① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
最近の脳医学、精神医学でも、逆に心とか精神が、脳内の反応だけでは無さそうであり、その活動位置が科学的にハッキリしない事になる可能性もあるかと思います。
A I で、人間の精神的活動、心、愛情が作り出せるなら、人間もまた、機械だと言い切れるかも知れませんけどね。
憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。
中山みきは土下座して信者に謝罪すべき
2020年2月5日 11:25 AM
とても過激なタイトルですが読ませて頂いてなるほどと思いました。金は命、命は金、とは?まるで金融ドラマの台詞のようでとても宗教とは言えませんね。教会の集まりに行っても善亮さんの悪評の話ばかりですが、不思議に思うのが血縁に無い本部員の方が咎められ無いのは分かりますが、中山家の親族の方は何故善亮さんの横暴な言動を指摘しないのでしょう?私の会社でそのような事を行った時には大騒ぎです。いくら私が社長や会長であっても一瞬で首が飛びます。熱心な信仰者ではございませんがあえて言わせて頂きますと、中山家の方は育ちが良すぎて世間知らずすぎてかえって育ちが悪いのではないでしょうか?他の記事も読ませていただきましたが、昨今反社とのかかわりは当会社でも重々気をつけて従業員にも指導しているさなかに、中山家の親族に元と言えど反社の方が居るのはこの御時勢許されない事でしょう。どなたとは存じ上げませんが、もし仮に後継者の大亮さんの血にも反社の方との血縁があるのならば考えものでは無いでしょうか?これは内部の人間がと言うより外部から指摘を受けた際弱点に成りかねません。このような事態も見据えられない様であれば今後会社などの組織運営は続かないでしょう。
匿名
2020年5月16日 6:08 AM
>>ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!<<
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。天理教の人間は人ではないんですか?簡単に傷つけて良い存在ですか?皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
カイン様、
旧コメント欄を読めるようにしていただき、
また、新コメント欄を準備いただきまして本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。
天理教校学園の学生募集停止はが非常に深刻なわけ。
●そもそも天理高校があったうえに新たに学校を作ったのは、天理高校の教員(組合)が思い通りにならず、信条教育を図ろうとする当時の本部の思いに一致していなかったから。野球や吹奏楽など、教外者をスカウトすることも多かった。そこで、次代を担う布教専従者の育成を目指し、男子校の付属高校をつくり、卒業後は5年の第二専修科への進学を義務づけた。その後、親里高校をつくり、海外布教の要員育成をめざして、外国語の授業を充実させた。しかしうまくいかず、両校合併。第二専修科も廃止。そして今回の廃校。つまり、天理教が布教のために力を入れた学校(政策)は失敗したのである。
●教会子弟が多い学校が、本部の財政を理由にして真っ先に切り捨てられた。本部で子弟教育を面倒見てもらっていた教会としては、かなりショックではないか。子弟教育は、天理教が数十年強調していた「縦の伝道」に他ならないから、その根本を揺るがす事態である。
●教会子弟が無償化政策で地元学校へ進学できるようになったことで、本部へ来ないという傾向が強まる、あるいは強まっているということであれば、そもそも本部の理念によってつくられた学校への魅力がない、ということを示してしまっている。
●とはいえ、現実には、天理高校2類・1類・教校学園、天理高校2部という偏差値による輪切りもあって、本部の方々は教校学園にはあまり進学させなかった。基本、天理高校である。果たしてどこまで真剣に布教要員を育成しようとしたのか、検証されてしかるべきところである。
●久保理事長は三代真柱の子であり、学校を優先して考えるのであれば、その立場を利して予算をとってくるべきだろう。しかし、逆に廃校に向かった。本部の中枢は、次世代を担う子弟教育より本部の運営が大切だということを、端的に示したことになる。このことは、本部の他の関係施設、医療大学、天理大学(法人)、にも影響を及ぼすだろう。憩の家についても同様である。本部から派遣されて運営を担っている人は、本部を守るために動いても学校や病院を守るためには動かず、経営努力をせずに、それらの施設を切り捨てる可能性を示唆している。(医療大学も廃止のうわさがある)
以上、こどもおぢばがえりの縮小をあわせてみれば、ただでさえ縮小モードなのに、それを加速するような一手である。将棋でも変に攻めを受けると、手が一気に進むことはよくあるはなし。教会の次世代の育成という、もっとも手をつけてはいけないところに手を付けた。天理高校に手を付けたらマスコミに騒がれてイメージが悪い(たとえばPL学園を見よ)かもしれないが、内部では教会子弟・縦の伝道は本部で支えますといえたはず。しかし外づらを気にした対応のために内部的なダメージはかなり大きいと推測される。また、運営(経営)の無策も露呈したので、悪評により、病院・大学によい先生が来なくなることもやむをえないだろう。
これからは組織に頼らずに個々が強くならなければならない。
身体的にも 精神的にも 経済的にも 地位的にも 時間的にも
戦後から急速に科学や医療技術、栄養も教養も全体的に豊かになった。
年寄りは長生きして数が増え、子供は数が減り、過去に想定されていた未来よりもかなり早く事態が悪化してきている。
宗教もこの時代の変化の早さに置いていかれている。
世界情勢も一瞬でひっくり返るであろう予断を許さない時代。
またひと昔前の弱肉強食が色濃くなる時代の再来が懸念される。
強くならねば
天理教に強い疑問を持ち、あれこれ資料を探しているものです。
秀司が始めた天理教団が強欲から始まった事実や、現教理に教祖の教えに無い神道の神名が入って来ている事実を知りました。十柱の神名は信者が押し寄せ賽銭が相当上がるようになりその旨味を知った強欲な秀司達が、教団設立の為に神道の神名を利用して「転輪王」として唱えるとし、吉田神ぎ官に願い出たものだそうで、この時に初めて教祖の教えに無い神道の神名が入ったと言う事のようですね。
大正5年1月号「新宗教」飯降本席様の息子さんの著述による記事によると、
秀司とその妻まつえの人格について、「秀司もまつえも仕様のない方らしかった。その為に教祖の心を休ませられたと言うことはなかった。」と述懐しています。
教祖は秀司出直しに際しては、「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」と仰った。
嫁のまつえの出直しに際しては、「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」と仰ったそうだ。
中山家の強欲の遺伝子は今に続いています。教祖が現中山家の強欲に対して天から仰っています。
「もう強情は張れんやろ。張れるなら張ってみいや」
「えらい溜めたな。なんぼ溜めてもあかせんで。」
終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。
ツイッターより
8月7日
梅
次の三年千日には教勢ももどるので耐えましょう!という話が以前あったが、真柱様が今の身上のままおさづけの数もふえないのにお供えが増えるという根拠がない。それにその時財政的に厳しいため館建築資金の取り崩しの話もあったが、本部勤務者を減らしてもいいのではないだろうか、国の奨学金も増え
いちれつかいに頼らずとも進学は可能、行事も無駄に多い。同じ顔ぶれしかこない支部行事、ようぼくのつどい、母親講座、「良い話」でおわるだけなら不要。よほどこどもおぢばがえりで次世代をになう子供に予算を回したい。
8月8日
☀️睦輝☀️(むつき♀)
予算削減話で「140年祭になれば教勢は上がる!今は耐えよう!」
誰が言ったと思います?
なんと!
表統領、中田善亮!
_人人人人人人_
> やっぱり <
 ̄^Y^Y^YY^Y ̄
節目には御供え増とか楽観し過ぎorz
そして「教勢=御供え」な思考回路の残念さも露呈です。
匿名
2019年8月8日 6:38 PM
>終焉に向けて人が引き潮の様に引いています。こどもおじばがえりのパイプ椅子も今だに片付きませんね。
10年前は次の行事に向けて翌日にはスッキリ片付いていて、感心して見ていたのですが。
本部に人が居なくなっているのが良くわかります。<
地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう。
はじめまして。わたしは元天理教末端教会の娘です。ようぼくですが信仰はしておりません。大教会は、福岡県にある 鎮西大教会なのですが10年ほど前天理教の知り合いに聞いたのですが、いま、鎮西大教会の大教会長家族は、たしか破産して、京都にある別荘である中心山荘で暮らしているらしいのです。
一体どうなってるのでしょうか?月次祭は直轄の教会長さんが交代で執り行っているそうです。
わたしは
20歳の時修養科にいき、あれから約30年、さすがにじんわりと離れなかった洗脳もとけました。
お時間がありましたら教えて下さい。
退職信者から退職した元信者に変更します。
投稿を始めた頃は、洗脳が解けていなかったので退職した信者という名前でしたが、既に完全に天理教を捨てているので名前を変更しました。
昨年末の大掃除では、神棚の鏡も捨てたし6人分のおかき下げも庭で焼き捨てました。
(おふでさきは残しています。)
それでも、家族は皆 仲良く朗らかに生活しています。
10-54「このようふのぢいと天とハぢつをや それよりでけたにんけんである」
と歌われいます。
地球上の生物は、地と天に抱かれ 火水風に守護されて生きているのです。
本部のお陰ではありません。
≧地震で発生する津波被害は、押し寄せる津波よりも、その後の「引き波」によって起きる被害の方がはるかに大きいそうです。引き波にのまれて海の藻屑になる前に、大至急、避難しましょう
大きい波になれば成る程 引き波も更に大きくなり被害も増大するという事ですね。
最近、天理教ライブカメラをよく見るのですが、本部前に人が集まるのは、毎月26日の午前10時から12時の
2時間ほどです。集まると言っても礼拝場前のパイプ椅子は隙間だらけです。
礼拝場内も隙間だらけだと思います。
一か月間にたったの2時間弱しか人が集まらないのです。
後は、土日も祝日も大型連休になっても ほぼガラガラ、一人っ子一人いない状態が続いています。
私が思うには、天理教に縁の有った人々は 既に殆ど去ってしまったと思います。
今時本部に行く人々は、姻戚関係で繋がってしまい逃げるに逃げられない人達だと思います。
沈んで行くのがわからないふんぞり返っている連中もいますけど・・・・。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。
今や、本部はガラガラ、館はガラガラ、アーケード街もガラガラ、市内に林立する詰所群もガラガラです。
天理教と言う偽物宗教の大津波が襲った天理の街は、大きな引き波に襲われ物の見事にガラガラの街になってしまったという事でしょうか。<<
負の連鎖・負の現象
お供え激減、館の修理費ありません、詰所の修理費ありません、配食部門も人がいません、パンと粉スープで我慢してね、教校学園は潰します、お金が掛かるから布教師養成出来ません、日本一のブラスバンド、そんなのお金にならないから潰します、本通りの土地買収 お金が無いから出来ません、黒門倒したけど、お金が無いから再建出来ません、、、修養科生殆どいません、本部勤務者志願者激減してます、天理市寄付金10億円 はもう出来ません、、最高40億超えして便宜計って貰ったけど、もうお金ないからちょっとまけてちょうだいよ、、
これが天理教団の現状。
理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
>一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。<
自らの非を他者の責任にすり替える。教会本部の卑劣な常套手段です。一部の本部員ではなく教会本部全体の「考え方」「やり方」です。世間ではそんな不条理な「屁理屈」は通用しません。天理教はいよいよ終焉です。
読者の皆さん、皆で最期を見とどけましょう。
組織は組織
信仰は信仰
分けて思案しないと、幸福や充足感から離れていきますよー
天理教の起こりや、そもそも論をしたら、元も子もないですけど…
日本で信仰できる宗教は天理教以外にもたくさんあります。
天理教、さらにはその組織活動に人生を費やすのは少しもったいないと思います。
昔より個人の思想や権利が尊重される現代、江戸時代からそんなに変わることがない凝り固まった思想では時代の変化に対応できません。弱い立場、思想、満たされず、自分に嘘をつく人生にならないように…人に喜んでもらい、人助けのできる人生がよろしいかと。
先を楽しめ…
しかし先案じはよくない。神にもたれろ。難しいことをいう教え。
神にもたれても、組織にもたれたらいけない。
組織と信仰
人と神
男と女
陰と陽
二つ一つが天の理
対になるもの、相反することがらをよく見極めないと
組織と信仰、人と神は相反するものではないと思いたいのですが…
ここに書き込んでいたらよくわからなくなりました。
天理教以外の宗教の勉強もしようと思います。
みなさま、まだまだ暑い日が続きますが、お元気で
某・コメントより
他系統・教会番号一桁の某大教会の部内教会長の友人が電話をくれた。
今日、その友人の携帯へ、彼の所属する「大教会役員」より電話があったという。
内容は、
「大教会長は何も仰ってないが、」と前置きして、
「教校学園高校閉校へのいかなる反対署名・嘆願署名の依頼があっても応じないようにしてほしい」
そして、
「大教会長は、ぢば一条でそんなことは、お嫌いだから」と付け加え、
「くれぐれもご部内(彼の教会の部内教会のこと)にも徹底して頂きたい」
と、語気を強めたらしい。
でた〜〜〜!!!
これが、「忖度(そんたく)!」
が、その系統の役員の友人に確かめたら、
それは、大教会長自らの通達らしいことがわかった。
でた〜〜〜!!!
これが、「圧力!」
が、彼らは二人とも、
自ら、署名を取りまとめてくれる。
部内には署名を薦めてくれる。
忖度、失敗〜
圧力、失敗〜
善因善果悪因悪果も心通りの守護の内にある天理です。
中山家の短命、断絶、難病因縁の連鎖は、当人達の神の意図しない心の道に起因するものでしょう。
タスケ一条のこのところのお地場の再生には、天保九年からの問答、「天啓を受け入れてくれるなら世界中を救けさそう、不承知ならばこの家粉も無いようにする。」という神の預言が、神と中山家の問答が続いているからなんでしょう。
本部における天啓者達の擁立が、愛すべき天理教系集団の再生にも、中山真柱家の健康回復にも、必要なんでしょう。
集計表を見るかぎり、ポチポチ満席でおさづけの理が渡されているようだがどのような状況なのか知りたい。
どなたか詳しい方おいでですか?
真柱が渡しているようだが、渡せる状態まで回復したわけだろう。
では、お話の原稿も考える事ができるのではないだろうか。
代読をたて、生存している証を発信すべきだろう。いつまで大亮に言上させているのか。せめて大亮が真柱の言葉の代読とするべきだろう。
思い出すのは時報での正月挨拶は弟が出しゃばっていて違和感があった。
おりしも参議院では発声が困難な新議員をサポートするにはどうしたらよいか、関係者が心を寄せて実行しているではないか。
このまま大亮時代にズルズルと移行させるつもりなのか。
何だかそんな気がしてならない。
時報ですら真柱の近況を伝えようとしないのは、既に時報社も表統領派となっているという事なのか。
教団トップの執筆連載があってもいいのではないか。
まぁ、こんなことを言ったところで、とっくに大亮時代になっているのだろうね。
あ・・・・・・いやだぁ。大亮が真柱? 肉を巻け? ウマシカにつける薬は無いしなぁ。
大亮真柱を発表したら、一気に信者が本部から引いていくよ。
いくら従順な青年会が大亮真柱に肉を巻いたとて、頭と心は本人次第。
大亮に暴走させるのが消滅の早道かも知れません。世間でもトップがウマシカでは人がついて行かない。もう引き潮の流れに入っていますから、ウマシカに好き勝手にさせて置くのもありかもしれない。消滅を急ぐ親神が敢えて彼をトップに座らせるでしょう。
苦労も経験も無い若造が腹黒い親父に手綱を引かれて、口先だけの講釈を垂れ、誰がついて行きますか?ウマシカ親子がこの引き潮をどう食い止めるか見ていましょう。
因みに真柱は車椅子に乗って出てきていると数ヶ月前に見た人から聞きました。車椅子に座っておさづけの理を渡しているのでしょうか、、、。その時聞いたのは渡すのは1日限定の人数だそうです。今は増えているのかも知れません。
それにしても、教祖の怒りをかっていた、ならず者の秀司も足の身上、今に至って善司さんも足の身上。中山家の因縁が切れて無いのに、信者に因縁き切りを言える資格があるのかと思う。
御守護の貰えない中山家、病の完治しない現真柱は信者の手前、出来るだけ隠して置きたいのが本部の本音でしょう。
善司さんは頭の身上じゃないの?
足の身上なの?
どうなの?
真柱の身上。
そもそもは頭の身上です。脳梗塞と聞いています。車椅子で移動と言うのは脳梗塞の後遺症が足に出ていると言う事でしょう。この後遺症は人によってはリハビリで好転はするでしょうが、今現在は完治したとは聞いていません。
秀司も性病が原因でびっこだったそうですが、中山家の因縁は色情も含めて切れていない様ですね。
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
日本の宗教はチャイナの諸問題にはノータッチだと思います。
話はずれますが、ある経済学の巨人と呼ばれる人の書物に、なるほどーと思った一文がありました。
個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。
確かに!
天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
私は、天理教末端分教会にはからずも生を受けましたが、幼い頃から天理教の「悪い側面」ばかり見聞きして育ちましたので、10代後半に天理教以外の宗教について勉強してみたいと考えて、ミッション系の某大学に進学し、キリスト教や聖書について少し勉強させていただきました。その当時、宗教について悪い印象、悪い思い出しか持っていなかった私ですが、キリスト教を勉強するにつれ、その教えの素晴らしさに感動し、枯渇した荒野に大雨が降り、大地に吸収されていくような「爽快感、納得感、充実感」を覚えました。
私は、幼少期から天理教という宗教に不信感と軽蔑感を抱いて育ちましたので、生家は天理教の末端分教会でありましたが、教会を継ぐ意志も無く、大学卒業後、直ぐに就職し定年退職を迎え、現在、人生二度目の勤め(仕事)をしています。
今回、偶然にも当掲示板中のやりとりの中で、若き日に学んだキリスト教の教えの素晴らしさに改めて気づきました。残された余生を心穏やかに聖書を読みながら過ごしたいと考えています。しかし、僭越かつ大変生意気な言い方ですが、純情で正直で善良な天理教の一般信仰者、末端分教会を毒牙から守るために投稿は続けさせていただきます。
キリスト教の教えを誰にも分かりやすく簡単に解説されているサイトを見つけましたので、よろしければお読みください。
http://seishonyumon.com/coach/509/
最後の改革をどうぞ
宗教ビジネスに堕落した組織をぬけだして本当のたすけとは何かを考えさせられます。
https://www.youtube.com/watch?v=wDFiwAh_Ikc
①おやさとパレードは廃止
②天理教校学園高等学校閉校
立て続けにダブルパンチですね。
パレード無くなるとは、こどもおぢばがえりの一番のイベントのメイン行事だったのでは?と思うと今後は何で参加者を引っ張ってくるのだろう
衰退には目に見えて分かりますが、
現在の天理教の総資産ってどれくらいだと皆さん類推されますか?
上記、キリストの「最後の改革」を見せていただきました。感動的でした。神と心が通じる時、全身が神の愛に満たされ、皆んな自然と涙を流していましたね。現在のキリスト教会も問題を抱えていて「建物」「教会」に信仰の目が奪われているようですね。キリスト教会が神の身体を売って金儲けをしていると言う表現がありましたが、天理教でも現トップは正に神を売って金儲けしていると実感します。キリスト教世界にも真実を求めて真実の生き方をしている方々がおられるのですね。感動的でした。
今の天理教は嘘ごとですね。この映画の中でもキリスト教会が堕落し、キリストの原点に帰れと言ううねりが起きているようですが、天理教も原点に帰って、あれこれ中山家人間の欲得感情の混じっていない、純粋な教えに触れて見たいと思いました。タイムマシンがない限り、また中山家一統が罪を認めて洗いざらい罪を告白し、改心でもしない限り、教祖の純粋な教えに触れる事は叶わぬ夢ですね。
神の愛に触れることが出来るならキリスト教を知りたいと思いました。
善司さんもバプテスマを受ければ、夢の様に全快するのではないかと思いました。
バプテスマを受けて下さい。
今の天理教では、誠、真実がないが故に、また神を利用した最終目的が「お金」なだけに、ピント外れの営業活動ばかりに執心しているように見えます。そもそもトップの心が神に向かっていないから人々を救う力も真柱自らが救われる力も無いと感じました。神への背信行為で道が伸び栄える理はどこにもありません。
現在の縮小、廃止の波は自らの損得勘定でトップ自らの手で起こしていますね。実は神が入り込み、瓦解に向けてそうさせている様に思えます。
匿名
2019年8月13日 9:50 PM
ウイグル人に対する核実験や臓器搾取に対する中共の現在進行形のジェノサイドについて、天理教ではどのような取り組み又はメッセージが行われているのでしょうか?
>天理教団は上記のような世界的諸問題についておそらく何にも考えていないと思いますよ。
まあ、一応は考えているフリをして新聞などで何らかのコメントはするでしょうが、自組織がガッタガタで瓦解・崩壊の危機に直面しているのでそんな余裕も無いし余裕が有っても自組織の肥大化を目標にしているので世界的諸問題など我関せずだと思いますね。
視野狭窄若しくは視野が外向きじゃなく、内向き、しかも、とことん内向きじゃないかと感じます。
> 天理教もバブルが弾けたんだなーと解釈できます。
> まあ、再び膨らむことはなさそうですけどね、ぜんすけさん
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。
でないと本部内で「それまで予算厳しくなりますが、皆で耐えましょう」などと鼓舞する為の救いとして、そのような事を口にしないでしょう。
何方かが私のツイートと梅さんのツイートをここへ転載して下さってますが、本部内からリークを頂いた確実な情報です。
ちなみにリーク頂いた方曰く、その表さんの話を聞いた周りの人々は殆どの方が何も違和感を覚えていなかったそう。
三年千日が来れば予算削減の必要は無くなる!と素直に思ってる本部の人が多いのでしょうね。
表統領サマは、140年祭で再び教勢が盛り返し、お供えも増えると信じ切っておられます。<<
彼は崩壊、瓦解の根本原因が何かわかっているんだろうか。ここは神を語る宗教団体であり、営利を目的としない筈の団体ですよね。
学校を潰したり、天理市寄付金を減らしたり手当たり次第の事をしているが、限りなく下降線を辿るマイナスエネルギーに付きまとわれている以上、負の連鎖が渦巻いていて回復は限りなく無理でしょう。
信者にお金で神の守護を買わせるような金、金の体質を心を培う体質に方向転換せずして、回復はあり得ない。彼は何を根拠に盛り返すと言っているのだろう。
この期に及んでも、根拠なく140年祭にはお供え金が回復する!とお金にこだわる腹の内が思わず出てしまうんですね(笑)
教勢回復とおそなえ回復を信じるぜんすけもバカだが違和感持たない本部の奴らもバカばっかかよ
さすがにそんな根拠の無い理由での鼓舞を真に受けてると思うと呆れるを通り越しかわいそうになるな
違和感持った奴はぜんすけ叩き落として自浄しようとは思わないのかよ
百四十年祭でおそなえ増えるわけないと思うのは本部で力ない奴らか?
本部の人も(少しわかっているなら)、いまの表統領で天理教が決定的にダメになるのであれば、教祖の血統の方、つぎの真柱の父が仕切ったものだから仕方ない、と思っているのではないですか。東西礼拝場普請を「心のふしん」といっていたころが懐かしい。年祭活動を何だと思っているのでしょうか。年祭活動でうたってきた人だすけとか人類の将来のビジョンがない、あるいはあっても、こんなふうにお金がさきに見えるぐらい薄っぺらい。年祭活動にあわせ、おやさとやかた構想の断念、詰所の統廃合を宣言するぐらいでないと(これができるのは真柱かそれに準じる人以外にはない)。人材育成(教校学園・おぢばがえり)を先に切ってどうするの。
↑の匿名様。
だから善亮さんは、馬鹿だって言われているのです。物事の優先順位さえも分からない。どこまでも損得勘定で動く人です。こんな人に神を語って欲しくないし、語ると支離滅裂でしょ?こんなの信仰じゃない。
損得勘定、神がするって聞いたことがあるけれど、理のない欲望は神がきちんと勘定するんです。
心配ないです。確実に消える方向に神が持って行くと思っています。
ツイッターでの投稿です。
>うちの大教会の直轄教会は毎月大教会の月次祭のお供えとは別に大教会長と奥さんに「お礼」として最低1万円を渡しているらしい。
二人だから2万円は必要だが、それが厳しい直轄もたくさんあるようだ。
何のお礼なんだか意味がわからないけど、他の大教会直轄も同じようなことしてるんだろうか?
そういえば100年祭の頃、本部直轄教会の後継者が「ある教会から小遣い10万円もらった」と言って飲みに連れて行ってくれた。
そんな時代だったので、その時は深く考えなかった。
しかし、こんな事が習慣化されると、まともな感覚をもった会長になれる筈がない。
本当に、金まみれの組織になってしまった。
なんだかんだと言いながら時が過ぎて、あと4年もすれば秋の大祭終了時には、善司さんだか、大亮さんだか知んないけれど、諭達第〇号なんてタイトルの上から目線丸出しの書類が配られ、さもありがたい書類のように受け取る人たちが居るんでしょうね。その頃まで生きていないと思うけれど、振り返れば、諭達、諭達と騒いでいた人たちの今の思いはいかばかりかと思わずにはいられません。
一刻も早く、洗脳から解放されんことを祈るばかりです。
余談ですが、諭達が配布される年祭ごとに、教会での月並祭後や講社祭りの終わりにこの諭達を捧げ持って一礼し、拝読していました。今思えばよくぞやっていたよなぁーとの思いです。
今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。
毎年、毎年、どんだけお金を使ったことか。カラーテレビが珍しい頃に、いの一番に上級に持って行きました。そのカラーテレビは、初代の意向を無視してその上の親の教会へ持って行きました。
だから上に近い教会には苦労知らずのぼんくらばかり(今は老人になっている) 居るんだと納得してます。
「芹沢光治良文学愛好会」ブログに興味深いコメントを見つけましたのでお知らせします。
文学評論連載「③芹沢光治良氏と天理教」芹沢光治良と天理教」芹沢文学研究会代表小串信正氏
匿名 2019年8月16日 11:42 AM 様
>今から30、40年前は内の教会も初代が、上級、上々級とお年玉の袋を何枚も作って会長夫妻、子沢山の子供達にも欠かさず渡してました。<
子供(部内)が親(上級、上々級)にお年玉をあげるとは、これ如何に。 普通は親が子供にお年玉を渡すものだが、いかに天理教世界が世間と真逆かということを改めて思います。
しかし徹底的に親(上)に仕え、親(上)の機嫌取りをしていた子供(下)も悪かった、というと語弊があるが、上を増長させてしまった所はありますね。洗脳されていた、ということでしょうが、悲しいですね。
mami様、芹沢先生に関心を持っていただいて、ありがとうございます。
芹沢先生の文学は、日本の自然主義文学の流れをくんで、日常の出来事を日記のように書いていくものですが、そこには、ただ<人間>が描かれていました。芹沢先生も<神>について語られることがありましたが、それゆえ、先生の語られる<神>は<人間の眼>を通して描かれたものだった言えるのではないか、と思います。
天理教百年祭のちょっと手前のころでしたが、先生に天の将軍がとりつき、先生はその指導を受けて色々と修行をさせられました。そのあたりのいきさつは晩年の八冊ほどの書き下ろし小説に述べられているのですが、これを読んだとき、先生の心に変化が起きているのを感じました。先生はこの本で、<生命>をテーマにして<神>を語られていたからです。それは、今までの自然主義文学ではなく、一段ステップアップした文学と言えると思いました。
この時、先生は90歳を超えられていました。先生をここまで指導した天の将軍もすごいのですが、それが出来る人間を創られた神様もすごいと思います。ともあれ、芹沢先生によって、人間は何歳になっても修行をすれば精神面でステップアップできるということを証明していただきました。
で、その後なんですが、芹沢先生や芹沢文学について語られることはあまりないようなのですが、芹沢文学はこのままうずもれていくのでしょうか?だとしたら、神様は一体何のために芹沢先生の老骨にムチを打ってあれだけの修行をさせられたのか、不思議に思います。
ぶたまん様「芹沢光治良文学愛好会」は今も続いておられます。明日(2019・8・18)も東京・三鷹市で月例会が開かれるようです。(私はT教に関連して興味を持ったので芹沢文学の一部しか読んでいないので参加したことはありません。)
専修科の従兄が何を思ったのか『教祖様』(1959年)の新刊をくれたのです。T教について話ったことも無かったのに。今になって従兄と話しておけば良かったと。数十年も前に亡くなりました。私の人生に大きく関わる「本」になるとはその時知りませんでした。
神シリーズで『死の扉の前で』の頃とは違った芹沢氏を感じました。中山正善との距離や天理教に対しても。
昨日、大串信正氏の文章でよりわかったこともありました。葬儀のありかたを通したも。
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」この姿勢を貫かれた見事な一生でした。
若い人に芹沢文学に触れてほしいです。
旧天理教の崩壊期に、新しい普請をしている馬鹿教会っていまだにあるんですか?
新しい普請を計画している教会は、何軒も有ります。今更?と思いますが、そこは雨漏りがひどくてどうしようもない程の老朽家屋です。もう一つの教会も古くてぼろぼろです。したくて普請するのではなく、生活上の必要に迫られて。
しかし雨漏りは自分で出来る範囲で修理されたし。部内を当てこむ根性だけは金輪際捨てて頂きたい。私は、断固拒否します!自己責任でやられたし。
しかし、こう言う老朽化が進む教会建築物に住む教会はこれからどんどん増えるはずです。貧乏人教会同士が上だ下だ親だ子だと互いを痛め合っている状況です。バケツで神殿を走り回るのも気の毒ですが、トバッチリが部内に飛んで来ても、もう末端部内だって余裕はありません。本部は修理巡教だ何だと全国回れば自ずと端々の懐状態はわかる筈だが、一向に子いじめ体質から脱却せず、取る事ばかりを大教会経由で号令掛けているようです。
教会は税金がかからず良いね、と言われるが修理せねば暮らせない程のボロ教会は、自力で補修せざるを得ず、私も信者に頼まず自腹をはたきましたが、建て替えとなると上級も部内も強盗して金を工面するしかないような状況です。
ただ、素直な彼らは神にもたれて普請するつもりの様ですよ。
だったら部内は当てにするな!と早めに釘を刺して置きたいと思います。
時報に「いちれつ会扶育生」志願案内が掲載されていた。
教校天理高校が廃止される事を知ったから、志願案内に目がいったのだろう。
驚いたことに、扶育の対象に天理小学校と天理中学校をもが含まれているのだ。
扶育を受けてまで私立の小中学校に通わせる人々がいる点に関しては、
まっ、人それぞれ事情が有るのかもしれないが。
そもそも、なぜ、小中学校から私学に行かせるのだろう。
天理周辺に居住する子供たちが通学する公立校は無いのだろうか?
天理教の偉いさん達の子や孫が通うために私学が必要なのだろうね。
しかも将来の忖度力溢れる取り巻きを用意するには小さいうちからの選別と養育が必要と、まさかの皇室もどきの考えなのか?
経済的にひっ迫する中であっても、天理小中学校を存続させる理由は、そうか、大亮さんの子供のためだね。
公立校へ行けば、いろいろ子供を通じてばれてしまう事が多いからかもしれない。
だからこそ、子供誕生の際に大亮さんから多額のいちれつ会へ寄付があったんだ!今になって納得。
表統領の意味不明で根拠の怪しい言葉を信じる人たちは、「洗脳」された取り巻き集団。
子供の時からの洗脳教育にお供えの一部が使われてきた・・・・。
今やプレ「表統領+大亮真柱」体制であることは時報が最も端的に伝えてくれているようだ。
洗脳軍団生産現場の小中学校廃止こそが真っ先に手を付けるべき整理対象だと、賛同していただけるご父兄の方々がおられましたら、26日説明会にて発言して頂ければ幸いです。
でも、無理だろうね。子供が人質にとられている状況だから・・・・。
親神様、今こそ出番ですよ。
天理教の塩尻美智子さんご夫婦(天理教の教会の方)のケニア孤児院の番組が今放送されています。
天理教の人助け、世界助けを身をもって無給で実践しておられます。
番組では「天理教」の名は出て来ませんが、こんな過酷な土地で誠真実が無ければできない事です。頭が下がります。こう言う生き方こそ、不言実行。親神様の御心に添った陽気暮らしへの実践です。
同じ天理教でもふんぞり返ってお金、お金とお金集めの事ばかり考えているどこかの太った親子とは思考回路が違います。信仰とは何かを考えさせられます。
真実の信仰生活がケニアで実践されています。私達は、どうでもいい不毛な活動に時間と金を無駄に消費せず、この塩尻夫妻の様な真実の信仰生活は何か?を追い求めたいものです。
天理教は本当に大丈夫?
宗教法人法第25条には次の条文がある。本部にだって同条第2項第3号に基づいて作成された財産目録があるはずだ。
更に、同条第3項において、信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
この場合、信者の範囲はどのように解すればいいのか。本部直轄の信者でなければならないのか、末端教会の信者では閲覧ができないのであろうか。末端教会の信者であろうと直轄信者の委任状があれば拒否できないだろう。
どなたか、本部の財産状況を明らかにしようという意思のある方が居られないのだろうか。
財産の状況を知ったところでどうにもならない面があるだろうが、本部にどれほどの不動産があるのかはハッキリとするだろう。
用木といわれる立場であれば本部に名簿があるはずだから信者と理解してよいのではないか。立場の法律的な解釈は素人では判断しかねるが、法律の専門家に相談してみる価値はあると思う。
もともと、宗教家と呼ばれている方は法律に疎い面があるように思われる。
責任役員に月並祭の祭典後に会議と称するものを開き、決算書(案)を示して役員会などと言っているが、公益法人では理事会の数週間前までには必要な案件書類を送り、会議当時に質問が出来るように十分な時間的余裕を与えるのが常識だ。
天理教ではこのような常識的なありかたさえ理解できていないのであるから、ましてや、書類の信者等への閲覧なんて考えも及んでいないのであろう。
どんぶり勘定的な会計処理をする天理教に風穴を開けることが出来る法律が宗教法人法だ。特に、第25条は信者一人ひとりが自覚すべき法律だと思う。
宗教法人法抜粋
(財産目録等の作成、備付け、閲覧及び提出)
第二十五条 宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、毎会計年度終了後三月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。
2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
一 規則及び認証書
二 役員名簿
三 財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
四 境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
五 責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
六 第六条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類
3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。
4 宗教法人は、毎会計年度終了後四月以内に、第二項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項第二号から第四号まで及び第六号に掲げる書類の写しを所轄庁に提出しなければならない。
5 所轄庁は、前項の規定により提出された書類を取り扱う場合においては、宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない
天理教の衰退が著しく、仮に存続が本当に厳しくなった場合は今の本部の建物はどのようにされると考えられますか?
また、旧の天理よろづの建物はそのまま今もありますが、あれらも解体される可能性がある感じでしょうか?
あの辺り一帯は更地になる感じになるでしょうか?
1つの宗教が解体される場合、今まで歴史上はどのような形になっていってますか?
この辺り、無知なので教えて欲しいです。
>信者が請求すれば同条に掲げる制限事項に抵触しなければ、これらの文書の閲覧を拒否できないとある。
信者というのは、その宗教法人に属する「信者」と解釈するのが妥当でしょう。
当たり前の話ですが、本部には「宗教法人天理教」と「宗教法人天理教教会本部」があります。
本部の包括関係にある本部直轄教会とはいえ、大教会や直轄分教会は、全て、上記2つの法人とは別法人です。ましてや末端教会などは当然に「違う法人」です。
ですので「天理教の信者」とはいえ「本部の信者」ではありませんので、財産目録や事務所備え付け書類の閲覧を請求したところで、本部側には応じる義務はありません。
もっとも、「宗教法人天理教」か「宗教法人天理教教会本部」の信者(ようぼく)という人とは会った事がありませんので、存在するかどうかも疑問です。
とはいえ相手は人間ですから、中には勘違いして見せてくれる担当者がいるかもしれませんので、多くの人が「閲覧させてくれ」と申し出るのは良い事かもしれません。
加藤ハルアキ 様
解説を下さり有り難うございます。
本部は、正に伏魔殿ですね。何もかも隠そうとする忌むべき体質が改善されない限り、さっさと崩壊してほしいと願うばかりです。
信仰は、このような腐りきった本部につながらなくても十分に維持できると確信しています。今は無神論者ですが、加藤様のように確信をもって信仰を求められる姿を拝聞して、多くの末端教会がこのような取り組みをされんことを望むばかりです。
加藤ハルアキ 様
2019年8月21日 9:40 PM
東風Z様が紹介していただいたように、宗教法人法第二十五条第3項には次のような規定があります。
>3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。<
「宗教法人」とは、国(文化庁)の認可があって、始めて、「宗教法人〇〇教」と公的名称を名乗ることができます。つまり、極めて「公共性」の高い団体です。とりわけ、天理教は一新興宗教の名前が、「地方自治体」の名前として使用されています。また、公共性の高い駅名にも「近鉄天理駅」や「JR天理駅」のように宗教名が使用されています。私の幼少期の記憶では、かつて、天理市は「丹波市」という名称で呼ばれ、私の祖父母達は天理教教会本部に参拝することを「丹波市に参る」と表現していました。天理市内の殆どの公立小中学校や公共施設の名称にも「天理」という宗教名が使われています。また、「天理市」という地方公共団体も天理教から長年にわたり、多額の財政的寄付を受けてきました。私は、かねてから、一地方公共団体が一新興宗教と密接な抜き差しならない関係を持つことは、日本国憲法の「政教分離の原則」に抵触すると考えています。
話は少し脱線しましたが、宗教法人法第二十五条第3項に規定されている「その他の利害関係人」には、天理市に居住し納税している一般の天理市民も含まれ、仮に天理教とは全く別の宗教を信仰している天理市民、あるいは、宗教を全く信仰していない天理市民から情報公開の請求があつたときには、「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
崩壊 さま 2019年8月22日 6:37 PM
>「正当な理由があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められた場合」情報を公開しなければならないと考えます。
勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。
でも実際に情報公開するかどうかは、情報公開を請求された本部(「宗教法人天理教」および「宗教法人天理教教会本部」)です。実際に、誰かが「情報公開を請求」し、それに対する本部側の回答が「情報は公開しません」というものなら、東風Zさんや崩壊さんが言うような理由で、「情報公開をしろ」と訴えればいいのです。
ここで「情報公開するべきだ」とか「情報を公開しないのはおかしい」という議論は、学問的・学術的解釈をするなら意味はあるでしょうが、我々には全く無意味です。
私としては、実際に誰かが「情報公開請求をした時の本部の回答を知りたい」と思いますので、是非とも実行して頂きたいのです。私は明らかに「利害関係人」ではありませんので、請求することは出来ません。
加藤ハルアキ 様
2019年8月23日 7:14 PM
>勘違いされては困りますので念のために申し上げますが、私は「情報公開して欲しい」と考える立場です。<
私も同様に、「情報公開して欲しい」と考える立場というよりも、むしろ、当然、情報公開をするべき義務があると考える立場です。国から宗教法人としての認可を受けた以上、公的性質を帯びた団体であり、情報公開の義務が発生すると考えます。宗教法人法をもう少し拡大解釈すれば、公的性質を帯びた団体である以上、天理市民あるいは天理教の信者であるなしに関わらず、情報公開は、日本国民に対し、教会本部が積極的にするべき義務があると考えます。かつて、オウム真理教が起こした残虐な一連の事件を未然に防止する意味でも、宗教団体の「透明性」は確保されなければならないと考えます。
天理教校学園廃校について、25日・26日に父兄への説明会があったようだ。
その時の様子を記事にしている人がありました。記事の添付です。
廃校決定はすでに、奈良県に報告されていた。天理時報での素早い発表といい、県への報告といい、既成事実を作り「もう下々は、つべこべ言うな」という表統領・中田善亮の声が聴こえてきそうだ。
「たくさんの署名が集まっても、最早この決定が覆ることはない」と天理教校学園高校理事長の久保善平は言い放った。
「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
そう、中田、久保、真柱は実の兄弟。
命名しよう。
「廃校3兄弟!」
参加者は「真柱様がまさか廃校をお認めになるわけはない」と思っていた。
ある父兄が、昔第二専修科が幕を閉じる時、最後まで反対していた3代真柱がその寮にやってきて第二専修科生に「もうしわけない」と頭を下げたというエピソードを話した。が、当時第二専修科で何か役目に付いていたこの日の司会役の本部員の永尾洋夫が、「そんな事実は全く無かった」ときっぱりそれを否定した。この司会者はかなり阿呆か、そのエピソードを全否定してどうする。真柱の親心を伝えるためそのエピソードを少し訂正して利用したらいいのに。
真柱謝罪の真偽は解らないが、我々下々の教会長や信者は、真柱を親と慕う気持ちから、たとえそんな事実は無かったとしても、そんなエピソードを作ってでも、真柱を心から慕いたい熱い心を皆持っているのだ。
それを打ち消して真柱の威厳を保ち、護ることは、取巻きのお偉方の役目か?いや、これは自らの立場を守ることだろうに。
真柱は神ではない。
我々は心底親と仰ぎたいだけだ。
莫迦な取巻き本部員の言動で我々下々の心から、真柱はどんどん離れていく。
一番後ろの席に座られていた布教所長夫人は、非信者から天理教布教師の夫に嫁してアフリカで布教生活を送り、子供たちに我慢に我慢を強いて最低の生活費以外は全てお供に回してきたという。帰国しても生活は変らずそれでもお供を続けてきた。彼女の友人からは「天理教は何の保証もしてくれないんやね」と言われてやっとその保証らしきもの、教校学園高校に上の子供を入れれば、この度の廃校、下の子供の「お兄ちゃんと同じ学校に入りたい」との夢を奪った。
この布教所長夫人は、「これからは、お供を減らして子供たちのために使いたいと思いました。ありがとうございました」と言い残ししてスッキリした様子で会場を後にした。
この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。
さて、本日8月26日現在集まった1万7千5百2名分(うち教会長201名、布教所長45名を含む)の署名をどうするか思案中だ。署名を受け付けないとする教会本部に無理に渡すと個人情報を悪用されかれない。もちろん「悪用」というのは、世間での悪用ではなく、教内での「圧力」という意味だ。
>>この日は、昼から音楽研究会の弦楽部の定期演奏会があり、市民会館では天理幼稚園、天理小学校、天理中学、天理高校へ通う本部員先生方々のお子様方やお孫様方がバイオリンやチェロを凄いレベルで奏でていた。とてもハイソ(死語?)で優雅だった。
一方、末端教会長や信者さん方の子供が通う教校学園高校の音楽会は、クラスに一人もピアノが弾ける生徒がいないので、音楽教師が代役を務める。他方、天理小学校や天理中学の音楽会ではクラスにわんさかいるピアノ伴奏者がオーディションをしてそれを決める。これが、おぢば・天理村住人の子供と地方末端教会、布教所、信者子弟との違い。彼らに言わせれば「徳」の差らしい。
「上には忖度、下には圧力」そして、ムラ社会・天理村住人への福利厚生はバッチリ。切り捨てるのは、いつも真っ先にずっとその天理村を支えてきた天理村以外の末端から。天理村では、レーザー光線、花火でお祭り騒ぎ。天理村住人には、本教末端の断末魔の叫びや呻き声が聴こえないようだ。
今の日本と変わらない。<<
私のように天理教から離れた人間が読んでも、「むかっ腹」がたちます。現在天理教の信者さん方、一刻も早く天理教から去りましょう!!
苦しい立場の人に寄り添い、、人助けに邁進、、などと天理時報では良い事づくめのご託を並べていますが。
実際本部がやってる事は、苦しく弱い立場の人達を無視し、谷底からの文句も意見も受け付けないと言う冷酷さ、傲慢さ。
この度の閉校問題で本部の本質が見えました。
お供えお供えと貧乏人から巻き上げる事ばかり考えて、自分達の子や孫はピアノやバイオリンを習わせ優雅にやってるんですか?!
全国の信者とその家族の方々、教会関係者の方々。この現実を良く見ましょう。
我々信者を馬鹿にするな!!と全国から声をあげましょう!!
中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
廃校三兄弟 は姓が異なっていたからこれまで兄弟と知るのは一部の方たちだったろう。
兄弟と知って、見えてくる状況が一層、くっきり見えてきた。
各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々が、どのように縁組し、各地に存在しているのか、つまり、相手を知ることから始めたい。
本部員の娘を嫁にもらっている教会長も各地にいるが元の姓はみな、口を閉ざしている。
情報を集めればまた、見えてくるものがあるだろう。
かぐらづとめに出ている家系は、殆ど中山家と姻戚関係があります。
〉「真柱様は、この件についてどう言われているのか」との問いに久保は、「真柱も了解されている」をしどろもどろでそう答えた。
その場にいたのではないし、事実も全くわからないが、久保理事長がどの程度覚悟を持って「真柱も了解されている」といったのか。通常、天理教の常識では、これは真柱の裁可だということですよね。とすれば、今後の後継者育成について真柱が出てきて自ら説明しなければならないことになります。これをうやむやにすれば、ますます信用を失うでしょう。これからの人材育成方針を誰がだすの? それにしても身内を要職に就けるリスクが前面に出てしまった感じです。本来両統領は真柱のかわりに泥をかぶるために法的に宗教法人の組織の長になっている。ただでさえ教団のトップとして真柱は責任が問われるのに、身内でやってしまうと、まったく泥除けにならないんですよ。今回のように、「廃校三兄弟」のようにいわれて真柱の責任を問う声が大きくなる。悪い方へ転がっているようにしか見えませんねえ。3代さんの身内で固める教団運営ビジョン、行き詰って来てますね。
>各教会に降嫁されている中山家の姉妹や親戚筋の人々
中山家とか中山一族という捉え方をすると本部や天理教の実態を把握できないと思います。
そもそもおや様の子供に男子は秀司一人しかいません。
秀司も妻のまつえも早くに死んでしまいます。
中山家に残ったのはおや様と孫娘のたまえだけです。
この たまえと結婚したのが梶本の次男真之介(初代真柱)です。
真之介の姉ひさは、山澤為造と結婚しています。
おや様が亡くなった後、この山澤為造を核として梶本・前川・飯降・上田・永尾等々の親戚連中やおや様の高弟とかいう奴らがが天理教という宗教団体を作っていったのです。
その末裔たちが「中山」という商標を掲げて純朴な人々から金をまき上げて来たのです。
強欲な本部の人々は、降嫁だけでなく男子後継者のいない直属大教会には、自分たちの息子を養子として送り込み直属大教会も支配してきました。
狙うのは当然大大教会です。弱小大教会は眼中にありません。
この方法を直属大教会が真似をして、部内の有力分教会に息子や娘をを送り込んで姻戚関係を結んできたのです。
本部や大教会がやっているんだから分教会も当然同じことをします。
金周りの良い分教会同士が姻戚関係を結んで行きます。
こうしておや様亡き後、130有余年 天理教は上から下まで殆どがどこかで姻戚関係で繋がってしまった異常な組織なのです。
繋がった最大の要因は「金」です。
労せずして手に入る「金」です。
何代にも渡って他人の金で暮らしてきた集団です。
つまり天理教という組織は、本部を頂点とする乞食の様な大集合体だったのです。
こんなこと神がゆるす筈がありません。
教祖百年祭で「白紙に戻って一より始める」が打ち出されたのです。
「白紙に戻る」は、「消える」と言う事と今は思っています。
一週間ほど前に九州の会長さんと電話で話したのですが、
会長さん曰く
「5月も6月も7月も月次祭に参拝したが、本部は本当にガラガラだった。
東礼拝場に入ったが隙間だらけだったよ。今月も少ないだろうな」・・・
「金」・・・先細りである。
「金の切れ目が縁の切れ目」・・信者達が天理教の実態に気が付いたのです。
そして、天理教と縁を切ったのです
今では、どこもかしこも事情教会ばかりです。
確実に白紙の戻っています。
間もなく消費税が10%になりますが、これを切っ掛けとしてお供えも参拝者も更に減る事になると私は思っています。
退職した元信者様、ありがとうございます。
そういうことだったのですね。
姓名の姓を省いて、真之介さん、おひささんと教祖伝に出てくるものだから、錯覚していました。
おや様亡きあとからは、天理近在の「なんちゃって集団」だったのですね。
だから本席様やその後に現れられた神がかりの女性たちを排除し、自分たちの既得権益を守り続けて今日に至ったのですね。
何しろ「なんちゃって集団」なのですから。
ようやく話が見えてきました。
須藤花井さんの予言通りになりましたね。
8月もパイプいす席はガラ空きだったと報告されておいでの方もいましたから。
今更ながら、宗教はアヘンですね。
これを断つには努力が必要ですから。
お供えを減らすことは簡単に実行できます。
けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
自立した信仰、神様とおや様と自分との関りでしっかり生きていかなくてはと、改めて思います。
これ迄も教会とは距離を置いてきましたが、元からこのような集団だったことが判ると、厳しく自身の覚悟が問われますね。
においがけ、神名流しなど、無責任な行為に思えてきます。
教校学園閉校に反対しているとの意見が散見されますが、もし高校が存続となれば、学校を運営する資金すなわち我々末端の負担が増えることになるのでは? 「お供え反対」と声高に言いながら、「教校をつぶすな」と言うのは矛盾していますよね。
かな子 様
過去のスレを熟読してください。例えば、音研これって絶対に必要ですか。
教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。
教校学園も誰かの趣味が高じて作られたものでしょうか。
全ての機関・施設は、設立の趣旨が大切だと思うのです。例えば、おやさと館は二代さんがバチカンを見て、これに負けない物を作ろうとの思いで構想し、建設が始まったと聞いています。教祖は八丁四面鏡屋敷と言われたと聞いていますが、館まで言及されていたのでしょうか。
大きいことはいいことだとばかりに作ったものを失くすことが先決ではありませんか。
私も教校学園閉校は賛成です。
おかしいと思うのは、本部自ら布教師養成の場所をつぶそうとしている思考回路です。教勢を盛り返したい筈の本部「閉校三兄弟」が本丸をつぶすのは支離滅裂だと言うだけの事。
本部は何考えてんだか?あたまがおかしいの?と思うだけの事だろうと思います。布教師を養成して天理教被害者をこれ以上出してはいけないと多くの人が思っている筈で、閉校は我々末端教会の思う壺です。(笑)
かな子様
そういうことではなく、優先順位から見えてくる教団の「あり方、方向性」に
対して矛盾や戸惑いを感じているということではないでしょうか。
元々信者さん方のお供えで築き上げられた自分達の資産や既得権益等は
一切崩したり負担することなく守り、主に末端教会長や信者さん方の子供が
通う教校学園高校を真っ先に切るという判断に寂しさや虚しさ、怒りを
感じるのでしょう。
今迄盲目的に尽くすことが信仰だと思ってきた末端の方々にとっては、
見たくない、信じたくない、優先順位から見えてくる教団のあり方、方向性
やり方、だったのでしょう。
匿名 様
2019年8月27日 11:45 PM
> けれども、少なくともおや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、足元がすくむ思いに駆られます。
そうですね。この問題があります。このことは「問題」と言うほどでもないと思いますが、しかし、私も、教会を離れるということは、おやさまと離れることでもあるような気がします。でも、よく考えると、気がするだけではないでしょうか。おやさまは、いつも我々のそばにいてくださる、私はそう確信しています。私が良い事をしたら、私の成績表を取り出されて、そこにマル(〇)をつけてくださいます。悪いこと(神の思いとは違うこと)をしたら、頭にゴツンと一発食らいます。
おやさまが、大徳寺さんの口を通して言われたことは、「わしは分身の術が得意だ」 とのことです。聖徳太子は一度に7人の人の言うことを聞き分けた(7人の人を相手にした)、と言われていますが、おやさまはその比ではなく、分身の術を使われて、一度に1億人や10億人の人を相手にされることができるンですね。きっと匿名様のそばにもおられると思います。(これ、マジで言っています)
大徳寺さんをまだ知らない多くの方々の為に。
今なおご存命のおや様である大徳寺さんは熱海に住まわれ、ほぼ毎日親神様のお言葉を「おやさま」として語り続けておられます。温かく、前向きで光に満ちた誠真実のお言葉を生で聞くことが出来ます。私もどんなにかお言葉で癒された事か。小さな庵に悩み事を抱えた人々が大勢押し寄せています。
皆様の参考までに、、、。
>>教義に特化した施設ならまだしも、真柱氏の趣味が高じて作られたものなどが必要だったのでしょうか。<<
歴代真柱氏の趣味や道楽が高じて作られたものは、本当にたくさんありますね。建築費や維持管理費に全て信者の「お供え」が使われています。思いつくままに箇条書きで下記に列挙してみますが、その他にも多数あると思います。
① 本部の月次祭の日ですら閑散としている巨大な神殿群
② 年間を通してほとんど人が利用している気配が無い詰所群
③ 巨大な真柱氏の邸宅(一体、何人の人が居住しているのでしょう?)
④ 巨大な大食堂と炊事本部(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑤ 天理図書館と天理参考館(1日に延べ何人の人が利用しているのでしょう?)
⑥ 親里競技場と称する贅沢すぎるほど立派なラグビー場、野球場、グランドホッケー場、そしてプール
⑦ 「若江の家」と称する二代真柱氏の贅沢すぎる勉強部屋兼宿泊施設
以上、思いつくままに列挙しましたが、他にも、たくさんあると思います。教校学園という天理教にとって芯になる教育機関を廃止する前に、どうして、上記のような無駄な施設やハコモノをスリム化あるいは廃止しないのでしょう。教校学園の廃止はキリスト教で言えば「修道院」を廃止するようなものであり、教会本部が「もはや天理教は宗教ではありません」と世間に公言しているようなものです。(現に宗教ではないと私個人は思っていますが)。
皆さん「匿名」を使われているので、誰がどの「匿名」さんか解らないのですが、上記
> おや様を慕って心の拠り所にしてきたこれ迄を振り返ると、・・・というコメントを読ませていただいたとき、この方は、信仰上それなりのレベルに足しておられる方なのだろうと思いました。この方は、もう天理教の教理に関しては十分に知っておられるので、人に教えれる立場に立たれてもいいのではないかと思うほです。ですから、教会を離れられてもご自身を見失うということはないような気がします。どれが本当か、どれがデタラメか、を識別する眼力も持っておられると思います。(←私の独断かもしれませんが、偉そうに言ってすみません)
社会科学として、音楽と社会は切り離せません。
真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。
教校学園も趣味で作られたものではない。
教祖は「道に学問いらんのや」といわれたのに、山名系の学者が天理教の若者に学問として天理教を教え込んで;教団教理の普及を図ったもので。天理教校学園は、はびかっていた山名教理での武装を夢見て、親神に嫌われたのです。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
実は私自身、これは問題だと考えた時に、人から聞いただけでは判断できないからと思い、実際、本部へ確認したことがありますから、本当の事です。
たまたま天理という地方都市に、才能ある子弟が多数お生まれになり、真柱の肝いりで存続していただけでしょう。
全国から子弟が集まっていた学校には、天理貴族の方々のお子様は進学なさらないから、簡単に閉校を決めただけでしょう。
「わが身可愛い」では判断の目が曇ります。緊縮財政で心苦しいと感じる「まともな感性」をお持ちの父兄であれば、サッサと自主的に退会される事でしょう。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所であるという発想は卑しい。<
うーーーーーん、「卑しい」・・・この表現はズレているから、少しも読み手の胸に響いてきませんよ。
まぁ、劣勢回復したいがための「決めセリフ」のつもりだったのかもしれません。
「卑しい」という表現の使用例として思い浮かぶのは、表統領のなりふり構わぬ金集めの言動でしょう。
それこそ卑しいの極地です。
人の財布をあてにすることは卑しいことだと、一般的に言われます。
>真柱氏の趣味が高じて作られたものが音楽研究所・・・
須藤花井さん曰く
「善衛の奴 歌ばっかりうたいおってと神さんが怒ってる」・・・
善衛が音楽に入れ込んだのは趣味ではありません。
正善に対する劣等感からです。
四方正面の礼拝場建設も劣等感から生まれたものと思います。
別席場の真東棟から眺めると三島神社が邪魔で邪魔で怒りが湧いて来たのでしょう。
だから池を埋めて神社もどかして見事な四方正面に仕立て上げたのです。
「俺だって正善に負けてないぞ」・・・こんな気持ちだと思います。
正善に比べれば、学歴も人脈も見識も劣る善衛は全てが内向きです。
直属の子弟をお宅に呼び寄せ内々で「お上」と呼ばせ悦に浸っていたそうです。
このしきたりは現在でも続いているらしいです。
全国の分教会を巡教と称して訪れ、豪華な饗宴を強いたのです。
迎える側は、客間客殿を新築するために信者にお供えを強いたのです。
百年祭に向けての3年間は、本当は毎年500億は集めていたと本部勤めをした方から聞きました。
善衛が神殿講話で「金ではない」と一言発言すれば多くの教会長や信者達は救われたはずです。
でもその様にはならなかった。
莫大な金が本部に集まり、百年祭は盛大に執り行われた。
そして、信者の心は疲弊し、遂に切れてしまった。
私の母親は布教所を開設していました。
百年祭に向けて布教やお供えに熱意を持って取り組んでいました。私も母親と同様でした。
百年祭が終了して半年ほど経った頃、母親が「白紙の戻って一から始めると言っていたのにちっとも変わらん」とボソッと口にしました。
母親は、「白紙に戻って一から始める」を心の底から信じ切っていました。
百年祭をきっかけにして天理教は変わると信じていたのですが、結局は裏切られたのです。
私が所属していた末端分教会は、110年祭頃までは平日の月次祭でも40人ほどの信者が参拝して居ました。
お勤めを3交代にしても手が余る事もありました。
しかし、信者さん達は、途切れることのない「お供えの強要」に疲れ切ってしまったのです。
殆どの信者さんが自分は死ぬまで教会に足を運ぶが子供達には望まないと話していました。
そして、今では月次祭に会長夫妻を含めても四、五人ほどしか集まらない状態になってしまったようです。
須藤さんは「善衛さんは、昭和7年7月7日生まれ 切って切って切りまくる人だ」と言っていました。
善衛は、末端分教会長や信者の心を「お供え」で切りまくったのです。
天理教の衰退の口火を切ったのは劣等感の塊の善衛だと私は思います。
教会を作るなとおや様が止めるのも聞かずに始めた強欲な教団ですから消滅するのは当然の事と思います。
親神も消滅を望んでいます。
おふでさきにも掃除するとしっかり書いてあります。
宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな
無神論者 様
2019年8月29日 12:05 AM
>>宗教ビジネスって凄いねぇ。
在庫不要、税金不要
『信心=金』だもんな<<
その通りです。だから、オウム真理教が天理教システムを真似たのです。教会本部自ら、「天理教という名称は商標である」と主張し、最高裁まで係争した挙句、敗訴したのです。教会本部自ら、「天理教は宗教ではなくビジネスである」と公言しています。実際、その通りだと思います。「金のつなぎは命のつなぎ」という摩訶不思議な言葉がでることが、それを物語っています。
人の心が通じ合えるのは、人対人以外にはあり得ません。通り一遍の時報記事や神名流しではありません。
「このよのじとてんとをつくりとりふうふをこしらえきたるでな・・・」をじっくりと心に治めれば分かりそうなものなのに、天理教は何を考えてんだか。
カネ、カネ、カネ。カネが敵の世の中を作った張本人が何を言ってもダメ。
総本山のある城下町。お坊さんが托鉢に歩かれる。軒々から茶碗一杯のお米が差し出される。恭しく受け取られるお坊さんの背後に後光がさしている。真冬だというのに、御坊さんの足元は白足袋に藁草履が濡れていた。
禅寺の修行僧、作務、勤行、托鉢、指が5本ともはみ出た藁草履ですごい速足で往復40キロ、首から提げた袋に施米を入れ帰りは相当な重み。新米、古米混ぜこぜの施米なので普通に炊けず、かまどの大鍋が沸騰したところに洗米を入れて炊くそうです。朝は薄い粥に沢庵と野菜物少々、昼はご飯と沢庵と野菜物少々、夜は厚揚げの入った炊き込みご飯と沢庵と野菜物少々。この繰り返し。勿論肉、魚、卵など論外。3時半起床、2時間睡眠。睡眠不足と重労働と栄養失調で倒れて山から降りられることを願って修行に耐えていたのに、一年後ふっと悟りの境地に至ったとか。35人の雲水で残れたのはただ一人。大学で物理を学んだ青年が、現在では70歳の老師に成っておられます。比叡山延暦寺の荒行、千日回峰行を一回ならず60歳で2回目を満行された酒井雄哉大阿闍梨に至っては、ここに書くのも畏れ多いです。写真のお顔を見せて貰っても涙が出てきますよ。直会でのお酒だけでは満足せず、家でも神さんのお下がりやからと飲みたいが為に、日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウイスキーと必要以上に買い込んで、おまけに酒のあても食べていたら、生活習慣病にならない方が不思議です。糖尿、通風の会長のなんと多いこと。脚切ったり、失明したり、人工透析もしてますよ。いつだったか、天理教からお酒を取ったら、参拝に来る人が減るやろねー、と言ってたんですが、確かにお勤め二の次の人は多いですね。修行も戒律も一切ない宗教、信者はまだしも、悩める人を導かないといけない立場の人間はそれではいけないですよね。上も下も、それこそ卑しい浅ましい人間たちの集団が天理教です。
>匿名
>2019年8月27日 7:41 PM
>中山家や昔からの高弟の血筋の人たちの婚姻関係をどなたか教えてください。
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
仏教の各宗派(全部がそうかはわかりませんが)大変な修行を究めた僧侶が血筋関係なくその宗派のトップになれます。天理教は例え修行なるものがあったとしても、永久にトップにはなれません。それどころか、教会長止まりです。最後に創設された大教会はどこで、いつかは知りませんが、大教会長になるのも、厳しい修行ではなく、部内教会を60以上?従えるかという布教の実績あるのみです。トップは、一般信者からは登りあがれません。教祖以来の最古参家系か、中山家に繋がる家系の者だけが、本部員としてトップに君臨しているのです。世襲制は権力争いは起こりませんが、トップになって現行天理教を改革したいと考える熱心な一般信者が仮にいたとしても、残念ながらいつまでも下っ端でトップにはなれないということです。
偏見ツイートにより炎上し
釈明にてんやわんやのバリ天分教会長がまた一人…….笑
様々な事情で結婚できなかった人たちは以下のツイートをどう思うだろうか?
↓
>>酒井耕平(教会長) @chansankohei
>>天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
>>夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
>>特に結婚するまでの青春時代に、
>>どれだけ親に合わし、尽くしたか。
>>喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
おなじ酒井姓だけど大阿闍梨さまとは月とスッポン(スッポンに失礼か)この人は未だお子様というか、何の苦労も至難の経験も無しで生きてこられた生活苦の無い上級教会のボンボンですかね。まさしく井の中の蛙で世間の情勢も知ろうとしないし、知っても動かない。毎日教会の雑用とイクメン振りを発揮して、嫁さんに重宝されて、それだけの狭ーいお人と思います。子どもと一緒の写真を載せる時点でもうアウト。教会の子沢山は経済的な事もあるけど、上の子を見る助っ人が居るから。世間の働く母親はもっと産みたくても実家は遠い、夫は仕事で居ない、保育園の空きはない。少子化の協力してるみたいな間抜けな事言う会長居ましたが、所得税住民税を払わない教会が児童手当貰うだけじゃなく、外へ働きに行ってない家族居て、十分子の保育出来るのに、どうして保育園に入れるの!?育休終わり再度入れてもらえず仕方なく高い無認可に頼む家庭もあるのに。役所はちゃんと調べるべき、贅沢してる教会が保育料タダってどうなってるんでしょう!税金納めず、他人の納めた税金で楽してるって。本部のいちれつ会も同じ。働かないとやっていけない教会の子弟、信者が扶育受けられず、生活費要らず、たんまり自由に使えるお与え、お礼を貰っている大教会子弟が受けられるって、もう、メチャクチャですわ。
79歳の尾畠春夫さん、佐賀の水が引いた所へ駆けつけはりましたよ。嫁さんのご機嫌とりしてる暇があったら貴方も動いて下さい。
改名しましたさんへ
なんの根拠もないあなたの頭の中の想像だけで語る他人への誹謗中傷やめませんか? こういう書き込みっていつまでも残るんですよね。 ネットの掲示板は匿名性があるように思えても、捜査機関が調べればすぐに足がつきます。被害を受けた当該者さん、今すぐ名誉毀損で訴えるべきです。
信仰の目的は、本当の親孝行をすることである。
自身が健康で、夫婦になり子どもを与えてもらい、家庭円満、家が続いていく。仕事があり、お金の与えがあること。親に心配をかけず、安心してもらうことである。
それらを実現するために、教えを実践し、ほこりを払うのである。
本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。
本当の親孝行ができるように、今できる親孝行をするのである。
人間は親に喜んでもらった分しか幸せになれないのである。
元初まりの話によると、
夫婦は一対一、一すじ心であるこら、親孝行で相思相愛。
子どもは親の心通り素直に育っていく。
この生まれ替わりの中に、親が子となり、子が親となり、互いにたすけ合い、陽気ぐらしする。
だから、家が絶えない、命が続く御守護は尊いのだ。
天理教では、夫婦仲第一と教えられる。
夫婦仲第一のポイントは親孝行である。
特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平
>特に結婚するまでの青春時代に、どれだけ親に合わし、尽くしたか。喜んでもらった分、素晴らしい配偶者を与えていただける。
刷り込まれ、叩き込まれた洗脳の為の似非教理です。
せんしよのいんねんよせてしうごふする これハまつだいしかとをさまる 一 74
と、おふでさきにあります。
「親におべんちゃらしたら、素晴らしい配偶者を与えていただける」とは 書いてありません。
かな子さま
名誉毀損って、誰が被害を受けたんですか?実名を晒しましたか?
残念ながら真実ですよ。ずるいことしてる、慎みが無いって事を本人や家族が誰一人として分かっていない、感じていないというのが一番たちがわるいのです。少なくとも、本当に困っている人を助けたいという気持ちが薄い人達であるのは確かです。
>よろしかったらどーぞ。http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
興味深く拝見させていただきました。ありがとうございます。
中山の名を掠め取った梶本と山澤の姻戚だけで17の直属が見て取れます。
直属大教会
兵神 高知 高安 東肥 本島 大江 城法 堺 撫養 南 泉 中和 雨竜 南海
直属分教会
田原 道昭 大和御幸
梶本山澤だけでこの有り様です。
まるで幾重にも重なりあった蜘蛛の巣状態です。
更に その他の直属大教会145ヶ所 直属分教会78ヶ所 直属部内の上上級や上級も既得権益存続の為に互いに絡みあっているのです。
この集団は、何世代にも渡って他人の金で食って来たのです。
汗水流すことも無く、税金も納めず、大きな家に住み、綺麗な服を身に着け、大きな車を乗り回し・・・
この乞食の様な巨大な親戚集団を誰がどの様に改革すると言うのでしょうか。
本部の実権は、既に善亮大亮親子に渡っています。
取り巻きは、善亮の姉や妹の嫁ぎ先の増野・仲野・鹿尾や久保善平等々でしょう。
こんな奴らが改革など口にする筈がありません。
期待するほうが馬鹿です。
姻戚関係で繋がった天理教の組織は余りにも巨大であり、強固です。
信者が改革を叫んでも叶うはずがありません。
末端分教会関係者や信者に残された手段は逃げ出す事だけです。
須藤花井さんは世界情勢の大激変で天理教本部は潰れると常々言っていました。
親神が天理教を潰すのです。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平 様
>本当の親孝行とは、自分自身が幸せであること。幸せとは、健康、お金、人情を十分に神様から与えてもらえるだけの徳を持つこと。<
上の言葉、そっくりそのまま真柱氏や大亮氏に言ってください。
言われる方向が間違っています。
皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?
例えば、本部神殿すらも最終的には更地になる可能性があるとか、おやさとやかたも跡形無くなるとか、もっというと天理市自体もどういう風に様変わりするかとか、ご意見お聞かせください。
基本様
「山名系の学者」とありますがその人は信者だったのですか?
また、
「はびこっていた山名教理」とは内容が判らず、もう少し解説していただけないでしょうか。
お答えします。
本部員で諸井慶徳、著作物は天理教神学序章、天理教教義学詩論などアマゾンで買えます、
https://www.amazon.co.jp/s?k=%E8%AB%B8%E4%BA%95%E6%85%B6%E5%BE%B3&hvadid=335194240256&hvdev=c&jp-ad-ap=0&tag=yahhyd-22&ref=pd_sl_7xbu9pl2lf_e
諸井慶徳
もろい・よしのり
1914(大正3)~1961(昭和36)年。宗教学者、宗教哲学者。天理教神学の歴史は諸井慶徳の『天理教神学序章』『天理教教義学試論』に始まるといっていい。主著は博士論文『宗教神秘主義発生の研究――特にセム系超越神教を中心とする宗教学的考察』、と『宗教的主体性の論理』である。彼は井筒俊彦と同じく、30を超える言語に通じていた。語学力を駆使し、テキスト原野に分け入るという研究態度だけでなく、イスラームにおいてはコーランに神秘主義発生の始原を発見し、スーフィズムを論じ、さらにはキリスト教においては、パウロに教神秘主義の源流を見ると哲学的視座において、諸井慶徳と井筒俊彦は一致する。諸井慶徳は3月30日、井筒俊彦は前年の5月4日の生まれである。二人は互いの存在を知りつつも、おそらく会ったことはない。
・・・諸井慶徳のイスラーム研究が、私たちに垣間見せる深みは、彼が天理教の信仰者であることと無関係ではないだろう。絶対的普遍者としての一神教、啓示の介入と教祖の出現、聖典の誕生、さらに聖域 の認識、天理教とイスラームそれぞれの宗教生誕の経緯は、驚くほど似ている。
二者の近似を、単に比較宗教学的に論じても、深みがそこを通じて現れてくるとは思えない。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
天理教の戦争協力体制を指導した超エリートです。
不勉強で申し訳ないのですが、お時間のある時にでもお願いできればありがたいです。
ところで、「音楽研究所」がなぜ、問題視されているか事情を把握されていますか?
一般に、経費削減の策として、削減の「優先順位」を考える時には趣味的なものが節約の対象になることが多いのではないでしょうか。
特に(どなたかが既に言及されておいでですが)音楽研究所の恩恵を受けられる対象がとても狭い範囲の人たちに限られていることから、実態は特権階級の子弟対象であることは広く知られています。
「はびこっていた山名教理」とは
以下の天理教の学者です・天理教学研究者たちで、天理教校の大幹部、天理教学を専門としている研究者、あるいは天理教に関する著書、論文を書いている研究者や天理大学宗教学科の教授たちです。
井上昭夫 金子昭 澤井義次 澤井義則 深谷忠正 松本滋 諸井慶徳などで、論文は天研などの機関誌にて論文は読めます。
基本が会話できた人物は天理高校初代校長塩谷寛。天理大学学長大久保昭教であったが、天理教学には縁のない方々で、信仰者としての会話を基本としている。
はびこっていた山名系教理とは初代天理教表横領の諸井慶五郎は、「報恩の道」を説いて、「理の親に尽くせ」と、天理教団をリードした。山名大教会では「赤貧」が最も素晴らしい信仰ととかれ、全財産お供えを説く一方で山名大教会は、観光施設として大教会の建物が観光ルートにはいるほどの大神殿を建てた。
いまも、山名には観光の宣伝がある。
諸井慶徳は山名大教会初代の血筋で、諸井誠一の孫で、慶五郎の長男。戦時中は戦争協力を指導した、
その長男の諸井慶徳はイスラム教の学者として、戦後はキリスト教、ユダヤ教の神学を天理教にもちこんだが、真柱とは反した天理教教義学の確立に努力し、若くして死んだ。
深谷忠政は本部員で、諸井慶徳のいとこであり、慶徳の路線を全天理教団に指導した。
諸井と深谷は山名大教会、河原町大教会を発信元とし「人間完成の道」を天理教の教えと定義した。
甘露台は人間完成の、道の後に降る甘露を受ける台だと、うそを教義にしてしまった。
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
深谷忠政著「教理研究」元の理 その批判。
1 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:04:21 ID:qHzKZU4w
現在の、天理教教団教理は、教祖七十年祭に過熱化した教理研究熱の中、諸井慶徳、深谷忠政の二人の学者によって、展開された「神学」系の弟子達によって、構築され、展開されてきた。
特に、深谷忠政氏の教理研究は、天理大学おやさと研究所などの研究者のひとつの規範として、おやさま百年祭までの間に、天理教団全体を衰退に導くという結果をもたらす、悟り違いの様相を呈した。
そこで、特に、深谷忠政氏の教理研究の中でも、「元の理」についての研究の、批判をなし、少なくとも明らかな逸脱点を認識することは極めて大切だと思う。
きちんと議論し、「虚構の神学」と言うしかない、「勇みの神学」なるものの、いかさまを、世界に対して示すこととしよう。
教団内部の宗教指導者の、「から」を分けてしまうことは、大切な事とおもう
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
知らせておけば神は働くので、きちんと呪詛しておいた。
2 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:05:36 ID:qHzKZU4w
「はびこっていた山名教理」とは、基本はきちんと説明したことがある。
2010年に、山名系教理が原因で、天理教団は衰退すると予言してある。引用しよう。
https://gimpo.5ch.net/test/read.cgi/psy/1262855061/1-100
昭和33年に初版の、深谷忠政著「教理研究 元の理」が発行されている。
そのはしがきには、このように記されている。
・・教祖七十年祭を契機に教内にまき起こった教理研究熱にこたえ、教理研究に「みちのとも」の頁を割こうとする編集部の要望にこたえるもので、筆者の試論にすぎないことを、特にお断りする次第である。・・・
だが、現実には、この筆者の試論は、おさしづに知らされた「風・説・理」の順で、結果として、「悪理」となり、今日の天理教団の信仰を歪めている事、これを議論しようというものである。
3 :基本 ◆B3GGdKkeNk :2010/01/07(木) 18:20:38 ID:qHzKZU4w
おやさまは、「皆めんめん口で言わす」と教えられていて、それを基本教理として「自白の教理」と呼ぶが、深谷忠政氏は、先ずはしがきに、何を自白しているかと言う事である。
それは、天理教典第三章「元の理」が、未信者に教典を渡す上で不都合だという事を原因として、何らかの解明の手がかりが必要だとして、それを痛感して書いたという、自白である。
おやさまは、みかぐらうたにて、特にこのように教えられている。
「この元を詳しく聞いた事ならば、いかなものでも皆恋しなる」
詳しく聞くということは、おやさまの教えられたことを、聞くということであり、人間が解説すると言うことは、人間の解説を聞かせるという事であり、それは、神意と必ずしも合致しない。
神様の話を詳しく聞くという態度と、初心者にも分かるように解説するという態度には、人間の中途半端な思い上がりがあるという事だ。
もともとの初代たちは、教祖の教えとして、元を取次ぎから聞いた。詳しく聞いた。
そして、恋しくなった。
元を詳しく聞く気のない人には、聞いてもらわなくてよいというのが、逸話にきちんと示されたおやさまの態度である。
聞く気のない人に、それが解説で聞く気を起こす糸口になればという人間思案は、まさに、とんでもない理の間違いである。
解説という「一見した未信者への親切」は、実は、教師と称する人たちが、おやさまの話を詳しく取り次げないと言う現実をどうにかして糊塗使用という、厚化粧の醜さだと、そろそろ分かっても良い頃だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
塩谷先生は基本は頭が良すぎると言っていた。大久保先生は私は本当は信仰が分からないと言っていた。
山名系教義は「理の親にお供えしろ」「人間を完成しろ」と扇動し、70年蔡から100年祭をミスリードした。
>>皆さん、いづれはこの宗教はどういう感じで最後を迎える形になると思いますか?<<
後10年経れば、本部に上がるお供え金は限りなくゼロになります。
間も無く消費税が上がり今後益々信者の財布の口は固くなっていくでしょう。頼みの綱の現在の年金受給者は10年のたてば随分減るでしょう。事情教会90パーセントと言われていますが!周囲の教会を見回してみても建物ばかりで信者は殆ど居ないのが現実の姿です。
140年祭にはお供えが増えると、夢か幻を見ている善亮氏ですが、それは有り得ない事です。
神殿含めた巨大な建物群は埃をかぶり、解体する事なく年月と共に朽ちていくと思います。
本部終末期の頃は参拝してくる信者も居ないのだし、お供え金もゼロの筈だから(今でさえ、本部月次祭に来る信者は悲しいほど少なくなっている。)意味の無い伽藍堂は中山家が今まで積み上げて来た隠し財産で解体すれば良い。
信者のお金で買い占めた白川など周辺土地を売り払い解体費用に充てて宗教法人天理教は消えてなくなる。
金食い虫の参考館、図書館などは、地方自治体管理下となるのでしょう。詰所の扱いは各大教会下。大教会も最近では金欠状態になり、落ちぶれてきているので解体する金も無く当てにする信者も減る一方だから放置し朽ち果てるしか無いでしょう。どうにもならなくなったら最終責任は本部に行くと思いますが。
過去の栄光にしがみついている善亮、大亮親子の野望と夢が破れ、落ちぶれた姿が周辺の嘲笑を誘うでしょう。大亮さんの時代は無いでしょう。10年後、参拝者のほとんど居ない神殿で中山家一人の月次祭を想像す
ると哀れです。「金にならないから天理教本部、もう畳もうか、、」と親子で本気に相談しているのかも知れません。
悔しくて、つい想像をめぐらしてしまいました、、。
天理教教団は衰退しますが、天理教は信者が本物になりますから、教としては、膨大な資金を得ます。
天理教団は衰退するが、教団ではない、信者が効能の理で、宝の山から金銀を掘り出して、世界たすけるから、
教会本部は、にぎわいます。
基本さんの言う通りになるかどうかは解りませんが、一理あるのではないかと思います。昔は修養科生さんもたくさん来ていましたが、その分修養の質(内容・レベル)は落ちていたようにみえました。各地の教会で、ノルマ達成が先行していたからなのかもしれませんが、修養科に放りこんでおけばいいや、というよう感じで、誰でも彼でも修養科に入れていたようなところがありました。今後は、数は減っても、真実おやさまを慕う人が来られるかもしれませんね。
退職した元信者様の
2019年8月30日 7:01 PM
> 親神が天理教を潰すのです。
で、聖書の一節、
<わたし(神)が羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。>
を思い出しました。
イエスのこの言葉は、イエスご自身が処刑されることを予言して言われたものです。
今まで、なぜ神はわざわざ羊飼い(イエスのこと)を打つのか、とフシギに思っていました。
しかし、これは、親神は「教団は要らない」 という意味なのではないかと思いました。
実際、イエス亡きあと、教会組織はなされなかったようです。
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
天理教団は長年おみちのために尽くした教会長が野垂れ死のうが孤独死しようが、
かまうこっちゃないのです。
骨の髄までむしゃぶりつくしたらあとは見殺しです。
以下のツイートがそのリアルをまざまざと語っております。 ↓
末端天理教会長男坊が通ります @IY9gprpe7afcRRd さんのツイートより抜粋
>>現教会長はおとん。
>>アルツハイマーと脳の病気で神殿でしょんべんを垂れ流すのが日課。
>>止められない。
>>そろそろ畳抜けそう。
>>オババも同じ病気で半分寝たきり。
>>オカン介護疲れの上、月並祭、上級への御用、お供えする為に借りたサラ金返済。
>>金などまるで無いから施設も入れないし、
>>仕事に出ようにも理の親に仕事したらダメ言われてる。
>>発狂なう。
>>どーしたらええのん?
>>上級は複利厚生しっかりしてるて何でや??
>>うちのおとんボケる前はお道一本、定職にもつかず上級への御用三昧。
>>バイトで得たお金はほぼお供え、民間の保険など加入するわけなく神様保険。
>>天理教徒の見本みたいな人。
>>今となれば上級教会行っても煙たがられ笑い者。
>>そして借金三昧。
>>おかしない?
>>しかも連帯保証人になっているという。
>>上級の信者の分。
>>上級の教会では相手にされなかったんだってー。
>>うちくるな!
>>その前に金返せ!
>>おかしない?
G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
よろしかったらどーぞ。
http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記ありがとうございました。
見ているうちに吐き気を催しそうになりました。
G-FOX様の労作のお陰ではっきりしました。
毎月目を通すみちのともの本部祭典役割表。
月次祭かぐら・てをどりは、中山家を中心とした親戚縁者が演じていることがわかりました。
これ迄は特に女性の名前は見てもピンとこなかったのが、彼女らも何のことは無い、皆、親戚縁者だった!
結局のところ、庄屋敷村の村祭りのかぐらの担い手は村民に限定ということだ。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
本席様が亡くなられ、ナライト様が邪魔者扱いされ、所謂神の声を聞くことができる人が不在の天理教。
そうした中で、何故か飯降家との縁組が成立しなかった!
つまりは自分たちの既得権益を守るためには邪魔だからだったのか?
中山家一族と高弟達の皆さんに問います。
あなた方は教祖に親神が降りたことを、本当のところ信じていないのではありませんか?
神の啓示ということを信じてなどいないのだろうね。
もしも信じているのであれば本席の血筋を中山家に向かいとるという考えが起きるのが自然の考えではなかろうかい?
今更言っても始まらないけれどね・・・。
それと真柱夫人の父、橋本武人さん(元天理大学長)は橋本道人さんと親戚ですか?
本の広告では名草分教会長とあるが。
ある方のツイッターより。
明治31年11月13日のおさしづに
「子が満足して親という。どんな事も成らんなか、育てるのが親の役」とあります。
親孝行を強制する天理教会長はこの神意からズレてる事を自覚して貰いたい。不勉強な教会長が多すぎる。子供を満足させられないのに親面する教会長の何と多いことか!
******* ****** ******
明治21年7月7日のおさしずでは
「親と言うのは子に満足を与えてこその親である。」ともありますね。
今現在の改ざん天理教教理では、理の親が黒いものでも白だと言えば子は泣き泣き「白です」と歯を食いしばり、ハイその通りですと阿保親を立て、立て切るところにご守護が有ると天理教では言うんですね?そうすればある教会長の言葉に拠れば良い配偶者にも恵まれるとか?!
狂った親に合わせているから合わせ鏡の様に子供も共々に狂った親子になるんです。狂った親は早速見限るべきなのです。目どうは狂った阿保親ですか?
世界を無償の愛で照らす神ですよ。未熟な阿保親に合わせるんじゃ無くて「神の御心」に合わせるべきなんです!
そのストイックさは狂った精神世界での自己満足に過ぎない。気の毒だが人生を棒に振っている事に気付いていない方々です。
信仰を理解出来ていても信心の出来ない哀れさを感じる。
「世界を無償の愛で照らす神です」と、 そんな神などどこにもいない。
値をもって実を買うのである。
親と子の話ですが、親夫婦がもめていて家庭崩壊の状態の子供に、
「あんたが親なんだから、あんたが親をきちんとさせろ」と教えたら、ちゃんと親を仕切った子供がいた。
何人もである。
「親が子となり」なのだ。「子が親となりなのだ」。天理はそう教えている。
匿名
2019年8月31日 2:50 PM
末端教会や信者のみなさん、
もう天理教団の理の親(本部員 大教会長 上級会長)のことなど相手にせず、
しっかりと自分の人生を充実させることにお金は使いましょう。
この言葉には、助けこころが無い。
自分の人生の充実など神は教えていない。人たすける。
誤りには説教する、理を諭す。そして天罰を与えてでも、助ける。たすける心無い信仰者は、
天理教団幹部であり、匿名さんあなたです。
呪詛します。
基本さん
御自分のスレにお帰り下さい。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1468629402
https://yomi.tokyo/agate/toki/psy/1277001717/294-/dta
内の 382より
>質問、宗教板に居つく、基本。て何者?
>>机上のお勉強はよくできるが口先だけで己を省みることもなく
>>妄想と偏見に満ちた持論をネットで垂れ流し、矛盾を突かれれば知らん顔
>>社会に出ればセコい場末の商いのクセに客を生徒と呼び、上から目線で
>>客をあしらう傲慢この上ない底辺のクズ人間
>>それがコテハン基本。こと飯田の演歌王(苦笑)こと坂〇明〇、である。
更に気が付いたこと、飯降家との縁組は無いようですね。
(もしも表にないところで縁組があれば私の考えは無視してください。)
上記の自分の投稿を訂正します。
飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
投稿後、翌朝気になって調べ、慌てました。
皆さんm(__)m
基本はカルトでオカルトです。
社会科学と言いながら、科学と無関係でカルトでもオカルトでもないカインについて、
意見をのべに参ります。基本は論戦一度でも逃げた事はありません。ごめんね。
天理教はユダヤ教や皇教と同様に近親交配を推進していた時期がありますが、遺伝子操作の、高慢と言う、
その錯誤が、天理教青年会に残っているようです。
https://www.tenrikyo-seinenkai.jp/seinenkai/basic-policy-2019/
天理教青年会は天理教の素人ばかりで、貧乏を「貧のどん底」をしらず、難儀の味も知らないので、
山坂一つ越えた事のない、畳水練の天理教で、「信仰者」(おやさまへの謀反人)ばかりです・
だから、こんな活動目標を下ていますと。
一、原典を学び、人に伝える技術を身に付ける
⇒ 原典に違反します。方法に頼るはおやさまお嫌い。
一、例会やオンラインサロンでの学びを、分会・教区・海外青年会で共有し深める
⇒ 貧乏しないと、教理など分かることはできません。諭し悟りをするにも貧乏せいです・
一、自らの徳分に気づき、お互いに認め合う
⇒ こんな徳分なんて教えは天理教にありません、徳というのはあります。
⇒ とく‐ぶん【得分】の意味 国語辞典では、出典:デジタル大辞泉(小学館)
1 もうけ。利益。
2 ある人がもらう分。とりぶん。分けまえ。
3 中世、荘園の領主・荘官・地頭などが、所領から年貢として得た収益。
⇒ 天理教組織の信仰者であるという事は、甘露の門の門外漢です。世間でいう徳分はゼロ。
一、社会問題に目を向け、自分にできるおたすけに動き出す
⇒ 自分で出来るおたすけなんて何一つないのが天理教の基本です。
イエス様にお願いして、お釈迦様にお願いして、お助けいただくのがおたすけです。
⇒ 徳分があるというなら天理教団の分け前を分配しなさい。
⇒ お指図にじだんじだんはならん、とあります。つまり社会問題など目を向ける名です。
天理教青年会のこのレベルの「無信心ぶり」、滑稽な限りです。
素人集団天理教青年会には、高慢はあっても検挙がありません。
カルトもオカルトもありません。どのように思案しても人をたすける心がありません。
おやさまに終わ部申上げて、呪詛してあげます。
一、おはなし会や講話日を設ける
整理しましょう。
天理教会に生まれたという事は兄魂姉魂であり、因縁は悪い、徳が無いのです。
徳とは、徳(読み)とく(英語表記)aretē; virtus; perfectio
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
哲学,宗教の中心的課題の一つ。
倫理的,道徳的善に対する意志の恒常的志向性,ないしは善を実現する恒常的能力をいう。したがってそれがみずからの修練によるものであるか否かを問わず身についたものでなければならない。
デジタル大辞泉の解説とく【徳】
1 精神の修養によってその身に得たすぐれた品性。人徳。
「徳が高い」「徳を修める」→徳目
2 めぐみ。恩恵。神仏などの加護。「徳をさずかる」「徳を施す」
3 ⇒得(とく)1
4 富。財産。
5 生まれつき備わった能力・性質。天性。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天理教会に生まれたという事は、徳が無い。
これが天理です。
それを天理教団の獲得した財産資産を「徳分」だと私物化するけれど、基本はこうして理を知らせ呪詛しますので、正体はバレます、赤い衣装のてんりんおうが、そのいかさまは許しませんから、
神が怒りやすいように、人は怒らず、見下げてみていましょう。
天理教の基本です。
芹沢光治良先生の<神の慈愛>P.216に、<神の微笑>を発表して以来、先生のところに押しかけてくる人(読者)が増えた、というようなことが書かれかています。先生はそのことに関して、「現代日本人の旺盛な神だのみ精神というか、迷信の盛んなことに、今さらながら驚いた」 と、言っておられます。
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
それはそれとして、そういう風に、芹沢先生や伊藤青年のところに人が集まりだすと、あやしげな宗教を説く人たちもやって来て、芹沢先生に、「(我が)教団の組織に入って、力を借りたい」と申し出た、とありますと
私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。
秀司さんは儲け口があるというので、中山家で団結して、金儲けの道へ走っていきました。私はそう見ています。ですから、本当のことを言う飯降伊蔵翁はけむたい存在で、たもとを分かったと思います。(飯降家と中山家はあまり縁組はなかったようですね)
具体化しましょう。
天理教会に生まれたという事は信仰組織因縁があるという事です。
信仰組織因縁とは生まれる前の、善政が宗教組織に関係があって、
「選民思想」を持っている。
「搾取怨念」を持っている。
「高山因縁」を持っている。
以上です。
天理教祖のお筆先では代表者は「秀司・まつえ」です。
秀司は、選民意識から、当時有名な漢方医の娘と婚姻していて最初の奥さんです。
秀司は、金貸しで貧しい農民から土地を巻き上げた地持ちの中山善兵衛の長男で、搾取因縁を持ち、
中山家とは格式の違う町家の女を正式な結婚でなく、内縁関係の女として油売りに協力させ金儲けし。
女の名はお知恵は、中山家の格式とお屋敷利用の商売で、みきが死んだら全財産をと企てました。
みきが、金貸し因縁と宗教家業因縁で、「因縁よせてと演壇まとめた3人目の妻小東まつえは、
中山修司同様「選民思想」を持っている。「搾取怨念」を持っている。「高山因縁」を持っている。
だから信者を見下す、信者からなにかと金を絞る。「こじまつ」のケチで、小言うるさく、
「こじまつにすると、こじまつにする」と、中山みきから呪詛されています。
天理教会に生まれたら、因縁を悪因縁ということで、ひながたです。
>飯降吉枝さんが永尾家に嫁いでました。
知人に永尾家について尋ねたら、飯降家と上田家の子が結婚をして永尾家を作ったのだと教えてくれました。
なぜ永尾を名乗ったのか調べたが分らなかったと話していました。
本席の息子 政甚の評判も芳しいものではなかったそうです。
要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
「おや様 本席 ナライト」ここまでが正当な親神の意志だと思います。
ぶたまん 様
2019年9月1日 5:47 PM
>>私は何を言いたいかと言うと、どの時代でも同じだということです。人々は迷信であろうとなかろうと、助かりたいために噂を聞きつけてその救世主のもとに集まって来ます。人が集まって来たら、ゼニのにおいをかぎつけて、ヘンな「宗教業者」もやってきます。そして、彼は救世主に向かってこう言います。「俺と手を組まないか」
もちろん、芹沢先生はそうした申し出を断られました。
しかし、この図式は、芹沢先生のところに来た「ニセ宗教人」を「秀司さん」に置き換えたら、おやさま存命時と同じになると思います。今も明治初期江戸末期と変わらないんですよ。<<
人の心というものは大変弱いものです。おっしゃる通り、古今東西を問いません。例えば、日本の「厄除け参り」や「七五三」、「神社仏閣への初詣」、「おみくじ」、「交通安全のお札やお守り」等、数え上げればきりがありません。人間の力では如何ともしがたいことが起こった時、人間には「何かにすがりたすけてもらいたい」という心理がはたらきます。不安なこと、心配なことから逃れたいというのは人間が生まれながらにしてもっている心理です。仏教や神道等も宗教の違いこそあれ、いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。信者の生活を追い込み、人生を破綻させ、自殺にまで追い込むほどに「お供え」の集金をします。天理教が「カネカネ教」と呼ばれるのは至極当たり前のことです。
ぶたまんさん
我々一般にとって、おやさまが表に現れたということは、救世主が現れたという意味になります。それで、人々が「助けてくれ」と言って、その救世主のところにハセ参じることになります。
このご意見ですが宗教家業で生きている人間達は、そんな生易しいものではありません。
「救世主なんているはずない」前提で、同騙せるかだけです。なんでもいいのです。迷信ほどいいのです、
実際に中山みきが救世主として現れた時、善兵衛や親せきは宗教としてみきをまつる祠をつくります。
ところがみきが宗教家しないので、拷問しています。
そんなものです。
芹沢先生が言われているように「迷信」が好きなのです。
本物は嫌われます。
皆さま、コメをありがとうございます。
> 要するに、みんな同じ穴の狢という事です。
> いずれの宗教もそうした「人間の心の弱さ」を利用して、「銭儲け」をしてきました。現在もしています。しかし、天理教の「お供えの額」は桁が違います。
> 本物は嫌われます。
こうしてご意見を並べさせていただきますと、人の心がドロ沼みたいです。「よくにきりない泥水や」というところですか。
反面、「蓮(ハス)は、泥沼の中に花を咲かせる」 と言います。おやさまの教えは、泥の中に開いたハスの花の美しさにたとえられるかもしれません。やはり、おやさまはありがたいです。
話が飛んで申し訳ありません。
黒門に死体の山が出来ると予言された須藤花井さんと言う方は、今現在ご存命なのでしょうか?
