんさんが死去、新型コロナ感染で肺炎
https://www.sankei.com/life/news/200330/lif2003300017-n1.html
昭和の伝説的音楽・コントグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍した人気コメディアン、志村けん(しむら・けん、本名・康徳=やすのり)さんが29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。70歳。通夜、葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れの会の開催を検討している。
事務所によると、志村さんは今月17日に倦怠感の症状があり、自宅静養を開始。20日に東京都内の病院に搬送され、重度の肺炎との診察を受けて入院した。23日に新型コロナの検査で陽性が判明していた。
昭和25年、現在の東京都東村山市の生まれ。自身のエッセー「変なおじさん」などによると、柔道の有段者で厳格な教師だった父が、喜劇中継を見て笑っていたことに衝撃を受け、お笑いの仕事に憧れを持つようになったという。高校卒業直前にドリフターズの付き人として、故いかりや長介さんに弟子入り。昭和49年、ドリフを脱退した故荒井注さんに代わって正式メンバーとなり、ギターを担当した。
グループ加入後2年ほどはギャグに恵まれない時期もあったが、TBS系のコント番組「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」コーナーで東村山音頭を披露したことが転機となり、一躍人気者に。童謡「七つの子」の替え唄「カラスの勝手でしょ」、加藤茶さん(77)とのヒゲダンスなどで番組の人気を支えた。
同番組終了後はフジテレビ系「志村けんのだいじょうぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」などで変なおじさん、だっふんだ、アイーンなど幅広い世代に親しまれるギャグを生んだ。
多くのレギュラー番組を抱える一方、平成18年からは、バカ殿様が城の者たちとさまざまなコントを繰り広げる舞台「志村魂」を旗揚げ。ライフワークとして毎年公演を続け、コントを考える作家、演出家、演者として独自の笑いを極めた。
今年は、30日に放送開始した「エール」でNHKの朝の連続テレビ小説への初出演など、芸能生活50周年に向けて新たな挑戦に乗り出した矢先だった。
匿名 様
2020年3月30日 9:33 AM
>>天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。<<
私もそう思います。医療施設として転用するには医療器具や隔離機能の問題、患者の輸送の問題等、いろいろと解決しなければならないことが多いと思いますが・・・
志村けんさんと言う国の宝を失い国民全体が考え直すべきときが来ました。教団、中山教の人はこれを「志村けんの悪しき因縁だから!」と言い切るのでしょうか?それは明らかにおかしい。それが中山教の論理なら「真柱の頭の病気も悪しき因縁」も認めることになる。世の中論理ではない!と言うならすべての学問はウソに成ります。つまり学校機関も医療機関もやる資格はございません。と道理に反した発言を中山教がどれだけしているか理解できませんかね?
中山教も、コロナで善司、善亮、大亮、のぶえ など一人ぐらい神に命を取られないと気がつかないのでしょうか?それで良いのでしょうか? 甘露台が倒れた時寂しいと公言したのは誰でした?起こってからはでは遅い事は有るのです。全国から直属教会長を全国から呼び寄せた時点で感染拡大を助長したのは明らかです。直接的因果関係は無い。ともいえますし、実は因果関係があるとも言える状態なのです。何故なら、未だにコロナウイルスの明確な検査が出来ないからです。真偽性があやふやの状態なので分からないだろうと感染拡大の手助けはしてはいけません。
国の宝を失った時その国の国民の団結力は一気に上がります。風紀風潮も変わります。独自路線を進み続ける宗教団体なら世間から叩かれる日も遠くはなくなります。
>>天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。<<
天理教は病人を漁って信者を獲得して教勢を拡大してきた歴史があります。格好の狩場にされないかと不安ですが。
本部中山一族、大教会長へ直訴します。
コロナの蔓延で教会月次祭に信者の参拝禁止を言わざるを得なくなって来ました。
現状お供え金が上がりません。お供え金から支払っていた上級への上納金、各種支払金、支部支払金、、。払えません。
せめて少年の居ない教会の少年会費、青年の居ない教会の青年会費。免除してもらえませんか?
会計が苦しいのはにおいがけ、おたすけが足らんのだ、と散々言われて来ましたが、コロナでもそれを言いますか?現状、そうじゃないでしょ?
多くの教会は皆働きに出て自分達の生活資金は自前で捻出していますよ。ご心配無く。あなた達の様に人のお金で乞食はしていません。
前代未聞の事態が起きているのです。
上級上納金は免除でお願いします。
本部巡教は今年は中止して下さい。まったく無意味な巡教で貧乏教会に無心に来る恥ずべき行為。
世間では飲食業も、旅行業も、小売業も、あらゆる職種で停滞が始まっています。教会だって同じです。皆苦しんでいます。本部、大教会だけ安泰と言うことはありませんよ。本部、大教会は今までと同じ形態で素知らぬ顔で集金活動をしようとはゆめゆめ思わないで下さいよ。
匿名
2020年3月30日 8:33 PM
上記匿名様、心より同意いたします。
匿名 様(2020年3月30日 8:33 PM)
水増しの教勢数は外に向けての為だけではなく、集金のための水増しでもあったのですね。
幽霊会員の会費を平気な顔で受け取る上級教会には
きっぱりと「御供えが集まりません。」と仰ってください。
・・・・それがなかなか言えないんですよね。
一信者の私も教会長夫人向けの雑誌を毎号買わされています。
幽霊分教会が何件もある都内の大教会でのことです。
50分教会という条件を満たしていない大教会を見逃したままの本部の考えは
何なのでしょうね。
少子化と高齢化による人口減少は逃れようのない現実なのにもかかわらず、
思考が固まったまま「おつくしはいのちのつなぎ」と繰り返すだけの無策ぶり。
現在の新型コロナ蔓延の中で上記の匿名様のように苦しむ教会信者に対して、
本部は一度くらい「親らしい心」をかけることができるかどうか、じっくりと
拝見しましょう。
本部の人手が足りないと方々から声が聞こえてきます。
中山家ご一統様は自分の部屋くらい自分で掃除しなさい。
大亮さんのTwitterで彼の部屋の掃除を人任せにしていることがばれましたよね。
大亮夫人は自分の家庭の食事の支度を人任せにしていませんか?
今の時代、旦那が炊事をすることは珍しくない世の中ですから夫婦でしっかり
家事分担できるでしょう。
王侯貴族のつもりで暮らしていては人間が腐り切りますよ。
せめて修養科生並みの気持ちで毎日を送ってください。
何も苦労無しでは単なる「若造」から脱皮はできないからです。
今のままでは仮に真柱職についたとしても信者からはそっぽを向かれますよ。
衰退は必至の天理教ですが、衰退する経過の中でも責任は果たしてください。
感謝 慎み たすけあい。
教えが生きていたのは末端だけで、トップに近づくほど嘘とツイショウの集金教だったという事ですか?
本当にその通りですね。もうバカ殿様はやめましょう。(志村けんさんのご冥福を心よりお祈りします、、。)
教会関係者の苦しみを知らぬ存ぜぬでは無責任すぎるでしょう。一般社会では社員有っての会社です。
本部が成り立っているのは、教会、信者有っての事でしょう。全国の教会が潰れ、信者にそっぽを向かれたら、必然的に本部は潰れる。分かりきった事でしょう。
教会関係者は今多くが働いています。だからある程度自立に向けて体力をつけています。本部関係者はどうですか?信者のお金でボーナスまで貰ってのうのうと生きている。緊急事態に遭遇したなら自力で生きる術も知恵もないでしょう。神の目から見ても「人として残念な生きざま」と映っている筈です。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と、祖母に繰り返し聞かされ育ちましたが、この言葉を彼らに贈りたいですね。中身がすっからかんでふんぞり返るお殿様は煮ても焼いてもいただけません。尊敬もできません。
本部は全国の困窮教会に寄り添い、自分達が今有る命の恩人と言うべき16000箇所の教会の汗と涙に感謝の頭を垂れるべきですね。
正に衰退する経過の中ですが、最後の締めくくりの責任を果たしてください。
末端教会の窮状を知らない教団本部が、親・親・親・・・と言わないで。何しろ、出す一方で親らしいことをしてもらったことは一度もないんですから。
所属教会に三代さんのお入り込みがあった時も、役員に記念の猪口各一個と色紙への揮毫があったが、御礼は如何ほどだったのか。
今は亡き会長さんは当時、準備段階から帰られるまでの間、ピリピリしていて見るも気の毒だったことを覚えています。
イエスも釈迦も教えを説いたのですが、〇〇教という組織は造りませんでした。
私はそれでよかったのではないかと思います。開祖たる人が言った言葉は真理であっても、組織化の欺瞞(ぎまん)に汚されて伝えられていきます。
私個人としては、初代真柱は認めますが、2代目以降は認められません。(おまえごときに認められなくても、どぉってことないワ、と言われることでしょうが・・・)もちろん、本部員も大教会長も認めていません。
で、本席ですが、眞柱が2代目3代目と繋がれていったのなら、本席も2代目3代目とつながれていくべきではなかったかと思います。そうならなかったのは、本席職は、天啓を受けた人によって継がれるべきだったからでしょうか。
天啓を受けたという人が現れても、それが本物かどうか見分けることができないので、そのような人をそうそう信頼することはできない。それより、<血筋>の方が、ハッキリしていて解りやすいので、<血>の方を信頼したのでしょう。
なるほど、<血>は解りやすいかもしれません。しかし、人間っぽい。私はそれは人間同士のつながりを言ってるだけで、おやさまが神に近い人であったにせよ、その子や孫も神に近いとは思えません。
それに対して、<天啓者>は半神半人のようです。そういう人たちはまた、人を救うために日夜激しい修行を行わされているようです。当然の流れとして、<血統>を重んじるだけの人達とは確執が生じてしまいます。
ツイッターより。
>>私は天理教(分教会)の者です。
本部の月次祭、行事が縮小、中止されたのは分かりました。しかし、
未だに分教会の月次祭については
何も通達はないのですか?
本部からはっきりと活動自粛の指示をしてください。地方には
普通に大勢参拝してる教会ありますよ<<
私も本部が何のアナウンスもしない、全く動く様子が無い事にイライラがつのっている者の1人です。
4月の月次祭は、独断ですが信者さんの参加を断りました。教会家族のみで執り行う事を了承してもらいました。それにしても本部は何をしているのか?人の命を何ととらえているのか?
本部は天理教と言う看板を背負っている各教会に対し、元締めとしての責任感と言うものは無いようですね。もう本部などを相手にせず、自分の頭で考え、足並みは揃わなくてもそれぞれが最善と思える行動をするしかないと言う事ですね。いや、むしろ今後は本部や大教会にお伺いを立てる必要などないと言う事を今回の事で学習しました。
お供えも動員も律儀にする事は無用です。皆自教会を優先し、自教会の為に働きましょう。
本部は本当に責任感の無い頼りにならない人達ばかりだ!単なる飾りか?
大阪教区はひのきしんデー中止を発表しました。本部はこの件に何も対応しません。次元は違いますが、大阪府と政府みたいな気がします。
真柱と天啓者が仲良くすればいいだけの事なんですが、中山家の方で嫌ったんでしょうね。
もっと言えば真柱に世界一列をタスケル気などなく、中山教の繁栄の為に世界から集金したかったんでしょう。
最も進化した魂達が最も成人した旬刻限に、それらの身体を借りて全知全能の親が天下ったという文脈からすれば、中山家には進化した魂達が生まれ変わっても、成人が足りないから天啓者にならず、よって世界人類をタスケル能力が発現しない。という事なのかもしれない。
けれども、最後の教えの道は先になっても必ず成り立つのだとすれば、中山教本部の権威が失墜した昨今、やっぱり天啓者達が出現する未来は近いのかもしれない。
以前にも投稿したことがありますが、天理教を牛耳りたい中山家一族にとって、天啓者は邪魔なのです。その天啓が絶対になってしまい、思うように牛耳れなくなります。そのことが過去に異端として追放した一番の理由でしょう。その当時から真の天啓者なのかどうかが見極められなかったことも要因の一つでしょう。ところで、私も思っていましたが、本部は全国ひのきしんデーや地方の教会の祭事、行事等についても一切何の発信もしていません。別に地方の状況はちがいますが、何らかの基本方針を発表してもいいと思います。本部には何のために真柱、表統領、内統領がいるのでしょうか?地方の教会に対してお供え不足の補填の責任などを取りたくないのでしょう。各教会が自己責任つとめなさいとでも言いたいのでしょうか?この全世界の一大事で本部の無責任体質があからさまになったように思います。
このままいけば、中山善司、中田善亮、宮森与一郎はじめ教団中枢みな逮捕やな笑
外出禁止令の中で礼拝続けた牧師、警察が逮捕 米フロリダ州
https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35151603.html
「レンタル料を払え」と言って、世のヒンシュクを買われた方々へ、
「レンタル料」を請求するのなら、(身体が)故障した時、ちゃんと修理して治して下され。
今みたいに、新型コロナウィルスで苦しんでいる人々を、一刻も早く治してくだされ。
人の身体をちゃんと管理していることを、また管理できることを世に示した後で、金を請求してくだされ。
…………………………………………………………………………………………..
匿名
2020年3月31日 10:55 PM また、3月31日 11:26 PM
お二方のレス、ありがとうございました。私はうまく書けませんでしたが、よきお答えを感謝いたします。
ぶたまん様。笑ってしまいましたが、誠に的を得たコメントと拝察致しました。
善亮表頭領さん、
レンタル料を請求するなら、故障が起きたら修理して治してくだされ。人間の身体をちゃんと管理している事を世に示してから請求してくだされ。正論です。
兄の善司さんが故障したままは、レンタル料の請求を踏み倒しているからですかね?治りたかったら即刻しっかりレンタル料払ったらどうですか?懐に入れる方が多いのでしょうか。
弟の善亮が命とレンタル料の関係が真実として信者に語るのだから、善司さんも身上を受けて躊躇無くレンタル料を払っているはずです。しかし神が善司さんを治せないのはそこに「お金は神の働きに関係性が無い」、と言う証明です。天理教本部は命の修理が出来ない証明をトップ善司さんを通して世に証明しているじゃありませんか。この事実を棚に上げて今後何が言えると言うのですか?
中山の人間が金を取っているだけで、、。元締めの中山の人間は単なる世間並み以下の人間なので。当然命の保障と言う対価は出せない、と言う真実です。
命の繋ぎはお金。これは善亮の金儲けの為の口先三寸に過ぎなかった。故障したままの兄が証明してますやん。
匿名 様
ありがとうございます。
天理教は無力ですね。何かにつけて無力、無関心。
「これで♪金もって来い♪、か。天理さん、ええ商売しとるでぇ~」って、言われますよ。
青年会では、ビデオレターを作成して、教祖御誕生祭にお供えするそうです。募集した動画を編集するそうです。
別に動画にしなくても、心を受け取ってくれると思われるのですが、なんでもありなんですかね?
コロナが終息するまで、毎日お願いづとめをするのが中山家と本部員達
つとめ人衆のまさに「つとめ」なのではありませんか?
世界たすけを標榜する天理教がこういうときに一番大切なことができずにどうするというのですか。
全くその通りです。コロナ終息への本部のお願い勤めは確か、たったの一回だけですよね。
地球規模の災難に遭遇している今こそ髪を振り乱してでも一心不乱にお願い勤めをするのが世界助けを標榜する本部の為すべき事ではないのだろうか。
なのにたったの一回だけとは。これが子供に見せる親の姿かと全く情けなく思います。各教会、信者は国々所々で祈れ言うが、その前に自分達こそ普段のお勤め以外に世界助けのお願い勤めを毎日するべきです。それこそが本部の仕事でしょう。
金集めにだけご執心だから本来為すべき事がわからないのでしょうが、今後の本部の振る舞いをじっと見ていようと思います。
上の匿名様の言われる通りです。おやさまは今コロナの終息を、必死に願われていると思います。どうか、おやさまに心を添えるように、添い願いという形でもいいですので、しかし真剣に、おつとめをしていただきたいです。ナマイキなことを言ってすみません。
匿名さん
2020年4月1日 10:17 AM
>元締めの中山の人間は単なる世間並み以下の人間なので。
これは言い過ぎです。
「元締めの中山の人間は人間以下の動物なので。」
が正しいでしょう。
初コメ失礼します。
私の祖母は熱心な信者さんです、私が悩んでいるとお参りしなさいと何度も教会へ連れて行ってくれます。
私は精神を病みやすく、仕事を続けられないのですが、今度仕事をやめたら3ヶ月修養科へ行きなさいと言われました。
祖母は好きですが、天理教については正直なところ長い間不信感を持っています。それを伝えても、疑うな、ただ信じなさい、みたいな感じのことを言われます。
修養科とはどんな感じなんでしょうか?絶対に行きたくないです。拙い文章で失礼しました。
私が修養科に行っていた時、精神を病んでいた教会後継者の奥さんが来ていました。
教会長である夫君の両親が、精神を病むのは精神力の問題だ、朝が起きれないのは気持ちの持ち方だと言って彼女は叱咤され続けて来たと。素人は鬱の苦しみを知らないから。
詰め所の教養係も朝起きれないと言うと、それは気持ちの持ち方だと同じ様に責めたそうです。つまり、彼らは教養がないので、鬱とか精神的病に対する知識も素養も無いので神にもたれて頑張れ、なんとかなると神様、神様の連呼だけで攻めてきます。
修養科なんかに行ったら、益々苦しむ事になると思います。近くの詰所から通っていた精神を病む別の女性は3ヶ月間終了するまで、回復した兆候は見えず、ずっと詰所に引きこもっていましたね。たまに会う時でも陰気で辛そうで今にも泣きそうな顔をしておられて、苦悶の表情は最後まで変わりませんでした。よほど詰所で叱咤激励され、追い詰められたのでしょう。
心の病は 精神論では治癒しません。神様任せでも治りません。当然お供え金でも治りません。きちんとした専門医師、カウンセラー等の指導を受けるが正解だと思います。
おばあ様は盲信状態とお見受けします。修養科を誇大評価するのは逆効果を生む事もあり、危険です。1にも2にも天理教に近ずかない事をお勧めします。
私は内頭領は信じています。しかし、牛統領室長の西浦ホモ野郎はくそ善亮と共に断罪すべきくそ人間と心得ています。
修養科について教えて下さり、ありがとうございます。また、心の病について、一度専門医に相談してみたいと思います。
最近、祖母はますます傾倒していっているように思います。こちらの皆様のコメントを見ていると危険に思います、コロナも金銭面的にもとても心配です。
ここはとても勉強になります。周りの方は天理教に肯定的な方ばかりですので、知らないことや疑問に思っていたことが解消されました。ありがとうございます。
2020年4月2日 1:06 AM たこ野郎さま
>私は内頭領は信じています。
>しかし、牛統領室長の西浦ホモ野郎はくそ善亮と共に断罪すべきくそ人間と心得ています。
内統領 宮森与一郎も悪の枢軸中山一門ですよ。
ホモやゲイなのかは分かりませんが、「くそ」の一員に変わりはありません。
前の表統領が在任時にも仲田氏を表統領に推すブレーンがあり、真柱が「まだはやい」と言って先延ばしにしましたが、やはり二度目は押し切られたようです。
「命の繋ぎが御供金」「ハニートラップ問題」「意に沿わない集会議員は任命しない」等を考えても傍若無人な氏の振る舞いは許されるものではありませんネ!
匿名
2020年4月2日 8:45 AM様
おせっかいですが同じ病を持つものとして経験談です
教会や修養科ではよくならないです
専門医にかかるのがまず先決ですが食事も見直してみてはいかがでしょう
ごはんや麺類せんべいスイーツなどを減らして動物性たんぱく質を増やせばかなり症状は改善されると思います
炭水化物を食べて血糖値が爆上がりしその後下がる、これが不定愁訴の大きな原因と唱える医師もいます
天理教もがっつり調査し、世間に周知していただきたいですな。
もちろん遠い過去にもさかのぼって。
聖職者の性的虐待16件 日本カトリック教会調査
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00000196-kyodonews-soci
日本カトリック司教協議会(東京)が国内のカトリック聖職者による未成年者への性的虐待の実態を調査し、16件の被害の訴えがあったことが2日、教会関係者への取材で分かった。被害があったとされる時期は1950年代から2010年代。これまで世界の教会で性的虐待が問題化し、日本でも一部被害が明らかになっていたが、調査では加害者らが適切に処分されなかったケースも判明した。問題の対応に長年消極的だった教会の責任が問われそうだ。
司教協議会は昨年5月以降、全国の16教区や各地の修道会などに、被害があった時期を制限せずに実態を報告するよう要請、調査を進めてきた。
天理教は、二代真柱が性的異常者の顔を持っていましたからもっと世間に周知すべきです。真柱に夜のお供えとして犠牲にされた数多くの歳若い女性達の精神的被害はいかばかりかと思います。
お松め松のへだてなしと言われた教祖の言葉はどこへ。真柱が何の疑問も良心の苛責も無く行った行動は、激しく責められるべきです。うら若き女性達は一段低い「物」として男性、真柱の欲望の玩具にされていたわけです。
こう言う事実を伏せて天理教が今現在何を言おうが、気持ち悪いだけで、そもそもアウトなのです。
メッキはメッキで巨大伽藍、巨大神殿を建てて幾重の錦をまとっているがに見えても、芯たる核が悪なら、メッキはいつしかはげて偽物が露呈するのはいずれ時間が答えを出してきます。歳が流れ近年の天理教の廃れた形相は本質が悪だからどうする事も出来ない。本部中枢は悪あがきをせず、素直に天の理に頭を垂れるべきです。
他人のみた夢の話を聞くのはホントにつまらないことですが。。。
実は昨晩、ダイスケさんが自分の子供を膝にだいて劇場の椅子に腰かけている夢を見ました。
私は通路を挟んで一人ですぐそばに腰かけているのです。
ダイスケさんはすぐに立ち上がり通路をおどけた姿で前方へ移動していくのです。
知り合いでもない人の夢を見るなんて不思議です。
ダイスケさんは自分の子供と一言話していました。
子供はしっかりた受け答えをしていました。
何故、このような夢を見なくてはいけないのかと気が重くなります。
天理教が現在進行形で衰退している現在、あの、おどけた姿を見せながら、
着席の人々の間を通路を進んでいく、これは衰退劇を暗示しているのでしょうか。
何やら予言めいた夢でした。
健康長寿安全繁栄のご守護をいただくのも、その反対も心の道の反映なのだから、よき雛形が無ければ宗教指導者としては失格ですね。中山教の中枢の方々の寿命等も調べてみたいものです。
天理教は速やかに詰所を人助けの為に差し出すべきです。感染拡大が進む中、各地で病床が足りなくなるのは必死です。詰所の病院化か或いは自宅待機者の隔離場所として有効活用出来ればこれこそ人助け教団としての崇高な振る舞いでしょう。あのアパホテルも収益減と風評リスクを理解した上で私より公益の為に供与するのです。公益宗教法人が公益の為に供与出来ない訳がないです。
行政からの供与申し出に拒否の意志を示さんばかりの、このタイミングで先手を打つような時報紙面。詰所の信仰道場としての意義等を語っています。だいたい道場と言うが、修養科生は毎期0人か1人か2人。前代未聞の大混乱に捨て身で施設提供こそ教団が出来る人助けだと思います。信仰道場だと言うが、現在どれだけ有効活用が出来ているかは周知の批判の通りです。
信仰道場としての詰所の存在意義にあれこれ理由付けしても、ここまで廃れてしまっては詰所をあれこれ語っても、もう終わった感があります。私も散々詰所建築資金のお供えを出しましたがこんなさびれた姿になってしまったとは残念な結末です。
なんとか世の中の為に有効活用されないかと思うのですが、、。
ユスリタカリの唐人達に利用された、本多、吉田、朝日新聞の記者達をはじめとする侮日史観の偽善売国奴達の創作である、日本軍による南京大虐殺や慰安婦の徴用などのの歴史検証本を客室などに置いた愛国者達の経営するアパホテルですか。
詰所だとトイレ食堂など水場が共用なので感染症患者の隔離には向きませんが、何かお役に立てなければ宝の持ち腐れのようでもったいないですね。
テレワーク、PC授業さえ可能な時代にそんな箱物群がどの程度有用か考えなかったのかな?人数や利用頻度に合わせた箱物をよく考えないと、維持にさえ信者の皆さんに負担がかかるんだよね。
阪神淡路大震災の時、被災された人達を詰所で受け入れる話が出ました。各寮区毎に詰所主任か、専任の勤務者が出席して話し合いがもたれました。うちは主任も夫も留守の為に私が出たのですが、短期間では済まない、長期に及ぶ可能性がある、費用はどうなるのか、経験のない事で、皆さんからの積極的な意見はあまり出ませんでした。その中で専任の人について来た婦人が強い口調で言われたのです。「どんな人が来るか分からない、それこそ✖️✖️や✖️✖️なんかが、、、、」という信仰者とは思えない言葉が出ました。驚きだけでしたが他の大人しい男性方はシュンとしてしまい発言無し。あの選民主義の差別者はいったい誰?後で知ったのは、東京の大教会、有名な柏木さんの娘さんでした。喉の手術をしていたようで凄いしゃがれ声でした。出ない声を絞り出しての熱弁でした。例え一家族でも、ホームレスの人でもお世話させて貰えたらと、思っていたのですが結局は受入依頼無し。国、自治体としても宗教団体と絡むのには躊躇するかも。
なさけないどのよに思案したとてもひとをたすけるこころないので
なんのための天理教なのか?
なのための信仰なのか?
信仰ビジネスのため?
新型コロナウイルスの感染拡大による医療崩壊を防ぐため、大阪府は無症状や軽症の患者を療養させる施設となるホテルの募集を始めました。
【大阪府 吉村洋文知事】
「無症状の方、軽症者の方は宿泊施設での療養を進めていきたいと思います」
無症状の患者などを療養させる宿泊施設として大阪府は100室以上の規模を持ち1棟単位で貸し出すことを条件としています。
ホテルには看護師と保健師が常駐し、ホテル側の従業員も運営にかかわるということです。
募集する期間は7日までで、早ければ来週にも運用を始めたいとしています。
大阪府では3日、1日あたりでは最多となる35人の感染が確認されていて、そのうち23人の感染経路がわかっていません。
大阪府で感染が確認されたのはこれで346人となりました。
吉村洋文知事はこの週末も外出自粛を要請しています。
無名 2020年4月4日 9:40 AM
その中で婦人が強い口調で言われたのです。「どんな人が来るか分からない、それこそ✖️✖️や✖️✖️なんかが、、、、」という信仰者とは思えない言葉が出ました。柏木さんの娘さんでした。
あの方は、若いころからマニュキュアをし、チャラチャラしていたからねぇー。そんなものです。今や教内全体に、助けるなんて「かたち」だけです。そんな人たちが頂点にいるのですからね・・・・・。理想を彼らに求めるのはこちらの妄想です。
表統領様の自教会と部下はジリ貧だもんね。
でも神はどこまでも底抜けの人助けを望んでいるのですよね。
コロナ ふるいにかけられないようにしないとね。
衰退情報。
内統領の話から。
今回本部へ戻る教会は800箇所。
と言う事です。
800も無人教会が放置されていたとは。教会名称の理は末代、、、と言う話は嘘だったのですね。簡単に消滅!
その時々の事情で鉄則を変え、都合に合わせて物事を進めて行く天理教と言う組織。
人間の都合に神はご加護を与えない。
表統領の教会の名前を教えてください
被害者様
表統領 中田善亮(昭和37年3月5日生まれ)
本部直属 鮮京分教会長 です。
何も知らないのですが、鮮京分教会内に居住しているのでしょうかね?
天理市内に本宅のような所があるのでしょうか。
匿名(2020年4月4日 2:31 PM)様
800か所の整理ですか。
今のところ所属大教会の中の訳アリ分教会を本部へ返すとは
聞こえてこないのですが。
50分教会という要件をはるかに下回る分教会数の大教会ですから、
「お目こぼし」してもらうのかもしれません。
その方が本部へ納入する各上納金も減額にならず、本部も大教会も
ウインウインなのですね。
言うまでもないことですが、これを支える分教会や信者たちの苦労は
放置されたままです。
とっくに見限られている大教会です。ある人がこんなことを言っています。
「コロナで参拝者が無ければ拝殿は小さな子供たちの運動場だね。」
「うるさい信者の目も無くて、奥さん、のびのびしているんじゃない。」
「また子供ができたりして・・・。」
一桁間違っていませんか?
8000箇所ぐらいでも。
ありがとうございました。Googleマップで見てみたところ一応天理市内のようですね。教会本部までは車で5分らしいので居住されてるのでしょうか。それとも別にお屋敷があるのでしょうか。住所が公開されていたら恨みを持つ誰かに襲撃されるかもしれないですからね。
一桁間違っていませんか?
8000箇所ぐらいでも。<<
今回、無理矢理、布教所長を教会長にさせて潰れた教会を復興させる例を聞いています。こう言う無理矢理に復興させる例は他の大教会でも相当数あると思います。新規に教会長を送り込んで、頭数が減るのを食い止める算段です。信者の居ない教会に送り込まれて苦労するだけなのに、よく引き受けたもんです。泣き落としと想像しています。
所属の大教会でも教会長が居ないままで廃れた教会を5、6箇所抱えています。ですから50箇所と言う条件は昔から満たして居りません。高齢の引退教会長の名前で幽霊教会長を据え、書類上の体裁を整えて逃げ切るのかも知れません。神の眼には何の意味も為さない数と体裁にこだわる天理教です。所属大教会の抱える死んだ教会が書類上生き返るかどうか注意して観察していきたいと思います。
こう言う実態ですから殆ど活動していない不活動教会も含めると実際にはは16000箇所の半分以上、8000箇所、又はもしかしたらそれ以上あるかもしれません。
現実、信者は高齢者ばかり2、3人と言う所がざらです。
大阪教区がひのきしんデーを中止した判断は賢明でしょうね。
この時期に何処かで集団で集まる事さえ危ない訳ですから。行かない方がいいし集まらない方がいいですね。金だけ持って来いと言うのならそこはシカトで良いんじゃ無いですか?
自分でどうにかしろって。
大阪でコロナウィルス軽症者向けての収容施設を募集してますが、各部屋風呂とトイレが付帯設備条件ですが、多くの詰め所はこれにも当てはまらない為提供も出来ないですね。それでも東北大震災の時は提供も出来たので未だマシだったのか?
いずれにせよこの巨大施設群も問題有りですね。
尤もトイレが壊れた雨漏り等の修繕に関しては今に始まった事では無いですが。
新しく建設された詰所はいざ知らず、従来の詰所の構造はあくまでも健常者向けの物です。
上記の匿名様の投稿ご指摘の通りです、さらにはエレベーターもベッドのままの利用は不可能です。病院のような広さは確保されていません。
今になって思えば、よりによって使い勝手の悪い物建築物を大量に作ってしまったんです。
そもそも、新型コロナウイルスの出現を誰が予測したでしょう。
教団本部に問いたいのは、この事態をどのよう思案させて頂くのでしょうか。天理教義に照らした誰もが納得できる思案を開示する時でしょう。これが出来なければ宗教としては失格ですよ。
思案せよ。思案せよと、言われ続けた者の繰り言です。
各教会の月次祭を中止するよう本部がお達しをだしてほしい
年寄は神様のことは大丈夫と勝手な解釈をしている。
本部が禁止しないと年寄は理解できない。
教団本部の責任は重いと思います!
東京都内の新型コロナ関連110番…「公園で遊んでいる小学生がマスクをしていない」「花見をしている人がいる」
https://snjpn.net/archives/189285
と通報されるそうです。これはこの参事の中当然の通報だと思います。
教団も通報される日が来まし、内部から通報したらいいのです。いくら教団側が、日本国憲法第21条 (集会の自由・結社の自由・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密)を主張しようとも、それよりも重要なのは【 国家の最大の責務は国民の生命、財産、そして国益を守ること】 です。
自然権、幸福追求権 など国民に個人には宗教よりも尊い権利が与えられています。
国民、信者の生命なくして財産も守れず。まず政府も教団もその筋を間違えてるのです。つまり教団内部で言えば、理を履き違えていると言う事です。
各専門化や国民の声を無視しきれず政府はやっと思い腰を上げました。
さあ中山教団の判断を高みの見物でもさせてもらいましょう笑
>>年寄は神様のことは大丈夫と勝手な解釈をしている。<<
バリ天は、「神にもたれていれば大丈夫」などといって、
月次祭や教団内行事を最優先し、世間の職業をはじめ、経済的な事や医療的な事を軽視します。
以下の記事と同様に、天理教も、多くの住み込み人を抱えている大教会や教会は、
クラスター化するのも時間の問題かもしれません。他人事ではありません。
ユダヤ教「超正統派」居住区で感染拡大 集団礼拝やめず 大家族で“密集”し生活
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000039-mai-int
イスラエルのユダヤ教超正統派住民の居住区で、新型コロナウイルスの感染が深刻化している。礼拝を優先し、政府が呼びかける「不要不急の外出禁止」などの情報を信じない人が多いことなどが背景にある。今後、大規模な集団感染を引き起こす可能性もあり、イスラエルのメディアは、超正統派にとって第二次大戦中のナチス・ドイツによる「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)以降、最大の脅威」と警鐘を鳴らしている。
超正統派が集住する地域で深刻なのが、イスラエルの中心商業都市テルアビブに近い人口約20万人のブネイブラクだ。4月2日までに、人口約90万人の最大都市エルサレムとほぼ同じ900人以上が感染した。
イスラエルは建国時、国家統合のためユダヤ教の伝統を公的に守ることを約束し、超正統派に特別な地位を与えた。多くの男性が就労せずに宗教研究に没頭することを支援し、政府の補助金で生活する人も多い。出生率は6・0前後と高く、子だくさんの家族が2世代、3世代とアパートに「密集」して暮らすケースもあり、こうした生活環境も感染拡大の要因の一つとみられる。テレビやインターネットと距離を置き、政府や報道機関の情報よりも聖職者の言葉を信じる傾向もあり、政府がシナゴーグ(ユダヤ教会堂)での礼拝規制に踏み切った後も、超正統派居住区では礼拝が続けられていたという。
現地メディアによると、感染症の専門家は2日に国会で証言し、「ブネイブラクの潜在的感染者は、人口の約40%に上っている可能性がある」と指摘した。事実なら、現在判明している感染者の80倍以上に当たる。
教会本部が月次祭 の中止を発表しない限り、皆さん信者の方々が新型コロナウイルスにかかるリスクが上がり死亡する可能性も高まる。それに感染力が驚異的であるが故に教会がコロナクラスターになる可能性は十分に高い。
安心してください。コロナに感染したら、「本部が中止しなかったから!半強制的です!」と本部のせいにしてください。
イタリアも祈ってばかりで初動対応が遅れたが故に、、、バチカンの責任とは申しませんが。
本部は参拝禁止についてはなかなかはっきり言わず、この及び腰の姿勢は何にこだわっているのでしょう。本部聖域でさえも来れば感染すると言うこの現実。神も仏もご守護も無いと言う事です。科学の目で見れば信仰者も無神論者も感染は全く無差別、平等です。信仰の意味って何なのですか?本部が日頃から言ってる神にもたれてと騙されて来ましたが、現状では本部に神は居ませんね。神を慕って行っても結果、死に至るのですからね。お供えしても無駄、もたれていても駄目と言う事の証明が為されました。本部教理の裏ずけが全く怪しくなって来たと言う事実が突きつけられました。本部はおじばに神の働きが無いと言う現実に向き合う時、参拝禁止だなんて辻褄の合わない意味不明な指示は格好悪くて出来ないのでしょうね。
100歩譲って本部が我が子の安全を案じるなら天理時報と言う媒体で、はっきり禁止と言えばいい。遠慮せよとか控えよでは、長年神にもたれている人は遠慮も控えたりもしないと思う。
26日の参拝の件ですが、一般信者は、上殿して参拝はできないようです。昨日から、教祖伝の南側の回廊にそのような張り紙が張り出されています。
4月26日は私的な用で天理を空けますから、私は関心はないのでざっと目を通しただけですから、詳しいことはよく解りませんが、天理教本部も、各地の教会にそういった通達はしているのじゃないかと思います。
各地から集まって来た信者さんたちは、庭にずらっと並べられた、例の折り畳み式長イスベンチの上で、参拝されるんじゃないでしょうか。
そうそう、それから、お金の件もぬかりなく(笑)書かれていました。上殿するところに賽銭箱を設けている、とのことです。(確か、そう書かれていました)
26日のことではなく各地の教会の月次祭を禁止にしてほしい うちの馬鹿会長は日本が百万人感染しても一億からしたらたいしたことはないといった 本当にアホだ 年寄りの認識はこんなものです!
ぶたまん
2020年4月5日 8:15 PM
>>そうそう、それから、お金の件もぬかりなく(笑)書かれていました。上殿するところに賽銭箱を設けている、とのことです。(確か、そう書かれていました)<<
こと「お金」については抜け目がないのですね。信者の安全よりも一番大事なものは「お金」。教会本部の拝金主義は徹底しています。とても宗教と呼べるものではありません。
どう転んでもおカネが必要な組織と形体を作ってしまったんですね。
神殿、教組殿、親里館、学校、図書館、参考館、病院、諸々の付帯設備。それに荒れ放題の山林。更には其其の大教会群も規模こそ小さいが本部と同様。
教会一つを設立するにも、鳴り物一揃えだけでも数百万円は必要。御簾だって50万円は下らない。
これだけの物を維持管理しようと思えば、人助けどころか、金集めに必死になるのは当然。
見た目で人を引き付けようとしたんじゃないでしょうか。そのような気がしてなりません。
崩壊様 東風Z様
本部の方(かた)も、お金(お供え)に関しては書かれなかった方がよかったのではないかと思いました。
この張り紙では、「お金」が強調されてしまって、国難とも言えるこの病気が蔓延しようとしている中、まだ自分のことを心配しているという本質があらわになってしまいました。
ここは一つ、ソロバンを伏せて、誠真実で乗り切っていただきたいものです。
>>これだけの物を維持管理しようと思えば、人助けどころか、金集めに必死になるのは当然。
見た目で人を引き付けようとしたんじゃないでしょうか。そのような気がしてなりません。<<
おそらくそんなことでしょう。しかし、お金を搾取される信者はたまったものではありません。別にお金を教会本部に支払わなければならない義務が法律で決まっているわけでもないのに、「お供えノルマ」を苦にして自殺したり、強盗さえした末端分教会長がおられたのですから。本当に狂ったカルトとしか表現のしようがありません。
記憶が正しければ、他人を伝染病に感染させる行為は刑法上では傷害罪であり、死亡すれば傷害致死ということになると思います。
今の状況下で、本部が信者の本部参拝をハッキリと禁止せず、感染経路などから生じた被害に因果関係が認められれば、それは危険に対して認識ある過失による傷害罪が成立する可能性があると思います。
さらに賽銭箱を用意しているとなると、それは信者の参拝を期待しているということであり、感染の危険を容認したものとみなされれば、未必の故意による傷害罪も成立するかもしれません。可能ならば賽銭箱の写真など残しておくと良いかも。
尤も、本部がハッキリと参拝を禁止したとしても、危険に対し無知な信者や洗脳状態の信者たちは自己責任として参拝してしまうのでしょう。
ヤクザの抗争において組員が犯した殺人が、忠義ゆえの暴走ということでかたずけられ、組長が殺人教唆に問われることもない。そんな構図が頭に浮かんでしまいます。
要するに! 賽銭箱をそこに設置することを「恥」と感ぜず、
鈍い 鈍すぎる 「理解力」も「共感力」も持ちあわせず
既得権益にしがみつく
人の人生を踏み台にして生きている
・・・天理市民になっても意識は「村人」のまま
今や掃除されるのは天理教組織と中山家ご一統。
ようやく天理教の縛りから自由になれる旬が巡ってきました。
月次祭の賽銭箱を回収する作業は中山家の皆さんにやらせましょう。
だってファミリービジネスなんだから。
嫁も子供を背負って賽銭を数えるくらいは働けるでしょう。
本部作業担当の青年さんたちは当日感染を防ぐため自室にこもってください。
若い人も重症化しています。
詰所がクラスターともなりかねません。
理解力が無い人の許可などとらず、一言こう言いましょう。
「味覚障害が出ているような気がする。自主隔離に入るから、ひのきしん、できません。」
首相は明日にも緊急事態宣言を出す段取りにはいるとのことらしい。
少なくとも3週間、となれば月次祭はその期間内に入る。
さっ、中山家と親戚一同の皆さん、総出で月次祭をお勤めください。
一族総出で、準備から賽銭箱撤収まで、勇んでお勤めする姿を親神様に
ご覧いただこうではないか!
私ら信者はじっくり皆さん本部上層部と中山家と親戚縁者の誠真実を見極めるだけだ。
結局いまだに本部の姿勢は3月月次祭と変わっていない。
思考停止なのか。
思考能力がないのか。
直属教会長の参拝を求める意識が理解不能。
全国から人の移動を抑制することで爆発的感染を防ぐ必要があるのにもかかわらず!
天理市民への配慮が全く今もってないことに驚きを感じる。
天理市民の皆さん、天理市役所へ抗議の声を電話をかけてください。
天理教本部はいまだにこのようなコメントを本日掲載したのです。
問題意識のカケラも無い教団なのです。
教会本部 4月月次祭の参拝について
2020年04月06日 (月)
新型コロナウイルス感染拡大の状況に鑑み、教会本部の4月月次祭は、直属教会長、教区長のみの参拝で勤めます。
教会長はじめ、ようぼく・信者の皆様は、月次祭参拝をお控えいただき、各教会・布教所、自宅などから遥拝をお願いいたします。
立教183年4月6日
天理教教会本部
>>賽銭箱を用意しているとなると、それは信者の参拝を期待しているということであり、感染の危険を容認したものとみなされれば、未必の故意による傷害罪も成立するかもしれません。<<
徹底して信者を守る為、参拝を阻止する位の厳しくも徹底した親心が有れば、賽銭箱を置くと言う無意味な振る舞いが思い浮かぶはずが無いです。
上の匿名様がおっしゃる通り、賽銭を入れに来る人間を暗に期待している。来たければここに賽銭箱があるから宜しくね! そう言う心の裏返しです。無責任きまわりないです。
小汚い根性が、見え隠れして本当に気分が悪くなる。
過去近しい人の見聞から、のぶえがだんだん気位が高くなってるらしいが、賽銭くらい子供を背負って数えさせればいい。何様と思っているんだろうか。
無責任きまわりない 。は「極まりない」に訂正。日本語が怪しくなって来た、、
>>尤も、本部がハッキリと参拝を禁止したとしても、危険に対し無知な信者や洗脳状態の信者たちは自己責任として参拝してしまうのでしょう。<<
本部の「ねらい」はまさにそれなんです。本当に気分が悪くなります。いまいましい限りです。
昨日ひのきしんを決行した支部がある。静岡教区駿豆支部である。発熱していない、マスク着用する等の条件つきで決行したらしい。この状況でよくもやったもんだ。愛知県、大阪府は全支部中止なのに大丈夫か?いくら思考停止教団とはいえあまりにもお粗末である。29日にも別の場所でやるらしい。何とかしてくれ。
現在、発熱などの症状が無くても元気でも、ウイルス保有者はいるのです。
明日出される宣言は、強制力がないと言っても、頭の中に脳みそがある人ならば
どのようなふるまいをすればよいのかは判断できるはずです。
大動脈の新幹線は止まらないからといって新幹線に乗車してウイルスを座席に残して
京都で近鉄に乗り換え天理に到着すれば、その道中にもまき散らしているのです。
東京ではなかなかウイルス検査をしてもらえない現状があるので、皆がウイルス保有者
としての自覚を持つべきなのです。
中山さん、お宅の銀行通帳が残高ゼロとなったらネットで公表してください。
勿論、周辺の天理在住の貴族さんたちもです。
そしていよいよ不動産資産に手を付ける時かもしれませんね。
何しろ大学をはじめとした教師たちの雇用責任(給与支払い)を果たさなくては
いけません。勝手に減額するというようなことを平気でする教団です。
何なら労働組合を作って、しっかり閉鎖する時の手当てを要求しましょう。
中山家が貧に落ちきるには今が絶好のチャンスです。
そこから信者の信頼が回復するかも?
信者もそこまで甘くはないけれどね。
これまでの責任を果たす意味から是非とも貧に落ちきる姿を見せてほしいものです。
皆さまへ
申し訳ございません。教祖殿に張り出されていた張り紙の内容ですが、今日見たところ、<賽銭箱>という言葉は見当たりませんでした。賽銭箱ではなく、「お供え物」 となっておりました。お供え物は〇〇と△△で(←神殿内部の2か所で)、受け付けております、となっていました。もし、私の早トチリで天理教側の名誉を傷つけることがあったとしたら、ここにお詫び申し上げます。
教祖殿の張り紙が一般の信者に対しても向けられたものであれば、そしてお供え物の受け付け場所を指定しているのならば、信者の参拝を前提としているのであり、賽銭箱という形が無くても同じことだと思います。
>>教祖殿の張り紙が一般の信者に対しても向けられたものであれば、そしてお供え物の受け付け場所を指定しているのならば、信者の参拝を前提としているのであり、賽銭箱という形が無くても同じことだと思います。<<
その通りです。
お供え物の受け付け場所なんて、教会関係者に対して張り紙なんかで通達するようなこととは思えません。4月6日現在、天理教のホームページのお知らせに「信者の皆様は、月次祭参拝をお控えいただき」と一応のようにありますが、おそらくは信者の参拝はあるものと予想しているのではないでしょうか。しかし、大っぴらにホームページのお知らせでお供え物の受け付け場所を指示するのはマズイと考えたのか、張り紙という方法に落ち着いたのでは?
>>おそらくは信者の参拝はあるものと予想しているのではないでしょうか。しかし、大っぴらにホームページのお知らせでお供え物の受け付け場所を指示するのはマズイと考えたのか、張り紙という方法に落ち着いたのでは?<<
その通りだと思います。真面目な洗脳された信者の足元を見ているのです。騙されてはいけません。
レスをいただいた皆さま、ありがとうございます。
今日の張り紙の内容は、昨日の張り紙の内容を書き換えているかもしれません。
つまり、賽銭箱という単語は、昨日の張り紙にあったかもしれません。それに、信者さんは上殿できないと書かれていたと記憶しているのですが、今日の張り紙には書かれていませんでした。
ひょっとして、本部の人達はこのサイトを見て、張り紙を出したり、色々コロナ対策をしたりしているのかもしれませんね。
>>ひょっとして、本部の人達はこのサイトを見て、張り紙を出したり、色々コロナ対策をしたりしているのかもしれませんね。<<
コロナ対策をするのであれば、信者やその他感染の危険にさらされるかもしれない人達の安全を第一に考えてやってもらいたいものです。
親神の御守護を信じて一手一つに・・・。これって、完全な洗脳状態です。
いまだにこのような言葉が飛び交う大教会通信。一斉ひのきしん、おつとめ学び、一体何が言いたいのか。
自分のみが感染して重症化しようが、亡くなろうが自業自得だろうが、今回の新型コロナウイルスは周辺の見知らぬ人に簡単にうつす危険性を自覚してほしい。
天理教者は何故このような基本的なことが理解できないのか。信仰という一見は素晴らしく見える精神が公益に反していることが理解できていない幼稚さにあきれるばかりだ。
天理教者は何故このような基本的なことが理解できないのか。信仰という一見は素晴らしく見える精神が公益に反していることが理解できていない幼稚さにあきれるばかりだ。<<
いやはや本当に幼稚なんですね。どうして天理教教会関係者は、こんなに幼稚で知的レベルが低いのですかね。同じ系統の教会は近畿圏から来る部内教会長の月次祭参拝を止めようとはしません。お供え金を運ぶ要件があるから?自分はうつらないと思っていても、知らぬ間に移って人にうつす加害者になり得る意識がない。天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。
>>天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。<<
確かにその通りだと思います。染物も染料の中に浸かっている時間が長くなればなるほど脱色するのが困難になります。塩素系の漂白剤を使っても真っ白にすることは困難です。洗脳の恐さです。戦前の日本のように、教育勅語を幼少期から刷り込まれ、天皇陛下は神様(現人神)、天皇陛下の為に戦死することは名誉なことであり、戦死すれば靖国神社に軍神として祀ってもらえるという皇民化教育と全く同じです。世間の常識、人間としての常識を幼い頃から培い、誤った思想に染まらないようにすることがいかに大事なことであるかということが、過去の日本の歴史や世界の歴史を振り返ってみても分かります。
>>天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。<<
kasa.on さんの 午前11:24 · 2020年4月6日 ツイートより
@KasaArtWorks
天理教の信者さんが布教に家々を回っている…
確かに今は、家にいる人が多いかもしれません。
でも信者さん、あなたがもし保菌者だったら、
各家庭に菌を持ち込んでることになるんですよ。
本末転倒です。いますぐ止めてください
現行天理教は、自己の正しい歴史を追及する気持ちさえ持ち合わせていないんです。高野友治天理大学教授が著わされた「天理教史参考年表」という小冊子すら、二代さんだか、三代さんだか知らないが、まだ早いと言って、早々に引き上げさせたとか聞いています。
見ていて冊子のタイトルの通り、天理教史にとって非常に参考になるものと思っているんですが、道友社は何故販売を続けないのか訳が分かりません。
隅から隅まで読んでも、現行天理教にとってどの部分が都合が悪いのかさっぱりわかりません。
さては、屋敷の図に上田ナライトさんの屋敷図があるのが気に食わないのでしょうか。〇〇の勘繰りに過ぎないのかもしれませんが。
東風Z様
上田ナライトさんの豊田墓地でのお墓の場所を考えると、決してないがしろにされたのではないと思います。
政府がこの不十分の戦後制定されたままの現行憲法での緊急事態宣言が発令され内容には要請が多いわけですが、個人は合法か違法かと文面で裁かれるわけではなくそれより怖い社会制裁が待っています。都内などでは、マスク不着用や集会などでの警察への通報が増えています。看護師など医療関係者への無益な差別も横行しているようです。
天理教の月次祭への通報事例も出ています。本部の出している対策を打って行いくださいは通用しません。一切の集会の自粛がいまは必須です。国家の発令を無視するならそれは国家反逆罪に等しく、一般国民から反社会的行動をとる反社会組織と思われても当然と言う状況です。
社会学さんのコメントでも皆さんが注意喚起を促したのに一行に聞かない中山教団は相変わらずおろかな反社会勢力であることは変わらず自らそれを表明したと言うことでしょう。
またあたってほしくない「社会学のコメントの予言」となってしまいました。
今の状況下での天理教本部の姿勢に対する批判に対して、次のように意見する人もいるようです。
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c/status/1246815464468045826
これが教団擁護派の標準的な意識と解釈してよいのでしょうか?
URLでリンクできなかったので転載します。
>>各教会に丸投げというより、地域でもそれぞれ違うのだから、それぞれで判断すればいいのですよ。何を言ってるの?
逆に呆れる。こんな時でもなんでもかんでも批判のネタにしかできないの?
相当擦れてますね。<<
これが本部、あるいは教団擁護派の標準的な意識と解釈してよいのでしょうか?
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c/status/1246815464468045826
リンク先があったはずの場所にみつかりません。さすがにマズイと考えたのかな?
URLをコピーして別タブで検索すれば移動できました。
穴掘り明星
@i2RIkv40hOJFe6c
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c
各教会に丸投げというより、地域でもそれぞれ違うのだから、それぞれで判断すればいいのですよ。何を言ってるの?逆に呆れる。こんな時でもなんでもかんでも批判のネタにしかできないの?
相当擦れてますね。
一般的にこのような方は 不謹慎中 で本部が正しい前提で反論してしまっているんでしょう。しかしこの人の思いむなしく、天理教の月次祭はじめ集会は通報されてます。低脳本部も行政の注意、指示に従わざるおえない状態です。
一般国民から通報されている現実を知らないのでしょうか、外国や法律が違っていたら教団解散させられる話です。
熱烈信仰者「第二の迫害や!コロナ感染に乗じて天理教を潰す算段やな!みんな!こんな時こそ神様にもたれて通るんや!命捨てても構わんという者のみおつとめせよいう初代真柱様のお言葉を今この時にこそ思い出すんや!」
本部(ニッコリ)
こんな感じですかね?
信仰が暴挙を生み、暴挙が奇跡を生む
みたいな?
2020年4月8日 12:15 PMの匿名 様
ご指摘有り難うございます。やはり、私の勘繰りでしたね。亡きナライトさんに申し訳ないことをしてしまいました。
この小冊子はいい本だと思います。専修科生が卒論の参考にと、この本を天大付属図書館で閲覧した際に、なかなか出てこなかったので、余程慎重な取り扱いをされているのかと聞いて、コピーをして渡した覚えがあります。勝手にコピーしたことはアンフェアでしたが、卒論の参考になるのであればと思ってしました。
奈良県の図書館にもあるように聞いています。
教会の会長はどう考えても30万はもらえません。個人事業主のシステムにも当てはまりそうにもありません。月次祭、信者様のお祭りなど全て止まっている現状は全くアウトです。借金もありますし今は誰にも迷惑をかけない終息の方法を考えています。
東風Z様
僭越ながらすみませんでした。
おさずけしてはいけません。
天理教のおさずけは明らかに濃厚接触行為です。本部は迅速に全国の教会に中止の通達をするべきです。
また、街中の不特定多数の個人宅をにおいがけして歩くのも感染拡大につながります。自粛と言うより、本部は禁止するべきです。理髪店なども濃厚接触の空間として営業自粛の話題に入っているようです。おさずけは顔前で身体中を触りまくります、、。
また関東などは特に緊急事態宣言下です。「外出自粛、自宅に居てくれ」と言う都や国の方針をどこ吹く風風で個別訪問してうろつくようでは、ますます天理教の非常識が世間から批判の的にされるでしょう。
18日の誕生祭にやはり直属教会長を参拝させるのでしょうか?極力人の移動の自粛をと、国から要請されている昨今にもかかわらずです。本部おつとめは集会形態でもあり、大勢の直属の人間が全国から甘露台前に集合します。国々所々から人の移動を強要する事であり、反社会組織と言われて世間から通報されても仕方ないような暴挙と思いますが。本部神殿内で互いに感染してまた国々所々へ拡散しに帰っていく天理教幹部達。
甘露台前だから感染しないと言う保障はどこにもありません。
以下の、ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートを読んで、怒りがおさまりません。
現時点で、天理教教会本部はこのコロナショックのさなか、
お目標様返還のお運びは強行するみたいです。
こんな融通の利かないことってありますか?
ツイートによりますと、天理教教会本部はこう言い放ったようです。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
もう一度強調します。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
もう教会長や信者を「奴隷」、「虫けら」くらいにしか思っていませんね。
もう命を軽視した発言ですよ。
このままお目標様の返還が強行された場合、天理教教会本部は命を軽視した発言をし、教会長や信者達を2000人以上?を、コロナ感染の危険がありならが呼びつけたということになります。
(仮に、後日、このお運びを中止したとしても、このコロナショックの危険がある中、
本部は非常識かつ無慈悲にも、多くの教会長や信者を感染のリスクを冒して呼びつけた事実は残ります。)
もしもこのお運びが強行されたとしたら、
これって未必の故意じゃないのですか?!!
これって未必の故意じゃないのですか?!!
これって未必の故意じゃないのですか?!!
天理教教会本部の、非常識さ、冷徹さ、傲慢さ、ここに極まれり!
本当に恐ろしい組織です。
広く世間に周知もすべきです!!
これが世界をたすける組織のやることか!!!!!
さてみなさん、これでもしもこのお運びによって感染者が出て、死者まで出た場合は、
天理教教会本部は殺人を犯したということになります。
これって奈良県知事等が自粛を要請できないのでしょうか?
ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートより抜粋させていただきました。
(日付はツイートなさった日)
会長不在、信者不在の教会の御目標(おめどう)様(一般的には御神体という感じかな)を、教会本部にお預けすることになりました。
こんな時期に、と思うのですが仕方ないですね。4月5日
教会本部直属の大教会などが部内(配下)の会長不在、信者不在の教会の御目標様(御神体)を集約するようなのですが、うちはその直属大教会まで数百キロの距離があります。この移動が問題です。
神様と教祖、それぞれのお社(お宮)に収められているものを運ぶのですが、不敬にならないよう、それぞれ1人ずつが抱え持つようにとのことです。
そして公共の交通機関は使えないので車を使うとなれば運転する者が必要。最低3人は要るようです。
若い人は働いてるし、高齢の方は体力的に厳しいし、何より現状の中、車で長距離移動することを不安に思われています。
上級教会(天理教では教会に上下があります)に頼むとなれば、数人で来られることになります。
その宿泊、接待、御車代、御礼と数十万円の出費になるでしょう。祭典や葬儀のように御供収入は見込めないので、正直これも厳しい。
どちらにしても、万が一感染者が出た場合の事を考えると・・・。
今回、教会本部に御目標(おめどう)様をお返しするのは、全体で700以上の教会と聞いています。1つの教会につき、3人が関わるとすれば2000人以上の人の移動が発生します。
各都道府県から移動自粛が出されていると思いますが、御目標様の返還については指定された期日を優先せよ、ということです。 4月6日
色々悩みましたが、上級教会(天理教の教会は上下関係があります)から数人お越しいただいて、会長不在の教会の御目標(おめどう)様(御神体)を引き上げていただくことにしました。接待とおれいで痛い出費になりますが、うちの信者さん達を感染のリスクに晒すことはできません。
しかし私は、引き上げに同行しなければなりません。戻りは都市圏を通過する電車を使わざるを得ません。
戻ったら2週間、外部との接触を避けることになるでしょう。4/29の、ひのきしんデーも他の人にお願いしなければ。
この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ、とのことです。4月7日
妻からは泣かれてしまいましたが、仕方ありません。4月7日
何とか車を借りる手筈ができました。都市圏を通らないルートを思案中です。ただ、やはり戻ったら一定期間は隔離と考えています。4月7日
これは全くの個人的な憶測なのですが、上田ナライトさんは、本部にとって、カイライ(あやつりり人形)にしようと思えばできる、そういった人ではなかったかと思います。「別に怖い存在ではなかった・・」
このおさしづは時代考証が必要なのですが、<自分にとって都合のいいおさしづは聞くが、都合の悪いおさしづは聞き流している。それで、指図するのはもう止めようかと思っている>と言うような内容のおさしづが下がっています。
おおよそ人は、自分にとって都合の悪いことを言われると、たとえ神の言葉であっても、うとましく思うのが常で、神から指図を聞いて教えられた通り行動に移そうとする人はそういないと思うのですが、本部も当時はそういう風潮だったのではなかったかと思います。
教祖伝を読むと、おやさまお出直しのころには、秀司さんの身勝手な行動に掻きまわされたりしたことがあったりして、このころから、すでに腐敗は始まっていたのかな、と思ったものですが、おやさま亡き後、その腐敗は、飯降伊蔵翁の晩年のころには相当進んでいたのではなかったかと思います。
そのころ(おやさま30年際ころ)、出てきたのが井出クニ氏でした。
もちろん、本部側は、教祖殿で話をしようとした井出クニ氏を引きずり下ろしました。
で、私個人の意見では、本部が怖れたのは上田ナライトさんではなく、井出クニ氏ではないかと思います。
芹沢先生の本に書かれていたことですが、芹沢先生が「教祖伝」を書くために、2代真柱さんに資料を貸してくれと申し出られたとき、2代真柱は井出クニについては何も書かんでくれ、とたのんだそうです。
匿名
2020年4月8日 10:54 PM
おはこび、は全国から新型コロナウイルスを運べという事でしょうか?せめて郵送にしましょう。それでも駄目と強要するなら、各所に通報、メディアにも連絡してよいでしょう。今世界的にストレスがたまってるので天理教叩きが開始されるのも目に見えてますね。世間の方々にカルト宗教叩いて楽しんでもらいましょうか
本部の礼拝場が閉鎖され、南礼拝場だけの参拝になった。西・東・北は朝夕のおつとめ時だけ開けれらるようだ。
本当に馬鹿じゃないのか!
南礼拝場だけ開けたら、それだけ人と人の距離が縮まる。小学生でも分かる事。
本部は小学生以下の知能か。
>>南礼拝場だけ開けたら、それだけ人と人の距離が縮まる。小学生でも分かる事。
本部は小学生以下の知能か。<<
その通りです。出入り口をすべて開放したほうが換気効果も高くなります。どうしてそんな簡単なことが理解できないのでしょう?
>>「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」<<
教会本部の無責任体質、「我がさえ良くば」という利己主義を露呈していると思います。宗教ではありません。
>>「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」<<
命令されてする行為に自己責任というのはあり得ません。仮に自己責任を承諾したとしても、念書でも残してなければ有効とはならないと思いますが、いくら本部が狂っていても自殺教唆や自殺関与に近いような犯罪行為の証拠を残すようなことはしないでしょう。今後、本部その他の上層部との会話は可能な限り録音しておくと良いと思います。メールも消去せずにパソコンなどに保存しましょう。だいたい人命に関わるような命令を口頭で済ますこと自体おかしいと思います。正当な命令なら文書にして出せばいい。軍隊でさえ、それくらいは要求できますよ。
大鳥大教会の詰所が竣工したと天理時報の記事にあった。現状からすれば新詰所は不要なはず。どこかと共有すれば良いはず。従来の詰所に比べれば縮小されてはいる。しかし、多額の建築費用は部内が負担する。時報の視点には、詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になるという。この思考が悪循環を招いている。筆者の(安)とは誰なんだ。視野狭窄の極みだ。もっと現状認識を持て。世の中の変化に対応できなければ消えて行くだけだ。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
これは本当なのか?
本当なら、「かしものかりもの」の教義とズレていないだろうか。「神にもたれきれば、感染しない」と言い切りなさいよ。嘘であっても。そしてお運びで感染者が出たら本部は腹を切ってほしい。末端教会は本当に真剣に通っているんだ。自己責任とは何事か!
お返しは800箇所です。
私はお運びのマイクロバスの運転を拒否した。教会長になって上級に逆らったのは初めてだ。私の父親が生きてたらこっぴどく叱られるに違いない。でも可愛い娘が三人もいて、まだまだ死ねないよ。
それより統合がどういう形で行われるのだろう?各教会それぞれ尊い教会設立の思いがあるはず。どうなんだろう。わからない。
御神目標(おめどう)様の返還でお運びは不要では?
親神様が御神目標(おめどう)様に鎮まっているわけないので?
神様はどこにでもいるもので、かんろだいだけにいるのでもなくて、各教会の御神目標(おめどう)様にいるわけでもない
おやさまのお社の御幣も同様、教会設立時にうやうやしく本部からいただいたが、そこに何の意味もなかったことが今回証明されているのでは?
それなのにそれに対して返還でお運びとは本部の考え方に疑問を感じます。
正月のどんど焼きにように近くの神社でもやしてもらえばいかがですか?
費用0円です。
今回のコロナのお願い勤めがまったく効き目がなかったことで
天理教自体が詐欺集団であったことが露呈しました。
本部や上級は頭をさげて末端や信者にお詫びすべきではないでしょうか
日本人や天理教人は素直でいい人がおおいので
親から受け継いだ信仰を捨てることができませんでした。
自分の親や先祖を否定することになりからです。
父親の系統も母親の系統も天理教の人は自分の存在さえも否定することになるからです。
今回のコロナはノアの箱舟と同じで
ふるいにかけられるときだと思います。
今こそ、洗脳された人々の目を覚ます時だと思います。
高齢者は参拝を自粛してくださいといっているのに今日も高齢者は参拝にいきます。
親心があるなら参拝を禁止しますとはっきりいってください!
ご本部様よろしくお願いします!
>>それなのにそれに対して返還でお運びとは本部の考え方に疑問を感じます。
正月のどんど焼きにように近くの神社でもやしてもらえばいかがですか?
費用0円です。
今回のコロナのお願い勤めがまったく効き目がなかったことで
天理教自体が詐欺集団であったことが露呈しました。<<
その通りなんです。正月明けの地方の「とんど焼き」の時に、修験者(山伏)に般若心経を唱えてもらい、燃えさかる「とんど」(地方によっては呼び方は違うと思います)の火の中で燃やしてもらえれば、それで事足りることなんです。何もそこまでしなくとも、居住地の地方公共団体の可燃物、不燃物、粗大ゴミに仕分けし、廃棄物として処理しても良いはずです。処理するものは、中身のないただの物体に過ぎないのです。
>>大鳥大教会の詰所が竣工したと天理時報の記事にあった。現状からすれば新詰所は不要なはず。どこかと共有すれば良いはず。従来の詰所に比べれば縮小されてはいる。しかし、多額の建築費用は部内が負担する。時報の視点には、詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になるという。この思考が悪循環を招いている。<<
「 詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になる」ということは、一体、どういう意味なんでしょう? 一般常識があると自ら自負している私にとっては理解しがたい話です。悪循環を招いているのは、一体、誰なんでしょう? どうして、空室だらけの詰所建設の為に部内が負担しなければならないのでしょう? 悪循環を招いているのは、一体、誰なんでしょう? 読む者にとっては、不可解、不思議の極みです。
生前の母が言っていました。家が火事になった時には、何を置いてもまず御神目標様を運び出せと。もしも焼失するようなことがあれば、よほど大きな心定めでもしない限りその家は絶えてしまうことになるからと。教会育ちの母は、自分もまた親からそのように言われていたのだと思います。
御神目標がどのような物か見たことはありませんが、母には申し訳ないけれど、それは人の手によって作られた「物」に過ぎないと思います。かつて踏み絵を拒否して死を選んだキリシタンの人々を愚かと言うつもりはありませんが、この現代において偶像に命を懸けるのは正しい判断とは言えません。お運びのマイクロバスの運転を拒否した会長さんは立派だと思います。もしも報復人事その他の嫌がらせでもあれば命令した者を実名で告発すべきです。
ここ一月ほどの間、教会へも行かず時報も見ていませんので本部への返還作業が
これほど進んでいるとは知らず、驚きました。できれば情報通の方々に、この話の
全貌が明らかになるような、更なる情報をご教示頂ければと、お願いする次第です。
過去記事に、「かなめ会」で表統領が発言した内容を紹介してくださった方が
おられました。その時から今日までの間に進んでいたスピード感と言いましょうか、
天理教にしては仕事の進捗が早いことにびっくりです。
その上、その返還日程迄組まれていて、コロナ感染拡大下の日本国内を、廃棄する
お目標様が天理目指して旅する姿はこっけいではありませんか。
バックミュージックは狂騒曲でしょう。
必死に集められた木製製品と不燃物を処理するのは天理市清掃局なのでしょうか。
不法投棄はできないから所有地にでも埋めるのでしょうか。
そもそも、本部の本心は私同様、無頓着の輩がこうしたことを牛耳っているのに、
それを、さも、ありがたいものをお返しいただくと表面上を取り繕っているだけの
ことでしょう。だから日程ありきですし、感染は自己責任と言えるのでしょう。
返還を告示するのならば、その時点で一連の作業の工程を説明する、最終着地点をも
説明することに思いが至らない、行き当たりばったりの天理教人なのです。
先の先まで見通して考え抜く力の有無が問われる、これも一つの失敗事例でしょう。
仏教でやる魂抜きのような儀式(私はそんな事には無頓着な人間ですが)でもすれば
ほとんどの皆様の気持ちは平らかになるでしょうから、丁寧に分解して分別し、
地域の処分方法に則った処分を現地ですればエネルギーも節約できます。
仏師が心血を注いで「のみ」をふるった昔の仏像と異なり、単なる木製製品なのです。
私の所属大教会はとっくに50件の分教会など無いのにもかかわらず、相変わらずの
隠蔽工作(「みちのとも」の分教会数の記載数が実態とかけ離れている数)を
続けてきました。当然、幽霊教会は返還の対象になるのでしょうが実態は見えません。
では、この度の皆様方が投稿くださっているような本部への返還作業が粛々と(ある
いは、こっそりと)実施されている(されてしまった)ならば、一般信者に報告が
あるのが普通の組織運営だと思いませんか。
いや、普通の組織ではないからこそ、隠蔽もまかり通っていたのでしょう。
そもそも大教会として分離独立する際に既定の数に足りなくて、急遽土地探しをして
作られた分教会長さんのご苦労話を聞いた事もありますから、無理な状況の中で功名
心から誕生した大教会と言えるのかもしれません。こうした無理話はむしろ美談として
流通しているのが天理教です。
恥ずかしい行為をしている本人たちは、お尻丸出しふんどし姿を後ろから覗かれても
気が付かない者です。純真な子供たちはヤイヤイはやし立てますが、大人は見て見ぬふり。
前近代的な日本の貧しい時代の根性そのままの姿が、どうしても色濃く透けて見えてしまいます。
とてもじゃないが、私の代までは信仰するが、子供たちには神様の存在だけを伝えるに
とどめます。何も一信仰組織にこだわることなく信仰心はもてるのですから。
長々と駄文にお付き合いくださってありがとうございます。
どうぞ感染防止につとめ生き抜いてください。
昔、韓国にあったK大教会が日本に引き上げる際、釜山まで大事に おめどう様 を奉戴してきましたが、日本に戻る船に乗船する際 係官がこれを咎め、おめどう様 を「ぽい!」 と海に捨てられたそうです。その大教会長の心情につては紹介しませんが、
おめどう様 は当該大教会長が責任もって焼却すればよいと思いますが・・・・
もっとも 包括契約でおめどう様を返還する 事になっているから モノがないと仕方がないのかなー
お寺と同じように離檀料のような金銭が要求されるのかなー?
さて、海外に持ち出すときは おめどう様 はどうするのかなー? 金属探知機の装置を通すのかしら?そんな不敬なことをさせるのかなー?
教えてください
目標を『めど』とは読まない。めどとは漢字で目処または目途と書く。意味が目標(もくひょう)だから目標を『めど』と読ませている。天理教独自の言葉で分かりにくい。全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。そもそも大量生産した鏡と御幣に価値があるのか?かつて朝鮮に神社があった時、敗戦後昇神式なる儀式を行ったといわれる。天理教も本部に運ばずに現在目標がある場所で済ませてればよい。無駄な出費は無用だ。お社に何年も入っていた目標は埃だらけでみすぼらしいものだ。
>>天理教も本部に運ばずに現在目標がある場所で済ませてればよい。無駄な出費は無用だ。お社に何年も入っていた目標は埃だらけでみすぼらしいものだ。<<
その通りです。「目標」のある場所や自治体で「廃棄物」として合法的に処理すれば良いことなんです。別に大仰しく考える必要などありません。教会本部自体が「埃だらけでみすぼらしい物」なんですから。
なんでもかんでも手続きと経費を設け、本来ならば末代まで続けるべきと定めた教会の「理」を断腸の思い(?)で「お戻し」という形で返却。
木製の社と、鏡と御幣といった物理的な物を処分し、法人名義も解消。
さて、この「末代の理」とは、どこぞの誰が言い出したのか?誰がそういう設定にしたのか?
また、末代の理の定義とは何なのか?一名一人という人それぞれといった幅の広い解釈で済ましてしまうのか?
教会の理を、名称の理を大事に繋いでいかないと事情身上に現れてくると宣った先生方は、この現状をどう捉え、どう説明するのか?
結局、発言力や決定権を持った者のさじ加減で、いくらでもやり方を変えていけるのだ。教理も歴史も組織も。
そんな中、まだまだ天理教が伸びゆく、人々が助かっていく といった未来を想像できる幸せな方々が羨ましくて仕方ない。
教会の理を、名称の理を大事に繋いでいかないと事情身上に現れてくると宣った先生方は、この現状をどう捉え、どう説明するのか?<<
本当にそう思います。身上、事情に現れると脅し、助かる道と、なけなしの金品を差し出させ、今となっては消滅するとも知らずに当時の信者は食べるものも食べず、着るものも着ず、教会普請に骨身を削り、、教会名称を守ろうと心血注いだのです。
今わかる事は天理教はその都度、人間の都合(中山の都合)に合わせて「行き当たりばったり」をやらかすと言う事。彼らが今後何を言っても信用出来ないと言う事がよくわかりました。名称の理は末代と非常に重々しく信者、教会は受け止め、聞かされてきました。しかし、この度「名称の理が末代では無い」事が披瀝されました。
本部中山はこの話の辻褄をどう合わせるのか?よくわかるように説明せよ。
中山お得意の信者が悪いに行き着くのか!!
神の御胸に届く様な普遍性の無い「命の繋ぎは金」教理も中山の欲から発生したたわ言です。はっきり言って全く信用に値する理の通るものではありませんから皆様、お互いに注意喚起に努めましょう。
世間の迷惑、天理教!!
ツイッターより
ぷー
@0fKJnTq
·
12時間
今日もせっせと信者が来る準備しています。天理教には休校になった子供を連れて来ているし、老人、赤ちゃん連れてくるバカな親もいます。ウイルス撒き散らさないか心配。
どうにかして欲しい。
#スッキリコロナ
#スッキリ
1
4
ぷー
@0fKJnTqr
·
4月8日
毎日、天理教の人達が集まっています。就学前の子供連れ、休校になった子供も連れてきてるし、3密になってると思うので集団感染が起きないか心配です。もし発生したら迷惑ですし、とにかく心配です。
#スッキリコロナ
2
10
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
3月5日
窓開けて換気しながら太鼓叩くとかしないで下さいね。ただでさえ迷惑なんですから、大勢で集まって
#天理教
#新型コロナウイルス
2
ぷー
@0fKJnTqr
·
3月3日
民家だからこんな時でも集まるんですね。地域の迷惑にならないよう、韓国の宗教団体代表みたいに土下座して謝ることのないように
#天理教
#新型コロナウイルス
1
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月12日
宗教の勉強も大切なんだと思いますが、交通ルールの勉強しなおした方がいい。制限速度守れない。歩道に広がって歩き、我が物顔。自転車は反対側を逆走。
あなた方専用の道路ではない。
町民は迷惑しています。
常識が無さすぎる。
#天理教
3
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月11日
貢ぎ物おろすのに、交差点付近で駐車辞めてもらえません?邪魔なの分かりませんか?皆さん交差点確認しにくそうにしてますよね、迷惑なんです。
#天理教
#近所迷惑
#警察通報事案
3
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月11日
太鼓のドンドンと、変なかねみたいな音が聞こえてきて迷惑です。窓一切開けず、儀式行って下さい。迷惑です。ただでさえ、町に教会とか構えてるだけでも迷惑なんです。分かりませんか?
人助けの天理教の看板降ろした方がいい。どれだけ世間に迷惑かけているか、本部は良く認識しなさい。
天理高校は連休明けまで休校にします。
2部生のひのきしんも、休みです。
寮も一時閉鎖します。
子供の帰宅に公共交通機関をなるべく使わないために
父兄は子供を、土曜日までに迎えに来て下さい
自宅で、出歩かずに自習させて下さい。
おぢばで感染者でも出たのか?
大急ぎで迎えに行く事になりました。
ほんまに腹立つ。おめどうさんて本当にただの「物」ですから!なんでみんな分からへんの!?
宅急便で着払いで送ってもいいんですよ。うちが終わる時はそうするつもりですし、上級の立場なんて考えません。今まで十分過ぎるほど尽くしてきたつもりですから。うちは教会に来てから修理するところが沢山あり、会長が下手なりに大工しましたが、さすがに大きな増築は工務店に頼みました。お運びなんて意味不明のボッタクリですから上には知らさず勝手にしましたよ。ほんとに詐欺集団ですね。教会が世間の常識に外れた行為をしていて、今まで我慢していた近隣の方たち、どうかいい機会です。ドンドン通報して下さい。
↑ 無名さま
ほんまに天理教はボッタクリの詐欺集団です。
早く、世のため人のために潰れてください。
5年以内に破綻する銀行に奈良の南都銀行が入ってます。
今後のイカサマ天理教が楽しみ!
あちこちの教会ではお運びなんかせずに、皆トイレ工事や屋根を直してますよ。一々本部なんぞに関わっておられません!
うちも会長がお運びなんぞ無視して教職舎の瓦の全面張り替え、外壁のモルタル塗り替え、車庫の新築、バルコニー増設、全部無視してやりました。長年世間で働いて来ましたから、全部自腹でやりました。本部が祝い金をくれる訳でもなく、誰からも文句言われる筋合いはありません。
その上この土地も建物も先代が本部にお供えしている代物。自分たちの子孫に渡っていく物でもありません。本部には有難がってもらっても良いくらいです。
世間の皆様、よく聞いて下さい。守銭奴とは天理教本部の事です!!
ロックダウン中のフィリピンでは国会議員200人が民衆のために使ってほしいと総額1億円の給与の返納をしました。
日本でロックダウンしたら、おたすけに燃えている(月次祭の講話がそうだから、こっちは信じてますよ)我が若き大教会長様も、そういう美しい心を見せてご自分のお与えやRolexを寄付されると期待しています。
大教会長がロレックス!?誰のお金から買ったと言うのでしょう?言わずと知れた事じゃありませんか。考えられません。
貧に落ちきっていない上層部の現実ですね。うちの前大教会長もうん十万の服の値段を口にして見せびらかしてました。お徳が高いから大教会に縁があり住んでいると臆面もなく言ってました。信じると言う事はここまで人を阿呆にさせるんですね。大教会長の事です。聞いてる我々はあんた達はお徳が無いと言われてるようでした。こう言うのを天理教上層部の選民意識と言うのですね。
天理教の醜聞があちこちで暴露され、つまらないペテン集団に代を重ねて振り回されて来た事を今頃改めて無念に思います。
お供えはストップするに限ります。ロレックスに変わります!!!
無名
2020年4月10日 10:45 AM
>>ほんまに腹立つ。おめどうさんて本当にただの「物」ですから!なんでみんな分からへんの!?
宅急便で着払いで送ってもいいんですよ。うちが終わる時はそうするつもりですし、上級の立場なんて考えません。今まで十分過ぎるほど尽くしてきたつもりですから<<
わざわざ、教会本部まで宅急便着払いで送る必要もありません。梱包料金が無駄です。お住まいの地方自治体のゴミ処理の規則に従って、粗大ゴミ、不燃物、可燃物、というように仕分けして処理すれば無料ですみます。所詮、処理するモノ自体がゴミ以下のものですから。
匿名
2020年4月10日 1:05 PM
>>その上この土地も建物も先代が本部にお供えしている代物。自分たちの子孫に渡っていく物でもありません。本部には有難がってもらっても良いくらいです。
世間の皆様、よく聞いて下さい。守銭奴とは天理教本部の事です!!<<
全くその通りです。
匿名
2020年4月10日 5:05 PM
>>大教会長がロレックス!?誰のお金から買ったと言うのでしょう?言わずと知れた事じゃありませんか。考えられません。
貧に落ちきっていない上層部の現実ですね。うちの前大教会長もうん十万の服の値段を口にして見せびらかしてました。お徳が高いから大教会に縁があり住んでいると臆面もなく言ってました。信じると言う事はここまで人を阿呆にさせるんですね。大教会長の事です。聞いてる我々はあんた達はお徳が無いと言われてるようでした。こう言うのを天理教上層部の選民意識と言うのですね。
天理教の醜聞があちこちで暴露され、つまらないペテン集団に代を重ねて振り回されて来た事を今頃改めて無念に思います。
お供えはストップするに限ります。ロレックスに変わります!!!<<
大教会長はロレックスですか。別に不思議な話ではありません。某中堅分教会の会長は、20歳代でトヨタの高級車を乗り回していました。某大教会の住込人子弟も同様です。車種については敢えて言及しません。ご想像にお任せします。
本部はコロナ問題を乗り越えられないでしょう。専門家ですらやっと把握がとても難しい。わかっても感染拡大を止められない。著名人などは情報不足と誤認で問題発言ばかり、教団は発熱者を隔離してるだけで検査には出さず勝手に陰性と触れ回って感染拡大させているそうです。本部で培養された新型コロナで蔓延する危険性しかありません。
匿名
2020年4月10日 5:35 PM
>>教団は発熱者を隔離してるだけで検査には出さず勝手に陰性と触れ回って感染拡大させているそうです。本部で培養された新型コロナで蔓延する危険性しかありません。<<
教団の言うことなど信用してはいけません。100%嘘だと言っても過言ではありません。個々人のみならず、接触するであろう不特定多数の他者の安全を守るのは個々人の自覚と良識だけです。
匿名 様 (2020年4月9日 6:05 PM)
情報、ありがとうございました。
≪ 全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。
「ご祈念ほどき」ですか、回復していない真柱がつとめることができるかどうか。
784教会、この法人名義の土地はどうなるのでしょうか。
その地の法人としては解散でしょうが、土地財産は天理教本部の懐にはいるのでしょうか。
各教会の元々の所有者に返還されるのでしょうか。
儀式の段取りは教団の内部の単なる行事にすぎません。社会的な意味・価値は無いのです。
そして解散の後の財産は、公正な引き渡しがされるのかどうか。
おそらく教内ではしっかり皮算用の上、784教会の土地からの収入を当て込んでいるはずです。
財産整理のプロセスを公正に公表しなくても、法人として許されるのでしょうか。
ご祈念ほどきなる行事で終わらせるつもりなのでしょうか。
まったく、社会性に欠ける人々です。
恵まれた本部周辺の皆さんは大学まで出して頂いています。中には留学までも。
高額の音楽教育を施された皆さんやらもいて、一般信者の私などは「徳がない」と
高校卒で終わりました。高校生活もバイトで授業料を支払いました。
教会子弟が高等教育を受ける姿を見聞きすると、何故、自分にはそのような道が
許されなかったのかと、やはり徳が無いからだとあきらめていました。
何が言いたいか。つまり、私のような高卒の者には法律に明るい友人などいないから
上記の疑問に対する正解も、それこそ費用を払って専門家に伺うしか道が無いのです。
しかし、教内には立派に大学を卒業し、道専務で生きている人がいるのですから、
自分の知識で公明正大な通り方を教団に進言するくらいの事はできるのではないですか?
お供えで生きてきた人たちは責任を果たしてください。
進言しても上層部が聞かない時は宗教新聞にチクってください。
天理教は社会の中での注目度は低くても、金がからむ問題ならば、俄然、注目されますよ。
ロレックスなどの高級品を身につけている大教会長は珍しくないのでしょうか。天理大学に受からなかったから学費が高いので有名な私立大学へ行った大教会長なら知ってますがこちらも少数派ではないのかもしれないですね。大教会の後継者なのに入学させてもらえなかったとは袖の下が足りなかったのか、他の何かが足りなかったのか?高い学費は一体誰が出していると思っているのか、よく考えて欲しいものです。
うちのの大教会長も海外留学経験者です。末端がお供え金で喘いでいる正にその時、です。二十代の私は父母が苦しんでいたのを見ていたので憤慨しましたが、母は大教会長は世界を見て見聞を広めるのも大事なんだろう、、と半ば肯定的に言っていました。当時は上に行くほどお徳が違うと本気で信じている時代です。今なら、馬鹿馬鹿しいお話で、彼らをバカ殿と言い、座敷乞食と言って蔑む時代になりました。現状を正しく認識する事が重要です。40年近く前の当時は大教会長は雲の上の存在で、末端ごときが何か言える時代でもなく、末端はひたすら上級、上上級のお供え要請に借金重ねて苦しんでいましたね。今でも上下関係はありますが皆、賢明になり意識が変わり始め、ネットで真実も暴かれ始め、人権蹂躙が問題視される様になり、ノーと言える教会長も増えて来ているのは確かです。こんな組織は早く潰す。社会と、苦しむ教会関係者を一人でも救う為です。
お目どう返還に「コロナ感染は自己責任。返還するには金持って来い」。こんな無責任で人の命を軽視し、過去から長年本部を支え続けた恩人たる存在を守る意思のカケラもない殺人組織に、どこに存在意義が有ると言うのか。早く完全消滅するしかない。
Rolexでこんなに食いつかれると思わなかった(笑)。Rolex程度で怒るなんて、みなさん本当に純粋な人達なんですね。天理教も捨てたもんじゃないなと思いました。
大教会長レベルで、時計なんて、二個持ち三個持ち当たりまえですよ。要するに信者の前では安い物をして、三越や吉兆に行く時はオシャレするんです。Rolexなんて甘いです。パティックだってしちゃうんですから。
私の知ってる限り、大教会長より直轄のデカい分教会長の方が贅沢してますよ。別の車庫だってちょっと遠くに持ってるんですから。
それと、これは言わない方がいいかもですが、24日25日の晩、奈良駅の日航ホテルに泊まってる教会長多いですね。うふふ。
もう20年くらい前の話ですみません。私の姉が阿倍野近鉄百貨店の婦人服売り場で働いてまして、隣が神戸のブランド店でした。その店に毎月決まった時期に40代位の人が買い物に来て、毎月、4万程の服を買って帰るんだとか。驚く事にその人は、自分の家は天理教の教会で、信者が沢山いて、その中の一人が自由に好きな物を買える様にと、毎月、何万もの商品券をくれるんだと、自慢話のように話したとか。聞かされた店員さんは呆れて姉に教えてくれたそうです。当時私は自分の服を買うなんて贅沢だと思っていて、いつも姉のお下がりをもらいに行っていたので、「天理教の教会の奥さんて、ピンからキリまでなん?あんた、ようやってるねえー」って信仰していない姉に半分バカにされましたっけ。いいにおいがけしてくれますわ〜
>>Rolexでこんなに食いつかれると思わなかった(笑)。Rolex程度で怒るなんて、みなさん本当に純粋な人達なんですね。天理教も捨てたもんじゃないなと思いました。<<
Rolexに限らず、天理貴族達を養うために末端信者はどんなに苦しい哀れな生活を強いられてきたのでしょう。純粋というより「無知の恐怖」「洗脳の恐怖」の典型的な例だと思います。
大教会には大手有名百貨店の外商部が、着物、洋服、貴金属などの売り込みに定期的に来ていたそうです。バブルの頃のお話ですが。
本部に300億円越えのお供えが集まっていた頃です。大教会もピンはねで潤っていたのでしょう。調子に乗って買うから来ますよね。良いお得意様ですから。住み込み人はよく見てるんです。今はそうもいかない様ですよ。着ている服の格が落ちて来ましたね。私が見てもわかります。お金が集まらないから我々とほぼ同じか、それ以下かもしれません。人の金目当ての生活だから集まる金次第の生活レベルになるのは必然です。
いずれ本当の乞食になる日も遠くないでしょう。自分たちは徳が高いと勘違いしてきたつけで、今後は崖から転げ落ちる未来しか見えない可愛そうな人達です、、。
コロナ終息後の天理教本部の「営業成績」は相当悪くなっているはずです。
親神の意志の1つとしてコロナウイルスを出現させてこの極悪な天理教の息の根をとめると言う目的が一つには有るのかもしれません。
今は厳しい世の中ですが1人1人世に出て働きましょう。苦労はありますが働いて自分の未来は自分の力で築きましょう。ロレックスの会長、高級車の会長、こう言うのを乞食と言うんです。我々が働いて手にする給料に贅沢三昧の上層部に使わせるお金は一文だってありません。彼らには恥を知って欲しいですね!!
>お目どう返還に「コロナ感染は自己責任。返還するには金持って来い」。こんな無責任で人の命を軽視し、過去から長年本部を支え続けた恩人たる存在を守る意思のカケラもない殺人組織に、どこに存在意義が有ると言うのか。早く完全消滅するしかない。<
オウムはサリンを拡散して殺人を犯したが、
天理教はこの緊急事態宣言の中、
全国から教会長を呼びつけて、コロナを拡散しているってことですな。
間接的な殺人行為だ。
>>今は厳しい世の中ですが1人1人世に出て働きましょう。苦労はありますが働いて自分の未来は自分の力で築きましょう。<<
その通りです。人間が通るべき本来の道です。
>全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。
自分の身は自分で守ろうとする常識的な信者は本部になんか行くわけがない。
行く人は死を覚悟してるのだからほっとけば良い。後悔するのは本人でしょ?
やっと目が覚めてからじゃ遅いけど、他人の知ったことじゃない。
>後は崖から転げ落ちる未来しか見えない可愛そうな人達です、、。
コロナ終息後の天理教本部の「営業成績」は相当悪くなっているはずです。
親神の意志の1つとしてコロナウイルスを出現させてこの極悪な天理教の息の根をとめると言う目的が一つには有るのかもしれません。
地場屋敷の大掃除は本部人事の抜本改革ですね。犠牲者には気の毒ですが、人類皆の良き未来の為には、ありがたい事ですね。感謝かんしゃ
人類がより優しい明るい世界、甘露台世界に向かう過程の大節の一つでしょうが、大社高山になってしまった中山教本部も油断できないという事なんでしょう。
今回は、世界規模の上下共の大掃除が始まってしまった様な嫌な世界ニュースが広がっていますが。チャイナコロナ以後の世界は多くの分野で隔世の感を感じる様な、進化の為の大変化の予感もします。
天理教HPのニュース画像に写ってる
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/news/2020/03/04/32124/
本部神殿の太鼓、皮がボロボロじゃねぇか。張り替えるのケチるほど財政が逼迫してるんだなwwww
見るも無残なありさまだ。
部外者が天理教について発言をする無礼をお許しください。
「下の、ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートを読んで、怒りがおさまりません。
現時点で、天理教教会本部はこのコロナショックのさなか、
お目標様返還のお運びは強行するみたいです。
こんな融通の利かないことってありますか?」
という投稿を拝見しました。宗教儀式のため、多数の人が本部に集まるという内容だと解釈をしております。
これについては、天理教の信仰を持っている人は、病気にならないという発想も背景にあり得るのかもしれません。確かに、私も医者が見放した病気が信仰により治ったという実例を何回も見ているので、そういう考えも理解はできます。が、仮に、その考え方を肯定するにしても、やはりこの時期に人が集まる行事はやめるべきだと思います。
今回の緊急事態宣言は、日本の危機的な状況に鑑み、止むに止まれず政府が出したものです。その趣旨は、全国民に対して、人命や社会の維持のため、個人の自由の制限を甘受してくれ、というものです。仕事を失ったり、学校に行けなくて困っている人もたくさんいます。それでも我慢しているのは、イタリアやアメリカのような悲惨な状況を回避したいと思っているからです。
しかし、このような時期に宗教団体が集会を開催し、全国から人を集めたら、一般の人はどういう反応を示すでしょうか。ある人たちは憤りを感じるかもしれません。また、「あの人たちがやっているのなら、自分たちもやっていいだろう」という発想をする人もいるでしょう。日本中の人たちが我慢をしている最中に、そのような努力を無にする行動をすることは、みんなの努力を無にすることになります。やっているご本人たちは神様の命令を忠実に守ったと思っているでしょうが、他の人が見たら、自分たちの努力を裏切る反社会的行動になります。
さらには、天理教の指導者の人たちがそんなことは考えていないと思いますが、これでは、天理教は、指導部の私利私欲のため、信者の健康を危険にさらす反社会的なカルト教団であるとの誤解を招く危険性すらあります。
私も特定の信仰を持っていますが、私の所属する教団も小規模な行事を含めて全ての活動を停止し、会議もインターネットでの動画配信に切り替えています。あの創価学会ですら、行事の自粛をしていると報道されています。神仏を信じる信仰者は、やはり公益というものを意識すべきかと思います。
コロナウイルスの感染拡大も、いつかは終わります。コロナウイルス感染拡大がおさまってから、堂々と宗教行事をすれば良いと思います。みんなが我慢しているのですから、それまでは信仰者も行動を控える方が良いと思います。
重ねて、部外者がこのようあ失礼な発言をしていることはお詫びします。
いほり様
>https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/news/2020/03/04/32124/
本部神殿の太鼓、皮がボロボロじゃねぇか。張り替えるのケチるほど財政が逼迫してるんだなwwww
見るも無残なありさまだ。
これは皮がボロボロになっているのではありません。
毎日、朝晩のおつとめで叩いているので表面の塗りが取れているだけです。
張り替えるのは莫大な費用がかかりますが、ひと言声を掛ければ、一億円ぐらいすぐに集まる組織ですので、心配はいりません。今でも資産を腐るほど持っています。
門外漢 様
2020年4月12日 12:00 PM
話題をそらせて申し訳ありません。失礼の段、お許しください。
門外漢様は法律の専門家であるということで、ご教示いただければ幸いです。
過日から、全国784ヶ所の教会が目標(めどう 天理教でいうご神体)を教会本部に返却する件について、本掲示場で何かと話題になっておりますが、2020年4月10日 10:23 PMに投稿された匿名様のご質問について、私も疑問に思いましたので、ご教示いただければ幸いです。以下、匿名様の質問を一部引用させていただきます。
>>784教会、この法人名義の土地はどうなるのでしょうか。
その地の法人としては解散でしょうが、土地財産は天理教本部の懐にはいるのでしょうか。
各教会の元々の所有者に返還されるのでしょうか。<<
>>何が言いたいか。つまり、私のような高卒の者には法律に明るい友人などいないから
上記の疑問に対する正解も、それこそ費用を払って専門家に伺うしか道が無いのです。<<
私の質問は、匿名様の質問と同様で、仮に784ヶ所の教会が各教会の目標(めどう)を教会本部に返却し、天理教の信仰を止めた場合、当該教会の敷地や建物が天理教教会本部の名義になっていれば、所有権は天理教教会本部にあるので、教会の敷地建物は教会本部に没収され、教会長やその家族は、教会の敷地建物に居住することができなくなり、他所へ転居しなかればならないということになるのでしょうか? 転居先が無ければホームレス状態になるのでしょうか? 多くの教会の敷地建物は、教会長の先祖の個人所有であったと聞いておりますが、天理教に入信し、教会になるにあたり、天理教教会本部名義で登記をしているようです。
女鳴り物は、三曲の扱いを細か過ぎるほど注意されるのに、男鳴り物は何も言わないんですかね。
呼び出し太鼓じゃないんですよ。二本バチが有るのに何故わざわざ金の塗りの所を目がけて叩くのか?
鬼太鼓座とかの和太鼓演奏見て下さい。本部があれだから、大教会から末端迄もハゲハゲですわ。スリガネもチャンポンもいい加減だし、2ヶ月続けて間違うわで救いようがない、高い楽器が泣いてます。
古い元教会長さま
ご指摘ありがとうございます。
「ハゲ太鼓」なんですねwww
崩壊 様
ご質問、ありがとうございます。宗教法人や社会団体に入会時に全財産の寄付を条件とする、という事例は天理教以外にもあります。
まず、「原則」から申し上げると、信徒が宗教団体に財産を寄付した場合は、贈与契約(民法549条)になり、所有権は信徒から宗教団体に移ります。家屋敷を信徒が宗教団体に寄付した場合、所有権は宗教団体に移り、寄付した人がその家に住んでいたとしても、宗教法人が好意でその人に住まわせている(使用貸借 民法593条)とか、あるいは管理人の扱いになります。この場合、宗教団体が「出て行け」と言えば、出て行く羽目になります。
ただ、団体に入るときに、団体の要請に従い全財産を寄付しておきながら、脱退するときに無一文で放り出すのはあまりにも酷い、という批判が出てきました。そこで、裁判でも、いろいろな方策で救済する判例や裁判例が出てきました。
宗教団体ではありませんが、有名なのは「ヤマギシ会」をめぐる裁判です。この場合は、入会者が「入会に際して全財産を寄付する」「脱退時にも返還をしないという約束があったみたいですが、裁判所は「こんな約束は公序良俗に反する」(民法90条)として無効とし、ヤマギシ会にお金の返還を命じました。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/093/000093_hanrei.pdf#search=%27ヤマギシ会+財産++返還%27
天理教の教会の場合、私は事情を知りませんが、各地の教会が、被包括宗教法人であるか、どうかで扱いが変わってくるとは思います。
仮に、教会が被包括宗教法人である場合は、これはその法人の解散の問題があるので、簡単ではありません。
が、土地の名義が天理教本部の名義になっているとあると、おそらく法人格はない可能性があります。その場合は、土地建物は天理教本部の懐に入ります。教会を廃止したら、住んでいる人は追い出される危険性はあります。ただ、それでは路頭に迷う場合は、上記の「公序良俗違反」で救済を求める道はあるかもしれません。ハードルはかなり高いですが、不可能ではないとは思います。
まずは、土地と建物の登記簿謄本をとって経過を確認してください。かなり昔のものなので、「閉鎖登記簿」や「土地台帳」も調べた方が良いでしょう。
あとは、家の中を探して、家を寄付した時に交わした書類などを見つけてください。その上で、弁護士や司法書士に相談に行ってください。
法テラスや司法書士会や弁護士会の無料相談が主催する無料相談会もあります。また、法科大学院などで、学生の勉強のために無料相談会も実施しています。
相談に行く場合は、出来るだけ証拠になりそうな書類を全部持っていき、また、相談の内容をあらかじめ紙に書いて行った方が良いです。
こういう事例の場合、普通の弁護士では必ずしも対応できない場合もあるので、弁護士が見つからない場合は、カルト問題などに強い弁護士さんに相談をしてみるのが良いと思います。
ご不明の点があれば、お気軽にお尋ねください。
門外漢 様
ご多忙のところ、早々にご回答を賜りありがとうございました。ご教示いただいたことを基に、私なりに勉強してみようと思います。まずは御礼まで。
崩壊様
天理教がそうだとは言いませんが、相手が大きな宗教団体の場合、お金も人員もあるので、単独で相手にするのは難しい点があります。争いを奨励するのは気が引けますが、同じ悩みを抱えている人達で集まり、団結して対応を相談するのが現実的だと思います。
門外漢 様
2020年4月12日 6:23 PM
>>争いを奨励するのは気が引けますが、同じ悩みを抱えている人達で集まり、団結して対応を相談するのが現実的だと思います。<<
了解いたしました。ありがとうございます。私自身は訴訟とは直接関係ないのですが、この掲示板の読者の方々にとって大変、参考になるであろうと推察します。丁重なるアドバイスを頂戴し、改めて御礼申し上げます。
医療の隠蔽体質で巨大クラスターが発見されました。職員の通報により発覚したそうです。教団も隠蔽していてはこれを越す100人1000人規模の感染集団を生み出すことでしょう。
その時には、「コロナ!天理教」 と言う見出しで週刊誌などから叩かれてしまうことでしょう。
東京・中野の病院で87人感染確認 院内の感染計92人
東京都は12日、中野江古田病院(中野区)の入院患者や医師、看護師ら87人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。重症者はいないという。同病院では4日までに患者5人の感染が確認されていたといい、感染者は計92人に上る。都は「院内感染の可能性が極めて高い」としている。
都によると、同病院からの連絡を受け、1日に保健所が現地で調査。4日までに入院患者5人の感染が判明した。接触していた他の患者や医師らを検査した結果、12日までに87人が確認された。都によると、感染者のほとんどはいまも院内に滞在しているという。
同病院のホームページによると、5日から外来診療や新規の入院患者の受け入れ、面会を中止している。
朝日デジタル
東京・中野の病院で87人感染確認 院内の感染計92人
https://www.asahi.com/articles/ASN4D5RZZN4DUTIL012.html
教庁予算が審議され、可決・了承された。令和2年度の予算は93億3608万円。前年度より9%減額されている。今年はコロナの影響で収入減が予想される。前年度より20%くらい減るのではないか。無駄な行事を減らして歳出を減らすしかない。
崩壊様と門外漢様との会話を始め、皆さんの投稿から読み取れることは、天理教本部が如何に欲深い集団であるかということが分かります。
教団本部は、たとえ土地建物のお供えの要望が出されたとしても、どうか皆さんでしっかりと守って地域のひながたになるように努めてくださいというのが親心というものだろうに、よくも、しゃあしゃあと受け入れること自体、みかぐらうた五下り目、八下り目、九下り目、十下り目及び十一下り目それぞれの四ツの歌の意味が全く理解できていないということを如実に示していることが分かっていまったということです。
教団本部自らがみかぐらうたを否定している行為にほかなりません。
特に、価値のある不動産には目が無いというのは人心にも劣るということです。その最たるものの一つが東京都千代田区のイギリス大使館近くにある〇〇母屋でしょう。
話は、逸れますが、令和2年度の予算は93億3608万円を誰からむしり取ろうとするのでしょうか。
毎月の家賃15万円が払えなくなって商売を辞めると言っていた人が居られます。社会が疲弊している時に余りにも無神経すぎるのではないでしょうか。全額とは言いませんが、せめて幾ばくかの金額でも新型コロナウイルス対策に寄付されては如何ですか。
大亮ツイッターに直訴の教会長の悲痛
>>教会長です。今月破産しそうです。大亮さん助けてください。今までお供えしてきました。貸付でも良いので何か手をうってください。よろしくお願いします。<<
これは当教会でもひしひしと感じている事です。お供え金と言う血の循環が止まりました。これは上納金の原資です。
一般社会の事業従事者、雇用者、被雇用者皆、先の見えない闇の中で悶え苦しんでいます。教会でも同じ事なんですよ。血の通った物事の見方をして下さい。
大亮さん。集金の手をゆるめるよう、各大教会に発布し、下支えして来た教会を守って下さい。我々は失業保険もありません。教会家族もあなた一家と同じく、生きています。家族も幼子も食べています。
親なら この非常時、何らかの策を練るのが責任あるリーダーじゃ無いですか?
真柱に進言して下さい。若いあなたには、その勇気も能力も、天理教を守り変革する情熱もないなら、もう皆見限るでしょう。想像力を駆使してこの非常時下の教会を守って下さい。
全国784ヶ所の教会が目標(めどう 天理教でいうご神体)を教会本部に返却する件
今の時期あまりにも非道であるので〇日新聞デジタルに投稿しました。
東風Z 様
2020年4月13日 8:13 AM
>>特に、価値のある不動産には目が無いというのは人心にも劣るということです。その最たるものの一つが東京都千代田区のイギリス大使館近くにある〇〇母屋でしょう。
話は、逸れますが、令和2年度の予算は93億3608万円を誰からむしり取ろうとするのでしょうか。
毎月の家賃15万円が払えなくなって商売を辞めると言っていた人が居られます。社会が疲弊している時に余りにも無神経すぎるのではないでしょうか。全額とは言いませんが、せめて幾ばくかの金額でも新型コロナウイルス対策に寄付されては如何ですか。<<
世界全体がリーマンショック以上の過去に類を見ないような「世界恐慌」に突入しようとしている今、93億以上の予算編成ができること自体、「眉唾もの」です。予算編成の根拠となる詳細な資料を天理教のホームページで公開するべきです。東京都心にある教会本部の不動産収入や、離教していく末端分教会不動産の売却収入まで見込んでいるのかも知れませんが、大変、甘い話です。中山教温存の為に如何なる手段を目論んでも無駄です。「時既に遅し」です。ついに「親神の鉄槌」が教会本部に下りた気がします。
2020年4月13日 8:42 AMの匿名様の紹介
>大亮ツイッターに直訴の教会長の悲痛<
この時期に教団本部では、毎日毎日2千5百50万円余が消えてゆきます。絶望的な想いの教会長さんたちは、この数字を見られて、どのような想いが胸を過るのでしょうか。
教会長さんに言いたいです。本部なんか当てにせずに、どうか遠慮なさらずに生活保護を受けてください、と。
5月より修養科停止するとの情報あり。年々減少傾向にある修養科生。特段停止しても問題無いかも。コロナ収束後も毎月募集は難しいのではないか。教団の縮小がコロナによってさらに加速している。この際教団の大掃除してみたてはどうか。
崩壊様
これは完全な想像ですが、この時期にいきなり大量の教会の整備をするということは、空白になっている教会の不動産などの財産の取得が目的のような気がします。そうなると、土地建物の返却などを要請されても、そこに住んでいる人たちへの補償を行う可能性は低いでしょう。
現在、宗教法人は多くは収入の減少に困っており、不要になっている土地などを売却しています。また、株などの投資で減収を補っている団体も多いですが、今回のコロナショックで株式は大暴落しており、軒並み資産を減らしております。財務という観点から考えると、遊んでいる資産を処分し、別の投資に当てるなどの対策が必要かと思われます。
天理教の場合、施設も多く、行政に協力金を出しているので、特に多額の運営費が必要でしょう。今まで天理教のやり方を見ていると、残念ですが、土地建物の返還要請があっても、補償がなされるとは限らないと思われます。
土地建物の返還要請があってから動いても手遅れです。あらかじめ弁護士や司法書士に相談し、また、同じような境遇にある人たちが集まって相談し、どうすれば良いか、準備を始めることをお勧めします。
追伸
生活保護がダメなら30万円は貰ってください。これも遠慮は要りませんよ。
門外漢 様
2020年4月13日 12:37 PM
重ね重ね親切なアドバイスを頂戴し感謝申し上げます。実は私も同様のことを想像しておりました。近年、人々の宗教離れが進み、天理教に限らず、どこの宗教団体も「経営」に苦慮しているようです。昨夜テレビを視ていたら、某禅宗の末寺が檀家の減少で「経営」が苦しくなり、副住職がラーメン店に修行に行き、夜間、寺の境内にテントを張ってラーメン店を開業し寺の経営難を凌いでいるということが番組(なるほど珍百景)で紹介されていました。
ご指摘の通り、教会本部から土地建物の返還要請があってから動いていても手遅れだと思います。私自身は直接の当事者ではないのですが、今後、教会本部から離脱あるいは離教していく教会や信者は激増していくであろうと思いますが、宗教問題に詳しい弁護士や司法書士は数少ないと思います。私が個人的に思いつくのはオウム真理教の一連の事件で活躍されていた鬼藤弁護士ですが、どのようにしてアポをとり、どのようにして相談をもちかけたらよいのかが問題です。それ以前に、同じような境遇にある教会の人達がどのように集まって相談したらよいかすら直ぐには分からないと思います。17,000ヶ所程度と言われる天理教の末端分教会がいかにして、情報を交換し、相談しあえる体制をつくるのか、現状では非常に難しい問題であるように私には思われます。
崩壊様
弁護士は宗教とか教育の問題に関わるのを嫌う人が多いです。ややこしいし、お金にもならないし、迷惑を受けることもあるので、逃げる人が多いでしょう。
ただ、中には、正義感の強い、真面目な弁護士もたまにはいます。(そうでない人の方が多いかもしれませんが。)そういう弁護士さんに巡り合ったら、それなりに一生懸命になってくれます。
例えば、不動産の登記は、公示力はありますが、公信力はありません。不動産登記に所有者の名前が載っていても、「その人が所有者であろう」という一応の推定は働きますが、「その人が所有者だ」と断定するまでの効力はありません。そこで、その推定をひっくり返すだけの証拠と法的な構成を見つけ出せば、登記があっても、所有権の争いに勝てます。これは、なかなか難しいですが、不可能ではありません。
弁護士も、今は、司法改革で競争になり、相談しやすくなっています。色々な人にどんどん相談して、信頼できる弁護士や司法書士を見つけてください。なお、費用についても、最初に「これだけしか出せない」とはっきり言ったら、法テラスの補助制度などを教えてくれます。とにかく、やる気があり、誠実な弁護士や司法書士を見つけことが大事です。
門外漢 様
2020年4月13日 3:38 PM
了解いたしました。ご多忙のところありがとうございます。今後とも色々と伺うことがあるかと思いますが、よろしくご指導の程、お願い申し上げます。
このご時世、買い物の時に、マイカーの走行距離が伸びているのを見て、
妻に尋ねると、「にをいがけ」をやっているとのことで、呆れました。
妻は、深くは信じていないと言いますが、先生という人や、
一緒に「にをいがけ」をしている人が、「真剣に私たち家族の
事も、心配してくれている」と言ってます。
もう、普通の考え方には、戻れないのでしょうか?
①愛実町布教所について
小西実・小西博子夫妻が「神様」の扱いをされていて、
この人たちの言うことは、絶対服従のようです。
その下に、黒い服を着た「先生」という人が居て、
リーダー的な人に、活動やメール配信を指示しているようです。
妻は、そこから飛んでくるメールに従って、朝から夕方まで、
にをいがけと称して、複数人で訪問しているようです。
妻は、小西夫妻や先生の事を信じているようで、
「寝る時間も取れないほど、他人の悩みに答えている」と言ってます。
家で、壮年会や勉強会?のCDを聞いているようで、私も聞いてみると、
〇壮年会:それなりに良い話をしている(講演会と称し、信者を勧誘するため?)
〇勉強会:小西実所長が「お前ら笑えや!」、「ワシの話に反応しろや!」と怒り、
小西博子夫人は「良い大学に合格する話」、「お金、病気の話」を繰り返し、
天理教の教義と関係あるのか?、と疑問でした。
②最近の状況
2月終わりには、一斉送信と称して、コロナウィルスのチェーンメール
が配信されていました。上から届くと、こんな事も信じるのでしょうかね?
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/586997/)
その後、数週間くらいは、布教所やにをいがけを少し控えてたようですが、
3月の後半になり、近く大祭があるようで、先生と呼ばれる人たちから、
「しっかり活動するように」との指示があり、このご時世にも関わらず、
メール配信と称した指示メールに従って、積極的に出かけているようです。
③その他
自宅近くにも、天理教の布教所があり(普通の家のようなところです)、
「そこに行ってみたら?」というと、愛実町布教所では禁止されていることで、
「他の布教所に変わると、不幸になる」のだそうです。
話は変わりますが、博子夫人の話には、よく大学の自慢話が出てきて、息子さんは、
「東京大学に入る実力があったが、自宅から通学するために神戸大学に進学」
したのだそうです。
崩壊 様
門外漢様
横から割り込み失礼します。
これまで「ひながたの会」で相談を受けたり情報を寄せてくれた教会(大抵は末端教会)は、全て、本部と「被包括関係」を結んでいる宗教法人であり、不動産の所有は教会(その宗教法人)の名義です。
本部や上級の名義という方が少ないと思います。
しかし、被包括関係にある教会(法人)が解散する場合は、「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程があるはずです(私の教会を含めて全ての教会で規定がありました)。
今回、お目標を返却するという事が、即、宗教法人解散に繋がるかどうかは不明ですが、それによって何らかのその教会の関係者と本部との間で何らかの「いさかい」は避けられないでしょう。
上記のように不動産がその教会(法人)名義なら、離脱してしまえばトラブルも裁判沙汰にもならずに、引き続き教会施設を使って、誰にも邪魔をされることなく自分たちの信じる信仰を続ける事ができるのですけども、「長い付き合いの天理教関係者から縁を切られる」ために前進できない人や踏み出せない教会は多いと思います。
加藤ハルアキ 様
崩壊 様
加藤様におかれましては、貴重なご教示に感謝申し上げます。私は天理教の事情は全く知らないことを最初にお断りいたします。ですから、間違いがある可能性は申し上げます。
宗教法人法には、以下のような条文があります。
「第二条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
一 礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」
「お目標を返却する」ということは、おそらく、宗教法人の解散を前提にした作業である可能性はあると思います。
その場合、そのままだと、ご指摘のような「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程に従い、不動産などはすべて天理教本部に所有権が動きます。つまり、住んでいる人たちは、そのまま無一文で放り出される危険性はあります。
ただし、土地建物の名義が被包括宗教法人の名義の場合は、この関係をまず解消すればこの問題は無くなります。天理教本部が介入することができなくなるからです。
もし、このような手続きをされる場合は、早めに動かれることをお勧めします。
加藤ハルアキ様の言われた、
> 被包括関係にある教会(法人)が解散する場合は、「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程があるはずです <
という規程なんですが、天理教側が あまりにも身勝手なので驚きました。この一方的に身勝手な規程を結ばされるとき、疑義を抱いた人はいなかったんでしょうか?また、こうした規程そのものが違法とされることはないのでしょうか?
確かに、昔は疑義を抱いても、それを口に出して上級に問いただす雰囲気はなかったかもしれません。「なんで、そういうことを聞くのじゃ。おまえはワシを疑っているのか?ワシらは、親子(理の親子)じゃないか」、とか言われたんでしょうか?
百歩譲って、日本国内では許されたとしても、海外布教では、こうした一方的な規程は、『侵略行為』 とみなされるでのではないのですか?
相手の信頼を得てから、徐々に干渉範囲を広げ、気付かれないように侵略し、後戻りできないように支配する。
典型的なヤクザそのものですね。
人の良心や、弱者を食い物にするビジネス。それをやってのける側は善意であるという恐ろしさ。
指示や命令は上から下へ、下から上へいくのは金と人足だけ。教会本部の許しの元、上級を神と思い立てて通れ。それを神が喜ぶ。お前は試されている。
お前のため、良かれと思って、助かるため、科学や常識の理外でないと助からない…
最後の最後は『神にもたれよ』
どれだけ苦労し、頑張っても、良い結果にならなければ、『神様から見たらまだ足りないのだろう』
「天理教の信仰者である前に、人としてどうなのか?どうありたいのか?」
これが一番大事だと思う。
生きるために信仰するのか
信仰するために生きるのか
今日もコロナは感染を広げる。
門外漢様
加藤ハルアキ様
もし、教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、放っておいて勝手に事情教会にされて没収されても、一向に構わないでしょう。
解体費用なども上級か本部が何とかするでしょう。責任はありません。
最近の皆様の投稿を見て感じたことは天理教本部の底知れぬ恐ろしさです。
このような教会規則を作らせた教団に怒りを禁じ得ません。信者さんたちの必死の願いを裏切るような規定が有ったなんて誰が知ろう。責任役員を務めた者としてあまりにも迂闊でした。そもそも、教会規定そのものを見たことはおろか、存在すら知らなかったのですから。
私の勤めていた公益法人では、入会を希望する者(個人法人を問わず)には、まず定款を示して、その活動方針に賛意を得たうえで入会手続きに進みました。
定款は登記事項でもありました。教会規定も登記事項なんでしょうか。それとも、関係行政庁への届け出事項なんでしょうか。登記事項は閲覧が可能ですが、届け出事項であれば閲覧すらできないのでしょうか。
いずれにしましても、教会規定は寄らしむべし、知らしむべからずの物だったんでしょうね。
今も、苦労をしているだろう天高二部同窓生の会長さんたちの姿を想像すると、うっすらと涙が浮かんできます。
生きるために信仰するのか
信仰するために生きるのか<<
この視点を見失ってはいけない。よりよく生きるための信仰であり、信仰するために生きているのではない。
どれだけ多くの人が信仰するために時間とお金と家族を犠牲にして、生きながら「死んだような苦痛の毎日を生きた」のか。
現役教会長の方が真柱が質素だとたて奉るが見かけの質素に気をとられて人に見せない彼らの預金通帳を見たことがあるのか。彼らの先代達がかつて高額納税者だったという事実は消えない。虚飾と消えない事実とどちらが真実か?
ぶたまん 様
2020年4月13日 10:45 PM
>>確かに、昔は疑義を抱いても、それを口に出して上級に問いただす雰囲気はなかったかもしれません。「なんで、そういうことを聞くのじゃ。おまえはワシを疑っているのか?ワシらは、親子(理の親子)じゃないか」、とか言われたんでしょうか?<<
昔、天理教に入信し教会になった人達は、高等教育を受けた人も少なく、法律の詳しい知識もないまま、上級の言われるままに教会になった人達がほとんどであったのだろうと思います。「理の親子」という訳の分からない「親子関係」を盾に、半強制的に教会にさせられたケースがほとんどだったのではないでしょうか?
崩壊様
> 昔、・・・・法律の詳しい知識もないまま、上級の言われるままに教会になった人達がほとんどであったのだろう
そうなんです。私もそうではないかと思った人間です。
上のこのご文章の中で、「昔」という一字がキーワードになっていて、・・・つまり、今と昔では、世の中も天理教自体も少し雰囲気も様子も変わって来ているんじゃないかと思うんです。また、雰囲気だけでなく、実際に、教会長が代わるなどしたら、信者さんを取り巻く環境も変わって、「初代さんはよかったのに、二代目さんは、どうもね」といった不満不平が出ることもあるんじゃないかと思います。
信者さんにしてみたら、「昔と比べて、こんなハズじゃなかった!」という事態が発生していたとしたら・・、法律も、機械的に判断するのではなくて、信者さんを取り巻く『環境』というものは時々刻々と変化するものだということを加味してもらって、例の矛盾を感じる規定を無効にすることはできないものかと思った次第です。
コロナ拡大の中、けっして政府は国民が安心できるような自粛要請と保証をセットで語ろうとしませんね。
天理教本部も同様。
教会の整理統合の話には財産・金銭面の整理を「無いものがごとく」或いは「気が付かないフリ」をしているのか判らないけれど、そのプロセスを明示しません。
本部が決め、実行することに下の者が口をはさむなんてことは想像すらしていないのでしょう。
「その立場にある者」以外の人々が意見を言うことは、天と地がひっくり返ったことのように感じるのかもしれません。
しかし今の時代は、その立場にない者であっても、問題点に気が付いた人が、警鐘を鳴らし改善を求める事は、もはや人として普通の行動になっています。
一部では「プロ市民」などと反感を呼び起こすことが目的のようなネーミングで、その動きを阻止しようとする徳川時代の民のような人たちもいますが。
そんな時代錯誤の人たちは権力者と表裏の関係で「目クソ鼻クソ」のような心貧しい連中です。
よもや天理教本部の皆様方はそのような憐れな人ではないと思いたいものです。
きっと、緻密に問題を解決する能力に欠けているだけなのでしょう。(と、思いたいものです。)
古い教会長さんの短いご指摘を拝見して、少々気がかりが残りました。
そこには古くからの信者さんたちの思いに対する気配りが感じられませんでした。
会長さんとは、信者一人一人の思いになど構っていられないという文化伝統があったようですね。
元会長さんの時代には面倒な事を言いだすような信者は少なかったでしょうしね。
放置された教会建物を取り壊すのかどうかは売却する際に決めるのでしょう。
土地建物に価値が有るかどうか、少なくとも都市部においては、それなりの価値はあります。
過疎地の人の意識と奈良県天理村の住民と、都市部の住民とでは、感覚が大きく異なるのです。
そして、後継者がいなくなった教会は放置されたいきさつがあり、土地建物を捨てても教団から脱却したかった方々の気持ちを想えば、けっして軽く扱われてよいものではないと強調したいのです。
匿名様
>古い教会長さんの短いご指摘を拝見して、少々気がかりが残りました。
そこには古くからの信者さんたちの思いに対する気配りが感じられませんでした。
会長さんとは、信者一人一人の思いになど構っていられないという文化伝統があったようですね。
元会長さんの時代には面倒な事を言いだすような信者は少なかったでしょうしね。
この度、本部にお返しする教会は、信者がいなくて、会長も不在で、何年も経っている教会です。
「教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、・・」と言っています。それを後継者だったからと、お詫びに付き合わされ、多額の費用を負担までしなくていいですよ。よ言いたいだけですので誤解のないように。
>後継者がいなくなった教会は放置されたいきさつがあり、土地建物を捨てても教団から脱却したかった方々の気持ちを想えば、けっして軽く扱われてよいものではないと強調したいのです。
元々、布教して教会になった、というより、事情教会が出来て、誰も持つ人が無く、上級の都合で、ちょっと熱心な信者さんが、自宅を改造して神さんを祀って、形だけ教会といっているケースが非常に多いのです。
だから、包括法人なのですから「教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、放っておいて勝手に事情教会にされて没収されても、一向に構わないでしょう。
解体費用なども上級か本部が何とかするでしょう。責任はありません。」と、言いたかったのです。
匿名
2020年4月15日 2:22 PM
>>コロナ拡大の中、けっして政府は国民が安心できるような自粛要請と保証をセットで語ろうとしませんね。
この問題は確かに皆さん目の当たりにしています。これらの問題点は、現在の政権与党の自民党の責任にされがちですが、どうも野党や官僚に問題があるということが発覚してきました。皆さんご存知の「マスク2枚」は経産省系官僚の今井氏と浅野氏が主犯だったようです。
そして、新型コロナ対策の審議を野党が審議拒否していたのも国民の目に晒され、与党も大変でしょうが、野党の方が国民からの信用を失い壊滅的事態になっているようです。
そして国民補償給付の最大の問題点は、財務省の出し渋りだそうです。日本は実際世界有数の超が付くほどの経済大国であるのは曲がりも無い事実、実際無尽蔵に資金調達を出来るのです。新型コロナ発祥の中国の様に書類改ざんで世界二位になった様な国とは大違いと言うことです。
一方教団には野党は存在しません。中山家一党独裁です。資金的問題も底を尽き始め各所にある被包括法人の土地の売却で運営費を捻出しようと言う愚策悪政を敷いているところでしょう。これは明らかに誤りです。
信者に痛みだけしか与えない政策をしているから人気が消え中山不要論が出てきても致し方ないということです。
これらのような指摘は社会学のコメントでもなされてきたことで、それを押し切って、被包括法人の土地や財産に手をつけたのは紛れも無く中山一党独裁状態の現体制ですのでもう逃げも隠れ出来ないでしょう。
もう宗教云々の前に教団運営が焦げ突き出しているのは間違いないでしょう。あと何年持つのか?が見物です。
古い元教会長様は、<土地建物を捨てて教団から脱却していった人々の気持ち>にいついては、書かれていません。古くなった教会の処分について書かれただけです。
それは多分、<気持ち>についてまで書くと、テーマが枝別れしてしまう上、冗漫になってしまい、何が言いたいのかがぼやけてしまうことにもなるからでしょう。
我々も、こういった短文形式で投稿する場合、言いたいことを一つにしぼって、できるだけ簡潔に書こうとするのではありませんか?簡潔に書いて、読み手に何が言いたいかを伝えやすくしようとします。古い元教会長様も脱会せざるを得ない人々の無念な気持ちは十分解っておられるのに違いありませんが、今回はそのテーマは避けられたんじゃyないでしょうか。
私が読んだ印象は、「包括法人で、価値のない教会をもらってもそれはゼロなのだから、上級は喜んでばかりはいられないだろう。それどころか、解体しなければならないとなると費用がかさみ、ゼロを通り越してマイナスになってしまう。これでは、よけいなお荷物をしょいこんだことになるだろう」 という皮肉めいた言い方をされているというものでした。
また、そうした表現 が、上級教会の「無責任体質」 に対してアテコスリにもなっているのだろうと思いました。
私の読みが浅いため、カン違いしているかもしれません。そのため、横ヤリを入れてかき回すことになったかもしれませんが、古い元会長様は信者さんに対する配慮が欠けているのではないかというご心配は不要のものと思います。
ぶたまん 様
私の気持ちを代弁して頂いて有難うございます。
その通りです。
返される800の教会は、長年放置されてきて、会長も信者もいない教会です。
中には、誰も住んでいないあばら家で。お目標様も上級が無断で持って帰っているケースもあります。
今回の800カ所のお返し教会の中に、会長が不在でも教会家族が住んでいる所は入っていないと思います。
上級の教会家族(奥さんや息子や前会長)が名前だけ会長になり、月次祭だけ通っているような教会は含まれていません。
実際、教会としての機能を果たしていない事情教会を数えると、この10倍にはなるでしょうね。
一信者にしか過ぎない者が生意気な事を申し上げ、古い元教会長様はじめ皆様にご不快な思いをさせ、失礼いたしました。お詫び申し上げます。元会長さんを非難する者ではなく、たまたまハンドルネームで会長職に在った方だとわかり、言ってみれば一信者から会長代表へと申し上げた次第でした。ぶたまんさんがおとりなしくださったので元会長さんのお気持ちが晴れたことと思います。会長へたてつく人なんて現実世界にはあまりいませんし、私だっておとなしそうな一信者として参拝しています。
お詫びの後に弁解を許していただけるならば続けてお読みください。
申し訳ありませんが、ご不快に感じる方はスルーして頂ければありがたく思います。
たった一つだけの例ですが、事情教会の経緯と現況を、そこに関わっておられる方から、直接聞いていた状況があったので、全国の教会事情などを知る由もないまま、こちらの場に紹介させて頂いた次第でした。
詳細を書きたいところですが、当事者の方に迷惑がかかるので気持ちを代弁するにとどめた次第です。
教会登録を削除されていないまま空き家の教会に行き、自発的に清掃活動をされている方がおいでなのです。
しかもその教会は自分の所属教会ではなく、単にそこの会長さんの生前を知っていて、事情に同情され、建物に風を通すだけでなく、清掃にまで心を砕いているのです。そこの前会長さんと会長さんをはじめかつて通われていた人々の姿、声を、その方だけではなく、私も存じ上げていますから、一人で清掃されているという事を知った時には胸にぐっとくるものがありました。
長い教会との付き合いの中では、一人一人に心の中の記憶として、この教会のように会長家族はいなくとも、関わった人は勿論、遠くから眺めていただけの私のような立場の軽い者にとってさえ、様々な記憶に残るものがあるのです。理知的な方々からすれば感情的な言い分と捉えられることは承知していますが、教会建物というものは、単に経済面から論じるだけではかたずけられない面があり、だからこそ、天理教本部は特段の配慮をもって信者に一連のロードマップを語らなければならないと強く思うのです。そして天理教団本部だけの事ではなく、すべての会長たちには一信者たちが積み上げてきた教会の姿を重く感じる感性を捨てないでくださいと言いたいのです。
清掃活動を続けている方も一信者さんです。講社祭りすらしていない信者さんです。しかしバリ天ではありません。ご自分なりの感性で、教会関係者の皆さんの言動を長年にわたり観察され、ご自分なりの頭で判断された挙句の行動です。話を伺った私も、一種の正義感に裏打ちされたその方の言葉に共感した事を申し添えます。天理教の世界での上下関係ほど滑稽なものは有りません。社会で働いてくると一寸の虫にも何とやらという負けじ魂が育つのです。
お読みくださった皆様に御礼申し上げます。
天理教社会学研究所
@tenrisyakaigaku
コロナ禍について、真柱も、SNSをやってる次期真柱も表統領も教義的コメントはなし。
教えを放棄してるのも同然。
何のためのリーダー?
何のための天理教?
何のための信仰?
祈りも一度だけ?
真柱として仕事しろよ
午後2:06 · 2020年4月16日·Twitter Web App
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@tenrisyakaigaku
さん
集金組織のトップだから、神性の話が出来ないってね。
笑い話どころではないですよ。<<
真柱さん。コロナに対する教義的発言を信者にして下さい。集金組織のトップだから神性の話はできないんだね、って事ですか?トップとして大変心もとないです。
ちゃんと仕事して下さいよ。我々信者はこのコロナ出現に対する信仰的方向性が見出せないんですよ。どう受け止めたら良いのですか?貴方は反省反省ってよく言いますが、何をどう反省したら良いのか、具体的にご指導下さいな。
大亮くん。これまでの反省の上に今後の歩み方を思案し、、、と3月の月次祭で奏上されたが、これまでの反省の具体策を示してください。常に思うが漠然とした説教は雲をつかむようでさっぱり解りません。貴方を含めて信者一同の反省点は何ですか?
全都道府県への緊急事態宣言が出されましたよ本部さん。
それでも祭典や「ご祈念ほどき」に全国から教会長や関係者を招集し、三密のリスクを冒しますか?
以下のように世間の人たちに忌み嫌われ迷惑がられてますよ?
これでは人をたすける行為に明らかに逆行してませんか?
終息する迄、即刻帰参自粛、およびお運び中止をすべきです。
Twitterより
〇何が怖いって、18日に天理市で開催される教祖誕生祭に全国から教会長が招集しようとしてる。もちろん緊急事態宣言中の地域を含む。本当に危機感がないです、天理教教会本部は。
〇保健所に連絡したら対応してくれるのでしょうか、、奈良県民として怖すぎます
〇保健所とか市役所県庁国会議員とかいろんなところに相談したらいいと思います。
〇本日、市のコロナウイルス感染症対策本部と教会本部へ嘆願書を送信しました。けど1人のちからではどうしようもできないですよね…
保健所と議員さんですね!アドバイスありがとうございます
他宗教から次のような批判が出ています。
https://www.youtube.com/watch?v=DXqOu69kxpA&feature=youtu.be
今月24日お目標お返しの為に、紋付羽織袴を纏い馳せ参じ一堂に集合する。現代版参勤交代のようだ。無駄な経費、時間をかけて儀式が執り行われる。本部員が各地を廻り回収しに行けばよいのでは。今迄の労をねぎらい謝意を述べるべきだ。全国に緊急事態宣言が出ても相変わらず全国各地から呼び寄せる神経が分からない。天理市民はどう思うのだろうか?
匿名
2020年4月16日 6:33 PM
明らかに通報対象です。
強制力が無いからして良いわけでございません。国家が出した緊急事態宣言を国から認可を受けた宗教法人が無視する事は反社会組織であるという事に成ります。三密は勿論、不要不急の外出も原則禁止です。ひのきしん など集合、集会を伴う行為も禁止です。
本部がある天理市や奈良県はじめ全国バンバン通報しましょう
緊急事態宣伝でも、参拝や奉仕作業を無視してやらせて集合、集会三密で感染者出したら、とうとう教団も終わるかもしれないので放置しておきましょう笑
楽しみです!笑
現・天理教を擁護し肯定されている方々の書き込みが、なんと説得力のない事か。
批判している方々は、経験や体験を通して語られていますので、とても心に響きます。
信じ込み、思い込んで教え込まれた教理だけを駆使して語っても薄っぺらいだけです。
何も、難しい事はないのです。
現・天理教は、教祖の教えられた通りにすればいいだけの事です。
緊急事態宣言は、、感染予防の為なので感染者が出てからでは遅いんですけどね笑 教団上層部はお頭がロックダウンして理解がオーバーシュートしてるのかな?そして医療崩壊改め教団崩壊が待っている笑
ご守護!ご守護!で人をだまして感染者出せば良いのです。感染者出た時点で本部の信用は驚くほどなります。おめでとうございます!
天理教により少しでも負の側面を見せられたり、体験をした人達は、この欄に書かれている一つ一つに頷くことになるのでしょう。
本当は、もっともっと明るい教えであるはずなのに、心は一考に明るくなれない。いやなことばかりが思い出されてしまう。
教団本部は何故このことに気付かないのだろう。お道という教祖が示されたひながたの道を辿る努力をすればいいだけなのに、そのひながたが捻じ曲げられてしまった。
その原因の最も愚かなことの一つが、頂点を目指す心が余りにも拙速に過ぎたことではないだろうか。ある人が本部の建物群を見て一言、このような姿になるにしては、余りにも早すぎたんじゃないかと。
教組70年祭当時私は二部生でしたが、いま思い返すと成る程と思ってしまいます。
S詰所にて、陽性反応が出た修養科志願者を隔離中
と、噂話が飛び込んできました。
これが事実ならとんでもないことですが、嘘であって欲しいです。
>>教団本部は何故このことに気付かないのだろう。お道という教祖が示されたひながたの道を辿る努力をすればいいだけなのに、そのひながたが捻じ曲げられてしまった。
その原因の最も愚かなことの一つが、頂点を目指す心が余りにも拙速に過ぎたことではないだろうか。ある人が本部の建物群を見て一言、このような姿になるにしては、余りにも早すぎたんじゃないかと。<<
数年前、天理教のハッピを着た中年の女性が、私の家に「においがけ」に来られ、開口一番、教会本部の建物群の立派さや壮大さをひたすら強調され、一緒に「おぢばがえり」をしませんかとおっしゃいました。私は、自分自身の生い立ちと今は天理教から離れていること、そして宗教の本質は建造物で評価されるものではないことを申し上げたところ、そのご婦人は何も言わず逃げるようにしてお帰りになりました。
今、天理教のライブカメラが1台増設されています。4月15日から4月27日までの期間限定ということですが、一体、どういう目的があるのでしょう? 教会本部建物群の威容を誇示したいのでしょうか? 私には不明です。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/livecamera/
ライブカメラの増設を私も天理教のHPで知りました。はっきり言って何の意味があるのかと唖然としました。これまでの南側正面のライブカメラなら夜でも明るいし、ライブで人出も見えます。でも、新設したライブカメラ2は、北側の神殿入口を含めた3殿の全景が動画で写っています。これなら写真で十分だと感じました。24時間動画の意味が不明です。暗くなると画面は真っ暗です。昼間の映像も静止画のようです。活用してくださいと記載してありましたが、何に活用するのでしょうか?
もし、ライブカメラを設置するなら、南礼拝殿の中から甘露台および神床周辺を常時ライブで写してはどうかと思います。我々にはできませんが、道友社なら可能では?この期間は、神殿には一般信者ははいれませんから、せめて全国からPCの画面等で遥拝が出来るのではないかと思いますがどうでしょうか?
>>もし、ライブカメラを設置するなら、南礼拝殿の中から甘露台および神床周辺を常時ライブで写してはどうかと思います。我々にはできませんが、道友社なら可能では?この期間は、神殿には一般信者ははいれませんから、せめて全国からPCの画面等で遥拝が出来るのではないかと思いますがどうでしょうか?<<
その通りです。道友社なら可能であると思います。神殿内は写真撮影不可との教会本部からの「おふれ込み」ですが、道友社が自ら複数のカメラで撮影した月次祭の式典や甘露台で執り行われている「かぐらづとめ」の模様、あるいは、神殿内外の状況をネットでリアルタイムで中継したら、それで済むことだと思います。どうして、遠方から多額の旅費を費やし、多額の「お供え」携えて「おぢば」に参拝しなければならないのでしょう。読者の皆さん、どのように考えられますか?
何度も同じ内容のことを投稿しますが、お許しください。
他宗教(日蓮正宗)が、天理教を下記のように批判しています。私は「当たらずとも遠からず」という気持ちで聞いていましたが、何回も聞いている内に「当たっている」という気持ちになりました。読者の皆さんはどのような感想をお持ちになりますか? 人それぞれ考え方は違うと思います。奇譚の無いご意見をお聞かせください。
https://www.youtube.com/watch?v=DXqOu69kxpA&feature=youtu.be
今日、天理教ホームページのお知らせが更新されていました。明日の教祖誕生祭への信者の参拝を控えるようにとお願いしてはいますが、やはり強制力を感じさせるほどではありませんね。これでは熱心な信者や危機意識の乏しい信者の参拝は止まらないような気がします。尤も禁止したとしても神事を抜かすことへの恐怖を刷り込まれた信者は自己責任として参拝してしまうのでしょう。それで感染があっても、本部は信者が勝手にやったこととして逃げるのでしょう。
ライブカメラを見ると、本部前の沿道には大教会ののぼり旗が並び、何人もの人が箒を持って掃除をしていて、まるで信者の参拝を予想し迎える構えを見せているかのようです。神殿正面の階段下には白い箱のようなものが見えます。拡大してもよくわかりませんが、まさか賽銭箱ではないでしょうね。
参考意見 様
2020年4月17日 4:43 PM
>>やはり強制力を感じさせるほどではありませんね。これでは熱心な信者や危機意識の乏しい信者の参拝は止まらないような気がします。尤も禁止したとしても神事を抜かすことへの恐怖を刷り込まれた信者は自己責任として参拝してしまうのでしょう。それで感染があっても、本部は信者が勝手にやったこととして逃げるのでしょう。<<
洗脳されきった信者は参拝するでしょう。そうした信者を阻止するために、要所要所に警備員でも配置し、参拝を徹底的に阻止する体制を本部側はとるべきだと思いますが、本部側はたとえ1円でも「お供え」の増収を目論んでいるのでしょう。要するに、信者や他者の命より、我が身(幹部)大事。本部大事、という考え方がありありと見て取れます。とんでもない「人たすけ」の宗教です。
これは神様の配慮なのかと感じます。
新型コロナ感染拡大に伴い、不思議な事が私の心の中で起きています。
それは、「おじば」を慕う気持ちが消えてしまった、ということです。
煙のごとく、消え去ってしまいました。
長年、教団本部や天理貴族の皆様に対して、種々、残念な思いを抱えていましたが、
それでも奈良県天理市の穏やかな風景の中にある場所を(場所です!)慕うような心はありました。
ところが、その心がスッキリ消え去ってしまったのです。コロナ騒ぎの中で、なのです。
皆さんの中にもひょっとして同じような現象が起きてはいませんか。
何がどうしてこうなったというものではなく、人為的な切っ掛けも全くないのですが、
気が付いたら消えていたのです。
危険を冒しても天理に参拝したいという気持ちがあると、参拝できない現状が厳しいものになり、
ストレスを感じるでしょうが、それが無く、スッキリ平和な心持ちなのです。
これは神様の思いに添っているからかもしれませんが、私はそのような信者にありがちな、
平面的な悟り方をするつもりはありません。
ただ、コロナ感染を防ぐために、外出を控えれば多くの人が助かるという道筋を歩んでいれば、
自然とストレスのない心持になるのだと考えました。
あまりにも当たり前のことなのです。
そしてこれが最も大きな収穫なのですが、
「おじば・かんろ台」に拘泥しなければ、元の理の矛盾点に悩むことから解放されるのです。
コロナウイルスの時代は私を自由にしてくれた旬だとハッキリ感じています。
同感です。本部は「ただの場所」です。
コロナではっきりした事があります。それは、「おぢばに行けば助かる」と言う事が、天理教的に嘘、偽りであったと言うことです。
コロナをもってして、神の聖地は手も足も出ないと言う現実を今天理教の歴史の中で
目撃しているのです。確かな現実として見ています。今、天理教の神は苦難の渦中にある民衆を「ようこそおかえり」と抱える事が出来ない。「来てはいけない」と遠ざけているのです。
こんな神の何処に守護や有り難みがありますか?今多くの感染者が回復しているのは遅々とはしていても、それは医学、科学の力によるものです。天理教本部は全くの無力です。
さて、善亮さんに登場してもらいましょう。「命の繋ぎは金」を皆が納得する様に説明して下さい。金で解決するのでしたね??コロナで死にかけた人はお金を本部に運べば命が繋がるのですよね。さあ人助けです。善亮さん。全国の教会長に働きかけて、宗派を問わず、罹患者からお金を本部へかき集めましょうか?命が繋がるなら電話総動員で一人一人を説得しましょうよ。その昔、一本100万、2本200万ってね。そんな端金で助けてもらおうって思ってるのか!ってね。大きな人助けですよね。
おぢばが「ただの場所」と言う事がわかりました。神が働かない場所と言う事も今回のことで分かりました。
聖地だ、なんだと変な騙しに乗せられてうっかりと信じてしまっていたが、そんなこだわり、洗脳から脱却すれば、普通にストレス無く、国々所々で幸せに暮らせるのです。皆さま、もう騙されないようにして自分の有りのままの生活を取り戻しましょう。人生は自分のもの。重いものです。天理教の欲に乗せられて良いようなものではありません。騙されて後悔してもやり直しはききません。
参考意見
2020年4月17日 4:43 PM
教祖誕生際【直属教会長、ようぼく、信者さまの参拝は控えていただき】
成りましたので、今後の月次祭も同じ対応をするようにさせましょう。新型コロナ感染拡大支援教団といわれるかねないので
以下のS大教会部内の末端教会が競売にかけられています。
教会長家族はどうされたのでしょうか?
なぜ競売に至ったのでしょうか?
ご存知の方、語れる範囲で教えていただけませんでしょうか?
https://競売公売.com/auction/163189.html
緊急事態宣言が出されている昨今、未だに本部への参拝は控える位にとどめて居るのに驚きました。
地元の寺や寺院では門を閉め閉鎖してる所もあります。ましてやにおいがけと称して勧誘や集会等もっての外です。
知り合いには寺から封書で参拝に関するお知らせなるものが届いた人も居る。
場合によっては門を閉め閉鎖をするので、参拝来所の際には電話連絡で個別対応をする趣旨だ。マスク無しは対応しかねると有ったようだ。
ただこの様なお知らせを出すのは実に心許なく、出来れば自宅待機をお願いしたい趣旨だったそうだ。
色々な事情や又意見も有ろうが今は仕事で給料を貰う立場でなければ自宅待機が望ましいだろう。尤も無職の会長は最初から自宅待機が出来るので、何もそうじやらにおいがけやらに出掛ける必要は無いのに、何故か教会で月並祭。三密で窓を開けて集会。集まってお掃除。最早コロナウィルスまき散らしの細菌テロだ。
天理市でも出掛けて来る人を見込んで旗だか提灯迄立ててるのだから。今は不要不急の外出は控えステイホーム。自宅待機です。
其れでも三密の集会が止まないなら通報対象だとご忠告申し上げといた。立派な反社会的行為だ。
尤もバリ天なるは思考が止まってるので、更に熱心になるかもだが。近所迷惑も顧みないだろう。
匿名
2020年4月18日 1:09 AM
また競売、しかもまだ新しい「存命の理」の掛け軸が滑稽ですね笑
九下り目
四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから
六ッ むりにでようとゆうでない こころさだめのつくまでは
九ッ ここでつとめをしていれど むねのわかりたものはない
ほこりにまみれた泥水にまみれた、弱者を虐め金を毟り取る、欲と高慢だらけの教会長や教会役員、上から目線の金持ち信者は「ぢば・かんろうだい」に来るな!と親神様・教祖が、今回の武漢肺炎のパンデミック騒ぎで「警告」なさっているのだと私的には強く思っております。本部員も然り。
115歳定命と定めつけたい神の一条が本当なら、真柱は今の心の軌跡を天理時報に連載してください。
4月19日号も調子のいい話ばっかりで、少々うんざりしています。苦しい時の心の有り様を説くのであれば、真柱の心情の吐露が何より求められているんじゃないでしょうか。
そうでなければ信者さん方の心は、ますます離れていくことになるでしょう。
心の叫びのような話が聞きたいですね。
東風z様
その通りですね。
前回号かその辺りの時報にて、真柱は初代から代々真柱の置かれた天理教的状況とその時々の苦難を回顧し、今回のコロナにまつわる苦難が4代真柱としての自分また教団としての苦難だ、と言う様な事を天理教的視点で語っていましたね。
世界宗教を標榜する宗教の真柱ともあろう者が天理教的苦難を語るのは世界宗教家トップとして余りにも無責任でかつ視野が狭く、針の穴の中をのぞいているようなもの。やっぱり引き受けたくなかった真柱職で、器が小さいなあ、と言う印象が強いです。
地球規模で人類の置かれている困難な状況と今後進むべき道、精神の在り方等々のご神言が聞けなければ、これが天理教の苦難だ、とぼやかれても、それがなにか?と言う気分になります。指導者として甚だ心もとない真柱、との思いを強くしただけです。質素倹約を演じているだけが仕事じゃなく、質素倹約生活を通して何を行動し発信するのか。模範を示してこその存在意義だと思います。
今こそ、ちゃんと仕事をして欲しいです。今こそ、旬だと思います。
ライブカメラを見ていますが、10時を過ぎたころから人が集まり始めました。
12時20分現在のライブカメラを見ましたが、さすがに参拝者は少ないですね。
12時を過ぎてから人は減り始めました。11時10分ごろがピークで、数えたら子供を含めて50人はいて、けっこう密集していましたが、パトカーが来ることも無かったようですね。時々プリントスクリーンで画像をパソコンに保存しておきました。
関連サイトにもありました。11時14分の様子です。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1251338365087002624
こどもおぢばがえり中止の連絡あり。
正式発表はまだのよう
そりゃそうか
こどもおぢばがえり中止は3カ月以上も前から発表するのに
教祖誕生際の直属教会長、ようぼく、信者の参拝を控える告知は前日という……
まあ こどもはお供え持ってきませんからねぇ
>>まあ こどもはお供え持ってきませんからねぇ<<
その通りです。こどもおぢばがえり中止によって、相当な経費が浮くはずです。人の命や健康より「金儲け最優先」の教団が考えることは終始一貫しています。
神が怖いか、律が怖いか、、
やっぱり、神より律を重んじないといけません。日本中が緊急事態の渦中です。感染はお金でも祈りでも、どうにもなりません。地球規模です。
天理教は律の中で生きているんです。国と科学の目に従わないといけません。
今回直属教会長を排しての誕生祭のお勤め。本部はやっと世間並みの事が出来ましたね。
こどもおぢばがえりも中止。神の居ない本部ぢばに今後どれだけ繋がろうとおぢばに神は居ない、人類を救う力も無いと言う事が判明し、このまま沈没、消滅していけば本当にスッキリすると切に思います。
>今回直属教会長を排しての誕生祭のお勤め。本部はやっと世間並みの事が出来ましたね。
4月26日の月次祭も直属教会長の参拝を止めるのでしょうか。
何しろ「金儲け最優先」の教団ですから 26日に金を届けるかもしれません。
それにしても「須藤花井さん」が話していた様な事態に動いて行きますね。
私は、平成8年に須藤さんから直に聞きました。
「5月になったらな 天理にお参りに来る者は 居らんようになるからな」
この話は複数の人が、須藤さんから直接聞いています。
聞いた当初は、何の事やらさっぱり分かりませんでした。
北朝鮮が、ミサイルを頻発に撃つようになった頃からは、春さきに第二次朝鮮戦争が起こるのかもと話し合っていました。
今年の1月、武漢の新型コロナウイルスがネットに載ったこと知った天理の知人が「5月になったら天理にお参りに来る者はおらんようになる」はコロナウイルスかもしれないと連絡してきました。
今 まさに事態はその方向に動いています。
私は、おふでさきに何が書かれているか調べてみました。
少々 飛躍し過ぎかも知れませんが
2号 32 唐人が日本の地に入り込んで ままにするのが神の立腹
33 だんだんと日本助ける模様立て 唐人神のままにするなり
34 この先は唐と日本を分けるでな これ分かりたら世界治まる
4号 16 上たるは何も知らずに唐人に 従う心これが「おかしい」
17 日日に神の心の急き込みは 唐人ころり(武漢ウイルス) これを待つなり
4-16について考えるなら おふでさきが書かれた明治初期 日本政府は清国に媚びへつらってはいませんでした。
この歌は、現在の日本の状況そのものです。
「上たるは」 政界(与党や野党)経済界(大企業から中小企業まで)マスコミ(NHK や民放各社・新聞各社)に至るまで日本のほぼ全てが中国共産党の顔色をうかがって行動しています。
IR汚職事件で明らかになったように政界は与党から野党まで中国マネーに汚染されています。
中国マネーは日本ばかりではなく世界の隅々まで汚染しているそうです。
おや様亡き後の130有余年、鏡屋敷から流れ出た強欲まみれの泥水が世界に流れ出た結果、地球は強欲にまみれた薄汚い星に成り果てたようです。
この先 武漢ウイルスは、世界をどの様に破壊していくのでしょうか。
ちなみに、中国共産党は今年の2月1日をもって、神を祈る事を法律で禁止したそうです。
何を祈るのかって・・・もちろん 中国共産党であり「習近平皇帝陛下」です。
退職した元信者さんの須藤さんの話は、大変興味深くワクワク楽しみに読ませていただいております。
ありがとうございます。
以下のように本部は参拝自粛をやっと告知しましたね。
5月もおそらく同様に自粛でしょうから、須藤さんの予言は当たっていると言えますね。
そもそも医者の手余りを救済すると説いているのですから、
コロナの重症者を憩いの家が受け入れたらみるみる快復した!
とか、
真柱や本部員、大教会長におさづけをしていただいたらコロナが消えた!
なんて勢いのある御守護をどしどし見せていただきたいものなんですが…….ねぇ…….orz
せめてお願いづとめはたった一度ではなく、もっとやっていただいてもいいはずでは?
(個人的には毎日やるべきだと思います。
そんなに普段つとめ人衆は忙しいのでしょうか? ゴルフとかですか?)
>https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2020/04/18/32538/
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「緊急事態宣言」が全国へ発出されている現状を踏まえ、本部4月月次祭は、つとめ人衆のみで勤めさせていただくことにいたします。
直属教会長や教区長はじめ、教会長、ようぼく、信者の皆さまには、おぢばへの帰参をお控えいただき、各教会・布教所、自宅などから遙拝していただきますようお願いいたします。
立教183年4月18日
天理教教会本部<
【暴力団も自粛 幹部の感染警戒】
yahoo.jp/BAwnld
新型コロナの感染拡大で、不要不急の集会が自粛される中、定期的な会合を重んじてきた暴力団でも幹部らが参集を避ける動きが出ている。特定抗争指定暴力団の山口組と神戸山口組は3月以降、大半の会合を取りやめた。
>>新型コロナの感染拡大で、不要不急の集会が自粛される中、定期的な会合を重んじてきた暴力団でも幹部らが参集を避ける動きが出ている。特定抗争指定暴力団の山口組と神戸山口組は3月以降、大半の会合を取りやめた。<<
自らの損得勘定のみで活動している反社会勢力ですら、我が身自身を守るための最低限の対応をしているのです。天理教は反社会性力にも劣るのですか? あるいは、「反社会勢力以下の反社会勢力」なんでしょうか? 私には「反社会勢力以下の反社会勢力」にしか思えないのですが。
↑ ↑
上記投稿文中入力ミスがありましたので訂正いたします。
天理教は反社会性力にも劣るのですか?(誤) → 天理教は反社会勢力にも劣るのですか?(正)
今回一人10万円支給される。 信徒80万人 で 800億円。 実働信者30万人でも 300億円。
いくら御供されるか、人助け 善亮さんの力量が試されます。
「金のつなぎは命のつなぎ」
このまま人も集まらず 金も集まらずで天理教が終息することを願います!
今月、ご祈念ほどきのお運びは予定通りおこなわれるのでしょうか?
>>今回一人10万円支給される。 信徒80万人 で 800億円。 実働信者30万人でも 300億円。
いくら御供されるか、人助け 善亮さんの力量が試されます。
「金のつなぎは命のつなぎ」<<
困っている人達から金銭や財産を搾取し、肥え太ってきた姿が今の教団の姿です。「金のつなぎは命のつなぎ」ではありません。「金のつなぎは教団の維持存続のため」なんです。教団を維持するだけの意味の無いことに、これ以上、お金を使うのは止めましょう。どうせ使うのであれば、本当に困っている人達を喜ばせることに使いましょう。お金の多寡は関係ありません。
10万円の給付は貴重なものです。大切にして自分のために使いましょう。まかり間違っても、何の存在意義も持たない現行天理教にお供えと称して寄付しないで。
どうしても寄付をされるのであれば、平素、身近でお世話になっている施設等で困っておられる所があるはずです。
仮に、天理教にお供えをしても、当たり前のような顔をされるだけです。
定年退職をした折に、退職金から10万円のお供えをしましたが、長年ご苦労様の一言もありませんでした。御供の包み一つを渡されただけでしたから。
退職した元信者様
退職した元信者様のご投稿。
いつも、興味深く読んでおります。
これからのご投稿も、心待ちにしております。
おはようございます。
子供が卒業してしまえば、後は、無関係でいられます。
一列会へのわずかな寄付くらい、痛くも痒くもありませんので、それは行います。
自殺された方のお話を聞くと胸が痛みます。
でも、意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。
私など、息子の卒業とともに、はい、今まで、ありがとうございました!
これで終わりにできます。
今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました!
私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。
神様も、天理教の親神様とは別に自分の守護神が存在しますしね、ありがとうございました。
普通の父親になります 様
2020年4月20日 9:48 AM
>>自殺された方のお話を聞くと胸が痛みます。
でも、意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。
私など、息子の卒業とともに、はい、今まで、ありがとうございました!
これで終わりにできます。
今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました!
私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。<<
天理教と縁が切れて良かったですね。しかし、縁を切りたくても切れない状況に追い込まれ、自死せざる終えない状況になる人が過去におられた、(あるいは現在もおられるのかもしれません。)という事実を忘れてほしくありません。息子さんの卒業で、「はい、今まで、ありがとうございました!これで終わりにできます。今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました! 私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。」というように簡単に縁がきれるような人達ばかりではないのです。「意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。」確かにその通りですが、様々な諸事情で、その通りにならなく、悩み苦しんでおられる信者さんや布教所、末端分教会がたくさんあるのです。HNをわざわざ変えてまで投稿される意図は私には理解しかねますが、元のHN「ただの父親さん」、天理教と縁を切り、新たな人生に歩みだされた、あなたとご家族全員の幸をお祈りいたします。さようなら。
崩壊様
「私はもう、これで、天理教とは縁が切れます」というように簡単に縁がきれるような人達ばかりではないのです(〜中略〜)様々な諸事情で、その通りにならなく、悩み苦しんでおられる信者さんや布教所、末端分教会がたくさんあるのです。
具体的にはどんな事情でしょう?(ひとつひとつできるだけ詳しく)
それがわかれば救えませんか?それともあきらめるしかないのでしょうか?
>>具体的にはどんな事情でしょう?(ひとつひとつできるだけ詳しく)
それがわかれば救えませんか?それともあきらめるしかないのでしょうか?<<
ひとつひとつ具体的に詳しく述べれば、個人情報が「真っ裸」の状態になります。私の投稿内容に疑問を抱かれているように拝察しますが御懸念は無用です。私は、これ以上、「天理教の犠牲者」が増えないようにとの一念で投稿しております。あきらめるか、天理教の信仰を続けるかは、法的(律)に日本国憲法で保障されている「信教の自由」にも規定されています。「律を優先するか、個々人の信仰を優先するか」は、個々人の自由ですが、律(法律)も、所詮、人間が作りだしたものです。誤りもあります。完璧なものではありません。「一人間としての良心や常識」があるかによって、天理教の信仰を続けるか、止めるかは最終的に個々人の判断(自由意思)であると思いますが、私個人としては止めるべきであると考えて考えています。
ただひとついえることは天理教の神はいなくとも
真実の神は存在するかもしれないということです。
そのために天理教の神への信仰はなくても、真実の神への信仰をもち、困った人によりそい
力のない人々、子供たちをたすけてあげらる人になりたいということです。
真実の神はお金を求めません、地位ももとめません、
その人の真実にのみ、ご守護をくださいます。
腐った組織は朽ち果てて、上も下もなく、おつとめも、おさづけもなく
修養科もなく、こどもおぢばがえりもなく、教会もなく
自分の生活範囲の中で信仰していければなあと思います。
親戚縁者すべてが天理教の中で、天理教のふりはするけれども
教費金はもったいない
支部費ももったいない
そんなお金があったら困った子供たちにおいしいものをわけてあげたい。
そう思います。
HNを固定しないと、誰だか特定できない、立ってる軸も何も判らないから
言いたい事が言える反面、信用は無いですね。
それで構わないと思うと、匿名よりは、イメージしやすいので、父親に絡めていますが、それもどうでも良いし、要は、誰かに構って欲しいとも思わない、交流したい訳でも無いと言う意思表示でもあります。
信仰心と実生活が両方一緒だと、実に厄介だと判りますよ。
教会長を見てれば感じる、私と1歳違いだもの、子供が全部教高学園を出て、専修科からの勤労奉仕をしてる。 教会長の親も別の教会、兄弟も教会長、他の兄弟が勤めてお布施で支えてるらしい。 長男に継がせる予定、長男以外の兄弟からの、お供えで支える事も視野に入ってると思う。 何の人生の選択肢も無い家庭、神に奉仕できる事が最高の喜びであって、選択肢が無いのも問題無いと言い切る教会長に対して
私は、息子の事で感謝はしていますが、それ以上の事情など関知しません。
選択肢も自由も無い家庭、だけど神に奉仕できる幸せのある家庭?
何か、家族全員、心の奥にわだかまりを感じます、開けてはならない、心にパンドラの箱を全員持ってる気がします。人間は基本的に自由な意思を持たされています、それを封じる信仰心なんて、いろんな自由意志を封じ込めたパンドラの箱を持たないと生きられない。 教会長の奥さんの不自然な笑顔や、子供達の表情に、たぶんパンドラの箱を持ってるって感じる。 もちろん私が、別の信仰を持つ人間だからこそ、余計に私には隠してるのが、判ります。
教団に対する不満もあるだろうに、それも封じて、神一筋に生きる姿勢は、まさに修行者だとは思いますが、そのパンドラの箱から毒が漏れ出して、自分を壊してしまってからでは、遅いし、一生心に沈めて生きるのが本当に幸せなの?って思います。
神への信仰って、もっと楽しく、もっと幸せです。 神に導かれ、神に近づいて行くのは、本当に心の底から幸せです。 自分1人幸せにできなくて、人が幸せにできるのか? 私の心にはパンドラの箱は存在しない・・・
どうか教会長、せめて我が子には、選択肢の自由を、逃走の自由を、与えてあげて下さい、まあ、自分が縛られて生きるのに、疑問が無ければ、判らないでしょうけども
組織はなくとも信仰できる! 様に同感です。
私の信仰スタンスも同様、天理教のふりで切り抜ける日々です。
何しろ、ついに不思議な事に、おじばに拘泥する気持ちが消えさり、
晴れ晴れとした心持になってしまったのですから。
そうなりたくて、努力した結果では無く、コロリ!と、コロナの最中にココロが変化したのです。
感染拡大の不思議な作用の一つだと感じています。
コロナ感染拡大の中で、どうしたものか、「コロナ疲れ」と言い訳しながら悠長な行動をとっている人たち。
報道を見聞きするにつけ、危機感の無さに驚くとともに、これこそが当初の政権寄りの報道垂れ流しの成果なのかもしれないと、怖くなりました。WHOの発言も災いを残しています。
海外の話で恐縮ですが、フランスで幼児二人を育てている姪は、工夫を凝らして室内で子供の相手をしているそうです。外出禁止ですから、日本の比ではない窮屈な日々です。
たっぷり有る時間の過ごし方の工夫を聞きました。玩具で遊ぶばかりでは飽きてしまいます。
そこで、新聞紙を使って遊具を作ったり、粘土細工でおままごとの野菜やパンをつくれば遊びの準備に時間を費やすことにもなるそうです。幼児をお持ちの親御さんの参考になればと思います。
在宅勤務の男性向けに安価な簡単料理を一つ。
キュウリの塩もみをツナ缶のツナと混ぜるだけ。おいしいですよ。マヨネーズなんて入れないでください。
キュウリの薄切りが面倒ならば一口キュウリをかじったら、少量のツナを口に運び食する。近い味わいになり、より、簡単です。
>>どうか教会長、せめて我が子には、選択肢の自由を、逃走の自由を、与えてあげて下さい、まあ、自分が縛られて生きるのに、疑問が無ければ、判らないでしょうけども<<
どうか信奉者の皆さん、自分が誤った固定観念に縛られていることに気づいてください。誤った「組織やしがらみ」から勇気をだして抜けだしてください。もっと広く自由で愛情あふれる「こころ」をもってください。我が子だけではなく、全く関係無い他者に誤った教えを強要し不幸に突き落とすのは止めてください。 崩壊より
>>明治35年発行「天理教の害毒」より
(三)衛生上に於ける害毒
唯今も一寸申しましたとおりに天理教に於いては医薬を退けるのでありますから、その衛生上に及ぼす害毒は実に大きなものであります。勿論天理教の教義にも申すべき「八つのほこり」の中には「必ず医者を止めるでもなく、薬を止めるでもない」とはあるが、実際は止めているのである。それは何故かというに、同書の中にも「助かるも天理、助からぬも天理」と言いて、医薬を用いても天理に叶わずば助からず、たとい医薬を用いずとも天理に叶えば助かるというのであるから、全く医薬を退けてその助かる助からぬをすべて天理にまかせておるのである。なるほど多くの病気の中には、医薬を用いても助からぬのもあり、医薬を用いなくとも助かるのはあるが、それは病気の軽重や性質によるので致し方ないところであります。この致し方無いところが彼等の弘通を図るのつけめで、一にも二にも、御供物によれの神水によれのと言うて金平糖を服せしめ水を呑ましめて病気を治そうとするのである。それで治れば全く天理王命の御冥護と言い、治らねば信仰が足らぬのであると言う。これらは愚民の耳に入り易いところでござりまするで、高価な薬価を払い、多くの診察料を出すに及ばぬ。ただ御供物さえ戴けばよいというようになって、医薬によって助かるべきものも終に不治の病となり、流行病の如きは医者に見せないものですから知らず知らずに蔓延する憂が少なくないのです。
右様の次第でありまするで、天理教の衛生上に及ぼす害毒は実に少なくないのでござりまする。それのみならず御供物として与える金平糖の中にモルヒネというような劇薬を入れてあるということは往々発見する事実で、これは大和にある天理教本部より各支部に分つのでござりまして、このモルヒネというのは劇薬でござりまするが、ごく少なく用いるときは一時苦痛を止めるような作用があるものですから無智の人々はその毒なることを知らず、一時休めのこの薬の入れてある金平糖を神の御利益であると言うて有難がるのでございましょう。この事は警察でも非常に注意をしますので、今はモルヒネを入れるようなことはありますまいが、医薬を棄てて金平糖や御水によって平癒するなどという信仰は衛星の普及を害して厭うべきの迷信を助長するものでありますから先年、東京に於いては警視庁から左の如き達示を府下各警察署に出してそれを取り締られたことがあります。
>近来天理教会はその信徒を一室に集め、男女混淆ややもすれば即ち風俗を妄るの所為に出で、或いは神水神符を附与して愚昧を妖惑し遂に医薬を廃せしめ若しくは妄りに寄付を為さしむる等、その弊漸次蔓延の傾向有之趣を以って厳重取締方内務大臣より訓令の次第も有之候 條将来は一層視察を厳密にし時宜に依りては公然会場に臨み、若しくは陰密の手段を用い、その非行を決摘し法令に触るる者は直ちに相当の処分を為し、又その然らざるも、必要に因りて祈祷説教を差し止め、若しくは制限する等臨機適宜の方法を用いて其取締を厳重にし、殊に金銭募集の方法については最も周密なる視察を施すべし。云々<
と、この達示によっても明らかに三個の害毒が認められております。(一)は医薬を廃せしめ神水神符を以って愚昧を妖惑する衛生上の害毒、(二)は男女混淆ややもすれば風俗を妄る風俗上の害毒、(三)は金銭を妄りに寄付せしむる社会上の害毒で、これらは天理教の害毒として何人にも認めることのできる明白なるものであります。殊に重病者に若し祈祷によって全癒する時には財産の半分を天理王命に差し上げるなぞを誓わしめ、これを誓わざる者には少しにても貪欲の心のある者は神の助けたまう理無ければ、僅かな財産に執着せず一意に神に祈り、全快せば其の財産を神に献ずることとせば平癒せざることはあらじなど勧むるのでござりまするから、目前重病の苦痛に耐えかねているものですから、苦し紛れにその事を誓い、万一平癒すれば直ちにその誓約の金を寄付せしめ、平癒せざる者には信仰の足らざる故であるなぞとの遁辞を設くる例は少なくないのです。そのために多くの財産を天理教の為に取られた者は多くあるのでござります。<<
戦後間もない頃まで、まだ覚醒剤の危険性は認知されてなかったのか、古い雑誌の広告でヒロポンが普通に宣伝されているのを見たことがあります。国鉄の夜勤者はゼドリンという薬を配給されていて、父は受験勉強の際に鉄道員だった祖父からくすねて使ったことがあると話してました。このゼドリンについて調べたら、ずばりアンフェタミンのことでした。明治35年ともなればモルヒネも充分あり得る話だと思います。宗教に限らず、昔から麻薬は洗脳の常套手段ですし。
子の人権は天理教組織には無い!
コロナでお供え金も滞り、それでも上納金を減額する事に躊躇している友人の妹さんの教会経済を心配していると、いやいや、2人の子供達がそれぞれ◯万円づつ出し合うから1◯万円になるのよ、、。と呑気に言うのですが、働かずしてお供え頼りで無給の母親の生活費を子供に当たり前の様に出させるのはおかしいのではないか?と思いました。信仰があっても無くても自立出来ない親を持つ天理教教会の子弟はむごい人生を歩む事になる。子供らは疑問を持たないのか?と思いました。洗脳されて育てば、疑問もわかないのか。信仰が起因して自立出来ない親の傷を子が舐めて上層部だけが潤っているにもかかわらずです。生物学的生みの親の犠牲になっている子供さん達は天理教世界では普通なのでしょうか?
子の人生と権利。子が幸せに自由に生きる権利。親のしている信仰で子の人権が蹂躙されるこの天理教世界の暗黙の了解を現代において放置していてはいけないと思います。
いほり 様
兄弟は他人の始まり、という諺がありますが、天理教では逆に言うに言われない縛りがあるように感じています。
例えば、私の所属していた教会長は大教会長と深い血縁関係にありました。また、80数か所ある大教会の部内教会の3分の1以上、あるいは、半数近くの教会長が大教会長と血縁関係にあると感じていました。
もう、がんじがらめの目に見えない縛りです。
以前にも投稿しましたが、大教会のある直轄教会長も同様でした。心定めという一見優しさに溢れる言葉ですが、内実は余りにも惨い縛りに堪えかねて、酒に流れて50歳代の若さで出直しをされました。達成できない数字の夢にうなされて眠れない日々、その日々に見るに見かねない憔悴ぶりは誰の目にも哀れに映ったことと思います。
陽気暮らしという一見は素晴らしい目標ですが、現実は悲惨なものでした。明治36年2月25日設立という由緒ある教会でした。
そのような教会が如何ほどの数があるのでしょうか。
以前、この欄だったと思うのですが、ある大教会の若い会長後継者が夫妻で教会を出られて奥様の里へ行かれたと有りました。どのような想いで教会を後にされたのか、心の軌跡を知りたい思いです。
かく言う私も二部卒業後に教会常詰めの子としての立場を捨てました。教会に残された両親や弟妹達の苦労は想像を絶するものでした。今は幸せな人生ですが、亡くなった両親や現存ずる弟妹達の心中を想うと今も心が痛むのです。
そのような教会環境は人を幸せにするものでは無く、不要の物です。
崩壊さま、東風Zさま、丁寧なお答えありがとうございました。
私は決して崩壊さまに疑問を持っているわけではありません。同じ境遇をお持ちの不特定多数の方々が安心して天理教から離れられるようなヒントがあれば、と思って投稿したつもりです。誤解を与えてしまうような書き方でした。お詫びします。
東風Zさまの書き込みを拝見しますと、想像を絶する苦難との戦いがみてとれます。
本当になんとかならないものでしょうか。
犠牲者が一人でも増えないのを祈るばかりです。天理教も。そしてコロナウィルスも。
私見ですが、天理教に係わってきたものとして、世上働きをしたものとして、その人の 「向き・不向き」があると思います。不向きな方にその責を担っていただいても、無理です。私の経験から、何もしなくても、居るだけで組織が動くようにして譲っても、その方のリーダーの資質で、事故をおこすは、事業に失敗するは、最後にはダメとなりました。
ましてや、教祖のひながた をたどる人生を送るということは、それなりの覚悟が必要でありましょうし、それなりの特性(徳でもよいですが・・・)がないと無理だと思います。
今の教団の中にその覚悟、その特性にあった人がどれだけいらっしゃるかです。
田舎の教会ではそのような血族で、事を成し遂げなければならないにのは理解できますが、神はそれを望んでいるのでしょうか。
教祖の存命のころでも、神は適切に人を選んでいるように思います。
教会ありきであれば、何が何でも血族で教会長をつなぐのは理解できますが、教えありきであれば、時にあった人間が繋いでいくのが一番良いように思います。
典〇分教会、〇山大教会、〇野大教会、などなど、必ずしも直系の方が繋いでいません。むしろ世上で頑張っていた、おられると思います。それでいいのではないでしょうか。
最後に 教祖の教え だけは忘れないでね!
七里の風 様
2020年4月21日 2:27 PM
>>何もしなくても、居るだけで組織が動くようにして譲っても、その方のリーダーの資質で、事故をおこすは、事業に失敗するは、最後にはダメとなりました。<<
「まず組織ありき」という考え方ですね。そういう誤った考え方が「天理教教会本部」という「うどの大木」を崩壊へと追いやり、素直に真面目に信仰してきた人々を不幸にしてきたのです。お分かりになりませんか?
>>教祖のひながた をたどる人生を送るということは、それなりの覚悟が必要でありましょうし、それなりの特性(徳でもよいですが・・・)がないと無理だと思います。<<
まずあなたの解釈される「教祖のひながた」とは一体、いかなるものでしょう。具体的にご説明願います。また、「特性」と「徳」とは全く別次元のものです。特性とは,あなたのおっしゃられる才覚(才能)のようなものだと思います。例えば「商売の才覚」「処世術」というように。しかし、徳とは「人間としての心の在り様」「人間としての生き方」に関わる極めて精神性の高いものだと思います。
>>最後に 教祖の教え だけは忘れないでね!<<
何度も同じ質問をしますが、あなたが解釈されている「教祖の教え」「教祖のひながた」とは一体、いかなるものでしょう? 具体的に説明願います。
まとめサイトに天理教のスレッドが上げられていました。
まだ黒門撤去前の写真が載せてあり、なぜか御神体が隕石になってました。笑
2020年4月21日 某ツイートより
天理教はこのご時世でも拍子木叩いて集団巡回か
さっき天理駅で見かけました
話はガラリと変わるのですが、ドイツの哲学者(名前は忘れました)が、紀元前5~600年のころのことについて、書いていました。
何でも、彼によると、このころ人類の歴史を一気にステップ・アップさせることが、世界中で同時に起こっているというのです。これを「世界同時性」というような呼び方をしていたと記憶していますが、
さて、この紀元前5~600年のころなんですが、
①インドでは、お釈迦さまがお生まれになられて、仏教を教えられました。
②イスラエルでは、預言書の「イザヤ書」が書かれました。
③中国では孔子が現れて、人の歩むべき道(倫理観)を説きました。儒教です。
④ちなみに日本ですが、日本の建国は紀元前660年です。
(ちなみにイエスの出現は、これより500年後、モハメッドの出現はこれより1100年後です。)
元の理によりますと、こうした事柄は、天保9年を起点にして、さかのぼること3,999年の「文字の仕込み」の時期の中に入るのですが、①~④のこれらのことが起きたことによって、人類は知恵の黎明期を迎えたといってもいいんじゃないか・・と、彼はそう言っていました。
そうだとすると、天保九年(1838年)や、おやさま百年祭なども、歴史を区切る「一節(ひとふし)」だったのかもしれません。節を生かして、一段上に昇ることをしなければならないのかもしれません。
今後も、人間の歴史は「世界の同時性」を以て進んでいくのでしょう。グローバル化は、いいと言っても嫌だといっても、避けて通れないものなのでしょう。コロナウィルス騒動の後、世界中経済の不況が来ることを、多くの専門家は説いていますが、世界の兄弟たちと仲良くやって、励ましあって、おやさまにご安心いただきたいものです。
(今回もエラソーなことを言ってしまいました。すみません)
ぶたまんさん
2020年4月8日 11:52 PM
>教祖伝を読むと、おやさまお出直しのころには、秀司さんの身勝手な行動に掻きまわされたりしたことがあったりして、このころから、すでに腐敗は始まっていたのかな、と思ったものですが、おやさま亡き後、その腐敗は、飯降伊蔵翁の晩年のころには相当進んでいたのではなかったかと思います。
そのころ(おやさま30年際ころ)、出てきたのが井出クニ氏でした。
もちろん、本部側は、教祖殿で話をしようとした井出クニ氏を引きずり下ろしました。
で、私個人の意見では、本部が怖れたのは上田ナライトさんではなく、井出クニ氏ではないかと思います。
芹沢先生の本に書かれていたことですが、芹沢先生が「教祖伝」を書くために、2代真柱さんに資料を貸してくれと申し出られたとき、2代真柱は井出クニについては何も書かんでくれ、とたのんだそうです。
2か月ほど前に知人の会長さんから「井出国子」に関する本のコピーが送られてきました。
「心のはらい 第一巻 神さまのこと
著者名 芹沢 真一
発行所 朝日神社友の会 心のはらい普及部
発行日 昭和48年8月26日 全276p 現在絶版」
私は、井出国子の存在は知っていましたが、詳しいことは殆ど知りませんでした。
知っている事と言えば
・兵庫県三木町出身の女性で播州の教祖様と呼ばれていた事
・教祖30年祭の年に天理に現れ、教祖殿から本部の人に引きずりだされた事
・不思議な霊力を持ち、家を振動させることができた事
この程度でした。
今回、この本を読んで「井出国子」は「播州の教祖様」ではなく「国常立」そのものである事を初めて知りました。
「みき」と同様に 女性が神懸かりになったことから「井出国子」を「播州の教祖様」と捉えていましたが、それは大きな間違いであると知りました。
正善は、「井出国子」はおや様とは別次元の存在と認識していたのだと思います。
そして、「須藤花井」の存在も恐れていたのだと思います。
正善を筆頭に、本部中枢の連中は「国常立」と「面足」が日本に現れていたことを知りながら 信者を欺いて莫大な金銭を巻き上げて来たのです。
この高慢で傲慢で無礼な組織もそろそろ終わりの時が来たようです。
話はそれますが、数日前の明け方に夢をみました。
「私が、別席場の下にいると 突然雨が降って来たので傘立ての所へ行きました。
しかし、どの傘も壊れていました。
その中にひときわ立派な傘が一本ありました。
その傘を手に取り頭の上に差し上げた時、一陣の風が吹いてきて傘がパッと開きました。
開いた傘を見上げたら、傘には骨が一本もなく、風が通り抜けたあと傘は地べたに落ちてしまいました。」
ここで目が覚めたのですが、立派な傘に骨が無いという事は、本部を支える直属が先に潰れてしまうことかもな・・・
なんて 適当な 夢の話です。
崩壊 さま
>>「まず組織ありき」という考え方ですね。>>
私は組織ありきの考えではありません。
天理教教会本部があろうが無かろうが、信仰する態度には組織は関係ないことです。
ただ、この欄でいろいろな方々の内容からして、何も無理して末端の教会長の責を担わなくても、信仰を続けなくともよいと思うのです。
いろいろな柵の中で言い含められて続けているのかもしれませんが・・・・、
能力がなくても望んでいるのが本部員、大教会長、その下の教会長かも・・・。
信者が師を選べば良いのではないでしょうか。信仰は人の心の中にしかないのですから。
廃れた教会はホカされても、それで良いのではないでしょうか。
答えになっていないかもしれませんが、悪しからず。
一番いいのは孔子や孟子のように教えだけ残ることだと思います。
至誠天に通ず とか
義をもってせざるは勇なきなり とか
天理の教えとして何が100年後のこるかなあと思います!
貧に落ちきれ は だめ
おつとめをせよ も だめ
つくしは金 も だめ
にをいがけをせよ も だめ
神名流しをせよ も だめ
おぢばがえりをせよ も だめ
ひとをたすけなされや
やさしいこころになりなされや
くせしょうぶんをとりなされや は OK とか
退職した元信者 様
退職した元信者様、皆様の言われていることは実体験に即したことであることを、私も信じております。私は体験していなくても、私が体験した事柄を参照して、こういうことはあっただろうなァと思う事例は、たくさん見い出されました。
> 正善を筆頭に、本部中枢の連中は「国常立」と「面足」が日本に現れていたことを知りながら 信者を欺いて莫大な金銭を巻き上げて来たのです。
と書かれていますが、<宗教的な財産>を常人が受け継いでしまうと、大抵こういう風になってしまうのではないでしょうか?
多くの信者さんを受け継ぎ、いたるところからレスペクトを受け、じっとしていても金は集まってくる、ということになると、自然マトモな状態ではなくなるでしょう。
繰り返しを恐れずに言いますと、マホメッドでさえも、最初のうちは真摯な態度で神の言われることを聞いていましたが、次第に神の教えを自らの権力のために利用するようになった、と芹沢先生は本に書かれています。
マホメッドは奴隷でしたが、神に開祖として選ばれた人物ではあったのです。それでも、失敗してしまった・・
ですから、おやさまやイエスが、純真な気持ちで教えを伝えられ、神の任務を全うされたことの方がむしろ奇跡といっていいのかもしれないと思うのです。
こう言って、欠点の多い天理教組織を擁護する気持ちは毛頭ありませんが、おやさまやイエスのような、ストイックな道はなかなか通れません。
おやさまは、天理王命の称号をいただくことになられたそうですが、それだけの価値のある方だと思います。
『天理時報』の紙面立て変更について報告あり。新型コロナの影響から天理教行事の減少により紙面に載せる記事がない為6面から4面に、発行は月3回になるとの事。
『天理時報』も行事が無いと編集難しいのだろう。近い将来月1回になる日も…。
>>発行は月3回
本来半年で約25回発行でしたから、月三回なら18回発行、
すなわち四分の一減らすということですので、お値段もお安くなるってことですよね?
え?まさか、お値段据え置きですかーーー!?
もしも据え置きならある意味便乗値上げですよ?
さすがぶれない抜け目ない天理教です!笑
まあどっちにしろ読んでませんけどね 笑
発行回数が少なくなるのは歓迎です。皆、高齢信者が手配りで苦労しています。ガソリン代も馬鹿にならないと密かに不満を抱えています。
郵送料を浮かす為に、そう言った経済的、時間的に犠牲を強いながらの現状です。
表向きは信者同士の交流を密にして横の繋がりを、、などと言っていますが、実際には郵便局配達員の代わりをしている様なものです。
ましてや、今コロナ感染拡大期で終息まで相当な時間がかかりそうです。高齢信者、高齢教会長が動き回り、命の危険とまた反対に感染加害者にもなり得る現状です。
道友社は緊急にこの問題を取り上げ、再考して下さい。
赤旗、聖教新聞以下のクラス通信ですね。
内部の人も外部の人も読んでいて特に得られるものがない、楽しくない、教養にならない。
さっさと廃刊するかweb配信にしたらいいのに
>>さっさと廃刊するかweb配信にしたらいいのに<<
軽4輪の自動車や自転車で天理時報を手配りしておられる85歳と84歳の老会長夫婦がおられますが、交通安全という観点から考えても非常に危険です。もし、交通事故が発生したら教会本部なり道友社は保障してくれるのでしょうか? 中身の無い新聞は早々に廃刊するべきだと思います。WEB配信したところで読者は少ないでしょう。
天理教教団本部には多くの顧問弁護士が居られるようですが、崩壊さんのご指摘のようなことに至った場合は道友社(教団本部)にも雇用者責任が発生することが考えられますから、顧問弁護士はハッキリとした見解を示すべきです。
手配り者に何か不都合なことが起こっても善意でやっていることだからと逃げを打つつもりでしょうが、そう簡単にはいきません。
自転車・自動車通勤を認めている多くの企業等は、雇用者責任に対応するために通勤者に億円単位の対人補償の任意保険の加入を義務化して、毎年保険の更新期に保険契約証の提示を求めています。
特に、社有地を駐車場として提供している場合は責任回避は不可避です。末端教会が手配りをしている場合は注意の上にも注意が必要です。
手配り制度の良い面ばかりを強調していますが、ハッキリ言って手配り制度は即刻辞めるべきです。たとえ自転車だからと言って安全とは言い切れません。小さな子供さんに怪我でもさせたら大変ですよ。
天理教は何かにつけて、余りにもいい加減すぎるのです。
天理教の責任問題について。
教会長が信者さんを同乗しておぢば帰りをしたり、上級行事の参加に同乗させたりしていますが、万一事故を起こしたら当該教会長の責任になります。
昨今は貧困者が無保険で走っています。先日も貧困の天理教教会長が事故を起こして逃げた事件がありましたが、保障能力がないから怖くて逃げたのでしょうか?全ての教会が自動車保険に加入しているとは言えない現状です。
本部はお供え金の集金には熱心ですが、こうした保険も払えない貧困教会が無保険で天理時報を配る為に走り回る現実を傍観せず、また認知症も妖しい様な高齢教会長や信者に無責任に丸投げしているのは、大問題です。
ひのきしん、ご苦労様。では済まない問題をはらんでいます。本部は厳しい経営状態の道友社を守りたいのは分かりますが、信者、高齢教会長の善意に無責任に乗っかっているままでは、今後問題が起きた時に大きな批判を受けても遅い気がします。
再度、各支部を通じて「手配り継続希望有り・無し」の意思確認の場を提供し、本人がやめる機会を作るべきと思います。手配りが始まって以来そう言う希望を聞く機会は無かったと思います。
子を案じる親としての当たり前の姿勢を忘れないで、と思います。
先の私の投稿で、天理時報を手配りしておられる老会長さんの軽4自動車は車体が傷だらけです。車をバックさせる時や右左折する時に、電柱や路肩の石等に当たったり擦ったりしているとのことです。年齢的にも運転免許証を返納し、車の運転は止められたほうが良いと思います。奥様も自転車に乗って近所の信者さん宅へ天理時報を手配りしたり、講社祭りに行かれていますが、最近、膝が痛むので、歩いている時によく転倒されるそうです。自転車に乗るのは大変危険ですが、後継者がおられないので仕方が無いとおっしゃっていました。こうした末端分教会は他にも数多くあると思います。高齢者に天理時報を手配りさせる上級教会は一体、何を考えているのでしょう? また、教会本部はこうした実態を把握しているのでしょうか? 天理時報はすぐにでも廃刊するべきです。どうしても、出版したいのであればWEB配信に切り替えるべきです。
支部で手配り担当者をしています。初めの頃は道友社は担当者を寄せて会議などありました。当時の社長は事故など有れば道友社が責任持って対応すると口頭では言っていました。全国的に展開してからは何もないように思います。今までやめた支部はないと思いますが、今回の状況で辞めたい支部を公募した場合私は辞めたほうが良いと思います。
手配りひのきしん者の高齢化は大問題です。私は無理ならば辞めてくださいよと言っています。本当に良い機会だと思います。時報も体裁も発行時期も減少するようです。手配りのメリットとデメリット何方かが大きいか考える時期だと思います。
思いつくまま登校しました。文章がおかしいのはお許し下さい。
教団は信者や教会の善意にあぐらをかいてはいけません。時は動き、流れています。信者も教会長も歳をとります。道友社(教団)は折に触れて現状の確認し、進むべきか、引くべきか等、その都度の判断をするべきです。一度決めたら、後は宜しく、、では老体に鞭打って動かざるを得ない人達に向けて、無責任と言わざるを得ない。やめたい支部、或いは個人的にやめたい希望を持つ人々は多いはずです。ノーと言えない、言ってはいけないと長年刷り込まれているから、みんな無理に無理を重ねていると思います。
我々信者も事故等の遭遇を頭に入れて、馬鹿正直にただ働きの安請け合いをしない様にすることが肝心です。(ひのきしんですから、と美しい話では終わらない事を忘れずに。)その点、教団ははっきり対応を紙面にて提示して欲しいです。
匿名 様
2020年4月24日 6:57 PM
>>教団は信者や教会の善意にあぐらをかいてはいけません。時は動き、流れています。信者も教会長も歳をとります。道友社(教団)は折に触れて現状の確認し、進むべきか、引くべきか等、その都度の判断をするべきです。一度決めたら、後は宜しく、、では老体に鞭打って動かざるを得ない人達に向けて、無責任と言わざるを得ない。やめたい支部、或いは個人的にやめたい希望を持つ人々は多いはずです。ノーと言えない、言ってはいけないと長年刷り込まれているから、みんな無理に無理を重ねていると思います。
我々信者も事故等の遭遇を頭に入れて、馬鹿正直にただ働きの安請け合いをしない様にすることが肝心です。(ひのきしんですから、と美しい話では終わらない事を忘れずに。)その点、教団ははっきり対応を紙面にて提示して欲しいです。<<
上記投稿文、私は全くその通りであると思いますので、全文引用させていただきました。教会本部の皆さん、道友社の皆さん、宗教というよりも、むしろ、「人間としての常識や良心」があるのであれば、即刻、「天理時報の手配り」など廃止するべきです。どうしてもやりたいのであれば、「弱い立場の者」に押しつけず、ご自分達で責任をもっておやりなさい。
この度のコロナの節を通して、天理教も制度が少しでも改良されるといいですね。
お供えも今よりも少し少なくていいことになるといいですね。少額になると、おみち(天理教)が通りやすくなるでしょうから。このままだと、何か狭っ苦しいし、狭いと精神的にも圧(あつ)を感じて、通りにくいね。
おやさまの「こころ」はもっと広いと思いますよ。そのおやさまの教えを狭めちゃダメですよ。
エラソーなことを言ってすみません。
100年祭当時も、打ち出の小づちでもあるかのように、お供えが集まりこのまま天理教は世界3大宗教に仲間入りするだろうとの錯覚、妄想から、お供えに頼る運営ではに走りました。その結果本来あるべき自給自足を基にした運営への発想が皆無となりました。当時から警鐘をならした会長などもいましたが、まったく相手にされなかったように思います。天理時報も記事が取れないからという理由で発行回数等を減らすようですが、本来あるべき宗教新聞として、このコロナウイルスによる世界の危機に、天理教教団としての教理にのっとった解釈等の掲載がまったくといって見当たりません。中止・活動自粛等や鎮静を願う記事はあっても、がむしゃらに毎日、平常時の月次祭や朝夕づとめとは、別に祈願づとめをしてもいいくらいなのに、一事業所のように活動の自粛を発表するだけの組織です。宗教として無力であることが示されれば、信者はどんどん離れるだけでしょう。
>>お供えも今よりも少し少なくていいことになるといいですね。少額になると、おみち(天理教)が通りやすくなるでしょうから。<>おやさまの「こころ」はもっと広いと思いますよ。そのおやさまの教えを狭めちゃダメですよ。<<
そもそも、おやさまは お供えしろなどとおっしゃていないはずですが。
本部は信者につべこべ言う前に偉大なご先祖の思想をもう一度検証してください。
「命の繋ぎはお供え金でっせ」。教祖はその昔、教祖を慕って寄り来る人々にこう言って説教したのでしょうか?御筆先のどこにも「わしになあ、お金を持っておいでや。我は天の将軍や。はした金はいかんで。儲けたらお初のお金を持ってくるんやで。その金額見定めて守護するからなぁ。我への信仰の基本はなあ、お金をわしに持ってくることやで。」なんて書いる所はないですが。
ところがです。今の天理教団はお金を持って来ることが信仰の基本になっています。暗黙の了解です。
人助けとか陽気暮しとか漠然とした掛け声は、何か言ってないと宗教団体としての体裁が保てないからです。みきの血を引きながら、残念にも精神が地に落ちた子孫の偽らざる本音は、「お金」です。
柏木庫治などと言う、天啓者でも何でもない人間が金、金と信者を煽って、「お金で助かる天理教」にしてしまいましたね。彼はただの人間です。つむぐ言葉は神のご神言では有りません。弁舌家のただの人間が、本部と共に有りもしない都合のいい教理を作ったのです。天理教の極悪人だったと今頃になって言われています。
「命を繋ぐのはお金やで。」こうはっきり言った表さん。お金が欲しいと本音が隠し切れない。よくしゃあしゃあと言ったものです。
お願い勤めも一回こっきり!教祖は存命時、警察が踏み込もうと言う非常事態に落ちいった時、命がけでお勤めを勤めよと言われたんじゃあ、、。表さん、真柱さん、本部員さん。今地球規模の非常事態です。毎日コロナ終息のお願い勤めをしなさい。今しないで今後何のお願い勤めをするんですか?過去経験したことの無い人類の非常事態でしょうが!これ以上の非常事態は無いでしょうが!皆地方の教会で信者宅で、それぞれが終息のお願いをしているというのに、各種行事中止で気を緩めているのか本部はぼやぼやしてるんじゃない!
心臓の病は心が冷酷な方に多いとか?
弱い信者や地方教会が困っているのを見て見ぬふりをしながら年祭毎に無理な献金を集め続けた、宗教の幹部
が居ましたっけ? 心臓はお元気ですか?
心臓の病は心が冷酷な方が多いということはないと思います。
芹沢光治良先生の「神の慈愛」(P,170より以降)に、おやさま亡き後、又、ご本席様亡き後のおぢばの様子が書かれています。言い古されたことかもしれませんが、ここに掻いつまんでご紹介します。
①二代真柱は、<地上の将軍>になろうとした。
②二代真柱は、天理王国を組織しようとした。
③それは、将軍家(中山家)の下で、直属の大教会は大名というしくみ。
④大教会で信者数が多くある処は、その部下教会を本部直轄に昇格して、大教会の勢力をそぎ落とした。
(これは、下剋上(げこくじょう)を防いで、将軍家の安泰をはかったためと思われる)
⑤大教会の土地建物すべて、本部に所有権があるような処置をした。
⑥本席が亡くなられると、「存命の教祖は教祖殿に納まり、教祖の言葉を取り次ぐ者も天啓者もいない」 と、はっきりさせた。
⑦二代真柱が中心で、教祖伝を編纂して、教祖は生まれながらに神であって、人間ではなかったと宣言した。
⑧二代真柱は、教祖の直筆の都合のいいものだけで、教理を創って教会に公布した。
(これは天理教と言うより、中山教というべきものだ)
⑨このため、将軍家としての統治はうまくいったが、統治される信者や小教会長の方は、徳川時代の大名の下で、塗炭(とたん)の苦しみをした民よりも、精神的な自由がなく、おまけに、激しい搾取(さくしゅ)に苦しんでいるのが現状のようだ。
天理教はこのあたりを変革していただきたく思うのですが・・・。
宗教家が尊敬されるのは、大きな教会を持っているから、とかいった経済的な理由ではなく、謙虚で心が低い、やさしい、思いやりがあるといった人格的なものではないでしょうか。
↑上のkoというのは、ぶたまんです。毎度エラソーにして、すみません。
<天理中山王朝・親族の理では世界救ける事が出来ん。>
明治二十四年一月二十八日 夜八時半
刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)
・・・
親族の理を以て放って置けんというは、どれから出たか。このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん。苦労艱難の道を通り来て理を聞くなら、一つの道も通そう。限り無き処まで尽そうというは、どういう理であるか。中山家の続くまで救けるというは、親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。残念の道も通りて来たわい。・・・・
ぶたまん様、古い教会長様。わかりやすく現天理教の犯した間違いの原点をご教示下さりありがとうございます。
明治24年の頃から本席に「親族の理では世上助けることが出来ん」とはっきり言われていたのですね。現天理教が中山家と親族で固めている現状は、誠にご神言の真反対の姿としか言いようがないです。
初代、二代と巨大献金を集め、巨大建築物を誇示し、特に二代は趣味の考古物や高価な古本を世界中から鬼集して自己満足したのでしょうが、自らの抑えきれない欲望を信者の献金の上に先行させ本質的に世界を助ける心が無かったのだとしたら、それに続く中山家4代、5代も困難な世上を助けられるはずもございません。
正善と懇意にし天理教に対して善意の告発をして各種の著書を出された信頼する芹沢光治良先生の「神の慈愛」をもう一度読み返そうと思います。
中山家の犠牲になってきた多くの人々が自ら目覚め、天理教の間違いを初認識される事を願います。資料に元ずく発信は冷静で有り、動じない証拠ですね。
昨日、知人が別の所用のついでに教会本部に立ち寄り、真柱邸から出てこられた天理教教会本部のハッピを着た男性に、三島神社の移転理由を聞いたところ、分からないので、南側にある保安係の詰所に聞いてほしいとの返答があったそうです。早速、保安係の詰所に行き、複数の勤務者に同様の質問をしたところ、「分からない」という同様の返答が返ってきたということです。再度、天理教と三島神社の関係について知っているかどうか尋ねたところ、別席の話等で十分知っているとのことでした。天理教教会本部勤務者は三島神社の移転の件について一般信者から質問があれば「知らない」と答えるように、教会本部から指導されている(鉗口令)のではないかという疑念をもったそうです。別席の話を少なくても9回も聞いた者であれば、誰でも天理教と三島神社の関係は熟知しているはずです。三島神社の移転理由について「知らない」と返答するのは不自然極まりないと思います。
「取下になりました」
敷島ー名草分教会の部内教会が競売にかけられていたが、入札締め切り前に取り下げられている。
何か事情が変わったのか。
入札期間 2020年5月8日(金)〜5月15日(金)
公開日 2020年4月17日(金)
崩壊
2020年4月26日 3:44 PM
中山家は様々な罪を犯し過ぎているので質問される勤務者もお気の毒ですよね。中山家が人助けなんてとんでもない。中山家自身が問題の根源なのですから何を誤魔化そうにもネット時代では誤魔化すのは不可能一国の大国の王や大統領ですら失脚させられるのですから大亮夫婦が笑顔で動画をだしても誰も誤魔化されませんよね笑
私は、別席5回運んで、息子の関係が無ければ、これで止めるか? いっそ満席にしようか
決めていませんが、三島神社の事、記憶にございません・・
そんなお話、出たっけ? 眠らないのに必死で、内容は、ほぼ覚えておりません・・
大亮夫婦が真柱になれるかどうかはまだ決まっていない
それにふさわしければ現真柱がとっくに禅譲しているはず
現真柱が中山家で継ぐのが妥当なのか、それ以外が妥当なのか、つぶす方向が妥当なのか
日々、おやさまとご相談されているのではないかと思います。
単なる父親 様
2020年4月27日 9:35 AM
>>私は、別席5回運んで、息子の関係が無ければ、これで止めるか? いっそ満席にしようか
決めていませんが、三島神社の事、記憶にございません・・
そんなお話、出たっけ? 眠らないのに必死で、内容は、ほぼ覚えておりません・・<<
私が別席を運んでいたのは、50年近く前のことです。現在の別席の話は聞いたことがありませんが、私は「居眠り」を必死でこらえながら、三島神社と天理教の関係について、はっきりと9回聞きました。三島神社の移転については、天理教内から相当なバッシングを受け、本部側としては触れられたくないので、別席の話から削除したのかもしれませんね。参考までに下記のHPをお読みください。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
話がそれてすみません、、
ツイッターより。迷惑な天理教の騒音。
>>はぁー、本当毎日毎日クソうざい太鼓だこと
これより不愉快な音って、世界中探してもなかなか無いと思うよ
ドンドコドンドコドンドコドンドコ
叩いてる本人は10分くらいだからいいでしょって思ってるんだろうが、10分×365日×10年で計算してみろよ、って話ね<<
現在、コロナで皆在宅で辛抱しており、コロナ疲れでストレスもピークに差し掛かかっております。天理教教会のお勤め騒音は信仰していない人達にとってはストレスそのもののようです。各教会は大人の発想でお勤めの自粛をしても良いのではないでしょうか。本部行事も何もかもが中止されています。月次祭さえも参拝自粛です。お勤めに参拝してもしなくても、世界は粛々と動いていて何も変わってはおりません。(コロナ以外)
つまりお勤めをしてもしなくても世の中は淡々と動き、お勤めが世の中に与えるプラスの影響もはっきり言ってございません。
この際、天理教教会は世間への騒音迷惑を鑑みて、それぞれ教会が置かれた地域住宅環境に合わせて教会長の判断で将来的に中止しても良いのではないでしょうか。
社会の中の一員であると言う自覚は大人の第一歩です。
某芸人が問題発言で現在炎上しておりますが、
考えてみると
「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!
>>「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!<<
天理教 = アウトー! だと私個人として考えるのですが、間違っているでしょうか?
全国の弱小教会長様。
各教会は今こそお尽くし、上納金の減額、ストップする良いチャンスです。
実際に信者からのお供え金がストップし始めましたね。
上に上げるお供え金はストップしましょう。今こそ大義名分があるのです。世界的大停滞が起きています。勇気を持って体当たりでお供え金のストップを実行しましょう。自教会と与えられた自らの命を充実させる事こそが重要です。
本部のお供え金も減り始めました。この流れを加速させなければ天理教で悩めるものは救えません。体当たりで上級に断固とした姿勢を示して行きましょう。
コロナで世界が苦しむ今こそ、誰も悪者にはならない筈なのですから。
つい最近、日月神示(昭和19年に岡本天明の自動書記により書かれた書物)を読む機会がありました。そこに興味深い一節があったのでご紹介いたします。
「一二三、三四五、五六七ぞ。五の年は、子の年ざぞよ」(『日の出の巻』第2帖より抜粋)
一二三、三四五、五六七の読み方は一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)です。最初の2つの読み方は納得できますが、五六七だけ『ミロク』と読ませるのです。
ミロクとは、『ミロクの世』として、
日月神示で言う「三千世界の大峠を越えて、岩戸が開かれる時代」
仏教で言う、「弥勒菩薩がこの世にくだり衆生を救うとされる未来の世」
という意味とされています。
そして、五六七をごく普通に読むとなんて読むでしょうか?
そう。コロナです。
五六七=ミロク=コロナ
そして、今年は子の年です。
ここから推測すると、コロナによって、ミロクの世へ向かうはじまりの年が子の年、つまり今年のことではないかと思います。
ここで考えてみてください。
コロナウイルスの『コロナ』とは誰が命名したのでしょうか?
『コロナ』とは、ラテン語またはギリシア語で王冠、太陽の周りの光の環に由来しているそうです。ウイルスの形状が、太陽コロナの形状に似ているということです。
太陽=日様=をもたりのみこと
ということを考えるといま世界中での現状が神様事としか思えません。
これをオカルトで終わらせるかどうかは人それぞれです。
しかし、皆様お気を付けください。
きっと大掃除に向けて動きはじめているのです。
天理教などというもう終わった宗教などにかまっている時ではありません。
世界情勢から目を離さないでください。
どうか真実の心でお通りください。
お願いいたします。
支部費の会計について疑問がある。支部では一応会計報告がある(大雑把ではあるが)。支部費として年間6万円近く払っている。支部教会はそこそこの数があり。支部の年間収入は300万円くある。半額近くは教区に上納される。残り150万円は支部活動費として使われる。その内訳がどうも怪しい。個人的に流用しているような感もある。少し突っ込んで聞いたら早口でまくしたてられはぐらされた。天理教の教会長は酒、タバコ好きの人も多く飲み食いに使われているような気もする。会議費として計上されているが。どうも怪しい。大所帯の支部は収入も多く誤魔化しもあるのではないか。今年はコロナの影響で行事も出来ず支出は大幅に減る。役職手当も減額すれば毎月の支部費も減額できる。この際無駄を徹底的に省いてもらいたい。
>>崩壊
2020年4月27日 6:49 PM
>>「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!<<
天理教 = アウトー! だと私個人として考えるのですが、間違っているでしょうか?<<
どなたかが、私のHNと同じ「崩壊」を使って上記の投稿をしておられますが、大変、紛らわしいので他のHNをお使い願います。
芹沢真一著 「心のはらい」より
井出国子さんが亡くなられたのは昭和22年9月6日正午です。
その前年、21年5月6日に井出国子「国常立」さんは、芹沢真一氏に次のように話したそうです。
p84~
「天理教租の、みかぐら歌の、
よろづよの、世界一れつ、見はらせど胸のわかりたものはない、
そのはずや、といてきかしたことはない。
このたびは、神がおもてえあらわれて、なにかいさいをとききかす。
ききたくば、たづねくるなら、いうてきかす。
よろづいさいのもとなるを。
というのは、神が、もう一度、この世に現れるということを、書き残したものや。」
これは、明らかに「面足」が「須藤花井」として現れる事を言い残したものだと思います。
須藤花井さんは、常々、「世界情勢から目を離したらいかんよ」と言っていました。
「5月になったら天理にお参りに来る者はおらんようになる」も現実のものとなって目に見えてきました。
武漢ウイルスによる世界情勢の混乱を眺める時、おふでさき17号は避ける事の出来ない流れかなと思っています。
須藤さんから聞いている話で、いまだ見えていない事がいくつかあります。
・世界中が大不況になる。
・世界中に食料危機が訪れる。
今まで見えていなかったが、コロナの影響で世界はその方向へ動きつつあるように思えます。
もう 江戸時代そのままの天理教などに関わっている時では無いと思います。
匿名 様
2020年4月27日 10:34 PM
4月24日10:57に天理教は何かにつけて、余りにもいい加減すぎるのです。と投稿しました。
拝読して本当にその通りだと感じました。いやしくも宗教法人を名乗るのであれば、たとえ1円であってもおカネの出入りを明確にするべきですね。
入金伝票、出金伝票及び振替伝票への記入は法人にとって最低限のモラルです。そして、伝票の裏面には出入金の根拠を誰にでも分かるように書いておくことも大切です。誰からも後ろ指を指されないように細心の注意を払う理由は、お供えという人の善意の最たるものだからだと思っています。
何かにつけて、もう、終わってしまった天理教組織ですから、今更ながら何を言っても詮ないことではありますが、最大の愚行は天理教維持財団が誰に知られることもなく解散したことです。上が上ならば、下も、また下ですね。
天理よろず相談所病院「憩の家」
新型コロナウイルス感染者発生のお知らせ
2020年04月27日(月)
当院職員1名が新型コロナウイルスに感染していることが判明しました。
行政機関に報告し、接触者等につきまして調査しております。
今後の対応は随時ホームページ等でご案内させていただきます。
https://www.tenriyorozu.jp/cat_info/20200427new
病院の職員でも感染したと言う事は、潜伏感染者多数いるでしょうね。天理市田舎なのにこんなに早くしかも病院で感染者出るなんて怖い。新型コロナ蔓延してるのに、全国から参拝者の往来をさせたのも感染者発生の原因でしょう。
匿名
2020年4月28日 11:08 AM
未だに全国から参拝者の往来をさせてるなら悪質なパチンコ屋と変わらないですよね。市町村や国に通報して名指しで公表してもらいましょう。
東風Z 様
2020年4月28日 7:56 AM
>>いやしくも宗教法人を名乗るのであれば、たとえ1円であってもおカネの出入りを明確にするべきですね。<<
>>入金伝票、出金伝票及び振替伝票への記入は法人にとって最低限のモラルです。そして、伝票の裏面には出入金の根拠を誰にでも分かるように書いておくことも大切です。誰からも後ろ指を指されないように細心の注意を払う理由は、お供えという人の善意の最たるものだからだと思っています。<<
おっしゃる通りだと思います。「納税」は法律で定められた国民の義務であり強制力を持ちますが、「お供え」は、建前上、信者の善意、自由意思に基づくものであり強制力を持ちません。税金と違い、お供えをしなくても、行政からペナルティーが科せられることはありません。したがって、お供えの会計処理は細心の注意を払って為されるべきであり、会計処理に不正がないかどうか、第三者機関が常にチェックする必要があると思います。国や地方公共団体の予算執行ですら、会計検査院という独立した機関が適切に執行されているかどうかチェックしています。宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。
補足訂正
先の私の投稿文を次のように補足訂正します。
宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。(訂正前)
↓ ↓ ↓
宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。特に天理教のように財政規模の大きい宗教法人には、国税当局が定期的に税務調査に入るべきです。(訂正後)
憩いの家病院で職員がコロナ感染者だとは、、、。
奈良県内には病院が幾つもあろうが、選りに選って人助けの天理教が関わる病院の職員から感染者が出るとは、、。各科の診療が中止に追い込まれこれでは人助けのお役目が果たせない。感染した職員に罪は無いが、天理教二代か三代真柱かの息のかかった病院で神の御守護はどこにあるのかと思ってしまいました。本当に辻褄の合わない信仰です。
やはり天理おぢばに神は居ないし働きがないと実感します。現天理教団は神のいない抜け殻です。抜け殻が必死に神を語り金を求め、一応の宗教法人としての体裁を整えようとしているけれど空しいばかりです。
コロナ撲滅のお願い勤めも一回切り、コロナ終息、平和を祈る気持ちも無し。
どなたかも仰っておられましたが、本部は今回の人類の苦悩における神の思召しを一切信者に語らず、沈黙を守り、一体全体どうなっているんだろうか?
抜け殻だから仕方ないと言うなら、、、わかりました。了解です。
>>4月26日の天理教HPのお知らせ
4月29日から5月6日までの大型連休の期間、「朝づとめ」「夕づとめ」を除くすべての時間帯で、神殿、教祖殿、祖霊殿への昇殿をお控えいただくことにいたします。<<
朝づとめ夕づとめで昇殿させたのでは意味が無いような気がします。むしろ同じ時間帯に人が集中して、危険が増大してしまうのでは?なぜ全面的に禁止しないのでしょう。たとえ一瞬でも信者が賽銭箱に近づけるようにしておきたい為としか思えません。
ライブカメラを見ていると白い箱が靴脱ぎ場あたりにあったり無かったりしているように見えるので、昇段出来ない時間帯は抜け目無くこの白い箱に賽銭を入れる様にと置いているのではないでしょうか?ひのきしん青年に番をさせているのでしょうね。
前代未聞の緊急事態で賽銭箱を急遽作ったのかと勝手に思っています。
神社、お寺も全面的に入場禁止にしている所も多いようです。お金に抜け目のない天理教本部の姿に失笑してしまいます。
>>やはり天理おぢばに神は居ないし働きがないと実感します。現天理教団は神のいない抜け殻です。抜け殻が必死に神を語り金を求め、一応の宗教法人としての体裁を整えようとしているけれど空しいばかりです。<<
神は、既に「おぢば」を見限り、これまでの天理教教会本部の暴挙に鉄槌を下しているのです。「抜け殻」を信仰しても意味がありません。
白い箱は参拝される人への消毒液の台ですよ。
いやいや参拝参詣は中止にさせるべき!各宗教団体が勝手な行動取っているから感染者数が減らない!言うこと聞かないパチンコ屋や身勝手な観光客と同じ!それとも、においがけ と称して、布教活動を続けて、新型コロナ蔓延させるつもりですか?オウム真理教今世紀最も悪質なカルト宗教団体がありましたが、コロナ天理教と改名するつもりなのでしょうか?やはり天理教は疑いようも無いカルト宗教だということでしょう。通報されて国や一般国民から圧力かけられたら良いんです。
本部神殿正面の白い箱二つは18日と26日にもありました。ライブカメラの画像を保存しているので確かです。あれが消毒液の台ならば、参拝を容認しているということであり、HPのお知らせは自粛を呼び掛けているフリでしかないということなのでしょうか。18日と26日に本部前に集まった人々に退去を呼びかけている様子もありませんでしたし。
池田大作さんも植物痴呆状態だそうだけどドウなの⁇
マスコミさえ左右する宗教全体主義の情報にもネットのお陰で穴が開いて
いろいろ分かってありがたいが、宗教プロパガンダにも使われる工作員も暗躍しているのね。
オメドウサマの返却ラッシュと、世界規模の大掃除が立て合っている旬刻限ですね。
節から芽が出る如く、ジバから打ち出す天の言葉を大望します。
善亮さん達が人類の棟梁ならばね。
皆さん、ライブカメラ見られるほど、天理教熱心なんですね。
>>オメドウサマの返却ラッシュと、世界規模の大掃除が立て合っている旬刻限ですね。<<
確かに立てあってますね。おメドウ返却とはおメドウは国々所々で存在意義なし、人々から必要とされていない、と言う証拠ですもんね。教会が潰れると言うことはそう言う事です。この流れこそ本部の大掃除の序段です。800箇所の消滅は終わりの始まりです。この類の潰れる寸前教会はまだまだ驚くほどいっぱいありますから。
おメドウさまを国々所々にもったいぶって大金を包んで鎮座させたが、存在価値無しとなったら出戻る時も大金つけて親元へ出戻らせる。行きも帰りも金がいる。人助けを標榜しながら一事が万事金を取る。どれだけお金を取れば気がすむのか。本部がそんな根性だから世界規模の大掃除とおメドウ返却が立てあう姿を本部は見なければならなくなる。
善亮、大亮、勿体ぶって毎月祭文読んでいるが、どこまで神の本質が理解できているのか、この渦中にあって神の思し召しもまともに信者に語れず、空虚な沈黙を守るのは、神の本質が判らないただの阿呆としか思えないのですが。大掃除されてください、と切に思います。
参考意見 様
2020年4月29日 11:25 AM
>>本部神殿正面の白い箱二つは18日と26日にもありました。ライブカメラの画像を保存しているので確かです。あれが消毒液の台ならば、参拝を容認しているということであり、HPのお知らせは自粛を呼び掛けているフリでしかないということなのでしょうか。18日と26日に本部前に集まった人々に退去を呼びかけている様子もありませんでしたし。<<
要するにそういうことなんです。天理教教会本部がいかに狡猾であるか自ら証明しているようなものです。人間の命より、天理貴族の命と生き残りしか考えていない輩なんです。
>>皆さん、ライブカメラ見られるほど、天理教熱心なんですね。<<
別に天理教熱心で見ているのではありません。教会本部を監視するために見ているのです。不正や矛盾をあばくために見ているのです。カメラの台数をもっと増やして、教会本部の内側をもっと詳細に監視できるようにしてほしいものです。
甘露台倒壊後は、監視カメラを神殿内に取り付けたと聞いていますが。そんなに信者を監視するんですか?我々は監視付きの参拝ですか。パチンコ屋じゃないんだから。
不正行為もしませんから。本部のやる事はいつでも内向き。自分らの都合の為に動く。そうでは無くて監視カメラはいらないから、「かぐら勤め」を全国の高齢者でも遠く離れた自宅からでも見れるようにライブカメラを付けてください。その方がどれだけ暖かい親心を感じられる事か。監視カメラの話を聞いた時は親の裏の顔を見たようで、ぞっとしました。かぐら勤めはそんなに勿体ぶって見せない勤めなんですか?
