① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
カイン様、
旧コメント欄を読めるようにしていただき、
また、新コメント欄を準備いただきまして本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
天理教校学園の学生募集停止はが非常に深刻なわけ。
●そもそも天理高校があったうえに新たに学校を作ったのは、天理高校の教員(組合)が思い通りにならず、信条教育を図ろうとする当時の本部の思いに一致していなかったから。野球や吹奏楽など、教外者をスカウトすることも多かった。そこで、次代を担う布教専従者の育成を目指し、男子校の付属高校をつくり、卒業後は5年の第二専修科への進学を義務づけた。その後、親里高校をつくり、海外布教の要員育成をめざして、外国語の授業を充実させた。しかしうまくいかず、両校合併。第二専修科も廃止。そして今回の廃校。つまり、天理教が布教のために力を入れた学校(政策)は失敗したのである。
●教会子弟が多い学校が、本部の財政を理由にして真っ先に切り捨てられた。本部で子弟教育を面倒見てもらっていた教会としては、かなりショックではないか。子弟教育は、天理教が数十年強調していた「縦の伝道」に他ならないから、その根本を揺るがす事態である。
●教会子弟が無償化政策で地元学校へ進学できるようになったことで、本部へ来ないという傾向が強まる、あるいは強まっているということであれば、そもそも本部の理念によってつくられた学校への魅力がない、ということを示してしまっている。
●とはいえ、現実には、天理高校2類・1類・教校学園、天理高校2部という偏差値による輪切りもあって、本部の方々は教校学園にはあまり進学させなかった。基本、天理高校である。果たしてどこまで真剣に布教要員を育成しようとしたのか、検証されてしかるべきところである。
●久保理事長は三代真柱の子であり、学校を優先して考えるのであれば、その立場を利して予算をとってくるべきだろう。しかし、逆に廃校に向かった。本部の中枢は、次世代を担う子弟教育より本部の運営が大切だということを、端的に示したことになる。このことは、本部の他の関係施設、医療大学、天理大学(法人)、にも影響を及ぼすだろう。憩の家についても同様である。本部から派遣されて運営を担っている人は、本部を守るために動いても学校や病院を守るためには動かず、経営努力をせずに、それらの施設を切り捨てる可能性を示唆している。(医療大学も廃止のうわさがある)
以上、こどもおぢばがえりの縮小をあわせてみれば、ただでさえ縮小モードなのに、それを加速するような一手である。将棋でも変に攻めを受けると、手が一気に進むことはよくあるはなし。教会の次世代の育成という、もっとも手をつけてはいけないところに手を付けた。天理高校に手を付けたらマスコミに騒がれてイメージが悪い(たとえばPL学園を見よ)かもしれないが、内部では教会子弟・縦の伝道は本部で支えますといえたはず。しかし外づらを気にした対応のために内部的なダメージはかなり大きいと推測される。また、運営(経営)の無策も露呈したので、悪評により、病院・大学によい先生が来なくなることもやむをえないだろう。
これからは組織に頼らずに個々が強くならなければならない。
身体的にも 精神的にも 経済的にも 地位的にも 時間的にも
戦後から急速に科学や医療技術、栄養も教養も全体的に豊かになった。
年寄りは長生きして数が増え、子供は数が減り、過去に想定されていた未来よりもかなり早く事態が悪化してきている。
宗教もこの時代の変化の早さに置いていかれている。
世界情勢も一瞬でひっくり返るであろう予断を許さない時代。
またひと昔前の弱肉強食が色濃くなる時代の再来が懸念される。
強くならねば
天理教に強い疑問を持ち、あれこれ資料を探しているものです。
秀司が始めた天理教団が強欲から始まった事実や、現教理に教祖の教えに無い神道の神名が入って来ている事実を知りました。十柱の神名は信者が押し寄せ賽銭が相当上がるようになりその旨味を知った強欲な秀司達が、教団設立の為に神道の神名を利用して「転輪王」として唱えるとし、吉田神ぎ官に願い出たものだそうで、この時に初めて教祖の教えに無い神道の神名が入ったと言う事のようですね。
大正5年1月号「新宗教」飯降本席様の息子さんの著述による記事によると、
秀司とその妻まつえの人格について、「秀司もまつえも仕様のない方らしかった。その為に教祖の心を休ませられたと言うことはなかった。」と述懐しています。
教祖は秀司出直しに際しては、「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」と仰った。
嫁のまつえの出直しに際しては、「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」と仰ったそうだ。
中山家の強欲の遺伝子は今に続いています。教祖が現中山家の強欲に対して天から仰っています。
「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」
「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」
終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。
ツイッターより
8月7日
梅
次の三年千日には教勢ももどるので耐えましょう!という話が以前あったが、真柱様が今の身上のままおさづけの数もふえないのにお供えが増えるという根拠がない。それにその時財政的に厳しいため館建築資金の取り崩しの話もあったが、本部勤務者を減らしてもいいのではないだろうか、国の奨学金も増え
いちれつかいに頼らずとも進学は可能、行事も無駄に多い。同じ顔ぶれしかこない支部行事、ようぼくのつどい、母親講座、「良い話」でおわるだけなら不要。よほどこどもおぢばがえりで次世代をになう子供に予算を回したい。
8月8日
☀️睦輝☀️(むつき♀)
予算削減話で「140年祭になれば教勢は上がる!今は耐えよう!」
誰が言ったと思います?
なんと!
表統領、中田善亮!
_人人人人人人_
> やっぱり <
 ̄^Y^Y^YY^Y ̄
節目には御供え増とか楽観し過ぎorz
そして「教勢=御供え」な思考回路の残念さも露呈です。
匿名
2019年8月8日 6:38 PM
>終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。<
地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう。
はじめまして。わたしは元天理教末端教会の娘です。ようぼくですが信仰はしておりません。大教会は、福岡県にある 鎮西大教会なのですが10年ほど前天理教の知り合いに聞いたのですが、いま、鎮西大教会の大教会長家族は、たしか破産して、京都にある別荘である中心山荘で暮らしているらしいのです。
一体どうなってるのでしょうか?月次祭は直轄の教会長さんが交代で執り行っているそうです。
わたしは
20歳の時修養科にいき、あれから約30年、さすがにじんわりと離れなかった洗脳もとけました。
お時間がありましたら教えて下さい。
退職信者から退職した元信者に変更します。
投稿を始めた頃は、洗脳が解けていなかったので退職した信者という名前でしたが、既に完全に天理教を捨てているので名前を変更しました。
昨年末の大掃除では、神棚の鏡も捨てたし6人分のおかき下げも庭で焼き捨てました。
(おふでさきは残しています。)
それでも、家族は皆 仲良く朗らかに生活しています。
10-54「このようふのぢいと天とハぢつをや それよりでけたにんけんである」
と歌われいます。
地球上の生物は、地と天に抱かれ 火水風に守護されて生きているのです。
本部のお陰ではありません。
≧地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう
大きい波になれば成る程 引き波も更に大きくなり被害も増大するという事ですね。
最近、天理教ライブカメラをよく見るのですが、本部前に人が集まるのは、毎月26日の午前10時から12時の
2時間ほどです。集まると言っても礼拝場前のパイプ椅子は隙間だらけです。
礼拝場内も隙間だらけだと思います。
一か月間にたったの2時間弱しか人が集まらないのです。
後は、土日も祝日も大型連休になっても ほぼガラガラ、一人っ子一人いない状態が続いています。
私が思うには、天理教に縁の有った人々は 既に殆ど去ってしまったと思います。
今時本部に行く人々は、姻戚関係で繋がってしまい逃げるに逃げられない人達だと思います。
沈んで行くのがわからないふんぞり返っている連中もいますけど・・・・。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。<<
負の連鎖・負の現象
お供え激減、館の修理費ありません、詰所の修理費ありません、配食部門も人がいません、パンと粉スープで我慢してね、教校学園は潰します、お金が掛かるから布教師養成出来ません、日本一のブラスバンド、そんなのお金にならないから潰します、本通りの土地買収 お金が無いから出来ません、黒門倒したけど、お金が無いから再建出来ません、、、修養科生殆どいません、本部勤務者志願者激減してます、天理市寄付金10億円 はもう出来ません、、最高40億超えして便宜計って貰ったけど、もうお金ないからちょっとまけてちょうだいよ、、
これが天理教団の現状。
理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
>一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。<
自らの非を他者の責任にすり替える。教会本部の卑劣な常套手段です。一部の本部員ではなく教会本部全体の「考え方」「やり方」です。世間ではそんな不条理な「屁理屈」は通用しません。天理教はいよいよ終焉です。
読者の皆さん、皆で最期を見とどけましょう。
組織は組織
信仰は信仰
分けて思案しないと、幸福や充足感から離れていきますよー
天理教の起こりや、そもそも論をしたら、元も子もないですけど…
日本で信仰できる宗教は天理教以外にもたくさんあります。
天理教、さらにはその組織活動に人生を費やすのは少しもったいないと思います。
昔より個人の思想や権利が尊重される現代、江戸時代からそんなに変わることがない凝り固まった思想では時代の変化に対応できません。弱い立場、思想、満たされず、自分に嘘をつく人生にならないように…人に喜んでもらい、人助けのできる人生がよろしいかと。
先を楽しめ…
しかし先案じはよくない。神にもたれろ。難しいことをいう教え。
神にもたれても、組織にもたれたらいけない。
組織と信仰
人と神
男と女
陰と陽
二つ一つが天の理
対になるもの、相反することがらをよく見極めないと
組織と信仰、人と神は相反するものではないと思いたいのですが…
ここに書き込んでいたらよくわからなくなりました。
天理教以外の宗教の勉強もしようと思います。
みなさま、まだまだ暑い日が続きますが、お元気で
某・コメントより
他系統・教会番号一桁の某大教会の部内教会長の友人が電話をくれた。
今日、その友人の携帯へ、彼の所属する「大教会役員」より電話があったという。
内容は、
「大教会長は何も仰ってないが、」と前置きして、
「教校学園高校閉校へのいかなる反対署名・嘆願署名の依頼があっても応じないようにしてほしい」
そして、
「大教会長は、ぢば一条でそんなことは、お嫌いだから」と付け加え、
「くれぐれもご部内(彼の教会の部内教会のこと)にも徹底して頂きたい」
と、語気を強めたらしい。
でた〜〜〜!!!
これが、「忖度(そんたく)!」
が、その系統の役員の友人に確かめたら、
それは、大教会長自らの通達らしいことがわかった。
でた〜〜〜!!!
これが、「圧力!」
が、彼らは二人とも、
自ら、署名を取りまとめてくれる。
部内には署名を薦めてくれる。
忖度、失敗〜
圧力、失敗〜
善因善果悪因悪果も心通りの守護の内にある天理です。
中山家の短命、断絶、難病因縁の連鎖は、当人達の神の意図しない心の道に起因するものでしょう。
タスケ一条のこのところのお地場の再生には、天保九年からの問答、「天啓を受け入れてくれるなら世界中を救けさそう、不承知ならばこの家粉も無いようにする。」という神の預言が、神と中山家の問答が続いているからなんでしょう。
本部における天啓者達の擁立が、愛すべき天理教系集団の再生にも、中山真柱家の健康回復にも、必要なんでしょう。
集計表を見るかぎり、ポチポチ満席でおさづけの理が渡されているようだがどのような状況なのか知りたい。
どなたか詳しい方おいでですか?
真柱が渡しているようだが、渡せる状態まで回復したわけだろう。
では、お話の原稿も考える事ができるのではないだろうか。
代読をたて、生存している証を発信すべきだろう。いつまで大亮に言上させているのか。せめて大亮が真柱の言葉の代読とするべきだろう。
思い出すのは時報での正月挨拶は弟が出しゃばっていて違和感があった。
おりしも参議院では発声が困難な新議員をサポートするにはどうしたらよいか、関係者が心を寄せて実行しているではないか。
このまま大亮時代にズルズルと移行させるつもりなのか。
何だかそんな気がしてならない。
時報ですら真柱の近況を伝えようとしないのは、既に時報社も表統領派となっているという事なのか。
教団トップの執筆連載があってもいいのではないか。
まぁ、こんなことを言ったところで、とっくに大亮時代になっているのだろうね。
あ・・・・・・いやだぁ。大亮が真柱? 肉を巻け? ウマシカにつける薬は無いしなぁ。
大亮真柱を発表したら、一気に信者が本部から引いていくよ。
いくら従順な青年会が大亮真柱に肉を巻いたとて、頭と心は本人次第。
大亮に暴走させるのが消滅の早道かも知れません。世間でもトップがウマシカでは人がついて行かない。もう引き潮の流れに入っていますから、ウマシカに好き勝手にさせて置くのもありかもしれない。消滅を急ぐ親神が敢えて彼をトップに座らせるでしょう。
苦労も経験も無い若造が腹黒い親父に手綱を引かれて、口先だけの講釈を垂れ、誰がついて行きますか?ウマシカ親子がこの引き潮をどう食い止めるか見ていましょう。
因みに真柱は車椅子に乗って出てきていると数ヶ月前に見た人から聞きました。車椅子に座っておさづけの理を渡しているのでしょうか、、、。その時聞いたのは渡すのは1日限定の人数だそうです。今は増えているのかも知れません。
それにしても、教祖の怒りをかっていた、ならず者の秀司も足の身上、今に至って善司さんも足の身上。中山家の因縁が切れて無いのに、信者に因縁き切りを言える資格があるのかと思う。
御守護の貰えない中山家、病の完治しない現真柱は信者の手前、出来るだけ隠して置きたいのが本部の本音でしょう。
善司さんは頭の身上じゃないの?
足の身上なの?
どうなの?
真柱の身上。
そもそもは頭の身上です。脳梗塞と聞いています。車椅子で移動と言うのは脳梗塞の後遺症が足に出ていると言う事でしょう。この後遺症は人によってはリハビリで好転はするでしょうが、今現在は完治したとは聞いていません。
秀司も性病が原因でびっこだったそうですが、中山家の因縁は色情も含めて切れていない様ですね。
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
日本の宗教はチャイナの諸問題にはノータッチだと思います。
話はずれますが、ある経済学の巨人と呼ばれる人の書物に、なるほどーと思った一文がありました。
個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。
確かに!
天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
私は、天理教末端分教会にはからずも生を受けましたが、幼い頃から天理教の「悪い側面」ばかり見聞きして育ちましたので、10代後半に天理教以外の宗教について勉強してみたいと考えて、ミッション系の某大学に進学し、キリスト教や聖書について少し勉強させていただきました。その当時、宗教について悪い印象、悪い思い出しか持っていなかった私ですが、キリスト教を勉強するにつれ、その教えの素晴らしさに感動し、枯渇した荒野に大雨が降り、大地に吸収されていくような「爽快感、納得感、充実感」を覚えました。
私は、幼少期から天理教という宗教に不信感と軽蔑感を抱いて育ちましたので、生家は天理教の末端分教会でありましたが、教会を継ぐ意志も無く、大学卒業後、直ぐに就職し定年退職を迎え、現在、人生二度目の勤め(仕事)をしています。
今回、偶然にも当掲示板中のやりとりの中で、若き日に学んだキリスト教の教えの素晴らしさに改めて気づきました。残された余生を心穏やかに聖書を読みながら過ごしたいと考えています。しかし、僭越かつ大変生意気な言い方ですが、純情で正直で善良な天理教の一般信仰者、末端分教会を毒牙から守るために投稿は続けさせていただきます。
キリスト教の教えを誰にも分かりやすく簡単に解説されているサイトを見つけましたので、よろしければお読みください。
http://seishonyumon.com/coach/509/
最後の改革をどうぞ
宗教ビジネスに堕落した組織をぬけだして本当のたすけとは何かを考えさせられます。
https://www.youtube.com/watch?v=wDFiwAh_Ikc
①おやさとパレードは廃止
②天理教校学園高等学校閉校
立て続けにダブルパンチですね。
パレード無くなるとは、こどもおぢばがえりの一番のイベントのメイン行事だったのでは?と思うと今後は何で参加者を引っ張ってくるのだろう
衰退には目に見えて分かりますが、
現在の天理教の総資産ってどれくらいだと皆さん類推されますか?
上記、キリストの「最後の改革」を見せていただきました。感動的でした。神と心が通じる時、全身が神の愛に満たされ、皆んな自然と涙を流していましたね。現在のキリスト教会も問題を抱えていて「建物」「教会」に信仰の目が奪われているようですね。キリスト教会が神の身体を売って金儲けをしていると言う表現がありましたが、天理教でも現トップは正に神を売って金儲けしていると実感します。キリスト教世界にも真実を求めて真実の生き方をしている方々がおられるのですね。感動的でした。
今の天理教は嘘ごとですね。この映画の中でもキリスト教会が堕落し、キリストの原点に帰れと言ううねりが起きているようですが、天理教も原点に帰って、あれこれ中山家人間の欲得感情の混じっていない、純粋な教えに触れて見たいと思いました。タイムマシンがない限り、また中山家一統が罪を認めて洗いざらい罪を告白し、改心でもしない限り、教祖の純粋な教えに触れる事は叶わぬ夢ですね。
神の愛に触れることが出来るならキリスト教を知りたいと思いました。
善司さんもバプテスマを受ければ、夢の様に全快するのではないかと思いました。
バプテスマを受けて下さい。
今の天理教では、誠、真実がないが故に、また神を利用した最終目的が「お金」なだけに、ピント外れの営業活動ばかりに執心しているように見えます。そもそもトップの心が神に向かっていないから人々を救う力も真柱自らが救われる力も無いと感じました。神への背信行為で道が伸び栄える理はどこにもありません。
現在の縮小、廃止の波は自らの損得勘定でトップ自らの手で起こしていますね。実は神が入り込み、瓦解に向けてそうさせている様に思えます。
匿名
2019年8月13日 9:50 PM
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
>天理教団は上記のような世界的諸問題についておそらく何にも考えていないと思いますよ。
まあ、一応は考えているフリをして新聞などで何らかのコメントはするでしょうが、自組織がガッタガタで瓦解・崩壊の危機に直面しているのでそんな余裕も無いし余裕が有っても自組織の肥大化を目標にしているので世界的諸問題など我関せずだと思いますね。
視野狭窄若しくは視野が外向きじゃなく、内向き、しかも、とことん内向きじゃないかと感じます。
> 天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
> まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。
でないと本部内で「それまで予算厳しくなりますが、皆で耐えましょう」などと鼓舞する為の救いとして、そのような事を口にしないでしょう。
何方かが私のツイートと梅さんのツイートをここへ転載して下さってますが、本部内からリークを頂いた確実な情報です。
ちなみにリーク頂いた方曰く、その表さんの話を聞いた周りの人々は殆どの方が何も違和感を覚えていなかったそう。
三年千日が来れば予算削減の必要は無くなる!と素直に思ってる本部の人が多いのでしょうね。
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。<<
彼は崩壊、瓦解の根本原因が何かわかっているんだろうか。ここは神を語る宗教団体であり、営利を目的としない筈の団体ですよね。
学校を潰したり、天理市寄付金を減らしたり手当たり次第の事をしているが、限りなく下降線を辿るマイナスエネルギーに付きまとわれている以上、負の連鎖が渦巻いていて回復は限りなく無理でしょう。
信者にお金で神の守護を買わせるような金、金の体質を心を培う体質に方向転換せずして、回復はあり得ない。彼は何を根拠に盛り返すと言っているのだろう。
この期に及んでも、根拠なく140年祭にはお供え金が回復する!とお金にこだわる腹の内が思わず出てしまうんですね(笑)
教勢回復とおそなえ回復を信じるぜんすけもバカだが違和感持たない本部の奴らもバカばっかかよ
さすがにそんな根拠の無い理由での鼓舞を真に受けてると思うと呆れるを通り越しかわいそうになるな
違和感持った奴はぜんすけ叩き落として自浄しようとは思わないのかよ
百四十年祭でおそなえ増えるわけないと思うのは本部で力ない奴らか?
本部の人も(少しわかっているなら)、いまの表統領で天理教が決定的にダメになるのであれば、教祖の血統の方、つぎの真柱の父が仕切ったものだから仕方ない、と思っているのではないですか。東西礼拝場普請を「心のふしん」といっていたころが懐かしい。年祭活動を何だと思っているのでしょうか。年祭活動でうたってきた人だすけとか人類の将来のビジョンがない、あるいはあっても、こんなふうにお金がさきに見えるぐらい薄っぺらい。年祭活動にあわせ、おやさとやかた構想の断念、詰所の統廃合を宣言するぐらいでないと(これができるのは真柱かそれに準じる人以外にはない)。人材育成(教校学園・おぢばがえり)を先に切ってどうするの。
↑の匿名様。
だから善亮さんは、馬鹿だって言われているのです。物事の優先順位さえも分からない。どこまでも損得勘定で動く人です。こんな人に神を語って欲しくないし、語ると支離滅裂でしょ?こんなの信仰じゃない。
損得勘定、神がするって聞いたことがあるけれど、理のない欲望は神がきちんと勘定するんです。
心配ないです。確実に消える方向に神が持って行くと思っています。
ツイッターでの投稿です。
>うちの大教会の直轄教会は毎月大教会の月次祭のお供えとは別に大教会長と奥さんに「お礼」として最低1万円を渡しているらしい。
二人だから2万円は必要だが、それが厳しい直轄もたくさんあるようだ。
何のお礼なんだか意味がわからないけど、他の大教会直轄も同じようなことしてるんだろうか?
そういえば100年祭の頃、本部直轄教会の後継者が「ある教会から小遣い10万円もらった」と言って飲みに連れて行ってくれた。
そんな時代だったので、その時は深く考えなかった。
しかし、こんな事が習慣化されると、まともな感覚をもった会長になれる筈がない。
本当に、金まみれの組織になってしまった。
なんだかんだと言いながら時が過ぎて、あと4年もすれば秋の大祭終了時には、善司さんだか、大亮さんだか知んないけれど、諭達第〇号なんてタイトルの上から目線丸出しの書類が配られ、さもありがたい書類のように受け取る人たちが居るんでしょうね。その頃まで生きていないと思うけれど、振り返れば、諭達、諭達と騒いでいた人たちの今の思いはいかばかりかと思わずにはいられません。
一刻も早く、洗脳から解放されんことを祈るばかりです。
余談ですが、諭達が配布される年祭ごとに、教会での月並祭後や講社祭りの終わりにこの諭達を捧げ持って一礼し、拝読していました。今思えばよくぞやっていたよなぁーとの思いです。
今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。
毎年、毎年、どんだけお金を使ったことか。カラーテレビが珍しい頃に、いの一番に上級に持って行きました。そのカラーテレビは、初代の意向を無視してその上の親の教会へ持って行きました。
だから上に近い教会には苦労知らずのぼんくらばかり(今は老人になっている) 居るんだと納得してます。
「芹沢光治良文学愛好会」ブログに興味深いコメントを見つけましたのでお知らせします。
文学評論連載「③芹沢光治良氏と天理教」芹沢光治良と天理教」芹沢文学研究会代表小串信正氏
匿名 2019年8月16日 11:42 AM 様
>今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。<
子供(部内)が親(上級、上々級)にお年玉をあげるとは、これ如何に。 普通は親が子供にお年玉を渡すものだが、いかに天理教世界が世間と真逆かということを改めて思います。
しかし徹底的に親(上)に仕え、親(上)の機嫌取りをしていた子供(下)も悪かった、というと語弊があるが、上を増長させてしまった所はありますね。洗脳されていた、ということでしょうが、悲しいですね。
mami様、芹沢先生に関心を持っていただいて、ありがとうございます。
芹沢先生の文学は、日本の自然主義文学の流れをくんで、日常の出来事を日記のように書いていくものですが、そこには、ただ<人間>が描かれていました。芹沢先生も<神>について語られることがありましたが、それゆえ、先生の語られる<神>は<人間の眼>を通して描かれたものだった言えるのではないか、と思います。
天理教百年祭のちょっと手前のころでしたが、先生に天の将軍がとりつき、先生はその指導を受けて色々と修行をさせられました。そのあたりのいきさつは晩年の八冊ほどの書き下ろし小説に述べられているのですが、これを読んだとき、先生の心に変化が起きているのを感じました。先生はこの本で、<生命>をテーマにして<神>を語られていたからです。それは、今までの自然主義文学ではなく、一段ステップアップした文学と言えると思いました。
この時、先生は90歳を超えられていました。先生をここまで指導した天の将軍もすごいのですが、それが出来る人間を創られた神様もすごいと思います。ともあれ、芹沢先生によって、人間は何歳になっても修行をすれば精神面でステップアップできるということを証明していただきました。
で、その後なんですが、芹沢先生や芹沢文学について語られることはあまりないようなのですが、芹沢文学はこのままうずもれていくのでしょうか?だとしたら、神様は一体何のために芹沢先生の老骨にムチを打ってあれだけの修行をさせられたのか、不思議に思います。
ぶたまん様「芹沢光治良文学愛好会」は今も続いておられます。明日(2019・8・18)も東京・三鷹市で月例会が開かれるようです。(私はT教に関連して興味を持ったので芹沢文学の一部しか読んでいないので参加したことはありません。)
専修科の従兄が何を思ったのか『教祖様』(1959年)の新刊をくれたのです。T教について話ったことも無かったのに。今になって従兄と話しておけば良かったと。数十年も前に亡くなりました。私の人生に大きく関わる「本」になるとはその時知りませんでした。
神シリーズで『死の扉の前で』の頃とは違った芹沢氏を感じました。中山正善との距離や天理教に対しても。
昨日、大串信正氏の文章でよりわかったこともありました。葬儀のありかたを通したも。
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」この姿勢を貫かれた見事な一生でした。
若い人に芹沢文学に触れてほしいです。
旧天理教の崩壊期に、新しい普請をしている馬鹿教会っていまだにあるんですか?
新しい普請を計画している教会は、何軒も有ります。今更?と思いますが、そこは雨漏りがひどくてどうしようもない程の老朽家屋です。もう一つの教会も古くてぼろぼろです。したくて普請するのではなく、生活上の必要に迫られて。
しかし雨漏りは自分で出来る範囲で修理されたし。部内を当てこむ根性だけは金輪際捨てて頂きたい。私は、断固拒否します!自己責任でやられたし。
しかし、こう言う老朽化が進む教会建築物に住む教会はこれからどんどん増えるはずです。貧乏人教会同士が上だ下だ親だ子だと互いを痛め合っている状況です。バケツで神殿を走り回るのも気の毒ですが、トバッチリが部内に飛んで来ても、もう末端部内だって余裕はありません。本部は修理巡教だ何だと全国回れば自ずと端々の懐状態はわかる筈だが、一向に子いじめ体質から脱却せず、取る事ばかりを大教会経由で号令掛けているようです。
教会は税金がかからず良いね、と言われるが修理せねば暮らせない程のボロ教会は、自力で補修せざるを得ず、私も信者に頼まず自腹をはたきましたが、建て替えとなると上級も部内も強盗して金を工面するしかないような状況です。
ただ、素直な彼らは神にもたれて普請するつもりの様ですよ。
だったら部内は当てにするな!と早めに釘を刺して置きたいと思います。
時報に「いちれつ会扶育生」志願案内が掲載されていた。
教校天理高校が廃止される事を知ったから、志願案内に目がいったのだろう。
驚いたことに、扶育の対象に天理小学校と天理中学校をもが含まれているのだ。
扶育を受けてまで私立の小中学校に通わせる人々がいる点に関しては、
まっ、人それぞれ事情が有るのかもしれないが。
そもそも、なぜ、小中学校から私学に行かせるのだろう。
天理周辺に居住する子供たちが通学する公立校は無いのだろうか?
天理教の偉いさん達の子や孫が通うために私学が必要なのだろうね。
しかも将来の忖度力溢れる取り巻きを用意するには小さいうちからの選別と養育が必要と、まさかの皇室もどきの考えなのか?
経済的にひっ迫する中であっても、天理小中学校を存続させる理由は、そうか、大亮さんの子供のためだね。
公立校へ行けば、いろいろ子供を通じてばれてしまう事が多いからかもしれない。
だからこそ、子供誕生の際に大亮さんから多額のいちれつ会へ寄付があったんだ!今になって納得。
表統領の意味不明で根拠の怪しい言葉を信じる人たちは、「洗脳」された取り巻き集団。
子供の時からの洗脳教育にお供えの一部が使われてきた・・・・。
今やプレ「表統領+大亮真柱」体制であることは時報が最も端的に伝えてくれているようだ。
洗脳軍団生産現場の小中学校廃止こそが真っ先に手を付けるべき整理対象だと、賛同していただけるご父兄の方々がおられましたら、26日説明会にて発言して頂ければ幸いです。
でも、無理だろうね。子供が人質にとられている状況だから・・・・。
親神様、今こそ出番ですよ。
天理教の塩尻美智子さんご夫婦(天理教の教会の方)のケニア孤児院の番組が今放送されています。
天理教の人助け、世界助けを身をもって無給で実践しておられます。
番組では「天理教」の名は出て来ませんが、こんな過酷な土地で誠真実が無ければできない事です。頭が下がります。こう言う生き方こそ、不言実行。親神様の御心に添った陽気暮らしへの実践です。
同じ天理教でもふんぞり返ってお金、お金とお金集めの事ばかり考えているどこかの太った親子とは思考回路が違います。信仰とは何かを考えさせられます。
真実の信仰生活がケニアで実践されています。私達は、どうでもいい不毛な活動に時間と金を無駄に消費せず、この塩尻夫妻の様な真実の信仰生活は何か?を追い求めたいものです。
天理教は本当に大丈夫?
宗教法人法第25条には次の条文がある。本部にだって同条第2項第3号に基づいて作成された財産目録があるはずだ。
更に、同条第3項において、信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
この場合、信者の範囲はどのように解すればいいのか。本部直轄の信者でなければならないのか、末端教会の信者では閲覧ができないのであろうか。末端教会の信者であろうと直轄信者の委任状があれば拒否できないだろう。
どなたか、本部の財産状況を明らかにしようという意思のある方が居られないのだろうか。
財産の状況を知ったところでどうにもならない面があるだろうが、本部にどれほどの不動産があるのかはハッキリとするだろう。
用木といわれる立場であれば本部に名簿があるはずだから信者と理解してよいのではないか。立場の法律的な解釈は素人では判断しかねるが、法律の専門家に相談してみる価値はあると思う。
もともと、宗教家と呼ばれている方は法律に疎い面があるように思われる。
責任役員に月並祭の祭典後に会議と称するものを開き、決算書(案)を示して役員会などと言っているが、公益法人では理事会の数週間前までには必要な案件書類を送り、会議当時に質問が出来るように十分な時間的余裕を与えるのが常識だ。
天理教ではこのような常識的なありかたさえ理解できていないのであるから、ましてや、書類の信者等への閲覧なんて考えも及んでいないのであろう。
どんぶり勘定的な会計処理をする天理教に風穴を開けることが出来る法律が宗教法人法だ。特に、第25条は信者一人ひとりが自覚すべき法律だと思う。
宗教法人法抜粋
(財産目録等の作成、備付け、閲覧及び提出)
第二十五条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、毎会計年度終了後三月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
一 規則及び認証書
二 役員名簿
三 財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
四 境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
五 責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
六 第六条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後四月以内に、第二項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項第二号から第四号まで及び第六号に掲げる書類の写しを所轄庁に提出しなければならない。
5 所轄庁は、前項の規定により提出された書類を取り扱う場合においては、宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない
天理教の衰退が著しく、仮に存続が本当に厳しくなった場合は今の本部の建物はどのようにされると考えられますか?
また、旧の天理よろづの建物はそのまま今もありますが、あれらも解体される可能性がある感じでしょうか?
あの辺り一帯は更地になる感じになるでしょうか?
1つの宗教が解体される場合、今まで歴史上はどのような形になっていってますか?
この辺り、無知なので教えて欲しいです。
>信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
信者というのは、その宗教法人に属する「信者」と解釈するのが妥当でしょう。
当たり前の話ですが、本部には「宗教法人天理教」と「宗教法人天理教教会本部」があります。
本部の包括関係にある本部直轄教会とはいえ、大教会や直轄分教会は、全て、上記2つの法人とは別法人です。ましてや末端教会などは当然に「違う法人」です。
ですので「天理教の信者」とはいえ「本部の信者」ではありませんので、財産目録や事務所備え付け書類の閲覧を請求したところで、本部側には応じる義務はありません。
もっとも、「宗教法人天理教」か「宗教法人天理教教会本部」の信者(ようぼく)という人とは会った事がありませんので、存在するかどうかも疑問です。
とはいえ相手は人間ですから、中には勘違いして見せてくれる担当者がいるかもしれませんので、多くの人が「閲覧させてくれ」と申し出るのは良い事かもしれません。
加藤ハルアキ 様
解説を下さり有り難うございます。
本部は、正に伏魔殿ですね。何もかも隠そうとする忌むべき体質が改善されない限り、さっさと崩壊してほしいと願うばかりです。
信仰は、このような腐りきった本部につながらなくても十分に維持できると確信しています。今は無神論者ですが、加藤様のように確信をもって信仰を求められる姿を拝聞して、多くの末端教会がこのような取り組みをされんことを望むばかりです。
加藤ハルアキ 様
2019年8月21日 9:40 PM
東風Z様が紹介していただいたように、宗教法人法第二十五条第3項には次のような規定があります。
>3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。<
「宗教法人」とは、国(文化庁)の認可があって、始めて、「宗教法人〇〇教」と公的名称を名乗ることができます。つまり、極めて「公共性」の高い団体です。とりわけ、天理教は一新興宗教の名前が、「地方自治体」の名前として使用されています。また、公共性の高い駅名にも「近鉄天理駅」や「JR天理駅」のように宗教名が使用されています。私の幼少期の記憶では、かつて、天理市は「丹波市」という名称で呼ばれ、私の祖父母達は天理教教会本部に参拝することを「丹波市に参る」と表現していました。天理市内の殆どの公立小中学校や公共施設の名称にも「天理」という宗教名が使われています。また、「天理市」という地方公共団体も天理教から長年にわたり、多額の財政的寄付を受けてきました。私は、かねてから、一地方公共団体が一新興宗教と密接な抜き差しならない関係を持つことは、日本国憲法の「政教分離の原則」に抵触すると考えています。
話は少し脱線しましたが、宗教法人法第二十五条第3項に規定されている「その他の利害関係人」には、天理市に居住し納税している一般の天理市民も含まれ、仮に天理教とは全く別の宗教を信仰している天理市民、あるいは、宗教を全く信仰していない天理市民から情報公開の請求があつたときには、「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
崩壊 さま 2019年8月22日 6:37 PM
>「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。
でも実際に情報公開するかどうかは、情報公開を請求された本部(「宗教法人天理教」および「宗教法人天理教教会本部」)です。実際に、誰かが「情報公開を請求」し、それに対する本部側の回答が「情報は公開しません」というものなら、東風Zさんや崩壊さんが言うような理由で、「情報公開をしろ」と訴えればいいのです。
ここで「情報公開するべきだ」とか「情報を公開しないのはおかしい」という議論は、学問的・学術的解釈をするなら意味はあるでしょうが、我々には全く無意味です。
私としては、実際に誰かが「情報公開請求をした時の本部の回答を知りたい」と思いますので、是非とも実行して頂きたいのです。私は明らかに「利害関係人」ではありませんので、請求することは出来ません。
加藤ハルアキ 様
2019年8月23日 7:14 PM
>勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。<
私も同様に、「情報公開して欲しい」と考える立場というよりも、むしろ、当然、情報公開をするべき義務があると考える立場です。国から宗教法人としての認可を受けた以上、公的性質を帯びた団体であり、情報公開の義務が発生すると考えます。宗教法人法をもう少し拡大解釈すれば、公的性質を帯びた団体である以上、天理市民あるいは天理教の信者であるなしに関わらず、情報公開は、日本国民に対し、教会本部が積極的にするべき義務があると考えます。かつて、オウム真理教が起こした残虐な一連の事件を未然に防止する意味でも、宗教団体の「透明性」は確保されなければならないと考えます。
天理教校学園廃校について、25日・26日に父兄への説明会があったようだ。
その時の様子を記事にしている人がありました。記事の添付です。
廃校決定はすでに、奈良県に報告されていた。天理時報での素早い発表といい、県への報告といい、既成事実を作り「もう下々は、つべこべ言うな」という表統領・中田善亮の声が聴こえてきそうだ。
「たくさんの署名が集まっても、最早この決定が覆ることはない」と天理教校学園高校理事長の久保善平は言い放った。
「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
そう、中田、久保、真柱は実の兄弟。
命名しよう。
「廃校3兄弟!」
参加者は「真柱様がまさか廃校をお認めになるわけはない」と思っていた。
ある父兄が、昔第二専修科が幕を閉じる時、最後まで反対していた3代真柱がその寮にやってきて第二専修科生に「もうしわけない」と頭を下げたというエピソードを話した。が、当時第二専修科で何か役目に付いていたこの日の司会役の本部員の永尾洋夫が、「そんな事実は全く無かった」ときっぱりそれを否定した。この司会者はかなり阿呆か、そのエピソードを全否定してどうする。真柱の親心を伝えるためそのエピソードを少し訂正して利用したらいいのに。
真柱謝罪の真偽は解らないが、我々下々の教会長や信者は、真柱を親と慕う気持ちから、たとえそんな事実は無かったとしても、そんなエピソードを作ってでも、真柱を心から慕いたい熱い心を皆持っているのだ。
それを打ち消して真柱の威厳を保ち、護ることは、取巻きのお偉方の役目か?いや、これは自らの立場を守ることだろうに。
真柱は神ではない。
我々は心底親と仰ぎたいだけだ。
莫迦な取巻き本部員の言動で我々下々の心から、真柱はどんどん離れていく。
一番後ろの席に座られていた布教所長夫人は、非信者から天理教布教師の夫に嫁してアフリカで布教生活を送り、子供たちに我慢に我慢を強いて最低の生活費以外は全てお供に回してきたという。帰国しても生活は変らずそれでもお供を続けてきた。彼女の友人からは「天理教は何の保証もしてくれないんやね」と言われてやっとその保証らしきもの、教校学園高校に上の子供を入れれば、この度の廃校、下の子供の「お兄ちゃんと同じ学校に入りたい」との夢を奪った。
この布教所長夫人は、「これからは、お供を減らして子供たちのために使いたいと思いました。ありがとうございました」と言い残ししてスッキリした様子で会場を後にした。
この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。
さて、本日8月26日現在集まった1万7千5百2名分(うち教会長201名、布教所長45名を含む)の署名をどうするか思案中だ。署名を受け付けないとする教会本部に無理に渡すと個人情報を悪用されかれない。もちろん「悪用」というのは、世間での悪用ではなく、教内での「圧力」という意味だ。
>>この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。<<
私のように天理教から離れた人間が読んでも、「むかっ腹」がたちます。現在天理教の信者さん方、一刻も早く天理教から去りましょう!!
苦しい立場の人に寄り添い、、人助けに邁進、、などと天理時報では良い事づくめのご託を並べていますが。
実際本部がやってる事は、苦しく弱い立場の人達を無視し、谷底からの文句も意見も受け付けないと言う冷酷さ、傲慢さ。
この度の閉校問題で本部の本質が見えました。
お供えお供えと貧乏人から巻き上げる事ばかり考えて、自分達の子や孫はピアノやバイオリンを習わせ優雅にやってるんですか?!
全国の信者とその家族の方々、教会関係者の方々。この現実を良く見ましょう。
我々信者を馬鹿にするな!!と全国から声をあげましょう!!
中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
廃校三兄弟 は姓が異なっていたからこれまで兄弟と知るのは一部の方たちだったろう。
兄弟と知って、見えてくる状況が一層、くっきり見えてきた。
各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々が、どのように縁組し、各地に存在しているのか、つまり、相手を知ることから始めたい。
本部員の娘を嫁にもらっている教会長も各地にいるが元の姓はみな、口を閉ざしている。
情報を集めればまた、見えてくるものがあるだろう。
かぐらづとめに出ている家系は、殆ど中山家と姻戚関係があります。
〉「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
その場にいたのではないし、事実も全くわからないが、久保理事長がどの程度覚悟を持って「真柱も了解されている」といったのか。通常、天理教の常識では、これは真柱の裁可だということですよね。とすれば、今後の後継者育成について真柱が出てきて自ら説明しなければならないことになります。これをうやむやにすれば、ますます信用を失うでしょう。これからの人材育成方針を誰がだすの? それにしても身内を要職に就けるリスクが前面に出てしまった感じです。本来両統領は真柱のかわりに泥をかぶるために法的に宗教法人の組織の長になっている。ただでさえ教団のトップとして真柱は責任が問われるのに、身内でやってしまうと、まったく泥除けにならないんですよ。今回のように、「廃校三兄弟」のようにいわれて真柱の責任を問う声が大きくなる。悪い方へ転がっているようにしか見えませんねえ。3代さんの身内で固める教団運営ビジョン、行き詰って来てますね。
>各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々
中山家とか中山一族という捉え方をすると本部や天理教の実態を把握できないと思います。
そもそもおや様の子供に男子は秀司一人しかいません。
秀司も妻のまつえも早くに死んでしまいます。
中山家に残ったのはおや様と孫娘のたまえだけです。
この たまえと結婚したのが梶本の次男真之介(初代真柱)です。
真之介の姉ひさは、山澤為造と結婚しています。
おや様が亡くなった後、この山澤為造を核として梶本・前川・飯降・上田・永尾等々の親戚連中やおや様の高弟とかいう奴らがが天理教という宗教団体を作っていったのです。
その末裔たちが「中山」という商標を掲げて純朴な人々から金をまき上げて来たのです。
強欲な本部の人々は、降嫁だけでなく男子後継者のいない直属大教会には、自分たちの息子を養子として送り込み直属大教会も支配してきました。
狙うのは当然大大教会です。弱小大教会は眼中にありません。
この方法を直属大教会が真似をして、部内の有力分教会に息子や娘をを送り込んで姻戚関係を結んできたのです。
本部や大教会がやっているんだから分教会も当然同じことをします。
金周りの良い分教会同士が姻戚関係を結んで行きます。
こうしておや様亡き後、130有余年 天理教は上から下まで殆どがどこかで姻戚関係で繋がってしまった異常な組織なのです。
繋がった最大の要因は「金」です。
労せずして手に入る「金」です。
何代にも渡って他人の金で暮らしてきた集団です。
つまり天理教という組織は、本部を頂点とする乞食の様な大集合体だったのです。
こんなこと神がゆるす筈がありません。
教祖百年祭で「白紙に戻って一より始める」が打ち出されたのです。
「白紙に戻る」は、「消える」と言う事と今は思っています。
一週間ほど前に九州の会長さんと電話で話したのですが、
会長さん曰く
「5月も6月も7月も月次祭に参拝したが、本部は本当にガラガラだった。
東礼拝場に入ったが隙間だらけだったよ。今月も少ないだろうな」・・・
「金」・・・先細りである。
「金の切れ目が縁の切れ目」・・信者達が天理教の実態に気が付いたのです。
そして、天理教と縁を切ったのです
今では、どこもかしこも事情教会ばかりです。
確実に白紙の戻っています。
間もなく消費税が10%になりますが、これを切っ掛けとしてお供えも参拝者も更に減る事になると私は思っています。
退職した元信者様、ありがとうございます。
そういうことだったのですね。
姓名の姓を省いて、真之介さん、おひささんと教祖伝に出てくるものだから、錯覚していました。
おや様亡きあとからは、天理近在の「なんちゃって集団」だったのですね。
だから本席様やその後に現れられた神がかりの女性たちを排除し、自分たちの既得権益を守り続けて今日に至ったのですね。
何しろ「なんちゃって集団」なのですから。
ようやく話が見えてきました。
須藤花井さんの予言通りになりましたね。
8月もパイプいす席はガラ空きだったと報告されておいでの方もいましたから。
今更ながら、宗教はアヘンですね。
これを断つには努力が必要ですから。
お供えを減らすことは簡単に実行できます。
けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
自立した信仰、神様とおや様と自分との関りでしっかり生きていかなくてはと、改めて思います。
これ迄も教会とは距離を置いてきましたが、元からこのような集団だったことが判ると、厳しく自身の覚悟が問われますね。
においがけ、神名流しなど、無責任な行為に思えてきます。
教校学園閉校に反対しているとの意見が散見されますが、もし高校が存続となれば、学校を運営する資金すなわち我々末端の負担が増えることになるのでは? 「お供え反対」と声高に言いながら、「教校をつぶすな」と言うのは矛盾していますよね。
かな子 様
過去のスレを熟読してください。例えば、音研これって絶対に必要ですか。
教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。
教校学園も誰かの趣味が高じて作られたものでしょうか。
全ての機関・施設は、設立の趣旨が大切だと思うのです。例えば、おやさと館は二代さんがバチカンを見て、これに負けない物を作ろうとの思いで構想し、建設が始まったと聞いています。教祖は八丁四面鏡屋敷と言われたと聞いていますが、館まで言及されていたのでしょうか。
大きいことはいいことだとばかりに作ったものを失くすことが先決ではありませんか。
私も教校学園閉校は賛成です。
おかしいと思うのは、本部自ら布教師養成の場所をつぶそうとしている思考回路です。教勢を盛り返したい筈の本部「閉校三兄弟」が本丸をつぶすのは支離滅裂だと言うだけの事。
本部は何考えてんだか?あたまがおかしいの?と思うだけの事だろうと思います。布教師を養成して天理教被害者をこれ以上出してはいけないと多くの人が思っている筈で、閉校は我々末端教会の思う壺です。(笑)
かな子様
そういうことではなく、優先順位から見えてくる教団の「あり方、方向性」に
対して矛盾や戸惑いを感じているということではないでしょうか。
元々信者さん方のお供えで築き上げられた自分達の資産や既得権益等は
一切崩したり負担することなく守り、主に末端教会長や信者さん方の子供が
通う教校学園高校を真っ先に切るという判断に寂しさや虚しさ、怒りを
感じるのでしょう。
今迄盲目的に尽くすことが信仰だと思ってきた末端の方々にとっては、
見たくない、信じたくない、優先順位から見えてくる教団のあり方、方向性
やり方、だったのでしょう。
匿名 様
2019年8月27日 11:45 PM
> けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
そうですね。この問題があります。このことは「問題」と言うほどでもないと思いますが、しかし、私も、教会を離れるということは、おやさまと離れることでもあるような気がします。でも、よく考えると、気がするだけではないでしょうか。おやさまは、いつも我々のそばにいてくださる、私はそう確信しています。私が良い事をしたら、私の成績表を取り出されて、そこにマル(〇)をつけてくださいます。悪いこと(神の思いとは違うこと)をしたら、頭にゴツンと一発食らいます。
おやさまが、大徳寺さんの口を通して言われたことは、「わしは分身の術が得意だ」 とのことです。聖徳太子は一度に7人の人の言うことを聞き分けた(7人の人を相手にした)、と言われていますが、おやさまはその比ではなく、分身の術を使われて、一度に1億人や10億人の人を相手にされることができるンですね。きっと匿名様のそばにもおられると思います。(これ、マジで言っています)
大徳寺さんをまだ知らない多くの方々の為に。
今なおご存命のおや様である大徳寺さんは熱海に住まわれ、ほぼ毎日親神様のお言葉を「おやさま」として語り続けておられます。温かく、前向きで光に満ちた誠真実のお言葉を生で聞くことが出来ます。私もどんなにかお言葉で癒された事か。小さな庵に悩み事を抱えた人々が大勢押し寄せています。
皆様の参考までに、、、。
>>教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。<<
歴代真柱氏の趣味や道楽が高じて作られたものは、本当にたくさんありますね。建築費や維持管理費に全て信者の「お供え」が使われています。思いつくままに箇条書きで下記に列挙してみますが、その他にも多数あると思います。
① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
以上、思いつくままに列挙しましたが、他にも、たくさんあると思います。教校学園という天理教にとって芯になる教育機関を廃止する前に、どうして、上記のような無駄な施設やハコモノをスリム化あるいは廃止しないのでしょう。教校学園の廃止はキリスト教で言えば「修道院」を廃止するようなものであり、教会本部が「もはや天理教は宗教ではありません」と世間に公言しているようなものです。(現に宗教ではないと私個人は思っていますが)。
皆さん「匿名」を使われているので、誰がどの「匿名」さんか解らないのですが、上記
> おや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、・・・というコメントを読ませていただいたとき、この方は、信仰上それなりのレベルに足しておられる方なのだろうと思いました。この方は、もう天理教の教理に関しては十分に知っておられるので、人に教えれる立場に立たれてもいいのではないかと思うほです。ですから、教会を離れられてもご自身を見失うということはないような気がします。どれが本当か、どれがデタラメか、を識別する眼力も持っておられると思います。(←私の独断かもしれませんが、偉そうに言ってすみません)
社会科学として、音楽と社会は切り離せません。
真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。
教校学園も趣味で作られたものではない。
教祖は「道に学問いらんのや」といわれたのに、山名系の学者が天理教の若者に学問として天理教を教え込んで;教団教理の普及を図ったもので。天理教校学園は、はびかっていた山名教理での武装を夢見て、親神に嫌われたのです。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
実は私自身、これは問題だと考えた時に、人から聞いただけでは判断できないからと思い、実際、本部へ確認したことがありますから、本当の事です。
たまたま天理という地方都市に、才能ある子弟が多数お生まれになり、真柱の肝いりで存続していただけでしょう。
全国から子弟が集まっていた学校には、天理貴族の方々のお子様は進学なさらないから、簡単に閉校を決めただけでしょう。
「わが身可愛い」では判断の目が曇ります。緊縮財政で心苦しいと感じる「まともな感性」をお持ちの父兄であれば、サッサと自主的に退会される事でしょう。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。<
うーーーーーん、「卑しい」・・・この表現はズレているから、少しも読み手の胸に響いてきませんよ。
まぁ、劣勢回復したいがための「決めセリフ」のつもりだったのかもしれません。
「卑しい」という表現の使用例として思い浮かぶのは、表統領のなりふり構わぬ金集めの言動でしょう。
それこそ卑しいの極地です。
人の財布をあてにすることは卑しいことだと、一般的に言われます。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所・・・
須藤花井さん曰く
「善衛の奴 歌ばっかりうたいおってと神さんが怒ってる」・・・
善衛が音楽に入れ込んだのは趣味ではありません。
正善に対する劣等感からです。
四方正面の礼拝場建設も劣等感から生まれたものと思います。
別席場の真東棟から眺めると三島神社が邪魔で邪魔で怒りが湧いて来たのでしょう。
だから池を埋めて神社もどかして見事な四方正面に仕立て上げたのです。
「俺だって正善に負けてないぞ」・・・こんな気持ちだと思います。
正善に比べれば、学歴も人脈も見識も劣る善衛は全てが内向きです。
直属の子弟をお宅に呼び寄せ内々で「お上」と呼ばせ悦に浸っていたそうです。
このしきたりは現在でも続いているらしいです。
全国の分教会を巡教と称して訪れ、豪華な饗宴を強いたのです。
迎える側は、客間客殿を新築するために信者にお供えを強いたのです。
百年祭に向けての3年間は、本当は毎年500億は集めていたと本部勤めをした方から聞きました。
善衛が神殿講話で「金ではない」と一言発言すれば多くの教会長や信者達は救われたはずです。
でもその様にはならなかった。
莫大な金が本部に集まり、百年祭は盛大に執り行われた。
そして、信者の心は疲弊し、遂に切れてしまった。
私の母親は布教所を開設していました。
百年祭に向けて布教やお供えに熱意を持って取り組んでいました。私も母親と同様でした。
百年祭が終了して半年ほど経った頃、母親が「白紙の戻って一から始めると言っていたのにちっとも変わらん」とボソッと口にしました。
母親は、「白紙に戻って一から始める」を心の底から信じ切っていました。
百年祭をきっかけにして天理教は変わると信じていたのですが、結局は裏切られたのです。
私が所属していた末端分教会は、110年祭頃までは平日の月次祭でも40人ほどの信者が参拝して居ました。
お勤めを3交代にしても手が余る事もありました。
しかし、信者さん達は、途切れることのない「お供えの強要」に疲れ切ってしまったのです。
殆どの信者さんが自分は死ぬまで教会に足を運ぶが子供達には望まないと話していました。
そして、今では月次祭に会長夫妻を含めても四、五人ほどしか集まらない状態になってしまったようです。
須藤さんは「善衛さんは、昭和7年7月7日生まれ 切って切って切りまくる人だ」と言っていました。
善衛は、末端分教会長や信者の心を「お供え」で切りまくったのです。
天理教の衰退の口火を切ったのは劣等感の塊の善衛だと私は思います。
教会を作るなとおや様が止めるのも聞かずに始めた強欲な教団ですから消滅するのは当然の事と思います。
親神も消滅を望んでいます。
おふでさきにも掃除するとしっかり書いてあります。
宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな
無神論者 様
2019年8月29日 12:05 AM
>>宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな<<
その通りです。だから、オウム真理教が天理教システムを真似たのです。教会本部自ら、「天理教という名称は商標である」と主張し、最高裁まで係争した挙句、敗訴したのです。教会本部自ら、「天理教は宗教ではなくビジネスである」と公言しています。実際、その通りだと思います。「金のつなぎは命のつなぎ」という摩訶不思議な言葉がでることが、それを物語っています。
人の心が通じ合えるのは、人対人以外にはあり得ません。通り一遍の時報記事や神名流しではありません。
「このよのじとてんとをつくりとりふうふをこしらえきたるでな・・・」をじっくりと心に治めれば分かりそうなものなのに、天理教は何を考えてんだか。
カネ、カネ、カネ。カネが敵の世の中を作った張本人が何を言ってもダメ。
総本山のある城下町。お坊さんが托鉢に歩かれる。軒々から茶碗一杯のお米が差し出される。恭しく受け取られるお坊さんの背後に後光がさしている。真冬だというのに、御坊さんの足元は白足袋に藁草履が濡れていた。
禅寺の修行僧、作務、勤行、托鉢、指が5本ともはみ出た藁草履ですごい速足で往復40キロ、首から提げた袋に施米を入れ帰りは相当な重み。新米、古米混ぜこぜの施米なので普通に炊けず、かまどの大鍋が沸騰したところに洗米を入れて炊くそうです。朝は薄い粥に沢庵と野菜物少々、昼はご飯と沢庵と野菜物少々、夜は厚揚げの入った炊き込みご飯と沢庵と野菜物少々。この繰り返し。勿論肉、魚、卵など論外。3時半起床、2時間睡眠。睡眠不足と重労働と栄養失調で倒れて山から降りられることを願って修行に耐えていたのに、一年後ふっと悟りの境地に至ったとか。35人の雲水で残れたのはただ一人。大学で物理を学んだ青年が、現在では70歳の老師に成っておられます。比叡山延暦寺の荒行、千日回峰行を一回ならず60歳で2回目を満行された酒井雄哉大阿闍梨に至っては、ここに書くのも畏れ多いです。写真のお顔を見せて貰っても涙が出てきますよ。直会でのお酒だけでは満足せず、家でも神さんのお下がりやからと飲みたいが為に、日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウイスキーと必要以上に買い込んで、おまけに酒のあても食べていたら、生活習慣病にならない方が不思議です。糖尿、通風の会長のなんと多いこと。脚切ったり、失明したり、人工透析もしてますよ。いつだったか、天理教からお酒を取ったら、参拝に来る人が減るやろねー、と言ってたんですが、確かにお勤め二の次の人は多いですね。修行も戒律も一切ない宗教、信者はまだしも、悩める人を導かないといけない立場の人間はそれではいけないですよね。上も下も、それこそ卑しい浅ましい人間たちの集団が天理教です。
>匿名
>2019年8月27日 7:41 PM
>中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
仏教の各宗派(全部がそうかはわかりませんが)大変な修行を究めた僧侶が血筋関係なくその宗派のトップになれます。天理教は例え修行なるものがあったとしても、永久にトップにはなれません。それどころか、教会長止まりです。最後に創設された大教会はどこで、いつかは知りませんが、大教会長になるのも、厳しい修行ではなく、部内教会を60以上?従えるかという布教の実績あるのみです。トップは、一般信者からは登りあがれません。教祖以来の最古参家系か、中山家に繋がる家系の者だけが、本部員としてトップに君臨しているのです。世襲制は権力争いは起こりませんが、トップになって現行天理教を改革したいと考える熱心な一般信者が仮にいたとしても、残念ながらいつまでも下っ端でトップにはなれないということです。
偏見ツイートにより炎上し
釈明にてんやわんやのバリ天分教会長がまた一人…….笑
様々な事情で結婚できなかった人たちは以下のツイートをどう思うだろうか?