過去の投稿を読み返せばその方が存命か存命でないかは分かるとは言うものの、、
ご存命ならばどこにお住まいで、面会すると言う事は可能なのでしょうか?どなたかお知らせ下さいませ。
天理教本部の遠い昔の過去を知り、その成り立ちから現在まで綿々と続く欲にキリない泥水の実態を知れば知るほど、今まで何を信じ何に振り回された年月だったのかと、その徒労の時間の余りにも長かった事に愕然とします。今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
ぶたまん 様
2019年9月1日 10:03 PM
「男はつらいよ」という日本人なら誰もが知っている映画のテーマソングの中に次のような一説があります。
”どぶに落ちても根のあるやつはいつかは“蓮(はちす)の花と咲く”
泥田の汚い中で育っても、蓮の花はきれいに咲き、蓮根は食材として使われます。きれいな花を咲かせ、食材としても珍重される蓮は、自らの成長に必要な養分を泥の中の天然肥料(有機質等)を養分として吸収し、栄養にしているからです。世間には、色々な人がいます。蓮のように、泥田の天然の有機肥料で育っても、きれいな花を咲かせて、人の目を楽しませ、その上、人間に蓮根を恵んでくれる植物もあります。一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。
2019年9月1日 11:08 PMの匿名様の投稿
>今は亡き先祖の御霊があの世で満足しているのか、後悔しているのか、、そんな思いにとらわれます。
教祖年祭のお供えをと、国民年金を繰り上げ受給までされていた方が居られました。当時、繰り上げ受給は大幅に減額されての支給でした。その大半をお供えされ、年祭後も減額されたままの年金受給。繰り上げ受給をされると障害年金の対象からも外される。
ご自分で判断されたとはいえ、余りにも酷な将来が待っていました。天理教はこのような人を称えていたのです。
この方も故人となられたが、匿名様投稿の問いかけを教団本部はどのように感じているのか。中山家の面々は鼻にもかけていないのでしょうね。
むごたらしい宗教です。
匿名9月1日11:08PM様
須藤花井さんは平成10年4月18日(教祖誕生200年目)に亡くなられたそうですよ。
平成7年に須藤花井さんが発行された「月よりの神言」を、夢の中の御告げで自費で再発行され、毎月26日の10時から11時の間に頂ける、という情報をこの場で知り、早速去年、かぐら勤め終えてからその駐車場まで行きました。先に二人来てらして暫くの間四人で話をしました。その方のお名前も聞かずじまいで心残りですが、全て無くなるまで毎月来ます、と、言ってらしたのでもう14ヶ月経っているので全て渡し終えられたのではと思います。
改名しました様。
情報ありがとうございました。お亡くなりだったのですね。残念です。駐車場で配布されているとお聞きしていていつかまた、、と思っている内に月日が経ってしまいました。どこかで手に入れたいです、、。
こうして須藤さんのような神の遣いの方々があちこちに現れ、組織を作らずご神言を広めて下さった。湯河原の大徳寺さんもその一人だと思いますが、神は悪の行く末を目を離さずにじっと見ている。試練の天理教徒にとっては教会本部と言うそこらに転がる駄石にとらわれず、人間を作り給うた「神」の御心だけを信じて生きると言う一本道がありますね。
ありがとうございました。
<<蓮の花 続編>>
>一方、化学肥料を使ったとしても泥田の中で朽ち果てていく植物もあります。「おやさま」を蓮に例えるならば、「蓮のような人」は、天理教以外の宗教を信仰している人や、無宗教の人の中にもおられるということを私はこれまでの人生経験で知りました。<
私は上記の文章を書くにあたり、天理教教会本部を意識して書きました。蓮の花は、高価な化学肥料を施肥しなくても、泥田の中で成長し、見事に綺麗な花を咲かせ、掘り起こすのが難渋なくらいに地中深くに根を張り(蓮根)私たち人間の食糧となってくれます。人間に例えれば、たとえ、生活環境に恵まれず、幼い頃から貧しく劣悪な環境で育たれても、人間性が豊かで、思いやりがあり、やさしく、困っている人を見れば、手を差し伸べることができる人達をこれまで生きてきた人生の中で数多く見てきました。まるで蓮の花のような人達です。
一方、高価な化学肥料(金銭)を使っても、根が浅い故に吸収する力を持たず、あるいは葉や茎が栄養過多になり朽ち果てる植物、それこそが、現在の天理教教会本部です。根の浅い植物にいくら高価な化学肥料を施しても吸収する力がないので、朽ち果てて腐り異臭を放つだけになるのです。天理教信者の皆さん、もうこれ以上高価な化学肥料を施すことは止めましょう。天理教教会本部が朽ち果てていくスピードが早まるだけです。もっとも、完全に朽ち果てて消滅したほうが「世のため 人のため」と考えておられる信者さん達は、私一人ではないとおもいますが・・・
匿名
2019年9月1日 11:22 PM
以下のご意見いただきました。
基本さん?
頭の回転がいいのか?知識が豊富なのか?
まあ、ものの見事にいろんな事を羅列?文言を述べられているようですが、まあものの見事に入ってきませんね。(頭に、ハートにも・・・)
頭がいいんですかね?
なんか取り憑いているような気もしないでも無いですが・・・
でも聞く人に、読む人に響かなければあまり意味が無いように思いますが・・・
あと、ハンドルネームの基本と、ただの基本という言葉を混ぜこぜに使ってられるので混同してしまいますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
基本はカルトです。「少数の熱烈な信奉者を指す用法」でのカルトです。
痔本はオカルトです。「1 超自然の現象。神秘的現象。」としてのオカルトです。即、神秘的な存在です。
効く人、読む人に響かせたいというのはオカルトではなくアジテーターです。
基本は呪詛として語り、語る事で神仏への影響力となるからで、神仏が相手です。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 呪詛じゅそ ギリシア語 anathēmaは動詞 anatithēmi (上に置く) に由来し,原義は「上に置かれた物」であり,旧約聖書では cherem (別つ,離す) がこれにあたり,「神への捧げ物」を意味していた。
匿名 2019年9月1日 11:22 PM さんは基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、
何を訳の分からないことを、あたかも自分が天理教の基本だと語っているのかと思われたのでしょうが、
基本が天理教の基本です。
基本は神様への捧げものとして、投稿をしていますが、カインさんがカインとして投稿したように、です。
シャーマニズムの世界では「なりきる」ことは祈りです。仮面をかぶる場合もあります。なまはげとか。
基本は天理教の基本となり、カルト、オカルトで、
基本は天理教の基本として2002年ころからWEBにいます。
基本が投稿しておくと、早くて1年、ほとんどの場合5年で実体化します。オカルトだからです。
基本の存在は、目に見えない、隠れて見えないですから、基本の呪詛で実体化したとは誰も思いません。
殆どの場合皆から嫌われて、狂っていると思われますが、カルトですから、それが当然です。
カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
信仰組織と言うのは、信仰者であることを権威としています。
信仰組織の指導者は徳があると相互で持ち上げます。
オカルトは信仰を否定します。呪詛します、病気の治癒も呪詛します。天候の呪詛もします。
その手法の専門家が中山みきで、弟子が基本で、まるで少数しかいないからカルトです。
信仰賛美も、信仰批判も、病気ひとつ治せません。
信仰とは、カスです。信心の効能はカルト、オカルトです。
基本ちゃん 早く巣におかえり。
他の皆さんの素晴らしい投稿の邪魔です。
どうぞご自分の板で 独り言 をお楽しみ下さい。(ついでにヘタクソなカラオケも)
お薬も忘れずに。
お大事にどーぞー。
大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判されるばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙ってるに限るとだんまりを決めたのか。
次期真柱の器でも無い人が、本部月次祭の芯を務め、持ち上げられて勘違いもするでしょうが、何も分からない若造が最近ではお供えは命の繋ぎを言い出したそうです。彼は思慮の浅い裸の王様。しかも乞食。この王様は自分が乞食と言う事にさえも気がついていない。
衰退、消滅への道が静かにしかも確実に忍び寄っているのは多くの末端教会、その他教会が感じている事。
彼は本気で教団整理の青写真をしっかり描いて、信者にこれ以上の迷惑をかけず、去る鳥跡を濁さずでしっかりと任務を全うしてもらいたい。
取り敢えず大亮くんは本部月次祭参拝者がこれ以上減らないように心定めをしてもらいたい。何ですか?このガラガラの月次祭は!!各教会に数字で人集めの心定めをさせるなら、本部こそ月次祭参拝者の心定めをきちっとしろ!と普通に思いますが。
我々地方の教会長には心定めと称して色々数字をあげさせプレッシャーをかけておいて、足元の本家本元が年々歳々この情けない姿では、本部のこけんにかかわるでしょうよ。信者のせいでは無いよ!
大亮くんは、自分達のことは見て見ぬ振りではいけません。あなた達は自覚のない無責任この上ない本部ですよ!浮かれてないでしっかりしないと全部あなた達に返っていきますからね。
古い話です。
昭和61年か62年頃の事です。
須藤花井さんと高知大教会に寄った事があります。
神殿の御神楽歌は十一下りが掲げられていました。
参拝が終わった後、須藤さんが次のように話してくれました。
「今ね、 八つ やしきの土を掘り取りて 所替えるばかりやでってどんな意味があるのと神さんに聞いたんだ。
そしたらね、所替えるとは 掃除の後の天理教は、天理で話し合う事はしない。
天理で話し合ったら元の天理教に戻ってしまう。
新しい天理教は、ここ高知で話し合うという事だと言ってたよ」
この様に話してくれました。
今、私たちが持っている天理教に対する歴史的知識や信仰に対する概念 通念など諸々の価値観が一掃されるという事がこの歌に込められているという事です。
幾度も申し上げてきたことですが、須藤花井さんは面足命です。
預言者でも霊能者でもありません。
正善を始めとする本部中枢の人達は、須藤花井さんの存在を認識していましたがこの事実を隠してきたのです。
本部は、専修科生や天理高校生を含めたすべての本部関係者に対して須藤さんのアパートを訪れる事を禁止しました。
その裏で、本部は高知大教会長 島村國治郎(梶本國治郎)の妻島村ヒサノ(山澤為造の五女ヒサノ)を名代として須藤花井さんに会いに行かせています。
ヒサノは、須藤さん宅を訪れた際に、この紙に神様の話す事を書いて下さいと言って白い紙の束を須藤さんに渡したそうです。
須藤さんはヒサノから渡された紙に親神の話す事を書き留めて、纏め上げた本が「月よりの神言」です。
第三次世界大戦については親神の話として 次のように話しくれました。
「この世に武器があっては陽気ぐらしはできん。
人間は、子供がオモチャで遊ぶように 自分たちが作った新しい武器を使いたくてうずうずしている。
人間たちは、必ず第三次世界大戦を始める。
わしが、戦争を始めるのではない。 人間が勝手に始めてしまうんだ。
この地球は既に海も山も川もドロドロの汚れている。このまま放って置いたら元の泥海に戻ってしまう。
しかし、そんな事したらわしは、みきに申し訳が立たん。
みきの苦労を考えたら元の泥海に戻す事は到底できん。
だから、人間が勝手に始める次の大戦争を切っ掛けとして大掃除をするんだ。
人間は、もう一度大戦争をやらねば武器を持つ事が無意味である事に気が付かん
次の大戦争に懲りてやっと武器を手放すようになるんだ。
掃除の後は、真の共産主義にする。
人間に共産主義はできん。共産主義はわしがする。
身分に上も無い 下も無い 本当に平らな(ろくじ)世界にする」
真の天理教の基本は、親神です。
もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
>もう一度大戦争をさせたくないのが真の天理教の親神です。
まさしく基本さんの仰る通りです。
親神は、戦争を望んではいません。
強欲な人間と強欲な人間の争いの行き着く先が戦争です。人間が勝手に始めてしまうのです。
本当に人間どもは愚かだと思います。
7-7 月日にハ たんゝみへるみちすぢに こわきあふなきみちがあるので
7-8 月日より そのみちはやくしらそふと をもてしんバいしているとこそ
7-9 にんげんのわが子をもうもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
親神は、人間の悲惨な行く末を案じて「みき」にさがり、勤めを教えかんろだいを建て 争いの無い平和な地球へと導きたかったのです。
そのシナリオを狂わしたのが、秀司や良治郎、その息子の為造や親戚連中 その他の高弟とかいう連中なのです。
もし、当時の人達がおや様の言葉に従い かんろだいを立てひっそりと勤めを行っていたら第一次世界大戦も第二次世界大戦も起こらず、そして核の火も点く事はなかったのではと思うのです。
当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。
親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。
退職した元信者 様
2019年9月3日 7:04 AM
>>親神とおや様の怒りは如何ばかりかと思う次第です。<<
天理教の教えでは、親神は「人間が陽気暮らしをするのを見て共に楽しみたい」(神人和楽)との思いで人間を創造されたということですが、現実の人間の有り様は、親神の思いとは全く正反対の状況です。親神は、自ら創造した人間に、つくづく愛想をつかし、絶望し、もう一度世界大戦をおこして、現人類をすべて出直しさせ、親神が真に理想とする「真の陽気世界」を創ろうと思われているのかもしれません。(あくまでも私の想像ですが・・・)
>>当時のおや様の周辺の人間は、とんでもない事をしでかしたと思っています。
そして今、その人たちの末裔が先祖の犯した所業の重大さに気づくことなく「金 金 金」と言い募っているのです。<<
本部幹部とここの投稿をチェックしている本部関係者の皆さん、真実に目を背けず、
実態をよ〜く認識してくださいね。
博打狂いで借金責めとなっていた長男秀司始め、貧乏人に金を貸してはその土地を奪い、そうして地域でも有数の「土地持ち中山家」となりましたね。その頃から貧乏人を泣かしていた中山家の因縁は今も切れていなくて、いまだに食べるのに精一杯の年金受給者や若者、貧乏教会から「命は金と引き換える」と言う脅し文句にも聞こえる偽教理を吐いていますね。善亮、大亮に続く中山家DNAの恐ろしさです。
金が払えなくて土地を取られた当時の貧乏人の嘆きと、中山本部に納める金が集められなくて自殺した貧乏教会長の気持ちが重なります。容赦なく金を盗る中山家の遺伝子。よ〜く中山家の過去の歴史を学んだ方がいい。
これは親神の目から見たら重罪ですぞ。長い物に巻かれるのでは無く、親神の心に巻かれて
続き。
真実に生きて下さい。本部幹部、関係者さん、偽の人生を歩むのはあの世に行って後悔しますで。
>匿名
>2019年8月31日 8:58 PM
>G-FOX 様 2019年8月29日 3:41 PM
>よろしかったらどーぞ。
>http://garciafox.jugem.jp/?eid=1
上記の匿名様に紹介いただいた、中山家・梶本家・山澤家の家系相関図を見て言葉を失いました。
〇〇に群がる〇〇を想像してしまいました。それ以外に思い浮かぶものがありません。信仰の理念なんてサラサラの恐ろしく悲しい世界ですね。
今となれば、所属していた大教会の直轄教会長も半分以上が大教会長と何等かの血縁関係でしたし、部内教会長でさえも数は少ないながらも同様でしたから、もう、逃げるに逃げられないんだと思います。
今更、教理なんてどうでもいいことです。知らなかったとはいえ、このような世界に永年付き合っていたなんて、忸怩たる思いです。それでも7年前に縁が切れたことが救いだと思っています。
恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。
どこかの大教会子女が親族大教会の末端教会後継者と恋愛し、これを絶対阻止した理由がわかります。
親族もろとも利権の湯の中に浸かっていて、娘であり、また可愛い姪である人間を吸い取られる立場に置くのはめまいがする程考えられない場所なんでしょう。
天理教が神様を語るなら、差別意識は神とは対極にある意識でこの際返上して頂きたいと思う。
基本ちゃん、早く巣にお帰り。
http://itest.5ch.net/rio2016/test/read.cgi/psy/1563701747
他の皆様
基本ちゃんはスルー推奨です。
ここがカイン氏の管理サイトなのにも関わらず
> カインは天理教団の崩壊を呪詛した方で、カインの崩壊を呪詛したのが基本ですから、ね。
などと管理人呪詛を仄めかすカキコするよなヤバい奴です。
ただの掲示板荒らしですよ。
匿名 様
2019年9月3日 10:47 AM
>>恐ろしい利権組織ですね。
天理貴族は天理貴族と手を組む。<<
近い将来、真実は白日の下にさらされるでしょう。
芹沢光治良が二代真柱に呼ばれ田園調布の三代善衛真柱の家に行った時の話だ。予備知識として登場人物について書くと、僕(芹沢光治良)、東井夫人(三代真柱の養育係で、現在の東井本部員の先代)O先生(東京大学宗教学科の教授)時期は第二次世界大戦後、三代真柱が慶応大学に入学した頃の話のようであるから昭和24,25年頃の話かと思われる。以下は「死の扉の前から」の抜粋である。
確かに天理教は一神教です。多神教ではありません。教祖様に降りられた実の神は、宇宙を創り、人間を創り、生物を創り、あらゆるものを創り、これからも創りつづける絶対創造神です。それを人間に理解し易いように、言葉で月日だと説いたり、水、火、風と説いたりしたが、創造神、即ち親神です。日本人に解らせるために、十柱の神の名を挙げてその働きを説いたが、十柱の神様が存在するのではなくて、創造主、親神の働きを一つ一つ挙げて、それに便宜的に神の名をつけたのに過ぎません。敗戦後、日本人はアメリカから食糧といっしょに民主主義をもらって、有頂天になって喜んでいるけど親神は天保九年(1838年)からすでに、教祖を通じて説いているでしょう。世界中の人間はみな一列兄弟だと、それ故、仲よく助けあわねばならない、そしたら自然に、世界は平和になると。人間には上下の区別はない、みな可愛い神の子だと。また人間には男松女松の区別もない、男も女も神の前では同じ人間で差別はないと。それ故、夫婦の間で、どちらが偉いのでもなく、たがいにたてあい助け合って、夫婦揃ってひのきしんのつもりで、家庭を治めれば、家は陽気暮らしができて、幸せに栄えると、説いている。そしてすべての人が平等であり、みな神の可愛い子であるから、人を助ければ、神が喜んで不自由をさせない。食糧がなくて困るようなこともなく、他国から食い残した食糧をもらって喜ぶ必要もない。病まず、飢えず、幸せに百十五歳の寿命をいただいて、陽気にこの世においてもらえるのだ…
「これが復元の教理かと、僕も驚いたが、そばに仕えていた東井夫人が突然真柱に言ったのです。」
―真柱さん、わたくしは小さい時から耳に胼胝ができるほど両親から教理を聞きましたが、こんなお話は聞いたことがありません。
―おれは真柱だぞ。お道については真柱の言うことが正しいんだよ。
―天理教がお話のようならば、私でも信者になれます。
「そうO先生が真柱へか、東井夫人へか、その二人に向かってともとれるように話したが、その時、真柱が顔色も蒼白で、血走った目を据えて酒を呷るように飲むのを見て、僕は息を呑んだものです。一体今の話は酒の上の話であるか、本当に復元しての教理であるか、それとも半年前の僕の手紙への答えであるかと考えてー」
(「死の扉の前で」P57~58」)
これを読んでどう感じるか。昭和、平成、令和の時代に生きた人には子供の頃から教えられてきた復元の教理そのものであり、明治、大正の時代から信仰している人たちにとっては違和感があることがわかる。では復元以前の教えとはどういったものなのか。『死の扉の前で』は二代真柱と芹沢氏の交流記とも言えるが、登場人物など実在の人であり、天理教の中ではタブー視されている朝日神社の井手クニの話なども載っており、自分自身の信仰を見つめ直すためにも読むべきものなのかとも感じる。上記の二代真柱が話した「人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無い」というのは教会本部だけは例外なのだろうか。封建時代を思わせる身分制度が表向きにはないように見えて、実質的に教団内部にもあり、それを踏襲するかのように大教会、分教会の会長も同じように振る舞い、最下層の末端教会、布教所はいつまでも固定された末端として喘いでいる。これが果たして正しい信仰なのだろうか。もちろん全部が全部そうではない。しかしインターネットにはそういった声があふれ、わかっていても変えられない現状があり、改革しなければならないとわかっていても、具体的には誰も動けない。本当の信仰を伝えるべき時が来ているようにも感じる。改革をするなら二代真柱が人間は一列兄弟、上下の区別はない、男松女松の隔ては無いと言うように家柄で人事を決めず、人材を育成、登用し、過去の隠ぺいされた部分も隠さず、真実を伝えて研究を進め、本当の教えを伝えるべきではないか。二代真柱は孤独だったようだ。孤独にしてしまったのは誰なのか考えてみるべきで、四代真柱の今の姿も同じなのかとも思う。
>>大亮さんは、最近ツイッターの発信が有りませんね。一向に更新されません。何を言っても批判される
>>ばかりで、彼の口から何を発信してもトンチンカンだったですものね。経験も中身もない人だから黙っ
>>てるに限るとだんまりを決めたのか。
Facebook にちょこちょこ発信しておりますね。
下記転記
【Wa-luck(わらっく)】
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青年会から、お道で初めての公式スマホアプリがリリースしました‼️その名も、Wa-luck(わらっく)です
お道の機関紙がスマホで読むことができるニュース系アプリです。道友社をはじめ、各部・各会から提供されている読み物系のコンテンツなどをカテゴリごとにまとめています。日常的に陽気ぐらしのエッセンスにふれるツールとして、ぜひお使いください!
また、その他アプリの機能として、記事検索機能や、記事のお気に入り機能、他にも朝夕の本部のおつとめの時間やおぢばイベントが見られるカレンダー機能などがあります。まずは、ぜひダウンロードいただけたら幸いです。
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わらっく さん
2019年9月4日 5:57 PM
>>Wa-luckは、
お道(天理教)の信仰の喜びを
皆様のスマホへお届けする、
陽気ぐらしの
サポートアプリです。<<
お道(天理教)の信仰の喜びを皆様のスマホへお届けする、陽気ぐらしのサポートアプリです。
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
今さら何を血迷っておられますか? NHKの番組で有名なチコちゃんではないですが、「バカ言ってんじゃねーよー!!」と顔を真っ赤にして怒りたくなりますよ。何が陽気暮らしのサポートアプリですか? 「陰気暮らし」と「お供え搾取」のサポートアプリの間違いではないですか? 誰もそんなアプリなどダウンロードし、インストールしたい人なんていませんよ。本当に馬鹿馬鹿しい。天理教もこの期に及んで随分往生際が悪いですね。どんな小賢しい小細工を考えてたところで、天理教は既に終わっています。信者の心は離れています。無駄な抵抗は止めなさい。
カインさんはツイッターで「天理教団は衰退し、本当の教えに沿った組織運営ではないと言われる。組織を作る時の一つ一つに教祖の思いを想像せず、中山家が仕切ってしまったことがボタンのかけ違いだろう。」とコメント。しかし、教えに沿った運営組織なるものはおそらくない。「講」が念頭に置かれることが多いが、現代社会において果たしてどれほど有効かと考えると否定的にならざるをえない。そもそも大組織になりえないし、仮になったとしたら官僚制的なものができてきて、現在と五十歩百歩の組織になると思う。伸びているときにはさして問題ではなかったが、衰えてきたときに矛盾とか閉塞感とかが募るばかりということじゃないでしょうか。それから、教祖は中山家が仕切ることを期待していたのではないでしょうか。梶本から養子をとったのも「真柱の真之亮」といったのも教祖なんですから。トップの力量そのものが問題なんでしょう。
チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。
>>チコちゃんは「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」です。<<
良く存じています。わざわざご指摘ありがとうございます。チコちゃんのセリフを私なりにアレンジしただけです。チコちゃんのオリジナルの「ぼーと生きてんじゃねーよ!!」というセリフも教会本部のお偉い先生方にはピッタリのセリフだと思います。(笑)
今更ながらの繰り言になりますが、やはり、かんろ台が倒された時にすぐにまた木製のかんろ台を据えたのが真柱の身上につながっているように思えてなりません。
木製模型のようなかんろ台はいつまた倒されても良いように木製なのかと思ってしまいます。
真柱邸の庭に在るという、警察に押収され、その後戻ってきた、あの石のかんろ台を据えるために「大反省会」を本部の皆さんが開いて自己反省したうえで、神様にお詫び申し上げ、本部の皆さんの合力で据えるべきだったのかもです。
据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから、そもそも神様からはその時がご注意のお知らせだったのではないでしょうか。
夜遅くまで据替の儀があったから寝不足だったのでしょうと、返答された会長さんがいまして、「何だかなぁ」でした。
なーーーんて、いっかいの信者が申し上げたところで誰も聞く耳は無いですよね。
黒い親でもハイハイとついて行け。理の親を立て切る事、それが信仰だと今だに聞かされています!!
いい加減にしてくれと吐き気をもよおすこのナンセンスさです。
「理の親が何をどう言おうと、理不尽だなあと思ってもハイハイとついて行け」と大教会で聞かされるこの馬鹿げた偽信仰。我々は限られた時間の中で生きている。馬鹿を相手にハイハイとやってる時間はありません。人一人の限りある命の時間を軽んじる。都合よく上下差別構造を作り、「末端や末端布教所は相手が馬鹿でも立て切れ。馬鹿を相手に死んで行け」と言ってるようなもの。末端は馬鹿の犠牲になれと。
本当に今の信仰組織内には閉塞感が溢れています。
誰かが賢明な判断を下し、本当の信仰を伝える契機を作らなければこのままズルズルと本部の無責任な悪意と共にもろ共沈んで行くのは必至です。
二代真柱は神の思召しを自ら立派に発言しながらそれを改革せず、何故今に続く間違った教理を許したのでしょう。
「死の扉の前で」は衝撃の書です。全ての天理教信仰者に目を通して欲しい。天理教の黒く醜い真実が手に取る様に見えてくる。有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。
>>有り金を上級に運ぶのが生き甲斐だった盲信状態だった父に早く読ませてあげれば良かったと後悔。<<
現在もそうした盲信状態の方はおられるでしょう。過去には山ほどおられたことでしょう。世間一般の人に天理教の印象を聞いても、悪く言う人は大勢おられますが、良く言う人はほとんどおられません。本当に怖ろしい宗教です。天理教を悪く言う人のほとんどが、天理教に関われば、「身ぐるみ剥がされてもっていかれる」と必ず「カネ」にまつわる話がでてきます。
話は変わりますが、現在信者の皆さん、芹沢光治良著「死の扉の前で」を是非、読んでみてください。盲信と洗脳の呪縛から解き放たれるでしょう。
通りすがりさんは、芹沢光治良著「死の扉の前で」はフィクションだと断定されていましたね。
でも、フィクションでないことは、二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
追伸
上記の投稿は、81歳元気老人の繰り言と思ってください。
ウィキペディアより。
中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
二代さん自ら証明されました。若くして糖尿病で杖が手放せなかったでしょ。そして60歳代の掛かりに出直しされました。何とも哀れな生涯でした。
戦後間もなくの食糧が無く、我々庶民はサツマイモのツルや葉を煮て食べていた時期に、輸入のワインに刺身だったなんて、想像も出来なものを食べていたんだから、身から出た錆びなんでしょうね。
各大教会長クラスの方々は、この事実を真しに受け止めれば現行天理教がどのようなものかは、言うまでもないことです。しっかりと思案されては如何ですか。
そうです。現行天理教は信仰に値しないということです。
若くして糖尿病で杖が手放せなかったということは、糖尿病の合併症が相当ひどかったということですね。
おそらく、腎臓や眼にも合併症がでていたのでしょう。人工透析や眼底出血の治療も受けていたのかもしれませんね。糖尿病の末期症状です。戦後の食糧難の時代、一般庶民はサツマイモのツル、イナゴ、蜂の子、タニシ等を食して飢えをしのいでいました。そんな時期に信者の「お供え」で輸入ワインや刺身を食していれば、寿命が短くなって当たり前です。各大教会長クラスの方々、そして、教会本部のお偉い皆様方、巡教に行って御馳走ばかり食べていると、本当に殉教しますよ。(真の殉教でないことは言うまでもありませんが)
東風Zさんのおっしゃる通り、現行天理教は信仰に値しないということです。
>>中山 正善(1905年4月23日 – 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。
本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。<<
額に汗して働くこと無く、信者から搾り取った「お供え」と称する「あぶく銭」で、己の趣味を満たしていたとしか言いようがないですね。天理図書館や天理参考舘の貴重な資料は、天理教が完全崩壊する前に、公的施設に移管し、しっかりと管理してもらったほうがよいと思います。既存の「おやさとやかた」なるハコモノは、大規模災害発生時の避難所や、仮説住宅、その他社会福祉施設等、「世のため 人のため」になる施設として有効な使い道があると思います。
次の文は×大教会から派遣された賀川氏と芹沢光治良の『稿本天理教祖伝』に関する会話の一部だ。登場人物の「先生」は芹沢光治良で「若様」は二代真柱である。「山沢」は山澤為造、「松村」は松村吉太郎、と思われる。道友社発行の書籍では扱うことができない事項も芹沢は見事にまとめている。昭和、平成と信仰してきた我々には知らされていない歴史があることを知り、本当の信仰とは何かを考える時期が来ているとも思える。
現在の本部員は年代的にも「死の扉の前で」を読んだ経験があるとは思えない。存在さえ知らされていないかもしれない。いや、そんな研究などしている本部員、大教会長はほぼいないだろう。二代真柱に世話になった前世代の本部員は二代真柱についていろいろ書かれたこの本には批判的であったろうと思われる。しかし、後世に生きる我々は歴史を正視し、未来を考える必要があるのではないか。以下は「死の扉の前で」からの抜粋である。
「根本的なことは、教祖ははじめから神で、人間ではないとしています。先生の親様は、一人の心優しい農村の主婦が、神がかりがあってから、神の思召しに添おうと五十年間超人的なご苦労をして、ようやく神の社となりますね。それが教祖の実像です。決してはじめから神ではなくて、人間であって、ただ神に近づこうと精進なさった。だから教祖の雛形をふむという教理も成り立ちます。教祖が生まれながらに神であるならば、雛形として人間は従えません」
「教祖が生まれながらに神である方がどうして真柱に都合がいいの」
「教祖様が昇天してから、飯降伊蔵先生が本席として、約二十年間、神のおさしずを取り次ぎましたね。その間、初代真柱様は行政の柱として、本席は信仰の柱として、天理教を支えたが、信者は言うまでもなく先生方も、神の取次者であり信仰の柱である本席に、自然に心を寄せがちでした。教祖の孫であり、相続者である初代真柱夫妻は、そのことがご不満であったが、教祖の定められたことですから、どうにもできなかったのでしょう。本席が亡くなると、また神のおさしずに従って上田ナライトさんが『おさづけおはこび』をなさることに決まっていました。『おさづけおはこび』は、また、信仰上の中心行事であるから、信者はナライト様を本席に代わった信仰の柱と仰いだのです。それはまた、初代真柱夫妻は喜べなくて、若様こそ行政の柱と信仰の柱とを兼ねた強い真の真柱に育てようとしたのです。初代真柱様が大正三年に四十九歳の若さで亡くなられると、十歳の若様が管長になったが、ご母堂様は、後見人の山沢や松村という大先生方の力を借りて、少年真柱を絶対権力を持つ真柱に成長させようと懸命でした。その手始めに、大正七年にはナライト様が狂気だとして、御母堂様が自ら『おさづけのおはこび』をなさるようにしました。これで行政の柱と信仰の柱とを、中山家の掌中におさめて、現真柱様にゆだねたという、歴史があるのです。大変孝心の厚い真柱様は、ご両親の口惜しさや願望をじっくり胸におさめていると思います。それ故、天理教の専制君主のような独裁者になったが、敗戦前は、天理教自身が政府や軍部から弾圧を受けて、真柱様も絶対権力を振えないで、自制していたのでしょうが、敗戦後は信仰の自由が保証されたので、復元という美しい名目で、大っ平に自己の復権をはかっているのです。行政面では、しきりに教規を創って、教庁機構を変え、中央集権をはかっています。信仰面では明治教典にかえて新教典を創り、正式の教祖伝を編集して、天理教の絶対権を中山家のものにしようと励んでいます。その点、真柱様は偉大な徳川家康です。……教祖伝で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりなってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなく、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。新教典も精読してみれば、中山家の天理教だと、判明します。ですから、先生にお願いするのです。真柱様を説いて、まちがったお道にするのを防いでください。」
(『死の扉の前で』P75~76 )
時報に『教祖様』を連載していた芹沢氏に賀川氏がお願いする場面であるが、天理教の歴史を正しく理解するために大事な文かと思われる。どうして現体制の天理教本部が改革できないのかを知る貴重な資料とも言える。「お道の内外に、時々、神がかりになって…」という部分は飯田岩治郎(水屋敷事件)、井出クニ(播州の教祖様、朝日神社)、茨木基敬(元本部員で天啓あり)、大西愛次郎(ほんみち)のことを指していると思われる。異端研究は教内ではタブー視されるようにも思うが、それらを研究することによって見えてこない部分が現れてくる。異端が現れる要因に本当に教祖の雛形を通り、天啓を受けるようになっても、専制君主制のような組織の中では正しくお道が広がらないという思いもあったのかと思われる。
教祖三十年祭に井手クニが天理に来て教祖殿事件を起こしたが、第一次世界大戦の真っ只中で世の中も混乱していた時期である。教祖三十年祭の翌年、大正6年に須藤花井が生まれているが、何かしらの神の思いがあったようにも思えてくる。「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」芹沢氏の著作を読むと全くその通りだとも思う。
人間の運命はお読みでしょうか。
井出くにの肉声を、芹沢光治良先生が記録しています。
伊藤青年の記録として、神のシリーズもありますが、天啓なるものを、実態を克明に描いています。
専制君主制のような組織、ではなく「神政政治」であり、
真柱に関する書物や文献でわかりますが、いう事聞かないと病気になるという恐怖政治です。
体験談ばかり。。。実質的に現人神という状態で、権力者であったわけです。
真柱のご命と言えば通用してしまう社会ですから、実際に病気になった人も、伝え聞いた人も、
すすんで真柱の代理ばかりになるわけです。
そして真柱の意と違う行為に走る。真柱様のご命だと、。。。
真柱もわかっていて、そういう特殊社会を構築していたのでしょう。ある目的があってでしょう。
悪は「はびからす」教えですから。
戦争協力の人事は、教庁が全て握っていた、真柱の年齢を思えば「摂政政治」です。
教団名部では「ご母堂様」が全権力を握り、お屋敷へのご奉公の統制をした。
教庁支配の中心は諸井慶五郎、若手リーダーは諸井敬一郎。報恩信仰の金出せ信仰。
本部内はご母堂が専制君主にしたてあげ、教団は満州への布教の中心、軍部協力の教庁が真柱を祭り上げて、支配。
その歴史は、教庁そのものが歴史編集当事者だから、隠蔽されていて、大教会は理のおや集金組織となった。
二代真柱は、その中、悪をはびこらせながら、神政政治を行い、天理教の復元を、三代真柱に託した。
そして、数理に通りに、死んでいます。
オカルトです。
天理教教庁、WEBで調べてもなにも悪事は出てこない・
満州への軍事物資の輸送を一手にひきうけて、からは日本の地にしてあるを、堂々行い、
満州布教を行わせた。
天理教校も天理大学も、教庁の真相は、隠しこんでいて、悪です。
おい基本さん。
金もらって荒らしているのですか?
雑音がうざいです。
基本、無視していますけど、ゴキブリみたいに出てくるのは不快です。
来ないでください。
二代真柱を尊敬していて、教義の父との認識です。
天理教会の大教会、本部内部の生活の実態も知らぬ貴殿がきちんとした調査もせず、根拠なく、二代真柱を中傷し非難していることについては、放置すべきではないと考えております。
批判します、
真柱とは、禰宜であって最高権力者ではない。
天理教のおふでさきの理の上の立場で、教庁などの機関とは行政的なつながりはない。
天理教団の真柱を批判するなら、それなりの論拠をしめすべきです。
芹沢光治良先生と二代真柱の交流は、芹沢光治良先生が著作の中でも語られており、
二代真柱への追悼の文章にも残されていることです。
証拠もない二代真柱批判は、批判のための批判であって社会科学の場での主張は慎むべきです。
神の館を一般開放の参考館にしたり総合病院にしたりしていることを批判するにしても、中身の検証行為をしてからが社会科学の研究の常識です。
こともあろうに人格攻撃に出て、二代真柱の短命を信仰の欠落かのごとく非難し、出所不明な想像混じりの病状を特定、並べ立て、医者でもないあなたが、真柱が病気になったことを、信仰の間違いの証拠だと非難していますが、社会科学どころか、重大な人権侵害行為であり、信用。名誉への毀損行為ともみえます。
天理教への攻撃であって社会科学ではない。
それで、基本をゴキブリと呼ぶのはおやめください。
真柱が教祖の予言を形にしていくのは、信者からみて、教義の実現ですから、当然のことです。
八兆四方神の館は、記録に残された天理教祖のお言葉であり、奈良、長谷七里は門前との予言で、今に宿屋が立ち並ぶとは、それも教祖の予言です。
天理教祖の予言そのものがおかしいという批判は異教徒としての立場でならあっても自然ですが、異教徒としてのやみくもな批判は社会科学ではない。
仮に創価学会員カインの意見ということなら社会科学を偽装しないことです。
貴殿はもう根拠のない誹謗中傷を消せないWEBに記録してしまったのですから、その意味を深く用心して、慎み深く、対応ください。
ハ町四方構想参考資料
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/11/1/11_299/_pdf/-char/ja
八町四方の話は「稿本天理教教祖伝逸話編」に書いてあるんでしょうけど、そもそも、この本自体の信憑性が薄いと思うのですが、、、、
基本 様
人は夫々だと思っています。しかし、宗教家の、それもトップの位置にある方々が、成人病の連鎖だなんて恥ずかしくないですか。
日野原重明医師は、腹七分目を唱えられ100歳を超える天寿を全うされました。クリスチャンだったと聞いています。だから、私は腹七分目を目指して頑張っていますが、なかなか達成できていません。でも、81歳の今も常用する薬もなく、もたもたしながらも動き回り、10㎞くらいなら平気で歩くことが出来ます。
ところで個人攻撃的な投稿と指摘されていますが、公人に等しい人は、なかなかプライバシーを守ることは難しいですね。美智子上皇皇后さまも乳がんを公表されています。真柱たる立場の方は、より強い克己心が求められて当然でしょう。四代さんの病状をひた隠すようでは公人とは言えないでしょう。
さっさと職を辞されてゆっくりと静養されればいいんじゃないですか。そうすれば、誰も何も言いませんよ。
教義に「たんのう」という教えがあることは子供の頃から聞かされていました。我が身を「かりものかしもの」と理解されているのであれば、自分に打ち勝つことがいかに大切かが理解できるはずです。理解できなければ、教団トップとして恥ずかしい限りではありませんか。
中山家の後継者が夜の銀座で名前が知れ渡っていたなんて聞くと、バッカバカしくて現行天理教なんて信仰できませんよ。
現行天理教に、柏木庫治さんじゃなくて、酒井雄哉さんのような方が何故出てこられないのでしょう。
残念ですが、基本さんが何を説かれようと現行天理教は信仰の対象とはなり得ませんね。
比叡山をバカにする人は居ないでしょう。一方、天理教はこの欄を見れば分かりますよね。先ず、万人がなるほどと言える宗教に立ち返るべきです。
東井朝仁 随想録
「良い週末を」
先週の週末エッセイでは、母校・天理高校(奈良県天理市)時代の想い出の一端を述
べました。
十数年前から配信しているこの「良い週末を」のエッセイを、長らくお読みになって
いる方は、すでに何かを感じておられることと思います。
そうです。かっては「私の母校は、奈良県の某高校」とか、「両親は、ある宗教団体
の布教師で、家は貧しかった」などという表現をしていましたが、近年のエッセイで
は、母校は天理高校であり、宗教団体は天理教と明確にしているからです。
昔は、両親・家族が天理教に帰属し、私もそのミッション・スクールである天理高校
を卒業している事実を、心を許せる友人以外には、あえて表明しないで来ました。
「職場や関係団体など、私が接触する社会の人々は、何がしかの宗教を信仰されてい
て、中には熱烈な活動家もいるかも知れない。また、全く宗教には無関心な人もいる。
だから、宗教の話などをして余計な先入観を与えるのはやめよう。」と考えていたか
らです。
さらに付言すれば、友人などから天理教の教えを聞かれた場合には要点を説明し、天
理の地の見学を請われれば、奈良まで引率して案内することはしていましたが、こち
らから入信(教団加入)を勧誘することはありませんでした。
なぜなら成人になってからの私の心の底には「宗教団体に入ると、神(教理)との純
粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。
だから、教理・経典の教えに救いを求めるとしたら、一人で教理・経典に触れ、神と
自己とが静かに向き合える立ち位置をとったほうが良い」との考えが強かったからで
す。
勿論、宗教団体に加入することにより、「仲間が増え、孤独から解放され、同志から
守られている安心感がある。また、指導者から教理を諭されて信仰に厚みが出来る」
という人もいるでしょう。教条的に絶対的な帰依を求めることにより、全信者を組織
防衛的に統括する宗教団体。その国家権力も容易に介入できない傘の下に入ること、
不安と孤独とコンプレックスに陥っている人は、人生で今だかってなかった安寧が得
られるのでしょう。
極端な例をあげれば、あのオウム真理教に加入した若者たちの心情も、かようなもの
であったのでは、と私は推察するのです。
だからこうしたほうが良いという断言は、私には出来ません。
しかし、もうその様な思惑や配慮が、私の心をとらえることは無くなりました。
何故なら、私共家族は20数年前に天理教団を離脱して(離脱させられて)おり、ど
の宗教・宗派にも属していないからです。誰がどんな宗教団体に加入していようが、
どんな教えを信じていようが「どうぞお好きに」という醒めた心になっているのです。
宗教団体に関しては全く興味がありません。
離脱した理由は、ここでは「抜き差しならない諸般の事情から」としておきますが、
一言。
巨大なピラミッド型の天理教組織。その下部の一隅に位置する小さな教会の長(宗教
法人法では代表役員という)を、戦前戦後を通じて40数年間必死に務めてきた父。そ
の父が死去した際のことでした。
教団組織の上層部から、現住する教会(敷地)からの東井家の立ち退きを、突然に命
令されたのです。本来はその地で長の任に当たって生活してきた父母の長男、私の兄
が後継者となることは、教団内では衆知の事実となっていたのです。そこで教会関係
者一同の嘆願書などをたずさえて、何回も請願に伺ったのですが、全く聞き入れて頂
けなく、みな絶望のどん底に落とされてしまったのです。
私は「これは宗教上の問題ではなく、教団上層部の人間的な我慾(注・当時はバブル
経済真っ盛りで、広大な教会の土地価格は高騰していた)に端を発していることだ。
社会的・道義的に認められるものではない。宗教上の親(教団指導者)と子(下部組
織の信者)の問題に歪曲化して、教団幹部は「真の信仰とは、親の言うことに子供は
素直に従うことだ!」と有無を言わせずに恫喝しているが、問題のすり替えだ。これ
は一般社会の問題として、民事として法律的に厳正に処するしかない」と判断し、民
事裁判に解決をゆだねたのです。
結果、4年にわたる係争は、私の敬愛してやまない老師に仲介に入っていただき、よ
うやく和解となりました。
後日、地元の税務署長が「巨大宗教団体と個人の係争で、このように個人の側がつぶ
されずに対等和解で解決した例は、日本では初めてじゃないですかね」と感嘆されて
いたとのことでした。
父の死後、和解が成立するまでの期間、残された母親や長兄一家は、教団からの有形
無形の圧力を受け続け、私にも、ある親しい人から「向こうは暴力団などを使って何
をしてくるかわからない。朝チャン、くれぐれも駅のホームでは前に並ばない方がい
いよ。気をつけて頑張ってな」と、密かな助言がありました。
仕事で疲弊して帰宅しても、神経は高ぶり、幼い子供3人の寝顔を覗きながらウイス
キーをストレートでコップ一杯飲みほしても、全く酔えず、緊張した不安な日々が続
いたのです。
この時こそ「宗教団体は恐ろしい組織だ」と痛感したことはありません。
そうした事態を夢中で乗り越えてきたのですが、最近になってようやく、「天理」と
いう実名を表現出来るようになったのです。
今でも教理は素晴らしいと共感し、教団の信者さんらには立派な方も多くおられます。
みな温和で親切で腰の低い、良い人ばかりなのです。
しかし、信仰の名のもとに宗教団体が巨大組織化されていくと、必然的に集団は官僚
制に組織化され、残念ながら権力の中枢にいる一部の指導者らによって、人間社会の
どろどろとした欲望が渦巻いてくるのです。
ようやく歳月が苦しみや悲しみを洗い流し、今は静かな澄んだ心境から、懐かしく天
理高校時代を想い出されます。
私は世界中のどの宗教でも、人々の心を励まし、生きる希望を与えてくれる素晴らし
い教理・経典を持っていると思っています。
絶望に伏した人を立ち上がらせ、涙にくれている人の心に、明日への望みをさとして
くれる。それは神や仏にすがるように向き合ってこそ生じる、信仰の光でしょう。
しかし!純粋に信仰を希求する人々も、集団に組み込まれ、ヒエラルキーが貫徹する
上下関係が成立する組織となってしまうと、徐々に組織内部には名誉欲、権勢欲、金
銭欲がはびこり、宗教団体は社会一般の常識は通用しない、排他的な特殊な人間集団
に化してしまうのです。
だが現実は「正しい教えを広く国民に広めることが、弱者の救済と社会平和に貢献す
ることになる。そのためには個人だけでは無力で何もできない。だから信者を増やし、
統制のとれた強い宗教組織が必要になるのだ」と強弁する宗教関係者が多いのです。
私のつたない経験から、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する・・」(憲
法第20条第一項)「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを
強制されない」(同条第二項)とありますが、はたして日本では完全に信教の自由が
擁護されているのだろうか、と疑問に思います。
敵は国家権力だけではないのです。憲法第20条をないがしろにするのは、不幸なこと
に各宗教団体自身でもあり(宗教間の争いは陰湿。世界的に見ても不毛で残虐な宗教
戦争ばかり)、同じ宗教団体内の排他性にもあります。
私が中学を卒業して東京を離れるまでの幼少年期の頃、前述したように教会だった私
の家の門には、人糞(当時はまだ汲み取り便所ばかりだった)が捲かれていたり、塀
には白ペンキで「邪教!」と大書されたりする嫌がらせが、頻繁に起こっていました。
また、私が小学生のころ、近くの商店街の八百屋に買い物に行った時、店のおばさん
から「天理教だね。あんたのとこには売らないよ!」
と怒鳴られ、悔し涙で帰ってきたこともありました。
一方、所属の宗教団体から離れた人は、かっての極左暴力集団内のリンチではありま
せんが、「地獄に堕ちろ!」とか「子孫の代までたたりがあるぞ」などの嫌がらせ電
話や機関紙などによる誹謗中傷を日夜受け、地域によっては村八分にされて一家離散
したり自殺に追い込まれるという痛ましい事例を、私は教団・宗派を問わず、嫌とい
うほど見聞きしてきました。
こうした経験から、私はいつの頃からか「宗教でも政治でも、教団や政党には入らな
い。自分達だけが正義かの様な独善主義と、人が人を隷属して成り立つような閉塞し
た人間集団は、必要悪かもしれないが、私はノーだ!」との信念を形成してきたので
す。
ただし、様々な宗教において、日夜一生懸命に布教に没頭されている方や、政党の党
員として志を高くして活動されている方の中には、人間的にも素晴らしい方がおられ
ます。
そのような方々とは、心楽しく交流を続けさせて貰っています。
毎晩、テレビの横に置いてあるフクロウの絵が描かれた七宝焼の絵皿に向い、神様、
ご先祖様、今日も無事に過ごすことが出来ました。有難うございました。明日も一家
揃って、無事に元気に過ごすことが出来ますよう、お守りください」と手を合わせて
いるのです。
これが、私のスタンスです。
それでは良い週末を。
基本的に”基本さんはスルー”に賛成なのですが、なんとなく、基本さん像をイメージすると、なんとなくこの方も宗教・信仰に浸かった結果の一例のようにも思え、一回だけ反応することにしました。
一回だけというのは、申し訳ないのですが今回限りの反応という意味で、私自身神経が細いので、お相手することでエネルギー消耗が激しいため、更なる対応からは逃げますという意味です。これにより、卑怯と言われても全く構いません。
基本さんが一生懸命5チャン板も含め、社会学に投稿されている努力は素晴らしいと思います。ただ、もう少し気配りがあればもっと良いのではないでしょうか。
人間は例えば話す時にも、無意識的にも、相手が信頼できる人かどうかを見定めながら話していると思います。
文字だけで判断する場合は、表示されている文字がその判断に代わるわけですから、誤字脱字も含めての表現になり、効果が読み手の感覚に入ってきます。
つまり、意識しての誤字脱字もスタイルの一種となり得るということを言っているのです。
基本さんは恐らくは高齢者の方かな・・・・・。仕事で入力する立場ではなさそうナ。。。
自分も高齢者なので、なんとなく、同じ匂いが感じられるだけなので、この想像は無視して下さい。
基本さんは一生懸命入力してくださるが、脱字と誤変換が多いですね。
初めて読んだときは正直なところ、わざとかな?と思ったほど。
いや、これはネットに慣れていない人なのだという事が判ったのは、基本さんが「山名教理」の解説を書いている文面の意味が通らないので自分でサーチし、元記事を見つけたからでした。
基本さんがコピペする際の、不注意のようにも思える手際の悪さが原因で、一読しても「?」となってしまっているようです。
ですから、基本さんにお願いしたいのは、もう少し投稿する前に読み直しをされては如何かということです。
そうすれば「不気味感」は払しょくされ、単に意見、主張が異なる人としての存在になる事だろうと思います。
また、基本さんに賛成の方もいるでしょう。
怒らせるつもりは全くないけれど、カインさんを学会人と決めつけていますが、これは誤解だと思いますよ。
それと、二代さんを尊敬されているのでしょうかね。(私の誤解だったらこの指摘は無視してください。)
二代真柱の限界にも目を向けるべきだと思います。おすすめ本として「新宗教と総力戦」永岡崇著 を挙げさせてください。
若手研究者ですが目配りのきいた視野と思考で、信者ではない方なのに本教に深い理解をされています。
基本さんも読まれていたかもしれませんが、自分が昔、村上重良や小栗純子の本を読んだときに感じる違和感を本書でバッサと指摘している部分を読んだときには、さっぱりしましたよ。
若い自分の感性が、何年も経過した今になって、若手研究者の研究のお陰で整理がついたような感じです。さっぱりしました。
勿論、上記の感想は冗談のような些細なもので、本の価値は大きく、一般の信者としての自分には探し出せないような資料を広く読まれたうえでの研究成果であることを強調します。
基本さん、頭が良い人は世の中ごまんといます。
自分は基本さんよりIQは高いと思います。(想像ですよ。)
どうですか、この様に書かれたら、腹が立ちませんか?
基本さん、自分の頭の良さを書きつける理由は、もしかすると、現状の環境で、基本さんは能力なり、何かを皆に認められていないから、フラストレーションを抱えているのではありませんか?
これはあきらめるしかありません。
自分で自分の心を収めるしかありません。
自分なんて、何事も期待せず、気にせず、するっと寿命まで生きる事を信条に生きているだけです。
人生は修行の場。生まれ変わりもしたいとは思えません。次の世で牛馬となっても結構。牛や馬が不幸だと決めつけるのはヒトが傲慢だからです。
以上、基本さん、暴言お許しください。
カルトであり、オカルトである基本に、丁寧なご対応ありがとうございます。
二代真柱、あるいは真柱に対する批判的見解は、お持ちになるのは自由です。
と、言いますか、ぜひ正しくご批判を頂きたい。
神・親神・存命の教祖・中山みきの「元の神・実の神」説、この創作者は正善真柱、親神の説とは違う。
論の出発点で、初期の原子記録の資料は、そう示していない。
「我は元の神、実の神である」「この屋敷に因縁あり・世界救済に天下った」説は、二代真柱の稿本説であり、基本曰く(稿本との自白)で、「我は天の将軍なり」が正しく、稿本教祖伝は第一章の冒頭から大間違いという事に基本的には解釈できます。
その稿本説の基づいて「やかた普請」も、稿本と同様に、いずれ正本説に訂正されるでしょう。
「我は天の将軍である」が正本説です。
お言葉の「八町四方」とは。八兆四方が正説で、「八町四方神の館」説は、二代真柱の創作です。
宇宙をさす「八兆四方」を現地の「八町四方」に縮めて語る歪曲する。
嘘も方便で、大教会レベルにはちょうど良いお話で、
応法の真柱の役割をちゃんと実行しています。
「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。
この場は二代真柱の応法批判を述べるに相応しいので、教義の父のいかさまを暴露します。
「匿名」さんが多いですね。だから「匿名」がいいのかもしれませんが。私は2019年9月6日8:46PMの「匿名」です。基本さんへの返答ですが、「人間の運命」ももちろん読んでいます。私が書き込んでいる意図は天理教の過去の事実や歴史を知り、その上で信仰を考えてもらいたいからです。余計なお世話かもしれません。誰かと信仰問答をしたいわけでも、論争をしかけたいわけでもありません。ただ読んでいただいて、考えてほしいだけです。特に若い人にです。芹沢氏の作品は長い上に、絶版されて手に入らないものもあり、また昔、教団が回収したという話も聞いています。ですから読んでもらいたいと思う部分を抜粋して投稿しているわけです。
私も含め、復元以降の教義で昭和・平成時代を生きてきた人にとっては矛盾していると感じながらもどうすることもできず、喘いでいるようにも思います。芹沢光治良は実際に二代真柱と交友があり、作品の中でその交友を赤裸々に綴った部分が多く、資料としても価値があると考えます。人を助けて我が身助かるというのが本当であれば、教内で悩んだり、矛盾を感じながら喘いでいる人々を助ける努力を少しでもすることが神の望むところではないでしょうか。現状では本当に若い後継者が悩み、離れて行っているように思います。このサイトを見ている若者も多いと思います。もちろん本部関係者も見ているはずです。本当に信仰するに値する宗教なのかと、誰もが思っているのではないでしょうか。
他の「匿名」さんが東井朝仁随想録を投稿されていましたが、その随想の中で「宗教団体に入ると、神(教理)との純粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。」というのは全く同感です。生まれた時からこの団体の中にいて、逃げ出せない人も多くいることも事実です。これは天理教に限ったことではありませんが。親の代のそれを散々、見てしまったら自分の代で終わりにしたいと信仰を離れる人も多いとも思います。東風Zさんの投稿も貴重な御経験をもとに述べられていると思いますし、9月7日7:45分の匿名さんのハ町四方構想参考資料の紹介も現在の教団を考える上での貴重な論文だと思います。
おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。人間の運命の森次郎(芹沢氏)のような生き方をするのも、一郎(芹沢氏の兄)のような生き方をするのも人それぞれだと思います。ただ混迷する今の世の中をよくしていくには宗教(宗教団体ではない)が必要なのかとも思っています。
>おふでさきを深く読んで史実と比べていけば、教祖在世時も今と変わりがないようにも感じています。「むねのわかりたものがない」と教祖様が嘆いているようにも感じます。
私事です。
私の息子が、月に一度ほど研修の為に奈良に出かけます。(天理教関係ではありません)
帰途は、東京駅に着くのが遅く地元の終電に間に合わず私が東京駅まで車で迎えに行きます。
東京駅に向かう途中、夜の10時過ぎですが首都高速のPAエリアに寄るのです。
そのPAのトイレでは、いつも腰が九の字に曲がった老人がトイレを掃除しているのです。
容姿から推測すると既に70歳半ばは越しているかも知れない。
夏も冬も夜の10時過ぎに弱弱しい体を動かして一人でトイレ掃除をしているのです。
この世では、たいして働きもせずに贅沢三昧な生活を送る人間が沢山いる・・・
80歳に近いのでは思われる老人が、夜の10時過ぎにPA のトイレを掃除する姿を見るとこの世の理不尽さ
不公平さにいつも涙が流れてしまうのです。
幕末の世の中に生きたおや様も 正直に生きて居るのに貧しさに苦しむ人々を見て、神仏に何とかならないかと願ったのではないかと思うのです。
世の中の理不尽さに嘆き悲しみ そして神仏に救いを求めたのではと思うのです。
「みき」は、神や仏を信仰したのではなく、貧しい人々を救って欲しいと願ったのだと私は思います。
そして、「みき」の思いに神が答えたのでしょう。
だから、「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。
信じたり 願ったり 仰ぎ見たりなどと言う宗教的な価値観を親神は求めていません。
我々が、この世を真実に生きる事 真実に通る事を親神は願っているのです。
5-62 だんゝとこのよはぢめてひハたてど たれかしんぢつしりたものなし
5-63 いかほどに神の心わせゑたとて みなの心ハまたうっかりと
5-64 はやゝとしやんしてみてせきこめよ ねへほるもようなんでしてでん
5-65 このよふのしんぢつねへのほりかたを しりたるものハさらにないので
5-66 このねへをしんぢつほりた事ならば ま事たのもしみちになるのに
この道は「真実の道」だと親神は明確に示しています。
「お供え金」や「追従」の道ではありません。
>>「みき」は「教祖」ではなく神の神意を我々人間に伝える「伝道者」だと思います。
つまり、おや様を信仰の対象とし崇める事は本質を見失うという事です。
私達は、「みき」を仰ぎ見るのではなく「みき」が見つめ「みき」が対話した神を見つめるべきだと思います。
私達は、親神が我々に何を伝えたいのか考える事が大切だと思うのです。<<
まさにその通りだと、深く共感します。
5-62から5-66までの御筆先の神意を信者さん達に伝えて行きたいと思います。
信仰とはお供え金でも追従の道でも無い事を。
当方は教会ながら両親が職業を持つことをぶれずに実践してくれたお陰で自分も長く社会で働かせてもらえ、一般社会と同じ経済に恵まれ、今の自分があります。
信者さんに心の痛む嘘の教理でお供え金を出していただこうと苦しまなくていいし、真実の信仰に目をそらさず見つめる事が出来るのはありがたいです。
お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
何が言いたいのかわからなくなりました。失礼しました。
天理教の現在と問題点について。以下の著作をご紹介します。
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
現天理教の教会の貧困、教団の衰退の現実が数字と共に細かく書かれています。ご一読を。検索をかければネットで出てきます。
この中に記載されている信者数、ようぼく数、その他の数字は本部から出されたものであり実際には5割掛けで見積もる方が現実に即していると感じました。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック]
稿本天理教教祖伝は「稿本」と正善真柱は名付けています。
事実と違うから「稿本」です。
最も史実と相違しているのは「立教の宣言」です、
正善真柱は本部神殿で立教の宣言について稿本の内容に異説を唱える本部員に講話させています。
https://blog.goo.ne.jp/oyatan/e/ac44d16eee3f093b95a8e904e3a2c6b6・引用します。
『 天保九年十月二十六日、教祖様に神懸りがありました。「さあさあ我は天の将軍、国常立尊なり、この度みきの身体を神の社と貰い受けた。これに承知しない時は一家断絶」というてお降りになる。続いてまた天井でガタリと音がして、「さあさあ我は天の将軍、面足尊なり・・・・・」というておおりになる。こうして次から次へと十柱の神様皆お降りになりました。それからというものは、御教祖様の身体は神様の身体で、今まで中山家にあった沢山の田地田畑家屋敷庫まで総べて人助けのためにほどこせと仰せになるとおっしゃって、皆お恵みになったのでございます。 』 (引用終わり)
あの時代、正善が右と言えば右、左と言えば左の専制的時代。故意に「稿本」なる教祖伝で、正善の言いなりにならない信者を発掘する仕掛けでした。
まさに獅子の子を谷底への正善の応法レトリック。
芹沢光次朗先生は正善真柱の対等な友情で、「おやさま(不思議な女の一生)」を、再版していることは、書籍冒頭に書かれています。
芹沢先生も光の子として「別な意味の稿本」を数々書き、小説としました。正善真柱は嬉しかったと思います。
ところが基本は、稿本など書いていられない。
根を掘りきるには稿本ではなく正本が必要なのです。
二代真柱に命じられた本部の資料集成部が「教祖伝史実校定本」を作成し、原始資料を集めて整理していて、
教会長レベルなら申し込めば、購入出来たので基本の手元にはそれが届いたものがあります。
おさしづも、戦前教会本部は、焼却処分させましたが、基本の手元にはそれがあります。
正本としての天理教教祖伝は天理教の基本でありますが、現在も教祖存命伝が進行中であるところです。
[二代真柱のいかさま・教義の父のレトリック②]
八兆四方は神の館を、「八町四方」は神の館に読み替えて、大教会から集金して、
医者薬は不要になるという教祖の教えなのに、天理教の病院を立てた。いかさま。
創価学会はお題目で病気が治るからと布教した池田大作先生の教えを守り、病院立てていないのに、
おさずけで病気治せという教えなのに、病院立てた。まるで詐欺である。
道に学問はいらんという教えなのに、大学を立てた。謀反者。
説教はいらんという教えなのに、説教をさせた。裏切者。
最大の裏切りは「八棟八商売」の教えを完全に埋葬した事。
おやさまは、おやさと館では八棟八商売と教えているのに、
ぶっ壊した正善真柱。
「家業第一」と教えはあるのに地場での経済活動の教えを消した正善真柱、それほどに「集金に走る諸井慶五郎以下の大教会、部下教会」を信用していなかったのだ。
創価学会は組織結成の第一歩に7つの企業を立てて会員の信仰活動に行いての商売を学会で独占する仕組みを作ったというのに。
一番金の儲かる信者そのもの対象のビジネスを本部にさせないのは、信じていないからである。本部員以下の内部信者もである。
だが、おやさまが言われた八棟八商売は、家業第一は世界たすけの基本であるのだ、
這い上がってこい、いかさまだらけの天理教教義のレトリックを見破って這い上がり、地場に、最も人間らしい経済活動のひながたを打ち立ててみよ。
いかさまのレトリックで 鼻で笑う、
正善真柱こそ、教義の父。基本の恩師である。
なめるな、お前なんぞに騙される天理教の基本ではないと、そういい続ける、
匿名
2019年9月8日 様
>>お金が無い貧困は、心を歪め、背に腹はかえられない故にお金にこだわらざる得ない貧困教会の劣悪な環境は問題があります。
年中意味のない行事にあけくれ、部内教会である当方には恐喝まがいでお金を搾り取った上級教会ですが教会よ、自立せよ、と思います。
>>真実の道。豊かさと貧困。親神は貧困を人間の目標に掲げたとは思えないし、信仰の結果は「なにかをつくりとり」で、今より豊かに、より潤いのある生活を求める事。これを罪だとしているのが現天理教です。行事参加時にはわざわざぼろ服に着替えて普通の豊かさを秘匿させ窮屈に生きさせるのが現天理教です。貧乏自慢の教会では上記匿名様の仰るような真実の信仰は出来ないと感じます。
心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。
わらっく
断りたいのに 手配りで ポストに入れる某時報
子供が成長すれば 記事が気にならない親子冊子
安くあげようと 夜行バスを利用する気持ちの逆なで 某飛行機CM裏表紙
ごめんなさい うちは女だらけです 某とうりょう
印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか? 印刷物とネットで 数字アップ⤴️ が目的でしょうか?
ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
購買停止はできますか?
>心のモヤモヤを文章にして頂いたようで すっきりしました。(中間教会の立場では 板挟みで どちらの思いも味わうます。)
恐喝まがいやヒステリックに命令する姿は 尋常ではないです。
信仰の元1日とか 因縁とか 何を認めて信仰したのか 気持ちがふさぐばかりです。<
いつも思うのですが、この掲示板の存在をマスコミに大々的に発表し、オウムの一連の事件のように大きな社会問題として報道してもらう術はないものでしょうか? 一新興宗教の問題などマスコミにとってはどうでもよいことであり、報道してもカネにならないのでしょうか? 心のモヤモヤをこの板に書き込んで少しはスッキリする以外に方法は無いのでしょうか?
>「八町四方神の館」は、総合病院にも大学にも参考館にもするべきでなく、
全部が別席場になる、信者に理を取り次ぐ場所になる。
それで、正解です。<
冗談じゃない、と言いたいです。八町四面の館が完成して、仮に、毎日毎日別席場が満杯になるような状況になった時に、真柱一人でおさづけを渡し続けることが出来るのでしょうか。
真柱は神じゃあるまいし、物理的に考えても不可能なことは明らかでしょう。
おさづけを渡す人が複数人(20人でも30人でもいい、100人でも構わない)必要となれば真柱が複数人必要になる。このようなことを想像しただけで、この宗教は破綻していると言えるでしょう。
お許しにおさづけにと、切りの無い活動がたった一人の真柱で賄えると思っている方が余程正常を欠いていると言わざるを得ません。
まあ、比叡山の12年籠山行を満行された方ならば可能かもしれませんが、早々と病に倒れられるような方が職務を遂行できるとは到底思えませんね。
出来もしないことを軽々しく説く宗教なんて信じる方がどうかしています。
「天理教の布教の現実と問題点」金子 昭著
中央学術研究所紀要 第47号より
>>教会制度の弊害については、教内からも告発の声が上がっている(12)。末端教会の場 合、月次祭など自分の教会の信仰行事だけでなく、上級教会や大教会のために人力に よる奉仕(ひのきしん)や金銭の上納(お供え)もあるので、末端教会では貧困が常 態化してしまう。そうした中、教会家族そのものが疲弊するという事態も生じている。 教団機関誌(紙)には決して掲載されることはないが、教会子弟の中には、心を病ん でアルコール依存症になったり、家庭がうまくいかずに離婚したりする者の話もしば しば聞く。<<
上記は研究の書の一部分で色々なデータを基に書き上げられており、「天理教の教会組織は既に破綻している」と見てよいと個人的には思った。
教団組織はもとより、全国に広がる16000箇所の教会のその多くが死に体である事がデータと共にわかる。当方教会でもこのデータ通りの衰退を辿っており手に取る様に実感する次第です。
天理時報の発行部数の衰退、布教の家入寮希望者の減少、天理教教会の身内化にも触れられており、今後横(世間)に広がる事は見込める術なく、衰退、瓦解、消滅の道へ確実に時が刻まれるのを実感しました。
データは2016年現在で書かれています。その後3年を経ていますので、数字としての減少、衰退は益々拍車がかかっているのは間違いないと感じました。
教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。
>>教会を預かり、縦の強制力にあえぐ下級教会関係者の皆様には、データが表す様に天理教には未来が無い事を早急に悟って頂きたいと思います。身を守る意味でも現教団に対する主体的かつ理性ある頭の切り替えと賢明な判断・自己決定権の行使が強く求められると感じました。<<
現行天理教は、太平洋戦争において敵艦の魚雷を何発も被弾し、船首を空に向けて今まさに沈没しようとしている旧日本海軍の巨大戦艦のようなものです。乗組員の皆さん、艦と運命を共にして海の藻屑とならないうちに、即刻、退避しましょう。
匿名 様
2019年9月8日 11:25 AM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」
上記を拝読しました。一読だけでは理解できませんが、宗教全体にとって苦難の時を迎えているのでしょうか。
拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。
神名流しだ、路傍講演だ、大教会だ、分教会だ、布教所だ、天理時報だなんてどうでもいいことではないかと思うのですが。それでだめならやめればいいだけのことです。無駄な努力ほど空しいものは有りませんから。
>>拝み祈祷であれば、近くの神社仏閣でいいのかもしれません。でも、心の入れ替えまでというと、信仰のレベルが違ってきます。
天理教に限って言えば、今こそ真の教祖の教えに沿った教義を披歴して再構築を図る以外に方法はないんじゃないでしょうか。<<
神社仏閣の拝み祈祷でも、僧侶や神官の説諭の言葉があり、人の生き方として納得させられ、癒やされ、すがすがしい気持ちになります。つまりある種の説得力があります。
天理教の場合、「おさづけ」をしてもらっても何も残りません。残るのは、とってつけたような訳の分からない「いんねん話」と、ダジャレをこじつけたような意味不明の話、そしてつまらないことにカネを使ってしまったという後悔の念です。つまり、天理教の「おさづけ」は金儲けの為に利用され、取り次いでもらった人間には何も残らないどころか、腹立たしさと虚無感さえ覚えるのです。
話は変わりますが、昔、「いこいの家」に入院していた肺癌の末期患者の知人(故人)がいましたが、事情部から毎日のように黒い教服と帽子を着た人が「おさづけ」を取り次ぎにきて、性懲りも無く訳のわからない「おさとし」をしたそうです。大病を患い病床で苦しんでいる身にはあまりにも煩わしいので、お供え袋に金一封を入れて「手切れ金」のつもりで渡したところ、それ以来、その事情部の人物は来なくなったということです。今でも、そうした事情部の黒装束の人は「いこいの家」の中を金儲けのために虎視眈々と病棟内を俳諧しているのでしょうか?もしそうだとしたら、私が大病を患っても、絶対に「いこいの家」には入院しません。
以下の ほりけん さんと、nuno さんのツイートを読むと、
教校学園の閉鎖は、本部がなんの相談も無く、コスト削減を優先し、
有無を言わせず虫けらのように教校学園の職員を切り捨てたのかがよくわかります。
こんな組織が世界をたすけられるわけがない!!
天理教団、終わりましたね。
ほりけん @VgWEED0EslbRqQk
教校学園の廃校に伴って、職員の先生方の就職先はネット上で流れていた通り、
自分でどーにかしてくれみたいな感じって今日、実際に先生から聞いて、
それを聞いたある先生の奥さんは発狂して実家に戻ったところもあるらしい。
そーいうとこのケア本部はしてるんでしょうか?
nuno @toarukyoukaino
全然してないらしいですよ。
「天高にはいけません」
「本勤したいならどーぞ」
って言われたそうで。
とある先生は「すぐにでも辞めたい」って言ってました。
来年も新入生いるみたいだけど、先生いるのかしら?と心配してます。
東風Z 2019年9月8日 7:23 PM
おさづけの理を渡すのは真柱の仕事ではありません。
誰でもいいのです。
正しい教義ではそうなります。
人は神ですから元の地場で、役に当たれば、誰でもいいのです。
実例では、松村吉太郎は東京本部で、おさづけ渡しています。
おさしづに記録があります。
ナライトさんは、今で言えば引きこもりですが、。
おふたりとも、たいして信心していません。おたすけもしていません。貧乏もしていません。
誰でも良いという見本としての、両名でした。
おやさまは、布教しろという教えはしていません。
神名を流せというのは、「中山みきの名」としての神名「天理王命」です。
拍子木を叩いて、ばくちで大損した人を探す行為が、拍子木のひながたです。
「早乙女心」もなにも、放蕩の兄貴を探し出して救出せよというひながたです。
「ばくちに負けた方」「パチンコ損した方」とさがすのを、拍子木たたきはしなくちゃいけません。
「ひとことはなしはひのきしん」、は「においばかり」をかけるのであり、
病気助けるとか、正味を売ったら、理の間違いです。
親父が死んだら、しめたと、ばくちを打ちにいく兄貴。
そういう人から、たすけなさいというおやさまの教えです。
借金でやくざに負われて、パチンコだけで生活する人、お預かりしましたが、生命力はありましたよ。
必ず勝ってくるのです、その人が食費を稼いでくれて、生きてました。。楽しかったですよ。
天理教校に就職するということは、
「この屋敷に住んで給料貰うているものあるのが残念」という、お指しすに実は反しているのです。
ある時期、天理大学の教授とか、給料を丸ごとお供えしようかとか、そんな時代もありましたが、
就職先としてm最悪にしておくことが大切です。
基本は年金少しは井田抱ける資格有馬氏が、一円も頂いていません。
天理供してて、給料貰うなんて、大間違いだから、基本は会社つとめしてたときは、最低賃金で絶対に給料上げさせなかった。
基本の後任は、銀行の支店長代理をスカウトして後を任せて、その人基本の4倍以上の給料。
それ普通でしょう。
天理教信心してるなら。おたすけしたいなら、。
会社から人並み以上の給料もらうなら、天理教などしないことです。そんなもの貰っておいて、天理教のお助け人です。
鼻で笑います・
基本の仕事のスタッフなんて、若い子、一日千円。これが基本。衣食住の最低は見るとして、
、500円の洋服かって、「どんなもの着ても美人であれ」と、素直なものです。
肌荒れはなおり、医者にかからずアトピーは治り、顔立ちまできれいになって、朝八時から夜は辻まで、
あんたのお店になるようがんばるんだよです。お店に住んで、お店のまかない食べて、仕事用の車はありますが、
燃料込みで一日千円。
まあ、天理教で飯を食っていこうなんて、おやさまへの謀反ですね。、
「理立て」の意味を問われている投稿を見たことがありますが、私見を述べてみますね。
理立てとは、要はおカネです。一例を書きます。
期末(3月)の繁忙期に講社祭りの日程が取れず、已む無く講社祭りは見送りとなったが、教会は暗に理立てをするようにと宣ってきた。それで、翌月に金封に御礼と書かずにお供えと書いて持って行ったところ、素晴らしい理立てだとお褒めの言葉を頂いた。
これが理立てです。
大教会長から親父へ10月のかなめ会に同伴するよう連絡が。秋季大祭後のかなめ会には同伴者を用意するよう言われたようだ。親父指名は大教会役員だからか。かなめ会同伴命令など初で驚いている。先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
理立てについて。
私達一家の例です。
50年も前の事。教会普請の際、理建をしろと、上級から圧力をかけられていました。子供心に親がお金のやり繰りで悲壮な相談をしている最中でした。上級教会からの冷徹とも思えた金銭の要求。上級教会への恐怖を感じました。容赦ない迫力でした。
両親は建築費用、本部お運び、新築報告祭等々で数々の出費が最高潮に重なる踏ん張り時でした。突如上級から飛び出した理立て要請は、強制でした。当時の会計簿を見ると、近所の同じ組内の有力者に借金していたことが判明しました。50年も前の事、近所に借金を頼んだ両親の屈辱はいかばかりだったでしょう。今更ですが可哀想で仕方ない。
理立てとは、つまり良き事を身に付ける前に先にお供え金を出す事。新築前の理立て、受験前の理立て、結婚前の理立て。出産前の理立て、手術前の理立て、事故後の理立、入院前の理立て、、、数えれば切りが有りません。
こうしてお「金と引き換えに良き事は身に着く」と言う発想で、「命のつなぎは金」と言う発想と同じです。
理立てとは、要するにお金で幸せを買う事です。私は上記の理立をその都度上級に伏せ込みましたが、そのお金が仕事を持たない彼ら教会一家の生活費になっただろう事が今頃に理解に及んだ次第です。
従順は時として馬鹿。ただただ「理立ては神の思召し」と信じて上記理立てを全て実行してきたけれど、単なる自己満足だったと同じ自分の中に居た「ばり天」な自分を苦笑して思い出しています。
神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。
>>神はお金を要求しません!理立てを要求されたら拒否しましょう。そのお金は我が子の為に、ご両親の為に、地域の発展の為に、世界の貧しい子供達の為に、、、お金が活かせる場所は幾らでも有ります。人間に互い立て合い助け合いを要望された神はその方をお喜びになっておられます。<<
全くその通りだと思います。「死に銭」を使わないようにしましょう。
匿名 様
2019年9月8日 4:42 PM
金子 昭著「天理教の布教の現実と問題点」より
ただ、手配り運動を始めて10年後の2017年の『天理時報』の発行部数は、さらに減
少して11万1千部になっている。最盛期の30年前の3分の1にまで落ち込んだ数字で
ある。手配り運動と発行部数減少の因果関係は明らかにされてはいないが、次のよう
な3つの可能性が考えられよう。すなわち、①手配りをしてきたから、発行部数の減
少をこの程度に抑えることができた、②手配りの有無にかかわらず発行部数の減少に
歯止めをかけることができなかった、③手配りをしてきたことによって、逆に発行部
数の減少に拍車がかかった、という可能性である。関係者としては、①であってほし
いと望みたいところであるが、②もしくは③の可能性すら完全に否定することはでき
ない。というのも、昨今は個人情報保護法の施行に伴って、人々の間にプライバシー
の意識が浸透してきた結果、たとえ同じ教友同士であっても見知らぬ人に家の所在を
知られ、ポスティングされるのはあまりいい気持ちがしないことが想像されるからで
ある。
あるいは、天理教のホームページやSNS等を通じて情報を得ることができるように
なったので、紙媒体の週刊新聞は自ずと読まれなくなっていっただけなのかもしれな
い。実際、一般紙でも軒並み発行部数の減少が続いているからである。かつて全国の
どんな小都市にもあった映画館は、テレビの普及とともに入館者が激減し、次々と閉
鎖を余儀なくされた。同じように新聞や雑誌や書籍一般ですら、インターネットの浸
透によって紙媒体のものは読まれなくなり、全国の書店を次々と廃業に追いやってい
る。また、たとえ紙媒体の書籍類であっても、人々が読みたい本がかつてないほどに
多様化しているので、中小の書店ではもはや対応しきれず、自ずとアマゾンなど巨大
ネット書店で本や雑誌を購入するようになったことも挙げられるであろう。
インターネットが普及し始めた当初、宗教界は期待と不安をもってこの高度情報時
代を迎え、宗教界や宗教学者の間でもさまざまな議論が取り沙汰されたが、近年のス
マートフォンやSNSの普及により、いっそうバーチャル世界がリアル世界を浸食して
しまっている状況が起っている。しかし、このような相互発信は、使い方を間違えな
ければ、教友の繋がりをむしろ強めるものではないだろうか。ネット時代の情報ツー
ルの活用法については、今後も研究開発の余地があろう。
>>印刷物を読まないけど ネット利用者ならというところでしょうか?
>> 印刷物とネットで 数字アップ?? が目的でしょうか?
>>ネットに移行すると 年間費が安くなるとかあるのでしょうか?
>>購買停止はできますか?
Smartphone で読むのは購読料無料です
Wa-luck,JOYOUSLIFE 等本当に良くやりますね
こんなので教勢衰退の歯止めになるとは思えない
第95回 天理教青年会総会前夜祭のお楽しみ、出演芸人がついに決定しました!
ザコシショウ&みはる!みなさんお待ちしてますって、大亮君頑張ってみても
コロンブス解散したオネエサンと R-1 優勝して鼻高々、吉本、ナベプロ、SONY
次々と事務所変える変なオジサン達で本気で人集め出来ると思っているの?
子供おぢばがえりの少年会じゃないのに、肉食べながら歌うまの次がコレ???
大亮君 逸話篇159【神一条の屋敷】読んでる?
梅谷四郎兵衞が、ある時、教祖のお側でいろいろお話を承っていたが、ふと、「ただ今、道頓堀に大変よい芝居がかかっていますが、」と、世間話を申し上げかけると、教祖は、その話を皆まで言わさず、
「わしは、四十一の年から今日まで、世間の話は何もしませんのや。この屋敷はな、神一条の話より外には何も要らん、と、神様が仰せになりますで。」
と、お誡めになった。
また今年も性懲りもなしに青年会総会ではお供え金が、お楽しみ会行事費として使われていく。
本部青年会長&青年会委員長よ!
「感謝・慎み・助け合い」
口先だけで唱える経文は身につかないということで、化けの皮が剥がれました。
「慎みの心」を持ち合わせていないから、平気で人の心を踏みにじる行為に至るのだろう。
高校閉鎖に伴う教職員の失業対策をきちんとたてないまま、放り出す天理教団。
その一方、今年も青年会総会での無駄な金の使い方をする天理教。
天理教の狭い世界の中では得られない高揚感のようなものを味わってしまうのが「呼びや」担当。
ちょっとした有名人とコンタクトして打ち合わせをするうちに、自分も「ひとかどの人間になった」ような勘違いをしてしまう。
昨年の批判を「おいらは気にもしてないよ」と強がりポーズを演出するのか?
昨年は、二人の頭の程度が判明したが、今年は二人の心の中がうかがい知れた。
皆さん下記の宣伝文は青年会のホームページの文章そのままです。
この様な知的レベルの本教上層部では恥ずかしくて街中で顔をあげて歩くことはできません。
一昔前に天理本通りで果物を購入した際、店主が「天理教の馬鹿たちが・・・」とはっきり口にしました。
修養科生の私は意味不明と聞き流しました。
今は理解できます。
ほんとに君たちはウマシカ丸出しです。
産んだ親の顔が見たいとさえ思います。
「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。
読む価値のある印刷物は、時間を費やして読む価値があります。遠方の図書館に出向いて借りてきてでも読みたくなります。天理時報のように中身の無い無価値の印刷物は、タダでもらっても読む気にはなりません。ゴミ箱に直行です。
>>「青年会総会前夜祭」
前夜祭のおたのしみ、出演芸人がついに決定しました!
今年の芸人は、TVで大活躍のこのお二人!
ハリウッドザコシショウ
TBSの番組『あらびき団』に初回から出演。「キング・オブ・あらびき」と称される。2016年R-1ぐらんぷり王者。ベタな漫談口調を主体としながら、数々の不条理なネタを行う(ハンマーカンマ―、誇張しすぎたモノマネシリーズなど)
みはる
現在人気急上昇中のものまね芸人、Mr.シャチホコの妻。日本テレビ番組「ものまねBATTLE」、フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」などに出演。2016年フジテレビ番組「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」でMVP受賞。レパートリーは天童よしみ、中島みゆき、山田邦子、松田聖子。<<
読んでいて情けなくなります。ウマシカさん達!! 信者からまきあげたカネをいつまで浪費するつもりですか?
次の話は芹沢光治良が二代真柱と佐野原大教会で会って、天理時報連載の「教祖様」の資料として『稿本天理教祖伝』の草案七、八、九をもらった時の話だ。まずは読んでいただきたい。「私」は芹沢氏、「真柱」は二代真柱、「父」は初代真柱だ。現在の若い大教会長や分教会長や後継者、あるいは熱心に信仰を求めている方々に読んでいただきたい。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書かれておりますか」
「そうだよ」
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
そう話している間に、ここの大教会長が教会の役員や青年を従えて、挨拶に伺候しても、真柱はああと答えるだけで、顔も向けないで私と会話をやめないが、会長はじめ控えの間に並んで伺候する人々の迷惑そうな表情が見えて、私は身の置き場のない思いがした。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」
そこへ風呂の用意ができたからと、会長自ら入浴をすすめたが、それには答えずに、
―ここには下付した『おふでさき』と『天理教原典集』があるだろう、見せてくれんかと、会長に命じてから話すのだった。
「これまで、誰も『おふでさき』や『原典集』など読まずに、古老の語りつづけたことを、教祖も、お道も、自分で心に創り上げて信仰したようだ。古い信徒の初代は信仰上いろいろ苦労して、さまざまな信仰体験があって、それはそれで立派だが、その信仰体験が即天理教だとしては、まちがうのだが……例えば、教祖のお言葉だとかお話だとかいって、大切に伝えたのが、記憶ちがいや伝えちがいがあって、いつの間にかちがっているのを、それを真の言葉だと思いちがえて、自分の信仰の芯にすることがすこぶる多くてね……こうした蒙を啓くために、先ず教祖自ら書かれた『おふでさき』に註を加えて、立派な書物にして、二十三年の秋に各教会に下付したんだよ。それから、四年かかって、二十七年の春『天理教原典集』を出版して下付したんだがね……」
その二冊の書物を、その少し前に、会長はうやうやしく持参して卓上へ置いた。真柱は白い表紙のその書物の頁を一寸めくってみて、会長に言った。
―これは全くよごれていないが、読まないのか、
―はい、勿体ないから、大切にしてあります。
―読んでもらうために、下付したのだから、よごしていいんだよ。
―はいと、会長は頭を畳につけて、どうぞお風呂をお召しくださいと、はばかるように言った。
―誰でも先に入浴させなさい。大切な話をしているからと、言うなり私に話すのだった。
「こんな調子だから大変だよ。下付しただけでは、どうにもならんからなあ。各教会で『おふでさき』や『原典集』の講義をさせて、真の教祖の道にかえそうとしているのだが……」
私は客間の外の気配に、大教会側の狼狽ぶりが痛いほど感じられて、早く切り上げなければと密かに焦慮した。
「真柱、さっきの教祖伝ですが、教祖が人間か神かの問題よりも、『稿本天理教祖伝』の三まで読んでみると、文章がきれいすぎて、読む者の心を動かす力が足りないような気がして、その原因を考えたのですが……それは教祖の日常性が欠けていて、生きた教祖が感じられないからではありませんか。教祖の苦悩にみちたエピソード、教祖が信仰上行った奇跡や実際に庶民に向かって語った逸話など、洗いすててしまったからではありませんかー」
「さっきも言ったとおり、そうした話はみんな不正確だからな」
「真柱さんも福音書をお読みになったでしょう。聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっているが、キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
(『死の扉の前で』93~95頁)
ここまで読んで、どう感じるでしょうか。子供の頃から天理教の家庭で育ち、教義を習い、自らも信仰を求めてきてはいたが、天理教の書物は完全すぎる、一分の隙もなく、理路整然とした教えだと感じていました。これを読んで耳にたこができるほど聞いてきた教理が味気なく、素晴らしいけど理想でしかないものだと感じていた理由がわかった気がします。また中山家の安泰に関わるような資料は伏せているのかとも感じます。
東京帝大の姉崎正治に宗教学を学んだ二代真柱がまとめたものばかりで、切り捨てられた日常性や逸話が多くあると推測できそうです。高野友治をはじめ、多くの学者さんたちが残した本にいくつか残ってはいるが、そういった書物を地道に探して読む以外に生きた教祖像に触れることはできないのかもしれません。
それにしても上記の大教会関係者の慌てぶりなどは現在と変わりないようにも思います。本部から巡教やお入り込みがあるとなると大騒ぎの対応をするのは伝統なのでしょうか?ネットにはその際に包む御礼やお供えなどの情報も出ていたように思いますが、全く時代錯誤も甚だしい感じがします。尊い信者のお金が使われているのかと思うとやりきれない気持ちにもなって当然かとも思います。これでは信仰が縦に続いていく道理はないのではありませんか。本部員の小遣い稼ぎと揶揄されても仕方がないようにも思います。信仰を稼ぎにしてはいけないとも思うが、現実問題として食って行かなければなりません。あまりにも組織が大きくなり過ぎた弊害なのだろうか。
何も持たずに 生まれ堕ちた僕
永遠の隙間で のたうち回ってる
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
支配者も神もどこか他人顔
だけど本当は 分かっているはず
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは目を背ける
それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる
世界が背中を 向けてもまだなお
立ち向かう君が 今ここにいる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
運命とはつまり サイコロの出た目?