ライブ参拝だと賽銭箱に賽銭は入りませんが、そこがネックですかね。
上記の匿名様の「かぐらつとめ」ライブ中継に賛成です。
以前、大徳寺さんのお祭りで「かぐらつとめ」を見せて頂きました。
参拝に行けばだれでも見る事ができ、天理市本部で、なぜ、これを非公開にしているのか
不思議に思ったものでした。
立体曼陀羅の流れをくむ概念・世界観が表現されていると思います。
所謂「秘儀」でも何でもありません。
コロナ後の世界では私たちは嫌でもこれまでと大きく行動は勿論、思考も変わらざるを得ないはずです。
大国の都合だけではバランスが取れないこの地球上の生命体が、この旬にきて、初めて他者との協調を
イデオロギー抜きで、個々人の意識を調整して、調和をとって生きるすべを身につけなくては崩壊する道を進むことにもなるのでしょう。
世界の中の天理教にも変化は急き込まれています。
かんろ台に本当に甘露が降り注がれる日が来るのかどうか。
本気で待ち望むのであれば、2回目の倒壊の後の修復に、又もや木製の模型のような
軽い「なんちゃってかんろ台」を平気で据え付けるような暴挙はなされなかった思います。
その上、「なんちゃってかんろ台」に監視カメラをつけようと考えたのは明らかに方向性を間違えています。
そもそも、エセかんろ台を監視するという事のどこに信仰上の正義が感じられるのでしょうか。
大事なかんろ台ならば中山家ご一統の皆様方のうち、20~40代の人たちが交代でお守をすればよいでしょう。大亮さんが先頭に立って、シフト勤務についてください。
どうせ、と言っては何ですが、その程度の活躍の場が無い事には、無能の人達と言われている評判を回復する機会は訪れないでしょう。
教祖の末裔と歴史的名家の親類縁者の皆さん、シフト勤務、頑張ってください。
ところで、おめどう様返還にお供えも必要なのですか?返還に?
1箇所幾らと決まっているのでしょうか。
教会長さん教えてください。
阿漕な商売はするなと教祖が教えていることを忘れた振りをしても、信者は見逃せないのです。
>>おめどう様返還にお供えも必要なのですか?返還に?<<
この掲示板によると、お運びと称して、コロナ禍の真っ最中に関係教会長らその他関係者を集団で来させ、本部へのお供え金付きだそうです。お礼金?幣帛料?名目はわかりませんが、お金を包んで本部へお供えするそうです。コロナ感染は自己責任で来い、とのお達しだそうですよ。
鎮座させるにもお金。撤去するにもお金です。挙句、跡地は本部の物です。守銭奴です。
おめどうさん返却って?
新聞紙に包んで神社かお寺でいくらか包んでお焚きあげして貰うのでは駄目なんですか?
とても一般的で丁寧だと思いますが?
返還にお供え、天理迄の往復の交通費、そして更にそれらにかかるお礼?
で一体幾らになるのやら。
中に入っているのはただの人工物です。それぞれが地元で神聖な炎でお焚き上げすれば、道中でコロナに感染することも無く、また感染させる加害者にもなり得ません。そもそも本部は神の居ない抜け殻なのだし、心も肝心の神の御心も語れない抜け殻なのですし、抜け殻が800個も預かっても沈没船の中に行き場はないでしょう。焼いて灰にし、形を留めない方がスッキリすると思います。
信者や信者家族その子孫達、また世間に見放され、その結果として潰れてしまった教会です。鎮座した神?も働きが無かった結果です。そんなどこかの工場で作った人工物にひれ伏し、大切な生活資金を信じて供えたナンセンスを我々もよく認識すべきです。
没落本部が金集めの道具、手段にしているに過ぎないです。
>>甘露台倒壊後は、監視カメラを神殿内に取り付けたと聞いていますが。そんなに信者を監視するんですか?我々は監視付きの参拝ですか。パチンコ屋じゃないんだから。<<
「監視カメラ」という表現は不適切だったと思います。お詫びいたします。信者を監視するのでは決してありません。「モニターカメラ」という表現が適切だったと思います。かねてから、疑問に思っているのですが、教会本部の「かぐらづとめ」はどうして、甘露台の根元の「穴の中」の参拝者から見えにくいところで執り行われるのでしょう? 参拝者の皆から「かぐらおつとめ」の一部始終を見られたら、何か不都合なことでもあるのでしょうか?「おぢば」から遠く離れた教会は、「おぢば」に参拝すること自体が、旅費等の関係で相当な負担を強いられているはずです。どうしても教会本部の「かんろだいづとめ」を参拝したいのであれば、今、流行のオンライン参拝や、既に一部の公立学校や塾や予備校で実施されているオンライン授業等の方法もあります。経済的理由でインターネット回線やパソコン等のIT機器を整備できない教会もあると思いますが、教会本部が責任をもって補助金でも出して、そうした教会を救済すべきだと思います。
>>経済的理由でインターネット回線やパソコン等のIT機器を整備できない教会もあると思いますが、教会本部が責任をもって補助金でも出して、そうした教会を救済すべきだと思います。<<
上記に補足いたします。
もっとも、天理教教会本部側は、さらさらそんな気持ちなどないでしょう。主たる目的は一人でも多くの信者を教会本部神殿に参拝させ、お供えの確保を目論んでいるのですから。天理貴族の考えることは所詮、そういうものです。
全世界のコロナ感染者の皆さん、罹患者の医療に携わっておられる皆さん、コロナ感染の渦中にあって、必死で社会インフラを支えてくださっている皆さん、皆さんのご努力に感謝の意味を込めて、下記の讃美歌を捧げます。
https://www.youtube.com/watch?v=tjbyanYNDBs
真柱さんはどのような日々を過ごしているのでしょうか。
以前、会長たちの集まった席で短いながらも話をされたという記事を見ました。
それから時間が過ぎ、コロナ感染も広がる中、いっこうに信者向けの話をされないまま今に至っています。
代わりに表統領がいくら話を流したところで、真柱職と表統領職では全く立場が異なります。
発語が不自由なのであれば夫人が言葉を拾って、書き物にして時報に掲載することはできるでしょう。
それとも真柱さんがそれを望まないのか?リタイアしたいのでしょうか。それは無責任というものです。
信者は大病を患っても修養科に送り込まれます。ヌクヌク大事に保護されるだけでは回復しません。
過酷なリハビリに努力するのは多くは家族の世話を担う妻たちで、旦那はのんびりペースのリハビリというケースが多いこともあるようです。真柱家族がどのような状況かは全く知らないので、あくまでも一般論を書きました。施設滞在のリハビリではないようですから、或る程度は真実をついていると思っていますが。
後継者と言われる大亮さんもTwitterは気の向いた時に書き込むだけ。
Twitter内で教会長らしき人(Twitterでは必ずしもプロフィールは正直な記載とはいえません。)の書き込みによると、その人は大亮さんの子供を動画で見て楽しんでいるそうです。
ラインで?でしょうか。子供の動画を流すのは個人の勝手ですが、公職にある人はコロナ禍の現状から、自分の発信内容を考える必要があるのではないでしょうかね。
ラインは友達同士、親しい人と結ぶことが多いことは事実です。だから子の成長を・・・ここまで書いて、うんざりしている自分がいます。
・・・判らないのは天理教上層部の思考回路。感受性。社会性の欠如。
何を言ってもダメ、ですね。だからお供えを出さない事が最善の策になるのでしょう。
黙っていても下から上がってくる莫大なお供えで生きてきた一族郎党。
既に個人の財産として、しっかり蓄えているのでしょう。信者ごときが何をほざいているとばかりに、嵐がすぎさる時を待つのでしょう。
全国には、まじめで立派な教会長さんもおられます。その方々の次世代の方が後継する時には単立教会として宗教法人登録をして残っている信者さんを丹精してください。
町の神社仏閣と同じような「参りどころ」として存在するのも立派な仕事です。
厄介な、じば参拝は大名の参勤交代じゃあるまいし、むしろ地域の中で人から心の拠り所として愛される教会になるための手続きとして、単立教会への変更は、積極的意味合いを感じませんか?
やどしこみの場として教えられてきた聖地じばには空虚さしかありません。
しかし、これを地球上どこの地点にもご守護して下さっている「空気」を感じる場と悟れば、そう、何も天理市にこだわる事は無いのです。
以前の投稿で、おじばに対する気持ちがスッキリ晴れたと書きました。
今もスッキリ、何の曇りも有りません。
ただ、ダメ組織の責任の一端は、信者にもあることから、引き続き天理教に対する危惧を投稿しています。
この場を提供してくださる方にはいつも感謝しています。ありがとうございます。
素晴らしいご投稿ですね。全面的に共感します。盲目的にでは無く、真に神の存在を模索している信者達にとって、現天理教教団の振る舞いは、全く空虚な限りです。
話変わって昨日、娘から久々に電話がありました。次男と自分たちの辛かった成長期の事を語り合ったと言います。
「昨日お兄ちゃんと久々に話をした。私たちきょうだいの生活は天理教によって目茶目茶にされた。父母の不仲の原因はいつも天理教が原因だった。お母さん、あなたはいつも教会の事で留守ばかりで自分たちがどんなに寂しかったかわかるか?これまでの人生の不幸の原因はいつも天理教だった。天理教は一体私に何をしてくれた?その結果が、この家族バラバラになったんだ。」
家族といっても血だけのもの。我々夫婦は離散しました。娘達は両親を恨みます。バラバラになった親をみるのは辛いと。
昨日私が娘に言えた事は「大変申し訳ない事をした。お母さんを許して欲しい。」この一言しか言えませんでした。
「今となってはお母さんも、爺ちゃん、婆ちゃんも犠牲者だったんよ。天理教がつぶれてなくなる事を今は心底願ってるから。」娘の最期の一言。「お母さん、自分が犠牲者だと言うけどね、子供で何も分からなかった私らきょうだいがいちばんの犠牲者だからね。」
天理教に振り回されて、多感な成長期の子供達の心を気がつかない間に傷つけた。親としてのこの大失敗を、私は一生背負って行くんだと、天理教教会に生まれた運命を諦めつつも済んだ事として受け入れ、今後負の連鎖を孫達には絶対に受け継がさないぞ、と心に強く誓う者です。
この地球規模の困難に向き合う 我々信徒の心向きに力を与えてくれような真柱の発信はゼロ。
役職に見合う仕事をしないならお辞め下さい。次期真柱の若者よ。血が真柱になるのではありません。精神の鍛錬と人格の向上。精神的崇高性が無ければ「真柱」になってはいけません。他の適格者があれば自ら降りてその適格者の応援に徹して下さい。
我々古い信者(元信者)は中山ご一統、中でも二代真柱にどれだけ苦しめられたか、目をそらしてはいけません。今後は全国教会にお詫び行脚をするつもりで生きて行って頂きたいです。
Twitter情報
本部がやっと、や~っと、直属以下、全国各教会の月次祭参拝自粛を要請。
遅すぎやろ!
世間知らずにも程がある! 怒!
ご連絡
◎御本部より直属教会長宛に以下の連絡がありました。
現在、おぢばや各地の教会、また個々人のようぼく家庭においても、コロナウイル
スの終息と世の治まりを親神様、教祖に願い、一方では政府や自治体のコロナ対策
要請に応えて、最善を尽くして努めている最中にあります。
月が替わり、来月になりますと各教会では五月の月次祭を勤めることになります。
教会によりましては、いまだに多くの所属ようぼく・信者の方々に月次祭に寄るよ
うに声がけをしているところもあるようです。ようぼく・信者やその家族からは、
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。
一日も早いコロナウイルス終息のご守護を願う気持ちは同じですが、各教会が所
属するようぼく・信者の心情によく配慮し、月次祭への参集を控えるなど、直属教会
「 よりご指導をお願いいたします。
立教 183年4月28日
内統領宮森与一郎
>>ようぼく・信者やその家族からは、
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。>>
なんか他人事みたいに語っとるな。
これまでの「理の親には絶対服従」を強要してきた
お前ら本部の封建体質そのまんまやろーが!!
本部が責任ある行動をさっさととらないから直談判の電話連絡が殺到しているのでしょう。
コロナ禍真っ最中に感染は自己責任で来い、とおメドウ返却に呼び出しているのはどこのどなたでしょうか?
この文面を読むと教会長が悪いと批判していますね。そうじゃなくて本部への批判電話です。
まず本部の初動が遅かった。婦人会総会中止も、本部3月月次祭も多くの信者が中山だけでやれ、と気を揉むのを尻目に、直属教会長を呼び出して密集密接で強行しました。そう言う失態を棚にあげて何ですかね?この教会長を批判する様な文面は。親が子を思う温みは感じられません。責任逃れ。我々本部は悪くないが子供が言う事を聞かない奴がいる。本部に苦情電話が来て迷惑してる。お前らちゃんとやれ。
これはそう言う文面です。
本部への苦情電話はすなわちダイレクトに本部自体へのフラストレーションであり、教会長をきちんと統制、指導出来ない本部への直接批判と受け止めなければいけません。いつも、いつも、何があってもお前らが悪いと言う姿勢は今も昔も一貫してますね。やれやれ、、我が身を振り返れと言ってやりたいです。
世界規模の干ばつ
かつておつとめで雨が降ったとのことで
おつとめが急がれているのだろうか?
「新聞紙に包んで神社かお寺でいくらか包んでお焚きあげして貰うのでは駄目なんですか?」
という投稿を拝見しました。基本的に、神社などは、神道のお札をお焚き上げの対象にしています。お寺も仏教の関係物が対象のはずです。ですから、天理教のものは、やはり天理教で対応してもらうのが筋ということになります。
ただ、この時期に、このような「おめどうさん返却」をされるのは、おかしいです。少しでも常識があるなら、中止か延期にするでしょう。それを強行するのは、何か背景があると思われます。
門外漢 様
2020年5月1日 1:29 AM
>>ただ、この時期に、このような「おめどうさん返却」をされるのは、おかしいです。少しでも常識があるなら、中止か延期にするでしょう。それを強行するのは、何か背景があると思われます。<<
何もこの緊急事態の折に、「おめどうさん返却」をするのは、おかしいと思います。しかし、今の天理教の実態を鑑みた時、一刻も早く天理教と縁を切りたいと考えている末端分教会が我々の想像以上に多く存在するのかも知れません。先の私の投稿でも書きましたが、既に宗教性を失い形骸化してしまった宗教の「おめどうさん」をわざわざ神社仏閣に持ち込んで処理しなくても、可燃ゴミと不燃ゴミに解体分別し、地方自治体のゴミ収集車に収集をしてもらえば、無料で処理できるはずです。
>天理教教会本部は2月26日の月次祭の参拝客の受け入れを中止することを決定すべきだ。
それくらいの社会的責任を負っていると理解しています。
安全とは、危険を予知して、その危険を未然に防ぐ技術です。これくらいのことが分からなくて何が宗教法人を名乗ることができるのか。今からでも遅くないでしょう。代表役員は学習能力の有無を問われている。
何も起こらなくて良かったでは済まされない問題だと思っています。<
上記は、去る2月23日に本欄に投稿した内容です。宮森内統領が今になって何を寝言を言っているんだろう。
イタリア・ペザーロ市の病院で医療関係者が病院の廊下にへたり込んでいる写真があります。12時間交代のシフト勤務。その間は防護服を脱げないため、12時間は飲まず食わずトイレにも行けない、と解説されていますよ。本部の屋敷でヌクヌクと過ごしている場合じゃないでしょう。コロナ病棟の掃除にでも行かれたらどうですか。
宮森さん、お分かりですか。世界助けを標榜されるのであれば何をすべきか。
更に、京都大学人文科学研究所準教授・藤原辰史氏の論文でも読まれては如何ですか。この内容は天理大学から出されるべき論考ですよね、おカネばかり見ている天理教では無理な話なんでしょうが。
とにかく一度、天理教史の見直しをされては如何ですか。天理教は少なくとも文明集団ではないことが明らかだということです。
>>イタリア・ペザーロ市の病院で医療関係者が病院の廊下にへたり込んでいる写真があります。12時間交代のシフト勤務。その間は防護服を脱げないため、12時間は飲まず食わずトイレにも行けない、と解説されていますよ。本部の屋敷でヌクヌクと過ごしている場合じゃないでしょう。コロナ病棟の掃除にでも行かれたらどうですか。<<
ごもっともなご意見ですが、既に「抜け殻」と化してしまった、天理教に対しては「無駄な期待」にしかすぎません。真の「人たすけ」は天理教という「宗教とも利権団体とも反社会的勢力とも判別のつかない得体の知れない団体」が完全崩壊しなければ、どうしようもありません。「得体の知れない団体」がこのまま存在し続ければ、先祖代々にわたって、天理教を「正しいもの、最後の教え」として信奉している人達を更に不幸のどん底に突き落とすだけです。
>>昭和11年発行「伏魔殿を発く」より
昭和10年12月、当局に於いては、邪教撲滅の陣を拡大強化する為に内務省保安課に、宗教係を新設した。──(中略)──
一、成金宗教天理教を探る
屋敷を払うて田売りたまえ──成金宗教、天理教は一体どれだけ儲けるか?
ある人の推測によれば、──昭和八年の税務署の年所得査定は、百二万円となっているから、事実現在は百五十万円くらいはあるであろうと言っている。他人の懐中具合を気にしても始まらないが──、では天理教の財産は、いくらほどあるものだろうか。これ亦、ある人の推測によれば最高七億、最低一億はあるだろうと言うが、的確な計算ではなく、目の子算だから、あてにはならない。さて──
信徒七百万人と称する天理教管長中山正善の所得査定減額運動に絡む贈収賄容疑事件で、同教本部外事主任、堀越儀郎は昭和十年十二月十一日に任意出頭の形式で、奈良署へ同行を求められた。遂に、起訴前の強制処分で収容されたので、今後の発展如何を注目されていた矢先、同月十六日!午前六時。制私服百三十名の警官隊は、自動車、ハイヤー、バス数十台に分乗し、拂暁の薄闇を衝いて天理教本部に到着し、天理教庁会計、財団、経理各部と教庁事務所の管長が日常執務する調査課と、中山管長邸、その分家の中山為信、その外、松村吉太郎、山澤為造、諸井慶五郎の諸幹部邸宅並びに前記の堀越儀郎の留守宅及び四課長の私宅など、一斉に家宅捜査を行い、多数の証拠書類を押収して引き揚げたのであった。
この検挙の内容は、税金査定額が急激に低減したために、当然司直の眼が光ったわけで、脱税のための賄賂への嫌疑がかかったのだ。これ以外に、某重大事件が含まれていると伝えられているようだが、これについては筆者は知らない。
そこでこの所得税の問題だが、宗教団体は所得税が免除されているのだから、管長個人の所得税との限界との混同からきたものだと言う者もあるが、その法律的解釈は行政裁判によって明らかにされることであるから、ここで論ずる必要は無いのだ。その所得税納入額は、大阪税務監督局区内では、天下の住友の次に位するという豪勢さだ。昭和七年までは、管長個人の年所得三万三千円と見積もられていたが、調査の結果、昭和八年には管長個人と天理教とは二面同体であるとの見解から、天理教本部の所得七十二万円と(前期の百二万円が七十二万円に引下げられたのだ)査定されて、十七万円を課税されたのだ。それが九年度の所得は四十万円となり、続いて十年度には三十九万円と査定額が轉落したので、臭いぞとなったのだ。
ここで、ある二人の消息通から聞いた話を紹介しておきたい。
その一人は──、
「天理教や金光教や大本教ときたら、経済原則の上からまことに表彰するに足るものがある。天理教などは、いつだって金が本部にあったことはない。つまり死蔵したことはないのだ。いつもスッカラカンである。然るに一朝、サァとなると半年の内で百万円の外語学校を建てる、二百万円で神殿を造るといったように、パッパと集めたと思うと撒いてしまう。これが他愛のないことだが経済原則に添うているのだ。だから金が苦も無く集まるのだ。この点では仏教僧侶より神道僧侶のほうが現代的である。現代的とは、よく経済原則による生活を営むということである。」
また、ある材木商の主人は──、
「天理教の本部には、金が降るほど集まると言われているが、近頃はなかなかそうもいかないらしい。以前は材木の注文が天理教から来ると、商品を送らない前から何万円というような大金でも前金で、どしどし支払ってくれたものであるし、またその買い方でも非常に大様であった。しかし近頃は、そういう大名のような買い方をしてくれず、値段の交渉も難しくなったし、また金にしても前金はおろか、他方様と同様お百度を踏まないと払ってもらえないという具合になった。これで見ると、天理教の本部も勝手元は世間で見るように楽ではないようだ。満更、払い汚いだけではなさそうだ。」
かと思うと──、
一方では、一代の法螺吹き伊東ハンニこと松尾正直が昭和九年五月頃、支那放浪の旅から帰朝すると、直ちに天理教本部を訪れて彼一流の辯舌で、新東洋主義の理想と天理教主義とは一脈相通ずる点があるから、日滿支に天理教を宣布してやると持ちかけて、僅か一年間に数回にわたって百万円余を引き出してしまった。しかも、これは中山管長の内諾もなしに堀越、上田などの役員が自由に、この大金をハンニに手渡したということだ。この一事を以てしても、いかに天理教の会計が紊乱した状態にあるかが暴露されたというものだ。否、余りに大きな世帯だから、呆れたと褒めておこう。
次に、天理教の今後の方針について、注目すべき一事を報告しておく。
今年の教祖五十年祭と、明年の立教百年祭の為に、前以て五年の募財期間を立てて一千万円募財計画をしたのだが、その内訳は、五百万円の信徒納金、百五十万円の教会課金が本部に集中し、更にその間に、全国教会の負える借金三百余万円の償還方を行う筈で、この合計が一千万円という建前なのだ。これについて天理教を代表する某幹部の公表しない言説を特に引用してみよう。
「天理教の募財能力も、教祖五十年祭を以って解消すべく、この機を逸すれば、もはや本部を充実することができないから、無理にでも大募財を断行しなければならない。」
先年、筆者はこの明けっぱなしな抱負を聞いたことがあるが、読者諸賢以って、如何となすや!まあ、これだけの殊勝な心掛けが事実あるのなら、筆者は喜んで「天理教」を礼讃することにしたいと思う。次にだ──、
いま仮に、天理教が何億の私財を蓄積していようが、少しはその金を有意義に使用しているかどうか。
も一歩突っ込んで、天理教の教祖ミキが私財を蓄積せよと、彼女の所謂、宗教的実践ともいうべき経歴が教えたかどうか。どんな子供にでも判るような「教理」そのものの解釈を、何故に「屋敷を拂って首つりたまえ・・・」なんて人口に膾炙されるのか。そんな働きかけをやっているかどうか──を、検討してみる必要が大いにあるのだ。まず順序として──、
一、社会事業をやっているかを調べれば、これにはかなり出資しているようだ。
養徳院、託児所、盲学校、六踏園などの経営から、幼稚園、小学校、中学校、女学校、天理外語学校、女子学院(女子の外語校)の教育事業にも莫大な経費を用いている。
その外、天理教本教師養成所である。天理教校、天理教教義講習所などもあるが、要するに「天理教」を背景にした宣伝学校とはいえ、他の教理のものに比較して、かなり意を用いていることだ。なお、ここに「天理総合学園」の拡張充実計画を立てているそうだが、これが完成すれば、維持費だけでも年額百万円を要するとの話だ。それだけでなく国防費にも献金するし、また先だっては大阪二大新聞の義金募集の競争に踊らせられて、百万円を投げ出したことさえあるのだ。
次に教祖、中山ミキの歴史的なる「過去の生活」を抄して、そこに何を教えているかを指摘してみたい。
(教祖伝、逸話編の紹介、我が子の命と引き換えに他人の子を助けた話など──以下略)
これは、わざと古文体なる「天理教教義要領」から引用したものである。ここで注意したいのは、彼女が神憑り(天啓)によって第一に叫んだ要求は、中山家の家財資産を売却し、貧者を救済せよ、であったことだ!
筆者は天理教の提灯持ちをしたくて教祖の伝記を抄録したのでもなく、また「貧者を救済せよ」なる善行を表彰したいためでもないのだ。即ち「この精神」が現在の天理教にあるや否やを検討したいからなのだ。
世人は、ミキの神憑りを宗教的偏執狂であるというが、しかし天理教側にあっては無論、こんなことを思ってみただけでも、恐ろしい冒涜に違いないはずであり、それどころか、そこに侵すべからず神性に拝跪するのであろうから、それ故にこそ、まことに「貧者を救済せよ」なる天啓なるスローガンに対して、今日の天理教は恥じるところが無いかと──声を大にして詰問したくなる。
身近な例を上げる。筆者の知人某、支部教会の教師から切に勧められて、やっとの思いで金を工面して、学校へ入るべく本部へ行ったものだが、ふとしたことから幹部の豪勢な生活ぶりを見て、彼は奮然として直ちに帰京してしまったのだ。この事実は何を意味するものであろうか。
教祖の所謂「貧者を救済せよ」の神言とは、あまりに遠いかけ離れた実践的矛盾さを如実に暴露しているのではないか。
事程左様に、信者を喜ばせ狂わせてくれる天理教本部こそ、太るばかりで、さぞ血圧の高いことだろう。真の宗教精神を生かす可く、「屋敷を拂うて田売りたまえ」──の錯誤に落ちてはならない。筆者は叫ぶ。
天理教よ、天理教管長よ、大幹部たちよ。真の「天理」の大道にかえれ。そして宗教精神で、世を導くことを忘れるな。
徒に殿堂の大きさを誇るな。信徒者の多数を誇るな。それは却って「天理」に違背した證左にさえ見られ、識者の蔑視にしか価値がないではないか。徒に現状を延長することは、天理教本部が「完全なる伏魔殿」になることである。
筆者、徒に天理教を誹謗して発いたのではない。第三者として、天理教を厳正に批判するのだ!諒せよ!<<
昭和11年発行の本ですが、今も昔も変わりませんね。当時の百万円って今だとどれくらいなのでしょう。あと信徒700万人というのは教団が示した数なのでしょうか。
種苗法改正とは?
自分達の命に直結してくることのようです。
今もし平成6年の事態が起きれば他国に頼ることも出来ません。
今社会学と名打つならば、本当に社会学について話すべきではありませんか?
お金だけとって何もしなくていい(これを人は詐欺という)
こんなスタンスの組織はやめてしまえ!
お金も返せ!
神様が守ってくださるから子供のことはほうっておいてもいい
うちもそうだった
みんな洗脳されていたんだなあ!
おつとめさえすればどんな病もたすかる!
そんなはずないだろう!
>>昭和11年発行の本ですが、今も昔も変わりませんね。当時の百万円って今だとどれくらいなのでしょう。あと信徒700万人というのは教団が示した数なのでしょうか。<<
昭和11年頃の百万円の価値は、値段にかなりの開きはあるものの、最低で10億円、最高で30億円程の価値があるようです。
立教の元を辿り、大事にし過ぎてしまい、時代にそぐわない、逆行する組織。
旧態依然のまま、自浄能力も平等な人事の選挙も、能力や実績に基づいた人事もない。
コネと金がモノを言う恐ろしい組織である。
組織の都合に振り回される教会長や家族、信者達。
いつまでもこのままであろう。
大亮さんが真柱になろいとも、変わらない、変われない。
誰が割りを食うのか、これまでの歴史を見れば一目瞭然。
弱者が上を支えるのだ。
せかいいちれつみはらせど、むねのわかりたものはない。
人間には神の思惑など分かりようがないのだ。人は神ではなく、神にはなるないのだから。
人が人を救うのだ。足下も掬う。
神は人には測れない、手の届かない存在、概念である。
上手く利用する者もいる。利用される者もいる。
ただそれだけ。
信じるか信じないかは あなた次第です 笑
>>昭和11年頃の百万円の価値は、値段にかなりの開きはあるものの、最低で10億円、最高で30億円程の価値があるようです。<<
──ということは、教祖五十年祭と立教百年祭に向けた一千万円募財計画とは、今なら100~300億円ということになりますか。5年計画だったとはいえ「無理にでも大募財を断行しなければならない。」なんて言った某幹部とは当時の表統領あたりではないかな?(どうも表統領という役職に悪いイメージが固定してしまって・・・)
それにしても、これと比較しても、教祖百年祭の前年の513億円というのは狂気の沙汰としか思えませんね。バブル経済のピークでもあったのでしょうが・・・。
>>それにしても、これと比較しても、教祖百年祭の前年の513億円というのは狂気の沙汰としか思えませんね。バブル経済のピークでもあったのでしょうが・・・。<<
まさに狂気の沙汰ですね。(元々狂っている教団ですが) 狂気の沙汰の犠牲となり自死や強盗にまで追い込まれた教会長さん達は、本当に気の毒です。
「天理時報手配りを続けたいですか?」とツイッターでアンケートを取ったところ115票を集めた。
13%の人が 「続けたい。」と答え、
87%の人が 「止めたい。」と答えた。
これが実態だが、本部は知らないだろうし、知ろうとはしないだろう。
平成30年1月の「みちのとも」で手配り10年という特集をしているが、皆の思いとは正反対に、大いに素晴らしいという記事が満載されている。
タイトルだけ記してみます。
「『天理時報』普及・活用と手配りのさらなる“進化”へ」
「手配りひのきしんの輪が 地域のたすけ合いに進化」
「年間延べ五万人が実働する 常時活動と拡充へ」
「 時報の記事を話の台に 講社祭で信仰深め合う」
「手配りで強まった縦横のつながり」
どうも、13%の人の意見だけが綴られているようだ。
これからも、手配りを続けるのであったら、強制的ではなくて、13%の人だけでやれば良いと思う。
芹沢真一著「心のはらい」より
宗教について井出国子「国常立」さんは、次のように言っています。
p227~
宗教はいらん、わしの教えは、宗教にせん、信者を作るために、現れたのとは違うぜ、
宗教は、もうお終いや。
芹沢氏が、宗教がお終いになるのは、いつ頃かと問いかけた事に対して
p228~
生きてるうちに、お終いにしようと思ったこともあるが、
今つぶしてしまうと、それで食っている人が、食えなくなって可哀想や。
だんだんでいいやろ、
どうや、神さんが、あんばいようするぜ、
心配せんで、おきなはれ。
偽物宗教団体の天理教にも とうとうお終いの時が迫って来たようです。
天理時報がいよいよ薄っぺらくなった。ページ数はもとより今回のトップページの
テーマは「男と女のすれ違い」。
宗教紙なら、現在の未曽有の社会混乱、生命の危機に遭遇している少なくとも信者読者に訴える神的悟りの話がテーマではないのでしょうか?
生命の危機、生活そのものが脅かされようとしている只中において、「男と女のすれ違い」がテーマというのはあまりにも感覚がずれており、少なくとも信者の信仰心に寄り添うものではないと思う。コロナで取材できないなら信仰の本質的話題に切り込む、今こそがその機会でしょう。
天理教教団の信者に対する軽い扱いとその思い、隠せない本性が素直に表れていると思います。「神を求める信者と神を求めない本部のすれ違い」ですね。
京都大学人文科学研究所準教授・藤原辰史氏の論考のタイトルの言葉を無断でお借りするのは心苦しいのですが、もう一度言います。
歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉。このタイトル、今の教団本部にピッタリ当てはまるのではないでしょうか。
もう、終わったところに何を言っても無駄だと思いながらも投稿する自分にも呆れていますが、信仰を求めておられる方々にお伝えしたい。どうか、天理教にだけは絶対に入信されないようにご留意ください。
形而上下相和してなんて言っていますが、待っているのは地獄にも等しい差別社会ですよ。
5月1日10:00AMの匿名様
種苗法改正とは?
大手全国紙では大きく記事にしません。敢えて事実を知らせたく無い力が働いているのかも。心ある地方紙、機関紙、ネットでしか知り得ないでしょう。農協関係の人達が殆ど上から言われるままに自民党支持してたのもありますし。公明党支持者からの反発は無いのでしょうかね。今は新聞もテレビもコロナ関連ばかりなので忘れられている問題が沢山あります。森友問題で自殺された赤木俊夫さんの奥さんが実名で必死の思いで告発され、オンライン署名をされ1ヶ月、もう34万人程あつまっています。署名でしか協力出来ないのも情けないですが、皆さん方もよろしくお願いします。
無名
2020年5月2日 8:31 AM
種子法に関して私も目にしましたが、この騒動とは裏腹にこれは日本の高品質の種子を盗まれないように改正されています。長年かけて高品質の品種を改良しても、外国人窃盗団により、中国韓国などに密輸されているケースが多々ありました。この事例にもあるように、オーストラリアでも作付けされていたようです。しかもこの騒動はとある有名芸能人が問題提示していたので、あれ?と思い調べたらまったく問題が無い。むしろ第三国に利益のある報道である。コロナ問題でも発覚したように、日本のメディア芸能は特に外国への利益供与が出立ちます。メディア芸能程度ならまだ良いですが、コロナ対応の遅れから政治の野党はおろか与党内部にもそれらの売国奴分子が増えいたのを国民は目の当たりにし国民の監視はより強まっています。このようなフェイクニュースに騙されぬようにした方がよいですね。
種苗法の一部を改正する法律案について
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/shubyoho.html
なぜ種苗法を改正するのですか。
農業者の皆様に、優良な品種を持続的に利用してもらうためです。
日本で開発されたブドウやイチゴなどの優良品種が海外に流出し、第三国に輸出・産地化される事例があります。また、農業者が増殖したサクランボ品種が無断でオーストラリアの農家に譲渡され、産地化された事例もあります。このようなことにより、国内で品種開発が滞ることも懸念されるので、より実効的に新品種を保護する法改正が必要と考えています。
自家増殖は一律禁止になりますか。
自家増殖は一律禁止になりません。
現在利用されているほとんどの品種は一般品種であり、今後も自由に自家増殖ができます。
改正法案で、自家増殖に許諾が必要となるのは、国や県の試験場などが年月と費用をかけて開発し、登録された登録品種のみです。そのような登録品種でも許諾を受ければ自家増殖ができます。
種苗法についてそういう思いも分かります。
しかし世界で干ばつが広がっていて、作物の減少は農家の命に関わることです。今作っている作物の許可が降りる降りないの綱渡りの状況であれば、作地面積は更に減っていくことでしょう。
今、ビクトリアの滝が枯れたとも言われているこの時期に、法律を動かすことの危険を思います。
山に雪が降らず、山が水分を充分保っているように見えない今年、各国が干ばつの影響をうけている今、作物を減らす法律を立てることが食糧の確保と逆行しているように見えます。
知的所有権としての品種の保護は分かりますが、第3国の方々も美味しい果物を召し上がる機会があられても良いのではないでしょうか。
ウィルスが蔓延するくらい空気が乾燥しています。
本来の湿潤な空気感が今感じられるでしょうか?
今年の埃っぽい乾燥が今年の夏の作物にどう影響するのか、不安です。
今年法律を動かすことは、時期尚早に感じられます。
私達が今考えることは作物を増やすことではないかと考えています。
匿名 様
2020年5月2日 1:01 PM
>>知的所有権としての品種の保護は分かりますが、第3国の方々も美味しい果物を召し上がる機会があられても良いのではないでしょうか。
ウィルスが蔓延するくらい空気が乾燥しています。
本来の湿潤な空気感が今感じられるでしょうか?
今年の埃っぽい乾燥が今年の夏の作物にどう影響するのか、不安です。
今年法律を動かすことは、時期尚早に感じられます。
私達が今考えることは作物を増やすことではないかと考えています。<<
全く同感です。「世界一列は皆きょうだい」「互いたてあい たすけあい」という天理教本来の教えにも添うものです。今や地球規模で環境が破壊されています。地球の温暖化、毎年のように発生する大規模森林火災、台風やハリケーン等の風水害は、全て成るべくして成ってきたことだと思います。食べたい物をたらふく食し、肥満になり、ダイエットや減量に国家的プロジェクトとして取り組んでいる国もあれば、その日一日、必要な栄養も摂れず、栄養失調で痩せ細り、幼児期から死を待つしかない状況におかれている国もあります。今や地球は、自国のことだけを考えていればそれで良いという状況ではありません、世界規模で二酸化炭素の排出量を減らし、地球の温暖化に歯止めをかけなければ、世界規模の食糧難の時代がくることは目に見えています。自然災害もまた然りです。世界中の国々が協力し、少しでも乾燥や高温に強い品種を開発し、当面必要な食糧を確保していく必要があります。国境とは人間が勝手に線引きして作りあげた行政区でしかありません。これからの時代、地球全体の生きとし生けるものが遍く物質的にも精神的にも豊かに生きていける方策を考える時期にきているはずです。
種苗法改正案、今、大変な状態だからこそどさくさに紛れて押し通したいんですよ。政府はいつもその手でやって来たんですから。国民が舐められているんです。「他国なら暴動やら革命とか起こすけど日本人は従順だね」と、外国の人に呆れられるほどです。政府は農家、国民、ましてや貧しい国の人達の事などちーっとも考えてないですよ。改正して得する国は何処か?日本の農家を疲弊させ、自給率を最低にしたのは誰か。責任とった政治家はいません。今の政権は歴代最悪ですけど国民はそんなに怒ってないのかな?面白い位に国と天理教が重なっていてアホらしくなります。ハーバード大学出身の芸人、パックンことパトリック、ハーラさん、アメリカの貧しい母子家庭で育ち、お金が無いなりに体験出来ること、挑戦出来ることは何かを柔軟に考える少年だったそうです。日本に来て26年、日本女性と結婚し、言葉、文化、歴史、毎日勉強になる楽しい生活を送ってきたが気になることが、、、日本人には、言う勇気が必要だ。そして、批判的思考も大切です。政府の発表も鵜呑みにしてはいけません。コロナショックで生活が揺らいでいる今こそ批判的思考を持ちたい。政治家頼みでなく国民が政治を主導すべき、リーダーは国民であるべき。投票権を持つ国民は政治の所有者であり責任者でもある。その自覚を持ってほしい。平和憲法を持つ大国として自信をもって国際的に活躍してほしい。自衛隊も軍隊としての機能を強化するより、人道支援を中心にした「助け隊」にしたらいい。医療や教育、難民支援など力で抑えるのではなく、力で助ける部隊だったらかっこいい、、、と、参政権の無いパックンが語っています。
自然界も人間の世界も、根本的には弱肉強食、適者生存なんですよね。変化できないものから消えていく。
弱者が弱者を救うのは難しいことが多い。
辛い現実を乗り越えていくために、神という存在、あの世、この世、前世、来世という世界を作り、生きていく上で起こり来る事象に教理を繋げて考えさせる。そして金と人を集める。
うまくできたものですね。
自らの体験や思考も、教理が元にあると、自分で考えているようでも、実際にはどうだか…
事実を俯瞰的に、客観的に、さらに主観的にも捉え、どうやったら良い結果に繋がるか、自らの意思で、自発的に行動し、常に自分を変化させていくこと、周りの変化に気づき、対応していくこと。これが大事かと。
漠然とした表現しかできませんが、複雑で厄介で先が暗い時代、それも天理教という組織の中で生きていく自分に、毎日言い聞かせていることです。
自分にとって「神」とは、自然現象、人間の力が及ばない世界のことです。
人は神ではない。神域と呼ばれる偉人も多くいますが、あくまで神の域であり、神ではない。
人は人。
少しでも早く、コロナウィルスの感染が終息に向かうよう、「お願い」ではなく、「御礼」と「心定め」をして、お勤めをつとめております。
ほんの微力な末端の教会長ですが、天理教に携わる方々がここの色々な書き込みを見て、生きていく上で、少しでも良い方向へと向かえるようになれば良いと思います。
無名 様
2020年5月2日 6:14 PM
>>日本人には、言う勇気が必要だ。そして、批判的思考も大切です。政府の発表も鵜呑みにしてはいけません。コロナショックで生活が揺らいでいる今こそ批判的思考を持ちたい。政治家頼みでなく国民が政治を主導すべき、リーダーは国民であるべき。投票権を持つ国民は政治の所有者であり責任者でもある。その自覚を持ってほしい。<<
昭和30年代中盤頃から50年代初めにかけて、全国的に学生運動が非常に盛んな時期がありました。日米安保条約という不平等条約を敗戦国であるという理由で無理矢理締結させられました。日本はアメリカの「浮沈空母」のように位置づけられ、アメリカにとって格好の軍事拠点となってしまいました。ベトナム戦争の空爆のために飛び立った米軍爆撃機は沖縄の米軍基地から飛び立っていきました。米軍機の空爆で何の罪も無いベトナムの民衆が多数犠牲になりました。また米軍側兵士にも多数の戦死者を出しました。朝鮮戦争もまた然りです。朝鮮戦争の軍需景気は日本の高度経済成長のきっかけになりましたが、その為に、日本にとって太古からの恩人である朝鮮人民が犠牲となり、国家は南北に分断され、未だに休戦状態が続いています。結局、世の中というものは一番弱い立場の人間達が政治利用され、犠牲になるのだと言い切ってしまえばそれまでの話ですが、そうした状況に矛盾を抱き反旗を翻して抵抗したのが全国の大学生達です。私も彼らと同世代です。私は目立った学生運動こそしませんでしたが。思想的には彼らと同じ考え方をもっていました。あの当時の若者とくらべ、今の若者は余りにもおとなしくなってしまい、社会に対する問題意識が希薄になっているように思えて仕方がありません。私は暴力やテロを決して肯定はしませんが、今の若者が社会の矛盾や権力に対して、もっと積極的に正々堂々と物申すようになってほしいと考えています。
↑ ↑
上記投稿文中入力ミスがありましたので下記の通り訂正します。
日本はアメリカの「浮沈空母」(誤) → 日本はアメリカの「不沈空母」(正)
崩壊 様
文中の
>『日本にとって太古からの恩人である朝鮮人民』
はどのような『恩』でしょうか?
学校で習った程度の歴史ですが、古代から中世において何度のかの戦争はしましたが恩を受けた歴史は学んでいませんし、調べても特にそういった出来事は見当たりません。
また日本併合後は同じ日本人として世界大戦を経験しましたが、日本の敗戦後には「戦勝国づら」をして日本国内で散々に悪逆非道を行ったという記録や話が沢山残っており、祖父母も「朝鮮人には酷い目にあった。立場上仲良くはしても決して心を許してはならない。」という言葉を遺しています。
私自身は朝鮮民族との間にどうこうはありませんし、この掲示板に政治や国際問題を書き込むのも適切ではないかもしれませんが、崩壊様の書き込みに「天理教の初代が救われた恩を忘れず尽くし運びをしなさい」という洗脳状態と似たような主旨の言葉を感じましたのであえて質問させて頂きました。
特に匿名 様
2020年5月3日 3:42 PM
例えば、日本の古い仏教寺院(法隆寺や飛鳥寺)の建築様式や技術、仏像等は、朝鮮半島から渡来したものであると学生時代に習った記憶があります。古墳の測量技術や造営技術もまた然りです。鉄や銅の金属器の鋳造技術も朝鮮半島から渡来したものであると習いましたが、私の記憶違いであればお許しください。
特に匿名 様
日本と朝鮮半島との関係については、ネット情報で申し訳ありませんが、下記のHPをご覧ください。また、天理参考舘やその他の博物館の学芸員に聞かれても詳しい情報が得られると思います。
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25616_2.html
特に匿名 様
京都市右京区に太秦(うずまさ)という地名があります。一度この地名の由来をネットで検索されては如何でしょうか。韓半島との深いつながりが理解できると思います。
韓半島は関係ありませんが、、太秦には広隆寺という寺院があり、ここに国宝第1号に指定された弥勒菩薩像もあります。非常に優雅な姿ですよ。
特に匿名 様
東風Z様の仰るように、奈良県内にも百済(くたら)という地名が奈良県北葛城郡広陵町に存在します。世帯数の少ない小さな集落ですが、集落内には立派な三重塔か五重塔であるのか記憶は定かではありませんが、現存しています。小さな集落内、しかも、奈良盆地のほぼ中央部に塔が建立されるのは、日本国内どこを探しても、おそらく当該集落だけであろうと思います。地名から推測するに明らかに朝鮮半島にかつて存在した百済(くだら)という国名が起源であろうと思います。集落の住民も朝鮮半島からの渡来人であったと思います。もし、ご興味がありましたら、一度、お調べください。
崩壊 様 東風Z 様
ご教授有難うございます。
仏教、仏像、建築様式や技術など、その一部が朝鮮半島を経由して日本に伝わっているのは耳にするお話しですが、発祥や技術開発をしたのは印度や中国ではありませんか?
勿論、伝えたこともそれなりの功績を評価するべきかと思いますが、その事を過大評価することは、現在の天理教の教義を伝えたことを重要視する「理の親制度」を擁護するような印象を受けてしまうのです。
稲作は大陸から半島を経て伝わったという定説がくちがえって、逆に(日本)列島から渡ったという説が有力になりつつあります。教科書で習った事が真逆である事に失笑してしまします。
我々の固定観念だとか権威だとかはそんなものなんでしょうか?想像以上に(地続きであった)大陸世界と日本列島は密接に文化交流があったのではないか?と想像する者です。
江戸時代の鎖国なんてほんの小さな歴史の一齣であったのでしょう。
又、神道と混じり合った仏教も日本に来て進化昇華したのではないか?とも思うものです。
昔の建築技術や灌漑技術に大陸由来の影響を否定するものではありませんが、それさえも半島は導入の通り道に過ぎなかったように思っているものです。
なんにつけても、半島起源説マンセーって馬鹿にしか思えないんですケド。w
文章力が皆目無いので上手く書けませんが、昔歴史の授業で縄文時代にばかり時間を割いて、近代になると時間が無くなり終わり、というパターンが多かったようです。先生もどこまで事実を話せば良いのか、先生個人の思想も違い、触らぬ神に的に端折った感はありますね。でも、古代、日本は島国だから他国との交流も無く文化は遅れていた事、中国、朝鮮からの文化、文明が伝えられなければ今の日本は無かった位は言ってましたっけ。漢字が無ければ貴族の女性文字、かなも生まれなかったし、仏教が伝わってなかったら、それこそ天理教も成り立たなかったですし。秀吉が天下を取って調子に乗り、朝鮮侵攻して負けたけれど、多くの陶工を連れ帰り佐賀に住まわせたので、白磁の有田焼が作られたとか。まだまだ沢山あるでしょう。私が6年生の時一番の仲良しが在日2世でした。性格の優しい明るい子でしたね。我が家は朝鮮人、部落などの言葉は誰も使わなかったですね。聞いたことなく育ちました。父が何年も兵隊に取られ、おしっこも凍る北支で中国兵と戦い、家族にも一言も体験を話さなかった壮絶な辛い思いをしてきているからなのか、自分に厳しいけど部下には優しかったようです。毎年、正月に6人ほどが食べに来て母が大変でしたっけ。たまたま目にした事、耳にした事だけで、今ならネットでの間違った情報を鵜呑みにせず、自分の頭、心で判断したいです。知らないで終わらない、知る努力、知らないといけない義務もあります。毎日が勉強ですね。 今日はとても嬉しいことがありました。教会関係の用事が全て無くなり、家にこもるのが好きな私は、貧乏性で何でも残しておいたのが役に立ち、毎日色んな生地で立体マスクを50枚程縫いました。上げるところも決まっているしでミシンを片付けていたら、孫から妹が生まれたとの電話。こんな時なのに上二人を出産した助産所が家族の立ち会いを許可してくれたとか。憲法記念日に9人目の孫が誕生。これはなんとしても9条を守らないと。そう強く思いました。有り難いことです。
北方領土。竹島、尖閣諸島、拉致問題。国際問題を解決するバックボーンに武力が無ければ、交渉すら始まらないと思うのですが、国際問題の解決の直接的手段ではなくとも、間接的に武力の放棄は現代ではむしろすべきではないと思うのですが、九条無修主義者の皆さんの意見を乞います。
東京には中国人の金持ちが投資目的で買ったマンションなどの資産がたくさんあります。 観光地も中国資本が、投資目的で、物件を持っています、中国人の観光客が多いから、投資価値があると言う事です。
日本政府がある以上、外国人が資産を持っても、それは日本の統治下にあります。
中国政府が東京に核ミサイルを落としても、アメリカ政府は遺憾であるというだけで、北京を核攻撃など、しないでしょう。
じゃあ、日本政府も、核ミサイルを装備する必要があるのか? しかし日本には中国人の投資目的の資産があります、中国にも日本の投資した資産があります。
お互いに利益を得ているのに、経済的に相互依存してるのに、わざわざ破壊する理由は無いんですが、そうなると軍事産業が困るから、表向きは煽りますね。
このコロナ不景気でも、軍事衛星と航空機部品の関係は安定して製造を続けていますからね。
日本が、真に独立して、地政学的に、アメリカ、中国、ロシア、韓国、東南アジアとそれぞれバランスをとって、交渉していたら、軍事力も最小限で済みます。
憲法9条は、日本が米国の軍事産業にしゃぶり尽くされない為の、法律であり、だから、中曽根元首相など、古い自民党は、不沈空母などとアメリカに寄りながらも、あえて憲法9条を変えなかった。 日本が米国の軍事産業に取り込まれたら、独立国家になる道が永遠に閉ざされます。 現実、アメリカの属国下にある今は、憲法9条は日本が米国の戦争に巻き込まれるのを防いでいます。
それを改憲するのは、日本を米国に、名実ともに売り渡す行為でしょう。
さて、どんな宗教であれ、神が存在するなら、神は戦争を望むでしょうか?
仏様は、戦争を望むでしょうか?
神への信仰をされるなら、どうしたら世界は平和になるのか? 人々が安心して暮らせる様になるのか? そう言う方向で考えて欲しいなあって、思いますね。
芹沢真一著 「心のはらい」より
戦争について井出国子「国常立」さんは、戦争中や終戦後、芹沢真一氏や信者に次の様に話していました。
p201~
今度の戦争では、神様も空襲する敵機を見逃しているのや、
しかし、その気になったら千機二千機の飛行機でも、一度に打ち落して見せるぜ。
神様の風を使ったなら、そんなことは何でもないぜ。
終戦後は、
二度と日本には、原子爆弾が落ちるようなことはないぜ、
こんどは、神様が風を使って、日本の上に、入らないようにするぜ。
この事に関して須藤花井さんは、次のように話していました。
「もし次、大戦争が起きたら、皆が交代であしきはらいのお勤めをするんだ。
途切れることが無いように、勤めるんだ。
そうすると敵が日本に向けて撃ったミサイルは、自分たちの方へ向かって戻って行くんだ。」
須藤さんから聞いた話の意味がよくわかりませんでしたが、
今回 この文章を読んで あしきはらいのお勤めが神の風を吹かせる事と納得しました。
信じる信じないは、あなた次第と言う事ですが。
今、世界の核ミサイル保有国は
アメリカ・イギリス・フランス・イスラエル?
インド・パキスタン
ロシア・中華人民共和国・北朝鮮
ミサイルは、何処の国から飛んでくるのやら・・・
どのような人が神のような言葉を話そうと、日本だけは大丈夫というような言葉は信用しない。
日本だけ、天理だけ、なんてえこひいきする神なんて神ではない。
おつとめなんて、意味がない。祈って叶うなら世話ない。
でも、目に見えない偉大なものに祈るという行為は尊い。
すべてやりつくした上で、祈るという行為は尊い。
私は昔からおつとめが大嫌いです。
参考にしなくてもいい意見 様 (2020年5月4日 6:38 AM)
ご投稿に感謝します。大人の思考とも言うべきご意見に心が平らかになります。
安倍首相の憲法改正を主張する映像から読み取ることができるその表情は、コロナ感染の報道とは明らかな違いがありました。
何としてでも改正するゾという決意に捕らわれた、ある種の妄想にとりつかれたかのような「一念」が張り付いた顔のように感じました。まぁ、人それぞれだから、広い意味での天理教関係者の中にも安倍首相大好き人間もいることはネット書き込みからも知られている状況ですね。
そうした中での「参考にしなくてもいい意見」様のご意見を拝読し、人間としての良心が感じられホッとした次第です。
戦時中の体験を親から聞かされ育った世代は、親の体験から植え付けられた感覚を持ったまま成長することは非難できない事ではあります。
多くは成長過程の中で、「あれっ?親だって間違えているじゃないか!」と気が付く事柄にぶつかります。
天理教の、ネット世界が開かれて以来、現在に至る状況は、まさに「親」は絶対という盲信が打ち砕かれる現在進行形の過程そのものですね。
(この場合の「親」は無批判に使うのでは無しに、便宜的に使用している、組織とか上級とか、信者である肉親等々を指します。)
卑近な例を持ち出し恐縮ですが、お許しください。
亡くなった父は戦時中、国内で地下工場建設の為、朝鮮半島から送り込まれた人たちを使う立場でした。
現在、戦時補償を要求されている大企業が幾社か有りますが、父の勤務していた企業(誰もが知っているような企業です。)は、そうした訴えを起こされていません。
戦後、すぐに転向できない苦しさから、退職した父でしたが、心根の優しい人でしたから、戦時中の徴用工に対しても、非道な事はせず、人間的な信頼を得られていたようです。
話を聞いた中でも印象に残る話は食料調達です。
どこから調達したのか聞き忘れましたが、その日はウマが手に入ったそうです。(軍用馬?)
朝鮮半島から連れてこられた人の中にウマを解体できる人がいたので、その日は皆で馬肉を胃袋に収める事ができ、喜ばれたそうです。生きるために個人的な食糧隠匿をしようと思えばできたはずですが、しなかったのです。
そうした関係性があったためかどうかは判りませんから、断言はできないのですが、その地下工場建設をしていた大企業は補償の訴えを起こされていません。
恨まれることなく敗戦を迎えたことだけは確かなことでした。
立場が違えど「苦楽を共にする」ことで信頼が生まれるのは戦時中であっても、そうした例は映画などにもありますね。
今、コロナで日本の様々な歪みが露わになっています。中には貴重な医療資源が外国人に使われることに反対する人もいます。
けれど、海外在住の日本人が医療差別を受けたら、どうなりますか?
国によって状況は違いますが、外国滞在の日本人もその国の医療資源の恩恵を受けられなくては、結局のところ、まわりまわって日本国内へダメージが運ばれることが、もう、誰の目にも明らかになりましたね。
どうかお願いですから政治体制が異なる国との「共存」「共生」に知恵を出し合うことで地球上の厄災を乗り越えるべく、心をあわせませんか。
賛同ありがとうございます。
今、日本には軍事インフラとして国防軍である自衛隊があり、国際的身分は警察官ですが、自国の防衛はできる訳です。
日本は決して丸腰ではありませんし、米国に守られている訳でも無い、米国は日本に駐留してるだけで、日本防衛の義務は安保条約には、はいっていない。
「適切な対処をする」と言うだけです
首都近郊に巨大な治外法権の国連軍事務所、米国の基地が二つも存在するのは、日本を占領下に置き続けるタメであり、日本の官僚が従っているのは、日米委員会と言う事実があります。 いまだに米軍の占領下なのです。
自衛隊が米軍の下請け軍隊として、海外に行かないで国防に専念させる為にも、今は憲法9条が大事だと思います。
改憲派は、米軍の傀儡であり、売国行為じゃないでしょうか?
コロナの今、杏ちゃんがYouTubeでギターの弾き語りをしてくれています。美しい声にうっとりします。でも歌の内容は深い。1971年ベトナム戦争さなかに作られた加川良さんの「教訓1」です。杏ちゃんから知ったという人が多く、私は50年ぶりに聞いて涙が出て来ました。3年前に亡くなられたのが残念です。あの当時弟がギターを買い、生徒会長になって、N高ベ平連を作り、放課後に反戦フォーク大会を開いて、学校から両親呼び出しの電話があったのが懐かしいです。若者達が燃えていた時代です。阿倍野の地下街で毎週フォークゲリラが集まり、仕事帰りに立ち寄っていました。最後の頃は警備員、巡査まで出て来たので終わってしまいました。
日米安保なんてまやかしです。アメリカは日本を守ってくれません。沖縄の元海兵隊員が証言しています。有事の際に日本を助けるなんて教えられてもいないし、そのための訓練なんて一回もした事はないって。アメリカという国は儲けになる事全てに首を突っ込み主導権を握ります。先住民のインディアンを虐殺してアメリカ大陸を手に入れた歴史、アフリカの民を力で商品化した歴史、西部劇ではジョンウェインを筆頭に共和党支持の役者達に日本人は大いに騙されましたね。アメリカの俳優は日本と違い政治的な意見を堂々と言っています。日本の芸能人がちょっとでも発言するとアイツは左だとかで打たれます。情けない国です。家庭でも、職場でも、仲の良い友達間でも政治の話は出ないという先進国では考えられない実情です。やはり、子どもの時から学校で自分の意見を言い合う機会がない事、討論する授業無く育って来たからでしょうか。いくら成績が優秀でも自分の思い一つ言えない弱い人間では生きていけません、すぐ心が潰れますよ。匿名で発言できるこの場を大いに利用すればいいじゃないですか。視野の狭い凝り固まっていた考えが変わるかも。目からウロコのこと沢山この場で学ばせてもらっていますよ。感謝です。
人と人を引き離す。親と子を引き離す。国と国を分断する。コロナの出現によって、大いなる神は何を意志しているのだろう。地球の歴史の想像を超えた新たなるステージに私達は突入した様に感じます。神とか祈りで乗り越えられるとかそういう段階を超越してしまったのでしょうか。
信仰心もこの未曾有の現実の中では全く力にならないと最近ではそんな気がします。聖地ぢばにも近寄れない現実。祈りをも拒絶するコロナ。人を思い、助けを求める人に近ずいてはいけないコロナ。
こう言う昨今の経験の中から考える事は、お金と言う価値観で命を繋ぐ、と言う発想など、全く陳腐で、意味を成さないと言う事だと思ってしまいます。天理教信仰について考え込む昨今ですね。
私も杏さんが「教訓1」を歌われているのをテレビで見てぐっときてしまいました。私がこの歌を知ったのは
2014年7月集団的自衛権の行使が閣議決定のみで合憲へと解釈変更になった時でした。
加川良「教訓1」(1973年)
命はひとつ 人生は一回
だから命をすてないようにネ
あわてるとついフラフラと
御国のためなのといわれるとネ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
御国は俺達死んだとて
ずっと後まで残りますよネ
失礼しましたで終わるだけ
命のスペアはありませんよ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
命をすてて男になれと
言われた時には震えましょうよネ
そうよあたしゃ女で結構
女のくさったのでかまいませんヨ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
死んで神様と言われるよりも
生きてバカだと言われましょうネ
きれいごとならべられた時も
この命をすてないようにネ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
昨日は憲法記念日でしだ。今日の危機を現憲法に添う政策を実現してほしいと一国民として強く願いながら
この歌詞を嚙みしめております。
たとえ今、お国のために戦いなさいと言われても、聞いているふりをしてください。
そして周囲の様子をしっかり見聞きしてください。
先の大戦の時には金持ち、有力者、国会議員の息子たちは危険地域には行かないよう配慮されていました。
中曽根さんの軍歴も会計係なのに、戦後生まれの私たちはコロッとだまされていました。
有力者の息子の首相が何故か勇敢な振りをして、大将気取りのふるまいをしているのを見るにつけ、
安全地帯にいる子供が戦争ごっこに興じているように見えてしまいます。
映像は正直に表情をとらえますね。
日本国憲法が世界に広がるように、世界が戦争を放棄するようにと考えています。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(一)天理教の発生とその歴史
全国に信徒七百万を有し、遠く海外布教にまで手を広げている天理教──年収数百万の所得があって、住友男爵につぐ多額納税者である天理教管長中山正善とは果たして如何なる人物であるか、更に最高幹部松村吉太郎が今日の天理教を築き上げるまでに如何なる秘密工作を施したか、厳正なるメスを振って解剖する前に、先ず天理教の発生とその歴史を一瞥することにしよう。
そもそも天理教なるものは今を距てる百年ばかり前、即ち天保十年秋十月大和国山辺郡丹波市村大字三島、農業中山善兵衛の妻中山ミキ子が(当時四十歳)が病気となり、平素信神深い田舎者のこととて山伏の某に病気平癒の祈願をこめてもらうと忽ち本人は逆上して「我は天の大将軍であるぞよ!」と居丈高になり、この日より全く人格一変して新宗教を唱道することになったのが即ち今日の天理教である。
伝るところによれば初代教祖中山ミキ子は天性慈悲深く仏教の熱烈なる信者であり、十九才の時すでに五重相伝を受け、相当の財産があったのを全部貧民乞食に対して善根をおこない、本人は全くの無一物となり、月夜に荒れ庭の落葉を焚いて暖をとったというほど徹底した人類愛の実行者であったという。
今日の天理教が「貸し物、借り物」というヘンテコな教理を振りかざして諸人の財産を吸い上げ、馬鹿げ切ったコケオドシの大建築を行うばかりで、この非常時と言われる時節に何等国家的社会的の事業にビタ一文寄付をなさざるのみか、宗教家なる立場を忘却して脱税を図るに至っては言語道断、国賊なりと言われても一言の弁解もあるまい。
(二)独立運動と賄賂政策
初代教祖存命中は一派独立の宗教でなかったため、諸国より大勢の参詣人があると警察から厳しく取り締まられ、一時を糊塗するため表面宿屋業を装い、密かに集合していたが、頻繁なる当局の手入れのため教祖始めその門弟は十数回に亘り拘留処分に付されたのである。かくて教勢拡張上非常に不便があったので京都神祇官吉田某氏に泣きつき神道直轄として布教することになったのである。それにしても一派独立するにあらざれば天理教百年の大計を樹立することができないので、初代管長中山新治郎の命を受け天理教きっての知恵者といわれる松村吉太郎(当時の高安大教会長)が上京して当局に猛運動を試みたが、天理教は淫祠邪教なりと見られていたため容易にその目的を達することができなかった。
ここに於いて万策尽きた松村は先ず内務省から指摘された教義の不備を改めるため、当時大阪天王寺畔に住んでいた宗教学者中西牛郎なる者に多額の原稿料を支払い、天理教本来の教義と似ても似つかぬ立派な天理教教典なるものを編纂したのである。これがその後、大正四年か大正五年ころ一時天理教が宣伝用にかかえていた御用学者法学博士廣池千九郎が天理教教頭大宮兵馬と、天理教教典は天理教精神を現している、いないの大論争を卷起した問題の教典である。
松村吉太郎はこの教典を内務省に差し出すとともに、時の警保局長古賀廉造に対し十数万円のワイロをつかまして明治四十一年にやっと一派独立の許可が下ったのである。この事件に関しては松村を古賀に紹介した小川某が報酬金が五万円少なかったのを理由として契約不履行の件を大正五年奈良裁判所に告発したため松村吉太郎は約半ヶ年奈良刑務所に収容され教祖三十年祭に参列することができなかったが、彼らの一統は十数万の巨費を投げ出し、花井卓造、鵜澤聰明など天下一流の法律家を雇って「そんな契約は公序良俗に反する」とウヤムヤに葬ってしまった。
(三)天理教が淫祀邪教たる理由
宗教復興の声とともに最近検挙された大本教、その他──(中略)──、天理教等々数百に上るインチキ宗教が続々と跳梁跋扈してその応接に暇がないのが今日の現状である。
真正の宗教は安心立命をするのが本旨であって、決して病気が治るとか、金が儲かるとかいうべき筋合いのものでない。然るに天理教は病は心から発生するものだと称して医薬を排斥する傾向がある。昔、天理教は金平糖にモルヒネを調合し病者に提供していたので問題となり、今日は御洗米を之に代用しているようである。
然して天理教が淫祠邪教たる所以は「借り物の理」なる教義を有し、天地宇宙、万物一切は天理王命が創造したものであって、人間は之をお借りしているのであって、その身体自身も自己のものであって自己のものに非ず。神より借り受けているのであるから、その賃借料を出さなければならぬと言うのである。
然り而して人類発生の地は天理教本部─奈良県丹波市三島の地場であると言い、教祖中山ミキ子の魂は恐れ多くも○○○の再来なりと言うのである。(尤も最近はこの主張を表面しなくなったようであるが熱心な信者は之を固く信じている)かかる教義を有すると共に「地場から打ち出す言葉は天の声である」と称して絶対服従を強い、「借り物の理」を真っ向から振りかざして信者の財産を根こそぎ搾取するのだから宗教を仮面とする吸血鬼であり、詐欺の親玉である。全国六百万の信者の中には先祖伝来の田地田畑を失い、その産を破って路頭に彷徨している者はその数幾万なるか分からない程である。
更に天理教が純然たる一種の○○主義なることは彼の米国のアマナ社団と共に有名なることは斯道の学者河上肇が嘗てその昔証明した通りである。今日全国の天理教会が至るところで財産を全部本部に献納してしまって、共同生活をしている者は無数である。<<
御供えは借り物への賃借料なんて、昭和10年に既に言われていたとは・・・。「宗教を仮面とする吸血鬼、詐欺の親玉」には思わず笑ってしまいました。
ここまで読んで思ったのですが、天理教が官憲の弾圧を受けた理由は、ただ単に自由や平等を説いたからではなく、現実に国民生活に有害なものと判断されたためではないかと。明治38年の内務省衛生試験彙報. 第11号には「天理教会供米中モルヒネの存否試験」という報告があり、この時は検出されることは無かったようですが、天理教は完全にマークされていたのでしょう。
藁をもつかむ思いで集まった病人達に過酷な御供えを要求し、生活を困窮させ、適切な治療を受ける機会を奪い、金が無ければ養生の必要な者であっても奉仕労働に駆り立てた。その結果、丹波市町は結核の死亡率日本一、いや世界一となったことは内務省に記録された歴史的事実です。
今日、自粛要請のある中でも本部前には信者の参拝が絶えることが無い。病人あっての天理教とはいえ、科学の発達した現在に柳の下の泥鰌を狙うのはチョット無理があるように思います。
参考意見 様
2020年5月4日 4:38 PM
いつも貴重な資料をご投稿いただき、ありがとうございます。大変、参考になります。今後ともよろしくお願いいたします。
特に匿名 様
2020年5月3日 9:25 PM
>>勿論、伝えたこともそれなりの功績を評価するべきかと思いますが、その事を過大評価することは、現在の天理教の教義を伝えたことを重要視する「理の親制度」を擁護するような印象を受けてしまうのです。<<
歴史の解釈は、正しい部分もあり、誤りもあると思いますが、歴史の解釈や議論と天理教の教義を比較して論ずるのは、あまりにも飛躍しすぎ、無理があるのではないでしょうか? あなたが、どういう印象を受けられるのかは、あなたのご自由ですが、私は歴史と天理教という一信仰宗教をチャンポンにして考えておりませんので、誤解のなきようお願いいたします。
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上記投稿文中、入力ミスがありましたので、下記のとおり訂正いたします。
天理教という一信仰宗教(誤) → 天理教という一新興宗教(正)
心通りの神の守護。
より優しいより便利で豊かな世を見たいのは神も人も同じだろうが、神の方法論は最も進化しているであろう、道具衆とその周辺の魂達の身体を借りて、天啓を宣べ伝えながら、たすけ一条を勤め続ける事を、お地場に実現する事であった筈。
我々凡夫が可能なのは、感謝・喜び・優しさ・創造性・向上心・謙虚さ・朝起き正直働きの心を養いながら、神がお地場に天啓を再来させる事を大望し続ける事くらいしかないのかも知れないが。
支配欲とエゴが蔓延る世界にあってこの国の大平和を希求する大和魂も汚され続けているならば、教祖ご在世当時のトウジンコロリや牛の先道といった疫病の蔓延だけでなく、人類が次のステージに進まざるを得ない段階では、あらゆる災害が時間密度濃く押し寄せてくるのではないか?とも今世紀に入ってからの世界地球規模の災い群にそんな想像をしてしまいました。
憲法記念日は昨日。改憲論、護憲論はもう終いにしましょう。歴史認識は各自違うので論戦しても無駄。過去にこだわりるより現在どうすべきか論じるべき。
人は過去に学び、次に伝えようとしています。幼稚園、小学校、中学校、高校で生きていく基本を学び社会に出てからは先輩に学びます。勿論、家庭においても学びます。
先生を恩師と呼び同窓会にも臨席頂きました。遠い昔、和人が韓半島人にいろいろな技術を学んだことは事実です。電気技術を学んでいた折に、仕事が終わった後に親身になって難解な複素数をや微分を教えてくださったのは韓半島の出身者でしたよ。理の親教理を擁護するような思考と思われるのは、少し違うと思うんです。
>>過去にこだわりるより現在どうすべきか論じるべき。<<
「温故知新」という言葉があります。確かに過去にこだわってばかりいれば、未来に向かって前進することはできません。「温故知新」とは「古きをたずねて新しきを知る」という意味ですが、人類が過去に犯してきた過ちを謙虚に検証・反省し、二度と同じ過ちを繰り返すことがないように常に心がけ、努力することにより、明るい未来が開けていくと信じます。歴史を研究し検証することは、同じ過ちを繰り返さないために欠くことのできない条件であると思います。
私には護憲論・改憲論という立て方は良くわかりません。私などは後期高齢者で確かにバスや電車で外出できず友人に会ったりもできず不自由を感じますが実害はありません。ただ感染したら周りに迷惑かかるし高齢者は重篤なると言われているので怖いとは思ってますが。
しかし多くの人々の実害が多大です。どうして「補償するから安心して休業を」と国は国民を安心させないのだろうと。
憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
これに添う具体的な国の姿勢がほしいと思うのです。
気になるツイート ご紹介。
いよいよ本部もコロナがきっかけで崩壊か。
うさこ @ptp69
ただでさえお金無かったのに今年は、コロナで色々行事とかも無くなるからもうダメだろうね、聞いた話だけど、財源がないから本勤なくす方向で本部が進めてるって本当?
Zzz999 @Zzz99942630829
大分前から、改革はしてきていますが一部が了承?しない為に進まずにいます。天理大学にお供えが赤字の補填の為に大分流れていますし、各教会は面倒見れない人を境内掛に送り込んだりと、、全体的に腐っていると思ってました。前の表統領は改革派でしたが、その為に潰されたみたいですよ。
また文章力なしのオバチャンですみません。5月4日6:02PMの匿名さんのような人、すごく多いですね。まだお若いんですか?日本人は自分に降りかかって来ていない事には無関心な人が多いみたいです。戦中派も戦後生まれも、若者も同じく。過去にあった事は全て今に繋がっているのに、自分の近くにないからスルーなんですね。その方が楽だもの。自分に関わる家族、親戚、友達以外ならどんな理不尽な事や不平等な事があっても関係ない。想像力も無ければ怒りという感情もない。つまりあったかくないんですよ。桜井よしこや杉田水脈を見て感じるのは、一言で言えば「気持ち悪い」です。温かい血が流れていないような、冷血な生き物のような、、、テレビで目にしてしまったら気分を和らげる為YouTubeのお世話になります。昔も今も変わらない垂れ目に潰れた鼻の岡林信康さん。時にはキリストさんに見えてしまうのが不思議です。顔と同じようにとろ〜んとした柔らかい優しい声に笑って一緒に歌って不快な気分一掃です。
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。<<
5月の月次祭に日が近ずくにつれ、信者さんに会長家族だけで実施する旨を伝えなければならないと思っている昨今です。本部の伝達を伝えて説得力のある話で遠慮して頂こうと、本部からの通達を再び読んでみたが、上記の文章に違和感を感じました。会長に従わざるを得ない、ではなくて会長には「はい」と言って素直に従えと聞かされてきました。信者さんは当然の事、我々下っ端教会は上級の言う事には絶対服従で従わなければならなかったのです。信者や下っ端を黙って服従させて来たのは本部です。
本部に従わないと怒る前に、本部は早めに手を打つべきでしたし本部の手抜かりを責任転嫁した文章としか思えません。
我々教会長も今後は自分勝手で手ぬるい本部には従わず、世の中の常識に照らして自分で思う所を実行しなければと思いましたね。
匿名 様
2020年5月5日 11:39 AM
>>我々教会長も今後は自分勝手で手ぬるい本部には従わず、世の中の常識に照らして自分で思う所を実行しなければと思いましたね。<<
何か事があっても、本部は何も責任はとりません。「天理教の常識は世間の非常識」です。教会本部の月次祭をはじめとする諸行事は、世界的なリスクを冒してまで参加するようなものではありません。教会本部の真の目的は「金集め」なんです。不要不急の外出を控え、出来るだけ家に留まっていることが、コロナの早期収束のために、我々一般庶民ができる最善の方法です。
金をたくさん積めば、本部はニッコリ。
ただ、それだけのこと。
神はニッコリするのかな?ニッコリするのは人間だけじゃないかな。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(四)天理教の不敬事件
かつて天理教は教祖中山ミキ子の魂が国祖○○○○の再来であると口伝を以って信者を教育していたので一日、筆者は大和の天理教本部に松村吉太郎を訪問したことがあるが、その時美しい令嬢が玄関に現れて来たので來意を通したが、その時どこかの女学校長は面会を許されたが筆者はウサンな奴と見られたのだろう、天理教庁の方へ廻された。見ると三十過ぎの青年がいたので二三問答の結果「もっとエライ人に会わして貰いたい」と言うと今度脱税事件でイの一番に検束された外事部長堀越儀郎の所に連れて行った。
玄関から奥に入ると堀越儀郎は図々しくも偽病を使い、布団の中に横臥していて「病中で大変失礼致します」と断りながら筆者が不敬の事実を突張ると、彼は「イエ、それは教祖の魂が○○○○の魂によく似ていたと申すまでです」と巧みに問題の中心をそらし、のらりくらりと瓢箪ナマズの答え方をする大胆不敵な男である。彼、堀越儀郎が如何なる詭弁を弄しても熱心な信者は天理教祖は○○○○の魂の再来であり、現管長中山正善の魂は月夜見尊の再来であると堅く信じているのだからどうにも手の付けようがないのである。
更に天理教の御筆先には「今までは高山(○○○の意味)ばかりがはびこりた これが残念ばかりなるぞや」と暗に○○○を呪詛する言葉があるのは見逃せない危険思想である。
かつて昭和五年に奈良地方に於いて陸軍大演習の行わるるや天理教は莫大なる運動費を使って天理外国語学校付近に御野立所を設備したのを勿怪の幸いとなし、同教の機関雑誌「道の友」にこのことを記して如何にも同教が不日国教に指定せられるかの如き思わせぶりを信徒に抱かせたのは不謹慎極まる挙動である。
(五)天理教の脱税事件
大本教大検挙に続く天理教の大手入れ、吹き荒ぶ糾弾の嵐に教界の雄「神の試練」はあまりにも峻烈、まさに師走の霜よりも手厳しい、底なしに拡がる全国の脱税疑獄事件は遂に神聖なるべき教域の真只中に波及、昭和十年十二月十六日払暁を期して突如奈良県警察部の手で行われた中山天理教管長所得税査定の謎をめぐる剔抉のメスは全国の信徒七百万と号する天理教の御地場、讃仰のメッカ丹波市の同教本部、中山管長邸はじめ宏壮雄大を誇る同教団の中心建物に向かっておろされた。
奈良検事局ならびに奈良県刑事課で鋭意摘発中の天理教中山管長所得額査定に絡む教団大疑獄は十一日同教外事部主任堀越儀郎氏の引致、辰巳元貴族院議員の召喚を見て拡大を予想されていたが十六日早暁、奈良地方裁判所棚木、川崎、大橋三判事は奈良署員、県刑事課特高員一五十余名を指揮、バス、自動車三十台に分乗十一班に別けてまっしぐらに丹波市三島に向い天理教管長邸を初め教庁内会計部、財団部、経理部、総務部調査課、教庁詰所、会計部長山澤為信(四五)会計部収入課長上田民夫(三一)印刷部長東井三代次、庶務部長諸井慶五郎、元老松村吉太郎(六九)外事部主任堀越儀郎(四六)一五日収容済み─元老山澤為造(七〇)海外伝道課長高橋道男方の各所の家宅捜索を行い会計関係の帳簿多数を引揚げたが、十時二十分に至りまず総務部調査課長後藤聡一郎(三一)会計部副長宮森興志彦(四五)同収入課長上田民夫(三一)同支出課長澤田芳蔵(四八)を連行、直ちに自動車で奈良署に送った。
中山管長の所得額は昭和七年までは僅か三万円で、これが査定に当たっていた奈良税務署歴代署長は豪勢な天理教の教勢発展に伴い管長の所得も必然増加せるものと見ている。
昭和六年イギリス留学から帰って同税務署長に赴任した渡邊武氏が従来の査定方法を一新し調査を進めた結果、百万円を突破するものと見られるに至り昭和八年の所得額を先百二万円と内部で査定したのが今回の事件の発端である。しかし余りにも一躍巨額となり、かつ昭和七年には天理教祖殿及び神殿の改築があったので信者の寄付も多く、このため管長臨時所得が多額に上った点をも考慮し推定で額は七十二万円に引き下げ発表した。天理教側ではこれに異議を唱え、さきに収容された堀越儀郎氏が主となって所得調査員の藤山一益氏に軽減方の運動を依頼し大阪税務監督局への異議の申立を行った。当時も安藤直税部長は渡邊奈良税務署長らと共に八年十月中山天理教管長自身から所得の事情を聴取した結果管長は宗教家の立場をも考慮し遂に同年十一月異議申立てを取り下げた。当時天理教側では所得税施行細則に寺院仏堂には税金をかけないが教会所の名が無いのを税務署が巧みに掴んで教会所であるところの天理教庁の収入全部を中山管長の個人所得と査定したのが不当であるとの理由で異議を申し立てたものであるが。税務署側では教庁の収入と管長の個人収入は別個に取り扱ったとなっており、当時東京方面でも天理教側から税務署の査定方針を不当とする運動が相当行われたとの噂があった。
越えて九年度には管長の査定額は反転して四十万円となり、この急激な軽減が今回の事件の疑惑の中心になったので今十年度も引き続き三十九万円に低下している。
(六)宗教家の権威何処にありや
七百万信徒を擁する天理王国の財産は底知れぬものと言われ、本殿内に十数個備え付けられている大賽銭箱には昼夜を分かたず参拝の信者から投げ入れられる賽銭の音が絶えず。大祭などの場合は数万円に達すると噂されているが、これらは絶対に外部より窺知できず、毎夜本部員によって極秘裏に勘定されると言われているが、このほかに包金として巨額の金額が献金されており、ときには数万円の全財産を献金する狂信者があるほどで殊に大祭日などの多額の義務的寄付金が割り当てられる始末で天理教の擁する巨財は全く窺い得られないにしても、最近における天理教の支出した金額でも明年の教祖五十年祭、明後年の立教百年祭を前に教祖殿、本殿などの建築費だけでも百万円と称され、昨年都市計画のため県へは七十六万円の寄付をなし、一昨年来大規模な天理総合学園設置のため付近数万坪の土地購入に百万円を要している。このほか大祭準備のために外苑その他の修築などに数万円が投ぜられている。
また昨年館長渡米の際は約三十万円が費消されたと伝えられるが、各本部員の豪奢な生活はいかに巨財を積んでいるかを如実に物語っており、県への寄付金、土地購入などは全部天理教財団より支出されているので、今回問題になった中山管長の所得は一寸不明である。<<
毎度、国立国会図書館デジタル資料より。古い漢字を変更した他は、誤植ではないかと思えるような部分もそのままにしています。PDFファイルなどはコピー貼付が効かず、私はタイピングの技術も無いため指一本のカナ入力なので大変非効率なのですが、少しずつでも古い資料を紹介していけたらと思います。
参考意見 様
2020年5月5日 9:16 PM
>>PDFファイルなどはコピー貼付が効かず、私はタイピングの技術も無いため指一本のカナ入力なので大変非効率なのですが、少しずつでも古い資料を紹介していけたらと思います。<<
いつもありがとうございます。入力作業が大変であろうと拝察いたします。少しずつで結構ですので、ご無理なさらないようにお願いいたします。
参考意見様。いつもありがとうございます。コピーさせて頂きました。折りがあれば若い上級会長に見せようと思っています。若い人達の中には、明るい次期真柱と共に能天気に浮かれている者もいますが、天理教が100年も前からこの様な社会からの批判の対象となっていた事を知っている者は居ないと思います。
今テレビを見ていたらコロナによる失業と自殺者の相関関係を伝えていました。天理教教会家族も今では仕事で教会生活を支えている場合が多く、この現状では失業を余儀無くさせられている事は簡単に想像できます。
生活経済が立ち行かないと言う事が命をも脅かす現実をテレビが発信しています。天理教信者、教会家族も先ずは自らの生活の立ち行きを考えるべきで、こんな時にお供え、お供えとむしり取られるならば、天理教は鬼畜以外の何者でも無いと。
各種行事も中止で収入も無い代わりに出費も当然無いわけですから、この際こそ本部は信者子供達の立ち行きに思いを馳せて、各種集金の手をゆるめ、あるいは集金延期として、親の心遣いが感じられる様にして欲しいと思います。
温故知新で、お知らせ頂いた様な過去を実際に起きた事として若い者に知らせる事がとても大切だと思います。
>>生活経済が立ち行かないと言う事が命をも脅かす現実をテレビが発信しています。天理教信者、教会家族も先ずは自らの生活の立ち行きを考えるべきで、こんな時にお供え、お供えとむしり取られるならば、天理教は鬼畜以外の何者でも無いと。<<
そうなんです。鬼畜以外の何ものでもないのです。
参考意見
2020年5月5日 9:16 PM
金にガメツく 女にだらしない 中山家や教団の本質を暴いてる話で良いですね。この体質を「親だ理だようきぐらしだ」と摩り替えて信者を騙してきただけの宗教とは名ばかりの詐欺集団でしかありません。社会学の皆様も、教団では教理と呼ばれる教義を議題に話されることがありますがそれ以前に問題点を探そうともどこを辿れど中山家の存在自体が問題の根源でしかないのがこの教団の本性でしょう。中山家の中田善亮が今になってどれほど頑張っても逆効果しか生まなかったのが結果です。
甘露代倒壊、真柱身上、学校組織など各所縮小、極め付きにコロナ問題で万事休す。
教会でオジを唱えて吹く数人で踊る行為はライブハウスとなんら変わりません。つまり参拝の仕方も必ず変えないと回り近所から通報される対象なのです。本部は発表して無いでしょうが、ネットでも一般人からのクレームも目にしますの通報もされているようです。中田善亮の「金のつなぎは命のつなぎ」は実は「菌のつなぎは命を絶つ」とコロナ感染の斡旋をし感染拡大を担っていたとも言われる日も遠くないでしょう。
なにかにつけて各種責任を「信者のせい」にして来た中山家の責任でしかない。中山家事態の堪能が足りてないからこの様 頼みの綱の不動産収入も、テレワーク等が発展し事務所を構えず行うことから今後価格暴します。部内から土地を騙し取って売却しようにも駄目でしたね。
神様は見てますよ。中山家はいつ責任を取り教団を後にし今まで積んできた因縁を納消するのか?がみのもですね。それを怠るからこの様とも言えます。天罰が区立ている最中はそれをバチとは気が付きにくいでしょうが、これはただのバチです。
教団内でも中山教の人間は中山家の都合の良い話だけ信じ込まされてますが、本部中山家が各部内にしてきた事を調査してますが、事実を知れば知るほどこの惨状に陥るのは当然の事だと誰しも納得するでしょう。皆さんも自身で調査して見ると嘘に隠された真実が見えてくるのでお勧めです。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(七)伊東ハンニと天理教の関係
六百万信徒に一大ショックを与えた天理教大手入の結果は長年〃謎〃の煙幕に包まれた天理教庁会計調査課をめぐって使途不明の莫大な金が各方面にばらまかれ、その間その衝に当たっている収容中の堀越外事主任をはじめ多数幹部に背任横領の疑惑も検察当局の峻烈な解剖室にのせられんとしており〃屋敷を拂って田売りたまえ〃の寄進に次ぐ寄進に信徒から「神様」へ奉られた財産が一部幹部によって如何に自由に使用され彼らの私腹を肥やしていたかが暴露さるべく、六百万信徒に及ぼす影響は天理研究所、三輪講などの分派抗争の熾烈な際とて天理教の浮沈にも関聯し、今や讃仰のメッカ丹波市天理街には暗雲低くたれこめている。
天理教から各方面へ謎の金がばらまかれているとの噂は過般大阪府特高課に検挙され先般収容された伊東ハンニに対し天理教問題と相俟って、謎はますます深刻な疑惑を一般に投げかけているが、この謎(使途不明の金)の発端は内地の布教に行き詰った天理教が満洲事変を契機として、さきに満洲に於いて確固なる布教地盤を持っていた大本教と対立して満蒙方面で布教の途を開かんとしたことに始まり、先ず第一手段として某方面に猛烈な運動を行った結果ハルビン郊外に天理移民村を建設、満洲布教の第一歩を踏み出し、これを順次拡大して今日数箇所の移民村の獲得に成功、本部教庁外事部並びに調査部が主体となって天理外語出身者を中心とする宗教移民を送っているが、たまたま天理教の計画を知った怪人伊東ハンニが、当時新東洋建設学生隊の参謀格、元大阪○○○社員渡廣介氏仮名の紹介で中山管長に喰い入り、移民村建設には某方面への運動資金が必要だと、某方面の名を利用して莫大な金を詐取したと言われ、これが機縁となって堀越外事主任は外交的機密費並びに交際費と称して会計部から多数金額を引き出してはハンニを利用して東京、大阪、京都などの株街に暗躍していたとも伝えられ、この外最近現れた問題として堀越外事主任が教団幹部の反対を押し切り、最高幹部を動かし目的不明の二十万円という大金を某方面に送り、しかもこの支出金は会計帳簿には記載されておらず、謎の支出として本年夏ごろ、同教が真の宗教としての発展を祈る生一本な天理青年会より成る少壮幹部中に、堀越糾明の気運さえ起こり、今日残された問題として少壮幹部の手で二十万円真相調査が行われている。
(八)所謂二十万円事件の行方
二十万円調査問題は七月初めごろ発生したが、これに関し堀越外事主任は昭和八年、中山管長が南支方面調査のため旅行した際、南方軍閥白崇嬉、李宗仁氏らと会見、この時、天理教を認めても良いとの南方軍閥の好意に対し、謝礼として三百万円出すと口約したことがあり、この為その口約を盾に東京某方面から資金百万円の資金支出方を要求してきたが最高幹部会議で一蹴されたのでその諒解運動こそしたが大金を出した覚えはないと聲明、これに対する少壮派の調査の結果は中山管長渡支当時の○○○○○○現○○○○○○○○と同氏の腹心元伊東ハンニ関係の某と中山管長、堀越外事主任が本年一月頃、東京柳橋料亭柳光亭で百万円の資金要求に関する第一回会見を行い、席上南支軍閥への口約もあるので二十万円を諒解金として支出することになったが、これも一部幹部の猛烈な反対を受けたが何故か堀越氏は最高幹部を動かし、まず松村元老の手から五万円を引き出し東京の某所で前記某方面に手交し、次いで十五万円を三回に亘って新大阪ホテルで手交した事実を突きとめ、直ちに会計部支出課長澤田芳蔵氏について帳簿面を調べたところ全く記載されておらず、ただ仮支出の形式で堀越氏が収容の今日までそのまま帳簿整理もしていないことが明らかとなり、当時澤田支出課長自身も不可解な支出金と思うのみで少壮派の追窮に対し返答に困り、自ら調査すると答えてその場を取り繕ったもので、結局今日に至るも、この二十万円が何の目的で出されたか全く不明である。<<
前回の投稿で入力ミスがありました。(六)宗教家の──の途中ですが──
─殊に大祭日などの多額の義務的寄付金が─(誤)
─殊に大祭日などの場合は多額の義務的寄付金が─(正)
このように「場合は」が抜けていました。まあ教団のやってることに変わりは無いので意味は通じたものと思いますが。当時は新聞や雑誌くらいしか無かったのでしょう。テレビがあったら間違いなくワイドショーで大きく取り上げられていたのでしょうね。
それにしても昔の人は、よくあんな難しい字を読み書きできたものだと感心します。なんとなくは判るけれど自信が無ければネットで調べたりと苦労もありますが、これが少しでも誰かの役に立つのであれば、頑張って続けていきたいと思います。
参考意見 様
2020年5月6日 4:28 PM
>>これが少しでも誰かの役に立つのであれば、頑張って続けていきたいと思います。<<
天理教の闇の部分が、益々、よく分かってきました。私だけではなく、参考にされている読者は多数おられるはずです。少しずつで結構ですので、ご無理なさらないようにお願いいたします。松本清張の推理小説より遙かに「面白い」ですが、冗談にも「面白い」という表現は使えないですね。いつもありがとうございます。くれぐれもご無理なさらないでください。
自分はバリ天の両親の元、末端教会に生まれ育ってきましたが、
天理教との関りは、ただただ苦痛で、自分の人生の手枷足枷でしかありませんでした。
田中角栄の遺言に「官僚栄えて国滅ぶ」とありますが、
天理教の場合は「理の親栄えて理の子(末端、信者、組織)滅ぶ」といったところでしょうかね。
最終的には近い将来、教団本部ごとさらなる衰退、崩壊、消滅を迎えるのでしょう…。
夏草や 守銭奴どもが 地獄行き
※ 参考意見様におかれましては、貴重な資料のテキスト化、ありがとうございます。
いよいよ中山家によるタスケ一条の雛形をお見せいただける旬が来たのですか?
貴重な資料ありがとうございます。
中山正善の悪党ぶりは相当なものですね。自らの自己満足の為に満州への侵攻に信者の血のお金をばらまき、会計上に載らない説明つかないうやむやなお金を強引に支出していたのだと?その頃足元の日本の信者達は屋敷を払うて田を売りながら、なけなしのお金を献金して神のご加護を信じ、極貧に甘んじていたと言うのに。
「現中山天理教・詐欺師中山善亮」の体内にその血が脈々と流れていると言うことです。その血を思うと別に不思議な事では無いと、妙に納得しました。
匿名
2020年5月6日 11:41 PM
>>「現中山天理教・詐欺師中山善亮」の体内にその血が脈々と流れていると言うことです。その血を思うと別に不思議な事では無いと、妙に納得しました。
以前一時期「教団は中山の血統」の話が良く出てましたが、中山家の悪行がバレ的ますとその血統自体の正当性どころかむしろ不正当性が出てきます。一刻も早く中山家は教団を後にしないととんでもない事件が起こることでしょう。公表されていない教祖の終末の予言にもかかれてますでしょう。再三再四中山家の追放を書かれてましたが本当は追放と言うより避難なんですよね。数年前なら資産を持って出て行けたでしょうが、今現在では信者の皆さんも知識をつけたのでもう資産を持って逃げることは出来ないでしょう。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(九)今回の検挙に関する怪聞
大本教に大弾圧を下したとみるや矢継ぎ早に、その名を脱税疑獄にかつて天理教王国を見舞った大検挙の嵐に、お地場丹波市町は時ならぬ大混乱に陥り、宗教聖地平和の夢は一瞬にして破れたものである。二百余の警官隊、そして自動車トラック隊─家宅捜査、検挙と教庁本部の奥深く秘められた乱脈を極めた会計状態に鋭い解剖のメスは揮われ、数々の証拠物件を押収して凱歌を上げて引揚げた。これは慎重に慎重を期した検察当局が、一糸乱れぬ統制下に水も漏らさぬ計画を遂行したのであったが、さてその収穫は?意外極まる怪事実がその後発覚して、当局を極度に狼狽させまた憤怒せしめている。というのは十六日払暁を期して行われた捜査陣に、これが指令さえも発せられておらず、極秘裏に樹てられた計画内容が奇怪にも検挙より五時間早く、すでに天理教本部側に入手されていた事実である。
X27号式スパイの暗躍か、それとも検察当局重要幹部の手落失態か、お地場丹波市本部に検挙隊来る!の内情を教庁本部が受け取ったのは十六日午前一時ごろと推定される。天理教本部では狼狽し、午前四時という早暁本部の各役員たちは続々として登庁して急遽対策を講じた後、各係はそれぞれ重要書類の大整理にかかり、検察隊がどっとばかりに押し寄せた「午前六時」には総ての準備を終了して、いつでも御座れ・・・とその来着を悠々と待ち構えていた。
これがため当局が苦心惨憺たる大捜査も事前に漏れたこの計画内容に、全くその裏をかかれ予期した収穫は何一つとして得られず、必死の覚悟で徹底的摘発に乗り出した天理教本部の脱税疑獄その他の事件糾明の捜査方針に大支障を来すの已むなきに至った。これがため今回の捜査陣首脳部たる奈良地方検事局堀検事正以下係検事並びに齋藤奈良県警察部長らは捨て置き難い一大奇怪事なりとして、この奇怪なる秘密漏洩内容の真相探究をなすべく大活動をつづけている。
(十)罪を天下に謝せよ
天理教は多年に亘り陛下の赤子であるところの国民より多額の金品をまき上げ、今日人類が蓄積している財産はすべて「ほこり」と「罪悪のかたまり」であると称しながら、之をかき集めてコケオドシの大建築をなし、あまっさえ国民の三大義務である納税をゴマカし、上聖明をあざむいて脱税するとは風上に置けないインチキ宗教である。而して多数人民より吸い上げた浄財を以て、天理教幹部は大阪南地宗右衛門町あたりで芸者遊びをなし、花柳界で「お地場様」ともてはやされている。その証拠に今度の脱税事件で、中山為信以下五名の本部員が奈良署に拘留されるや、イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。天理教では「ひのきしん」と称して教校の生徒たちに無報酬労働を強い、毎年全国から集まった老若男女を数千人収容して宿賃、米代を徴収した上、石土運びや地ならしの土方仕事をロハでさしておきながら、これらの仕事をする者の方では「さして頂きます」と心から献身的の努力を捧げさしているが、非常時の今日、天理教は果たして国家に何物を貢献したか、貢献したものはただ搾取と脱税あるばかりでないか!天理教の幹部諸公にはキリストの所謂「神は人間の造れる宮に住み給わず」という一片の真理が分かる者がいないのであろうか?哀れむべきは無智蒙昧の信者たちで、搾取せられるだけ搾取せられた後は、ただ自殺と発狂あるのみである。
今日、天理教の信者は全国に七百万ありと言われているが、一人一円出したとしても七百万円である。況や天理教は「かりもの」「ひのきしん」の教義を振り回して家倉田畑を根こそぎ蕩盡さすのであるから、その額は蓋し幾千万、幾億に上るか、これだけはお釈迦さんでも御承知はない筈である。天理教も、ここらで多年の罪亡ぼしに、せめて此の際百万円くらいは社会事業─防貧事業に投げ出したところで、天の神様─教祖は決して御叱り遊ばさないことを筆者は堅く御引き受けする。
どうじゃ天理教の幹部諸公、早速吾輩の提言を入れて実行してみる気は無いか?敢えて天に代わって進言する次第である。<<
いやあ面白い・・・と言ってはいけないか。
薬物使用、贈収賄、背任横領、そして脱税。天理教の読み物などの、おつとめをして警察に拘留されたなんていう美談は案外こうした反社会的行為による事件をすり替えた作り話のような気がしてきました。雨乞いづとめで拘留されたのも、ひょっとしたら法外な報酬の要求でもしたのでは?とてもロハで何かを引き受けるような輩とは思えませんし。
いろいろ気遣っていただきありがとうございます。気ままな隠居生活の中、起きたり休んだりしながら作業しているので、どうぞご心配なく。
詐欺師・中山善亮を影の権力者として舵を取らせ、全国の大教会が操られている。その下で分教会が操られ。偉大?な先祖が巧妙に発案した上下関係の構築で下の者には発言権を持たさない絶対服従の組織。上に行く程旨い汁が吸える構造。正善は知恵のある「大悪魔」で、東京帝国大学で悪知恵を練りに練って中山家存続の為の構造を練り上げたそうですね。神を金儲けの手段にしました。
そんな悪知恵の上に立つ教団の思惑など知る由も無い無垢な信者達は正善に利用されているのも知らず、神だけを信じて塗炭の苦しみに代を重ねて行きました。
現在 知らなかった資料が次々とあばかれる世となり、中山天理教本部はうかうか詐欺行為は出来なくなりました。
上級会長はかつて講話ではっきり言いました。「お供えを沢山する人としない人のご守護が同じはずが無い」「借り物には礼をせよ。」
貸しもの借り物思想をお金を取る手段にして本部に毒された人間が全国でお殿様化し、弱いものいじめをして命まで取って来たんです。とんでもない詐欺集団、犯罪集団です。
古い資料が語る黒い歴史に腹の虫がおさまらなくて、失礼しました。
>>上聖明をあざむいて脱税するとは風上に置けないインチキ宗教である。而して多数人民より吸い上げた浄財を以て、天理教幹部は大阪南地宗右衛門町あたりで芸者遊びをなし、花柳界で「お地場様」ともてはやされている。その証拠に今度の脱税事件で、中山為信以下五名の本部員が奈良署に拘留されるや、イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。<<
空いた口がふさがりませんね。絶句します。
>>イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。
信者には貧に落ちきってお供えしろとか言いつつ
この当時からその集めたお供えで豪遊してたってことですよね。
もう早く解散してくれよ。
中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。<<
当時学生だった二代真柱は信者が貧に落ち切っている最中に若江の家なる豪奢な住まいを充てがわれ、新橋で芸者達と遊んでいたとは。我が家の祖父母は戦後、教会を設立し(本部、上級からの設立要請に服従)、我々一家は子供達は穴の空いた靴を履かされ、いとこ達のお古を着せられ、お金については絶対服従で上級、上上級に尽くし切りました。今思えばそんな信者一家が辛酸を舐めていたにもかかわらず、二代は金の力で世界中から古文書や考古物など買いたい放題のしたい放題をやっていたんです。
今だに若江の家なる物を保存し、保存するにも費用がかかっているはずです。いずれ廃れゆく組織だから、後生大事に保存して信者のひんしゅくを買うよりは解体すべきです。見たくもないです。記念すべき過去の栄光なら詰所も館も中山一統の自力で保存されたらよろしい。本部が滅んで信者が去った後、ご一統様でしみじみと眺めたらよろしい。
悪事を働いた種が今実り始め、甘露台倒壊、若き布教師養成機関は閉校し、各種目玉行事も中止に追い込まれ、神が居るとされるぢば、その地点にも近寄れない現状です。ぢばで奇跡が起こるなど、口が裂けても言えなくなった現実です。
真柱は何も発信せず沈黙を守ったまま。組織の長として全く居る意味の無い真柱を抱えて信者は漂流船に乗っている様です。影の司令塔は先祖同様人格的にはアウトですし、蒔いた種通りの姿を成ってくるのが天の理だと悟ってもらうしかないです。
人生の半分以上を棒に振った信者の繰り言です。
>>二代真柱は信者が貧に落ち切っている最中に若江の家なる豪奢な住まいを充てがわれ、新橋で芸者達と遊んでいたとは。<<
三代真柱に至っては、慶応義塾大学在学中、夜の銀座で豪遊していたそうです。天理教で「通り返しの道」という言葉がありますが、今の中山家一族は先祖の「通り返しの道」をまっしぐらに歩んでいるのでしょう。「通り返しの道」の終点は、すぐそこまで来ています。天理教の崩壊は近いです。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(十一)天理教伝道者の窮乏
天理教本部が、八町四面は神の館、きりなし普請と称して、壮麗なる大殿堂を営んでいる一方、天理教布教者は日々如何に窮乏の生活をしているか、天理教管長自身の著書たる「天理教伝道者に関する調査」二〇六頁~二〇八頁を示すに実に左の通りである。
(大縣宣教所、女)昼は布教に、夜は会計維持のため按摩に出させて頂くことにせり。(当時は普通の按摩賃は七銭~八銭なれども、素人の事ゆえ六銭)斯くせる中に追々信徒の増加を見、一時按摩を中止せしも信徒の奉献金だけでは維持するに足らず、搗てて加えて子供等の増加は益々生活の窮乏を告げ、安治川、傳法方面に行くに二厘の渡船賃にさえ差支え、十四五町も迂回して船津橋を渡るなど惨憺たる状に陥りしかば、不本意ながら昆布巻行商に出づるの止むなきに至れり。されど昆布巻は売残ると腐敗する恐れあれば、売薬行商に変更し半日は商売に半日は布教に出させて頂くことにせり。かくて大正八年二月に至り、折柄流行せしインフルエンザのため、妻及四人の子供は枕を並べて病臥し、妻及末女は死を思わしめたる時、断然意を決し稼業を捨て道一筋に通らせて頂くべく大神様に誓いしに、さしもの大患も鮮やかに御守護を頂き、五人共全快するを得て今日に至る。
(海外布教、男)朝鮮全羅北道裡里(地名)に於て布教開始以来、教費の捻出に対しては本人妻の内職と、少し許り時々の行商等により細々ながら継続す。尚一方長男をして銀行に勤務さして之に充当なり。
(郡山支教会、男)布教時代の維持は家族の内職(妻の裁縫、長男の夕刊売り、弟の労働)及び信徒の奉賽金等。
(郡山宣教所、男)大正十一年布教開始以来同十四年教会設置迄の布教費は長男の働きに依りて得る一ヶ月金二十三円内外。
(名東宣教所、男)妻女の賃仕事及び自己の工賃等を以て頗る不自由なる生活の傍、布教伝道し大正十一年頃より信徒の維持者も出来た時には上級より経費の補助を仰ぐ。
(肥長支教会、女)親教会、食うに米無く火の消えた状態であったため、私は見るに見兼ねて世間の人々が夢路を巡る時刻に、長崎市内の車場から車場を歩いて蝋燭を売り、その売上金を全部肥長へ盡させて貰いました。どんな寒い夜でも夏の暑苦しい日でも一日として安らかな眠りを持ちませんでした。私の生活費を送っていた娘は、当時市内稲佐で芸妓をしておりまして、ある客人から「貴様は偉そうな顔をしているが、母親はローソク売りをしているじゃないか」と悪口を言われて、彼女は冷水を頭から浴びせられた思いで失神せんばかりに驚き、且羞恥心に耐えかねて私の所へ来て、箪笥を隈なく探し其の一隈からローソク三箱を取り出して私に示し、これをどうするのかと問いました。それで私は訳を話しました。すると初めのうちは自分の送る金が足りないからそんなことをするのかと言って口惜泣きしておりました娘も、親教会の窮状を救うためだと知りまして、ようやく心を取り直してくれ、そして「どうか今日から商売は止めて下さい。その代わり私は髪でも他人の三度結ぶ所を一度にし、お櫛も押しませんで肥長の方も私が盡さして頂きますから、どうか商売だけは止めて下さい」と申しました。その後娘はあらゆる辛酸をなめながら、他人の悪口雑言の下を潜って淋しい生活を続けながらも、親教会維持のため努力したのであります。
(郡山宣教所、男)神戸市布教開始明治四一年十月より布教中は経費の出所なく、長女は義務教育を完了さす能わず、中途退学せしめ、ドンス職工場へ女工に入らして、亦長男は朝夕新聞配達をせしめてその労働に依って得た賃金を以て布教費に充てたり。
(十二)教祖の精神に還れ
伝え聞くところによれば、天理教祖中山ミキ子は何不自由なき豪農であったが、一たび豁然として大悟し慈悲寛大にして自己反省するところあり、その多くの財産を窮乏者に分ち、文字通り無一物となって其の九十年の永き生涯を終わったということであるが、今日の天理教幹部にして果たして幾人か教祖の精神を体得し、之を実践している者があるか?身は何れも百姓、町人上りの草莽卑賤の徒輩にかかわらず、豪然として王侯将相を凌ぐゼイタク極まる生活をなし、信徒を見ること恰も奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度であろうか?吾人はあの壮麗極まる殿堂を見るたびに、この裏面に潜む哀れなる無数の信者が食うや食わずにギセイとなって多くの血と涙を以て累々結晶したものであると思うと実に慄然たらざるを得ないものがある。
天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。
── 完 ──
これで一冊完了です。元の本は30頁ほどの薄いものですが、よく調べられていると思います。天理教が絶対に信者に知られたくない事実なのでしょう。
これまで紹介してきた本は何れも、天理教が教祖の教えとかけ離れたものと認めており、あくまで天理教の組織を批判したものだと思います。天理教を批判する本は他にも多くあるのですが、他の宗教による攻撃的な内容だったり、なかには教祖を狂人だのペテン師だのというものもあって資料的価値の低いものもあります。それらを吟味して、客観的事実と思えるものから紹介していきたいと思います。
昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096422
>>今日の天理教幹部にして果たして幾人か教祖の精神を体得し、之を実践している者があるか?身は何れも百姓、町人上りの草莽卑賤の徒輩にかかわらず、豪然として王侯将相を凌ぐゼイタク極まる生活をなし、信徒を見ること恰も奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度であろうか?吾人はあの壮麗極まる殿堂を見るたびに、この裏面に潜む哀れなる無数の信者が食うや食わずにギセイとなって多くの血と涙を以て累々結晶したものであると思うと実に慄然たらざるを得ないものがある。<<
もう現代においてもこのまんまですやん。
「奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度」
おい、うちの大教会長、おまえのことやで!!
参考意見様ありがとうございます。
参考意見様の文章読ませていただき、この当時に書かれた冊子を思い出しました。「ほんみち」から独立した「天理三輪講」の勝ひさの氏(1941年。・昭和16年病死)の『天理教更生の巻』(昭和11年12月23日発行)です。昭和9年から教祖(中山みき)の神言(おふでさき)の本部の解釈の誤り正べく訪問しかつ12、000余の教会長にも冊子そうされたようです。本部に相手されず教会長からも返事は一つもなかったそうです。それで大阪時事新報に50日間「天理教御神言解釈」として連載したことにより本部から反駁をうけるようになったようです。昭和10年11月15日早朝200余名の信者たち並び『天理三輪講』の旗を立てて丹波市天理教本部に向かわれた。16日、所轄警察署、京都憲兵隊長にも届の上で(大人数移動故)。丹波市駅から奈良県警察部、憲兵及び丹波市警察署員の護衛を受け旧祖霊殿で会見。立会人奈良県警察特高係1名、丹波市警察署特高係1名、東京中央農民会長 中野芳氏。本部側代表 堀越儀郎氏、同 橋本武氏(神言書持参せず)。三輪講教務係10名(神言書持参)。堀越氏は『教理解説について本部に落度は更にない、本部として部下の者から教理の教示を受ける教示を必要断じてない。』押切検討開始せず無礼と責めたようです。
それから10日ほど滞在し面会求めるも宿宿先手回され結局引き上げる。未明帰る道中で詠んだのが
『釜バケツふとん背負ったルンペンか
汽車も電車もツンとていた
管長は酒池肉林の花御殿
教祖のさしづ座布団にして』
またまた冊子を作成し発送しようとしていたが遅しと。昭和10年12月16日に大都市大新聞の『号外!』
天理教の脱税に次いで
管長捜索!
証拠書類の焼却!
伊東ハン二事件1
松村老に引責!
教典の不可解!等々
教理解釈色々とあったでしょうがこの当時から2代真柱の人格に対して許せなかったように感じます。
天理三輪講は昭和11年に治安維持法と不敬罪で13名検挙うち9名起訴される。
私には教理はよくわかりませんが信じる道に殉じられた方に思います。」現在の「神一条」に引き継がれてるいるようです。
この『天理教更生の巻』は当時、各教会に発送されて私の先祖は読んだと思うのですが本部に洗脳されていた
から無視しでも捨てるほどの関心もなかったのかと。
上記
管長捜索!-管長邸捜索!です。ごめんなさい。あと2,3ありますがよろしくお願いします。
国会図書館デジタル資料で「三輪講」と検索したところ、勝ひさの氏の著書が3冊出てきました。活字ではなく退色が進んでいるようですが、いずれ読んでみたいと思います。なるほど「天理教」以外のワードで検索すれば、まだまだ面白い資料が見つかるかもしれません。
https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E4%B8%89%E8%BC%AA%E8%AC%9B&viewRestricted=0
イタコ芸の某の科学と同様のいんちきさである。
トップが東大というところも同じか
息子がおやじはインチキだと公言しているだけイタコ芸の某の科学のほうがましか?
前妻も息子もまだ良心があるのかも
良心があるのであればこの組織に加担している我々も恥を知るべきではないだろうか
いつまでこの組織にふりまわされなければいけないのだろうか
いつまで自分を欺かなければいけないのだろうか
芹沢先生の「天の調べ」によると1987年に親神はこの世に現れたとある
赤子であれば現在33歳、伊藤青年のように魂にあらわれたのであれば50歳前後
この世にあらわれた親神は今どこで、何をしているのであろうか
早く世界を救ってほしい!
>>天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。<<
大亮さん、本部で月毎に奏上する祭文中の「反省」と言う言葉は、貴方がた一家がするべき事なのです。間違っても騙された信者一同がするべき事ではありません。この場で昭和10年頃から既に糾弾されていた天理教の黒い諸史実を真正面から受け止め、目をそらせてはいけません。若いあなたは先祖の犯した事、何も知らないのですね?
月次祭の反省と言う言葉、慣用句の様に軽く奏上しているのではありませんか?どこをどう反省するのか、誰が反省するのか、あなたが言わんとする反省しなければならないのは信者ですか?それとも中山一統さんですか?両方ですか?両方ならば信者としての反省と中山一統さんとしての反省とを、分かりやすく具体的に説明して下さい。それ無くしてスルーするなら、何の意味もない意味不明な祭文を勿体ぶって読んでいるに過ぎません。信者を馬鹿にしていますか?しっかり反省の方向性を示して下さい。
指導力のない教師に意味不明で下手な指導を受ける子供は不幸ですが、全く同じことの様に思えます。
>>天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。<<
「ひながた通らねば ひながた要らん」どころか、ひながたを全く反故にしている天理教幹部諸侯の皆さん、天理教の全くの部外者からですら上記引用のような批判が出ています。それも80年以上も前からです。宗教者というより人間として恥ずかしくありませんか? 真摯に反省し改める気持ちがないのなら、即刻、教団を解散しなさい。それこそ真の人たすけです。
改革派
ツイッターより
·
>>5月1日
GWにおぢばへの参拝を自粛するように通達がございました。
勿論、県をまたいでの移動も自粛要請が出されております。
4月29日の南礼拝場前には賽銭箱が設置されております!
矛盾を強く感じます!?
京都市の観光寺でも山門閉まっていますよ!!<<
金、かね、カネの天理教です‼︎
☆★☆ 宗教は無くても人助けはできる ☆★☆
私は、NHKで放映されている「逆転人生」という番組が大好きで、毎週、視ております。先週であったか、先々週であったか忘れましたが、奈良市内にある「まるかつ」というとんかつ店を取材した番組が放映されていました。その店の店主は、幼い頃から家庭の事情で貧しい生活を余儀なくされ、自分の生い立ちを振り返り、貧困家庭の子ども達に「腹一杯ご飯を食べてほしい」という思いで、無料食堂の取り組みをされています。今現在、天理教炊事本部や詰所の炊事体制がどのようになっているのか存じませんが、せめて、天理市内の子ども達だけでも対象にして、無料食堂の取り組みをされてはどうですか?「まるかつ」さんのHPは下記の通りです。
https://marukatsu912.com/muryoshokudo/
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
社会科学から見た新興宗教の暴露 佐藤信淵
(1)宗教の果たしている使命
天理教の今度の事件は、単に脱税だったと言い、大本教の事件も結局はどうなるか分からない。不敬罪は確実だと言われ、治安維持法が適用されるかも知れない──。「分からない」だの「知れない」だの曖昧なことしか予見が許されないのは或いはまた、不敬罪や治維法の網の目にもかからないかも「知れない」と言う訳になるのである。由来類似宗教には不敬な内容を持っているのが普通であって、天理教の初期のものにも甚だしいのがあるのを、早く隠滅させてしまって事なきを得ているのだが、兎角その派の管長というものには、怪しい言動がつきものなのが類似宗教の特色なのである。そして其の怪しい言動が、信者をタブラかす一つの技術として、たとえ演ってる方は無意識にしろ、信者を誘導するところの一つの駆け引きともなっているのである。さて、それはそれとして、不敬の大本教と脱税の天理教とを当面の二つの事件として取り上げて、この二つの宗教の大略をかれこれと詮議しながら、何故こんな馬鹿らしいものが横行するか、また、せにゃならぬか──という、今の社会のカラクリを、わかり易く話してみようと思う。
そこで大体ものの考え方というものには二通りの途がある。この世の中は人間の作ったものじゃなくて、神様でも仏様でも何でもいいが、人間よりエライ奴がこさえた──というのと、地球の上に生き物が生まれて、それが段々と高尚な生き物になり、その中から人間が出てきて、その脳というものが一番進んだところの物質であり、考えというものはその脳の働きで、世の中は神様が造ったなどと考えているのも結局はその脳だけの働きであって、考えは自由に出来るが、目の前の事実が、何も神様が造ったなんてことを証明してやしない──と。この二つの途の出発点があるので、大学だの博士だのと言って威張っていても、せんじ詰めれば結局はこの二つの途のどっちかに分類されるのであるが、後の正しい考え方よりも、前の頼りない考え方が評判がいいし失業もしないから、お偉方の悉くと言っていいほど、デタラメ派に籍を置いているわけなのである。
そこで宗教というものは、このデタラメ派のこさえた物なのは分かりきったことであるが、これとて仇や座興に造ったことでは決してない。大体人間というものの考え方は、本当は二つの区別の後の方の正しい途しか持っていないがために、沢山の人間が集まって生活して行き、それに親分ができ、その親分を守る子分ができてくると、「あの親分だって我々と同じ人間じゃねえか」と直ぐ考えるのが当たり前で、この「同じ人間」となるのが親分子分の仲間ではツライので、「同じ人間でない」としなければならず、人間でないならば蛙やナメクジラには出来ないので、人間以上のもの、即ち神──と、こう決めとかなくちゃ色々の点で具合が悪くなるのである。そこに宗教というものが興る一つの原料があるわけである。(その他いろいろと原料はあるが、ここでは話の都合上、この原料だけで進めてゆく。)本当を言うと、この親分を人間以上のものに多くの人に考えさせる(自由に「考える」のではない、押し付けて「考えさせる」のである)宗教というものが、本筋の宗教なのである。この本筋のものに、分家のようなものが出来てくる。親分の持っている団体というものは、子が子を産んでだんだん人数が殖えてくる。そうすると子分(役人といってもいい)の方で「親分は神様だぞ」と人々に押し付ける専門の役が出来てくる。これが宗教家というもので、別に働きはしない。親分からホマチを貰ってブラブラして「親分は神様であるぞよ」と言って廻っているのである。そうするうちに世の中も進んでくるし、人々の間に学問が生まれてくる。もちろん親分は、この学問という武器も独占してしまう。そこで「親分は神様だぞ」なんて単純なこと言っても人々は承知しなくなってくる。「親分は人間でこそあれ、神様の子孫だぞ」或いは「親分というものは人間である。がしかし、この世の中には無くてはならぬ神様みたいなものだ」などと、いろいろと言い方を変えねばならない。この、いろいろの言い方が、いろいろの宗教を生むのであるが、本筋の宗教に決して叛くようなことはしない。また叛くようだったら直ぐ潰されてしまうのである。こうして分家が出来るが、本家と分家とは別のように見えるけれども、切っても切れぬ間柄で、世の中が進むと、本家の方は宗教以上のものとして理屈をくっつけてしまって宗教とは言わせないようになって、分家だけが今度は堂々と宗教の看板をあげるのである。本家の看板が分家へ廻って、本家は別の看板をあげねばならぬように、人々の考え方が進んできていて、宗教は本家と縁がうすいような顔をして、その実は本家の為にナミナミならぬ働きをし、また夫れがために、本家から保護を受けている。──という有様が現今における世界の宗教の使命というものの極カミ砕いた解説なのである。そうして本家としては人々に言い尽くせない神様のこと(或いは神様を分らぬように包んで、貴い物だと教えること)を分家の方の宗教に任して、人々をして「なるほど御本家は有難い」と思わせ、本家は本家で「宗教が無くてはウマくいかん」と分家を褒める。──茲に持ちつ持たれつ相互に働きかけている。うまく出来ているではないか?<<
以前、匿名様の一人に一部紹介して頂いた本です。実存主義の立場から書かれたものか、教祖に対して失礼な表現なども有ったりするのですが、興味深い内容も含まれていたので、テキスト化することにしました。
>>人々をして「なるほど御本家は有難い」と思わせ、本家は本家で「宗教が無くてはウマくいかん」と分家を褒める。──茲に持ちつ持たれつ相互に働きかけている。うまく出来ているではないか?<<
まるで、ヤクザの世界と同次元の話ですね。そのうち、本家と分家、分家同士の抗争事件が始まるでしょう。
司法当局も今のうちに十分目を光らせておくべきです。
天理教団解体始まる?
中山真柱一家は個人資産の隠し口座を持っている?
既に引退用居住地を準備した?
・・・・なーんてね。これは昨夜の夢のスポーツ新聞の見出し。
意識下での疑いが見せたものか。
そしてコロナで目が覚めた信者もいる。
大教会は直轄信者をせめて電話で近況を聞き、安否を問うたり、
何か不自由をしてはいまいかと、親心をかける気配はさらさら無し。
信者同士がお互いの近況・情報交換につとめ、長年の信仰歴の間の
天理教教会のおかしさを話し合う。
それでも教会から離れない信者たち。
「お供え」こそが、信仰に信者を縛り付けている現実。
「徳積み」信仰が、信者の欲を刺激しているのだろう。
本部南礼拝場階段下の賽銭箱は乞食根性の表れにも見えてしまうのは何故だろう。
もぅ、本当に恥ずかしくてたまらない。
どこにそんな宗教団体があるか。
あの賽銭箱を置くように指示した者を暴いてください。
晒してください。
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(2)農村の後家さんが教祖
天理教の教祖中山ミキ婆さんも、大本教の教祖出口直婆さんも、普通の女性ではなかった。理智の調整を失ってしまった一種の病的な女性で、早く言えばヒステリーの姉さんみたいな病人だったのである。天理教のミキ婆さんは大和の農家の後家さんで浄土真宗の信者であり、大本教の直婆さんは丹波の大工の是も後家さんで稲荷下げの信者であったので、其処まではどちらも、普通の農村のおかみさんなのである。
天理教のミキ婆さんには「天の将軍」が乗り遷ったし、直婆さんには「艮の金神」というものが乗り遷ったのである。天の将軍に艮の金神というのはどんな神様だか、ずっと後になって、色々ヘリクツをつけて勿体ぶったことを言うのだが、ともかく何でもいいので、神様さえ乗り遷ってくれれば、あとは団子でも餅にでもしてしまえるのである。その団子や餅にする役がついているか?居ないか?で、宗教になるか?どこの村や町にでも今でもいる稲荷下げになるか?に岐れるのであるが、天理教には本席様といって其の道の天才である飯降翁というエラ者がおり、大本教には誰でも知っている出口王仁三郎というのがいたのである。
ミキ婆さんも直婆さんも、お筆先を残しており、神憑りになって喋ったことを筆記したものがあるが、それを見ても別に大したことは言っていないし、寝言みたいなもので、それを色々に解釈して信者に教えているのだが、天理のも大本のも、この解釈して教えている處のものは、大同小異で茲に管々と比較してみたところで面白くもなんともないから止しとくが、面白いのは天理教の例の「邸を拂うて田売りたまえテンリオウの命」という誰でも知っている悪口は教祖にだけは言えない──というヘンチキリンな話をしておこう。
ミキ婆さんは、田舎では相当な農家へ嫁に行ったのだが、そろそろ狂いだして、人に物をやって仕方がないのである。亭主は初めは舌打していたが、それが嵩じて来たので、喧嘩の絶え間がなかった。一家の主としてこんなのは今でもよくあって、気の毒なのだが、出来心で女中と通じたりして、変な嫁を残して死んでしまったのである。それからは邸を売ったり田畑を人手に渡したりして施しをやって、ミキ婆さんは後家になってスッカラカンになってしまったのだが今の天理教とは全く逆であって、信者に金をやった教祖の実践が、今度は二代目三代目になると、信者から金を儲けている──というオカシイ状態になっているのである。これにも屁理屈はちゃんとついていて、なかなかウマい申し開きがあるのだが、申し開きだけで、事実がチャンと逆なのだから、「邸を拂うて・・・」の雑言は、ミキ婆さんだけには当てはまらないのである。
そこで斯うした農村の後家さんの唱えだして、それを粉飾した處の類似宗教というものが何故高僧智識の物々しく堂々とした本筋の仏教を超えて信者を集めるか?というと、こうした本筋を宗教とし、天理や大本やを類似宗教として、宗教を玄人とし類似の方を素人とすると、素人の方が本当に実篤らしく見えるのである。天理の方ではなるべく言葉づかい等を一種特別な大和の方言でもなく河内の方言でもないケッタイな田舎言葉で以て布教しろ──という建前であり、大本では「うちのは宗教でない」などと愈々宗教とは縁の遠いようなことを言っているのだから、世の中は宗教に愛想が尽きていて、なるべくその宗教臭くない手で広めようとする算段が、信者を捉えてくる要素ともなっているのも見逃してはならぬのである。だから農村の後家さんが、天の将軍に乗り遷られ艮の金神の化身でであったほうが便利がいいのであって、叡山や高野山のエライ坊さんが、そんな事をやりだしていたとて、こんなに天理教や大本教のようにデカくは成っていないのである。
なお日本は神国なので、それはそれは沢山の神様がいられるが、天理教のも大本教のも教祖の説いていた神様は決して今までにレッキとした神様ではなかったのであるのは残念である。天の将軍だの艮の金神だのは古事記にも日本書紀にも神名帳にもない神様で、探してみたら旧暦の支那の迷信からきた暦の方の神様みたいなもので、天理教の十柱の神といって、古事記に見らる神様を組み立てたのはずっと後のことであり、艮の金神も王仁三郎に××××神に置き替えられたのである。でないと、いろいろと都合の悪いことが出来てくるので、是もやむを得なかったのである。で、こういう便利重宝なものだから、宗教というものが、如何に御都合主義でデタラメであるか?ということが分かろうと思う。<<
教祖に対する偏見や失礼な記述を削除すべきか否か迷いましたが、これも教団の悪行ゆえと考え、全文そのままに転載しました。それでも教祖が、教団とは全く異なるものと認められていることが、せめてもの救いだと思います。
匿名 様
2020年5月8日 8:08 PM
>>本部南礼拝場階段下の賽銭箱は乞食根性の表れにも見えてしまうのは何故だろう。
もぅ、本当に恥ずかしくてたまらない。
どこにそんな宗教団体があるか。
あの賽銭箱を置くように指示した者を暴いてください。
晒してください。<<
乞食根性と強欲根性こそ天理教の本質なんです。あの賽銭箱こそ天理教の本質を象徴するものです。
皆さん気が付いているでしょうが「感謝、慎み、助け合い」等とスローガンを掲げてますがこれですら
・(中山家に)感謝(せい)
・(中山家に対する態度を)慎め
・(中山家に上納金を上げる為の)助け合い
が真実が本音ですからね(笑)
皆さんは
・(「金の繋ぎが命の繋ぎ」を言った中田善亮にはある意味)感謝(しましょう。)
・(神に背き、天に唾し、新型コロナを全国に撒き散すなど悪行を重ねる中山家への上納金を)慎み(ましょう)
・(中山善亮初め中山家の天理教を馬鹿にする妄想発言にだまされぬよう皆さん)助け合い(ましょう)
ですね。
一時期「ネットの情報は嘘だ!」と嘘つきが申してました(笑)
皆さん真実が見えてきましたね。
「金の繋ぎは命の繋ぎ」の中田善亮の過ちに関しても社会学の皆さんも再三再四警告をしていました。それでも反省の色も無く改めることも無くなのでもう年月またいでいるのでもう新しい教義として認定します。つまりカルト宗教確定と言うことになります。
皆さんそれで良い分けないですよね?教団はもとより天理教を救済するには、中山家の追放しかないのです。
大層な事をすることはないのです。中山家に背を向け神をしかり拝み、上納金を辞め苦しむ方々や自分のためにお金を使いましょう。そうすれば道は開かれます。中山教団に居なくても、天理教は出来ます。むしろ中山教に居ては天理教は殺され間違った教えだと罵られます。
さあ立ち上がるときです!
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(3)天理教の巧妙な搾取の組織
管長の所得が七十余万円という莫大な天理教の大世帯になるまでには一朝一夕のことではなかった。ミキさんが開いた本の形になっていない教義を、開けゆく世の中に順応させるように組み立てなければならなかった。それに一派の独立という大事業があった。独立というと、もともと天理教はそれ自体独立しているのじゃないか?との反問があるだろうが、神様の方の新しく出来る宗派では、初めから独立はできないのである。天理教は、はじめ神道(本局)へ席を置いていたのである。(大本教はまだ独立できないでいるのだ)この独立というは新興宗教では大問題であって、現今天理教、神道(本局)の他に金光、御嶽、黒住、扶桑、神習、修成、神理、實行、大成、大社、禊の十三派が独立しているのであって、宗教を経営する最初の方法は、これ等の何處へでも席を置くのである。殊に御嶽、扶桑両教は此の席貸し専門みたいな派であるが、別に席を借るために教義が同じでなければならない──なんて野暮なことは問わない。席料さえ払えばいいので、そこは寛大な神様だから御賽銭次第で非常に便利にできているのである。今一つの方法は修養団体という形をとるのである。(これは「ひとのみち」が新しい手として始めたのだが・・・)そこで一つ独立をしようとすれば、昔も今も内務大臣の許可がいるのであるし、その席借りしている母家へ莫大な御供え物をして、その御利益で推薦をして貰わねばならない。現今ならいざ知らず、話は三十年も前のことだから、お役人衆を動かすには何を以てせねばならなかったか?直ぐ分る筈であった。内務大臣の許可であっても閣議を経なければならない。それには、今でも天理教の真の柱石と言われている松村吉太郎氏が奔走することになったのであるが、明治三十二年から運動を始めて前後四回却下され、ようやく十年かかって四十一年の末に許可されたもので、その第二回目の請願に「教典」の必要に迫られて俄かに学者に依嘱して、ミキさんも夢にも考えなかった、難しくて堂々とした(!)「天地の悠久にして万物の生成化育息まざる所以のものは神明調攝の天理に依る」なんだかんだと、物々しい教憲を作らざるを得なかったのである。ここでも明白なことは初めに教憲があったのでなくて、後で必要に迫られてこさえ上げた合理化であることだ。それに、この独立の前に教会の搾取組織を完成したのは必然的に、資本主義社会の種物としての天理教の土台を決定しているものと見られている。
その組織というのは信徒が最下級であって、それから教徒に進み、この教徒は准教師であって更に教師に上る。その上には役員が色々と階級を具えているわけで、一般的には献金は信徒と教徒から出ていて、この献金は本部へ直接のもあれば、一部は必ずその所属教会から経由するもので、この教会は信徒百戸(百人にあらず)以上獲得して初めて創立され、この上に支教会がのっていて是は信徒五百戸(宣教師のものを基本とする)以上を必要とし、その上に分教会がのっていて是は信徒二千戸(宣教師・分教会のものを基本とする)以上とし、その上に中教会信徒五千戸以上、大教会信徒一万戸以上、そして本部が最上層に泰然としているのである。勿論これらの中間搾取を通過しながら、一定の所額を本部に上納しなければならぬこと勿論である。
加えて初めの入信が宣教所であると、本部へのお参りにも、先ず宣教所から支教会へ分教会へと順次経由してから丹波市へ行くので、これを「お運び」と言っているが、一地方に必ずこの一連の組織が配属されているのでなくて、競争して各地に教会を作ってゆくので、北海道の上に和歌山があり、その上に奈良があり、そしてその上に丹波市の本部があるのだから、北海道で入信した者は、本部への「お運び」にこの地方へ回り道して行くわけで、その一つ一つにタダで済まないこと自明である。「親子」の関係でこれを説明してあるのだから実にうまく考えてある。その上にまた信徒になると、教徒にならねばならぬ仕組みにこしらえてあるのだが、この教徒というのは「お授け人」といって、もう直ぐ宣伝を実践するのである。一人でも多くという拍車をかけられて、百戸つくることを先ず目標にする。つまり命懸けででも百戸の信徒、即ち宣教所を持ちたいとやりださねば救われないように、ちゃんと教育されるのだから恐ろしいのである。大体どの宗教でも、自分が信じたならば有り難さを独占しないで、他人をも入信さすことによって自己もなお救われるという仕組みに出来ているのだが、天理教のはそれを直ちに宣教所獲得に引っ付けたところに巧妙さがある訳なのである。そしてこの気の毒な宣教所というものが約一万千箇所もあるし、第一線に立って血の出るように働いて信徒をこさえている「お授け人」の教徒が約二十五万人いるというのだから、七十余万円の所得も何の不思議は無いし、税務署で査定したのだから、その他に幾らあるか分かったものでない。こういう搾取の組織は現今の資本主義そのものの訳で、その内容である教義の如きも、資本主義の謳歌以外の何物でもないこと、これも分かりきったことで、財産は心の埃やアクタで汚れたものだから一切捨ててしまえ──というのはいいとして、その捨て場所は丹波市の本部へであって、社会事業や国防献金へと勧めているのではないのである。例えてみれば露店で万年筆を売るインチキな香具師であっても、つぶれていても万年筆はくれるのであるが、宗教商売は何一つ物をやるのではない。お札一枚だってタダはくれない。精神的な霊験をくれるというけれど、それならば、何も病人ばかり助けないで、東北の飢饉など、神の有難い摂理によって忽ち豊作にしてくれるべきだが、おそらくそんなことは不可能なのである。ただ御賽銭を納める個人個人にのみ有難いのであるが、新興のあれこれの宗教、「ひとのみち」だの「生長の家」なんてものも、天理、大本その他いろいろの宗派と教義に於て大した相違はないので、本質的な著しい特色づけは如何にして経営しており、どんな御賽銭の集め方をしているかが問題となるだけであることを知らねばならない。<<
病人だけでなく、飢饉なども救うべき・・・。なにやら現在の状況にも通ずるものを感じます。今日、ライブカメラを見たら、黒い着物姿の集団が。まさかと思ったけれど、婚礼が二件あったそうですね。敷地外で個人的に強行したのでしょうか。
>>「親子」の関係でこれを説明してあるのだから実にうまく考えてある。その上にまた信徒になると、教徒にならねばならぬ仕組みにこしらえてあるのだが、この教徒というのは「お授け人」といって、もう直ぐ宣伝を実践するのである。一人でも多くという拍車をかけられて、百戸つくることを先ず目標にする。つまり命懸けででも百戸の信徒、即ち宣教所を持ちたいとやりださねば救われないように、ちゃんと教育されるのだから恐ろしいのである。大体どの宗教でも、自分が信じたならば有り難さを独占しないで、他人をも入信さすことによって自己もなお救われるという仕組みに出来ているのだが、天理教のはそれを直ちに宣教所獲得に引っ付けたところに巧妙さがある訳なのである。そしてこの気の毒な宣教所というものが約一万千箇所もあるし、第一線に立って血の出るように働いて信徒をこさえている「お授け人」の教徒が約二十五万人いるというのだから、七十余万円の所得も何の不思議は無いし、税務署で査定したのだから、その他に幾らあるか分かったものでない。<<
「理の親子」制度をつくり、巨大なネズミ講を巧妙に組織したということですね。出資法違反にはならないのでしょうか?
何方か末端の教会で、なんらかの支援又は貸付などご存じでしたら教えてください。私の調べた事では宗教法人では雇用調整助成金だけでした。うちには当てはまりません。ここに書いても、申し訳ないですのですがとても困っています。
しっかりした意見交換の中に水をさすような投稿許しください。
とてもこまっている。代表役員です。
天啓者達の永続を意味する言葉を、宗教家業の勧めに書き換えて多勢の人生を支配搾取してきた張本人達が、正善氏始め、道具衆の魂達だったとすれば、この百年間の本部のトップ人事と世界人類の混乱を終わらせる方法も又、中山御一統様方が、お地場に天啓を大望する心を定めるしかない。
世界人類が地場から打ち出す天の言葉に耳を澄ましながら、優しく豊かな神一条文明を楽しむには、この根本問題の解決による人類のステージアップからだろう。天保九年に顕れた神に尋ねれば、全ての王節はそこに収斂すると答えるに違いない。万事神一条の道。
参考意見さんの資料、大変しんどい思いをしていただき勉強になります。ありがとうございます。
もう数10年も前です。テレビをつけたら古い映画をしていました。今東光の「こつまなんきん」。途中からだったので筋はよく分からなかったのですが、主演の嵯峨三智子が着ている赤一色の羽織の背中に大きな白文字で「天狸」と書かれてあるのです。確か新興宗教の教祖にされた嵯峨三智子の金と色とが絡んだ娯楽物だったと思います。調べると、昭和35年に出版され、すぐ同じ年に映画化されています。「悪名」シリーズは面白くてよく見ていましたが、今東光の本は読んだことが無く、テレビによく出ていた豪快な、好色坊主としか見ていなかったのですが、ウィキペディアで調べると、スケールが大きすぎて驚きました。「昭和の怪人」と言われたらしいです。
八尾市にある天台宗の末寺天台院を任されている時代に何作もの河内を舞台にした小説を書いていたようです。高安大教会とは一駅違いの近さです。新興宗教同士なら、勢いのある相手への妬みで誹謗中傷とも取れますが、天下の天台宗です。人脈豊富、あらゆる分野からの知識もある人ですからね、きっと小説、映画化許可してでも広く警告をしてくれたのではないでしょうか。
暴力団でも震災の際には炊き出しを行ったとか?
直接的な感染防止・医療対策の他に、経済困窮対策として、消費税撤廃・緊急ベーシックインカムの導入などを政府に要求する事も必要なのではないか?
教団執行本部による政治的提言や、困窮者にたいする緊急散財、詰所や大教会施設への緊急生活所としての供与など、お国と共同でも経済困窮者への緊急延命処置などの活動の準備はなされつつあるのか?
感謝・喜び・優しさ・創造性・向上心・謙虚さ・朝起き・正直・働き。より優しく豊かで健康な家庭と社会を夢見て、教祖の信奉者の皆さんは日々マコトの心を養おうとされていらっしゃるのでしょう。
ところで、世界一列をタスケル筈の教会本部はオツトメと(人集め・金集め以外に)具体的提言と活動は何をされているのでしょうか?
又、常人では覚束ない、奇跡的な救済を起こす筈の本部の勤め人衆の人選はどのように行われるのですか?
シンバシラ様のご神託ですか?
疑問ばかりですいません。
とてもこまっている代表役員 様
≪しっかりした意見交換の中に水をさすような投稿許しください。
≪とてもこまっている。代表役員です。
水をさされたとは全く感じませんから、どうぞご安心なさってください。
ご心痛の事、お察し申し上げます。
困っておいでの事情とは、コロナ禍の中で月次祭の信者参拝が無いので、上級教会への納金などに
お困りなのかと推察しますが、具体的には何の為のお金にお困りなのでしょうか。
宗教法人が雇用調整助成金が受けられる場合もあるとのことですが本当でしょうか。
整理すると、所属教会の代表役員さんという立場でのご心配は、自教会の経済状況が困難なので、
緊急の支援・貸付を探していらっしゃるということですね。
貸付には返済が待ち受けますから、緊急融資を受けても金欠地獄は先延ばしになるだけですね。
ぶしつけで非礼をお許しいただきたいのですが、食べる物にも困るという状況でしょうか。
仮に食料すら購入できないという状況ならば、信者さんに食料支援を求めるという道もありますね。
お供えが届かないから食べていかれないという場合は、飢え死にする前に「食料」を送って頂だけないかと。
お金をおくることに抵抗がある人でも、人は飢えそうな人を見殺しにするとは思えません。
食べることには困らず、上級への各種納金に困っておられるのであれば、上級へその旨伝える事が
一番の解決策だと考えられませんか。
「お供えが集まらないから今月は納金できない。」
と、プライドを捨ててでも事実を伝える。「事務的に」「伝える」のです!
上級には上級の役目がありますから、シンプルにその役目を果たしてもらうのが筋でしょう。
上級は本部に向かって、「お供えが集まらないから本部へのお供えも上げる事ができない。」
と、伝えるべきだと考えます。事実なのですから。
お供えが集まらないからどうしよう、と、考えるのは本部の仕事です。
何のための本部なのか。
これ迄順調に下からあがってきたお供えでヌクヌク暮らしていた人々。
これ迄「養ってあげていた」のだから、緊急事態にはしっかりその職責を果たしてもらえばよいのです。
下部組織の役員さんが、あわてて借金をするのは断固、止めるべきです。
繰り返しますが、信者だって馬鹿ではありませんから、お供えが集まらないから食べる物にも困っているという状況を見捨てるとは思えません。各地のフードバンクに心を寄せる人もいる社会です。
しかしながら、上級へ、本部へと運ばれる「お金」は一円だって出したくない(出せない)状況の人が社会には大勢いる事も忘れてはならないのです。
どうか、目を覚ましてください。
家族の命を守るための行動こそが、人として問われているのだと考えてください。
天理教組織を守るために、貴方様が借金をすることは、間違った行動です。
返済地獄が待ち受けているのですよ。
天理教組織で良く思われたいというプライドが邪魔するならば、そんなものはゴミ箱へ投げ入れてください。
困っている下部組織を救えないような天理教団は、世界助けの宗教とは言えません。
信用できません。
自己崩壊の始まりです。
若江の家では二代真柱の学友たちも入り浸り、専属コックの作る料理を楽しんでいたそうです。
バカバカしいほどお供えが浪費されていたのです。
それでも借金をなさいますか?
失礼を承知で申し上げます。天理教を信じながらでも仕事につくことは問題ないのですから、これを機に仕事を探す道も考えられたらいかがでしょうか。
私は家族を養うために、転職を繰り返し、何とか食べさせてきました。
いつも職場では底辺の立場に置かれ、つくづく自分は徳が無いのだなあ、と感じながら生きてきました。
しかし借金だけはしないように心がけてきました。返済能力が自分には無いことを知っているからなのです。
どうぞ、天理教だけの世界観という視野狭窄に陥らないよう、冷静に行動されますよう、お願い申し上げます。
失礼な事を書きつけました。申し訳ありません。
とてもこまっている代表役員 様
2020年5月9日 7:15 PM
不確かな情報で申し訳ありませんが、「法テラス奈良」に一度お問い合わせになられたらいかがでしょう。
何か糸口がつかめるかもしれません。法テラスは全国組織です。ちなみに、法テラス奈良のURLは下記の通りです。
https://www.houterasu.or.jp/chihoujimusho/nara/
とてもこまっている代表役員
2020年5月9日 7:15 PM
本部は各教会お供え停止、10万配布 などの措置を取るべきですね。困った時に助けてくれない本部はもういりませんよね。遺脱したら、お供えや各会費は払う義務はなくなるので離脱されてはいかがでしょうか?良い機会ですよ。【金の切れ目は縁の切れ目】と言いますからね。
【金の繋ぎは命の繋ぎ】困った部内につながない本部を意味している言葉だったのでしょう。
中山大亮に対する某会長さんのツイートより
>>4月12日
教会長です。今月破産しそうです。大亮さん助けてください。今までお供えしてきました。
貸付でも良いので何か手をうってください。よろしくお願いします。<<
そして大亮は完全無視。
ぶれない搾取体質そのままです。
信者のみなさん、世間の皆さん、これが「せかいをたすける教団」の次期真柱の態度であり、本性です。
この若造、まだ後継予定者にもかかわらず、
噂ではたった一日巡教に赴けば、数十万の御礼を手にするとか…
とてもこまっている代表役員 様 、
うちの実家の両親の教会も普段ただでさえ貧に落ちきっているのに、
このコロナ禍で大変困窮しております。
もう本部や上級にお供えはもちろん、教会費、支部費等を支払い拒否しましょう。
最終的には生活保護を申請するしかないのではないでしょうか?
ここはなんとか生き延びねばなりません。どうか乗り越えてください。
教祖の教えは、ひとをたすける教えではなかったのでしょうか?
しかし、この組織があるだけで、人を苦しめてるではありませんか。
もうほんとに、天理教って何なんでしょうかね……..溜息
親だ親(理の親)だと言いながら、
天理教の親(理の親)は子供に金を無心し続け、都合が悪くなると無視をするネグレクトであり、
普段は理の親に何事においても絶対服従を強いる精神的DV野郎であり、
いわば児童(理の子)虐待のオンパレードですね。
皆さんいちれつ会を御利用になられて学校を御卒業されたのですか?
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(4)大本教の発展と王仁三郎
大本教の出口王仁三郎こそ、この類似宗教を盛り上げた立志伝の男である。若い時には是も稲荷下げだったのである。それが出口の直婆さんが艮の金神に乗り遷られている處へやって来て、直婆さんにうまく取り入ってしまったのである。この時分には直婆さんは金光教を信心していたのであるが、王仁三郎が少し神道の知識を持っていたので直婆さんの出まかせの説法や御筆先を解釈したのであるが、大正五年になって元海軍機関学校教授文学士浅野和三郎という人が入って来て、いよいよ物々しく堂々としたようなことを説きだした。そこへ欧州大戦で財界に金の波が打ち寄せたので、いい機会に恵まれて太ったのである。大正十年には第一次の大本教事件が起きているが、それから七ヶ年間も京都地方裁判所、大阪控訴院さらに大審院と係争していたが、昭和二年に禁固五年の前審判決が「大赦により免訴す」と破棄されてしまったので、王仁三郎は大本教再興にとりかかった訳である。
天理教の今度の事件でも、松村吉太郎氏が取り調べられて本部に帰って来て、「天理教の目覚ましい発展には節というものがあって、その節の時には何かしらの弾圧を受けるが、ちょうど来年は五十年祭だから・・・」などという逆宣伝的なことを「天理時報」という天理教新聞に書いて、抜け目のない事を言明しているが、大本教の第一次の事件の時も王仁三郎はこうした逆効果を大言壮語していたものである。この太々しい態度が実は信者に大きな感銘を与え、狂信に拍車を加えるので、こうした点からしても宗教の経営というものは、例の一時流行した映画俳優の逆宣伝の古めかしいインチキ性を具えているということを見逃してはならない。
大本教の金の集め方は、天理教ほど露骨で信徒一本槍ではなく、いろいろの会を作って会費だの献金だので搾取しているのだが、最近では右翼団体の力を借りて昭和神聖会というのを作っているし、蒙古の紅卍教と提携しているのは周知のことで、満洲方面に於ける天理、大本の進出は一体何の為にやっているのやら訳の分からないもので、王仁三郎はヂンギスカンの様に馬に乗って蒙古入りをやったし、天理教の中山管長は満洲へ行って、伊東ハンニという、いずれも皆様御存知の札つきに喰いつかれて金をとられているし、天理教の海外布教ナンセンスや、大本教のエスペラント一口話や、××にオベッカを使ってマサカの時に・・・の褌の当て外れ等のお笑いの一席は別の機会に譲るとして、兎も角も、金のうんと有る天理、大本がファッショや其の後盾のコンツェルンやトラストやと同じような投資をしている有様は、内地の信者の血の出るような献金が一旦丹波市や綾部へ集められて、海を渡って行くスヂミチと同じ一つの途をたどっているのに注意してみると、決して農民や労働者や小商人の真の救いの道ではなくて、むしろ其の逆であることに思い当たらねばならぬ。
第一次の大本事件の後に王仁三郎に逢って話を聞くと、傲然として「世間ではワシの×ぐらの上の方をいぢくりよるから、段々固うなるんぢゃ。その下の××をギュと握られたら御陀仏なんぢゃがな」とカンラカラカラと笑ったというが、王仁三郎という男は剽軽な漫才師みたいな男で、この一面が信者を捉えているらしいが、元は稲荷下げが、多少とも神道に通じているくらいが関の山なのに、よくもあんなに金を集めたものだと言われているが、何にしても王仁という男は人気者である。
天理教には、松村吉太郎という王仁に匹敵するエライ人がいるが、松村の方は陰性で、是も何度かクサい飯を天理教の為に食ってきた怪傑で、今は表面は大教会長なのだけれど、娘が管長の夫人になっている等、教内の勢力は大したもので、事実誰よりもこの男が一切を切り盛りしているのである。冗談口もあまり叩かない、どこか安達謙蔵に似ていて(似ているどころか安達と天理教は今では切っても切れない、いい仲なのだが)王仁とは全く反対の仕事師である。この人物の相違は結局のところ、王仁の産業資本式の軟らかさと、松村の金融資本式の進歩した事業化のタイプがみられて面白く、教内の組織などもそうした相違を持っていると観ていいのである。<<
この時代すでに、天理教の海外布教ナンセンスなんて言われてしまってて笑えます。王仁三郎について読んでいて、柏木庫治を連想してしまいました。
「こつまなんきん」をアマゾンで探してみましたが、見つかったのは文庫本と映画パンフレットだけでした。DVDはおろかVHSさえソフト化されてないらしく、動画サイトで断片を見ることもできませんでした。映画は続編も作られており、テレビで放映されたことがあるのならソフト化の可能性もゼロではなく、いつか観てみたいものです。
匿名
2020年5月9日 10:42 PM
法人長を勤めていると生活保護はもらえないと思います(地域によりますが)一般的に、所有の財産(土地建物を含む)がある場合は無理です。それに宗教法人というのは厄介でして何かと面倒です。手続き上最も簡単なのが、包括関係の解消です。
コロナを契機に天理教と名乗る新興宗教団体実質中山教団には他人を助ける能力はないのは分かったのですから、速やかに独立するのがお勧めです。
教祖も「皆独立するコロかナ」です。
そもそも親子関係を提唱している教団が何故子供の組織孫の組織の独立を望まないのはこれもおかしな話です。全ての分教会、大教会独立したら良いのです。
親だ親(理の親)だと言いながら、
天理教の親(理の親)は子供に金を無心し続け、都合が悪くなると無視をする<<
本当にそうなんです。大教会は勝手のいい時には連絡をよこしてきます。しかしコロナで社会全体が貧困化し、下々の教会も同様に苦しい段階に入っている事くらい容易に想像できるはずなんですが、何のお伺いも一切御座いません。親なら子の状況を案じる電話の1本あるのが普通だと思います。今回コロナ社会となり、世間では親は遠く離れて住む子供達に事ある毎に様子を聞いて、心配したり、安堵したりしていてそれが当たり前の情です。
天理教の場合、コロナではお金にならない。お金にならない事例には情も関心も向けないと言う心情が今回手に取るようにわかりました。こういう態度で今後、親だと大手を振れるのでしょうか。今まで再々連絡をよこしてきたのは集金業務のための口先三寸だったのかと思ってしまいます。
信者です。いちれつ会で学費を多く天理教側も支払っていくんだろうと思います。私はいちれつ会を利用していません。
いちれつ会を御利用になられて御卒業された方もここにはおられるのではと推察します。
本来皆で若い人々の学費を分担して負担を減らす制度のようです。
でも卒業をして就職をされて、皆さんが天理教を叩くことで、いちれつ会の存続に必要な資金はどうなっていくのでしょうか?
集まった御祝いをいちれつ会に寄付されたと記事にありました。
コロナであろうといちれつ会として出ていく費用はいるでしょうし、他にも寄付をされていると思います。
皆さん、もしもいちれつ会を御利用になられて御卒業されらなら、若い世代を追いこむことなく御自分の学費としてかかった分をお供えしていただけませんか?
お供えで育ってこられた方も多いでしょう。
御自分の生育にお供えの支えがあったことをお考えいただけませんか。
お供えで支えて下さい。
私もお供えを自分の出来る範囲でさせていただいています
教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたいます。
天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。
余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。
お供えしていただけませんか。
私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
先ほどから、やたら「お供えしてください」を連発して、サブリミナル効果でも期待しているのでしょうか?
お供えは、今まで十分にしてきました。正しく使われていたなら、今でも本部は困っていないはず。
間違ったところに湯水のように使ったから、いま困っているだけのこと。
自分の生活が一番大切なので、もうお供えはしていない。
今回の新型コロナウィルスの蔓延は、今までの価値観を根底から、行動から変えることで防ぐことができるウィルスであることを思うと、すべてをコロナのせいにして、自分の行動を変えることができるまたとないチャンスだということも出来る。
すべての人が立ち止まって考える機会が外から与えられたということは、何か意味があると思わざるを得ない。
震災へも多額の寄付があったはずですよね。最近の震災でも寄付はされていたと思います。
ネット情報によって様々な使われ方をされていることは、嫌でも目にします。それは間違っていると私も思います。
しかし誠真実の心で天理の教えを守られている方々を救っていただけませんか。
その方々のためにお供えいただけませんか。
「誠真実の心で天理の教えを守られている方々」って誰のことですか?どこにおられるのですか?
実態の不明確なことに大切なお金は出せません。
寄付する側にも責任があります。本当に世の中のためになる使い方がされるのか?反社会的勢力にそのお金が流れることはないのか?など、自分がお金を出すことには慎重になるべきです。
天理教にお金が集まらなくなることにより、本当の意味で救われる教団内の人が多数いると思います。
言い換えれば、自分の足で立ち、自分の頭で考えて、自分の意志で生きるチャンスだということです。
>>しかし誠真実の心で天理の教えを守られている方々を救っていただけませんか。
その方々のためにお供えいただけませんか。<<
誠真実の心でした「お供え」を「誠真実」の心で受け取り、「誠真実」の為に使うためには、一体、誰が管理監督したらよいのでしょう?
それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。
「天理教」教会をする事で自力で生きて行けない苦境に陥入ると言う、その教会制度そのものに大きな問題点があったと思います。今回のコロナで教会は人のお金をあてにせず生きる方向性を模索するその機会を見せられたと思います。
↑の匿名様。自分の事は自分でする事です。この天理教制度では自分の事が出来ないのに上納してきました。その結果いちれつかいと言う機関から援助を受けざるを得ない状況に自らを追い込んでいるんです。そんな援助をあてにしないで、自分の事は自分でする事を学ばねばなりません。教団本部の様に人のお金に頼る組織制度をガラガラと解体して、健全な組織に作り変えることこそ急務です。下から上へと無条件で強制的に流す天理教のお金の流れ方がおかしいんです。
これからは人のお供え金をアテにしないで自力で働いて下さい。今は仕事先が見つからないかもしれませんが、みんな世間では苦しみながら自力で生きています。教団組織のお金の流れの間違いに早く気づき、自分達扶育生の為のお供え金をして下さい、だなんて乞食根性を出さない事です。上納制度をやめればいちれつ会もいずれ不要になるでしょう。
考えは改めて
>>皆さんが天理教を叩くことで、いちれつ会の存続に必要な資金はどうなっていくのでしょうか?<<
お供えによって貧困に追い込まれなければ、いちれつ会も必要無くなるとおもいます。入学金や学費をお供えされて進学の道を断たれた者が、どれほどいることか。
>>集まった御祝いをいちれつ会に寄付されたと記事にありました。<<
自分が働いたお金ではありませんから、痛くも痒くもないでしょう。
>>教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたします。<<
ただ一言「働け!」。どうしてもイヤなら、せめて托鉢に歩いてください。
>>天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。<<
「天理時報」お得意のプロパガンダ記事ですね。
>>余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。<<
余裕が無ければ人助けもできないような宗教なのですか?
>>天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。<<
教典、教祖伝、逸話編、おさしづ、その他なんでもネットで閲覧できますよ。むしろ純粋に教祖の教えを学ぶことができるかと。
>>それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。<<
信者を名乗ってはいますが、どうやら本部の工作員のようですね。真面目に議論する価値も無いように思います。
匿名 様
2020年5月10日 11:36 AM
>>それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。<<
過去からの「お供え」も親神様が、お考えになられ、おやさまが導かれたのでしょうか? もしそうであれば、天理教は宗教と呼ぶにも憚られる体たらくの状態になっていなかったはずです。今まで、法外な意味の無い「お供え」を強要されて、自殺者や犯罪者までだしてきた事実を今こそよくよく振り返るべきだと思います。
>>教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたします。<<
と投稿された匿名様。
私も教会ですが、そんな甘い考えが普遍的に世間に支持されるものではない事を早々に悟りました。自力で働いてきたから人のお金に頼らず生きる底力も持つ事が出来ました。乞食根性は神は褒めてはくれませんよ。自分の足でしっかり立って下さい。
働きましょう。這いつくばって働きましょう。人の援助を貰うという甘い考えが明るい未来を呼び寄せない事は、人のお金をアテにした現教団の廃れぶりを見ればお分かりでしょう?
いちれつ会の基金は二代真柱の結婚祝いの金やで。
ちゃんと調べな。
天理高校二部は返金いらんしな。
各組織や活動の経緯を知り、理解してからお供えだなんだと宣うんだな。
現在は残っていない部署もたくさんあるでな。
農村地域の布教推進の部もあったしな。
教えの元を辿るなら、並行して組織の元も辿らないと、上に良いように使われるでな。
気ぃつけや
いちれつ会に流れたお供えを支えていた一般信者の私iは、高校生の時からアルバイトで学費をまかなっていました。だからか、授業中は居眠りでした。
高校一年全員で受験した結果、IQが182あり、教師からは大学進学を勧められましたが、結婚資金をためて早く家から独立せよと、耳タコのお説教を聞かされて育った身には夢物語でした。
一信者の自分は「いちれつ会」なんて存在も知らされず、今日に至る迄、つまりは我が子も姪も甥もバイトに励んできました。
ずっと貧乏です。信仰していても、ですが、それは仕方ない事と思っています。やはり大学へ行かなかったことで自分の世界が決まってしまう現実は、そのまま受け止めています。教会長夫人さんがお茶会をやったり、飲み会に出かけたりとグルメ生活をされる話を別世界の事と仕訳して心穏やかに生きてきました。
「お供えしてください」との寝ぼけた書き込みを拝見して、これは黙っていては判らない人もいるのだと考え、ここに書き込ませて頂きました。
いちれつ会の皆さんは十分に恵まれた存在だと知ってください。
学費が足りなければバイトしてください。
世間では当たり前のことです。
いちれつ会のお陰で高等教育を受け、社会でも仕事に成功している天理教の有名人はどこに隠れているのですか?今こそ、ご恩返しをして下さい。演奏会なんて開いたところで、それは皆さんの自己満足にすぎません。
天理時報に顔写真が載るような方々こそ、いちれつ会の資金を自分の懐から出してはいかがですか。
「お供えしてください」と書き込まれた方へ一言、
貴方はこの機会に既に「なっしょう」されましたか?
貧のどん底に落ちるには絶好の機会ですよね。
まずは自分ができる事をやってください。
今は世間の人々でも、必死に自分ができる事は何か、考えて考えて、実行している時なのですよ。
お供えに乗っかって、いかにも立派な事を言うだけでは、もう、誰からも相手にはされませんよ。
あなたの貯金通帳が残高0になる日が来れば、貴方の主張に耳を貸す人が現れるのです。
売れる物はすべて売りつくして下さい。
私は売れる物を売りつくすことを高校生の時から実行しています。
高卒で入社した会社へは初めての給料を頂くまで、高校の制服で通勤しました。
これは高度経済成長期での実体験です。勿論、恥ずかしかったですよ。校章だけは外しましたが。
本部で結婚式を挙げるカップルの、なんと、恵まれたことか!と、思います。
恵まれた人には下々の状況がピンとこないのでしょう。
大亮さん夫婦の正月の写真をインスタで見ました。
子供に鏡餅のコスプレをさせていました。普通の夫婦をやっていられるんですね。
のんきな親子の姿を拝ませて頂きましたよ。
ばかばかしい教団です。
匿名
2020年5月10日 8:02 AM
>>天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。お供えしていただけませんか。私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです
教団(中山体制)がある方がむしろ天理教が学べなくなります。中田善亮の「金の繋ぎが命の繋ぎ」発言から明確化し確信に至る「天理教と中山家の乖離」コロナ禍での対応の遅れ怠慢、そして無支援でハッキリしてきたのではないでしょうか。このままでは末端教会は相当数消えてなくなります。競売物件も多数出ています。それに天理教は教団よりも今やネットの方が情報量も多く虚実様々でしょうが検証して行く方が教義の革新に触れられる機会が多いですよ。
教団存続を願う人も居ると思いますが、コロナで末端教会はおろか大教会なども危機に瀕したこの最中に支援金の一つ優遇措置の一つも打たない中山家は、教団存続を願ってないでしょう。本心は潰すつもりです。潰すつもりが無ければ今までの体制も無かったといえます。これは抗力か不可抗力かは定かではないですが、教団が縮小し消滅する流れでは、資産の取り合いが始まります。現におそなえとか託けて、無担任教会の(被包括法人の土地の没収)を開始してますしね。
もう終焉は始まっているがその終わるまでの期間が膨大に無作為に広がった教団ですから時間がかかっているだけです。
真面目な人ほど馬鹿を見る状態ですので、信者の皆さんはご自身の資産の確保だけに目を向け、今や金集めに奔走している中山家の餌食にならぬよう気をつけてください。
皆さんのおかげで踏ん切りつきました。
何とか生きていけます。
有難うございました。
とても困っている代表役員様。
先程投稿した教会長ですが、困窮している事実を率直に上に直訴すべきです。教会会計のあらかたを説明してこれだけしかないからもう無理、と言うべきで、上納金の性質はこちらの胸三寸です。義務ではないです。
コロナ禍で世間も困窮しています。今こそ拒否出来る潮時です。代表役員様が貸し付け等の目処がついたと言うなら取り敢えず安心ですが、借りたお金の中からまた上納すると言う事だけはしないで下さいね。とにかく今後お供え金はストップです。当方、実行しています。仲間はいますよ。
神様からの罰など何一つ受けていません。家族も幸せに生きていますから取り敢えず安心してお供え金をストップしてくださいね。
お互い今まで散々苦労してきました。残りの人生、新しい未来を見ましょう。天理教に踏み潰されるなんて犬死にみたいなものですよ。
久しぶりの投稿です。
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
『アルバイト中にひき逃げ逮捕された天理教幹部の意外な窮状』
2月28日に東京葛飾区の某教会長がアルバイト中にひき逃げ事件を起こし逮捕された事件の記事で、記者が「なぜ天理教の幹部ともあろう人物がアルバイトを(しなければならないのか)?」と教団本部に問い合わせたところ、
「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事をしている教会長も多数います」(広報担当者)
とのこと。
(「天理教」「ひき逃げ」で検索すれば記事が出てきます)
末端教会の経営状況や資金的窮状は、私自身も経験しよく理解しています。
しかし、このように本部広報担当者が「お供えは教会の収入」と公言してしまう呆れた現状において、いくら「いちれつ会」や「憩いの家」「各種学校法人の運営」に一部回されていると言っても、素直に「お供えします」とはなりませんよ。
そういう施設や団体への寄附であれば、自分が応援したいと思う施設に直接寄附するなり送金すれば良いだけです。勿論、それらの施設や各種法人の役員には「中山家」を始め教団幹部のお歴々が名を連ね、殆ど何もせずに一定の報酬や手当を受け取っている事は明白ですけれども。
10万円、もうすぐもらえます! さて、本部は、この国からの支給金をお供えさせるのでしょうか?
信者10万人で10億ですよ〜 30万人で30億ですよ〜
このお金は税金です、ある意味、親神様からの、給付金かもしれませんよね?
このお金を、また、親神様にお供え返しさせるのでしょうか?
私個人は、この給付金を、そのまま、お供え袋に入れさせるような、そんなことを
本部や教会長が言ったら・・
全力で、ネットなどで告発して非難対象にしますよ〜
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(5)信心で病気が治るか?
昔、佐竹のお殿様が病気になって、山田正珍という医者が治療していると、よくあるやつで脇から行者に御祈祷を勧める者があった。正珍先生マユをひそめて、怪しからん奴だと思って「そんなこと、まかりならん」と言った。すると今度は行者がノコノコ正珍先生の家へ来て、ぜひ殿様に御祈祷をお勧めしてくれと、クドクド言うのである。「では明日、殿中で貴殿の法力を試してから、させるかさせないか決めよう」と言って帰した。
翌日、正珍は紫圓という薬と、その解毒薬を用意してお城へ上った。行者は勿論、身分ある武士の紹介で、お城の中に入って殿中で待っていた。正珍が言うには「貴殿は、殿様の病気を治すぐらい何でも無いと言ったが、それが出来るなら、人を殺すことも出来ようし、それが出来なんだら、せめて腹痛ぐらいは起こさせる法力があろう。そこで今この場で、拙者を祈り殺してみせるか腹痛をさせてほしい。その代わりに今、拙者が飲ませる薬を飲んでからで、この薬は間違いなしに腹痛が起って、ついには死んでしまう薬である。こうすれば貴殿は法力、拙者は医術で、術比べができるわけだがどうだ」と言うと、自慢の鼻の高い行者は承知をした。が、行者がようく考えて見ると、ちと分が悪いのである。「どうぞ」と薬を出されてみると、「しかし」と尻込みせざるを得なかった。「卑怯だぞ」と正珍が一喝したので仕方なく薬を飲んだ。そして九字を切って、お経を読んで呪文を唱えだした。處で行者はキイキイ腹が痛んでくるのに、正珍先生キョトンとして別に痛くも痒くもないのである。しばらく拝んでいたが「ちょっと失礼」と言って厠へ立つと、行者は下痢をやってますます腹痛が激しく、廊下まで這い出して来たが七転八倒している。そこで正珍は「もうよかろう」と、解毒薬を与えて籠で行者の家へ送り届けてやった。
いくら行者でも劇薬には叶わないのである。その理と同じで、行者が必ず病気を祈って治せるとは言えないのである。行者が祈って治る場合がある。医者が博士であっても薬を盛っても治らない場合がある。これは屁理屈ではなくて、実際日々に我々の身辺で、見たり聞いたりしていることである。
これは外国の話であるが、ある山国の医者の薬局にモルヒネと重曹とだけが、ひどく盛んに使われて、他の薬は一向使われもしないのに、その医者は名医だと言われて、事実患者を大して盛り殺しもせずに、褒め称えられたという話がある。これは本当のことで、モルヒネと重曹を上手く使いこなせば大抵の病気が治せそうだと、僕の友人の博士が笑って話していたのだから、途端に医者というものも頼りないものだと思ったことがあった。
自然の療能──という難しい言葉がある。一口に言えば、病気は勝手に治るというほどの意味を持っており、も一つ詳しく言うと、人間の身体の一部分が患っても、他の大部分が完全であると、だんだんとその患っている部分を治して行くもので、よく「日にちが薬」即ち安静にしているのが何より薬という諺がある。これは間違っていない本当のことであるが、この事を殊更病気を治す第一の根本原理のように考えている医者もおり、宗教家もおって、この人たちが、とんでもない噓っぱちなことを言ったり、したりしているのである。
また一つは精神療法というのがある。(この精神療法というのは催眠術のようなものをいうのではなくて、なかなか難しい理論があって本当は別の言葉があるのだが、この話の中では仮に精神療法と言っておくのだから、ものの分かった人は誤解しないようにして貰いたい)これは自然の療能の兄弟分みたいなものであって、これも絶対に治らんとは言えないが、限りがあって何でもかんでもこれで治ると思ったり、言ったりしているのは間違っているのである。
今いろいろ流行っている宗教というものは、大抵病気を治してから信者にしてしまうのである。治ったら有難いし、治らなんだら信心が足らんと言って引きずり込むし、こんな重い病気が治った、あんな大病も治ったということを聞くのである。また一方では病院が患者で満員で、急病の重い寸時を争う患者が入院できないとし、甲病院で難病だと言ったのを、近所のお医者が四日ぐらいかかってケロリと直したというし、乙病院の見立てと丙病院の見立てとが反対で、一方は心臓だと言うと一方は子宮が悪い──ままよ、と捨てておいて、ラジオ体操をしていたら治ってしまったというのがある。
こう書いてみると、ヨタのようであるが、じっと皆様の身辺で見たり聞いたりしたことの記憶を辿ってもらうと、決してヨタどころじゃなくて本当の話である。ヨタのようであるが本当だ。そうすると、ヨタと本当が入り混じっていることになる。で、どんな点がヨタで、どんな点が本当だろうか?
教会所で病気も治るし、病院でも病気が治る病気もあれば治らない病気もある。つまり限度というものがあって、教会所でやっていることは、前に言った精神療法と自然の療能の一手販売であって、薬を出したら法律で罰を食うのだから、これは法律によっても出来ないのである。
また病院では、エライ博士や科長さんがいて、ここでは精神療法と自然の療能と、そして薬と手術とその他いろいろの治療を受けることが出来るのであって、教会所より病院の方がいいに決まっているのだが、この病気や先生や科長さんにも限度があって、絶対に治し得るという保証はできないこと、これも分かりきったことなのだが、案外こんなことが間違って考えられているので、これを信じすぎるとヨタになるのである。
博士にも誤診がある。だから、ラジオ体操で治るのである。病院でたとえ治らぬと言われても、天理教や「ひとのみち」で治る、即ち精神療法と自然の療能とで治る場合がある。サイコロを振って丁か半かみたいに一寸見えるけれど、これは決して偶然に治す方法へ落ち着くのではなくて、治るのが必然であったから治るので、死ぬという必然性のある者は、世界中の病気を飛行機で駆けずり回っても死ぬので、これはヨタに見えて、本当の話なのである。
だから宗教で病気が治せるのは、ほんの一寸した小さな部分だけなのである。その一寸した小さな部分を、まるで門口も奥行きも広いように言い立てるインチキ性が宗教の特色であって、正珍先生と行者の話のように、てんで比較にならぬような力しか持っていないのである。重病が治って不思議に見えるのは、宗教が治すことの出来る一寸した小さな部分が、たまたまこの重病を治すべき唯だ一つの方法であっただけで、この重病人は良い医者が診て治療をしていたら、きっと重曹ぐらいを飲まして何の苦も無く治してやっている筈である。それに注意しなければならぬのは、近頃の医者は金がとれないと見ると直ぐ信心を勧めて逃げてしまうのである。「薬だけでは治りませんから、何か信心してみたら」なんかと、イケしゃあしゃあと言うのが沢山いるのである。ところがこの病人は薬代や診察代が払えないのだから、勿論宗教にも行けないのである。宗教には医薬以上のお金がかかるので、一体こうした気の毒な我々というものは、如何して病気を治したらいいと言うのだろうか。<<
私は今でも自分の身に起きた奇蹟は、神様のおかげと信じていますが、その神様は「天理王命」などという名ではないものと確信しています。
誰か知らないけど、擁護派意見は書き込ませないのは酷いなぁ。
いろいろな人に書いた返事全て消すとは。
何故天理教擁護派の意見は書き込ませないようにするの?
匿名
>>2020年5月10日 10:07 PM
消えたのは何かの間違いかもしれませんよ。
是非、擁護派の論理的かつ建設的な意見をお聞かせください。
ところで、こんなサイトができたんですね。
https://www.nisei.online/
https://www.nisei.online/post/天理教の家に生まれた天理教%EF%BC%93世の悩みと教えの矛盾に気がついたきっかけ
加藤ハルアキ様より孫引き
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
↑ これは、一体誰が書かれたものでしょうか。なんとも身勝手な方だなぁ、と思いました。これ又、問題発言にならなきゃいいが・・という気さえします。
「私は信仰の場を失いたくないですから、この私を支えて信仰を続けさせて下さい。」
と言われているのですが、こうした信仰は、果たしてホン物といえるでしょうか?
ここに、少しばかり勘グリを加えて申しますと、「私は、聖なる<乙女の祈り>を捧げたいのです。ですから、どなたかこの私をカツギ上げて、汗水垂らして得たあなたのパンを私に持って来て下さい」
となりかねません。
私は、信仰と言うのは、たとえそれが神に礼拝をするというだけであっても、石に噛りついてでもする、神を敬い拝することは、どんなことがあっても何としてもやり遂げる、という強い決意のもとで行われるのではないかと思うんです。
お供えがなければ学ぶ機会が失われるというのは、ニセ物の信仰じゃないですか?
あなたは、労働に汚れていない美しい手をしているのですか?だったら、勇気をもって、労働で手を汚して下さい。手を汚したあと、神を拝されてはどうですか?その方が、労働をしていない美しい手で拝するより、神に歓迎されるでしょう。手を汚したために、信仰の機会を失い、神信心続けれなくなったとしたら、それはそこまでの信仰 (その程度の信仰) だったということですよ。
私は信者です。お供えをいただく方ではありません。
私が天理の教えに固執するのは、一部の人しか見ない世界を見ているからです。
だから自分がお金がほしいからでもなく、自分がお供えがほしいわけでもありません。
どういう世界を見たのかは言えませんが、天理の教えが必要だと思っています。
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
ぶたまんさんの意見に同意です。
いくら「貧に落ちきれ」と言われても、
本当に乞食になってしまってはあきまへんわ.。
まあある意味本当に貧に落ちきっいるのは(精神的に貧しいという意味で)
人の金をあてにして、お金くれくれくれくれ言うてるお供えで生活を保護してもらっている幹部、大教会長、大きな分教会、理の親達ってことですなあ。
末端の多くの教会は、信者さんのお供えで経済が成り立っているのではなく、会長家族の収入で成り立っているのが現状です。
匿名様、そこまで心配されなくても大丈夫ですよ。
それから
>何故天理教擁護派の意見は書き込ませないようにするの?
ですが、私も擁護派です。
ただ、擁護派と言っても、教祖擁護派・教団擁護派・組織擁護派・本部擁護派・中山一族擁護派と
いろんな擁護派がありまして、それぞれが何故擁護しているかを、述べて頂ければ良いなと思います。
また、間違っていると思う所も述べて頂ければと思います。
次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
私一人でお供え出来る金額には限界があります。
天理の教えを守らないといけないです。
>>天理の教えが必要だと思っています。
天理教の教えが必要だといいうことと、
御守護と金銭をリンクさせて搾取することは別問題。
稿本天理教教祖伝逸話篇№178 身上がもとや の「金銭は二の切り」の話も
捏造教理、偽教理だと断言できるでしょう。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/364271046.html
教団本部は実に姑息でせこいことにこの逸話編№178において、
以下の文言でしっかりと本部の公式ではないという予防線をはっています。笑
「これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。」
ちなみに何度も投稿しておりますが、教祖のおっしゃられた金銭については以下参照。
『おさしづ』における「金銭」についての神意
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。
心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。
これだけよう聞き分け。
おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
思うよう〈に〉成るも「いんねん(因縁)」成らんも「いんねん」。
皆んな(みんな)だん/\「いんねん」知らず/\越せば、どんな「いんねん」が持って出るや分からん。
どねしても(どのようにしても)成らんが「いんねん」。
金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが「いんねん」という。
おさしづ 明治23.8.26 補遺
これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。
おさしづ 明治34.5.25
〈神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない。
おさしづ 明治35.10.7
道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない。
おさしづ 明治37.7.15
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずく(尽く)で求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。
又(また)日々稼ぎという、皆(みな)働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩) まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え/給与)あるか、よう思やん(思案)せい。
おさしづ 明治40.4.10 (陰暦2.28)午後五時半
>>匿名
>>2020年5月10日 10:58 PM
>>次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
>>信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
>>私一人でお供え出来る金額には限界があります。
>>天理の教えを守らないといけないです。
ならば本部のどんぶり勘定の会計の公正化、透明化や、
お供えの恣意的な利用を糾弾し、それを改めることの方が先でしょうが!!
寝ぼけたこと言ってんじゃないよ!!
自分の子供は海外留学させたり、派手なパレードやレーザービームで散財したり、
アホか!!
私も会計は、もっともっと透明化すべきだと思います。
「破綻する大教会・・」等と言われますが、こうなったのも理由はあるのです。
つまり、不用なものは社会から排斥されます。これが社会の「掟」です。
天理教教団が社会の粗大ゴミになるかどうかは、私には判断がつきかねますが。(このことについては、関心ありません)
あなたは、天理教教理について言われていますが、見た目にとらわれている所はありませんか?壮麗な本部建物は、神の目から見ると、ひょっとして、バラックの掘っ立て小屋(ほったてごや)みたいなものかもしれませんよ。
匿名
2020年5月10日 10:07 PM
ここの人は中山教(中山体制)批判派ではありますが、ほとんど天理教擁護派です。中田善亮大先生のおっしゃることよりこちらのコメントの方が今現在の困窮や事件を的中させていますしね。
中山家がでっち上げた親神の存在は否定されてますね。親神と言う言葉自体おかしな日本語です。それに理の親構造組織の頂点に立つ中山家こそが親神ですからこれでは神様ご立腹ですよ笑
>>「破綻する大教会・・」等と言われますが、こうなったのも理由はあるのです。
つまり、不用なものは社会から排斥されます。これが社会の「掟」です。<<
私も同感です。無理やり残そうとしても、社会から受け入れられない物は排斥され、淘汰される。これが理でしょう。大教会が破綻する。本部が廃れる。社会が求めない掟としての衰退であり、いずれ消滅の道を辿るでしょう。
不要なものは排斥され普遍的なものは嫌でも残り続ける。神の為す天の理を見て破綻途中にある現教団の本質を深く洞察すべきです。
匿名様
>次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
全く恐ろしくはないですよ。「成って来るのが天の理」です。
神様がなさる事です。その先に、きっと明るい未来がある筈です。
>信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
大丈夫です。「ぢばは一人立ちしている」という言葉もあります。
何があっても大丈夫です。
>私一人でお供え出来る金額には限界があります。
そんなに頑張らなくても良いと思います。
>天理の教えを守らないといけないです。
天理教の教えは守らなくても良いです。教祖の教えを守って下さい。
古い教会長様
私達は守られたおぢばしか経験がありません。もう私達が生を受けたとき既におぢばは結界が張られて守られていました。24時間守られています。
おぢばは0地点とおっしゃる方もおられるそうですね。
出直すための入り口だと思っています。
ここが入り口でここから入っていくと、次の世界に行けるとそういう場所なのだと分かりました。
そういう場所だと分かっていなければいけまないと思うのです。
これは、人から聞いた意見ではなく、私が思っていることです。
日本にが聖地と呼ばれる場所が複数あります。守られていない夜の聖地に近づいた時、その場所一帯の禍々しい雰囲気に恐れを感じました。その聖地は空海が修行をした場所で、石仏もあります。
お宵の祭りがあるという情報で行きましたが、その場所ではなかったのです。
おぢばにもしも24時間結界を張れなくなってしまったら、どうなるかと思うとこわいです。
今先生方が守っておられ、先生方を皆で支えるということになっています。
祖霊殿も夜間本来開けるべきだと考えています。祖霊殿に関しての意見も知っていますが、開いていた昔の方が良かったです。
両方から結界が張られていました。
人としてどう生きるべきかという生の部分の天理と、出直すことを迷わないようにサポート出来る天理と、両方がしっかりしなければいけないと思います。
いけまない→いけない
日本にが→日本には
誤字すみません。
この世界に聖地など存在しません。人間というものは、所詮、弱いものです。何かに頼りたい、何かにすがりたい。という人間心理から、心の拠り所として、宗教や聖地なるものが作られたのです。真言宗の大本山である高野山奥の院にも、弘法大師空海が「生き仏」として祀られています。天理教教祖中山みきさんのように神格化され、毎日三度の食事やその他日常生活全般の用事は、高野山真言宗の僧侶が365日、毎日、あたかも空海が生きているかのように世話をしていますが、私は、毎日、天理教の教祖殿で「ご存命のおやさま」に対して行われている「お給仕」と同じようなものだと考えています。人間は、生きていくための心の拠り所として、自分達が立派な人物であると信じこんだ人間を死という現実をもって終焉させたくはないのです。いつまでも永遠に生き続けていて欲しいのです。しかし、それは大きな誤りです。人間やこの世に生きとし生けるものは、この世に生を受けた瞬間から老化が始まり、やがて、時を経て、死という終焉を迎えるのです。それが天然自然の真理だと思います。
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(6)「ひとのみち」と「生長の家」
──(天理教に関する部分以外を省略)──
天理教では財産は心の埃やアクタだから、そんな汚れたものは捨ててしまえと言うのであるが、捨てる所がちゃんと決まってあって、他所へ捨てたら何もならんのである。捨てる場所というのは丹波市の御地場の御本部へ──と、こうウマい仕組みになっているので、埃やアクタは他の社会事業や国防費や慈善に寄付したらアカン!逆さまに正しく言えば「財物は心の埃アクタだから本部へ持ってこい」と、こう言うのである。そうでなければ管長さんがデカイ税金を取られたり、かんろだいという一群のデカデカした本部の建物が丹波市にジャンジャン出来上がるわけはないのである。そして信心すればするほど、財物は本部へ持って行かねばならなくなるのである。
宗教商売というのは、何一つ与える必要は無いのである。こんないい商売は他にたんとある筈は無いので次々に興ってくる。そして、その新しいのは古いのと違っている点は、御賽銭の集め方が違っているだけだ──と、言っていいのである。だから古い天理教より、新しい「ひとのみち」の方は、また違った方法で本部にお金を上げる仕組みになっている。
──( 中略 )──
静かに考えて頂きたいのは、不幸が除かれ、或いは金儲けが出来た者だけが信心深いわけで、不幸が除かれず金儲けの出来ない者だけが信心の不足と──こう二つに別けて、さて金儲け、幸福というものが先に考えられて信心はそれを飾るだけのものだ。──こう置き替えると、不思議は無くなるのである。
宗教を信じなくとも、金儲けをする人はあるし、不幸でない人もあるから、信心の深浅とは別に関係がないのである。ここの明るい理屈を知っておらんと、要らんことをして損をするわけである。ましてや、お賽銭なぞ出せっこない不幸な人は、いよいよ宗教にすがったとて、直接に宗教からは不幸は救われないことを知るべきである。
宗教というものは、その持ち前の建前として、必ずこの世界中が、みんな自分の宗教で救われるということを大なり小なり言うのである。チョンマゲが男の頭の上にのっかってた頃は、海の外は皆ケダモノのような人間が住んでいると思っていたのだから、日本だけだったけれど、今ではそんなケチなことは言わない。世界中を、この有難い教えで包んでしまうというのである。ところでこの宗教というものは、この世界中に星の数ほどもあって皆お互いに、世界中を自分のに自分のにと広めていくのだが、救われる方だって、どれにしたらいいか迷うわけで、ある大新聞の「身の上相談」でも時々こんな質問をする人があるかして、エライ人が何處の宗教にも差しさわりの無いように答えたのを見たことがあるが、何しろ宗教々々と言ったとて、教祖や管長や先生たち、みんな人間で食物を食い(絶対に食わないで決して六ヶ月以上は生きていない)家に住み(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)着物を着て社会人として生活してゆかねばならない。だから宗教団体と名のついている人の集まりは、大なり小なりの経営ということが必要で、献金を受けねばやって行けない。前話した天理教の管長さんが多額納税者であるのなんか、いい見本で、大きくなった宗教など沢山献金があるわけであり、宗教それ自身としても、金が無ければ大きな宣伝は出来ないのである。とすると、宗教を広めて世界中みんな自分の宗教にしてしまうというならば、これと交互に信者を沢山、献金を沢山ということを計らねばならない訳になって、ここに宗教同士の競争が出来てくるのである。
現に筆者は天理教の大教会近くに住んでいるのだが、同じ近所に「生長の家」の出張所みたいなものが知らぬ間にでき、大きな看板を出して、時々集会をやりだしているのであるが、黒い服を着た、そして胸の所のポケットに笏を入れた天理教の女の先生が筆者の家へ入って来て、女中に教会へ説法を聞きに来いと勧めてくれるのである。
「あんたはん、お顔の色が悪いが病気やないのですか?ちょっと上がらしてもろて、ここでお話さしてもらいます」
筆者の家は狭いので、上がって来られたら仕事場へ座らせにゃならんし、座り込まれると仕事に差し支えるので、断って帰ってもらうと玄関へ出て行ったのである。ところが、その先生というのは筆者の女中より、もっともっと顔の色が悪いのである。
──( 天理教に関する記述はここまで )──<<
まだ続きはあるのですが、他にテキスト化を急ぎたい資料もあるので、ここまでにします。興味があれば、デジタル資料を見てください。PDFファイルでダウンロードも出来ます。
社会科学から見た新興宗教の暴露
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097310
「結界」という言葉を使うという事からわかるのは、天理教の教祖の教えからは離れた信仰ですね。
信教の自由は憲法で保障されていますから、どうぞご自由にご自分の考えを開陳なさってください。
どなたかが擁護派の投稿は消されると書いていますが勘違いだと思いますよ。
もしもWindows使用で、書き込みしにくい時は、まず「メモ帳」に入力し、コピペでコメント欄にうつしてください。
消されるのはヤフーの知恵袋ではないですか?
真剣に質問してくる方もいれば、真剣に答える方もいて、貴重な場なのですが、回答するベテランの文言が意味不明というか、舌足らずというか、頭をひねる事が多いのです。
知恵袋では「消されてしまった!」とまじめに回答されている方からの書き込みを最近も読みました。
社会学ではどちらかというと嫌韓・嫌中派が論破されている感じじゃないですかね。
教祖の教えからすれば、さもありなん、なのでしょう。
今日もまた、ライブカメラに黒い着物姿が。結婚式で感染したら、シャレにならんと思いますが・・・。
けっかい
神殿の上段前にある木で作られた仕切りのことかな?笑
天理市がお買物券を配布するそうです。
地元の店で1000円の買い物で500円分使用可能。1世帯5000円分配布。
天理教から市への寄附金の一部がこうして市に回るんですね。
まあ、天理教の土地建物が非課税で、教会本部も寄附金の使い道には関知しないので文句を言うつもりはありませんが、信者のお供えがこういう形になっているという事実があります。
財源の出所が違うとか言われたらそれまでですが、本部と市は密接な関係ですから、まあ、色々と意見はあるかと思います。
>>何しろ宗教々々と言ったとて、教祖や管長や先生たち、みんな人間で食物を食い(絶対に食わないで決して六ヶ月以上は生きていない)家に住み(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)着物を着て社会人として生活してゆかねばならない。だから宗教団体と名のついている人の集まりは、大なり小なりの経営ということが必要で、献金を受けねばやって行けない。前話した天理教の管長さんが多額納税者であるのなんか、いい見本で、大きくなった宗教など沢山献金があるわけであり、宗教それ自身としても、金が無ければ大きな宣伝は出来ないのである。とすると、宗教を広めて世界中みんな自分の宗教にしてしまうというならば、これと交互に信者を沢山、献金を沢山ということを計らねばならない訳になって、ここに宗教同士の競争が出来てくるのである。<<
要するにそういうことです。宗教という「隠れ蓑」を被っていても、営利企業と同じなんです。しかし、営利企業と決定的に違う点は、営利企業は、自らの営利の為に、新規の発明、発見やそれに伴う商品開発で、世の中に多大な貢献ができるということです。しかし、宗教は信者から多大な賽銭やお布施、お供えを巻き上げて社会に何も還元できない。また、信者を救うどころか苦しめることしかできないということです。(この世に存在する全ての宗教とは思いませんが)。私は宗教を全否定はしません。しかし「当たらずして遠からず」が現実ではないでしょうか?
崩壊様
聖地は存在します。空海なのか、役小角なのか、おやさまの他にも存命で守っておられる方々は存在すると思います。
御本部でおやさまの元、まだ出直しておられない方々は大勢いらっしゃると思います。
あらき棟梁を山に連れていけと言われているのは、山に聖地があり、聖地の中で触媒に出会ったように感性が強まるんです。
私の考え方が天理教ではないと言われても仕方ありません。
私は自分で神様とのつながりを見つけていこうとしていますから。
おぢばは力を持っていて、私には先生方が守っているように見えます。
信仰1代目の我流の信仰です。
>>私の考え方が天理教ではないと言われても仕方ありません。
>>信仰1代目の我流の信仰です。
ならば天理教である必要はない。
あなたが開祖になって宗教団体を起こせばいい。
古い元教会長 様
2020年5月11日 8:57 AM
<<匿名様
全く恐ろしくはないですよ。「成って来るのが天の理」です。
神様がなさる事です。その先に、きっと明るい未来がある筈です。>>
「なってくるのは天の理」はいったいどこから出てきた言葉ですか?
おふでさき、おさしづ にありますか?
おさしづには 「なってくるのはいんねん」 と教えてくださっています。
神様がなさるというのは、うぬぼれです。
この宗教はバリバリの現世利益であり、願い通りの守護ではなく、こころどおりの守護なのです。
なんでも 「なってくるのは天の理」 というのは、人間のおごりだと思いますが・・・・・
入力ミス発見。
誤、──(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)
正、──(山や野でうろついてばかりいたら浮浪人)
まずワードパッドで編集して、読み上げソフトに読ませてみた後コピペするなど、念を入れてはいたのですが。
私は天理の教えが凄いと思っています。
だから天理教についていきたいと思っています。
にたようなのはあります。 まいた種がはえるということですね!
明治三十二年八月二十一日
檪本梶本宗太郎家族共本部へ引き越しに付、後の処浅田徳二郎へ委して引き越さして貰う願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\悠っくりと筆に取らにゃ分からん。一代々々又一代暮れて、言えば二代三代、事情何代経ったて、どうでもこうでも成って来るが理。所という立ち越してこちらへと言う。どうもこれまで遅れてある。言えば三代の理に成りたる。早く心に成ったら、心の理悠っくり諭す。これまで無き事言うやない。三代後この理ほのか/\経ち、又年限経ち、よう/\生えて立ち帰った理。このやしき、元々始めたやしき。よう聞き分け。これからという心以て、順序始め掛けるという理、一寸理に諭して置こう。どれだけ良い木/\と言う。やしき楽しむ理諭す。この木十分々々と思たて、それ大層経った木でも、心が治まらにゃどうもならん。親から蒔いた種から、年々という心の理によって育つ。年々によって何処から眺めても成程というは、この道木に譬えてあるが人に諭す。又他に取次役取次役、順序諭さにゃならん。このやしき世上の一戸、芯というは違う。一戸芯ではない。重なる理も同じ事、この道の理ありて理ある。入えったさかいにこれもこれもと言うた処が、理が無くばならん。何程大き木植えた処が水上がらにゃどうもならん。庭先々々へ植えて楽しむ事出けん。年限である。又内なるしんばしら、楽しむもの蒔いて、楽しむという心、最初から大きいものは無い。この道道理から出けた道、これ聞き分けてくれ。日々旬増さにゃならん。これ分からんからどうもならん。よう聞き分け。物蒔いた処、人に育て育てゝ貰わにゃならん。これ聞き分け。これ最初から、さあ/\と言うた処が育たん。育てるのやない。そら倒かすのや。崇めるも聞き分け。植木同様なもの。さあ/\何時なりと/\。さあ/\許そ/\
参考意見 様
2020年5月11日 2:15 PM
>>入力ミス発見。
誤、──(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)
正、──(山や野でうろついてばかりいたら浮浪人)
まずワードパッドで編集して、読み上げソフトに読ませてみた後コピペするなど、念を入れてはいたのですが。<<
文脈から入力ミスは容易に推測がつきましたので、お気になさらないでください。入力作業が大変な中、いつも大変参考になる資料をご投稿いただき、深謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
また現実を無視する路線に入ってきましたね。教義を語り夢を見るのではなく、ちゃんと教義を元に現実を語りましょう。 現実問題現在のトップの中山家が何をしてるのか?それが宗教組織としてその教義(教理)に沿っているのか?が法的にも社会的も勿論教団としてももっとも大切なポイントです。元来の教祖の下した教義に関しては差ほど問題は無いが現在の執行部(中山家を中心とする血族体制)が中田善亮の「金の繋ぎは命の繋ぎ」を公的に認めた事が教団側の致命的な誤りなのです。ここから教団の崩壊が一気に加速した。中田善亮自身も「この発言をすれば皆を騙せてお供えがあがる!」と思ったのでしょうが実際額が上がる分けない(笑)離脱者離脱潜伏が増えただけ、この中田善亮発言の問題は血族や親族の中からでも批判者が出ているとの情報は得ています。この発言によって教団における中山家の立場の正当性が天から地に落ちたようなものですからね。それにコロナ対策もズサン教団内の経済対策も怠慢これでは破滅消滅する教会も増えるのは当然、稚拙な頭脳しか持って居ない現在の執行部では「私たちは大丈夫!」と思っているでしょうが、結果的に全体の本部への資金が絶対的に減るのは確かなので愚かな対応です。このように中山家ではもう教団運営は出来ない。という実証を現在も皆さんにアピールしているだけです。これを信じたくない人が「天理教はすばらしい!」と曖昧な夢物語を叫ぶだけの享楽思想に逃げているだけです。
現在の天理教と名乗る教団の教義認識とその実情はただただ見るも無残で壊滅前夜の風前の灯にもならない状態です。
>>この発言によって教団における中山家の立場の正当性が天から地に落ちたようなものですからね。それにコロナ対策もズサン教団内の経済対策も怠慢これでは破滅消滅する教会も増えるのは当然、稚拙な頭脳しか持って居ない現在の執行部では「私たちは大丈夫!」と思っているでしょうが、結果的に全体の本部への資金が絶対的に減るのは確かなので愚かな対応です。このように中山家ではもう教団運営は出来ない。という実証を現在も皆さんにアピールしているだけです。これを信じたくない人が「天理教はすばらしい!」と曖昧な夢物語を叫ぶだけの享楽思想に逃げているだけです。<<
元々、中山家の正当性など地に落ちていたのです。分かっていても誰も口に出して言い出せなかっただけでしょう。「中山教」という「傘の下」でこれまでぬくぬくと生きてきた大教会や中堅教会以上が大半だったのです。末端教会や布教所、一般信者は、長いものに巻かれるしか仕方が無かったのです。しかし、教祖100年祭以後、三島神社の移転等、不条理な出来事が噴出し、休火山が一気に大噴火を起こしたごとく、中山教の衰退ぶりが著しく目に見えてきたので、やっと「傘の下にいた人達」も目を覚まし、怖くなってきただけのことだと思います。中山教の崩壊・消滅はすぐそこまで来ています。
崩壊様の仰る通りです。無くなった人のお給仕に何の意味があるのか分かりません。宗教が理解できない理由の一つです。
先祖祀りも一応50年が区切りですよね。遠忌750年法要なんて聞いても何の感動も覚えません。最近では回忌や年祭もしなくなってきました。義父母も3回忌後は何もしていないようです。
父母も5年祭を機に終わりにしました。もう、こちらの体が持ちません。無理をして遠くに居る人まで呼び寄せる必要なんて、さらさら考えられません。
存命の教祖の140年祭なんて矛盾もいいとこ。要はおカネ集めの方策以外に考えられません。
生きている内が華だと思っているんです。俗なコメントですみません。
七里の風様
>「なってくるのは天の理」はいったいどこから出てきた言葉ですか?
確かに、当たり前のように使っていましたが、出典は分かりませんね。
>「なってくるのは天の理」 というのは、人間のおごりだと思いますが・・・・・
昔から聞かされ、思い込まされていたようですね。
成ってくるのが天の理
(一般)
【なってくるのがてんのり】
「天理教の教えの一つで、物事が成ってくる、あるいは現に成ってきたことは、すべて親神様のご守護であるということ。
親神様は、人間のことはすべてお見通しで、その心どおりの姿を世上にあらわす。そして人間に、身の回りに起こってきたことを通して、自分の心遣いを反省するようにと教える。
同じことが成ってきても、人によって受け取り方はさまざまになる。たとえ自分にとって不都合なことに思えても、それは陽気ぐらしさせてやりたいという親心からからの配慮であるという教え。何事もまるごと、喜びをもって受け入れることが大切だとされている。」 以上がブログを調べたら出ていました。私も末端教会で育ちましたが、よく聞いた言葉です。親が亡くなった時でも、家族で練合をして、マイナスイメージで受け取らずに、どんな不幸でもプラスに受け取る発想の考え方です。出どころは不明ですが、教会ならどこでも使っていた言葉だと認識しています。
1966.11.01 第1次医療班出向(人名)
1967.03.03 第2次医療班出向(人名)
1967.09.22 第3次医療班出向(人名)
1968.03.17 第4次医療班出向(人名)
1968.08.30 政変が勃発。国軍と人民軍が教会敷地を挟んで戦闘。特に神殿正面破風部分に大穴が空き、トタン屋根が蜂の巣状に破損。
1968.11.03 第5次医療班出向(人名)
1969.04.16 第6次医療班出向(人名)
1969.09.28 第7次医療班出向(人名)
1970.03.23 第8次医療班出向(人名)
1970.09.23 第9次医療班出向(人名)
1971.03.23 第10次医療班出向(人名)
1972.03.21 第11次医療班出向(人名)
1973.03.15 第12次医療班出向(人名)
1976.03.20 第13次医療班出向(人名)
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
序論
この書短簡なりと言えども、寸鉄能く人の肺腑を抉るの概を以て、天理教の病弊を剔抉せんとす。天理教徒を以て之を見る時は、説くところ或いは矯激に過ぐるの非難あるや保し難し。されども著者の真意は、ひたすらに其の非を挙げて、これを呪わんが為にあらず。その取るべきは之を取り、その取るべからざるものに向かって、鞭撻是正を加うるにあり。予の天理教について、その内幕を研究するや年あり、得るところ頗る少なしとせず、以て天理教を攻滅せんとせば、この書にスパ抜くところ未だ十中の二三に達せず。別に彼らの致命傷となるべき、さらに多くのものを知らざるにあらず、実に言わざるにあり。けだし怖い叔父チャンたる能わざるにあらず、懐かしき叔母チャンたらんとすればなり。教徒は一読して忽ち自らその弊を知るべく、教外の人は以てその侮るべからざるの長所ある事を暁るを得ば、本書の目的の一半はすでに達せりと言うべし。さらに一歩を進めて、幸にその改革策を容れ、改過遷善 の実を得ば、諺に言う禍を転じて福と為すの道なり。若しそれ教会の徒、頑冥にして忠言を納るるに吝かならば、第二の矢は今や番えて弓に在り。叔母チャンは変じて怖い叔父チャンたらんとす。乞う之を諒せよ。
第一章 天理教とは何ぞや
ただ一口に天理教といえば、これも世の中に数ある淫祠邪教の一つで、愚夫愚婦を相手に無稽の荒誕を並べ立て、社会一部の人を迷信に誘うのみの事。左のみ顔を赤め声を大にして、その流毒を絶叫する程の、大した利害を国家に及ぼす程のものでもあるまい。畢竟かかるものは世の中の黴菌も同様、世の進むにつれて相手にする者の無くなるは請け合い。今さら大人げもなく、こんなものを一々取り上げて騒がなくも、自然の成り行きに放任しておけば、やがて消滅してしまうまでの事さ。これ今日に於ける一般人士の天理教に対する観察で、一応ごもっとものようではあるが、それは其の一を知って未だ其の二も三も御存知なき人々の、浅薄極まった皮相の意見のみ。なかなか天理教の社会に於ける潜勢力というものが、世人の想像するような生やさしいものではない。実に今日では日本国中の津々浦々にまで行き渡り、信徒の数が無慮七百万を算するのである。七百万という数がすでに驚くべき数であるのに、しかもそれが小児などは一人も算入したものでなく、全く相当の年齢に達した者のみの計算だと聞いては、さらに驚かざるを得ぬ。日本国の人口を六千万とし、この内三千万は子供と見積もり、残った三千万を一匹前の人と看做せば、天理教の信徒は実にその四分の一を占むるのである。
かほどに多数の信徒を網羅して、社会の一角に大勢力を成せる天理教が、何故その割合に世間の物議に上らぬのであろうか。それには深き仔細がある。そもそもこの宗旨に限って、信徒の中に充分な教育のある人や、社会に相当の位置を保てる人々は、ほとんど絶無と言うても不可なきほどで、概ね農家や大工左官に商人と、世に目立たぬ階級の人のみ多く、自然これ等の人の一挙一動が、何事をすればとて世間は一向頓着せぬ。もしこの七百万の信徒等が、たとえ僅かでも政治的色彩を帯ぶる事になったとすればどんなものか。勿論、純然たる宗教の事ゆえ、政治などとは何の関係も持たぬのであるが、世人の心付かぬ間に七百万は一千万と、次第々々にその勢力を扶植して、終には日本人口の過半数に達するの日が無いとも言えぬ。もしその過半数の人々が天理王の尊の神託とあらば、財産はおろか大切な生命でも捨つるに躊躇せぬとして、その結果はどんなことを仕出かすか。一度この辺に想い到れば、なんの天理王くらいがと鼻の先であしろうていらるる訳のものではあるまい。かく言えばとて、天理教徒が謀反を計企むと言う次第ではない。さらば外に如何なる結果を生み出すことになるのであろうか。他にあらず、迷信に基ける宗教的の信仰が、社会の風教を害うのみでなく、実に多数日本国民の財政の基礎を、根本から破壊せらるるのである。
いや、この点は将来の問題でなく、数十万の人々は、今日すでに其の財産を根本から覆されて、当に飢渇に泣きつつある。なお又その極には到らぬまでも、現に数百万の人々は、今や天理教教師なる者の毒牙にかかって、祖先伝来の貴重なる財産を詐取されかけているのである。これは財産上の問題に過ぎぬが、さらに一歩を進むれば、七百万信徒中の多数の者は、家族が如何なる病気にかかっても、ひたすら天理王の尊の神力を頼み、進歩せる医療の道は斥けて顧みず、怪しげなる祈祷と、如何わしき神水や神饌を唯一の生命とたのみ、容易く治癒るべき病気も其の期を失い、甚だしいのは左までにも無き病気に、非命の死を遂げさす事も数知れぬ。もし数多き病人の中に、たまたま百発の一中で、病気の快癒する者があれば、これこそ祈祷の力よ神の御陰よと、鬼の首でも授けた如く、鼻高々と大法螺を吹き立て、我が事成れりと大威張りに金品の寄進を強要するが常である。元来この宗教の生命とも言うべきは、彼等仲間の常套語たるヒノキシンと称する言葉で、当今はこれに日の寄進なる文字をこじ付け、およそ此の世に日輪ほど恵深きもの無ければ、この大恩ある日輪に対する如く、神に向かって報恩の為に、財産は言うも更なり、時と場合に依れば、大切の生命をも捧げねばならぬという意味を、極簡単に約めたものである。従って彼らの為に日の寄進の一語は、大切な真言秘密とも言うべき、題目と看做されつつある。如何に無恥厚顔の教師輩でも、露骨に金銭の無心は出来かぬる場合に、この簡単明瞭な一語を以て、神への寄進を突貫するは、実に上手な遣り方と言うべきである。アアひのきしんナル哉、日の寄進なる哉、澆季浮薄の世の中に、独り天理教の教師のみに限らず、誰か日の寄進を好まざる者ありやと、ここで一番世間の人へ調戯っておく。
冗談はさておき天理教なるものが、現在でさえこれ程の毒を世間に流すを、我関せずと捨て置かば、やがて世間の気の付く頃は、大抵日本の半分は、彼等に喰われてしまうは必然。なんと精神界の信仰ほど、恐ろしきものは無いと言うことに合点が行かれしか。そも如何なれば天理教なるものが、僅か六七十年の短時日に、斯くまでの発展を為し得たるか、天下に奇蹟なるものがありとせば、これ等をこそ奇蹟中の奇蹟と言わねばならぬ。右の手に剣を提げ、左に携えたるコーランを示して、汝之を信ぜよ然らざれば只死あるのみと、暴力を以て信仰を強いたマホメットは兎も角、キリストでも釈迦でもお気の毒だが中山美支子に比べては、遙かに及ばぬ。いや教祖の中山美支子を担ぎ出すまでもなく、現に支教会か宣教師の長ぐらいな分際でも、数万の信徒を擁して、一ヶ年の内只一人で集める金高が、救世軍などの連中が年中休まずに、大勢かかって僅かに受くる金品の高に数倍するの事実が、各所に沢山あるのを見ても、その不思議な威力いや魔力が那辺にあるのか。実に訳の分からぬ奇代の奇蹟で、これから見ると、詐欺同様の事をして俄分限になった成り金などが、いくら悔しがっても真似もできぬ。それでオマケに天理教師の方は、成金輩が世間から糞のように言わるるに引き換えて、活仏のように慕わるるとは、どこまで旨くやっているのか、てんで角力になってはおらぬ。イデヤこれより読者と共に章を追うて、この驚くべき魔力の正体を解剖に付せんかな。<<
大正4年。天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経っていない頃に書かれたものですが、タイトルは「ああ無情」を意識したのでしょうね。
匿名 様
2020年5月11日 10:09 PM
>>1966.11.01 第1次医療班出向(人名)
1967.03.03 第2次医療班出向(人名)
1967.09.22 第3次医療班出向(人名)
1968.03.17 第4次医療班出向(人名)
1968.08.30 政変が勃発。国軍と人民軍が教会敷地を挟んで戦闘。特に神殿正面破風部分に大穴が空き、トタン屋根が蜂の巣状に破損。
1968.11.03 第5次医療班出向(人名)
1969.04.16 第6次医療班出向(人名)
1969.09.28 第7次医療班出向(人名)
1970.03.23 第8次医療班出向(人名)
1970.09.23 第9次医療班出向(人名)
1971.03.23 第10次医療班出向(人名)
1972.03.21 第11次医療班出向(人名)
1973.03.15 第12次医療班出向(人名)
1976.03.20 第13次医療班出向(人名) <<
一体、上記は何の記録でしょう? 説明文や解説文が無いので、読む側にとっては何も分からないのですが。(大体の推測はできますが、確かなものではありません。)
参考意見 様
2020年5月11日 10:22 PM
>>大正4年。天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経っていない頃に書かれたものですが、タイトルは「ああ無情」を意識したのでしょうね。<<
天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経たない頃に、天理教の本質は見抜かれていたということですね。大正4年というと、今から既に100年以上の歳月が経過していますが、大正、昭和、平成、令和という長きにわたり、天理教という矛盾に満ちた新興宗教団体が生き残ることができたこと自体、私には不思議に思えて仕方がありません。権謀術数を駆使して政治の世界に取り入り、信者を騙して生き残ってきたのでしょう。まるで、スリッパの裏でいくら叩いても死なないゴキブリのような存在であったのでしょう。有害な昆虫やウィルスほど駆除するのに時間と金を必要とします。新型コロナのように世界的なパンデミックに至らなかったことが「不幸中の幸い」であったと思います。
天理教独特の教えと聞かされてきた教えの一つ「なってくるのは天の理」は、表現は異なるが、ほかの宗教でも神様を信じる人々の胸の内には「起きている事には意味がある」という認識があります。勿論、成熟の度合いに影響される面も有ると思われます。
国籍、人種、文化的背景が違う人々であっても、この感覚は折々に見聞きします。
天理教独特だからといって信奉するというスタンスではなく、受け取り方がストレスをため込まない受け取り方、視線を少し遠くに投げかけた受け取り様なので、心の暴走を防ぐには有効ですね。
この場合の宗教というのは、霊魂とか大自然を信奉するのではなく「神」という、人や動植物を超える存在を神と認識する宗教です。
天理教にしがみつくことが最善の通り方とは言えない事が、ここ数十年間で露わになりました。
一人一人が自分の頭で考え、心に問いかけ、限りある命の時間の中で精いっぱい生きようではありませんか。
それにはがんじがらめになった包括関係を解消し、まずは、宗教法人として独立し、現信者さんの丹精が生きがいと思われる方はその道を進まれる事でしょう。上下関係、封建的思考・行動は今が捨て去るチャンスです。
そして社会で賃金を得る経験をすれば、巨大教団の陰の部分が誰にでも見えるようになるはずです。
下積み経験を糧としてください。
>>天理教独特の教えと聞かされてきた教えの一つ「なってくるのは天の理」は、表現は異なるが、ほかの宗教でも神様を信じる人々の胸の内には「起きている事には意味がある」という認識があります。勿論、成熟の度合いに影響される面も有ると思われます。
国籍、人種、文化的背景が違う人々であっても、この感覚は折々に見聞きします。<<
例えば、仏教でいう「因果応報」ですね。この世に発生する事象には必ず「原因」があり「結果」があるという考え方ですが、元々、どの宗教にも一切関係のない普遍的な真理です。「天理教独特」ではありません。天理教でいう「因縁」の思想も仏教からパクってきたものだと思いますが、どこの宗教からパクってきたにしろ、普遍的な真理に間違いありません。解釈の時点で多分に歪曲され、自宗教の都合の良いように解釈されていると思います。長年の天理教からの洗脳状態やしがらみを一切絶ち、この世に起こる一切の事象を科学的、論理的な思考回路で、「原因」と「結果」という普遍的な方程式に照らして考えていくことは、とても大事なことだと思います。
崩壊様
医療班出向というのは、海外での医療活動をされてきた活動の記録です。
様々な状況を鑑みて詳しく書いてなくて、分かりづらくてすみません。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第二章 天理教の価値
天理教の教祖たる中山美支子は、寛政十年大和國山邊郡朝和村の一農家に生まれたのである。幼少からして聡慧怜悧で、両親に対しては孝行、兄弟をよく労わり、他人へ対しても極めて親切で、殊に信仰心の深かったことは、殆ど先天的であったとは、天理教に関する何れの著書を見ても、異口同音に称揚するところで、信徒もまた頻りにその人格を褒め立てるが、こんなことは其の教徒が教祖伝を物するに大抵極まった紋切型と、一口に貶してしまえばそれまでだが、しかし全くこの婦人が天性慈悲深き美徳を持っていたことは、正に事実に相違ない。さてこの婦人が如何なる事を動機として、新たに天理教なるものを起こしたのであるか。教祖伝によると、美支子は十三歳にして中山家に嫁ぎ、つぶさに艱難を嘗めて四十一歳に至り、その長子が重病に罹ったので、ある時修験者を頼み、一老婆を加持代として神卸しの祈祷をやらせたが、二度目の時には加持の老婆が来らぬので、美支子が臨時代理の加持を勤めた。この時神は美支子に乗り移り、我は天の将軍なりと叫ばれた。この時が実に美支子の初めて天啓を受けた時で、これより豁然として迷夢から覚め、宇宙の理を洞観することが出来るようになったと言うてある。
もし中山美支子の天啓なるものが、果たして一修験者風情の神卸しに依って得たものとすれば、いやはや馬鹿げた天啓で、三文の価値も無き子供騙しの寝言と言わねばならぬ。恁麼甘口な言い草は、四五百年の昔なら知らぬこと、当世の化学とか物理とかいうものを喰いかじった連中に、とても納得のいく気遣いなし。されど今こそ愚にも付かぬ事を言うたものだと笑うけれど、天保年度の頃に於いて、無学な美支子の口から此のくらいの事を言い出すのは、敢て少しの不思議も無い。その当時の人を説く方便としては、むしろ当を得たものと言うてよかろう。
しかし著者の考えでは、お美支叔母さん決して此の時から俄かにエラクなったのではあるまい。その実は持って生まれた信仰心が、多年の世渡りの実験に研かれて、この時分には既に救世済民の宗教心が、十二分にその胸臆に蓄えられていたものと想わるる。予は天理教に対して、一点の恩も無ければ恨みも無く、従ってその善は善とし、悪を悪と遠慮なく断定する立場から、叔母さんの人物には実際敬服する。惜しいことに学問が無かったが、もし此の人にして十分の学識があったなら、如何に高尚幽遠な真理が巧みに説かれたであろうかと、少なからず惜しんでいるのである。一説によると此の婦人は、一方ならず嫉妬心の深き性質で、あいにく御亭主がまた一方ならぬ好者であったため、石になるほど焼き据えた揚句が、終に悟りに入ったものだと伝えられている。こんな事がもし事実だとすると、大いに教祖の器量に障ると、教徒が無暗に押し隠すのも無理ではないが、それは大いに悪い思案だ。禅に悟入する時なども、随分つまらぬ事が動機となって頓悟を得ると同様、婦人一般の通用性たる、焼餅の凝り固まりが極度に達して、却って氷点下にも降った冷静の心から、浮世を悟ったものとすれば、少しも恥ずる所はない。か様な事が動機となって、殆ど我という事を我が心より忘れ果て、危なく厭世に傾くところを、ドッコイ平素の慈善心が食い止めて熱烈な博愛家となったのは、実に叔母さんのエライ所だ。とにかく如何に天理教を仇敵視する人の目から見ても、美支子が欲に放れた博愛家で、一生涯の行いが或いは狂的であったかは知れぬが、少しの身欲も無く、また些かの虚栄も無かった事を否認は出来まい。これほど無欲な人の創めた教えを、教祖が死んで如何ほども経たぬ間に、忽ち営利の機関として仕舞った末社共の罪悪は、憎むでも尚お余りある奴共である。仏教でも耶蘇教でも追々年を経るに従って、教理の転化を来したり、甚だしきは全く営利の具に供さるるようになるのは、大抵の宗教に免れ難き通弊なれど、天理教に至っては余りに堕落の仕方が速やか過ぎる。この原因は何であるかと尋ねるまでもなく、教祖が無学であったため、教理は飽くまで高尚でも、その理を言い顕すべき修辞の術が極めて拙で、とうてい学識のある人々の信仰心を左右することは出来なかったのである。既に夫れ等の人を薬籠の中へ入れることが出来ぬ上は、勿論徒弟の中に、キリストの十二使徒や日蓮上人の六老僧の如き、大人物の出来ぬのは当然の理で、叔母さんが如何にエラクとも、継承者その人を得なければ、人を救うの宗教が、却って人を殺すの刃となるは、真に已むを得ぬ次第である。然し美支子が道の為に一身を捧げ、殆ど狂とも言うべきほど熱烈であったのは、生半の学問に制されて右顧左眄するということが更になく、これが為に鉄よりもなお固き信念を得た賜物と言わねばならぬ。この絶対的信念ある叔母さんを助くるに、六老僧の如き傑物があって、美支子の未だ研かれざる醇樸に、充分なる研きをかけて世に出したら、今日上流人士なる者の為に、擯斥されるような事には萬々ならなかったであろう。然るに美支子老刀自の死んだ後、教理なんぞの善悪にはお構いなく、只々信徒の多きと財力の豊かなるを当て込みに、教職を帯びた輩などが、我も我もと蟻の甘きに就く如く、籍をこの宗教に納れて、次第次第に私利を営むの設備に汲々する事となったのである。これら奸譎の徒輩の眼中、固より精神界に貢献せんなどの考えは毛厘もなく、教会の堂宇を荘厳にし、益々信徒の数を増加して、以て利を射んとする事にのみ急なれば、勉めて外観の美を衒わむ為、多少知名の人々を金銭を以て雇い入れ、教祖の真意にもあらざる教典様のものを代作させ、さらに教会の独立を得んが為めには、世に媚ぶるの必要上、真神唯一の本義を捨て、進んで多神教ともいうべき一種ヘンテコのものに改造し、或いは数十万金を惜しげもなく賄賂に振り蒔き、さらに一歩を進めては、教会内に制度を立てて教職の階級を定め、中学大学等の教育機関を設けて、以て大いに人士の養成をなし、やがて此等の輩を爪牙となし、いよいよ以て天理教なるものの、世上言うが如きの浅薄なる迷信教にあらざる事を標榜せんとするなど、俗世に対するの施設もまた勉めたりと言うべきである。これ等のことは教会の秩序と威信を保つため、必ずしも無用の事とは言われぬが、唯ここに惜しむべきは、先にも既に述べた如く、教祖美支子が、御神楽歌若しくは御筆先等にて、その意を顕した教理そのものが、未だ研かれざる珠と同様、本来の質は正に名玉たるに恥じざれど、卞和の如き人があって、悪しきを切り捨て磨きをかけるにあらざれば、未だ完璧とはならぬ。然るに何人もこの珠に研磨を加うるを以て、教祖に対する大不敬と心得、ひたすら教祖に媚びて、研かざるの珠をそのままに完璧として世に伝えむと、外部より様々と要らざる丹青を施すを是れ事とし、却って珠の真価を掩い匿した事である。
しかし是が為に全く教理が転化してしもうたという次第でもなければ、しばらく之を論外に置き、別にこの宗教が荼毒を天下に流した大原因がある。それは外でもない、教会の勢力を張る事に急なる為、布教に従事するところの教師の選択に重きを置かなかったのと、各種教会の新設に相当の制限を設けなかったのとの二つである。畢竟協会本部の方針は、ひたすらに信徒の殖える事をのみ希望するので、教師となるべき人の人格や、教育の有無などはお構いなく、只々多数の信者を勧誘し得る者に重きを置き過ぎた結果、いわゆる教師と称する者の多くは市井の無頼漢などで、教育もなければ人格も劣等で、教理の何たるかをさえ説明し得ぬような沒道理の者どもが、ただ訳も無く迷信的に神の有り難さを説きたて、日の寄進を以て神の救いを乞えば、如何なる病も即座に平癒するなどと、無責任な法螺を吹き、ひたすら金銭を貪るが本業とされ、この誘惑の術の最も巧みな者が、多数の信徒を作って、本部へも多額の納金をした功労により、最初は宣教所より支教会、分教会、遂には大教会と出世する。言わば戦国時代の武士も同然。名々の技量で領地の開拓は勝手次第。お手柄功名の優劣は、専ら「おつなぎ」と称する名目の下に、本部へ納むる冥加金の多寡に依るのである。此の如くにして数千の教会堂は、日本国中至る所に設けられ、偖その出来上がった教会へは本部から「おつなぎ」の誅求頗る激しく、若しこの冥加金の納付を怠るときは、忽ち教会召し上げの憂き目を見るは目の当たり。さればとて公然と定められたる信徒の月掛金位にては、眼薬の代ほどにも足らず、是に於てか、日頃より部下に飼い置く手先教師を使嗾して、盛んに愚民を誑惑し、随分思い切った日の寄進をやらせる。こうなると全国各所の教会は、僅かの例外を除くの外、たいてい宗教伝導の名などは只看板のみで、その実は詐偽を本業とすることになったのである。中にも憎むべきなのは、殊更に教会の敷地建物を抵当に入れ、年内三度も信徒の信仰心に訴えて、その借入金の返済をさせるのがある。この外あらゆる手段を講じて数多の金品を貪り取り、その一部は本部への納金に充て、一部は酒色の資に供するか、ないしは家族親族の名義を以て、別に相当の商法を営ませ、何時教会が潰れても、神職の仮面を剥げば、商人として飯を食うに困らぬよう、なかなか抜からぬ用意がしてある。このへんは支部の連中のみでなく、殊に本部に於ける幹部連などは、内々想像も及ばぬ程の巨富を致し、中にも巨魁と言うべき奴などは、数百万の暴富を蓄え、平素は何食わぬ顔にて、ことさら綿服などを纏うて質素を示し、大きに世間を欺けど、内々の腹を捜ってみれば、宗教家という天職よりも、生涯一度は貴族院の議員にでもなるのが畢生の理想であるそうなが、こんな事をさせるのが教祖の本意であったろうか。おそらく今頃は、草葉の陰で美支子刀自が、血の涙に咽せているであろう。
説き去り論じ切って是に至れば、この機会を以て、いささか教祖教理の在る所を陳べねばなるまい。そもそも美支子の説く所を、根拠として天理教の教理を演繹敷衍したる著書頗る多く、何れもその説くところは立派なれど、概ね教会に媚びて教理の美教典の精を衒わんが為、曲筆附会せざるは無く、或いは蛇足を加えて、却ってその真を失えるもあり、一として教祖の真意を代表すべきものあるなし。是に於て予は第一に御神楽歌と御筆先とに重きを置き、第二に諸多の雑巻を参酌に供した結果、凡そ左の如き綱領を得たのである。
其一、宇宙を司裁する所の神は唯一にして、之を天理王の尊と称す。天理王とは天道の理を謂えるものにて、天道は正理に與するものなれば、此の正理こそ宇宙間一切の是非善悪を司裁し給うの意なり。
其二、人生の目的は甘露台の建設にあり。甘露台とは、仏教の安養浄土、耶蘇教のパラダイスなどと同一義のものにて、人間が盡く理想の域に達した時の、圓満無垢なる住居を謂うたもので、場所の所在は天国にもあらず、極楽にもあらず、現在我々の住居するこの世の事を言うたのである。
其三、甘露台の落成を計るには、天理王の尊の御心に協うよう、只一筋に日の寄進の心を以て、献身的に神を敬い人を愛し、よく七情を節して、中にも貪欲鄙吝などという、卑しむべき心の汚れを洗滌するを旨とすべし。
其四、人生に免がれ難き病苦患難の如きは、みな因果因縁の理より来れるものなれば、既往の罪を懺悔して、己の一心を精浄無垢にし、現世の罪悪より脱却せば、神は直ちに人々の病苦患難を去らしむ。
以上の四項は其の太洋を約述したるもので、説く所は数千数万語を超ゆれど、要するに至誠の心を以て、天理に合するを神人の合一と認め、人に教うるに克巳制慾を以て法となし、因果応報の理を以て天道の律となるせは、先に著したる拙著天道に説ける所と殆ど異なる所なく、極めて簡単明瞭に天理を述べ、少しも文辞を修飾せざる所に、醇の純なる味わいを含み、確かに独立の宗教たるべき値打ちは充分なれど、当世の相違と教祖の無学の為に、或いは今日の学理と矛盾する所もあり、或いは偏見固陋に過ぎたる点も無きにあらず。ややもすれば迷妄に走るの失あるは、独り天理教のみに限らず。仏教も耶蘇教も共に時代の知らしむる所で、余儀なき事と言わねばならぬ。<<
教祖の名が「美支子」となっていますが、大正2年版の教祖伝の「美伎子」を見間違えたのかもしれません。独特な教祖像を描いていますが、実際に教祖に関わった人々が生きていた時代に書かれたものならば、もしかしたら教団によって美化された教祖より、本当の教祖に近いのかもしれません。
匿名様
「医療班出向というのは、海外での医療活動をされてきた活動の記録」
だそうですが、何故1976.03.20 第13次医療班出向 で終わっていますね。
予算がなくなったからでしょうか?