↓
>>酒井耕平(教会長) @chansankohei
>>天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
>>夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
>>特に結婚するまでの青春時代に、
>>どれだけ親に合わし、尽くしたか。
>>喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
おなじ酒井姓だけど大阿闍梨さまとは月とスッポン(スッポンに失礼か)この人は未だお子様というか、何の苦労も至難の経験も無しで生きてこられた生活苦の無い上級教会のボンボンですかね。まさしく井の中の蛙で世間の情勢も知ろうとしないし、知っても動かない。毎日教会の雑用とイクメン振りを発揮して、嫁さんに重宝されて、それだけの狭ーいお人と思います。子どもと一緒の写真を載せる時点でもうアウト。教会の子沢山は経済的な事もあるけど、上の子を見る助っ人が居るから。世間の働く母親はもっと産みたくても実家は遠い、夫は仕事で居ない、保育園の空きはない。少子化の協力してるみたいな間抜けな事言う会長居ましたが、所得税住民税を払わない教会が児童手当貰うだけじゃなく、外へ働きに行ってない家族居て、十分子の保育出来るのに、どうして保育園に入れるの!?育休終わり再度入れてもらえず仕方なく高い無認可に頼む家庭もあるのに。役所はちゃんと調べるべき、贅沢してる教会が保育料タダってどうなってるんでしょう!税金納めず、他人の納めた税金で楽してるって。本部のいちれつ会も同じ。働かないとやっていけない教会の子弟、信者が扶育受けられず、生活費要らず、たんまり自由に使えるお与え、お礼を貰っている大教会子弟が受けられるって、もう、メチャクチャですわ。
79歳の尾畠春夫さん、佐賀の水が引いた所へ駆けつけはりましたよ。嫁さんのご機嫌とりしてる暇があったら貴方も動いて下さい。
改名しましたさんへ
なんの根拠もないあなたの頭の中の想像だけで語る他人への誹謗中傷やめませんか? こういう書き込みっていつまでも残るんですよね。 ネットの掲示板は匿名性があるように思えても、捜査機関が調べればすぐに足がつきます。被害を受けた当該者さん、今すぐ名誉毀損で訴えるべきです。
信仰の目的は、本当の親孝行をすることである。
自身が健康で、夫婦になり子どもを与えてもらい、家庭円満、家が続いていく。仕事があり、お金の与えがあること。親に心配をかけず、安心してもらうことである。
それらを実現するために、教えを実践し、ほこりを払うのである。
本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。
本当の親孝行ができるように、今できる親孝行をするのである。
人間は親に喜んでもらった分しか幸せになれないのである。
元初まりの話によると、
夫婦は一対一、一すじ心であるこら、親孝行で相思相愛。
子どもは親の心通り素直に育っていく。
この生まれ替わりの中に、親が子となり、子が親となり、互いにたすけ合い、陽気ぐらしする。
だから、家が絶えない、命が続く御守護は尊いのだ。
天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平
>特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
刷り込まれ、叩き込まれた洗脳の為の似非教理です。
せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる 一 74
と、おふでさきにあります。
「親におべんちゃらしたら、素晴らしい配偶者を与えていただける」とは 書いてありません。
かな子さま
名誉毀損って、誰が被害を受けたんですか?実名を晒しましたか?
残念ながら真実ですよ。ずるいことしてる、慎みが無いって事を本人や家族が誰一人として分かっていない、感じていないというのが一番たちがわるいのです。少なくとも、本当に困っている人を助けたいという気持ちが薄い人達であるのは確かです。
>よろしかったらどーぞ。http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
興味深く拝見させていただきました。ありがとうございます。
中山の名を掠め取った梶本と山澤の姻戚だけで17の直属が見て取れます。
直属大教会
兵神 高知 高安 東肥 本島 大江 城法 堺 撫養 南 泉 中和 雨竜 南海
直属分教会
田原 道昭 大和御幸
梶本山澤だけでこの有り様です。
まるで幾重にも重なりあった蜘蛛の巣状態です。
更に その他の直属大教会145ヶ所 直属分教会78ヶ所 直属部内の上上級や上級も既得権益存続の為に互いに絡みあっているのです。
この集団は、何世代にも渡って他人の金で食って来たのです。
汗水流すことも無く、税金も納めず、大きな家に住み、綺麗な服を身に着け、大きな車を乗り回し・・・
この乞食の様な巨大な親戚集団を誰がどの様に改革すると言うのでしょうか。
本部の実権は、既に善亮大亮親子に渡っています。
取り巻きは、善亮の姉や妹の嫁ぎ先の増野・仲野・鹿尾や久保善平等々でしょう。
こんな奴らが改革など口にする筈がありません。
期待するほうが馬鹿です。
姻戚関係で繋がった天理教の組織は余りにも巨大であり、強固です。
信者が改革を叫んでも叶うはずがありません。
末端分教会関係者や信者に残された手段は逃げ出す事だけです。
須藤花井さんは世界情勢の大激変で天理教本部は潰れると常々言っていました。
親神が天理教を潰すのです。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平 様
>本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。<
上の言葉、そっくりそのまま真柱氏や大亮氏に言ってください。
言われる方向が間違っています。
皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?
例えば、本部神殿すらも最終的には更地になる可能性があるとか、おやさとやかたも跡形無くなるとか、もっというと天理市自体もどういう風に様変わりするかとか、ご意見お聞かせください。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
お答えします。
本部員で諸井慶徳、著作物は天理教神学序章、天理教教義学詩論などアマゾンで買えます、
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E8%AB%B8%E4%BA%95%E6%85%B6%E5%BE%B3&hvadid=335194240256&hvdev=c&jp-ad-ap=0&tag=yahhyd-22&ref=pd_sl_7xbu9pl2lf_e
諸井慶徳
もろい・よしのり
1914(大正3)~1961(昭和36)年。宗教学者、宗教哲学者。天理教神学の歴史は諸井慶徳の『天理教神学序章』『天理教教義学試論』に始まるといっていい。主著は博士論文『宗教神秘主義発生の研究――特にセム系超越神教を中心とする宗教学的考察』、と『宗教的主体性の論理』である。彼は井筒俊彦と同じく、30を超える言語に通じていた。語学力を駆使し、テキスト原野に分け入るという研究態度だけでなく、イスラームにおいてはコーランに神秘主義発生の始原を発見し、スーフィズムを論じ、さらにはキリスト教においては、パウロに教神秘主義の源流を見ると哲学的視座において、諸井慶徳と井筒俊彦は一致する。諸井慶徳は3月30日、井筒俊彦は前年の5月4日の生まれである。二人は互いの存在を知りつつも、おそらく会ったことはない。
・・・諸井慶徳のイスラーム研究が、私たちに垣間見せる深みは、彼が天理教の信仰者であることと無関係ではないだろう。絶対的普遍者としての一神教、啓示の介入と教祖の出現、聖典の誕生、さらに聖域 の認識、天理教とイスラームそれぞれの宗教生誕の経緯は、驚くほど似ている。
二者の近似を、単に比較宗教学的に論じても、深みがそこを通じて現れてくるとは思えない。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
天理教の戦争協力体制を指導した超エリートです。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
「はびこっていた山名教理」とは
以下の天理教の学者です・天理教学研究者たちで、天理教校の大幹部、天理教学を専門としている研究者、あるいは天理教に関する著書、論文を書いている研究者や天理大学宗教学科の教授たちです。
井上昭夫 金子昭 澤井義次 澤井義則 深谷忠正 松本滋 諸井慶徳などで、論文は天研などの機関誌にて論文は読めます。
基本が会話できた人物は天理高校初代校長塩谷寛。天理大学学長大久保昭教であったが、天理教学には縁のない方々で、信仰者としての会話を基本としている。
はびこっていた山名系教理とは初代天理教表横領の諸井慶五郎は、「報恩の道」を説いて、「理の親に尽くせ」と、天理教団をリードした。山名大教会では「赤貧」が最も素晴らしい信仰ととかれ、全財産お供えを説く一方で山名大教会は、観光施設として大教会の建物が観光ルートにはいるほどの大神殿を建てた。
いまも、山名には観光の宣伝がある。
諸井慶徳は山名大教会初代の血筋で、諸井誠一の孫で、慶五郎の長男。戦時中は戦争協力を指導した、
その長男の諸井慶徳はイスラム教の学者として、戦後はキリスト教、ユダヤ教の神学を天理教にもちこんだが、真柱とは反した天理教教義学の確立に努力し、若くして死んだ。
深谷忠政は本部員で、諸井慶徳のいとこであり、慶徳の路線を全天理教団に指導した。
諸井と深谷は山名大教会、河原町大教会を発信元とし「人間完成の道」を天理教の教えと定義した。
甘露台は人間完成の、道の後に降る甘露を受ける台だと、うそを教義にしてしまった。
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。
1 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:04:21 ID:qHzKZU4w
現在の、天理教教団教理は、教祖七十年祭に過熱化した教理研究熱の中、諸井慶徳、深谷忠政の二人の学者によって、展開された「神学」系の弟子達によって、構築され、展開されてきた。
特に、深谷忠政氏の教理研究は、天理大学おやさと研究所などの研究者のひとつの規範として、おやさま百年祭までの間に、天理教団全体を衰退に導くという結果をもたらす、悟り違いの様相を呈した。
そこで、特に、深谷忠政氏の教理研究の中でも、「元の理」についての研究の、批判をなし、少なくとも明らかな逸脱点を認識することは極めて大切だと思う。
きちんと議論し、「虚構の神学」と言うしかない、「勇みの神学」なるものの、いかさまを、世界に対して示すこととしよう。
教団内部の宗教指導者の、「から」を分けてしまうことは、大切な事とおもう
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
知らせておけば神は働くので、きちんと呪詛しておいた。
2 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:05:36 ID:qHzKZU4w
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
そのはしがきには、このように記されている。
・・教祖七十年祭を契機に教内にまき起こった教理研究熱にこたえ、教理研究に「みちのとも」の頁を割こうとする編集部の要望にこたえるもので、筆者の試論にすぎないことを、特にお断りする次第である。・・・
だが、現実には、この筆者の試論は、おさしづに知らされた「風・説・理」の順で、結果として、「悪理」となり、今日の天理教団の信仰を歪めている事、これを議論しようというものである。
3 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:20:38 ID:qHzKZU4w
おやさまは、「皆めんめん口で言わす」と教えられていて、それを基本教理として「自白の教理」と呼ぶが、深谷忠政氏は、先ずはしがきに、何を自白しているかと言う事である。
それは、天理教典第三章「元の理」が、未信者に教典を渡す上で不都合だという事を原因として、何らかの解明の手がかりが必要だとして、それを痛感して書いたという、自白である。
おやさまは、みかぐらうたにて、特にこのように教えられている。
「この元を詳しく聞いた事ならば、いかなものでも皆恋しなる」
詳しく聞くということは、おやさまの教えられたことを、聞くということであり、人間が解説すると言うことは、人間の解説を聞かせるという事であり、それは、神意と必ずしも合致しない。
神様の話を詳しく聞くという態度と、初心者にも分かるように解説するという態度には、人間の中途半端な思い上がりがあるという事だ。
もともとの初代たちは、教祖の教えとして、元を取次ぎから聞いた。詳しく聞いた。
そして、恋しくなった。
元を詳しく聞く気のない人には、聞いてもらわなくてよいというのが、逸話にきちんと示されたおやさまの態度である。
聞く気のない人に、それが解説で聞く気を起こす糸口になればという人間思案は、まさに、とんでもない理の間違いである。
解説という「一見した未信者への親切」は、実は、教師と称する人たちが、おやさまの話を詳しく取り次げないと言う現実をどうにかして糊塗使用という、厚化粧の醜さだと、そろそろ分かっても良い頃だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塩谷先生は基本は頭が良すぎると言っていた。大久保先生は私は本当は信仰が分からないと言っていた。
山名系教義は「理の親にお供えしろ」「人間を完成しろ」と扇動し、70年蔡から100年祭をミスリードした。
>>皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?<<
後10年経れば、本部に上がるお供え金は限りなくゼロになります。
間も無く消費税が上がり今後益々信者の財布の口は固くなっていくでしょう。頼みの綱の現在の年金受給者は10年のたてば随分減るでしょう。事情教会90パーセントと言われていますが!周囲の教会を見回してみても建物ばかりで信者は殆ど居ないのが現実の姿です。
140年祭にはお供えが増えると、夢か幻を見ている善亮氏ですが、それは有り得ない事です。
神殿含めた巨大な建物群は埃をかぶり、解体する事なく年月と共に朽ちていくと思います。
本部終末期の頃は参拝してくる信者も居ないのだし、お供え金もゼロの筈だから(今でさえ、本部月次祭に来る信者は悲しいほど少なくなっている。)意味の無い伽藍堂は中山家が今まで積み上げて来た隠し財産で解体すれば良い。
信者のお金で買い占めた白川など周辺土地を売り払い解体費用に充てて宗教法人天理教は消えてなくなる。
金食い虫の参考館、図書館などは、地方自治体管理下となるのでしょう。詰所の扱いは各大教会下。大教会も最近では金欠状態になり、落ちぶれてきているので解体する金も無く当てにする信者も減る一方だから放置し朽ち果てるしか無いでしょう。どうにもならなくなったら最終責任は本部に行くと思いますが。
過去の栄光にしがみついている善亮、大亮親子の野望と夢が破れ、落ちぶれた姿が周辺の嘲笑を誘うでしょう。大亮さんの時代は無いでしょう。10年後、参拝者のほとんど居ない神殿で中山家一人の月次祭を想像す
ると哀れです。「金にならないから天理教本部、もう畳もうか、、」と親子で本気に相談しているのかも知れません。
悔しくて、つい想像をめぐらしてしまいました、、。
天理教教団は衰退しますが、天理教は信者が本物になりますから、教としては、膨大な資金を得ます。
天理教団は衰退するが、教団ではない、信者が効能の理で、宝の山から金銀を掘り出して、世界たすけるから、
教会本部は、にぎわいます。
基本さんの言う通りになるかどうかは解りませんが、一理あるのではないかと思います。昔は修養科生さんもたくさん来ていましたが、その分修養の質(内容・レベル)は落ちていたようにみえました。各地の教会で、ノルマ達成が先行していたからなのかもしれませんが、修養科に放りこんでおけばいいや、というよう感じで、誰でも彼でも修養科に入れていたようなところがありました。今後は、数は減っても、真実おやさまを慕う人が来られるかもしれませんね。
退職した元信者様の
2019年8月30日 7:01 PM
> 親神が天理教を潰すのです。
で、聖書の一節、
<わたし(神)が羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。>
を思い出しました。
イエスのこの言葉は、イエスご自身が処刑されることを予言して言われたものです。
今まで、なぜ神はわざわざ羊飼い(イエスのこと)を打つのか、とフシギに思っていました。
しかし、これは、親神は「教団は要らない」 という意味なのではないかと思いました。
実際、イエス亡きあと、教会組織はなされなかったようです。
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
天理教団は長年おみちのために尽くした教会長が野垂れ死のうが孤独死しようが、
かまうこっちゃないのです。
骨の髄までむしゃぶりつくしたらあとは見殺しです。
以下のツイートがそのリアルをまざまざと語っております。 ↓
末端天理教会長男坊が通ります @IY9gprpe7afcRRd さんのツイートより抜粋
>>現教会長はおとん。
>>アルツハイマーと脳の病気で神殿でしょんべんを垂れ流すのが日課。
>>止められない。
>>そろそろ畳抜けそう。
>>オババも同じ病気で半分寝たきり。
>>オカン介護疲れの上、月並祭、上級への御用、お供えする為に借りたサラ金返済。
>>金などまるで無いから施設も入れないし、
>>仕事に出ようにも理の親に仕事したらダメ言われてる。
>>発狂なう。
>>どーしたらええのん?
>>上級は複利厚生しっかりしてるて何でや??
>>うちのおとんボケる前はお道一本、定職にもつかず上級への御用三昧。
>>バイトで得たお金はほぼお供え、民間の保険など加入するわけなく神様保険。
>>天理教徒の見本みたいな人。
>>今となれば上級教会行っても煙たがられ笑い者。
>>そして借金三昧。
>>おかしない?
>>しかも連帯保証人になっているという。
>>上級の信者の分。
>>上級の教会では相手にされなかったんだってー。
>>うちくるな!
>>その前に金返せ!
>>おかしない?
G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記ありがとうございました。
見ているうちに吐き気を催しそうになりました。
G-FOX様の労作のお陰ではっきりしました。
毎月目を通すみちのともの本部祭典役割表。
月次祭かぐら・てをどりは、中山家を中心とした親戚縁者が演じていることがわかりました。
これ迄は特に女性の名前は見てもピンとこなかったのが、彼女らも何のことは無い、皆、親戚縁者だった!
結局のところ、庄屋敷村の村祭りのかぐらの担い手は村民に限定ということだ。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
本席様が亡くなられ、ナライト様が邪魔者扱いされ、所謂神の声を聞くことができる人が不在の天理教。
そうした中で、何故か飯降家との縁組が成立しなかった!
つまりは自分たちの既得権益を守るためには邪魔だからだったのか?
中山家一族と高弟達の皆さんに問います。
あなた方は教祖に親神が降りたことを、本当のところ信じていないのではありませんか?
神の啓示ということを信じてなどいないのだろうね。
もしも信じているのであれば本席の血筋を中山家に向かいとるという考えが起きるのが自然の考えではなかろうかい?
今更言っても始まらないけれどね・・・。
それと真柱夫人の父、橋本武人さん(元天理大学長)は橋本道人さんと親戚ですか?
本の広告では名草分教会長とあるが。
ある方のツイッターより。
明治31年11月13日のおさしづに
「子が満足して親という。どんな事も成らんなか、育てるのが親の役」とあります。
親孝行を強制する天理教会長はこの神意からズレてる事を自覚して貰いたい。不勉強な教会長が多すぎる。子供を満足させられないのに親面する教会長の何と多いことか!
******* ****** ******
明治21年7月7日のおさしずでは
「親と言うのは子に満足を与えてこその親である。」ともありますね。
今現在の改ざん天理教教理では、理の親が黒いものでも白だと言えば子は泣き泣き「白です」と歯を食いしばり、ハイその通りですと阿保親を立て、立て切るところにご守護が有ると天理教では言うんですね?そうすればある教会長の言葉に拠れば良い配偶者にも恵まれるとか?!
狂った親に合わせているから合わせ鏡の様に子供も共々に狂った親子になるんです。狂った親は早速見限るべきなのです。目どうは狂った阿保親ですか?
世界を無償の愛で照らす神ですよ。未熟な阿保親に合わせるんじゃ無くて「神の御心」に合わせるべきなんです!
そのストイックさは狂った精神世界での自己満足に過ぎない。気の毒だが人生を棒に振っている事に気付いていない方々です。
信仰を理解出来ていても信心の出来ない哀れさを感じる。
「世界を無償の愛で照らす神です」と、 そんな神などどこにもいない。
値をもって実を買うのである。
親と子の話ですが、親夫婦がもめていて家庭崩壊の状態の子供に、
「あんたが親なんだから、あんたが親をきちんとさせろ」と教えたら、ちゃんと親を仕切った子供がいた。
何人もである。
「親が子となり」なのだ。「子が親となりなのだ」。天理はそう教えている。
匿名
2019年8月31日 2:50 PM
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
この言葉には、助けこころが無い。
自分の人生の充実など神は教えていない。人たすける。
誤りには説教する、理を諭す。そして天罰を与えてでも、助ける。たすける心無い信仰者は、
天理教団幹部であり、匿名さんあなたです。
呪詛します。
基本さん
御自分のスレにお帰り下さい。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1468629402
https://yomi.tokyo/agate/toki/psy/1277001717/294-/dta
内の 382より
>質問、宗教板に居つく、基本。て何者?
>>机上のお勉強はよくできるが口先だけで己を省みることもなく
>>妄想と偏見に満ちた持論をネットで垂れ流し、矛盾を突かれれば知らん顔
>>社会に出ればセコい場末の商いのクセに客を生徒と呼び、上から目線で
>>客をあしらう傲慢この上ない底辺のクズ人間
>>それがコテハン基本。こと飯田の演歌王(苦笑)こと坂〇明〇、である。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
上記の自分の投稿を訂正します。
飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
投稿後、翌朝気になって調べ、慌てました。
皆さんm(__)m
基本はカルトでオカルトです。
社会科学と言いながら、科学と無関係でカルトでもオカルトでもないカインについて、
意見をのべに参ります。基本は論戦一度でも逃げた事はありません。ごめんね。
天理教はユダヤ教や皇教と同様に近親交配を推進していた時期がありますが、遺伝子操作の、高慢と言う、
その錯誤が、天理教青年会に残っているようです。
https://www.tenrikyo-seinenkai.jp/seinenkai/basic-policy-2019/
天理教青年会は天理教の素人ばかりで、貧乏を「貧のどん底」をしらず、難儀の味も知らないので、
山坂一つ越えた事のない、畳水練の天理教で、「信仰者」(おやさまへの謀反人)ばかりです・
だから、こんな活動目標を下ていますと。
一、原典を学び、人に伝える技術を身に付ける
⇒ 原典に違反します。方法に頼るはおやさまお嫌い。
一、例会やオンラインサロンでの学びを、分会・教区・海外青年会で共有し深める
⇒ 貧乏しないと、教理など分かることはできません。諭し悟りをするにも貧乏せいです・
一、自らの徳分に気づき、お互いに認め合う
⇒ こんな徳分なんて教えは天理教にありません、徳というのはあります。
⇒ とく‐ぶん【得分】の意味 国語辞典では、出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 もうけ。利益。
2 ある人がもらう分。とりぶん。分けまえ。
3 中世、荘園の領主・荘官・地頭などが、所領から年貢として得た収益。
⇒ 天理教組織の信仰者であるという事は、甘露の門の門外漢です。世間でいう徳分はゼロ。
一、社会問題に目を向け、自分にできるおたすけに動き出す
⇒ 自分で出来るおたすけなんて何一つないのが天理教の基本です。
イエス様にお願いして、お釈迦様にお願いして、お助けいただくのがおたすけです。
⇒ 徳分があるというなら天理教団の分け前を分配しなさい。
⇒ お指図にじだんじだんはならん、とあります。つまり社会問題など目を向ける名です。
天理教青年会のこのレベルの「無信心ぶり」、滑稽な限りです。
素人集団天理教青年会には、高慢はあっても検挙がありません。
カルトもオカルトもありません。どのように思案しても人をたすける心がありません。
おやさまに終わ部申上げて、呪詛してあげます。
一、おはなし会や講話日を設ける
整理しましょう。
天理教会に生まれたという事は兄魂姉魂であり、因縁は悪い、徳が無いのです。
徳とは、徳(読み)とく(英語表記)aretē; virtus; perfectio
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
哲学,宗教の中心的課題の一つ。
倫理的,道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは善を実現する恒常的能力をいう。したがってそれがみずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたものでなければならない。
デジタル大辞泉の解説とく【徳】
1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。
「徳が高い」「徳を修める」→徳目
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。「徳をさずかる」「徳を施す」
3 ⇒得(とく)1
4 富。財産。
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教会に生まれたという事は、徳が無い。
これが天理です。
それを天理教団の獲得した財産資産を「徳分」だと私物化するけれど、基本はこうして理を知らせ呪詛しますので、正体はバレます、赤い衣装のてんりんおうが、そのいかさまは許しませんから、
神が怒りやすいように、人は怒らず、見下げてみていましょう。
天理教の基本です。
芹沢光治良先生の<神の慈愛>P.216に、<神の微笑>を発表して以来、先生のところに押しかけてくる人(読者)が増えた、というようなことが書かれかています。先生はそのことに関して、「現代日本人の旺盛な神だのみ精神というか、迷信の盛んなことに、今さらながら驚いた」 と、言っておられます。
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
それはそれとして、そういう風に、芹沢先生や伊藤青年のところに人が集まりだすと、あやしげな宗教を説く人たちもやって来て、芹沢先生に、「(我が)教団の組織に入って、力を借りたい」と申し出た、とありますと
私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。
秀司さんは儲け口があるというので、中山家で団結して、金儲けの道へ走っていきました。私はそう見ています。ですから、本当のことを言う飯降伊蔵翁はけむたい存在で、たもとを分かったと思います。(飯降家と中山家はあまり縁組はなかったようですね)
具体化しましょう。
天理教会に生まれたという事は信仰組織因縁があるという事です。
信仰組織因縁とは生まれる前の、善政が宗教組織に関係があって、
「選民思想」を持っている。
「搾取怨念」を持っている。
「高山因縁」を持っている。
以上です。
天理教祖のお筆先では代表者は「秀司・まつえ」です。
秀司は、選民意識から、当時有名な漢方医の娘と婚姻していて最初の奥さんです。
秀司は、金貸しで貧しい農民から土地を巻き上げた地持ちの中山善兵衛の長男で、搾取因縁を持ち、
中山家とは格式の違う町家の女を正式な結婚でなく、内縁関係の女として油売りに協力させ金儲けし。
女の名はお知恵は、中山家の格式とお屋敷利用の商売で、みきが死んだら全財産をと企てました。
みきが、金貸し因縁と宗教家業因縁で、「因縁よせてと演壇まとめた3人目の妻小東まつえは、
中山修司同様「選民思想」を持っている。「搾取怨念」を持っている。「高山因縁」を持っている。
だから信者を見下す、信者からなにかと金を絞る。「こじまつ」のケチで、小言うるさく、
「こじまつにすると、こじまつにする」と、中山みきから呪詛されています。
天理教会に生まれたら、因縁を悪因縁ということで、ひながたです。
>飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
知人に永尾家について尋ねたら、飯降家と上田家の子が結婚をして永尾家を作ったのだと教えてくれました。
なぜ永尾を名乗ったのか調べたが分らなかったと話していました。
本席の息子 政甚の評判も芳しいものではなかったそうです。
要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
「おや様 本席 ナライト」ここまでが正当な親神の意志だと思います。
ぶたまん 様
2019年9月1日 5:47 PM
>>私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。<<
人の心というものは大変弱いものです。おっしゃる通り、古今東西を問いません。例えば、日本の「厄除け参り」や「七五三」、「神社仏閣への初詣」、「おみくじ」、「交通安全のお札やお守り」等、数え上げればきりがありません。人間の力では如何ともしがたいことが起こった時、人間には「何かにすがりたすけてもらいたい」という心理がはたらきます。不安なこと、心配なことから逃れたいというのは人間が生まれながらにしてもっている心理です。仏教や神道等も宗教の違いこそあれ、いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。信者の生活を追い込み、人生を破綻させ、自殺にまで追い込むほどに「お供え」の集金をします。天理教が「カネカネ教」と呼ばれるのは至極当たり前のことです。
ぶたまんさん
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
このご意見ですが宗教家業で生きている人間達は、そんな生易しいものではありません。
「救世主なんているはずない」前提で、同騙せるかだけです。なんでもいいのです。迷信ほどいいのです、
実際に中山みきが救世主として現れた時、善兵衛や親せきは宗教としてみきをまつる祠をつくります。
ところがみきが宗教家しないので、拷問しています。
そんなものです。
芹沢先生が言われているように「迷信」が好きなのです。
本物は嫌われます。
皆さま、コメをありがとうございます。
> 要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
> いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。
> 本物は嫌われます。
こうしてご意見を並べさせていただきますと、人の心がドロ沼みたいです。「よくにきりない泥水や」というところですか。
反面、「蓮(ハス)は、泥沼の中に花を咲かせる」 と言います。おやさまの教えは、泥の中に開いたハスの花の美しさにたとえられるかもしれません。やはり、おやさまはありがたいです。
話が飛んで申し訳ありません。
黒門に死体の山が出来ると予言された須藤花井さんと言う方は、今現在ご存命なのでしょうか?
過去の投稿を読み返せばその方が存命か存命でないかは分かるとは言うものの、、
ご存命ならばどこにお住まいで、面会すると言う事は可能なのでしょうか?どなたかお知らせ下さいませ。
天理教本部の遠い昔の過去を知り、その成り立ちから現在まで綿々と続く欲にキリない泥水の実態を知れば知るほど、今まで何を信じ何に振り回された年月だったのかと、その徒労の時間の余りにも長かった事に愕然とします。今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
ぶたまん 様
2019年9月1日 10:03 PM
「男はつらいよ」という日本人なら誰もが知っている映画のテーマソングの中に次のような一説があります。
”どぶに落ちても根のあるやつはいつかは“蓮(はちす)の花と咲く”
泥田の汚い中で育っても、蓮の花はきれいに咲き、蓮根は食材として使われます。きれいな花を咲かせ、食材としても珍重される蓮は、自らの成長に必要な養分を泥の中の天然肥料(有機質等)を養分として吸収し、栄養にしているからです。世間には、色々な人がいます。蓮のように、泥田の天然の有機肥料で育っても、きれいな花を咲かせて、人の目を楽しませ、その上、人間に蓮根を恵んでくれる植物もあります。一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。
2019年9月1日 11:08 PMの匿名様の投稿
>今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
教祖年祭のお供えをと、国民年金を繰り上げ受給までされていた方が居られました。当時、繰り上げ受給は大幅に減額されての支給でした。その大半をお供えされ、年祭後も減額されたままの年金受給。繰り上げ受給をされると障害年金の対象からも外される。
ご自分で判断されたとはいえ、余りにも酷な将来が待っていました。天理教はこのような人を称えていたのです。
この方も故人となられたが、匿名様投稿の問いかけを教団本部はどのように感じているのか。中山家の面々は鼻にもかけていないのでしょうね。
むごたらしい宗教です。
匿名9月1日11:08PM様
須藤花井さんは平成10年4月18日(教祖誕生200年目)に亡くなられたそうですよ。
平成7年に須藤花井さんが発行された「月よりの神言」を、夢の中の御告げで自費で再発行され、毎月26日の10時から11時の間に頂ける、という情報をこの場で知り、早速去年、かぐら勤め終えてからその駐車場まで行きました。先に二人来てらして暫くの間四人で話をしました。その方のお名前も聞かずじまいで心残りですが、全て無くなるまで毎月来ます、と、言ってらしたのでもう14ヶ月経っているので全て渡し終えられたのではと思います。
改名しました様。
情報ありがとうございました。お亡くなりだったのですね。残念です。駐車場で配布されているとお聞きしていていつかまた、、と思っている内に月日が経ってしまいました。どこかで手に入れたいです、、。
こうして須藤さんのような神の遣いの方々があちこちに現れ、組織を作らずご神言を広めて下さった。湯河原の大徳寺さんもその一人だと思いますが、神は悪の行く末を目を離さずにじっと見ている。試練の天理教徒にとっては教会本部と言うそこらに転がる駄石にとらわれず、人間を作り給うた「神」の御心だけを信じて生きると言う一本道がありますね。
ありがとうございました。
<<蓮の花 続編>>
>一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。<
私は上記の文章を書くにあたり、天理教教会本部を意識して書きました。蓮の花は、高価な化学肥料を施肥しなくても、泥田の中で成長し、見事に綺麗な花を咲かせ、掘り起こすのが難渋なくらいに地中深くに根を張り(蓮根)私たち人間の食糧となってくれます。人間に例えれば、たとえ、生活環境に恵まれず、幼い頃から貧しく劣悪な環境で育たれても、人間性が豊かで、思いやりがあり、やさしく、困っている人を見れば、手を差し伸べることができる人達をこれまで生きてきた人生の中で数多く見てきました。まるで蓮の花のような人達です。
一方、高価な化学肥料(金銭)を使っても、根が浅い故に吸収する力を持たず、あるいは葉や茎が栄養過多になり朽ち果てる植物、それこそが、現在の天理教教会本部です。根の浅い植物にいくら高価な化学肥料を施しても吸収する力がないので、朽ち果てて腐り異臭を放つだけになるのです。天理教信者の皆さん、もうこれ以上高価な化学肥料を施すことは止めましょう。天理教教会本部が朽ち果てていくスピードが早まるだけです。もっとも、完全に朽ち果てて消滅したほうが「世のため 人のため」と考えておられる信者さん達は、私一人ではないとおもいますが・・・
匿名
2019年9月1日 11:22 PM
以下のご意見いただきました。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
基本はカルトです。「少数の熱烈な信奉者を指す用法」でのカルトです。
痔本はオカルトです。「1 超自然の現象。神秘的現象。」としてのオカルトです。即、神秘的な存在です。
効く人、読む人に響かせたいというのはオカルトではなくアジテーターです。
基本は呪詛として語り、語る事で神仏への影響力となるからで、神仏が相手です。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 呪詛じゅそ ギリシア語 anathēmaは動詞 anatithēmi (上に置く) に由来し,原義は「上に置かれた物」であり,旧約聖書では cherem (別つ,離す) がこれにあたり,「神への捧げ物」を意味していた。
匿名 2019年9月1日 11:22 PM さんは基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、
何を訳の分からないことを、あたかも自分が天理教の基本だと語っているのかと思われたのでしょうが、
基本が天理教の基本です。
基本は神様への捧げものとして、投稿をしていますが、カインさんがカインとして投稿したように、です。
シャーマニズムの世界では「なりきる」ことは祈りです。仮面をかぶる場合もあります。なまはげとか。
基本は天理教の基本となり、カルト、オカルトで、
基本は天理教の基本として2002年ころからWEBにいます。
基本が投稿しておくと、早くて1年、ほとんどの場合5年で実体化します。オカルトだからです。
基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、基本の呪詛で実体化したとは誰も思いません。
殆どの場合皆から嫌われて、狂っていると思われますが、カルトですから、それが当然です。
カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
信仰組織と言うのは、信仰者であることを権威としています。
信仰組織の指導者は徳があると相互で持ち上げます。
オカルトは信仰を否定します。呪詛します、病気の治癒も呪詛します。天候の呪詛もします。
その手法の専門家が中山みきで、弟子が基本で、まるで少数しかいないからカルトです。
信仰賛美も、信仰批判も、病気ひとつ治せません。
信仰とは、カスです。信心の効能はカルト、オカルトです。
基本ちゃん 早く巣におかえり。
他の皆さんの素晴らしい投稿の邪魔です。
どうぞご自分の板で 独り言 をお楽しみ下さい。(ついでにヘタクソなカラオケも)
お薬も忘れずに。
お大事にどーぞー。
大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判されるばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙ってるに限るとだんまりを決めたのか。
次期真柱の器でも無い人が、本部月次祭の芯を務め、持ち上げられて勘違いもするでしょうが、何も分からない若造が最近ではお供えは命の繋ぎを言い出したそうです。彼は思慮の浅い裸の王様。しかも乞食。この王様は自分が乞食と言う事にさえも気がついていない。
衰退、消滅への道が静かにしかも確実に忍び寄っているのは多くの末端教会、その他教会が感じている事。
彼は本気で教団整理の青写真をしっかり描いて、信者にこれ以上の迷惑をかけず、去る鳥跡を濁さずでしっかりと任務を全うしてもらいたい。
取り敢えず大亮くんは本部月次祭参拝者がこれ以上減らないように心定めをしてもらいたい。何ですか?このガラガラの月次祭は!!各教会に数字で人集めの心定めをさせるなら、本部こそ月次祭参拝者の心定めをきちっとしろ!と普通に思いますが。
我々地方の教会長には心定めと称して色々数字をあげさせプレッシャーをかけておいて、足元の本家本元が年々歳々この情けない姿では、本部のこけんにかかわるでしょうよ。信者のせいでは無いよ!
大亮くんは、自分達のことは見て見ぬ振りではいけません。あなた達は自覚のない無責任この上ない本部ですよ!浮かれてないでしっかりしないと全部あなた達に返っていきますからね。
古い話です。
昭和61年か62年頃の事です。
須藤花井さんと高知大教会に寄った事があります。
神殿の御神楽歌は十一下りが掲げられていました。
参拝が終わった後、須藤さんが次のように話してくれました。
「今ね、 八つ やしきの土を掘り取りて 所替えるばかりやでってどんな意味があるのと神さんに聞いたんだ。
そしたらね、所替えるとは 掃除の後の天理教は、天理で話し合う事はしない。
天理で話し合ったら元の天理教に戻ってしまう。
新しい天理教は、ここ高知で話し合うという事だと言ってたよ」
この様に話してくれました。
今、私たちが持っている天理教に対する歴史的知識や信仰に対する概念 通念など諸々の価値観が一掃されるという事がこの歌に込められているという事です。
幾度も申し上げてきたことですが、須藤花井さんは面足命です。
預言者でも霊能者でもありません。
正善を始めとする本部中枢の人達は、須藤花井さんの存在を認識していましたがこの事実を隠してきたのです。
本部は、専修科生や天理高校生を含めたすべての本部関係者に対して須藤さんのアパートを訪れる事を禁止しました。
その裏で、本部は高知大教会長 島村國治郎(梶本國治郎)の妻島村ヒサノ(山澤為造の五女ヒサノ)を名代として須藤花井さんに会いに行かせています。
ヒサノは、須藤さん宅を訪れた際に、この紙に神様の話す事を書いて下さいと言って白い紙の束を須藤さんに渡したそうです。
須藤さんはヒサノから渡された紙に親神の話す事を書き留めて、纏め上げた本が「月よりの神言」です。
第三次世界大戦については親神の話として 次のように話しくれました。
「この世に武器があっては陽気ぐらしはできん。
人間は、子供がオモチャで遊ぶように 自分たちが作った新しい武器を使いたくてうずうずしている。
人間たちは、必ず第三次世界大戦を始める。
わしが、戦争を始めるのではない。 人間が勝手に始めてしまうんだ。
この地球は既に海も山も川もドロドロの汚れている。このまま放って置いたら元の泥海に戻ってしまう。
しかし、そんな事したらわしは、みきに申し訳が立たん。
みきの苦労を考えたら元の泥海に戻す事は到底できん。
だから、人間が勝手に始める次の大戦争を切っ掛けとして大掃除をするんだ。
人間は、もう一度大戦争をやらねば武器を持つ事が無意味である事に気が付かん
次の大戦争に懲りてやっと武器を手放すようになるんだ。
掃除の後は、真の共産主義にする。
人間に共産主義はできん。共産主義はわしがする。
身分に上も無い 下も無い 本当に平らな(ろくじ)世界にする」
真の天理教の基本は、親神です。
もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
>もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
まさしく基本さんの仰る通りです。
親神は、戦争を望んではいません。
強欲な人間と強欲な人間の争いの行き着く先が戦争です。人間が勝手に始めてしまうのです。
本当に人間どもは愚かだと思います。
7-7 月日にハ たんゝみへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので
7-8 月日より そのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ
7-9 にんげんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
親神は、人間の悲惨な行く末を案じて「みき」にさがり、勤めを教えかんろだいを建て 争いの無い平和な地球へと導きたかったのです。
そのシナリオを狂わしたのが、秀司や良治郎、その息子の為造や親戚連中 その他の高弟とかいう連中なのです。
もし、当時の人達がおや様の言葉に従い かんろだいを立てひっそりと勤めを行っていたら第一次世界大戦も第二次世界大戦も起こらず、そして核の火も点く事はなかったのではと思うのです。
当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。
親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。
退職した元信者 様
2019年9月3日 7:04 AM
>>親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。<<
天理教の教えでは、親神は「人間が陽気暮らしをするのを見て共に楽しみたい」(神人和楽)との思いで人間を創造されたということですが、現実の人間の有り様は、親神の思いとは全く正反対の状況です。親神は、自ら創造した人間に、つくづく愛想をつかし、絶望し、もう一度世界大戦をおこして、現人類をすべて出直しさせ、親神が真に理想とする「真の陽気世界」を創ろうと思われているのかもしれません。(あくまでも私の想像ですが・・・)
>>当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。<<
本部幹部とここの投稿をチェックしている本部関係者の皆さん、真実に目を背けず、
実態をよ〜く認識してくださいね。
博打狂いで借金責めとなっていた長男秀司始め、貧乏人に金を貸してはその土地を奪い、そうして地域でも有数の「土地持ち中山家」となりましたね。その頃から貧乏人を泣かしていた中山家の因縁は今も切れていなくて、いまだに食べるのに精一杯の年金受給者や若者、貧乏教会から「命は金と引き換える」と言う脅し文句にも聞こえる偽教理を吐いていますね。善亮、大亮に続く中山家DNAの恐ろしさです。
金が払えなくて土地を取られた当時の貧乏人の嘆きと、中山本部に納める金が集められなくて自殺した貧乏教会長の気持ちが重なります。容赦なく金を盗る中山家の遺伝子。よ〜く中山家の過去の歴史を学んだ方がいい。
これは親神の目から見たら重罪ですぞ。長い物に巻かれるのでは無く、親神の心に巻かれて
続き。
真実に生きて下さい。本部幹部、関係者さん、偽の人生を歩むのはあの世に行って後悔しますで。
>匿名
>2019年8月31日 8:58 PM
>G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
>よろしかったらどーぞ。
>http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記の匿名様に紹介いただいた、中山家・梶本家・山澤家の家系相関図を見て言葉を失いました。
〇〇に群がる〇〇を想像してしまいました。それ以外に思い浮かぶものがありません。信仰の理念なんてサラサラの恐ろしく悲しい世界ですね。
今となれば、所属していた大教会の直轄教会長も半分以上が大教会長と何等かの血縁関係でしたし、部内教会長でさえも数は少ないながらも同様でしたから、もう、逃げるに逃げられないんだと思います。
今更、教理なんてどうでもいいことです。知らなかったとはいえ、このような世界に永年付き合っていたなんて、忸怩たる思いです。それでも7年前に縁が切れたことが救いだと思っています。
恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。
どこかの大教会子女が親族大教会の末端教会後継者と恋愛し、これを絶対阻止した理由がわかります。
親族もろとも利権の湯の中に浸かっていて、娘であり、また可愛い姪である人間を吸い取られる立場に置くのはめまいがする程考えられない場所なんでしょう。
天理教が神様を語るなら、差別意識は神とは対極にある意識でこの際返上して頂きたいと思う。
基本ちゃん、早く巣にお帰り。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1563701747
他の皆様
基本ちゃんはスルー推奨です。
ここがカイン氏の管理サイトなのにも関わらず
> カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
などと管理人呪詛を仄めかすカキコするよなヤバい奴です。
ただの掲示板荒らしですよ。
匿名 様
2019年9月3日 10:47 AM
>>恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。<<
近い将来、真実は白日の下にさらされるでしょう。
芹沢光治良が二代真柱に呼ばれ田園調布の三代善衛真柱の家に行った時の話だ。予備知識として登場人物について書くと、僕(芹沢光治良)、東井夫人(三代真柱の養育係で、現在の東井本部員の先代)O先生(東京大学宗教学科の教授)時期は第二次世界大戦後、三代真柱が慶応大学に入学した頃の話のようであるから昭和24,25年頃の話かと思われる。以下は「死の扉の前から」の抜粋である。
確かに天理教は一神教です。多神教ではありません。教祖様に降りられた実の神は、宇宙を創り、人間を創り、生物を創り、あらゆるものを創り、これからも創りつづける絶対創造神です。それを人間に理解し易いように、言葉で月日だと説いたり、水、火、風と説いたりしたが、創造神、即ち親神です。日本人に解らせるために、十柱の神の名を挙げてその働きを説いたが、十柱の神様が存在するのではなくて、創造主、親神の働きを一つ一つ挙げて、それに便宜的に神の名をつけたのに過ぎません。敗戦後、日本人はアメリカから食糧といっしょに民主主義をもらって、有頂天になって喜んでいるけど親神は天保九年(1838年)からすでに、教祖を通じて説いているでしょう。世界中の人間はみな一列兄弟だと、それ故、仲よく助けあわねばならない、そしたら自然に、世界は平和になると。人間には上下の区別はない、みな可愛い神の子だと。また人間には男松女松の区別もない、男も女も神の前では同じ人間で差別はないと。それ故、夫婦の間で、どちらが偉いのでもなく、たがいにたてあい助け合って、夫婦揃ってひのきしんのつもりで、家庭を治めれば、家は陽気暮らしができて、幸せに栄えると、説いている。そしてすべての人が平等であり、みな神の可愛い子であるから、人を助ければ、神が喜んで不自由をさせない。食糧がなくて困るようなこともなく、他国から食い残した食糧をもらって喜ぶ必要もない。病まず、飢えず、幸せに百十五歳の寿命をいただいて、陽気にこの世においてもらえるのだ…
「これが復元の教理かと、僕も驚いたが、そばに仕えていた東井夫人が突然真柱に言ったのです。」
―真柱さん、わたくしは小さい時から耳に胼胝ができるほど両親から教理を聞きましたが、こんなお話は聞いたことがありません。
―おれは真柱だぞ。お道については真柱の言うことが正しいんだよ。
―天理教がお話のようならば、私でも信者になれます。
「そうO先生が真柱へか、東井夫人へか、その二人に向かってともとれるように話したが、その時、真柱が顔色も蒼白で、血走った目を据えて酒を呷るように飲むのを見て、僕は息を呑んだものです。一体今の話は酒の上の話であるか、本当に復元しての教理であるか、それとも半年前の僕の手紙への答えであるかと考えてー」
(「死の扉の前で」P57~58」)
これを読んでどう感じるか。昭和、平成、令和の時代に生きた人には子供の頃から教えられてきた復元の教理そのものであり、明治、大正の時代から信仰している人たちにとっては違和感があることがわかる。では復元以前の教えとはどういったものなのか。『死の扉の前で』は二代真柱と芹沢氏の交流記とも言えるが、登場人物など実在の人であり、天理教の中ではタブー視されている朝日神社の井手クニの話なども載っており、自分自身の信仰を見つめ直すためにも読むべきものなのかとも感じる。上記の二代真柱が話した「人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無い」というのは教会本部だけは例外なのだろうか。封建時代を思わせる身分制度が表向きにはないように見えて、実質的に教団内部にもあり、それを踏襲するかのように大教会、分教会の会長も同じように振る舞い、最下層の末端教会、布教所はいつまでも固定された末端として喘いでいる。これが果たして正しい信仰なのだろうか。もちろん全部が全部そうではない。しかしインターネットにはそういった声があふれ、わかっていても変えられない現状があり、改革しなければならないとわかっていても、具体的には誰も動けない。本当の信仰を伝えるべき時が来ているようにも感じる。改革をするなら二代真柱が人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無いと言うように家柄で人事を決めず、人材を育成、登用し、過去の隠ぺいされた部分も隠さず、真実を伝えて研究を進め、本当の教えを伝えるべきではないか。二代真柱は孤独だったようだ。孤独にしてしまったのは誰なのか考えてみるべきで、四代真柱の今の姿も同じなのかとも思う。
>>大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判される
>>ばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙っ
>>てるに限るとだんまりを決めたのか。
Facebook にちょこちょこ発信しておりますね。
下記転記
【Wa-luck(わらっく)】
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青年会から、お道で初めての公式スマホアプリがリリースしました‼️その名も、Wa-luck(わらっく)です
お道の機関紙がスマホで読むことができるニュース系アプリです。道友社をはじめ、各部・各会から提供されている読み物系のコンテンツなどをカテゴリごとにまとめています。日常的に陽気ぐらしのエッセンスにふれるツールとして、ぜひお使いください!