はたまた神の いつもの気まぐれ
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしかは遥かな 揺らぐことのない意志
果たさぬ願いと 叶わぬ再会
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と
許しあう声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい
答えてよ
愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした
そんな荒野に 生まれ落ちた僕
君 それでも
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
ーRADWIMPSー
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
つまり芹沢光治良先生のご意見は、信仰上の人としての教祖も語れという事ですね。
「三まで読んで、教祖を神としているように感じましたが、全巻その精神で書か れておりますか」
「神である教祖より、人の心を動かす、日常的な生きた教祖の伝記であるべきだ。」
「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」
「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」
「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」
「天理教本部が教祖伝という信仰の書をつくるのならば、教祖の書いた文章だけによるのではなくて、聖書のように、教祖の日常性、逸話、奇跡、説話を基礎にすべきではありませんか……」
対する真柱は、教義書を書いた。
「正確で、真実な教祖伝をつくるのが、復元の本義とは思わないかね」
・・・・・・・・・・「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
それでいいかどうか、復元運動とともにじっくり考えたのだがね。何度復元会議を開いたか分からんが、現在もなおその会議を続けておるが……
人間の記憶など、凡そ頼りないものなので、『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたのだが、
教祖は人間でなくて生まれながらに神であると判断せざるを得ないんだ。その説明は長くなるので、あずかるがー」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
だから民主的な会議では大多数は初代真柱の考え(芹沢光治良先生の考え)に一緒であり、民主的大衆の求めるものはそれを資料としては資料集成部に「復元」という書物で出版させて、
もう一方では、真柱の専制権力を駆使して、信仰の部分を排除し、神としての記録の書として稿本天理教教祖伝を書いた。
それは、教義書作成の王道です。
基本は教義の父を正しいとみとめ、信仰の書の嘘と虚構を否定するものです。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をのべます。
教義の父と正善真柱を呼びますが、教義とは、ギリシア語でドグマ(dogma)。
1 各宗教・宗派独自の教理・教義。
2 独断。教条。「ドグマに陥る」
この二つの意味があります。
正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、k伽の意味の2 独断。教条。「ドグマに陥る」 そのものであると貴殿は述べているわけです。
では、その根拠はどこにあるのですか。
基本は正善真柱の天理教教祖伝は教義書であるべしという教義は、意味の1の1 各宗教・宗派独自の教理・教義。であると認識しています。
根拠はお筆先にあります。第十五号 明治十三年一月ヨリです。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13
この一連のお筆先ですが、「あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 15-10」のお筆先は直近の明日の理は来年という事で、お筆先の翌年4月8日(陰3月10日)、おやさまに背いた秀司出直(61才)です。
歴史上に実現しています。
つぎの、「いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 15-11」ですが、「をやがはじめかけた」のは天理教立教の1年前で1837年陰暦10月26日です。その日、西暦1837年11月23日、秀司足痛となる。があって、43年目⇒1880年のお筆先です。
秀司の足を痛めた、その行為を「をやがあらハれはじめかけた」と言われているのでありますから、立教以前にをやは働きとして出現していたとわかります。
そして、お筆先は「けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 15-12 さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 15-13」と続いています。
お筆先10号に「さあけふハ月日のはらがはぢけたで 」とあるのは、予言であって、
1880年、この年、眞之亮は中山家へ移り住む ⇒43年後
1923年、大正12/09/01、月日の腹が弾けました。
関東大震災・関東地震(関東南東部)大火災。相模トラフ境界断層破壊。
死者10万5千人。
月日の腹が43年で弾けるという教義には、嘘が混じってはいけないのです。
眞之亮は、教義上、教祖を神と認めていなかった。
「君は教祖をはじめから神にしたのが、不服だろうが、その不服の理由は聞かなくても解るよ。
教祖は大和の農家の主婦が神がかりにあって、神の思召しに添おうとして超人的なご苦労をして、神の社になられた……
君の言いたいことは、民主的にねりあった時に、多くの者が主張したよ。しかし、それは今まで語り伝えられた教祖だよ。
・・・・
「この初代真柱様の教祖伝も、そうですか」
「いいや、読んでくれればわかるが、父は君と同じ精神で書いているようだよ」
初代真柱は信仰者であったが、教義を曲げていた。 天災の原因です。
と、基本は考えます。
知恵袋より
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10189542480
>>天理教の教会の人って、信者が病気になったりトラブルに見舞われると、待ってましたとばかりに、
>>上から目線で偉そうなことを言ったり、御供えして徳積みしなさいと言いますよね?
>>弱っている人間に情けをかけたり、優しい言葉をかけて支えるのではなく、そういう病気になるのは、
>>こういう心遣いをしているからだ。とか、
>>因縁が強いからそれを断ち切るために御供えしなさいとか言われ続けました。
>>心が冷たいというか、人として魅力の無い人が多い気がします。
>>人の弱味に漬け込んで、自分達は大して働きもせずに、天理教の御用をしているからとか言って、
>>楽してばかり。世間知らずな人ばかり。
>>特に大教会の人達。御供えしないと分かったら手のひら返し。
>>人助け人助けとあれだけ騒いでおきながら、本当に信者が辛い時は助けてくれない。
>>今まで御供えしたお金返してほしいです。
>>今はもう距離を置いてますが、教理も疑問だらけで、もう時代が違うなと思っています。
>>同じような気持ちの方いますか?
知恵袋の回答期限は切れているのでこちらをお借りして一言。
「全く同じ気持ちです。」
匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?
いほり 様
2019年9月11日 4:00 PM
>>匿名さま
>据替の儀に出ましたが、その翌朝の本部朝勤めでは誰かが21回を間違えていましたから
ちょっと想像がつかない。数取りがいながら間違えたのですか?<<
匿名様への質問ですが、私なりに推測することを述べさせていただきます。
仮に数取りがいなかくても、毎日、朝夕おつとめをしているのであれば、必ず誰かがカウントしているはずです。洒落にもならないようなミスです。
風鈴はぐれ雲 様
2019年9月10日 11:16 PM
新海誠監督の新作『天気の子』映画観ました。もの凄く面白かったです!
主題歌「愛にできることはまだあるかい」歌詞がイイ!!良い曲です。
私も好きです。
わらっく 様
投稿ありがとうごさます。
映画の主題歌にも、使われていたんですね。
スポーツジムのBGMに流れていて。
あっ!RADWIMPSだと思って。
あらためて、YouTubeで聞きました。
良い曲ですよね!
RADWIMPSは、デビューアルバムが鮮烈で。
最初は、何枚目かのCD買ってました。
独特の世界観、響く言葉…
僕自身も、RADWIMPSの曲には、自問自答しつつ、応援しています!
RADWIMPSならではの世界があります。
天理教も同じです。
響かなければ、想いが伝わらない。
実行しなければ、何もかわらない。
バンドは下積み時代から、何年も苦労や苦悩を繰り返して、残り、育っていきます。
天理教は、崩壊した組織で成り立っている。
徳だことの、因縁だのことの。
縦のアップダウンの機械的言葉じゃ。
心には響かない。
人も振り向きもしない。
天理教人も、成人といいつつ。
日々の鍛練や心構えができていない。
人助けとは、天理教の勉強をしなくてもできる。
要は、やるかやらないか。
熱量があるかないか。
今の崩壊した天理教では。
人として生まれ堕ちた、熱量もエネルギーも。
育たないだろう。
社会学ブログを読んでる若い方々へ。
難しいことは、なくてもいいから。
日記みたいな投稿でもいい。
天理教で感じた、気持ち想いを。
言葉で、文章で、広めてみませんか?
僕はRADWIMPSがすきです。
そんな投稿でもいいんですよ!
そこから、繋がっていくもの、広がっていくものもあるから。
社会学ブログは、人間交差点だと思っています。
縦の伝導ではなく、交差点です。
沢山の声があつまり。
天理教が少しでも、良い方向へ向かえば良いかなとおもったり。
最小限の被害のまま、天理教は消滅したほうがいいとおもったり。
世界も心も。
今日も、まわって動いています。
匿名 2019年9月10日 9:25 PMさん
貴殿のご意見に基本的見解をなお具体的にのべます。
教義の父と光の作家の意見の対立点ははっきりしています。
教義書としての教祖伝だと教義の父は言い、信仰の書としての教祖伝であるべきだと、光の作家は主張した。それに尽きます。
教義の父は、教祖直筆の『おふでさき』の中に、じっくり真実を求めたうえで、
その結論が教祖は生まれながらの神だったと悟った。
光の作家は、「聖書はイエスについて語られたこと、イエスの日常性やエピソードとか奇跡とかが主になっている」。「キリスト像が生きて感じられるばかりなく、神の教えが明白に伝わりますね。」「そして今日なお世界中の人間に感動をもって読まれています。」
「キリスト伝を『稿本天理教祖伝』のようなスタイルで書き流したらば、読む人はただ、イエスは生きた神だったのかと思うだけで、少しも感動はしないでしょうね。」と、信仰の書でないことの批判をした。
教義の父は教団の民主的な解釈も父親の初代真柱の精神も、光の作家と同じであると理解は染めしたが、言葉の上である。
教義の父は独裁的に教条的にドグマとして教祖は神で稿本天理教教祖伝とした。
光の作家は不思議な百姓の女の生涯と言う見立てで「おやさま」を再刊した。
・・・・・
基本はおふでさきの中に真実を求め、43年の数理の真実において、天理教教祖伝を教義書として公刊した正善真柱を正しいとの意見を表明しています。
続けます。
おふでさきに記された真実です。1号に天保8年の事実の記載があります。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
りいふくも一寸の事でハないほどに つもりかさなりゆへの事なり (1-33)
りいふくもなにゆへなるどゆうならハ あくじがのかんゆへの事なり (1-34)
このあくじすきやかのけん事にてハ ふしんのしやまになるとこそしれ(1-35)
このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)
歴史的事実としては、稿本教祖伝に記録があります。
天保八年:
天保八年十月二十六日のこと、十七歳の長男秀司は、母親みきに伴われて麦蒔の畑仕事に出た折、急に左足に痛みを覚え、駒ざらえを杖にして辛うじて家に辿りついた。早速、医者に診せた処、薄荷薬などを用いて手当ての限りを尽してくれたが、一向に痛みは治まらない。そこで、人の勧めるまゝに、近在に聞えた修験者、長滝村の市兵衞に使者を出したが、あいにく市兵衞は仁興村へ行って不在であった。
(つづきます)
(つづきです)
心配の余り、善兵衞自ら市兵衞を訪れ、折入って相談した処、そういう事ならば、一層の事、お宅で寄加持をするが宜しかろう。との事であったので、一旦家へ帰り家人とも相談の上、その意見に従う事にした。
市兵衞は、勾田村のそよを雇い、幣二本を持たせて台とし、近所の誰彼にも集まって貰い、護摩を焚き寄加持をした処、痛みは治まった。
半年程経つと痛み出したので、寄加持をして貰うと、治まる。暫くすると又痛むという工合に、一年の間に九度も繰り返した。
寄加持の時には、ただ近所の人々に集まって貰う丈ではなく、一々酒飯を振舞い、又供養のため近在の人々に施米した。一回の費用は凡そ四百目かゝり、軽い経費ではなかったが、可愛い伜を救けたいとの親心から、善兵衞は少しもその費えを厭わなかった。
・・・
これが、お筆先1号31以下のお歌の事実です。
これまでのざんねんなるハなにの事 あしのちんばが一のさんねん (1-31)
このあしハやまいとゆうているけれど やまいでハない神のりいふく (1-32)
中山家は金貸しをして農民から土地を奪って地持ちになった、秀司は長男であり、家は人の家を立てないようにし小作に陥れた。
この理の話には秀司の信仰談義は意味を持たない。
『 このあくじなんぼしぶといものやどて 神がせめきりのけてみせるで (1-36)』は、啓示であり、
啓示の事実を正確に記録するのが、教義書としての天理教教祖伝であるという教義の父の見解は、王道であり、一点の曇りなきドグマ(教義)そのものです。
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
ただの大亮の真柱継承の正式発表かもしれませんね。
血も涙もない本部の事ですから
分教会がより活動しやすくなる、あるいは負担が軽減されるような
前向きな教団改革の指針の発表はおそらくないでしょう。
心配なのは130年祭時に行われた、天龍講、眞明組、斯道会、心勇講等の旧講元系統別の別席団参です。
あの意味不明な団参が、
例えば、弱小大教会を旧講元のもとにすべて吸収合併する等、
さらに本部や旧強力大教会の集権を強化するような悪しき改革の布石になっていなければいいのですが……..。
その悪しき改革の発表が来月のかなめ会だったりして……..。
まあ今更何を足掻いても無駄でしょうがね。
補足しておきます。
3 :基本。:2014/01/16(木) 02:32:41.78 ID:e/QsDK0l
天理教教祖伝にはこう書かれています。
天保九年:
かくて、天保九年十月二十三日、夜四ッ刻(午後十時)、秀司の足痛に加えて、善兵衞は眼、みきは腰と三人揃うての悩みとなった。
この日は、庄屋敷村の亥の子で、たま/\市兵衞も親族に当る乾家へ来て居た。呼ぶと、早速来てくれ、これはたゞ事ではない、寄加持をしましょう。
とて、用意万端調え、夜明けを待って、いつも加持台になるそよを迎えにやったが、生憎と不在であった。
やむなく、みきに御弊を持たせ、一心こめての祈祷最中に、「みきを神のやしろに貰い受けたい。」
との、啓示となったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長滝村の市兵衛というのは、大峰山12先達の一人と言われた高名な行者である。
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf
民俗宗教における柱の信仰と儀礼
宮家 準(國學院大學神道文化学部教授)によれば、
みきは長男が足の病になったので、当山正大先達内山永久寺の配下の山伏
市兵衛に祈祷を依頼した。けれどもその時市兵衛が災因を明らかにするためにする憑祈祷の依り坐が
不在だった。そこでみきが依り坐となった。すると何時もの神霊とは全くちがう「元の神、実の神」
(現在は親神天理王命と称している)が憑依してみきを神のやしろとして貰いたいとの神託があった。
・・・・・・・・・・・・・・・
とあります。
ところで、
>>教会長の息子
>>2019年9月10日 11:58 AM
>>先代会長で大教会筆頭役員を務めた祖父でもかなめ会出席経験はない。
かなめ会と言うのは「悪ははびからす」理において正善真柱が命名したもので、直属大会長らの会ですが、
教団のかなめと言う自白をさせていて、バラバラ、という、風ひとつ起こせない組織ですから、
そういう気の毒な人、「大教会筆頭役員もです」が、
みな中山秀司とおなじ因縁です。
月日の腹は、いつでもはじけます。話題にすらしない用心をし、巻き込まれないことです。
>>今までに例のない重大な発表でもあるのだろうか。
おうぎのさづけを頂いていたら、一言で病人助けたりできます。
おうぎの伺いを許されていたら身上事情諭しがいつもできます。
処が、扇のかなめはあっても、「紙」(神)がはってないから、風を起こせない実は無能力のかなめ会。
お笑いでしょう。お気の毒でしょう。お筆先一つ読めない、おさしづ解説もできない。
身の内の教理もわからない、かなめだと威張っている人たちは、掃除されて、病気で苦しんで、建物をでると、お筆先に書いてあります。
筆頭役員とは、その一族の幹事長ですから、心を定めて、おやさまとのみ信心してください。
期待します。
故・植田先生のような立派な教学研究者の教えこそ、広く教内に広めるべきだと心から思います。
「つくし・はこび」の錯覚 配信日:2009/2/19
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-533.html
以下、一部抜粋
>>布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費も掛かるのだ。
>>教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や時間を布教のために
>>「つくし・はこび」していたのであり、
>>人に「つくし・はこび」を説教していたのではなかった。
中山家が経済活動で、間違うと大地震と言うことを、
4(資本・資産)、3(金銭・経済)の理で、数理43年で
歴史的事実に残しています。
秀司・小寒 家業に入る。 秀司の相場、ばくちで化合できず、 → 43年 濃尾地震
初代真柱が中山家に入る 真柱と認めない周囲と、宗教家業への堕落 → 43年 関東大震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め 真柱の宗教家業、会議で確定の道に → 43年 阪神大震災。
三代真柱の真柱職に就任 中山家の家業、財産資産化 → 43年 東北大震災と原発事故。
それは個人においては身上事情、災難という事です。
子供お地場かえりで営業していた教会には・・・
教会を社会福祉施設化していた教会は。。。
投身自殺したとか、急に奥さん死んでしまったとか、全部事実です。
人助けをしませんか、家業第一にして、里の仙人、しませんか。
天理教のプロなどおやさまは、欲しくないのです。陽気遊山が見たいだけです。奥義を頂いて、陽気に暮らしませんか。
4と3の理に気を付けて、マジ自分が貧乏しましょう。
植田さんは、私の処に尋ねて来た方だとすると、住み込みさんのことでご相談ありました。
置いてよいか悪いかと、。。
お人柄は良い方でしたが、原典の事は、あまりお分かりでないと思います。
教団改革の一役でしたが、天理の怖さをご存じなかった。
まあ、私を確認に来られたのでしょうが、基本は、ただのカラオケ屋のうたスキですから、
一通りの、住み込みの対応はご相談しまいたが、他の事情は一切触れていません。
天理教会本部内部では、中心的人物であることは植田さんは言わないし、基本もきかないでお相手しましたが、
それだけのことで、後一切交流、交信はしていません。
ひとを目標とせず、原典と口伝以外を参考とせず、実は何もできない教団人、頼りに思わないことです。
天理教の教団人は、表裏があります。
批判の中心人物が実は「体制派」だったり、植田さんも典型的な体制派です。
昔でいえば八島英雄さん(この方にはお会いしていません)は、典型的な体制派です。
天理教はもう変わらないと維持できない。改革が必要だというのは、実は体制派。
教会の維持,特に自分の教会の維持存続運営が大事であって、教会と言う建物、資産財産、43の理というものが、恨み(3の理)、腹立ち(4の理)の埃であり、批判者は実は4にこだわり3を欲しがる。
天理教会はm元々の効能があってのもので、おうぎを持てば、存続して良し、効能の元でないなら、かなめはバラバラです。
植田先生には効能はなかったですよ。本人もそのお立場でした。
効能の元は、貧乏せいです。難儀せいです。
とんでもない住み込み人をすみこませて、それは布教の手段ですがね、おたすけではないから、
教会において良いか悪いかで悩む、素人さんです。
澄みこませる前に「あんた裏切るね」と見えん先から諭せないと、ただの人数集めで、おたすけではない。
初代講元は、それくらいできた。ただし貧乏の頃ですがね。
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
うえだ
2019年9月12日 6:07 AM
基本様
天理教には植田姓は多いです。
思い込みだけで断定的に発言されるのは良くないと思いますよ。
・・・・・・・・・・・・・
そうですね。
私のお会いしたうえだ先生は、上田性だったかもしれませんが、・・・
布教して修養科生をご守護頂いたという、ご紹介記事の内容は、同じ匂いがしましたので、
引用文を用いず、私の記憶のご本部役員のお家柄のお方の面談記録の方で、説を述べました。
布教して、修養科生をなんて、教祖のひな型に無い。
その意味で、布教し修養科生のご守護、丹精で困惑するというパターンとして、
そういう信仰に陶酔する事の危険性を申しあげました。
ペンネームですからね、植田の名は、天理教の先生はテーマごとに顔を変えますから、
私は、植田=上田、うえださん。そんな受け止め方です。
世界たすけの人材となる道具衆を寄せるのは、ひながたであり、おやさまの教えです。
それは布教ではありません。信者獲得ではない。人材の確保です。
それには、身の知らせが大切な意味を持ちます。
おたすけは、たすけておけばよい。後は無関係です。
神の道具衆なら、ともに通るように、年限かけて、育成する。
その区別が、瞬時にできなければ、悪意ある入信希望者のために苦しみます。
いるも神様に相談し、ひな型に照らし、お筆先に尋ねる、です・
亀レス、すみません。
本部の朝夕勤めに数とりはいるはずと思いますが、かんろ台近くに陣取るような熱心な方とは違うので目視確認はできていません。
据替の儀の翌朝の模様を思い起こしてみますと、通常、21回目は判りやすくスピードを落としますよね。
なので「ああ、21回目だ」と感じ取るのが自分の常なのです。
その日も同様に感じたところ、なんと「おまけの1回」がありました。
態勢が崩れた感じの「おまけの1回」という感じで鳴り物が奏でられましたから、音的なボリュームで説明すると、フル演奏の音量ではなく、慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
一番目立つのは太鼓ですよね。
その時私自身が21回のカウントをしていれば、プラス1なのかマイナス1なのかがはっきりしたはずです。
ところがカウントしていなかったので、もしかすると本当は20回目だったのに、これで終わりと考えた(間違い)人がいて、20回目をゆっくりズムで演奏したため、隣近所がつられてしまった。
でも、正しくカウントをしていた楽器が21回目を演奏したため、慌てて他の楽器も加わったため、聞いている人にバレてしまった、というような状況だったのかもしれません。
今となってはどうでもよいことになりますが、一応、詳細を書きました。
皆さん読んでくださってありがとうございます。
説明が判りにくくて、申し訳ありません。御疲れ様でした。
兎レス、すみません。
> 慌ててついてきた楽器があったというふうな態勢でした。
> 一番目立つのは太鼓ですよね。
皆さんご存じでしょうが、太鼓は心臓の鼓動を表しているとか、お聞きしましたが、確かに、あの、ドーンドーンという音は、神の心臓の音みたいです。 おつとめであの音を聞くと、私メは自分が神の身体の中 (胎内) にいるような気になります。 このよふわ 神のからだやしやんしてみよ (3-40) というお歌を思い出します。
そういえば、胎児も6か月くらになると、子宮の中で母親の血液の流れる音や、心音を聞くことができるようになるらしいです。胎児が聞く母親の心音や血液の音や、その他もろもろの音は、チャンポンやスリガネや拍子木などがないまぜられた音に似ているのかもしれません。母親(人間)の身体はそんなにうるさくはない、と言われるかもしれませんが、私には、人体は、おつとめで使う楽器が奏でるような、リズミカルな音で満ちているような気がしてなりません。
冒頭に引用させていただいた匿名様の一文は、ですから、不整脈が一回起きたという感じです。神様も文字通りドキッとされたかもしれませんが、お怒りになられることはないと思うのですが・・・
少し以前は、巷にはいろいろな音に満ちていたように思うのです。
先ずは、子供の声が賑やかでした。ロバのパンの音楽、豆腐屋さんのラッパの音、さお竹を売る人の声、ちんどんやの楽器の音、寒行のうちわ太鼓のドンツクドンドンとオーォーの行者の声、子供による夜回りの拍子木の音と呼びかけの声、金魚エーギンギョもありました。数え上げればどれほどあったのでしょうか。
近年は子供の声さえ騒音ととらえる人間の傲慢さ。
耳の不自由な方には、これらの音さえ届かないのですよ。あまりにも身勝手な人たちが多すぎると思っているのですが。
おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。
東風Z 様
2019年9月13日 9:18 AM
>>おつとめの鳴り物の音が騒音となるのかは、打ち方次第かもしれません。その場所に合った打ち方をしていれば受け入れられると思うんですが、如何でしょうか。<<
確かに、その場所に合った打ち方をしなければならないと思うのですが、教祖ご存命中の頃と違い、現在は生活様式が多様化し、昼間働いて夜就寝する人ばかりではありません。夜勤の経験がある方はお分かりだと思いますが、夜中に勤務し早朝に帰宅して入浴し朝食をとった後、就寝しなければならない人、例えば、24時間操業の工場労働者、3交代勤務の看護師や消防士、警察官、コンビニの深夜勤務の店員等様々なライフスタイルの人達がおられます。そういう人達にとって、夜も明けやらぬ早朝に帰宅してやっと寝付きかけた頃、近隣の教会から「おつとめの騒音」が聞こえてきたら、よほど神経の図太い人でない限り、起きてしまいます。不思議なもので人間は寝入り端を起こされると、なかなか寝付かれるものではなく、その後、熟睡できるものではありません。熟睡できないと次の仕事にも悪影響がでますし、本人の健康にも悪影響がでます。教会は近隣にどういう人達がお住まいなのか、例えば、どういう職業の人達なのか、乳幼児がいるのか、病人がおられるのか等まで詳細に把握できていないはずです。「おつとめ」の21回の回数を間違えるような「いい加減なたるんだ気持ち」で「おつとめ」をするのであれば、はじめからやらなければよいのです。「あさひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ」どころか、近隣住民の平穏な生活に様々な弊害を及ぼすだけです。
崩壊 様
仰る通りかもしれません。
本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。
所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。
また、韓国の教会では、拍子木は打たないと聞いたことがあります。
路傍講演だとか神名流しにしても、少し騒々しい宗教ではあります。
匿名さま
詳細ありがとうございました。
>21回目は判りやすくスピードを落とします
間違いようがないと思いますが、あるんですね〜こんなことが。
Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。
立て続けに失礼します。
「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>所属していた教会も周囲に家が建て込んできて苦情が来るようになり、エアコンを入れ、更に、窓ガラスも二重ガラスにしたと聞いています。<<
住宅密集地では、せめてそれぐらいの配慮は必要だと思います。私は定年退職後、深夜1時から午前10時までの夜勤を経験したことがあります。午前11時過ぎに帰宅し、それから入浴し、朝食兼昼食を摂った後、午後12時半頃から午後5時頃まで就寝するのですが、就寝中、救急車のサイレン音やゴミ収集車の音、選挙の街宣車の放送、廃品回収車の放送等の生活騒音で度々起こされ、とても熟睡できる状態ではありませんでした。その結果、慢性的な睡眠不足となり、ある日、帰宅途中に居眠りをしてしまい、前方の車に追突する交通事故を起こしてしまいました。いわゆる玉突き衝突で、私の前方の車が衝突の衝撃で、更に、その前方の車に衝突し、3台が絡む玉突き衝突となりました。幸いにして、道路が渋滞しており、どの車も低速で走行していたので、私のすぐ前方の車の後部と積み荷を破損させ、運転手さんにも軽い腰の打撲傷を与えてしまいました。大変、申し訳なく思っています。事故の完全解決までには約8ヶ月ほど要しました。自宅の近隣には天理教の教会は無いので、「おつとめ騒音」による睡眠の妨害は無かったのですが、私の経験談の一例として紹介させていただきます。
いほり 様
2019年9月13日 4:34 PM
>>Youtubeでおつとめ関連の動画に、こんなのがありましたよ。
韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
私も見たことがない「おつとめ」ですね。天理教もこれから、分派や独立が益々増えていくだろうと思います。
>>「太鼓」と言えば本部神殿の太鼓、どデカいですね。大人の身長をはるかに超えてますし「鼓面だけでも直径が三尺はある」という話を聞いたことがありますが。
バチも頭の部分がフェルトでなく「木」そのものです。
大教会クラスでもかなり大きな太鼓を使用してるようですが、本部のはケタ外れですね。太鼓だけでなく、すべてのモノが特注なんでしょう。<<
昔、森永製菓のチョコレートのコマーシャルに故 山本直純氏が指揮をされ、合唱団が「大きいことはいいことだ」と歌うコマーシャルがテレビで放送されていたのを思い出しました。まだ、白黒テレビの時代だったかもしれませんが、記憶は定かではありません。天理教の全盛期、カネがありあまっていた頃、「大きいことはいいことだ」という単純で馬鹿馬鹿しい発想で、本部神殿をはじめとする構造物や、祭具等、あらゆるものを大きくしたのでしょう。「お供え」の浪費の典型的な例だと思います。全て大きくすることによって、見る人に威圧感を与えていたのかもしれませんが、現代人はそんな「まがい物」に騙されるほど愚かではないと思います。
東風Z 様
2019年9月13日 4:01 PM
>>本部では、午後2時になるとよろづよのリズムがサイレンとして流されますが、あれって周囲のことを考えているのかなあ、と思ったことがあります。今も、同様なのでしょうか。<<
2年程前、天理市内のクレーン業者のオペレーターから聞いた話ですが、午後2時になるとミュージックサイレンが鳴り、鳴っている間、クレーン作業を中断しなければならないので仕事の段取りが狂うという愚痴をこぼしておられました。発注者が天理教教会本部であるので仕方がないとも言っておられましたが、確かに工事関係者や、その他の一般市民にも何らかの迷惑がかかっていると思います。
いほり 様
>韓国の教会ですが、お急ぎでしたら25:42あたりからがおすすめです。思わず苦笑してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=_TNNhZNkhAw
動画を開くと真っ先に目につくのが正面の甘露台。なんなんでしょうかね?分派もしくは独立したんでしょうか?ハングル含め、さっぱりわかりません。<<
この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。
匿名 様
2019年9月13日 8:43 PM
>>この動画は大韓天理教のものですね。動画のキャプションは「教団本部2月月例祭(後半慶北教区)」と書いてあります。韓国ではみかぐら歌も韓国語で歌われています。韓国の天理教の歴史は複雑です。社ではなく甘露台を据えてやっているところは大韓天理教です。複雑な事情があるので、簡単には説明できませんが、短く言えば考え方の違いで対立し、韓国の中の天理教が分かれてしまったということです。その一つが大韓天理教です。<<
大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、教会本部の傘下にはないということでしょうか?
天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
前半、中盤、ぐだぐだ何が言いたいのか訳の分からない事ばかりを述べて最終章に金金、金銭と記述されている。金銭が人と神をつなぐんだと!言っております。
親神様、教祖が金が人と神をつなぐから金銭を出せ!と仰いましたか??
ここまで来たか!天理教。断末魔のあがき。悪あがき。
まあ読んでいて天理教の腹の内が透けて見えた。キャッシュレスで現金を持たない社会になり、しかし「お供えもカードで」、とはいかない本部の苦しい胸の内現ですか。
こんな記事を載せて、金欠本部の焦りでしょうか。
筆者は言う。十全の守護の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある事でつなぎにも金銭が含まれると悟ると。
「金銭縁談万つなぎ」ってこの筆者の悟りは正解ですか?単なる悟りレベルを大々的に時報にのせるのは偽教理でも知らぬ間に教理となる。こんな記事を正々堂々と出すのはそう言う意図が教団にあるからだと思う。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>天理時報にまた「金銭が人と神をつなぐ」などと言うふざけた事が掲載されています。
視点「キャッシュレスの普及に思う」と言うコーナー。あきれた家族がもう購読はやめよ、と一言。<<
天理教の本性を、また天理時報に露呈したんですか。カネカネ教の本性は変わることはないでしょう。信者の皆さん、一刻も早く天理教から退避しましょう。それがベストです。
匿名 様
2019年9月13日 11:33 PM
>>私達が常に心がけるべき事は陽気暮らし世界建設に、この「金銭」によるつなぎの理の働きを、いかに生かすかであると思う。<<
匿名様、ご指摘有り難うございます。
常々、時報は訃報欄のみ見ています。この欄のお陰で昨年も二部同窓生の会長さんが3名出直しされたことを知りました、早速、匿名様のご指摘で古紙入れから取り出して、「視点」を読みました。
筆者の洋さんは何を勘違いされているのでしょうか。キャッシュカードは持った時点で、そのカードの、融資枠の金額が負債と見なさるのですよ。カードを使うとか使わないとかは関係ないです。
仮に、キャッシュカードを2枚持つと100万円近い借金があるとみなされるんです。ですから、キャッシュカードを複数枚持つことは極力避けるべきです。
それと、カネが無いのは首が無いのと同じだと言っていた人が居ます。金銭による「つなぎ」の理の働きなんて書いているが、おカネが無くて生きている人が居ますか。つなぎの理の働きをいかに生かすかであると思う。なんて本部自体が最初に考えるべき事案でしょう。無駄なことばかりをして、おカネが足りない、足りないって言っているんだからバカにするなって言いたいんです。
こちとらは、月額14万にも足らない金額で二人が生活しているんだから。年間130億円も使いながら何の不足があるのか聞きたいよね。
「お金が人と神をつなぐ」と言う偽の教理について。
時報を読んだ息子いわく、「これじゃあお金の無い人は神とつながれないんだね。そうはっきり言ってる。」
この一文はどの方向から読み解いても、お金の無い人は神とつながり得ない。
「お母さん、金の切れ目が縁の切れ目、もう縁を切った方が良いよ」と天理教の在り方に呆れ果てていました
教校学園切りも本部員用の学校は残しておいて、金の無い末端子弟の行く所を封鎖して、今後金の無い子弟はどこの高校に行けると言うんだ!と怒り心頭でした。
江戸時代の武士子弟の為の藩校よろしく天理教貴族の為に残した天理高校。心の底に貴族中心の差別意識が垣間見える。
皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。
https://ansaikuropedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
↑
当たらずとも遠からず?
里の仙人 様
2019年9月14日 12:49 PM
>>皆さん勘違いされていると思います。このお道は宗教ではありません
言葉、心がけを雛通りに通らせていただくこと、おや様を手本として生きる道
神様も 「あしきなことはいわんでくれ」とおっしゃいます。
何年も通る中にいつの間にか考えも変わり、運命が変わり、大難が小難として
変わり、人生も変わる。道を通れば景色も変わる如くいつの間にか結構にさせて
いただくというのがおや様の伝えたかった人としての生き方だと考えます。<<
「お道は宗教ではない」とおっしゃるのであれば、宗教法人の認可を国家(所管文化庁)に返上されるべきです。宗教法人の認可を受ける目的は、建造物や敷地が非課税、入ってくる莫大な「お供え」も非課税、要するに財テク目的だとしか考えられません。「お道は宗教ではない」のであれば、宗教法人の認可を即刻返上し、納税義務のある税金は当然納税するべきです。「合法的な脱税」をするために、宗教法人という仮面をかぶっているだけではないのでしょうか?
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 さん
以下、思わず笑ってしまいました。
>>「おさづけ(「おちゃづけ」と間違えないように注意)」とよばれるてかざしで
>>ヒーリングを行う回復魔法のマニュアルを信者株主たちに渡し、
>>人間という名の医療機器を製造している。
>>信者は今でもここで教祖創設者は生きていると妄想し「教祖ゾンビの理」と呼んでいる。
>>信者株主ばんざい。
崩壊様
一度、リンクを貼って投稿したのですが、なぜか表示されないので再投稿します。
>大韓天理教をはじめ、韓国の天理教は、天理教教会本部から完全に独立し、
>教会本部の傘下にはないということでしょうか?
Googleで「韓国における天理教の受容」というキーワードで検索をかけてください。
PDFの論文が出てきますが、103頁の「韓国・朝鮮における布教」のところから読めば、
おわかりになると思います。
言い方が悪いかと思いますが、あの先生が気に入らないから 信心できないとか子供と同じだと思います。
どうでもいやで不足でできないなら立ち止まるのも一つの方法かな、、世の中には天理教で行うより世上
でも活躍できる場所がいっぱいあるとおもいます。
ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。
素直と言う言葉は危ない言葉です。理不尽な事柄に対しても素直な心になれと言われれば、それは服従にもなり得る。
低い心も服従に繋がり得るし、優しい心も自分を無くする場合もある。
きちんと正義を主張し、物事の道理を通し、自分を抑えてしまわず、ありのままの思いを誠実に発言し、自分を自分として世の為人の為に生きることも、あるいはより神の御心に叶うのかも知れません。実るほどこうべを垂れる稲穗ですから低い、は良いです。素直は場合によっては危険です。
率直に自己を主張する強さ、相手によって態度を変えず、真っ直ぐに筋を通す正義感と行動力。私は「低い、優しい、素直」よりよほど世の中を変え得る前向きなパワーと魅力を感じます。
天理教は素直になれで人の人生と経済を奪ってきました。
里の仙人さん、どなたの書き込みに対して説教しているのですか?
あなたは心が澄んでいるのでほこりが見えないのですか?
まあなにもかも知ったような気になって勘違いしているのがバリ天気質の典型的特徴ではありますが、
そもそも里の仙人さんの上から目線の説教こそが「高慢」のほこりをつんでいるのではありませんか?
それと、たんのうの漢字の当て字は天理教事典にもあるように「足納」ですよ。
(悪識などという日本語もありません。あるとすれば造語です。)
里の仙人 様
2019年9月14日 9:10 PM
>>ほこりが見えるということは 悪識に化かされている状態である言われます
道を教えられたら低い、やさしい、素直な心で通ることを身につけることが大事と思います。
不足(切る理、切られる理)世界から 担納(続く理)に切り替える世界に切り替えが大事だと思います。
本当に心が澄んだら 見えなくなるそうです。<<
世の中の不正や誤りを容認しかねない非常に危険な考え方ですね。極論かもしれませんが、麻原彰晃が地下鉄でサリンをまけといえば、低い、やさしい、素直な心でまくのですか? 天理教の教会が、法外な「お供え」を要求してきたら、我が身を犠牲にしてでも、低い、やさしい、素直な心で支払うのですか? 天理教ピラミッドの上層部にとって非常に都合の良い考え方ですが、過去から現在にかけて、どれだけ多くの信者さん達が、低い、やさしい、素直な心になるように言いくるめられて、辛酸を舐めてきたのかご存知ですか?
今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。
人がめどう(目標)か、神がめどうか。 様
2019年9月14日 1:26 PM
アンサイクロペディア滅茶苦茶面白い!
久々に笑ってしまいました。
( ^o^)ノ◇ ザブトン1マイです。
私メはザブトン5枚を!
>>天理市財政崖っぷち 天理教から寄付金減少
日本一の宗教都市・天理市の平成24年度決算は支出が収入を上回り、経常収支比率が100.5%となり4年ぶりの100%を超える財政悪化の決算となることが明らかになった、任期満了に伴う同市長選(10月13日告示、20日投開票)に向けて立候補予定者3人の動きが本格化しているが、選挙の最大の争点は瀬戸際財政の建て直し。ピーク年度に47億円あった天理教から市への寄付金は、昨年度決算額で10億2000万円まで減少している。新たな市長に求められるのは、国から財源を引っ張ることのできる「政治力」。市の台所事情と課題を徹底解剖する。[2013年09月20日]<<
古い記事情報ですが。目に留まったので上げておきます。
天理教本部の財源のその後6年間、2019年の今年に至るまでの歩みは確実に減少し続けています。年々10億円づつお供え総額は減少の一途と聞きます。後10年で教団が消滅するシナリオは現実味を帯びています。
現在天理市は財政難に陥っていると聞くが天理教がこけたら天理市もこける事に。天理市はもう終末期を迎えている天理教は当てに出来ないと心得るべきです。
天理駅前のコフフンと言う円形の建物は天理市が天理教と言う宗教都市のイメージを払拭する為に整備したものだそうだ。
天理市は既に将来的展望のない天理教からの脱却を考えているのは確かだろう。
過去の一心同体関係からの脱却を余儀なくされている。
>>今日のお昼過ぎ近鉄奈良駅前を通ったら三日講習Ⅲと思われる人達の路傍講演を
やっていました。暑い中本当にご苦労様、だけど誰も立ち止まって聞いてる人は
居ませんでした。日本人は奇異の目で見て早足で通り過ぎて行く、外国人は好奇
の目で物珍しいものを見るように通り過ぎていました。「全教一斉にをいかけデ
ー」が近づいてきました,神名流し・路傍講演・リーフレット配布こんなので今の
教勢衰退の歯止めになるとは思えない。殆どの人が知らんぷりです。<<
日本人・外国人の違いは問わず、初めて見聞きする人は、気味悪くて怖がると思います。どうして馬鹿げた逆効果のことをするのでしょうね。天理教の異常さを感じます。奈良市の観光イメージダウンにもなりかねません。
昨日の夕方、奈良から天理に私の大好きな餃子を買いに天理駅へ
焼き待ちの間 CoFuFunと駅の構内ぶらついていたら、
「地域貢献とわたし〜人生の幸福度は与える喜びで決まる」
| team 聴きデリ 貴方の心に寄り添う聴き屋
| 聴きたすけ やってます 1周年記念イベント
やっていました、少し見ていましたがこれって 傾聴?
カウンセリングのまねごとですよね。教会後継者が主体で行っ
ているとかで、カウンセラーになるためには一定の訓練が必要
です、「公認心理師」「臨床心理士」「認定心理士」資格の無
い若い人生経験の少ない後継者方で本当に心治療までは行かな
くても、気持ちが整理されスッキリする事!人助けが出来るか
どうか?マスターベーション自己満足のようで疑問に思います
!私は聴いて貰いたくないし話したくないですね。
この聴き屋と言うのは、青年会発案?だいすけ君主導?だいすけ君認可公認の活動ですか?
聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。
戸別訪問でお授けを拒否されてもその家人を無視して、家の外で勝手にお授けを取り次ぐ人達。土下座する人達。教祖がついて居て下さると勝手な妄想と自己満足で、おかしな行動をする天理教信者達。誰も聞いてない空気に向かって声を張り上げる一生懸命しゃべる弁士。
駅前で踊ったり、街中で拍子木をたたいたり、狂人にしか見えません。笑われる事こそ徳積みと思う彼らにはいくら良識を教えても馬耳東風です。恥ずかしい限り。
天理教に品性を望みます。
>聴き屋と称して、駅前にちっちゃな看板を立ててキョロキョロとつっ立って、行き交う人に不審がられて。奇異な姿です。天理教もいよいよ何したい集団なのか。
カウンセラーの資格も無く、人生経験も少ない若者は人間的レベルもピンキリで、おかしな助言でもされたなら、人の人生に責任持てるのでしょうか。上記の誠真実さんの仰る通り、全く自己満足にすぎないと思います。<
私は、現役の頃、公的で正式な臨床心理士の資格を持ち、複数の教育委員会で雇用されていたベテランの女性の臨床心理士と共に仕事をしたことがあります。彼女の年齢は決して若くはありません。短大卒業後、複数の民間企業で勤務した後、某大学の大学と大学院へ進学し、臨床心理士の資格試験に合格された苦労人です。現在も、公立小中学校のカウンセラーとして、複数の自治体の教育委員会で雇用され、頑張ってお仕事をされています。
カウンセラーの仕事は、先ず、相手の話をひたすら聞くことから始まりますが、カウンセラーがカウンセリングを受ける相手(相談者)に対して適切なアドバイスを出せるようになるまでには、その相手と相互に家族のような信頼関係を築き、何でも話できるような人間関係を築く必要があるということです。カウンセリングは、まず、相手の「言いたいこと」をひたすら聞くことに徹することから始まることは確かなようですが、相談相手との人間関係や信頼関係を築くまでに、相当な時間とコミュニケーションが必要であるという話を彼女から聞きました。
駅前の通りすがりの見ず知らずの人の相談を、人生経験の極めて乏しい若造が聞いても、相談する人の本当の悩みや苦しみが一回や二回で理解できるはずがありません。まして、臨床心理学等の専門的学問をおさめ、何人もの異性異年齢の人達から、様々な相談を受けた経験の無い若造が、アドバイスをすることなど到底不可能です。訳の分からない素人が、その場限りの無責任なアドバイスをすれば、相談者の人生を狂わせることにもなりかねません。病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。
病人が医師の資格を持たない人に看てもらっているのと同じです。無責任極まりない活動は即刻、厳に止めるべきです。<<
全く、同感です。資格も無く人間的レベルもピンキリの人間が通りすがりの人の話を一回聞いたとしても、その場限りの刹那です。その後をフォロー出来るものでもありません。何時間も駅前に立ち尽くして声をかける人が無ければすごすご帰るのでしょう。しかし行きずりの相手に対して無責任な行為です。神の目から見たら意味を成さないもったいない時間です。
ちゃんと働いて、お金を貯めて資格を取って、きちんとやりなさい。無資格カウンセラーが何をしようと中途半端なだけで、自己満足以外の何物でもありません。
彼らは突拍子のない事をして満足している様だが、無責任で表面的でいかにも考えが浅い気がします。
だいすけ君から良い感触を得たからやっているのか。いかにも軽い。
「今日は秋晴れの運動会の日」と言う合図の為に朝打つ花火を辞めた仙台市。
夜勤明けだから、朝からうるさい等々苦情がここ数年寄せられ花火打ち上げは止めるに至ったそう。
この時代に夜勤でも非正規でも仕事が有ればまだマシと言うもの。
3K現場は言葉の流暢な勉強熱心な外国人達が変わって占め、わざわざ労働経験の無い日本人を雇わなくても労働者は掃いて捨てるほどいる。
30代40代で労働経験が無いもしくは、大学のアルバイト程度では派遣すら難しいだろう。
他方地方のホテルやコンビニ、はたまた老人施設ありとあらゆる所には外国人労働者が占める。
ただ昔から有る、ウチの方が先に建ったと言う理由で朝早くから太鼓を大きな音で鳴らし続ける天理教大教会、教会。
だめの教えだが何だかんだで、一向に改善される余地なく現在も続けられて、近隣住民はこの時代に迷惑極まり無い。
せめて朝の太鼓だけでも無音にしようと言う教会は無いのだろうか?
人を助けると言う前に自分達の行為そのものを見直されては如何だろうか?
気軽にお参り?町内会も誰も行かないけど。
結局はやってる事自体が軽いんだろう。
何をやっても時代に合わない天理教。
東日本大震災で防護服を着ないで除染させていたのは、今でも語り草。
そちら方面では有名な話です。
とっとと宗教法人を返す、もしくは過疎地・限界集落に引越ししてはどうだろうか?
月に数日でも人が集まれば未だ未だ活気は出るだろう。
限界集落辺りにある教会はそもそも教会として運営するのさえ難しいだろうに。
残念だが天理教の社会に対する宗教としての役割は既に終わっているのでは無いだろうか?
後は個々の教会がどれだけ人々の心に寄り添い宗教としての役割を全うするか?
これに尽きると思う。
花火中止よりも日々の生活の方が重要だろうに。新聞の記事がふとそう考えさせた。。。
信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。
>>せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
そのとおりだと思います。せかいたすけの心を常にもち、自分のできる範囲で実践していれば、教団や組織、宗教儀式など全く必要ないのです。
興味深いブログをみつけました。
『ひきのエクェクのブログ』2019年09月06日
「天理教本部の「ひな形甘露台」が倒れてから2年と一が月か?2代真柱と上田ナライト」
宗教儀式は単に儀式。目に見える儀式よりも目に見えない心の在り方こそ信仰。
朝晩の近所迷惑なお勤めも月次祭も、年祭も記念祭も、必要無い。
来年の婦人会110周年記念祭も迷惑千万。カネ集めの機会とばかりにお供えの要請が早々と来ている。
こんな金集め行事が10年ごとに訪れ、大教会創立◯◯年記念祭、大教会婦人会創立◯◯年記念祭、上級創立◯◯年記念祭、、、上級が沢山ある末端はどんだけ金が有っても追いつかない!!その度にお供え金を要請されるのだから。
世界助けの心を持ち、利他の心で自分も世界も共に立つ事。
信仰は組織が無くても出来る、正にその通りです。極端に言えば、お勤めも神饌物も何も要らない。
神とつながるのにお金も儀式も、また人参、大根、酒に米、、そんな供え物さえもそんな媒体は必要ないと思う。自己満足出来るなら勝手にすれば良い事だ。
また現在の互い立て合い苦しめ合いの天理教上下組織のやり方には断固反対します。江戸時代の年貢か。上が勝手に色々決めて、下の了承もなしに勝手に無理やり金を出させる。
また、末端信者の立場で言えば、どこに所属するかで上級が増え、上納金が格段に増えるのはおかしいのではないか。
死に体天理教の変わらぬ理不尽の数々、、思いつくまま。
誠真実 様
2019年9月16日 9:47 PM
「天雅」私もよく行きますよ、美味しいですね。(^^)
崩壊 様
2019年9月17日 6:15 PM
日本全国至る所で愚痴聞き屋 ココロメンテナンスと称する輩が蔓延っています。
有料の所無料の所それぞれです。人に話すことで気持ちが楽になる人ならない人
それは様々です。殆どが傾聴・聞くだけのサービスです。解決策は提示できません
が・・それでも世の中が複雑になり、生きにくくなり、経済が停滞し、生活するの
が大変になり、政治に一票の声が届きにくくなり、本音で話せる仲間・話し相手が
作りにくくなり、ますます「傾聴」は必要だと感じています。「助言よりも傾聴を」
つまり“傾聴”の本質は、何かを相手に与えるのではなく、悩み人の中にある自己
回復や自己治癒の力を最大に引き出すこと、ここにあります。 だからせめてやる
からにはメンタルケアアドバイザーの講座なり受けて資格等取ってしっかりした
対応でやって貰いたい。
下記、team 聴きデリ HP より
team聴きデリは奈良県天理市周辺で活動している聞き屋です! 奇数日20時から22時
まで、天理市限定で活動中! 天理駅周辺で活動しています! あなたの話を聞かし
てください! 投げ銭も大歓迎! 傾聴500人突破 ”魅力引き出し屋” …
↑
金くれは全くもって天理教!! 本気で人助けなら資格くらい取ってやるでしょ!
(だから教会大教会ボンボン後継者が青年会のPR、大亮君へのゴマスリでやってる)
匿名様
2019年9月17日 7:43 PM
大学で心理学を専攻、ひのきしんスクールでカウンセリング講座を2回受講しました。
こんな良い講座もやっています (^^)/
おたすけのための ひのきしんスクール
人は自分の悩みを信頼のおける人に聞いてもらえるだけで、心がやすらぎ、気持ちを落ち着けることができます。
カウンセリングとは、信頼関係に満ちた人間関係を通して、悩みをもつ人自身が問題解決の糸口を見つけ出せるように援助する方法のことです。
カウンセリングの基礎的な知識や、具体的な事例を通じて家族を見つめたり、年齢別に心の発達について学び、悩む人の理解を深めておたすけの場におけるカウンセリング技術の有効な用い方について学びます。
カウンセリング ~聴くことの大切さ~
カウンセリングとは、信頼関係に基づく態度や言葉がけを通して、悩みを持つ人自
身が問題解決の糸口を見つけだせるように援助する方法のことです。
この講座は、傾聴をはじめとするカウンセリングの基本的な考え方と技術を学ぶと
ともに、それらを積極的におたすけにも活用していくことを目的として開催します。
◇内容
講義 「おたすけとカウンセリング」
「カウンセリングの基本」
演習 「ロールプレイ」
「箱庭実習」
パネルディスカッション
「おたすけとカウンセリング」
など 天理よろづ相談所 – 臨床心理士 宇田 まゆみ先生のお話は素晴らしかったです.
匿名O
2019年9月18日 5:10 PM
私この天理教内の心理学の機関の人に聴いたこと有りますが(あと心理と書きます)心理の人は教団反対派らしいです。教団の空気の悪さをつくづく感じていたそうです。上からの抑圧だけで、中山家とその周辺を中心とする家柄と血筋だけの組織作り反対派だそうです。 本部中枢と天理大学を中心とする心理学派がどう戦うか見ものです。
天理大学の心理学派もいい加減、「中田善亮のお尽くしは金」発言を正すときが来たかもしれませんね。心理学が権力に屈するようでは心理学にあらずですしね笑
台風15号により千葉県を中心に関東が被害を受けました。天変地異は神の示し だと教祖も言ってますが調べてみるとやはりそうだったようです。千葉県内のとある教会が法人乗取りにも加担していたようです。それを良く思わない方も多く居たようで、知人の教会長等を介して伝って話が舞い込みました。法人乗取りの際に死人も出たらしくその方が千葉県の方なのかは不明ですがなんとも神の教えに反する行為だったのかをこの「成って来くるのが天の理」により明確に分かりました。
教団には忌み嫌われるこの社会学の書き込みですが、実際大教会以下の我々では情報が乏しく社会学を興味本位で見始める人は多いと思いますが、社会学の書き込みこそ教団の真の姿を書き出してる唯一サイトだということでしょう。最近では、有名掲示板 5ちゃんねる や 2ちゃんねる の書き込みも 社会学さんの書き込みを引用して書かれて居ます。これほど影響力を持ったサイトは今まで無かったかと思います。 この運営が公正中立であるが故に、嘘もあるでしょうが大半が真実の書き込みと言えるのでしょう。
昔の事で恐縮です。
東京で開催されていた民間の女性カウンセリング関係者が集まる会がありました。
世話どりをされていた方はキリスト教関係の方でしたが布教の場ではありませんでした。
講演者を招いて講演を聞くことと、練合のような話し合いの場がもたれました。
当時はまだカウンセラーの資格は4大卒でもOKの時代でしたが、いずれ資格は大学院となると聞かされていました。天理教信者の私は当然ながら、大学進学なんて許されず、高校生の時からアルバイトで学費を稼いでいましたから、カウンセラーを目指すことが「できない」事実を知らされた会でした。
受講生は現役のカウンセラーたちが多く、自分の知識の向上のために参加されていたようです。
興味深かったことは、カウンセラー自身も学ぶ中で、自分自身もカウンセリングを受けなくてはいけないという事でした。
つまり、自分自身の事が判らないようなレベルの人では他人の話を分析することはできないということでしょう。
そういえば、箱庭療法を確立された、天理教とも縁の深い、河合先生も、スイスのユング研究所でカウンセリングを受けています。
それも英語で、です。パイオニアの苦労は計り知れないなぁと、以前、本で読んだ際に感じたものです。
日本でも企業内カウンセラーとか、教師が退職後につく自治体での相談窓口とか、所謂医療機関ではない民間の資格で行われているカウンセリングがあります。
相談にあたる係員のレベルはまちまちで、人間の心に対する洞察力の有無には正直なところ「?」のような人も見受けられます。
結局、自身の人生を深く分析したり、整理・反省したり、今生で生まれ変わるくらいの精神的心理的人生経験を経てからでないと、難しい仕事だと思えるのです。
まして、安易な聞き取りで、「投げ銭」なる収入を得ようという「さもしい根性」がちらつくようでは、いつか、事件さえ起きるやもしれないという危惧すら持ってしまいます。
不思議な事にこうした若者たちの行動を良しとする年配者がいる事です。
天理教の会長って、無責任な人でもやっていける証左かもしれません。いい加減なことを言わないでほしいものです。
生業に就いたことの無い会長後継者は、せめて世間での「土持ちor砂持ち」で体をはった底辺の仕事を数年経験せよと、半ば実現不可能と感じつつも言いたくなります。
例えば、福島の復興企業に属して労働すれば、「ひのきしん」や災害救援隊では見えない部分が実体験として見えてくるでしょう。いまや教内では「ひのきしん」が天理教のシンボルのような扱い方で要請、紹介されています。最近の被災地、自然災害に見舞われた所で救援活動をされている方々には感謝の気持ちでいっぱいになります。ただ、それで終わりでは天理教の布教活動の一環であり、自分の責任において労働契約を結び、結果責任も負う条件の下で、道専務ではない人たちは日々、働いているという事とは、大きく異なることを自覚していただきたいと思います。救援活動の方々の多くはそうした自分の仕事をやり繰りして休みをとって自分の財布から交通費を出して、被災地に駆けつけているのです。天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。
とはいえ被災地での活動を否定するものではない事を付け加えます。
そのうえでの意見です。
労働契約に基づく働きの厳しい現実を知らずして、やれ、オンラインサロンだとかオンライン講師だとか口先講釈で若者をだましても、そんなことで信者増加を目論んでも、むなしくはならないのでしょうか?
要するに本部中枢の人もお供えで生きる人生は止めるべきだという事が理解できないうちは、何をやっても大亮組の取り巻きたちの田舎芝居となり、一般信者たちはあきれるばかりなのです。
>>天理教災救隊の経験をとうとうと自教会の月次祭で述べる若い会長がいますが、自分の懐が痛むことなく活動できる天理教人の自分と、上司・同僚に気を使って休暇をとる会社員との違いに思いが至ることなしの話は、聞いていて胸糞悪くなります。<<
全くその通りです。
本部のプロバガンダの一部として本部に都合よく使われている本部ニート、教会ニートの身の彼らと、一般社会の厳しい責任下でやり繰りしながらの社会奉仕とは自ずと身に課せられている責任や厳しさが違います。
教会ニートの面々には、一度社会に出て、社会の厳しさ、金儲けの苦しさを知ってから、災害ひのきしんでも口先講釈でもやればいい。
上下組織に甘んじて人の金で食べている限り、どんな立派な行為でも誠を伴わない単なる本部の猿芝居にすぎないのかも知れません。
匿名2019年9月18日 6:13 PM
教団のネット戦略は成功しまえんね。あまりにも教団と中山家事態が実力がない魅力もないそしてこの上なく悪どい ですからね。 インターネットを使い始めると良い情報より悪い情報が拡散されます。
それにユーチューバーもタイミングの問題だけで、今では芸能人の参入で既存の問題あるものは殆ど消えるといわれてます。
ネットはそう簡単なものじゃありません。
中山家と一部上層部が、教団の資産を持ち逃げしないように監視しないとダメですね。不動産管理会社の天理館 もあれも私物でなく 株式会社と公共性があるので 天理教被害者の会 が発足した際の弁済責任を訴えかける対象となります。
皆さんもご存知の 千葉県 市原ゴルフガーデン も天災と装おうとしましたが、基礎工事と台風の際ネットを降ろしていなかった。人災の面を認め始め ています。
鉄柱で家屋破壊のゴルフ場オーナー、謝罪と補償意向
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201909110000727.html
このようにして、多方面から訴えかけることによって、不十分な司法判断だけでなく、歴史的事件事故として法改正の契機になります。
教団は正に人災です。人がしていることですから、中山家と一部血族がやりたいようにした結果が現在ですからね。隠されてきた事件も山積みにあるそうです。各所からちらほらリークも増えてきているようですし、今後教団は縮小、問題は拡大していきます。
台風15号の神の思いとは?様
2019年9月18日 5:51 PM
本部は神に背いたどころか神に喧嘩を売ってしまったのでしょう。ここ最近の出来事はあまりにも分かり安すぎる。偽者の教理を各地で振り撒く 中田善亮 の姿を見るだけでこれは異常事態だと思いました。各教会や大教会、本部関係者でも社会学で情報を得ていると聞いた事が有ります。
それに本部朝づとめの際 教校学園廃止差し止め を訴えた人への対応の悪さが決定付けたと言われます。言った人を 回廊を立ち去る、中山家と本部員は嘲笑っていた聞き憤りを感じました。嘲笑われているのは自分とも気が付かない人の心も見失った知的劣化の下等集団だと確信した!と各協会長からも耳にします。
もう仕組みとしての組織は残っているでしょうが、教団と信仰心の解離は顕著です。我が教会も系統もここ数年で信者数激減しております。これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。
>これも成ってくるのは天の理 と受け止め 今後の信仰の歩み 法人の独立も視野に入れて考えて行きます。<
この匿名様の投稿を、教団上層部はどのように受け止めているのでしょうね。
信仰の目的を見失ってしまったような教団上層部には、最早聞く耳は持ち合わせていないのでしょう。
用木はともかく、教人は今一度信仰の目的を見直さなければ、教団本部と共に共倒れになってしまいますよ。
感謝・慎み・助け合いのスローガンなんかどこ吹く風の教団の姿を見ていると、7年前に見限った自分が正解だったと確信が持てます。
その意味からも、2019年9月18日 10:22 PMの匿名様の仰る実現のためにも、教団は史料集成部を一刻も早く全面開放すべきです。そうでなければ信仰の価値は皆無です。
私たちの信仰対象は親神様です。その親神の御心に従う事が信仰です。
しかしながら、もはや人間信仰の天理教。青年会は大ちゃんへのごますり信仰。
分教会は上級教会に従う。大教会直轄教会は大教会長に従う。大教会長は本部の顔色を見る。上級がアホでも従うのが信仰だそうだ。本部が腐って居ても、本部の声に心を寄せろと言う。食べる時食べる前に腐っているかどうか確かめるだろう。
本部の方針やその在り方が腐っているか、腐って居ないか折々に検証せずして、永遠に食べられると思うのは大間違い。所詮、欲を持つ特権階級が運営しているのだから。我々教会はお人好しでは大切な本質を見失う。
人生経験も苦労した体験も無い世界一幸せ夫婦のだいすけクン、楽しいことが大好きらしい。早々に命のつなぎはお金、とあちこちで偽教理を振りまいているらしい。誰も止められない。中山家の独走をままにさせている限り。その先に見える光景は親神が既に用意しているのだが。欲の埃で鏡が曇ってしまって見えないのだろう。
今一度、本部中山一統は御筆先を読み返して欲しい。教祖による厳しいその筆の先は中山家に向けられているのですから。
mami 様
2019年9月18日 3:56 PM
『ひきのエクェクのブログ』読みました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hikino-effect/index.html
下記転記
天理時報 陽気ぐらし世界建設に「金銭」による ”つなぎ” の理・・・?
本教では、親神様の十全の守護の理の働きの一つに「金銭縁談万つなぎ」とある。”つなぎ”の理の働きに「金銭」も含まれていることを踏まえるとき、「金銭」には、物と物、物と人、人と人、あるいは人と神などを”つなぐ役割”があると悟れる。キャッシュレス社会となっても、この役割は変わらない。私たちが常に心がけるべきことは、陽気ぐらし世界建設に、この「金銭」による”つなぎ”の理の働きを、いかに生かすかであると思う。
誰が書いているかは知らないが、基本的に意味不明である。
以前中田表統領が
「おつくし」は「命のつなぎ」であり、親神様にお受け取りいただく真実である。
と書き、信者の顰蹙(ひんしゅく)をかったわけだが、時報の文章も同じ類いのものだ。
「おつくし」「金銭」・・・ ”つなぎ” で調べてみると、奇妙な教えに出会う。
十全の守護
○くにさづちのみこと・・・の働き。
教典では
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理。
とあるのに、最近は
人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では金銭・縁談、万つなぎの守護の理。
『金銭・縁談』・・・がなぜか追加されている。なんか我が祖神大国主命のような?
私は、今の今まで『金銭・縁談』が挿入されていることを知らなかった。
十全の守護とは理の話・・・原理とでも言える、いわゆる基本的な概念の部分の教えだ。
その中に『金銭・縁談』とはあまりに具体的で細目・場違いな言葉である。
この教えを、まともにとれば『くにさづちのみこと』・・・世界での一番の働きは『金銭』となってしまう。・・・これは間違いだろう!と普通ならわかるだろう。
Web上でよく調べてみると、様々なところで「金銭縁談万つなぎ」が一つの単語のような使い方がしてある。
稿本教典の中に『金銭・縁談』なんてない・・・ということは、どこかの時点で誰かが『金銭・縁談』を挿入した。
普通まともな集団なら、おかしいと気付いてどこかの時点で『金銭・縁談』を細目に移す修正がかかるであろう。しかし、現在の天理教は ”金が無くて嫁も来ない” 神様にすがるつもりで「金銭縁談万つなぎ」が定着してしまったかもしれない。
こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。
キャッシュレスの普及・・・どう考えると・・・
陽気ぐらし世界建設に、「金銭」による ”つなぎ:くにさづちのみこと” の理の働きをいかに生かす。
になるのか?
「陽気ぐらし」を「金銭」で繋ぎ止める?・・・まてまて、「陽気ぐらし世界」は建設途中だから、引っ張ってくる?
全く意味不明である。
天理時報は信じがたいほど頭が悪いと言わねばならない。
この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
>>こんな風に教祖の教えを曲解して日頃から使ってしまっているから「おつくし(献金)」は「命のつなぎ」などというとんでもないことを表統領が言うようになる。『龍頭が狂うたら皆狂うで』の言葉通り天理時報も狂ってしまった。<<
裏返して考えれば、「お供え」をしない信者は不要なので、つながってくれなくてよいというように解せますね。みなさん、別に無理につながる必要などありません。どんどん離れていきましょう。邪宗教にいつまでも関わっていれば、それこそ命を落としかねません。
組織はなくても信仰できる! 様
2019年9月18日 12:39 PM
>>信仰とは人間の生き方、考え方であり、組織はなくても一人一人がいかに正しく生きるかを考えればいいだけのことと思います。
そのための指針としてひながたがあるので、それを物差しに自分の行いや考え方がおやさまのあるいは神様の思いに沿っているかどうか考えればいいだけのことだと思います。
おやさまは「ひとをたすけなされや」「くせしょうぶんをとりなされや」とおっしゃられましたので
まず、自分にできるひのきしん、地域社会への貢献ができればそれが徳となり自分にかえってくると思います。
もう効かなくなったおさづけや、近所迷惑のおつとめにとらわれることなく、せかいたすけのために自分のできる社会貢献こそが大事なのではないかと思います。<<
まったくその通りなんです。中山一族やその取り巻き連中を養うために信仰するのではないのです。教団組織など全く必要ありません。自分ができる範囲の「人たすけ」は別にお金や財産など無くてもできます。以前、この掲示板でも紹介させていただきましたが、仏教の教えに「無財の七施」という素晴らしい「人たすけ」の術があります。「組織」や「お供え」や「お布施」を全く必要としない「誰もができる人たすけ」です。以下にその概要が説明されているHPを再度、紹介させていただきます。
http://ichigu.net/pillar/service02.php
匿名
2019年9月19日 12:32 PM
こんな事を公式の機関紙で書いてる時点で意味不明です笑 お前ら中山とその血族と取り巻きが「つなぎ」の対極にある「立てる」が出来てないからからこの財政難に陥ったのでは?信者はみんな分かってるけど? 本当天理教の上層部は本当焼きがまわってるのね。こいつらが一番親神様を立ててないから真柱頭の病気 財政難、甘露大倒壊 が起こったのにまた他人のせい? 呆れる笑
「金の繋ぎが命の繋ぎ」と、うそぶいた事を指摘されても謝罪はおろか訂正も出来ないでまた良からぬ嘘を吐き散らす笑 中田善亮 氏は 宗教家として明らかに失格です。
文部科学省に天理協に対する教義と運営の是正勧告要求でもした方が良いですよ。もう宗教ではなく集金目的の営利法人に成り下がりましたしね笑
カネカネカネとカネを語れば金は遠のく その意味も分かってない 詐欺乞食集団 それが天理教の上層部ですね。もう取り返しつきません笑
匿名様 『龍頭が狂うたら皆狂うで』、私もこのおさしづは重いと思います。おさしづは、こうした重い言葉をさりげなく書いていますが、読む方もそれなりに重く受けとめなければなりません。
実際その通りで、かつての麻原彰晃がそうだったし、ヒットラーがそうだったし、卑近な例で言えば、K国の文〇寅もそうですよ。トップが狂っただけで、その集団は破滅の道をたどりました。(文〇寅政権はまだ存続していますが、非常に危ういと思います。)
オウム真理教なんか、麻原の取り巻き連は、麻原の指図に従ったために自らを殺人鬼に変えてしまい、その結果、<縛り首台の露>と消えました。これがヒエラルヒーといものなんでしょうが、私は処刑された人たちをお気の毒に思って冥福を祈らないではいられません。
こうした極端な例を引いた後で天理教について語ると、天理教が何か悲惨な集団に見えるかもしれませんが、<龍頭>に当たるところにおられる方たちは、どうか針路を見誤られないように、しっかりと羅針盤を見つめていてほしいと思います。
仕事で某大教会へ行ってきた。誰も人(信者)が居なかった。電気代節約の暗い事務所に1人青年さんが見えただけ。街なかで広い土地建物、維持費だけで勿体無い。月に何日人が集まって使われるのだろうか?こんな無駄な建物が全国各地に存在している。大教会でさえこんな有様だから、分教会はもっと悲惨だ。本当に教会&詰所の統廃合が急がれる!!
いっそ全て無くしてしまえば・・・・
匿名様 2019年9月9日 12:32PM
あの中の宇野たきゑ「『上田ナライト抄伝」の「~御母堂様が御用をお勤め下さるように迄の尊いつなぎとして~」
に注目しました。本席の後継者であったナライトを「つなぎ」としてさらーと!このようにいろいろと本部(中山家)の都合のよいように。一事が万事!教外の作家、ジャーナリスト、学者のおかげでいろいろわかり有難いと同時に疲れます。「復元」とは?『ひのきしん」とは・・・・・・・etc
崩壊様
「裏返して考えれば「お供え」をしない信者は不要なので、繋がってくれないでよいというように解せますね」
思わず笑ってしまいました。あまりにも適切で。
ごめんなさい。脱字。「お勤め下さるようになる迄の尊いつなぎ」です。
ある末端教会後継者のつぶやき、、
>世界の支配構造を天理教が模倣してるわけよね。
ワザと見せてくれてるわけ?
奴隷契約いつもしわ寄せは末端。
親様はそれこそ変えたかったはずなんだけど。
甘い汁吸い過ぎると脳みそ腐るのかなワイの教会、昔から信者さんのお供えは1円も手を着けず全額上級へ。
末端教会はお金に手を着けてはならない暗黙のルール。
そのお金を小遣いとして嗜好品買ってる上級。
神様に与えてもらってるだとよ<
これが正常だと言えますか。一列きょうだい、互い立て合い助け合いの理想世界がいつのまにかこんなに腐れてしまった。
馬鹿を相手にするほど我々の人生は長くない。悲しすぎます。
腐れ教団の息の根を止めるには「金は出さない」事に尽きる。これ以上不幸な人々を生まない為に。
匿名
2019年9月19日様
>>この様に文句を書けるのも、実家の母親が、天理教をやめてしまった親不孝で異端児の私が、少しでも天理教と繋がっていて欲しいとの親心だ。まさに『くにさづちのみこと』毎週手配りで天理時報がやって来る。
我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?
>>我が子を 親不孝で 異端児と思い せめて天理教に繋がっていてくれという思考回路
我が親もそういう時期があり 悪夢のようでした。陽気暮らしって ?<<
幸いにして、私は若いうちに、そうした思考回路を断ち切ることができました。世間的に見れば親不孝したのかもしれませんが、「間違っていることは間違っている」「成らぬ事は成らぬ」という断固たる信念がそうさせたと思います。また、年齢的な若さゆえに、決断して突っ走ることもできたのだと思います。私の人生も終盤にさしかかりましたが、私の判断は正しかったと思います。若い信者の皆さん、親や先祖の思想信条が必ずしも正しいとは限りません。自分自身の信念をしっかりと持ち、自分が正しいと思う道を歩んでください。それが「陽気暮らし」に少なからずつながるはずです。
里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
千人 ⇒ 仙人 ※訂正いたします!
>>通りすがり
>>2019年9月20日 8:30 PM
>>里の千人さま、あなたのおっしゃるとおりです。ここの掲示板の住人は「子供と同じ」なのです。
>>私達は、低い優しい素直な心で通らせて頂きましょう。
↑
こういうイヤミったらしい粘着質な書き込みをしている人間の
どこが「低い優しい素直な心」なんだ?
「高慢 冷徹 ひねくれ者」だろ
働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな
通りすがり
2019年9月20日 8:30 PM
君は目球着いてるの?笑 それ言うなら、高慢代表、中山家と血族とその取り巻き に言えよ特に中田善亮にw
今の若い修理人もカネカネ病にかかって各分教会でも顰蹙買ってるんだぞwww それも中田善亮が「お尽くしは金」とウソは八百教理を唱えてるからだろwww
通りすがりさ、解説するとか言ってたけど一向にしてないよな?wwwお前が解説しての何の意味も無いけどなwww
それに本部が「お尽くしは金」が誤解だ!と言いたいならちゃんとした解説文を機関紙で発表しろよ!
大学教授にでも論文書かせろよwww 出来ないししないだろ!つまり大学教授もそんな屁理屈論文書いてたの享受に叩かれて教授生命絶たれたらこまるから誰も書かないしなwww
つまり訂正も修正も解説もできてない時点で嘘八百教理は確定なんだよwww
>>働かずにお供えで食べさせてもらっていると
「通りすがり」みたいになってまうねんな<<
その通り、もう一言加えると「世間知らず苦労知らず」。しっかり働きなさい。
通りすがりって、あの本部の若者PC部隊かな?www 程度低いwww
先日 現在の本部や教団の体制に対して、天理大学の心理学派が呆れてるって聞いたけど、天理おやさと研究所も呆れてるのでしょうね。この2者がこのの書き込みで全員を説得したらいいのでは?と前々より思っていましたが一向にそれらしき人は現れません。それどころかここに書き込んでる方々と論調が同じなのだと思います。学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑
通りすがり のその名前はこの現実から通りすがっいると言う事を自らが気が付くべきなのではないでしょうか? 現状、教団内で暴動や離反が生まれそうとマズイから気休めの書き込みしていることが余計火をつけている事に気がつけない大馬鹿なのかな?
通りすがりさんにも少なからず期待してるからもっと皆さんが納得できる事「成るほどの人」になってよ。通りすがりはそれに成れてないという事がここで発覚するんだけどね。
がんばれ 通りすがり!
>>学問は理論を無視しません。理論的に無理をしてきたのは教団の今までの運営者たちですしね。それが今の惨状 これを教理では「成ってくるのは天の理」と言うのですがね笑<<
そもそも学問とは、理論の上に存在するものであり、理論のないところに学問は存在しません。宗教学という学問分野がありますが、理論の上に成り立っています。学問と宗教は根本的に違うものです。まして天理教のようなカルトに理論など存在しません。
「皆つなぎに困っている」とは、天啓の繋ぎ役としてのナライト様の住居を本部に設置する事を、会計的にためらった増野正兵衛さんに対する本席様のお言葉ですが、この「つなぎ」を金としか解釈できない馬鹿が中山家に生まれるというオチは悲しすぎますね。
Z亮とその取り巻きの事ですね。
崩壊
2019年9月21日 2:35 PM
人間の知りえるものは全て理論上にしかない。それ以外を知るのは神で有ったとしても、この人が知りえる世界に存在する以上天理教は言葉はしっかり使ってもらいたいですね笑
文字では天理教は天理教ですが、天理教は中山家の事ですと成っているのが現状でこの惨状を生んだ原因でもあるのは皆さんもご存知の通り
中山家と血族とその取り巻きの勝手な解釈で、教理を汚しているのであれば彼らは現在の真柱あるいはそれ以上の惨劇を体験するでしょう。
今の現状を受け入れたくないのは中山家血族取り巻きだけ、それ以外は受け入れている。この中山家がどう考えても暴走している。それ以外の何物でもない。権力で代えれるものと代えられないものがある事を未だに分かって無いのが親神教祖も「神の残念」と口を揃えるでしょう。
中山家は神に背いたなら、悪魔に魂を売ったとなります。
中山家と愉快な仲間たちの皆さんこのまま突き進みますか?笑
天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。
通りすがり ちゃん
2019年9月21日 8:53 PM
>>天理教「邪怪学」研究所、別名、「ほこりの提灯持ち」のサイトと言います。
稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
無法者の集まりですから、まともに議論しても無駄です。
運命下り坂で、気の毒な人々です。
もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
かわいそうで涙がでます。<<
あいかわらず、毒舌だけは達者ですね。「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」 自分自身のことをよくもまあ的確に表現できるものですね!! あなたの自己分析力には脱帽します。
通りすがりさん。
現行中山教の素晴らしい所を具体的に書いてもらえませんか。私達は散々中山教による被害とその苦労話を見聞きしてきました。ここにも書きました。
多くの人が精神を病み、家庭経済は破綻し、まともに高等教育も受けられず、親子は断絶し、教会会長夫婦は離婚に至りと、どれだけの人生が狂った事でしょう。
あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
現中山教の信仰の良い所、良い結果を是非具体的に言って下さい。真柱の病気さえ治せないのが現中山教ですがね。
私は天理教で飲み食いしている者ではありません
ただの末端信者に過ぎないものです。先代の信仰に縁があり、天理教に引き寄せられた者程度です。
私は高校卒業後 公務員試験に失敗しプータローの時分父が身上になり父の代理で修養科いったことがあります。19歳の時分1か月たった頃ホームシックにかかりどうしても家に帰りたくて天理教が大嫌いで神様にお願いする姿が乞食みたいでどうしても信仰する気になれません。もうやめて帰らせて下さいと甘露台に話したことがあります。
神殿退出後 詰所に帰る時 ふと拝む姿が嫌いなら 皆に感謝され あなたの背中を拝む人を一人でもいいからつくる練習をしてみたらどうか? という考えが相反することが頭の中にこだまして それから帰りたくなる不思議な経験をしたことがあります。それから私の信仰の基礎として勤めさせてもらっています。教祖無き 現代にも神様は居るんだと実感したことがあります。それから実践するなかに不思議だらけの経験があるから教祖お言葉を書き込んだだけです。決して見下して話していると思わないで頂きたい。通る通らないは本人の勝手、無理には言いません。通ったもの勝ちです。もったいないことです。
>>通りすがり 2019年9月21日 8:53 PM
>>稚拙な知識で議論しています。子供と同じです。
>>無法者ですから、まともに議論しても無駄です。
>>運命下り坂で、気の毒な人です。
>>もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。命を大切にして下さい。
>>かわいそうで涙がでます。
以上、
盛大なブーメラン、
このコメント欄の おまいう大賞
「通りすがり」 の自己紹介 Part2 でした
私はこの掲示板に感謝しています。中山みき亡き後にできた天理教教団そして、それに繋がっている現天理教教団に関心がある方々が投稿されているのではないでしょうか。
教団でよく実施されている「感話」大会の場所ではないと思います。神を実感する人もしない人も投稿される方はそれぞれと思います。
匿名様
>あなたは巻き上げた人のお金で食べて来た人ですね。理不尽に虐げられた経験が無い、ぬるま湯に浸かりきったゆでカエルの様な人なんでしょうね。
多分、違うと思います。そういう人は、天理教の矛盾をイヤと言うほど知っている人です。
彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。
>>彼は、心底洗脳された青年か、後継者でしょう。
本当に気の毒な人です。
真実を知ることが怖いのかも知れません。
真実の情報は見たくないのです。<<
真実を知る恐怖感はよく理解できます。誰しも知りたくないと思います。しかし、知らないことには道は開けていきません。癌患者が治療を拒み続けて逃げているようなものです。
「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。
>>「社会」とか「世間」とかに出たら3日で「クビ」な人達ですね。
社会や世間での「労働」で給料が貰え無い人達。
これが真実では?
職の無い無能教会長さん、後継者さん、貴方の事ですよ。<<
3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
悪魔に魂を売った 様
聖書にもこんな話があります。話は途中からになりますが、イエスはバプテスマ(洗礼)を受けられたあと、聖霊にともなわれて荒野につれていかれました。そこで40日間さまよったのですが、その時に、サタンから3っつの誘惑を受けました。それは、イエスが救世主として適任者であるかどうかという試験のようなものでした。 つまり、サタンはイエスの心の中にあるエゴイズム(利己心)を甘い言葉でくすぐり、そうすることで、イエスを挫折させようとしていたようです。
その試験ですが、サタンはイエスを高い山の上に連れて行き、世のすべてこの王国とその栄光を見せてこう言いました。
「もしあなたがひれ伏して、私(サタン)に崇拝の行為をするなら、私はこれら(王国)のすべてをあなたにあげましょう」
イエスは答えました。「サタンよ去れ!『主だけに神聖な奉仕をささげなければならない』と書いてあります。」
こうしてイエスはサタンの誘惑に打ち勝ちましたが、しかし、これはイエスだからできたのであって、たいていの人はこの試験に失敗するだろうと思います。実際、この3っつの誘惑をすべてクリアーするのは至難のワザではないでしょうか。
すべての権力と富と地位を独占し、一国の最高権威者として君臨(くんりん)する。民衆はヒレ伏すようにしてすり寄ってき、ご機嫌うかがいをし、神のように心底アガメたてまつってくれる。しかもお金は使い放題・・とまぁ、こういう地位を目の前にちらつかされたら、そりゃ、並みの人間、コロリとまいりますよ。「地上の王」というか、「神」になれるんですからね。
でも、普通は、自分は神だと思うこともなかった人が、アガメたてまつられる地位につくことによって、知らずしらずのうちに神になっていく、というパターンを通るのではないでしょうか。そして、「神」になった瞬間、その人は悪魔に魂を売ったということが言えるのかもしれません。
天理教に関して言うと、私はおやさまも、神様の試験に合格されたと思っています。これ、世界に誇っていいことなんじゃないですか・・?エラソーに言ってすみません。
『さあ/\悪風に譬えて話しよう。悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで。吹き荒れている時は、ジッとすくんでいて、止んでから行くがよい。
悪風に向こうたら、つまずくやらこけるやら知れんから、ジッとしていよ。又、止んでからボチボチ行けば、行けん事はないで。』
『さあ、一時に出たる泥水、ごもく水やで。その中へ、茶碗に一杯の清水を流してみよ。それで澄まそうと思うても、澄みやすまい。』
匿名くん、意味わかるかな?何度も読み返して、少しはまともな人間になりなさい。
通りすがりさん、苦言を呈する人ほど大切にしなければならい、と思っているんです。苦言とは、悪口ではありませんよ。
少しでも風通しを良くしようと、敢えて言いにくいことを言っているんです。私なんぞは、過去のスレを見れば誰だか明らかですよ。昨年中に二部同窓生の会長さんが3名出直しされたとか、いちれつ会扶育成で詰所勤務生だったとか書き込めば、身元がバレたも同然です。だって、私の年代でパソコンをやっている仲間なんて居ないも同然なんですから。多分、本部は身元を確認しているでしょうね。それでも、東風Z名で書き込んでいます。それでも悪風と断定されるのであれば、あなたと私には基本的な認識に大きな違いがあると言わざるを得ませんね。
ただ、あなたも体制側の人として頑張っておられることだけは認めますが、9月21日の脅迫まがいの投稿をされた時点でアウトですね。
>>悪風というものは、いつまでも/\吹きやせんで<<
あなたが解釈する悪風は、これからも吹き荒れることでしょう。吹き止むことはないはずです。
>>一時に出たる泥水、ごもく水やで<<
あなたが解釈する「ごもく水」は「ごもく水」ではありません。真の「ごもく水」を洗い流す清らかな渓流です。
親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。
匿名 ちゃん
2019年9月24日 1:02 PM
>>親神様のご守護に感謝し、
ほこりを払い、心をきれいに
する。たんのうの心を治め、
ひのきしんに励むと共に世の
中すべての人が助かるように
おつとめし、身上の人には
すぐにおさづけを取次ぐ。<<
あなたは、上記のことを普段から実践されているのですか? 上記の美辞麗句に騙され苦しんできた人達が、どれほど多くおられるのか知っているのか?? 月並みな「教理と称する美辞麗句」を並べて自己防御をはかる教会本部側の体質を露呈する典型的な投稿だ(怒)。もう無垢の人々を苦しめるのはいい加減にしなさい(怒)。
>3日も雇用してもらえれば上等でしょう。1日でクビかもしれませんね。雇用以前に面接や書類選考で落とされる可能性もあります。営利追求の企業は慈善事業をしている訳ではありません。
半日で自分から脱け出すw
>>半日で自分から脱け出すw<<
面接後、即、逃げ出すかも(笑)
亀レスですみません。
誠真実 様
2019年9月19日 9:34 PM
私の住んでる所(奈良県じゃないです)
車で30分圏内に大教会が三ケ所もあります、大教会並みの分教会もあります。
いつも薄暗く人も車も見かけません。婦人会、月次祭くらいかな?人が居るのは
その他は
休みの日隔週で鼓笛練習している子供見かけるくらいかな?
こんな、人も居ない活用されない施設は廃止が望ましい!
信者様の負担以外何者でもない
天理市内の詰所もそうですが、ご商売をなさっている本通り歩いていても人数は
少ない!こんな状態でやっていけるのかな?(閑古鳥鳴いてました)
2週連続3連休といえどもこの有り様です。
夜なんか人通りゼロでした(7時8時だよ)
ここまで教勢衰退の事実がお偉いさんは分からないのでしょうか?・・・・
mami 様
2019年9月19日 9:57 PM
2019年9月22日 1:23 AM
”天理教本部の「ひな形甘露台」が倒されてから二年と一ヶ月か?
二代真柱と上田ナライト”興味深く読まさせて頂きました。
考えさせられる所(history)がありますね。
>>私はこの掲示板に感謝しています。
みんな賛否両論色んな意見出し合って良いと思う。
「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。
>>「邪怪学」などと批判する人もいれば、真剣に騙され苦しんできた人達の事議論?
Internet時代で真実を白日の下にさらす人もいて素晴らしい掲示板だと思いますよ。
益々進化発展して行って欲しいですね。<<
「事議論?」の後ろの?マークの真意は私には理解しかねますが、この掲示板の投稿内容を読む限り、天理教から大なり小なりの被害を被ってこられた被害者の方々の投稿が圧倒的多数であると私は理解しています。もしそうでないとしたら、そもそも、この掲示板自体存在せず、まして、毎日のように投稿が連綿と続くはずはないと思います。
2019年9月24日 1:02 PMの匿名 様
>世の中すべての人が助かるようにおつとめし、身上の人にはすぐにおさづけを取次ぐ。<
一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。
おつとめだって、近隣の方に迷惑にならないようにしてください。
天理教の人達は、余りにも独りよがりすぎるのです。ダメの教えと理解されるのは自由ですが、あくまでも、内々のことですよ。
病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らない、、<<
こんなお授けは本当にやめて頂きたい。
そうでなくても心が弱っている時に、傷口に塩を塗る様な言葉を平気かける勘違いの洗脳された教会長達。信心が足りないからこうなった、出すものを出さなかったからこうなった。心を入れ替えて◯◯するように、、等々。治るものも治らない。想像力の欠如と言おうか、人間性の問題か。大元はこんな偽教理を扇動した教会本部にあると思う。
信仰と言うものは、人に安心感を与え、希望を持たせるのが仕事だと思う。恐怖心をあおったり、絶望感に落としれる様では、そもそもその信仰に関わった意味が無い。
天理教は「ダメの教え」が「ダメな教え」になったねえとは熱心だったが完全に棄教した知り合いの言葉。冷笑しながらあきれています。天理教の事は知れば知るほどボロが出てくるのでもう完全に距離を取って相手にしていない様です。これが常識人のまともな感覚です。
>>一見すると、素晴らしい教えに聞こえますが、おさづけの取次なんてやめてください。病院の大部屋に入院中に教服を着た人が、大声でおさづけを取り次ぎ、挙句の果てに、病気の因縁論を滔々と述べられては、治る病気も治らないばかりか、同室の同病者にも聞こえるので病室の雰囲気は一気に沈んでしまいました。
天理教は何を考えてんだか。場所と時を考えてしかるべきじゃないんですか。<<
知り合いの女性が、くも膜下出血で頭蓋骨を切開するほどの大手術をされた後、ICU(集中治療室)で治療を受けておられました。全身麻酔でしたが、麻酔がようやく覚めかけたものの、依然として嘔吐を繰り返えし、人の話など到底聞ける状態ではありませんでした。ちょうどその頃、黒い教服と帽子を纏った天理教信者2人が、ICUまでノコノコと進入し、ご多分にもれず訳の分からない「おさとし」や「いんねん話」を始めたので、待合室にいた私は、見るにみかねて、黙ってその2人を力ずくでICUから引きずりだしたことがあります。そのICUには術後間もない複数の患者さんが治療を受けておられました。本当に天理教の信者は常軌を逸したことをするものだとつくづく思いました。
崩壊さん、
それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。
>>それは天理市にあるよろず相談所病院憩いの家での話でしょうか?
あとハッピならわかりますが教服に冠を着けてICUに入って来たんですよね?親族でもないのに?
一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
天理市のよろず相談所病院ではありません。患者さんのプライバシーの問題がありますので、詳細は延べませんが、脳外科の権威がおられる某公立病院です。立派な教服とお帽子を被っておられたお二人は、その女性が所属されている分教会長と役員です。それにしても、部外者をICUに入れる病院側にも問題があると思います。
>>一般の病院でもそのようにしている人がいらっしゃるなら、まだお道も捨てたもんじゃないと思ってしまいます。<<
よろず相談所病院であるにせよ、一般の病院であるにせよ、術後、ICUの中で嘔吐を繰り返し人の話すら満足に聞けないほど苦しんでいる患者に「おさづけ」を取り次ぐこと自体、常軌を逸しています。狂っているとしか思えません。それでもお道は捨てたものではないのでしょうか? 宗教以前の問題です。人間としてTPOを考慮するべきです。
ぶたまん
2019年9月24日 7:23 AM
素晴らしい解釈で他の宗教の勉強にもなります。
「天理教や親神、教祖、その他宗教的意味合いを含む言葉」が、中山家を中心とする中枢部と信者などその他では解釈が全く持って乖離が発生しているのが明確化されてきたのでしょう。
おそらく中枢部は「真柱を神と勘違い」してるのでしょう。「中山家を天理教、天理教は中山家」だと思い込みすぎているのでしょう。この様な状態だと確実に「天理教は天理教に有らず」が発生してそれを野放しにしてきた。となるのでこれでは中山家が悪魔と言っても決して過言ではないでしょう。宗教学者が反論しようにも反論できない状態です。宗教にはその体系の中で矛盾があってはイケないのです。何故ならば「神は矛盾を生まない。」との前提で先導者と信仰者が互いに信じているからです。教理が有りそこに沿った信仰がある。 しかしその教理が教団を乗っ取った中山家には不都合なので、「隠蔽とかいざん」を繰り返した歴史だと言う事も間違ってないでしょう。そうでないとこれほど辻褄の合わない風紀が漂うようなことはございません。それら疑問をいくら権力で押さえつけてもそれすら悪政と判断され結果収益が上がらなくなった。のが現在ですので明らかに中山家に責任がある。となりますそしてその責任を取って引責辞任をするべきだということにもなります。それをしないから人は離れドンドン収益が落ちる。を繰り返しているのでしょう。これを悪魔の仕業と宗教界では言い。その「悪魔とはつまり中山家と成る」と言う事の方が辻褄が有ってしまうのです。
総括
なので中山体制は現在の惨状をご覧になって分かるように、事実上崩壊の一途を歩むでしょう。
神の目と専門家の目は騙せません。信者をその場で騙せても誰しも心の奥底で持つ真理を騙す事はけっして出来ません。
崩壊さん、
質問に丁寧にお答え頂きましてありがとうございます。
勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。
ICUの患者さんということは、関係者の皆さんは切羽詰まった状況だったのでしょう。そんな時は、TPOなんて言ってられませんもんね。教服姿で病院に無許可でICUに入り、赤の他人におさづけを取り次ぐ、羞恥心の欠片もなく、常軌を逸した布教師が未だに存在しているのかと内心ドキドキしましたが、話の背景が分かり、想像していたことと違い少しガッカリです。
ICUは家族以外の部外者は立ち入り禁止では?
入れる病院側も病院側ですが、何か言って入室されたのでしょう。
家族でも無いのに、診察室に押し入り先生につまみ出された人もいます。
病状を聞くためだったと言いますが、聞いてどうしたんでしょうか?病のさとしで又どうせ金銭の要求でしょう。
この方達は医学部を卒業してるんでしょうか?