「変わらぬが誠」ならば、活動し続けるのが誠ではありませんか?
海外での医療活動をされてきた事は素晴らしい事ですが、だからお供えをし続けて下さいと言うのはイヤらしい事だと思います。
あまり自慢しない方が値打ちがあると思いますよ。
とにかく如何に天理教を仇敵視する人の目から見ても、美支子が欲に放れた博愛家で、一生涯の行いが或いは狂的であったかは知れぬが、少しの身欲も無く、また些かの虚栄も無かった事を否認は出来まい。これほど無欲な人の創めた教えを、教祖が死んで如何ほども経たぬ間に、忽ち営利の機関として仕舞った末社共の罪悪は、憎むでも尚お余りある奴共である<<
現中山の子孫は、自らこの教えを広める資格が有るのか無いのか胸に手を当てて考えて欲しい。みき婆さんの様な慈悲の心、施しの心、人類救済と言う完全なる理想とそれに伴う人格を持ち得ているのか、、。血では救済は出来ない。精神とその行いこそでしょう。
天理教が低級な宗教に成り下がっているのは、大正以前から時の指導者が欲にまみれた低級な人格の集合となり、それを令和の現在まで引き継ぎ、彼らが客観的に見ても教養ある哲学の人とはどの方向から見ても言えないからかと、、。善亮氏の「お金の繋ぎがいのちの繋ぎ」を公に宣言した事などは、その浅はかさの極みでしょう。
この人達の理想世界は虚構であり、神は本部中山一族を見ながら「汝自身の足元を深く掘れよ」と仰っているに違いないです。
>>天理教が低級な宗教に成り下がっているのは、大正以前から時の指導者が欲にまみれた低級な人格の集合となり、それを令和の現在まで引き継ぎ、彼らが客観的に見ても教養ある哲学の人とはどの方向から見ても言えないからかと、、。善亮氏の「お金の繋ぎがいのちの繋ぎ」を公に宣言した事などは、その浅はかさの極みでしょう。
この人達の理想世界は虚構であり、神は本部中山一族を見ながら「汝自身の足元を深く掘れよ」と仰っているに違いないです。<<
その通りだと思いますが、神が本部中山家一族郎党を見て、いくら「汝自身の足元を深く掘れよ」と言ったところで、掘れば掘るほど一番肝心な根がないのですから、根の無い樹木のように、掘れば掘るほど朽ち果てて、倒れるしかないのです。それが、今の中山教の姿に他なりません。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第三章 天理教の解剖
仮に一歩を譲って、世上の人の言うが如く、全然天理教の存在を否認し、これを撲滅せんとするか、数百万の信徒が俄かに帰向する所を失うを奈何せん。殊に信仰なるものは、一度その人の心を支配する時は、外部より如何なる迫害を受くるとも、容易にその信念を翻すものにあらず。まして当今の世の中は、信仰なき上中流階級の人々ほど、却って憎むべき罪悪を敢てする習わしなれば、左なきだに宗教の奨励を必要とするの時に当たりて、せっかく六七百万もの多数の信徒が、極めて無邪気な信仰に入れるものを、ムザ々々と破壊させ、さて改めて如何ほど理想的な新宗教を樹立すればとて、なかなか一朝や一夕に、個程の大衆を精神的に糾合し得らるべきものにあらず。若しこの天理教徒等が、国体に取りて寛容することの出来ぬような、危険思想を包蔵するものなれば、たとえ如何なる事情がありとても、一刻も早く剪滅せねばならぬ事は勿論なれど、教師教職の者共にこそ、用捨し難き罪悪はあれ、多数の信徒に至りては、無明の迷信は伴うものの、その信仰心は飽くまで清く、殊にその基礎を祖先教たる神道に置きて、敬神の念の極めて厚き点などは、我が日本国の宗教として、最も適切のものと言うべく、これを今さら撲滅するなどとは、勿体なき事の親玉で、百の弊害はあっても、一の利益を見出すことが出来ぬ。さらばとて現在のままに捨て置かば、先にも極論せし如く、教師教職などと称する不良の徒に、悪事の舞台を授けておくも同様。やがて如何なる珍事を惹き起こすや計り難き事なれば、今日に於て速やかに大英断を以て大改良を施し、禍を転じて福と為すの方法を講じなば。第一は国家風教のため、第二には数百万の信徒のため、第三には天理教それ自身のため、永遠無窮の幸福を得べきものと確信する。嗚呼、実に此の如くして、はじめて教祖中山美支子も地下に瞑目することが出来るであろう。
今試しに天理教の綱領として、前段に挙げたる四ヶ条と、現在の流弊について、総捲りの批評を試むれば、凡そ左の如き長所と欠点とを指摘する事を得べし。
其一、教祖は極端なる唯一神教論者なり。只この唯一神を名づくるに、天理王の尊を以てせるは、少しく其の称呼に於て感服し難しと言えども、我が日本国に於ける実在の神々と、宇宙の司裁者たる天理との間に区別をつけ、しかも此の両者を宗敬するを以て、教えの根本となせるは、よく天道の自然に協い、併せて当世の学理に矛盾する事なく、理義明白の教理と言うべし。憾むらくは教祖の没後幹部の人々が俗界の施設を飾るを急にして、独立の神道たる待遇を其の筋より得んため、宇宙の司裁者たる天理の仮想神と、実在の神々とを混同して、十柱の神を代表者となせるは、多少無理もなき事情の伏在せることと、些か同情せざるにはあらざれど、これが為に全然教理の根本意義を没却するに至れり。教祖の真意はかかる混雑不分明のものにあらず。飽くまで天理を以て宇宙唯一の司裁者となし、さらに実在の神々に対する敬神の誠を以て、祖先崇拝的神道の本義に合せんとす。その条理や一貫せりと言うべきである。然るに是に一つ首肯し難きは、余りに神助をたのむ依頼心の深過ぎる事にて、この点は甚だ面白からず。神を依頼するの念如何に深ければとて、神は漫りに福を授くべきものにあらず。これ元来神は授くべき福を所持し給わざればなり。但し福は所持し給わざれど、天道の正理に基づきて、よく人道の本義を保つ人々は、天理の然らしむる所、自ら福徳を招くべし。これを神の御利益と見做すも敢て差支えなけれど、その実福徳を得ると得ざるとは、神に在らずして我が心に在り。我が心にして真の道に叶わずば、千種万様の手段を盡して神に媚ぶるとも、神は決して福を授け給うものにあらず。返す返すも人道の実践躬行と言える代価を支払うて、然る後福徳と言える代物を買い取るの外なし。抑も敬神の意味は、神前に福を祈るの謂いにあらずして、神前に我心を正すを本義とし、少なくとも神前に叩頭く時の一刹那の、詐りなき心を以て常の心となさば、邪道に陥る事はあるまじ。神前に磨ぎ澄ましたる明鏡を置くのは何の意ぞ。徒に神威を飾る為ならず、正しく我が心をこの鏡に写せとの理ならずや、我が面のヒョットコに酷肖せる事は顧みず、鏡の面に女惚れのする好男子の顕れざるを怪しむ勿れ。神鏡に映れる我が心に一点の曇りなくば、この心こそ神意にも協うて、自然に福徳を招くものなり。かかる見易き道理を忘れて、ひたすらに神助をのみ仰げばこそ、様々の迷信の起こるものにて、神官や売僧は此の迷信の弱点に乗じて、多くの愚夫愚婦を喰い物にするのみ。この輩が神に代わりて甘い汁を吸えばとて、神仏の腹の足しには少しもならず、神前に金の鳥居を寄進せんより、その金を以て多くの貧窮に施す方が、余程の功徳になると知らずや。頻りに神の効顕利益を説くは、利を以て人の信仰を誘うに過ぎず、天理教の教祖とても、これ程の道理を知らざる筈はなけれど、五厘か一銭の賽銭で、徳福無量を希うような、虫の好き人々を説き勧めるには、神の利益を誇大に示す必要もありしならん。されど過って改むるに憚かるなし。今後は金品の日の寄進を以て、神の御利益と引き換えにせぬよう、断乎と改正せねばなるまじ。
其二、甘露台建設なる語の説明不充分なりしため、無学無識の信徒や天理教門外の人々が、その真意義を了解せざるの傾きあるも、教祖の所謂甘露台なるものは、世界の人を罪悪より脱却せしめたる暁の理想郷を謂える者にて、その意義や遠くして其の旨や深しと謂うべし。
其三、人道の根本は克己制慾を本とし、進んで献身的となり犠牲的たるを以て、仁義の極致たらしめん為め、日の寄進の約語を作られたるものにして、貪欲鄙吝を戒めたる此の語の意義や、通俗的にして然も深遠、誠に人道の精はこの一語に網羅せられたるものなれども、味よき菓物に虫の付き易く、甘きものには蠅の群がる習いにて、後世の教徒がこの語を限りもなく濫用悪用せるは惜しむべし。
天理教徒は日の寄進を以て、啻にその信徒を欺くのみにあらず、中にも最も横着なる者共は、自己の所有せる教会が、如何に多数の信徒を有し、これ等の信徒は皆な教会の命ずる所とあれば、命維れ従うものなるかを装い、以て世間の人の心を釣り、偶々外部より其の多数の信徒を利用せんとする者あれば、待ってましたと言わぬばかり、被我利益の交換的に、先ず前金として相当の冥加金を奉納せしむるか、或いは莫大の金額を融通せしめざるはなく、然も奉納または融通を受けたが最後、多くは自己等の義務を果たすことなし。これ等の詐欺的手段は全国至る所に行われ、害毒を流すこと数知れず。抑も本部は未だこれ等の事実を知らざるか、将又既に之あるを知るも、損得勘定の上より打算して、放任的に黙許し置くものにゃ、何れの道寛恕すべき事柄にあらず。予はその多くの実例を知るも、ここに筆誅するに忍びざれば、暫く筆を歛めて、彼の徒が之を悔い改むるや否やを験せん。
其四、因果応報の理を説くこと極めて懇切なり。これ実に天理自然の然らしむる所。宗教の骨子はこの点に在りと言うも不可なれど、魂魄の再生を説けるは仏教と同じく、断じて同意し難し。この点は拙著天道に記載せる如く、因果応報は一身及後身(子孫を謂う)にのみ及ぶものとし、魂魄は再生せざるものとなすの当たれるを信ず。因果因縁の理を敷衍して、諸病は盡く前生及び現世の罪悪に起因するものなりとの説は、世間の人々多くは一種の迷信と嗤笑すべけれど、予は飽くまでこの説に左袒するものなり。若し人間にして絶対に罪悪より超脱し、所謂甘露台に居住し得るの時来らば、罪を受くべき因を蒔くという事なければ、随って病苦患難などという果を結ぶべき道理なきは、当然の事と言うべし。されども這は是れ幾万年の後を期して、その理想を述べたるに過ぎず、如何に天理王の尊の御心に従い、人道の精に心がくればとて、今日より直ちに無病の域には入り難く、如何に懺悔祈祷をなせばとて、既に罹れる病の一朝に平癒すべき理なきは、三歳の小児にも見易き所。但し至誠天に通ずとさえ言うほどにて、清き立場より正しき願いを籠むるものなれば、天理も之を愍れみて、擁護の眥を垂れ給う事なきにあらねば、祈祷を以て全然無用のものとは言い難けれど、この法をのみ頼みて、進歩せる医療の道を怠るは甚だ宜しからず。人事の盡すべきは之を盡して、然る上の神頼みなれば、癒ゆるも癒えざるも是れ天命なりとの、安心立命観を得るの利はあるべし。始めより人力の盡すべきを盡さずして、専念神力に依頼するは頗る非なり。然るに教祖没後に出版せられたる数多の著書などは、医療を捨てて祈祷神助をのみ頼むの弊風は、既に一洗せりなどと、頗る立派な事を書き立つけれど、その実これ等の弊風は、一洗どころか増々甚だしく、一にも祈祷二にも神助と、汎々たる教師輩の一人として此の方法に拠らぬ者はなき有様にて、多くの病人を誤つのは皆これが為である。
其五、凡そ如何なる宗教でも、急に沢山の信徒を得んとするには、単に高遠の理を説くばかりにては何人も承知せず、後世を助くるとか、現世の病苦を救うとか、乃至は此の世に志を得ぬ不幸薄命の人が、人を怨み世を果敢みて、心に悲愴の感を懐けるの時、物質的の栄華の恋うべきものにあらざる所以を説き聞かせ、彼の心の寄る辺なきに乗じて、神仏のみが独り無二の味方なる事を諭しなば、盲亀の浮木に逢えるが如く、底心を捧げて神仏を頼むに至るが人情なり。されば此等の方略は、大抵の宗教家が既に隈なく試みられた常套手段で、天理教の教祖とても、この筆法を学べるものなるが、些か他と趣を異にせる点は、天理教祖に限り、這般の消息を悉皆承知の上にて、人々を欺罔せるにはあらず。実に当人自身も、正に斯くあるものと信じ居たるなれば、その説く處他宗教の如く、横着気を加味せるものにあらず。天真爛漫たる所に至誠の流露されたる趣がある。
其六、以上に述べたる教祖至誠の面影は堕落無慚に流れたる天理教の今日にても、なお幾分の純分子を止め、稀には感歎すべき高潔な教会主を見出し得る。さて此等の教会主は、却って教育の無き婦人か、或いは博徒などの中年から翻然悔い改めて善道に入りたるものなどに多く、従って筆は勿論舌も頗る拙で、なかなか人を説くなどは、思いも寄らぬようなれど、至誠の心ほど恐ろしきものはなく、一挙一動身慾は毛厘もなきに引かえて、熱心の度は鉄をも溶かす勢いなれば、その熱誠に動かされて、遂に熱心なる信徒となれる人々もある。これ等は信徒中にも殊に健全な分子と言うべきもので、説く方も醇なれば、説かれる方も純。他の宗教には一寸見られぬ現象である。若し夫れ此等の人々の信仰から、迷信の部分を取り除き、学理と矛盾せぬようにして、天理を唯一の神と仰ぐ事にさせたならば、天下無比の清き宗教徒となるべきものである。
其七、神楽歌なるものを熟読するに、その歌の心や決して浅薄のものにはあらざれど、学問の素養なき人が、生まれた土地の方言を其のままに、何の修飾する所もなく、心に想える事を出任せに列べ立てたるものなれば、歌の様余りに卑俗に失して、人の嘲笑を招くを免れず。必ずしも流暢なる美文を尊ぶにはあらざれど、その精神を存じて、その形丈は今少しく優美の調に改作したりとて、些かも教祖の尊厳を傷付くる事にはなるまじ。尚また祭礼の時行わるる神楽に至りては、舞踏の様此上もなく俗悪を極めたるものにて、殆ど噴飯を禁ずる能わざるべし。斯かるものは大改善を施すか、さもなくば寧ろ全廃するの勝れるに如かず。
其八、神饌は国恩神饌と相通ず。宜しく新鮮ならざるべからず。然るに一度神前に供せられて後、これを信徒に分つや、或いは数十日の後に至るもの少なからず、信徒また直ちに之を受用することなく、他日病人のあるに及んで、初めて之を服用するの風あり。神饌その物の種類にも依れど、概ねカビを生ずるに至る。その人体に害あるや言を俟たず。況や信徒に配布せらるる神菓の如きは、神力を衒わんが為め一種の薬法を加うるの説あり。海外○○に輸送するものに至りては、殊更に此の秘法ある事を耳にす。今にして断然かかる詐偽の手段を根絶するにあらざれば、その弊の及ぶ所や測り難からん。
其九、教会内部新旧思想の衝突あり。比較的新教育を受けたる教師教職を新思想派とし、これ等の人々は些か当世の空気を呼吸し、宗教の何たるかくらいは会得し居るもの故、旧来のお有りがたを屑しとせず、ややもすればハイカラ的施設を行わんとするの意見を有すれども、古老先輩は飽くまで教祖生存時代の旧思想に捕らえられ、改正の施設を以て教祖の威信を損ずるものとし、少壮派の改革論を喜ばず。この両派の暗闘は、未だ明らかに表面には顕れざれど、今や鬱勃たる暗雲は、丹波市を中心として各所に漲り居れば、近き将来に於て大爆発を見るに至らん。この衝突は実に天理教の存亡にも関すべき革命の禍根にして、本部の威令甚だ振るわざるの今日なれば、或いは天理教徒の大分裂を見るに至らん。これを未然に防がんとせば、新旧両派共にその極端なるハイカラと固陋の見を捨て、協力一致天理教を以て、世界の宗教を統一せんず意気と抱負とを抱き、小異を捨てて大同に合し、以て勇往邁進せば、豈啻に天理教宗運の永久なるのみならんや、実に天下民衆の福たらん。
其十、天理教は教祖中山美支子の嫡孫玉江夫人の配中山新次郎氏を頂いて管長となせり。これ教祖に対する報恩の意に基づけるものにして、歴史の未だ古からぬ天理教としては無理ならぬ事なれど、彼の大谷本願寺を見るにつけ、永く法祖の血脈を以て教界の首脳となすは、策の得たるものにあらず。もとより累代人物の続出は望むべからず。一朝愚劣の人にして其の位置を保たんか、内外共に威信を失墜する事甚だしく、遂には信徒をして疑惑の念を起こさしむるに到らん。これ予が管長公選の議を樹つる所以である。されど教祖の恩は永く之を忘却すべからず。その血脈を遇するの道は、宗府の外別に相当の待遇法を設け、永世年金の制を定めて之を待つの法なきにあらず。既に現管長の如き、名は実に至高至厳の位置に身を置けど、内々実権はその手に在らず、少数幹部のために制を受くるの実あり。此の如くして現状を持続せば、久しからずして教祖血脈の威信は却って地に墜つるに至らん。予は寧ろ現管長の現状に対して、同情の念を禁ずる能わざるものなり。(本書の印刷中中山管長は不幸にして物故せられたり)<<
ここまでの入力ミス訂正
第一章
誤、──(なんの天理王くらいがと鼻の先で)
正、──(なんの天理教くらいがと鼻の先で)
第二章
誤、──(畢竟協会本部の方針は)
正、──(畢竟教会本部の方針は)
誤、──(以上の四項は其の太洋を)
正、──(以上の四項は其の大要を)
天理教をしっかりやるのであれば集合して組織でやる意味があるのですが、現在の教団は、食べるので必死、将来食えなくなる事が目に見えているのでその不安に駆られて今嘘付いてでも金を集めているのでしょう。教理(教義)から考えるとどう考えても矛盾しか生まれない。教義を主体とした時に中山家一党独裁の矛盾が顕著に成るからこそ組織の上下重視におもきを於いてしまったのでしょう。今まではそれでこれましたが今後はもう無理、宗教団体自体が胡散臭く如何わしいもので今や古くそしてほとんどの団体が確実に誤りであると一般人からも認識されています。どの団体も布教がうまくいくわけがない新興宗教団体でも一握り以下しか伸びていない。
現体制では続けるにしても、中山家は無視して信仰しましょう!と言えどこれにも無理がある。中山体制の終焉なのです。続けても無理をきたしているので必ず衰退しかせず、継続維持すら難しいのが現状です。
これに中山家事態が気がつけないのが気の毒で、追放しようにも出て行きそうに無いただただ寄生虫の様に欲のままに組織を食い荒らす害虫の様に生息しているだけです。組織に必要なものは朽ち果て、離れ、不必要なものが幹を食い荒らしている。これでは教祖中山みきの教えとまるで真逆大木が折れる。ぶどうの房も枯れてなくなると皆さんも気が付かれる事でしょう。
枯れて朽ち始めた木を治すのは至難の業、教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。
>>枯れて朽ち始めた木を治すのは至難の業、教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。<<
時既に遅しです。中山家云々より天理教は実質的にもう終わっています。
>教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。<
中山家が追放されても、ねずみ講的組織のもと、
大教会長、上級会長の経済的精神的パワハラが続くのなら
同じことのような気がします。
やはり末端教会は離脱が一番手っ取り早いベストな問題解決だと思います。
ちなみに、古い元教会長 @huruikyoukaityo さんが
以下のようなアンケートをとってくださっています。
約半数の教会が離脱を希望しているという結果となりましたね。
アンケートの結果が消滅しましたので、再度お尋ねします。
あなたは離脱したいですか?
離脱したい。 46.7%
離脱したくない。 26.2%
思案中。 27%
(投票数122票 )
上記の離脱したくない26,7%の中には離脱したいけど住居を失うから離脱したくない、と言う立場の人達が含まれていると思います。積極的に離脱したくないではない人達の悩みは大きいです。
離脱したいの大方は、気持ちはあっても諸々の縛りで実際には離脱出来ないのだと思います。
天理教は多くの教会関係者の手足を縛って身も心も、またその家に生まれ落ちた子孫にまで家、土地、財産を残す事は出来ず、末代にわたって文無しの不幸に陥れているのです。
天理教の汚さ、今から50数年前の事です。
我が家の教会移転の際、会計予算を提示するよう上級から指示され、土地購入費、建築費、電気工事費、、、等々の中に「埋立て費」の項目があり、田んぼで埋立てが必要な土地であった事から「埋立て費◯◯万円」と父が記載して上級に報告したそうです。そうしたら都合よく勝手に「埋立て」を「理立て」と解釈。それは違う埋立て費用だ、といくら説明しても通さず、結局埋立て費用を理立てとして全額上級に取られました。父は移転の理立てはするつもりでいたでしょうが、埋立て費用分を取られてしまってお金の工面に困窮し、夫婦で泣き言を言っていました。悲しい子供時代の思い出です。黒いものでも白で通す、部内教会には圧力をかけても許される、そんな詐欺行為も精神的暴力行為も当たり前でしたね。
廃れるのは当たり前です。その上級も今では建物ばかりが大きくて閑古鳥が鳴いています。善良な信者や我が両親達からむしりとって建てた無意味な教会堂です。
>>部内教会には圧力をかけても許される、そんな詐欺行為も精神的暴力行為も当たり前
ご苦労様でしたね。お察しします。
自分も大教会、上級には泣かされてきました。
しかし、昨今の上級や教団内の状況を見ていると、神がろくぢにふみ均し始めたなあと実感しています。
崩壊まであと少しの辛抱です。
コロナは終息して欲しいですが、天理教もこのままコロナ体制が続いて欲しいです。今は、つかの間の幸せです。
平時に戻っても今後 巡教にも来て欲しくないし、上級、大教会にも行きたくないし来て欲しくないです。大教会記念祭などにも意味を全く感じません。
100年も前から詐欺体質を糾弾され批判は今に始まった事では無い事を生々しく知り、みんな今までよく耐えたと思います。もう続く理がないし種もない。天理教本部はじめ、自教会も 静かに自然な形で消えていくと思っています。
今、それに向けて教会関係消耗品等の断捨離に努めていて、過去の栄光?にまつわる登り旗や40枚、50枚に登る団参の時首に垂らす手ぬぐい様のタスキ、子供おぢば帰りの帽子類数十枚、捨てました。神具倉庫の中の古いお社はただの入れ物と思い焼却場へ捨てました。教祖90年祭時に配布された館形状のお供え貯金箱も近く焼却場にゴミと一緒に捨てに行きます。お供えに脅迫されていた過去の自分と家族を思うと忌ま忌ましい限りです。
講社から返却された古いカンザネサマを開いて見たら錆びた8角の金物が入っていて、ものものしく織物袋に包まれています。こんな物を火事の時に一番に持って逃げると聞いていますが、馬鹿馬鹿しい事です。命の方が大切です。講社は全国的にも日々消滅していると思われますが、皆さん、どう処理されているのでしょう。
「埋立て費用」を「理立て費用」に「勝手に変換」とは詐欺行為そのものでしょう!!!
数々の理不尽な行為を被害者周辺だけが事実を知っている、これが黒歴史継続の一つの原因であったかもしれません。
虚偽の話はそれこそ神様が許されませんが、神を背負って自分の悪徳行為を正統化するような組織の行為は、広く社会に知らせる事は、信者としての社会的責任を果たすことに繋がります。
けれど、なかなか、こうした内部告発は、表に出ません。それは周囲の人をも巻き込むことが確実だから、教内での婚姻によるがんじがらめの人間関係が足かせにもなっているのでしょう。
内部告発の方法で、一つ提案したいことがあります。
自分を守りつつ、情報を公表してください。
・自分の事として書かずに、人から聞いた(知人が・・。友人が・・。)事として表現。
・実名を想起できる範囲で、頭文字+誤字表記、地方名(大阪近郊、近畿地方の、東京都23区内の等々)。
以前からも社会学では上記のような表現で書き込みがあります。
するとそのすぐ後に「名誉棄損で訴えられますよ」と、短文の脅かし投稿が現れます。
「名誉棄損」「裁判」という言葉が好きな人物です(笑)
もっとも、天理教では裁判と言えば墓穴を掘る結果になるのですがね。
お供えが蜃気楼のようにように信者の目を曇らせていたが、コロナ禍でその曇りが晴れて、心もスッキリ晴れ渡り、おじばの呪縛から離れ、世界のどの場でも信仰できると目覚めたのです。
各地の教会は本部から独立した後、地域に根差し、地域の人を助ける「普通の教会」として残ることもできるのではないかと思います。教会家族が教会に居住することだけは包括関係を解消すればかなえられますので、信者さんたちとの心を割った話し合いを始めてはいかがでしょう。
2020年5月14日 10:40 PMの匿名様の投稿を拝見して、改めて天理教の闇を思い出しました。
以前に投稿した内容ですが、もう一度投稿します。
大都市の中心部にあった大教会直轄分教会は600坪余の土地に古い会堂が建っていました。当時の会長の身上と旧教務支庁舎として使われていた関係から、構造上の問題等があるとの理由から、大教会長から新しい神殿の建築をとのお諭しが出た。
先ず、客殿のとりこぼちをすることになったが、この建物は二代真柱が度々利用していた経緯があって、大教会に移設することになった。(大教会来賓棟になった)
ところが、建築費用が思いの外高価になることと、せっかくの計画が、神殿はおぢばの方へ向け拝が出来るようにとの指針から、客殿の移設は出来たものの、神殿建築は頓挫してしまう。
そのような折に、昭和43年11月に立地の市から土地を譲ってほしいとの申し入れがある。これこそが、鮮やかなご守護と受け取られることになった。
紆余曲折があったものの、同年12月18日に市との売買契約が成立した。くしくもこの日は教会の月並祭の日であった。
翌年の昭和44年1月には移転建築のお許しが出て同年10月に移転建築落成奉告祭が行われた。
ここまで書くと、土地売却から移転建築まで全てが順調に進んだように見えるが、内実は大きくゆがんでいた。
それは、神殿建築費用の問題であった。当初、建築費用予算は4千万円であった。建築業者も会長の姉の嫁ぎ先である同じ大教会の直轄教会の信者さんが経営する建築業者だった。
此処で起こった最大の問題点は、建築に先立ち大教会長から1千万円をお供えするようにとのお諭しが出てきたことだ。結局、建築費用4千万円から出さざるを得なくなり、建築費用は3千万円に減額されてしまう。
結果は、後々大変な苦労が待つことになってしまった。25%もの費用を削られて建てられた神殿は酷いものだった。雨漏りはするは壁は剥がれるは、使われた材木も一見して質の悪い物だった。
後々、雨漏りの屋根の吹き替えに1200万円を要することになった。壁の補修に250面円が必要になったなど、部内教会始め信者さん方に多大のご苦労を掛けることになってしまった。
教団本部は、これら一連の行事に付きものの、お許しという行為でおカネの流れをつかんでいたのは紛れもない事実だ。それ故に1千万円もの供えを要求してきたのだろう。後々の信者さんたちの苦労に思いが及ばなかったのだろうか。
端々のことなど、どのようになろうと知ったことではないという思い上がりというか、恐ろしいまでの金銭欲に信仰の理念は吹き飛んでしまった。
拙い文章になりましたが、この文を読まれて思い当たる節がおありの方が居られることを願っています。
余談ですが、この教会に昭和58年1月に三代真柱がお入り込みをしている。よくもしゃあしゃあと来られたものだと、今更ながら思っています。
この欄には数々の末端教会の窮状が綴られていますが、大教会直轄教会でも似たような状況にあったことは事実です。この欄に天理教と書き込むだけでも気分が悪くなります。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第四章 天理教の財政
世人は彼の各所に巍然として聳えたる教会の大廈高堂を見て、その財政の裕福にして余資の綽々たるを想察するならむ。されども是れ表面皮相の観察なり。その実に豊富なる財力を蓄うるものは、全国数千の教会中、僅かに数十を算するに過ぎず、他は皆な窮々として余喘を保てるもののみなり。彼等は決して財政的に本部の保護を受くるものにあらず。否、却って冥加的に「おつなぎ」を献じて、常に本部を富ましむるの機関たり。ゆえに本部は益々富みて、各種の教会は愈々窮す。予の知れるもののみにても布教の本分を盡すなんぞは暫らく措き、如何にして教会を財政的破滅より救わんかと、俗中の俗事に頭脳を悩まして、日夜苦慮奔走し居るもの、東京市内とその附近のみにて尚お数十を数うべし。この外、全国に渡りては、殆ど瀕死の境に彷徨せるもの枚挙に遑あらず。或いは言わん「日の寄進の発展かくの如くして、尚お然かく窮乏するの理あらんや」と。ところが実際だから争えぬ。これ皆、彼等が盛んに日の寄進の行われたる際に於て、教会の基礎を固むることを知らず、驕奢堕落に財を靡し、多くの信徒を泣かせた結果、今日却って信徒中の、住まうに家なく食うに食なき者共を、教会自ら救護せでは叶い難き。多くの日の寄進中毒者を生じ、一面には新入信徒に対する日の寄進、意の如くならず。しかも本部の誅求は虎狼よりも尚お猛くして、殆ど飽くことを知らず。これに於てか教会たるもの、勢い宗教家の仮面を脱して、金銭を貪るの猛獣と変ずるは、小人輩に免れ難きところなり。然らば顧みて本部は何如、教祖の没後本部が貪り得たるところ、驚くなかれ実に何億萬を算すという。ああ日の寄進の威力もまた偉ならずや。さて、この巨額の金はソモ何れの方面に費消せられたるか。その費途もまた多岐多端にして、容易に計上すべくもあらざれど、幹部員の驕奢蓄財は言を待たず。この外、実に言うに忍びざるの費目数千万に達する事を、ここに詳記せんとすれば、驚くべき方面に意外の怪我人を輩出するを奈何せん。上下共に醜陋の人を以て満たされたる当世に、些か血清療法を行わむため、大に筆誅を加うるは、快は即ち快なれども、異常の事を敢てして、社会組織を潰崩せしむるが如きは、著者の好まざるところ。異日、必ず天自ら之を言うの期もあらむと、先ずこの辺にて口を篏し、(賄賂を貰った為ではねーゼ)さて本部が今なお握ってござる資財が、表面と内面とでは、正に○○○、○○○、○○○、この外○○の○国へ、オット此奴は天機洩らすべからず。意地の悪いようだが言わぬが花で、書いたからとて害にはならぬが少しも益にはならぬ。それよりも次章で述ぶべき改革策、一名(別名)天理教救済論を是非に断行させる為、その資金として内々に取って置き、帳面上のスパヌキ丈は、預かって置くこと此の如し。<<
言うに忍びざるの費目数千万。詳記すれば意外の怪我人を輩出してしまうとは、おおむね女性関係ではなかろうか。伏せ字の部分は一体何だろう。
匿名
2020年5月15日 9:31 AM
コロナは終息して欲しいですが、天理教もこのままコロナ体制が続いて欲しいです。今は、つかの間の幸せです。
緊急事態宣言が解除された地域でも三密行為、集合行為は依然としてクラスター化するのは間違いないので原則禁止です。これは公共の利益から考えて宗教法人として独立性をもっているにしても、公益性は必ず無視できません。つまり公益性の下に宗教法人はあるからです。つまり公共の利益に反する事を教団がするのであればそれは官公庁の指導領域になります。つまりあまりに公共性公益性を損害するようであれば教団に対しての解散命令もありえるのです。
教団で行われるような、集合しての礼拝行為、集合しての賛美歌などの唱歌行為、食べ物の提供なども感染原因になりますので公益性を反する行為になります。
お願いづとめ の結果虚しくこのコロナ禍、これが紛れも無い天理教と名乗る中山教の真価です。これを機に現教団の中山教であり天理教にあらずのあり方などが信者さんにも周知され脱会や独立が盛んになってきているようです。教会を営めど近所に通報をされ市役所等の指導が入りお勤めは中止せざる負えなくなった。その反面勤めしなくてもの本当の現実が見えてきた方々、お勤め参拝等の礼拝行為にこだわり続けた本部の懐疑心は高まりを越え一気に皆さん気が付かれたようです。
親神などと言う神は、中山家のでっち上げで中山家の都合により創作された神です。本当の神はこのコロナをもたらし中山教への戒めとして更なる経済困窮を与えるでしょう。不動産収入も今後激減します。信者の金で隠れてビルを建て、騙しては信者の土地を没収しては売却した罰でしょう。
神は見ている。次は何を奪うのか?楽しみです。天理教が善だとすれば、中山教は異端ですので当然悪です。皆様方くれぐれも騙されぬ様お気をつけ下さい。
>お願いづとめ の結果虚しくこのコロナ禍、これが紛れも無い天理教と名乗る中山教の真価です。
「お供えしないからいつまでたってもコロナが終息しないんだ」とか言いそう(~_~;)
人助けなんざ何もしてないぞ。陰湿過ぎて腐りきった宗教。絶滅しろ。穀潰し!!!!!!!!!
教会の子供でも引きこもりは存在してるぞ。
今後どうするのやら。
天理教の騒音公害
ツイッターより
あー始まった始まった
非常識宗教団体の大騒音祭りが
#天理教 #騒音<<
他人に迷惑かけまくってる組織が「たすけ合い」なんて教義掲げてんのマジ失笑モンなんだけど
#天理教 #騒音<<
しゃあねえ
クソ宗教団体のクソ太鼓騒音なんて聴きたくもないし、昼間どっか出掛けるか
在宅中だから外出バレたらまずいのによ
あーむかつく<<
うわっ……最悪
隣のチンドン屋、紫の旗出してんじゃん
今日15日だから昼間クソ太鼓か
死ねよ天理教
なんでよりによって在宅の日に
死ねよ天理教(2回目)<<
あーむかつくむかつく
なんで俺が耳栓して寝なきゃいけないんだよ
このチンドン屋カルトの隣に来る前は一度も耳栓なんてしたこと無かったのに
そもそも耳栓って何?レベルだったのによ
ほんと騒音だけは許せない<<
住宅街で不要な騒音を出すヤツは死んでいいぞマジで
自分たちだけ良ければいいと周囲の迷惑考えないお猿さんたちは殺処分されても文句言えないからな
騒音馬鹿のせいで崩壊する家族が周囲にいることを覚えとけ
道路族然り天理教然り
隣のヤツらは俺がキチガイや半グレじゃないことに感謝した方が良い<<
また親父とお袋が「外が煩くて眠れない」「気になって目が覚める」とかワーワー喚いてる
この町(と言うよりチンドン屋カルト天理教の隣)に来てから、ずっとこんなクソつまんねえ会話ばっか
なんでこんなしなくても良いような会話で荒まなくちゃいけないのか
マジでうんざりだな<<
以上の様に、天理教教会の視野狭窄と自己満足の為に、その騒音で関係のない一般市民の方々にどれだけの苦痛を及ぼしているかと言う事です。
苦情に対し行政からの立ち入りがあれば太鼓や鐘の騒音も止めざるを得ないでしょう。実際お勤めが出来なくなった教会もあるようです。一般市民は泣き寝入りする事なく静寂な時間を取り戻す為、行政に相談した方が良いです。
今回のコロナ禍で、教会月次祭への参拝を強制しないよう本部から通達が出されました。これは信者家族からの苦情によるものです。同様に教団本部は都市密集地に於ける苦情を踏まえて、教会のお勤めの自粛、騒音ととらえる一般市民への配慮があって然るべきで、今回のコロナでの学びを生かして、お勤めの実行は柔軟にと言う通達を同様に出すべきだと思います。
どちらも庶民の苦しみを、そして末端や信者の苦しみを知らない能天気なアホ共
↓
うちで踊ろう 首相 安倍晋三
https://www.youtube.com/watch?v=HSwjr38vm8o
うちで唄おう 中山大亮
https://www.facebook.com/100015383509409/posts/807542089768567/?d=n
匿名
2020年5月16日 2:44 AM
子供を出汁にしてる時点で信用ならぬ夫婦です。今時インターネットに子供の顔を安易に晒す親はどうかしてます。ライン狂いのぶえちゃんだけネットで楽しんでて下さい笑 二番煎じ三番煎じただのパクリの中山教団に未来は見えません。
ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!
これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。
りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!
>>教内での婚姻によるがんじがらめの人間関係が足かせにもなっているのでしょう。<<
本当にその通りですね。右を見ても、左を見ても血縁ばかり。それなのに、お互い顔を合わせれば他人行儀な長々とした挨拶を交わす。目に見えない上下関係が隠然と見え隠れする。
普通ならば、いよぅー!、元気か。で済むものを。江戸幕府そのままの悪しき儀礼がまかり通る組織。
バカバカしい組織です。絶対に近づいてはダメですよ。
匿名
2020年5月16日 6:08 AM
>>ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!<<
皆さんの思う通り歌ってる暇が有るなら全国の経済困窮している教会を救えないのかな?人助けの宗教なのに?と当たり前に疑問が浮かびます。この大亮さんと言うお方は1人では何もできない人のようですね。どうも嫁と子供を出汁に高感度を上げたいようにしか見えません。娘さんもお父さんにそっくりと言うか、やはり近親の血族との噂が一目で分かりますね。血が濃い家だと他の嫁ぎ手もいなくなるので悪循環を繰り返しているのでしょう。一方教団には経済困窮でインターネットに接続できない層もたくさんおられるのに何故この教団はインターネットを使うのか意味が分かりません。搾取したお金でネットで能天気に無駄な動画を流すダメ教団であるのは確かですね。
歌ってる暇があったら、コロナ終息のお願い勤めをしようと思わないのでしょうか?一回したらやったつもりですか?だから全国の信者、教会が本部の正体を薄々気づき始めているのです。
ノー天気で低ノー。皆さま仰る通り、子供と嫁を利用しなければ自分一人では何も発信出来ないのですかね、次期真柱は。真柱も軽くなったものです。
コロナ禍における神の取り次ぎをして下さいな。大亮君からして親ばか自己満足で視野狭窄だから、今自分が為すべき事が何なのかが全く見えてない。良き夫、良き父親の前に、天理教教団本部の少なくとも次期トップでしょ。今日本国内、全世界が苦しんでいる前代未聞の事態です。この事態に夫婦親子で居間でくつろいで歌で応えるんですか?!世間のフツーの夫婦と同じか又はそれ以下です。立場をわきまえて為すべき仕事をしてください。我々信者にとってあなたは耐え難い程の情けない存在ですから。
宗教法人がバックとなっている株式会社天理教館は資本金も中小企業の域を超えている。
疑問の一つは、2020年4月現在の社員数が54名とあることだ。
公募されたのだろうか?天理時報に社員募集の広告が掲載された記憶は無いのだが。
知り合いの会長の息子がこの中の施設に勤務していることを知り、調べてみたのだが、恐らくは公募は無いだろうし、教内での公募もしていないのだろう。
人事は天理教団の中で、推薦という形の権益で決まるのだろうか?
お供えに頼らず何らかの仕事に就いて収入を得るための場と思えば結構な事だが、一部の人々のための職場であっては「強欲」と言われても仕方がないだろう。
生活に困る教会関係者の悲鳴が上がっている現在、何らかの救済策を真柱後継者の大亮さんに訴えてもスルーし、そのくせ嫁と子供と一緒に歌い興じる姿を悪びれることなくFacebookに載せている。
このような他人の痛みに対する鈍感な人には何も解決策は期待できない。
以下の財産を54名の社員のために事業を今後も継続するべきか否か、考えて頂きたいものだ。
しかしそこには懸念がある。
恐らくは救済策に回すことはしないだろう。
自分たちのための美味しい財産は残しておくのだろう。
株式会社天理教館 http://tokyotenrikyokan.co.jp/company/
※会社概要
会社名 株式会社 東京天理教館
本社所在地 東京都千代田区神田錦町1丁目9番地
設立 1960年6月
資本金 410,500,000円
代表取締役 小谷 幹雄
社員数 54名(2020年4月時点)
※事業所一覧
本社 東京天理ビル
東京都千代田区神田錦町1丁目9番 TEL 03-3292-0502
横浜支店 横浜天理ビル
神奈川県横浜市西区北幸1丁目4番1号
本郷支店 本郷天理ビル
東京都文京区本郷3丁目16番4号
福岡支店 福岡ようきビル
福岡県福岡市中央区大名2丁目10番29号
駒込支店 東京スイミングセンター
東京都豊島区駒込5丁目4番21号
※所有賃貸物件
東京染井温泉SAKURA ・・東京都豊島区駒込5-4-24
本郷天理ビル第2駐車場 ・・東京都文京区本郷3丁目102-8
天理三島荘 ・・奈良県天理市三島町159-1
天理わらく荘 ・・奈良県天理市指柳町318-1
天理駅前駐車場 ・・奈良県天理市川原城町675
天理300番地駐車場 ・・奈良県天理市川原城町300
熊本春日土地 ・・熊本市春日2-746
※会社概要には抜け落ちていますが下記も賃貸物件です。
神田錦町ようきビル
東京都千代田区神田錦町1丁目13番5号
敷地面積 204m2
建築面積 173m2
延床面積 866m2
基準階床面積 173m2
構造・規模 地上5階、地下1階、塔屋1階
鉄筋コンクリート造
エレベーター 1基
主要設備 空 調:各階各室個別空調
床仕上:OAフロアタイルカーペット
その他:カードキーによるオートロック方式
(24時間対応)
設計・施工 株式会社 竹中工務店
>>生活に困る教会関係者の悲鳴が上がっている現在、何らかの救済策を真柱後継者の大亮さんに訴えてもスルーし、そのくせ嫁と子供と一緒に歌い興じる姿を悪びれることなくFacebookに載せている。
このような他人の痛みに対する鈍感な人には何も解決策は期待できない。>>
仰る通りです。
ぜひここは、本部、大教会等理の親たちに、
おやさまの貧のどん底のひながたをたどる姿をお見せいただきたいところですね。
なにもしないしできないでしょうけど…..。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/oyasama/
天保9年(1838年)10月26日、「月日のやしろ」と定まられてからは、
まず「貧に落ち切れ」との親神様の思召のままに、
「貧しい人々への施し」に家財を傾け、
貧のどん底への道を急がれました。
まるで狸のだんなと狐の女房の化かしあいのようなイメージの動画です。
天理教は信じない
親神様は信じない
神様のみ信じます!
無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。
神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。
こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。
天理教の人間は人ではないんですか?
簡単に傷つけて良い存在ですか?
皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。
それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。
こんなのいじめです。
私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
まだ自分達の3分の1程しか生きてこられていないんですよ。
一斉に皆で攻撃しますか。
すみません。半分弱ですね。
自分達の20代はどうだったんですか?
普遍の真理を逸脱して自我のまま生きることは、一種の自由を感じられることでしょう。
でも自我を野放図にのさばらせておけば、結果として普遍の真理が待っているのです。
その普遍の真理の究極の結果の中に入る頃、情報発信は出来ないんです。
客観的に見てお伝えしています。
弱者イジメの連鎖を生むムゴイ心を超克して、より優しい喜び多い人間世界を実現しようという、神の想いを伝えた教祖の教えと、その実現の為の中心地であるお地場の人事にこれほど乖離ができているのは何故なのか?
中心地の責任者達が世界を啓蒙先導するどころか、世界のお荷物にさえ落ちようとしているとしたら本当に悲しい寂しい限りですが、今回の疫病の蔓延をただ単に神による大掃除の一環と云うだけではなく、具体的に本部人事の洗い替えを含めて、人類の未来の為のメッセージを発信し続けて頂きたいと願います。
不変の真理の発信元としてのお地場の再生を望みます。
>>こんなのいじめです。
バリ天の親をもった末端教会子弟や信者は、
まじめに貧のひながたをたどり、爪に火を灯すような生活をしております。
中にはそんな極貧生活が自分の希望ではない人も大勢いるでしょう。
また昨今では「貧に落ちきれ」の教理も、研究が進んで信憑性が疑われつつある中
搾取用の偽教理に怒りを覚える末端や信者も増えてきています。
真面目に貧のひながたをたどってきた人たちのなかには、
一生独身で、家庭も子供も持つことが出来ずに終わる人たちもたくさんいます。
(それぞれ個人のせいだといわれるかもしれませんが、貧困が連鎖することはまぎれもない事実であり、
貧困が未婚の原因になることも大きな要因の一つです)
大亮は、公益性が求められる宗教法人の次期代表であり公人です。
Twitterで窮状を訴えられても無視をし、
極貧生活をしている人たちのただでさえ苦しい日常が、
このコロナ禍でさらに苦しい状況に陥っていることをまったく想像することもしないで
インスタグラムやFacebookで
呑気に嫁と娘との幸せを見せびらかすようなことを無神経にもしています。
しかもその生活は、他人の「人生をかけた極貧生活」よって支えられている生活です。
これは人の神経を逆なでする行為であり、
はるかに
大きなおおきな」 『いじめ』 にも等しい行為です。
だから叩かれているというのがわからないのですか?
アホな擁護派の 匿名 さん。
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。天理教の人間は人ではないんですか?簡単に傷つけて良い存在ですか?皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
そんな薄っぺらい意見は今まで散々ここで見て来ました。教団の歴史と中山家の犯した罪をちゃんと調べてから意見した方が良いです。中山家は天理教のふりをし中山教をしてきたのは紛れもない事実。ここ数年で起きた事情、身上を見れば明らかに中山家の積み重ねた因縁、わが身恨み、因果応報
20代なら何でも許されるんですか?中山大亮が皆の前で売春婦を買ったと発言しても良いんですか?自分の意思が無い赤ん坊を親の都合でネットに顔をさらして良いのですか?この無知で低能の20代にあなただけは命を預けたら良いのでは?といくらでも反論は出ますし、あなたに対しての反論は私以外からも数多く出てくるのでまず賛否様々な情報を学んでから意見されるべきです。それにこれは、教団内の天理教VS中山教 の宗教戦争ですのでそれに関わりたくないのであれば意見は差し控えたほうが良い。
それに気味自体も騙されていることに気が付くべき「中山は天理教にあらず中山教なり」です。中山家は金銭目的で教団を牛耳り天啓者を追い出し現在の中山真柱体制を作り上げたという紛れも無い事実が現在も残っている。
「法人乗取り、甘露台倒壊、信者の金でビル所有、真柱身上、学校法人廃止、他方人土地搾取と売却、大教会競売、分教会各地競売、等」
と嘘偽り宗教家として人としてあるまじき行為の歴史を積み重ねたのが他でもない中山家です。
いじめ?とんでもない。中山家がどれほど本部内、教内、大教会、分教会をイジメてきたか知らないからそう言う事をいえるんです。あなたもそのように悪徳中山に方を持つだけで中山が教団にして来たイジメに加担することに成りますがそれでも良いのですか?あなたは人間じゃないんですね。
と言い返されます。
>こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。
>天理教の人間は人ではないんですか?
>簡単に傷つけて良い存在ですか?
以下、ずっと天理教(中山教 理の親教 お供え教)が行ってきた主なカルト的脅し
〇 天理教を辞めると不幸になる
〇 天理教にお供えしなければ命がない
〇 理の親の言うことをきかないと身上(病気)や事情になる
等、挙げればきりがない
言い換えて反論してみましょう
こんな風(上記のような)に末端や信者の子弟の心を脅して平気で傷つけることは反対です。
天理教教団弱者の人間には人権はないんですか?
簡単に傷つけて脅して搾取して良い存在ですか?
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第五章 根本的改革策
前章より追々陳べ来れる如く、天理教の現状たるや、各所の教会は亡滅に垂んとし、附属の信徒は日の寄進のために、その肉を喰われたるのみならず、その骨をしゃぶられ、今や家族と共に飢寒に泣くもの七十万に超え、進んでは天理王の尊の神恩に浴すること能わず、退いては教会の扶助に限りあり。この如くして本部は何時までか、独り栄華の夢を貪り得るものと思惟するにゃ、信徒の衰亡は教会の破滅を招き、教会の破滅は本部の爪牙を失うて、やがて天理教の全滅となるべきは、火を見るよりも明らかなり。思うて是に到れば、著者の如き無縁の者も尚おかつ天理教燼滅の日に於ける惨毒を想うて、慄然たらざるを得ず。病すでに膏肓に入りて、救う能わざれば則ち止む。苟くも之を救うの道あらば、上は天理の為、下は七百万信徒の為めに絶大の英断を惜しまざれ。著者は至誠の心を以て天理教の益友たる立場より、あえて左の二策を献ぜんとす。
其一、 天理教生命保険相互会社の設立
如何に宗教は営利事業にあらずして救世の天職なりとはいえ、教会の維持費なくては立ち行かず、布教の資なくては人を導くことも成り難し。是に於てか其の資を信徒に仰ぐの要起こる。これ天理教に日の寄進ある所以なれども、従来の法にては其の労多くして得るところ甚だ固からず。况んや名をお道に籍るの醜徒その途に充満して、蠧毒を天下に流すは前述の如く、弊の底止するところを知らず。これ乃ち断然日の寄進を全廃し、新たに生命保険相互会社を起こして、天理教会収入の基礎を永遠に確立せむことを、ひたすらに慫慂する所以である。
そもそも生命保険なるものは、こと新しく爰に説明するまでもなく、一種の強制貯金法にして、これを大にしては国家の基本を安んじ、これを小にしては一家将来の安固を計るの道なれば、左なきだに宗教家の立場としては、その信徒に之を奨励勧誘すべきものである。孔子も言わずや、恒産なきものは恒心なし、衣食足りて礼節を知ると。これ真に千古の金言。常の産なきものは如何に心を善道に置くとも、妻子の飢寒を見るに忍びずして、心ならずも其の節を変じ、知らず知らずに天道に背き、終に人道の罪人となるは、古今みな人情の免れ難きところ。陋巷に住んで臂を枕とし、水を以て酒に代うるとも楽其の内にあるは、顔淵にして始めて之を得べし。末世の人々に向かって、渇するとも盗泉の水を飲まざれと、口を酢くして教うるとも、いかでか之を守らるべき。綿服なりとも暖かに着、粗飯なりとも飢ゆることなくば、更にそれ以上の贅沢をなさん為、道ならぬ事はなさざれとの教えなれば、人々その説に耳をも貸すべし。飢寒に迫れるの人に向かって、何程有り難き説法を説き聞かせばとて、朝に道を聞かば夕に死すとも憾みなしと、往生観念の容易に出きるものにあらず。このくらいの事は明治大正の世になりて、著者が初めて発見した新説にあらず、ズーっとの大昔から幾万年の後までも、千古不易の人情なれば、宗教家たるものは此のへんに留意して、先ず第一に其の信徒をして衣食住に困らぬよう、相当の方法を授けるが肝要。第二は律義に稼いだその中から、勤倹貯蓄を心がけ、一朝不測の災厄に逢うても、一家が乞食にならぬよう、日頃の用心をさせねばならぬ。ところで貯蓄の方法は銀行もあれば郵便貯金の制度もあり、その他仕方は様々あるが、少し貯まると心に油断の出来るが人情。殊に何時でも引き出すことの出来るというが、重宝に似て実は然らず。無ければ無くて済む事にも、つい引き出してしまうが世の習い。そこへいくと保険金の方は、一旦払い込んだが最後、中途で止せば兎も角も、引き出すということが絶対に出来ぬ。これが一種の強制貯金で、イヤでもオーでも年限の満つるか、途中でヒョックリ死ぬまでは、掛け込む一方で後戻りがならぬ。ちょっと不便のようにも思うかしれんが、イザという時思い懸けもない纏まった金が受け取れるので、充分に一家の振り方が附けられる事になる。此所の道理を呑み込めば、生命保険の味は止められぬ。そこで天理教の教師は布教の傍ら保険の勧誘員になり、各所の教会は一種の代理店で、着実に営業を励んでさえいれば、年々本部はこの収益のみでも並々の事ではなく、各教会は教会で相当の歩合を受け、教師は名々保険勧誘の成績次第、それ相当の募集費に有り付き、さらに一歩を進むれば、信徒の被保険者が保険金を受け取った時、一割とか一割五分とか予めその額を定めて、教会へ日の寄進に附き、その内本部へ何程、代理店役を務めた教会が何程と、浄財の分配を受くるとても差支えはない。ややもすると世間の人は、苟くも宗教家ともあるべきものが、俗世間の人々のように、営利の事業に手を出すは、その本分に背いて、甚だ穏やかならぬなどと、了簡の狭い議論をする者もあるが、如何に宗教家なればとて、食わずに生きて居らるる筈はなし。この点は俗人も同様、相当の収入がなくては、本人は申すまでもなく妻子眷属の養育が出来ぬ。元来、著者日頃の意見は、左なくても宗教家たる者は名々生活のためには別に本業を営み、布教のためには一厘半銭の報酬をも受けぬ事にせぬと、百弊がそこに生まれて、終に今日の宗教界のような、堕落無慚のものとなるが古今の通弊と決まっている。されば宗教家だからとて衣食住のために、皆相応の家業を営むのに何の遠慮が要るものか。イヤ遠慮どころか大いに進んでやるべしである。況や天理教が一面には信徒に勤倹貯蓄を奨励する傍ら、自己の材用にも充つるため、保険会社を営むは、実に一挙両得の名案と言わねばならぬ。
さていよいよ天理教が生命保険を自営するとなったら、各地に置くべき診査医に、平素信徒一般の診察治療を引き受けさせ、診察料や薬価を特に割引して、信徒の便宜を計る事にすれば、今日のように祈祷や神水で病気の平癒を頼むより、遥かに御利益が現実である。この法でいけば診査医もまた相当の患者を得て、自然被保険者の診察料を軽減する事もでき、四方八方諸共に一方ならぬ便宜を得るは明白である。
およそ世の中に、営利事業も沢山あるが、生命保険ほど彼我共に割の好いものもタントはあるまい。然るに当今社運の振るわぬものが数あるは何故なりやと、その原因を尋ねるまでもなく、同業者の多いため、容易ならぬ競争募集費を要するためで、言わば費用負けがするのである。これさえ無ければ保険会社は万々歳、二割三割の配当をして、なお十二分の積立金がグングン出来て行くのである。現に日本でも五大保険会社などの成績を見れば、世間で涎を垂らしているではないか。然るに天理教自営の会社なれば、募集費額が幾らも要らず、それこそ万々歳以上である。ただ、これに一つ大いに最初から用心せねばならぬのは、制度の完全と当職者の人選に注意して、常に紀綱の振粛を怠らぬようにせぬと、とかく甘いところに蟲が群かるテ。
其二、 植民地開拓の雄圖
天理教徒現在七百万の凡そ一割に該当すべき七十万の人々が、極端なる日の寄進中毒で、無資無産の身の上と零落れ、この先を如何にせんと信徒も教会も共に途方に暮れつつあることは、いかに押し隠しても其の事実を掩うことはできぬ。これ等多数の窮民を、本部は抑も如何にして、今後永遠に飢渇より救わんとする所存なるや。一人に対して金百円の資を給せんとするも、尚お七千万円の巨額を要すべし。これは到底本部に於て実行し得べしとも覚えず、仮に百歩を譲りて、本部にこの雅量ありとするも、物価騰貴の今日、到底百円金は一家生計の基礎を定むるに足らず、況やこれ等の窮民は、久しく金銭に餓えたる事なれば、俄かに得たる金円を着実に利用するものは少なく、必ずや酒色に耽湎して、忽ちに雲散霧消するは必然。かくては折角の救済法も更にその甲斐なし。これに於てか予は断乎として、天理教本部に強うるに植民策を以てせんとす。植民策とは何ぞや。天理教徒の窮困者中より、まず身体の強健にして農事の経験あるものを駆って、第一朝鮮第二北海道その他へ移住植民せしむるの法なり。由来植民政策たるや、敢て天理教徒のみに限れるにあらず。現在我が日本国の現状は、明治以来年々五~六十万の増率を以て人口を激増し、明治十年頃に於て三千五百万に足らざりし人口は、現在六千万近くを算し、遠からず七千万にも達せんとするの有様に至り、一方に殖産興業の蹟を顧みるに、耕地の増加は僅かに五十万町歩内外に過ぎず、その生産する所を以て、到底この多数の国人を養うに足らず。さりとて工業の未だこれを補うに足るべき進歩は望み難く、これに於て乎食物の騰貴に労銀の低廉を伴い、今や蕞苒たる本島の所産を以て自ら俸すべくもあらず。たまたま海外移民の挙ありといえども、政府の外交これに伴わざるため、到る所一として成功せしものあるを聞かず。この如くにして更に数十年を経ば、生産不足のため、まさに自然の亡滅を見るに至らむとす。寒心に堪えざる問題ならずや、政府もこれに観る所ありて、さきには北海道移民の法を講じ、今やまた朝鮮に於て内地よりの移住民を歓迎せんとす。然れども由来我が日本人の固性として、とかく祖先墳墓の地を離れて、遠く海外へ雄飛するの勇気に乏しく、たまたま壯圖を懐く者ありても、資力これに伴わず。遠く外国に植民地を求むる事はさておき、帝国の領土内たる台湾か朝鮮にさえ、未だ移民の見るべきもの一つもなし。これ政府の施設完からざる為とは言いながら、一面には華族富豪の輩が、徒らに一家の安を貪るのみにて、空しく巨資を擁しながら、絶えて国家に貢献せんなどの考えはなく、個人の栄華さえ久しければ、能事終われりとなすの現状にて、箸にも棒にも掛かる手合にあらず。かかる頑冥不霊の者どもを説諭するには、蘇秦張儀の弁を以てするも、なおかつ数十年を要すべく、到底急の間に合う見込みなければ、ここぞ一番天理教が、一大奮発を以て世間に率先し、一つには年来蒔いた罪業消滅のため、二つには国家への御奉公、三つには困窮信徒救済のため、かねて蓄えたる巨資の一半を投じて之が資金に充て、たとえ始めから一旦には出来ぬまでも、徐々として怠らずば、ただに教徒を救い得るのみには止まらず、終には一般人への模範となり、我も我もと之に習わば、人口過剰の声も自ら消え、新領土を真日本と化成することもでき、十数年を出でずして、日本全国をこの頃の不景気より救い出さば、天理教の功徳もまた無量と言うべきである。
説を為すもの或いは曰く、半官半民の拓殖会社が現に朝鮮に出来てはいるが、その成績が頗る面白くない。この外にも民間の有志家で、朝鮮に移民の企てをした者が少しはあるが、何れも思うように行かぬところを見ると、朝鮮移民問題も案外、内地で畳の上の議論をするほど値打のあるものではないかも知れぬと、これ羹に懲りて膾を吹くの愚論ぞや。拓殖会社なるものは、只一の地主会社たるに過ぎず、朝鮮の大地主となって、土地貸下げには多少の便宜を與うるとも、移民そのものに移住の資力なくば、首を伸ばして待てばとて、お客さんのあるべき筈なし。加うるに、お役人さんなどの遣る仕事で、うまく行った例しを聞かず、私営の頃には相当の成績を挙げた仕事でも、お上のものとなってから儲かるものは、誰が遣ってもきっと儲かる煙草専売か塩屋さんくらいのもので、その外何一つとして、これは感心と言えるようなものはあるまい。殊に人殺しをするより外には浮世の御経験が更にない、金筋連なんぞを親玉に担ぎ、役所で煙草を燻かすが商売の、お役人さん達に任せたとて、百姓のコツなどが理解るべきものにあらず。さて、その次は民間の有志家が遣ったというが、これも先ず以てお役人仕事と大同小異。殊に資金が甚だ不潤沢で、始めた一年目か二年目には、最う相当の収益が見られるものと誤信して、遣ってはみたが後が続かず、加うるに根が営利本位で、過剰民救済のため献身的国家的に企てた仕事ならねば、頭から辛抱気が薄く、少しばかり遣ってみて、想うように行かぬと忽ちシビレを切らしてしまう。こんな風では移民事業ばかりでなく、何一つとして箆の遂げらるる筈なし。そこで本真の真面目に、鉄の甲を被って遣ろうというには、少なくとも一年くらいは費やして、十二分の費用をかけ、場所の選択、風土の相違、地味の適否は申すに及ばず、土地の風俗、周囲の状況、生活予算に至るまで、残すところなく取り調べ、慌てず速らず十年計画というような事にして、相当な学識のある技師を聘し、農業に充分の経験ある老農を助け、おもむろに天理村を建設せば、何の成らずという事あらん。ああ幾万の天理教徒よ。予がこの言を以て座上の空論とすることなく、能く冷静に、能く真摯に、信徒の前途を想うとともに、教祖の真意を理解せば、柳の下の泥鰌を夢見て、何の発明する所もなく、空しく旧套を墨守して、徒にその亡滅を待つの時にあらず。すべからく迷夢より醒めよ。緊褌一番奮発せよ。時は汝を待たず。数年にして蓄うるところの資財すでに盡るの日に至り、後悔臍を噛むとも及ばず。ああ我が愛するところの天理教徒よ。世人が一斉にその歩調を揃えて、まさに天理教を呪わんとするの期は甚だ遠からず。この時に至って周章狼狽するも時すでに遅し。先んずれば人を制すとは兵法の奥義。乞う願わくは敵の未だ陣形を成さざるに当たって、宜しく其の圖を為せ至嘱々々。畢(終)<<
一冊完了しました。改革策の章は、今となっては読んでも詮無いこととも思いましたが(そんなの本部がやるワケなかろーもん!)百年前に教外からも、こんな意見があったということで。
一応、実物はこちら。PDFファイルはありませんが、ページ毎にJPEG表示にして画像保存できます。
上田千尋 噫天理教
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906449
>>自分達の20代はどうだったんですか?
必死に薄給で働いていましたよ。
だいたい1日巡教に招待されるだけで、ただの後継者にもかかわらず、
夫婦で数十万以上も平気でもらってしまうような神経の持ち主ではありませんでしたよ。
ド派手なレーザービームの婚礼の祝いやベンツパレードなんてしてもらってませんよ。
古い元教会長 さんのツイートより
@huruikyoukaityo 2019年11月13日
地方の教会でのお礼(最低ライン)
世話人・修理人のお礼もけた外れです。
大教会記念祭・予算書御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
普遍の真理をまず語ってから使ってください。あなたの文章も詐欺のような文章です。そもそも人間の歴史は、栄枯盛衰です。王や皇帝は自らの失敗を民衆からとがめられ処刑に処されたのも普遍的事実。中田善亮、中山大亮が中山家代々の過ちの責任を取るのも普遍的で必然的です。
本当に彼らの言う「御守護」と言うものが存在すし「世界助け」を達成したら良いのではないですか?コロナのお願いづとめが何の意味もなさなかった事実、世界を助ける実力もない事実、他人を助けるはおろか自分たちが人の寄付によって生活している事実、虚言を吐くのもいい加減にして頂きたい。
近頃中国共産党が「尖閣諸島はわが領土」と言い出して本性をあらわし日本国民全員が反中に成りましたが、あなたや本部中山家の主張も酷似してます。自らが火事場泥棒のクセして誰かを犯人に仕立て上げる卑怯で姑息で人間の考えではない。イジメだ!と言えば何でも許されると思ってるのか?誰がイジメてきたんだ?どれだけの教会長を自殺に追い込んだんだ?もう怨念の亡霊が中山家を呪い祟っている現状をただただその網膜と脳裏に焼き付けて得と得心すべき事態なだけでしょう。
祟られて当然、呪われて当然、自然崩壊して当然
成ってくるのが天の理と得心すべし
そうです。
以前にも投稿しましたが、親族の女性は布教所から教会になれと強要され、圧力に逆らいきれず未信者の家族反対の中、その狭間で苦しみ命を絶ちましたよ。天理教は叔母さんを奪い、娘達から母親を奪ったんですよ。これ、全て天理教組織から受けた圧力、イジメですよ。
大亮を イジメた?中山一族はイジメどころか天理教に関わった一体何人の尊い命を奪ったと認識していますか?皆苦しんで、もがいて死んでるんです!
正に中山一族は祟られて当然、呪われて当然、自然崩壊して当然です。
大亮氏は、普通の青年です。
親父の善亮氏も普通のオッサンです。
歴代の真柱も普通の青年だったのですが、生まれた時からレールが敷かれお宅という狭い空間で教育され育って来ました。自らの行動や、巡教とかでの講話は全て管理されていましたので、信者から見ると、特別な徳といんねんある魂を持つ人物だと思い込んでいたし、本部は信者を洗脳してそう思い込ませて来たのです。
ところが、中山家の二男である善亮氏は、善司真柱と違い比較的自由に育ち、真柱宅の規律の外で育ったので普通の青年だったのですが、真柱の二男という事でチヤホヤされ、中山家の因縁そのままに、今まで隠れていた中山家の本音を悪気もなくペラペラしゃべるので、天理教の本質がバレてしまったのです。
大亮氏も善亮氏も、けっして悪い人間ではないのですが、本部としては、歴代の真柱を始め中山家を中心とする本部中枢の信者洗脳のテクニックがばれてしまったのです。
これは善亮氏の功績と言えるでしょう。
結局、天理教教祖の教えは素晴らしくても、中心に位置する中山家は特別に神が宿る家系ではなく、座敷に暮らす乞食に成り下がっている事がバレたのです。
ですから、普通の青年である大亮氏に多くを望んでも無理な話なのです。
天理ドリームバンドの前で歌う大亮一家の映像はほのぼのしています。歴代の真柱一家が出来なかった公開映像です。本質は昔も今も変わっていませんが、大亮氏は隠していた物、隠れていた物を一般公開し、中山家の本質のまま行動しているだけなのです。信者の深い思いや辛さや苦しみまでは決して分からないでしょう。
それは仕方ありません、普通の青年だからなのです。
天理教に失望した点
①今回の天災(人災)に対し親神様が何の効力も発揮しなかった点
②それに対し天理教が組織として何も人救けの行動を発揮しなかった点
たとえば、憩いの家を半分コロナ専用病棟にして大阪のコロナ被害者を受け入れるとか
詰め所の一部を開放とか「人たすけ」を標榜するわりに行動が遅く、緩慢であった。
甲子園が中止になるのであれば、詰め所や親里球場をつかって有志の高校野球大会ぐらいできるのではないか?
おやさと野球大会をやるくらいであれば?
どちらにしても世界がコロナで苦しんでいるときにのんびりと歌を歌っている場合ではない!
あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命 あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命 あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命
ほうそ→コロナに変えてつとめてみてはどうか?
詰め所の一部を開放とか「人たすけ」を標榜するわりに行動が遅く、緩慢<<
失業して寮を追われ路上生活者になる寸前の人達に行政が知恵を出して手を差し伸べているのを見るにつけ、空っぽで何の用にも供していない詰所に利用方法はないのか、ずっと考えていました。何千人受け入れ可能でしょうか?宝の持ち腐れじゃないでしょうか?風呂、トイレ、食堂、全て完備しています。随時受け入れ、職場復帰までの後押しは出来ないものでしょうか?それに関する維持費なら少しですが喜んで費用を出させて頂きます。東日本大震災の時も全国の一般市民は皆んなで助け合いました。オムツ、ミルク、生活用品、全国の善意が寄せられました。
今回、 天理教教団本部がこの詰所を利用する人助けに手を挙げてくれる事を心から待っています。
詰所も憩いの家も、人手が足りず、物資も回せず、衛生環境も良くないです。満足に受け入れが出来ません。
ただでさえ経年劣化が進み、金も人も集まらず、悪循環のまま寂れている真っ只中です。
全国の分教会も、ほとんどの所が人を受け入れられない状態かと思われます。金を出してくれるなら喜んで受け入れてくれると思いますが。笑
なんにせよ、本部も各教会も、コロナの害に対して何もなす術が無い、気概も無いのです。
所詮は組織です。有志の集まりではなく、世襲によって継続できている弱小団体となってしまっているのです。
教内も外部の人も、天理教に期待せず、自分の身は自分で守りましょう。
行動あるのみ。そこに神がはたらくのだと思います。
古い元教会長様
≪ それは仕方ありません、普通の青年だからなのです。
「普通の青年」が聞いたら怒りますヨ。
普通の青年は必死に生きていますから。
嫁を貰うどころか、自分の住む場所さえ確保することがむずかしい世の中なんですから。
「普通の女性」も厳しい中で職を失えば、即、家賃が払えなくなり、やむなく、搾取されるセックス産業に組み込まれる現状すら起きています。(岡村の失言の後、東京新聞で実情を取材しています。)
元会長さんは若い方に対してお優しい気持ちをお持ちの方だと、これまでの投稿からも推測していました。
身近に若い方がおられればこその、しかも大亮さんなどとは比較にならない優秀な若い方に恵まれておいでなのかもしれないと、ひそかに家族像などを想像していました。(想像は趣味です。)
でも大亮さんを普通の青年と同じ土俵に立たせては、問題の本質を隠してしまいます。
その立場を考えれば、責任を自覚することができるはずです。
中学生レベルでも、立場と責任の自覚は十二分にできるものです。
甘やかしてはダメです。ダメな者にはダメだと教えてやる事は親切なことです。
生物学的父親がダメだから、息子もダメだとあきらめては、多くの信者を放置することになり、社会問題になるからです。教団内部の自浄作用が全く期待できないのですから、はっきりとダメ出しを、一般信者の分際で、大変おこがましいことですが、繰り返し投稿させて頂く次第です。
元教会長さんとは立場が異なりますので、はっきりと一般信者側からの考えを披露する意義はあると思っています。
天理教団が衰退の一途をたどっている、今はその真っただ中ですから、後継者としての「責任」ある立場の者の言動は多くの人々の注目の的なのです。
私はおじばの意義さえも、スッキリ洗脳が解けました。衰退はこれまでの一連のおじばで起きていた事柄から、必然のことだと。多くの方々同様、その様に考えます。
「いじめ」だと考える方にお願いです。
批判される内容に特化して考えてください。何を問題として指摘されているのか理解してください。
嫌われたくないから、あるいは中山家同様天理教団の中での恩恵を手放したくないから、直言・進言することができる人が教内にいなかったから、或いはそういう人を排除してきた歴史があるから、ここまで腐ってしまったのでしょう。
年配の方々に少し説明させてください。
今時の子供を持つ親たちは、子供の顔はネットに晒しません。
「安全対策」からなのです。写真を出すにしても、顔の部分を加工して(お面をかぶせるように等)、姿かたちは判るが顔は見せない工夫をするのが常識です。
徹底している方は年賀状でさえも顔が見えないのです(´;ω;`)
匿名様
>「普通の青年」が聞いたら怒りますヨ。
普通の青年は必死に生きていますから。
ある意味、大亮さんも被害者です。
必死に生きている青年の方が、余程、人間として幸せだと思います。
私も末端ですが、本部中枢の裕福な人たちより、余程充実していますし幸せです。
東風Zさんや崩壊さんも、多分そうだと思います。
要は真実を知ることです。何も知らされず、真実も知らずに、神輿の上に登らされている大亮氏を気の毒に思うだけです。
>>私も末端ですが、本部中枢の裕福な人たちより、余程充実していますし幸せです。
そうかもしれませんね。
関西の設立の順番の割と早い、
部内教会を数多く持つ、とても裕福で大きな大教会の後継者(現大教会長)を知っています。
彼が若い頃の話ですが、口癖が 「死にたい~死にたい~」 でした。
若くして彼には自由になるお金もたくさんあった。
ちやほやされて、周りの人間はみんな召使のイエスマン。
しかし、全く幸せそうにはみえませんでした。
親の言いなり、教団の言いなりで、猜疑心が強く、人を信じていませんでした。
彼について最も不幸だなと思ったこと。
それは自らの意志と決断で自分の人生を切り開いていくという
「自己決定権」」 が皆無だった。
彼もある意味被害者だった。
「死にたい~死にたい~」 は、
最初から人生を決められた籠の鳥の、絶望の嘆きだったのでしょう。
ちょっと贅沢な刑務所みたいなもんです。
終身刑ですかね。
所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査
「自己決定によって進路を決定した者は、
自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、
また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、
達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられます。」
https://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_08_30_01.html
教会の長男に生まれると、後継者になる。
我が子の進路に別の選択肢を与えないで、教会長になる様に教育する。
天理教は素晴らしいから、継がせるのは、子供の為である。
これは、一見正しい様に見えますが、いわゆる毒親では無いでしょうか?
自由な選択肢の中から、己れの人生を見出させ、決めさせ、生きさせる。
親として、自分の意に沿わずとも、その背中を押してやるのが、親心でしょう。
神様って言うのは、支配者ではありませんよ。
人が望む道なら、お知恵を下さり、守護も下さり、導いてもくれる。
しかし、支配はしないのが、神的存在であり、支配するのは、魔神、魔霊です。
天理教の親神様と言う存在も、本来は、支配者では無いと感じます。
知恵を授け、理想に導き、守護を下さるが、支配はしない。
黙って、選択を見守る時もあると思います。
教会の親子の関係からも、私個人は、基礎的に神とのズレを感じており、守護の代わりにお供えするんです、で、気持ちにトドメを刺されました。
本部中枢の人たちが不幸だとは決して思わない。
末端の教会で、天理狂に依存した家庭は既に崩壊しています。
親の愛も得られず、守ってももらえず、ましてお金がない!貧困ゆえの惨めな生活。
馬鹿にされ、虫けらのように扱われた。
親が、先祖が天理教の詐欺組織に依存さえしなければ、私自身もう少しリラックスした人生を歩めたものをと思っています。
教会長の長男さんが起っての願いで比較的堅実な企業に就職された。休日も年間120日あり喜んでおられたが、これが返って仇となってしまった。休みの日は教会関係の行事に駆り出され、心身ともに疲れ切った表情でした。給与だって教会の維持費に回っているんじゃないかと想像していました。
特に、年末年始は掃除から始まり元朝祭、初寄り、役員会議の後の宴会の送迎と休む間もなく初出勤。見ていても気の毒だった。
本当に天理教は何を考えてんだか。これではデートの約束も出来ないだろうにと思った。
親神様は一刻一秒も休みなくご守護下されていることを思えば、休みなんて生易しいことを言うんじゃない、このような言葉を何度聞いたことだろう。
人の人生を何と思っているのだろうか。本当に罪な組織を作ったものです。講の組織で充分だったろうに。
大亮君は、ヘラヘラと笑っている場合じゃないでしょう。
気持ちにトドメと言うのは、息子が天理高校に居る間、天理高校を出た事は感謝していますけれど
天理教との関わりは、そこまでで、卒業と同時に、終わりにすると言う事です。
もともと、私個人は他の信仰で人生を生きていますので、親神様は絶対的存在ではありませんし
≪ 何も知らされず、真実も知らずに、神輿の上に登らされている大亮氏を気の毒に思うだけです。
えーーーーっ、何も知らない? 知らされず? 神輿に上らされている?
大の大人が操り人形だというのですか?
本人もそれで良しとしているからこそ、TwitterでもFacebookでもここで指摘されるような言動を晒しているのですよ。
立場から逃げられないから気の毒だという人もいますが、本当にいやだったら天理から離れますよ。
現に離れていく人々もいるわけですから。
一方では、逃れられない立場を受け入れ、必死に立場の責任を果たそうと努力されている会長もいますから、大亮さんを「気の毒だ」と言って、無責任さを放置することはできないのです。
次期真柱なのですから、普通の青年ではないのです。お供えの総元締めなのですよ。
多くの人々の人生を狂わせたと言っても過言ではない教団のこれまでの中で、一教会長として信者に対して教団の中での責任の一端があることに鈍感でいてはだめですよ。
自分は神様の思惑がどこにあるのか、成り行きを見守っています。
組織としての教団に属することは苦痛でしかない自分なのですが、信者としての責任を果たす意味から、あえて苦言を呈しました。信者の必須行為、「匂い掛け」をしてきた責任をとっている次第です。
私だってキツイことを書きつけて嫌われたくないという弱い心の人間です。
面と向かっては元教会長様へ苦言を呈するなんてことは「畏れ多くて」出来ません。
ネットだからこそ自由に虫けらのような小さな弱い立場でしかない信者でも「モノが言える」のですからありがたい時代です。
全知全能の神が人間の親であるという教えにどれだけ心が救われたことでしょう。
更に神が表へ現れてなにかいっさいを説ききかす。という宣言に、有難い不思議なお地場が顕れたものだと、いずんだ心も明るい心に替えて生きてゆけるな~~と、どれだけ勇気づけられたことでしょう。
中山本部ご一統様方が悪人だとは思いませんが、教祖の宣言からは、現状の本部の面々は雲泥の差であることは否めません。
我々が本部の先生方に対して、神格者を望むのは、教祖が残した文言からして、当然の事なのだから、それについてお地場の責任者はどうお考えなのでしょう。現中山真柱家そのものが天啓者不要論なのでしょうか?
天理教には、もう天啓者なのか、霊媒なのか、妄想なのか、ちゃんと神を見極める審神者的な部門が存在しないので、何も認めないでしょう。
失われた本席は、2度と戻らないでしょう。
芸能人でもないのに、パレードやら何やら、普通の神経なら不安になるでしょうが、お勤めなさってるようですから、普通じゃありません。
普通の神経なら、真柱になる前に、全部の教会を回って、状況を見て話を聞くとか、現状を良く調べて、聞いて、知って、教団の未来を模索されたら良いのに、神殿を見てかっちょいい〜って、普通じゃありません。
SNSで多くの批判を受けたら、普通は不安になって、沈黙しますが、そうじゃないから、普通の神経じゃありません。
オワコンじゃ無いですかね?
お助けが、効かないと思うなら、教えだけで信仰できますか?
みんなで、何万ツイートで、教団批判したら、変わる可能性はありますが、もう天啓者は現れないなら、どう変わるって言うのかしら?
理想の天理教って言うのは、どう言う天理教なの?
どう言う姿が、理想の天理教の姿なの?
全然見えないわ〜
かんろだいも二代真柱が木製にしたので、二度と石造りには出来ないでしょう。
おやさとやかた構想も、教団が消滅するまで継続するでしょう。
黒門も再建しないでしょう。
よのもと会も復活しないでしょう。
あと50年後には、朽ちてみすぼらしい本部と大教会と自力のある分教会のみが残るでしょう。
匿名 様
2020年5月19日 9:42 PM
>>あと50年後には、朽ちてみすぼらしい本部と大教会と自力のある分教会のみが残るでしょう。<<
あと50年ももてば、「御の字」だと思います。私はあと10年以内に完全に崩壊すると予想しています。世のため、人のためにも早急に完全崩壊するべきだと思います。
わけのわからない宗教に生まれて
わけのわからねいルールと立場におかれて
自分の将来も自分できめられず、若いころは鬱屈とした青春を送ったが
そのうち今のルールと立場を受け止めて、しらずしらずのうちに神様はいるかどうかわからないが
これでお供えを運んでくれる人がいるからまあいいか
それでその人がたすかった気になるならまあいいか
こんな感じでしょうか?
あと、10年生きるか、20年生きるかわかりませんが、これからの人に
一人でもそんな不幸な人生を送っていただかないよう、喚起するのが年寄りの役目ではないかと思います。
天理高校を卒業して、アメリカへいき自由にいきるんだといっていた大教会後継者が
今では本部中枢で○○部 部長になり大教会長になっておられるかたもおられます。
また、ある人は同様に本部のお金でアメリカに留学し、今では天理時報に連載され、本部に重宝されているかたもあります。
高校のときとは違って、今は、、、、、
出来上がった大人のルールに反抗することは本当に難しい、いつか従順にならされてしまう。
それでもいかんことはいかんといい続けなければ、不幸な人はずっと不幸なままとなってしまう。
何が本当の世界だすけなのか?
またまた面白い(いや本当は、とてもヒサンな)記事をみつけました。1927年(昭和2年)6月30日の大阪朝日新聞。父親の貯金1500円を勝手に天理教にお供えしてしまった娘の話。
>>水呑百姓の虎の子千五百円 この父にこの娘 岡山県 XYZ生
財界に逆まく狂瀾は遂に私等の小さな港の町に押寄せて、銀行には忽ち取付騒ぎが起った。D・G銀行の門前にひしめく預金者の中に、Nという熱烈な天理教の信者がまじっていた。彼は一個の水呑み百姓に過ぎないが、粒粒辛苦の膏血を、家族に内密でこの銀行へ預けていたのである。その夕景、彼は多年蓄積した千五百円の大金を懐中にして帰って来た。
銀行へ預けてある間は妻にも子にも秘密にしていたが、今目の当りに千五百円の現金を握って見ると、嬉しくもあり、また誇らしくもあり、彼は到底自分一人で楽しんでいられなくなった。『どうだ、お前たちは千五百円という大金を見たことがあるまいそれ、これが百円札だ、十円札もこんなに沢山ある。このお父さんが長い間一生懸命に働いて溜たんだ』と見せられる家族よりは、自分の方が珍らしがって並べて見せた。見せられた家族は一同思わぬ意外に驚異の眼は瞠ったが、誰も父の秘密預金を責める者はなく、皆ニコニコ顔でこれを迎えた。
間もなく彼は外出したが、外出先から帰って来ると、どうしても血と汗で作りあげた千五百円の顔を拝まずにはいられなかった。無事なお札の顔を見ようと金箱の蓋を取って見るとコハ如何に、ツイ一時間ばかり前、確かに入れて行った千五百円が藻ぬけの殻になっている。屋内の大捜索、家族の厳重な訊問が行われたことはいうまでもない。しかし千五百円の紙幣は遂に見当らなかった。
Nは半ば狂気のようになっていた。彼は暫らくしてから娘の姿が見えないことに気がついた。そして娘は何時まで経っても帰って来ないので、いよいよ娘の持逃げしたことを確信し、近所の人々を頼んで夜中大捜索を始めたが、娘の行方は不明であった。『あの娘も年ごろだ、情夫が出来たんだろう』『イヤ、年ごろになっても親父が何も買ってやらないから、着物でも買いに行ったんか知れんぞ』井戸端会議にはいろいろの臆測が出たが、娘の消息は絶えて知れずに早くも四、五日の日は過ぎた。
ある日の正午ごろ、行方不明の娘がヒョックリ帰って来た。親父は烈火のように怒っているが、娘は平静そのもののような顔をしている。親父は娘の平気な顔を見て一層腹立たしくなった。『金はどうした、カ、金は…』親父は可愛い娘が数日の間どうしていたかを聞こうとはしなかった。娘は急き込む親父を冷やかに見ながら『あんな沢山のお金を家に置いとくのは勿体ない、罰が当ると思ったから大和の天理様へ寄附して来ました』と答えたので、天理凝りの親父は只娘の顔を見つめて目をパチクリするばかり、固めた拳のやり場に困った。<<
この娘の行為が、本当に純然たる自発的行為であったのか、甚だ疑わしい気がします。家に置いとくとバチが当たるなんて、入れ知恵した奴がいたのでは?これもまた美談のネタとして、大いに教団に利用されたことでしょう。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
大阪朝日新聞 1927.6.23-1927.8.10 (昭和2)
金融恐慌エピソード(上から8番目のエピソード)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00779995&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=5&LANG=JA
こんなのも、ありました。
>>時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家
七十万円 中山正善(天理教管長)山辺郡丹波市町
略歴 中山正善は天理教管長なり前管長中山新次郎大正四年一月死亡後管長の職を襲い中山家を嗣げるも本人は尚お幼にして同地小学校に通学中なり<<
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
時事新報 1916.3.29-1916.10.6 (大正5)
(※スクロールして真ん中あたりから奈良県。画像は#153)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00797596&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
全国調査 における中山正善 70万円の資産家(小学生)
こう言う暴露資料が容易に目に触れる時代になりました。これに対して中山一家はどう言う申し開きが出来るのでしょうか。
真柱家は質素倹約してますよ〜といくら取り巻きがフォローしていましたが、パーフォマンス以外の何物でもないです。大正4年の以前から信者のお金を溜め込む根性、その心根は断ち切られるどころか、連綿と現在では善亮に繋がっています。彼らは密かに隠し大金を持っているのです。
信者のお金で全国に不動産を持ちビジネスに励むのが裏の顔。この顔こそが中山一族の本当の姿です。
私も後10年で天理教のウイルスは感染力を弱めほぼ終息すると思います。今回コロナが天理教崩壊、衰退、消滅へと確実に良い引金になったと喜んでいます。コロナで天理教が語ってきた教理にどうしようもない矛盾が見えて来ました。本部にも近寄れず、甘露台前で祈る事も神が許さない現実。もう何を信じて良いのか、、。
現在信者は教会に寄り付けない。当然お供え金は集まらない。教会は布教に出歩けない。月次祭は教会家族が簡単に済ませる。各種行事は無くなる。教会家族は密かに開放感を味わい喜んでいる現実。食っていけない零細教会からは一揆が起きる。窮鼠猫を噛むです。こうして負のスパイラルが起きて天理教組織は自滅するはずです。
最後までお金の執着が原因で天理教は朽ち果てる。天理教の歩んだ崩壊への道筋を人生の教科書にして、同じ失敗をしないようにと、子々孫々に人としての生き方を語る材料にしたい。
「昔むかし、天理教と言うのがあってなあ、何よりお金が好きな爺さんがおったんじゃ。・・・欲張って人の金を騙して取ってなあ、大きな家は建てたが最後はみんなに相手にされずに寂しく死んじゃったそうな。こんな人間にならんように。人には親切、決して人を騙すような事はしてはならんのじゃで。その時はよかったと思っても、悪い事はぜ〜んぶ自分に返ってくるんじゃからな、、、。」
腹立たしい限りです。失礼しました。
本部員の連中やバリ天どもも余程のバカでない限り現状は把握できているち思いますよ。わかっていても何もできないし、馬鹿な後継者に何もいえない。このまま滅びゆくのを見つめていることしかできない。大亮は頭が弱いから現実が分からない。善亮の子だから頭の構造が親父と同じ。
全国の教会をまわってみろよ。
天啓者を追い出した時点で中山教
昭和の時代別席で「不足を思うだけで助からない」という話をしている時点でインチキだと。何と信者を馬鹿にしているかと。今や真柱の身上も助けられない。コロナ防止にも役に立たない。何処の教会も全く不思議な助けがない。末端教会長どもは真柱亭の前で深々とコウベを垂れ、この中は畳がぶよぶよで質素な生活だと感動している。でも善衛は東京に行く度に銀座の馴染みの店で豪遊。正善なんかもっと非道い。中学生を夜伽。さすが秀司の生まれ変わり。
真柱家は質素倹約してますよ〜といくら取り巻きがフォローしていましたが、パーフォマンス以外の何物でもないです。大正4年の以前から信者のお金を溜め込む根性、その心根は断ち切られるどころか、連綿と現在では善亮に繋がっています。彼らは密かに隠し大金を持っているのです。
私の先輩の祖父が東大で正善と同級生でした。正善のふざけた話し(主に金について)をよく話してくれていました。
>>天理教のウイルスは感染力を弱めほぼ終息すると思います
素晴らしい例えですが、
うちの両親の「深刻なバリ天脳症」はどうしたら治癒するのでしょうか? 笑
何か特効薬はございませんか? 笑
死ななきゃなおらない?笑
天理教で一番いらない組織は婦人会だと思うの
皆さんは天理教がどうのこうのと、色々言われているのですが、他の宗教を見ても、同じじゃないでしょうか。
「日本には、現在、贋(ニセ)天啓者や贋予言者や、神の贋代理者が多くて、しかも、おのおの迷える羊を集めるようにして、宗教団体をつくっている」 (芹沢光治良<神の慈愛> P, 216)
「人々は物質的には豊かにみえても、心は飢えて動物よりも貧しい」 (同上 P,217)
これでは、ちと寂しいんで、どこかに清楚なところはないかと探してみるのですが・・
「さびしさに天理の門を立ち出て見れば いずこも同じカネをくれ暮れ」 (←百人一首のパクリ)
このさびしさは、何か、人がいないというさびしさなんですよ。宗教だ何だと言う前に、各個人がまず人としての温かみというか、人間らしさを備えることが大切なんじゃないかと思ってしまいます。
芹沢先生の晩年の作品、神シリーズの、特に<神の慈愛>などには、ペテン師やらニセ牧師やら、そらもう、魑魅魍魎(ちみ・もうりょう)(←カンタンに言うとバケモノ)が、ふんだんに出てきますよ。
「婦人会死すべし」さん、
布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
[天理図書館職員]様
布恵さんが南米の教会に住み込まれていようが世間知らずでなかろうが一女子に伏魔殿代表格の婦人会を変えることなんか絶対にできません。夫である大亮氏も奈良教区修理人に就任した際、御礼は無用と公言し、改革しようとしましたがたちどころに潰されて結局お供の御礼まで決められてしまいました。有名な話です。だいたい布恵様とか大亮様とか大教会長様とか様付忖度はやめませんか。
違うの違うの
歴史を見てもわかるように女に権力を持たせたらだめなの。国が崩壊してしまうの。
婦人会の理不尽さ、無理難題を押し付けるがめつさ、傲慢な態度、若者に対する横柄な態度とかは本部勤務者、大教会は教会青年の人なら知っているはず。
あの人らに発言権や決定権を持たせたらいけないの。
婦人会はいらないし、あったとしたらもっとサポート役でいるべきなの。
例として私の姉は婦人会で勤務していた時に上からのパワハラで病んでしまって、現在5年間も精神病院にいるの。
当時パワハラしてた人は未だに「あの子は伏せ込みが足りない。メンタルが弱い」などと周りに言いふらしてる。
婦人会の役員達は自分等の時代はもっと厳しかった。だから若者も一緒にするべきだと言われている。
老害と売れ残りのおばんが多い本当にこの世のゴミ箱みたいなところなの。
違うの違うの
歴史を見てもわかるように女に権力を持たせたらだめなの。国が崩壊してしまうの。
婦人会の理不尽さ、無理難題を押し付けるがめつさ、傲慢な態度、若者に対する横柄な態度とかは本部勤務者、大教会は教会青年の人なら知っているはず。
あの人らに発言権や決定権を持たせたらいけないの。
婦人会はいらないし、あったとしたらもっとサポート役でいるべきなの。
例として私の姉は婦人会で勤務していた時に上からのパワハラで病んでしまって、現在5年間も精神病院にいるの。
当時パワハラしてた人は未だに「あの子は伏せ込みが足りない。メンタルが弱い」などと周りに言いふらしてる。
婦人会の役員達は自分等の時代はもっと厳しかった。だから若者も一緒にするべきだと言われている。
老害と売れ残りのおばんが多い本当にこの世のゴミ箱みたいなところなの。
きお
>>だいたい布恵様とか大亮様とか大教会長様とか様付忖度はやめませんか。<<
天理教階層制度の一端を表すものですね。いつまでも「皇室ごっこ」は続きません。
じゃあ、今の会長さんでは駄目なんでしょうか。根はもっと深いところにあるように思うんですが。要は、教団の在り方ですよ。例えば、田舎では若い人が居なくなり教会自体が維持できないんです。
組織全体の在り方が問われています。教会制度が最大のガンでしょう。ガンとは矛盾した存在なんです。ガンがはびこり宿主の死と共に組織も亡くなるのです。婦人会も青年会も各種委員会もガンなんです。
宗教には唯一、正しい教理があればいいだけです。
婦人会の中も上下関係があって、力のある大きい大教会関の奥さんは横柄が出来、弱小大教会の奥は分際をわきまえて控えめにしておらざるを得ない。出る杭は打たれるので。ここはイジメの構造です。
何が婦人会総会ですか?払いたくもないお供え金なのかお祝い金なのか?そんな忖度金を払わされました。年間200円の年会費なのに10000円も払わされています。50人分です。うちはまだ良心的で、知り合いは40000円だと言ってました。200人分だと憤っています。教会長不在の教会で近所に住む数人の信者が草取りをしていて日頃は鍵のかかった教会です。この金額の違いは大教会の胸三寸でしょうか?
全国から 慣例的に取られる高額な年会費で本部婦人会のボスが幅をきかせて会議だ忘年会だ慰労会だと事あるごとに会議費名目で湯水の様にお金を使っているのでしょうね。
コロナで教会が逼塞して行く中、誰かが声を上げなければ、鍵で締め切られた信者2、3人の教会から200人分の年会費が理不尽に搾り取られる現実を変える事は出来ません。小さな声でも皆んなであげていきましょう。
>>何が婦人会総会ですか?払いたくもないお供え金なのかお祝い金なのか?そんな忖度金を払わされました。年間200円の年会費なのに10000円も払わされています。50人分です。うちはまだ良心的で、知り合いは40000円だと言ってました。200人分だと憤っています。教会長不在の教会で近所に住む数人の信者が草取りをしていて日頃は鍵のかかった教会です。この金額の違いは大教会の胸三寸でしょうか?<<
天理教の救いようもない病理です。癌のようなものです。早期発見して全摘出しておけば、大事には至らなかったと思いますが、もはや手遅れです。
5月4日から5回に亘って紹介した昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」。その元ネタと思われる新聞記事を発見したので、紹介しておきます。これは、この本が小説のようなフィクションではないことを証明するものと思います。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事
大阪毎日新聞 1935.12.17 (昭和10)
管長の所得が何処まで曝される?
底知れぬ財団の巨財
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067782&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
こーゆーものを、いくら見せられても、バリ天の人達は宗教弾圧のための警察のデッチ上げだとか言うのかもしれません。オウム真理教の強制捜査が始まったころ、TVカメラの前で「警察がサリンを作ってオウムに罪を着せたんだ!」と、叫んでた若いオウム信者みたいに。
「皇室ごっこ」というワードがぴったり
大亮さんも皇族になったようなつもりで、自分の子供の顔は世の中中の人が拝みたいはず
ありがたくて喜んでお供えを増やしてくれるかも、とか
皇族のお子様はお顔を隠してはいらっしゃらないから自分の子も!と思ってSNSにさらしてるのかも
おめでたすぎるんですけど
天理図書館職員 様
≪ 布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
≪ 南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には
≪ 絶対ならないと信じています。
スペイン語が堪能で南米の教会に住み込んでいたことは知りませんでした。
それは天理の学校で学んで婦人会から派遣されたという事ですか。
これが例えば個人の力で志をもって南米に出かけたというのであれば素晴らしいですが、
単に教内のレールに乗っかっただけの事じゃない?
不祥事を起こして逃げ帰らなかっただけよかったとは言えますが。
今更鬼の首をとったように書きつけるのも虚しいのですが、学歴・教内経歴がその人の真価とリンクしていると、いまだに考える人がいるのにあきれます。
天理教が手本とする皇室を引き合いに出せば判りやすいですね。
今の皇后は自分の実家の文化を物差しにして皇室の伝統から背を向けて、長年にわたり自分の勤めをおろそかにしてきました。雅子皇后のファンが言うように素晴らしい人ならば、病気療養の間に短歌の一つでも学んでいればよかったでしょう。才能が無くても希望すれば立派な先生にいくらでも師事できる環境なのに、しなかったから正月には残念な作を披露しました。いずれ皇后になるのであれば病気でもできたことですが。
結婚前には語学力と海外生活経験と外務省勤務を「売り」にしてきました。
引きこもりの療養後、ひとたび皇后の地位を得ると、あっけらかんとした笑顔を振りまき、病気はどこへ?と、国民は唖然とする状況。これは巷の噂通り、前の天皇夫妻の事を嫌っていただけのことか・・・。
前の皇后も語学力、その他の能力は高い水準の資質を持ちつつも、苦悩の中でも努力され、勤めを果たしてきました。
その苦労を超えて責任を果たしたからこそ国民から愛されてきたのでしょう。
大亮夫妻は結婚資金を自力でねん出しましたか?
お供え金を結婚資金に回してよいのかと、少しでも考えましたか?
多くの人々の時間と労力の犠牲の上で成り立った一連の披露行事にためらいはありませんでしたか?
天理のレールに乗っかって、信者のお供えで勉強させてもらった高学歴の人々は、「自分には選択の自由が無かった。」「天理教をやってやっている。」とばかりの言いぐさで開き直っていませんか。
選択の自由がなくても食べていかれる、高等教育を受けられる、趣味の時間が持てるなんて、うらやましい限りです。貧乏人には選択する以前の生活権すら危ぶまれる日本社会なのですよ。
選択できる幸せなんていうものは言葉遊びレベルの苦労知らずの人の考えです。
信者は心の中で、突っ込みを入れまくって話を聞いたり、文章を読んで冷笑しています。
ネット社会のお陰で、隠していた面が表に現れた結果が現状なのです。
本部の婦人なんて自己満足と高慢の巣窟じゃないですか。
婦人会解体!大賛成。
青年会解体!大賛成。
包括関係解体!大賛成。
信者の教会所属の自由変更!大賛成。
教内の関係性をロックに地ならし、平らな存在にし、各教会ごとの独立採算。
その前には、
本部財産整理に、公平かつ能力のある信頼できうる人たちが任意あたり、情報は明瞭に公開し、地域ごとに審議されるような検証を経て、清算することが望ましいと考えます。
⚡どうじゃぁ! かなめ会の面々よ! 忖度している場合じゃないぞ!
お供えに依存・期待する生活はもう、成り立たないことがわかったら、直ちに動きなさい!!!。
ふ~っ、疲れた・・・。
どうせバリ天には理解できないだろう。
金が無くても、神様が助けてくれますよ。きっと。
だから、お供えお供え叫ばずに、人助けしましょう。
生活が安定している方、経済的に問題のない方、心身共に健康な方を支える必要は無いです。
困っている、苦しんでいる人々を助けましょう。
上っ面、外面を綺麗に取り繕っても、いずれは剥がれますよ。剥がれても良いように内々を治めておきましょう。
高いところにいたら、低いところにいる人は助けられないですよ。
歩み寄り、理解しようとする姿勢、そして、本人が助かったと思える結果が得られるまで頑張りましょう。
神の物差しという言葉で誤魔化すのはやめましょう。
>>ふ~っ、疲れた・・・。
どうせバリ天には理解できないだろう。<<
その通りです。何を言ってもバリ天には理解できないのです。しかし、バリ天以外の読者には十分、伝わっているはずです。バリ天以外の若い読者の皆さん! くれぐれも、馬鹿げた宗教に騙されて、人生を棒にふらないようにしてください。ぶたまんさんがおっしゃているように、天理教だけがどうのこうのと言われるものではないと思います。宗教に限らず、世の中全体が狂っていると思うことが多々ありますが、若い読者の皆さんは、何が正しく、何が間違っているか、何が人類の幸福につながるか、森羅万象にわたってしっかりと判断し、自分の意見をしっかり発言できるように、これからの長い人生、しっかりと勉強を積んでいってください。
天理図書館職員
2020年5月21日 8:20 AM
なんとも御心酔されていると察します。ご自身の勝手なのでよろしいですが結果がそうなるとは確実にはいえません。それに天理図書館職員?かどうかは知りませんが教団組織から給料をもらっている以上あなたも洗脳されていることに気が付くべきだと思います。天理教は今教祖の教え通り本当に天理教を信仰しているのか?と
最近TVや新聞でも取り上げられている中国のウイグル自治区の再教育施設と名ばかりの強制収容所を見て教団関係者は感じるものがあるはずです。それはまるで教団施設の様だからです。そこでは中国共産党による強制教育が成され、反抗するものは処罰し酷いと死刑です。人種迫害問題としてナチスドイツ以来の大事件になっています。
中山家体制を維持すべく中山家が何をしてきたか?近年起きた事情身上を見れば明らかです。
盲目しモウロクしているより、図書館職員ならもっと重要な文献を読み中山家の過ちに気が付きいち早く自身と家族を守ることを考えた方がよろしいです。
中国の「思想改革」収容所 「犯罪予備軍」を教化ご心酔
https://www.youtube.com/watch?v=ojedxXPFKEc
>>図書館職員ならもっと重要な文献を読み中山家の過ちに気が付き
いち早く自身と家族を守ることを考えた方がよろしいです。
教団から給料をもらっている人間は、
現教団を擁護することこそが、自身と家族を守ることになるでしょうから
過ちに気付いたとしても、見て見ぬふりをするのが精いっぱいでしょう。
>>教団から給料をもらっている人間は、
現教団を擁護することこそが、自身と家族を守ることになるでしょうから
過ちに気付いたとしても、見て見ぬふりをするのが精いっぱいでしょう。<<
正直、その通りだと思いますが、天理図書館の職員さんご自身やご家族の保身はともかくとして、この掲示板に無責任な投稿をすることにより、不特定多数の読者が謝った方向に誘導され、最終的に読者自身やご家族、その他親戚縁者等にも被害が及ぶことを重々認識され、天理図書館の職員さん自身の意見なり思いを投稿されるべきだと思います。この掲示板を読んでいるのは、現天理教擁護派ばかりではないことを、くれぐれも、お忘れなきようにお願いします。最も被害を被るのは、現天理教を信奉している若き信者達です。
若き信者さん達へ、たった一度きりしかない人生です。くだらない宗教に騙されて、一生悔いが残ることのないようにしてください。私自身からのお願いです。
>>天理図書館職員 2020年5月21日 8:20 AM
>>布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
スペイン語が堪能だから「世間知らずな奥様」には絶対ならない
南米の教会に住み込んだことがあるから、「世間知らずな奥様」には絶対ならない
なんなのこの短絡的かつ幼稚な推測。笑
ご愁傷様です。笑
南米アルゼンチンに行っておられたのは確かですが数週間です。
住み込んだと言うのは誇大解釈です!
正しい情報を流して欲しいですネ!
天理図書館職員
2020年5月21日 8:20 AM
>>布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
あなた図書館職員にしては理解不能な文章をお書きになられますね笑 グーグル翻訳ですか?笑
「布恵さんはスペイン語が堪能なので世間知らずではありません?」ちょっと意味が分からないです。
「布恵さんはスペイン語が堪能なのでアルゼンチンに彼氏がいます。」この例文の方が文章としては理解できます。
宗教を妄信する人は誇大妄想が強いですよね。まるで精神に問題がある方の文章みたいです。今時の若者でもそのような飛躍した文章は書きません。
鰯の頭も信心から
こうあって欲しい、こうでなくては困る、自分の想像や思惑通りの形にならないと辛いから、事実を自分の都合の良い形に変換して受け取る。
自分が信じ、時間と金を費やしたことが、思ってたんと違う!いや!そんなはずは無い!視点を変えて見れば…そや!受け取り方次第でどうとでもなるんや!
良心や引き返し難い心理につけこまれる信仰者達。
どこまで突っ走るのか、いつまで変化を待ち望むのか…
教理と組織を切り離して、割り切って考えることの方が建設的。
能力や実績が伴わない人事、自浄作用も無く批判されても変わらない、変えられない御都合主義で走り続ける狂気の沙汰。
原動力は信者の金と人足。
ああこわいこわい
天理図書館職員 様
現役の頃の職場における上司との会話は、顔が合うときには次のようなものでした。
私(係長):専務、おはようございます
専務:おはよう
私:(疲れ気味の専務に向かって)今日は体調どうですか
専務:有り難う。まぁまぁだね。ところで君は?
私:有り難うございます。お陰様で・・・
専務:そうか、頑張ってくれよ
私:しつれいします
課長、部長、事務局長や常務に対しても顔が合えば同様のあいさつで終わりましたが、通常は、おはようございます、おはようで終わることが殆んどでした。
天理教は違うんです。長々とコメツキバッタのように何度も何度も頭を下げての挨拶が続く。だから、妹婿が初めて教会に行った時の挨拶の長さに閉口して二度と教会に行きませんでした。
日常生活の中でのえもいわれぬ堅ぐるしさの根源は何に由来しているのでしょう。
布恵さんは、そのような雰囲気の一つでも解消してくれるのでしょうか。多分、どこかの教会に行けば、長々とした挨拶が続き、帰りがけには数十万円単位のおカネが入るだけでしょう。
もう、このような組織はさっさと壊れればいいだけのことです。
昔、火鉢の炭の火を消さないようにうっすら灰をかけて保っていましたね。埋み火と言うらしいです。
この場に寄って下さる天理教に苦しめられている人たちは正に埋み火の状態ですね。灰から上に出し、息を吹きかけるだけで赤く燃えてきます。それなのに、息という風ではなく、水をかけて消してしまった人も数え切れない程居られたでしょう。 怨念だけを残して、、
今、コロナが少しずつ鎮まりかけてきた頃に文春砲が炸裂です。やってくれますねえ。天理教の問題など美味しくも何ともないので文春は相手にしてくれないでしょうが、サンデー毎日なら何とか、、
もうすぐ梅雨の季節です。これ以上カビが増殖しない様に風を通さないといけません。一人の風は弱いけど、多勢の、それも怨念のこもった風は台風並みになるかもしれません。
>>もうすぐ梅雨の季節です。これ以上カビが増殖しない様に風を通さないといけません。一人の風は弱いけど、多勢の、それも怨念のこもった風は台風並みになるかもしれません。<<
雨だれも石を穿つかもしれませんね。
政府の機嫌を取りつつ、海外布教を狙ったのは満洲だけではなかったようですね。見出しを見たときは一瞬、人身売買かと思ってしまいました。
>>大阪毎日新聞 1936.6.26 (昭和11)
花嫁七千人の注文
邦人活躍の比島から
天理教本部で一肌ぬぐ
大和丹波市天理教本部へフィリッピンから花嫁七千人の”注文”のあった話—常夏の国フィリッピン群島ダヴァオ市附近には現在一万四千余の邦人市民がマニラ麻裁培に従事刻苦精励の結果農場を経営しているものが多いが、事業の関係と同島には年ごろの婦女が少いために独身生活をつづけ単身奮闘している現状にあるので同地の天理フ教ィリッピン教会長本宮寛、ダヴァオ教会長塚本義輝の両氏はこの家庭愛に恵まれぬ同胞のために適当な配偶者を斡旋しようとかねて計画中であったが、このほど右花嫁七千人を天理の教信徙で二十歳以上三十五歳までの身体強健、志操強固の婦人のお世話を願いたいとの申込があったので、同教本部では移民国策の上から見て邦人の壮挙を全からしめる国家的事業であるとし、全国各教会信徙に対し花嫁募集のために力瘤を入れることになった(大和丹波市発)<<
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10024924&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
訂正
誤、──(同地の天理フ教ィリッピン教会長本宮寛)
正、──(同地の天理教フィリッピン教会長本宮寛)
>>このほど右花嫁七千人を天理の教信徙で二十歳以上三十五歳までの身体強健、志操強固の婦人のお世話を願いたいとの申込があったので、同教本部では移民国策の上から見て邦人の壮挙を全からしめる国家的事業であるとし、全国各教会信徙に対し花嫁募集のために力瘤を入れることになった<<
フィリピンは敬虔なカトリック教徒が多いので、日本の訳のわからない新興宗教の募集に対して、どれぐらいの応募者があったのでしょうか? おそらく少なかったはずです。移民国策で日本の人口を増やし、やがては兵力として使おうとしていた日本の軍事体制に迎合し、日本の国に取り入ろうとする教会本部の考え方ややり方は、到底、宗教と呼べるものではありません。
これは、日本からフィリピンへ天理教信者の女性を送るという計画ではないですか?
御供え地獄で生活の破綻した大量の女性信者を、国内から厄介払いし、海外で布教させ、おまけに政府にも取り入ることができる、一石三鳥のアイデアと考えたのでは?どこまで本当に任意の募集だったかも怪しいものです。行けと言われて、信者は逆らえませんから。
参考意見
2020年5月22日 4:32 PM
政府の機嫌を取りつつ、海外布教を狙ったのは満洲だけではなかったようですね。見出しを見たときは一瞬、人身売買かと思ってしまいました。
これは移民政策で、いうなれば労働者確保の体の良い人身売買です。戦前には多くの日本人が移民として各地に送られました。満州、北米、南米そしてこのフィリピンでしょう。「土地をもらえ豊かな生活が送れる」等のスローガンを掲げられて各地に移住したものです。満州は日本の傀儡国家でしたので比較的裕福でしたが、日本軍敗戦と共に本土帰還時に中国人朝鮮人韓国人からの虐殺にあったり大変だったようです。北米では第二次世界大戦に入り、日系人は強制収容所に入れられました。南米はブラジルに多くブラジルでは土地はもらえましたが原生林が生えたジャングル等で開拓でやっとだったそうです。
似たような事例で言いますと、北朝鮮の帰還事業も「このようの天国北朝鮮」と騙されて帰国してほとんどが強制収容所行きです。
移民の歴史には、欧州では侵略の歴史があり、東洋では奴隷や労働者としての歴史が多く見られます。最近ですと中国の移民では各国を経済的政治的に侵略している節が見て取れますので大変危険です。
「おもどし(お戻し)」と言う言葉で、他法人(部内)の土地を未だに収奪している中山本部体制はやはり終焉を迎えてますね。おもどしでなく「おしゅうだつ(お収奪)」と言うべき事態でアホかと思いました。コロナなど経済的に困難な中すべき政策ではないと誰しも思う事態本当にアホなんだと思います。
今現在日本でも、コロナ騒ぎに乗じて検察庁長官問題が話題になり成りましたが本当目的は公務員の定年延長です。この件で、自民党が!安倍が!と言うが多いみたいですが、与党も野党もどちらも官僚に踊らされている。この真犯人は実は官僚なのですよね。
教団で言えば官僚とは本部員本部員のほとんどが中山血族なのでこれはとんでもない独裁体制であり独裁体制を超えた、権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制「ファシズム」であろうと推測できます。現に本部員を血族で固め、大教会分教会以下各地の教会を中山本部員体制で押さえ、余った土地を収奪している。これはファシズム以外の何者でもない。「ナチス中山」と言っても過言ではないです。
いち早く中山ナチスのファシスト体制を打倒すべく、各協会中山家以外が結束して、お供えをもっと減らすべきですね。
満洲移民に関しては資料が豊富ですね。本部のエライ人が、何やら得意げに新聞で語ってますが、昭和9年といえば脱税事件の前の年ですね。ここの資料は、コピペ可能なのは有難いけれど、何故か伏せ字だらけ。やはり現存の団体をフルネームで出すのはヤバいのかな?
>>大阪朝日新聞 1934.3.19 (昭和9)
信仰移民 天理教よく山東移民を同化するや
天理農村について、本部役員、同青年会の重鎮松村義孝氏は移民計画の精神を語った。
御教祖五十年祭、立教百年祭の二大年祭に奉仕した時、偶々、満洲事変と、その結果東洋平和の為め興った満洲国の建設は、全日本人をして今や日本が重大なる立場におかれつつあることを強く意識せしめたのであります。
新興満洲帝国は実に五族協和の王道楽土の実現を建国の精神となす故に、我々日本人は満洲国と協調し、同時に大和民族の大陸進出を策し、更に大いに亜洲亜民族の為めに貢献し海外雄飛の大使命を達成せしめねばならぬのであります。
顧みて本教に於ては、事変に先立つこと一年前より両御年祭の活動の万針の一として人類の更生、日本人の更生が叫ばれていたのであります、本教の海外伝道の一助として、他面祖国日本の生命線確保の為め、君国貢献の念願を以て青年会の大事業として、満洲移民の計画を提議し、昭和七年六月一日の常務委員会に於て協議の結果その具体的計画を樹立すべく、同年暑中休暇を利用して実地調査班を派遣することに決定したのであります。
かくして更に第二次調査第三次と回を重ね、今日の実地調査が大体最後のものであると思います、我々はこの調査を携えて、常務委員会に計ることにいたします……
と酷寒零下四十度北満の曠野にあって松村義孝氏は確信の色を顏に浮べつつ、力強く物語った。
農村移民と一口に言うが、移民は決して捨子ではない、尊い遠大な使命がある、而し北満には皇軍の活躍があり景気はよし、事業はドンドン起るから、資力なくとも裸一貫で飛び込めば何んとかなるよ、その意気が第一必要だよ、なんて考えてやってくるのがほとんどのらくら者である、どうしても資力は必要だ、それよりもあの力強い伝統と信仰に生きている山東移民とそれから自然の酷寒と太刀打ちするには、何によりも信仰が第一で、満洲伝道廰長深谷 コ郎氏に、天理農村の信条について聞くと同氏の顏にサット血色を帯びて一文字にギュット締った口は容やかに開いた……
従来移民事業が行はれたが、余り成功したものが少く誠に困難な事業となされ、時によれば不可能とさえ云われています、即ち感情の衝突、利益分配上の不平、待遇の不平等種々の問題が起ったり、又よく働く勤勉な人もあり、また怠ける人もあるといった状態で経営困難に陥ったようであります。
一般に困難とされている人の問題ですが、これは本教の信仰を有するもののみが一致団結してやれば必ず成功すると信ずるのであります。寧ろ他に於て困難とされていることを、吾々は「ひのきしん」の精神を以て如何なる困難も排撃して一手一つの心に結び合って行けば必ずここに立派な理想的天理農村を建設し得ると信ずるのであります。
我々の計画する移民事業はその企図小なれども、小さくとも曾て成功した事のない困難な事業を天理教青年会に於て実行し、ここに理想的農村を建設し得たとするならば、その貢献する処は決して少くない、引いてはこれが国家の為めに幾分なりとも御奉公申上げることが出来ると信じたのであります。
一、移民の資格
天理農村移民資格は天理教青年会員で授訓者、既教育在郷軍人で年齢二十三歳以上三十五歳以下の普通小学卒業以上の者で、満洲永住の決心者で信仰も身体も強壮で有配偶者であり、農事経験者か手職ある者に限っている。
一、壱戸当り割当面積
水田参町歩、其他五町歩で外に宅地、路、学校、教会、墓地、病院、農事研究所、倉庫其他潰地が一戸当り二町歩の割で計十町歩。
一、所要資金
資金は総て天理教青年会より貸与し、渡満第五年度より年賦償還せしむ、償還完了を待って住宅土地を移民の所有に移し独立自作農とする、但し一切金利を附せぬ。
一、所要資金貸附 壱戸当り
(A)固定資本 二、五七九円
(イ)土地 一、五五九円
土地買収費 一、一三九円
土地改良費 四二〇円
(ロ)造営物 七二〇円
住家(支那式三間房子壱間当り一三三円) 四〇〇円
倉庫兼苦力舍 一〇〇円
廐舍 五〇円
豚舍 二〇円
井戸(貮戸共用) 五〇円
共同設備 一〇〇円
(ハ)什器(農具概算) 二〇〇円
(ニ)家畜 一〇〇円
耕牛 六〇円
種豚(牝二頭牡一頭) 四〇円
(B)流通資本 六五〇円
(イ)生計費 一五〇円(十ヶ月分)
(ロ)農耕資金 五〇〇円
合計 三、二二九円
但シ指導員ノ給料ヲ含マズ
更に「おぢばより」渡航費全額補助し更に警備、教育、衛生等も矢張補助する事に成っている、本年五六月に信仰を中心に一粒選りの農業移民が収容される予定であると東亜勧業公司に一切を依頼して、専門的立場から土地の買収及農耕経営地、路、水池、家屋など一切を東亜勧業公司に工事を引受けさせてやらせるとの事だから安心の出来るものが出来よう。<<
※画像ファイルは4枚目
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10024163&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
各協会中山家以外が結束して、お供えをもっと減らすべきですね。<<
私方も逼塞教会ですがこれに尽きると思っています。お供えをやめれば、本部の息の根が止められると思います。
貴方は本当に正しいことだけを言ってます!私も天理教から離れた1人です。
初代管長の香典は六十万円(※大正3年12月31日死亡)
さて、その金は誰の手に?
>>台湾日日新報(新聞) 1916.11.10-1916.11.30 (大正5)
予の宗教観 (一~十) 下村民政長官述より
(十)外国でも自分等の見聞した所によっても、段々日曜日の教会の寄りが悪い。仕方が無いから蓄音器を買って来て、余興的に音楽をやって客寄せをするというような例もあって、よほど人を寄せることに苦しんで居ります。
──(中略)──
唯金光教とか、天理教とかいうものが新しく出来て、日なお浅きに拘わらず、今日三百万以上の信徒を有して居って、此の間天理教の管長の死んだ時なども、香奠が六十万円も集ったそうである。
──(中略)──
したがって一度び天理教の信者になり、或は金光教の信者になったものは、直ぐに初め自分が勧められた時のように、今度自分が他を説くようになって、斯くして信者が鼠算のようになって殖えるのである。──(以下略)──<<
※下村 宏は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067633&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=9&LANG=JA
>>これは、日本からフィリピンへ天理教信者の女性を送るという計画ではないですか?
御供え地獄で生活の破綻した大量の女性信者を、国内から厄介払いし、海外で布教させ、おまけに政府にも取り入ることができる、一石三鳥のアイデアと考えたのでは?どこまで本当に任意の募集だったかも怪しいものです。行けと言われて、信者は逆らえませんから。<<
私は、逆の解釈をしていたようです。申し訳ありません。いずれにせよ、一新興宗教が日本の国策に加担しようとしたことは事実です。語弊があるかもしれませんが、戦力的に無力な女性達をフィリピンに送り込み、日本の植民地政策を推し進め、大東亜共栄圏の確立に協力して、国家に取り入ろうと企んでいたことには違いはありませんね。
色々見ていくと教団自体の制度に問題があるのですがそれをさせているのが中山家と言うことになりますね。これでは中山家はどんな言い逃れも出来ないでしょう。もし中山家が教団を後にする時が来ても信者の金で建てたビルも没収したほうが良いですね。
おもどしの件に関しても教団の顧問弁護士は違法じゃないので大丈夫とさせているのでしょうが宗教法人法が包括法人が被包括法人の土地収奪の為に使われていたとしたらこれは大問題です。
これを機に離脱、独立、脱会される方法人も多いようですしコロナで中山本部体制の大嘘親神様や本当の神に見放された姿も皆さん見れたでしょうし良い機会になりましたね
一時の夢が忘れられない天理教団。哀れですね。
道を間違ってしまったことに気付かないほど愚かなことはありません。お道とは、何だったのか。今更後悔しても遅きに失したということです。
時報を包んでいるビニールに印刷された「手配りで広げよう たすけあいの輪」なんてスローガンも、所詮はお供えをしてくれる人を増やそうと言っているように聞こえます。
そのようなことよりも、参考意見さんが投稿されている内容を見れば、時報は天理教の過去の悪しき歴史を検証しなおすことが迫られているんじゃないですか。なんでもかんでもおカネに結び付けていた悪しき歴史をです。
今回も、何も読まずにビニールのあて名シールをはがしてプラゴミに直行。時報も古紙回収箱に直行です。
ただ、スローガンが目についたので投稿しました。
天理時報は子供のおやつの敷物です。おやつが済んだら食べこぼしでベタベタなので丸めてゴミ箱行きです。ビニールシート代わりです。
元渕舞の幸せへの四十奏とかの記事を見ていると腹が立ってきます。本部で手厚く保護され海外留学させてもらった一家が今更米国で幸せ四十奏とか聞かされても、我々下々で吸い取られはぎ取られた身分の者からは、腹立ちの一言です。所詮苦しいものの気持ちに寄り添えない自己中組織の記事なんかどうでも良いです。手厚く保護された人間は幸せになるんです。貧に落ちきれと実行した人間は今でも貧困と不幸のドン底です。教会を出たら自分の家もありません。幸せの四十奏なんか我が家には全く御縁がありません。貧に落ち切って今を迎えて神経を逆なでされるばかりです。
今後、この家屋敷は先祖の物なんだけど、いづれ本部に取られるんでしょうね。子供には一切何も残してやれません。
>>腹立ちの一言です。所詮苦しいものの気持ちに寄り添えない自己中組織の記事なんかどうでも良いです。手厚く保護された人間は幸せになるんです。貧に落ちきれと実行した人間は今でも貧困と不幸のドン底です。教会を出たら自分の家もありません。幸せの四十奏なんか我が家には全く御縁がありません。貧に落ち切って今を迎えて神経を逆なでされるばかりです。
今後、この家屋敷は先祖の物なんだけど、いづれ本部に取られるんでしょうね。子供には一切何も残してやれません。<<
真の 宗教とは、苦しんでいる者、悲しんでいる者の気持ちに寄り添い、人々の思いを聞き、人々の心に安らぎを与えるのが、最も重要な役割だと思います。詐欺師でも無ければ、悪徳不動産屋でもありません。
若い天理教信奉者の皆さん、何度も同じことを言ってくどいようですが、今すぐにでも、天理教から離れてください。ズルズルと天理教に関わっていれば、たった一度しか無い人生を反故にしてしまいます。反故にするどころか、友人や親戚縁者にも多大な被害を与えかねません。
匿名 様 (2020年5月23日 10:05 AM)
元渕舞の記事を読んでいつも感じるのは、この人には感謝の気持ちが無い、慮る心が欠如している人なのだなぁということです。
だから私たち読者は腹が立つのです。一家の栄華を誇るだけの心貧しい人が、人の心を打つような演奏ができるのか、とも感じます。
いろいろな考え方があるとは思いますが、住居を本部に収奪されるシステムは生存権を犯すことにもつながりますから、人道上、見逃せません。
やはり包括関係を解消し、独立した宗教法人になさることが解決策ではないでしょうか。
信者さんたちに説明されれば理解していただけると思います。
その様な教会が各地にできれば、いずれは各地の神社仏閣同様、単なる教会名称が通り名となる事でしょう。
仏教でも神道でも同じような流れで本部から離れるところが数年前から出てきています。要するにネズミ講的集金システムは社会的に認める事ができない世の中に、漸くなってきたということでしょう。
各教会ごとに目覚めて動き出せば、本部は手を打てません。お子さんたちのために家を失う事だけは避けられてはいかがでしょうか。ご自分の代で手続きができると良いですね。
昭和12年、中山正善の個人所得税は三十二万円。
>>神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫より
大阪毎日新聞 1937.5.27 (昭和12)
横綱は今年も住友男爵 関西の長者番附
国民の”財布の重さ”をはかる個人所得税の決定が迫った。
──(中略)──
つぎに”長者番附”の顔触れであるが、例年東の三井、三菱と並んでその横綱をしめる住友財閥の若き盟主住友吉左衛門男が今年も断然群を抜いてトップの王座にゆるぎはない、住友男は昨年は課税額実に四百五万円、税額百二十万円というべら棒な取高を見せたが、今年は改租した住友本社の減配のために個人名義所得額はグンと落ちて三百万円と査定、ただしその税額は「増徴による高率が適用されるから前年の百二十万円と大差ないというからもの凄い。
──(中略)──
奈良県の大物、天理教の中山正善氏は前年よりやや進んで三十二万円と査定され、また不敬事件で検挙された「ひとのみち」の御木徳近は昨年は十万円と査定されていたが、今年は徴税名簿から消えた。<<
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10053446&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
小さな幸せになることさえ、何か罪深い印象を植えこんで、末端教会といわず大教会直轄教会にさえも貧しさを当然のことと洗脳して受け入りさせて、搾り取ったお供えで太りに太った天理教上層部の罪は万死に値すると言っても過言ではないでしょう。
苦しくとも一般社会で真面目に頑張れば周囲は認めてくれましたよ。それに引き換えて天理教では、すればするほど要求は増えるばかりで留まることを知らなかった。
だから、教会長さんの自殺、強盗、投資の失敗など世間一般と何ら変わらないスキャンダルが起きたのでしょう。
若い人たちには、一刻も早く教団から離脱されんことを願うばかりです。人助けなんて行為はそんなに生易しいものではありませんよ。一生に一人でも他人を助けることが出来れば奇跡ですよ。
神様の力をお借りしてなんて言ってますが、まやかしもいいとこです。要は神様の力をお借りできるようになるのにはお供えしなければならないと言っているんですから。
神様がおカネを要求するなんて、おかしいと思いませんか。
>>匿名
>>2020年5月23日 10:05 AM
>>今後、この家屋敷は先祖の物なんだけど、いづれ本部に取られるんでしょうね。子供には一切何も残してやれません。
被包括関係を廃止して「離脱」という手がまだあります。
あきらめないでください。
離脱についてはこちらのコメント欄でも有名な
加藤ハルアキさんのブログをご紹介しておきます。
単立天理教会 国々所々つとめ場所は散歩道
http://mikagurauta.grupo.jp/
1/17000の闘争と逃走
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12356106667.html?frm_src=favoritemail
中山家の皆様「おもどし」とか偉そうに講釈たれてる暇が有るならあんた方が教団を本当の神様にお戻しされた方がよろしいんとちゃいますかー?教団皆そうおもってますで、あんたら生き恥じすぎて痛々しい。世間に笑われるのは当然「金の繋ぎは命の繋ぎ」と言う教理は信者も呆れてますな
大亮さんが、Webで青年会の主だった人達と意見交換会みたいなことをしたそうです。
何が目的なのかな
このタイミングで
よくわからない
天理教信者の方々もTwitterでの発信が盛んです。
私自身は短文での発信は舌足らずになりがちなのでリードオンリー。(古い世代の人間です!)
種切れなのか、次々に質問➡回答スタイルで維持している人が増えている中で、自分の思いを綴る方もまだまだいます。
今日はそんな中で、初めて行きついた方のTwitterを拝読して、ちょっと???
純粋な方のように思えるのですが、とは言え、心配になりました。
ふた昔前の社会では通用した教えかもしれないのですが、この方の教会?布教所?は、もしかして有名な「愛」系ですか?
この方を詮索しているのではありません。問題だと感じたのは教えられている内容そのものです。
何処の系統、教会に参拝するようになるかで、信教生活に大きな開きがあると思っていましたが、ここまで違いがあるとは、今まで知りませんでした。
結婚に関しては親の言いなりな結婚をしても幸せになるとは限らない、収まりがつく人生になるとは限らないと、実体験からハッキリ否定できます。
天理教の所長様?奥様先生?に喜んでいただけるような結婚って、何なのでしょうか。
まさか、結婚後も天理教の行事やひのきしんに奥さんが教会へ出かける事を心良く、認める旦那さんとの結婚?
おそなえを教会に運んでも嫌な顔をしない旦那と親戚?
天理教社会で人生を生きている人には都合が良いのでしょうが、世界中が天理教の物差しで動いているのではないのですから今すぐ棄教することをお勧めしたくなるほど、この方のご家族の安全に不安を感じてしまいます。ブラック企業で出世する主人を「良し」としてはダメですよ。誰かを踏み台にしての出世はダメでしょう。何のために信仰しているのか、今一度じっくり考えるためには教会から離れて一般社会の中で学び直したいものです。
おっとっと・・・・そういえば真柱夫人のお言葉でいつか世界中が天理教になれば・・・という表現を話されていました。
「☆今すぐ棄教」、Twitterアカウントをお持ちの方々で盛り上がってみてはいかがですか。
(以下ある方のTwitterより。)
以前、勝手に結婚して出て行った人がいるけど、その後、幸せな人生を通れていないと聞く。
何事も、所長様や奥様先生に喜ばれる結婚が、一番収まりが良い
私の幼い頃の写真を眺めていると、不思議と、親に対するわだかまりが薄れていくような気がした。
親から2歳になるまで、育ててもらったら、一生恩を返さないといけない。
そのように教えてもらうと、親から用事を頼まれる事が、とても嬉しく感じた
まだ信仰が浅い時に、お道では、浮気される方も悪いと聞いて驚いた。
絶対、私は悪くないと思っていても、
『その根性を直さなあかんねん!』と先生は、教えてくださった。
先生のお姿がなくなっても、心から主人や親に尽くしているのか、自分に問いかけていきたい。
ブラックと噂される会社で、どんどん出世している御主人がいる。
気難しい方だけど、聞けば、すごい親孝行をされている。
『親という字は、立木を見ると書く。親をどこまでも見上げていると、いつか自分が見上げられる立場におかれる。』
先生の言われたとおり、親孝行者は大成功している。
>>神様の力をお借りしてなんて言ってますが、まやかしもいいとこです。要は神様の力をお借りできるようになるのにはお供えしなければならないと言っているんですから。
神様がおカネを要求するなんて、おかしいと思いませんか。<<
神の愛は無償です。もし、神仏が存在したとしても、人間にカネを要求するはずがありません。「カネのつなぎは命のつなぎ」ということは「カネを出さなかったら命はない」ということであり。恐喝、恫喝以外の何ものでもありません。まるで強盗です。天理教の教えでは、親神は「人間が陽気暮らしをするのを見て共に楽しみたい」という意図で人間を創造されたのですから、人間が互いに助け合って陽気暮らしさえしていれば、カネは必要ないはずです。「カネ=いのち」というのであれば、天理教にカネを払わない未信者の人達や他宗教の信者は、すべて死滅するのでしょうか? そんな馬鹿なことは決してありません。
>>以前、勝手に結婚して出て行った人がいるけど、その後、幸せな人生を通れていないと聞く。
何事も、所長様や奥様先生に喜ばれる結婚が、一番収まりが良い<>『親という字は、立木を見ると書く。親をどこまでも見上げていると、いつか自分が見上げられる立場におかれる。』<<
親という字は、『木の上に立って見る』とも書きます。子どもが一人前になれば、親は子どもの行く末を高いところから見ていればいいのです。親と言えども人間であり完璧ではありません。親の間違った部分をいつまでも見ていると、子どもも間違った方向に導かれかねません。子どもも一人格をもった人間です。子どもが自分が正しいと思う信念に従って生きていれば、親は高見で静観していればよいのです。いつまでも干渉するべきではありません。
前回投稿時、編集のミスがありましたので、下記のとおり補足追記いたします。
>>以前、勝手に結婚して出て行った人がいるけど、その後、幸せな人生を通れていないと聞く。
何事も、所長様や奥様先生に喜ばれる結婚が、一番収まりが良い<<
天理教特有の偏狭で視野の狭い考え方ですね。親の大反対を押し切って結婚した夫婦でも幸せな家庭を築いておられる方々は大勢おられます。一方、上級教会の会長や天理教に熱心な親や親戚等に熱心に勧められて結婚したものの、その後、破綻し不幸になっておられる方々も大勢おられます。
>>以前、勝手に結婚して出て行った人がいるけど、その後、幸せな人生を通れていないと聞く。
何事も、所長様や奥様先生に喜ばれる結婚が、一番収まりが良い<<
ただの組織主義を強化したいクダラナイ固定観念。
低能ここに極まれり。なんとも呆れたものです。
教団や教会の言いなりになっていて不幸な人のほうが山ほどいる。
所長様や奥様先生 二重敬語 あー気持ち悪い。
こういう洗脳された人間がいる限り、まだまだこの組織はもう少しだけ持ちそうですね。
「彰晃 彰晃 彰晃 彰晃 彰晃~♪ 」を思い出す 笑
>>教団や教会の言いなりになっていて不幸な人のほうが山ほどいる。<<
その通りです。教団の真の目的は、天理教を信仰しているカップルを増やし、子々孫々に天理教を信仰させ、信者数を確保し、「お供え」(カネ)の増収増益をはかるということなんです。
「教会は、子供を沢山生んで、直轄の信者を、沢山作れ。」
と、天理教校の某・先生が生徒に言ったそうだ。
>>「教会は、子供を沢山生んで、直轄の信者を、沢山作れ。」
5年ほど前の神殿講話でも
「天理教の教会や信者は沢山子供を産み育てて信者を増やしましょう」
名前は忘れましたが某本部員が言いました。
どこぞの大臣の失言の「女性は子供を産む機械」を思い出して呆れましたね。
この本部員は、信者を養殖して金を増やそうという卑しい魂胆だけで、
人をたすける心なんてないんだなと当時思いましたね。
われわれ信者は養殖のウナギやマグロじゃねーよ!ってね。
またずんぐりむっくりで時々丸いサングラスをかける「紅の豚」みたいな
教祖伝に名前の出てくる苗字の本部員T(もう出直し?)は
ちょっと昔のある講話で、天理教の差別的ヒエラルキーによる身分の固定を、
「弱肉強食」に例えて以下のように当たり前のように話していました。
「最近は本教においても、理の親がどうの、本部員がどうの大教会長がどうの、
上級会長がああだのと不足する奴が増えよった。でも考えてみなさい。自然界だってそうでしょう。
ライオンはシマウマを食べる。弱肉強食です。食べるものと食べられるものが決まっておる。
これが自然の摂理なんです。天理教も同じです。理の親の言うことは黒いものを白と言われてもハイと言う。これが天理教の信仰です。」 と。
もうほんとに狂っているとしか思えませんでしたね。
つまり肉食動物は理の親である本部員や大教会長等のお供えをもらう側であり、
草食動物はお供えを出す側の末端や信者たちであり、
草食動物であるお前たちは喰われるのが当たり前なんだぞと。
こういう狂った考え方をしているのが当たり前な人間が本部員にいるわけですから、
他人の財産をお供えと称して骨の髄までしゃぶることなんて朝飯前の奴らなんだなと…..。
恐怖を覚えましたね。
またこの本部員Tははっきりこうも言いました。
「信仰とは金なんです。信仰心のある人ほどお尽くし(金)ができる。
お尽くしの金額によってその人の信仰のバロメーターがはかれるんです。」
とはっきり言いました。
今思えば録音しておけばよかったなと思いましたね。
表もそうですが、本部員ってこんなに狂っている輩ばかりで、
なんと天理教は恐ろしいところなんだろうつくづく思いましたね。
まあ目が覚める良いきっかけをもらったとも言えますが。
え?私が天理教を続けているかって?
とんでもない…とっくに棄教しました。笑
天理狂信者であったときより今の方がはるかに幸せです。
>>え?私が天理教を続けているかって?
とんでもない…とっくに棄教しました。笑
天理狂信者であったときより今の方がはるかに幸せです。<<
きっとそうでしょうね。棄教する人が激増するのも無理の無いことです。
教会本部の面々は人類の手本雛形になるような人格者ではなくて、食い扶持の為に本部維持だけを思うお勤めロボットであって、心の成人だとか魂を磨くだとか人類を救うだとかいう、純粋な信仰心を無くしているんじゃないのか?
もしかしてだけど、言いたくないけど様
>教会本部の面々は人類の手本雛形になるような人格者ではなくて、食い扶持の為に本部維持だけを思うお勤めロボットであって、
本部維持よりも、自分の立場だけを思っている人が多いです。
>心の成人だとか魂を磨くだとか人類を救うだとかいう、純粋な信仰心を無くしているんじゃないのか?
「純粋な信仰心を無くしている」とかではなくて、元々そんな信仰心の無い人が多いです。
匿名
2020年5月24日 7:07 AM
>>大亮さんが、Webで青年会の主だった人達と意見交換会みたいなことをしたそうです。何が目的なのかなこのタイミングでよくわからない
青年会に聞かんでもここに有力な賛成反対意見が出てるのに、中山家も中山派の人も何か勘違いしてるようだけど、ここは叱咤激励をしてるだけの信者の集いなのでこちらの方が有力で有効な話なんですが、ただ先を案じて批判もしますが何を勘違いしているか批判の通りにやっているのは紛れも無く本部中山家なだけです笑
「危ないですよ!危険ですよ!そんな事したら勘違いされますよ!過去にこんなおかしなことしてるから治しましょうね!」って言われてるだけなのに「知るかー!」って中田善亮大先生を筆頭に暴走して、皆から「やはり本部中山家は頭おかしい。天理教は終わった。社会学に書いてあった通りだ!」と成ってることに未だに気が付かないのですかね?
「やはり頭がおかしいのですかね?」と皆さん尚更思ってしまいます。頭がおかしくないなら、中山家と教団維持の為だけに政策を打たないで、部内等他法人の土地を返却しろとか言わないで撤回して軌道修正しなおさないと、また「金のつなぎは命のつなぎ」の様に取り返しが付かなくなるだけですがね。
信者舐めとったら痛い目見まっせ(苦笑)
匿名様
>大亮さんが、Webで青年会の主だった人達と意見交換会みたいなことをしたそうです。何が目的なのかなこのタイミングでよくわからない
青年会本部が主導して、やっていると思います。今までにない画期的な事です。
当人達は大まじめでしょうが、各地の青年会幹部と遊んでいるようなものです。
忖度なしに、お道の未来を語り合うなら意義がありますが、物も金も、何不じゅうない人達で語らっても何も生まれないでしょう。
今の中山教団に何を言ったところで無駄です。今まで辛酸を舐めてきた信者全員が棄教するのが最善の方法です。
中山教団もそうですが、先祖代々天理教をやってきて多くの信者さんをまがいものの宗教で愚弄してきたことを
思えば教会の責任も重いものがあると思います。次の世代に汚点を残さぬよう、全教会を廃止するのが懸命かと思います。
現在、おつとめも簡素化されていて、こどもおぢばがえりまで何もやることがなく
このまま消滅してくれることを祈ります!
社会悪です。
>>思えば教会の責任も重いものがあると思います。次の世代に汚点を残さぬよう、全教会を廃止するのが賢明かと思います。
現在、おつとめも簡素化されていて、こどもおぢばがえりまで何もやることがなく
このまま消滅してくれることを祈ります!
社会悪です。<<
末端分教会の中には、教会本部や大教会、上級分教会に強引に分教会にさせられた布教所等があります。全教会を廃止することには賛成ですが、そうした信者も含め被害者をいかにして救済するのかが問題です。このまま「泣き寝入り」という訳にはいきません。
この社会学の場は皆さんが忌憚のない意見を出し合いながら、又、各自が人の意見を自分の中で咀嚼したりと、ネット版、練合の場ともいえそうだ。(練合とは話し合いのことで天理教内で使用される言葉。)
確かに教会も信者もそれぞれの立場で自分を顧みれば、被害者ともいえるし加害者でもあるという認識を持つべきだろう。
コロナ禍の中で、皆、必死に生き直すための努力をしているのだが、天理教バリ天は学びが足りないので世界が見えていないのか、お供え命の欲で目が曇っているのか、今、こんな事を考えている。
#天理教Twitter動物園はウマシカ増加中。
天理教の人のTwitterを見ていてちょっとした傾向に危惧をおぼえる。
一言で言えば、内向き過ぎる。
仲間内で心地よい言葉で褒め合ったところで、社会で通用するような見識を持てるように成長、向上することは難しいだろうに。
このマロさんは過去に女性をTwitter上で脅した過去がある。よほど、所属が気になるのだろう。
天理教内の狭い枠内での身分・属性にこだわっても、外の世界の広さに比べたら、どーってこと無いんだけどなぁ。
名前もコロコロ変えているが、バリ天として有名。
講演で妻子を養いたいのだろうが20年早い。とはいえ天理教レベルの話だからどうでもいいが。
===以下コピー===
今の名前:
100日後に1人語りのスキル鬼アップする俺@天才的自遊人 @hiromaro0422
西野亮廣さんのVoicy聞いて、面白そうだから天理教版、実験的に作ります☺︎
鍵垢のみの快適なコミュニティ。
→リツイートのない世界
→怒りの情報が流れてこない
→快適&安心&深い繋がりができる
以下の条件を明示
・本名
・所属
悪い感情が流れてこない→要らぬホコリを積みにくい。
===賛同する人もいる。天理教人は問題意識が持ちにくい傾向にある証左だ。以下、その人のコピー===
kamekayoさんが100日後に1人語りのスキル鬼アップする俺@天才的自遊人をリツイートしました
コレほんとに良さそうなんです
ぜひぜひ勇みあいましょう❣️
私もアカウント作りました
マロさんの打てば響く早さ、見習います✨✨✨
>>天理教の人のTwitterを見ていてちょっとした傾向に危惧をおぼえる。
一言で言えば、内向き過ぎる。
仲間内で心地よい言葉で褒め合ったところで、社会で通用するような見識を持てるように成長、向上することは難しいだろうに。<<
内向き過ぎるどころか、洗脳状態にドップリと浸かりきり、「井の中の蛙」になってしまっているので、救いようがありません。BAKAにつける薬はないのです。そうしたBAKA共に、一般社会で通用する理屈をいくらまくしたてても、天理教の「人間思案」という言葉で一蹴されるだけです。時間の無駄です。いつまでもBAKA共を相手にしているよりも、とりあえず、一刻も早くBAKA共から逃げ出した方が賢明だと思います。
天理教ライブカメラが、また、アップデートされていますね。大きい画像は南礼拝場を南西から撮影したもの、小さい画像は、憩いの家南西付近から撮影していると思いますが、それほどまでにして、本部建物群を誇示したいのでしょうか? 移転させられた現三島神社の画像もHPに掲載したらよいと思いますが。
いつの日か、ライブカメラに昭和10年のような光景が映し出されることを願っています。その時、カメラがシャットダウンされなければよいのですが。
神戸新聞 1935.12.17 (昭和10)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10064792&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
どうでもいいことなんですが、カメラ1はインフォメーションセンターから、カメラ2は38母屋からだと思う。
>>どうでもいいことなんですが、カメラ1はインフォメーションセンターから、カメラ2は38母屋からだと思う。<<
38母屋で思い出しましたが、本部神殿から見て北東方向の立派な建物ですね。一体、あの建物は何の為に造られたのでしょうか? 教祖百年祭以降、使用実態を観察していますが、ほとんど使用されていないのではないでしょうか?
>>どうでもいいことなんですが、カメラ1はインフォメーションセンターから、カメラ2は38母屋からだと思う。<<
確かにそうですね。カメラ1は総合案内所から北東方向、カメラ2は38母屋から南西方向を写していますね。一番手前に天理託児所の屋根らしきものが映っていますが、天理託児所自体、修養科生が激減した今日でも使用されているのでしょうか?
天理教の巨大建造物群を見て、感心する識者もいたようですね。明治、大正に書かれた批判本を読んでなかったのでしょうか。
>>国民新聞 1935.6.3 (昭和10)
月曜静観 五来素川
──(中略)──
其の山の麓に天理教の本山が建てられてある。其の日本建築の雄大なことに於ては恐らく日本第一であろう。神殿あり、教祖殿あり祖霊殿あり、天理教校あり、管長邸宅あり、天理図書館あり、其の建築費は約千万円に上ると見られて居る。そしてそれが悉く信徒の喜捨から出来たと云うのだから驚くべきではないか。<<
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067494&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
※五来素川は五来欣造(1875年~1944年、日本の政治学者、文学者、読売新聞主筆、明治大学教授、早稲田大学教授)の筆名。
※喜捨とは寺社や貧乏な人に施し物を、喜んですること。(!!!)
天理教の違法性をもっと追求しないと財産凍結、損害賠償まではいかないと思います。
たとえば毎度市長選挙のたびに「天理教本部ですが、今度の投票は○○候補にお願いします。」
とかかってきますが、これってどうなのとおもってしまいます。市長がSNSで天理教に感謝のことばを
発してますがこれも?
かつての天理教ゴミ収集料金訴訟事件とか会長のレイプ事件とか横領とかあげればいくつでもあると思います。
息の根をとめるぐらい強烈な事件が暴かれればいいのですが?
教会長さんで、どなたかが自教会の教会規定を投稿していただけないでしょうか。勿論、固有名詞や所属の分かる部分は秘匿していただくことは当然です。
肝心のお戻し部分の文言がどのように表現されているのかを知りたいです。責任役員まで勤めていた者が、そのような規定があることすら知らなかったのですから、迂闊と言えば迂闊でしたが、天理教の寄らしむべし、知らしむべからずの最たる部分でしたね。
このような内容があることを知っていれば、もっと早く天理教を離れていたかもしれません。
今からでも遅くないので、知り合いの信者方にこのことを知らせてあげようと思っています。
>>たとえば毎度市長選挙のたびに「天理教本部ですが、今度の投票は○○候補にお願いします。」とかかってきますが、これってどうなのとおもってしまいます。市長がSNSで天理教に感謝のことばを発してますがこれも?<<
日本国憲法の「政教分離の原則」に抵触すると思います。国会議員(大臣も含む)が公人として靖国神社に参拝するようなものではないでしょうか?
>>※喜捨とは寺社や貧乏な人に施し物を、喜んですること。(!!!)<<
天理教の「お供え」は喜捨ではないですね。
匿名
2020年5月25日 11:48 AM
西岡くんは良い事いてそうなんだけど実はたいしたこと無いんです。ただの出たがりですね。本当に良いことを言っていて自信があるなら鍵垢とか所属等の属性関係なく議論したら良いんです。
彼はに騙されない為に彼のおかしさを上げておきます。
1心理学など良いところ取りしているが理解し切れていない。以前彼は以前、成長心理学的なコンフォーとゾーン(居心地の良い場所)の話をしていましたが新しい事を得るにはパニックゾーンに行かなくては行けないという事なんですが、それを言ってる彼自身が未だに天理教と言う居心地の良い場所に居座っている時点で説得力の無い話になっている。
2天理教の研究と称して動画等を上げていますが、教祖でんとか教団が残した歴史書を偉そうに語っているだけ誰も関心もたれない内容
3名前の変更の多さは迷い、彼のツイッターを見るとただの出たがり根性が丸分かりです。あと彼自身は前向きな発言をしているつもりでしょうが実は後ろ向きです。ここに関しては詳しくは説明しませんが、見る人が見れは分かることです。
つまり西岡くんこそ中山教にありがちな、これぞ体の良い詐欺師なんですよね。
談じ合い、話し合い、議論、ディスカッション何でも良いですが、内容に矛盾が無ければ所属や個人情報などは一切必要ないです。そもそも続柄に拘りる時点で世間ではマウンティング心理とて、直ぐに察知されますがね。時代遅れなのかなー世間知らずすぎるんですよね。
そもそも匿名掲示板の文化は日本から始まったんです。日本で、2ちゃんねる、それに続いて米国の4ちゃんねる など日本が世界に誇る文化です。
匿名だろうが、その中でも現在の教団が正しい!過去の過ちがあっても今後は繰り返さないように勤めます!とその意気込みなど改善点を語れば良いのですよ。後は教団自体が出す結果です。
西岡くんは攻めてる風に見せて守りに入っているだけの中山教の量産型です。
でもこのように教団中堅層で下支えしている方の本心は実は怖いですよ。彼らだって本当に匿名で語て本当に議論したら必ず本心が表れます。現在の中山教のおかしさに気が付いてるのは彼らみたいな「何とかしようとしている人々」なんですから、彼自身本心を押し隠して、本音と建前を使い分けているのは一目瞭然です。
中山体制のこの教団に絶望と落胆を隠しきれないのが見て取れます。それに彼自身おそらく欝に成り掛けているのではないのかなーとも思います。理路整然と語っているように見せてますが覇気が無い。それに西岡くんに現在の教団の組織体制に対する意見を聞いてみたいものです。つまり彼自身はその話題を故意に避けているのです(笑)
所属が!匿名は!と文句を言っている人たちは、本音の議論を怖がっているだけですよ。
本音の議論が行われている匿名性の世界で天理教のすばらしさを伝えるのが本当の布教ではないのでしょうか?
天理教の教えは匿名性の世界では通用しないのでしょうか?いや中山教という矛盾を抱えた教えを信じ込まされ信じているから、負けるのが怖い。間違っている事に気が付くのが怖い。つまり怖がっているだけです。
別に彼が記名性に拘るなら、西岡ひろまろ と名前を書いて、社会学でも2ちゃんえるでも論破しに行けば良いじゃないですか?本当に正しいことを言う人なら、「西岡くんすげー!」とファンがたくさん付きますがね?(笑)
逆言って、社会学のコメントする人たちらでは、無記名でも「あなたの意見は正しい!勉強になります!参考にさせてもらいます!」と無記名で!ファンをつけよう等の名声心ももだず意見している人々どちらがすばらしいのかな?どちらが堪能していますか?どちらが陽気ですか?どちらがなるほどの人ですか?
これぐらいもう中山教という特定集団は矛盾に満ち自身の過ちを認められずですが方や自信が無い人々の集団と化してしまったのですよね。残念ながらこれが教団の人々の本当の姿です。
違法性は沢山あるのですが宗教法人法の中では強制力が無いのですよね。例えば、宗教法人法には、包括法人が被包括法人の土地や建物を食い物にして良い。と言う文面はございません。つまり「おもどし」に関しても、包括、被包括の相互承諾の上でしか出来ないのです。なので当初言っていた「本部に返せ!」とあたかも強制力のあるような言い回しには確実に違法性があります。
それに「金の繋ぎが命の繋ぎ」に関してもこれが宗教指導者と誰しもが認識できる中田善亮氏の発言であるので、これは天理教の本来の教義からは明らかに逸脱しているので、ここには違法性もあります。
元の教義に対しての被包括の承諾 が有っての包括関係が成立するので、ここに被包括側の包括関係の非正当性が生まれ、被包括側の独立の正当性が発生しているのです。
なので近年、脱会や独立が増えているのです。
しかし、公職選挙法に関しては強制力があり厳密な期間や規定があります。引っ掛けようと思えば誰でも引っ掛けられるような内容でもありますので、選挙期間や公示 などの 政治活動なのか?選挙活動なのか?などで合法違法が算定されます。選挙期間外の選挙活動 をしてしまっている関係団体も結構多いのでこの辺で引っかかる法人は結構出てくると思います。
※政教分離に関しては様々な意見が出てきますし、現在創価学会と公明党の関係がなされてしまっているので、ここの議論は後回しにした方がよろしい思います。
本部の講習で疑問を質問したら、いきなり「君は、どこの直属だ。」と怒り出した講師がいた。
何故か、本部正面のライブカメラが見れなくなってしまいました。明日、26日の様子を見せないつもりかな。
古い元教会長 様
古い元教会長さんのTwitterで
さかきばらさん という方が、私が紹介したT本部員の講話がいつのものか?と質問されておりましたが、
このコメント欄をお借りして補足説明させていただきます。
(私はTwitterはアカウントを持っておりませんので「ROM専」でございます。)
T本部員の弱肉強食のたとえ話が出てきた講話は、かなり昔話で申し訳ないのですが、
二十数年ほど前、うちの直属のみで行った団参の記念講話で、
本部の大きな食堂のひとつ(第二? 階段を上がった記憶があります)で行われたものです。
人間のつくった差別的な上下関係を、彼は動物の食物連鎖に例えて話しましたが
教祖の「せかいろくぢ」の教えとは大きく異なり、
私は大きな違和感を持ち、それを周りの人間に訴えたのですが、
両親や知り合いのバリ天達は誰も異を唱える者はおらず、
洗脳とはこういうことなのかととにかく気持ちが悪かったことを覚えています。
当時オウム事件もありましたから、
盲信の気持ち悪さ、恐ろしさに個人的に敏感になっていたんだと思います。
また、「お供えの金額が信仰のバロメーター」の話は、やはり同じく二十数年前、
あまり詳しくは言えませんが、教校内の講話においてT本部員が話したものです。
その時、本部員の息子や大教会の息子も数名聞いておりましたが、
彼らはT本部員の講話内容を聞いて、
口々に「ほんまにそうや」みたいに同意をしていました。
しかし自分を含め末端の子弟達は激しい憤りと疑問を感じ、
「教団VIPのやつらは保身と欲のためにお供えの金額が信仰のバロメーターだなんて
教理まで歪めてなんて醜いんだ」と思いました。
天理教のやっていることに大きな疑問をもつ良いきっかけになりましたね。
さかきばらさんは、発言内容の裏がとりたいのだろうと推測いたしますが、
月次祭の神殿講話ではありませんでしたので、
もちろんみちのともには掲載されてはおりません。
ですので、あの当時、スマホでもあれば録音しておいて
YouTubeにでもアップして、偽教理撲滅の啓発ができたのになぁと残念でなりません。
参考意見
2020年5月25日 4:02 PM
天理教の巨大建造物群を見て、感心する識者もいたようですね。明治、大正に書かれた批判本を読んでなかったのでしょうか。
>>国民新聞 1935.6.3 (昭和10)
月曜静観 五来素川
──(中略)──
其の山の麓に天理教の本山が建てられてある。其の日本建築の雄大なことに於ては恐らく日本第一であろう。神殿あり、教祖殿あり祖霊殿あり、天理教校あり、管長邸宅あり、天理図書館あり、其の建築費は約千万円に上ると見られて居る。そしてそれが悉く信徒の喜捨から出来たと云うのだから驚くべきではないか。<<
昭和10年なので戦前の神道の参加で旧日本軍とともに歩んでいた時代なのでお世辞にその発言をしたではないでしょうかね。今ではただのお荷物建造物たちです。教義も宗教指導者達に軽視され拝金教義に成りさがった宗教界でも赤っ恥団体です笑
本部は財政危機であるなら、「金繋ぎは命の繋ぎ」などと脅迫めいた事をする前に、
①婦人会、青年会、少年会等分散して集金されているものを本部会計一本化する事がまず第一です。
②本部出向者の御礼を全面禁止をし、全て本部会計に出すようにしたらよろしいのではないでしょうか、本部出向者の交通費や御礼等が未だにまかり通っている組織とは、つまり賄賂汚職組織と同じですからね。各個人に二重三重の無駄金が渡ってる可能性が高いです。
③本部員の削減をすべきですね。名前だけで使えない本部が多いのでは無いでしょうか?
このようにして企業再建はするのですがね。
上層部を切らずに、勤務者から痛みを与えていては意味が無いです。乗り越えられても再建は難しくなります。
思いますが、本部員の多さが無駄なコストと成っているのでしょう。それにあの無意味な巨大建造物建て増しもおろか取り壊しも出来ない財政状況じゃないですか?考えるだけで怖いですね。
このように再建計画は誰でも建ててます。しかし中山家は実行できません。本部員削減、大教会廃止すると、中山家自身が危うくなるからです。なので中山家が教団を放棄するのが中山家にとって一番なのですがね。
本部は財政危機であるなら、「金繋ぎは命の繋ぎ」などと脅迫めいた事をする前に、
①婦人会、青年会、少年会等分散して集金されているものを本部会計一本化する事がまず第一です。
②本部出向者の御礼を全面禁止をし、全て本部会計に出すようにしたらよろしいのではないでしょうか、本部出向者の交通費や御礼等が未だにまかり通っている組織とは、つまり賄賂汚職組織と同じですからね。各個人に二重三重の無駄金が渡ってる可能性が高いです。
③本部員の削減をすべきですね。名前だけで使えない本部が多いのでは無いでしょうか?
このようにして企業再建はするのですがね。<<
大賛成です。修理巡教とか勝手に押しかけてくる案件に対して、貧乏教会から御礼を取って行くのは全く承服出来ません。今後ははっきりと拒否する教会が出るでしょう。
全国の信者のお供え金で宿を用意され、御礼を貰い、気をつかった食事を提供され、これが今後コロナ社会で益々苦しくなる教会に強引に強要させる事ですか?断固反対です。自腹で来るなら、勝手に来たら良いが、本部は本気でこのおかしな慣例行事の在り方を見直す又は中止にするべきです。(蛇足ですが、自前で来るのは勝手ですが、無能で幼稚な本部員を寄越さないで欲しいです。)
大亮君は若くまだ柔軟な頭があるなら、脳硬化症で頭の悪い親父さんに進言出来ないのでしょうか。ここの情報は本人の耳にも入っているはずです。
本部出向者の御礼、お車料全面禁止。大教会からの巡教の御礼も然りです。本部会計、大教会会計から出費すべきです。本部、大教会は貧乏教会の真面目に生きている教会長とその家族の命を守る責任があります。
何やってもジリ貧ですね。
監査も調査部も無い江戸時代から大して変わらない組織。
本部に全てを集め、力を持った本部員と中山様々、それを支える教会と信者達。
この構図が変わらなければ、ゆっくりと衰退し、縮小をつづけていくだけ。
ただそれだけ。
神の代理と言わんばかりの狂気の暴走列車はレールを外れても走り続ける。車輪と車体を削りながら…
あなたはこの軋轢に耐えられるかな?
匿名様
>私が紹介したT本部員の講話がいつのものか?と質問されておりましたが、
このコメント欄をお借りして補足説明させていただきます。
>T本部員の弱肉強食のたとえ話が出てきた講話は、かなり昔話で申し訳ないのですが、
二十数年ほど前、うちの直属のみで行った団参の記念講話で、本部の大きな食堂のひとつ(第二? 階段を上がった記憶があります)で行われたものです。
人間のつくった差別的な上下関係を、彼は動物の食物連鎖に例えて話しましたが
教祖の「せかいろくぢ」の教えとは大きく異なり、
私は大きな違和感を持ち、それを周りの人間に訴えたのですが、
両親や知り合いのバリ天達は誰も異を唱える者はおらず、
洗脳とはこういうことなのかととにかく気持ちが悪かったことを覚えています。
本部員や本部講師の話はいい加減です。
その時、どこからお礼金が出るかによって、忖度した話になります。
その直属の会長や役員にに都合の良い話をしたのでしょう。
>また、「お供えの金額が信仰のバロメーター」の話は、やはり同じく二十数年前、
あまり詳しくは言えませんが、教校内の講話においてT本部員が話したものです。
その時、本部員の息子や大教会の息子も数名聞いておりましたが、
彼らはT本部員の講話内容を聞いて、 口々に「ほんまにそうや」みたいに同意をしていました。
しかし自分を含め末端の子弟達は激しい憤りと疑問を感じ、
「教団VIPのやつらは保身と欲のためにお供えの金額が信仰のバロメーターだなんて
教理まで歪めてなんて醜いんだ」と思いました。
これは、身内に対しての本音です。
「自己保身と我が身可愛い」のホコリだらけの話です。
本部の権威に対して誰も意見や文句が言えなかった時代でした。
お尽しの話が出来る講師は素晴らしいと思われていた時代です。
>>本部員や本部講師の話はいい加減です。
その時、どこからお礼金が出るかによって、忖度した話になります。
その直属の会長や役員にに都合の良い話をしたのでしょう。<>「自己保身と我が身可愛い」のホコリだらけの話です。
本部の権威に対して誰も意見や文句が言えなかった時代でした。
お尽しの話が出来る講師は素晴らしいと思われていた時代です。<<
上記の記述、全くその通りです。
今の天理教ライブカメラには、南礼拝場階段下に置かれていた賽銭箱2個が撤去されているようですね。「お供え」を稼ぐ月1回の日にもかかわらず・・・・。何があったのでしょう?
>>今の天理教ライブカメラには、南礼拝場階段下に置かれていた賽銭箱2個が撤去されているようですね。「お供え」を稼ぐ月1回の日にもかかわらず・・・・。何があったのでしょう?<<
おそらく、コロナの規制が緩くなったためでしょう。「カネ儲け」にかけては、感心するほど徹底していますね!
賽銭箱はありますよ。今は石段より下ではなく、木の階段を降りた所。右クリックで普通に画像保存できるようになったので、保存して拡大すれば確認できます。
賽銭箱、2つ確認出来ますね。はっぴの人が多いですね。一般人は少ないようです。
思ったほど賽銭は入らないでしょう。
でっかいエリンギみたいなのが、柱の側に2本見えます。それぞれにハッピ姿の者が一人、直立不動でついてますね。
11時半頃、本部前の人も減ってきて、賽銭箱のあった場所が白い四角の台(消毒液の?)に変わりました。閉店ということかな?
>>11時半頃、本部前の人も減ってきて、賽銭箱のあった場所が白い四角の台(消毒液の?)に変わりました。閉店ということかな?<<
要するに、「びた一文」でも急場の賽銭箱で「お供え」を確保したいのでしょう。今までのように賽銭が潤沢に入らなくなってきたことを裏付ける証拠です。それ程、賽銭が必要であれば、金融機関や郵便局で天理教教会本部賽銭専用の口座でも開設したらよいと思います。賽銭を納めたい、あるいは納めなければならない立場の人達にとっては、わざわざ「おぢば」なるところに出向いて、賽銭箱にカネを投入する時間と手間が省けます。
脅されたというのは、睦輝さんが個人特定されそうになった時の事ですか?
あの時よくわからない人が2人の仲介に入って手打ちになりましたが、その仲介者が今度はたぬーさんを脅したとかで、たぬーさんや睦輝さんをアカウントブロックした挙げ句、直属の広報担当を外されたとか。
衰退真っしぐらの現状を今日の賽銭箱の金額で、本部も肌で感じる事でしょうね。ライブカメラでは賽銭箱に人が群がっている様には見えませんでした。高齢本部員などにとっては隔世の感があるんじゃないでしょうか?
1円でも手に入れたい心根が哀れです。もうここまで来たらどんなに頑張っても無理でしょうね。じわじわと衰退の足音が忍び寄っているのを感じます。
コロナ時代は新しい信仰様式を求めねばなりません。テレビでも盛んに新しい生活様式が求められていると言う事を見聞きします。
今後は当たり前のように来ていた 月次祭への上級会長の押しかけ参拝を見直しましょう。御礼金が出せないのを前提で話を進めましょう。また、大教会巡教時等に手を揃える事にこだわるあまり、犬でも猫でも連れてこいと言わんばかりの頭数を揃えさせるのは、コロナ社会では即ち三密を作り出す事です。体裁にこだわり、一覧表で人数を競わせ、数字が多いほど頑張る教会と言うプレッシャーのかけ方は、今後はコロナ感染リスクを無視する行為だと言えます。
コロナ社会では、ウイルスが常時どこかに潜んでいると言うウイルス共存社会になると聞きます。思い切って各種集会は中止し郵便配布で済ませる提案をしたいです。時間もお金も節約できます。社会ではわざわざ会社に出勤しないテレワークの良さが見直されているようです。 ですから天理教各種集会も紙印刷の配布で十分です。大教会などの講話を聞かせたいなら文字に起こして配布して貰えればわざわざ鹿児島や北海道から旅費をかけて行く必要はありません。
そう言う意味ではコロナが古い天理教本部の体制、体質にノーと言える発想の転換をさせてくれるかも、と期待しています。
婦人会、青年会、学生会、少年会…ここ数十年はイベントありきの宗教活動でしたね。
動員数が全ての青年会などが顕著でした。
これからは内々で内面を磨き、競い合う時代かな?webコンテンツも更新頻度が低く、内容も過去の教理や講話から抜粋して多少時代変化に合わせたものばかり。
さあさあ、時代の波に乗るのやで
匿名
2020年5月26日 6:43 PM
今の教団中山体制ではどんなに試行錯誤してwebコンテンツを出しても無意味ですからね。時より出てくるオワコン(終わったコンテンツ)扱いされて見向きもされません。もし目に留まっても少数で、仮に信者になったとしても「結局中山家や上ばかり得してる集団ですよね?」と見破られて直ぐに新規信者は離れます。すなわち抜本的解決となる中山家の追放しか教団が生き残る道が無いのです。今は権威と権力しか頼れない王政、手を出せるところから攻撃する帝政はおろかとにかく周りを侵略してやれという中山ファシズムである事を皆さんしっかり認識しましょう。皆さんがそのような集団にこれから属したいと思いますか?これが今後の新規信者さんの気持ちです。
教団と中山家の利害は一致しない事実
中山家を追い出しても変わらない。と言う意見も有りますが、宗教組織はその教義と成る理念が支柱となるので、その理念を確り会議にかけ論文提出と査読を繰り返される大学のような監査機能を作れば良いのです。これが本来天理教を信仰する皆様の理想ですしそうあるものだと思っていたものです。この公正な公益性を持つ機能を邪魔しているのが再三出てくる中山血族ファシズムなのです。天理教のおふでさき、みかぐら、おさしず3つの教義書を読んでも、どこにも血統等と言うものは出てきません。生まれ変わりの話は出てきますがこれは神のみが知るもの、その血族とは限りません。そして、因縁は、その家に代々受け継がれるとあります。現在の中山家を見れば悪しき因縁の塊で因縁納消(なっしょう)などできてない成すつもりも一切ない事はもう皆さんお分かりになられました。
このように今後も虚言にまみれた一族ですから、現在の中国の様に偽造改ざんを繰り返すでしょうが、皆さんは教祖の教えを手にし、心に踏まえ一生懸命打倒中山に勤しみましょう。
選択肢は2つしかありません。 中山血族と共に教団を潰されるか、中山血族を追放して皆さんの教団を守りきるか、もう決まりきった答えです。
コロナで全世界はおろかこの日本、いや教団でさえも助けられない中山教と化した本部を打倒しましょう。
出て行かない中山血族は往生際が悪いと皆で笑ってあげましょう。これぞ悪しき因縁納消、ほこりと悪を消し去る真のようきぐらしです。
香港では、一国二制度が中国共産党の悪政により終わりを告げようとしています。国家安全法などと差し替え香港を本格的に共産主義化しようとしています。この強権に対しいまや全世界が非難しています。
天理教の信者の方々を見ていると、香港の方々と被り、見るに堪えず聞くに堪えません。
中山血族も得意の中山教(似非天理教)盾に各教会に悪政をしき無実の罪を被せ迫害しているとも耳にします。一日も早く包括法人廃業に追いやるべくお供えをう辞められ人は辞め、辞められない方は額を落としましょう。
本部は時期に潰れます。その時は真の神の用木である皆さんの勝利です。皆さん手を取り心を繋ぎ合い頑張りましょう。
香港で国家安全法に反対のデモ 警察が催涙ガスと放水
https://www.bbc.com/japanese/52794146
名無しの善兵衛 様のご投稿
≪ 脅されたというのは、睦輝さんが個人特定されそうになった時の事ですか?
≪ あの時よくわからない人が2人の仲介に入って手打ちになりましたが、その仲介者が今度はたぬーさんを脅したとかで、たぬーさんや睦輝さんをアカウントブロックした挙げ句、直属の広報担当を外されたとか。
はい、その件です。当時、何だか訳の分からない事件だと感じていましたが、たぬーさんも脅していたとは!
ことばが関西弁のせいか、やくざ屋さんの雰囲気の脅しでした。
その後、その様な人物なのに、Nさんは本部で数人の若い人と共に、お話の講師に選ばれたり、みちの友にも掲載されたりと、活躍でしたから、天理教っておかしいと、いつもながら感じていました。これは確実にNさんの擁護派が本部青年会にいると思っています。
名無しの善兵衛様と、匿名 様の2020年5月25日 8:34 PMのご投稿のお陰で、マロさんの危うさが明確になりました。お二人の情報収集力に感謝します。
お二人とも、見事に問題点をあぶりだす筆力で、この社会学を見ている、特に若者たちへ具体的な警鐘を鳴らすことができましたね。
蛇足ながら、私からマロさんへのアドバイス。 お道専従ではなく、社会で働いて家庭生活を安定させるべきでしょう。社会での人生経験を積んでこそ、人に何かを語れる内容が育まれるのではないかと思うのですが。
↑の匿名ですが、紛らわしい文で失礼しました。
たぬーさんを脅したのはその際の「仲介者」の後日の行為ですね。
すみません。
ライブカメラが元に戻りましたね。今回は紫の登り旗を建てる手抜きをしたのでしょうか。色々言われたくないのか都合の悪い事は隠す教団ですからね。
20代、30代の後継者は今の天理教をみて、おかしいと何も思わないのだろうか?
思っていても何もできないのだろうか?
自分の親に反抗することは、いけないことだと思い、我慢しているのだろうか?
自分の親が犯罪者であったら、それを正すのが子供だと思うが
それを認めてしまうと自分が犯罪者の子供になってしまうのが怖いのだろうか?
いろんな犯罪に手を染めている教会長を見てきましたが、それがなしくずしとなって、そのうちなかったことに
なってしまうのが一番怖いと思います。
お供えが集まってしまう不幸
信者が集まってしまい言うことを聞いてくれる不幸
本当の幸せとはいったい何なのでしょうか?
のぼり旗は4月18日を最後に、4月26日には既に無かったですね。あれを出してたら、いかにも参拝者を待ってるのが見え見えになるからでしょう。それでも賽銭箱は表にシッカリ用意するとは、なんていじましい。
5月20日に紹介した時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家の新聞記事。これを冊子にしたものを国立国会図書館デジタル資料のほうで見つけました。
中山正善は、コマ番号9、最上段の4人目。プロフィールが無いので、知らない人は小学生とは思わないでしょうね 。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/923949/9
もち @c41346506 さんのツイートより
今日(27日)も本部は昨日の月次祭の影響で、かなり混んでいました(^^;)他県ナンバーだらけ。
まだ県を越えての移動は自粛じゃないの?
お道の人以前に、人としてどーなの
すごい多いですよね!
天理市民からしたら、その人たちもスーパーとか行ってるだろうなと思うと、
怖くてたまらないです
2020年5月27日
>>ライブカメラが元に戻りましたね。今回は紫の登り旗を建てる手抜きをしたのでしょうか。色々言われたくないのか都合の悪い事は隠す教団ですからね。<<
ライブカメラは、色々なアングルから撮影できるように、「おぢば」の複数箇所に設置し、「おぢば」の建物群の威容を誇示するために、毎月26日の月並祭前に天理教のHPにアップしているのでしょう。「お供え」の増収が本来の目的であることは「見え見え」です。教会本部の指令なのか、道友社の一存なのか知りませんが、考えることが余りにも稚拙というか幼稚ですね。やはりBAKAの集団なんでしょう。見ていて情けなくなります。6月26日の月次祭の映像はどうなるのでしょう? 請うご期待!
組織はなくとも信仰できる! 様
2020年5月27日 1:02 PM
>>20代、30代の後継者は今の天理教をみて、おかしいと何も思わないのだろうか?
思っていても何もできないのだろうか?
自分の親に反抗することは、いけないことだと思い、我慢しているのだろうか?
自分の親が犯罪者であったら、それを正すのが子供だと思うが
それを認めてしまうと自分が犯罪者の子供になってしまうのが怖いのだろうか?<<
いずれのケースも該当すると思いますが、私のように天理教の矛盾に早くから気づき、二十歳前に棄教した人間もいるはずです。10歳代の思春期は、世の中全体に思いを巡らす最も多感な時期です。20代、30代頃の年代ともなれば、「妥協」「なれ合い」「保身」といった「よからぬ思考回路」が身についてきます。「鉄は熱いうちに打て」という諺がありますが、曲がった鉄は熱い内に打たないとそのまま曲がったままになってしまいます。
>>いろんな犯罪に手を染めている教会長を見てきましたが、それがなしくずしとなって、そのうちなかったことになってしまうのが一番怖いと思います。お供えが集まってしまう不幸、信者が集まってしまい言うことを聞いてくれる不幸、本当の幸せとはいったい何なのでしょうか?<<
おっしゃる通りだと思いますが、そうした不幸の連鎖は、これから無くなっていくでしょう。天理教の信者もBAKAばかりではないはずです。
匿名
2020年5月27日 3:18 PM
>>もち @c41346506 さんのツイートより
今日(27日)も本部は昨日の月次祭の影響で、かなり混んでいました(^^;)他県ナンバーだらけ。
まだ県を越えての移動は自粛じゃないの?
お道の人以前に、人としてどーなの
すごい多いですよね!
天理市民からしたら、その人たちもスーパーとか行ってるだろうなと思うと、
怖くてたまらないです
2020年5月27日
中山教団は本当にずかしいわールール倫理違反上等の反社集団中山教団
>中山血族を追放して
でも甘露台の一画は中山家所有の土地ですよね?
武漢ウイルスが日本だけ犠牲者少なく収束したのは、皆さんが神に収束を願ったからなのでしょう、本部の皆さんもご苦労様でした。
「武漢ウイルス」とは! この言葉、右派大日本愛国婦人会の桜井女史が使っていますね。
一般紙の報道では見かけません。米国大統領も何やらバイアスがかかった似たような表現を頻繁に使用しています。
右だ左だと捉われていては神様が嘆きますよ。
わざわざ「武漢ウイルス」と投稿したって、教養の無さと、貴女の料簡の狭さをバラしているだけのこと。
「日本だけが・・・」という理由の科学的検証もされていない今、証拠もない「日本人って素晴らしい!」「天理教の祈りは素晴らしい!」という思い込みに浸っている方々は、脳内花畑に住んでおられるのでしょう。
他宗教の方々も祈りを捧げましたし、日本だけではありませんよ。
Glocal Tenri 月刊グローカル天理21号にはヴァチカン頼り「法王による新型コロナウイルスへの対応」と題して、大ローマ布教所長による記事が掲載されています。一読をお勧めします。
ローマ法王は何度かの祈祷で謙虚さを示され、3月27日には夕闇迫る中、しかも大雨の中、無人の広場で祈ったそうです。
「対応」という題に含められているこの言葉には、いささかの距離感がにじみ出て、私だったら使いたくない表現だと思いました。天理教人としてのプライドのなせる業かと、言葉にひっかかりながらも内容が参考になるので紹介させて頂いた次第です。
グローカル天理は天理大学おやさと研究所の発行誌です。
>>武漢ウイルスが日本だけ犠牲者少なく収束したのは、皆さんが神に収束を願ったからなのでしょう、本部の皆さんもご苦労様でした。
は?まだまだ収束してませんが?
教団批判派を刺激して、炎上狙いですか?
検査数が圧倒的に少ないのになぜ犠牲者が少ないと断定できるんですか?
先日知り合いが、死後、検査結果でコロナと判定されましたが、
そこの自治体の感染者数にも死者数にもカウントされませんでしたよ。
地元に知れ渡れば、家族や関係者がまた騒がれて迷惑するし、
その人は濃厚接触者がいなかったので
波風を立てずに静かにおさめたかったのでしょう。(それもありかもしれませんが)
マスコミ発表の感染者数死者数ともに、まやかし以外の何物でもありません。
匿名
2020年5月27日 10:00 PM
新型コロナウイルスに関しての指摘ですが、正式名称はウイルス名はSARS-CoV-2 病名はCOVID-19 でそこで政治的左右をつけるのは薮蛇ですよ。元来インフルエンザ香港A型などの様に発生地の名称が付くので、武漢ウイルス、武漢肺炎はむしろ正しい表現です。海外メディアだと意外と多い表現です。
米大統領発言は、政治的意味合いがありますが、これは中国共産党が、発生地を詐称し始めてから「チャイナウイルス」と言い返しているのです。
一般紙で見かけないから間違っているわけではないです。日本メディアではどうも近年中国に対して気を使いすぎなのは明らかで海外メディアではもう中国の抱える香港、チベット、ウイグル、そして武漢肺炎の問題を報道しています。日本メディアで何故報道されないかと言うと、中国共産党の発表通りの報道そしてスポンサーに居たりとストレートに報じれないからです。日本のメディアも海外と見比べないとダメな時代です。日本のメディアは報道自体がまず遅いです。
中国共産党が何故発生地詐称をするか
日本のメディアでは報じているところままだ少ないですが、世界の国々が新型コロナ問題で賠償請求をしていて、その総額が兆を超え、1京円とも言われているからです。今後増え続けますし、流石の中国でも払えないので嘘を付いてでも逃げたいのでしょう。でも今回ばかりは中国も万事休すでしょう。大人しく払うか、世界中相手に戦争して潰されるかの二択です。
中国国内ではこのままでは中国共産党が危ないと思い習近平に対する指摘文章も出てきているそうです。
もしかしてだけど
2020年5月27日 9:06 PM
>>武漢ウイルスが日本だけ犠牲者少なく収束したのは、皆さんが神に収束を願ったからなのでしょう、本部の皆さんもご苦労様でした。
またお病気のような文章ですね。日本の感染者数が少ないのはまだ正確には明らかになっていませんが、けっして天理教教会本部と本部が掲げる偽の神親神のおかげではありません笑
日本は他国に比べ医療制度が充実し、公衆衛生が高く、ハグなどのボディーコンタクトの文化風習が無いからなどから感染者数が少ないのではないかといわれているだけです。あとは天理教の信者の人とは違って国のいう事を聞く国民であるから、他国のような強制的都市封鎖をしなくてもと言うことです。一方緊急事態宣言の中で天理教教会本部は前項から直属教会長に金を運ばせていたのは明らかに問題です。緊急事態宣言が解除されたからと言っても3密やソーシャルディスタンス、ヒューマディスタンスが解除されたわけではございません。
>世界の国々が新型コロナ問題で賠償請求をしていて、その総額が兆を超え、1京円とも言われているからです。今後増え続けますし、流石の中国でも払えないので嘘を付いてでも逃げたいのでしょう。でも今回ばかりは中国も万事休すでしょう。大人しく払うか、世界中相手に戦争して潰されるかの二択です。
チベットやウイグルで残酷な拷問、弾圧、強姦、臓器抜き出しなど、人間とは思えないことをやっている中国に、神の鉄槌が下ったようにも思えます。
>チベットやウイグルで残酷な拷問、弾圧、強姦、臓器抜き出しなど、人間とは思えないことをやっている中国に、神の鉄槌が下ったようにも思えます。
NTDTVJP で検索すると 中国共産党の臓器狩りの実態を見る事が出来ます。
日本語の翻訳付きで1時間30分程です。
東京新聞5月28日朝刊記事からの情報です。
[★宗教法人支援めぐり紛糾]
「2020年度第二次補正予算案をめぐり、自民党は27日の総務会で、
中小企業支援を想定した「持続化給付金」と家賃補助の対象に
宗教法人を加えるべきかどうかで意見が対立した。」
・・・・・とのことです。新聞を読むまで知りませんでした。
「議論は紛糾して二時間近くに及んだ。」
・・・・・真面目に議論された!
「予算案は宗教法人を対象外としており、記者会見した鈴木俊一総務会長によると、
政府は「与党内の調整ができていない」ことを理由に対象から外したと説明しているという。
鈴木氏は公明党との間で調整を進める考えを示した。」
・・・・・つまりは公明党は反対なのか賛成なのか。
創価学会は信者団体。各地に立派な学会の会館が在るが寺ではないようだ。
一般社会の人には縁のない、紙面に取り上げにくい世界にも目配りがされている記事ですね。
天理教の中小教会の皆さんにとっては、今後の成り行きが気になることでしょう。
「持続化給付金」の対象となった場合、給付金を上級が吸い上げることの無いよう、
皆さんで注視してはいかがでしょうか。
具体的には、もしも政治家に知り合いがいる方は積極的に、
「あれ、どうなっているの?」と声掛けをするなどです。
下からのお供えストップ、又は減額が、現行天理教組織への「ノー」を伝える手段の一つです。
しかし弱小天理教会で命が失われかねない窮乏生活も考え得る昨今の事情です。
給付金で救われる家族のためには実現してほしいと思います。
「上級へのおつくし」のために、家族が働きに出て、教会運営をされているところもあります。
そうした働き手は、教会行事との兼ね合いから、シフト勤務の職業にしか付きにくく、しかも、多くは非正規社員なのですから、コロナ禍の影響をもろに受ける悲惨な現実があるのです。
バカげた上級への金の流れ、本部へ集約される莫大な金こそが、天理教の諸悪の根源なのですから、各教会におかれましては上級への金の流れは無理に継続することを即刻おやめ頂きまして、命を守ることに専念していただきたくお願い申し上げます。
本部が困れば、中山家がショートした資金を自分たちの通帳から寄付されるでしょう。
それこそ貧に落ちたとされる(諸説あり)教祖存命時代の中山家の通り方を踏襲する行為です。
勇んで動いてくださいね。誰から始めますか?一族郎党の中から率先して自分の財布を投げ与えてください。
少額のお与えで働かされている勤務者の人数を減らすという、弱い者いじめはダメですよ。
中国だけが酷いことをやっているのではないのです。
「桜チャンネル」支持者が多い傾向と、最近ではその支持を隠さない傾向が心配です。
「右や左」はけっして蛇足ではないのです。
はたから見れば盲信、これは信仰宗教の信者と同様の傾向です。
日本メディアが忖度しているのは対中国だけではありませんよ。
安倍政権に忖度しているからです。
対米従属の長い日本ですが、海外メディアといってもその立ち位置は様々です。
せめて、政治的「極論」を展開するジャーナリストには用心しましょう。
その上で二次情報、三次情報で満足することのないような探求心を持ちたいと考えています。
誰もが発信できる世の中だからこそ、情報の内容を見極めるには、人の受け売りを喧伝する
ニュースソースには注意が必要ですね。
中国共産党の体制は揺らいでいることは事実ですから、報道されない中でも、各社駐在員は
情報収集と裏どりに努めているはずです。
また、武漢に由来する新型コロナウイルスは報道においてはニュートラルな表現を用いる
傾向にありますから、新型コロナウイルスという呼称がその意味で適切なのだと思います。
知識の一端を披露してくださった匿名様、新聞報道されない事実も有る事は、皆さん、
ご存知の事です。ことさらに言い立てる事ではないかと、おせっかいながら投稿しました。
天理教の年金に関するツイート ご紹介
twtom @ichiro0026 さん
将来、年金制度自体どうなるのかわからず、若者たちに押しかかるであろう就職難、そんな中いくら教理にかまかけてお供えを要求したところで無い袖は振れぬのだ。天理教団はこれから巨大建造物を建てることはおろか、現状維持すら難しくなる。教会制度は、自然と縮小していくのだ
改革派 @tigers8544 さん
本部在籍者、勤務者は全て厚生年金、社会保険です。
30年程前に16,500カ所の教会長家族にも年金や保険をと言う話題が上がった事がありますが、予算的に無理って聞きました。
恐らく末端では年金が払えない、公共料金や自動車税を滞納なんて当たり前ですから頭に来ますよネ
もしかしてだけど さん
あなたは何か勘違いをされていませんか。天理が良かっただなんて、日本が良かっただなんて。世界助けを標榜する天理教がブラジルの現況をどう見ておられるのでしょうか。ブラジルには天理教の教会があります。南米地区には天高二部出身者もすくなからず居られます。ご心配じゃないんでしょうか。
今、必要なことは世界規模で起きているパンデミックをどうするかでしょう。このままの状態が続けば、輸入国である日本も大変なことになるでしょう。
あなたが熱心な天理教信者であるならば何をしなければならないのかはご自分が一番理解されていると想像していますが、残念ながら天理教の人は、所詮は自分さえ良ければいいと思っておられるように感じているのです。
もう一度書きます。3月19日、イタリア・ペーザロ市の病院では、本来は総合病院だが、新型コロナ患者のためのICUとなっている。医療従事者は、12時間交代のシフト勤務。防護服を脱げないために、その間は飲まず食わずでトイレにも行けないとして、防護服のまま病院の廊下に座り込む医療従事者の写真が添えられています。(新聞報道より)
身内に医療従事者が居る私としては、この記事は他人事とは思えないのですよ。
収束しつつ状態にある日本の状況を喜ばれることにやぶさかではありませんが、目に見えないところで恐怖心を抱きながら仕事をしているものを見るものとして、もう少し謙虚な気持ちで人の痛みを推し量る心を持って頂きたく思います。
本部だけがいいのでは宗教心の欠片も感じ取れませんよ。
匿名
2020年5月28日 3:03 PM
>>日本メディアが忖度しているのは対中国だけではありませんよ。
安倍政権に忖度しているからです。
あなたの言ってることは真逆です。 安倍に忖度してたら検察庁法案を問題視しないです。新型コロナの表現問題も、昨年末から武漢でしかも人民がSNSで「武漢が大変なことになってる」と言う投稿から世界に知れ渡り、中国共産党政府は逆に隠蔽していたのだから勿論政治問題化し、世界から賠償請求を求められても当然、かえって日本政府が賠償かけないのも問題、皆さんもコロナ問題で休業や失業により実質的損失は日本政府でなく、中国共産党政府に責任を取らせるのが打倒でこれが国際的共通認識になっています。
言い方に関しても、英語で武漢を検索したら「wuhan(ウーハン)」直ぐに予測検索として、「virusやcoronavirus 」と出てきます。
検索上位ページの文章を抜粋しますと
COVID-19 coronavirus from Wuhan, China. Coronavirus(コビトット19 コロナウイルスは中国の武漢から)
となるので、これらの略称としてや、流行病など、スペイン風邪やインフルエンザ香港AB等と同様、武漢ウイルスと言われて当然です。 これを差別だ政治問題だと言っているのは中国共産党だけです。
むしろ人権弾圧をしているのは中国共産党です。コロナ問題隠蔽のため人民に圧力、チベット、ウイグル、香港
今後問題国中国を中心に世界情勢は大揺れするでしょう。最悪戦争もありえるのでお気をつけ下さい。
引き渡し要請の根拠はファーウェイ自体の詐欺容疑(米司法省のプレスリリース)だそうです。
宗教教義詐欺の中山家も逮捕されれば良いのに笑、中山家は宗教犯罪者なので宗教裁判にかけるべきですね。神にさま彼続けるでしょう。
カナダ裁判所はファーウェイCFOの米国への引き渡し審理の継続を決定
ttps://jp.techcrunch.com/2020/05/28/2020-05-27-canada-court-finds-against-huawei-cfo-meng-wanzhou-on-double-criminality-extradition-trial-to-continue/
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より
本報告書集は司法研究第二部第十一回合同(自昭和十一年七月一日至九月三十日)に於ける研究員諸氏の自由研究の結果を集めたるものにして司法部内に於ける研究の資料として配布する便宜上筆写に代えたるものなり(昭和十一年十一月三十日提出)
宗教類似教団に随伴する犯罪形態の考察
司法研究第二部第十一回研究員
京都地方裁判所検事 三木 晴信
第二章 我国公認宗教たる教派宗派の現状 (P54~ コマ番号42)
第一節 神道各教派
教派神道は十三派に分かれ、その発生の態様は区々であるが、何れも教祖若しくは同信者などの難行苦行の体験から克ち得た宗教的信念を核心として神祇信仰と結びつき、神道の平易な実践倫理の方面を多分に取り入れたものである。
その教勢は祠宇19、教会所15094箇所、教師104539人、教信徒17193194人と称せられ、各教派の沿革及び現勢等は概要次の通りである。
第一 神道
本教は全般的の神道と区別するために「神道本局」ともいう。
明治六年設立された大教院が同八年神仏分離令によって「神道事務局」となり、同一七年その廃止を見るや、その中心を為して来た有志一派が相謀って一教を興し、神道各派合同統制画一なりし時の名称を継承したものであって、初代の管長は子爵稲葉正邦であった。
その教義は惟神の大道を拡張し、皇国固有の本教を宇内に宣揚することを以て主旨とす。
教務を総管する所を神道本局と称し東京市麻布区笄町に置く。
本教は丸山教会、出雲教会、敬神教会、宗敬教会、大神教会等多くの教会を管している。
所属の堂宇3、教会所635箇所、教師78016人、教信徒1254509人と称せらる。
──(中略)──
第十三 天理教
本教は中山みきの創唱にかかるものである。明治十八年神道本局に属して神道天理教と称し同二十一年天理教会の設立を認可され、逐次隆盛を加えて明治四十一年十月一派独立を許されたのである。
その教義は要するに転輪王命(後に天理王命と改む)の信仰に帰結するが、吾等人類の罪悪禍害たる執着心を去り、全知全能の神に信頼し、慈悲寛大自己反省の心を以て誠一条の道を実行し、幸福にして平和なる神の国たる甘露台を実現することを以て主旨とした。
本部たる教庁を奈良県山邊郡丹波市町に置き、所属教会9943箇所、教師62518人、教信徒4256036人と称せらる。
第三章 我国に於ける宗教類似教団の主なるもの (P83~ コマ番号56)
第一節 皇道大本
──(中略)──
第三節 天理教 (P173~ コマ番号101)
第一款 教祖中山みきの略歴
天理教教祖中山みきは寛政十年旧四月十八日大和國山邊郡山味田前田半七の長女に生まれ、十三歳の時同郡三島村(現奈良県山邊郡丹波市町)中山善兵衛に嫁したが、天保九年十月二十三日(四十一歳の時)長男秀司の病気祈祷の際神懸りとなり「我は天の将軍なり」「根本(モト)の神実の神が世界一列を助ける為に天降ったのである」と叫び「御神楽歌」「御筆先」となり「神託」を下すに至った。
みきの神懸り状態になった時のことを同教では「教祖は日月の如き両眼を赫と開かれ、厳かに身構えられたる御威風、如何にも神々しく一座の者思わずはっと平れ伏した」と云うている。みきはその住む三島の庄屋敷は「地場」であって、そこが三千世界を助ける本家本元である。そこには「甘露台」が建ち甘露が降りこれを嘗めれば息災延命と言い出した。
みき死後、飯降伊蔵なるものが権を握り、前管長中山新治郎が就任する迄約二十ヶ年間「神道直轄天理教」と称し、稲葉子爵の統制の下に活動し、巨大な勢力を作った。
前管長中山新治郎は十数年間苦心の末、明治四十一年十月二十八日文部当局の独立認可を受けた。天理教会はそれ以後天理教庁と改称した。
第二款 天理教の組織 (P174~ コマ番号102)
天理教は十柱の神の総称たる天理王命及び教祖の霊を奉祠し、併て祭典を執行し説教、講話をなす教義執行機関たる教会本部及び一般教会に教師及び信者を隷属せしめ、更に教庁、教務支庁、布教管理所、伝道庁を以て教団行政執行機関たらしめ、教勢翼成機関(外廓団体)たる天理青年会、同婦人会、天理教校、よのもと会等の外廓団体と共に奈良県山邊郡丹波市町大字三島の「地場」を中心に内地は勿論北海道、樺太、台湾朝鮮の各地を始め、遠く国境を越えて満洲、支那、南米、北米、ハワイ、南洋方面に亙る広大なる教線を抱擁する一大教団を結成するに至った。
その組織を図解すれば左の通りである。
(※作図、作表が出来ないのでデジタル資料を参照してください)
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F1886676&contentNo=102&outputScale=2
第一項 天理教の首班者
天理教の首班者は教師位階の最高位たる大教正として、教会本部長たると共に教団を統制し、行政事務の一切を統制すべき管長たるの地位にありて、教祖の血統を以て世襲するものとされて居る。
現在中山正善は教祖の曾孫に当り一派独立以来二代目の管長である。
第二項 教義執行機関及び信徒
第一目 教会本部
天理教の泥海古記(教祖の天啓録なりとし、同教最高教義書)によれば同教の祭神たる十柱の神中いざなぎ、いざなみの両神が他の八柱の神を人間創造の種子、苗代、道具、雛型として教祖に最初に神憑ありし天保九年十月二十三日より遡ること、九億九万九千九百九十九年前一体の女神を作り、同女神が北枕となりて最初の人間九億九万九千九百九十九人を三日三晩の間に宿し込みたる時の身体中央が(教祖最初の神憑りありたる屋敷内)即ち現在同教本部にして礼拝殿に安置せる甘露台の位置であるという。
而して甘露台の所在地たる山邊郡丹波市町大字三島を世界人類の親里即ち「御地場」と称し、同教信仰の中心地となし「旬刻限」「屋敷の因縁」及び「教祖魂の因縁」等と称する同教教義の根本義よりして甘露台は永久不変の存在なると共に教祖の血統が其管長となり、教祖と共に全国信者崇拝の標的となっている。
本部は祭典の執行、神鏡、神符、神供の下附、信者にして教徒たらんとする者に対する授訓等による外、教義及び史料集成部を設置して、主要なる教義書の述作、刊行、資料の蒐集、編纂を行い更に天理教道友社を設けて機関雑誌「みちのとも」及び機関新聞「天理時報」その他教義刊行物を編纂発行して信者の獲得に努めつつあり。
第二目 一般教会
一般教会中、大教会及び中教会は本部直轄教会である。
その直轄教会を上級教会として分教会以下の各下級教会は之に所属し、下級教会は上級教会を「理の親」として之に仕え、絶対的「服従」を為すものにして、斯くの如き理の連鎖により順次教会本部に帰趨する組織を以て鞏固なる統制を図り、一般教会の教務及び事務は教会の担任者たる会長(宣教所は所長)統理の下に職員が之を分掌し、教会の各階級は次に示すとおり信徒の戸数に依って請願によって教庁より許可せらるるのである。
大教会 信徒一万戸以上
中教会 信徒五千戸以上
分教会 信徒二千戸以上
支教会 信徒五百戸以上
宣教所 信徒百戸以上
而して同教の教会系統は全然国の行政区画に区別せず、国内は勿論海外に至るまで発展せしむる自由競争主義を採っている。
例えば、奈良県下に郡山、敷島各大教会あるも、その隷下にある分教会以下の教会は必ずしも同県下にのみ限られたるものに非ずして、全国に散在せるが、その反面県下にもまた全国各地の直轄教会の下級教会相錯綜して存在して、何れも各上級教会の異なれる指導精神によって日夜布教戦線に必死の活動を続け信者獲得に邁進しつつある。天理教が立教以来短期間に驚異的発展を遂げたのは、自由競争政策に負うところ相当大なるものありと認めらる。
直轄教会は山邊郡丹波市町附近に、いわゆる「おぢば」に帰参する所属部下教会信者を宿泊せしめ、一面教会本部教庁方面と自己教会との連絡機関たらしむる為め、その勢力に相当する信徒詰所なるものを建築経営し、現在その数約百ヶ所収容人員約二十万人と称せられ、地場附近は之等広壮な各詰所互いに甍を列ねて壯観を呈している。
第三目 教師及び信徒
教師は教会本部及び一般教会に、信徒は一般各教会に隷属して教師は十四階級に区別せらるるも、何ら報酬手当など物質上の支給なく単に教内的優越感を満足せしむる程度に過ぎない。教会本部若しくは一般教会に功労あった者の子孫は常に「理の親」として父祖の職「教会長等」を世襲し、また教会本部功労者、直轄教会長は本部員準本部員と称し階級を超越して、一般教師の上位にあって指揮監督権を有するのである。
信徒は最初入信せし教会を「理の親」として終始し、信仰過程に於て所属教会の任意選択を許されず、従って教師間に於ける信徒争奪の如きは絶無である。然して信徒の上位に教徒というのがあって、教徒は信徒にして教会本部に九度の別席を運び、本部員の授訓を得たる者をいい「お授け人」ともいい準教師の資格あるのである。
以上、両者の階級を図解すれば左の通りである。
──(中略)──
第三項 教務執行機関
第一目 教庁
教庁は教会本部と不即不離の関係にあって各種の教団行政事務を執行する機関にして、総務、教務、海外伝道、会計、財団管理、教学、経理、庶務、電氣、輸送の各部を設け、各部に課及び係を置き、部長、副部長、課長、係員及び書記によって各事務を管掌し、教務支庁、布教管理所、伝道庁を指揮監督して教務の一切を統一処理し、更に教庁印刷所をして文書伝道その他に活用し、以て教線の拡充に努めつつあり。
第二目 教務支庁 布教管理所 伝道庁
教務支庁は内地十五ヶ所に設け、その管轄区域は一般教会と異なり行政区画に準じ、一府県または数府県を担当し布教管理所は朝鮮(京城)に、伝道庁は台湾(台北)満洲(新京)支那(天津、上海)米国(加州、ロスアンゼルス)に設置さる。これ等の各機関は庁長(布教管理所は管理者)、主事長、主事、書記(布教管理所及び伝道庁には布教師若干名を加う)の各係を以て構成し、教庁と管轄内一般教会の間に介在して管長及び教庁より発する命令等の伝達または管轄内教会より管長に上申する諸文書の調査及び進達を為すとともに、教会及び教師の監督の外、布教管理所及び伝道庁は自身並びに伝道祭典等をも執行するを以て、特に布教師を配属せしめる。
第三目 外廓団体
天理教青年会、同婦人会、よのもと会は地場にその本部を置き、管長またはその一族統率の下に全教的結合によって鞏固なる統制を図りつつ、直接または間接に教勢の進展に寄与翼成せんとする団体であって、外部に対しては天災地変に際し罹災者の救恤、出征軍人の家族または傷病兵の慰問或いは全国ひのきしんデーを開催して、全国的に社会奉仕を為す等、団体の総動員によって天理教の宣伝に奔命して、教団に対しては之が発展上の諸施設を計画遂行して、教会本部に貢献し或いは布教戦線に特異の活動を為すなど、これ等外廓団体の行動如何は教勢の消長に至大の影響をもたらすのである。<<
昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886676
昭和初期までの天理教に関する公的な記録ということで、非常に貴重な資料になると思い、テキスト化することにしました。道友社の本では絶対に書かれない内容もあると思います。かなり量があるので、面白いと思ったところから紹介していく予定です。
参考意見様
>第三目 教師及び信徒
教師は教会本部及び一般教会に、信徒は一般各教会に隷属して教師は十四階級に区別せらるるも、何ら報酬手当など物質上の支給なく単に教内的優越感を満足せしむる程度に過ぎない。教会本部若しくは一般教会に功労あった者の子孫は常に「理の親」として父祖の職「教会長等」を世襲し、また教会本部功労者、直轄教会長は本部員準本部員と称し階級を超越して、一般教師の上位にあって指揮監督権を有するのである。
信徒は最初入信せし教会を「理の親」として終始し、信仰過程に於て所属教会の任意選択を許されず、従って教師間に於ける信徒争奪の如きは絶無である。然して信徒の上位に教徒というのがあって、教徒は信徒にして教会本部に九度の別席を運び、本部員の授訓を得たる者をいい「お授け人」ともいい準教師の資格あるのである。
ここに「理の親」という言葉が出てきますね。
「本部員の授訓を得たる者をいい」これは管長・もしくは真柱だと思います。
上手く天理教をとらえていますね。
教理的なことに至るまで本当に、よく調べられていると思います。もっと面白いことが出てきますよ。今、ちゃんと調査してくれたら、同じような結果が出るものと思います。
匿名様 5月28日 3:03 PM
≪あなたの言ってることは真逆です。 安倍に忖度してたら検察庁法案を問題視しないです。新型コロナの表現問題も、昨年末から武漢でしかも人民がSNSで「武漢が大変なことになってる」と言う投稿から世界に知れ渡り、中国共産党政府は逆に隠蔽していたのだから勿論政治問題化し、
確かに隠蔽したことは事実です。ここまでは誰もがうなずくことですが、問題は以下の部分です。
≪世界から賠償請求を求められても当然、かえって日本政府が賠償かけないのも問題、皆さんもコロナ問題で休業や失業により実質的損失は日本政府でなく、中国共産党政府に責任を取らせるのが打倒でこれが国際的共通認識になっています。
賠償請求のこの動きもネット情報で既に多くの人が目にしています。
でも、続くあなたのお考えには見識を疑ってしまいます。
しかし、この場でこの見解の相違をやり取りするのは不毛だと思いますので引き下がります。
あなたのお考えに賛同する方々も大勢いる事も、そして天理教内にもいる事は承知していますので。
天理教組織にはがっかりするが神様の存在には一縷の望みを捨てきれない私としては、右左の極論には与することなく、相互理解を基本とした視点を持ちたいものだと考えます。
ただ誤解されているので一言。
ネット検索で上位に出てくる言葉が正しく適切なのではありませんよ。検索数が多ければ上位に来ますし、意図的な操作による場合も問題ながら、あったようです。
ネットリテラシーが問われます。
東京新聞の記事を投稿したその日、週刊誌を読んでいたら関連記事が掲載されていたので紹介します。
感染状況は今後とも続くだろうし、「長引けば本当に死んじゃうよ」の声も溢れています。
「週刊新潮」6月4日号(440円)P30 ※3段の短い記事です。
雑誌「宗教問題」編集長小川寛大氏の談話により、その間の事情が見えてきました。
観光客の拝観料などの減収から資金繰りに寺も困っていることから、全日本仏教会の
関係者が伊吹文明衆議院議員(全日本仏教議連会長)へ相談に行ったそうです。
議員は「税金を払ってもいなにのに何を考えているのか」と激怒(ここは割り引いて読んでね。)したそうです。
議員のいわば正論に退出した全日仏の皆さんは、次にキリスト教や神道、一部新興宗教へ声をかけたところ、
例えば創価学会の場合、法人格を持っているのは信濃町の本部だけで最大200万円の給付金には旨味も無く、
キリスト教や神道も、政教分離違反の批判を恐れ、賛成しなかったそうです。
そこで全日仏は観光収入を失った寺を救うという当初の目論見を変更して、法事などの定期収入を失った、
末寺(ここです!「末寺」です!)を救うためとして、
各地でロビー活動(あれ、どうなってんの?と議員に聞くことなどですね。)の結果、前向きな検討がされるようです。
選挙協力を約束の上のことでしょうが。
天理教への声掛けの有無は知りません。
葬式・法事が寺の大きな収入源だから状況はひっ迫していることは間違いないですね。
議員は新潮記者の取材に「10万円の給付金や信用保証などで対応すべき」との答えだったそうです。
確かに日本中、どこもかしこも、今日よりも明日、もっと悲惨な経済状況であることは間違いない。
本部中山家は蓄財を吐き出すしかないですね。
えっ?そんな金ないって?