また、その他アプリの機能として、記事検索機能や、記事のお気に入り機能、他にも朝夕の本部のおつとめの時間やおぢばイベントが見られるカレンダー機能などがあります。まずは、ぜひダウンロードいただけたら幸いです。
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わらっく さん
2019年9月4日 5:57 PM
>>Wa-luckは、
お道(天理教)の信仰の喜びを
皆様のスマホへお届けする、
陽気ぐらしの
サポートアプリです。<<
お道(天理教)の信仰の喜びを皆様のスマホへお届けする、陽気ぐらしのサポートアプリです。
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
今さら何を血迷っておられますか? NHKの番組で有名なチコちゃんではないですが、「バカ言ってんじゃねーよー!!」と顔を真っ赤にして怒りたくなりますよ。何が陽気暮らしのサポートアプリですか? 「陰気暮らし」と「お供え搾取」のサポートアプリの間違いではないですか? 誰もそんなアプリなどダウンロードし、インストールしたい人なんていませんよ。本当に馬鹿馬鹿しい。天理教もこの期に及んで随分往生際が悪いですね。どんな小賢しい小細工を考えてたところで、天理教は既に終わっています。信者の心は離れています。無駄な抵抗は止めなさい。
カインさんはツイッターで「天理教団は衰退し、本当の教えに沿った組織運営ではないと言われる。組織を作る時の一つ一つに教祖の思いを想像せず、中山家が仕切ってしまったことがボタンのかけ違いだろう。」とコメント。しかし、教えに沿った運営組織なるものはおそらくない。「講」が念頭に置かれることが多いが、現代社会において果たしてどれほど有効かと考えると否定的にならざるをえない。そもそも大組織になりえないし、仮になったとしたら官僚制的なものができてきて、現在と五十歩百歩の組織になると思う。伸びているときにはさして問題ではなかったが、衰えてきたときに矛盾とか閉塞感とかが募るばかりということじゃないでしょうか。それから、教祖は中山家が仕切ることを期待していたのではないでしょうか。梶本から養子をとったのも「真柱の真之亮」といったのも教祖なんですから。トップの力量そのものが問題なんでしょう。
チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。
>>チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。<<
良く存じています。わざわざご指摘ありがとうございます。チコちゃんのセリフを私なりにアレンジしただけです。チコちゃんのオリジナルの「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」というセリフも教会本部のお偉い先生方にはピッタリのセリフだと思います。(笑)
今更ながらの繰り言になりますが、やはり、かんろ台が倒された時にすぐにまた木製のかんろ台を据えたのが真柱の身上につながっているように思えてなりません。
木製模型のようなかんろ台はいつまた倒されても良いように木製なのかと思ってしまいます。
真柱邸の庭に在るという、警察に押収され、その後戻ってきた、あの石のかんろ台を据えるために「大反省会」を本部の皆さんが開いて自己反省したうえで、神様にお詫び申し上げ、本部の皆さんの合力で据えるべきだったのかもです。
据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから、そもそも神様からはその時がご注意のお知らせだったのではないでしょうか。
夜遅くまで据替の儀があったから寝不足だったのでしょうと、返答された会長さんがいまして、「何だかなぁ」でした。
なーーーんて、いっかいの信者が申し上げたところで誰も聞く耳は無いですよね。
黒い親でもハイハイとついて行け。理の親を立て切る事、それが信仰だと今だに聞かされています!!
いい加減にしてくれと吐き気をもよおすこのナンセンスさです。
「理の親が何をどう言おうと、理不尽だなあと思ってもハイハイとついて行け」と大教会で聞かされるこの馬鹿げた偽信仰。我々は限られた時間の中で生きている。馬鹿を相手にハイハイとやってる時間はありません。人一人の限りある命の時間を軽んじる。都合よく上下差別構造を作り、「末端や末端布教所は相手が馬鹿でも立て切れ。馬鹿を相手に死んで行け」と言ってるようなもの。末端は馬鹿の犠牲になれと。
本当に今の信仰組織内には閉塞感が溢れています。
誰かが賢明な判断を下し、本当の信仰を伝える契機を作らなければこのままズルズルと本部の無責任な悪意と共にもろ共沈んで行くのは必至です。
二代真柱は神の思召しを自ら立派に発言しながらそれを改革せず、何故今に続く間違った教理を許したのでしょう。
「死の扉の前で」は衝撃の書です。全ての天理教信仰者に目を通して欲しい。天理教の黒く醜い真実が手に取る様に見えてくる。有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。
>>有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。<<
現在もそうした盲信状態の方はおられるでしょう。過去には山ほどおられたことでしょう。世間一般の人に天理教の印象を聞いても、悪く言う人は大勢おられますが、良く言う人はほとんどおられません。本当に怖ろしい宗教です。天理教を悪く言う人のほとんどが、天理教に関われば、「身ぐるみ剥がされてもっていかれる」と必ず「カネ」にまつわる話がでてきます。
話は変わりますが、現在信者の皆さん、芹沢光治良著「死の扉の前で」を是非、読んでみてください。盲信と洗脳の呪縛から解き放たれるでしょう。
通りすがりさんは、芹沢光治良著「死の扉の前で」はフィクションだと断定されていましたね。
でも、フィクションでないことは、二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
追伸
上記の投稿は、81歳元気老人の繰り言と思ってください。
ウィキペディアより。
中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
若くして糖尿病で杖が手放せなかったということは、糖尿病の合併症が相当ひどかったということですね。
おそらく、腎臓や眼にも合併症がでていたのでしょう。人工透析や眼底出血の治療も受けていたのかもしれませんね。糖尿病の末期症状です。戦後の食糧難の時代、一般庶民はサツマイモのツル、イナゴ、蜂の子、タニシ等を食して飢えをしのいでいました。そんな時期に信者の「お供え」で輸入ワインや刺身を食していれば、寿命が短くなって当たり前です。各大教会長クラスの方々、そして、教会本部のお偉い皆様方、巡教に行って御馳走ばかり食べていると、本当に殉教しますよ。(真の殉教でないことは言うまでもありませんが)
東風Zさんのおっしゃる通り、現行天理教は信仰に値しないということです。
>>中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。<<
額に汗して働くこと無く、信者から搾り取った「お供え」と称する「あぶく銭」で、己の趣味を満たしていたとしか言いようがないですね。天理図書館や天理参考舘の貴重な資料は、天理教が完全崩壊する前に、公的施設に移管し、しっかりと管理してもらったほうがよいと思います。既存の「おやさとやかた」なるハコモノは、大規模災害発生時の避難所や、仮説住宅、その他社会福祉施設等、「世のため 人のため」になる施設として有効な使い道があると思います。
次の文は×大教会から派遣された賀川氏と芹沢光治良の『稿本天理教祖伝』に関する会話の一部だ。登場人物の「先生」は芹沢光治良で「若様」は二代真柱である。「山沢」は山澤為造、「松村」は松村吉太郎、と思われる。道友社発行の書籍では扱うことができない事項も芹沢は見事にまとめている。昭和、平成と信仰してきた我々には知らされていない歴史があることを知り、本当の信仰とは何かを考える時期が来ているとも思える。
現在の本部員は年代的にも「死の扉の前で」を読んだ経験があるとは思えない。存在さえ知らされていないかもしれない。いや、そんな研究などしている本部員、大教会長はほぼいないだろう。二代真柱に世話になった前世代の本部員は二代真柱についていろいろ書かれたこの本には批判的であったろうと思われる。しかし、後世に生きる我々は歴史を正視し、未来を考える必要があるのではないか。以下は「死の扉の前で」からの抜粋である。
「根本的なことは、教祖ははじめから神で、人間ではないとしています。先生の親様は、一人の心優しい農村の主婦が、神がかりがあってから、神の思召しに添おうと五十年間超人的なご苦労をして、ようやく神の社となりますね。それが教祖の実像です。決してはじめから神ではなくて、人間であって、ただ神に近づこうと精進なさった。だから教祖の雛形をふむという教理も成り立ちます。教祖が生まれながらに神であるならば、雛形として人間は従えません」
「教祖が生まれながらに神である方がどうして真柱に都合がいいの」
「教祖様が昇天してから、飯降伊蔵先生が本席として、約二十年間、神のおさしずを取り次ぎましたね。その間、初代真柱様は行政の柱として、本席は信仰の柱として、天理教を支えたが、信者は言うまでもなく先生方も、神の取次者であり信仰の柱である本席に、自然に心を寄せがちでした。教祖の孫であり、相続者である初代真柱夫妻は、そのことがご不満であったが、教祖の定められたことですから、どうにもできなかったのでしょう。本席が亡くなると、また神のおさしずに従って上田ナライトさんが『おさづけおはこび』をなさることに決まっていました。『おさづけおはこび』は、また、信仰上の中心行事であるから、信者はナライト様を本席に代わった信仰の柱と仰いだのです。それはまた、初代真柱夫妻は喜べなくて、若様こそ行政の柱と信仰の柱とを兼ねた強い真の真柱に育てようとしたのです。初代真柱様が大正三年に四十九歳の若さで亡くなられると、十歳の若様が管長になったが、ご母堂様は、後見人の山沢や松村という大先生方の力を借りて、少年真柱を絶対権力を持つ真柱に成長させようと懸命でした。その手始めに、大正七年にはナライト様が狂気だとして、御母堂様が自ら『おさづけのおはこび』をなさるようにしました。これで行政の柱と信仰の柱とを、中山家の掌中におさめて、現真柱様にゆだねたという、歴史があるのです。大変孝心の厚い真柱様は、ご両親の口惜しさや願望をじっくり胸におさめていると思います。それ故、天理教の専制君主のような独裁者になったが、敗戦前は、天理教自身が政府や軍部から弾圧を受けて、真柱様も絶対権力を振えないで、自制していたのでしょうが、敗戦後は信仰の自由が保証されたので、復元という美しい名目で、大っ平に自己の復権をはかっているのです。行政面では、しきりに教規を創って、教庁機構を変え、中央集権をはかっています。信仰面では明治教典にかえて新教典を創り、正式の教祖伝を編集して、天理教の絶対権を中山家のものにしようと励んでいます。その点、真柱様は偉大な徳川家康です。……教祖伝で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりなってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなく、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。新教典も精読してみれば、中山家の天理教だと、判明します。ですから、先生にお願いするのです。真柱様を説いて、まちがったお道にするのを防いでください。」
(『死の扉の前で』P75~76 )
時報に『教祖様』を連載していた芹沢氏に賀川氏がお願いする場面であるが、天理教の歴史を正しく理解するために大事な文かと思われる。どうして現体制の天理教本部が改革できないのかを知る貴重な資料とも言える。「お道の内外に、時々、神がかりになって…」という部分は飯田岩治郎(水屋敷事件)、井出クニ(播州の教祖様、朝日神社)、茨木基敬(元本部員で天啓あり)、大西愛次郎(ほんみち)のことを指していると思われる。異端研究は教内ではタブー視されるようにも思うが、それらを研究することによって見えてこない部分が現れてくる。異端が現れる要因に本当に教祖の雛形を通り、天啓を受けるようになっても、専制君主制のような組織の中では正しくお道が広がらないという思いもあったのかと思われる。
教祖三十年祭に井手クニが天理に来て教祖殿事件を起こしたが、第一次世界大戦の真っ只中で世の中も混乱していた時期である。教祖三十年祭の翌年、大正6年に須藤花井が生まれているが、何かしらの神の思いがあったようにも思えてくる。「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」芹沢氏の著作を読むと全くその通りだとも思う。
人間の運命はお読みでしょうか。
井出くにの肉声を、芹沢光治良先生が記録しています。
伊藤青年の記録として、神のシリーズもありますが、天啓なるものを、実態を克明に描いています。
専制君主制のような組織、ではなく「神政政治」であり、
真柱に関する書物や文献でわかりますが、いう事聞かないと病気になるという恐怖政治です。
体験談ばかり。。。実質的に現人神という状態で、権力者であったわけです。
真柱のご命と言えば通用してしまう社会ですから、実際に病気になった人も、伝え聞いた人も、
すすんで真柱の代理ばかりになるわけです。
そして真柱の意と違う行為に走る。真柱様のご命だと、。。。
真柱もわかっていて、そういう特殊社会を構築していたのでしょう。ある目的があってでしょう。
悪は「はびからす」教えですから。
戦争協力の人事は、教庁が全て握っていた、真柱の年齢を思えば「摂政政治」です。
教団名部では「ご母堂様」が全権力を握り、お屋敷へのご奉公の統制をした。
教庁支配の中心は諸井慶五郎、若手リーダーは諸井敬一郎。報恩信仰の金出せ信仰。
本部内はご母堂が専制君主にしたてあげ、教団は満州への布教の中心、軍部協力の教庁が真柱を祭り上げて、支配。
その歴史は、教庁そのものが歴史編集当事者だから、隠蔽されていて、大教会は理のおや集金組織となった。
二代真柱は、その中、悪をはびこらせながら、神政政治を行い、天理教の復元を、三代真柱に託した。
そして、数理に通りに、死んでいます。
オカルトです。
天理教教庁、WEBで調べてもなにも悪事は出てこない・
満州への軍事物資の輸送を一手にひきうけて、からは日本の地にしてあるを、堂々行い、
満州布教を行わせた。
天理教校も天理大学も、教庁の真相は、隠しこんでいて、悪です。
おい基本さん。
金もらって荒らしているのですか?
雑音がうざいです。
基本、無視していますけど、ゴキブリみたいに出てくるのは不快です。
来ないでください。
二代真柱を尊敬していて、教義の父との認識です。
天理教会の大教会、本部内部の生活の実態も知らぬ貴殿がきちんとした調査もせず、根拠なく、二代真柱を中傷し非難していることについては、放置すべきではないと考えております。
批判します、
真柱とは、禰宜であって最高権力者ではない。
天理教のおふでさきの理の上の立場で、教庁などの機関とは行政的なつながりはない。
天理教団の真柱を批判するなら、それなりの論拠をしめすべきです。
芹沢光治良先生と二代真柱の交流は、芹沢光治良先生が著作の中でも語られており、
二代真柱への追悼の文章にも残されていることです。
証拠もない二代真柱批判は、批判のための批判であって社会科学の場での主張は慎むべきです。
神の館を一般開放の参考館にしたり総合病院にしたりしていることを批判するにしても、中身の検証行為をしてからが社会科学の研究の常識です。
こともあろうに人格攻撃に出て、二代真柱の短命を信仰の欠落かのごとく非難し、出所不明な想像混じりの病状を特定、並べ立て、医者でもないあなたが、真柱が病気になったことを、信仰の間違いの証拠だと非難していますが、社会科学どころか、重大な人権侵害行為であり、信用。名誉への毀損行為ともみえます。
天理教への攻撃であって社会科学ではない。
それで、基本をゴキブリと呼ぶのはおやめください。
真柱が教祖の予言を形にしていくのは、信者からみて、教義の実現ですから、当然のことです。
八兆四方神の館は、記録に残された天理教祖のお言葉であり、奈良、長谷七里は門前との予言で、今に宿屋が立ち並ぶとは、それも教祖の予言です。
天理教祖の予言そのものがおかしいという批判は異教徒としての立場でならあっても自然ですが、異教徒としてのやみくもな批判は社会科学ではない。
仮に創価学会員カインの意見ということなら社会科学を偽装しないことです。
貴殿はもう根拠のない誹謗中傷を消せないWEBに記録してしまったのですから、その意味を深く用心して、慎み深く、対応ください。
ハ町四方構想参考資料
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/11/1/11_299/_pdf/-char/ja
八町四方の話は「稿本天理教教祖伝逸話編」に書いてあるんでしょうけど、そもそも、この本自体の信憑性が薄いと思うのですが、、、、
基本 様
人は夫々だと思っています。しかし、宗教家の、それもトップの位置にある方々が、成人病の連鎖だなんて恥ずかしくないですか。
日野原重明医師は、腹七分目を唱えられ100歳を超える天寿を全うされました。クリスチャンだったと聞いています。だから、私は腹七分目を目指して頑張っていますが、なかなか達成できていません。でも、81歳の今も常用する薬もなく、もたもたしながらも動き回り、10㎞くらいなら平気で歩くことが出来ます。
ところで個人攻撃的な投稿と指摘されていますが、公人に等しい人は、なかなかプライバシーを守ることは難しいですね。美智子上皇皇后さまも乳がんを公表されています。真柱たる立場の方は、より強い克己心が求められて当然でしょう。四代さんの病状をひた隠すようでは公人とは言えないでしょう。
さっさと職を辞されてゆっくりと静養されればいいんじゃないですか。そうすれば、誰も何も言いませんよ。
教義に「たんのう」という教えがあることは子供の頃から聞かされていました。我が身を「かりものかしもの」と理解されているのであれば、自分に打ち勝つことがいかに大切かが理解できるはずです。理解できなければ、教団トップとして恥ずかしい限りではありませんか。
中山家の後継者が夜の銀座で名前が知れ渡っていたなんて聞くと、バッカバカしくて現行天理教なんて信仰できませんよ。
現行天理教に、柏木庫治さんじゃなくて、酒井雄哉さんのような方が何故出てこられないのでしょう。
残念ですが、基本さんが何を説かれようと現行天理教は信仰の対象とはなり得ませんね。
比叡山をバカにする人は居ないでしょう。一方、天理教はこの欄を見れば分かりますよね。先ず、万人がなるほどと言える宗教に立ち返るべきです。
東井朝仁 随想録
「良い週末を」
先週の週末エッセイでは、母校・天理高校(奈良県天理市)時代の想い出の一端を述
べました。
十数年前から配信しているこの「良い週末を」のエッセイを、長らくお読みになって
いる方は、すでに何かを感じておられることと思います。
そうです。かっては「私の母校は、奈良県の某高校」とか、「両親は、ある宗教団体
の布教師で、家は貧しかった」などという表現をしていましたが、近年のエッセイで
は、母校は天理高校であり、宗教団体は天理教と明確にしているからです。
昔は、両親・家族が天理教に帰属し、私もそのミッション・スクールである天理高校
を卒業している事実を、心を許せる友人以外には、あえて表明しないで来ました。
「職場や関係団体など、私が接触する社会の人々は、何がしかの宗教を信仰されてい
て、中には熱烈な活動家もいるかも知れない。また、全く宗教には無関心な人もいる。
だから、宗教の話などをして余計な先入観を与えるのはやめよう。」と考えていたか
らです。
さらに付言すれば、友人などから天理教の教えを聞かれた場合には要点を説明し、天
理の地の見学を請われれば、奈良まで引率して案内することはしていましたが、こち
らから入信(教団加入)を勧誘することはありませんでした。
なぜなら成人になってからの私の心の底には「宗教団体に入ると、神(教理)との純
粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。
だから、教理・経典の教えに救いを求めるとしたら、一人で教理・経典に触れ、神と
自己とが静かに向き合える立ち位置をとったほうが良い」との考えが強かったからで
す。
勿論、宗教団体に加入することにより、「仲間が増え、孤独から解放され、同志から
守られている安心感がある。また、指導者から教理を諭されて信仰に厚みが出来る」
という人もいるでしょう。教条的に絶対的な帰依を求めることにより、全信者を組織
防衛的に統括する宗教団体。その国家権力も容易に介入できない傘の下に入ること、
不安と孤独とコンプレックスに陥っている人は、人生で今だかってなかった安寧が得
られるのでしょう。
極端な例をあげれば、あのオウム真理教に加入した若者たちの心情も、かようなもの
であったのでは、と私は推察するのです。
だからこうしたほうが良いという断言は、私には出来ません。
しかし、もうその様な思惑や配慮が、私の心をとらえることは無くなりました。
何故なら、私共家族は20数年前に天理教団を離脱して(離脱させられて)おり、ど
の宗教・宗派にも属していないからです。誰がどんな宗教団体に加入していようが、
どんな教えを信じていようが「どうぞお好きに」という醒めた心になっているのです。
宗教団体に関しては全く興味がありません。
離脱した理由は、ここでは「抜き差しならない諸般の事情から」としておきますが、
一言。
巨大なピラミッド型の天理教組織。その下部の一隅に位置する小さな教会の長(宗教
法人法では代表役員という)を、戦前戦後を通じて40数年間必死に務めてきた父。そ
の父が死去した際のことでした。
教団組織の上層部から、現住する教会(敷地)からの東井家の立ち退きを、突然に命
令されたのです。本来はその地で長の任に当たって生活してきた父母の長男、私の兄
が後継者となることは、教団内では衆知の事実となっていたのです。そこで教会関係
者一同の嘆願書などをたずさえて、何回も請願に伺ったのですが、全く聞き入れて頂
けなく、みな絶望のどん底に落とされてしまったのです。
私は「これは宗教上の問題ではなく、教団上層部の人間的な我慾(注・当時はバブル
経済真っ盛りで、広大な教会の土地価格は高騰していた)に端を発していることだ。
社会的・道義的に認められるものではない。宗教上の親(教団指導者)と子(下部組
織の信者)の問題に歪曲化して、教団幹部は「真の信仰とは、親の言うことに子供は
素直に従うことだ!」と有無を言わせずに恫喝しているが、問題のすり替えだ。これ
は一般社会の問題として、民事として法律的に厳正に処するしかない」と判断し、民
事裁判に解決をゆだねたのです。
結果、4年にわたる係争は、私の敬愛してやまない老師に仲介に入っていただき、よ
うやく和解となりました。
後日、地元の税務署長が「巨大宗教団体と個人の係争で、このように個人の側がつぶ
されずに対等和解で解決した例は、日本では初めてじゃないですかね」と感嘆されて
いたとのことでした。
父の死後、和解が成立するまでの期間、残された母親や長兄一家は、教団からの有形
無形の圧力を受け続け、私にも、ある親しい人から「向こうは暴力団などを使って何
をしてくるかわからない。朝チャン、くれぐれも駅のホームでは前に並ばない方がい
いよ。気をつけて頑張ってな」と、密かな助言がありました。
仕事で疲弊して帰宅しても、神経は高ぶり、幼い子供3人の寝顔を覗きながらウイス
キーをストレートでコップ一杯飲みほしても、全く酔えず、緊張した不安な日々が続
いたのです。
この時こそ「宗教団体は恐ろしい組織だ」と痛感したことはありません。
そうした事態を夢中で乗り越えてきたのですが、最近になってようやく、「天理」と
いう実名を表現出来るようになったのです。
今でも教理は素晴らしいと共感し、教団の信者さんらには立派な方も多くおられます。
みな温和で親切で腰の低い、良い人ばかりなのです。
しかし、信仰の名のもとに宗教団体が巨大組織化されていくと、必然的に集団は官僚
制に組織化され、残念ながら権力の中枢にいる一部の指導者らによって、人間社会の
どろどろとした欲望が渦巻いてくるのです。
ようやく歳月が苦しみや悲しみを洗い流し、今は静かな澄んだ心境から、懐かしく天
理高校時代を想い出されます。
私は世界中のどの宗教でも、人々の心を励まし、生きる希望を与えてくれる素晴らし
い教理・経典を持っていると思っています。
絶望に伏した人を立ち上がらせ、涙にくれている人の心に、明日への望みをさとして
くれる。それは神や仏にすがるように向き合ってこそ生じる、信仰の光でしょう。
しかし!純粋に信仰を希求する人々も、集団に組み込まれ、ヒエラルキーが貫徹する
上下関係が成立する組織となってしまうと、徐々に組織内部には名誉欲、権勢欲、金
銭欲がはびこり、宗教団体は社会一般の常識は通用しない、排他的な特殊な人間集団
に化してしまうのです。
だが現実は「正しい教えを広く国民に広めることが、弱者の救済と社会平和に貢献す
ることになる。そのためには個人だけでは無力で何もできない。だから信者を増やし、
統制のとれた強い宗教組織が必要になるのだ」と強弁する宗教関係者が多いのです。
私のつたない経験から、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する・・」(憲
法第20条第一項)「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを
強制されない」(同条第二項)とありますが、はたして日本では完全に信教の自由が
擁護されているのだろうか、と疑問に思います。
敵は国家権力だけではないのです。憲法第20条をないがしろにするのは、不幸なこと
に各宗教団体自身でもあり(宗教間の争いは陰湿。世界的に見ても不毛で残虐な宗教
戦争ばかり)、同じ宗教団体内の排他性にもあります。
私が中学を卒業して東京を離れるまでの幼少年期の頃、前述したように教会だった私
の家の門には、人糞(当時はまだ汲み取り便所ばかりだった)が捲かれていたり、塀
には白ペンキで「邪教!」と大書されたりする嫌がらせが、頻繁に起こっていました。
また、私が小学生のころ、近くの商店街の八百屋に買い物に行った時、店のおばさん
から「天理教だね。あんたのとこには売らないよ!」
と怒鳴られ、悔し涙で帰ってきたこともありました。
一方、所属の宗教団体から離れた人は、かっての極左暴力集団内のリンチではありま
せんが、「地獄に堕ちろ!」とか「子孫の代までたたりがあるぞ」などの嫌がらせ電
話や機関紙などによる誹謗中傷を日夜受け、地域によっては村八分にされて一家離散
したり自殺に追い込まれるという痛ましい事例を、私は教団・宗派を問わず、嫌とい
うほど見聞きしてきました。
こうした経験から、私はいつの頃からか「宗教でも政治でも、教団や政党には入らな
い。自分達だけが正義かの様な独善主義と、人が人を隷属して成り立つような閉塞し
た人間集団は、必要悪かもしれないが、私はノーだ!」との信念を形成してきたので
す。
ただし、様々な宗教において、日夜一生懸命に布教に没頭されている方や、政党の党
員として志を高くして活動されている方の中には、人間的にも素晴らしい方がおられ
ます。
そのような方々とは、心楽しく交流を続けさせて貰っています。
毎晩、テレビの横に置いてあるフクロウの絵が描かれた七宝焼の絵皿に向い、神様、
ご先祖様、今日も無事に過ごすことが出来ました。有難うございました。明日も一家
揃って、無事に元気に過ごすことが出来ますよう、お守りください」と手を合わせて
いるのです。
これが、私のスタンスです。
それでは良い週末を。
基本的に”基本さんはスルー”に賛成なのですが、なんとなく、基本さん像をイメージすると、なんとなくこの方も宗教・信仰に浸かった結果の一例のようにも思え、一回だけ反応することにしました。
一回だけというのは、申し訳ないのですが今回限りの反応という意味で、私自身神経が細いので、お相手することでエネルギー消耗が激しいため、更なる対応からは逃げますという意味です。これにより、卑怯と言われても全く構いません。
基本さんが一生懸命5チャン板も含め、社会学に投稿されている努力は素晴らしいと思います。ただ、もう少し気配りがあればもっと良いのではないでしょうか。
人間は例えば話す時にも、無意識的にも、相手が信頼できる人かどうかを見定めながら話していると思います。
文字だけで判断する場合は、表示されている文字がその判断に代わるわけですから、誤字脱字も含めての表現になり、効果が読み手の感覚に入ってきます。
つまり、意識しての誤字脱字もスタイルの一種となり得るということを言っているのです。
基本さんは恐らくは高齢者の方かな・・・・・。仕事で入力する立場ではなさそうナ。。。
自分も高齢者なので、なんとなく、同じ匂いが感じられるだけなので、この想像は無視して下さい。
基本さんは一生懸命入力してくださるが、脱字と誤変換が多いですね。
初めて読んだときは正直なところ、わざとかな?と思ったほど。
いや、これはネットに慣れていない人なのだという事が判ったのは、基本さんが「山名教理」の解説を書いている文面の意味が通らないので自分でサーチし、元記事を見つけたからでした。
基本さんがコピペする際の、不注意のようにも思える手際の悪さが原因で、一読しても「?」となってしまっているようです。
ですから、基本さんにお願いしたいのは、もう少し投稿する前に読み直しをされては如何かということです。
そうすれば「不気味感」は払しょくされ、単に意見、主張が異なる人としての存在になる事だろうと思います。
また、基本さんに賛成の方もいるでしょう。
怒らせるつもりは全くないけれど、カインさんを学会人と決めつけていますが、これは誤解だと思いますよ。
それと、二代さんを尊敬されているのでしょうかね。(私の誤解だったらこの指摘は無視してください。)
二代真柱の限界にも目を向けるべきだと思います。おすすめ本として「新宗教と総力戦」永岡崇著 を挙げさせてください。
若手研究者ですが目配りのきいた視野と思考で、信者ではない方なのに本教に深い理解をされています。
基本さんも読まれていたかもしれませんが、自分が昔、村上重良や小栗純子の本を読んだときに感じる違和感を本書でバッサと指摘している部分を読んだときには、さっぱりしましたよ。
若い自分の感性が、何年も経過した今になって、若手研究者の研究のお陰で整理がついたような感じです。さっぱりしました。
勿論、上記の感想は冗談のような些細なもので、本の価値は大きく、一般の信者としての自分には探し出せないような資料を広く読まれたうえでの研究成果であることを強調します。
基本さん、頭が良い人は世の中ごまんといます。
自分は基本さんよりIQは高いと思います。(想像ですよ。)
どうですか、この様に書かれたら、腹が立ちませんか?
基本さん、自分の頭の良さを書きつける理由は、もしかすると、現状の環境で、基本さんは能力なり、何かを皆に認められていないから、フラストレーションを抱えているのではありませんか?
これはあきらめるしかありません。
自分で自分の心を収めるしかありません。
自分なんて、何事も期待せず、気にせず、するっと寿命まで生きる事を信条に生きているだけです。
人生は修行の場。生まれ変わりもしたいとは思えません。次の世で牛馬となっても結構。牛や馬が不幸だと決めつけるのはヒトが傲慢だからです。
以上、基本さん、暴言お許しください。
カルトであり、オカルトである基本に、丁寧なご対応ありがとうございます。
二代真柱、あるいは真柱に対する批判的見解は、お持ちになるのは自由です。
と、言いますか、ぜひ正しくご批判を頂きたい。
神・親神・存命の教祖・中山みきの「元の神・実の神」説、この創作者は正善真柱、親神の説とは違う。
論の出発点で、初期の原子記録の資料は、そう示していない。
「我は元の神、実の神である」「この屋敷に因縁あり・世界救済に天下った」説は、二代真柱の稿本説であり、基本曰く(稿本との自白)で、「我は天の将軍なり」が正しく、稿本教祖伝は第一章の冒頭から大間違いという事に基本的には解釈できます。
その稿本説の基づいて「やかた普請」も、稿本と同様に、いずれ正本説に訂正されるでしょう。
「我は天の将軍である」が正本説です。
お言葉の「八町四方」とは。八兆四方が正説で、「八町四方神の館」説は、二代真柱の創作です。
宇宙をさす「八兆四方」を現地の「八町四方」に縮めて語る歪曲する。
嘘も方便で、大教会レベルにはちょうど良いお話で、
応法の真柱の役割をちゃんと実行しています。
「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。
この場は二代真柱の応法批判を述べるに相応しいので、教義の父のいかさまを暴露します。
「匿名」さんが多いですね。だから「匿名」がいいのかもしれませんが。私は2019年9月6日8:46PMの「匿名」です。基本さんへの返答ですが、「人間の運命」ももちろん読んでいます。私が書き込んでいる意図は天理教の過去の事実や歴史を知り、その上で信仰を考えてもらいたいからです。余計なお世話かもしれません。誰かと信仰問答をしたいわけでも、論争をしかけたいわけでもありません。ただ読んでいただいて、考えてほしいだけです。特に若い人にです。芹沢氏の作品は長い上に、絶版されて手に入らないものもあり、また昔、教団が回収したという話も聞いています。ですから読んでもらいたいと思う部分を抜粋して投稿しているわけです。
私も含め、復元以降の教義で昭和・平成時代を生きてきた人にとっては矛盾していると感じながらもどうすることもできず、喘いでいるようにも思います。芹沢光治良は実際に二代真柱と交友があり、作品の中でその交友を赤裸々に綴った部分が多く、資料としても価値があると考えます。人を助けて我が身助かるというのが本当であれば、教内で悩んだり、矛盾を感じながら喘いでいる人々を助ける努力を少しでもすることが神の望むところではないでしょうか。現状では本当に若い後継者が悩み、離れて行っているように思います。このサイトを見ている若者も多いと思います。もちろん本部関係者も見ているはずです。本当に信仰するに値する宗教なのかと、誰もが思っているのではないでしょうか。
他の「匿名」さんが東井朝仁随想録を投稿されていましたが、その随想の中で「宗教団体に入ると、神(教理)との純粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。」というのは全く同感です。生まれた時からこの団体の中にいて、逃げ出せない人も多くいることも事実です。これは天理教に限ったことではありませんが。親の代のそれを散々、見てしまったら自分の代で終わりにしたいと信仰を離れる人も多いとも思います。東風Zさんの投稿も貴重な御経験をもとに述べられていると思いますし、9月7日7:45分の匿名さんのハ町四方構想参考資料の紹介も現在の教団を考える上での貴重な論文だと思います。
おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。人間の運命の森次郎(芹沢氏)のような生き方をするのも、一郎(芹沢氏の兄)のような生き方をするのも人それぞれだと思います。ただ混迷する今の世の中をよくしていくには宗教(宗教団体ではない)が必要なのかとも思っています。
>おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。
私事です。
私の息子が、月に一度ほど研修の為に奈良に出かけます。(天理教関係ではありません)
帰途は、東京駅に着くのが遅く地元の終電に間に合わず私が東京駅まで車で迎えに行きます。
東京駅に向かう途中、夜の10時過ぎですが首都高速のPAエリアに寄るのです。
そのPAのトイレでは、いつも腰が九の字に曲がった老人がトイレを掃除しているのです。
容姿から推測すると既に70歳半ばは越しているかも知れない。
夏も冬も夜の10時過ぎに弱弱しい体を動かして一人でトイレ掃除をしているのです。
この世では、たいして働きもせずに贅沢三昧な生活を送る人間が沢山いる・・・
80歳に近いのでは思われる老人が、夜の10時過ぎにPA のトイレを掃除する姿を見るとこの世の理不尽さ
不公平さにいつも涙が流れてしまうのです。
幕末の世の中に生きたおや様も 正直に生きて居るのに貧しさに苦しむ人々を見て、神仏に何とかならないかと願ったのではないかと思うのです。
世の中の理不尽さに嘆き悲しみ そして神仏に救いを求めたのではと思うのです。
「みき」は、神や仏を信仰したのではなく、貧しい人々を救って欲しいと願ったのだと私は思います。
そして、「みき」の思いに神が答えたのでしょう。
だから、「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。
信じたり 願ったり 仰ぎ見たりなどと言う宗教的な価値観を親神は求めていません。
我々が、この世を真実に生きる事 真実に通る事を親神は願っているのです。
5-62 だんゝとこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし
5-63 いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうっかりと
5-64 はやゝとしやんしてみてせきこめよ ねへほるもようなんでしてでん
5-65 このよふのしんぢつねへのほりかたを しりたるものハさらにないので
5-66 このねへをしんぢつほりた事ならば ま事たのもしみちになるのに
この道は「真実の道」だと親神は明確に示しています。
「お供え金」や「追従」の道ではありません。
>>「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。<<
まさにその通りだと、深く共感します。
5-62から5-66までの御筆先の神意を信者さん達に伝えて行きたいと思います。
信仰とはお供え金でも追従の道でも無い事を。
当方は教会ながら両親が職業を持つことをぶれずに実践してくれたお陰で自分も長く社会で働かせてもらえ、一般社会と同じ経済に恵まれ、今の自分があります。
信者さんに心の痛む嘘の教理でお供え金を出していただこうと苦しまなくていいし、真実の信仰に目をそらさず見つめる事が出来るのはありがたいです。
お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
何が言いたいのかわからなくなりました。失礼しました。
天理教の現在と問題点について。以下の著作をご紹介します。
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
現天理教の教会の貧困、教団の衰退の現実が数字と共に細かく書かれています。ご一読を。検索をかければネットで出てきます。
この中に記載されている信者数、ようぼく数、その他の数字は本部から出されたものであり実際には5割掛けで見積もる方が現実に即していると感じました。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック]
稿本天理教教祖伝は「稿本」と正善真柱は名付けています。
事実と違うから「稿本」です。
最も史実と相違しているのは「立教の宣言」です、
正善真柱は本部神殿で立教の宣言について稿本の内容に異説を唱える本部員に講話させています。
https://blog.goo.ne.jp/oyatan/e/ac44d16eee3f093b95a8e904e3a2c6b6・引用します。
『 天保九年十月二十六日、教祖様に神懸りがありました。「さあさあ我は天の将軍、国常立尊なり、この度みきの身体を神の社と貰い受けた。これに承知しない時は一家断絶」というてお降りになる。続いてまた天井でガタリと音がして、「さあさあ我は天の将軍、面足尊なり・・・・・」というておおりになる。こうして次から次へと十柱の神様皆お降りになりました。それからというものは、御教祖様の身体は神様の身体で、今まで中山家にあった沢山の田地田畑家屋敷庫まで総べて人助けのためにほどこせと仰せになるとおっしゃって、皆お恵みになったのでございます。 』 (引用終わり)
あの時代、正善が右と言えば右、左と言えば左の専制的時代。故意に「稿本」なる教祖伝で、正善の言いなりにならない信者を発掘する仕掛けでした。
まさに獅子の子を谷底への正善の応法レトリック。
芹沢光次朗先生は正善真柱の対等な友情で、「おやさま(不思議な女の一生)」を、再版していることは、書籍冒頭に書かれています。
芹沢先生も光の子として「別な意味の稿本」を数々書き、小説としました。正善真柱は嬉しかったと思います。
ところが基本は、稿本など書いていられない。
根を掘りきるには稿本ではなく正本が必要なのです。
二代真柱に命じられた本部の資料集成部が「教祖伝史実校定本」を作成し、原始資料を集めて整理していて、
教会長レベルなら申し込めば、購入出来たので基本の手元にはそれが届いたものがあります。
おさしづも、戦前教会本部は、焼却処分させましたが、基本の手元にはそれがあります。
正本としての天理教教祖伝は天理教の基本でありますが、現在も教祖存命伝が進行中であるところです。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック②]
八兆四方は神の館を、「八町四方」は神の館に読み替えて、大教会から集金して、
医者薬は不要になるという教祖の教えなのに、天理教の病院を立てた。いかさま。
創価学会はお題目で病気が治るからと布教した池田大作先生の教えを守り、病院立てていないのに、
おさずけで病気治せという教えなのに、病院立てた。まるで詐欺である。
道に学問はいらんという教えなのに、大学を立てた。謀反者。
説教はいらんという教えなのに、説教をさせた。裏切者。
最大の裏切りは「八棟八商売」の教えを完全に埋葬した事。
おやさまは、おやさと館では八棟八商売と教えているのに、
ぶっ壊した正善真柱。
「家業第一」と教えはあるのに地場での経済活動の教えを消した正善真柱、それほどに「集金に走る諸井慶五郎以下の大教会、部下教会」を信用していなかったのだ。
創価学会は組織結成の第一歩に7つの企業を立てて会員の信仰活動に行いての商売を学会で独占する仕組みを作ったというのに。
一番金の儲かる信者そのもの対象のビジネスを本部にさせないのは、信じていないからである。本部員以下の内部信者もである。
だが、おやさまが言われた八棟八商売は、家業第一は世界たすけの基本であるのだ、
這い上がってこい、いかさまだらけの天理教教義のレトリックを見破って這い上がり、地場に、最も人間らしい経済活動のひながたを打ち立ててみよ。
いかさまのレトリックで 鼻で笑う、
正善真柱こそ、教義の父。基本の恩師である。
なめるな、お前なんぞに騙される天理教の基本ではないと、そういい続ける、
匿名
2019年9月8日 様
>>お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
>>真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。
わらっく
断りたいのに 手配りで ポストに入れる某時報
子供が成長すれば 記事が気にならない親子冊子
安くあげようと 夜行バスを利用する気持ちの逆なで 某飛行機CM裏表紙
ごめんなさい うちは女だらけです 某とうりょう
印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか? 印刷物とネットで 数字アップ⤴️ が目的でしょうか?
ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
購買停止はできますか?
>心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。<
いつも思うのですが、この掲示板の存在をマスコミに大々的に発表し、オウムの一連の事件のように大きな社会問題として報道してもらう術はないものでしょうか? 一新興宗教の問題などマスコミにとってはどうでもよいことであり、報道してもカネにならないのでしょうか? 心のモヤモヤをこの板に書き込んで少しはスッキリする以外に方法は無いのでしょうか?
>「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。<
冗談じゃない、と言いたいです。八町四面の館が完成して、仮に、毎日毎日別席場が満杯になるような状況になった時に、真柱一人でおさづけを渡し続けることが出来るのでしょうか。
真柱は神じゃあるまいし、物理的に考えても不可能なことは明らかでしょう。
おさづけを渡す人が複数人(20人でも30人でもいい、100人でも構わない)必要となれば真柱が複数人必要になる。このようなことを想像しただけで、この宗教は破綻していると言えるでしょう。
お許しにおさづけにと、切りの無い活動がたった一人の真柱で賄えると思っている方が余程正常を欠いていると言わざるを得ません。
まあ、比叡山の12年籠山行を満行された方ならば可能かもしれませんが、早々と病に倒れられるような方が職務を遂行できるとは到底思えませんね。
出来もしないことを軽々しく説く宗教なんて信じる方がどうかしています。
「天理教の布教の現実と問題点」金子 昭著
中央学術研究所紀要 第47号より
>>教会制度の弊害については、教内からも告発の声が上がっている(12)。末端教会の場 合、月次祭など自分の教会の信仰行事だけでなく、上級教会や大教会のために人力に よる奉仕(ひのきしん)や金銭の上納(お供え)もあるので、末端教会では貧困が常 態化してしまう。そうした中、教会家族そのものが疲弊するという事態も生じている。 教団機関誌(紙)には決して掲載されることはないが、教会子弟の中には、心を病ん でアルコール依存症になったり、家庭がうまくいかずに離婚したりする者の話もしば しば聞く。<<
上記は研究の書の一部分で色々なデータを基に書き上げられており、「天理教の教会組織は既に破綻している」と見てよいと個人的には思った。
教団組織はもとより、全国に広がる16000箇所の教会のその多くが死に体である事がデータと共にわかる。当方教会でもこのデータ通りの衰退を辿っており手に取る様に実感する次第です。
天理時報の発行部数の衰退、布教の家入寮希望者の減少、天理教教会の身内化にも触れられており、今後横(世間)に広がる事は見込める術なく、衰退、瓦解、消滅の道へ確実に時が刻まれるのを実感しました。
データは2016年現在で書かれています。その後3年を経ていますので、数字としての減少、衰退は益々拍車がかかっているのは間違いないと感じました。
教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。
>>教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。<<
現行天理教は、太平洋戦争において敵艦の魚雷を何発も被弾し、船首を空に向けて今まさに沈没しようとしている旧日本海軍の巨大戦艦のようなものです。乗組員の皆さん、艦と運命を共にして海の藻屑とならないうちに、即刻、退避しましょう。
匿名 様
2019年9月8日 11:25 AM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
上記を拝読しました。一読だけでは理解できませんが、宗教全体にとって苦難の時を迎えているのでしょうか。
拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。
神名流しだ、路傍講演だ、大教会だ、分教会だ、布教所だ、天理時報だなんてどうでもいいことではないかと思うのですが。それでだめならやめればいいだけのことです。無駄な努力ほど空しいものは有りませんから。
>>拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。<<
神社仏閣の拝み祈祷でも、僧侶や神官の説諭の言葉があり、人の生き方として納得させられ、癒やされ、すがすがしい気持ちになります。つまりある種の説得力があります。
天理教の場合、「おさづけ」をしてもらっても何も残りません。残るのは、とってつけたような訳の分からない「いんねん話」と、ダジャレをこじつけたような意味不明の話、そしてつまらないことにカネを使ってしまったという後悔の念です。つまり、天理教の「おさづけ」は金儲けの為に利用され、取り次いでもらった人間には何も残らないどころか、腹立たしさと虚無感さえ覚えるのです。
話は変わりますが、昔、「いこいの家」に入院していた肺癌の末期患者の知人(故人)がいましたが、事情部から毎日のように黒い教服と帽子を着た人が「おさづけ」を取り次ぎにきて、性懲りも無く訳のわからない「おさとし」をしたそうです。大病を患い病床で苦しんでいる身にはあまりにも煩わしいので、お供え袋に金一封を入れて「手切れ金」のつもりで渡したところ、それ以来、その事情部の人物は来なくなったということです。今でも、そうした事情部の黒装束の人は「いこいの家」の中を金儲けのために虎視眈々と病棟内を俳諧しているのでしょうか?もしそうだとしたら、私が大病を患っても、絶対に「いこいの家」には入院しません。
以下の ほりけん さんと、nuno さんのツイートを読むと、
教校学園の閉鎖は、本部がなんの相談も無く、コスト削減を優先し、
有無を言わせず虫けらのように教校学園の職員を切り捨てたのかがよくわかります。
こんな組織が世界をたすけられるわけがない!!
天理教団、終わりましたね。
ほりけん @VgWEED0EslbRqQk
教校学園の廃校に伴って、職員の先生方の就職先はネット上で流れていた通り、
自分でどーにかしてくれみたいな感じって今日、実際に先生から聞いて、
それを聞いたある先生の奥さんは発狂して実家に戻ったところもあるらしい。
そーいうとこのケア本部はしてるんでしょうか?
nuno @toarukyoukaino
全然してないらしいですよ。
「天高にはいけません」
「本勤したいならどーぞ」
って言われたそうで。
とある先生は「すぐにでも辞めたい」って言ってました。
来年も新入生いるみたいだけど、先生いるのかしら?と心配してます。
東風Z 2019年9月8日 7:23 PM
おさづけの理を渡すのは真柱の仕事ではありません。
誰でもいいのです。
正しい教義ではそうなります。
人は神ですから元の地場で、役に当たれば、誰でもいいのです。
実例では、松村吉太郎は東京本部で、おさづけ渡しています。
おさしづに記録があります。
ナライトさんは、今で言えば引きこもりですが、。
おふたりとも、たいして信心していません。おたすけもしていません。貧乏もしていません。
誰でも良いという見本としての、両名でした。
おやさまは、布教しろという教えはしていません。
神名を流せというのは、「中山みきの名」としての神名「天理王命」です。
拍子木を叩いて、ばくちで大損した人を探す行為が、拍子木のひながたです。
「早乙女心」もなにも、放蕩の兄貴を探し出して救出せよというひながたです。
「ばくちに負けた方」「パチンコ損した方」とさがすのを、拍子木たたきはしなくちゃいけません。
「ひとことはなしはひのきしん」、は「においばかり」をかけるのであり、
病気助けるとか、正味を売ったら、理の間違いです。
親父が死んだら、しめたと、ばくちを打ちにいく兄貴。
そういう人から、たすけなさいというおやさまの教えです。
借金でやくざに負われて、パチンコだけで生活する人、お預かりしましたが、生命力はありましたよ。
必ず勝ってくるのです、その人が食費を稼いでくれて、生きてました。。楽しかったですよ。
天理教校に就職するということは、
「この屋敷に住んで給料貰うているものあるのが残念」という、お指しすに実は反しているのです。
ある時期、天理大学の教授とか、給料を丸ごとお供えしようかとか、そんな時代もありましたが、
就職先としてm最悪にしておくことが大切です。
基本は年金少しは井田抱ける資格有馬氏が、一円も頂いていません。
天理供してて、給料貰うなんて、大間違いだから、基本は会社つとめしてたときは、最低賃金で絶対に給料上げさせなかった。
基本の後任は、銀行の支店長代理をスカウトして後を任せて、その人基本の4倍以上の給料。
それ普通でしょう。
天理教信心してるなら。おたすけしたいなら、。
会社から人並み以上の給料もらうなら、天理教などしないことです。そんなもの貰っておいて、天理教のお助け人です。
鼻で笑います・
基本の仕事のスタッフなんて、若い子、一日千円。これが基本。衣食住の最低は見るとして、
、500円の洋服かって、「どんなもの着ても美人であれ」と、素直なものです。
肌荒れはなおり、医者にかからずアトピーは治り、顔立ちまできれいになって、朝八時から夜は辻まで、
あんたのお店になるようがんばるんだよです。お店に住んで、お店のまかない食べて、仕事用の車はありますが、
燃料込みで一日千円。
まあ、天理教で飯を食っていこうなんて、おやさまへの謀反ですね。、
「理立て」の意味を問われている投稿を見たことがありますが、私見を述べてみますね。
理立てとは、要はおカネです。一例を書きます。
期末(3月)の繁忙期に講社祭りの日程が取れず、已む無く講社祭りは見送りとなったが、教会は暗に理立てをするようにと宣ってきた。それで、翌月に金封に御礼と書かずにお供えと書いて持って行ったところ、素晴らしい理立てだとお褒めの言葉を頂いた。
これが理立てです。
大教会長から親父へ10月のかなめ会に同伴するよう連絡が。秋季大祭後のかなめ会には同伴者を用意するよう言われたようだ。親父指名は大教会役員だからか。かなめ会同伴命令など初で驚いている。先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
理立てについて。
私達一家の例です。
50年も前の事。教会普請の際、理建をしろと、上級から圧力をかけられていました。子供心に親がお金のやり繰りで悲壮な相談をしている最中でした。上級教会からの冷徹とも思えた金銭の要求。上級教会への恐怖を感じました。容赦ない迫力でした。
両親は建築費用、本部お運び、新築報告祭等々で数々の出費が最高潮に重なる踏ん張り時でした。突如上級から飛び出した理立て要請は、強制でした。当時の会計簿を見ると、近所の同じ組内の有力者に借金していたことが判明しました。50年も前の事、近所に借金を頼んだ両親の屈辱はいかばかりだったでしょう。今更ですが可哀想で仕方ない。
理立てとは、つまり良き事を身に付ける前に先にお供え金を出す事。新築前の理立て、受験前の理立て、結婚前の理立て。出産前の理立て、手術前の理立て、事故後の理立、入院前の理立て、、、数えれば切りが有りません。
こうしてお「金と引き換えに良き事は身に着く」と言う発想で、「命のつなぎは金」と言う発想と同じです。
理立てとは、要するにお金で幸せを買う事です。私は上記の理立をその都度上級に伏せ込みましたが、そのお金が仕事を持たない彼ら教会一家の生活費になっただろう事が今頃に理解に及んだ次第です。
従順は時として馬鹿。ただただ「理立ては神の思召し」と信じて上記理立てを全て実行してきたけれど、単なる自己満足だったと同じ自分の中に居た「ばり天」な自分を苦笑して思い出しています。
神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。
>>神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。<<
全くその通りだと思います。「死に銭」を使わないようにしましょう。
匿名 様
2019年9月8日 4:42 PM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」より
ただ、手配り運動を始めて10年後の2017年の『天理時報』の発行部数は、さらに減
少して11万1千部になっている。最盛期の30年前の3分の1にまで落ち込んだ数字で
ある。手配り運動と発行部数減少の因果関係は明らかにされてはいないが、次のよう
な3つの可能性が考えられよう。すなわち、①手配りをしてきたから、発行部数の減
少をこの程度に抑えることができた、②手配りの有無にかかわらず発行部数の減少に
歯止めをかけることができなかった、③手配りをしてきたことによって、逆に発行部
数の減少に拍車がかかった、という可能性である。関係者としては、①であってほし
いと望みたいところであるが、②もしくは③の可能性すら完全に否定することはでき
ない。というのも、昨今は個人情報保護法の施行に伴って、人々の間にプライバシー
の意識が浸透してきた結果、たとえ同じ教友同士であっても見知らぬ人に家の所在を
知られ、ポスティングされるのはあまりいい気持ちがしないことが想像されるからで
ある。
あるいは、天理教のホームページやSNS等を通じて情報を得ることができるように
なったので、紙媒体の週刊新聞は自ずと読まれなくなっていっただけなのかもしれな
い。実際、一般紙でも軒並み発行部数の減少が続いているからである。かつて全国の
どんな小都市にもあった映画館は、テレビの普及とともに入館者が激減し、次々と閉
鎖を余儀なくされた。同じように新聞や雑誌や書籍一般ですら、インターネットの浸
透によって紙媒体のものは読まれなくなり、全国の書店を次々と廃業に追いやってい
る。また、たとえ紙媒体の書籍類であっても、人々が読みたい本がかつてないほどに
多様化しているので、中小の書店ではもはや対応しきれず、自ずとアマゾンなど巨大
ネット書店で本や雑誌を購入するようになったことも挙げられるであろう。
インターネットが普及し始めた当初、宗教界は期待と不安をもってこの高度情報時
代を迎え、宗教界や宗教学者の間でもさまざまな議論が取り沙汰されたが、近年のス
マートフォンやSNSの普及により、いっそうバーチャル世界がリアル世界を浸食して
しまっている状況が起っている。しかし、このような相互発信は、使い方を間違えな
ければ、教友の繋がりをむしろ強めるものではないだろうか。ネット時代の情報ツー
ルの活用法については、今後も研究開発の余地があろう。
>>印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか?