悪魔でも医者より自分達の方が神に近いと言う話をしてます。
後で家族が平謝りに謝ったのは当然です。
悪魔よりの使者です。勘違いもほどほどにして欲しい。
電車の中でカップヌードル食べてる若いネェちゃんも見苦しいが、それ以上に図々しい。
>>勝手にズカズカとICUに教服に冠で正装して入って行ったのではなくて、ちゃんと病院に許可をとって、赤の他人ではなく、所属の教会の方におさづけを取り次ぐためにその方達はこられたんですね。<<
病院側にもっともらしい理由を告げて入ったのかもしれませんが経緯は聞いておりません。いかなる理由を告げたにせよ、病院側の管理体制の甘さは否めません。またICUがどういう部屋か知りながら、敢えてそういう常軌を逸した行動をするのが、狂った洗脳された連中なんでしょうね。「おさづけ」を取り次ぐのであれば、患者がある程度回復し、病院の談話室等で普通に会話できるようになってからでも遅くはないと思います。病室には、いろいろな症状の、また、他宗教の患者も入院されているので、病室で「おさづけ」を取り次ぐのは、厳に慎むべきです。TPOをわきまえて、病室の外の休憩ロビーや談話室等でやるべきだと思います。
ひのきしん 様
2019年9月24日 9:36 PM
私が入院していたのは、公立病院でしたよ。一応、おさづけをすることは禁止されていなかったのですが、その後、病院内でのこのような宗教行為は出来ないようにしてほしいとの要望を公益社団法人全国病院協会にお願いしたことがあります。
憩いの家病院なら、いざ知らず、これ以外の病院では余程の配慮が必要なのではありませんか。
教団上層部の方から次の話を聞いたことがありましたので、ご参考に投稿します。
寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。
天理教の方たちは思い上がっていませんか。
>>寺院のお坊さんが、天理教の方はいいですね。教服を着て病院に行けますが、坊主が法衣を着て病院には行けば、縁起でもないと言われるのが落ちです。その意味でも天理教さんは有り難いですね。っと。<<
読んでいて思わず爆笑してしまいました。確かにそうですね。天理教の方々(全てだとは思いませんが)は思い上がっていると思います。
悪魔に魂を売った 様
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
「私心」で生まれたホコリは、いずれ病気を生み出す原因になりますから、早く取り払わなければなりません。それで、「私心」の反対の「公心」の心を使うようにしてみようと思いました。ちょっとキザですが、「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。
崩壊さん、
ICUは、病院側はもちろんですが、患者さん本人、ももしくは、本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。恐らく、その方達は、狂信的な布教師ではなく、世間の常識を逸脱せずに、ICUに入室し、信者さんにおさづけを取り次がれたのだと思います。周りの目があるにも関わらず、教服に冠姿というのも、その方達の信仰信念も感じます。ですから、このサイトでよく語られるカルト紛いの諭しや横柄な態度の大教会長や大きい分教会の会長連中とは種類が違うと思います。
信者さんに真摯に向き合われている会長さんだと思います。
>>本人が意識がない場合は、親族の同意がなければ親族以外は入れないと思います。しかも教服に冠というあえて目立つ格好でとなると、しっかりと病院側、患者さんの双方同意の下で入室されたのでしょう。>>
確かに、ICUには近親者以外は入れてはいけないはずです。先に述べた「くも膜下出血」でで開頭手術受けられたを女性患者さん(高齢)には配偶者(現職の末端分教会長)がおられます。その配偶者の方が手術の当日、遠方の信者宅へ講社祭り(お供えの集金)に行かなくてはならないという理由で、どういう訳か、私がその患者さんの容態を見届けて連絡するように、その末端分教会長から依頼を受けました。私はわざわざ、職場に有給休暇までとり、その患者さんの術前から術後までの様子を見守っておりました。私はその末端分教会長によほど信頼されていたのでしょうか?(自分で言うのもおかしいですが 笑)それとも、その末端分教会長さんに信頼に値する近親者がおられなかったのでしょうか? 今となっては不明ですし、改めて聞きたいとも思いません。しかし、一般常識から考えて、自分の妻が生死の境をさまようような大手術を受ける日に、自教会の信者さんの講社祭り(お供えの集金)に行く神経を疑いたくなります。天理教にとって人命よりもカネが一番大事であるという本音を露呈するような逸話の典型だと思います。これ以上詳細な内情を書けば、様々な方々へのプライバシーに影響を与えかねませんので、以上をもちまして私からの本件に関する投稿は終了させていただきます。これでも、かなり詳細はぼやかしておりますので、後は読者の自由なご想像におまかせいたします。
ぶたまん 様
2019年9月25日 12:21 PM
>>「世のため人のため」になることを思い、ひのきしんのようなことをするのです。何のことはない、「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」と教えられているではありませんか。<<
おっしゃることは理解できるのですが、天理教で言う「ひのきしん」や「おさづけ」は、天理教という特定の宗教団体に属していなくても、様々な方法でできるはずです。現に、「人たすけ」は国連機関等の活動を見ればお分かりになると思いますが、宗教の枠組みを超越して「人道的な考え方、人間としての良心」に基づき実施されています。私は個人的に宗教団体や組織など不要であると考えています。人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。宗教団体や宗派は、ともすれば争いや対立、テロや戦争の元となり、過去から現在に至るまで数えきれないほどの人々を不幸にしてきました。
実家のお墓のある寺から合同法要の案内が来ました。
このご時世墓じまいする家や、はたまたお墓を引っ越しする家やら様々です。
逆に遠くに引っ越したなど年々参拝者も減っているらしいです。
寺側も考えたもので、年会費壱万二阡円の他に年二回お彼岸の合同供養会で、なるべく寺に参拝に来て貰うと言う趣旨のもの。
供養費は参阡円。他に供養塔を希望で出す。一口が二阡円から、希望で何口でも。
この案内は全檀家さん及びお骨を納めた人、過去に供養をした人等寺側に住所がある人に案内が届くそう。
大勢の方々と一緒に合同供養をして来たが、玄関で「御苦労様です。有難うございます。」と丁寧に挨拶された。
天理教では壱万円をお供えで包んでも「少ない少ない足りない足りない。」等々とよく母が怒られていた。
しかも『ひのきしん』と称してこちらの都合に関係無く呼び出す。
一体このちがいは何なんでしょうか?
思い上がっていると言えば確かにそうですね。
一度お寺に聞いてみるといいです。
>真摯に向き合われている会長さん
真面目な会長さんは沢山います。
私の所属していた末端分教会の会長も真面目です。
問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
所属の会長は
親神は、おや様を通して教会を作るなと伝えているのに 自身が会長職に就いていることに疑問を抱かない。
しんじつの根を堀取れとおふでさきを通して伝えているのに 「しんじつ」について深く思索しない。
おふでさきに現れた親神の怒りを、全く感じ取ろうとしない。
親神が人間に何を求めているか考えもしない。
会長が、信者に求めるのは「金」・・・
おや様は、目に見えない神を人々に認識させようして50年間苦労してきた。
その50年の道すがらの中で、貧しい人々や病に苦しむ人々を救っただけだ。
本部は、「おや様」亡き後、目に見えない神の意志を伝える事ができないから目に見える「おや様」を利用した。
「教祖様雛型」と声高に叫んで「貧に落ちきれ 欲を捨てよ 不足を言うな 親をたてろ」等々・・・
人々は、教祖様の真似をする事が真実だと思い込まされてしまった。
財産を、本部に供えてしまう。
貰った給料は、供えてしまう。
病人を探し回り、おさずけを取り次ぐ。
事情に苦しむ人々を見つけて信者に取り込む。
本部・大教会・上級の上意を素直に聞く事は徳を積む。
「教祖様の雛型を歩む事」は真実であり 教祖様に喜んでもらえる。
親神も喜んでいるはずだ。
とんでもない勘違いだ。
視点がずれているんだ。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。
親神の真意は、病助けではない。
真実に通る事だ。
上記の匿名様
投稿を読み、とても心に響くものがありました。
「とんでもない勘違いだ。
視点ずれている。
しかし、本気で思っているから始末が悪い。」
僕も、そのように強く思います。
自分も同感しました。
このコメント欄に出没するまともではない教団擁護派達にも言えることですね。
洗脳されている人間は、洗脳されていることに気が付かない。
「かわいそうで涙がでます。」
崩壊 様
私も特定の宗教団体に属さなくても、色々な方法でひのきしんやおさずけ(人助け)はできると思っています。
>人間には生まれながらにして備わった「良心」というものがあります。「良心」さえあればそれで十分だと思います。
このご見解に、私も同意いたします。これは、「悪魔に魂を売った」様の言われた「誰しも心の奥底で持つ真理」ということに通じると思うのですが、私はこれが真実の「神」だと思っています。
私の心には、生まれつき備わっていると思われる、「心の奥底の真理」(神)と、サタン(悪魔)が住み着いています。このサタンをあまり活動させないようにするために、「私心(エゴ)」の心遣いを出来る限り抑(おさ)えることが肝腎だと思っています。
またご指摘通り、宗教を組織化することによって、逆に争いを起こすようになり、それが戦争にまで発展してしまうこともあるようです。スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。
>>スンニ派とかシーア派とか、詳しくは知りませんが、同じ民族が2つに分かれて憎み合い争いあっています。こうなると、何のために宗教があるのかさえ分からなくなってしまいます。人間は愚かです。<<
イスラム教のように、元々、同じ宗教がスンに派やシーア派に分裂し、血みどろの争いを繰り返してきました。キリスト教においても、アイルランド紛争のようにカトリックとプロテスタントが対立し、凄惨なテロ事件が次々と発生し、アイルランドから離れたロンドンでも無差別テロが発生しました。オウムのようなカルトは別として、どの宗教も「他者を殺しなさい、傷つけなさい」とは教えていないはずです。キリスト教では「汝の隣人を愛しなさい」と教えています。本来、人間を幸福にするための宗教が教えと真逆のことをして人間を不幸にしています。宗教の対立によって、最も被害を被り不幸になるのは、子どもや老人、病人や障がい者、貧困層の人達、祖国を追われた難民、といった社会的弱者です。宗教を信仰していない人まで無差別テロの犠牲になっています。宗教によって人間が不幸になるのであれば、宗教など始めから存在しないほうがよいと思います。人間に生まれながらにして備わった「良心や理性」に従って生きれば、それだけでも、人間は今よりもっと幸福になれると思います。
****** ひのきしんと人たすけについて ******
ここ数年、地球をとりまく異常気象や地球の温暖化の影響か、毎年のように豪雨災害が発生し、各地で甚大な被害が出ています。つい、先日も、台風の強風で千葉県で甚大な被害がでました。河川が決壊し洪水により家が流されてしまった人、洪水に流されて溺死された人、家が浸水し、居住できないようにまで被害を受けた人、土砂崩れで家が押しつぶされ下敷きになって亡くなった人等が大勢おられます。そうした自然災害が起こった後、必ずと言ってよいほど、日本の各地から被災地にボランティアが駆けつけて、救援活動をされています。ボランティアの中には、休日や連休を返上して来られる人達、会社に有給休暇をとって来られる人達など様々な方々がおられますが、ボランティアの方々の活動をテレビ報道で見ていて、本当に立派だとつくづく感心させられます。誰が呼びかけるということもなく、困っている人を助けたいとの「良心」で、遠方からはるばる手弁当で来られています。阪神淡路大震災の時も東北の震災の時もそうでした。ボランティアの中には宗教関係者もおられると思いますが、大半の人々は「困っている人達を助けたい」というやむにやまれぬ気持ちで来られているのだと思います。人を助けたり、被災地でボランティアをするのに宗教は関係ありません。必要なのは「良心」だと思います。
熊田元衆院議員を略式起訴
公選法違反罪
2019/9/20 21:01 (JST)
https://this.kiji.is/547742755751953505?c=39550187727945729
7月の参院選に自民党の比例代表候補として出馬し落選した熊田篤嗣元衆院議員(48)が、公示前に奈良県などの有権者に投票を呼び掛ける趣旨の文書を送ったとして、公選法違反(事前運動など)の罪で略式起訴されていたことが20日、捜査関係者などへの取材で分かった。
捜査関係者によると、有権者約30人に文書を送ったとして、奈良県警が書類送検していた。
熊田氏は2009年の衆院選で当時の民主党候補として大阪1区から出馬し初当選。離党し、12年の衆院選では日本未来の党(当時)から出馬したが落選した。
東本大教会本阪分教会ようぼく、くま田あつし氏。
ハガキやポスターでみた御記憶のある方もおられる事かと思います。
この件について、私のツイートはこちらです。
https://twitter.com/o_muthuki/status/1176794764366114816
某大教会の月次祭で会長からこの立候補者の名前が紹介されました。
10名以下の一般信者の参拝者たち(私も含む)は聞き流していました。
我が所属大教会では、そんなものですよ。
月次祭講話、いまや聞いても内容の無い話を、それも若いのにもかかわらず、同じことを
一回の講話の中で繰り返し話すありさま。
記憶力が悪いのならば、せめて要点だけでもメモをする準備が必要なのではないかと。
東本もどうかしているんじゃぁないですか?
思考停止状態なのでしょうか?
中川会長初代は立派であっても、「お徳」なんていうものは努力した本人一代限りのもののはず。
「お徳」信仰はニンジンのような働きでしかないと目を覚ましてほしいものです。
そうすればスッキリ晴れやかな、欲のない信仰ができるのではないでしょうか。
お供えを「ねだる方」に関しての書き込みはたくさんありますが、この辺で、「出す方」の私たちも根本から考え直す必要があるのではありませんか。
「お徳」の言葉に惑わされてきた長い歴史。「先祖のお徳のお陰」というお陰信仰は、もともとは自分一人で生まれてきたわけではない、一人では生きられない、この社会的生物としての仕組みを謙虚な気持ちで見直すと、自然と感謝の念が湧いてくる気持ちを言葉に表したものだったと考えます。
「お徳貯金」感覚を持っているから、それこそ貯金感覚でお金を差し出してきたと、天理教教外者から見れば、その様に見られることも有ります。
もっとも、神社仏閣、日本中の神様たちは、喜んで賽銭箱を準備していますし、チャリ・・ンと投げ入れ、願い事を安直に伝える人のなんと多いことか。
我々天理教信者に限ったことでもないようですね。
ナンテ、偉そうなこと書いてごめんね。選挙違反はダメですよね。
見ず知らずのの我が教会にもポスターなどの応援セットが届いてましたね。勝手の良い時だけ天理教の看板を利用するのかと、はっぴ姿の候補者を見て、辟易しました。何回も何回もお願い電話がかかってくるし、私、その人知らないんですけど、って感じでした。落選しても、ありがとうの一言もないし、何回もダイレクトメールを勝手に送りつけて捨てるのに無駄な労力が要り、いい迷惑でした。
東本に言って下さい。大迷惑でした。
それから一言。こんな絶滅寸前の天理教にすがりついても、藁一本の力にもなりませんから。落ち目の天理教を買いかぶっておられたのでしょうが、人や組織を上手に使おうなんて根性はいけません。落選は当然です。
「月よりの神言」まだ手渡しされていました!
毎月26日、10時から11時の間、北大路西3駐車場向かいの駐車場です。フェンスに札を吊るしてあります。
駐車場入って右側に、車を止めて運転席に居られます。眼鏡の男性です。
昭和63年に須藤花井さんのアパートを訪ねて以来、本の発行業務などをお世話されていたそうです。
色んなお話が聞けて楽しいですよ。
来月、大祭でも同じ時間帯だそうです。
匿名さん
<問題なのは、真摯に向き合っている その視点が皆ずれている事です。
病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
それで相応の対価(おつくし)が得られないと教団的にはずれてくるのかもしれません。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。それは数字です。世の中は、時間もお金も人も空間も全て数字で管理されています。
信者数、おつくしの金額、初席者、参拝者数、教会数、布教所数、講社数等の増減に一喜一憂し、その結果、カルトの様な諭しが横行したり、それが長年続いた為にさも正当な教理だと誤解され、トラブルや離反を招いていると思います。本部の中には、そういう誤った教理を是正したい気持ちがあるが、カルト的な教理をヨシとしている系統ほど少なくなったとはいえ、未だに教団全体の中でもおつくしの金額等の数字の面で多大な影響力があり、本部としても表立てて是正できない状況ではないかと思います。まさに毒まんじゅうを食べ続けるとダメなのはわかっているが、それを食べないと生きてはいけない状況。
真実、誠さえあれば教祖の教えはなくならないのに何を本部はビビっているのでしょうか?
本部員講話でよく『世上に流されず…』と言われる度に、肥大化した為に数字のがんじがらめに陥っている本部の中心的な人が何もわかっていないことにガッカリしてしまいます。
三島村の中でどんだけ白い目を向けられようとも、毎月数千円の真実のお供えをする為にアルバイトをする様な本部員先生が出てこないかと期待する毎日です。
ひのきしんさん
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。
確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
よつばさん
<確かに行為自体はずれていないでしょうが、何を目的にされるのでしょうか?
おさづけの目的は、その方に助かってもらいたい為にされたのだと思います。
<またずれていないからと言ってどこにでも変な格好でずかずかと入りこんでいいものでは決してないです。
繰り返しになりますが、ICUには勝手にズカズカとは無許可では決して出入りできませんので、病院側、患者さんともにコンセンサスがあった上だと思われます。逆にお坊さんが患者さんを見舞う為に袈裟姿でICUに入ってきても、貴方は違和感を感じますか?
<その後のおさとしwとやらがさらに迷惑です。お金を巻き上げることしか考えていない人がほとんどでしょう。
その後のおさとし等は、おさとしの内容が問題なのではなくて、それまでの人間関係が重要だと思います。
そんなにお金を巻き上げられたと感じられるのは、貴方をお道につないでいた方のつなぎ方に問題があるのではと思います。いわゆるカルト的なつなぎをされたのだと思います。
<私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。
本当に気の毒です。教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。法被は、確かに威圧感がありますね。ただ、誰かに強制的に着せられているものではないかと思います。暑い地域の海外では、すでに法被ではなく、別のものを来ている国もあります。
>>病んでる人におさづけを必死に取り次ぐ行為自体は、お道的には決してずれてはいないと思います。<<
相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として避難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。
そのお金は自分達の自由に使うのに、、(酒やタバコとは言いませんが、神様はそのお金、使いません、使えません。)
「命のつなぎはお金」の精神が天理教全体を覆っていて、会長さんが病人からお金を受け取って帰るのがつまりは人助け、御守護をもらって頂くことになっている。お金はそうやって教会組織内を上に上にと吸い上げられ、途中で少しずつピンハネし、そのお金で教会家族が生き延びているんだ。彼らは気持ち悪く無いのか。良心は痛まないのだろうか?
>>相手の助かりを願ってする行為はそのお授けに効き目があるか無いかは別として非難されるものでも無いと思う。ただ、彼らは差し出されたお金をきっちり受け取って帰る。お金を受け取る時点で私は疑ってかかります。御守護を引き出すにはお金が必要なのか?
胡散臭さを感じてすっきりしません。彼ら天理教の人間に何事もお金と引き換えに守護されるという概念があるからこそ、彼らは臆面も無く受け取るのでしょう。<<
30数年前、知人が末期の肺癌で、「憩いの家」に入院していました。癌は脳にも転移し、意識も時折うつろな状態でした。「憩いの家」の身上部から、毎日のように黑い教服をまとった方が病室にこられ、その知人に「おさとし」をされるので、余命いくばくもない末期癌の知人は、同じような「おさとし」を毎日聞くのがとても疎ましくなり、ある日、お供え袋に金を入れて、黑い教服をまとった方に渡したところ、その人は、金を受け取った後、そそくさと退散されたということです。それ以後、その人は二度と知人のベッドの傍らに来て「おさとし」をしなくなったということです。要するに金儲けが目的であったのです。知人は、数週間後、息をひきとりましたが、病床で苦しんでいる余命いくばくもない人まで金儲けのカモにするひどいやり方だと思います。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
過去から現在において教団で一番ずれている点は、『本部中枢の人間達』です。
ぶたまん
天理教の教えが、(お供えなどの点で)神の教えとは違ったものになってるということ、また今の天理教の現状が神の教えと乖離が起きているというご指摘は、納得できるのですが、そのために、「中山家が悪魔」だと言われるのは、語感が悪く、少し語幣があるのではないでしょうか。
「神の教えは矛盾を生まない」と言うご意見も正しく、歪められた教理は矛盾を孕(はら)んでいるものなのに、天理教は矛盾をそのまま放置していたので、矛盾が今になって顕在化してきた、と言われることもうなずけます。「神の教えは矛盾を生まない」 ので、永遠に続くことができますが、悪魔(サタン)は矛盾を孕んでいるので、(一時は栄えても) やがて破滅に到ることになるということも、理解できます。また実際に、教団は悪化の一途をたどっているのに、責任を取るということもない、という腹立たしさも解ります。
要するに、おっしゃっていることはすべて同意できますが、ただ「悪魔」という言葉のとらえ方が、私とは少し違っているのではないかと思います。私のいう悪魔とは、誰の心にでも巣食っている「利己心(エゴ)」のことで、この利己心が八っつのホコリを生み出していて、このホコリが色々悪さをする、という風にとらえています。
つまり、悪魔というのは私の外にある別人格ではなく、私の中にあって(私の一部であって)、色んな不幸や災いを私にもたらしているものと考えています。悪魔とは要するに「私心」のことで、私が自己中心的な考えをしたり、我が身かわいいの思いにとらわれたり、保身のために人を傷つけたりなどした時、私は悪魔に魂を売ったと思っています。
その結果、いずれ災いがブーメランとなって返ってくるぞと覚悟します。私は私に起こるすべての災いは自業自得で、「わが身うらみ」だと考えています。
>>
上記の通りです。
気着心地が悪かったようですが、簡単に説明します。
悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
「お尽くしは金?これは正しい教理ではない。」のは天理教理を理解したものなら勿論至極当然の事、教理かいざんと粉飾をしているのは人間の中山家のなす事これは神ですか?という質問事態がもう矛盾で、中山家は人間です。なのも至極当然です。
つまり利己的エゴによりかいざんと粉飾を繰り返す中山家は善人です。とはならずつまり悪人となります。
これが宗教の話にあると、神か悪魔か、天国か地獄なのか?と簡単な対義語があるだけです。
そして改ざんした教理と人間中山家の神格化は神です。と言う文章もこれも矛盾 矛盾を超えた虚偽んいなりそう見せたがっている人間が居るならそれも人間の利己的なエゴですので、それが悪人のなす事で悪魔の所業と言われてもいた仕方ありません。これを理解できないなら布教しても一般人は誰も納得はしてくれません。そもそもこのようなものはもう宗教と言わずこれこそ一般的にカルト宗教と呼ばれるもになりますので、現在の状態を逸早く中山家自身が是正する事か?それか立ち去ってもらうだけの二択になりますが、中山家と中枢はどちらもせず出来ず誤魔化すを選んでいるのが現状でしょう。
>過去から現在において教団で一番ずれている点は、『世間(世上)に流されている』点です。
それは数字です。
数字に意志はありません。
その数字を操る『本部中枢の人間達』に問題があるのだと思います。
>教祖の教えをカルト的に伝えることしかできない人のせいでおぢばに帰れないのは残念です。
親神とおや様の教えを捻じ曲げて「お供えを要求する事しかできない本部中枢の人間達」のせいで人々の心がおぢばから離れてしまったのは非常に残念です。
悪魔に魂を売ったのは誰だ?
2019年9月27日 6:40 AM
レスをありがとうございます。
> 悪魔の定義に関しては、「神でないもの」つまり「悪魔」と成るだけです。善人と悪人のように対義語として存在するだけです。
そう定義されておられるのなら、それはまたそれでよろしいかと思います。ただ、私としましては、「悪魔」という日本語が、「人に災いをもたらすだけの者」とか、「そのやり口は、非人間的で血も涙のない」とかいったイメージがあるので、「中山家が悪魔だ」という直情的な表現は、扇動を目的とした<人身攻撃の手段>として使われているとみなされるんじゃないかと心配になったのです。
西洋人のいう悪魔は「堕天使」と呼ばれて、もともとは「み使い」一人でした。私も西洋人の言う悪魔には、ある種の親しみを覚えています。つまり、誰しもが「悪魔の誘惑に負けて、魂を売る」 ということが起こり得るものと思っていますから、中山家の人も例外ではなかったんだと思います。私だって、いや私こそ、教団のトップの地位に就かされたら、中山家の人々と同じことをしたと思います。
それから、<人間中山家の神格化>という重要なご指摘がありました。これは大きな矛盾です。
私も人は誰しも自らを神格化した時、その人はまさしく「悪魔に身を売った」者となったといえるでしょう。たぶん、モハメッドがそうなったんだと思います。その他、その候補者として、中国の習近〇などなど・・・つまり、「俺が神だ、みんな、俺を拝め!」と言った具合になったんじゃないかと思います。
よつば 様
2019年9月26日 8:02 PM
>私は黒い集団が怖くてお地場かえりができなくなりました。もう法被はなくせばいいのに。<
若い人たちばかりでなく我々の年代の者もそう思っているんです。
法被どころか、教服もおつとめ着も要りませんね。教祖が亡くなられた翌日にはせ参じた信者さんたちの写真を持っていますが、寒い時期だったから皆さん綿入りの厚着で写っておられますよ。ハッピ姿も教服姿もおつとめ着姿もありません。それぞれ常着のような服装ですよ。
いつの間にか、権威を付けたくなったのでしょうね。変な宗教です。
徳川 @iyeyasu0080 さんのツイートより
本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。
>>本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラス。
行った先では山海の珍味で至れり尽くせり。
ちなみにニューヨーク往復で100万円超。
仕事で海外出張ならCクラスで十分だと思う。
御供えが少なくなってるのに節約しない感覚が理解できません。<<
額に汗して働くこともなく、何の苦労も無しにお育ちになられた面々のやりそうなことですね。決して不思議ではない話です。そのうち、ボーイング社から政府専用機ならぬ「教会本部専用機」を購入し、世界各地へ「においがけ」に行くかもしれませんが、異教徒の空軍機に撃ち落されるかもしれませんよ(大爆笑)。
天理教教祖は「難儀しなければ 難儀している者の気持ちが分からない」とおっしゃたらしいですが、本部員や役職者が海外巡教する時はJALかANAのファーストクラスを使い、行った先では山海の珍味で至れり尽くせりの状態では、難儀している者の気持ちが分かるはずなど絶対にありません。読者の皆さん、これこそ、今の天理教の実態です。
本部員や役職者はつまるところ常識のアップデートができていない、ウマシカ集団なのですよ。
想像すると、本部出入り、又は天理市内の旅行代理店に丸投げで、予約を取っているのでしょう。
それと「マイル」を貯めたいんじゃないですか。
要は自分の懐が痛まないから、平気で贅沢をしているのです。
何様を気どってるんでしょうね。
エコノミーで十分です。そんな贅沢三昧の為に、命のつなぎは金と年金暮らしの信者や貧乏教会から脅し取ってうさん霧散に浪費する本部の馬鹿ども!!
時間のある時に目を通している「みちのとも」に、また、とんでもないエッセーが掲載されていることに気がついた。
本部員・天理大学学長(!)永尾教昭氏は毎号、「きょうだいへのまなざしー道と世界の思案ー」という題で連載を持っている。
その9月号の内容は首をひねるようなもので、あきれるばかりのものだ。
北方領土をビザなし交流で訪問し、その団長に向かって島を取り戻すには「戦争しないとどうしようもなくないですか」発言をめぐっての見解を書いたものだ。
勿論、その発言は「言語道断」としているのだが・・・・。
問題は次の段落でのこのように書いている事だ。
「ただ、民主主義には言論の自由がある。刑事罰を受けたのならともかく、いかなる意見でも、それが原因で強制的に議員の立場を剥奪することはできないと思う。これは極めて重要な点だ。なぜなら、意見を表明して処罰されるとなると、時の為政者が自分に都合の悪い考えを持つ者を弾圧することにもなりかねないからである。それはそれで恐ろしいことである。」
引用が長くなったが、その後にフランスの哲学者の意見を紹介し「これが民主主義である。」としめくくっている。
フランスに派遣されていた筆者の得意とする地点に結び付けているのだろうが「民主主義」が問題ではないことに気が付いてほしいものだ。
問題とされている議員が、なぜ、顰蹙をかったのか。
酒に飲まれて醜態をさらしたことも、大人として恥ずかしい限りだが(北方領土で女性との性的交渉を望んでいたようだ)、公式訪問での態度としても常識の無さをさらけ出している。
何よりも問題視されているのは憲法無視の態度そのものだ。
「戦争放棄」がうたわれている以上、議員は、個人の見解のまえに、憲法を守るべき立場のはずだ。
日本で義務教育を受けた人ならば、戦争放棄という言葉程度は頭に在るだろう。
しかし、この議員と永尾氏は、どうも憲法を軽く見ているようだ。
馬鹿な議員はいずれ消えていくだろ。しかし本部員・天理大学学長という立場は、どうだろう。学長といえば世間的には教養ある人物と期待されることも多いのではないだろうか。
恥ともいえる今号の内容は掲載した天理教道友社の見識をも疑われる。
以上、書き連ねる間、むなしくなる一方だ。
この社会学板で、どれほど指摘事項があがっていても、本部は一向に変わらない。
謙虚に振り返ってほしいものだ。
防衛力を維持して有事に備えることは大切だろうが、日本が積極的に攻撃に出て取り返せると思う発想が幼稚だと思う。エネルギーも食料も輸入に頼る国が長期の戦争などできるはずがないだろう。
千島や樺太を先の大戦で失った責任論すら出てこないのに、いきなり戦争論が出てきて、これを非難すれば、民主主義を振りかざしてしまう愚。
話は逸れますが、先の大戦でソ連軍はドイツ戦に総力をつぎ込んでいた。その時点でポツダム宣言を受け入れていれば、北方領土を失うことはなかったかも知れない。いや、それでも、ソ連軍はで極東に移動してきたかもしれない。
ドイツには申し訳ない言い方だが、日本軍の指導者は何を見失ってしまっていたのか。そのような議論の方が大切だと思うが如何でしょうか。もっとも、過ぎしことを議論しても何の益もないことだが。
天理教がやるべきことは、先の大戦への反省の弁ではないでしょうか。
エイミー・ツジモト氏著 満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊を読んで思うことは都合の悪いことにはだんまりを決め込む天理教の姿で、一言のコメントもないように思われるのが悲しい。
そもそも戦争というものは、他国の領土を奪い自国の領土とし、その資源や権益を奪おうとする「欲」や「利己心」から始まるものであり、その為に罪のない多数の犠牲者がでます。神は決して人間の争いは望んでいないはずです。戦争に正義はありません。「やられたらやり返す」という考え方は、未来永劫にわたり「憎しみの連鎖」を生んでいきます。「戦力の不保持と戦争の放棄」をうたった日本国憲法9条の崇高な理念は、神の思いと一致するものであると思います。「過ちは繰り返しません」という誓いの言葉が広島の平和記念公園の慰霊碑にも刻まれています。
はるえ婦人会会長あいさつ
「、、、、一日も早く親神様にお喜びいただける陽気暮らし世界が実現できるように、しっかりと頑張っていただきたい。」
もう30年、40年、50年も前から同じことの繰り返しを聞かされて。いつになったら実現するの?100年経っても同じ事言ってるんだろうな。はるえさん、馬*鹿の一つ覚えですね。高級な着物をきて大教会に来て最大限の持てなしを受けて、キッチリ懐に入れて帰る御仁ですよ。自分が自らしてないのに偉そうな事を言うなよ、です。
本部としては結局の所、金集めの方便の為には陽気暮らし世界が実現したら困るんです。皆さん頑張ったおかげで陽気暮らし世界が実現しましたね、なんて言ったらお金集めの理由が無くなる。陽気暮らし世界が実現したら本部は一貫の終わりになって困るんですよね。営利集団中山教天理本店としては世界が不幸な方が儲かるんです。
何のための宗教団体なのか。
我々信者はエンドレスで中山家の金儲けの為に、馬車馬の様に神様を思って走り続ける。ところが中山家は神様なんて見てないんです。その証拠に金、金、金であちこちの大教会、分教会を徘徊して大札束を懐に入れて帰るんですよ。
信者の皆さん、その事知っていますか?
早く沈み行く泥舟、墜落寸前の低空飛行機から離れましょう。お供えはやめましょう。意味の無い行事には行かない事です。脅しに屈しない事。天理教には神は居ませんからばちは当たりません。安心して反論しましょう。
「世界中の女性が婦人会員になる事を目指して、、、。」とはるえさんの挨拶。痛々しくもあり本気かと失笑。日本中でも20万人居るかいないでしょうよ?
初投稿です。この掲示板に書き込んで良いのかどうか迷いましたが、人生の大先輩方
達が多そうなので投稿させて頂きます。
私は、結婚するまで天理教をよく知りませんでした。
これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
縁あって教会の娘さんを妻に貰い、色んな教会人達と出会い、見聞きしながら自分
なりに色々と考えたのですが、この宗教を好きになれません。
おやさまの教理自体は素晴らしいと思うのですが、教会の人達が色々とややこしい~
「お勇み様」ってよくお道の人から言われますが、別に勇んでません普通ですよって
答えたら変な顔されました
少し私の事を書きます
義理の父は結婚当初、未信仰家庭で育った私に別席だけは運びなさいと行かされまし
た。嫁さんは天高卒業、修養科も上がって、大教会で1年間女子青年務めさせて頂い
たバリ天です。義母の実家(妻の祖父宅)も大きな分教会です。妻は3人兄弟姉妹の
長女で実家は長男の義弟が後継者です。義弟は部内布教所の娘さんと結婚して子供が
2人います。一番下に義妹が居ます。義妹の旦那様は凄くお優しい方で、私同様未信
仰家庭だったのに、結婚を期に別席を運び修養科へ、結婚後暫くしてお父さんが亡く
なられて、お寺にお仏壇を返して、自宅に神実様をお祀して教会でお葬式を上げられ
ました。社会人の子共が2人いておちば病院で先生?(技師)と看護師として働いてい
ます。(毎月おぢばがえりもしていて、すっぽりと天理教に染まってます)
私はと言うと、ごく普通のサラリーマンで結婚当初は仕事の付き合いで月4~5回は
ゴルフに行って接待?とか出張と超忙しかったので、妻の実家の用事はした事があり
ません。(嫁さん一人神様の御用頑張っております)
子供達の小さな時は妻の実家に盆と正月位はご挨拶に伺いましたが、毎月の月次祭は
一度も出た事がありません(そもそも平日休めない、お手振り鳴り物出来ないので)
お正月も元旦祭が終わった2日か3日に伺います。徹底して教会の御用?して来なか
ったのですが、別に今まで身上・事情は一度もありません。
私の2人の子供達も小学生の頃は子供おぢばがえりだ少年会だと教会で遊んでおりま
したが、大きくなるにつれ塾がある勉強しなきゃいけないからと段々と教会から離れ
て行きました。上の子共は有名私立大学卒業後公務員試験に合格して働いています。
下の子共も難関の国立大学へ合格して通っています。私も嫁さんも働いていて家族全
員今まで何日も寝込む様な病気や怪我になった事も無いです。
子供の小さい頃は、子供が熱を出すと夫婦仲が悪いのと違う?と直ぐに義母からお仕
込みがあり、腰が痛いと言うと頭が高いからもっと頭を低くしろだの、伯父さん(義
母のお兄さん)がやたらと修養科行く時間無かったら3日講習へ行きなさいとか、よ
うぼく大会があるからいついつ大教会へ来い、だれそれ本部の偉いさんが来るから、
お話聞きに来いとか、妻の従弟が感話大会で話すから教区に来いだの、陽気ぐらし講
座やお話し会の度教会に来い、しのきしん3日隊に参加しろとか、今まで散々色々言
われ続けましたがそれら全て仕事に託けて無視し続けて一度も行た事がありません。
最近では、嫁さんが一生懸命お道に繋がって頑張っているので、お前は助かっている
のや、このままではその内フタが開いてくるぞ!などと言って脅してきます。一体何
の蓋が開いてくるのやら?
今年銀婚式を迎えましたが、夫婦仲も悪くないし子供達も元気で来年あたり上の子も
結婚します。お相手も未信者で天理教と繋がってません。義父からは五月蠅く言われ
ていますが子共達も私の親兄弟も別席をまだ運んでいません。
後5年で取り合えず定年を迎えます(多分嘱託で+5年は務め続けるでしょう)
定年で一区切りしたら修養科へ行って来いと凄く義父から言われています。
別席を運んでから25年間におじばに帰ったのが10回位あったのかな?
をびや許し2回とお守り授与2回、年祭の人数合わせのバス団参に2回くらいしか思
いつきません。
働き方改革でわが社も年間5日は有給休暇を取りなさいと言う事で、有給消化の為に
今年初めて3日講習1なるものに行って来ました。教理なんて何も知りません、すわ
りづとめ第二節も覚束ない、よろずよなんて全然できないのに、頑張って行ってきま
した。先生に余り悩みの無い貴方みたいな人が来るのは珍しいと言われました。感想
は来ていた人は僕から言わせて貰うと変な人ばかりでした。教会と離れると何か起っ
てくると言う人(先月自教会の月次祭行かなかったら子供が交通事故に遭ったとか、
お供え少なかったので階段から親が落ちて脚の骨折ったとか)、家系が色情因縁で私
もつい不倫してしまって結婚がダメになったとか、居酒屋店舗増やし過ぎて潰れて自
己破産したとか、隣人や近隣住人から電磁波攻撃をされているとかまあ妄想の酷い変
わった人達ばかりでした。天理教信者って変な人の集まり?って思うくらいまともな
人は居ませんでした。もう二度と行くものかと思いました。
私の家には先祖代々のお仏壇があります。檀家でお盆両彼岸にはお寺で木魚を叩いて
南無阿弥陀仏のお経を唱えます。住職とも仲が良く住職の説法も非常に面白くて為に
なります。
これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
義父母、兄弟姉妹とも好きですが、
教会人達の付き合いとか、人数合わせ?ノルマの数字稼ぎ?上級、大教会への御用が
多すぎる現状ではどうもこの宗教に魅力を感じません。
本来、信仰は自発的な気持ちで行う物で、人に言われてやらされる物では無いと考え
ます。どう自分を磨くかは、自分次第だとも思います。無理やりやらされて嫌気が指
す様な、そんな宗教ではダメです。
とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
稚拙な汚い文章を長々とすみません
どうかご教授願います
>>とりあえず今の私のスタンスとしては
>>お供え・・・「致しません!」
>>上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
>>無駄なひのきしん・・・「致しません!」
>>困っている人は助けます
これで全然いいと思います。
迷わず行けよ、行けばわかるさ!!
>>これから先どの様に天理教(妻の実家と親戚一族)と付き合いすれば良いですか?
人生悩み人 さま、何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。
匿名くん、君にもそのうち「旬」がくることでしょう。それまで元気いっぱいにここで毒舌を吐いていればそれで良いのです。
はっきり端的に申し上げます。現天理教は宗教法人の仮面を被っているだけです。宗教ではありません。周囲の環境で相当、お悩みになられていることは痛いほどよく理解できますが、気にすることはありません。Going my wayで、ご自身が正しいと思われる宗教を信仰されるなり、あるいは、宗教は関係なく、ご自身の正しいと思われる生き方をされたら良いと思います。人間として常識ある生き方、正しい生き方、良心に満ちた生き方をしていれば、自然に道は開けていくと思います。四面楚歌、孤軍奮闘のような状態に一時的になるかも知れませんが、心配には及びません。ご自身の信念をしっかりと持ち、ぶれることなく、これから長い老後をおだやかに、飄々とお過ごしください。ただし、天理教には絶対に関わらないほうが、ご自身のためになると思います。
上記の私の投稿は、人生悩み人さんに対する投稿です。念のために申し添えます。
>>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。あなたはただ、「旬」が来ていないだけの事だと思います。誰もが「旬」がくるまでは自分の思いどおりに、やっているのです。そのうち、あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
人生悩み人様、毒リンゴを食べて死ぬ場合もあります。通りすがり君の「戯言」に惑わされないでください。
人生悩み人様
私と私の妹は教会の娘で、妹は未信者の家の男性と結婚しました。結婚後、婿殿は教理が素晴らしいと感動し、父を立て、それはそれは熱心に自前でにおいがけパンフを自作する様な人でしたが、ある時天理教の真の実態を知ってすっかり距離を置く様になりました。教理と実態が違う事に気がついた様です。兎に角、事あるごとにお金が掛かること、組織内に理不尽な上下関係がある事、虐げられる嫁の実家である末端教会の実態、意味の無い人数の競い合いがある事、意味の無いお供え金の心定めをさせられる事、神様とは遠い所で人間思案に過ぎない行事等に振り回されている事に気がついた様です。
妹も婿殿同様に潮が引くように天理教から心が離れていきました。
私は実家が教会ながらも姉として妹夫婦が天理教に関わらない事を応援している状況です。
親子の縁は切れないので、妹夫婦は天理教を離れた所では子や婿としての気遣いはしっかりしてくれました。なので父母は十分満たされていた様です。その分、教会からはしっかりと、賢く距離を置くというスタンスでした。
私自身は、上級から色々誘われたり、お金の居る事を言われた時は、自分が納得してからでないと出来ません、とか、すみませんが、出来かねますとか、すみませんが行けませんとか、はっきり言う事を心がけています。
仰るように、
お供え、しません。行事、お手伝い、しません。を貫き、天理教からしっかりと距離を置く事です。この人はこう言う人、何誘っても動かん人、頑固な人、と思わせる迄が重要だと思います。これは私の経験です。
親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。
通りすがりさんは「自称まともに議論ができる人」なのでしょうから質問させていただきます。
あなたの発言である
「ほこりの提灯持ち」「稚拙な知識で議論しています。」「子供と同じです。」「無法者」「運命下り坂で、気の毒な人」「もうすぐ、身上事情で行くに行かれん日が来ます。」
これらの発言は毒舌ではないのでしょうか?
天理教を信仰していながらあなたのこうした発言は、
「天理教を信仰していてもこんな低レベルな人間にしかなれないのか」と世間の人たちに思われるかと思います。
あなたの発言は天理教を貶めることになっているかと思いますがご自分でどう思われますか?まともな議論ができるのならお答えいただけますよね?
>>親子の縁は切れないにしても、人生に責任を取るのは天理教団ではなく自分です。下手に親御さんに情で関わり、悩み事を抱えてしまっては、あまりにも人生を無駄にしすぎです。
天理教は怖いですよ。洗脳の恐ろしさです。したい人がすれば良いんです。親子だと言って人情で関わると足が抜けなくなります。お金と時間を失ってしまった苦労した人間からの真実の思いです。<<
全くその通りだと思います。お金と時間を失うだけでなく、家屋敷まで失った人もいます。末端分教会長の中には多額の「お供え」をするために借金をし、返済できなくなって縊死された方もおられます。骨の髄までしゃぶりつくされます。天理教に中途半端に関わらず、全く関わらないほうがよいと私は思います。
>>あなたにも必ず「旬」が来ます。その時こそ、信仰のすべてが分かる時です。<<
いきなり上から目線の毒舌で絡んでくる通りすがりさんは信仰のすべてが分かっているらしい。そのすべてを教えて下さい。是非。
人生悩み人さんへ
>これからどうすれば天理教を好きになり続けられるか? 皆様方にご質問します!
天理教を好きになる必要はありません。
神様を好きになる事が大切です。
「火水風」が神と言われています。
人間の体には、大人なら約65%の水があります。体温は36度五分の熱(火)。そして空気(風)を吸って生きています。
寝ている間も空気(風)は、口を通して出たり入ったりしています。
人間は、生きているのではなく神の守護により生かされているのです。
天理教によって生かされているのではありません。
文面から察すれば平和な日々を過ごされているようです。
それは神の守護だと思います。
これからも今のスタンスを貫いてください。
「親神・おや様」と天理教は別物です。
日々の生活の中で神(火と水と空気)の守護を肌で感じつつ、真実に通ってください。
そうすれば、神は貴方の思いの倍の力で貴方を守護します。
おや様は、「神には倍の力あるで」と話されたそうです。
神が強いと言っているのではありません。
神を信じる者は、その者の思いの倍の力で守護すると言っているのです。
「思う」と「願う」は違います。
「思う」とは日々の生活の心使いです。
日々神を忘れず、いつでもどこでも誰にでも優しく そして、真実に通ってください。
その思いを持って生活すれば、神は常の貴方の傍にいて倍の力で貴方を守護します。
今のスタンスを持ち続けてください。
通りすがりさんへ
貴方が投稿するたびに反天理教の勢力が強くなっていくようで私としてはとても楽しい気分です。
貴方が投稿するたび天理教の崩壊速度は加速するようです。
貴方が投稿する気になったのも親神の計らいと思っております。
親神は理不尽な天理教の思考体系を貴方を通して広く教内教外の広めているのだと思います。
貴方は天理教崩壊の強力なアシストであると思います。
これからも天理教崩壊に向けて「理不尽な天理教擁護」の投稿を宜しくお願い致します。
期待しております。
退職した元信者様
心に響くご投稿を、いつもありがとうごさます。
また、退職した元信者様のご投稿を楽しみにしております。
財政難になった本部が事情教会の土地売ったら揉めるでしょうね。使って無い土地なら早く寄付して下さった方に返すべきですしね。不動産管理会社、東京天理教館を使って土地転がしする積りみたいです。これじゃ反対運動起きても仕方ないな~笑
人生悩み人様
>とりあえず今の私のスタンスとしては
お供え・・・「致しません!」
上級、大教会のお手伝い・・・「致しません!」
無駄なひのきしん・・・「致しません!」
困っている人は助けます
ですが、妻の実家とは縁が切れません!
あなたは大丈夫な人です。
自分の考えを、ちゃんと持って自分の責任で行動されているのですから、周りの言動に惑わされる事なく、今のまま家族を大事にしてお過ごし下さい。
素晴らしい素敵な方だと思います。
通りすがり様
> 何事も経験しなければ分からないものです。リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。信仰とは尚更、経験がなければ何も分からないのです。
人の足を踏み続けている人は、踏まれている人の痛みは分かりません。
この方は、もうすでに、このリンゴは不味い味だと実感している方だと思いますよ。
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
本部が信仰の為の寄付を勝手に転売して勝手に本部の財政難に使うなら言語道断!必ず反対します!
今まで「いう事聞け!」と言って来てるのは聞いたことありますが、意見を聞きに来た事は一度もございません! 寄付して下さった方にお返しします。誠に恥ずかしいみさかえも無いんですね!
土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。
「満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊」は、教団本部が出版するべきものですよね。
それが出来ない天理教なんて要りません。
何でも、かんでも都合の悪いことは隠すというより、無かったことにしようという魂胆が見え見えです。
だから、何を説かれても信用できないんです。通りすがりさん、この本もフィクションと言われるのであれば、もう終りです。そろそろ目を覚まされては。
砲撃のあとで、という本を読んだことがあります。満州から引き上げの際に、囲いの無い貨物車がカーブを切った途端に、体を支える術がなく振り落とされて満州の荒野に散った人の断末魔の声を想像したことがありますか。満州の荒野には、まだオオカミが沢山いたと聞いたことがあります。あとは想像してください。
天理教は何の想像力も働かすことが出来なかった哀れな団体です。そのような宗教に人助けができるのでしょうか。真宗大谷さんは先の大戦への反省の意を表しておられますよ。
>土地の乗っ取りまでするなら県庁を通じて文部科学省にも相談しようと思います。<
宗教法人の主管課は奈良県庁の場合は法務文書課、国の場合は文化庁ですが、役所に相談する前に、まず、法律の専門家(弁護士等)の意見を求められた方が良いかもしれません。役所に直接行かれても無駄足を運ぶ可能性があります。
通りすがりさんへ
2019年9月28日 10:03 PM
>リンゴを食べた事のない人にリンゴの味をいくら説明しても分かるものではありません。
天理教を味わってみたらとても美味しくて幸せな心になるのであれば、更に普遍性があれば130年祭の帰参者は300万人に達したかもしれませんね。
しかし、現実は違います。
多くの人々が、天理教を食べて その心根を味わいました。
その味は、とても不味くて飲み込める代物ではなかったのです。
そして、人々は天理教から離れって行ったのです。
私は、90年祭には所属の末端分教会の帰参者の世話取りで帰参しました。
100年祭の前年の秋の大祭にも帰参しました。
東名阪道・名阪国道を天理に向って連なって走る観光バスの列は、それはそれは壮観なものでした。
しかし、今は本当に寂れてしまいました。
当然の成り行きなのですが、自分の目の黒いうちに天理教がこの様な状態になるなど当時は想像できませんでした。
「天理教ライブカメラ」をパソコンで検索できます。
本部南礼拝場の現実の姿を見る事ができます。
今日は日曜日です。しかし、南礼拝場前には誰もいません。
80年祭・90年祭・100年祭の光景は、夢まぼろしのようです。
天理教の旬は、100年祭で終わったのです。
これから将来、天理教の信者数は益々激減していくと思います。それに伴い、教会本部に入る「お供え」収入も激減していくはずです。教会本部が財政難になることは必至です。そうなった時、教会本部が真っ先に手をつけるのは、ほとんど信者がいなくなり採算性の悪くなった末端分教会です。登記簿上、教会本部名義となっている末端分教会をどんどん売却していくことでしょう。教会本部のやることですから、教会長家族の「居住権」などお構いなしです。末端分教会の家族は住む家を失い、家賃の安い公営住宅に転居し、生活保護を受給しながら生活しなければならない羽目になるでしょう。都合の悪い情報は平気で隠蔽し、少しでも儲けになることは、法的にブラックあるいはグレーなことでも平気でやってのける、それが天理教です。ヤクザよりも恐ろしい団体です。
今まで黙って、黙認して、思うことも言えずに泣き寝入りしてきた、信者さんや会長家族等、SNSの発達によってここまで知れ渡ることになるとはね。まさに、蒔いたる種通りですね。
上層部全員が原因とは思いませんが、体質を改善しない限り、今後もますます信徒の減少に繋がるでしょう。
もとい、貧困に近い状態になって、本質が見えてくる可能性もあります。
まず、高級車はいらない等ですね。事改めて、大きい建物も要らない。大教会長連中は本当にわかっているのでしょうか?かなめ会、機能してますか?
現場を理解できてますか?
おやさまの教え通り生活してますか?
朝の神殿掃除起きてますか?
大教会やかなめ会なんて関係無いです。巨大建築を乱立させ勝手に財政難で困ってる本部が暴走してるのです。大教会長は見せかけ銀行の支店長、本社が財政難だから「お前の所を空き地売ってお供えするか、こっちによこせ!」ですよ。ドラえもんのジャイアン ヤクザ以下な考え笑
海千山千だから荒れるでしょうね~ 信者の方には元ヤクザ 被差別部落 在日朝鮮人 の方などもいますからね。本部も調子に乗ってると確実にやられますね。
本部中山家がここまで馬鹿なら、揺すられるのも当たり前ですね~
匿名様 2019年9月28日 9:52 PM
今のスタンス守り通して行きたいと思います
通りすがり様 2019年9月28日 10:03 PM
「旬」とはそのうち蓋が開いた時ですか?
自分が人の文句ばかり言って非難ばかりしていないかを考えてみましょう。
文句ばっかり言う人と話してもおもしろくない。そんな人を誰も好きになってくれ
ないし、好きになってもらえなければ、ますます文句を言ったり非難したりしたく
なる。この悪循環に陥れば、「どうせ誰も自分をわかってくれない」と、自分で殻
を作って元気をなくす原因をつくってしまいますよ。陽気ぐらしの逆になります。
崩壊様 2019年9月28日 10:23 PM
Going my way! 「私の道を行く」ですね
『低いやさしい心になりなされや。人様を救けなされや。自分の癖性分を取りなさ
れや』 と心遣いに気を付けて頑張って行きたいと存じます
匿名様 2019年9月28日 11:07 PM
なんか境遇が少し似ているので・・・笑顔でいるから幸せになれる
『神はな、あほなものが欲しい、あほが神の望み』
あほうになる、あほうだから人のために必死になれることって沢山ある。私もあんまり
賢くない。賢かったら要領良く逃げていたことだって、今から振り返ったらいっぱいあ
ります。
退職した元信者様 2019年9月29日 1:41 AM
>>神様を好きになる事が大切です。
今日の幸福を感謝して・・・
「人がめどか、神がめどか。神さんめどやで」ですね。
神の守護、素晴らしいお言葉ありがとうございます。
古い元教会長様 2019年9月29日 7:09 AM
無理せず、等身大の自分と向かい合って、自分のこと家族親戚のことちゃんと考えて
行きたいとおもいます。
皆さまのレス親身なご意見ありがとうございます
参考にしたいと思います。
最近、お道の本を沢山読んだので(逸話編とか)偉そうな引用レス、誠に申し訳
ございませんでいた。
シェイクスピアも「人生は舞台」っと言っています
ここからの筋書きは自分で作るですね(^^)/
匿名
2019年9月29日 5:43 AM
「はー?」教高学園の次は事情教会の土地売却? そもそも本部のものちゃうのにどう売却すると?本部アホなの?お前らの土地を先に売ってからせいよ!本当に本部終わってますねー! 中田善亮が表統領になってからほんまに暴走してますやん笑 ほんま中山家を追い出さないとダメですわ
そのうち右翼にやられるんちゃいます?笑
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
人生悩み人 様へ
>>苦しい人生を導く世界一有名な名言 ウィリアム シェイクスピア
世界中で最も知られていると言っても過言ではない名言がこちらです。
「この世は舞台、人はみな役者」
良く知られた名言ですが、これはやや省略した形です。元々の文章を逐語的に訳すと、「全世界は一つの舞台であり、すべての男女は、単にその役者にすぎない。彼らはみな舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々様々な役を演じるし、役は年齢によっても七種類に分かれているのだ。」となります。
人生は自分が主人公だと良く言いますが、シェイクスピアは我々は脇役に過ぎないと語っています。地球を舞台と考えると、私たちは登場しては退場していく役者のようなものです。
自分は役者であり、いろんな役を演じることができる。そう思うと自分自身に対して悩む必要なんてありません。これから何にだってなれるということです。<<
上記の引用は下記のサイトから全文引用いたしました。
https://loohcs.jp/articles/136
私は大学で英文学を専攻し、シェイクスピアの作品も、ほとんど読みました。「この世は舞台、人はみな役者」というシェイクスピアの考え方は彼の主要な作品に共通して流れているものです。人間はこの世に生を受けてから、人生という舞台にたち、様々な役柄を演じながら死を迎えます。
大変失礼な言い方かもしれませんが、あなたは、本当の「あほう」にはなれないと思います。しかし、その方がよいと思います。本当の「あほう」になれば、天理教の格好の餌食となり、いいように利用されて、最終的に後悔を残して、人生を終えることになります。しかしながら、あなたは「あほう」を演じる役者にはなれると思います。あなたの今後の処世術として、ご自身の信念は、信念としてしっかりとお持ちになり、「あほう」を演じながら天理教が終焉を迎える日をお待ちになるのも一つの方法であると思います。天理教は近いうちに終焉を迎えるはずです。
通りすがり 君
2019年9月29日 2:57 PM
私の言っている「旬」の意味もリンゴの意味も誰も分かっておられないようで残念です。この掲示板の常連さんも、不平不満を言って投稿している人達も、未だリンゴを食べた事がないのです。
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。三日講習会にも参加「致しません!」となぜ言わなかったのでしょう?匿名くんの自作自演かとお察しもうしあげます。
今更、いくらご託を並べても無駄ですよ。皆、少しでもリンゴをかじったり、食したりしたからこそ、この掲示板が生まれ、毎日のように連綿と投稿が続いているのです。そもそも「三日講習会」なるもので、何が理解できるのですか? 教えてほしいくらいです。
その日が来れば、みな分かる事です (^▽^;)
今日は2年ぶりぐらいに天理教本部に行ってきました。
この掲示板で知った、三島神社の移転の経緯。
ある日天理に行ったら、突然、池と神社が無くなっていてびっくりしましたが、当時は何の情報もなく不信感だけが残っていました。
お供えしたお金が、どういうことに使われていたのか・・・
この掲示板は、私の目を覚まさせてくれました。
今日、初めて三島神社に参拝させて頂きました。
もうお詫びしかないです。
三島神社の道を隔てて向かい側に、閉校が決まっている天理教校学園高等学校があります。
グランドでは、高校生たちがフラッグの練習をしていました。。。
その後、神殿に行き参拝しました。もちろんお供えは一銭もしていません。
願いはない。日々のお礼のみ、申し上げました。
教祖殿では、結界の中の教服着て座ってる人、居眠りしていて激しく揺れていました。
その前では、修養科生たちがおさづけを取り次いでいます。
何なんでしょう。この光景は。
初めて気づいたのですが、おやさまが存命の時の建物が公開されていました。無料です。
リゾートホテルのプールのような北庭プールの西側です。
「つとめ場所」やおやさまが過ごされた部屋のある建物など。
そんなところにあったなんて。
知らなかったのは私だけ?昔から公開されていましたか?
「順路」の看板があったりして、観光地のように思いましたが・・・
人っ子一人いませんでした。
天理教本部は、どこに向かっていくのでしょう。
これからもこうやって、たまーに見学しに行くつもりです。
通りすがり様
貴殿のおっしゃることは、100年祭までを支えた 戦争で 学校で十分に教育を受けることの出来なかった方々には 通用したことだと思われます。
その当時と比べて 風向きが変わってきているとは 感じませんか?
法律が変わった事 法令遵守を気をつけるようになってきている事 に 無頓着で
昔ながらの応援で 公職選挙法違反 になるとは、、、
>>その日が来れば 、みな分かる事です。
他宗教でも 最後の審判 終末思想ありますが 地球上の 最後のひとりぼっちの人間になりたいのですか?
睦輝さん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
睦輝 @o_muthuki さんのツイートより
【今月のかなめ会速報】
★教会整理の実行
・活動ようぼくゼロ
・おめどうを上級引き上げ済
・会長不在
3要件を満たす教会を正式引き上げ。
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
本部在籍者は国民年金でなく、厚生年金らしいですよ。
親神様にもたれて生きるのだから、国民年金など払わずその分お供えしなさい!
と上級に言われていた末端も有るとか、前に古い会長さん
@huruikyoukaityo が言ってたような。
それ言った側の大教会長サマが、本部在籍で厚生年金貰える立場なら…滅茶苦茶酷い話ですよね…。
風向きは確かに変わっていますね。ますます強風となる事も予測されます。ただ、別の風も吹き始めている事も事実です。この先どうなるかは誰にも分からないと思います。
ほぼ一年ぶりくらいにこちらに伺いました。
本部の学校が一つ閉鎖ですか。
崩壊への蟻の一穴が広がっている段階なのかもしれません。
私の両親も某大教会長に年金をお供えするよう促され、
老後も極貧生活しながら分教会長として死ぬまで尽くしていました。
そして、他界する前にやはり
「天理教は100年祭で終わった宗教だった」とも言っておりました。
昨年私が書き込みをした際にもちきりだった、
百田尚樹の本部での講演に象徴的なように、
今の天理教本部は強者であり、富裕層であり、体制擁護派であり、
弱者たる分教会や末端信者、格差に苦しむ大多数の国民を支える側ではありません。
耳障りの良い教理に騙され、関わると骨の髄までしゃぶられます。
どうか関わる方々の目が早く覚め、苦しむ方々がいなくなりますように。
天理教教会本部の凋落は、格差が広がり
高齢化が進み、非正規化が進んで貧困化した勤労世帯の没落という
この国の望ましくない社会情勢がもたらしている面があります。
搾取しようにも、貧乏人に無い袖は振れない。
国も大企業も大教会も欲をかき過ぎた。
しっぺ返しはまず天理教で始まった。
やがて店をたたむか組織の縮小を進めるかするでしょう。
逃げ得、持ち逃げ、責任とらずは許しがたい。
が、この国はそれを認める司法制度であるのは東電裁判の判決を見ても明らか。
巨悪ほど滅びない、神も仏もないということを
図らずも中山家の去就が証明することになるのやも。
何とも皮肉な話ですが。
すみません。本部在籍とはどう言う意味ですか?本部員、凖員の事ですか?
大教会長も本部在籍扱いなのですか?
70歳以上の本部在籍のお与え廃止とは、無い袖は振れぬと言う事ですね。我々末端も無い袖は振れぬのですから実行出来る良い旬が来ました。お供えのストップ、やり易くなりました。無理せず、本部にならいましょう。
別件質問です。大教会家族には本部からお与えが降りていると聞いた事が有るが、それも廃止になるのでしょうか?
大教会も厳しい環境になりましたね。結構な事です。お徳の違いで結構、結構と勘違い発言していた思い上がりの彼らも、今後は思い知る事でしょう。
ここまで来たら通りすがりさんも、目を覚まさざるを得無いでしょうね。
親神がこの誠の無い営利団体をたたみにかかっておられるのです。
この先どうなるか誰にも分からないとその気持ちはわかりますが、天理教の将来は実は誰の目にもわかっている事です。今後順次縮小に向けて動き出します。教校学園閉鎖を手始めに、今回のかなめ会決定はそれに続く「縮小」に向けた動きです。
天理に神は居ません。その証拠は今見えている衰退の現実です。
いずれ暴動が起きるだろうと言われていますが、通りすがりさんの様な洗脳された盲目的信仰の人こそ、目が覚めたときの茫然自失の失望感は怒りとともに噴出するのです。ここに書かれた多くの被害の事実があります。天理教団が如何に暴力的で冷徹で無責任であったかが理解できる旬があなた様に訪れますように。
>★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
>「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外。
なるほど。
「おつくしは命のつなぎ」は
「おつくしは(本部在籍者の)命のつなぎ(=生活費)」
という事を自白しましたね。
教会の整理も進めるようですが、信者もおめどうも教会長もいない教会って、看板出てても単なる空家じゃん。
法人格を移転させて不動産は売却かな?
土地に手を出すと必ず揉めます。三島神社問題も今でも尾を引いてます。本部がいくら子孫の法人と言えど、他法人の土地を吸収合併で割譲しようとしているなら必ず反対するべきです。事情教会であっても寄付者や信者は残ってる場合も多い。本部にお供えなんてしたつもりも無い人が殆ど、教団は土着信仰が殆どで「本部がなに?」とはっきり言って関係ありません。教高学園より必ずもめます。死人も出るでしょう。真柱の身上悪化、たの中山家の者も身上になるでしょうね。
土地の持ち去りが事実ならこれぞ戦うチャンス、各教会決起の時です!
馬鹿な大教会長も多いですが、その大教会長も説得して逆に担いで本部に文句言うのも有りです。その末に包括関係解消するのも有り
とにかく信者様の土地を本部と偽る金の亡者中山の財政難に当てる必要は一切無し
戦いましょう!
本部の中山さんのお宅の中田善亮さんが教祖も言ってない宗教的にもおかしい「お尽くしは金」と偽教を流布しているから「お供え」寄付、お布施が減っている事に気が付かないのですか?本当に常識が無いのですね。政治家だってちゃんと政治をしてくれる人には献金が払われます。してくれない人には払われません。日本人は表立って揉めるのを嫌うので「なんならお供えの額落とそ」と成っているだけですしね。それで今度は「部内と呼ばれる被包括法人の土地をよこせ?」カネカネ言ってる「守銭奴中山 」言われても仕方ないですね笑 中山家追放も有りだと思いますね。もうこんなトップだから組織の信頼関係も教義も壊れたのでしょう。勿論世間的信用は一切ございませんしね。
私も知人数名に連絡を入れました。皆この噂を聞いて驚きも呆れも通り越して憤りを感じていたようです。「部内の土地収奪」の噂は一気に広がるでしょうね。
中山家が運営する本部はおろか教理にも背を向ける人も増えるでしょう。財政状況が悪くなって金を集めて逃げるつもりなのでしょうか?それか、不動産管理会社、天理教館でロンダリングをしようとしているのでしょうか?とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね
>>とにかく酷い もう公的機関やメディアにも皆さんで連絡した方がいいですよね<<
ネットでこれだけ騒動になれば、少なくとも宗教法人を管轄する所管の役所は既に情報を入手しているかもしれません。メディアもまた然りです。
「本部に土地お供えしろ?」と言いたいのかもしれませんがまた中山家だけ得してその他は確実に損する制度やろうとしてるの? これは飛んだ不動産詐欺ですね。
私は包括関係解消をするしない別にして、社会学さんを参考にして色々話を聞いて回りましたが、現在の教団の状況は他の宗教団体の末路と同じようです。「金に汚くなり約束を守らない平気で人を騙す」など手段を選ばなくなるそうです。
相談してる弁護士の方もここだけの話で教えてもらいましたが、教団の弁護団の人達の中には弁護士会でも評判があまり良くない方が多数居るそうです。成人君主の顔をして裏では何やってるかわからないものです。
吉本問題でも弁護士が出てきてましたが批判の荒らしでしたし、どんなに違法でなくて有ったとしてもやり方を間違えたらあそこまで荒れ、評判もガタ落ちするるわけですし弁護は法律は良いが法的対応が始まった時点で会社など組織は終わってると仰ってました。
皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。
各教会が単立教会になれば、スッキリ組織になるかもしれませんね。
きっとその様な「旬」が来たのですよ。
かんろ台が倒されても目の覚めなかった教団。
真柱身上でも悟り間違いを強情にも改めない中山一族。
そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。
各教会の皆さま、仏教界、神道界でも数年前から見られる単立化現象です。
ようやくネズミ講文化が少しでも是正される「掃除」の時旬が訪れたと
皆で勇みましょう!!!
被包括解消の準備しといて良かった。 様
2019年9月30日 10:19 AM
>>皆さんも迷わず信者さんのお供えくださった土地や建物を中山家に奪われないように、離脱をおすすめします。<<
私の知っている限りでは、長野県諏訪市にある天理教豊文分教会が、愚かなピラミッド組織(教会本部)と訣別し、被包括関係を解消するために、教会本部と最高裁まで係争されました。結局、天理教豊文分教会が勝訴され、教会本部から独立されました。日本の裁判では、最高裁の判例が最重要視されますので、以後、教会本部からの独立(離脱)が非常に簡便かつ容易になったということです。奈良県内でも教会本部から独立される末端分教会が徐々に増え始めているということです。貴教会に限らず、教会本部からの独立を切に願っておられる他の末端分教会が多数存在するはずです。貴教会がどのような方法で独立されたのか、読者の皆様に具体的に教えてあげていただけないでしょうか? ピラミッドを構成している石の一個一個が抜け落ちていけば、ピラミッドは自ずから「崩壊」するはずです。
>>そしてこの度、表統領の集金欲から思わず本音発信してしまったことを契機に
一気に進むであろう「組織正常化」の一歩となる「単立教会化」の波。<<
末端分教会が全て「単立教会」となれば、当然のことながら教会本部は「兵糧攻め」となります。どれくらいの兵糧(貯え)があるのか知るすべはありませんが、「砂上の楼閣と化したピラミッド」を完全崩壊させるに足る十分な効果となり「組織正常化」の一歩となることでしょう。そもそも信者を苦しめる教団や組織など始めから不要であったと思いますが、いつのまに出来上がってしまったのでしょう?
nunoさん、こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
nuno @toarukyoukaino さんのツイートより
厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
本部員だけでなく、お役に当たって定期的な「ひのきしん」をしている奥様方も、それなりの「お与え」貰ってるそうです。(単発的なひのきしんには出ないので、全員ではないと思いますが)
教会から本部員に嫁に行った友人は、実家家族にもお金の事は言わないと言っていました。
慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
家賃いらないし、電気代と光熱費と食費は義両親が出してくれるそうで、子ども3人に複数の習い事をさせています。
義母のお供でよく京都の伊勢丹にお買い物に行くと言っていました。
お歳暮やお中元は伊勢丹だそう。
永遠のパズル
自分までだまし
首尾よく生きてなんになる
全力を尽くし
倒れてしまえばおしまい
だけどひとつひとつ
祈ることだけが
うまくやるコツと学んできたよ
それぞれの理由で
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
他人の気持ちなど
簡単に理解できない
自分に置き換えて
考えるなんて意味がない
そうさ いつか君が出会う真実は
君だけのために輝くはずさ
自分より大きな
自分の影を追いかけて
いつまでも絶対
追い越すなんてできない
悲しいけれど
志は高く 夢は天を越えて
いつかひとつになれば幸せ
そうだよね
努力が一番 向上心をわすれず
辛いことも忍耐
あきらめず
清く正しく道草もせず
まっすぐ進んで壁にぶつかって
とにかく負けないで
礼を尽くして弱き者を助け
自分を殺し人を恨まず
わかってるわかってる
でもできない
迷ってるうちに
日が暮れて前が見えない
暗がりの中で
誰かの足跡探しているよ
流した涙の数だけ
それだけの喜び
本当に君を救っているかい
本当に君を救っているかい
ー橘いずみー
1/17000の闘争と逃走https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12298340482.html
ある方のツイッターより。
>>「東京の教会の屋根が飛びました
なんとか住んでいますが 上級や本部はなにもしないんです
親なんですよね???
理の親ってなにもしないんですね!!
親なんて語るな!!」<<
本部員はボーナスも出るんですね。厚生年金も会社員並に支給されているんですよね。家賃いらないし、修理費の責任も無いし。修理は末端教会から順番に上がるお供金が現資ですよ。
私たちが飲まず、食わず、着るものも着ないで供えるお金は、つまる所、彼ら本部員達の命の繋ぎの為のお供えなんですね。
馬鹿馬鹿しくてやってられないです。お供え金ストップして彼らを干上がらせる事が先決ですよ。つまらない巡教員を貧乏教会に寄越してお礼と称して金を巻き上げて帰らせるんではない!まごころのお供えだと?人のまごころを自分達の贅沢に使うな!
通りすがりさんの言葉。
>この先どうなるかは誰にも分からないと思います。<
教団本部すら分からないものを、どうしようもないんじゃないですか。ケセラセラの世界です。
一寸先は暗闇、一番にこの言葉を教団本部に捧げましょう。
なに、教団本部は、何事も見抜き見通しだって。冗談もほどほどに。
終りに、教団本部の皆さんに送る最適の言葉は「贅沢は敵ですよ」にしました。くれぐれもご注意を。
>厚生年金ですし(本部員は)、住宅も与えられますし、お与えは公務員に準じているそうですよ。
>厚生慰労(ボーナス)もちゃんとありますしね。
これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。
ネットを知らない・利用した事のない末端教会の老齢会長さんや信者さんに、現実を知らせる効率的な手立てはないものか。
本部がなんで大教会や分教会の売却やその売却益を考えてるのか意味不明、別法人の場合がほとんどなので違法性高いですね。
それに本部が勝手に火の車に成ってるのですから、本部の所有している土地や財産を売却するのが先です。順序のはき違えです。順序履き違えるって事は、理の違いですので教祖曰く「理の違いは気の違い」となるのでやはり現在の本部 善司、善亮体制は狂ってると言えます。
中山家の散財のお尻を拭いてほしいなら土下座したらいいのでは?土下座しても飲めないは無いですがね。それだから「お供え」という言葉で騙してでもやるならもう訴えるべき状態です。
本部がどこにお金が出て行っているのか?どこに借金をしているのか>反社会勢力とのつながりがあるのではないのか?等々徹底的に追求すべきです。警察や税務署に通報して家宅捜査させたほうがいいですね。
本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
宗教法人天理教教会本部は、他法人の大教会、分教会の土地や財産を狙ってる時点で明確に黒です。このまま善司 善亮では、教団だけでなく天理教の歴史は後数年で終止符を打つでしょう。中山家は金だけ持って逃げるつもりなのでしょうか?逃げられると思っているのでしょうか? 滑稽です。
人のもの奪うのが神のやることですか? 神では無くただの悪魔ですね。悪魔なら倒さないといけません。
悪しきいんねん 成らば切るのが用木と言われる信仰者の使命、 中山家を切ることがいんねん納消です。
敵は外におらず内に有り、敵は本部に有り 敵は中山 なり 暴走本部はもう帰れなくなりましたね。もう言い訳は通用しません。
用木の皆さんいざ戦いの時です。土地の話が出てきたら親神様も教祖も土地はいりませんので迷わず戦いましょう!他の分教会や大教会にも連絡しましょう! 悪魔に魂を売った 中山家とその使いを天理教理を持って成敗しましょう。神の立腹 が必ず中山家を倒すでしょう。
天理教 の歴史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99
中山家が 教団を私物だと思ってた事が確定されそうです(笑)信仰心も一切無い(笑) 親神と教祖も中山の家の味方はしないでしょうね(笑)
教団は先ず、東京都千代田区一番町31-2にある中山家の私邸か教団所有か分からないが、処分すべきだ。売却すれば数十億円になるだろう。優先順位が違うだろ。
オウム真理教の末期は人殺し 本家天理教の末期は土地収奪 これは酷い。乞食 詐欺師 泥棒と化した中山家とそれに悪用される教団
戦い 様
>本部が土地の乗っ取りを考ええてるとか、これかなりの内部情報ですよね? もう中山家は本部内でも信用されて無いんでしょう。
まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。
>>これが、事実なら本当に酷すぎます。
私が所属していた末端分教会の会長夫妻は、既に70歳を越しています。
月次祭に参拝する信者は、3人から4人ほどです。
上級へのお供えを聞いたら、足りない分は自分達の国民年金から出していると話してくれました。
毎月20日から26日は、上級・大教会・本部へと参拝するため年金だけでは賄えず、会長夫妻は近所の庭の植栽の手入れや農家での手間稼ぎで収入を得ている状態です。
働いてもいないのに厚生年金とかボーナスとか、本部在籍者達には本当に呆れてしまいます。<<
国民年金保険料を20歳から60歳まで40年間、規定どおりに支払っても、1か月あたりの支給額は、約7万円程度です。生活保護費を満額支給されたとしても、1か月あたりの支給額は13万円程度です。また、生活保護費を受給した場合、医療費は無料です。ただでさえ少ない国民年金を足してまで、高齢の末端分教会長夫婦に「お供え」を強要する教会本部をはじめ上級教会の連中は「鬼畜」としか表現のしようがありません。長い人生、労働らしい労働もせず、厚生年金やボーナスの支給を受けることができる天理教特権階級は狂っているとしか表現のしようがありません。
>>まさか、そんな事はないと信じたいですが、不活動で会長不在の教会は吸収合併となり、上級教会の管理下になります。
でも、まさかそこに住まいする元・教会家族を追い出すことまではしないと思います。
が、誰も住まなくなれば当然上級教会の資産にはなるでしょう。<<
「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。追い出された教会長夫妻は、しばらくの間、賃貸料の安いマンションにお住まいになっていましたが、ほどなく、お二人とも続けてお亡くなりになりました。ご心労がたたったのでしょう。天理教に常識や人情などありません。
>>「まさか」と思うようなことを平気でやってのけるのが天理教です。私が知っている末端分教会の中に、高齢の分教会長夫妻を追い出し、中年くらいの年恰好の教会長が居座った例があります。<<
やりかねません。子沢山の天理教上層部教会子弟は職を持って居ません。自活する能力も家を持つ経済力も、持とうと言う意欲活力も持ってない。彼らは部内教会を狙って居ます。高齢であり信仰が冷めたのもありで、諸々の教会行事から遠ざかっている、冷やかな視線の私など一番に狙われているのを感じます。部内は事情教会だらけなので、彼らは何処が一番早く空くかと居住地を求めて部内教会をじっと狙っています。生活力の無い彼らはとりあえず、「家ゲット」を狙っています。このご時世教会の立て直しなんて出来る訳無い。棚ボタ式で住む家を欲しがっている。やれやれです。
悪質で理不尽な天理教本部、中山家、上層部の取り巻き一族、上層部の連中。
神が天罰を下すか。
末端から、純粋に信仰してきた方々や。
天理教に、苦汁を飲まされたり、人生を狂わされたりした方々から、天罰を下すか。
天理教は組織です。
組織内のことは、天理教人、天理教外人が天罰を下すしかありません。
大きな出来事から、小さな出来事まで。
投稿し、声を上げ。
悪徳中山家、悪徳本部、を丸裸にしてしまえば良い。
まだまだ、天理教内外のお力添えが必要です。
ささいなことでも良いので、投稿し声を届けてください。
金と贅沢三昧と高慢にとりつかれた。
上層部に、悪魔の鉄槌(ルシファーズ・ハンマー)をふるうときです。
小さな積み重ねが、大きな波を起こします。
天理教が元始まりのささやかな、控えめに、人助けを実践できるよう。
大掃除の時が来ていると思います。
社会学ブログは、小さな波の発信源です。
色々な意見、声。
人間交差点です。
多くの方々からの、投稿、さらなる声を期待しております。
始末の観点からは上級教会の資産になるのは分かります。それを本部が横取りしようと言う考えが余にも下品極まりないです。寄付者からの不満が続出するので揉め事は絶えなくなるのは必須。以前甘露代が倒れましたが今回は寒露代だけでなく教団自体、信仰そのものが倒壊するでしょう。
それを理解できない血迷った中山家と本部 それと相対峙する各法人の真の信仰者 用木の真価が問われます。用木は中山の為の用木でなく、親神の用木であるので、中山家は神に虚言を吐くことに成ります。もう限界なのでしょう。神の仕打ちを甘んじれない中山家はその辛さを部内教会の土地収奪でなんとか延命しようとしているのでしょうが、もう遅いです。中田善亮をはじめとする本部の言う事は一切当たらず一方社会学にコメントを寄せる方々の言葉に神を感じます。親神は中山家に立腹しておるのでしょう。眠っていた用木も目覚め、教団の自浄を始めそれで喚き出したのが中山家なんともわかりやすい。中山家には悪霊が付いてるのでしょう。中山家の代々の悪しき因縁 早く納消すべきではないでしょうかね?それを怠るから、生きるために人を騙すことしか出来なくなった。しかし騙せずそれすらばれるので、今後は牛馬になるしかないでしょう。
悪魔の化身を許す用木は誰一人居ないでしょう。むしろその悪魔を退治するのが宗教の役目ですから、もう皆さん動き出してます。各地各箇所、土地の収奪があったなら連絡しあって現地に集い本当の教理を叩き付ければ悪魔は自ずと退散します。
社会学さんでも再三再四反省を促しても受け入れなかった本部の不徳のいたす所 本部の言いなりになった者は、他のものに詰め寄られ責任を問われ自殺に追い込まれるかもしれません。決して本部の悪行に加担してはなりません。人は強くない。中山が強がっているのも弱いからです。中田善亮は器が小さく他人の事を考えることも出来ない。法律や倫理も理解できない可哀想な人なのでしょう。理解できないなら信仰者を辞めてもらうまで、用木を通して神により制裁が下るのでしょう。
「中庭で宗教裁判される日」 もそう遠くありませんね。
どのようなことでも、おカネでものを言わせてきた天理教。教祖100年祭の前年の本部予算は540億円だった。
現在の貨幣価値に直せば如何ほどになるのだろう。三島神社を移転させ、鏡池を埋め立て、東西礼拝場を建てた。
何れもおカネにあかせて実行されたもの。不動産屋も顔負けと呼ばれていた三代さんは何を思って実行されたのか。今となっては、全てが裏目になってきた。
三島神社を移転されれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及された橿原神宮宮司さんの言葉が現実となってきている。
目覚めた人たちは潮が引くように去ってゆく。残るのは大教会長クラスと本部の取り巻き連中だろう。
いや、大教会長と親戚縁者の立場にある人達は去るに去れない哀れな立場かもしれない。
本当に惨い組織を作ったものだと、つくづく思う。
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
人は「想像力」という能力を神様から頂いています。
武●喜●さんにも勿論有るはずの能力です。
お立場は判りませんが、
「そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。」という強気の言葉!
ちょっと恐ろしくなります。
実は私の所属する大教会でのことですが、修理が必要な所がずっと放置されています。
どうして放置なのか、怖くて教会に聞けません。
信者間では「下手に聞いたところで修理費用を出せないから黙っているしかないね。」と、考えることは皆同じ。
それでも毎月のお供えは人により減額してはいるものの、きちんと差し上げている面々です。
大教会会長といえども立派な手足が有る人なのですから、自ら修理するという選択肢もあるはず。
なぜか、放置なのです。
教祖の時代でも、お助けして頂いても「それっきり」という人々は普通にいたでしょう。
現代においても同様です。
現に京都在住の知人の母親は「天理教の布教師に命を助けられた」そうですが、教会名すら記憶にないそうです。
「それっきりですよ」と聞き、内心、唖然としたものです。でもその布教師さんが「格好いい」とも思ったものです。私も若かった!
かっこいいと見えたのは、つまり「助ける事」が目的で、その経験が自分の人生を輝かせてくれ、満足感をも得られる、と。・・・・霞を食べていたのでしょうか。(笑)
結果が思わしくない場合でも、助けようと努力した自分の行為は自分の心を満たしてくれるものです。
「おたすけ・丹精が足りていない」から、「金を出す(念のためにお断りしますが、経済的な余裕の有無は問題にしていませんよ。)信者がいない」という指摘は、武●喜●さんという方のおごり高ぶった意識の表れのように思え、信仰者としては残念なことだと感じます。
教会によって教えと実情が千差万別の天理教では、こんにちネットのお陰で、本部周辺と他系統・他教会の実態が見えるようになりました。一般信者であっても、その視野は以前より拡大されています。
視野は拡大されたものの、思考が浅いままでは迷惑な結果を招きかねないと、自戒を込めた上で書かせて頂いています。
「自分ならこうする」という決意は貴いのですが、これはあくまでも「現状の自分」というある意味、限定的な時間・空間のなかでのことを表明しているわけです。
人はいつか無収入という境遇にあう確率は高いのです。「想像力」をもって周囲を見渡し思索を深めてほしいのです。
私はTwitterをやっていませんからこの場をお借りして武●喜●さんに反論させて頂きました。
何しろ15日の年金支給日までカウントダウン状況の今です。
残金から月次祭費用を出すと、どうやって食料を確保できるかと悩むような自分なので、貧民クラスの代表として一言申し述べました。
因みに息子からの援助は無理です。何しろ氷河期世代の非正規社員ですから。武●喜●さん、若い世代の息子のような人をどうぞ、努力の足りない落伍者のようには見ないでくださいね。
かつての三島神社は、山の辺の道の景観にも溶け込み、天理教立教時の様子を彷彿とさせるものでした。また、鏡池には鯉や亀がいて、信者や子ども達の憩いの場にもなっていました。とりわけ、重要なことは、当該神社が天理教とは切っても切れない縁で結ばれているということです。今更、詳細は述べませんが、この掲示板の読者の方々は天理教と三島神社の関係はよくご存知のことと思います。
三島神社の移転理由を教会本部に問い合わせたことがありますが、信者数が増え境内地が狭くなってきたので境内地を拡幅するために移転したということです。しかし、今や信者数や参拝者数も激減しており、巨額の経費を投じてまで移転する必要などなかったと思います。移転に際して三島区で賛否を問う住民投票が実施されたということですが、噂によると本部勤務者等の住民票を一時的に三島区内に移転させ、本部勤務者等の票を移転賛成側に取り込み住民投票に勝利したという話です。これはあくまでも噂であり真偽のほどは分かりません。橿原神宮の宮司さんが三島神社を移転すれば信者さんが減りますよと三代さんに対面して言及されたということですが、実際、信者数は激減し、三代真柱は病気で亡くなられ、四代真柱は重篤な病を患われている事実を見るにつけ、これは三島神社の祟りではないかと考える時があります。
天理教は、「おたすけ 丹精 御守護 徳」 等と知ったような口を利く愚かな集団としか思いません笑 人助け?人として当然ですよ。それを神だ本部だ大袈裟に言ってる病的集団としか思いません笑 いつまでそのおたすけ だの丹精だの偉そうな口を聞けるか楽しみです笑
天理教は有名な論文が一つも存在しない教義?こんないい加減な教義もないです。聞いた話天理教の教義は真柱の一存で改ざんできるそうですね。中山家に都合よく合わせてるわけですよね? これじゃ万人に理解されるはずも無いことすら気が付かないのでしょうかね?理解されないと言う事は布教力の無い教義になっているということです。においがけでー? も悪臭でしかない。世間からは人も寄り付かない異常な宗教都市か見られてない。そもそも相手にされてない事に気がつきましょう
★70歳以上の本部在籍者のお与え廃止
「お尽くしが減っている」ので無くすとのこと。
詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
ひのきしん様
>詰所主任は各直轄からのお与えなので、本部としては対象外
ーーー→ 本音は、本部からお与えを無くす代わりに、諸事情のある大教会長はいつでもこの方達と変わってもらいますという脅し文句のような気がするんですが、考えすぎですかね…
曲がりなりにも信仰者ですから、いくら何でも、そこまで悪意はないと思います。
昨今懐事情の苦しい大教会も多い様ですから、詰所主任や、若い後継者夫婦で詰所台所の世話に入っている方達のお与えも減額になるのでしょうね。そうなったら、今後後継者の若夫婦も入りたがらなくなるでしょう。
いっその事、詰所利用者が激減している現在、若い後継者夫婦を詰所主任にを充てて彼らだけで詰所のやり繰りするのも方法かと思う。
弱小大教会はお供え減で会計は苦しく、はるえさんご臨席の時など、札束も包まねばならず、その他詰所修理も頭の痛い問題で、大教会一家も貧乏する悲哀をじわじわと感じている事でしょう。最近の大教会長の声が元気が無いのも気のせいか、、。
ご臨席ははるえさんにとっては金儲けに他ならず、信者、大教会が有難がっているのは表向きで、本当に迷惑千万な事。大教会長も本当の腹の内は頭の痛い悩みでしょう。真柱やはるえさん等の臨席は大教会が要請しているのでしょうか、それとも本部からの迷惑な要請なのでしょうか?
末端の我々には何の情報も入ってきません。
大教会一家には本部からお手当(毎月の給料)が入っていると聞いた事があるのですが本当ですか?
大教会一家は本部からの庇護による国民年金、厚生年金はあるのですか?
神にもたれよ、年金も生命保険も必要無し。と言われて神を信じた我々最下層教会は生活保護水準以下の生活です。本部員のボーナス事情、年金事情を聞くにつけ腹立たしく、本部や上層部に上手いこと騙されたと、今更ながら納得いきません。
三島神社移転と鏡ケ池埋め立てについて
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/iten.pdf
東京教務支庁
錦江大教会
本芝大教会
中央大教会
本理世大教会
牛込大教会
東大教会
東本大教会
日本橋大教会
本荏大教会
大森町大教会
東中央大教会
麹町大教会
都大教会
浅草大教会
深川大教会
本保大教会
はるえさん、東京都内に有る大教会でも山手線の内側に有る大教会なら売り飛ばしても高い金になりそう。
たけくまメモ さんのブログより
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_6c21.html
平田弘史先生訪問記 一部抜粋
●天理教脱会の真相!
親の代からの敬虔な天理教徒であった平田先生。しかし若い頃から、ある「違和感」を抱き続けていたと告白します。
その違和感は、教団の機関誌から『教祖・中山みき伝』の劇画連載を依頼されたところで頂点に達しました。当初は己のライフワークにしようと、それまでにもまして徹底的に史料を調べ、執筆を開始された平田先生でしたが、よくよく原史料に当たると、中山みきの教えと、教団の教えに食い違いがあることが判明。
「そもそも、中山みきさんの本当の教えは“身のうちひとりひとりに社(やしろ)あり”なんだ。要するに、自分の心の中に神さんはいるので、“教団を作れ”なんて一言も言っておらん。だから、教団があること自体間違っておるし、彼らが神を代理できると考えることも間違っている。
天理教に限ったことではない。仏教もキリスト教も、イスラムにしたところで教祖が教団を作ったわけではないよな? 必ずその弟子だの身内だのと称する、凡人どもが教団を作る。組織ができると、組織を維持する目的が必ずできてしまう。そうしたら信者を集めなければならない。人を集めるために、権威を作って、階級を作るんだよ。
中山みきその人を尊敬することと、教団に属することはまったく別の問題なのだ。他人の私利私欲の道具になってたまるかよ。この事実に気付いた俺は、そのことを劇画に描こうとしたのだ」
当然、天理教本部的には青天の霹靂と申しましょうか、パニック状態に。かくして平田先生渾身の力作『中山みき伝』は連載打ち切りと相成りました。もちろん先生は泰然と、家族を連れて教団を脱会したことは言うまでもありません。
そもそも、誰よりも物事の本質を突き詰める性質の平田先生に、教団の宣伝マンガを依頼した天理教本部の認識が間違っていたのではないでしょうか。
匿名
2019年10月2日 5:19 PM
給養関係で誤解があるみたいですが、詰所の運営管轄は大教会など非包括法人からの給与です。(土地建物は恐らく本部)だと思われます。本部からの給与は、本部在籍者以外には出ないです。これに大教会長本部員は含まれると思われます。
なぜ大亮や青年会員を各地事情教会に送って布教をさせようと思わないのでしょうか?大亮自ら布教をして大教会を2~3つ作ればいいのではないのでしょうか?この実行はおろか判断もしないで、土地の売却? は?と信者なら用木なら誰でも思います。中山家に実力はおろか魅力も感じません。
大教会や分教会の被包括法人の土地の売却は間違った判断です。買い手が付いて一時的に売却益が出たとしても、その後、。土地売却政策を取った本部に寄付をしようと思いませよねー
本部は偉そうに講釈垂れてる積りでしょうが、ただの妄言でしかない事に本当に気がつけないのでしょうね。土地なんて一般的に考えても倒産政策出しかない事が理解できないのでしょうか?本当に世間知らずは怖いです。
無知で申し訳ないのですが、本部在籍者とは、どの範囲の方を指す言葉でしょうか?
どなたかご教示頂ければ幸いです。
匿名
2019年10月3日 8:39 AM
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者、それ以外は勤務者やひのきしん者としての扱いです。在籍者も血族で選ばれます。これの頂点が、社会学で言われるでも中山家とその血族と言うことでしょう。この家柄血のピラミッドがこの教団の本当の姿です。
宗教でありながら露骨な階級差別を取り仕切ってるのが中山家とその血族と言うことです。
これをまねて 大教会などでは構内役員などの構内と部内で別れると言うことでしょう。
本部で本部員、準員、青年とその配偶者と子女だけが本部在籍者<<
*青年とは本部員と凖員の子女(女子青年)、子息(青年)の事ですか?
(とすればボーナスが出るのは一家総ぐるみで人数頭で出るって事ですね。)
*大教会構内と言う言葉は初めて聞いたのですが、大教会直轄分教会の事ですか?
(直轄?構内?の役員は末端教会から見たらお偉いさん扱いになり、だから順番に「大教会巡教」と称して、各貧乏教会にお礼を貰いに回るんですね。真柱やはるえさん、だいすけなどのたかりと同じ構図ですね。)
各段階でお偉いさんを作り、こうしてピラミッドが形作られ、最下層はいつまでも最下層で苦しむ事になる。天理教思想の悪どい全体像が見えてきました。
*上記の用語が分からないので想像に終わり、理解が進みません。教えてください。
本部青年は
・本部直属教会子弟
・本部在籍者子弟
のどちらかです。
なので、本部員でも准員でもない大教会長家の分家(次男以降)も、天理に行けば本部青年からの本部在籍者となり、その子も本部青年に…となります。
本部員でも准員でもない大教会長家の子どもも、本部勤務する場合は本部青年です。
大教会長を継ぐ長男が本部に居る場合は、本部青年(在籍者)を辞めて教会に帰り大教会長就任となる模様です。
本部員や准員と、大教会長を兼任するパターンについては、私はわかりません。
構内役員は、大教会の敷地内や隣接地に家を構える大教会役員のことではないでしょうか。
基本的に構内役員は教会を持たず、布教所や講社までで、役員に繋がる信者は大教会所属になります。
事情教会の長を受ける構内役員もいます。
教会長を兼任する構内役員の場合、教会には住まず通いになります。
部内役員は、大教会直轄分教会長が任命されるので、住居はその分教会になります。
本部在籍者は
・本部青年(女子青年含む)
・本部員
・准員
・本部員や准員の妻で役を務めている人
ですね。
一般本部勤務者とひのきしん者は入らないと思います。
天高二部生が一般本部勤務者なのか、ひのきしん者扱いかはわかりません。
本部在籍者と一般本部勤務者は本部に雇用されているので、雇用元の本部の厚生年金に入っているという事になります。
お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。
>>お役のない本部員奥様や、勤務していない本部青年には、もちろんお与えもボーナスも無いです。<<
当たり前のことだと思いますが、「お役」とは、一体どういう「労働」でしょう?