お供えが足りないと騒いでいる天理市在住者たちに思い出してほしい。
だから言っただろう?
花火やパレードのド派手な結婚式はやめておけって。
肉を食ったり右翼を呼んだり、芸人を呼んだり、お供え金を自分たちの楽しみのために使っちゃダメなんだよ。
人の金をじゃぶじゃぶ使った年金問題、もう、忘れたのかな?
忘れてしまうことと、無かったことにするのは日本人の得意芸だものね。
天理教の中の上級国民の方々には手も口も出せない、頭も上がらない、下々の方々はただただ支えるだけ。
それが一番神が喜ぶそうな。
上には文句言うな!上は神や!親や!生まれてきた時点で立場も理も徳も違うんや!いちれつきょうだい言う前に上を立てるんや!ええか!?まだまだせかいろくぢにはならんのや!
順序の理やで!どんな親でも立てるんや!
そして誰も居なくなった
天理教は諸悪の根源である肝心の上下制度・奴隷制度をそのままにしておいて、優しい心を養えとか、つらい思いの人を受け止めてとか、心を変えようとする努力をせよとか、、。宮森さん、教祖がびっくりして呆れるこの上下奴隷制度の廃止なくして何を言っても心に響きませんわ。
あなた達本部トップの心の中に優しい心や、辛い思いの人を受け止める心が無いのに、何を綺麗事を並べてインタビューされてるんですか?所詮、上下制度のおかげで下から有無言わさず吸い上げたお金で潤沢な給与を貰い、何不自由ない暮らしをしてるんです。下の辛い思いのしもべが悲愴な訴えを大亮君にしても大亮君は我関せずの姿勢を貫いていますね、、。皆さま天理時報の記事は綺麗事のまやかしです。中味は口先だけの嘘です。本部に誠真実は無いです。お金まで払って買う物ではありません。
私を含め、末端教会の多くはコロナ以前からあちこちの月次祭や意味のない催事の制約の中で限られた仕事を探して自力で生活費を用立てています。今その仕事さえできなくなって生活費の捻出さえ厳しくなってきました。集会員の先生にお願いします。政府でさえ今困っている国民のためにあらゆる手を打って徴収した税金を放出しています。今こそ緊急集会を招集させ、以下の議案を得意の満場一致で決議お願いします。
1.教会姜妃金の徴収廃止
2.教区、支部費の本部負担
いくら出すのが嫌いな本部でも最低限このくらいはできると思います。集会の先生方、ご健闘を祈ります。
上記訂正
1.教会教費金
匿名
2020年5月29日 4:37 PM
>>賠償請求のこの動きもネット情報で既に多くの人が目にしています。
でも、続くあなたのお考えには見識を疑ってしまいます。
しかし、この場でこの見解の相違をやり取りするのは不毛だと思いますので引き下がります。
あなたのお考えに賛同する方々も大勢いる事も、そして天理教内にもいる事は承知していますので。
天理教組織にはがっかりするが神様の存在には一縷の望みを捨てきれない私としては、右左の極論には与することなく、相互理解を基本とした視点を持ちたいものだと考えます。
ただ誤解されているので一言。
ネット検索で上位に出てくる言葉が正しく適切なのではありませんよ。検索数が多ければ上位に来ますし、意図的な操作による場合も問題ながら、あったようです。
ネットリテラシーが問われます。
あなたは何を言ってるの?そもそも右左や正しい正しくないは私は、情報を提示しているだけです。分かったかのように、ネットリテラシーと言ってますが、そもそも
匿名 2020年5月28日 2:40 PM
中国だけが酷いことをやっているのではないのです。
匿名 2020年5月28日 3:03 PM
日本メディアが忖度しているのは対中国だけではありませんよ。
この上記2点が誤った左右論を展開して、メディアポジションを誤った解釈で文章化している。そして、上記のあなたの文章でも「ネット検索で上位に出てくる言葉が正しく適切なのではありませんよ」と言ってますが、じゃあ何が正しいか、ソースでもなたあなたなりの意見を書いてから「天理教組織にはがっかりするが神様の存在には一縷の望みを捨てきれない私としては、右左の極論には与することなく、相互理解を基本とした視点を持ちたいものだと考えます」
と文章を閉めくくるのがまず意見を提示するマナーですが?
「神への望み、相互理解」とおっしゃるが、これもこの社会学の人が嫌がる美辞麗句や理想論、妄信的なあなたの宗教です。華麗な言葉で本題から目をそらさせ自身の過ちおも隠そうとしている。そもそもあなたは「中国発生説、中国の責任論、国際社会の責任追及を誤魔化し、その誤魔化しの曖昧さを誤魔化す為に、文章が、検索上位が」と言い換えているだけです。つまりあなたは曖昧さに曖昧さを加えてるので何も語れてない。コロナの意見も、最低でも中国、米国、欧州、国内を見比べる必要はある。あなたの言論のポジションが他人をとやかく言う前に中国に寄り過ぎている事にまず気が付くべきでは?国際社会や世間はそう甘くないです。つまりあなたの意見はきれいごとを並べて、右翼だ左翼だと認定して虚実を曲解して論理破綻している事に自身が気が付くべきではないでしょうか、
つまりあんたは文章を並べて置きならが、「相互理解」が言いたかったのですか?そもそも相互理解が終わったから、米中冷戦が始まった。コロナの発生地の虚実が混在させているのは中国共産党ですが?そもそも欧州は中国の一帯一路政策でこの日本よりも中国にはとても好意的であった。その欧州一点損害賠償を求める流れになった。この時系列こそがまずソースです。それ以外の時系列がこの世に存在したのですか?あなたの中には存在してるのですか?
新型コロナ covid19はパンデミックとインフォデミック(誤情報の拡散)が問題です。その発信源は中国共産党ですので中国メディア論調信じたり、情報ソース無く無意味に批判したりするのはそれこそがインフォデミックです。
「相互理解と神への望み」と語りながら誤情報でインフォデミックを起こそうとするならそれは中山本部と天理時報とそう変わりない。
「でも、続くあなたのお考えには見識を疑ってしまいます。しかし、この場でこの見解の相違をやり取りするのは不毛だと思いますので引き下がります。」
ちゃんと明確に反論すれば私も考えますが、非難してる割に引き下がるとお綺麗な言葉で曖昧さを確保しインフォデミックを起こそうとする限り引き下がったままで居てください笑
コロナ騒動の裏での記事貼っておきます。 何故大手マスコミ、一般メディアが報じなかったかと調べたら、今までスポンサーに中国企業が居たから見たいです。あのNHKも中国のCCTVと連携していたようです。ここ最近中国からの投資が減ったようで大手マスコミでも徐々に報道するようになって来ました。
中国、コロナ遺族に圧力 抗議や提訴を抑え込み
ttps://www.youtube.com/watch?v=jj94D9wXUXs
中国外務省、安倍首相発言に反発 ウイルス発生源を「政治問題化」
ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020052600826&g=pol
ウイグル人権法案、米下院でも可決
ttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO59668730Y0A520C2EAF000/
米国務長官、香港は「自治失われた」 中国の国家安全法めぐり
ttps://www.bbc.com/japanese/52817544
現在の中国共産党は共産党の長老の意見書を無視し中には逮捕までをして、そのご香港の国家安全法を制定したので強硬路線のまま突き進んでいると言えます。
すでに8カ国が中国に賠償請求、合計額は1京円超え!?中国GDPの7年分―仏メディア
https://news.so-net.ne.jp/article/detail/1962967/
中共肺炎の対応を批判した著名実業家、拘束中ハンストの情報 権力闘争勃発の見方も「大物起業家50人の陳情」から「五老上書」 反発ひろがる
国家安全法により事実上一国二制度が終わりを告げた香港に対し、台湾、英国が移住支援を検討表明しはじめてます。教団も、包括、被包括のここの独自性が失われて行ってる状況に似てます。本部の、土地もお戻し問題 はどれだけ誤った方針だったか、どれだけの反発を生んでいるかが国際情勢と見比べると分かりやすいです。天理教のまじめな信者の皆様にも台湾や英国のような損z内が必要なのかもしれませんね。
英政府、香港居住者に市民権獲得の道開く可能性-国家安全法巡り
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-05-29/QB2RW5T1UM1001
台湾蔡総統、香港からの移住支援を表明 中国警戒も
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59655380X20C20A5FF8000/
世論誘導はインターネットが主体のようです。中国共産党には、正式名は網絡評論員(インターネットコメンテーター)通称 五毛党(ごもうとう)と言う金で雇われたインターネット工作員が多数存在します。彼らの特徴は、中国にまつわる問題 「チベット、ウイグル、香港、コロナウイルス」などを中国があたかも悪くないように、無かったかのようにネットで書き立てていきます。知らない人や興味の無い人は直ぐに騙されてしまいます。その例が、きゃりーぱみゅぱみゅさん「#検察庁法改正案に抗議します」ツイート でしょう。この件は当人や他の芸能人も「話が下りて来た。」と以来を示唆する発言が有ります。このようにして人は騙される悪い例として皆さんも知っておく事が偽情報に騙されない予防にもなります。
中山本部も天理時報で「ネットの情報は嘘だ!と言う大嘘」を付いていたわけですし、姑息にインターネットでの工作を仕掛けているかもしれませんので、違和感のあるものほど冷静に思慮深く考えることが必須です。本部員講和の話もよく例に挙がってますが、教団のイベント参加した時なども要注意です。 多勢の人数で中山教を教え込まれます。間違っていると思うなら、ごく身近な仲の良い人とや教団外の友人に相談するなりして、真偽を確かめ御家族としっかり考えを共有してください。
宗教団体の洗脳は、身近なものから始まります。中国共産党も中山本部の様にちょっと調べれば明らかに理解の及ばない情報を垂れ流しています。
五毛党wiki
中国政府が世論操作のためにSNSに投稿させている「やらせ書き込み」は、年間で4億8800万件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%AF%9B%E5%85%9A
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (その2)
第三款 天理教教義 (P180~ コマ番号105)
天理教の教義書は、泥海古記、御神楽歌、お筆先、お指図、教典の五種である。
泥海古記は教祖の説話を明治一四年同一六年同二十年の三回に亘り、側近者が綜合執筆したものであると伝えられ、その内容は人間創生十柱の神の人間守護に関する霊徳を記載し、御神楽歌は教祖の天啓録であって慶応三年(一部は明治三年及び同八年)に製作せるものの如く、数え歌式にして総則的のもの十三節及び各論的に一下り十節のもの十二下りに分かれたるものを以て編成せる舞踊曲である。
お筆先は教祖の天啓録であって明治二年教祖七十二歳の時より、明治十五年八十五歳に至る十四年間に亘って教祖自身執筆したという平易な口語体による和歌の形式のもので千七百十一首収録せられたものである。
お指図とは教祖死去の際の言葉及び教祖の直弟子にして本席と称する飯降伊蔵(入信前まで大工職を為し居りたるもの)が明治二十年教祖の死後神憑りを継承して明治四十年六月九日死亡に至るまで教会事情、身上に関する伺いの指図及び神憑状態によって自発的に語せる事項を、側近者が筆録せるものにして現在同教本部より三十一巻にまとめ発行している。同教教義中、最も浩瀚なものである。
教典は明治四十一年一派独立認可の際、出願の必要に迫られ、教庁に於て作成したもので、敬神、尊皇、愛国、明倫、修徳、祓除、立教、神恩、神楽、安心の十章より成り、他の教義書は何れも教外者に対しては不可解の俗字を以て綴られ居るに反し、教典は頗る明文を以て、簡潔に好く日本国民として将又教団人として遵守すべき事項を明示せるが、元来本教典は単に独立の方便として作成せる関係上、殆ど教団指導の用に供し居らざる状態にあるようである。
現在同教に於て活用しつつある教義の総ては教典を除く四種のものに対し独特の解釈を下し指導し居るもので、その指導精神の根幹を為すものは、天理教は世界最終の教えにして世界を統一すべき使命ありと誇張し、信者をして之を確信せしむる一面、宇宙間の凡ゆる現象を神業なりとし絶対的屈従の没我の心境に置かんとする極端なる消極退嬰的「誠一条」にあたるものの様である。教義に関する主要なるものを挙ぐれば左の通りである。
第一項 天理王命(親神様)
天理王命とは無限の霊徳を備えたる十柱の神の総称であって人間及び世界万物を創造せる宇宙本元の親神であって、現在は勿論未来永劫に至るまで之等の生成化育を守護する「実在の親神」であると称し、十柱の神は──
──(中略)──
第二項 だめの教え(最終の教え)
天啓に依る教義書の解釈上、月日両神の道具神との約束に依り初産の子数に相当する天保九年(教祖神憑りの最初の日)に人類万物創造の根元地たる地場(山邊郡丹波市町天理教本部)に顕現し人間をして神の恩寵を敬慕せしむる為め、時機到来の基縁を「旬刻限」といい、更にイザナミノミコトが母体神となり最初の子種を宿したる最初の故郷たる人類の親里(天理教本部にして現在神殿甘露台のある場所にして天理教祖の住居)地場の根本観念を「やしきの因縁」と称し、十柱の神天保九年の時機到来に依り、教祖の身体を「神の社」となし、教祖の口を借りて深奥なる神意を啓示せる教祖出現の基縁を「教祖魂の因縁」とし、以上の三理由に依り天理教は多くの他の宗教の如く方便の教えに非ずしてよく根本的なる天理王命の企図たる全人類をして神人和楽の陽気暮らし実現のため全世界の済世救人の使命を帯びたるものにして、これを「最終の教え」または「止めの教え」ともいうのである。
第三項 陽気暮らし
物質万能の生活を不幸の前提とし、真の幸福は物質に依拠せずとする「心の立替」(精神的生活)に依るもので「人が勇めば神も勇む」の神言を信じ、心理的に「陽気暮らし」を味得することによって神はその心を受け入れ如何なる守護も為すものなりと言い、日夜彼の頽廃的な御神楽歌を和唱せしめ、手踊りを奨励する所以である。
第四項 貸物借物
──(中略 ※お筆先、お指図の引用)──
── と、お指図中の神言を以て、肉体は総て十柱の神の守護によって活動するを得べく、個人の意思に反して病気災難に遭遇するは所謂「神の借物」なるが為であって、神はこれ等身上(病気)事情(災難)によって無軌道的な自由の心使いを反省せしめらるるものであると言うのである。
第五項 八つのほこり(八埃)
神言に「思案せよ、何んぼ澄んだる水やとて泥を入れたら濁ることあり」とあり、各人の肉体は神の借物なるも心の作用は個人の自由に委せられたる往々生存の過程に於て親神の意志に反することあり、この作用を「ほこりの心」「ほこりの行い」または「罪悪」とも言うのである。罪悪と言えば「可愛い神の子供の心を痛める」「一れつに悪しきと言うてないけれど、ちょっとのほこりがついた故なり」との神言あり。而して「ほこりの心」を八つに分類せられ通常「八埃」といい、八埃の意義に関しては天理教庁編集に係る天理教綱要に左の如く説明している。
──(中略 ※八つのほこりの説明)──
以上の如く「埃」のある時、神は身上(病気、病難)または事情(不時災難)によって埃の心を知らしむるもので「病の元は心から」「難儀するのも心から」との神言あり。無病息災を希うものは須らく心の埃を払うべしと説くのである。
第六項 因縁
人は親神より与えられたる「身上事情」によって反省して「心の立替」を為さざる限り絶対に救われる道無く、教理を自覚して埃を払うことは徳(はくいんねん)となり、無自覚にて埃を重ぬる不徳(悪いんねん)が即ち「因縁」となり現世一代は「今世の因縁」にして、幾代積み重ねたるものは「前生の因縁」となると言い、悪因縁といえども悲観せず、各人の心使い(八埃)を改め懺悔して、その行いを全うする為に「たんのうの理」を修め、徳を積むために「ひのきしん」の精神を体得せざるべからずと説いて、信者に対し祖先の悪因縁は自己に、自己の悪因縁は尚来世にも来ると教え、以て同教本部は勿論、同教布教第一線にある多数布教師等の中には、これを悪用して詐欺、脅迫、恐喝に類する行為により財物、労力を搾取し、または婦女の貞操をすら犠牲に供せしむる者さえある。
第七項 たんのう
吉凶禍福は凡て因縁に起因することは前述のとおりで、お指図中に「因縁なら通らにゃならん、通さにゃならん、通って果たさにゃならん」とあり「前生の因縁」は決して親神の許容するところに非ず。回避不可能なれば之を除去するには「たんのうは前生の因縁の懺悔」とある如く「たんのう」より他無し。而して「たんのう」とは「たんのうは楽しみの花が咲く程に十分の理がある」との神言即ち将来親神の恩寵に浴し、悪因縁より解放せらるべしとの光明に輝く観念に生き、常に反省して神に頼り、一日も早く「陽気暮らし」の世の実現を図るにありと説きて不治の病者、不具者等に対する全治不能なる所以を明らかにし逃避の一面、これら信者をして例外なく「教徒」たらしめ同教発展上、信者獲得の具に供しつつある。
第八項 ひのきしん(日の寄進)
「悪因縁」を切り「白因縁」を作らせるため、私利私欲を去り一切の代償を求めず、進んで親神の念慮せらるる「陽気暮らし」の世の実現を目標に教会ないし社会のため労働奉仕を為すの謂にして、御神楽歌に「欲を忘れてひのきしん」「互い立て合い助け合い」とあって、対人関係に於ては、相互扶助、神に対しては報恩感謝の念の横溢より来る努力にして、これまた旺に教勢拡張の具に供せられつつある。
第九項 まことしんじつ(誠真実)
「誠一つは天の理」
──(中略 ※お指図の引用)──
──と、神言にある如く「埃」の心を払い因縁を自覚し「たんのう」より招来した「心の立替」を誠真実なりと言い、この境地に於て初めて親神の守護を得るものにして、他の苦悩を我の苦悩とし、自己を没却して欲を離れ他人助けの道に精進すべしと教示し居りて、天理教義は帰結するところ「まことしんじつ」にありと言ってよい。
第十項 かんろだい(甘露台)
かんろだいとは神が人間創造の元なる地場に径三尺高さ八寸の六角形土台石に径二尺四寸高さ八寸の六角石で二重に積み、その上に径一尺二寸高さ六寸の六角石十段を積み上げ、さらにその上に径二尺四寸高さ六寸の六角石一個を重ねたるものを置き、最上の台に六角五升入りの平鉢を載せ、その平鉢内に天より甘露を降らし、これを飲む者は、病まず、弱らず、夭死せず、天寿(百五十歳の定命)を完うし心次第により生存することを得べしとの神言がある。
しかし同教本部に在りては、これを単に理想郷なりと解し、人類の総てが「心の立替」を為し、陽気暮らしの世直りの世界、即ち天理教化することによって実現すべしと確信し、この目的達成に向かって国内は勿論、海外伝道にまで教線を拡大しつつある。
一面信者はこの事あるを確信し、その実現を図るため努力すべきことを誓い、親神の助けを乞うため信者は朝夕神前に於て
「あしきを拂うて助け急き込む一列すまして甘露台」
とある御神楽歌を唄い「お手振り」を為し「おつとめ」に精進する所以である。
以上の如く真実の石造「甘露台」は、世界天理教化の後来るべしと為し、現在同教本部神前に安置してある「甘露台」は木造であって、これを「雛型甘露台」と称する一種の偶像である。
第十一項 教祖雛型の道
同教信者の甘露台世界実現を待望し念願する熱情は実に熾烈を極め、ついに布教師となり「神の用木」として、布教第一線に活動して同教信者の獲得宣伝に努めて、甘露台建設に助力するに至った。即ち神言に「神の用木たるものの心に入り込んで不思議な働きをする」とあって、同教布教、伝道者が如何なる難病も人力を超越して助け得るとし、それが為には、神の用木たる布教師(教師の教徒)は如何なる障害困苦とも闘うべきものにして、教祖の五十年間に亘り、これが雛型の道を遺示し置きたるを以て、これを実践躬行すべしと教示す。
「教祖雛型の道」とは教祖が幕末当時の社会状勢の変化に伴い、中農階級より没落して、天保九年十月二十六日(立教第一日)神憑後益々貧窮の度を加え、遂には家財の全部を売却し辛うじて最低の生活に陥りたる状態を、巧みに脚色して、人心救済のために、進んで貧のどん底に陥りたりとして搾取の具に供し、或いは淫祠邪教として、明治二十年死亡に至るまで官憲の厳重なる取締を受け数回に亘り留置せられ、或いは科料の処分を受け、剰へ世人より嘲笑の標的となりつつも、敢然として教えを守り神に奉仕する状況を指摘して「暗の夜は声を頼りに従いて来い、夜が明けたら成程という事がわかるほどに」と垂示されたと称して、須らく同教団に帰依する者は、この教祖体験の事実を生活の上に具現することによって、悟道するを得べしと教祖の足跡履行を礼賛慫慂して、ややもすれば不撓不屈の天理精神昂揚の美名の下に、搾取政策の具に供せられつつある。<<
教典が独立認可の必要に迫られて作られた、なんちゃって教典だったこともバレバレだったのですね。付け加えるなら大金を払って学者に作らせたのだとか。
組織の構造も、教義も、甘露台も、全てが支配と搾取を目的に用意され、司法は明らかに営利目的の組織だと見抜いていながら、なぜ宗教として残してしまったのでしょう。
「教祖雛型の道」とは教祖が幕末当時の社会状勢の変化に伴い、中農階級より没落して、天保九年十月二十六日(立教第一日)神憑後益々貧窮の度を加え、遂には家財の全部を売却し辛うじて最低の生活に陥りたる状態を、巧みに脚色して、人心救済のために、進んで貧のどん底に陥りたりとして搾取の具に供し、或いは淫祠邪教として、明治二十年死亡に至るまで官憲の厳重なる取締を受け数回に亘り留置せられ、或いは科料の処分を受け、剰へ世人より嘲笑の標的となりつつも、敢然として教えを守り神に奉仕する状況を指摘して「暗の夜は声を頼りに従いて来い、夜が明けたら成程という事がわかるほどに」と垂示されたと称して、須らく同教団に帰依する者は、この教祖体験の事実を生活の上に具現することによって、悟道するを得べしと教祖の足跡履行を礼賛慫慂して、ややもすれば不撓不屈の天理精神昂揚の美名の下に、搾取政策の具に供せられつつある。<<
中山家の貧窮は何も彼らが率先して貧困になったのではなく、幕末期の社会情勢の変化に伴い中山家含めた 中農階級より没落していったと言うのが当時の社会が置かれた姿だったのでしょうね。この資料では国は当時の社会情勢を冷静に分析しています。学者に金を渡して教理を自由に創作し、巧みに教祖雛形を脚色して信者の心をつかもうとして来た天理教。
二代正善が東大宗教学科在学中に天理教経典をどう辻褄よく、形良く、信者が納得する形に創るか、「腐心した」と言う事実は芹沢先生の著書に書かれていました。
限りなく黒に近い「正善と言う人間」の欲にまどわされ、人生を振り回された数百万人の民衆の姿を当時の親神様はどう見ていた事でしょう。今潰れる寸前にまで没落した天理教教団の姿を見せていただける我々は天の理を確認し、納得して死んでいけると言う事です。親神の判断、采配に間違いは無いと納得しています。
今洗脳状態にいる皆さま。ここで知った数々の資料は歴史が語る事実です。よく考え自分で判断して下さい。神の目から見たら万分の一と言われる教会と言う存在。ちょっといっときつけられただけの教会と言う存在。そんな万分の一しか存在意義の無い教会を「人為的に上下化」し、「下が上を奉るのが信仰」と言う形を人間が創作したのですよ。今、我々は神の目から見たら万分の一の存在価値しかない教会組織が「信仰の全て」になり、それにお金も時間も消失させられ一生を捧げている馬鹿らしさを悟りましょう。
そんな組織に今後も自分を捧げますか?もう皆んなでやめて逃げましょうよ!馬鹿馬鹿しいとは天理教に搾取される現状にいまだに気付かず、心を心底絡め取られている数少ない洗脳信者の事ですよ。
道具衆とその周辺の魂は、最初に神による人間進化に使われた魂故に、最も進化した魂でもあるのだろう。
最も進化した魂達が、最も心のを成人して、人類を善導救済する為の地場の人衆になってゆく仕組みになっている。のが元の理の地場にまつわる神理だろう。
がいつかの時点で、宗教の維持拡大に腐心する事は残っても、心の成人は、世間並以下に落ちて行ったのではないか?
道具衆と云えども、魂の進化が心の進化、成人とはイコールではない事と、いつかどこかで道具衆とその周辺の魂達が、成人した人類としての自己証明と共に神一条の道を実現するのではないかという想像が湧いてくる。
コロナに限らず世界の現象は、お地場に魂の澄んだ人達を期待し続けているのではないか??
>>そんな組織に今後も自分を捧げますか?もう皆んなでやめて逃げましょうよ!馬鹿馬鹿しいとは天理教に搾取される現状にいまだに気付かず、心を心底絡め取られている数少ない洗脳信者の事ですよ。>>
激しく同意致しますが、
「悲しいことに洗脳されている人間は洗脳されていることに気が付かない」」のです。
うちのバリ天両親は、このコロナ禍にあってさらに極貧にあえいでいますが、
お尽くしを減らしたら御守護がないと言い張って、
決して上級や大教会へのお供えを減額しようとはしません。
このまま高齢の両親にとっては
天理教団の良いイメージをいだいたまま(悪く言えば騙されたまま)出直すことの方が、
余生を精神的には健康に生きられるのではないかと諦めております。
ヤフー知恵袋にはこうした天理教による洗脳された両親の信仰の押し付けに苦しむ子女の相談があふれています。信仰しない娘、息子に、洗脳親は今にも死にそうなくらい発狂して子女達がその扱いに苦慮する様子が伺えます。死なれたら怖いから心は無いが教会に親と一緒について行く苦しみ、信仰していると装わなければ親が自殺しないか気が気ではないなどなど。神を求めてする信仰にこの狂気は本末転倒です。
天理教は社会悪ですね。本当にそう思います。
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (その3)
第四款 教育制度 (P191~ コマ番号110)
天理教に於ける教学施設は、現在学校施設として、天理幼稚園、天理小学校、天理村小学校(在満洲)の初等程度のもの及び中等学校として、天理中学校、天理第二中学校、天理中等学校、天理高等女学校の四校、専門学校として天理外国語学校及び女子学院があって、昭和十年四月現在の在校生及び卒業生は次の表の通りである。(※画像参照)
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F1886676&contentNo=110&outputScale=2
これ等の各学校は、教庁教学部に於て統括し指導監督の下に、昭和十年三月より管長を総裁とする財団法人天理教いちれつ会により、専ら維持経営されて、天理小学校は移民地たる満洲国濱江省阿城県第三区天理村に、朝鮮講習所は朝鮮京城府古市町に在って、その他は全部地場附近に散在しているが、両年祭記念事業として丹波市町大字守目堂及び大字杣之内に至る天理図書館附近に広大な地域を卜して目下綜合学校建設工事進捗中で、完成の暁は大部分ここに統制せられるであろう。
第五款 刊行物
近年文化の発達に伴い、天理教に於ても、文書伝道に主力を注がんとする傾向があって、これ等の刊行物は道友於社にて編集すると共に発売頒布し、教庁印刷所をして印刷させている。
明治二十四年より発行し来れる日刊機関雑誌「みちのとも」は大正十一年六月より月二回とし、さらに在来の菊版型を四六倍版に拡大し、さらに刷新充実を企図し、昭和十一年一月より月一回の刊行に改めた。
週刊機関新聞「天理時報」は、地方及び教内一般ニュース報道の使命を達成すべく、昭和六年七月より発行せられ、昭和八年より朝鮮文字による朝鮮版を設け、また同年九月より満洲版を発行して異民族教化伝道の資と為し、昭和九年四月より東京版をも発行した。
その他各種教義解説伝道等に関する多数書籍を刊行しつつあるが、現在絶版となったものもある。
最近単行本の刊行は、漸滅の方針にあるものの如く、さらに以上教庁関係出版物は勿論外廓団体、大教会、各学校の機関雑誌及び一般教師または信徒の執筆に係る同教に関する一切の著作物に対し教庁総務部に於て厳重なる検閲を為すことになった。
最近天理教庁内に於ける刊行物にして治安を紊し、または風俗壊乱の廉により発売頒布禁止、差押、任意提出処分を命ぜられたものは次の通りである。
(一)昭和十年六月十三日天理教校第五十四期別科生、柴田元成なる者、別科生中の同志183名を糾合して「ろくぢ会」なる天理教非公認団体を組織して、表面教義の芸術化を図るにありとして、同年七月六日膽瀉版刷196項の機関雑誌「ろくぢ」創刊号396部を秘密裏に刊行したが、会員中思想容疑者あり、教義の芸術化に偽装して信者を巧みに階級的に指導する容疑があったので頒布前発覚し検挙された。
(二)昭和九年八月五日付天理教庁機関雑誌「みちのとも」第44巻第15号記載「信仰をやめて一家絶滅」と題する記事には、十六年前大阪府下堺市に於て、二十年来の信者が、教師の「信仰は各自の自由でございますから、おやめになられるのもよろしいが、然しあなたの家の因縁はなかなか恐ろしい因縁ですから、一家断絶してもよろしいのでしたら、どうぞやめて頂きたい」との忠告を聞かず信仰を中止せるに、その後一家の間に、主人は自家飼養の牛に突かれ、二人の子供は弟は兄に陰部を切られ、兄は井戸に入水して何れも死亡し、母は縊死せり」と
(三)昭和十年七月二十日付発行同みちのとも第45巻第14号記載「出直し三題」と題する記事には「京都真都宣教所の一信徒が三つ口の女児を分娩し、世間体を恥じ居りたる時、偶一教師が因縁納消のために別席を運べと諭せしに、因縁を自覚して別席を運ぶ心定めをせしところ、三日目に三つ口の女児は死亡せり。神の働きは斯くの如く活殺自在なり」と
右は孰れも安寧秩序を紊すものとして発売頒布禁止処分となった。
(四)京都市左京区西福の川天理教信者、衣川延治著「吾れ天地を語る」と題する著書は、宇宙間の現象を天理教独特の教義により説明せるものなるが、同教信者間に発売頒布すべく準備中を発見せられ、昭和九年十二月二十四日山邊郡丹波市町、杉田實方に於て発行数一千部全部を風俗壊乱の廉によって差押執行された。
右内容の「夫婦和合の理」と題する章下は、その全部に亘り男女生殖器並びに性行為に関し天理教式附合の説明をなしたる淫猥極まるものである。
(五)奈良市西木辻町三四五、天理親晴講、梅原英三は天理教東本中教会所属信徒にして、昭和六年天理教別科を卒業後、同教教義書中の予言を研究し居るものなるが、天理教教祖の予言は、必ず的中するものにして、将来必然的に発生すべき国家の大難を予知し小難ならしめるためには、同教を国教に指定して重用せざる可からずとの妄信の下に、昭和十一年五月中旬「国教指定運動に就いて」と題するリーフレット約一千部を作製して地場に於て信者間に頒布せんと計画中、安寧秩序を紊すところありとして奈良警察署に印刷物全部を任意提出せしめた。<<
いやー(二)の「みちのとも」の記事はスゴイですねー!!
天理教やめたら、主人は飼ってた牛に突き殺され、弟の陰部を切った兄は井戸に飛び込んで死亡、とどめに母は首吊り自殺とは、そりゃ信仰やめられませんな。(三)の記事も怖い気がしますが。この恐怖感こそ天理教の奥義なのでしょう。
お道から離れたら命が無いぞ!
金と足を運ばないと良い方向へ導いてもらえないぞ!
おつとめしないと事情身上で苦しむぞ!
信仰しようがしまいが、生きていれば難儀するし、悩みも苦しみ喜びもついて回るものです。
信仰すれば良い というのではなく、起こってきた事象に対して、どう対処していくかが信仰の価値だと思います
>>三つ口の女児を分娩し、世間体を恥じ居りたる時、偶一教師が因縁納消のために別席を運べと諭せしに、因縁を自覚して別席を運ぶ心定めをせしところ、三日目に三つ口の女児は死亡せり。神の働きは斯くの如く活殺自在なり>>
これって三つ口の女の子がいて恥で邪魔だと思っていた親が、
心定めをしたら神の力でその子が死んでくれて、厄介払いになってくれて
恥をかかずにラッキーってことですか?
(どなたかこの読解が間違っていたら教えてください。)
事実なら怖い! 怖すぎる!
今の時代にこんなことが掲載されていたら、障がい者差別等で叩かれまくっていたでしょう。
ホラー映画の題材になりそうなくらい怖いですね。
三ツ口が自然に治った。という話なら、感心するけどね。
これって三つ口の女の子がいて恥で邪魔だと思っていた親が、
心定めをしたら神の力でその子が死んでくれて、厄介払いになってくれて
恥をかかずにラッキーってことですか?
(どなたかこの読解が間違っていたら教えてください。) <<
その様に読解できますね。神の力で厄介払いが出来た。どうだ、天理教の神の働きはこんな奇跡を起こす素晴らしいものだと。心を定めれば願い通りに守護があるぞと。
あり得ない差別的発想です。
昭和12年頃には既に教祖の教えは何処かに置き去りにされ、正善の独自路線で教えの元一日は曲がりに曲がっていたのでしょうね。都合の悪い命は抹殺する。これは神不在の発想で背筋が凍ります。
私の友人は、神の罰と言った人に、「コロナで死んだお年寄りに信心が足りないと言うのですか」「川崎病のような症状で亡くなった子どもにも信心が、足りないと言うのですか」あるいは「津波で流された小学生にも信心が、足りないと言うのですか」と怒っていました。
宗教は、悲しみ、苦しみに寄り添うものであってほしい。海外では、臨終に立ち会い、コロナで亡くなった牧師さんの話があるとも言いました。
他にも、いろいろあなたが大変なのは、先祖様への感謝が足りないとか、墓参りしてないからとか言う人もいます、そう言うのも不安につけ込む、罰、と言う脅しです。
友人は、「宗教者は、人類の危機にあって、人々の悲しみ、苦しみに寄り添い、安寧と希望をもたらすものであってほしい。歴史の中で、人々の心を引き付け支えた宗教者はそうだったと思います、バチが当たったと脅し回っては、民心は離れるでしょう。」 とも言います。
21世期は、脅す宗教の時代ではありません。
人の生に寄り添い、心の支えになる事が求められていると思います。
>>21世期は、脅す宗教の時代ではありません。
人の生に寄り添い、心の支えになる事が求められていると思います。<<
本当にその通りです。宗教とは、本来、「人々の悲しみ、苦しみに寄り添い、安寧と希望をもたらすもの」です。人を恫喝し苦しめるものではありません。
国民の為の政府。信者の皆の為の本部。中心の人事がいかに大事か、NET時代のカイゼン改革のスピードUPに期待しますな。
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (その4)
第六款 信者獲得方法 (P195~ コマ番号112)
天理教に於ては、未信者に接触して信者たらしめんとする行為を「匂い掛け」といい「匂い掛け」を為す資格を有し、当然これを為すべき信仰的義務を負荷せられたる教徒(お授け人と称し準教師)布教師を「道の用木」と称す。而して天理教神言に「もうどうにもいかんという病人を一人助けたら、人間一人造った理と受け取る」或いは御神楽歌に「七つ難渋を救い上ぐれば、八つ病の根を切ろう」とあり「助け一条」に精進して人助けを為すことによって、助けらるると教ゆるを以て、信者の多くは一般教師の匂い掛けに俟つことなく進んで信者獲得の挙に出づるものである。これ即ち天理教が短期間に飛躍的発展を為した一大原因であって、また同教信者及び下級教師等が世人より嘲笑軽侮せられ、なおかつ物質に恵まれない自己の環境も何ら意に介せず、ただ精神的にのみ生きんとする牢固たる信仰的信念に立脚して、執拗に「助け一条」に邁進する所以である。
以上の如く教義上自己救済のため絶えず「お助け一条」に活動せる同教団同人に対して、昭和六年両年祭執行の発表と同時に全日本人天理教化を目的とする人類更生運動なる名下に、信者獲得の指導精神を樹立して拍車を加えたが、爾来不断の幹部指導の下に之が目的達成に努力したものは、布教第一線の「よのもと会」であって、その他の外廓団体これに相呼応し、全教団総動員の下に個別訪問を行い、或いは路傍演説会を開催し、その他宣伝的社会事業ひのきしんを実施するなど活発なる行動を為し、その組織的訓練の周到と徹底せる運動は寔に驚歎の外はないのである。
第一項 戸別訪問
下級布教師、教徒等が未信者の家庭を戸別に訪問し「匂い掛け」を為す方法である。然れども天理教を蛇蝎の如く嫌忌し居るもの少なくないので、通常宣伝用パンフレットまたはリーフレットを持参して匂い掛けを拒絶さるれば之を進呈し、万一相手方に於て迎合し来る場合は、滔々泥海古記の人類創生説及び八埃、因縁の教義を説くのであるが、概してその効果は微温的であって、他日何らかの動機により入信せしむる因を為す程度に過ぎざるものの如く、故に挙って病家を目標としている。然して病家探索の方法として飲食店、商家の小僧、遊戯せる児童等を尋ね、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。
病人ある家を発見した時は、拒絶せらるるも数回執拗に訪問し、遂にその真摯なる態度に屈服せしめて、お授けを為して、病気災難は自己または祖先の悪因縁に基ずくものなりと自覚せしめ、入信の決意を為さしむるのである。
毎月十八日に、よのもと会員、五月十八日は同教団の一斉匂い掛けデーと定め、天理教校別科生は実修と称し随時県下並びに近府県に乗り出し、一般教会と協力して活動することもある。
地方教会布教師及び教徒は、常にこの方法を反復して、信者獲得に寧日なく奔走しつつあるは勿論である。
第二項 路傍講演
路傍講演は交通頻繫なる街頭に於て、御神楽歌を高唱して群衆を集め、教義を宣布するもので、キリスト教の路傍伝道とその方法同一である。よのもと会員は、毎月十四日を路傍講演日とするの外、八月十八日を全国路傍講演デーとして、各外廓団体聯合の下に、何れも全国一斉に開催して宣伝用パンフレットまたはリーフレットを頒布する。
第三項 ひのきしん
ひのきしんとは同教独特の労働奉仕にして、所属教会名を染め抜きたる、ひのきしん服(法被)を着し、老若男女が一体となり孜々営々として労働に従事する状況は、一種の法悦境にして、これに眩惑せられて入信する者相当ある。
ひのきしん、そのものは間接的信者獲得の一方法である。同教に於ては、ひのきしんをして同教の宣伝と信者獲得の具に供するため各種の社会事業に利用しつつありて、毎年五月十八日は「よのもと会」主体となり「全国ひのきしんデー」を催し、全教団を総動員して、公園、神社、溝渠等の清掃を行い、或いは各地に於て、天災地変のある時、これが跡始末を為し、伝染病流行の際看護に従事せしむる等、特に一般人の良く為し得ざる労働を為さしむるのである。<<
布教のスタイルは今も昔も変わりませんね。子供の頃から「世間の忌み嫌う天理教」とは耳にしたものですが、蛇蝎(ヘビ・サソリ)の如くというのには大爆笑してしまいました。
そういえば教会の月次祭の講話で聞いたのですが、最近ではポスティングしたパンフレットだかリーフレット一枚が、大きな段ボール箱で送り返されてきたりするそうで、それって着払いなのでしょうか。
匿名
2020年5月31日 2:37 PM
おそらく無理でしょう。今回のコロナでもやっと国家がハンコ印鑑の廃止とネット上の電子署名を導入検討程度です。それ以前からハンコに関しては日本は時代遅れ だったのは明らかです。国家機関でもこの程度ですから、本部は皆無でしょう笑それに本部のような脆弱な組織では電子化する方がむしろ危険、寄付金のやり取りなどは、銀行等金融機関に任せるなどした方が良いだけだと思います。
おはこび(お運び) おもどし(お戻し) と言う教団独特なアナログな行動はコロナの最中でも行われ緊急事態宣言が解除されたら県外者を本部に入れてしまうなでなどこの組織は本当に異常で理解に苦しみます。
信者さんの良かれと思っていた行動や事でさえも何か事件が起きた時には【悪事を容認した本部】 として必ず取り上げられるでしょう。
>>通常宣伝用パンフレットまたはリーフレットを持参して匂い掛けを拒絶さるれば之を進呈し、万一相手方に於て迎合し来る場合は、滔々泥海古記の人類創生説及び八埃、因縁の教義を説くのであるが、概してその効果は微温的であって、他日何らかの動機により入信せしむる因を為す程度に過ぎざるものの如く、故に挙って病家を目標としている。然して病家探索の方法として飲食店、商家の小僧、遊戯せる児童等を尋ね、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。
病人ある家を発見した時は、拒絶せらるるも数回執拗に訪問し、遂にその真摯なる態度に屈服せしめて、お授けを為して、病気災難は自己または祖先の悪因縁に基ずくものなりと自覚せしめ、入信の決意を為さしむるのである。<<
今も昔も「だましの手口」は変わっていないのですね。どれだけ多くの人達が犠牲になってきたのでしょう。悪質極まりないとはこのことです。
最近の新聞、書籍に昨今のコロナ大節と称し、表統領、内統領の話が載っているが、何を言いたいのかさっぱり伝わってこない。今回のことで、職をなくし、生活に困窮し、家も追い出され、難渋をしている者が街に数多いることを知ってるのだろうか?この者達をどう助けるか何も語っていない。
26日しか使わない大きな神殿なんかいらない。10年に一度しか満杯にならない詰所なんかいらない。毎月1日だけ一杯になる大教会神殿なんかいらない。
浅ましいことばかりに考えを巡らさず、これらの困窮者をどう助けるか、説くこそ仕事ではないか?
なさけないとのよにしやんしたとても 人をたすける心ないので(十二号90)
これだけで、今の天理教を物語ることができてしまう。
人を助けるばかりか、我田引水の様相
本部は伏魔殿と化す
ああこわやこわや
本部は伏魔殿以外に眼中に無いのです。「人助け」「陽気暮らし」など、所詮、「飾り看板」に過ぎないのです。一番、大事なことは「金儲け」なんです。皆さん、絶対に騙されたらいけません。
本当にその通りです。人助けとか陽気暮らしとか看板に偽り有りです。
本部婦人会幹部も勢力争いしていますよ。低い心も無ければ、貧に落ちる気も有りません。信者から吸い上げたお金で高価な洋服、着物を着ています。婦人の徳分とか女は台とか低い心でとか信者に向けては綺麗事を言っていますが、信仰のお手本示すべき大教会夫人の方達は大教会の力関係を盾に序列化され弱肉強食の醜い姿です。
目クソ鼻クソ夫人がいじめたり、いじめられたりでアホらしい世界です。
目クソ夫人の大真面目にずれた話を聞いても人生の指針にはならないと実感してます。他所の大教会の鼻クソ夫人も埃を撒き散らしています。
宇宙の創造主の思いに心を巡らせ自問自答し自ら悟りを得る方が余程人生の力になります。神を知らない人間が金を出せば命が繋がると言いますが命が惜しく無い人間は居ませんから、この教理は脅しですね。
信仰に御守護と称してお金の話が出る事事態が怪しい組織だと思わねばなりません。
大徳寺さんは、天国にお金は有りませんと仰っておられます。私達が積んだお金は天国には届いていません。中山が算盤をはじいているのです。
ハレルヤ!西成メダデ物語
大阪市西成区に強烈なおばちゃん牧師が居ます。西田好子さん70才。元、小、中の教師。息子達の影響でキリスト教を知り、関学大神学部で息子と共に学ぶ。優秀な成績で2年で卒業して牧師となり、教団から四国の教会を任されるが、余りにも今迄の牧師とは違いすぎ変人扱いされて信徒と合わず2年で大阪へ戻ってくる。
西成あいりん地区近くの教会へ行ったら、パンをもらいに来ていた野宿者で溢れかえっているのを見て、ここが私の居場所や!直感し、毎日パン配布の手伝いに通い、数ヶ月後に一度説教をされますか?と、勧められ、やったところ漫談の様な説教に人気が出て評判になり、200人入れる礼拝場が満席に。ところが教会が乗っ取られるんじゃないかと有らぬ噂が広まった為仕方なく出て行き自分の教会を設立することを決意。8年前に古い中華料理屋の建物を自分と母親の貯金で買い取り、メダデ教会設立。節約の為風呂は贅沢、お湯で身体を拭き、喫茶店からタダで貰ってくる食パンの耳がありがたい。酔い潰れて路上で寝ているおっちゃん達を次々と連れて帰って世話して説教の毎日。刑務所、拘置所の世話になったのが半数、同性愛者、在日韓国人、被差別部落出身者、障害者、子供の時から虐められてきた者同士お互いの気持ちがよく解り合える優しい人がほとんどの様です。去年2月読売夕刊に連載され、私と同い年の西田さんに会ってカンパをしたくなり、調べた住所を尋ねて行き、2時間歩き回り交番で聞いても分からず諦めて帰ってきました。写真の背景に小さな電話番号らしきものがありダメ元で掛けると会話不能の男の人が出て諦めていたら、翌日西田さんからかけてきてくれました。又続きが載りますとの事で待っていたら2回目、そして3回目が今連載中です。
「私、祈ってコロナがなくなるなんていっこも思ってませんで、めっちゃ怖いわあコロナ」と言いながら3密どころではない密着度でお助けされています。「医療に限界はあるけど愛に限界はあらへん、寄ってたかって愛を注いだってくれ」口は下品ですが心は上品です。又訪ねて行くつもりです。
昨日と今日Twitterで甘露台が傾いているかも?という書き込みを見ました。本当ですか?
匿名
2020年6月1日 9:15 PM
>>昨日と今日Twitterで甘露台が傾いているかも?という書き込みを見ました。本当ですか?
今の甘露台は真柱の許しじゃおろか神の許しも無く立てた甘露台らしいので、いつ傾いてもおかしくないし、いつ倒れてもおかしくないです。通称 善亮甘露台 と言うそうです。中山家の本部関係者以外の友人は、本部の中山家をすごく嫌ってます。特に善亮大亮体制に成ってから特におかしくなったそうです。本部外と言っても中山の姓であり教団の方の目もあるので、善亮体制に成ってからは恥ずかしくて仕方ないと話しています。その友人も「明らかに、善亮のやっている事は間違っているし人の上に立つ器ではない。早くやめて欲しい」と言ってました笑もう中山血族でも本部系の中山家と本部外の中山家ではかなり意見の相違が生まれているのは事実です。
ですので甘露台倒壊も驚きもしませんでしたし、次いつ倒れてもおかしいとも思いません。何度立てても倒れ、そのうち立てる事もできなくなりますからね。
甘露台がまた傾いているんですか。
随分前の事ですが、どう見ても傾いてる、と思って見た事がありましたが、その都度本部員が寄ってたかって手作業で微調整してるんでしょうね。
そんな大事な甘露台を人間達が触りまくって微調整している様子をリアルに想像するだけで、これは金儲けの「道具」に過ぎないのではと思ってしまいます。
善亮のやっている間違った事って何でしょう。素人でも判るのは命の繋ぎは金と公に宣言した事ですが、後は本部運営の何かにつけて独裁者になりつつあると言う事ですか?
しかし最近本部で見えている事象は頭をひねる事ばかりですよ。教校学園閉鎖は最たるものでした。天理教を宣べ伝えたいのか、自ら潰したいのか意味不明な決定でした。
天理教を世の中から消す為に、神の意志が善亮を使っているのでしょう。親神の思い通りに善亮の思考も発言も遠隔操作されているのでしょう。本人が気が付かないだけです。善亮が言えば言う程、動けば動く程にお供えは確実に減少し消滅に近ずくジレンマでしょうね。
信者の目を覚まさせる意味でも伏魔殿本部の様子をもっと知らせて下さい。
>>そんな大事な甘露台を人間達が触りまくって微調整している様子をリアルに想像するだけで、これは金儲けの「道具」に過ぎないのではと思ってしまいます。<<
甘露台も巨大な建造物群も「金儲けの産物であり道具」です。
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (その5)
第七款 搾取状態 (P198~ コマ番号114)
「屋敷を拂うて田売りたまえ天手古舞の命」と俗間に云われているのは、同教御神楽歌の冒頭にある「悪しきを拂うて助け給え天理王命」なる章句をもじりたるものにして、同教信者が搾取せられ、零落する悲惨なる状態を、嘲笑風刺したものであるが、皮肉にもまた好く実相を捉えたものである。
過般、愛媛県下青島に於て天理教布教に絡る紛争に関し、島民より同県知事、所轄警察署長、町長等に対し
「天理教教師の頑迷と言わんか、むしろ強要を以て、金銭物品は勿論、日常の生活上必要欠くべからざる米麥はおろか、島民の常食たる甘藷を始めとし、衣類、家財など甚だしきは、夜陰窃に夜具までも捧呈せしめつつあり。尚この天理教に熱中のあまり、一家を挙げて寄進し、無一物となりて他町村に移り、ようやく糊口を凌ぎ居る者さえ続出したり。よって、これを此のまま放任し、彼等の為すがままに委さんか、個人経済を根底より覆すは、火を見るより明らかなり云々」
と、陳情したる趣なるが、右は最近に於ける実例の一にして、天理教教義の根本精神は搾取の外に、何物もなく、同教発展の過程は巧妙なる伝統的搾取の連鎖であって、これが搾取状況を詳細に検討する時は、世人をして天理教が個人経済を破壊する、恐るべき宗教なることを知らしむるに十分である。
第一項 信者に対する搾取
第一目 信者獲得の際の搾取
天理教は「医者の手余り」を助ける教えなりとし、まず病者獲得の挙に出づるを通例とする。而して「お助け」と称し、同教布教師が病家に至り
「元来天理教の十柱の神たる、いざなぎ、いざなみの両神は雛型となって、他の八柱の神々の作用によって、人間を造りしものなれば、人の生命、財物は何れも神よりの借物(供物の理)なるに、限りなき慾心即ち、ほしい、おしい、にくい、かわい、うらみ、はらたち、よく、こうまん(八埃)を起し、埃を積み重ねる結果、神が入り込まず(神は働きを止める)守護が出来ぬ故、八無(ヤム)八迷(ヤマイ)となるものである」
と、巧みに同教教義中の泥海古記の一節、お指図等を説いて、搾取の伏線を張り、元来親神様(教祖)は子供可愛い一念の下に病気(身上)により反省の機会を与えられたるものなれば、諸病の元たる心を洗い、速やかに埃の蓄積なる金銭を親神様におつなぎ(献金)し、足納(たんのう・八埃を捨て、現在を不足とせぬ心境)して、神に「おつくし」せざるべからずと、個々の病状につき牽強付会(※強引なこじつけ)の説明を加えて献金の決意を為さしむるのである。斯くて病状一進一退の際は、まだ埃に執着するため「お助け」を受くるを得ざるものなりと脅迫して、多少危惧を懐ける病者をして、或いは実行せずば助かるならんと信ぜしめ、遂にその身分に応じ、多きは数千円の献金を為さしむるものなるが、偶々病状軽快に向わば最初心定めの財物は勿論、より以上の献金を慫慂するのである。
第二目 信者の信仰過程に於ける搾取
(イ)信者一戸につき毎月3銭以上20銭以下の範囲に於て「教費」として、所属教会に納付すべき旨、教会規定の定むる所であるが、元来教会は右納付せる個人の教費より各上級教会に金5厘宛を納付した残高並びに信者の求めに応じたる葬祭等に於ける幣帛料並びに農業を営む信者より新米収穫の際、初穂と称して1升乃至3升を、商業を営む者は毎月一日の最初の収入を初穂と称して、献納せしむる制度ありて、これ等よりの収入によって維持するものなれば、実際信者の支出する教費は、その範囲に止まらず、より以上多額のものと認めらる。
(ロ)天理教青年会員及び婦人会員に強制加入せしめ毎年会費1円を納付せしむ。
(ハ)信者には信徒と教徒との別がある。教徒とは信徒にして、受訓を得、教会長の禀申により管長より証認状を下附された者である。而して死亡したる際その霊を所属教会の祖霊殿に祀られ、永世祭典を受くる特典がある。授訓とは信徒にして天理教本部に帰参(参拝)して、本部員の教話(お仕込み)を聴聞するもので、通常これを「別席運び」と称し、一回(初席)より連続して九回(満席)を以て終了するものなるが、この間所属上級教会の信徒詰所に宿泊し、信者の常に随喜渇仰する「教祖存命」せりと信じつつある霊地お地場の空気に接するを唯一無上の光栄とする習慣がある。詰所に於ては係員及び常勤日の寄進信者によって、右帰参信徒に対し、肉親以上の親しさを以て、出迎え、見送り、案内し、同教の所謂「一手一つの心」に結合さるる結果、ますます信仰心に拍車を加えられ、帰参の都度種々なる土産物を携行し、或いは詰所を経営せる上級教会及び本部に対して、多額の献金を為すに至るものである。
而して本部員の仕込みは、主として泥海古記、おふでさき等の同教最高教義書に基き、天理教本部は世界人類の親里なる旨を強調し、別席を運ぶ所以のものは助け人衆(教徒の別名)として、生まれ代わるために、お地場に運びたるものなれば「助け一条」のために奮闘することは取りも直さず、自己の悪因縁を切る道なりと説き、必ず新しき信者を獲得せざるべからざる旨を勧奨し、なお教徒としての本分を盡されんとすれば、すべからく「教祖雛型の道」を実践躬行して「おつくし一条」の道に「足納」すべきを力説して他日所属教会長等の行わんとする徹底的搾取を容易ならしむるための恐るべき準備工作を施し、他面毎回受訓料2円を本部に徴収する等、一石二鳥の制度である。
受訓は必ずしも九回を固執する要なく、むしろ多数を必要とするを以て、例外を設け、遠隔の地に在る信徒にして、到底実行し得ざる状況にある時は最小限度三回位に短縮し居れるが、帰参の都度上級教会に於て承認済みの捺印を受くるの制度あり。その際毎回50銭以上の謝礼を必要とし、さらに満席の際は、上級教会及び本部、その他管長、管長実母、管長夫人、受訓係、本部役員、同夫人等の各個人に対し総額約50円位を御礼として差し出すべき習慣がある。
これ等受訓を完了したる者は、昭和八年度26056人、昭和九年度23198人の多きに達した。
この種、巧妙なる搾取行為により、家財を蕩盡し「足納」の精神に満足して、神の恩寵を受けんとして個人経済を破壊しつつある者、多いこと想像以上である。
(ニ)同教神言に「地場から打出す言葉は天の言葉」とあり、即ち地場は神名の伏せ込み場所にして、天理王命の理の止む場所なれば、本部の命令は神の命令同様なりとして、極端なる本部の絶対命令権を確守せしむべく、指導しつつあったが、たまたま同本部に在っては、昭和六年十月両年祭(本年執行の教祖五十年祭及び明年執行の立教百年祭)執行の旨を宣言し、この機会に本部の面目を一新して、百年の大計を樹立すべく、これが記念事業として、教祖殿の新築、礼拝殿の増築、神域の拡張、教祖墓地の改修、綜合学校の建設等各種の建築事業を発表したるが、これが事業に伴う尨大なる経費は到底従来よりの搾取政策により、枯渇せる信徒のみの好く負担する所にあらずと察知し、併せて信者の倍化を企図し、これ等新たに獲得せる信者より財源を求むべく、右両年祭執行の計画発表と同時に、全日本人天理教化を目標とする更生運動方針を樹立し、右事業に要する経費は各教会毎に相当額を割当てたる模様にして、これが為め責任額に達せざる時は教会長の責任となり、自ら負担せざるべからざる結果、爾来五年間に亘り、同教よのもと会、青年会及び教信徒を総動員して、全国的に路傍講演、戸別訪問等の方法によって、猛烈な信者獲得の挙に出で、斯くて新たに獲得せる信者より前述の方法等によって莫大な搾取を為し、一面一般信者に対しては、千載一遇とも云うべき両年祭に際会しながら、御教祖親様に御奉公でき得ざるが如きは、道の者としてこれ以上の不幸はないと献金を勧説した結果、ついに教祖殿の新築、礼拝殿の増築、豊田山上に在る教祖墓地の改修に成功し、併せて神域を拡大して豪壮なる建築物の調和を図るなど計画の大部分を完了して、目下綜合学校のみ建築途上にある。
(ホ)新たに信者を獲得した際、或いは信仰過程に於て、信者または家族が特殊病気(身上)災難(事情)等によって困憊せる際は、これを奇貨として、献金を慫慂する外に、天理教独特の「因縁」を強調力説して、遂に神の用木になるべしと説き、遂に家業を放擲して、天理教別科に入学せしむることがある。
毎年教校別科入学の多きは、これが為で、何れも「因縁説」に脅迫せられたる結果に外ならない。而して別科生活六ヶ月に於て食費、教服、ひのきしん服、授業料、卒業の際の教服、詰所方面への謝礼を合して約200円を要し、さらに権訓導に補せられんとする時は幣帛料(1円以上10円以下)を納付せねばならぬ。
以上の如く公費徴収の必要上、別科生は通勤を許されず必ず所属教会の詰所に起居すべき制限を受け、公費は詰所により異なるも通常六ヶ月間100円程度の徴収を為す。詰所は元来これに依る利益並びに地方より帰参する信徒の謝礼によって維持する状態である。
第二項 一般教師に対する搾取状態
(イ)天理教教師たらんとするには、同教信者中、教師任用分限規定に定むる資格を備え、かつ受訓を得たる者にして、所属教会長の推薦ありたる者に限り、教師に任命するものなるが、その際幣帛料として、まず1円以上10円以内を教庁に納付せねばならぬ。
(ロ)教師の等級は、大教正たる管長を一級とし、以下十四階級に分かれ最下級を権訓導とす。
これが階級は単に教内に於ける信仰的名誉慾を満足せしむるのみにして、何ら物質的給与なきのみならず、反って十三級以下の正権訓導は各1円、七級以下の正権講義は各3円、一級以下の正権教正は金10円を毎年教費として教庁に納付し居れるが、各階級毎に差等を設けたのは、上級者の多くは夫々多数の信者を有し、従って一般信者よりの教費多額なりとの見解に基ずくものである。
(ハ)天理教の最下級教会にして昭和九年末現在、全国に8975存在せる宣教所及び別科を卒業して独力経営し、将来宣教所たらしむべく努力中にある集談所の布教師等は、何れも一般信者同様、同教本部及び上級教会よりの搾取の目的に外ならない。同教本部の対下級教会政策は「将を得んと欲すれば先ず馬を射よ」との諺の如く、宣教所長に対しては、僅かに所属信者の献金する教費の一部及び幣帛料に依って維持経営せしむるの外、集談所その他の教師に対しては、何ら積極的生活の保証を与えないのみならず、本部及び上級教会事業経費として、種々なる名義に藉口(※口実とすること)して、教会毎に責任支出額を割り当て、或いは別科入学者並びに受訓希望者の推薦慫慂その他、事ある毎に本部帰参の団体募集に関する責任員数の割り当てを賦課し、種々なる名義による支出額及び団体募集の責任員数に達せざる時は、何れも宣教所長の私財によって出資せしむるを常とする。斯くて回を重ぬる毎に、宣教所の維持困難となり、その多くは借財によって辛うじて生計し居るの現状なれば、必然的帰結として、信者に対し強硬なる手段に訴え献金を迫り、或いは新しき搾取の目的物たる信者獲得のために、布教戦線に懸命の活躍を為さしむるに至るのである。
第三項 一般信者及び下級教師に対する共通的搾取方法
天理教教祖が、幕末当時に於ける社会情勢の変化に伴い、必然的結果として中農階級より没落し、生活苦を体験せる現象を巧みに脚色して、教祖が殊更に人心救済のため、貧のどん底に陥り、難行苦行したものなりとし、さらに立教以来、官憲の弾圧下に下獄したる受難の過程を「教祖雛型の道」と称し、信者または下級教師に対し、屡々これを採用して家財全部搾取の手段に供することがある。
例えば不治に等しき本人または家族の病気、或いは災難に遭遇したる際は、特に因縁を高調して脅迫を加え、神への「おつなぎ」を十分なさず、まだ慾心ありて、心に埃があるに基因す。真に「お助け」を受けんとすれば、教祖雛型の道を実践躬行する「心定め」を為すべきなり。神言に
もうどうにもいかんと云う病人を一人助けたら人間一人造った理に受け取る。
一列子供に生涯末代不自由せぬ道をつけるのや。
我身どうなってもという精神で働くなら神も働く。何言わいでも神が受け取る。
と、ある如く安心して「助け一条」の道に「ひのきしん」を為し、深い因縁納消に精進するため凡てを投げ出して、別科に入学すべしと説いて家業を捨て家財全部を提供せしめ教校に入学せしむ。また一般教師、集談所を経営する布教師、その他宣教所長等の下級教師にして殆ど行き詰まりの状態にある時は「教祖雛型の道」を実践躬行するに非ざれば、真に神は働くものではない。したがって「お助け」の成績も挙がらざるは当然である。すべからく人助けを為さんと欲せば、自己の慾心を捨て、まず埃を拂うために凡有(※あらゆる)家財を売り拂い然る後、神に縋るならば霊験あらんと説き、これを実行せしむるが如き、殆ど常識にては判断し得ざる事実を白昼公然行うに至りては、ただ唖然たらざるを得ないのである。
第四項 教会に対する搾取
(イ)教費及び会計規定の定むるところにより、毎年大教会は40円、中教会は30円、分教会は15円、支教会は8円、宣教所は4円を教育金として教庁に納付すべき義務を負担せしめ、本部に徴収することになっている。
(ロ)新たに宣教所を設置せんとするときは、本部より御分霊と称する鏡の下付を受くるものなるが、その際「礼物」なる名義にて上級教会及び本部に約50円以上を献納せしむる習慣がある。
(ハ)各教会が昇格せんとする際は、上級教会並びに之に隷属する一般教師、教務支庁、本部員等に相当多額の運動費をばら撒くに非ざれば実現せず。これが運動費は一定でないが支教会となるには約1000円、分教会となるには約5000円を要すると云われている。
(ニ)大教会及び中教会は所謂本部直轄教会にして、分教会以下は右教会の部下教会である。ゆえに分教会より中教会への昇格は一躍直轄教会となるものなれば、一般部下教会としての昇格と全然その趣を異にするので、従って之に費やす運動費用もまた実に莫大なるもので、例えば往年、摂津池田分教会昇格の際は20万円を要したとの世評伝えられる如く、全く想像以上である。
(ホ)以上のように教会の設置並びに昇格に際しては、巨額の運動資金を要するのであるが、さらに之が出願の際は、本部に対し幣帛料の名目の下に、競うて多額の献金を為すのである。すなわち教会規定第十九条は、教会を設置しまたは教会の昇級を出願するものは、応分の幣帛料を、その願書に添え教庁に納付すべしとありて、信者の教費、教師、教会の教費金、教師の新任、昇級の際の幣帛料の如き、何れも前述の如く、その額を規定せるに拘わらず、この場合に限り特に「応分」なる字句を用いたのは、本部の教会に対する露骨なる搾取政策の現れである。
以上を以て、だいたい天理教本部の企図せる陰険極まりなき搾取政策に基ずく状態を明かにしたが、ここに注目すべきことは、下級教会の運動資金の如きは、上級教会長その他これに隷属する教師及び本部員等の生活費の一部に充当せられ、一般下級教師並びに教会に対する搾取は、如何なる場合といえども直に信者に転嫁せられ、信者は組織的搾取の標的に供せられ、絶えざる物質的脅威を受け、これが物質的能力欠乏するに至らば「ひのきしん」の美名の下に、労働奉仕を強要せられて、最後の血の一滴まで搾取し盡されている。<<
今の天理教の異常さは、なにも中田善亮に始まったことではなく、柏木庫治や筒井敬一なども特別な存在ではなく、それが当たり前。
「同教発展の過程は巧妙なる伝統的搾取の連鎖」と、全てが営利目的の組織ということを、ここまで司法が調査分析していながら、それを今日まで放置した国の責任も大きいような気がします。
>>「同教発展の過程は巧妙なる伝統的搾取の連鎖」と、全てが営利目的の組織ということを、ここまで司法が調査分析していながら、それを今日まで放置した国の責任も大きいような気がします。<<
80年以上前に、司法当局が詳細な調査分析をしたにもかかわらず、そのまま放置されてきたのは、戦争の影響もあったのかもしれませんが、とにかく 国の責任は極めて大きいと断言できます。
現在新型コロナウィルスにより直会は無し。直会が無くてもパン、むすび、弁当、飲み物を出すのが参拝者に対してせめての労いではないか。コロナに乗じて某大教会は月次祭が終了したらさっさと参拝者を帰宅させ何も出さないらしい。元々参拝者が少ないのにさらに減るなこんなとこ。他の大教会はどうなっている?
うちも直会は今後廃止予定です。コロナ時代ですから口に入る物は教会で提供しません。今ではお茶を出すのでさえはばかれます。
うちは信者さんの当番制で直会をしていますが、信者さんも高齢になられ、負担に感じておられる方もおられるようです。
ですから直会はこれを機にやめようと思っています。ウィズ コロナの時代に入り、新しい生活様式が求められているように、天理教信仰の様式も時代に合わせて変えていこうと思います。手が揃わない教会が多いですが、無理やり揃えて結果的に3蜜になるなら、むやみに人を呼ぶ事も出来ないと思っています。現状3人か4人で勤める方がコロナのリスクが無いので理に叶っています。
昔は月一回お寿司が食べられる日と言う事で月次祭の直会が楽しみな時代もありましたが、今は教会でご馳走を食べようと思っておられる信者さんはおられません。
今は日頃から美味しい物を食べておられる時代ですから。早く終わって解散する方を喜ばれる信者さんもおられる様です。
直会はあっても無くても天理教は沈んで行きますね。組織の在り方の根本が間違っていますから。こんな差別的封建組織で神を語っても伸び栄える理が有りません。
>現在新型コロナウィルスにより直会は無し。直会が無くてもパン、むすび、弁当、飲み物を出すのが参拝者に対してせめての労いではないか。コロナに乗じて某大教会は月次祭が終了したらさっさと参拝者を帰宅させ何も出さないらしい。元々参拝者が少ないのにさらに減るなこんなとこ。他の大教会はどうなっている?>
どこの大教会ですか?
金を置いていけばそれでいいって本音がバレバレですね。
もう行かなくていいんじゃないですか。
人を金銭奴隷にしか思っていない。
天理教の大教会の人間を複数知っておりますが、
誰一人として宗教家として尊敬できる人間に会ったことがありません。笑笑笑
みんなジャイアンとスネ夫を足して10倍したような奴ばかりです。笑笑笑
うちの分教会(極貧末端)では、お弁当とお下がり(果物とお菓子)をお配りしていますよ。
本部はコロナ対応時代を理解できているのだろうか?
緊急事態宣言後今まで余り聞かなかった北九州で感染者がでた。その数は一日で20人を超す日もあった。東京で言えば一日に200人感染者が出た計算だから最高潮の時の数字だ。東京でも一日30以上がまた出始めた。そんな最中に、解除されたから、本部へ、本部に、と県外からの行き来をし始めた教団は愚かだと改めて思った。実際は解除されてからが大変なのです。解除されてから、教団のような組織がクラスターになった時点で「この教団公衆衛生大丈夫なのか?」と懸念され始める。調査もあるかも知れない。聴取で、県外者の行き来を多分に認めていた。となると行政指導も入るだろう。
北九州 新たに6人の感染確認 11日連続で計119人に 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200602/k10012455651000.html
東京 新たに34人感染確認 「東京アラート」出す方向で調整
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200602/k10012455031000.html
海外の記事で、中国の異常さが分かる記事が出てきた。
中国だけが悪くないくん には耳が痛い話だろうが 「中国武漢市、無症状感染者300人確認 全市民対象のコロナ検査」だ。以前から中国のコロナ査証隠蔽は周知の事実だが、今回は明確に300人と言う数字が出た。普通の人なら「300人!」で驚くでしょうが、余りにも多いからこの桁を減らして発表しているだけと見るほうが打倒だ。実際は1桁いや2桁は下らず、多いと3桁4桁といくらでも詐称する国だ。
これよりおかしいのが、メディア発表はされるが公式発表は基本感染者が0のままなので、中国だけグラフが横ばいなのが滑稽で笑える(笑)
この滑稽さが中山教団の隠蔽体質とも重なり「平静を装っているが中身の混沌さが見て取れる。」中国共産党は国内が乱れ共産党支配が崩れ始め強硬路線をとるしかなく、国家安全法などと着飾った悪法で、香港と言う国際都市の一国二制度を事実上終わりにしてしまった。
まるで「お戻し」を言い出した中山教本部のようだ(笑)
ロイター:中国武漢市、無症状感染者300人確認 全市民対象のコロナ検査
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-china-wuhan-idJPKBN2391UW
日経:チャートで見る世界の感染状況新型コロナウイルス
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/
参考意見様の投稿をワードに転写してゆっくりと拝見しました。
大変貴重な史料ですね。参考どころか正に正真正銘のもの。大変な労力だったのではないでしょうか。感謝あるのみです。
それにしても、僧祖父母からの信仰が何だったのかと気持ちが晴れません。元一日を忘れるななどと訳の分からない暗示に掛けられていた父母を思うと哀れみさえ覚えます。
7年前に離れて正解だったと改めて思っていますが、未だに恩を忘れた横着者と噂されているようです。それにしましても、いかに多くの人達が天理教に泣かされて来たことでしょう。それを思うと腹立たしいの一言に尽きます。
今からでも遅くありません。多くの信者さんはじめ、教会関係者の方々は信仰を続けられるのであれば、信仰の原点を見直す運動を起こされることです。それができないようであれば、棄教されることを勧めます。
これだけの資料を示されて、なお、目を覚まされないのであれば、余程甘い汁が目の前にぶら下がっているのかもしれなせんね。
天理教は酒飲みにとっては天国だ。
本部の青年会ひのきしんに弟が行って、こりごりしたと言っていた。
とにかく酒・酒・酒。
飲めない者にとっては苦役でしかなかったそうだ。
女性陣も負けていない。
今年は中止だったが、婦人会の団参でも、飲める女性会長や教会関係者は
地元を離れ、解放感も有るのか、また、普段は会えない教友と共にする
おじばでの機会だからこそなのかもしれないが、詰所での飲酒は多い。
天理市にも大型スーパーも有り、簡単にアルコールが手に入る。
飲酒は天理文化か?とさえ見えてしまう。
コロナのお陰でこうした行動はもはや禁止事項ともなるだろう。
これすらも神の計らいだと思ってしまう。
誰しも、お金は大事に使わなくてはだめだと子供には教育するだろう。
ノミニケーションという古い言葉が示すように、飲まないと本音が言えない等と
いい加減な言い訳で大人は浪費していた。
今後は天理教の会合から飲食が消える事が望ましいのではないかと思う。
「酒をたしなむ」という上品な表現もある。
綺麗ごとをいうと何処からか罵声が飛んでくる昨今だが、酒と付き合うには
自分をよく知ることが必要だと感じる次第。
真柱は酒好きだと、事情通の方から聞いている。
酒に限らず、自らの経験を含めた話を発信していただきたいものだ。
責任者不在なのではなく、責任者がその職務を果たさずして、その他の者が
勝手気ままな言葉を発信している教団なんて、世間的には「乗っ取られた」という
状況と思われても仕方がないのが、今の天理教だ。
連投お許しのほど。
上記に付け加えれば、その他の者とは言わずと知れた表統領のこと。
何をとち狂っているのか、自分が教団の代表になりたかったのか?
崩壊の過程にある教団において、表統領の役回りは、崩壊のスピードを速める
役割なのだろう。けっこうなことかもしれない。
>>崩壊の過程にある教団において、表統領の役回りは、崩壊のスピードを速める
役割なのだろう。けっこうなことかもしれない。<<
今となっては、中途半端に崩壊しないで跡形も無くなるほど崩壊するべきでしょうね。「悪しき種」はいつ芽を吹き返すかもしれません。
天理教の戦争協力について 名古屋大学からこんな本を出してました。
教理をゆがめて中山正善が国にすりよった経緯が書かれています!
新宗教と総力戦 教祖以後を生きる
著者:永岡 崇
出版社:名古屋大学出版会
ジャンル:哲学・思想・宗教・心理
ISBN: 9784815808150
発売⽇: 2015/09/18
サイズ: 22cm/353,7p
教祖亡き後、その存続をかけて自己形成をはかる新宗教。戦争へと向かうなかで、指導者や信者たちは、前代の「遺産」をどう読み替え、信仰実践の地平を拓いてきたのか。天理教を事例に…
新宗教と総力戦 [著]永岡崇
幕末以降、日本では新たな宗教が次々と起こった。本書が対象とする天理教もその一つであり、昭和初期には新宗教のなかでも最大の教団へと発展する。しかし、これまでの研究では大本(いわゆる大本教)や天理教から分派した天理研究会(現・ほんみち)のような、国家と対立して弾圧された教団が学者や作家に高く評価されてきた。
それらとは対照的に見えるのが天理教である。明治期に政府の公認を受け、昭和になると全面的に戦争に協力したからだ。2度も弾圧された大本に比べて天理教の研究が目立たないのもうなずけよう。だが本書を読むと、決してはじめから体制寄りだったわけではなく、教祖の中山みきからひ孫の中山正善へと受け継がれる過程で、天理教の教義や信仰の形態が不断に変容していったことがわかる。
とりわけ大きな変化が起こったのが戦中期である。本来は勤労奉仕を意味する教団用語「ひのきしん」の意味が拡大され、戦時体制への動員が正当化された。例えば炭坑には毎日1万人を超える信者が入り、体制を底辺で支える役割を果たした。天理教は明治以来の教義や信仰を変容させることで、「聖戦」のイデオロギーを下からつくり出したのだ。だが他方、こうした変容について行けず、教団を離れる信者も戦中から戦後にかけて激増した。
したがって著者は、教団の国家本位の立場はあくまでもたてまえにすぎず、それとは別に信仰次元で本来の立場があるとする「二重構造」論を批判する。その批判の射程は、「二重構造」論を採用する戦後の天理教の歴史認識にまでおよんでいる。
本書によって、私は初めて天理教の歩みをきちんと認識できた気がする。いや天理教だけではない。近代日本の新宗教全体の国家や戦争との関係をめぐる視座を与えられたように思う。恐るべき若手研究者が現れたものである。
◇
名古屋大学出版会・5832円/ながおか・たかし 81年生まれ。日本学術振興会特別研究員、博士(文学)。
>>本来は勤労奉仕を意味する教団用語「ひのきしん」の意味が拡大され、戦時体制への動員が正当化された。例えば炭坑には毎日1万人を超える信者が入り、体制を底辺で支える役割を果たした。<<
「ひのきしん」の意味が拡大されたのではなく、教団や体制側に都合の良いように歪曲されたのです。軍需工場に「ひのきしん」という名目で「勤労動員」された信者は、米軍の空爆を受け、多くの犠牲者がでました。教会本部が明らかにしたがらない事実です。
永岡崇氏の論文はPDFファイルもありますよ。
宗教のなかの「聖戦」/「聖戦」のなかの宗教
―天理教の〈ひのきしん〉と勤労報国— 永岡崇
http://www.ajih.jp/backnumber/pdf/45_02_06.pdf
天理教の戦時協力を呼び掛ける内容の本を紹介しておきます。
いずれテキスト化するつもりですが。
中山正善著 いざひのきしん明るい日本 昭和12年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097534
中山為信著 必勝日本 昭和17年
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1099639
参考意見 様
いつも大変貴重な資料をご紹介いただき、ありがとうございます。教会本部が時の体制に迎合し、己の保身のみを考え、保身の為に、信者をただ利用していたということを明白に証明する貴重な資料だと思います。教会本部の誤った体質が、戦後、70年以上経った今も引き継がれていると思うと身の毛がよだつ思いがします。今後ともよろしくお願いいたします。
コロナ禍の影響で派遣社員の雇い止めで生活保護の申請が急増しているようです。突然の首宣告で家賃が払えなくなる状況に陥いり借家を出なくてはならない状況下にあって、所持金は数万円。思いつく事は「死」だと淡々と語っておられました。この様な切実な苦境の方々に何とか 詰所の提供は出来ないものでしょうか?働く意欲を持って普通に、真面目に働いてきた方々です。緊急の生活の場として何とか手助けは出来ないものでしょうか、、、。
その他にも祈り以外の人助けの具体的な方法、信仰者として出来る事等を本部中心に練り合って頂き、各教会に呼び掛けると言う事は出来ないでしょうか。勿論、強制ではなく提案としてですが。
>>思いつく事は「死」だと淡々と語っておられました。この様な切実な苦境の方々に何とか 詰所の提供は出来ないものでしょうか?働く意欲を持って普通に、真面目に働いてきた方々です。緊急の生活の場として何とか手助けは出来ないものでしょうか、、、。<<
私も以前、同様のことを考えていましたが、天理教という宗教のマイナスイメージが先行し、詰所を利用する人達がどの程度、来られるのか疑問です。しかし、空き屋同然の詰所をこのまま遊ばしておくのはもったいない限りなので、イチかバチかやってみても良いかもしれませんね。
新型コロナウィルスの大節に思うことって何?
普通に生活をしている人に呼び掛けて何になるのですか。
問題は今夜にも眠るところない人たちにどのように接するのかが宗教なのに、何を寝言のような事を言っているのだろう。クロ減の映像に、一週間の猶予の後に寮を追い出されて路上で寝袋で寝ている若者の姿が有った。真面目に働いてきた人との印象を受けた。にもかかわらずこの現実に遭遇した若者の悲鳴が聞こえる。
でも、天理教はこのような立場の人達は相手にしないのだろう。お供えを持ってこない人は天理時報でも論外の人だからであろう。
何を報じても心に響かない時報。何時になれば視点を変えることが出来るのか、絶望的な宗教誌に期待するものは何もない。
本部の巨大な建物群の一隅でヌクヌクと居座って、ブタみたいに太って脂ぎった表情の人たちに本当の人助けが出来るわけがない。なぜなら、食べたいだけ食べて、飲みたいだけ飲んでいる自制心の無い人に人だけなんて出来るわけがないでしょう。
「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスである方がよい。」
心を変えようとする努力は、先ず、中山家を始めとする本部中枢の方々が率先すべきことでしょう。
兎に角、本部中枢の方々が何を言っても、無駄、無駄、無駄・・・・。
一度でいいから言ってほしい。私達が間違っていました。とだけ。
>>「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスである方がよい。」<<
スペインの諺に「祈るより稼げ」。中国の諺に「金持ちは馬鹿でも旦那」というのがあって、こっちが中山一族の行動原理なのでしょう。さて、今日も頑張って、そろそろ司法省資料は終わらせてしまいましょう。まだまだ仰山ありますから。
金持ちブタの善亮さん、馬鹿でも旦那。
ですが少し賢くなったんでしょうか。かなめ会での以下の挨拶。
>>このコロナウイルスの感染拡大と言う状況は、行事や活動をもう一度考え直す機会を与えてもらった。色んな事を思い切って切りかえていく機会ととらえて勇んで通らせていただこう。<<
本当にその通りです。今までの様な数字や形にこだわった無意味な行事の実施は、コロナの新時代において大変問題です。詰まらぬ行事はやめろ、と言う事です。
切り換えなければならない行事って何だろう?各種〇〇年祭などはその無意味さにおいて最たるものでしょう。大教会創立〇〇年祭は金が入ってよいのだろうが、末端教会の創立〇〇年祭は上から強制的にさせられるので出費がはなはだしい。ご臨席には無駄に御礼が要るし。もう天理教は未来が無いので、そんな創立〇〇年祭をして祝っても虚しいばかりです。全くする意味はありません。
婦人会総会も行きたい人が行けばいい。
戸別訪問も社会に忌み嫌われています。自己満足のための迷惑行為は即刻やめた方が良いです。天理教の皆様、表さんのお墨付きです。時代に合わせた姿があるはずです。無理な人集めは世間が許しません。コロナに付け込まれる隙になります。お勤めでさえも騒音公害で社会に迷惑をかけています。見直す事は数多くあります。
>>さて、今日も頑張って、そろそろ司法省資料は終わらせてしまいましょう。まだまだ仰山ありますから。<<
いつもありがとうございます。楽しみにしております。
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (その6)
第八款 治療行為 (P208~ コマ番号119)
天理教は「医者の手余り」を癒す宗教なりと自ら称している。
同教の布教師、または教徒は患家に至り、患者または家族に面接して、天理教の祭神たる天理王命は十柱の神の総称にして、この十柱の神々の働きにより人類を創造し、人間各機関の守護を為すものである。よって人は皆、天理王命の子供なりとの根本観念及び、教祖の天啓たる病気に関する神言を用い、自己の肉体は神よりの借物なり。ゆえに傷病一切は自己の心の埃(八埃)を悔い改めしむる為の神の作用なるを以て、これが根本原因たる心の埃を拭う心定めと、これが実行によって当然平癒すべしとの教話を為し、傷病者をして全身全霊を挙げて天理王命に信頼する心を誘起して、進んで自己の因縁納消を決意せしむる精神的療法を施すもので、さらに個々の病状と本人または家族の心行に因縁の関係ある如く平易常識的な判断を為し、時に傷病者をして以上の信念を助長せしむる方法として「お授け」「お諭し」以外に三日三夜の御願勤めと称し、教会、神殿に病気平癒の祈を為し、或いは神水(教会本部内に湧出するもの)を飲用せしめ、或いは教会本部に於て下付する神符(紙片)を患部に塗付するのである。
同教の病気に関する神言及び所謂「お諭し」の実例は次の通りである。
第一項 神言
第一目 さしづ
もともと医者はいらん、薬のむこといらんというのは訓えにないで、もともと医者にもかかり薬ものみ、医者の手あまりを助けようという。
薬を以てなおしてやろうというのやない。脈をとって助けるのやない。医者の手あまりを助けるのが台という、事情(災難)身上(病気)は道の花。
第二目 御神楽歌
病はつらいものなれど、もとを知りたるものはない。このたびまでは一れつに病のもとは知れなんだ。とうどこのたびあらわれた病の元は心から。
第三目 おふでさき
何にても病いたみは更にない。神のせき込み手びきなるぞや。
これからは神がおもてにあらわれて、病かかりてそうじするぞや。
どのようなせつない言がありてもな病ではない親(神)のざんねん。どのような事でも神のすることや、これ病とさらに思うな。
ちょいとした眼のあしきや、できものや、のぼせ頭痛は神の手引きや。一れつにあしきを言うでなけれども少しの埃つみた故なり。
一れつは皆めいめいの胸の内、埃いっぱいつもりあるから。
何にて病と言うてさらになし、心ちがいの道があるから。どのような痛み、なやみや、できものや、熱も下りも皆埃やし。
第二項 「お諭し」の実例
病気諭しの実例なりとする同教関係出版物に記載せるものを摘録すれば次の様である。
(一)高岡吉原著「業病の因縁とその切り方」の掲載記事中
(イ)胃癌を患える同教信者たる四十七歳の織物工場主の妻に対し
一、今日かぎり工場には手出しせぬこと。
一、家の炊事一切をあなた一人で引き受けて、なるべく人に甘く食べて頂くこと。
一、あなたは炊事の残り物を好んで食べ、しかもそれを他人に見せぬこと。
一、あなたは将来新しい衣類は一切身に着けず古着で満足すること。
一、腹立、不足、泣き言は今日から教会の神様にお供えすること。もしこれをおさげしたければ、その都度教会の誰かに許しを得ること。必ず勝手におさげせぬこと。
一、毎日三度以上は必ず他人を喜ばすこと。
一、あなたは他人を喜ばすことを楽しみとし、これを何よりの喜びとすること。
一、毎朝未明に教会の庭を掃除すること。
一、工場に出入りする凡ての人に匂い掛けすること。
一、教会の月並祭の当日の炊事費は向う三箇年間内々これを会長の手許に納むること。
一、この際あなたの葬式費用を御主人と相談の上見積もり、それを助け一条の道に使用して戴くこと。
一、今日から四日目より夫婦連れで別席を運ぶこと。
一、右の項目を喜んで実行せぬ際は何時死しても結構と確く心に定めておくこと。
の各要項を挙げ説明し、夫婦に実行を誓わしめ、教会長は三日三夜の願を為し、一方四日目より両人連れ立ちて地場に帰参せしに、大便に古血様の物下り、これを契機として快方に向い、中席を運ぶ頃には全快し、三年後別科に入学したとある。
(ロ)神経癩の徴候を来せる小学校長に対し、癩病(※ハンセン病)は先祖が公職にありて強欲非道の行いあり、よく女子の貞操を自由にして妊娠堕胎せしむる等、人倫に反する行いより出づる病気なりと諭し、病者の実父が親友の娘を堕胎せしめたる事実を想起せしめ、深くこれが罪悪の因縁なりと悟らしめ、納消の方法として
一、まず帰国退職して、僅かの先祖からの遺産は、全部村の教育費に献納すること。
一、妻は幸い教師在職中ですから、私の恩給と保険を持たせて実家へ帰るよう得心さすこと。
一、自分は将来この悪因縁を自覚して、獣類に陥ったと悟って一生涯を人の下巡りの汚い仕事一切を喜び勇んでさせて頂くこと。
一、なるべく教会に置いて頂きたい。
一、この際、決心の印として退職手当、貯蓄金および器具、衣類全部を売却して上納すること。
の精神定めを為さしめ、実行すると共に教会生活により、殆ど全快せるが三年後に於て死亡せりとある。
(二)天理教同志会発行、高岡吉原著「お助けの原理」には
「向上した信仰の信念が必要なる上から、只お道ではお授けを取り次ぐだけでなく、話一条の助け道というてお話をやかましく聞かせようと致しますので、病人に向かっては只一般的の御教理を取り次ぐばかりでなく、病気の状態によって一々違いますが、諭しというものをするのです。
それは要するに、念想を深める為と、その理に添わすようの為ですが、諭すと同時に懺悔と言うてその人の過去の罪、即ち埃を拂うため通り返し納消の方法を教え実行さし、所謂心身の切り替え、性格の改造にまで突き込んで行くのです。
そこに願う誠の心が見えてきて、常識ではただ不思議と言うよりほか道のない利益、全癒、苦から楽への道が現れてくるのです。」
と「お諭し」の効用を説明し、次の如き露骨なる牽強付会(※強引なこじつけ)の妄説を記載した。
(イ)これは私のある先生から聞いた体験談の一つですが、七歳の子供で自分の頭の毛を抜いて食べるので、親が心配して医者に見せたが、これは疳のせいであると言うだけで手当の仕様が無いという病人を助けた話です。
この依頼を受けたお道の先生も、あまり類のない病気なので悟りがつかない。十日ばかり毎日神様の所へお詣りに来なさいと言うておいて、自分も一生懸命どうかこの不思議な病気の元を悟らして頂けますようにと朝夕お願いして居りますと、ふと心に浮かばせて戴いたのです。
それは頭は神様の鎮まる場所、そこに生えるからカミの毛と云うのだ。たとえて見ると頭を神様の鎮まりますお社にして見れば、毛は木のようなものである。それを抜いて食べるというのは、これは何か神様に縁のある家に違いないということです。
次の朝、参詣に来た父親にその諭しを致しますと、父の代から都会に来ているので深いことが判らぬと言うので、早速国元へ問い合わせてみると、お祖父さんが村の神主をしていた事と、なんでも不正があって辞めさせられたという事が解りました。
そこで、つくづく悟らせて戴くところによると、お宮を預かっている神主でありながら、その宮山の木をぼちぼち売っては食い売っては食いいたしたに違いないのだ。何本食ったか解らぬが、これを千本と決めて、人知れぬ間に、一本づつでもその山へ苗木を植え、返すようにせよ。
そうして今までの理の果しとして、人を助ける道に進まして頂くようにと諭したからでした。その父親も自分の知らないところの親父さんの神官であることまで言われたので恐ろしくなり、その国の宮山へ人知れず千本の苗木をお返しする心となり、またお道の上に進まして頂く心となって、これをドシ/\と実行にうつるに連れて、その子供の癖もだん/\と癒っていったと言うのです。
有り難いことでしょう。神様は見抜き見貫しですから恐れ入りますよ。
(ロ)陰部無毛症の婦人に対し、次の如き諭しを為したという。
あなたのお知りにならん事ですが、火の無い所に煙が立たぬ道理で、これは悟らせて頂くに、あなたが前生に於てお寺の坊さんが、あなたの美貌に惚れ込み真剣になったのを、あなたはいい事にして、その坊さんを丸裸にし、あまっさえその人のお寺の地位を棒に振らせて、終にそれにまだ一生を賭けたその激しい恋まで破ってしまいなさった悪い因縁が現在に現れ、それに如何に苦しめられても反抗する能力無く人知れず恥ずかしい目にあい、煩え苦しまねばならんのです。
それでも、まだまだ喜ばねばならんのは、あなたは経済的に恵まれていることです。それでこれは、あなたの今としては知られたことでは全然ありませんが、これから夫へは一切不足不満を持たず、他人助けのためには何からでも、殊に助け一条のお道のためには何からでも、命をかけてつとめる。そのつとめも他人に目立たぬよう極く秘密に陰徳を積んで、これを将来あなたの心慰めとして通ってみなさい。
と「お諭し」し以後、同婦人は教会に陰徳的行為(献金)ありし三ヶ月を経て陰毛発生し加護を受けたりということである。
第九款 天理教を邪教なりと認むる点 (P215~ コマ番号122)
(一)祭神の神名を捏造し、我国史に紛更を生ぜしめた事。
天理教祭神たる十柱の神名は、教典、泥海古記、教会内に於いて一般常用せらるるものとの三つに分類されている。それを表示すれば(※画像参照)
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F1886676&contentNo=122&outputScale=2
右に関し同教本部に於ては、元来教典及び教規は一派独立の認可申請上の必要条件であって、単に方便として、古事記、日本書紀等いわゆる古典に合致する神名を羅列したるに過ぎないので、重要視するに及ばない。同教信者としては教祖の天啓である泥海古記を信ずれば足りるのである。古事記その他の古典では、人智の範囲によって定められたものであって、その神々意外に果たして如何なる神が存在せしや推断は困難で、大食天命の如きは古事記にその神名が無いからといって不思議はない。教祖の口を通じて生まれた神名を信ずるは当然であると言うが、これは国史の紛更を生む、我建国の精神を破壊するものである。
(二)皇室の尊厳を軽視するが如き傾向を有する事。
天理教は、その本部は世界人類創造の親里であって、主神たる天理王命は全人類の親神であると称し、同教布教上、教祖をして常に伊邪那美命の化身なるが如く思わしむる言辞を用い、信者に教祖は天理王命なりと信ぜしめ、教祖並びに教祖の血統たる管長を絶対に尊敬すべきものなりとの信仰的信念を強くし、延いて皇室の尊厳を軽視するが如き傾向を招来する危険なしと謂うを得ないのである。
天理教教会本部最高幹部松村吉太郎著「天理教独特の教理について」と題する出版物中に、
「天理教をお開き下された中山美岐子様は如何なる因縁のお方であるかと申すと、人間最初の創造の時、人間の母親とおなり下されました伊邪那美命の魂を持ってお生まれになった方であります。教祖魂の因縁とは世界の人間は伊邪那美命の胎内より生まれ出たのであります。然して教祖は伊邪那美命の魂を以て生まれ出でられたのでありますから、教祖魂であります」とあって、教祖を伊邪那美命の顕現者であるが如く説明しているのである。
(三)伊勢神宮に対する信仰心の希薄を生来する傾向。
全人類は地場に於て月日両神(いざなぎ、いざなみ両命)によって創成された地場を人類の親里とする天理教の教えは、地場を思慕し、親神を敬慕するの余り天理教の信仰以外何物もなく、従って伊勢神宮に対する国民的信念、漸次希薄となりつつある傾向がある。
(四)信者に対する搾取の結果、国民私経済を脅威しつつあること。
(五)教義の内容に私有財産否認の思想を有するものと認められるものあること。
天理教は、その教義の解釈上、その究極するところ私有財産否認にあるものと認めらる。すなわち「八埃」「たんのう」「因縁」の教義は、家財の総てを神に捧げ、なおかつ「人助け」に邁進するに非ずば「因縁」は納消せず、かつ信者の等しく待望する「甘露台世界」は陽気暮らしの世にして仏教に云う極楽の如く単なる理想郷と解せず、必ず現実的に実現するものであると布教している。ゆえに天理教本部の主張する「甘露台世界」即ち陽気暮らしの世態は御神楽歌の「一列すまして甘露台」とある如く、天理王命なる親神以外に、何ら支配的権力の存在なき共産主義的一列平等の社会を指すものの如く思考せらる。<<
──( 第三章 第三節 天理教 ─完了─ )──
昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886676
天理教に関する記述は、ここで終わりです。他の関連する部分も、いずれは紹介していくつもりですが、戦時協力に関する資料なども早く紹介していきたいので。
国家と馴れ合って、上手く生き延びた天理教ですが、司法関係の人というのは悪く言えば石頭、良く言えば真面目だったのだと思います。山口良忠という裁判官が戦後の食糧難の際、闇米を拒否して餓死した話はよく知られてますが、ナチス時代のドイツでコンラート・モルゲンという判事(弁護士、医者)が強制収容所の所長を殺人罪で起訴したなんて話もあったりしますから。
しかし、最後の「天理教は共産主義的一列平等」というのは大ハズレで、むしろ究極の資本主義的金権体制と言うべきなのでは?
今後、教会の土地、建物をめぐる裁判など起きた際、過去に天理教が宗教に偽装した営利目的の組織であることを、司法が認めたという事実は、大きな攻撃材料として利用できないものかと思い、資料のテキスト化を決めました。
コロナの関係で天理教校学園高校がやっと新学期がスタートしたと思ったら、、、。コロナどころでは無いことに。私の子どもが言うには先生が15〜20人くらい退職しているとのこと。辞められた先生(辞めさせられた?)はどうなったのでしょうか?そして、そんなにいなくなって授業や部活などの学校生活は大丈夫?閉校するからといって子ども達が本来学ぶべき教育レベルが下がるのは納得いかない。閉校も勝手に決められて、更に子ども達にとっては重要すぎる先生方がいなくなられたら、残された子ども達は可哀想過ぎます。
>>閉校も勝手に決められて、更に子ども達にとっては重要すぎる先生方がいなくなられたら、残された子ども達は可哀想過ぎます。>>
教団のもともとの無責任体質がまた一つあらわになっただけですよ。
辞めていった先生方のお話を聞いてみたいものです。
推測ですがほぼ一方的に首をきられたようなものなんじゃないでしょうか。
現在教校学園に通われている生徒さん達には
天理教になんか期待せず、頼らずに、いや縛られずに、そしてこれからはいっさいの協力をもせず、
しっかり自分の就きたい仕事にまい進して、稼ぐ力をつけていただきたいですし、
保護者様もそのサポートをできる限りしていただきたいと思います。
たとえ学園の学習の質が落ちたとしても、
卒業してからもまだまだやり直しがきくと思います。
教団は末端や信者の将来に対してなんの協力もしないし、責任も取りません。
末端や信者のことは使い捨ての奴隷くらいにしか思っていませんよ。
そのくせ理の親達は自分の不労所得、セレブ的立場の保身には、
「偽教理」を使ってまで必死になりますがね。怒!!
教祖の教えに詳しい皆さんに教えて頂きたい。
神様とは結局どこにいるんですか?
かんろだいの下ですか?
月と太陽ですか?
最近よく考えます。
これぞ神様なんだという表現する言葉はありますか?
一人ひとりの心の中にあると思います。
かんろだいにだけあるのでもなく
天理にだけあるものではない
それぞれの心の中に神様がいていつも見守ってご守護されていると思います。
いいことも悪いことも心どおりに
旬刻限とかありもしないことをあるようにいつわって
天理王命なんて名前があるわけない 神様は神様
人間が勝手に名前をつけたもの
おぢばもかんろだいもあとづけ
「にんげんをはじめだしたるしょうこにかんろだいをすえておくぞや」
上記の匿名 様
神や仏は人それぞれの心の中に居るんです。
あると言えばある。無いと言えば無い。そのようなものですよ。八百万の神というでしょう。一人ひとりの心に宿る神は、それこそ万別です。大きな神社の神もあれば、近くの小さな祠の神もあります。
又、宗教の対象として崇める神もあります。天理教の言う親神もその一つです。天理教の教えはダメの教えなどと言っていますが、現状ではとんでもない神でしょう。
私はそのようなものは一切信じませんが、信じる人には神が宿るのでしょう。
信じない理由は、以前このようなことがありました。世界旅行が出来た御礼に有名な神宮に参詣の途中に、新幹線の中で放火により亡くなった方が居られました。神があるのであれば、このような結果にならなかったんじゃないですか。神が守ってくれたはずです。ところがそうはなりませんでした。
又、神戸の大空襲では有名な神社が全焼しましたよね。これだって、神が居るのであれば防げたはずですよね。
自然が神だという人も居られますが、地球上には過酷な環境下で暮らす人も多いですよね、そのような環境下に暮らす人たちに神が恩恵を下されていると説いても説得力に欠けるんじゃないですか。
結局はある程度恵まれた環境下にある人が信じる対象かもしれません。特に、天理教の中枢部に居られる方々はそう信じておられるんでしょうね。
月火親神と言っても、永遠なるものなんてないんですから。
神とは天然自然の事です。神は月であり太陽であり、宇宙の運行そのものとお聞きしました。筑波大学の村上先生はご自身の遺伝子研究の中で、どうしても否定出来ない神の世界があると。その神の世界、神の意志。それをサムシンググレートと名付けられました。研究すればする程疑えない秩序正しい神の世界に行き着くそうです。これは何だ?と言う世界があるらしいですよ。
神は甘露台の下に鎮座しているものでもなければ、お金を供える人と供えない人を見分けたり、御守護に差をつけたりそんな世俗的な軽々しい基準で動く意志は持っておられません。当然大和の百姓だった教祖中山みきが神でもなければ、中山一統が神である筈も無いのです。教祖は単に天啓者でした。彼女が大いなる宇宙を創り、泥海からの秩序を保っている神では決してありませんからね。
天理教本部の間違い:
「神の社は中山みきただお一人である。このお方を尊び、この人におすがりして助けて頂きなさい」と言う導き方です。
この考え方こそ教祖の教えに最も外れている所なのです。
教祖は人類が皆神の心を持って生活すれば皆んな神の社に生まれ変わることが出来る。皆んなが神の社となって互いに助け合い陽気暮らしをして欲しい。
このように中山家は天啓者中山みきこそが神だとして偽の宗教ビジネスを展開する為に彼女を利用し、今に至るのです。天の本物の神様であるサムシンググレートが偽物の神を潰しにかかっているのが現在の天理教の衰退です。
我が一統こそ神であるとする中山家の欲の塊に騙されてはいけないと言う事です。
参考意見 様
>>しかし、最後の「天理教は共産主義的一列平等」というのは大ハズレで、むしろ究極の資本主義的金権体制と言うべきなのでは?<<
究極の資本主義というよりも、むしろ、究極の封建主義的金権体制だと思います。信者は生かさず殺さず、搾り取れる金は徹底的に搾り取る。それが天理教です。
こんにちは、ご無沙汰です。
天理教高では先生が減ったとか、もう私は関知しませんが、子供達が可愛そうですよね、大人の都合に振り回されてますよね。
神について、私の考えている事
地球上で、異なる思想、宗教や文化であっても互いに認めあい、存在を尊重できるようになれたら良いですね。
共存共栄で、地球から戦争が無くなれば良いですね。
異なる人種であっても、互いに排除しない、差別しないのが理想ですね。
誰も抑圧されず、搾取されず、個人として安心して自由に生きられたら、良いですね。
理想ですよね、地球が神界に位置したら、そうなるのかもしれません。
実際には、アメリカでの出来事を見ていると、地球はまだ地獄界かもしれません。
香港の出来事も、ウイグルも時代に逆行していますが、日本もいろいろ他人事ではありません。
コロナの死亡率は、欧米や南米に比べ、東アジアは圧倒的に低いですが、日本はそのアジアで低い方ではありません。
でも海外から不思議な成功と言われていますから、日本は神国で神風が吹いた?などと言う人も、出てくるかもしれません。
民度が違うんだ、なんて高慢な事を言う大臣がやっぱり出てきました。
高慢の極みが、大臣で居られる世界なんです。
コロナの関連で、手数料をかすめて濡れ手に泡の膨大な利益を手にしている人達もいれば、住む家を失い、生活保護の申請する人が増えています。
日本では、支配者側が膨大な利益を上げて搾取し、苦しい立場に追い込まれる国民が増えています。
正義感を持って見ていたら、腹立たしい事ばかり
神の心を持って見ていてら、憂える事ばかり
この状況を変えるのは、しかし神様では無いですね、神様が直接降りてきて、変える事は無いでしょう、神様は私達の支配者では無いですから、私達肉体を持つ人間が神の知恵とお心を頂いて、少しずつでも、この地球を変えて行くしか無いです
神は支配者ではありません、大霊界世界を作り、宇宙を作り、人間を作り、そして神になれる神の子が、私達の中に存在して、成長を続けている魂の存在です。
そう言う大霊界世界観を持つ宗教と信仰もありますよって言うだけです。
どの世界観を信じても個人の自由ですけれど、世界が平和になり、理想社会を目指す物が良いですね、自分が心身共に豊かに生きられる宗教が望ましい。
宗教と信仰は親子であっても、選択は自由が良いですね
自分で納得できる神様を信じられて、生きるのが、幸せかと思います。
ある教会長のツイート
両親もそうやったけど、出直した後におさづけを取り次がせてもらったら、みんな柔和な安らかに眠ってる感じで、起こしたら今でも起きそうな表情で旅立ってくれる
おさづけは関係ないと思います
>>両親もそうやったけど、出直した後におさづけを取り次がせてもらったら、みんな柔和な安らかに眠ってる感じで、起こしたら今でも起きそうな表情で旅立ってくれる<<
死亡すると死後硬直が始まり、顔の表情も硬くなり仮面のようになっていくはずです。「柔和な安らかに眠っている感じ」には見えません。おさづけを取り次いだ人の自己満足からそのように見えるだけでしょう。
最近、問題ある本部員の講話が話題になっているので、何かないものかと探していたら、大正9年の本部員講話集というのが出てきました。梅谷四郎兵衛、梶本宗太郎、辻忠作といった錚々たる顔ぶれ(と言っても、本部員に収まっているということは、教祖を裏切った奴ら)なのですが、中でも高井猶吉の「因縁の理」と題する話が強烈だったので、ここに一部を紹介したいと思います。
>>因縁の理 高井猶吉 (P24~ コマ番号16)
お互いに此のお道を聞かして頂くまでは、皆な勝手勘定の道ばかり通っていたのや。
──(中略)──
因縁も多い家と少ない家と同じ守護ではない。因縁の少ない家は一人か二人死ねば因縁は切れるなれども、多い家は二人や三人死んでも、なか/\切れるものではない。その恐ろしい因縁は、どうしたら切れるか。今までは誰も知らなんだ。この度、天から教えて下されたのや。
肺病でも因縁多ければ、十人の家内は十人ながら皆肺で死に絶える。ぽつ/\ぽつ/\と片っ端から死んでしまう。どんな賢い人でも、だまって死んでしまう。その因縁どうして踏み止めるか。賢い人が昼夜考えても分からぬ。そんなら因縁の多い内は家内中いっぺんに死に絶えるのか。日々月々年々と、だん/\重ねぬいた埃が家の因縁になったのや。そこで一人死んだら仕舞かと思うと、二年三年経ったらヒョコッと死ぬ。また二年三年経ったらヒョコッと死ぬ。追々付けた因縁であるから、追々に現れてくる。その因縁はどうして防ぐか。それには家内中寄ってかかって日々月々年々に徳を積み上げる。その積み上げた徳を以て、家に現れる因縁を一つ防ぎ、二つ防ぎ、追々に防ぐすれば、半分死んでも半分踏み止め指してもらえる。<<
ここまでの文中に「死」という字が10回。こうも死ぬ死ぬ言われると、なんだか脅迫されてるような気分になってしまいます。ところで、この人も頭文字は「T」ですが、もしかして最近話題になったT本部員のお祖父さん・・・なんてことは?
大正9年発行 本部員講話集. 中
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/914205
>> 因縁も多い家と少ない家と同じ守護ではない。因縁の少ない家は一人か二人死ねば因縁は切れるなれども、多い家は二人や三人死んでも、なか/\切れるものではない。<<
「死」が「出直し」でなくて「死」のままだ。まだこの頃は「出直し=死」という教理が一般化していなかったということだ。
神様とは言っても、考え方、とらえ方は、いろいろありますね。
死後に肉体は無くなって、魂だけが、どうなるのか?
または、魂は何のために存在し、どうするのかって言うのが判らないと
神様って何?って言う事になります。
大方の宗教は、神は特別で支配者であり、人間は死んでも人間の魂であり、また地上に戻って行くと言う、宇宙は神様の箱庭論が主流です。
天理教の場合は、地球と言う箱庭を作って、人間が暮らすのを、見ているのが、神様という世界観です。
キリスト教なども、天国と地獄で、神の子として暮らす人間と言う世界観でしょうか。
スピリチュアルや大霊界世界観は、地球はスタート地点であり、魂は、次元の違う世界に移動して、神に近づいて行く、多くの段階の階層世界であり、私達は、進化向上しながら絶対的存在に徐々に近づいて行くと言う存在であり、その途中であっても、人間から見たら、神様レベルの存在もいれば、地獄で修行する魔神も居ると言う世界観。 地球を守護し導くのも神的修行の1つと言う世界観です。
神様、と言っても、宗教的世界観により、概念が違いますね。
どの世界観を信じるのかは、個人の自由ですね。
死んだらそれまでって言うなら、神はいないと言う事で、それはそれで個人の自由ですね。
親子でも、信じられる世界観は違って当然です。
天理教から見れば、親神様は、箱庭を見ている絶対的存在ですし、だから、ゲームの様に親神が手を下してくださると言う発想になりますね。
私から見たら、親神も、神霊の一人であり、教祖を導き、体を使って霊界で向上をしようとした一神霊位にしか見えてません。
また、大きな神は地上に直接手を下さず、個人を導き守護してくださる背後霊、守護霊と言う考えなので、神同士が、あいつは敵だ!などと人間に命令する事は無いので、聖戦とかあり得ないんです、あくまで信仰はプライベートです。
神が居なくて、教えを学んで実践するだけなら、教団って要りません。
みんな、教義書を読んで、自分で自分を導いたら良いんです。
神の恩恵あっての教団でしょう。
天啓者が存在せず、神の神意を受け取る人がいないなら、神の存在はただの概念となります。
精神的に導くのも、指導者の仕事ですが、それが信者の心に響かないなら、残念ですよね。
脅しで、お供えさせるのが事実なら、それは信仰ではありませんよね。
えらい人、高◯大教会長の、一列会報への寄稿文に、毎日お供え、賽銭箱にお供えしていたら、世界が変わった?自分が神の導きを得ていると判った、とまじめに書いておられて、毎日お供えって、守護の販売店かよ? って思わず突っ込んでしまい、正直言って何も響かなかったです。
天啓者が存在しない、神意を受け取る人がいない、精神的指導者の言葉も信者の心に響かなくなってしまったなら、教団を離れる人は増えますよ。
神意を受け取る事ができる、教団の精神的指導者を作らなければ、たとえ中山家を追い出しても、天理教は崩れてしまうと思いますけれど。
>>「死」が「出直し」でなくて「死」のままだ。<<
ホントだ!!そこは気付かなかった。
私が読んでて気付いたのは、大正9年当時、教祖を「おやさま」と呼ぶのは一般的ではなかったということです。梅谷四郎兵衛など5名は「御教祖」「教祖様」と呼び、振り仮名は「きょうそ」となっています。梶本宗太郎など3名が「親様」と呼んでいますが、他の出版物で、中山善兵衛を「善兵衛おやさま」、教祖を「美岐おやさま」と呼んでいることから、「親様」は単に「親分」を上品に言っただけで、教祖を特定した呼び方ではないと思われます。
大正2年版の教祖伝に、門弟が「親様」と呼ぶ場面が一回ありますが、それ以外は終始一貫して振り仮名は「きょうそ」で「教祖」と記述されています。
大正2年版教祖伝の181頁 (コマ番号154)
──此の時門弟は『それで親様の身の内、さあと云へば、直ちに御利益を下されませうか。』と御伺ひして、教祖の御身上の事をのみ思ひ煩って居る。教祖は、それには一向御構いなく──
大正2年版教祖伝
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943430
昭和13年発行 善兵衛おやさま
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1023635
「出直し」については、明治33年、中山新治郎著の「御神楽歌釈義」の六下りに於て「出直しやは改心の義なり」と解説されていて、けっして死ぬというような意味ではなかったようですね。
明治33年 中山新治郎著 御神楽歌釈義 (P82 コマ番号46)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816096
いつかお地場に天啓者達がお帰りになり、神一条の道が再開されれば、信心も再開しようと思いますが、それまでの間は、全知全能の親なる神を意識しながら、感謝喜び優しさの誠の心を培って朝起き正直働きに勤しんでゆきます。
この宗教でご縁を頂戴し親切にして頂きました皆様には大変お世話になりました。来生、掃除の済んだお地場でお会いできるのを楽しみにしております。
今生は、本部掃除中のホコリを避けて、謙虚に傍観させていただきます。
改革派 @tigers8544 さんのツイートより
教祖100年祭前に天理高校の柔道場が火災で全焼しました
出火原因は部員の煙草の火の不始末
天理消防署から渉外課を通じて「出火原因はどうしますか」
との問い合わせ…
最終的に火水風寮の風呂場からの飛火になりました。
かなり無理があるなぁと聞いておりましたが新聞には嘘の出火原因が発表!
奈良県のコロナ感染者数に未公表が22名もいます。
グレーだと思います。
同時期に柔道部のK先生のクラウンが駐禁!
頭に来たK先生が天理署に乗り込んで「誰やこんなもん貼りやがったん」
署長が出て来て謝りながら違反切符を破かれました
K先生が天理署に柔道を指導に行っておられたのは有名です。
古い話なので資料は何も残っておりません
ただそのやり取りを私は側で聞いておりました。
この場では詳しく話せませんが間違いございません。
柔道部は今以上に強かったのでタバコの火の不始末には出来なかったのだと思います。
火水風寮と柔道場の位置関係を調べたら風呂からの飛火はかなり無理がありました。
図書館に行けば当時の新聞がマイクロフィルムにないでしょうか?
私以外にも数人は知っています。
大正6年の出版物で「御教祖様」に「おやさま」と振り仮名されているのを発見。
婦人会本部発行の「お話の栞」の最初の1ページ(コマ番号 5)
>>天の親様(おやさま)が御教祖様(ごきょうそさま)にお入込み下さいまして<<
とあり、以後「御教祖様」の振り仮名は、ほぼ「おやさま」のようですが、たまに「ごきょうそさま」になったりもします。天の親様なんて紛らわしい言い方ですが、いずれにせよ、ただ「教祖」と書いて「おやさま」と読むことは無いようですね。ちょっと、アセりましたが、これが二代真柱の創作のヒントになったかどうかは判りません。
巻末(コマ番号81~)には婦人会大正5年度の決算報告なんかもあって、なにやら細々とした金のことが書かれています。(※画像参照)
https://dl.ndl.go.jp/view/jpegOutput?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F907093&contentNo=83&outputScale=2
大正6年 天理教婦人会本部発行 お話の栞
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907093
仮に、中山家を追い出せて、偽教義を無くして、お供えの強制をやめる事ができたとして、天理大学の学者とかで、今ある全ての資料を元に、教義を編纂し直したら、その真教義書、教祖様の教えを教団の精神的支えに運営できるのでしょうか?
教団本部は合議制で、選挙で役員を決めて、各教会は寺社の様に独立自営にする。
教会長の副業は当然であり、本部へのお役も無しにする。
本部の運営費は、どこで稼ぐ? 信者は年会費を本部に納める事になる?
おぢばは、天理教の総本山になるのかな?
おぢばは信仰のめどう、目標として、何を提供できるのだろう
別席と修養科など現状と一緒ですかね?
これだと、今ある旧来の寺社仏教と変わらない存在になりますね。
従兄弟の嫁一家は熱心な愛町信者ですけれど、話していると、初代様が良く出て来る、他の天理教信者とはちょっと違う印象があります。
新興宗教は、既存寺社宗教に対して、やはり、神仏がもっと身近に、リアルに存在してこそですよね。
神、と言う、人知を超えた存在から、神意を受け取ることができる、カリスマ精神的指導者が、居てこその、新興宗教では無いでしょうか?
お助けが、まやかし、気休めであり、教えを中心に概念と化した親神様に祈るだけなら、すでに現行天理教は旧来の寺社仏教と同じになってしまいます。
本部への権力集中とお金の集中を止める事ができたら、既存の教会は、既存の寺社の様に、ゆるく独立自営で、布教をやれば良いので、確かに今より楽にはなりますかね? それが希望なのかなって思いました。
訂正、すでに現行天理教は、既存の寺社仏教と同じになっています。
勝手な思い、持ってる印象なので、読み流して下さい。
バリ天なら、本当は、お供えは神様にお支払いする保険料とか、守護のお礼とか言わないで、とにかく、お助けを行い、信者の身上、心上を改善して、良い方に導き、神の導きを得られる生き方を説き、心の安寧を教会に通う信者に与える事ができたら、そんなに高額のお布施を頂かなくても、運営できそうな気もします。
どこかの教会長さんが、神霊的能力を身につける事ができ、教祖様の神意を受け取る、親神様の神意を受け取る事ができ、お助けで、奇跡的な効果を常に出せたら、きっと愛町の初代様の様に、大勢の信者が集まりますね。
そしてそこが、新たな、おぢばになりかねない。
そうなったら、本部は、恐怖を感じて異端者として排除する訳ですね、だから本部に、本席を復活させなければ、本部も異端であり続ける事になりますね。
天理教の本当のめどうは、教祖様、人ではないですか、だから存命の教祖様を残してあるのかと思いました。
おぢばに親神様は鎮まっている、そこをめどうに、教団を運営できても、神意も判らない人達が権威として上に居続けるのは、本来、無理がある様に感じます。
教団の精神的指導者、宗教的権威として、本席様か、準ずる役目の人が居て、
神意を運営に反映させ、参拝者に信者に神の導きを行う事ができる
本部への過度の金銭的集約が無く、各教会長も、お助けなど、神の存在の効果を発揮しながら、独立自営でいられたら、きっと、良いんでしょうね。
それが、天理教の理想の姿でしょうか?
などと思ったりします、失礼しました。
匿名 様
2020年6月6日 9:40 PM
>>柔道部は今以上に強かったのでタバコの火の不始末には出来なかったのだと思います。
火水風寮と柔道場の位置関係を調べたら風呂からの飛火はかなり無理がありました。
図書館に行けば当時の新聞がマイクロフィルムにないでしょうか?
私以外にも数人は知っています。<<
新聞報道はもみ消された可能性はありますが、もし報道されているならば、奈良県立図書情報館にマイクロフィルムがあり、閲覧・コピーは可能です。
いつ頃から「出直し」が「死ぬ」という意味になったのか。道の友によると、大正の初めくらいからとのことなので、探してみたら、ありました。
先日紹介した、大正6年天理教婦人会本部発行「お話の栞」のコマ番号20に
>>良人様は、御教祖様(おやさま)の五十六歳の御年に、御出直しになりまして<>嘉永六年、夫善兵衛様がお幽れ(おかくれ)遊ばされまして<<──とあり、善兵衛も存命と考えられたのでしょうか?
しかし、大正9年発行の本部員講話集で、高井猶吉が、これでもかってくらい「死ぬ」を連発してますし、まだまだ一般的ではないようですね。
大正6年 天理教婦人会本部発行 お話の栞
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907093
コピペに失敗したので、やり直します。
いつ頃から「出直し」が「死ぬ」という意味になったのか。道の友によると、大正の初めくらいからとのことなので、探してみたら、ありました。
先日紹介した、大正6年天理教婦人会本部発行「お話の栞」のコマ番号20に
>>良人様は、御教祖様(おやさま)の五十六歳の御年に、御出直しになりまして<>嘉永六年、夫善兵衛様がお幽れ(おかくれ)遊ばされまして<<──とあり、善兵衛も存命と考えられたのでしょうか?
しかし、大正9年発行の本部員講話集で、高井猶吉が、これでもかってくらい「死ぬ」を連発してますし、まだまだ一般的ではないようですね。
大正6年 天理教婦人会本部発行 お話の栞
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/907093
おかしい。今日は不調ですね。途中の抜けた部分ですが、
大正6年と言えば、二代真柱は、まだ12歳。創作活動を始めるには早い気がするし、じゃあ一体誰が考えたのだろう。
人類の普遍的真理として死は恐怖です。この世に生を受けた以上、人間は誰しも死にたくはありません。当たり前のことだと思います。通常の心理状態にあれば、人間は自ら死を選ばないはずです。仏教の「輪廻転生」「極楽浄土」やキリスト教の「復活」、天理教の「出直し」等の思想も、人間の死に対する恐怖感を緩和するために生まれてきたものだと思います。しかし、この世に生きとし生ける生物は、長短の差こそあれ、いつかは必ず死(=終末)を迎えます。これこそが真理です。人間は限られた人生を精一杯、悔いの無いよう生きればそれで良いと思います。
大正3年12月31日、初代管長中山新治郎没。
大正4年1月21日、中山正善(11歳)、管長襲職。山澤為造(57歳)、管長職務摂行者に文部省より認可。
大正14年4月23日、中山正善(21歳)、管長就職奉告祭。
昭和4年3月28日、中山正善2代管長、東京帝国大学卒業。
天理教の現在の教理体系は明治末年あたりから、昭和3年の『おふでさき』公刊に至る時期にほぼ完成。
本部の説教に期待するのは、心通りの神の守護によって、健康長寿安全繁栄をもたらす「マコトの心」とは何か?を説いて頂きたいという事。
ここの投稿者の皆さまにもお聞きしたいとも思います。
一割の貴族と二割の走狗と7割の奴隷。日本も経済格差を含め、中共や北朝鮮の様な心の貧しいムゴイ国に落ちぶれつつあるが、
天理教布教集団に本来の教祖が望んだ事の一つに、より格差の少ない優しい平等感のある社会へ善導する事もあったのではないか??
天理教布教社会も同じように経済的格差社会があると見聞きして、現在の幹部達は何を目指しているのか?考えてしまう。
>>Twitterで某大教会役員の息子が暴れていて
天理教のお偉いさんには変な人、横暴な人が圧倒的に多いので別に驚きませんが(笑)、
そのアカウントを教えて頂けるともっとよかったのになあと。
できればリンクをコピペして欲しいのですが、それが無理ならなんと検索すればたどりつけますか?
マコトの心って? 様
>>本部の説教に期待するのは、心通りの神の守護によって、健康長寿安全繁栄をもたらす「マコトの心」とは何か?を説いて頂きたいという事。
ここの投稿者の皆さまにもお聞きしたいとも思います。<<
天理教の言う「誠」や「誠真実の心」は、本来の意味から完全に乖離し、「金儲けの手段」「金儲けの道具」として利用されているだけです。「心通りの神の守護」があるのであれば、震災の被災者やコロナの被害者、その他の自然災害の被災者や戦争の被害者、その中には何の罪も無い乳幼児さえ含まれていますが、そういう人達にまで、どうして被害が及ぶのでしょう? そういう被害を被った人達は、神の心通りの守護を受けられなかったのでしょうか。決してそんなことはありません。天理教の「誠真実の人」とは教会本部に対して、ひたすら従順で、ひたすら「お供え」する人達を指しているのです。
>>Twitterで某大教会役員の息子が暴れていて
匿名アカウントのムツキさんに個人特定出来る情報も手にしたと匂わせて脅したみたいですね
確かこの人だいぶ前にもムツキさんに個人特定を匂わせて脅してました、とある日に大教会長が巡教に行った教会を探せばあなたの所属わかりますよねといった感じでした
睦輝 @o_muthuki さんのツイートより
>本勤仲間に聞いた話です。
傾いて見えると噂のかんろだい。
実は、今のかんろだいは回転してズレて、段と段の間に隙間ができ、傾いてきて、下の方には大きな亀裂も入っています。
亀裂は玉砂利の近くまで行かないと見れませんが、亀裂の場所は確か東面と聞きました。
今のひながたかんろだいは、御承知の通り、大亮さんの結婚式に間に合うよう準備されました。
その為、木の乾燥が十分できてない状態で急いでかんろだいとして出したのが、今の傾きと亀裂の原因ではないか?
と想像されています。
普段、朝と昼の神殿掃除では、那智黒の玉砂利の上へベニヤ板を敷き、脚立をのせ、本部員がさらしの布巾を使い、お清めと言って拭くそうです。
それが、いつからか拭き掃除を止め、はたきのみになり。
今は…はたきも禁止。
かんろだい掃除が全面禁止になったのです。
前から、お清め中のかんろだいは結構揺れるとの話は聞いていましたが…。
多分今の状態だと、拭くと揺れたり歪んだりするどころか、倒れる所まで来てるはず!との事です。
これが、今かんろだいが傾いて見える理由と実状です。(終)<
連日、気味の悪い地震が長野や関東周辺で続き、
先日の三浦半島の異臭騒ぎといい(地震に関連付けて説明している学者がいます)、
相模トラフや首都直下の大型地震に警戒が強まる中、
甘露台の東の面に亀裂があるというのが気になりますね。
そういえば、6月は天理教にとってはとても大きな節が起きてきた月ですね。
最初の甘露台倒壊事件も2000年6月26日の事でしたし、
このコロナ禍、特に気をつけなければいけない月ですね。
※ 睦輝さん、貴重な情報ありがとうございます。
(Twitterをやっておられない方のために勝手に紹介しましたが、
もしも事前に承諾が必要でしたらおっしゃってください)
また、粘着質なバリ天といろいろとあるようですが
負けずにこれからもtweetによる改革をよろしくお願いいたします。
ツイートの御紹介ありがとうございます(^^)
あの役員子弟さんとは、成りすましアカウント事件で1回、身バレ脅しで2回とこれ迄にも何度もやり合ってますので鍛えられました(*╹▽╹*)
最近はなかなかこちらに顔を出す事が出来ませんが、有益なツイートがありましたらどんどん引用紹介して頂いて構いませんよ(^^)
今後もよろしくお願いいたします!
普段、朝と昼の神殿掃除では、那智黒の玉砂利の上へベニヤ板を敷き、脚立をのせ、本部員がさらしの布巾を使い、お清めと言って拭くそうです。<<
想像するだけで危なかしいですね。下が那智黒石でいくらベニヤ板を敷いているとは言え脚立が倒れたら甘露台もろともひっくり返るのでは?傾いた甘露台は今の教団の危なかしさの象徴ですね。
真柱身上、甘露台倒壊、中身の伴わない無理矢理中山姓を名乗らせた若者の結婚の為の急こしらえのレプリカ甘露台。信者のお金で湯水の様に霧消した花火、レーザービーム、ハワイアンレイをかけたちんどん夫婦を見せられました。
また倒れるでしょうね。倒れるたびに信者の信仰心を非難して我が身を省みない中山一統ですから、何遍でもレプリカを建てたらよろしいでしょう、、。その内潰れましょう。悪あがきを見てたらいいです。心配ないです。
今、ライブカメラ見たら、本部正面の賽銭箱が復活してるみたいですが?石段より下の中央に1本。
やたら境内の人の行き来が多いようですが、今日何かあるのでしょうか。
今のライブカメラでは、普段通り人気は無いですね。山辺の道のハイカーが集合でもしていたのでしょう。
>>7また倒れるでしょうね。倒れるたびに信者の信仰心を非難して我が身を省みない中山一統ですから、何遍でもレプリカを建てたらよろしいでしょう、、。その内潰れましょう。悪あがきを見てたらいいです。心配ないです。<<
そんなに大事な甘露台であれば、真下に深く基礎を打設し、鉄筋コンクリート造にでもしたらよいと思いますが。
本部前、制服姿の学生が集まり始めました。昇殿してるようにも見えますが。
睦輝さん
≪ツイートの御紹介ありがとうございます(^^)
≪あの役員子弟さんとは、成りすましアカウント事件で1回、身バレ脅しで2回とこれ迄にも何度もやり合ってますので鍛えられました(*╹▽╹*)
我が家の家族Aの感想
上記、睦輝さんの投稿を見て正直なところ、ここまで脅しが酷いとは知らずあらためて驚いた。
それでも,
まだ、だまされる人もいる。(東本のカメカヨさん)
Twitterによると、バリ天の危うさを今まさに生きている人のようだ。
だれか東本の読書会に出てカメカヨさんの目を覚ましてあげてほしい。
匿名本人の感想
Nさんは役員子弟なのですね。敷島系ですよね。何となく納得できました。
布教所長なのに仕事につかないで妻子を養うことができていたのは
親のお陰なのか?
あるいは奥さんの里からの援助とか?
何も収入源が無くては、彼のような信仰を原資とした「遊び」はできないよね。
妻子の生活がかかっていれば世間に出て働くだろう。
講演で食べていくなんて考えは親を見て育ったからか、天理教的笑い話。
教祖の教えを教祖に成り代わって信者にお説教をする。
このスタイルこそが天理教の諸悪の根源だ。
ツイッターで「100日後に1人語りのスキル鬼アップする」と言っている、
敷島大教会役員子弟で布教所長、前は青年会敷島分会委員長。
現在修養科の教養掛である西岡さんの一連のやり取りのツイッターを読みました。
西岡さんの底意地の悪さに吐き気がしました。
優しさや思いやりがなく、信仰者以前に人間性を疑います。
やけに「上から目線」にこだわり、役員の息子として周囲からチヤホヤされてきた裸の王様だと思われます。
これで天理教をやめる意思が一段と固まりました。
周りのみんなにもこの一連のツイッターのやり取りを見せて、天理教の人の程度の低さを教えてあげたいと思います。(ほんの一部とは言え教養掛の先生ですよね)
みんなでこぞって天理教を辞めたいと思います。
布教所長(布教師)であり、教えを伝える教養掛の先生、という事は、いわば天理教を代表している人間といえますよね。
ならば、いわゆる天理教はその程度という事になってしまいますね。
もはやオリジナルの宗教となりつつある。
持ち場立場で考えが変わり、親兄弟でも別。
受け取り方次第なのに。
青年会の若さと勢いが行きすぎると暴走し、自分の解釈や受け取り方を他人に表現するばかりか、同意や理解を求めてしまう。
いると言えばいる。いないと言えばいない。
神はどこえやら
あなたの心?頭の中?天然自然?
それとも本部?教会の社?
神様をつかむ とか、どういった表現で、どういった解釈なのだろうか…
つかまなければ分からない、感じられない存在、概念なのだろうか。
世界あちこち駆け巡るのではないのだろうか
よくわからん
やりたいようにやらせたらええと思います。
それで助かる人が増えようが、苦しむ人が増えようが、神はみている
ふぁー笑
神様をつかむと表現した者です。もと無宗教の者です。
唯物論でした。現代科学で証明出来るもののみ存在するという価値観でした。
それからキリスト教に触れて、天理教を知りました。
私からすれば、神様がおられるという感覚は、徐々につかんでいったものです。
そういう感覚を自分の中でつかんでいくという意味で書きましたし、やはり上位の何方かの言葉的な思念が単発的に浮かぶ時はありますので、それもつかむと表現しました。
ケニアのおつとめ
https://twitter.com/o_muthuki/status/1270271116372701185
月日の扇を使ってのおつとめ
はっぴも紫と赤
ACEFでは天理教を強制はしていないそうです。
天理教平成講(村上忠雄先生)も天理教からは離れているそうです。
サムシンググレートであって天理王命でも親神でもないようです。
本部から離れて各自の色、考えで天理教を信仰することをお勧めします!
七月から修養科復活するそうですが、コロナの節で集まらないと思います。
しばらくはどの大教会も苦しい時代が続くと思います。
うちも信者がどんどんやめてお供えもなくなってきました。
ありがたいことです!
コロナのおかげで本当に必要なものと必要でないものの切り分けができるようになりました。
本部に必要なのは何と何で 不要なものは何と何でしょう
今後おそらく お供えは1億いかなくなるとおもいますので
その中でできる組織運営を考えたらいいと思います。
1億ですと1人300万とすると30人 100万とすると100人 それくらいでできる組織運営
宗教なんで原則はただ(ひのきしん)が当たり前だと思うのですが?
真柱もただ、表も裏もただ、大教会長もただでひのきしんしていただいて!
匿名
2020年6月9日 6:25 PM
目立ちがりやの西岡も上から目線で正論言うならまだしも上から目線で自分が有利なことしかいわんしな。 矛盾だらけな事にも気が付いてない。 その矛盾に気がつけるほど自身が矛盾した考え持っているということでしょう。
西岡は匿名でも良いからはよ社会学にこいや笑 社会学に残った人を説き伏せるのは無理だやろうけど、それは天理大学や天理教の教職員が一番分かってるやろうし 次元が違う笑
最近、中山家の(本部外の知人)にふわっと聞いたのですが、どうも善亮と大亮は知的障害があるのでは?と言う話でした。この親子は自力で大学の入学や卒業を出来て無いということらしいです。専属の家庭教師がいてやっととか、裏口入学、卒業 の話もあるそうです。家庭教師が悪いと言いませんが、家庭教師がいて大学を卒業したのに、大人に成っての発言や行動を見ると確かにと思いました。
善亮さんの知的障害は分かりませんが、人格障害でしょうか?
天理教本部の対応を見ていると、今まで常に自分は正しいが人が悪い(信者が悪い、教会長が悪い)と言うスタンスでした。甘露台倒壊の時も、真柱身上の時も、いつでもこのスタンスでした。お前たちがしっかり反省しろ、のスタンスでしたよね。今回のコロナの対応を見ていても、本部に信者家族からの苦情の電話がジャンジャン来て非常に困っていたと言う現状を受けて、全国の教会に信者の月次祭自粛要請が来ましたね。感じの悪い文面でした。常に自分に非は無いが全国の教会の対応が悪い、本部の言ってる事がお前らわからんのか!と言った姿勢が見えました。高圧的な本部らしいと苦笑いしましたが。
私の経験ではこの自己愛性人格障害への対応は非常に厄介です。結論を先に言うと、当人から「距離を取れ」と言う事以外にないそうです。親しく付き合うと、巻き込まれて共倒れになるそうです。医学的見地から見ても距離を保つ、当人から離れると言う以外にないそうです。(夫婦の場合は離婚して離れる、、等)
この方たちは常に自分が正しく、人より優れている、自分は特別であると信じており、その信念によって行動する、人を利用する、人の苦しみに寄り添えない・理解できない、自己を非常に立派な人間であると誇大妄想する、自分はなんでも出来ると言う万能感がある、等々。人の顔をした悪魔とも言われ一度捕まったらどれだけ拒否しようと蛇の様に絡みついてくるのが自己愛性人格障害です。
もしも表さんがそうならば、信者、教会は悲劇の渦に巻き込まれるはずです。
>>この方たちは常に自分が正しく、人より優れている、自分は特別であると信じており、その信念によって行動する、人を利用する、人の苦しみに寄り添えない・理解できない、自己を非常に立派な人間であると誇大妄想する、自分はなんでも出来ると言う万能感がある、等々。人の顔をした悪魔とも言われ一度捕まったらどれだけ拒否しようと蛇の様に絡みついてくるのが自己愛性人格障害です。<<
ヒトラーの人格に大変よく似ていると思います。恐ろしいですね。
自己愛性人格障害者の末路に関するHPは下記の通りです。やはり、ヒトラーの末路と酷似しています。
http://www.jikoaitaishohou.net/entry130.html
天理教のお偉い方々に、自己愛性人格障害の方々が非常に多いような印象を受けるのは、私だけでしょうか?
早く治療を受けられたほうが良いと思うのですが。
例の教養掛さんは、ツイッターで、自身の顔やフルネーム、大教会名、役員子弟、布教所、教養掛としてやってる事など、全て自分で発表しているんですね。
それなりの覚悟があるという事ですね。
天理教や大教会の名に恥じない事をつぶけばいいのに。
「つぶやけばいいのに」でした。
かなり天理教や大教会の名に恥をかかせ、泥をぬってしまったね。
自己愛性人格障害者への対応の難しさ:
彼らは自分が異常性を持つ病気であると言う認識がありませんから、病院に連れて行くのが非常に困難だと言われています。自己愛の中で生きているので、人を利用すると言うこの病気の1つの特性は天理教の人の物や金を取り上げると言う行為に於いても何ら罪悪感が無いと思われます。私達教会家族はこの異常人格者に振り回されて地獄の苦しみでした。こう言う病気の自覚の無い人格異常者が下を押さえつけて正当化するのですから、おかしいと思ったらとにかく距離を置く事です。私達は彼らの死を持って解放されましたね。天理教の上層部には視野が狭く偏狭なくせに空威張りをする人間が多いのも事実ですが、この上下組織そのものが絶対的に間違っていますね。
>>私達は彼らの死を持って解放されましたね。天理教の上層部には視野が狭く偏狭なくせに空威張りをする人間が多いのも事実ですが、この上下組織そのものが絶対的に間違っていますね。<<
ヒトラーの死が第二次世界大戦の終結につながったように、異常人格者がいなくならないと天理教はいつまで経っても同じだということですね。やはり、天理教には関わらないということが現時点でベストなんでしょう。
オニスキルアップ? 見たけど意味不明でした
なんとかセミナーの真似でしょうか?
私は、天理教は、神様が実在する、触れられる宗教の一つだと思っていました。
実際の天理教の世界観は、大いなる神であり、思想的存在の神だと思いました。
お助けは、神のお力をいただく物、お勤めは、神のお心御知恵をいただく祈りだと思っていましたが、勘違いでした。
真柱様に、何も神的、神霊能力が無いことも知りませんでした。
真柱様の別席とおさづけに、霊的な正当性が無いなら、受ける意味が無い。
教団自体に、神霊能力のある精神的指導者が不在なのも知りませんでした。
実際起きていることから、観測的に神の動きと存在を説くだけで、ついて行ける人が増える時代では、無いと思います。
これなら、教団の存在価値はあまり無い気がします。
おぢばと伊勢神宮に違いがないなら、各教会が、離脱して、独立運営しても、困る様には見えません。
生き方のセミナーじゃ無くて、もっと、神の存在に触れられる事が大事では無いでしょうか? 神なき神殿は、ただのがらんどう・・
>>真柱様に、何も神的、神霊能力が無いことも知りませんでした。
真柱様の別席とおさづけに、霊的な正当性が無いなら、受ける意味が無い。
教団自体に、神霊能力のある精神的指導者が不在なのも知りませんでした。
実際起きていることから、観測的に神の動きと存在を説くだけで、ついて行ける人が増える時代では、無いと思います。
これなら、教団の存在価値はあまり無い気がします。<<
教団自体に、神霊能力のある精神的指導者が不在であること自体、当然のことだと思います。「精神的指導者」自体に、精神的に問題をきたしていると思われる人々が大多数おられるということです。「神霊能力」という言葉自体が私には疑問です。神霊能力によって、現在、世界中を蝕んでいるコロナ禍が収束するでしょうか? そんなはずはありません。現状では教団の存在価値など全く無いどころか、かえって、現状を更に悪化させかねません。天理教を改革するには、中山一族やその取り巻き連中を一掃し、公選制度で、教団の指導者を刷新していく以外に方法はないと思いますが、たとえ、教団の体質が一新したところで、世間の人達は天理教を信仰するでしょうか? 天理教が世間の人達に植え付けた悪いイメージは相当根深いものです。一朝一夕で天理教のイメージを回復するのは不可能です。今後、天理教の信者は益々減少し、自然消滅、教団は自然崩壊の道を辿っていくと思いますが、それが当たり前の摂理であり、人類の幸福に少しでも貢献することだと思います。
「天理教の布教の現状と課題」金子 昭より
以下は上記の一部抜粋です。論文の全部を読めば天理教の問題点がよく書かれていると思います。ここでは教会の実情について書かれています。
>>そもそも、教会の規模それ自体が縮小している。一般的な教会であっても、ようぼ く信者総数29人であり、朝夕のつとめはわずか2人で行い、月次祭も奉仕者10人、奉 仕者を除く参拝者は2人だけである。教会のダウンサイジングに伴って、教会そのも のがいっそう身内だけのものになっていく。一般信者の場合、信仰継承はそれほどス ムーズに行かないが、教会家族の場合は子弟の意思如何にかかわらず、ほぼ自動的に 教会を受け継ぐことになる。そのため、教会長の兄弟姉妹、子どもや親戚頼みの教会 が目立っている。一見賑やかに見えても、その内実は身内だけで子沢山となっている 教会も少なくない。それでもやっていける教会は良いが、一方でこれもままならず、 かといって事情教会にしてしまうわけにはいかないから、大教会から新たに教会長を 任命して教会を引き継がせることになる。その場合、大教会長家族の子弟に配下の事 情教会を継がせているケースも少なくなく、結果として1教会のみならず、教会系統 全体がしだいに身内社会化しているのである。しかし、もともと基盤が無いものだか ら、この教会も再び事情教会化していく可能性がある。 教会制度の弊害については、教内からも告発の声が上がっている(12)。末端教会の場 合、月次祭など自分の教会の信仰行事だけでなく、上級教会や大教会のために人力に よる奉仕(ひのきしん)や金銭の上納(お供え)もあるので、末端教会では貧困が常 態化してしまう。そうした中、教会家族そのものが疲弊するという事態も生じている。 教団機関誌(紙)には決して掲載されることはないが、教会子弟の中には、心を病ん でアルコール依存症になったり、家庭がうまくいかずに離婚したりする者の話もしば しば聞く。 天理教では、信者や信者家庭に対する要求が、他宗教に較べて比較的大きいように 思われる。信者個人に対しては、別席を運んでようぼくに、ようぼくになれば修養科 や講習に通って教人資格を取るようにと促し、その家庭に対しても、神様をお祀りす るように、それが出来たら今度は家を布教所にするように、そして布教所になったら やがては教会設置へと促すというように、個人と家庭とを共に宗教活動にコミットさ せていくことが推奨される。信仰に深入りすればするほど、生活が宗教に侵襲されてくることになり、その分信者の負担も大きくなるのである・・・・<<
中央学術研究所紀要 第47号
本部にとって全く都合の良い「親子関係」を組織に取り入れ、その非情な教会組織の理不尽さから、子である末端教会内部から不満が吹き出す。また信者と信者家族取り込みのえげつないやり方。普通の家庭生活が天理教に侵襲されてしまう現実。
しかし、自ら作った人為的ご都合主義によって現在天理教は自滅に向かって進行中。
偽善の仮面を被った天理教(中山教)が教祖没後130年近く悪事を働いて来た。ある意味お見事です。しかし中山家は相当な悪党であり、今後真実の神によってそのツケを自ら味わう事になります。
中山教はまもなく20年もすれば潰れます。ご一統はかつて見た夢から覚めて現実を認識し身辺整理された方がよろしい。信者離れはコロナによって拍車がかかっており、経済の落ち込みは如実にお供え金減少に結びつき、今後各種統計に出される下がり続ける数字は天理教の終焉を冷静に示すものと思います。
「公選制度で、教団の指導者を刷新していく以外に方法はないと思いますが」
キリスト教みたいに、型が出来上がった哲学宗教なら、おぢばがバチカンの様に、天理教の信仰の聖地になり、真柱様が精神的指導者となり、各教会は独立運営で良いと言う事でしょうか?
もともと、真柱様は、教団運営の中心であって、精神的指導者は本席様の仕事であり、ここに実在する神と教団の接点があったのに、無くしてしまったので、もう復活は無理でしょうね。
天理教でも、神の言葉が判ると言い出して、異端破門された人は、多いと聞きました。
芸人のシークエンスはやとも、みたいに、霊が見えるだけの霊媒体質者と、心霊の浄化救済が可能な人、神霊世界の探究ができる人など、この世界は、玉石混交であり、ファクトチェックもままならないので、危ないと言えば危ないです。
だから、天理教も、連綿と本席様から正当な後継者を育てる、本部にも、親神様の判定ができる審神者を育てていたら、老舗宗教として、信頼を得られたと思いますけれど、もう無理ですね。
私個人は、某大徳寺さんとか、本流では無いと見ています。
我こそは、親神様の降臨を受けたって言っても、ファクトチェックする能力を持つ人達がいませんし、その信頼性を担保する物も無い。
井出くに氏が仮に正当だとしても、そんな人を外から入れる訳にはいかないから、やはり教団が、内部から育てておいたらよかったと、私個人は思っています。
それでも200年続いた訳ですし、キリスト教とか2000年も続いているので、今後は天理教も、今の教会体制が崩壊して、教えのみが生きる、キリスト教みたいになって行くのか? そうなら本部のがらんどうが、聖地として維持される仕組みを作った方が良さそうですね。
「神霊能力」という言葉自体が私には疑問です。神霊能力によって、現在、世界中を蝕んでいるコロナ禍が収束するでしょうか? そんなはずはありません。
前にもかきましたが、地球は行動の場所なので、祈りだけでは変わりませんよ。
コロナを終息させるのは、人類が知恵を出して、解決するべき事だと思います。
コロナは大霊界からの、地球の人類に対する、進化を促す、自然現象の一つでしょう、地震、台風と同じでしょう。
祈りは、神からお知恵をいただくものであり、コロナ終息のためのお知恵、このコロナが人類に与える分岐点とは何かを教えてもらう、研究者ならワクチンを開発するヒントを、それぞれ祈りで、(神)からいただけば良いと思います。
コロナからの守護も、個人的にいただけば、出かける時に、自然と罹患する機会を減らしてくださると信じたらいいと思いますよ、信仰ってそう言う物じゃ無いですか?
私個人の宗教だと、医療関係者の信者の話で、コロナが疑われる人は、黒いエネルギーをまとってるので、全力で浄霊を行い、黒い存在を払うと、ただの肺炎になり、回復する、接触する自分に、そのエネルギーが向かって来るので、守護神の力を引いて全力で防でいると言うのがありました。
私個人も、そんなに見えないけれど、インフルエンザでそう言う経験はあります。
だから、信仰とはプライベートな物であり、個人を導き守護して下さるって、思ってるんです。
いろんな教団が、コロナ終息に向けて祈っております。
多くの神々が、神と言う存在を望む多くの人にむけて、お知恵を下さり、守護のエネルギーをくださり、人類が自らの手で、この状況を乗り越えられる様に、見守り、後押ししてくれていると、私個人は思っています。
個人的想いで、天理教存続とは、関係ありませんが、私の言う、神霊能力とは、神のエネルギーをいただく事、神のお知恵、命のエネルギー、神のお心、を祈りで自分に頂き、自分自身と魂を向上させ、守護も頂き、自ら神々に近づいていく事であり、海を割る様な荒唐無稽の話とは違いますから、お願いします。
失礼ないい方かもしれませんが、神仏の存在を信じる人はお目出度い人だと思っています。
人に叡智があるというのであればあ、核兵器など考え出すはずもなく、核の平和利用さえしなかったと思います。貧しいながらも一途に平和に暮らす方策を模索していたでしょう。世界中の人達の共存共栄を諮っていったと思いますが、残念ながら結果はそうはなりませんでした。
人種差別どころか、未だに地域差別さえ存在します。川向こうはなんて言葉を平気で言いますよね。ある大都市を流れる川を挟んで対岸を見下す言葉を聞いたことがあります。全くもって人の心は何ぞやと言いたくなります。
全知全能の神は何をしていたのか。そもそも、人類を作ったのが失敗だったのかもしれません。
かく言う私でさえ、心の奥底に悪魔が潜んでいるような気がしています。
おめでたいと言われるなら、書くしかありませんが
神に失敗はありません。
人には、魂があり、神の心、理性と魔の心と肉体が持つ欲もセットです。
なぜ、わざわざ魔の心があるのか?
原子力を利用するのも、やめるのも叡智です。
これだけ、ダメだと分かった以上、原子力を止めるのは、神の叡智
原子力を軍事に利用するのは、魔の心、原子力の利権は欲です。
このままでは、滅びると気がついて止めるのが、神の叡智
神は私達に選択させる、それは、私達を鍛えるためです。
永遠の楽園では、努力も進化もしないからですよ、なぜわざわざ魔の心を用意して、負けた魂を収容する地獄まで作ったのか? それでも強く神の道を歩む魂を生み出すためでしょうね。 もちろん地獄は、再び神の道を歩むための世界ですけれどね、神は見捨てる事もありません。
地球は、差別を無くし、共存共栄の世界を求めて、努力して生きる場所です。
今ある人生を精一杯、自分自身と身の回りから、少しでも良い方を目指して生きるのが理想であり、その志に神々が手を貸して下さるし、悪い志には、魔が寄って来ると言うだけ、宗教とは、本来、人をこの良い方向に導くことができなければならないと言うだけですね、簡単な理です。
東風Zさんが、無神論で生きようと、肉体が消滅して、魂と心だけになった時、自分の生き様、心の姿にあった次の世界に行くことになるでしょう、信じようが信じまいが、私はそう言う世界観で生きているだけです。
おさしづについて こんな記事をみつけました。
機械という概念についての考察(3)-『百日のおさしづ』再考
2019-02-21 12:32:55
テーマ:天理教シリーズ
、 本席様は75歳で明治40年6月9日に昇天される。その出直す直前の「百日さしづ」の主眼は、本席様からの最後の神のメッセージであり、重要な「纏め」を繰り返し啓示されたものであった。「百日さしづ」とは「十年掛かる事を百日足らずして纏める」(明治30年6月5日)のご啓示から命名されたものである。「言葉、これが第一道の宝や」というご発言もあり、神の言葉(=詞)の大切さが同日に説かれていた。百日足らずで述べる中でも存命の教祖の道の後継問題をいかにお屋敷の重役たち(教長はじめ本部員たち)に治めさせるかという神意が働いた時期である。だが奥谷文智(1962)や飯降俊彦・平井一彦(1996)などによれば、以下の3つの主題がテーマとされている。
(1)奈良糸様のおさづけ役の後継
(2)本部神殿(北礼拝場)の普請
(3)三軒三棟の理
上記の3テーマが本席不在の10年間の間に目標事項として与えれた。(1)の奈良糸様へのおさづけ役の後継は本席が亡くなる3日前の6月6日に「不細工なものやで」ということで、その仕事が始まる。そして奈良糸様の新しい御用場の普請も決まった。その建物はかつて東筋にあった和楽館であったが、今はどこに移転されたのだろうか。(2)の北礼拝場は大正2年2月25日に完成した。(3)の三軒三棟とは本席の子供たちから永尾家・飯降本家・飯降分家を立てることであった。三家族を親しくという程度のことしが理解されていない。だが三家に掛けられた期待とは、そのような軽いものではない。その三家の屋敷は神殿近くにかつてあったが、今は更地となってしまった。
では10年間とはいかなる意味か。10年間に間に、次の道の存命の教祖の言葉を下す方が待望されていたのであった。
さて「百日さしづ」冒頭の神の刻限話が、有名な以下の一節である。
明治40年3月13日(陰暦正月29日)午前八時三十分 平野楢蔵とお話しありし時、俄かに刻限の話
「一萬二千足らんと聞いた。そんな事でこの道どうなるぞ。これでは働けるか働けんか。さあしっかりせい。
教祖にこの道譲りて貰ろたのに、難儀さそうと言うて譲りて貰うたのやない。言うて居た日あるのに、何と呆けて居る。
さあ\/今日はどういう話仕掛けるかも分からん。さあ皆用いらねば世界へどうして詫びするか\/
これ知りて居るか。年限数えてみよ\/。 いつまでこんな事で通るか。
道は、皆継目あるで\/。 継目知りて居るか\/。知らずに何と呆けて居る\/。
教祖という道内から潰して居る。 世界の道で立ってあるか\/。 学問で立つと思うか。
さあ\/世界の機械は何時なりとある。何時なりと買えるで。
神の機械あるか。あらしょうまい。神の機械は、年限の理続くが神の機械である。
これ一時に聞き分けて今日に返事して来い。 さあ手の空いたもの席運べ\/。 今の席四席連れて来い。」
これは前日の晩に、本部会計の主任であった増野正兵衛が本席宅に酔っぱらったまま訪問して、「一萬二千足らん」と愚痴をこぼしたことを契機として出された刻限話であった。このあたりの事情は、当時青年であった清水由松(明治5年生まれ、山澤為造の従弟)の記憶を書きとった橋本正治著『本席の人間像』(養徳社、昭和26年)に詳しく書かれている。さらに「真柱も呼んで来い」との厳しい言葉もあり、この日の晩に重要な刻限話が始まる。それは教祖30年祭への普請を急き立てるものと受け取られてきた。北礼拝殿の普請は重要なメッセージに違いないが、それ以上に、教祖から譲ってもらった天啓の道、理の後継がここではより重要な眼目となっている。
「神の機械は、年限の理続くが神の機械である。」との啓示は、「神の機械とは、刻限話の理を続かせる天啓者が神の機械である」という意味に取りたい。他方、飯降・平木(1996)では、神の機械とは「神一条、助け一条で働く人、道具衆」を意味し、年限の理とは「生涯かけて奉仕する」と解釈しているが、この解釈では物足りないし、無理がある。理をどのように解釈するのか。理は神の思惑であり、神の思惑がこめられた現実も理であり、理の解釈は大変に困難を極めることは確かである。理の発露は神そのものであり、神様から下された言葉が理そのものである。また「年限の理」という表現はおさしづ全体で頻出しているが、例えば、下記のようなおさしづもある。
明治37年10月22日 富田傳次郎妻たき六十歳身上願
「・・・さあ道という、年来に重なり\/、年限の理より出来た道である。さあ何よの事も世界に映しある。・・・」
これは刻限の理によって、神直々の言葉で、この道が次第に広がって来たということを一般的に伝えた内容だと悟れる。神のさしづがあり、それを素直に受け取って、その心に乗って、神が大きな働きを示す。神のお言葉なくして、人間の心は清まらないのである。つとめで世界が成り立つ。そのつとめをする人衆を神が仕込み、それで世界が成り立つ。人衆の心は神の言葉がなければ清まらないのである。
教祖から始まった道は、天直々の教え(神の言葉)が人類に初めて顕現されたという一神教の啓示宗教に天理教の天理教たる独自な特色がある。すなわち、教祖存命の詞(ことば)は、人がたとえ代わっても、永遠に続くべきものである。天啓継承の道は、今のご本部の体制においてはタブーに違いないが、地場の今の哀れな姿を神様がいつまでも許す訳はないだろう。地場の掃除は神様のお仕事である。
目に見えない神が、機械を使って、神のメッセージを伝える。教祖(おやさま)とご本席様はまさに神の機械であられた。本席様は二代目の天啓者として20年間、その御用を続けられた。その寿命が近づいているこの時に、理の後継は重大問題であった。
理の後継者は、この時点で十分に育っていなかった。それ故に、百日さしづは10年先に次の機械の出現を期待した本席の遺言なのである。おさづけ渡し役の奈良糸様への後継は、本席が出直す3日前にぎりぎりつながったが、それ以上に大切なのは「一本の木」とたとえられていた次の機械を真柱に買って欲しいことがこの日の夜に告げられていた。すなわち「一本こうてくれと言うた日ある」という言葉が真柱(当時は教長との呼称)に告げられていたのであった。北礼拝殿のために、我も我もと献木しますよという形のことではない。
真柱の重要な仕事は、何も独立請願を初志貫徹することや神殿普請の決意をするという困難だけではない。存命の教祖の理を後継する「つなぎ」を受諾できるかにかかっていたのであった。20年前、本席定めについては出来た。そのときも実は真柱はなかなか来ず、夫が亡くなりそうなので、おさとさんは、夫が亡くなったら櫟本に帰れず、大阪にでも行こうかと寂しい思いになった。そして、2度目の今回、そのつなぎ問題をクリアー出来れば、初代真柱の真之亮は寿命をつなぐことが出来ただろう。ここに「一本の木」とみなすべき茨木基敬さんの天啓を受け入れるか否の試金石が本部事情として繰り返されて、ついには大正7年の奈良糸様のおさづけ役停止事件にまで発展する。
この間の本部事情については、いずれ明かさねばならないが、少しだけ匂いを伝えたい。
教祖存命の理である本席様から一番、おさしづをいただかれたのは、増野正兵衛さんであったと思われる。神意に通暁されていたはずの増野さん、さらには初代真柱の出直しが立て続けに大正三年にあった。それぞれ、茨木氏の御用がすでに続き、北大教会がますます盛大になる中で、その御用された文書が本部に届けられる。しかし、本部で受けたその責任者たちは、受諾しなかった。その都度、その責任者たちの命が途絶える。その人物の一部とその時期だけ記録したい。これは教会本部の裏面史であり、裏の事情ともいえる。
酷ないいようで申し訳ない分けないが、理のつなぎをつなげず、自らの命をつなげなかった雛型として、書きとどめたい。 特に初代真柱の出直された日は、元旦の前日というあまりにもシンボリックな日であった。これは魂を汚さないための神様から慈悲がかかった出直しであり、来世での魂の働きに期待が掛かっての出直しである。人間肉体は神の貸しものであることは永遠の真理であり、出直しはその厳粛な真理を徹底させる大きな仕込みである。
増野正兵衛 大正3年11月21日 出直し 64歳
中山真之亮 大正3年12月31日 出直し 49歳
ブラジルでのコロナによる死者の埋葬を見ていると、祈りや見送りを受けることもなく、機械で土をかぶせられている情景に、物質的な扱いを受けている多数の方々の魂や心は那辺にあるのかと思ってしまうのです。
信仰をされている方から見れば、私は精神的には最低の人間なのかもしれませんが、母が生前に語っていた,弟
(私にとっては叔父)はビルマの戦線で多くの戦友と共にイギリス軍の戦車に押しつぶされて戦死したという話に無常を覚えるも、神仏の存在は信じられないのです。叔父の遺骨はこぶし大の石で墓に眠っているのですが、
墓参のたびに写真でしか見たことのない叔父でもあるのか心をうごかされることはありません。
医師から三度の死の宣告を受けながらも81歳を無難に生きながらえている者の感想です。
>>信仰をされている方から見れば、私は精神的には最低の人間なのかもしれませんが、母が生前に語っていた,弟(私にとっては叔父)はビルマの戦線で多くの戦友と共にイギリス軍の戦車に押しつぶされて戦死したという話に無常を覚えるも、神仏の存在は信じられないのです。叔父の遺骨はこぶし大の石で墓に眠っているのですが、<<
戦争というものは所詮、そのようなものです。と言えば余りにも無責任で冷淡なように聞こえるかもしれませんが、所詮、人と人の殺しあいです。広島や長崎の原爆投下地や、東京や大阪等の大規模空襲を受けた被災者の写真を見ていると、これが人間のすることかという思いや感情が自然にわき出てきます。空襲の被災者は、かろうじて炭化した遺体が残っているものの、どこの誰か判別がつきません。原爆の爆心地に至っては、原爆投下時の数千度とも言われる熱線で、人間の体が蒸発し遺体すら残っていません。神仏など存在しません。存在するのは人間の愚かさだけです。
人が無常を感じて、神仏などいないと言うのは、判りますが
神仏に何を期待しておられるのか?
地球は、理想を求めて努力する場所です、どこに生まれ落ちるのか分からず、紛争地や貧困地帯で愛も知らず、幼少で亡くなってしまう命とか、無常感以外、感じないでしょう。
前世とか、因縁とか、刷り込まれてるから、神はいないって思うのだと思います。
大霊界世界観では、前世は無い、前世の因縁とか無いのです。
私達は今、日本にいて恵まれています、ならば、紛争地で失われる幼い命に心が痛むなら、直接支援はできなくても、そう言うのを減らす政治を選び、取り組みに寄付をする、したいと、思うのが、良心であり、神の心です。
富と権力を得て、謳歌してるだけなら、それは魔と欲です、それでも、何か不安になる、良心が咎めることがあるのは、良心が備わっているからでしょう。
命は平等である、だから、世界を平和に、誰もが安心して暮らせる様に目指さなければならないって、思うのは、良心です。
魔と欲だけなら、地球が地獄になり、人類は亡びます。
与えられた生は、自分で選んだ物ではありません、そこから始めなさいって、たまたまはまった役だと言う世界観は、天理教徒では受け入れられないかもしれませんが、私は、前世の因縁と言う物のほうが、大きなお世話だと、嫌いです。
だから、どこに生まれようと命には等しい価値がある
ヒンズー教の様に、前世悪人だったから、低い階層は殺しても良いって、レイプに正当性を持たせるのは狂ってる、あれを見て狂ってるって思うヒンズー教徒の方が多いでしょう、魔に心が占領されると何も感じなくなります。
何歳で亡くなろうと、命には等しい価値がある
もちろん、どうせ霊界に行くのだから、幼く死のうと、ほっておけ? と言うのは魔です、できる限り、地球で多くのことを学び、愛を学び、思いやりや優しさ、慈悲を身につけ、自分の魂を神に近づけることが理想ですから、幼い死を悲しみ、そう言うのを減らして行こうと思うのが、神の心、良心です。
無常に感じるのは、良心、神の心があるからです、魔と欲だけなら、無常すら感じないでしょう、人間死んだら終わりって言う世界なら、地球はもっと地獄になりかねないと感じます。
非常に、観念的で、非理論的な話で、すみません。
東風Zさんも、崩壊さんも、普通の方であり、良心が備わっていると感じます。
ここでも読んでいれば判りますが、恨みの魔だけの心で、批判してるのと
良心、理性の神の心を持って批判してるのでは、文章だけでも受ける印象が違います。
神の心も、魔の心も、欲も、みんな等しく持っていて、それは、伝わる物だと思います。
神は姿を現さない、私達の持つ、神の心でしか存在を感じられない
だから、神の心を大きく育て、神に触れたいと願う
最初から、空に神が浮かんでいたら、下に地獄が見えたら、強く望まないし、恐怖を感じるだけですよ。
この地球で、無常を感じながら、神を求めて、努力できたら、正解でしょう。
実際、実在する神々のエネルギーを感じ、守護と導きを受けられるのも、良心、神の心を、器にして受け取る事ができます。
甘露台があるとすれば、自身の心の中に、良心の器、神の器として作っていく物だと、私は思っています。
大正3年の増野、真柱の立て続けの出直しは人間思案に対する神の無言の意思表示なのですね。神の機械と言うおさしずでも、受け取り方によって、全く違う悟りになると言う、、。本部は自分らに都合の良い悟り方をし、神意に背いた方向で人民を苦しめる歴史を刻んでしまった、、。
誰が本部の裏面史を知って信仰しただろうか。本部中山家の罪は深い。神に口は無いが現真柱の病気が治らないのも、甘露台が真っ直ぐ立っていられず、回転しながらねじれて傾いていると言う姿も、神の意思表示を今見せられている。世界助けを標榜する天理教だが、神の力をお地場に見る事は遂に出来ない現実。
世襲の権力者中山家の人間思案がどんなに抗っても、無言の神が今コロナを通じて本部から益々人々を遠ざけ、大正3年に起きたような事が今再びの神意として、本部ぢばに最期の惨めな姿を見せ、その神意を語っている。今後は中枢中山家の悟り方にかかっていると思う。現実を直視し、いかに悟るか。大正3年の時と同じ様に悟りを方を間違ったら決定的な結果になると思います。
神仏を否定する心境に至った理由の一つは、現行天理教との関りにあったことです。しかも、その影響は絶対的です。
言行不一致の数々を数え上げればきりがない程です。一つ一つの内容は、この欄で皆さんが述べられてきたとおりです。教団本部はネット情報に惑わされぬようにとPRをしているようですが、経験に照らし合わせてなるほどと思うことが大多数だからです。
今日の新聞で、金刀比羅宮が神社本庁から離脱(被包括関係の解消)することが報じられています。原因の詳細は分かりませんが、宗教界が揺れに揺れていることだけは確かです。本当は宗教界ほど纏まりやすい集団はないと思っているのですが、所詮は人間の思惑に左右されてしまっているんです。有り余る資産があるとこのようになるんですかね。
父親様のように純粋に信仰されている方は幸せですよね。
一端、ねじれてしまった私なんぞは元に戻ることは不可能です。
「父親様のように純粋に信仰されている方は幸せですよね。」
ありがとうございます、額面通り受け取らせて頂きます (笑)
前も書いたけど、私は霊友会の支部長を祖母に持ちます、高校生までは熱心な?霊友会信徒でした、ですが疑問を感じて上京と共にやめました。
会費年額6000円だけ祖母が生きてる間は納めてました、祖母のためです。
前も書いたけど、信じるに足る奇跡があって、今の信仰を30年続けています。
神霊能力者養成も受けていて、使ったお金は100万じゃ効かないけれど、それ以上の価値を感じていますし、数々の奇跡、天理教で言う、お助けも頂きました。
だからと言って、子供に強制はしませんよ、もちろん教えますけれど、受け入れるかどうか決めるのは子供です。
この状態で、我が子が天理高校を選んだのは、子供の自由ですが、私が天理教に染まる事は、ありません、天啓者もいない、神への道も、死後世界について、人間の存在理由について、納得の行く説明の無い宗教に心は動きません。
息子も、天理では、上下関係に厳しく陽気になれないし、理屈ばかりで、実在する神の存在に触れる事は無かった、と言っています、何事も経験ですから、これはこれでいいんです、たぶん、染まらないでしょう。
東風Zさんが、無神論に至るのは、やむを得ないとしても、しょうがないですよね。
こればかりは、縁なのかな、私は、私の背後が救いを求めていて、私を今の信仰に導いたと感じます、私が信仰し、守護神のエネルギーを受け流す事で、一番喜ぶのは、霊界で救われる、背後につながる先祖達です、そして先祖の霊体が私や子供達を守護もしてくれます、いい循環になってきています、だから、いろんな事に感謝して生きられていて、幸せです。
ただここは地球、正当な努力は要ります、普通に必死に努力して生きていますよ。
自分が信じられる信仰を見つけて、生きられたら、良いと感じます、無神論者であっても、常識を持って、理性を磨いて、生きたら、それは間違いないとも思いますね。
訂正、息子が、捻挫した時に、陽心寮の寮長のおさづけを受けて、痛みがスーっと引いた時は、ビックリ!したと言っていました。
天理教は、嘘ではないと思います、中には、熱心に、神に通じてる方も見えると思いますので、決して、天理教を否定する気はありません。 ただ、組織的には、参加したらめんどくさいなあって思っています。
父親
2020年6月13日 10:36 AM
>>ここでも読んでいれば判りますが、恨みの魔だけの心で、批判してるのと
良心、理性の神の心を持って批判してるのでは、文章だけでも受ける印象が違います
とても日本人の情緒的な意見でごもっともらしく聞こえますがこれが漬け込まれる原因になっている事に日本人は気が付くべき時期です。
あなたの言葉をお借りして分かりやすく説明しますが、魔を魔と言っただけで言った当人は魔にはなりません。つまり、あなたは、魔である、教団組織や中山教と称される中山家に譲歩する隙を与えてるに過ぎません。基本ここに居る方々は、天理教は批判してません。居ても極少数ではないでしょう。天理教が批判される時は、「教団の指導者層を牛耳っている中山家がそのような事をしていては天理教も疑わしい。」と言う流れだと見て取れます。様々な方が証拠をここに書き込んでくれるように中山家と教団には明らかにおかしな過去と現在がある。それがおかしい 運営もおかしい と書き込んでいる方々に失礼千万な文章に成っている事に気が付くべきではないでしょうか
理性の神の心 とは何ですか? 名指しした人以外には理性が無く悪魔とでも言いたいのでしょうかそれもまた失礼千万
あなたがおっしゃるように、あなたの文章にもあなたの魔が見え隠れしている事に気が付くべきです。安易に神の名を持ち出し説得納得させようという宗教家にありがちなそれこそ魔です笑
東風Z様、気骨ある内容のご投稿をいつも楽しみ(?)に拝読しています。
無神論者と有神論者との関係性は門外漢には想像ができない、ある種の繋がりが内在している場合もありますから、東風Z様のこれまでの投稿内容を拝読してきたものとしては、
東風Z様の言葉の
「一端、ねじれてしまった私なんぞは・・・」に含まれる意味合いの深さには、うなずくばかりです。
これまでの人生のご苦労にも関わらず「ねじけた根性」にもならず、清い志の元に、投稿を続けてくださっている姿に拍手したい思いです。
けっして人の上に立っての物言いをせず、あくまで公正さを貫く姿勢に共感を覚えます。
えてして宗教に狂っている人はマウント行為をとりがちですね。
この掲示板にも最近話題になっていたNさんをはじめ、散見する「俺様主義」に毒された人と
東風Z様は別格の「良心」を持つ信頼できる方だと思っています。
さて東風Z様からのホットニュースの詳細を調べてみました。
東風Z様にお礼を申し上げるつもりが長くなってしまいました。お許しください。
::::通告書の内容:::::
被包括関係の廃止通告書
令和二年六月五日
東京都渋谷区代々木1-1-2
宗教法人「神社本庁」 統 理 鷹 司 尚 武 殿
通 知 人
所在地 香川県仲多度郡琴平町892番地1
宗教法人 「金刀比羅宮」
代表役員 琴 陵 容 世 ㊞
このたび、宗教法人「金刀比羅宮」は、貴宗教法人「神社本庁」との被包括関係を廃止
することになりましたので、宗教法人法第二十六条第三項の規定によって通知いたします。
この郵便物は令和二年六月五日 第×××××
書留内容証明郵便物として差し出されたことを証明します。
日本郵便株式会社
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
以下にダイヤモンド・オンライン配信記事からの情報をまとめました。
金刀比羅宮(香川県琴平町)の御本宮が神社本庁の傘下からの離脱を決めた事がダイヤモンド編集部の取材により明らかになりました。
この宗教法人の離脱が与えたショックは大きく神社本庁関係者は、明治神宮の離脱と並ぶものだそうです。(2004年離脱、10年に復帰)
全国各地におよそ600社ある金刀比羅神社(琴平神社、事比羅神社、金比羅神社)の総本宮で、昔から現在に至る迄、海上安全の守り神として近代的船舶の船室にも御札が掲げられている、民衆に支持されている神様です。
離脱を決めた理由は、神社本庁の不動産売買を巡る神社界上層部と業者の癒着疑惑(ダイヤモンド誌既報)や神社本庁で相次いで発覚する不祥事への嫌悪感があるようです。
また、「昨年の天皇陛下即位に伴う大嘗祭当日祭にお供えする臨時の神社本庁幣帛(へいはく)料が、金刀比羅宮に届けられなかったことがダメ押しになった」とは驚きですね。
天理教のお供えの中抜きどころか、これは「隠匿」ということでしょうか。「世も末」とはこの様なことを指すのでしょうね。
上記の内容証明郵便で配達され、秋にも離脱が認められる模様です。
追記
※神社本庁への反発から離脱した大きな神社は他にも有ります。
2019年・・・織田信長を主祭神とする京都市の別表神社、建勲神社が離脱。
2017年・・・富岡八幡宮(東京都)では離脱を決めた女性宮司が弟から日本刀による殺傷事件が発生。
※神社本庁への嫌悪感(ダイヤモンド誌取材による)
〇宇佐神宮(大分県・全国4万社の最大勢力「八幡宮」の総本宮)では神社本庁執行部が送り込んだ宮司が、地元神社関係者や住民らと対立。2018年に市民団体が宮司退任を求める署名活動を開始。
〇2020年3月、熱田神宮を抱く愛知県神社庁が「神社本庁内における一連の疑惑は、(中略)もはや看過できない」という内容の決議書を神社本庁に提出。
〇2020年4月、神奈川県神社庁と福島県神社庁が、不動産売買疑惑や幹部職員の不倫疑惑に対し「包括下の全国神社の名誉を著しく損ねる」とする決議書を提出。詳細記事は「安倍応援団の神社幹部が不倫か、神社界揺るがす裁判に影響も」にあるとのことです。
天理教内の不祥事は、国内社会において、記事としての価値が低いからか、影響が少ないからか、いえいえ、教内ですら、騒ぎにもなりませんね。
でも、かえって粛々と整理を進めることができますね。
何しろ天理教は家族経営というか、経済的には「零細家内こう業」のような教会が多いですから。
大教会、上級という障壁を説得するという無駄な努力はすることなく、自教会の信者さんと身の振り方を相談され、あとは事務的にことをすすめればよいのではないでしょうか。
聞いた話では宅急便で大教会へ送りつけた教会も有るそうです、ヤフオクではだいぶ以前から摺り鉦やらの御道具が出品されているのも一つの現状です。
組織崩壊は粛々とすすんでいます。あとは個々人の考えひとつでしょう。
もはや中山家、地場の理などを騒ぎ立てても、この崩壊は止めようも有りません。
何しろ最高責任者の真柱が弟の陰に隠れてしまい何も発信しないのですから。
乗っ取りなのか家族内での談合なのか、身上はダメ押しだったのでしょう。
一信者としては立場にある人の無責任さを、残念に思う次第です。
多くの人々が関わってきた集団が衰退する、そのプロセスが大事だと思うのです。
時折見かける分断工作はスルーして、崩壊のロードマップを整備することに、この掲示板を通じて
参加しているつもりです。
中山家の真柱や統領など立場の悪用してるのが一番問題です。中山家や真柱不要論が出てきてもおかしくない。西岡くんはどう思ってるのかな?匿名だからと逃げないで確りしたお考えを聞きたいもです。それに西岡くんツイッターで遊んでる間に、敷島系統の教会跡地が競売にかけられてたのはなんなの?と教団のメガホンは突っ込みどころ満載 もしかして西岡君も悪しき中山教ではないですよね?
7月期の修養科と各講習会などについて
2020年06月11日 (木)
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「緊急事態宣言」が先ごろ解除され、社会活動も再開しつつあります。
これを受け、7月期の修養科生の受け入れを開始します。さらに、 6月27日開講の教人資格講習会と教会長資格検定講習会を実施するとともに、7月3日からの三日講習会Ⅱについても開催いたします。
なお、修養科の志願者ならびに各講習会の受講を希望する方は、くれぐれも体調管理につとめていただきますようお願いいたします。
県境を越えての移動は全面的には解除されてはいませんよ。
パチンコ店の営業の注意事項にも他県からはダメとなっています。
教会本部はどこまで本気に感染防止を考えているのでしょうか。
せめて解除後2週間の感染者数の増減を確認してから決定すべきでしょう。
雑魚寝、共同宿舎での生活、授業の教室は窓を閉め切った状態。
この時期に修養科生活を安全におくれるものか、まさか精神論でコロナ退治にとりかかる?
>大正3年の増野、真柱の立て続けの出直しは人間思案に対する神の無言の意思表示なのですね。
増野氏も初代真柱も自身の悪因縁を乗り越えて長命するチャンスを、お地場から神の器械を追放する側に廻ってしまった事で、因縁通り出直されたのではないか?
その意味でも茨木初代を含め、それに続く神の器械達がお地場にもらい受けられておれば、中山家の栄光どころか、今頃は世界一列をたすけさすという神の約束も果たされていたのかもしれませんね。
当時の幹部宗教家達は豪気強欲で道を間違える雛形を残しちゃったのかもしれないが、お地場の救済力の復活向上の為にも、本部人事の責任者の方には是非とも神の器械をもろうてほしいものです。
えてして宗教に狂っている人はマウント行為をとりがちですね。
そのまま、お返しいたします。 (笑)
少し前(2018年12月)の、古い教会長さんやカリメロさんたちのツイートご紹介
これを読むと、天理教が100年祭当時、なぜ危険な団体として世間から叩かれ警戒されなかったのかと不思議に思います。しかも上層部がしっかりと責任をとったという話をあまり聞いたことがありません。
トカゲのしっぽきりで、個人の責任として隠蔽されてきたのでしょうね。
悲劇的な話です。
(以下敬称略)
カリメロ @KarimeroWith
友達のお父さん、やっちゃったのよ郵便局強盗……
どこの系統の教会だったか忘れたけど、教区内でもドン引きするくらいの額の要求だったと記憶してる。
100年祭に向けて、どこも取り立てが厳しかった。
古い元教会長 @huruikyoukaityo
車も家財道具も、一切合切売ってお供えすれば結構になると聞かされていました。
カリメロ @KarimeroWith
あー……そうだ。思い出した。
車も手放して売るものも無くなって、それでも足りなくて強盗に入ったらしいって聞いた。
車を売ったって聞いたとき、同じ支部の人は、何かおかしいぞ?って思ったって。
全然結構になってない
古い元教会長 @huruikyoukaityo
丸裸になることが、立派な教会長であり、立派な布教師だと偉い先生は言っていました。
集団洗脳で、私も、そう信じていました。
satuki @sazannkasatuki
郵便強盗で捕まった人は、警察でちゃんと言ったのかしら?
上から責められて、つい、やっちゃいましたって・・。
そう言っても、上は何も責めを追わないのかしら?
書類送検ぐらい されても良さそうなもんだけど・・。
カリメロ @KarimeroWith
やった人が捕まるだけです。
「強盗してでもお供えしろ」と言われてたとか。
言ってないにしても、それに似た強要があったんだと思う。
とてもいい人だったのに、あれからその家族の行方は誰も知りません。他系統というのもあって……。
改革派 @tigers8544
私が知っている話なら郵便局強盗ではなく貯金を引き出されたお婆さんの鞄を奪ったそうです。御供ではなく遊興費で作った借金返済の為でした
そんな教会長が沢山いましたネ
更に上級や大教会への臨時の御供だと偽って借金の返済にした事がバレた方迄おられました。
おやさま、本席様、こかん様、ナライト様。
ご神言によると、お地場に必要な神の器械達は永遠に続いてゆくのだろう。それがまた人類の進化が旬刻限を超えた事と、自称天啓者や自称道具衆の魂が自己証明する礎になってゆくのだろう。
たすけ一条の地場屋敷の理は、その検証と擁立をすべき中山真柱様が気づいたときに復活するのでしょう。
神の器械といってもいろいろだろうケド、ナライト様はリリーフ的な存在だったのでしょうか?つなぎの次に一本の木を買ってほしいという暗示の文言を茨木初代の木と考えても、中山天理教側のさとりよりも無理がないようにも思えますね。
一本貰えばあとは(芋ずる式に)多くの器械が現れて、お地場から人類が救われてゆく(次の次元に入る)神一条の、神の言葉を大切にした、新たな文明のステージに入る。そんな壮大なビジョンが百日のお指図には含まれているように思いますね。
結局中山天理教の偉いさん方は、リリーフとしてのナライト様でさえ疎んじてきたんでしょうケドネ。中山家が大事なら天啓者問題の解決が先決です。
2020年6月13日 10:03 PMの匿名様の投稿を拝見して思うことは、どちらにしても、天理教と言う宗教を両肩に背負った結果の出来事だと思う面が多々あるように思います。悲しいことです。
教団の方々にお願いしたいことは、教内に居られる若い人たちの志を奪わないでくださいと言いたいです。
大教会長の子供さんであろうと、常詰めの子供さんであろうと、進みたい道があればその道に進めるようにアドバイスをするのが親の務めだと思うからです。
道専務でなくとも、どのような職に就こうとも立派に成人してくれれば、親としてはそれ以上を望むことはないのではありませんか。
教会の名称を継いだばかりに、あらぬ道に進んでしまわれたのかもしれないと思うと、親のエゴが見え隠れしてしまうのです。
以前にも書きましたが、大教会直轄教会長さんは50代の若さでお酒におぼれて亡くなりました。本当に心優しく、明晰な思考で何事にも嫌な顔も見せられることもなく好感の持てる方でしたが、会長職を継がれたのが誤りだったのではないかと思っています。親(前会長)の期待と自分の思いとの違いに葛藤を抱えながら会長職に就かれました。
人には適職が有ります。勿論、全ての人達が適職についておられるとは限りませんが、天理教会に生まれたばっかりに、親の顔色を窺う生活が待っているというのは、余りにも酷ではありませんか。
親の期待の大きさに対して、子の心が押しつぶされる悲しい結果は教団内だけの問題に限りませんが、信仰という心を扱う問題だけに深刻の度合いは大きいと思うのです。
うまく表現が出来ませんが、教団は縦の布教を強調しますが、信仰よりも大切なことは、子供の特性を知りそれを伸ばしてやることの方が大切なのではありませんか。そうすれば、自ずと信仰心も湧いてくると思うのですが。
いまだに、家名が大切、世継ぎが大切が嵩じて中山家大切思想が抜けきっていないように思っています。
ちなみに私事ですが、孫3人は女性ですから家名を継ぐということはなさそうです。それよりも自分の望む人生を歩んでくれれば十分だと思うようになって来ました。
皆様の声から益々その感を強めてきています。
感謝・喜び・優しさ・朝起き・正直・はたらき・創造性・向上心・謙虚さ、教祖の文言の純粋なエキスを培ってゆけば、マコトの心に逆行する事はあるまいと、子育てに時にそんな呟きを心に繰り返しています。
病の根たる八つのホコリの解き分けについても、煎じ詰めればエゴと支配欲からやってくる陰気な心だと感じています。
東風Zさまの6/14の投稿は、現教団内の深い問題の一つをズバリ指摘しているように感じます。天啓者達と本部の根本改革を待つ前に、現天理教からは、可能なら逃げた方が身の為なのかも知れませんね。
東風Z様
>うまく表現が出来ませんが、教団は縦の布教を強調しますが、信仰よりも大切なことは、子供の特性を知りそれを伸ばしてやることの方が大切なのではありませんか。そうすれば、自ずと信仰心も湧いてくると思うのですが。
全くその通りなのですが、現天理教は、そうまでしてでも強制的に圧力をかけて信仰させないと誰も付いて来なくなっているのです。
>いまだに、家名が大切、世継ぎが大切が嵩じて中山家大切思想が抜けきっていないように思っています。
「いまだに抜けきっていない」のではなく、元々、神の思惑とは別に中山家大切思想実現の為だけに作り上げた教団なのですから、人間思案の固まりなのです。
ですから、教勢衰退は神の計らいであり守護と見るべきです。
>>昭和5年発行 柳谷素霊「天理教その搾取戦術」より(その1)
自序
この書の表題は寔に奇妙であるだろう。しかし、私とて人の好奇心を唆るべきようの表題を設けて、強いて無き名を世にうたわれんとて為せるものではない。ただ一人にでも宗教に関する理解を与えんとせるに外ならぬ。現代に於てマルクスの名は多くの人々の口辺にのぼる。それに付随して「宗教批判」「宗教は阿片なり」などの言葉が宣伝せられる。これに対して宗教家は盛んに反動的態度を示している。
我々の如く宗教に関心を持つ者は、宗教に対する斯かる論議の渦中に處して、再思三考せねばならぬであろう。宗教は、はたして阿片か?私は、これに対する反省を試みた。
現代我が宗教界に於て、最も活発なる活動を為しつつあるものは天理教である。それゆえ社会現象としての宗教を検討するうえに、これ等の綜括として、天理教に対する検討を以てすることは、あながち無理ではあるまい。私は、こうした観点から天理教教勢の然らしむる訳合、その組織、一素寒貧でもよく豪大なる教会を建てるに至る方法、信者の心理、最も入信の過程を取り易い病人の扱い方等を考慮に入れてみた。以上の事を考え合わすとき、何故に同じ宗教団体が振るわぬか?との疑問に対する回答の任務を果たすだろう。と同時に宗教の阿片性が、どんな方法で撒布するものであるかに対する、具体的な観念を明かにすることができ得よう。宗教は阿片なりと抗撃しても、具体的な例証を掲げるのでなかったら、その抗撃は民衆に対して聲低きものである。医家に対する批判として医療の社会化が提唱されてきた。病者を取り扱う医者と同じく、病者を取り扱う天理教教師との態度はどう異なるか、しかもその病者を癒したとの謝礼は医者は決められた小額を受け、天理教教師にありては、家も田地も寄進させることの出来るのは何故であるか?私はこれに対しても考えてみた。
要するに振るわざる宗教団体に対してはその振興策を、宗教を抗撃する社会運動家に対してはその具体的例証を、患者の取り扱いに慣れざる医家に対しては、その巧妙なる取扱法を眼前に提供したつもりである。
こうした意図のもとに物されたる書なるが故に、専門の学者や明知なる識者に贈らんとて為せるものではなく、それよりも多くの宗教に関心を持つ民衆に対する、著者の忠言であると見てもらいたいのである。ことに天理教の信者または信者たらむとする者にとっては、一つの自灯となることと信ずるものである。
最後に私はこの種非研究的の書を世に送るに際して、恩師並びに先輩または天理教に於ける朋輩諸賢に非常にお気の毒に思わぬでもない。だがしかし今は最早それ等に躊躇しておるべき秋ではないと思われるほど、事態は急迫を告げているのではないだろうか。教祖の真意義は現代の如き形骸化であったろうか?私はそうは思わぬのである。だからこそ天理教の現在に信仰派と経済派との二流の色彩があるのではあるまいか。余は之に答えた。
終わりにのぞみ陰となり日向となり、著者に力を添えて下された某天理教教会長に対して、深甚の謝意を表する。また著者に研究資料を貸与して下されたる、恩師先輩、並びに同輩諸士に対して心からの御礼を申し上げるところであります。
昭和5年盛夏 著者識
天理教その搾取戦術
第一章 金を集める予備手段 (P3~ コマ番号10)
一、不景気には天理屋が一番儲かる
都会と云わず地方と云わず、飽くことなき不景気風は各門戸の奥の奥まで、遠慮会釈もなく渦巻いて吹き狂っている。失業、生活苦、就職困難、奔走、失望、消衰、彷徨、剽盗、強盗、一家心中、支配階級の暴圧、被支配階級の機械化、平和の美器に盛られる改制革命の渦泡等々、これ等が現代の如実の世相であることを認識したならば、何人たりとも膚に粟することであろう。
現代社会は今や、真に噴火口上に於ける静かさに等しき形態を示しているのである。待つべき一瞬を得て、瞬時の間も容赦なく噴上し来る危険が、吾人の足下に存在することを知らずして晏如たるもの果たして幾人かある。
人々、口を開けばどうにかならねばと言う。どうにかなる。必ず成ると言う。どうにか成らねば仕様が無いと言う。斯く口にする人々は多く収入少なく、その日暮らしの労働者に多きことを知る時、為政者は、これ等労働者の合言葉なる「どうにかならねば」と云うことを如何なる意味に取るか、ナンセンスとか言うて感覚生活を求むるに飽くことなきブルジョアの遊蕩児は「どうにか必ずなる」との労働者等の決意を何と見るか。
「どうにかならねば」「どうにか必ずなる」「俺等の時代」等の言葉の裏を究めんとすることなき、為政者、資本家、教育家、識者、宗教家等が若しあるとしたら、それ等の人は甚だ幸福であり、よい人であり、また大馬鹿であると言わねばなるまい。
彼等労働者の合言葉たる命題は、彼等が日々毎日、黙々として働くべく余儀なくされているその態度と比較するときは、ちょうど真綿の中に鋭利なる針の数本を含ませてあるようなものである。外容は、いかにも柔らかい、が一度それを握り絞めるとき、遠慮なく鋭利な針が、握った手掌を突き破るであろう。そこには鮮血の淋漓があり、苦痛があり(外容の柔さに似ざる)その外貌もて事物を決した、疎漏、不注意、認識不足を、しみじみと味わうことだろう。決して柔く見える真綿なるが故に無害と決めてしまうことが出来ないということを、心の奥底から知ることが出来るであろう。だがその時は、最早や手肉を破られ、鮮血を出した後である。この創痕はありふれた創のように、すぐ直るようなことはない。癒えるべき時の来るまで(おそらく来ることは無いであろうところの時まで)消えるようなことはあるまい。それほど根深く、劇く、ひどく、突いてくる鋭利なる尖端である。だから、その時になって後悔しても、いわゆる俚謡の、転んだ後の杖で何にもならぬ。だから物の解かった狡猾な、商売気たっぷりな、自我主義の張った人は、この危険を知っている。だから、これが対策を考えるようになる。
何でもかまわぬ、その針を折ってしまいたい。これが一つの信条である。
何でもよい。その鋭利な尖端を磨り減らして鈍麻にし、握っても害を及ぼさぬようにしろと云う、これが第二の信条である。
こんな方策を講じて、ともすれば真綿の表面近く現れがちな針を抑えに抑えてきた。そして出そうな針を折る時に、しば/\多かれ少なかれの怪我をすることを知った悧巧な連中は、比較的金のかからぬ第二の信条を奉じて、その鋭い尖の磨減師を雇い入れるか、これ等と結託して仕事をするようになった。ここに磨減師の仕事が一つ、職業として分立するようになった。
磨減師は、針の取り扱いに慣れた者でなければならない。だから磨減師の初代は、磨減師の現在の仕事とは反対な、砥屋(鋭い尖を針につける仕事をするもの)の、ごく下劣な腕の悪い、下素な、功利的な、主我的な、成れの果てなのである。昔は砥屋が多かった。が、それも二代三代となれば、もう駄目になってしまう。だから手慣れた手つきで磨減師になってしまうのだ。
今の世には、砥屋の看板をかけた堂々たるイカサマ砥屋=磨減師が、そんじょここらにウジョ/\している。砥屋の看板も、先祖の顔で通うているようなものだ。その実は口銭を取って、旨いことをしている、砥屋ならざる磨減師が随分いるのである。
砥屋の標本は、インドの釈迦、支那の孔子、老子、アテネのソクラテス、パレスチナのキリスト、中頃では、日本では日蓮、親鸞等がまあ砥師の代表的なものだろう。だが今の砥屋は先祖の看板を売って食っているようなものだ。だが、だん/\イカモノをやるということが知れるようになってから、だいぶ砥屋一般に対して信用が無くなってきている。そして各人は各々の持っている針を、自分自身で砥ぐようになった。が、ここに今までの古顔に並んで、新店が一軒できた。それは「砥師天理屋」である。
「天理屋」は店も大きい。職人も随分と多い。顧客も多い。目の利かない者ばかりだ。または利いて利用する奴とか、何もかも知らない書生あがりとかばかりが多いが、だから一年の収益が一億と云われている。何とまあ、この不景気に豪勢なもんではないか。支店も出している。全国に一万からある。顧客が六百万と号しているんだから偉ではないか。今までの砥屋のうちで一番繫盛しているのは真宗屋さんだそうだが、その真宗屋さんの向うを張ろうとするに至っているのは真に驚くべき繁盛ぶりだと言わねばなるまい。
著者は、この天理屋が如何にして今日の大を為すに至ったか、現在なお発展しつつあるのは何故であるか、その経済機構がどんなになっているか、顧客の心理はどんなものか、その他、砥師の儲ける方法を展開していくであろう。
この偽砥師=磨減屋たる天理屋の機構を明瞭にすることにより、我々はこれに類する偽砥師=磨減屋の面皮を剥ぎむいて、彼等をして先祖の如き真の砥師=大衆に真実の力を与える者たらしむべく仕向けるか、不正利得を貪る磨減屋=努力奮闘、進運開化、文化向上を妨げるようにするものを葬るかしなければならぬのである。故に著者は、以下順次、以上の主題について述べるであろう。
著者は嘗て、あるささやかな飯屋で次の如き会話を聞いたことがある。一人は印半纏にワラジばきの労働者であった。他の一人はヨウカン色に剥げた洋服を着、古ぼけた帽子を被り垢じんだ靴を履いた外交員風の男である。前者は四十位で、後者は三十位の年恰好であったろう。二人は飯を食いながら隣り合わせて座っていた。時は初夏の夕方である。二人は何かはなしている。それは、
労働者「なんと不景気ですね。これが長く続くと死んでしまいまさあ。」
洋服着「まったくですね。この不景気にゃ、本当に困ってしまいましたね、お互いに。」
労働者「そうですとも。しかし、あなた等はようがんしょ。月給でしょう?」
洋服着「なんの、今どこの銀行でも会社でも人を入れることをしません。入れるどころか、人員淘汰だとか整理だとか名目をつけて、一寸の事にかこつけ首を切ってしまうんですよ。だから我々のような、引きの無いような者は、月給のとれる所へは働きたくとも働くことが出来ません。今私は、つまらない保険の外交をやっていますが、ほんとに電車代にもなりませんよ。本当に何ともなりませんよ。」
労働者「だが、まあ何とかなるでしょう。あっしらも子供は五人もある。親父がその日/\の米代を握っていかねば、米の汁を飲むことも出来ないんで。それも米代が毎日握れればようがんすが、この不景気じゃ一日の米代も出ませんや。嫁や子供に食わしていくことが出来ないもんですから散々の有様ですよ。お恥ずかしい話ですが、嫁も子供等も内職をやっていましたが、この不景気で仕事も無く、まったく皆飢え死にですよ。」
洋服着「まったくですね。私等もそうですよ。なまじ学問をしたばかりに、労働したくとも身体が言うことを聞きません。車引きも荷物負いもやりました。土をもって車力の真似もやってみましたが、次の日に体の節々が痛んで、起きることが出来ませんで、やむなく止めねばならなくなるんですよ。」
労働者「まったく、体がきかないのも困りましょうが、体がどんなに頑強でも仕事が無いのにゃ閉口ですよ。まあ何にしても、どうにかならなけりゃ、仕方がありませんね。政府のやり方も悪いし、資本家もひどいですよ。」
洋服着「そうですね。ひがみで言うのではありませんが、第一資本家が金を握ったまま離さないんですから困りますね。我々の手に金が渡って来っこありませんね。こんな時に何の商売が一番良いのでしょうね。」
労働者「今、何の商売をやっても駄目でしょう。そればかりではありませんよ。商売をやっても、小さい商売人等は売れなくてやり切れず店を閉じねばならず、今のところ、これという商売はありますまいね。まあ、口さえ達者で、少ししゃべる人でさえあれば、天理教の教師などは、よい商売のうちでしょうなあ。」
洋服着「天理教の教師と云いますと?」
労働者「遊んでいて口を働かしていれば、それに迷う者があるもんで、たちまち金が出来るらしいんですよ。私の知っている者等は、五年位の間に、立派な教会を建てましたからね。」
洋服着「そんなに儲かりますかね。尤も、屋敷を拂うて助け給えテンテコの命とか言いますから、信者は随分神様にも、あげるでしょうね。」
労働者「あげるどころではありませんよ。財産はおろか、命までもあげると言うような熱心さですからね。」
洋服着「それでは、よほど御利益があるんでしょうな?」
労働者「ハハ、御利益があるから家も何もみな神様にあげてしまって、食う米が無くなって初めて目が覚めて、食うために今度は、本気で信者になるんです。まあ天理教はこうして、皆から巻き上げるんだから、たちまち大きくなりますでしょう。小さい教会等はすぐですからね。尤も、教えがウマく出来ていますよ。私も少しお話を聞いたことがありましたが止めましたがね。巻き上げるように、うまく出来ていますよ。」
洋服着「そうですかね。」
これで会話は終わった。二人は忘れていたものを思い出したように、飯を食い始めた。
筆者はこの会話を聞いて、天理教は、何と世間から言われても、金を集めるという点に於て非凡の教理と、腕と、熱を持っているんだなあと思ったのである。
実にその内情を検討するときに、彼の労働者の言ったとおり、巻き上げるには実にウマく教理が組み立てられているのである。その教理を一過するだけでは、全く誰でも、そうかなと思われるものである。ただそれは、そうかなと思うだけで、信仰に入る人は少ないであろう。しかし何回もこれを吹き込まれるならば、人間はその暗示性の然らしむるところに従って、遂には、その人の言を信ずるようになるのである。不注意と認識不足の衆俗は、迷うのも誠に無理からぬことである。
だから著者は次に、如何なる方法で金品を、神の御名によって神前に供置せしめるかについて、確実なる根拠を示しつつ述べることにするであろう。
而して今、天理教徒は虚心坦懐に、自らの経過と入信の動機等をよく考えて、迷っているなと思ったら、すみやかに真の自覚に立ち返らねばならぬのである。
彼等、天理教師が常套手段とする巻き上げ法は、その教理より出ているものであるから、教理の一般を典拠によりてこれを示し、これが批判をしていくこととする。また天理教当局者に質すところとするのである。
以上述べた事柄について、天理教当局は三つの態度の一つを取るであろうことは、予想するに難くないのである。それは、
其一、天理教は国家公認の立派な宗教団体である。一時的のものでない。商売とは何事ぞと。
其二、貴様のような者に天理教が解かるかという心持より、相手にしないように信徒等に申し渡すか。
其三、または雄々しく筆陣を張って、拙著に対論するか。
の三様の態度であることは見易きことである。
第一の態度は、著者を抗撃する姿勢に出づるに至るであろう。これに対して著者は少しく弁じておくことは必ずしも不要のことではあるまい。天理教徒は斯く言う。
「世間では天理教とさえいえば淫祠であり邪教であるかの如く思っている。この頃では余程こういう観念も薄らいで来たようではありますが、それでも、やはり一部の人々の間には劣等な宗教の内に入れてしまって、進んで教義の如何を窺ってみようとはしません。
中には世の学者と称せられる人々でさえ、その著書に天理教は淫祠邪教なりと論断して頭から貶しているのでありますが、これ等の人々は科学者の立場をも忘れて、人が言うからそれに違いないのだろう位に思うているのでありましょう。迂闊にもまた甚だしいと言わねばなりません。
天理教は六百万の信徒を有する一大宗教団であります。六百万といえば日本の人口の約九分に相当する。しかも年々歳々、驚異に価するほどの発展を示して、その勢い駸々たるものがあるのであります。論者の言うが如くんば、日本の人口の約九分は愚夫愚婦なりと言うに等しいことになるのであります。かくの如きは自ら好んで、日本民族を侮辱していることと言わねばなりません。」(地場思潮社発行『天理教は如何なる宗教か』頁一~二)
右の論説を見るに、スゥと一読して看過し考えない者にとりては、真にもっとものように聞こえるであろう。道理らしく見えるであろう。どこが、もっともらしくあり道理らしくあるかと言うに、左に摘録してみれば、
1、学者が天理教を淫祠邪教と論断するのは人の受け売りであり、科学者らしからぬ態度である。
2、日本国民の約九分が天理教徒である。だからこの約九分の信徒を愚夫愚婦と論断するのは、恰も国民九分を愚とするもので日本民族を侮辱するものだ。
上掲の二項は道理らしく見えるところであるが、非常な詭弁のあることを見逃してはならぬのであります。学者は、天理教理を中心とする天理教教団に対して、宗教学的研究によって得たる結果上、淫祠邪教と論断するに至ったものであって、決して受け売り的に、悪いと人が言うから悪いんだと結論を決定する学者は一人も無いのである。そんな学者が若しあったにしても、六百万の信徒があることから、その信徒の言も一応は聞くだけの熱心さが、少なくとも科学的に宗教現象を取り扱わんとする者には、誰にでもあるのであって、この科学的態度の無き者は真の意味の学者とは言わぬのである。ただの物識りとは言い得るかもしれぬが、学者とは如何にしても言えぬのである。この学者と言えぬものを学者と言うのは天理教の勝手につけた名称である。然れども天理教に対して淫祠邪教と評論せる者は学者ならずといえども、確かに卓見を具有せる者であることは、余もここに論断しておくところである。よしその結論が、深き研究に俟たずして導き出されたものであっても、確かにその人の論断が、肯綮に当たったものであると言い得るのである。それは以下順序を追うて述べる内面暴露によって、明瞭に読者の眼前に展開され来ることであろうから、ここでは深く論述せずに、後に譲ることとする。ただ、ここでは天理教側の弁論は自らの非を掩わんとの窮策の然らしむるところにして、これを目して、淫祠邪教と評するを妥当とするものであるということを、知っておいて頂きたいのである。
次に第二の問題であるが、この論たるや実に論理すら弁ぜざる者の論理であると言わねばならぬ結論を、導き出しているということである。
まず、日本国民の九分が天理教徒であるということから、吾人は天理教徒に非ざる者は日本国民の約九割一分であることを知ることは、いとも容易な数理である。さて、
天理教徒は日本国民の約九分。
故に、天理教徒をば愚夫愚婦と言うことは、日本国民の約九分が愚夫愚婦だ。
故に、斯く論断することは日本民族を侮辱するものだ。
と、言うのである。然るに、ここで注意すべきことは、彼等天理教徒は、自らは「お道の人」と称して、救われたるもの、優れたるもの、因縁の良いもの、と称する。が、天理教徒以外の人を以て「世間並みの人」と称するの一事である。しかもそれ等の人々は、救われ優れる因縁の良い彼等天理教徒の反対なるものなる故、救われざるもの、劣れるもの、悪因縁のものとなることである。
さて問題は、ここにあるのである。学者先生は、日本国民の約九分を愚夫愚婦と称するのが日本国民的か、それとも日本国民の大部分が、迷えるもの、劣れるもの、悪因縁を積んだ所謂過去世に於ての悪人だと評するのが日本国民的か?
これ等は考えるまでもなく、後者を良く評し、前者をして前者たらしむるように評するのが、学者ならざる普通の俗人でも日本国民でさえあれば、当然すぎるほどの当然なる論断であると言わねばなりますまい。
殊に天理教徒の実情を見るに、実際愚夫愚婦の寄り合わせに於てをやである。されば数の多いということが、必ずとも優秀なる宗教教団であるとは言い得ないのである。嘗て、釈迦が次のようなことを言ったことがあると聞く。
「千人の人間中に於て、耳の一つより無い人間が999人、耳の二つある人間が一人あったとしたら、その二つある耳の人間を片輪だと言うであろう」と。
これをそのまま、そっくり天理教徒に当てはめることが出来るのである。愚夫愚婦が少数を以て、常識のある文化向上に貢献している普通人を目して「世間並みの人」「救われざる人」「悪因縁の強き人」として遇するのである。如何に盲目的態度であるかが知れるのである。
次に、商売だとは何事だと言うであろう。神聖なる宗教事業に携わる者に対して商売と言うは何事ぞ、と食ってかかるかも知れぬ。だが天理教徒諸君よ、心を静め、所謂君等が常に口にする「たんのう」(我慢という意)して、手を胸にあててよう聞かれよ。宗教一般は、慰安を与えて、その代り報酬を受け取っているのが、現代に於ける如実の宗教団体に於ける社会形態なのだ。嘗て某大学文科宗教科に籍を置く男が、こんなことを言ったことがある。
「金を取って慰安を与えることを非難するけれども、物質で精神的慰安、安心を得たら少しくらいの財産くらい安いものではないか。」
彼はまだ三十前の男である。無形の精神的のもの(これも実践的効果を奏する、生活指導に対する力となるものであればいざしらず、単なる借物貸物の理だの、たんのうだの、ひのきしん、だのと言うような教理)を受けて、有形なる物質をあげさせる等々は、実に宗教の阿片性を露骨に表明したものである。これを商売と言わずして何と評するか。与えることのみあって、受けること無くして実社会に働きかけることのみが、現代にありて最も価値ある宗教的態度と言わねばならぬのではあるまいか。これ等の天理教教師に対しては後述することとする。ここではただ、教理を与えて金品を受け取る天理教教師の態度は商法的態度であり、したがって商売であり、営業であると言うてもよいのである。
だがしかし、教理を聞き、有り難いと思い、余裕の内から志として教師に礼を差し出すは所謂礼儀として、商売と断ずることは或いは早計に失するかも知れぬ。だがしかし、初めより神前に供えせしむべく、上げさせるべく利を貪らんとして、教説をあえてする者があるならば、それは一般の商売人よりも憎むべく、何等かの取り締まりを要とする一大恨事であらねばならぬのである。
然るに天理教の実状はどうであるか。まさに醜き形態を横たえ、暴利を貪る悪商人にも勝る行為を恬として恥じず、神の名に隠れて如何ばかり良民を泣かしめているか。しかも労働することなく、口先ばかりウマいことを並べて搾取の爪を砥ぐは、これ等遊民的の天理教教師である。次に示すものは、比較的若輩の天理教徒で、宗教心の有る人間の述べたものであろうと思う。これによって天理教内に於いても、迷から目覚めかかっている人間のあることを知り得て、頼もしくもあるのである。即ちそれは、
「近来、不思議なお助けが少なくなったのは、遊民に等しい教師が多くなったからだと思うよ。(中略)お助けに専念するどころか、教会は全くオフィス化している所が僕の知っているだけでもザラにあるよ。」(みちのとも第39巻第19号頁66~67)
とは、真実のことを示すものでなくて何であろうぞ。
しかも天理教は、純信仰派と経済派との二流の傾向があると聞く。そして経済派(外的勢力を張らんとする方のもの)が本部であり、而して実際の勢力もあるということである。これによっても既成天理教の教団に宗教の精神は失せて、個人の胸底にのみ真の宗教心あることを析出するのは容易いことではないか。即ち、上掲の論者は真に信仰(所謂現在云われているところの)を有する者であり、論者の論鋒にあげられているオフィス化せる教会は、所謂著者の「天理屋」であるのである。商売屋である。薬九層倍以上のものということである。
国家は斯かる、無資本で出来、しかも非常な利益をあげる斯かる商売に対して営業税を免許し、額に汗する労働者の血と汗との塊たる労金の如何程かを没収するとは、そも何れに、その根拠を有るものであるか。形式の時代は、もうとっくに過ぎ去ったはずだ。その形式を見ることなく、内容実質より物事の判断をなし、営業化した以上の如き教会、寺院には重税を課すべきである。丸儲けは、あに坊主のみならんやである。
そればかりでなく、教師養成も一つの営業と見ることができるのだ。真偽は今、保留しておくが、教校(彼等教師の養成所である)を卒業するには、三ヶ月で二百円近く入用だとのことである。而して、その実情を知るに至れば、大金を投じて修得することを投げ出すに至る者が多い。これ理性に目覚めたる者の必然とるべき態度にして、これ等の事実たることは左の一文によって知ることができるのである。
「お道にも無駄が沢山ある。それはお授けを頂きながら、お授けを取り次がないこと。尊い時間と費用を使って別科を出て、布教に出ない人が多くあるが、これは最も大きい無駄である」(みちのとも第39巻22号頁65)
とある如く、天理教本部より見れば、正しく無駄も無駄、大ムダであるに違いないのではないか。言わば支店向きの免許を与うるために権利金を取る。そして一人前になったと印を押して、店を持つことを頻りに勧める。店を出すのも各人の金でやるのだ。本部は何等これに関係しない。そして店が繫盛すれば本部に納めろ(つくしと云う)と言う。ここで小さい説教所または宣教所は食うものも食わずに親教会(上級の教会をいう)に、つくしをやる。即ち金を納めるのである。斯くて、二重の搾取に遭っていることを知らぬ。それは天理教教理の然らしむることと、その教理を真に味識し検討するの精神、換言すれば盲目的服従をこれ事として研究心無きの致すところである。
かくて本部は太るに太るばかりである。中山美伎が無一文になりてより今日まで五十有余年を過ぎざるに、一万の教会、六百万と号する信徒、年収一億と称せられる盡し金を得るに至っている実状を見ても、如何に彼等天理教の組織的搾取に奔走するかを知り得るは難しいことではあるまい。
現代の社会制度下に於ては、人をして真面目に熱烈にせしむるものは、生活苦を打破せんとする熾烈なる意識である。天理屋が、その独特の信仰たる天理教教理をもって、何人たりとも無一文と為してしまい、生活させねばならぬ。しかも道はただ布教あるのみを教えることによりて、死にもの狂いに布教せしむるに至らしむる巧妙なる策戦には、何人たりとも刮目して驚かざるを得ないのである。
人は不幸不運に際してこそ、神仏を念うものである。しかもそれは安固なる生活を得んがために外ならない。何もかも無くして、否無くさせられて、それを挽回する方法として、唯一つの方策を示されたならば、何人も死にもの狂いに、その方策を実現するのが人情の必然である。天理屋は、巧みにこの人情の虚所弱点を握ったものであると言わねばならぬ。天理教が宗教(新宗教)の美名に隠れて、普通の商人よりも一層ひどき方法に於て、後述するであろう如き実践に於て搾取するの事実を見る時、何人がこれを商売以上の商売、悪むべき営利業と判断しない者が、はたして一人たりともあるであろうか。余は断じて無いと、ここで明確に論断しておくのである。
次に述ぶるは、其二の問いに対する予想的回答である。
この第二の態度は、常に天理教教師並びに教徒の頑迷に固守する態度であって、これを吹き込む者も、これを吹き込まれた者も、共に「これ」を固守することをもって、神の奉公これに過ぎたるもの他に無しとさえ考えているものであるかに思われるほど、所謂「お道一筋」を高調もすれば実践もする。そして斯くの如き態度に出づることを誇りとさえ思っている者が、実に枚挙に遑なきに驚かされるのである。
「世間並みの者に、お道のことが解るものか」
こうした考えは、消極的、固定的、頑迷的態度を招来することは、誰れ人も肯定できるであろう。これ等の態度が、知識の権威と合理性の否定に結果することもまた当然であると言わねばなるまい。ここに遺憾も無く「よらしむべし、知らしむべからず」との封建的専制的圧迫が加えられていることも看過してはならぬのである。余は今ここに宗教家の責務を是非せぬ。だが、今までの宗教家に於て、真の宗教家と目されている者であったならば、結果は神に移して、自分は黙々として他者の回心を礼心をもって待つものである。現在の天理教教理はまた、これを教えるのである。「たんのう」「たんのう」(忍耐、堪忍という意味である)と、口に筆にこれを大聲し疾呼する。だから天理教に於ける教師も信徒も皆「たんのう」に宗教的色彩を加えた理念を実践躬行しているはずである。否、真に宗教的信念に自覚した者は起座進退少しの忽せも無く、この宗教的加色彩的「たんのう」を実践具現すべきはずの者である。そして教内に於いて上位にある者にありて、最も著しくこの具現を為すべきはずである。「上の行うところ、下これを倣う」という命題は他に於けると同じように、やはり天理教内に於いても行われなければならぬ。それが当然であり、道理に計った考えでなければならぬ。
だが次のような一小話がある。
「大和毎日対天理教名誉毀損事件というのがあった。その原告は松村吉太郎であり、被告は田中豊州、西村嘉三郎である」
余は、この二行にも満たぬ小話というのもおかしなほど、暗示的な言辞を掲げることで足る。事件の起こりが、いつ起きたものであるかも我々にとっては問題であるまい。事実が無根のものであるか、有根のものであるかを疑う者は奈良地方裁判所で問い合わせればよい。余がここに贅言するまでもなく、詳細はその人の眼前に展開されることであろう。我々はこの事実と、天理教教理に於て、ある人が言う天理教に於ける四道徳の消極的道徳の一つとさえ数え上げている、この「たんのう」という教義とが、如何に関係するかを考えれば足るのである。
被告等が如何に為にせんが為に行われた、中傷讒誣をしたものであっても、天理教に於ける大御所とも見做し得る松村が、何故に宗教的加色彩的「たんのう」の態度を保ち得ることができなかったか。まことに真理を把持する者であったならば、それ等の中傷讒誣は些々たる茶事にあらざるか。宗教家ならずと雖も、度量の濶大な者は、以上の攻撃に対して平然たる態度を取り得る者は多いのである。然るに、自己に属する教師、信徒には「たんのう」せねばならぬ。即ち、如何なる無理なことでも、横車を押すようなことでも、天理教の教徒たる者は、神のお知らせとして、そこに不足なき心持をもっていかねばならぬと教えながら、教える自分は、この重大なる教理たる「たんのう」の理を足蹴にして不足心を起すのは、天理教で言う「不足は不足する理、不足は切る理」を弁ぜぬ仕草である。
彼松村が、この天啓たる「不足は不足する理、不足は切る理」を明確に認識していたならば、原告として法廷に立つ必要があったであろうか。余は断じて無かったものであると明言するのである。そればかりか彼松村に、形式的天理教の発展を念願するの心の切なるもの頻りにありということを論断するの一根源を暴露したものであるとさえ思われるのである。
何故にと言えば、それは天理教の術語とも思われる、天啓と称する上掲の語を説明することによりて明らかになることと思われる。
「不足は不足する理」とは何であるかと言うに、不足は不足する因縁があって不足になるのである。だから、それに甘んじて従う。即ち、どんな攻撃も、それに甘んじて行う。それに甘んじているということである。
「不足は切る理」とは不足を齎す原因に対して「はらだち」「いかり」の念を出すことなく、これを過去の性格の所産であると見て、人を怨まず人を咎めずとのことである。これ等を怨み咎めることは、何等かの因縁をもって教えと結び付かんとすることを切断することだと言うにある。
これによって、これを見るに、松村の行為は教祖の天啓に反し、宗教家的態度に反するばかりでなく、普通人(即ち彼等お道の人という誇りを持つ天理教徒より見て世間並みの人々)の度量のある者よりも劣ると言わねばならぬのである。
さすれば、吾人は天理教教理を看板として、搾取的営業に汲々たる彼等天理教屋の、如実の姿を彷彿することができるような気がするではないか。余は斯かる点より、彼等の教理を眺めていくであろう。
次に其三の態度に対しては、余の刮目して、この態度に出でられんことを望むものである。彼等が真に教理の真理を認識しているならば、攻撃ならざる天理教の所謂「おさとし」的の態度を持して、余の批判に答うべき必然性をもつものと思う。余はただ彼等が真向の武器とする教理なるものに、如何程の真理性があるか、これをして真理とする彼等の態度、彼等の説明講釈こそ見ものであろうと思うのである。
次に天理教屋の営業政策とも言うべき教理について述べていくこととする。読者はこれによりて余の前言せる事が、一見奇矯の観あれども、正鵠を失わざるの論難たることを諒解されることと思う。なおまた、これ等教理の順序、構成の階段を知ることによって、如何に天理教がその阿片性を隠蔽して巧みに装い「霞の衣」的機構を有するものであるかも知る事ができるであろう。而して最後に、斯くの迷信は、社会の正義的立脚地よりして、断々乎として排斥撲滅せねばならぬとの衝動に駆られざる者は、ただの一人もあるまいと思われるのである。かくて真実の社会、合法的社会機構を整正していかねばならぬとの念願は、社会人として等しく脳中に存するものであることは、いささかもの疑うべからざるものであると断ずるの僭越を敢てするものである。<<
※柳谷素霊(1906年11月6日 - 1959年2月20日)日本の鍼灸師、医学博士
天理教その搾取戦術
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1175975
一冊まるごと、天理教の「搾取」に焦点を当てたもので、著者が医者ということもあってか、信者の心理、独特の選民意識などにも触れていて、興味深く思いました。370頁もありますが、気長にやっていくつもりです。
天理教の金に対する執着はつまり信者騙しであったと分かった今日、教団に対する不満の噴出はインターネットの普及によりここ20年位の事かと思っていましたが、少なくとも昭和5年の頃からこの様な激しい非難が出ていたとは正直驚きました。中山天理屋が当時からすでに暴利を貪る商売屋であったにもかかわらず、そしてまた経済もはかばかしくなかった時代に易々と天理屋に騙され、屋敷を払い、田畑はたいてしまった多くの信者達は、真実の情報が何も得られない時代だったと言う事もあるのでしょうか。
この様な歴史的事実を語った書籍を見せられると、こんな偽物宗教に関わった事に後悔すると共に、我々が後世の罪無き人々が騙されない為にも「悪徳宗教屋・天理教」の悪事の詳細を語り継がねばと思いました。そうでなければ昭和5年頃に騙された人々と同じ被害者を今後も放置するに等しいと思いました。
金に執着する表統領、善亮の発言を思う時、天理屋、中山教と言う裏歴史を背負った輩なら納得がいく発言です。「命の繋ぎは金」。「金の事は言いにくいと言っていてはいけない。」「教内向けと教外向けでは言う事は違って当然、、。」彼の中では二枚舌は当然。さすがに代々続く騙し屋の手口は巧妙かつ繊細です。
しかし彼の本心、「金が命の引き換えと神に代わって言っておけば信者は皆、金を出すであろう。何とか金を集める事を考えねば、我が天理屋の看板が危ない、、。」
>>天理教の金に対する執着はつまり信者騙しであったと分かった今日、教団に対する不満の噴出はインターネットの普及によりここ20年位の事かと思っていましたが、少なくとも昭和5年の頃からこの様な激しい非難が出ていたとは正直驚きました。中山天理屋が当時からすでに暴利を貪る商売屋であったにもかかわらず、そしてまた経済もはかばかしくなかった時代に易々と天理屋に騙され、屋敷を払い、田畑はたいてしまった多くの信者達は、真実の情報が何も得られない時代だったと言う事もあるのでしょうか。<<
現代の「オレオレ詐欺」や「還付金詐欺」等のように、テレビや警察の広報活動で、騙されないよう注意するようにとの周知活動が毎日のようにされているにもかかわらず、騙される被害者は後を絶ちません。詐欺師は人間の心の隙間や心理を巧妙に利用し人を騙します。かのオウム真理教も、おもてだった凶悪事件を起こさなければ、未だに存続し、信者数を増やし、更に大きな教団になっていたことでしょう。教祖100年祭後に実施された三島神社の移転のように、教会本部の理不尽な「大規模事業」により、これまで燻り続けてきた天理教の様々な矛盾が一気に噴出し、インターネット等で拡散し、棄教する信者が激増していったのだと思います。
一番の問題はお供えが0になったとしても 横浜天理ビルや天理教のもつ不動産によって現幹部がのうのうと生きていけることです。
知らんけど!