>> 印刷物とネットで 数字アップ?? が目的でしょうか?
>>ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
>>購買停止はできますか?
Smartphone で読むのは購読料無料です
Wa-luck,JOYOUSLIFE 等本当に良くやりますね
こんなので教勢衰退の歯止めになるとは思えない
第95回 天理教青年会総会前夜祭のお楽しみ、出演芸人がついに決定しました!
ザコシショウ&みはる!みなさんお待ちしてますって、大亮君頑張ってみても
コロンブス解散したオネエサンと R-1 優勝して鼻高々、吉本、ナベプロ、SONY
次々と事務所変える変なオジサン達で本気で人集め出来ると思っているの?
子供おぢばがえりの少年会じゃないのに、肉食べながら歌うまの次がコレ???
大亮君 逸話篇159【神一条の屋敷】読んでる?
梅谷四郎兵衞が、ある時、教祖のお側でいろいろお話を承っていたが、ふと、「ただ今、道頓堀に大変よい芝居がかかっていますが、」と、世間話を申し上げかけると、教祖は、その話を皆まで言わさず、
「わしは、四十一の年から今日まで、世間の話は何もしませんのや。この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。」
と、お誡めになった。
また今年も性懲りもなしに青年会総会ではお供え金が、お楽しみ会行事費として使われていく。
本部青年会長&青年会委員長よ!
「感謝・慎み・助け合い」
口先だけで唱える経文は身につかないということで、化けの皮が剥がれました。
「慎みの心」を持ち合わせていないから、平気で人の心を踏みにじる行為に至るのだろう。
高校閉鎖に伴う教職員の失業対策をきちんとたてないまま、放り出す天理教団。
その一方、今年も青年会総会での無駄な金の使い方をする天理教。
天理教の狭い世界の中では得られない高揚感のようなものを味わってしまうのが「呼びや」担当。
ちょっとした有名人とコンタクトして打ち合わせをするうちに、自分も「ひとかどの人間になった」ような勘違いをしてしまう。
昨年の批判を「おいらは気にもしてないよ」と強がりポーズを演出するのか?
昨年は、二人の頭の程度が判明したが、今年は二人の心の中がうかがい知れた。
皆さん下記の宣伝文は青年会のホームページの文章そのままです。
この様な知的レベルの本教上層部では恥ずかしくて街中で顔をあげて歩くことはできません。
一昔前に天理本通りで果物を購入した際、店主が「天理教の馬鹿たちが・・・」とはっきり口にしました。
修養科生の私は意味不明と聞き流しました。
今は理解できます。
ほんとに君たちはウマシカ丸出しです。
産んだ親の顔が見たいとさえ思います。
「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。
読む価値のある印刷物は、時間を費やして読む価値があります。遠方の図書館に出向いて借りてきてでも読みたくなります。天理時報のように中身の無い無価値の印刷物は、タダでもらっても読む気にはなりません。ゴミ箱に直行です。
>>「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。<<
読んでいて情けなくなります。ウマシカさん達!! 信者からまきあげたカネをいつまで浪費するつもりですか?
次の話は芹沢光治良が二代真柱と佐野原大教会で会って、天理時報連載の「教祖様」の資料として『稿本天理教祖伝』の草案七、八、九をもらった時の話だ。まずは読んでいただきたい。「私」は芹沢氏、「真柱」は二代真柱、「父」は初代真柱だ。現在の若い大教会長や分教会長や後継者、あるいは熱心に信仰を求めている方々に読んでいただきたい。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書かれておりますか」
「そうだよ」
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
そう話している間に、ここの大教会長が教会の役員や青年を従えて、挨拶に伺候しても、真柱はああと答えるだけで、顔も向けないで私と会話をやめないが、会長はじめ控えの間に並んで伺候する人々の迷惑そうな表情が見えて、私は身の置き場のない思いがした。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」
そこへ風呂の用意ができたからと、会長自ら入浴をすすめたが、それには答えずに、
―ここには下付した『おふでさき』と『天理教原典集』があるだろう、見せてくれんかと、会長に命じてから話すのだった。
「これまで、誰も『おふでさき』や『原典集』など読まずに、古老の語りつづけたことを、教祖も、お道も、自分で心に創り上げて信仰したようだ。古い信徒の初代は信仰上いろいろ苦労して、さまざまな信仰体験があって、それはそれで立派だが、その信仰体験が即天理教だとしては、まちがうのだが……例えば、教祖のお言葉だとかお話だとかいって、大切に伝えたのが、記憶ちがいや伝えちがいがあって、いつの間にかちがっているのを、それを真の言葉だと思いちがえて、自分の信仰の芯にすることがすこぶる多くてね……こうした蒙を啓くために、先ず教祖自ら書かれた『おふでさき』に註を加えて、立派な書物にして、二十三年の秋に各教会に下付したんだよ。それから、四年かかって、二十七年の春『天理教原典集』を出版して下付したんだがね……」
その二冊の書物を、その少し前に、会長はうやうやしく持参して卓上へ置いた。真柱は白い表紙のその書物の頁を一寸めくってみて、会長に言った。
―これは全くよごれていないが、読まないのか、
―はい、勿体ないから、大切にしてあります。
―読んでもらうために、下付したのだから、よごしていいんだよ。
―はいと、会長は頭を畳につけて、どうぞお風呂をお召しくださいと、はばかるように言った。
―誰でも先に入浴させなさい。大切な話をしているからと、言うなり私に話すのだった。
「こんな調子だから大変だよ。下付しただけでは、どうにもならんからなあ。各教会で『おふでさき』や『原典集』の講義をさせて、真の教祖の道にかえそうとしているのだが……」
私は客間の外の気配に、大教会側の狼狽ぶりが痛いほど感じられて、早く切り上げなければと密かに焦慮した。
「真柱、さっきの教祖伝ですが、教祖が人間か神かの問題よりも、『稿本天理教祖伝』の三まで読んでみると、文章がきれいすぎて、読む者の心を動かす力が足りないような気がして、その原因を考えたのですが……それは教祖の日常性が欠けていて、生きた教祖が感じられないからではありませんか。教祖の苦悩にみちたエピソード、教祖が信仰上行った奇跡や実際に庶民に向かって語った逸話など、洗いすててしまったからではありませんかー」
「さっきも言ったとおり、そうした話はみんな不正確だからな」
「真柱さんも福音書をお読みになったでしょう。聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっているが、キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
(『死の扉の前で』93~95頁)
ここまで読んで、どう感じるでしょうか。子供の頃から天理教の家庭で育ち、教義を習い、自らも信仰を求めてきてはいたが、天理教の書物は完全すぎる、一分の隙もなく、理路整然とした教えだと感じていました。これを読んで耳にたこができるほど聞いてきた教理が味気なく、素晴らしいけど理想でしかないものだと感じていた理由がわかった気がします。また中山家の安泰に関わるような資料は伏せているのかとも感じます。
東京帝大の姉崎正治に宗教学を学んだ二代真柱がまとめたものばかりで、切り捨てられた日常性や逸話が多くあると推測できそうです。高野友治をはじめ、多くの学者さんたちが残した本にいくつか残ってはいるが、そういった書物を地道に探して読む以外に生きた教祖像に触れることはできないのかもしれません。
それにしても上記の大教会関係者の慌てぶりなどは現在と変わりないようにも思います。本部から巡教やお入り込みがあるとなると大騒ぎの対応をするのは伝統なのでしょうか?ネットにはその際に包む御礼やお供えなどの情報も出ていたように思いますが、全く時代錯誤も甚だしい感じがします。尊い信者のお金が使われているのかと思うとやりきれない気持ちにもなって当然かとも思います。これでは信仰が縦に続いていく道理はないのではありませんか。本部員の小遣い稼ぎと揶揄されても仕方がないようにも思います。信仰を稼ぎにしてはいけないとも思うが、現実問題として食って行かなければなりません。あまりにも組織が大きくなり過ぎた弊害なのだろうか。
何も持たずに 生まれ堕ちた僕
永遠の隙間で のたうち回ってる
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神もどこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは目を背ける
それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる
世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今ここにいる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
運命とはつまり サイコロの出た目?
はたまた神の いつもの気まぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしかは遥かな 揺らぐことのない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と
許しあう声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい
答えてよ
愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした
そんな荒野に 生まれ落ちた僕
君 それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
ーRADWIMPSー
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
つまり芹沢光治良先生のご意見は、信仰上の人としての教祖も語れという事ですね。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書か れておりますか」
「神である教祖より、人の心を動かす、日常的な生きた教祖の伝記であるべきだ。」
「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」
「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」
「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」
「天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
対する真柱は、教義書を書いた。
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
・・・・・・・・・・「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……
人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、
教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
だから民主的な会議では大多数は初代真柱の考え(芹沢光治良先生の考え)に一緒であり、民主的大衆の求めるものはそれを資料としては資料集成部に「復元」という書物で出版させて、
もう一方では、真柱の専制権力を駆使して、信仰の部分を排除し、神としての記録の書として稿本天理教教祖伝を書いた。
それは、教義書作成の王道です。
基本は教義の父を正しいとみとめ、信仰の書の嘘と虚構を否定するものです。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と正善真柱を呼びますが、教義とは、ギリシア語でドグマ(dogma)。
1 各宗教・宗派独自の教理・教義。
2 独断。教条。「ドグマに陥る」
この二つの意味があります。
正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、k伽の意味の2 独断。教条。「ドグマに陥る」 そのものであると貴殿は述べているわけです。
では、その根拠はどこにあるのですか。
基本は正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、意味の1の1 各宗教・宗派独自の教理・教義。であると認識しています。
根拠はお筆先にあります。第十五号 明治十三年一月ヨリです。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13
この一連のお筆先ですが、「あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10」のお筆先は直近の明日の理は来年という事で、お筆先の翌年4月8日(陰3月10日)、おやさまに背いた秀司出直(61才)です。
歴史上に実現しています。
つぎの、「いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11」ですが、「をやがはじめかけた」のは天理教立教の1年前で1837年陰暦10月26日です。その日、西暦1837年11月23日、秀司足痛となる。があって、43年目⇒1880年のお筆先です。
秀司の足を痛めた、その行為を「をやがあらハれはじめかけた」と言われているのでありますから、立教以前にをやは働きとして出現していたとわかります。
そして、お筆先は「けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13」と続いています。
お筆先10号に「さあけふハ月日のはらがはぢけたで 」とあるのは、予言であって、
1880年、この年、眞之亮は中山家へ移り住む ⇒43年後
1923年、大正12/09/01、月日の腹が弾けました。
関東大震災・関東地震(関東南東部)大火災。相模トラフ境界断層破壊。
死者10万5千人。
月日の腹が43年で弾けるという教義には、嘘が混じってはいけないのです。
眞之亮は、教義上、教祖を神と認めていなかった。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
・・・・
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
初代真柱は信仰者であったが、教義を曲げていた。 天災の原因です。
と、基本は考えます。
知恵袋より
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10189542480
>>天理教の教会の人って、信者が病気になったりトラブルに見舞われると、待ってましたとばかりに、
>>上から目線で偉そうなことを言ったり、御供えして徳積みしなさいと言いますよね?
>>弱っている人間に情けをかけたり、優しい言葉をかけて支えるのではなく、そういう病気になるのは、
>>こういう心遣いをしているからだ。とか、
>>因縁が強いからそれを断ち切るために御供えしなさいとか言われ続けました。
>>心が冷たいというか、人として魅力の無い人が多い気がします。
>>人の弱味に漬け込んで、自分達は大して働きもせずに、天理教の御用をしているからとか言って、
>>楽してばかり。世間知らずな人ばかり。
>>特に大教会の人達。御供えしないと分かったら手のひら返し。
>>人助け人助けとあれだけ騒いでおきながら、本当に信者が辛い時は助けてくれない。
>>今まで御供えしたお金返してほしいです。
>>今はもう距離を置いてますが、教理も疑問だらけで、もう時代が違うなと思っています。
>>同じような気持ちの方いますか?
知恵袋の回答期限は切れているのでこちらをお借りして一言。
「全く同じ気持ちです。」
匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?
いほり 様
2019年9月11日 4:00 PM
>>匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?<<
匿名様への質問ですが、私なりに推測することを述べさせていただきます。
仮に数取りがいなかくても、毎日、朝夕おつとめをしているのであれば、必ず誰かがカウントしているはずです。洒落にもならないようなミスです。
風鈴はぐれ雲 様
2019年9月10日 11:16 PM
新海誠監督の新作『天気の子』映画観ました。もの凄く面白かったです!
主題歌「愛にできることはまだあるかい」歌詞がイイ!!良い曲です。
私も好きです。
わらっく 様
投稿ありがとうごさます。
映画の主題歌にも、使われていたんですね。
スポーツジムのBGMに流れていて。
あっ!RADWIMPSだと思って。
あらためて、YouTubeで聞きました。
良い曲ですよね!
RADWIMPSは、デビューアルバムが鮮烈で。
最初は、何枚目かのCD買ってました。
独特の世界観、響く言葉…
僕自身も、RADWIMPSの曲には、自問自答しつつ、応援しています!
RADWIMPSならではの世界があります。
天理教も同じです。
響かなければ、想いが伝わらない。
実行しなければ、何もかわらない。
バンドは下積み時代から、何年も苦労や苦悩を繰り返して、残り、育っていきます。
天理教は、崩壊した組織で成り立っている。
徳だことの、因縁だのことの。
縦のアップダウンの機械的言葉じゃ。
心には響かない。
人も振り向きもしない。
天理教人も、成人といいつつ。
日々の鍛練や心構えができていない。
人助けとは、天理教の勉強をしなくてもできる。
要は、やるかやらないか。
熱量があるかないか。
今の崩壊した天理教では。
人として生まれ堕ちた、熱量もエネルギーも。
育たないだろう。
社会学ブログを読んでる若い方々へ。
難しいことは、なくてもいいから。
日記みたいな投稿でもいい。
天理教で感じた、気持ち想いを。
言葉で、文章で、広めてみませんか?
僕はRADWIMPSがすきです。
そんな投稿でもいいんですよ!
そこから、繋がっていくもの、広がっていくものもあるから。
社会学ブログは、人間交差点だと思っています。
縦の伝導ではなく、交差点です。
沢山の声があつまり。
天理教が少しでも、良い方向へ向かえば良いかなとおもったり。
最小限の被害のまま、天理教は消滅したほうがいいとおもったり。
世界も心も。
今日も、まわって動いています。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をなお具体的にのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
光の作家は、「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」。「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」と、信仰の書でないことの批判をした。
教義の父は教団の民主的な解釈も父親の初代真柱の精神も、光の作家と同じであると理解は染めしたが、言葉の上である。
教義の父は独裁的に教条的にドグマとして教祖は神で稿本天理教教祖伝とした。
光の作家は不思議な百姓の女の生涯と言う見立てで「おやさま」を再刊した。
・・・・・
基本はおふでさきの中に真実を求め、43年の数理の真実において、天理教教祖伝を教義書として公刊した正善真柱を正しいとの意見を表明しています。
続けます。
おふでさきに記された真実です。1号に天保8年の事実の記載があります。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり (1-33)
りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり (1-34)
このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ(1-35)
このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)
歴史的事実としては、稿本教祖伝に記録があります。
天保八年:
天保八年十月二十六日のこと、十七歳の長男秀司は、母親みきに伴われて麦蒔の畑仕事に出た折、急に左足に痛みを覚え、駒ざらえを杖にして辛うじて家に辿りついた。早速、医者に診せた処、薄荷薬などを用いて手当ての限りを尽してくれたが、一向に痛みは治まらない。そこで、人の勧めるまゝに、近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞に使者を出したが、あいにく市兵衞は仁興村へ行って不在であった。
(つづきます)
(つづきです)
心配の余り、善兵衞自ら市兵衞を訪れ、折入って相談した処、そういう事ならば、一層の事、お宅で寄加持をするが宜しかろう。との事であったので、一旦家へ帰り家人とも相談の上、その意見に従う事にした。
市兵衞は、勾田村のそよを雇い、幣二本を持たせて台とし、近所の誰彼にも集まって貰い、護摩を焚き寄加持をした処、痛みは治まった。
半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・
これが、お筆先1号31以下のお歌の事実です。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
中山家は金貸しをして農民から土地を奪って地持ちになった、秀司は長男であり、家は人の家を立てないようにし小作に陥れた。
この理の話には秀司の信仰談義は意味を持たない。
『 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)』は、啓示であり、
啓示の事実を正確に記録するのが、教義書としての天理教教祖伝であるという教義の父の見解は、王道であり、一点の曇りなきドグマ(教義)そのものです。
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
ただの大亮の真柱継承の正式発表かもしれませんね。
血も涙もない本部の事ですから
分教会がより活動しやすくなる、あるいは負担が軽減されるような
前向きな教団改革の指針の発表はおそらくないでしょう。
心配なのは130年祭時に行われた、天龍講、眞明組、斯道会、心勇講等の旧講元系統別の別席団参です。
あの意味不明な団参が、
例えば、弱小大教会を旧講元のもとにすべて吸収合併する等、
さらに本部や旧強力大教会の集権を強化するような悪しき改革の布石になっていなければいいのですが……..。
その悪しき改革の発表が来月のかなめ会だったりして……..。
まあ今更何を足掻いても無駄でしょうがね。
補足しておきます。
3 :基本。:2014/01/16(木) 02:32:41.78 ID:e/QsDK0l
天理教教祖伝にはこう書かれています。
天保九年:
かくて、天保九年十月二十三日、夜四ッ刻(午後十時)、秀司の足痛に加えて、善兵衞は眼、みきは腰と三人揃うての悩みとなった。
この日は、庄屋敷村の亥の子で、たま/\市兵衞も親族に当る乾家へ来て居た。呼ぶと、早速来てくれ、これはたゞ事ではない、寄加持をしましょう。
とて、用意万端調え、夜明けを待って、いつも加持台になるそよを迎えにやったが、生憎と不在であった。
やむなく、みきに御弊を持たせ、一心こめての祈祷最中に、「みきを神のやしろに貰い受けたい。」
との、啓示となったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長滝村の市兵衛というのは、大峰山12先達の一人と言われた高名な行者である。
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf
民俗宗教における柱の信仰と儀礼
宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)によれば、
みきは長男が足の病になったので、当山正大先達内山永久寺の配下の山伏
市兵衛に祈祷を依頼した。けれどもその時市兵衛が災因を明らかにするためにする憑祈祷の依り坐が
不在だった。そこでみきが依り坐となった。すると何時もの神霊とは全くちがう「元の神、実の神」
(現在は親神天理王命と称している)が憑依してみきを神のやしろとして貰いたいとの神託があった。
・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。
ところで、
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
かなめ会と言うのは「悪ははびからす」理において正善真柱が命名したもので、直属大会長らの会ですが、
教団のかなめと言う自白をさせていて、バラバラ、という、風ひとつ起こせない組織ですから、
そういう気の毒な人、「大教会筆頭役員もです」が、
みな中山秀司とおなじ因縁です。
月日の腹は、いつでもはじけます。話題にすらしない用心をし、巻き込まれないことです。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
おうぎのさづけを頂いていたら、一言で病人助けたりできます。
おうぎの伺いを許されていたら身上事情諭しがいつもできます。
処が、扇のかなめはあっても、「紙」(神)がはってないから、風を起こせない実は無能力のかなめ会。
お笑いでしょう。お気の毒でしょう。お筆先一つ読めない、おさしづ解説もできない。
身の内の教理もわからない、かなめだと威張っている人たちは、掃除されて、病気で苦しんで、建物をでると、お筆先に書いてあります。
筆頭役員とは、その一族の幹事長ですから、心を定めて、おやさまとのみ信心してください。
期待します。
故・植田先生のような立派な教学研究者の教えこそ、広く教内に広めるべきだと心から思います。
「つくし・はこび」の錯覚 配信日:2009/2/19
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-533.html
以下、一部抜粋
>>布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費も掛かるのだ。
>>教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や時間を布教のために
>>「つくし・はこび」していたのであり、
>>人に「つくし・はこび」を説教していたのではなかった。
中山家が経済活動で、間違うと大地震と言うことを、
4(資本・資産)、3(金銭・経済)の理で、数理43年で
歴史的事実に残しています。
秀司・小寒 家業に入る。 秀司の相場、ばくちで化合できず、 → 43年 濃尾地震
初代真柱が中山家に入る 真柱と認めない周囲と、宗教家業への堕落 → 43年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め 真柱の宗教家業、会議で確定の道に → 43年 阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任 中山家の家業、財産資産化 → 43年 東北大震災と原発事故。
それは個人においては身上事情、災難という事です。
子供お地場かえりで営業していた教会には・・・
教会を社会福祉施設化していた教会は。。。
投身自殺したとか、急に奥さん死んでしまったとか、全部事実です。
人助けをしませんか、家業第一にして、里の仙人、しませんか。
天理教のプロなどおやさまは、欲しくないのです。陽気遊山が見たいだけです。奥義を頂いて、陽気に暮らしませんか。
4と3の理に気を付けて、マジ自分が貧乏しましょう。
植田さんは、私の処に尋ねて来た方だとすると、住み込みさんのことでご相談ありました。
置いてよいか悪いかと、。。
お人柄は良い方でしたが、原典の事は、あまりお分かりでないと思います。
教団改革の一役でしたが、天理の怖さをご存じなかった。
まあ、私を確認に来られたのでしょうが、基本は、ただのカラオケ屋のうたスキですから、
一通りの、住み込みの対応はご相談しまいたが、他の事情は一切触れていません。
天理教会本部内部では、中心的人物であることは植田さんは言わないし、基本もきかないでお相手しましたが、
それだけのことで、後一切交流、交信はしていません。
ひとを目標とせず、原典と口伝以外を参考とせず、実は何もできない教団人、頼りに思わないことです。
天理教の教団人は、表裏があります。
批判の中心人物が実は「体制派」だったり、植田さんも典型的な体制派です。
昔でいえば八島英雄さん(この方にはお会いしていません)は、典型的な体制派です。
天理教はもう変わらないと維持できない。改革が必要だというのは、実は体制派。
教会の維持,特に自分の教会の維持存続運営が大事であって、教会と言う建物、資産財産、43の理というものが、恨み(3の理)、腹立ち(4の理)の埃であり、批判者は実は4にこだわり3を欲しがる。
天理教会はm元々の効能があってのもので、おうぎを持てば、存続して良し、効能の元でないなら、かなめはバラバラです。
植田先生には効能はなかったですよ。本人もそのお立場でした。
効能の元は、貧乏せいです。難儀せいです。
とんでもない住み込み人をすみこませて、それは布教の手段ですがね、おたすけではないから、
教会において良いか悪いかで悩む、素人さんです。
澄みこませる前に「あんた裏切るね」と見えん先から諭せないと、ただの人数集めで、おたすけではない。
初代講元は、それくらいできた。ただし貧乏の頃ですがね。
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
うえだ
2019年9月12日 6:07 AM
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
・・・・・・・・・・・・・
そうですね。
私のお会いしたうえだ先生は、上田性だったかもしれませんが、・・・
布教して修養科生をご守護頂いたという、ご紹介記事の内容は、同じ匂いがしましたので、
引用文を用いず、私の記憶のご本部役員のお家柄のお方の面談記録の方で、説を述べました。
布教して、修養科生をなんて、教祖のひな型に無い。
その意味で、布教し修養科生のご守護、丹精で困惑するというパターンとして、
そういう信仰に陶酔する事の危険性を申しあげました。
ペンネームですからね、植田の名は、天理教の先生はテーマごとに顔を変えますから、
私は、植田=上田、うえださん。そんな受け止め方です。
世界たすけの人材となる道具衆を寄せるのは、ひながたであり、おやさまの教えです。
それは布教ではありません。信者獲得ではない。人材の確保です。
それには、身の知らせが大切な意味を持ちます。
おたすけは、たすけておけばよい。後は無関係です。
神の道具衆なら、ともに通るように、年限かけて、育成する。
その区別が、瞬時にできなければ、悪意ある入信希望者のために苦しみます。
いるも神様に相談し、ひな型に照らし、お筆先に尋ねる、です・
亀レス、すみません。
本部の朝夕勤めに数とりはいるはずと思いますが、かんろ台近くに陣取るような熱心な方とは違うので目視確認はできていません。
据替の儀の翌朝の模様を思い起こしてみますと、通常、21回目は判りやすくスピードを落としますよね。
なので「ああ、21回目だ」と感じ取るのが自分の常なのです。
その日も同様に感じたところ、なんと「おまけの1回」がありました。
態勢が崩れた感じの「おまけの1回」という感じで鳴り物が奏でられましたから、音的なボリュームで説明すると、フル演奏の音量ではなく、慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
一番目立つのは太鼓ですよね。
その時私自身が21回のカウントをしていれば、プラス1なのかマイナス1なのかがはっきりしたはずです。
ところがカウントしていなかったので、もしかすると本当は20回目だったのに、これで終わりと考えた(間違い)人がいて、20回目をゆっくりズムで演奏したため、隣近所がつられてしまった。
でも、正しくカウントをしていた楽器が21回目を演奏したため、慌てて他の楽器も加わったため、聞いている人にバレてしまった、というような状況だったのかもしれません。
今となってはどうでもよいことになりますが、一応、詳細を書きました。
皆さん読んでくださってありがとうございます。
説明が判りにくくて、申し訳ありません。御疲れ様でした。
兎レス、すみません。
> 慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
> 一番目立つのは太鼓ですよね。
皆さんご存じでしょうが、太鼓は心臓の鼓動を表しているとか、お聞きしましたが、確かに、あの、ドーンドーンという音は、神の心臓の音みたいです。 おつとめであの音を聞くと、私メは自分が神の身体の中 (胎内) にいるような気になります。 このよふわ 神のからだやしやんしてみよ (3-40) というお歌を思い出します。
そういえば、胎児も6か月くらになると、子宮の中で母親の血液の流れる音や、心音を聞くことができるようになるらしいです。胎児が聞く母親の心音や血液の音や、その他もろもろの音は、チャンポンやスリガネや拍子木などがないまぜられた音に似ているのかもしれません。母親(人間)の身体はそんなにうるさくはない、と言われるかもしれませんが、私には、人体は、おつとめで使う楽器が奏でるような、リズミカルな音で満ちているような気がしてなりません。
冒頭に引用させていただいた匿名様の一文は、ですから、不整脈が一回起きたという感じです。神様も文字通りドキッとされたかもしれませんが、お怒りになられることはないと思うのですが・・・
少し以前は、巷にはいろいろな音に満ちていたように思うのです。
先ずは、子供の声が賑やかでした。ロバのパンの音楽、豆腐屋さんのラッパの音、さお竹を売る人の声、ちんどんやの楽器の音、寒行のうちわ太鼓のドンツクドンドンとオーォーの行者の声、子供による夜回りの拍子木の音と呼びかけの声、金魚エーギンギョもありました。数え上げればどれほどあったのでしょうか。
近年は子供の声さえ騒音ととらえる人間の傲慢さ。
耳の不自由な方には、これらの音さえ届かないのですよ。あまりにも身勝手な人たちが多すぎると思っているのですが。
おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。
東風Z 様
2019年9月13日 9:18 AM
>>おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。<<
確かに、その場所に合った打ち方をしなければならないと思うのですが、教祖ご存命中の頃と違い、現在は生活様式が多様化し、昼間働いて夜就寝する人ばかりではありません。夜勤の経験がある方はお分かりだと思いますが、夜中に勤務し早朝に帰宅して入浴し朝食をとった後、就寝しなければならない人、例えば、24時間操業の工場労働者、3交代勤務の看護師や消防士、警察官、コンビニの深夜勤務の店員等様々なライフスタイルの人達がおられます。そういう人達にとって、夜も明けやらぬ早朝に帰宅してやっと寝付きかけた頃、近隣の教会から「おつとめの騒音」が聞こえてきたら、よほど神経の図太い人でない限り、起きてしまいます。不思議なもので人間は寝入り端を起こされると、なかなか寝付かれるものではなく、その後、熟睡できるものではありません。熟睡できないと次の仕事にも悪影響がでますし、本人の健康にも悪影響がでます。教会は近隣にどういう人達がお住まいなのか、例えば、どういう職業の人達なのか、乳幼児がいるのか、病人がおられるのか等まで詳細に把握できていないはずです。「おつとめ」の21回の回数を間違えるような「いい加減なたるんだ気持ち」で「おつとめ」をするのであれば、はじめからやらなければよいのです。「あさひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ」どころか、近隣住民の平穏な生活に様々な弊害を及ぼすだけです。
崩壊 様
仰る通りかもしれません。
本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。
所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。
また、韓国の教会では、拍子木は打たないと聞いたことがあります。
路傍講演だとか神名流しにしても、少し騒々しい宗教ではあります。
匿名さま
詳細ありがとうございました。
>21回目は判りやすくスピードを落とします
間違いようがないと思いますが、あるんですね〜こんなことが。
Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。
立て続けに失礼します。
「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。<<
住宅密集地では、せめてそれぐらいの配慮は必要だと思います。私は定年退職後、深夜1時から午前10時までの夜勤を経験したことがあります。午前11時過ぎに帰宅し、それから入浴し、朝食兼昼食を摂った後、午後12時半頃から午後5時頃まで就寝するのですが、就寝中、救急車のサイレン音やゴミ収集車の音、選挙の街宣車の放送、廃品回収車の放送等の生活騒音で度々起こされ、とても熟睡できる状態ではありませんでした。その結果、慢性的な睡眠不足となり、ある日、帰宅途中に居眠りをしてしまい、前方の車に追突する交通事故を起こしてしまいました。いわゆる玉突き衝突で、私の前方の車が衝突の衝撃で、更に、その前方の車に衝突し、3台が絡む玉突き衝突となりました。幸いにして、道路が渋滞しており、どの車も低速で走行していたので、私のすぐ前方の車の後部と積み荷を破損させ、運転手さんにも軽い腰の打撲傷を与えてしまいました。大変、申し訳なく思っています。事故の完全解決までには約8ヶ月ほど要しました。自宅の近隣には天理教の教会は無いので、「おつとめ騒音」による睡眠の妨害は無かったのですが、私の経験談の一例として紹介させていただきます。
いほり 様
2019年9月13日 4:34 PM
>>Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
私も見たことがない「おつとめ」ですね。天理教もこれから、分派や独立が益々増えていくだろうと思います。
>>「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。<<
昔、森永製菓のチョコレートのコマーシャルに故 山本直純氏が指揮をされ、合唱団が「大きいことはいいことだ」と歌うコマーシャルがテレビで放送されていたのを思い出しました。まだ、白黒テレビの時代だったかもしれませんが、記憶は定かではありません。天理教の全盛期、カネがありあまっていた頃、「大きいことはいいことだ」という単純で馬鹿馬鹿しい発想で、本部神殿をはじめとする構造物や、祭具等、あらゆるものを大きくしたのでしょう。「お供え」の浪費の典型的な例だと思います。全て大きくすることによって、見る人に威圧感を与えていたのかもしれませんが、現代人はそんな「まがい物」に騙されるほど愚かではないと思います。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。<<
2年程前、天理市内のクレーン業者のオペレーターから聞いた話ですが、午後2時になるとミュージックサイレンが鳴り、鳴っている間、クレーン作業を中断しなければならないので仕事の段取りが狂うという愚痴をこぼしておられました。発注者が天理教教会本部であるので仕方がないとも言っておられましたが、確かに工事関係者や、その他の一般市民にも何らかの迷惑がかかっていると思います。
いほり 様
>韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。
匿名 様
2019年9月13日 8:43 PM
>>この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。<<
大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、教会本部の傘下にはないということでしょうか?
天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
前半、中盤、ぐだぐだ何が言いたいのか訳の分からない事ばかりを述べて最終章に金金、金銭と記述されている。金銭が人と神をつなぐんだと!言っております。
親神様、教祖が金が人と神をつなぐから金銭を出せ!と仰いましたか??
ここまで来たか!天理教。断末魔のあがき。悪あがき。
まあ読んでいて天理教の腹の内が透けて見えた。キャッシュレスで現金を持たない社会になり、しかし「お供えもカードで」、とはいかない本部の苦しい胸の内現ですか。
こんな記事を載せて、金欠本部の焦りでしょうか。
筆者は言う。十全の守護の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある事でつなぎにも金銭が含まれると悟ると。
「金銭縁談万つなぎ」ってこの筆者の悟りは正解ですか?単なる悟りレベルを大々的に時報にのせるのは偽教理でも知らぬ間に教理となる。こんな記事を正々堂々と出すのはそう言う意図が教団にあるからだと思う。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。<<
天理教の本性を、また天理時報に露呈したんですか。カネカネ教の本性は変わることはないでしょう。信者の皆さん、一刻も早く天理教から退避しましょう。それがベストです。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
匿名様、ご指摘有り難うございます。
常々、時報は訃報欄のみ見ています。この欄のお陰で昨年も二部同窓生の会長さんが3名出直しされたことを知りました、早速、匿名様のご指摘で古紙入れから取り出して、「視点」を読みました。
筆者の洋さんは何を勘違いされているのでしょうか。キャッシュカードは持った時点で、そのカードの、融資枠の金額が負債と見なさるのですよ。カードを使うとか使わないとかは関係ないです。
仮に、キャッシュカードを2枚持つと100万円近い借金があるとみなされるんです。ですから、キャッシュカードを複数枚持つことは極力避けるべきです。
それと、カネが無いのは首が無いのと同じだと言っていた人が居ます。金銭による「つなぎ」の理の働きなんて書いているが、おカネが無くて生きている人が居ますか。つなぎの理の働きをいかに生かすかであると思う。なんて本部自体が最初に考えるべき事案でしょう。無駄なことばかりをして、おカネが足りない、足りないって言っているんだからバカにするなって言いたいんです。
こちとらは、月額14万にも足らない金額で二人が生活しているんだから。年間130億円も使いながら何の不足があるのか聞きたいよね。
「お金が人と神をつなぐ」と言う偽の教理について。
時報を読んだ息子いわく、「これじゃあお金の無い人は神とつながれないんだね。そうはっきり言ってる。」
この一文はどの方向から読み解いても、お金の無い人は神とつながり得ない。
「お母さん、金の切れ目が縁の切れ目、もう縁を切った方が良いよ」と天理教の在り方に呆れ果てていました
教校学園切りも本部員用の学校は残しておいて、金の無い末端子弟の行く所を封鎖して、今後金の無い子弟はどこの高校に行けると言うんだ!と怒り心頭でした。
江戸時代の武士子弟の為の藩校よろしく天理教貴族の為に残した天理高校。心の底に貴族中心の差別意識が垣間見える。
皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。
https://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
↑
当たらずとも遠からず?
里の仙人 様
2019年9月14日 12:49 PM
>>皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。<<
「お道は宗教ではない」とおっしゃるのであれば、宗教法人の認可を国家(所管文化庁)に返上されるべきです。宗教法人の認可を受ける目的は、建造物や敷地が非課税、入ってくる莫大な「お供え」も非課税、要するに財テク目的だとしか考えられません。「お道は宗教ではない」のであれば、宗教法人の認可を即刻返上し、納税義務のある税金は当然納税するべきです。「合法的な脱税」をするために、宗教法人という仮面をかぶっているだけではないのでしょうか?
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 さん
以下、思わず笑ってしまいました。
>>「おさづけ(「おちゃづけ」と間違えないように注意)」とよばれるてかざしで
>>ヒーリングを行う回復魔法のマニュアルを信者株主たちに渡し、
>>人間という名の医療機器を製造している。
>>信者は今でもここで教祖創設者は生きていると妄想し「教祖ゾンビの理」と呼んでいる。
>>信者株主ばんざい。
崩壊様
一度、リンクを貼って投稿したのですが、なぜか表示されないので再投稿します。
>大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、
>教会本部の傘下にはないということでしょうか?
Googleで「韓国における天理教の受容」というキーワードで検索をかけてください。
PDFの論文が出てきますが、103頁の「韓国・朝鮮における布教」のところから読めば、
おわかりになると思います。
言い方が悪いかと思いますが、あの先生が気に入らないから 信心できないとか子供と同じだと思います。
どうでもいやで不足でできないなら立ち止まるのも一つの方法かな、、世の中には天理教で行うより世上
でも活躍できる場所がいっぱいあるとおもいます。
ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。
素直と言う言葉は危ない言葉です。理不尽な事柄に対しても素直な心になれと言われれば、それは服従にもなり得る。
低い心も服従に繋がり得るし、優しい心も自分を無くする場合もある。
きちんと正義を主張し、物事の道理を通し、自分を抑えてしまわず、ありのままの思いを誠実に発言し、自分を自分として世の為人の為に生きることも、あるいはより神の御心に叶うのかも知れません。実るほどこうべを垂れる稲穗ですから低い、は良いです。素直は場合によっては危険です。
率直に自己を主張する強さ、相手によって態度を変えず、真っ直ぐに筋を通す正義感と行動力。私は「低い、優しい、素直」よりよほど世の中を変え得る前向きなパワーと魅力を感じます。
天理教は素直になれで人の人生と経済を奪ってきました。
里の仙人さん、どなたの書き込みに対して説教しているのですか?
あなたは心が澄んでいるのでほこりが見えないのですか?
まあなにもかも知ったような気になって勘違いしているのがバリ天気質の典型的特徴ではありますが、
そもそも里の仙人さんの上から目線の説教こそが「高慢」のほこりをつんでいるのではありませんか?
それと、たんのうの漢字の当て字は天理教事典にもあるように「足納」ですよ。
(悪識などという日本語もありません。あるとすれば造語です。)
里の仙人 様
2019年9月14日 9:10 PM
>>ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。<<
世の中の不正や誤りを容認しかねない非常に危険な考え方ですね。極論かもしれませんが、麻原彰晃が地下鉄でサリンをまけといえば、低い、やさしい、素直な心でまくのですか? 天理教の教会が、法外な「お供え」を要求してきたら、我が身を犠牲にしてでも、低い、やさしい、素直な心で支払うのですか? 天理教ピラミッドの上層部にとって非常に都合の良い考え方ですが、過去から現在にかけて、どれだけ多くの信者さん達が、低い、やさしい、素直な心になるように言いくるめられて、辛酸を舐めてきたのかご存知ですか?
今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 様
2019年9月14日 1:26 PM
アンサイクロペディア滅茶苦茶面白い!
久々に笑ってしまいました。
( ^o^)ノ◇ ザブトン1マイです。
私メはザブトン5枚を!
>>天理市財政崖っぷち 天理教から寄付金減少
日本一の宗教都市・天理市の平成24年度決算は支出が収入を上回り、経常収支比率が100.5%となり4年ぶりの100%を超える財政悪化の決算となることが明らかになった、任期満了に伴う同市長選(10月13日告示、20日投開票)に向けて立候補予定者3人の動きが本格化しているが、選挙の最大の争点は瀬戸際財政の建て直し。ピーク年度に47億円あった天理教から市への寄付金は、昨年度決算額で10億2000万円まで減少している。新たな市長に求められるのは、国から財源を引っ張ることのできる「政治力」。市の台所事情と課題を徹底解剖する。[2013年09月20日]<<
古い記事情報ですが。目に留まったので上げておきます。
天理教本部の財源のその後6年間、2019年の今年に至るまでの歩みは確実に減少し続けています。年々10億円づつお供え総額は減少の一途と聞きます。後10年で教団が消滅するシナリオは現実味を帯びています。
現在天理市は財政難に陥っていると聞くが天理教がこけたら天理市もこける事に。天理市はもう終末期を迎えている天理教は当てに出来ないと心得るべきです。
天理駅前のコフフンと言う円形の建物は天理市が天理教と言う宗教都市のイメージを払拭する為に整備したものだそうだ。
天理市は既に将来的展望のない天理教からの脱却を考えているのは確かだろう。
過去の一心同体関係からの脱却を余儀なくされている。
>>今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。<<
日本人・外国人の違いは問わず、初めて見聞きする人は、気味悪くて怖がると思います。どうして馬鹿げた逆効果のことをするのでしょうね。天理教の異常さを感じます。奈良市の観光イメージダウンにもなりかねません。
昨日の夕方、奈良から天理に私の大好きな餃子を買いに天理駅へ
焼き待ちの間 CoFuFunと駅の構内ぶらついていたら、
「地域貢献とわたし〜人生の幸福度は与える喜びで決まる」
| team 聴きデリ 貴方の心に寄り添う聴き屋
| 聴きたすけ やってます 1周年記念イベント
やっていました、少し見ていましたがこれって 傾聴?
カウンセリングのまねごとですよね。教会後継者が主体で行っ
ているとかで、カウンセラーになるためには一定の訓練が必要
です、「公認心理師」「臨床心理士」「認定心理士」資格の無
い若い人生経験の少ない後継者方で本当に心治療までは行かな
くても、気持ちが整理されスッキリする事!人助けが出来るか
どうか?マスターベーション自己満足のようで疑問に思います
!私は聴いて貰いたくないし話したくないですね。
この聴き屋と言うのは、青年会発案?だいすけ君主導?だいすけ君認可公認の活動ですか?
聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。
戸別訪問でお授けを拒否されてもその家人を無視して、家の外で勝手にお授けを取り次ぐ人達。土下座する人達。教祖がついて居て下さると勝手な妄想と自己満足で、おかしな行動をする天理教信者達。誰も聞いてない空気に向かって声を張り上げる一生懸命しゃべる弁士。
駅前で踊ったり、街中で拍子木をたたいたり、狂人にしか見えません。笑われる事こそ徳積みと思う彼らにはいくら良識を教えても馬耳東風です。恥ずかしい限り。
天理教に品性を望みます。
>聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。<
私は、現役の頃、公的で正式な臨床心理士の資格を持ち、複数の教育委員会で雇用されていたベテランの女性の臨床心理士と共に仕事をしたことがあります。彼女の年齢は決して若くはありません。短大卒業後、複数の民間企業で勤務した後、某大学の大学と大学院へ進学し、臨床心理士の資格試験に合格された苦労人です。現在も、公立小中学校のカウンセラーとして、複数の自治体の教育委員会で雇用され、頑張ってお仕事をされています。
カウンセラーの仕事は、先ず、相手の話をひたすら聞くことから始まりますが、カウンセラーがカウンセリングを受ける相手(相談者)に対して適切なアドバイスを出せるようになるまでには、その相手と相互に家族のような信頼関係を築き、何でも話できるような人間関係を築く必要があるということです。カウンセリングは、まず、相手の「言いたいこと」をひたすら聞くことに徹することから始まることは確かなようですが、相談相手との人間関係や信頼関係を築くまでに、相当な時間とコミュニケーションが必要であるという話を彼女から聞きました。
駅前の通りすがりの見ず知らずの人の相談を、人生経験の極めて乏しい若造が聞いても、相談する人の本当の悩みや苦しみが一回や二回で理解できるはずがありません。まして、臨床心理学等の専門的学問をおさめ、何人もの異性異年齢の人達から、様々な相談を受けた経験の無い若造が、アドバイスをすることなど到底不可能です。訳の分からない素人が、その場限りの無責任なアドバイスをすれば、相談者の人生を狂わせることにもなりかねません。病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。
病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。<<
全く、同感です。資格も無く人間的レベルもピンキリの人間が通りすがりの人の話を一回聞いたとしても、その場限りの刹那です。その後をフォロー出来るものでもありません。何時間も駅前に立ち尽くして声をかける人が無ければすごすご帰るのでしょう。しかし行きずりの相手に対して無責任な行為です。神の目から見たら意味を成さないもったいない時間です。
ちゃんと働いて、お金を貯めて資格を取って、きちんとやりなさい。無資格カウンセラーが何をしようと中途半端なだけで、自己満足以外の何物でもありません。
彼らは突拍子のない事をして満足している様だが、無責任で表面的でいかにも考えが浅い気がします。
だいすけ君から良い感触を得たからやっているのか。いかにも軽い。
「今日は秋晴れの運動会の日」と言う合図の為に朝打つ花火を辞めた仙台市。
夜勤明けだから、朝からうるさい等々苦情がここ数年寄せられ花火打ち上げは止めるに至ったそう。
この時代に夜勤でも非正規でも仕事が有ればまだマシと言うもの。
3K現場は言葉の流暢な勉強熱心な外国人達が変わって占め、わざわざ労働経験の無い日本人を雇わなくても労働者は掃いて捨てるほどいる。
30代40代で労働経験が無いもしくは、大学のアルバイト程度では派遣すら難しいだろう。
他方地方のホテルやコンビニ、はたまた老人施設ありとあらゆる所には外国人労働者が占める。
ただ昔から有る、ウチの方が先に建ったと言う理由で朝早くから太鼓を大きな音で鳴らし続ける天理教大教会、教会。
だめの教えだが何だかんだで、一向に改善される余地なく現在も続けられて、近隣住民はこの時代に迷惑極まり無い。
せめて朝の太鼓だけでも無音にしようと言う教会は無いのだろうか?
人を助けると言う前に自分達の行為そのものを見直されては如何だろうか?
気軽にお参り?町内会も誰も行かないけど。
結局はやってる事自体が軽いんだろう。
何をやっても時代に合わない天理教。
東日本大震災で防護服を着ないで除染させていたのは、今でも語り草。
そちら方面では有名な話です。
とっとと宗教法人を返す、もしくは過疎地・限界集落に引越ししてはどうだろうか?
月に数日でも人が集まれば未だ未だ活気は出るだろう。
限界集落辺りにある教会はそもそも教会として運営するのさえ難しいだろうに。
残念だが天理教の社会に対する宗教としての役割は既に終わっているのでは無いだろうか?
後は個々の教会がどれだけ人々の心に寄り添い宗教としての役割を全うするか?
これに尽きると思う。
花火中止よりも日々の生活の方が重要だろうに。新聞の記事がふとそう考えさせた。。。
信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。
>>せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
そのとおりだと思います。せかいたすけの心を常にもち、自分のできる範囲で実践していれば、教団や組織、宗教儀式など全く必要ないのです。
興味深いブログをみつけました。
『ひきのエクェクのブログ』2019年09月06日
「天理教本部の「ひな形甘露台」が倒れてから2年と一が月か?2代真柱と上田ナライト」
宗教儀式は単に儀式。目に見える儀式よりも目に見えない心の在り方こそ信仰。
朝晩の近所迷惑なお勤めも月次祭も、年祭も記念祭も、必要無い。
来年の婦人会110周年記念祭も迷惑千万。カネ集めの機会とばかりにお供えの要請が早々と来ている。
こんな金集め行事が10年ごとに訪れ、大教会創立◯◯年記念祭、大教会婦人会創立◯◯年記念祭、上級創立◯◯年記念祭、、、上級が沢山ある末端はどんだけ金が有っても追いつかない!!その度にお供え金を要請されるのだから。
世界助けの心を持ち、利他の心で自分も世界も共に立つ事。
信仰は組織が無くても出来る、正にその通りです。極端に言えば、お勤めも神饌物も何も要らない。
神とつながるのにお金も儀式も、また人参、大根、酒に米、、そんな供え物さえもそんな媒体は必要ないと思う。自己満足出来るなら勝手にすれば良い事だ。
また現在の互い立て合い苦しめ合いの天理教上下組織のやり方には断固反対します。江戸時代の年貢か。上が勝手に色々決めて、下の了承もなしに勝手に無理やり金を出させる。
また、末端信者の立場で言えば、どこに所属するかで上級が増え、上納金が格段に増えるのはおかしいのではないか。
死に体天理教の変わらぬ理不尽の数々、、思いつくまま。
誠真実 様
2019年9月16日 9:47 PM
「天雅」私もよく行きますよ、美味しいですね。(^^)
崩壊 様
2019年9月17日 6:15 PM
日本全国至る所で愚痴聞き屋 ココロメンテナンスと称する輩が蔓延っています。
有料の所無料の所それぞれです。人に話すことで気持ちが楽になる人ならない人
それは様々です。殆どが傾聴・聞くだけのサービスです。解決策は提示できません
が・・それでも世の中が複雑になり、生きにくくなり、経済が停滞し、生活するの
が大変になり、政治に一票の声が届きにくくなり、本音で話せる仲間・話し相手が
作りにくくなり、ますます「傾聴」は必要だと感じています。「助言よりも傾聴を」
つまり“傾聴”の本質は、何かを相手に与えるのではなく、悩み人の中にある自己
回復や自己治癒の力を最大に引き出すこと、ここにあります。 だからせめてやる
からにはメンタルケアアドバイザーの講座なり受けて資格等取ってしっかりした
対応でやって貰いたい。
下記、team 聴きデリ HP より
team聴きデリは奈良県天理市周辺で活動している聞き屋です! 奇数日20時から22時
まで、天理市限定で活動中! 天理駅周辺で活動しています! あなたの話を聞かし
てください! 投げ銭も大歓迎! 傾聴500人突破 ”魅力引き出し屋” …
↑
金くれは全くもって天理教!! 本気で人助けなら資格くらい取ってやるでしょ!