匿名 2019年10月3日 8:39 AMさま
在籍者
宗教法人天理教教会本部(御本部です)に所属しているもの。保険は天てい。本部員・准員・青年など。昔は住宅の土地建物光熱水費電話もすべて本部支弁。今はどうも、土地を借りて建物は自分で建てる。電話等自弁になった。借りている借地借家から退去を求められることはない。
勤務者
宗教法人「天理教」(包括法人)の勤務するもの。保険は天てろ。〇〇号館に借家。停年有。勤務が終了すると借家から退去を求められる。
本部が包括、被包括関係を大教会や分教会に求めたのはそもそも組織の分割化はリスク回避でしょいう。部内が何か不祥事を起こしても本部は関係ございません。と言いきる為です。なのに本部が自ら浪費して資金難になったら、その被包括法人から、「土地よこせ!多額の寄付をしろ!出来ないのならば土地よこせ!」と言うのは都合がよ過ぎますね笑 どこの寄付者も、そこで宗教をやってほしいが故に寄付したのですから、それをもう教義的問題を起こして包括関係解消条件を満たしている本部が乗っ取り売るような事をしたら大問題に成る事ぐらい分からないのでしょうか?笑 本部の弁護士も本当何を考えているのやら?この不動産詐欺に加担して弁護士資格を失ってでも得れる報酬でも有るのでしょうね笑 下衆の極みです。極潰しと中山家と、下衆の極みの弁護士がのなせる業だとしか思いません。
以前よりこちらに各種警告文が上がっていましたがその上をはるかに越える 不動産詐欺事件が起きようとしてるのですね笑
崩壊速度がドンドン加速してますね。もう中山は天理教はやる気はないでしょう。そんな如何わしいやり方で土地を始末したら必ず信者からの不信と不満そして信者離れと独立多発は必然だからです。
来月のかなめ会重大発表って、教会整理について改めて話し合うためみたいですね。
しかも、
お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。
な~んだ。。やっぱりね。
そして、
〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。
子供たちが親里で学べるようしっかりおつくしをさせていただきたい。
だそうですよ。
がんじがらめさん
2019年10月4日 1:50 PM
内部情報ありがとうございます。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロこの3つの条件を満たしている教会のみ。これに近い教会は、今後対策を考える。
と言ってますが目的は金になる土地笑 でしょうねー笑
騙されるか騙されないかは教会長次第です!
それにしても凄い内部情報が出てくるもんですね。 中山家が以下に嫌われているかが分かります。
>>お目標上級、大教会預かり、かつ教会長不在、かつ実質活動できるようぼくゼロ
この3つの条件を満たしている教会のみ。
これに近い教会は、今後対策を考える。<<
やっと、キツネがシッポをだしましたね。いつまでも騙し通せるとは思っていませんでした。不動産を売却して一時しのぎしようとする魂胆でしょうが、何をしても後の祭りです。天理教はもう終わりです。いや、もう既に終わっています。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。決して騙されてはいけません。ひどい目に遭い後悔しないうちに、早々に「カネカネ教」から去りましょう。
本部はありがたい存在どころかたすけてもくれない。たすけるどころか皆さんの財産を狙っているただの泥棒です。この宗教と偽る不動産屋には要注意です。宗教を利用した土地転がし占有屋バブルの頃の暴力団となんら代わりがない。手口が古い。ここに集う真のあらき棟梁達よ。土地の話が出てきたら反撃の合図ですよ!
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
最近の本部の崩壊具合をこの掲示板やツイッターで見ていると、僕の尊敬する天理教を離れた方の言葉を思い出します。
「現行天理教はな、坂を転がり落ちるリンゴのようだよ。転がるリンゴは外からの力でしか止めることはできないんだ。甘い蜜を求めてリンゴの中に巣くったアリたちは、そのまま転がり落ちて最後はつぶれるだけさ」
この言葉は見事に今の崩壊する本部にぴったりだと思います。金という甘い蜜に群がった本部在籍者たちにはこの崩壊は止められないんだと。今僕は天理教をぬけ出したので転がり落ちていく欲のかたまりの本部の姿を坂の上からながめているようなかんじです。
最近うわさになっているかなめ会報での『70歳以上の本部在籍者のお与えの廃止』。ってことは今まで死ぬまでお与えもらってたってこと!?!?ありえないですよね。世間では60才で定年ですよ。厚生年金とお与えのW受給。どんだけ甘い蜜吸ってんだよって感じです。
甘い蜜を吸っている本部員の西浦さんとこの子どもたちはTVのコマーシャルでよく見る保険会社のチューリッヒ社長だったり、海外のオーケストラに所属していたり、宮森さんのとこの息子さんは越の国の娘さんと駆け落ちだし・・・。伊降さんの関係者も関東に逃げ出したと、この掲示板に載っていましたよね。
本部でも逃げている人はいるんです。信者のみなさん逃げるなら今ですよ!まだ間に合います!
こんなホコリまみれの現行天理教なんかとは縁を切りましょう。
逃げることは本当に精神力のいる辛い作業ですが、今一瞬辛い時期を乗り越えて普通に生活していくか、今のままで江戸時代の封建社会のように上級に大教会に本部に土下座しながら年貢(天理教は毎月取られる)をしぼりとられる生活をしていくか決めるのはあなた次第です。
みなさんがつぶれるアリの餌食にならないことを願っています。
早く抜け出して転がり落ちる本部を坂の上からながめましょう
みなさん早く決断してください。
最後に今僕は毎日国常立さんと面足さんとおやさまをを忘れずに明るく生活しています。
頑張ってください。
「まあ本部員の人相の悪い事、真柱様の後をゾロゾロ歩く教服姿の人の、どの人もどの人も1人残らず陰気な顔してるね〜!あれは一体どう言う事なの?」
久しぶりに会った他教会の一般信者さんの驚きの発言を受けて、やっぱりそうなんだと納得。限りなく下降線を辿る教団だからこその陰気のオーラ。衰退の証明は彼らがしてます。本部の面々、みんな見てます。ご注意を。
本部の内部は足の引っ張り合いでドロドロが渦巻いてるらしいと教えたが、こんな顔を見せて陽気暮らしと言う言葉は何処から出てくるんだろう。
新しい人など本部のお勤めに呼べやしない。100万人会員だとか打ち出しても本部員が甘露台の前で悪い匂いを発しているので、どうしようもない。
10/4の大教会子弟の匿名様。
これからも天理教で苦しむ人が一人でも救われる様、こちらへのご投稿をお願いします。
本部員の顔が陰気だと、話してくれた一般信者さんの姉は、癌になった時、1000万円お供えして、今はもうお金がなくなってしまったと仰っていました。某悪名高い大教会の下、重篤な病人にとって、わらをも掴みたい心境なんです。その弱みに付け込むのが天理教。癌を告白した時所属教会長婦人は笑って聞いたと憤慨していました。この奥さんを殺して自分も死ぬ、奥さんを車に乗せてもろとも崖から飛び込もうかと思い詰める所まで憎しみを持ったと仰っていました。
妹の方も同じく酷い目に遭っていて、「姉さん私と奥さんと3人で一緒に崖から飛び込もう。奥さんを殺そう」と我が命を捨てて思いつめたそうです。
こう言う思いをする人が全国に人知れず居ると言う現実。許せない現実です。
>>〇谷 学校本部理事長は、
教校学園の閉校の要因は少子化、無償化、財政上の問題とお話しくださったが、
財政上の問題については、教会長の責任が大きい。
30年前と比べるとお供えの額が減ってきている。<<
「お供え」の額の減少を教会長の責任に丸投げし責任転嫁をする。これが天理教のやり方です。読者の皆さん、これこそ天理教の実態です。<<
教校学園をやめたあとの後継者の育成 具体的な対策あるのかしら。天理教の魅力がなくなったからじゃないの。お供えしろって、そんなん。頭下げてお金集めたら。
学校本部理事長って大学とか天理高校の理事長ってこと? こんな調子の理事長(経営者)だったら、そっちもすぐにつぶれるね。
10月6日付け天理時報を見ての感想。
長らく団体職員を勤めた経験から言いますと、大臣表彰なんて貰う人の気持ちが分からない。
関西電力に多額のわいろらしきものを送っていた人も何等かの表彰を受けておられると想像します。あくまでも想像ですが。私の職場でも毎年社員(会員のことです。職員の呼称ではありません)の中から役員(理事)に選ばれていた人が、地方局長表彰や大臣表彰、さらには叙勲の申請をしていた。
ところが、この表彰に値する人たちが、これらを受けていたのであれば納得できたのですが、実態はそうではありませんでした。
役員(理事)の中でも無理難題を吹きかける人、すなわち関電に無理難題を吹きかけたような人が重き役に付いて表彰の対象になるという現実です。
団体とは、本来法律を順守してより良き社会づくりに貢献しましょうとの趣旨で設立されるもの。ところが、現実はエゴが丸出しのところが多いのです。
年に一度は研修を受けなければならないと定められているにも関わらず、研修を受けずに受けたことにしろと強要して、挙句の果てに大臣表彰受章なんて実態を数多く見てきた者にとって、表彰なんてと思ってしまうのです。
最も、杉良太郎さんのような純粋な立場で活動して居られる方も居られますが、数少ないお一人ではないでしょうか。多くが関西電力を脅迫していたような方もおられるのが現実です。亡き森〇さんは役場の助役まで勤めておられるのですから、それ相応の表彰を受けておられると想像するのです。
その意味からも、天理時報が大臣表彰の報道をするのに違和感を感じています。もっとも、今回掲載の方々はまじめな方と思いますが、天理時報は表彰記事は掲載しない方が良いのではと常々思っているものです。その意味で私は現職時代に〇〇局長表彰をと言われたのですが、意味のない表彰に違和感を覚え辞退しています。
弱い立場の職員に無理難題を吹きかけて表彰を受けて何の意味があるのでしょうか。関西電力の問題と併せて考えさせられる表彰問題です。
学校の校長を何事も無く、無事勤めあげて定年退職した人も叙勲を受けられますが、私の経験では、校長や教頭ではないヒラの先生でも、管理職以上の立派な仕事をされている方々が大勢おられます。しかし、ヒラの先生方は叙勲の対象にはなりません。叙勲や表彰とは、社会的に一定以上の地位についた人々が受けられるケースが多いようですが、そこには、なにがしかの利害関係が働いていると思います。世の中には、人の知らない目立たないところで、コツコツと社会のために一生懸命働いたり、ボランティアをされている方々がおられますが、そういう人達こそ表彰するべきだと思います。
話は変わりますが、天理の豊田山の「お墓地」に初代真柱が叙勲を受けた功績を讃える大きな石碑があり、戦争に協力したことに対する功績であると、以前、この掲示板で読んだことがありますが、具体的にどのような功績であるのか、ご存知の方があれば再度教えていただけないでしょうか?
関電事件と教会本部の普請について。
ここ数日、関西電力の経営幹部が高浜町の元助役から多額の金品を受け取っていたとして、マスコミ等でも大きく報道されています。金品の出所は、元助役が役員を勤める地元のY開発であるらしいということです。
かつて、天理教教会本部の「おやさとふしん」が盛んな頃、教会本部の殆どのハコモノは、日本でも最大手のゼネコンのT工務店やその下請け業者が請け負っていました。つまり入札を実施しない随意契約で、請負業者の「言い値」で教会本部が工事を発注していた可能性があるということです。もし入札を実施していなければ、工事を受注した会社は暴利を得ることができます。これはあくまでも私の一個人の想像の範囲であり、確たる証拠もなく、事実ではないかもしれませんが、受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。
本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。教団幹部に流れることは竹中も問題になりますし、日本最大のゼネコンが、一宗教で問題になるようなことはしないと思うのは私だけでは無いと思います。昨今の天理教の問題は色々あるでしょうが、話しが大きくなりすぎている部分もあるので聞いた事実をお伝えしました。
西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。というのは本部からの発表です。
本部にというより、担当者のトップに相当な〇〇〇が動いているでしょう。
建築関係の友人に見積もりしてもらったら、「いくら高くても1億円ぐらいだね」と言っていました。
公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?
>>西回廊スロープ棟普請の建築費用が2億5000万円。
どう高く見積もっても1億円。
後の1億5000万円はどこへいった。
本部と竹中は、とても仲が良いのだろう。
本部も竹中も儲かるシステムが出来ているようだ。<<
早々に情報をご提供いただきありがとうございます。仮に施工費が1億円であったとしても、あまりにも高すぎますね。私は現物を見たことがありませんが、どんな立派なスロープを設置されたのでしょう? 仮に車椅子(電動を含む)の利用者が、車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用したとしても、耐荷重はそれほど必要ではないと思います。素人考えですが、1億円よりはるかに安い金額で済んだのではないでしょうか? また、神殿の靴脱ぎ場には、教会本部勤務の青年さん達がおられるので、その方達の補助で神殿に上がることも可能だと思います。スロープは本当に必要だったのでしょうか?
>>本部がお金が無い時に普請をしようとして、他の工務店は、話にならないと立ち去って行ったけど、竹中工務店だけが残って普請を請け合ったのです。その恩から天理教は竹中にお願いしてると聞いたことがあります。<<
私のあくまでの想像の範囲であり、決して断定的なことは言えませんし、何の証拠や根拠もありませんが、T工務店は過去からの天理教の恩義に報いたいという意図もあったのかもしれませんね。
誤字がありましたので訂正いたします。
記
車椅子のアシスタント(介添人)と共にスローぴを利用(誤) → 車椅子のアシスタント(介添人)と共にスロープを利用(正)
>>公共工事の見返りは 税金が使われるので 国民の問題
宗教施設の工事にはお供えという事なら お供えされた方の問題
であるとして そういう事を知れば 怒りの声を上げるという事もありますし 黙ってお供えを減らしていく 黙って立ち去る事もあります。
財政上の問題は教会長の責任が大きいのですか?<<
財政上の問題は教会長の責任ではなく、教会長に圧力をかけノルマを強いている大元の教会本部の責任だと思います。信者数の激減もまた然りだと思います。教会本部の実態に矛盾を感じて天理教から去っていかれた信者さん達は大勢おられると思います。
スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。今でも北礼拝場は瓦の吹き替えがありません。それはその時はお金の掛かった普請であったかもしれないけれど、時が経てば十分元の取れる普請だと思います。安普請で何回も修繕をするよりは少々お金がかかっても良いものを、特に信者さんからの御供えだからこそ無駄にしないように建てたものと私は思いますね。
100年後…
>>スロープ棟は2億5000万ぐらいかかると思いますよ。檜ですし、おぢばの普請はお金がかかります。それは安普請ではないからです。お金はかかりますが、十分100年以上はもつ建物です。<<
天理教の現状を鑑みれば、100年後まで見据えて檜等の高価な部材を使い巨大な建造物を建てる必要があるのでしょうか??? スロープは靴脱ぎ場におられる教会本部勤務の青年さん達が、身障者の方を介助すれば、用が足りると思います。
なんでも先を見据えることは大事ですね。
青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。
だめの教えのお道でも例外ではありません。あまり本部を責めるのは良くないとおもいますよ。
私は中山家が贅沢しているとは思いませんね。
中山家は贅沢してません。しっかり溜め込んでいるだけです。。表向きを質素を装っているだけなのです。
あちこち出向いて、札束を持って帰っている事は周知の事実です。みんな知っています。そう言う現実を知ってあちこちから不満が噴出しているわけです。
表と裏の使い分けを知らずに騙されているのは、単純な見方であり、そう言う人間を育てるのが彼らの本心です。違うと言うなら邸宅から出て、自ら布教に出るでしょう。模範を示すべき人が模範を示せない、つまり今の本部の姿は嘘であり、虚構です。ついていくのは個人の自由。騙されるのも個人の自由です。
>受注業者の得た利益の一部が天理教幹部に流れていたのではないかとの疑念を抱かれても不思議ではないと思いますが、私の思い過ごしでしょうか?読者の皆さんはどのように思われますか?
今では余り聞かなくなった【談合】と言う言葉が有ります。但し天理教の場合は竹中の一社受注(専任受注)なので、この言葉は適用外です。
ただ竹中側での協力会社と対竹中側ではあったと思います。いわゆるキックバックです。協力会社も大教会関係の配下の会社だったり。
教団側幹部及び担当者についてもこれはあったはずです。仕事を紹介したいわゆるマージン(紹介料)と言うやつです。請求書の水増し、裏書き等がこれです。
そんなでも社会は廻って致し儲かってもいたし、誰も困っていなかったです。困っていたのは末端教会と騙された信者達です。普請ごとに金を集められ、何十億何百億もの受発注の為に、銀行から借金迄強いられた。
鬱病にもなるし自殺者も出るはずです。
世間はバブル景気に沸いていたし、それで社会も潤っていました。誰もおかしい?とも思わなかったです。
竹中は元々は神社や寺を建築する大工棟梁が始まりです。天理教とどこで出会ったのかは匿名さんが記載されてる話しの道りだと思います。
本題に戻ります。利益の一部は間違いなく幹部担当者に流れてたと思います。
竹中は非上場です。これが全てを物語っていませんか?
そもそもあんな大きな箱物がいくつも必要だったのでしょうか?参拝する神殿ひとつが有れば充分だったのでは?
今となっては権力を誇示する箱物以外の何者でも無いでしょうから。いつもガラガラ。
いい思いをしたのは天理教貴族とその貴族にご機嫌をとる為に金集めした人達とGCだけです。
今では建物の補修費も事欠くのか、ある建物のトイレは長い間【故障中】といつ行っても貼紙がしてありました。
竹中側は何も天理教だけが顧客では無いだろうが、この先も非上場なら天理教とは運命共同体だろうし(この会社も役員が半端無く多いが、人はそれを竹中貴族と呼ぶ)(下級社員は現場で突貫工事で馬車馬の様に働かされる)
天理大学ご出身の社長の居る吉本だって同じもんだろう。聞けば聞くほど教団システムとソックリだ。
そもそもオウム真理教が天理教のシステムを習って教団を立ち上げたのをご存知無いのだろうか?
両社共に大きなツケを払わなくてはならないだろう。
書けば書くほど罪作りな宗教団体だ。
匿名
2019年10月5日 10:38 PM
信者の金ではじめた不動産業はどう説明を付けるのでしょうか?ちゃんと営業利益を信者に配当したのでしょうか? オウム真理教も活動資金を捻出するために、弁当屋とパソコンショップを運営していたのは有名な話です。信者の金は活動資金を作るために作られたのか?純粋にはそうは思えない状態です。
(法)本部所有の土地建物はそもそも信者の寄付により取得しているものです。資金ならそこから売却するのが常識なのに、(法)〇〇大教会や(法)〇〇分教会 を吸収合併して売却しようと言うのは常識外もはなはだしい。
天理不動産で無く、宗教ですからね。そこを間違えると中山家も終わります。三島神社より多大なるダメージがあるのは当然でしょう。
中山家は代々世間知らずの馬鹿なのでしょうね(笑)
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
今回の関西電力の事案は、国税局が税務調査に入って発覚しました。つまり、税務調査が無ければバレなかったということになります。私は天理教に限らず全ての宗教法人を課税対象にして税金を徴収するべきだとかねがね考えています。そうすれば、宗教団体の透明性もある程度確保され、また、納税することは、天理教も含め、「人たすけ」を教理とする宗教全体にとって、教理に添ったことであると思います。
今、日本の国では、少子高齢化が深刻な問題となっています。「団塊の世代」の人々が高齢化していくにつれ、少子高齢化は益々加速し、日本の社会保障制度は破綻すると言われています(現に破綻しているのかもしれません)。10月1日から消費税も増税されましたが、経済活動に混乱を来しただけで、焼け石に水だと思います。定年制を70歳に延長するという案もでていますが、あまり効果は無いでしょう。国内に18万以上ある宗教団体に課税することにより、社会保障費に充てるかなりの財源が確保できるのではないかと考えています。
天誅さんへ
般若心経を2回投稿されていますが意図不明です。できれば投稿された意図も教えてください。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思いますが、それは参拝者の少ない時です。大祭などでは、まかなうのは難しいと思いませんか?これからの高齢化社会に向けて建てた建造物だと理解してます。けだし、叩けば埃は出るものです。<<
大祭時に、どれ程多くの参拝者が来られるのか、長らく参拝していませんので不明ですが、昔は神殿の前庭や中庭に多数の長パイプ椅子が多数設置され、神殿に上がることができなかった健常者も、そのパイプ椅子に座って参拝しておられました。これから、高齢者の参拝者も増えていくのかもしれませんが、前庭や中庭に風雨を凌げるようなテントを張り、参拝できるような体勢をとる方法もあったはずです。金をかけずに安くすませる方法は、智惠を働かせればでてくるものです。また、仮に神殿に上がれたとしても、身障者や高齢者は正座するのが困難です。身障者や高齢者が利用しやすい椅子を神殿内にも準備する必要があると思います。一般の分教会でも高齢者は正座ができないので、神殿の後ろにパイプ椅子を並べておられます。
>>青年さんたちが頑張れば用は足りると思います。
貧乏は羨望や憎しみしか生まない事を知らないんでしょうか?
この宗教本部が身障者や高齢者に金かけると思いますか?
あれだけ沢山の金を集めて建てた箱物達。
竹中のHPでは紹介すらされてませんよ。
かろうじて紹介は、第162母屋 天理教河原町大教会信者詰所➡︎竹中工務店 作品紹介群
2億5千万円のスロープ棟は何処に行ったんでしょう?
100年建築なら写真の一枚位掲載され、100年建築と堂々と紹介されててもいいのに。
そりゃ今更【故障中】と書かれた貼紙のある建物の掲載なんか出来ないでしょうし。
全ては絵空事、虚構の世界の出来事でした。
まっ、でも建物は100年くは持つんだろうな。
そして残ったのは多額の金を集め、莫大な箱物を作っただけの事実。
➡︎今日の天理教のライブカメラ
東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。
吉本はお笑いを業としている。
即ち人を笑わせてナンボの商売だけど、竹中は箱物作ってナンボの商売だ。
天理教式に言ったらそう言う意味では未だ吉本の方が人を笑わせて来ただけお徳は有るが、
竹中は箱物作る為に、多くの人を泣かせ、金を集めそして人生を狂わせ、自殺に追い込み、あれだけの箱物を作っただけの業は深いのでは?
真っ黒の闇に包まれたあの巨大な箱物群を見てると、将来幽霊宗教都市になるのもそれ程遠い話しでは無いと思う。
天理教と運命共同体と言っても過言ではないでしょう。大きなツケは恐らく竹中の方が払うのでは?
>>東礼拝場の東の広場に水飲み場が設置されていますが、あの普請も〇憶だったと聞いています。
本部関係者の方が、あきれていました。
私もあきれました。
具体的な費用を聞いていましたが、忘れました。
ご存じの方がありましたら、お知らせ下さい。<<
億以上の金がかかるはずがないということは、素人でも常識で分かりますね。消火栓のように高圧の水圧を必要としない「水飲み場」の配管であれば、地中を浅く掘削し、口径の細い塩ビパイプを本管から枝分かれさせて、「水飲み場」まで引き込むだけの工事で済むはずです。一般家庭に引き込む家庭用水道の工事と同額程度だと思います。一体、差額のお金はどこへ消えているのでしょう???
とある分教会長さんから教会を次ぐつもりのない息子さんの愚痴を聞かされた。
息子が孫が学校に遅れそうになって学校まで車で送った時、孫から送迎代をとったと聞いてあきれたと、
『親が子からそんな形でお金をとるなんて聞いた事がない』
それを聞いた時に思わず、その会長さんに言ってしまった。『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』
それを聞いてその会長さんは空いた口が塞がらない顔をされていました。
天理教と世間の常識の違いが顕著な一例です。
>>『息子さんは、教会を次ぐつもりはなくても立派な天理教の人ですね。だって、天理教の場合、上級(親)に世話になったら、部内(子)はしっかりお礼をしないといけないじゃないですか、いい仕込み方されてますね。』<<
天理教の場合、上級(親)に世話にならなくても、部内(子)は自動的あるいは半強制的にお礼(何のお礼か知りませんが・・・)をしなければならないのではないでしょうか???
上記の「ひのきしん」さんの紹介エピソード、笑いたいけれど笑えない・・・。
そもそも論を言ったところで何もならないのが現代で、半ばあきらめていますが、
学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。
まぁ、もう、どうでもいいかな、って、天理教の現状を見ていると思ってしまいますが。
かなめ会の例の「おたっし」ですが、ふと、疑問が湧きました。
この情報はTwitterのむつきさんから寄せられたものでしたので、Twitter本文も確認しましたが、この限られた同じ情報のみでした。
情報が寄せられてからだいぶ時間が経過しましたが、それ以上の内容は出てこないようなので改めてここに情報提供をお願いするものです。
かなめ会席上で発表された際には、当然、背景説明やら、質疑応答が有ったのではないでしょうか。
具体的には、どのようなスケジュールで実施するとか、或いは実態調査を各教会で行った後、調査報告をいついつまでに提出して下さいとか、関連情報が伝達されているはずです。
(まさか、告知方式で、問答無用?)
古い元教会長様、もしもお手元に何か情報が集まりましたら公表願えませんでしょうか。
むつきさん情報だけで我々がここで盛り上がっていても、何か、本部のこの板を監視している連中にあざ笑われているような感じがするのは私だけでしょうか。
情報番長の皆さま、よろしくお願い申し上げます。
キリンビールが早期退職を実施!
キリンホールディングスは(含むキリンビール)45歳以上の社員を対象に早期退職の募集を行っています。
10月1日から受け付け開始だそうです。・・・実は10月2日に「匿名」で投稿した匿名です。
冒頭のみコピペさせて頂くと、(時間の有る方は元記事もお読み頂ければ嬉しいです。)
☆Twitter☆で見つけました。
>「陽気ぐらしの天理教」武●喜● 9月30日
>私の所属教会がもし雨漏りしていれば、私はすぐに修繕費用を出します。
>そういう信者がいないというのは、おたすけ・丹精が足りていないだけのことでしょう。
この武●喜●さんという方、Twitterは実名でされています。
武●喜●さんは現役の若い勤労者です。収入が有るからこその発言だと自覚されているのでしょうか。
この投稿では触れませんでしたが、実はこの方のTwitter画面では個人情報が晒されていました。
勤務先がキリンビール、たしか数名の方との飲み会の様子の画像も貼られていました。
ずいぶんと無防備な方だと思ったものでした。(その後、Twitterは当然ながら削除されています。)
投稿時点では私にキリンの社内事情など知る由もなく、幸せな人にも優しさをもって他の人を見てほしいとの思いで苦言を呈した次第でした。
一言、今、感想を言えば、「厳しい」社会状況だと、今更ですが感じます。
いくら首相が張り子の日本経済を自慢したところで、現実には非正規社員が就活しても雇用されないどころか、若手の正規社員をも切り捨ててでも、企業を守ろうという日本社会の風土には、暗い明日の姿しか見えません。
おりしも東京新聞によると、あの百田氏!を「いい気持ちにさせる」公告文案を、あの新潮社が募集したところ、ネットで顰蹙をかい、撤回したとか。
小さな声でも「まともな(誠の)」言葉を発信する努力が報われたのでしょう。
ふりかえると、ここ社会学も貴重な場となっていますね。
立場の違いを超えた、真摯な皆様のご指摘、ご意見を拝読させて頂いております。
維持管理してくださるカイン様には心から御礼申し上げます。
>>学校に遅れるから車で送ってくれとは・・・。
そこを指摘しないで金銭に焦点をあてて嘆く会長の見識を、まず、疑いたくなります。
「遅刻するならもっと早く起きろ」と言いなさいと。
だって朝勤め、どうなっているのでしょうかね。<<
学校に遅れるから車で送るように親にせがむ子も子ですが、子どもからせがまれて学校まで送る親も親ですね。徒歩で登校して、もし学校に遅刻したとしても、子は学校の先生にこっぴどく叱られたらよいのです。学校の始業時間に間に合わなかったのは子どもの落ち度ですから、親は学校に子どもが遅刻する理由を電話で連絡し、教師に謝り、子どもは学校に到着してから、遅刻した理由を教師に告げ、教師とクラス全員の生徒に謝るように指導するのが躾だと思います。学校は学業だけを習得する場所ではありません。団体生活も学ぶ場所です。その子どもが成長し、社会に出たとき、基本的な社会のルールや礼儀を知らないで一番困るのは、その子ども自身です。
信頼のおける、某大教会の身内の方からの情報です。
________________________
昨晩(26日)の内統領からの発表です。
もうじきかなめ会で発表なので公表OKです。
あと、公式発表と違う箇所があればすみません。
・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在
以上の要件を満たした教会を引き上げとのこと。
無担任は千ほど?
うち上の3条件を満たすのは500ほどの予想。
お供えが減っているので、70歳以上の本部在籍者のお与えを廃止とのこと。
今更感がありますが、いい報告です。
それでも厚生年金ありますし、立派なお庭のついた本部住宅も支給されてます。
内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
>>・活動よふぼくがいない
・おめどうがお許しいただいた所在地にない
・会長不在 <<
上記のような状態になった根本的な原因を「かなめ会」は認識しているのでしょうか? 認識していても「知らないふり」をしているのでしょうか?
いよいよ、不動産売却が始まるかもしれませんが、大きな社会問題となることでしょう。
スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。
これからは私個人の考えですが、メンテナンスのいらないものにしたかったのかなと思います。
車椅子の方に優しい設備では全くありません。設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
>>スロープ棟に関して。
何回も利用しています。50代の私でもあのスロープは押すのはしんどいです。又帰る時のスピードダウンブレーキがあっても大変です。どのような設計で角度を決めたのかわかりません。
何が言いたいかと申しますと、あのような人が押すのではなくエレベーター棟にしていただきたかったです。<<
私は現物を見たこともないし利用したこともないのですが、結局、利用者側の視点に立たず、また希望や意見を聞くことも無く、教会本部の勝手な判断で設計し巨額の資金を投じて作ったということですね。教会本部の他者の意見を聞かず何事も独断で行う姿勢は、建築物に限ったことではないということです。
エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。
>>エレベーターありますよ。
お使いの方もおられますよ。<<
仮にあるにしろ、車椅子を押している会長さんのように、その存在をご存知でない方がおられるということは、教会本部側の周知方法に不備があるのではないでしょうか? また、そうした高額で大がかりな装置を設置しなくても、私が先の投稿で述べたように、本殿の東側、南側、中庭等に雨風等を凌げる車椅子専用のテントを設置するなど、コストのあまりかからない方法もあったと思います。
>設計建築した方の責任ある話を聞いてみたいと思います。
本部の建物は竹中の一社発注つまり専任受注なので、設計も竹中が請け負っているはずです。
ただ竹中は他にも病院やホテル等も建築してるので、そんな凡ミスは間違ってもしないはずです。
大方本部関係の何処かの三流大学の建築学科を出た三流設計士が担当したんじゃ無いですか?
そして設計費を稼いだ(浮かせた)と言う事なら、話しの辻褄も合います。
さりとて竹中は一流の会社で、中に居る人間も仕事に関しては一流です。間違ってもそんな誰が設計やったか?なんて言われる様な仕事はしません。
間違いなく本部の三流設計士の人間が関わったのでしょう。
✳︎専任受注 一社で設計から施工迄を請け負う。
✳︎専任受注だけど、設計でパートナー、施工でパートナーとそれぞれ他社と組む。JV工事と言う(表JV)
✳︎専任受注だけど、表向き竹中、裏で実はパートナーと組んで内緒で工事する。でもパートナーと組んでる事は言わない内緒(裏JV)
✳︎専任受注だけど実は下請協力会社に丸投げ。
等々設計施工には色んな形態が有ります。
もし竹中がやっていたら何処か丸投げしたか手抜きかでしょう。どちらにしろこんな文句が出る馬鹿げた事に大金を払ったものです。全て人様のお金。お供えです。
お供えはもう辞めましょう。
GCはしょせんブラック。
最初からブラック。
どう頑張ったところでブラックですから。
雨風しのげる車椅子用の建物あります。そこからエレベーターで上がれます。
古い元教会長
2019年10月6日 4:49 PM
>>内統領が話し始めに「お尽くしが減っている」と言ったことは、
完全に「お尽くし=生活費」と考えてますね。
本部からしたら、他の法人である大教会、分教会は他人の土地です。それを目当てにしてる時点で意味不明です。名称の理 までは許しましょう。しかし土地建物財産は決して本部のものではございません。寄付してくださった方々の思いがその土地場所ところどころに困っている現実を知らないから、この様な心無い考え方をでき結果違法行為をしているのでしょう。
「お尽くしが減っている」金の繋ぎは命の繋ぎなどと教義を歪曲し改ざんした奴にだれが寄付するんですか?中山家はいい加減責任とって教団を後にした方が良いです。必ずとんでもない事態になります。信者だと思っていた多くの人々が全員的になった時中山家に何が起こるのやら想像するだけで怖いです。
そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。
>>そもそも神殿は要らないんですよ。勤め場所があればいいだけなんです。
風速50メートル級の台風が来れば、障子のみの神殿でお勤めが出来るわけがないでしょう。これからの異常気象時代、いつ何時に何が起きるか分からない。
最も、おぢばには自然災害等は絶対に起らないというのであれば話は別ですが。<<
おっしゃる通りです。そもそも巨大な構造物など不要なんです。あと、100年後には誰も来ないガランガランのガラン堂と化していることでしょう。松尾芭蕉の有名な俳句に「夏草や つわものどもが 夢のあと」という句がありますが、あと100年も絶てば、「天理教 馬鹿者どもの 夢のあと」と揶揄される時代がくることでしょう。
以下の教会長さんのツイート、意味がわかる方解説よろしくお願いいたします。
酒井耕平 @chansankohei
>世の中物事の価値を測るのがお金である。
物だけでなく働いた価値は給料、プロ野球選手の価値は年俸によって表される。
人の恩であっても、お礼としてお金を渡す。
神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
西成大教会直轄成國分教会長 酒井耕平<
>>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。<<
そもそも神様はお金を必要とされません。意味不明ですね。
この文章からは意味が理解出来ません。読解力が無いせいで、、。
ただ、人間世界の恩の返し合いはお金でします。盆暮れ、事ある毎に物やお金で御礼をし合います。
しかし人間と神との兼ね合いに於けるご恩返しに、お金を介在させるのは神の冒涜です。親神にお金を見せてご守護の取引をしようとする傲慢な人類。親神は「絶対神が金など見せられて動じると思うのか!見くびるな!」と言う宇宙を創り給うた絶対的存在です。神は人間からお礼してもらおうなどの意識は皆無の存在です。金があろうが無かろうが無条件に人種を超えて世界中守護し続けて下さる。神は「お金」と言う人間社会の価値感など毛頭眼中にあるはずが無く、ご恩ほうじは人間同士の助け合う姿を見ていただく事だけです。つまりご恩奉じは人間をこしらえた時の親神の思い、その動機に報いるのがご恩奉じです。助け合う事です。
親神様はそれ以外の物を欲しがりません。
神を語る本部がお金を欲しがっている。
いかに本部が神との対極に居るかわかると言うものです。
絶対神を人間社会に引きずり下ろし、人間社会のお付き合いと同列に語る天理教本部の浅はかな欲心と神の冒涜を思わずにはいられません。
匿名
2019年10月7日 3:03 PM
酒井耕平 @chansankohei
>神様のご守護へのお礼をお供えという。一万円なら一万円、それ以下でもそれ以上でもない。
あなたが思うご守護の価値である。
神の守護を値踏みした時点で不敬で天罰が下る事を宗教法人天理教と名乗るカルトは理解できてないんでしょう。
神を値踏みした時点で悪魔と同じです
すみません発言の引用の仕方がわかりませんので、そのまま記入します。
エレベーターも知っています。雨露しのげる建物も知っています。
私が言いたいのは、新築するのならば、なぜそこにエレベーターをつけないのかなと言うことです。立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。
26日車椅子押しておられ方はご高齢です。スロープの途中で困っておられる方もいます。玄関の担当者の方からは見えない場所です。声をかければ直ぐに助けていただけますが中々声も出せず困っておられます。そのような方を何回も手伝いました。
車椅子を押すのがご高齢の場合は、あの場所から回廊に上がるのは避けた方が良いと思います。
建築の費用の話がありましたので、本当にそのような金額であれば、何を作っているんだと本部に言いたいです。
>>立派な建物で人力より簡素な建物でエレベーターが沢山ある建物の方が使用する方にとってはとてもありがたいです。<<
如何に独善的で、使用する信者の身になって考えていないのかと言う事ですね。
意見集約したのでしょうか。エレベーター付ければ金が要るから見栄え重視で作ったんでしょう。2億円以上かけた不便で有り難がたがられない100年以上持つ建築物。人の心に寄り添えない体裁重視の本部のやりそうな事です。
補足です。
間違えていたらすみません。車椅子用の駐車場、又北側の駐車場から来ても一番近いのがスロープ棟だと思います。
匿名の方が言われていました場所より近くにあると思います。車椅子の場合は出来るだけ移動距離を短くしたいです。
車椅子の方に優しい事をアピールするために作ったのであればなぜと思います。
檜をふんだんに使ったあの建物見た事ない方は一度ご覧ください。
高い金払って竹中のHPに写真一枚掲載もして貰えないスロープ棟。
天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。
本部は綺麗事を言うが、最後はお金に行き着く。新規婦人会員を、と思っても、お金と縁の切れない本教団信仰には、誘うに誘われない。わずかにでも良心が残っているから騙しに加担する行為に等しく、とても誘えない。
そうして集めたお金は人の金だから、湯水の様に無駄金を使う。誰も喜ばない巨大建築物。私腹を肥やす貸しビル数々。最近ではだいすけ結婚の打ち上げ花火。海外巡教はファーストクラス。目先のお供え減と赤字に驚いて信者、教会子弟の拠り所であった教育機関の閉鎖。人助けは掛け声だけで、頭の中は弱きをくじいて自分ら最優先。
そんな本部の私腹と無駄金の為に我々末端は人生を棒に振り、いずれ土地建物は売り払われて、ボロ雑巾は捨てられる。
先祖が汗水流して購入したであろう教会土地建物は今後本部に奪われるのである。
西側の駐車場から一番近いのはエレベーターの方ではないでしょうか?
西岡寛麿 @hiromaro0422 大先生のツイートより
>執着を捨てる。
これができるだけで、むちゃくちゃ生きるのが楽になります。
こだわり、プライド、経験、立場。
しがみつくのをやめてみませんか?
楽しいですよー < 引用ここまで
いやいやいや、こだわり、プライド、経験、立場に執着することを
末端や信者にやめられたら困るのは天理教団自身だし.。
理の親絶対服従、お供え、教会名称…….。
そんな脅迫的固定観念にしがみつくように洗脳してきたのは天理教団じゃないのかよ。
バリバリ教団内部の人間がこんな発言とは矛盾もいいとこ。笑
ぜひ神殿講話で発言していただきたいもんだ。
みなさん、
理の親の言うことに従うことに執着するのはやめましょう。
お供えすることに執着するのはやめましょう。
教会名称の理は末代という偽教理に執着するのはやめましょう。
貧乏末端教会長という立場もプライドも捨てましょう。
現教団の被差別的立場を捨てて、被包括法人を解消しましょう。
西岡大先生のお墨付きです。笑
楽しいですよー 笑 笑 笑
そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
天理教に携わる方々は、『立場』と『血縁』が最重要ですよね。
能力や実績が無くても周りに立ててもらえて、気配りと心配り(忖度?)で落ち度があっても責任を取らなくても生きていけます。
下々の方々に支えられて生きている、そして神様に生かされている自覚が必要。
末端 様
2019年10月7日 10:22 PM
>>天理教はいつから全ての価値観が最終的に「お金」に行き着くようになったのでしょう。天理教信仰はお金が切っても切れない関係性を持っています。<<
「屋敷をはろうて 田売りたまへ てんてこまいのみこと」という天理教を揶揄する有名な替え歌がありますが、昔、明治生まれのお年寄りに、替え歌はいつごろからあるのか聞いたことがあります。そのお年寄りが子どもの頃、天理教信者の子どもに対して、その替え歌を歌ってからかって遊んだことがあるので、遅くとも大正時代には、替え歌があったのではないかということです。天理教の拝金主義は古くからの伝統があるようです。
匿名 様
>そもそも西スロープ棟って竹中なん?ちゃうやろ。奥村と営繕部ちゃうの?
そうかも知れないですね。本部の普請は竹中と思い込んでいました。
でも、どこかで竹中がかかわっていると思いますよ。
奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。
確か、どこかの業者が入っていたと思います。
2億5000万円も、その業者に支払ったのでしょうか。
>>奥村さんて本部の人でしょう。営繕部も本部ですよね。本部からお与えを貰って普請をしたなら、材料費だけでいい筈ですよね。<<
奥村さんは奈良県出身ですが本部とは関係ないはずです。
そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
そこがそもそも違うのではないでしょうか?仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
>そもそも西スロープ棟が2億5千万円という情報もだれ情報ですか?笑
130年祭のお供えを集める時に、本部から発表されました。
ウィキペディアより。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E6%AD%A3%E5%96%84
二代真柱は教会本部の整備に努め、昭和普請として知られる神殿の新設や同輩の内田祥三と奥村音造とともに考案した「おやさとやかた構想」は現在も続いており、その影響は大きい。
その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?
こんな記事がありました。
第3回 瓦屋根設計コンクール(1984年)
http://www.yane.or.jp/iraka/iraka.cgi?vkai=s03
天理教教会本部神殿東西礼拝場
受賞者 天理教営繕部/(株)竹中工務店/奥村音造・高山廣二
所在地 奈良県天理市
施工会社名 天理教営繕部/(株)竹中工務店
匿名
2019年10月8日 11:35 AM
>>仮に本部関係の人から聞いたとしても、ちゃんと詳細もわかるはずですから、ピンハネはあり得ませんね。
競売入札をかけて安値を目指している背景があればまだしも、竹中工務店一社との癒着なので、ピンはねは無いどころかありえると言う見方の方が妥当です。関西電力と高浜原発の件も癒着からですしね。そもそも、資材の原価、人件費等々の原価は当の竹中工務店しか分かりません。竹中工務店の提示した金額に対して還流金(バックマージン)が含まれていればそこから発生するのが仕組みです。
竹中工務店側で調整はいくらでも可能です。今日内では疑わしい話は多々有ります。膨大教会は毎度普請で膨大な借金をしているが、一向に大教会長が首を切られない。それは本部との還流金の癒着が疑われてます。
本部が70代以降のおあたえ(給料の給付)を廃止すると言っていますが、退職制度の視点から見れば、当然の様に見えますが、現在働き盛りの者からすると「安月給だし70でなくなるし、今後それが60になるかも知れないしな~」と思わせるとモチベーションも下がり教団中枢部からの教団離れも益々加速します。現在の中枢部は自分達だけの事しか考えてないので他人にしか痛みを与えてない政策で誰が納得いくのでしょうかね?笑 何も見れてない愚かな政策です。
スロープ棟など普請の話が出ているので話しますが、そもそも親神や教祖の普請とは、建築物ではなく、心の普請と言ってるのです。しかし二台真柱からやかた構想が始まり馬鹿みたいに建築物を立て、信者たちの心は教団から離れたのではないでしょうか?それすら気が付かないのがもう致命的です。
ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。
まずは、もう普請をしないと打ち出した方がいいと思いますね。詰所も建てるところがありますが、既存の建物を利用するとか、本部施設を利用するとかそういう改革は必要ですね。あと、炊事本部もそれぞれの詰所に任せて、縮小して、勤務者や学生の配食だけにするとか?
あと、いい案ありますか?
匿名
2019年10月8日 1:56 PM
最終的には中山血族の排除も必須ですね。
現在の教団の目的が「教団の維持」なら良いのですが、どう考えても「中山家の維持」に成っています。「金のつなぎは命のつなぎ」発言が有名ですが、中山家は代々天理教を理解できてません。神さま立てないから寄付が減る。無駄な建物建てたから金が無くなる。こんなの十全の守護を理解できてれば当たり前の事では?
こんな簡単な事も理解できてないから教団はおかしくなったのだと思います。神様の言うとおりです。中山家は生きながらにして衰退地獄を味わえばいいと思います。
>>その奥村さんと、奥村音造さんは関係があるのですか?<<
全く関係ありません。氏がたまたま同じだったのでしょう。
>>ドイツ第三帝国でもベルリンの都市開発に尽力を尽くしていました、権威と権力の威光を保つためです。しかし滅びました。分かりやすく言うとそれに類似した政策を行っているのが北朝鮮です。天理教が北朝鮮化していると言われても決して過言ではないでしょう。<<
その通りです。ナチスドイツが造った有名なアウトバーンは、今でこそドイツの高速道路として有名ですが、当初の目的は、高速道路兼戦闘機の滑走路という目的で造られました。滑走路として使用する為に、できるだけ直線部分が長くなるように設計されています。北朝鮮の軍事パレードや中国の建国70周年のパレードを見ても明らかなように、おびただしい数の戦闘車両や兵士、ICBM(大陸間弾道ミサイル)等をパレードに参加させて、自国の軍事力を誇示しています。かつてのソ連もご多分にもれず同様のイベントをしていましたが、今の時代、そうした軍事力の誇示は、世界的な緊張感や警戒感を生み、実施している国家に対しての反感を生んでいます。
政治と宗教は別者であるという考え方や意見もありますが、所詮、人間の考えることですから同じです。「おやさとふしん」という錦旗の下、天理教も巨大な建造物を次々と建ててきましたが、その究極の目的は、天理教という宗教の威厳や威容を誇示したかっただけにすぎません。天理市に存在するそうした天理教関係の建造物や施設を初めて見た人達は、最初にその立派さに驚くことでしょう。しかし、その次に思うことは、一体、こうした建造物群をつくるための資金をどのようにして調達したのだろうという疑念です。
建造物群を造るための原資は、いわずもがな、信者さん達の「お供え」です。さすれば、何も知らずに天理教のご立派な建造物群を初めて目にした人々は、天理教に入信すれば、さぞかし多額の「お供え」を「ボッタくられる」のであろうという警戒心をいだき、天理教に近づこうとしないでしょう。「おやさとふしん」は、その意味でも天理教にとって大失敗のプロジェクトであったと言えます。つまり、ハード的にもソフト的にも
愚かなことをやってしまったということですが、今となっては、「覆水盆に返らず」です。
本部の被包括法人(大教会や分教会)の土地の乗取り、そして在籍者70歳以上の給与打ち切り
こんなに削減政策したら来年度の寄付は激減します。大馬鹿政策極まりない笑 こんな馬鹿げた非人道的な政策は金の勘定と法律だけ見てやってるのでしょう。毎年10億減ですが、来年から15億から20億減ります。そう考えると中山家は天理教を健全に運営しようと思えないと思われても仕方ないです。やはり不動産業天理教館に転売する積りなのか?逃げる準備をしているのでしょうか?
一般的には自分の法人の土地から売りますよね? 奈良市内の土地を売却してはどうですか?笑 もしかして中山家の血縁でも住まわせてますか? 闇が深いなー笑 中山家のやり口は苦しいし見苦しい笑
馬鹿げたことをするのは、天理教の伝統的お家芸です。これから先、どんな馬鹿げたことをするのかしれませんが、大きな社会問題となるのは必至です。
とら@備忘録さん、
こちらのコメント欄の方々は、
Twitterをやっておられない方もいるかと思いますので
ツイートを紹介させていただきました。勝手に申し訳ありません。
とら@備忘録 @kamekichi0402 さんのツイートより
今まで持ち合わせて無かった感情の芽生えに自分自身驚いている。
恨みとか憎しみとかいう感情。
歳経て突然教会の後継者と言われ葛藤を乗り越え我が事として
教会の現状を憂い改善しようと試行錯誤してきた。
そんな行為に対し身勝手な行いと一蹴したり無視されたり無関心を装い裏で批判されたり
内容を把握もせずにパワハラ紛いの批判で押さえつける。
伏せ込む私らの如何なる保証もしないくせに教会への過度な従属を要求してくる。
想いがあってがんばる人ほど叩かれ潰されるのがこの世界なのか。。
私は平和で仲良しのペンギン(天理)村でずっと生きてた。
大人になりこの天理村の本質が排他的で無関心で己さえ良くばが蔓延している事実を目の当たりにし、
悲しみと失望に苛まれている。
それが高じて言い様の無い恨みへ変貌しているのが自分でも怖いしとても辛い。。
金に困って人の財産目当てにする天理教中山教団(笑)
万が一エレベーターが止まる自体になった時、どうなるのかということも必要かなと思います。
自体→事態です。
とらの備忘録さんの心境に共感します。
知り合った一般信者の方に今の天理教の実態と教理が嘘である事を教えてあげると、目をむいて、それなら私ら信仰出来んわ。それ本当?本当なん?と取り乱された。
毎月、1ヶ月分の生活費に相当するお供え金を出していると言う人です。
とらの備忘録さん同様に驚愕とその後に押し寄せる恨み、取り乱す感情は私も経験して今に至ります。この衰退は神の残念じゃないのか、神が働いていたらこんな無様な事にはならない筈、と上に訴えても黙るばかりです。
彼女が洗脳から目覚めて心の呪縛から解放されて自由闊達に生きる事が出来るようにと思っています。天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。
消費税も上がり一億総下流と言われる今の日本経済。高齢信者が退場した後、毎年10億から15億、20億円のお供え金減少は当然の流れです。
我々犠牲者はこんな「守銭奴人間集合体天理教本部」の企みに乗らず、駆け引きなくどこまでも温かい御心で守護し続けてくださる天の親神様に心を委ね、絶対安心の心で日々を自分らしく豊かに、笑顔で暮らしていきたいものです。
小の流れが
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小の流れが<<
ミス入力です。
大きめの紙に実際に書いてみてほしいのだが、ちょっと自分の系図を作ってみていただきたい。
兄弟姉妹はこの場合無視して、自分の両親、そのまた両親、そのまた両親・・・というように。
すると、甲子園の高校野球のトーナメント表をひっくり返したような図ができあがるだろう。
この図を眺めていて気づいたことがある。
自分がいま存在している、それにいかに多くの先祖たちが関係しているかということだ。
六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
実際には、近親者同士が結婚した場合、先祖に重複する部分がでてくるので、そこまでの数字にはならないだろうが、それでも相当に多くの先祖が存在するだろうことは間違いない。
もし本気で先祖供養しようとすれば、一体いくつの墓参りをしなければならないのか、想像もつかない。
だが話はこれで終わりではないのである。
どこまで先祖を遡れるかということを考えてみた。
仮に、どこかで系図が止まったとする。
ところがその人物にも両親が存在することは確実であり、無からいきなり現れたということはありえない。
そのように考えてゆくと、驚くことに、系図が止まることはないのだ。
どこまでも遡れてしまうのである。
人類がどのように誕生したのか想像もできないが、もしも最初の人間がいたとするなら、そこまでさかのぼる事が出来る。
地球上の人類全ての一人一人について考えてみても、間違いなくさかのぼる事が出来る。
これがどういうことを意味するかというと、地球上の人類は、全て、血縁者であるということになる。
例えば文明と隔絶されたどこかのジャングルの原住民の方々も、我々の親戚なのだ、実は。
そしてまた気付くのは、「血筋が良い」だの、「生まれが卑しい」などということのバカバカしさである。
どう見ても、すべての人間は対等、等価だろう。
どこかの王様だろうが天皇だろうがなんだろうが、明らかに対等である。
つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
そうして考えてみると、国と国に分断されて、いがみ合わされていることの、なんと虚しく愚かしいことか。
政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
>>天理教の信仰は心の解放では無く、呪縛。脅し恐れをすり込み心を不自由にしておいて、その弱みに付け込んで金品土地財産を奪って来た。こんな犠牲者を救い出す方法はないのか。
方法は教団を潰すしかないのだが、金の切れ目が信者との切れ目で、昨今の本部を見ていると自主的に縮小している流れで今後も益々加速するのは必死でしょう。<<
残念ながら犠牲者を救い出す方法はないでしょう。天理教のような宗教は「合法的詐欺行為」なので、法律で取り締まることができません。しかし、天理教から去りゆく人々は激増しているので、天理教がなぜこうした状態になったのかという社会の関心や注目度は増していき、天理教は社会的大バッシングを受けると思います。ともあれ、遠からず天理教は完全崩壊するでしょう。
>政府やマスコミの尻馬に乗って、「韓国ガ―、中国ガ―、北朝鮮ガ―」などというヘイトに満ちた言動をすることの愚かさに、いい加減気付いて欲しいものである。
おふでさき
2ー31 これからハからとにほんのはなしする なにをゆうともハかりあるまい
32 とうぢんがにほんのぢいゝ入りこんで まゝにするのが神のりいふく
33 たんゝとにほんたすけるもよふだて とふじん神のまゝにするなり
34 このさきハからとにほんをハけるてな これハかりたらせかいをさまる
2-45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
46 高山のにほんのものととふぃぢんと わけるもよふもこれもはしらや
47 とふじんとにほんのものとハけるのハ 火と水とをいれてハけるで
中国・ロシア・北朝鮮の核弾頭弾道ミサイルはその照準を東京や大阪など多くの都市に合わせているのが現実の東アジア情勢です。
TBSの「ひるおび」という番組に出演していた日本の軍事専門家は、
中国共産党は、月の裏側にミサイル基地を作る計画を持っていると説明していました。
月の裏側は地球から見えないので、そこからミサイルを撃たれると迎撃できないと話していました。
これに対抗するため、トランプ大統領は、宇宙軍創設のコメントを出したと思われると説明していました。
中国共産党の習近平指導部は、10月1日の建国記念日に大規模な軍事パレードを行っています。
そこで初公開された新兵器の東風41は最大射程1万2000キロ以上と推定される。命中精度が高く、発射台は車両で移動。核を含む10の弾頭を搭載可能で、迎撃が困難と分析されている。
軍事パレードの予行演習では、極超音速兵器を搭載する中距離弾道ミサイル「東風17」とみられる兵器が目撃されている。極超音速兵器は音速の5倍以上で飛行。低空を滑空し現在のミサイル迎撃システムでは対応できないといわれている。
中国は、この極超音速中距離核弾道ミサイルの照準を何処に向けるつもりなのでしょうか。
中距離だから、アメリカには届きませんよね。
10月3日、韓国では文政権を糾弾する大規模なデモが実施されました。このデモは文政権擁護派のデモをはるかに凌駕する規模でおこなわれたと韓国内で報道されました。
金正恩にべったりの文大統領に保守派が猛反発しているのが現在の韓国です。
今の韓国国内は保守派対北朝鮮派の分断状態だそうです。
アメリカを始めとする欧米諸国は、北朝鮮寄りの韓国を切り捨てに動いているそうです。
この動きは、既に2010年頃から始まっているらしいです。
おふでさきの核心部分は、2号(明治2年3月)から3号(明治7年1月)の約5年間だと須藤花井さんが話してくれました。
この隠された部分にこれから先の地球の本当の事が書かれてと言っていました。
おふでさきを今一度じっくりと読んでみてください。
(教会で声を張り上げ唱和するような読み方ではなく本を読む様にしてください)
おふでさきには、戦争がなくなるとか平和になるとか何処にも書かれていません。
そろそろ生前整理をしようと、家財を取り出していると、中学校の卒業記念写真が出てきた。驚いたことに、男子はすべて黒詰襟の学生服を着ているが、自分は色の薄い襟付きの母が作ってくれたと思われる服を着ている。
昭和29年と言えば、まだまだ、貧しい時代だったが、それなりに経済も回復してきたことも確かだ。
教会生活の貧しさが如実に伝わってくる証拠だろう。何もかもが本部、本部へと流れていたのだろうから。
当時、他人と違った服を着ていても幸いにもいじめには合わなかったことが唯一の救いだろうか。
天高二部に入り、詰所で寝泊まりしていたが、毎食時のおみおつけの具は刻んだキャベツばかり。業を煮やした修養科生が、たまにはトーフを入れろと文句を言っていた。
そのような折にでも、中山家は贅沢三昧だったのだ。それが証拠に二代さんも、三代さんも、ぽっちゃりと太って、いかにも裕福な家庭の子女を想像できた。2年生の時に軽い肺浸潤と言われて栄養を摂るように言われたが、栄養を考えることは夢の世界の話だった。
1斤30円の食パンを買って5枚の食パンを5日にかけて布団の中で食べるのが精いっぱいだった。
人の顔色ばかりを見る精神的な弱みを背負ってしまったが、よくぞ81歳まで生きられたものと思っている。
天理教のような宗教はコリゴリだ。子供達や孫たちには絶対に継がせてはならない宗教だ。
貧しいことは、ある意味幸せだったのかもしれないと思っているが、精神的なトラウマを負わされたことは取り返しがつかない。
追伸
食パンも買ってから5日目ともなると、表面にポツポツと黒い斑点が出ていた。今、思えばカビだったのだろう。多分カビと気付かずに食べていたのだろう。そういう時代があったということです。
人間を創られた神様が、我々人間に自由な心を持たせて下った。
神様の元始まりの設計思想では「人間たちが生き生きと生きる様」を想定していたのだろう。
ところが、自由な心であるが故に、神様の思惑を超えてしまった人間たちの心の使い方。
現実世界は天理教団の中でさえも、いまだに「普通に」「当たり前のように」分け隔てが「まかり通る」あり様。
「ご先祖様のお徳のお陰で」あるいは「先祖代々の因縁を納消するためには」という言い回しに振り回される我々信者。
これは誰かのTwitterであざ笑われてしまったが、以前投稿した、DNA情報と因縁の結びつき。
自分が選択した(つもりの)自身の思考・行為も、DNA情報に生まれつき刻まれている設計図の組み合わせによる結果のようである。
とすると「因縁」だからと言われる状態も、産まれた瞬間から身に持つ基本設計そのものなのだろう。
一組の男女から受け継いだDNA。
遡ると、「宗教は合法的なねずみ講 様 2019年10月9日 10:39 AM」のご指摘のごとく、
≫六代さかのぼれば六十四人である。これがまさに倍倍ゲームでふえてゆく。
≫仮に三十代遡ればおよそ10億、四十代ならばなんと、およそ一兆にもなる。
≫四十代も前の一兆人の先祖を、想像できるだろうか。
≫つまり、「にんげんいちれつ みなきょうだい」というのは、
≫単なる綺麗ごとではなく、厳然たる事実なのである。
因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。
退職した元信者様2019年10月9日 12:18 PM と 宗教は合法的なねずみ講 様 のご指摘に触発されました。
>>因縁は人間の持つ「天然自然の理」なのだから、天理教は「因縁」のさとしを修正するべきだろう。
科学が発達し知見が広がった今、親神の教えの理解が深まったということだろう。<<
天理教の「因縁のさとし」自体、教団の金儲けのために人為的に造られた「まがい物」です。天理教の言う「おつくし」「いんねん」「徳」「ひのきしん」といった「天理教用語」もまた然りです。全て教会本部にとって都合の良いように造られ、あるいは解釈されてきましたが、そうした「天理教用語」を信じ込み、騙され、人生を棒にふってきた人達がどれほど多くおられることでしょう。私が「天理教は合法的詐欺」と言う理由の一つです。読者の皆さん、決して惑わされたり、騙されたりしないよう十分注意しましょう。
それにしても天理教信者の中には信者として恥ずかしい行為を平気でする輩がいることに呆れる。
バリ天に嫌われる内容の投稿をここに書き込むようになって以来、ここ最近、妨害行為を受けている。
警告音?異音?のような音を発するものだ。
投稿内容がバリ天が忌々しく思うような、ポイントを突いているから攻撃されるのだろう。
反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。
邪魔な奴だからといって嫌がらせをするのでは信仰者とは言えない。
多分、命令する輩がいるのだろう。
社会で天理教がカルトと見なされ、馬鹿にされる理由がこれだ。
命令に従う!
>>反論が有るのならば堂々と意見を書けばよいだろうに、IT知識はあっても言葉が出てこないのか?
それはもはや、貴君が「ロボット化」しているからだろう。
天理教団の狭い世界が「善」とばかりに、ロボットとしての生き方しかできない貴君は気の毒な人だ。<<
教団の意のままに動くロボットや傀儡を多くつくることが教団側の作戦ですが、洗脳されてしまっている、あるいは、元々知能が低く、物事を論理的に分析し論破することができないので、核心をつかれたことを問われると合理的な返答を即答できず、間の積まないチャランポランな返答しか帰ってこないのです。お気の毒な連中です。
匿名
2019年10月4日 8:16 PM
10月3日8:39 AMで質問させてもらった匿名です。
皆さま、稚拙な質問へのご回答ありがとうございました!よく分りました。
僕はある大教会長の子どもなんですが、うちの大教会長は本部員ではなかったので、おそらくお与えもらってなかったんでしょうね(笑)親は最後までお金のことについては話していませんでした(僕が知らなかっただけかも・・・?)。
「最後まで」と書いたのは、僕はもう大教会を離れているからです。離れてから近よらないようにしてます(笑)でも天理教から離れてからも定職に就いて、結婚もできて、健康でいます。天理教から離れたら不幸になるとかあれは大嘘でしたね。本部が作り上げた虚構を刷り込まれていました。それに気づかせてくれたのはこの掲示板です。この掲示板は大教会の子どもたちや本部員もみんな見てますよ。僕も10年前くらいから親に隠れてずっと見ていて、十数年前から感じていた疑問の答えがここにありました。
要会員の子弟がこの掲示板に投稿してきたという事実は何を物語っているのでしょうか。
皆さん、キャップストーンという石をご存知ですか。
ピラミッドの頂点に据えられた四角錘の石の事です。
天理教という巨大なピラミッドの頂点に居座る善亮一族とそれに連なる姻戚連中がそのキャップストーンであるならその下を支えるのが要会員であると思います。
その直属の子弟がこの掲示板を読み、深く考えた結果天理教を離れる決意をし、そして行動したのです。
更にこの掲示板に書き込んだのです。
この掲示板を通して天理教の理不尽さを糾弾する動きは、遂にキャップストーンの真下まで浸透して来たという事だと私は思うのです。
この動きは、既に本部在籍者にも深く静かに浸透して来ているのではと思います。
昭和55年3月 初めて須藤花井さんに会った時、次のように話してくれました。
「神さんはね、本部の連中は綺麗な着物を着て座敷に座って金をせびっている。
あいつらは座敷乞食だと怒っているだよ」
「次の大掃除の時には、本部の連中の三分の二はさらしてしまうと神さんは怒っているんだ」
当時の私は、天理教どっぷりでしたから 何と酷い事言う人だ思いましたが、今になってみればまさにその通りだと思います。
「三分の二はさらす」つまり「三分の一」ほどは神の目にかなっているという事でしょうか。
本部の皆さんも自宅で人目を忍んで、コッソリとこの掲示板を読んでいるのでしょうね。
そして、みんな「自分はのこれるのかな それとも死んでしまうのか」と自問自答している事でしょう。
おふでさき17号には、次の様に書かれています。
57 このみちハどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじょの事
58 このざねんなにの事やとをもうかな かんろ大が一のざんねん
59 このざねん一寸の事でハないほどに どんなかやしを月日するやら
「60 どのよふな事がありてもうらむなよ みなめゑゝにしてをいたのや」
「どの様な事があってもこのワシをうらむなよ
お前達はみきの言う事聞かんで好き勝手にやって来たんだろう」
親神は怒り心頭なのです。
この掲示板が出現したのも親神の計らいであるとブログ主に感謝しつつ思う次第です。
教団が今後抱える今後の負債を計算すると恐ろしいです。不動産管理業も連鎖倒産する勢いが有ると思います。やかた構想 で乱立させたあの気味の悪い建物たちの撤去費用はどうするのでしょうか?一つにつき何億?いや数十億かかるでしょう。「1つ土地を売って一つ潰す」を繰り返すのでしょうか?それもおかしな話です。中山家の運営方針の責任を何故教団全体で負わなければいけないのでしょうか?これもまた疑問 そこまで執着する意味はもう無いはず。もう中山家は教団を去った方がよろしいと思います。
どんな名の有る家に成長させても、一度汚点が着くと社会はおろか、世の名家からもそっぽ向かれます。
ここ最近の教団の焦った様な政策発表を見ていると銀行への借り入れが多いのではないでしょうか?と思います。多額の返済があるのでしょう。月額数億円の返済
寄付の激減、本部組織の維持費、銀行借り入れと返済、何れ来る膨大な建物の撤収費用 これらのリスクはもうテコ入れ不可能 保有するビルも早々に他人に売却した方が良いですね。
自分の身は自分で守るしかありません。
もうお供えの必要などありません。
「天理教」がさらに危険な団体になってしまう前に、いっときも早く洗脳から解かれ、勇気をもって被包括関係を解消することを望みます。
天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。
またもや台風がやってきますね。前回のを大きく上回る勢力だとか、神はお怒りですね。
>>天理教の最大の弱点は、教団内の立場によって、特に下々と言われていた私のような者にとっては、精神を破壊する凶器のようなもの以外のなにものでもありません。因縁、因縁と、とことんまで追い詰める手段を尽くして逃げ場を失ってしまう恐ろしい宗教です。
成人に達している者に対してならまだしも、成人に達していない幼・少年にまでこの手段を用いたことは到底許されない。教団上層部の人達は何を血迷っているのか改めて問いたい。<<
天理教の最大の弱点というよりも、最大の武器だと思います。難儀して心の弱っている人、精神的に追い詰められている人に、更に追い打ちをかけて洗脳する非常に有効な手段です。本当に恐ろしいです。無実の人を心理的に徹底的に追い詰め、虚偽の自白を強引に引き出す警察や検察の取り調べの方法によく似ています。「身上・事上は道の花」という天理教の言葉がありますが、病気や困難で心の弱っている人達の弱さにつけ込み、天理教に引き込むための有効な手段であり、信者を増やす為の手段として非常に有効なのです。皆さん、
決して騙されないよう注意しましょう。
天理教では信者の身上は金品を差し出させる最高の機会ととらえられています。
だから信者達は、会長の前では自分や、家族の病気を大ぴらにしません。信者同士でのひそひそ話で終わらせます。
私は洗脳から解放されているので金品巻き上げる会長では無いが、彼らは代々の上級教会のえげつない恐喝の経験をしているので、今だに教会に知れたら、そら、お供えだ、出すものを出さんから、、等言われると思って恐れているみたいです。自分も含め天理教教徒は怯えながら代々信仰して来た。怯える信仰。怖れる信仰。心を縛られたストレスいっぱいの信仰。これが信仰だろうか。幸せと言えるだろうか?
彼らは心を恐怖で支配されているのでやめる気は無い。しがみついている。
徐々に心の解放に向かう様、親神様は愛でいっぱいの存在である事を伝えて行きたいと思っています。教会は心安らぐ場所でありたい、、。
二言目には金、金と恐喝、恫喝していた上級教会は代を重ね、信者家族からの裁判沙汰を複数抱えたまま出直して現会長へと交代となっております。人を困らせ、訴えられ、何やってんだか、です。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
未だにゴルフ練習場の鉄塔が倒れ込んでいる家々、ブルーシートに覆われた家々、さらには未だに電気さえ来ない家があると聞くと言葉を失う。
更に、19号が追い打ちをかけるように被災地を通るという。遠くに居る者には大難は小難にと祈るしか方法はない。教団本部はこの事態に何を思うのか。せいぜい災救隊を送るのが関の山だろうか。
中山家が教団を去れば、このような事態を少しでも減らすことが出来るのではないかと思うのは、余りにも穿った思考か。
天理教が陽気づくめ世界実現を標榜しているのであれば正念場を迎えている。
これからもお願いいたします。
読まさせていただいております。
何の罪も咎もない人たちが、神の怒りとは言え、再起不能までの被害に遭われるのは誠に忍び難い。
中山家が教団を去ったら、この様な事態を避けられる?
台風は台風、地球温暖化の影響もあるでしょう
東風Z 洗脳が解けてませんよね?
ヒノキエフェクト様のブログから転載させていただきます。
天理教の信者なら『台風=大風』
『おふでさき』
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
私のblogで何回か取り上げてきた。
月日りいふく=月日立腹 神の怒り である。
にほん(日本) から(唐) とふじん(唐人)・・・をキーワードに様々な文献等をあたっているが、”月日りいふく=月日立腹 神の怒り” が当然のような気がしてきた。
今世界中を『嘘』が覆っている。
二酸化炭素と地球温暖化
アマゾン大火災
消費税増税
韓国・・・慰安婦・竹島・旭日旗・・・
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」
原発
日本国憲法
太平洋戦争
あらゆるものに『嘘』が混じっていたり『嘘』そのものだったり。
もちろん天理教本部もだ。
12.111 いまゝでハとのよなうそもきいていた もふこれからハうそハきかんで
12.112 これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか
12.113 月日にハうそとついしよこれきらい このさきなるわ月日しりぞく
03.057 高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
・・・結論から言えば
天理教の真柱 中山善司 は『唐人』
国の柱・・・総理大臣 安倍晋三 は『唐人』
世界の柱・・・国連 は『唐人』
04.016 上たるわなにもしらずにとふぢんを したがう心これがをかしい
から・・・とは・・・中身がない
神を識らない空虚な人間・・・嘘つき・・・嘘つきに従っている・・・心これがをかしい
これらが世界に蔓延(はびこ)っている。
13.034 それしらず月日ゆう事みなけして あとわにんけん心はびかる
13.097 高山でとのよなものがはびかるも このしんちつをたれもしろまい
14.033 このたびもまだせかいにハなに事も はびかるばかりなにもしらすに
14.039 このいけんとのよなものがはひかりて ゆふとをもゑばすぐにしりぞく
この蔓延(はびこ)っているものを、どうすれば除去できるのだろうか?
人間ではどうにもならない様な気がする。安倍晋三を辞めさても、次の安倍晋三が出てくるだけ。
だから・・・神としては・・・それに気付かせようと・・・立腹
06.091 このせかい山ぐゑなそもかみなりも ぢしんをふかぜ月日りいふく
08.058 かみなりもぢしんをふかぜ水つきも これわ月日のざねんりいふく
あぁどうなってしまうのでしょう。
でも・・・神様を信じるのみですね。<<<
少なくとも嘘の塊である天理教団が重年にわたる自ら為した悪の所業を詫び、、誰もが納得する綺麗な形で自ら進んで教団を畳む事で、神の立腹も多少は違ってくるのかもしれない。悪がはびこっている・・・とは、此の期に及んで全国津々浦々の教会不動産をままにし売り払う、そんな画策が見え隠れする誠も真実もない我が身勝手な教団の存在そのものだ。
東風z様。
人生経験より出てきた貴重な体験、ご意見は本部以下未熟な人間集団に洗脳されてしまう若者や、いまだに恐怖を植え付けられ理不尽を甘んじて受け続けている現天理教信者の指針の1つになり得ます。この掲示板で救われた方々、後に続く方々の為に、
今後も体験に元ずくご発信をよろしくお願い致します。
匿名
2019年10月12日 10:10 AM
以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか
天理教団の悪行。ツイッターより。
>>理のないお金を集めた者はその理のないお金によって身を滅ぼす。人を苦しめた理によって苦しめられる。これ因縁です。
人を苦しめた行為、これが因縁となって天理教団の今の苦しみの姿と成っていると思う。<>8月11日
匿名より
因果応報です。因縁話をするなら、本部中枢こそ、信者のせいにせず、よく考えるべきです。
一部の本部員は悪いのはやる気のない末端教会だと言っているそうです。
ウゾイ◯
うわ~正にその通り!
人を助け、励まし、喜ばせたらそれが還ってくる。これは道理。
逆にいじめ、虐げ、苦しめたらこれもまた還ってくる。
今の天理教団の姿を見れば後者の道理が顕れているのがハッキリわかる。
人助けを謳い、標榜しておきながら真逆をいっているという倒錯に驚くしかない<<
教団衰退の話題で、「本部が言うにはお供えが集まらないのも人が集まらないのも、悪いのはぜんぶ教会長なんだってさ!」と言うと、それを聞いた信者さんの開いた口がしばらく閉まらなかった。昨日の話です。
自然災害はあくまでも自然現象であり、宗教とは関係ありません。自然災害の原因は科学的視点から色々と考えられると思いますが、例えば、最近話題になっているリチウムイオン電池の開発が更に進み、再生可能エネルギーが、火力発電や原子力発電にとってかわるような時代がくれば、CO2も削減でき、地球温暖化や異常気象、放射能汚染の歯止めとなるかも知れません。地震や火山の噴火は別として、その他の自然災害は、人間側のライフスタイルにも責任がある「人的災害」なので、楽観論かもしれませんが、人類の叡智で、ある程度克服していけるのではないでしょうか?
>>以前のどなたかの書き込みで、前回の台風の際に乗取り事件で千葉の教会が関与したとかの内容がありました。死人が出るほどの悪い事をしたとかかかれてました。反省がないなら、神は御仕置するのは当然なのでは? 親神 と天理教では言うのですから
巻き込まれる一般市民の人にも彼らが責任取れば良いのではないでしょうか<<
台風の進行経路が、気の毒なことに千葉県に甚大な被害をもたらす結果になったということです。天理教とは何の縁もゆかりも無い千葉県民にとっては、単なる自然災害であり、「運が悪かった」とあきらめるほかないのではないでしょうか? 日本列島は、所詮、小さな島国です。台風の進路の角度がたとえ1度ずれるだけでも、被害を被る市町村は違ってきます。地震にしろ同じことが言えると思います。地上や海底の活断層の走り方や過去のマグマ等の地殻変動のしかた、あるいは、海岸線から近いか、あるいは内陸側にあるか等の地理的条件等、様々な要因によって、甚大な被害を被る地域と、それ程被害を被らない地域に分かれますが、日本列島のように、小さな島国の中に、47もの都道府県があり、その中に更に小さな市町村という行政区がある国家において、宗教の問題を持ち出すこと自体ナンセンスです。もっと視野を広く持ち、地球という惑星全体、そして、そこに暮らす。人間をはじめとする、あらゆる生物、そしてそれらを取り巻く地球環境の将来を考えることこそ一番重要だと思います。
天理教の壺世界のお話ですよ、親神が絶対神で、地球を動かしているなら
中山家のお話なんて、矮小過ぎます。
所詮、壺の中のお話に過ぎません、他宗派、他の宗教から見たら、どうでも良いお話です。
東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは? 洗脳が解けたなら、そんな考えはやめたら
良いんじゃないのかな?
日本の政治を変えるのは、投票からですよ
宗教は心、個人の問題だと思いますよ
>>日本の政治を変えるのは、投票からですよ
>>宗教は心、個人の問題だと思いますよ
その通りだと思います。自然災害は自然現象。人間の叡智と努力で克服し、解決できるものもあれば、そうでないものもあるかもしれません。すべては、人間の努力次第です。
崩壊さん、本当にそう思いますよね
災害は忘れた頃にやってくるので、備える事が大事ですし、公共事業など
それは行政の仕事でもあるし、
フクイチの惨事だって、人災の面がありますよね
災害に備えて、いろいろ考え備えるべきであって、神に祈るのは
人間として、できる努力をした、最後にお願いするものだと思います。
今回の台風は甚大な被害は出ていない様で、良かったと思いますけど
被災された方には、お見舞い申し上げます。
ノストラダムスの予言、当時の騒ぎを思い起こします。
御筆先、止筆とか、予言書の様に思える部分もありますけど
教祖様は、予言者では無いと思いますので
親神様がお怒りだーって、別に良いんですが、違和感あります
教団が廃れていくのは、なってくるのが天の理の結果でしょう
悪しき種が、花を咲かせてしまったんでしょうか?
そりゃ、親神様は、呆れておいでだとは、私も思いますよ。
>東風Z さんが、神の仕業って、思ってるとは?
思っていないんですよ。誤解を与えてしまって御免なさい。カキコから見てとれるのは、そのように思っておられる方もあるかもしれないと感じているからですよ。もともと、私は神仏の存在に大きな疑問を感じている方です。
例えば、人間は地球にとて癌のような存在ではないかと思うようになっているんです。癌は唯一この世で矛盾した存在だと聞いたことがあるんです。伝染力を持たない癌は宿主の死亡により、自分も亡くなる運命にあるからだそうです。
際限なく核兵器やそれを運ぶ手段(ロケット等)を開発する人間は地球にとって癌に似ていると思っています。
平和利用の核でさえ、そのゴミの処理方法一つさえ解決されていません。10万年安全に保管する手段を考えていると言いますが、10年程前の記録さえ見つからないとか、記憶にないとか騒いでいる現状を見れば、言っていることが絵空事としか思えないのです。
それでも、これらを解決できるのは人類以外ににありません。目に見えない神仏ではありえないと思っているのです。
さて、6千年は知慧の仕込み、と説く天理教は自然災害を始め人類の行動にどのような指針を示せるのか。多分、何も言わないのか、それとも、何も言えないのか。おさづけだけではどうしようもないのではありませんか。
人を助けようと思っている心がある一方で、人を殺めようとする心が潜んでいるかもしれない心。不思議なものです。人間らしく生きるということは一言では言い表せませんね。
天理教が心底から人を尊重する宗教であったならば、今のような状態にはなっていなかったでしょう。何が間違っていたのかは、教団中枢部が考え、反省することです。その第一歩は、人をバカにしないことです。
中山真柱以外で、それに次ぐポジションとしての本部員人事に対して信者が関与できないなら、金家ならぬ中山家独裁主義になるのは当たり前だが、そんな事が百年以上も続いてきたの? 馬鹿なの? それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
世界救世教だったでしょうか、教主の岡田氏が信者の総意で解任されたとか聞きましたが、信者が束になれば、引きずり降ろせると言う事だと思いました。
天理教も中山家独裁に対して信者が束になれば、解任に足る悪業を継続して来ています。天理教徒はもっと怒っても良いし、徹底的に隠したい資料の有る開かずの書庫がある事や、それに元ずく教理改ざんや、透明な不動産取得と売上金の隠蔽、疑惑事案が多数隠されているのが現天理教の実情です。
徹底的に欲に切りない埃をかぶった人間集団、中山家一族。神の化身は天理教団には出ようも無く、神の化身は既に日本各地に出ていますよね。
天理教はもはや中身の無いスカスカのかすです。
訂正。
透明なを訂正して不透明な、とします。
今回の台風で、避難所になった台東区の小学校に避難しようとしたホームレスの男性が、受け入れを拒否されたそうだ。
ホームレスの方々も、避難所など行かずに、天理教の教会に行けばよかったろうに。
常日頃から、「人を助けてわが身助かる」などと大層なご立派なことを散々のたまわっていらっしゃる天理教の方々は、
まさか受け入れを拒否したり、しませんよねぇ?
100年前のこと
大正7年(1918 立教81年)2月15日 茨木基敬本部員の免職の辞令
大正7年(1918 立教81年)3月22日 北大教会の土地・建物その他全部の名義を本部へ引き継ぎが完了。茨木父子免職事件は一段落を告げる。
大正7年(1918 立教81年)3月23日 上田奈良糸、おさづけストップ
大正7年(1918 立教81年)7月11日 中山たまへ、おさづけの運び初め
平成29年(2017 立教180年)7月26日夕勤め前、一青年によって甘露台が倒壊した。
平成30年(2018 立教181年)7月21〜23日 本部にてお願いづとめ
真柱の回復を願う、お願いづとめが7月21〜23日、本部朝づとめ後に行われるそうです。(Ameba. https://ameblo.jp/sikiie5429/entry-12392237936.html)
昨年の甘露台のふしよりも強い警告のように思う。(天理教ORTHODOX 2018-06.24最終警告…? http://blog.livedoor.jp/mkosetu-jr/archives/1071714004.html)
>それとも中山真柱家には神の化身が生まれてくる事になってるの?
本部中枢の人間達は、この様な考えを持っていないと思います
その理由
おや様は、孫娘の梶本ひさに「先いったら高知から神さんが出て来る」と話していたそうです。
おや様の三女はるが、梶本惣次郎に嫁ぎ、孫娘のひさが生まれました。
八島氏によれば、
ひさは、おや様が亡くなるまで側にいておや様の身の回りのお世話をしていました。
その為本部中枢の人間達も知りえない話を沢山聞いていたそうです。
梶本ひさを口封じする為に、山澤為造が強引に自分の嫁にしたそうです。
おや様が亡くなった後の事です。
山澤為造は、子供のいない高知大教会の島村菊太郎の養子に妻ひさ の実家の甥 梶本國治郎を送り、そこへ自分の三女サワを嫁がせました。
サワが亡くなると 為造は五女「ヒサノ」を嫁がせています。
為造は、高知大教会から神が出て来ると信じ、自分の娘を次々に送り込んでいたと思います。
為造は、播州のおや様「井出くに」ではなく「高知大教会の神」を待っていたのでしょう。
為造は、自分の娘から神が出て来ると思っていたのかもしれません。
しかし、高知大教会に神は現れませんでした。
神は、高知県安芸郡田野町に現れたのです。
その人物が「須藤花井・面足命」です。
昔、本部のすぐ西側に三島という名の小さな公園がありました。この公園の本部側に木造の古いアパートがあり、須藤花井さんはそこを住まいにしていました。
前述の「ヒサノ」(山澤為造の五女で高知大教会夫人の島村ヒサノ)は、本部中枢を代表して密かに須藤花井さんに挨拶に出向いています。
ヒサノは、須藤花井さんに次の様に挨拶したそうです。
「私は、小娘の頃から神さんは高知から出て来ると聞かされてきました。
やっぱり間違いはなかったですね。
どうぞこの紙に神さんの言う事を書いて下さい。」
と言って白い紙の束を置いて行ったそうです。
島村ヒサノに話したのが、母親のひさ(おや様の孫娘梶本ひさ)です。
為造本人や息子の山澤為信も当然聞いてるはずです。
須藤さんは、「ヒサノ」から貰った紙に国常立の言う事を書き留めて纏めたのが「月より神言」だと私に話してくれました。
「月より神言」P186に次の様な一文があります
「あとのこうきはなんぼお前が書かんと言うてもわしは書かす」
「月より神言」が「後のこうき(口記・後記・稿記?)」だと私は思います。
須藤花井さんの肉声を聞いたみたいと思う人は、「月より神言」を検索してください。
平成4年に須藤花井さんが東京の日本橋公会堂で行った講演(60分)が3分割されてアップされています。
須藤花井さんは平成9年に亡くなりました。
須藤さんは、生前 善司さんの身を案じていましたが、やはり病に倒れてしまいました。
おや様が亡くなり、本席が亡くなり、井出くにを追い出し、ナライトを排除し、高知からの神も退いた・・・
天理教本部には、舵も無く、舵取りも居ません。
行くあてもなく、ただただ世情に漂うおんぼろ船です。
追伸 「月より神言」を検索するとトップページに 「6.お日様の東京講演より」の項目があります。
そこで 須藤花井さんの話が聞けます。
各地の河川で、越水、氾濫、決壊が相次ぎ洪水が相次ぎました。天理教では火と水がお互いに作用する対極的関係でしたよね? 火のつけ方を間違えたから水に問題が出ではないですか?
「金の繋ぎは命地の繋ぎ?」洪水で死んでいった人に金は一切関係有りません。それにその間違った事を表統領 中田善亮が言い続けているからこの事態が起きたと言えます。
さいきゅう隊?さいきゅうする前にちゃんと祈り天変地異が起こらないようにすべきです。まともな考えを持つべきです。天理教は何の役にも立ちません。
BBC NEWS JAPAN
台風19号「ハギビス」被害拡大、各地で死者 記録的豪雨で河川氾濫
https://www.bbc.com/japanese/50029221
匿名
2019年10月13日 6:44 PM
教団の業績が悪いのはトップの責任です。そのトップを立てているなら役員の連帯責任なので、本部員にも責任があります。その教団の例の様に信者の多数決で、真柱と本部員を降ろすことはできます。過半数あれば降ろせます。揉めるなら裁判所や文科省に提出すると良いでしょうね。
このままずるずる続けても教団も中山家に引きずられて無実の信者さんたちも巻き込まれてしまいます。まるで洪水ですね
教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
全くその通りです。しかし、トップは業績悪化は教会や教会長が悪いと現在言っている。本部修理人にトップの責任を問うた時、指示、命令、方向性を考えるのは本部では無く大教会だと言った。それでは本部は飾りか?
本部の打ち出しに素直に従えと、何度も何度も刷り込まれたのは何?
衰退もお供え不足も人が集まらないのも、ぜんぶ大教会以下末端教会長の怠慢だと言う間抜けた感性。
トップとしての自覚も無ければ当然責任を取ろうとしない。全ての責任は自分達にある事に気がつかない大馬鹿野郎です。(汚い言葉で失礼)
昔、山一證券が潰れた時、社長が「悪いのは全部私です。社員は悪くありません!!」と涙ながらの絶叫を見たが、神の心を見た気がしました。
神に背いているのに正面から開き直り、見栄と体裁を繕うこの組織とトップ達はこの衰退を見る限り、完全に神の目からは弾かれています。
<<教団の業績が悪いのはトップの責任です。<<
宗教や教団の「業績」とは一体如何なるものでしょうか? 私には理解できません。宗教は営利企業ではありません。
現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。
中山大亮氏の結婚披露宴について、この掲示板でも大変物議を醸しましたが、近日、予定されている天皇陛下の就任祝賀パレードは予定どおり執行されるのでしょうか? 台風の甚大な被害で多くの国民が苦しみの渦中にある中、敢えて、天皇陛下の就任祝賀パレードを実施すれば、日本国民のみならず、世界中から顰蹙を買い、日本の国は世界中から馬鹿にされても仕方がないでしょう。本掲示板の趣旨からはずれたと思いますが、敢えて投稿させていただきました。
>>現教団は人間の頭数や、お供え金額を競わせ、会社トップが従業員や支店に業績を競わすのと同じ感覚です。
そう言う意味で大教会や末端に業績を競わせるのです。
ですので、現教団がやらせているのは業績アップを狙っているのであり、真実の信仰ではありません。<<
全くその通りだと思います、民間営利企業であれば、社員個人個人の売り上げや契約件数等によって、月々のサラリーやボーナス、昇進の査定が決められます。
いうまでもなく、宗教とは見返りを求めるものではなく、信者数の獲得や「お供え」の獲得を競うものではありません。「人間の心のあり方、人間の生き方についての指針を示すものです。」現教団がやらせているのは「信者数の増加やお供え金の増加を目的とした業績アップ」を狙っているのであり、真実の宗教でもなければ信仰でもありません。
いずれ棟梁四人いる。
天啓者の巣窟であって、神の化身のような人達、世界人類の棟梁達のお姿を拝する事が出来る、お地場のお屋敷はいつ実現するんでしょうか??
本部人事の責任者の方にお尋ねしたのですが。
本部の責任転化、やかた構想の偽り うそしかつついてきてない神を追い出し教団を乗っ取った中山家ですから、大教会に業績を競わせても事すでに遅し、もう離脱論を支部や教区での仲間内の雑談の主題で毎回話してるぐらいです。カネカネいってる宗教とはなんとも滑稽100年の洗脳も解けることに気が付かない愚かな輩しか居ない本部も滑稽全て滑稽(笑)もう遅くても10年後には本部は残っているのでしょうかね。今後残る教会も信者も人柱として寄付しろと言っている本部に未来は無い。ネットでの書き込みの方がもうすでに真実味と信仰の域に達してしまって以上、上級、大教会はじめ天理時報はおろか真柱の存在価値すらないことに気がつけないのが痛々しい。
組織と中山敬治のためだけの言葉にどのような信仰の意味があるのかしっかりお伺いしたいものですね。答えられないでしょうが(笑)
東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。
中山家、教団幹部も、末端で活動する、教会や信者の方を向いていないんでしょうかね?