>>一番の問題はお供えが0になったとしても 横浜天理ビルや天理教のもつ不動産によって現幹部がのうのうと生きていけることです。
知らんけど!<<
天理教教会本部の保有する不動産の原資は、信者から搾取した「お供え」です。いわば、天理教の信者は天理教株式会社の実質的株主です。定期的に株主総会でも開催し、利益が出ているのであれば配当金を信者に還元するべきだと思いますが、搾取教団がそんなことをするはずもありません。今後、お供えも信者も限りなく0に近づけば、天理教の社会的信用は完全に失墜し、サイドビジネスの不動産経営すらままならなくなるでしょう。
匿名
2020年6月13日 2:28 PM
父親
2020年6月13日 10:36 AM
>>ここでも読んでいれば判りますが、恨みの魔だけの心で、批判してるのと
良心、理性の神の心を持って批判してるのでは、文章だけでも受ける印象が違います
とても日本人の情緒的な意見でごもっともらしく聞こえますがこれが漬け込まれる原因になっている事に日本人は気が付くべき時期です。
あなたの言葉をお借りして分かりやすく説明しますが、魔を魔と言っただけで言った当人は魔にはなりません。つまり、あなたは、魔である、教団組織や中山教と称される中山家に譲歩する隙を与えてるに過ぎません。基本ここに居る方々は、天理教は批判してません。居ても極少数ではないでしょう。天理教が批判される時は、「教団の指導者層を牛耳っている中山家がそのような事をしていては天理教も疑わしい。」と言う流れだと見て取れます。様々な方が証拠をここに書き込んでくれるように中山家と教団には明らかにおかしな過去と現在がある。それがおかしい 運営もおかしい と書き込んでいる方々に失礼千万な文章に成っている事に気が付くべきではないでしょうか
理性の神の心 とは何ですか? 名指しした人以外には理性が無く悪魔とでも言いたいのでしょうかそれもまた失礼千万
あなたがおっしゃるように、あなたの文章にもあなたの魔が見え隠れしている事に気が付くべきです。安易に神の名を持ち出し説得納得させようという宗教家にありがちなそれこそ魔です笑
父親
2020年6月13日 7:58 PM
>>えてして宗教に狂っている人はマウント行為をとりがちですね。
そのまま、お返しいたします。 (笑)
父親
2020年6月13日 10:42 AM
>>訂正、息子が、捻挫した時に、陽心寮の寮長のおさづけを受けて、痛みがスーっと引いた時は、ビックリ!したと言っていました。
天理教は、嘘ではないと思います、中には、熱心に、神に通じてる方も見えると思いますので、決して、天理教を否定する気はありません。 ただ、組織的には、参加したらめんどくさいなあって思っています。
自身が指摘された事をそのまま返そうと思っても返しになってない「宗教に狂ってる人はマウントとりがち」って自分が取ろうとしてるやんw 通りすがり 見たいな言い分やな
「息子が、捻挫した時に、陽心寮の寮長のおさづけを受けて、痛みがスーっと引いた時は、ビックリ!したと言っていました。天理教は、嘘ではないと思います」
宗教狂いはあんたやろアホ信者まるだしやで、悪徳教会の教会長みたいな言い分やな、書き込みって記録に残るから気をつけて発言した方が良いですよ。中田善亮大先生はじめ中山家も自身のすばらしいお言葉で自滅してるんですから
父親と言うHNで、前から一連の投稿を覚えてる人なら、私の言ってる事の流れが、判る人には判るだろうと言う前提で書いているので、部分部分に絡む方に説明する必要は無いとは思いますし、絡む気はありませんが。
東風Z氏、崩壊氏が、言いたい事は、承知しています、過去からの、何度ものやりとりの続きです。
東風Z氏が無神論に至るのは致し方無いとしても、東風Z氏にある、無常観を感じる心、思いやる心があるのは、他ならぬ神の心が東風Zさんの中に育っているのでは無いですか? あなたの中に、理性、神の心が育っていますよね? と言う、無神論に対する、有神論者の、私からの問いかけであって、東風Zさんは否定されるでしょうが、父親の言いたい事は、ある程度、理解してくださってると、想像しています。
寮長の話は、天理教の本部の事はともかく、親神を信じて、お助け、おさづけをやって、奇跡?と言う様なお助けを見せる方もいますよね?と言う意味です。
お助けはプラシーボだと言う信者も見えますが、プラシーボだと思うなら、天理教を信仰する意味は無いでしょう? と私は思っています。
前から書いていますが、教団のゴタゴタは人間の問題なので、人間で解決しないと、神は心得違いの人間、教団から、手を引くだけであると思います。
手を引くと言うか、思い違いが、結果として、神を拒否するのと同じになると言う事です。
「ここでも読んでいれば判りますが、恨みの魔だけの心で、批判してるのと、良心、理性の神の心を持って批判してるのでは、文章だけでも受ける印象が違います。」
崩壊さんのコメントは、時に、憎しみが全面に出てらっしゃる、そう言う批判は、魔神にとらわれてるのと同じですよって言う、私の印象です。
魔の心が前に出て憎しみを感じるか、理性を持って納得できる批判なのかは、文章には出ますねって言ってるだけですね。
私は、息子が天理高校に行っただけで、運べとほぼ強制されて別席を運んでいますが、天理教徒にはなりきれない、なる気も無い。
自分は、30年以上大霊界世界観で生きているので、天理教の世界観との違いを書き、教団が嫌なら、別の世界観もありますよって言ってるだけですし、天理教は、天啓者を失った時点で、審神者能力、神のファストチェック機能も失ってますから、今からはもう天啓者の復活は不能でしょうって、思います。
どんな所でも、マウント取りとか言う人はいます、マウントが気になる人は、自身がそれを気にしてる人です。 東風Zさんとか、多くの方は、そんな事は気にもされて無いでしょう。父親と言うHNで、前から一連の投稿を覚えてる人なら、私の言ってる事の流れが、判る人には判るだろうと言う前提で書いているので、部分部分に絡む方に説明する必要は無いとは思いますし、絡む気はありませんが。
東風Z氏、崩壊氏が、言いたい事は、承知しています、過去からの、何度ものやりとりの続きです。
東風Z氏が無神論に至るのは致し方無いとしても、東風Z氏にある、無常観を感じる心、思いやる心があるのは、他ならぬ神の心が東風Zさんの中に育っているのでは無いですか? あなたの中に、理性、神の心が育っていますよね? と言う、無神論に対する、有神論者の、私からの問いかけであって、東風Zさんは否定されるでしょうが、父親の言いたい事は、ある程度、理解してくださってると、想像しています。
寮長の話は、天理教の本部の事はともかく、親神を信じて、お助け、おさづけをやって、奇跡?と言う様なお助けを見せる方もいますよね?と言う意味です。
お助けはプラシーボだと言う信者も見えますが、プラシーボだと思うなら、天理教を信仰する意味は無いでしょう? と私は思っています。
前から書いていますが、教団のゴタゴタは人間の問題なので、人間で解決しないと、神は心得違いの人間、教団から、手を引くだけであると思います。
手を引くと言うか、思い違いが、結果として、神を拒否するのと同じになると言う事です。
「ここでも読んでいれば判りますが、恨みの魔だけの心で、批判してるのと、良心、理性の神の心を持って批判してるのでは、文章だけでも受ける印象が違います。」
崩壊さんのコメントは、時に、憎しみが全面に出てらっしゃる、そう言う批判は、魔神にとらわれてるのと同じですよって言う、私の印象です。
魔の心が前に出て憎しみを感じるか、理性を持って納得できる批判なのかは、文章には出ますねって言ってるだけですね。
私は、息子が天理高校に行っただけで、運べとほぼ強制されて別席を運んでいますが、天理教徒にはなりきれない、なる気も無い。
自分は、30年以上大霊界世界観で生きているので、天理教の世界観との違いを書き、教団が嫌なら、別の世界観もありますよって言ってるだけですし、天理教は、天啓者を失った時点で、審神者能力、神のファストチェック機能も失ってますから、今からはもう天啓者の復活は不能でしょうって、思います。
どんな所でも、マウント取りとか言う人はいます、マウントが気になる人は、自身がそれを気にしてる人です。 東風Zさんとか、多くの方は、そんな事は気にもされて無いでしょう。
コピーが悪くて重なってしまいました、修正できないので、すみません
天理教と言う宗教の中で苦しみ悲しんでいる人たちが居られること自体が教祖の教えに照らして有り得ないと思って投稿しているだけです。ただ、真の教祖の教えが那辺にあるのかは、勉強もしていないので知り得ていません。
二部同窓生の会長さんが20年近く前に、何気に一言発せられた言葉が忘れられません。若い人が居ないんだよね、と。
上層部は丹精が足りないと簡単に云いますが、納得が出来る教えであるならば、それこそ黙っていても縦の布教は出来ていると思っているんですが、間違った考えでしょうか。何度も書きますが、神仏の存在を否定する気持ちになった原因の大きな部分が現行天理教の在り方にあったからです。
>>神仏の存在を否定する気持ちになった原因の大きな部分が現行天理教の在り方にあったからです。<<
もう何度も言ってきたことですが、天理教は宗教の皮を被った営利組織です。少なくとも本部、上層部は神仏とは縁のないペテン集団だと思います。そのようなものに先祖が引っかかってしまったが故に、心に神を宿しているであろう人が神仏の存在を否定してしまうのは、とても勿体なく悲しいことだと思います。だから私は今後も古い資料探しとその紹介を続けていくつもりです。天理教が宗教ではないと世間が認識し、それが公的にも認められる日を夢見て。どうか神様(天理王命でも親神でもない)に守られて、90年でも100年でも生きて、天理教の末路を見届けてもらいたいと願います。
父親
2020年6月16日 7:01 AM
あの長々文章を書けば良いという話しではなくあなたが書いた文章が指摘されているという事実を素直に置けとめることのほうが大切ではないでしょうか。指摘してくださる方もわざわざあなたの文章を引用までして書かれているわけですしその文章はあなたが書いた文章なのですから、それを
「お前の方がおかしい。私は間違ってない!そんな事いってない!」
と言う反論と言うか言い訳にすら成っていない事を認めることの方が大切ではないでしょうか?
「そのような意を持って書いてない!」と言われてもそう見られても当然の内容です。
そのような態度は本部が発行する天理時報等でも見られる文章ですのでこちらの方は嫌悪感を模様して当然の反応です。
「自分は、30年以上大霊界世界観で生きているので、天理教の世界観との違いを書き、教団が嫌なら、別の世界観もありますよって言ってるだけですし、天理教は、天啓者を失った時点で、審神者能力、神のファストチェック機能も失ってますから、今からはもう天啓者の復活は不能でしょうって、思います。」
大霊界?あの説明してもらえますか?無いものをあるように発言する事自体カルト宗教世界観の発言です。人としてありえませんしあなたのような霊などを安易に悪用する人は非論理的とみなされ否定批判されます。それにこちらの書き込みの信用性も地に落ちます。
こちらの書き込みは素直に教団に対しての矛盾を順序だtれて説明していく場ですので、あなたがそれでもと言うなら、ご自身のブログでも立ち上げて理解してくれる方を探したほうがよろしいかと思います。オカルト好きな方には受けるかもしれません。
「30年以上大霊界世界観で生きているので、天理教の世界観との違いを書き、教団が嫌なら、別の世界観もありますよ」
あとこちらの書き込みは他の宗教への勧誘をしているだけではないであしからず。
社会学の方々は「天理教の教えと教団の乖離や矛盾」を述べ続けているのです。言うなれば、本部と言う現存する組織よりよっぽどこちらの書き込みの方が天理教の教義を真剣に述べている。天理教としての正当性を有した状態です。
大霊界となると大本教でしょうかねお帰りください。
匿名さんへ
過去に、ここでは、何度もいろいろ書いているので、私が何を言ってきたのか
知ってるリーダーもいるでしょうから、今更のお話ですよ。
もう、息子が在学中は、いろいろ書かせて頂きました。
天啓者を判定する、ファストチェック、審神者能力こそ、老舗天理教が持っているべきでした。
本席が受け継がれれば、それができましたが、いったん居なくなると、親神を保証できる審神者を作る事は、今の教団にはできないでしょう。 だから井出くに氏とか排除するしか無い訳です。
もちろん、教団本部が、本席を邪魔だと考え、排除して、中山一族で固めた以上、もう変わりようが無いでしょう。
中山一族で固められた本部を排除したとして、どうやって新しい精神的指導者を作る方法があるでしょうか
合議制で、教えを守って行くだけなら、キリスト教と同じですよって、思います
教えを学んで生きるだけなら、教団って要らないですよね? 神があっての教団であり、聖地おぢばでしょう。
天理教の理想の姿って言うのが、息子が入学してこの数年、参加してきたけど、未だによく見えませんわ。
東風Zさん、崩壊さんは、無くなれって思ってるのは、よく判りましたけれど (笑)
>>崩壊さんのコメントは、時に、憎しみが全面に出てらっしゃる、そう言う批判は、魔神にとらわれてるのと同じですよって言う、私の印象です。
魔の心が前に出て憎しみを感じるか、理性を持って納得できる批判なのかは、文章には出ますねって言ってるだけですね。<<
私の投稿をどのようにお感じになるかは、読者各々の方々のご自由です。一冊の小説を読んでも一本の映画を視ても、人それぞれ感じ方は違います。小説や映画作品に限らず、その他の芸術作品にも作者の生い立ちや考え方が少なからず表出します。それは仕方の無いことだと思います。この掲示板に投稿しておられる投稿者全員が同じような環境で育ち、同じような人生を歩んできた人ばかりではありません。私の天理教に対するコメントが憎しみに満ちた感情論になることも別に不思議なことではなく、自然なことだと思います。私は自分の忌憚のない意見や思いを投稿しているだけです。
参考意見 様
2020年6月16日 10:32 AM
>>もう何度も言ってきたことですが、天理教は宗教の皮を被った営利組織です。少なくとも本部、上層部は神仏とは縁のないペテン集団だと思います。そのようなものに先祖が引っかかってしまったが故に、心に神を宿しているであろう人が神仏の存在を否定してしまうのは、とても勿体なく悲しいことだと思います。だから私は今後も古い資料探しとその紹介を続けていくつもりです。天理教が宗教ではないと世間が認識し、それが公的にも認められる日を夢見て。どうか神様(天理王命でも親神でもない)に守られて、90年でも100年でも生きて、天理教の末路を見届けてもらいたいと願います。<<
全くその通りです。天理教は「宗教の仮面を被った営利組織」に留まりません。詐欺師集団です。神仏を利用したペテン師集団、詐欺師集団に他なりません。そうした「まがい物」に先祖や親類縁者が騙され、挙げ句の果てに、神仏の存在まで否定する考えや思いにまで至らざる終えなかった人達は、東風Z様や私だけではないはずです。宗教自体に不信感を持っておられる方々は、世の中の大多数を占めると私は考えています。読者の皆さん、極論かもしれませんが、どのような宗教であれ、大なり小なり人身を惑わせ、自宗教の信者に引き込むために理不尽な教理を備え付けています。自教団や宗派を庇護し生き残っていくための苦肉の手段です。絶対に騙されたらいけません。
父親
2020年6月16日 12:29 PM
匿名さんへ
>>過去に、ここでは、何度もいろいろ書いているので、私が何を言ってきたのか
知ってるリーダーもいるでしょうから、今更のお話ですよ。
もう、息子が在学中は、いろいろ書かせて頂きました。
リーダー?とはキャプテンということですか?それとも読者のことですか?
まず以前はもっと論争が激しかったので、今更と言うより以前より論争はあったといえますし、そもそも霊界とか言い出すし人はまったくもって説得力が無いですよと言うことです。
>>中山一族で固められた本部を排除したとして、どうやって新しい精神的指導者を作る方法があるでしょうか合議制で、教えを守って行くだけなら、キリスト教と同じですよって、思います
もうすでに本部員会議などで合議制ですが?しかも中山家が裏で脅して決めている言わば北朝鮮や中国のような状態です。つまり合議以下なのでむしろ合議制の方がよろしいかと、それに以前より最低でもカトリックの様にコンクラーベ(選挙制)と言う意見は出てました。あなたのおっしゃる精神的指導者?も選挙で決めたらよろしいのではないでしょうか?
>>教えを学んで生きるだけなら、教団って要らないですよね? 神があっての教団であり、聖地おぢばでしょう。
天理教の理想の姿って言うのが、息子が入学してこの数年、参加してきたけど、未だによく見えませんわ。
理想の姿云々 と言う視点より、今の「金の繋ぎは命の繋ぎ」を標榜した中山体制が問題あるということです。
目標の姿より、現実問題規模縮小、部内の土地を返せと言い売却しているようなこの組織が長続きするわけが無いですがね。
息子さんが入学したからなんでしょうが思い入れが強すぎるのかもしれませんね。ですがあなたが思うような理想郷では無いということです。むしろ砂上の城
法人のっとり事件、甘露台倒壊、真柱身上、中山家では治せず、天理時報「ネットの書き込みは嘘だ」発言、「金の繋ぎは命の繋ぎ」など等、現体制がやっていることが明らかに教義と乖離している事が一番問題であり、これを改める事が無いなら「潰れれば良いのでは?」と言うのが多くの信者層の本音です。ある書き込みでは、本部外の中山家の人でも本部中山家に対する批判はでているようですし、擁護する方が難しいというか、擁護する意味が無い人だらけの上層部と言うことでしょう。簡単に言えばもう中田善亮大亮親子から魅力がないんですよね。
放置していてもやがて潰れますがね。競売にかかる法人もあり、部内法人の土地を返せといって、本部の利益にしてしまってる時点で閉店の準備ですからね。それに気が付かない人がかわいそうです。
クリシュナムルティーを救世主とする運動が公になる前にどれだけのどのような準備があったのかは知らない。
天理教団の内外にわたって救世主達の出現を期待し、天啓者達とその言葉を中心に研究している、茨木初代を神の器械の一人として信奉している、云わば、茨木派という人達が存在するようですが、そういった人達の中から新鮮な空機を吹き込んで天理教を再生する人達が顕れるのではないか?
おやさまの教えってさ、ようは、感謝力を養って幸せになっていけ、ってことじゃないのかな?
おぢばの人事についての魂の問題とかは、普通人にはわからない。だろ?
今の幹部連中がオカシイという事には同意するけどね。
感謝力
2020年6月16日 9:13 PM
>>おやさまの教えってさ、ようは、感謝力を養って幸せになっていけ、ってことじゃないのかな?
おぢばの人事についての魂の問題とかは、普通人にはわからない。だろ?
今の幹部連中がオカシイという事には同意するけどね。
感謝なら 教祖や教団も関係ないですね。一般人や無宗教はたまた無心論者ですら感謝はできます。
魂の問題 と言うのも普通の人だけでなく本部の人間も分かってないです。分かると言いたらそれは確実に虚言です。そもそも魂とは?霊とは?と言う問題が発生してきて未確定なものごとと言うことだけは明確です。つまりこれは普通の人や本部と言う区分無く「人はわからない」と言うことに成ります。譲歩して宗教的に言えば、「神のみぞ知る。」とは言えましょう。ですが「金の繋ぎは命の繋ぎ」や合議制でヤカタ建設など間違いを乱発してきたにもかかわらず神技と見せかけた決定をしている本部員会議が異常なんです。
天啓者不在で1人で決めると怖いから本部員会議 と言う複数人で決めたと言う無責任な状態を作り出し例えると子供がやってるコックリさん 変わりないです。なのであなたの言う オカシイ と言う言葉にまとまります。つまり呪われた決定をし続けてきたかもしれません。
大阪では、カーネルサンダースの呪いと言うのがあり、ケンタッキーの像を道頓堀川に落として阪神タイガース優勝くなりました。一方中山家と教団は神にそむき天啓者を陥れた中山家と本部も呪われて当然のことです。
前にも書きましたが、思想哲学と宗教は提示するものは同じかもしれない
とりとめもないお話になりますが
宗教も宗教としての思想哲学を提供する存在なら同じでしょう
信仰とは、思想哲学を自分で学んで、省みて、自分を理想の姿に、変えて行く事かと思います。
社会に参加して、思想哲学で社会を変えて行くのは、信仰とは違うと思います、これは社会活動であり、社会を理想の姿に変えて行くのと、自分を変えるのとは異なると思います。
宗教は、異なる物を一緒にしている部分があるので、行きすぎると全体主義の様になってしまいますね、もう21世紀は、そう言う時代じゃ無いと思いますが。
教団の精神的指導者とは、なんでしょう? これはやはり、信仰としての指導者ではないかと思います、教祖の残した資料を元に、個人の生き方、精神的な向上の方向を示して行く人でしょうね。
現状の天理教だと、神の存在を概念として、宗教思想で、個人を導き、理想の社会を目指す集団と言う事になりますかね? 社会はしかし、異なる思想信条の人も共存できないとうまくはいかないので、21世紀の世界は、一つの宗教思想でまとめられる時代では無く、やはり、宗教は個人の生き方、心の拠り所に専念した方が間違いないと言えます。
天理教の教会に言って懺悔して悔い改めさせる? 別席を運んで、ようぼくになって、教祖の説いた大いなる親神の望む生き方をして、神に認められましょう、と導く?
霊界とか、オカルトは、説得力がありません、と言うなら、偉大なる存在としての神を信じて、思想哲学で、自分を向上させるしかありませんが、それで死を迎えてどこへ行くのか? 向上すると出直した時は、素晴らしい生が得られると言うしか無いですね。
全ての天理教の教会長は、本来、親神様、教祖様の代理人として、信者の精神的指導者になるべき存在だとは思います。
おぢばは、神の鎮まる場所、としての教団のメドウになり、聖地として存続する
金の問題さえ解決できれば、天啓者無き天理教は、そう言うふうに、キリスト教みたいに落ち着くのか? と言う想像しか判らないですね。
全国の天理教の教会長は、教団の精神的指導者になる訳ですよね? たぶん
なら、残された書物を聖書に、合議制で棟梁を決めて運営しても、問題ないか?
今と一緒? 要は、守護の代わりにお供えと言うのをやめさせたら良いわけね
理の親と言う、全体主義をやめさせたら良いわけね
上でふんぞり変える様な世襲制をやめさせたら良いわけね
などと、想起しますね
天理教は「宗教の仮面を被った営利組織」に留まりません。詐欺師集団です。神仏を利用したペテン師集団、詐欺師集団に他なりません。<<
上記の事を実感しています。
代々先祖が信仰し、私も朝に晩にお社前で覆面付けてうやうやしく拝礼し、、立ち去る時も再びうやうやしく拝礼する、、。天理教の神を信じていたからこそ。
天理教本部の言う神様など鎮座しているはずもない空っぽの木の入れ物、勝手に意味を持たせたお目どうが扉の奥に。天理教本部にも、また各地教会にも神など居ない事が腹の底から納得出来た昨今です。天理教の神を信じ畏れていたばかりに、この中山教偽神の為に何という意味のない無駄な時間とお金を使ってきたのだろうか?お金にならない教祖の崇高な教えを子孫の拝金主義の為に巧妙にねじ曲げて来た。代々中山家のペテン師達の筋書きに我が家はまんまと乗せられ代を重ねてすってんてんになりました。本部にも全国教会にも神などいない事を肌で感じています。落ちぶれた悲愴な教会の何と多い事か。
神の残念が今、がらんどうの本部と、7、8割にのぼる事情教会の現実にはっきりと見せられています。
悪を排除したい本物の神が偽教団を潰そうとしている、その意志に逆らう事は出来ません。今は神前に立っても拝礼する気にもならず、手をたたく気持ちも、お勤めをする気持ちも起こりません。空っぽの社をためいきを持って眺めるばかりです。本部中枢による巧妙に仕組まれた、悪意を持った裏切りが判明したから、少なくともペテン師本部の存在は信じないし、信者は自分を大切にする事、善と悪が冷静に判断出来る理性を持たねばと思います。本物の神を尋ねる事が重要です。
正に、90年、100年生きて教団本部中山一統、本部の死に様を見届けたいと思う。
怨念にも似た感情はどうしても消せないです。
横浜天理ビルだけでも年10億、他のビル5棟 全国の貸駐車場も含め60億の売り上げです。
信者に1円でも還元すべきです。
所在地
〒220-0004
横浜市西区北幸1丁目4番1号
TEL
045-319-3811
敷地面積
3,426m2
建築面積
1,680m2
延床面積
38,027.77m2
基準階床面積
1,116m2
構造・規模
地下2階、地上27階
地下2階=鉄筋コンクリート造
地下1階=鉄骨鉄筋コンクリート造
1階~27階=鉄骨造
駐車場
118台
エレベーター
11基
主要設備
空 調:地域冷暖房システムによる
各階インテリアゾーン別空調(1フロア8系統)
床仕上:OAフロアタイルカーペット
その他:光ファイバーケーブルビル内引込済
設計・施工
株式会社 竹中工務店
お問合せ
小 谷
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横浜天理ビル
フロア
:
5階
面積
:
69.192㎡/(20.930坪)
賃料(坪)
:
相談
共益費(坪)
:
6,700円
敷金
:
12ヵ月
備考
:
即日入居可
>>悪を排除したい本物の神が偽教団を潰そうとしている、その意志に逆らう事は出来ません。今は神前に立っても拝礼する気にもならず、手をたたく気持ちも、お勤めをする気持ちも起こりません。空っぽの社をためいきを持って眺めるばかりです。本部中枢による巧妙に仕組まれた、悪意を持った裏切りが判明したから、少なくともペテン師本部の存在は信じないし、信者は自分を大切にする事、善と悪が冷静に判断出来る理性を持たねばと思います。本物の神を尋ねる事が重要です。
正に、90年、100年生きて教団本部中山一統、本部の死に様を見届けたいと思う。
怨念にも似た感情はどうしても消せないです。<<
ペテン師教団が衰退し、崩壊の道をまっしぐらに進ませている原動力は人間が普遍的に持っている、知恵、良識、常識です。人間に知恵、良識、常識がある限り、氷が溶けて水になるごとく、天理教は近い将来、確実に自然崩壊します。誰も止めることはできないでしょう。
>>横浜天理ビルだけでも年10億、他のビル5棟 全国の貸駐車場も含め60億の売り上げです。
信者に1円でも還元すべきです。<<
天理教が完全に崩壊した時点で、社会問題として大きく取り扱われるはずです。もう少し様子を見ていて、これぞというタイミングで、事実を白日の下に晒し、具体的な行動に移したほうが良いかもしれませんね。
>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より(その2)
第一章 つづき (P28~ コマ番号23)
二、体や財産は天理王命の貸したものだから返すのが当然だ(借物貸物の理)
天理教が、六百万と号する信徒より物品を蒐集するのでなかったならば、言うまでもなく、短年限に於て驚くべき発展はしなかったであろうことは容易に予想され得る。少なくとも、教祖中山美伎女が、一文無しのスッカラカンになったとの歴史事実を知る者にとっては、如何にして天理教が今日の大を為し、今日の経済的威容を整えたかという点に対して、徹底せる研究検討はさておき、これに対しての好奇の眼を見張らぬ者はあるまい。
経済的には殆ど無に等しい状態より、膨大なる財力団となれる天理教の今日に対して、言うまでもなく天理教信徒は、その教えの有り難きこと、他宗教に見られざる力の故を以て寄進した。最大原因によるであろうことは、あまりにも明瞭なる事柄に属する。かくては吾人は、その財力をして提供せしむるに至る力に対しての考察を進めていくのは、これまた当然の事柄でなければならぬ。ならまた、力あるとして、その力の一般民衆に対しての働き方(所謂マルクスが「ヘーゲル法律哲学批判」に於て述べた如き「宗教は民衆に対する阿片である」との命題の阿片的宗教)は如何なるものであるかを明らかにせねばならぬのである。
さて、以上の観点より余は、搾取的天理教師が、搾取=彼等天理教教師及び信徒は取る、若しくは取られるとは思っていないで「あげさせる」または「返させる」とか「あげる」とか「お返しする」とかいう言葉で、換言すれば財物の収納、貢納は神聖なる神の御名によりて行われているのである。が、詐術を如何にするか、また一般民衆は搾取を如何にされるかを述べることによりて、上述の問題を明かにすることができると思うのである。
だから、その方法=搾取する=及態度=搾取される=の初段階から順次に述べていくこととする。
まず方法の前提として、貸物借物の理と称する教理を、徹底的に論ずる。そして教える(勿論それは、宗教に対して無知なる民衆に対して詭弁的論理を以てするものではあるけれども教理として教える)点に最も力を注ぐのは、これが聞き手に納得のいくような思想的状態を不幸にも聞き手が取るに至るならば、その聞き手はもはや随喜の涙を注いで、教師が出せと言われるままに財物を取られるという危険を含むものである。そして、聞き手=信者たらんとする者にあっては、いみじき不幸であるが、聴かす手=天理教教師にとっては極めて大切な営業信条である。だから教師は、営業の結果としての収益を多く収めようとすればするほど、ますます熱烈に神秘的口調で、回らぬ舌に唾液を潤ませ、ともすれば嗄れがちな発声器を努しつつ、夢中に貸物借物の理を説き聞かせるにかかるものである。この教師の態度は、恰も実業家が一銭でも多くの収益を収めるために東奔西走する態度や、小商人が腕をまくり手を振って店の前を通る通行人に呼びかけて、店頭の品物を売りつけにかかる、あの一見奇抜な風貌に類している。さらに人に好感情を与える口舌を以て業とする所謂種々な芸人や、下劣なる教師、かつてソクラテス時代に於てアテネの地に、当時の市民を詭弁を以て惑わし、これ等善良なる市民より財物を巻きあげた、ソフィスト等に最も似ていると見てもよいであろう。
而して実業家の奔走や、小商人の態度や、教師、芸人の仕事に対して、吾人はその正当を認め得るであろうけれども、正ならざるを正とし、不正を不正とせず、真理を非真理に、非真理を真理に、不明を明らかとし、明らかなるものを不明とする。所謂「弱き論を変じて強き論とする」が如きソフィスト的態度に今日の我々が組みし得るであろうかどうか?余は断じて組みし得ずと断ずるものである。
然らば「貸物借物の理」なるものが、正しきものであり、真理であり、明らかな一貫せる理路を辿るものであり、強き論であるかを吟味せねばならぬ。だから余は、これに対しての天理教的解釈を訊くであろう。そしてまた、これに対する批判をせねばならぬのである。
彼等、天理教徒は次の如く言う。
「この神言は悉くお道の御教理の真髄であって千古不磨の一大経典なのであります。而してその御教理の大綱は教祖が生前中天啓のまにまに自らお筆を執られた『御神楽歌』と『御筆先』とに示され(中略)天啓の教理の示すところに従いますと、人間は最初五分に生まれ長き年月の間に八千八度の生れ変りをして遂に五尺の身体にまで、成人したのであります。御筆先に
体内へ宿仕し込むのも月日なり 生れ出すのも月日世話どり
といって、その御守護の程を知ることができます。而して絶大の御守護により創造せられたる我々の身上は、誰しも自己のものの如くに思惟しているのであります。これが抑々の大なる間違いであって、決して自分のものではありません。もしも自分の所有であるならば、肉体は我が思うままになることができる訳ですが、如何なる場合でも我が心通りにはできないものであります。この一事既に肉体が我が物でないことをを証拠だてているのであります。然らば何人の所有であるかというに、そは言うまでもなく神様の所有に属しているので、これを我々は貸して頂いているのである。恰も他人のものを借り受けて、これを使用することを得ても自由に処分するを得ないのと同じ訳合であります。これ『借物の理』であって本教の教理中最も重要なるその一つである」(地場思潮社発行「天理教とは如何なる宗教か」頁15~18)
以上で、天理教の所謂「借物の理」「貸物の理」という意味が漠然ながらも知られたことと思う。心と肉体との関係は後述することとして、ここでは我という考えの主体に、この肉体=身体を神様が、所謂「天理王命」が貸し与えたものだとするの考えである。だから我は我の身体を神様から借りたということになるのである。前者を天理教的に言えば「貸物の理」といい、後者をそれ的に言って「借物の理」と称しているのである。
さて、上掲の文を見て誰でも感ずることは、驚くべき詭弁と、怪しきほどの独断が含まれているということにある。必ずしも論理を以て物を考える理知的な人でなくとも、少し注意深く物を考える人にとりては、おかしく思われる。斯くの如き詭弁や独断は、彼等一流の逃れ場所たる「天啓」に隠れている。「天啓」と大きく喚く声で嚇して、聴き手をドギマギさせて、その暇に目つぶしをかける仕掛けがしてあるのである。だから「天啓」は詭弁や独断の隠し場所であり、見手に対しては目隠しであり、聴き手にとりては耳を掩うものであると言ってもよろしいだろう。
だから我々は「天啓」って一体なんだとの問題を提出して来なければなるまい。余はごく大まかに、これについて述べることとする。然る後、隠れ場所より白日の下に捉え来り、視神経を鈍くするものを取り除き、聴神経を麻痺させるものを剔抉して、明らかなる視覚を以て、確かなる聴覚を以て、蔽い幕に隠れたる「貸物借物の理」なるものの正体を見究める必要がある。何故ならば、これが知らず知らずに吾人を迷路に導く、第一の正門であるから。
天啓とは何であるか?
余は、これについて語るであろう。余は天理教に於ける、所謂天理教学者若しくは天理教教師或いは信徒等が、天理教を以て「天啓」の教え、「天啓」による宗教と自称する。しかも、それを誇りとさえ思っているものの如く思われる。確か廣池博士(天理教信者)であったと思うが、天理教は天啓の宗教なるが故に価値あるものであるとか述べられていたものを目にしたことがある。それほど天啓は価値があり、絶対に信用していいものであろうかとの質問は、前述の「天啓とは何であるか?」なる問いを明らかにすることによって、自ずから明白にさるべき質問であると思う。
彼等天理教徒は言う。「天理教は天啓の宗教だから大へんなものだ」と。余は天啓が何故大へんだかを述べるであろう。そして天啓の意味さえも知らぬ、盲目的一般大衆の蒙を啓き得れば幸甚と思うばかりでなく、社会にとり、吾等民族にとり、さらに不正の利を搾取せんとする徒を少しでも減少せしめ得るという意味に於いて、又々、文化向上のために有益なることとなるであろうから、余はこれが簡明に従事するであろう。
「天啓」とは「啓示」とも言われるものであって、その意味はと言うに、神の性質及び聖意は特に霊感を受けた人を通じて行われ、表徴されるということである。つまり「天啓」若しくは「啓示」とは、神が人(霊感を受けた)に神の意を伝え、または神の意志によりて人を行為せしむるとのことである。神よりこれを見れば、人間に対して自己を啓示するといい、人間よりこれを見れば神より天啓或いは啓示を受けたと称するのである。
天啓という意義は、ただこれだけの事に過ぎない。そして天理教は天啓の宗教だということは、天理教は神の聖意または性質が、特に霊感を受けた人、即ち中山美伎を通じて表れた宗教だということである。
そこで、この天啓の語の意味する概念について注意せねばならぬことは、左の点に存する。
(1)神が存在していねばならぬこと。
(2)単なる人であってはならぬ。必ず霊感を受けた人でなければならぬ。
(3)従って霊感という意識状態はどうであるか。
さて(1)に於て、神が存在せねばならぬことは天啓成立上、必ず必要とすべきものであることには異論はあるまい。が、しかし天理教徒の誰れ一人としても、中山美伎が天理王命を云う前までは、神即ち天理王命があると知る者は無かったことは確かである。何故知る者が無かったか。言うまでもなく、霊感を受けた人、即ち中山美伎がいなかったからである。して見れば、この事柄をこうも考えるによいであろう。即ち、
中山美伎がいて、それが霊感を感じ、そしてそれに乗り移ったのが天理王命という神だと言うことができる。して見れば中山美伎あっての天理王命であって、いくら天理王命が存在していたにしろ、中山美伎が生まれ出なかったら、天理王命は今日ありっこないであろう。こう言うと天理教徒はイキリ立って弁解する。教祖がお生まれになったのは「しゅんこくげんの理」によるものだというのが、お定まりの文句である。「旬刻限の理」というのは、神の予言した時の到来ということを意味するのである。
つまり、神が教祖を生まれ出でさせるべく、ちゃんと予言して、その時が到来したから教祖が生まれたのだという天理教徒の言葉を、そのまま信ずる者にとりては問題は無い。神様が言ったとおりだからと信ずる者にとっては問題は無い。がしかし、同じ天啓でも、教祖の中山美伎が言った天地の出来方を知らせるものと、キリスト教または丸山教の天地の出来方を比較して見るに、その説き方、出来方が異なるのはどうしたことであろう。しかも、何れも天啓という点には変わりはない。そして、何れもの信者はそれを信じて疑わぬ。何故かというに、天啓の宗教だから間違いは無い。神様が直接言ったのだから間違いはないと言うのを通例とする。
極端な例ではあるが、ここに或る行者がいて、神様の霊感を受け天地の出来る話をしたとする。(著者の知れる行者で実際創造譚を天啓として受けたと言う者がある)これを今の天理教徒は、すぐ信ずるによいか、余は敢て借問するのである。
宇宙は一つよりない。その宇宙が二つも三つも、まだまだもっと多くの出来方があると言われているのは、どうして考えるによいか?この点について卑近な例を引いて、もう少し説明を明らかにしてみよう。
一冊の著書が出来るには、原稿及び用紙が必要であり、活字を組むものが必要である。さらにそれを印刷で刷り、製本することによりて、ここに一冊の著書が出来上がる。だから(イ)なる現在ここにある本が出来るには、必ず(イ)なる原稿、用紙、活字を組むこと、製本することを要すれども、これは同時に(ロ)なる原稿、用紙、印刷、活字を組むこと、製本することを必要としない。否、必要不必要でなく、そんなことはできない筈である。即ち一冊の本を現在の本として出すまでには、これに要する材料と、これを造り得る一定の過程とがあればよいので、その材料や過程は決まっているものである。ところが宗教に於ては、以上の例でいえば、まことに妙なことになる。それはここに、ある一冊の本を作るに、あるものは赤い紙で、あるものは青い紙で、またあるものは白い紙で印刷すると言う。しかもその印刷の仕方は、あるものは新式の機械を以て、あるものは旧式の機械を以て、またあるものは手刷りでするとする。そしてまた製本屋へ廻す段になると、あるものは甲の製本屋へ、あるものは乙の製本屋へ、またあるものは丙の製本屋へ廻すとする。それから原稿も、あるものは甲の寄稿家の文芸の原稿を、あるものは乙の寄稿家の哲学の原稿を、またあるものは丙の寄稿家の科学の原稿を組んで出来上がったものが、ただ一冊の宗教の本だと言ったら、読者諸賢は、馬鹿な、そんなことがあるか。それは甲乙丙、または白青赤、または印刷製本の巧劣が出来るはずだと難ぜられるかも知れぬ。が、実際天理教に於ける教理には必然こんな奇術を行う理屈が含まれているのである。そしてそれが、宇宙が三つも四つもあると云うならいざ知らず、全体として宇宙(太陽系とか、または他の星系とかいう小さい意味での宇宙でなしに)は一つより無いはずである。さらに、これは因縁の理と言って天理教がここで述べている「借物貸物の理」の次に、天理屋として商売する時に、盛んにお客(哀れクソ真面目正直一途な信者)に振り撒くところの「いんねんの理」のところで申し述べるだろうが、実際こうして宇宙を作った神様が、客観的に存在するものとせば「いんねんの理」より必然、神様は存在せなくなるという結論に至るのであります。
そればかりではない。人間及び万物を造った神様(換言すれば一つの宇宙を造った神様)が、キリスト教のエホバであったり、天理教の天理王命でもあるとしたら、一体どっちが本当の神様でどっちが偽モノなのか、それとも同一の神に名づけた異名がエホバ神、天理王命等なのか、それとも天理王命とエホバ神と二体の神がいたのか、明らかにせねばならぬところではないか。キリスト教の教理(所謂信仰派の)よりせば、天地創造の神はエホバ神一体より無いはずであり、天理教より言えば、天理王命が一体より無いとその教理に説く。して見れば、どっちかが本物で、他が偽物なんだろう。いや、一つより在ってはならぬものであるべき筈である。
然るに不思議なことには、この本物か偽物かという大事件に関して何等の不思議とも思わず、不審も抱かざる彼等二教に於ける教師の態度は、実に盲者唖者聾者に等しき態度ではないか。さらに真実に神を求めんとするの念の薄き実に極まれりではないか。しかも驚くことには、両教(実際はこれ以上だが)とも、各自の神が厳然として存在していると号するに至っては、全くこれ等の態度を何と評してよいか不明に陥るのである。評し得なくて不明に陥るのではない。アキレて不明に陥るのである。
しかし残念ながら、これを在りと信じ、教師の言を直ちに受け入れ、これに盲信するの徒の多きことは驚くべきことであり、またそれほど口舌の詭弁、弱所、虚所をつく彼等の態度の恐るべきことを知らねばならぬのである。
さらに第(3)の問題であるが、今ここに天啓を得たと天理教徒内に自称して出づる者があったら(実際はあったのである。また而してその具体化せる者は大西愛次郎である)天理教に於ける信徒、教師または天理教当事者は、これに対して如何なる処置をとったか。天啓は第三者の、どうしても知り得ないものである。当人と神との交通であれば、第三者の知り得ないことは当然過ぎるほど当然である。然るに天理教内に、この種の者出づるに及んだ時、天理教当局者は邪説曲説を唱える者として、これを排斥したではないか。これ何によりて排斥の理由としたか。言うまでもなく、常識の尺度を標準としたに外ならぬではなかったか。されば余等が、これに対して宗教学的心理学的の考察をすることを以て、天啓の宗教は人間の理屈を超越したところにあり等と称して、盲目的信者の理性が目覚めることを恐れて、目隠し耳隠しをすることを以て、これ事とするは如何にも封建的旧習の「由らしむべし知らしむべからず」式の醜手段を弄するものと言わねばならぬではないか。
実に慨かわしきことは、これ等の見易き道理を弁ぜずして、いたずらに信者の多きを以て、天理教の膨大なるを以て、所謂知識的識者(その実は宗教的常識に於ては三歳の童子よりも無学なる徒)が、その教えに加入する故を以て、換言すれば、皆行くから行く、皆が悪いと言うから悪い、皆が良いと言うから良いと言う(但し病気が癒ったから信ずると言うことは、詳細を後述に譲る)ような、何故に悪いと皆が言うのか、何故に良いと皆が言うのかと考えることなく、人の言うがままに信ずるのは如何にも軽薄な、軽っ調子な盲動と言わねばならない。こう言うと、すぐ御教祖が「三歳心となってこい」と言っているから、三歳心になっていくと言うだろうが、それは教祖の意に反すること甚大である。余が、教祖をしてキリスト的または古来よりの大聖人と称せられているものの列に入れて、教祖の三歳心を解するならば、教祖の三歳心とは決して謂れなき盲信でもなければ、軽動でも、すぐ信ぜよと言うのでもない。一口で言えば、執着を離れて物事を見よということである。天理教に執することは、既に我意を入れていることであって、決して三歳心とは言われぬのである。もし然らずして三歳心を、何でも彼でも言いなりになれと言うにあるならば、それは人間をして、より良く生かすことでなく、動かせば動き転ばせば転ぶ、物体と化せしむる以外の何事でもないのである。人間にして、真に価値ある生産に真に全力を注ぎ、人類の文化向上に資せしめる為に、人間に力を与えるのが真に価値ある宗教と言うことができるにせよ、ウンウンと何でも彼でも、神様の天啓だから、教祖のお諭しお指図だからといって、それに盲従するが如き態度は、活力を得るどころか、それはそれこそ「生ける骸」である以外の何物でもないのである。
さて、霊感という意識状態を明かにする段取りとなったが、これは宗教心理学と変態心理学とに亘るのであるから、詳しくは後述に譲ることとする。
さて、この頁を終わるに際して「天啓」について天理教は如何に見ているか、その「天啓」なるものにどんなに勝手な理屈をコネているかを明瞭にするために、三、四文引用してこれに批評を加え、読者諸賢の厳正な批判に資せんと思うのである。
所謂、教祖直伝と云っている御神楽なるものより始める。これは言うまでも無く「屋敷を拂うて田売りたまえ」と言われる歌の同類であって、天啓による歌であるとする。それは次の様なものである。
「よろづよのせかい いちれつみはらせど むねのわかりたものはない」
これに対して、前管長中山新治郎氏は次の様に解釈を加えている。
「この章の大意は未だ天啓の教えを聴かざる世界人類が闇黒界裏に彷徨する状を示されたるなり。よろづよのせかいいちれつは全世界の人類一同の意なり。みはらせどは神の遍く人類一同を看給うを言う。むねのわかりたものはないとは未だ天啓の教えを聴かざる者は罪悪および禍害を擺脱する道と無上目的に向いて進行する道とを知らずとの義なり。
熟々世界の現状を察するに罪悪及び禍害充満して光明なるべき霊性は光明ならず健全なるべき身体は健全ならず平和なるべき世界は平和ならず我等人間の生存及び発達殆ど将に危機に迫らんとす是に於て救済の要求大に全世界人類の心に起れり而して此の救済の要求に応ずる天啓の光未だ斯の世を照さざれば全世界人類は方に疑雲迷霧中に彷徨しつつあるを免れず是慈悲無限の救済者天啓の教えを垂れ給える所行なり」(御神楽歌述義、中山新治郎著)
所謂、天啓の教えを説く御神楽歌に為すべき解釈として、如何に加言、付会の多きかは一言して明瞭であろう。この歌をズゥと読んでいけば、大概は解るが「むねのわかりたもの」というのは一体何を指すのであるか。この「むねのわかりたもの」に於て、この一つの命題はこうなる。即ち誰の「むね」を、誰が解るのかという点に帰する。さて「むね」を痛めるのが神であるならば、天啓の文としてふさわしい。が、教祖の「むね」であれば、教祖は偏執病の具体的表徴を表したものとしか見ることはできない。何故ならば、教祖は世界を(世界中の人類の心もちを)見透し尽くしたと豪語することになるから。
この「むね」を神の胸とすれば、何とまあ勝手気儘な神様ではないか。後述するであろうように、因縁の行末を知っているべき筈の神様が、御苦労にも人間を作って、罪悪禍害の充満したと嘆ずべきは、とっくに知っていねばならぬのではないか。神はすべからく自分の「いんねん」の表れとして人間界を救済すべきである。神に何にも悪因縁が無かったならば、何で子供たる人間に悪因縁の行為をさせるのであるか。こんな未来の事も見透しできぬ神。所謂、天理管長が言う、罪悪及び禍害充満して光明なるべき霊性は光明ならず健全なるべき身体は健全ならず平和なるべき世界は平和ならず我等人間の生存及び発達殆ど将に危機に迫らんとする、極めて危険な現状を未然に防止得ざる、力弱き、力無き神が何で「慈悲無限の救済者」となり得るか!?これこそ、お臍がお茶を沸かす的な噴飯事でなくて何であるか。
我等は、管長のこの解釈を見ることによって、どれほどの美辞佳句麗文を見るも、それに眼を眩ませてはならぬ。彼等が人の目を眩惑せしめ、人の心を暗くせしめるものは、常に斯の如き筆法に於ける、内容空虚なるものを、形式、外容を以て脅しつけることである。
吾人は、くれぐれも形式、外容、見かけによって、その物や質や内実を決めてはならぬ。現代は殊に、美服を纏い美辞を連ねた言葉を弄し、会話に外国語等を矢鱈に入れ、または漢語等を無暗に混ぜる人間には油断してはならぬ。正に、中山新治郎氏の解釈は、斯く如き詭弁曲論である。不明のものを、明瞭なものとする。これほど独断、独り善がりがあろうか。また世を毒するの最も甚だしいものであると言わねばならぬ。
御神楽歌は、この他に天啓に関するものとして、次のようなものがある。が、それほどのものでないから、解釈は付けぬ。
「そのはずや といてきかしたことはない しらぬがむりでは ないわいな」
「このたびは かみがおもてへ あらわれて なにかいさいをとききかす」
何とまあ、勝手な神ではないか。人間(神から見れば可愛い子供)に説いて聞かせもせずに、どれほど「いんねん」だと言って、病気にもすれば早世もさせたか。神が作ったものであるならば、しかも大慈悲無限な神であるならば、こうすればいけないぞ、ああすればいけないぞと説き聞かすのが本当である。それを知らせもせず説きもせずして、人間の行為をずっと見るだけで、中山新治郎氏の所謂この世に罪悪禍害が充満しなければ、説いて聞かせに来ぬような神は、何とまあ教育に不熱心な神ではないか。また子に対して無関渉な、親としての資格なき神ではないか。かかる点に於て、吾人は神様「天理王命」なんぞは、むしろ有難くもなんでもないと言わねばなるまい。
なお一例、上掲の歌に対しての解釈したものを、お目にかける。これによっても、どんなに解釈が勝手気儘なものであるかを諒解することができる。
「天啓の教えは、理性に超越するものであっても、理性に反対するものではない。理性に反対するものなれば、如何に天啓であっても、理性を有する人間としては、これを信ずることはできない。ただ、理性のみで知ることのできない真理や事実を、神の全智によって人間に知らせ給うのが天啓である。この意味に於て天啓の教えは人間の理性に超越するというのである」(中西牛郎氏著「神の実現としての天理教」頁153)
中西氏の論断は、まことに不可思議、奇妙奇天烈の頂上である。氏は相当の教養ありと聞く。しかし、氏には失礼ながら、哲学宗教に関する教養あるやを疑わざるを得ないのである。まことらしく、天啓は理性に反対するものでなく、超越するものであると言う。ところで反対と超越とは、どんな風に異なるかを、氏は知っているのであろうかを疑われる。勿論、余と雖も、二つの概念が同じだとは言わないが、氏の述べているが如く全然別個のものではない。もともと天啓は感情に関したものであることは、今日多少心理学を学んだ者にとりては異存の無いところである。然して天啓を感情に関するもの(天啓を受ける人の)とせば、氏の説論中に大なる誤謬がある。そればかりか彼等(天理教学者)が如何ばかり、中山ミキの夢中で口走ったことに対して、これをよく価値づけようとして焦っているかも知ることができるのである。
即ち、天啓は神の御言葉である以上、真理ならずと言うことはあるまい。(信仰篤き者にとりては)然るに、氏は何故に「理性に反対するものなれば、如何に天啓であっても、理性を有する人間としては、これを信ずることはできまい」と言っているのか。これ実に、氏が超越と反対との概念が異なるということを説かんとして、引き出したものであろうけれども、不幸にして氏の目的は達せられないのである。それは前述したとおり、天啓なるものは、理性を以て正とも非とも判断し得ざるものである。即ち、天啓で述べられたるものが、理性では真理だとは言われないのである。ところがこれを真理だと言うのは、一体どうしたことであろうか。これ明らかに、理性に反対していることを認めるという点に於て、理性に反対しているものであると言わねばなるまいではないか。
斯くの如く、詭弁は至る所に伏在しているのである。読者は注意を重ねて、天理教の書物なり、教師の説教なりを聴かねばならぬ。
くれぐれも言う。天啓の言は、必ずしも真理ではない。それが理性に叶うもののみ真理であると。また、理性を以て決し得ないものは、これを真理と決するのは大なる誤りであるということを。
また曰く、
「天啓と申しますは神が直接に人を介して我等人類に神意を述べられたのであって、智識や苦行や思索によりて発明せられたり考えられたりした教えとは大に異なるのであります。而して、宇宙根本の神様が吾が天理教祖を通じて、天啓を垂れられた所行のものは人類を闇黒の世界より光明の世界に導き、一切のあしき埃を拂うて此の世ながらの安楽世界、極楽世界となし地上に甘露台を築き上げんとの切なる神の思召によるのである」(地場思潮社発行「天理教とは如何なる宗教か」頁3)
右の文にも見る如く、天啓は、智識や苦行や思索とは相容れぬものである。だから個人の思いつきや、独りよがりや、勝手な事柄が多いのである。それを天啓と信じない人には三文の価値も無いのである。前述したとおりであるが、ここに天啓だと言って、神の告を口走る者があるとしたら(実際あったものだが)天理教徒は直ちにこれに信用を置くかというに、そうではあるまい。誰かが、天啓だから俺の言いなりになれと言ったところで、よも言うとおりにはなるまい。なるほどのものでなくては、どうして天啓だから価値があり、理性より超越したものであるなどと、よく言えるか。実に無自覚な、無学で薄っぺらな無知さに、驚くというより呆れざるを得ないではないか。天理教が「天理屋」を開業しているうちは、これに迷い込むお客の来るうちは、どうでもよい天啓を後生大事と崇め奉っておくんだが、こんなものは何にもならぬのだと言うのが、天理屋の物のわかった人間の腹の中だろう。
それにしても、あまりにやり方が残酷ではないか。何故ならば、巻き上げる第一歩としての天啓だから。
さて天啓のことは以上で終わることとして、この天啓が述べていることであるところの貸物借物の理なるものを説明する。この貸物借物の理を信者に呑み込ませれば、もう取るも剥ぐも自由自在だと、ある教師が著者に語ったことがあるが、実にこの貸物借物の理こそは、見方によりて人生に活気を与えるものであり、取りようによっては、身を滅ぼし、家を倒し、一家離散の憂き目にあわねばならぬ第一段階であるのである。
抑々この「貸物借物の理」なる思想は、どこから来たか。余はこれについて、お話するであろう。<<
教祖の登場が予定されたものならば、そのことを過去に予言された天啓の記録などが残っていなければならないのでは?登場した本人が、自分で予定されていたと言っても、それはジャンケンの後出しみたいなもののような気がします。しかし「貸物借物の理を信者に呑み込ませれば、もう取るも剥ぐも自由自在」とは、怖いですねー!!
これからは天理教の教会もクラウドで管理したらいいのでは?
あ、すでに浮浪雲か…
空に五彩の雲たなびきし〜
教会本部というサーバーでは管理しきれない!時代はクラウドなんですよ!
天理教に、れん⚪︎うさんみたいなITに長けた人材はいませんかね? 笑
クラウドなら雲隠れも可能。やばくなったら霧散して、またどこからか発生して、フワフワと漂う…
空を仰げば教会が。
そんな存在になれるかも
なれるわけねーか!
便所の落書きよろしく多目的。
失礼しました
父親
2020年6月17日 6:39 AM
あなたは難しい言葉を並べて分かった振りしてるようにしか見えません。神ありき宗教ありきなどでしか語らない時点でイデオロギーですし妄信してることに過ぎない。 社会学のコメントでは数年前にもうやり取りされています。まずは発言よりも過去ログ(書き込み)をご参照になられた方がよろしいです。
組織はなくとも信仰できる!
2020年6月17日 9:21 AM
>>横浜天理ビルだけでも年10億、他のビル5棟 全国の貸駐車場も含め60億の売り上げです。
信者に1円でも還元すべきです。
人口低下、コロナ禍によるオリンピック開催の難しさから今後都心部の土地下落は免れません。それにリモートワークの推奨から、オフィステナントの必要性の低下もあります。不動産は会社が上り調子の時は資産として有用ですが下落したら含み損だらけです。組織が衰退した際は売却して現金化するのが不動産の価値ともいえます。ここまで知れ渡った以上会社の資産も中山家が持ち逃げはもうできないでしょう。教団内で信者層からは「隠れて裏でビル運営?」とイメージが悪く、それは教団の資産として、今後の教団の整理、中山家の被害者への慰謝料として適正に使われる事が求められる大切な資産になります。株式に関しても、教団保有とし、株式の保有が個人ならば教団の被害者の為にそれも売却整理される事が望ましくなります。いくら合法的に持ち逃げしても、有名団体天理教団の引き起こす社会問題はメディアも食いつくところでしょうから、弁護士も好き勝手にはできなでしょう。法をとるより和解を求める事が同じ地球上で生きていかざる終えない以上中山家にとっても有益だからです。資産や現金も持ち逃げしてもイメージが悪いようでは、合法的にも或いは非合法的にも狙われるのは目に見えてます。
しかし今までの傾向から言いますと教団は常に社会学のコメントが懸念する方向に向かってます。ほぼ10割懸念する方向ダメな判断をしてしまうのでまたするのでしょう笑
中山家の性根の腐り方を楽しむのも一つの楽しみ方として社会学の方々は楽しんでますがね。
>>弁護士も好き勝手にはできなでしょう。法をとるより和解を求める事が同じ地球上で生きていかざる終えない以上中山家にとっても有益だからです。資産や現金も持ち逃げしてもイメージが悪いようでは、合法的にも或いは非合法的にも狙われるのは目に見えてます。
しかし今までの傾向から言いますと教団は常に社会学のコメントが懸念する方向に向かってます。ほぼ10割懸念する方向ダメな判断をしてしまうのでまたするのでしょう笑
中山家の性根の腐り方を楽しむのも一つの楽しみ方として社会学の方々は楽しんでますがね。<<
仮にも、宗教法人の仮面を被り人々を騙し続けてきた過去の歴史が、大きく社会問題として取り上げられるのは火を見るより明らかです。合法的にしろ非合法的にしろマスコミに狙われるのは目に見えています。中山家ご一統様の性根の腐り方が白日の下にさらされ、司法が非合法と判断すれば、これまで苦しめられてきた信者にとってせめてもの慰めにもなり、天理教という社会悪が無くなれば、世の中全体にとっても福音となるはずです。
天理教の弁護士もいますね。
組織防衛のための働きしかしないと思われます。
最近は政府にしても役人にしても男女ともに高学歴の人格破綻者が
世の中で好き勝手な言動を繰り返しています。
腐っているのは天理教組織だけではないのが現状です。
天理教の不動産に関しては先にご指摘下さった方のおっしゃる通りです。
不動産は持ち続けると「負動産化」しますから、金を持った投資関係の人は転がして利益を確保するのです。
数年前まで、東京スタイルという企業は、都内角地の整形一等地に自社ビルを保有していましたが、再開発の誘いにのらず、適切な時期に売却して益を出したようです。
より大きな利益に目がくらんで現在も再開発の枠に残留していたら、恐らくは今からの売却では叩かれたことでしょう。
知恵者がいたのか、他所事ながら、社員と関係者の人々にとっては良い時に売り抜けたと感心しています。
昔勤務していた会社では本業とは別にジム+プールを経営していました。
プールは維持管理の経費が莫大にかかるものなのです。
赤字企業なのに、なかなかサービス内容のレベルダウンを図れず、お荷物と化していました。
本業も大きな柱が2本あったにもかかわらず、会社は結局身売り、それも叩かれての売却でした。
天理教の東京巣鴨のプールと温泉は以前から、今すぐにでも手放すべきと考えていました。
老朽化してきていますが、メンテナンス費用は利益から支出できているのか疑問です。
最早、コロナで更なる苦境にあるのではないでしょうか。
巣鴨の温泉とプールに関しての経営状況の情報をリークする人がいないので想像するしかありません。
保有していて黒が出ているのか、多分、無理でしょう。
泥沼の天理教ですね。人間関係などですぐに縁を切れない方もいます。
できることは、お供えを減額して本部を秤量攻め、おじばがえりをしない、匂い掛けをしない、ひのきしんを断る、実行中です。
天理教が「天理屋」を開業しているうちは、これに迷い込むお客の来るうちは、どうでもよい天啓を後生大事と崇め奉っておくんだが、こんなものは何にもならぬのだと言うのが、天理屋の物のわかった人間の腹の中だろう。
それにしても、あまりにやり方が残酷ではないか。何故ならば、巻き上げる第一歩としての天啓だから。<<
巧妙な騙しの手口に、うっかり天理屋商店に迷い込んでしまった我々お客たち。このお陰を売る天理屋商店主はべらぼうな高額代金を商品を売る前に取れるだけ取るのだだが、この商店のお陰が貰える商品は看板に偽り有りの実態も実感もない代物。
地球規模でコロナで苦しむ神の子らを前にだんまりを決め込む真柱。お陰もなければ救済しようともしない。地球上のすべての婦人が天理屋婦人会員になれば良い、と大風呂敷を広げたはるえさん。地球上でわずか20万人いるかいないかの会員へ向けてでさえも気の利いた救いの言葉も諭しも出来ないのに、夫婦揃ってだんまりを決め込んでいたのでは、今後世界助けの天理屋に、どの面とどの口下げて出て来るんですかね。天理屋と言われる所以です。無責任極まらないです。空いた口がふさがらないです。
感謝力 さんへ
2020年6月16日 9:13 PM
>>おやさまの教えってさ、ようは、感謝力を養って幸せになっていけ、ってことじゃないのかな?<<
そんな単純な問題ではありませんよ。要は、おカネを持ってこない参拝者は信者扱いさえされないのです。
感謝力を養って幸せになっていくために現行天理教の教えは全く不要です。
天理教の信者でなくても日々感謝の気持ちを持って過ごして居られる方はごまんと居られますよ。
変なものを見たばっかりに不足の心が出来てしまっては、元も子もありません。
ちなみに、元とは元手のことであり、子とは利子のことであると説明されています。
元も子も失ってしまった方が余りにも多すぎますよ。
あはは、父親に、判った様な事を言われるのが、気に触るようだが、それはあなたの問題だと思うよ。
私も、数年前から、ここに数百コメント、繰り返し書きながら、考えを更新している、リアルに、一応所属してる教会長とも、論争になる、なので、だんだん私のコメントは変化しているが、どうでも良いことよ。
管理人じゃあ無いんだから、反論する気も興味もなければ、父親など、スルーしなよ (笑)
ひたすら、天理教本部への批判が、繰り返し同じ様な意見が、コメントされてる場所だからね
私も、スルーで構わないんです、興味のある範囲しか、書きませんから、興味のない意見には、違うなって思っても、反論あっても、スルーしてますしね、管理人が、ブロックしない以上、管理人の代理みたいに、やるのは余計なお世話だね。
一応、別席、運び中の、天理教信徒の資格はあるからね (笑)
某ツイートより
>本部月次祭の際に本部員用駐車場はモーターショーみたいです(笑)
貧に落ちきって人をたすけよという教義を説くのに、
自分たちは高収入で、厚生年金、互助会等福利厚生が充実の確保、なんという矛盾だろうか。
なんで軽自動車ではあかんの?
やっぱり見栄の張り合いとかなんですかね。
父親
2020年6月17日 7:58 PM
>>あはは、父親に、判った様な事を言われるのが、気に触るようだが、それはあなたの問題だと思うよ。
私も、数年前から、ここに数百コメント、繰り返し書きながら、考えを更新している、リアルに、一応所属してる教会長とも、論争になる、なので、だんだん私のコメントは変化しているが、どうでも良いことよ。
管理人じゃあ無いんだから、反論する気も興味もなければ、父親など、スルーしなよ (笑)
ひたすら、天理教本部への批判が、繰り返し同じ様な意見が、コメントされてる場所だからね
私も、スルーで構わないんです、興味のある範囲しか、書きませんから、興味のない意見には、違うなって思っても、反論あっても、スルーしてますしね、管理人が、ブロックしない以上、管理人の代理みたいに、やるのは余計なお世話だね。
一応、別席、運び中の、天理教信徒の資格はあるからね (笑)
>>父親に、判った様な事を言われるのが
といってる時点で自分で分かってますよね。あなたは故意にその文章を書いているという事を自らから語ってることに未だに気が付かないのかな?(笑)なんでも反論者のせい は余りにもおかしい。前回人格障害や自己愛性の話が出ていたがまさにそのままでは?指摘はすべてして貴社の問題?中田善亮ばりの言い分ですねー(笑)
ネットとは、間違ってる違憲が有れば異論反論される場ですが?まだ誹謗中傷になってないだけマシじゃないかな?それに反論するのが管理人の役目ではないのでだれでも異論反論をする場ですがね?
>>「管理人が、ブロックしない以上、管理人の代理みたいに、やるのは余計なお世話だね。」
余計なお世話、と言うよりあなたみたいな虚言が出てくると教団の人間はこういう人間が多くそう騙してくるというよい事例になるんで好都合
それに管理人があなた程度の判断でブロックしてたらツイッターブロック男の中山大亮君見たく他所で叩かれますわ
そもそも管理人は、勝手にコメントしてくれるからもう放置で左団扇でしょ(笑)
崩壊さん 東風zさん などとわざわざハドルネームを語って近寄って反論否定された時にでも同情してもらうとでも思ってるのかな?
あなたの文章は中田善亮のような病気を持っているか、故意にやっているかのどちらか以前よく出没してた 通りすがり とかも酷かったが、親父 も酷いわ
以前も、HNが!ブロックが!と騒いでたアホいたわ
匿名
2020年6月17日 9:31 PM
大教会長は経済感覚の無いお坊ちゃんばかりですからねーその教団を擁護する人は大体「私も高級車に乗りたい」と思ってるような欲深い人間ですからねー明らかに他人お金で高級車はおろかビル経営信用なりませんね。そもそも世間からは冷ややかな目でしか見られないのが新興宗教団体ですからね。
部内を複数抱える分教会や大教会の親玉が中山家です。それは周知の事実でその運営がままならないのにそのままならないことすら隠したいのでしょうか?中山家を追放の流れが怖いのでそうかね?でも仕方ないでしょう使わないヤカタ建設や裏でビル建設して私服肥やしてたのバレたのだから悪事をあげたら切りないけど、二代真柱が信者を犯しまくった事実は信じがたい事実だったようだしもう隠蔽はできないからね。ここまでした中山家を擁護できる精神は理解できないね。宗教に狂うと人格まで狂うのは良く分かりました。知人の本部外の中山の人間も言ってましたが、本部は二代真柱の不貞行為の事実を言われるのが一番嫌がってるそうで、無い話なら嫌がる話でもないですが事実生き証人が沢山おられます。それに近親相姦も酷い様でだから、善亮さんや大亮さんのような空気を読めない人が生まれるのかとコロナの動画で確証しました。これでは先は長くないでしょう。
時より中山教の人間が来るけど結局内容では一つも説得できてないからなーシツコク意味不明な事を書き込んでくるか、負け惜しみで無意味な反論をするだけでやがて消えるからね。俺の教会に来い!ぶっ飛ばしてやる!見たいな書き込みも有ったよなw これが中山教の程度だとしらさ皆どんどん幻滅して行ったし、天理時報も反応したりしてしまったりね。本当に自分達が正しい思い込んでて、その批判や反論に本当に怒ってるのが凄いと思います。
社会学を邪界学とか書いたりなんとかここの書き込みを止めたいのでしょうがネットと言うものは是非ともに広がるものですし教団が無意味にネットに進出したのが間違いの始まりでしょう。自ら墓穴を掘ったのにそれすら予想できなかったのならば本当中山家やその周りには頭の良い方がいないのでしょう。
親父 って人は古参ぶって古参だから許されるとでも思っているのか?おかしな意見したら通りすがりの様に叩かれて当然w よく読んでみるとすごく気持ち悪いw 古参なら、中山家の悪事を知って賛同なんかできひんわ HNや匿名に拘ったり古参ぶったり内容が無くてキショさすが息子を付属とかに易々といれて自己満足してるおっさんだわ 教団の子供って半強制的に教団の学校入れられるからある意味虐待リエハラやわ
>>教団が無意味にネットに進出したのが間違いの始まりでしょう。自ら墓穴を掘ったのにそれすら予想できなかったのならば本当中山家やその周りには頭の良い方がいないのでしょう。<<
最近、大亮君のツイッター、なりを潜めていますね。古い話だが神殿を「かっちょいー」とか、神の社を!
これが次期真柱の口から出る言葉でしょうか。あ◯でなくて彼は何なんでしょうか。言うこと全て空気の読めないトンチンカンしか出てこないし、あ◯はだんまりを決めた方が良いと悟ったのでしょうか。
人のお金でぬくぬく生きて、世間を知らない人間が如何にも分かった様な口をきくのは世間の荒波に揉まれて甘い辛いを嚼み分けた人間から見ればひんしゅく物です。お笑いですよ。大亮君然り。大教会で大口を叩く横柄な役員子弟の青年然りです。彼らは所詮、その域から出る事の無い、世間では通用しない、限定空間でただ自己満足で終わる人たち。
反論なら、ちゃんと、返してますが、何か?
気持ち悪いと言うのは、読んでも理解できないのだから、仕方ないよね、判った様な事というのは、受け取る感覚で、書いてる私自身は自分の世界観を、整理しているので、判って書いているのです。
SNSのジャッジは、全て、リーダーに任せられる、だから、アカウント同士、交流したり、コメントで絡む必要は感じていません、多くのサイレントリーダーに向けて、書けばいいんですよ。
あらためて言うけれど、私は、反天理教徒でも無ければ、天理教を本気で信仰してる訳でも無い、息子は女房のようぼく資格を使って、自分で望んで天理高校2部に進学したし、それも終わって、専門学校に進んだので、天理教のお付き合いはあるけれど、特に何も拘束はされない立場です。
親としては、在学中は負担金も無く、助かりました。
現在、天理高校2部の倍率は、不景気なのか 1、5倍です、全然減らない、むしろ増えてる、崩壊さんが、天理高校の進学希望者など、いなくなると言い切った事に、そんな事はないと言ったのに、無視されたので、怒った事もあります。
所属の教会長は、子供の進路選択については、全て天理教高であり、特に長男は教会を継がせると決めている、私は一つ違いのこの教会長と、子供の進路はこの自由では無いのか?と議論をするが、神の道を歩かせるのか正しいと言う教会長の信念と、行きたい道を自分で選ばせるのが、本当の神の思し召し!と言う私の持論とは、相容れない。
天理教世界観では、教会子弟は、幸せになれないと、私は感じる。
もっとも、私の所属する教会長も、信仰3代目だから、麻痺してるのかもしれないけれども。
天理教が思想哲学としての宗教になると、教祖の天啓は、霊的な話で、邪魔になってくるから、劇画教祖物語みたいに、天啓では無かった事になるんでしょうね、八島派とか、そう言う人達なのか?と理解しています。
思想哲学だと、なぜ良い方を目指す必要があるのか?と言うモチベーションは、どこに求めたら良いのか? これは宗教だから、概念としての神に登場をしてもらう必要がありますね。
天理教内では、教祖様が言っていない、霊界や魂のお話は、根拠がないから、説得力は持たないとなると、天理教の世界観は、前にも書きましたが、閉じられた、神の箱庭宇宙の世界観から出る事はできないので、因縁を解消して、来世はより良い場所に生まれて、陽気ぐらしできると言うのが、モチベーションになるのか?
ずーっと出直しては、繰り返し、神が作り眺める箱庭宇宙で陽気ぐらしをして、成人を目指す人間と言う世界観なのかな
宗教に参加して、向かう先を目指す、モチベーション、あるいは幸福感、達成感を、何で提供するのか?
今の天理教は、守護の代わりにお供えを払いなさい、って言う印象しか無いですね、因縁とか、部外者からしたら、怖れを煽ってるだけでしょう。
そう言う事は、信仰3代目とかになると、もう生まれた時から天理教が当たり前なので、理解の外であり、信仰のモチベーションなんて、何言ってるの気持ち悪い?になるのかなって、感じます。
代々の教会子弟の方の、神などいない!全部取られた!騙された!と言うコメントを読むたびに、どうして途中で辞められなかったのか?とか思いますが、それは逆に、外部の人間では、理解の外かなとも思いました。
>>天理教が思想哲学としての宗教になると、教祖の天啓は、霊的な話で、邪魔になってくるから、劇画教祖物語みたいに、天啓では無かった事になるんでしょうね、八島派とか、そう言う人達なのか?と理解しています。<<
八島派は思想哲学ではありません。ご興味があるのでしたら、天理市櫟本にある櫟本分署保存会にアポをとったうえで、直接、話を聞かれた方が良いと思います。
↑
追伸
櫟本分署跡保存会のURLは下記の通りです。
http://www.ichinomoto.com/
>>代々の教会子弟の方の、神などいない!全部取られた!騙された!と言うコメントを読むたびに、
どうして途中で辞められなかったのか?とか思いますが、・・・<<
辞めるともなれば、教会施設にはいられなくなるでしょう。教会施設は宗教法人の物とは言え、端的に言えば会長家族の家のような感覚ではあるのですが、信者さん方の目もあります。更に、会長後継者と目されている立場の者が事情働きをするといえば上級は黙っていないでしょう。
仮に、黙っていても居づらくなるのは当然です。かと言ってそんなに簡単に教会を出て行けるものではありません。教会常詰めの子の立場にあった私が教会を出る時は、就職活動も出来ず。かたちとしては家出同然の姿でした。たまたま、叔父の家に泊めてもらうことが出来ましたが、外部に支援者が居なければ簡単なことではありません。
今から60年余り前のことですから就職先も無く、ましてや部屋を借りるおカネもなく寮のある職場探しに必死でしたよ。
今は、経済状況も昔と比較すると良くはなってきていますが、辞めるには相当な精神的覚悟と経済的なバックアップが必要ですよ。
言うは易く行うは難し、です。
父親
2020年6月18日 6:36 AM
>>神の箱庭宇宙の世界観から出る事はできないので、因縁を解消して、来世はより良い場所に生まれて、陽気ぐらしできると言うのが、モチベーションになるのか?
ずーっと出直しては、繰り返し、神が作り眺める箱庭宇宙で陽気ぐらしをして、成人を目指す人間と言う世界観なのかな
宗教に参加して、向かう先を目指す、モチベーション、あるいは幸福感、達成感を、何で提供するのか?
今の天理教は、守護の代わりにお供えを払いなさい、って言う印象しか無いですね、因縁とか、部外者からしたら、怖れを煽ってるだけでしょう。
ここが大切なポイントで、輪廻転生を入れてくる宗教は信じちゃいけません。譲歩して教義に書いてる分には仕方ないとしましょう。しかしこれを人が正当化の為に述べてはいけない。中山家の言う「血が」とはこの生まれ変わりを本当に信じているからです。イスラム教の自爆テロ、カースト制度のアウトカーストも輪廻転生を信じ込まされて行われるのです。 つまり分からない事を人に押し付ける押し付けられた結果、無責任な結果が生まれるのです。話を教団に戻しますと、中山家は生まれ変わりを「入れ替わり立ち代り代々」と信じてしまったから未だに「血だ」と思い込んでいるといえるのです。これは教祖が言ったからだ!と言いましても、天理教の教義書 は論文になり査読を受けておらず論理上正当性はまったくありません。なので思想であっても哲学ではございません。
本当に神の言葉が降りたと信じているなら、人間の論理の挑戦を受けたらよいのです。ですが天理教史ずっと逃げてきたのが事実です。これが宗教といえるのでしょうか?譲歩して宗教としては認めましょうしかし神の啓示が降りたとは言葉は疑わしい。と言うのが正当な意見です。
つまり幸福の科学の大川りゅほう と同じ次元だ。ということです。共産主義の思い込みとなんら変わりもないわけです。
インチキ宗教でも良いと言う人だけのこればいいのでないでしょうかね。今後インチキと一生言われ続けることを覚悟が必要ですがね。でもそんな人はいません。そもそも宗教がインチキな時点でそれは神を仰ぐ宗教でなく悪魔を仰いでいる事を同時に認めてしまうからです。悪魔を仰がされている事に気が付かない人だけが未だに幸せなのでしょうね。
皆さん 本末制度(ほんまつせいど)をご存知ですか?
本末制度(ほんまつせいど)
仏教寺院の寺格制度。一宗派の中心となって統轄する本寺 (→本山 ) と,それに付属する寺院である末寺によって構成される重層的な制度および組織をいう。江戸時代に寺院の統制支配のため江戸幕府が制度化したもの。本寺は末寺の住職任免権,裁判権を掌握し支配していた。第2次世界大戦後は,信教の自由と政教分離の二大原則により,「宗教法人法」が制定され,従来の本末という概念を廃し,包括・被包括という言葉を使用するようになった。そして被包括寺院は,その信徒を含めた寺院の意志によって,包括関係から容易に離脱することができるようになった。
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E6%9C%AB%E5%88%B6%E5%BA%A6-135288
この本末制度は、「江戸時代に寺院の統制支配のため江戸幕府が制度化したもの。本寺は末寺の住職任免権,裁判権を掌握し支配していた。」とあるように寺に反発されるのを抑えるためにあえて成された制度で、これは宗教組織側からすると力を削がれた組織構造にされたということです。
現在の天理教教会本部は、本末制度そのまま行き過ぎて末が枯れ衰退しているのがいい例です。しかも資金は、末から本 に流れないのでより枯れる。
「これをベースに現在の宗教法人法ができてるから仕方ないじゃないか」という人がいるかと思いますが、宗教団体によって、その本と末の関係性はさまざま資金の流れも相互で流れていたり給料性の宗教団体もあるのです。
これをもっても本末制度の本が「金の繋ぎは命の繋ぎ」といい続けられるのでしょうか?明らかに失敗の教団運営だという事です。
歴史的に見ても、如何に中山家の教団運営が間違っていたかが一目でわかる話です。何をおっしゃっても正当性は1㎜もございません。
東風Z 様
2020年6月18日 2:11 PM
>>辞めるともなれば、教会施設にはいられなくなるでしょう。教会施設は宗教法人の物とは言え、端的に言えば会長家族の家のような感覚ではあるのですが、信者さん方の目もあります。更に、会長後継者と目されている立場の者が事情働きをするといえば上級は黙っていないでしょう。
仮に、黙っていても居づらくなるのは当然です。かと言ってそんなに簡単に教会を出て行けるものではありません。教会常詰めの子の立場にあった私が教会を出る時は、就職活動も出来ず。かたちとしては家出同然の姿でした。たまたま、叔父の家に泊めてもらうことが出来ましたが、外部に支援者が居なければ簡単なことではありません。
今から60年余り前のことですから就職先も無く、ましてや部屋を借りるおカネもなく寮のある職場探しに必死でしたよ。
今は、経済状況も昔と比較すると良くはなってきていますが、辞めるには相当な精神的覚悟と経済的なバックアップが必要ですよ。
言うは易く行うは難し、です。<<
失礼ですが全文引用させていただきました。私の生家は幕末まで農民でした。私の曾祖母が曾祖父の大反対を押し切り、どういうわけか天理教に騙され、入信しました。大変、語弊のある言い方であり、女性の読者からは非難囂々のご意見が集中するかと思いますが、それを承知の上で、私なりの意見を述べさせていただきます。女性は総じて超自然的な事象に興味を持ち、科学的に説明のつかないことは、すべて、「神仏のなせる技」、「神仏のはからい」として説明しようとする傾向があります。しかし、それは大変な誤りであり、人心を混乱させ、人々を「迷信やまやかし」に導くものとなってしまったと私は考えています。私の曾祖父は45歳という若さで無くなりました。それ以後、我が家は曾祖母の独壇場となってしまい。我が家の敷地を天理教に全てお供えしてしまいました。曾祖父が生きていればどんなに残念がったことでしょう。元々。我が家は宣教所でしたが、天理教の「教勢倍加運動」(正確な表現は知りませんが)なる天理教の「教策」により、元々、私有地であった家屋敷は宗教法人の名義に強引に切り替えさせられ、分教会にさせられました。「屋敷をはろうててんてこ舞い」になった次第です。元々の私有地、私有財産を平気で我が物にしてきたのが天理教です。読者の皆さん、絶対に騙されたいけません。
東風Z様 破壊様
>>代々の教会子弟の方の、神などいない!全部取られた!騙された!と言うコメントを読むたびに、どうして途中で辞められなかったのか?とか思いますが、・・・<<
いろいろな意見が出ていますが、例えば、本部直属OO分教会の後継者は関東地方の一流国立XX大学の教授となり退官した。後継はそこの青年勤めをしていた人が会長に就任している。その先生は布教所になっている。
どのような理由をつけて天理から離れ、後継者から逃れ(?)たのかはわからないが、教会長は悩みを抱え、説得を試み、ご本人もいろいろな葛藤、があったと思います。
こんな事例からして、要は本人がどのように人生を送るか、自身の覚悟ではないでしょうか? 冷たいようですが、ぬるま湯のなかで育ち、上級教会も分教会も本当に助け一条の人生を送るという覚悟のない天理教の状況で、信念を養うことができていからではないでしょうか? その結果、「騙された、取られたという言葉しか出ない」 という後ろ向き、逃げ根性の言葉になっているのだと思います。
非情すぎますか?
マジレスする前にご質問
2020年6月18日 10:10 PMの匿名 さんは教会生まれ教会育ちですか?
通りすがりみたいに逃げるのは無しですよ。
匿名 様
2020年6月18日 10:10 PM
私は、以前にも投稿しているとおり、末端教会生まれ末端教会育ちですが、20歳前に天理教の矛盾に気づき、天理教の信仰を棄てました。私の信念で天理教から離れました。以後、私なりの信念で50年近くの人生を生きて参りました。我が家の歴史と自分自身の経験を基に天理教について述べているつもりです。「騙された、取られたという言葉」は私からのアラート(警告)のつもりです。どのように解釈されるかは、読者個々人の自由だと思います。後ろ向き、逃げ根性のネガティブな言葉としてとらえられるのもご自由ですが、私の本意は、あくまでもアラート(警告)ですので、誤解無きようお願いします。
ここでも、今更の話題ですみません、八島氏のお話を、ネット上でサクッと読むと
「転輪王の心で生きる! 」 とみきは決めた。
それが当時の生き神様である天皇制とのすり合わせで変遷したのは、判ります。
今言われてる、親神とか存在しない、みきが、仏教の守護者、転輪王の心で生きると、決定するのも理解できますが、つまり、神憑りは?であり、御筆先は、みきが学んだ仏教の教えから、導き出した答え、と言う事になるし、実際、そのあとの本席や、茨木氏やこかん様には、本来つながるのも?になりますね。
だから、それだと、みき様が転輪王の心で、(どこからか受け取ったのか?) (心に浮かんだのか?)(みき様の知恵?) なのかその世界観は、宗教思想だと言えます。
天降りなんてのは、ありえない、イエスキリストは、マリアの処女受胎からバチカンが天降りにしてるけれど、実際は人の子で、小説になったように、キリストの血脈が残ってると言う可能性があり、それがキリスト教文化では問題になるのですよね。
キリスト教も、思想哲学になります。 概念で主たる神を想定して、自分を見つめ直す、哲学宗教でしょう。
こう言うのを見てると、天理教は、何を信仰してるのか、なんだか判らないです。
今、元気な愛町分教会の初代、関根豊松氏が、出身地でも無い、愛知県で、愛町分教会を大きくできたのは、その、お助け、神の力を人に授けれられたからと、言われていますが、これは、八島氏のお話とは整合性はありませんね。
天理教徒には、神霊主義も見えれば、思想主義の方も見えるし、神霊主義も、大いなる神派と、異端だけどプライベート神派に分かれてる。
本部の偉い人は、お賽銭箱に、毎日、お賽銭を入れると守護を実感できるとか言って、信仰の本質を追求はしていない様に見える。
話す相手によって、帰ってくる返事も異なるのは、致し方ありませんよね。
所属の教会長に、八島とか、神霊について聞くと、異端ですから!知りませんって終わりますしね。
まあ、長い歴史と大所帯ですからね、そんなものでしょうか?
教会は教団の財産になっていて、教会やめると、追い出される。
世襲で継いでいる場合、それは切実な問題です。
土地が高い場合、無理矢理、教会家族を入れ替え、土地を上級に奪われる恐怖もある訳ですね?
それだと、こっそり離脱を進めて教会財産を教団から切り離すしか方法は無いわけですね。
他所から派遣されてるだけなら、家族でさっさと出るだけなので、手持ち資金があれば出来ますが、今更そんな人生の大転換には大きな勇気が要りますね。
天理高校でも、将来の進路は教会長になりたい!って言う生徒さん、いるそうなので、そう言う元気な?若い人は、教区で布教士修行をやってから、どこか空き教会に派遣されるんでしょうか?
本来教会長って、自分の信者が増えて、教会になるなら、運営できるでしょうが、後を継いだり、派遣されても、信者を増やすことができなければ、そりゃあしんどいですわね。
読んでいても、東風Zさんや、匿名さんのお話は、大変辛いお話です。
ただ、それを、50代の、所属の教会長に尋ねると、私は知りませんって、何も言及しません、そんな事は、私には絶対もらさないですね。
実際、教会長夫妻は、いつも複雑な顔していて、本音を隠していて、晴れ晴れした表情を見たこと無いですけれどね、末端教会の道一筋は、難行苦行なのかな。
ほんと、息子が天理高校に行くと言い出して、それから社会学を見つけて読んで、コメントに参加して、天理教と言う存在への印象は、まったく変わりましたよ。
2020年6月18日 10:10 PMの匿名 様
自分が進みたいと思う道に進めることほど大きな喜びは無いのですよ。私にはそれが出来なかったのです。
中学の卒業時に公立高校夜間部の電気科に合格していました。
ところが教会からこの学校に行くことは許されなかったのです。天高二部の詰所勤務生なら許すといわれて選択の余地はありませんでした。勉強なんかしなくていい、他人のメシを喰って苦労をして来いといわれ、遠くの丹波市に行ったのです。
夜の9時過ぎに学校から帰っても食べる物もなく、何度枕を濡らしたことでしょう。19歳までは夢も希望もなかったと思っています。教会を飛び出したときは、残された両親や弟妹達の苦労を思うと申し訳なさでいっぱいでしたが、小さな夢と希望を持つことが出来たのです。
進んで信仰の道に入れる人は、それはそれで幸せだと思うのですが、天理教は若い人が抱いている夢や希望を奪うようなことは絶対にしないでください。それが出来ないのであれば、現行天理教は無くなればいいだけのことだと思っています。
天理教は世間から見ている分は人畜無害ですが、父親様の様に一旦関わり中味を知ると、あれ?っと印象が変わる思います。天理教は本質の部分が神からかけ離れていていますから。
神の名を利用して脅されその結果、魂が洗脳され手足、脳みそ、正当な批判精神までも、もぎ取られた教会長が本部の意のままにコントロールされ動いている現状です。
教会長夫婦がいつも複雑な顔をして晴れ晴れした表情を見せないのは心が救われていないのでしょう。
天理教本部は人の人生を無責任に振り回すが、その結果に対しての責任は絶対に取りません。
離脱すれば良いと言うのは全くその通りなのですが、離脱したいが歳をとってしまって今更その気力、労力、勇気が出ない、、と言う諦めの境地の教会長は多いと思います。私がそうです。
人の人生を踏み台にして中山家一統主義を隠し、騙し騙し体裁だけを大きくしたのが現天理教です。心の救いは神殿がいかに壮大でもそんな体裁からは得られません。人々が去り、中山教の当初の目論見が外れてしまった現状はある意味当然の帰結ですし、人々の怨念のこもったブーメランが今中山家に向かって飛んできている最中と認識して中枢は心して受け止めて欲しいです。彼らの改心は無理でしょうから望んでおりません。
連投すみません。
「夜の9時過ぎに学校から帰っても食べる物もなく、・・・」
昭和29年ころは、まだまだ貧しい頃でした。詰所のご飯は麦がたくさん入っていました。詰所に居る者のご飯はすべてどんぶり茶碗に盛り切りの麦ご飯でした。それも、秤に計っているので皆同じ量なのに、食事の合図の拍子木がなると数人の男子修養科生がが脱兎のごとくに食堂に入り、並べてある茶碗の蓋を取って少しでもたくさん入っている場所に座るのです。
そのような状況ですので、学校から帰って食べる分を食堂の戸棚に入れてくれているのですが、あまりの空腹のために誰かが食べてしまったのではなかったかと思っていました。
当時、いちれつ会扶育生は年間10回にわたり千円の扶育費がもらえました。そのうちの710円を授業料に払い、残りの290円が小遣いでした。確か食パン1斤が30円だったと記憶しています。このパンを買うにも勇気が要りました。学校から帰ったときに1枚を取り出して食べて、もう1枚食べたいのを我慢して床に就きました。なぜなら、残りのおカネで靴下や歯磨き粉、歯ブラシなど目に見えないものを買わなければならなかったからです。
今では考えられない食糧事情でした。ある意味、この苦労は後々の人生にプラスになった面はあります。しかし、あまりにも栄養が足りなかったのか、後に肺結核を患ってしまうのです。当時は結核で亡くなる人は多かったので、死を覚悟しましたね。喀血をして170㎝の身長に体重は確か47㎏を切っていました。
あらゆる物に恵まれた今こそ、身にあったつつましい生活を心がけることが大切だと痛感しています。
天理教という組織は、おや様の親戚集団が「中山みき」をだしにして金を搾取する為に作った組織だと思っています。
この組織形成の動きは、おや様存命中からあったと思います。
だから 国常立は、定命115歳を25年も縮めておや様をひきあげたのでしょう。
おや様が居なくなったらその動きは更に大きくなり、山澤為造を中心に取次人と自称した親戚連中や近隣のならず者が集まって天理教という集金組織を作り上げたのだと思います。
私は、数名の直属大教会長や夫人と会ったことが有りますが、60歳近くにもなる大人が社会的な通念さえ持ち合わせていないことに本当に驚きました。
「感謝・慎み・助け合い」からもほど遠く、礼儀作法も恥ずかしい程にわきまえていない人たちでした。
天理教は、本部を筆頭に直属大教会や上上級・上級分教会まで単なる集金組織だと思います。
大教会直属の分教会でも部内の無い教会が、冷遇されている実態も知っています。
天理教の価値観は、ズバリ「金だけ」です。
某国会議員も言っていましたね。
要するに「金目でしょ」
天理教の価値観は、ズバリ「金だけ」です。<<
本部に人を助けようなんて思いは微塵も無いと思います。また、彼らは本部に参ったからと言って人が助かるとも思ってないんです。本部は中山家の職場。すべては金儲けの為のビジネスの場です。 全国各地に支店教会を出し、命の繋ぎは金、と言い、ありもしない神を利用しての営業活動。本部お願い勤めを一回限りで一切しないのも救えないと重々分かっているから。お金にもならない無駄な労力は面倒くさいのです。その程度です。
全国各地で自力で教会を出店させておいて何かにつけて利用し金を取り上げ、いざ潰れたら、ビジネスの恩人を放り出して家土地全部取り上げて知らん顔の冷徹さ。彼らに神の温みなど微塵もありません。知ったこっちゃないんです。
天理教の価値観はズバリ「金だけ」です。
>>本部に人を助けようなんて思いは微塵も無いと思います。また、彼らは本部に参ったからと言って人が助かるとも思ってないんです。本部は中山家の職場。すべては金儲けの為のビジネスの場です。 全国各地に支店教会を出し、命の繋ぎは金、と言い、ありもしない神を利用しての営業活動。本部お願い勤めを一回限りで一切しないのも救えないと重々分かっているから。お金にもならない無駄な労力は面倒くさいのです。その程度です。
全国各地で自力で教会を出店させておいて何かにつけて利用し金を取り上げ、いざ潰れたら、ビジネスの恩人を放り出して家土地全部取り上げて知らん顔の冷徹さ。彼らに神の温みなど微塵もありません。知ったこっちゃないんです。
天理教の価値観はズバリ「金だけ」です。<<
ズバリその通りです。「感謝・慎み・助け合い」という陽気暮らしのキーワードは、金儲けのための「錦の御旗」です。皆さん、絶対に騙されたらいけません。
匿名 様 2020年6月19日 12:00 AM マジレスする前にご質問
2020年6月18日 10:10 PMの匿名 より
教会生まれでもなく、教会育ちでもなく、会社員として数十年過ごした、ただの信者です。
会社組織も天理教組織も所詮人間が作った組織。結局、同じ問題?同じ課題?同じように不満のある人々?があるのだなと思いました。
そんな組織につかるならどっぷりつかって、生き抜くことをよしとして、生きていくべきと思います。
おべっかを使い、ワイロを使い、本部員となって、牛耳りたければすればよいのです。
わたくしはそんな生き方は嫌ですし、してきませんでした。
組織から外れたら生きられないのなら、仕方がないと思うのですが、いくらでも生きる術が見つけられるのが今の世、日本の現状です。
「金のつなぎは命のつなぎ」などと中山教と化した組織を批判し、糾弾することは自由ですし、反対しませんし、むしろ賛成です。
信仰と組織は別もの。割り切ることが大切といつも思ってます。
父親
2020年6月19日 7:44 AM
分教会長だと大教会の会議か教区の会議に参加するのですが、教区では前から中田善亮批判は日常茶飯事ですし、今では大教会でも教団の今後を憂う話しがでて誰も納得いく答えを出せない状態です。実際本部の会議でも、老人の中に大亮が出席していて話の内容は「金が集まらない」だそうです。「若い人間が教区で布教師」と思ってるでしょうが、現に布教の家と言う機関が以前よりありますが、そこで布教師が育たないという結果です。今の教団には若者が育つような環境な無い。そもそも皆さんが書いている内容は嘘ではなくそのような本部員と中山家ですので、育てる能力は無い。ですので教団は着実に見るも無残にここまで衰退したのです。
この状態が蔓延してる状態からの中山家や本部が起こす教義を逸脱した事件の数々ですので、そんな教団を淡い思いを抱いて信奉してると重症を負うだけです。
幾度と無くか枯れてますが、法人乗っ取り(本部主導での大教会乗っ取り)寒露台倒壊、真柱身上、部内の土地収奪と売却など、有名な事件でもこれだけあります。
純粋な信者層で子供が教団無いの学校に行ったら「揉め事困るんだけど!なんとかしてよ!」といいたくなるのは当然でしょうが、
分教会運営者からしたら、このまま残るか?やめるか?離脱するか?
の三択しかなく
本部は以前は「お前らが悪いんだ!教会出てけ!乗っ取れ!売ったれ!」でやっていたんですが、批判殺到で最近おとなしく「どうしよう!?」と大亮囲んで老人が頭を抱える状態でしょう。
端的に言いましても、ローマ法王やアメリカの大統領ですら謝罪はします。しないと国や教団が治まらないからです。ですので本部が都度謝罪したら良いのですが一切謝罪をしないできない大変危険な集団です。
あので信者も教会長も呆れて心が離れ足も遠のきな状態です。
親父さんには、内容からして結構最近かかわった感じですよね?そんな何も知らない人に所属の教会は一切事実を語らないですよ。なぜならお供えする側される側の利害関係者には不都合な真実を話せないからです。なので所属外の教会長や仲の良い友人がいれば良いのですが、宗教関係者は人を選んで話をするので基本は口が堅いですからね。
ですが、実際ここにコメントしてる人は、現在や過去教団にかかわっていた人たちばかりです。信者から本部、後は本部外の中山家の人も居るでしょう。内容は新参には信じがたいでしょうが、長年居る人ほど理解できる内容ですので教団内の多くの人が見に来て書き込んでいるのです。
2020年6月18日 10:10 PMの匿名 様
>>そんな組織につかるならどっぷりつかって、生き抜くことをよしとして、生きていくべきと思います。
おべっかを使い、ワイロを使い、本部員となって、牛耳りたければすればよいのです。
わたくしはそんな生き方は嫌ですし、してきませんでした。<<
常識や良心を持ち合わせた成人ならば、だれもそんな生き方は嫌ですし、しませんが、はからずも天理教の末端教会に生まれ落ち、長じて天理教の矛盾に気づき、気づいた頃には天理教から抜け出したくても抜き差しならない状態になり、悩み苦しんでおられる方々が大勢おられます。「いくらでも生きる術が見つけられるのが今の世、日本の現状です。」と他人事のように簡単におっしゃいますが、あなたはそれができますか? 「信仰と組織は別もの。割り切ることが大切といつも思ってます。」確かにおっしゃる通りですが、ご自分がそういう立場にお生まれになれば、他人事のように冷静に割り切れますか? 人間にはその人の立場に立たなければ、分からないことが山ほどあります。「言うは易し行うは難し」です。教会生まれでもなく、教会育ちでもなく、会社員として数十年過ごした、ただの信者さんにはお分かりにならないことが余りにも多すぎると思います。
>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より(その3)
第一章 つづき (P51~ コマ番号34)
三、肉体は神のもの、財産も神の貸物
天理教教徒は、信仰が篤くなればなるほど、金品を惜しげもなく、教会へ教会へと運び込む。そしてこれを為すことによって随喜の涙をこぼし、有難い有難いと言うのを常とする。斯くも天理教が、天理屋として営業するに至り、繫盛を極め、自分の所有物(彼等は所有物に非ずとするところのもの)を教会に持ち運ばせるには、何かを先ず吹き込んでおるべき筈だ。それは何であるかとは、余の度々質問されるものであるが、その吹き込む第一の段階は、実にこの貸物借物の理なる怪物である。まず我々は主観的感情的談論を避けて、客観事実である彼の主張に聴こう。
「借物の理──この神言は悉くお道の御教理の真髄であって、千古不磨の一大経典なのであります。而してその御教理の大綱は教祖御生前中、天啓のまにまに自らお筆を取った『御神楽歌』と『御筆先』とに示されている。天啓の教理の示す處に従いますと、人間は最初五分に生まれ長き年月の間に八千八度の生まれ変わりをして遂に五尺の身体にまで成人したのであります。
御筆先に
体内へやどし込むのも月日なり うまれ出すのも月日せわどり
といって、その御守護の程を知ることができます。而して絶大の御守護により創造せられたる我々の身上は誰しも自己の物の如くに思惟しているのであります。これが抑々大なる間違いであって、決して自分のものではありません。もしも自分の所有であるならば肉体は我が思うままになることができる訳ですが、如何なる場合でも我が心通りにはできないものであります。この一事既に肉体は我が物ではないことを証拠だてているのであります。然らば何人の所有であるかというに、そは言うまでもなく神様の所有に属しているので、これを我々が貸して頂いているのである。恰も他人のものを借り受けて之を使用することを得ても自由に処分するを得ないのと同じ訳合であります。これ『借物の理』であって、本教の教理中最も重要なるものの一つである」(「天理教とは如何なる宗教か」15頁~18頁)
さて読者諸君、この文を読まれて、なるほどと首肯ける節に注意されることができましょう。この注意を喚起することにより「なるほど、そうかなあ!」といったような考えを起すような者がありますれば、その人は早や、天理教の営業政綱に目が眩み、搾取されるべく運命づけられた人也と言ってもよい程度の人であります。
このことを、よく考えねばなりません。この文中には、巧みに伏せて織りなせる詭弁があり、欺瞞があることを洞察せねばなりません。余は、これ等を洞察する注意と努力とを用いない人の、あまりに多きを嘆かわしく思われてならないのである。普通の人ならいざ知らず、相当教養のある者が、かかる詭弁を伏在せしめ瞞着を隠している上述の如き文字の上だけを見て、なるほどと感心する人々の多きは、余をして言わせしむるならば、その文字をそのまま端的に受け取る人の常識の罪ではなく、その人々に宗教的知識の欠けているということに帰すべきである。勿論、天理教徒となる者は、後述するであろうように、種々なる動機や入信の過程はあるであろうけれども、確かに斯かる宗教的教養不足のために、斯くの如き詭弁を含蓄する一見なるほどと思わしむる文字を、反省なく受け入れた罪に帰せねばならぬのである。
故に余は、その詭弁の個所を引き出して、読者諸君と共にその詭弁、その為にせんが為の文辞の連なりを見ていこうと思うのである。
そして彼等が何故にこれを
「この神言は悉くお道の御教理の真髄であって、千古不磨の一大経典なのであります」とか「本教の教理中最も重要なるものの一つである」とかと言うかについても述べることとするであろう。まず我々は、
「天啓のまにまに自らお筆を執られた『御筆先』『御神楽歌』とに示されている」との文より、その御筆先または御神楽歌なるものを見る必要がある。これより先に、前節に於ても述べた如く、天啓そのものは全く個人の意識より生まれたもので、神あり神のお告げあり、お告げを受ける人あり、人の言語形式を借りて神様のお告げだと人が口外に述べられたものでなく、人あり人の口より漏れた言葉を述べた人が、これは神の言葉であり御意志であると言うに至り、ここに天啓という考えが起きてきたのだということを充分理解せねばならぬのである。
即ち、神あっての人間にあらずして、人間あっての神であるということを銘記せねばならぬのである。だから、神あっての人間に意志を伝えたものであるということは、全く発生的根源的に反対なのだということに、深く意を留めねばならぬのである。もし、これを逆にしたならば、神秘論者になり、幻の世界を書き一人悦に入り、功利主義、独善主義に陥り、仏教に於けるが如き天人とて独りよがりのものなるに過ぎざるに至るのであります。独りよがりは結局、馬鹿であり低脳であり進歩発展の志の無いものに過ぎませんことは、余が今ここで、こと新しく喋々を要する必要はありますまいが、割合に多く、この独善主義者や天人が多いので、ここに注意を必要とするに至ったのであります。これでも解らない人には余は、認識論と一般宗教学とを研究されんことを、その人の一生の重大な事柄として、且又その人の最も大切な処世法として、またはその人の利益のために、切に切に希望して止まぬ次第である。
それから前節にも既に述べたところでありますが、天啓の文書は天理教の教典だけではない。他にも沢山ある。そしてそれが悉く異なっているのである。こういうことを知らぬのが一般の人々でありますが、実際は天啓の文といいまして、旧約聖書をはじめ丸山教の教典またはマホメットの教典、余の知れる行者(現在なお生存す)の天啓の文字など、探し出せばザラにある。この異なっている天啓を、一体どう説明すればよいのか。もし天理教の神様が本当にあって、本当に教祖中山ミキが神様の言うことを間違いなしに、これを神様の言うなりに書き写したものとして、この出来上がった天啓の文が、他のものと同一事項(例えば天地創造の話)の上に異なっているところがあるのを、他の宗教ではその異なっているままを主張するであろうし、天理教は天理教でその自分のものを主張して、相互が反対になるものを何の不思議もなく受け入れている。(現実の信者の実状では)あまりにも無自覚な、反省の無い、思慮の足らぬことではないか。尤も天理教屋は、これを聴かせるに、目つぶし鼻つぶし耳つぶしをかけているのは、どこまでも巧妙なヤリ方ではあるが、この目つぶしにより盲者とせられ、鼻つぶしで嗅覚麻痺症にさせられたり、耳つぶしで聾者にさせられているとは、あんまり虫が良すぎはしないか。あんまりお人好しではないか。生きているのか死んでいるのか訳の分からない生活態度ではありませんか。それで財産は取られ、それでも醒めずに有難い有難いと手を合わせ、食われないと知って唯一の食う道、即ち教師たらんとして熱心になり、悪いと知りつつ他の善良なる人々を、信者に誘い入れる過程は、一括して後述することとするが、これ等に目覚めなかったならば、これこそ社会という大きな事を持ち出すまでもなく、その人の一生にとって由々しき大問題を惹起するものであると云うことを、敢てクドいようだが注意を喚起しておくこととする。ついでだから述べておくが、盲者にし聾者にし嗅覚麻痺症とする恐るべき薬物(精神的の)は、実に彼等が尊んで言うところの「御神楽歌」にある次の文句である。即ち
「三に、さんさいこころをさだめ」(御神楽歌一下り目第三句、御神楽歌述義十九頁)
なるものである。この意味を言うと、一言にして述ぶれば、理性の心を無くして三歳の小児の如き心になれということに解している。これだけによっても、どんなに彼等の言うがままに、ならなければならぬかと云うことを、強く深く吹き込むかが分るではないか。これを強く深く吹き込む底意は結局、自由にすることによって財物を巻き上げるということに存するのである。実に恐るべき、また真に憂うべき手段方法ではないか。ついでだから前管長の、これに対する解釈を述べておく。
「此の章の大意は信仰の心は純一無為にして神に依頼すべきことを示されたるなり。さんさいこころをさだめとは三歳小児の心を守りて失わざるべしとの義なり。
教祖嘗つて曰く三歳小児の心にあらざれば吾が教を信ずること能わずと。蓋し繊毫の邪念なく世の悪習に感染せられず和粹の気内に充満して父母を慕うことを知るものは小児の心なり。然らば則ち神を信ずるものは此の心なり。道を守りて他に移らざるものは此の心なり。孟子曰く大人は赤子の心を失わざるものなりと蓋し其の純一にして無為なるを謂うなり。基督曰く此の小児の如く謙遜なるものは天国に於て至大なるものなりと。蓋し小児の疑わず傲らず貪らざるを謂うなり。老子曰く気を専にして柔を致すこと能く嬰児の如くならんかと蓋し純一にして含和なるを謂うなり。要するに三賢の言う所は其の旨各々異なれども道の極致唯小児の心を以て之に到達すべしと云うに至りては則ち一のみ而して今我が教祖の教え給う所もまた同じ。抑も亦妙なりと謂いつ可し」
ここにもまた我々は、彼等が陰険なる手段、勝手なる熱があることを見ることができる。勿論、人は純一無雑、清浄潔白であることは他の宗教ばかりでなく、道徳倫理の等しく主唱するところであって、けっして殊新しく、事新だてて偉そうに述べるに当たらぬところである。しかもこの解釈の言の中にも、三歳小児の心となれとある。赤子の心を失わざれとある。小児の如く謙遜なれと言う。疑う勿れ、傲るべからず、貪るべからずと言う。而して自らはどうか?三歳心でないから理屈もコネる。謙遜どころか傲然と構える。貪る勿れと言っておいて、貪るに貪り、遂に一文無しより今日の大を為したではないか。貪らなかったら今でも、やはり一文無しであるはずだ。今でも貪る意志が無かったならば、それ等の財物は、いくらでも使い道はあるんだということは、毎日報ぜられる新聞の三面記事を見ている者でさえあれば、誰でも気の付くところではないか。これ等については後述することとする。
さて、だいぶ話がそれたようだが、本道に帰って、お話を進めていくこととしましょう。
もう一度、天理教の主張を見ますと、
「人間は最初五分に生まれ長き年月の間に八千八度の生まれかわりをして遂に五尺の身体にまで成人したのであります」
と、あるのを読むことができる。これがまた非常に面白いのでありまして、一体どうして五分の人間が五尺になったかというと、これは、
「人間創造世界創造の原始的事実に基ずくものである。即ち、
国常立尊 人間=眼胴、水気、潤い 世界=水一切
面足尊 人間=温み 世界=火一切
月読尊 人間=骨突張り、男一つの道具 世界=竹木一切突張り
国狭槌尊 人間=皮継、女一つの道具 世界=金銭縁談よろづ継ぎ
大戸辺尊 人間=爪、毛、誕生、成長 世界=動物植物鉱物一切引き出す
雲読尊 人間=飲食出入 世界=水気上下
惶根尊 人間=息吹き分け、物聞き分け、物言い分け 世界=風一切
大食天尊 人間=生れる時親子の縁切り、死ぬとき此世の縁切り 世界=切れ物、刃物を初め切断一切
伊耶那岐尊 人間=子種 世界=種物一切
伊耶那美尊 人間=女の雛型、人間種蒔代 世界=苗代一切
人間の生活力、及び生活機能並びに生活に必要なる物質は、以上十種の神の貸物である」(大平良平著「人生の意義及価値」55頁~56頁)
と、明なる如く説明している。以上十種の神が作り為せるものであって、人間は最初五分であったと説くのである。この点=即ち、五分の人間が八千八度の生まれ変わりで五尺になったという点で、何でも科学説に当てはめればよいことと思って、これ本教が進化論と同一なる所以なりと、大いに鼻を高くしている天理教学者があるが、然らば借問す。
1、神によりて創造の当初五分に作られたるものなるに、何故に八千八度の生れ変わりを為せる今日、等しく五尺の人間でないか、身長の高低、身体の肥瘦などを現わすに至ったか?
2、進化論一般に於ては「自然淘汰」「適者生存」等の必然の発展として、ハックレー氏の「自然に於ける人類の位置」に於て述べている「人猿同組説」と如何に関係あるや?
3、更に人間が五分であった。それは天理教の創造物語りである泥海古記によれば岐魚と巳とが人間の祖先になっている。さて、生物学、人類学、また考古学より、古代人は巨大なる骨格を有していたとの実証があるが、これは進化論では説明がつくが、天理教では説明できまい!これを如何にするか?
4、国常立尊=男神、面足尊=女神とが相談して、
「こうして広い世界に、吾々両神居るだけでは、何の楽しみも無い。ひとつ人間というものを拵えて、その陽気遊山を見て楽しもうじゃないか」(大平良平著「人生の意義及価値」33頁)
これによれば、天理教の神は創造の当初に於て、何の楽しみも無い。故に楽しむために人間を作ったこととなる。然らば、天理教の神は、神自身が楽しもうとしてであって、功利主義的な得手勝手な神ではないか。
上述の如き四点に於て、天理教教理は、よくこれが解答を為し得るや如何に?第一問に対しては「いんねん」(後述する)を取って来るだろう。そして第二問に対しては、進むに従って成長するという点で、進化論的だと言うかもしれぬ。また第三問に対しては、進化論だと主張する説明を放擲せねばなるまいであろう。第四問に対しては、神の功利主義によりて生れ出された人間に、何故苦しみを与え、迷う如き心を作り与えたかに対して窮するであろう。また借物は肉体財物なりと説くが、神の創造せられた点によりて、心もまた神の借物ではないか。それを何故に心は自分のもの、肉体は神の借物だなぞと説くか?肉体もまた神の作られたものであるという点で、神よりの借物なのだろう。してみれば心もまた神の借物だとするに何の不思議がある?それを、神の借物は肉体だけだとするは、神もあんまり無茶ではないか。斯くして造った人間の、心が悪いから苦しい思いをするのは当然だとは、これを如何に解しても、智恵無辺、大慈大悲の神だと言われるか。斯くの如く経緯を経ている天理教教理を、信徒諸君は知るのであろうか。また知ろうとも思わぬのであろうか。知って信ずるものとせば、余は何事もこれに対して言う言葉を持たぬ。哀れにもその人々は、もはや天理教の外観に眩惑して、百尺竿頭一歩を進めんとするの気宇無き人として何事も問わない。が然し、知らずして信ずるとせば、余は、その人の不熱心により如何ばかりの損失を招来しているかを憾まずにはいられないのである。また、それでは天理教徒として、教それ自体に対して不熱心な信者となりはしないか。自ら奉ずる教の教理を研究しないほど、これほど教祖に対しても不熱心なことはあるまいではないか。それ等の人々よ、諸賢は、ただ天理教教師の言に欺かれず、虚心坦懐に静かに自分の教典を研究してみたまえ。そして自分のものになったならば、それこそ最も価値あるものであるのだ。請売り的のものは不純である。
余は国民の連帯責任という立場より、またはその人個人に対する人間愛よりして、右の言辞を提供したいのである。然らざれば、諸賢は遂に天理教屋の営業政策により、漸次搾取されて、とどのつまりは天理教教師とならせられ、無一文となるに非ざれば、嘘と知りつつ人を欺くの行為を敢行するに至るでありましょう。その人の不幸ばかりでなく、また社会に無生産的な遊民を一人作るという点に於て、真に憂うべき結果を招来すると言わねばなりますまい。この理がお解りになるならば、余は勧む。偏えに勧む。徹底的な研究をせられよと。研究が徹すれば、自分自身が一人で悟得するものであることを付記して、研究者の為に光明を点じておこう。
いずれ、お話しすることではありましょうが、天理教の神、即ち「天理王命」は実在するかしないかについて一言、思い出したままを述べておくこととする。<<
みかぐらうた一下りの三は「さんざいごころ」(散財心)だと思いましたが、明治33年の御神楽歌釈義を見ると確かに「さんさいこころ」(三歳心)になってますね。それに、子供の頃には「さんさい」と歌っていたような覚えがあります。ところで十全の守護の中に「金銭縁談よろづ継ぎ」なんて今でもあるのでしょうか。
明治33年発行 中山新治郎著 御神楽歌釈義(コマ番号13~)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816096
知れば知るほど矛盾と他意を感じられる教理、教団の歴史。
血脈、家系、婚姻関係、親子(上下)関係、がんじがらめの組織と人々。生活に直結するからこそ動けない教会家族。
教祖の神懸かりから始まり、現在へと至るまでの経緯を追いかけていくと、なるほどなるほど、なるべくして成っているのだな、と理解できる。
誰が割りを食っているのか…
上下や損得や争い
そういったものを無くしていきましょうと宣いながら、やってきたこと、結果は真逆。
時代が見方すれば教勢は伸び栄え、時代が敵となれば今の姿に。
文字通り情けない
情の無い組織である。
鰯の頭も信心から
信じる者は足元を掬われる
気ぃつけなはれや!
天理教は弱者救済ができない。
強者に縋り、媚び諂い、我さえ良くば、今さえ良くば、後は知らぬ、の正に伏魔殿である。
人は生まれながらに色々なものを背負いながら生きていく。国、性別、時代、貧富等々。
限られた選択肢の中から取捨選択し、死ぬまでに何をしたいのか
よく考えて生きて欲しいです。
>そんな組織につかるならどっぷりつかって、生き抜くことをよしとして、生きていくべきと思います。
おべっかを使い、ワイロを使い、本部員となって、牛耳りたければすればよいのです。
わたくしはそんな生き方は嫌ですし、してきませんでした。
組織から外れたら生きられないのなら、仕方がないと思うのですが、いくらでも生きる術が見つけられるのが今の世、日本の現状です。
私は、本部から離れる事を決意した数名の青年を支援したことが有ります。
天理教が嫌いなら抜ければ良いと簡単に言いますが、高校や大学を卒業してそのままこの組織に関わってしまうと蟻地獄に落ちてしまったようなものです。
一人で抜け出す事は非常に困難な事です。
彼らには、職歴も残らず、手持ちの資金も殆ど無い状態なのです。
企業の求人に応募しても職歴が無いためほとんどが書類審査で落とされてしまいます。
無職だとアパートも借りられない。
それ以前に手持ちの現金が殆ど無いのです。
収入が少ないのにお供えを要求されたり教会の行事に駆り出されたりと出費がかさむ生活を強いられるため手持ちの資金など殆ど持ち合わせていませんでした。
組織から離れることを一言でも口にすれば裏切り者のように言われるので周りの人には絶対に言えないと言っていました。
周りの人間の誰を信用して良いか分からない組織だそうです。
私は、彼らの為に住居や職探し、カードの借入金返済など多くの事を支援してきました。
彼らは、携帯電話の番号を密かに変更し 家族や友人関係も含めた殆どの人間関係を断ち切って天理教組織から抜け出しました。
私など、末端分教会の一信者など気楽です。
いつでもやめられます。
しかし、組織の中に生を受けた人が天理教から抜け出す事は非常に困難な事なのです。
教団を離れようと告白すると、会長さんはじめ、ようようの方から雨あられのように脅迫の言葉が降ってきます。決して人助けをしようというような優しい言葉ではありません。
元一日を忘れるな、一寸先は闇、お前だけではない家族に何が起きるか分からない、悪因縁が出る等々、最期には今まで受けた恩を忘れるようではイヌ、畜生にも劣るといわれましたよ。
私は落ちぶれても人間ですよと言いたいです。
脅迫めいた言葉の全てが天理教です。
>>脅迫めいた言葉の全てが天理教です。<<
昭和九年八月五日付天理教庁機関雑誌「みちのとも」第44巻第15号記載「信仰をやめて一家絶滅」と題する記事には、十六年前大阪府下堺市に於て、二十年来の信者が、教師の「信仰は各自の自由でございますから、おやめになられるのもよろしいが、然しあなたの家の因縁はなかなか恐ろしい因縁ですから、一家断絶してもよろしいのでしたら、どうぞやめて頂きたい」との忠告を聞かず信仰を中止せるに、その後一家の間に、主人は自家飼養の牛に突かれ、二人の子供は弟は兄に陰部を切られ、兄は井戸に入水して何れも死亡し、母は縊死せりと
2020年5月30日 5:25 PMに投稿した、司法省調査課資料よりの引用です。私も天理教を疑う発言をして、教会長から言われたことがあります。「ようぼくが信仰から離れたら、無信仰の者よりも、もっと酷いことが起きてくるよ」と。
本部前にパトカーが1台。最初気付いたのは11時6分ですが、まだいますね。事故か何かでしょうか。
私と、所属の教会長は、女房と結婚して以来、布教師の時代から25年です。
息子が天理高校に入るまでは、特に深い付き合いも無く、息子が天理高校に行き出してから、教団側窓口として、お供えを渡したり、別席を運ぶ様に言われて運んでますが、基本的に私は、大霊界世界観で生きる、他宗派の人間ですから、天理教のマイナス部分は、教会長は、私に一切言いませんし、聞いても否定されます。
社会学に書いてある様な事は、知りません、判りませんって言います。
息子に教会を継がせると決めてるのは、子の自由を奪っていると、言うと、神の御用を務める事は、大事で、その様に育てています、問答無用ですって、怒られます。
教会長の実家は、長男が教会を継いでいて、次男の教会長が別の教会に入って継いでいます、だから赴任教会長で、自分の教会では無いそうです。
他の兄弟は、お供えをして、実家の教会を支えてる様です。
私と同じ年の奥様も、教会の娘さんらしいです。
だから子供も、全員、教高学園を出て、本部でお礼奉公して、実家の教会に帰る、または、教区の布教師をしています、信仰4代のバリバリのバリ天一家ですよ。
その、教会長一家と話している限り、私の様な立場の人間には、東風Zさんなどのお話、社会学での実態のお話は、存在しないに等しいですね、知る術がありません。
息子が天理高校に行ったので、いろいろ知っていた方が良さそうだと思って、ここも見ていますが、それで別の実態を知る事ができました。
ちなみに、息子に、社会学でのお話をすると、やっぱり、聞いたことない、そんな話は知らない、お父さんの言ってる事は、学校では聞いた事がない、僕は卒業後は天理教にそんなに関わる気は無いから、興味ないよ。
天理教の同級生と友達は一生付き合うよ、教団は知らないよ興味ない!うるさい!
って、叱られました。
本日、天理教庁で転落死亡事故との情報。
何か詳細ご存知の方いらっしゃいませんか?
薄給過労で鬱になり、未来をがんじがらめに縛られて悲観したひのきしん者の方の、」はやまった行為でなければいいのですが…..。
今日、ライブカメラに写ってた、パトカーは、それですか。最初気付いたのは11時6分で、最後に見たのは12時半頃。52分には居なかった。
この時期に教庁から転落?夏のイベント前なら分かりますがどう考えても自殺ですよね。他殺じゃなければ良いですがね。
中山家のおかしな運営、異常な集金体制をする為のおかしな信仰させられてたら自殺者も増えますよね。親里やかたで自殺なら訴えかけるにはもってこいですし、天理教では飛び降り自殺は実は珍しくないです。
事故なら教団責任になります。自殺だとしたら、飛び降り自殺と言う目立つ行為には当人の訴えかけたかったものがある。静かに死にたいなら山や森に行きます。
金銭問題か教団に対して教庁職場に対しての抗議だったのでしょう。金銭問題なら「金の繋ぎが命の繋ぎ」と言った中田善亮大先生のお言葉通り中山教を全うしたすばらしい信徒になります。
抗議なら、このような間違った中山教への抗議に他ならないでしょう。
宗教法人天理教教会本部 表統領で真柱の実弟で後継者候補の実の父親の、中田善亮聞いてるかあんたの言った言葉で金銭苦になった信者は死ね!と言ってる様なもんやいい加減にせえよ。お前の周りだけいい顔してるだけやで
これで自殺の理由が、病気だ気違いだったから、とか言ったらもう許せないわ
世間では 黒人の命が大切 と言って過剰なデモをやっているが信者の命も大切、中山家のおかしな信仰強要から信者を守るための本当のデモをしたほうがいいな
神さまは、より優しい世の中を見たいのだろうけど、お上の心は未だムゴイのだろう。
善亮君も酷い心の持ち主なのかな?
2020年6月5日 12:01 AMの匿名さんへ
>神様とは結局どこにいるんですか?
かんろだいの下ですか?
月と太陽ですか?
最近よく考えます。
これぞ神様なんだという表現する言葉はありますか?
これぞ神様 それは「空気」だと今は思っています。
昭和58年に須藤花井「面足」さんに会って間もないころの事です。
何を聞いても答えてくれるので どうして分かるのかと尋ねたら
「それはね 空気が教えてくれるんだよ
神さんは空気なんだよ
世界中の人間は 空気吸って生きているんだろ
だからね 名前さえ言ってくれれば 世界の何処に住んでいようが
何を考えているか どんな事しているか どんな人間か 全て分かるよ
空気である神さんが何でも教えてくれるんだよ」
「空気の様な存在」という表現がありますが、在るのが当たり前で特に意識もせず、いつしか「空気」が神という須藤さんの言葉を忘れていました。
今年に入って九州の知り合いの会長さんから「心のはらい」という本のコピーが送られてきました。
この本の中で著者の芹沢真一氏は、兵庫県三木町の井出国子さんに下がった神様「国常立」は、信者達に「風が神」といつも話していたと述べています。
私の母は、「火水風 ほかに神無し」といつも言っていましたが、
おふでさきには、火と水は 仕分けや掃除の道具としての意味合いで複数回出て来ます。
しかし、「風」は一回しか出て来ません。
6号-21 十人のなかに三人かたうでは 火水風とも退くとも知れ
「風」の意味合いは、息ひとすじの守護であり特別の存在だと思います。
我々は、常に空気に守護されています。
夜寝ている時でさえ、途切れる事無く呼吸しています。
しかし、空気を吸っている事をいつも意識している人は、殆ど居ないと思います。
ましてや 「空気を信仰しています」などと言う人は まず 居ないと思います。
それでも空気である神は、この世界を分け隔てなく守護しています。
「空気」である「神」は、自身を「信仰の対象」とは言って居ないのです。
では 私達は何に向って頭を下げるのかと考える時、
それは まず第一には、両親や兄弟、夫や妻、子供達であると思うのです。
日々「真実の心」と「ありがとう」という「言葉=空気」と共に家族が暮らしたら其処には陽気づくめの世界が広がると思うのです。
更には、その「心」と「言葉」を持って近所の人達や勤め先の人達と接していったらそこにも陽気づくめの空間が広がって行くのではと思うのです。
ここまで考えてみると、宗教観や宗教的意義、信仰的意義について論議する事は無意味な事だ思うようになりました。
論議は論争となり、やがては争いへと変化するかもしれません。
親神は、おふでさきを通して「日々 真実の心で過ごしてほしい」と言っています。
それだけです。
「国常立」井出国子さんも「面足」須藤花井さんも「空気が神」と言っていました。
天理教もキリスト教もイスラム教もない
神様は神様
以上
再投稿させて下さい。
死後に肉体は無くなって、魂だけが、どうなるのか?
または、魂は何のために存在し、これからどうするのかって言うのが判らないと、いったい神様って何者って言う事になります。
魂など存在しない、死んだら終わりなら、神など存在してもしなくても、関係無いですね。
神様、と言っても、宗教的世界観により、存在の概念が違います。
どの世界観を信じるのかは、個人の自由です、親子でも、信じられる世界観は違って当然です。
大方の宗教は、神は特別で人の支配者であり、人間は死んでも人間の魂であり、また地上に戻って行くと言う、宇宙は神様の箱庭論が主流です。
天理教の場合は、地球と言う箱庭を作って、人間が暮らすのを、見ているのが、神様という世界観です。
キリスト教なども、別世界の天国と地獄で、神の子として暮らす人間と言う世界観でしょうか。
スピリチュアルや大霊界世界観は、地球はスタート地点であり、魂は、次元の違う世界に移動して行く、多くの段階の階層世界であり、私達は、進化向上しながら絶対的存在に徐々に近づいて行くと言う存在であり、その途中であっても、人間から見たら、神様レベルの存在もいれば、地獄で修行する魔神も居ると言う世界観。
地球を守護し導くのも、神レベルの存在の修行の1つと言う世界観です。
天理教から見れば、親神様は、箱庭を見ている絶対的存在ですし、だから、ゲームの様に外から親神が手を下してくださると言う発想ができますね
私から見たら、親神も、神霊の一人であり、教祖を導き、体を使って霊界で向上をしようとした一神霊にしか見えておらず、天理教徒の祈りに答え、時に奇跡を下さっている存在だと感じます。
また、大きな存在になった神は地上に直接手を下さず、個人を導き守護してくださるのは、人に近い背後霊、守護霊、または守護神であり、例えば地球を守護している神は、地球の運行、生命の再生がキチンと行われる様に守護されており、例え人類が滅びても、また新たな生命が地上に生まれる様に、守護されている様な神で、一個人には関知しないと感じています。
一言に神と言っていても、信じる宗教世界観によって、その存在の定義は大きく変わります。
もちろん、私個人は、自分の信仰する大霊界世界観を絶対的に信じており、今祈りで得られるエネルギーや導き、霊視、霊査の根拠にしています。
人間の宗教には、まったく関係無く、神的存在は、存在する。
しかし、実態は、人の目には見えない、何故見えないのか?
見えないから、その存在を求める心が強くもなります。
父親さん、同じ大霊界のお仲間たちの掲示板が消え去ってからだいぶ時が経過しましたね。
消え去った掲示板での中のやり取りで、なぜか争いごとの中心に一農家さん(父親さん)がいたようでした。
当時、ネットで見つけたのが同じ大霊界仲間の女性が、父親さんに傷つけられた経緯を綴った彼女のブログ。
どうも「おいらが上!」とばかりに人より自分が上と思いたがる癖が周囲から嫌われてるようですね。
自分ではなかなか気が付けないのでしょう。どこにでも見かけるタイプとも言えます。
武士の情け(笑)で、この大霊界のできごとは、わざわざ社会学に書くことも無いと、ずっと思っていました。父親さんがいみじくも書いているように、父親さんの投稿は「スルー」していましたから。
でもね、父親さん、あなたにかけていることを申し上げます。
異なる宗教の者同士が交流する際の必須条件は、言葉(例えば「神様」)のすり合わせが前提なのですよ。
父親さんなら、すぐにいきり立って論争を仕掛けてくるでしょう。
でもね、誰も大霊界の人との論争など望んでいないのですよ。気が付きませんかね。
貴男はずいぶん以前に、どなたかが指摘したことに対して、「自分のブログを持っていて、そこでも書いている」と書き込みました。当時は私は大霊界の掲示板を探し当てて読んでいました。一農家さん(父親さん)とある方のやり取りで、社会学から大霊界の板がばれてしまったことを問題視して、ある方の謝罪が載っていましたね。
どうも父親さんのいう「ブログ」というのは、そこの掲示板のことだったのでしょうか。
有り余るエネルギーを注ぎ込むかのような書き込みを読んでいると、とうてい自身のブログを持っている人とは思えないありさまでした。
天理教とのかかわりがあるから、この社会学に書き込んでいるのだという主張は了解しています。
しかし、論争以前のお互いの勉強が必須なのに、自分はここ迄高みに上っているからとばかりに、
自分の土俵に無理やり人を引っ張り込むという、まぁ、力ずくの大霊界宣伝は私は今もスルーです。
お互いの勉強と書きましたが、大霊界に興味も無いどころか、うさん臭さを感じますから勉強したいとは全く思いません。
貴男は自分のブログを自分の費用で自分の時間を費やしてつくり、そこで自由に書き込めばよいでしょう。
社会学で嫌われながら書いていても貴男を尊敬する人は果たして現れますかね。
今後、貴男が絡んできても私は一切返しません。他の「匿名」さんにはご迷惑をおかけしたくないので、父親さんは、あなた自身の考えでもある「スルー」という、ネット文化の一作法を尊重してください。
お判りでしょうが匿名は複数います。
>>天理教とのかかわりがあるから、この社会学に書き込んでいるのだという主張は了解しています。
しかし、論争以前のお互いの勉強が必須なのに、自分はここ迄高みに上っているからとばかりに、
自分の土俵に無理やり人を引っ張り込むという、まぁ、力ずくの大霊界宣伝は私は今もスルーです。
お互いの勉強と書きましたが、大霊界に興味も無いどころか、うさん臭さを感じますから勉強したいとは全く思いません。
貴男は自分のブログを自分の費用で自分の時間を費やしてつくり、そこで自由に書き込めばよいでしょう。
社会学で嫌われながら書いていても貴男を尊敬する人は果たして現れますかね。<<
同意です。父親さんの投稿内容は、いささかこちらのコメント欄においては自己満のスレ違いかと思います。スルーしろとおっしゃますが、個人的には父親さんの長文を読み飛ばすのにスクロールするのもめんどくさいんですよね…..。しかもかなりの頻度で長文連投という……。父親さん、せめてこちらのコメント欄ではご自分のブログ記事更新のお知らせ程度にしていただくほうがスレ汚しにもならず、皆さんのためかと思いますが?
コロコロこころ @5jHEBPv4ncMygGb さんのツイートより
昨日の転落事故
誰に聞いても多くは語ってくれなくて
それでもわかったことは、
30代の若い男性で
飛び降りたそうです。
心理的に関わってあげられたら良かったんだけど、衝動的だったとも聞こえて来ました。
本人も親も可哀想ですね。
>>30代の若い男性で
飛び降りたそうです。
心理的に関わってあげられたら良かったんだけど、衝動的だったとも聞こえて来ました。
本人も親も可哀想ですね。<<
真相はともかく、私個人として大体の想像はつきます。(あくまでも想像ですが)心理的に関わってくれる人も無く、一人で思い詰めたのでしょう。30代の若い男性でしたら、まだ、やり直しはきくと思います。今後、こうした悲劇が二度と起こらないように、せめて、個人情報以外の原因だけでも報道してほしいものですが、権力を傘にきて真相を封じ込めようとしている輩が背後にいるのかもしれませんね。
個々人の陽気暮らしの増大の為に天理教があるのなら、陰気暮らしをきたすシステムなり人事は反省して撤廃すべきだろう。所詮人間の組織に過ぎないんだから命を犠牲にするなんて。本来は自殺願望者にすら勇気と明るさをさづけてあげられるのが天理教の本部である筈だろう。親里ぢばであるはずだろう。
無限のこの世のの主人公は全ての人間だし、永遠の全ての魂は今生に陽気遊山を深めるべきだろう。天理教に縁ある彼が今生の命を犠牲にする考えに陥ってしまったとしたら、本部の大掃除をこそ祈るしかないだろう。
おやさま的人物、超人的な救済能力と超人的な慈悲深さを兼ね備えた人物達を迎えるしか、本部のそして天理教全体の復活はないのではないか??
いずれ棟梁四人居る。早く伺い立ててみよ。と誰か真柱様達に教えて差し上げろ。
匿名
2020年6月21日 4:08 PM
匿名
2020年6月21日 4:49 PM
確かにスレ違いですね。 スレチ は本家の有名掲示板でも非難の対象ですし酷いとアクセス禁止にも成ります。つまり荒らし と言うことです。
スレチを起こさなければいいですが、大霊界とか霊、魂などと言うこの不定義な単語はこちらでは皆さん避けてきた単語です。不定義、不明確な時点で、学門でなく非論理的だという事です。つまり天理教の教義、教団組織などの総称として天理教社会を観察する学問として、天理教社会学とブログ主カイン氏も始めているわけですから、大スレ違いでもあるわけです。
親父 と言う人は、リテラシー(読解力)などなど、難しい単語は使うが使い切れてないのも現状ですよね。他の宗教への勧誘ならこちらでするのも場違いです。つまりあなたのその意味不明で不可解な自論にはひっかかるような人はここには居ないと言うことです。
なんだったらツイッターやフェイスブックで大霊界を語った方がいいかもですね。知識浅い層が騙されてくれるかもしれませんね。
「金の繋ぎが命の繋ぎ」と教義が変わったのですかこの様な人は沢山出てくるんではないでしょうかね。
つまり「金が無いなら死ね!」とおっしゃった中田善亮神がおっしゃったのですから死人は増えますよね。善亮が神に見えますか?神なんですか?神が金を欲しがりますか?神が人の命を無駄にしますか?やっぱり中田善亮と中山家は神でもなんでも無いただの悪魔ですね。
親父的にいえば、善亮の頭の中身が大霊界で教団がまさに大霊界になったんですよね。残念な状態です。
天理教社会を観察する学問として、これは中山教であると言うお話を繰り返し、今ある教義が偽物であると、繰り返し、掘り起こし、結果として、教団の崩壊を止めるつもりもないのは、良く判った。
教会に絡む人達の、恨み辛みの根源も良く判った。
恨みのこもった、教団への批判のコメント以外は、スレ違いですね。
それは、理解しています、息子が社会に出たから、私はもう関係は無いですね。
生まれた時から、天理教を決められて、自分で信仰を選択していないと言うのが、コメントを見ていて良く判りました。
わざわざ、取り上げて下さって、どうもありがとうございます、いろいろ学べました。
父親さんのお話を興味深く読ませていただいていた信者です。
ここで書かないなら他で読ませてほしいと思います。
ここの理念のニーチェもまた発狂されていたとのことで、それは不安に思っています。
転落して亡くなられた方のこと、直接存じ上げないですが、頭から離れません。
その方のことも、他の方々も、ずっと考え続けていくしか出来ません。
またと書きこみましたが、皆さんを指して言っているわけではありません。現天理教派をさしているわけでもないです。
個人的な範疇での書き込みです。
連投すみません、匿名さん、好意的なコメント、ありがとうございます。
私と仲間の掲示板は復活していますが、コメント承認制にして、アンチを排除しています、そこは、共通の世界観を持ってる事を前提に書いているので、知らない方が読んでも、おそらく意味不明です。
私の会のアンチが、ネット上で、目立つ会員と掲示板を徹底的に潰しにきますので、5ch等で、私の使ってるHNを使って私になりすまし、罵詈雑言を撒き散らし迷惑をかけました。 炎上させては、あいつはいつも炎上させる奴だと、いろいろになりすまして、広めます。 どうもすみませんでした。
ネット上の攻撃ってこう言う方法もあるのだと、これも学びました、なので、HNは定期的に変える事にしました。
宗教が持つ世界観を比較してみると、いろいろ判るんだなって、ここに書いていて、考え出したことです、宗教の持つ、世界観をまず把握してみる事で、互いに理解が進みます、そんな、難しい言葉を使う必要もありません。
他宗派と話す時は、世界観を把握する事から始めたら良いのかって、試行錯誤してみました、だから私の信仰を説明するのに、世界観を整理して書いてみたのですが、生まれた時から、同じ宗教世界に浸かってると、世界観という認識すら、判りづらく、気持ち悪いと言う言葉で避ける人がいるんだ、そういう事も判りました。
書いて、反応を見て、考えて、また投じてみる、自分の文章も読み返してみる事は、いろいろ理解を深めるのに、役に立ちました、全ては自分自身の向上のためになります、それが一番の目的です。
ありがとうございます。
三六二五のくれやいにむねのそふぢを神がするぞや
令和3年6月25日のことでしょうか?
あと1年?
信者ですが、おやさまが元号をお使いになられることはないと私は思います。
「金の繋ぎが命の繋ぎ」なんて、教祖なら絶対言わないでしょうね。教祖の時代の農民は基本的にお金を持っていませんでした。善亮氏がその時代に生まれたら、「米の繋ぎが」とほざいてたことでしょう。
昨日教庁での事故、、。またかと思いました。以前にも書かせてもらいましたが、親族の女性も上級のパワハラで自死しました。こうして、ぽつん、ぽつんと大切な命が各地で天理教の責苦に会って亡くなって行くんですね。今回は聖地ぢばで。苦しんだのですね。行き場を失って。きっと、、。
本部にとってこう言う出来事は迷惑行為で有り、関心を寄せません。むしろ聖地に泥を塗った迷惑千万な行為と認識して、後はスルーの筈です。犬死です。
本部はどの口が人助けを熱弁するのでしょうか?人があちこちで天理教に責められ悶えて死んでいると言うのに。
天理教に関わり責苦で死ぬくらいなら、飛び出して縁を切る勇気の方が余程前に進みます。死ぬ選択は天理教では犬死です。絶対死んではいけない。飛び出してでも生きましょう!
>書いて、反応を見て、考えて、また投じてみる、自分の文章も読み返してみる事は、いろいろ理解を深めるのに、役に立ちました、全ては自分自身の向上のためになります、それが一番の目的です。<
だから、こういう独りよがりな動機で長文連投することが他の人にとって迷惑だということがいい歳してわからないのかなあ?
日参の制度はいつごろできたのでしょうか?
物心ついたときからずっとお供えしてますが、おやさまのころはなかったはず。
まるでやくざのショバ代のように
平野か松村かその辺が発案したのだろうか?
研究者ではないのであくまでも想像の範囲での考えですが。
日参 ≒ お百度参りという感じでしょうか。
日参する方は、願い事をかなえるための日参がほとんどの切っ掛けのように思います。
お礼参りでは(やくざではないですよ)日参はしないように思うので。
「制度」ではないと思います。
誰かが実行しているのを見たからとか、教会の人に勧められたからとかが切っ掛けかもしれません。
「しょばだい」ですか、懐かしい言葉です。
「お金で神様との縁をつなぐ、守護を得る」ための日参に伴う、お賽銭というところでしょうか。
子供の頃って、一人で参拝していた時に賽銭箱に入れていたのは10円玉ひとつでした。
結構長い間、10円でした。
日参なんてものは60を過ぎた時に知人の息子さんのためにしたっきりで、それが最初で最後です。自分の家族や自分のために願っての日参は、恥ずかしくてできません。
今を生きているだけで良いし、生まれ変わりなんて信じていませんから、因縁を少しでも軽くなんて、DNAを消さない限りは実現する訳もなく、では、なんで天理教なのか?と問われれば、偶然の縁だとしか答えられません。
近所の神社仏閣、どこにでも在る「参り所」と同じく、庶民の願いを聞いてくれる場所での参拝と同じ。
でも変ですね、神の力を持ってすれば、参り所の必要性はないのではありませんか。
教会制度、天理教組織は教祖のお考えでは無かったようです。
不良信者の自分などは、お供えも問題ですが、「ひのきしん」にも疑念を持っています。
なぜ、疑念を持ったかというと、ひのきしんは教祖が誰か女性信者に「屋敷にはいくらでもやるべき仕事がある」というような意味の事を話した逸話を知ったからです。
うまいこと考えるなあ、というのが素直な印象です。
ボランティアは自発的行為ですが、天理教のひのきしんは歴史をたどるとわかりますが、ボランティア活動の様な純粋性は薄いことが判ります。
現代では個人で実行している人も大勢おられますから、むしろ以前より、純粋性が高まっているかもしれません。ただ、団体行動の側面もあって、これは個人を束縛するという問題をはらんでいますが、組織の中では当たり前のように問題としては思われていません。天理教が仕事という人は当然の職務ですが、一般人は社会の中で仕事をしているのですから、休みの日にひのきしんをしては体がもちません。
中山平野松村+アルファで形を作ってきた天理教ですが、コロナの今、口を閉ざしている真柱は何を考えているのでしょうか。電話でもかけて聞き出してみたいものです。
宗教新聞でも週刊誌でも、日刊紙でも、なんでも結構ですから、インタビューを申し込んではいかがでしょうか。
【 各宗教団体のトップに聞く! 】 深い思索が求められます。
父親
2020年6月22日 6:18 AM
>>天理教社会を観察する学問として、これは中山教であると言うお話を繰り返し、今ある教義が偽物であると、繰り返し、掘り起こし、結果として、教団の崩壊を止めるつもりもないのは、良く判った。
教会に絡む人達の、恨み辛みの根源も良く判った。
恨みのこもった、教団への批判のコメント以外は、スレ違いですね。
それは、理解しています、息子が社会に出たから、私はもう関係は無いですね。
生まれた時から、天理教を決められて、自分で信仰を選択していないと言うのが、コメントを見ていて良く判りました。
わざわざ、取り上げて下さって、どうもありがとうございます、いろいろ学べました。
教団の崩壊じゃなくて中山家が居座るなら本部はこのまま潰れます。今までの方針は中山家がやった事ですから責任取るのは中山家と言うことです。悪人を擁護するような書き方も間違い。間違った本部や組織体制のために教義に手を付けたら間違いの始まりになるでしょ。今現在世界的に行われてる黒人差別反対デモもきっかけはキリスト教、バチカンの教皇が異教徒は全員奴隷でよい。と認めたからdすよ。その後訂正しても差別問題だけが残った。暴動にするのは確実に間違いです。他国に利用されていると言うことです。そのうち真相も出てくるでしょう。しかし黒人差別黒人奴隷をしたのは、キリスト教の白人国家と言うのには変わりない。
あなたの大霊界もある日 創価学会 や けんしょう会 統一教会になってたらとんでもないやろ、そのとんでもない自体がこの天理教と名乗る団体で起こっているんですわ
なんだったらあなたが他のサイト行って何千何百の人を連れてきても話は変わりません。事実ですから、むしろ他のサイトで天理教はヤバイらしいぞ!w と馬鹿にしてくれた方が助かりる。それぐらい酷い状態、聖地で聖地に人が飛び込んだり、飛び降り自殺するような教団を誰が擁護できるの?それこそ異常です。
こんな時期に詰所建て替えのお金欲求するとか絶対給付金目当てだろwwwww
w 性格が腐りきった人間しかいない名〇屋大教会
になんざ誰が金だすか!!!!!!!!!!!!
お金をどぶに捨てるようなもんだ!!!!!!
>>日参の制度はいつごろできたのでしょうか?<<
いつ頃かは知りませんが、たとえ1日10円のお供えでも、1年間で3,650円になります。金儲けに長けた輩が、金儲けのために考え出したのでしょう。
すいません、一年間なんて長期にわたる日参ではなく、わずか1か月でした。
でも、願いは通じませんでした。はい。そんなもんですよ。
一つの経験をした、という次第です。
普通は区切ってのお願いになるようです。
でも、天理教で生きている人たちは、それこそ、教会の人は毎日参拝します。
毎日参拝でもお賽銭はいれていないように見受けます。
本部の朝夕のお勤めでも、ゾロゾロ行進する大亮さんたちは賽銭箱には近寄りませんね。
多分、貰い受ける側だからでしょう。
大亮さんに聞いてみてください。賽銭箱に入れた経験があるかどうか。
青年会の人ならば直接聞けるでしょう。
にっさんという名目で毎月封筒にいれてませんか給食費のようにハンコを押されて うちの系統だけかな!
>>大亮さんに聞いてみてください。賽銭箱に入れた経験があるかどうか。<<
結局、我が懐に入る賽銭を回りくどいことをしてまで賽銭箱に入れないでしょう(笑)
>>にっさんという名目で毎月封筒にいれてませんか給食費のようにハンコを押されて うちの系統だけかな!<<
おそらくそうでしょう。ハンコが満杯になれば、本部から皆勤賞でもくれたらいいですのにね(笑)
全ての宗教団体が形骸化し屑化し悪魔化していっても、手本雛形をうたう親里地場には、中心にいくほど生き神様の様な人達が病まず死なず弱らずの雛形を分かち合い続ける、たすけ一条を勤められているのでしょう?!
う~ん素晴らしい!!百歳超えて矍鑠(かくしゃく)として神楽を舞われる。そんな人達とどこで会えるんでしょうか?
2020年6月22日 5:20 PMの匿名さんの投稿
>>お金をどぶに捨てるようなもんだ!!!!!!<<
その通りですね。ユニセフとか国境なき医師団等の活動に寄付する方がおカネが生きてきます。
何時まで建物に拘るのでしょうね。平素から互い建て合い助け合いを説くのであれば、他の詰所を利用されれば、効率も良く、無駄な経費も削減できるんじゃないですか。自前の詰所を持たなければ、沽券にかかわるとでも思っておられるんでしょうか。
近い将来、世間からは天理教なんてあったのといわれる言われる日が来るに違いないと、想像をめぐらしている者の独り言です。
感謝力さんの投稿
>>そんな人達とどこで会えるんでしょうか?<<
当分か、あるいは永久に会えないかもしれません。
教友が多く居られるブラジルではコロナの感染者が100万人をとっぱしました。増加数も前日比で5万人余り、亡くなった方も前日比で5万人余りと報告されています。教友の方々は大丈夫でしょうか。
本部は何をしているのでしょうね。今の状態では、本部さえ良ければという印象を受けます。とてもじゃないですが、霊能者を迎えるどころじゃないでしょう。世界宗教の名が泣いているようです。
115歳定命で神楽を舞われるなんて夢のまた夢の世界ですね。一体、誰が悪いんでしょうか。まさか、信者さんたちの信仰心が足りないかも?。内さんなら言い出しかねません。
2020年6月22日 5:20 PMの匿名さんの投稿
>>お金をどぶに捨てるようなもんだ!!!!!!<<
天理教の上層階級は、総じて金銭感覚が麻痺している方々が多いと思われます。がらんどうの詰所が林立しているのに、まだ、新築するんですね。常人では考えられませんね。語弊があるかもしれませんが、頭がおかしいのではないかと思います。世間で働いてお金を稼ぐ苦労をしたことがないので、お金の価値が分からないのでしょう。お金は天から降ってくるものではありません。もういい加減に無駄遣いは止めましょう。
名○屋大教会の詰所の新築の件ですが、本当に新築くですか?改築や修繕の間違いではないですか?さすがのこのご時世新築は難しいのではないでしょうか。誰も泊まらないのに。相当蓄えてれば別ですが。
賽銭箱は知りませんが、結婚でもらった祝儀や子供が産まれた時のお祝い金などをいちれつ会へ寄付しているはずです。それが本部の人間の慣例なのだそうです。
みちのともか何かの教内誌に、いちれつ会への寄付をした人の名と金額が定期的に?掲載されます。匿名の場合もあるようです。
匿名
2020年6月23日 12:05 PM
離脱すると、詰め所の使用禁止と言うことですからっ所有は本部です。つまり詰所建築は大教会でなく本部主導です。建築会社も本部お抱えの竹中系列でしょうからこれは名古屋大の問題ではなく本部の金稼ぎの為にされる汚職建築です。竹中の詰所や館建設の費用があまりにも高すぎるという噂を聞きました。水増し請求しているのでしょう。
例を挙げると実際3臆ぐらいの建造物に業者が10億請求する 浮いた7億はどこに行くのでしょう?業者と本部で折半でしょうか?それとも丸まる本部でしょうか?本部の担当部署は管財です。無駄な建築を乱立させ未だに乱立させようと言う理由は本部が儲かるからにあります。
うちの場合毎月のお供えとは別に土地代として
1教会○百万(50箇所で○億○千万)、しばらくして建物代として○百万(50箇所で○億○千万)おそなえしました。所有権は土地、建物とも本部です。
大教会側に所有権はないので売却することも不可です。
お供えの2重取りだと感じました。
限りなく違法に近いのですが、慣例として見過ごされてきたようです。
名○○大教会は規模の大きい詰め所と思います。修養科生、教人登録講習、教会長研修など、ほかの大教会に比べて抜群に多いのは確かですが、昨今詰め所を使用する人が激減している。おまけに帰参教会長は快適な奈良のビジネスホテルに。なんで詰め所を建て替えるのですか?。教人登録講習、教会長研修などは空いている他の大教会の詰所、母屋、空き家だらけの本部施設を使用したほうがいいのではないですか?。持ち物が本部であれば尚更のこと。壊すのにも金がかかる昨今。メンテナンスもままならない幽霊詰所だらけ。こんなことをしていれば金はいくらあっても・・・・・。まか不思議な組織ですな。
匿名
2020年6月23日 12:05 PM
>>建築会社も本部お抱えの竹中系列でしょうからこれは名古屋大の問題ではなく本部の金稼ぎの為にされる汚職建築です。竹中の詰所や館建設の費用があまりにも高すぎるという噂を聞きました。水増し請求しているのでしょう。
例を挙げると実際3臆ぐらいの建造物に業者が10億請求する 浮いた7億はどこに行くのでしょう?業者と本部で折半でしょうか?それとも丸まる本部でしょうか?本部の担当部署は管財です。無駄な建築を乱立させ未だに乱立させようと言う理由は本部が儲かるからにあります。<<
公共施設の建築や工事は、指名競争入札で落札者が国や地方公共団体と請負契約を締結し、工事を実施します。工事が完了すれば、国や地方公共団体が工事が適正に行われたかどうか確認するために竣工検査を実施し、工事が適正に行われていなければ、業者に手直し工事を命じ実施させます。税金を投じて工事をするのですから、当たり前のことだと思います。竣工検査は発注者である国や地方公共団体の有資格者(一級建築士等)が行います。天理教教会本部の建築物は、昔から竹中系列が随意契約で受注しています。つまり、受注者側の「言い値」で工事ができる訳です。「受注者」にとってこれほど「おいしい契約」はありません。巨額の利益を得ることができるからです。これはあくまでも推測の話であり、確たる証拠もありませんが、受注者側が得た巨額の利益の一部を発注者側にキックバックとして還元させることもできるわけです。発注者側の竣工検査も、多少の手直し工事があっても「見て見ないふり」をすることもできます。極めて不透明です。しかし、「おぢば」なる所に林立する天理教の建造物群は、信者から搾取した「お供え」で建築されたものであり、法的解釈はともかく、「税金」で建造された「公共施設」と同様の性格を持つものであり、そのほとんどが「役に立たないハコモノ」だと思います。
>>日参の制度はいつごろできたのでしょうか?<<
「日々の理」のことですか?制度というより習慣です。毎日歯を磨くのと一緒ですから、いつから始まったかなど誰も記録していないはずです。
新入社員で入ったころは初任給148000円で毎月三分の一を日参として教会(自分のうち)におそなえしていました。教会にいくと日参箱があって信者さんが給食袋のような封筒にその月の日参(決めた額)をいれてました。それを会計がつきなみさいごとに集計し上級へもっていってました。
当時の上級は生活費7万円をひいてのこりを大教会に持っていっているといってましたが、、、、、、、
あるひ信者さんの息子さんが事故にあい○00万のお供えがありましたのでそのまま上級へ運ぶと
大教会には半分の○50万しかお供え(お願い)があがってませんでした。
上級にたいする不信の始まりでした!
>>あるひ信者さんの息子さんが事故にあい○00万のお供えがありましたのでそのまま上級へ運ぶと
大教会には半分の○50万しかお供え(お願い)があがってませんでした。
上級にたいする不信の始まりでした!<<
キックバック(ピンハネ)の典型ですね。天理教は「金儲け」にかけては抜け目ががありません。バブルの初めの頃、豊田商事事件という前代未聞の巨額詐欺事件がありましたが、さすがの豊田商事も脱帽するほどのことを天理教はしてきたのじゃないかという疑念を抱かずにはおれません。豊田商事事件の場合、被害者のほとんどは高齢者でした。事件の規模こそ違え、今でも「オレオレ詐欺」、「還付金詐欺」等の詐欺事件は後を絶ちません。皆さん、くれぐれも騙されないよう気をつけましょう。
詐欺師の手口は、人の心の隙間や、油断、体の良い儲け話、有りもしないような霊感話、因縁話、等、手練手管を駆使して、「一攫千金」の話を持ちかけてきますが、絶対に騙されたらいけません。宝くじにでも当たらない限り、一攫千金など通常は無理です。皆さん、「うまい話」には必ず落とし穴があります。絶対に騙されないようにしてください。何度も同じ内容の投稿をしますが、騙された側は、騙した側の思うつぼになります。
またもや本部は超えてはいけない一線を越えたのですね。人口低下、コロナによる集団感染リスクがある中なぜ箱を作るのか馬鹿の極みです。教校学園の閉鎖は人口低下と児童減少との言い分はどこに行ったのか?笑 ただの言い訳だったとまたもや発覚www これは現役とOBOG教校の人間がまた怒る理由を作りましたね。
人口低下の対策は施設の規模縮小、詰所も大教会単位でなくもっと効率の良い運営に切り替えるのが当然の対応しかし、大教会単位でない場合、詰所建設を口実に大教会に集う信者からお金をせびれないから統合もしないというなら全ての合点がいきますね。
大金狙いの運営なのでしょうが大金狙って小銭を失う。しかもその小銭は永遠と続く建物の維持修繕管理費、館建設の失敗を認めたくないどころか未だに気が付いてないのでしょうね。本当に馬鹿の極みです。
>>大金狙いの運営なのでしょうが大金狙って小銭を失う。しかもその小銭は永遠と続く建物の維持修繕管理費、館建設の失敗を認めたくないどころか未だに気が付いてないのでしょうね。本当に馬鹿の極みです。<<
館建設の目的自体が「大金狙い」です。「維持修繕管理費は下層部に負担させる。」それが狙いなんです。館建設によって金儲けをし、後始末は下層部にさせる。極めて巧妙な手口ですが、いつまでも通用するはずがありません。
>>館建設の目的自体が「大金狙い」です。「維持修繕管理費は下層部に負担させる。」それが狙いなんです。館建設によって金儲けをし、後始末は下層部にさせる。極めて巧妙な手口です<<
本部にとって詰所建築は美味い話なんですね。納得です。当方の詰所も空調の修繕とか風呂ボイラー、修理の度に我々信者にお供え要請がありました。今後はトイレの修理でしょう。水まわりはお金がかかります。大教会や本部にとって財布代わりだったむかしの信者は次々と出直し。若い信者は生きるのに精一杯ですから財布の紐は硬いです。大教会は現実をよく見て頭の切り替えをし、本部の都合の良い「犬」では、今後の展望が開けない事を自覚すべきです。自分ら大教会家族も食えない時代が目の前まで来ています。
天理教は今消滅寸前で殆ど誰も利用していない詰所が乱立する中、今更新築とは、どれだけ非常識で能天気なあなた任せ、信者泣かせ。どんだけ現実が見えていない阿呆な大教会なのでしょうね。もっと信者が賢くなって、馬鹿な大教会に声を上げなきゃいけないです。それとも信者は黙って傍観。勝手に建築させておいてお金を払わない事に徹底して下さい。大教会にローン払わせたら良いです。苦しいお金を出してきた信者の気持ちをわからせたら良い。そうすれば本部の犬でいる事がどれだけ理不尽な事か分かると思う。正に悪の元凶は本部。いつまでも美味しい汁が吸えると思ったら大間違いだよ!
なるほど、皆様の解説から詰所建築、改修などが本部にとっての新たな収入源となり得る事が
判ってきました。
天理教組織が置かれた状況を考えるとあり得ない行為なのに、何処までも頭の悪い集団です。
頭だけではなく、心も汚れ切っていますね。 あーーーいやだ。
そういえば竹中は株式会社と言えども非上場。
以前、竹中内部の人から聞いた話では、株主総会も数人で、簡単に終わるそうです。
創業家以外から社長が出たのは、つい、7年前の事です。
ところで別件ですが、Twitterを眺めると天理教の諸事情が見えてきますね。
Twitterにのめり込むと、つい、日記のような感覚で書き込みがちになるのでしょうか。
天理教だからという傾向ではないのですが、信仰していても、自分の身に降りかかる
天理教の理不尽さにはNOという人でも、コロナ感染禍の中では身勝手な言い分を
Twitterにあげています。
内容からの推測ですが天理近辺在住女性のようです。
心の狭さが感じられます。残念なことです。
感染の酷い関東圏居住者は感染源ですか?
指摘事項の方向性が完全に間違っています。
(以下Twitterより)
梅 @tenri_okasii 5月26日
さっそく参拝者がけっこういた
驚くのが関東圏のナンバーが多いこと
収束したわけでないのだから自粛してもいいのではないか
>>昭和5年発行「天理教その搾取戦術」より(その4)
第一章 つづき (P64~ コマ番号41)
四、天理教の神が存在するとは真赤な大嘘言だ
余は右の一命題を掲げよう。何故大嘘言であるか、この事の理由は詳しくは後述すると思うが、まあ、ここにも述べておくとする。天理教では天理王命を、親神とか、実の神とか、元の神とか言う。これは実の神とは、実ならぬ神、即ち嘘の神に対しているであろうし、元の神とは末葉の神に対しての言い方であろう。まず教徒の権威、廣池博士の所説を聴こう。
「始めは南無天理王命といえり。南無は神の本体にして即ち宇宙の形を指す。天理は宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す。而して神も人間も泥海の内または暗黒の中より組織せられて今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと云うにありて其の説は今日の所謂進化説に一致せり。其の十種の神とは、此根本神霊の任務の分類なりという。云々」(三省堂、日本百科大辞典第7巻74頁中段天理教の項参照)
まず注意すべきは始め「南無天理王命」なる文字でなければならぬ。宗教学も仏教もやらぬ人間なら、なるほど南無という意味は神の本体で即ち宇宙の形を指すことだと思われるかも知れぬが、この「南無」という意味を知っている仏教学者や宗教学者や、たとえ概論であっても仏教書若しくは宗教書の四、五冊も読んだ人の眼を眩ますことはできまい。廣池博士は知ってか知らなくてか、斯かる解釈を南無に付したのは、何等かの根拠があるに相違あるまい。その根拠は天啓の文たるが故である。天啓教と自ら誇る天理教の、コジツケである以外の何物でもないということを知るは、学的見地より見て、あまりに俗学的なことではないか。それとても博士が、これを博士の名に於て天理教信者を信用せしむるに足ると思し召しておられるとすれば、むしろその非を鳴らすよりも、その態度を憫笑せざるを得ない哀れさを感じるのである。中学生でさえ、博士の如き意味に南無を解せないということを、読者諸君と共に見ていくこととしよう。
「南無(仏)訳して帰命といい、二重にして『南無帰命』といい更に『南無帰命頂礼』という。要するに仏に救いを求め、生命を捧げて仏に帰投する意」(塚本哲三氏著「現代文解釈法」用語編61頁)
「南無(漢)(梵語 Namah または Namo)帰命、頂礼または真実と訳す。仏を祈るとき冒頭に用うる言葉」(文学博士金澤庄三郎氏著「辞林」887頁)
「南無(梵)Namah 又 Namo の音訳。後生を助け給えと願う意。救我、帰命覚、恭敬、信徒等と訳する。南摩、那謨、納慕」(服部宇之吉氏、小柳司氣太氏共著「詳解漢和大字典」243頁上段参照)
「南無(仏)後生を助けたまえと仏に祈る語。救我、帰命頂礼、真実などと訳す。釋氏要覧唯識鈔云、梵語 Namah Namo 此翻為名、即是帰趣之義也。」(簡野道明氏著「字源」274頁4段参照)
「南無は帰命(梵)Namah 梵語南無(南謨)の支那訳。南謨彌多婆耶 Namo mitabhaya を帰命無量光と訳するが如し。一般に南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経などの如く仏か法に対して帰依、敬体、信順を表するの語。南無の義訳に帰命の外、敬体、帰体救我、度我(敬体帰依して救済を要請するより救我度我と云う)屈膝(敬体の形状)等あるも、普通に帰命の訳語を用う。帰命 Namas Namah Namo と帰依 Saranam gacchati とは原語を異にすれども略同意の語である云々」(岩波、哲学辞典201頁矢吹慶輝氏解)
「Namah 身を屈す、Namas 帰敬、敬体」(文学博士萩原雲来氏実習梵語学附録29頁)
ここで一寸説明を加えておくが、Namah はNamas と同じく、これ等の語根が Nam であって、動詞であるということに注意しておきたい。
「namu(南無)Save us ! namo ! 」(※判読困難のため以下略、英語の辞書の引用らしい)
さて以上、南無の解釈について、諸家の意見を眺めてきた。ここで我々は、南無とは梵語の語根である Nam の意味が、どれにでも含まれていることを知る。而して南無の語根は動詞である以上、南無そのものの意味もまた動詞であることは、言うまでもあるまい。上掲に注意を引いたように、武田氏の南無の英訳は、やはり動詞たる Save として訳しているではないか。然らば、如何なる意味かというに、言うまでもなく「帰依する」ということである。動詞の性質として、動きかけるものと、動きかけられるものとを含むことは御承知のことであろう。即ち、南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰依する、阿弥陀仏に救われんと帰投することである。南無妙法蓮華経と言う場合の南無もまた然りである。さて吾々は、南無という言葉が、救う、済度する、帰命するということを表すことであるということに結果した。然るに、天理教きっての学者である廣池博士は何の意ありて、かくも明瞭なる動詞を「南無は神の本体にして即ち宇宙の形を指す」と言ったか?本体とは動かざるものの名称を意味し、従って南無は存在という名詞を指すのである。名詞と動詞とは前述せる如く大違いである。廣池博士ともあろう者が、日本に於ける百科辞書の権威たる三省堂のその本に於て、何のために斯くも明々白々の事柄を、晦渋なる前行説なき説を述べられたか?そこには何等かの底意が無ければならぬと思われるのである。それには、どんな心の動きを示しているのであろうか?それは博士の次に述べられている、天理の意味を動詞としたことによりて、我々には容易に博士の胸中を洞察できるではあるまいか。博士は天理王命を一体の神と見ずに、天理を動詞に解し、南無を名詞に解するによりて、博士の天理教に対する神学的独断説を構成していることが看取される。常識を以てしても「南無天理王命」は、天理王命に帰命すると解するのが普通である、のに博士は、天理と王命とを切り離して、天理をして「宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す」と述べられることによりて、天理王命の存在を否定し、実在を排するの結果を招来したのは博士の、あまりにも天理教を幽玄化せんと企てたる為に、支那思想の天の観念と理の観念を、そのまま天理教に於ける神、即ち天理王命の天理に付会し、これを神道の神たらんとせしデリケートな果実である。斯くして博士は、天理教を良く見せ、良く思わせ、幽玄なる真理ありと説かんとして、遂に天理教の最も尊敬すべき(実際は無いんだが)天理王命を撲殺するに至ったのである。次に、博士の次の言葉について考証を検するのであるが、その前に、天理王命の名前について述べることとする。
博士の南無天理王命で気付くことであろうが、南無とは仏教語であり日本古有の言葉ではないということも知られたであろう。何故に天理王命なる神道の神と云うているもの(同じ天理教学者でも、日本の神ではないと言う者がある。また余も後述するであろうように、日本古典の神であるとするには、天理教の神と日本古典の神との相違が、あまりに甚だしいのは事実である)に、仏教語たる「南無」なる語を冠したか。これについて余は、次の二点を提示し得ると思う。
1、教祖が若くして浄土宗の信者であって「南無阿弥陀仏」と称え、おそらく南無の意義を、廣池博士的ならざる意味に於て理解していたのであろう。
2、教祖の生前は、両部神道の影響甚だ大なるものがあった為に、仏語を神名の上に冠したりとて、当時にありては新しい神様の名だとしか思われないで、それに対し何等の不思議も感じなかったことであろう。
という点に存する。ところが天理王命も天理ではなくて、天輪王の尊とか、天龍王の命とかと言われた時があったのである。これによりても廣池博士等の説は、大なるコジツケであるという以外の何らの判定も無いではないか。天理であればこそ博士のコジツケも、なるほどと人をして肯けさせもしようが、天輪王となれば博士は、これにどんな解釈を施すのか。天が輪であるとでも言うのか。呵々、天理教もまた、天龍教だの、天倫教だのと云った時があるではないか。または天の将軍と云った時もあるのではないか。
「市兵衛は茲ぞと、尚も丹精を凝らして祈祷した。教祖の御容子は、ますます荘重を加え給う。両眼は日月の如く輝き、手にせし御幣は左右に上下に凄まじく打ち振るう。
『お降りの神様は、どなた様で御座います』市兵衛は直ちにお尋ねする。
『我は天の将軍』凛々しい御聲には一座の者、思わずハッと慴れ伏した。すると市兵衛は直ちに
『天の将軍とは、どなた様で御座います』と押し返してお尋ねする。教祖は
『元の神、実の神である』と答え給い」(天理教同志会編集部発行「天理教祖」42頁~43頁)
これによって見ても、天理教の神は、種々なる名を変えたものであるということが、理解されたであろう。
さて、前にも一寸述べたが、廣池博士の論によって明らかなる如く、天理教の神は実在するものではない。ということと、神の創造について、も少し述べることにする。さて、これを説くに際して、天理教徒の主張を聞こう。
「教祖は、筑前の質問に対して、流るるが如く答え給う。話は進んで遂に、神の本体論に及んだ。
『十柱の神の御守護、八ツの埃聞けば、なるほど一々道理じゃ。然らば其の神々の御姿とは如何様なものか、人間のようなものか』こういう面倒な質問には、おそらく速やかな返答はできまい。と、高を括って発した質問。もし似せ者ならば、この辺で旗を巻くであろうと、勝敗を一挙に決せんとする質問。筑前の聲には一入、力が入っていた。その調子は急であった。
『理が神、誠一つが天の理』何の淀み給うところもなく、直ちにスラスラと答え給うた」(天理教同志会編集部発行「天理教祖」111頁)
また、
「天保九年十月二十六日、即ち旬刻限の到来になり元なる地場に、あらわれ給うた神様は、これを天理王命と申しあげるのであります。天理王命とは、国常立命、面足命、国狭槌命、月読命、雲読命(またの名豊斟渟尊)、惶根命、大食天命(またの名大日霊命)、大戸辺命(またの名大苫辺命)、伊耶那岐命、伊耶那美命の十柱の神様を総称して申し上げるのであります。総称とは十柱の神様の御守護を抽象して称えたので、これは丁度、物には体と用に分かれてあるように、その用は多方面であっても体は一つであると同じようなものであります。今一つ例えて申せば、吾々の精神作用は知識、感情、意志と三つに分かれてありますが、意識というのがこの三つの機能を統一すると同じ理由であります。このように天理王命の御守護は十方面に分かれてありますが、この十の御守護を一つにしたものが即ち、天理王命であります」(地場思潮社発行「天理教とは如何なる宗教か」6頁)
それから、もう一例は、前掲のものであるが、叙述の必要上、採録することとする。
「始めは南無天理王命といえり。南無は神の本体にして、即ち宇宙の形を指す。天理は宇宙の生成活動変化の有形無形の理を意味す。而して神も人間も泥海の内または暗黒の中より組織せられて今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと云うにありて其の説は今日の所謂進化説に一致せり。其の十種の神とは、此根本神霊の任務の分類なりという。云々」(三省堂、日本百科大辞典第7巻74頁中段天理教の項参照)
さて、以上三例の外に、教祖は何と云っているかというに、十柱の神の名前を、御神楽歌にも御筆先にも述べていぬようである。そして教祖が、神を指して用いた言葉は、次のようなものである。
1、つきひ
2、かみ
3、てんりんおうのみこと
4、おや
5、理、または誠
等である。これによって如何なる帰結が導き出されるか、余は第一例より順々と検討していくこととする。第一の例によりて明らかに知られる如く、人間のようなものでない、理が神、誠一つが天の理なることを知ることができるのである。さて理とか誠とかいうものは、実在として存在するものではなくして、言わば名前である。例えて言えば、砂糖袋の袋のようなもので、何も無いものである。道徳と云うに於て規範としてあるので、道徳が実在として存在するものでない。難しい言葉で言えば、存在判断の対象とは如何にしてもなり得ないものであって、それは価値判断の対象としかならぬものである。だから第二例の文中にもある如き抽象されたものであり、空っぽな何も無いものである。だからこれを有ると思って、いくら有難がったところで、砂糖袋の空のやつから、砂糖が出て来っこはないではないか。たまには砂糖が出てきたかの如くに甘く感ずるかも知れぬが、それは甘く感じたまでで、胃液が出るから食物が必ず胃袋の中に入ったとは限らない。食物を考えただけでも、我々の胃に於いての生理的作用の必然より、胃液は出るものである。だから胃液が出たから食物が入ったのだなんぞ考えるのは、一大錯覚であるか、認識不足の人のみに真理として受け取られる真理である。もう一例を示すが、我々は梅酢を口中に入れれば非常に唾液が出ることは誰でも知っている。ところがまた梅酢を思い出しても、スッパいと思うと唾液が出るということも誰でも知っている。そこで問題はここにある。梅酢を思って唾液が出たからといって、俺は梅酢を食ったと言う者があるならば、読者諸君は必ず笑うだろう。が、精神的の状態では、食わぬ梅酢に唾液を分泌せしめて、本当に梅酢を食ったと思い込んでいる者が、随分あることを知らねばならぬ。
実際に実在せざる神に祈願祈祷を捧げて何の価値があるか。もし御利益があるとしたら、それは食わぬ梅酢に唾液を出して、食わせてもらったと有難がるのと一般(※同様、同類)である。
教祖は規範を教えたのだ。教祖の教えた神は、第一例によれば規則を教えたのである。だから神を祈ることは、その規則を実行することである。その規則は道徳で云う誠であるに過ぎない。真実、正直であるに過ぎない。これは宗教ばかりでなく、道徳倫理の教えるところである。何等の奇も無く、変哲も無い。道徳倫理は人間の履むべき常道なり。何で、こと新しく偉くせしめる必要あるやである。
くれぐれも言う。神は理なり誠なりである。神は道徳である。(天理教のいう神が)読者諸君よ、道徳に祈祷祈願を諸君はするか?道徳に対して宗教的行為を、するとしないとは読者諸君の勝手だが、余をして言わすむれば祈祷祈願を道徳にするよりも、まず道徳的行為、倫理的実践を行うことが、最も必要かつ先決問題ではないか。かかる意味の要求を、天理教の神は要求していることは、漸次明瞭に展開されるであろう。
理は無なり(実在せざると云うこと)ということを銘記されたい。
次に第二例であるが、この第二例は、全く理=神と日本古典の神名とを結びつけるに、イタく苦心しているのが、ありありと看取される。しかも遂には、天理教の神と日本古典(古事記、日本書紀、古語拾遺等)の神との結合に於て付会成らず、失敗に終わっているのは、真に気の毒であると言わねばなるまい。そしてまた天理教の神と日本古典の神との付会をせるものなりとのことに対する、余等の研究の対象には恰好の標本であるのだ。ではこれを解剖台上に引っ捕らえて来て、剖検して見ることとせん。
第二例によれば、
「天理王命とは十柱の神様を総称して申し上げるのであります。総称とは十柱の神様の御守護を抽象して称えたので云々」とある。さて、この文中の抽象ということについては、もう説明した。だから今度は総称ということについて、少し述べることとする。総称とは例えば、人参、巻菜、水菜、蓮等を一括して青物または野菜と称することと同一であって、野菜なるものは、実は人参や巻菜や水菜や蓮を離れてはない。だから人参や巻菜や水菜や蓮は存在するが、野菜はそれ自身では存在しないのである。有るのではないのである。無いのである。空っぽなのである。ここでも天理王命は、ただ名前だけで存在しないのである。と、天理教学者等が明白に書物に書いているのである。如何に彼等の公正なる処置の仕方よ。三讃に価するだろう。
だがここに見逃すべからざる、不敬神の事実がある。それは上述の如き、無い神様、名前ばかりで存在しない神様を以て、日本の神様即ち十柱の神様を総称するという一事である。少なくとも神様の御名を一柱々々に称し奉るは当然であって、これを一つにひっくるめて言ってしまうとするのは、如何にも神に対する冒涜も甚だしいではないか。日本古典の神は、清濁併せ吞むの浩博なる気宇を有するを以て、神罰を下すことを差し控えられているのであろうが、これが他の神様であってみたまえ。神罰たちどころに下るであろう。とにかく突然現れた無籍の天理王命を、日本古典に神籍を有する十柱の神の総称だなんぞと言うのは僭越の沙汰である。しかも論者が天理教徒の一信徒で、偏執病にかかっている者ならば、まだ赦すべき点もあろうが(余の見るところを以てせば、天理教に関する信徒側の著書中、この偏執病に囚われている者が、かなり多くあることは、いつでも指摘できるのである)こといやしくも大和の本場であり、しかも一人の著書によらない協同的、言わば編集である著書上に、斯かる事柄をオメオメ述べているのは、実に厚顔無恥不学の徒であると言われても、返答の辞もあるまい。
さらに面白いことは、その次の文句である。娘が何時の間にやらシワクチャ婆になったということは何も不思議でないが、シワクチャ婆さんが娘になるということは前代未聞。奇蹟以上でなければなるまい。さらに、主人の地位を取って納まる召使ありとすれば、それこそ許し難い事柄に属すると言わねばならぬ。然るに実際は次の文句の如く、空な無いはずの天理王命が、豪然と有ると言い、存在すると言っている。しかも今まで実在として存在していた十柱の神様は、何時の間にか「はたらき」と同じ様にさせられてしまっている。言わば、実在しないものとされている。これこそ面食らわざるを得ないではないか。即ちそれは
「これは丁度、物には体と用とに分かれてあるように、その用は多方面であっても、体は一つであるのと同じようなものであります」と言うことに出ている。ここでは完全に天理王命が体となり、十柱の神が用となって主客転倒した叙述を、平気で涼しそうにシャシャした態度で、アッサリ取り扱っているのではないか。体と用との関係、意味は素人方には、よく分かりかねるかも知れませぬが、一例を引いて説明すると、人間が体で、その人間の働きを用というのであります。これでお分かりになったように、人間を離れて「用」はありません。これと同じように、天理王命を離れて十柱の神はないことになる。それは実在するから。そして十柱の神は作用なのであるから。さてここで、先には無かった神、即ち総称という空っぽな神が、ここでは何の手品のタネも仕込まずに、空っぽでなくなったということは、如何にも下手な手品ではないか。またその態度は、人を馬鹿にして出た、不遜な態度ではないか。人間を人間とも思わず、盲者扱いにしようとする態度は、憎んでも飽き足らぬではないか。
さらに、意識が、知、情、意を統括するなんぞは、今日の進歩せる心理学から見れば、まことに愚にもつかない前代の遺物である。今日の心理学の立場は、ゼームスの所謂意識の流れ(Stream of consciousness)を根本立場として、知、情、意、と別れたものを統一も非統一もなく、この意識の流れを知的とし、情的とし、意的として眺めるというに至っているのである。なお、統一云々と言うが、今日最も進歩せる観念論哲学にありては、意識が統一するのではなくて、むしろ意志的のものが統一純化するものであると云うのが最も優れたものであるのである。また、この例によりても、意識の流れを知的意的情的の傾向あるものと見、意識を以て天理王命とし、知、情、意を以て十柱の神とするならば、まれまた空っぽな天理王命を以て十柱の神より優位と為すものである。廣池博士(第三例)の、十柱の神とは、この根本神霊の任務の分類なりと言っているものもまた同様。天理王命と十柱の神とを結合せしめんとして、遂に天理王命と十柱の神との関係を漠然とさせる結果をしか、齎さなかったのである。
なお廣池博士によりて述べられている、神も人間も泥海の内、または暗黒の中より組織せられて今日の光明世界となり文明社会を現出せるものと言うにある。さてここで、余は問うであろう。
1、神及び人間が組織せられた泥海を、一体誰が創造したのであるか?
2、第一元因は何であるか?
余は、この二問題を提出して、天理教当局の回答を促すのである。たんのう々々と言って逃げられぬよう、注意しておくところである。
さて、神についての考証は、大要ではあるが上掲に止めておく。
天理教の神は、空虚な神である。教祖中山ミキの意識にのみ存在するものである。それは実在ではなく、実在視せられるものである。教祖中山ミキによりて考えられたる神である。考えられたるが故に、存在するとは如何にしても断ずることはできざる神である。その有様は丁度カントの要請されたる神の性質に等しい。存在すると思われる神である。思われる神なるが故に、存在せざる神である。無き神であり、空虚な神である。この神に何で力があろうや、宜なる哉。それだからこそ、神の名に於て教祖中山ミキは病人を癒したことが、殊に多かったと伝えられている。だのに現在の教師は、これをよくし得ざると嘆じている。それ等の病人を癒すこと、即ち霊救と称することの、今日僅微になったのは、全く教祖中山ミキの力によるものにして、教祖によりて口にせられた神の力によるものではない。教祖とてまた、自分の意識によりて考え出した神を、実在するものとし、その神の力によるものと考えていたかも知れぬ。だがそれは教祖が神ありと自覚したのであって、神が教祖をして神ありと自覚せしめたのではない。教祖即ち人間が、神即ち安き国の主宰者を、現実=娑婆世界の苦悩より逃避するために作り出したまでである。
人間あっての神であり、神あっての人間ではない。人間は神に先立つものである。天啓とは、人間の神を作るとの行動に名付けた謂である。故に天啓の教えとは、人間によりて作られたる教えと云うのと等しく、その他の何事をも意味せぬものである。
然るに、彼等は借物の理を以て、この神言は悉くお道の御教理の真髄であって、千古不磨の一大経典であると崇め、本教の教理中最も重要なるものの一つであると称している。無よりの言は、あり得ない。これをして最も大切なるものの価値あるものとするは、そこに何等かの底意があらねばならぬ。しかもこの(借物の理)の意味を知るときには、天理教教外の者には警戒すべきことではあろうが、教内、殊に本部当局者並びに教会長、教師にとりては、医学界に於てコカインと共に重宝がられる阿片剤の如き地位を占むるものである。阿片剤なるが故に薬ともなり、毒とも為し得べきものである。元来、阿片剤の価値は、薬とさるべきに存して、毒とさるべき時には有せぬものである。本来は薬とされることによりて真の価値を発揮し得る阿片剤も、悪医にかかっては、陰謀者にかかっては、我利々々亡者の人非人にかかっては、最も顕著な毒性を発揮するものである。阿片の如き働きを為す「借物の理」を天理教は、はたして善用しているであろうか。悪徳者は無きか、陰謀者は無きか、我利々々亡者は無きか。余は不幸にして、これ等を認めざるを得ないのである。故に、所謂世にも尊き、世間を指導誘掖する、世の師表たる宗教家の内の天理教を「天理屋」と呼ぶ営業所とせざるを得なくなるのである。少なくとも教祖のとれるが如き形態に於て、世に働きかけつつあるならば、余をしてこの罵倒的語を出ださしめざるものを。<<
天理屋の営業方針は「信者なんて、みーんな無知で馬鹿だから、コジツケでも出任せでも、テキトーに難しい言葉を並べて畳み掛ければ万事OK!」と、言ったところでしょうか。我利々々亡者の人非人とは、よくぞ言ってくれました。ただ「天理王命」は教祖が言った神名ではないことを、著者が理解してくれていれば良かったのですが。
お道の方のブログより
苦しんでいる人達の想いを、聞いてください
https://ameblo.jp/wd20140607/entry-12606772173.html
一部抜粋
>>東京で一緒に女子青年活動をしていた、
同い年の大好きだった子が、4年前に自殺をしたそうです…
こんなに悩み、苦しんでいる人達がいるのになぜ耳を傾けないのか、目を背けるのか、
一列みなきょうだい、上下の隔てはない、みんな平等だと言っておきながら、
完全なるヒエラルキーが出来あがっています。>>
自殺する程悩んでいる長年天理教に縁のある同教者に救けの手を差し伸べる事も出来ない上層部は、救け一条を放棄し、集金一条の精神に落ちて行っちゃったんだろうネ。中心が根が腐りかけている状態ですね。
>>救け一条を放棄し、集金一条の精神に落ちて行っちゃったんだろうネ。中心が根が腐りかけている状態ですね。<<
中心の根が腐りかけているのではなく、腐りきってしまったのです。後は根無し草のように朽ち果てるだけです。カネのつなぎで根は再生しません。
>>中心の根が腐りかけているのではなく、腐りきってしまったのです。後は根無し草のように朽ち果てるだけです。カネのつなぎで根は再生しません。<<
元々、根すら無いただの浮き草だったのかもしれません。
>>教内、殊に本部当局者並びに教会長、教師にとりては、医学界に於てコカインと共に重宝がられる阿片剤の如き地位を占むるものである。阿片剤なるが故に薬ともなり、毒とも為し得べきものである。元来、阿片剤の価値は、薬とさるべきに存して、毒とさるべき時には有せぬものである。本来は薬とされることによりて真の価値を発揮し得る阿片剤も、悪医にかかっては、陰謀者にかかっては、我利々々亡者の人非人にかかっては、最も顕著な毒性を発揮するものである。阿片の如き働きを為す「借物の理」を天理教は、はたして善用しているであろうか。悪徳者は無きか、陰謀者は無きか、我利々々亡者は無きか。余は不幸にして、これ等を認めざるを得ないのである。故に、所謂世にも尊き、世間を指導誘掖する、世の師表たる宗教家の内の天理教を「天理屋」と呼ぶ営業所とせざるを得なくなるのである。少なくとも教祖のとれるが如き形態に於て、世に働きかけつつあるならば、余をしてこの罵倒的語を出ださしめざるものを。<<
以前、太平洋戦争に従軍し、海軍で軍艦に搭乗した方(故人)の方の体験談を伺ったことがあります。日本海軍の建造した巨大な軍艦に搭乗した方ですが、外洋に出れば、山のような波が行く手を阻み、軍艦は木の葉のように大揺れし、乗組員はひどい「船酔い」になり、戦闘できる状態ではなかったので、軍医に頼み、「船酔い」を緩和するためのモルヒネ(麻薬)を注射してもらったそうです、コカインにしろ阿片にしろ、一時的に、身体的、精神的な苦痛を緩和する作用はありますが、常習すれば麻薬依存症となり、行く末は廃人となってしまいます。読者の皆さん、いつまでも邪宗教の中にドップリと浸かっていれば、麻薬依存症になりかねません。廃人にならない内に一刻も早く脱出しましょう。失うのは金だけではなく自らの健康と幸せです。
「定時のおつとめ」7月から
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2020/06/26/33054/
神殿で拍子木を入れて土曜・日曜・祝日の正午に
このたび、都道府県をまたぐ移動の自粛が全国的に緩和されたことにより、国内のおぢば帰りの動きも徐々に再開されていくと思われます。
そこで教会本部では、帰参するようぼく・信者に向けて、7月から土曜・日曜・祝日(祭典日を除く)の正午に、神殿で拍子木を入れておつとめを勤めさせていただきますので、ご参拝ください。
なお、「三つの密」を避けるうえから、大型の団参はお控えいただき、教会や家族など少人数での帰参をお願いいたします。
立教183年6月24日
天理教教会本部
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暗黙にいつものアレを行間から読み取れよってことですね。
気持ち悪い投稿と言ったら、誰でしょう
どれだけ、投稿していますか?
天理教のダメな部分の投稿を、コピペしては、さらに説明強化して、否定する
毎回、毎回、日に何度も
これが正常ですか?
まあ、根が深いと言えば、深いですが、私は、これこそ、気持ち悪い!
新型コロナウィルスで世の中がすっかり変わってしまった感があるが、個人の受け取り方も様々あるように思う。天理教の神様は新型のウィルスも収められないような神なのかという人もいれば、神がこのウィルスを与え、人類に問いかけているという人もいる。それぞれが考え、どう悟るべきなのか思案している人も多い。人も集められない、本部月次祭におぢばがえりしても神殿で参拝もできない。地方の教会でも信者が集まることも憚られ、まして、鳴り物を入れてのおつとめや講話も自粛しているような状況を鑑みると親神の思いをどう悟るべきなのかと自問している教会長も多いのではないだろうか。
親の代からの信仰で教えてもらった形式を重んじて、素直にそれを守り続けることが天理教の信仰だと頑なに続けている人もいるのであろう。しかし、この新型コロナウィルスの影響で自粛する中、いろいろ思案を重ねる人も増えたのではないか。親の代の信仰はその親が生まれた頃には既に確固たるものとして形成されており、疑うことも調べることもなく素直に受け入れることがこの道の信仰だと教えられてきたのではないか。また子である自分の代も理不尽だと思うことがあっても、それには向き合わず、後継している人もいるのではないか。
天理教の歴史を調べていて感じるのだが、親、祖父母の代からずっと続いていて、ルーツを辿れば、布教師に助けられ、全財産を差し出し、教会に住み込み無一文から布教に出て、教会を設立したというところも多い。神の言葉を伝えていた本席在世時である明治40年までは、まだまだ生きた信仰があったのかとも感じる。しかしその一方で明治20年の教祖が現身を隠して以来、神道直轄教会として教祖の望む、本来の道とは違う動きが続いていたとも言える。内務省秘密訓令が出て、厳しい状況に置かれて、水屋敷事件が起こり、一派独立運動、神道理論の明治教典が発刊され、教祖20年祭が行われ、本席からナライトにさずけを渡す役目も代わったが、一派独立を果たし天理教教会本部ができてからは、現在に続く体制の基礎が出来上がったと言える。つまり父母を超えて祖父母の代には上意下達の組織構造が確立していたのかと思われる。従って神の言葉が純粋に伝わっていたのではないようにも感じる。そんな中を初代、二代は理不尽を感じても素直に通ってきたのかとも思える。今のように文献やネットで調べ、天理教の歴史を俯瞰してみることもできず、上意下達の情報をただ純粋に信じて信仰を続けていたのかとも思う。
大正期から昭和初期にかけては、もはや神の言葉は伝えられず、井出クニ、茨木基敬、また熱心な布教師も罷免され、教内では伏せられたこととしてタブーになっている。組織にとって不都合なことは異端として片づけるのが一番手っ取り早い。そして疑問を感じ、異議を唱える者を「異端か?」と言えば相手は黙る。しかし、冷静に考えれば、教祖の目から見ればどちらが異端なのだろう。曖昧なまま不満を抱えながら自ら調べることもせずに流されるまま形式を守ることが信仰なのだろうか。
黒い着物を来て十二下りを踊ることが信仰なのか。黒い刺繍の入った教服を着てルーティンで朝夕のおつとめをするのが信仰なのだろうか。私はそうは思わない。それはただ伝統に従おうという姿にしか見えない。おつとめ着を着ていようが、教服を着ていようが、ハッピを着ていようが、或いは平服でも、大事なのはスピリットであり、形式や伝統を守ることではないと思っている。伝統は時代とともに変わっていく。筆しかない時代からキーボードで文字を打ちプリンタで印刷する時代に筆で書くのが大切なことなのだろうか。
天理教では「練りあい」と称し、集まって話すこともあるが、本音は言えず、体制について批判的なことは言えず、矛盾をついたら異端視される。また仲間はずれにはなりたくはないから、合わせることばかりで、陰で不平、不満をこぼす。そんなくだらない「練りあい」はやめてしまえとばかりに、「集まり自粛」、「ソーシャルディスタンスを取れ」、「できるだけオンラインで」というコロナ禍がやってきたのではないか。困っている人がいれば躊躇なく、心のままに助け、悩んでいる人がいれば、そっと寄り添ってあげ、助かりを願い、自らの持てる能力を発揮し、自分も生きがいを感じながら暮らすことが大事なのではないだろうか。
立派な建物に人間は心を奪われる。しかし、建物は時間とともに古くなり、修繕や建て替えも必要になってくる。大事なのは「建物の普請」ではなく、「心の普請」なのではないか。優先順位も「心の普請」があってこそ、「建物の普請」につながるのではないだろうか。「心の普請」がない立派な建物の教会はこの新型コロナで多くの伽藍宗教のようになってはいないか。天理教の教会を見ていてそんなことを感じる。冒頭に新型コロナで世の中が変わったと書いたが、「変わった」のではなく、「変えて」いかなければならない旬が来ているのかとも感じる。
モリジロウさんのおっしゃる事は、正論だと感じます。
心の普請こそ、宗教の目的だと思います。
こう言うコメントが出ると、他のコメントが止まるのに
批判に対しては、ファクトチェックもなしに、批判が次々コメントされ
日に何度もそれを補完される方も見えます
よほど、抑えられ、不満が溜まっている教人が多いのが、良くわかりますね
気持ち悪いのは、不平不満が溜まっていながら、変えられず
十分な心の普請もできず、鬱屈してる人が多い状況でしょう?
この状況って、なかなかしんどいですね、変えられないから、延々とここが続いてる訳だもの
モリジロウさんの考察はいつもながら納得のいくもので、ありがたく拝読しています。
匿名さま 2020年6月27日 7:36 AM
私の読解力が低いためか、ちょっとストンと収まらない感じがします。
2020年6月26日 8:00 PMの匿名さんと同じ方ですか?
私の想像では、念押しのように投稿されている方は、この板を訪れる方のために、新しい書き込みを提供しようとされている面も有るのではないかとお見受けしています。繋いでいらっしゃるのでしょう。
ただ、その方はキリスト教にも縁のある方(?)のような書き込みもあるためか、この板の一部の読者からは敬遠されているようにも見受けられるのです。私なぞは神様は一つだと7歳にして未信者の父親に話したそうですから、それは神様からの教えが子供に届いた結果だと思っています。幾つもある神様は、民俗学的には納得できますが・・・。
この社会学に、それぞれ天理教に何らかのかかわりを持つ人々が、自由に書き込む中で、考えの違いはあるものの、ご指摘の人が「気持ち悪い」という印象は、私は持ちませんでした。
「気持ち悪い」と感じる書き込みは、私の場合、他宗教の世界観をここで開陳している人の内容が「気持ち悪い」と感じたくらいです。
気持ち悪いという感想は、不気味さに通じますが、受け取り方は人それぞれだと思います。
「天理教のダメな部分」が書き込まれることが圧倒的に多いのは、実態を知った「結果」だからです。
ファクトチェックという表現を使っていますが、どうなんでしょう、ズレ感ありとも感じられます。
ともあれ、モリジロウさんの考察に書きつくされていると、心から賛同しています。
今の世の中で、社会でも報われない立場に置かれている人々(私も所謂社会的弱者です。)が、天理教組織の中でも、更なる別のヒエラルキーの最下位、「一般信者」でもあります。
信仰を続ける限りは組織内では「お供え」と「ひのきしん」をする立場であり続けるのです。
言ってみれば、二重の最下層人民(笑)が一般信者です。
そういった私たちでも、ネットのお陰で発言を許されている場として社会学さんのご厚意に感謝しています。
匿名さん、「根が深い」と理解されているのならば、どうぞ天理教組織の暗闇に目を向けて、その根の深さこそが、投稿する人々の、そもそもの発端であることに気が付いてください。
人を批判することに、アレルギーを持つ人が多いですね。心優しい素直な人なのでしょう。幸せな環境にいる人なのかもしれません。しかし、コロナ禍の中で、これまでの様な幸せな環境が今後も継続するでしょうか。
ハッキリ言えば、本部員や、各地の教会へ本部婦人会から講師として派遣される教会長夫人の皆さん、今後はあなたたちこそ真摯にわが心を見直さないと、誰もついてくる人はいなくなりますよ。
今までは、心の中で「何だろナ」と、反発やら反論やらをしまい込んでいたような年寄りたちですら、口に出して批判するようになりました。これで漸く「正常」な世界になったと思えます。
「不平不満が解消されないから鬱屈して心の普請ができない」とは!短絡的ですね。現実社会を知らなすぎます。
普通に生活してる一般信者は、嫌なら、直ぐに逃げ出せるから、延々と天理教を批判する必要は無いよ、さっさと天理教をやめてるよ。
最下層は、逃げ出そうにも生活基盤が天理教に取り込まれた人達だろうね、そう言う人達が、十分な心の普請もできずに、鬱屈してここに書いてるんだろうと想像できる。
やっと、少しは、言えるようになったんだから、延々と書くのは、正しい現実な訳か、そりゃ大変だねえ。
理屈が通ってる様に見えて、実際何を弁護してるのかわからない文章ですね、そう言うのが気持ち悪いと感じてます。
何事も、性根を入れて取り掛からなければ痛い目に遭いますよ。特に、宗教はです。父母が信仰していたからとて安易にこの道に入ればとんでもない目にあうのです。
比叡山の千日回峰行に入られる方は、死を覚悟の上で行に入られますよ。これが出来るのは自ら進んでは居られた道だからです。天理教に入信される方にそれに似た覚悟をお持ちの上で入信されるのでしょうか。ただ、単に助けてほしいなんて気持ちでは絶対にダメですよ。
また、人に誘われたからといって、安易に別席を運ぶだなんて余りにも迂闊すぎます。
何度もくどいほどに批判投稿される方は、想像を絶する苦汁を経験されたと思っているんです。これは経験をしなければ話を聞いただけでは理解不能だとも思っています。
人格も希望すらも否定する宗教なんて必要ないんです。そのことを訴えられているんじゃないんでしょうか。
御免なさい。一部を次の通り訂正いたします。
「これが出来るのは自ら進んでは居られた道だからです。」を「これが出来るのは自ら進んで入られた道だからです。」
あれから今日で一週間、本部前は何事も無かったかのような様子。天理市と奈良県その他のニュースサイトなども検索してみましたが、それらしい情報は一切なし。しかし不思議なことに、このサイトや、その他のツイッターなどでは自殺ということで語られている。もしかして目撃者でもいたのか、それとも遺書でも見つかったのだろうか。
ツイッターでは、亡くなった方の友人のような顔をした人たちの「悲しんでいる人がいるから、ツィートを消してください」とか「日本では昨年だけで2万人も自殺者がいるのだから教団は関係ない」とか「人の死をダシにして教団批判をするな」とか、ヒステリックな調子の書き込みが優勢のように見える。彼等こそ、人の死をダシにして教団への批判を封じ込めようとしているように感じるのは私だけかな?彼等に言わせると、今回の事件に教団を関連づける人は、頭の悪い人なのだそうだ。まあ私も馬鹿だから、ワーキングプアの身で40年間、収入の1割以上を教団に捧げてしまったのですがね。
馬鹿のついでに、1週間前のことを振り返ってみよう。
11時6分、ライブカメラのパトカーに気付く。コロナ関係で通報でもあったのかと思い画像を保存。パトカーは画面左下の路上に本部神殿の方を向いて停車。夜、事件を知ってから画像を見ると、ブレーキランプが点灯しており、ちょうど来たところだったと思われる。1~2分おきに保存した画像を連続で見ると、回転灯が回っているのが判る。
11時12分、通常の制服警官と臨検らしき服装あわせて3人が、画面右下に向かって歩いている。(夜、事件を知ってから確認)
12時16分、最後のパトカーの画像を保存。(まだ事件を知らなかったので)その後パトカーは、12時半頃までは居たように思う。
12時52分、パトカーがいないのに気づき、画像を保存。
と、いうことで、パトカーは2時間足らずで現場から去ったということになります。ちゃんと現場検証されてるのか、人の死とは、そんなに簡単に処理されてしまうものなのか、それとも珍しくも無い、よくある事の一つでしかないのか。
パトカーが、ライブカメラに写る位置に停車したことから、現場は本部神殿に面した側だったと想像する。おそらく彼は最後に本部神殿を見ながら・・・だとしたら、これ以上のメッセージは無いと思う。教団が無関係なら、むしろ教団に迷惑をかけたくないと思ったら、自宅でロープの1本もあれば事足りるのだから。
今回の事件を黙殺し、風化させたいのは、教団の上層部だけではないかもしれない。よく、いじめ自殺の被害者から遺書で名指しされた加害者が主張するに「死んだ彼と我々は仲良しで、みな楽しく遊んでたんだ」と。こういう勘違いをしている人達が、彼の周辺にも、いたのかもしれない。自称トモダチの人たちも、相談できるような人たちではなかったのだろう。「今は、そっとしておいてやって」なんて言ってるうちに、次の犠牲者が生まれることを想像できないのか。とにかく何も変わらず、今まで通りに自分が飯を食えれば良いのだろうか。
本部は甘露台倒壊の時も、今回も、精神障害者の勝手な振舞いとして逃げるんです。
神を語りながらも冷酷非道ですから「精神障害者に寄り添って生きる」姿勢は微塵もありません。教会関係者に鬱を患う例が本当に多いのですが、そう言う現実に問題意識を持ち彼らを助け上げようと言う気持ちも姿勢もない事に、天理教本部の本性が見えますね。厄介者には関わらない。
天理教本部に騙される信者が悪いのか、騙す本部が悪いのか、、。オレオレ詐偽でも騙される方は圧倒的に純粋です。本部と信者の関係でもお金と命を同じ土俵に上げてさあ、どっちが大切?と迫る善亮氏。命が大切に決まってる。弱みにつけ込むこの脅迫とも言える発言や姿勢はヤクザ的発想で本部は圧倒的にタチが悪い。
天理教の「心のふしん」とは一体、どういうものでしょう。天理教から離れて随分時間が経ちますが、私には理解できません。「心のふしん」とはお金を上級教会や教会本部にひたすらお供えすることですか? 私はどなたかのご指摘のとおり、キリスト教の洗礼は受けましたが、現在はキリスト教は信仰しておりません。理由は掲示板の限られたスペースで単純に説明できませんので、控えさせていただきます。とにかく、現在は神仏の存在を信じない無神論者に近い人間です。私の投稿回数が余りにも多いので「気持ち悪い」という不快感を覚えられる方がおられるのであれば、投稿回数を制限自粛します。ただ、東風Z様のおっしゃるように、「何度もくどいほどに批判投稿される方は、想像を絶する苦汁を経験されたと思っているんです。これは経験をしなければ話を聞いただけでは理解不能だとも思っています。」という理由でこの掲示板に投稿されている方々が、ほとんどだと思っています。私もその一人です。
崩壊様の投稿は、正鵠を得た内容でいつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
むしろ問題は批判の批判をして黙らせようとする以下の投稿ですよ。しかも苦しんでいる人の投稿を高見の見物と言わんばかりに馬鹿にしてセセラ笑ってまでいる。
≫匿名 2020年6月26日 8:00 PM
≫匿名 2020年6月27日 7:36 AM
≫匿名 2020年6月27日 1:58 PM
「気持ち悪い」のなら読まなければいいし、ましてやわざわざ書き込まなければいいでしょう。しかもあんた天理教信仰者じゃないでしょう?ここの投稿者の動向に延々と粘着し監視して「批判の批判をしている」あんたのほうが数倍気持ち悪いし闇を感じる。これが正常ですか?空気を読めずに大霊界等のスレ違いな長文を連投し、する「気持ちの悪いただのオヤジ」と同等、もしくはそれ以上に気持ち悪いです。
私も東風Zさんの「何度もくどいほど~理解不能だとも思っています。」に深く同意します。
参考意見 様
2020年6月27日 2:32 PM
>>今回の事件を黙殺し、風化させたいのは、教団の上層部だけではないかもしれない。よく、いじめ自殺の被害者から遺書で名指しされた加害者が主張するに「死んだ彼と我々は仲良しで、みな楽しく遊んでたんだ」と。こういう勘違いをしている人達が、彼の周辺にも、いたのかもしれない。自称トモダチの人たちも、相談できるような人たちではなかったのだろう。「今は、そっとしておいてやって」なんて言ってるうちに、次の犠牲者が生まれることを想像できないのか。とにかく何も変わらず、今まで通りに自分が飯を食えれば良いのだろうか。<<
おっしゃる通りだと思います。全国的に頻発する「子どもの自殺」、「幼児や児童の虐待」は、学校や児童相談所や教育委員会が始終、気をつけて目を光らせ、事件が発生するまでに警察と連携し、家庭訪問を骨身を惜しまず実施していれば、未然に防げた事件が大半です。いわば、行政の怠慢によって惹起したと言っても過言ではありません。私も以前、教育行政に携わった人間です。私の在職中は表だって、そうした事案は発生しませんでしたが、やはり「行政の怠慢」によってなるべくして起こった事件としか言いようがありません。行政職員の「御身大事」という根本的な考え方、「定年まで何も事件が起こらなければ、無事退職金を頂き、老後は悠々自適の生活」を送るという「さもしい役人根性」が、多くの子ども達の犠牲者を出しているのです。政治家に限らず、行政職員に限らず、宗教者に限らず、とにかく何も変わらず、今まで通りに自分が飯を食えればそれで良いのです。
心に闇があるからこそ、馬鹿にしてせせら笑ってると感じるんだよな?
気持ち悪いなら読まなければいいし、コメントしなければいいんだが
それを、あなたも、やってるんだよな。
そんなに苦しんでる人ばかりか? それなら本当に深刻だがな、そうばかりには見えないよ。
自分を美化して他人を卑下するのは、所詮あんたも同じ事をやってるんだよ。
私は、特にそれが言いたいのだよ。
まあ、これで、終わりにするよ。
思いのままに書いたことでコメントをくださり、ありがとうございます。ただ、気まぐれで昨今の状況を考えて、思いつくままに書いたので、こんな風に考えている人もいるんだくらいに思って、スルーしていただければ幸いです。以下、大きなお世話で、差し出がましくて、おせっかいで、口うるさいことも承知の上で書かせていただきます。
今、これを読んでいるパソコンのモニターの向こうには多くの人がいる。書き込んだ文章がルーターを通じて光ケーブルを通り、World Wide Webで繋がったサーバーに流れ、掲示板やコメント欄に書き込まれていく。そして不特定多数の人がアクセスして読んでいる。私もその一人にすぎない。ビール片手に友人と二人だけの部屋で言いたい放題、話すのはかまわない。しかし、大きな会場で演台に立ち、マイクに向かって聴衆の目を見ながら、自分の考えを述べる時はどうだろうか。最低限「言葉遣い」「聞く人への配慮」「自分の意見を聞いてもらう」ということも意識しているのではないだろうか。私はネット上の掲示板、投稿欄へ書く時には後者のようなつもりで書いている。だから調べたことや引用は出典や元情報もなるべく入れるようにしている。論文ではないし、長くなるから詳細には書かないが。自分の流儀を人に押し付けるつもりはサラサラない。ただ、ここは「社会学」と銘打った【個人のブログ】であり、そこに設置されているコメント欄ということは誰もが覚えておくべきだとは言いたい。
SNSは進化し、どんどん普及している。それぞれのスタイルや趣旨に応じたところに書けばいい。論拠も配慮もいらない言い捨てなら2chというところもある。短くつぶやきたいのならツイッターもある。けんか相手を探すならこの「社会学」ではなく、それにふさわしいところでやっていただきたい。先にも書いたように今、見ているパソコンの画面の向こうには「不特定多数の人」がいて、書き込まれた内容を読んでいることを忘れてはならない。それとこれも押し付けがましくなって言いたくはないのだが、「送信」ボタンを押す前に書いた文章を最低2回は読み直して誤字脱字がないか、確認すべきである。それだけしても誤字脱字や文章のねじれは起こるものだから。また言いたいことは伝わる文章になっているか、個人攻撃、誹謗中傷になっていないかなど確認すべきである。
特定の人を想定して、この投稿をしているのではない。私のパソコンのモニターの向こう側でこれを読んでいる「不特定多数」の方々に向かって書いているつもりだ。それと詳しくは知らないが、自殺した青年がいるとか噂を耳にしたが、その青年にも親御さんがいて、親族もいて、身近な友人もいることだろう。心に傷を負い、苦しんでいることと思う。詳しい状況やはっきりしたソースもないのにあれこれ書き込むべきではないと思う。誰もが関心を持つことかもしれないが、興味半分で詮索したり、勝手な憶測で投稿したりはするべきではない。誤解なきよう先に言うが、本部を擁護しようと言っているのではない。そんな不幸なことが起こらない世にするために、その間違ったシステムや組織の歴史を調べ、検証し、指摘し、変えていこうと皆が意識を持ち、ここで意見を交わすべきだと思う。
本来の趣旨とは違う書き込みで、これ以上、スレ汚しはしたくないので、その辺はお察しいただければ幸いです。「天理教社会学」の趣旨に合った書き込みでなくて、申し訳ありませんでした。削除していただいてけっこうです。次の機会には趣旨にあった書き込みをさせていただきます。
この実態を拡散希望します。
某・ Twitterより
少し前 世話科で勤務していた知人からのリーク 年末調整で名前は伏せてあるが本部勤務者、在籍者、本部員、真柱の年収をチェックを行う。 トップ機密なので在籍者or本部員かは明かせないが、そのレベルで年収2000万は貰ってるとのこと
地方の教会でのお礼(最低ライン)
世話人・修理人のお礼もけた外れです。
大教会記念祭・予算書御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
以上、「古い元教会長」様のツイートを読んで、たまらず転記させていただきました。
ここは、カインさんの個人ブログであり、天理教やブログについての意見交換などのために、コメントを書ける場所を用意して下さってる。
他宗派と天理教との世界観の比較は、天理教以外に興味が無い人には、苦痛でしょうし、他も知りたい人には、興味が湧く事もあるでしょう。
天理教で、苦しい状態にある人の、訴えと告発専門とかですと、大人になって天理教に入信した人には、逃げ出したくなるから、やっぱり苦痛でしょう。
本部の教理ねじ曲げの検証とか歴史的資料の提示も、そこまで考えていない信徒にはどうでも良いでしょう。
誰でも、自分に興味がないことが話題になっていたら、苦痛とか気持ち悪いとか、どうでも良いとか、感じる事もあるでしょう。
自分も匿名で書きながら、わざわざ他の匿名を特定して、否定するのを、この人は病的だと感じる人もいるでしょう。
何に需要があるのかは、人それぞれなので、気にせず、自分の需要のあるコメントだけを読んで、答えていたら良いんじゃ無いですかな。
明らかな、荒らしも、全員が一切スルーしてたら、飽きて止めるでしょう。
事実は事実でキチンと検証の上、批判したら良いでしょうし
天理教の、未来への展望を語るのも、良いでしょう
心の余裕と遊びを持って、参加してたら、良いのだと思います。
人の投稿見て、我が投稿直せば、身になりますね。
匿名様
>・・・・・本部員、真柱の年収をチェックを行う。 トップ機密なので在籍者or本部員かは明かせないが、そのレベルで年収2000万は貰ってるとのこと
では、究極の選択;
2000万円をブン取って、親神様おやさまにソッポを向かれる方がいいか、天理教に有り金全部を巻き上げられても、いざという時に親神様おやさまから救いの手を差しのべていただける方がいいか、さあ、どっちを取りますか?