(だから教会大教会ボンボン後継者が青年会のPR、大亮君へのゴマスリでやってる)
匿名様
2019年9月17日 7:43 PM
大学で心理学を専攻、ひのきしんスクールでカウンセリング講座を2回受講しました。
こんな良い講座もやっています (^^)/
おたすけのための ひのきしんスクール
人は自分の悩みを信頼のおける人に聞いてもらえるだけで、心がやすらぎ、気持ちを落ち着けることができます。
カウンセリングとは、信頼関係に満ちた人間関係を通して、悩みをもつ人自身が問題解決の糸口を見つけ出せるように援助する方法のことです。
カウンセリングの基礎的な知識や、具体的な事例を通じて家族を見つめたり、年齢別に心の発達について学び、悩む人の理解を深めておたすけの場におけるカウンセリング技術の有効な用い方について学びます。
カウンセリング ~聴くことの大切さ~
カウンセリングとは、信頼関係に基づく態度や言葉がけを通して、悩みを持つ人自
身が問題解決の糸口を見つけだせるように援助する方法のことです。
この講座は、傾聴をはじめとするカウンセリングの基本的な考え方と技術を学ぶと
ともに、それらを積極的におたすけにも活用していくことを目的として開催します。
◇内容
講義 「おたすけとカウンセリング」
「カウンセリングの基本」
演習 「ロールプレイ」
「箱庭実習」
パネルディスカッション
「おたすけとカウンセリング」
など 天理よろづ相談所 – 臨床心理士 宇田 まゆみ先生のお話は素晴らしかったです.
匿名O
2019年9月18日 5:10 PM
私この天理教内の心理学の機関の人に聴いたこと有りますが(あと心理と書きます)心理の人は教団反対派らしいです。教団の空気の悪さをつくづく感じていたそうです。上からの抑圧だけで、中山家とその周辺を中心とする家柄と血筋だけの組織作り反対派だそうです。 本部中枢と天理大学を中心とする心理学派がどう戦うか見ものです。
天理大学の心理学派もいい加減、「中田善亮のお尽くしは金」発言を正すときが来たかもしれませんね。心理学が権力に屈するようでは心理学にあらずですしね笑
台風15号により千葉県を中心に関東が被害を受けました。天変地異は神の示し だと教祖も言ってますが調べてみるとやはりそうだったようです。千葉県内のとある教会が法人乗取りにも加担していたようです。それを良く思わない方も多く居たようで、知人の教会長等を介して伝って話が舞い込みました。法人乗取りの際に死人も出たらしくその方が千葉県の方なのかは不明ですがなんとも神の教えに反する行為だったのかをこの「成って来くるのが天の理」により明確に分かりました。
教団には忌み嫌われるこの社会学の書き込みですが、実際大教会以下の我々では情報が乏しく社会学を興味本位で見始める人は多いと思いますが、社会学の書き込みこそ教団の真の姿を書き出してる唯一サイトだということでしょう。最近では、有名掲示板 5ちゃんねる や 2ちゃんねる の書き込みも 社会学さんの書き込みを引用して書かれて居ます。これほど影響力を持ったサイトは今まで無かったかと思います。 この運営が公正中立であるが故に、嘘もあるでしょうが大半が真実の書き込みと言えるのでしょう。
昔の事で恐縮です。
東京で開催されていた民間の女性カウンセリング関係者が集まる会がありました。
世話どりをされていた方はキリスト教関係の方でしたが布教の場ではありませんでした。
講演者を招いて講演を聞くことと、練合のような話し合いの場がもたれました。
当時はまだカウンセラーの資格は4大卒でもOKの時代でしたが、いずれ資格は大学院となると聞かされていました。天理教信者の私は当然ながら、大学進学なんて許されず、高校生の時からアルバイトで学費を稼いでいましたから、カウンセラーを目指すことが「できない」事実を知らされた会でした。
受講生は現役のカウンセラーたちが多く、自分の知識の向上のために参加されていたようです。
興味深かったことは、カウンセラー自身も学ぶ中で、自分自身もカウンセリングを受けなくてはいけないという事でした。
つまり、自分自身の事が判らないようなレベルの人では他人の話を分析することはできないということでしょう。
そういえば、箱庭療法を確立された、天理教とも縁の深い、河合先生も、スイスのユング研究所でカウンセリングを受けています。
それも英語で、です。パイオニアの苦労は計り知れないなぁと、以前、本で読んだ際に感じたものです。
日本でも企業内カウンセラーとか、教師が退職後につく自治体での相談窓口とか、所謂医療機関ではない民間の資格で行われているカウンセリングがあります。
相談にあたる係員のレベルはまちまちで、人間の心に対する洞察力の有無には正直なところ「?」のような人も見受けられます。
結局、自身の人生を深く分析したり、整理・反省したり、今生で生まれ変わるくらいの精神的心理的人生経験を経てからでないと、難しい仕事だと思えるのです。
まして、安易な聞き取りで、「投げ銭」なる収入を得ようという「さもしい根性」がちらつくようでは、いつか、事件さえ起きるやもしれないという危惧すら持ってしまいます。
不思議な事にこうした若者たちの行動を良しとする年配者がいる事です。
天理教の会長って、無責任な人でもやっていける証左かもしれません。いい加減なことを言わないでほしいものです。
生業に就いたことの無い会長後継者は、せめて世間での「土持ちor砂持ち」で体をはった底辺の仕事を数年経験せよと、半ば実現不可能と感じつつも言いたくなります。
例えば、福島の復興企業に属して労働すれば、「ひのきしん」や災害救援隊では見えない部分が実体験として見えてくるでしょう。いまや教内では「ひのきしん」が天理教のシンボルのような扱い方で要請、紹介されています。最近の被災地、自然災害に見舞われた所で救援活動をされている方々には感謝の気持ちでいっぱいになります。ただ、それで終わりでは天理教の布教活動の一環であり、自分の責任において労働契約を結び、結果責任も負う条件の下で、道専務ではない人たちは日々、働いているという事とは、大きく異なることを自覚していただきたいと思います。救援活動の方々の多くはそうした自分の仕事をやり繰りして休みをとって自分の財布から交通費を出して、被災地に駆けつけているのです。天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。
とはいえ被災地での活動を否定するものではない事を付け加えます。
そのうえでの意見です。
労働契約に基づく働きの厳しい現実を知らずして、やれ、オンラインサロンだとかオンライン講師だとか口先講釈で若者をだましても、そんなことで信者増加を目論んでも、むなしくはならないのでしょうか?
要するに本部中枢の人もお供えで生きる人生は止めるべきだという事が理解できないうちは、何をやっても大亮組の取り巻きたちの田舎芝居となり、一般信者たちはあきれるばかりなのです。
>>天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。<<
全くその通りです。
本部のプロバガンダの一部として本部に都合よく使われている本部ニート、教会ニートの身の彼らと、一般社会の厳しい責任下でやり繰りしながらの社会奉仕とは自ずと身に課せられている責任や厳しさが違います。
教会ニートの面々には、一度社会に出て、社会の厳しさ、金儲けの苦しさを知ってから、災害ひのきしんでも口先講釈でもやればいい。
上下組織に甘んじて人の金で食べている限り、どんな立派な行為でも誠を伴わない単なる本部の猿芝居にすぎないのかも知れません。
匿名2019年9月18日 6:13 PM
教団のネット戦略は成功しまえんね。あまりにも教団と中山家事態が実力がない魅力もないそしてこの上なく悪どい ですからね。 インターネットを使い始めると良い情報より悪い情報が拡散されます。
それにユーチューバーもタイミングの問題だけで、今では芸能人の参入で既存の問題あるものは殆ど消えるといわれてます。
ネットはそう簡単なものじゃありません。
中山家と一部上層部が、教団の資産を持ち逃げしないように監視しないとダメですね。不動産管理会社の天理館 もあれも私物でなく 株式会社と公共性があるので 天理教被害者の会 が発足した際の弁済責任を訴えかける対象となります。
皆さんもご存知の 千葉県 市原ゴルフガーデン も天災と装おうとしましたが、基礎工事と台風の際ネットを降ろしていなかった。人災の面を認め始め ています。
鉄柱で家屋破壊のゴルフ場オーナー、謝罪と補償意向
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201909110000727.html
このようにして、多方面から訴えかけることによって、不十分な司法判断だけでなく、歴史的事件事故として法改正の契機になります。
教団は正に人災です。人がしていることですから、中山家と一部血族がやりたいようにした結果が現在ですからね。隠されてきた事件も山積みにあるそうです。各所からちらほらリークも増えてきているようですし、今後教団は縮小、問題は拡大していきます。
台風15号の神の思いとは?様
2019年9月18日 5:51 PM
本部は神に背いたどころか神に喧嘩を売ってしまったのでしょう。ここ最近の出来事はあまりにも分かり安すぎる。偽者の教理を各地で振り撒く 中田善亮 の姿を見るだけでこれは異常事態だと思いました。各教会や大教会、本部関係者でも社会学で情報を得ていると聞いた事が有ります。
それに本部朝づとめの際 教校学園廃止差し止め を訴えた人への対応の悪さが決定付けたと言われます。言った人を 回廊を立ち去る、中山家と本部員は嘲笑っていた聞き憤りを感じました。嘲笑われているのは自分とも気が付かない人の心も見失った知的劣化の下等集団だと確信した!と各協会長からも耳にします。
もう仕組みとしての組織は残っているでしょうが、教団と信仰心の解離は顕著です。我が教会も系統もここ数年で信者数激減しております。これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。
>これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。<
この匿名様の投稿を、教団上層部はどのように受け止めているのでしょうね。
信仰の目的を見失ってしまったような教団上層部には、最早聞く耳は持ち合わせていないのでしょう。
用木はともかく、教人は今一度信仰の目的を見直さなければ、教団本部と共に共倒れになってしまいますよ。
感謝・慎み・助け合いのスローガンなんかどこ吹く風の教団の姿を見ていると、7年前に見限った自分が正解だったと確信が持てます。
その意味からも、2019年9月18日 10:22 PMの匿名様の仰る実現のためにも、教団は史料集成部を一刻も早く全面開放すべきです。そうでなければ信仰の価値は皆無です。
私たちの信仰対象は親神様です。その親神の御心に従う事が信仰です。
しかしながら、もはや人間信仰の天理教。青年会は大ちゃんへのごますり信仰。
分教会は上級教会に従う。大教会直轄教会は大教会長に従う。大教会長は本部の顔色を見る。上級がアホでも従うのが信仰だそうだ。本部が腐って居ても、本部の声に心を寄せろと言う。食べる時食べる前に腐っているかどうか確かめるだろう。
本部の方針やその在り方が腐っているか、腐って居ないか折々に検証せずして、永遠に食べられると思うのは大間違い。所詮、欲を持つ特権階級が運営しているのだから。我々教会はお人好しでは大切な本質を見失う。
人生経験も苦労した体験も無い世界一幸せ夫婦のだいすけクン、楽しいことが大好きらしい。早々に命のつなぎはお金、とあちこちで偽教理を振りまいているらしい。誰も止められない。中山家の独走をままにさせている限り。その先に見える光景は親神が既に用意しているのだが。欲の埃で鏡が曇ってしまって見えないのだろう。
今一度、本部中山一統は御筆先を読み返して欲しい。教祖による厳しいその筆の先は中山家に向けられているのですから。
mami 様
2019年9月18日 3:56 PM
『ひきのエクェクのブログ』読みました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hikino-effect/index.html
下記転記
天理時報 陽気ぐらし世界建設に「金銭」による ”つなぎ” の理・・・?
本教では、親神様の十全の守護の理の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある。”つなぎ”の理の働きに「金銭」も含まれていることを踏まえるとき、「金銭」には、物と物、物と人、人と人、あるいは人と神などを”つなぐ役割”があると悟れる。キャッシュレス社会となっても、この役割は変わらない。私たちが常に心がけるべきことは、陽気ぐらし世界建設に、この「金銭」による”つなぎ”の理の働きを、いかに生かすかであると思う。
誰が書いているかは知らないが、基本的に意味不明である。
以前中田表統領が
「おつくし」は「命のつなぎ」であり、親神様にお受け取りいただく真実である。
と書き、信者の顰蹙(ひんしゅく)をかったわけだが、時報の文章も同じ類いのものだ。
「おつくし」「金銭」・・・ ”つなぎ” で調べてみると、奇妙な教えに出会う。
十全の守護
○くにさづちのみこと・・・の働き。
教典では
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
とあるのに、最近は
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では金銭・縁談、万つなぎの守護の理。
『金銭・縁談』・・・がなぜか追加されている。なんか我が祖神大国主命のような?
私は、今の今まで『金銭・縁談』が挿入されていることを知らなかった。
十全の守護とは理の話・・・原理とでも言える、いわゆる基本的な概念の部分の教えだ。
その中に『金銭・縁談』とはあまりに具体的で細目・場違いな言葉である。
この教えを、まともにとれば『くにさづちのみこと』・・・世界での一番の働きは『金銭』となってしまう。・・・これは間違いだろう!と普通ならわかるだろう。
Web上でよく調べてみると、様々なところで「金銭縁談万つなぎ」が一つの単語のような使い方がしてある。
稿本教典の中に『金銭・縁談』なんてない・・・ということは、どこかの時点で誰かが『金銭・縁談』を挿入した。
普通まともな集団なら、おかしいと気付いてどこかの時点で『金銭・縁談』を細目に移す修正がかかるであろう。しかし、現在の天理教は ”金が無くて嫁も来ない” 神様にすがるつもりで「金銭縁談万つなぎ」が定着してしまったかもしれない。
こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。
キャッシュレスの普及・・・どう考えると・・・
陽気ぐらし世界建設に、「金銭」による ”つなぎ:くにさづちのみこと” の理の働きをいかに生かす。
になるのか?
「陽気ぐらし」を「金銭」で繋ぎ止める?・・・まてまて、「陽気ぐらし世界」は建設途中だから、引っ張ってくる?
全く意味不明である。
天理時報は信じがたいほど頭が悪いと言わねばならない。
この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
>>こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。<<
裏返して考えれば、「お供え」をしない信者は不要なので、つながってくれなくてよいというように解せますね。みなさん、別に無理につながる必要などありません。どんどん離れていきましょう。邪宗教にいつまでも関わっていれば、それこそ命を落としかねません。
組織はなくても信仰できる! 様
2019年9月18日 12:39 PM
>>信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
まったくその通りなんです。中山一族やその取り巻き連中を養うために信仰するのではないのです。教団組織など全く必要ありません。自分ができる範囲の「人たすけ」は別にお金や財産など無くてもできます。以前、この掲示板でも紹介させていただきましたが、仏教の教えに「無財の七施」という素晴らしい「人たすけ」の術があります。「組織」や「お供え」や「お布施」を全く必要としない「誰もができる人たすけ」です。以下にその概要が説明されているHPを再度、紹介させていただきます。
http://ichigu.net/pillar/service02.php
匿名
2019年9月19日 12:32 PM
こんな事を公式の機関紙で書いてる時点で意味不明です笑 お前ら中山とその血族と取り巻きが「つなぎ」の対極にある「立てる」が出来てないからからこの財政難に陥ったのでは?信者はみんな分かってるけど? 本当天理教の上層部は本当焼きがまわってるのね。こいつらが一番親神様を立ててないから真柱頭の病気 財政難、甘露大倒壊 が起こったのにまた他人のせい? 呆れる笑
「金の繋ぎが命の繋ぎ」と、うそぶいた事を指摘されても謝罪はおろか訂正も出来ないでまた良からぬ嘘を吐き散らす笑 中田善亮 氏は 宗教家として明らかに失格です。
文部科学省に天理協に対する教義と運営の是正勧告要求でもした方が良いですよ。もう宗教ではなく集金目的の営利法人に成り下がりましたしね笑
カネカネカネとカネを語れば金は遠のく その意味も分かってない 詐欺乞食集団 それが天理教の上層部ですね。もう取り返しつきません笑
匿名様 『龍頭が狂うたら皆狂うで』、私もこのおさしづは重いと思います。おさしづは、こうした重い言葉をさりげなく書いていますが、読む方もそれなりに重く受けとめなければなりません。
実際その通りで、かつての麻原彰晃がそうだったし、ヒットラーがそうだったし、卑近な例で言えば、K国の文〇寅もそうですよ。トップが狂っただけで、その集団は破滅の道をたどりました。(文〇寅政権はまだ存続していますが、非常に危ういと思います。)
オウム真理教なんか、麻原の取り巻き連は、麻原の指図に従ったために自らを殺人鬼に変えてしまい、その結果、<縛り首台の露>と消えました。これがヒエラルヒーといものなんでしょうが、私は処刑された人たちをお気の毒に思って冥福を祈らないではいられません。
こうした極端な例を引いた後で天理教について語ると、天理教が何か悲惨な集団に見えるかもしれませんが、<龍頭>に当たるところにおられる方たちは、どうか針路を見誤られないように、しっかりと羅針盤を見つめていてほしいと思います。
仕事で某大教会へ行ってきた。誰も人(信者)が居なかった。電気代節約の暗い事務所に1人青年さんが見えただけ。街なかで広い土地建物、維持費だけで勿体無い。月に何日人が集まって使われるのだろうか?こんな無駄な建物が全国各地に存在している。大教会でさえこんな有様だから、分教会はもっと悲惨だ。本当に教会&詰所の統廃合が急がれる!!
いっそ全て無くしてしまえば・・・・
匿名様 2019年9月9日 12:32PM
あの中の宇野たきゑ「『上田ナライト抄伝」の「~御母堂様が御用をお勤め下さるように迄の尊いつなぎとして~」
に注目しました。本席の後継者であったナライトを「つなぎ」としてさらーと!このようにいろいろと本部(中山家)の都合のよいように。一事が万事!教外の作家、ジャーナリスト、学者のおかげでいろいろわかり有難いと同時に疲れます。「復元」とは?『ひのきしん」とは・・・・・・・etc
崩壊様
「裏返して考えれば「お供え」をしない信者は不要なので、繋がってくれないでよいというように解せますね」
思わず笑ってしまいました。あまりにも適切で。
ごめんなさい。脱字。「お勤め下さるようになる迄の尊いつなぎ」です。
ある末端教会後継者のつぶやき、、
>世界の支配構造を天理教が模倣してるわけよね。
ワザと見せてくれてるわけ?
奴隷契約いつもしわ寄せは末端。
親様はそれこそ変えたかったはずなんだけど。
甘い汁吸い過ぎると脳みそ腐るのかなワイの教会、昔から信者さんのお供えは1円も手を着けず全額上級へ。
末端教会はお金に手を着けてはならない暗黙のルール。
そのお金を小遣いとして嗜好品買ってる上級。
神様に与えてもらってるだとよ<
これが正常だと言えますか。一列きょうだい、互い立て合い助け合いの理想世界がいつのまにかこんなに腐れてしまった。
馬鹿を相手にするほど我々の人生は長くない。悲しすぎます。
腐れ教団の息の根を止めるには「金は出さない」事に尽きる。これ以上不幸な人々を生まない為に。
匿名
2019年9月19日様
>>この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?
>>我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?<<
幸いにして、私は若いうちに、そうした思考回路を断ち切ることができました。世間的に見れば親不孝したのかもしれませんが、「間違っていることは間違っている」「成らぬ事は成らぬ」という断固たる信念がそうさせたと思います。また、年齢的な若さゆえに、決断して突っ走ることもできたのだと思います。私の人生も終盤にさしかかりましたが、私の判断は正しかったと思います。若い信者の皆さん、親や先祖の思想信条が必ずしも正しいとは限りません。自分自身の信念をしっかりと持ち、自分が正しいと思う道を歩んでください。それが「陽気暮らし」に少なからずつながるはずです。
里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
千人 ⇒ 仙人 ※訂正いたします!
>>通りすがり
>>2019年9月20日 8:30 PM
>>里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
>>私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
↑
こういうイヤミったらしい粘着質な書き込みをしている人間の
どこが「低い優しい素直な心」なんだ?
「高慢 冷徹 ひねくれ者」だろ
働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな
通りすがり
2019年9月20日 8:30 PM
君は目球着いてるの?笑 それ言うなら、高慢代表、中山家と血族とその取り巻き に言えよ特に中田善亮にw
今の若い修理人もカネカネ病にかかって各分教会でも顰蹙買ってるんだぞwww それも中田善亮が「お尽くしは金」とウソは八百教理を唱えてるからだろwww
通りすがりさ、解説するとか言ってたけど一向にしてないよな?wwwお前が解説しての何の意味も無いけどなwww
それに本部が「お尽くしは金」が誤解だ!と言いたいならちゃんとした解説文を機関紙で発表しろよ!
大学教授にでも論文書かせろよwww 出来ないししないだろ!つまり大学教授もそんな屁理屈論文書いてたの享受に叩かれて教授生命絶たれたらこまるから誰も書かないしなwww
つまり訂正も修正も解説もできてない時点で嘘八百教理は確定なんだよwww
>>働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな<<
その通り、もう一言加えると「世間知らず苦労知らず」。しっかり働きなさい。
通りすがりって、あの本部の若者PC部隊かな?www 程度低いwww
先日 現在の本部や教団の体制に対して、天理大学の心理学派が呆れてるって聞いたけど、天理おやさと研究所も呆れてるのでしょうね。この2者がこのの書き込みで全員を説得したらいいのでは?と前々より思っていましたが一向にそれらしき人は現れません。それどころかここに書き込んでる方々と論調が同じなのだと思います。学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑
通りすがり のその名前はこの現実から通りすがっいると言う事を自らが気が付くべきなのではないでしょうか? 現状、教団内で暴動や離反が生まれそうとマズイから気休めの書き込みしていることが余計火をつけている事に気がつけない大馬鹿なのかな?
通りすがりさんにも少なからず期待してるからもっと皆さんが納得できる事「成るほどの人」になってよ。通りすがりはそれに成れてないという事がここで発覚するんだけどね。
がんばれ 通りすがり!
>>学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑<<
そもそも学問とは、理論の上に存在するものであり、理論のないところに学問は存在しません。宗教学という学問分野がありますが、理論の上に成り立っています。学問と宗教は根本的に違うものです。まして天理教のようなカルトに理論など存在しません。
「皆つなぎに困っている」とは、天啓の繋ぎ役としてのナライト様の住居を本部に設置する事を、会計的にためらった増野正兵衛さんに対する本席様のお言葉ですが、この「つなぎ」を金としか解釈できない馬鹿が中山家に生まれるというオチは悲しすぎますね。
Z亮とその取り巻きの事ですね。
崩壊
2019年9月21日 2:35 PM
人間の知りえるものは全て理論上にしかない。それ以外を知るのは神で有ったとしても、この人が知りえる世界に存在する以上天理教は言葉はしっかり使ってもらいたいですね笑
文字では天理教は天理教ですが、天理教は中山家の事ですと成っているのが現状でこの惨状を生んだ原因でもあるのは皆さんもご存知の通り
中山家と血族とその取り巻きの勝手な解釈で、教理を汚しているのであれば彼らは現在の真柱あるいはそれ以上の惨劇を体験するでしょう。
今の現状を受け入れたくないのは中山家血族取り巻きだけ、それ以外は受け入れている。この中山家がどう考えても暴走している。それ以外の何物でもない。権力で代えれるものと代えられないものがある事を未だに分かって無いのが親神教祖も「神の残念」と口を揃えるでしょう。
中山家は神に背いたなら、悪魔に魂を売ったとなります。
中山家と愉快な仲間たちの皆さんこのまま突き進みますか?笑
天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。
通りすがり ちゃん
2019年9月21日 8:53 PM
>>天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。<<
あいかわらず、毒舌だけは達者ですね。「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」 自分自身のことをよくもまあ的確に表現できるものですね!! あなたの自己分析力には脱帽します。
通りすがりさん。
現行中山教の素晴らしい所を具体的に書いてもらえませんか。私達は散々中山教による被害とその苦労話を見聞きしてきました。ここにも書きました。
多くの人が精神を病み、家庭経済は破綻し、まともに高等教育も受けられず、親子は断絶し、教会会長夫婦は離婚に至りと、どれだけの人生が狂った事でしょう。
あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
現中山教の信仰の良い所、良い結果を是非具体的に言って下さい。真柱の病気さえ治せないのが現中山教ですがね。
私は天理教で飲み食いしている者ではありません
ただの末端信者に過ぎないものです。先代の信仰に縁があり、天理教に引き寄せられた者程度です。
私は高校卒業後 公務員試験に失敗しプータローの時分父が身上になり父の代理で修養科いったことがあります。19歳の時分1か月たった頃ホームシックにかかりどうしても家に帰りたくて天理教が大嫌いで神様にお願いする姿が乞食みたいでどうしても信仰する気になれません。もうやめて帰らせて下さいと甘露台に話したことがあります。
神殿退出後 詰所に帰る時 ふと拝む姿が嫌いなら 皆に感謝され あなたの背中を拝む人を一人でもいいからつくる練習をしてみたらどうか? という考えが相反することが頭の中にこだまして それから帰りたくなる不思議な経験をしたことがあります。それから私の信仰の基礎として勤めさせてもらっています。教祖無き 現代にも神様は居るんだと実感したことがあります。それから実践するなかに不思議だらけの経験があるから教祖お言葉を書き込んだだけです。決して見下して話していると思わないで頂きたい。通る通らないは本人の勝手、無理には言いません。通ったもの勝ちです。もったいないことです。
>>通りすがり 2019年9月21日 8:53 PM
>>稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
>>無法者ですから、まともに議論しても無駄です。
>>運命下り坂で、気の毒な人です。
>>もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
>>かわいそうで涙がでます。
以上、
盛大なブーメラン、
このコメント欄の おまいう大賞
「通りすがり」 の自己紹介 Part2 でした
私はこの掲示板に感謝しています。中山みき亡き後にできた天理教教団そして、それに繋がっている現天理教教団に関心がある方々が投稿されているのではないでしょうか。
教団でよく実施されている「感話」大会の場所ではないと思います。神を実感する人もしない人も投稿される方はそれぞれと思います。
匿名様
>あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
多分、違うと思います。そういう人は、天理教の矛盾をイヤと言うほど知っている人です。
彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。
>>彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。<<
真実を知る恐怖感はよく理解できます。誰しも知りたくないと思います。しかし、知らないことには道は開けていきません。癌患者が治療を拒み続けて逃げているようなものです。
「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。
>>「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。<<
3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
悪魔に魂を売った 様
聖書にもこんな話があります。話は途中からになりますが、イエスはバプテスマ(洗礼)を受けられたあと、聖霊にともなわれて荒野につれていかれました。そこで40日間さまよったのですが、その時に、サタンから3っつの誘惑を受けました。それは、イエスが救世主として適任者であるかどうかという試験のようなものでした。 つまり、サタンはイエスの心の中にあるエゴイズム(利己心)を甘い言葉でくすぐり、そうすることで、イエスを挫折させようとしていたようです。
その試験ですが、サタンはイエスを高い山の上に連れて行き、世のすべてこの王国とその栄光を見せてこう言いました。
「もしあなたがひれ伏して、私(サタン)に崇拝の行為をするなら、私はこれら(王国)のすべてをあなたにあげましょう」
イエスは答えました。「サタンよ去れ!『主だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあります。」
こうしてイエスはサタンの誘惑に打ち勝ちましたが、しかし、これはイエスだからできたのであって、たいていの人はこの試験に失敗するだろうと思います。実際、この3っつの誘惑をすべてクリアーするのは至難のワザではないでしょうか。
すべての権力と富と地位を独占し、一国の最高権威者として君臨(くんりん)する。民衆はヒレ伏すようにしてすり寄ってき、ご機嫌うかがいをし、神のように心底アガメたてまつってくれる。しかもお金は使い放題・・とまぁ、こういう地位を目の前にちらつかされたら、そりゃ、並みの人間、コロリとまいりますよ。「地上の王」というか、「神」になれるんですからね。
でも、普通は、自分は神だと思うこともなかった人が、アガメたてまつられる地位につくことによって、知らずしらずのうちに神になっていく、というパターンを通るのではないでしょうか。そして、「神」になった瞬間、その人は悪魔に魂を売ったということが言えるのかもしれません。
天理教に関して言うと、私はおやさまも、神様の試験に合格されたと思っています。これ、世界に誇っていいことなんじゃないですか・・?エラソーに言ってすみません。
『さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
悪風に向こうたら、つまずくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。』
『さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。』
匿名くん、意味わかるかな?何度も読み返して、少しはまともな人間になりなさい。
通りすがりさん、苦言を呈する人ほど大切にしなければならい、と思っているんです。苦言とは、悪口ではありませんよ。
少しでも風通しを良くしようと、敢えて言いにくいことを言っているんです。私なんぞは、過去のスレを見れば誰だか明らかですよ。昨年中に二部同窓生の会長さんが3名出直しされたとか、いちれつ会扶育成で詰所勤務生だったとか書き込めば、身元がバレたも同然です。だって、私の年代でパソコンをやっている仲間なんて居ないも同然なんですから。多分、本部は身元を確認しているでしょうね。それでも、東風Z名で書き込んでいます。それでも悪風と断定されるのであれば、あなたと私には基本的な認識に大きな違いがあると言わざるを得ませんね。
ただ、あなたも体制側の人として頑張っておられることだけは認めますが、9月21日の脅迫まがいの投稿をされた時点でアウトですね。
>>悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで<<
あなたが解釈する悪風は、これからも吹き荒れることでしょう。吹き止むことはないはずです。
>>一時に出たる泥水、ごもく水やで<<
あなたが解釈する「ごもく水」は「ごもく水」ではありません。真の「ごもく水」を洗い流す清らかな渓流です。
親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。
匿名 ちゃん
2019年9月24日 1:02 PM
>>親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。<<
あなたは、上記のことを普段から実践されているのですか? 上記の美辞麗句に騙され苦しんできた人達が、どれほど多くおられるのか知っているのか?? 月並みな「教理と称する美辞麗句」を並べて自己防御をはかる教会本部側の体質を露呈する典型的な投稿だ(怒)。もう無垢の人々を苦しめるのはいい加減にしなさい(怒)。
>3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
半日で自分から脱け出すw
>>半日で自分から脱け出すw<<
面接後、即、逃げ出すかも(笑)
亀レスですみません。
誠真実 様
2019年9月19日 9:34 PM
私の住んでる所(奈良県じゃないです)
車で30分圏内に大教会が三ケ所もあります、大教会並みの分教会もあります。
いつも薄暗く人も車も見かけません。婦人会、月次祭くらいかな?人が居るのは
その他は
休みの日隔週で鼓笛練習している子供見かけるくらいかな?
こんな、人も居ない活用されない施設は廃止が望ましい!
信者様の負担以外何者でもない
天理市内の詰所もそうですが、ご商売をなさっている本通り歩いていても人数は
少ない!こんな状態でやっていけるのかな?(閑古鳥鳴いてました)
2週連続3連休といえどもこの有り様です。
夜なんか人通りゼロでした(7時8時だよ)
ここまで教勢衰退の事実がお偉いさんは分からないのでしょうか?・・・・
mami 様
2019年9月19日 9:57 PM
2019年9月22日 1:23 AM
”天理教本部の「ひな形甘露台」が倒されてから二年と一ヶ月か?
二代真柱と上田ナライト”興味深く読まさせて頂きました。
考えさせられる所(history)がありますね。
>>私はこの掲示板に感謝しています。
みんな賛否両論色んな意見出し合って良いと思う。
「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。
>>「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。<<
「事議論?」の後ろの?マークの真意は私には理解しかねますが、この掲示板の投稿内容を読む限り、天理教から大なり小なりの被害を被ってこられた被害者の方々の投稿が圧倒的多数であると私は理解しています。もしそうでないとしたら、そもそも、この掲示板自体存在せず、まして、毎日のように投稿が連綿と続くはずはないと思います。
2019年9月24日 1:02 PMの匿名 様
>世の中すべての人が助かるようにおつとめし、身上の人にはすぐにおさづけを取次ぐ。<
一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。
おつとめだって、近隣の方に迷惑にならないようにしてください。
天理教の人達は、余りにも独りよがりすぎるのです。ダメの教えと理解されるのは自由ですが、あくまでも、内々のことですよ。
病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らない、、<<
こんなお授けは本当にやめて頂きたい。
そうでなくても心が弱っている時に、傷口に塩を塗る様な言葉を平気かける勘違いの洗脳された教会長達。信心が足りないからこうなった、出すものを出さなかったからこうなった。心を入れ替えて◯◯するように、、等々。治るものも治らない。想像力の欠如と言おうか、人間性の問題か。大元はこんな偽教理を扇動した教会本部にあると思う。
信仰と言うものは、人に安心感を与え、希望を持たせるのが仕事だと思う。恐怖心をあおったり、絶望感に落としれる様では、そもそもその信仰に関わった意味が無い。
天理教は「ダメの教え」が「ダメな教え」になったねえとは熱心だったが完全に棄教した知り合いの言葉。冷笑しながらあきれています。天理教の事は知れば知るほどボロが出てくるのでもう完全に距離を取って相手にしていない様です。これが常識人のまともな感覚です。
>>一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。<<
知り合いの女性が、くも膜下出血で頭蓋骨を切開するほどの大手術をされた後、ICU(集中治療室)で治療を受けておられました。全身麻酔でしたが、麻酔がようやく覚めかけたものの、依然として嘔吐を繰り返えし、人の話など到底聞ける状態ではありませんでした。ちょうどその頃、黒い教服と帽子を纏った天理教信者2人が、ICUまでノコノコと進入し、ご多分にもれず訳の分からない「おさとし」や「いんねん話」を始めたので、待合室にいた私は、見るにみかねて、黙ってその2人を力ずくでICUから引きずりだしたことがあります。そのICUには術後間もない複数の患者さんが治療を受けておられました。本当に天理教の信者は常軌を逸したことをするものだとつくづく思いました。
崩壊さん、
それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。
>>それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
天理市のよろず相談所病院ではありません。患者さんのプライバシーの問題がありますので、詳細は延べませんが、脳外科の権威がおられる某公立病院です。立派な教服とお帽子を被っておられたお二人は、その女性が所属されている分教会長と役員です。それにしても、部外者をICUに入れる病院側にも問題があると思います。
>>一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
よろず相談所病院であるにせよ、一般の病院であるにせよ、術後、ICUの中で嘔吐を繰り返し人の話すら満足に聞けないほど苦しんでいる患者に「おさづけ」を取り次ぐこと自体、常軌を逸しています。狂っているとしか思えません。それでもお道は捨てたものではないのでしょうか? 宗教以前の問題です。人間としてTPOを考慮するべきです。
ぶたまん
2019年9月24日 7:23 AM
素晴らしい解釈で他の宗教の勉強にもなります。
「天理教や親神、教祖、その他宗教的意味合いを含む言葉」が、中山家を中心とする中枢部と信者などその他では解釈が全く持って乖離が発生しているのが明確化されてきたのでしょう。
おそらく中枢部は「真柱を神と勘違い」してるのでしょう。「中山家を天理教、天理教は中山家」だと思い込みすぎているのでしょう。この様な状態だと確実に「天理教は天理教に有らず」が発生してそれを野放しにしてきた。となるのでこれでは中山家が悪魔と言っても決して過言ではないでしょう。宗教学者が反論しようにも反論できない状態です。宗教にはその体系の中で矛盾があってはイケないのです。何故ならば「神は矛盾を生まない。」との前提で先導者と信仰者が互いに信じているからです。教理が有りそこに沿った信仰がある。 しかしその教理が教団を乗っ取った中山家には不都合なので、「隠蔽とかいざん」を繰り返した歴史だと言う事も間違ってないでしょう。そうでないとこれほど辻褄の合わない風紀が漂うようなことはございません。それら疑問をいくら権力で押さえつけてもそれすら悪政と判断され結果収益が上がらなくなった。のが現在ですので明らかに中山家に責任がある。となりますそしてその責任を取って引責辞任をするべきだということにもなります。それをしないから人は離れドンドン収益が落ちる。を繰り返しているのでしょう。これを悪魔の仕業と宗教界では言い。その「悪魔とはつまり中山家と成る」と言う事の方が辻褄が有ってしまうのです。
総括
なので中山体制は現在の惨状をご覧になって分かるように、事実上崩壊の一途を歩むでしょう。
神の目と専門家の目は騙せません。信者をその場で騙せても誰しも心の奥底で持つ真理を騙す事はけっして出来ません。
崩壊さん、
質問に丁寧にお答え頂きましてありがとうございます。
勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。
ICUの患者さんということは、関係者の皆さんは切羽詰まった状況だったのでしょう。そんな時は、TPOなんて言ってられませんもんね。教服姿で病院に無許可でICUに入り、赤の他人におさづけを取り次ぐ、羞恥心の欠片もなく、常軌を逸した布教師が未だに存在しているのかと内心ドキドキしましたが、話の背景が分かり、想像していたことと違い少しガッカリです。
ICUは家族以外の部外者は立ち入り禁止では?
入れる病院側も病院側ですが、何か言って入室されたのでしょう。
家族でも無いのに、診察室に押し入り先生につまみ出された人もいます。
病状を聞くためだったと言いますが、聞いてどうしたんでしょうか?病のさとしで又どうせ金銭の要求でしょう。
この方達は医学部を卒業してるんでしょうか?
悪魔でも医者より自分達の方が神に近いと言う話をしてます。
後で家族が平謝りに謝ったのは当然です。
悪魔よりの使者です。勘違いもほどほどにして欲しい。
電車の中でカップヌードル食べてる若いネェちゃんも見苦しいが、それ以上に図々しい。
>>勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。<<
病院側にもっともらしい理由を告げて入ったのかもしれませんが経緯は聞いておりません。いかなる理由を告げたにせよ、病院側の管理体制の甘さは否めません。またICUがどういう部屋か知りながら、敢えてそういう常軌を逸した行動をするのが、狂った洗脳された連中なんでしょうね。「おさづけ」を取り次ぐのであれば、患者がある程度回復し、病院の談話室等で普通に会話できるようになってからでも遅くはないと思います。病室には、いろいろな症状の、また、他宗教の患者も入院されているので、病室で「おさづけ」を取り次ぐのは、厳に慎むべきです。TPOをわきまえて、病室の外の休憩ロビーや談話室等でやるべきだと思います。
ひのきしん 様
2019年9月24日 9:36 PM
私が入院していたのは、公立病院でしたよ。一応、おさづけをすることは禁止されていなかったのですが、その後、病院内でのこのような宗教行為は出来ないようにしてほしいとの要望を公益社団法人全国病院協会にお願いしたことがあります。
憩いの家病院なら、いざ知らず、これ以外の病院では余程の配慮が必要なのではありませんか。
教団上層部の方から次の話を聞いたことがありましたので、ご参考に投稿します。
寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。
天理教の方たちは思い上がっていませんか。
>>寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。<<
読んでいて思わず爆笑してしまいました。確かにそうですね。天理教の方々(全てだとは思いませんが)は思い上がっていると思います。
悪魔に魂を売った 様
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
「私心」で生まれたホコリは、いずれ病気を生み出す原因になりますから、早く取り払わなければなりません。それで、「私心」の反対の「公心」の心を使うようにしてみようと思いました。ちょっとキザですが、「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。
崩壊さん、
ICUは、病院側はもちろんですが、患者さん本人、ももしくは、本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。恐らく、その方達は、狂信的な布教師ではなく、世間の常識を逸脱せずに、ICUに入室し、信者さんにおさづけを取り次がれたのだと思います。周りの目があるにも関わらず、教服に冠姿というのも、その方達の信仰信念も感じます。ですから、このサイトでよく語られるカルト紛いの諭しや横柄な態度の大教会長や大きい分教会の会長連中とは種類が違うと思います。
信者さんに真摯に向き合われている会長さんだと思います。
>>本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。>>
確かに、ICUには近親者以外は入れてはいけないはずです。先に述べた「くも膜下出血」でで開頭手術受けられたを女性患者さん(高齢)には配偶者(現職の末端分教会長)がおられます。その配偶者の方が手術の当日、遠方の信者宅へ講社祭り(お供えの集金)に行かなくてはならないという理由で、どういう訳か、私がその患者さんの容態を見届けて連絡するように、その末端分教会長から依頼を受けました。私はわざわざ、職場に有給休暇までとり、その患者さんの術前から術後までの様子を見守っておりました。私はその末端分教会長によほど信頼されていたのでしょうか?(自分で言うのもおかしいですが 笑)それとも、その末端分教会長さんに信頼に値する近親者がおられなかったのでしょうか? 今となっては不明ですし、改めて聞きたいとも思いません。しかし、一般常識から考えて、自分の妻が生死の境をさまようような大手術を受ける日に、自教会の信者さんの講社祭り(お供えの集金)に行く神経を疑いたくなります。天理教にとって人命よりもカネが一番大事であるという本音を露呈するような逸話の典型だと思います。これ以上詳細な内情を書けば、様々な方々へのプライバシーに影響を与えかねませんので、以上をもちまして私からの本件に関する投稿は終了させていただきます。これでも、かなり詳細はぼやかしておりますので、後は読者の自由なご想像におまかせいたします。
ぶたまん 様
2019年9月25日 12:21 PM
>>「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。<<
おっしゃることは理解できるのですが、天理教で言う「ひのきしん」や「おさづけ」は、天理教という特定の宗教団体に属していなくても、様々な方法でできるはずです。現に、「人たすけ」は国連機関等の活動を見ればお分かりになると思いますが、宗教の枠組みを超越して「人道的な考え方、人間としての良心」に基づき実施されています。私は個人的に宗教団体や組織など不要であると考えています。人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。宗教団体や宗派は、ともすれば争いや対立、テロや戦争の元となり、過去から現在に至るまで数えきれないほどの人々を不幸にしてきました。
実家のお墓のある寺から合同法要の案内が来ました。
このご時世墓じまいする家や、はたまたお墓を引っ越しする家やら様々です。
逆に遠くに引っ越したなど年々参拝者も減っているらしいです。
寺側も考えたもので、年会費壱万二阡円の他に年二回お彼岸の合同供養会で、なるべく寺に参拝に来て貰うと言う趣旨のもの。
供養費は参阡円。他に供養塔を希望で出す。一口が二阡円から、希望で何口でも。
この案内は全檀家さん及びお骨を納めた人、過去に供養をした人等寺側に住所がある人に案内が届くそう。
大勢の方々と一緒に合同供養をして来たが、玄関で「御苦労様です。有難うございます。」と丁寧に挨拶された。
天理教では壱万円をお供えで包んでも「少ない少ない足りない足りない。」等々とよく母が怒られていた。
しかも『ひのきしん』と称してこちらの都合に関係無く呼び出す。
一体このちがいは何なんでしょうか?
思い上がっていると言えば確かにそうですね。
一度お寺に聞いてみるといいです。
>真摯に向き合われている会長さん
真面目な会長さんは沢山います。
私の所属していた末端分教会の会長も真面目です。
問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
所属の会長は
親神は、おや様を通して教会を作るなと伝えているのに 自身が会長職に就いていることに疑問を抱かない。
しんじつの根を堀取れとおふでさきを通して伝えているのに 「しんじつ」について深く思索しない。
おふでさきに現れた親神の怒りを、全く感じ取ろうとしない。
親神が人間に何を求めているか考えもしない。
会長が、信者に求めるのは「金」・・・
おや様は、目に見えない神を人々に認識させようして50年間苦労してきた。
その50年の道すがらの中で、貧しい人々や病に苦しむ人々を救っただけだ。
本部は、「おや様」亡き後、目に見えない神の意志を伝える事ができないから目に見える「おや様」を利用した。
「教祖様雛型」と声高に叫んで「貧に落ちきれ 欲を捨てよ 不足を言うな 親をたてろ」等々・・・
人々は、教祖様の真似をする事が真実だと思い込まされてしまった。
財産を、本部に供えてしまう。
貰った給料は、供えてしまう。
病人を探し回り、おさずけを取り次ぐ。
事情に苦しむ人々を見つけて信者に取り込む。
本部・大教会・上級の上意を素直に聞く事は徳を積む。
「教祖様の雛型を歩む事」は真実であり 教祖様に喜んでもらえる。
親神も喜んでいるはずだ。
とんでもない勘違いだ。
視点がずれているんだ。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。
親神の真意は、病助けではない。
真実に通る事だ。
上記の匿名様
投稿を読み、とても心に響くものがありました。
「とんでもない勘違いだ。
視点ずれている。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。」
僕も、そのように強く思います。
自分も同感しました。
このコメント欄に出没するまともではない教団擁護派達にも言えることですね。
洗脳されている人間は、洗脳されていることに気が付かない。
「かわいそうで涙がでます。」
崩壊 様
私も特定の宗教団体に属さなくても、色々な方法でひのきしんやおさずけ(人助け)はできると思っています。
>人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。
このご見解に、私も同意いたします。これは、「悪魔に魂を売った」様の言われた「誰しも心の奥底で持つ真理」ということに通じると思うのですが、私はこれが真実の「神」だと思っています。
私の心には、生まれつき備わっていると思われる、「心の奥底の真理」(神)と、サタン(悪魔)が住み着いています。このサタンをあまり活動させないようにするために、「私心(エゴ)」の心遣いを出来る限り抑(おさ)えることが肝腎だと思っています。
またご指摘通り、宗教を組織化することによって、逆に争いを起こすようになり、それが戦争にまで発展してしまうこともあるようです。スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。
>>スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。<<
イスラム教のように、元々、同じ宗教がスンに派やシーア派に分裂し、血みどろの争いを繰り返してきました。キリスト教においても、アイルランド紛争のようにカトリックとプロテスタントが対立し、凄惨なテロ事件が次々と発生し、アイルランドから離れたロンドンでも無差別テロが発生しました。オウムのようなカルトは別として、どの宗教も「他者を殺しなさい、傷つけなさい」とは教えていないはずです。キリスト教では「汝の隣人を愛しなさい」と教えています。本来、人間を幸福にするための宗教が教えと真逆のことをして人間を不幸にしています。宗教の対立によって、最も被害を被り不幸になるのは、子どもや老人、病人や障がい者、貧困層の人達、祖国を追われた難民、といった社会的弱者です。宗教を信仰していない人まで無差別テロの犠牲になっています。宗教によって人間が不幸になるのであれば、宗教など始めから存在しないほうがよいと思います。人間に生まれながらにして備わった「良心や理性」に従って生きれば、それだけでも、人間は今よりもっと幸福になれると思います。
****** ひのきしんと人たすけについて ******
ここ数年、地球をとりまく異常気象や地球の温暖化の影響か、毎年のように豪雨災害が発生し、各地で甚大な被害が出ています。つい、先日も、台風の強風で千葉県で甚大な被害がでました。河川が決壊し洪水により家が流されてしまった人、洪水に流されて溺死された人、家が浸水し、居住できないようにまで被害を受けた人、土砂崩れで家が押しつぶされ下敷きになって亡くなった人等が大勢おられます。そうした自然災害が起こった後、必ずと言ってよいほど、日本の各地から被災地にボランティアが駆けつけて、救援活動をされています。ボランティアの中には、休日や連休を返上して来られる人達、会社に有給休暇をとって来られる人達など様々な方々がおられますが、ボランティアの方々の活動をテレビ報道で見ていて、本当に立派だとつくづく感心させられます。誰が呼びかけるということもなく、困っている人を助けたいとの「良心」で、遠方からはるばる手弁当で来られています。阪神淡路大震災の時も東北の震災の時もそうでした。ボランティアの中には宗教関係者もおられると思いますが、大半の人々は「困っている人達を助けたい」というやむにやまれぬ気持ちで来られているのだと思います。人を助けたり、被災地でボランティアをするのに宗教は関係ありません。必要なのは「良心」だと思います。
熊田元衆院議員を略式起訴
公選法違反罪
2019/9/20 21:01 (JST)
https://this.kiji.is/547742755751953505?c=39550187727945729
7月の参院選に自民党の比例代表候補として出馬し落選した熊田篤嗣元衆院議員(48)が、公示前に奈良県などの有権者に投票を呼び掛ける趣旨の文書を送ったとして、公選法違反(事前運動など)の罪で略式起訴されていたことが20日、捜査関係者などへの取材で分かった。
捜査関係者によると、有権者約30人に文書を送ったとして、奈良県警が書類送検していた。
熊田氏は2009年の衆院選で当時の民主党候補として大阪1区から出馬し初当選。離党し、12年の衆院選では日本未来の党(当時)から出馬したが落選した。
東本大教会本阪分教会ようぼく、くま田あつし氏。
ハガキやポスターでみた御記憶のある方もおられる事かと思います。
この件について、私のツイートはこちらです。
https://twitter.com/o_muthuki/status/1176794764366114816
某大教会の月次祭で会長からこの立候補者の名前が紹介されました。
10名以下の一般信者の参拝者たち(私も含む)は聞き流していました。
我が所属大教会では、そんなものですよ。
月次祭講話、いまや聞いても内容の無い話を、それも若いのにもかかわらず、同じことを
一回の講話の中で繰り返し話すありさま。
記憶力が悪いのならば、せめて要点だけでもメモをする準備が必要なのではないかと。
東本もどうかしているんじゃぁないですか?
思考停止状態なのでしょうか?
中川会長初代は立派であっても、「お徳」なんていうものは努力した本人一代限りのもののはず。
「お徳」信仰はニンジンのような働きでしかないと目を覚ましてほしいものです。
そうすればスッキリ晴れやかな、欲のない信仰ができるのではないでしょうか。
お供えを「ねだる方」に関しての書き込みはたくさんありますが、この辺で、「出す方」の私たちも根本から考え直す必要があるのではありませんか。
「お徳」の言葉に惑わされてきた長い歴史。「先祖のお徳のお陰」というお陰信仰は、もともとは自分一人で生まれてきたわけではない、一人では生きられない、この社会的生物としての仕組みを謙虚な気持ちで見直すと、自然と感謝の念が湧いてくる気持ちを言葉に表したものだったと考えます。
「お徳貯金」感覚を持っているから、それこそ貯金感覚でお金を差し出してきたと、天理教教外者から見れば、その様に見られることも有ります。
もっとも、神社仏閣、日本中の神様たちは、喜んで賽銭箱を準備していますし、チャリ・・ンと投げ入れ、願い事を安直に伝える人のなんと多いことか。
我々天理教信者に限ったことでもないようですね。
ナンテ、偉そうなこと書いてごめんね。選挙違反はダメですよね。
見ず知らずのの我が教会にもポスターなどの応援セットが届いてましたね。勝手の良い時だけ天理教の看板を利用するのかと、はっぴ姿の候補者を見て、辟易しました。何回も何回もお願い電話がかかってくるし、私、その人知らないんですけど、って感じでした。落選しても、ありがとうの一言もないし、何回もダイレクトメールを勝手に送りつけて捨てるのに無駄な労力が要り、いい迷惑でした。
東本に言って下さい。大迷惑でした。
それから一言。こんな絶滅寸前の天理教にすがりついても、藁一本の力にもなりませんから。落ち目の天理教を買いかぶっておられたのでしょうが、人や組織を上手に使おうなんて根性はいけません。落選は当然です。
「月よりの神言」まだ手渡しされていました!