信者に寄り添わず、その心も支えもしない教団なら、だんだんとみんな離れて行くでしょうね。
首相の支持率48%なんて報道するけど、実際は10%も無いと言われている様に、本部の支持率も低下しているのでしょうね。
宗教団体と言うのは、強く信者を惹きつける、魅力ある存在が中心にいてこそ、成り立つと、私は思います。
現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。
>>東京と千葉にも甚大な被害が出ていますけど、あまり報道されないのと、二階堂氏がこの位で済んだと、低めに評価するのは、事実を報道しすぎると陛下の式典に差し支えるからだと、思われますよね。
増税前に、千葉を激甚災害指定したら、増税中止になるから、あえて激甚災害指定しなかったとか、本当に、今の内閣は、国民の方を向いていません。<<
本当に、今の内閣も天理教幹部も「御身大事」ということですね。天皇陛下のパレードは予定通り実施するらしいですが、実施すれば、後の世まで未来永劫、語りぐさになり、世界中から笑いものになることでしょう。 下々の窮状に眼をつむるものは、政治にしろ、宗教にしろ、指導者の資格などありません。
>>現行天理教には、暖か味や優しさの欠片も感じられないことです。有り余るものを持っているにも関わらず、未だにお金のことを言っている姿を見ればわかることです。
最も、持っている物が重荷になっているなんて、何と皮肉なことでしょう。<<
重たい重量物を運搬することができる象でさえ、許容重量を超える荷物を背に積めば、足を痛め、歩行不能になります。競走馬のサラブレッドですら、過重な騎手が騎乗すれば、重さに耐えきれず、骨折したり、本来の実力を発揮できません。トレーラーやトラックでさえ、所定の積載重量を超過すれば、ブレーキがききにくくなり、正常な安全運転はできません。今の天理教が全く同じ状態です。有り余るものを持っているのかどうか存じませんが、おそらく持っているのでしょう。しかし、持っているものの過重に耐えかねて自滅の運命を辿るのは、とりもなおさず天理教です。まさに「因果応報」、「悪因縁」のなせる技です。みなさん、しっかりと天理教が崩壊していく様を見とどけましょう。
崩壊
2019年10月14日 5:46 PM
日本国と天理教では組織規模が違います。先進国と、潰れかけのカルト宗教を比較するのはちょっと間違ってまよ。日本に失礼です。真柱はナンチャッテ神様だそうです。天皇は人間です。日本人統合の象徴です。その下に居るナンチャッテ神様を祭ってる天理教中山教団なのが現実です。恥ずかしいですね(苦笑)
匿名様(10月15日 3:01 PM)
比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
日本人として誇れる母国であってほしいのは言うまでもないこと。
けれど、政府と一部文化人・マスコミの「すばらしい日本・日本人」キャンペーンに騙され続けるばかりの我々です。
即位の礼に関して言えば、儀式を先送りにしてきた「ツケ」が今回の惨事にもかかわりが有ったのかもしれませんね。
きっちり自分の役目を果たす覚悟の無いまま結婚した彼女の現在をみるにつけ、何ともはや・・・。
「かわいそう」と、同情するばかりでは人は成長できないというよい例でしょう。
なぜか美智子様を非難する人々は現皇后を支持する。これってどうなのよ?という素直な庶民の感想です。
パレードは実施されるにしても、都民としては見物には出かける気持ちにはなりません。
この庶民感覚は私一個人のものではなく、スーパーマーケットのレジ打ちの皆さんとも共有しています。
所謂、井戸端会議。美容院での話題でも「そうだよね」とか、「勝手にやってください」とばかりの冷たい反応です。
人の不幸を悼む感覚の持ち主であれば、喪に服すような心持を、何かで表現するでしょう。
とは言えパレードに群がる人々を非難することはしません。お祭り騒ぎが好きな日本人なのですから。
でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。
当日は小雨交じりの曇天だったりして・・・。
来年の事で恐縮だが、東京教区設立百十周年記念祭(2020年4月4日)に真柱夫妻と大亮さん夫妻が参加するそうだ。
真柱の身上からすれば付き添に夫人が同行することは当然だろうが、大亮さんの夫人はいったい何しにやってくるのだろうか。
子供も当然連れてくるだろうから、いわば一家揃っての上京だろう。
東京教務支庁はソメイヨシノの誕生地でもある巣鴨に在るから、桜の季節にはお花見にうってつけの地でもある。
お花見に子連れでくるのは別に構わないと考える向きもあるかもしれない。
しかし考えると、各人それぞれにお礼が渡されるのだろうから、集金旅行という面も併せ持つ訳で、布恵さんもその一員だ。
その上、デズニーランド好きで知られているから、子供も大きくなって、季節も良い4月に、デズニーランドへ行こうとでも考えているのかもしれないと、想像してしまう。
勝手な想像だから、スルーして頂いて構わないが、「ちょうちん持ち」の親戚の教会の女子供も同行するのかもしれない。お忍びで、といっても、必ずどこからか漏れる。何故か。それは耳にした人の中におかしいと考える人が増えてきたからだ。だから噂話の中で積極的に広まるわけだ。
こんな指摘をすると、必ずやTwitterで「そのくらい、いいじゃないか」という擁護派が訳の分からない判断基準で考えをアップするだろう。それは考えるポイントがずれている人たちだ。
働いて自分の収入がある人達であれば「陽気遊山」をしゃれこんで一家で遊んでも結構な事だ。
しかし、集金旅行のついでの「物見遊山」では親神様が嘆くのではないか。
世間的にも通る話ではない。
たとえ非上場会社であっても、社長の出張旅行に嫁と孫まで同行するようでは社員から顰蹙をかうだろう。
天理村の狭い価値判断で東京へ来ないでいただきたい。
たとえ予定通り記念祭に参加したとしても、私は暖かな気持ちで歓迎する気にはならない。
第一、大亮夫人は何の役目をおっての上京であるのか、答えられるものならば答えて頂きたい。
公私混同を平気でするようでは世間知らずというだけではなく、後継者夫人としては勉強不足だと、だれもが感じるだろう。
恐らくは危機感がないのだろう。
危機感が薄い理由としては、お供えが減っても、中山家としての資金がどこかに有るからなのかもしれない。
教高高校閉鎖、教会整理という現状下での「顎・足・土産つき陽気遊山」は「恥」と思え。
>>でも国の象徴として税金で生きてきた人間の皆さんにとり、「国民の難儀を共有する」感覚って、立場上、必須ではないでしょうか。<<
その通りだと思います。
のぶえ奥様が東京の記念祭に来られてもべつにそこまでは言わなくてもいいと思います。擁護派がそのくらい、いいじゃないかと言っていますが、ほんとうにそうだと思いますよ。
来て欲しくないなら、あなたが行かなければいい話です。
匿名
2019年10月15日 4:49 PM
>>比較対象できるというか、問題の根っこは両者ともに「日本」そのものなのではないでしょうか。
根っこが日本と思い込んでるだけではないでしょうか? 現在の中山家は日本人とは思えない判断をしています。それに国とカルト宗教では財源とお金の回転が違います。
国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。
一方1団体の浪費は皆さんご存知の通りの浪費です。教団の財政が厳しいのに数億かけて結婚式をする意味は無かったのです。
と国の経済は、一家庭や団体会社の経済とは全く持って別物だという事ですね。しかしこれをTVや新聞がちゃんと教えないの問題なんですがね。
経済の形で言っても、国と民間ではこれほど違うので、トップの振る舞い方は真逆なのです。
その昔オウム真理教が、各セクションを省や庁と名前をつけて問題になっていました。国を模すのはいいが建国しようとしていたのか?とこれに対してオウム真理教側も是正報告をメディアに出していました。
天理教や中山家を見ていても、国を模倣しているが中身が追いつかずと見て取れます。奢り高ぶったただの狂人でしょうね
貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。
若い時に貧しかったのは、天理の皆さんばっかりじゃないですよ。
日本全体が貧しかったんです。
食事が豊かでも勉強勉強とストレスの多い生活であることもある。
悪口ばかり考えていても楽しくないですよ。
九州も北海道も東北も災害復旧中、今度は千葉に長野に茨城に仮設住宅も必要だし、復旧予算も必要だから、大変なんだけど、でも景気回復には、陛下のパレードが重要だ! 8000万のオープンカーも、一回限りで使い捨て! でもきっと国民は喜ぶぞ? ラクビーも勝ったし、悪いニュースは伏せて、景気の良いニュースだけ流そう! 首都の被害は、放送自粛だ、何、この程度で済んでまずまずだからな!
馬鹿な大将、敵より怖い・・
匿名 様
>貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。
若い時に貧しかったのは、天理の皆さんばっかりじゃないですよ。
日本全体が貧しかったんです。
食事が豊かでも勉強勉強とストレスの多い生活であることもある。
悪口ばかり考えていても楽しくないですよ。
私もそう思います。
でも、言いたいのはこの組織が持っている理不尽です。
真実に目を閉じてはいけません。口を閉じてはいけません。耳を閉じてもいけません。
真実を知った上で、それを分かった上で、自分自身の責任で前を向いて歩いていきましょう。
大教会記念祭における最低ラインの予算書(部内50)
御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
何と悲しい宗教でしょうか。このような高額の御礼を何のためらいもなくポケットに入れて帰れる神経が分からない。
よくにきりないどろみずや、と説いておきながらだから質が悪すぎる。
教団上層部は庶民の暮らしの現実が見えているのかと言いたい。国民年金を40年間加入した満額でも手取り額は月額6万円にもならない現実。その中からお供えをしている人が居られることに、思いが至るのであれば、このような高額御礼を何のためらいもなく持ち帰れる神経が理解できない。
もっとも、出す方も出す方だが、双方に神経が狂っているとしか言いようがない。
お入り込み人も、一般信者と同じく出された直会食を食べて帰ればいいだけのことだ。お腹が空いている時は、一膳のご飯がどんなにおいしいことか分かっておられるだろうか。
私が勤めていた職場では、総会後の宴会では政治家、行政府の長等の来賓はじめ職員も含めて全員が同じものを食べていましたよ。
やはり、「集金旅行」という問題点から目をそらす投稿が現れましたね。
後継者夫人としてどのようなお役目が有って来られるのかを問いただす答えにはなっていませんね。
天理教組織の問題の根深さは救いようがないと、改めて外野の自分は感じさせられました。
問題提議に対して、記念祭に
≫「来て欲しくないなら、あなたが行かなければいい話です。」
これが大人の回答でしょうか。
たとえ信仰していない人でも、教養ある人はこのような「切り口上」の言葉を口にしません。
問題提議を「悪口」としか受け取れない人たちだからこそ、ここまで天理教は落ちたのでしょう。
中山家が封建的な組織の頂点に立つことを許してきた天理教組織の体質は、「匿名さん」のいう「日本」そのものの体質だと私も考えます。
平らな世界にせよという教祖様の教えをいまだに実行できない人々が「陽気暮らし」を説いたところで「口先三寸」の言葉は信者から聞き流されるだけです。
匿名 2019年10月16日 12:03 AM さんへ
あなたの文章 ↓
「国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。」
本気でそう考えますか?
匿名
2019年10月16日 4:18 AM
>>貧しくてももっと明るく楽しい気持ちで生きていきましょうよ。
もっともっと違うことを御先祖の皆さんは考えてほしいと思っておられるのではないでしょうか。
もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。<<
理想論は現実とは異なります。幼い子を何人もかかえ、寝る間も無くパートやアルバイトを「はしご」して、自らの健康まで害するほど働いているシングルマザーにとって「もっと青い空を見て、美味しい空気を吸って、ボランティアなどもして、体を動かして、とらわれずに生きていきましょうよ。」という心の余裕など到底ありません。生活していくためにただひたすら働かなければならないのです。
>>国で言えば、東日本大震災の際に自粛をしすぎて不景気に成り、被災地のの復興が遅れる原因にもなり、被災地の方ですら自粛はやめて欲しい前を向きたいと成ったのです。
それに国民行事は国では浪費ではなく財政出動として巨大な資金が動き税金として戻ってくるのです。これのよって景気が上向くのです。<<
税金は一部の国民(特に富裕層)に戻っていくのかもしれませんが、被災地で難渋している人達には戻っていきません。そんなに国民行事が日本経済にとって有効であるのならば、毎年のように巨額の経費を投入して国民行事を実施をしたらよいのではないでしょうか? 北朝鮮のど派手な軍事パレードを実施するために、どれほど多くの一般国民が苦しんでいることでしょう。
天理教が衰退した原因を考えるスレ より
俺の元カノが天理教信者だった
顔は可愛くてバージンだったけど
どうしようもない性格に何回も泣かされた
若かったけどつまらないことで悩んで考え込んで・・・天理教の害毒だったと今ではわかる
一緒にいても楽しくないし結局5年も付き合って結婚しなかったけど
これで良かったと今では本当に心から思う
もし結婚してたら俺の給料ほとんど天理教へのお布施
時間もエネルギーも休日も天理教へつかわれる
地獄の家庭 100%確実別れることになってたと思う
天理教の害毒と中途半端な大学卒のプライドが彼女を不幸にしたんだろな
私達夫婦は、妻の私が洗脳状態。夫に隠れて実家教会にお供え金上納。夫には絶対言えない金額。各種行事の参加へは、今日は友達と旅行と言い、今日は習い事の友達と出かけます、、と言い、夫を騙し続けて来たが、ある時、嘘が発覚。
現在別居生活10年越えです。先日夫が離婚用紙を持って来た。さて、どうしようかと悩む日々です。
洗脳が覚め、大金を失い(実家の親の顔が上級に立ったなら良し、としていますが)
天理教の教え通り、天の貯金を信じて子供に対して徹底的に物から遠ざけ、物は与えず、天の貯金を楽しみに苦労させた。その結果こんな毒親に育てられた子供達とは親子断絶状態に。貧乏させた結果、満たされずに育った過程で精神的に自信を持てない
子に育ってしまった。
「あんたには何もしてもらってない」と言い、何かアドバイスしようものなら、「あんたに言われたくない」と言う。私は天理教を信じたからこその極端な親だった。
結婚生活は破綻し、子達の心は母親から離れ、親に愛される温もりを経験せず。子供を持っても子育ての仕方が解らないと悩む娘。「私はあんたに育ててもらってないから、どうして良いか解らない、、」と。
天理教からの実害は本当に大きかった。
今更悔やむが、もう済んでしまった事。この苦しみの連鎖が子や孫にまで続き得る現実。子は当たり前の子育てが出来ないと今苦しんでいる。
幼少時からの刷り込みを本部少年会などは良しとしているが、将来的な判断能力を幼少期から抹殺してしまう養育環境は、子供の健康的な精神を全否定することに等しかったと悔やみきれない。
我が子達が天理教の二次被害者となった現実がここにあります。
理だてについての投稿コメント 『ヒノキエフェクト様ブログに投稿されたものより』
「私の場合、もう55年も以前の事ですがその年に収穫した果物を中山に持って行きますと長らく待たせておいて奥様がこられ、果物なんかいらん、お金を持って来なさいとはっきり言われました、家族に話したところそれ以降天理教団の中山との付き合いはありません
教団として規模を大きくするために理立と言って金銭を集めるようになったと思います、真柱の中山は元は梶本であり商売人であり、金儲けが主であった事が証明されています、教祖中山みきの教えとは違うことは言うまでもありません。」以上。
梶本が商売人なら中山は金貸し。土地を担保に金を貸し、農民から土地を取り上げて来たのです。当時から「中山さん地持ち」と言われたのはそう言う事です。お金を返せなかった貧乏人から担保の土地を取り上げて太っていったのです。ろくな者ではありません。中山家は当時から血も涙もない「金取りの質屋家業」です。今の中山家の天理教がいまだに金を取る家業をしているのは、その精神が連綿と続いているからです。
教祖在世中の貧乏も長男の博打の借金返済に土地を年切り質に入れて貧乏していましたが、後でお金をこしらえてちゃんと買い戻しています。難渋に施したのが原因で貧乏した訳ではありません。
貧のどん底の原因を作ったのは女狂いで博打狂いのならず者の秀司。脚を患った原因も女狂いの性病が原因。純情な信者はこう言う事実を全く知らされずに美談だけ聞かされています。
教祖はお金に目がくらんだ長男秀司には手を焼いたらしいが、ひな形としての教祖の
晩年は決して貧のどん底に居た訳では有りません。史実を調べれば当時の様子が書いてあります。
貧のどん底をひな形にして利用し、どこまでも信者の金集めに利用する中山家。
いまだに騙されたままで真実を知らない信者さんが私の周りに多勢います。言えば皆さんびっくりされます。
この掲示板を新たに見に来るかもしれない方々の為に、今では周知の事実ですが敢えてここに書かせていただきました。
2019年10月16日 6:22 PM の匿名さま
洗脳が覚めたのですね? それはなぜですか? 洗脳が解けた原因は?
わたしも匿名様と同じような子育てをしてしまった教会の娘です。
自分もそう育てられて来たので、そのようにしか育てられませんでした。
子どもが中学生の時に自分の間違いを自覚し、今は実家の親とも決別。
今までの自分の価値観が崩れ去り、一時は何が正しくて何が間違っているのかもわからなくなりました。
それから価値観の再構築、物の見方が180度変わるまで、何年もかかりました。
今でも自分の判断が誤っているのではないかという不安は時々あります。
天理教の子どもは「毒親」に育てられています。間違いなく全員。親が同じ考え方と価値観なのだから。
「毒親」に育てられた子どもは、同じ「毒親」になるか精神を病むかどちらかです。
教会、特に末端教会で育つ子どもたち、育ってしまった大人たち。
一生、生きづらさを抱えて生きることになります。
匿名さんです。様。
2つ前の匿名です。
私は末端教会の娘で両親達はとにかく上の圧力と権力に口を封じられ何も言えずに、上に従うと言う、押さえつけられた環境で育ちました。匿名さんです様も私と同じ道を歩まれたのですね。偏狭で偏った環境が精神に及ぼす悪影響は地方の 小さな教会で育つ子供達の上に人知れずあちこちで起きていると言う事ですね。
不健全な精神に育ってしまう影響は子孫に及び、自分だけの問題にとどまりません。親から子へ孫へと、その毒が連鎖していく恐ろしさがあります。
私は今、愛情のかけ方が解らないと言う娘の戦いにも似た子育ての苦しみを目の当たりにして立ちすくんでおります。
洗脳から醒めたのは、金、金、金の容赦ない要求をしてくる上級教会の存在に深い疑問を感じていたと言う事。思春期から老年の今に至るまで、何の精神的癒しも得られなかったと言う事です。
押し付けの教理が嘘、誤魔化しであった事、各種美談も嘘である事など、この掲示板で知りました。その後、図書館で天理教関連、宗教関連の資料、芹沢光治良の本を読みました。湯河原の大徳寺さんの存在を知り、話を聴きにも行きました。
最終的に、天理教がろくでもない集団である事が今頃確信に変わりました。
ただ、匿名さんです様と同様、恐怖の刷り込みがわずかに残っているのか、自分が間違っているのでは、と時々不安が頭をもたげる時があります。
長々失礼しました。
2019年10月16日 6:22 PM の匿名さま
私も全く同じです。この掲示板で情報を得て、図書館で芹沢光治良の本を借り、人生でこれほど本を読んだことがないぐらいに関連する本を読みました。
亡くなられた植田先生の集会にも参加しました。
私たちのような教会子弟は、大勢居られるのではないでしょうか。
この掲示板は本当に貴重です。
これからは匿名さまが、人生を自分のために楽しんで生きることです。
お嬢様には、自分の人生を語り、これまでのことを謝罪して、人生を楽しむ姿を見せることがお嬢様の悩みを解決することになると思います。
偉そうにすみません。。。 返信ありがとうございました。
2019年10月16日4:18AM匿名さま
あなた様のコメントを読んで様々な思いが湧きおこりました。子供時代よく思ったものです。今より貧しくていいから教会の子共でなく労働者の家に生まれたかったと。お父さんとお母さんが協力して働き一生懸命に家庭を作っている周囲の子供たちがどんなにか羨ましかったか。
先祖は親神信仰も本部も上級も一体と思って信仰に励んでいたのではないでしょうか。財産もお供えし単独布教し熱く燃えたでしょう。そして親も先祖の信仰に迷いなくついて行った。しかし子供はたまったものではありません。
子どもは親の所有物ではありません。この当たり前のことを子ども自身が自覚し親から自立するのがいかに難しいかここのコメントに寄せられる方々で感じます。
若い方々に言いたい。まず精神的に自立をしてください。次に経済的に自立する計画を立ててください。
その思いを胸に秘めながら。信仰をするかしないかはその後でいいのではと私は思っていますが。
私は子供に天理教の信仰を継げてません。同居の母が宗教嫌いだからです。だから仕事のふりをして行事に行っています。
でもうちの子も「何もしてもらってない」「あんたに言われたくない」的なことは言われたことはあります。
それは一般家庭でも普通に聞かれる言葉ではないでしょうか。
天理教のせいだ、毒親だと皆さんおっしゃいますが、無宗教の祖母や主人や親を大切にする教えに添って同居した私に甘やかされて育った子供も結局は言います。同じです。
厳しく育てられたお子さんは、厳しかったことが糧になっていると思います。子育ての仕方が分からないと悩むのは、皆そうです。
父は無宗教でヤギの乳で育ちました。母はいなかったです。父の父は子供の頃に亡くなりました。それでも私は育てていただいたです。偏った父に感謝する心を教えてくれたのは天理教でした。
秀司さんが性病で足を患ったと書かれてます。足を患う性病、何ですか?片足を患う性病とは何ですか?
櫟本の考え方でも十全の御守護の配置は一緒です。国家神道政策で多少無理矢理変えられた部分はありますが、大筋は生きていると思います。
全てを洗脳だったといって切り捨てるべきではないと思います。
別居されて信仰を守った方は、全てが嘘だったと思わないでほしいと思います。
私は十全の守護の配置に感銘を受けています。配置で対になる御守護を裏守護といいますが、裏守護で一方が見落としがちだけれど、大切にしなければいけないことが裏守護で出てくるという、人生の妙があります。うまく表現出来ませんが、大筋で理屈としてあっていることを否定してしまうのは、人生の法則を失うことでもあると思います。
一般家庭ですが、子供と一緒に旅行に行ったのは実家が連れていってくれた父親なしの一回だけ。旅行にも行ってないです。
確かに子供の頃は旅行によく行きましたが、小中学生の頃夜中の0時まで勉強させられる毎日でした。
一般家庭には一般家庭の苦労がありますよ。
信仰で離婚しそうになられている方に私の心も泣きそうですが、決して天理の芯の部分が間違っているわけではないと私は思っています。
子供おぢば帰りは泊まりで子供と一緒に行ったので、旅行といえば子供おぢば帰りですね。
ちなみに梅毒では妄想や進行性麻痺が出たりするそうですが、麻痺に至るまで時間がかかると思います。18から症状の出ている秀司先生には性病からの症状というには早すぎるように思うにですが。
宗教家業最聖感とお地場の人事は、間違ってるんでしょうね。
そのせいの選民観念と専従者同士の上下関係やイジメがキモイんですけど。
でも、そのほかはいい教えだと思いますよ。専従の方もお人よしというか、善人が多いですしね。
配置で対になる御守護を裏守護といいますが、裏守護で一方が見落としがちだけれど、大切にしなければいけないことが裏守護で出てくるという、人生の妙があります。うまく表現出来ませんが、大筋で理屈としてあっていることを否定してしまうのは、人生の法則を失うことでもあると思います。<<
大筋の理屈、これは天然自然の真理で、相反するものが互いに補い合って1つのものが完成します。宇宙の森羅万象はこの真理で成り立っていて天理教が特別な事を発見した訳ではなく、科学の世界でもこの真理を否定したら全ての現象が成り立たない世界です。天理教の専売特許ではないです。
貧困は世界的な課題です。貧困を推奨する流れは今のところありません。神の望みは真の意味での豊かさです。我々には知らされていませんが、教祖は食べて着て、楽しめ楽しめと言う言葉を残されています。贅沢せよではありません。天の与えは享受すれば良いと言う事です。与えを返上させて貧困を推奨しているのが現天理教です。
相反するものが補いあって一つのものが完成するという宇宙の森羅万象とは分かりやすい表現ですね。十全の御守護の場合その2つは相対する位置にあって、その2つが相関関係にあるとは普通に生きていたら気がつかないことが表にまとめられていると気がつきました。ここはまさに教えの部分だと思っています。
また現代の教育が追い付いていない部分でもあるのではないかと思っています。
記憶が曖昧ですが、「食べるもの、着るものに心をわずらうな」といったような意味のことは聖書には出てくると思います。
神の望みが物質面でのいきすぎた豊かさだと私には思えません。
世界の方々の衣食住が整うのは大切だと思いますが、貧困でなければ育たない感性ということも存在していると思います。
貧困を貧困と思わないで楽しむことをおっしゃっているのではないでしょうか。
>>ちなみに梅毒では妄想や進行性麻痺が出たりするそうですが、麻痺に至るまで時間がかかると思います。18から症状の出ている秀司先生には性病からの症状というには早すぎるように思うにですが。<<
性病は胎内感染する場合もあります。胎児が性病に感染した場合、出生直後から知的障害等を発症する場合があります。
崩壊様
逆もまた真なりという言葉を御存知だと思います。その言葉の固定観念で見られたお母さん方がどういう思いで受け止めるでしょうか。
お母さん方がそういう目で見られるかもしれないということも考えて書きこまれていますか?
私はそういう子は必要があって、愛し慈しむことを皆に教えてくれるために生を受けて頑張ってくれていると思っています。尊いことだと思っています。
シングルマザーのことも書きこまれておられましたが、シングルマザーはPTA活動を通してボランティアはされていると思います。シングルマザーはかけもちをしながら頑張っておられて、明るく逞しく頑張っておられると思います。
>>逆もまた真なりという言葉を御存知だと思います。その言葉の固定観念で見られたお母さん方がどういう思いで受け止めるでしょうか。
お母さん方がそういう目で見られるかもしれないということも考えて書きこまれていますか?<<
一般論のつもりで投稿しましたが、そこまで考えが及びませんでした。深くお詫び申し上げます。
>>シングルマザーのことも書きこまれておられましたが、シングルマザーはPTA活動を通してボランティアはされていると思います。シングルマザーはかけもちをしながら頑張っておられて、明るく逞しく頑張っておられると思います。<<
私の知人のシングルマザーを引き合いにだしましたが、シングルマザー全てが精神的にゆとりを持てず、苦労しておられるという総論的印象を与えてしまったようです。この件についても深くお詫び申し上げます。
匿名 様
> 神の望みが物質面でのいきすぎた豊かさだと私には思えません。
世界の方々の衣食住が整うのは大切だと思いますが、貧困でなければ育たない感性ということも存在していると思います。
貧困を貧困と思わないで楽しむことをおっしゃっているのではないでしょうか。
匿名様、最近やっと、まともな反批判の書き込みが出て来るようになって、嬉しく思っています。
匿名様の言われていることは、よく分かります。私も貧から学んだ事は多くあります。
ただ、望んで貧困にならなくても良いと思いますし、もし仮に、それが騙されて貧困になったとしたら大いに問題が残ると思います。
「貧におちきれ。」と指導している者たちが自分たちだけが豊かになるシステムを作り上げていたとすれば許される事ではありません。
これは、ほんの一例です。
大教会記念祭における最低ラインの予算書(部内50ヶ所)
御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
私も貧しさから多くを学びました。天理教を揶揄されたり太鼓打ちやお手ふりを真似されたり、、、そこからも学びました。弱者や少数者の痛みを。
私も芹沢氏の著書に慰められましたし力をいただきました。やはり、芹沢氏と同じように晩年の2代真柱にお会いになったこの方の著書から自分の疑問は間違ってなかったと確信を持った青地晨氏の『天理教』(1968年)の中で提案されたことが正しかったと現在の状況で思っています。
P301「、、、、、こうした教勢の下降線を打開するためには、どうしても天理教の信仰革命が必要である。その第一着手は、世襲化し、固定化し、停滞した教会制度そのものの改革が先行するであろう。教会制度を根底から改革することなしに、天理教の火は燃えない。天理教の将来はない。ことに大教会長の世襲制は、まず第一に検討すべき対象である。第二に真柱、大教会長など貴族化した教団の最高幹部が率先して教祖の<ひながた>を実践して、単独布教の意気ごみで布教に打ち込むならば、二、三年をいでずして天理教は面目を一新するだろう。これは言うにやすく、行うに難いことはいうまでもない。だが天理教に危機を真に打開する道は、基本的にはこの道以外にはないのである。第三に天理教の布教活動を、現代人の要請に密着させることである。天理教は現代から遊離している。宗教は、その時代の人間が苦しみ、救いの手をさしのべている問題から遊離してはならない。、、、、、、、前真柱(2代真柱)は<心の成人>、<陽気ぐらし>、<助け一条>などを説いたが、それらは抽象的な心の持ち方を説くだけなら、それは日本人の当面している危機となんのかかわりも持たないだろう。、、、、、、、天理教の救いは、死後の世界ではなく、あくまでも現世救済である。現世救済の天理教が、日本と世界とが直面している危機を避けてとおっては、現代から取り残されるだけでなく、信仰のエネルギーは衰弱するほかはない。天理教の信仰革命は、こうした問題と深くかかわりあっているのである。」80年祭後すぐのこの本に触れた時は的えた指摘と思いましたが今日の天理教になるとは思っていませんでした。
前コメントはmamiです。
梅毒と母子感染
妊娠初期の妊婦が梅毒に感染すると、流産、死産、母胎内死亡になりやすい。
出生後、3週間から3.4ヶ月で皮膚、骨、内臓、脳に影響
長じてからの発症は、目、歯、耳、そして回帰性関節炎(関節リウマチ)だそうです。
母親が未治療の場合、40%に胎児性梅毒が出るとか。
近年、梅毒患者が増えてきているらしいです。先天梅毒の赤ちゃんも年々増えているとか。
治療せずに不特定多数の相手に移しているんです、恐いですね
現代でこうなんですから、あの時代は相当な感染率だったでしょう。女遊びの夫に移され、未成年の女衆にも手を出すわで妻の心中いかばかりか。そりゃ胃潰瘍にもなりますわ。かのさん、レイプされるわ、犯罪者にされるわ可哀想過ぎます。実在の人物かどうか分かりませんが。
昔から女は業が深いなんて言われてきてますが、男からも、味方になるべき同性からも、長年にわたり、理不尽な扱いをされていると、身体も頭の中も異常な状態になってきて、ある日突然爆発するんですよ。
それが神憑りの様に思われる。その後、力関係は逆転して、妻が一家の中心となる、のです。
青地晨氏の『天理教』(1968年)の中で提案されたことが正しかったと現在の状況で思っています。<<
301p以下の文章は、正にその通りと思います。信仰革命から目を背け、結果として廃れてしまった現在の天理教の姿。天の理としての結果を見せています。
長く信仰して来た者として感じる事は、天理教はスローガン倒れと言う事です。掛け声が抽象的で、実際にはどうすれば良いのかが、わかりにくい。
陽気暮らしとはさて?人類がどう言う形になるのがゴールの姿なのか?
助け一条とは?具体的には我々信者はどう言う助けをするのをを親神は良しとするのか。人を天理に呼ぶ事?修養科に入れる事?別席を運ばせる事?それとも単純に人に手をのべ助ける行為?一体どう言う事を行動したら親神に褒められる行為ですか?
心の成人とは?
我々信者は具体的にはどう言う人間になれば成人したとして親神の目に叶うのか、、、?
陽気暮らし建設とは?
陽気暮らし世界実現に向けて、とは?
どう言う姿が実現後の姿なのか?
抽象的掛け声で無く本部はそのイメージを知らせて欲しいです。もやもやの霧の向こうにある陽気暮らし実現後の世界。何をどう行動したら良いのか、信者がイメージ出来るようきちんと説明して欲しい。
(もっとも、代々お金第一主義の天理教本部としてはぼんやりさせていた方が都合が良いのは分かっています。「皆さんの頑張りで陽気暮らし世界が実現しました。解散!」となってはお金を集める教団最大の意義がなくなりますからね。)
上記は素朴な疑問です、、、。
退職した元信者 様からの情報、ありがとうございました。
(元の文がだいぶ上へスクロールしないと読めませんので下記にコピペします。)
☆退職した元信者 2019年10月14日 9:35 AM
≫追伸 「月より神言」を検索するとトップページに 「6.お日様の東京講演より」の項目があります。
そこで 須藤花井さんの話が聞けます。
音声ファイル、早速聞かせて頂きました。
バツ印が付けられた地図は現存するのでしょうか?
会場では資料が広げられたようでしたね。
退職した元信者様は以前、須藤花井さんと車で回られて3.11の被災地に×印を須藤花井さんが付けるのを実際にご覧になった旨、投稿されていました。
拝読したことが具体的に、肉声で聞かされますと、或る意味では覚悟が固まる感覚を持ちました。
そして、なんと!===ポールシフト===にまで話が及び、これは驚きでした。
(注:ポールシフトという言葉は使用されていません。その「現象」が起きる事を繰り返し話されています。)
現天理教団とバリ天の言い分などはもう、どうでもよいゴミのようにも感じるほどの衝撃でした。
ポールシフトに関しての説明が、神様の説明として、納得いきました。
衝撃的です。
月よりの神言のホームページをひらいて「6お日様の東京公演」を開いてみましたが、その1は音源が聞けますが、その2、その3はアルファベットによる「サービスノンアライアブル」の表示が出て、視聴出来ません。
視聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。
上記の匿名です。
視聴出来るようになり、解決しました。お騒がせしました。
天理時報で「金の繋ぎをようき世界実現に!」とかバンバンかかれてて正直爆笑してしまった。本当に終わってます爆笑 天理教さんは宗教団体だったのではないでしょうか? 天理教の機関紙は天理教と言う宗教の素晴らしさを伝えるためにあるのでは?経済の事は経済紙や経済誌を見ればいいのでは?中山家も天理時報も焼きが回ってますね(笑)金に困ってなりふりかまわず行儀が悪いですねー御仕置が必要ですね爆笑
そもそも「ようきぐらい」の説明をしてください。出来ないでしょうけど(笑)
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
中山の人間ってほんまにアホなんやな
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
>>天理時報で「金の繋ぎをようき世界実現に!」とかバンバンかかれてて正直爆笑してしまった。本当に終わってます爆笑 天理教さんは宗教団体だったのではないでしょうか? <<
天理教は、公的(表向き)は宗教団体としての認可を受けていますが、実質は「宗教団体」を名乗るのもおこがましい団体です。
文化庁の「宗教年鑑」によれば、現在、日本の国には18万以上の宗教団体がありますが、年々、国民の「宗教離れ」が進み、日本に古来からある仏教寺院や神社ですら、「経営難」に陥ってきているということです。では、どうして、日本の国内に18万以上の宗教団体が存在するに至ったか? 私なりに考えてみるのですが、これまで、宗教法人は税制面で大変優遇されてきたということです。「お供え」、「お布施」、「固定資産税」は非課税、言葉は悪いかも知れませんが「坊主丸儲け」のような税制面での優遇措置があるからだと思います。
語弊があると思いますが、これまで大変儲かる「ビジネス」であった「宗教経済」が「国民の宗教離れ」によって、陰りがさしてきたため、天理教に限らず、日本に存在する宗教団体は、大なり小なりの危機感を持っていると思います。
この際、宗教法人に対する税制面での優遇措置を撤廃し、国税局が個々の宗教団体に税務査察に入れるような体制に変えていくべきだと思います。もっとも、宗教法人が18万以上も存在すれば、国税局の査察も物理的に不可能かもしれませんが、せめて、課税はするべきだと思います。
匿名
2019年10月16日 11:48 AM
経済面から見たらそうですね。「日本は借金が」等などTVでも言ってますが、あれは体内借金で日本国内の国民や民間企業からの借金です。TVや新聞は日本国民を馬鹿にしてますからね。
中山家と天理時報も読者を馬鹿にしてますしね。
即位の礼に関して、「式はするが、パレードは延期」になったようですね。皇室が国民を見つめていて良かったですね。素晴らしい政治判断だと思います。
天皇家と中山家では月とすっぽん雲泥の差です。世界から認められる天皇家と、信者にも見放されていく中山家例え話には良いですが、もう比べようが無いですよ。日本の左翼系学者ですら「天皇の発言にはとてつもない政治的威力がある」と恐れていますし、日頃無関心の国民ですら、韓国の大統領が「日王謝れ!」と言っただけで「ふざけんな韓国如きが!」と切れるわけですし、反日政策から方針転換できない韓国は後にGOSOMIA(軍事情報協定)で自滅していくわけです。
部内の土地詐欺問題から、皆さん本当に気が付いて来たみたいです。あの話は本部だけ生き残る政策なので、本部以外からの反発批判がとうとう出てきたそうです。私の系統でも「本部がおかしいから離脱を本当に考えている」と言う言葉今まで口にしないような会長さんからも出てきてます。それを大教会長にも上げてます。やはり「先祖や信者さんがお供えしてくださった土地を本部に?なぜ返せと成る?」と疑問は起こりますし、それを通り越して怒りに変わってる方も多いようです。本部への信頼は一気に崩れましたね。本部は「中山家の神格化をしたいが、金が無い、金が無いから部内の土地売却しちゃえ!」と短絡的に考えてしまったのでしょうが、そもそも中山家は神でも何でもありません。真柱は脳卒中の病人 ただの人です。それを神だとは高慢と言うものです。それは神の怒りを買います。それが今の真柱と中山家と本部の姿です。
>>即位の礼に関して、「式はするが、パレードは延期」になったようですね。皇室が国民を見つめていて良かったですね。素晴らしい政治判断だと思います。<<
はたしてそうでしょうか? 私は左翼主義者ではありませんが、元号が平成から令和になり、天皇皇后両陛下が新しく即位したことは、国民だれもが周知しているはずです。1台8,000万円もするトヨタセンチュリーをオープンカーとして新調し、ものものしい警備をしてまでパレードする必要があるのでしょうか? おそらく巨額の費用が必要だと思います。台風19号で甚大な被害を受けられた被災地や被災者は、復旧のために必死です。途方にくれ、疲弊しています。天皇皇后両陛下のパレードどころではありません。いかに国事行為といえどもパレードを中止し、浮いた経費を災害復旧に充てるべきです。それが「人たすけ」だと思います。皇室が国民を見つめているというよりも、内閣が皇室に遠慮しているだけだと思います。
崩壊
2019年10月18日 4:18 PM
贅沢問題も国民目線で語るほうが間違いなんです。民間の資産と、そういった類の事もTVや新聞が無責任に書いてますが、民間の資産と国の財政は全く持って別です。国には通貨発行権と税金があるからです。
総理大臣の給料や裁判官の給料がなぜ高いのか、安くしたら買収されるからです。国王や共産主義の主席でも警備するのは当たり前です。
疑問に持つのは良いですが最後まで調べたほうが良いです。
【新教理】 金の繋ぎをようき世界実現に!
2019年10月18日 1:01 AM
教祖は「コロコロかわるから心」 とは言うたが教理コロコロ変えるとか中山家はブレブレやな笑
真柱さんは発症後あまり時間の経過なく電車で東京から帰ってきたと聞いています。それぐらいの状態なのに今の状態を、アナウンスありませんのでわかりませんが考えますと、もう一度発症したのかなと思います。続いての発症は厳しいのではと思います。
勝手なこと書くなと思う人は本当の現状オープンにしてください。
真柱さん、この身上でいくらお供えしたのかな、足りないから治らないのでは?
>民間の資産と国の財政は全く持って別です。国には通貨発行権と税金があるからです。<
民間の資本や資産も、株式会社であれば、資本は株主が出資したものです。資産も企業が資本をもとに営利活動をして築いたものです。国や地方公共団体の行政も国民が納めた税金で行われています。
>総理大臣の給料や裁判官の給料がなぜ高いのか、安くしたら買収されるからです。国王や共産主義の主席でも警備するのは当たり前です。<
総理大臣や裁判官の給料を安くしたら買収されるというご意見も極論かと思います。要は総理大臣や裁判官の資質の問題だと思います。十分な給料をもらっていても、ロッキード事件で逮捕された総理大臣が過去におられました。
>月よりの神言のホームページをひらいて「6お日様の東京公演」を開いてみましたが、その1は音源が聞けますが、その2、その3はアルファベットによる「サービスノンアライアブル」の表示が出て、視聴出来ません。
視聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。聴できる何か別の方法がありますでしょうか。どなたか教えていただけたら嬉しいです。
私が、「月よりの神言」のページで須藤花井さんの肉声が聞けると投稿したのでアクセス数が増え繋がりにくくなっているとの事でした。
本部から真柱の病状のアナウンスがないのは誠に不思議で不誠実な対応です。どうして隠したがるのでしょう。信者に言ってきた事と自らの姿とに合理性が無くて、つじつまの合わない状況に落ちっているからでしょうね。
命のつなぎはどれだけしたのでしょうね?完治しない、或いは再発症したなら、つなぎのお金が足りないんでしょう。
信者の方からハッパをかけてあげましょう!真柱さん、命のつなぎは金ですよー。しっかりとお金をつないで完治した姿を見せて下さいねー。
そうじゃないと、「命のつなぎは金」と言う信者に向けた教理の説得力はゼロでしょう。
この教団は品のないお金の匂いばかりがして、神に対する崇高さ、気高さが感じられません。俗世界と同じレベルのまたはそれ以下の人間が神を語るからどうしたって神には近ずけないし、現在の様な本部の醜態をさらしているのは当然と言えば当然ですが。神とは正反対のトンチンカンな事ばかりです。
須藤花井さんの語る世界の方がより神を感じますね。金、金、金の世界は世俗の世界。須藤花井さんによれば2030年に何か起こるらしいが、後11年。丁度その頃、天理教が終焉を迎える頃になる気がしています。
終焉に向けて今年手始めに天理教にとっては非常に大切な筈の学校を閉鎖しましたね。終焉に向けて神が手引きしている様に思えてなりません。
天理時報で金の話をしてましたがこれは中山教の言い分です。本当の天理教では人の心を神がほしがると言ってました。神が本当に欲しがってたのは中山家の改心でしょう。それがもう果たせない反省の色も無い懺悔も出来ないのであるから、甘露台、真柱を引き取り始めたのでしょう。それでも金や土地やと省みない本部に対して次は教団を引き取るでしょう。人間が作ったお金など神様はいりません。それよりも真の信仰心あるいは命を欲しがるでしょう。上層部も神のお引取りがあるでしょう。
「金の繋ぎによるようき世界の実現」なんですかこの無意味な夢物語は?天理教は無駄な建築しろとは誰も言ってませんよ(笑) 今の天理氏の巨大建造物はただの陰気でしか成りません。陰気ぐらい世界は早く無くなるべきです。
>真柱さん、この身上でいくらお供えしたのかな、足りないから治らないのでは?
お供えしても自分のふところに戻ってきてしまうじゃないですか 笑 笑 笑
この言葉、本部に直接言いに行ってみたらどうですか?笑
匿名ですさんは金額の多寡で身上が治ると本気で思っているのですか?
だとしたら重症です。洗脳による悲しい被害者ですね。
それとも嫌味やギャグで書き込んだんですか?
金額で治療が決まるなら病院で十分です。神様はお金いらないですし、金欲しがってるのは中山家ですよね。ちなみに中山家は神ではありまえん。神の名前を利用した宗教家とも呼べない詐欺師と言うと一番しっくり来る一族です。現在四方八方か天罰が下っております笑
2019年10月18日 6:52 PM 発言の「匿名 様」へ
「疑問に持つのは良いですが最後まで調べたほうが良いです。」と崩壊様宛てに投稿されていました。
失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
その原因は偏った食生活(偏った情報)なのか、生活を共にしていない私には判りませんが、最近、良薬を見つけましたのでお知らせします。
YouTubeで経済解説をされている黒川さんという方の考察がそれです。
あらかじめお断りしますが、この方は政治活動をされていますが、注目していただきたい点はそこではありません。
経済を学ぶ一つの指摘として参考になるかと思うのです。
匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
YouTubeは誰でも発信できるだけに、その真偽を見分ける力が必要で、騒がしい世の中になったものだと「ボンヤリ」生きるのも一つの生き方かとも思えるほどです。
けれど、天理教に関してはボンヤリ見過ごすことは社会悪を産むことになるのでできません。古い元教会長様や「匿名」様(東京教務支庁記念祭に関する投稿の)ご指摘のような中山家総出でお礼金を集金するような行事に関しては、例えば大亮夫人が「私は東京へ行くのやめとこう」とさえ決断すればすぐにでも一つだけでも改善が実現できるのです。
現状認識ができていればの話ではありますが。
YouTube
オリーブの木ちゃんねる旧ピープルパワーTVチャンネル
(登録者数 9.52万人)
真柱さん、お供えをされるのであれば、、お供えをする先を間違えてはダメです。世間にはおカネで困っておられるところが多いんです。
ホームレスを支援する団体、子供施設、介護施設等々、数え上げればいくらでもあります。
そのような方々へ、どうぞ使ってくださいとお供えするのです。そうすれば、おカネは生きてきます。
大亮君がいちれつ会に寄付なんて、所詮は身内間の遣り取りで、このおカネは死に金です。
常々、施しを説きながら何も分かっていらっしゃらないんですね。我さえ良ければの典型です。
>>真柱さん、お供えをされるのであれば、、お供えをする先を間違えてはダメです。世間にはおカネで困っておられるところが多いんです。
ホームレスを支援する団体、子供施設、介護施設等々、数え上げればいくらでもあります。
そのような方々へ、どうぞ使ってくださいとお供えするのです。そうすれば、おカネは生きてきます。<<
まったくその通りだと思います。過去から信者から搾取してきた「お供え」を全て「生きたおカネ」として「社会に返却」するべきです。
匿名様
>例えば大亮夫人が「私は東京へ行くのやめとこう」とさえ決断すればすぐにでも一つだけでも改善が実現できるのです。
そうすれば、接待費と交通費は、わずかながら節約は出来ると思います。
しかしながら、大教会の記念祭となると、来られても来られなくてもお礼は包む事になる筈です。
>>そうすれば、接待費と交通費は、わずかながら節約は出来ると思います。
しかしながら、大教会の記念祭となると、来られても来られなくてもお礼は包む事になる筈です。<<
そもそも「集金旅行」を全廃するべきだと思います。
そもそも信仰は教祖のひながたの道をたどるのが、真の信仰の姿で、これがお道と言われる所以です。
例えば、嘘っぱちのひながたを説いて、有りもしないこかんさんの浪速の町の神名流しを、さも、ひながただと説いて未だに神名流しがお道の一端だとばかりに、天理王命ののぼりを立て、拍子木を打ち鳴らして歩む姿は、お道でも何でもない。
大阪の町に、こかんさんが神名流しをしたという伝言なり、記録が残っているのだろうか。お陰参りの伝言を聞いたことはあるが、神名流しの伝言を聞いたことはない。
話しは逸れますが、暗がり峠はお陰参りの通る道だとも聞いたことがあります。
9月22日付けの天理時報は、特別企画・おぢばから天理市長滝町へは、本当の話なのか。
以前、聞いた話と、この時報の記事には相違があると思うので書いてみます。ただ、どちらが言ったり、書いたりした記事が正しいのかは読まれる方の判断にお任せします。
稿本教祖伝によれば、修験者の中野市兵衛が、寄加持の台に勾田村の「そよ」を雇うのが常であり、と書き、この1年の間にも市兵衛宅で9回も寄加持をしていたとも書いている。
たまたま、天保9年10月23日は生憎と「そよ「」が不在だった。そこで「みき」が加持台を勤めることになったと。
ところがです。聞いた話では、勾田村の人別帳を入手した天理大学のある教授はこの人別帳を天大付属図書館に寄贈された。後日、この教授が必要あって、この人別帳の閲覧を申し入れたが、すでに図書館にはなく、閲覧できなかった。
この人別帳には「そよ」なる人物の記載が無かった為に、処分したのだろうか。と聞く。
これでは立教の基本部分の著述が壊れてしまう。
更に、長滝村の中野市兵衛宅は今もご子孫が居られ、この子孫が言われるには市兵衛は学僧であって、祈祷師のようなことはしておらず、天理教の説明に困惑憤慨されていると聞いた。
時報には、市兵衛宅に残されている物の写真が掲載されているが、ご子孫へのインタビュウー記事はない。
一体、どちらが本当のことなのか。
立教の根本部分の教団による著述にすら疑問が残るのであろうか。
1990年から1995年ごろに、橋本氏なる人物が中野宅を訪ねられて聞かれた話だと聞いていました。
匿名
2019年10月19日 8:48 AM
現教団にたしては完全否定派ですよ笑 皇室と中山家は次元が違う。と言うことです。
あとオリーブの木ちゃんねる旧ピープルパワーTVチャンネル の 黒川あつひこ と言う方 「オリーブの木」からふと思ったのですが、この方左翼系の経済論者ですよね。ラインナップを見てもソフトバンク倒産?、デリバティブ破綻?
左傾経済論者は同じような話しっぷりですね。有名どころで言うと、同志社大学教授の浜矩子が同じような手法です。
センセーショナルな話題で気を引く宗教で言えば「終末思想的手法」で危険ですし大きな予測何一つ当たってません。
経済詳しい人なら、左傾経済論者をデータには使いません。せめて21世紀の資本論のトマピケティぐらいにすべきです。
匿名
2019年10月19日 8:48 AM
>>崩壊様宛てに投稿されていました。
>>失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
>>匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
等など、指摘しているるもりでしょうが、事がらに対しての明確な指摘 反論の論拠も曖昧です。私の文章をちゃんと読解してない証拠です(笑)勧めている黒川と言う人も、意味不明です(笑)
崩壊さんの事を指摘したのでなく、「皇族と中山家、国家と教団」 を比べると間違えますよ?
と言う 事に対しての反論を述べたまででし
>>崩壊様宛てに投稿されていました。
>>失礼ながら正直なところを述べさせていただくと、消化不良のご様子。
>>匿名様に「たてつく」つもりはありませんが、「情報」取得にはおのずから限界がある事を前提として、議論を進めるべきかと思い至った次第です。
↑この入り口は事の入り方ではなく、人に対しての入り方で意味不明ですし
事の指摘を出来てない以上それはあなた自身が理解できてない事を意味します(笑)
なにが言いたかったのか不明ですが、新手の 通りすがり さんみたいですよ(笑)
崩壊
2019年10月19日 11:20 AM
>>「集金旅行」を全廃するべきだと思います。
その通り真柱はじめ本部は金銭の授受を拒否して巡教べきです。だがしかし天理時報でカネカネ言ってるぐらいですから集金は加速するでしょう。修理人巡教でも各教会でカネの話で顰蹙買ってます。本部で苦労を知らないのだと言うのが皆さんの意見ですね。頭痛い
「匿名」が多くて誰が誰だかサッパリ分かりません。私がアホなだけですか?
せめて匿名の後に記号を付けるとか、性別、年代とか付けて下さるとすごく助かります。
>>修理人巡教でも各教会でカネの話で顰蹙買ってます。本部で苦労を知らないのだと言うのが皆さんの意見ですね。頭痛い<<
修理人巡教は迷惑です。修理と言う響きも吐き気がします。何も知らないぼんぼんが、苦労している下々の所へ来て、何を修理するのか?こちらこそ彼らを修理したいです。しっかりしろと言いたいところです。
猫の小判を握らせても、豚に真珠を持たせても、神の目に叶う使い方を知らない。
自分の懐を温める事しか眼中にないのです。70歳でお手当ストップ。これからも全国を乞食旅行するんでししょう。
お知らせします
2019年10月19日 3:36 PM
>>「匿名」が多くて誰が誰だかサッパリ分かりません。私がアホなだけですか?せめて匿名の後に記号を付けるとか、性別、年代とか付けて下さるとすごく助かります。
名前を入れたい方は入れれ場言いと思います。加藤ハルアキさんなどは、ご自身でブログをやっているので名前を売りたい部分もあるでしょうから
匿名性の議論については、以前もなされ中山家の人間ほど匿名を嫌がり名指して攻撃するので匿名である事になりましたよ。ハドルネームに関してもさほど必要は無いと思います。意見を大切にする場で名前はさほど大切ではないです。ましてや、性別年代に拘る意味も無いです。結婚相談所ではないです。こちらは天理教の教理と実像の解離を嘆く憂う意見する場ですから自由性の方が大切です。
それにあなた主でもないのに、「お知らせします」等とはおこがましいです。ネット初心者なのかどうなのかはさておき恥ずかしいのでそのような書き方はおやめになった方が良いです。過去にもこちらに集う方々は議論を積み重ねて今の形になっているのです。過去の書き込みを読んできてはいかがでしょうか
本質を深く見つめた方がよろしいと思います。誰しもが分け隔てなく書ける場、異論反論があってもそこから個々に学べる場それが無いから教団も世の中もおかしくなったのですから
中山系の人って個人を特定したがったり現体制に都合の悪い事を発言してる人に特定や名指しをしたがりますよね。全て嫌がらせをする為ですしね。教団のネット監視団の青年なのかな?(笑)ちゃんと天理教をt理解して欲しいですね。中山家中心で物を考えるからおかしい事に気がついてほしいですね。
匿名 様
2019年10月19日 2:48 PM
>>崩壊さんの事を指摘したのでなく、「皇族と中山家、国家と教団」 を比べると間違えますよ?
と言う 事に対しての反論を述べたまででし<<
「皇室と中山家」、「国家と教団」というのは、あくまでも人間が人為的・政治的に作りだした「組織や階級の違い」であり、個々の組織を構成しているのは、宗教的に言えば、神様が創造された同じ人間です。いかに皇室といえども、太平洋戦争が一旦終結し、極東国際軍事裁判で昭和天皇の戦争責任が問われ、昭和天皇がA級戦犯として処刑されていれば、日本国の体制や世界情勢は大きく変わっていたでしょう。昭和天皇が処刑されなかった理由は、GHQが戦後の日本が左翼化し、ソ連や中国と同盟関係を結ぶことを怖れたからではないでしょうか? 天皇制を温存することにより日米安保条約の締結が比較的容易になり、日本に米軍基地を置きやすくなるというアメリカ側にとって大変都合の良い思惑があったからだと思います。
崩壊
2019年10月19日 6:56 PM
天皇の戦後史はそれで間違ってないと思います。だから何があったんですか?と言う蛇足に過ぎません。
「国家と教団」の経済規模の違い、国家と民間の経済の仕組みの違いがあるいのにもかかわらず同じに語っていたので 説明しただけです。
理解できないですか?
崩壊
2019年10月19日 6:56 PM
崩壊さん はまず自分が天皇や国家に例えて何がいいたいのか?を主張するほうが先決です。 崩壊と名乗って以上教団が崩壊するをお望みなのでは? 無駄に他の方に屁理屈捏ねてると自身の主張が崩壊しまよ。
匿名 様
2019年10月19日 7:15 PM
>>天皇の戦後史はそれで間違ってないと思います。だから何があったんですか?と言う蛇足に過ぎません。
「国家と教団」の経済規模の違い、国家と民間の経済の仕組みの違いがあるいのにもかかわらず同じに語っていたので 説明しただけです。
理解できないですか?<<
理解できないですね。天理教の教理では、「世界一列は皆、兄弟姉妹や 他人というはさらにないぞや」という教えです。たとえ、経済規模や仕組み、政治構造が違ったとしても、そうした「垣根を超えて」、同じ人間であるという真実には違いがありません。困っている人や苦しんでいる人を見れば、何とかして力になりたいと思うのが人間としての当然の心情ではないでしょうか? 現に、台風の被災地には、土曜日、日曜日にも関わらず、小学生らしき子どもをはじめ、多くの人々が復旧ボランティアとして集まっておられます。現地に行けない高齢者の方でも、乏しい年金の中から自分のできる範囲で経済的支援を申し出ておられます。私も現地に行くことはできませんが、少しですが救援募金をさせていただきました。人的支援、経済的支援以外にも支援の方法はいくらでもあると思います。
匿名 様
2019年10月19日 7:20 PM
>>崩壊さん はまず自分が天皇や国家に例えて何がいいたいのか?を主張するほうが先決です。 崩壊と名乗って以上教団が崩壊するをお望みなのでは? 無駄に他の方に屁理屈捏ねてると自身の主張が崩壊しまよ。<<
私は、このままでは、現天理教は何もしなくとも自然に崩壊し終焉を迎えると思っています。先の投稿でも述べたように、天皇制や国家という垣根を超えて、同じ人間である以上、こうした非常時には人間として当たり前の行動をとるべきだと考えています。私の意見を屁理屈と解されようが、そうでなかろうが、それは読者の方々個人の自由だと思います。 以上
崩壊
2019年10月19日 8:08 PM
崩壊さんはもう少し理解力のある人だと持ってたんですがね。その文脈だと「教えでは〇〇だから〇〇でなければいけない!」と言う主張で万人に受け入れがたい話し方です。悪い例で言うと、通りすがり となんら変わらない文脈です。簡単に言うと洗脳されたままです。現教団もそうですが、教祖中山みき ですら達成できなかったことですしね。そう言うのをきれいごと言いますし感情論なんですよね。ここの人は、色々な方が居ます。教団否定、教理賛成 の方や、教団も教理も教祖も否定 の方も居ます。形に囚われないで様々な視点から様々な意見を取り入れて予測を立て探し出す方が大切です。
「理解できないですね。」と理解できない時点で話は終わりですがね。議論にもルールがあるので、崩壊さんは崩壊したと言うことですね(笑)
「世界は今よりもっと深い光を必要としています。私はそれを見い出し、それを分け与えたいのです。それにはどうしたらよいでしょうか?」
「真理を知れば、人類に最善の奉仕をするためになすべきことが正確にわかる。また、それをする力にも事欠かないだろう。もし花に蜜があるならば、ハチは自然にそれを見つける。もし人が霊的な知恵と力とをそなえていれば、彼は人々を探しに出る必要はない。頼まれなくても彼らの方から来る。内なる自己を十分に知るまでそれを養え。他の教えは必要ない。することはこれだけだ」
矛盾と言えば矛盾宗教っていい事言っておきながら、階級制なのが殆どですし下らない(笑)中山みきですら後に階級制の俗物団体を生み出したに過ぎないですしね。こうなると中山みきにも責任が発生するんですよね。
匿名 様
2019年10月19日 8:26 PM
>>崩壊さんはもう少し理解力のある人だと持ってたんですがね。その文脈だと「教えでは〇〇だから〇〇でなければいけない!」と言う主張で万人に受け入れがたい話し方です。悪い例で言うと、通りすがり となんら変わらない文脈です。<<
私は、天理教の教えをたまたま引き合いに出しただけです。「世界一列は皆、兄弟姉妹や 他人というはさらにないぞや」という考え方は、天理教に限らず、人類が普遍的に持っている「人間の良心」の一つであると思います。
様々な人はここには存在しません。基本さんはどうなりましたか?
他にも書きこみが出来なくなった方々もおられます。
ここは様々な意見があるのではありません。
このサイトを今もカインさんが運営しているのか、カインさんが元所属されていた所が運営されているのは知りませんが、誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。
>>「理解できないですね。」と理解できない時点で話は終わりですがね。議論にもルールがあるので、崩壊さんは崩壊したと言うことですね(笑)<<
理解できないので理解できない旨をお伝えしたまでです。議論のルールとして理解できないとの答弁をして議論を中止したら、国会や地方議会その他の会議は成り立たなくなると思います。
真理を知れば、人類に最善の奉仕をする為になすべきことが正確にわかる。<<
本当にその通りですね。
真理。物事の本質を求める事でしょうか。
今の天理教は真理つまり神の本質を求める事を忘れてしまい、人間がこしらえた俗物、「お金」に心奪われ、お金に振り回されている俗物中の俗物。
金がある時は無駄ずかいをし、金が無くなれば信者に無心する。
>>真理を知れば、人類に最善の奉仕をする為になすべきことが正確にわかる。<<
難儀している人、困っている人を見れば、やむにやまれない気持ちになり、自分が今できる精一杯のことをする。真理であり良心ではないでしょうか。
崩壊
2019年10月19日 9:09 PM
理解できないなら理解できるようにお調べになったらいかがですか?
国会もちゃんとした議論なんて出来てないですしね。与党も野党もどちらもダメですね。
そう言う言えば前日の台風19号で多摩川が氾濫しましたが、あれは民主党時代のレンホウ議員が予算を出し渋ったせいと話題ですね
匿名 様
2019年10月19日 9:58 PM
今は亡きイギリスのダイアナ皇太子妃は、いうまでもなくイギリス王室の王族でした。彼女は生前、東南アジアの地雷埋設地帯を防具を身に纏い、地面を這いながら地雷の撤去活動をしていました。知らずに地雷を踏み、脚を無くしたり死亡する現地の人達があまりにも多かったので、「自らの意思」で勇敢にも地雷の撤去をしていたのです。「人たすけ」に皇室や王室と一般国民の垣根はありませんし、国境もありません。「国境なき医師団」や国連のユニセフの活動も同じだと思います。
崩壊
2019年10月19日 11:42 PM
崩壊は、国連が正しい 国境は無いとか、夢見がちで新聞やTVがいうきれい事が答えになってましす。
スマホやパソコンがあれば誰でも調べられるんだからもっとそれらを疑ってもっと調べたほうが良いよ。
匿名
2019年10月20日 3:05 PM
>>スマホやパソコンがあれば誰でも調べられるんだからもっとそれらを疑ってもっと調べたほうが良いよ。<<
鄭重なるアドバイスを賜り、厚く御礼申し上げます。私は、地球儀をはじめ、スマホやパソコンも有していますので、地球上の国境線はほぼ把握しておりますが、再度、調べてみます。(笑)
キレイ事を答えにすると楽なんですが、それだと本部と変わり無くなりますし、騙されやすくなりますね。国連のような かなめ会 それを仕切る本部員会議 ユニセフのように偽善を売り物にしている さいきゅう隊
神の為でなく、中山の為に悪用してますしね。しかも宗教でです。世界はただの政治ですから、宗教家の偽善はそれよりタチが悪い。
匿名様(2019年10月20日 4:26 PM)、やっとまともな落としどころを見つけられましたね。
いきり立って書き込むのも結構ですが、人の投稿をやたらに左翼呼ばわりなさるのは悪い癖でしょう。
天理教には様々な考えを持つ人がいます。何でも決めつけるのでは視野狭窄に陥りますよ。
紹介した黒川さんという人のYouTubeは左翼でも何でもない若者の意見が披露されています。
口先だけではなく実際に経験された貴重なバックグラウンドを持ち、今も社会のために発言しています。
偶然ながらネットワークビジネスにも言及していますから、もしかすると天理教本部近くの青年会層が夢中になっていることを否定されたような気がして、余計に苛立っているのかもしれません。
文章の趣旨を読み誤らないように冷静にお願いしますよ。
視野を広げて頂く良い資料が有ることをお知らせしたまでで、貴男を否定しているのではありませんよ。
正直な所、貴男が自分の考えこそが正しいという姿勢を露わになさっていたので、老婆心ながら少しばかり他の情報も有ることを、ここの板をお読みの方にご披露しただけで、読むも読まぬも各人の判断です。
何もそんなにいきり立つことは無いじゃぁないですか。貴男もきっと成績が良い頭が良い人なのでしょうし、黒川さんという人の動画では明快に経済状況を整理して伝えてくれていますから、視聴すれば得る事もあると思いますよ。しいて言えば一歩前を行く人からの啓蒙という色合いの動画です。
政府や御用経済学者の言いなりになって、挙句苦しむのは一般人です。
これも左翼の意見と仰いますか?
左翼とか赤とか人にレッテルを張る目的は何かあるのでしょうか?そういう無益な行為は私には理解できません。
本当に左翼とか赤とかの人は天理教に関係する訳ないでしょう。
だって、神様を否定する人たちですよ。中学生でも知っている事ですよ。
一昔前の会社社会では、労働組合で活動する人を貶めるために、係長や課長レベルの人は「あいつは赤だ」と決めつける傾向がありました。
その様に言う事で上司に気にいられようとする憐れな心の持ち主です。
上司に「おもねる」態度です。何だか古い昔と変わらない様子が天理教にまだ根強くあることに気が付かされました。貴男が天理教であるのかどうかは知りませんが。
須藤花井さん月よりの神言(お月様(神)からの神言)より。
○今の天理教の組織は一列の陽気暮らしの話をしておりながら、徳川幕府と一緒で江戸家老国家老。世界助けは出来ても、一列ならしの陽気暮らしにはほど遠いぞ。
○天理教の者は、信者がお供を運ぶのが当たり前の様に受け取っておる。運んでおる信者の苦労が分かっておらん。残念な。(私は)天理に入って三十年になりますが今の天理教の組織には納得が行きません。お月様は天理教だけではないぞ。いずれの世界も一緒ぞ(と言われています)。
この言葉を須藤花井さんの口を通した神言と信じるなら、やはり天理教は「神の残念」であり、神様も今の姿を嘆いておられるんですね。親神様にとって、本物と偽物の見分け位は当たり前に見極めておられるし、実害の垂れ流しを放置する訳にもいかないでしょう。
後10年か20年のうちに現教団の方向性を見せて頂けるものと私は親神様のなされる事を期待を持って待っている者です。
横から失礼します。
オリーブの黒川さんの動画のことが触れられていて、少し関心のある話題だったので。
ソフトバンクの破たんなどに触れている方ですから、
現時点では荒唐無稽な話に聞こえるのもわかります。
ですが、リーマンショックだって、その前から警鐘を鳴らしている方はいました。
(本など形に残るもので残されている方もいます。)
全くない、そう一笑に付すのは簡単ですが、傾聴に値する提言もあるように思います。
ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、
単純な「左翼」という区別もいかがなものかと。
(私自身は戦争美化、靖国神社参拝は大反対です。)
安倍政権批判にネトウヨ桜チャンネルが転じたように、
左翼VS右翼 という図式は崩れつつあり、 貧困層VS富裕層 という図式に
世の中は転換しつつあるように思います。
それは、天理教内部における 教団本部・既得権益者 VS その他
という図式に近いように思います。
「熱心」で従順、盲目的に信仰する方々は、この図式の中では
教団本部存続に加担する、既得権益者に属すことになるのかもしれません。
ただただ、自分がこれまで信仰し金と労力を注いだ宗教が邪教でない、
それを証明しようと躍起になり、かえって被害拡大の手助けをしている。
そういう皮肉な図式に見えます。
親との情愛に満ちた関係も築けず、ただ第一に天理教がある家庭に育ち、
教団にひときわ強い憎悪を抱いている者の戯言です。
御読み捨て下さい。
ただ、このページをご覧になり目が覚める方々が増えることを願ってやみません。
匿名
2019年10月20日 7:14 PM
>>匿名様(2019年10月20日 4:26 PM)、やっとまともな落としどころを見つけられましたね。
いきり立って書き込むのも結構ですが、人の投稿をやたらに左翼呼ばわりなさるのは悪い癖でしょう。
天理教には様々な考えを持つ人がいます。何でも決めつけるのでは視野狭窄に陥りますよ。<<
私は、左翼主義者でもなければ右翼主義者でもありません。また、天理教の信者でもありません。天理教からは遠い昔(青春時代)に自らの意思で脱却しました。私がこの掲示板に投稿する理由は、現在、天理教に洗脳されている人達、あるいは、天理教の矛盾や理不尽に気づきながら、天理教から去りたくとも様々な事情で去ることができない人達が、このまま天理教という「どろ沼」に足をとられ、たった一度しかない貴重な人生を反故にしてほしくないとの一念で投稿しております。
最近教内で本部が定年を設けようとしている。なぜこの期に及んで定年を持ち込もうとしているのかと考えてみるとどう見ても金でしかない。先日本部に定年を設け老人の給与を無くすとの書き込みを見ましたが、大教会分教会はじめ部内教会にも定年を持ち込もうとしているらしい。定年にさせて後継者が居ないならとまた土地を収奪する為の政策を考えているらしい。本部には本当呆れた。忌々しさしか感じません。
宗教なのに定年?
2019年10月21日 5:45 PM
>>最近教内で本部が定年を設けようとしている。なぜこの期に及んで定年を持ち込もうとしているのかと考えてみるとどう見ても金でしかない。先日本部に定年を設け老人の給与を無くすとの書き込みを見ましたが、大教会分教会はじめ部内教会にも定年を持ち込もうとしているらしい。定年にさせて後継者が居ないならとまた土地を収奪する為の政策を考えているらしい。本部には本当呆れた。忌々しさしか感じません。<<
おっしゃる通りです。教会本部は人件費の削減を目論んでいるのです。後継者のいない教会の不動産収奪を目論んでいるのです。宗教法人が聞いてあきれます。人間のすることではありません。ヤクザ以下です。これこそ天理教の実態です。皆さん、いつまでも天理教に関わっていればひどい目にあいます。早々に天理教から脱却しましょう。
現在の本部が教祖の仰った事を改ざんしてる時点で親不孝してるので本部を立てる気には一切ならなくなりました。早く本部と中山家は消えてなくなって欲しい。甘露台ももういりません。
煉獄行け
2019年10月20日 10:21 PM
>>ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、単純な「左翼」という区別もいかがなものかと
現在の左派反日派ネットで惨敗でもう反日以外を騙すため愛国を装うことが多々あります。靖国神社参拝するから左翼は反日ではないとは言い切れません。ツイッターでも炎上していたのが、「維新の会の橋下徹と足立議員 が靖国参拝を憲法に盛り込み法改正する」だけで反論を超えて炎上しました。
何故炎上したかというと、「憲法変えたら天皇を動かせる (人気取れる)」との思惑が見え見えだったからです。これを知った支持者からも支持を失い 維新の会ですら売国と断定されましたしね。
橋下徹という人間も口からでまかせが多いですし、専門家から批判本も出されています。
煉獄行け
2019年10月20日 10:21 PM
>>ちなみに、彼は靖国神社に参拝することも行っており、単純な「左翼」という区別もいかがなものかと
「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。まだまだ教内では騙されているかたがたが多いので、多くの騙されている方を助ける為にももっと細部や根本を疑うよう発信していく事が大切です。
匿名 様
2019年10月21日 6:54 PM
>>「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。まだまだ教内では騙されているかたがたが多いので、多くの騙されている方を助ける為にももっと細部や根本を疑うよう発信していく事が大切です。<<
その通りだと思います。これ以上、天理教の被害者を出してはいけません。
私の周りで現天理教に騙されている教会長の方々は本当に素直で純粋で疑う事をしない、いわゆる良い人達が多いです。ひたすらに本部や大教会の打ち出しに真摯に向かおうとしています。上の指示には手抜きをせず、不器用に自らを苦しみの方へ追いやっている様にも見える生真面目な人達です。本部や大教会と言った上の指図は神の声と受け取り、 素直に従う事が信仰と思っておられます。自分の意思を持たない、自分を持たない人達です。
中山天理教の闇と嘘を広く信者に暴き、生真面目な善い人達が人生を棒に振ってしまわない様、被害を食い止めなければなりません。
代々教会をさせてもらってるものです。書き込みずっと見させてもらいました。私自身の疑問と気が付いた事を書かせてもらいます。本部は何故布教をしないで、部内の土地を返せと言えるでしょうか?天理教は宗教は布教してこその宗教です。私の教会にも事情協会や開いてる土地はあります。「布教するのでそこを貸してください。」と言ってくれれば快く貸しました。でも返せとはなんですか?布教もしないで返せ?どういうことですか?本当に金しか考えてない金の亡者なんだと確信しました。もう「布教するのでそこを貸してください。」と本部に言われてももう遅いです。
離脱する決意が付きました。
布教が何故伸び悩むかと考えても本部の言っている事がおかしくそれに伴い大教会や上級の意見も狂っているからですよね。もう離脱して現在の天理教の悪事を引け合いに布教したらこちらのブログのように人に理解を得られるという事ですよね。もう離脱して、ドンドン天理教を批判して、本部教理のおかしさと本来の教えで比べて布教をしなおそうと思います。
離脱
2019年10月21日 9:50 PM
事情教会がいくらあろうとも各大教会、分教会が、にをいがけ(布教)に伸び悩んでるのならその悩みを解消するのが本部(親)の役目ですよね。 土地を返せと言いその土地を売却する本部は天理教をやる気が無い現在の運営責任の中山家に天理教をやる気が無いと言われてももう致し方ありません。徳や理があるなら布教してみたらいいんですよ。「飲まず食わずで布教しろ!)と言ってやりたいです。
私も離脱さんの意見で心が固まりました。現在の本部体制から離れます。
匿名様 2019年10月21日 6:49 PM
>現在の左派反日派ネットで惨敗でもう反日以外を騙すため愛国を装うことが多々あります。
匿名様 2019年10月21日 6:54 PM
>「本部だから、中山家だから」と現在の中山教体制に騙されるのにも等しいです。
なるほど。参考になります。
私自身は装ったものでなくても、靖国神社に参拝することは愛国にならないと考えています。
靖国は軍国主義のためのつくられた神社、作られた信仰です。
天理教本部が教祖の考えられた自然で本来的な天理教から離れたことを
批判する須藤さんなどを好意的に引用されている方の多い掲示板ですから、
私の言わんとすることを理解されましたら同意いただけるのではないかと
期待しているのですが。
(戦争で犠牲になられた方は大変気の毒ですし、自己犠牲の精神で散っていかれたことも
重々理解しております。ただ、その方たちが国家に利用され命を落とされた事実があるからこそ、
靖国神社で参拝することは決して望ましくないことだと思うのですが。
この辺は政治信条や歴史認識に関わるので、この掲示板の趣旨から外れるのでこの辺にしておきます)
話を天理教教会本部(もちろん真柱を含む)に戻すと、
私自身は、政権にも批判的、もちろん天理教教会本部にも批判的です。
左翼だから、天理教教会本部だから賛成だの反対だの言うつもりもありません。
ただ、今の政治は明らかにおかしい、天理教教会本部のやり方はおかしい。
自分なりの観点をもって批判し、少しでもここをご覧になっている方に
我が家と同じ苦しみを味わってほしくないだけです。
(金に狂う天理教教会本部もおかしいし、台風被害の中どさくさに紛れて
公務員国会議員給与引き上げや30兆円の環境保護技術への投資を決めた政府もひどい。
弱者への配慮が全くないのがおなじ。だから同じように批判します。
もしその批判が当たらないなら、
教会本部も政権も堂々とメディアなどで土地建物の御召し上げや
公務員国会議員給与引き上げの正当性を主張し、周知を徹底すればよろしい。
それをしない時点で、後ろめたい、さっさと分からないうちにやってしまえ、
という同じインチキ、薄汚さを感じます。
私は政権に批判的という意味では左翼寄りと言われる方もいることと思いますが、
私自身の中では行動原理として一貫しています。)
崩壊様 2019年10月21日 7:43 PM
>これ以上、天理教の被害者を出してはいけません。
私自身強くそう思っております。
その意味で、教会本部に比して弱者である信者は連帯し、
情報を共有し、おかしいものはおかしいと声をあげ、
納得のいかない活動への参加やお供えは行わない。
税金もお供えも、しっかりとした監視と
きちんとした批判によるチェックの上で活用されなければ、
腐敗します。
現時点の日本という国・日本というシステムが
抱える深い問題の表出という意味では、
政治も天理教も同根であるように思います。
長々失礼しました。
久々のぞかせていただきましたが、相変わらず天理教に対する不満が噴出していますね。よくぞまぁ種切れにならないものかと感心するくらい、不満が後から後から湧いてきているようですね。
ゴエモンの句をもじって言うと、「浜の真砂(まさご)は尽きるとも 天理教への不満の種は尽きまじ」 というところ・・
けどそれは、天理教の方(ほう)が、<不満の種>をまいているからではありませんか?
「わしもしっかり種をまこ」 とおっしゃっていますが、みかぐら歌にあるこの「種」 は、世のため人のためになるものの種のことでしょ?ちゃんとした種まき、やってくださいよ。
離脱様が > ドンドン天理教を批判して、本部教理のおかしさと本来の教えで比べて布教をしなおそうと思います。
と言われていますが、正しい姿勢だと思わせていただきます。
そうされることによって、ご自身の教理に対する理解を深めることにもなるでしょうし、汚れを取ることにもつながるだろうと思うからです。なまいきなことを言ってすみません。
50 60鼻たれ小僧。
どこまでも人間性とさとりを深め、お話しおたすけにも深みを増してゆく。そんな信心自体を本部が自己否定している様なもの。
お地場に帰っても、ジジババの話しのなつかしさが潰え、心に寂しい風が吹く。
煉獄行け 様 2019年10月21日 11:29 PM
全面的に賛成です。
たいへん目配りの行き届いたご投稿に感謝します。
つまるところ、暴言をたしなめるには知識と教養が肝要だということになりますね。
匿名様
2019年10月19日 9:14 PM
≫様々な人はここには存在しません。基本さんはどうなりましたか?
≫他にも書きこみが出来なくなった方々もおられます。
≫ここは様々な意見があるのではありません。
≫このサイトを今もカインさんが運営しているのか、カインさんが元所属されていた所が運営されているのは知りませんが、誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。
この匿名様の記述は事実ですか?「書きこみが出来なくなった方々もおられます」とは具体的にどのような事が有ったのか、お示しいただければと思います。
「誰かの好む文章を書く人だけが残るようになっているようですね。」とは、私は感じたことは有りません。
誰かにこのんで頂きたくて書いているなんて、あり得ないことです。本部もこの板を注視して閲覧しているようですが、仕事として閲覧している人の中には、或いは関係者であれば「誰かの好む文章を書く」可能性も有るかもしれません。
サイト運営者がどなた様なのか気になどしていません。ただ、この場を提供してくださる事に感謝しているだけです。
そもそもですが・・・、サイト運営者の考察を拝読した事がきっかけで投稿させて頂く、今や、意見交換の貴重な場になっているという事実は大きいことだと思います。
蛇足ながらサイト書き込みに関するルールは明記されています。
☆崩壊様 2019年10月21日 8:59 AM
匿名2019年10月20日 7:14 PMは私なのですが(匿名で申し訳ありません)、崩壊様のご意見にはいつもうなずきながら拝読している匿名です。
「まともなおとしどころ」は別の匿名様を揶揄した表現でした。誤解されたかもしれないと小心者の匿名は急ぎ弁解する次第です。
以前のご投稿の、母子家庭の母親に関する内容に関してあやまっておられましたが、私は崩壊様のお書きになる通りだと思いました。
遅ればせながらお伝えする次第です。
本日は「即位礼正殿の儀」が行われましたが、歴史的な瞬間の天候が「神話的」「ファンタジー」とネットで話題になっています。
以下 https://mayuponstyle.com/news/7315/ から引用
即位礼正殿の儀当日に起きたこと
・富士山の今季初冠雪が気象台から観測される
・天照大神の祀られる愛知、前日の予報では大雨だが晴れる
・皇居では天叢雲剣のチカラで雨模様
・かと思いきや儀の始まる直前に晴れて低空に虹がかかる
・儀式終了後再び雨模様
流石ファンタジーの国よ
天叢雲剣のパワーで雨が降り
天照大神のパワーで日差しが出て
即位の儀に東京に虹が出て
富士山に初雪が降り
儀式の終了と共に曇りになる。
なんか凄い神秘!!
ファンタジー!!
即位礼正殿の儀、 天叢雲剣で雲を呼び、雨が穢れを落とし 儀式直前で晴れ、からの虹。。 すごい国・・・
引用ここまで
みなさんご存知のように
本日は天皇陛下の即位礼正殿の儀においてご即位を宣明なされてから、
関東地方は途端に晴れ間が出現しました。
またさらに、即位を祝うかのよごとく皇居をまたがるように大きな虹がかかりました。
確かご成婚パレードのときも、直前まで雨だったのが途端に晴れましたよね。
文字通り 天照大神 の霊験あらたかな祝福が自然現象を通じて現れたと言えましょう。
感動で涙が出ました。
神はやはり日本を、そして世界を見守ってくれている。
神は確実に存在する。(天理教団にはもういないけど)
それにつけても奈良の田舎の「中山らの集団」たちは、
人から無心したお供えで、下品な花火にレーザービームのどんちゃん騒ぎ…..orz
ファンタジーじゃない クレイジーだ!!
匿名
2019年10月22日 8:58 AM
仕事で書いてるのは本部のネット監視団だけじゃないですかね。 一例を挙げて話をそらして話題を変えさせたいのではないでしょうか。後は洗脳された方や感情的に反論だけをしてる人もまだまだ多いだけですからね。それは以前から繰り返したことですし、教理の言い合いでは、通りすがり、と言う荒らしが居ましたしネットあるあるですからね。
中山派が何を書こうが善亮がアホ政策乱発してるので意味が無いですし、現実がそうなら成って来るのが天の理 真柱が頭の病気も天の理 教団が衰退するのも天の理 それに反発是正する面々が現れるのも天の理
全て天の理なんですから笑 天理教と名乗る本部あれど本部は天理教にあらず。
さぁ倒しましょう!!! 土地問題が神の合図、気付き始めた面々も増え各地で立ち上がり始めましたね。
打倒本部!打倒本部員!打倒中山! 中山家と本部員を追放して!皆さんの手に天理教を取り戻しましょう!
今朝8時58分の匿名様
私は以前匿名ですというHMで擁護意見を書き込みましたが、擁護派は書き込みをブロックされたり、書いたものを消されたりしました。これに関しては御存知の方々も多いと思います。
他にも匿名ですというHMの方がおられますが、匿名ですは少なくとも二人は存在します。
私が匿名ですのHMを使わないのは、ブロックされたり、書き込みを消されたりするからです。
擁護派がほとんど存在しないことが不思議ではないですか?
私は今も天理教を信仰しています。書き込みたいことは多くありますが、サイト管理者がブロックをかけられます。
ここは思想統制が行われているのです。
何故今書き込めたか?それはデバイスが故障によって新しい物になってまだブロックがかかってないからです。
多くの教会で育った方の御意見を見ています。
けれど、私は天理教を信仰しています。
何故信仰しようと思うのか書き込もうと試みたこともありますが、ブロックされ続けたのと、天理は自分が分からなければ、人に言われて分かるものでもないと思っているのとで、結局信仰し続ける人間だけが信仰するのかなと思います。
>>サイト管理者がブロックをかけられます。
>>ここは思想統制が行われているのです。
管理人さんが告知しているサイトガイドラインに抵触したからじゃないですか?
もしも投稿にブロックがあったのなら
通りすがりを筆頭に、参謀=実態、ラグビーとおぼしき者、匿名です等
これまでの擁護派達が、
「他者の意見に耳を貸さず、非論理的な文章をたれ流し読者に配慮しなかった」ため、
管理人さんにブロックされたと思います。
その自覚がないあんたが終わっているのであり被害妄想もいいとろこです。
これまで「さんざん偽教理で洗脳してきた教団」側の擁護派が、
いまさら「思想統制されている」ってどの口が言っているのでしょうか 大爆笑
前を行く人にただついて行くだけ。途中で、この道は違うと気付いて引き返せる人も居れば、気付かない人、気付いても後戻り出来ない人、あらぬ所へ連れて行かれて後悔しても後の祭り。
好きな名言
この歳になったら怖いものは無い。忖度せずにストレートにしゃべろう。老人には若い人に代わって
しゃべる義務がある。忖度しないのは高齢者の特権。(倉本聰)
知ろうとしない事、行動しない事は、僕たちにとっては罪なんです。(命懸けのジャーナリスト清水潔)
いつ死んでも恥ずかしくない生き方をしていたら、それで良いのと違うかな(酒井雄哉大阿闍梨)
人生は恐れなければとても素晴らしいものなんだよ。人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして
少しのお金だ。(チャールズ、チャップリン)
勇気と決断、行動あるのみ
匿名
2019年10月22日 5:30 PM
今の教団には擁護する部分はないからと言うことでしょうが、ブロックはしなくていいとも居ますがね。
匿名2019年10月22日 5:30 PM
教団擁護なら天理教社会学で無く天理時報に投稿すればいいんでしょうな、それぐらいの統制はあっても仕方ないでしょうね(笑)
2019年10月22日 5:30 PMの匿名様
>私は以前匿名ですというHMで擁護意見を書き込みましたが、擁護派は書き込みをブロックされたり、書いたものを消されたりしました。これに関しては御存知の方々も多いと思います。
本物の匿名ですさんは、本部の理不尽に気付き始めたようですよ。
ところで、あなたは教祖の声が今でも聴こえるのですか?
身上の真柱さんは、お尽しが足りないと思いますか?
ブロックを非難するより、ちゃんと質問に真摯に答えて下さい。
皆さん、様々な御意見をいただきありがとうございます。
それでは、これにて失礼いたします。
古い教会長様
身上の真柱様がおつくし云々は、もう一人の匿名ですさんが書かれています。その方に聞いていただきたいです。
また真柱様は更に回復されることと思っています。
教祖の声だったのか、御本部におられる何方かだったのか分かりません。
今はおさづけの時に教祖を感じさせていただいています。
匿名
2019年10月22日 5:50 PM
これ見よがしに否定批判をしてるだけで、「現実見れて無い教団擁護派が擁護しろ!差別だ!」って言うのもね。いわずもがな それぐらい自分で気が付け ですよね笑 その意見が通るなら、教団反対派が天理時報などの教団の機関紙に投稿でなく寄稿する権利を貰えないと公平ではないです笑
悪人ほど被害者や善人ぶりますよね。中山教団の人達見たく笑
天理教のことを知っているようで、あまりわかっていないと勉強しなおしてから長い年月が経ってしまったが、その間、関連書籍を読み、現地調査を繰り返し、ようやく概要がつかめてきた気がする。それらをこのコメント欄で文字で表現するには莫大な字数とまとめる時間が必要になってくる。短くまとめるなら現在の「天理教」というのは神ではなく人間の集まりに過ぎず、神不在のまま人間が儀式を整え、制度を作り、純粋な人々を取りこみ、肥大化したに組織に過ぎないように感じている。人間思案の集団体質は「おふでさき」が書かれていた明治2年から15年の間でも起こっており、それを嘆く歌が詠まれてもいる。それを体制にいいように解釈して不都合な部分はぼかしてもいたが、今の時代では隠しきれないようになってきている。
明治20年に教祖が現身を隠してから、その後を継ぐ本席も神がかりになって「さしづ」もしてはいたが、普段は人間であり、神道直轄天理教会になり、本席が出直す明治40年まで、だんだんと教祖の望む道とは違ったものに変質していき、飯田岩治郎水屋敷事件、不良教師事件なども起こり、異質な集団への道を歩んでいた。そんな折、大正5年には教祖30年祭が行われ、教祖みきがまた現れるとのうわさ通り、井出クニが教祖殿に現われる。天理教側ではタブーで、朝日神社の方でも天理教の人たちに対してはタブーにしている。しかし、教祖みきのように本当に人を助けっぱなしだったように井出クニも多くの人を助け、助けられた人々から親さんとして慕われている。そして決して天理教と対立するような態度は取らず、兵庫県三木市の朝日神社で人助けしていた。
ちょうど100年前は教祖30年祭も終わり、茨木事件の起こった頃である。100年たてばだんだんと真実が明かされてくると聞いたことがあるが、本当にそうなってきているようにも感じている。
本席が出直す2年前に二代真柱が生まれたが、教内では期待も大きく真柱中央集権体制を揺るぎないものにするために時の本部員は苦心した。大正期に入り、山田梅次郎事件、茨木事件が起こり、大正10年には愚かな倍加運動を松村吉太郎が行い、現在の末端教会が喘ぐ状況の原因をそのころから作り出していた。大正も終わり、昭和が始まる頃に教祖40年祭、正善氏が管長に就任し現在の体制に続いていくが、人と金が集まり肥大化していったが、所詮人間集団の神不在の教団では100年祭を機に衰退していくのも無理からぬ話である。多くの教会長、信者は「白紙に戻って一から始める」を信じたのに全くの期待を裏切られた形で、多くの純粋な人たちが落胆したことだろう。須藤花井の出現も神の計らいなのかとも思えてくる。
私の所属教会も倍加運動の頃からの教会で、芹沢光治良の実父と同じように家、財産すべてを捧げ、布教から始まった末端教会だ。食うや食わずの生活から現在の教会の姿になったが、「人間の運命」を読んだ時に、全く同じではないかとも思った。しかし真柱崇拝のような信仰はやめ、教会制度の改革なしでは続く道理はなく、決して将来が明るいようには思われない。皆が不幸になるように思う。
歴史的なことを細かく述べ始めたらきりがないが、現役教会長で本当に道を求めるのであれば上記に挙げた事件、人物について調べ、歴史を知るべきである。単に教内では「異端」だと単純に片づけられたり、タブーになっているが、実際に行って話を聞いてみれば全く違うことがわかってくる。それに関しては「天理の霊能者」などを参考にし、本当かどうか自分で確認するために本に出てくる場所へ実際に足を運び、人物の末裔に会い、話を聞き、自分自身で裏を取っていく作業をすれば現体制の天理教がやはりおかしいと気が付く。心配しなくてもお金を要求されたり、無理な勧誘をされることもない。
「復元」、「新宗教」があれば読むべきで、芹沢文学の「死の扉の前で」「人間の運命」などを読めば、どうして「人が助かる教え」から「人が苦しむ宗教」に変わったのかが分かるはずである。自分の「目」と「耳」で確かめてくれば自分が進むべき道も見えてくるように思う。現役の会長の友人も多いが、難しいことはわからない、純粋に教えられてきた信仰を守ればいいという人も多い。それはそれでかまわないが末端の教会、布教所、信者の心は信仰から離れていくことは間違いない。代が変われば尚更のことである。
擁護派、批判派などと言い合うより、親神にとってかわいいすべての人間が本当の道を歩めるようにすべきではないだろうか。
匿名様 2019年10月22日 8:24 AM
当方の長く拙い書き込みをお読みくださりありがとうございます。
弱い立場の者が泣き寝入りする世の中にはしたくないものです。
匿名様 2019年10月22日 5:30 PM
>擁護派がほとんど存在しないことが不思議ではないですか?
少し不思議なのですが、こちらのサイトに書かれていることが
事実だとしたなら、そしてそれをごく常識的に理解したなら、
無条件の擁護がなされるということの方が不思議に思われるのですが。
むろん、私の常識や理解が全く誤っていない、とは申しませんし
その懐疑を抱きつつも、敢えて訊かせていただいているのですが。
具体的に教団のどういった点を擁護されているのでしょうか。
>私は今も天理教を信仰しています。
誤解なくご理解いただきたいのですが、私個人は天理教を信仰している方を
悪く言う意図はございません。恐らくここに書きこまれている方々もそうなのではないでしょうか。
純粋に、教会本部の言うこと「も」信じてしまっている方に
目を覚ましてほしいのです。
天理教の教祖が説いた教え自体を否定するのではありません。
むしろそこから離れてしまっているのが、問題なのです。
(前述の須藤さんなどもそういった点を問題視されていたのではないでしょうか?)
現教団が「今だけ、金だけ、自分だけ」の為の
宗教に天理教を堕してしまったことが問題であり、
純粋に他人様の為に力を尽くそうという信仰を今も尽くされている方は、何も悪くありません。
むしろ食い物にされている被害者であり、そのことに気づきいてほしいのです。
>書き込みたいことは多くありますが、サイト管理者がブロックをかけられます。
どういったことを書きこみたいのでしょうか。
教団の無条件の擁護でしょうか。
だとしたなら、例えば下記の話題についてはいかがお考えでしょうか。
問に対しきちんと答え、その議論の中でご持論を展開なさってはいかがでしょうか。
>ここは思想統制が行われているのです。
では、天理教団では思想統制はなされていないのでしょうか。
例えば天理図書館に収蔵している教祖関連の史料は、
複数の天理教教理研究をなそうという教会関係者にも不開示とのこと。
二代真柱の時代に「お供え」を原資に買いあさった膨大な史料は
信仰人全ての共有財産のはず。大学も設置し学問の一翼も担う法人が
こうした不公正ともいえる姿勢を貫くことに対しいかがお考えでしょうか。
都合の悪い情報を絞り、自分たちに都合の良い方向へコントロールすることも
立派な思想統制の一つです。
この掲示板の書き込み削除を批判されるなら、天理教団がやっていることも
(事実なら)同じだとお分かりですよね?