これ、「ウンコ味のカレーか、カレー味のウンコか」 なんだけど、まさかウンコを食べるわけにはいかないので、答えは決まっていますよね~
でも、この究極の選択はそうなることはないと思っている人は多いようで、「2000万円も欲しいし、おやさまの救いの手も欲しい」 と願っている人、いっぱいいるんじゃないですかね。慾が深いね、人間てのは。
また実際、多額の献金をブン取られた上、おやさまのご守護もなかったと思った人もいるかもしれませんが、そういう方々にかける言葉を、私は知りません。「親神様おやさまの手は、ちょっとだけ短かったようですね。それで、あなたのところまで、救いの手は届かなかったんじゃないですか?」と答えようものなら、私はシメ殺されるかもしれません。
と言いますのも、つい昨日夕勤めが終わった直後に、本部のトップ連とおぼしき人々が、教祖殿に神妙な面持ちで座り、参拝しておられました。この人たちにも悩みはあるようですが、けどおやさま、ソッポを向いておられるかも・・と思った次第でありまして・・(←私個人の、ゲスの感想です。根拠はありません)
念ずるものでも、用いぬものは、反対するも同じ事。
本席、ナライト様以後の中山教本部は、神に反対する方へと落ちていってしまったのかもしれませんね。
一度知った蜜の味は忘れられないから手放せないし、病気はすっきり治して欲しいし、、。真柱も本部員も運動不足だが美味しいものは食べるしで、糖尿病だの高血圧だのと成人病を抱えている人は多いはずです。金も権力も健康も、と欲しいものばかりで手離すと言う事をしないから御守護が貰えないんですね。
時報に掲載された田植えの記事に杖を傍らに置き、ほっぺに何やら白い物を貼り付けた真柱の写真がありました。治療器具を顔に貼ってるのでしょうか?
教団を引っ張って行くには余りにも覇気の無い、青白い顔の痩せた姿。やっと田んぼに見学に出て来たのか真柱の すっきりとした御守護の頂けない様子を見て、複雑な気持ちになりました。
中山家が 本当の世界助け、人助けを願うなら、忘れられない蜜の味を手離し、中山家血筋の世襲に固執せず、みき様の代弁者なる天啓者が出たなら率先して擁護し、その芯に肉を巻き、教祖本来の教えを良心を持って守りきる事に固執するなら真柱はじめ人々の健康も本来の幸せも右肩下がりの教勢も鮮やかな御守護として見せて頂けるはずだろうに。
いかんせん、本部がいろはのいの字の打ったてから進む方向を間違えていますので、、。
以前から疑問に思っていたのですが、真柱の世襲制度は一体、誰が決めたのでしょう? 本部員をはじめ、天理教幹部は公選制で決めるのが本来だと思います。特定の人間集団に権力と利権を集中させる意図があるからでしょうか?
神格者や救世主や聖人などがおいそれと登場するとは信じられない世界ではありますが、おやさまが開いた地場屋敷というものは、そういった方々がお住まいになり神一条たすけ一条の活動を勤める神屋敷であるはずです。(純粋なみ教えによると)
そんな人たちを選定し中山家の真柱にアドバイスをする機関としての、本部人選諮問機関というものを設置し、そのメンバーに関しては全信者又は全ようぼくの選挙制にすれば公平性も保たれるし、本部に新鮮な風を入れるきっかけになるかも知れませんね。本部員の任命は真柱であっても、その候補者と過程を事後であっても公にすることで、教内の不足不満をおさえるのにも役立つでしょう。
でなくとも、人事について、どこかに選挙という方法を導入する事に賛成します。
かつて納税日本一の斎藤一人さんのユーチューブをたまたま聴いていて納得しました。天理教の暗〜い脅迫話を聞いているより余程明るく、神、宇宙に近い。素直に胸にストンと落ちる有意義なお話ですよ。興味のある方はどうぞ。心が明るくなりワクワクして未来が開ける予感がして来ますよ。天理教とは真逆のお話。難しくも無く、何よりお金で命を買えなどと言う脅迫は当然の事ながら有りません。
そして斎藤一人さんの1時間半にわたるお話から天理教の衰退を納得。
>>・・・ラーメン屋のお客がだんだん減るのはね、世の中に要らねえ事やってんだよ。納得してりゃ、客は増えるんだよ・・・<<
天理教中山商店のお客がどんどん減るのはね、世の中に要らねえ事やってんだよ。納得してりゃ、客は増えるんだよ。納得してねえから客が減ってくんだよ。という事ですね。納得。
一人さん言わく、人の為と言う字は「偽」と書く。ハットしましたね。神の名を利用して、人の為に尽くしましょうなどと無責任な事を言って自らは人助けもせず、口先三寸だけで好き勝手に振る舞う教団本部はやはり正真正銘の「偽」だったのかな、と思います。「偽」にならないで人の為に尽くすには、おかしな人間思案の偽指導者の手を離れ、それぞれが真実の神に真向かう姿勢の中にこそあるのでしょう。
このたび、都道府県をまたぐ移動の自粛が全国的に緩和されたことにより、国内のおぢば帰りの動きも徐々に再開されていくと思われます。
そこで教会本部では、帰参するようぼく・信者に向けて、7月から土曜・日曜・祝日(祭典日を除く)の正午に、神殿で拍子木を入れておつとめを勤めさせていただきますので、ご参拝ください。
なお、「三つの密」を避けるうえから、大型の団参はお控えいただき、教会や家族など少人数での帰参をお願いいたします。
立教183年6月24日 天理教教会本部
どなたかが上記の本部のお知らせを既に報告してくださっていました。
そこで私も実際の本部のホームページを見てみました。
多分、本部は無意識のうちにこのお知らせを発したのでしょうが、宗教団体としてのプライドも吹き飛んでしまったのか、本心を隠すだけの知恵も無かったのか、お金にこだわる本教の実態が露わになっていますね。
自粛解除がなされたのは、感染リスクがある中でも、経済活動を続けなくては食べていかれないという、切実な悲鳴があがったからでしょう。無理もないことですね。
そこで、はっと気が付きました。
天理教の段階的自粛解除も経済活動再開の一つなのですね。
正直と言えば正直なのでしょう。お供えが上がらなくては食べていかれないからと、本部はコロナ以前の生活に戻るべく、いち早く経済活動再開にはしったのでしょう。
しかも、エサ(拍子木を入れての定時のお勤め)で信者をつっているところが、何ともいやらしいではありませんか。
ただ一度キリのお願い勤めと比較してください。
団参は控えよ、少人数での参拝ならばOK。けれど、土・日・祝日、それも「正午の定時」となれば、「蜜」になります。家族でも他人でも関係性は関係なく、人数が4~5人でも感染していますから。
純朴な信者であれば(かつての自分です)、「へーっ、拍子木付きのお勤めができるんだってさ」と感激する人もきっといます。人集めに拍子木は格好のエサです。
ただ一度キリのお願い勤めと比較してください。
もう、あきれるしかないでしょう。
いったい誰がこのような本音スケスケのいやらしい取り決めをあみだしたのでしょうか。
よく、考えつきましたね。
でも、私はもう、だまされません。
経済活動再開でホッとしている本部の皆さま、コロナはそんなに甘くはないと今に思い知るかもしれませんよ。
ボケが進行しているのか、ゆでカエルなのかはわかりませんが、確実に感染は拡大しています。
夜の街や繁華街に出歩く人にも、それぞれ戻る「家」が有るのですから、家族内感染・市中感染が至る所で広がるのは当然のことです。
本部は何をもって「定時のお勤め」を企画したのか、意味合いを明示していないのですから、私の様な下種の勘繰りが発生するのです。
哲学がないから意味合いも考えだせないのでしょうね。
情けないことですが、真柱のリーダーとしての信者向け言葉も一切ないまま月日が流れている事からもわかるように、すでに天理教は死んだも同然だと思います。
すっかり忘れてましたが、4月から6月にかけて行うと言われていた、お目標のお返しは、実際に行われたのでしょうか?
>>本部は何をもって「定時のお勤め」を企画したのか、意味合いを明示していないのです
哲学がないから意味合いも考えだせないのでしょうね。
情けないことですが、真柱のリーダーとしての信者向け言葉も一切ないまま月日が流れている事からもわかるように、すでに天理教は死んだも同然<<
深く同意します。
拍子木を入れての定時のお勤めは週末連続で実施するのにお願い勤めはただの一度きりでした。おかしいでしょ?
おかしいのはもう一つ。信者に向けてお勤めはおかしいですよ。お勤めは神に向けてするものです。拍子木入りお勤めが信者に向けた営業活動、エサだという隠せない本心が隠しきれなかった訳です。祈りと言う行為を蔑め、拍子木で信者を釣ると言う、そもそも本心が信者を馬鹿にしてますね。
無言で何の信仰的発信もしない真柱を抱え、信者に向けた営業再開にはいち早く前にのめり込む。天理教は既に死んだと言われても仕方ない。彼らはどう反論するのでしょう。
非常事態宣言の最中でも、月次祭には本部前に集まりたがる人達がいたものだから、サービスのつもりかもしれませんよ。「もう、来てもいいよ」とばかりに。
ところで、天理教ホームページのお知らせに、いちいち付けられる「立教183年」って、いわゆる天理暦というやつでしょうか。西暦のように通用する日を夢見てるのかもしれませんが、オタクの私は、漫画やアニメの世界の「帝国暦○○○年」とか「宇宙暦×××年」とかを連想してしまい、なんだか滑稽に感じます。
>ところで、天理教ホームページのお知らせに、いちいち付けられる「立教183年」って、いわゆる天理暦というやつでしょうか…..
ほんと、わけわかんない。
>>拍子木を入れての定時のお勤めは週末連続で実施するのにお願い勤めはただの一度きりでした。おかしいでしょ?
おかしいのはもう一つ。信者に向けてお勤めはおかしいですよ。お勤めは神に向けてするものです。拍子木入りお勤めが信者に向けた営業活動、エサだという隠せない本心が隠しきれなかった訳です。祈りと言う行為を蔑め、拍子木で信者を釣ると言う、そもそも本心が信者を馬鹿にしてますね。
無言で何の信仰的発信もしない真柱を抱え、信者に向けた営業再開にはいち早く前にのめり込む。天理教は既に死んだと言われても仕方ない。彼らはどう反論するのでしょう。<<
私個人だけかも知れませんが、その通りだと思います。何か異論や反論がある読者はご投稿願います。
崩壊
2020年6月28日 4:41 PM
以前から疑問に思っていたのですが、真柱の世襲制度は一体、誰が決めたのでしょう? 本部員をはじめ、天理教幹部は公選制で決めるのが本来だと思います。特定の人間集団に権力と利権を集中させる意図があるからでしょうか?
これは前から言われていますが決めたのは中山家とその血族でしょう。今現在も世襲でなんていう決まりは無く教団のルールは出来ず世襲の明示は出来ません。宗教法人法では代表者は役員の互選により選出なので中山家と血族だけによる本部員と本部員会議も血族だけと言う体制に問題があるわけです。北朝鮮も実質世襲ですが実は選挙で決められた事になってます。なので中山家から真柱排出する仕組み自体が北朝鮮となんら変わりが無いのです。
例えば、自営業や小規模な会社なら分かりますが、天理教団は日本でも有名な団体ですので、この世襲制になっている流れは問題です。中山家とその血族の汚職体制、汚職組織の天理教と名乗る中山教団と言われてもけっして過言ではない状態です。
立教183年
中山みき様が神の器械という天啓者になられてから183年経つわけです。人類の進化は旬刻限を超えてから183年経つ訳です。神の器械という天啓者が大勢現れても不思議はないはずです。
立教歴がオカシイのではなく、お地場に神の器械という天啓者達が不在であることが、理屈に合わない訳です。
表大工裏鍛冶屋、真柱の仕事の中心は天啓者に伺いを立てながらその居場所であり救済の中心地であるお地場を治めてゆく事なのでしょう。
したがって中山家の御当主であろうが選挙で選ばれた人であろうが、表の大工、すなわち神の器械と呼ばれる天啓者を立てなければ、その仕事が成り立たないのではないか?
徳ある中山家の御当主がお地場の真柱であろうとし続けるなら、神の器械を、先ず一本の木を買う事が大前提ではないでしょうか。神一条たすけ一条を名乗るのはそれからではないだろうか。
再度、コメントさせて頂きます
「公選制度で、教団の指導者を刷新していく以外に方法はないと思います」
キリスト教みたいに、型が出来上がった哲学宗教なら、おぢばがバチカンの様に、天理教の信仰の聖地になり、公選で選ばれた真柱様や役員が中心となり教団を運営する事は可能だと思います
しかし、もともと、真柱様は、教団運営の中心であって、精神的指導者は本席様の仕事であり、ここに実在する神と教団の接点があったのに、無くしてしまったので、もう復活は無理でしょうね。
霊とか霊界とか一切認めないなら、突然声が聞こえ出したとしても、天理教でも、神の言葉が判ると言い出して、異端破門された人は、多いはずです。
芸人のシークエンスはやとも、みたいに、霊が見えるだけの霊媒体質者と、心霊の浄化救済が可能な人、祈祷師クラスの人、神霊世界の探究ができる人など、この世界は、玉石混交であり、ファクトチェックもままならない訳です。
斎藤一人氏を持ち上げるコメントが出ていましたが、斎藤一人氏も銀座マルカンの社長で個人商売納税日本一、幾多の著書を書いていますが、宗教団体では無いけれど、光る球の存在、日本の守護神を自分の守護神と公言する天啓者でもあるんです。
守護神が斎藤一人氏を日本一に導いたのは、神の教えを日本人に伝えるためだとも、言われています、YouTubeでお話はいつでも聞けます。
だから、天理教も、連綿と本席様から正当な後継者を育てる、本部にも、親神様の判定ができる審神者を育てていたら、老舗宗教として、信頼を得られたと思います。
私個人は、某大徳寺さんとか、保証は無いと感じます、我こそは、親神様の降臨を受けたって言っても、ファクトチェックする能力や基準を持つ人達がいませんし、その信頼性を担保する物も無いのに、大多数の信者が納得出来ないでしょう。
天理教教団が、内部から連綿と育てておいたらよかったと、私個人は思っていますが、失われてる以上、霊とか霊界とか、神の天啓とかあやふなものを今更中心に置くより、転輪王の心で生きると言う様な、宗教哲学を中心に据えるしか無いんじゃ無いでしょうか。
これなら、公選で人格と教養のある方達を選べば、キリスト教の様になると思いますが
福音書のマタイ伝に、イエスがこう言われているのが記されています。
「二人または三人がその名によって集まるところには、私もその中にいる」 (18ー20)
これは、私が最も好きな聖句の一つなんですが、確か、スタインベックが「怒りの葡萄」の中で、この句を引用していたと思います。
「怒りの葡萄」の中で、この引用句を見つけた時、私もこの文豪にものすごい情愛を感じてしまいました。スタインベックは、この言葉を、貧しい農民の青年の口を通して言わしめているのですが・・(つづく)
関連のサイトに「おふでさきは、必死に守りぬいたのに、みかぐらうたの教祖直筆の原本は行方不明」という記述がありました。
一体、何から守りぬいたということでしょうか。官憲による焚書があったということですか。それとも、丹波市が空襲の被害を受けたということですか。内容の変更を要求されたのなら、ダミーを作ればすむことだし、必死に守りぬいたというからには、何等かの物理的攻撃から守ったという印象を受けるのですが。
これらの農民たちは、イエスの言葉によってどれほど救われたことか、どれほど勇気づけられたことか、と思いました。二人または三人という基礎的な人数でも、もしそれが真実の心でイエスについて語り合えば、イエスはともにいて下さるのです。
そこは、豪奢な神殿も、きらびやかな祭壇も要りません。どこでもいいのです。ただ二人三人の人間が心をひとつに斉(そろ)えて祈りをささげれば、神の目から見たら、そこには壮大な神殿が建っているように見えるのでしょう。
天理教でも、ふたりのこころを をさめいよ なにかのことをも あらはれる とあります。
個人で祈ることも大切なのでしょうが、二人以上でこころをそろえて、神に祈りをささげるのも大切ではあるでしょう。そうした複数で祈る祈りの空間として「教会」があると思うのですが、しかし、その基(もと)となるのは、やはり「人のこころ」だと思います。
そうした祈りの場は神から与えられるべきものですから、したがって、それ(祈りの場、教会、ぢば等)を個人が所有してはいけないと思います。
冨松幹禎 (陽気の記事)
最近は「おつくし」をあまり説かれなくなったのではないかと憂慮する。「かしもの・かりもの」の話を聞いても、おつくしをするようになるには、 もう一つ、超えなければならない壁がある。それは、親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 いくら熱心に教会に出入りしていても、おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。
おつくしをして初めて味わえる世界がある。思い切ったおつくしをする と、不思議に不安や先案じがなくなり、晴やかになる。親神様の親心を魂 に感じることができる。信仰が深まるのである。
できることなら毎日、ぢば・かんろだいに参拝してお供えをし、お礼を申し上げたい。その心で各地の教会や家庭で日々にお供えをする。「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(明治5・4・8)と教えられる。
人だすけが最高のご恩報じであり、いんねん納消の道である。おたすけに専念できない人は、たすけ一条の上にお使いくださいと、おつくしをする。また、人生には、いんねんの苦労をするか、道に真実をつくして苦労を喜ぶかを選択しなければならない時がある。
今はみな結構になり、徳分以上の生活をしてしまいがちである。絶えず「おつくし」の声をかけてもらって、ちょうどいいのである。私たちは「おつくし」「ご恩報じ」「お供え」「理立て」と言うが、教祖はに真実を神の田地にまいた「ものだね」としてお受け取りくださる。
匿名様
冨松幹禎氏の陽気の記事は、以前の教会では当たり前のように聞いてきた話で、多くの信者がそれを信じて多額のお供えをしてきたのです。
今でも、そう信じている教会長や信者も多いのですが、今やお供えは激減しています。
表統領も、「最近はお尽しの話をしなくなった」とハッパをかけていますので、「みちのとも」や「陽気」誌で再びお尽しの特集が組まれたりしているのです。
冨松幹禎 (陽気の記事)
>>おつくしをして初めて味わえる世界がある。思い切ったおつくしをする と、不思議に不安や先案じがなくなり、晴やかになる。親神様の親心を魂 に感じることができる。信仰が深まるのである。
できることなら毎日、ぢば・かんろだいに参拝してお供えをし、お礼を申し上げたい。その心で各地の教会や家庭で日々にお供えをする。「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(明治5・4・8)と教えられる。<<
読者の中で、思い切ったおつくしをして、不思議に不安や先案じがなくなり、晴れやかになり、親神様の親心を魂に感じることができた方はおられるでしょうか?私は思いきったおつくしをしたことがないので分かりません。
冨松さんには、以下の故・植田義弘先生のブログを読んで「つくし・はこび」についての認識を改めていただきたいものですね。
植田先生の以下の文を読んでから、冨松氏の文を読むと、なんだか盗賊の親玉が奴隷に金集めを命令しているようにしか読めませんわ 笑
メルマガ<心のテープ>アーカイブ(81号)
「つくし・はこび」の錯覚
配信日:2009/2/19
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-533.html?sp
一部引用させていただきます
>>引用開始
教語(教理を表す語)の多くは「おさしづ」に由来している。例えば「つくし・はこび」について『おさしづに啓示された理の研究:第五部』には50節のおさしづ原文を収録しているが、その一つ「南海分教会事情願」の一節には、次のような諭しを拝読できる。
「尽しただけの理、運んだだけの理、十分蒔いたる種であるから、皆蒔いた種は、これから十分心寄り合うて、一つ大層なる理は、十分受け取りてある。・・・道のため、これ運び合い尽し合い、互い/\である。これから道作り上げて運ぶなら、見えて来る」(補遺30.3.18)
当時、おさしづを伺うことができるのは、教長(現・柱)、本部側近とその家族、教会長および役員であって、一般ようぼく信者が伺いを立てる機会がないのは当然であった。従って、おさしづに諭されているのは、伺っている人自身が道の上に「つくし・はこび」することの大切さであり、ようぼくや信者に「つくし・はこび」するように説教するためではない。
しかも、上に挙げたおさしづに「運び合い尽し合い、互い/\である」とあるように、決して一方的な通り方を説き聞かされているのでもない。
それが何時の間にか、一方的に本部や教会など導く立場の者が導かれる人々に向かって説き聞かす教理に転嫁されるようになったのだ。これほど都合のいい錯覚はない。
一事が万事であって、他の教理についても、自分のためではなく相手に説くためにあると錯覚している場合が多い。
例えば、一れつ兄弟姉妹の教えを教外へ向けて叫びながら、教内において、系統が違ってもようぼく同士が兄弟姉妹の意識に徹しているかどうか、自らの胸に問うているだろうか。
陽気ぐらしの天理教と言いながら、日々上下の人間関係のストレスで悩んだり、遠慮気兼ねや追従でごまかしたりしていないだろうか。
おさしづの一節にも「白いものと言うて売っても、中開けて黒かったらどうするぞ」(32.7.23)と諭されている。
もう一つの錯覚は、にをいがけ・おたすけすれば、直ぐにでも相手が「つくし・はこび」してくれるように思い込んでいることだ。少なくとも「にをいがけ・おたすけ」に経費は掛からないし、自分から「つくし・はこび」する必要はないと錯覚しているところがある。
とくに上に立つ者は、末端の教会がもっとおたすけに熱心になりさえすれば、当然お供えも増える筈ではないか、と思い込んでいる。とすれば、これほど現実に反する錯覚はない。
「にをいがけ・おたすけ」は「ひのきしん」と同様に報酬を求めることは間違っているし、それこそ自分が相手に「つくし・はこび」を実行することである。そのために時間や経費が掛かることは当然であろう。それ故に「にをいがけ・おたすけ」すればするほど、自分が未信者に「つくし・はこび」する覚悟が肝要となる。
引用終了<<
匿名 様
2020年6月30日 3:41 PM
故・植田義弘先生のブログを早々にご紹介いただきありがとうございました。私には、「錯覚」という善意的解釈ではなく、本来の教理が「意図的」に歪曲され現在に至っているのではないかと思えて仕方がありません。
冨松さんには、以下のおさしづを読んで、金の「つくし・はこび」について考えを改めていただきたい。
「一日の日でも心たんのうの理は受け取る。金銭の心は受け取りはない。心だけ金銭、何程の金を持ってきて、今日からと言うても受け取るものやない」(M.23.6.17)
もし富松氏のいうとおり、金で御守護いただけるのであれば、いったいいくらお金を積めば、真柱さんを元通りにしていただけるのですか?
植田義弘氏著述より
今にして「おさしづ」で諭されている神意が解けたような思いがしている。つまり、布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費も掛かるのだ。教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や時間を布教のために「つくし・はこび」していたのであり、人に「つくし・はこび」を説教していたのではなかった。その意味で、教会には時間の余裕とともに自由に支出できる布教費がなければ動きがとれないのだ。<<
富松さん自身は本部員としてぬくぬくとその立場に甘んじ、この富松と言う人間は傲慢この上ないです。自らの身分を捨ててから言えと思います。1000万か2000万か知りませんが、ぬくぬくと給料を受け取り、端々の貧乏教会長、貧乏信者には自分がしてない事を御もっともな口先で大上段から説教する。本部に擦り寄らなければ持てる今の特権は維持し続ける事は出来ないのは分かるが、この男に良心の呵責と言う感情は皆無なんだろう。神ではなく上ばかり見て擦り寄るその生き方に吐き気がします。
端々の教会は自由に支出出来る布教費がなければ動きがとれないのだ、、と言う植田義弘氏の真摯な言葉を真面目に受け止めるべきです。尽くし尽くしと取ることばかりを煽り、潰れる教会が今は1000箇所以上となりました。そもそも私は天理教は人を助けて我が身助かる。助け合い世界が陽気世界に繋がるという信仰だと認識しています。そして教祖の教えは「信者は本部に金を出して助かってくれ」と言う信仰ではないでしょう?平等思想の教祖の言っている事は「お金は困っている人に使え、互いに助け合え。」と言う事でしょう?
富松氏は美味しい身分に甘んじ高級な服を着、あちこちで高額な謝礼を受け取り、はたまた高額な給料を受け取り、自分が十分出来てないその立場で中途半端な事を言わないで欲しいです。エサをくれる本部の犬かと思います。
世界では、過去の奴隷問題、人種差別問題からデモが起こり暴動に発展しているなかとうとう宗教にまでその指摘がなされ始めました。キリストは黒人 など過激な記事が踊りますが、実際は白人でないのは確かで、アラブ中東系の人であったのは確かでしょう。これはバチカンが認め無いと大変なことに成ります。
天理教でも、教義や歴史捏造が話され「まさか!」と信じない人も多かったでしょうが、天理教よりも巨大で本部がモデルにしていたキリスト教カトリックですら数々の捏造があり今後世界が認める状態になるでしょう。カトリックバチカン存続の為にローマ法王が認めるか?が重要なポイントに成るでしょう。これを認めなかった場合カトリックですら崩壊の危機がある可能性は大いにある。
一方天理教でも信者を用木と言うがこの用木への搾取とひのきしんと称した奴隷労働が問題視の意見は今までも見られる。教祖の教えと正反対の階層組織そこから来る階層差別も問題でしょう。
その階層差別の頂点にいる中山家が無意識に差別意識を持ち教義から逸脱した差別発言をしている。その最たるものが中山家の一党独裁の誤った根拠として彼らが使う「血、血族」である。中山家の血でないと重要なポストを与えずかつ中山家一党独裁のために本部員会議を独占し北朝鮮のように中山世襲を実現させてきた。しかし中山家が忘れてはいけないのが、天理教は宗教であり宗教法人と言う国から認められた半公的機関であるということだ。そこで行われる世襲が続けられた事事態異常であったという事だ。中山家体制には誠に不都合であるがこれが法的な公正な意見だ。教団の中でも多くの人が正しいルールを知り中山家の間違いに気が付くという事が実は宗教としても重要なのかもしれない。間違った歴史を歩み都合よく捏造し続けた中山家を正当化してはそれもまた共犯になるからだ。現に中山家を信じて宗教的御加護があったという話を一向に聞かない。実際聞くはずも無い。宗教はそんなに甘いものではないからだ。これらの繰り返しの連続で過去この教団が衰退して言った事は想像するに難しくは無い。したがって教団存続の未来は今とは違った形でしかないと言える。その改革が出来ないなら教団は一挙に衰退を再び三度四度加速するでしょう。
【ニューズウィーク 】イエス・キリストは白人から黒人に戻る?
https://news.yahoo.co.jp/articles/a37fa9fdd337f2e84e339c7125526a56a8d4c062
続き
斎藤一人氏は、納税日本一を何度も達成しており、有名になりました。
そして、商売の話から幸せに生きるために必要な事の話を始めて、大勢のお弟子さんも、見えます。著書も、20冊以上、講演も引っ張りだこです。
ブームはちょっと前ですけれどね、お弟子さんはマルカンの商品を売り、収入的にも、高額納税者の方が多い様です、テレビに出て有名なみっちゃん先生とかもそうです、ネットで検索すればいくつも出て来ます。
幼少の頃から、光の玉が存在し、一人氏を導いて来られたそうです、もちろん一人氏のお話は、デールカーネギーの人を動かすとかを主にしてる部分もあり、良く考えられています、大宇宙エネルギー療法の会とかも作って、大宇宙エネルギーで浄霊を行う指導をしたり(今は変わってる)いろいろ神霊的なお話も多いです。
一人氏を有名にしたのは、光の玉の守護神の導きであり、一人氏が金持ちで有名になり、人が幸せに生きる方法を説いて、商売で成功する方法を説いて、みんな豊かに楽しく暮らせるように導いておられます。
斎藤一人氏は天啓者ですよ、天啓を広げる為に納税日本一で有名になり、慕って来る人を、豊かに幸せに導いているんです。
斎藤一人氏に関わって、その信者が搾取されることは無いんですよ。
私個人も、自分の守護神の信仰は変えなくても、商売と生き方においては、斎藤一人氏の考え方を学んで、商売を発展させ、楽しく生きています。
天啓者は、人を豊かに楽しく生きられる様に、導いて欲しい
みなを照らす、明るい光であって欲しい
希望を与えて、生きる力を生み出せる様にしてほしい
今更、天理教に天啓者を作って、現行教団幹部のやり方を、止めろと言い出したら、困りますから絶対に作らないでしょう。
教会の血縁で無い、ただの一信者は、最下層? いや自由の身ですから、自分に合った、参加して楽しい宗教に宗旨替えをしたら良いんです。
今の時代、魅力ある存在しか流行りません、苦しいのと引き換えは流行りません。
連投失礼いたします。
所属の教会長とお話をしていて、基本的天理教思考を持っていない私には
人を助けて我が身助かる、とか、心を低く、とか、守護の代わりに、健康保険だと思ってお供えするんです、とかって言われても、なんか明るくなれない。
まず、自分が助かって経済的にも豊かなら、助けられる人が増えるし、心を低くって思うと、自信を持つのをためらったり、人の言う事が、余計に上から目線に感じたりしかねない、高慢にならない様にって言う事前防御より、何か自信を持って喋ると、すぐ高慢だと言われそうでストレスを感じるし、守護の代わりに健康保険だと思ってお供えするなら、保険をかけたほうが安心できる。
ちっとも、明るく、楽しく、心穏やかに、豊かに暮らせる方向のお話に感じない。
そう言う事を言うと、あなたは教祖様の教えを理解できていないから仕方無いって言われる、教祖様の教えを学ぶには、時間が要りますからって言われて、修養課に一度行ってみませんか?って、いや、こわいし、3ヶ月も遊んでいられない、働いて無いと家族養え無いですから。
自信を持って、心豊かに生きてると、威張られても気にならない、上から目線で言われても、それほど気にはしませんが、天理教の方は、何かとすぐ、高慢です、判っておられない、などのマウントを取る言動が多いとも感じます。
今の時代、どこの宗教団体も信者は減ってますからね、明るく、楽しく、豊かに暮らせるの方向の宗教しか生き残れる可能性は低い気がしますよ。
信者3人、4人しか居ない事情教会まっしぐらの教会が8割、9割となり、潰れてしまった無人教会が1000箇所と言う天理教の現実ですが、要するに社会に必要とされない存在だから淘汰されていくのです。天理教トップは自分達の「金の主張」が世間に受け容れられて居るか否かの検証をすべきです。そして社会の欲しているものが何なのかを見極めず、頑なに変化をしない存在はいずれ変化している社会から弾かれるのは当然の姿です。
金、金と欲の心でたぐり寄せれば寄せるほどお金も人心も離れていくのは天然自然の摂理です。人には出せ出せと言うが、トップに君臨している中山一族は出す事をしない。乞食のように貰うことを当然とし甘んじて来た。
教団中枢が人々を、信者を大きな真実の愛で愛したなら世間から愛されるのです。天理教の黒い歴史の様に多くの人のお金をかすめ取り、精神を苦しめ、死に追いやり、子孫に怨念をいだかせ、しかしその苦しみこそが御守護の基だと言い、もっとお金を出せと言う。
中山一族が因縁を説くなら、初代より中山家が人を苦しめたから自分たちの首が今現在しまっているので有り、現天理教の瓦解は因縁の法則通りです。この教団が発展する種は何処にも一つも有りません。
私は今は幸せですが、天理教に貰った幸せは無かったです。失う事が多かったです。天理教に心を奪われた事により親子は断絶し、夫婦は別離となりました。今でも子供達に怨まれます。天理教の暗く光の見えない脅迫から心を離し、自分の存在を愛おしいと思い、自分で自分を大切にする事に目覚めた時、天理教に心を絡め取られていた頃の人に言われるがままの操り人形の様な時間を悔しい思いで振り返る昨今です。
今は、自分の身体の中にいて絶え間なく守護下さっている神に感謝し、自然体で生きている自分を見出し、幸せと思える日々を歩けています。
天理教は百害あって一利なしでした。
私にとっても「天理教は百害あって一利なし」でした。同じ思いの信者さんは他にも大勢おられるはずです。
7月1日AM9:20分の匿名様へ
私も天理教には怨念の心しかありません。
貴方の投稿は、私の慰めです。
崩壊
2020年7月1日 10:51 AM
>>私にとっても「天理教は百害あって一利なし」でした。同じ思いの信者さんは他にも大勢おられるはずです。<<
私は比較的若年期の20歳前に天理教から離教しましたが、それ以来、私の両親(元末端分教会長夫妻)とは別離の人生となってしまいました。結果的に「親子離散・家族崩壊」という形になってしまいました。世間的に言う「親孝行」はできませんでしたが、私はその事に対しては後悔はしておりません。「自分の人生は自分で決めるもの」という私なりの信念があったからです。以後、人並みの就職をし、結婚をし、子ども2人をもうけ社会人として成人させました。定年退職をしてから、一時、別のアルバイトをしておりましたが、今は、完全にリタイアしております。今までの自分の人生を振り返って、我が人生に悔いはなかったと考えています。現在、天理教を信仰しておられる若い信者の皆さん、天理教を信仰し続けるのも、天理教から去るのも皆さん方のご自由ですが、自分の人生は一度きりしかありません。決断するには大変勇気のいることですが、後々、後悔の残る人生を送らないよう、熟慮し、判断してください。
山梨県の甲○大教会が客間棟を新築したらしい。300㎡を超える立派な建物。おそらく創立130周年記念建物だろう。東向の神殿を西向きに変える工事もしたのだろうか?以前甲府部内の教会を見たことがある。壁が剥がれ看板の字も読めないくらい劣化していた。廃屋同然の教会だった。近寄り難いオーラが出ていた。部内の修繕が先ではないか?10年以上前大教会長は事情で辞任したらしい。金銭問題で多額の借金作った責任。しかし、金掛けて客間棟作って誰が止まるのかね。無駄だよ。
匿名
2020年7月1日 1:29 PM
天理教にとって「ふしん」とはそれ程大事なことでしょうか? 大金かけて客間棟造って「旅館業」でも始めるのでしょうか? 建造物の威容を世間に誇示し、宣伝広告に使うのかもしれませんが、そんな時代おくれのことをしても、世間の人はすべて分かっていますよ!! 我が手で我が首を絞めているようなものです。信者に訳のわからない負担をかけるより、完全に解体し、更地にして、公共用地にでも提供したほうが、世間の人にも喜ばれるし、人助けにもなると思います。
『私は今は幸せですが、天理教に貰った幸せは無かったです。失う事が多かったです。天理教に心を奪われた事により親子は断絶し、夫婦は別離となりました。今でも子供達に怨まれます。天理教の暗く光の見えない脅迫から心を離し、自分の存在を愛おしいと思い、自分で自分を大切にする事に目覚めた時、天理教に心を絡め取られていた頃の人に言われるがままの操り人形の様な時間を悔しい思いで振り返る昨今です。
今は、自分の身体の中にいて絶え間なく守護下さっている神に感謝し、自然体で生きている自分を見出し、幸せと思える日々を歩けています。
天理教は百害あって一利なしでした。』
7月1日AM9:20分の匿名 さん
素晴らしい投稿ありがとうございます。
心より同意致します。
今は幸せとのこと。良かったですね。
この心の叫びを中山家、本部員、大教会長達に読ませてやりたいものです。
天理教の問題点は上の顔ばっかり見て本当の宗教とはとかひとだすけとかを考える会長がいない点です 民事なので表にでませんが横領 着服 レイブなどひどい会長がいます お供えから自分の個人口座に○十万円積み立てをしていた会長もいました 世間様の方がよっぽど人様のためにと身を呈して頑張っている方がいます! 目を覚ませそこの教会長! 毎晩酒飲むな!
>>民事なので表にでませんが横領 着服 レイブなどひどい会長がいます お供えから自分の個人口座に○十万円積み立てをしていた会長もいました<<
横領、着服、レイプ、脱税、いずれも民事事件ではなく、刑事事件です。確たる証拠さえあれば、刑事事件として立件し、犯人を刑事告訴し、訴訟に持ち込むことができるはずです。今の時代、「泣き寝入り」は通用しません。
天理教〇府大教会客間棟新築
https://blog.goo.ne.jp/sendohda-kobo/e/b2539883bbfe90df57b1b694b720cc47
組織はなくとも信仰できる! 2020年7月1日 3:09 PM 様
>>表にでませんが横領 着服 レイブなどひどい会長がいます
書ける範囲で結構ですのでもう少し詳しく教えて頂けませんか?
匿名 2020年7月1日 5:26 PM 様
貴重なリンクをありがとうございます。
こんな立派な客間を建てても入込み以外では使用しないんですよね。
それとも普段は大教会長の寝室にでも使うのでしょうか。
高級料亭、高級民泊にでも普段は営業利用し、部内に還元すればいいのにと思ってしまいます。
いずれにしても他人の血と汗と涙の浄財でこんな贅沢な箱物を次々と建てる天理教は感覚が異常ですな。
匿名
2020年7月1日 5:26 PM
天理教〇府大教会客間棟新築
https://blog.goo.ne.jp/sendohda-kobo/e/b2539883bbfe90df57b1b694b720cc47
随分立派な客間ですね。教会本部に習ってスーパー銭湯や宿泊業にでも営業方針を変えるのでしょうか? もしその通りであれば、一般信者にも周知義務はあると思いますが?
9月26日に教会長の教服での登殿参拝があるが大問題である!何が問題かわからない本部 大教会も問題である!
え?末端教会長もですか?!この時期ですから絶対強制ではないとは思うのですが、、。
そもそも登殿参拝ってどう言う意味の参拝なのでしょう?数年前、教会長になったばかりの時上に言われるがまま参加したのですが、行事の意味も深く聞かずに行きました。何年に一度くらいであるのですか?本部の上から目線で「教会長だけ特別に有難い参拝をさせてやる」と言うスタンスですか?
何か重大発表があるんじゃないでしょうかね?
第二次教勢倍増運動やるぞって発破かけたり。
組織はなくとも信仰できる!様
>9月26日に教会長の教服での登殿参拝があるが大問題である!何が問題かわからない本部 大教会も問題である!
詳しくは分かりませんが、これは9月26日に限らず、毎月の26日に人数を限定して昇殿参拝をさせるのではないでしょうか。
> 毎月の26日に人数を限定して昇殿参拝をさせる・・・
釈迦の高弟の一人に、アーナンダという人がいました。ある日、釈迦が説法をしている会場で、アーナンダが末席にいるのを見て、ある人がアーナンダに、「あなたのような方がこのような末席に座ってはいけません。どうかお釈迦様のそばにお座り下さい」 と上座(かみざ)を勧めました。そのとき、アーナンダは、「釈迦と同じ思いを持っている者が、釈迦に最も近い所に座っているのだ」 と言って、その人の申し出を断ったそうです。
この地上での近い遠いといった物理的な距離空間は、神仏の世界では全く意味をなさないと思うのですが・・。
26日に人数を限定して上殿させるのならそうさせたらいいと思いますよ。しかし、この時、「あの人は上殿させてもらったのに、私はダメだった」 というようなことが起こった場合、それに腹を立ててチリチリすると、相手の価値観に組み込まれることになり、それこそ相手の思うツボにハマッてしまいます。
(相手は信者同士を競争させて、自分の利益を増やそうとしているので、その手に乗らず、「ああそうですか」 と言ってその場を立ち去るなどして、冷静に対処すべきでしょう)
甲○大教会の豪奢な客間棟の記事がブログから削除されたようだ。このご時世に不釣り合いな建物建てた事にうしろめたさがあるのかな。どこから上から設計会社に削除要請したのか。堂々と掲載すればいいのに。なぜか20数年前の信者会館の記事も削除されている。不可解だ。普請は不信になった。
昇殿できるとかできないとか、上座とか下座とか、そもそもそうした考え方自体、下劣な宗教団体の底流に流れている価値観であると思います。わざわざ、ここで議論する必要も無いのではと思います。教服を着て昇殿するように命令されても、強制力は無いので従順に従う必要も無いと思います。
仙洞田建築工房通信のサイトマップに、天理教甲府大教会客間棟(2020年)というタイトルだけ残っていますが、クリックしても「※記事がありません」になってしまいますね。まだ画像を保存してなかったので残念です。しかし、なかなか素早いな。
https://blog.goo.ne.jp/sendohda-kobo
崩壊
2020年6月28日 4:41 PM
以前から疑問に思っていたのですが、真柱の世襲制度は一体、誰が決めたのでしょう?
もちろん、教団の認識では教祖が決めたことになっています。もっともその根拠は、教祖が外孫の眞之亮を出生前から真柱に指名したこと、眞之亮が梶本家から中山家に婿入りしたこと、ぐらいですが。
>>佐野智規 恐るべき「愚民」たち
──19世紀末日本における天理教批判の分析── より抜粋
三 呼びかけに気づかない「愚民」、呼びかけても振り向かない「国家」
──(中略)──
「天理教会之害毒」(明治29年出版)の最終回を参照しよう。
第27回 国家の為め社会の為め
鳴呼、天理教会は臣民としては不忠不義の逆賊なり。衛生より言へば流行病の媒介者なり。経済より言えば貧乏神の団体なり。教育風俗より言えば淫風の養成所、罪人の造出所なり。天下一日も此輩の生存を許す可からす。余が延々数万言以て是等の害毒を暴露攻撃せる所以の者。洵に弁を好むか為めに然るに非さる也。鳴呼、国家を憂へ社会を愛するの士、何そ奮って此妖魔の撲滅に力めさるや。
鳴呼、当局の人、何ぞ速やかに教会閉鎖を厳令して其罪悪を質さざるや。是れ実に国家の為め也。叶是れ実に社会の為め也。然り予豈に弁を好まん哉。
この言説は、不作為の「当局」に対する訝しさを含んでいる。
『天理教会之害毒』の著者は「当局」の天理教対策についての情報を有していたにも拘わらず、である。なぜなら『天理教会之害毒』が出版されたのは1896年(明治29)6月であって、同年4月6日の内務省訓令甲第12号「天理教会に対する取締訓令」およびそれを承けての警視庁「庁令甲第12号」の2ヶ月後であり、「第23回、天理教会に対する警視総監の訓令」には「庁令甲第12号」が転載されている。それでも、国家社会に責任を負うべき「当局」は天理教に対して充分な施策をとっていないと羽根田(羽根田文明『天理王桝妄』の著者)は嗟嘆する。
つまり「識者」は「国家を憂へ社会を愛する」がゆえに天理教会を「撲滅」せんと種々実践するにもかかわらず、彼らの庇護者であるはずの「国家」は、「識者」の呼びかけに対して十全には応えてはくれないのである。
このことが「識者」たちの不安に輪をかける。「当局」と天理教には、なにか隠された関係があるのではないか。「識者」の呼びかけは、このようにして挫折する。「識者」の実践は誰によっても(庇護者たるべき「国家」によっても)保障されていない。かろうじて「識者」を「識者」たらしめるのは、批判によって「愚」を名指し、囲い込み、そして摘発するという実践の反復なのである。<<
天理教の様々な問題に対する、国家の不作為、怠慢を指摘した、とても興味深い資料と考え紹介しました。以下のサイトから、全文PDFファイルをダウンロードできます。
早稲田大学リポジトリ
恐るべき「愚民」たち -一九世紀末日本における天理教批判の分析-
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1494&item_no=1&page_id=13&block_id=21
大教会の客間棟の写真位は堂々と載せても、どうってことはないのにね。
真柱専用の客殿がある教会は、10年に一回位しか使用しないような建物もあります。
それに比べたら客間棟くらいは可愛いものです。
天理教河原町大教会信者詰所は堂々と載せていますよ。
https://www.takenaka.co.jp/majorworks/41918032011.html
以前、天理教河原町大教会にトイレを借りに行ったことがあります。京都の市街地の真ん中に立地し、鉄筋コンクリート造のそれはそれは立派な広い建造物でしたが、神殿内はガランとしていて、神殿当番らしき人が2名、ポツンと座っておられました。おつとめ日でなかったせいかも知れませんが、本当にもったいないと思いました。何人客人が来られるのか知りませんが、専用の客間棟や真柱専用の客殿など必要なのでしょうか?信者詰所と兼用したら良いと思いますが。
お地場で神の御用を、ナライト様が勤める為の普請を急いだお言葉を、伽藍建設を急いだことにしないと、天啓の継承問題を誤魔化しきれないとふんだ、お抱え学者と幹部たちの大嘘から始まったんじゃにかな。
信者に負担を掛けないように箱物は不自由がちで、心は大きく持つのが基本なんでしょうね。
ちょっとなに言ってるかわからないです
竹中工務店のHPより抜粋<天理教河原町大教会の信者詰所>
https://www.takenaka.co.jp/majorworks/41918032011.html
>>信者の方々が集う街の景観と調和する
端正な建築
本施設は、全国から帰参される信者の方々が修養される場の一つとして既存建物(大正13年)の老朽化に伴い建替えられました。
建屋は、帰参者を迎える交流の場としての玄関ホールや行事に合わせた活用が可能な大広間を持つ「玄関棟」と、短期の宿泊で利用される「信者室棟」により構成されます。この2棟を渡り廊下でつなぎ中庭を囲むように配置することで、信者の方々が空間的にも、精神的にもひとつに「つながる」場を端正な形で創出しています。
設計施工 竹中工務店
延床面積 4,896㎡
構造/規模 鉄筋コンクリート造/地上4階<<
私個人の意見なり、感想を述べさせて頂きます。古都2000年の歴史を持つ京都市において、建築デザインの外観は和風らしきものであるにせよ、やはり鉄筋コンクリート造という構造はいただけません。ご存知のとおり、京都市内には木造で建築され、国宝や重要文化財に指定されている神社仏閣や仏像等が多数あります。そういう環境にあって、やはり、新興宗教の建築物を巨額な費用を投じて鉄筋コンクリート造で建築することはいかがなものでしょうか? 天理教信者以外の日本国内外の観光客は、あの建築物を見て「興ざめ」するのではないでしょうか?「信者の方々が空間的にも、精神的にもひとつに「つながる」場を端正な形で創出する」デザインだとは私には感じられません。
東京で百人越え 蜜にならなければいいが、、、、
教会長の昇殿参拝
・7月から12月までの本部大祭と月次祭に、教会長の昇殿参拝が、各直属ごとに振り分けて実施されます。6ヶ月間、各直属ごとに6分の1ずつの教会長さんが参拝していただく形です。振り分けは各直属で決められます。
・教会長の代理は認められていません。
・車イス利用の方は、スロープ昇降口からの入場です。付添の方は教会長に限られます。
・礼拝場では1畳に1名ずつ座ります。
・服装は教服、マスク着用。
年内ぐらいはじっと我慢のほうがよくないか?
2020.04.27 14:05
信者の皆様の帰参について(天理市長より)
天理市長 並河 健(なみかわ けん)さんのFacebookより
市内外の多くの方から、天理教教会本部への信者の皆さまの帰参について、ご質問やご意見を頂きますので、私から申し上げるのは誠に僭越ですが、以下ご説明します。
2月に政府からイベント行事の一斉自粛が呼びかけられて以来、私を含め市行政は、御本部や学校法人等と緊密にお話し合いを重ねてきました。
信仰の自由、集会の自由は、憲法上保証された極めて重要な基本的人権です。
御本部は、信者の皆さまと市民の命を守るため、真摯に感染症対策に取り組まれ、3月以降全ての行事を中止くださいました。
また、月次祭や教祖誕生祭などの大切な神事についても、他地域からの帰参を停止するよう通達され、教会内部だけでなく、天理時報の一面や、御本部のホームページなどでも明記下さいました。
本日の月次祭では、直属教会長様についても帰参を停止され、境内地外から礼拝されることすら自粛されるよう、呼びかけられました。
GW期間中は、「つとめ」を除くすべての時間で、神殿への昇殿参拝の自粛を求められるなど、かつてない厳格な措置をお取りいただいています。
感染症に世界が苦しむ中、あらゆる御守護の源泉地である親里・おぢばに帰ることが出来ない…
このことは、多くのお道を信仰される皆さまにとって、言いようのない葛藤、苦しみであると存じます。
その上で、お帰りになることを控えられ、それぞれの土地ところから、おぢばに心を寄せられ、世界たすけのためにおつとめに励まれる皆さまに、心からの敬意と感謝を申し上げます
>>信仰の自由、集会の自由は、憲法上保証された極めて重要な基本的人権です。御本部は、信者の皆さまと市民の命を守るため、真摯に感染症対策に取り組まれ、3月以降全ての行事を中止くださいました。<>感染症に世界が苦しむ中、あらゆる御守護の源泉地である親里・おぢばに帰ることが出来ない…
このことは、多くのお道を信仰される皆さまにとって、言いようのない葛藤、苦しみであると存じます。
その上で、お帰りになることを控えられ、それぞれの土地ところから、おぢばに心を寄せられ、世界たすけのためにおつとめに励まれる皆さまに、心からの敬意と感謝を申し上げます<<
天理市民は天理教の信者ばかりではありません。他宗教の信者や無宗教の方々もおられます。公人たる市長のブログに宗教色の濃い表現は慎むべきだと思います。
組織はなくとも信仰できる! 様
2020年7月3日 11:12 AM
天理市長は、公職選挙法に乗っ取って選出された一地方公共団体の首長です。コロナ禍は今のところ、年内どころか、いつ終息するか全く不明です。あなたが、どうして、宗教色の濃い天理市長のブログを引用されたのか分かりませんが、天理教教会本部ですら、コロナ禍終息のための「お願いつとめ」を1回しか実施していません。そんな宗教団体に対して、天理市長のブログは宗教色に偏狭したものであるという印象しか受けません。おそらく、次期市長選挙等のことも念頭にあるのかもしれません。前述のように天理市民は天理教の信者ばかりではありません。たまたま住所が天理市内であるがために、他宗教の信者や無宗教の方々が、誤解を受けて大変、困っておられます。もし、天理市長の選挙用の集票戦略であれば、公職選挙法に抵触しかねないので、即刻、止められたほうがよいと思います。何度も繰り返し言いますが、天理市民は全て天理教信者ではありません。
天理市民
2020年7月2日 12:47 PM
>>もちろん、教団の認識では教祖が決めたことになっています。もっともその根拠は、教祖が外孫の眞之亮を出生前から真柱に指名したこと、眞之亮が梶本家から中山家に婿入りしたこと、ぐらいですが。<<
真実の話だとしたら、随分、いい加減なことで選任されたということですね。教祖が外孫の眞之亮氏の人格や素養を出生前から見抜き、真柱に指名された(あり得ない話だと思いますが)ということですが、教祖は後々、天理教がどのようになるのか、見抜くことができなかったのでしょう。天理教の悲劇の始まりですね。
給付金全部お供えしろと言っている大長さんがいると聞きました。
やめてまえと思います。
お供え拒否するべきです。
今月から本部参拝なぜするのかわりません。かなめ会なにかんがえて
いるのでしょうか?
天理市では政府給付金配布の進捗状況はどのくらい進んでいるのでしょうか。
中山家の皆さんや教祖時代から続く歴史的姓の本部員の皆さん方は、率先していちれつ会に10万円の寄付をするのでしょうか。
彼等彼女らは、自教会にお供えするのかどうかは知りませんが、「みちのとも」には親里の区分の中に有名人が名前出しで寄付が掲載されます。匿名もいます。
(誰でも名前出し、或いは匿名で寄付行為はできます。県別に各地の寄付された方々のお名前も掲載されます。)
親里管内の人々は本部へのお供え金はいちれつ会とは別に毎月しているのでしょうか。
それとも、いちれつ会への寄付が毎月のお供えのかわりなのでしょうか。
きっと中山家と本部員さんは家族全員そろって一人10万円の寄付をして本部会計を助けることでしょう。
これこそ恩返しですね。信者さんへの恩返し。
信者さんに昔から食べさせていただいた御恩に、昔から学校に行かせて頂いたのも留学できたのも、みんな信者さんたちのお陰ですから、10万円はここぞとばかりに全額お供えすることで信者さんへの恩返しができますね。
さあ、いまこそ、親里管内の皆さん、恩返しの旬です。
家族の力で1円も漏らさず賽銭箱に入れましょうね。
みちのともでチェックしていますよ。
>>明治28年発行 仏教最近之敵 一名 天理教之害毒 より
◎風俗上の害毒 (P18~ コマ番号15)
天理教が跋扈せる地方に限り、不義務者、租税滞納者、公売処分者、身代限者、少なからずのみならず、究魂落魄の極果は終に掏児、拐帯窃盗、強奪等の悪業を働きて法律上の罪人となれる者、また甚だ多からずとせざる也。左れは天理教の跋扈地、即ち伊賀、近江、山城、大和、攝津、丹波、但馬、紀伊、土佐、越前、若狭等の各監獄署に就いて、罪囚徒の犯跡を一種宗教的観察を以て調査を遂ぐれば、十中の六-七までは必ず天理教迷信の結果たらざるを得ず。余輩は不日、各地方の実況に就き、かつ各監獄署の調査に就いて、最も精確なる統計を得て、これを公示するの時あるべき也。
抑もまた天理教会は社会の秩序を乱り、国家の風俗を害するものにて男女淫欲の媒介をなせる猥褻場なり。方今、風俗取締の厳励なる時に当り、天理教会の淫祠のみ実にノラ息子オテンバ娘のイタヅラ豊年にして甚だしきに至りては、夫ある者、妻ある者、世にも忌々しき不義姦通の取持をなせるのみならず、父の無き私世児の乱生多きこと、古来未だ嘗て天理教徒の如きものあるを見ざる也。
また天理教会中には「オヌクモリ」と称して、十柱の神のノリウツリを願うて行う式あり。深夜更闌けて四隣人静まり、天地寂漠たるの時に当り、初信の男女等を打ち混じて一同に教会所に集め、一室堅く密閉して、燈火フッと吹き消すや暗さも暗し真の闇。中には若き男女等が足を捻り、手を握り、互いにチチクリ合いたる后。世にも浅ましき獣行を恣にする等、恰も遊冶郎放埓男が芸娼と雑魚臥せるが如きの怪状は、殆ど言うに忍びざるものあり。左れは若き男女等は実際は天理教を信ずる者にあらざるも、獣慾を買うべき野合密会の都合上、表面信徒を装う者も少なからざる由なり。教会整理の任に在る教職等は初めより意中これを知らざるにあらざるも、これまた教会繁昌の一方便なりと思いてにゃ恬乎として知らざるものの如く黙許に附せり。左れは天理教会は恰も待合ボン屋にして、教職等は即ち仲居妓夫の役を勤むる者と言わざるべからず。現に近江國甲賀郡にては、本夫が北海道出稼ぎにて不在中に、例の淫祠教会の媒介によって生めきたる男と姦通して不義の楽しみを貪りたるの結果、罪業自ら感得して哀れ懐妊の身となり、六月までは人目をも忍びしが、恰も本夫の家に還るの報を得て狼狽やる方なく、終に教会所中にて炊飯の労に従う老婆に頼みて、無残にも之を堕胎したることの程経て、後ち発覚して端なくも法律の問うところとなり、今日なお膳所監獄署に苦役中のものありと聞くにあらずや。嗚呼、これをして風俗上の害毒と言わずして、将た何とか言わんや。
また初めて天理教に入る者は、改式の験なりとて祖先累代の位牌を破り、墓石を崩し、仏壇を破り仏像を斬りて、これを火に焼き水に流し、若しくは野原や路傍に棄つるを常とす。天理教の十柱の神のために諸仏菩薩は仇敵なり。仇敵を信じたる祖先は即ち、これを祭崇する能わずというの意なり。既に迷信の毒に酔わされたる以上は、旧来の宗教即ち仏像経巻に向かって無礼を加うるは当然として之を怒するも、自ら養育生成され来りたる祖先累代の墳墓を辱め、遺霊をして地下に瞑目すること能わざらしむるは不仁不義不孝不道の極悪罪にあらすや。加之ならず、身には私財の幾分を失い、国の美術品を消却するものと言わざるべからず。世は文明と開くれども、阿呆に付ける薬の発明なきには閉口仕るなり。嗚呼、天理教は不正人間の製造所なり。私生児の乱生場なり。而してまた瘋癲白痴の集合所なり。撲滅一番これを退治して直正人間の資格に復せしむるは、これ豈に国民の義務にあらすや。<<
関連サイトで「おぬくもり」が話題に上がっていたので、手持ちの資料からテキスト化しました。私生児の乱生場って、そういう雛形を示してくれた人がいましたからね・・・。
明治28年発行 仏教最近之敵 一名 天理教之害毒
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816048
無謀な教会長の昇殿参拝。
断固反対します。相手は見えない敵です。自分や家族、周囲の人に責任取れる人は行けば良い。私はこの見えない敵に勝てる自信は無い。教区で順番に振り分け、半強制参拝をさせて誰が責任を取るのか?本部が責任取るのか?責任は誰も取れはしない。
本部は自主参拝にすべきで半強制のごとき強制参拝はさせるべきでは有りません。
断固反対します。それぞれ自教会より遥拝させて頂く事で十分です!新型コロナウイルス肺炎の二波の予兆が明らかに出ている現状で軽率すぎます。教会長は高齢者が多いのです。本部は何をか考えているのか?再考を要請したい。
(修養科の7月以降の受け入れも、無責任すぎます。この危うい状況の中で本部の誰が責任を取るのですか!)
3月のかなめ会に於いて、内統領宮森与一郎氏より目標様お戻りについて話があったとの事。前回は教会長不在、目標様上級預り、ようぼく不在等の条件があった。今回は、上記の条件を満たさなくてもお戻りできるとの事。上級に統廃合しても良いとの事。某大教会通信より情報を得た。当方の大教会長はこの件について全く話が無い。統廃合した方が良い教会がいくつもある。幽霊教会ばかりでなんとかしたい。部内でこの件を知っている人はほとんどいない。大教会長は面子があり減らしたく無いのだろう。誰か詳し事教えてほしい。
コロナ?
おさづけで、イチコロだろ。
え? インチキだから、おさづけは効果ない?
じゃあ今までのお布施返して
表統領と中山家が出て行くか、皆さんが教団を出て行くか の二択以外なくなりましたね。本部の中山家も無茶苦茶で教団に居る価値も無くなって来たどころか損するのでやめ時だという声が増えてますね。
面子、面子で、大教会の眼はどの方向を見ているんだろう。
やっぱり面子と保身と自分達家族の生活基盤?
大教会修理のお金が要る案件を前に、お尽くしすればしただけ御守護が頂けるのですから皆さん頑張りましょう、と言った大教会長さん、コロナは別ですか。御守護の基のお金を投げ込もうにも、来てはいけない、コロナに罹る、では論理破綻が起きてます。理屈が通らない発言は「嘘」と言う事です。
善亮も信者向け、教会向けと二枚舌で何とか丸め込もうとしていますが、そう言う一本筋の通らない小手先は、理屈に綻びが出るのが天の理です。
中山一統は天罰を受ける前に悪事を神にお詫びしてぢばを信者に明け渡す事です。
お金が欲しい本心を隠した中山家と真の幸せを求める信者達の誠の心。
嘘偽と真実誠は水と油で関係性が成り立つはずが無いです。
因みに、平成31年度の教庁決算総額は99億4361万7033円。当初予算から約4パーセントの減額。お金が欲しい本部の首が意に反してじわじわとしまって行くのが想定される未来予想図。
天理教本部にお供えしない事です。信仰の本質に目覚める事です。これが天理教信者に神が求める新しい行動様式だと思います。神が作出したコロナは人類に新しい生活様式への変化を求めています。嘘の中で溺れ変われない存在は本部も信者も淘汰されます。
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大教会の創立130周年記念祭の打ち出しがあって1年余が経過しました。教会を離れて7年が経つというのに、いまだに会報が届くのは未練ありありそのものでしょうか。
中身は相変わらずの初代会長の入信の動機がこまごまと書かれていて、いま私達が結構に暮らせるのは、一にも、二にも初代の信仰があってこそと強調している。大教会長家族一族にとってはそうだろうが、末端教会の一住み込み人の子供に過ぎず夢も希望もことごとく潰されてしまった者にとっては、天理教生活は地獄以外の何ものでもありませんでした。
大教会報は何を寝言を言っているのだろうと感じざるを得ません。
立派な神殿を壊して、本部に向けて拝が出来るように建て替えたとか、ほとんど利用されない客間の建築に2億円近いおカネをつぎ込むなど,常識では考えられない贅沢極まりない無駄を平気でする天理教団。
真柱一行なんか近くのホテルに泊まれば十分でしょう。挙句の果てにご馳走攻めで成人病まっしぐらでは、言う言葉すらありません。
若い頃に大病を患い死期を悟った私は、克己心という大切な心構えを知り、自重に自重を重ねて今は健康そのものの81歳も半ばが過ぎようとしています。
先日の天理時報に掲載されていた、田植えをご覧になっている真柱の姿を見て感じることは、天理教団のバカさ加減が半端でないと感じています。節操のないもてなしの数々がどのような結果を招くのかさえ想像できない人たちに人を助ける資格は皆無であると断言します。
年に数回の贅沢と思われる食事会は未だしも、身に余る贅沢やお流れ頂戴の遣り取りは敵と知ることの大切さを教団スタッフは知るべきでしょう。
とりとめのない話になりましたが、今は亡き日野原重明先生が提唱されていた腹七分目には近づけなくても腹八分目に過ごせる日々に感謝をしている者の繰り言と感じていただければ幸いです。
地方の教会長です。
春のお戻しが秋に延期になりましたが、私は教会はどんどん整理したほうがいいと思います。
私が聞いた限りでは、お戻し対象の教会は以下の様です。
1. 建物はあるが信者がいない教会。建物は無く神様を上級が預かっている教会。所謂事情教会です。
2. 上級会長の奥さんが会長を務めている教会。
3. 現在教会長不在の教会。
以上が対象となるそうです。
ただ、3の場合、教会長がいなくても信者が集って教会活動をしている場合は免除となる場合もあると聞きました。
次に統合ですが、同じ大教会内の教会で距離が近くて信者数人の零細教会が二箇所あった場合、統合の対象になると聞きました。例えば、瀬戸内海の小島で同系統の教会が二箇所あり、片方が極端に教勢が低い場合は大きい教会に吸収されるそうです。教会長のいない教会は特に統合の検討になるそうです。 統合は初めての事なので、教会が違えばしきたりも異なるので中々難しそうですが。
しかしつくづく思うのは真柱は可哀想ですね。真柱にならなければ、お好み焼き屋のおっさんで気楽に暮らせたのにね(知ってる人は知ってる件)。
大亮は少し知ってますが、悲しくなるくらいのおっちょこちょいですが、悪い人ではないですね。ただ脇の甘さとあの酒量はいつか失敗しそうな気がします。
私は立場上教会長を辞めるわけにいかないので生涯するしかないと思います。
しかし今までの様になんでも上級のイエスマンはやめました。御供も半分に減らしましたし、日参もやめました。おぢば帰参も四万円はかかるので、大祭だけでいいでしょう。
この前東京にいる息子に「お前は教会を継がなくていい。だからしっかり勉強しろ」と電話しました。かなりビビったみたいです。息子も「若」とか「お兄ちゃん」とか言われ、いつか教会継ぐからと甘く生きてるんですよ(私と一緒だ)。
コロナが収まり月次祭が普通に行われる様になったら、私は講話で信者さんの御供を半分に減らす様に言おうと思います。上級への御供を半分にしたのですから、当然ですね。
ありがとうございます。
地方の教会長さん
貴重な情報、ありがとうございます。
地方の教会長さんは本当の意味で純粋に信仰され、正しい方向転換をされたのだと思います。私は帰参については自分の意志で参拝したくなった時だけにしています。最近はどんどん少なくなって年にⅠ、2回になりました。来年はなくなるような気がします。今回、来月から教会長登殿参拝と時報にありましたが強制された場合はもちろん行きません。この時期に誰が考えたのか知りませんが何か終戦まじかの破れかぶれの万歳突撃を命じた大本営の無能さと重なって思えたのは私だけでしょうか・・・
一信者です。
人生かけて教会に尽くして来られた方がおられて、何十万と言われれば、「はい。」とその額を用意して来られ、自分達は質素に暮らして来られて、立場は信者さんで。
息子が天理教継がないから、もう教会来ないで下さいとのこと。
教会長がいなくても信者がいれば教会名は残してもいいんじゃないですか?
何十年も人生をかけてお供えを払って来られて、いきなり教会の扉は閉まる。上級教会あずかり。
でも、法被に教会名は残ってます。
私は法被が、その人そのものが教会だと思っています。
教会名をせめてその方がお元気なうちは残していただけませんか?
そう思えます。
教会長登殿参拝をコロナで嫌がられてる教会長が多いようですが、どう言う事でしょうか?
今まで病気治しのおさづけ含め、それでお供えを貰い生活してきた方達ですよね。
いざ自分たちとなると、やれコロナが怖い 死にたくないと 今までの教義や信者に行ってきた事はどこへ?
天理王命を信じられないのですか?
匿名様
>教会長登殿参拝をコロナで嫌がられてる教会長が多いようですが、どう言う事でしょうか?
今まで病気治しのおさづけ含め、それでお供えを貰い生活してきた方達ですよね。
いざ自分たちとなると、やれコロナが怖い 死にたくないと 今までの教義や信者に行ってきた事はどこへ?
半強制で、本部の判断で決められるのに疑問を感じておられるのではないでしょうか。
今や信者さんのお供えで生活している教会は一握りですよ。
現天理教の実情を全くご存じないようですね。
>天理王命を信じられないのですか?
おそらく、神は信じていても本部が信じられないのではないかと思います。
現在の様な二波が起きかけているこの時に、命の危険を賭けてまで教会長を昇殿参拝させる理由は何なのでしょうか?
本部が教会長を全国から呼び寄せコロナリスクの渦の中に突撃させるのは本部による他殺行為です。
天理王が本部だけ聖域として教会長を感染させないと言う話ではありません。今回天理教の言う神は本部ぢばを慕う信者を遠ざけ、ここぞと言う時にあって全くの無力である事を見せつけられました。今まで信じた天理王の神の御心がどこにあるのか思案と迷いの真っ最中です。
感染リスクを冒してまで昇殿して 死にたい人がいますか。少なくとも借り物であり頂いた命は大切にすべきです。軽卒にも気を緩めて県をまたいで全国規模で大移動させる事は感染源を再びおぢばから全国に広げる結果につながります。
>>天理王命を信じられないのですか?<<
私は全く信じていません。天理王命がコロナウィルスを退治してくれるのであれば、こんなおめでたいことはありません。
天理時報は田植えの記事など掲載しないで、もっと重要な事を伝えて欲しい。教会の返還、統廃合などの情報を末端迄行き届くようにすべき。ネット環境の無い情弱な教会長など時報からしか得られない。今後の組織形態がどうなるのかなぜ記事にしないのか。薄っぺらい記事ばかりでなんの役にも立たない。
ネット環境の整わない教会では何も知らずに上に聞かされるがままでしょう。
教会が消滅すると言う情報は一般信者には聞かせたくない。本部の面子が潰れる情報ですし、現組織もこのままでは持たないが、うち内で粛々と進めたいのが本音でしょう。事実うちの信者は天理教がここまでガタガタで沈没寸前の現実を知りません。
話変わって、先日支部で聞いたのですが天理大学、天理小学校の耐震工事が必要になっているそうです。今後工事費に莫大な資金を要するらしいとの話を聞きました。出所は学校法人の財布?それとも本部の財布でしょうか。
館群も相当な傷みだそうです。
お供え要請が来るのが怖いです。
>天理王命を信じられないのですか?
表統領や高井猶久本部員の話を聞いていると、神は信じていても本部は信じられないですね。
表統領お言葉
おつくしもしっかり説かねばならない。おつくしができなくなると、たすかる道が途切れてしまうからである。(略)「お金のことは言いにくい」と避けていては、よふぼくは、おつくしの意味がますます分からなくなる。おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。
高井猶久本部員はこう言いました。 「信仰とは金なんです。信仰心のある人ほどお尽くし(金)ができる。お尽くしの金額によってその人の信仰のバロメーターがはかれるんです」
地方の教会長です。
>天理王命を信じられないのですか?
こういう暴力的な言葉を簡単に云う人が多い天理教の世界が嫌いなんですよ。
天理王命様は、ビンボーニンがお嫌い?
「うん、ダッ(大)嫌い。お助けしてやっても、お礼できないんだからね。」
じゃ、神様は金持ちしか助けないんだ・・
「金持ちでもシブチンは、ダッ嫌いだね」
金出さないと、助けない
「当然でしょ。こっちはそれだけのことしてあげてんだから、金支払ってもらわにゃ、やってられない。世の中ギブ・アンド・テイクよ」
つまりは、地獄のサタも金次第
「まぁ、そこまで言うと何だけどサ、でも実際、金があるのなら地獄まで出張して助けてあげてもいいわな」
あなた、本当に天理教信者?
「そのつもりだけど」
天理教信者って、人の幸せを第一義に考えるんjじゃなかった?ただただ、この人が幸せになってもらいたいって、
祈りを捧げ続けていて、お礼なんか考えてもいないという人たちじゃなかった?
「おだまり!人の幸せを望んでるヤツなんて、そんなヤツどこにもいやしないんよ。それどころか、むしろ人が幸せになるのを見るの、ダッ嫌いなんよ。かく言う私もそうちの一人なんだけどサ。人が幸せになると、相対的に自分が不幸になるような気がしてきて・・」
あのね、あんた、天理教通るのヤメにしたら?
>>表統領お言葉
おつくしもしっかり説かねばならない。おつくしができなくなると、たすかる道が途切れてしまうからである。(略)「お金のことは言いにくい」と避けていては、よふぼくは、おつくしの意味がますます分からなくなる。おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。<>高井猶久本部員はこう言いました。 「信仰とは金なんです。信仰心のある人ほどお尽くし(金)ができる。お尽くしの金額によってその人の信仰のバロメーターがはかれるんです」<<
要するに自分達(上層部)のことしか考えていない。人助けなど眼中にないということです。「をしい」「ほしい」「よく」の塊なんです。宗教では無いことの確固たる証です。
>>話変わって、先日支部で聞いたのですが天理大学、天理小学校の耐震工事が必要になっているそうです。今後工事費に莫大な資金を要するらしいとの話を聞きました。出所は学校法人の財布?それとも本部の財布でしょうか。<<
学校法人の会計と宗教法人の会計は別会計のはずです。もし、学校法人の維持修理のために宗教法人の金が流用されれば、不正流用になります。
ぶたまん 様
2020年7月5日 9:27 AM
>>天理王命様は、ビンボーニンがお嫌い?<<
天理王命様は造幣局が大好きなんです。特に、福沢諭吉様は。
>>天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史
衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集 より
刊行宣言
ここに収録した議会速記録は、衆議院議員今井新造氏が、第73議会より第76今議会に亘る四ヶ年間に於て、真摯なる熱情をもって、断乎として所信に邁進し、敢然、起って議場に咆哮せる質問演説を、速記録の対話体の形式のまま編集致したものであります。
申すまでもなく、議員の議場に於ける発言には、一抹の虚言も許されず、一糸の詐意も織り込まれては居りませぬ。国家の選良である代議士今井新造氏が、皇道の大義に燃え万民翼賛の赤誠を吐露したる発言に対しては我等は満腔の信服を致すものであります。
慮るに、議場に於ける質問に端を発しましたる事象が、足掛け四ヶ年の年月を費やして、なお遅々として進展せず、或いは全然その緒にさえ就かぬという例は、古今東西に極めて稀であります。しかも、ここに収録した四ヶ年の速記録集に観られる如く、皇紀まさに2601年、天皇御親政、万民翼賛の叫ばれつつある昭和聖代の現在に、この稀有の怪事実が現存しているのであります。こんなことでは、口に百万遍臣道実践を唱え、億の標語に一億一心を識したとて、何にもなりはしないのであります。こんなことでは靖国の神と祭られる十万一千の英霊に対し、将又、酷寒酷暑の大陸の戦場に現在、命を的に敢闘せられつつある将兵諸士に対しても慚愧汗顔の至りであると思うのであります。
戦時体制下の現時に於て、その戦争目的遂行上に障害を来すが如き、極めて不適正なる浮遊層が、政治、経済界の上層部に蟠居しある事実に就いては、弊社既刊にかかる「小山亮代議士小林商相機密漏洩並びに脱税問題に対する質疑応答」なる議会速記録集に於て、完膚なきまでに剔抉致しおきました。本事件が今より四年前、今井代議士によって議会に問題化せらりしにも拘らず、その発言の際には、各国務大臣、各委員をはじめ、代議士、新聞記者多数傍聴せるにも拘らず、官政界は勿論、言論界に於てすらなお本件に対し黙殺的態度に出でしことは、本事件が前述の極めて不適正なる浮遊層と錯雑せる因果関係を綴結しあるを物語るものと言うべきであります。本事件に対し、特に同憂具眼の士の重且つ大なる注視を要する所以がここにあり、弊社が多大の犠牲を排して、この速記録を刊行せし所以もまた、ここにあるのであります。
この速記録集を通じて、脈々として一貫するところのものは、即ち正を踐み義を貫くところの破邪顕正の大精神であります。悠久2600年の我が日本民族史に炳乎として輝く革正の大道であります。我等はこの信念に燃え、この所信を貫くことこそ、云うところの臣道実践であり、職域奉公なりと確信致すのであります。我等は浅才、微力ながら、その資力の続く限り、革正の大道に突進せんことを期するものであります。来るべき第77議会に於て、五度今井代議士が、その舌戦を展開するならば、弊社は再び、三度かくの如き速記録を刊行して、同憂具眼の士にまみえるでありましょう。更になお同志を動員し、文化戦闘陣を編成して、目的達成に邁進するでありましょう。
我等はかくして、実践政治による明朗日本を要望し、一億一心、万民翼賛による強力日本を待望するのであります。
我等の理念は、つねに英霊とともにあり、我等の信念は確固不抜である。
昭和16年4月 編者識す
「私は何故に天理教と闘ったか?」
──而もなお闘い続ける!── 代議士 今井新造
天理教に就いて議会で初めて質問し、政府に取調べと処断を要望したのは、昭和13年の春、国家総動員法審議の委員会であった。爾来四年間、来る年も来る年も、根気よく同じ質問を繰り返し続けてきたが、私の信念が達成されるまでは、今日以後も、この闘いは不退転に続けられるであろう。
天理教が、もしも現在の姿で日本に存在するならば、日本には政府も無く、法律も無いも同様だと私は思う。
天理教が、このまま存在する限り、大臣などが如何に国体の明徴を唱えても、いくら臣道実践を叫んでも、畢竟意義のないことだと思うにつけても、私の命のある限りは、あらゆる手段をつくして私は闘い続けるつもりだ。
私のこの心持は、議会に於て制限された僅かな時間をもって、政府に質問した私の言葉を聴いた人達は、誰もよく解ってくれることと思う。忠節を盡すを以て本分とする日本臣民であるかぎり、不義と邪悪を憎む日本人であるかぎり、誰でも理解し共鳴し、義憤を感ぜずにはおられまいと思う。これがもし解らないと言うならば、その人は大義の何たるを解せざる非国民であり、解っても悲憤義憤を感ぜぬ人があるならば、その人は日本人として良心の麻痺した生ける屍である。
昭和13年の春、全く未知の私を宿舎に訪ねて来て、天理教の大逆不敬と一切の罪悪を訴えた山中重太郎氏は、七十の老齢とは思えぬ気魄に満ち、闘志に燃えた若々しさで、熱火の如き口調弁舌をもって、論理整然、大義を説き、名分を論じ、独力単身あらゆる苦難を忍びつつ30余年間、天理教と闘い続けた経過を、聲涙共に下って語るのであった。
「これまで永い間、各方面の有力者に頼んでみたが、皆いけません。天理教から金とって寝返り打つ者ばかりで、政治家だ、議員だ、学者だ、志士だ、名士だと偉そうな顔をして世間をごまかしても、悪い奴ばかりでどうにもならぬ。雑誌も新聞も、自分から種を持ち出して2-3回攻撃すると、すぐに金とって、あとはプッツリ書かぬようになるで皆いかん。こんなことで日本がどうなることかと思うと、このままでは死にきれませぬ。今の議会で頼む人は、あんた様より他ないと人から話されたで、突然お訪ね致した訳や」
涙をいっぱい眼にためて語り続ける老人の、世にも奇怪千万の物語に、私は愕然とし茫然とした。百鬼は夜に於て横行するものとばかり聞いていたが、天理教をめぐる幾百幾千の大鬼小鬼は白日の下、堂々と横行闊歩しているのである。
天理教の魔力は、あらゆる方面に延びて、その根は極めて深く、その幅は広い。所謂、名を求め、利を欲し、命を惜しむ俗人小輩には断じて闘い得ざる容易ならぬ問題である。しかしながら、それが如何に困難のことであるにせよ、前途にどんな迫害が待つにせよ、これを不問に附し黙視することは、良心ある日本臣民として断じて忍び得ざるところである。
こうした決意で、私は議会で起ったのであるが、爾来4年間、政府は一体天理教に対して今日まで何をしたか。文部省は、内務省は──。さらにまた、10年前に提起した山中老人の、天理教に対する大逆不敬の告発は、大審院に於て未だ一同の取調べすら行われておらぬではないか。
しかし、神の守護し給う日本は常闇の国ではない。見よ、正しき者が遂に勝つ日は、すでに迫ってきたではないか。
大審院で未だ取調べないにも拘わらず、一昨年の秋、別の事件で山中老人を取調べた大阪地方裁判所判事である大野一雄、村松健三九の両氏が、山中氏の口から、天理教の大罪悪と、30余年間の闘争の経過とを聴取して憤然蹶起、法の尊厳擁護のために職を賭するも辞せざる決意の下に、昨年来天理教に対して、根本的、本質的、致命的の徹底せる取調べを開始し、今現に公判となって、審理が進められておるということを、最近、山中氏から耳にして私は合掌、神に感謝した。これでこそ法が神聖であり、法が尊厳であり、法の独立が維持されるのである。
如何に強大なる権力と魔力を持つにせよ、不義と邪悪は必ず亡び、時来たらば正しきものは遂に勝つのである。正邪善悪の事理は、既に余りにも明白である。この事実を前にして、文部省は今後、天理教に対して如何に処置するか。内務省はどうする。大審院検事局はどうする。願わくは、来るべき議会に於て、重ねて同じ質問を、私に繰り返させることなきよう、私は国家のために心から祈るものである。
昭和16年3月26日 衆議院控室にて
♢第73回帝国議会(昭和13年)
衆議院国家総動員法案委員会議録
会議 昭和13年3月12日、午前10時28分開議
出席委員
委員長 小川郷太郎君 委員 今井新造君(外44名)
出席国務大臣
内閣総理大臣公爵 近衛文麿君
外務大臣 廣田弘毅君 海軍大臣 米内光政君
司法大臣 鹽野季彦君 陸軍大臣 杉山元君
商工大臣 吉野信次君 鉄道大臣 中島知久平君
文部大臣兼厚生大臣 木戸幸一君
内務大臣 末次信正君
──(前文略)──
〇今井(新)委員 内務大臣と司法大臣にお尋ね致します。私のお尋ね致したいと思いますことは国民として一日も一刻も疎かにすることのできない国体明徴に重大なる関係を持つ問題であるのであります。あわせて新聞紙の取締りと云うことに就いても関係を持つもので御座いますから、その御つもりで御聴取を願いとうございます。曩頃、私の手許へ届きました一通の印刷物を開いて読んで参りましたところが、私は読んで参りまする中に、肌に粟を生ずるような感じが致しました。段々読んでいきますと眼に涙が浮かんで参りました。実にその内容は驚くべき事が書いてありまして、明らかに国家の体面を傷つける怪文書とも言うべき印刷物であります。ただ今それを持参致して参りましたが、その印刷物は昭和13年2月10日発行のものであります。名称は「日満経済論壇」というものの号外であります。執筆者は三宮維信という人で、その見出しに一体何と書いてあるかと申しますると、こういうことが書いてある。
「政界・官界の伏魔殿、天理教本部を暴く。天理教不敬事件告発の真相と司法当局の態度、政党・官僚の政治的策謀資金の本拠を衝く」
こういう見出しであります。内容を一々申しますると時間がありませぬから、私は簡略に、この文書の内容を申したいと思います。昭和6年4月2日、今から7年前です。山中重太郎という人が、天理教管長中山正善と同教本部実権者松村吉太郎の両人に対し不敬罪として、一切の不敬に亘る事実を列挙し犯罪事実を明白にして告訴を提起した。さらに同人は昭和11年6月5日、江島弁護士を代理人として天理教「泥海古記」の編纂者たる元文部大臣平生釟三郎氏の秘書官、現天理教管長顧問岩井尊人を不敬罪として告訴を提起したという事実が、この文書に書いてあります。然るに奇怪千万にも、この大逆不敬の証拠歴然たるものあるにも拘わらず、告訴提起以来7ヶ年間、司法当局は之を全く捨てて顧みない。被告人に対して一回の取調べも行わない。さらにまた一面に於ては、告訴を受けた天理教の幹部は巨億の富を有するが故に、贈賄と買収に狂奔致しまして、盛んに不浄の金を国家機関の各方面の有力者にばら撒いている。こういう事が書いてある。これが而も、情を知ってこの不浄の金を天理教の幹部から受けた者には、宮中の顕官あり文部の顕官あり、内務の顕官あり、司法官あり、貴族院議員あり、代議士あり、大将あり、政党総裁あり、こう書いてあります。断定的に書いてある。日本国民として一日も黙許し難き不敬大逆罪を告発して、而も7ヶ年間、何等の処置に出でて無い。しかも国家枢要の地位にある者が挙って情を知りつつ、これを助けるが如きことは、正に天、人ともに許すことのできない事であって、綱紀の頽廃の之より大なるは無い。こういう意味の事が、この文書に書いてあります。これを一々読みますと、私が只今言ったような程度のものではない。驚くべき事が書いてあります。けれども取締りの任に当たられております内務大臣は、この印刷物について御承知がありますか、先ずこの点を、お尋ね致したいと思います。
〇末次国務大臣 只今ご質問の、その書類は未だ見ておりませぬ。
〇今井(新)委員 御答によりますと未だ御覧になっておらぬ様であります。只今、申述べました様な事情でございまして、この文書の中に私が只今申述べた様な事が判然と書いてある。もし事実無きにも拘わらず、斯くの如く国家の体面を明らかに傷つける様な事を書いて、これを発行したとするならば、これは書いた者に重大なる責任があると思います。当局としては当然、適当の処置に出でべきものであると存じます。
(篠原委員長代理退席 委員長着席)
この際、この印刷物は内務大臣に差し上げますから、どうぞよく読まれた上、御調べを願いとう御座います。
次に司法大臣にお尋ね致します。この文章の書き方、文章の勢い、内容を読んでいきますと、実に理路整然として堂々たる大文章である。嘘の事では、こんな事は書けるものではないという様に、私には直感されます。昭和6年4月2日、私が今申述べた天理教に対する大逆不敬の告訴の提起されたという事を、司法大臣は御承知になっておりますか。
〇鹽野国務大臣 只今の告訴に付きまして私は承知致しておりませぬが、左様の文書がありますれば必ず告訴があったものでありましょう。而して、その結末が必ず付いている事と存じます。私の記憶しているところでは、山中重太郎という者が盛んに天理教の攻撃をしておったという事だけは、ぼんやり記憶がありますから何か事件があったろうと思います。しかし数年に亘って検事局が打棄てているものとは考えませぬから、結末が付いている事と存じます。
〇今井(新)委員 司法大臣の只今の御答弁によりますと、これだけの重大問題を7年間に亘って司法当局が放任しておくとは思われない。おそらく片が付いているものと思う。こういう御答弁と拝承致しますが、この文書によると只今の司法大臣の御答弁と全く反しておりまして、7年間も捨てて置き、しかも驚くべきことには天理教のばら撒いた不浄の金が司法官にまで及んでいると断定して書いてある。これは司法大臣として国家の名誉のために、また尊厳なる司法権のために、一日も放任しておく問題ではないと私は思います。あなたは責任上、至急この件について御取調べあることが当然の事と存じますが、御取調べになられますか。
〇鹽野国務大臣 早速、取調べてみます。
──(後文略)── 以上昭和13年分<<
天理教審判 議会速記録によって暴露された天理教罪悪史
衆議院議員今井新造氏四ヶ年の天理教討伐議会論戦集
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097584
まさに地獄の沙汰も金次第。昭和13年、この後、日本は戦争そして敗戦へと進み、そのドサクサの中で全てはウヤムヤになってしまったのでしょうか。
おやさとやかた かなり古いですからね。
耐震工事 建て替えだけでなく、完成に向けて教会長 信者はしっかりとお布施をお願いします。
また、新規信者獲得に向けてにおいがけを抜かりなく。
おやさとやかた解体ひのきしん隊お願いします。
おやさとやかた全棟解体その日まで!
青年会OBもOK!
夜の直会はなし!
>>おやさとやかた解体ひのきしん隊お願いします。
おやさとやかた全棟解体その日まで!<<
大規模な建造物の解体は、当たり前のことながら人力だけでは到底無理です。大型重機が必要です。鉄筋コンクリート造の建築物の解体は特に、多額の費用がかかります。解体費用は建築した教会本部なり大教会なりが負担するのが当たり前です。施主が責任をもってやるべきです。信者に解体費用を負担させるなんて全く筋違いです。なぜ、解体にまで無償のひのきしん隊が駆り出されなければならないのでしょう?教会本部御用達の竹中工務店にでも発注したら、多少、安くつくかもしれませんが、どこに発注しようが施主の判断次第です。「おやさとやかたふしん」という訳の分からない無意味なことに湯水のように金を使ってきたツケが、今頃になって回ってきたのです。
信者のお供えを教団運営や巨大建造物の維持にほとんどすべてを費やしていること自体が大きな問題ではないでしょうか?お供え額が膨大になっていた時代から、世界平和や人助けを掲げていた教団なら、お供えがどんなに入ろうが、組織維持に遣う額を最低限に抑えて、ほとんどを人類救済のために活動・支援すべきではなかったのではないでしょうか?そうしなかった結果、巨大建造物の建設、大勢の本部員、本部関係者、病院、学校、参考館等の関連団体のように維持経費のかかる教団になってしまったことです。会長や信者は神様へのお供え、ひのきしん称してカモフラージュされ、結局は教団維持のためにお供えやひのきしんをしているのです。何かおかしくはありませんか?
>>結局は教団維持のためにお供えやひのきしんをしているのです。何かおかしくはありませんか?
勿論おかしいのです。ですが、洗脳されている者はそれが教義であり絶対的な信仰的実践だと疑わないのですから困ったものです。
>>勿論おかしいのです。ですが、洗脳されている者はそれが教義であり絶対的な信仰的実践だと疑わないのですから困ったものです。<<
洗脳の恐ろしさです。結局、行き着く結論はそれしかないのです。人心を洗脳から解き放つ精神医学的治療でも確立されない限り、天理教に限らずその他のカルト被害は後を絶たないのです。
匿名
2020年7月5日 12:53 PM
>>おやさとやかた かなり古いですからね。
耐震工事 建て替えだけでなく、完成に向けて教会長 信者はしっかりとお布施をお願いします。
また、新規信者獲得に向けてにおいがけを抜かりなく。<<
上記に引用した輩の無責任極まりない発言や考え方によって、真面目で素直な信者は騙され泣かされてきたのです。現信者が棄教するよう、抜かりなく、においがけをします。
何かおかしいです。
教団の犯した大きな間違いのつけを払う時が今やって来ていると言う事ですね。そのつけはお金の使い方を間違えた教団のつけです。我々信者、教会はひたすらお金を出しただけ。本部の使い方に口を挟める立場ではなかった。今後我々につけのお供え金請求をするのは全くの筋違いです。自分の責任は自分で取る。これが大人の常識ですが、座敷に座った太ったおぢばの乞食は、自分では働かずに人に持たれる事ばかりを考える。
これまで我々信者は人助けに使われるならと、「人を助けて我が身助かる」の教えをを信じて大金を教会へと出して来ました。実は「人助け」はカモフラージュだったんですね。人を助ける事より本部の虚勢の為にこの無駄なコンクリートの塊を建てたんです。今となっては、大きなお荷物!これからも「ひのきしんと」言うカモフラージュの言葉で青年達を騙して無給労働させる魂胆ですね。
どこまでも残念な教団本部です。
崩壊 様
>>学校法人の会計と宗教法人の会計は別会計のはずです。もし、学校法人の維持修理のために
宗教法人の金が流用されれば、不正流用になります。<<
これらの各機関の役員は、同じ穴の狢ばかりですから、悪知恵を働かせて抜け穴一杯の議事録を作って切り抜ける魂胆でしょうね。最後にバカを見るのは末端教会始め信者さん達です。
箱物も世界人類をたすける為の手段の一部ではあるのでしょう。
目的は全人類の陽気暮らしなのでしょう。問題なのは本当にたすかっているのか?そもそもタスカリの定義は何だ?目的とその到達度も曖昧模糊とし過ぎなんですね。詐欺商売的と云われても反論しきれないところもありますね。
そもそも本部を代表するスポークスマンさえ存在しない、善亮氏の浅知恵発言がまかり通る、無責任本部なんですね。
天理教ぐらいの巨大組織になると同じ穴の狢ばかりに会計処理を一任せずに、一般信者や教外の第3者をまじえた会計監査組織をきちんと整え、公認会計士や税理士等の専門家がしっかりと会計監査を実施し、帳簿類や領収書等の詳細な証拠書類を常に情報開示できるような体制を整え、いつ、どこの誰から開示請求を受けても合理的な説明ができるようにようにしておくのが、本来の姿だと思いますが、何もかもうやむやのまま終息を迎えるのでしょうね。いままでの信者のお供えはドブに棄てたようなものだったのでしょうか。
これは全くの想像ですが、天理教はすでに弟に実権を握られてしまったのではないですか。
大亮さんの結婚と当時の本部青年会のふるまいから、上記の疑いを持ち始めていました。
決定的にこの想像が当たったと感じる理由は、コロナに関して真柱の発言が発表されない事からです。
市井の人でさえも、何らかのさとり(考察)を話題にするほどの社会状況ですよ。
信仰者として発言したくない状態は何を意味しているのか、身体的事情でもないような感じがします。
陽気誌に本部準員のコロナの悟りが掲載されています。
同ってことの無い、通り一遍の悟り内容でした。
この筆者だけを非難するものではありません。
天理教内誌紙の様々な執筆者たちの紋切り型の悟りは、お筆先や逸話という、限られたソースからの悟りなので仕方ないよ、という考え方もあるでしょう。しかし、底が浅い感じの、視野が狭い、世間が狭い話になるのは逸話自体が村人たちの狭い社会での出来事に対してであるし、カラやトウジンと外国のことを予見する内容もあるとはいえ、その文言は実際の見聞という裏打ち補強がありません。だからフワッとした言葉と感じてしまうのです。
天理教の世界は言ってみれば、教祖の生活圏内の世界での出来事に限られています。天理村と揶揄されるのも無理もないのかもしれません。
神様が教祖に降りたとはいえ、教祖自身は天理近辺からは出ていないのです。
こかんさんでさえも大阪どまり。
時代的に無理とは言え、多分、これが男性であったなら、もっと広い範囲に行動されていたかもしれないと思うのです。(イザベラバードのような女性もいますが。)
「お助けに行く」という限定的な行動だけで(留置もありました。)、たとえば積極的に世の中を見て歩くことは無かったようですね。お伊勢参りという全国的な遠隔地からの参拝行動も有った時代ですから、男性であれば各地を見て回ったかもしれないと思うのです。頭の良い教祖ですから、天理周辺の事情と異なる世界があることは容易に想像していたでしょうに。
だから身を隠す際のクイズの様な問答も、この解釈をベースにすると納得いくではありませんか。
(以前の私の解釈では人間としての体を持っていては、自由にどこへでも助けに行かれないからという限定的なものでした。)
女性の身では自由がきかない、たとえお産の神様と評判をとっても、土地所に縛り付けられていたという限界が、天理教の土着的な雰囲気と相まって、だからこそ、小利口な松村のような人が重宝がられて、これによって世界が狭い=深い思考ができる人が集まらなかったという残念な状況になったのかもしれません。
また、今やこの社会学でも皆さんが問題に感じている、「お供えを集めて何が悪い?」この意識は頭が悪いからというだけではなく、昔から、意識が村の衆レベルだからなのでしょう。組織が大きくなっても中山家と村の衆が何事も決めている弊害は計り知れない多くの人々の人生を左右しているのです。
今更こんなことを書いたところで、何の変化も生み出せませんが、女性であったということはマイナス点もあったと、今日、つらつら考えるうちに思い至った次第です。今までは、女性が始めた宗教という点は価値があると思っていましたが、コロナの世の中でコロリと「裏側」からの考察ができました。
人間は平等に扱われるべきだが、同等ではない。年齢、性別、身体能力、知能、地位、発言力や政治力…
神から見たら皆可愛い我が子であり、分け隔ては無いが、それは神からの視点であり、実際に生きていく上では、人間の視点、世界、価値観の中で生きていくのである。人間は統治しあってこそ発展していくことができる。好き勝手にやり始めたら、暴力と略奪で荒廃した世界となる。
治安が乱れたり、法律が機能していない国や、単一思想、単一宗教の国を見ればよく分かる。歴史が物語る事実。
天理教も例に漏れず、起こりから現在までの歴史を見れば分かる。
特段優れた組織や教理というわけではないと、個人的に思うところである。
変化できないものは、いずれ消えてしまう。ただそれだけ。
当事者ながら、これからの天理教の変遷を遠巻きに好奇の目で眺めるだけである。
今日も我が身の周りは平和であった。
それで良し。
≪ 今日も我が身の周りは平和であった。
≪ それで良し。
えーーーーっ、ほんとに「それで良し」なんですか?
思わずズッコケましたよ。
人生、山あり谷あり。
あなたの人生、先は判りませんよ。
もしやあなたは真柱?その人?
笑ったエピソード
いつだったか
真柱が親里パレードにオープンカーで出演。
手を振りながらも表情は終始暗いしかめっ面。
そこで幼い女の子が大声で
「し ん ば し ら ~! 笑 え よ ~~!!」
とツッコミ。
周りは笑いにつつまれた。
そういえば天理時報の写真を見ても笑っている顔を見たことが無い。
衰退 崩壊しつつある教団を抱えて
子供にも伝わってしまうほど、多くの苦労や悩みを抱えていたんしょうね。
病まず死なず弱らずのご守護と共に、陽気暮らしも分かち合っていただきたいと中心人物達には期待しているんですけど。
王様はハダカだったようですね。「し ん ば し ら ~! 笑 え よ ~~!!」
偶然にも加古大教会長の神殿講話をユーチューブで聞かせて貰ったが、こう言う方々がイニシャチブを取ってくれれば、少しは天理教の腐れの速度も遅れるのではと思った。しかし時間をかけて中から腐ったものは
今更外から刺激を与えてももう遅いのだが。
加古の前大教会長さんの話として、「今後天理教、教会はもう無くなるかも知れないが、太郎よ、それで良い。信仰の目的を間違えない事。組織を維持しようと思わなくていい。、、、教祖の教えだけが残ればいい。信仰する時、教会の事(維持する事)は考えなくていい。」
我々純粋に神を求める者は、素直にそう思うのだが、天理教本部の本心は組織維持こそが重要であり、信者は上を立て切れと言われ、上は組織内で生き残る事ばかりを考え、それの為の献金が信仰であり御守護の基と信者を煽って来た。信者はこの空虚な偽信仰活動に命を掛けたのだが、今まで何をして来たのだろう?
3500人の大学生 1500人の高校生 中学生500人 小学生500人に22億の寄付 一人38万ですか?
信者をなめてますねえ?
独立した組織であるなら自前で考えてほしい問題です。
人件費が55億とか何考えてんの?
人件費が55億ということは教師数1000人として一人550万 本部から一人220万の寄付があるということですねえ?
330万でやっていけないのかなあ
末端教会は100万ぐらいで生活してますよ!
>>今日も我が身の周りは平和であった。
それで良し。<<
天理教教会本部上層階級の基本的な考え方です。我さえよくば、「人たすけ」などどうでもいいんです。「御身大事の天理教」です。
加古大教会長の神殿講話、Youtubeで見ましたが、印象は平凡でした。
見えたことばかり言っている。それで、私の耳には、いちたすいちはに、と言ってるように聞こえる。
算数で言うと、たし算ひき算の世界かな。数学には分数もあるし、マイナスもある。ルート(√)もあるし、虚数アイ(i)もある。数の表記それ自体深いが、そのように、神の思いも深くて、そうそう簡単に言い表せれるもんじゃないと思う。神は、いちたすいちはにレベルで説明がつくものではないだろう。
また、すべての天理教講演者に向けて言いたいことを、この人にも言いたい。それは、「言うだけなら、なんでも言える。問題は、どう教えを実行していくか、ということだ」
ぶたまん 様
>加古大教会長の神殿講話、Youtubeで見ましたが、印象は平凡でした。
また、すべての天理教講演者に向けて言いたいことを、この人にも言いたい。それは、「言うだけなら、なんでも言える。問題は、どう教えを実行していくか、ということだ」
私もそう思います。問題意識は持っておられると思いますが、どう実行されるのか見守りたいですね。
聞いた話ですが、教区の青年会委員長の際、大亮氏御臨席総会を企画され、盛大に行われたが、教区管内の教会に一律〇〇〇円と、いきなり請求があったようです。
いかにも従来の天理教らしいやりかただと思いました。
豪いところに足を突っ込んでしまったものだ。多くの教会長さんは内心そう思っておられるんじゃないでしょうか。足を抜こうにも深い泥沼のような所。大教会の部内を見ても血縁でからめとられてがんじがらめ。
助けを求めようにも、素直に相手を信じることが出来ない状況。
大教会の〇〇委員長に任ぜられれば尚更でしょう。委員会が何故こんなに多いんでしょう。
何の肩書もなく、卑屈になることもなく日々自適に過ごせることが如何に幸せか。教会長の他に、何々委員長、何々副委員長と三つも四つも長が付けば息が詰まってしまうだろうに、お気の毒なことです。
最も、名刺の裏が真っ黒になるほど肩書が書き込まれた方が居られるのも事実ですが、しんどくないのかなあって思ってしまいます。
ただ、天理教では長が付くほどおいしい立場なのかもしれません。今月は夏の御礼の時期です。ある布教所長さんは上級のために数万円の御礼の工面に四苦八苦されていることでしょう。
加古大教会長の講話中、信仰に大切な事は「お勤め、お尽くし、においがけ」(だったかな?)この3つが大事と言ってました。
「お尽くし」発言が出た時は、ああこの人もやっぱりかあと残念な気持ちになりました。
教祖はお勤め、においがけの重要性を説かれましたが「お尽くし」をいつ、どう言う形で信者に説いたのでしょうか。天理教組織に問題意識を持つ加古大教会長にして、なお「お尽くし」を説くので、彼の事は半分信じて半分信じられない気持ちです。
組織は無くなっても良いと言いながら、やはりお尽くしの行為は彼にとっては必要で大教会維持にはお金は欲しいのでしょうね。我々と変わらない凡人で皆様言われるように言うは易し行うは難しのレベルからは出られないのか、、。今後の発言を注視したい。
東風Z 様
2020年7月6日 1:54 PM
>>教会長の他に、何々委員長、何々副委員長と三つも四つも長が付けば息が詰まってしまうだろうに、お気の毒なことです。最も、名刺の裏が真っ黒になるほど肩書が書き込まれた方が居られるのも事実ですが、しんどくないのかなあって思ってしまいます。<<
社会に出れば何の役にも立たない人間が、天理教の中で自己満足、自己陶酔に耽っているのかも知れませんね。おめでたい連中です。
匿名 様
2020年7月6日 2:03 PM
>>「お尽くし」発言が出た時は、ああこの人もやっぱりかあと残念な気持ちになりました。
教祖はお勤め、においがけの重要性を説かれましたが「お尽くし」をいつ、どう言う形で信者に説いたのでしょうか。天理教組織に問題意識を持つ加古大教会長にして、なお「お尽くし」を説くので、彼の事は半分信じて半分信じられない気持ちです。<<
口先で「きれい事」をいくらまくし立てたところで、所詮、先立つものはカネなんです。この際、宗教名を「天理教」から「おつくし教」にでも変えた方が、分かりやすくて良いと思います。
お尽くしの額で、教会長の徳だけでなく親神様への感謝の気持ち においがけを頑張っているか その教会の事がしっかりと分かる。
教会長と偉そうにしてる人も多いが、所詮は大教会の下の分教会。
会社で言うと管理職ではなく営業マン。
天理の営業マンとしてしっかりと市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命。
言い方が悪いが、分教会は信者獲得してナンボのものだと言うのを肝に銘じてもらいたい。
ようぼくの信者も、会社勤めしてるのであれば、上司 同僚 部下に自分は天理教を信仰してることを宣言してしっかりとにおいがけを行なってもらいたい。
主婦であれば、町内会 ご近所なりふり構わずにおいがけを。
匿名 2020年7月6日 8:45 PM
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本部の工作員なのかアホな擁護派か知らないが
中途半端な釣り、煽り、荒らしだな www
人の神経逆なでしてまでレスが欲しいなら
アホな通りすがりを見習えよ w
匿名 2020年7月6日 8:45 PM
↑
私メも、そう思います。
最初、この人、人を笑わせようと思って、そう言ってるのかと思った。
「またァ~、冗談ばかり言って、このォ~」 というレスを出そうとしたんだけど、どうも本気みたいだゼ。
これじゃ、虎キチ(阪神タイガースの熱狂的なファン)であふれているスポーツ・バーに、ジャイアンツの野球帽をかぶって入っていくようなもんだ。
匿名様
>お尽くしの額で、教会長の徳だけでなく親神様への感謝の気持ち においがけを頑張っているか その教会の事がしっかりと分かる。
教会長と偉そうにしてる人も多いが、所詮は大教会の下の分教会。
会社で言うと管理職ではなく営業マン。
天理の営業マンとしてしっかりと市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命。
言い方が悪いが、分教会は信者獲得してナンボのものだと言うのを肝に銘じてもらいたい。
ようぼくの信者も、会社勤めしてるのであれば、上司 同僚 部下に自分は天理教を信仰してることを宣言してしっかりとにおいがけを行なってもらいたい。
主婦であれば、町内会 ご近所なりふり構わずにおいがけを。
バリ天でも反発しそうな文章です。
世間の人が見ても、天理教本部の本心がよく分かかる文章です。
天理教の危うさを自ら発信している文章です。
正に、本部の本音をコメントして頂きました。
この匿名さんにとっては、私の言っている意味が理解できないでしょうね。
この匿名さんが20代か30代なら、まだ救いはありますが、40代以上だったとしたら、かなり重症です。
本気で天理教の将来に不安を覚えました。
匿名 様
2020年7月6日 8:45 PM
>>市井の人間に天理教の素晴らしさを伝え・・・<<
であるのでしたら、天理教のすばらしさを具体的に教えてください。そうでないと、この投稿は全くの釣りになってしまいます。
最も、この投稿で釣られる人は居ないでしょうが、このままではこの投稿に説得力はありません。
終りに、「市井の人間に」発言は人を見下した表現にほかありません。宗教家はもっと優しい言葉で呼びかけてくださいね。天理教の悪い面が出てしまっています。
本気で天理教の将来に不安を覚えました。<<
この人は天理教の捻れた教理に完全にはめられていますね。阿◯としか言いようがないです。
こう言う阿◯がしっかり阿呆な説教してくれて世間からあきれられれば、天理教の未来を益々暗くしてくれる。我々からしたら、消滅に導く恩人です。阿呆説教をどんどん発信してください。頭の程度を疑がわれてください。
昔 真柱様が中学生のころ、近くにおられた方から「つぎたくない」ということを真柱様が言っていたと聞いたことがあります。
自分ではこのお道がどういうもので不安と重責でつぶされそうになっていたんではないかと思っています。
いろんなことがあって現状になっているのも、笑顔がでてこないのも
かわいそうだなと思ったりもします。
コロナは神様が人間世界があまりにも金、金、金に執着するばかりに、そうではないんだよと
本当に必要なものと不要なものを分けるんだよと教えてくれたのではないかと思います。
今、一度本当に天理教が必要か、不要か考えていただきたいものです。
匿名
2020年7月6日 8:45 PM
>>お尽くしの額で、教会長の徳だけでなく親神様への感謝の気持ち においがけを頑張っているか その教会の事がしっかりと分かる。
教会長と偉そうにしてる人も多いが、所詮は大教会の下の分教会。
会社で言うと管理職ではなく営業マン。
天理の営業マンとしてしっかりと市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命。<<
この投稿は、社会経験の全く無い本部側のアホからのものでしょう。本部>大教会>末端分教会>布教所>一般信者という階層意識がはっきりと見て取れます。営業マンを見下しているようですが、企業は営業活動なくしては成り立ちません。また、「天理の営業マン」という表現自体、天理教は宗教では無く商売だということを自認しています。「天理教」という宗教名称を返上し、「天理屋」という屋号でも名乗ったらよいと思います。また「分教会は信者獲得してナンボのもの」という表現自体が、末端分教会を愚弄するのみならず、天理屋が営利事業そのものであることを裏付けています。「市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命。」市井の人間というように、一般社会で真面目に働いている人達まで馬鹿にしていますが、あなた達は市井の人間が一生懸命働き、供えてくださったお金で生活できていることをよく認識しなさい。町内会、ご近所なりふり構わずにおいがけせよと人に命ずるのならば、まず、あなたが、率先してやりなさい。誰にもにおいなどかからないどころか、天理屋は世間から見向きもされないでしょう。
>>天理の営業マンとしてしっかりと市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命<<
いつもながら連投お許しください。上記の引用文を投稿された方、あなたは、営業マンの苦労を実体験されたことはありますか? 私も実体験した経験はありませんが、これまで、数え切れないほどの営業マンの方々と接してきて、営業マンがいかに大変な仕事であるか、私自身、実体験こそありませんが、私なりに理解できます。営業の世界には必ずノルマがあるのです。ノルマが達成できなければ解雇され、営業マン一家は路頭に迷うことになるのです。上記の引用文を投稿された方、あなたは、そういう厳しい現実をご存知ですか?あまりにも、無知・無責任な投稿です。また、「天理教の素晴らしさ」とおっしゃいますが、天理教に「素晴らしさ」などあるのでしょうか? 教えてください。
ぶたまん 様
2020年7月6日 10:27 PM
これじゃ、虎キチ(阪神タイガースの熱狂的なファン)であふれているスポーツ・バーに、ジャイアンツの野球帽をかぶって入っていくようなもんだ。
ここの投稿者はキチガイではありません。あなたは、虎キチなのかもしれませんが、ここの投稿者は、ほとんどが、常識のある中立的立場で意見を述べておられると思います。あまり、不用意なたとえ話を投稿すれば、よからぬ誤解を与えかねませんので注意されたほうが良いと思います。
本部が世を救い人をたすける事が出来るなら、天理のシステムも機能するだろうが、できないなら、教団全体が魂の詐欺商法と揶揄されるだろう。
先々の真面目に、本部に素直に本部上級に尽くし運びをしている人達まで世間の非難にさらしている本部執行部は、どれだけ罪が深いのか?
匿名 2020年7月6日 8:45 PMはネタとしても、本部が世を救い人をたすけられないなら、どれだけの人生に徒労を負わせて来た事だろうか。どのような家柄に生まれようが誰の生まれ変わりだろうと、宗教を利用して人を支配搾取したきた人間のクズになってしまうだろう。
悪魔教にするのか世界一れつをたすける道にするのかは、全ては本部の成人しだいだろう。
本部の中枢は教祖存命中から教祖をだしに使って金儲けを目的にしてきた組織です。
本部に期待しても無駄でしょう。
世界一列たすける道にするのは、私も含めて、今天理教につながっている一人一人の成人ではないでしょうか。
ツイッターで
数年前に表統領の講話を聞く機会があり、 「組織と教えは切り離して考えなければいけない。組織を運営していく上では教えと矛盾した事もあるが割り切って考えなければいけない」 という発言をしていて、衝撃を受けた事を今でも覚えている。
というのがあった。
中山家の家庭で育ち、本部をリアルに見て来た方の素直で率直な意見なのだろう。
真柱や表統領は組織のトップであり、組織の運営責任があります。最高責任者です。「組織と教えは切り離して考えなければいけない。組織を運営していく上では教えと矛盾した事もあるが割り切って考えなければいけない」というのは責任逃避以外の何ものでもありません。教えと組織が矛盾しているのであれば、矛盾しないように改革する責任と義務があります。その意思が無いのであれば、組織など弊害になるだけで無い方がましです。真柱や表統領といった「ご大層な肩書き」も必要ありません。
ある方のツイッターの質問箱に投書がありました。
本部でも有名な分教会の会長が、他の分教会の女子青年と不倫しているのを目撃してしまいました。
(年齢差20歳以上)
奥様もあありの方です。どうしたらいいですか?
良心の呵責に耐えられません。
https://twitter.com/o_muthuki/status/1280401158402535425
>>昭和10年白揚社発行 井東憲 著 資金網物語 より
第六篇 宗教界の巻 (297頁 コマ番号158)
一 宗教は優秀な企業
宗教はアヘンである、という。正にアヘンである。どんな被搾取階級も、このアヘン一服で、凡ての悲劇や苦悩を誤魔化されている。しかし、この「非常時」に際して、また宗教が甦ってきた。何故であるか?
まさか無産大衆よ、ブルジョアの×××になる××に、××の名に於て犠牲的に参加せよ、然らば救われん、とハッキリとは言わぬが、あらゆる上層階級人種が、宗教を利用していることは確かだ。
だが、上述の考え方は、唯物的である。しかも思想問題である。
ここでは思想問題は、他の論者に譲るとして、宗教が立派な企業である点を説いてみようと思う。
宗教に関係する者は、必ず「善男善女」という巧妙な言葉を用うる。古神道に依ると、我が国は言葉なき国だそうだ。然るに、この宗教を狂信する者を善男善女というなどは、実に美辞麗句の国だと思う。
即ち、ここにいう「善男善女」とは、如何なる宗教に拠らず、盲信して、その信ずる宗教の資金網となることである。寄進、賽銭、献納、供物等々皆然らざるはない。中には、人身御供などという変態的な狂信行為さえ現われてくる。
宗教の教党にとっては、凡ての善男善女は、全部資金網だ。もし所謂善男善女が、賽銭を投ぜず、寄進をなさず、という厳正科学の立場に立ったならば、一切の宗教は潰れてしまう。
東西本願寺なり、天理教なり、大本教なりが華やかに散在しているのは、要するに資金が豊富にあるからである。金無くて、何で己れが教主かなだ。
資金があって、そして初めてやれる仕事は、この資本主義時代に於ては企業に他ならぬ。甚だバチの当った申分ながら、緑山天を摩する楼殿堂は、商家の店舗に他ならぬ。その管長、神官、住職は、寺社企業の社長重役である。丁度、彼らは、大学教授が講義の切売りをしているが如く、説教の切売りをしている。但し、普通の店舗と異なるところは、普通の店舗にあっては吾々の日常の生活品を売っているのであるが、宗教にあっては所謂精神の糧、神なるものの御心、架空なものを売っているのである。ここに、物質を売らんとする者との大きな相違があるし、また価値判断の錯覚を起こさせる機会、金銭を超越した金銭のソロバンが現れてくるのである。
宗教は精神生活の糧とか、未来の幽冥生活の救いの教義とか、愛の聖典とか、いろいろ言われているが、これを唯物的に見ると、やはり資本主義時代化されたる企業に外ならぬのである。今の寺院は、他の商工業資本家と同じく一定の資本を持ち、資本金を張廻し「宗教業」を経営している。
共産主義の運動が盛大であった頃には、当然の如く反宗教運動が起こったが、今日では凡て地下深く潜入してしまった。反宗教運動は唯物主義の立場から、宗教のアヘン性を衝いたものである。それ程に現代の宗教は、政治的な意味を持っている。殊に、ファッショ時代に入ってからは、宗教をこの運動に利用しようとする運動が、宗教界の策師の間に盛んである。その齋藤内閣時代、首相を会長として創始された中央教化団体連合会の「克己日」などは、その一つの現われである。
早稲田大学主事で、仏教年鑑社顧問の土屋詮教氏は、昭和十年度の仏教年鑑の巻頭論文「過去一年の教界を顧みる」の文中「克己日」の事に就き「既に昭和8年11月は、国民精神作興に関する大詔煥発十周年に相当するので、全国教化団体が主体となり、中央、地方の官民は勿論、各種有力団体、言論機関、放送局等の賛助協力の下に、全国一斉に教化運動を展開した。この際、全国各種団体に発した、齋藤首相を会長とせる中央教化団体連合会決定の精神作興強調の要項は次のとおりであった。一、国民相戒めて自己を反省し、家族的協同生活の本義を自覚せしむること。二、非常時日本の真相を明知し、挙国振張の秋たるを痛感せしむること。三、克己忍苦の修練に耐え、剛健なる国民精神を振作せしむること。而して詔書煥発記念日たる11月10日を『克己日』とし前後一週間即ち11月7日までを『精神作興教化強調週刊』として地方の実情に基き生活更新の実行を期するに至ったのである」と説明している。
この運動の中には、多くの仏教家がいたのである。土屋氏は、この仏教家の立場をなお説明して「ややもすると仏教の宗派根性から、明治維新当時の様に日本精神と仏教と扞格あるが如く誤伝せんとする、一部の神道者流の仏教排斥や非難に余地無からしめたものである。而して我国に於ける日本精神の理想仏は実に聖徳太子であらせられるというので、その十七条憲法は、とりもなおさず日本精神と仏教精神の一致合体を証明せる修多羅聖典であり、千数百年の間に各宗高僧は何れもその護持者であった事を闡明したものである」と言い、仏教家が如何に日本精神に燃える愛国者であるかを説いている。
また同書の中で、京都専門教授の石堂毅氏は「仏教復興」の問題を書き、仏教の中心をなすものは思想である事を説いているが、問わず語りに「宗教は外形上政治的な組織を持っているとしても云々」と言って、その政治的な方面に一寸触れている。
とにかく現代は宗教復興、殊に仏教復興時代だ。それは唯物主義に反する反動でもあるが、宗教がこの非常時なるものに、巧妙に利用されているのである。ここに宗教の政治的関連がある。一切の宗教は、常に権力階級によって国民統治の機関として利用されてきている。ここに宗教の存在理由と発展がある。しかし資本主義時代には、如何なるものも企業化されなければ存続しない。現代の宗教は復興の名によって、ますます企業化され、政治化されたのである。これらは「宗教の現代化」という言葉で呼ばれているのである。
満洲、上海事変に際して、日蓮宗をはじめ各派の仏教徒が非常時的愛国運動をやったことは、諸賢の既に知っておられるところである。また大本教は、満蒙に於て紅卍会と握手して、一種の大アジア運動をやっていたが、1934年には「昭和神聖会」を結成し、後述の如く政治家、軍部、資本家と提携して政治運動に乗り出してきた。
真宗大谷派は、34年2月に「大谷国防研究会」の発会式を挙げ、6月にはこの派の最高機関である参教院会議を開催し「同信報国」のモットーを掲げた。その意味は、35、6年の危機に備えて凡ての仏教信者は「同信以て報国」の至誠を展べ、国恩に報いようというのである。
浄土宗では、布教委員会の拡大強化によって、日本精神の宣揚に努めた。曹洞宗は、種々の経営予算案を樹てるとともに、大掛かりな宣伝運動の準備工作をした。
天理教は、東京の資本家の巣窟「工業俱楽部」に出張して、熱心に資本網を作った。
仏教の各宗の本山及び、天理教、大本教等の資金の豊富な所は、布教宣伝の大機関の他に学校経営、社会事業、政治的運動等をっている。これは宗教が企業化された証拠で、信徒の信仰を利用するのみならず、最も積極的に資金を集め、寺院教堂の資本主義的経営に当たろうとしているのである。
宗教は、他の企業よりは精神方面に訴えるところがあり、資金をつまらし易い特長があり、また利用価値が大きく、労使関係、僧侶と管長もカモフラージュが利くので、企業としては優秀なものだと思われる。<<
昭和10年白揚社発行 井東憲 著 資金網物語
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1279600
このところ話題になっている、教団の企業化について解説したような資料だったので、紹介したいと思います。
「金無くて、何で己れが教主かな」とは、至言のように思えます。
所属の教会長を通して本部渉外広報課に連絡して下さい 被害者の所属会長が一番良いです 本部から当該教会長と上級(大教会長)が呼び出され罷免されます
古い元教会長 様
2020年7月7日 5:05 PM
>>本部でも有名な分教会の会長が、他の分教会の女子青年と不倫しているのを目撃してしまいました。
(年齢差20歳以上)奥様もあありの方です。どうしたらいいですか?
良心の呵責に耐えられません。<<
世界中がコロナ禍で、医療面だけでなく経済面でも右往左往し混乱している時に、随分、余裕綽々としてお元気な会長さんがおられるのですね。よほど、裕福で暇な教会とお見受けしますが、開いた口がふさがりません。不倫に使う金と時間があるのなら、世のため人のために使ってください。真偽のほどは知りませんが、真実だという確固たる証拠があれば、分教会名と会長名をネットで公表してもよいと思います。
組織はなくとも信仰できる!様
>所属の教会長を通して本部渉外広報課に連絡して下さい 被害者の所属会長が一番良いです 本部から当該教会長と上級(大教会長)が呼び出され罷免されます
そうは行かないのが天理教です。大教会長の不倫を本部に相談に行った所「よくある話ですから。」と言って相手にしてくれなかったそうです。
そのへんも力関係で大教会長からのクレームだと動くと思います たとえば女子青年が大教会長の娘で真柱邸勤務の場合とか!
本日(2020年7月7日)、天理教のウィキペディアに、教祖伝の捏造(我孫子事件の真相や、一部書き換えられた部分、石工七次郎の「逃亡」が「突然居なくなったのである」と書き換えられた)や、二代真柱の不倫事件、現真柱が教祖百年祭期間中、天理本通りを散歩し、救急車が来て病人が運ばれるのを腕組みして、おさづけを取り次がなかった目撃談など、本部事情に詳しい何者かが暴露をおこなったが、すぐにそれが削除された。
誰がそうしたのかは不明だが、私は天理教の生命といえる「おさづけの理」が、実はインチキであることを知っている。
教祖→本席まではおさしづ通りだったが、その後の取り次ぎには、本来上田ナライト様がすることになっていたのだが、「精神病のナライト」に、信者が慕い、中山家と本部員がないがしろになる危機感を持ち、勝手に真柱が赤着を羽織り、取り次ぎを開始した。これはおさしづには「そうせい」とは全く書かれていない。それが今でも継続中であり、それにより初代真柱も身上で短命で死去、二代真柱は突然の心臓発作で死去、現真柱は子宝に恵まれないといった、「神の残念」が表れている。「おさづけの理」は、とっくの昔に意味のない別席制度で頂ける形になり、真柱が「さあさあ・・・」と言葉にしてさづけているのは単なる形式と化した。
「おさづけ」が「効かない」のは当然のことであり、それを未だに隠蔽している本部の体質が、人助けではなく、信者集めと集金が目的化し、「誰も助けられない」宗教となったのである。
関係各位には、その事実をしっかりと自覚し、上からの命令に従うことを停止しなければならない。そうしないと、数年後には天理教は崩壊することは明白である。
本部関係者諸君、まずは自ら率先してさんげし、天理教を「だめの教え」ではなく「だめにした教え」とした責任を取りなさい。
この機会にここに事実を書かせて頂いた。目を覚ませ! 天理教!
我孫子事件の真実について、知っている人は多数存在します。公言しない理由は、自分も天理教の信者や教会長であるため、恐ろしい事実を発表することは、すなわち自分の立場も危なくなるからです。
我孫子事件とは、現在の大阪府我孫子市で、布教師が病人に対して「お前の体の中に悪霊がいる。これからそれを取り除く」と言い、刃物で病人の片腕の肉をそぎ落とし、背中の皮を全て剥ぎ取り、結果死亡させたものです。その時病人は、片腕で合掌するように立てて、「南無天理王命」と唱えながら、苦痛を訴えず、息を引き取りました。その場には、たくさんの信者が同席していましたが、誰も「恐ろしい」「異常だ」「おかしい」と思わず、ごく普通のこととして見ていたといいます。その事実が書かれている『天理教高安大教会史』は、天理大学附属天理図書館に保管されていますが、閲覧禁止図書指定となっており、本部が残虐な歴史を隠蔽工作しているのです。
そうしないと、信者に不信感を与え、また、外部から「残虐な宗教」と攻撃されますので、それを回避するためでもあります。
そうした隠蔽・捏造があるため、教祖伝には「稿本」と書かれているのです。つまり、「未完成であり、今後も訂正していく」といった言い訳のためであります。
『天理教高安大教会史』は「禁帯出」で、貸出は出来ないようですが、読むことはできそうです。
また、復刻版は貸出もできそうです。「開架」とあるのもありますから、カウンターを通さずに読むこともできるようです。実際に棚にあるかどうかは分かりませんが。
上記事件ですが、皮膚が病気でうっ血して盛り上がった部分だけをカミソリで南無天理王命を唱えながら削いでいったのでしょう。表皮とかだったんじゃないかと想像してますが、うっ血部が多くて、多くの面積の皮膚を取らざるを得なかったのかなと。
片手の肉は知らなかったですが、もしかしたら壊死されてたんじゃないかと想像します。
背中の皮を全部剥いだとは私は思っていません。
治したかったという思いは感じますよ。
我孫子事件は悲しい事件です。
でも医療知識の乏しい時代の悲しい出来事です。
私は今現在進行形で起こっている根の深い大問題は、解決を急がれていると思っています。
やはり知っている方は存在しましたね。僕はここ数年は天理へ行っていないので、図書館で『高安大教会史』が閲覧できるかどうかは確認していませんでしたが、過去には閲覧禁止としていた時期があったのは事実で、それは本当の話です。
教祖伝の捏造・改ざんは多数あり、今後世の中に詳しく知られるところとなることと思います。
本部がそれを否定しても、いずれは認めなければならなくなるでしょうね。そうしなければ、本部は確実に破綻へとならざるを得ない状態になるでしょう。
「おつくし」さえしていれば問題ない簡単な神と組織
さあさあ金や金や
金さえ出せばいくらでも、どこまでもたすけてやろ あとはけっこうや
コメントのやり取りからの印象ですが
「お尽くしの額で、教会長の徳だけでなく親神様への感謝の気持ち においがけを頑張っているか その教会の事がしっかりと分かる。」
本部から見たら、そうでしょう。
「教会長と偉そうにしてる人も多いが、所詮は大教会の下の分教会。
会社で言うと管理職ではなく営業マン。」
分教会長とか、偉そうにしてるとは思えませんが、実際、営業マンだと思います
「天理の営業マンとしてしっかりと市井の人間に天理教の素晴らしさを伝えようぼくに育て上げるのが使命。言い方が悪いが、分教会は信者獲得してナンボのものだと言うのを肝に銘じてもらいたい。」
実際、教団本部から見たら、そうだと思いますが?
「ようぼくの信者も、会社勤めしてるのであれば、上司 同僚 部下に自分は天理教を信仰してることを宣言してしっかりとにおいがけを行なってもらいたい。主婦であれば、町内会 ご近所なりふり構わずにおいがけを。」
本部、上級とかの本音でしょう。
本部は本社だから、営業マンが、売れる様にちゃんと商品開発をしないと行けませんが、実際、その商品が欠陥商品なら、営業マンはいい迷惑ですよ。
本部がちゃんとしないと、末端営業マンはたまったものではありません。
この投稿は天理教本部と体制を皮肉ってると感じましたが、そう思わない人もいる様で、何度もコメントに対する批判投稿を繰り出される方とか、毎度の事ですが、極端な印象を持ちます。
父親様
>この投稿は天理教本部と体制を皮肉ってると感じましたが、そう思わない人もいる様で、何度もコメントに対する批判投稿を繰り出される方とか、毎度の事ですが、極端な印象を持ちます。
あなたが、天理教組織の内部事情が分からないのは当然です。
皮肉ともとれると思いますが、普通にこういう思考の人が多くいるのが天理教組織です。
天理教組織の内部事情は分からないと思いますが、こういう投稿は極端ではないのですよ。
本気で天理教問題に向かわれるのでしたら、末端布教所か末端教会を一度担任して下さる事を希望します。
「おつくし」さえしていれば問題ない簡単な神と組織
さあさあ金や金や
金さえ出せばいくらでも、どこまでもたすけてやろ あとはけっこうや>>
「あの人は熱心や。」と会長がよく言っていた信者がいる。熱心のバロメーターはお供え金の額であった。
私もお供え金を頑張った。私の事を「熱心な信者」と言って感心してくれた。
熱心な信者って何?と思っていました。仕事を持ち、子育てに忙殺され、お金を出す事しか出来なかった私は、自分の胸に手を置いて考えたが信仰とは何かを知らないまま、熱心に信仰している実感は無かったです。
今思う事は、「本部の言うお供え金の多さこそが信仰しているとみなす」って言う事。
金さえ出せば済む信仰、こんな単純な信仰、底の浅い信仰、だからこその嘘っぱちが暴かれた信仰。当時の私は騙された信仰姿勢だったと思います。精神的なケア、真摯に人を助ける事の具体的指導など、皆無でした。人助けなど一度もしなくても、お供え金袋にお金を入れて賽銭箱に落としてさえおけば年中万事オッケーでした。二代真柱が救急車の通り過ぎるのを腕組みして傍観していたのは、所詮、「真柱に人を助ける心無いので、、」を如実に現していますね。
金、かね、カネと金に固執する腹の黒い表さん。悲しい程おっちょこちょいだと言われる大亮さん。彼は人は悪くは無いんだろうが、、。
人の金にもたれて生きる両人以下天理教中枢の関心は金であり、人を助ける心は皆無であろうと、今回のコロナを通した振る舞いを見て更に確信しています。
我孫子事件に関する資料を探してみました。これだけ世間に報道されていれば、事実と認めてよいのではないでしょうか。
我孫子事件 解説
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/abiko/abiko1.htm
資料 大阪朝日新聞 明治15年9月30日
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/abiko1/abiko1.html
新聞画像 全体
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/abiko/abikosinbun.jpg
新聞画像 部分
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/abiko1/abiko.gif
話が外れてすみません。神名についてです。
我孫子事件当時、明治15年9月13日の新聞を見ると神名は天輪王の尊と呼ばれているようです。それよりもはるか以前の嘉永6年こかん様が大坂布教で天理王命の神名を唱えたと言うが、本部の言っていることは辻褄が合いません。やはり本部の捏造かと。
>>我孫子事件当時、明治15年9月13日の新聞を見ると神名は天輪王の尊と呼ばれているようです。<<
ホントだーっ!!
実物の新聞画像を拡大して見ると、確かに「天輪王の尊」と書かれている。こうなると、もう嘉永6年の「天理王命」なんて、ヨタ話以外の何物でもないと確信します。
古い元教会長様、いまいち噛み合っていないので、再度投稿します
天理教の内部事情もだいぶ判って来ましたし、別席も運んでいますし、息子は天理高校卒業、一つ歳上の担当教会長とも、長い付き合いがあるけれど、私自身は全く、天理教的思考は持ち合わせておりません
天理教の布教の中心は末端教会とか、布教師として活動してる人かと思いますが、違いましたか? 本部は別席や修養課をやっていても、特に布教してる様には見えません、実際、天理市をおとづれても、天理教を知りたい方はこちらへ?みたいな案内はありません。 だから、投稿の営業マンと言うのは、的を得ていると感じたので、俺たちゃただの、天理教の営業マンさっていう皮肉に感じたのです。
それで、マルチ商法の如く、顧客を広げて、1番儲かるのは胴元である本社、さあお前ら本社を儲けさせろって言う、マルチ商法の様な天理教に対する批判だと感じたのです。
崩壊さんがね、何度も何度も絡んでるから、崩壊さんのコメント姿勢の方が、執拗で怖いなあって感じたので、コメントしました、毎日毎日あきないなあって
古い元教会長 様
2020年7月8日 8:36 AM
「何度もコメントに対する批判投稿を繰り出される方」とは、私のことでしょうか? 私は天理教組織の人間ではありません。若い頃に天理教を止めた人間です。
天理教の矛盾点 今のところ
①神名 天輪王命 天輪(月日) 天理(天皇に迎合して二代さんが作った)
②大阪への神名流しは創作 兄のばくちの借金を返すため大阪にいった
③おつとめの第一節はあとづけ もとはちょいとはなしとかんろだいのみ 二代さんがあとづけで作った
④おさづけはうそんこ ナライト様のおさづけをたまえさんが勝手によこどり おさしづもない
⑤いちれつきょうだい 上下組織でぎゅうぎゅう
⑥だめの教え だめな教え
⑦かんろだい 親神様がお鎮まりくださっていない
⑧おやさとやかた 八町四方は神のやかたという言葉尻をとらえて二代さんが構想した。
⑨かしものかりもの そんなわけないだろう
いやはや、こかん様の大坂布教の理由も嘘。神名も嘘。この時代に「天理王命」の神名があるはずがないです。
本部真柱さん、善亮さん、次期の大亮さん。この神名の矛盾を説明すべきです。
一つ嘘が発覚したら、ずるずると芋ずる式に綻びと言うものは露呈するものです。
一つ嘘が見えると他にも嘘があるのではないかと思うのが人間の心情です。
話と言うものは美談に仕上げれば魅力的に見えるものです。信者を惹きつける為にこかんさん布教も13峠の話も全くの美談に仕上げられていますね。これ、嘘八百です!歴代真柱が信者を馬鹿にしていた証拠です。
本部はこの矛盾を説明してくださいな。嘘が他にもあればこの際白状して信者に詫びを入れなさいな。
皆様 あらき棟梁 教学に精を出してるようでなによりです。
さて、質問ですが 特定給付金10万円を元にしてお供えは既に済まされてますよね?
私自身、苦しい時のお供えこそ一粒万倍の理となるとここの教えではよく聞いております。
私自身の勝手な想像かもしれないですが、特定給付金をお布施しない信者 教会長は、これまでどれだけお供え ひのきしんに励んでいたとしても 今後お道を歩まれる上で心証があまりよろしく無くなるのではと思います。
反対にここぞの時にお布施すると、今まで行いが良くなかった方でも心入れ替えたな 大きなご加護があるでと受け取る側は自然と心に思いがわき上がってくるのでないでしょうか。
喜び勇んでお供えしましょう。
自分の人生を振り返って、若い内に天理教を止めて本当によかったと、今、つくづく思います。インチキ宗教に騙されて、一生、悔いが残るところでした。「苦しい時のお供えこそ一流万倍の理」になると、訳の分からないことをおっしゃる方が今もおられるのですね。特定給付金10万円は、天理教にお供えするために給付されるものではないことをご存知ですか?
匿名 様
2020年7月8日 2:41 PM
>>さて、質問ですが 特定給付金10万円を元にしてお供えは既に済まされてますよね?
私自身、苦しい時のお供えこそ一粒万倍の理となるとここの教えではよく聞いております。
私自身の勝手な想像かもしれないですが、特定給付金をお布施しない信者 教会長は、これまでどれだけお供え ひのきしんに励んでいたとしても 今後お道を歩まれる上で心証があまりよろしく無くなるのではと思います。
反対にここぞの時にお布施すると、今まで行いが良くなかった方でも心入れ替えたな 大きなご加護があるでと受け取る側は自然と心に思いがわき上がってくるのでないでしょうか。
喜び勇んでお供えしましょう。<<
私からあなたに逆に質問いたします。
>>さて、質問ですが 特定給付金10万円を元にしてお供えは既に済まされてますよね?
私自身、苦しい時のお供えこそ一粒万倍の理となるとここの教えではよく聞いております。<<
ちなみに、あなたは、特定給付金10万円を元にしてお供えは既に済まされたのでしょうか?
>>私自身の勝手な想像かもしれないですが、特定給付金をお布施しない信者 教会長は、これまでどれだけお供え ひのきしんに励んでいたとしても 今後お道を歩まれる上で私自身の勝手な想像かもしれないですが、特定給付金をお布施しない信者 教会長は、これまでどれだけお供え ひのきしんに励んでいたとしても 今後お道を歩まれる上で心証があまりよろしく無くなるのではと思います。があまりよろしく無くなるのではと思います。<<
宗教は、どなたの心証かしれませんが、心証のために信仰するのでしょうか?宗教とは、個々人の心の問題であり、上級教会や教会本部に媚びへつらうことではありません。
>>反対にここぞの時にお布施すると、今まで行いが良くなかった方でも心入れ替えたな 大きなご加護があるでと受け取る側は自然と心に思いがわき上がってくるのでないでしょうか。
喜び勇んでお供えしましょう。<<
あなたは、ここぞという苦境や逆境に置かれた時に、お供えができますか? お供えをすることによって、心の入れ替えができますか? そもそも、お供えは「大きなご加護」を受けるためにするものですか?
結論として、あなたの投稿文を読んでいると、天理教上層部の方とお見受けしますが、あなたこそ、「日頃からの親神様のご守護」に感謝し、人に「お供えしろ」という前に、ありったけの「お供え」を世の中に対してされるべきです。
修養科に入ると、3ヶ月天理に住むわけで、その間に一種の集団催眠状態に陥ります。ところが実家へ戻ると、我に返り、「何であんな気持ちになったのだろう?」と目が覚めます。そうして天理教の信仰を止めるケースがほとんどです。
実際に感話大会で「今後一生人助けに生きていきます」と話していた人々が、天理教を止めているのを僕はたくさんの例を知っています。
なので、行かない方が結果的に良いのです。20万円近く払って行くだけ損をしますよ。
本来、卒業後すぐに布教するための学校である専修科、第二専修科へ行き、卒業しても、天理教から離れて、普通の家庭生活をしている人の方が多いのです。
本部は学校を作りすぎました。そして親里高校は消え、2年後には天理教校附属高校も終了します。
有名だったマーチングバンドは消滅するわけです。
天理高校吹奏楽部も、落ちぶれて、コンクール全国大会へ出場出来なくなりました。一時は大阪のシンフォニーホールで1日二度の定期演奏会をしていたのが、今では小さい天理市民会館でしかコンサートを行えません。
初代真柱は身上で早死、二代真柱は突然の心臓発作で急死、現真柱は子宝に恵まれなかった。
中山家への神からの残念の結果だと考えるべきです。
おまけに二代真柱はせつ奥様が病気療養中に小森おあいと愛人関係となり、背徳行為。せつ奥様が出直してから後妻におあいと結婚。
天罰ですよ。
お供えの献金は止めた方がいいです。
我が家は全財産(約3千万円)をお供えし、御守護はなく、僕は生活保護受給者となりました。
それでもお供えをみなさんしますか?
絶対に止めた方がいいです。
お供えすることを止めてからの方が、今、生活が楽になりました。
おさしづに「泣く泣くするようでは神は受け取れん、百万の物もってくるより一厘の心うけとる」
(明治35年7月20日)
と書かれています。神様も教祖もお金を持ってこいとは言っていません。人間が言っているのです。特に本部が。
≪組織はなくとも信仰できる!2020年7月8日 1:25 PM
天理教の矛盾点 今のところ
①神名 天輪王命 天輪(月日) 天理(天皇に迎合して二代さんが作った)≫
⇒「てんりん」が天理になったのは、明治18年に神道事務局部属の教会になるため。
≪②大阪への神名流しは創作 兄のばくちの借金を返すため大阪にいった≫
⇒秀司が米相場に手を出し、失敗してこしらえた借金を返すため。
≪③おつとめの第一節はあとづけ もとはちょいとはなしとかんろだいのみ 二代さんがあとづけで作った≫
⇒第1節が「みかぐらうた」本に現れるのは明治14,15年頃。
崩壊様
>古い元教会長 様2020年7月8日 8:36 AM
「何度もコメントに対する批判投稿を繰り出される方」とは、私のことでしょうか?
これは私の投稿ではなく、親父さんの投稿です。
私も、私の事かと思いました。
親父さんは、内情も分からないのに、正しさを武器に絡んで来られます。
言いたいのであれば一度、末端教会の味を味わったら良いと思いました。
匿名 様
2020年7月8日 4:22 PM
>>修養科に入ると、3ヶ月天理に住むわけで、その間に一種の集団催眠状態に陥ります。ところが実家へ戻ると、我に返り、「何であんな気持ちになったのだろう?」と目が覚めます。そうして天理教の信仰を止めるケースがほとんどです。実際に感話大会で「今後一生人助けに生きていきます」と話していた人々が、天理教を止めているのを僕はたくさんの例を知っています。なので、行かない方が結果的に良いのです。20万円近く払って行くだけ損をしますよ。<<
若い人達は、人生経験が少ないので、騙されやすく、洗脳されやすいのです。3ヶ月間修養科(洗脳研修)へ行っただけで、一体、何が得られるのでしょう? 将来、信者を増やし。「お供え」の納付者を増やすのが、教会本部の真の目的です。一度しか無い青春を反故にし、その上、他人の生涯さえ反故にしかねない「天理屋」には、絶対、関わってほしくありません。要するに「天理屋」の目的は「集金」なんです。そのことに早く気づいていただきたい。特に若い方々には、絶対、洗脳されたり騙されたりして、自分のみならず、他の人達に多大な迷惑をかけることが無いようにしていただきたい。何度も繰り返し投稿して申し訳ありませんが、私の一番主張したいことです。
古い元教会長さんが紹介していた質問を確認しました。
ある方のツイッターの質問箱の投書
「本部でも有名な分教会の会長が、他の分教会の女子青年と不倫しているのを目撃してしまいました。
(年齢差20歳以上)
奥様もあありの方です。どうしたらいいですか?
良心の呵責に耐えられません。」
目撃した方自身が、良心の呵責に耐えられませんとは、気の毒としかいえません。
目撃したことを受け止めきれないからでしょうか。
他人様の不倫です。受け止めきれない事を抱えてしまうと、精神的なストレスを
抱える事になりかねません。
なので抱え込まないでください。ネットにその教会名を書き込んではいかがですか。
フルネームではなく、頭文字+●×△で名称のヒントを書けばわかる人にはわかるでしょう。
不倫をする人たちは、恋人の二人の状況に酔っているのか、或いは覚悟を決めているかどちらかです。
いずれにしても目撃されるという事は、その二人の甘さからくることですから、目撃者が悩むのはバカバカしいことです。
二人が大人としての責任が取れる機会を神様が与えてくださったのかもしれません。
社会学に公表しましょう。
目撃者さんには何も責任は無いのです。
責任はその二人がとればよいだけです。
不倫をする以上はリスクがあることも覚悟の上のはずです。
それにしても「有名な分教会長」さん、一人頭に浮かびますが、彼の外見からは、
女性にもてる人とは到底思えない人なので、別人か?
有名な分教会と言えばそこしか思いつかないのだが・・・。
日本中が大災厄にみまわれている今日この頃。
不倫という火遊びをしているということは裕福な分教会なのだろうね。
まさか、ホテル代わりに車?
また、馬〇が湧いてきました。これが天理教の教えです。
全世界中に向けて発信してください。
世界たすけの天理教の本質です。
この意見に賛成の人は、コメント下さい。
ひょっとして、これは冗談?
>匿名2020年7月8日 2:41 PM
皆様 あらき棟梁 教学に精を出してるようでなによりです。
さて、質問ですが 特定給付金10万円を元にしてお供えは既に済まされてますよね?
私自身、苦しい時のお供えこそ一粒万倍の理となるとここの教えではよく聞いております。
私自身の勝手な想像かもしれないですが、特定給付金をお布施しない信者 教会長は、これまでどれだけお供え ひのきしんに励んでいたとしても 今後お道を歩まれる上で心証があまりよろしく無くなるのではと思います。
反対にここぞの時にお布施すると、今まで行いが良くなかった方でも心入れ替えたな 大きなご加護があるでと受け取る側は自然と心に思いがわき上がってくるのでないでしょうか。
喜び勇んでお供えしましょう。
古い元教会長 様
2020年7月8日 6:29 PM
>>親父さんは、内情も分からないのに、正しさを武器に絡んで来られます。
言いたいのであれば一度、末端教会の味を味わったら良いと思いました。<<
申し訳ありません。私の誤解でした。大変失礼いたしました。おっしゃる通り、実体験が無い限り内情は決して分かりません。おっしゃる通り、家業や職業を全て棄てて、天理教でいう道専従の末端教会の生活を味わったら良いと思います。内外野からいくらヤジを飛ばしたところで、うるさいだけで人心には伝わりません。一度、実体験されたらよいと思います。
末端教会長の苦難を味わえ!そうで出なけりゃ判らんってか?
それがもう、一般的には、怖い位の執念の産物であり、返って、浮き立ってるんです、逆に言えば、末端教会長の苦難を知らない天理教徒には通じないと、自ら言ってるわけですよ。
なんだろうと、崩壊さんの執念の多数投稿は、大丈夫ですか?って言う印象しか無いです。
崩壊さんは、私が、現状天理高校2部の志願者は増えていて、減らないと言うのに、それを認めず、天理高校の志願者は減るだろうと言い続けた方ですよ、もうね、思い込みの執念で、天理教批判を繰り出してるだけに見えます。
特定給付金をお供えしろと言う投稿も、私から見たら、皮肉、批判、本気で言ってるならアホだぜ?と言う引っかけに思えるのは、私の様な人間で、崩壊さんや元教会長は、こう言う人がいると言う。
これだけ天理教批判を書いてる社会学ブログに、バリ天が書いてくるわけ無いじゃんよ、ほぼ皆さん、天理教批判を書いてると思いますし、その観点で見ても困りませんがね?
何が実体験だよ、息子が天理高校、私は別席も運んでる、リアルに多くの布教師や教会長との議論をしてるからね、表向きの事やバリ天はよく存じておりますよ (笑)
崩壊様
>>将来、信者を増やし。「お供え」の納付者を増やすのが、教会本部の真の目的です。一度しか無い青春を反故にし、その上、他人の生涯さえ反故にしかねない「天理屋」には、絶対、関わってほしくありません。要するに「天理屋」の目的は「集金」なんです。そのことに早く気づいていただきたい。<< おっしゃる通りです。僕も同感です。その通りなんです。僕の当初からの希望は教会制度撤廃、本部解体です。再来年あたりにそうなって欲しい。その準備に取りかかっています。天理教で被害を被った一人として。
明治十四五年といったのも二代様のひとことはなしで二十一年の請願のときに付け加えられたという説もあります もしそちらがほんとうならばおやさまのお出直し後ということに!天皇制に忖度して付け加えられたらしい!
教団の収入は落ち、法人乗取り、甘露台倒壊、真柱頭部病気、中田善亮問題、後継者大亮問題、二代真柱複数の結外問題、近親結婚など挙げたら切が無い。これだけ問題あれば世間でもそれなりの批判は受ける時代ましてや宗教なら当然批判されます。非難するな言うほど火に油を注ぐようなものそれより各種問題根絶をする方が教団の為です。中国共産党は自らがコロナ問題の犯人なのに、フェイクニュースで乗り切ろうとしたが返って中国の異常さを世界に確信させてしまい。各国や各大使館などが中国共産党の悪事を宣伝するような事態にまで発展してしまった。中国ですらもう後戻りは出来ません。
天理人って、性格が共通してる人が多いと思いましたので箇条書き。
実際自分が会った人たちです。
なぜこのようになるのか、組織的な原因があると考えてます。
自分が絶対正しいので人の意見を聞かない
頭が足りてないのにプライドは非常に高い
間違ってても、そのことを認めない
指摘されると、ブチ切れる
誤魔化し 隠蔽が得意
常に高圧的態度 思いやりというのが一切ない
パワハラをするのが当たり前 怒鳴り散らせば相手はこちらの言う事を聞くと思ってる
他人に対して、やってもらって当たり前という態度
自分に激アマで人には厳しい ゴミ扱いを平気でする
社会的常識がなく、子供がそのまま大人になった感じ
極端な自己中心的性格
体格はデブが多い
身だしなみが不潔 その場に会った服装 TPOというのがない。
どうでしょうか。補足などお願いしたいと思います。
あくまで自分の私見ですのですべての方に当てはまる訳ではないと思いますが、年数が多い程このような傾向が多く見られます。
天輪人の性格。よく言い当てられてますね。神様にもたれていれば良い様にしていただけると、無理を承知で信者には強要する癖に、自分達の生活基盤は神にもたれず部内教会からの献金にもたれている。
天理教上層教会の人間のタイプとして付け加えるとすれば、自分がしていない事を信者に求める「無責任なペテン師タイプ。」
あ、本部役員連中がこのタイプですね。
この箇条書きにした内容 プラス
>天理教上層教会の人間のタイプとして付け加えるとすれば、自分がしていない事を信者に求める「無責任なペテン師タイプ。」
一般信者でも信者歴が長い人程、この特徴がありますね。
天理教の上下関係 組織でこういうのが蔓延ってるからか知らないですが それを日常で天理教に関係ない人に対してもそういう態度取るのはいただけないですね。
天理教自体日本全体で見ればマイノリティーな団体 奈良県の田舎発祥の新興宗教でしかないので。
どこが陽気ぐらしなのか。
身近な天理人は死神というか貧乏神という表現がふさわしいオーラが漂ってます、天理人が同じ空間にいるだけで気分が悪くなります。
どこが陽気暮らしなのか<<
天理人は万年暗い顔をして辛抱ばかりして一生涯陽気暮らしを追い続けて結果、陽気暮らしが如何なる物かを体験せずに死に至るのです。こんな馬鹿な人生がありますか?
人間は日々明るく朗らかに笑って幸福感を感じていなくちゃいけない。けれども天理教の罠にかかった瞬間、人間本来の自然な欲求に蓋をして、辛抱、辛抱を美徳とされる。笑おうに笑えない日々。気がついたら持てるものは殆ど教団に持っていかれ、貧乏暮しになったら教祖ひな形だ、喜んで通れ、と言われる。これじゃ生涯陽気に笑おうにも笑えない。天理教の陽気暮らしとは生きている内に味わうものではないと言う事を、皆さま肝に命じて下さいね。
親神の願いと金欲しい教団の願いの大きな齟齬。そもそも中山家は金貸しから始まったペテン師ですからね。教祖雛型の徹底と言う金集めの為のペテン発想を信者に強要。天理教信者は生涯吸い尽くされ生きている内に幸せになってはいけないのです。
天理教が跡形もなく消滅してこの理不尽な罠から一人でも多く信者、教会が解放され、本来の心の自由を勝ち取り、人生を自分らしく生きる世界が来る事を心底願うものです。
>>昭和3年 内務省警保局発行 捜査実例集 より
凡例
一 本書は大正15年及び昭和元年中各地方に於て検挙したる犯罪事件中、重要異例に属するものを集録したるものにして、刑事警察上の活材料として其の裨益する所のもの寔に少なからざるべきを信じ、之を上梓し頒布することと為せり。(以下略)
昭和2年7月 内務省警保局
第二、殺人
八、娘を焼殺した天理教信者(秋田) (198頁 コマ番号106)
迷信の結果、娘を焼殺した天理教信者・・・佐藤與惣吉
焼殺された癲癇持の娘・・・・・・・・・・佐藤ミエ
一、娘を焼殺して十日間も経た、腐臭満つ室内で天理教祖にお縋りをする父母。
二、出羽の山中の冬の夜、涙を浮かべた夫婦は娘の全身に燃木を押し付けた。
(一)人間が宗教に依って安心立命を得るということは洵に必要である。しかし一歩過って迷信に陥ると、想像も及ばぬ恐ろしい事態を惹起することがある。秋田県米代川の畔、常盤村という片田舎に起った、天理教徒の迷信による殺人事件は、適切な其の一例だと見ることができる。
事件は大正15年1月のことだ。秋田県山本郡常盤村の駐在巡査佐藤作左衛門は、雪深い里から里を巡廻している中に、妙な風評を聞き込んだ。その風評というのは斯うである。
「熊の堂の與惣吉方には娘を殺して、その死骸を奥の間に匿している」
熊の堂の與惣吉というのは、常盤村字熊の堂71番地の農家佐藤與惣吉(56)のことで、その一家の内情は佐藤巡査も前からよく知っていた。元来熊の堂というのは、常盤の本村から相当に離れた山の中の寂しい部落である。そこの佐藤與惣吉は田七反歩と畑二反歩と家屋敷を持っており、駄馬の二頭も飼っているという。敢て富裕だという程ではないが、村ではまず中流の生活をしている。殊に與惣吉は農業の傍ら炭焼業を営んで小使金にも不自由なく、一家は頗る円満である。
與惣吉は尋常小学校を二年で退き、漸く自分の名前だけを書き得るくらいで、妻のユキは全くの無教育者だ。同家には與惣吉の二女にミエ(21)という癲癇持の娘がある。数年前に穐梅村の齋藤吉松方へ嫁いでいたが、持病のために離縁となって、今では実家に帰っている。最近ミエの病勢は非常に昂進して始終床に就いているということだが、まさか律義者の與惣吉等がミエを殺すような事はあるまいと駐在巡査は思っていた。
與惣吉の本家に当たる佐藤利吉も薄々風評を耳にして、1月30日ミエの病気を見舞に行った。その時、利吉は唯事ではないと感付いたので、村の開業医須合健治に診察を依頼した。須合医師が行って診断して見ると、ミエは死亡して既に十日以上も経過している。医師は驚いて変死者検案の届を出した。佐藤巡査は、さてはと思い当たる事があったので、それ迄に内偵して得た状況を二ッ井警察分署長に報告した。
報告を受けた二ッ井警察分署長幸野警部補は、直ちに所轄能代区裁判所検事局検事の指揮を受けて、猪股巡査部長、佐藤駐在巡査を従えて與惣吉方へ臨検し、ミエの屍体を検視して見た。憐れむべし、ミエの全身は浮腫やら潰傷やらで全身に隙間もないほどの大火傷を負い、部屋中に腐敗の悪臭を放っている。だが不思議なことには、頭髪も眉毛も、その他毛という毛は一本も焼けていない。殊に腹の方には何かで縛ったような跡が歴然と認められた。
分署長は傍の與惣吉夫婦を顧みた。古ぼけた薄暗い室内には高い祭壇を設けて、木の香も新しい御殿を祀り、煌々たる御燈明を点じ、御供物を供えて二人は一心不乱に祈っている。この様を見ては、分署長の鋭い眼光も、さすがに和らげざるを得なかった。
「おい、佐藤君!一体これはどうしたのだ。娘は死んで、もう十日にもなると云うではないか」
伸びるに任せた頬髭の中から、どんよりとした眼を上げて分署長を一寸見た與惣吉は、直ぐに眼を落して、また思い出したように呪文のようなものを唱え、盛んに礼拝を続けている。
受持巡査の報告で、大体の事情を知っている分署長は、叱り付けもせず同情の籠った態度で、與惣吉夫婦を取調べてみた。けれども彼等は、なかなか事実を述べなかった。
「ミエの女っ子は癲癇を起して囲炉裏の中へ転げ落ち大火傷をしたのです。未だ死んだのではありません。神様のお助けで間もなく息を吹き返します。邪魔をしないで退いて下さい」
迷信に凝り固まった彼等は、本当にそうと確信しているのだ。分署長は仕方なく、與惣吉夫婦を警察へ同行して取調べをすることにした。與惣吉が何と言っても、動かすことのできない証拠は、ミエの全身にある不思議な火傷と、その腹にある條痕である。分署長は証拠を示して詢々と説き諭し、彼等の迷夢を醒ますことに努めた。漸くのことで吾に返った與惣吉夫婦は、もう娘は決して生き返らないということに合点がいくと、狂気の様になって聲を上げて泣き叫んだ。それから間もなく、涙と共に、可愛い娘に加えた身の毛も弥立つような虐殺の顛末を、分署長の前で白状した。
(二)與惣吉夫婦の考えでは「ミエの持病の癲癇は、自分の信仰している天理教の祖神様のお助けを受けたら全快させることができるものだ」と信じていた。それで大正14年の末頃に長男の源助(30)を能代港町に遣って新しい天理王の神殿を買い求め、これを自宅の奥座敷に安置して、毎日ミエの病気平癒を祈願した。けれども、その病状は募りこそすれ、治癒に向うような模様は更らに無かった。
途方に暮れた與惣吉の妻ユキ(48)は大正15年1月18日頃実姉のキワを訪れて相談をした。キワは同郡種梅村の齋藤與三郎方へ嫁いでいる。同人は非常な天理教の信者で、祈祷等をする術も知っていた。困惑し切った妹の様を見たキワは、直ぐに神前で祈祷を捧げた。暫くしてキワは容を正し、神宣だと云ってユキに告げたのは次のような事であった。
「ミエの病気が重るのは、以前嫁入っていた齋藤吉松の先妻の死霊が祟っているからだ。これを退散させたら直ぐに全癒する。死霊を退散させるには、ミエの身体に火を付けたり、何でも酷い目に遭わせねばならぬ」
ユキは全くこれを信じ切ってしまった。帰宅すると直ぐに夫與惣吉に、この由を告げた。夫婦は相談した上、人知れずミエを虐待して、死霊を追い出そうということに定めた。
秋田県でも常盤村は殊に北の方だ。米代川の流水も凍て付く1月22日の夜半12時頃、心を鬼にした與惣吉夫婦は、病に呻吟するミエの病床へ忍び寄って、嫌がるミエを丸裸にした。與惣吉は細紐を以てミエの手足を縛り、酷たらしく炉辺に曳き摺り出した。ミエはあらん限りの聲を上げて救いを求めた。與惣吉の頑強な腕は、痩せ細ったミエを抑え付けて動かせなかった。
「それ、早くせよ!」
女気にためらっていたユキも、思い切った態で燃え盛る薪木を執り、ミエの身体に押し付けた。「キャッ!」と叫んで力の限り荒れ狂っていたミエは、次第に気も根も尽き果てて、後には苦しげに呻るのみで身動きもしなくなった。ユキも初めは股や肩や、臀のような所を選んでいたが、後には背と云わず胸にも腹にも燃え木を押し付けて、全身を焼き糜らせた。
濛々たる煙の中で、妻は泣き泣き娘の身体に燃薪を押し付けている。夫は眼をしばたたきながら、顔を背けて娘が身動きのできぬように抑え付けている。半死半生の病体に、この惨虐を受けつつある娘は、息も絶え絶えに呻いている。嗚々無知と迷信!何という恐ろしい事だろう。聞くだけでも身の毛がよだつではないか?
「もうよかろう。死霊もやがて退散するだろう」
夫婦は、全身火傷で水腫れとなり、死人の様にぐったり倒れている娘を抱いて病床へ臥させた。二人はその枕元で、なおも一心に天理王の尊の御助けを願っていた。けれども、こんな乱暴な事をして病気の治る筈がない。ミエの容体は次第に悪くなる一方であった。病気が重れば重るほど、夫婦は吉松の先妻の死霊が執念に憑り付いているものだ、としか思わなかった。
「執念深い死霊だ。まだ虐待の仕方が足りないのだ」
夫婦はまた相談して同月24日の黄昏時、またもや瀕死の病人ミエを丸裸にし、帯で腹を縛って寝室の梁に倒に吊り下げた。ミエはもう悲鳴を上げる気力も無い。夫婦はその下で暫く天理王を御祈りして、そのまま就寝した。
翌朝、與惣吉夫婦は吊り下げたミエの許に行ってみると、憐れミエは苦悶の眼を見開いたまま、呼吸は既に絶え果てていた。
「これで死霊はやっと退散した。天理王様の御陰を蒙って本当のミエは息を吹き反すのだ」
迷信に凝り固まった夫婦は、冷え切ったミエの屍体を抱き下して寝床に臥させ、それから毎日、昼となく夜となく一生懸命に天理王の尊を祈願した。一日一日と屍体は臭くなってくる。けれども無智な夫婦は、まだ信仰が足らないのだと思ってか、聲を枯らして祈り叫ぶ有様は、悲惨でもあり、また哀れでもあった。親族の佐藤利吉が見舞に来たのは、その時のことである。
利吉の依頼で診察に行った須合医師も、この様を見て全く呆れてしまった。與惣吉等にとっては医師が来ても警察署長が来ても、それはミエの甦生に何等の価値を与えるものではないと信じていた。
ミエは勿論、永久に蘇える由も無かった。
二ッ井警察分署の暗い留置場の中で、殺人犯の名の下に監禁されている與惣吉夫婦は、気の抜けたように呆然と、あらぬ方を見つめて、その夜の惨酷な己の仕打ちに身震いをしているのであった。<<
昭和3年 内務省警保局発行 捜査実例集
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445299
だいぶ前から見つけていたものですが、最近、話題にあがった我孫子事件と共通するものと考え、テキスト化に選びました。
思ったのは甘露台がある、ぢばって、実は万物創造云々より地獄の出入り口なんじゃないかなって
化け物とか悪霊の出入り口があそこの場所にあるんじゃねえのって思った。
父親 様
人が陽気暮らしをするのを見て、ともに楽しみたい。神の言葉がそうであるならば、私にとって天理高校二部は要りません。
二部廃止論まで出た本部がいち早く教校付属高校を廃止したのは何故でしょう。
そろばんばかり考えるのあれば、最早宗教とは言えないでしょう。京都にいる知人から聞いた言葉が忘れられません。祇園に遊ぶ多くの方が僧侶の上層部の人が多いと。京都の寺院の多くは観光で潤っているんでしょうね。
宗教と聞いただけで虫唾が走る心境なんです。崩壊さんの気持ちは分かりすぎるほどです。まだまだ、言葉が足りないようにさえ思えるんです。
何故、曽祖父母が何故この世界に入り父母まで続いたのか。恨みの気持ちはありませんが、哀れな人生だったように思えてきてならないんです。
時には、父母と共に幼い兄弟までもが頭を揃えて会長さんに土下座していた姿が悪夢のようによみがえるのです。私が町内の子供と遊び惚けて夕勤めに参らなかったがために、このような姿をしなければならなかったことを想像してみてください。
81歳になる今日まで、このようなトラウマを抱えて生きてきたのです。このような宗教を子や孫まで伝えようと思われますか。宗教の仮面をかぶうた〇〇と表現してもいいくらいだと思っているんですよ。
今も健在な5人の兄弟姉妹が集まれば、行き着く話は苦しく悲しかった教会生活に至ってしまうのです。
あなたはこのような経験をされましたか。
とりあえず明治二十一年説根拠
冒頭に断わっておきたいのは、「あしきをはらうて たすけたまへ てんりわうのみこ
と」というお歌が、慶応二年に教えられたと『稿本天理教教祖伝』に書いてあるのですけれども、これは『稿本天理教教祖伝』に初めて出てくる表現でありまして、それまでは「あしきはらひのつとめが慶応二年に教えられた」とずーっと書かれて来て、伝えられて来ました。その「あしきはらひのつとめ」というのは「あしきはらひ たすけたまへ いちれつすます かんろだい」というお歌であると、教会本部が稿本教祖伝が出るまで、伝えていたのです。
そして教祖が拝み祈祷を禁止されましたおうた、『おふでさき』三号の四十五から四十八まで拝み祈祷を禁止して、高山の教えとは違う「よろづのこと」を説いて来たのが教祖の教である、人をたすけるというこの喜びが我々の信仰であると、このように教
えられた『おふでさき』は明治七年に書かれております。その時に「あしきはらい たすけたまい いちれつすます かんろだい」では拝み折祷であると誤解が起こるので、この時に「あしきはらひ たすけせきこむ いちれつすます かんろだい」という
言葉に、このおふでさきを書かれた時期に変えられております。/ このおふでさきに関連して十二月の末まで山村御殿や中教院で政府との交渉がありまして、明治八年からのおつとめは「あしきはらひ たすけせきこむ いちれつすます かんろだい」に教祖が改めたのです。/ そして明治十五年「やしきのそうじ」と強く言われたその事柄の最たる問題、「かんろふ大が一のざんねん」とまでおふでさきに書かれている事、そのやしきの内のそばな者中山家の戸主であったまつゑと山澤良治郎の裏切り行為によりまして、かんろだいが取り払われたときまで、転輪王講社におきまして、教祖の教と称して天皇制軍国主義の教育が行なわれて
いたのです。/ 天照大神の親が世界を作ったのだという、天皇家の神話。天皇と天皇の先祖を神とする神話の一説であります泥海古記が教祖の教として皆に教えられていたのです。「この教の偽りを訂正してから本当のかんろだいつとめを行う」という意味で「あしきをはろうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい」という言葉に明治十五年に改められたのです。/ かぐらつとめは「ちょとはなし」と、この「かんろだいつとめ」しかないのです。
「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」という言葉は明治二十一年、東京に神道天理教会本部が出来まして、その朝夕のおつとめとして神道天理教会は、天皇の先祖を「十柱大神」として祀るという願書で許可を受けておりますので、その十柱の大神を「てんりおうのみこと」と唱えました。/ これは神道天理教会の出願の時からそういう言葉が使われ始まったのです。
『明治14年巳五月本』には、「第一第三合一節」と呼ばれる「あしきはらい たすけたまい いちれつすます かんろだい」という節があります。これを根拠に中山正善氏は「第一第三合一節」が明治15年の模様替え以降に第一節、第三節に分かれたもので、第一節の成立は明治15年頃であるという説を出すわけです。
第一節の成立はいつかという問題は、「みかぐらうた」本の記載という点では明治14、15・年頃であり、伝承では明治元年前後ということになります。また、
第一節ではない「おさづけ」のやり方が伝えられていることも気になります。
これらの異なる結論を導き出す資料から、整合的な解釈を導き出そうとするとき、天理教の中には慶応年間辺りから、教祖の教えとは別に吉田神祇管領の裁許状を取り、明治維新に際しては、新政府の神道政策に合わせていった秀司を中心とした流れがあったということが、重要になるのではないでしょうか。これが複雑な天理教の教理なり、教祖伝、天理教史を理解するカギになると思います
いまとなっては何が本当かわからない どうでもいいけど!信じるか信じないかあなた次第!
現真柱が教祖百年祭期間中、天理本通りを散歩し、救急車が来て病人が運ばれるのを腕組みして、おさづけを取り次がなかった目撃談など、本部事情に詳しい何者かが暴露をおこなったが、すぐにそれが削除された。
誰がそうしたのかは不明だが、私は天理教の生命といえる「おさづけの理」が、実はインチキであることを知っている。
インチキだから効かない→現真柱は恥をかくので傍観した→インチキの確実な証明という流れ。何故それなら諭達で「おさづけを取り次ごう」と書いてあるのか? →ごまかすため以外に理由はあり得ない。
匿名
2020年7月8日 11:14 PM
間違ってないと思います(笑)親父が大霊界暴走してる時に以前どなたかが、善亮のせいで教団が大霊界になったと仰っていたがその後教庁で飛び降り自殺などありまさにそのとおりだと思います。大霊界親父は未だに批判者の批判を続けて頑張っているようですがなにか意味があるのか不思議です。普通の精神なら批判者を小バカにするように批判などしない。中山教信者典型的な反応だと見て取れます。通りすがりや、俺の教会に来い!ぶっ飛ばしてやる! などの暴言でしか反論できないのでは、反日国家と変わり無い状態です。教祖はこれらを「唐、から 漢 唐人 からとうじん」と仰っているのですがね。やはり中山教はおふでさきを未だに理解できて無いと言う事でしょう。政治家で言えば、未だに問題のある中国を国賓来日させようとしている二階幹事長のようです。
明治21年東京府へ提出の神道天理教会所設置願の規約部分
≪神道天理教会規約
第壱章 主 旨
第壱条 本会ヲ名テ神道天理教会ト称ス
第貳条 本会ハ神道本局ニ部属シテ惟神ノ大道ヲ宣揚スルヲ目的トス
第三条 神道教規第二条ノ祭神ヲ奉戴シ
殊ニ
国之常立神 豊雲野神 意富斗能地神 大斗乃辨神 游母陀琉神 阿夜詞志古泥神
伊邪那岐神 伊邪那美神 国之狭土神 月夜見神
右十柱大神ヲ奉教主神トシ表名祭祀ス
第貳章 会 則
第四条 本会ノ教務一切ヲ統轄スル所ヲ天理教会所本部ト称ス
第五条 本会ノ教務ヲ分轄スル所ヲ某分教会所ト称ス
但布教ノ便宜ト信徒ノ請願トニヨリ之ヲ設置ス
第六条 本会ノ信徒ヲ区分スルニ講名ヲ以テス
第七条 三条教憲ハ終身之ヲ遵奉スベシ
第八条 信徒タルモノハ神道教規ハ勿論此規約ハ違背ス可カラス
第九条 毎朝盥嗽シ奉教主神ヲ始産土大神及祖先神霊ヲ礼拝ス可シ
第十条 国祭祝日等ニハ必ス国旗ヲ揚ケ祝意ヲ表ス可シ
第十一条 教会大祭ハ勿論月次祭並入社式ヲ執行ノ節ハ神楽ヲ舞奏ス可シ
第十二条 信徒ニハ各自其信票ヲ授与シ尚本人ノ請求ニ応シ神供及神拝略詞等ヲ授与ス
第十三条 禁厭祈祷ヲ行フモノハ教導職試補以上ノモノニ限ル
第十四条 禁厭ヲ請フモノアラハ医薬ノ闕クヘカラサルヲ懇篤ニ説明シテ後之ヲ行フベシ
第十五条 国益トナルヘキ事業ハ率先従事ス可シ
第十六条 隠怪ヲ説キ人盛惑シ私利ヲ営ム等ノ所業ハ決テ為ス可カラス
第十七条 入会ノ信徒ハ毎月些少金穀ヲ醵出シ之ヲ教費ニ充ツ可シ
第十八条 死ハ人倫ノ大故ナリ若信徒組合中ニ死者アラハ互に会葬ス可シ
但喪家ニテ飲食等ハ篤ス可カラス
第十九条 本会ノ役員ヲ定ルコト左ノ如シ
ー 教会長 本会ノ教務一切ヲ総理ス
ー 副会長 職務教会長ニ亜ク若教会長事故アルトキハ代理タルコトヲ得
一 理事 会長ヲ助ケ本会ノ教務ヲ辨理ス
ー 分教会長 会長委任ノ教務ヲ辨理ス
ー 庶務掛 会長ノ命ヲ受ケ庶務ヲ負担ス
ー 会計掛 会長ノ命ヲ受ケ金銭出納ヲ負担ス
ー 正副講長 講中ノ庶事ヲ掌り信徒結成ヲ負担ス
ー 正副取締 講長ヲ助ケ講中ノ取締ヲ負担ス
ー 世話掛 講中ノ雑務ニ従事ス
下谷区北稲荷町四拾貳番地 地坪貳百三拾六坪 (『中山みき研究ノート』P310)≫
ここに、「てんりおうのみこと」という神名は出ていないようです。
また、「朝夕のおつとめ」についての記述もないようです。
第11条、「神楽ヲ舞奏」は「みかぐらうた」を指しているとは思えません。
現真柱が「僕はカラオケは嫌いだ」発言は有名。
おまけに前真柱が、合唱団にいた時、天理大学合唱団員と舞台で練習中、背の低い男子学生に「チビは前や!」と発言しているのを知っています。たくさん人がいた時に。恥をかかせた。言語道断! もはや人間でもない!
前真柱の長女と結婚した、増野正俊本部員、特に功績もないのに本部員になれたのは長女とけっこんしたから。
増野正俊本部員は、合唱団の練習の休憩時間に、「あー、独身に戻りたい」と発言している。
当時、練習後車で神戸へ帰宅する際、缶ビールを1本買い、ちびちび飲みながら飲酒運転していたのも有名な話。
前真柱の次女、もしくは三女が、境内掛いた恋人と逢瀬を重ねていたのに、その恋人を突然実家に帰らせた話も有名。泣く泣く他の人と結婚させられたのである。
三島神社を予告なしで朝から解体作業し、昼までに更地にした、強引な策を行ったのも事実で有名な話。
消防班が水をかけて土ほこり対策し、一気に建物を破壊、こうした恐ろしい本部のやり方は許せない。
八島秀雄・本妻原分教会長と裁判し本部側が敗訴、その後本部は八島氏に和解を申し出たのも有名な話。
これらを隠す本部は信用出来ないと思う人の方が正しいです。
崩壊様、それに東風Z様へ。親馬鹿丸出しのモンスターファーザーを相手に、あまりご自分を消耗させないようにお願いします。結局のところ彼は、我が子の学校を否定されたことを根に持って、これまで執拗に絡んできただけで、こういう粘着質の手合は相手にしてたらキリが無く、何一つ得るものはありません。いつか社会が天理教の害悪を認め、教会、学校その他「天理」と名の付くものに関わったことなど世間に隠して通らねばならぬ時代が来るかもしれない。その日まで、お二人にには声を上げ続けていただきたいと願います。
古い元教会長様へ。経験の有無にかかわらず、分からない者には分からないのだと思います。息子が天理高校卒だから、自分は別席を運んでるから、教会長や布教師と付き合いがあるから、それで天理教のことを分ったつもりになっていること自体、とても尋常とは思えません。
天理教の神殿 甘露台とか教祖殿 誰か霊視して何か見えたとかあるでしょうか?
宗教法人天理教維持財団(天理教信者から集めたお金を保管・管理する財団)は、一時期驚異的な金額を蓄えていたが、設備や建物を無計画に造っては壊し、造っては壊しをくり返した結果、現金がほとんどなくなったと言われている。
その例として、天理教道友社は、過去に販売所やメディアサービス店などを無計画に造り、また取り壊してをくり返した。メディアサービス店は、チケットの販売やビデオの販売所として造られたが、ほとんど客は来ず、店員は一日中暇つぶしだけして、100万円以上かけて建てたのに、結局取り壊した。もったいない話。
道友社は、他にもCS放送をするために、アンテナの販売を半ば強制的に行い、現在は放送はなくなり、購入した信者や教会は大変な損害を受けた。
本部も同様で、「とりあえず造ろう」とするが、また壊す。「こうすれば50年、100年は大丈夫」という無駄を廃することをしない。被害者は献金(お供え)した信者である。
皆さんの投稿を読ませていただくと、天理教はやはり失敗したのかな、と思ってしまいます。神の教えを伝えることは、本当に難しいことだと思いますよ。
元の理を読んだんですが、神さまでさえ、人間を創られたとき二度も失敗されています。三度目の宿し込みで、人類はようやくこの世に生存できる見通しがつきましたが、まァ、人類は後から参入したこともあって、色々大変だったんでしょう。
だから・・・ですね。もし天理教がなくなったとしても、また、信仰をすることに挑戦してみてはどうでしょうか。むろんその時はなぜ失敗したかを深く反省して、それをくり返さないように気をつけます。(たとえば、組織化はもうしない、など)。私メはこうした信仰を、神さま同様三度まで挑戦してみようかなと思ったりしています。
(みなさんはどうですか?・・え?もう天理教はコリゴリだ、って?)
天理に住む高校生、大学生、勤務者の性の乱れはすさまじく、専修科生ですら詰所内や、郊外にあるラブホテルを利用しセックス三昧。国道沿いには過去にたくさんのホテルがあったが、どこもつぶれなかったということは、需要があった証拠である。
現在は、ほとんどが取り壊され、大和郡山近くに3~4軒のホテルがある。しかしやはりかなり大学生中心に利用されているようだ。真面目な女子大生も、エグイセックスをしていると聞いた(フェラチオしてそのまま精液を飲むとか)。
道友社は、数年前に、郊外にあるツタヤ(書店)に、天理教図書コーナーを設置し、それが天理時報の記事として大きく取り上げたが、郊外にある書店まで、わざわざ買いに行くはずはなく、ほとんど利用されていないと、本部に住む知人から聞いた。実にばかばかしい話ではないだろうか? それだけ書く記事がない証拠でもある。道友社内に大竹という勤務者がいたが、全くの役立たずで、トラブルメーカーでもあったが、今は弟と共に、未婚のままで障がい者となった。その祖父は、「ブラジル伝道の父」と言われる大竹忠治郎である。徳を残したため、欲に目がくらみ、落ちぶれたのである。そんな例は枚挙に暇がない。
>>昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」より (番外編)
第四章 宗教類似教団に随伴する犯罪形態
第二款 財産に関する犯罪
第二目 神言に仮託其の他神を利用する詐欺 (P340~ コマ番号185)
凡て信者は信仰に入るや、一家の病気、災難その他吉凶禍福は事大小に係らず、神様に伺うと称して教団の幹部または教師に打ち明けて、その判断を乞うのが通例である。
宗教類似教団に於て之が詐欺罪として表れるのは、信者がその苦痛を訴え、神明の加護を求めんとするや、その弱点に乗じ神言に仮託し、または出鱈目なる因縁話より神を利用し、神に奉仕する道を説き、献金せしむる方法をとるのである。
実例 其の一
本籍住所 愛知県幡豆郡西尾町大字鶴城字新屋敷百四番地
天理教教師 齋藤政吉 当六十八年
主文
被告人を懲役一年に処す。但し裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予す。證第二号は被害者榊原六平に還付す。
事実
被告人は予てより天理教権中講義として同教教導職に従事し居りたるものなるが、幡豆郡西尾町大字葵榊原六平が久しきに亘る胸病の治療に心を悩まし、遂に信仰の力によりて之が治療を為さむことを計り、昭和八年三月中頃、其伯母の兵藤まつをして被告人方に遣わしめ、其依頼を為したるところ、被告人は右六平の信仰心を利用して同人より金円を騙取せむと企て、まつを通じて、被告人に対し「六平の病気は肺病と肋膜にして、同人は昭和八年八月十一日午前九時迄に必ず死ぬ」と神の御告ありと無根の予言を与えて天理教を狂信せしめむとし、爾来同年上旬迄数回六平方に赴き祈祷を為し居る中、同人に対し「お前の病気は神に金を上げねば治らぬ。而し金は病気の治らぬ内に上げねば効目が無い。また多く上げれば上げるほど治りが早い」申し欺き、同人をして其の旨誤信せしめ、前後数回に亘り右六平方及び被告人自宅に於て合計金二千六十五円を騙取したるものなり。
適条
刑法第246条第1項 第55条 第25条 刑事訴訟法第373条第1項
昭和八年七月二十二日 岡崎区裁判所 判事<<
昭和12年 司法省調査課「報告書. 8」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886676
これまで既に10冊以上の古い資料を紹介してきました。入力作業の際、気付いたのですが、盲信、迷信、狂信という言葉は頻繁に出てくるのに「洗脳」という言葉は一度も出てこない。調べてみると「洗脳」とは、1950年代に中国共産党が思想改造の技術に付けた用語ということでした。英訳はズバリ brainwashing だそうです。
納消(なっしょう、家も財産も売り払い、本部に献金すること)をしたことが無い布教師や教会長が、信者に納消するようにと、そうしないと死ぬぞ、病気も治らないぞ、と脅し口調で話している。それなら一般人は納消などしたことがないのに、普通に生活出来ているのはどうしたことか? つまり、金欲しさに「嘘」を言っているのです。
すみません。徳を残した為、欲に目がくらみ落ちぶれた、、と言うのはどう言う意味合いでしょうか?
>>すみません。徳を残した為、欲に目がくらみ落ちぶれた、、と言うのはどう言う意味合いでしょうか?<<
「徳を積む」という、仏教などの言葉ですが、「徳を積まないと、末代まで結構にならない、人様を助けることが出来ない」と教えられています。本来は「理を積む」なのですが。徳を積むことは、孫子に財産をたくさん残すことと同様で、楽して生活出来るため、気がついたら財産が底をついてしまった、孫子達が争って財産分与でもめたということを意味します。実際に東中央大教会は、初代・柏木庫治の勝手な教理展開を説き、一代で大教会になりましたが、今では内容のない教会となりました。東本大教会も同様なのです。
東本部内、本陽分教会では、兄である会長より、弟さんの方が信者から評判が良くて、兄と弟が殺し合いのようなケンカをし続けたのです。仕方なく東本は、会長一家を一時避難として大教会に住み込むようにさせたのです。本陽の初代は、有名な関粂次先生ですが、これが「落ちぶれた」ということなのです。立派な、大きな教会ほど、こうしたことが起こっています。
大金を手にする。そして金銭感覚がマヒ、そして借金を抱える。言わば小室哲哉の落ちぶれ方と同じと考えて下さい。
天理教が昔と比べ悪くなったとか言うけど、元々搾取の宗教だわな。
教義も変更 改ざん当たり前
今まで天理教の本質を知らない喜び勇んでたバリ天どもが、教団の現実を知って またもう抜け出せない所まで追いやられて 本質を知る前の楽しかった教団生活を思い出して昔はよかったと勘違いしてるだけ。
理の親 直属にガンジガラメ お布施運ぶだけしか利用価値のないようぼく。
気づくの遅いわ。
それで天理教の悪口言っても、はたから見ればお前もその教団の構成員なんだからさ。
結局、善良な人をだまして金を巻き上げる組織の一員なのよ。
別に天理教信者が苦しもうが教庁から飛び降りようが知らんわ。
その組織の人間が苦しむのを見てて清々します。
せいぜい、お布施これからも運んで、しっかり理の親とやらに尽くしてくださいね。
昭和の終わり頃、肥長大教会長は首つり自殺、平成になってから、菊水分教会長が借金が返済出来ず、夫婦で飛び降り自殺を図るが、奥さんは死んだが会長は命だけは取り留め、その後、姿を消す。
故・上田嘉成本部員は寝たきり、それ以前には、その4人の子どもたちのうち、次男と三男が自殺。
信仰しても助からない証拠です。
>>匿名
>>2020年7月9日 8:01 PM
>>それで天理教の悪口言っても、はたから見ればお前もその教団の構成員なんだからさ。
結局、善良な人をだまして金を巻き上げる組織の一員なのよ。>>
はいはい 自己紹介お疲れ www
気持ちの悪い暇なオッサン、気が済んだか?www
東本では、昔、重い鉄門が倒れ、住み込み人が下敷き、圧死。
三代会長は短命で死亡。
一体信仰してどうしてこうなるのだろうか? それは、初代真柱と松村吉太郎らが勝手に教会制度を作ったためであろう。
だからこそ、教会制度撤廃、本部解体が必要不可欠。
天理教の内情を、よく知っているような書き込みをしていても「布施」と言っている時点で???です。
現在天理教は海外も含め16678もの教会がある。名目上だが。実質はこの数よりかなり少ない。とは言えよくもここまで増えたもんだ。教会名称録を見ると教会長不在もかなりある。住所空白も多数ある。宗教法人格を持つ教会は1万2千くらいか。法人合併情報を見ると天理教の法人合併はかなり行われている。宗教法人では天理教が断トツに多い。合併手続きも煩雑で時間も労力も掛かり厄介だ。どうこう言っても後始末はしなければならない。合併しても教会名称が残る。これがまた厄介。教会教費が毎年発生する。教会長出直し後、子供は継がず放置している。今回教会統合に向けて話を進めるが、自慢高慢大教会長がなんやかんや理由をつけて出来ないという。基準が曖昧で大教会長の裁量に委ねられると公平性がない。基準を公表しろと言いたい。とにかく執着心が強い大教会長。50ヶ所なんて部内教会数はとっくにないのに大教会にこだわるのか。分教会降格制度無いのか。事情大教会の統廃合も必要だ。無能大教会長罷免も必要だ。
>>事情大教会の統廃合も必要だ<<
その通りです。役に立たない教会が多すぎます。都道府県に各2~3ヶ所あれば十分。
実際に人助けなどしていないのですから。
「忙しい忙しい」と、「御用、御用」と御用を優先していますし。
お金でも物や食料品でも、教会へお供えしてもどこでも当たり前のように、お礼を言わないですから。
これが天理教の常識ですが、「乞食根性」だと思います。「ひながたを通りましょう」というのなら、まず中山家や本部員から実行しましょう。
東風Zさん、Zさんや、崩壊さんの経験を否定してる訳ではありませんが
天理高校2部の志願者は、定員100人に対して140人超だから、毎年40人以上は不合格になっています、教高学園の様に本部が廃止するなら別ですが、志願者が減って無くなる可能性は低いと言いたいのです。
この不景気で、自己負担金も無く高校を卒業できるシステムは、そうは無いし、入学の条件は親のどちらかがようぼくである事だけです。
親の寄付金も、お供え強制もない、2部は卒業後にお礼奉公も無いので、今の生徒の大半は一般家庭信者子弟であり、食事も小遣いも困る子は、ほぼいない様です。
個人的なトラウマと、恨みは、致し方ありませんが、今ある天理高校2部自体は、親としては、ありがたいです。
うちの子は、地元を離れたくて、自分で志願して進学したし、2部に行ったのはその後の進学資金、手持ちの数百万円を温存する為にも、親としても助かりました。
天理教とは関係なく、学校システムを使わせてもらってる身としては、ありがたいと思いましたし、天理高校2部など無くなる、無くなれ?と言うのは、崩壊さんや東風Zさんの希望であり、現実とは違うでしょう。
もちろん、東風Zさんのお話は、読んでいて、辛くなりますよ、親子で土下座させられたら一生、記憶に残りますよね、何という事だろうって思いますよ、そりゃあ。
一般家庭信者子弟なら、親が天理教でも、子は継ぐ必要もないし、私の同級生のうちは布教所ですが、商売をしていて、見た目は質素ですが、億のお金を持ってる金持ちです、布教所なら、教会と違って、個人の物であり、困らないんだなって知りました。
だから、布教所から教会にせよって、圧力がある事も、ここのコメントで知りましたし、それを拒否して亡くなられた理由も、少しは想像できます
一般家庭なら、親は親と、子供は宗教を継ぐ必要もないですからね、私だって、子供の信仰の選択は子供の自由だと思っていますから、もちろん自由です。
愛町は、分教会で留まり、傘下も布教所で留めているんですね、初代様の先見ですね、見通していたのでしょう。
教会になると、縛られて、財産も教団の管理下になる、これは困りますね、東風Zさんの様に、親が教会住み込みって言うと、ヤマギシ会に、親が財産を寄付して、家族でヤマギシ会で団体生活を送ってる人と同じですね、私の知り合いに、その子弟がいますが、子供の頃の集団生活のお話など聞くと、東風Zさんのお話の様に、体験しないとわからない、大変な苦労話でした。
天理教の、教会って、何で小さな町に二つも三つもあって、しかも横のつながりもない、関わるまで、不思議に思っていましたが、その理由も分かって来たし、系統によっては、本当に下部教会は大変な状況で、かなり虐げられる場合もあるんだな、子供に選択肢が無いんだなとか、そう言う状況に置かれてる人が、たくさんいると言うのは、側から見てるだけでは、確かに判りませんね。
一般人なら、入って見て、何だコリャ?って思えば、棄教して終わりですから、うちの息子が、天理教を続けようと、棄教しようと、息子の自由です。
同じ窯の飯を食べた、天理高校の同級生とは、一生付き合うと言ってますけども、それを天理教の信仰と分けて考えられるのも、一般家庭だからですね。
私個人は、先祖が、天理教と関わり無くて良かった〜としか言えません。
元名東大教会長、柏原一郎は早死に。
「こころえちがいはでなおしや」
まだまだ情報はあります。
本部、責任を取りましょう。もっとまずいことになりますよ。
職場にいる天理教の巨漢デブも早く出直しして欲しい
父親 様
>>私個人は、先祖が、天理教と関わり無くて良かった〜としか言えません。<<
本当にそうですよ。あなたご自身もこれ以上拘わらないでくださいね。私の身元は、古い元教会長さんは、とうにご存知だと思っているんです。ですから本当のことのみしか投稿できません。
まだまだ、あるのですがこれ以上のことは、この場に投稿できる内容ではありません。
天理教で救われた方もあるのでしょう。大教会報によれば、初代さんは疫病を京都の有名な大教会の初代さんに救われたとか。その御恩を我々も忘れるなと言うんです。このことを子や孫に話すと一笑するばかりです。何時までこのような他愛のない話に拘るのでしょう。大教会長さんご一家が幸せであれば十分でしょうに、創立130周年記念祭の釣りにするなんて。挙句の果てに、報恩袋の茶封筒を末端信者にまで配るなんてあまりにも思い上がったとしか思えないんです。
今は、触らぬ神にたたりなし、という心境です。
本部の心得違い。詐欺体質について。
三島神社移転問題でも三代真柱トップとする天理教は三島の住民を騙す形で移転しているのですね。三島神社の移転後は地域との「街づくりをセット」にした話合いの筈であったのに、移転した後は「後の事は知らん」と言わんばかりに、その街づくりの会議にも出席せず、約束を反故にしたかのような不誠実な姿勢を取り続けたようです。
実際、その後三島のまちづくりは完成したのでしょうか?天理教の協力を得られたのでしょうか?本部は街づくりなど元々興味は無かった。兎に角三島神社があの場所にあるのが目障りだった。三島の住民は天理教中枢にその意図を巧妙に隠され表向きは「街づくりの協力」と言うカモフラージュに騙された、と私は思っています。
当時の街づくり資料を読むと、とても宗教家とは思えないドロドロの黒い計算と、移転したら目的達成とばかりに住民との約束など忘れた姿勢を貫いたからこそ信頼は勝ち得なかったのだと思います。その中心人物はあの三代真柱でした。生き様同様に天寿も全うできず、早死にしました。
A 2020年7月8日 7:56 PM
B 2020年7月10日 6:42 AM 7:09 AM
AとBは、同一人物による書き込みか?
そうであれば、双極性障害か多重人格かもしれん。Aなんか「だぜ」とか「じゃん」とか、なんか東京っぽいし。
現ちん柱も身上なら、おさづけは何だったのって話。
信仰心が足りてない。
東風Zさん、返事ありがとうございます。
私個人は、東風Zさんの貴重な実体験こそ、読まさせて頂きたいと思います。
かける範囲内でお願いします。
ちなみに、一つ違いの教会長に、東風Zさんのお話をした事があるんですが
即座に、昔の話でしょう、ネットでしょう、私は知らないし、聞いたことありません!
そう言う事もあったのかもしれませんが、少なくとも私の周りでは聞いたことはありません!
それ以上、そんな話は要りません!っと拒否されました。
たぶん、本当はいろいろ知ってるんでしょうが、部外者の私に言うはずありませんね (笑)
ところで、私は、文章は別に書いて、校正してから投稿します、すると丁寧な口調のコメントになります
普段は、そんな丁寧に喋りませんよ、時に、何やねんと思えば、口頭のまま書く事もありますがね
まさに、どーでもいーがな? ほっとけや (笑)
二代真柱の炊事本部建設により、毎日大量の残飯、生ゴミが増えた。教祖は「菜の花一枚粗末にしてくれるな」と語ったのに、矛盾が生じている。
ついでに「おやさとやかた」構想により、土地の強引な土地の買収、布留川の上にも建設(検定講習の教室として使われている)、建築基準法に触れている。法に触れることをたくさんやっていて、それでもまだ同じことをやり続けているが、もうコロナウイルスの影響で集金出来ず、「おやさとやかた」構想は中止せざるを得ないだろう。
ようぼく決起大会、勉強会、祭典、などの行事を行わなければ、人は集まらず、士気も上がらず、集金も出来ず、なので行事をやり続けたが、コロナウイルスの影響で、開催出来なくなった→集金出来ずに本部は、本部員や勤務者のリストラをしなければならないだろう。でないと、経済的理由により破綻する。
思うつぼ 笑
早く破綻して下さい。
幡鎌さん、みどりさん、どうします? 笑
東京の感染者数が過去最多を更新したが、本部はまた知らん顔か?
遅ればせながら4月の下旬に内統領から各直属教会長に以下の指導がおこなわれたが、
今回も東京をはじめ、感染者数が増えている埼玉、神奈川、千葉あたりの全教会には、
月次祭自粛の要請をするべきではないのか?
以下、Twitter情報による四月の内統領の指導
ご連絡
◎御本部より直属教会長宛に以下の連絡がありました。
現在、おぢばや各地の教会、また個々人のようぼく家庭においても、コロナウイル
スの終息と世の治まりを親神様、教祖に願い、一方では政府や自治体のコロナ対策
要請に応えて、最善を尽くして努めている最中にあります。
月が替わり、来月になりますと各教会では五月の月次祭を勤めることになります。
教会によりましては、いまだに多くの所属ようぼく・信者の方々に月次祭に寄るよ
うに声がけをしているところもあるようです。ようぼく・信者やその家族からは、
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。
一日も早いコロナウイルス終息のご守護を願う気持ちは同じですが、各教会が所
属するようぼく・信者の心情によく配慮し、月次祭への参集を控えるなど、直属教会
「 よりご指導をお願いいたします。
立教 183年4月28日
内統領宮森与一郎
>>二代真柱の炊事本部建設により、毎日大量の残飯、生ゴミが増えた。教祖は「菜の葉一枚粗末にしてくれるな」と語ったのに、矛盾が生じている。<<
数ある矛盾の一つですね。元来、矛盾だらけですから。
>>ついでに「おやさとやかた」構想により、土地の強引な土地の買収、布留川の上にも建設(検定講習の教室として使われている)、建築基準法に触れている。<<
建築基準法のみならず、河川法にも触れています。かつて、新聞でも大きく報じられましたが、行政も教団も一向に動く気配がありません。想定外の大雨により布留川が氾濫し、建築物が布留川の土砂や流木等を堰き止めたら対処できません。大変な被害がでると思います。親神様のご守護でもあるのでしょうか?
天理市内新規感染者の発生を受けての天理市長からのメッセージ(7月9日)
本日(7月9日)、市内在住の20代女性が、新型コロナウイルス感染症に感染されたことが公表されました。濃厚接触者であるご家族については、9日にPCR検査を受けられ、4名全員が陰性であったことを市は確認しています。
感染された方に、心よりお見舞い申し上げ、御快復をお祈り致します。
教会長 ようぼくの皆様
世界だすけへの挑戦是非実行しましょう。
コロナが流行しておりますが、今こそおさづけの取り次ぎの力を全世界に示すときです。
周りにコロナ患者を収容する病院があれば、おさづけをしてコロナを撃退してやりましょう。
陽気暮らしの天理教に加え これからはコロナ撃退の天理教です。
教団拡大のビッグチャンスです。
ビッグチャンスのところ失礼します。
全教一斉にをいがけデーが中止となりました。大変素晴らしいことです。
嬉しくて仕方がない教会長の皆様、喜びを、感謝を親神様にお伝えしましょう。
> 教団拡大のビッグチャンスです。
↑
これがイカンっつーの!
あくまでも無目的に。純粋に。ただその人の幸せだけを願って、祈りをささげましょう。
教団なんか、どうでもいい。
>>おさづけをしてコロナを撃退
ではあなたのおさづけは効くのですね。
まず身上で苦しむ本部員や大教会長たちを治してあげてください。
紹介したいので、霊験あらたか な御守護をくださるあなた様の連絡先は?
教会名だけでもいいですよ。
>>あくまでも無目的に。純粋に。ただその人の幸せだけを願って、祈りをささげましょう。
教団なんか、どうでもいい。<<
その通りだと思います。教団など不要です。教団が肥大化したらこれまでと同じ轍を踏むどころか、これまで以上に腐敗してしまいます。コロナの犠牲者どころか「天理屋」の犠牲者まで増えてしまいます。
コロナで各種行事が中止になり、衰退への坂道を転がり落ちるが如く、教団としての全体エネルギーは冷えて来ております。末端教会として、この流れを応援したい。多くの末端は既に自立への道を歩き始めており、教団が潰れてようが無くなろうが大きな影響はありません。(困る末端も確かにありますが、困る困ると言って居ないで自立の道を模索しましょう!)
中止の流れはこれから生まれる犠牲者を一人でも救う意味で喜ばしい。
金かねと本部が手繰れば手繰る程、本部にとってお金にしか見えない信者はコロナで物理的にも精神的にも遠ざかっている現実です。このまま時間を重ねる毎に順調に遠ざかる事でしょう。
東京の危険な状況の中、本部は修養科生をまだ募集するつもりでしょうか?全国的に人の往き来が激しくなっています。いつも判断が遅く、各方面からの批判を受けて後手後手にしか動かない残念な本部の手緩さに呆れています。修養科の募集は撤回すべきです。
匿名様
>教会長 ようぼくの皆様
世界だすけへの挑戦是非実行しましょう。
コロナが流行しておりますが、今こそおさづけの取り次ぎの力を全世界に示すときです。
周りにコロナ患者を収容する病院があれば、おさづけをしてコロナを撃退してやりましょう。
おさづけが効く訳がないでしょう。
天理教(中山教)をバカにしないで下さい。
>陽気暮らしの天理教に加え これからはコロナ撃退の天理教です。
教団拡大のビッグチャンスです。
天理教は、陽気暮らしでもなければ、コロナの撃退も出来ません。
天理教(中山教)を何だと思っているのですか。
天理教(中山教)をバカにしないで下さい。
>>金かねと本部が手繰れば手繰る程、本部にとってお金にしか見えない信者はコロナで物理的にも精神的にも遠ざかっている現実です。このまま時間を重ねる毎に順調に遠ざかる事でしょう。<<
その通りです。「天理屋」が完全に消滅しても人だすけはできます。毎年のように襲来する大規模な自然災害が発生した時、誰も呼びかけなくても全国から災害復旧ボランティアが被災地へ手弁当で参集します。被災地へボランティアに行けなくとも、自分のできる範囲内の募金等で被災地の復興に協力する不特定多数の人々がいます。あくまでも無目的に、純粋に、ただ人の幸せだけを願って、祈りをささげることも人だすけだと思います。色々な形の人だすけがあるはずです。難儀苦労している人の心に寄り添う心が一番大事なことだと思います。
>>周りにコロナ患者を収容する病院があれば、おさづけをしてコロナを撃退してやりましょう。<<
ジョークなんだろうけど、マジのバリ天がおらんとも言えん気がする。
患者は完全隔離で、接触できんだろうけど、できたとして、イタリアの聖職者たちみたいになれば、天理教のインチキが証明されていいかも。それで感染拡大でもした日にゃ、教団の命取りになるかもしれんし。
まあ万一、助かったとしても、世間から科学的に因果関係を認めてはもらえんだろう。
NHKと中山教へのみかじめ料はお断りします。
というシールを玄関先に貼る。
天理教布教師の哀れな姿。
靴下も履かない裸足にサンダル履きで色の褪せた格子柄の開襟シャツを着てお助けに来ていた上級会長と病院でばったり出会った。独り者だから仕方ない事とは思ったが、汚らしいし、何より見るからに貧乏臭かった。
こんな人と知り合いと思われるのも嫌でした。だらし無く小デブで貧乏くさく古着の様な粗末な服を着て裸足にサンダル履きの清潔感の無い布教師が病院内でお授けする姿を想像してほしい。天理教にどっぷり浸かると世間の常識も良識も欠けてくるのかと思った。
人はまず外見から入ります。こんな人が世間から有り難がられ尊敬の目で崇められるだろうか。
天理教人はまず世間並みの入り口の戸を叩くべきです。非常識の中で何の違和感も無く育つと非常識を世間でも普通に通してしまうので。バランスを欠いた人が多いです。撃退法は関わらない事に尽きます。
とにもかくにもコロナはしぶとく感染拡大中。
東京の大教会でも教会によって対応が異なるのは大教会長の見識の違いだろう。
6月の月次祭には教会から声がかかり参拝した信者の中には電車利用の高齢夫婦も
含まれていた(そうだ。)
私は教会に言われるまでもなく参拝しない、外出は極力控えているが、私の妹弟たちは
参拝を続けている。
いくら東京の感染状況を話しても、うちの家族は参拝を欠かすことができないのだ。
私の忠告は聞き流されている。糖尿病の妹は特に人の意見を聞かない。
馬鹿か、と思う。
信念が有るわけでもなく、単なる「拝み信仰」「自分の家族が助かるように」という、
神頼み信仰だから、参拝を止めると悪い事が起きるとでも思っているのだろう。
これが信教上の信念に基づく行為であれば立派だとも言えるかもしれない。
そうではなく、盲目的な行為、考え無しの行為としか言えない。
教会側は、大教会の月次祭は教会家族と教会住み込みの人だけで勤めますから
安心して欠席してくださいと、信者に対して、どうして言えないのだろう。
布教所でもなく、一信者にすぎない人たちがここ迄盲目的になるのは
良くなりたい、という欲が強いからか。
神様は空気の様な存在なのだから、今、自分が存在する所で祈れば良いと思うのは
私だけだろうか。名前も無い「神」に。神に名前を付けるのは人間の便宜的行為。
皆さん、愚痴を書きつけた非生産的な私めを、どうぞお目こぼしください。
>>教会側は、大教会の月次祭は教会家族と教会住み込みの人だけで勤めますから
>>安心して欠席してくださいと、信者に対して、どうして言えないのだろう。
やはり先立つもの(お供え)が減ると困るからでしょうねぇ
>>皆さん、愚痴を書きつけた非生産的な私めを、どうぞお目こぼしください。
とんでもございません。
同意することばかりでございます。
30年ほど前のことであるが、前真柱が、確か「みちのとも」でのインタビューで、
「毎日のおつとめの時、何をお願いされておられますか?」との質問に、
「中山家の無事と、問題が無いようにと。それだけです」
と答えたと、ある教会長が、憤慨しながら話していたのを覚えています。
結構長い時間頭を下げていても、信者や世界中の人々のお願いはしていなかったようです。
これはかなり大問題ですよ、皆さん。
そして、こうして批判している僕たちの法が元気なのはどうしてでしょうか?
30年ほど前のことであるが、前真柱が、確か「みちのとも」でのインタビューで、
「毎日のおつとめの時、何をお願いされておられますか?」との質問に、
「中山家の無事と、問題が無いようにと。それだけです」
と答えた<<
みちのとものインタビューでよくもしゃあしゃあと!有り得ません。
熱心だった当時の私は本部のおつとめで、長い長い真柱の祈りに、まだかまだかと頭を下げ続けていましたね長すぎる〜って。真柱ともなれば世界中の苦難、困難に向かう人々や事象に向けて一つ一つ、祈る事がいっぱいあるんだろうな、、。さすが大教団のトップだもの、、。世界平和を祈る責任あるもんな、、。とその心中を察していたんだが、、、。
え?中山家の無事を祈ってたんですか⁉️
その遺伝子を受け継ぎ、コロナ平癒のお願い勤めも一回だけだし。中山家に関係ないお願いはする意味無しって、事ですね。よーく判りました。
おさづけが効いた、御供さんが効いた、という話は、たまたまの偶然なんです。やってもやらなくても、飲んでも飲まなくても、助かるものは助かるし、助からない場合は助からないんです。
助からない場合の方が圧倒的に多いんです。助からなかった話をしても、メリットがないので話が広まらないだけなんです。
天理時報の手配り運動は、何とかして、熱心でない人々をつなぎ止め、献金を減らさないようにするための対策なんです。
誰でも手でさすれば、ある程度効き目はあるんです。錯覚なんです。さくらももこさんの『もものかんづめ』か『さるのこしかけ』のどちらかに、コピーライターの糸井重里さんが手をかざすだけで肩こりを治して「こういう能力は誰でも持っているんですよ」と話したことが書かれています。
御供を信じて、ガンで死んだ本部員を僕は知っています。
毎年ひのきしんデーやにをいがけデーがあったのは、誰も普段からひのきしんやにをいがけをやってないから、行事としてやっていたんです。
普段からみんながやっていれば、こんなことする必要はなかったんです。おかしいでしょ? 笑
大亮君も嫁と一緒に娘を世に晒してますよね。紙、電波の媒体を使って非常識な夫婦です。能天気、危機感皆無のだらしのない映像を垂れ流しできる神経が信じられないです。締まりのない夫婦ですね。宣言通りの世界一幸せな夫婦を実演してるんでしょう。世界中が困難にあえいでいる時にねえ。何とも無神経で無責任な夫婦です。こんな頭を次期真柱に据えるのです。中山家の無事安泰、それだけを日々祈る真柱の背中を見てやる気が出ますでしょうか?
信者をバカにしてますね。いつも身勝手に自分の安泰ばかりを考えているから本心がつい出たのでしょう。正直な人です。
天理教の人々の非常識な事実や、無責任さ、これを僕は、
「天理ボケ」
と名付けました。
真柱以下、教会に住む人々、みんな「天理ボケ」です。
皆さん広めてみませんか? 「天理ボケ」という言葉を 笑
『稿本 天理教教祖伝逸話篇』のタイトルは
『稿本 天理教教祖伝偽り篇』と直した方が。 笑
教祖の教え自体は素晴らしいものですが、人間がおかしくしたんです。「天理ボケ」の人々が。
「ひながた通らにゃひながたいらん」と教えられているのなら、
まず真柱以下、本部員みなさんが、貧に落ちきり、橋の下に住んで、単独布教しなければ、言っていることとやっていることが矛盾しますよね。 笑
さっそく実行して下さい。でないとつじつまが合わないし、信用をますます失いますよ。
>>皆さん広めてみませんか? 「天理ボケ」という言葉を<<
「天理屋」「天理病」「天理症候群」「寄進中毒」「おつとめ依存症」「ジバリアン」なんかもいかがです?
「宗教からの勧誘ラッシュ」
目が見えなくなると、あらゆる宗教からの勧誘に会う。ある時、関西に住む友人が、奈良の巨大宗教集団に、優れた技術を持つ眼科があると教えてくれた。人気があるので、予約を取らないと診察を受けられないということで、東京から行く私のために、その病院で一番早い時間の予約を取ってくれた。私はその日、開院と同時にいち早く診察室に入ることができた。
ところが、診察はたったの五分で終わってしまった。私が、過去に「網膜色素変性症」と医師から断定を受けていることや、それなりに目の病気と戦い続けた歴史を話すだけで終わったのである。その医師には「当院には、あなたの目を回復させる技術はない」と言われた。
分かってはいても、たった数分で診察室を出なければいけないのは、いささか悲しくもあったが、診察室を出て驚くことが起こった。
私の両側に、ハッピ(この宗教の支援グループの制服)を着た「お助けマン」たちが、やってきたのである。
「あなたをお救い申し上げますので、こちらへお越し下さい。」
と、彼らは、私を取り囲んだ。私は、気乗りがしなかったが、熱心な誘いに負けて、巨大な畳敷きの部屋に通された。そして、そこで、入信への説得が始まったのである。
教祖様には悪いが、私はまっすぐ前を向いて、聞き続けるふりをしていたが、わが脳の中では全く違うことを考えていた。その日、早く東京に帰って、仕事の現場に戻らなければならない事情があったのである。
私は三十分ほど我慢して、ようやく説得を逃れ解放された。待っていた友人が、
「ずいぶんゆっくりだったな。どうだったんだ。」
と聞いてきた。
「もちろん、駄目だったよ。」
と軽く答えると、
「駄目なのに、どうしてこんなに長く時間がかかったんだ。」
と返してきた。
「いや、こちらに入信すると、目が治るらしいんだよ。」
と返すと、
「それは考えものだな。取り組んでみたら面白いんじゃないか。」
と、笑いながら言った。
その友人も私も、紀州の名家の出であるから、敬虔な仏教徒である。友人は、製材所を経営する何代目かの社長で、自分の代では、手広くホームセンターのようなものも作り、先祖より規模を大きくした。私は、高校三年間は、いつもこの男と一緒にいたような気がする。実直な彼は、この教団の病院の評判を聞き、その評判を信じて、強く私に推薦してくれたのである。
「今日中に東京に帰りたいんだ」
と彼に告げて、私たちは、一緒に大阪へ向かった。………… (19~22頁)
これは、天理教が経営するよろず相談所病院「憩の家」のことである。
著者は、テレビ・ラジオ・イベントのプロデューサーである。目が見えない現在でも、仕事を続けているという。
その本の引用した文には、続きとして、あらゆる宗教から、入信したら目が見えるようになると勧誘された、とあるが、著者はむしろ医学の方を信じる、と締めくくっている。
憩の家は、天理教が誇る病院であるが、はたから見れば、そのような評価しか受けていないことを知って頂きたいのである。二代真柱様の思い描いていた、「憩う」ような、医師の教育がまだ行き届いてはいないのが現状なのである。憩えないのである。
憩の家に通院した際、医者に、
「こんなんで心カテ(心臓カテーテル)せえ言うたんか? そんなん必要あるか!」と乱暴に言われたこともある。職員や看護師さんには誠実に対応して下さる方が多いが、ようぼく医師を育てるという点では全くなっていない。
有名な河合隼雄先生も入院し、死去された病院ではあるが、大きな建物の中はそんな空虚感が漂っているのである。
CTを撮影する場所へ行った時、受付の女の子の鼻の穴の中に青い鼻くそがたっぷり付いていたのを見たこともある。「誰か注意しないのかなあ」と、不潔さにあきれた。
事情部へ電話して相談しようとしたら(電話にて相談事を話せる部署があるのである)、「今、ジャンジャン電話がかかってきて忙しいから、またかけてきて」と、十五分間で一方的に電話を切られたこともあった。そのクレームを電話で職員に伝えると、「あ、そうですか」とだけ言い、「申し訳ありません」とは決して言わない。電話を切る時も、「失礼します」とも言わず無言であった。また電話した時は、逆に自分の教会の苦労話を聞かされた。他にも、「うちの会長にもお嫁さんが来ないんですよ」「人間どれだけいんねん積んでるかわからんのです」とも言われたことがある。「教祖様は見てますよ~!」と言われたことも。その人に聞きたかった。「あなた、教祖が見えるんですか? 笑 とっくに死んでるのに」「毎日(時間があれば何度でも)おつとめ(天理教のお祈りのこと)して下さ~い!」それを聞いて「それなら試しました。何にも変わりませんでした。では、もう一度チャレンジしたら、御守護があるとでも? 無かったら責任を取ってくれるんですか?」とも言いたくなった。そもそも、天理教のおつとめは、自分のことをお願いするものではなく、他人の苦痛を助けて下さい、世界中の人々や世界の混乱や争いをくい止めて下さいと祈る世界助けの手段である。自分の希望を願うのはよこしまな考えである。そんなつもりでおつとめはしてはいけない。これは大切なことである。天理教の「命」なのである。
悪いんねんのない人はいない。誰でも色々持っている。これだから天理教は暗い印象がぬぐえないのである。
そもそも、天理教の教えに基づいたアドバイスしかしないし、時間も40分間という決まりがあり、朝9時から正午まで、午後1時から午後4時までと、決まりだらけで、対応する教会長は名前を名乗らない。後で責任を回避するためである。これを無責任と言わないで何と呼ぶのか? 24時間体制で、いつまでも話を聞ける制度くらい作らないで、人を助ける宗教団体が一体何をやっているのか?