毎月26日、10時から11時の間、北大路西3駐車場向かいの駐車場です。フェンスに札を吊るしてあります。
駐車場入って右側に、車を止めて運転席に居られます。眼鏡の男性です。
昭和63年に須藤花井さんのアパートを訪ねて以来、本の発行業務などをお世話されていたそうです。
色んなお話が聞けて楽しいですよ。
来月、大祭でも同じ時間帯だそうです。
匿名さん
<問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
それで相応の対価(おつくし)が得られないと教団的にはずれてくるのかもしれません。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。それは数字です。世の中は、時間もお金も人も空間も全て数字で管理されています。
信者数、おつくしの金額、初席者、参拝者数、教会数、布教所数、講社数等の増減に一喜一憂し、その結果、カルトの様な諭しが横行したり、それが長年続いた為にさも正当な教理だと誤解され、トラブルや離反を招いていると思います。本部の中には、そういう誤った教理を是正したい気持ちがあるが、カルト的な教理をヨシとしている系統ほど少なくなったとはいえ、未だに教団全体の中でもおつくしの金額等の数字の面で多大な影響力があり、本部としても表立てて是正できない状況ではないかと思います。まさに毒まんじゅうを食べ続けるとダメなのはわかっているが、それを食べないと生きてはいけない状況。
真実、誠さえあれば教祖の教えはなくならないのに何を本部はビビっているのでしょうか?
本部員講話でよく『世上に流されず…』と言われる度に、肥大化した為に数字のがんじがらめに陥っている本部の中心的な人が何もわかっていないことにガッカリしてしまいます。
三島村の中でどんだけ白い目を向けられようとも、毎月数千円の真実のお供えをする為にアルバイトをする様な本部員先生が出てこないかと期待する毎日です。
ひのきしんさん
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
よつばさん
<確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
おさづけの目的は、その方に助かってもらいたい為にされたのだと思います。
<またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
繰り返しになりますが、ICUには勝手にズカズカとは無許可では決して出入りできませんので、病院側、患者さんともにコンセンサスがあった上だと思われます。逆にお坊さんが患者さんを見舞う為に袈裟姿でICUに入ってきても、貴方は違和感を感じますか?
<その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
その後のおさとし等は、おさとしの内容が問題なのではなくて、それまでの人間関係が重要だと思います。
そんなにお金を巻き上げられたと感じられるのは、貴方をお道につないでいた方のつなぎ方に問題があるのではと思います。いわゆるカルト的なつなぎをされたのだと思います。
<私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
本当に気の毒です。教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。法被は、確かに威圧感がありますね。ただ、誰かに強制的に着せられているものではないかと思います。暑い地域の海外では、すでに法被ではなく、別のものを来ている国もあります。
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。<<
相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として避難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。
そのお金は自分達の自由に使うのに、、(酒やタバコとは言いませんが、神様はそのお金、使いません、使えません。)
「命のつなぎはお金」の精神が天理教全体を覆っていて、会長さんが病人からお金を受け取って帰るのがつまりは人助け、御守護をもらって頂くことになっている。お金はそうやって教会組織内を上に上にと吸い上げられ、途中で少しずつピンハネし、そのお金で教会家族が生き延びているんだ。彼らは気持ち悪く無いのか。良心は痛まないのだろうか?
>>相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として非難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。<<
30数年前、知人が末期の肺癌で、「憩いの家」に入院していました。癌は脳にも転移し、意識も時折うつろな状態でした。「憩いの家」の身上部から、毎日のように黑い教服をまとった方が病室にこられ、その知人に「おさとし」をされるので、余命いくばくもない末期癌の知人は、同じような「おさとし」を毎日聞くのがとても疎ましくなり、ある日、お供え袋に金を入れて、黑い教服をまとった方に渡したところ、その人は、金を受け取った後、そそくさと退散されたということです。それ以後、その人は二度と知人のベッドの傍らに来て「おさとし」をしなくなったということです。要するに金儲けが目的であったのです。知人は、数週間後、息をひきとりましたが、病床で苦しんでいる余命いくばくもない人まで金儲けのカモにするひどいやり方だと思います。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『本部中枢の人間達』です。
ぶたまん
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
>>
上記の通りです。
気着心地が悪かったようですが、簡単に説明します。
悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
「お尽くしは金?これは正しい教理ではない。」のは天理教理を理解したものなら勿論至極当然の事、教理かいざんと粉飾をしているのは人間の中山家のなす事これは神ですか?という質問事態がもう矛盾で、中山家は人間です。なのも至極当然です。
つまり利己的エゴによりかいざんと粉飾を繰り返す中山家は善人です。とはならずつまり悪人となります。
これが宗教の話にあると、神か悪魔か、天国か地獄なのか?と簡単な対義語があるだけです。
そして改ざんした教理と人間中山家の神格化は神です。と言う文章もこれも矛盾 矛盾を超えた虚偽んいなりそう見せたがっている人間が居るならそれも人間の利己的なエゴですので、それが悪人のなす事で悪魔の所業と言われてもいた仕方ありません。これを理解できないなら布教しても一般人は誰も納得はしてくれません。そもそもこのようなものはもう宗教と言わずこれこそ一般的にカルト宗教と呼ばれるもになりますので、現在の状態を逸早く中山家自身が是正する事か?それか立ち去ってもらうだけの二択になりますが、中山家と中枢はどちらもせず出来ず誤魔化すを選んでいるのが現状でしょう。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
それは数字です。
数字に意志はありません。
その数字を操る『本部中枢の人間達』に問題があるのだと思います。
>教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。
親神とおや様の教えを捻じ曲げて「お供えを要求する事しかできない本部中枢の人間達」のせいで人々の心がおぢばから離れてしまったのは非常に残念です。
悪魔に魂を売ったのは誰だ?
2019年9月27日 6:40 AM
レスをありがとうございます。
> 悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
そう定義されておられるのなら、それはまたそれでよろしいかと思います。ただ、私としましては、「悪魔」という日本語が、「人に災いをもたらすだけの者」とか、「そのやり口は、非人間的で血も涙のない」とかいったイメージがあるので、「中山家が悪魔だ」という直情的な表現は、扇動を目的とした<人身攻撃の手段>として使われているとみなされるんじゃないかと心配になったのです。
西洋人のいう悪魔は「堕天使」と呼ばれて、もともとは「み使い」一人でした。私も西洋人の言う悪魔には、ある種の親しみを覚えています。つまり、誰しもが「悪魔の誘惑に負けて、魂を売る」 ということが起こり得るものと思っていますから、中山家の人も例外ではなかったんだと思います。私だって、いや私こそ、教団のトップの地位に就かされたら、中山家の人々と同じことをしたと思います。
それから、<人間中山家の神格化>という重要なご指摘がありました。これは大きな矛盾です。
私も人は誰しも自らを神格化した時、その人はまさしく「悪魔に身を売った」者となったといえるでしょう。たぶん、モハメッドがそうなったんだと思います。その他、その候補者として、中国の習近〇などなど・・・つまり、「俺が神だ、みんな、俺を拝め!」と言った具合になったんじゃないかと思います。
よつば 様
2019年9月26日 8:02 PM
>私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。<
若い人たちばかりでなく我々の年代の者もそう思っているんです。
法被どころか、教服もおつとめ着も要りませんね。教祖が亡くなられた翌日にはせ参じた信者さんたちの写真を持っていますが、寒い時期だったから皆さん綿入りの厚着で写っておられますよ。ハッピ姿も教服姿もおつとめ着姿もありません。それぞれ常着のような服装ですよ。
いつの間にか、権威を付けたくなったのでしょうね。変な宗教です。
徳川 @iyeyasu0080 さんのツイートより
本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。
>>本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。<<
額に汗して働くこともなく、何の苦労も無しにお育ちになられた面々のやりそうなことですね。決して不思議ではない話です。そのうち、ボーイング社から政府専用機ならぬ「教会本部専用機」を購入し、世界各地へ「においがけ」に行くかもしれませんが、異教徒の空軍機に撃ち落されるかもしれませんよ(大爆笑)。
天理教教祖は「難儀しなければ 難儀している者の気持ちが分からない」とおっしゃたらしいですが、本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラスを使い、行った先では山海の珍味で至れり尽くせりの状態では、難儀している者の気持ちが分かるはずなど絶対にありません。読者の皆さん、これこそ、今の天理教の実態です。
本部員や役職者はつまるところ常識のアップデートができていない、ウマシカ集団なのですよ。
想像すると、本部出入り、又は天理市内の旅行代理店に丸投げで、予約を取っているのでしょう。
それと「マイル」を貯めたいんじゃないですか。
要は自分の懐が痛まないから、平気で贅沢をしているのです。
何様を気どってるんでしょうね。
エコノミーで十分です。そんな贅沢三昧の為に、命のつなぎは金と年金暮らしの信者や貧乏教会から脅し取ってうさん霧散に浪費する本部の馬鹿ども!!
時間のある時に目を通している「みちのとも」に、また、とんでもないエッセーが掲載されていることに気がついた。
本部員・天理大学学長(!)永尾教昭氏は毎号、「きょうだいへのまなざしー道と世界の思案ー」という題で連載を持っている。
その9月号の内容は首をひねるようなもので、あきれるばかりのものだ。
北方領土をビザなし交流で訪問し、その団長に向かって島を取り戻すには「戦争しないとどうしようもなくないですか」発言をめぐっての見解を書いたものだ。
勿論、その発言は「言語道断」としているのだが・・・・。
問題は次の段落でのこのように書いている事だ。
「ただ、民主主義には言論の自由がある。刑事罰を受けたのならともかく、いかなる意見でも、それが原因で強制的に議員の立場を剥奪することはできないと思う。これは極めて重要な点だ。なぜなら、意見を表明して処罰されるとなると、時の為政者が自分に都合の悪い考えを持つ者を弾圧することにもなりかねないからである。それはそれで恐ろしいことである。」
引用が長くなったが、その後にフランスの哲学者の意見を紹介し「これが民主主義である。」としめくくっている。
フランスに派遣されていた筆者の得意とする地点に結び付けているのだろうが「民主主義」が問題ではないことに気が付いてほしいものだ。
問題とされている議員が、なぜ、顰蹙をかったのか。
酒に飲まれて醜態をさらしたことも、大人として恥ずかしい限りだが(北方領土で女性との性的交渉を望んでいたようだ)、公式訪問での態度としても常識の無さをさらけ出している。
何よりも問題視されているのは憲法無視の態度そのものだ。
「戦争放棄」がうたわれている以上、議員は、個人の見解のまえに、憲法を守るべき立場のはずだ。
日本で義務教育を受けた人ならば、戦争放棄という言葉程度は頭に在るだろう。
しかし、この議員と永尾氏は、どうも憲法を軽く見ているようだ。
馬鹿な議員はいずれ消えていくだろ。しかし本部員・天理大学学長という立場は、どうだろう。学長といえば世間的には教養ある人物と期待されることも多いのではないだろうか。
恥ともいえる今号の内容は掲載した天理教道友社の見識をも疑われる。
以上、書き連ねる間、むなしくなる一方だ。
この社会学板で、どれほど指摘事項があがっていても、本部は一向に変わらない。
謙虚に振り返ってほしいものだ。
防衛力を維持して有事に備えることは大切だろうが、日本が積極的に攻撃に出て取り返せると思う発想が幼稚だと思う。エネルギーも食料も輸入に頼る国が長期の戦争などできるはずがないだろう。
千島や樺太を先の大戦で失った責任論すら出てこないのに、いきなり戦争論が出てきて、これを非難すれば、民主主義を振りかざしてしまう愚。
話は逸れますが、先の大戦でソ連軍はドイツ戦に総力をつぎ込んでいた。その時点でポツダム宣言を受け入れていれば、北方領土を失うことはなかったかも知れない。いや、それでも、ソ連軍はで極東に移動してきたかもしれない。
ドイツには申し訳ない言い方だが、日本軍の指導者は何を見失ってしまっていたのか。そのような議論の方が大切だと思うが如何でしょうか。もっとも、過ぎしことを議論しても何の益もないことだが。
天理教がやるべきことは、先の大戦への反省の弁ではないでしょうか。
エイミー・ツジモト氏著 満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊を読んで思うことは都合の悪いことにはだんまりを決め込む天理教の姿で、一言のコメントもないように思われるのが悲しい。
そもそも戦争というものは、他国の領土を奪い自国の領土とし、その資源や権益を奪おうとする「欲」や「利己心」から始まるものであり、その為に罪のない多数の犠牲者がでます。神は決して人間の争いは望んでいないはずです。戦争に正義はありません。「やられたらやり返す」という考え方は、未来永劫にわたり「憎しみの連鎖」を生んでいきます。「戦力の不保持と戦争の放棄」をうたった日本国憲法9条の崇高な理念は、神の思いと一致するものであると思います。「過ちは繰り返しません」という誓いの言葉が広島の平和記念公園の慰霊碑にも刻まれています。
はるえ婦人会会長あいさつ
「、、、、一日も早く親神様にお喜びいただける陽気暮らし世界が実現できるように、しっかりと頑張っていただきたい。」
もう30年、40年、50年も前から同じことの繰り返しを聞かされて。いつになったら実現するの?100年経っても同じ事言ってるんだろうな。はるえさん、馬*鹿の一つ覚えですね。高級な着物をきて大教会に来て最大限の持てなしを受けて、キッチリ懐に入れて帰る御仁ですよ。自分が自らしてないのに偉そうな事を言うなよ、です。
本部としては結局の所、金集めの方便の為には陽気暮らし世界が実現したら困るんです。皆さん頑張ったおかげで陽気暮らし世界が実現しましたね、なんて言ったらお金集めの理由が無くなる。陽気暮らし世界が実現したら本部は一貫の終わりになって困るんですよね。営利集団中山教天理本店としては世界が不幸な方が儲かるんです。
何のための宗教団体なのか。
我々信者はエンドレスで中山家の金儲けの為に、馬車馬の様に神様を思って走り続ける。ところが中山家は神様なんて見てないんです。その証拠に金、金、金であちこちの大教会、分教会を徘徊して大札束を懐に入れて帰るんですよ。
信者の皆さん、その事知っていますか?
早く沈み行く泥舟、墜落寸前の低空飛行機から離れましょう。お供えはやめましょう。意味の無い行事には行かない事です。脅しに屈しない事。天理教には神は居ませんからばちは当たりません。安心して反論しましょう。
「世界中の女性が婦人会員になる事を目指して、、、。」とはるえさんの挨拶。痛々しくもあり本気かと失笑。日本中でも20万人居るかいないでしょうよ?
初投稿です。この掲示板に書き込んで良いのかどうか迷いましたが、人生の大先輩方
達が多そうなので投稿させて頂きます。
私は、結婚するまで天理教をよく知りませんでした。
これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
縁あって教会の娘さんを妻に貰い、色んな教会人達と出会い、見聞きしながら自分
なりに色々と考えたのですが、この宗教を好きになれません。
おやさまの教理自体は素晴らしいと思うのですが、教会の人達が色々とややこしい~
「お勇み様」ってよくお道の人から言われますが、別に勇んでません普通ですよって
答えたら変な顔されました
少し私の事を書きます
義理の父は結婚当初、未信仰家庭で育った私に別席だけは運びなさいと行かされまし
た。嫁さんは天高卒業、修養科も上がって、大教会で1年間女子青年務めさせて頂い
たバリ天です。義母の実家(妻の祖父宅)も大きな分教会です。妻は3人兄弟姉妹の
長女で実家は長男の義弟が後継者です。義弟は部内布教所の娘さんと結婚して子供が
2人います。一番下に義妹が居ます。義妹の旦那様は凄くお優しい方で、私同様未信
仰家庭だったのに、結婚を期に別席を運び修養科へ、結婚後暫くしてお父さんが亡く
なられて、お寺にお仏壇を返して、自宅に神実様をお祀して教会でお葬式を上げられ
ました。社会人の子共が2人いておちば病院で先生?(技師)と看護師として働いてい
ます。(毎月おぢばがえりもしていて、すっぽりと天理教に染まってます)
私はと言うと、ごく普通のサラリーマンで結婚当初は仕事の付き合いで月4~5回は
ゴルフに行って接待?とか出張と超忙しかったので、妻の実家の用事はした事があり
ません。(嫁さん一人神様の御用頑張っております)
子供達の小さな時は妻の実家に盆と正月位はご挨拶に伺いましたが、毎月の月次祭は
一度も出た事がありません(そもそも平日休めない、お手振り鳴り物出来ないので)
お正月も元旦祭が終わった2日か3日に伺います。徹底して教会の御用?して来なか
ったのですが、別に今まで身上・事情は一度もありません。
私の2人の子供達も小学生の頃は子供おぢばがえりだ少年会だと教会で遊んでおりま
したが、大きくなるにつれ塾がある勉強しなきゃいけないからと段々と教会から離れ
て行きました。上の子共は有名私立大学卒業後公務員試験に合格して働いています。
下の子共も難関の国立大学へ合格して通っています。私も嫁さんも働いていて家族全
員今まで何日も寝込む様な病気や怪我になった事も無いです。
子供の小さい頃は、子供が熱を出すと夫婦仲が悪いのと違う?と直ぐに義母からお仕
込みがあり、腰が痛いと言うと頭が高いからもっと頭を低くしろだの、伯父さん(義
母のお兄さん)がやたらと修養科行く時間無かったら3日講習へ行きなさいとか、よ
うぼく大会があるからいついつ大教会へ来い、だれそれ本部の偉いさんが来るから、
お話聞きに来いとか、妻の従弟が感話大会で話すから教区に来いだの、陽気ぐらし講
座やお話し会の度教会に来い、しのきしん3日隊に参加しろとか、今まで散々色々言
われ続けましたがそれら全て仕事に託けて無視し続けて一度も行た事がありません。
最近では、嫁さんが一生懸命お道に繋がって頑張っているので、お前は助かっている
のや、このままではその内フタが開いてくるぞ!などと言って脅してきます。一体何
の蓋が開いてくるのやら?
今年銀婚式を迎えましたが、夫婦仲も悪くないし子供達も元気で来年あたり上の子も
結婚します。お相手も未信者で天理教と繋がってません。義父からは五月蠅く言われ
ていますが子共達も私の親兄弟も別席をまだ運んでいません。
後5年で取り合えず定年を迎えます(多分嘱託で+5年は務め続けるでしょう)
定年で一区切りしたら修養科へ行って来いと凄く義父から言われています。
別席を運んでから25年間におじばに帰ったのが10回位あったのかな?
をびや許し2回とお守り授与2回、年祭の人数合わせのバス団参に2回くらいしか思
いつきません。
働き方改革でわが社も年間5日は有給休暇を取りなさいと言う事で、有給消化の為に
今年初めて3日講習1なるものに行って来ました。教理なんて何も知りません、すわ
りづとめ第二節も覚束ない、よろずよなんて全然できないのに、頑張って行ってきま
した。先生に余り悩みの無い貴方みたいな人が来るのは珍しいと言われました。感想
は来ていた人は僕から言わせて貰うと変な人ばかりでした。教会と離れると何か起っ
てくると言う人(先月自教会の月次祭行かなかったら子供が交通事故に遭ったとか、
お供え少なかったので階段から親が落ちて脚の骨折ったとか)、家系が色情因縁で私
もつい不倫してしまって結婚がダメになったとか、居酒屋店舗増やし過ぎて潰れて自
己破産したとか、隣人や近隣住人から電磁波攻撃をされているとかまあ妄想の酷い変
わった人達ばかりでした。天理教信者って変な人の集まり?って思うくらいまともな
人は居ませんでした。もう二度と行くものかと思いました。
私の家には先祖代々のお仏壇があります。檀家でお盆両彼岸にはお寺で木魚を叩いて
南無阿弥陀仏のお経を唱えます。住職とも仲が良く住職の説法も非常に面白くて為に
なります。
これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
義父母、兄弟姉妹とも好きですが、
教会人達の付き合いとか、人数合わせ?ノルマの数字稼ぎ?上級、大教会への御用が
多すぎる現状ではどうもこの宗教に魅力を感じません。
本来、信仰は自発的な気持ちで行う物で、人に言われてやらされる物では無いと考え
ます。どう自分を磨くかは、自分次第だとも思います。無理やりやらされて嫌気が指
す様な、そんな宗教ではダメです。
とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
稚拙な汚い文章を長々とすみません
どうかご教授願います
>>とりあえず今の私のスタンスとしては
>>お供え・・・「致しません!」
>>上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
>>無駄なひのきしん・・・「致しません!」
>>困っている人は助けます
これで全然いいと思います。
迷わず行けよ、行けばわかるさ!!
>>これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
人生悩み人 さま、何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。
匿名くん、君にもそのうち「旬」がくることでしょう。それまで元気いっぱいにここで毒舌を吐いていればそれで良いのです。
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
上記の私の投稿は、人生悩み人さんに対する投稿です。念のために申し添えます。
>>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
人生悩み人様、毒リンゴを食べて死ぬ場合もあります。通りすがり君の「戯言」に惑わされないでください。
人生悩み人様
私と私の妹は教会の娘で、妹は未信者の家の男性と結婚しました。結婚後、婿殿は教理が素晴らしいと感動し、父を立て、それはそれは熱心に自前でにおいがけパンフを自作する様な人でしたが、ある時天理教の真の実態を知ってすっかり距離を置く様になりました。教理と実態が違う事に気がついた様です。兎に角、事あるごとにお金が掛かること、組織内に理不尽な上下関係がある事、虐げられる嫁の実家である末端教会の実態、意味の無い人数の競い合いがある事、意味の無いお供え金の心定めをさせられる事、神様とは遠い所で人間思案に過ぎない行事等に振り回されている事に気がついた様です。
妹も婿殿同様に潮が引くように天理教から心が離れていきました。
私は実家が教会ながらも姉として妹夫婦が天理教に関わらない事を応援している状況です。
親子の縁は切れないので、妹夫婦は天理教を離れた所では子や婿としての気遣いはしっかりしてくれました。なので父母は十分満たされていた様です。その分、教会からはしっかりと、賢く距離を置くというスタンスでした。
私自身は、上級から色々誘われたり、お金の居る事を言われた時は、自分が納得してからでないと出来ません、とか、すみませんが、出来かねますとか、すみませんが行けませんとか、はっきり言う事を心がけています。
仰るように、
お供え、しません。行事、お手伝い、しません。を貫き、天理教からしっかりと距離を置く事です。この人はこう言う人、何誘っても動かん人、頑固な人、と思わせる迄が重要だと思います。これは私の経験です。
親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。
通りすがりさんは「自称まともに議論ができる人」なのでしょうから質問させていただきます。
あなたの発言である
「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」
これらの発言は毒舌ではないのでしょうか?
天理教を信仰していながらあなたのこうした発言は、
「天理教を信仰していてもこんな低レベルな人間にしかなれないのか」と世間の人たちに思われるかと思います。
あなたの発言は天理教を貶めることになっているかと思いますがご自分でどう思われますか?まともな議論ができるのならお答えいただけますよね?
>>親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。<<
全くその通りだと思います。お金と時間を失うだけでなく、家屋敷まで失った人もいます。末端分教会長の中には多額の「お供え」をするために借金をし、返済できなくなって縊死された方もおられます。骨の髄までしゃぶりつくされます。天理教に中途半端に関わらず、全く関わらないほうがよいと私は思います。
>>あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
いきなり上から目線の毒舌で絡んでくる通りすがりさんは信仰のすべてが分かっているらしい。そのすべてを教えて下さい。是非。
人生悩み人さんへ
>これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
天理教を好きになる必要はありません。
神様を好きになる事が大切です。
「火水風」が神と言われています。
人間の体には、大人なら約65%の水があります。体温は36度五分の熱(火)。そして空気(風)を吸って生きています。
寝ている間も空気(風)は、口を通して出たり入ったりしています。
人間は、生きているのではなく神の守護により生かされているのです。
天理教によって生かされているのではありません。
文面から察すれば平和な日々を過ごされているようです。
それは神の守護だと思います。
これからも今のスタンスを貫いてください。
「親神・おや様」と天理教は別物です。
日々の生活の中で神(火と水と空気)の守護を肌で感じつつ、真実に通ってください。
そうすれば、神は貴方の思いの倍の力で貴方を守護します。
おや様は、「神には倍の力あるで」と話されたそうです。
神が強いと言っているのではありません。
神を信じる者は、その者の思いの倍の力で守護すると言っているのです。
「思う」と「願う」は違います。
「思う」とは日々の生活の心使いです。
日々神を忘れず、いつでもどこでも誰にでも優しく そして、真実に通ってください。
その思いを持って生活すれば、神は常の貴方の傍にいて倍の力で貴方を守護します。
今のスタンスを持ち続けてください。
通りすがりさんへ
貴方が投稿するたびに反天理教の勢力が強くなっていくようで私としてはとても楽しい気分です。
貴方が投稿するたび天理教の崩壊速度は加速するようです。
貴方が投稿する気になったのも親神の計らいと思っております。
親神は理不尽な天理教の思考体系を貴方を通して広く教内教外の広めているのだと思います。
貴方は天理教崩壊の強力なアシストであると思います。
これからも天理教崩壊に向けて「理不尽な天理教擁護」の投稿を宜しくお願い致します。
期待しております。
退職した元信者様
心に響くご投稿を、いつもありがとうごさます。
また、退職した元信者様のご投稿を楽しみにしております。
財政難になった本部が事情教会の土地売ったら揉めるでしょうね。使って無い土地なら早く寄付して下さった方に返すべきですしね。不動産管理会社、東京天理教館を使って土地転がしする積りみたいです。これじゃ反対運動起きても仕方ないな~笑
人生悩み人様
>とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
あなたは大丈夫な人です。
自分の考えを、ちゃんと持って自分の責任で行動されているのですから、周りの言動に惑わされる事なく、今のまま家族を大事にしてお過ごし下さい。
素晴らしい素敵な方だと思います。
通りすがり様
> 何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。
人の足を踏み続けている人は、踏まれている人の痛みは分かりません。
この方は、もうすでに、このリンゴは不味い味だと実感している方だと思いますよ。
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
本部が信仰の為の寄付を勝手に転売して勝手に本部の財政難に使うなら言語道断!必ず反対します!
今まで「いう事聞け!」と言って来てるのは聞いたことありますが、意見を聞きに来た事は一度もございません! 寄付して下さった方にお返しします。誠に恥ずかしいみさかえも無いんですね!
土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。
「満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊」は、教団本部が出版するべきものですよね。
それが出来ない天理教なんて要りません。
何でも、かんでも都合の悪いことは隠すというより、無かったことにしようという魂胆が見え見えです。
だから、何を説かれても信用できないんです。通りすがりさん、この本もフィクションと言われるのであれば、もう終りです。そろそろ目を覚まされては。
砲撃のあとで、という本を読んだことがあります。満州から引き上げの際に、囲いの無い貨物車がカーブを切った途端に、体を支える術がなく振り落とされて満州の荒野に散った人の断末魔の声を想像したことがありますか。満州の荒野には、まだオオカミが沢山いたと聞いたことがあります。あとは想像してください。
天理教は何の想像力も働かすことが出来なかった哀れな団体です。そのような宗教に人助けができるのでしょうか。真宗大谷さんは先の大戦への反省の意を表しておられますよ。
>土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。<
宗教法人の主管課は奈良県庁の場合は法務文書課、国の場合は文化庁ですが、役所に相談する前に、まず、法律の専門家(弁護士等)の意見を求められた方が良いかもしれません。役所に直接行かれても無駄足を運ぶ可能性があります。
通りすがりさんへ
2019年9月28日 10:03 PM
>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。
天理教を味わってみたらとても美味しくて幸せな心になるのであれば、更に普遍性があれば130年祭の帰参者は300万人に達したかもしれませんね。
しかし、現実は違います。
多くの人々が、天理教を食べて その心根を味わいました。
その味は、とても不味くて飲み込める代物ではなかったのです。
そして、人々は天理教から離れって行ったのです。
私は、90年祭には所属の末端分教会の帰参者の世話取りで帰参しました。
100年祭の前年の秋の大祭にも帰参しました。
東名阪道・名阪国道を天理に向って連なって走る観光バスの列は、それはそれは壮観なものでした。
しかし、今は本当に寂れてしまいました。
当然の成り行きなのですが、自分の目の黒いうちに天理教がこの様な状態になるなど当時は想像できませんでした。
「天理教ライブカメラ」をパソコンで検索できます。
本部南礼拝場の現実の姿を見る事ができます。
今日は日曜日です。しかし、南礼拝場前には誰もいません。
80年祭・90年祭・100年祭の光景は、夢まぼろしのようです。
天理教の旬は、100年祭で終わったのです。
これから将来、天理教の信者数は益々激減していくと思います。それに伴い、教会本部に入る「お供え」収入も激減していくはずです。教会本部が財政難になることは必至です。そうなった時、教会本部が真っ先に手をつけるのは、ほとんど信者がいなくなり採算性の悪くなった末端分教会です。登記簿上、教会本部名義となっている末端分教会をどんどん売却していくことでしょう。教会本部のやることですから、教会長家族の「居住権」などお構いなしです。末端分教会の家族は住む家を失い、家賃の安い公営住宅に転居し、生活保護を受給しながら生活しなければならない羽目になるでしょう。都合の悪い情報は平気で隠蔽し、少しでも儲けになることは、法的にブラックあるいはグレーなことでも平気でやってのける、それが天理教です。ヤクザよりも恐ろしい団体です。
今まで黙って、黙認して、思うことも言えずに泣き寝入りしてきた、信者さんや会長家族等、SNSの発達によってここまで知れ渡ることになるとはね。まさに、蒔いたる種通りですね。
上層部全員が原因とは思いませんが、体質を改善しない限り、今後もますます信徒の減少に繋がるでしょう。
もとい、貧困に近い状態になって、本質が見えてくる可能性もあります。
まず、高級車はいらない等ですね。事改めて、大きい建物も要らない。大教会長連中は本当にわかっているのでしょうか?かなめ会、機能してますか?
現場を理解できてますか?
おやさまの教え通り生活してますか?
朝の神殿掃除起きてますか?
大教会やかなめ会なんて関係無いです。巨大建築を乱立させ勝手に財政難で困ってる本部が暴走してるのです。大教会長は見せかけ銀行の支店長、本社が財政難だから「お前の所を空き地売ってお供えするか、こっちによこせ!」ですよ。ドラえもんのジャイアン ヤクザ以下な考え笑
海千山千だから荒れるでしょうね~ 信者の方には元ヤクザ 被差別部落 在日朝鮮人 の方などもいますからね。本部も調子に乗ってると確実にやられますね。
本部中山家がここまで馬鹿なら、揺すられるのも当たり前ですね~
匿名様 2019年9月28日 9:52 PM
今のスタンス守り通して行きたいと思います
通りすがり様 2019年9月28日 10:03 PM
「旬」とはそのうち蓋が開いた時ですか?
自分が人の文句ばかり言って非難ばかりしていないかを考えてみましょう。
文句ばっかり言う人と話してもおもしろくない。そんな人を誰も好きになってくれ
ないし、好きになってもらえなければ、ますます文句を言ったり非難したりしたく
なる。この悪循環に陥れば、「どうせ誰も自分をわかってくれない」と、自分で殻
を作って元気をなくす原因をつくってしまいますよ。陽気ぐらしの逆になります。
崩壊様 2019年9月28日 10:23 PM
Going my way! 「私の道を行く」ですね
『低いやさしい心になりなされや。人様を救けなされや。自分の癖性分を取りなさ
れや』 と心遣いに気を付けて頑張って行きたいと存じます
匿名様 2019年9月28日 11:07 PM
なんか境遇が少し似ているので・・・笑顔でいるから幸せになれる
『神はな、あほなものが欲しい、あほが神の望み』
あほうになる、あほうだから人のために必死になれることって沢山ある。私もあんまり
賢くない。賢かったら要領良く逃げていたことだって、今から振り返ったらいっぱいあ
ります。
退職した元信者様 2019年9月29日 1:41 AM
>>神様を好きになる事が大切です。
今日の幸福を感謝して・・・
「人がめどか、神がめどか。神さんめどやで」ですね。
神の守護、素晴らしいお言葉ありがとうございます。
古い元教会長様 2019年9月29日 7:09 AM
無理せず、等身大の自分と向かい合って、自分のこと家族親戚のことちゃんと考えて
行きたいとおもいます。
皆さまのレス親身なご意見ありがとうございます
参考にしたいと思います。
最近、お道の本を沢山読んだので(逸話編とか)偉そうな引用レス、誠に申し訳
ございませんでいた。
シェイクスピアも「人生は舞台」っと言っています
ここからの筋書きは自分で作るですね(^^)/
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
「はー?」教高学園の次は事情教会の土地売却? そもそも本部のものちゃうのにどう売却すると?本部アホなの?お前らの土地を先に売ってからせいよ!本当に本部終わってますねー! 中田善亮が表統領になってからほんまに暴走してますやん笑 ほんま中山家を追い出さないとダメですわ
そのうち右翼にやられるんちゃいます?笑
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
人生悩み人 様へ
>>苦しい人生を導く世界一有名な名言 ウィリアム シェイクスピア
世界中で最も知られていると言っても過言ではない名言がこちらです。
「この世は舞台、人はみな役者」
良く知られた名言ですが、これはやや省略した形です。元々の文章を逐語的に訳すと、「全世界は一つの舞台であり、すべての男女は、単にその役者にすぎない。彼らはみな舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々様々な役を演じるし、役は年齢によっても七種類に分かれているのだ。」となります。
人生は自分が主人公だと良く言いますが、シェイクスピアは我々は脇役に過ぎないと語っています。地球を舞台と考えると、私たちは登場しては退場していく役者のようなものです。
自分は役者であり、いろんな役を演じることができる。そう思うと自分自身に対して悩む必要なんてありません。これから何にだってなれるということです。<<
上記の引用は下記のサイトから全文引用いたしました。
https://loohcs.jp/articles/136
私は大学で英文学を専攻し、シェイクスピアの作品も、ほとんど読みました。「この世は舞台、人はみな役者」というシェイクスピアの考え方は彼の主要な作品に共通して流れているものです。人間はこの世に生を受けてから、人生という舞台にたち、様々な役柄を演じながら死を迎えます。
大変失礼な言い方かもしれませんが、あなたは、本当の「あほう」にはなれないと思います。しかし、その方がよいと思います。本当の「あほう」になれば、天理教の格好の餌食となり、いいように利用されて、最終的に後悔を残して、人生を終えることになります。しかしながら、あなたは「あほう」を演じる役者にはなれると思います。あなたの今後の処世術として、ご自身の信念は、信念としてしっかりとお持ちになり、「あほう」を演じながら天理教が終焉を迎える日をお待ちになるのも一つの方法であると思います。天理教は近いうちに終焉を迎えるはずです。
通りすがり 君
2019年9月29日 2:57 PM
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
今更、いくらご託を並べても無駄ですよ。皆、少しでもリンゴをかじったり、食したりしたからこそ、この掲示板が生まれ、毎日のように連綿と投稿が続いているのです。そもそも「三日講習会」なるもので、何が理解できるのですか? 教えてほしいくらいです。
その日が来れば、みな分かる事です (^▽^;)
今日は2年ぶりぐらいに天理教本部に行ってきました。
この掲示板で知った、三島神社の移転の経緯。
ある日天理に行ったら、突然、池と神社が無くなっていてびっくりしましたが、当時は何の情報もなく不信感だけが残っていました。
お供えしたお金が、どういうことに使われていたのか・・・
この掲示板は、私の目を覚まさせてくれました。
今日、初めて三島神社に参拝させて頂きました。
もうお詫びしかないです。
三島神社の道を隔てて向かい側に、閉校が決まっている天理教校学園高等学校があります。
グランドでは、高校生たちがフラッグの練習をしていました。。。
その後、神殿に行き参拝しました。もちろんお供えは一銭もしていません。
願いはない。日々のお礼のみ、申し上げました。
教祖殿では、結界の中の教服着て座ってる人、居眠りしていて激しく揺れていました。
その前では、修養科生たちがおさづけを取り次いでいます。
何なんでしょう。この光景は。
初めて気づいたのですが、おやさまが存命の時の建物が公開されていました。無料です。
リゾートホテルのプールのような北庭プールの西側です。
「つとめ場所」やおやさまが過ごされた部屋のある建物など。
そんなところにあったなんて。
知らなかったのは私だけ?昔から公開されていましたか?
「順路」の看板があったりして、観光地のように思いましたが・・・
人っ子一人いませんでした。
天理教本部は、どこに向かっていくのでしょう。
これからもこうやって、たまーに見学しに行くつもりです。
通りすがり様
貴殿のおっしゃることは、100年祭までを支えた 戦争で 学校で十分に教育を受けることの出来なかった方々には 通用したことだと思われます。
その当時と比べて 風向きが変わってきているとは 感じませんか?
法律が変わった事 法令遵守を気をつけるようになってきている事 に 無頓着で
昔ながらの応援で 公職選挙法違反 になるとは、、、
>>その日が来れば 、みな分かる事です。
他宗教でも 最後の審判 終末思想ありますが 地球上の 最後のひとりぼっちの人間になりたいのですか?
睦輝さん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
睦輝 @o_muthuki さんのツイートより
【今月のかなめ会速報】
★教会整理の実行
・活動ようぼくゼロ
・おめどうを上級引き上げ済
・会長不在
3要件を満たす教会を正式引き上げ。
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
本部在籍者は国民年金でなく、厚生年金らしいですよ。
親神様にもたれて生きるのだから、国民年金など払わずその分お供えしなさい!
と上級に言われていた末端も有るとか、前に古い会長さん
@huruikyoukaityo が言ってたような。
それ言った側の大教会長サマが、本部在籍で厚生年金貰える立場なら…滅茶苦茶酷い話ですよね…。
風向きは確かに変わっていますね。ますます強風となる事も予測されます。ただ、別の風も吹き始めている事も事実です。この先どうなるかは誰にも分からないと思います。
ほぼ一年ぶりくらいにこちらに伺いました。
本部の学校が一つ閉鎖ですか。
崩壊への蟻の一穴が広がっている段階なのかもしれません。
私の両親も某大教会長に年金をお供えするよう促され、
老後も極貧生活しながら分教会長として死ぬまで尽くしていました。
そして、他界する前にやはり
「天理教は100年祭で終わった宗教だった」とも言っておりました。
昨年私が書き込みをした際にもちきりだった、
百田尚樹の本部での講演に象徴的なように、
今の天理教本部は強者であり、富裕層であり、体制擁護派であり、
弱者たる分教会や末端信者、格差に苦しむ大多数の国民を支える側ではありません。
耳障りの良い教理に騙され、関わると骨の髄までしゃぶられます。
どうか関わる方々の目が早く覚め、苦しむ方々がいなくなりますように。
天理教教会本部の凋落は、格差が広がり
高齢化が進み、非正規化が進んで貧困化した勤労世帯の没落という
この国の望ましくない社会情勢がもたらしている面があります。
搾取しようにも、貧乏人に無い袖は振れない。
国も大企業も大教会も欲をかき過ぎた。
しっぺ返しはまず天理教で始まった。
やがて店をたたむか組織の縮小を進めるかするでしょう。
逃げ得、持ち逃げ、責任とらずは許しがたい。
が、この国はそれを認める司法制度であるのは東電裁判の判決を見ても明らか。
巨悪ほど滅びない、神も仏もないということを
図らずも中山家の去就が証明することになるのやも。
何とも皮肉な話ですが。
すみません。本部在籍とはどう言う意味ですか?本部員、凖員の事ですか?
大教会長も本部在籍扱いなのですか?
70歳以上の本部在籍のお与え廃止とは、無い袖は振れぬと言う事ですね。我々末端も無い袖は振れぬのですから実行出来る良い旬が来ました。お供えのストップ、やり易くなりました。無理せず、本部にならいましょう。
別件質問です。大教会家族には本部からお与えが降りていると聞いた事が有るが、それも廃止になるのでしょうか?
大教会も厳しい環境になりましたね。結構な事です。お徳の違いで結構、結構と勘違い発言していた思い上がりの彼らも、今後は思い知る事でしょう。
ここまで来たら通りすがりさんも、目を覚まさざるを得無いでしょうね。
親神がこの誠の無い営利団体をたたみにかかっておられるのです。
この先どうなるか誰にも分からないとその気持ちはわかりますが、天理教の将来は実は誰の目にもわかっている事です。今後順次縮小に向けて動き出します。教校学園閉鎖を手始めに、今回のかなめ会決定はそれに続く「縮小」に向けた動きです。
天理に神は居ません。その証拠は今見えている衰退の現実です。
いずれ暴動が起きるだろうと言われていますが、通りすがりさんの様な洗脳された盲目的信仰の人こそ、目が覚めたときの茫然自失の失望感は怒りとともに噴出するのです。ここに書かれた多くの被害の事実があります。天理教団が如何に暴力的で冷徹で無責任であったかが理解できる旬があなた様に訪れますように。
>★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
>「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
なるほど。
「おつくしは命のつなぎ」は
「おつくしは(本部在籍者の)命のつなぎ(=生活費)」
という事を自白しましたね。
教会の整理も進めるようですが、信者もおめどうも教会長もいない教会って、看板出てても単なる空家じゃん。
法人格を移転させて不動産は売却かな?
土地に手を出すと必ず揉めます。三島神社問題も今でも尾を引いてます。本部がいくら子孫の法人と言えど、他法人の土地を吸収合併で割譲しようとしているなら必ず反対するべきです。事情教会であっても寄付者や信者は残ってる場合も多い。本部にお供えなんてしたつもりも無い人が殆ど、教団は土着信仰が殆どで「本部がなに?」とはっきり言って関係ありません。教高学園より必ずもめます。死人も出るでしょう。真柱の身上悪化、たの中山家の者も身上になるでしょうね。
土地の持ち去りが事実ならこれぞ戦うチャンス、各教会決起の時です!
馬鹿な大教会長も多いですが、その大教会長も説得して逆に担いで本部に文句言うのも有りです。その末に包括関係解消するのも有り
とにかく信者様の土地を本部と偽る金の亡者中山の財政難に当てる必要は一切無し
戦いましょう!
本部の中山さんのお宅の中田善亮さんが教祖も言ってない宗教的にもおかしい「お尽くしは金」と偽教を流布しているから「お供え」寄付、お布施が減っている事に気が付かないのですか?本当に常識が無いのですね。政治家だってちゃんと政治をしてくれる人には献金が払われます。してくれない人には払われません。日本人は表立って揉めるのを嫌うので「なんならお供えの額落とそ」と成っているだけですしね。それで今度は「部内と呼ばれる被包括法人の土地をよこせ?」カネカネ言ってる「守銭奴中山 」言われても仕方ないですね笑 中山家追放も有りだと思いますね。もうこんなトップだから組織の信頼関係も教義も壊れたのでしょう。勿論世間的信用は一切ございませんしね。
私も知人数名に連絡を入れました。皆この噂を聞いて驚きも呆れも通り越して憤りを感じていたようです。「部内の土地収奪」の噂は一気に広がるでしょうね。
中山家が運営する本部はおろか教理にも背を向ける人も増えるでしょう。財政状況が悪くなって金を集めて逃げるつもりなのでしょうか?それか、不動産管理会社、天理教館でロンダリングをしようとしているのでしょうか?とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね
>>とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね<<
ネットでこれだけ騒動になれば、少なくとも宗教法人を管轄する所管の役所は既に情報を入手しているかもしれません。メディアもまた然りです。
「本部に土地お供えしろ?」と言いたいのかもしれませんがまた中山家だけ得してその他は確実に損する制度やろうとしてるの? これは飛んだ不動産詐欺ですね。
私は包括関係解消をするしない別にして、社会学さんを参考にして色々話を聞いて回りましたが、現在の教団の状況は他の宗教団体の末路と同じようです。「金に汚くなり約束を守らない平気で人を騙す」など手段を選ばなくなるそうです。
相談してる弁護士の方もここだけの話で教えてもらいましたが、教団の弁護団の人達の中には弁護士会でも評判があまり良くない方が多数居るそうです。成人君主の顔をして裏では何やってるかわからないものです。
吉本問題でも弁護士が出てきてましたが批判の荒らしでしたし、どんなに違法でなくて有ったとしてもやり方を間違えたらあそこまで荒れ、評判もガタ落ちするるわけですし弁護は法律は良いが法的対応が始まった時点で会社など組織は終わってると仰ってました。
皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。
各教会が単立教会になれば、スッキリ組織になるかもしれませんね。
きっとその様な「旬」が来たのですよ。
かんろ台が倒されても目の覚めなかった教団。
真柱身上でも悟り間違いを強情にも改めない中山一族。
そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。
各教会の皆さま、仏教界、神道界でも数年前から見られる単立化現象です。
ようやくネズミ講文化が少しでも是正される「掃除」の時旬が訪れたと
皆で勇みましょう!!!
被包括解消の準備しといて良かった。 様
2019年9月30日 10:19 AM
>>皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。<<
私の知っている限りでは、長野県諏訪市にある天理教豊文分教会が、愚かなピラミッド組織(教会本部)と訣別し、被包括関係を解消するために、教会本部と最高裁まで係争されました。結局、天理教豊文分教会が勝訴され、教会本部から独立されました。日本の裁判では、最高裁の判例が最重要視されますので、以後、教会本部からの独立(離脱)が非常に簡便かつ容易になったということです。奈良県内でも教会本部から独立される末端分教会が徐々に増え始めているということです。貴教会に限らず、教会本部からの独立を切に願っておられる他の末端分教会が多数存在するはずです。貴教会がどのような方法で独立されたのか、読者の皆様に具体的に教えてあげていただけないでしょうか? ピラミッドを構成している石の一個一個が抜け落ちていけば、ピラミッドは自ずから「崩壊」するはずです。
>>そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。<<
末端分教会が全て「単立教会」となれば、当然のことながら教会本部は「兵糧攻め」となります。どれくらいの兵糧(貯え)があるのか知るすべはありませんが、「砂上の楼閣と化したピラミッド」を完全崩壊させるに足る十分な効果となり「組織正常化」の一歩となることでしょう。そもそも信者を苦しめる教団や組織など始めから不要であったと思いますが、いつのまに出来上がってしまったのでしょう?
nunoさん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
nuno @toarukyoukaino さんのツイートより
厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
本部員だけでなく、お役に当たって定期的な「ひのきしん」をしている奥様方も、それなりの「お与え」貰ってるそうです。(単発的なひのきしんには出ないので、全員ではないと思いますが)
教会から本部員に嫁に行った友人は、実家家族にもお金の事は言わないと言っていました。
慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
家賃いらないし、電気代と光熱費と食費は義両親が出してくれるそうで、子ども3人に複数の習い事をさせています。
義母のお供でよく京都の伊勢丹にお買い物に行くと言っていました。
お歳暮やお中元は伊勢丹だそう。
永遠のパズル
自分までだまし
首尾よく生きてなんになる
全力を尽くし
倒れてしまえばおしまい
だけどひとつひとつ
祈ることだけが
うまくやるコツと学んできたよ
それぞれの理由で
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
他人の気持ちなど
簡単に理解できない
自分に置き換えて
考えるなんて意味がない
そうさ いつか君が出会う真実は
君だけのために輝くはずさ
自分より大きな
自分の影を追いかけて
いつまでも絶対
追い越すなんてできない
悲しいけれど
志は高く 夢は天を越えて
いつかひとつになれば幸せ
そうだよね
努力が一番 向上心をわすれず
辛いことも忍耐
あきらめず
清く正しく道草もせず
まっすぐ進んで壁にぶつかって
とにかく負けないで
礼を尽くして弱き者を助け
自分を殺し人を恨まず
わかってるわかってる
でもできない
迷ってるうちに
日が暮れて前が見えない
暗がりの中で
誰かの足跡探しているよ
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
本当に君を救っているかい
ー橘いずみー
1/17000の闘争と逃走https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12298340482.html
ある方のツイッターより。
>>「東京の教会の屋根が飛びました
なんとか住んでいますが 上級や本部はなにもしないんです
親なんですよね???
理の親ってなにもしないんですね!!
親なんて語るな!!」<<
本部員はボーナスも出るんですね。厚生年金も会社員並に支給されているんですよね。家賃いらないし、修理費の責任も無いし。修理は末端教会から順番に上がるお供金が現資ですよ。
私たちが飲まず、食わず、着るものも着ないで供えるお金は、つまる所、彼ら本部員達の命の繋ぎの為のお供えなんですね。
馬鹿馬鹿しくてやってられないです。お供え金ストップして彼らを干上がらせる事が先決ですよ。つまらない巡教員を貧乏教会に寄越してお礼と称して金を巻き上げて帰らせるんではない!まごころのお供えだと?人のまごころを自分達の贅沢に使うな!