こうした情報不開示の壁に阻まれ、
教祖の説いた天理教から離れた現状を嘆き、教団を批判して
天理教を離れる方が多くいる、という事実はどうお考えなのでしょうか。
そういった方々の主張は全て一方的な思い込みであり、
そういった事実自体が全く無く天理教は公明正大であり、
全て教祖や教理に関わる資料は明瞭に開示され、
天理教創立当初の姿を学術的にも確実にたどれる状況を
天理教本部は構築しているでしょうか。
現時点で公式のものとされている教理についての批判的検討など
どういった機関で行われ、それをどうオープンにすすめているのでしょうか。
金を出すことが救いになる、という昨今の教団の主張は
教祖や親神のどういった教えから導かれるものなのでしょうか。
あるのなら、具体的にご教示いただきたいのですが。
こういった教理の学術的研究がもし万全公正に行われていなければ、
それは教理という最も宗教団体として根本的な思想思考を恣意的、
私利的に曲げている可能性も否定できず、
つべこべ言わず信じて金を出せ、というなら
それはりっぱな信者への「思想統制」であり、
宗教のビジネス化であり、
そのやり口は宗教家として不誠実であり、自己否定でもあり、
もはや宗教の態をなしていないともいえると思うのですが。
本当に教祖は「金の繋ぎ」がなければ救われない、などと説いたと思いますか?
そんな宗教が幕末の貧しい民衆に広く支持されると思いますか?
そういった事実についてはどのようにお考えで擁護されているのでしょうか?
そうしたことを差し置いて、一個人が運営している掲示板での
書き込みを削除されたことに対し「思想統制」というのならば、
まず現天理教団の姿勢こそ批判すべきではないでしょうか。
どのようなご回答を戴けるのか、非常に興味があります。
こうした事実や関わる教理理解など、
お考え・認識をどうか教えていただきたいです。
(建設的な発言を書いているわけではないので忙しい方はスルーしてください。)
「匿名」というハンドルネームで投稿している者です。混乱を招き失礼しております。
自分ではない別の匿名様の投稿を拝見して、「アレレ、これ、私ではないけれど自分で書いたような気がするほど自分そっくりの考えだ!」というビックリ経験もしています。
社会学の場はそのほかにも複数、匿名さんがいます。これは不思議でも何でもない事です。世の中にはネットができる以前から、「匿名希望」での発信はザラにありました。
「匿名(希望)」という名称は、紙の新聞の読者投書欄などでは毎日のようにお目にかかるモノでした。
現在は投書を送稿する際には実名明記を求められ、事情により匿名を希望する人に関しては、新聞社側の判断で紙面上での匿名が認められる仕組みです。これは新聞社側が内容などで確認を取りたい場合に備えて連絡先明記を要求しているのです。投書が新聞のネット版に掲載される現在では、投稿者のリスクは大きくなっているように感じます。
氏名のほかに肩書・年齢も記載されるスタイルがオーソドックスではありますが(退職者の場合、「元○○」という記載)、最近の世相を反映して「主夫」とつける男性からの投稿も珍しくありません。
確かに同級生の投書が載った時には、実名が書かれていたからこその「読んだよ」コール(電話)ができました。
とは言え物騒な現代です。SNSで実名をさらしている方をみると、老婆心ながら個人情報開示に不安はないのかと思ってしまいます。
もっとも、登録する際の「国」を実態は日本であっても外国にしたり、名前を架空の外人名にしたりすることもできますから、案外、日本名であっても実は実名ではない場合も有るかもしれません。
かようにネット上は虚実ないまぜとも言えるようです。個人情報を守りながら、でも発信したいことが有れば工夫の余地が有るわけです。(注:SNSの会社によりルールの違いはあります。)
煉極行け様
一つずつお答えしていいでしょうか。今回の書き込みは一部にして後日追々に書いていっていいですか?
皆さん本部がお金を独り占めしてる。上が取り込んでる。それを繰り返しおっしゃってます。
しかし客観的に見て、システムとして分配されているように思えます。巨大組織であり、海外布教の拠点もあり、病院への援助などもあり、出版社もあります。
組織の維持に使われていると思います。
組織の維持は、天理の教えを伝えるために必要だと思っています。
すみません。まだ書いている途中ですがもう遅い時間であり一旦書き込みを中断します。
全員が助かる宗教ではない
誰かが支えて、誰かが支えてもらう。
互いに支え合えることが出来れば良いのだが、実際は片方に負担がかかり、時には共倒れにもなる。
助かった と思えない人には、考え方、見方を変えたら助かっている と答えたり、本人の得心次第だと答えたり、まだまだこれからだ と先延ばしをしたり…良い結果が現れなければ、逃げ口上のオンパレードである。
助かった、助けてもらったと思えた人には御礼として、金と時間を供えろと言う。そして、あなたも人を助けて『もっとお供えを増やそう』と提言。
助けてもらったら、他の人を助ける手立てをしたら良い。『お供え』や『人』を増やせ、連れてこい持ってこいと言うのは如何なものか。
早く信仰をはじめた者が上に立ち
、後に続く者はそれを支える。
本部も教会も人もこの組織の形から逃れられない。自浄作用も根本的な変革も不可能。
時代が味方をし、たまたま伸び栄えて発展したが、現在の社会情勢では伸びる訳も無く、新たな神の啓示者も現れず、認めず、血脈と肩書きと立場だけで推し進めて辿り着く先は果たして…
匿名
2019年10月23日 11:41 PM
分配システムを私は否定してません。それより本部の金の使い方と運営方針が間違っていた。それが曲がりも無い現状です。ではその責任は?と成った時に代表一族の中山家だと言う至ってシンプルな話です。
おやさと館と銘打ったあの悪趣味な建築物が何故必要だったのか?
本部が機関紙に出す収支決算報告も上乗せ発表との噂、実際は半分以下との噂も聞いたことが有ります。
なぜ本部が本部の土地を売却する前に、包括法人の土地を収奪し売却をもくろんでいるのか?
等など本部の問題を挙げて行ったら切が有りません。
そしてこの回答に関しての答えは求めません。答えはもう現状として出ていますので、現実は嘘をつきません。成って来るのが天の理、神も嘘は付きません。
甘露台倒壊、真柱身上、教校学園廃止、包括法人の土地売却計画 崩壊寸前の組織の所業 語るに落ちるだけです。
今は一人でも多くの被害者を出さない事が人と言うものです。本部にはその人の心を持ってるとは到底思えません。
一般人の友人にも、天理時報の、「お金の繋ぎをようき世界実現」 の記事を見せたら、「これ宗教がいう事ではないよね?」この世間の常識すら理解できない本部が世間から淘汰される事がまさに今まで積んで来た無理 と 不徳だと言う事に気がつけない。それが本部と中山家です。
「お金の繋ぎを陽気世界実現に」と信者を喚起する天理教の偽教理。とどの詰まりはやっぱり「金」。
ここまで言うかと思う。もう本部の頭の中は末期症状。
天理教の黒い策略が「命の繋ぎは金」発言から重ね重ねで出てきた。神の怒りは現状の姿に答えとして出している。これは天理教懐疑派の人達の多くが感じている事。
嘘に嘘を重ねる天理教。スロープに2億円とか?
みちのともに会計の収支報告はしているが足したり引いたりして信者の監査など通して居ないのだからどんな報告でも出来てしまう。スロープ1億円でも2億円にしておけば、1億円は不透明な金の流れとなるでしょう。
ここまで不信感を持たれた教団の会計報告は信じるに足りません。(信者、末端の監査を通すべきです。)
とにかくこの時報紙面は証拠にとっておこうと、棄教した姉妹が呆れて果てていました。
煉獄行け様、ここは思想統制された掲示版です。私も何度もブロックされ、投稿も削除されました。まともな議論の出来る場所ではありません。
うさこ @ptp69 さんのツイートより
天理教本部の財務関係のとこにいるひとが、
財政的に本部はあと5年持たないって言ってたから、
もう永年とか言ってないで他の仕事探してた方がいいよ
天理教本部の財務関係のとこにいるひとが、
財政的に本部はあと5年持たないって言ってた<<
後10年の内に何らかの動き(答え)が出ると思っていましたが、実際にはもっと厳しい状況なのですね。
周囲の教会を見ても活気のある教会はありません。枝葉が枯れて来ているので、幹は当然枯死しますよね。(所属大教会も近所の大教会も活気がありません。)
幹(親)ばかりを大切にさせ、これでもか、これでもかと末端教会(子)である枝葉の養分を吸い取り尽くした結果、青々とした葉っぱを茂らす事ができずに力尽きてしまっている多くの末端教会。
本部は親と言う大義名分で子供虐めを正当化してきた。躾と称して暴力を振るう親の如くに、信仰と称して精神的、経済的暴力行為を肯定して来た。どれだけの子供達が虐げられ、強制を強いられ、精神を病み、経済基盤を失い、取り返しのつかない事になっているか。
その挙句、本部は地方の潰れた教会の土地を取り上げると言う。 骨の髄までしゃぶり尽くす悪魔の様な天理教団です。
通りすがり
2019年10月24日 2:09 PM
思想統制と言うならまず天理時報から批判しない事には始まりませぬが?通りすがり 通りすがれないで毎度出落ち滑り芸人のよう(笑)
ここは、「本部は機関紙などでこう言っているが実際は?」を語る場でしょう。教会を運営してる人間なら実際の所が必ず気になる。通りすがりはどこから議論しようと思ってるの?天理教の振りして天理教じゃないんじゃないの?との疑問をもたれますよ。この疑問を本部に対しても皆さん思っている事なんですよね。
本部を隠れ蓑にした中山家のご都合主義の思想統制より断然ましです。皆さん教祖がおっしゃった本当の教え教理を会得したいんですから、無理と不徳の中山家とその血族に金も時間も労力も思いですら割く暇は無しです。
教えを背くものは消えてなくなれば良い。嘘を突き通すなら無様な姿をみなに晒すがよい。
教えに背いた中山家は神に背いたのも同然 御守護どころか運も天にも見放されたのは誰しも気が付いていることです。 今教区や大教会の集まりに参加しても、「本部がおかしなこといってるから今後どうするか?離脱するか?子供にはさせたくない!」との意見が皆が同じくする所その最中に 通りすがりは毎度何を寝ぼけているのか?現実を見ろ本部にいるからその現実が見寝ないのか?本部以外はもう本部への信用はもう崩壊しているぞ?その現実を見たくないのか?夢は寝てる時に1人で見るもの、善亮の妄言は右から左、誰が聞く耳持つのか 腹が痛い(笑)
2019年10月23日 11:41 PMの匿名 様
あなたは何か勘違いをなさっていませんか。
おカネが要るっておっしゃいますが、誰でもおカネが要るのです。ただ、多くの人は実力を知っていて、その範囲で生活をしています。教団本部の実力って何なんですか。
過去に、本部員が1億円近い脱税をしたと聞いたときに、この宗教は終わったと思っているのです。
よく考えてください。助かりたい一心から少ない国民年金から捻出されたお供えの持つ意味は、余りにも大きいですよ。
そのような人の思いを、おもんばかる気持ちなどさらさらない教団の浪費。勤め先が倒産して失業保険を受給しながらお供えを減らしたことを、何も知らずに叱り飛ばす教会長。その信者さんに、何かあったのですかと尋ねる繊細な気持ちの欠片も持ち合わせていない宗教家。それが天理教団の一員なのです。
そのような宗教には近づかないようにと云い続けているだけですが、余りにもおカネに拘る教団の姿を見るにつけ、信者さんたちの日常に思いが至らない人たちの集団なんか消えて無くなればいいのです。
最も、下記の現実を見ていただければ、そろそろ終わりが近づいているのでしょうね。
50畳余りの会堂に溢れんばかりの信者さんが居られた教会の今の姿は、会堂の片隅に並べられた椅子に座る高齢者が10人に満たない現状を見れば、天理教が何だったのかは語るまでもないことです。
昨年末世間を騒がせた詐欺事件 はれのひの倒産前と 現在の教団は被ります。崩壊前の会社や組織で、誠実に崩壊していった話は殆ど聞いたことがありません。
はれの日は着物のレンタル業、一方 〇〇教団は、人体のレンタル業だそうだ(笑)ここから話がもうおかしいのですが、そこはおいといて
その〇〇教団は「人体は神の貸しもの」と言う教えだそうだ。ここもそう言う教えね。とおいておこう。
しかし、この教団の一部組織では「レンタル料を請求しているらしい」ここで誤りが出る。
神には借りていたとしよう、しかし教団には借りて居ないとはっきりいえる。
もし仮に人体を本当に貸しているのなら、医師免許が必要だろう。よろず病院で貸してるのかな?でもこれも倫理的にも法的にも今では駄目だろう。
つまり教団は人体を貸しては居ない。そして貸主の神様はお金は必要ないでしょう。
上記は〇〇教の団体の話だったが、今度は、「金の繋ぎは命のつなぎ」と脅迫めいた教えを説き始めた人が居るらしい。もうこの時点で(笑)なんですが、
これ教祖が言いましたか?言ってないですよね?「金の繋ぎは命の繋ぎ」は偽教だそうです。
「命に代えてでも金がほしいの間違いなのではないでしょうか?」
このように「とにかく金を集めたい!」意思は伝わりますがね。ほどほどにしないと、教団解体になった後も、この発言者は大変なことに成ると思いますがね(笑)
今は後先考えずに組織維持の為に形振りかまわず金集めしたんでしょうね。
ここからはもしも、の話ですが、教団解体に成ったら、この はれのひ事件 のような事が散見されるのではないでしょうか? はれのひは、まだ着物を借りれなかっただけで済みますが、〇〇教団は、どうも被包括法人などの土地や建物財産まで寄付せよという傾向が伝統的に見られる宗教団体なので、気が付いたら土地や財産がなくなったや酷いと全財産無くなったという人が黙っていられるでしょうか?黙っては無いでしょう。 しかも信者数100万人と豪語してるなら、100万人の被害者と成るのでしょうからこれは大変、実質10万~20万としてもそれでも大変な事件となります。
参考
はれのひ元社長 実刑 被害者、今も晴れぬ思い「成人式 悲しみ思い出す日に」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201812/CK2018121902000244.html
「名前すら聞きたくない」 はれのひ被害者たちの思い
https://www.asahi.com/articles/ASL6R5VX0L6RULOB00T.html
芹沢光治良が天理時報の連載に「教祖様」を書くに至る前の話だが、道友社社長と布教部の岡島氏が芹沢宅を訪れ、「教祖様」連載を依頼する時のことである。その場面の抜粋だが、読んでみて考えてほしい。
岡島「天理教では敗戦を機に復元することに決定しました。明治20年代から今日まで、国家の法律や時の政府の方針にあわせて、応法の道を歩いて、教組の教えを歪めて来たのを、もとの教えにかえそうとするのですが、全教団を挙げて、教組にかえる運動をはじめています。それ故、先生の汚れない目で、真の教祖を探求して、教祖像を描いていただければ、教団も信者も、襟を正して啓蒙されましょう。その点、ご安心ください。」
芹沢「教祖像を通じて、天理教の神が、他の日本の神々のように、死んだものになっても、いいのですね。」
岡島「そう私は信じませんが…、その時は、天理教は衰亡して、伽藍だけが残りましょう。私など一生を無駄にしたと、あきらめます。」
芹沢「真の神だとわかった時には、必然的に、現在の教団について、批判が伴いますが、それでもいいでしょうか」
岡島「それこそ望ましいことです。教団の中におる私でも、天理教は大改革を断行しなければならないと、考えることが多いのですから…。」 (人間の運命 第14巻再会)
恐らくこの会話があったのは第二次大戦後の日本がまだ貧しい頃で約70年位前の話だと思われる。そんな過去の話であるが、今、この文をお読みの皆さんは、その70年のうちの何十年かを経験して現在に至っていることになるが、どう感じるか? 私個人としては「何も変わっていないじゃないか。むしろ、その通りになってきているではないか。」というのが正直な気持ちだ。応法の道を説いて、戦争が終わり、時代が変わっても結局、復元はなされたものとは思えず、中央集権化が進んだだけであるとは言い過ぎだろうか。これは記憶に新しい百年祭でも同じことだ。
「伽藍だけが残る」とは「おやさとやかた」が完成もせず、八町四方に点在し、時間と共に修理もされず風化し、70年後の人々が地方の珍しい神社仏閣を見学するように訪れるようなものに変わってしまうことを意味しているのだろうか。建物はできた時は新しくていいものだ。しかし、物である以上、劣化もし、何もしなければ風化もする。それこそ「きりなしふしん」で新しいモノを建て続けるには順番に建てたものの修理も必要になり、いたちごっこを続けなければならない。信仰は伽藍を作ることではないことを歴史は物語っている。それとも70年後には「おやさとやかた」が重要文化財にでも指定され国の保護を受けて残るようにでもなっているのだろうか。
或いは岡島氏の言うように大改革を断行し、やっぱり教えは本物だったと今から70年後には教祖の教えが本当に広がり、世界中が陽気に暮らせる世の中に変わっているということだろうか。芹沢氏が言うように「現在の教団について、批判が伴いますが…」というが、既に教祖70年祭以降にはそんな声があちこちに挙がっていたのではないか。中澤隼人氏のように集会でも意見が出ていたはずだ。そんな声が現在ではインターネットを利用し、更に拍車をかけている。岡島氏の言うように「それこそ望ましいことが実現」しているとも思えてくる。やはり神はあるのだろうか。
しかし、現在に生きる我々は道を求めながらも教団は変えることができないと信じ込み、自分の「たんのう」が足りないと自らを責め、陽気とは程遠い思いをしながら、ありがたいと思わなければと親の代からの信仰を途切れさせてはという思いで、つないでいるのではないだろうか。
本部員も大教会長も分教会長も布教所長も信者も、まじめに考え、大改革をしなければならない時期が来ているとも思えるのだが、所詮、変えられないものと思うのなら、他の日本の宗教と同じく伽藍だけが残り、今から70年後には「昔、ある新興宗教団体がここにあって、『やかた』という建物が、、、」とリュックサックを背負って山の辺の道を散策に来た人たちが足を止めて眺めることになる。今、これを読んでいるあなたも出直して、生まれ変わってそのリュックサックを背負った人になっているかもしれないという笑い話として、流してもいいものだろうか。
東風Z様
若い時に結核から回復されたとか。どれほどの方々があなたを思いお願いつとめされたのでしょうか。おそらく肉親も教会の方々も様々な方々があなたを思い、お願いつとめされたんだろうなと思います。
あなたが離れておられても、お願いつとめされたんだろうなと思います。
これは想像のお話です。
私も誰かが誰かにおさづけを取り次いでくれるように祈りをこめて、100回の廻廊拭きをしていたことがあります。
その人は自分のためを思って廻廊拭きをした人間がいることなど御存知ないでしょう。言ってないですからね。
誰かが東風Z様のために心定めをされていたのではないかと思います。心さだめが何だったのか、分かりませんが。
当時結核がおさまるということは凄いことだと思います。
御自分のお力だけでおさまったわけではないと、私は思います。
貴方様が天理教から出られて50年なのか60年なのか存じ上げませんが。結核は今も耐性菌があって、医療でおさまらないこともあるそうです。
高額納税者に名前を連ねていても、私は何か事情があってのことだったのではないかと思います。と、前にも書きました。そうお答えしましたね。同じですみません。
お供えを減らしたことを叱り飛ばす教会長の存在はここに載っていたのでしょうか。人間の悲しさは全体責任ですか?
医療で割りきれないことが天理教にあると思われませんか?
結核がおさまった理由を探したくはありませんか?
私は貴方様や他の方々が何故、薬によらず結核がおさまったのか知りたいです。だから天理を支えようと思っています。
2019年10月24日 10:11 PM の匿名さま
頭の中が、お花畑ですね。
現実を見る勇気もなく、見ようともしない。
被害を訴えても声を聴く耳も持たず。。。
善人のふりをした、最悪に人に害を与ええる人種です。
2019年10月24日 10:11 PM の匿名
あなた、天理フリーフォーラム さんのサイトの
資料コーナー 1 にある 昭和11年内務省警保局天理教関係資料 を読んだことないのですか?
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
以下一部抜粋
医療の功を認めず、これを否定し、療病の唯一絶対の方法を「たんのう」に求める結果、
無知 から起こる不自然な生活をなさしめる。
安静を必要とする結核や腎臓病に日の寄進なる奉仕労働を強 い、
食生活を無視させる等治療の目的に逆行せしめる。
現に丹波市町は日本一の確率の結核死亡率を示 している。
これは、奈良県衛生深砂川技師が統計の上で発表した。
阪大教授今村荒男博士は、日本一と は世界一の死亡率であり、
迷信禍宗教悪の恐るべきを指摘し、これを学界及び大衆に発表して天理教本部の猛省を求めた。
抜粋終了
昭和11年当時、「天理教は世界一の結核死亡率の原因」であったのです。
こうした歴史的事実を知らずに、たまたま結核がたすかった東風Zさんの事例に、
陰でお願いづとめがあっただとかむりやりむすびつけて美化し
天理教の手柄のように我田引水する。
まさにヤクザのいんねんつけと同じだ。
あなた(2019年10月24日 10:11 PM の匿名)の書き込みは反社会的組織の人間と同じです。
昭和11年といえば戦争の真っ最中ですね。国民が栄養を取れないそもそもの原因は戦争にもあったのではありませんか?
昭和11年といえば結核の薬はまだなかったようですね。
肺を外科手術で一部を取るという医療をしばらく後に行ったようですね。
天理に病気の治癒を求めて大勢の方々が戦時中にも関わらず集まってこられたのだと思います。
天理は結核をおさめるために隔離されるのが一般的な結核の患者さんに寄り添っていたのではないかと私は思います。
そんな美談も今はもう昔の話、今の中山教は、真柱の頭の病気も治せない。これが現実です。
中山派の人間はここで講釈垂れないで、真柱の前回の御守護 ぐらいの奇跡を起こしましょうねー 起こせないけど(笑)
起こせない文句は、善司、善亮、大亮、本部員に言ってください(笑)
祈る姿勢は崇高です。しかし天理教徒もキリスト教徒も金光教徒も仏教徒も皆同じ様に祈ります。それで治れば祈りのお陰、と皆それぞれに思います。しかし治ったとしても偶然かも知れません。
この世は確率の世界です。治る者も居れば治らない者もいる。確率と言えばにべも艶も無くなりますが、世の中と言うものはそう言う風にできているんだと思います。
東風z様が治られたのも神のお陰と言うより偶然であり、どんなにか多くの人が、或いは一人の人が必死の心定めをしたとしても治癒せず亡くなる人は亡くなるのです。
そう言う例はいくらでもあります。治れば心定めか効いたと言い、治らなければお前達の誠真実が足らなかったと言う。天理教の常套手段です。
これが今まで私が見てきた天理教です。当たるも八卦当たらぬも八卦でしかない事です。
当たった時は天理の神が直してくれたと言う、治らなければ口をつむぐ。単にそんなものだと思っています。実際真柱身上に対して本部は隠匿の姿勢を見せ、信者も大教会でさえも詳細は知らされず、煮え切らない気持ちの悪い対応でした。
おそらく治っていれば大々的にプロバガンダしたはずです。場面に応じて態度を使い分ける偏狭でペテン師体質の集団に過ぎないと思っています。
2019年10月24日 10:11 PMの匿名 様
7年近く前に天理教を離れました。理由はこれまでに投稿した通りです。今の心境は人間らしく成れたかなってところです。20年前に定年退職後はお供えを減らし、時には会長さんから挨拶を返されることもなかったことが多々あって気分を害しながら教会に行っていた頃よりも、よほどのびのびと過ごしているんですよ。
天理教の組織の在り方は、最初から破綻していると書きました。
仮にですよ、来る日も来る日も数千人のおさづけ拝戴者があったとします。真柱お一人でこなすことが出来る数字で無くなりますよね。教義を簡単に解釈しなおして、先ず内統領におさづけを渡す資格を与え、次に表統領に、さらには中山家に繋がりのある本部員にまでその資格を与える。
事なかれ主義を取り入れなければ処理できない事態は目に見えていますよね。
世界たすけを標榜する宗教にとって、矛盾した組織形態。おさづけって勿体ぶった儀式を取り入れて悦に入っている姿は滑稽ですらあります。
最も、そのような状態になることを本部が心配なさることは、さらさらないと思っていますが。
私はお書き下げを捨てました。物理的に考えても何の意味も持たないものに拘るよりも、自分自身の実力を知り、決して奢らず、また、卑屈にならずにあと何年あるか分からない日々を大切に生きようと思っています。
中山派が講釈たれても所詮中山の講釈 社会学でコメントを書く人は隠蔽体質の教団ながらも少ない情報から現実を踏まえ個々に分析と考察を重ねるここまでの結果を見れば圧倒的に社会学のコメントは予言のように教団崩壊シナリオを語り的中させている。的中と言うより予想以上に教団の悪化が先を行っているというべきだろう。
「成って来るのが天の理」と教理がいうが、どちらが天の理に適っているのだろう。現実を踏まえている社会学のコメント
中山派VS親神派 の戦いと言ってももはや過言ではないのかもしれない。神に背いた中山派は崩壊するのは当然のシナリオ 親神派にはそれは当の昔に分かっていてこちらでも議論が重ねられていた。
神様の教えに戦うという教えはありません。何か勘違いをなさっているのではないでしょうか!あなた方、誰からも相手にされていません。あの神殿前での署名運動も気の毒でしたよ。
東風Z
2019年10月25日 1:18 PM
>>私はお書き下げを捨てました。物理的に考えても何の意味も持たないものに拘るよりも、自分自身の実力を知り、決して奢らず、また、卑屈にならずにあと何年あるか分からない日々を大切に生きようと思っています。<<
私も遠い昔、「お書き下げ」を破り捨てました。今から思えば懐かしい思い出です。破り棄てましたが、これまで。大病を患うことも無く大きなトラブルにも遭遇しておりません。
匿名 様
2019年10月24日 11:24 PM
>>昭和11年といえば戦争の真っ最中ですね。国民が栄養を取れないそもそもの原因は戦争にもあったのではありませんか?
昭和11年といえば結核の薬はまだなかったようですね。<<
結核の特効薬であるストレプトマイシン(抗生物質)が臨床に使われ、結核の完全治癒率が飛躍的に上がったのは、昭和20年代の中頃からです。らい病の特効薬であるプロミンがアメリカで開発され臨床に使われ出したのが昭和30年代の初めです。「おさづけ」で病気は直りません。単なる非科学的「まじない」にすぎません。かつて不治の病と呼ばれていた病気が医学の進歩により、次々と治癒するようになりつつあります。今後、Ips細胞の研究開発が進んでいけば、現在、不治の病と言われている病気も治癒する時代がくると思います。
通りすがり 様
>神様の教えに戦うという教えはありません。<
冗談じゃないですよ。エイミー・ツジモト氏の著作『満州天理村「生琉里」の記憶・天理教と七三一部隊』をお読みください。
満州人の土地を奪った事実は戦い以外の何ものでもないでしょう。東大谷派は第二次大戦への反省を示されましたが、天理教からは見聞きした覚えはありませんよ。
それは知りませんでした。ただ神様の教えにない事だけは事実です。謀反の根を切る教えであり、悪風には逆らわないやう、ハイハイと這い上がる道だと教えられています。ですから戦闘モードになられても、何の意味もないのです。
若い人たちはあまり歴史のことも知らないでしょうから、せめてネットにある記事や論文でもいいので、読んでみて天理教のことを知るべきです。天理教が戦争協力をしていた紛れもない事実で、実際に送られて引き揚げてきた人たちの苦労も知るべきで、若い婦女子の犠牲の話も知り、本当の信仰とは何かについて考えるべきです。
満州天理村
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%9D%91
「満州「天理村」異聞」池田士郎
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3744/JNK001503.pdf
「怪奇な存在ハルビン郊外の天理村」
http://www.aurora-design.sakura.ne.jp/archives/papers/book-digital/1938-1437346.html
「満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と七三一部隊」
https://book.asahi.com/article/11585549。
今でも伊賀上野の名阪友生ICすぐのところに伊賀生琉里分教会があり、奈良市生琉里町160に生琉里分教会があり、近くに満州開拓団の碑があります。一度、訪れて苦労された方々の碑の名前を見ながらご苦労を偲んでみることも意味あると思います。松村吉太郎の「道の八十年」にも満州のことは書いてあります。昭和9年に入植が始まった満州移民ですが、二代真柱が30歳で松村吉太郎が68歳の頃の話です。国の政策や戦争に協力していた事実は隠しようがないと思っています。
もちろん純粋に布教を志して行った人もいたでしょう。しかし、歴史的に,結果的にみて、教団にとっては大失態であっただけでなく、取り返しのつかない汚点を残したように私はとらえています。やはり神不在の教団にとってそのトップや取り巻きの人たちの都合で振り回された悪例の一つなのかとも思えます。教祖の教えとは違う路線を歩いた結果なのだと見るべきで後世に生きる我々はそれを知り、二度と間違ったことの無いようにすべきであると思います。
通りすがり
2019年10月25日 4:52 PM
神の教えに戦うが無い? 辞書には書いてあるよ(笑)まあいいとして
神の教えに「信者を騙せ!」と言う言葉も書いてないよ(笑)
通りすがり
2019年10月25日 4:52 PM
簡単に書かないと理解できないおバカさんなのかな?
「信者を騙してる中山家を親神様は許しまえんよ~」って事 現に 何で甘露台倒壊、真柱頭の病気、教校閉鎖、パレード中止、土地収奪 これ見せられてるって言うんだよね(笑)これお前が信じ込んでる教理ね。中山教だけでなく 月日親神の社 教祖が言った天啓な
本部の無駄遣いで資金難なだけなのに、せっせと寄付するバカは早々いないぞ(笑)本部の広報している収支決算だれも信じてないしね(笑)
「金の繋ぎはお金の繋ぎ」 と神様いったんか?(笑) 腹が痛い(笑)
本部は90億で悲鳴?最低年間何円必要なのか(笑)飛んだ金食い無私すぎて笑える(笑)
「早く貧に落ちきれ!」これも教祖の言葉な 贅沢すぎるんだよ(笑) カネカネ言ってる肥満集団にどこの誰が好んで寄付するんだよ(笑)異常性極まりない(笑)それにも気がつけない異常性を、教祖は「理の違いは気の違い」とおっしゃったよな?(笑)
つまり「金の繋ぎは命の繋ぎ」と似非教理を公言している本部は気違いとはっきり理解できないなら、通りすがりも 気違いなんだろうね。
以前からも言われてるのに気がつけないからみんな気が付いてるけどね(笑)
通りすがりが本部でも同じキチガイ発言なので何も不思議でないしね(笑)
キチガイでひかからないでね~これ教祖のお言葉を短縮しただけだしね(笑)
放送禁止用語とか言い出したら、天理教すべてが規制対象になるぞ(笑)
おはようございます。朝づとめ前に見るのが日課にしています。
また通りすがりさん現れたんだ。この人はどう考えても教会の人ではないですよね。何も考えてないですし現状どれだけ教会が大変か的が外れてます。善亮さんの事は、表立って認めて、皆散々裏で悪口しか言ってません。近頃では、会議とかでも善亮さんの発言は流石におかしいと良いはじめる人も出てきましたし
理の違いは気の違い ってどなたの言葉?
2019年10月26日 3:58 AM
さんの発言どおり、似たような事を言ってるお方もいました。
やはり、甘露台倒壊の跡に真柱様身上ではね。御本部の不徳のいたす所なのではないでしょうか。
事情教会の土地の返却要求は当系統でも話が出ました。現実に耳にして、法人乗取り も事実だったんだと申しわけありませんが遅ればせながら理解しました。
今は上級や天理時報の言う事は信じないで、毎朝御本部の反省を親神様に願っております。早く悪を懲らしめて欲しいと、それを親神様がしてくだされないなら、離脱します。とも心定めもさせてもらってます。
本部が無くなる、教団がなくなっても分教会の私は何も驚きはしません。本部や大教会は大変でしょうが、親神様、教祖の教えに背いているなら当然の報いです。
通りすがり 様
だったら、教祖・親神の教えと現行教団とは、別物ですよね。
おぢ場に教祖・親神は居られません。今の教団の姿では、居たくても居られないでしょう。あるのは張りぼての神殿・教祖殿や館群だけです。
通りすがり様も、やっとそのことに気付かれましたね。
>通りすがり 2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。>
>通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>
改めて通りすがりさんにお聞きします。
「まともな議論」をよろしくお願いいたします。
なんでおつくし(金銭のお供え)で御恩奉じしないと
二度と体を貸してもらえなくなるという道理になるんですか?
この質問に答えない場合、
通りすがりさんが【都合の悪い文言は無視、自説を主張】しているだけとなりますよ。
日本の法学者であり、歴史学者であり、教育者であり、モラロジー(道徳科学)の提唱者である広池千九郎がどうして天理教を離れたのか、信仰を考えていく上で勉強になると思うので紹介したい。明治43年に天理教に入信し、天理中学校校長を務め講演活動もしていた。教団にとっても重要な人物であった人がどうして離れて行ったのであろうか。大正・昭和初期に大きなカギがあるとは思っているが、広池氏の離脱も無理からぬことであったのだろう。ネット上に面白い論文があるので、読んでみていただきたい。
「大正時代末期の天理教団と広池千九郎」桜井良樹
https://www.moralogy.jp/wp-content/themes/mor/img_research/41sakurai.pdf
上の論文の中でも増野鼓雪と諸井慶五郎が飲酒して登壇して話していたことなどを痛烈に批判しているが、天理教の直会と言えば酒というような習慣にも呆れていたのかとも思える。また倍化運動、海外布教についても述べている。広池は道徳化を通じて日本をよくしていこうと考えていたようだが、そのために教徒の教育にも力を入れ、徳を兼ね添えるようにしたかったのだろう。しかし教団は金集め、信者集めにばかり走ることにほとほと嫌気がさしていたのであろう。もし、この人物が教団にずっと残り、実動していたら今とは違った有能な人材が育ち、自然と天理教は延び広がり、日本社会にも大きく貢献し、教祖の理想とする社会に近づいていたかもしれないと思うと残念なことでもある。教えに触れて、これこそ真の道だと入信したが、現実を見て落胆し、去って行った有能な人物の一人なのかもしれない。
教団の発展を考えるのではなく、日本を、世界を助け上げるのが本来の天理教ではないのだろうか。その為に人材を育成し有為な若者が教祖の望む社会実現に向けて活動できるようにしていくことが教団としての重要な役割ではないのだろうか。しかし、現実は本部員、在籍というような時代と逆行する幕藩体制を築いてしまい、参勤交代のように遠い地方から天理へ通わせるようなことを繰り返したがために地方の教会(特に末端)から疲弊してしまい、教えを広げるどころか衰退への道を推し進めていったともいえるのではないか。有為な人材がどうして天理から離れていくのか再考すべき時が来ているのではないか。
>通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>
あれあれ~間違ってますよ~www
「身体は貸しもの~魂は皆のもの~」と3原点のおふでさきに書いてますが~(笑)
身体だけでは命は有りたたないので、魂が入らないと駄目なのですが~(笑)
ですし、「命をレンタルしてる!」って神様からね。教団が貸しててそれに対しての金払えっていてるから霊感商法抵触してるんだよwww
すなわち、教団 も 通りすがり も違法性がある。つまりカルト(笑)
本当バカにつける薬ってないな
教祖に限って!はまだしも、「中山家が!御本部が!嘘をつくわけない!」と思い込んでるとバカ見ます。「金の繋ぎは命のつなぎ」これは明らかに教祖は言ってないので異端です。これを公言しているのが、真柱の実の弟 中田善亮氏 です。この発言を機関紙でバンバン宣伝し本部も認めてしまった以上本部が異端なのは当然です。本部運営陣も信者を騙せると思って自信持って発表してしまったが故に墓穴を掘りました。信者を騙そうなんて考えが異端です。こんなの信者は誰でも気が付いてます(笑)寄付金も大幅に減ったし(笑)ただいろんな人がいるだけ、寄付金がお幅に減ったのは、急ピッチな学校閉鎖や統廃合を見れば明らか(笑)神の怒りはもう本部の堤防を越えようとしてるんですよねー ここ最近の大雨と同じで、越水して氾濫しているが、大規模すぎて気が付いてないだけでしょうがね。災害も後にならないとその被害には気がつけないので
千葉県の台風や水害が立て続けで起こり、社会学さんのコメントで、台風15号の際に、千葉県の教会がどうとか書いてましたが20号と21号と3連続であってびっくりししました。またもや神の予言が書いてあったと思いました。今日教団で起きている状況ももう数年前には記事で危惧され、記事以外のコメントではより現実味をもって詳細に書かれていました。あたる方に皆さんの気持ちが寄るのは当然のことです。本部よりも社会学さんの記事やコメントの方が誠実かつそれが予言となんて現れる。これぞ天の理と思います。恐れ多くも感想を述べさせて頂きました。
>あれあれ~間違ってますよ~www
「身体は貸しもの~魂は皆のもの~」と3原点のおふでさきに書いてますが~(笑)
原点→原典
魂は皆のもの→??笑笑
かなりレベル低いですね!議論するラインに達していません。
おはようございます。
こう言うコメントとかは、当事者同士のやり取り、勝ち負けでは無く
客観的に見ている、第三者にどれだけ訴えられるかが、重要だと思います。
宗教やってるのに、この人、性格悪いって言う印象を第三者に持たれる様な
そんなコメントを書く様では、未熟な人だなって、感想です。
通りすがり様、一度、御自分のコメントを客観的に御覧下さい
通りすがり様の人格が、ちゃんとコメントに出ておりますよ
正直、あなたを信頼する人物だとは、感じません
東風Z 様の方が、言葉に事実の重みを感じます。
上から目線でものを言う「通りすがり」という方。
世間でも嫌な性分の人がいるが、比べものにならないくらいの嫌な性分だ。
人から学ぼうとしない。
自分が何より正しいと思い込んでいる。
天理教が生み出した「信仰高慢」という、やっかいな代物だ。
人ごとではない。
私も気をつけよう。
通りすがり 様
誤変換はよくあることではないでしょうか。私もよくやります。
全く意味が違えば問題ですが、通りすがりさんも「原点→原典」と指摘されていますので、意味がお分かりのことではないでしょうか。そういう意味からも、ある程度意味が通じればよいではありませんか。
もう少し広い心をお持ちになられては如何でしょうか。
そのほうが楽しい日々を送ることが出来ますよ。
訂正、二つ前の匿名
正直あなたを信頼する人物 → 信頼に足る人物
客観的に見ていて、通りすがり様のコメントは、教団擁護より
教団の今のありようを表していて
むしろここを見る人の反本部の気持ちを、さらに、増加させる事に、加担されておられます。
煽ってるのと同じですよね、だから、あなたは意図的にやってるのかはわかりませんが
ここを、盛り上げて下さっているとも、言えます。
通りすがり様、結果として、ここを盛り上げて下さって、ありがとうございます。
(笑)
皆さん、書かれていることが可愛くないです。
もっと可愛らしい文章を書くようにされた方が、良いです。
集中して通りすがりさんに書いてて、見てて、はぁぁ!と思います。
歳をとってきたら、いかに可愛くなれるかが、生きるためのポイントになります。
目指せ可愛い愛嬌のある自分!
三原点?では話にならないでしょう!
たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
議論のしようがないです!
三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
モリジロウ
2019年10月26日 8:20 PM
>>広池は道徳化を通じて日本をよくしていこうと考えていたようだが、そのために教徒の教育にも力を入れ、徳を兼ね添えるようにしたかったのだろう。しかし教団は金集め、信者集めにばかり走ることにほとほと嫌気がさしていたのであろう。もし、この人物が教団にずっと残り、実動していたら今とは違った有能な人材が育ち、自然と天理教は延び広がり、日本社会にも大きく貢献し、教祖の理想とする社会に近づいていたかもしれないと思うと残念なことでもある。教えに触れて、これこそ真の道だと入信したが、現実を見て落胆し、去って行った有能な人物の一人なのかもしれない。<<
私の元同僚やその家族も元天理教の信者でしたが、今はモラロジーの熱心な会員です。モラロジーだけに限らず、天理教教会本部につくづく嫌気がさし、本部から離脱や独立していく人々は、これから益々、増えていくことでしょう。
匿名 様
2019年10月27日 10:57 AM
>>皆さん、書かれていることが可愛くないです。
もっと可愛らしい文章を書くようにされた方が、良いです。
集中して通りすがりさんに書いてて、見てて、はぁぁ!と思います。
歳をとってきたら、いかに可愛くなれるかが、生きるためのポイントになります。
目指せ可愛い愛嬌のある自分!<<
可愛らしい文章を書くということは、「教会本部を擁護する都合の良い文章を書け」ということですね。言論の自由は、日本国憲法で保障されています。あなたにどうのこうのと指図される筋合いはありません。
匿名 様
2019年10月27日 10:57 AM
通りすがりさんに集中するのは、通りすがりさんが現行天理教を擁護される投稿があるからだと思っています。現行天理教にコリゴリの感情を持っている者にとっては、通りすがりさんの投稿が天理教被害者を増やす結果にならないかと心配しているからです。
兎に角、隠し事をしている現行天理教は何を発信されようと信用できないんです。そのことに早く気付かれることが何より大切ではないでしょうか。
あらゆる過去の史料を開示して修行の基本としている比叡山延暦寺と、史料集成部を開かずの部屋などと揶揄されている教団本部を比較した場合、どちらを信頼されますか。
教祖が仰った嘘と追従これ嫌い、をどのように捉えられますか。
もう、このような議論をしても詮ないことですが、天理教を信仰して不幸になったなんて、笑い事では済まされませんよ。
通りすがり ちゃん
2019年10月27日 11:39 AM
>>三原点?では話にならないでしょう!<<
心が偏狭で臆病者は、人の「あらさがし」をするものです。自分の論点が容易に論破されることを常に怖れているのです。まさにあなたがそうです。自分の意見に自信がない証拠です。「三原点」という誰もがするような変換ミスを大仰しく取り上げること自体、話にならないでしょう。単なるケアレスミスを寛大に斟酌し、「三原典」と解釈するのが普通の大人です。あなたは本当に幼稚ですね(笑)
通りすがりと同じく幼稚なレベルに合わせて、低レベルな揚げ足取りの反撃させてもらいます 笑
>通りすがり
2019年9月29日 2:57 PM
そもそそも、三日講習会に参加されたという人物の投稿内容ですが、明らかに作り話じゃないですか。
御供もひのきしんも、お道の御用は一切「致しません!」と宣言している人が、
どうして三日講習会に参加しのか?どう考えても不自然ではありませんか。<
そもそそも 笑 笑 笑
参加しのか? 笑 笑 笑
プギャー 笑 wwwwwwwwwwwww
通りすがり様。
モリ ジロウ様による「広池千九郎」の天理教離脱の経緯の貼り付けを読んでみました。通りすがり様も、一度読んで、100年以上前からあらぬ方向に向かっていた天理教の堕落の実態に思いを馳せてみて下さい。そして擁護派として、なおも擁護するその理由をおきかせください。
教祖40年祭の頃の事の記述で、その頃から教会制度の弊害、「天理教は宗教にあらず」の苦悩が書かれ、結果広池氏は離脱しておられます。
真面目に社会の事を思う人程、天理教に絶望して去っていく実態は今に始まった事ではない事が伺えます。
広池千九郎
1910年(明治43年)、天理教に入信。天理教教育顧問・天理中学校校長を務める(1915年(大正4年)まで)。天理教本部から三教会同に関する講演の依頼を受けて、以後全国各地で講演活動を展開する。「支那古代親族法の研究」を主論文とし「支那喪服制度の研究」と「韓国親族法親等制度の研究」の二部を副論文として東京帝国大学へ提出する。その後、論文は審査会を満場一致で通過。1912年(大正元年)12月10日に学位授与の知らせを受ける。日本で、第135番目の法学博士号。
通りすがりさん
>たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
>議論のしようがないです!
>三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
「おふでさき」
たかやまにくらしているも たにそこに くらしているもおなじ たましい 13号45
もういいかげん、一人をいたぶるのはやめましょう。それこそ恥ずかしいことで、読んでいる人たちが不快に感じるのではないでしょうか。
通りすがりさんも人を挑発するようなことは慎んだほうがいいです。読んでいて人を不快にさせるのは神の望むところではないと思います。
通りすがり ちゃん へ
「おふでさき」
たかやまにくらしているも たにそこに くらしているもおなじ たましい 13号45
「おふでさき」の中でも、最も有名なくだりですが、人の上げ足をとる前に、あなたこそ、天理教の「原点」を勉強しなさい。敢えて「原典」ではなく「原点」という表記を使います。悪しからず。
通りすがり様
たましい と たまひい を読解できないのがかなしいかな(笑)
通りすがり
2019年10月27日 11:39 AM
三原点?では話にならないでしょう!
通りすがり
2019年10月27日 12:23 PM
たましい…と言う言葉も三原典には存在しません。
議論のしようがないです!
三原典を読んでない事があきらかです。笑笑
たましい も出てきます。嘘は良くないよ嘘は、苦し紛れの嘘も嘘
話に成らないのはあなたね。
通りすがり氏が本部側の嫌がらせ説がありますが、これが本部なら絶望的な知的劣化ですね。
匿名
2019年10月27日 10:57 AM
>>皆さん、書かれていることが可愛くないです。
ここの恒例行事みたいなものですよ笑 昔は 通りすがり 見たいな荒らしがもっと居たものですが最後の生き残りです。 誤字脱字をつついたり、苦し紛れの嘘をつくのは反論が出来ないから
以前違う荒らしでは、「俺の教会に来ていろ!シバイてやる!」見たいなのが結構いましたからね。教団は上品な人よりそのような下品で高圧的な人の方が多いのが現実ですしね。
思ったより組織崩壊が早そうです。中山家が本部に居座るなら崩壊はこのまま加速、出て行ったとしても、信者の金で立てた不動産管理会社など資産の持ち逃げされないようにしないとダメですね。金の繋ぎがと主張し続ける以上崩壊は免れません。居座るにしても、出て行くにしても、おやさと館 は明日にでも解体を開始しないと健全化できません。なんとも苦しい状況です。
私が広池の話を持ち出したのは教団を批判するのが目的でもなく、擁護派と言われる方々を論破しようというものでもありません。愚かな人間はずる賢い者が人を動かそうとし、自己の欲を満たすために知恵を絞るものだと思います。天理教に限らず教団を形成し教義をもとに人を支配し始めたら、それはもはや宗教の団体とは言えないと思います。
擁護派というような人はここには書き込めないでしょう。袋だたきにあうのは目に見えていますし、また書き込めるだけ史実を研究し、実体に迫ろうと熱心に研究する人もいないと思います。したくとも「お前は異端か?!」の常套句に怯えて、真実を知ろうとすることに待ったをかけられるからです。検閲のかかった書物ばかり子供のころから読まされ、真の教祖像に触れたくてもできないわけですから。ただ傍観するしかないのではないでしょうか。それでも研究を始めたら本当に愕然としてしまい、黙り込むか、道を失うしかないように感じます。
バリ天と言われる人々もある水準までは理解し、これこそ真の道だと信じて疑わず道を求めようとするでしょう。純粋な信仰熱心な若い人たちの洗脳を解こうなどという考えもありません。教団自体をつぶしたいのかと言えばそれも違います。私は組織は必要だと思っています。「天理教」という名称にこだわりがあるのかもしれません。それがなければ天理教から離脱した他教団に移るか、とっくに棄教しています。現状はこの教団が「天理教」と名乗るのにはふさわしい状態だとも思えません。そこに自分が研究する根源があるようにも思います。過去を把握し、何が原因でこうなったのかを詳しく調べ上げ、真の「天理教」を名乗るにふさわしいものに改革していくべきだと個人的に考えています。
具体的に言えば明治維新、大政奉還のような形で中山家は教祖の末裔として象徴とし、運営には関わらず、貴族制度廃止で在籍制度をなくし、教団自体の運営は宗教法人「天理教~~」が民主的に行うなど、組織の大改革を行うべきだと考えます。言い換えれば「天理教令和大維新」です。更に申せば集会が形だけの物でなく集会自体が教団の動きそのものを談じ合う組織として中核を担うような形になればとも漠然と考えています。
今のように教会をやめようにも教会は本部にお供えしたものだからとやめることもできず、教会をたたんで出ていくこともできず、信者もおらず鳴り物も揃わず会長夫婦が三代真柱のCDでみかぐらうたをかけておつとめしているようなところもかなりあるはずです。それで陽気暮らしだ、布教だなどと、若い後継者たちが勇めるはずもない。これも神の働きあってのことでもあり、本当に神に働いてももらえるように前向きになるべきだと考えます。しかし、ここまで書いたことは絵に描いた餅で何も変わらないようにも思います。神が勇んでいるように思えないからです。今の日本のようすをニュースで見ていると。
本部の皆さん。現状教会の悲惨な現実です。
鳴り物の皮は破れたままで直す費用は無いです。もう、この破れ三味線は直さないつもりです。何せ信者が数名しかいません。奏でる出番が今後も無い。鳴り物は太鼓だけ。拍子木と太鼓だけの月次祭はさみしいものです。弾く当てのない破れ三味線を形ばかりに置いて、琴も胡弓も笛もツツミも「形」ばかりを整えて、人が居ない、、、。
かつては20人30人の信者さんが神殿を埋めていて、直会の料理作りにも活気がありました。上級上納金も年間300万前後出来てました。今考えれば無駄金でした。もっと有効に使えたお金だったと思います。
今は高齢信者さん数人だけで自教会の維持さえも出来かねています。教会制度の理不尽と制度破綻はなるべくしてなったと思います。本部に金が集まらなくなったのもうなずけます。どんなに命の繋ぎは金と言ってももう末端にお金はありません。
この期に及んでも、本部の興味関心は組織維持の為の金集めばかりですね。悲しい程に誠が無いです。偽物はもう見たくも聞きたくも無いです。
>>おやさと館 は明日にでも解体を開始しないと健全化できません。
解体するお金さえもうないでしょう。
巨大な廃墟になるのを待つばかりです。
>>本部に金が集まらなくなったのもうなずけます。
>>どんなに命の繋ぎは金と言ってももう末端にお金はありません。
>>この期に及んでも、本部の興味関心は組織維持の為の金集めばかりですね。
>>悲しい程に誠が無いです。偽物はもう見たくも聞きたくも無いです。
全く同意です。
「理の親には絶対服従しろ!黒と言ったら白いものでも黒だ!
未来永劫世襲で身分は固定だ。
お前ら末端や信者は人を集めて来い、金も集めて来い!!
末端には給料なんてもちろん一銭も払わん!
お供えは命のつなぎだ、お供えしなければ命はないぞ!
もしも金を払わなければ二度と体はレンタルしてやらないからな!
まあ俺らはその金で贅沢するけどな!俺の物はもちろん俺の物、お前の物も俺の物だ!!」
まあ教祖亡き後、こんな反社なカルトが130年あまりもよくもったなって感じですね。(笑)
さあ皆さん、これから教団の沈没する様をしっかり見届けていきましょう。
モリジロウ
2019年10月27日 10:03 PM
具体的に言えば明治維新、大政奉還のような形で中山家は教祖の末裔として象徴とし、運営には関わらず、貴族制度廃止で在籍制度をなくし、教団自体の運営は宗教法人「天理教~~」が民主的に行うなど、組織の大改革を行うべきだと考えます
教祖の末裔だから象徴としてもいりません。一族郎党残らず追放しないと民主性には出来ないでしょう。あなたが紹介してくださった広池氏の見聞した教団の惨状を許してきたのも中山家です。管理者責任は当然あります。新渡戸稲造などの国の有力者にもあいそつかされる反社会教団だっただけです。飯降いぞう 上田ナライト など天啓者を排斥し権力が欲しかった強欲の中山家です。つまり原因は中山家です。血は水より濃いなら尚のこと追放、強欲つくしビルを建て裏で何をしてたかわかりません。年月は掛かりましたが答えが出たまで、強欲の烙印を押し、追放してやりましょう。 天啓者上田ナライトはじめ他にも異端の烙印を押され追放された者のためにも、成って来るのが天の理ならば、これら語られ知れる事に成ったのも天の理、親が見の意思は中山以外に有り
普段は聖職者の顔、酒飲んで暴れる。とかただのアル中の病人 言う事聞かす為にパワハラ、暴行 教団はアル中、うつ病、など精神疾患などを見て見ぬ不利する教団なんですかね。 反社以下のカルト教団ですね。
もう元には戻りませんね。
本部の東にある手水舎ですが、(具体的な費用は忘れましたが)建築費が〇憶円だったと聞き、驚きました。
建築費用をネットで調べると。
「規模や装飾の程度、外構工事の範囲など、様々な条件により、費用は異なりますが、例えば、柱間6尺×5尺程度の手水舎の建て替えですと、水鉢は別で、およそ600万~1,000万円ほどになると思います。」
と、出ていました。
http://www.orido.co.jp/appurtenant-works/temizusha
どうして、おぢばの普請の建築費はけた外れに多いのでしょうか?
古い元教会長 様
2019年10月28日 7:28 AM
>>どうして、おぢばの普請の建築費はけた外れに多いのでしょうか?<<
いわゆるキックバックでしょう。差額がどこかに流れているのでしょう。
本部の金の流れは不透明ですね。
因みに親里7号館は本部員住宅と思われるが2017年にトギタニ建設によってリフォームされていますね。
一銭の給料も無い末端が自力でやっているのに、本部員の住まいは信者のお金でリフォーム。給料と、おまけにボーナスまで貰ってね。やりたい放題ですね。
信者には命の繋ぎは金と脅迫教理で金を集めておいて、自分達はより一層快適に住む為に金をつぎ込む。何処から出た金かは言わずと知れた事じゃありませんか。
美味しい汁を吸ってる本部員。偽教理に反対する本部員が居る筈が無いです。ズブズブで腐った舟は沈むしか無いです。
人は、一歩下がって物事を見なおし考えることが、なかなかできないんです。1986年から始まったバブル経済が5年後にはじける。人はみな酔っていたのです。山奥の土地を買い漁った企業は倒れ、そこへおカネを貸した金融機関は苦境にあえぐことになりました。
天理教だって教祖70年祭頃から何かに酔っていたのです。いや、それ以前からかもしれません。今のようなソーシャルメディアもなく、二代さんの発する一言一言になんの疑いも持たずに浮かれていたのです。
旬に蒔かぬと芽は生えずなんて言われると、前後の見境すら見えなくなってしまったのです。そして、あの館の建設が始まってしまったのです。
当時は少しばかりの利用価値もあったようですが、今では重荷になっているのでしょうね。
二男がよく言うんです。人類なんて、あと1億年はおろか、1千万年さえ続くかどうか危ういものだと。
仮に、人類が100万年生き延びたと仮定して、天理教本部はどのような未来像を描いているのか。
今々のおカネのことを云っているようでは、人間思案そのものでしょう。
「旬をの逃すと芽は出ない」こう言われると今を急ぐように金策してお供え金を包んだものです。
農事の種まきの旬を利用して 上手く納得させるものです。
確かに種まきには旬はある。真冬に蒔いても芽は出ない。今が旬だ、と言われれば一粒万倍を信じて先々の結構をお金に託したものです。
しかし年祭が旬だと言うのは何を持ってなのか?今だに解らない。
旬の御用?旬って何ですか?
本当に言われるがまま、理解もせずに狂っていました。
誰かが言ってました。天理教徒は今は「転離狂徒」。真実が明るみになり、狂ったように逃げ出す人々、、
東風Z様
地球はあと30年で人が住める環境ではなくなるという研究があります。
そのこともあって、天理教の精神を伝える必要があると思うのです。
もったいないという考え方で出来るだけ生活を質素にするということを世界でしていかないといけなくなってきていると思います。
匿名 様
2019年10月28日 10:12 AM
教祖は、諺を用いて分かりやすく教えを説かれたと聞いていますが、教団は返って悪用したと言いますか、うまく利用したのですね。
用木、用木と言われて浮かれていた部分はありました。反省しきりです。
匿名 様
2019年10月28日 10:33 AM
>地球はあと30年で人が住める環境ではなくなるという研究があります。
怖いですねぇ。若い人たちは本当に気の毒です。私はあと数年の命と観念しているんですが、足るを知ることがいかに大切かを痛感しています。亡き日野原重明医師が提唱されている腹7分目には及びませんが、日々頂くものが美味しく感じられることは何よりの喜びで、好き嫌いが無く過ごせる一因は貧しい教会に育ったお陰と感じているんです。
夏になると、教会の裏の畑で採れたナスとニシンの煮物の毎日でした。今となれば、これが良かったのかもしれません。
もう、40年以上も前になると思いますが、アメリカでは赤ん坊が一人生まれれば、日本人の25倍のエネルギーが必要になると聞いたことがありました。先進国といわれる国々は生き方を考えなければならないと思うんですが、一向に改められないようですね。
この度の台風と豪雨被害を考えますと、時間的な余裕はないかもしれません。
環境問題に対する認識は、日本はかなり遅れています。ヨーロッパ諸国、とりわけドイツは、早くから風力発電等の再生可能エネルギーの開発をしています。また、電気自動車(EV)やトロリーバスも普及しています。海を隔てたお隣の中国でも、電気自動車の普及率は日本を遙かに凌いでいます。小泉環境大臣は日本の現状をどのように変えていくのでしょうか?
汚職だらけなのでしょう。重要な建築や学校や病院などは血族が担当し業者と山分け組織内で悪者にされるのをおそれて中山家にも上納もされるでしょう。教団の総収入が100億切った位で、悲鳴を上げているのがおかしいです。最低コストが高すぎるのでしょう。どれだけ金食い虫なのか? やかたの維持管理修繕費、人件費で考えてもやはりコストが高すぎます。天理教規模になるとしっかりした会計士が必要ですが、そんな人もいれずに汚職汚職汚職が想像できます。もししっかりした方を入れたら汚職が出来なからです。次ぎ入るのは国税局から会計集団が入り徹底的に調べ上げられて終わるのではないでしょうか(笑)
日本は素晴らしいと、悲惨な現状から目をそらさせるTV番組のなんと多い事か!
経済事情にしても、ネットで個人として果敢に発信している少数の人を紹介しても反応が薄いとう現実。
認めたくないという心理が邪魔をしているだろうことは想像がつく。
東京教務支庁の来年の記念祭に、大亮夫人がたとえ来なくともお供え金は出ていくと、古い元教会長さんは指摘される。
どうも、社会学板での傾向として、大亮夫人に関しては中山家一員としての責任を問う人は少ないようだ。
やはり女性は「徳」というか、若い女性は庇護の対象にでもなるのだろうか。
そんな生ぬるい事では中山家に対応できないのではないだろうか。
お供え金の個人的消費(中山家の生活費、遊行費)に疑問を問う事は基本中の基本であるはず。
その出席が用務を伴い、明らかな出張扱いにできる用向きに対する出費であれば、誰も文句は言わない。
東京見学、桜のお花見等々が考えられるという書き込みがあったが、それをOKする人もいる。
いったい天理教信者は下々の者には厳しくお供えを要求するのに、若殿・若嫁にはかくも甘いのは何故なのか。
若い人であれば少なくとも考え方に柔軟性も有るだろうから、改革は若者たちこそ率先してやりたいと考えるものではないのか。
海外の若者たちと比較しても意味は無いのかもしれないが、「気概」という言葉は日本から消え去ったのか。
少なくとも高齢者たちは保持しているだろう「気概」。
30万円という額だから目こぼししようなんて考え方では教団の悪行を追求できやしない。
若者に問いたい。あなたの親が2か月に1度、受給している年金額(つまりは2か月分の生活費)は30万円を超えているのか。
若嫁が遊びがてら上京するだけで30万円もらえるなんて、理不尽だと感じないか?
年金は長年にわたり日々、勤勉に勤め上げた結果、得ている金だが、若嫁はどうなのか。
些細な事から見えてくる理不尽さに目を向けて頂きたいと考える。
おりしも、即位のパレードは延期になったものの、美智子前皇后のようにきっぱりと、自身の誕生会を中止に決めた気概とは程遠い現皇室に失望した。
パレードにさかれる警護の人員を当たり前のように使役する感覚を、恐らくは美智子前皇后は戒めたかったことと推察する。
さすがにキリスト教の信条教育を受けた方は、人を想う優しくも広い心をお持ちなのだろう。
これでこそ国民に寄り添う皇室だろう。
(付け足しだが、私自身は普段は皇室なんて興味の対象外としか感じない者だ。)
そう言えば、現皇后の語学力を盛んにもちあげた報道はバカバカしくて笑いました。
ニュース画面を見て気が付いたのは、他の皇室の面々も「通訳なし」で外国からの賓客と語らっていましたよ。4~5人の他の女性皇室メンバーがしっかりとコミュニケーションをとっている姿を何処かのチャンネルでは放送していました。とりたてて「通訳なしで」と称賛するキャプションは無くとも、1対1で話す姿から、公務をしっかり勤めていることがわかりました。
今時、「数か国語を話します」と褒めているのも、他に褒める事が無いからだという人もいますね。
まぁ、どうでもいいことですが。
秋篠宮が経費に関して正論を述べたら、何故か叩かれたという日本ですから、まだまだ皇室を無条件に信奉する人々が多いのでしょう。天理教信者と重なり合う部分も、もしかすると、かなりあるのではないかとも感じます。これだけ実態経済が疲弊した日本で、お金持ちの所にはますますお金が集まるのですから、庶民の中でも最貧民の天理教信者は、しっかりと目を開けて世の中を見据えない事には悲惨な未来を必然的に受け止めるしかなくなるでしょう。
私自身はピンピンコロリを祈るだけです。家族に迷惑をかけないように人生を終えるには安楽死法案成立を願っています。生きていればよいことも有るだろうと思えたのはもう、ずいぶん昔の事となりました。
外見だけを見れば、天理教信者として教会にも行き、減額した形だけのお供え(千円)を月次祭にだしているだけです。これには笑い話のような実話があり、教会に行けばトイレを使い、水も流すから、必要経費と思って出しているという人がけっこういるのです。世界助けという教えも何だか、遠い話にしか聞こえてきません。「御恩返し」と言われても、信者にだけそれを求めていることに、根本的な無理があります。
ご恩返しとは「寿命が来る迄、苦しくても生き抜くこと」のはずです。そして神様のお慈悲でピンピンコロリでお迎えとっていただければ言う事なしの「助かり」です。
>>おりしも、即位のパレードは延期になったものの、美智子前皇后のようにきっぱりと、自身の誕生会を中止に決めた気概とは程遠い現皇室に失望した。
パレードにさかれる警護の人員を当たり前のように使役する感覚を、恐らくは美智子前皇后は戒めたかったことと推察する。
さすがにキリスト教の信条教育を受けた方は、人を想う優しくも広い心をお持ちなのだろう。
これでこそ国民に寄り添う皇室だろう。<<
全く同感です。パレードも含め即位の礼の一連の儀式に費やされる経費は160億円を超えています。一方、台風の犠牲者数や被害額は毎日のように更新され、どんどん増えています。皇室は本当に国民に寄り添っているのでしょうか?
Twitterより
Michael ミカエル @MichaelMikaMori · 10月24日
教皇フランチェスコ(フランシスコ)聖下は
大司教+枢機卿となった後も 小さなアパートで自炊し
バスや市電地下鉄を使い
貧民街に通い続けた方
著書もぜひ読んでみて下さい
来日をお楽しみに
会いに行けなくても TVが日本語字幕で
お話しを伝えてくれるでしょう
https://www.youtube.com/watch?v=p43wkUPcRfI&feature=youtu.be
ここで天皇家や国を主要に叩くのは、論点の解離を生み、本部中山家に「天皇家もそうだから」と言い訳に使われます。天皇家や天皇制に関しての議論は、2ちゃんえる や 5ちゃんねるの政治板にいかれたほうがよろしいです。
>教祖の末裔だから象徴としてもいりません。一族郎党残らず追放しないと民主性には出来ないでしょう。
心情的にそうおっしゃるのも理解出来ます。しかし、明治維新がそうであったように簡単なことではありません。ただ単純に追放というのは現実的ではないばかりか、実際に権力を握っている、動かしているのは誰か、そして現状を本当に把握して未来を描けるのが誰なのか、考えなければならないと思います。そして無血開城にもって行くことを考えなければならないとも思います。元々、天理教は教祖中山みきの神憑りから始まっており、神の言葉を民衆に伝えることから始まっています。しかし人間は病助けを求めるだけで、心の建て替えまで、できた人は限られています。それは井出クニも言っていることです。
問題は中央集権体制を作り上げようとしたところにあり、その時期が明治末期から大正期であり、神不在の人間主体の神の皮をかぶった輩たちに振り回されてきたということだと私は認識しています。追放すべきだという心情も理解できなくはないですが、何も追放しなくても皆が棄教すればいいだけの話で相手にしなければいいわけです。
しかし、棄教も出来ず縛られている人がたくさんいることも忘れてはいけません。本当に愛想を尽かした人々はとっくの昔に離れています。ここへも書き込んだりもしないでしょう。既に心は離れているわけですから。それとも怨念だけで書き込んでいるというのでしょうか。仮にそうだとしても、それではその人が救われないとも思うし、タタリ神になってはいけないとも考えます。ですから実権を握っていて、教団を動かせる人物が真柱に働きかけ無血開城を目指して、大きく改革するべき時が来ていると訴えているわけです。
飯田岩治郎、井手クニも茨木基敬も皆、神が現状の教団ではだめだと遣わせた使者なのかとも思えてきます。須藤花井もしかりで、このままでは本当に天変地異が起こり、三分の一になるのもまんざら嘘ではないのかとも思います。集会委員の役割は大きいとも思います。もっともその集会員も本部側の意向で人選されて反旗を翻さないような人物ばかりが集められている上に、部内教会がいくつかあるような安泰な教会長が多いのかもしれません。しかし、現状をよしとしないのであれば、将来を見据え、考えてもらいたいものです。
全朝教運動と天理大学問題
http://zenchokyo.web.fc2.com/166Temri.htm
一部抜粋
>これは、「大学の自治」に対する全くの無知を示す驚くべき議論でしょう。天理大学も学校教育法以下の諸規定に規制された独立の公教育機関である以上、教団といえども、規定に基ずかず学内の合意なしに大学に代わって交渉の当事者の位置に着くことなど出来ません。にも拘らず、教団を代表する表統領がそのように言明したのは、事実上、天理大学の支配権力である教団にとって大学の自治に対する介入どころか、大学を「教団の私物」と見なしていることの証左でしかないでしょう。各機関や諸個人の独立を認めず、一律に教団的権威に服従することを求める教団・法人・大学を貫く体質こそが、例えば4回生は天皇、1回生はゴミと言うような、「事件」を起こした南寮の在り方に集約的に表れていた事は、他ならぬ啓発委員会の認めるところでしょう。従って、これを「大学自治への介入」と批判するのは、まさに当然でしょう。 >
教団組織内の階級差別だけではなく、天理教内の教育機関も同じように差別的かつ暴力的な体質なわけです。
なんでも本部員や大教会の子弟は教授や教師やらからあからさまな特別待遇(依怙贔屓)があり、
また末端等弱小教会の後継者等の立場の物には差別的扱いがさまざまな場面であるそうです。
天大の寮生の階級は、4回生は天皇、3回生は人間、2回生は奴隷、1回生はゴミ(虫けら)
なんて聞いたことがありますが、今でもそうなのでしょうか?
結局、今月のかなめ会ではどんなはなしがでたのでしょうか。
3原点さま
強弁とでっち上げ、自作自演の作り話、教理の改竄と歪曲、果てはマズイ投稿の削除…
まともな掲示版でない事は、あなた方自身が分かっている事です。
つづく
3原点さま
あなた方は真柱発言を捏造した事を覚えていますよね!
つづく
通りすがり様
どうも、あなた様は、何も聞かず、理解せず、駄々っ子の様に、わめいておられるだけの様です
客観的に見て、あなた様のコメントには、誠意も無く、説得力も微塵も感じませんが
ただ、あなた様が、書くと、教団批判の方の意見が、さらに多く掘り起こされるので
結果として、ここを、盛り上げて下さってる事に間違いはありませんよね。
それを承知で、書かれているなら、ここにとってプラスになりますので、どうぞ書いて下さい
承知されていなくても、別に困りはしません、どうぞ、わめいて、盛り上げて下さいませ。
通りすがりさんは単に洗脳された人で哀れな方と思って見ていましたが、、、。わめき散らす様は天理教擁護派の知的レベルの低さが見えて議論するに値しないお方なのかと思ってしまいました。
擁護派レベルがこう言う事で有れば天理教が消滅に向かっている現状は自然の流れかと思います。幹部がもっと神を畏れ、賢明で知的かつ大局的判断が出来ていたらもう少し違う方向に向かっていたでしょうが、、。
代々幹部は素直に欲を出し過ぎて、神を敵につけてしまいました。哀れです、、。
3原点さま
天理教トップの発言の捏造したこの掲示板は既に死んでいます。
かなめ会について議論している場合ではありません。
真柱発言を捏造したあなた方は、私を批判する資格はないのです。
捏造の内容をここで検証してみましょう。
久しぶりにライブカメラに行きました。10月26日の午前11時、正午及び午後1時の映像が有りません。
恐れ多くと大祭時は避けたのでしょうか。それとも検索方法が悪いのでしょうか。
午後2時の映像が有りましたが、寂しい限りですね。二部生の頃は詰所もごった返していたのですが、魅力を失うということはこういうことなんですね。
亡き三代さんが、詰所の明かりが無く寂しいと漏らされたと、亡き母から聞いたことがありますが、このような状況になるとは、母も想像できなかったのかもしれません。
信仰初代の僧祖父母の一族は80人を超えていますが、教会に繋がって講社祭りをしているのは、従弟ひとりです。それも家族はついてきていません。従弟が亡くなれば信仰は途絶えてしまうでしょう。
なぜ、このようになったのかを教団関係者は一考されることです。
やりましょう!ぜひやりましょうー!
真柱の発言、中田善亮さんその他のトップの発言も含め、ここで検証しましょう。
通りすがり様もちゃんと参加してくださいね。
高圧的な文面はやめて、冷静に皆で話し合いましょう。
久しぶりに秋季大祭に行きました。
東名阪国道天理東インターから降りて北大路を通りました。
以前と違う事は、横断歩道に専修科生や教校学園の生徒による交通整理が全く見られませんでした。
法被を着た生徒が一人もいなかったのです。
駐車場の入り口に立っていたのは、警備会社の社員でした。
本部境内やその周辺で修養科生の姿も殆ど見る事ができませんでした。
北大路脇の観光バス専用の駐車場に止まっているのは、ほとんどが中型の観光バスやマイクロバスでした。
以前は、大型観光バスで埋め尽くされていたのに・・・
本部から人が去っているのを実感しました。
途中の伊賀パーキングで愛町の観光バスを見かけたのですが、降りて来るのは年寄りばかりでした。
かく言う私も、もうじき70歳ですけどね・・
境内の帰参者の様子は、90年祭や100年祭を見ている私からすれば激減状態ですが、秋季大祭なのでそれなりにはいました。
「広大な境内、壮大な神殿、それなりの帰参者」
この様な環境の中にいる大亮君や他の若い本部の青年達には、天理教の衰退がもはや止める事の出来ない動きになっている事を認識できないと思いました。
彼らが、天理教本部の破綻を知る日は突然に訪れるのかもしれません。
3原点さま
>匿名 2019年5月4日 9:52 PM
通りすがりさん へ
…………
4代真柱は、平成12年1月26日、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、
と指針しましたが、その原典根拠は何ですか?
いまだに全国の教会ではかんろだいを囲んだおつとめが実現できておりませんよね?
…………
真柱様はこんな事は一言も言ってはおられません。「真柱訓話集」第59巻の9ページから34ページに、平成12年1月26日の真柱様の講話の全文が掲載されています。この書き込みを読まれた皆さん、ご確認下さい。
教団トップの発言がとんでもない文言に改竄捏造されています。
と同時に、この書き込みの文言はもう一つの事実を暴露しています。
つづく
通りすがり様
私は擁護派の匿名です。HM匿名ですのうちの一人です。
私は現真柱様がそうおっしゃったとしても全く不思議はないと思います。
私は真柱様を神殿でのお話やおさづけ拝戴でしか存知あげておりません。
しかしそういうことをおっしゃったとしても、納得出来ます。
甘露台つとめをお恥ずかしながら一度も拝見したことがありません。
しかし、真柱様がそうお考えであるならば今一度考えるべきことであるかと僭越ながら、一信者として考える所存です。
ちなみに東風Z様の40年前の日本人はアメリカ人の25分の1のエネルギーで暮らしていたんだなと昔の日本人の偉大さを思います。
私も子供の頃は冷暖房のない部屋では寒ければ毛布を巻いて、暑ければ我慢で(日本式建築は以外と涼しいです。)行ってたなと、車を運転しながらエアコンの効いた部屋の今と比べています。
そして、地球があと30年で人の住む環境ではなくなるという研究ですが、それはアマゾンの大火事のおこる数年前に言われていたことです。
以外とは意外とですね。間違えました。
ちなみにかぐらづとめを本部以外でされても、本部の甘露台としての重要性は変わらなく同じだと考えます。
「昨日、天理教さんの前を通ったんですよ。もの凄い立派ですねえ、びっくりしましたわ!」
新聞代集金の男性が話されます。同好会のメンバーで山の辺の道を歩かれたとか。バイクのエンジンかけっぱなしで歴史の話で盛り上がりました。神殿の他にも大きな建築物だらけなのと商店街が長いのにも驚かれたそうです。「建物は立派でも人は居なかったでしょう、商店街もシャターの店が多いし」と言うと、「そうでしたねー、皆で、なんか知らんけど活気が無くて寂しそうやねーって言ってましたわ」東大阪市の賑やかな所に住んでいる人達にすれば、少し異様な風景だったのかもしれません。青年会総会はどうだったんでしょう。11月3日は女子青年大会、うちは両方とも声掛けしていませんが、、。
2019年5月4日 9:52 PM に旧コメント欄に書き込んだ匿名の者です。
通りすがり 2019年10月29日 11:28 AM さんへ
遅ればせながら補足させていただきます。
(ちなみに私はあなたが呼びかける「3原点」さんではありません。)
【東風Zさんの書き込みにもあるように
4代真柱は、平成12年1月26日、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、
と指針しましたが、その原典根拠は何ですか?】
と投稿したのは、東風Zさんの書き込みに対しての質問だけではなく、
れんだいこさんのHP
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_89.htm 内の
以下の一連の年表の書き込みに対しての疑問です。
【 1997(平成9).1.26日、「国々の教会で教祖の教えたかんろだいつとめ」と真柱指針する。
1998(平成10).4.26日、中山善司が第4代真柱に交替する。かんろだいつとめの指針行われず。
2000(平成12).1.26日、中山善司が第4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、と指針する。】
これら一連の年表の根拠について、何か本部内部に詳しい方がいればと思って質問致しました。
公式アナウンスの真柱訓話集にこれらの発言はないことはわかりましたが、
どこかほかの場面で、たとえばかなめ会等で発言があった可能性は否定できませんよね。
なにせかなめ会報は分教会には配布されませんし、ほぼ密室談議ですから。
真柱の発言内容に対する改竄捏造だととおりすがりさんが騒ぐのなら、
まずれんだいこさんに問い合わせていただきたいと思います。
徳川幕府は、200年以上の長きにわたり、鎖国政策をとり、キリスト教を禁教とし、世界情勢に目をつむっていました。しかし、アメリカやイギリスの軍事力を目の当たりにし、とても欧米列強には太刀打ちできないという考えが、当時の名だたる学者や知識人、また、その門下の弟子達を中心に全国的に広がり、倒幕派(勤王派)と佐幕派(幕府擁護派)が対立し、戊申戦争で勤王派が勝利して明治維新(革命)に至りました。江戸城は無血開城されましたが、明治維新に至るまでに、戊辰戦争で多くの人が死傷しました。維新後の西南戦争でも多くの死傷者をだしました。
徳川幕府と天理教を比較するのは間違っていると思いますが、本質は同じだと思います。徳川幕府は150年前に崩壊しましたが、天理教は頑なに世界の動きに眼を閉じたままです。天理教は今も「江戸時代」です。世界は近代化されても天理教は「ぽつんと江戸時代」です。様々な矛盾が発生するのも無理からぬことです。明治維新のような革命では、多くの人達の血が流れるのが通例ですが、天理教の場合は、腐敗した味噌にカビがはえて腐りきるように、内部矛盾により自然崩壊の道をたどると思います。
匿名
2019年10月29日 1:56 PM です。
リンクが正しく投稿できませんでした。
改めまして「れんだいこさんのHP」のリンクです。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_89.htm
3原点さま
まず第一に、
真柱発言の捏造という、とんでもない暴挙がこの掲示板で平然と行われたという事が明らかになりました。「れんだいこ」のせいにしているようですが、自らの発言に責任を持たない事を宣言しているのと同じです。
捏造しました。もう訳ありません!と言って、どうして素直に謝れないのでしょう。人間性が問われますね。
さらにもう一つ重大な事を読み取る事ができます。それは、投稿した者が全く天理教を理解していないという事です。「かんろだいづとめ」は「ぢば」でしか勤める事は出来ません。これは神楽面を付けて勤める「つとめ」は「ぢばに限る」という「おさしづ」に基ずくものです。「つとめ」は世界たすけの根幹に関わる事ですから、ぢば以外で勤めてはならないものです。ところが「おさしづ」を曲解して「かんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」などと言っているグループがあります。八島英雄の残党です。
いずれにせよ、天理教を全く分かっておられない人々がこの掲示板に投稿しているという事を読み取る事が出来るでしょう。
……公式アナウンスの真柱訓話集にこれらの発言はないことはわかりましたが、
どこかほかの場面で、たとえばかなめ会等で発言があった可能性は否定できませんよね。
なにせかなめ会報は分教会には配布されませんし、ほぼ密室談議ですから……
こんな発言が天理教に関しての無知をさらけ出しているのです。
つづく
もう訳ありません!⇒もうし訳ありません! 修正しておきます。
3原点さま
この掲示板の暴言の一つを以下に引用させていただきます。
>匿名 2019年4月13日 9:40 PM
「通りすがり」は自ら書き込んだアホなコメントの反応を、ビクビクしながら一日中読んでいた!笑
「通りすがり」は自分のアホさ加減にどうやらほんの少しだけ気が付いて、恥ずかしくてたまらない 笑
「通りすがり」は恥ずかしさで自らを傷つける10000ポイントのアホアホダメージ!
赤っ恥をかいた「通りすがり」は逃げ出した!
しかしまわりこまれてしまった!
自らにベホイミ(おさづけ)を唱えるも、全く効かない! 笑
なんとか立ち上がり、
悔し紛れに捨て台詞を吐いて 命からがら顔を真っ赤にして地獄にヨロヨロ逃げていった! 笑 笑 笑 笑 笑
この方の品格と人格が疑われる書き込みだとは思いませんか!
真柱発言の捏造、教理に関する無知、そして暴言、
こんな人たちが、私を批判する資格があるでしょうか?
通りすがりは他人に暴言は吐きまくるのに自分が攻撃されると「わが身可愛い」で被害者面ですか。
醜いですなあ。
それはさておき、通りすがりの言っていることは矛盾だらけです。天理教がいろいろな意味で全く理解できていないようですなあ。
通りすがり 2019年10月29日 3:54 PM
>「かんろだいづとめ」は「ぢば」でしか勤める事は出来ません。これは神楽面を付けて勤める「つとめ」は「ぢばに限る」という「おさしづ」に基ずくものです。「つとめ」は世界たすけの根幹に関わる事ですから、ぢば以外で勤めてはならないものです。ところが「おさしづ」を曲解して「かんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」などと言っているグループがあります。八島英雄の残党です。<
すごいなあ通りすがり、こんなこと言い切ることが出来るって。自分の無知を堂々と晒しているよ。笑
元天理教表統領清水国雄は、1991年5月31日に東京地方裁判所にて、
「八島英雄氏が主張する教説、いわゆる八島教学について真柱が、異端とか、異説とか、異安心と裁定したことはないし、意見を述べたこともない。また、天理教及び天理教教会本部の正式機関では、八島教学が異端とか、異説とか、いかなる判定も下したことはない。」
という内容の証言を述べているのになあ。また、旧コメント欄の以下の加藤ハルアキさんのコメントについて通りすがりは反論できるかなあ?(できないだろなあ。加藤様引用させていただきます。)
引用ここから
加藤ハルアキ 2019年5月5日 1:38 PM
ここの「通りすがり」さんと、天理教を信仰するメリット板の「ただの父親」さんは、主張が似てますね。
八島英雄氏の「オカルト不可思議を排する教義解釈」を否定して攻撃し、中山みきさんの教え全体の雰囲気や内容を考えようとせず、おさしずや教理の文章を一部だけ切り取って限定的な解釈をしようとしています。
同一人物か同じ仲間の人でしょうか?
教祖が亡くなる前に「つとめをせよ」と急き込んで、つとめたのは「かんろだいを囲んだつとめ」で、神棚や社の前に並んで座って「つとめ」ではありません。
教祖が教えてくれたのが「かんろだいを囲んだつとめ」で、それを「山の中でもあちこちとてんりんおうのつとめする」と書いてあります。
だから、山名に「面をつけたつとめ」が許され、「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にもあります。
「めんはぢばかぎり」というおさしずは、明治教典を見れば明らかなように「国家神道を教える教会の『つとめ』に面を使ってはならない」という意味だった訳ですが、それを「本部以外ではつとめてはならない」と解釈するのは山名の件とあまごいつとめに矛盾が生じます。 引用以上
通りすがりの反論はいかに。答えられない場合はお決まりのスルーでしょうけどねえ。
>通りすがり
>捏造の内容をここで検証してみましょう。
寒(サブッ)!!
まったく検証になっていない!!
自分自身の発言が矛盾だらけで幼稚で無知で荒唐無稽だという恥をさらしただけではないか。
れんだいこ氏のHPの引用がなぜ捏造になるのか、通りすがりは人に無理やり因縁つける暴力団と一緒だ。
通りすがりは反社会的危険人物である。
『そもそそも』なんで議論する能力も読解力もないのにこのコメント欄に『参加しのか?』www
15、6年前の事か、親友が天理教本部に観光がてら立ち寄ったと言う。久しぶりに会った教会の娘である私に賛辞をおくってくれた。
「天理教ってすごい立派な神殿だね〜。シ〜ンとしていて、誰も人が居なくって。神秘的だったわ〜。」
彼女はその伽藍の大きさ、静けさを褒めたつもりだったのだろうが、教会を預かる私としては、そのシ〜ンとしたと言う一言に傷ついた。教団本部に人が居ないと言う事は全くの褒め言葉では無いから。
110年祭が終わった頃から人が引き始めていたのかと、今更だが思い出す。
かつては駐車場を埋め尽くしていた大型バスはこの10月の大祭時には中型かマイクロバスばかりに様変わりしていたとの事。多方面から眺めてみても限りなく縮んでいるのは確かです。嘘か誠かわからないが天理大学の授業料が無料になるとの噂だが、そうなるといちれつ会に借金する必要も無くなり結果として本部勤務者も激減し、本部は圧倒的人手不足に陥る、、。教校学園閉鎖で次代を担う若者の育成も本部自ら放棄している。配食センターもほぼ機能してなくて詰所朝食もパンと粉スープだけに変わったとか。真柱は病に倒れ、本部員を養う金も底をつき、役に立たない全国の教会は潰していく、、今度再び甘露台が倒れても本部に再建する財源は無くなっているだろう。それとも「天理の親分」はヤクザよろしく倒した人の所属大教会にお詫び金を出させるのだろうか?何を考えてもおぞましい事ばかり。
どこをとっても発展的要素が無い。詰所は真っ暗で不気味な幽霊屋敷だし、金ずるの信者は激減だし。
大亮は、あちこち出向いて30万、50万当たり前の様に懐に入れ、下手な習字を書いては札束を貰って悦に入ってるらしいが、この肥大化した沈没船の次期リーダーならば冷静にこの瓦解の足音に心の耳を澄ませよ。
信者の心を掴むには自ら貧に落ち切る手本と覚悟を持ってのぞめ、、、と思う。
3原点さま
言い逃れが出来ないからと言って、感情的にならないでください。
>黄昏
2019年10月29日 8:47 AM
やりましょう!ぜひやりましょうー!
真柱の発言、中田善亮さんその他のトップの発言も含め、ここで検証しましょう。
通りすがり様もちゃんと参加してくださいね。
高圧的な文面はやめて、冷静に皆で話し合いましょう。
黄昏さんのおっしゃるように、高圧的な文面はやめて、冷静に話し合いましょうや。
いずれにせよ、この掲示版が真柱発言の捏造に加担したという事は紛れもない事実です。捏造に加担したという事は捏造したのと同罪です。
「つとめ」にいて補足しておきますが、八島英雄は「色眼鏡」で史実を解釈した。私は「神の言」によって史実を理解した。という事に尽きるのです。
3原点さま
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にもあります。
これこそ、教祖伝の改竄捏造です。八島英雄の得意技ですね。
ハッキリ言います。稿本天理教教祖伝には「ありません」。
3原点さま
真柱発言の捏造、稿本天理教教祖伝の改竄、こうした事が平然と行われる掲示板である事が明らかになったと思います。
つづく
崩壊さんへ
>江戸城は無血開城されましたが、明治維新に至るまでに、戊辰戦争で多くの人が死傷しました。
>維新後の西南戦争でも多くの死傷者をだしました。
江戸時代と比較するのはおっしゃる通り間違っていますね。気持ちとしては比較したくはないのですが、ついたとえて話そうとすると出てしまいました。それで戊辰戦争と西南戦争ですが、教祖ご在世時のことだとも思い、調べてみると戊辰戦争時、教祖様は71歳でお筆先を執筆される1年ほど前だったようですね。西南戦争は明治10年の事ですから、お筆先の13号を書かれている頃なのかと想像しています。おやしきでも蒸し風呂などを営業し、教祖様は女鳴り物などを教えられていた頃かとも想像しています。きっと戊辰戦争のことも知っていたでしょうし、心を痛めていたのではないかとも思います。そこから神の言葉を伝えようとお筆先も執筆されたのかとも、ふと思いました。
しかし既に神憑りがあり、みき様が完全に神であったのであれば、すべて見抜き見通しだったわけで、私はその段階では神憑りはしても、やはり人間であったのではないかとも思えてくるのです。芹沢文学を通して思うのですが、二代真柱はみきを神として描き、教典を書いたようで、芹沢はあくまで大和の農家の嫁として神が入りこむという立場で「教祖様」を描いているように見受けます。では維新後すぐのお筆先1,2号を書き始めた時にはどんな様子だったのかとも思えてきます。
話は戻りますが、崩壊さんのおっしゃる通り戊辰戦争では多くの人が亡くなったでしょうし、無血開城というような生易しいものではなかったのかと改めて思います。「争い」は後に悲しい気持ちや辛い気持ちが残ってしまうものだと思います。しかし、愚かな争いをしなければ人間という生き物はだめなのかとも情けない気持ちも起こります。このコメント欄を読んでいてもそれは感じています。
もうやめませんか。これ以上、読んでいるのが辛くなります。勝手な個人の思いを書き連ねて失礼しました。
通りすがり様
擁護派匿名、匿名ですです。八島英雄さんではないだろうか?と、今も思っている方(推測ですが)を御本部でお見かけしたことがあります。髪は黄色くいらっしゃいました。勿論推測なので、いい加減です。
それからしばらくのちに八島英夫さんが出直されたと、この掲示板に書いてありました。
何故御本部でお見かけしたのだろうかと考えています。
御本部で教祖の導きがあることを通りがかりさんは御存知ですよね。
私にとっても意味があるからこそお見かけさせていただいたのだと思います。
甘露台を囲んでのかぐらづとめで甘露台が大きくて相対する人の動きは甘露台に遮られて見えません。まわりの人には相対する動きが連動されいることが分かる。でも自分達にはお互いに見えない。
この説明を受けた時、人間関係もそうだと思いました。病気もまたそうであると。
本当に自分にとって大切な人が大切であると、連動していると分からないところがあるのではないだろうかと。そう思いました。
八島流であっても御守護の配置は同じですよね。そしてこの御守護の配置はおやさまが説かれたものであるということだそうです。
配置で対面にある働きの御守護を裏守護というそうですが、裏守護を重視することで自分のやまいの御守護に相当する御守護を強めることが出来るそうです。
でも本来それが関係していることは気づきにくいのです。
本物のかぐらつとめを拝見したこともない、教理をきちんと習ったこともない、ただ様々な先生方のお話を聞いて考えた手探りの信者の思い付きですが。
2019年10月29日 1:56 PM の匿名です。
私は通りすがりが恋しがる3原点さんではありません。
なぜ、れんだいこ氏のHPにある(東風Zさんもふれていらっしゃいましたが)
「4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる、と指針する。」
との掲載事項に対して、その出典や根拠(もちろん原典を含めて)を質問しているだけで、
捏造ということになるのか意味がわかりません。
そもそもそのことについて本当かどうか質問する時点で、
いわゆる嘘や捏造の可能性も視野に入れて私が質問していることは誰が読んでもわかるかと思います。
それなのに鬼の首を取ったように私が捏造したのだと決めつけて
悦に入っている通りすがりは幼稚で本当に哀れです。
言わせてもらうなら「通りすがりが捏造だと決めつけていること」こそが捏造じゃないですか。
これではまともな議論になるわけがありません。
私のオリジナル発信でいつ
「中山善司が第4代真柱が、つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」と投稿しましたか?
モリジロウさんが読んでいて辛くなるとのこと….。
自分もサイコパスな人間との不毛な議論に
心も時間も消耗するのはバカバカしいと思うようになりましたので、
相手にするのはもう終わりにしたいと思います。
最後に謝罪要求する通りすがりに謝るとすれば、
「読解力、理解力のないサイコパス=通りすがりに、
まともな議論をもちかけて申し訳ありませんでした。」 といったところでしょうか。
P.S. 通りすがりに吉報があります。もう読んでいるかと思いますが、
2019年9月29日に、退職した元信者さんが、通りすがりの投稿を、
「神の計らいにより理不尽な天理教の思考体系を貴方を通して広く教内教外の広めている。
天理教崩壊の強力なアシストであると思います。」と褒めてくださっております。
サイコパスに対して「神の計らい」なんてもったいない最高の誉め言葉ではありませんか。
通りすがりは人の心を逆なでしながら、「逆においがけ」に大いに励んでください。
このやりとりにおきまして不快な思いをされた通りすがり以外の方々、
大変申し訳ございませんでした。心より謝罪致します。
キックバックがあるならば、竹中工務店を信者に持つ某本部員ですかね?