「今一つ強調しておきたいことがある。それは、えせ宗教者どもが、拝み祈祷の御利益を振りかざすことである。いつの時代にも必ず出てくるものであるが、先祖の霊の祟りであるとか、前生にこういうことをしてきたからこういう結果になったのだとか、まるで見てきたように言う輩もあらわれてくる。このような迷妄は何としても脱しなければならない」(『重症の枕もとで』山本利雄・著、天理教道友社・刊、7ページ)
病院全体にいる人たちの「意識」が低いとしか言いようがない。いや、教内の人々すべてに言えることだと思う。
こんなことを書くと、本部批判に当たりそうだが、「そう思っている人がいる」と、参考までに書かせて頂いた。誤解せずご理解頂きたい。また、『障がい者』と書いているのは、障がい者は害ではないのだから、わざとひらがなで書いているのである。それは『カルガモ母さんが翔んだ』(天理教道友社刊)の著者である川上美也子さんのブログにも書かれている。障がい者がいるからこそ、健常者が存在するのである。それについては山本利雄先生の本にも書いてある。大切なことである。だからこそ、津久井やまゆり園の障がい者殺傷事件などが起こるのだ。そして、全ての人の心の中に、優劣をつける「差別」の意識は存在する。僕の中にもある。まず自分から意識を変えたい、と考えている。
↑
これは、『障がい者よ、街へ出よう』という本の、Amazonのレビューです。
「天理病」いいですね 笑
異端と呼ばれる方が正しいんです。豊文教会とか、ほんみちとか、八島さんとか。
だから裁判で負けたんです。
ずいぶん過去の事ですが、テレビで、エイズに感染して、息子を死なせた親がインタビューに答えていて、その時に、「何時何分、出直し」と書かれた記録と、ぼんやりさせたお社が映りました。お道しかあり得ないでしょう?
「信仰して助かると言われたんですが、こんな結果に・・・」と嘆いていました。
信じる者は救われないんです。
>>信じる者は救われないんです。<<
「信じる者は、足すくわれる。」 ナニワ金融道 より
行事(イベント)を行わなければ、人が集まらず、お供えが減るのでやる→そこで費用がかかる→また行事をしなければならない→またやる、の繰り返しで、コロナウイルスの影響で出来なくなった→不満が爆発し始めた。
という流れです。
で、これらを封じ込めると裁判沙汰に→また本部が敗訴。なので、とにかく何事もなかったようにするしかなくなった。
ご愁傷様です。
天理教道友社の本にレビューが少ないのは、天理教信者がいかに本を読んでいないかが理解出来る。天理教教祖が、原典である『おふでさき』について、「これさえ読んでおけば、他に学問はいらないのやで」と口伝が残されている影響だと考えられるが、それでは世界宗教にはなり得ない。社会の問題、病気の問題は尽きないが、天理教ではそれらを全て「前世の悪いんねん」で片付けてしまっているためであろう。では、ナチスに虐殺されたユダヤ人は、全て前世や過去に悪いことをしたから殺されたのか? 地下鉄サリン事件で被害に遭った人もか? 津久井やまゆり園で殺された障がい者もそうなのか? 植松容疑者もか? コロナウイルスに感染した人もみんなそうなのか? その問いに「そうだ」ということしか言えないのが現状なのである。そんな恐ろしい宗教を誰が信用するか? するわけがない。山本先生はそれも脱却しなければならない(単純な因果関係、決定論的因果律からの脱却、466ページに言及)、と、この本でも提言されている。天理教信者はみんなでこれについて考え直し、改めなければならない。そうしなければ衰退の一途を辿るだけであろう。それに、自分だけ「ガンが治ったから助かった。有り難い」「家族が、子供が元気だから有り難い」と、人を助けるのではなく、「自分が助かりたい、自分の家族が助かりたい」と考えている人が多い。これには僕も辟易してきた。それならば天理教でなくても助かる宗教は世界中にある。僕の経験からすると、各宗教で助かる確率はほぼ50%、あとは助かっていない。何故そう断言出来るか? と問われると、多数の宗教関係者を見てきて、話を聞いてきて、助かった人、助からなかった人、両方見ているし知っているからである。ということは信仰してもしなくても同じ、という結論となる。それでいて、「うちの宗教が一番」「うちが唯一無二の宗教」と争っている。そういう思い上がりは一切捨てなければならない。天理教がそんな教えしか説けないなら、僕は川口由一さんの生き方と考え方を支持する。
↑
『いのち 今、を活きる』のAmazonのレビューです。
マジで自分とこだけが助かりたいと思ってる教会は多い。
本部や教会の動画見ても、神様の事詳しくないよね。
ただ天理王命がーとかで。
偉そうに天理教の教えとか、信仰すれば助かるとかいう前に、お前のみすぼらしい恰好とメタボ腹なんとかしてもらえwww
江戸時代の構造のまま、令和になってもそのまま。何も変わらない。
変われない。
組織の上の方々は変わりたくないし、変えて欲しくないし、変われない。
下々の方々に変革する力は無い。
東八王子の会長さんのノートを見たらよくわかる。
下手に変革などしなくてもいいのです。
衰退→崩壊→解散→完全消滅。
昨今の道の事情を見ていると
偽教理で暴利をむさぼる反社会的教団組織を
この世から葬り去ることが神の思惑なのでしょうから。
教えだけ残ればいいのです。
>>下手に変革などしなくてもいいのです。
衰退→崩壊→解散→完全消滅。<<
それが自然の流れだと思います。
改革なんていらないのです。
教団自体が滅びた方が、世のため人のためですよ。
いい事づくめです。
多くの信者が時間をもっと有効な経済活動に使えます。
学問にも励む時間が出ます。
それまでのお供えも、もっと社会を良くする事につかえます。
>>昭和19年発行 中山正善著 訪炭余録 より
本稿は天理時報昭和18年5月30日付第668号から同年8月29日付第681号にわたり連載したものを集録したものです。(編者)
一、 まえがき
5月21日から23日に亘って筑豊に散在する数多の炭坑に勤労報国隊としてお邪魔している ひのきしん隊を、24日には山口の○○の ひのきしん隊を歴訪して来ました。
一同は元気につとめていてくれました。よろこんで迎えてくれました。しかし幸か不幸か二、三の炭坑以外は殆ど休日に訪れたので、実際活躍している現場を見せて頂いたのは二ヶ所にすぎませんでしたが、そのためかえって全員にゆっくりお目にかかることができました。
元来、石炭増産問題から勤労報国隊の制度の設けられたのは昭和15年からだそうですが、わが天理教として計画的にこれに参加さして頂いたのは、昨年の一宇会の企画に始まるのでありまして、本年に入っては聖旨奉答の ひのきしん動員中に炭坑出動を大きく企画し、さる4月中より実動にうつっていることは皆さんのよく御承知のことであります。
去年のことでした。私はこの隊の激励に赴きたく計画を重ねたのですが、種々の事情より遂に実現に及ばず越年してしまったのであります。実に残念に存じた次第でありますが、今回この筑豊の諸坑を訪ねたのが最初なのであります。
この最初の経験は予想を裏切り実に素晴らしい或物を感受しました。
お恥かしい話ですが、私の炭坑に対する常識は所謂地獄部屋の物語を甘受し更に多少の改良を予想していたのでありますが、聞くと見るとは大きな相違で、近代文化の一原動資料としての採炭事業の相貌に接したのであります。
勿論僅か四日に亘る経験であります。見誤り聞きちがいも多少あることでしょう。また話し足りない点もお話にならない程多いことでありましょう。が正直に私の常識に訂正を加えられた節々を思いでのままにお話し申そうと存じます。
一々の巡訪記は浦記者も物することでしょうから、件々の節々についてのお話でお聞き頂きとう存じます。
なおこの四日に亘ってお訪ねした炭坑の方々に対して種々歓待下されたことや、色々の常識を与えて頂いたことを厚く御礼申します。又ひのきしん隊の諸君の御安全と層一層の真の御奉公とをお祈りすると共に、尊くも殉職された霊に厚く弔意を表し、怪我された方々の速かに御守護頂かれることをお祈りします。<<
昭和19年天理時報社発行 中山正善著 訪炭余録
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024623
天理教の戦時協力を教団トップ自ら宣伝した、貴重な資料といえると思います。当時、ほぼ全国民が戦争に協力したとはいえ、宗教団体の名の下に行ったのは如何なものかという気がします。戦争に勝っていれば大成功の企画だったのかもしれませんが。
子供の頃、教会で信者のオバチャン達が、天理教徒は殺生をよしとせず戦争に行っても空に向けて銃を撃ったなんて話しているのを聞いたりしましたが、今考えると、それじゃ家族を守れないし自分も生き残れないだろうと笑ってしまいます。あと聞いたのは、戦闘で被弾した際、胸のポケットに入れてあった「おふでさき」に命を救われた話とか。「荒野の1ドル銀貨」じゃあるまいし、小型の拳銃くらいならともかく小銃相手じゃ広辞苑や電話帳入れてても助かりませんよ。
太平洋戦争大弾圧の敗戦を予言して大弾圧を受けた大本教とえらい違いですね。
大本教は日本は負けるとして、政府に非協力的だったため2度の大弾圧でした。
負ける戦争に加担してたとは、もうその時点で真柱含め神の予言を聞ける人がいなかったわけですね。
>>天理教の戦時協力を教団トップ自ら宣伝した、貴重な資料といえると思います。当時、ほぼ全国民が戦争に協力したとはいえ、宗教団体の名の下に行ったのは如何なものかという気がします。戦争に勝っていれば大成功の企画だったのかもしれませんが。<<
「人助け」「陽気くらし」を説く天理教が、「戦争」(=人殺し)に加担していたことを証明する貴重な資料だと思います。やはり宗教団体ではなく「天理屋」なんですね。
現真柱は引退してDに真柱を譲ったらどうだろうか。
元々継ぎたくないと漏らしてた上、良くも悪くもやる気がない。
指導力もない。
信仰未熟者の皆さん こんばんわ。
バリ天Aです。
こんな所で、たんのうも出来ず不足を言っているとは、困ったものですね。
全教一斉ひのきしんデー 僕はてっきり、おさづけを取り次ぎに全教区で病院に行ってコロナ撲滅大作戦やるのかと思ってました。
真柱様は本当に世界だすけする気があるんでしょうか。
身上になって病気の人に、おさづけ取り次いでも治らなかったというのは、極端な信仰心の不足なんです。
全財産ささげて身も心もおさづけを受ける境地に入らないと無理なんです。
真柱様自ら先頭に立てばコロナなんて大丈夫ですよ。
え?真柱は既に身上? 種なしだし頭アウアウアー?そんな奴が真柱やってるから教団が傾く?
確かにその通りですね。
自分の身上も治せない人が、他人におかきさげとかおさづけの理とか無理に決まってますよ。
ただ、現職の場合やる気がないのは有名で、病気で倒れた人見てもおさづけしなかったとか真柱やりたくないと漏らしてたの有名な話ですし。
え? 歴代真柱全員短命?
あれ? 信仰すれば病気が治るんじゃなかったんですか?
訳がわからなくなってきました。
教団にお供えすれば後は結構とか言ってる教団のトップが身上じゃもうこの教団だめかもしれないですね。
僕はこの日をもって脱会します。
あ、でもその前にここの女の子はすぐやらせてくれるから、少し遊んでからで。
大森町部内、大美町分教会前長の著作『手くぼの陽信』(養徳社・刊)に、稲葉氏が参拝に行き、直会を頂こうとして、お椀のふたを開けると、中が空っぽだったので、愛町初代、関根豊松氏におさとしをうかがうと、
「命問題ですね」と答えたと。「このままだと死ぬよ」という意味の、恐ろしい話が書かれています。
大美町二代、和泉会長はひどい身上で苦しんで早死に。
その後は大美町は大きくなりましたが、愛町も大美町も、勝手な教理を説いています。
教祖より、関根豊松氏の写真の方がでかでかと神殿に置いてありますし。
>>僕はこの日をもって脱会します。
あ、でもその前にここの女の子はすぐやらせてくれるから、少し遊んでからで。<<
あなたのようなアホが、シロアリのように「天理屋」を蝕んだと思いますが、シロアリは一匹ではないはずです。またシロアリは羽を持っています。あちこちの大教会や分教会、布教所、信者の所まで飛んでいって、全て、腐らせてしまったのでしょう。「天理屋」には再生の余地はありません。完全崩壊・完全消滅は間近です。
シロアリはそれなりの生きる道を探してください。その内、全て駆除されるでしょう。
関根豊松氏は、けっこうになってから、かなりぜいたくなくらしをしていたそうです。
大きくて立派なお財布に、常に2~30万円入れて、どんどん使っていたと聞きました。
愛町部内では、かなり成人しないと修養科へは行かさない方針と聞いていたのですが、僕の経験では、部内の修養科生がひのきしんに行った時、おしゃべりして、何もしませんでした。話がおかしいと本当に思いました。
>>「命問題ですね」と答えたと。「このままだと死ぬよ」という意味の、恐ろしい話が書かれています。<<
↑ これ、脅迫ですよね。
もう「カオス」 笑
天理教=伏魔殿 www
天理市のお土産屋で「伏魔殿御前」が売られる日が来るかも。
大森町前会長は突然の早死に。
呪われている。
天理時報の「地方の動き」の記事、たった「10名が参加した」で記事になる。
よっぽど書くことがない証拠。
また、「300名が参加した」と書かれていても、実は、「確か子供が30人くらい居たな。じゃ、それも含めて、本当は200名だったけど300名としておこう」と、道友社友が話していたのも知っています。
崩壊さん
ネタで書かせてもらいました。
>>僕はこの日をもって脱会します。
あ、でもその前にここの女の子はすぐやらせてくれるから、少し遊んでからで。<<
さすがに、この匿名さんはジョークというか、上手くバリ天を表わしたパロディだと思いますよ。 私は大いに笑わせて頂きました。しかし、リアルに現代版「おぬくもり」なんてあったりして。
「おぬくもり」に関わる資料も、まだ紹介したいものがあるのですが「天理教その搾取戦術」「資金網物語」「議会速記録によって暴露された天理教罪悪史」と、何れも途中の状態で、さて何から手を付けてよいものやら。
バリ天A様
天理教の女性をもてあそばないでいただけませんか。
お願いしますね。
松本滋・元鶏郷分教会長も早死に。
錦江前大教会長も早死に。
115歳定命はうそ。
僕が修養科に行った時、「皆さん、おさづけをもらえて良かったですね。過去に真柱様からお言葉が出ず、もらえなかった人がいるんです。別席で替え玉を使ってたんです。他人を別席に行かせたのでお言葉が出なかったんです」
講習では、「謀反を起こした橋本清氏は、不幸な死に方をしたと聞いています」と聞かされましたが、そんな事実は他で聞いていません。騙されないように。
真面目な信者ほど、損をするんです。
そういう人たちをたくさん見てきました。真面目に信仰して、助からず、一家で大教会へ住み込んだ人、行き場を失い、結婚も出来ず、大教会に仕方なしに住み込んで、一生を終える人をたくさん知っています。
不真面目な人ほど、うまくいくんです。においがけもおたすけもひのきしんもお供えも何にもしない人の方が得をするようになってるんです。適当にした方が人生うまくいきますよ。僕は真面目に信仰して損をした方です。それに気づいて不真面目にしたら、うまくいくようになりました。これが事実です。
うまくいくことが、神様からの課題を達成したことになりますか?
うまくいくとは、何でしょう?
長いものに巻かれると楽だし、うまくいく、私も同じです。
私も職場でうまくいくために長いものに巻かれる。
一緒ですね。
でもおやさまは喜んでくださるのかと振り返り、悩みます。
>>うまくいくことが、神様からの課題を達成したことになりますか?
うまくいくとは、何でしょう?<<
神様からの課題とは何ですか?
それは、どうすれば達成したことになるのでしょう?
お答えします。
「うまくいく」=「スムーズに何でもことが進むようになる」ということです。
うまくいかなかった時期は、とにかくお偉い先生方のお言葉を信じ、実行して、結果、病気になったりお金を失ったり、おたすけがあがらなかったんです。
それが今では、「人間はみんな間違える」と気づいて、自分で思案し、さんげし、自分の落ち度に気づいて、それから「スムーズに何でもことが進むように」なりました。
おたすけなどしない方が、世のためになることに気づきました。
「スムーズに何でもことが進むようになる」ようになってから、「神様が味方について下さっている」と思えてなりません。何度も壁にぶち当たって、先へ進めない時期が過去でしたが、今は「自分がどうすれば一番いいか?」と思案すると、すぐ答えが出て、その通りにすると、何でもスムーズに進みます。神様が教えて下さっていると実感しています。これが「日々の求道」だと思います。
ついでに。
みなさん「迷子」になっています。そう思いませんか?
どうすればいいか、わからなくなった、信じられなくなった=「迷子」という言葉がちょうど当てはまると思えませんか?
本部・教会・先生方の言うことは、僕の経験ではすべて「間違い」だったのです。なので自分で考えて判断し、実行するように方針を変えました。全ては「洗脳」だったのです。
他人の言動に振り回されない。これが結果的に導かれた答えでした。
みなさんもそうすれば納得出来ますよ。
迷子から抜け出す方法は、お供え? お祈り? ひのきしん?
天理教から抜け出す事
これ一番大事 効果すぐあります
やってみましょう
これが最後の答えとします。
他人に聞かないで、全部自分で考えて下さい。他人に聞くと必ず失敗します。
答えは「自分の中」にあります。人に聞いたらいけません。
とにかくよーく自分で考えて下さい。そして答えを見つけるまで考え続けて下さい。そうすれば必ず答えが出ます。
これ以上はお答えしかねます。
他人や本部に責任を押しつけ続けていると、答えが出ませんよ。終わり。
ナチスドイツの中では、無能で不真面目であった方が、罪を犯さないでいいでしょうし、ヒトラーに正直素直になれば人生滅茶滅茶になるでしょう。
心中のおやさま以外、この世に帰依するほど信用できる人が居るでしょうか?天理の宗教家も含めて。
神様からの課題は人それぞれ違うだろうし、状況によっても違います。
御自分で考えるという匿名様、そういう風に考えられたのですね。
でもおさづけもお助けもされてほしいですが。気功とでもいうのか、何なのか、仕組みは分かりませんが、おさづけというのは不思議なものですね。
バリ天Aです。
夜分遅くすいません。
においがけで、駅前に立っていたら色々な事があったんで書かせてもらいます。
駅前でにおいがけしてたんですよ。
そしたら同じ天理王命(てんりおう いのち)って書いた布を持ったファンクラブの方がきたんですよ。
喜び勇んで、その方に話しかけたら、邪魔だあっち行けって。
同じ天理教なんだから一緒ににおいがけ なんなら南口 北口と分けて行いますか行ったら、いいから帰れと。
おかしいな思ってどこの教会か見たら、系統が違うみたいで。
違う大教会だったんですよ。
同じ宗教なのに、おかしくありません? 同じ教えですよ。
向こうは美人揃えて天理教と誘っては、次いつ会えますかと必死に取り込もうとしてました。
嫌気がさして帰ろうとしたら、一部始終見てたエホバのおばちゃん方に慰められました。
あなたも大変ねーって。
エホバは、大勢で仲良くやってましたよ。
自系統に取り込もうと信者の奪い合いっておかしくありません?
あ、もちろん他系統でも、夜のひのきしん でしたら喜び勇んでいきます♂
僕のちん柱一応立派なのあるんで、中におさづけもOKです。
関東大震災が起こった大正12年の震災前、当時の大森町宣教所長つまり大森町大教会二代会長を「一身上の都合により」を辞して単独布教に出た。
その前の明治四十三年、実父関根吉藏が死んだ。財産分与で当時としては破格で莫大な遺産を一子相続し、手にした。
赤貧で「地べたにゴザ引いて云々は」嘘である。
バリ天A
系統の縦割りを揶揄するのに
回りくどい割にはクソつまんねーよ
100点中13点
前回の方がマシ
次回もうちょっと頑張れ
2020年7月11日 11:06 PM
バリ天Aです。
↑
これ、バリ天じゃないな。バリ天はこんなこと言わない。
下品すぎる。
荒らしだな
最近荒らし目的のような、意味のない投稿が続いているが、名前は全部「匿名」。
たぶん、同一人物だろう。こいつ、本部からナンボもらってんだ、と疑ってしまう。
大美町二代は、師と仰ぐ豊松が単独布教に同行すると言って粋がって豊松と一緒に同行するやいなや、自身の心臓の持病と根っからの根性なし、度胸の無さで豊松の単独布教のさなか途中で大森に引き返してしまった。
この男、教会住み込み人や信者のような弱者には滅法強く、ある種の小心者であった。昭和三十一年に六十一歳で死んだ。
すぐさま跡を継いだ大美町三代会長である大正元年生まれの婿養子が強欲の塊で、都内一等地で「境内地拡張」をスローガンに近隣の住人の土地を買収し1200坪の神殿普請を昭和四十六年に開始し昭和五十年に竣工させた。この男も上から目線で、戦時中元小学校教員でもあったことが幸いし言葉巧みに、特に女性信者、資産家の信者を多数獲得。「大美町の門をくぐれば絶対助かる」などと嘯いていた。この大美町三代会長・・・・「腹ペコ・クタクタの捨て身のお助け」をなどと言っていたが実際は篤信の信者で資産家のところへしか頻繁にお助けに行いかなかった。今の大美町は知らない。
立教180年の春の大祭で真柱様は「・・・世界いちれつの陽気ぐらしの実現は、なお未来のことですが、その大きな目標に向かって、教会に関わるみんなが心を合わせ、一歩一歩、歩みを進めるなかで、足元から陽気ぐらしの輪が広がっていくのであります」<<
騙すな、天理屋!
天理教が多くの人々を不幸に陥れているのは、陽気暮らしの実現はなお未来の事だと、言っている事。明治生まれの祖母は陽気暮らし実現に向けてすってんてんになって教団を信じて死んだが、令和の時代になってもなお「陽気暮らし実現に向けて頑張ろう!」と言っている天理教本部。生きていれば131歳の祖母だが陽気暮らしはいまだ実現せず、我々信者はエンドレスに陽気暮らし実現を追いかけさせられている。
今を生きている我々に生きている内に実現しない事を目標に置きそれに向かわせるのは罪、悪だと思う。信仰の軸を今に置かなければ、生きたとは言えない。
「陽気暮らし実現に向けて」と言うスローガンは天理屋中山家による信者つなぎとめの方便で、エンドレスに続く商売道具だと確信しています。これが騙しでなくて何だと言うのか。
幸せは今、足元にある。今を生きて今を喜ぶ。心の悟り、喜びは生きている内に見なければ虚しい限りではあるまいか。現天理屋は「陽気暮らしは、今あなたに実現している、今を喜ぼう」と言う事こそ信仰では無いのかと思う。未来の実現の可否は誰も予想出来ない。そんな抽象的な世界を目標に掲げて信者をあおって騙すな!と思います。生きていれば131歳の祖母は騙された〜とあの世で嘆いているだろう。
今、我々は現在進行形で天理屋に騙され続けている。
今の大美町は会長がどうなんですかね?
誰かご存じの方おられますか?
前会長の武夫先生と直接応接室で話を伺ったことがあります。武夫先生はとてもカリスマ性があって、一言言えば、信者は必ず従っていました。毎日神殿では常に参拝する人が出入りし、いつも賑やかでした。
今の会長はそれよりちょっと頼りなくなっていますし(教務支庁などで、お話しをする機会は多いのですが)、その後の後継者は、さらに(失礼ですが)「頼りない」人物でした。
大美町の信者は、教区や支部では受けが悪いです。理由は、他のお道の人々より、自分の教会(大美町のこと)を最優先するし、他には協力せず、協調性がないんです。だから評判がどんどん落ちています。
なので、大美町は今後衰退するものと僕は予想しています。だいたい、上級の大森町大教会でも、煙たがられていますので。「みんな勝手だ」と。
>>『稿本 天理教教祖伝逸話篇』のタイトルは
『稿本 天理教教祖伝偽り篇』と直した方が。 <<
実に言い得て妙だと思います。他に、みかぐらうた五下り目の
「おびやはうそ(ほうそ)のゆるしだす」は
「おびやは嘘のゆるしだす」と読めんこともない。
皆さん、肝腎なことに気づいていないようですね。
教祖が「陽気ぐらし」という言葉を言ったという文献も何もないですよね。
おふでさきにもないですよね。
あるのは「陽気遊山」と「陽気づくめ」だけでしょう。
「陽気暮らしをするのを見て神もともに楽しみたい」と書いてあるのは、「教典」です。これは「教典」を作成する必要があって、編纂会議を行った際、本部の人たちが一般人にわかりやすくするために「陽気ぐらし」という言葉にしようと、ってに
(失礼、続き)勝手に決めた言葉で、その中心人物が二代真柱だったんです。親神は本来「陽気遊山が見たいゆえから」とおふでさきにありますよね。「遊山」の意味を調べて下さい。遊びに出かけるという意味だけではなく、「神社やお寺にお参りに行くこと」とあるはずです。すなわち、「陽気」に生きることを神は望んでいるのではなく、おぢばへ参拝に行き、お礼やお願いをして、「人がめどか、神がめどか、神さんめどやで」と教祖は梅谷四郎兵衛先生に言ったと書かれているじゃないですか。他人は全く関係ないし、神と教祖が残した教えだけ学んで、それだけ従えばそれだけで良かったんです。
泣いても悲しんでも怒っても陰気でも、何でも神様は許してくれます。そんなことぐらいで「こころえちがいはでなおしや」などと、死んだりすることはありません。そんなに神様はちっぽけな存在ではないです。
「こどものしゅっせまちかねる をやのおもいはこればかりなり」と書いてありますよね。「こればかり」と書いてあるんですから「これだけ」なんです。もちろん心のほこりを掃除する必要はあります。だけどこれも、だれでもほこりは毎日積むから、毎日掃除してくれ、ただそれだけすればいいんです。
真柱も本部員も教会長も布教師も、みんな「迷子」なんです。だから天理教に関わる人々も「迷子」になったんです。(ちょっと疲れてきました・・・)「人間はみんな間違える」何でそう僕が主張するかというと、全てが実体験で、人から聞いたことを信じた結果、ますます迷子になったんです。それに気づいて、人の言動に振り回されない、と決めたら、自分の人生は自分で判断して決めていく、これ、常識でしょ?
だから「答えは自分の中にある」と書いたんです。人によって答えは変わるんです。決まった一つの答えなんてないんです。真柱以下、みんな「甘ったれ」ですね。努力が足りません。僕は35年間以上かかって、ここまで来たんです。苦労の連続でした。皆さん苦労してないみたい。大人なら自分で何でも考えて決めて下さい。はい、終わり。
と思いましたが、もう少し。
「陽気ぐらしの天理教」「感謝・慎み・助け合い」「互い立て合い助け合い」など、いろんなスローガンがありますね。これら、本当に教内で実践されています? されてないでしょ? ケンカ、悪口、ののしりあい、陰口、つぶし合い。これが現実でしょ? おたすけして、においがかかって、さて、どこに連れて行きますか? 信用を失った天理教本部や教会へ? 誰も助けられないところですよ。だからおたすけするなら、信者にすることは問題になります。僕もさんざんやりました。ですが、結果的に入信させられなかった。理由は書いてある通りです。
どうしてもおたすけしたいなら、「困っている人に寄り添って、必要なことだけ手を貸して、協力する、力になる」までにとどめた方が良いのです。においがけもさんざんやりましたが、例えば特別号を配ったりすると、ポストに投函したりしたら、今はどこでも怒られますよ。これは助けてるんじゃなくて、迷惑をかけているんです。神名流しも止めなさい。歩道や道路をふさぎ、拍子木を叩いて暗いよろづよ八首を歌って回る、「うるさい!」「赤ちゃんが目を覚まして泣き出しちゃった。ホントに迷惑な!」という苦情はあちこちで起こっているんです。やるなら黙って繁華街や駅前で立って布教しているエホバの証人みたいな形式にとどめなさい。
日曜日だし、久々に教祖伝逸話篇(偽り篇)の粗探しでもやりますか。こんな教祖はイヤだ!シリーズ。
159 神一条の屋敷
梅谷四郎兵衞が、ある時、教祖のお側でいろいろお話を承っていた が、ふと、「ただ今、道頓堀に大変よい芝居がかかっていますが、」と、 世間話を申し上げかけると、教祖は、その話を皆まで言わさず、
「わしは、四十一の年から今日まで、世間の話は何もしませんのや。 この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。」と、お誡めになった。
こんなふうに言われたら、私だったら
「あー、左様でございますか。俗人の、つまらん話で御耳を汚して、まことに申し訳ありませんでした。もう何も申しませぬ」と言ってしまいそうです。興味なくても聞き流すくらいの余裕があっても、よさそうに思うのは私だけかな。そのくせ次の話では・・・
168 船遊び
教祖は、ある時、梶本ひさに向かって、
「一度船遊びしてみたいなあ。わしが船遊びしたら、二年でも三年 でも、帰られぬやろうなあ。」と、仰せられた。
ええー!?なんかキャラ変わってませんか?それとも、もしかして梅谷四郎兵衞って実は嫌われていたりして。
ひのきしんも=単なる「ボランティア活動」としておいた方がいいです。「天理教はこうして社会貢献活動をしてますよ」と、恩着せがましい行為になってしまいます。事実、そう受け取っている人がほとんどです。他宗教でも同じことが起こっています。「天理教」の名前は公にしないで良いことを影で行う、これこそが真の「おたすけ」なんです。
僕の一貫した主張は、本部解体・教会制度撤廃です。「やしろはいらぬ、ちいさなものでもたてかけ」と教祖が言ったとありますよね。勝手な人間達の拡大解釈に過ぎません。お道には、利益を全く求めず人様のお役に立つようぼくが100人もいれば十分なんです。後は邪魔者です。
そうなれば、「天理教の人たちは皆さん一人残らず立派ですね」と言われるようになります。これを読んで、それでもお道を通りたいと思うなら、自分の都合は一切捨てなければなりません。食事も住むところも睡眠もお金も何もかも求めてはいけません。それが教典の最初のページに書かれた「ひながた」でしょう?
捨てられないのなら、人助けはしないで、自分自身を「成人、出世」させることが神様の願いなんですから、それだけやって、他には何もしないことです。とりあえずここまでとします。
おさづけを取り次ぐのも止めた方がいいです。インチキですから。ただし、必ず効く方法があります。
それは、「自分の命を捨てる覚悟をする」ことです。神様と「私はどうなってもいいですから、この人を助けて下さい」と、自分の命を捨てますからと神様と「取引」をするんです。僕はそうして取り次いで、一発で鮮やかに効いた経験が何度もあります。ですが、それも良くないことなんです。理由は、「助かった! 治った! あー、ホッとした。じゃあ、もう問題は解決したので、宗教は要りません。お引き取り下さい」という結果になるからです。つまり御守護で「助かった乞食」を増やすことになるんです。助からない方が考えて悩んで思案するので成人するんです。
>>『稿本 天理教教祖伝逸話篇』のタイトルは
『稿本 天理教教祖伝偽り篇』と直した方が。 <<
これを書いたのも僕です。御伝や逸話篇、教典に、書いてあることの真偽が問題となります。出典はどこか? それが明確でないので、捏造問題が出るんです。「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつを助けるために天下った。みきを神のやしろとしてもらい受けたい」って、突然の言葉、誰が正確に覚えているか? あり得ないでしょう? なので、鵜呑みにすることが危険となってくるのです。
参考意見 様
> 一度舟遊びしてみたいなあ。
この「舟遊び」 は、海外布教のこととうかがっておりますが。・・
おやさまは、この世ですることは、どんなことでもすべて「遊び」 ととらえられていたようです。
僕がやりたいことは、「嘘や詭弁、組織化したために人集め、そして集金、で、天理屋として楽して生活して堕落する、それを全て公にし、完全にリセット、白紙にして、組織と教会を無くす。宗教団体となると弊害しか生まれないので、テキトー信者は全員去ってもらう。そして真の復元を行い、天理教という名前を世の中から消す」ということです。
そうなれば、親神のおぼし召しに添う、と確信しているのです。
長文は細切れにせず、まとめてコピペするか、囚人みたいに番号だけでもいいからハンドルネームを設定してくれると有り難いんじゃが。他の匿名さんに混じって読みにくいんで。
超理想の甘露台の世界は未来にあるのかもしれないが、陽気暮らしは今にあるののでなくては、心通りの神が良き未来を運んでくる事は難しいだろう。
陽気暮らしのヒナガタはお地場の中心人物達に実現していなければ、どこで誰を中心にヒナガタ信心とやらをすればいいのだろう。??
>>「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつを助けるために天下った。みきを神のやしろとしてもらい受けたい」って、突然の言葉、誰が正確に覚えているか? あり得ないでしょう? なので、鵜呑みにすることが危険となってくるのです。<<
おっしゃる通りです。突然の言葉や出来事を誰も正確に記憶することはできません。VTRや録音機があった時代なら別ですが。例えば、別席の話を9回も聞いて正確に記憶している人がいるでしょうか?
どーでもいーが
2020年7月12日 2:43 PM
長文は細切れにせず、まとめてコピペするか、囚人みたいに番号だけでもいいからハンドルネームを設定してくれると有り難いんじゃが。他の匿名さんに混じって読みにくいんで。
申し訳ありません。 笑
これは僕のくせで、手紙でもなんでも後から「あ、ここが気に入らない、ここも直そう」って、修正を何度もするんです。そうすると、一ヶ月経ってもまた直したくなる。なので、こんなんなっちゃうんです。お許しを。
匿名 様
あなたに興味をもった方がいらっしゃるんです。そのためにも、「匿名」 の後に番号でも打って、他の「匿名」 さんと区別してくださいよ
まあ、見上げた精神です。あなたのツメの垢を煎(せん)じて、本部の先生方に飲ませたいくらいです。
>>「我は元の神、実の神である。この屋敷にいんねんあり、このたび、世界一れつを助けるために天下った。みきを神のやしろとしてもらい受けたい」って、突然の言葉、誰が正確に覚えているか? あり得ないでしょう?<<
ス、スルドイ!!サヴァン症候群ででもなけりゃ、ありえない。
ただの匿名にしとくの勿体ない。この際「匿名1号」とかでいいから識別可能にしないかえ?「ポチ」でも何でもいいから。
>>匿名 様
あなたに興味をもった方がいらっしゃるんです。そのためにも、「匿名」 の後に番号でも打って、他の「匿名」 さんと区別してくださいよ
まあ、見上げた精神です。あなたのツメの垢を煎(せん)じて、本部の先生方に飲ませたいくらいです。<<
僕のことですか? ちょっとわからないので、一応お答えしておきますが、僕は新宗教の教祖になるつもりは全くないので、単に問題提起して、僕なりの導き出した今後の方向性を皆さんに共有して欲しかっただけです。「どーでもいーが」さん、それではそうしますね。
何故僕がこんなに詳しいかって? 生まれてからずっと体が弱かったので、道一条でないと命がないのでは、と考えて、修養科へ行って、そのまま本部勤務者になったんです。部署は書けません。バレますから。本来、知ってはいけない話、事情、内部の問題、汚職、天理に住む人々の信仰心の無さ・・・いろいろ知ってしまったんです。僕は休日返上で働きましたが、身上がますます悪くなって、「人はみんな間違えるもの」と気づきました。
褒めてもらったことは一切なくて、後輩からもボロッカスにされました。そんな苦労を他の人にもさせたくなかったんです。
おさづけで今助かってもしばらくすれば心づかいが同じであれば、同じような病気の芽がふいてきませんか。
繰り返し繰り返しおさづけを取り次ぐことの出来る関係の維持は結構大変だと思います。
ぶり返してはおさづけで治すことの繰り返しの中で、自分自身を振り返っていくことがその方の道の発見につながるのかなと考えます。
そこで「責任を取ってくれ」と言い出したら、みんな逃げてしまいました。親兄弟もです。それでようやく気づいたんです。親神・教祖だけを頼りにして、自分で思案し、答えを見つけることを。その間、病気で7~8年間引きこもり状態で、自殺も図りましたが、運良く生きながらえました。それから自力で立ち上がったんです。誰の力も借りず、ただ、神様のお力を借りて。「今後こうして生きていこう」とそこで決めたんです。
皆さんもそうすれば答えが出ませんよ。大丈夫、他人のことは「神が見ている、ほうとけという」そういうことです。当てにしたら、利用されますよ。
>>おさづけで今助かってもしばらくすれば心づかいが同じであれば、同じような病気の芽がふいてきませんか。
繰り返し繰り返しおさづけを取り次ぐことの出来る関係の維持は結構大変だと思います。
ぶり返してはおさづけで治すことの繰り返しの中で、自分自身を振り返っていくことがその方の道の発見につながるのかなと考えます。<<
何度も書きますが、おさづけはインチキですよ。自分の命と引き替えに、神様と取引しなければ効きません。
何でインチキって断言するか? 故・山本利雄先生に聞いたんです。そうしたら「私もわかりません。信じていればいいのでは。それでよいのではないでしょうか。」という曖昧な答えしかもらえなかったんです。あの山本利雄先生ですよ。何でも知ってる人が
。おかしいでしょう? 「あ、誤魔化したな」と、僕は気づきました。だから、インチキという答えなんです。
残された救済の手段は「おつとめ」だけです。教祖の寿命を縮めてでも急き込まれたおつとめ。親神は「一れつこころしやんたのむで」とおふでさきで締めくくっていますよね。思案=考えること=神の思いを、自分に神は何を求めているか考えること。そうすれば、「ふとうかぶが神ごころ」で、頭の中に思い浮かびますよ。それと、「談じあい」ってお言葉がおさしづにたくさん出て来ますよね。神様は「みんなで相談して決めなさい」って言ってるんです。「思案」と「談じあい」この二つと、おつとめ。これで必ず悟ることが皆さんも出来ます。
匿名1号 様
2020年7月12日 6:01 PM
>>本来、知ってはいけない話、事情、内部の問題、汚職、天理に住む人々の信仰心の無さ・・・いろいろ知ってしまったんです。僕は休日返上で働きましたが、身上がますます悪くなって、「人はみんな間違えるもの」と気づきました。<<
私自身の経験から話をします。あなたがおっしゃる「本来知ってはいけない話」とは、「本来、信者が知るべき話」なんです。私も身近に色々知ったので、天理屋から去る決断ができたのです。インターネットという媒体の性格上、詳細に具体的に述べることはできません。私以外の人達にも迷惑がかかる可能性があるからです。人間は完璧なものではないので、間違えて当たり前だと思います。騙されて当たり前だと思います。しかし、「間違い」や「騙し」にいち早く気づき、改め、一生、悔いを残さないことが一番大事です。また、他の人達が同じような過ちをし、騙されないために、あなたのように自分のできる体験談を可能な範囲で、インターネットに投稿することも大事なことだと思います。
だいぶ「天理屋」という呼称が定着してきましたね。2020年6月14日 1:14 PMに紹介した昭和5年発行「天理教その搾取戦術」にあった言葉です。
私も、天理教という組織は消滅すべきだと思います。最初から営利団体だったものを、改革して健全な宗教にするなど不可能です。また、単に消滅するだけでなく社会からの制裁を受けるべきとも考えています。それで洗脳されている人々が目覚めるわけではありませんが、少なくともお金を納める対象が無くなれば、年金生活の高齢者など経済的にだけでも助かるし、何よりも新たな犠牲者を生まずにすむと思います。
教会関係者の方々は、自教会の初代に限っては真に人助けを目指して教会を設立したものと信じたいことでしょう。そういう例もあったに違いない。しかし、自分の眼で見たわけでもないことに、もう幻想を追っていてよい時ではないと思います。教理や神名の真偽について論じるよりも、今現在、現実の世界を見て考えるべきだし、本当は百年祭の頃に既に気付かねばならなかったのだと思います。亡き母の実家である教会では、まだ誰も気付いていない様子ですが、次の世代が大人になる前に、なんとか気付いて今後のことを考えてくれないものかと心底案じています。
匿名1号 様
2020年7月12日 6:18 PM
>>何でインチキって断言するか? 故・山本利雄先生に聞いたんです。そうしたら「私もわかりません。信じていればいいのでは。それでよいのではないでしょうか。」という曖昧な答えしかもらえなかったんです。あの山本利雄先生ですよ。何でも知ってる人が。おかしいでしょう? 「あ、誤魔化したな」と、僕は気づきました。だから、インチキという答えなんです。<<
天理よろづ相談所病院の院長を務めた山本利雄氏のような科学者ですら、インチキであることが分かっていても、「立場上」、曖昧な返答を返すことしかできかったのです。誤魔化すことが精一杯だったのでしょう。
匿名1号 様
2020年7月12日 6:28 PM
>>「思案」と「談じあい」この二つと、おつとめ。これで必ず悟ることが皆さんも出来ます。<<
大変、語弊があると思いますが、単刀直入に申し上げます。狂った人間が「思案」と「談じあい」、「おつとめ」をして、一体、何を悟るのでしょう? 深酒をした人間が、分不相応の飲酒をして、前後不覚になるごとく、 余計に狂うのではないでしょうか?
筒井敬一先生はゆうめいですから皆さん知ってますよね。
実は、こんな話があるんです。『生き抜く力』という本がありますが、その初版本を僕は読んだんです。気づいたのが、後書きに「多少のフィクションを書かせて頂いたことをお断りしておきます」と書いてあったんです。それが二刷を確かめたら、それが消えていたんです。つまり、「嘘書いてんのかい!」というクレームをさけるために消したんです。道友社が。
さらに、実話ですが、筒井先生が教会で講話をして下さいと依頼されて、行った教会で、お礼のお金を受け取って、中身を見て「少ないな、わしにこれだけか?」と文句を言ったんです。そして不足して帰って行って、すぐにそこの教会に電話があったそうです「わし、お金置いていかなかったか?」途中でおっこどしちゃったんです。
道友社や養徳社で本を出すと、丸々お金が入らないので、自分の教会でたくさん本を作って売りまくって、儲けようとしたんです。つまり、「欲に目がくらんだ」ってことです。
そこの教会の会長から直接聞いた話なので、間違いありません。
過去に「伊藤青年」という人物が、「さあさあ・・・」とおさしづのようなお言葉を語り出し、みんながたくさん集まった、ということがありました。それについて、松本滋先生は、「これはチャネリングです。ですが、伊藤青年を問題にするのは間違っています。問題にすべきなのは、皆さんが教祖も本席様もいなくなって、『おやの言葉を待っていた』ということが一番の問題です。教会長である私達が、そういうことが出来ていないことが問題なんです。私達がそれを自覚し、導く努力をすることが優先課題だと思います」と話していました。
もう、伊藤青年はどこかへ消えましたが、この松本滋先生の話を真に受けなかった天理屋がのさばっているのが問題です。
だからこそ、誰も信頼できる人物はいない、と諦めて、「自分で親神と対峙し、思案して、他のお偉い先生の言うことは信じないこと」ここがポイントだと思います。
崩壊さんへ
違う違う! そういう人ばっかりはみんな知ってるんです。そうじゃないんです。自分だけ「あんな人間にはならないぞ」と、ほっといて、そういう輩は自滅しますから(筒井敬一先生みたいに)、自分だけ正しい道を模索するんです。
筒井先生だけではなく、一代で本部員になった岩井孝一郎先生も巡教先で「酒がまずい!」だのと文句ばかり言ったり数々の悪い評判をたくさん残してるんです。狂っている人はすでにたくさんいます。そんな人は捨てておけばいいんです。
自分で自分の使命を悟るんです。そこには他人は関係ないんです。
崩壊さんへ
補足です。「談じあい」=相談する、これは、「狂った天理屋」とは相談になりませんから、自分で「この人はまともだな、欲がないな、自分の利益しか考えているバカとは違うな」と感じた人とだけ、談じ合って下さい。
大きな教会の会長や、有名なお偉い先生、他には例えば酒癖が悪い輩、そういう人とは関わり合いを持たず、まともな神経を持っている人はたいがいひっそりと影で良いことをされていますから、そういう人を探して、団結して下さい。「他人は関係ないんです」という話は、それは「自分を成長させる」ことなので、「他人は関係ないんです」っていうことなんです。
>>本来、知ってはいけない話、事情、内部の問題、汚職、天理に住む人々の信仰心の無さ・・・いろいろ知ってしまったんです。僕は休日返上で働きましたが、身上がますます悪くなって、「人はみんな間違えるもの」と気づきました。<<
私自身の経験から話をします。あなたがおっしゃる「本来知ってはいけない話」とは、「本来、信者が知るべき話」なんです。私も身近に色々知ったので、天理屋から去る決断ができたのです。インターネットという媒体の性格上、詳細に具体的に述べることはできません。私以外の人達にも迷惑がかかる可能性があるからです。人間は完璧なものではないので、間違えて当たり前だと思います。騙されて当たり前だと思います。しかし、「間違い」や「騙し」にいち早く気づき、改め、一生、悔いを残さないことが一番大事です。また、他の人達が同じような過ちをし、騙されないために、あなたのように自分のできる体験談を可能な範囲で、インターネットに投稿することも大事なことだと思います。
私も、天理教という組織は消滅すべきだと思います。最初から営利団体だったものを、改革して健全な宗教にするなど不可能です。また、単に消滅するだけでなく社会からの制裁を受けるべきとも考えています。それで洗脳されている人々が目覚めるわけではありませんが、少なくともお金を納める対象が無くなれば、年金生活の高齢者など経済的にだけでも助かるし、何よりも新たな犠牲者を生まずにすむと思います。
教会関係者の方々は、自教会の初代に限っては真に人助けを目指して教会を設立したものと信じたいことでしょう。そういう例もあったに違いない。しかし、自分の眼で見たわけでもないことに、もう幻想を追っていてよい時ではないと思います。教理や神名の真偽について論じるよりも、今現在、現実の世界を見て考えるべきだし、本当は百年祭の頃に既に気付かねばならなかったのだと思います。亡き母の実家である教会では、まだ誰も気付いていない様子ですが、次の世代が大人になる前に、なんとか気付いて今後のことを考えてくれないものかと心底案じています。
何だかみんなで考えが一致し始めた感じですね。
ここで出ている「問題」は、教内みんな疑問に感じていましたが、どうしようもなかったので諦めてしまったんです。そうして泣き寝入りした犠牲者が、やむを得ず所属の教会に住み込むとか、頼る方法しか対策が思い付かなかったんです。
知ってはいけない話はいくらでもあります。発表して暴露しようと画策した時もありましたが、誰がひどいことをしたり言ったか、仮名にしてもバレちゃうんです。そうすると苦情が僕のところへ来たり、裁判になったりするので、それは避けたいので諦めたんです。
「天理教という組織は消滅すべきだと思います」同感です。そうなって欲しいです。
ですが、何万人という集団ですから、一気にやると、路頭に迷う人が続出してしまいます。教祖百年祭の年頭、真柱は、「さかきとしめ縄を取りやめる」と宣言しました。もっと昔はひもろぎがありましたが、それも今は取りやめています。中山家は、いずれ各教会のお社も廃止するつもりだったと思います。少しづつやれば、被害を被る人が少なくてすむからです。
ですが、コロナウイルスの影響下、もう「ひといきもまちていられん」状態になるでしょう。それが親神の今年の「旬」だったんじゃないか、と僕は思います。
>>何万人という集団ですから、一気にやると、路頭に迷う人が続出してしまいます。<<
それこそ、国家が責任を負うべき問題です。天理教の国民に対する害悪を司法省も内務省も認め、その不正が国会(帝国議会)でも問題になっていたのに、戦時の事情とはいえ国家の利害から、数百万人の経済的ジェノサイドを放置してきたのだから。
宗教団体ほど、争いや戦争を好んだ集団はないと言えます。創価学会とか、他宗教でもかなり攻撃的です。
オウム、イスラム原理主義、キリスト教も、大昔に「十字軍の争い」を繰り返し、罪のない女子供まで殺して、聖地エルサレムを奪還しようとしました。宗教団体=悪の組織なんです。
世界中から宗教団体が消滅すれば、きっと平和な世界が訪れると思います。
それと、筒井敬一先生の著作はたくさん読みましたし、お話しもたくさん聞きました。今でもカセットテープがたくさん僕の部屋にあります。ですが、同じ話でもみんな内容が変わっています。つまり、「すべてフィクション」なんです。みんな信用していますが、僕はその事実をよく知っていますので、信用してはいけません。嘘っぱち、テキトー教会長なんです。ほとんどの会長が同じと思っていいと思います。
ここに公表しておきます。偽善者だったことを。
>>数百万人の経済的ジェノサイドを放置してきたのだから。<<
経済的ジェノサイドだけに留まりません。国家の利害というそれだけの理由で、「名目上のひのきしん」で、軍需工場に駆り出され、米軍の空爆を受けて落命した信者、満州天理村の村民のように、終戦とともにソ連軍に侵攻され、落命した信者や戦災孤児等、一体、天理屋はどれだけ罪深いことをしてきたのでしょう。
参考意見さん
そこで問題となるのは、おそらく全ての教会が、生活保護受給世帯になるだろう、という予想がつきます。ついでに、資産や設備を全て処分しなければなりません。すなわち、「国民の税金」を使って、ご迷惑をかけることとなります。その負担を背負う責任は、やはり本部でしょう。一般の人々に迷惑をかけるのは避けた方がよろしいかと。本部が建物や土地を売却、それで補うべきと思います。
>>オウム、イスラム原理主義、キリスト教も、大昔に「十字軍の争い」を繰り返し、罪のない女子供まで殺して、聖地エルサレムを奪還しようとしました。宗教団体=悪の組織なんです。世界中から宗教団体が消滅すれば、きっと平和な世界が訪れると思います。<<
その通りだと思います。私がキリスト教の信仰を棄てたのも同じ理由からです。
崩壊さん、するどい!
>>経済的ジェノサイドだけに留まりません。国家の利害というそれだけの理由で、「名目上のひのきしん」で、軍需工場に駆り出され、米軍の空爆を受けて落命した信者、満州天理村の村民のように、終戦とともにソ連軍に侵攻され、落命した信者や戦災孤児等、一体、天理屋はどれだけ罪深いことをしてきたのでしょう。<<
ナチスよりたちの悪いファシズム集団ですよ。人助けを掲げて人殺しを行うのですから。
親神はさぞや「残念、残念、残念」と思っておられるでしょう。
>>おそらく全ての教会が、生活保護受給世帯になるだろう<<
今までだって、教団から給料をもらっていたわけでもないし、教団の呪縛から解放されれば、世情働きもできる。うちの教会みたいに親族で成り立ってる教会もあるし、すべての教会が即生活保護ということにはならないのでは?
天理教というより天理屋ですね。
別に天理屋の中で潰しあい搾取合戦とかやってくれても構わないのですよ。
しかし、天理屋の人は現実問題 性格が破綻しており極端な自己中心的性格 社会的にも大変迷惑な人ばかりで被害を被ってます。
何か、社会悪を育てるシステムでもあるんでしょうか?
参考意見さん
おっしゃる通りです。そうなんですが、そういう親族で成り立っている教会と僕は幼い頃からお付き合いがあるんですが、そこの教会はみんな嫌々で教会を維持してるんです。本部が破綻する→教会を辞める→神殿がじゃまになる→取り壊す→そこにいる住み込み人を追い出す→その住み込み人が生活保護受給者になる、という一連になる訳です。すべての教会が即生活保護ということにはならなくても、生活保護受給者になったり、施設へ入れたりお年寄りなら、老人ホームへ入れる→「誰がお金出すの?」と言い出して、もめ事になる→騒ぎが大きくなる訳です。
>>ナチスよりたちの悪いファシズム集団ですよ。<<
ヒトラーの夢見た千年帝国は、12年4ヶ月と8日で終わったというのに、中山王朝は130年以上も続いている。悪魔が手を貸しているとしか思えない。
あくまで仮説なんだけど、甘露台で崇めてるモノって悪魔なんじゃないか?
ぢばってのは地獄や魔界の出入り口。
責任のなすり合い。これは、やはり本部に責任を取ってもらった方がいいんじゃないか? と考えてコメントしたまでです。
>>しかし、天理屋の人は現実問題 性格が破綻しており極端な自己中心的性格 社会的にも大変迷惑な人ばかりで被害を被ってます。
何か、社会悪を育てるシステムでもあるんでしょうか?<<
システム=洗脳です。教会長、熱心な信者、単独布教師、布教の家にいる人、バリ天、僕はたくさんそういう人たちと関わって、進言しても、変えないし変えようとしないので、「可哀想なバカな人々」として、ほっておくことにしました。試してみて下さい。みんな聞き入れませんよ。
>>あくまで仮説なんだけど、甘露台で崇めてるモノって悪魔なんじゃないか?
ぢばってのは地獄や魔界の出入り口。<<
では、デーモン小暮閣下にお任せしてみるとか 笑
今よりははるかに正常になるんじゃないですか?
うーん。住み込み人のことまでは考えませんでした。ほんと、うちの教会は親族だけの教会で、世界助けとは程遠い宗教ごっこみたいなものなもので。住み込み人というと、これまで紹介してきた本にあるように、家も財産も全てお供えしてしまって教会に住んでいるということでしょうか。サティアン暮らしのオウムの出家信者みたいに。
遅くなって来たので、これで今日は最後に。僕から暴露を仕掛けたんです。まあ火付け役ですね。
もう多分本部や本部にいる人々が、「あいつか!」と気づいているだろうと思います。ですが僕の立場があまり責任のない身分なので、問題提起して、だんだんと「えーっ!? 信じられない!」と言わせるようなお話しをここで紹介していこうと思っています。僕の簡単な自己紹介も明日以降させて頂きます。
それでは皆さん、お休みなさい。
こんな僕でも生きている、親神様に毎日感謝、です。
アメリカも当時の政府もそして当時の天理屋?も罪が無かったとは思わない。
満州からの引き揚げ者に対して強盗やレイプや虐殺や拉致をした、ロシア人やシナ人や半島人など、直接手を下した加害者達とその罪を憎み続けた当事者の祖母の事を思い出した。
アメリカも当時の日本政府も罪が無かったとは思わないが、満州天理村の存在と天理屋の罪深さの関連がイマイチ意味不明。
>>システム=洗脳です。教会長、熱心な信者、単独布教師、布教の家にいる人、バリ天、僕はたくさんそういう人たちと関わって、進言しても、変えないし変えようとしないので、「可哀想なバカな人々」として、ほっておくことにしました。試してみて下さい。みんな聞き入れませんよ。<<
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まさにこれ
《不安神経症になった音楽バカ》
〝成ってくるのが天の理〟
必然性があって、今までこうなってきたのだ。
これからも。ずっと。
《序》
あなたは、「あーあ」と、あくびが一つ出ただけで、
「実にありがたい! これも親神様のご守護だ!」と心の底から喜べますか?
僕は本当に喜べます。
この話は、そういう話です。
また、おことわりしておきますが、これはすべて事実のノンフィクションの話です。フィクションは一切書いていません。文中に人の悪口や不足とも取れることをたくさん書いていますが、これはすべて僕がその時感じたままを書かせて頂いたもので、僕の成人の無さを吐露したものであります。人は良いところも悪いところも両方持っているものです。その方々がすべて悪いのではなく、僕の心がいけないのであり、僕のようにならないように、反面教師としてとらえて頂きたい、ということをふまえた上でお読み下さい。
《プロローグ》
それはトランペットを持って、八王子市民吹奏楽団の練習に向かう、電車内でのことだった。中央線の八王子駅から西八王子駅の車中で、「自分の心の中には、どんな潜在意識があるのだろう」と、自己流で「内観」ともいうべきことをやった。目をつぶり、自分の心から何かが吹き出てこないか、じっと問いかけた。すると、暗闇の中から、とても小さな不安感がふっと現れ、それがみるみるうちに大きくふくらんでいった。
「怖い! 助けて!」
心の中で叫んだ。
胸騒ぎというか、動悸というか、胸がドキドキして苦しい。何か、自分がおかしくなってしまいそうな気分に襲われ、大変なことになったと感じた。
呼吸も荒くなり、西八王子駅で電車から飛び降り、ベンチに腰掛けて休んだ。
「はあ、はあ、はあ……」
《生い立ち》
僕は昭和四十一年六月二日、立川市に生まれた。丙午(ひのえうま)生まれである。後で知ることになるのだが、六月二日という日は、教祖がお生まれになった、陰暦四月十八日を太陽暦にするとこの日になるのだという(教祖伝二十二頁参照)。「徳三郎」という名は母が付けた。しかしこの名前は、後で分かったことだが、母親の曾祖父の名前と同じだったのだ。全くの偶然であるが、何か運命めいたことを感じざるをえない。
もう一つこの年の六月にあった出来事がある。ビートルズの来日である。
立川市というところは、都心から電車で約一時間のところにあるベッドタウンである。今は公園やショッピングセンター、警察署などになっているが、当時はまだアメリカ兵が駐留する立川飛行場だった。駅前にはたくさんのデパートが並び、とても便利なところで、家は、県をボール紙にでも書いて切り抜いて、ちょうど重心のバランスがとれるという地点、いわゆる東京都のへそ、真ん中に近いところにあった。
僕の家の家族構成は、父清一、母典子、長女純子、次女孝子、長男英一、次男誠二、そして末っ子の僕と、当時としてはめずらしい七人という大家族だった。僕と長女との年の差が十二歳、次男との差が五歳と、だいぶ離れていた。両親は、長男や次男が幼稚園になじめず、「いじめられた」と言って、じきに通うのを止めてしまったので、両親は僕もそうなるだろうと考えたらしく、はじめから幼稚園には行かせてもらえず、小学校に入るまでは一人で家の中で遊んでいた。他の兄弟と年が離れていたので遊び相手にならず、そうするしかなかったのだ。
当時の家は立川競輪場のそばにあり、借家であった。それは元アメリカ軍将校家族が住んでいた広い平家で、当時の立川市にはあちこちに見られた。現在でも一部残っていることを最近のテレビで知った。あまりに広いので、部屋をコンクリートの壁で仕切り、二世帯が住めるようにしてあった。
父は家の前にプレハブを建て、洋服の寸法直しの専門店を営んでいた。店の名は「フタバ」となっていた。なぜその名にしたかは分からない。元々は紳士服の注文販売を主にやっていたのだが、段々それでは儲からなくなり、路線変更したようである。
父は神経質で怒りっぽい性格だが、針と糸とアイロン、足踏みのミシンだけで大家族を養っていたわけだから、大したものだと思う。
しかし「ご主人の性格についていけません」と、雇っていた従業員は次から次へと辞めていった。それだけ気難しかったのだ。母が同時に営んでいた美容室の従業員も同様の理由でどんどん辞めていった。夜逃げした人もいたらしい。僕が物心ついたときには誰も雇ってはいなかった。
父は昭和二年の神奈川県川崎生まれ。長男で、小さい頃からいわゆる「お坊っちゃん」だったらしく、良い服や靴で学校へ通い、かなりの贅沢もしていたそうである。人に頭を下げるのは大嫌いなたちだった。第二次大戦の終わり頃、召集令状がきて、通信の役目につかされ、しかしまもなく終戦となり戦地へは行くことはなかった。
父の両親からは「いずれは家も財産も譲ってやろう」と言われていたのだが、父の性格が災いしたのか、何かのきっかけで両親や兄弟たちと仲が悪くなり、父は家を出て独立してしまった。
母は昭和三年の満州生まれの満州育ちで、こちらもかなり裕福な家庭だった。母の父は元々「品末(しなすえ)」という名字だったが、その姉の嫁ぎ先である岩崎家に戸籍上養子に入って、岩崎の姓を名乗った。理由は、品末家は部落出身の家だったからである。当時の部落差別はひどいものであった。それを隠すためにそうしたのである。
満州では元々満鉄に勤務していた。その後、百貨店に勤務することになり、高い地位についていたそうで、毎日車で運転手が迎えに来たという。しかし、部下が仕事の上で重大な過ちを犯し、上司であった母の父は責任上追いつめられ、その時一番恐れたのが自分の体に部落民の血が流れていることが公になることだった。そして銃で自らの命を絶ってしまったのである。
部落差別や同和問題については現在、学校で教育していない様子だが、僕らの前の世代には教えていた。都市部では、石を投げたら部落の血の流れた人に当たるというほど混在しているが、地方へ行くと、未だに差別する人は多い。僕は全く気にはしていないが、何が恥ずかしいことだろうか。
お道の中でも、未だに部落出身者と名乗るだけで、震え上がるほど毛嫌いする老人たちは多いのである。奈良にも部落はたくさん存在する。そこへ教祖がおたすけに行かれたことを、研究して発表した天理大学の教授が、本部からよく思われなかった事実がある。人の心に巣くう、差別や淘汰の精神は、世界中で未だに争いの種になっている。由々しき問題であると思う。そこで本部でも同和問題事務局、現在の啓発委員会が発足したのである。僕は第二ひのきしん寮で三年目の時、その事務局勤務の今泉さん(現在は養子となり、守屋となっている)と一緒の部屋だった。そこで色々な話を聞いた。おたすけで差別し、訴えられたりしたことなどの問題を事務局に持ち込まれる話も聞かされた。おそらく今もそうであろう。
こんなニュースがあるので参考まで。
ネットの部落差別「いたちごっこ」 監視続ける自治体
3/18(日) 16:38配信
香川県内における差別書き込み監視の実績
インターネットへの部落差別の書き込みを香川県内の自治体がモニタリング(監視)している。掲示板の管理運営者への削除依頼はこれまでの15年間で約1460件にのぼるが、実際に削除されたのは半数程度にとどまる。ネットの悪用による差別の深刻化を背景に、部落差別解消推進法が施行されて1年あまり。被害の実態把握や対策が課題になっている。
監視は、県と全17市町、民間団体でつくる県人権啓発推進会議が2003年6月に始めた。県人権・同和政策課と市町の人権担当課職員が監視班を構成。SNSも含めると対象が膨大になるため、三つの掲示板に絞って監視している。
県内の同和地区への言及があるスレッドを少なくとも週2回はチェック。個人のプライバシーを侵害▽他人を誹謗(ひぼう)中傷▽差別を助長する、といったおそれがある書き込みを見つけると、班内で協議し、掲示板の削除依頼方法に従って要請する。具体的には、県内の同和地区名をあげたり、県内の同和地区について語るなかで差別的な言葉や個人名を書いたりしているものが対象になるという。
削除依頼は06年度の342件をピークに減少傾向にあり、県の担当者は「監視による抑止効果が一定は出ている」とみている。だが、「書き込みが止まったと思ったら別のスレッドができることもあり、いたちごっこのような感じはある」。
また、これまでの削除依頼計1462件のうち、実際に削除されたのは約47%の692件。独自のガイドラインに基づいて削除が進む掲示板もあれば、ほとんど削除実績のない掲示板もあるという。県は「自治体単位での監視には限界がある。削除基準を国レベルで検討してもらい、全国の自治体で一律に取り組めばより大きな効果が期待できる」と話す。
こうしたモニタリング事業は奈良県内全市町村でつくる「啓発連協」、三重県、兵庫県尼崎市、伊丹市、広島県福山市などでも実施されている。いずれも各自治体に関する記述を中心にキーワード検索などで監視。法務局と相談しながら削除依頼をするところもある。
部落差別解消推進法は、ネットへの同和地区名リスト掲示などを背景に16年12月に成立し、施行された。「部落差別」の言葉を冠した初の法律で、「現在もなお部落差別が存在する」「情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じている」とし、国や自治体の責務として相談態勢の充実や教育・啓発、実態調査の実施を明記した。
法施行を受け、兵庫、鳥取県も新たに18年度からモニタリングを始める。兵庫では、検索の方法や削除依頼の判断のポイントを習得してもらうため、県内市町職員を対象にした研修にも取り組むという。(多知川節子)
今でもこうした差別は残っている。人に変わりはないのに。せめてお道の方々には差別する気持ちを捨てて頂きたいものである。案外差別する人の中にも部落の血が流れている可能性も十分あり得るのである。障がい者を差別するのも同様である。
話を元に戻す。
残された祖母と母たち兄弟は胸を締め付けられる思いで、第二次世界大戦が始まったばかりの日本へ、祖母の元の郷里の山口へ引き揚げた。しかし、終戦後でなかったのは不幸中の幸いだったと思う。でなければロシアや韓国人たちの捕虜になるも知れなかった。
祖母は女手一つで反物の行商をし、家庭を何とか支えた。その頃、母の妹は統合失調症であった。そこへ郡山大教会系の拜陽分教会の生田会長様からにおいがけされて、「妹の精神病を助けるため」という名目で母は修養科へ入ると決心した。当時の家庭内は終戦後引き上げてきた家族たちが、ひしめき合うように暮らしていて、母は家にいても息苦しくて面白くなかったらしい。「どこでもいいから一時逃げ出したいと思っていた」と僕は後年聞かされた。なので修行する目的ではなかった。ところが、その心定めだけで妹の身上は回復してしまったのだ。
昔の郡山大教会は、大教会から修養科生が通っていた。当時はまだ風呂場は混浴だったという。だが全くいやらしさはみんな感じなかったという。
修養科中は授業中でも寝てばかりいたり、仲間とおしゃべりしたりと、あまり真面目な修養科生とは言えなかったらしい。終了後、山口へ帰ってきた母は一ヶ月ほど教会へ足を運んでは手伝いなどをしていた。その後母は祖母の援助で東京の山野高等美容学校(のちの山野美容専門学校)へ行き、美容師として働くようになった。そして一時お道から縁が切れてしまっていた。「あの時会長さんから道の話をもっとよく聞いていれば…」と、今でも道に遅れをとってしまったことを後悔している。
その後色々縁談があったが、わがままな性格から断り続け、そして最後に父との縁談があったのである。結婚に至るまで、またその後も本家とはいろいろあったようであるが、長くなるのでここでは割愛する。
僕が生まれる前は、立川市の中を何度か転居していたようで、その際に秩父大教会系の武蔵立川分教会の故・佐藤会長様と知り合い、色々と御教理を聞いていた。そこの会長様は会長職と同時に「奈美喜庵(なみきあん)」という名のそば屋を近所で経営していて、店の収入は上級教会へどんどんお供えとして伏せ込まれていった。上級へ参拝に行った時は有り金全部、ポケットの中の小銭まですべてお供えしていたという。
ある時母は、
「会長さん、お供えって何でしなくちゃいけないんでしょうか」と尋ねた。
会長さん曰く、
「体を洗うのには石けんがいるだろ、心を洗うにも値(あたい)が必要なんだよ」
と教えられた。お道らしい、おもしろい回答だと思う。
立川競輪場の前に引っ越してきた数日後、朝晩近所から拍子木の音が聞こえた。母はもしやと思ってその音を頼りに訪ねてみると、その後我が家に多大な影響を与えることになる、長谷かつ江という初老の先生が布教所をかまえていた。長谷先生は東本大教会の信者で、決して裕福とは言えない古い借家で、こつこつと荒道を歩んでおられた。長谷先生は信州の出身で、甲賀大教会系の教会から見捨てられ、堀田先生という仙台の教会の先生に助けられた経緯がある。
母が初めて訪ねた日が、不思議なことに東本大教会の初代様の命日に当たる日(三月二十二日)だった。長谷先生が「毎日参拝に来なさい」というので母は日参を始めた。ちょうどその頃、妊娠していることが判り、それまで堕胎を何度も繰り返していた母は、今回もそうしようかと考えた。しかし長谷先生から、
「子供は堕したらいかんで。葡萄の実を少しずつもぐように、いずれアンタの命がなくなるで」
と諭され止めた。父は「余計なことを」と激怒したようだが、それで生まれてきたのが僕である。僕は東本の初代様に命をつないで頂いたことになる。不思議な縁(えにし)である。ちなみに父三十九歳、母三十八歳の時だ。
母は長谷先生に連れられて、東本大教会へも参拝するようになった。我が家の信仰は、生みの親が郡山大教会なら、育ての親は東本大教会というべきか。
ここでお伝えしたいことがある。
堕胎は『殺人、人殺し』である、ということである。
どんな状況で妊娠したとしても、決して人の手で堕胎はしてはならない。仮に母胎が危ないとしても、宿し込まれた生命を闇に葬っては決していけない。意外とそういうことに気がついていないお道の方が多い。
『陽気』誌に連載され、本にもなった、若狭一廣・船東分教会長の『はみだし教会長の朝席咄』(養徳社刊)に、こんなことが書かれていて、僕は驚いた。里子の女子高校生が妊娠した時、奥さんが、
「私としては、さゆりが産みたいと言ったら堕ろさせます。堕ろしたいと言ったら産ませます」(二百九十一頁)
と話したと書かれている。全くの間違いである。
これを読んでその通りにする人が出ることを僕は恐れている。何度も書くが、『堕胎は殺人』なのだ。闇に葬っては決していけないのである。人の命の重さを、宿し込んだ親神の思し召しをよく考えて頂きたい。
「水子の魂がその家の屋根瓦に乗り、不幸をもたらす」といった俗説も聞いたことがある。
近年、精神病・うつ・神経症・パニック障害などの精神疾患が増えているのは、それが親神の残念の現れと思われてならない。僕が特に強調したいことである。
ただし、レイプなどに遭ってしまった場合、すぐに産婦人科へ行き、妊娠の確認・処置をするべきで、もう堕胎が手遅れならば、
「談じ合い」
の精神で周囲の人々と相談すべきであろう。なるべくなら堕胎はして欲しくない。本人には辛いことであろうが、「命」の重さは「自分と同じ」と考えるのが基本であると思う。自分で育てられないならば、出産後、教会で里子として引き受けたり、子供用の施設を利用する手段もある。こんな時にこそ宗教や教会の出番ではないか。
これはずっと後に書くことだが、僕は両親、特に父親に対して殺意を持ったことがたびたびあった。そこで思い当たるのが、僕を堕胎しろと最初に言ったのは父であり、そこで悩んだのは母である。両親とも僕をこの世からなきものとしようと考えていたわけである。
また、僕は誰に対しても自分に対して失礼なことをした人に対して、乱暴してやろう、殺してやろうと思うこともたびたびある。そうした殺意を持ちやすい性格になった原因は、両親の心、僕が母のお腹の中にいた時の胎教が起因していると考えられる。母は何度も堕胎をくり返した過去がある。僕は望まれない子供だったのである。つまり両親は人殺しであり、そこから産まれた僕も人殺しの心を持っているのは、理からして当然のことと思う。
同じ動物同士で殺し合いをするのは人間だけである。堕胎、殺人、戦争など。昔からそれは変わっていない。猿は猿を殺さない。世界中の人たちがここに気づき、改めたなら、世界の問題はすべて解決してしまうのではないだろうか。すべての争うことを止めれば、平和が訪れるのは明白である。僕はこれを大変重大なことと考える。皆さんもぜひ考えて見て頂きたい。
さらにこんな事例があるので引用する。
【マザーズ】“真実告知”母子それぞれの苦悩 「レイプで妊娠、産むしかない」
11/14(水) 14:01配信
何らかの事情で、生みの親が育てられない6歳未満の子どもを、血縁関係のない夫婦に実子として託す「特別養子縁組」。約30年前に作られた制度で、少しずつ認知は進んできました。
一方で、子どもに養子であることをいつ、どのように伝えるか。当事者たちには“真実告知”をめぐる葛藤がありました。真実告知に悩む親たち、養子であることを知らずに育ち“生みの親”を探す子どもたち――。特別養子縁組の現場から、母と子それぞれの幸せについて考えます。
性被害で突然の妊娠 「どうやって殺そう」
私たちが訪れたのは、養子縁組をあっせんするNPO法人が運営する母子寮。予期しない妊娠で、子どもを生んでも育てることができない女性たちが共同生活する、全国でも珍しい施設です。ここへ来る女性のほとんどが、相手の男性や家族の助けを受けられず、経済的な困窮に陥っているといいます。
そんな女性たちの中で、私たちは高校生のカエデさん(仮名)に出会いました。カエデさんはすでに妊娠8か月。ごく普通の高校生だったカエデさんが、なぜ予期せぬ妊娠をしてしまったのか。その辛い理由を涙ながらに話してくれました。
「レイプされて、そのことを自分の中でなくしたくて。もうずっと考えないようにしたので、妊娠とかそういうのが頭になくて」
外出先から自宅に帰る途中、突然、性犯罪の被害にあったというカエデさん。相手は全くわかりません。しかし、おぞましい体験を思い出したくないと、警察へ被害届を出すことはありませんでした。しばらくするとお腹の中に赤ちゃんがいることがわかり、頭の中は不安と恐怖でいっぱいだったといいます。
「赤ちゃんが(お腹の中で)動き始めて、お腹の中には何がいるんだろうとか、モンスターみたいだなっていうふうに思って。この子を育てていけるのかなという不安が、ずっと頭にありました」
カエデさんの親が、娘の膨らんだお腹に気づいたときには、すでに妊娠7か月。中絶ができる時期は過ぎており、もう産むしかありませんでした。決まっていた推薦入学もあきらめざるを得ませんでした。
最愛の娘を襲った出来事。カエデさんの母親は、想像もしなかった事態に取り乱したといいます。
「どうやって(赤ちゃんを)殺そうってまず思った。憎き犯人の子どもですよ。赤ちゃんに罪はないなんて考える余裕は全くない――」
“特別養子縁組”とは
途方に暮れたカエデさんと母親が、様々な方法を模索するなか、出会ったのは「特別養子縁組」という制度でした。
「特別養子縁組」は「普通養子縁組」と違い、生みの親との血縁を断絶し、養子であっても戸籍上に「実の子」として記載されるのが特徴です。子どもが6歳未満(※1)の場合に限り、「育ての親」が法的な「実の親」となるのです。
カエデさんは、養子縁組をあっせんするNPO法人「Babyぽけっと」を通じて、赤ちゃんを育ての親に託すことを決めました。
(※1)平成30年9月現在、6歳未満から年齢を引き上げる議論が行われている。
性被害と真実告知 揺れる考え
性被害で生まれる赤ちゃんをどうするのか。カエデさんから相談を受けた「Babyぽけっと」代表の岡田卓子さんは、カエデさんが産む赤ちゃんを、海外で生活する日本人の夫婦に託すと決めていました。この夫婦は、1歳半の長男ともすでに特別養子縁組で親子になっています。
夫婦は、生活している海外と違う、日本の養子に対する考え方に戸惑っていました。
「日本で『長男を養子で迎えたんですよ』って言ったら、涙される方がいる。『私たちは本当に幸せなので、泣かないで聞いてください』と、逆に相手をなぐさめるような感じになる。日本ではあんまり養子であることを言っちゃいけないのかなって」(妻)
夫婦は、カエデさんの産む赤ちゃんを自分たちの子供として受け入れることが決まり、将来子どもが希望すれば、生みの母親の性被害についても明かすつもりだといいます。「Babyぽけっと」の岡田さんは、原則として真実告知は少しでも早いほうがいいと考えていますが、今回のような性被害についての真実告知は、どうすべきか悩んでいました。
「ちょっと答えは出ないですね。ずっと答えは出ていなかったのですけど――」(岡田さん)
ある日、妊娠中のカエデさんは、特別養子縁組で子どもを受け入れ「育ての親」になりたいという夫婦が集まる、説明会に参加しました。落ち着かない様子のカエデさん。実は祖母から言われた言葉がずっと心にひっかかっていました。
「おばあちゃんに言われてからずっとひっかかって。『どこの馬の骨かもわからない犯罪者の子どもなんか育てられないし、孫とも認めないから』って」
カエデさんは、この機会に「育ての親」になりたいという夫婦たちにどうしても聞いてみたいことがありました。
「すごく重たい話になってしまうのですけど、(お腹の子は)私がレイプされて出来た子なんです。犯罪者の子どもとしてじゃなくて、ちゃんと愛情を持って育ててもらえるか、ずっと不安だった――」
思いを打ち明けたカエデさんに、説明会に参加した夫婦はこう答えます。
「そんなこと考えて育てないと思う。この子は犯罪者の子だからとは思わない。大丈夫だよ」(妻)
「どんな状況で生まれた子だろうが、うちに来ちゃえば溺愛する。自分の子なので」(夫)
将来「育ての親」となる夫婦たちは、カエデさんと話しながら、大きくなったお腹を触り、励ましの言葉をかけてくれました。皆がお腹を触ってくれて、カエデさんは、「赤ちゃんが一人前の人間として認められた」と、喜びを感じていました。
迎えた出産のとき 芽生える母性
臨月を迎えたカエデさん。やはり気になるのは進路のこと。高校を卒業するために、妊娠で学校を休んでいる間は、自主的にレポートを提出しています。しかし、お腹が大きくなるにつれ、別の感情も湧いてきたとカエデさんはいいます。
「できれば産んで育てたいですよね。何の周りの目も心配いらなくて、経済的に余裕があるんだったら。(赤ちゃんのこと)もう少しちゃんと考えるべきだったのかもしれない」
子どもの“幸せ”とは何なのか――。高校生のカエデさんは、初めて芽生えた母性に揺れ動きます。
数日後、カエデさんの陣痛がはじまりました。10代での出産は、低体重児等のリスクも高いと言われています。そして、5時間後――。
新しい命が、誕生しました。3096グラム。元気な女の子です。
出産を乗り越えたカエデさんですが、赤ちゃんよりも先に退院することになっており、今は、廊下から赤ちゃんの表情を眺めることしかできません。赤ちゃんが時々見せる笑顔のような表情に、素直な気持ちを口にします。
「無事に生まれてきてくれて、ありがとう。」
子どもを託すとき 真実告知への決意
出産からおよそ1週間。いよいよ生まれてきた赤ちゃんを、育ての親に託す日がやってきました。今回は、カエデさんの「直接思いを伝えたい」という強い希望で、生みの親と育ての親が面会して赤ちゃんを託すことになりました。
まずは病院まで迎えに来た育ての親となる夫婦が、赤ちゃんとはじめて対面します。新しい家族の始まりです。
そして赤ちゃんを連れた夫婦が、先に退院したカエデさんの元にやってきました。カエデさんは出産してから初めて我が子を抱きました。泣きながら赤ちゃんを抱きしめるカエデさん。10か月間お腹で育んだ小さな命。妊娠した理由はどうであれ、カエデさんはまぎれもない母親になっていました。
夫婦はカエデさんに、ペンダントをプレゼントしました。
同じペンダントを赤ちゃんにもプレゼントするといいます。将来、赤ちゃんとおそろいのペンダントをきっかけに、赤ちゃんにカエデさんのことを必ず話そう――。それは育ての親となる夫婦の、赤ちゃんとカエデさんへの誓いでもありました。
「私たちは自分たちの人生に立ち向かって、一生懸命生きていくつもりなので、カエデさんもこれから自分の人生をしっかり歩んでください」(育ての親となる夫婦の夫)
「よろしくお願いします」(カエデさん)
カエデさんの手元から、夫婦への命のリレー。
夫婦と赤ちゃんが去り、涙がとまらないカエデさん。夫婦に直接赤ちゃんを託して、安心した気持ちと、さみしさとが入り交じっていました。
「直接会っていい人だと分かって、自分の目で育ての親となる夫婦を見られたのはやっぱり良かったと思う。赤ちゃんは絶対幸せになれると思ったから――」
その後、寮を出たカエデさんは無事に高校の卒業が決まり、夢だったという助産師への道を歩みだしました。
一方、赤ちゃんの「育ての親」となった夫婦は、実の子となった赤ちゃんへの真実告知について、思いを語りました。
「最初は考えた。養子であることはもちろん伝えるのは当たり前。受胎の経緯については、色々思ったのですけど、受胎の時より、後の人生の方がはるかに長いわけですよね。その1点(受胎の経緯)だけを取って『あなたは何とかの子で』『こういう子で』と言うのは、私は違うのかなと思います」(夫)
「それよりも、産んでくれたお母さんが『一生懸命産むよ』『大切に産むよ』って、言ってくれた事とかをたくさん伝えたいですよね」(妻)
どのような経緯で生まれてこようが、その後の長い人生を過ごす1人の人間であることに変わりはない。夫婦は将来、子どもが全てを知りたいと希望すれば、隠さずに告知するつもりだといいます。
それが、我が子の幸せにつながると確信しているからです。
連載「マザーズ」
連載「マザーズ」
この記事は中京テレビ報道局とYahoo!ニュースによる連携企画記事です。中京テレビ報道局が2011年から7年にわたり特別養子縁組を取材・放送してきた、ドキュメンタリー「マザーズ」をベースに構成しています。予期しない妊娠に悩む生みの親から、育ての親へとリレーされる小さな命。その当事者たちが描く、親子それぞれの「幸せ」を追いました。
中京テレビNEWS
奇形の顔「受け入れられない」…家族が手術拒否、ミルク飲めず赤ちゃん餓死
11/5(日) 7:10配信
小児外科医 松永正訓
医師として関わってきた多くの子供の中には、忘れられない子が何人もいます。その中で、最悪の記憶として残っている赤ちゃんがいます。前回のコラムで、障害児の受容は簡単ではないと言いましたが、それが「死」という形になった子がいました。
手術すれば、きれいに治すことができるのに…
産科から小児外科に連絡が来ました。先天性食道閉鎖症の赤ちゃんが生まれたのです。食道閉鎖とは文字通り食道が途中で閉じている先天奇形です。当然のことながら、ミルクは一滴も飲めませんから、生まれてすぐに手術をする必要があります。食道は胸の中にありますので、赤ちゃんの胸を開く、難易度の高い手術です。
そして、赤ちゃんの奇形は食道閉鎖だけではありませんでした。 口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)という奇形があったのです。口唇裂とは上唇が鼻まで裂けていることです。口蓋裂とは口腔と鼻腔を隔てている上あごが裂けていて、口と鼻の中がつながっている状態です。口唇口蓋裂は、形成外科の先生が何度か手術をすることで、最終的には機能だけでなく、美容の面でもきれいに治すことができます。
私は赤ちゃんの家族に食道閉鎖の説明をし、手術承諾書をもらおうとしました。ところが、家族は手術を拒否しました。赤ちゃんの顔を受け入れられないと言うのです。私は驚き慌てて、どうしても手術が必要なこと、時間の猶予がないことを懸命に説明しました。ところが家族の態度は頑として変わりません。
児童相談所に通報したが「先生たちで解決してください」
何とかしないと大変なことになります。とにかく時間がない。産科の先生たちを交えて繰り返し説得しても、効果はありませんでした。私は最後の手段として、児童相談所(児相)に通報しました。児相の職員たちは、聞いたことのない病名にかなり戸惑っている様子でしたが、その日のうちに、3人の職員が病院を訪れてくれました。私は両親の親権を制限してもらい、その間に手術をしようと考えたのでした。
児相の職員と赤ちゃんの家族で話し合いがもたれました。私はその話し合いが終わるのを、ジリジリしながら会議室の前で待ちました。
話し合いは不調に終わりました。児相の説得も失敗したのです。では、「親権の制限はできますか」と職員に尋ねると、彼らは首を横に振って「あとは先生たちで解決してください」と言って病院を去りました。
家族は姿を現さなくなり…こんなことがあってもいいのか
ここから先、何ひとつ話は進展しませんでした。赤ちゃんには点滴が入れられていましたから、最低限の水分は体内に入ります。しかし、ミルクを一滴も飲んでいませんから、日ごとに赤ちゃんの体は衰えていきます。やがて、家族は面会にも姿を現さなくなりました。
児相の人たちの判断は、あれで正しかったのか。警察に通報した方がいいのか。いや、警察は何もしてくれないだろう。21世紀の現代にこんなことがあってもいいのか……と私は暗澹(アンタん)たる思いでした。
もうあとは、餓死するだけです。小児外科と産科で話し合い、結局赤ちゃんは産科の新生児室で診ることになりました。したがって、私は直接赤ちゃんの最後の日々を目にしていません。のちに聞いた話では、一人の産科医が、時間さえあれば赤ちゃんのそばに寄り添っていたそうです。
赤ちゃんが亡くなった後、問題意識の広がりもなく…
赤ちゃんが亡くなった後、病棟にはいつもと変わらない日常の風景が戻っていました。私にはそれが不満でした。これは小児外科や産科だけの問題ではない。家族が手術を拒否した時に、どう対応するかを病院全体で話し合うべき問題だと思ったのです。しかし、そういう問題意識の広がりはありませんでした。考えたくはありませんが、もしや医師の中にも、手術を拒否した家族に共感した人がいた、ということはないでしょうか?
私は今になって思います。もっと別な方法はなかったのだろうかと。たとえば、障害とともに生きている子供とか、先天性の病気を治して生きている子供やその親たちを実際に見てもらえば、赤ちゃんの家族も手術を受けさせる気になったのではないか。この赤ちゃんの一件は、私の心の中にずっと暗い影を落としています。生涯忘れることはないでしょう。
松永正訓(まつなが・ただし)
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業、小児外科医になる。99年に千葉大小児外科講師に就き、日本小児肝がんスタディーグループのスタディーコーディネーターも務めた。国際小児がん学会のBest Poster Prizeなど受賞歴多数。2006年より、「 松永クリニック小児科・小児外科 」院長。
『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて13年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)など
《家庭の様子》
そうしたわけで晴れて生まれてきた僕だが、産婦人科の病院で、何と新聞紙に包まれて、その中でゴソゴソと動いていたと聞いた。僕はその程度の価値しかなかったのだろうか? また、小さい頃から体が弱かった。それは大人になっても続くのだが、それは追々語っていくことになる。体はガイコツのように細く、末っ子らしくわがままで甘えん坊で、食べ物の好き嫌いも多く、特に野菜などを食べさせようとすると「ペッ」と吐き出す有様だったそうだ。それは大きくなっても同じで、小学生時代などは、インスタントラーメンの中に入っている小さなネギまでよけて食べていた。それだけ野菜が嫌いだった。小学校の給食も大変で、食べられないものをよけるのが日課であった。それが友だちなどに広まり、ある時、母が同級生のお姉さんから「伊藤君? あの野菜が嫌いな伊藤君?」とまで言われたそうだ。よく風邪をひき、熱があったら、エンエン泣きながら座薬入れてもらったのを今でも覚えている。
また全身に湿疹があった。アトピー性皮膚炎だろうが、当時そんな病名はなく、アレルギー皮膚炎と呼んでいた。耳たぶの付け根に始まり、体中、おちんちんにまで湿疹が出来て、かき壊してかさぶたになった。当然母は皮膚科に連れていくわけだが、お医者さんは、
「おちんちんが二つ付いてたら恥ずかしいけど、一つだから恥ずかしくないよ」と言う。そして何とか塗り薬でおさえる。すると段々治まるのだが、これがそもそもの問題の始まりだった。それについては後々述べていくことになる。
僕がまだ四歳くらいの頃、母は僕を連れて長谷先生の布教所へ行き、子供たちはみな体が弱く、また、本家とうまくいっていなかった父は、その不満を母に向け、きつく当たり散らした。「もうどうしていいのか分かりません…」と長谷先生の前で泣き崩れた。母があんなに泣いたのを見たのは初めてだった。
「一人で遊ぶしかなかった」と前述したが、ある時、家族で「交通博物館」のようなところへ行った時、足でこぐ四輪自転車で競争しよう、と男兄弟三人で並んで、
「よーいドン!」
体の小さい僕は兄たちに無視され、あっという間に差がついて、あきらめて自転車から降りて父の足にまとわりついて甘えた。
また、「野球盤ゲーム」などしても、うまく操作が分からなくてまた相手にしてもらえなかった。僕はもっぱら「レゴブロック」で遊んでばかりいた。
そんな頃、初めて近所の女の子と言葉を交わす事があった。少し年上でぽっちゃりした人だったが、何だか不思議な感覚に襲われた。そのうちに行動範囲が広くなり、やんちゃな男の子や気の強い女の子たちとゴム飛びなどして遊んだりしたが、ある時、僕が長いゴムを持っていて、少し引っ張ったら切れてしまった。「あーあ、アンタのせいだ、アンタ! そこにずっと立ってなさいよ!」と気の強い女の子に言われ、涙をこらえながら一人で三十分ほど立っていた。そこへ孝子姉さんがたまたま通りかかり、
「どうしたの?……なーんだ、そんなことで立ってなくたっていいんだよ。帰ろう」
と言ってくれた。ベソをかきそうだったが耐えた。
その年、一千九百七十年、大阪万博が行われた。父は当時としては早く自家用車を購入していた。近所でも自家用車を持っていることは珍しかった。父はバイクや自動車でドライブに行くのが好きだったようである。
家族を乗せ、まず奈良へ向かった。途中東名高速道のサービスエリアで、車種も色も全く同じ車を見つけ、僕は歩いて行ったら、全く知らない人が乗っている。
「徳ちゃん、こっちこっち!」
と呼ぶ声が聞こえる。家族中が笑っていた。本部を参拝後、大阪の母の叔母の家に寄り、万博に行く際になって、「徳は迷子になりそうだから」という理由で母とともに留守番させられた。せっかくパビリオンが見られると思っていたのに、悔しい思いをした。
母が検定講習を受けることになった。「徳が寂しいだろう」と、天理へ一緒に連れて行かれた。でも、保育園に預けられる訳なので、母が迎えに来るのを窓の所へひじをついて待ち続けた。園内のテレビではアニメの「タイガーマスク」をやっていたが、それより母が迎えに来るのが待ち遠しくて、テレビどころではなかった。郡山詰所で、僕が眠っていると母は修練に行って、目を覚ますといない。ワンワン泣いたことも覚えている。
小学校入学前の正月のこと、当然子供たちはお年玉を貰う。僕はその時全部で六千円貰った。当時としては大金である。何か欲しいものはといっても何もなかったので、母に、
「神様のお社を買ってよ」
と言って、お年玉全部をお供えした。それと前後して家を布教所にする話がもちあがっていて、僕のお年玉にさらに加えて新しいお社と、そのお社を納める、何というものか名前を知らないので何とも言えないが、ガラス張りの扉のついた箱を購入した。そして父に反対されながらも、布教所として登録させて頂いた。
誠二兄さんの忘れ物を母と小学校へ届けに行った時、教室で、
「誠二くーん!」
と、僕は大声で叫んでしまった。教室内は大爆笑。なぜ叫んだのかは幼かったためだろう。
僕は五人兄弟の末っ子なので、小さい頃は甘やかされて、ワガママで、生意気な子供だった。
「こめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」
といった謝る言葉が言えなかった。
兄二人が、幼稚園へ通うことになった時、どちらも「行きたくない」とすぐに止めてしまった。そのため、僕もそうなるだろうと、初めから幼稚園や保育園へ連れて行かされなかった。そしてもっぱら家で遊んでいた。
小学校入学で、初めて集団生活となり、みんなは友だちがいるのに、僕にはいない。お坊ちゃん育ちの僕には、そういったギャップのある生活についていくのはなかなかのものだった。
そして、病気がちで、学校を長期にわたり休むこともよくあった。勉強が進まず、わからなくなっていく。
幸い、担任の浪岡という先生が優しい方で、また、席が隣になった女の子が、素直で、意地悪もしない、自然体で接してくれる優しい子だったので、それで登校拒否にならずに済んだようなものだ。今でも名前を覚えている。黒沢さが乃さんという子だった。小学四年になると、八王子へ引っ越してしまい、今はどうしているかわからない。お礼を言いたい気持ちである。
いじめもずいぶん受けた。今ほど陰湿ではなかったから良かったが。
浪岡先生の誕生日に、母が提案し、好きなししゃもと肩たたき券をプレゼントした。先生はとても喜んでくれた。誰がたたいても良いのだ。その子に券を渡すだけでたたけるようにした。
ここで教祖の言われたことが思い出される。
「親に孝行は、銭金要らん。とかく、按摩で堪能させ。」
(教祖伝逸話篇百五十七「ええ手やなあ」)
本当にその通りだと思う。教祖の言葉は現在でも十分通用するのだ。
父は子煩悩であったが、反面、大変神経質で、気難しく、『巨人の星』の星一徹のような、「ちゃぶ台返し」をするような、怖い性格でもあった。父と母がけんかするのはしょっちゅう見た。気分が良いはずがない。
数少ない友だちを家へ連れてくると、父が怖い顔をする。普段から怖いのに、輪をかけてである。人嫌いだったのだろう。
「伊藤の父ちゃん、ヤな奴だよな」とも言われたこともたびたびあった。
晩年は物忘れがひどく、体が弱り、「徳、買い物に付き合え」とよく言われ、そのペースに合わせることは、ただでさえ気難しいのに、ため息が出るほど苦痛だった。
その他にもさんざんひどい目に合わされたが、ここでは省略する。
話は変わるが、一番上の純子姉さんが、統合失調症となり、荒れ狂う毎日となった。当時は精神分裂病と呼んだものである。
その前は社会人として働いていた。だが高校時代、恋人がいたのだが、両親が仲を引き裂いてしまった。特に父が、「電話がかかってきても取り次ぐな」と言ったらしい。気に入らない彼氏だったのかも知れないが、ひどい仕打ちである。
以来姉は情緒不安定となってしまった。よく両手を顔に当てて泣いていたのを見た。
そして姉は山口の上級教会へ住み込むことになった。同時に孝子姉さんも一緒に行った。
そこで病状が好転するどころか悪化していった。真夜中包丁を持って、ブルブル震えていたと聞いた。
朝、起きられないことも多くなった。そこをうちの前会長は、
「はよ起きんかい!」と足で蹴飛ばしたそうだ。なんということをするのだろうか。理解がなさ過ぎるし、人のすることではない。まして宗教家がこれでは信用出来るものではない。
姉はしばらくすると「実家に帰りたい」と言いだし、女子青年の勤めを辞した。
さて、帰ってきてから家中大変な状態になった。
まず、母を相手にわけのわからないことをしゃべり倒す。
母も病気とは思っていないので、
「いい加減にしなさい!」と怒鳴った。すると、
「それでも親?」
と姉が言った。この言葉は親神が言わせた言葉であると僕は思っている。「お前たちは親と呼べる人間ではない」と天の声だったと思う。事実、両親とも精神的に異常なところがあり、親らしい気配りも躾けも出来ない人だった。
父は二度、不安が突然込み上げ、母に、
「助けてくれ!」
と言ったことがある。僕がなった不安神経症だったのだろう。
一度目は修養科へ行くことに決め、御守護頂いた。
二度目の時は、講習へ行き、御守護頂いた。ところが、こうして簡単に御守護を頂くと、
『喉元過ぎれば熱さを忘れる』のごとく、
「薬が効いたんだ。それと時期か来たから治ったんだ」と、信仰をすぐに止めてしまった。
僕は言いたい。奇跡的な御守護をすぐに頂くと、成人出来ない。信仰を忘れ、御恩を忘れ、何事もなかったことになることを。
「御守護」は、「なかなか治らない」「事情が納まらない」方が成人出来るということを力説したい。身上・事情をいつまでも抱えている方が、天恩を忘れることなく、「本当の助かり」につながるのである。
父がもらった精神安定剤を母が姉に飲まそうとした。すると姉は大声で、
「アンタが飲みなさいよ!」
と、コップの水を母にかけ、母を殴った。母は風呂上がりで、下着姿であった。びしょ濡れになり、動くとあちこち濡れるのでどうしようかと困ったそうである。これも親神の言葉と思う。
「親が精神を病んでいる」から、子供もそうなるのである。まず親から自覚せねばならない。でないと本当の助かりにはつながらない。
姉はその後も大切なものを勝手に捨てる。僕が集めた自動車のカタログも、倉庫に入れていたのだが、いつの間にかなくなっていた。ミカン箱二つに入れていたのだが、中にはかなり価値があるのものもあった。責めたところでもう戻ってこない。電化製品も壊す。長谷先生のところで他の信者さんにちょっとでも傷つくことを言われたら、帰るなり家の中の物を庭にどんどん投げていった。誠二兄が買った高価なオーディオセットも、コンセントのコードをハサミで切り、そうして投げた。そして、また大きな声で泣きわめくのである。二~三百万円ほどの損害であった。所詮、兄には持つだけの徳がなかったのだ。
僕は吹奏楽にのめり込んでいたので、頻繁にコンサートへ行っていた。そこでもらうプログラムを大切にしていた。だが、また姉に捨てられると思い、泣く泣く自分で処分した。今思えば引き出しに入れて鍵をかけておけば良かったと後悔している。今それが残っていれば、今の僕にとっては貴重な資料となったはずだ。
思い出のある写真を切り刻む。大切な手紙を捨てられる。
僕が学校から帰ると、
「洗うから早くワイシャツ脱いで!」と言う。
それを便器の中へ放り込み、そこで洗われる。
女友だちからもらったバレンタインのチョコレートと共に手紙をもらった。それをワイシャツのポケットに入れていたのだが、脱いでちょっとその場を離れ、戻るともう洗濯機の中だった。手紙は濡れてもう読めなかった。姉は、
「イヒヒヒ」と笑う。わかってやっているのである。
台所から離れず、お腹がすいてもインスタントラーメンすら作ることも出来ないこともしばしば。
作れたとしても、「アンタ! その鍋使わないで!」と、いきなり鍋の中身を流しに捨てる。
「その箸じゃ痛むから!」と必要も無いのに僕の手を叩く。
得体の知れないものを鍋にいきなり入れられたこともあった。
「アンタちょっと、これ見て!」と、視線をそらさせる。何か入れると思い、無視していると、
「何で見ないのよ!」大声で言う。
仕方なくサッとみている間に、姉が何か粉のような物を鍋に入れてしまった。多分片栗粉だと思う。
「素早いね」と僕がイヤミを言うと、
「イッヒッヒッヒッ……」と悪魔のように笑う。そのラーメンは大丈夫と思い僕は食べたが、気持ちが悪いというのが正直なところであった。
突然、
「ワーッ! ワーンワーンワーン!……」
近所中に聞こえるほどの大きな泣き声をあげる。ラジカセで同じ曲をボリューム上げ、毎日かける。テレビで歌番組を見ながら、うるさいくらい歌う。
姉なりに苦しかったのだろうが、当時の僕を含め、家族みんな理解できずにいた。
布教所の講社祭の日になると、いつも必ず興奮状態になった。みんなに乱暴したこともあった。ビンタなどを兄たちにくらわせた。みんなで外へ逃げた。
それに対して僕は、
「被害妄想じゃねえの!?」と言うと、
姉は「被害妄想にもなるよ!」と叫ぶ。
今思えば、姉を傷つけてすまないことを言ったと思う。
朝晩のおつとめもメチャクチャ。歌い回しもわざと調子っぱずれに歌う。しかも大声で。
ひどい時は、母がいない時のおつとめである。
躁状態で興奮していて、拍子木をものすごいスピードで叩き、おつとめにならない。
「カチカチカチカチ……」
五分くらいそれが続く。だんだんそれが遅くなり、また今度はメチャクチャなおうたを歌うので、興奮している姉に何も出来ず、どうしようもなかった。
姉の髪型を「ウルトラの母みたい」と僕が言ったら、しばらくして泣きながら、
「ウルトラの母で何が悪いのよ!」と言う。
物をどんどん壊したり、捨てられた。
家の中は地獄絵図であった。
こんなことも。
中学の文化祭に来なくていいのに姉が見に来た。そこでなんと特別号をクラスの友だちに渡すのだった。僕は気が気じゃなかった。
案の定、次の日に、
「お前んとこ天理教? なんか姉ちゃんがチラシを俺にくれたぞ」と、しばらくの間からかわれた。
立川市内の中学校の吹奏楽部の合同練習を立川一中で行うというので仲間たちと行った帰り道、公園を横切ろうとしたら、姉がギターを自転車に乗せ、公園で弾いていたのを見たこともあった。あれが姉だとは誰にも言えるはずもない。恥ずかしくてだまっていた。
「耳掃除してあげる」
「いいよ」
「いいから! こっち来なさいよ!」
嫌々姉のひざに頭をのせると、乱暴に痛いほどやられた。
「ちょっと痛いよ!」
と言うと、ますます力を入れる。何とか姉の手をのけて逃れたが、しばらく耳の中が痛くてたまらない。
「イテテテ……」
「ウフフフ……」と、ここでも笑う。病気だったので仕方がなかったとしか言いようがないが、毎日気が抜けない日々であった。
母は、「純子を小さい時、頭から落としたことがあったから、それでおかしくなっちゃったのかしら?」などと言っていた。全く理由は違うのに。
《闘病開始》
僕は幼少時の頃からあらゆる病気を経験してきた。
やはり最初はアトピー性皮膚炎であった(当時はアトピーなどという病名はなかった時代である)。三歳から六歳くらいのこと。かゆくて全身をかきむしり、かさぶただらけであった。母は皮膚科へ連れて行き、治療を施してもらった。だが、他にもアレルギー性鼻炎などもあり、その治療に病院へも行った。治療と投薬、塗り薬で一応は治まった。が、これがそもそもいけなかった。
アトピーの治療は薬が効いて、段々湿疹は影を潜めていった。しかし、僕の体の中では困ったことが起こっていたのだ。湿疹を体の中へ追い込み、今度は目が痒くなってきた。まぶたの内側にぶつぶつが出来、夜眠っている間に痒くて無意識に手でかいてしまい、眼球の角膜に傷を付けて、目がまぶしくて開けていられない。朝起きると目が開けられないほど目ヤニが出て固まっていた。母は不安そうに僕を連れて国立立川病院へ行った。医者は病名が付けられず、治療法もなくて「困ったなぁ……」と頭をかかえてしまった。ようやくついた病名が「春期眼炎」。春期といっても年がら年中悪いのだから変な名前だ。また学校を休むことが多くなってしまった。友だちと自動車のカタログ集めも出来ない。小学五年生頃の事である。当時の担任は荒谷(あらや)先生という、草刈正雄似の若い先生だった。あまりによく休むので、心配して家庭訪問に来た。「失調君、大丈夫か?」と言う。失調とは栄養失調のことで、僕はたくさん食べても身に付かない体質で、確かに栄養失調気味だった(ちょっと失礼なあだ名だが)。病院での治療は、角膜を守るためだろうが、目薬の他にジェル状の薬を眼球に塗り、しばらく目を閉じたままにしたり、ライトのようなものであたためたり、また一番イヤだったのが眼球に注射を刺すというもの。
「ちょっと横を見ていてね」と言われ、白目の部分に注射をするのである。初めて注射すると言われたときは冗談かと思った。チクリと目に針を刺される感覚は何とも言いがたい。いつもまぶしいので常に首を傾け、顔は下向き加減で物を見るクセがついた。
「そのクセ、直らないね」と医者が言う。
「このままでは視力は低下するだろう。瓶の底のような眼鏡をかけなければならないかもしれない。傷から細菌が入れば失明の可能性もある」とまで言われた。
その時の飲み薬の中にビタミンCがあった。母が「ビタミンCは風邪に効くから多めに下さい、って言って」というので、医者にその通りに伝えた。すると、
「ビタミンCは風邪には効かないよ」と笑われた。待合所にいた男性もクスクス笑っていた。
ところが今はどうだろう。風邪にビタミンCを取ると治りが早いと言われはじめて大分たつ。今度はビタミンCを取り過ぎると腎臓に悪いと言われている。複数のビタミンを取るべきと言われるようになった。
昔、牛乳を飲むと背が伸びるとか、運動中に水分を取るなとか、日光を浴びないと健康に悪い、クル病になるとか言われていた。今、牛乳を飲んでも背は伸びない、運動中はこまめに水分を取らないといけない、日光を浴びすぎると皮膚ガンになる、などとどんどん話は変わっていっている。
それではいったい何を信じたら良いのか、ということになる。現代医学の研究そのものが、多大な時間と経費をかけて行われているが、昔とは全く違うことを流布している。
ここで僕が言いたいのは、
「決まったことは何も無い」ということである。
百人いたら百通りの人生、体を持っている。それをひとまとめにすることは愚の骨頂であると思う。
漢方の治療は、本来一人一人の身体を診て、そして治療の方法を決めていく。今は風邪には葛根湯だとか、決めてしまっているが、体が虚弱な人には葛根湯は飲んではいけない。かえって体を壊す。
山本利雄先生の『重症の枕もとで』には、
「……患者さんの八十パーセントは、きてもこなくてもいいようなもの。きたから治ったいうものでもないし、こなかったから悪くなるというものではない。勝手に動いている。われわれが近代的な医療を駆使して、それがドラマチカルに成功するものがどのくらいか。十パーセントを一~二パーセント上回る程度である。本当にわれわれの技術で治したという実感がもてるのは、十一~十二パーセント、残り七~八パーセントは、やったばかりに悪くしちゃった」(前書き三頁)
さらに、この話をだいたい正しいものとした場合、十二パーセントマイナス八パーセント=約四パーセントに過ぎない、とある。たったその程度のことに、莫大な資金を投資して研究をしているのである。世界中でやっているので、天文学的な金額になるだろう。これを愚かなことだと気がつかないのだろうか?
そうしてとてつもない検査機器を作り、病院も購入し、何億円というお金が費やされ、たった四パーセントしか治療出来ないのだ。そして定説はどんどん覆される。バカバカしいにも程がある。
そんなことに力を入れるのではなく、社会をより良いものにしていくこと、心を穏やかに過ごせる世界を作ることになぜ力を注ごうとしないのか。お道も『憩の家』という大病院があるが、おかしなことが行われているのである。二代真柱様の望んでいた病院には未だになっていないのである。さぞ残念に思われていることと思う。
こんな本があるので、ここで引用したい。
『障がい者よ、街へ出よう』津久見 圭:著
(発行:プラチナボックス)
「宗教からの勧誘ラッシュ」
目が見えなくなると、あらゆる宗教からの勧誘に会う。ある時、関西に住む友人が、奈良の巨大宗教集団に、優れた技術を持つ眼科があると教えてくれた。人気があるので、予約を取らないと診察を受けられないということで、東京から行く私のために、その病院で一番早い時間の予約を取ってくれた。私はその日、開院と同時にいち早く診察室に入ることができた。
ところが、診察はたったの五分で終わってしまった。私が、過去に「網膜色素変性症」と医師から断定を受けていることや、それなりに目の病気と戦い続けた歴史を話すだけで終わったのである。その医師には「当院には、あなたの目を回復させる技術はない」と言われた。
分かってはいても、たった数分で診察室を出なければいけないのは、いささか悲しくもあったが、診察室を出て驚くことが起こった。
私の両側に、ハッピ(この宗教の支援グループの制服)を着た「お助けマン」たちが、やってきたのである。
「あなたをお救い申し上げますので、こちらへお越し下さい。」
と、彼らは、私を取り囲んだ。私は、気乗りがしなかったが、熱心な誘いに負けて、巨大な畳敷きの部屋に通された。そして、そこで、入信への説得が始まったのである。
教祖様には悪いが、私はまっすぐ前を向いて、聞き続けるふりをしていたが、わが脳の中では全く違うことを考えていた。その日、早く東京に帰って、仕事の現場に戻らなければならない事情があったのである。
私は三十分ほど我慢して、ようやく説得を逃れ解放された。待っていた友人が、
「ずいぶんゆっくりだったな。どうだったんだ。」
と聞いてきた。
「もちろん、駄目だったよ。」
と軽く答えると、
「駄目なのに、どうしてこんなに長く時間がかかったんだ。」
と返してきた。
「いや、こちらに入信すると、目が治るらしいんだよ。」
と返すと、
「それは考えものだな。取り組んでみたら面白いんじゃないか。」
と、笑いながら言った。
その友人も私も、紀州の名家の出であるから、敬虔な仏教徒である。友人は、製材所を経営する何代目かの社長で、自分の代では、手広くホームセンターのようなものも作り、先祖より規模を大きくした。私は、高校三年間は、いつもこの男と一緒にいたような気がする。実直な彼は、この教団の病院の評判を聞き、その評判を信じて、強く私に推薦してくれたのである。
「今日中に東京に帰りたいんだ」
と彼に告げて、私たちは、一緒に大阪へ向かった。…………
(19~22頁)
著者は、テレビ・ラジオ・イベントのプロデューサーである。目が見えない現在でも、仕事を続けているという。
その本の引用した文には、続きとして、あらゆる宗教から、入信したら目が見えるようになると勧誘された、とあるが、著者はむしろ医学の方を信じる、と締めくくっている。
憩の家は、天理教が誇る病院であるが、はたから見れば、そのような評価しか受けていないことを知って頂きたいのである。二代真柱様の思い描いていた、「憩う」ような、医師の教育がまだ行き届いてはいないのが現状なのである。憩えないのである。
憩の家に通院した際、医者に、
「こんなんで心カテ(心臓カテーテル)せえ言うたんか? そんなん必要あるか!」と乱暴に言われたこともある。職員や看護師さんには誠実に対応して下さる方が多いが、ようぼく医師を育てるという点では全くなっていない。
有名な河合隼雄先生も入院し、出直された病院ではあるが、大きな建物の中はそんな空虚感が漂っているのである。
CTを撮影する場所へ行った時、受付の女の子の鼻の穴の中に青い鼻くそがたっぷり付いていたのを見たこともある。「誰か注意しないのかなあ」と、不潔さにあきれた。
事情部へ電話して相談しようとしたら、「今、ジャンジャン電話がかかってきて忙しいから、またかけてきて」と、十五分間で一方的に電話を切られたこともあった。そのクレームを電話で職員に伝えると、「あ、そうですか」とだけ言い、「申し訳ありません」とは決して言わない。電話を切る時も、「失礼します」とも言わず無言であった。また電話した時は、逆に自分の教会の苦労話を聞かされた。他にも、「うちの会長にもお嫁さんが来ないんですよ」「人間どれだけいんねん積んでるかわからんのです」
いんねんのない人はいない。誰でも色々持っている。これだからお道は暗い印象がぬぐえないのである。
病院全体にいる人たちの「意識」が低いとしか言いようがない。いや、お道の人々すべてに言えることだと思う。
こんなことを書くと、本部批判に当たりそうだが、「そう思っている人がいる」と、参考までに書かせて頂いた。誤解せずご理解頂きたい。また、『障がい者』と書いているのは、障害者は害ではないのだから、わざとひらがなで書いているのである。それは『カルガモ母さんが翔んだ』(道友社刊)の著者である川上美也子さんのブログにも書かれている。障害者がいるからこそ、健常者が存在するのである。それについては山本利雄先生の本にも書いてある。大切なことである。
悩んだ母は僕を連れて御本部のお祭りに参拝をし、そこで不思議な話を聞いた。郡山大教会の詰所で、ある教会長の講話があった。まだ山陽大教会が昇格する前は郡山大教会だった。
「……私の目は今でもよく見えますが、実は犬の視神経が入っているのです。それでも良く見えます」
同じ目の話を聞くとは、偶然にしては出来過ぎている。その先生は、戦時中、軍の実験台となってそうしたのだと話した。
母は「助かるかも知れない」と密かに思った。その話を帰ってから病院の医師に話したら、「そんなバカな」と本気にして貰えなかった。
長谷先生は、とかく納消の道を教えられていた。母はとにかく僕を助けたかった。だが家の金庫のカギは父が握っている。お供えが出来ない。母は思いきって、父に後で怒られるのを承知で、こっそり父の金庫のカギを借りて、銀行から十万円(今の価値なら五十万円くらいだろうか)をおろして所属の教会へ送金した。
それからである、奇跡が起こった。いくら治療をしても治らなかった目が回復し始めた。父のお金をおろしたことはじきに判明し、父は激怒した。だが病気が回復した喜びにはかえられない。「納消って効くんだなぁ」と僕は思った。医者が指摘した首を傾けるクセは当分とれなかった。しかし、医者が失明するかもとまで言ったこの目は、その後学校の視力検査で、左右の目ともに1,0を越えるほどの視力を御守護頂いた。
次に、息切れがする、顔色が悪く、死人のようにドス黒くなり、心臓がどきどきする、などの症状が出始めた。十五歳の頃だった。
病院へ行くと「大変な貧血が見つかりました、あなた、偏食があるでしょう?」と医者は言う。
これは医者の誤診で、腸からの出血で真っ黒い便が出ていたので貧血になったので、偏食が原因ではなかった。
徹底的に食生活を変えさせられた。毎日食べたものを紙に書いて来なさいと医者に言われ、嫌々野菜を食べた。
その頃、なぜか生の米や炊く前の水に浸した米を美味しいと感じ、食べるようになった。異食症(いしょくしょう)というものである。貧血になるとこういったことが起こる。ひどくなると土や自分の大便まで食べてしまうという。僕はさすがにそこまでいかなかった。
とうとう夏休みに三週間ほど入院治療となった。友たちに「ガンだ!」とからかわれた。しばらく貧血は残った。そして通院で注射をされる。すると、たちまちひどい吐き気とめまい、頭痛がおこり、病院のベッドで一時間くらい休む。注射が怖くて仕方がなかった。また、鉄分を取るために錠剤を飲まされた。これが胃を荒らすのである。時々胃が痛んだ。しかしこれも段々何とか治まった。
次に、原因不明の吐き気がおこるようになった。十七歳の頃だった。きっかけは高校二年の時、夏のこどもおぢばがえりの学生ひのきしん隊に参加した。暑さと疲れで突然食べ物がのどを通らず、無理に食べようとすると吐き気がする。みんな食堂で食べている最中に、僕は外で待っていた。心配してくれる人もいたが、打ち上げパーティーの時、直会の時の食事も食べられず、食べてない状態だったため体が弱っていた。それで憂鬱な顔をしていたので、
「ちっともノってくれない、楽しそうじゃない」
と誤解を受けた。その時の仲間数人で新幹線に乗り、帰京したが、吐き気がしてトイレで吐こうとしても出るものが胃に残ってないので何十分もえずいては席に戻り、またトイレへと繰り返した。とても苦しかった。東京駅から立川の自宅に戻る中央線の電車内で、頭の中でよろづよ八首を唱えながら何とか帰宅した。その後は精神的に緊張すると吐き気が起こった。
僕は吹奏楽を中学の頃からやっていたのだが、舞台に上がると吐きそうになる。大好きなトランペットも休まねばならなかった。何とかコンクールはファーストとして吹けたが、もうこれ以上無理と、打楽器の小物を担当することになった。
高校三年になって、学生指揮者になった。これなら腕を振ることと仲間に指示することで済むので、やることが出来たのだが、卒業寸前の三多摩吹奏楽祭の舞台に上がる時、顔面真っ青になり吐き気がし、それでも指揮者が出ないと始まらないので「ええい、ままよ!」と舞台に立った。三曲演奏したのだが、三曲目には吐き気が治まっていた。不思議だった。
大学へ進学するお金も、健康な体もなく、高卒で、しかも下から数えた方が早いくらいの学力で卒業。なぜ下から数えた方になったかは、部活の吹奏楽にあまりに熱心すぎて、勉強はそっちのけだったからだ。高校の入学試験では、上から数えた方が早いくらいだったのだが、勉強するために通学していたのではなく、部活で音楽をすることが目的だった。僕は生まれつき耳だけは良かったのである。今まで耳を病んだことはない。音が合っているかどうか、良い音楽かどうか、聴いただけでわかってしまうのである。
高校の終わり頃から、母に勧められて、お道の本を読むようになった。読んでみるとなかなか面白いな、と思った。色んなおたすけの話や、御守護の話に夢中になっていった。思えば早い頃からだなと思う。なので、本部勤務になってもずいぶん読んだ。どの本のどのあたりにこんなことが書いてあるか、大体記憶している。今でもそれが役に立っている。
卒業前から教習所へ通い、自動車免許を取ることにした。ところが体調がひどく悪かった。教習車に乗ってすぐ、
「すみません、吐き気がするんです」と、中断して帰ったこともあった。だが何とかギリギリで取ることができた。
この時、トロンボーンの重田という女の友だちが、コンセルバトワール尚美(音楽関係の専門学校)へ進学することになっていて、その際、
「徳さん、今ね、尚美で無料で研究生を受け入れてるんだって。指揮科へ行ってみない?」と誘われた。しかし、こんな体調では行けないと思った僕は断った。今思えば残念でならないが仕方が無い。もしこの時、健康な体だったなら、指揮科へ行ったであろう。そして今頃指揮者として活躍していたと思う。だが、傲慢で高飛車で独裁者のような人間になっていたに違いない。だからこれで良かったのだと思う。
病気が僕をお道から離さないように親神様がなされたのである。そこで僕は道を求めるしかすべがなかった。今僕がここまで来れたのも、親神と教祖の思惑として感謝している。
重田は元々フルートを吹いていた。それで尚美に行くはずだったのだが、合宿で仲間のトロンボーンを遊びで吹いた。それを聴いた講師が、「君、そっちの方が向いているんじゃない?」と言われ、実は大きな楽器が吹きたかった重田は、高校三年の夏から、楽器を転向した。そしてみるみるうちに上手くなっていった。もちろんバイトで稼いで、学費を作り、先生とマンツーマンのレッスンを受けての話である。
彼女は今、プロの奏者兼、指導者として活躍している。
僕はそれから修養科へ。身上を助かりたい一心で行った。
山陽大教会としては後にも先にも無いほどの修養科生が集まっていた。十五人くらいだったと思う。
そこで僕は高校時代からやっていた、「ムンクの叫び」という絵のものまねをした。けっこうウケた。当時僕は痩せていて、よく似ていると言われていたのだ。
三度の食事がとにかく苦痛だった。ごはん粒一つ飲み込むごとに吐き気がする。他の修養科生は食べ終わっても、僕は一人食堂に残り、頑張って少しずつ食べる。
食堂のおばさんが、
「アンタ、まだおったん? なにしとるん?」
僕だって食べたいのはやまやまなのだが、胃が受けつけない。
ある日の献立に麻婆豆腐が出た。「これなら食べられそうだ」と、お椀一杯飲み干すと、とたんに吐き気が起こった。周りの人々はあまり心配もしてくれない。
昼食は本部食堂である。食べられないので、ビニール袋をいつも持ち歩き、おかずを入れて持ち帰り、詰所へ帰ってから少しずつ食べた。
そうして食べている時に後ろから同期生が、
「わっ!」
と、僕をおどかした。僕は何も言わなかったが、食べるのに必死なのに、不愉快な思いをした。
こういったことは決してしてはいけない。もし驚いた勢いで喉に詰まらせ、吐いてしまったら、食べ物ももったいないし、身に付かないではないか。冗談でもやってはいけない。案外こうしたことは誰でも気がつかずやることがあるだろう。だが気をつけなければならない。冗談では済まされぬことである。
食べないので授業中に気分が悪くなり、救護室へ行くこともしばしばあった。詰所から迎えも来た。
教養掛の先生に相談した。
「実はここへ来る前から緊張すると吐き気が起こるんです。どうしたらいいでしょうか?」とお諭しを願い出た。すると、
「それはね、神様にもたれていない、ってことなの」
という返事が返ってきた。そしておさづけを取り次いで頂いた。
僕としては、「そんなものかなあ?……」とその時は感じた。実際に「神にもたれる」ということがどういうことなのか、まだ理解出来なかった。言葉では理解出来るが、実際にどうすればいいか、全くわからなかった。
修養科中に十九才の誕生日を迎えた。同期のおばさんが数人と連れ添って喫茶店でかき氷をおごって下さった。だが、それすらのどを通らなかった。正直、「喫茶店など行きたくないなあ」と迷惑だったが、むげに断れなかった
なぜかその頃、異常に臭いおならがひっきりなしに出た。体の中で何か起こっていたのだろう。音を立てずにおならをすると、同期生に、「ん、なんか臭くない?」と言われたこともあった。
ある日、トイレへ行った際、太ももの付け根に膨らみを見つけた。何の気なしにつまんで見ると、どろっとした膿がたくさん出てきた。それっきり出なくなったが、理由は未だにわからない。おならもそうだが、体の中から浄化されていく過程だったのだと思う。
三ヶ月生になる頃には食欲が戻ってきた。不思議だった。食事がおいしい。ありがたかった。
その頃、山陽大教会でもめずらしく、もしかすると講習生も含め、二十人以上いたかもしれない。おそらく後にも先にもそれだけいたことはなかったはずである。多分、教祖百年祭直前だったこともあるだろう。
若い女性も数人いた。ある時、廊下を歩いていると、女性の部屋の扉が開いた状態で、扉のそばで後ろ向きに、年上のお姉さんがパンツを履き替えているところを見てしまった。ツルンとしたキレイなお尻をハッキリ見た。「何で気をつけないのかな?」と思いつつ、いい思いをさせてもらったと思っている(僕はスケベな人間なので失礼しました)。
修養科へ、「中山式快癒器」を持って行った。現在出回っているものではなく、旧式の木製のものである。未だに持っている。父が買ったものだが、いつの間にか僕のものとなった。すぐお腹を痛くするので、その時腰にそれを当ててツボを押すと治るのだ。それを見た他の女性の修養科生に、「貸して欲しい」と言われ、貸したこともあった。よほど気持ちが良かったと見えて、しばらく返してくれなかった。
おてふりの修練で、ある老人が言った。
「やはりおてふりが一番上手なのは○○さんですか?」
と、若い女性の名をあげた。すると有川先生が、
「いや、伊藤君です」
「ほー、それは何で?」
「ていねいさが違う。皆さんも見習うといい」
僕は心の中で「やった!」と思い、嬉しかった。だが自慢はしなかった。なぜなら、時々「合掌の時、手をもっと立てて」と、注意もされたからだ。
おてふりについて、人から注意されると、ムッとくるものである。「自分は正しい」と思っていても、案外間違っているものである。僕もある老人に、
「いさみの手は肩まで上げるんだよ。アンタ低いよ」と言われたことがある。その老人のおてふりは、とても正しいとは言いがたいものだった。僕はすぐ直したが、内心面白くはない。だが、こうしたことには素直でいたいと思っている。
本部のおつとめの時、「一れつすまして」のところで、両手を一度回すはずを、両手をそれぞれぐるぐる回しながら円をえがく手振りをしている青年がいた。本人としては、「一れつ」なので、混沌とした世の中を表現したかったのだろう。僕は注意したかったが止めた。気を悪くするのを恐れたからだ。
ずっと後の話だが『陽気』誌におてふりに関する投書を出した。それを読んだ二番目の孝子姉さんがうちの布教所の講社祭に来た時、僕にこう言った。
「今日は徳ちゃんのおてふりを見に来た。偉そうなことを書いてるから、どんな風にやるのかなって」
偉そうなつもりは全くなかった。善意で投書を書いたのだが、孝子姉さんにはそう受け取られた。僕はその姉のおてふりが、かなり間違っていることを以前から気になっていた。それについて恥をかかさぬよう、影で姉に言ったことがある。すると、
「わかってるけど、なかなか直らないのよ」と言う。これはおそらく朝夕のおつとめをおてふりでせず、拍子木でしているためだと思う。まだ若いのに、言い訳に過ぎない言葉である。毎日おつとめをしているのだから、正しく直すことは出来ないはずがない。おまけに「見に来た」と言いながら、僕の正しいおてふりを参考にせず、自分を直そうとはしなかった。
また僕はこう思う。相手が偉そうに見えるとか、高慢に見えるならば、その分自分が偉そうだったり、高慢だったりしているのだ。そんな経験がたくさんある。
相手は鏡なのだ。他人が欲張りに見えて、それが気に入らないならば、自分が欲張りで、欲のほこりにまみれていると僕は確信している。事実、
「鏡やしき」
というお言葉を教祖もおっしゃっておられる。おさしづにもたくさん出てくる。特におぢばにいて、人の悪いところが見えると、自分の心が汚れていることに気づくことがたびたびあった。
日頃から高慢な、のちに書く関さんに、
「お前は引っ込み高慢や!」と言われたこともある。鼻につくのであろう。その点で気がついた時に、自分の癖性分を直す良いチャンスと反省すれば、人として成人出来ると思っている。
人は色眼鏡をかけている。そうして世界を見ている。人によって、世界がバラ色に見えることもあれば、地獄に見える人もいる。色はその人の心である。
余談になるが、孝子姉さんは僕のことを、
「いつも一言多いよね」と言う。
確かにその通りである。しかし姉は僕の十倍以上、口数が多いことに自分で気がついていない。
詰所で、住み込みの奥さんの挨拶がそっけなかったことに対し、言わなくてもいいのに直接文句を言ったことがある。
母と長女の純子姉さんの世話に来た時はしゃべりっぱなしである。母そっくりである。そして語気も荒い。優しいところもたくさんあるのだが、時々チクリと一言心に刺さるようなことを言う。
「徳ちゃんのところから来る物は何でもヤニ(タバコ)臭いよね」
「あのさ、特別号のハンコだけど、電話が無くなったから、一枚一枚消して渡してくれる?」
以前は僕がハンコを押す役目をしていた。しかし当時姉に渡していた特別号は確か十五枚だったと思う。ならば自分でペンで消して、自分の家の電話番号を書けば良いものを、それすらしないで苦情を言うのは面白くなかった。
「徳ちゃん、お風呂洗ってくれなかったんだね」
「アンタ、好き勝手に贅沢したんでしょ。それ以上欲しがるのは甘いよ」とも言われた。そのたびに心が傷ついた。
以前、孝子姉さんの長女、つまり姪っ子が結婚すると聞き、その子は小さい頃アトピーだったので、前もって伝えなければと、手紙を送ったことがある。内容は、「子供が生まれたら、決して皮膚科へ行って治そうとしてはいけない。治療したら内攻する。僕みたいに色んな病気で苦しむ可能性もある。また、妊娠する前から体内の浄化をするように、ドクダミと番茶を合わせたものを普段から飲んでおいて欲しい」など、自分の体験も交えたことである。僕がアトピーを治して苦労したため、生まれた子供に苦労をしてもらいたくないという思いからだった。そのことは姉にも伝えておいた。手紙を送ってから電話したが、
「そういう考え方もあるのかなって」と、要は否定する言葉が二人から返ってきた。
ところがその姪っ子は看護師だった。現代医学しか信用していなかった。仕事も共働きで忙しいので、待っていられずすぐアトピーが出たら、皮膚科へ行ってしまった。子供がアトピーだと、痒がって夜泣きなどで大変になることは理解出来るが、それならば、生活が落ち着いた頃になってから子供を作ることを考えて欲しかった。
結果、二人男の子が生まれたが、一人は乳製品アレルギー、もう一人は卵アレルギーとなった。
さらに、下の子は腸が短いという、世界でも例が少ない、原因不明の状態で生まれてきた。
子供たちは一生、乳製品は入っていないか、卵は入っていないか、気をつけながら暮らしていかなければならない。給食でも気を遣うことだろう。
そうなってから、僕に一言も、
「あの時言うことを聞いておけば良かった、ごめんなさい」という言葉もなく、「この子は食べられないから」言い、開き直っているようである。頭が下げられない姉と姪っ子とも高慢だな、と感じざるを得ない。僕に信頼される徳がなかったと思うしかないであろう。
他にも色々言われた。グサグサと僕の心に刺さる言葉が出る。僕は深く傷ついた。それで後にうつになったという原因もある。
「まずくても残さず」と教育? 「まずい食事」が問題なのでは……麻木久仁子 10/28(土) 7:11配信 主宰する「美彩薬膳講座」にて、レシピの試作中です うなぎが大嫌いだった私 それが妊娠時に突然… 私は子供のころ、うなぎが大嫌いでした。口に入れられないほど嫌いでしたが、幸いなことに、高価なうなぎを私の口に押し込もうとする人はいません。みんな喜んで私の皿からうなぎを取っていくので助かりました。 それが30歳を過ぎて妊娠し、ひどいつわりに襲われたとき、他のものはだめなのに、なぜかうなぎだけが食べられたんです。おかしなもので、人の味覚はひょんなことで変わるんです。 ですから、娘が小さいときにも「嫌いなら食べなくてよし」。食材が無駄にならないように初めから盛り付けないか、シェアするか。どうしても残す時は、そっと皿の端に寄せなさいと教えました。大人になった今は、嫌いだったニンジンだのピーマンだの、なんでも食べています。 子供たちはなぜ食べないのか、なぜ残すのか 食に関して、最近、気になるニュースがいくつかあります。学校の給食にまつわるものです。一つはある中学校で給食として出されているお弁当の食べ残しが、あまりにも多いという話。単に弁当がまずいからではなく、異物混入が幾度もあったことが明るみに出ました。とうとう提供中止ということになったようです。 そしてもう一つ。ある小学校の教師が、好き嫌いのある子供たちに給食を無理に食べさせた「行きすぎた指導」の問題です。子供たちは嘔吐(おうと)しました。背景には「残さず食べる」という指導が根強くあるようです。 子供たちはなぜ食べないのか、なぜ残すのか。 本来、食事というのは美味(おい)しく楽しく食べるものです。学校給食に教育的な意義を求めるのなら、美味しく楽しく食べる日々の経験が、自然に食への感謝の気持ちへとつながっていくよう導くべきです。無理に押し付けて、給食の時間がうっとうしいものになってしまっては逆効果。「まずいから残す、というのは贅沢(ぜいたく)だ」という意見もあるようですが、そもそも育ち盛りで放っておいてもよく食べる時期の子供たちが残す、それも大量に残す、とはどういうことか。むしろ食材をそんなにまでまずくしてしまうことこそ、天の恵みへの冒涜(ぼうとく)といえそうです。 どんな食材にも、食材そのものの味があります。本来は、適量の塩味があるだけでも十分美味しいはずなのです。どういじったら、そんなにまずくなるのか。ここは子供たちの味覚を信じて、早めに改善してほしかったと思います。 美味しく食べてこそ身になるもの… 好き嫌いについても、大人は「なんとか直さなくては」と躍起になります。でも、例えばピーマンが嫌いだとして、ピーマンからしか摂取できない栄養素はあるのでしょうか。吐くほど嫌いなのに、無理やり口の中に押し込んで、ピーマンが好きになるのでしょうか。 聞くところによると、「クラスで一切残り物を出さない」という目標を掲げる先生もいるとか。残せばみんなに迷惑がかかるからと、無理やり食べさせる指導も行われているそうです。それぞれ体格もちがうのに、同じ量の食事を無理に食べさせるなんて、ちょっと理解できません。それより、自分で考えて「食べられる量を把握して盛り付ける」とか、「嫌いなものは友達と交換する」とか、給食を通して学べることは、他にありそうな気がします。 食事というのは、美味しく食べてこそ身になるもの。その考え方を料理に表しているのが、「薬膳」です。 薬膳と聞くと、「体には良さそうだけど、まずそう」「苦そう」と言う人もいます。ですが、そんなことはありません。「薬食同源」という言葉があるように、すべての食材が体をつくる基本であるという考えかたのもとで、季節や気候の移り変わり、体質や体調に合わせて、バランスの良い食事を取ることを基本にしています。「今日は体が冷えたから、温まるものを食べよう」「今日は汗をかいたから、体を潤すものを食べよう」「仕事でストレスが溜(た)まったから、リラックスできる香りの良いものを食べよう」などと考えて作る料理は、すべて薬膳なのです。 「薬」という字がついていますが、まずいものを無理して食べるのではありません。体をいたわる食材を、いかに美味しく食べるか。薬膳は、そうした食の楽しみ方を教えてくれます。 「食」は修行や罰ゲームではない! 嫌いなものを押し付けるより、美味しいなあ、楽しいなあ、と思いながら食べてこそ、食への感謝や喜び、好奇心が育つのではないでしょうか。食べるということは、修行でも罰ゲームでもないのです。 私たち親子のように、食べ物の好みは変わります。食べるのが好きになれば、嫌いだった食材も、「どれ、どんな味だ?」と口に入れる日が来るかもしれません。それもまた、食の楽しみ。食べるって本当に楽しいですよね!
(麻木久仁子 タレント) 麻木久仁子(あさぎ・くにこ) 1962年、東京都生まれ。学習院大学法学部中退。テレビ、ラジオ番組で司会者、コメンテーターとして活躍するほか、読書家としても知られ、本の紹介サイトHONZや新聞で書評を書いている。2010年に脳梗塞を発症。12年には両胸に発症した初期の乳がんの手術を受け、現在もホルモン療法中。講演会や取材などで闘病体験や検診の大切さを伝えている。2016年には国際薬膳師の資格を取得した。
先述の『陽気』の投稿のコピーと、『天理教音楽研究会史』に掲載されているみかぐらうたの楽譜のコピー、また、三代真柱様の歌われたみかぐらうたのCDのコピー、それらを他の三人の兄弟へ渡した。しかし読んだ様子も無く、聴いた様子も無い。講社祭に来て、いつもと変わらないおてふりとおうたを歌っている。残念でならなかった。
「手振り一つ間違えてもよろしくない」と、教祖はおっしゃっているのに、これをおろそかにするのは大切なおつとめを適当に考えているとしか思えない。由々しきことと僕は思う。
修養科では感話大会がある。ここで話をした人は、その後たいがい道から離れている。誠二兄貴が良い例である。感話大会に出て、精神病の姉について涙したという話をし、それが天理時報に載った。しかし帰宅して、また姉に対しての不満を口にするのだった。修養科という環境の中にいると、一種の洗脳状態になる。僕のクラスに道一条を決心した人がいた。その人はその後布教の家に行き、本部の回廊で出会った時、
「早く帰りたい」とこぼしていた。その後お道から離れて、一般人として家庭を持ってしまった。こんな例はたくさんあるのである。地元に帰ると「あの時何であんな気持ちになったのだろう」と思ってしまうのである。これが問題である。事情や身上を持っている人なら、それがおぢばで治らない方がいつまでも忘れることはないのである。逸話篇に『本当のたすかり』という話があるが、その通りである。簡単に「御守護」は、頂いてはいけないのである。教えを忘れてしまうのである。
同期の修養科生にいた、先述の老人は、口ばかりたち者で、言うこととやることが全く違った。本通りを歩いている時、仲間がタバコの吸い殻を道に捨てた。それを肩を叩き、「拾いなさい」という合図をした。
その数日後、その老人は、本通りで自分が飲んだ缶コーヒーの缶を、後ろにポーンと投げていた。人に当たったらどうするつもりだったのだろうか。やっていることが矛盾している。
また、詰所の食堂の一斉掃除の時、なんとぞうきんで消化器の上を拭いただけでそれで終わりにしていた。後でみんなが噂の種として「あれ見た? あきれるわよね~」と言っていた。
まだある。その老人は大教会の直轄の信者だった。なにかあるたびに、「えー、大教会直轄、村上です!」と言う。みんなから「直轄だから偉いとでも言うのんか?」と、ヒンシュクを買っていた。とにかくひどい老人であった。
強情でもあった。本部の中庭の掃き掃除のひのきしんの時、下水口のフタの上に玉砂利がキレイにどけてあった。これはフタの上に砂利があると、足を滑らせて転んでしまうためである。それをその老人は、「こんなこと、おかしい」と、わざわざフタの上に砂利を戻す。僕は「違いますって」と言ったのだが、全く耳を貸そうとしない。
修養科中、僕は気になって天理高校の吹奏楽部の部員が外で楽器を練習しているところへ行った。そして、
「今度のコンクールの自由曲はなんですか?」と聞いてみた。ホルンの学生さんだったが、
「ウィリアム・ヒルのセント・アンソニー・バリエーションです」
と言う。僕は過去にNHK-FMの『ブラスのひびき』という番組で聴いたことがあった曲だったので、「あー、なるほど」と答えた。同部は見事に全国大会で金賞を受賞した。
しかしである。僕はその演奏を先述の番組で放送されることを楽しみにしていたのに、冒頭部分を一部省略されてしまった。それを聴いたのは、教祖百年祭前の、上級の名田島分教会で住み込み青年をしていた時だった。会長様の娘さん、初美さんに「ラジカセを貸して下さい」と借りて、テープに録音したのだが、「それはないだろう」と、ものすごくガッカリした。
今ではYou tubeでも聴くことが出来るし、CDも持っているので良い音で聴けるようになった。「いい時代になったなあ」と思うのは、僕がおじさんになったということだろうか?
余談であるが、その初美さんは後に、山陽部内の竜育成分教会の現会長、矢野英明先生と結婚された。お二人とも大教会内で、僕が最も尊敬している方々である。特に会長様はユーモアもあり、また、思いやりの心を深く持っている。
矢野先生は今では布教部の講師として、おぢばなどでよくお話をされているので、ご存じの方も多いと思う。
まだ後継者だった頃、大教会で宴会があると、必ず服を脱ぎ始め、パンツ一枚になる。そうして窓から外へ出てしまったこともあった。
ある時、結婚式の披露宴の司会をされた。そこで、
「新郎新婦にぜひお酌をしてあげて下さい」と言うなり、自らビール瓶を持って走って新郎のところへお酌に行った。みんな爆笑していた。
また、余興で新郎新婦の友人が手品をやった。仲間たちが手品の時によく使われる『オリーブの首飾り』を「チャラララララー……」と手拍子をしながら歌う。三回で手品が終わったのに、すかさず矢野先生はマイクを通して、「チャラララララー……」と歌い、会場内は大爆笑となった。
学修のカウンセラーもなさっておられたが、小柄な体でも、キチンとリーダーシップを取っておられた。男気も備わっておられる。
何か行事があると、誰にも言わずに淡々と用意や片付けをなさる。教養掛で詰所にいる時も、時間を惜しんでなかなか人がやらない、壁紙が剥がれた箇所を直したり、人知れずこういったことをし、陰徳を積まれている。とにかくしっかりした会長様なのである。
それよりずっと後の話であるが、僕の身上がある程度回復し、久しぶりにおぢばへ帰らせて頂いた際、豊田山の墓地で矢野先生と出会った。その時、僕を見つけて、ニッコリ微笑みながら近づき、優しく僕の両肩を「ポンポン」と叩いてスッと去って行かれた。
僕はその時、
「苦しい中よくここまで来れたね。良かったね。僕も嬉しいよ」と、言われたように感じた。こんなことをしてくれた人は他にはいない。人への思いやりに言葉は必要ないのである。
初美さんも、自教会では長い間女子青年としてしっかり勤めておられた。夫婦仲も良く、まさに理想の夫婦と言えるであろう。
話が飛んだが、修養科終了直前、担任の丸山先生に、
「二ヶ月隊へ行った方が良い」と言われ、僕が、
「僕でも勤まると思いますか?」
と尋ねると、大きくうなずいた。行けば講習の費用が免除される。そこでついでに全部済ませてしまおうと、行く決心をした。
丸山先生は、一ヶ月目に、僕にこんなアドバイスをされた。
「遠くにいても、知っている人を見つけたら、走り寄って『こんにちは』と言えるようになりなさい」
すでに書いたと思うが、長谷先生が東本大教会で、「徳ちゃんこんにちは」と手をついて挨拶した際、無視して逃げたことがある。引っ込み高慢からそうしていたのだが、丸山先生は、それを早くに見抜いておられたのだった。
それからだいぶんたってから、確か史料掛勤務の時だったと思う、本通りの木下書店で、僕は『女子高生の〝性〟』という本を立ち読みしていた。そこへ僕の肩をポンと叩かれた。丸山先生であった。別に隠すほど恥ずかしいことではないが、僕は本の表紙が見えないようにした。すると丸山先生は、気を利かせて、上を向いて「同期だった、えーっと、誰だったかなあ」とされた。僕はかえって恥ずかしくなってしまった記憶がある。誰でも性に興味があって当たり前である。
普段の勤務の配属先は炊事本部の集計という、各詰所からの食事の数を計算することと、電話の応対であった。僕は電話の応対をすることになった。これなら体力がなくても、十分勤められる。考えて人選して下さったことがありがたかった。
その時よく言われたのが、
「姿勢が悪い!」というものだった。
確かにいつも猫背でいたし、肩もなで肩なのでみっともないのは自分でも自覚していた。しかし直らない原因は、おそらく胃腸が悪かったためだと思う。
二ヶ月隊で友人がたくさん出来た。体がしんどい時もたびたびあったが、楽しかった。
当時の二ヶ月隊は寮生活だった。三十八母屋と、女性勤務者のひのきしん寮の間にあった。窓から見ると、ひのきしん寮の女性たちが見える。男たちは「おい、着替えてるとこ見たぞ」などと嬉しそうに話す。僕もスケベなので見たかったのだが、チャンスがなかった。残念である(ひのきしん寮の方、失礼しました)。
寮では人との争いやもめ事がたえない。僕がいた時もそんなことは日常茶飯事だった。なにせ、元暴力団員の人もいて、みんな一癖ある人ばかりを集めたようであった。僕もその一人であろう。それが理由だと思うが、今は寮は閉鎖され、詰所から通うようになっている。
部屋割りが決まっていて、先に荷物を運んだ僕は、窓側に置いた。ところがちょっと席を外して戻ると、中年の人が僕の荷物をどけて、窓側を陣取ってしまっていた。怖かったので文句が言えない。
本部で朝夕のおつとめをするのだが、行く時に隊列を組み、「二ヶ月ひのきしん隊の歌」を歌いながら行進する。中には楽譜が読めない人、聴かせても覚えられない人がいて、歌がバラバラである。僕は気になって仕方なかった。
同期だったある男が、寮内でお金を盗み、退寮させられた。その男はいつも見栄を張って、「俺は何でも出来るぞ。簡単じゃん」と言っていた。
「俺はどんな鼓でも鳴らせるぜ」と言うので、僕が、
「じゃあ、これ鳴らしてみてよ」と言うと、まるで鳴らない。「これ鼓が変だ」と、鼓のセイにしていた。どうもいけ好かない人間だった。
夜の修練後、食堂に残ったご飯でおにぎりを作り、みんなで食べるという習慣になっていた。ある時、僕が取りに行くと、おにぎりの上にぬれ布巾をかぶせているのだが、それを取ると、何と中からゴキブリがたくさんサーッと逃げ出した。ゾッとしてしまい、以来僕は誰にも言わず、食べるのを止めた。
みんなに「ペコちゃん」と呼ばれていた男の子がいた。その子は、ホルモンの分泌異常で、成長が小学生並で止まっていた。色白で、可愛らしいのでそのあだ名がついた。
お風呂は全員千人風呂を利用する。寮から近いからだ。ペコちゃんは陰毛が全くない。そこで僕は「ミクロゲンパスタ」という毛生え軟膏を買って、「塗ってみて」と渡した。その次の日、彼はこう言った。
「どこに塗ればいいかわからない」
「それはお風呂でみんなのを見せてもらえばいいじゃない」
しかし彼はめんどくさかったのか、せっかく買ったのに使わなかった。
ペコちゃんは、自分のおてふりに自信を持っていた。そういうことを自分から言うのだった。だが、見ているとぐにゃぐにゃというか、なよなよとしたおてふりで、よく足もよろけて「おっとっと」といったこともあった。それについて気を悪くすると思い注意はしなかった。
自信過剰の人はだいたい自分が見えていない。そもそも自分を客観的に見ることは、ほとんどの人は出来ないだろう。そういうものである。
集計に、藤森久美子さんという年上の女性が勤務していた。僕と気が合って、毎日楽しかった。その妹さんの紀子さんも炊事本部に勤務していた。二人で僕に親切にしてくれた。
他にも浜田さんという年上の女性がいた。この人もペコちゃんと同様に、成長しない障害を持った人だった。ペコちゃん以上に体が小さかった。まるで幼稚園児のようである。その人とも気が合った。また親切にしてもらった。
足が不自由な人も二人いた。佐藤さんという男の勤務者の方と、お子さんがいる女の方の二人だった。佐藤さんはトランペットを持っていて、自分でも吹いていた。僕が吹奏楽部出身と聞き、楽器を貸してくれた。昼休みに炊事本部の外の畑で吹いたりしたものだった。時折「うるせー!」と苦情も頂いた。佐藤さんがみんなの前で一曲披露すると、「何でこんなに上手いの?」と言う人が。僕もみんなが知っている曲を吹けば良かったのだが、タイミングが悪くて披露出来ず、ちょっぴりショックであった。だが、皆さんには今でも感謝している。
二ヶ月隊の同期に経免さんという、のちに道友社で一緒に勤務する女性もいた。また、一ヶ月遅れで、梅田さんという男性がいた。元々学校の先生をしていた人だった。この二人とは、長い付き合いになるとは、その時は思いもしなかった。
梅田さんとは、ゴミを出す当番でたまたま一緒になり、言葉を交わしたことから始まった。その後梅田さんは天理教校本科へ進み、僕はその隣の部屋の史料掛に勤務するという、不思議な縁となり、一緒に話したり飲みに行ったりする知人となった。なぜ友人と書かないのかは、梅田さんの方が七歳も年上だからである。
梅田さんは、現在天理教校学園高校の教諭をしておられる。生徒と部活で『天理教人名索引』を作成していて、天理時報にもよく載っているので、ご存じの方も多いと思う。
二ヶ月隊では、当然感話を話すこともあった。
僕の順番が回ってきた。そして、僕は自分のさんげ話、そして今思っていることを話させて頂いた。その後、ペコちゃんが、いちいち言いに来なくてもいいのに、
「あのね、うちの部屋の人が『あの話、当てつけじゃねえの』って言ってたよ」と言いに来たのだ。僕はしょんぼりしてしまった。
ところがである。翌日、みんなから、
「いい話だったよ」と次々にお褒めの言葉をもらった。嬉しかった。どうやら僕は、本音をズバリ言うところがあるので、人によってはグサッとくるのだと思う。それで人によっては受け止め方が違ってくるようだ。そのため、曲解され、人を怒らせたことは何度もあった。手紙でもそうだった。
二ヶ月隊でももちろん習練がある。おてふりは、「お手直し」と呼び、特に一か月目の先生が、とても詳しく指導した。おてふりの研究をよくなさっておられたようだった。僕は毎回気が付いた点をメモに取った。そのメモは、まだ僕の手元にある。残念ながら、二ヶ月目のお手直しの先生は、教え方がとてもあいまいだった。ガッカリした。
二ヶ月目になると部屋替えがある。今度は窓際を確保出来た。
その部屋で、隣にいた年上の男性が、僕の持っていたウォークマン(昔のカセット式のもの)を見て、
「貸してくれない?」と言う。その人はふきのとう(フォークグループ)が好きだったようで、そのカセットテープを聴きながら布団に横になるのだが、その時必ず両手を自分のパンツの中に入れて、一の道具を触りながら聴くのであった。「汚いから止めて欲しい」と言いたかったが、ここでも僕は何も言えなかった。
体調が悪くなることもよくあった。部屋で休んでいると、おさづけを取り次いで下さる人もいた。しかし、その人のおさづけは、声がとても大きかった。「あしきはらいたすけたまえ……」ビックリするほどであった。教祖が「おたすけは一に勢いやで」とおっしゃっているのを自分なりに真似しようとしたのだろうが、これは身上者にとっては迷惑である。故・深谷忠政先生はおさづけの際、小声で取り次いでおられた。その方がいい。身上者に負担になってしまう。
講習へ進み、本部准員の井上昭夫先生の授業があった。その際、先生が言った言葉で今も覚えていることがある。
「皆さん、腹を立てない努力はしちゃいかんです。これをやったら爆発します。腹が立たない努力をするんです」
含蓄のある言葉だと思う。
講習生は大教会では僕一人だった。おてふりの習練に、詰所にいた、元専修科出身のKさんが指導することになった。Kさんは普段運営課に勤務していた。
Kさんは、正直あまり詳しく教えられる人ではなかった。他の修養科生に、「正しいおてふりを教えてください」と言われ、
「そう言われても……」とタジタジとしていた。何かというと、「ここは連続動作で……」の一点張りであった。専修科で、どういった教育を受けたのだろうか。僕には指導した専修科の授業がなっていないと感じた。
ある時習練中に、僕は先述のメモをこっそりと見た。するとKさんは気が付き、
「伊藤君、好かんのう」と言われてしまった。悪気があったわけではなかったのだが、確かに失礼だったと思う。ついでにその場で発表しても良かったのだが、引っ込み思案の強かった僕は、何も言えなかった。
Kさんは当時本部勤務をしていた。専修科出なのに、その後本部勤務を終えると、実家が教会ではなかったためもあり、世間の一般的な仕事につき、家庭を持っている。
こういうのを知っているので、僕はおぢばで学べばすべて良いと考えていないのである。専修科ならば、布教一筋で行くために学んだはずである。
教養掛の先生ともぶつかってしまった。小鼓の練習で、僕が修養科の時に習った通りに主張したら、
「そんな構え方してたら、実際のおつとめで疲れるよ」
と言う。要は楽な姿勢でということだった。確かにそれで良いのだが、僕は、
「でも修養科では、打つ面を畳一枚先に向ける形で構えなさいと教えられました」と言った。それでも先生は譲らない。後で修養科生の人に、
「やっぱり君の言う通りだったよ」と言われた。つまり修養科で僕と同じことを言われたのだった。大したことではないが、教養掛の先生も大人げないと思った。
その先生は、早くして出直された。悪い人ではなかったのだが……。
その頃、当時の大教会長様から、僕を教会の婿養子へという話があった。ところが所属のうちの会長(前会長)は、
「お父さんがそんなこと許さんだろう」
と、勝手に独断で断ってしまった。その話を僕が聞いたのは、その数ヶ月後だった。
前会長は独断で相談もせず、勝手に自分で決めてしまう悪いクセがあった。また、話をよく聞いていない。
例えば、こんなこといちいち伝えることもないのだが、我が家のトイレが詰まって、あふれかえってしまったことがあった。母は、それを何かの神様のお知らせと思い、前会長に電話で伝えてお諭しを尋ねようとした。しかし、その数日後、もう一度母が教会へ電話すると、前会長は勘違いして、
「お通じはどうかね?」
と、トイレが詰まったことを、お通じが止まって便秘になったと思っていた。こんなことはたびたびあった。
前会長がまず、「談し合い」を実践していれば、僕は今頃教会長だったはずである。だが、未だに結婚もしていない。しかし、これで良かったと今は思う。教会などへ行ったら、自分の時間がなくなり、自由が奪われてしまうだろう。結果オーライである。
教祖百年祭特別ひのきしん隊を終え、そこで御本部へ勤務したいと思った。二ヶ月隊で炊事本部の集計におられた上村真一先生に直接お願いをし、一度実家へ帰った。そしてにおいがけをして過ごしていた。すると、僕の留守中に上村先生から電話があった。かけ直してみると、
「世話課から正式に認められたよ。君、においがけに回っていたそうじゃない。きっと神様がそれを受け取って下さったんだよ」
こうして幸い夢が叶った。支度をして天理へ向かった。
配属先を一人ずつ呼ばれるのだが、僕の名前が一番目に呼ばれたのには本当にビックリした。教義及史料集成部史料掛であった。もちろん一人である。「天理教教会本部」と書かれたハッピを受け取った時はとても嬉しかった。
なぜそこへ配属になったかは、音楽好きということを履歴書に書いていた。史料集成部には、音楽研究会の事務所がある。そこの仕事もやってもらいたいという意図があったと思う。
案の定、そういう仕事が舞い込んでくる。当時は楽譜をキレイに書くパソコンソフトがなかった。なので手書きで書いていた。同じ部署の三村さんがキレイな楽譜を書けるということで、それに和文タイプライターで歌詞を打ち込む作業をよくさせて頂いた。例を挙げると三代真柱様の作られた『親神様の守護(おやのまもり)』の楽譜は、そうして出来上がった。
史料掛なので、書籍なども保管している。実は僕は、中学、高校と、図書委員で、高校時代は本屋でバイトをしていた。ここでも本との縁があったわけである。
余談だが、バイト中にお腹がすくので、母におにぎりを作ってもらっていた。その中の具は、ツナの缶詰にしょうゆを和えたもので、当時はツナのおにぎりなど誰も知らなかった。今ではコンビニでは定番となっているが、我が家の方が早かったのである。特許でも取っておけば良かった。そうしていれば、我が家は大金持ちになっていたはずである。
だが、高校時代、厳しい吹奏楽部で、社会性を身につけたという自負はみごとに打ち砕かれた。
「社交的でない」
「協調性がない」というレッテルを貼られた。
「音楽だけ知っていてもダメなんだ」思い知らされた。
「もっと人に合わせることを知らなあかん」と、先述したKさんに言われた。自分で自覚していたし、直したいが直すすべを知らなかった。その言葉が心に「グサッ!」と刺さり、傷ついた。生きていく自信をすっかりなくしてしまった。
「僕はどうすればいいんだろうか……」
「僕の人生って何なのだろうか……」
「僕の青春は……」
「何が間違っているのか……」
神殿で神と問答しても、答えは出なかった。
苦しくて、孤独で、寂しくて、精神的におかしくなりそうだった。情緒不安定なのを自分でも自覚していた。
第二ひのきしん寮へ入ったが、みんな天理管内の学校の卒業生ばかりで、知り合いすら全くいなかった。寮生活中に天理市民会館で成人式があったのだが、僕は行かずに寮の部屋に閉じこもっていた。スーツも晴れ着も何もなかったし、親しい人もいないので、行っても楽しくないばかりか、寂しいだけだと思ったからである。そんな成人式の日であった。
寮でもなるべく人と接するのを避けていた。自分に自信がなかった。事実、風呂場で変な目で見られたこともあった。ガリガリに痩せていたから仕方がなかったのかも知れない。
おまけに世間知らずで、世の中でどういうことがおこっているか、ほとんど知らなかった。ついでにファッションにも全く興味がなかった。いつも同じ服を着ていて、史料掛の人にバカにされた。今は全く違う。変われた。病気が教えてくれた。親神様・教祖が育てて下さった賜だと感謝している。
今思えば、「もっと人に合わせることを知らなあかん」と言ったKさんも、他の人々もみんな、同じ悩みをかかえていたのではないか、と思える。自分だけではなかった。周囲の人たちの言動を思い返せば、みんな、何と言えば良いのか、確かに困っている様子が浮かぶ。みんな、生きる上での処世術を身につけていなかったのだ。今でも人と話していると、そう感じることがある。「ああ、悩んでいるんだなあ」と。だから、「自分はダメな人間だ」と、思い込むのは誰でもそうであって、「そんなことはない、みんな同じだ」と考えた方がいいと思うようになった。これを読まれた方も、同じ悩みを持っていたら、どうかこのことを思い出して頂きたい。みんな同じだと。今の僕は、生きるのがとても楽になった。悩むことも必要なんだと思える。これが「学ぶ」ということなのだ。それには「何でも知っていなければならない」などということは一切必要ない。知らないままで良いのである。「それって何ですか?」と聞けば、みんな教えてくれるものである。自分の得意分野なら、人は何でも話してくれる。そうしてただ聞けば良い。僕も未だに知らないことがたくさんあるが、「このままでいい」と開き直っているととても楽である。時には「僕は関心が無いので」と、席を外してもいいのである。誰だって完璧な人はいない。ありのままの自分でいればいい。
同室になった人は、僕より一つ年下の、僕に似て痩せてひ弱そうな子だった。
最初に挨拶すると、前を向いたまま、何も言わない。
掃除も全くしない。布団は敷きっぱなし。
そして深夜にいやらしい内容のラジオをかけ聞いていた。僕は、
「もういい加減にしてくれ!」と怒鳴ったが、それでも止めなかった。
そんな子を本部勤務させる、それは本部の親心であろうが、躾けを本部に任せる親は、考えがどうかしている。自分で仕込むべきなのに。おかげで僕は不眠症になってしまった。「自分がおかしくなっている」という自覚はハッキリわかった。
僕は当時大変質素な生活を通っていて、寮生活ではレコードプレーヤーはおろか、ラジカセ一つ持っておらず、その子が持っていた機械を借りて聴いていた。自分のレコードは持ってきていた。その中に、僕らが少年期夢中になっていたテレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999(スリーナイン)」のレコードがあった。彼もご他聞に漏れず、夢中で聴いていた。
その後二年がたち、部屋替えがあり、彼とは別の部屋となった。その際に僕は、「聴きたいだろう」と思い、それらのレコードを彼に残し(譲ったのではなく)、そしてまた時がたち、気がつけばそれぞれ勤務を辞め、地元に帰って行った。その後に気がついた。彼にレコードを返して貰ってなかったことを。テレビ盤、映画盤、また続編など、正確には思い出せぬが七、八枚はあったと記憶している。彼は僕が忘れていることをいいことに、退職する時に何も言ってくれなかった。レコードは幼い僕が小遣いをため、少しずつ買い求めたものである。中にはテレビで「抽選で百名様にプレゼント」という告知に応募し、見事当選し入手したものもあった。非売品で、国内に百枚しか存在しない、大変貴重なものであり、秋葉原などの専門店で買い取って貰えば、もちろん綺麗な状態ならばの話だが、五十万円は下らないと思う。彼はそんなことは知らないので、「ラッキー、僕のものになった」程度の考えと想像がつく。
たまたま彼の現在の様子を風の便りに聞く機会があり、修養科や講習科など休んでばかりでろくに通えず、お情けで修了証をもらい、今は肺を悪くして、一時大教会の青年勤めをしているが、何の役にも立たない奴、という噂だった。僕は二年も一緒だったので「やはりね」という感想であった。僕は大教会へ電話し、彼に「電話してきてね」と二度ほど言ったが、全く連絡してくれなかった。
これらの結果につながったのは、すべて親である会長が悪いのである。教会長の資格すらない。
寮での生活ぶりがどうだったか。繰り返すが、まず初めて部屋で会った時、僕が「おっ、よろしくな」と声をかけても、布団にもたれたまま何も言わず、そっぽ向いたまま。布団は決して畳まず万年床の埃まみれ。反面、彼はしたたかで、夜通しラジオを、それもいやらしい内容の番組ばかり好んで聞いて、僕はうるさくて眠れず、一時不眠症にかかり、ノイローゼ寸前だった。洗濯もしていない泥だらけの不潔な靴下で、僕の枕をわざと踏んづけたこともあった。
「たまには掃除しようよ」とぞうきんを渡すと、蛇口から大量の水を流したまま、ぞうきんにちょっとだけ水を付けて、小さくこそこそと雑巾をこすり、しぼり方すらわからず戸惑っていた。「教会の長男なのにぞうきん掛けもしたことがないのか」と、僕はあきれてものが言えなかった。また、しょっちゅうお菓子やパンなどを買ってきて、僕に一口も分けようとはせず、全部一人で平らげる。本屋でエロ本をよく買い求めて、僕がいない時に自慰行為ばかりし、たまに行為中に僕が部屋に帰ってくると、あわてて隠そうとはするものの、精液の付いたティッシュがあたり一面にちらかっており、ズボンのチャックから一の道具が丸見えであった。オナニーくらい男なら誰でもするので、僕はからかったりしたことも一度もなかったが……
また、心は小学生並みで、テレビ番組のロボットのおもちゃを買ってきて、口で「ブーン、ブーン……」と言いながら手で空を飛ばす真似をして遊んでいる。ひどいものである。
彼は職場に来た営業マンにパソコンを勧められ、当時百万円もするものをローンで買ってしまった。しかし使い方がわからず、何にも使うことは出来なかった。もったいない話である。
たまたま彼が体調が悪くて(と言っても少し体がダルかっただけの仮病なのだが)、勤務を休んだ時、会長は息子の見舞いに抱えるほどの量の食べ物を持参し、僕も勤務が休みの日で同席したが、
「全く、心配ばかりかけおって……」などとぶつぶつ言いながら、
「それじゃあな」と、僕には目もくれず部屋を出ていった。
「この親があってこの子がありきか」と僕はあきれかえった。
彼が僕や周囲の人々にどれだけ迷惑をかけているのか、何も考えていない。本当に子供が可愛いのなら、息子には何も与えず、真っ先に僕に、土産の一つも買ってきて、
「出来損ないの息子がご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」
と、お詫びの一言くらい言う、それが本来お道のあるべき姿、 いや、社会の常識である。
彼の部署の方々は優しくて、彼が身上で欠勤したら、昼休みに食事を運んでくれていた。僕にはそんなことをしてくれる仲間は全くおらず、身上になったら断食するしかなかった。
部屋ごとに夜の事務所の当番がある。電話がかかってきたら寮内放送で呼び出す。そして電話をつなぐ。
僕らの部屋の番になった際、彼は滑舌が悪く、変な口調で放送した。どこからか大爆笑が聞こえた。
そこへ文句を言う人もいた。何故か僕が叱られた。
「あんな奴に任すんじゃねえ!」と。やりきれなかった。
電話を取り次ぐ時、最初の会話をイヤでも聞いてしまう。そういう仕組みの機械だった。若い女の子からよく電話がかかってくる。そして、
「フーッ!」
「フーッ!」
「フーッ!」
「フーッ!」
などと言い合って、楽しんでいる。きっと彼女なのだろう。僕には彼女がいないので、うらやましくて仕方なかった。いつまでも会話を聞いていられるのだが、次の電話がかかってくるので、そうもしていられない。
ある時、勤務先で大失敗をして、Kさんという先輩に彼は呼び出された。彼は怖かったので「一緒についてきて」と僕に言うのであった。仕方なくついて行った。
こっぴどく叱られていた。三十分くらいして、僕が「もう帰ってもいいかな?」と言うと、「やだー、ずっと一緒にいて」と、だだをこね、半ベソである。「何で俺までなんだ?」と、疲れるばかりであった。
先輩に、
「お前、(学校で)いじめられてたやろ?」と聞かれ、首を縦に振っていたのを見たことがある。誰でもわかりそうなことであった。
本当に書けばきりがないくらい、周囲に迷惑をかけた。
僕が元気になってから、「レコードを返して欲しい」という手紙を教会へ送った。レコードがないなら、現金で返して欲しい。とも書いた。すると、会長や教会の人々は、大教会長へ相談し、僕の所属の教会まで電話した。
昔聞いた話で、母親はストーブの火が服に燃え移り、焼死されたらしい。
僕は強気で手紙を出し、電話をかけまくった。すると教会の電話は相手の番号が表示されるものだったようで、手紙に僕の携帯の番号を書いていたので居留守を使われた。
数日後、電話に出た。それは彼の兄弟のお嫁さんであった。
逆にひどく非難された。
「私、お道以外のところから嫁に来たんですけど、こんな人がお道にいるなんて、なんてひどいんだろうと思いました」
と言われてしまった。しかしひどいのはどちらだろうか。どう考えてもその教会の方が悪いと思うのだが。
話にならないので、短気を出した僕は電話を切った。すると、お嫁さんがかけ直してきた。
「なんで切るんですか」
「アンタじゃ話にならない」
「あの子は自閉症なんです。自閉症はウソがつけないんです。だからレコードを持ってないと言ってるので、無いはずなんです」
僕はそこで初めて彼が自閉症だったと知った。
「あの子と会長さんは仲が昔から悪くて、困ってるんです」と言う。
しぶしぶ僕は諦めることにした。約束として、
「僕から二度と電話しないこと」となった。ところが、僕は言い忘れたことを思い出した。自閉症ならば本部へ行かせるのはそもそも間違いじゃないかと。すぐ電話したが、案の定、出てはもらえなかった。しかしよく考えたら、彼は一れつ会の扶育を受けて高校へ行っているため、本部勤務しなければならなかったのだ。
その後、会長は入院し、数ヶ月後に出直した。
職場も環境も人も問題だらけであった。
仕事を与えてもらえなかったから、自発的に掃除やぞうきんがけをしていたが、仕事もろくにせず、おしゃべりをし、自分勝手なことをして、時間が来たらサッサと帰る植田さんという先輩に、
「伊藤君は勝手に行動するところがある」と陰で言われたこともあった。
その植田さんは、僕をいいように利用することがしばしばあった。
他の先輩と三人で作業する仕事で、時間になっても来ない。おしゃべりに夢中になって遅れたのだ。作業工程を教えてくれないので、僕にはどうすることも出来なかった。
他の先輩は気が短く、無言で自分のデスクへ帰ってしまった。
そこへ遅れて来た植田さん。ところが僕が叱られた。
「今すぐ謝って戻ってきてもらえ!」
そんな、あんまりだ……
仕方なく行ってわびて、また来てもらった。二人の怖い表情におびえた。
後から聞いた話では、僕が入社する前にいた、如才ない女性勤務者も「植田さん、本当に嫌い!」と、音楽研究会の事務所でこぼしていたとのこと。植田さんは「俺たち仲が良かったんだよ」と言っていた。実は、みんなが嫌っていたのだった。本人だけ気がついてない、可哀相な人だったのだ。
電話を取り次ぐと、受話器を人の手からひったくるようにして、それも嫌がられていた。それすら本人は気づいていなかった。
お酌をすると、「俺は注がれるのが嫌いなんだよ!」と言ってビール瓶をひったくる。
くしゃみをする時、手で口を押さえない。しぶきがデスクの上に飛ぶのをよく見た。「汚いなぁ」とよく思ったものである。
植田さんは自分が知っている、もしくは関心のある話だととてもよくしゃべる。のってくるのである。反対に知らなかったり、関心の無いことには、
「ふん、知らん!」と冷たく言う。
字も汚かった。まるで子供が書いたような字だった。ただ、似顔絵を描くのは上手かった。その絵が、人をバカにするものばかりだったので、みんなから嫌われた。
同じことを繰り返して言うクセもあった。例えば、
「ピンクにされちまった作曲家がいるな」と、笑いながらその言葉を何度も言う。当時松田聖子の『ピンクのモーツアルト』という曲があった。そこから出たジョークである。
「Lカセットっていうのが昔あってな。売れなくてすぐ発売中止になったんだよ。鳴り物入りで売り出したんだがな。Lカセット、フッ、鳴り物入りで、Lカセット……」これを延々と言い続ける。
「スケベニンゲン」と言い出したのも植田さんだった。これはオランダの地名である。本来の発音はスヘフェニンゲンと言う。これをあちこちで言って笑いを取ろうとした。
僕が「お腹がすいた」と言うと、当時痩せていたので、
「欠食児童っていうのがあったな~」と馬鹿にする。
他にも、
「腹をすかせた野良犬め! 腹をすかせた野良犬め!」とけなされた。
こうも言っていた。「飽食の時代なんだから、炊事本部ももっといい食事を出すべきだ」
僕はそれを聞いて、完全に間違っていると思った。質素に通らなければ、ひながたにならないではないか。考え方が逆である。
よくしゃべるので、付いたあだ名は
「ムクチの植田」
ムクチとは、無口の意味ではない。口が六つあるということである。ひどい毒舌だった。
また、顔が少し半魚人に似ていた。その上、プロ野球の巨人軍が大嫌いだった。よく、「くそったれ巨人、くそったれ巨人」と口癖のように言っていた。そこから、
「アンチジャイアンツ、反巨人、半魚人!」
と陰で言っていた人がいた。どちらも同じ人が言ったことである。よくそんなことが思いつくものだと思うが、おかしくて仕方がない。今思い出しても笑ってしまう。
その冗談を言った人だが、根は真面目なのだが、冗談を思いつく才能があった。
石倉さんという、学校本部勤務の人がいた。植田さんもその人も石倉さんもみんな音研雅楽部の人たちであった。
その人は石倉さんのことを、
「石でも食らえ!」と言っていた。
石倉さんはとてもいい人で、僕はずいぶん親切にしてもらった。
ある時、第二ひのきしん寮で、僕らの部屋にノックもせずにいきなり入ってきて、そして、
「アブラない? アブラ」と、低くて聞くと笑ってしまうような口調で言った。
「油ってサラダ油ですか? それなら冷蔵庫にありますよ」と僕が言うと、違っていたのである。石倉さんが言う油は、髪の毛につける油のことだった。そして、同室の守屋三千朗さん(当時は今泉三千朗さん。養子に行ったため)の養毛スプレーを見つけ、「これ、ええな」とボソッと言い、たっぷり頭にかけて去って行った。石倉さんは髪が薄い方だった。それを後で守屋さんに言うと、「ゲッ!」と言っていた。守屋さんも薄毛のタイプで、その養毛剤を大切に使っていたのだ。
石倉さんは車を買う時も、二ドアならかっこよく見えるのに、「みんな、乗るやろ」と、みんなが乗りやすいように、四ドアの車を選んだ。優しい思いやりのある人なのである。
雅楽部のヨーロッパ公演の際、みんなバスで移動中に珍しいので写真を撮る。そこで石倉さんは、先輩の頭が邪魔で撮影出来ないので、
「あ、あたま~」と低い声で言いながら、先輩の頭を腕でよけて写真を撮った。後で「先輩に対して何だ!」と怒られたそうである。
他にも笑える逸話がたくさんあるが、ここでは省略する。
話をもどす。
ある日、僕が好きなココアを自腹で買ってきた。国産のものである。
「ココア買ってきたんで、飲んでいいですよ」
と言うと、植田さん曰く、
「バンホーテンのココアだったら飲んでやってもいいがな」と言う。その言葉にムッときた。
「そういう贅沢を言う人には飲んで頂かなくてけっこうです!」と僕もキレた。冗談じゃない。
史料掛が主催する、史料担当者会というものがあった。
毎月二十七日の朝に集まり、話を聞くというものである。話の内容は主に発行された本の逸話が多かった。集まる先生方は、直属教会の役員から選ばれた、史料担当の先生方である。
月次祭の翌日の朝に行い、終わったらすぐ帰れる、という事情でその日時だった。朝食として菓子パンと牛乳などの飲み物を用意する。
年に一~二回、慰安も兼ねて、先人先生の足跡をたどる、移動例会もあった。
僕が最初に行ったのは、加見兵四郎先生の道をたどるものであった。解説役に故・高野友治(ともじ)先生が便乗された。
高野先生には、毎月史料掛の会報をお届けしていた。
その時、まだ渡しておらず、僕が持っていた。僕は植田さんに、「いつ渡せばいいでしょうか?」と尋ねると、
「今渡しちゃえ」と言う。先生は歩いておられる最中だった。言われるままに渡したが、変な顔をされてしまった。今思えば当然である。バスの中で渡せば良かったのである。
僕も慣れていなかったので植田さんに聞いたのだが、もっと気を利かせれば良かったと後悔している。
余談だが、山本利雄先生は、高野先生を「たかのともはる」とずっと言っておられた。これは誤りである。
学生時代、植田さんはいじめにあっていたと本人から聞かされた。ならば、他人をいじめないようにすべきところを、今度は自分が人をいじめ、笑いものにすることに喜びを感じて、それに没頭していた。哀れである。また、自分が大人になっても、からかわれることに対して、ひどくおびえていた。ムッとして怒るか、落ち込んでしまうかのどちらかである。
ただ、良いところもあった。気前がいいのである。人にごちそうするのにお金を惜しまないのだ。僕もたびたび居酒屋やお好み焼き屋へ連れて行って貰った。ただし、話に付き合わなければならない。しゃべり倒すのでウンザリする。
先ほどのムクチも半魚人も、聞いてひどく落ち込んでいた。
僕が退社した数年後、職場で総スカンを食らって、植田さんはみじめな形で辞めたとのこと。
同じ職場に僕より一つ年上の橋詰さんという女性勤務者がいた。本部勤務を勤める動機として、履歴書に「大学に落ちたから」と書いてあった。そんな都合で本部勤務を志願したとは、あきれるばかりではないか。
そして仕事なぞせず、一日中趣味のイラストや洋服のデザインを描いて遊んで、終了時間前に帰る支度を始め、時間が来たら五秒後には「お先に失礼します」と言って部屋を出て行く。
橋詰さんはみんなにコーヒーを入れる時、どういうつもりなのか、朝一番にカップにインスタントコーヒーを入れ、それを食器棚に入れておく。そして休憩時間が来たらそれにお湯を入れて出すのである。コーヒーの香りが抜けてしまう。みんなあきれて何も言わない。おかしな話である。
よくその橋詰さんから「伊藤君、遊ぼう」と言われた。それに付き合うと、今度は三村さんから、
「あんな子どうしようもない子に付き合わんといてくれ」と言われた。
「これが信仰を持った人々の集まりなのか?」失望するしかなかった。
本部では、ティッシュペーパーは自費で買わなければならなかった。そこでトイレットペーパーを代わりに使っていた。トイレに運ばれる前のを、倉庫から持ってくるのである。
ある時、その紙が無くなり、僕はトイレから持ってきた。橋詰さんはそれを不潔と言わんばかりに、
「一皮むけば大丈夫」と、軽蔑した顔で言った。
橋詰さんは詰所に住んでいたのだが、ある時詰所でぼやがあり、それを理由に約一ヵ月勤務を休んだ。まあ出勤したとしても仕事をしないのだから関係ないが、すぐ収まった事情なのにそれで休んでお与えを頂くことに、罪悪感すら持っていなかった。
本部はこんな調子だから、僕はおぢばにいることを良しと考えていないのである。
三村さんも癖の多い人で、昼食で鳥のささみのフライが出た。それを「ささみの天ぷら」と言って譲らないのである。バカバカしいので僕は否定しなかったが、「それはあなたの家ではそう言っているんでしょうが、他では違うんです」と言いたかった。
三村さんも字が汚かった。読めたものではない。ミミズがはったような字である。判読に苦労した。また、とても神経質であった。
史料掛に植田慶三先生という本部准員がおられた。酒とタバコをこよなく好む方であった。植田さんと名字が同じなのでややこしい。体を壊して、ほとんど家で寝ている有様だった。
最初に電話に出た時に、「植田だけど、三村さんいる?」と言われ、僕は慶三先生かと勘違いして、「植田先生からです」と言った。三村さんは電話を切った後、電話機を指さし、「こんな奴に先生なんてつけるな」と言われてしまった。二人は仲がとても悪かった。
辛いのが昼ご飯の時。同じテーブルで食べるのだが、会話は一切なし。あったとしても、三村さんと植田さんの口論となる。美味しく食べることが出来ない。「何という職場に来てしまったのだろう」とため息をつきたい気持ちだった。
福原登喜先生という老人の本部准員もいらっしゃった。「とき」と言っても女性ではない。男の本部准員である。それは二代真柱様も本に書かれている。若い頃から中山家などの写真撮影をずっとされてこられた方である。たまに来られるのだが、食事の時、三村さんは福原先生とは会話を一切しなかった。後で福原先生にこう言われた。
「三村君はいつもあんなにしゃべらんのか? 何だか差別されている気がする」三村さんにとっては、自分にメリットがないので、関わろうとしなかったのだった。
天理駅前の居酒屋で、みんなで飲んだことがあった。慶三先生はなんと、酒を飲むのに車で来た。帰りによろけて倒れそうだったので、僕はそれを支えた。千鳥足状態。そうして車で帰っていった。飲酒運転である。「よく平気だな、事故や警察につかまったりしないのかな?」と、心配したが、それでよしとすることが当時の天理ではあるのだった。当然今はそんなことはないはずである。
慶三先生はある日、教祖百年祭にはるばるアフリカから来たノソンガ・アルフォンス先生のことを、「ノソンガの奴……」と、黒人であるからだろうが、呼び捨てにしていた。僕は内心「そんなことではいけないのでは」と思ったが、何も言わなかった。誰でも差別の心を持っているのである。
また違う人の話。音楽研究会の事務所勤務の豊崎さんであった。
僕が思いをよせた女性がいたのだが、それを知っていたのにも関わらず、演劇のチケット二枚を持っていた豊崎さんは、僕に譲ることなく、その女性を強引に誘い、見に行った。
その人にもさんざんな目に合わされた。
豊崎さんと初めて言葉を交わした時のこと。御本部から本通りを、植田さんや中村さんたちと自転車で帰ろうとした時、僕が「おいくつですか?」と訪ねると「二十歳」「天大卒ですか?」「東大だよ」全く笑えない冗談ばかりで、なんて不誠実な人だろうというのが第一印象だった。
同じ史料集成部の傘下であり、部屋も近い。植田さんは雅楽部関係のこと、また三村さんは几帳面で、楽譜を手書きで書く。当時は楽譜を書くソフトなどなかったので、写譜屋へ頼むとお金がかかる。経費削減のためにそういう習わしになっていた。それに歌詞をタイプライターで打つのは僕の役目だった。三代真柱様の書いた『親神様(おや)の守護(まもり)』は、そうして楽譜となったのである。現在、その楽譜を使っているかは僕は知らない。
しばらくしてから僕は合唱団へ入団した。その中でいろんなことがあった。
しばらくしてから僕は合唱団へ入団した。その中でいろんなことがあった。
西村和久本部青年(現、本部直属一筋教会長)とエレベーターで乗り合わせた時、西村さんは「……豊マンが、言うことを聞いてくれない……(泣くまねをする)……伊藤君、今度一緒に飲もう!」と言う。かなり西村さんに逆らっていたようだった。豊崎さんの口からも、西村さんの陰口をたびたび聞かされたが、どう考えても豊崎さんの方に落ち度があるようにしか感じられなかった。
ある時天理郵便局前の電話ボックスで、豊崎さんに「(女性に)電話したいんだけど、伊藤君テレホンカード持ってる?」と言われたので、お与えの少ない僕にとって貴重なカードを貸した。そして十五分くらい話した。待たされる側の身にもなって欲しかった。本来ならば、僕はキレて当然である。そしてカードを返す時、何と言ったか? 「どうもありがとう」と言うのかと思ったら、ただ「はい」の一言だけ。信じられなかった。
当時の本部勤務者の、一年目のお与えは一万円だった(今は違う)。それでやりくりしていた。
豊崎さんに「僕の部屋へ飲みにおいでよ」と誘われたことはたびたびあった。多少はおごってもらったのは感謝しているが、ある時、二人だけで飲むのかと思って行ってみると、合唱団員の房安さんがいた。「紹介したかったんだ」と言う。
それとは別の日である。また「飲みにおいでよ」と言われ、本通りを歩いていたら、ばったり同じ合唱団員の山田さんと出くわした。僕が、
「これから豊崎さんの部屋で飲むんです、ご一緒にどうですか?」と一言誘うと、部屋に入るなり豊崎さんは不愉快そうな顔をした。
案の定、帰りがけに「伊藤君は残れよ」と言われ、そこから説教が始まった。
「今日は伊藤君と二人で飲みたかったんだ、それを横山さんなんか連れてきて……」さんざん叱られた。
自分は房安さんを誘っていて、僕がが山田さんを連れて行くと怒る、自分の思い通りにならないと承知しない。悪い癖である。
山田さんから後日、「あいつはそういう奴や、天大のギター部で、気に入らない後輩なんかずいぶん殴られたりしてたらしいで」と聞かされた。
ある時本部の夕づとめに一緒に参拝した。僕が「教祖殿も行きましょう」と言って、回廊を歩いていた。たまたま近くを、同じ合唱団の、目が不自由な本部青年の中山さんがいたので、僕は中山さんに声をかけ、教祖殿まで歩いた。
参拝を済ますと、豊崎さんは突然怒りだし、
「祖霊殿も行くのかよ! どうなんだよ!」
僕は怒りの訳が分からず、唖然とするばかりだった。納得がいかなかったので夜電話して、
「これから行っていいですか?」
「ああ、いいよ」
怒った訳を尋ねると、
「俺を無視して中山さんと話してたのが気にくわなかった」と言う。あきれてものも言えない。
天理市民会館でとある演奏会があった時、可愛い女の子にぴったりくっついて、僕がロビーで「豊崎さん!」と声をかけても、全く無視して外へ出て行った。どこまで女が好きなのか? 僕が中山さんに声をかけるのは許せなくて、自分はいいのか?
僕が詰所から道友社に通っていた時、よく僕の部屋へ来た。ある昼、僕が勤務に戻らなければならない時間だというのに、「眠くなっちゃった、ちょっと寝ていい?」と言う。僕は仕方がないので許したが、いいわけがない。本当に自分勝手な人であった。
その後豊崎さんは、丹陽分教会という大きな教会の婿養子となったあげく、その家で嫌われ、産まれた子供も抱かせてもらえず、食事時間にも呼ばれず、たまりかねて実家へ逃げ帰った。「子供の父親が戸籍上いないと可哀相だから」ということで、離婚すら出来ず、再婚も出来なくなっていると風の便りで聞いた。
僕に対してひどいことを言ったり、恩を仇で返したり、礼を言わなかったり、冷たくした、ボロッカスに責めた、傷つけた人で、悲惨な形で死んだ人が少なくとも五人いる。もちろん、その人たちは、他の人々にも同じことをしてきたのだと思う。
入浴中に持病のてんかんの発作が起きて溺死。飲酒運転の車にひかれ即死。ガンが全身に回り、苦しみぬいてあの世へ行った教会長……みんな、僕より年下、もしくは少し年上のまだ若い方ばかり。父も苦しんで出直したので、ある意味その一人かも知れない。
他にも、左遷、降格、給与カット、病気で退職に追い込まれた、子供で苦労している、お金に困り綱渡りの生活、ニートとなり年金で細々と暮らしている友人など、良い思いをしていない。その中には、荒道を通られ、教内でも「素晴らしい布教師」と言われている先生の孫もいる。やはり三代目である。初代の徳でやって来れたが、うかれてしまって徳をなくしてしまったのだ。
逆に僕に、またはその他の人へも、真実を持って接してきた人は、幸せになっている。神はちゃんと見ておられるのだ、と思った。
ただ、当時僕の居場所はなかった。
『あわてるからあかんのや』(堤保敏著・道友社刊)に、こんな言葉がある。
「(幸福とは)安心して座る場所のあること」
(十五頁)
天理時報の取材で、山田洋次監督にインタビューをお願いしたことがあった。監督も、映画『男はつらいよ』のフーテンの寅さんから、帰ってくると、必ず座る場所がある、ということを話された。出ていっても、帰れば必ず場所がある。また、それを迎え入れてくれる家と家族がいる。これほどの幸せはないというわけである。当時の僕にはそれがなかった。寂しく、辛い時間であった。
その代わり、僕が二ヶ月ひのきしん隊の時にいた、炊事本部の集計の人には、何かとお世話になった。
岩佐さんという男性から何度か電話を頂いた。喫茶店で会おうと。行くと悩みを聞いてくれ、アドバイスをくれた。
藤森さんという年上のお姉さんがいた。同じ炊事本部に妹さんもおられた。そのお二人には何というか、かまってもらったといった感じであった。
集計の隣には配食車の事務所があった。そこのチーフ、宿利(やどり)さんにもずいぶんお世話になった。
片足が不自由で、松葉杖をついていた、佐藤さんという方にもお世話になったし、優しくして頂いた。
他にも、浜田さんという、大人になっても体が成長しない障害を持ったお姉さんもいた。僕のために枕を作ってくれたりした。
やかた管理勤務の五十嵐力(つとむ)さんともよく鍋を囲んだりした。芸達者で、実にユーモアのある人だった。酒が入るとそれがエスカレートする。歌もとても上手かった。今でも東中央大教会に住み込んでいると聞いている。それらの人々には今でも本当に感謝している。
皆さん、ありがとうございました。今、どうしていますか?
夏になり、夕づとめを終え、帰ろうとすると、前を走っていた三人の女性の一人が、フラフラしたかと思うと、急に横倒しになり、その上に自転車が乗っかってしまった。とても痛そうだったが、僕は何も出来なかった。
そして寮へ帰ると、谷澤という女友だちからハガキが届いていた。暑中見舞いだったが、前に書いた友人、重田の弟さんがバイク事故をおこし、瀕死の重体と書いてあった。先ほどの自転車の転倒は神様からのお知らせだったのだ。
もうすぐ夏休みをもらえるので、おたすけに行かせてもらおうと決め、青春十八切符を買い、電車で空席があっても座らずに立ちっぱなしで帰った。教祖にお座り頂き、お供をさせて頂くつもりだった。
実家に帰り、早速重田の家に電話をかけた。お母様が出られて、どこの病院かも教えてもらった。神奈川県相模大野の北里大学病院とのことだった。
実家の車で向かった。看護師さんに尋ね、部屋に入ると、気の弱い僕は気絶しそうになった。弟さんの頭は全部の髪の毛を剃ってあり、しかも手術する際に頭蓋骨の一部を取り外したようで、そこだけ陥没していたのだ。全身にチューブが付けられ、植物人間状態であった。いわゆるスパゲティ症候群である。
近寄るのも怖い。ゆっくり近づき、弟さんに話しかけた。
「僕は君のお姉さんの友だちです。これから神様に助かるようにお願いさせてもらうからね」
と言うと、急に弟さんの呼吸が荒くなった。
「ヒーッ!」と、僕は引きつってしまった。気が小さいので逃げ出したくなる。それでも何とかおさづけを取り次がせて頂いた。そして逃げるように帰った。
翌日も行ってみた。今度はお母様が付き添っておられた。
「昨日来て下さったそうですね、ありがとうございます」
とお礼を言われた。何で僕が来たことを知っているのか、不思議だったが、同室の人が話したのだろう。
連日通った。
ある日、車で帰ろうとして、バックミラーを見ると、お母様がこちらを向いて合掌し、拝んでいるではないか。弱冠二十歳にして後ろ姿を拝まれるとは、僕は不思議な気持ちであった。全く「良いことをさせて頂いた」とは感じてはいなかった。
だが今思えば、教祖のお供で行ったのだから、教祖を拝んでおられたのである。ここで自分におごりが出ると、おたすけとはならないと思う。
天理へ帰り、後は母に任せた。そこで、
「今夜が山だそうよ。顔色が悪くてね、どうなるかわからないって」と電話があった。
こうしてはいられないと、僕は夜中寮を出て本部へ行き、願掛けのつもりで、南礼拝殿で座りづとめをし、その後教祖殿、祖霊殿と参拝し、それを九回繰り返した。境内掛の人が不審な顔で見ていた。本当は回廊拭きもしたかったのだが、それでは時間がかかりすぎる。何とかつとめて、フラフラになって寮へ戻った。寮は二十四時間開いている。何時に戻ったかは覚えていない。
そこで不思議が起こった。後で聞いた話だが、母がおさづけを取り次いで、僕が願掛けをしている時間に、顔色がポッと明るくなったのだった。その時居合わせたお父さんが、「あの人をもう一度呼べ!」と、母を呼ぶように言ったらしい。だが、医者が「大丈夫ですね」と言ったので、「今夜は止めておこう」となったとのことであった。
しかし、僕らの真実が足りなかったため、約一週間後に出直しとなった。申し訳ない気持ちで一杯であった。
その後、重田のお母さんは、子供を交通事故で亡くしたことを啓蒙活動しようとし始めた。そういう会へ積極的に参加していた。ところが今度はそのお母さんがガンにかかり、出直された。出直してから僕の耳に連絡が入った。
おたすけは難しい、と実感させられた経験だった。こちらが「命を捨てても」という気持ちにならないと、助けることは出来ないのである。当時はその気持ちを持っていなかった。
小学校時代の友だちが京都の大学へ入学したと聞いた。彼も僕が奈良に住んでいることを知っていたので、手紙をくれた。
大学の寮に住んでいる、というので電話してみた。すると、電話番号が間違っていたらしく、変なところへつながってしまった。
そこで東京の彼の実家に電話して尋ねよう、と思い、第二ひのきしん寮の前の公衆電話からかけてみた。最初に出たのはお母さんであった。その電話が気になったお父さんが、電話を代われと言い出し、そこでこんなやりとりがあった。
「何だ、徳ちゃんか。ずいぶんベラベラしゃべるようになったじゃねえか。何の用だ?」
「大一郎君の電話番号を知りたくて電話しました」
「アンタ、今どこにいるんだ?」
「奈良です」
「奈良のどこだ?」
「天理市です」
「あ? おめえ天理教か?」
「あ、ええ……」
「だったらお断りだね。宗教なんか、どこも人権を無視した集団だからね……」
と言い始め、延々天理教の悪口を聞かされた。テレホンカードがなくなるのが気が気でなかった。最終的に、
「一体、教えてくれるんですか? 教えてくれないんですか?」と言うと、
「誰が教えるもんか!」と言われ、約三十分にわたる無意味な電話は終わった。
仕方なく、彼にもう一度手紙を出した。返事に、
「アンタ、どこに電話したの? ここへかければ取り次いでくれますよ」と書いてある。その後、結局彼とは再会することはなかった。
寮の中に年上の人がいた。郡山大教会の信者であった。
その人は、本部勤務者なら受けなければならない修練の科目を琴に選んだ。男が琴を受けてもかまわないのであるが、女性と仲良くなりたいという下心が見え見えである。
また僕に「同じ系統の信者だから、他人とは思えないからね」と言った。しかしだからといって、何か親切にしてもらったことはない。
ある部屋でその人の悪口を聞いてしまった。
「俺、アイツ大っ嫌れー。前に一緒の部屋だったんだよ。俺が酒を勧めたら、『今禁酒してるんだ』と言うんだよ。その時はそうかと思ったけど、その数日後、ベロンベロンに酔っ払って帰って来やがったんだ。言ってることとやってることが違うんだ」
そのかなり後、その人を山陽大教会で見かけたことがあったが、僕の顔を見ても無視であった。やはり信頼出来ない人だったのだ。しかし、こんな人は本部に山ほどいるのである。
やかた管理事務所というのがある。文字通りおやさとやかたを管理する部署である。
そこへ用事があり、電話した。
「史料掛ですが」
「何ですか!」
この言葉を言ったのは、僕より年下の勤務者である。用事があるから書けているのに、いきなり「何ですか!」と、いつもぶっきらぼうな返事をするのだ。これは誰でもイヤなものだと思う。本人は気がついていないのだ。
電話一つでも言葉遣いは大切である。先に書いた長谷先生は、電話をかけると「もしもし」と言わない。そしていきなり「ガチャン!」と切ってしまうことが多かった。
お道の人間がこれでは信頼を失う。悲しいことだが、今もこうしたことがおこっている。それを仕込む人も注意する人もいないのである。
道友社の販売所で特別号を買い、寮の住所と電話番号、僕の名前を書き、奈良方面へ歩いてにおいがけに回った。その時も、心の中は虚しさと孤独感でいっぱいであった。帰りは電車で帰ってきたが、天理駅のホームに立ち、ひとりぼっちであることが何故なのか、遠く見える神殿を眺めて、神様の存在が嘘ではないかなどと考えたりもした。完全に情緒不安定だった。自分でも自覚があった。
当時天理高校の国語の教師をしていた三村先生という方がおられた。元々史料掛にいた人だ。頭の良い人で、よく史料掛に顔を出した。
ある時、入ってくるなり、
「コーヒー入れてーな。美味しーの。美味しーの入れて。美味しーのじゃなきゃ、イヤ」と言う。僕は笑ってしまった。ユーモアもある人であった。
またある時、部屋に入り、植田さんが雅楽部のポスターを作りかけているのを見て、
「やがて雅楽の時代が来るぅ~、思い上がりも甚だしい!」と言って去って行った。部屋にいた人たちは大爆笑であった。これは作曲家のマーラーの言葉、「やがて私の時代が来る」を引用したものである。
「なんでもせなあかんで、なんでもせな。わしは宇野先生にそう仕込まれたで」
三村先生の言葉である。僕にとって今でも教訓として心に残っている。宇野先生とは、本部員だった宇野義晴先生のことである。何でもやって、色々なことが理解出来、見えてくる。本当にその通りであった。どんなつまらないことでも、やらなければ見えない。身につかない。
「聞いたらええやんか、聞いたら。わしゃそんなこと知らん!」とも言われた。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」ということをそれで学ばせて頂いた。
現、本部直属鶏林文教会長、岩田春和さんに教えてもらったことも多い。
岩田さんは月次祭の朝はいつも神経質になっていて怖かった。神殿で撮影があるので。
音楽研究会事務局勤務の佐治紀世さんからは「たる」と呼ばれていた。「春」から、「かったるそう」にもじったもの。岩田さんは紀世さんを「ちんでん」と呼んでいた。体脂肪が下へ沈殿して、下半身デブというところから。
氷を砕きたい時は、スプーンの裏で叩けば簡単に割れる。大きな氷でも割れる。アルバムに写真を貼って、上からフィルムを貼る時は、タオルを使って空気を抜く。カメラの撮影の仕方、文書類の撮影方法、モノクロ写真のネガの現像、写真の現像のやり方も教わった。ハレーションを起こさない方法。トリミングという言葉の意味。超大型の写真の現像方法。重たい物を運ぶには、かかえるより背負った方が負担がかからない。本部も長谷先生と同じ玄米茶で、それを美味しく入れるには、急須に茶葉をたくさん入れ、二回ほどたっぷりのお湯を入れてすぐに捨て、次にお湯を入れて出来上がり。うまみがたくさん出る。雑学なども物知りだった。
大阪へ一緒に行った時、マクドナルドで僕に財布ごと預けて、「俺、ビッグマックとコーラ。自分(僕のこと)は何頼んでもええで」僕にはそんなこと出来ない。財布を預けるなんて。ふところが広いのだなあと思ったものだ。
福原先生の仕事が僕に回ってくるようになった。岩田さんと福原先生は仲が悪かった。年齢差もあったし、好みややり方が全く違っていたので衝突していた。その流れで、僕も暗室にいることが多くなった。そうすればいくらでも仕事があった。
岩田さんは、僕より後から史料掛に配属になった。まず始めたのが暗室の掃除と片付けであった。山のようなゴミを処分して、壁までぞうきんがけをした。
ある日、重そうな機材を抱えてエレベーターから出てきた。僕が「少し持ちましょうか」と言うと、「これぐらい普通に持てなきゃあかんで」と笑いながら言った。だいたい、やせぎすの僕が持てそうもない程、荷物は大きかった。それで気を遣って下さったのだろう。
紀世さんからは、サンドイッチやパンをきれいに切るには、包装フィルムの上から包丁で峰打ちするときれいに切れると教えてもらった。おにぎりは、ラップにご飯を包んでにぎると、直接手を触れていないので雑菌が繁殖しにくい。それもやっていた。教会でよく仕込まれていたようだ。いい子だった。
福原先生からも教わったことが多い。色々な仕事も任された。
当時、寮でも教庁でも挨拶をしても、返事がないとひどく落ち込んだ。無視されたと思ってしまうのだ。寮の先輩に「こんばんは」と言って、いつもなら「お疲れさん」と言ってくれる人が何も言わないと、その後気分が晴れなかった。
教庁では、本部員先生がよく出入りする。そこで挨拶しても、苦虫をかみつぶしたような顔で無視されると、精神的にブルーになってしまう。それだけ情緒不安定だった。
《親の無理解》
僕は小さい頃から野菜が嫌いだった。しかし、母親が
「ニンジンを食べなさい」
「ピーマンを食べなさい、お友たちの○○ちゃんは兄弟でピーマンの取り合いをしているそうよ」
と口うるさくいわれたものである。まだ僕が幼かった頃、母が、ニンジンの甘く煮たものを作り、皿に乗せ、
「さあ、食べなさい、食べなきゃだめよ」と強引に食べさせようとした。
「食べたくない!」美味しくないが分かっていたからである。すると母は、
「食べないと体がおかしくなりますよ!」と言う。それでも食べなかった。母は、
「アンタは頭がおかしいんですよ!」とまで言った。子供心ながらに傷ついた。
大人になって知ったのだが、食べて美味しく感じないものは、体が拒否反応を起こしているそうである。ニンジンが苦手な子供は多いが、ニンジンは陽性食で、体を温める作用がある。また栄養価が高い。現代人は栄養過多の上、体内に熱をこもらせている人が大変多い。ゆえに、食べたら温まり過ぎると思うだろうが、血液がにごり、血行が悪くなる。冷え性やしもやけになる。また、カロリーも多すぎて体に良くない。
しもやけは寒い時になると思いがちだが、真夏になる人もいる。血の巡りが悪くてなるのである。
世間でも、「ピーマン食べなさい」「牛乳を飲まなきゃ大きくなれませんよ!」などと言うお母さん方も多いことと思う。これは大きな間違いである。疲れて仕方がない、きっと栄養が不足しているのだと、ドリンクやサプリメントを飲む。これは全くの逆で、栄養を取り過ぎて、血液がにごり、血流が悪くてますます体がだるくなっているのである。飲んだそのすぐ後は元気になれる。しかしすぐに元のだるさがやってくる。むしろ断食した方が現代人は良いのである。
偏食は、その人の体の「個性」である。もちろん食わず嫌いということもあるであろう。だが、無理強いまでさせて食べさせるのはいけない。過去に漢方薬の研究家に治療をして頂いたことがあるが、その方は、回りくどい言い方であるが、
「偏った体がそれ以上偏らないために偏った食事が必要なんです」
とおっしゃっていた。親御さん方、子供の偏食を理解して頂きたい。体が拒否反応をしているのである。味覚、嗅覚などが働き、「今必要ない」と体が訴えているのである。
薬でも同じことが言える。漢方薬では、
「おいしく感じない薬は体に合っていない」のである。
「良薬口に苦し」は、全くのウソである。
漢方薬を飲ませて、味がどうかたずねることを、漢方医は必ずやっている。人がとても飲めないようなまずい薬でも、病人に合っていれば、「ああ、おいしい」となるのである。
例を挙げると、やけどの漢方薬がある。これがひどくまずく、とても飲めたものではないのだが、ひどいやけどになったの人に飲ませると、
「ああ、おいしい。ああ、おいしい」と言って飲むという。
あまり知られていないことだが、本当なのである。信じて頂きたい。疑問に思われるなら、漢方の本を読んでみれば分かって頂けることと思う。
昔テレビで、リュウマチの患者を零下の部屋で運動させて治療をする、というのを見たことがある。しかし、患者へのインタビューは、すべて、
「力が沸いてきました」と言い、
「治りました」という答えではなかった。
最近のCMなどでも、サプリメントのCMはとても多いが、いずれも、「これで完治しました」と答えているものはほとんど無い。「個人差がある」のである。誰でもそれが治療につながるものではないのである。それを止めずに続けていればいずれ治るだろうと思い、いつまでも治らないケースが多い。むしろ体に悪影響を起こしているのである。心して頂きたいことである。
またこんなことが。
僕はのどが敏感で、薬の錠剤が飲めない。水をたくさん用意してもどうしてものどを通らずに、吐きそうになってしまうのだ。ここでまた母が、
「アンタは頭がおかしいんですよ!」
母の言い分は、
「ご飯がのどを通るのに薬が通らないわけがない」というものであった。しかし、錠剤が飲めない人は多いのである。のどが敏感で、うがいも出来ない人もいるのである。水を飲み込みそうになり、むせてしまうのである。錠剤やカプセルが飲めない人は他にも知り合いにたくさんいる。それ以上に世界中でたくさんいるわけである。
病院へ行って、のどの奥を見るために舌を押さえるものがあるが、あれも僕は吐きそうになるので断ってきた。
親不孝と言われても仕方が無いが、母の方こそ頭がおかしいと僕は思う。
なぜなら、昔からいつもおたすけ先で脈絡のない話を延々としていた。話が統合失調症の患者と変わらない感じであった。
例を挙げるとこんな感じである。
「えーっとですね、長谷先生という方がいらっしゃいまして、えー、墨田区に東本大教会というところがあって、えー……立派な先生なんですが、えー……とても大きな教会なんですが……お道では、実をもって実を買えと教えられてまして……八つのほこりという教理があるんですが……天理市というのは奈良県にありまして……行きますと、必ず御守護が頂けるありがたいところでしてね……えー、私の教会は山口にありまして……」
そんな脈絡のない話を一時間くらい延々としたあげく、
「あなた、天理へ行きませんか?」
「別席を運びませんか?」
「修養科へ行きませんか?」と締めくくる。そばで聞いている僕にも、何が言いたいのかさっぱり分からない。相手の都合や時間を全く考えていないので、迷惑この上ない。
『頭がおかしい!』と言う人は、
『自分がおかしい』し、
『お前は高慢だ!』と言う人は、
『自分が高慢である』と僕は思う。
相手は鏡なのだ。
自分の姿が投影されているのに気がつかないでいる。
冷たいお諭しをされる教会長は、自分が冷たいのである。
逆に、温かい言葉や態度の人は、他の人をそんな風には決して言わない。
『鏡やしき』たる所以であろう。
比較的最近、養徳社のY氏と電話で話をした。僕がここまで御守護を頂いた経緯をお話しし、「僕の体験を連載して頂けませんか」とお願いした。すると、「忙しいのでとても出来ません」と断られた。そして、
「あなたに読んで頂きたい文がありますのでお送りします」
と、過去の『陽気』のコピーを送ってきた。その封筒の封の部分に「×」マークが書かれていた。これは間違いで、「〆」と書くか、もしくは「緘」の印を押すのが正しい。編集の仕事をしていて、それすら知らないのである。出版社にいて、それを知らないとは「一体何をやってきたのか? 何を学んできたのか?」と言いたくなる。またその文も、おつとめの大切さ、それによる御守護を頂いた話であった。「一体何を僕に伝えたかったのだろう?」と思うような内容であった。僕はそういうことを教内に伝えたかったのではなかった。
うちの前会長も長らく手紙に「×」を書いていた。僕は高卒で、前会長は天大卒である。学のない僕の方が常識に関しては知っているつもりである。電話でも「七時」と言う際、「一時」と間違わないように「ななじ」と言ってきた。
またしばらくして、Y氏と電話で話した。僕から言いたいことがあったのでかけたのだが、文中で「さん」や「氏」などが略されていたからだった。しかし、小さく「文中敬称略」と書かれていたのに気がつかなかった。僕の勘違いであった。
「失礼しました、気がつきませんでした」と言うと、そこでY氏は、なんと僕に、
「お大事に」
と言うのであった。僕はそれに対して何も言わなかったが、なんと失礼な言葉だろうと、ムッときた。Y氏もかつて精神を病んだ経験がある。Y氏のような人はおぢばだから働ける人であり、世間では働くことは出来なかったであろう。本部勤務者も同様である。そんな人は、何度も書くがたくさんいる。
「お大事に」とは、「あなたは病気がまだ治っていない。大事にしなさい」という意味になる。これを失礼と思わないのだろうか。やはり、「(あなたは)頭がおかしい」と言う人は「自分がおかしい」のである。
そのまた後日、『陽気』平成二十八年十一月一日号の四コママンガ、『ひのき家の人々』に関して電話した。何故なら内容が、教会の人が信者にお供えのお金を多く出させるものだったからである。教祖はそんなことは一切おっしゃっておられない。これではカルト宗教同様である。編集者が出たので、
「これについてクレームなど来ませんでしたか?」と問うと、
「いいえ」
「ほう、そうですか。これを読んでおかしいと思いませんか? 教祖のひながたにこんなことが残されていますか? おさしづに『泣く泣くするようでは神がうけとれん、百万の物もってくるより一厘の心うけとる』とありますよ。こんなマンガ、問題があるんじゃありませんか? いっそ止めてしまったらいかがですか?」と言うと、
「いえ、これは人間同士のやりとりでして、おかしいとは思いませんが。それに編集の方針で決められたことなので、私からは何ともお答えすることは出来ません」と、ピシャリと言われた。その高飛車な態度に僕はムッときた。そして、
「あなたは何故最初から謝らないのですか? 高飛車なものの言い方ですね。あなたは本当に高慢だ。このマンガを未信者の人が読んだらどう思うか、考えたことがありますか? 天理教の信頼がかかっているのですよ。私は世間で働いた経験がありますが、こうしたクレームにはまず最初に、申し訳ありませんと言うように厳しく教育されました。あなたはおぢばだから勤められるのであって、世間ではおそらく働くことは出来ないでしょうね。未信者の人が電話して同じ態度だったら、もう天理教は信用出来ないということになりますよ!」と、語気を荒げて言い放った。それでも、
「あなたは何をおっしゃりたいのですか?」
「だから何度も言っているじゃないですか。あなたは日本人ですか? 日本語がわからないのですか?」
「日本人ですよ。日本語はわかります」
「それで理解出来ないとは、あきれてものが言えませんね。もっと社員教育をしっかりなさった方がいいんじゃないですか? 世間では通用しませんよ」
そうするとようやく、
「あなたの気分を害されたことについては、申し訳ありません」
とだけ言った。マンガについては改めるとは言わなかった。本当にあきれてものも言えない。全くの世間知らずである。こんなことだからお道は世界宗教になれないのある。きっと親神も教祖も残念に思っていらっしゃることと思う。本部勤務者のほとんどがおそらくこういった感じであろう。何度も書くが、おぢばにいれば成人出来るというのは全くの誤りである。その人の親が子供時代からきちんと仕込まなければ、人を助けるにはどうすれば良いか、誠真実とはどういう行いか、身に付けることは出来ないのである。僕も残念でならない。温室にいるとこんな人間が出来上がってしまうのである。
《お道のお諭し》
僕は東本の拝殿で長谷先生が「徳ちゃんこんにちは!」と、手をついて挨拶されても、無視してしまって逃げたことがある。生まれつき「引っ込み高慢」なのだ。
長谷先生はもう少し良い家に引っ越すことになり、ほどなく比較的うちから近いところに家を見つけた。当時長谷先生を導いて諭しておられたのは、仙台にある教会の堀田(ほった)会長様だった。
当時はとても厳しい方で、僕もとても怖かった。
僕は小さいときから、右の肋骨が少しくぼんでいた。軽いロート胸というものである。ある時その会長様がいらしたときに、母は僕の胸を見せて、どういう神様の思し召しかと尋ねた。その時のお諭しは、
「この子は植物人間になる因縁を持っている。神様のお三宝に乗せるつもりで育てなさい。でないと命がない」今でもはっきり覚えている。恐ろしかった。
「そうか、神様のご用しかできないのか」と子供心ながら思った。しかしなんという恐ろしいお諭しだろうか。神様とは怖いものだと思ってしまった。
お道の方々には色々な方がおられる。堀田先生にはそう映ったのだろう。諭しに明るい、ズバリとお話しをされる方にもあこがれを感じるが、しかしこういうお諭しをするようだから、天理教は暗いイメージが払拭出来ないのだと僕は思う。
「須崎分教会長・山本武生先生は、天理時報の『人生相談』で必ず初めに『それはよかったですね』という書き出しから始められた……(中略)……先生が喉頭ガンになられたという。それでも『僕はガンになったよ』とみんなに吹聴し、一日で詰所中に知れわたったそうだ。しかし四ヶ月後、精密検査をしたところ、ガンではなく、良性ポリープだったとのこと。『ガンの身になってみれば、こんなおどしのきかぬ男では張り合いがないというので、ひとまず退散したのだろう』……」と、西山輝夫先生は、『心のほこりの話』(善本社刊)の序文に書かれている。 天理書房刊、柳井徳次郎先生講話『病のさとし』に、「舌の色の変わるは…(中略)…〈さとし〉常に、食物に感謝して居れば、こう云う病気にはなりません。」とある。要するに舌に苔が付く、ということだが、僕はよく舌に苔が付き、年中爪で舌をこすって取っている。しかし、僕は必ず食事の前に合掌し、「いただきます」と言う。そしてご飯を頂き、「ごちそうさまでした」と言ってまた合掌している。いつも食事がとてもおいしい。
僕の父などは、何も言わず食事を見て、まず文句が始まる。
「なんだ、こんなもの!」そして食べ、
「ちっとも美味くない! もっと何かないのか!」
「こんなもの食えるか!」
と、全く食事には感謝のかけらもない。だが舌に苔などついていなかった。柳井先生には申し訳ないが、お諭しは全く当たっていない。母は「『病のさとし』を読みなさい、よく当たるから」と言うが、先述の通り、僕は信じていないのでまず読まないし信じていない。
山本武生先生のお話を聞かせて頂いたことがあるが、
「熱が出た? 本を見てみよう。熱はすれあいって書いてあるぞ。昨日喧嘩したからだ! なんて、こんなことは天理教の教理では あ!り!ま!せ!ん! 教理じゃないんですよ! 教祖はそんなこと一切言っておられません!」とおっしゃっていた。関係ないのである。みだりにそういった本からお諭しを見いだすのは間違いである。
故・山本利雄先生は、「身上について、おさしづにはたんのうしか書いてない」とおっしゃっていた。また、先生の著書、『重症の枕もとで』(道友社刊)の中で、
「……先祖の霊の祟りであるとか、前生にこういうことをしてきたからこういう結果になったのだとか、まるで見てきたように言う輩もあらわれてくる。このような迷妄は何としても脱しなければならない……」(7頁)と書かれている。これには僕は半分は当たっていて、半分は間違いと思っている。なぜなら、霊性を身につけ、ズバリ当たったお諭しをされる先生方も現におられるからだ。しかし、確かに「見てきた」ように諭すことは危険というのは同感である。止めなければならないと思う。
先述の堀田先生は晩年は随分優しくなられた。お諭しがコロリと変わってしまった。
「お守りを無くした? ええ、ええ。教祖がもっとご利益のあるのに変えてやろうとしてるんだろう。気にすることはないよ」
これほど変わってしまったのにはびっくりである。以前だったら「命がないぞ」とおっしゃったであろう。
アウシュビッツでユダヤ人がナチスに大虐殺(ホロコースト)されたが、それについても母は、
「やっぱりいんねんが悪かったから殺されたんじゃない」と言うのである。僕は反論したが、頭が固くて聞き入れてくれない。そんなことを言っているから、お道は世界宗教になれないのである。こんな話をしたら、ユダヤ人たちは怒り狂うであろう。
また、殺人事件や交通事故があったとすると、被害者側がすべていんねんが悪いと諭したら、みんな逃げ出すであろう。それに対する答えを、今の天理教は持っていないのが現実である。
そもそも教祖がおっしゃったいんねんは、「縁(えにし)」と言うべきもので、白いんねんと悪いんねんとに分けておられる。
いんねんとは、人から言われることではなく、自分で悟るものである。ここを間違っては決していけない。
世界宗教になれないために、柔道の野村忠宏選手や、歌手の中島みゆきさんも、「私は天理教の信者です」と公言していない。野村選手などは、テレビで「神社にお参りに行く」と言っていた。僕は残念でならない。こまどり姉妹も同様である。
最近『陽気』誌に「(子供の頃から)お前はいんねんが悪い、お前は徳がない」と言われ続けた、という文を読んだ。僕も同じであった。果たしてそれで喜びが沸くのだろうか?