通りすがりさんの言葉。
>この先どうなるかは誰にも分からないと思います。<
教団本部すら分からないものを、どうしようもないんじゃないですか。ケセラセラの世界です。
一寸先は暗闇、一番にこの言葉を教団本部に捧げましょう。
なに、教団本部は、何事も見抜き見通しだって。冗談もほどほどに。
終りに、教団本部の皆さんに送る最適の言葉は「贅沢は敵ですよ」にしました。くれぐれもご注意を。
>厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
>厚生慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。
ネットを知らない・利用した事のない末端教会の老齢会長さんや信者さんに、現実を知らせる効率的な手立てはないものか。
本部がなんで大教会や分教会の売却やその売却益を考えてるのか意味不明、別法人の場合がほとんどなので違法性高いですね。
それに本部が勝手に火の車に成ってるのですから、本部の所有している土地や財産を売却するのが先です。順序のはき違えです。順序履き違えるって事は、理の違いですので教祖曰く「理の違いは気の違い」となるのでやはり現在の本部 善司、善亮体制は狂ってると言えます。
中山家の散財のお尻を拭いてほしいなら土下座したらいいのでは?土下座しても飲めないは無いですがね。それだから「お供え」という言葉で騙してでもやるならもう訴えるべき状態です。
本部がどこにお金が出て行っているのか?どこに借金をしているのか>反社会勢力とのつながりがあるのではないのか?等々徹底的に追求すべきです。警察や税務署に通報して家宅捜査させたほうがいいですね。
本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
宗教法人天理教教会本部は、他法人の大教会、分教会の土地や財産を狙ってる時点で明確に黒です。このまま善司 善亮では、教団だけでなく天理教の歴史は後数年で終止符を打つでしょう。中山家は金だけ持って逃げるつもりなのでしょうか?逃げられると思っているのでしょうか? 滑稽です。
人のもの奪うのが神のやることですか? 神では無くただの悪魔ですね。悪魔なら倒さないといけません。
悪しきいんねん 成らば切るのが用木と言われる信仰者の使命、 中山家を切ることがいんねん納消です。
敵は外におらず内に有り、敵は本部に有り 敵は中山 なり 暴走本部はもう帰れなくなりましたね。もう言い訳は通用しません。
用木の皆さんいざ戦いの時です。土地の話が出てきたら親神様も教祖も土地はいりませんので迷わず戦いましょう!他の分教会や大教会にも連絡しましょう! 悪魔に魂を売った 中山家とその使いを天理教理を持って成敗しましょう。神の立腹 が必ず中山家を倒すでしょう。
天理教 の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
中山家が 教団を私物だと思ってた事が確定されそうです(笑)信仰心も一切無い(笑) 親神と教祖も中山の家の味方はしないでしょうね(笑)
教団は先ず、東京都千代田区一番町31-2にある中山家の私邸か教団所有か分からないが、処分すべきだ。売却すれば数十億円になるだろう。優先順位が違うだろ。
オウム真理教の末期は人殺し 本家天理教の末期は土地収奪 これは酷い。乞食 詐欺師 泥棒と化した中山家とそれに悪用される教団
戦い 様
>本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。
>>これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。<<
国民年金保険料を20歳から60歳まで40年間、規定どおりに支払っても、1か月あたりの支給額は、約7万円程度です。生活保護費を満額支給されたとしても、1か月あたりの支給額は13万円程度です。また、生活保護費を受給した場合、医療費は無料です。ただでさえ少ない国民年金を足してまで、高齢の末端分教会長夫婦に「お供え」を強要する教会本部をはじめ上級教会の連中は「鬼畜」としか表現のしようがありません。長い人生、労働らしい労働もせず、厚生年金やボーナスの支給を受けることができる天理教特権階級は狂っているとしか表現のしようがありません。
>>まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。<<
「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。追い出された教会長夫妻は、しばらくの間、賃貸料の安いマンションにお住まいになっていましたが、ほどなく、お二人とも続けてお亡くなりになりました。ご心労がたたったのでしょう。天理教に常識や人情などありません。
>>「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。<<
やりかねません。子沢山の天理教上層部教会子弟は職を持って居ません。自活する能力も家を持つ経済力も、持とうと言う意欲活力も持ってない。彼らは部内教会を狙って居ます。高齢であり信仰が冷めたのもありで、諸々の教会行事から遠ざかっている、冷やかな視線の私など一番に狙われているのを感じます。部内は事情教会だらけなので、彼らは何処が一番早く空くかと居住地を求めて部内教会をじっと狙っています。生活力の無い彼らはとりあえず、「家ゲット」を狙っています。このご時世教会の立て直しなんて出来る訳無い。棚ボタ式で住む家を欲しがっている。やれやれです。
悪質で理不尽な天理教本部、中山家、上層部の取り巻き一族、上層部の連中。
神が天罰を下すか。
末端から、純粋に信仰してきた方々や。
天理教に、苦汁を飲まされたり、人生を狂わされたりした方々から、天罰を下すか。
天理教は組織です。
組織内のことは、天理教人、天理教外人が天罰を下すしかありません。
大きな出来事から、小さな出来事まで。
投稿し、声を上げ。
悪徳中山家、悪徳本部、を丸裸にしてしまえば良い。
まだまだ、天理教内外のお力添えが必要です。
ささいなことでも良いので、投稿し声を届けてください。
金と贅沢三昧と高慢にとりつかれた。
上層部に、悪魔の鉄槌(ルシファーズ・ハンマー)をふるうときです。
小さな積み重ねが、大きな波を起こします。
天理教が元始まりのささやかな、控えめに、人助けを実践できるよう。
大掃除の時が来ていると思います。
社会学ブログは、小さな波の発信源です。
色々な意見、声。
人間交差点です。
多くの方々からの、投稿、さらなる声を期待しております。
始末の観点からは上級教会の資産になるのは分かります。それを本部が横取りしようと言う考えが余にも下品極まりないです。寄付者からの不満が続出するので揉め事は絶えなくなるのは必須。以前甘露代が倒れましたが今回は寒露代だけでなく教団自体、信仰そのものが倒壊するでしょう。
それを理解できない血迷った中山家と本部 それと相対峙する各法人の真の信仰者 用木の真価が問われます。用木は中山の為の用木でなく、親神の用木であるので、中山家は神に虚言を吐くことに成ります。もう限界なのでしょう。神の仕打ちを甘んじれない中山家はその辛さを部内教会の土地収奪でなんとか延命しようとしているのでしょうが、もう遅いです。中田善亮をはじめとする本部の言う事は一切当たらず一方社会学にコメントを寄せる方々の言葉に神を感じます。親神は中山家に立腹しておるのでしょう。眠っていた用木も目覚め、教団の自浄を始めそれで喚き出したのが中山家なんともわかりやすい。中山家には悪霊が付いてるのでしょう。中山家の代々の悪しき因縁 早く納消すべきではないでしょうかね?それを怠るから、生きるために人を騙すことしか出来なくなった。しかし騙せずそれすらばれるので、今後は牛馬になるしかないでしょう。
悪魔の化身を許す用木は誰一人居ないでしょう。むしろその悪魔を退治するのが宗教の役目ですから、もう皆さん動き出してます。各地各箇所、土地の収奪があったなら連絡しあって現地に集い本当の教理を叩き付ければ悪魔は自ずと退散します。
社会学さんでも再三再四反省を促しても受け入れなかった本部の不徳のいたす所 本部の言いなりになった者は、他のものに詰め寄られ責任を問われ自殺に追い込まれるかもしれません。決して本部の悪行に加担してはなりません。人は強くない。中山が強がっているのも弱いからです。中田善亮は器が小さく他人の事を考えることも出来ない。法律や倫理も理解できない可哀想な人なのでしょう。理解できないなら信仰者を辞めてもらうまで、用木を通して神により制裁が下るのでしょう。
「中庭で宗教裁判される日」 もそう遠くありませんね。
どのようなことでも、おカネでものを言わせてきた天理教。教祖100年祭の前年の本部予算は540億円だった。
現在の貨幣価値に直せば如何ほどになるのだろう。三島神社を移転させ、鏡池を埋め立て、東西礼拝場を建てた。
何れもおカネにあかせて実行されたもの。不動産屋も顔負けと呼ばれていた三代さんは何を思って実行されたのか。今となっては、全てが裏目になってきた。
三島神社を移転されれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及された橿原神宮宮司さんの言葉が現実となってきている。
目覚めた人たちは潮が引くように去ってゆく。残るのは大教会長クラスと本部の取り巻き連中だろう。
いや、大教会長と親戚縁者の立場にある人達は去るに去れない哀れな立場かもしれない。
本当に惨い組織を作ったものだと、つくづく思う。
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
人は「想像力」という能力を神様から頂いています。
武●喜●さんにも勿論有るはずの能力です。
お立場は判りませんが、
「そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。」という強気の言葉!
ちょっと恐ろしくなります。
実は私の所属する大教会でのことですが、修理が必要な所がずっと放置されています。
どうして放置なのか、怖くて教会に聞けません。
信者間では「下手に聞いたところで修理費用を出せないから黙っているしかないね。」と、考えることは皆同じ。
それでも毎月のお供えは人により減額してはいるものの、きちんと差し上げている面々です。
大教会会長といえども立派な手足が有る人なのですから、自ら修理するという選択肢もあるはず。
なぜか、放置なのです。
教祖の時代でも、お助けして頂いても「それっきり」という人々は普通にいたでしょう。
現代においても同様です。
現に京都在住の知人の母親は「天理教の布教師に命を助けられた」そうですが、教会名すら記憶にないそうです。
「それっきりですよ」と聞き、内心、唖然としたものです。でもその布教師さんが「格好いい」とも思ったものです。私も若かった!
かっこいいと見えたのは、つまり「助ける事」が目的で、その経験が自分の人生を輝かせてくれ、満足感をも得られる、と。・・・・霞を食べていたのでしょうか。(笑)
結果が思わしくない場合でも、助けようと努力した自分の行為は自分の心を満たしてくれるものです。
「おたすけ・丹精が足りていない」から、「金を出す(念のためにお断りしますが、経済的な余裕の有無は問題にしていませんよ。)信者がいない」という指摘は、武●喜●さんという方のおごり高ぶった意識の表れのように思え、信仰者としては残念なことだと感じます。
教会によって教えと実情が千差万別の天理教では、こんにちネットのお陰で、本部周辺と他系統・他教会の実態が見えるようになりました。一般信者であっても、その視野は以前より拡大されています。
視野は拡大されたものの、思考が浅いままでは迷惑な結果を招きかねないと、自戒を込めた上で書かせて頂いています。
「自分ならこうする」という決意は貴いのですが、これはあくまでも「現状の自分」というある意味、限定的な時間・空間のなかでのことを表明しているわけです。
人はいつか無収入という境遇にあう確率は高いのです。「想像力」をもって周囲を見渡し思索を深めてほしいのです。
私はTwitterをやっていませんからこの場をお借りして武●喜●さんに反論させて頂きました。
何しろ15日の年金支給日までカウントダウン状況の今です。
残金から月次祭費用を出すと、どうやって食料を確保できるかと悩むような自分なので、貧民クラスの代表として一言申し述べました。
因みに息子からの援助は無理です。何しろ氷河期世代の非正規社員ですから。武●喜●さん、若い世代の息子のような人をどうぞ、努力の足りない落伍者のようには見ないでくださいね。
かつての三島神社は、山の辺の道の景観にも溶け込み、天理教立教時の様子を彷彿とさせるものでした。また、鏡池には鯉や亀がいて、信者や子ども達の憩いの場にもなっていました。とりわけ、重要なことは、当該神社が天理教とは切っても切れない縁で結ばれているということです。今更、詳細は述べませんが、この掲示板の読者の方々は天理教と三島神社の関係はよくご存知のことと思います。
三島神社の移転理由を教会本部に問い合わせたことがありますが、信者数が増え境内地が狭くなってきたので境内地を拡幅するために移転したということです。しかし、今や信者数や参拝者数も激減しており、巨額の経費を投じてまで移転する必要などなかったと思います。移転に際して三島区で賛否を問う住民投票が実施されたということですが、噂によると本部勤務者等の住民票を一時的に三島区内に移転させ、本部勤務者等の票を移転賛成側に取り込み住民投票に勝利したという話です。これはあくまでも噂であり真偽のほどは分かりません。橿原神宮の宮司さんが三島神社を移転すれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及されたということですが、実際、信者数は激減し、三代真柱は病気で亡くなられ、四代真柱は重篤な病を患われている事実を見るにつけ、これは三島神社の祟りではないかと考える時があります。
天理教は、「おたすけ 丹精 御守護 徳」 等と知ったような口を利く愚かな集団としか思いません笑 人助け?人として当然ですよ。それを神だ本部だ大袈裟に言ってる病的集団としか思いません笑 いつまでそのおたすけ だの丹精だの偉そうな口を聞けるか楽しみです笑
天理教は有名な論文が一つも存在しない教義?こんないい加減な教義もないです。聞いた話天理教の教義は真柱の一存で改ざんできるそうですね。中山家に都合よく合わせてるわけですよね? これじゃ万人に理解されるはずも無いことすら気が付かないのでしょうかね?理解されないと言う事は布教力の無い教義になっているということです。においがけでー? も悪臭でしかない。世間からは人も寄り付かない異常な宗教都市か見られてない。そもそも相手にされてない事に気がつきましょう
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
ひのきしん様
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
曲がりなりにも信仰者ですから、いくら何でも、そこまで悪意はないと思います。
昨今懐事情の苦しい大教会も多い様ですから、詰所主任や、若い後継者夫婦で詰所台所の世話に入っている方達のお与えも減額になるのでしょうね。そうなったら、今後後継者の若夫婦も入りたがらなくなるでしょう。
いっその事、詰所利用者が激減している現在、若い後継者夫婦を詰所主任にを充てて彼らだけで詰所のやり繰りするのも方法かと思う。
弱小大教会はお供え減で会計は苦しく、はるえさんご臨席の時など、札束も包まねばならず、その他詰所修理も頭の痛い問題で、大教会一家も貧乏する悲哀をじわじわと感じている事でしょう。最近の大教会長の声が元気が無いのも気のせいか、、。
ご臨席ははるえさんにとっては金儲けに他ならず、信者、大教会が有難がっているのは表向きで、本当に迷惑千万な事。大教会長も本当の腹の内は頭の痛い悩みでしょう。真柱やはるえさん等の臨席は大教会が要請しているのでしょうか、それとも本部からの迷惑な要請なのでしょうか?
末端の我々には何の情報も入ってきません。
大教会一家には本部からお手当(毎月の給料)が入っていると聞いた事があるのですが本当ですか?
大教会一家は本部からの庇護による国民年金、厚生年金はあるのですか?
神にもたれよ、年金も生命保険も必要無し。と言われて神を信じた我々最下層教会は生活保護水準以下の生活です。本部員のボーナス事情、年金事情を聞くにつけ腹立たしく、本部や上層部に上手いこと騙されたと、今更ながら納得いきません。
三島神社移転と鏡ケ池埋め立てについて
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/iten.pdf
東京教務支庁
錦江大教会
本芝大教会
中央大教会
本理世大教会
牛込大教会
東大教会
東本大教会
日本橋大教会
本荏大教会
大森町大教会
東中央大教会
麹町大教会
都大教会
浅草大教会
深川大教会
本保大教会
はるえさん、東京都内に有る大教会でも山手線の内側に有る大教会なら売り飛ばしても高い金になりそう。
たけくまメモ さんのブログより
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_6c21.html
平田弘史先生訪問記 一部抜粋
●天理教脱会の真相!
親の代からの敬虔な天理教徒であった平田先生。しかし若い頃から、ある「違和感」を抱き続けていたと告白します。
その違和感は、教団の機関誌から『教祖・中山みき伝』の劇画連載を依頼されたところで頂点に達しました。当初は己のライフワークにしようと、それまでにもまして徹底的に史料を調べ、執筆を開始された平田先生でしたが、よくよく原史料に当たると、中山みきの教えと、教団の教えに食い違いがあることが判明。
「そもそも、中山みきさんの本当の教えは“身のうちひとりひとりに社(やしろ)あり”なんだ。要するに、自分の心の中に神さんはいるので、“教団を作れ”なんて一言も言っておらん。だから、教団があること自体間違っておるし、彼らが神を代理できると考えることも間違っている。
天理教に限ったことではない。仏教もキリスト教も、イスラムにしたところで教祖が教団を作ったわけではないよな? 必ずその弟子だの身内だのと称する、凡人どもが教団を作る。組織ができると、組織を維持する目的が必ずできてしまう。そうしたら信者を集めなければならない。人を集めるために、権威を作って、階級を作るんだよ。
中山みきその人を尊敬することと、教団に属することはまったく別の問題なのだ。他人の私利私欲の道具になってたまるかよ。この事実に気付いた俺は、そのことを劇画に描こうとしたのだ」
当然、天理教本部的には青天の霹靂と申しましょうか、パニック状態に。かくして平田先生渾身の力作『中山みき伝』は連載打ち切りと相成りました。もちろん先生は泰然と、家族を連れて教団を脱会したことは言うまでもありません。
そもそも、誰よりも物事の本質を突き詰める性質の平田先生に、教団の宣伝マンガを依頼した天理教本部の認識が間違っていたのではないでしょうか。
匿名
2019年10月2日 5:19 PM
給養関係で誤解があるみたいですが、詰所の運営管轄は大教会など非包括法人からの給与です。(土地建物は恐らく本部)だと思われます。本部からの給与は、本部在籍者以外には出ないです。これに大教会長本部員は含まれると思われます。
なぜ大亮や青年会員を各地事情教会に送って布教をさせようと思わないのでしょうか?大亮自ら布教をして大教会を2~3つ作ればいいのではないのでしょうか?この実行はおろか判断もしないで、土地の売却? は?と信者なら用木なら誰でも思います。中山家に実力はおろか魅力も感じません。
大教会や分教会の被包括法人の土地の売却は間違った判断です。買い手が付いて一時的に売却益が出たとしても、その後、。土地売却政策を取った本部に寄付をしようと思いませよねー
本部は偉そうに講釈垂れてる積りでしょうが、ただの妄言でしかない事に本当に気がつけないのでしょうね。土地なんて一般的に考えても倒産政策出しかない事が理解できないのでしょうか?本当に世間知らずは怖いです。
無知で申し訳ないのですが、本部在籍者とは、どの範囲の方を指す言葉でしょうか?
どなたかご教示頂ければ幸いです。
匿名
2019年10月3日 8:39 AM
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者、それ以外は勤務者やひのきしん者としての扱いです。在籍者も血族で選ばれます。これの頂点が、社会学で言われるでも中山家とその血族と言うことでしょう。この家柄血のピラミッドがこの教団の本当の姿です。
宗教でありながら露骨な階級差別を取り仕切ってるのが中山家とその血族と言うことです。
これをまねて 大教会などでは構内役員などの構内と部内で別れると言うことでしょう。
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者<<
*青年とは本部員と凖員の子女(女子青年)、子息(青年)の事ですか?
(とすればボーナスが出るのは一家総ぐるみで人数頭で出るって事ですね。)
*大教会構内と言う言葉は初めて聞いたのですが、大教会直轄分教会の事ですか?
(直轄?構内?の役員は末端教会から見たらお偉いさん扱いになり、だから順番に「大教会巡教」と称して、各貧乏教会にお礼を貰いに回るんですね。真柱やはるえさん、だいすけなどのたかりと同じ構図ですね。)
各段階でお偉いさんを作り、こうしてピラミッドが形作られ、最下層はいつまでも最下層で苦しむ事になる。天理教思想の悪どい全体像が見えてきました。
*上記の用語が分からないので想像に終わり、理解が進みません。教えてください。
本部青年は
・本部直属教会子弟
・本部在籍者子弟
のどちらかです。
なので、本部員でも准員でもない大教会長家の分家(次男以降)も、天理に行けば本部青年からの本部在籍者となり、その子も本部青年に…となります。
本部員でも准員でもない大教会長家の子どもも、本部勤務する場合は本部青年です。
大教会長を継ぐ長男が本部に居る場合は、本部青年(在籍者)を辞めて教会に帰り大教会長就任となる模様です。
本部員や准員と、大教会長を兼任するパターンについては、私はわかりません。
構内役員は、大教会の敷地内や隣接地に家を構える大教会役員のことではないでしょうか。
基本的に構内役員は教会を持たず、布教所や講社までで、役員に繋がる信者は大教会所属になります。
事情教会の長を受ける構内役員もいます。
教会長を兼任する構内役員の場合、教会には住まず通いになります。
部内役員は、大教会直轄分教会長が任命されるので、住居はその分教会になります。
本部在籍者は
・本部青年(女子青年含む)
・本部員
・准員
・本部員や准員の妻で役を務めている人
ですね。
一般本部勤務者とひのきしん者は入らないと思います。
天高二部生が一般本部勤務者なのか、ひのきしん者扱いかはわかりません。
本部在籍者と一般本部勤務者は本部に雇用されているので、雇用元の本部の厚生年金に入っているという事になります。
お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。
>>お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。<<
当たり前のことだと思いますが、「お役」とは、一体どういう「労働」でしょう?
匿名 2019年10月3日 8:39 AMさま
在籍者
宗教法人天理教教会本部(御本部です)に所属しているもの。保険は天てい。本部員・准員・青年など。昔は住宅の土地建物光熱水費電話もすべて本部支弁。今はどうも、土地を借りて建物は自分で建てる。電話等自弁になった。借りている借地借家から退去を求められることはない。
勤務者
宗教法人「天理教」(包括法人)の勤務するもの。保険は天てろ。〇〇号館に借家。停年有。勤務が終了すると借家から退去を求められる。
本部が包括、被包括関係を大教会や分教会に求めたのはそもそも組織の分割化はリスク回避でしょいう。部内が何か不祥事を起こしても本部は関係ございません。と言いきる為です。なのに本部が自ら浪費して資金難になったら、その被包括法人から、「土地よこせ!多額の寄付をしろ!出来ないのならば土地よこせ!」と言うのは都合がよ過ぎますね笑 どこの寄付者も、そこで宗教をやってほしいが故に寄付したのですから、それをもう教義的問題を起こして包括関係解消条件を満たしている本部が乗っ取り売るような事をしたら大問題に成る事ぐらい分からないのでしょうか?笑 本部の弁護士も本当何を考えているのやら?この不動産詐欺に加担して弁護士資格を失ってでも得れる報酬でも有るのでしょうね笑 下衆の極みです。極潰しと中山家と、下衆の極みの弁護士がのなせる業だとしか思いません。
以前よりこちらに各種警告文が上がっていましたがその上をはるかに越える 不動産詐欺事件が起きようとしてるのですね笑
崩壊速度がドンドン加速してますね。もう中山は天理教はやる気はないでしょう。そんな如何わしいやり方で土地を始末したら必ず信者からの不信と不満そして信者離れと独立多発は必然だからです。
来月のかなめ会重大発表って、教会整理について改めて話し合うためみたいですね。
しかも、
お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。
な~んだ。。やっぱりね。
そして、
〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。
子供たちが親里で学べるようしっかりおつくしをさせていただきたい。
だそうですよ。
がんじがらめさん
2019年10月4日 1:50 PM
内部情報ありがとうございます。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロこの3つの条件を満たしている教会のみ。これに近い教会は、今後対策を考える。
と言ってますが目的は金になる土地笑 でしょうねー笑
騙されるか騙されないかは教会長次第です!
それにしても凄い内部情報が出てくるもんですね。 中山家が以下に嫌われているかが分かります。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。<<
やっと、キツネがシッポをだしましたね。いつまでも騙し通せるとは思っていませんでした。不動産を売却して一時しのぎしようとする魂胆でしょうが、何をしても後の祭りです。天理教はもう終わりです。いや、もう既に終わっています。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。決して騙されてはいけません。ひどい目に遭い後悔しないうちに、早々に「カネカネ教」から去りましょう。
本部はありがたい存在どころかたすけてもくれない。たすけるどころか皆さんの財産を狙っているただの泥棒です。この宗教と偽る不動産屋には要注意です。宗教を利用した土地転がし占有屋バブルの頃の暴力団となんら代わりがない。手口が古い。ここに集う真のあらき棟梁達よ。土地の話が出てきたら反撃の合図ですよ!
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
最近の本部の崩壊具合をこの掲示板やツイッターで見ていると、僕の尊敬する天理教を離れた方の言葉を思い出します。
「現行天理教はな、坂を転がり落ちるリンゴのようだよ。転がるリンゴは外からの力でしか止めることはできないんだ。甘い蜜を求めてリンゴの中に巣くったアリたちは、そのまま転がり落ちて最後はつぶれるだけさ」
この言葉は見事に今の崩壊する本部にぴったりだと思います。金という甘い蜜に群がった本部在籍者たちにはこの崩壊は止められないんだと。今僕は天理教をぬけ出したので転がり落ちていく欲のかたまりの本部の姿を坂の上からながめているようなかんじです。
最近うわさになっているかなめ会報での『70歳以上の本部在籍者のお与えの廃止』。ってことは今まで死ぬまでお与えもらってたってこと!?!?ありえないですよね。世間では60才で定年ですよ。厚生年金とお与えのW受給。どんだけ甘い蜜吸ってんだよって感じです。
甘い蜜を吸っている本部員の西浦さんとこの子どもたちはTVのコマーシャルでよく見る保険会社のチューリッヒ社長だったり、海外のオーケストラに所属していたり、宮森さんのとこの息子さんは越の国の娘さんと駆け落ちだし・・・。伊降さんの関係者も関東に逃げ出したと、この掲示板に載っていましたよね。
本部でも逃げている人はいるんです。信者のみなさん逃げるなら今ですよ!まだ間に合います!
こんなホコリまみれの現行天理教なんかとは縁を切りましょう。
逃げることは本当に精神力のいる辛い作業ですが、今一瞬辛い時期を乗り越えて普通に生活していくか、今のままで江戸時代の封建社会のように上級に大教会に本部に土下座しながら年貢(天理教は毎月取られる)をしぼりとられる生活をしていくか決めるのはあなた次第です。
みなさんがつぶれるアリの餌食にならないことを願っています。
早く抜け出して転がり落ちる本部を坂の上からながめましょう
みなさん早く決断してください。
最後に今僕は毎日国常立さんと面足さんとおやさまをを忘れずに明るく生活しています。
頑張ってください。
「まあ本部員の人相の悪い事、真柱様の後をゾロゾロ歩く教服姿の人の、どの人もどの人も1人残らず陰気な顔してるね〜!あれは一体どう言う事なの?」
久しぶりに会った他教会の一般信者さんの驚きの発言を受けて、やっぱりそうなんだと納得。限りなく下降線を辿る教団だからこその陰気のオーラ。衰退の証明は彼らがしてます。本部の面々、みんな見てます。ご注意を。
本部の内部は足の引っ張り合いでドロドロが渦巻いてるらしいと教えたが、こんな顔を見せて陽気暮らしと言う言葉は何処から出てくるんだろう。
新しい人など本部のお勤めに呼べやしない。100万人会員だとか打ち出しても本部員が甘露台の前で悪い匂いを発しているので、どうしようもない。
10/4の大教会子弟の匿名様。
これからも天理教で苦しむ人が一人でも救われる様、こちらへのご投稿をお願いします。
本部員の顔が陰気だと、話してくれた一般信者さんの姉は、癌になった時、1000万円お供えして、今はもうお金がなくなってしまったと仰っていました。某悪名高い大教会の下、重篤な病人にとって、わらをも掴みたい心境なんです。その弱みに付け込むのが天理教。癌を告白した時所属教会長婦人は笑って聞いたと憤慨していました。この奥さんを殺して自分も死ぬ、奥さんを車に乗せてもろとも崖から飛び込もうかと思い詰める所まで憎しみを持ったと仰っていました。
妹の方も同じく酷い目に遭っていて、「姉さん私と奥さんと3人で一緒に崖から飛び込もう。奥さんを殺そう」と我が命を捨てて思いつめたそうです。
こう言う思いをする人が全国に人知れず居ると言う現実。許せない現実です。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。<<
教校学園をやめたあとの後継者の育成 具体的な対策あるのかしら。天理教の魅力がなくなったからじゃないの。お供えしろって、そんなん。頭下げてお金集めたら。
学校本部理事長って大学とか天理高校の理事長ってこと? こんな調子の理事長(経営者)だったら、そっちもすぐにつぶれるね。
10月6日付け天理時報を見ての感想。
長らく団体職員を勤めた経験から言いますと、大臣表彰なんて貰う人の気持ちが分からない。
関西電力に多額のわいろらしきものを送っていた人も何等かの表彰を受けておられると想像します。あくまでも想像ですが。私の職場でも毎年社員(会員のことです。職員の呼称ではありません)の中から役員(理事)に選ばれていた人が、地方局長表彰や大臣表彰、さらには叙勲の申請をしていた。
ところが、この表彰に値する人たちが、これらを受けていたのであれば納得できたのですが、実態はそうではありませんでした。
役員(理事)の中でも無理難題を吹きかける人、すなわち関電に無理難題を吹きかけたような人が重き役に付いて表彰の対象になるという現実です。
団体とは、本来法律を順守してより良き社会づくりに貢献しましょうとの趣旨で設立されるもの。ところが、現実はエゴが丸出しのところが多いのです。
年に一度は研修を受けなければならないと定められているにも関わらず、研修を受けずに受けたことにしろと強要して、挙句の果てに大臣表彰受章なんて実態を数多く見てきた者にとって、表彰なんてと思ってしまうのです。
最も、杉良太郎さんのような純粋な立場で活動して居られる方も居られますが、数少ないお一人ではないでしょうか。多くが関西電力を脅迫していたような方もおられるのが現実です。亡き森〇さんは役場の助役まで勤めておられるのですから、それ相応の表彰を受けておられると想像するのです。
その意味からも、天理時報が大臣表彰の報道をするのに違和感を感じています。もっとも、今回掲載の方々はまじめな方と思いますが、天理時報は表彰記事は掲載しない方が良いのではと常々思っているものです。その意味で私は現職時代に〇〇局長表彰をと言われたのですが、意味のない表彰に違和感を覚え辞退しています。
弱い立場の職員に無理難題を吹きかけて表彰を受けて何の意味があるのでしょうか。関西電力の問題と併せて考えさせられる表彰問題です。
学校の校長を何事も無く、無事勤めあげて定年退職した人も叙勲を受けられますが、私の経験では、校長や教頭ではないヒラの先生でも、管理職以上の立派な仕事をされている方々が大勢おられます。しかし、ヒラの先生方は叙勲の対象にはなりません。叙勲や表彰とは、社会的に一定以上の地位についた人々が受けられるケースが多いようですが、そこには、なにがしかの利害関係が働いていると思います。世の中には、人の知らない目立たないところで、コツコツと社会のために一生懸命働いたり、ボランティアをされている方々がおられますが、そういう人達こそ表彰するべきだと思います。
話は変わりますが、天理の豊田山の「お墓地」に初代真柱が叙勲を受けた功績を讃える大きな石碑があり、戦争に協力したことに対する功績であると、以前、この掲示板で読んだことがありますが、具体的にどのような功績であるのか、ご存知の方があれば再度教えていただけないでしょうか?
関電事件と教会本部の普請について。
ここ数日、関西電力の経営幹部が高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていたとして、マスコミ等でも大きく報道されています。金品の出所は、元助役が役員を勤める地元のY開発であるらしいということです。
かつて、天理教教会本部の「おやさとふしん」が盛んな頃、教会本部の殆どのハコモノは、日本でも最大手のゼネコンのT工務店やその下請け業者が請け負っていました。つまり入札を実施しない随意契約で、請負業者の「言い値」で教会本部が工事を発注していた可能性があるということです。もし入札を実施していなければ、工事を受注した会社は暴利を得ることができます。これはあくまでも私の一個人の想像の範囲であり、確たる証拠もなく、事実ではないかもしれませんが、受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。
本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。教団幹部に流れることは竹中も問題になりますし、日本最大のゼネコンが、一宗教で問題になるようなことはしないと思うのは私だけでは無いと思います。昨今の天理教の問題は色々あるでしょうが、話しが大きくなりすぎている部分もあるので聞いた事実をお伝えしました。
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。というのは本部からの発表です。
本部にというより、担当者のトップに相当な〇〇〇が動いているでしょう。
建築関係の友人に見積もりしてもらったら、「いくら高くても1億円ぐらいだね」と言っていました。
公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?
>>西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。<<
早々に情報をご提供いただきありがとうございます。仮に施工費が1億円であったとしても、あまりにも高すぎますね。私は現物を見たことがありませんが、どんな立派なスロープを設置されたのでしょう? 仮に車椅子(電動を含む)の利用者が、車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用したとしても、耐荷重はそれほど必要ではないと思います。素人考えですが、1億円よりはるかに安い金額で済んだのではないでしょうか? また、神殿の靴脱ぎ場には、教会本部勤務の青年さん達がおられるので、その方達の補助で神殿に上がることも可能だと思います。スロープは本当に必要だったのでしょうか?
>>本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。<<
私のあくまでの想像の範囲であり、決して断定的なことは言えませんし、何の証拠や根拠もありませんが、T工務店は過去からの天理教の恩義に報いたいという意図もあったのかもしれませんね。
誤字がありましたので訂正いたします。
記
車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用(誤) → 車椅子のアシスタント(介添人)と共にスロープを利用(正)
>>公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?<<
財政上の問題は教会長の責任ではなく、教会長に圧力をかけノルマを強いている大元の教会本部の責任だと思います。信者数の激減もまた然りだと思います。教会本部の実態に矛盾を感じて天理教から去っていかれた信者さん達は大勢おられると思います。
スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。今でも北礼拝場は瓦の吹き替えがありません。それはその時はお金の掛かった普請であったかもしれないけれど、時が経てば十分元の取れる普請だと思います。安普請で何回も修繕をするよりは少々お金がかかっても良いものを、特に信者さんからの御供えだからこそ無駄にしないように建てたものと私は思いますね。
100年後…
>>スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。<<
天理教の現状を鑑みれば、100年後まで見据えて檜等の高価な部材を使い巨大な建造物を建てる必要があるのでしょうか??? スロープは靴脱ぎ場におられる教会本部勤務の青年さん達が、身障者の方を介助すれば、用が足りると思います。
なんでも先を見据えることは大事ですね。
青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。
だめの教えのお道でも例外ではありません。あまり本部を責めるのは良くないとおもいますよ。
私は中山家が贅沢しているとは思いませんね。
中山家は贅沢してません。しっかり溜め込んでいるだけです。。表向きを質素を装っているだけなのです。
あちこち出向いて、札束を持って帰っている事は周知の事実です。みんな知っています。そう言う現実を知ってあちこちから不満が噴出しているわけです。
表と裏の使い分けを知らずに騙されているのは、単純な見方であり、そう言う人間を育てるのが彼らの本心です。違うと言うなら邸宅から出て、自ら布教に出るでしょう。模範を示すべき人が模範を示せない、つまり今の本部の姿は嘘であり、虚構です。ついていくのは個人の自由。騙されるのも個人の自由です。
>受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
今では余り聞かなくなった【談合】と言う言葉が有ります。但し天理教の場合は竹中の一社受注(専任受注)なので、この言葉は適用外です。
ただ竹中側での協力会社と対竹中側ではあったと思います。いわゆるキックバックです。協力会社も大教会関係の配下の会社だったり。
教団側幹部及び担当者についてもこれはあったはずです。仕事を紹介したいわゆるマージン(紹介料)と言うやつです。請求書の水増し、裏書き等がこれです。
そんなでも社会は廻って致し儲かってもいたし、誰も困っていなかったです。困っていたのは末端教会と騙された信者達です。普請ごとに金を集められ、何十億何百億もの受発注の為に、銀行から借金迄強いられた。
鬱病にもなるし自殺者も出るはずです。
世間はバブル景気に沸いていたし、それで社会も潤っていました。誰もおかしい?とも思わなかったです。
竹中は元々は神社や寺を建築する大工棟梁が始まりです。天理教とどこで出会ったのかは匿名さんが記載されてる話しの道りだと思います。
本題に戻ります。利益の一部は間違いなく幹部担当者に流れてたと思います。
竹中は非上場です。これが全てを物語っていませんか?
そもそもあんな大きな箱物がいくつも必要だったのでしょうか?参拝する神殿ひとつが有れば充分だったのでは?
今となっては権力を誇示する箱物以外の何者でも無いでしょうから。いつもガラガラ。
いい思いをしたのは天理教貴族とその貴族にご機嫌をとる為に金集めした人達とGCだけです。
今では建物の補修費も事欠くのか、ある建物のトイレは長い間【故障中】といつ行っても貼紙がしてありました。
竹中側は何も天理教だけが顧客では無いだろうが、この先も非上場なら天理教とは運命共同体だろうし(この会社も役員が半端無く多いが、人はそれを竹中貴族と呼ぶ)(下級社員は現場で突貫工事で馬車馬の様に働かされる)
天理大学ご出身の社長の居る吉本だって同じもんだろう。聞けば聞くほど教団システムとソックリだ。
そもそもオウム真理教が天理教のシステムを習って教団を立ち上げたのをご存知無いのだろうか?
両社共に大きなツケを払わなくてはならないだろう。
書けば書くほど罪作りな宗教団体だ。
匿名
2019年10月5日 10:38 PM
信者の金ではじめた不動産業はどう説明を付けるのでしょうか?ちゃんと営業利益を信者に配当したのでしょうか? オウム真理教も活動資金を捻出するために、弁当屋とパソコンショップを運営していたのは有名な話です。信者の金は活動資金を作るために作られたのか?純粋にはそうは思えない状態です。
(法)本部所有の土地建物はそもそも信者の寄付により取得しているものです。資金ならそこから売却するのが常識なのに、(法)〇〇大教会や(法)〇〇分教会 を吸収合併して売却しようと言うのは常識外もはなはだしい。
天理不動産で無く、宗教ですからね。そこを間違えると中山家も終わります。三島神社より多大なるダメージがあるのは当然でしょう。
中山家は代々世間知らずの馬鹿なのでしょうね(笑)
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
今回の関西電力の事案は、国税局が税務調査に入って発覚しました。つまり、税務調査が無ければバレなかったということになります。私は天理教に限らず全ての宗教法人を課税対象にして税金を徴収するべきだとかねがね考えています。そうすれば、宗教団体の透明性もある程度確保され、また、納税することは、天理教も含め、「人たすけ」を教理とする宗教全体にとって、教理に添ったことであると思います。
今、日本の国では、少子高齢化が深刻な問題となっています。「団塊の世代」の人々が高齢化していくにつれ、少子高齢化は益々加速し、日本の社会保障制度は破綻すると言われています(現に破綻しているのかもしれません)。10月1日から消費税も増税されましたが、経済活動に混乱を来しただけで、焼け石に水だと思います。定年制を70歳に延長するという案もでていますが、あまり効果は無いでしょう。国内に18万以上ある宗教団体に課税することにより、社会保障費に充てるかなりの財源が確保できるのではないかと考えています。
天誅さんへ
般若心経を2回投稿されていますが意図不明です。できれば投稿された意図も教えてください。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。<<
大祭時に、どれ程多くの参拝者が来られるのか、長らく参拝していませんので不明ですが、昔は神殿の前庭や中庭に多数の長パイプ椅子が多数設置され、神殿に上がることができなかった健常者も、そのパイプ椅子に座って参拝しておられました。これから、高齢者の参拝者も増えていくのかもしれませんが、前庭や中庭に風雨を凌げるようなテントを張り、参拝できるような体勢をとる方法もあったはずです。金をかけずに安くすませる方法は、智惠を働かせればでてくるものです。また、仮に神殿に上がれたとしても、身障者や高齢者は正座するのが困難です。身障者や高齢者が利用しやすい椅子を神殿内にも準備する必要があると思います。一般の分教会でも高齢者は正座ができないので、神殿の後ろにパイプ椅子を並べておられます。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思います。
貧乏は羨望や憎しみしか生まない事を知らないんでしょうか?
この宗教本部が身障者や高齢者に金かけると思いますか?
あれだけ沢山の金を集めて建てた箱物達。
竹中のHPでは紹介すらされてませんよ。
かろうじて紹介は、第162母屋 天理教河原町大教会信者詰所➡︎竹中工務店 作品紹介群
2億5千万円のスロープ棟は何処に行ったんでしょう?
100年建築なら写真の一枚位掲載され、100年建築と堂々と紹介されててもいいのに。
そりゃ今更【故障中】と書かれた貼紙のある建物の掲載なんか出来ないでしょうし。
全ては絵空事、虚構の世界の出来事でした。
まっ、でも建物は100年くは持つんだろうな。
そして残ったのは多額の金を集め、莫大な箱物を作っただけの事実。
➡︎今日の天理教のライブカメラ
東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。
吉本はお笑いを業としている。
即ち人を笑わせてナンボの商売だけど、竹中は箱物作ってナンボの商売だ。
天理教式に言ったらそう言う意味では未だ吉本の方が人を笑わせて来ただけお徳は有るが、
竹中は箱物作る為に、多くの人を泣かせ、金を集めそして人生を狂わせ、自殺に追い込み、あれだけの箱物を作っただけの業は深いのでは?
真っ黒の闇に包まれたあの巨大な箱物群を見てると、将来幽霊宗教都市になるのもそれ程遠い話しでは無いと思う。
天理教と運命共同体と言っても過言ではないでしょう。大きなツケは恐らく竹中の方が払うのでは?
>>東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。<<
億以上の金がかかるはずがないということは、素人でも常識で分かりますね。消火栓のように高圧の水圧を必要としない「水飲み場」の配管であれば、地中を浅く掘削し、口径の細い塩ビパイプを本管から枝分かれさせて、「水飲み場」まで引き込むだけの工事で済むはずです。一般家庭に引き込む家庭用水道の工事と同額程度だと思います。一体、差額のお金はどこへ消えているのでしょう???
とある分教会長さんから教会を次ぐつもりのない息子さんの愚痴を聞かされた。
息子が孫が学校に遅れそうになって学校まで車で送った時、孫から送迎代をとったと聞いてあきれたと、
『親が子からそんな形でお金をとるなんて聞いた事がない』
それを聞いた時に思わず、その会長さんに言ってしまった。『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』
それを聞いてその会長さんは空いた口が塞がらない顔をされていました。
天理教と世間の常識の違いが顕著な一例です。
>>『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』<<
天理教の場合、上級(親)に世話にならなくても、部内(子)は自動的あるいは半強制的にお礼(何のお礼か知りませんが・・・)をしなければならないのではないでしょうか???
上記の「ひのきしん」さんの紹介エピソード、笑いたいけれど笑えない・・・。
そもそも論を言ったところで何もならないのが現代で、半ばあきらめていますが、
学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。
まぁ、もう、どうでもいいかな、って、天理教の現状を見ていると思ってしまいますが。
かなめ会の例の「おたっし」ですが、ふと、疑問が湧きました。
この情報はTwitterのむつきさんから寄せられたものでしたので、Twitter本文も確認しましたが、この限られた同じ情報のみでした。
情報が寄せられてからだいぶ時間が経過しましたが、それ以上の内容は出てこないようなので改めてここに情報提供をお願いするものです。
かなめ会席上で発表された際には、当然、背景説明やら、質疑応答が有ったのではないでしょうか。
具体的には、どのようなスケジュールで実施するとか、或いは実態調査を各教会で行った後、調査報告をいついつまでに提出して下さいとか、関連情報が伝達されているはずです。
(まさか、告知方式で、問答無用?)
古い元教会長様、もしもお手元に何か情報が集まりましたら公表願えませんでしょうか。
むつきさん情報だけで我々がここで盛り上がっていても、何か、本部のこの板を監視している連中にあざ笑われているような感じがするのは私だけでしょうか。
情報番長の皆さま、よろしくお願い申し上げます。
キリンビールが早期退職を実施!
キリンホールディングスは(含むキリンビール)45歳以上の社員を対象に早期退職の募集を行っています。
10月1日から受け付け開始だそうです。・・・実は10月2日に「匿名」で投稿した匿名です。
冒頭のみコピペさせて頂くと、(時間の有る方は元記事もお読み頂ければ嬉しいです。)
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
この投稿では触れませんでしたが、実はこの方のTwitter画面では個人情報が晒されていました。
勤務先がキリンビール、たしか数名の方との飲み会の様子の画像も貼られていました。
ずいぶんと無防備な方だと思ったものでした。(その後、Twitterは当然ながら削除されています。)
投稿時点では私にキリンの社内事情など知る由もなく、幸せな人にも優しさをもって他の人を見てほしいとの思いで苦言を呈した次第でした。
一言、今、感想を言えば、「厳しい」社会状況だと、今更ですが感じます。
いくら首相が張り子の日本経済を自慢したところで、現実には非正規社員が就活しても雇用されないどころか、若手の正規社員をも切り捨ててでも、企業を守ろうという日本社会の風土には、暗い明日の姿しか見えません。
おりしも東京新聞によると、あの百田氏!を「いい気持ちにさせる」公告文案を、あの新潮社が募集したところ、ネットで顰蹙をかい、撤回したとか。
小さな声でも「まともな(誠の)」言葉を発信する努力が報われたのでしょう。
ふりかえると、ここ社会学も貴重な場となっていますね。
立場の違いを超えた、真摯な皆様のご指摘、ご意見を拝読させて頂いております。
維持管理してくださるカイン様には心から御礼申し上げます。
>>学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。<<
学校に遅れるから車で送るように親にせがむ子も子ですが、子どもからせがまれて学校まで送る親も親ですね。徒歩で登校して、もし学校に遅刻したとしても、子は学校の先生にこっぴどく叱られたらよいのです。学校の始業時間に間に合わなかったのは子どもの落ち度ですから、親は学校に子どもが遅刻する理由を電話で連絡し、教師に謝り、子どもは学校に到着してから、遅刻した理由を教師に告げ、教師とクラス全員の生徒に謝るように指導するのが躾だと思います。学校は学業だけを習得する場所ではありません。団体生活も学ぶ場所です。その子どもが成長し、社会に出たとき、基本的な社会のルールや礼儀を知らないで一番困るのは、その子ども自身です。
信頼のおける、某大教会の身内の方からの情報です。
________________________
昨晩(26日)の内統領からの発表です。
もうじきかなめ会で発表なので公表OKです。
あと、公式発表と違う箇所があればすみません。
・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在
以上の要件を満たした教会を引き上げとのこと。
無担任は千ほど?
うち上の3条件を満たすのは500ほどの予想。
お供えが減っているので、70歳以上の本部在籍者のお与えを廃止とのこと。
今更感がありますが、いい報告です。
それでも厚生年金ありますし、立派なお庭のついた本部住宅も支給されてます。
内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
>>・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在 <<
上記のような状態になった根本的な原因を「かなめ会」は認識しているのでしょうか? 認識していても「知らないふり」をしているのでしょうか?
いよいよ、不動産売却が始まるかもしれませんが、大きな社会問題となることでしょう。
スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。
これからは私個人の考えですが、メンテナンスのいらないものにしたかったのかなと思います。
車椅子の方に優しい設備では全くありません。設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
>>スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。<<
私は現物を見たこともないし利用したこともないのですが、結局、利用者側の視点に立たず、また希望や意見を聞くことも無く、教会本部の勝手な判断で設計し巨額の資金を投じて作ったということですね。教会本部の他者の意見を聞かず何事も独断で行う姿勢は、建築物に限ったことではないということです。
エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。
>>エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。<<
仮にあるにしろ、車椅子を押している会長さんのように、その存在をご存知でない方がおられるということは、教会本部側の周知方法に不備があるのではないでしょうか? また、そうした高額で大がかりな装置を設置しなくても、私が先の投稿で述べたように、本殿の東側、南側、中庭等に雨風等を凌げる車椅子専用のテントを設置するなど、コストのあまりかからない方法もあったと思います。
>設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
本部の建物は竹中の一社発注つまり専任受注なので、設計も竹中が請け負っているはずです。
ただ竹中は他にも病院やホテル等も建築してるので、そんな凡ミスは間違ってもしないはずです。
大方本部関係の何処かの三流大学の建築学科を出た三流設計士が担当したんじゃ無いですか?
そして設計費を稼いだ(浮かせた)と言う事なら、話しの辻褄も合います。
さりとて竹中は一流の会社で、中に居る人間も仕事に関しては一流です。間違ってもそんな誰が設計やったか?なんて言われる様な仕事はしません。
間違いなく本部の三流設計士の人間が関わったのでしょう。
✳︎専任受注 一社で設計から施工迄を請け負う。
✳︎専任受注だけど、設計でパートナー、施工でパートナーとそれぞれ他社と組む。JV工事と言う(表JV)
✳︎専任受注だけど、表向き竹中、裏で実はパートナーと組んで内緒で工事する。でもパートナーと組んでる事は言わない内緒(裏JV)
✳︎専任受注だけど実は下請協力会社に丸投げ。
等々設計施工には色んな形態が有ります。
もし竹中がやっていたら何処か丸投げしたか手抜きかでしょう。どちらにしろこんな文句が出る馬鹿げた事に大金を払ったものです。全て人様のお金。お供えです。
お供えはもう辞めましょう。
GCはしょせんブラック。
最初からブラック。
どう頑張ったところでブラックですから。
雨風しのげる車椅子用の建物あります。そこからエレベーターで上がれます。
古い元教会長
2019年10月6日 4:49 PM
>>内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
本部からしたら、他の法人である大教会、分教会は他人の土地です。それを目当てにしてる時点で意味不明です。名称の理 までは許しましょう。しかし土地建物財産は決して本部のものではございません。寄付してくださった方々の思いがその土地場所ところどころに困っている現実を知らないから、この様な心無い考え方をでき結果違法行為をしているのでしょう。
「お尽くしが減っている」金の繋ぎは命の繋ぎなどと教義を歪曲し改ざんした奴にだれが寄付するんですか?中山家はいい加減責任とって教団を後にした方が良いです。必ずとんでもない事態になります。信者だと思っていた多くの人々が全員的になった時中山家に何が起こるのやら想像するだけで怖いです。
そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。
>>そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。<<
おっしゃる通りです。そもそも巨大な構造物など不要なんです。あと、100年後には誰も来ないガランガランのガラン堂と化していることでしょう。松尾芭蕉の有名な俳句に「夏草や つわものどもが 夢のあと」という句がありますが、あと100年も絶てば、「天理教 馬鹿者どもの 夢のあと」と揶揄される時代がくることでしょう。
以下の教会長さんのツイート、意味がわかる方解説よろしくお願いいたします。
酒井耕平 @chansankohei
>世の中物事の価値を測るのがお金である。
物だけでなく働いた価値は給料、プロ野球選手の価値は年俸によって表される。
人の恩であっても、お礼としてお金を渡す。
神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平<
>>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。<<
そもそも神様はお金を必要とされません。意味不明ですね。
この文章からは意味が理解出来ません。読解力が無いせいで、、。
ただ、人間世界の恩の返し合いはお金でします。盆暮れ、事ある毎に物やお金で御礼をし合います。
しかし人間と神との兼ね合いに於けるご恩返しに、お金を介在させるのは神の冒涜です。親神にお金を見せてご守護の取引をしようとする傲慢な人類。親神は「絶対神が金など見せられて動じると思うのか!見くびるな!」と言う宇宙を創り給うた絶対的存在です。神は人間からお礼してもらおうなどの意識は皆無の存在です。金があろうが無かろうが無条件に人種を超えて世界中守護し続けて下さる。神は「お金」と言う人間社会の価値感など毛頭眼中にあるはずが無く、ご恩ほうじは人間同士の助け合う姿を見ていただく事だけです。つまりご恩奉じは人間をこしらえた時の親神の思い、その動機に報いるのがご恩奉じです。助け合う事です。
親神様はそれ以外の物を欲しがりません。
神を語る本部がお金を欲しがっている。
いかに本部が神との対極に居るかわかると言うものです。
絶対神を人間社会に引きずり下ろし、人間社会のお付き合いと同列に語る天理教本部の浅はかな欲心と神の冒涜を思わずにはいられません。
匿名
2019年10月7日 3:03 PM
酒井耕平 @chansankohei
>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
神の守護を値踏みした時点で不敬で天罰が下る事を宗教法人天理教と名乗るカルトは理解できてないんでしょう。
神を値踏みした時点で悪魔と同じです
すみません発言の引用の仕方がわかりませんので、そのまま記入します。
エレベーターも知っています。雨露しのげる建物も知っています。
私が言いたいのは、新築するのならば、なぜそこにエレベーターをつけないのかなと言うことです。立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。
26日車椅子押しておられ方はご高齢です。スロープの途中で困っておられる方もいます。玄関の担当者の方からは見えない場所です。声をかければ直ぐに助けていただけますが中々声も出せず困っておられます。そのような方を何回も手伝いました。
車椅子を押すのがご高齢の場合は、あの場所から回廊に上がるのは避けた方が良いと思います。
建築の費用の話がありましたので、本当にそのような金額であれば、何を作っているんだと本部に言いたいです。
>>立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。<<
如何に独善的で、使用する信者の身になって考えていないのかと言う事ですね。
意見集約したのでしょうか。エレベーター付ければ金が要るから見栄え重視で作ったんでしょう。2億円以上かけた不便で有り難がたがられない100年以上持つ建築物。人の心に寄り添えない体裁重視の本部のやりそうな事です。
補足です。
間違えていたらすみません。車椅子用の駐車場、又北側の駐車場から来ても一番近いのがスロープ棟だと思います。
匿名の方が言われていました場所より近くにあると思います。車椅子の場合は出来るだけ移動距離を短くしたいです。
車椅子の方に優しい事をアピールするために作ったのであればなぜと思います。
檜をふんだんに使ったあの建物見た事ない方は一度ご覧ください。
高い金払って竹中のHPに写真一枚掲載もして貰えないスロープ棟。
天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。
本部は綺麗事を言うが、最後はお金に行き着く。新規婦人会員を、と思っても、お金と縁の切れない本教団信仰には、誘うに誘われない。わずかにでも良心が残っているから騙しに加担する行為に等しく、とても誘えない。
そうして集めたお金は人の金だから、湯水の様に無駄金を使う。誰も喜ばない巨大建築物。私腹を肥やす貸しビル数々。最近ではだいすけ結婚の打ち上げ花火。海外巡教はファーストクラス。目先のお供え減と赤字に驚いて信者、教会子弟の拠り所であった教育機関の閉鎖。人助けは掛け声だけで、頭の中は弱きをくじいて自分ら最優先。
そんな本部の私腹と無駄金の為に我々末端は人生を棒に振り、いずれ土地建物は売り払われて、ボロ雑巾は捨てられる。
先祖が汗水流して購入したであろう教会土地建物は今後本部に奪われるのである。
西側の駐車場から一番近いのはエレベーターの方ではないでしょうか?