確かに僕は虚弱体質で、病気ばかりしてきた。今もそうである。これを教祖はどうおっしゃるであろうか。逸話篇などを読む限り、そのようなことはおっしゃってはおられない。逸話篇の「本当のたすかり」(二百四十五頁)。これこそひながたなのではなかろうか。ひながたならば、手本としなければならないはずである。
『手くぼの陽信(たより)』(稲葉武夫著・養徳社刊)にも、このような文がある。稲葉先生が上級の愛町分教会へ参拝に行かれた際、直会の席で、自分の茶碗にご飯が入っていなかった。そこで関根豊松会長にお諭しを願い出た。言われた言葉が、
「命問題ですね」(百二頁)
つまり「命がないぞ」と言われたのである。これを真似して、同じことを言う輩が出てくるのである。そんなことを言ったらみんな逃げ出すであろう。実に恐ろしいお諭しである。
関根先生の自叙伝に『因縁に克つ』(愛町分教会刊・非売品)というタイトルの本がある。悪因縁に勝つという意味だろうが、いんねんばかりに焦点を当てているように思えてならない。
おたすけで、おさづけを取り次ぐ際、
「あなたはベッドの上に座って受けるつもりか! 下に降りなさい!」と一喝して取り次いだ、という話を聞いたことがある。こうしたことも、場合によっては「何て恐ろしい!」と思われても仕方がない。ケースバイケースでしなければならないと思う。
現に僕は闘病中、布団の上に座っておつとめをしていたことがある。だからといって、御守護がないなどといったことはない。人による、と考えた方が良いであろう。
僕は以前、ある宗教が発行した、他宗教の批判書を読んだことがある。各宗派について、四~五頁で簡単に説明して、最後に批判するのであるが、天理教については、締めくくりに、「こんな宗教ではとても陽気になぞなれない。陰気になるだけの邪宗である」と書かれていた。本当にその通りだと思う。ひながた通り、何事も良いように受け止める心になることこそ、ようぼくの勤めである。
「月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから」
(おふでさき十四号二十五)
つまり親神の思し召しに添うことになり、それを神がお受け取りになって、初めておたすけの不思議が現れるのである。
母にこんなことをされたことがある。
天理にいた頃、まだ発売されて間もないフリースジャケットを僕は買った。母がおぢばがえりした時、それを着せて、
「どう? 着るならあげるけど着る?」と尋ねると「着るわ」と言うので持って帰ってもらった。同時にタートルネックのシャツも同様に着せて、「着る」と言うので渡した。ところがである。翌月、
「あの服着てる?」と聞くと、
「一つは誠二にあげた。もう一つは難民救済衣料に出した」と言うではないか。
「だったらなんで着るって言うんだよ! 人の恩を仇で返すようなことするな!」と僕は怒った。母曰く、
「だって、困ってる人に着てもらった方がいいじゃない」
僕は母に渡した後、自分のをまた買ったのだ。バカらしくてあきれてしまった。
僕はある時、英一兄からコカコーラゼロを、社割りで安かったからと箱で買ってプレゼントしてくれた。のどが渇くため、どんどん飲んだ。すると母がそれを見て、
「アンタ! そんなに飲んで! それは恩を仇で返すことになるのよ!」
自分が恩を仇で返すことをしていながら、息子にそれを言うのかと、理不尽な気持ちで一杯だった。
そもそもプレゼントされなかったとしても、自分で買って飲んでいたはずなのだ。それにいずれは全部飲むのである。おかしな話である。
僕が通販のみの某化粧品の試供品を母のために取り寄せた。そして、使ってもらおうとした。母は最初、「もったいないことを。でもせっかくだから使うわ」と言っていた。ところが、いつの間にか誰かにあげてしまった。だが母とすれば、
「自分がもらったものは、あとはどう使おうとかまわない」という考えなのだ。これでは何をプレゼントしてもガッカリしてしまう。もう何もあげない、渡さないと僕は心に誓った。その上母は、
「アンタは思いやりってものがないんですよ! しっかり反省しなさい!」と言われたこともあった。思いやりがないのは母の方である。おたすけ先で相手の話も聞かず、都合も考えずに意味不明のことをしゃべり倒すのだから。相手が「これから出掛けるところなんです」と最初に言っていても、時間などお構いなしである。人の都合や気持ちを何だと思っているのだろうか。
両親とも、自分が実行していないことを子供に注意するのである。誰が言うことを聞くだろうか。
父も、ある時、親戚から父宛のお中元が届いた時、相手も分かっていたし、中も知っていたので僕が開封すると、
「俺に届いたものだろ! 勝手に開けるんじゃない!」と、えらい剣幕で叱られた。それは僕が悪い。
しかし、僕宛の封書が届いた時、父は勝手に開封した。僕は怒った。
「言ってることとやってることが違うじゃないか!」
すると父は謝らない。その代わり、僕がいないところで母にシュンとした様子で、
「おい、今後徳宛てのものは全部聞いてから開けなきゃならんのか?」と言っていたそうである。
こんなこともあった。
僕がまだ二十歳の時、第二ひのきしん寮から電話した。
当時は「コレクトコール」をよく利用した。これは相手方に交換手に「○○様よりコレクトコールがかかっておりますが、おつなぎしますか?」と伝えてもらい、そうすると先方側が電話代を払うものである。実家なのでそちらに負担してもらえる。
僕から用事で電話すると、母は、
「ああ、ちょうど良かった、アンタに話したいことがあったのよ。先日ね……」と、母ばかりしゃべり、
「じゃ、電話代がもったいないから切るわね」と、「ガチャン」とすぐ切ってしまうのである。僕の話は聞かないのだ。もう一度電話して、
「こっちから用事でかけたのに、一方的に切らないでよ!」
「あら、ごめん」
こんなことがしょっちゅうだった。困ったものだった。
元々母は、電話で話して用件が済んだらすぐ切る。それが失礼とは思っていない。僕は必ず三~四秒待ってから切ることにしている。もしかして相手が別件を思い出して「あっ、言い忘れました!」ということもあるからだ。
すぐ切るのは、バッサリ相手を切ってしまうようで、これは失礼である。気をつけなければならない。
あるお寺の門に、こんな言葉が張り出されてあった。
「親のいう通りに子はならん。
親のする通りに子はなってゆく」
その通りだと思う。
ついでだが、小説家、政治家だった山本有三氏のこんな言葉あるので引用する。
「女が母親になることはなんでもないことです。でも母親たることは、なかなかできることではありません」
子供を産もうとするなら、女性は生理が始まれば出来るが、子供の母親として、ちゃんと躾けられるか、「私のする通りにしなさい」と、胸を張って言えるかというと、それが出来ない母親は多いのではないだろうか。含蓄のある言葉だと思う。
本部勤務で本当に孤独を感じていたが、音研合唱団の先輩に、
「一人暮らしで寂しくないですか?」と尋ねると、
「全然!」と答えた。
ホームシック状態だった僕には、それがうらやましかった。今は全く寂しくはない。一人暮らしであるが、むしろ「一人の方が気楽でいいや」と感じている。このまま一生独身でもいいくらいである。そんな心境になれたのは、母と姉と一緒に生活して、息苦しさを感じ、身上で倒れそうになったからである。
『天理時報』の平成二十八年六月十九日号の三頁には、『「孤独の時代」の病理』という文が載っている。例えば、「自分の誕生日に自殺する人の数は、ほかの日に比べて五十パーセント多いという」といったことが書かれている。しかし僕はこんな統計は信じていない。そもそも統計学は、限られた中で計算されたものであるので、世界中の人の統計を取ったならば、おそらく平均的な数値しか出ないと思っている。要はケースバイケースということである。百人いたら百人すべて全く違うのである。僕は今の生活をむしろ楽しんでいる。
問題なのは、人とのコミュニケーションがとれないことである。僕は今、外出したならば人と話すのが楽しく、しゃべらないと息苦しい程である。兄弟にも「お前はよくしゃべるよな」とまで言われる程になった。
今の人々は若者に限らず、なるべく人と関わりたくないと思っている。「隣は何をする人ぞ」ということわざ通りである。若者だと、人と接して失敗することを恐れ、自分が傷つきたくないという点と、面倒くさいのとがあるのだろう。ゲームなどに熱中し、殻にとじこもってしまうのだ。異次元の世界なら、怖がる必要が無い。また、他人と付き合うと、時間もお金も気も遣う。それが理由だろうと思う。人とのコミュニケーションほど面白いものは無いと思うのだが、昔の僕も、殻に閉じこもり気味だったから、仕方の無いことかもしれない。人間ウォッチングは実に楽しいものである。
一番上の姉から手紙が来たことがあった。文が支離滅裂である。病気なので仕方がない。ただ、この頃は比較的穏やかだったようだ。タバコを吸うことも覚えた。落ち着くのだろう。しかしそれ以前から、お道の本に、意味のない書き込みや、線を引いたり、サインペンで消して読めなくしたりして、困っていた。今でもそれらの本が残っている。
後でも書くが、うちの会長が僕の本部勤務のお与え(給料)や慰労(ボーナス)を、独断で本部の賽銭箱へ入れてしまったこともあった。その金額、およそ五十万円を超えるものである。これは自分が着服したり、自分の教会のお供えにしていなくても、横領罪として立派な犯罪に当たる。裁判でもおこせば、間違いなく会長側が敗訴するのである。ただし時効が三~五年間らしいので、それを過ぎてしまったら裁判には持ち込むことは出来ない。前会長は、二十年ほど経った今でも、そのお金を返してはくれない。手紙に「借金してでもお返しします」と書いているのにも関わらず。これは自分が着服していなくても詐欺罪に当たる。ただし時効は三~五年である。
こうしたことは常識ではいけないことであるが、世間で働いたことがなかった前会長は、その点、社会性に欠けていると言わざるを得ない。もしそのような人がお道のおたすけ人にいるなら、どうか心して頂きたいと思う。まずは「相談、談し合い」ありきである。おさしづにも「談し合い」というお言葉がたくさん出ているのである。
本部勤務の途中で、憩の家に心療内科というものがあることを知った。受診しようと思い立ち、門を叩いた。
僕は以前から、僕は緊張すると吐き気を催したり、身体のどこかに常に力が入ることが多かったのが気がかりで仕方なかった。何とかしたい、と考えている頃、「憩の家」に心療内科があることを知った。僕は音楽しか能のない人間だ。舞台に登れなければ、ただ自分一人で楽器を演奏するだけしかない。みんなの前で演奏出来ないと寂しい。どうしても治したかった。そこで門を叩くことにした。
医師は岡部憲二郎先生であった、心療内科は先生一人が担当されていた。網干大教会のようぼくである。
温厚な方だった。カウンセリングも、個人的な悩みも聴いて下さった。内服薬を出してくれ、「自律訓練法」というのも教えてくれた。自律訓練法とは、具体的に書くと、イスに腰掛けリラックスし、「手が重たい、手が重たい」と自分に暗示をかけていく。次に「手が温かい、手が温かい」「額が涼しい、額が涼しい」「足が重たい」「足が温かい」などと続く。要するに、そうすることで胃腸など、体の自律神経を自らコントロールしていくものである。これを日に何度か行うのだ。
だが、思ったほどの効果はみられなかった。
三年して本部勤務を退職させてもらった。これ以上いてもあまり自分に意味を見いだせなかったからだ。
《自分探しの旅》
実家のある東京に帰ることになった。いわゆるフリーターとなって、職を転々とした。しばらく色々な仕事をした。自分は何でもやれば出来るのだという自信をつけたかったためだった。バブル時代も終盤の時代だったが、まだ売り手市場のまっただ中で、求人誌などもとても分厚く、どこの会社に面接に行っても、よほどのことがない限り、即採用となる時代であった。
JAC(ジャック)という、無農薬野菜を主とした食品の卸売りの会社にバイトで入った。他でジャックと僕が言うと、みんな必ず「お前、ジャパンアクションクラブにいたのかよ?」と言う。まさか運動音痴の僕がそんなところに入るわけがない。正式には、「ジャパン・アグリカルチャー・コミュニティー」と呼ぶ。数十箇所の店舗からの注文通りに商品を揃え、トラックで配送する。僕がやっていたのは仕分け作業だった。
そこの野菜が売れ残ると、勝手に持ち帰って良いことになっていた。もちろん賞味期限切れのものである。すると案外良いものもあったりした。持ち帰ると母がとても喜んだ。神様へのお供えになったりもした。調理するととびきり野菜が美味しい。
ただ、体力のない僕はよく腰が痛くなった。また、午後から深夜までの仕事である。仕分けが終わるとトラックに乗せて配送されていく。そして翌朝店頭に並ぶ仕組みである。
まかないの食事も美味しかった。そこで扱っている野菜を使っておばさんが料理してくれる。特に豚肉をレンコンではさみ、天ぷらにしたものは絶品だった。僕はよくそれをリクエストした。
当然お米も扱う。そこで売っていたお米をとぐ際、中年の男性正社員で小柄な人だったが、ベテランなのに、まかないのおばさんに、
「違う違う、米をとぐってのは、こうやるんだ」と、まさに「研いで」みせた。そのお米は胚芽米だった。注意書きに、
「とぎすぎると胚芽まで失うのでとぎ過ぎないで下さい」と書いてある。それを知らないのである。ガンガンといでいた。それを僕が注意すると気を悪くするので我慢した。普段から何かとうるさい人だった。小さい体で重い荷物を軽々と積んでしまう。僕は出来なかったので、「そんなに力がないのかよ。たくっ、しょうがねえな~」と嫌味を言われた。
そこで働いている人々は、みんな一癖あった。
一番厄介なのが説教や、うんちくをしゃべらせると止まらない奴だった。
「電子レンジで水気のないものを温めると、それは焼くことになってしまう」などと言う。
僕は会話の外だったので聞いていただけだが、それに付き合っていた人がまた色々尋ねる。すると、
「いいんじゃないですか、そう考えていいんじゃないですか」と何でも知っているように言う。
忘年会のようなこともやった。その時、つまみとして、扱っているつみれを電子レンジで温めようとした。ちゃんと書いてある通り、袋にフォークで何カ所も穴を開けて入れた。だが「ポンッ!」という音がした。すると先ほどのうるさい人が、
「これは袋から出さなきゃダメなんだっ!」と語気荒く言われてしまった。「大きなお世話だよ! 書いてある通りにやったんだ!」と言いたかったが我慢した。本当に付き合いたくないような人だった。
僕はどうも倉庫内が汚いと、掃除をしないと気になって仕方がなかった。仕分け中に何度もほうきで掃いた。すると、
「キレイにしなきゃ、気が済まないみたいだね」と、社員に言われる。
女の子は一人だけいた。大人しい子だった。
そこには女性用のトイレがないのである。男女共用だった。そこで用を足さなければならない。
「あんな汚いトイレじゃかわいそうだよ」と他のバイト員が言った。しかしそこまで手が回らないのが現実だった。
社長は若い人だった。とても気さくな社長で、誰にでも差別なく話しかけるような人だった。僕はそんな社長が好きだった。
バイトで高校生もいた。倉庫の裏の家に住んでいた子だった。その友たちも数人いた。
僕が「音楽好き?」と聞くと、
「はい」
「何か楽器やってる?」
「スクラッチです」
「そうなんだ」
と言ったものの、当時僕はスクラッチなど知らなかった。今で言うヒップホップなどのDJのことである。
忘年会で、彼がそれを披露すると言っていたのだが、当日彼は「機械の調子が悪い」という理由でやらなかった。僕は「これは恥ずかしくなったのだな」と直感した。彼は口下手だったのだ。
しばらくして、僕は作業が体力的にもたなくなってきた。そこでお願いし、小物の仕分けに担当を変えてもらった。倉庫の二階にその部屋はあった。缶詰や、納豆なども扱っていたのである。
伝票通りにかごに入れていくのだが、先ほどの彼の友だちとそれをする。その際、たぶんよくわかるように気を遣ったのだろうが、少し高い所からバラバラバラと落とすのである。これでは商品が傷んでしまう。しかし、それを注意すると、逆ギレされることは明白であった。なので僕は何も言わなかった。しかし僕にはそういった人たちと仕事をするのがストレスになっていった。
そこを辞めて、フリーターではなく本就職しようと履歴書を書いてはあちこちに面接に行った。
新宿にある会社でシステムエンジニアの募集があったので行ってみた。その日は僕を含め三人が面接する様子だった。
控え室で待っていると、まず僕に会社案内のパンフレットを渡された。一通り読むと、そばに若い女性がひまを持てあまして上を向いている。そこで「お読みになりますか?」と声をかけると、素直そうに「あ、はい」と言う。僕はパンフレットを渡した。
もう一人は仙台から来た青年であった。その会社は仙台にも職場があり、面接は社長のいる東京で行う決まりになっていた。その彼は、地方から来たので、なまりもあり、人付き合いが下手だったようで、会話に入ってくれない。
いざ面接となり、社長と専務の二人が立ち会った。僕の履歴書を読み、まず言われたのが「社内で宗教の勧誘は一切お断りです」という専務の言葉だった。僕は「もちろんそんなことはしません」と答えた。社長は温厚な質なのか、ニコニコして、「君はギターを弾くのかい。実は私も弾くんだよ。ソルとかカルカッシは知っているよね?」「はい、もちろんです。日頃から練習しています」といった和やかな雰囲気で終わった。
三人の面接が終わり、帰りがけに先ほどの女性と会話しながら会社を後にした。とても素直で真面目で、気さくに話が出来る人であった。決して美人とは言えないが、可愛らしい人だった。彼女の性格もあったのだろうが、会話がはずみ、話が途切れることがなかった。そのひとときの会話が楽しかった。彼女は別れ際に「これから映画を見に行くんです」と言う。友だちと待ち合わせとは言わなかった。一人で見に行くのだろう。僕は一緒に見に行きたかった。そうすれば二人だけのデートになっていたはずである。しかし帰らなければいけない事情があった。午後から我が家の講社祭だったのだ。「僕は用事があるので、また会いましょう」と言って、それ以来会うことはなかった。何故なら後日合格通知が来ても、僕はその会社に就職しなかったからだ。
今思えばもったいないことをしてしまったと後悔している。その女性と付き合えたかも知れないのに。あわや結婚までも。当時はポケベルも携帯もない時代である。メアドの交換も出来ない。僕は神様の用事を優先したために、そうしてチャンスを逃したのだ。何だか理不尽な気がする。僕の人生の問題である。自分の幸せと神様の御用を天秤にかければ、当然神様の御用となるわけだが、それで未だに結婚出来ないとは。僕の兄二人だったら、必ずデートの方を優先していた。僕は女性ばかり追いかけている兄たちを見ていて、「それでいいのだろうか」と思っていたし、「色情いんねんを積んではいけない」と耳にタコが出来るほど聞かされてきたのでそういう行動を取った。もう手遅れだが、それを「喜べ」とか「たんのうしなさい」と言われても、そんな気になれない。残念である。
僕はカウンセリング・カウンセラーというものを信用していない。
確か二十三歳の頃だったと思う。中野サンプラザの中に無料のカウンセリングルームへ行った(現在はない)。何で知ったかというと、求人誌に載っていたのだ。
その以前から、自分に自信が持てなくて、自分がなんだか成長しきっていない、不完全な人間という気がしてならなかった。早速行ってみた。
担当になった先生は中年の男性。色々話を聞いてはくれるが、どちらかというと僕への注意の方が多かった。例えば僕が、
「会って話すと気分が悪くなる人がいるんです、そんな人とは無理に付き合わなくていいですよね?」と言うと、そのカウンセラーは、
「なに?! 気に入らなかったら付き合わなくていいと? それは傲慢というものです!」と僕の顔を指差して注意した。面白くなかった。おかしいと思わないだろうか?
そういう人間と付き合ったって不愉快になるだけでなんの意味も無いではないか? 仕事上での付き合いではない。今でも納得出来ない。
皆さんはエンカウンターというものをご存じだろうか?
心に悩みを持っていたり、傷ついたりした人たちが数名集まって、自由に会話をして、自分の、いわばアイデンティティーを見つけていくようなものである。そこではそういうことも行っていた。そこにはカウンセラーが必ず同席する。話が脱線しないためである。自分の言いたいことを吐露していくのだが、僕も誘われて参加した。
色んな人がいた。
自分に自信の無い人、落ち込んだ人、トラウマをかかえた人、様々である。
その中に先ほど書いた人がいた。そう、不愉快にさせる人だ。
その人はかなり失礼な人で、また、自信過剰気味であった。
また、自分の興味のある話なら身を乗り出してするが、つまらない話とか、関心の無いことには全く無視である。
エンカウンターの参加者では、常連になってくると、
「じゃ、喫茶店でも行きましょうか?」と親しくなっていく。
またさらに進むと「飲みに行きましょう」とか、「カラオケでも行きましょう」となる。実際、カラオケにも行った。また、中野サンプラザ近くの喫茶店へ行ったとき、
「珍しいねぇ、こんなに古くてコーヒーが飲み放題なんて」
僕が以前、人から教えて貰った「クラシック」という店であった。
その後日、違うメンバーとその店へ行った。すると、
「面白いですよね、この店。先日○○さんから教えて貰ったんですけど」
僕は反論した。
「ここを最初に教えたのは僕ですよ」
「あら、そうだったの?」
まるで自分が初めて教えたように言っていたのだ。自慢したかったに違いない。自信の無い人たちなので、こんなところでも見栄を張りたがるのだ。
そんな中、その不愉快な人から「色々話したいことがあるから飲みに行かない?」と電話で誘われた。
何を話したいのかと思って、約束した中野駅前の居酒屋へ行った。そうすると、開口一番、
「伊藤君って童貞?」と尋ねられた。失礼な話である。「話したいことってそれか!?」と思い、ますます不愉快になった。すぐにさっさと帰った。
他にも、やっぱり興味のない話になると、
「○○さん、どう思います?」と尋ねると、つまらなそうに、
「ごめん、聞いてなかった」と一言。「いい加減にしろ!」である。
さらにその人の話である。
エンカウンターとは、自由に話したいことを言い合うのが基本なのだが、その最中に、何をしてもかまわない。
僕は「どんな人が集まった」とか、「どんな内容の会話だったか」とメモをとっていた。するとその人が、
「ちょっと伊藤君に言いたいことがあるんですけど、話し合いの最中に、メモをとっているのはどうなんですか?」と言い出した。
「分かりました、止めましょう。そう言うなら」
と、僕はメモをとるのを止めた。だが、その人は自分の都合の悪い話をふると、聞いてないふりをして無視をする。手のひらを顔に近づけ、息を吹きかけていた。何の意味があるのか分からないが、ムッとした。
後でカウンセラーに「あの時の君は立派だった、何やったっていいんだからねぇ」と言われた。
カウンセリングを受けた人は、カウンセラーになりたいと思うことが多い。さらに、カウンセリングは話を親身になって聞くので、
「この人、私のことが好きなのかも……」という錯覚を持つこともとても多い。
そしてプレゼントを贈ったり、デートを申し込んだりして、カウンセラーを困らせるといった話はとても多いのである。
だが、心に悩みを持つ人間が、簡単にカウンセラーになったとして、はたして、人の悩みをとことん聞くことが出来るだろうか?
僕も同様にカウンセラーにあこがれた。でも「自分には無理だ」としばらくして思った。
さらに年月がたってそんな勉強しても無意味と思った。相当人生経験を積まなければ出来っこないし、今ではカウンセラーなど信用出来ない。先ほど書いた通りの理由である。
「催眠療法」などと同様、一応プロとはいえ、他人に「心をあずける」なんて、危険極まりないと思う。
そうした人が全く不要とまでは言わぬ。カウンセリングで救われている人も多い。だが勉強などしなくても、
「ただ、寄り添うこと。話を聞くこと」
それだけで十分カウンセリングと呼んでもよい。
「話を聞くだけ」で十分であり、これがおたすけの基本と考えている。
阿川佐和子さんのベストセラー本『聞く力』に、河合隼雄先生のことが書かれているので引用する。
「患者さんに、どんなアドバイスをなさるのですか」
と伺いました。すると河合さん、
「アドバイスは、いっさいしません」
え、アドバイスをしないの? 意外でした。じゃ、カウンセラーは何をするのかしら。
「僕はね、ただ相手の話を聞くだけ。聞いて、うんうん、そうか、つらかったねえ、そうかそうか、それで? って、相づち打ったり、話を促したりするだけ」
とおっしゃる。
「どうしてアドバイスをなさらないんですか」
それには理由がありました。
かつて河合さんはある若者の悩みを聞いて、それに対して、「こうしたらどうだろう」という提案をなさったことがあるそうです。若者は素直に河合さんのアドバイスを受け入れて、その後、実行した。それからしばらくのち、若者は再び河合さんのところに訪ねてきて、
「だいぶ元気になりました。先生のアドバイスのおかげです」
よかったよかった。じゃ、また何か心配なことが起こったら、いつでも相談にいらっしゃい。河合さんは安堵して若者を見送ったのですが、さらにしばらくのち、河合さんのところへ、今度は怒ってやってきた。
「先生の言う通りにしたら、ひどいことになった。どうしてくれる」と。
「つまり、他人のアドバイスが有効に働いたときはいいのですが、何かがうまくいかなくなったとき、そのアドバイスが間違っていたのだと思い込んでしまう。すべての不幸をアドバイスのせいにして、他の原因を捜さなくなってしまうのです」
カウンセラーの責任逃れのように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではない。本当に心の病を治そうとするならば、地道にその原因となるものを捜し出さなければならない。にもかかわらず、他人の指示に頼ってしまうと、うまくいかないのは全部、そこに原因がある、こうしろと言ったアイツのせいだと勘違いしまう恐れがあるのです。だから僕はアドバイスをしない。病気の治療には役立たないからですと、河合さんはそんなふうにおっしゃいました。
私は単なる聞き手です。相手の心の悩みを聞くことが仕事ではありません。しかし、インタビューの仕事をしていると、ときどき、「あー、なんかアガワさんに話したら、自分の頭の整理がついた」と言われることがあります。あるいは、「こんなこと、ずっと忘れていたのに、今日、思い出した」と驚かれることがあります。決して私が相手の頭の中を整理してあげようと意図したわけではありません。「ほらほら、他にもなんか思い出すことがあるでしょう、ええ?」なんて、無理やり思い出させたりしたこともないはずです。にもかかわらず、お相手は、最後にふっと、そんな言葉を吐いてくださる。
「今、気がついた。私って、そう考えていたんですね」……(中略)……河合隼雄さんに出会い、
「ただ聞くこと。それが相手の心を開く鍵なのです」
(百四十六~百四十九頁)
これほどの「おたすけ」をお道の人々は、実行しているだろうか? これこそ真の「おたすけ」ではなかろうか。
時間を惜しんで、昔からのお諭しを簡単に話し、
「これから毎日日参しなさい」
「ひのきしんをしなさい」
「おつくしをしなさい」
「においがけに行きなさい」
で、片づけていないだろうか?
ほとんどのようぼくがそうしているように思う。傾聴出来なければ信頼されることはないと、僕は断言する。
話は飛んだが、そのエンカウンターグループの一人の男性と仲良くなり、遊びに行ったことがある。場所は栃木県の鹿沼市である。よくそんな遠くから来るなぁ、と思った。
彼は小雨の降る中、色々な場所を案内してくれ、レストランへも行った。
その後のことである。彼が、
「ちょっと話を聞いてもらいたい人がいるんだけど、来てくれない?」と言われた。見ず知らずの家だった。
その家は○友会の信者だった。彼はどうやら入信を勧められているようであった。そこの中年のご主人に、
「僕は天理教です」と言うと、鼻で笑い、
「天理教でも、キリスト教でも、○○教でも絶対に助からない。うちの教えは毎月五百円お供えし、お祈りをしてくれる。それでとても結構になっている。たった五百円でいいんだよ」と言う。僕は心の中で「乞食根性だな……」と思った。
五百円を連呼する上、他の信仰をしたことがないのに、そのような断言をするなぞ、全くおかしな話である。
どこの宗教でも、極めるのに人生死ぬまで続けても無理である。極められたら教祖になれることになる。そんな話があるはずがない。またどの宗教でも助かった人、助からなかった人、両方いる。そういう人をたくさん見てきた。
僕は宗教うんぬんより、助かるか助からないは、
「自分を捨てられるか、捨てて人に尽くせるか」
この点にあると考えている。おそらく各宗教の助かった割合は五分五分だと思う。つまり約五割だと。
こうして文を書かせて頂いているが、現に僕が立ち直ったのも、神にもたれて自分を捨てたからである。それを伝えたくて書いているのである。
○友会のパンフレットを渡されたが、持ち帰って読むと、助かった人の話しか載っていない。当然であろう。お道の『時報』や『特別号』にも、助からなかった話を書いてあるのを見たことがない。そもそもそんなこと書くはずがない。
しかし一度だけ時報に身上が助からずに終わった話を掲載したことがあった。たちまち苦情の電話がどんどん来た。
「病気が治らず出直す」ことでも御守護と受け止められるお道の人はまだ少ない。たいしょくてんのみこと様の御守護と教えられているのに、出直して、「良かったね」と言えない、思えないのは教祖の教えに反するものである。しかし、一般の人にはそれが「助からなかった」ことに受け止められるのはやむを得ない。そこを御守護と伝えることこそ、ようぼくのつとめであろう。
さらに、天理教が唯一無二の宗教と思ったり、公言することは思い上がりである、と僕は言いたい。
ソクラテスの言葉に『無知の知』というのがある。意味は解釈で色々あるが、「自分は何も知らないということを知っている。真の知への探求は、自分が無知であることを知ることから始まる」ということらしい。他の宗教を信仰したことがないのに、天理教が一番だ、と言うのはこの言葉に当てはめれば、恥ずかしいと思うべきである。
教祖は、
「何の社、何の仏にても、その名を唱え、後にて天理王命と唱え。」 (二百八十三頁)
とおっしゃったと逸話篇にある。
他にも「ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
(十一頁)
とも書かれている。これは「おぢばに来れば、すべての神様がいらっしゃる」という意味であろう。
「富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで」
(百八十七頁)
親神と教祖は、とても広いお心だったと解釈出来る。それを見習うことも、ひながたを通ることと僕は思う。決して排他的にならない方が良いのだ。ただしカルト宗教は別である。
中野でのカウンセリングは続けた。ある時、約束の時間に行くと、カウンセラーが他の人とカウンセリングをしており、僕は待たされた。ムッときた。しばらくすると、カウンセラーが出てきて、
「じゃ、始めようか」と言う。僕はイラついていて、そんな気になれず、「失礼します」と帰った。
その次のカウンセリングの時、その時のいらつきが残っていて、文句を言った。するとカウンセラーは、「ふーっ」とため息のような息を吐き、「私はイライラしていません」と言う。しかし明らかに困っている様子だった。
口では前回のことを謝罪したが、反省している様子はなかった。ますます信頼出来なくなった。
何ヶ月続けたか覚えていないが、そろそろ止めようと思い、それを伝えた。その際に僕は、
「今までの僕はどうでしたか? 正直に言って下さい」と聞かなくていいことを尋ねた。返ってきた言葉にショックを受けた。笑いながら、
「いやー、もう一生直らないと思った」
「ガーン!」と胸に突き刺さった。
カウンセラーがこのような本音を言葉にしてはいけない。このカウンセラーは完全に失格である。先に書いたように、カウンセラーを信用していない理由はここにある。
東都生協へ就職した。二トントラックで食料品などを配たちする仕事だ。それをしながら会員も増やさねばならない。営業職も兼ねている。僕は生来体が弱く、体力もあまり無かったし、体重だって四十二キロしかなかった。今思えばよくそんな仕事を選んだものである。しかし一ヶ月の給料が二十万を越えたときには、一人前になれたかなと思い嬉しかった。
生協は班単位で構成され、それぞれに自由に名前を付ける。「ミニーマウス班」とか、「ニンジンジュース班」といった感じである。
職場の先輩たちも安く買えるからと班を作っていた。しかし、その班の名前がなんと「バターケン班」であった(知らない人はスルーして下さい。下ネタです)。
しかし、その職場でも先輩たち(といっても自分より年下)に食事に誘われても、外食は居酒屋くらいしか行けず、レストランなどたちまち食欲をなくし、口にしたものを吐きそうになる、だから断ってきた。不自由で困った。
毎週通った班で、いつも辛そうな顔をしている奥さんがいた。配たち物を運ぶと、すぐさま中に入れて引っ込んでしまう。おそらく僕と同じ病気だったのだと思う。しかし当時の僕には理解してあげることが出来なかった。今、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
ある時、上級の会長(先述した前会長のこと)が巡教に来た。平日だったので、母が「仕事を休んで同席しなさい」と言う。そこで職場に電話した。当然「早く来い」と言われた。やむを得ず、行くだけ行って、腹痛を装う仮病を使った。するとすぐ所長がタクシーを呼んでくれ、それで帰宅した。
翌日、職場に行って、「昨日はすみませんでした」と言うと、先輩から、
「バカ野郎! ふざけんじゃねえぞ! この野郎! バカ野郎この野郎!」とけなされまくった。当然だが、謝り続けるしかなかった。
仕事が体力的にもだんだん辛くなってきた。半年もたたず強引に退職した。
《再び本部勤務へ》
職を探した。なかなか見つからなかった。そんなある日、東京教区の機関誌「教友」を目にすると、道友社東京支社で募集しているという。ダメで元々と思いながら、履歴書を持って、文京区の本郷(当時)の支社まで足を運んだ。
その日は熊倉さんという、話し好きな男の先輩一人しかいなかった。もうひとり、新婚ホヤホヤの女性勤務者、岡野さんという人がいるという。その人が近々退職するので、勤務者を募集していた訳だった。
熊倉さんはコーヒーと、たまたまあったプリンを出してくれ、
「うちの社長、見たことある? 鬼瓦みたいな怖い顔した人だけど」
故・松井石根本部員のことである。
「ええ、トイレでお目にかかったことがあります」
「入社する気があるなら支社長に履歴書見せて話しとくわ」
「よろしくお願いします」
早々に帰った。母は賛成してくれた。「神様の御用だし」と。
父は何も言わない、いつも黙認だ。父は僕の進路に口出ししたことがなかった。それは今でも感謝している。
本社のある天理へ行った。当時の故・木村秀則支社長(道友社の業務課長も兼務されていた)が僕を見て第一声、
「君、自分に合うサイズのワイシャツないだろ」
細かったのでそう言うのも無理もない。
「はい、そうですね」
「君の履歴書見て、岩谷君に電話で聞いたよ。いい子ですよと言っとったぞ」そんなこともなかったのだが……。
岩谷雄太郎先生は前に勤務していた史料集成部史料掛にいらした方だ。チェロ弾きで、ジュリアード音楽院を出られ、もっぱら音楽研究会の仕事をされていた。当時僕はそれが気に入らなかった。
「史料掛は一体どうしたらいいんですか!? 仕事は何をすればいいんですか? どうにかして下さい!」と詰め寄ったこともあった。史料掛は、保管している物が多すぎて、「アンタッチャブル」状態だった。歴代の本部員先生方からそう言われてきた。「物を動かすのではない」と。事実、動かしたら収拾がつかなくなる。
音研ばかりにおられて、史料掛へ顔を出さないのに出勤簿にハンコを押してくれというのを、僕の我を通して押させなかったりしたこともあった。それでもイヤな顔一つ見せなかった。
お宅に泊めて頂いたこともあった。その時は、第二ひのきしん寮をバルサンで害虫退治するため、寮生は一晩全員出なければならなかったのだ。その頃、今、関西フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務めている岩谷祐之(すけゆき)君が子供の頃で、恥ずかしそうにお風呂から走って出てきたのも見てしまった。まだとても小さかった。音楽研究会の弦楽教室でやんちゃをすると、事務員が「お父さんに言うぞ!」と言うと、すぐおとなしくなる。それほど雄太郎先生が怖かったのだろう。懐かしい思い出である。雄太郎先生には本当にお世話になった。
その場で入社が決まった。翌日の朝、本社の朝礼の時に、社員の前で紹介され、
「よろしくお願いします」と挨拶した。
支社では歓迎会をして頂いた。場所は高級な料亭であった。ところが辞める女性勤務者の岡野さんは、悪酔いしたのか、トイレに駆け込み帰って来ない。吐いてしまったのだ。
岡野さんと一緒の電車で帰ったが、車内で「座席に座ろうとしたらさー、汚物(吐いたもの)が一面にあってぇ……」という会話を若い女性がしていた。「なにもこんな時に……」と二人で顔を見合わせて苦笑いした。途中で岡野さんが「吐きそう。降りていい?」と言う。放っておけないのでトイレの前で待っていた。後で先ほどの会話について、お互いに顔を合わせて、「さっきねー」と笑い合った。
問題はその後である。僕以外の人が食中毒と思われる症状が出てしまい、木村次長は上げ下しで救急車で運ばれる騒ぎとなった。他の人もひどいおう吐や下痢をしたという。
料亭のおかみさんが血相を変えてお詫びに来た。でも原因はわかっていなかったので、お詫びのお土産を頂き、お礼を言って帰って頂いた。保健所から調べに来て、検便もしたが原因不明であった。なぜ僕だけ大丈夫だったのか、今でも不思議でならない。越乃寒梅などの高級なお酒をどんどん注文し、贅沢しすぎたので、親神からのお手入れだと思う。
木村次長は東京へ来た時には必ず支社に近い「江戸屋」というホテルに泊まった。本来、東京には東京母屋という施設がある。場所は千鳥ヶ淵近くの麹町である。その向かいには、真柱様など、中山家の方々の東京の住まいがあった。そこなら宿泊料は無料であるが、そこを利用せず、ホテルを使う理由が誰にもわからなかった。その費用は道友社が払う。もったいないなと思った。
木村次長はコンプレックスがあったのか、似合わないのにGジャンやGパンを着たり、首にハンカチーフを巻いてやってきたこともあった。「妙なことにこだわるのだな」とみんな陰で話していた。
僕と次長で御茶ノ水駅まで一緒に歩いたことがあった。その時次長は、
「ハッキリ言うけど毎日不足していますよ」と言っていた。
人との間に立って仕事をする、まして道友社は社員が多い。くせ者も多い。不足たらたらなのは何となく理解出来た。
熊倉さんは自動車免許を持っていなかった。そのため、支社の公用車は、立体駐車場にしばらくほったらかしになっていた。
僕が行ってみると、エンジンがかからない。バッテリーがダメになっていた。そこで、駐車場の初老の管理人さんに、他の車とつないで欲しいとお願いをしておいた。時間を決め、その時に僕も立ち会う約束だった。
だが、電話などがかかってきたりで、僕は遅刻してしまった。すると、管理人がおかんむりであった。すでにエンジンはかかっていた。ひどく文句を言われた。詫びを言って、車庫から出ようとすると、タイヤがきしむ音がする。そこで管理人に、
「なんか音がするんですけど、見てもらえませんか」とお願いすると、
「だから何なんですか!」と大声で怒鳴られた。
その後管理人はヘラヘラ笑っている。僕もキレて、にらみつけた。以来、その人と会話をするのは止めた。向こうが、
「どうです、(仕事は)慣れましたか」と言っても無視した。
僕は高慢であるが、その中でもたちの悪い「引っ込み高慢」である。自分の都合を先に立て、言い訳し、「自分は悪くない、そっちが悪い」と思うクセがあった。
本社へ出張すると、車で行くのでついでに本を乗せて帰るのである。本は天理時報社の倉庫にある。誰にも言わず、取りに行き、帰ってくると、社友連絡事務局の芝さんから、
「お前、どこ行っとったんや!」と怒られる。木村次長も顔がこわばって、怒っているのがわかった。それでも「自分は間違っていない、用事があるなら先に言え」と思っていた。頭を下げない人間であった。
それに気がついたのはかなり経ってからである。今思えば、「ずいぶん損をしたな」と思う。親神が身上を通して教えて下さったと思っている。
支社にいた頃は、日曜、祭日、そして午前中のみ勤務の土曜日しかおつとめをしていなかった。土曜日はもちろん夕づとめだけである。何故なら、早く出勤しないと遅刻してしまう。帰りも遅い。冬などは、真っ暗なうちに出かけなければならなかった。帰宅するともう八時頃である。
熊倉さんは、夜中ウエイターのバイトもしていた。睡眠不足なのでよく遅刻した。
彼女もいたが、その女が薬物依存で入院し、熊倉さんは彼女を捨て、逃げるように引っ越した。辞めてからもその女が何度も支社に電話で「熊倉さんいますか?」とかかってくる。「もう退社しました」と答えることを何度もくり返さなければならなかった。
他にも、知ったかぶりをよくする。知らないことをしきりに口にする。間違っているのに。僕はそれを指摘したこともある。とてもよくしゃべるのでうるさくてたまらなかった。口癖が「伊藤、○○って知ってるか?」「丸山、○○って知ってるか?」丸山君は「知るわけないでしょう!」と怒鳴ったこともあった。ドメスティックの意味も知らずに、「言葉の響きがいいだろ、おー、ドメスティック」などと言う。
「コーヒーが三度の飯より好きなんだ」と言って、業者から大きなサーバーを持ってきてもらい、結局あまり飲まなかった。中のお湯を抜こうとしたら、一面水浸しになってしまったことも。そのサーバーをほったらかしにして、退社してしまった。無責任。色情いんねんをたくさん積んできていた。
そもそも、東京へは誰からも許可をもらっていないのに、自分で勝手にやって来たと、岡野さんから聞いた。自分勝手なのだ。それと東京に住むことを自慢にしたかったに違いない。後始末は僕らがやった。迷惑だった。本当に勝手なことをして、それを残したままにして行ってしまった。フォローするのに大変であった。
臼井さんを疲れているのに連れ回した。人の事情は考えない人だった。「さえない顔をしてどうしました」と言うのだが、自分がそうさせていることすら気がつかないのだ。
「『いのちの電話』をやろうと思っている」とも言っていた。出来るはずがない。冷たい性格だからだ。こんなやりとりになるはずだ。
「あ、そう。それで? ふーん、で?」
こんな『いのちの電話』なら、誰でもかけたくなくなる。
見栄を張るタイプでもあり、「伊藤、俺が金出してやるから『かいじ』で帰れ」と言われたことも。かいじとは、中央本線の特急列車のことである。夜遅かったので、お言葉に甘えたこともあった。よく知らないで、おしゃれだからと、そういうお店を見つけては、連れて行こうとする。
「ターキッシュブルーって店が、いい雰囲気だから案内するぞ」とか、本部の電話課の人たちが出張して、事務所内の工事をしてくれた時も、夜になるとレストランへ連れて行き、ラザニアを食べさせたり、「テラ」という、当時はなじみのない単位を自慢げに口にする。僕なら恥ずかしいと感じるが、そうは思わないのだった。
「ストレートグラス下さい」と言って、しばらくして「チェイサー下さい」とも言っていた。一度に言えばいいものを。自分が「何でも知っている」という見栄からだった。「お前ら知らないだろう」と思っていたに違いない。知らないのは熊倉さんの方だった。僕は陰で笑っていた。それでいてスーツはいつも同じものだった。すそが短く、体には小さくて合わないちんちくりんのものだった。ファッションには無頓着だった。
自分の部屋に必要ないのに有線まで引いていたと聞いた。聴く時間などない。バイトや女と遊ぶので忙しかったはずなのだ。
社長を東京での会合へ呼ぼうと、秘書の三上さんに電話した。その話が次長に伝わり、関係ないのに電話で怒られたのは僕である。
勝手にやまと文化会議と連絡をとって、特別の本のセットをあちこちの大学の生協に置こうと画策し、僕も仕方なく従っていた。それも後で僕らが元渕主任に叱られた。本は全く売れなかった。回収までやるはめになってしまった。
しかし、そのおかげで僕は川口由一さんの治療を受けるきっかけが出来た。「瓢箪から駒」であった。川口さんを紹介して下さったのは、やまと文化会議の福島さんだった。
という訳で、支社に通うことになったが、体調が良くなる訳じゃなかった。病院を探した。すると、某病院に、最先端の心療内科があることが分かった。行く前に「憩の家」へ行き、岡部先生に紹介状を書いてもらうことにした。その時の先生の様子が以前と違う。僕の顔をしげしげと見て、
「ほー、そうですか」と無表情な顔。
「僕の先生だった人がいるから、その人を紹介するね」
と、紹介状を書いてくれたが、今思えば、神様はあまり賛成して下さらなかったのではなかったかと、そう思う。
支社からその病院は地下鉄ですぐの所だった。今はどうか知らないが、大分古めかしい建物だった。
まず、主治医以外の先生との問診、カウンセリングがあった。色々詳しく尋ねられる。そこで僕は
「実は僕の家は天理教でして……」と話すと、先生は「あー……」というような顔をした。信仰による弊害は珍しくないのかも知れない。マインドコントロールと言ってはカルト宗教みたいだが、教えを信じる故にある種の心の拘束が出てくるのだろう。お道の名に傷を付けるようなことを言ってしまったと思ったが、正直に話した方が良いと、その時は話した。
次に年配の主治医と会う。ここではあまり長い話はしない。先程の問診票に目を通され、
「それじゃ、筋肉の緊張を取る薬を出しますから、毎日飲んで下さい」
と、処方箋を出してくれた。そして三日間飲んだ。その三日目、立川駅で電車を乗り換える際、水飲み場で薬を飲んで、そして冒頭に書いたようなことになったのである。
少し書き足すことがある。
その当日の朝から、母と純子姉さんを車に乗せて、お世話になった長谷先生のお墓参りに行った。場所は長野県である。かなりの距離を中央自動車道で走る。インターチェンジで降りたところでガス欠になってしまった。幸い、ゆるい直線の下り坂で、その突き当たりにガソリンスタンドが見えた。惰性で下り、軽自動車だったので僕が押してスタンドへ。ホッとした。
墓参りを済ませ、また帰ったのだが、今思えば発作が起こったのは、長谷先生の思いが、僕にとりついた、憑依したようにも感じられた。
先日、NHKの『ガッテン』という番組で、「ボケない! 脳が若返る!“めい想パワー”SP」というのを見た。番組内でテロップが出ていたが、神経症などの人がめい想を行うと、返って不安が膨らみ、危険な状態になる可能性が高い。誰でもやってもいいものではないのである。事実、僕も似たようなことをして、こうなってしまったのだから。十分注意すべきである。
《病気との格闘》
西八王子駅のベンチで、しばらく休んだ。冷や汗が流れる。少し落ち着いた所で、
「今日の練習は無理だ……」と思い、引き返す。その間も不安感が沸いてくる。なんとか自宅までたどり着いた。胸騒ぎのようなものが止まらず動悸もおさまらない。母に、
「お袋、おさづけを……」
と頼んだ。終わっても不安感が押し寄せる。
「困ったな……」とつぶやくと、母は布団を敷いてくれ、横になった僕の手のひらをマッサージしてくれた。不安が消える訳ではなかったが、母の手の温もりが少しだけ安心感を与えてくれた。
翌日、不安を抱えながら電車に乗り出勤した。満員電車が苦痛だった。行ってみると、熊倉さんはこんな日に限って遅刻してなかなか来ない。そこへ電話があった。
「すまん、ちょっと遅れるわ」
「体調悪いんです、早く来て下さいよ」
三十分程遅れて熊倉さん来る。その日は頑張って仕事をしたが、帰りの電車が満員で辛かった。
自宅へ帰る。何も食べたくない。吐き気がした。それでも母は夕食を勧める。断ったが、理解してくれないのがこれまた辛い。胃のあたりが不快な感じがした。胃が悪くてこうなったのかとその時は思っていた。
翌日、病院へ電話した。症状を訴えると、主治医はそっけなく、
「それでは服薬を止めて下さい、よろしくどうぞ」と、あっさり電話を切られた。忙しいとはいえ、その対応が冷たかった。あっさりしたものだ。こちらは必死なのに。その医者はテレビにも出るほど有名な医者であった。病院も医者もこんなものかと失望した。
それから二日ほどして仕事の合間に時間をもらい、病院へ行った。経緯を説明したが、聞いているのかないのか、
「それでは、服薬は止めて、似たような患者さんたちが集まって相談会をやっていますから、参加されますか?」と言う。仕方ないのでそうすることにした。
病院の離れのプレハブの二階で、その会は行っていた。参加者は二十人程だったろうか。若い人から中年まで、男女さまざま。女の先生に病気のからくり、また対処法、自分の心の分析法などを学んでいく。資料も配られた。正直自分にはあまり役に立ちそうもない。四回ほど通って止めてしまった。
胃が悪いのかと思い、胃腸科の病院へ行ったこともあった。
「胃が悪いと不安になったりしますか?」と尋ねると、
「ありますよ」と医者は言う。胃薬を出してもらい、飲んでみたが、一向に良くならない。その病院へ行くのも止めた。
僕は小さい頃から、体調が悪かったり、お腹を壊したりすると、みぞおちのあたりの動悸がひどく出る。後に知ったのだが、これは漢方でいう「心下悸(しんかき)」というもので、腹部大動脈の活発な動悸である。現代医学では問題にしないが、漢方では重要な治療の目標となるものである。体調が悪くなるにつれて、それがどんどんひどくなっていった。その動悸がひどいと、体中に響きが伝わり、時には地震でも起こったように感じる。漢方の解説書に、不安神経症の項目に「体が揺れる感じ」と書いてある。しかし案外こうした人は多いのである。
その頃は、立川から昭島市へ引っ越していた。立川の家は、大家がマンションを建てるということで、立ち退きして欲しいと言われていた。約一年程かかって、ようやく物件が見つかり、引っ越した。
昭島駅に帰ると、そのまま帰るのが寂しくて、居酒屋へ寄ることも多かった。酒に弱い僕は、当時はビールだけは好きだったし飲めた。飲み物なら胃が受けつけてくれる。駅前の焼き鳥屋へ一人で入り、ビールをあおり、焼き鳥を食べたりした。その焼き鳥がやけに塩辛かったのを覚えている。
その近くに美容室があった。僕はそこへ行き、受付で、
「あの、ここは男性も大丈夫ですか?」と言うと、若い女性店員が「変な人」といわんばかりに薄笑いを浮かべながら首をかしげた。「失礼だな」と思ったが、カットしてもらった。
最後に少し切り残しがあったようで、美容師はカバーを取った状態で髪を切った。肩にそれがかかる。それをはらってくれないのだ。僕は自分でわざとらしくはらった。
当時、純子姉さんはいつもタバコを吸い、毎日穏やかであった。
支社の仕事として、東京天理ギャラリーへ『ひと もの こころ』シリーズを届けることになっていた。そこで販売するためだった。僕が初めて熊倉さんとギャラリーへ行った際、職員のおばさんに、
「おたくんとこ、ほんとにいいかげん! 本当にいいかげんね!」と言われてしまった。理由は何冊置いてあるか、そして補充は何冊すれば良いか、ちゃんと記録を取っておらず、そのたびに電話で聞いていたのだ。怒るのも無理はなかった。前任の担当者がいいかげんだったとしか言いようがない。
道友社の東京支社は人の入れ替わりが多かった。先の熊倉さんはまもなく退職する予定だった。
僕の後に丸山君という、本社にいた同い年の男性が異動してきた。冗談ばかり言う面白い奴だった。今は理實(りのみ)分教会長となっている。
悪い人間ではないのだが、ちょっとクセがあった。僕が、
「じゃがいもの味噌汁にベーコンを入れると美味しいよ。うちでは昔からそうなんだ」と言うと、
「しないね、そんなことしないね」嫌みたっぷりに言われた。今度は彼が、
「納豆は塩で食べるのが一番旨い」と言う。他にも、
「カップ麺はホームラン軒が一番美味い」とか、かなり色々贅沢をしているようで、グルメと言って良いと思うが、自分の主張は通し、他人の話にはほとんど否定的なのだ。一緒にいて不愉快な思いをたくさんさせられた。
砂糖をかけて食べる人もいる。食べ物、食べ方に何か言われる程、屈辱を感じることはない。
愛想がいい、悪いという話になった時、僕は、
「ニコニコ愛想がいいだけでも、反感を買うこともあるよ」と、過去の経験から言うと、
「誰だって愛想がいい方がいいに決まってら!」と、捨て言葉を僕に投げかけ去って行った。やりきれない気持ちだった。
何故僕が反感を買うこともあると言ったか。それは、以前生協の配達員として働いていた頃、ある奥さんがこう言った。
「前の配達員、調子だけは良かったわね。前に色々話しかけてきたのよ。私、しゃべる気分じゃなかったから黙ってたら、『今日は奥さんは機嫌が悪い』だって。大きなお世話だわよ!」と言うのだった。前の先輩、といっても僕より年下だったが、愛想がとても良かった。引き継ぎの時もたくさんの方から、「あら、寂しいわねぇ」と言われていた。「ああ言われると冥利につきるね」と言っていたが、それでもそう受け取る人もいるということを体験していたからだ。
また、においがけに回っていた時、ある酒屋さんへ特別号を届けた。そこのおばさんは全く愛想がない。しかし「まあまあ、すみませんねぇ。これでもお持ち帰り下さい」と、駄菓子を下さった。愛想はなくても、全く悪い気にならず、むしろ暖かみと思いやりを感じた。愛想があるないは関係ないと僕は思って言ったのだ。
若い女性勤務者の佐藤さんとおしゃべりして、二人で毎日笑っていた。僕は蚊帳の外だった。僕が思い付いたギャグを丸山君に言うと、それを自分で考えたかのように丸山君が佐藤さんに言う。ゲラゲラ笑うが、佐藤さんは僕が冗談を言っても、笑わないばかりか「くだらない!」と、スックと立って去って行った。毎日が憂鬱で寂しかった。
休憩中にコーヒーを飲んでいた。僕が目をつむって上を向き飲み干すと、
「何で目をつぶるんだよ、おかしいじゃん」と二人に笑われた。
僕は何も言い返さなかったが、大きなお世話である。何が悪いのか。美味しいものを食べた時、目をつむり味をかみしめるように食べることは全くおかしいことではない。
丸山君が風邪をひいて休んだことがあった。翌日出勤してきて、
「ほら、お腹にカイロ当ててるんだ」と、自慢げに佐藤さんに見せていた。僕にとってそれは日常茶飯事なことであった。そんなことで自慢されて、面白いはずがない。
書籍販売係の元渕主任が訪れたことがあった。その時丸山君は、
「娘さんを取られて寂しいでしょう?」と言うと、
「そうや」に始まり、延々とビオラの練習で留学した娘さんの話になった。一時間くらいしゃべっていたと思う。元渕主任と僕とはウマが合わないので、何を話しかけてものってくれない。
話し終わると、丸山君が僕に、
「伊藤君も音楽やってるけど、ここまでやれないよね。レベルが違うね。うらやましいだろう」と言う。はらわたが煮えくりかえる思いだった。「大きなお世話だよ!」と言いたかったが、反論したところで無意味なので何も言わなかった。
プロになるということは、嫌いな曲でも、演奏したくなくても弾かなければならない。そんな窮屈なことを僕は望んでいない。自由に演奏出来れば、その方がずっと楽しいはずである。だからこそ僕はあえてアマチュアの一愛好家として音楽を楽しんでいる。この方が気楽で良い。本当に音楽がジャンルを問わずに好きになれる。
元渕主任はその時何の用事で東京へ来たのか忘れてしまったが、僕が来るまで東京駅まで迎えに行ったのは覚えている。支社へ行く前に、「ちょっと早稲田大学まで寄ってくれるか」と言われ、着くと「少し待っててくれ」と、キャンパスの中へ行ってしまった。
早稲田大学は元渕主任の出た大学であった。久しぶりに懐かしい思いをしたかったのだろう。しかし、これは公私混同である。後でも書くが、こうしたことを平然とするのが、おぢばにいる人たちの感覚なのである。それを僕は「天理ボケ」と呼んでいる。
佐藤さんは性欲が強いタイプで、丸山君がいない時、僕と二人っきりになると、下ネタなら会話が続いた。かなりセックスが好きなタイプだったようで、過去の話を正直に話すのだ。専修科に行っていた戸田という年上の男と付き合っていたこと、毎晩のように会い、コンドームなしでセックスしていたこと、最高に求め合ったのは夜二回、朝一回だったなど、そんな話まで聞いてしまった。「(子供が)出来てもいいと思ってたもん」とも。それだけ好きだったのだろう。だが別れた。本社に鳥羽さんという人がいたので、聞き方によれば間違えやすい名前なので、鳥羽さんと言うと、きっと過敏に反応していたことと思う。戸田という男は、他の女性と結婚し、普通の家庭を持った。よく聞く話である。専修科で学んだのに、おたすけ活動などせず、女と自分の幸せを優先させた。そんな例は多いのだ。後に書く平岩君もその一人だろう。佐藤さんは支社にいた時も、ある男性とデートの約束をしていた。その時ホテルまで行ったのかは僕は知らないが。そういうことを過去に何度もしていたらしい。まあ、「女性のセックスの快感は男の十倍」と言われているのだから、避妊さえすれば僕は良いことだと思っている。これも「十全の守護」の一つである。気持ち良くなれば、気分だって良くなるのだから。神が下さった楽しみの一つである。
まある時、佐藤さんが「好きです、好きです、心から、愛していますよと、っていう歌が頭から離れないの。誰の曲だったかなあ……」と話し出した。僕は「長渕剛じゃない?」と、一発で当ててしまったことがある。それだけ僕の耳は良く、音楽に詳しいのである。
ある日、丸山君が、教務支庁の野口先生夫婦のことを「あんなに頑張ることないのにな」と言う。僕は何も言い返さなかったが、お子さんの身上の御守護を頂きたいために必死だったのだ。そういうふうにしか見えないのは、苦労を知らないためである。確かに奥さんなど、行事があると、あちこち行ったり来たりで一生懸命だった。疲れたら、長いすに横になっていたのも見た。僕にはその気持ちが何となく理解出来た。我が家も大変だったのだから。
丸山君は競馬とスキーが好きで、よくやっていた。それを佐藤さんや後にひのきしんとして支社に来た横山さんという女性を連れ込み、一緒にやるのであった。僕も競馬は少しだけのってやったが、元々ギャンブルは嫌いだったのですぐに止めた。当たるはずがない。
スキーも体調が悪くて出来るわけがなかった。そんな雰囲気の支社でも、僕は居場所がないと感じていた。
比較的近くに、故・松本滋先生の教会、郷(けいごう)分教会があった。松本先生が支社にいらした時、佐藤さんがタバコを吸っていた。丸山君も佐藤さんも喫煙者だった。すると、
「タバコは止めた方がいいですよ」と、注意していかれたと聞いた。ところが、喫煙者ではない松本先生はその後早くに出直された。 タバコと寿命は関係がない、と言いたいのである。なぜなら僕も今は喫煙者だからだ。
おぢばの食堂の外で、食後にタバコを吸っている人々に混じり、僕も吸っていた。ある老人は、ニコニコしながらタバコを吸い、楽しそうであった。食後の一服は格別である。この時ほどタバコを吸っていて良かったと思う瞬間はない。食事で楽しみ、タバコで楽しめる。他の人より二度も楽しみがあるのだ。現在もそれが続いている。美味しく食べて合掌し、今度はタバコに火を付け吸う。「幸せだなあ……」とゆっくり吸い、タバコにも合掌して感謝し、その後は爆睡するのが常である。
元々吸わなかったのだが、支社にいた時、喫煙者が多かったので、つい手を出したのが始まりであった。学生時代にはタバコを全く嫌っていたのに。
僕の友人で、中学生時代からタバコを吸っていた人が、値上げを機に禁煙した。すると二十キロも体重が増えたという。食事が多くなった結果である。教祖伝逸話篇にも『九七 煙草畑』(一六三頁)がある。ほどほどならば、何事も神は許すものだと考えている。
タバコについて少し。ニコチンやタールが少ないタバコは、強く吸い込むため、かえって肺を汚しやすい。多いタバコの方が軽く吸うので汚れにくいという話を聞いた。また、同じタバコでも普通サイズとロングサイズのものがあるが、これはどちらもタバコの葉の量は同じである。単に詰め込んでいるか、余裕をもたせて紙に巻いているかの違いだけである。僕はゆっくり楽しみたいので、いつもロングサイズを吸っている。
ただ、マナーの悪い喫煙者が多いのは残念である。街に出ると、吸いながら歩いている高齢者の多いこと。そして吸い殻は道へポイである。これだから喫煙者は悪者扱いになるのである。そしてどんどん値上げされる。「吸い殻のリサイクルを日本中でやらないかな……」と思う今日この頃である。
もう少し松本先生の話を書かせて頂く。
先生の著書に『神へ近づく道』(道友社刊)がある。その中に、
「“神”は、上下の『上』に通じます」(五頁)と書かれている。アメリカのハーバード大学まで行き、聖心女子大学の教授であった先生が、このような「こじつけ、ダジャレ」的で、非科学的な文を書くとは、実におかしなことだと以前から思っていた。お道でも教祖が、「祭りは待つ理」とおっしゃっておられるが、教祖のおっしゃるお話は別として、信者が勝手にこうした解釈をするのは疑問である。
他の教会で「笛は『増える理』なんですよ」と会長が言っていたと聞いた。誰がそんなことを言ったのか? 教祖がおっしゃったのか? こうした勝手な解釈で、教えをねじ曲げることは決してしてはいけないことと強調したい。
そもそも、科学の目で宗教や人の心が見えるはずがない。『心の目』で見なければ、何も見えないことの方が多いのだ。
た、佐藤さんは子供っぽいところがあり、以前は会社員だったのに、僕が外出先から電話で、
「今日、金庫が届くから。その時業者さんに、道路側を正面に向けて置いてもらって」と言うと、「わからなーい」と答えた。わからないはずがないし、言い方が子供である。「困ったものだな」と僕は内心思っていたが、直接言ったことはない。佐藤さんは今、二児の母親になっていると聞いた。子供を作るのは簡単だが、母親としてちゃんと務まるのだろうかと思えてならない。
今はどうか知らないが、当時の支社は、大教会や教務支庁で祭典がある際、本の出張販売を行っていた。
ある時、大森町大教会前会長の守屋先生が、『手くぼの陽信(たより)』(稲葉武夫著・陽徳社刊)を指さし、「この本、もう売れないでしょ」と言って去って行った。
稲葉先生は、大森町大教会の部内教会の大美町分教会の会長である。守屋先生は、一番勢いのある部内教会を、面白く思っていなかったのである。
ところが守屋先生も、早くに出直された。
高橋定嗣先生も、愛妻家であったが、奥様の雅子さんが出直されて、後を追うように早く出直した。高橋先生は頭が良く、京大卒で、文才もある方だった。
このあたりで僕は思うのである。頭で信仰を考える人は、実践が伴っていないので、出直しが早いのではないかと。もちろんすべての人がそうとは言わない。熱心にお道を通られても、早く出直す先生も多い。寿命は神の采配であるが、熱心に人助け一筋に通られて、寿命が短いのは、何かが違うように思う。「百十五歳定命」と教祖はおっしゃった。考えなければならないことと思う。東本大教会の初代、中川よし先生は、おたすけで自分の命をお供えしたことが数え切れないほどある上、ほとんど夜に布団で寝なかったと聞く。睡眠不足は、免疫力を低くし、ガンなどになりやすくなる。そういった研究がある。中川よし先生は、胃がんで早くに亡くなられた。おそらく睡眠不足がそうさせたと思う。食事をお供えしておたすけにかかる先生方も多いが、そうすると今度は糖尿病となってしまう。東本の二代会長である庫吉先生は糖尿病だった。何日も空腹でも東本に日参され、そこでバッタリ倒れたこともある。こうしたことが良いことなのか、悪いことなのか、僕は未だに答えが見つからない。
松本先生について少しフォローしたい。
東京教務支庁で先生がお話と質疑応答を行った。その際、当時伊藤青年という、僕と同じ名字の若者が、教祖の言葉を言うので人が集まっているという、いわゆる異端の問題が起こっていた。それについて先生は、
「これはチャネリングです。話している内容はともかく、問題にしなければならない点は、お道の人たちが神の言葉、親の言葉を求めているという点です。それだけ皆さん道に迷っていて、親心に飢えていることを考えなくてはならないと思います」とおっしゃった。聞いていた僕は「なるほど、その通りだ」と感心してしまった。
教祖も本席様もいない現在、何を心のよりどころにすれば良いのか、みんな悩んでいて、寂しいのである。これを何とかするには、原典をよく読み学び、神意をつかむ必要があるだろう。それと同時にひながたを通る習慣を身に付ける必要があると思う。ひながたを通れば、自ずと神の姿を感じることが出来るはずである。
蛇足だが、「チャネリング」とは、死んだ人の霊を呼び、その人の言葉を語るという、心霊的な行為である。
ある日、支社に電話がかかってきた。中年の女性だった。何の用でかけてきたかというと、
「私、ノイローゼなんですけど、天理教にはそういう人を休ませてくれる施設はありますか?」というものだった。僕は答えに困り、「よく調べて折り返しお電話します」と、相手の名字と電話番号を聞き、あちこち電話して調べたが、結局憩の家に入院するか、修養科へ入るか、その二つしかないこととなり、それをまた先方へ電話で伝えた。相手はガッカリしていた。
問題はその後である。僕が社交辞令で、
「あなたの病気が早く治るよう、毎日祈らせて頂きますね」と言うと、
「みなさんそうおっしゃるんですよね、それで私の病気が治ったことなどないのでね、大体、ホントに祈ってるか、わかりゃしませんしね!」と、逆ギレされてしまったのである。そして「もう電話してこないで下さい」と言われてしまった。
本当にその通りであった。一日中その人のことを祈っているわけではない。単なる社交辞令であった。そういったことをあちこちの宗教団体に言われた様子だった。
ここで僕が皆さんに伝えたいのは、安易にこういうことは言わない方が良い、ということである。相手にとっては、
「祈らなくても、心配しなくても、神様にお願いなどしなくてもいいから、私の苦痛が一刻も早く消えてなくなる方法を教えて欲しい」というのが身上者・事情者の本音なのである。
また、「毎日祈っていますよ」「しっかりお願いさせて頂いていますよ」「いつも心配しているんですよ」なども言うべきではない。相手にとって、何の役にも立たない言葉であり、むしろ「恩着せがましい」と思われてしまうのである。つまり「『ありがとうございます』と言いなさい」と、半ばお礼を強要しているようなものなのである。相手は信仰が深い訳ではない。お道の人同士ならば、感謝し合うこととして良いかもしれないが、未信者に言うと、「ひどい話だ」と思われても仕方がない。そして解決しなかったらなおさらである。
本当にしっかりお願いしている人は、「しっかり」などと口にしない。一人神様と心定めし、断食し、水だけ飲んで何ヶ月も過ごして陰で祈る。それを周囲に公言しない。そして、
「最近、顔色が悪いですし、痩せたようですけど、どうされました?」と尋ねられても、
「いいえ、大丈夫です、元気ですよ」
と答える人こそ、本当に「しっかりお願いした人」なのである。
相手や周囲にこれを言うことは「恩着せがましい」ことに当たるのである。気をつけたいことである。そうしてそれを親神が受け取られ、御守護へとつながる。この電話が僕に教えてくれたのだった。
人は社交辞令をよく口にするが、それは何の慰めにも、癒やしにもならないムダな言葉なのだ。「困りましたね、苦しいでしょうね。あなたの苦痛が理解出来なくてごめんなさいね。どうすればいいか一緒に考えましょう。諦めず、心を倒さないで下さいね。私も一緒にどうすればいいか考えます。きっと道は開けますよ」という言葉が一番適切と僕は思う。
『陽気』誌の平成二十八年八月号の三十七頁に、
「信者の親戚のA子さん……(長いので省略するが、A子さんの身上を、某会長がおたすけに取りかかった話だが、最終的には御守護がなかった、という結果になった)……ご守護いただけることなく、私の穀断ちも終わりました」
この会長様のおたすけが間違いと、断言出来ると言いたいのではない。よくあるおたすけであるが、ただ、自分が穀断ちすること、「祈りますから」という言葉を相手に言うことで、ややもすると、親神にお受け取りにならないのではないか、という気がするのである。
ビリー・ジョエルの歌に、『Honesty(オネスティー)』という曲がある。『Honesty』とは、誠実・正直・実直という意味であるが、歌詞の内容は、「誠実、なんて孤独な言葉だろう」と歌われている。
「あなたのこと信じてますから」
「君を信用しているよ」
「いつも祈ってるよ」
「いつも心配してるんだから」
「頑張れ」
「大丈夫」などはよく使う言葉である。また社交辞令で「ご冥福をお祈り申し上げます」もよく言う言葉だが、本当に祈っているかというと、そうでない場合が多いのではなかろうか。『Honesty』ではないが、本当に孤独な言葉であると思う。決して言ってはいけないとまでは言わないが、安易に使うのはあまり好ましくはない、ケースバイケースである、ということである。
「信じてる」という言葉について、故・山本利雄先生は、
「そう言って裏切られたら、『信じてたのに!』と言うわけです。これは信じていたのではなかったということです。人を信じるということは、何があっても『やむを得ない事情があったのだろう』と、最後まで信じ切ることが本当に人を信じることなんです」と話しておられた。
うつの人に「頑張れ」が禁句であることは当たり前になっているはずなのに、未だに「頑張れ」と言ってしまう人が多い。僕の所属の前会長もそうであった。
また、天理時報の平成二十八年三月六日号の六頁には、とても重要なことが書かれている。
「……少年院で出会ったある子供は『ずっと殴られていると、痛くなくなるんです』と話した……(中略)……こうした子供たちを更正へ向かわせるためには、まずは否定しないで受け入れてやることが第一だ。リストカットをする子がいた。こういう子にかけるべき言葉は『そんなことをしてはいけない』という否定でも、『どうしてこんなことをしたの』という叱責でもなく、『そんなにしんどかったのか』と、つらさに共感してやる言葉だ。そのたったひと言で、この子は声を上げて泣き出した。つらい気持ちを認めてもらったことで、心の扉が開いたのだ……」とある。言葉の力の重さを感じる。大切なことだと思う。
たった一言で、人は信頼されるようになったり、逆に信用を失う。僕はそれで失敗したことが山ほどある。そこで偽善者扱いされたこともあった。だが、失敗した経験があるからこそ、今は一言の言葉に気を遣えるようになってきた。失敗を恐れてはいけない。失敗こそ成功への鍵である。心が弱い人は、とかく失敗することを恐れるが、それでは人と交流することが出来なくなってしまう。そんな若者が増えているのも事実である。
「みんなに愛されようとするから、君は疲れるんだよ」 作家・辻仁成が説く“孤独”のススメ
3/24(土) 10:00配信
集団に馴染めない人、「つながり」が苦手な人、生きづらさを感じる人へ。
仲間も大事。家族も大事。だけど、やっぱり自分が一番大事」
作家の辻仁成さんは、そんな言葉を口にする。
小説『ピアニシモ』で作家デビュー。『海峡の光』で芥川賞に輝き、江國香織さんと綴った『冷静と情熱のあいだ』は俳優・竹野内豊さん主演で映画にもなった。
58歳になった彼はいま、日本から遠く離れたフランス・パリで息子と二人で暮らす。そして毎日、「息子よ」と呼びかける言葉を、Twitter上で紡いでいる。そこには、こんな言葉が並ぶ。
「歩く速度を落としてみないか」
「八方美人は、八方塞がり美人」
「頑張れとか、ふざけんな」
「図々しくて構わない」
時に諭すように、時に奮い立たせるように…。これらの言葉は、自分の「息子」だけでなく、生きづらさを抱えた全ての人に向けたものだという。
集団に馴染めない人、過度な「つながり」が苦手な人、生きづらさを感じる人…。そんな人達に向けて、辻さんは「孤独と孤立は違う。自分を大切にしてくれる人と仲良くしなさい」と説く。
(聞き手:吉川慧/ハフポスト日本版)
■打ちのめされた人に「立ち直る力」を伝えたい
――辻さんは最近の世の中について、「心が折られちゃってる人が多い」と綴っています。今の時代特有の空気みたいなものを感じますか。
今の時代は、会ったことのない人と関わる機会が多いんじゃないんかな。先日、Twitterで「人間なんてごまんといる。嫌な奴らから離れて何が悪い。他人に悪口言われ馬鹿にされ続ける意味なんかあるか?世界は広い、小さなことは気にすんな。次の言葉を心に常備しておけ。誰の人生だよ!」ってつぶやいたんです。全部に関わるから辛くなるのかなあと。毎日、そんなことばっかり考えています。
――辻さんは自分のお名前をネットで検索(エゴサーチ)しますか。
しないですね。悪口しか出てこないから見ないようにしてます(笑)。
悪意に満ちた批評書かれたり、芸能ネタでコケ下ろされたり…。僕の人生、それがほとんどですから。いちいち心が折れていたら、生きていられない(笑)。戦う価値もないし、無駄な時間使う必要もなし。人間なんかごまんといるんです。まさに、誰の人生だよ、ですよ。
しかしね、僕の心得の中に「敵を味方にしてこその勝利」という言葉があります。
SNSで僕の悪口を書いた人に対して、敵意をむき出しにしても何も始まらない。砂に水を撒くようなものです。むしろ、そういう人たちに「辻って、あんま良いイメージなかったけど、なんかちょっと変わってきたよね」って言われるほうが、実は、人生には意味があると思う。
それが「立ち直る力」を得るための一歩だと思っています。
■人間は「個人」対「社会」の中で生きている
――そうした言葉を日々「息子よ」と題して、Twitterでつぶやいています。
Twitterでの言葉は、本当は息子にだけ向けられたものではないんです。
毎日1つ、2つですが「今日の自分は、こういう心構えで生きるといいよね」って、自分に向けて書いている。「息子よ」とは、世界中にいる年下の息子とか娘とか、弟や妹、生きにくい時代を生きている全ての若い人たちに向けての言葉でもあるんです。
――社会と自分の関係性の苦しさを書いているのも、多くの人に支持される理由かなと思いました。例えば「みんなに好かれてる人はみんなに優しいから、みんなのことを考えなきゃならない」とか。
すごくいい質問だと思う。やっぱり人間は「個人」対「社会」の中で生きているんですよ。
ストレスは社会が抱えてるもので、それは人間にぶつけられる。自分が抱えてるストレスを発散したい人は、一番近くにいる弱い者にぶつけがちです。会社なら、上司は部下にあたり、部下はストレスを抱える。
「個人」対「社会」の関係を克服できれば、生きやすくなるんだろうなって思います。
僕にとって「社会」って、僕と息子の家族2人しかいない。そんな狭い世界でも、例えば息子が反抗期に入ると、ちょっと生きにくくなるわけですよね。
会社に勤めていたり、もっと大きな家族の中にいる人たちは、もっとつらいだろうなって、思いをめぐらせます。
――「集団」を意識しすぎると、「個人」は生きにくいのでしょうか。
みんなに好かれようとするのは大変です。「八方美人は、実は八方塞がり美人だよ」って思う。みんなに八方美人であるということは、それだけ自分を犠牲にして全員に気を遣っている。自分をウソで固めている。
「みんなに愛されようとするから、君は疲れるんだよ」って思う。そんなことをして何になる。自分が苦しいだけじゃんってね。
みんなに愛されることは無理。みんなに愛されるには「平均」を取っていかなきゃいけない。それって、どんだけ気を遣わなきゃいけない社会で生きているのかな、と心配になる。
周囲から嫌われても、本当のことを言ってくれる人のほうが信頼できますよね。そういう見方を僕はしています。
■「くだらない人脈」と「本当の人脈」がある
――ただ、学校でも会社でも、みんなに好かれる人こそ正義とする空気を感じます。「みんな明るく元気良く」という言葉が教育目標だったり、友達の多さが価値とされたり…。
日本に帰ってくると、30~40代の若い起業家の方々に会うんですが、これから会社つくろうとする人たちは、みんなこぞって「大事なのは、人脈ですよ!」って必ず言う。
でも、僕は名刺を持ったことない人間だから「人脈づくり」なんてしたことないんです。でも、誰よりも人脈、人脈という言葉は嫌いだから、仲間がいると思っている。(笑)
人脈って「くだらない人脈」と「本当の人脈」があると思うんです。
「くだらない人脈」っていうのは、数の人脈。「名刺をこんだけ持ってます」「この社長さんも知っています」みたいな。でも、それって、ただ名刺交換しただけですよね。それは人脈とは言わない。
僕は名刺を渡されると「名刺はないんです」って正直に言うんですよ。すると、みんな笑って和みます。その中でなにか気になる人がいたら、僕はその方にメールを返すようにしてるんですよ。そこから縁(えん)ができるわけですよ。
――能動的な縁ですね。
そう。あえて自分が皆さんよりも引いて「名刺さえもない人間です」と。お会いしたら、お礼に本を送るか、メールを送る。そうするとメールには返信が来る。そうやって生まれたご縁って、繋がっていきますね。
世界各地に、そういう縁の方がいっぱいいる。不思議とその出会いが別の出会いと繋がっていく。そこからまた何かいろんなアイデアが生まれたり、面白い出会いが生まれたりするんですよ。
――不特定多数と付き合おうとしちゃいけないってことですね。
「ご縁」っていうのは、つくろうと思うよりも、やっぱり襲いかかってくるものなんですよね。
「縁」というのは、自分が過去の人生がつなげてくれるもの。良い縁もあれば、悪い縁もある。たまに脈略なく名刺を渡されるときもありますけど、そういうときは「どういうご縁なんだろう?」って考えるんです。
ちょっとした雑談の中で「この人とは縁をつくったほうがいいな」と思うと、頂いた名刺が役に立つ。何かあるときにはこちらから連絡するようにしています。名刺のない僕はインパクトを手渡すようにしています。
名刺というのも「縁をつくる」ことが目的。ただ名刺を配ればいい、人脈をつくればいいってことじゃない。
■「自分を大切にしてくれる人と仲良くしなさい」
――「敵を味方にすることが大事」という話がありました。一方で、自分を偽らないといけない人間とはどう付き合えば良いでしょうか。
そうですね。今すぐ離れる。無視していい。敵を味方にしていいけど、本当の敵に頭を下げる必要はない。そういう縁は悪縁ですから。悪縁は切りなさい。
やっぱり全部に関わってることはできないよ。人間はごまんといるんだから。その全てに関われないから、大事なものだけに特化していったほうがいいんじゃないかと思う。
――自分を大事にしたほうがいいって話ですね。
僕が言いたいのは「自分を大切にしてくれる人と仲良くしなさい」ということ。「あなたの人格を否定しない人たちと仲良くしなさい」と。
否定してくる人間にぺこぺこする必要あるのかっていう。そんな人間にありがとうって言う必要はありますかっていうことを感じます。
――まさに「辻説法」ですね(笑)。
人生そんなことに費やす時間なんかないでしょう? こういう考え方を否定する人もいるかもしれないけど、そこまで人間は賢者になれないと僕は思う。
自分の人生で精いっぱいでしょう? 学校でも会社でも「君のことを認めない人間のために生きる必要ないよね」って言いたい。
それよりも「あなたのために頑張るわ」と言ってくれる人を信じたほうがいいし、そういう人といるほうが幸せじゃないかな。
■「自分のことは、自分しか褒めてくれない」
――「嫌なものは嫌」と、割り切れるようになれると良いですね。
たしかに「嫌なものは嫌」ってきっぱり思えるタイプの人はいい。だけど、思えないタイプの人がやっぱり大変だと思う。僕もそういうことで苦しんだ時期があったから。
――「嫌いなことは嫌い」と言えず、他人に振り回され、自分を肯定できない人もいる。どんなことを心がければ良いですか。
それは、自分を出せていないだけだと思います。「自分を出す」ということが、すごく大事。それが一歩前に進むことにつながると思うんです。「ポジティブ」と言ってもいいかもしれない。
人間は、なかなかポジティブになれない。では、ポジティブになるためにどうするか。
まずは自分に対して、自分へのご褒美として「お前、今日頑張ったじゃん。よく生きたじゃん」って言い聞かせてあげることじゃないかな。
自分のことは、自分しか褒めてくれないんですよ。人に褒められようと思ってもダメ。まずは自分で自分を「よく生きたね」って言ってあげる。
自分の中で、自分を再生させていく力が大事。仲間も大事です。家族も大事です。だけど、自分が一番大事。自分で自分を励ます力を持てば、なんとかやっていける。
自分を出せない人達の中には、いい人たちがいっぱいいて、才能もある人もいる。でも、孤立している人がいる。物書きとしては、そういう人達にどれだけ光を当てられるかが大事だと思っています。
■「孤独」と「孤立」は違う
――辻さんが考える「孤独」の「孤立」の違いは。
「孤独である」というのは、自分を大事に思って、ひとりの世界をきちんと持っている人ですね。だから「私は孤独です」っていうのは、すごくいいことだと思う。
「自己嫌悪」も、実は悪い言葉じゃなくて…。自分を批判するということは、自分をきちんと見ているっていうことなんですよ。
――「孤独」な人ほど、自分を客観視できてると。
「俺は駄目な人間だ」って思えることは、何も悪いことじゃない。自分の悪さを知っているのだから。
自己嫌悪に陥る人もいると思うけど、それは理想が高いのだと思う。それだけ志があるということじゃないかな。「孤独」も似ていて、自分の世界をきちんと持ってるからこそのひとり。
――では、「孤立」は?
「孤立」は、しっかりとした自分の世界を持っていない。社会の中で適応できず、他者の悪口を言ったり、周りから疎外されてしまう。それが「孤立」だと思う。
「孤独」は、自ら選んで「ひとり」であって、人とつるまずに自分の中の精神を極めていくということ。素晴らしいこと。
でも、「孤立」っていうのは違うんですよ。みんなに嫌われて孤立してるんですから。つらいんです。孤独はいいけど孤立は駄目だっていうのは、そういうことなんですよ。
魂や心は死ぬまで成長を続けている。だけど「自分は60で終わり」って思えば、そこまでの人生になってしまう。たとえ80歳でも90歳でも、明日があるって思える人って長生きして成長できると思います。身長は十代で成長を止めるけれど心は死ぬまで成長を続けます。
<プロフィール>
辻仁成(つじ・ひとなり)
東京都生まれ。フランス在住。1989年『ピアニシモ』ですばる文学賞を受賞し、作家デビュー。1997年『海峡の光』で芥川賞、1999年『白仏』で仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。多数の著書があり、世界各国で翻訳されている。現在は、ミュージシャン、映画監督、演出家として多岐にわたり活躍中。Twitterでは、自身の息子に向けて紡いだ言葉が大きな反響を呼んでいる。
吉川慧/ハフポスト日本版
「低用量ピル服用と検温は欠かさず実践」~澤穂希さん
12/28(木) 5:00配信
ワーキングウーマンのためのイベント「WOMAN EXPO TOKYO 2017 Winter」が12月2日(土)、12月3日(日)に東京ミッドタウンで行われました。そのオープニングを飾ったのが、「なでしこジャパン」のキャプテンとしてW杯優勝を成し遂げた澤穂希さんのトークショー。「夢と目標を実現できた要因に迫る~澤穂希さんが実践してきた健康のための自己管理」と題して、一流アスリートとして、一人の女性として、夢を実現してきた澤さんならではのメンタル&フィジカル管理術を余すところなく教えていただきました。
【関連画像】「自分が苦しいときは、みんなも一緒なんです」(澤さん)
澤さんといえば、なでしこジャパンのキャプテンとして、2011年のW杯でチームを初優勝に導いた立役者。同年度にはサッカー選手にとって最も栄誉ある「FIFA女子年間最優秀選手」にも選ばれました。2012年にはロンドンオリンピックの銀メダル獲得に貢献し、2015年にはW杯6大会連続出場というギネス世界記録を打ち立てました。
プライベートでは2015年8月に結婚し、同年の12月に引退。現在は育児と仕事を両立しています。
まさに「サッカー界のレジェンド」として数々の栄誉と、一人の女性としての幸せも手に入れた澤さんには、夢をかなえるために人生の節目節目で大切にしてきた「言葉」があるそうです。トークショーでは当時の心境とともに、胸に刻んできた言葉を紹介してくれました。
●「苦しいときも一人ではない」
サッカーは前半・後半合わせて90分、さらに延長戦、PK戦、と長時間を戦い抜くスポーツです。相手が優勢だったり、思うようなプレーができなかったり……試合中には苦しい時間帯を乗り越えるタフさが求められます。そんなときに大事にしていたのが、「苦しいときも一人ではない」という言葉。
「サッカーはチームプレーですから、自分が苦しい時間帯はみんな苦しいんです。苦しいのは自分だけじゃないんだ、みんな一緒なんだと思うと、『もっと頑張ろう』という気持ちが湧いてくるんです」(澤さん)
周囲とともに苦しさを乗り越えるため、澤さんが心掛けていたのは「黙って背中で見せる」スタイル。
「あれこれ口出しするよりも自分が得点を決め、体を張って行動で示すようにしていました。そのほうがみんなから信頼してもらえます」(澤さん)
2011年W杯決勝の延長戦、アメリカに逆転されても自らのシュートで同点に追いついた澤さんの姿がよみがえります。
さらに、チームメートの頑張りも「褒める」。たとえライバルチームであっても、良いプレーをしたときは褒めていました。「褒められるとうれしいし、自信になります。相手の良さを素直に認めることも大事ですね」(澤さん)
●「プレッシャーは克服しない」
「プレッシャーは克服しない」という言葉は意外な印象も受けますが、「誰にでも得意・不得意があって当然」だからというお話です。
「人それぞれ得意なことは違いますし、澤穂希みたいな選手が11人いても試合には勝てません。例えば、私はあえて足が速い選手には挑まず、『絶対に人には負けない決定力』に磨きをかけていました」と説明する澤さん。例えば、2011年W杯決勝のPK戦では、5人のキッカーリストから外してもらいました。澤さんはPKが苦手なので、得意な選手が蹴るほうがチームのためになると判断したからです。
自分をよく知り、長所を磨いていけば「大舞台のプレッシャーも跳ねのけられる」と言います。「『ここまで練習してきたんだから、絶対に大丈夫!』と自分に言い聞かせることができます。仕事の会議でも、プレゼンでもそれまでちゃんと準備をしてきたのなら、きっと大丈夫です」(澤さん)
そういう澤さんも以前は緊張して、試合前の整列のときには手のひらに「人」を3回書き、飲み込んでいたこともあったとか。「でも、年々緊張感も楽しめるようになりました。大舞台や大事な場面に立てる特別感を楽しみたいと思っています」(澤さん)
●「生活習慣を整える」
次はメンタル面とともにフィジカル面を整える言葉、「生活習慣を整える」です。
澤さんはバランスの取れた食生活に加え、20歳の頃から毎朝検温して基礎体温表を付けることを欠かしませんでした。さらに30歳の頃からは低用量ピルを服用し、体調管理をしていたそうです。
「排卵日には靱帯がゆるみやすく、けがをしやすいので、基礎体温を見て気を付けていました」と澤さん。なでしこジャパンのチームドクターのアドバイスをきっかけに低用量ピルを飲み始めたそうですが、「試合日と重ならないように生理周期をコントロールしたり、生理による鉄分不足(貧血の原因)を防いだり、というメリットもありました。試合のパフォーマンス向上にもつながったと思います」と振り返りました。
とはいえ、まだ日本では低用量ピルの服用は一般的ではありません。ましてや澤さんは一流アスリート。ドーピング検査なども含め、不安はなかったのでしょうか。
「私がアメリカでプレーしていたときは、チームメートのほとんどが低用量ピルを服用していたので、抵抗はありませんでした。サッカーの技術不足や試合前の緊張は本人の努力次第ですが、月経周期や生理痛は努力や根性では克服できないんです。『良い対処方法があるなら使おう』という気持ちでした。ドーピング検査にも問題のないものを処方してもらっていました」(澤さん)
澤さんが低用量ピルの服用を公表したことで、なでしこジャパンでも低用量ピルを飲む人が増えました。それまでは生理痛や試合日の生理に耐えながらプレーしている選手も多かったそうです。
ただ、「ピル服用」というのは、とてもプライベートなこと。それに対して澤さんは、「アスリートとして必要なことをしていただけで、隠す必要はありません。自分が良いと思ったものは、みんなで共有したいですね」と今回のトークショーでも話してくれました。
また、澤さんは出産についても触れ、「ずっと現役ではいられませんので、いつか結婚して子どもを産みたいと思っていました。低用量ピルを飲むという『そのときの自分にできること』をしていたおかげで、安心して現役生活を全うできました」と明かしました。
「低用量ピルで排卵を抑えるのは卵巣を休ませるメリットがあるそうで、無事に出産できました。ただ、ピルは人によっては不正出血などの副作用もありますし、自分の体調を見ながら決めることだと思います。日頃から何でも相談できるホームドクターを持っておくと良いですね」(澤さん)
●「迷ったときはやってみる」
最後に紹介してくれたのが、「迷ったときはやってみる」という言葉です。
「迷うのは、『やってみたい』からだと思うんです。人は『やるぞ』と覚悟を決めたら強いですし、同じ後悔をするなら、やってみるほうが良いと思います」
澤さんも大学を1年生で中退し、アメリカでプレーすることを決めたときはずいぶん迷ったそうです。いざ渡米しても最初は英語に慣れず、現地選手の身体能力の高さに驚くこともありました。
「いろんな苦労にぶつかりましたが、そのおかげで今の自分があります。皆さんも何かを始めるときには迷いや不安があると思いますが、ぜひ新しい一歩を踏み出してください」(澤さん)
澤さん自身は今後、東京オリンピックで日本選手団、特に女子サッカーチームが金メダルを獲るために、何かできることがあれば、力になりたいと笑顔で語ってくれました。
サッカーも仕事もチームプレー。澤さんの言葉は、働く女性たちの背中を力強く、そしてあたたかく、押してくれました。
文/三浦香代子 写真/辺見真也
僕は三十年以上、身上・家庭の事情を抱え、未だにそれは続いている。恥ずかしながら、女性の肌が恋しくて、苦しくなり、布団の上でのたうち回ったことも何度かあった。「誰かハグしてくれ!」という心境である。だが我慢するしかなかった。ものすごいストレスの半生である。NHKの『ガッテン』という番組で、ハグすると幸福ホルモンが脳内に出て、幸せな心地よさを感じるという話題を取り上げていた。健康にも良いという。僕はその点、そのホルモンが出ていない状態であろう。欲求不満状態なのだろう。自覚がある。
孤児院などの子供たちは、表情が何となく寂しさと、特有の顔立ちをしていることがある。これを知っておられる方も多いと思う。この世に生を受けたら、三歳までは母親と十分なスキンシップを持たないと、成人してから心に問題を持つことは教育研究の中でよく言われている。「三つ子の魂百まで」ということわざもある。三歳までの育て方で、その人の一生がほぼ決まってしまうという意味であろう。
話が脱線したが、僕は常に先述のことで、ストレスを抱え込んでいる。これは親神様が、「こいつは見込みがある。もっと仕込んで良いようぼくにしてやろう」と思われていると、勝手な思い込みかもしれないが、そう考えている。
教祖の人生はどうだったか? 子供たちに先立たれ、人からバカにされ、良いことをしても悪口を言われ、警察につかまり、極寒の中、牢屋に入れられ、布団がなくても愚痴一つ言わず、逆に警官に「ご苦労様」とおっしゃり、何の見返りも求めず、「人さん助けなされや」とおっしゃり、人助けの道を一貫して通られた。他人から見れば、孤独でとても幸福な人生とは言えないはずである。それが、
『ひながた』
なのである。なので、苦しみの中、人を生かすこと、救うことに専念する人生は、即『ひながた』と呼んで良い、と僕は思っている。そして、そのひながたを慕って、たくさんの先人先生たちが同じ道を求めて通られた。僕は東本大教会初代、中川よし先生をとても尊敬しているが、伝記を読むと、結婚されてもほとんど孤独で、教祖をひたすら慕った人生であった。それがあれだけのたくさんのようぼくを持つ大きな教会に発展したのである。泉田藤吉先生、加見兵四郎先生などもそうであった。お道はこうでなければナンセンスであると言えよう。ひながたを求めない、楽をしたいと考えるようぼくは、僕としては、天理教と教祖の名を汚すので、極論であるが、即刻止めて欲しいとまで考えている。ぬるま湯につかっているようではいけないと思う。これは間違いだとは思っていない。百人でもいい、自分の都合を捨て、教祖の教えを守り、人を助ける道を通るようぼくがいれば、世界中から、
「天理教は素晴らしい教えですね」
と言われるようになるはずである。親神様はお心が広いので、適当な信者でもお許しになっているのであると思う。山本利雄先生は、お道が世界宗教にならないといけない、と力説されていた。僕はその言葉を聞いて、「本当にその通りだ」と思ったものであった。
世界助けの為に、ご加護を頂くために僕は分教会の会長にお供えする事にした。
5万お供えしたら、教会長の子供が最新のゲーム機で遊びだした。
10万お供えしたら、教会長家族が国内旅行に行った。
20万お供えしたら、教会長が最新のMacbook Pro とiPadを使い始めた。
200万お供えしたら、教会長の自家用車が新車に変わった。
500万お供えしたら、教会長の息子が海外留学した。
1000万お供えしたら、教会長がデイトレードや株をやり始めた。
すべては世界助けのため すべてはご加護のため。
本社から関さんという男の先輩がたびたび出張に来た。読書会の会員を増やすのが目的だった。大阪出身の人なので、支社の車を僕らが運転して各教会を巡回した。運転は土地勘のある僕と丸山君でやり、関さんは助手席、後ろに支部の社友が乗る。
意外にも社友先生は教会の場所を知らないのである。関さんは地図を見ながら「こっちですよ」と言うのだが、僕らの方が勘は良いので、「違います、こっちです」と言うと、早く教会が見つかる。
関さんの爆笑エピソード。西日暮里駅(にしにっぽりえき)を「にしひぐれざとえき」と言っていた。しかし関東人の僕らは、大阪の喜連瓜破(きれうりわれ)を読める人は少ないはずである。
支社へ戻ると、関さんの口癖は、
「あー、ほんまにイヤになってくるなー」
そんなに嫌なら、辞めればいいのにと思った。ところが、横山さんに読書会のことで意見されると、
「アンタにそんなこと言われる筋合いはないわ!」と怒り出したという。一体どちらなのか? 矛盾している。
その頃、よくエホバの証人の布教師がパンフレットを届けに来た。今までなら受け取って終わりだったのだが、関さんがいた時に来た。関さんはソファーから立ち上がり、こう言った。
「パン屋にパンを売りに来ても仕方のないことで」
ここまでは穏やかに言ったが、今度はものすごい剣幕で、
「もっと他のところへ行ったらどうですか!」と言い放った。相手も負けずに、
「本当の神の名前をご存じですか?」
一緒にいた女性の北浦さんが「てんりおうのみこうとうと言います」神名が間違っていると思ったが、僕は様子を見ていた。「みこうとう」ではない。「みこと」である。
「エホバと名付けられたのです」そう言い残して、二度と来ることはなかった。
関さんがその後こう言った。
「パン屋にパンを売りに来るということは、おたくのパンは腐ってる、という意味や。失礼やないか!」もっともである。今後僕もそう言おうと思った。
関さんは、自分が短気で高慢、またひどいことをしているのに、僕を高慢だと言う。
社友先生から「関さんとすぐ連絡が取りたい」と電話があったので、出先の教会へ電話して知らせた。
後日、本社へ行き、元渕主任と話している時、
「伊藤君な、ああいう時に電話せんといてくれるか! 迷惑やねん!」と、きつく言われたことがあった。社友から「すぐ連絡を取りたい」と言われたので知らせたのだが、なぜ怒られることなのか、納得がいかなかったが、僕は力なく「はい……」と答えた。
ある時関さんが突然支社に来た。僕らは聞いていなかったので、
「どうしたんですか?」と尋ねると、
「蒲田支部の読書会の巡回やで。聞いてないんか?」と言う。来たからには支社の車で僕らが運転しなければならない。本社に電話して確認した。すると、
「浦田支部って書いてあるわよ」と江川さんが言う。スケジュールの字を関さんが草かんむりを略して書いたのだった。それを、
「誰でも略して書くこともあるっちゅうねん!」と、自分が悪いのに人のセイにした。江川さんのことを陰で「ホンマにあのオバハンは!」とけなしていた。あきれるばかりであった。
体調不良で休みも多くなっていった。するとある日関さんが、
「伊藤、ちょっと来い」と言う。支社の二階の部屋へ連れて行かれた。そこで、
「お前休みが多すぎるわ。仕事っちゅうもんは、熱が四十度くらいあっても、体温計を脇にはさんで、それでも出てくるもんや。ホンマはわしもこんなこと言いたくないねん。せやけどそれぐらいせなあかんで」と言われたが、
「はい、ですが病気が辛くて……」と、状態を説明した。しかし、
「何があってもちゃんと出勤するんやで。わかったな」と言って終わった。そう言われても無理なものは無理である。欠勤はその後も続いた。
電車に乗るのが怖くなった。だがしばらくは乗り越えようと我慢した。
電車内で吐き気がするので、ポケットにビニール袋をいつも入れていた。それをガサガサさせると、隣にいた若い女性に嫌な顔をされたこともあった。
川口さんの治療がいったん終わり、しばらくしてからまた体調が悪化した。考えて、漢方専門の病院へ行ってみた。総武線の市ヶ谷駅のそばにそれがあった。
お医者さんは、腹部大動脈の動悸の亢進から、「抑肝散加陳皮半夏」(よくかんさんかちんぴはんげ)という、ツムラのエキス剤を出した。
その病院に通っている途中、電車内でとても具合が悪くなり、下車して駅のベンチで落ち着くまで休んだこともあった。とても辛かった。この状態で自宅に帰れるか、心配がつのった。かなり長時間座っていた記憶がある。結局諦めて帰ることにした。今思えばタクシーを使えば良かった。いくらかかるかわからなかったので、払えなかったらいけないと思ったのだろう。
その後、再び川口さんの治療をお願いした。上記のことを話したら、病院で処方された薬について首を横に振っていた。「全く違う」という意味である。川口さんに、「良い漢方の病院はないのでしょうか?」と尋ねると、どこにもないと言われた。それだけ漢方治療は生薬の加減が難しいのである。ほんの0.1グラム違うだけで、治るか悪化するか、とてもリスクが高い。正しければ完治するが、間違っていたら、死に至ることも大いにあり得るのである。
朝、東本大教会へ参拝してから支社へ出勤したら、御守護があるかと思い、やったこともあったが、それでも身上は良くはならなかった。参拝するには早く家を出なければならない。お茶の水駅から総武線に乗り換えるのだが、その総武線はよく途中で停止する。満員電車の中で逃げ場を失うのだから、大変な苦痛であった。全く身上は良くならない。日参は止めた。そしてやむを得ず車で通勤することにした。
片道四十五キロの道のりを毎日通った。到着するまで一時間半はかかる。冬場など、まだ暗いうちに出掛けなければならなかった。支社の人たちは心配してくれるどころか「車庫が少ないのだから車なんかで来るな」と言わんばかりであった。仮病でも使っているのじゃないかと思っていたようだ。
仕方が無いので、社の公用車を使うことにした。もちろんガソリン代は自腹で払った。すると、「公私混同だ」と言われてしまった。途方に暮れた。やむを得ず、また自家用車で通うことにした。ところがこれも「お客様の駐車場が埋まるから止めて欲しい」というクレームがついた。でも言い訳出来ない。この方法しかなかったのだから。「一体どうすればいいんだ……」と悩んだ。
その頃、眉間の中心、よくインド人女性がつける化粧というか、マーキングなのだろうが、その部分に嫌な緊張感があった。他にもふくらはぎに熱を感じ、また、のどの奥に何か詰まっているような感覚があった。これは漢方では「梅核気(ばいかくき)」と呼ぶものであると、のちに知った。梅核気とは、梅の種がのどの奥に引っかかっているような感じからくる呼び名である。体の中でおこっている色々な症状が現れていたのである。
その後、家族や母も僕の病気について全く理解してくれない。
「食欲がないから無理に勧めないで」と何度も言っても、
「美味しいおかずが出来たわよ、食べなさい」と母が言う。
「いらないって言ってるじゃないか!」
こんな会話が毎日続いた。苦痛の何物でも無い。
母が食事を勧めるのは今でも変わっていない。これは母の幼少時、食べ物に困っていたからではないか、ひもじい思いを人や子供にさせたくないと思っているのでは、と考えた。母に尋ねると、「確かにそれはあるわね」と言っていた。母にとっては、食事でもてなすことが一番良いと考えているようである。うっとうしいだけなのに、気がついてくれないのである。
車で帰る道中、酒屋へ寄り珍しいビールをよく買った。一人で飲もうとすると、母が、
「純子も好きだから半分わけてあげてちょうだい」と、コップに注いでいってしまう。
「ちょっと! それならお姉ちゃんの分は別で買えばいいじゃない。高かったんだよ、それ」と言っても問答無用。毎回全部僕は飲めなかった。
本社で忘年会があるので支社員も呼ばれた。僕は体調が悪かったので断って、支社にいた。
みんなが帰ってきてから横山さんに、
「伊藤さんも行くべきだったんですよ」と色々言われた。体調が悪かったので仕方がなかった。
支社の人はよくスキーにも行っていた。僕も誘われたが断った。その後、横山さんに、
「スキーにも行けない、徳のない人もいるんです」と言うと、
「そんな人はいません」と言う。
何度も言い合ったが聞き入れてくれない。先代からの徳を受けている人たちには、理解出来ないことなのだ。ならば病気で休んでいる人や、入院していて闘病中の人もスキーに行けるのか、と言いたくなる。人の気持ちや状況を理解しようとしないお道の人々には本当に辟易した。後でも書くが、後に僕が回復したという話を聞いた横山さんは、母にこう言ったそうである。
「伊藤さん、どこが悪かったんですか?」
その話を聞いて、あきれかえってしまった。僕が病気で苦しんでいたのに気がつかなかったのだ。それで教会で生まれた人と呼べるだろうか。
横山さんは若い頃から少年会の御用をずっとしていた。美人なのでかなりちやほやされたようだった。
こどもおぢばがえりのひのきしんに行って、帰ってきてからその話題を話し出した。その時、子供が耳が痛いと言い出したという話をしたのだが、「耳くそでも詰まってるんじゃないの」と言い合ったと言う。普通「耳あか」と言うのに、「耳くそなんて、汚い言葉を使うなぁ」と笑いをこらえた。
隣にいた横山さんが知り合いの子供と電話で話しているのを聞いていたら、どうやらその子供は、
「明日お母さんが死んじゃったらどうしよう」とか、
「仲良しの友だちがいなくなっちゃったらどうしよう」などと言って泣いているようである。それに対して横山さんは、
「あなた、頭おかしいんじゃないの~?」と言っていた。精神病の姉を持つ僕には、聞き捨てならない言葉であった。心にグサッときた。
「ずいぶんひどいことを言うんですね?」と電話の後言ったが、ちっとも罪悪感がないようで、ますます不愉快になった。子供の感受性をなんだと思っているのだろうか。
先述したように、自分の頭がおかしいと言っているのと同様だと僕は思っている。現に横山さんは変なところにこだわるクセがあった。
支社内を模様替えすることになった。その際、食器棚の中身が飛び出て割れてしまう。なので出さなければならない。たくさんのカップやグラスが入っている。これを全部出すと、置き場所がない。なので僕が、
「タオルがたくさんあるから、それにくるめばいいんじゃないですか」と言うと、
「絶対にイヤです」と頑として譲らない。理由は、
「私はタオルを作っているところを見たんです。不衛生なんですよ。絶対にイヤです」
「後で洗えばいいじゃないですか」
「それでもイヤです」
ウンザリする。それなら、カップを洗った後、拭くタオルは汚くないのか、となる。女性特有のワガママにすぎない。一緒にいると不愉快になるだけだった。
ただ、横山さんは年上なので、色々教わったこともある。
「手暗がり」という言葉も、横山さんから初めて聞いた。ギターを部屋で練習する時、それを思い出す。確かに明かりが前から差してこないと見えないので練習にならない。
ある時、善本社などの他社から出ている本について、僕は本を傷めず、店頭に出ている物から販売することを提案した。すると佐藤さんが、
「それ、見本だからね」と言う。僕は、
「だったら、古くなったら捨てるのか? もったいないじゃない」と言うと、そこに間に立ってくれたのが横山さんだった。
「はいはい、伊藤さんの言う通りにしましょう」
こういうところで大人の余裕を感じていた。
ある時、大雪で東京中の交通がマヒ状態となった。僕は電車に乗れないので車で出社しようとした。当然大遅刻である。その時、横山さんに、
「車で来るんですから当たり前です!」とピシャリと言われた。僕の体調の悪さなど、知ろうともしなかったのだった。悲しかった。
新刊が出ると、大量の本が早朝に搬入される。大型トラックが夜中天理時報社を出発し、大体朝六~七時くらいに到着する。体調が悪かった僕は数日前から休んでいた。そこへ丸山君から電話があった。
「明日搬入だけど、どうすんの?」
ハッキリ言うが、搬入する本を中へ入れるのは、二人もいれば十分である。それでも僕に来いというのである。仕方なく苦しいのをこらえて車を走らせ、本を搬入した。そして、
「もう帰っていいかな?」と丸山君に言うと、
「あ、そう」これだけ言われ、僕は早々に帰宅した。何の意味があったのか、今でも疑問である。
車の中で木村次長を乗せて走っている時、どこからか音楽が聞こえた。
「次長、カバンの中から音がしますよ」と言うと、アタッシュケースの中でウォークマンが鳴っていた。電源を切っていなかったのだ。
「君、よく聞こえるな」と驚いていた。その後僕は、
「僕の話を聞いて下さい」と言うと、
「短めに頼むな」
そこで過去の事を話した。「今まで色んな事から逃げてきたんです」となるべく手短に話すと、次長は、
「それはいい逃げ方だと思うわ」と言われた。
しかし、僕は良いとはとても思えない。悪いんねんからは決して逃げられないのだから。
丸山君が会話の中で、「ピカソの初期のデッサンなんか、ものすごくしっかり画けてますよ」と言う。彼は絵など画かない。いたずら書きしか画けない。僕は「おい、本当にわかるのか? 落書きしか画けないくせに」と言いたかったが、場がしらけてはいけないと言葉を飲み込んだ。
ピカソの絵を間近で見たら、グロテスクなものばかりで、気分が悪くなるはずである。それを「貴重な文化だ」と言う人たちの気持ちが僕には分からない。毒を吐くような絵を見て、感動するのだろうか。本当に心を開いて見たら、おそらく何日も寝込んでしまうことだろう。一部の印象派の画家の作品や、風景画、日本の屏風絵、小鳥たちを画いた絵などは美しいと思うのだが、ゴッホやムンクなどは美しいとは思わない。それを有り難がって見る人々は、どういう神経を持っているのだろうか。ハッキリ言わせてもらうと、その絵は「狂気」を表している。つまり精神病者の画いた絵である。
音楽の世界でも同じことが起こっている。インパクトだけを狙い、人々を驚かそうなどと考えて作曲したとしか思えない作品はたくさんある。『幻想交響曲』を作曲したベルリオーズは、当時精神を病んでいた。それが今では名作とされている。
吹奏楽コンクールでもインパクトのない自由曲はまず金賞は取れない。審査員が目を見張るような曲を選ばなければならないようになってしまった。
東京天理ギャラリーで、おぢばで行う『天理ビエンナーレ』という美術展の予選会を行ったことがあった。ホールのようなものがあり、そこで美術評論家がスライドを見てゆくのだ。どの作品も毒々しいものばかりであった。だが、そういったものが予選を通過する。インパクトがあるからだ。
数年後、東京でも美術展が開催された。東京なので当然僕らも係員として勤めた。
休憩時間に作品を見て回ったのだが、一緒に本社の文化課の先輩が案内をしてくれた。僕は質問した。
「どうして陽気ぐらしをアピールする作品がないんですか?」すると、
「そういう意見が前にあったんだよ。そうしたらつまらない作品ばかりになっちゃったんだ」と言う。
中にはコミカルな作品もあった。だが見て面白くはない。さらに特選などに選ばれた絵画を見ると、地獄絵図のようなもので不気味な印象だけが残った。そんなバカげた美術展に大金を使うのである。即刻止めるべきだと思っていたが、今でも「天理美術展」などを開催しているようだが、それでお道のにおいがけにつながるのだろうか。ナンセンスな気がする。
人とは邪悪なものを尊ぶ悪い癖がある。「真贋美醜」を判断する心がマヒしてしまっている。ピカソのデッサンがオークションにかけられ、数十億円という値段で落札される。これは見て楽しみたいのではなく、投資が目的である。価値が上がったところで売り、儲けるためである。美しさはどうでも良いのである。
中高校生になるとタバコに手を出す。僕の友人にもたくさんいた。人によってはシンナーを吸っていた人もいた。そういった人たちはいずれ麻薬や覚醒剤にも手を出す。
僕も現在喫煙者だが、初めて吸ったのは二十三才か二十四才だった。遅い方だと思う。夜にバイト先の先輩にフィリピンパブに連れて行かれ、しこたま飲んだ後、当時は自販機で簡単にタバコが買える時代だったので、確かセブンスターだったと思うが、一箱買って吸ってみた。真夜中のことである。何本か吸ってから帰宅したが、二日酔いとタバコの影響で悪酔いし、吐きまくった。とにかく苦しい。よりによってその日は立川競輪場の開催日で、目の前にある我が家はうるさくてたまらない。夕方まで収まらなかった。「もうタバコはこりごり」と思った。しかし道友社の支社で、また勧められてつい手を出してしまった。
思春期になると性への目覚めが始まる。男ならマスターベーションをしない人はほとんどいない。それで物足りなければセックスに走る。そしてあらゆる人々を傷つけてしまう。こうして正しい道から脱線してゆく。お道の中でも良くある話である。
何が正しい道なのか、何が間違った道なのか、それを見極める判断力を養うには、まず大人たちが目覚めなければならない。現代社会がおかしくなっていく原因は、すべて大人の責任である。宗教でも同じことが言える。自分自身で判断出来る心を持たなければ、決して世界に幸福が訪れることはないのである。大切なことである。それだけ大人たちの責任は重いのである。
前後するが、後に出てくる平岩君という支社員がその時いた。本社から来た人や、出品した画家たちが喫茶店へ行くことになり、道を歩いていると、平岩君は一番後輩なのに、普通に歩いている。僕はイラッときて、
「おい! 走って店を探すんだ!」と言った。それでようやく走り出した。僕も走って探した。これは世間では常識である。おぢばにいると、こうしたことすら出来なくなるのである。教える人がいないからである。
話を元に戻す。
丸山君とその友だちとでラーメン屋へ行くことになった。僕は食欲がないので、付き合っただけだった。その時、なぜかしゃっくりが止まらない。車の中で「ヒック!」と出る。他の二人はおもしろがって、「三,二,一」「ヒック!」タイミングよくでるので、何度もそれをされた。その度に笑うのだ。
多分、これも僕の病気の表れだったと思う。別に笑われても気にしなかったが、冗談と受け止められるなら、止めて欲しいことである。しゃっくりだって一種の病気なのだから。ラーメン屋に着いて、僕はスープだけ飲ませてもらった。
先述したが、支社のすぐ近くに立体駐車場があり、そこに公用車を駐めていた。一ヶ月でなんと料金十万円である。それでもキャンセル待ちがたくさんいると聞いた。確かにその近所は会社が多いのだが、月極駐車場はほとんど無かった。
ある時、会計担当の北浦さんがお金を払いに行った。帰ってくると、支社に電話がかかってきた。なんと、「一万円足りない」というのだ。
よく計算をし直してもらった。しかし北浦さんは、
「合ってますよ」と言う。
「わかった、俺が行って話をしてくる」と、僕は駐車場へ行った。三人の中年女性がいた。先方も「何度数えても九万円でした」と言う。「これは誰か懐に入れたな……」と思ったのだが、僕も体調が悪かったし、早く話の決着をつけたかったので、本来やってはいけないことだが、僕の財布から一万円出し、「これでいいのでしょう?」と渡した。先方はニコニコしていた。「確信犯だな」と直感したが、サッサとそれで帰ってきた。もっと驚いたのはその後である。
支社の人々が、誰も「どうでしたか?」と僕に聞かないのである。もちろん北浦さんも。そこでいちいち文句を言っていたらこちらが疲れるので何も言わずにそのまま胸に納めた。
その北浦さんはトラブルメーカーで、好き勝手に行動したり、気に障ることを遠慮なく平気で言う子だった。僕と会話していても、新聞の折り込みチラシを見て突然、
「あっ! こんなに安い!」と、会話がキャッチボールにならないのだ。
天理高校出身で、弦楽部にいたらしく、作曲家の「ドビュッシー」のことを「ドピュシー」と言うので、
「違うだろ」と言うと「合ってますよ」と譲らない。他にも、楽器について、「ユーフォニアム」と僕が言うと、「何ですか、それ? ああ、ユーフォニュームか」どちらも正しいのだが、どうも融通がきかない。
他にも日常茶飯事を僕が冗談で「にちじょうちゃはんじ」と言うと、まじめな顔で「さはんじです」と言う。とにかく一緒にいて疲れる子だった。
僕が岸本さんと仕事のことで話していると、間を割って口をはさみ、僕がそれに説明すると、いきなり勝手に怒り出した。僕が本社に異動後、他の後輩にも苦々しい顔をさせていたとも聞いた。
北浦さんが「インスタントラーメンには野菜炒めをのせなきゃ美味しくないですよ」と言う。岸本さんが、
「俺は何も入れずにラーメンだけで食べるのが好きだなぁ」と言うと、
「えー、そんなぁ」
僕は岸本さんの意見に賛成である。何も入れずにスープを飲むと、味がにごらず実に美味しい。
北浦さんは途中入社だったが、初めて来た時、「私、てんかんの身上があるんですけど、年に一~二回しか発作は出ませんから」と言っていた。ところが入社してから頻繁に発作が起こるようになった。支社内でも住み込んでいる教会でも、月に一~二回出ていたようだ。支社で最初に発作が起こった時、本社の関さんもいた。岸本さんと二人でソファーへ運んだ。関さんが汗びっしょりになりながら、おさづけを取り次いだ後、
「もっとダイエットせなあかんで。だけど失禁しないだけましかもな」と言う。十分くらいで目を覚ました。その後もたびたび発作が起こった。
本社へ行った際、居酒屋で簡単な歓迎会があった。その時も発作が起こった。一緒にいた女性社員が「息してない! 死んでる!」と大声を上げた。しかしその場にいた人が機転を利かし、口の中に割り箸を入れてその場は収まった。
北浦さんは数年後、てんかんの持病で、住み込んでいた教会のお風呂の中で発作が出て、そのまま溺死し、出直した。
教会で入浴する時は、いつもなら誰かと一緒に入っていたのだが、その時は誰もいなくて、教会の人に「たまには一人で入っちゃったら」と言われて入浴した。そこの教会は新築で、浴槽も大きくて広かった。なのでなおさら発作で意識を失い、体が沈んでしまったのだ。偶然が重なり、こうした結果となった。親神が「もう一度一からやり直しなさい」ということだと僕は思う。北浦さんに想いを寄せていた経理課勤務の伊藤さんが本社にいた。いずれ付き合うか、結婚しようか、という話になっていたらしい。その伊藤さんも身体障害者であった。僕が何か尋ねると、一呼吸置いて、「いいえ」と首を振る。その言い方と表情が、僕を不愉快にさせるものだった。どこか「上から目線」なのだ。伊藤さんはまだ天理にいる。悪い人間ではないが、自分の癖性分に気がつかないようだ。それを仕込む人はおぢばにはいないのだ。だからおぢばにいることが良いこととするのは間違いであると思うのである。
北浦さんは道友社内の社内誌に岸本さんのことについて書いていた。それが出直し後、追悼の意味も込めて掲載された。その内容は、たまたま支社に来たとある中年の男性が、岸本さんに相談したことから始まり、真面目に相談にのっていたことを一方的に褒めるというものであった。
しかし僕は知っている。その中年男性が電話をかけてきて、何か岸本さんに不満を言ったのだと思うが、そこで岸本さんは感情丸出しで怒っていた。「冗談じゃないですよ! そんなこと言わないで下さい!」と。結局おたすけは失敗に終わった。まだ岸本さんも若かったのだろう。人をある一面から見ると良い人のように見え、裏を見ると悪い人に見える。人とはそういうもので、僕は安易に人のことを良い人だとか悪い人だと言わないようにしている。誰でも欠点はあるし、二面性があるものである。それについて、ジョージ秋山氏の漫画、『浮浪雲(はぐれぐも)』に同様の話がある。善人が悪業を起こしたり、悪人と呼ばれる人が善をおこなったりするというものだった。僕はそれをかなり後になって読んだのだが、含蓄の深い内容だと感心したものだ。
人は自分に都合の良い人は良い人とし、都合の悪い人を悪者とする習性がある。そうした一方的な目で人を見るのは僕は良くないことだと思っている。ただし、やっていいこと、言っていいこと、やってはいけないこと、言ってはいけないことは存在する。僕はそれをこの文で書いて皆さんに伝えたいと思っている。
確かに岸本さんは温厚な人柄ではあった。しかし僕はうわべだけの温かさも見せられたし、そこに冷たさも感じたし、また、大変なヘビースモーカーでもあることも見てきた。そのお金はどこから出たのか? 道友社にいた時はそのお与えから出ていただろうが、教会長となった今、まだタバコを吸っているのであれば、信者のお供えで吸っていることになる。それが良いこととは誰も思わないであろう。うちの前会長も同じである。
岸本さんは、貴重な本を横領していながら、僕には「支社の車を通勤に使うのは公私混同でしょ」と言い、暗に止めてくれと言う。僕は病気で仕方がなかった。ガソリン代も自腹で払っていた。自家用車で通勤するとお客様の車庫がなくなるからやむを得なかった。大牛君のおたすけにも通っていた。だいたい、岸本さんは支社では記事を少し書くだけで、他には仕事らしいことは何もしていない。何のために支社に来たのか理由がわからない。副収入を得るために支社に籍を置いたとしか思えない。短期間だったし、東京に帰ってきたなら、すぐ教会の御用をすればいいはずなのに。
きっと岸本さんは北浦さんの文を読んで涙したと思う。しかし僕には白々しくて出直しすら悲しくはなかった。
岸本さんと横山さんの間に僕の机があった。二人がよく会話をするのだが、僕は間にいて、のけ者にされている寂しさをいつも感じていた。孤独感でいっぱいであった。
岸本さんが初めて支社に来た時の夜、近くのレストランで歓迎会が行われた。その際、僕が車を運転し、岸本さんを助手席に乗せたのだが、僕は、自分が身上であることをたどたどしく説明した。しかし岸本さんは最後まで無言であった。
また、僕が将来住む家の心配をして話をしたら、「そんなこと、いちいち心配していられるかよ!」と、吐き捨てるように言われたこともあった。岸本さんは教会という住むところがあるが、僕は布教所の三男である。自分で探さなければ路頭に迷う。
体調が悪くて忘年会なども欠席させてもらおうと岸本さんに言うと、僕の顔も見ずに「結構ですよ、それでも」と言われたこともある。何だか「伊藤君はいない方がみんな楽しいから」とでも言われたように僕は感じた。そういうことが何度もあった。
いきなり岸本さんの話も聞かずに自分のことを話し出した僕にも問題があったであろう。それにしても、何も言わなかったのは何故なのか? 吐き捨てるように答えた理由は何だったのか? 未だに僕は理由がわからない。岸本さんがまだ若かったとしか思えない。もしも今でもその状態のままだったなら、僕は岸本さんを軽蔑する。完全に理不尽である。思いやりがなさ過ぎる。人のことを考えるのを怠っている。そんな教会長なら即刻辞退すべきである。僕はキツい言い方を許されるなら、岸本さんは「偽善者」だと言いたい。おかしなことをやり、汚職をし、それで平然としていられるのだから。
前後するが、先述した出版課の岸本さんが支社へ異動となった。いずれ退社し、世田谷で教会長となるまで、支社に勤務することになったのだ。
岸本さんはたくさんの本を持ってきた。見ると普通では手に入らない貴重な本がズラリと並んでいる。
「これは横領したな……」と僕は思った。
有名な教会の教会史などだったが、これらは本社の資料室に残すべき物である。社員でいる限り、こうしたことは黙認されてしまうのが道友社内の現実なのである。
岸本さん、ちゃんと返しましょう。
岸本さんに、将来住む家などの心配を話したら、
「そんな心配いちいちしていられるかよ!」と言い放たれてしまった。岸本さんは教会という住まいがすでにある。おそらく僕も教会の人間と思って言ったのだろうが、僕は布教所の三男である。自活してアパートでも借りなければ将来住む家はない。
どうにかして身上の御守護を頂きたくて、築地まで行き、所属の教会へハマチなどの刺身で食べられる魚などを月次祭にお供えとして何度も送らせて頂いたりもした。それについて、我が布教所へ届いた、当時の会長からの手紙に、「頭が下がります」と書いてあった。
松井社長の意見で、自教会の月次祭へ仕事を休んでも良いから参拝するようにと通たちがあった。そこで休暇を取り、車で遙か山口の教会へ何度も参拝もさせて頂いた。とにかく無我夢中だった。
ところがである。「頭が下がります」と書いておきながら、僕には一切お礼を言わないのだった。また、そんなことを続けていた際、会長から驚くべき言葉を聞いてしまった。
「徳ちゃん、アンタの身上はもう治らん、諦めいや」
それを聞いてめまいがし、目の前が真っ暗になった。崖から突き落とされたようなものである。
一般の人でも言わない死の宣告を、こともあろうに会長から聞かされるとは、読者の方々はどう思われるだろうか。僕は失意の中帰京した。会長の声は神からの声と思っていたので、自分の人生が確定した気分になり、悲しみのどん底へ落ちてしまった。
後日会長にその話をしたが、「わし、そんなこと覚えておらん」と言う。うちの前会長はその場で思いついたことをよくしゃべるタイプで、その後全く覚えていないのである。しゃべることは得意と自らよく言っていたが、しゃべりすぎて人の話には一切耳を貸さない。今思うとあきれた教会長である。
身上が悪化の一途をたどり、夢の中で刃物やとがったものが飛び交う怖い夢を見るようになった。それを岸本さんに話すと、
「まずいな」と言う。しかし「おさづけしようか?」とは言ってくれない。北浦さんのてんかんの持病には「毎日おさづけしよう」と言って取り次いでいたことがあった。僕にはそれもしてもらえなかった。
岸本さんは、当時生まれたばかりの赤ちゃんがいた。僕が何か質問したら、「なんででしゅかね~」と子供に言うような口調で言う。みんな笑っていたが、僕は「真面目に聞いているのにふざけているのか」と面白くなかった。
ある時、佐藤さんから映画のチケットをもらった。よく来られる佐藤さんの知り合いの会長さんが佐藤さんに渡したものだ。
それが成人映画であった。
岸本さんの口癖「いいじゃない」営業の人が来ても、すぐそういうことを言う。「厄介なことは嫌いだよ」とも言っていた。
当時の支社は、男性は岸本さん、僕、平岩君、女性は横山さん、関さん、北浦さんと六人もいた。多すぎである。それほど人手が必要な支社ではない。本社はいったい何を考えて人事を決めているのか不思議でならなかった。
そういう状態なので、僕は支社内にいてもムダと考え、営業として、書店など外回りの仕事をすることにした。しかし、お道の本が一般の書店で置いてくれることは稀である。置いてもらったとしても、目に付きにくい場所へ追いやられる。そして売れ残り、返品の山となるのである。それも気が遠くなるほどの量である。読書会制度は、そういった弊害を考えていない、全く無意味な制度であった。現在はそれに気がついたようで、常備書店はかなり絞ったようである。僕は先に主張していたが、却下されていた。ハッキリ言わせてもらうが、元渕主任の失策である。
平岩君は僕と同い年であった。第二専修科出身である。最初に彼に会ったのは本社であった。顔がシブがき隊の薬丸裕英に似たイケメンだった。
彼はとてつもなくふざけた人間であった。僕は本当に腹ただしく思ったものだ。
専修科や第二専修科は、卒業したらすぐおたすけの実践を目指す目的で設立されたが、出身者全員がそうなっているのか、実は全く違う。僕は、社会へ出て結婚し、普通の家庭を築いている人を数人知っている。
第二専修科は廃止されたが、卒業までの期間があまりに長すぎるため、欲求不満になり、女性を追いかけたり、深い仲になって道を外したなどということはたくさんあったのである。専修科も同様で、おやさとやかたの地下のホールで、恋人同士いちゃついて、普段は真っ暗なのだが、明かりをつけるとゴキブリのようにみんな逃げていくのである。そうして体の関係を持ち、女性が妊娠してしまい、中退したという話はよく聞いた。
おぢばでは学校をどんどん増やしているが、うたい文句に、「お道の精神を持って教養を身につける」といったことを言っているが、全くの詭弁である。何度も書くが、親が仕込まなければ、健全な子供にはなりはしない。「なんでもアリ、誰も文句を言わないから大丈夫」となりうるのである。
『天理時報』の平成二十八年六月十九日号の一頁に、初代真柱様のお話が載っているが、「早くから学校を作って若者に勉強させ、教理を身に付けさせたいと考えておられたようである」と書かれている。それが現在実現していないのが現状である。初代真柱様は、どう思われているだろうか。
話を戻すが、平岩君の教会は新築したばかりだというのに、親奥様が洗濯物をストーブの上で乾かそうとして引火し火事となり、全焼してしまった。そして再建築となった。上級教会である東本大教会の配慮で建物を借り、そこへ一時移り住んでいた。
彼はまず、時間通りに出勤したことがない。必ず遅刻してくる。僕は支社から電話して、「政二君を呼んでもらえませんか」と言うと、またそこの兄弟もふざけていて、「あの、兄が寝てる部屋は四階なんで、行くのが大変なんですけど」などと言うのだ。あきれかえった。
「あなたの都合は聞いてない! 早く呼んで下さい!」と語気荒く言うと、しぶしぶ呼びに行く。平岩君は眠そうに、
「これから行きます」と言って、詫びも言わない。
僕より近いところに住んでいて、僕は遅刻していないのに、どういう教育を第二専修科で受けたのだろうか。
火事ですべて燃えてしまったというので、僕は自分の服をあげたりもした。それについてもお礼を言わない。
イケメンで愛想も良いので、僕と二人で教会回りをすると、彼は人気があって、「もっとここにいなさいよー」「帰さな~い!」と女子青年などから言われるが、僕一人の場合だとそんなことは全く言われない。
女性関係もかなり色々してきたようで、彼の話を聞いているとそれがよくわかった。昔の友人と電話で話しているのを聞いていると、「覚えてるか、あの女よー、俺と外で女とセックスしてよ、それからさー、俺から別れてくれねえんだよ、なかなか」といった類いの内容である。
仕事らしいことはほとんどしていなかった、というより何もしていない。東京教務支庁への月二回の出張販売も、引き継ぎをしようと思っていたのに、必ず遅刻してくるので出来なかった。タバコを吸い、女性社員とおしゃべりばかりして過ごしていた。それでお与えをもらっていた。僕は許せなかった。僕が彼に注意ばかりするので、彼は段々僕の顔を見なくなった。
彼はよく備品を壊した。例えばオーディオセットを動かす際、「あっ!」と言って落としてしまった。粉々にはならなかったが、故障である。それを自腹で修理したこともない。支社の費用でまかなった。公私混同である。
あげくの果てに、彼はお与えの金額が少ないという理由と、教会の普請のお金を稼ぐために、早々に退社してしまった。一年経っていない。一体何のために支社へ来たのか? 理由すらわからない。
その後の話では、彼は営業の仕事につき、月収約百万円を稼いでいると聞いた。イケメンで、愛想だけは良かったので、人気で稼げたとしか言いようがない。「それだけ稼げるなら支社にいた時に頑張って働けよ!」と言いたくなる。そうしてお道を通らずに普通の家庭を持った。
こういうことがあるから、僕は天理で学ぶことを良しと思わないのである。皆さんはどう思われるだろうか? 読者の方々も同じ思いであって欲しい。
教祖のお言葉に「人間の反故を作らんでおくれ」というのがあるが、僕に言わせれば、反故どころかクズでもない、人糞、クソだと思っている。クソに人助けが出来るはずがない。肥料にもならない。そんな奴がお道にいること自体、僕には許せない。親神様・教祖、そして東本の初代様はこれをどう思われるだろうか? 「残念、残念、残念」とおっしゃっていることと思う。僕も同様である。
本社から出張してくる人も多い。
ある時、映像課の小林さんと、業務課の後輩、C君が来たことがあった。仕事が終わり、岸本さんと僕と四人で飲みに行くこととなった。
会話は岸本さんと小林さんのおしゃべりがほとんどであった。一時間半は居酒屋にいた。
外へ出て、僕がC君に、「東京の女性はどう?」と聞いた。すると一言、
「性悪そう」と言うではないか。ムッときた。
「性悪なのはお前とお前の彼女だろ!」と言いたくなったが、聞き流した。彼はじつに生意気なところがあった。気に入らない先輩に対しては、失礼な言葉を言う悪いクセがあった。僕はその気に入らない方の先輩だった。彼女も無愛想で、口調も関西弁の荒っぽいものだった。その彼女は胃が悪かったようで、毎日胃薬を飲んでいた。
恋人も欲しくてたまらなかった。当然である。だが良い出逢いはないし、体調が悪くてそれどころではなかった。
教団中山もコロナで大変なんやなざまあない。成って来るのが天の理
教区や支部の青年会の総会などや、ボランティアに参加しても、楽しかったことは一度もなく、恋人探しどころかむしろ嫌な気分になったことしかなかった。
支部のボランティアで、立川の昭和記念公園での模擬店で、焼きそばを作る担当になったことがあった。材料はそばとキャベツともやしとウスターソースだけのシンプルなもの。肉はなし。
僕が鉄板で焼いて、出来上がると、そばにいたおばさんがもったいないと思ったのか、火を止めてしまう。そうしてすぐにその場を去る。そこへ背の高い僕より年下の男に、
「何で止めるんだよ! まだ焼かなきゃなんないんだから!」と怒られた。僕は言い訳しなかった。これが三~四回繰り返された。すると、その男は、
「お前もういい、表に出て売り子をやれ」と命令された。納得がいかなかったが「美味しい焼きそばいかがですかー」と連呼した。
しばらくすると、その男がまた、
「もういいよ、材料がなくなってきたから」
そうしてテントの中に座ると、みんな和気あいあいなのに、僕だけポツーンとひとりぼっちとなった。こんな状態で楽しいわけがない。
また、支部で総会を行うことになった時のこと。模擬店を出すので、材料の買い出しに調布卸売りセンターへ数人で行った。会場となる教会へ戻り、準備の手伝いをした。
ところが翌日の総会の日、僕はとても体調が悪かった。いっそ行くのを止めようかと思ったが、誠二兄貴が先に行っていたので、遅れてもいいと思い行ってみた。そこで、みんな顔は笑っていたが、「今頃来て何しに来たんだ?」といった白い目で見られてしまった。仲間に入れず、寂しく一人ですぐ帰った。
こんなことは今まで山ほどあった。青年会・女子青年会総会などに参加しても、蚊帳の外である。それでも未だに母は、
「参加しなさい、いい出会いがあるかもよ」と言う。
「今までそんなこと全くなかった。もうコリゴリだよ」
「そんなのわからないじゃない、行ってみなきゃ」
もう僕は青年会OBである。それでも一度だけ参加した。やはり出会いなどなく、つまらない思いをしただけで帰ってきた。みんなすでに友だちで、仲間同士で会話していた。そこに入り込むのは変な目で見られるのがオチである。それでもまだ母は「参加しなさい」と言うのである。ウンザリである。
東本大教会の月次祭で、拝殿に若い女性がいたので声をかけたことがある。すると「私は結構ですから」と、上体を避けるようにして言われた。
どうも僕は女運が悪いところを見ると、前生女性をずいぶんもて遊んで泣かせたのだろう。僕に好意を持ってくれた女性は中学時代から始まり、今まで十人ほどいたのだが、タイミングが悪かったり、僕の体調が悪くてアプローチ出来なかったりで、一度も上手くいったことがない。親神様に何度さんげしても変わらない。「一体いつになったら許して下さるのか」と悩んだこともあったが、今はあまりそんなことは思わなくなった。一人の方が実に気楽でいい。お金も気も遣わないで済む。
支社にいた頃、東京教務支庁の布教の家の寮生さんから、
「あなたが結婚出来るのは、あと三年くらい先かな」と言われたが、それから二十五年以上経つ現在、未だに恋人もいない。人は神様でも霊能力者でもない。適当なことを言うものではない。「お前はサイババか?」と言われてしまうのがオチである。
もっとさかのぼると、東京教区の学生会時代、ある女の子が、「みんな! 願ったらきっとそうなってくるよ!」とさかんに連呼していた。その子は恋人が出来たことについてそう言っていたのだが、僕は願ってもその通りになったことはない。他にも、縁談が決まった女の子が「そういう御守護を頂いたんですね」と演台に立って話していた。そんなのは御守護とは言わない。単なる巡り合わせであり、その後、本当に幸せになるかは別の問題である。人によるのである。それだけの徳を持っているかいないかによるのである。みんなに当てはまることではない。
支社の仕事が終わってから、支社の近所をパンフレットを持ってにおいがけに回らせて頂いた。また、友人の大牛(おおうし)君の家にも帰りがけに寄り、話を聞いてから帰るように頑張った。それでも身上は悪化する一方であった。
大牛君の家はあばら屋状態で、玄関の扉はガラスがすべて割れていて、冬でも風雨が吹き込む有様だった。冷蔵庫も壊れていて、床も抜けていた。家の中をネズミが走るという考えられない状態で、服も全くたたんでおらず、散らかり放題。電灯も裸電球だけだった。冷蔵庫がなくて、よく食べ物を腐らせないなと、不思議でならなか
った。
それでいて、就職して給料で買った、数十万円もする高価なスピーカーを持っていた。本人に聞いたら「音の分離がいい」と言う。しかし、それを聴くためのオーディオセットがない。そこまで買うお金はなかったようだ。「バカな買い物を……」と思ってしまった。
他にも、誰に教わったのか、競馬などにも手を出していた。ギャンブルなど負けるに決まっている。そんな無駄遣いもしていた。それを実の母親は知らなかった。後で聞いたのだが、「時々出かけていると思ってましたが、そんなことしていたんですか?」と話していた。お金の使い方も間違っていた。
僕は休日に彼を車に乗せ、近所のホームセンターへ行き、障子紙と糊を買い、「一緒に修理しよう」と言った。彼はめんどくさそうでやろうとしない。僕が一人でやることになった。部屋の中も障子が破れていたのでついでに貼っていった。それを彼は「余計なことを……」というような顔をして見ていた。
ある日行ってみると誰もいない。その時僕は玄関前の雑草を抜かせて頂いた。
大牛君を本社へ出張の際、車に乗せておぢばに連れて行ったことが二度あった。最初は「気分転換にどう?」と誘うと、すんなり承知して行ってくれた。もちろん詰所に一泊した。
二度目に誘うと「いいねえ」と、かなり行きたかった様子で行ってくれた。そして、会長の勧めで別席を運んだ。
本部食堂で僕と二人で食事していると、彼は中国人のような無精ひげを生やしていて、また僕は鼻が高い方なので、外国人と間違われ、隣にいた人が僕らの目の前にあるお茶の入ったやかんを取る際、「エクスキューズ・ミー」と言われた。大牛君はノーリアクションだったが、僕は内心「勘違いするな!」と思った。そして嫌みに大きな声で大牛君と日本語で会話した。「エクスキューズ・ミー」と言った人はどう思っただろうか。
住まいの近所もにおいがけに回らせて頂いた。
ある時、お寺と知りつつ裏門から入った。すると、
「ここ、どこだか知ってる?」僕は白を切って「いいえ」と言うと、
「ここはお寺だよ」そこで僕は引き下がらず、
「それでも(パンフレット)読んで下さい」と渡そうすると、
「ダメに決まってるでしょ!」と、えらい剣幕で怒られた。
中には年配の女性が、「どうぞどうぞ」と、お茶やお菓子まで出してくれることもあった。しかし、においはかからない。
近所の家を訪ねると、こう言われた。
「うちは天地正教を信仰しておりまして、弥勒様を拝ませて頂いています」
その家は、夜になると車がたくさん集まり無断で駐車していた。みんなそこの信者である。
僕が立川に住んでいた頃、こんなことがあった。鯛焼きを買いに行った。そこのおばさんが、
「すぐそこに天地正教があるだろ。人がたくさん集まってる。あそこは何かある」と言う。
ご存じの方も多いと思うが、天地正教は統一教会(正式名・世界平和統一家庭連合)の流れを受けているカルト宗教である。そのおばさんがそうやって言いふらすがため、「行ってみようかな?」という人が現れてくるのである。天地正教は、天理教の教会長を呼んで、お話をさせたりした。そうなると、「天地正教と天理教は仲間ですよ」と宣伝し、お道の人が信じて鞍替えしてしまうケースもあった。恐ろしいことである。
張さんのおたすけにもよく行った。病院に入院中だった。普段はしゃべらないのだが、ある時腕にはめてある数珠を見せて、ゼスチャーで「外して欲しい」と表現した。僕がはずすと、珍しく「ありがと、ありがと、どうもありがと」と言葉にして感謝を伝えて下さった。それが張さんの言葉を聞いた最後であった。まもなく出直された。
話を過去に戻す。長谷先生の話だ。
参拝に行くと、必ず、
「お茶、飲んでいき」と言ってくれる。
いつも玄米茶だった。安いからだろう。お茶菓子もいつも買ってあった。そうして話が始まるのだが、「わしの言うことは当たるで」が口癖だった。しかし、ほとんど当たったことがない。
「一人おとまり会」といったことを何度かした。ところが食事が質素過ぎ。不味いご飯、不味い味噌汁、あとは漬け物だけ。いつも「嫌だなあ」と思っていた。
母に「伊藤さん! ちょっと来ておくれ!」と電話で呼ばれた。お賽銭を盗んだ泥棒が入ったのを、姉がやったと思い込んでいた。
とにかく喜怒哀楽が激しい。怒り出すとすごい人。電話でも、こちらから何も言わないと、すぐに切ってしまう程気が短かった。
息子さんをちゃんと仕込まなかったのも失敗だった。息子さん夫婦が代わりにいる時は、参拝に行くと、「何をしに来たのか」と言わんばかりの態度だった。「徳ちゃん、これ食べろ!」といった言い方もする。
「伊藤さん、後で思い知ることがあるで」と言い残していた。長谷先生の親戚関係を姉が壊したことからこう言った。精神病だったので、あることないこと吹聴して、仲を悪くしてしまったのだ。ところが自分がそうなった。最後は病院のベッドで哀れな出直し方、教会も東本へ息子さんが強引に返してしまい、本瀬分教会という名称は消滅した。毎日体調も辛く、孤独感に押しつぶれそうで、そのはけ口もなかった。
「神さん! 俺はどうしたらいいんですか!」
答えは返ってこない。しかし僕はため息をつかなかった。そうしてしまったら、不足になってしまうからだった。
母は「身上の御守護をもらいたいなら納消しかないわよ」と言う。仕方なく、持っていたトランペットを売りに出し、そのお金をお供えした。CDも十枚くらいしか持っていなかったが、それもすべて売ってお供えとした。
そんな時、体調が悪い中、都庁へ登る機会があった。確か二十五~六歳の頃だったと思う。新宿で知人の結婚式があり、天理からその友人が二人来たのだ。披露宴ではさほど苦しくはなかったが、出てきた豪華な食事がのどを通らない。その後「夜景を見に行こう」となったわけである。エレベーターではすんなり上れたが、展望室は天井が高く、中にテーブルとイスがいくつかあるだけで、何かにしがみつきたい気分だったが、何もつかまるところがない。僕は夜景を見る余裕など無く、不安で辛くてたまらない。早く降りたかった。「早く降りましょうよ」とお願いしたが、「私、高い所大好き」と言って、いつまでも眺めている。僕は先に降りて待っていた。以来、極度の高所恐怖症となった。高いところにいるだけで、外が見えなくても下に落ちそうな感覚に襲われる。足もガクガクしてしまう。道友社で新刊本が出ると、トーハンや日販などの取次(問屋)へ行かなくてはならないのだが、とても苦しい。困ってしまった。
支社で飲み会をすることも辛くなり、断ることにした。
岸本さんに「参加したくないんですがいいですか?」と言うと、僕の顔を見ないで、「いいですよ。かまいませんよ」とにやけた顔で言う。「お前なんか来なくていい」と言われているような気がした。
完全に僕はネガティブ思考の人間と化していた。いや、それ以前からだろう。こんな文を書くと、陽気の心はどこへいったのかと言われそうだが、案外今でもお道の中にいて、不足ばかりの人や若者が多いと思う。実際そういった人とたくさん知り会った。僕もそういった道中を通ったので、それを書くことは無意味ではないと思う。いずれは前向きになる話なので、ここはしばらく我慢してお読み頂きたい。
またその頃、牛込大教会に支社の出張所を設置する話が出て、その準備をした。牛込大教会はご存じない方もいると思うのだが、山手線の高田馬場駅の前にある。そこに販売所を作ることにより、一般の人たちへのにおいがけにしようという目論見であった。電光掲示板もあったので、それに「出店中」などと出せば、駅のホームにいる人たちに見えるという仕組みだった。しかし繁華街から路地へ入らないといけない。牛込大教会の社友先生や、教区の先生方が乗り気になり、決まった話なのだが、月に二回、支社員が出向いて日中店番をする。僕が思ったとおり、案の定、ほとんど本を買いに来る人はいなかった。当然一般の人も誰も来なかった。
設置の初日、先生方が集まった。そこに道友社から誰か代表者が来て欲しいと言われ、木村次長の代理で元渕主任が来た。簡単な挨拶の後、万歳三唱となったが、僕はバカバカしくて見ていられなかった。
元渕主任は直会では先生方に合わせて大声で笑ったりしていたが、僕らに何の挨拶もせず、いつの間にか帰ってしまった。同じ思いだったのだと思う。
もっぱら僕が行っていたが、岸本さんが行く時もあった。すると軽く考えているのか、手ぶらで行って、おつりのお金を持っていかなかったことがあった。なので、次に行く時に、
「ちゃんとお金とあれとあれと……持って行って下さいね。岸本さんがかまわないなら別にいいですけど」と僕が言ったら、
「そういうことじゃない!」と、怒らせてしまった。プライドを傷つけ、生意気なことで怒らせたのだった。
僕は温厚な人を怒らす失敗をよくしてしまう癖性分があった。ここでもやってしまったのである。
僕が本社へ異動して数年で、その出張所は閉鎖となった。ムダにお金だけ使って、一般の人に対してのにおいがけにはならずに終わったのである。
東京支社時代、家族でおぢばがえりをした際、父と誠二兄貴と三人で国道沿いのスパへ行ったことがある。二人は気持ちよさそうに会話して温泉に浸かっていたが、僕はだんだん体調が悪くなり、「先に帰るね」と言って、送迎バスで慌てて帰った。それほど身上が良くなかった。とても苦しかった。とにかく落ち着かない状態だった。
《閑話休題》
ここで小休止。面白い話を書いてみる。
電車内というのは面白い出来事がよくある。
ある家族がピクニックと思うが、車内にリュックを背負っていた。混んでいて座れないので、子供がぐずつきだした。
そこで父親が言った言葉が実に面白かった。
東北弁なまりで、
「泣ぐな、人生、そんなことで」
車内にいた人々は大爆笑。
若い男の子が、
「いいなー、それ! 最高!」
たちまち車内の空気がなごんだ。あれは忘れられない。
僕が座っていて、眠気でウトウトしていた。
その時に傘を持っていたのだが、当然両手で持って、前で傘を立てていたのだが、ふと気がつくと、前に立っている人の股間に手が入っていた。足下とカバンを見ると、なんと若い女性であることが分かった。騒がれないように顔を見ずに元に戻した。またウトウトしてしまった。また股間へ手が。
その女性が下車する時、チラッと顔を見てみると、思いっきりにらまれてしまった。
こんなことも。
満員電車で、女性の胸が僕の背中にギューッと押しつけられ、胸の形や体温まで伝わった。満員なので苦しいのだが、反面いい思いをした気が……(苦笑)複雑である。合法的痴漢であろう。
若い女性が正面に座っていた。眠かったらしくウトウトしていたのだが、口からよだれがタラーッと流れた。僕は見ていないふりをしたが、それで目を覚ました女性は赤面していた。
高校時代にもそんなことがあった。
座席の端に座り、腕を肘掛けのようにしているところへ、女子高生が気がつかずにお尻を付け、ぼんやりしている。ここで腕を動かすと「痴漢!」と言われてしまうので、動かせなかった。だが、おしりの柔らかさと温かさまで感じた。幸いその子は先に下車した。これもいい思いをした、と男なら喜んでいいのではないか、と思っている。スケベなので(笑)
当然悪いこともある。
大学の相撲部らしき集団が乗ってきた。五人くらいだった。百キロはゆうに超えているだろう。車内で、
「ウォーリャ!」と、大きな声で繰り返す。体格が大きいのでみんな何も言えない。一人の男性が
「お願いだから静かにして下さい」と、小声で言っていたが、全く言うことを聞かない。「俺たちに勝てるわけないだろう」と言わんばかりであった。怖いので僕もその場を去った。
イライラした中年女性が乗ってきた。手には『PHP』を持っていた。ご存じの通り、人生に悩んでいる人のための雑誌である。その女性が、隣に座っていた若い女性のカバンの取っ手が体に当たっているので、うっとうしいとばかりにはねのけた。「すみません」と謝っていたが、中年女性は貧乏ゆすりを続けていて、イライラが止まらないようだった。
雑誌からして、自分でも治したいのだろうが、ノイローゼなのだろう。下車する時、その若い女性の顔めがけて、
「フーッ!」と息を吹きかけて去って行った。僕がその女性に、
「あんな人、気にしない方がいいですよ、病気じゃないんですかね」
女性は苦笑いをしていた。その中年女性をかわいそうだと、その時は思えなかった。今思えば辛かったに違いない。
母から聞いた話だが、若者が乗車するなり、
「座らせろ! 誰かどけ!」と、バンバン窓を叩いて騒いだという。仕方なく誰かが立ち上がって座らせたそうだが、何にいらついていたのか、わかる由もない。
人とは、百人いたら皆違う。だから、面白いのではないだろうか。
ついでにもう一つ。
支社に通っていた頃、御茶ノ水駅から乗ると、なかなか座れないので、始発の東京駅まで行くことが時々あった。
ある時、階段を登ると、電車の中に空席があるのを見つけた。駆け足で行ってみたら、空席だった理由が分かった。誰かが座席に吐いてしまったのだ。だから座れないのである。
僕の後から来る人々も僕と同様に走ってきて、ガッカリしていた。
最近では、バスの中で子供が床の上に吐いてしまったのに遭遇した。その時、こちらまで吐きそうになりそうなくらい、気分が悪くなるほどの悪臭がする。僕は、
「運転手さん、換気して下さい」と、運転席の窓を開けてもらったのだが、それでもひどい匂いだった。そこで、
「窓全部開けていいでしょうか」と僕は開けて回った。バスの窓は開けるのに力がいる。他の乗客はおばさまたちばかりなので、僕が開けるしかなかった。
すると、僕が座っていた席が後から来た若い女性に座られてしまった。「もうー」と思ったが仕方ない。しかし、車内の人々に感謝され、お礼を言われた。
そのバスは途中の営業所で洗浄することになり、僕らは違うバスに乗り換えることとなった。
皆さん、お願いですから、吐くときは袋に吐くとか、止めてもらって外で吐いて下さい。
もう一つ。
クリスマスイブの夜、立川駅のトイレから、顔中を涙でぐしゃぐしゃに濡らして出てきた女性を見たことがあった。恋人と別れでもあったのだろうか。しかし彼女のいない僕には、むしろうらやましく思ったものである。「恋人がいただけ良いではないか」と。
またついでに余談。
東京支社時代、御茶ノ水駅の近くに千円床屋があった。安いので行ってみたところ、くわえタバコでカットされたり、オカマのような口調で「どんな髪型にしますぅ~」と言われたり、あまりにうさんくさいので二回で止めた。
天理でも似たような経験がある。やはり千円床屋だったが、ひげ剃りをいつまでも止めないのである。ゴリゴリやっているといい加減僕も痛くなって、「ちょっと、痛いよ!」と言うとようやく止めたが、鏡を見ると血だらけである。そこへメンソレータムを塗ってそのまま帰された。今思えば代金を払わなければ良かったと思う。皆さん、髪はちゃんとした床屋か美容院へ行きましょう。
《御本部へ、そしてお道の人々の無理解》
欠勤が多かったので、木村次長が、
「本社ならば通いやすいだろう、天理に来なさい」と言ってくれ、異動となった。
同時に先述の大牛君を修養科へ連れて行くことになった。
元々、大牛君を吹奏楽部に引きずり込んだのは僕である。たまたま通りかかったところを、「部活、決めてないんでしょ?」と言って、カバンを取り上げた。彼は「ちょっと、返してくれよ」と困っていた。「わかった、入部するから返して!」と、それで入部が決まったのだ。
彼はチューバ担当となった。しかし初心者なのに、とても美しい良い音を出すのである。先輩たちは「○○君たち(大牛君の先輩のこと)より上手いじゃない!」と言っていた。本当にいい音をしていた。
高校二年になってから、彼は先輩が使っていた楽器に変えた。前はロータリー式のチューバだったところ、ピストン式に変えたのだ。それから極端に音が悪くなってしまった。「元に戻せよ」と言ったのだが、頑固だったので戻さなかった。
余談になるが、高校一年の合唱コンクールで、大牛君に嫌な思いをさせたことがある。クラス全員の意見でむりやり指揮をさせた。彼は嫌々だった。当然である。指揮などしたこともないのだから。曲は『大地讃頌』。だれでも知っているということで決まった。案の定、ひどい指揮ぶりで、歌い終わったらみんな大爆笑していた。結局全校生徒の前で恥をかかせたことになるのだが、今思えば申し訳ないことをしてしまったと思う。
二年生の時は、ユーフォニアムの田中君が課題曲を、自由曲を僕が振ることになった。自由曲は『黒い瞳』であった。ロシア民謡である。僕は指揮になれていたが、田中君は初めてのことだった。
「これは優勝出来る」と僕は思っていた。男女混声だったし、ソプラノに歌が上手な女の子がいたからだ。ところが僕の指揮が大げさだったためか、最後に棒を振り下ろすと、会場から爆笑が起こった。別におかしな指揮ではなかったので腑に落ちなかったが、それが原因か、結局三年生のクラスが優勝した。僕は「みんな指揮者の振り方を知らないんだな」と思い悔しかった。
その後トランペットの女の子に、「健ちゃん(田中君のこと)、指揮上手いね」と言われ、僕はムッときた。その子はその後すかさず、 「いや、徳さんは元々から上手いよ」と言ったが、「何をいまさら」と面白くなかった。この子は普段から僕に失礼なことをよく言った。そのたびに嫌いになった。
三年では僕は課題曲、ホルンの山本君が自由曲を指揮することにした。これは僕らの相談で決めたことだった。自由曲は『モルダウ』にした。
結果はみごと優勝。トロフィーを貰えたことは嬉しく、女子たちは発表を聞いたとたんに悲鳴のような泣き声をあげた。担任の白石先生も嬉しかったようで、クラス全員にジュースを一本ずつおごってくれたのだった。
支社で最後の出勤の時、僕が食欲がないので、飲み会ではなく茶話会を開いてくれた。その場でケーキをみんなで食べたのだが、僕は体調が悪すぎて、そのケーキも一口食べただけで動けなくなってしまった。休んでいると、事務所内は岸本さんと横山さんの会話で終始して、何のための茶話会かわからない状態となってしまった。その食べかけのケーキを持って帰って行くつもりが、僕はそれすら忘れて置いてきてしまった。後で話を聞いたら、仕方なく処分したとのこと。それだけ体調が悪い状態であった。
大牛君と荷物をワゴン車に乗せ、僕は天理を目指した。東名高速道路を使ったが、途中で「気絶するんじゃないか」と何度も思うほど、身上が僕を苦しめた。苦しくて大牛君に運転を代わってもらいたかったが、彼は免許を持っていなかったので、それも出来ない。本当に事故で死ぬと何度も思った。
天理に着いた時、「ようやく着いた……」と、どっと疲れと安堵感が押し寄せた。
ちょうど夕づとめの時間であった。一緒に参拝したのだが、何と彼は周囲を見ながら、お手を振っているではないか。本当に驚いてしまった。神が入り込んだとしか思えなかった。
詰所に着くと、有川先生とその奥さん、清美さんに、
「何であんな子を連れて来たん?」
と言われてしまった。全く信仰がない彼だったからである。しかし、これは全くの愚問である。信仰うんぬん以前に、人として立ち直らせるために修養科へ連れてくることが目的なのは当たり前ではないか。そういう目的で修養科に入る人はごまんといる。反論しなかったが、バカバカしい話である。
詰所に来たら、生活の制限が気に入らなかったようで、近所のコンビニで弁当を三つも買い、一度に平らげてしまった。それまで自由でニートの生活だったから、息苦しかったのだろう。それを有川先生に報告すると、「出掛けないように監視せにゃならんのう」と言われてしまった。
彼はよく僕の部屋へ来た。その時、親切のつもりだったのだろうが、僕の洗濯物に勝手に手を出し、靴下を逆さまにしていた。後で聞いてみると、
「ゴムの部分が伸びるから、つま先を上にした方がいい」
と言う。靴下を買うと、表示にはその逆に干して下さいと書いてある。失礼だし大きなお世話である。もしも女性の洗濯物だったら、とんでもない騒ぎになっていたはずである。
僕がいない時に勝手に部屋に入り、カセットテープをあさり、聴いていたこともしょっちゅうだった。僕と会話中に、自分の足の皮をめくり、それを彼はなんと僕のテーブルの上に置く。その時注意すれば良かったのだが、言いそびれてしまった。こんなことをしたら、不潔だし、失礼に当たる。元々人と合わせるのが苦手なタイプで、処世術も身に付けていなかった。一時は営業の仕事などをしていたのだが、彼に出来るはずがなかった。会社の先輩に「同じ学校の卒業生に片っ端から電話して「『宝石に興味はありませんか?』と言え」と言われ、そんなことをさせられたらしい。彼に出来るわけがない。電話をかけても買う人など誰もいなかった。それでニートになったのである。世間慣れしていないため、こんなことをするのである。僕は多めに見なければと思って接していた。
彼は運命が悪いのは、名前が悪いと言い、
「敏治(としはる)を年春に変えたらいいのかな?」などと言っていた。姓名判断なら、僕の名前の方がずっと悪い。バカバカしいと思ったが黙って聞いていた。
高校時代、彼と吹奏楽のコンサートへ行った時、電車内で大きな声でしゃべり、車内の人たちから視線を浴びていた。僕は恥ずかしかったので、「少し静かに話せよ」と言ったものであった。TPOもわきまえていないのだ。
彼の母親は創価学会の信者だった。このお母さんもかなりおかしい人だった。僕が家にお邪魔する時、
「こんにちは、失礼します」と言っても、タンスに寄りかかり、ボーッとしていて何も言わない。それが「息子をお願いします」と言って僕に託したのだから、不思議でならなかった。神わざとしか思えない。
彼の母親へ手紙を出した。すると菓子折が届いた。手紙は添えてなかった。
僕は、初めてのお供えは丸ごと上級へと教わっていたので、包み紙は道友社にたくさんあるが、それを使わず自腹で文房具店で買い、公私混同とならないようにし、包み直して教会へ送った。
所属の教会の長男である篤君は、僕はとても好きな友たちなのだが、おしゃべりが過ぎるのが玉にきずであった。その点親である前会長によく似ている。普段からよくしゃべるのだが、お酒を飲むと、ますますしゃべり出す癖もあった。
大牛君がお腹を壊してしまった時、彼がその話を言ったら、篤君はすぐさま話の腰を折り、
「わかるよ、わかるよ、わしもね、先日下痢してね、それが思いっきりすごい下痢なんよ。なかなか止まらんかった。だから気持ちは良くわかるよ」とマシンガンのように話し出した。すると大牛君は黙ってしまった。当然である。元々寡黙な大牛君である。それ以上何も言うことはない。ただ単に「自分がそれだけ辛かった」と言うことを伝えたかったのだ。
阿川佐和子さんの著書、『聞く力』(文藝春秋社刊)というベストセラーになった本があるが、その中に、『安易に「わかります」と言わない』という文がある。引用したい。
私は中学・高校と女子だけのミッションスク-ルに通っていたので、毎朝、礼拝があり、週に一度は「聖書」という授業を受けていました。その「聖書」の授業を受け持つN先生が、朝の礼拝のお説教の時間にこんなことをおっしゃった。
「よく人は『あなたの気持はよくわかる』と言いますが、他人の気持がそう簡単にわかるはずがない。だから人に対して『わかる、わかる』と安易に言うものではありません。そして、『わかる、わかる』と言うような人のことを、たやすく信頼してはいけません」
そんな話を、普段、「あなたの隣人を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」とか、生徒に教えている敬虔なるクリスチャンであるN先生がなさったものだから、私はびっくりしてしまいました。
案外、N先生って、冷たい人なのかしら。思い煩っている人に向けて投げかける「あなたの気持、わかるわ」といった心優しい言葉を、疑えなんて。先生ご自身、何か他人を信じられなくなるような嫌なことでもあったのかしら。恋人にでも裏切られたのかしら。
N先生のお話を伺った直後は、あまり好意的に受け入れられなかった記憶があります。でも時間が経つにつれ、その言葉がじわじわと心に響いてきたのです。
たしかに他人の気持を完全に理解することは不可能です。だって他人は本人ではないのだから。わかりたいと願う意識は必要かもしれないけれど、N先生がおっしゃるとおり、安易に「わかるわかる」と共感されたとき、言われた側は、はたして嬉しいでしょうか。わかるわけがないと、反発したくならないでしょうか。
「最近、腰が痛くてねえ」
「ああ、わかります、わかります。私も座骨神経痛に長年苦しんでいますから」
こういう「わかります」は、説得力がありますよね。自身の経験に裏付けされていますから。そしてさらに説得力を増したい場合は、
「もっとも私の経験した腰痛とは種類が違うかもしれない。病院へ行って、ちゃんとレントゲンを撮ってもらったほうがいいですよ」
そんなふうに言われた側は、痛みを分かち合う者同士として、そのアドバイスを素直にありがたく受け止めることでしょう。でもたとえば、
「結婚して一年足らずで主人は戦地で亡くなりました。その訃報が届いた日のショックは、今、思い出しても胸がキリキリするほどです」
そう発言なさる未亡人に向かい、たとえば聞き手のアガワが、
「ああ、わかります、わかります。さぞお辛かったことでしょうねえ」
なんて答えたら、未亡人はかすかに気持がしらけるかもしれません。なんでわかるのかしら。結婚もしていないうえに、戦争体験もないアガワに。
ここで大事なことは、相手の気持ちと同じになろうとしないことかもしれません。似通った自分の経験を探り出し、そのときの気持を重ねてみることは必要です。しかし、その経験とて、どれほど相手と似ているかは、誰にもわからないのです。
「わかるわかる」は、そもそも親切心から発せられる言葉に違いありません。でも、言い方を少し間違えると、あるいは安易に使うと、ときには傲慢と受け止められる恐れがあります。
N先生がどんなお気持ちからそういう話を十代の我々生徒になさったのかわかりません(それこそわからない)けれど、今、インタビューの仕事をしていると、ときどきあのときの先生の言葉が蘇ってきます。だから私は、相手の話を聞きながら、「ああ、わかるわかる」と思うことは確かにありますが、その瞬間、「ほんとうにわかっているのか、君は?」と自分に問いかける作業も、同時にするよう心がけています。
このように、他人の心や気持ちは、本人以外は絶対に理解出来ないのである。百人いたら百通り、一万人いたら一万通りの人生、半生がある。「君はそれをすべて見てきたのか?! 知っているのか?!」と相手に言われたら、そこで話は終わり、信頼は失い、二度と取り返しはつかない。おたすけは失敗に終わる。
日本人はつい相づちで「わかるわかる」と言ってしまう習慣がついてしまっているが、傾聴することを優先しなければ、決して相手に信用されない、ということである。僕もそうした失敗をくり返してきた。特にお道の方々には注意して頂きたい点であるので、話が脱線したが、書かせて頂いた次第である。
三ヶ月はアッという間に過ぎた。そこで大牛君は見違えるように変わった。明るくなった。
同期の修養科生の女の子を好きになり、その子の詰所の前まで足を運んだこともあったらしい。そうして喜んで山口の上級教会へ参拝した。
その後を追いかけようと、たまたま二番目の兄がおぢばに帰ってきたので、運転を頼み、決死の覚悟で行った。アイスノンと保冷剤、そして「ヒヤロン」という「ホカロン」の逆で、つぶすと冷える物もたくさん買い、車に乗せた。不思議なことに苦しさは表れず、ヒヤロンも使うことがなかった。神様が受け取って下さったとしか思えない。
帰りは僕も運転した。おぢばに一度戻るつもりだったが、時間が遅くなり、京都駅で兄に彼を託し、二人は新幹線で帰京、僕は一人でおぢばへ戻った。ここでも苦しさはなかった。不思議でならなかった。
ただ、僕はこのおたすけで大失敗をしてしまった。彼の修養科の費用と交通費を僕が全額立て替えて、「後で働いて返してくれ」と言わなかったのだ。だいぶたってからのことだが、彼はまたニートに戻ってしまった。電話で「大牛、カセットテープ返してよ」と言うと、「あ? ああ……」といった生返事しかしない。しかもその言い方が、「長い間借りていて悪かった」とは言い難い感じである。カセットテープとは、僕たちの高校三年生の時の吹奏楽部の定期演奏会の録音されたものである。元々僕のを彼に貸したのだ。封筒に無造作に入れて返ってきたが、先の電話でも、その後の電話でもろくな返事をしない。最終的に統合失調症となって廃人同様となってしまった。僕のお詫びである。申し訳ないことをしてしまった。
こうしたことはよく行われていると思うが、自分の事は自分で費用などを出すようにしないと、身に付かないという結果になる。その点僕は失敗してしまった。皆さんはどうか気をつけて頂きたいと思う。
僕の話に戻すが、おぢばなら僕の身上の御守護があるはずだ、と思っていた。ところがその後病状は悪化する一方だった。
道友社の本社へ異動になって、ワゴン車中にある荷物を部屋へ運ぶために、
「君はいつからちゃんと出社してくるのかね?」と木村次長に言われた際、
「二~三日下さい」と申し出た。
そして、服やネクタイなど、納消するために社の人たちにもらってもらった。
「伊藤さん、何やってんですか?」と冷やかされた。それでも身上は良くならなかった。納消ですべて御守護頂けるというのは誤りだと思う。
本部勤務の時には僕は腕時計など持っていなかった。それで通した。
松井社長から、「アンタ身上か。そしたら毎日本部の朝づとめと夕づとめを参拝したら治るわ」と言われた。しかし実行しても苦しさはますます増えていった。
以前お諭しを頂いた、大森町大教会の役員、田中先生にも電話した。先生は、
「子供は何もわからいでも、親が代わりに礼を言うで」とおっしゃられた。大牛君のおたすけで助かる、という意味だった。しかし、それでも身上は悪化する一方だった。
僕はいつも、教祖と加見兵四郎先生の逸話を心の中に置いていた。
兵四郎先生は、苦労ばかりの人生を通り、そこでお道の話を聞いたが、納得出来ない点があった。それは、「神は人間が陽気ぐらしするのを見て、共に楽しみたい」とお教え下さっているのに、自分はどうしてこんな半生だったかと。そこで教祖に長々と胸の内をあかすと、教祖は、
「兵四郎さん。アンタ、苦労艱難したればこそ、神さんが分かったのやで。神さんがな、世界だすけの人衆にしてやろうと思って、苦労艱難さしたんやで。アンタ、苦労もせんで、田地や財産があったら、この道よう通りはせんで。これから、どれだけの働きさすやも知れん。それが楽しみやで」
僕もそうだと信じたかった。そう思って働いた。
大牛君が修養科を終えて、その後うちの会長が一期講師だった時のこと。部屋で身上について会話していた時、
「もっと一生懸命やらせてもらわんにゃのう」と言うので、
「僕は一生懸命やってるつもりですけど、そう見えませんか?」と尋ねたら
「ふふん、やっとらん、やっとらん」と一笑に付されてしまった。
具体的に何が、と尋ねると、分かったような分からん様な返事が返ってきた。未だにわからぬ。辛い身上をこらえて、唇から血がにじむくらい歯を食いしばって道友社の勤務をし、せめて詰所のお役にでもと掃除をさせて頂き、参拝に行くにも途中で動けなくなりそうなくらい辛い思いをして自転車を走らせ、回廊ふきやトイレ掃除などもさせて頂いた。道友社内で悩みを抱えている人たちの相談にのったりもした。
社内では忘年会、新年会、送別会など色々な行事がある。身上のためほとんど参加出来なかった。ある会があった日、今日も参加できないのか、と落ち込んで、会長に愚痴でも聞いてもらいたいと思って事の次第を話したら、何も取り合わず、さっさと詰所の事務所へ行ってしまった。会長の仕事ってなんであろうか? 話も聞いてくれないのだろうか?
その頃僕はよく部屋へお邪魔した。そうして何かアドバイスがもらえると思っていた。ところが、そんなものは全くもらうことが出来なかった。機嫌が悪い時もあり、ムスッとした顔でテレビを見て、何も言わない時もあった。元々、短気な性格なのである。
毎月月次祭におぢばへ帰ってくるたびに、
「早く僕女でも紹介してくれや」と毎度耳にタコが出来るくらい聞かされた。
「もう身上は治らん、諦めいや」と言いながら、僕の身上がどのくらい悪いのかちっとも分かっていない。僕だって彼女は喉から手が出るくらい欲しい。早く結婚だってしたい。今時の恋愛ブームのなかで、彼氏彼女が出来ないということがどれほどの心の傷になっていることか。毎月聞かされる会長の言葉は心の傷口に塩をすり込まれるようだった。何故あれほど逆撫でするようなことを言うのだろうか? 自分の息子たちは順調に結婚している。
ある時、会長が不思議に落ち着きがない。すると会長の長男が、
「徳ちゃん、彼女だ」と、女性を連れてきた。親にフィアンセを紹介するためだった。だから落ち着きがなかったのだ。
後で会長は、「いいやね、庶民的で」と言っていた。
僕は「この人が僕の彼女です」と紹介したことは一度も無い。幸せな人間は残酷なものある。
本社でも朝礼がある。その際社員が交代で前へ出て、おふでさきを読むという決まりがあった。ところが僕には苦しくて怖くてそれが出来ない。自分がやる日は、わざと遅刻して出勤した。それで苦情も出たこともあった。「何でサボってるのか?」と。仕方がなかった。出来ないものは出来ないのだから。
本社の食堂は六階にあるのだが、高所恐怖症で登ることさえ出来ず、登ったら気を失いそうになり、自分から窓を破って飛び降りてしまうような感覚になり、食事どころではなかった。
木村次長は、「今後、おたすけをするときに、そのくらいのことで登れないようでは何も出来ないじゃないか。頑張って六階へ行くように」と言う。だがどうしても苦しい。
高所恐怖症はひどくなると、一階にいても、地下にいても「落っこちる」感覚にとらわれてゆく。これを「地の底に沈みゆくような思いに襲われる」感覚と、後に書く川口由一さんから教わった。
しばらくは後輩に食事を運んできてもらっていた。しかしそれが社員中に噂され、「そんなの良くないぞ」と評判になってしまった。やむを得ずしばらくコンビニなどでお弁当やパンなどを買って食べていた。しかしお金がもったいないので、毎日詰所へ帰って昼食を取ることにした。
その以前に詰所で朝食を食べずに、「ご飯が余っているからいいだろう」と勝手に茶碗によそい、昼ご飯として部屋へ持って上がろうとしたところ、有川先生に見つかった。
「君の昼ご飯はないぞ」と言われたので、
「あ、いや、朝食べなかったので、今頂こうかと……」と答えると、
「だから君は勝手だというんだ!」と、大きな声で叱られてしまった。しかし「だから」はひどい。いつも僕は勝手な奴と思われているのかと落ち込んだ。
他にも、「君はいつまで詰所にいるんかね?」と言われ、暗に長期間住むのを止めてくれとも言われたことがある。
教祖は「人間の反故を作らんでおくれ」とおっしゃっておられるが、僕は当時有川先生夫婦に人間のくず扱いされていた気がしていた。正に「反故」である。
そういう有川先生は、入浴の時にお湯を文字通り湯水のように使う。自分のふところが痛むわけではないので、体を洗う時にザバザバとお湯を浴びるのである。僕はいつも「もったいないなあ」と思って見ていた。うちの詰所は普段人数が少ないので、男湯か女湯のどちらかだけ湯をはり、女性に先に入ってもらい、その後男たちが入浴することが多かった。遅く入ろうものなら、ボイラーを止めてしまっているので、お湯が出ない。冬場にぬるい風呂では寒くて震えてしまう。そこで僕はバスタオルを中へ持ち込み、浴槽の中で体を洗ってしまって、上から少しずつタオルで拭いて寒さ対策をした。こうすれば風邪をひくことはない。
有川先生はお子さんが三人いた。当時はまだ子供であったが、今は成人して結婚もしている。
食堂でみんなと食べていると、娘が生意気なことをよく言うのだった。それに対して、有川先生はその場で「だまれ!」と大声で叱る。みんな緊張してしまい、食事も美味しく食べられない。なぜ後で叱って教育しないのかと思ったものである。だいたい、日頃の躾けがなっていないからこういう子供に育つのである。
詰所では、大学生以上の人は交代で事務所の電話番をすることになっていた。ところが僕の番になった時、たちまち不安に襲われ、他の人にお願いして逃げ出してしまった。以来、僕は「無理ですから」と、自分は例外として認めてもらうしかなかった。
有川先生には他にも大教会からのお供えを届けるため、車の運転と有川先生を待つことも頼まれた。他にも、本部の元旦祭の鏡餅を運ぶため、運転を任されたこともあったが、いずれも身上のため、苦しくて逃げ出したかった。本当に苦しかった。それでも死ぬ気で耐えた。有川先生はそれを察したようで、二度と頼まれることはなかった。
道友社でもよく遅刻や欠勤をした。すると、とたんに非難を受ける。先輩である高井さんから、
「伊藤さんのことなんか信じてませんから! 言い訳なんかいいですわ! 聞きたくない!」とキツい言葉で言われ、傷ついた。僕は何も返す言葉がなかった。
高井さんは、僕より年上の中村さんを、大学の後輩ということで名字で呼び捨てにして、僕には「伊藤さん」と、「さん」付けで言うのである。何だかていねいに呼ばれることに寂しさを覚えた。親しさが感じられなかった。
ある時高井さんに、「川へ遊びに行くから車を貸してくれんかね」と頼まれた。僕は当時父から譲り受けたワゴン車に乗っていた。よく貸してくれと人から頼まれるのだ。高井さんにも貸した。無事帰っては来たが、高井さんは中に入っていた荷物を自分の家に置きっ放しにしてしまった。仕方なく僕が取りに行くと、「なにかね?」と不機嫌そうに一言。どうも昼寝をしていたらしく、起こされて不愉快そうだった。
「何って、荷物を取りに来たんですよ」
何と無言で持ってきて渡された。病気で辛くて頑張って取りに行ったのに、ここでも理解してもらえない寂しさを感じた。
その高井さんは、正式には「書籍販売係」なのに、電話では「はい、道友社書籍販売部です」と言うのである。相手は混乱するではないか。
高井さんには電気ストーブやカーオーディオなど色々あげてしまった。ワゴン車もよく「貸して」と言われて貸した。自教会へ帰る時に聴きたいからと、「カセット貸して」とも言われたこともある。それでもお礼を言われたことはない。『ビッグコミックオリジナル』というマンガ雑誌も、僕が買うと「後で読ませて」と言われる。そうして自分はお金を払わず自分の楽しみとしてしまう。何だか利用された感じがする。被害妄想だろうか。
高井さんはよくこう言っていた。
「何でみんな、中村のことを素敵って言うんだ?」
「高橋(英子)さんは、三上さんの前では涙を流す」
この2つのセリフを繰り返し何度聞いたことか。嫉妬深いのである。自分が素敵と言われたい、涙を流すような相談をされたい、という気持ちなのである。自分に魅力がないことを自覚していないのだった。そんなに慕われたかったら、見習えば良いのに、自分を変えようとはしないで、人を妬む悪いところがあった。
後輩から相談をされたいという願望を持ちながら、それでいて、そういう話を直接聞きたくない、といった矛盾したところもある。後で書くが、穂積という新入社員の話を、僕を通して聞き出すのであった。他でもそうだった。自分がどう思われているのか、気にしすぎていて、それでいてそれを直接聞くと傷ついてしまう弱い心の持ち主なのだ。
身上をご守護頂くために必死で何でもやってみた。本部のおつとめの帰りにゴミを拾ってみたり、トイレ掃除もやってみた。しかし変化はなかった。むしろ悪くなる一方。今思えば当然だと思う。動機が人のためではなく、自分のためだった。
元渕主任は自転車で、僕は自分の車で参拝に行くことが多かった。ある日帰り道、僕が天理郵便局の前で信号待ちしていると、元渕主任はわざと後ろの方で自転車を止め待っていたことがあった。気さくに「よう!」いうような声すらかけてくれなかった。そういえば、支社時代に年賀状を出したのだが、返事すらくれなかった。澤井勇一先生だったら、そんなことはなさらない。そういうことが苦手だったのだろう。不器用なのだろうが、それにしてもこれは差別である。他の社員には気さくに話しているのに。
道友社では目上の人たちにしたがって、無駄苦労させられた悔しさは今でも夢に見る。目上だけではない。目下の人たち、後輩たちにも、嫌な仕事を手伝ってもらえなかったのは残念であった。そう考えてしまうということは、僕はまだまだ成人出来ていないのだと思う。心のほこりが払えていないのだ。
病気のため、僕はもっぱら二階の書籍倉庫で作業をしていた。これならば、一人で作業が出来、共同作業ではないので、自分のペースで仕事が出来た。他の人に気を遣わずにすむので、体調が悪くなっても、迷惑がかからない。
どんな作業をしていたかというと、みんながやりたがらない仕事である。
返品された本を、元のようにキレイにしてまた売れる状態にする作業のである。
並製、つまり表紙が柔らかい本は、カバーを外して、紙ヤスリで本の上下と横を磨き、汚れを落とす。
上製本、表紙の堅い本は、紙ヤスリで磨けないので消しゴムでキレイにする。そして新しいカバーを付けるのである。
僕が本社に来る前は、普通の消しゴムを使っていた。だがこれだとカスがページのすき間に残る。そこで僕は業務用の練り消しゴムを文具店にたくさん注文し、それで汚れを取った。これだと優しく押しつけるだけで比較的簡単に汚れが取れるのである。
当時からブックオフなどで使われている専用の磨き機は存在していた。しかし高すぎるので買ってくれとは言えなかった。皆さんもブックオフなどへ行った際に見て欲しい。削った跡を見ることが出来る。
この作業は疲れる上、単純作業で誰でも嫌がるような仕事である。病気の僕にはこうした仕事しか出来ないのが現実だった。他にも、ガラスの破片が付いている本を掃除機で吸い取り、手などを切らないようにして、また売れる状態に戻したりした。これは本を乗せた車が事故に遭って、ガラスが割れてしまったためである。みんな面倒なのでほったらかしにしていたのだ。
後輩にやってもらおうとしたこともあった。しかし「超ダリい!」と言いながら、不満タラタラでずさんな作業をしてくれるものだから本が使い物にならなくなった。仕方がないので「もういいよ、やらなくて」と言って、僕が全部引き受けることにした。
その後輩が倉庫で鼻をかみ、それを箱の中に入れた。その箱は、本を箱詰めにする際、隙間を埋める古新聞が入っている箱であった。よくゴミ箱と間違えられるので、大きな字で「ゴミ箱ちゃうで!」と書いていたのだが、それでもゴミを捨てる人が後を絶たなかった。その時にイラついて後輩を怒鳴ってしまった。それ以来、後輩は僕が怖くなったようで、使い慣れない敬語で話し、勤務を終え自教会へ帰る時にも挨拶もなしに帰って行った。
倉庫内の整理も行った。板を買いに行き、ノコギリで切り、ムダなく本やビデオテープやカセットテープなどを片づけた。
自慢ではないが、どこの棚に何があるか、僕はすべて記憶していた。一応五十音順に本のタイトルと、その本の置いてあるAの何番というようなリストは作っておいたが、誰かが本を探しに来ると、「何の本ですか?」と僕が言うと、「○○なの」「それはDの十二番の左側です」と即答出来た。僕に聞いた方が速いのである。
倉庫の扉は重く、開ける時、とても力がいる。閉まる時は自然に閉まるのだが、「ガッシャーン!」と、とても大きな音がする。そこで僕は、自分のお金でゴムの板を買い、両面テープで張り、音がしないようにした。
扉は途中で止まってくれないので、いらない物が入った大きな段ボール箱を利用し、ストッパー代わりにしていた。
ある時、ふと、段ボール箱の中身が気になり、「中に何が入っているんだろう?」と思って開けてみた。するとなんと、二代真柱様の写真がどっさり出てきて驚いた。
その写真を持って、三階の編集室へ行った。入り口に編集一課の白鬚君と社長秘書の三上さんがいたので、それを見せた。
「どこにあったの?」と尋ねられ、説明した。
「で、その箱は一体?」
「みんなで足で蹴ってストッパーにしてました」
と言ったら二人ともその場にずっこけた。今思い出すだけでも、その二人のリアクションに笑ってしまう。もちろん写真は写真課にあずかってもらった。今でもどこから箱に入れられたのか謎である。
不要品もどんどん片付けた。過去に『浪曲 天理の母』というカセットテープが道友社ではない一般の会社から発売されていた。その残りが中途半端に残っていた。それを箱に入れて、
「ご自由にお持ち下さい」と書いておくと、ある人から、
「広沢虎造って有名な人よ」と聞いた。見ると「口演 広沢虎造・曲師 広沢ふみ子」と書いてある。僕は浪曲師など知らないので、驚いた。すぐにカセットはなくなった。
古い天理教事典の巻末にある、天理教の年表だけ冊子にしたものもたくさん出てきた。これも同じようにしたところ、アッという間になくなった。
編集課に、森さんという人がいた。東京支社に荷物を運ぶためにトラックに乗ってきたこともあった。
森さんは、仕事が命と考えている様な人で、それ以外はあまり関心を持たないタイプであった。それが災いして、家庭をおろそかにしたため、奥さんが寂しさのあまり、統一教会に勧誘され、洗脳されてしまった。あわてた森さんは、住まいを実家の大阪にすぐさま引っ越した。その後奥さんの洗脳は解けたと聞いた。
僕が本社にいる間に退職したのだが、道友社以外の仕事もたくさんしていた。天理市内の無料で配る、不定期刊行の情報誌の編集にも携わっていた。また、天理教とは関係のない人の本の編集を一人でやり、その本を道友社の倉庫に置いて、そのまま去ってしまったこともある。
その後、道友社へ来た時に、僕は、
「森さん、あの本邪魔です。持って帰って下さいよ」とクレームを言ったのだが、無言で取り合ってくれない。
やむを得ず、僕はほとんど使っていない機械室にそのたくさんの本を入れ、紙に大きく「編集・森」と書いておいた。嫌みだったが、公私混同である。おそらく今でもそのままだと思う。これも「天理ボケ」の一つであろう。自分勝手である。普通の会社ならあり得ないことである。実家に置けるくらいの量だったのだから。
書籍倉庫の出入りが多い僕は、時折倉庫に入っていく人がいる時に扉を開けて、手で押さえ、入るのを待っていることがままあった。それがマナーであろう。
ある時、三人の購読受付係の後輩たちが入ろうとしていたので、いつものようにそうした。すると、三人とも会釈もお礼も何も言わない。胸を張って堂々と入っていく後輩もいた。僕は何も言わなかったが、他人の気遣いに感謝出来ないなんて、上司である野沢さんの教育がなってないな、とつくづく思った。だが、意外と誰でも気がつかずやっていることでもあるだろう。特にお道の人は気をつけないといけないと思う。
また、アトリエ課の後輩が倉庫へ来て、僕を横目でチラリと見て、無言で緩衝材(別名エアキャップ。プチプチ潰せるあれである)を勝手に切り取って持って行った。一言「頂いていきます」と断りを言わない。同じ道友社内でも、予算は別なのでアトリエ課は別で買えるのである。これは横領である。
アトリエ課の先輩にもひどい目にあわされた。とにかく冷たいのである。僕が何気なく、
「こないだ、こういうことがあったんですよ」と言っただけで、
「俺のセイか!」と怒鳴られた。
その二人は僕が支社にいた時、木村次長の提案で支社の窓に宣伝のシールを貼りに来たことがあった。機材を持ってはるばる出張である。ところが当時支社があった東京天理教館ビルの規定で、派手な広告や看板は出してはいけないことを次長は事前に調べていなかった。管理人にすぐさま剥がすようにとクレームを僕に言われ、ムダに終わった。
地味な看板はかなり前から置いてあった。これが強風が吹くと倒れることがよくある。それで一部分が欠けてしまった。そこでその人に、
「パテか何かで埋めて、上にビニールのシールでも貼れば直りませんか?」と言うと、
「何を言うねん。そんなんで直るか、むちゃくちゃ言うてくれるわ!」と不機嫌そうに言われた。だが実は出来ないことではないことが今はわかっている。その後看板が倒れて、半分に割れてしまい、処分となった。
昔、アトリエ課にいた勤務者と、僕の二番目の姉との縁談話があった。しかし、姉はキレイ好きだったので、迎えの車の中が汚かったという理由で、仁男兄さんと結婚した。その勤務者は男泣きに泣いたと僕は聞いている。その恨みが僕に降りかかっているように感じてならなかった。
倉庫の掃除を毎日させてもらった。ホコリがすぐたまるのだ。そのために移動式の棚を動かす。すると、購読受付係の中川君が来て、移動棚を元の位置に戻し、いかにも不満げにこう言った。
「この棚、ここで固定ということで」
「だったら掃除してくれよ。君らだって使っている倉庫なんだから」と言いたかったが、それも言わずに飲み込んだ。
彼は、当時天理教音楽研究会管楽部の部長で、トロンボーンを吹いていた。彼に納消として、吹奏楽をやってきた人なら誰でも知っている作曲家、故・アルフレッド・リード氏の直筆サイン入りの写真パネルをあげたことがあった。高校一年の時、今は閉鎖された普門館でのコンサートで先着百名に配られた物である。今は「何であげちゃったんだろう」と後悔している。それだけ貴重な物である。いまさら返せとは言えない。
元々二階の倉庫は書籍倉庫として造られた部屋であった。それを購読受付係が、「物がたくさんあって置き場所が無いから使わせてくれ」と、後から横取りした経緯がある。「ひどいなぁ」と残念でならなかった。
トイレ掃除もさせてもらった。みんな交代で毎日しているのだが、念入りにやらないため悪臭がする。尿石を取れば良いのだが、うわべだけ掃除を済ませて良しとしていた。僕は自分のお金で洗浄剤を買ってきて、ゴム手袋をし、みんなが帰った後に見られないようにこっそり掃除した。でないと嫌味と思われるからだ。
当時よく地方で社友大会があった。そこで本を並べて売るのであるが、ほとんど売れはしない。売り物くらい並べておかないと、せっかく集まった方々がおみやげに買って帰るものがないだろうとの考えからである。段ボール箱に詰めて、教会へ送る作業はもっぱら僕がしていた。そして返品されてくると本はボロボロに傷んでいる。それをキレイにするのも僕の役目である。「こんなこと止めてくれないかな」と思っていた。
ある時あまりにひどい詰め方をして、ボロボロになって本が返ってきた。そこへ行った津大教会長の息子である久保さんへ苦情を言うと「時間が無かったんや」と言われた。不可抗力ということである。一言も「すまんな」と詫びを言わない。
社内には有線放送の機器があった。それにつなげばFM放送などを良い音で録音出来る。僕はよくそれをやっていた。しかしその後、操作して元に戻しておかないと、始業と終業時間のチャイムが鳴らず、放送の音楽が社内に大音響で鳴ってしまう。そうした失敗をやってしまった。すると久保さんに、
「伊藤君、もうあんなこと止めてや」と叱られてしまった。
「以後気をつけます」と僕は詫びた。
自分が悪いのは認める。だが自分は言い訳して、人を責めるなんてひどいなと傷ついた。余談だが、そうしたトラブルが多いので、後日有線の機器は取り外された。
久保さんは同じ部署の女の後輩、落合さんと付き合っていた。僕は実は落合さんに恋い焦がれていた。気が利くし、素直で、美人ではないが可愛らしいとても良い子であった。結局恋は実らず、その2人は結婚した。2人はよく回廊拭きをやっていた。僕は「ああ、付き合っているのだな」と感づいた。その久保さんが一人で回廊拭きをやっていた時、僕と出会った際、
「毎日元気にさせて頂いているのはこのお陰やと思うわ」
と言っていた。しかし、単に一周するだけであった。いや、ほとんどの人が回廊拭きは一周することが多い。僕はそれがおかしいと思い、特に汚れているところ、例えば、神殿当番の先生方が控える部屋の前などは、とてもほこりだらけだった。「吹き溜まり」なのである。「これでは足袋が汚れてしまう」と思い、そこや、東西礼拝場の内側の回廊を拭く人は少ないのでほこりがたまっている。そうした「本当に汚れたところ」をもっぱら拭くようにしていた。それでないと掃除の意味がない。ところが僕には「毎日元気にさせて頂いているのはこのお陰やと思うわ」と感じたことが全くない。病気は悪化する一方であった。
病人でひ弱で痩せていて、どこの立派な教会の息子でもない僕には恋すら出来ないのが現実だった。
僕にもモテ期はあった。中学一年の頃から20代の半ばまでだった。数えると十数人の女性が好意を持って接してくれた。だが、恋が成就したことは一度もない。タイミングが悪いとか、とにかくうまく行かないのである。
落合さんの誕生日は九月九日である。以前僕がアタックしてフラれた達美さんの誕生日は十月十日。語呂が良すぎて忘れられない。神様は「なんてむごいことをするのだろう」と思う。それなら今度は八月八日の女性にフラれるのだろうか、などと思ったりもしたものだ。なぜ九月九日と知ったかというと、たまたまその子が修養科へ通っている時に、詰所までラブレターを持って行って、「誕生日プレゼントですか?」と言われて知ったのだった。持って行った日が九月九日だったのである。しかも手紙とともに、僕がギターを演奏して録音したカセットテープも同時に持って行った。今思えば赤面してしまう。しかし、こうも偶然が重なると、本当に神様はむごいなあ、と思う。
ある日、史料掛時代に知り合った人、仮にAさんとしておくが、詰所へ訪れた。僕にではない。詰所にいた教会の後継者に会いに来たのだ。
「なんや、伊藤君やないか。これから飲むんや、一緒に飲もうや」と言う。嫌々同席した。
その後継者は憩の家の看護師と結婚が決まっていた。Aさんは、
「お前、うまいことやったな。ナースなんてええやないか。ところで伊藤君はどうやねん? ま、お前なんかに彼女が出来るはずがないやろうけどな」と、吐き捨てるように言われてしまった。心に「グサッ!」ときた。本当に傷ついた。こういうことを言われるとわかっていたので、同席するのが嫌だったのだ。ここで身上の説明をしたところで言い訳にしかならないので黙っていたが、早々に自分の部屋へ戻った。
後日、その後継者が結婚式をすることになり、その弟さんが「良かったら披露宴に出席して欲しい、って兄が言ってます」と言う。もちろん僕は身上のため断った。するとその後、その後継者さんは、「伊藤さんは自分のことが嫌いなんだ」と勘違いしたらしく、廊下ですれ違うと下を向いて挨拶してくれなくなってしまった。
どこでもこうした誤解を受けた。それに対していちいち説明する訳にいかない。しかしため息はつかないと決めていたのでとにかくなんでも受け入れることにした。
母がおぢばへ帰って来た時、体調が悪くて辛いことを訴えると、「土持ちひのきしんへ行こう」と言いだし、僕の運転で、当時おやさとやかたの天理大学のそばに、いつでもそれが出来る場所があった。たった二人で、それもたった二回だけ土持ちひのきしんをさせて頂いた。僕が「辛いから帰りたい」と言って、それだけにしてもらった。それで体調が回復することはなかった。ひのきしんなら、道友社で毎日している。全くのナンセンスである。母の発想が乏しいのには辟易していた。
道友社に中村さんという躁鬱病の女の子が入社した。その子は、一年周期で「躁」と「鬱」が出る人だった。入社した時は躁状態で落ち着きが全くなかった。
その子がいないところで仕事をしていたらこんな会話が聞こえてきた。
若い女性社員の言葉。
「今は躁だからいいけど、来年になったら、『死にたい、死にたい』って言うんだよ~」
若い男性社員の言葉。
「死にたい奴は死ねばいいじゃん。勝手にすればいいじゃん」
僕はそれを聞いて愕然とした。
躁鬱病は「脳の病気」である。それに対する理解が全くないのが残念でならなかった。
この事を編集課の元光君に話したら、
「僕もそう思いますよ」と言う。つまり死にたいならそうすれば、ということである。僕は信じられなかった。そして彼にこう言った。
「バカ! あの子は病気なんだぞ、言葉の裏側に生きたいっていう気持ちが分からないのか!」と言っても、元光君は思いを変える様子はなかった。
こんな話があるので、参考までに記載させて頂く。
「死にたい」と打ち明けられたら 僧侶が語る寄り添い方
11/24(金) 15:35配信
「京都自死・自殺相談センター」では、電話相談を模した体験学習を重ねている。中央の女性が相談する役、左の男性は聞き手役。右の男性はやりとりを観察している(同センター提供)
■京都自死・自殺相談センターの竹本了悟さんに聞く
死にたい。消えたい。神奈川県座間市で9人の遺体が見つかった事件は、「死」を思うほどのつらさを抱える若者の姿を浮かび上がらせた。そのような心に寄り添うには、どうすればよいのか。京都市で7年以上、自死問題に取り組む民間団体がある。電話とメールで受ける相談は年に約4千件。その代表を務める僧侶の竹本了悟さん(39)の言葉は、ひとつのヒントになるかもしれない。
【写真】竹本了悟さん
《この団体はNPO法人「京都自死・自殺相談センター」(愛称・Sotto〈そっと〉)。電話相談は毎週金・土曜の夜7時~翌朝5時半に受け付けている。夜から明け方は、死にたい気持ちが強まる時間帯とされる。》
かかってくる電話の一言目は聞きづらいんですよ。深刻な内容のときは特に。か細い声です。ずっとひとりきりで、人としゃべっていないのでしょうね。もしかしたら、すでに死ぬ準備をしているのかもしれません。だから受話器をとって最初に発するひと言から、精いっぱいのぬくもりを伝えようとします。
私たちは「死ぬより生きるほうがいい」という価値観を大前提にしていますよね。今回の事件でも「『死にたい』というのは本当は『生きたい』のはずだ」というコメントに納得したくなる。でも当事者が「死にたい」というときは、やはりその方向に振れているのだと思いますし、まずはその心を感じ取ろうとすることが大切です。
こちらからは「そうか、死にたいんか……」としか言えないかもしれません。それでも、ぴたりと相手の横にいて心の波に一緒に揺られようとします。小さいころ、親に痛いところを触れてもらっているだけで、痛みが和らぐ気がしたでしょう? けがをしている心も「手」を当てればぬくもりが伝わると信じています。
《メールでの相談も受け付ける。6割近くが20代以下で、小・中学生と思われる相談もある。一つの返信案ごとに複数の相談員が話し合って文面を練り上げる。》
文字なので心を感じ取りづらい面はあります。ひと言だけ「死にたい」と書いたメールもけっこう多く、心配になります。何千字も書いてくる方もいますが、何往復でも応じます。心の居場所をつくるという意味で、臨む姿勢はメールも電話もまったく一緒です。
《月に1度、つらさを抱える人が集まる「おでんの会」も開いている。食事をしたり、悩みを語り合ったり。参加した20代の女性はこんな感想をつづった。「おでんの会に来させてもらった時は楽しいひとときを過ごすことが出来ますが、一人になるとまた死にたい気持ちがわきおこってきます。でも、定期的におでんの会があることで、どうにか生きることができているように思います」》
おでんの会は、しんどいときに「自分のことを分かってくれる場がある」という感覚を持ってもらうため。大海原を泳いでいて、浮いている丸太につかまってちょっと休憩する感じでしょうか。その程度しかできないけど、「その程度」が今の社会に必要とされているのだと思います。
生きることは誰にも代わってもらえない。生老病死(しょうろうびょうし)というように生きること自体が「苦」の一つです。人って本質的に孤独であるうえに、「誰にも分かってもらえない」という絶望的な孤独感はつらいですよね。
みなさんの職場や家族にも「死にたい気持ち」を抱える人がいるかもしれません。気付かれまいと隠している場合も多いでしょう。もし打ち明けられたら、あるいはSOSに気付いたら、丁寧に接してください。何かせねばと気負わなくていい。他者を丸抱えすることはできないものです。ただ、温かく隣にいてあげてほしいと思います。(聞き手・構成 磯村健太郎)
◇
■「死にたい」と打ち明けられた際の対応例
▽戸惑っても話をそらさずに、まずは丁寧に聞く
▽死にたい気持ちを大事に受け取り、「死んではだめ」と否定しない
▽「こうしたら」と助言するよりも一緒に考える
(同センターによる)
〈京都自死・自殺相談センター〉 竹本さんら浄土真宗本願寺派の僧侶が中心となって2010年に設立。ただし宗教色はない。昨年は電話相談が2543件、メール相談は1382件。相談用の電話番号は075・365・1616。詳しくはホームページ(http://www.kyoto-jsc.jp)で。
朝日新聞社
元光君について書いておきたい。
いつもメガネは汚れたまま。磨こうともせず、見るからに不潔な感じがする。また、裸足が楽だからと靴下を脱ぎ、サンダルで社内をうろうろしていた。
編集課勤務だったのだが、電話で取材先を怒らせて、「お前は電話に出るな! それから仕事も当分しなくていい!」とデスクから怒られる始末。しかし「楽が出来る」と、彼は喜んで遊び歩いていた。しょっちゅう僕のところへ来て、仕事の邪魔をしてくれる。迷惑で困ったが、断ると行き場が無くなるとかわいそうと思い、我慢した。
ある時、足のマッサージにいいからと、ゴルフボールを彼に貸した。しばらく使っていたようだったが、気がつくと元のところへ戻っている。元光君に聞いた。
「ボール、もういいの?」
「はい、戻しておきましたよ」とだけ言い、ここでもお礼を言わない。
お礼や「申し訳ありません」がすぐに言えないのは、大人としては失格である。昔は僕もそうだった。自分の都合を言い訳にし、「自分は悪くない」と思っていた。それに気がついたのはかなりたってからだった。ずいぶん損をしたものだと思っている。またこんなことも。
お腹の調子が悪いというので、僕は彼に数日間おさづけを取り次いだ。そこで、簡単なお諭しというか、アドバイスをしたら、逆ギレして、
「フン、そんなの大きなお世話ですよ、もっと他の人に言うべきなんじゃないんですか!」と怒り出した。なだめて納まったが、「こいつは厄介な奴だな……」と思った。
彼は時折、僕の部屋にお土産を持って遊びに来たり、泊まったりした。泊まる時は布団を敷く時、必ず「ボン!」と布団を投げる。当然ホコリが舞うので、「そんな乱暴にしないでくれよ! ホコリが立つだろ!」と言っても言うことを聞かない。むしろニヤニヤ笑ってもっとホコリをたたせようとするのだ。
本来は詰所に他の人を泊めてはいけないことになっているのだが、靴を持って上がってきてもらい、窓から帰ってもらった。そこで、事務所から見えないようにしてくれと言っても、下でウロウロしている。ジェスチャーで「見えるだろ! 隠れろ!」と伝えたが分かっていない様子。いわゆる問題児である。
実の父親に対しても文句をいつも言っていた。
彼はてんかんの身上を持っていた。それについて、会長である父親から怒られていたらしい。それが不満だったようである。高慢な僕に似ていたのだろう。「類は友を呼ぶ」である。
彼は僕が退職して数年後に飲酒運転の車にひかれて出直したのだが、哀れな死に方である。まだ若いのに、自分の成人の足りなさに気がつかず、神様がお引き取りになったのだろう。かわいそうだが、一からやり直せという神様のお計らいだったのだと僕は思う。また、他人のことを思いやれなかった天罰のようにも感じてしまう。
「死にたい」という人はきっと、
「生きたい、誰か助けて!」というサインを出しているように感じてならない。自分の非力さが情けない。
こんなこともあった。中村さんが落ち着きがなく、誰彼なく相手にしゃべり続けるので、経免さんという女性の勤務者が引き受けることになった。この経免さんが、以前二ヶ月隊で一緒だった経免さんである。その子の面倒を見ていたが、躁鬱病のことをよく知らなかったのだろう。仕事をしないでいると、腕をつかんで机に強引に座らせ、仕事をさせる。それで済むものではない。何度もそんなことを繰り返した。経免さんはいらついたあげく、その子に向かって、
「根性が根っから腐ってる!」と暴言を吐いた。
中村さんは傷つき涙をこぼした。精神病者にも正常な人格があるというのに。そこで僕は休憩室で経免さんに注意した。
「中村さんにひどいことを言ったそうですね。本人から聞きましたよ。経免さん、言っていいことと悪いことがありますよ」すると、
「私はおたすけだと思ってやっているんです」などと言う。内心、
「おたすけじゃなくて、おしつけの間違いじゃないですか?」と思ったが、その言葉も飲み込んだ。
隣にいた江川さんに、「江川さんもこれでいいと思いますか?」と尋ねたら「うん」と言う。信じられなかった。
「あの子の正式な病名は何ですか?」
「躁鬱病です」
「だったらああなるのは仕方ないじゃないですか」
そして僕は経免さんに精神病について知る限りのアドバイスを話し、そばにあった紙に図を書き、精神病でも正常と異常が共存していることを理解してもらおうとした。それは誰でも同じだが、「程度の差」なのである。ところが、ちっとも耳を貸そうとしないばかりか、笑っていて聞いてくれない。そのうちに休憩時間が終わった。
経免さんは去り際に扉を開け、僕を指差し、
「(アンタが)やってみたらいい!」
と、ヒステリーのような、甲高いきつい口調で言い、去って行った。面白いわけがない。僕も無言で職場に戻った。
僕には統合失調症の姉がいる。逆に、
「アンタこそやってみたらいい!」と言いたかった。家族に精神病患者がいたら、どれだけ苦労するか、全く理解していないのだ。勉強不足である。ようぼく失格だなと思った。
経免さんが休日でも熱心に布教に歩いていること、自教会の信者さんが天理へ来た際、駅まで迎えに行き、こまめにお世話をしているのを見て知っているが、あまりにもストイック過ぎて、周囲の人は息苦しい。実際、職場を離れ、休憩ばかり取っている後輩のことを陰で「あの子は怠けてばっかり!」と言っていた。僕も似たようなことを言われた。倉庫でラジオを聴きながら作業をしていると、
「そんなことしているのは、書籍販売係の人だけですよ!」と。
それぐらい良いではないか。だいたい倉庫には窓がない。仕事も単純な作業なので、曲でも聴いた方がリラックスした状態で仕事がはかどる。何が悪いのか。炊事本部では常に有線で音楽を流している。もちろん、電話対応が必要な場所では曲は流してはいけないくらいは常識として理解している。かけてきた人が「後ろで流れている音楽はいったい何だ! 非常識だろう!」と怒られる。
中村さんのことを理解してもらおうと、経免さんに山本利雄先生の『重症の枕もとで』という本を持って行って、
「これでも読め!」と机に叩きつけてやろうとも思ったが、僕も病気で辛かったのでそこまでする気になれなかった。
支社時代、出張に来た経免さんと夜に居酒屋で飲んだことがある。そんな時でも、僕の話に「伊藤さん、それは違う」と、ピシャリと言う。融通が利かない上に頑固者でもあった。一緒にいるだけで疲れてしまう。最近聞いた話では、未だに独身で、道友社も退職したとのこと。今、どんなおたすけをしているのか知らないが、変わっていないと思う。導かれた人はあの厳しい口調に嫌気がさすことだろう。絶対に嫁に来てもらいたくないタイプの女性である。
一時期、小説家の椎名桜子さんの双子の妹、椎名桂子(かつらこ)さんが道友社にいたことがあった。本業はジャーナリストである。
支社時代、僕が本社へ出張し、食堂で桂子さんと同席になった。編集課の森さんと一緒だった。そこで、挨拶として「支社の伊藤です。いつも支社で遊ばせて頂いています」と、「陽気遊山」の教えとジョークを交えて言うと、何か気に入らないことがあったのか、不機嫌そうに「ああ、それは結構ですね」と、目線も合わせず言われてしまった。
その人が「道友社報」に一文を書いていたのだが、「私は信仰とはこうだと思うのです」と、完全に机上の論理の話を書いていた。僕は「信仰は頭で考えるのではなく、身をもって体験するものだ」と感じた。間違っていないと確信している。
桂子さんは、経免さんとウマが合ったらしく、噂では、人に見えないように二人で抱擁し、熱いキスを交わしていたと聞いた。「二人とも両刀遣いかい、男がいないから女に走ったか」と、僕はあきれてしまった。
後日江川さんは「あの子が病気だったなんて知らなかったからさぁ」と言う。僕は無言でその言葉を聞いたが、それでも面白くなかった。ただの言い訳である。
中村さんはそこそこ可愛かったので、入社してすぐに彼氏が出来たが、病気の症状が発覚してから、男の方が避け始めた。その言い訳が「俺は病気じゃない君が好きだったんだ」。仕方ないだろう。精神病とは知らなかったのだから。
薬を飲んでいたようで、休憩室のイスを並べて、そこに眠り込んでいたこともあった。僕もそうだが、精神病薬は、直接脳に働くので、とても眠くなってしまうのだ。それを「怠けている」と噂されても仕方がない。みんな知らないのだから。
高井さんは、「あの子、大学時代にホッケー部で頑張り過ぎて、あんなになっちゃったのかね」と言う。僕は何も言い返さなかったが、「無知だなあ」とここでもあきれかえってしまった。脳の病気はそんなことで発症するものではない。理解の無さがバカバカしくて、内心「だからあなたは誰からも信頼されないんです」と思ったものだ。
その後、僕はある後輩に対し、失言をしてしまう。
その後輩には、付き合っていた彼女がいた。それを、「お前とは合わないような気がするなぁ」これが失敗だった。
「伊藤さん、言っていいことと、悪いことがありますよ」
経免さんに言った言葉がそのまま返ってきた。
「そんなこと言ったら、失礼だし、悩んじゃうじゃないですか。俺たち合わないのかな、って」
僕はすぐ謝った。こういう失言で失敗したことは山ほどあったのに。しかし同じ言葉がすぐ返ってこようとは、偶然にしては出来すぎている。神がそうさせたのか? ならば、僕は経免さんに忠告すべきでなかったのか、考え込んでしまった。
間もなく中村さんは解雇された。病気である以上、やむを得ないことだった。すると、父親である会長が、道友社に乗り込んできた。そして木村次長に向かって一方的に解雇したことを怒鳴り散らし、文句を言って、次長には一言も言わせず、すぐに去って行った。次長は苦虫をかみつぶしたような顔だったという。
このあたりからやはり僕は思うのである。「子供がおかしいと、親もおかしい」と。
悪いんねんと簡単に片付けられるものではない。その一族が、自分たちの心のあり方をよく考えなければ、孫子の代まで同じ状態なのだ。よく自覚すべきことである。親が「自分がおかしい」と気がつかなければ、その家の悪いんねんを断ち切ることは出来ない。不幸の連鎖が生じる。だから精神病の家庭は助かりにくいのである。我が家も同様である。
別の話だが、僕にはパニック障害を患う中学時代からの後輩がいるが、精神病の烙印をおされ、会社を解雇になった。ひどい話である。世間の認識なんて、まだまだこんなものなのだ。
せっかくの一代記、ここでは読みづらいです
どんどん後ろに飛んで読まれなくなります
参考意見さんもですが
名前も晒しているなら
fc2 ブログ、ライブドアブログ、アメーバーブログなどの
無料アカウントを作って、ブログ化して
ここには、アドレスだけ貼った方が
後々も読む事が可能ですから、テキストがあるなら
無料アカウントのブログをお勧めします。
>>父親 2020年7月13日 12:26 PM
>>fc2 ブログ、ライブドアブログ、アメーバーブログなどの
>>無料アカウントを作って、ブログ化して
>>ここには、アドレスだけ貼った方が…
>>無料アカウントのブログをお勧めします。
ご自分からそうおっしゃるなら
父親さんの投稿記事もぜひ必ずそうしてくださいね。
他の投稿者や読者の方々の為にも心から心からお願いいたします。
匿名1号様の一代記、専用フォルダを作って、全部保存させて頂きました。お気に入りのボイスロイドで聴きながら、パソコン作業をしています。
それにしても、凄い勢いですね。私も、この半分でも速く入力できたら、もっと多くの資料を紹介できるのにと、うらやましく思います。
匿名
2020年7月13日 2:05 PM
ブログは個人の問題なのでスレチ父親に言われたくはないわな笑
長文を書く際は、小論文 のように 序論,本論,結論 で書いた方が良いです。なぜかと言うと書き手は必要だから書くのでそれで良いのです。しかし受け手には必要な人と不必要な人(知っている)もいるのでその長文を読むか読まないかの選別が出来るのです。
序論,本論,結論 で書いてあると、序論で関心の有無が判断できる。序論と結論を読むだけでも主張の骨格は見えると読み方も選べるのです。
長いか長くないか?
長いか長くないかで言いますと正直一画面で終わらない文章は長いのかもしれません。極力まとめて書かれた方が読み手にも優しく伝わりやすくなるのでまとめる事をお勧めします。
父親さんへ
本当ですね 笑
これでは他の皆さんがコメント出来ないですね。
おっしゃる通りにしますね。お待ちください。
匿名1号様
おやさまは見守って下さっていると思います。
読ませていただきました。個人名はアカンと思いますが、記憶力が良くていらっしゃいますね。文章もすごく早くお打ちです。
山本医師のおさづけが効くことについて、信じてたらいいんじゃないかなという話、私もそう思います。お医者さんは何の病気の治療法と結果に関しても明言はされないんじゃないのかなと思います。
おさづけに関してもそうですよね。
命と引き換えにしますとおさづけをされて来られた方のお話を御本部でお聞きしましたが、御高齢だそうですが、なんとかお元気にされていました。
おさづけは人を助ける時に自分の身体の免疫機能が整い、人を助けて我が身助かるだと思います。
匿名1号様も必死でお助けして来られた御様子。
またいつか偶然おぢばでお会い出来たら良いですね。
ありがとうございます。僕の話はながーーーいんですよ 笑
記憶力の良さは僕の特技なんです。文章を早く打ち込んでいるんではないんです。すでに不十分でしたが、Wordに書いて
おいたんです。それをコピーして貼り付けているだけなので、今日、こんなに掲載出来たんです。
自分の
名が広まることと、一定の人の名はいずれ誰でもわかってしまうので、匿名にしてもバレちゃうんです。なので、名誉毀損や中傷には気をつけています。まず訴えられたりはしませんよ。大丈夫です。正式にブログ化して発表しますね。お待ち下さい。
>>おやさまは見守って下さっていると思います。
読ませていただきました。個人名はアカンと思いますが、記憶力が良くていらっしゃいますね。文章もすごく早くお打ちです。<<