西岡寛麿 @hiromaro0422 大先生のツイートより
>執着を捨てる。
これができるだけで、むちゃくちゃ生きるのが楽になります。
こだわり、プライド、経験、立場。
しがみつくのをやめてみませんか?
楽しいですよー < 引用ここまで
いやいやいや、こだわり、プライド、経験、立場に執着することを
末端や信者にやめられたら困るのは天理教団自身だし.。
理の親絶対服従、お供え、教会名称…….。
そんな脅迫的固定観念にしがみつくように洗脳してきたのは天理教団じゃないのかよ。
バリバリ教団内部の人間がこんな発言とは矛盾もいいとこ。笑
ぜひ神殿講話で発言していただきたいもんだ。
みなさん、
理の親の言うことに従うことに執着するのはやめましょう。
お供えすることに執着するのはやめましょう。
教会名称の理は末代という偽教理に執着するのはやめましょう。
貧乏末端教会長という立場もプライドも捨てましょう。
現教団の被差別的立場を捨てて、被包括法人を解消しましょう。
西岡大先生のお墨付きです。笑
楽しいですよー 笑 笑 笑
そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
天理教に携わる方々は、『立場』と『血縁』が最重要ですよね。
能力や実績が無くても周りに立ててもらえて、気配りと心配り(忖度?)で落ち度があっても責任を取らなくても生きていけます。
下々の方々に支えられて生きている、そして神様に生かされている自覚が必要。
末端 様
2019年10月7日 10:22 PM
>>天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。<<
「屋敷をはろうて 田売りたまへ てんてこまいのみこと」という天理教を揶揄する有名な替え歌がありますが、昔、明治生まれのお年寄りに、替え歌はいつごろからあるのか聞いたことがあります。そのお年寄りが子どもの頃、天理教信者の子どもに対して、その替え歌を歌ってからかって遊んだことがあるので、遅くとも大正時代には、替え歌があったのではないかということです。天理教の拝金主義は古くからの伝統があるようです。
匿名 様
>そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
そうかも知れないですね。本部の普請は竹中と思い込んでいました。
でも、どこかで竹中がかかわっていると思いますよ。
奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。
確か、どこかの業者が入っていたと思います。
2億5000万円も、その業者に支払ったのでしょうか。
>>奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。<<
奥村さんは奈良県出身ですが本部とは関係ないはずです。
そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
そこがそもそも違うのではないでしょうか?仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
>そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
130年祭のお供えを集める時に、本部から発表されました。
ウィキペディアより。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E5%96%84
二代真柱は教会本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?
こんな記事がありました。
第3回 瓦屋根設計コンクール(1984年)
http://www.yane.or.jp/iraka/iraka.cgi?vkai=s03
天理教教会本部神殿東西礼拝場
受賞者 天理教営繕部/(株)竹中工務店/奥村音造・高山廣二
所在地 奈良県天理市
施工会社名 天理教営繕部/(株)竹中工務店
匿名
2019年10月8日 11:35 AM
>>仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
競売入札をかけて安値を目指している背景があればまだしも、竹中工務店一社との癒着なので、ピンはねは無いどころかありえると言う見方の方が妥当です。関西電力と高浜原発の件も癒着からですしね。そもそも、資材の原価、人件費等々の原価は当の竹中工務店しか分かりません。竹中工務店の提示した金額に対して還流金(バックマージン)が含まれていればそこから発生するのが仕組みです。
竹中工務店側で調整はいくらでも可能です。今日内では疑わしい話は多々有ります。膨大教会は毎度普請で膨大な借金をしているが、一向に大教会長が首を切られない。それは本部との還流金の癒着が疑われてます。
本部が70代以降のおあたえ(給料の給付)を廃止すると言っていますが、退職制度の視点から見れば、当然の様に見えますが、現在働き盛りの者からすると「安月給だし70でなくなるし、今後それが60になるかも知れないしな~」と思わせるとモチベーションも下がり教団中枢部からの教団離れも益々加速します。現在の中枢部は自分達だけの事しか考えてないので他人にしか痛みを与えてない政策で誰が納得いくのでしょうかね?笑 何も見れてない愚かな政策です。
スロープ棟など普請の話が出ているので話しますが、そもそも親神や教祖の普請とは、建築物ではなく、心の普請と言ってるのです。しかし二台真柱からやかた構想が始まり馬鹿みたいに建築物を立て、信者たちの心は教団から離れたのではないでしょうか?それすら気が付かないのがもう致命的です。
ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。
まずは、もう普請をしないと打ち出した方がいいと思いますね。詰所も建てるところがありますが、既存の建物を利用するとか、本部施設を利用するとかそういう改革は必要ですね。あと、炊事本部もそれぞれの詰所に任せて、縮小して、勤務者や学生の配食だけにするとか?
あと、いい案ありますか?
匿名
2019年10月8日 1:56 PM
最終的には中山血族の排除も必須ですね。
現在の教団の目的が「教団の維持」なら良いのですが、どう考えても「中山家の維持」に成っています。「金のつなぎは命のつなぎ」発言が有名ですが、中山家は代々天理教を理解できてません。神さま立てないから寄付が減る。無駄な建物建てたから金が無くなる。こんなの十全の守護を理解できてれば当たり前の事では?
こんな簡単な事も理解できてないから教団はおかしくなったのだと思います。神様の言うとおりです。中山家は生きながらにして衰退地獄を味わえばいいと思います。
>>その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?<<
全く関係ありません。氏がたまたま同じだったのでしょう。
>>ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。<<
その通りです。ナチスドイツが造った有名なアウトバーンは、今でこそドイツの高速道路として有名ですが、当初の目的は、高速道路兼戦闘機の滑走路という目的で造られました。滑走路として使用する為に、できるだけ直線部分が長くなるように設計されています。北朝鮮の軍事パレードや中国の建国70周年のパレードを見ても明らかなように、おびただしい数の戦闘車両や兵士、ICBM(大陸間弾道ミサイル)等をパレードに参加させて、自国の軍事力を誇示しています。かつてのソ連もご多分にもれず同様のイベントをしていましたが、今の時代、そうした軍事力の誇示は、世界的な緊張感や警戒感を生み、実施している国家に対しての反感を生んでいます。
政治と宗教は別者であるという考え方や意見もありますが、所詮、人間の考えることですから同じです。「おやさとふしん」という錦旗の下、天理教も巨大な建造物を次々と建ててきましたが、その究極の目的は、天理教という宗教の威厳や威容を誇示したかっただけにすぎません。天理市に存在するそうした天理教関係の建造物や施設を初めて見た人達は、最初にその立派さに驚くことでしょう。しかし、その次に思うことは、一体、こうした建造物群をつくるための資金をどのようにして調達したのだろうという疑念です。
建造物群を造るための原資は、いわずもがな、信者さん達の「お供え」です。さすれば、何も知らずに天理教のご立派な建造物群を初めて目にした人々は、天理教に入信すれば、さぞかし多額の「お供え」を「ボッタくられる」のであろうという警戒心をいだき、天理教に近づこうとしないでしょう。「おやさとふしん」は、その意味でも天理教にとって大失敗のプロジェクトであったと言えます。つまり、ハード的にもソフト的にも
愚かなことをやってしまったということですが、今となっては、「覆水盆に返らず」です。
本部の被包括法人(大教会や分教会)の土地の乗取り、そして在籍者70歳以上の給与打ち切り
こんなに削減政策したら来年度の寄付は激減します。大馬鹿政策極まりない笑 こんな馬鹿げた非人道的な政策は金の勘定と法律だけ見てやってるのでしょう。毎年10億減ですが、来年から15億から20億減ります。そう考えると中山家は天理教を健全に運営しようと思えないと思われても仕方ないです。やはり不動産業天理教館に転売する積りなのか?逃げる準備をしているのでしょうか?
一般的には自分の法人の土地から売りますよね? 奈良市内の土地を売却してはどうですか?笑 もしかして中山家の血縁でも住まわせてますか? 闇が深いなー笑 中山家のやり口は苦しいし見苦しい笑
馬鹿げたことをするのは、天理教の伝統的お家芸です。これから先、どんな馬鹿げたことをするのかしれませんが、大きな社会問題となるのは必至です。
とら@備忘録さん、
こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
とら@備忘録 @kamekichi0402 さんのツイートより
今まで持ち合わせて無かった感情の芽生えに自分自身驚いている。
恨みとか憎しみとかいう感情。
歳経て突然教会の後継者と言われ葛藤を乗り越え我が事として
教会の現状を憂い改善しようと試行錯誤してきた。
そんな行為に対し身勝手な行いと一蹴したり無視されたり無関心を装い裏で批判されたり
内容を把握もせずにパワハラ紛いの批判で押さえつける。
伏せ込む私らの如何なる保証もしないくせに教会への過度な従属を要求してくる。
想いがあってがんばる人ほど叩かれ潰されるのがこの世界なのか。。
私は平和で仲良しのペンギン(天理)村でずっと生きてた。
大人になりこの天理村の本質が排他的で無関心で己さえ良くばが蔓延している事実を目の当たりにし、
悲しみと失望に苛まれている。
それが高じて言い様の無い恨みへ変貌しているのが自分でも怖いしとても辛い。。
金に困って人の財産目当てにする天理教中山教団(笑)
万が一エレベーターが止まる自体になった時、どうなるのかということも必要かなと思います。
自体→事態です。
とらの備忘録さんの心境に共感します。
知り合った一般信者の方に今の天理教の実態と教理が嘘である事を教えてあげると、目をむいて、それなら私ら信仰出来んわ。それ本当?本当なん?と取り乱された。
毎月、1ヶ月分の生活費に相当するお供え金を出していると言う人です。
とらの備忘録さん同様に驚愕とその後に押し寄せる恨み、取り乱す感情は私も経験して今に至ります。この衰退は神の残念じゃないのか、神が働いていたらこんな無様な事にはならない筈、と上に訴えても黙るばかりです。
彼女が洗脳から目覚めて心の呪縛から解放されて自由闊達に生きる事が出来るようにと思っています。天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。
消費税も上がり一億総下流と言われる今の日本経済。高齢信者が退場した後、毎年10億から15億、20億円のお供え金減少は当然の流れです。
我々犠牲者はこんな「守銭奴人間集合体天理教本部」の企みに乗らず、駆け引きなくどこまでも温かい御心で守護し続けてくださる天の親神様に心を委ね、絶対安心の心で日々を自分らしく豊かに、笑顔で暮らしていきたいものです。
小の流れが
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小の流れが<<
ミス入力です。
大きめの紙に実際に書いてみてほしいのだが、ちょっと自分の系図を作ってみていただきたい。
兄弟姉妹はこの場合無視して、自分の両親、そのまた両親、そのまた両親・・・というように。
すると、甲子園の高校野球のトーナメント表をひっくり返したような図ができあがるだろう。
この図を眺めていて気づいたことがある。
自分がいま存在している、それにいかに多くの先祖たちが関係しているかということだ。
六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
実際には、近親者同士が結婚した場合、先祖に重複する部分がでてくるので、そこまでの数字にはならないだろうが、それでも相当に多くの先祖が存在するだろうことは間違いない。
もし本気で先祖供養しようとすれば、一体いくつの墓参りをしなければならないのか、想像もつかない。
だが話はこれで終わりではないのである。
どこまで先祖を遡れるかということを考えてみた。
仮に、どこかで系図が止まったとする。
ところがその人物にも両親が存在することは確実であり、無からいきなり現れたということはありえない。
そのように考えてゆくと、驚くことに、系図が止まることはないのだ。
どこまでも遡れてしまうのである。
人類がどのように誕生したのか想像もできないが、もしも最初の人間がいたとするなら、そこまでさかのぼる事が出来る。
地球上の人類全ての一人一人について考えてみても、間違いなくさかのぼる事が出来る。
これがどういうことを意味するかというと、地球上の人類は、全て、血縁者であるということになる。
例えば文明と隔絶されたどこかのジャングルの原住民の方々も、我々の親戚なのだ、実は。
そしてまた気付くのは、「血筋が良い」だの、「生まれが卑しい」などということのバカバカしさである。
どう見ても、すべての人間は対等、等価だろう。
どこかの王様だろうが天皇だろうがなんだろうが、明らかに対等である。
つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
そうして考えてみると、国と国に分断されて、いがみ合わされていることの、なんと虚しく愚かしいことか。
政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
>>天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。<<
残念ながら犠牲者を救い出す方法はないでしょう。天理教のような宗教は「合法的詐欺行為」なので、法律で取り締まることができません。しかし、天理教から去りゆく人々は激増しているので、天理教がなぜこうした状態になったのかという社会の関心や注目度は増していき、天理教は社会的大バッシングを受けると思います。ともあれ、遠からず天理教は完全崩壊するでしょう。
>政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
おふでさき
2ー31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
32 とうぢんがにほんのぢいゝ入りこんで まゝにするのが神のりいふく
33 たんゝとにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
2-45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぃぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで
中国・ロシア・北朝鮮の核弾頭弾道ミサイルはその照準を東京や大阪など多くの都市に合わせているのが現実の東アジア情勢です。
TBSの「ひるおび」という番組に出演していた日本の軍事専門家は、
中国共産党は、月の裏側にミサイル基地を作る計画を持っていると説明していました。
月の裏側は地球から見えないので、そこからミサイルを撃たれると迎撃できないと話していました。
これに対抗するため、トランプ大統領は、宇宙軍創設のコメントを出したと思われると説明していました。
中国共産党の習近平指導部は、10月1日の建国記念日に大規模な軍事パレードを行っています。
そこで初公開された新兵器の東風41は最大射程1万2000キロ以上と推定される。命中精度が高く、発射台は車両で移動。核を含む10の弾頭を搭載可能で、迎撃が困難と分析されている。
軍事パレードの予行演習では、極超音速兵器を搭載する中距離弾道ミサイル「東風17」とみられる兵器が目撃されている。極超音速兵器は音速の5倍以上で飛行。低空を滑空し現在のミサイル迎撃システムでは対応できないといわれている。
中国は、この極超音速中距離核弾道ミサイルの照準を何処に向けるつもりなのでしょうか。
中距離だから、アメリカには届きませんよね。
10月3日、韓国では文政権を糾弾する大規模なデモが実施されました。このデモは文政権擁護派のデモをはるかに凌駕する規模でおこなわれたと韓国内で報道されました。
金正恩にべったりの文大統領に保守派が猛反発しているのが現在の韓国です。
今の韓国国内は保守派対北朝鮮派の分断状態だそうです。
アメリカを始めとする欧米諸国は、北朝鮮寄りの韓国を切り捨てに動いているそうです。
この動きは、既に2010年頃から始まっているらしいです。
おふでさきの核心部分は、2号(明治2年3月)から3号(明治7年1月)の約5年間だと須藤花井さんが話してくれました。
この隠された部分にこれから先の地球の本当の事が書かれてと言っていました。
おふでさきを今一度じっくりと読んでみてください。
(教会で声を張り上げ唱和するような読み方ではなく本を読む様にしてください)
おふでさきには、戦争がなくなるとか平和になるとか何処にも書かれていません。
そろそろ生前整理をしようと、家財を取り出していると、中学校の卒業記念写真が出てきた。驚いたことに、男子はすべて黒詰襟の学生服を着ているが、自分は色の薄い襟付きの母が作ってくれたと思われる服を着ている。
昭和29年と言えば、まだまだ、貧しい時代だったが、それなりに経済も回復してきたことも確かだ。
教会生活の貧しさが如実に伝わってくる証拠だろう。何もかもが本部、本部へと流れていたのだろうから。
当時、他人と違った服を着ていても幸いにもいじめには合わなかったことが唯一の救いだろうか。
天高二部に入り、詰所で寝泊まりしていたが、毎食時のおみおつけの具は刻んだキャベツばかり。業を煮やした修養科生が、たまにはトーフを入れろと文句を言っていた。
そのような折にでも、中山家は贅沢三昧だったのだ。それが証拠に二代さんも、三代さんも、ぽっちゃりと太って、いかにも裕福な家庭の子女を想像できた。2年生の時に軽い肺浸潤と言われて栄養を摂るように言われたが、栄養を考えることは夢の世界の話だった。
1斤30円の食パンを買って5枚の食パンを5日にかけて布団の中で食べるのが精いっぱいだった。
人の顔色ばかりを見る精神的な弱みを背負ってしまったが、よくぞ81歳まで生きられたものと思っている。
天理教のような宗教はコリゴリだ。子供達や孫たちには絶対に継がせてはならない宗教だ。
貧しいことは、ある意味幸せだったのかもしれないと思っているが、精神的なトラウマを負わされたことは取り返しがつかない。
追伸
食パンも買ってから5日目ともなると、表面にポツポツと黒い斑点が出ていた。今、思えばカビだったのだろう。多分カビと気付かずに食べていたのだろう。そういう時代があったということです。
人間を創られた神様が、我々人間に自由な心を持たせて下った。
神様の元始まりの設計思想では「人間たちが生き生きと生きる様」を想定していたのだろう。
ところが、自由な心であるが故に、神様の思惑を超えてしまった人間たちの心の使い方。
現実世界は天理教団の中でさえも、いまだに「普通に」「当たり前のように」分け隔てが「まかり通る」あり様。
「ご先祖様のお徳のお陰で」あるいは「先祖代々の因縁を納消するためには」という言い回しに振り回される我々信者。
これは誰かのTwitterであざ笑われてしまったが、以前投稿した、DNA情報と因縁の結びつき。
自分が選択した(つもりの)自身の思考・行為も、DNA情報に生まれつき刻まれている設計図の組み合わせによる結果のようである。
とすると「因縁」だからと言われる状態も、産まれた瞬間から身に持つ基本設計そのものなのだろう。
一組の男女から受け継いだDNA。
遡ると、「宗教は合法的なねずみ講 様 2019年10月9日 10:39 AM」のご指摘のごとく、
≫六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
≫仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
≫四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
≫つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、
≫単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。
退職した元信者様2019年10月9日 12:18 PM と 宗教は合法的なねずみ講 様 のご指摘に触発されました。
>>因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。<<
天理教の「因縁のさとし」自体、教団の金儲けのために人為的に造られた「まがい物」です。天理教の言う「おつくし」「いんねん」「徳」「ひのきしん」といった「天理教用語」もまた然りです。全て教会本部にとって都合の良いように造られ、あるいは解釈されてきましたが、そうした「天理教用語」を信じ込み、騙され、人生を棒にふってきた人達がどれほど多くおられることでしょう。私が「天理教は合法的詐欺」と言う理由の一つです。読者の皆さん、決して惑わされたり、騙されたりしないよう十分注意しましょう。
それにしても天理教信者の中には信者として恥ずかしい行為を平気でする輩がいることに呆れる。
バリ天に嫌われる内容の投稿をここに書き込むようになって以来、ここ最近、妨害行為を受けている。
警告音?異音?のような音を発するものだ。
投稿内容がバリ天が忌々しく思うような、ポイントを突いているから攻撃されるのだろう。
反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。
邪魔な奴だからといって嫌がらせをするのでは信仰者とは言えない。
多分、命令する輩がいるのだろう。
社会で天理教がカルトと見なされ、馬鹿にされる理由がこれだ。
命令に従う!
>>反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。<<
教団の意のままに動くロボットや傀儡を多くつくることが教団側の作戦ですが、洗脳されてしまっている、あるいは、元々知能が低く、物事を論理的に分析し論破することができないので、核心をつかれたことを問われると合理的な返答を即答できず、間の積まないチャランポランな返答しか帰ってこないのです。お気の毒な連中です。
匿名
2019年10月4日 8:16 PM
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
要会員の子弟がこの掲示板に投稿してきたという事実は何を物語っているのでしょうか。
皆さん、キャップストーンという石をご存知ですか。
ピラミッドの頂点に据えられた四角錘の石の事です。
天理教という巨大なピラミッドの頂点に居座る善亮一族とそれに連なる姻戚連中がそのキャップストーンであるならその下を支えるのが要会員であると思います。
その直属の子弟がこの掲示板を読み、深く考えた結果天理教を離れる決意をし、そして行動したのです。
更にこの掲示板に書き込んだのです。
この掲示板を通して天理教の理不尽さを糾弾する動きは、遂にキャップストーンの真下まで浸透して来たという事だと私は思うのです。
この動きは、既に本部在籍者にも深く静かに浸透して来ているのではと思います。
昭和55年3月 初めて須藤花井さんに会った時、次のように話してくれました。
「神さんはね、本部の連中は綺麗な着物を着て座敷に座って金をせびっている。
あいつらは座敷乞食だと怒っているだよ」
「次の大掃除の時には、本部の連中の三分の二はさらしてしまうと神さんは怒っているんだ」
当時の私は、天理教どっぷりでしたから 何と酷い事言う人だ思いましたが、今になってみればまさにその通りだと思います。
「三分の二はさらす」つまり「三分の一」ほどは神の目にかなっているという事でしょうか。
本部の皆さんも自宅で人目を忍んで、コッソリとこの掲示板を読んでいるのでしょうね。
そして、みんな「自分はのこれるのかな それとも死んでしまうのか」と自問自答している事でしょう。
おふでさき17号には、次の様に書かれています。
57 このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじょの事
58 このざねんなにの事やとをもうかな かんろ大が一のざんねん
59 このざねん一寸の事でハないほどに どんなかやしを月日するやら
「60 どのよふな事がありてもうらむなよ みなめゑゝにしてをいたのや」
「どの様な事があってもこのワシをうらむなよ
お前達はみきの言う事聞かんで好き勝手にやって来たんだろう」
親神は怒り心頭なのです。
この掲示板が出現したのも親神の計らいであるとブログ主に感謝しつつ思う次第です。
教団が今後抱える今後の負債を計算すると恐ろしいです。不動産管理業も連鎖倒産する勢いが有ると思います。やかた構想 で乱立させたあの気味の悪い建物たちの撤去費用はどうするのでしょうか?一つにつき何億?いや数十億かかるでしょう。「1つ土地を売って一つ潰す」を繰り返すのでしょうか?それもおかしな話です。中山家の運営方針の責任を何故教団全体で負わなければいけないのでしょうか?これもまた疑問 そこまで執着する意味はもう無いはず。もう中山家は教団を去った方がよろしいと思います。
どんな名の有る家に成長させても、一度汚点が着くと社会はおろか、世の名家からもそっぽ向かれます。
ここ最近の教団の焦った様な政策発表を見ていると銀行への借り入れが多いのではないでしょうか?と思います。多額の返済があるのでしょう。月額数億円の返済
寄付の激減、本部組織の維持費、銀行借り入れと返済、何れ来る膨大な建物の撤収費用 これらのリスクはもうテコ入れ不可能 保有するビルも早々に他人に売却した方が良いですね。
自分の身は自分で守るしかありません。
もうお供えの必要などありません。
「天理教」がさらに危険な団体になってしまう前に、いっときも早く洗脳から解かれ、勇気をもって被包括関係を解消することを望みます。
天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。
またもや台風がやってきますね。前回のを大きく上回る勢力だとか、神はお怒りですね。
>>天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。<<
天理教の最大の弱点というよりも、最大の武器だと思います。難儀して心の弱っている人、精神的に追い詰められている人に、更に追い打ちをかけて洗脳する非常に有効な手段です。本当に恐ろしいです。無実の人を心理的に徹底的に追い詰め、虚偽の自白を強引に引き出す警察や検察の取り調べの方法によく似ています。「身上・事上は道の花」という天理教の言葉がありますが、病気や困難で心の弱っている人達の弱さにつけ込み、天理教に引き込むための有効な手段であり、信者を増やす為の手段として非常に有効なのです。皆さん、
決して騙されないよう注意しましょう。
天理教では信者の身上は金品を差し出させる最高の機会ととらえられています。
だから信者達は、会長の前では自分や、家族の病気を大ぴらにしません。信者同士でのひそひそ話で終わらせます。
私は洗脳から解放されているので金品巻き上げる会長では無いが、彼らは代々の上級教会のえげつない恐喝の経験をしているので、今だに教会に知れたら、そら、お供えだ、出すものを出さんから、、等言われると思って恐れているみたいです。自分も含め天理教教徒は怯えながら代々信仰して来た。怯える信仰。怖れる信仰。心を縛られたストレスいっぱいの信仰。これが信仰だろうか。幸せと言えるだろうか?
彼らは心を恐怖で支配されているのでやめる気は無い。しがみついている。
徐々に心の解放に向かう様、親神様は愛でいっぱいの存在である事を伝えて行きたいと思っています。教会は心安らぐ場所でありたい、、。
二言目には金、金と恐喝、恫喝していた上級教会は代を重ね、信者家族からの裁判沙汰を複数抱えたまま出直して現会長へと交代となっております。人を困らせ、訴えられ、何やってんだか、です。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
未だにゴルフ練習場の鉄塔が倒れ込んでいる家々、ブルーシートに覆われた家々、さらには未だに電気さえ来ない家があると聞くと言葉を失う。
更に、19号が追い打ちをかけるように被災地を通るという。遠くに居る者には大難は小難にと祈るしか方法はない。教団本部はこの事態に何を思うのか。せいぜい災救隊を送るのが関の山だろうか。
中山家が教団を去れば、このような事態を少しでも減らすことが出来るのではないかと思うのは、余りにも穿った思考か。
天理教が陽気づくめ世界実現を標榜しているのであれば正念場を迎えている。
これからもお願いいたします。
読まさせていただいております。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
中山家が教団を去ったら、この様な事態を避けられる?
台風は台風、地球温暖化の影響もあるでしょう
東風Z 洗脳が解けてませんよね?
ヒノキエフェクト様のブログから転載させていただきます。
天理教の信者なら『台風=大風』
『おふでさき』
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
私のblogで何回か取り上げてきた。
月日りいふく=月日立腹 神の怒り である。
にほん(日本) から(唐) とふじん(唐人)・・・をキーワードに様々な文献等をあたっているが、”月日りいふく=月日立腹 神の怒り” が当然のような気がしてきた。
今世界中を『嘘』が覆っている。
二酸化炭素と地球温暖化
アマゾン大火災
消費税増税
韓国・・・慰安婦・竹島・旭日旗・・・
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」
原発
日本国憲法
太平洋戦争
あらゆるものに『嘘』が混じっていたり『嘘』そのものだったり。
もちろん天理教本部もだ。
12.111 いまゝでハとのよなうそもきいていた もふこれからハうそハきかんで
12.112 これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか
12.113 月日にハうそとついしよこれきらい このさきなるわ月日しりぞく
03.057 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
・・・結論から言えば
天理教の真柱 中山善司 は『唐人』
国の柱・・・総理大臣 安倍晋三 は『唐人』
世界の柱・・・国連 は『唐人』
04.016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい
から・・・とは・・・中身がない
神を識らない空虚な人間・・・嘘つき・・・嘘つきに従っている・・・心これがをかしい
これらが世界に蔓延(はびこ)っている。
13.034 それしらず月日ゆう事みなけして あとわにんけん心はびかる
13.097 高山でとのよなものがはびかるも このしんちつをたれもしろまい
14.033 このたびもまだせかいにハなに事も はびかるばかりなにもしらすに
14.039 このいけんとのよなものがはひかりて ゆふとをもゑばすぐにしりぞく
この蔓延(はびこ)っているものを、どうすれば除去できるのだろうか?
人間ではどうにもならない様な気がする。安倍晋三を辞めさても、次の安倍晋三が出てくるだけ。
だから・・・神としては・・・それに気付かせようと・・・立腹
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
あぁどうなってしまうのでしょう。
でも・・・神様を信じるのみですね。<<<
少なくとも嘘の塊である天理教団が重年にわたる自ら為した悪の所業を詫び、、誰もが納得する綺麗な形で自ら進んで教団を畳む事で、神の立腹も多少は違ってくるのかもしれない。悪がはびこっている・・・とは、此の期に及んで全国津々浦々の教会不動産をままにし売り払う、そんな画策が見え隠れする誠も真実もない我が身勝手な教団の存在そのものだ。
東風z様。
人生経験より出てきた貴重な体験、ご意見は本部以下未熟な人間集団に洗脳されてしまう若者や、いまだに恐怖を植え付けられ理不尽を甘んじて受け続けている現天理教信者の指針の1つになり得ます。この掲示板で救われた方々、後に続く方々の為に、
今後も体験に元ずくご発信をよろしくお願い致します。
匿名
2019年10月12日 10:10 AM
以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか
天理教団の悪行。ツイッターより。
>>理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。<>8月11日
匿名より
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
ウゾイ◯
うわ~正にその通り!
人を助け、励まし、喜ばせたらそれが還ってくる。これは道理。
逆にいじめ、虐げ、苦しめたらこれもまた還ってくる。
今の天理教団の姿を見れば後者の道理が顕れているのがハッキリわかる。
人助けを謳い、標榜しておきながら真逆をいっているという倒錯に驚くしかない<<
教団衰退の話題で、「本部が言うにはお供えが集まらないのも人が集まらないのも、悪いのはぜんぶ教会長なんだってさ!」と言うと、それを聞いた信者さんの開いた口がしばらく閉まらなかった。昨日の話です。
自然災害はあくまでも自然現象であり、宗教とは関係ありません。自然災害の原因は科学的視点から色々と考えられると思いますが、例えば、最近話題になっているリチウムイオン電池の開発が更に進み、再生可能エネルギーが、火力発電や原子力発電にとってかわるような時代がくれば、CO2も削減でき、地球温暖化や異常気象、放射能汚染の歯止めとなるかも知れません。地震や火山の噴火は別として、その他の自然災害は、人間側のライフスタイルにも責任がある「人的災害」なので、楽観論かもしれませんが、人類の叡智で、ある程度克服していけるのではないでしょうか?
>>以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか<<
台風の進行経路が、気の毒なことに千葉県に甚大な被害をもたらす結果になったということです。天理教とは何の縁もゆかりも無い千葉県民にとっては、単なる自然災害であり、「運が悪かった」とあきらめるほかないのではないでしょうか? 日本列島は、所詮、小さな島国です。台風の進路の角度がたとえ1度ずれるだけでも、被害を被る市町村は違ってきます。地震にしろ同じことが言えると思います。地上や海底の活断層の走り方や過去のマグマ等の地殻変動のしかた、あるいは、海岸線から近いか、あるいは内陸側にあるか等の地理的条件等、様々な要因によって、甚大な被害を被る地域と、それ程被害を被らない地域に分かれますが、日本列島のように、小さな島国の中に、47もの都道府県があり、その中に更に小さな市町村という行政区がある国家において、宗教の問題を持ち出すこと自体ナンセンスです。もっと視野を広く持ち、地球という惑星全体、そして、そこに暮らす。人間をはじめとする、あらゆる生物、そしてそれらを取り巻く地球環境の将来を考えることこそ一番重要だと思います。
天理教の壺世界のお話ですよ、親神が絶対神で、地球を動かしているなら
中山家のお話なんて、矮小過ぎます。
所詮、壺の中のお話に過ぎません、他宗派、他の宗教から見たら、どうでも良いお話です。
東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは? 洗脳が解けたなら、そんな考えはやめたら
良いんじゃないのかな?
日本の政治を変えるのは、投票からですよ
宗教は心、個人の問題だと思いますよ
>>日本の政治を変えるのは、投票からですよ
>>宗教は心、個人の問題だと思いますよ
その通りだと思います。自然災害は自然現象。人間の叡智と努力で克服し、解決できるものもあれば、そうでないものもあるかもしれません。すべては、人間の努力次第です。
崩壊さん、本当にそう思いますよね
災害は忘れた頃にやってくるので、備える事が大事ですし、公共事業など
それは行政の仕事でもあるし、
フクイチの惨事だって、人災の面がありますよね
災害に備えて、いろいろ考え備えるべきであって、神に祈るのは
人間として、できる努力をした、最後にお願いするものだと思います。
今回の台風は甚大な被害は出ていない様で、良かったと思いますけど
被災された方には、お見舞い申し上げます。
ノストラダムスの予言、当時の騒ぎを思い起こします。
御筆先、止筆とか、予言書の様に思える部分もありますけど
教祖様は、予言者では無いと思いますので
親神様がお怒りだーって、別に良いんですが、違和感あります
教団が廃れていくのは、なってくるのが天の理の結果でしょう
悪しき種が、花を咲かせてしまったんでしょうか?
そりゃ、親神様は、呆れておいでだとは、私も思いますよ。
>東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは?
思っていないんですよ。誤解を与えてしまって御免なさい。カキコから見てとれるのは、そのように思っておられる方もあるかもしれないと感じているからですよ。もともと、私は神仏の存在に大きな疑問を感じている方です。
例えば、人間は地球にとて癌のような存在ではないかと思うようになっているんです。癌は唯一この世で矛盾した存在だと聞いたことがあるんです。伝染力を持たない癌は宿主の死亡により、自分も亡くなる運命にあるからだそうです。
際限なく核兵器やそれを運ぶ手段(ロケット等)を開発する人間は地球にとって癌に似ていると思っています。
平和利用の核でさえ、そのゴミの処理方法一つさえ解決されていません。10万年安全に保管する手段を考えていると言いますが、10年程前の記録さえ見つからないとか、記憶にないとか騒いでいる現状を見れば、言っていることが絵空事としか思えないのです。
それでも、これらを解決できるのは人類以外ににありません。目に見えない神仏ではありえないと思っているのです。
さて、6千年は知慧の仕込み、と説く天理教は自然災害を始め人類の行動にどのような指針を示せるのか。多分、何も言わないのか、それとも、何も言えないのか。おさづけだけではどうしようもないのではありませんか。
人を助けようと思っている心がある一方で、人を殺めようとする心が潜んでいるかもしれない心。不思議なものです。人間らしく生きるということは一言では言い表せませんね。
天理教が心底から人を尊重する宗教であったならば、今のような状態にはなっていなかったでしょう。何が間違っていたのかは、教団中枢部が考え、反省することです。その第一歩は、人をバカにしないことです。
中山真柱以外で、それに次ぐポジションとしての本部員人事に対して信者が関与できないなら、金家ならぬ中山家独裁主義になるのは当たり前だが、そんな事が百年以上も続いてきたの? 馬鹿なの? それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
世界救世教だったでしょうか、教主の岡田氏が信者の総意で解任されたとか聞きましたが、信者が束になれば、引きずり降ろせると言う事だと思いました。
天理教も中山家独裁に対して信者が束になれば、解任に足る悪業を継続して来ています。天理教徒はもっと怒っても良いし、徹底的に隠したい資料の有る開かずの書庫がある事や、それに元ずく教理改ざんや、透明な不動産取得と売上金の隠蔽、疑惑事案が多数隠されているのが現天理教の実情です。
徹底的に欲に切りない埃をかぶった人間集団、中山家一族。神の化身は天理教団には出ようも無く、神の化身は既に日本各地に出ていますよね。
天理教はもはや中身の無いスカスカのかすです。
訂正。
透明なを訂正して不透明な、とします。
今回の台風で、避難所になった台東区の小学校に避難しようとしたホームレスの男性が、受け入れを拒否されたそうだ。
ホームレスの方々も、避難所など行かずに、天理教の教会に行けばよかったろうに。
常日頃から、「人を助けてわが身助かる」などと大層なご立派なことを散々のたまわっていらっしゃる天理教の方々は、
まさか受け入れを拒否したり、しませんよねぇ?
100年前のこと
大正7年(1918 立教81年)2月15日 茨木基敬本部員の免職の辞令
大正7年(1918 立教81年)3月22日 北大教会の土地・建物その他全部の名義を本部へ引き継ぎが完了。茨木父子免職事件は一段落を告げる。
大正7年(1918 立教81年)3月23日 上田奈良糸、おさづけストップ
大正7年(1918 立教81年)7月11日 中山たまへ、おさづけの運び初め
平成29年(2017 立教180年)7月26日夕勤め前、一青年によって甘露台が倒壊した。
平成30年(2018 立教181年)7月21〜23日 本部にてお願いづとめ
真柱の回復を願う、お願いづとめが7月21〜23日、本部朝づとめ後に行われるそうです。(Ameba. https://ameblo.jp/sikiie5429/entry-12392237936.html)
昨年の甘露台のふしよりも強い警告のように思う。(天理教ORTHODOX 2018-06.24最終警告…? http://blog.livedoor.jp/mkosetu-jr/archives/1071714004.html)
>それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
本部中枢の人間達は、この様な考えを持っていないと思います
その理由
おや様は、孫娘の梶本ひさに「先いったら高知から神さんが出て来る」と話していたそうです。
おや様の三女はるが、梶本惣次郎に嫁ぎ、孫娘のひさが生まれました。
八島氏によれば、
ひさは、おや様が亡くなるまで側にいておや様の身の回りのお世話をしていました。
その為本部中枢の人間達も知りえない話を沢山聞いていたそうです。
梶本ひさを口封じする為に、山澤為造が強引に自分の嫁にしたそうです。
おや様が亡くなった後の事です。
山澤為造は、子供のいない高知大教会の島村菊太郎の養子に妻ひさ の実家の甥 梶本國治郎を送り、そこへ自分の三女サワを嫁がせました。
サワが亡くなると 為造は五女「ヒサノ」を嫁がせています。
為造は、高知大教会から神が出て来ると信じ、自分の娘を次々に送り込んでいたと思います。
為造は、播州のおや様「井出くに」ではなく「高知大教会の神」を待っていたのでしょう。
為造は、自分の娘から神が出て来ると思っていたのかもしれません。
しかし、高知大教会に神は現れませんでした。
神は、高知県安芸郡田野町に現れたのです。
その人物が「須藤花井・面足命」です。
昔、本部のすぐ西側に三島という名の小さな公園がありました。この公園の本部側に木造の古いアパートがあり、須藤花井さんはそこを住まいにしていました。
前述の「ヒサノ」(山澤為造の五女で高知大教会夫人の島村ヒサノ)は、本部中枢を代表して密かに須藤花井さんに挨拶に出向いています。
ヒサノは、須藤花井さんに次の様に挨拶したそうです。
「私は、小娘の頃から神さんは高知から出て来ると聞かされてきました。
やっぱり間違いはなかったですね。
どうぞこの紙に神さんの言う事を書いて下さい。」
と言って白い紙の束を置いて行ったそうです。
島村ヒサノに話したのが、母親のひさ(おや様の孫娘梶本ひさ)です。
為造本人や息子の山澤為信も当然聞いてるはずです。
須藤さんは、「ヒサノ」から貰った紙に国常立の言う事を書き留めて纏めたのが「月より神言」だと私に話してくれました。
「月より神言」P186に次の様な一文があります
「あとのこうきはなんぼお前が書かんと言うてもわしは書かす」
「月より神言」が「後のこうき(口記・後記・稿記?)」だと私は思います。
須藤花井さんの肉声を聞いたみたいと思う人は、「月より神言」を検索してください。
平成4年に須藤花井さんが東京の日本橋公会堂で行った講演(60分)が3分割されてアップされています。
須藤花井さんは平成9年に亡くなりました。
須藤さんは、生前 善司さんの身を案じていましたが、やはり病に倒れてしまいました。
おや様が亡くなり、本席が亡くなり、井出くにを追い出し、ナライトを排除し、高知からの神も退いた・・・
天理教本部には、舵も無く、舵取りも居ません。
行くあてもなく、ただただ世情に漂うおんぼろ船です。
追伸 「月より神言」を検索するとトップページに 「6.お日様の東京講演より」の項目があります。
そこで 須藤花井さんの話が聞けます。
各地の河川で、越水、氾濫、決壊が相次ぎ洪水が相次ぎました。天理教では火と水がお互いに作用する対極的関係でしたよね? 火のつけ方を間違えたから水に問題が出ではないですか?
「金の繋ぎは命地の繋ぎ?」洪水で死んでいった人に金は一切関係有りません。それにその間違った事を表統領 中田善亮が言い続けているからこの事態が起きたと言えます。
さいきゅう隊?さいきゅうする前にちゃんと祈り天変地異が起こらないようにすべきです。まともな考えを持つべきです。天理教は何の役にも立ちません。
BBC NEWS JAPAN
台風19号「ハギビス」被害拡大、各地で死者 記録的豪雨で河川氾濫
https://www.bbc.com/japanese/50029221
匿名
2019年10月13日 6:44 PM
教団の業績が悪いのはトップの責任です。そのトップを立てているなら役員の連帯責任なので、本部員にも責任があります。その教団の例の様に信者の多数決で、真柱と本部員を降ろすことはできます。過半数あれば降ろせます。揉めるなら裁判所や文科省に提出すると良いでしょうね。
このままずるずる続けても教団も中山家に引きずられて無実の信者さんたちも巻き込まれてしまいます。まるで洪水ですね
教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
全くその通りです。しかし、トップは業績悪化は教会や教会長が悪いと現在言っている。本部修理人にトップの責任を問うた時、指示、命令、方向性を考えるのは本部では無く大教会だと言った。それでは本部は飾りか?
本部の打ち出しに素直に従えと、何度も何度も刷り込まれたのは何?
衰退もお供え不足も人が集まらないのも、ぜんぶ大教会以下末端教会長の怠慢だと言う間抜けた感性。
トップとしての自覚も無ければ当然責任を取ろうとしない。全ての責任は自分達にある事に気がつかない大馬鹿野郎です。(汚い言葉で失礼)
昔、山一證券が潰れた時、社長が「悪いのは全部私です。社員は悪くありません!!」と涙ながらの絶叫を見たが、神の心を見た気がしました。
神に背いているのに正面から開き直り、見栄と体裁を繕うこの組織とトップ達はこの衰退を見る限り、完全に神の目からは弾かれています。
<<教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
宗教や教団の「業績」とは一体如何なるものでしょうか? 私には理解できません。宗教は営利企業ではありません。
現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。
中山大亮氏の結婚披露宴について、この掲示板でも大変物議を醸しましたが、近日、予定されている天皇陛下の就任祝賀パレードは予定どおり執行されるのでしょうか? 台風の甚大な被害で多くの国民が苦しみの渦中にある中、敢えて、天皇陛下の就任祝賀パレードを実施すれば、日本国民のみならず、世界中から顰蹙を買い、日本の国は世界中から馬鹿にされても仕方がないでしょう。本掲示板の趣旨からはずれたと思いますが、敢えて投稿させていただきました。
>>現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。<<
全くその通りだと思います、民間営利企業であれば、社員個人個人の売り上げや契約件数等によって、月々のサラリーやボーナス、昇進の査定が決められます。
いうまでもなく、宗教とは見返りを求めるものではなく、信者数の獲得や「お供え」の獲得を競うものではありません。「人間の心のあり方、人間の生き方についての指針を示すものです。」現教団がやらせているのは「信者数の増加やお供え金の増加を目的とした業績アップ」を狙っているのであり、真実の宗教でもなければ信仰でもありません。
いずれ棟梁四人いる。
天啓者の巣窟であって、神の化身のような人達、世界人類の棟梁達のお姿を拝する事が出来る、お地場のお屋敷はいつ実現するんでしょうか??
本部人事の責任者の方にお尋ねしたのですが。
本部の責任転化、やかた構想の偽り うそしかつついてきてない神を追い出し教団を乗っ取った中山家ですから、大教会に業績を競わせても事すでに遅し、もう離脱論を支部や教区での仲間内の雑談の主題で毎回話してるぐらいです。カネカネいってる宗教とはなんとも滑稽100年の洗脳も解けることに気が付かない愚かな輩しか居ない本部も滑稽全て滑稽(笑)もう遅くても10年後には本部は残っているのでしょうかね。今後残る教会も信者も人柱として寄付しろと言っている本部に未来は無い。ネットでの書き込みの方がもうすでに真実味と信仰の域に達してしまって以上、上級、大教会はじめ天理時報はおろか真柱の存在価値すらないことに気がつけないのが痛々しい。
組織と中山敬治のためだけの言葉にどのような信仰の意味があるのかしっかりお伺いしたいものですね。答えられないでしょうが(笑)
東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。
中山家、教団幹部も、末端で活動する、教会や信者の方を向いていないんでしょうかね?
信者に寄り添わず、その心も支えもしない教団なら、だんだんとみんな離れて行くでしょうね。
首相の支持率48%なんて報道するけど、実際は10%も無いと言われている様に、本部の支持率も低下しているのでしょうね。
宗教団体と言うのは、強く信者を惹きつける、魅力ある存在が中心にいてこそ、成り立つと、私は思います。
現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。
>>東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。<<
本当に、今の内閣も天理教幹部も「御身大事」ということですね。天皇陛下のパレードは予定通り実施するらしいですが、実施すれば、後の世まで未来永劫、語りぐさになり、世界中から笑いものになることでしょう。 下々の窮状に眼をつむるものは、政治にしろ、宗教にしろ、指導者の資格などありません。
>>現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。<<
重たい重量物を運搬することができる象でさえ、許容重量を超える荷物を背に積めば、足を痛め、歩行不能になります。競走馬のサラブレッドですら、過重な騎手が騎乗すれば、重さに耐えきれず、骨折したり、本来の実力を発揮できません。トレーラーやトラックでさえ、所定の積載重量を超過すれば、ブレーキがききにくくなり、正常な安全運転はできません。今の天理教が全く同じ状態です。有り余るものを持っているのかどうか存じませんが、おそらく持っているのでしょう。しかし、持っているものの過重に耐えかねて自滅の運命を辿るのは、とりもなおさず天理教です。まさに「因果応報」、「悪因縁」のなせる技です。みなさん、しっかりと天理教が崩壊していく様を見とどけましょう。
崩壊
2019年10月14日 5:46 PM
日本国と天理教では組織規模が違います。先進国と、潰れかけのカルト宗教を比較するのはちょっと間違ってまよ。日本に失礼です。真柱はナンチャッテ神様だそうです。天皇は人間です。日本人統合の象徴です。その下に居るナンチャッテ神様を祭ってる天理教中山教団なのが現実です。恥ずかしいですね(苦笑)
匿名様(10月15日 3:01 PM)
比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
日本人として誇れる母国であってほしいのは言うまでもないこと。
けれど、政府と一部文化人・マスコミの「すばらしい日本・日本人」キャンペーンに騙され続けるばかりの我々です。
即位の礼に関して言えば、儀式を先送りにしてきた「ツケ」が今回の惨事にもかかわりが有ったのかもしれませんね。
きっちり自分の役目を果たす覚悟の無いまま結婚した彼女の現在をみるにつけ、何ともはや・・・。
「かわいそう」と、同情するばかりでは人は成長できないというよい例でしょう。
なぜか美智子様を非難する人々は現皇后を支持する。これってどうなのよ?という素直な庶民の感想です。
パレードは実施されるにしても、都民としては見物には出かける気持ちにはなりません。
この庶民感覚は私一個人のものではなく、スーパーマーケットのレジ打ちの皆さんとも共有しています。
所謂、井戸端会議。美容院での話題でも「そうだよね」とか、「勝手にやってください」とばかりの冷たい反応です。
人の不幸を悼む感覚の持ち主であれば、喪に服すような心持を、何かで表現するでしょう。
とは言えパレードに群がる人々を非難することはしません。お祭り騒ぎが好きな日本人なのですから。
でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。
当日は小雨交じりの曇天だったりして・・・。
来年の事で恐縮だが、東京教区設立百十周年記念祭(2020年4月4日)に真柱夫妻と大亮さん夫妻が参加するそうだ。
真柱の身上からすれば付き添に夫人が同行することは当然だろうが、大亮さんの夫人はいったい何しにやってくるのだろうか。
子供も当然連れてくるだろうから、いわば一家揃っての上京だろう。
東京教務支庁はソメイヨシノの誕生地でもある巣鴨に在るから、桜の季節にはお花見にうってつけの地でもある。
お花見に子連れでくるのは別に構わないと考える向きもあるかもしれない。
しかし考えると、各人それぞれにお礼が渡されるのだろうから、集金旅行という面も併せ持つ訳で、布恵さんもその一員だ。
その上、デズニーランド好きで知られているから、子供も大きくなって、季節も良い4月に、デズニーランドへ行こうとでも考えているのかもしれないと、想像してしまう。
勝手な想像だから、スルーして頂いて構わないが、「ちょうちん持ち」の親戚の教会の女子供も同行するのかもしれない。お忍びで、といっても、必ずどこからか漏れる。何故か。それは耳にした人の中におかしいと考える人が増えてきたからだ。だから噂話の中で積極的に広まるわけだ。
こんな指摘をすると、必ずやTwitterで「そのくらい、いいじゃないか」という擁護派が訳の分からない判断基準で考えをアップするだろう。それは考えるポイントがずれている人たちだ。
働いて自分の収入がある人達であれば「陽気遊山」をしゃれこんで一家で遊んでも結構な事だ。
しかし、集金旅行のついでの「物見遊山」では親神様が嘆くのではないか。
世間的にも通る話ではない。
たとえ非上場会社であっても、社長の出張旅行に嫁と孫まで同行するようでは社員から顰蹙をかうだろう。
天理村の狭い価値判断で東京へ来ないでいただきたい。
たとえ予定通り記念祭に参加したとしても、私は暖かな気持ちで歓迎する気にはならない。
第一、大亮夫人は何の役目をおっての上京であるのか、答えられるものならば答えて頂きたい。
公私混同を平気でするようでは世間知らずというだけではなく、後継者夫人としては勉強不足だと、だれもが感じるだろう。
恐らくは危機感がないのだろう。
危機感が薄い理由としては、お供えが減っても、中山家としての資金がどこかに有るからなのかもしれない。
教高高校閉鎖、教会整理という現状下での「顎・足・土産つき陽気遊山」は「恥」と思え。
>>でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。<<
その通りだと思います。
のぶえ奥様が東京の記念祭に来られてもべつにそこまでは言わなくてもいいと思います。擁護派がそのくらい、いいじゃないかと言っていますが、ほんとうにそうだと思いますよ。
来て欲しくないなら、あなたが行かなければいい話です。
匿名
2019年10月15日 4:49 PM
>>比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
根っこが日本と思い込んでるだけではないでしょうか? 現在の中山家は日本人とは思えない判断をしています。それに国とカルト宗教では財源とお金の回転が違います。
国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。
一方1団体の浪費は皆さんご存知の通りの浪費です。教団の財政が厳しいのに数億かけて結婚式をする意味は無かったのです。
と国の経済は、一家庭や団体会社の経済とは全く持って別物だという事ですね。しかしこれをTVや新聞がちゃんと教えないの問題なんですがね。
経済の形で言っても、国と民間ではこれほど違うので、トップの振る舞い方は真逆なのです。
その昔オウム真理教が、各セクションを省や庁と名前をつけて問題になっていました。国を模すのはいいが建国しようとしていたのか?とこれに対してオウム真理教側も是正報告をメディアに出していました。
天理教や中山家を見ていても、国を模倣しているが中身が追いつかずと見て取れます。奢り高ぶったただの狂人でしょうね