通りすがり
2019年10月29日 4:04 PM
品格とか言う前にまず質問に答えてからにしたら良いと思けどね~ たましい が出てこないとか散々嘘や間違いを起こした自身の発言を棚に上げて何とかプライドを保とうと必死なだけ(笑)ここ最近来た人にはその同情を買う様な書き込みも効果的かもしれないが、前から見てる人達には「またか、通りすがりもこりないね~(苦笑)」なだけでしょ
中山家も中山家に指定された異端もどちらが異端でどちらが捏造でもさほど意味が無いんですよね。
擁護派の方が出てきたようですが、今の本部や教団を擁護しても「成って来るのが天の理」なので語るのも実は無意味なんですよ。何を理由を立ててももう良いわけでしかない。甘露台倒壊で皆「え?」と思いその後真柱頭の病気でなお思い。教団の財政難でさらに思い。ここ連日の天変地異で確信に至ってるだけですしね。
御恩報じ、足りない、不徳、金の繋ぎと信者に求める前に、それが足りないのは、中山家と本部でしかないです。お供えなどの寄付金緒の用途も間違っていたから立ってられなくなったんでしょう。それぐらい十全の守護見たら分かるんですがね。
中山教団は十全じゃなく、中山家の守護 とお考えなのだと聞く、中山家が気に入れば重宝し、気に入らないと外す。このようなワガママを通してきたから現在のありよう。治すつもりも一切なし、手遅れという前に何も改善はできないしそれすら気がついてない模様 お気の毒に
匿名様
私達現代人は不徳なことを一切していないでしょうか?
私達の今の世は乱れきっていますし、エネルギーも使い放題に使い、食べ物に関しても不自然な形で動物達の命をいただき(私もいただいています。極力少なくしようと心がけ始めましたが)、薬といっては動物の命を使っています。
皆がやっていることは(私も含めて)、親神様の求める姿ではなくなってきているのではないでしょうか?
甘露台の倒壊は、私達全員が反省を促されていることではないでしょうか?
誰かがやったことではなく、親神様が目に見える形で見せて下さったにではないかと私は思っています。
それぐらい地球に危機が迫ってきていると思います。
また通りすがりさんがサイコパスだと私は思いません。出典の根拠をおっしゃっています。
しかし時代背景、日本の法律、思想によって影響を受けざるを得なかった部分はあったということです。
でも、私達は生きた教えの中にいます。天理教は生きています。
自己の反省の指針としていきたいと思っています。
3原点さま
皆さま、冷静になりましょう。
[たましい]と[たまひい]は別ですよ。あえて魂と書かず平仮名で書いたのは、[たまひい]イコール魂じゃないからです。
れんだいこさんに断りもなく、勝手に引用し、都合が悪くなったら、れんだいこに聞いてみろ、はないでしょう!
ともあれ、
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
この投稿について、皆で議論しましょう。稿本天理教教祖伝を用意してください。
通りすがり
2019年10月30日 6:23 AM
>[たましい]と[たまひい]は別ですよ。あえて魂と書かず平仮名で書いたのは、[たまひい]イコール魂じゃないからです。
ではなんなの?ちゃんと答えろよwww
匿名
2019年10月30日 6:22 AM
全員の責任と責任転化する議論は当の昔に終わってます。全員の責任と言うと、真柱などの立場は要りません。表統領、内統領もいりません。そのような状態でないでい現実の中で、全員の責任と言うのはいたって的外れなことに気がつきましょう。
責任者は、宗教責任者は真柱、法的責任者は表と内統領、なんの意味も無い意見になっている事に気がつきましょう。
現実を踏まえて意見をしない事にはそれは机上の空論です。
今の教団に魅力ある?あるならそれを教えていただけます?擁護派の人はそれを語ったほうが言いと思いますよ。各所から様々なリークがあるのに、それを無視して、全員の責任や教義の副産物の書籍で語っても何の意味もございません。夢なら寝てる時に見てください(笑)
天理時報は「ネットのウソを信じるな!」と言ってるので、教団擁護派がわざわざ社会学まで来て意見すること事態に矛盾があるんですがねーウソ情報なら相手にしなくても良いのでは?なんですよね(笑)
思いのほか社会学の記事やコメントに影響力が出て危機感を覚えているのでしょうか?でしょうね。もう天理時報の「ネットのウソ情報を信じるな!」という言葉が嘘だと信者にはバレてますからね(笑)
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
どこにあるのか?まず説明して頂きましょうか
言い逃れは出来ませんよ
応えたら、あなたの質問に答えてあげてもいいです。
2019年10月30日 6:22 AM 匿名 様
現行天理教の教えの在り方が地球規模の危機、例えば、温暖化を防ぐことは出来ないと思っています。
何故なら、教団本部自身が率先して危機対処をしているとは思えないからです。
比叡山の僧侶と天理教の本部員の生活を比較して見てください。比叡山の僧は食事の最後に残しておいた、沢庵で器に残っている汁などを綺麗にさらえて食され、その沢庵を最後に食べられて食事を終わられるのですよ。
それに比べて、天理教の人達は、これでもかという程のご馳走を並べて、最後は食べ残しの数々。
何を考えてんだか。足るを知ればこのような食べ物を粗末にすることなどできるはずがないでしょう。
大祭の直会で、入り込みの上級に出された料亭からの取り寄せの料理の食べ残しの数々を見ていると情けなくなりました。
料理人の方も、おいしく食べてもらおうと心を込めて作っておられると思えば、一品一品をおろそかにできないでしょう。
本部の第5食堂でいただいたカレーに一切れの沢庵があれば、その沢庵で器に残っているカレーを寄せ集めて一口頂ければ、それこそ、教祖の説かれた、水を飲めば水の味がするの実践に繋がるのではありませんか。
天理教には、派手なパフォーマンスばかりが率先して、物を大切にする心が欠けていると思っています。
稿本天理教教祖伝の258ページから265ページまで、雨ごい勤めについての記述があります。
残念ながら
「かんろ台の模型をたててつとめた」
という文言はありません。
この掲示板では、こうしたデタラメが蔓延しています。
東風Zさま
そもそも、あなたがれんだこさんのHPを見て、訳もわからず引っ張って来たのが事の始まりでしょう。何を寝ぼけた投稿をなさっているのですか?
[かんろ台の模型]ってどんな模型なんですか? 教えて欲しいです。
東風Z
2019年10月30日 9:18
>それに比べて、天理教の人達は、これでもかという程のご馳走を並べて、最後は食べ残しの数々。
何を考えてんだか。足るを知ればこのような食べ物を粗末にすることなどできるはずがないでしょう。
>天理教には、派手なパフォーマンスばかりが率先して、物を大切にする心が欠けていると思っています。
大徳寺さんも同じようなことを言われていました。かなり前のことですが、ある時、おやさまが大徳寺さんの口を通して
「私らの時は、お野菜一本(ダイコンとかニンジンを指していると思われる)でも大事なものやったで。それが、今はたいへんもったいないことをしています」と、言われたことがあります。
今は農薬とか設備とか、農業技術などが発達して、いつでもたくさんの野菜がとれるようになっているので、食べ物なども軽々しく扱うようになってしまっているのでしょう。それをおやさまは天界から見られて、ご注意下さったようです。
でも、ここで東風Z様が取り上げられているのは、「姿勢」 の問題です。食べ物や物に対する「姿勢」 が問題になっています。肉にしろ野菜にしろ、命あるものをいただくという慎みや細やかな礼節が欠けていることを言われているのでしょう。
食べた後の残飯など見ると、食い散らかしているようで、これじゃまるで野獣の食事みたいだと思われたことでしょう。食べること一つにも、教えはあるのですが、このテイタラクでは、とてもとてもおやさまが言われていることにまで到達できないという嘆きが聞こえてくるようです。
だったら、何故、山名面なるものが存在するのか。説明してください。山名にのみ存在して、以外の国々所々にない不思議。誰がストップをかけたのでしょう。
通りすがり
あなたのような投稿する人が、いくら天理教の教義がどうの教祖伝がどうのと言ったところで、あなた自身の人間としての格がなさ過ぎて、読んでいて不快感しかありません。
狭い世界しか知らず、自分の価値観に合わないことは攻撃することで排除しようとし、言った言わないで争い、誤字脱字を指摘し、、、低レベル過ぎます。
熱くなってここに書き込む前に、ご自分の幼稚さや偏狭な考えを自覚して、ご自身の精神的な成長を最優先されるべきではないですか。
気付いた人たちは離れていき、ここで危険性を発信してるということです。
被害者を増やさないようにということと、今教団内で苦しんでいる人が一刻も早く気づいて、自分の人生を生きることができるようにと。
通りすがり
2019年10月30日 9:09 AM
そんな不誠実な質問で優位性を保てたと思っているから天理教の人間は世間に相手されなくなったんでしょう。 あなたがあまごいづとめ の話をしたいなら、あなたが説明し進めたら良いだけ、会社の会議はそのように進められます。
私は 稿本天理教教祖伝 の話は一切してません。どなたかとお間違いでは? 以前より教祖伝 ですら改ざんがあると言うのはこちらで議論されています。それより天理教は、教祖自身が書いた教義書などがあるので、そちらに資料の重要性があるのは当然です。
匿名
2019年10月29日 5:10 PM
>…「あまごいつとめ」でもかんろ台の模型をたててつとめたと稿本教祖伝にあります
誤りを指摘されたら、謝る!…これ世間の常識です。ごたくを並べる前に、当たり前の人間として事に当たる事をお勧めします。
ここのメンバーはすっかり八島教学?に汚染されていて、天理教のオーソドックスが分かっておられません。山名の面は、明治17年7月に許され、明治22年4月24日に「面はぢば限り」という「おさしづ」によって禁止されました。この日以降、ぢば以外で「かぐらづとめ」が勤められた事は一切ありません。雨ごい勤めも山名の許しも「学び道」として許されたにすぎません。「かぐらづとめ」は「ぢば・かんろだい」以外の場所では勤められない事は「おふでさき」に明示されています。
>匿名 2019年4月13日 9:40 PM
「通りすがり」は自ら書き込んだアホなコメントの反応を、ビクビクしながら一日中読んでいた!笑
「通りすがり」は自分のアホさ加減にどうやらほんの少しだけ気が付いて、恥ずかしくてたまらない 笑
「通りすがり」は恥ずかしさで自らを傷つける10000ポイントのアホアホダメージ!
赤っ恥をかいた「通りすがり」は逃げ出した!
しかしまわりこまれてしまった!
自らにベホイミ(おさづけ)を唱えるも、全く効かない! 笑
なんとか立ち上がり、
悔し紛れに捨て台詞を吐いて 命からがら顔を真っ赤にして地獄にヨロヨロ逃げていった! 笑 笑 笑 笑 笑
私の品格を問題にする資格があるんでしょうか??
本当にひどい掲示板だ。通りすがりの言うとおりだな。
デタラメ言ってシラを切る。最低な人間。
人間のクズの集まりだわ。
特に三原典氏のおっしゃる
>>デタラメ言ってシラを切る。最低な人間。人間のクズの集まりだわ。
は中山家や本部や大教会天理時報に当てはまるんですけどね。
どんな講釈たれても、今の教団がこれじゃね~中山家があれじゃね~で終るのよね。
教義云々より現実問題話しましょう。
通りすがり
2019年10月30日 3:48 PM
匿名
2019年4月13日 9:40 PM
ブーメランをお互い投げ合ってて楽しそうですね(笑)
社会学の記事以外のコメントに書かれる内容を本部の実情が超え始めてから、とてもカジュアルな書き込みが増えましたよね。罵声を浴びせるだけなのは良くないでしょうが、本部の不信用さから考えたら致し方ない事だとも思います。混乱と混沌は現実教会でもおきてますしね。
現実問題を考えていかないとどうにも成りません。「金の繋ぎは命の繋ぎ」を言ってしまった以上 異端は異端ですしね。
三原典さま、
たしかにこの掲示板は人間のクズの集まりです。ただ神様は人間のクズとは言わないで、ホコリの提灯持ちと言っています。先はロクな事ありません。気の毒な人たちです。
批判派、擁護派で無益な論争をしていますね。その戦いどちらが勝っても教団は得しません。なので擁護派がここで勝利に拘る意味が分かりません(笑)「なって来る理が天の理」と現実を踏まえて考えましょう(笑)
原典の話がでていますが問題は天理教という宗教の根幹は一次教義書の原典、それが未だ曖昧なのが全ての問題の原因です。有名な論文発表もされてません。つまり論文で定義が定まっていない以上、揉め事は絶えなくなるのは当然です。論文は批判に晒されて磨かれるものです。しかし教団は「批判するやつは排除だ!」との姿勢が見受けられるので、その論文も意見も磨かれないので「成って来るのが天の理」までの経緯の理解に及んでいないとなり、何一つ成長もせずむしろ衰退をしている現状が生まれているだけでしょう。批判に対して精神的に意弱いのがこの教団の弱点、そのやり方で信者が増え、寄付金も増えているのならそれでも結構でしょうが衰退の一途 肥満の裸の王様が偉そうに講釈たれても誰も聞く耳は持ちません。むしろマリー・アントワネットのように、重税を課し「パンが無いならケーキを」と言ってしまっているような現状ではその王族は長くは続きません。「なぜ理解できないかな?」っと悩んでくれてるうちは信者はいますが、「話しても無駄」と思われたら最後教団を後にするのは当然です。
対応にしてももう遅すぎますし、対応し始めた時点から正しい対応をしないと信者や寄付金の減少は止められなかっただけでしょう。
もう遅すぎますね。
悩みに悩んだ20年でしたが、通りすがりさんのおかげで天理教をやめる決心がつきました。
心からありがとう。
社会学さん、これからも頑張ってください。
以下、私語のような投稿でこの場の皆さんお許しください。
通りすがりさん、私は81歳目前、身長は175㎝、体重は55㎏キリギリス同然の体で、余命いくばくもないでしょう。ですからご安心ください。もう、あなたの神経を逆なでするような投稿をする元気もありませんから。
投稿の趣旨は、天理教被害者が出ないようにとの思いと、比叡山の僧と教団本部の人達との、宗教家としての違いを訴えたかったからです。千日回峰行を2度達成された酒井雄哉大阿闍梨さんの講話を聴いた経験からそのように捉えているからです。
仮に、仮にですよ、大阿闍梨さんが滋賀県のどこかのゴルフクラブの理事さんだったら、比叡山をどのように思われるでしょうか。
まあ、天理教が繁栄しようが、消滅しようが私にとってはどうでもいいことなんですよ。
通りすがりさんは、多くの方々が、成る程思われる発言を続けてくださいね。
四代さんの発言の趣旨を投稿したのは、れんだいこさんのブログで見たことがあるので、借用したまでです。失礼しました。
通りすがり 様
孤軍奮闘、お疲れ様です。
また、三原典 さんとの一人二役もお疲れ様です。
あなたのような考えの人は私の周りには誰もいません。
いくら天理教擁護派の人であっても、必ず何かしらの問題意識を持っています。
あなたは、まったく異質です。
本当に変です。
あなたは、天理教の先生の中で最も影響を受けた先生はどなたですか?
聞かせて下さい。
よろしくお願いします。
擁護派匿名ですが、通りすがりさんが話し合おうとされることを話し合う場所にされないのですか?
八島教学と本部の考え方の違いの中心部分について通りすがりさんが話し合おうとされていますよね。
それは櫟本を通過した方々の最も話し合うべきことなのではないですか?
話し合って分かることでもないですが、そのことについて話し合うこともこの場だからこそ出来るのではないでしょうか。
ぢばがおぢば以外にも存在しているというこふきも存在していましたよね。荷台様の書かれた火水風にそのこふきを彷彿とさせる文章が載っていました。少なくとも二代様の時代まで、そちらのこふきで教えられていたのかもしれません。だとすればぢばは複数あることになりませんか。
荷台様と書いてしまって、大変失礼いたしました。
二代様です。
十全の御守護というのは、十柱の神様のことです。
上から目線な表現になって申し訳ないですが、私は教理について詳しいわけではないです。なので知識を持って話し合われるのを拝見して学びたいと思っているのです。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
知り合いが本部勤務先でパワハラやいじめに遭っていた
知り合いのJの彼女(未信者)はそれを聞いてショックを受け、腹が立ったので、天理教 啓発委員会に電話をし、Jの状況を全て言った。
電話を担当していた人から第一声に「あなたは天理教ですか?」と聞かれた。彼女は「いいえ」と答えた
すると啓発委員会の人は「未信者の方は天理教の内部事情に口を挟まんといてくれや。あんたが知らんだけで、Jさんいうとこの勤務先はなんもないねん」
これを聞いた彼女は愕然として電話を切りました。
教庁の相談窓口がこんな態度じゃ、本部勤務のハラスメントは無くならないでしょうね
教会に参拝する普通の信者の自分だが、子供の頃から天理教の教会長の子息たちと一般信者の子供の自分の間には大きな差別待遇が有る事に気が付いていた。
子供おじばがえりの時に小学校4年生の私ははっきりと認識してしまった。会長の子供たちは通路に直に寝ることなく、向かい合わせの席に板を渡して就寝していた。
このことは親には話せないと、子供心に思ったものだ。未信者の父が怒るだろうから。
決まりのコースどおり、教人にもなったが、教団への不信感と、教えに対する疑問は、18歳くらいからずっと抱き続けてきた。教えと乖離した人間たちの姿。かく言う自分もホコリをつんでいるが。
真柱後継者結婚の際の車でのパレード姿はどう見ても、皇室もどきで、天理教の泥臭さの元は金の使い方が原因と感じたものだ。
かんろ台倒壊では、悟りを信者全般に求められ、本部は気が狂ったのか?とさえ感じたものだ。責任転嫁は小人のすることだろう。天理教信者として恥ずかしい。
ついで、真柱の身上。これは人間なのだから病気になる事も有るだろう、きっと、中山家はそれなりの額の心定めをするだろう、治る治らないは神様次第だが。そのうち真柱の心境を綴った一文が発表されるだろうと、待っていた。
ところが真柱はちゃんと生存されているにもかかわらず、時報には言葉一つ発表されない。
工夫すれば考えを文章にすることはできるはずで、月次祭で息子が代読すればよいではないか。
なぜ、生きている父親をないがしろにするのか。それでは親不孝だろう。
人は病んでみて初めて思う事があるものだ。
深い悟りと思慮に満ちた考えを、真柱は信者に向けて披歴してこそ真柱職にある者としての矜持を示すことになる。なぜ、それをせずに引きこもるのか?
子供の頃から「天理教の人ってなんか変」と感じる一方、教祖もキリストも仏陀もその他の聖人たちにも同じ一つの神様が「教えを」下さったと理解していた。
子供時代に未信仰の父から「天理教ってどういう宗教なの?」と聞かれ答えた内容が上記の言葉。
子供の頭で思いつく言葉ではないだろう。誰かに教えられたわけでもなく、不思議なことに口をついて出た言葉だった。勿論、その教えの内容など知りもしない頃のことだ。
以前の書き込みで紹介されていたものだが、災害が頻発する今、日本にキリスト教の偉い方が来るそうだ。
Twitterで拡散希望というその動画によると、質素な生活と、清廉な生き方をされていることが紹介されていた。天理教の状況とは大違いの様子がわかる。
きっと神様がその様に取り計らってくださったのだろう。
何とも心強いではないか。
残念ながら天理教の祈りは今や芯が揺らいでしまい、祈りの力が無いから助けに来てくださるのかもしれない。
以上、あくまでも感想です。読み流してください。
連投お許しください。
匿名様 2019年10月30日 9:37 PM
≫電話を担当していた人から第一声に「あなたは天理教ですか?」と聞かれた。彼女は「いいえ」と答えた
≫すると啓発委員会の人は「未信者の方は天理教の内部事情に口を挟まんといてくれや。あんたが知らんだけで、Jさんいうとこの勤務先はなんもないねん」
関西弁はやくざ者の会話のように聞こえてならない。
言葉使いから勉強してほしい。
関西では人を「あんた」呼ばわりするのか!
知的レベルが低すぎる。
この対応を本部は問題にするべきだ。
きちんと聞き取る姿勢も無く職務怠慢、これでは啓発委員会を設置したところで、給料泥棒と呼ばせていただこう。
お供え泥棒ともいえる。
信者、未信者は無関係です。パワハラはパワハラですしね。人権を守らない時点でカルト宗教です。
「 たしかにこの掲示板は人間のクズの集まりです。ただ神様は人間のクズとは言わないで、ホコリの提灯持ちと言っています。先はロクな事ありません。気の毒な人たちです 」
まるで、SNSで上から目線で絡んでくる、ネトウヨと同レベル以下ですよね
最初から小馬鹿にして、絡んでくるから、普通は即ブロックです
ただ、このおかげで、この後、まともな意見がゾロゾロ出てくるから、ここでは
ただの、盛り上げにしかならないし、まともな閲覧者は
クズと一括りにされた所で、(こいつアホやな?おもろい見ていよ・・) って
さらに、閲覧者が増えますから、良いですよね
もっと、まともな、天理教の実態の告発コメントが、増えてくると
いろいろ、信仰について、考える参考になると思います。
「三原点・三原典」 私にとってはどうでよい
以前、別席係りの主任先生に尋ねた事があります。
「いったい何処に行ったら本当の天理教に会えるんですか」
主任先生の一言 「おふでさきです」・・・
古い元教会長さま
いつも自作自演の物語をご投稿なされ、お疲れ様です。
新しいネタ探しに悪戦苦闘している姿が目に浮かびます。本当に御苦労さまです。心よりおねぎらい申し上げます。
一度、ウソやデタラメを発信すると、もう取り返しがつきません。私ひとり如きに「全員」で必死に立ち向かってもどうにもなりません。哀れです。
真柱発言の捏造に加担したこと、稿本天理教教祖伝の改竄がこの掲示板の中でリアルタイムで行われた事は、誰の目にも明らかであり、この掲示板の信用が地に落ちた瞬間であります。
あなたも自称・古い元教会長だと言うなら、もう少し良識と分別を持って事に当たる事をお勧めいたします。私が「異質」であり「変」なのではなく、あなた方が「異質」であり「変」なのだと申し上げておきます。
東風Zさま、この掲示板で唯一当たり前の人間だと認識しておりました。最近、筆の力が落ちてきたのを感じておりました。どうぞご慈愛下さいませ。
退職した元信者
2019年10月31日 7:52 AM
>>主任先生の一言 「おふでさきです」そのおふでさきの解明すら未だできてないので誰が何を言っても本来は問題ないんですがね(笑)と言う落ちに誰も気がついてないんですよね。
その一次教義書の改名を怠り都合よく使ってきたのでしょう
批判派と擁護派が戦って得するのは?さんがおっしゃってる
2019年10月30日 6:19 PM
>>原典の話がでていますが問題は天理教という宗教の根幹は一次教義書の原典、それが未だ曖昧なのが全ての問題の原因です。有名な論文発表もされてません。つまり論文で定義が定まっていない以上、揉め事は絶えなくなるのは当然です。論文は批判に晒されて磨かれるものです。しかし教団は「批判するやつは排除だ!」との姿勢が見受けられるので、その論文も意見も磨かれないので「成って来るのが天の理」までの経緯の理解に及んでいないとなり、何一つ成長もせずむしろ衰退をしている現状が生まれているだけでしょう。批判に対して精神的に意弱いのがこの教団の弱点、そのやり方で信者が増え、寄付金も増えているのならそれでも結構でしょうが衰退の一途 肥満の裸の王様が偉そうに講釈たれても誰も聞く耳は持ちません。
この事に気が付いてないのが教団全ての人の問題なのでしょう。
中山家だけに都合のよい論文を書いたら批判に晒されるでしょうし、本当の論文を書いたら元教団を全否定にも近い解説が出てくるでしょう。なので論文教義の探求がおろそかに成っているのでしょう。
現在の惨状からの脱却は「本当の論文」だけなのですがね。
松村吉太郎氏の著書、「 道の80年 」の中に、松村吉太郎氏が
教義編纂をしっかりしなくてはならない、現場がバラバラになり過ぎ、神が失われていると言う
そう言う危機感を持っていた事が書かれていたお話を見ました。
外部からの識者、学者も入り、神道や仏教も入り、大元の
教祖様の、みんなに伝えたかった、陽気くらしの、真髄、本当の事ってのが
巨大教団運営の為の、教義に変わって行ったのでしょうか?
末端の、一信者であるだけで、誘われて、おぢば参拝する程度の私には
未だに、サッパリ、その真髄がよく判りませんし、守護のお礼にお供え(お金)なんて
体のレンタル料だとか、全然、違和感しか無いです。
なので、友人のお付き合い程度にしています。
ボロボロの教義と教団 との印象しか受けません。宗教として擁護目に1mmも見れないほど矛盾だらけです。
「中山家の利己主義」が原因なのでしょうね。本席コンプレックスが凄く強いと聞きます。真柱という立場を設けましたが、天啓も受けてない宗教指導者とまた曖昧で中途半端な立場 にも関わらず。真柱を神の様に崇めている人も多いそうですね。
中田善亮氏の「金の繋ぎは命の繋ぎ」は100歩譲ってそうかもしれない。としましょう。だがしかしこれ世間的過ぎますし、一般人ほど宗教の拝金主義に嫌悪感を感じるものです。「宗教でこれを言ったらおしまいでは?」との反応をもらうのです。すなわち布教力の無い教えを放ってしまった中田善亮氏、当人が布教すら出来ない魅力も無い人物であるのでしょう。
被包括法人の土地を奪取して売却 の考えも世間的に見ても「お金に困って店じまいするんですね。」といたってシンプル 90億の寄付金で運営できない組織と運営方針が問題視されるのは当然です。
やかた構想 が大半の出費に成って即中止にすべきです。これも教祖が言っていないにも関わらず、二代真柱の名声欲の為であるのに、あたかも神託であると摩り替えているのも問題
これら様々な問題は、教義書の解読を疎かにしたせいと自他共に認めた方がまだ救われるのではないでしょうか?これを認めないと必ず中山家とその血族への責任追及が始まります。
天理教ほどのなの知れた団体で、信者も少なくは無い。そこで中山家だけで資産を持ち逃げしようとの動きばかり、そう見られても当然です。一旦メディアにでたら日本では生きては行けないでしょう。
ところで、通りすがり様。
是非、お聞かせ下さい。
この素晴らしい、お道の中で、
あなたの最も尊敬する、お道の先生は、どなたですか?
あなたに一番影響を与えた、お道の先生はどなたですか?
もしくは、そんな先生はいないのですか?
何を言っても、教団運営も教義の解釈もおかしいのは明らかですから中山家とその一族は言い逃れは出来ないんです。まだ破綻や解散が起こってないだけでしょう。
擁護目で見ても教義解読もないがしろにした結果 宗教としておかしくなった。のは当然でしょう。
悪意目で見れば、中山家都合で改ざんしたといわれるわけですしね。
コロコロ変わるのは心 だけで教義がコロコロかわってはおかしいわけです。
天理教義は人によって立場によって変わるかのような発言を、中田善亮氏もしていたようですが、それでは宗教の教義とはいえません。最低でも普遍的でなくては名言にもなりません。反対派と擁護派の発生原因もそこにあります。
中山家の誰しも、その天理教義を理解できていないとも判断が出来ますし、教祖の教え自体が間違っているのか、のどちらかでしかありません。
もし教祖の教えが間違っているのであれば、是唯一無二の絶対の教えの意味をなす「だめのおしえ」は使えなくなるのです。皮肉を言えば「駄目な教え」に成るわけです。
このようなことに成る事が理解できない教団運営責任一家の中山家にが問題なのは誰の目にも明らかです。
櫟本分署跡保存会という名称は、中山慶一氏が命名されたと聞いています。その証拠が保存会に残されています。当初は、教団本部も肩入れしていたのです。当時の本部員も次々と訪れていた、と二部同窓生が語っています。なのに、いつの間にか目の敵視してしまいます。
興味のある方は、是非、保存会を訪ねてください。
教団本部は本当のことを知られるのが余程怖かったのでしょうね。
教祖の教えを正確に伝えられないようでは、天理教でありえない。一時も早く、神道形式を破棄すべきでしょうね。山澤家と守屋筑前の守とは関係があり過ぎます。
東風Z
2019年10月31日 2:14 PM
櫟本分署跡保存会が余程不都合だったのでしょう。都合が悪いから異端、これを繰り返し本部中山家が困った時には誰も助けてくれないどころか周りは敵だらけだったと見て取れます。自業自得です。挙句の果てに「金の繋ぎは命の繋ぎ」と教義に金銭苦を盛り込んでしまう。信頼関係はすでに崩壊 あとは教団財政が無くなるまで続けるのか?というだけです。騙して取った土地を売却しても一時的な利益それもやがて尽きます。
天理教道友社編集部に連絡し、どうして真柱の身上の件について天理時報で報道しないのか聞いたところ、折りにふれて報道しているという回答でしたが、本当でしょうか? どなたか、読まれた方はおられますか?
櫟本分署跡保存会は、櫟本小学校から南へ徒歩10分くらいのところにあり、櫟本小学校の児童も史跡見学に行っているようです。旧村の中にあり位置がわかりにくいかもしれませんが、小学校の近隣の方に尋ねられたら、すぐに教えてもらえると思います。天理教信者の方は是非、訪ねてみてください。
古い元教会長さま
私は貧しい、それは貧しい教会で生まれました。私の母は、カボチャを卵の黄身だと言い、ホウレンソウを畑の肉だと言って、私に食べさせてくれました。一個のレモンを珍しいとて、いつまでも神棚に御供していた事も思い出の一つです。高校の頃から父(教会長)の言動に疑問を持つようになりました。その疑問を解決すべく、大学では専門の勉強よりも天理教の教義の勉強に専念したものです。おそる恐る櫟本分署跡保存会を訪れたこともあります。そこにはスチール製?の甘露台がありました(汗)。文鮮明の開いた統一教会の合宿にも参加した事もあります。懐かしい思い出であります。そんな求道生活の中で、私の信仰に決定的な確信をもたらした人物がいます……
つづく
通りすがり ちゃん
2019年10月31日 5:00 PM
>>そこにはスチール製?の甘露台がありました(汗)<<
甘露台の素材について、何かおっしゃりたいのかもしれませんが、そもそも、甘露台とは何かということについてご説明いただきたいと思います。(笑 笑 笑)
通りすがり
2019年10月31日 5:00 PM
>>高校の頃から父(教会長)の言動に疑問を持つようになりました。その疑問を解決すべく、大学では専門の勉強よりも天理教の教義の勉強に専念したものです。<<
私も末端分教会の長男として生を受けましたが、私の場合、父(教会長)や母の言動に矛盾と疑問を感じ、
他の宗教を勉強したいと考え、キリスト教系の大学へ進学しました。私の専攻は英文学でしたが、一般教養でキリスト教についてしっかりと学びました。これまで、宗教(天理教)について抱いていた嫌悪感にも似た悪いイメージは完全に払拭され、キリスト教の教えに感銘を受け、大学在学中に洗礼もうけました。卒業後、私は天理教から完全に離れ、一般社会人となりました。大学在学中に受けたキリスト教の教えは、今も、私の基本的生活指針となっています。
通りすがりは自分が中心になりたくて、しつこく投稿し絡んできたかつての有名父親を想起させる。
だれも反応しないのが一番なのだが、嵐行為に慣れない天理教の人はついつい相手になってしまう。
わざと論旨を読み違えたり、煽ってみたりと、この場を貶めることが使命のようだ。
自分の物語を綴るようだが皆さんはスルーするだろう。それでよし。
注目を浴びたい心理が前面に出ている事、滑稽なオヤジと呼ばせて頂こう。
通りすがり さんは、親父なの? 文章から来る印象は、もっと若く未熟な方と言う印象です。
信仰ってなんのために行うのかな?
長年、天理教を学んで来た結果が、上から目線で小馬鹿にする、ネトウヨ文章では
それは残念な、事だと思いますけども
ネットの文章って、作ってみても、案外、人格がにじみ出てしまう物です
掲示板のコメント欄は、交流を求めるより、自説、自分の意見を公開する物だと思います
スルー当たり前で、書いたら良いと思いますが
それでも、通りすがり さん、もし年配の信仰者であるなら
ここを読んでる、多数の(サイレントリーダー)(リードオンリー) の方の、心に響く様な
説得力のある、そう言う文章を書いて欲しいと願います。
よろしくお願いします。
通りすがりさんが、現行天理教を信仰され、体験に基づくすばらしさを強調されることは何も問題はないと思うのです。
一方、天理教の環境に生まれ、育てられた経験から天理教は絶対に嫌だと思われた方もあると思うのです。私もその一人です。
時間と少なくないおカネの両方に縛られた経験は、容赦のない過酷ものでした。長年の住宅ローンを抱え、子供たちの教育ローンを抱え、そのような生活実態を知りながら、何のねぎらいの言葉もない中を月々の月次祭のお供えと参拝、教組○○年祭のお供えはじめ、大教会の建築と創立記念祭のお供え、上級教会と所属教会の創立記念祭のお供えと、講社祭りの御礼と際限のないものでした。
特に、教会の20日直前の月次祭はサラリーマンにとっては、参拝しようにも参拝できない繁忙期に当たり、後日落ち着いた日に参拝をすると、有給休暇を取って参拝しろと嫌な顔をされたりと、決して、喜び勇んでの教会との付き合いではありませんでした。
敢えて言えば、信仰を続けてきた両親を悲しませないとの一点だけでした。
だから両親が亡き後に、余り時間を置かずに天理教から離れる決心をしたのです。
最も、他にも離れた理由は多々ありますが、今更書くことでもないので割愛しますが、よくぞ付き合ってきたものだと、忸怩たる思いをしたものです。
教会を離れる決意を述べた折に、関係者から恩を忘れればろくなことがない等と、脅迫まがいの言葉を投げかけられた時に、きっぱりと離れる決心がついたことも、今となっては正解でした。
通りすがりさんの脅迫に似た言葉も同様ですよね。
私は、自分の経験から天理教に近づかないようにしてくださいと投稿しているだけで、信仰熱心な方を誹謗中傷する意図は持っていません。
投稿の理由は、そうだったのかと思うことが余りにも多すぎるので続けているだけです。
何度も書きますが、一番バカバカしいと感じたことの一つに、大教会の立派な神殿と教祖殿を取り壊して、本部に向けて参拝できるように建て替えた神殿の、土地と建物のちぐはぐさを見ると、大教会に行くたびに嫌な気分になったものです。
借入金の返済がなかなか進まず、領収書まで出してお供えを呼び掛けた時には、あっ気に囚われてしまいました。
天理教のバカバカしさこれに極まれりでしょうね。
天理時報 様
一度も見たことはありません。隅から隅まで読みませんのであるいは見落としいるのかもしれませんが、掲載されていたら、そのことをどなたかが投稿されると思うんですが。
四代さんのことは、90%がこの社会学から教えて頂きました。あとの10%は二部の同窓生からです。
週刊新聞天理時報は残念ですね。終わっているとは、このことですね。
東風Z 様
2019年11月1日 3:57 PM
私も四代真柱の病気に関する記事を天理時報でも天理教のホームページでも読んだことがありません。この掲示板で初めて知りました。個人の病気については、プライバシーの問題もあるので詳細な情報は掲載できないのかもしれませんが、真柱という一宗教団体の代表者は、公的立場にある人物なので、病気療養中であることぐらいは信者に何らかの形で周知するべきだと思います。真柱の病気について信者に知られることは、教団側にとって不都合なのかも知れませんが、私の知っている大半の信者は口コミで知っています。変に隠蔽することにより、教団に対する不信感が増すだけだと思います。
中山家が正々堂々としていないのが問題の元凶なんですよね。教義、内部ルール、組織全てが中山家都合でルール改変も教義改ざんとも思える「金の繋ぎ命の繋ぎ」なども行っているので全教(組織)の方々も薄々気がついていますし、社会学さんの書き込みなどをみて知る人も居るぐらいですから、信用性が天理時報よりも社会学が上がるのは当然です。
それに、中山家が正しいなら上記の事は起こりません。信者の寄付で成り立ってる土地や財産を狙おうともしません。こんな当たり前の常識も理解できない中山家が問題があるのは当然です。これが理解できないから、「金の繋ぎは命の繋ぎ」などの馬鹿な発言が出来るのでしょう。この程度の知性しか持ってないので、誹謗中傷はまだしも批判反論を天理大学や各研究機関や組織からの反論者が出ると排除して異端とレッテルを貼って来たとも見て取れます。
今まで教団に関わった賢者が尽く教団を後にした。国の有力者すら教団を問題視した。この時点で皆さんも理解しなくてはなりません。
時が立ち国家のあり方や法のあり方も様変わりしました。しかし今でも「法は関係無い」と鵜呑みにしている天理教の人は多いようでこれでは問題です。賢者も帰ってきません。中山家が全てを駄目にしているのです。中山家の知性の低さが地名的過ぎます。
中山家を擁護する方がもし居るなら、はっきり言いましょう。法で言っても中山家が組織の上層部に君臨し、各役員会議に血族を送り込んでいる事態は曲がりもない事実です。その結果が良いなら運営上問題はないですが、約90億もの寄付金が集まれどもうあからさまに資金難だというこの悪い結果は中山家とその一族の責任でしか有りません。
中山家みずからいつ責任を取るのでしょう?だれが中山家に責任を問うのでしょう?
これが現在の組織内の情勢でしょう。中山家と教団は別物です。教団と活動資金を捻出するための不動産管理会社を手放し中山家が教団を後にするべきです。
きれいに後始末できないと大問題が起こるのは想像がつきます。
1教団に対する寄付金を等を被害者や信者に慰謝料として再分配をして教団解散する流れを取れる日がちゃんと来るのかも心配です。
2教団の資金が回らなくなり、教団自体を売却しなくてはいけない日が来ることも考えられます。
現在、「廃法人の土地を本部に返せ」との動きが有りますが、これはどう見ても土地売却の動きです。ちょっとまってください。これは法人解散の流れで起きる事態です。なのになぜ、信者や被害者にその資金を保証しないのでしょうか?ここにも中山家の血族一部上層部だけの「我さえ良ければ」が見えている事に気がつきましょう。
このままでは社会問題化されるのは時間の問題です。現在のこの混沌は社会問題化が顕在化されるまでの前哨戦でしょう。
>中山家みずからいつ責任を取るのでしょう?だれが中山家に責任を問うのでしょう?
これが現在の組織内の情勢でしょう。中山家と教団は別物です。教団と活動資金を捻出するための不動産管理会社を手放し中山家が教団を後にするべきです。
教団を食い物にしているのは、中山家だけではありません。
他にも、山澤・梶本・飯降・上田・永尾・宮森・松村・鹿野・仲野・・・
まだまだ居ます。
本部月次祭を見たことが有る人なら分かるはずです。
教祖殿・祖霊殿と回廊を回ってゾロゾロと神殿に入ってくるお勤め集団も教団を食い物にしているんです。
そして、この連中の子供達も教団の金を食い物にしているんです。
中山家を追い出しても解決しません。
本部に係る全ての人間を追い出さなければ本当の天理教にはなりません。
つまり本部月次祭の時に結界の中にいる人間全てを本部から追い出さなければならないという事です。
天理教本部は、奈良のならず者集団なのです。
集団で信者の金を食い物にしているんです。
おや様が嫌った取次人の末裔たちが今でも信者の金をむさぼり食っているんです。
おや様が亡くなられてから130有余年、 地場・鏡屋敷の強欲な泥水は下へ下へと流れだし天理教組織全体にしみ込んでしまったのです。
中山家の追放で解決するような問題ではないと思います。
天理教は、本当に腐った偽宗教団体だと思います。
退職した元信者さま
>つまり本部月次祭の時に結界の中にいる人間全てを本部から追い出さなければならないという事です。
いや〜何とも言えない。
何と言えば良いのだろう?
言葉が出てこないけど、おっしゃっていることが胸に突き刺さる。
まあ言ってしまえば結果責任。
政治の世界でも治世できず混乱を招き引き起こせば責任を取って、潔く職を辞するものです。
そうしないと流石の国民も黙っちゃいません。
暴動でも起こり世の中が乱れる可能性をはらみます。
それを防ぐために責任を取って退場し、新たに人事を選ぶ作業に入るわけです。
政治と宗教組織を同列に扱うのはおかしいと言うような意見も出ますがこれに関しては関係ないですね。
治めることも出来ず混乱をきたし組織の衰退を招き、組織内部の士気をこれでもかと下げてしまった責任は『重い』の一言では済まないですし、頭を下げて謝罪をしたところでどうにもなりません。
何の解決にもなりません。
やはり解決は総辞職することです。
そうです、とりあえずでも良い、一旦でも良い。
とにかく辞めることです。
じゃないと前には進めません。
何も展開していきません。
ただ、いたずらに時間だけが過ぎ去り重苦しい世界を漂うだけです。
日本人はとかく責任を取らないと言われていますが、奇しくも同じ構図が描かれているように思われます。
最近では東電の首脳部が裁判の末、無罪になりました。
規模が大きくなればなるほど有耶無耶になっていきます。
誰も責任を取らない。
どう考えてもおかしい、間違っている、と分かっているのに誰も責任を取らない。
昔よく聞いたモラルハザードが起こり何でも有りの世の中になってしまうでしょう。
いや今現在もそういう風潮が蔓延してきているように感じられます。
それにしても間違ったことをすれば謝る。ごめんなさいと言う。幼稚園ぐらいでもすでに教わる大事なことです。
それを誠、真実を尽くすことを謳う組織が非を認めずに居座れば、また居座ったとしても何の説得力も無く、誰もついてこず、求心力の欠片も無い本当の裸の王様になって行くでしょう。
いやもう既になりつつ有るかもしれません。
シーンと静まり返り、人の気配の無い不気味な巨大な館群と、ほんの一握りの盲信洗脳された信徒だけが残り、存在意義も無く、世間からも見放され見向きもされない不気味な集団だけが残るだけでしょう。
こうなればもはやカルトです。
何が有っても居座ることがあれば、それはやはり自分達は特別に選ばれた魂なんだと、下々の信者信徒とは違うんだという選民意識がそうさせることになるのでしょう。
「神に選ばれし我々は、永遠に上に立つものであると・・・」
医者が病気になって、その病気を医者の家族や息子が治せないのではそれは医者としてどうなのか?
この状態が中山家とその血族の逃れキレない問題の説明で分かりやすいです。そして現在の天理教の衰退原因で
身上(病気や怪我)事情(各種トラブル)の原因は、皆さんがおっしゃってるような様々な事が根深くあるのでしょう。
土地問題もおかしいですよね。神様にお供えした土地や寄付金が、金に困ったから売却? 信者に内緒で 不動産など資産運用?
現在の運営人は神への冒涜も甚だしい!
これでは神から病気やトラブル与えられても当然ですね。早く気がついてこんな教団やめましょう
退職された元信者様
かつておやさまが出て来られて道案内までして下さいましたよね。
以前書かれていましたよね。そのおやさまが導いておられるんですよ。今もおやさまは貴方を御覧のはずです。おやさまは今もひのきしんされているとおもいます。
結界の中におられる方々が以前結界の中で移動のために一斉に立って回られた時、渦が巻くように大きな力が発生しているのを感じました。
真柱様や御本部の先生方の御移動の時も御神気を感じました。
渦が巻く様な力、御神気? 感じようは人それぞれでしょうが
他宗派の影響を受け過ぎでしょう? どっかの親父に毒されましたか?
そう言うスピリチュアルと天理教は無縁だと思いましたけどね。
重要なのは、今の教団運営に問題がある事であって、ここを改善しなければ
天理教と言う教団に未来が無いと言う事です。
人間の問題です。
>何の解決にもなりません。
やはり解決は総辞職することです。
そうです、とりあえずでも良い、一旦でも良い。
とにかく辞めることです。
じゃないと前には進めません。
何も展開していきません。
天理教は巨大ですから 皆さん 出て行って欲しいといっても実際のところは無理な話ですよね。
私の様な普通の信者にできる事は、金を出さない・天理教から離れる これだけでしょうか。
古い話ですが、須藤花井さんと高知大教会に寄った事があります。
その時、神殿のみかぐらは十一下りになっていました。
そこで須藤さんは 八つの意味を親神に訊ねたそうです。
「今ね、やしきのつちをほりとりて ところかえるばかりやでって どういうことって聞いたんだよ
そしたら 神さんはね 新しい天理教は ここ 高知で話し合うって言ったんだ
天理で話し合ったら今の天理教と同じになる
だから、天理で話し合う事はしない といってるよ」
親神からしたら 現在の、広大な境内、壮大な建築群、巨大な組織はご本部がご自由にお使いください。
金がどこまで続くか分かりませんが、好き勝手にやって下さいね と言う感じですかね。
親神は、「新しい天理教・本当の天理教」を作ると言ってるそうです。
それが「十一下りの八つ」の意味だそうです。
※高知と言っても高知大教会ではありません。
匿名様(2019年11月2日 5:06 AM)のコピー
≪かつておやさまが出て来られて道案内までして下さいましたよね。
≪以前書かれていましたよね。そのおやさまが導いておられるんですよ。今もおやさまは貴方を御覧のはずです。おやさまは今もひのきしんされているとおもいます。
≪結界の中におられる方々が以前結界の中で移動のために一斉に立って回られた時、渦が巻くように大きな力が発生しているのを感じました。
≪真柱様や御本部の先生方の御移動の時も御神気を感じました。
==コピー以上
貴方は何となく感じたことを、さも、ご自分は何らかの能力が有るかのように書いておられるように思えます。
自称霊能力者。確かにこの世の中には不思議なこともあります。けれど、そのような経験をした人は軽々には口に出しません。
それ以前に、その事象をどのように受け止めるべきか悩み苦しみます。だから、やたら口にはしないのです。
例えばこんな分教会長夫人もいます。その人はかんろ台の上空空間にひとすじの光が差したことを不思議現象と皆に話していました。
かんろ台に限らずこのような事は室内でも起きます。光の性質で直進するわけですし、空中の浮遊物が光を反射しているだけで不思議現象とはいえないでしょう。
そう、思いたいのだろうと、あえて否定はしませんでしたが、子供でも知っている知識です。
貴方が上記のように感じることを全否定するつもりは全くないのですが、神様の働きと、本部結界内の人間とを結びつけ、権威づけすることに何の価値も生まれはしないと知っていただきたいのです。
感覚的なことほど、慎重に自分の内部で検証してから発表しましょう。そうでないと単なるお花畑の人となります。
退職された元信者様
≪そしたら 神さんはね 新しい天理教は ここ 高知で話し合うって言ったんだ
≪親神は、「新しい天理教・本当の天理教」を作ると言ってるそうです。
注目!➡ ≪ ※高知と言っても高知大教会ではありません。
拝読して、ゾクッとしました。
数年前の事ですが、月次祭の時に知り合いが境内地で知らない婦人さん二人と立ち話をしていました。
知人でもない人と、けっこう長い時間(数分ですが私には長く感じた(-_-;))の話だったので、何を話していたのか聞きました。
すると、「四国に住んでいるお婆さんがすごいお助けをしていると、言っている。」とのことでした。
何処の教会の人かわかりませんが、はっぴ着用でしたから修養科生かな?と思ったものです。
四国に住んでいる方であれば、このような噂を聞かれることも有るかもしれません。
でも、本部がすぐに「異端」と決めつけますから、これ以上の本人確定の追及はしない方が世の中のためになるでしょう。
大徳寺さんの口を通じて教祖様の言葉を頂いたこともあります。大徳寺さんに近い方がもし、おいででしたら、どうぞ、お力添えをお願いします。
今、天理教組織は崩壊し始めています。ただ、この組織に連なる善意の皆さんがいる事を考え合わせると、崩壊する姿の中にも、誠真実の方々には被害が最小限に抑えられることを祈っています。
その善意の方々にも、お願いがあります。しっかりと見開いた目でできごとを見届け、しっかりと耳を澄まして、真実の声を聞き届けましょう。
「親」だってまちがったことを言うものです。「親」がぜったい正しいなんて、傲慢すぎる勘違いです。一人一人の価値は等しいのですから。
(こんなことは判り切ったことで、偉そうに書いてしまいすみません。)
今後の展開を注視します。擁護派の方とは天理教組織を擁護する人々なのでしょうが、私は言うならば「神様派」です。それも古神道とは別物の地球上の生き物全てを見守る神を信じています。特定宗教の神ではありません。なので参拝する時も二礼なんてしません。昔は所属教会でも二礼などという神道に準じた拝礼はしなかったと記憶しています。神道ではないと宣言したはずですがいまだに神道よりなのは、表統領が関係していると噂を聞いたこともありますが真偽は判りません。ただ、日本国ファ-ストとでも呼べばよいのか、皇室に準じた感覚の持ち主は教内にもいるようで・・・。その皇室でさえも即位と儀式の間をあんなにも置いてしまい、結果、祈りをその職務とする仕事ぶりに嘆きの雨が降ったかのような即位の礼。短時間、雨がやみ、虹が出たと騒ぐ向きも(元宮家の竹田某の話)ありますが、下品な態度・話す姿(YouTube)からは何の説得力も感じられません。(こんなことはどうでもよいが)
組織は人の集団で、その組織の闇から目を背ける事は直接的にも間接的にも不正義に加担することになり、悪組織の一員と見られても仕方ないでしょう。
私のようにいまだ天理教信仰者として存在していても、心中では組織に疑問を抱き続ける人もいるのです。
けれど、これ迄も多くの方が投稿の中で触れているように、お供えはトイレや水を使う費用として出しているだけの少額になっています。
教会長の子供たちを私立学校に通わせていた経費になってしまった過去のお供えは、いくら良質の教育を授けても立派な人間ができるものでもないという結果を見させていただき、使い方を誤るとこうなるという、なるほどと納得する結果を得ました。
長文投稿、お許しのほど!
今日の天理はしびれました!
天理5-4履正社 サヨナラ勝ちです!
ひさびさの甲子園が嬉しいです!
天理教がどうだろうが、本部がどうだろうが、大教会がどうだろうが、上級がどうだろうが、高知に天理教が移ろうが、どうでもいいことです。
神様はいるけれどあとのことはどうでもいいことです!
ようは自分のできるおたすけができれば、神様もおやさまもよろこんでいただけると思います。
お供えや、おつとめや、おさづけや、おふでさきはどうでもいいことだと思うのです。
一人一人が優しい気持ちで、ひと様をたすけられる心になれればそれでいいと思います。
いつまでも、本部がどうのこうの、大教会がどうのこうの、上級がどうのこうの
一度、お供えをSTOPして元はじまりにもどったほうがいいかと思います。
今のままではネズミ講と同じで先に信仰したものが後で信仰したもののお金を詐取しているだけの信仰です。
一人のお助けもできない無能なそこに生まれただけの馬鹿な会長ばかりがふんぞり返る世界が決していいわけないと思うのです。自然淘汰です。
神はどこにでもいるので天理教だけが特別だとは何も思いません!
>神様の働きと、本部結界内の人間とを結びつけ、権威づけすることに何の価値も生まれはしないと知っていただきたい
>しっかりと見開いた目でできごとを見届け、しっかりと耳を澄まして、真実の声を聞き届けましょう
これに尽きる。
本部員の子供とか知人にいましたが、大半が教団嫌いで両親の事を嫌ってた人がおおかったです。人前で宗教家の振りして裏では贅沢三昧ゴルフ三昧、金に困ったら「金の繋ぎは命の繋ぎ」つまり金もってこい!ですから笑
「金の繋ぎは命の繋ぎとゴルフ代」と天理時報に載せるべきでしょう笑
金が無いのに、後継者に贅沢結婚式? 中山と本部員は常識も無い感性は異常笑
徳積が足りないのでは? 理が無いのでは?もっと徳積しろ!でないとあと数年で赤字 数年後には破産 全不動産売却、ビル管理会社も売却
組織はなくても信仰できる! 様
2019年11月2日 4:17 PM
>>今日の天理はしびれました!
天理5-4履正社 サヨナラ勝ちです!
ひさびさの甲子園が嬉しいです!<<
天理高校野球部の戦績と、この掲示板は一体どういう関係性があるのでしょうか? ご投稿の趣旨が理解しかねます。
少々この掲示板から離れていたら私の書き込みを引用して議論されているようなので、あまり気が進みませんが書き込みさせて頂きます。
私は八島教学を学んだなどとは言えない程度の浅学薄識な者ではありますが、、、
>通りすがり様 2019年10月30日 3:37 PM
①雨ごい勤めも山名の許しも「学び道」として許されたにすぎません。
②「かぐらづとめ」は「ぢば・かんろだい」以外の場所では勤められない事は「おふでさき」に明示されています。
どこのどのような文章を解釈すると「学び道」とか、「おふでさきに明示されている」というような答えが出て来るのでしょうか?
「めんはぢばかぎり」というおさしずは、おふでさきの書かれた年代より後だったかと記憶しています。
おふでさきを書いた教祖が「山名やあまごいつとめ」で許した事を後に本席が禁止したのですから、禁止される側に問題があったと考えるのが妥当だと思いますが、通りすがり様の主張される根拠は何なのでしょうか?
首里城が全焼しました。確かにこの事件もショッキングだったのですが、修復建設で掛かった33年間で掛かった費用が240億円と聞いて、どこぞのやかた建設の費用になおさら疑念が高まりました。
首里城の全焼もネットでは様々な憶測が飛んでます。単なる火事でなく、33年間年間に治すと7.27億円づつ建設業者に落ちていて完成してはその収入がなくなるとの思惑と、余にも冷静な県知事のコメント、炎上中も一切反応しなかった県知事に不信感を抱いてる国民等から、放火説が濃厚だと言う声も聞かれます。
かたや「限り無し普請」と教祖の教義を悪用して、不必要建築を繰り返した教団 やかた建設費用は幾らなのでしょうか、法外な費用が掛かっていませんでしたか? 建設会社と発注担当の間で汚職など闇取引が疑われます。
首里城再建 費用負担焦点に 復元にかかった総事業費は33年間で240億
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1018326.html
おやさとやかた一棟が50憶円と聞いていました。
首里城は世界遺産でもあり沖縄の観光資源でもありましたが、某ガラン堂群は何の役にもたたず莫大な維持費がかかっています。もったいないことです。
首里城の再建には、莫大な経費がかかったと思いますが、アメリカ軍の艦砲射撃で旧首里城を焼失した沖縄県民にとっては、心のよりどころであり、「うちなんちゅー」としてのアイデンティティーを感じる建築物であったはずです。3年前の地震で被災した熊本城に対する熊本県民の思いと良く似ていると思います。また、今回、焼失した首里城を再建したのは、どこの建築業者が知りませんが、沖縄には観光資源以外にこれといった産業はありません。どこの業者が受注したにせよ沖縄県の経済に少なからず経済的恩恵をもたらしたと思います。沖縄は日本で唯一地上戦が行われたところです。また、米軍基地が集中している地です。「判官びいき」ではありませんが、せめてなにがしかのの恩恵があってもしかるべきだと思います。
理の親とは教祖の代理だと理解している、親は子に尽くすが本道であります。
ましてや、親に尽くせというどの親はこの世界にはいない
この理聞き分けて信者、世上の人々に元の親の手伝いとして尽くしきることが
悪因縁切りの台と思います。
とほり道の行者より
2019年11月4日 1:08 PM
>>理の親とは教祖の代理だと理解している、親は子に尽くすが本道であります。
ましてや、親に尽くせというどの親はこの世界にはいない
この理聞き分けて信者、世上の人々に元の親の手伝いとして尽くしきることが
悪因縁切りの台と思います。<<
あなたが、どのように解釈されようがご自身の自由だと思います。この掲示板の殆どの投稿者や読者は真に受けないでしょう。
いずれにせよ、天理教は程なく(崩壊=終焉)を迎えるはずです。私は天理教被害を最小限にくい止めたいとの一心で投稿を続けていますが、そのこと自体、私にとって何のメリットもありませんし、デメリットもありません。結局、私個人のこれまでの人生経験に基づく結論に過ぎないのかもしれませんが、天理教にいつまでも関わっていれば、ろくな事は無いという自分自身の人生経験に基づいて、自分自身の意見を述べているだけです。もちろん、「創価学会」や「光の輪」等、訳のわからなない新興宗教が正しくて、入信しなさいという意図など毛頭ありません。「信教の自由」は日本人個々人に保障されていますが、私が確信をもってお伝えできるのは、「少なくとも天理教からは去るべきだ」ということです。
鏡屋敷地場から打ち出す言葉は天の言葉であるほどに。
いつかお地場から、百年以上途絶えた、天啓が復活する時代が来るのでしょう。
それまでは天理教会本部の大掃除の時代なのでしょう。
天啓が復活する?
いろいろ復活しては、異端だと排除して来たのが、本部ですから
おぢばに天啓が復活するには、今の後継者にでも降りなければ
本部も認めないでしょうし、今の後継者には、ありそうも無いですしね
本部の大掃除では無く、現行天理教が、大掃除の対象になっている様にも見えます。
別の場所から、新たな教祖様が生まれ、また始まったら良いんじゃ無いでしょうか?
それがどこかの教会長なら、離脱して、真、新、天理教になって、大きくなれば
良いと思います。
今の時代に、教会長を勤めるなら、本部に従う末端では無く
いっそ、天啓者を目指して、親神様にお願いするくらいで無いと
面白く無くないですか?
現行天理教は、付き合いが長くなればなるほど欠点が見えてくるのです。こんなはずじゃなかったなんて生や優しいものではありません。
何故、と問われれば、もうこの欄にすべてが語られていますが、その中でも一番の問題点は、精神を壊されてしまうことです。
理不尽すぎる上級の要求。皆さんは何故このことに気付かれないのかが不思議でなりません。次から次へと、よくもまあ言えたものだと思わずにはいられません。
修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
これが、人助けを説く宗教の実態だということを知っていただきたいのです。
今は亡きクリスチャンで医師の日野原重明先生こそ真の宗教家だと思っています。命を輝かせよう、と何の見返りもなく仰った言葉。この言葉を天理教に投げつけたいですね。
>>修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
<<
全て「洗脳」のなせる技です。皆さん、絶対に騙されないように本当に気をつけましょう。
>>修学旅行の費用をお供えに回したことを美談にするなんて、大きくなれと育ててきた樹木の先端を刈り取るのと同じことか、極端な表現に変えるならば、枯らしてしまうのと同じことなんだということに気付かない愚かしさ。
<<
高校入学金をお供えさせられて、高校進学を断念し、中卒の学歴のまま今にいたり、就職もバイトでさえも門戸を閉ざされている教会の娘を知っています。「勉強はいつでも出来る、この旬に伏せ込めば一粒万倍」と上級に丸め込まれたのです。娘が犠牲になるとの思いにも至らなかったのか、会長である両親の洗脳状態がこんな悲劇をも生むのです。
天理教の偽教理がどれだけ無責任に希望ある若者の人生を振り回したか。
この上級会長夫婦は共に癌で苦しんで亡くなりました。人を苦しめた因縁とはこう言う事でしょう。
現天理教団が無残な凋落の形相を見せているのも、長い間人々を苦しめたのが因縁で、現在の通り返しの結果を見ていると見て間違い無いでしょう。
金貸しから始まった天理中山金金狂は「とんでも偽宗教」である事の確信をしています。
騙されるのは自己責任で。
どんな商売でも、得するから始めるわけであって、損する宗教をある意味が無いwww
>>金貸しから始まった天理中山金金狂は「とんでも偽宗教」である事の確信をしています。
騙されるのは自己責任で。<<
正直で素直で人を安易に信用する人ほど騙されやすいのが、この世の常です。高齢者を騙す特殊詐欺グループのように、法律で取り締まりができないものでしょうか? この掲示板の読者の中に司法関係者がおられましたら、良い智惠をおかし願いたいものです。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑
↑
ほんまや
>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
>学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)知り合いは天理教の人のみ
>そんな人に「ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!」てドヤされたけど、おまえの方がやばいやんけ笑笑
もし反論があるのなら、たった三日間で良いので天理教とは全く関係のない店にアルバイトに行ってその体験談を克明にご披露いただきたい。
>>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑<<
大阪市西成区の「あいりん地区」で路上生活をしながら日雇いの仕事で、その日その日の生活費を稼ぎながら、生活している人達の気持ちが理解できますか? 天理教の信者よりも「あいりん地区の住人」のほうが、よほど心が温かく、人の痛みを理解できると思います。たとえ1ヶ月でもよいので、「あいりん地区」で日雇いの仕事をしたらよいと思います。「難儀しなければ、難儀している者の気持ちが分からない」その通りだと思います。
そういえばあいりん地区で亡くなられたキリスト教徒の女医さんの命日がもうすぐですね。西成のマザーテレサと呼ばれた方だったようですね。
11月の14から15日にかけて亡くなられたそうですね。
ホームレスの方々に御自分の御給料で寝袋を買ったり、お世話をされてボランティアで巡回されていたそうですね。
愛の人ですね。
数十年も昔、新聞の読者の声欄に今も忘れる事の出来ない投書がありました。あいりん地区で労働者のお世話をされているキリスト教のシスターさんの投書です。沢山の労働者の中に、話を聞いてみると戦争中何年も戦地に居て当然軍人恩給を支給される立場の人が居たそうです。その事を尋ねると、その人は、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と、言われたそうです。きっと兵隊に取られるまでは、穏やかな心優しい青年だったのでしょう。それを読んでショックでした。私の父と叔父も日中戦争に行き負傷はしても無事帰国出来ました。戦友のいとこと結婚して私達が生まれたのですが、父は死ぬまで戦争批判はしませんでした。批判をする事で自身の消し去れない青春時代を否定すると思っていたのかどうか、分かりません。お陰様で父は弱い身体ながらも定年の後も嘱託で働く事ができました。でも多くの精神を病んだ帰還兵は死ぬまで精神病院の中だったとか。手を汚さず心病む事なくのうのうと天寿を全うした戦犯達。(首相の祖父もです) 世間からの偏見、差別の続くあいりん地区には、道路や橋や危険な工事をして住みやすい今の日本を作ってくれた人達が、ちょっと生き方が下手だったり、本当の温もりを求めて集まっている場所なんです。今は、キリスト教だけでなくNPO法人や学生ボランティアも賑やかに活動されているようです。
本部さん 部内から土地巻き上げて不動産業する見たいでっせ~ 皆さんの教会の信者さんや先代がお供え(寄付)した土地で商売とは、道一条 どこにいったん? 部内には商売すんな!言うて自分達だけ不動産業ですか~?いい身分ですわ~「金のつなぎは命のつなぎ」と言うてるから道一条やめて、カネ一条 に成りはったんですね~
これでは神さんも御立腹ですわ~精々気張っておくんなはれ~(笑)
>社会経験もなく、外国に行ったことも無く、天理生まれ天理育ちの天理エリート、
学生時代のバイト経験無し(在籍者だったので金持ちだったらしい)、知り合いは天理教の人のみ
そんな人に”ここ(本勤)辞めるようやったらお前なんか社会でも通用せえへんで!”てドヤされたけど、
おまえの方がやばいやんけ笑笑
笑笑 似非宗教家がどこに行っても3日でクビだわ。
コンビニでバイトも出来ひんに、こいつら。
無名 様
2019年11月6日 7:07 PM
>>あいりん地区で労働者のお世話をされているキリスト教のシスターさんの投書です。沢山の労働者の中に、話を聞いてみると戦争中何年も戦地に居て当然軍人恩給を支給される立場の人が居たそうです。その事を尋ねると、その人は、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と、言われたそうです。きっと兵隊に取られるまでは、穏やかな心優しい青年だったのでしょう。それを読んでショックでした。<<
何回も読み返しましたが、涙がでて仕方がありません。誰も戦争に行きたくて行く人はおりません。人を殺したくて殺す人などおりません。(志願兵や職業軍人は別として)。全て国の命令です。自らの意思に反して徴兵され、戦場で負傷したり戦死したりした兵士が復員後、軍人恩給を支給されるのは、当たり前といれば当たり前だと思いますが、「自分は何の恨みもない人達を殺してきた。故郷へ帰って家族に会ったり、お金を貰ったりする資格なんか無い。」と言って軍人恩給の支給を拒み、あいりん地区で、不安定な日雇いの仕事をしながら、一生涯、贖罪の人生を全うされるのでしょう。おそらく、その方はキリスト教の信者だと思いますが、戦争や紛争、テロというものは、敵を殺傷した者にも大きな傷を負わしてしまうということです。戦争は絶対にしてはなりません。
なんの罪も無い信者から金銭を巧妙に騙し取り、騙し取ったお金で贅沢三昧の生活を満喫する天理教トップの皆さん!! これを「犯罪」と呼ばずに何と呼ぶのでしょう? 近いうちに「天罰」がくだることでしょう。
天理教ばかりでは無く、どの新興宗教も、不景気日本です、衰退は避けられない時代だと思います。 緩やかに減るのか、急激に減るかの違いでしょうね。
21世期は、団体宗教の時代では無く、個々に、個人を導き救う宗教とか信仰が要望されていると感じます。
天理教も、個々に個人を導き救うと言うより、団体維持が優先されている様に思うので、求心力を失っていますよねえ、お供えが命のつなぎとか、何せ団体に寄与する事が親神様の守護を得る事だと言ったら、ただの団体維持だもの、今の若い人は離れるばかりかと思います。
個々の導きも救いも、末端の教会任せ、その末端を大事にせず、教団自ら絞りあげているのだから、末端教会も、信者を導き救う能力が無くなっている様で、何をやって良いのか、判らなくなってる会長さんも、みえる様に感じます。
お助けも効かず、守護と引き換えにお供え、何かと言えば、精神的圧迫を伴うお諭しでは、魅力が失せてしまいます。
こんな時代に、教会長を務めるのは、大変でしょうし、我が子に継がせる事も、普通の感覚なら、どうかな?って思いますよね。
まずは、末端の教会が、やっていて良かったと思える様に、改善しなければ、根っこが衰え、大木も、倒壊してしまうのは、致し方無いでしょうね。
私は、末端の信者なので、天理教が絶対ではないので、ただただ、離れるだけですから、気楽な物ですけども。
「カネの繋ぎは命の繋ぎ」と天理時報をはじめ至る所に書いてますが、親神、十全の守護を軽視発言ですからね(笑)親神を立てない時点で金の守護はもうありません。それにも気が付けないから致命的な事に中山家が気がつけてないのが大笑いです。天理教をしていない事は明らかなので中山教と馬鹿にされても仕方ないでしょう。カネしか信じられない時点でもう終わりです。公言してしまっている以上もう後戻りは出来ないので後が怖いですね(笑)
系統にも寄るのでしょうが、薄々上(うちの上級や大教会長)も現在の本部方針が間違っているのを感じているのではないかと感じています。お金で命が続くなんて余りにもおかしな話過ぎますし、神の御心に添って考えても全く嘘くさ過ぎますもの、、。各教会がどんなお助け活動をしていても、最終目標である心定め、つまりノルマの達成と言うハードルを越える目標から解放される事はありません。
うちの系統はノルマ達成が出来なくても強制されないし嫌味を言われる事も無いので良いですが、他系統では厳格な上下関係のがんじがらめで度々殿様大教会長より「お供え金を頑張る月」が設定されている様です。
そこの一つの部内教会は一際目を引くボロボロ教会で土壁が落ちています。
ゆるい我が系統でさえも、私は身内に後継する事は真っ平ごめんですが、一方でこんな殿様大教会長に引っかかってしまうと人生を奪われてしまったのも同然です。長い年月かけて多くの末端教会が消滅している現状は、もう何十年も前から予想がつく事でした。
私達一族は教会長としてやって良かったとは今、思えません。嘘だと分かった事を、信者さんや世間に説けますか、、?良心が痛みます。時の流れに身を任せていれば、我が教会も終焉が来るので教会の後始末は子供達に頼んでいます。親が汗水流して購入した教会の土地ですが本部が売り払うなら売り払え。そんな人の恨みや怨念のかかった土地を売り払って我が物にしても、本部関係者、中山一族に良い芽が芽吹く筈がありません。
お供えをしない。布教はしない。可能な限り行事に参加しない。お礼の額を減らす。上が勝手に来るなら場合によってはお礼をしない。当然交通費は出さない。看板料だけ払う、、。しかし赤字は赤字の現状です。
子供が苦しんでいても振り向きもしない親なんて。文句を言うな、黙って言うこと聞けと何度上級から押さえつけられた事か。
天理教は親孝行は語れど子供の苦しみに寄り添わない。天理教は、神様を利用して上層部の満足と組織維持のための活動をさせているに過ぎないです。我々教会は最終的には組織維持の為の活動をさせられていると言って良いでしょう。
長々失礼しました、、。
金で命を繋ぐということ自体、自己矛盾をはらんでいます。なぜならば、天理教に「お供え」をしない人達、例えば、無宗教の人や、天理教以外の他宗教の信者は、命が繋がらずに死に絶えてしまうという理屈になります。そんなことはあり得ないことです。天理教の傲慢さや欲深さがよくあらわれています。
他人にさんざん無駄なおカネを使わせておいて何が楽しいのか。
お運びだとか、お許しだとかは序ノ口。おっと、序の口ではない。天理から遠方の人は大変だ。本部に向かって神殿を建て替えろだって、人をバカにした最大の愚行だろ。
このような宗教に向き合っている人の本心は何ぞや。
教会が土地・所のひながたと言うのであれば、何も本部に右に倣えでもあるまいに。土地・所のやり方があるだろう。それすらも大切に出来ないなんて、思い上がりも甚だしい限りだ。
天理教は最早反社会勢力団体です。
「金の繋ぎが命の繋ぎ」等と謳い文句。
街中では詐欺同然でも、さらに宗教勧誘。
黒い法被を着て路傍公演。誰も近寄らないし異様な光景。でも、
自分達のやってる事、関わってる事がどんな状態だか洗脳されてて認識すら出来ない。
反社会勢力以外の何ものでも有りません。
街中では詐欺同然でも、さらに宗教勧誘。
黒い法被を着て路傍公演。誰も近寄らないし異様な光景。<<
講演と言うなら聞く人が居ないと成り立たないだろう。しかし天理教の路傍講演は誰一人聞く人が居なくて、車ゴウゴウの車道に向かって、声はかき消され何を言ってるのかも聞こえないのに大声を張り上げている。
聞こえない講演なんて意味不明です。意味不明な行動様式だから傍目から見ると頭がおかしい?と思われる。天理教のナンセンスさを公道で証明して益々世間から距離を置かれるだけです。
神が見ている気をしずめと言った天理教独特の自己満足で、した事に意味を見出しているんだと思いますが、ナンセンスな時間です。賢明な人のする事ではないです。教会長はみんな馬鹿なんでしょうか?
私は馬鹿な教会長ですがこんな意味の見出せない行動は恥ずかしくてやってられないです。
どうせ海外布教するなら中国で布教したらいいのに。
そしたら幾人かは見直すんじゃない?なんで中国とかロシアにいかないのか
>>どうせ海外布教するなら中国で布教したらいいのに。
そしたら幾人かは見直すんじゃない?なんで中国とかロシアにいかないのか<<
中国やロシアで布教活動をすれば、即座に逮捕され帰国できないかもしれませんね。
>>聞こえない講演なんて意味不明です。意味不明な行動様式だから傍目から見ると頭がおかしい?と思われる。天理教のナンセンスさを公道で証明して益々世間から距離を置かれるだけです。<<
大阪の心斎橋筋を黒いハッピを着た青年の集団が「神名流し」をしているのを見かけたことがありますが、多くの通行人は気持ち悪そうな表情で、距離をおき避けるようにして歩いています。彼らは世間に迷惑をかけているのが理解できないのでしょうか。「洗脳」の怖さです。
神名流しと言うのは、初期の江戸時代、明治時代なら、判りますけど
令和の現在では、もう天理教は、大宗教であった時代を経ていますので、無用な行事だと思います。
今、それをやるとすれば・・セミナーなどの洗脳すり込みの為の強制行動にしかならないでしょう。
対外的には、無用な行動だと言えます
天理教の若い教会長が、人生相談や、そう言う類いをネットでやられているのを見かけますけども
人が、人を理解するのは、そう言う訓練を受けないと、本当はできない事だと思います。
人は、意外に客観的にはなれず、主観でしか見ていないと、思います。
ただただ、教理に当てはめて、それを正しい条規として相手を判断する事は、相手の心に響くのか?
人の心を救うって、誰にでもできる事ではありません。
教理を説いて、人を救うのか? 神導きで人を救うのか? お助けするのか?
今の天理教に接していると、実にあやふやだなあ・・って思います。
誘われておじばに行ってるだけなら、別に困りませんが・・私は平気ですが・・
実際、やっておられる教会長さん達は、大変だろうな? また
その大変さも、道だ、道だ、お道の苦労だと、言い聞かせておられるんでしょうね?
いっぺん、外に出て、客観的に、自分達を見るのも、お道のためにも、必要じゃないかなあ?
などと、冷めた目で、見ております。
これほどまでに、問題点を指摘されているにも関わらず、何の反応も示さない教団に、ついつい、洗い言葉で投稿しましたが、考えてみれば無視することが一番なのに、自分でもどうかしていると感じています。
路傍講演は、何処にひながたがあるのでしょうか、教組が路傍講演をされたのでしょうか。
こかんさんの浪速の町での神名流しが、ひながたの走りでしょうか。でも、これって本当のことなのか?符を感じています。秀司さんの借金返しの浪速行きが神名流しに組み立てられて、さらにヒートアップして路傍講演に繋がったのでしょうか。
天理教に入信の挙句に、路傍講演をやらされると想像すれば、うかつに入信できないと考える方-がまともでしょうに。
若い方たちは分かっておられるでしょうが、時間とお金を失う天理教に近づかない方がいいですよ。
人を救うって、教理を説いて人を救うのか?神導きで人を救うのか?お助けする事か?
今の天理教に接していると、実にあやふやだなあ・・って思います。<<
この事は教会長していて感じる事です。
信者さんに真向かう時の自分の姿勢がどうであれば良いのか。信じる芯がないと言うか、、、ただ経験で感じることは、未熟な人間がいくら教理を説いて相手の足らない所を指摘しても、反感こそされても、心が救われている様には思えない事です。
教会長は自分が同じく未熟者である事をまず知ることだと思います。私のおたすけの結論はただただその苦しみに寄り添い共感に徹する事。黙って祈る事。
経験では苦しみを共感してもらうだけで、半分以上の苦しみから解放されている様に感じます。未熟者の教会長と言うだけの人生経験も乏しい者が、若かろうが年配者だろうが、相手を救うだなんておこがましい事です。
寄り添い、その苦しみを相手と共に感じ、伴走する様な気持ちでいる事。
苦しみを分かち合ってくれる相手がいる事は当人にとっては心が軽くなり苦しみを乗り越えられ易くなる。押し付けの教理など説いたって苦しみが増すばかりです。
教会長は苦しむ相手にl説教なんか不要。時間をかけて苦しみに共感する。
教会長としての自分の在り方に信じる芯がなくてあやふやしていましたが、そんな事しか出来ないが、しかしそんな事こそ人の心を癒すんだと言う事を最近悟りました。
もう一つ、、。
また天理教は系統によって説く事が違うと言うのもおかしいと感じています。天理教の説く親神様の教理が何筋も有っていいのでしょうか?どの筋が正解なのか?と思います。愛町系は関根氏を崇め奉っていますし、、。
筋の通らない姿を公然と黙認している天理教本部の心は何処にあるのでしょう。
何でも有りの形相です。
こう言う姿を見るにつけ、自分の心も芯が見出せずあやふやしてしまいます。
初めましての初コメント。
みなさん、よくもうあと数年しか生き残れない天理教について熱く議論されてますね笑
さぞかし暇で退屈でストレス発散場所を探していることでしょう。
天理教という狭い世界でしか生きてこれず、社会のことは何一つ理解していない無教養の皆さん。
このブログを読んだら自分でも天理教を改革できるとお思いで?
腹が捩れるほどに愉快です
あなたたちにいいことを教えてあげます。
今すぐに天理教から離れて就職してください(まあ大半はもう手遅れで天からのお迎えを惨めに待っているだけの人だらけでしょうが笑)
そしたら、あなたたちが以下に馬鹿げているかを認識できますよ笑笑
天理教を信仰していたら幸せになれると思ってましたか?
あなた方は天理教の洗脳された奴隷であり、本部にお金を持ってくるための駒でしかないのですよ
だからさっさと目を覚まして、現実を見て、社会に迷惑でしかないことを自覚してください
人を助けた?いやいやいやいや、洗脳が完了して、また奴隷が増えたの間違いでしょう笑
さ!皆さん!
反論があればどうぞ!
レディーファイ!
Twitterにこんなのがのっていました。
>少し前 世話科で勤務していた知人からのリーク
年末調整で名前は伏せてあるが本部勤務者、在籍者、本部員、真柱の年収をチェックを行う。
トップ機密なので在籍者or本部員かは明かせないが、そのレベルで年収2000万は貰ってるとのこと
年収が 2000万円・・・!!!
教会長を務める方のお話、ありがとうございます。
「 信者さんに真向かう時の自分の姿勢がどうであれば良いのか。信じる芯がないと言うか、、、ただ経験で感じることは、未熟な人間がいくら教理を説いて相手の足らない所を指摘しても、反感こそされても、心が救われている様には思えない事です。」
(やっぱりそうですよね、何を基礎に説くと言えば、教理になりますけど、それだとあなたは何のために存在するの? って言う事もあります。)
「 教会長は自分が同じく未熟者である事をまず知ることだと思います。私のおたすけの結論はただただその苦しみに寄り添い共感に徹する事。黙って祈る事。」
寄り添う為に、存在すると言う事は、重要かもしれませんよね。
「 経験では苦しみを共感してもらうだけで、半分以上の苦しみから解放されている様に感じます。未熟者の教会長と言うだけの人生経験も乏しい者が、若かろうが年配者だろうが、相手を救うだなんておこがましい事です。」
「 寄り添い、その苦しみを相手と共に感じ、伴走する様な気持ちでいる事。
苦しみを分かち合ってくれる相手がいる事は当人にとっては心が軽くなり苦しみを乗り越えられ易くなる。押し付けの教理など説いたって苦しみが増すばかりです。
教会長は苦しむ相手に説教なんか不要。時間をかけて苦しみに共感する。」
「 教会長としての自分の在り方に信じる芯がなくてあやふやしていましたが、そんな事しか出来ないが、しかしそんな事こそ人の心を癒すんだと言う事を最近悟りました。」
( 末端で、真面目に活動されておられる教会長さんの、苦労が、想像できます、この上で、お供えを頂かなくてはならないとなれば・・相手の為なのか? お供えの為なのか? もちろん相手の為でしょうけども、それで教会長自身が生きていくのは、大変な事だと思います。 そこへ、道一筋、ふせこめ、たんのうせよ? お供えが命のつなぎと来ては、さらにしんどかろうと想像します。)
神のお助けで、病気も快癒、親神様にもたれる事で、人生好転、開運上昇と言う事実が明確に見せられ、物心共に豊かな、不安の無い (陽気暮らし) を体現できているなら、それが宗教の魅力にもなるでしょうが、実際はそうでは無い様ですしね。
天理教の魅力って何ですか? って問うても、解りにくい、難しい、見せられないなら、末端布教者は疲弊して行くのは、当然かもしれませんね。
教団本部は、もっとそれを指し示す必要がありますよね、掛け声だけ、号令だけかけても、魅力を示せ無ければ、その声も届かなくなります。
おつくしをしてみえて来る世界がある? とか言われても、いや? 他の宗教に当たりますわって、言いたくなります。
2019年11月12日 7:28 AMの匿名様の投稿の一部
>おつくしをしてみえて来る世界がある?<
現行天理教に、尽くして、尽くして、尽くし切れと言われても見えてくるのは、地獄に等しい心の闇だけです。
母は、97歳まで居ましたが、晩年(85歳ころ)は教会に参拝できなくなり、母の依頼で貯金通帳のカードを預かり、月々数万円のお供えを運んでいました。
ある時、母から電話が入った。お供えを続けてくれているのかとの問い合わせの電話だった。続けているよと言ったのですが、教会からは御供の一つも送ってこないから、私がネコババしているんじゃないかと疑っていたんです。
このようなことってありますか。教会は、お供えをするのが当たり前みたいな感覚だったんじゃないでしょうか。母が一生涯にお供えした額は、今思えば莫大な金額だと想像できます。
高齢の妹は月額4万円余りの国民年金で息子の嫁に遠慮しながら細々と暮らしています。母がお供えの一部でも妹に残しておいてやってくれていたならば、妹はどれ程助かったでしょう。
このような宗教に嫌気がさすのは当然でしょう。何が助かりだか雲の上の人には何も分かっていないんです。
年収が 2000万円!
・・・・・・母子家庭の我が家では長い間、200万円台でやり繰りしてきました。
(お陰様で50歳前にしてようやく年収300万円を超える仕事につくことができました。)
子供たちは非正規社員で時給での生活です。
今の時代、私どものような低収入の家庭は多いと聞いています。
政府は就職氷河期の雇用を企業に義務付ける事だけではなく、企業内での行き届いた教育をも義務付けるべきでしょうに、経団連とつるんでばかりいます。
低収入の人が若いうちは気力もあり、プライドもありますから何とかその環境でも生きていけますが、退職後、無職になるや生活の厳しさは年々増していくのです。
「オリーブの木」が主張するベーシックインカムは私にとっては救いの神です。
頭脳明晰な方々から見ればベーシックインカムにも欠点が有る事を指摘できるでしょう。
理解していただきたいのは、完ぺきとは言えない制度であっても、現状だけではなく今後も、多くの若い世代が救われる制度であるということです。
進行形で社会が疲弊していることの解決策の一つであると言えるのです。
以前、この社会学板でオリーブの木の黒川さんの動画を紹介したすぐ後に、東京新聞では日曜版でベーシックインカムを特集して解説していました。
ここへ投稿した直後には、私を揶揄するような経済学「通・気取り」の人からの書き込みも有りましたが、経済的に恵まれた人は何とでも言えるのでしょう。何しろ2000万円ですから。
日本という国の実体経済から目をそらそうと「お・も・て・な・し」で稼いだ女性もその巨額の資産が露わになってしまいました。
イベントで甘い汁を吸える立場の人々には、フクシマや災害被害者の姿は見えたとしても「自己責任」と切り捨てるだけ。
過去には節目にはまとまったお供えもしてきました。
お供えの使い道には文句を言えないという考え方をする人は、まだまだ多いのが天理教です。
(話が脇道にそれますが、パレードを見ていて天理教信者の精神構造と沿道で旗を振る方々とが重なり合って見えました。)
お上に従順であることが日本国民の(そして天理教信者の)基本的・歴史的姿勢だからでしょうが、毎日の生活が厳しい低所得者層は、そんな馬鹿な精神では生きていけませんから、とっくに目覚めています。
本部はまともな会計監査ができる人に相談するべきでしょう。
閉鎖する教会の資産の整理は、法的にも、信仰者としても、正義に沿ったものであってほしいと思います。
もし、それが実行できない時には信者一揆がおきます。中山家の皆さん、古くからの天理村村民の皆さん、覚悟してください。
たぬー @JsohF5 さんのツイート(スクショ)より
大阪である教会が解散した。名称を返した。収入 が途絶え、教会を維持していけなくなったのだ。 古くなった神殿をそのままに借地を地主に返却し、会長夫婦は府営住宅に移った。 熱心に上級教会に勤め、支部活動にも積極的に参加し、布教しおたすけされていた高齢の会長が主な役員・信者数人が出直したあとの苦渋の決断だった。 「申し訳ない。申し訳ない」会長が絶えず口にしていた。上級教会もそこを抱えて通る力はもはやなかった。なら、大教会はどうか。若い会長には抱えて通る心がなかった。1箇所くらいなくなっても大教会には何の影響もないということだろう。 ならば、教会本部はどうか。やはり心がないのだろう。本部に引き寄せ住居を与え、最後の御用与 える事さえしない。本部在籍者やその家族は最後まで面倒みるが、 端々、末端は簡単に切り捨てる。かんろだい倒壊事件を、我がことにすべきは、末端で必死にもがく教会長ではなく、毎月、月末に 「お与え」と称する給与をもらえる本部在籍者と教会が数カ所潰れてものうのうとしていられる直属や中間教会の一部のトップ・心無い人たちだろう。
そして上記大阪の教会の解散に関してのフォロワーさん達のツイート を読むと、
もはや天理教は上層部を除いて
「ようきぐらし」ならぬ 「地獄暮らし 奴隷暮らし」だということがよくわかる。
カリメロ @KarimeroWith さん
酷い例だけど、よくある話。
何もかも下に押し付けるくせに、下が困ったときは何の手も差し伸べないのが天理教の組織。
教会が存続できないほど信者が減ったのはにをいがけ、お助けを怠ったからだ!と言うけど、上級も部内が行かなかったらどれだけ信者が残ってる?
天理教を信仰してるのが恥ずかしい @usjV189qSdRRQgI さん
天理教の助け合いなんて絵に描いた餅。世間に出て働いたことのない教会関係者は、
自分の立場が不利なると決まって「人のせい」にする。
人が離れて行くのも当然、いつまで経っても幸せになれるわけがない。
こんな組織が崩壊しないのが不思議。
yukinkoko @yukinkoko1516 さん
何組も知ってます。見方によっては、老後公営住宅はラッキーかもしれません。
上級や大教会で住みこんだら、人目があるし身体が不自由になれば子どもが引き取らなければ
結局は施設(それだって入れない可能性高い)。
住まいを提供してくれるのが理想ですがきちんとした制度がない以上、求めても無駄…
東風Z 様
2019年11月12日 10:14 AM
>>母は、97歳まで居ましたが、晩年(85歳ころ)は教会に参拝できなくなり、母の依頼で貯金通帳のカードを預かり、月々数万円のお供えを運んでいました。
ある時、母から電話が入った。お供えを続けてくれているのかとの問い合わせの電話だった。続けているよと言ったのですが、教会からは御供の一つも送ってこないから、私がネコババしているんじゃないかと疑っていたんです。<<
人の善意を踏みにじるばかりでなく、犯罪者扱いにまでするのですね。天理教は宗教の仮面を被った犯罪者集団です。絶対に関わるべきではありません。現信者の皆さん、こういう悪質極まりない事例を看過していれば、いつかは我が身に降りかかってきます。即刻、天理教から去りましょう。
東風Z 様
まさしくその通りです!
天理教は人の弱っているときにつけ込み、さも天理教がその人を助けたかのように洗脳する宗教です。
また、何も悪くなくても”いんねん”という言葉を使い、自分が悪いと思わせます。天理教に入信すれば、本部にお供えすれば助かります!と言い寄ってくるまさにドクズの集まりです。
こういう人らは怖いですよー
何せポジティブを押し付けて来て、思考停止にさせ、あたかも”陽気に暮らしている”という幻想に誘って来ます。
気をつけましょう
人助けが主な目的だろうに、なぜ人を食い物にするのか。苦しめるのか。
生きていくためか。
八つのほこりだらけの教団。
うそとついしょで日々を通る信仰者たち。
どんな過程や結果を目の当たりにしても、『助かっている』『ありがたい』『御守護』
何故人が離れていくのか、よく考えたら良い。
考えても分からないなら末期。
3原点の皆さま
真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
この掲示板の上で行われました。未だに、一言も反省とお詫びの言葉はありません
この掲示板は既に死んでいます
ひとのことを言っている場合ではありあません
何を言っても誰も聞いてはくれません
時間の無駄です
私は匿名の1人ですが、三原典や真柱様、教祖伝については触れておりません。
それらには感知しないで、教会長の現実や、教団の現実について、触れています。
だから、このコメント欄には、様々な意見が交錯しており、多くが匿名ですから
興味の無いコメントはスルーするのが普通です。
だから掲示板は死んでもいなければ、役に立っています。
私は、通りすがりさんには興味がありません、ネトウヨレベルの方だと感じます。
末端教会の教会長家族や、信仰3代、4代の方の、今の現実が判ることに、興味があるし
事実なら、十分な、価値を感じます。
私は現役の教会長ですが、各教会の活動が最終的に組織維持の活動になっている事を強く思います。
天理教上下関係内での「非人間的日常の肯定」は経済の面でも精神の面でも下に位置する人間は押さえつけられ、自らの感情に蓋をし、自らの尊厳を胸にしまい込み、そうした長年の苦しみが「現実の事実」としてありました。ここに書かれている悲劇、苦しみは現在も起こっているし、また過去に起こった現実です。
私の経験した限りでは、これは信仰ではありません。冷静な目で見て私たちのこの活動は本部、大教会の奴隷としての偽宗教活動です。
洗脳は恐ろしいです。奴隷として扱われているにもかかわらず自分では熱い信仰に徹していると思う訳ですから。
うちの上級教会内では子息子女が先代から代々「素直」、「文句を言わない」を最上級の信仰姿勢として教育され洗脳されています。ですから彼らは若いにもかかわらず大教会や本部の声をいまだに神の声と信じている模様です。一般から来た若嫁の辛そうな顔を見ていると可哀想です。教会から逃げ出す嫁達の多い実態がいかに陽気暮らしを叫ぶ足元で陽気暮らしが実現していなかったかを物語っています。
この掲示板にあげられる悲惨な情報は偽りのない苦しみであり、苦しんだ挙句に逃げ出した方々が神の願いである真実の自由と陽気を手に入れた実話でもあります。
諸々の個人的な事情で逃げられない自分ですが、自意識に目覚め洗脳から解けて見えてきた景色は不条理そのものです。この腐った上下関係の組織がある以上とても世間に広めるしろものではないと断言したい。
もしも中山みきの天啓に共感を持つなら、個人でやった方がいい。この封建組織に組み込まれず一人一人が親神様に真向かえば良い事です。
ここにも情報としてあげられていましたが本部勤務や大教会に於いて奴隷と化し中味を知って逃げ出す青年、女子青年達。彼らの不満がさざなみの様に広がっているのもまた事実です。擁護派がいくら恨み節を言ってみても、事実上この衰退ですから現実が全てを語っていると言う事です。偽信仰から神が手を離したと認識すべ
きだと思います。
自分たちの過ちを認めず、興味が無いと言って逃げる姿はあまりにも醜すぎますよ。
天理教トップの真柱発言の捏造は簡単に済ませる事のできるものではないでしょう。
教祖伝の改竄もヒドイですね。一言、謝るべきです。
通りすがり氏が言うように、ここは天理教邪怪学研究所だと思いますよ。
>通りすがり氏が言うように、ここは天理教邪怪学研究所だと思いますよ。
まさしく その通りです。
天理教は、よこしま(邪)で あやしい(怪) 偽の教えです。
それを学ぶ掲示板だから、「天理教邪怪学」 ですね。
100年祭までの人波は、それはそれは凄いものでした。
いまは、本当に寂れてしまいました。
土日、休日でも境内はガラガラ 「通りすがり」 の人影もありません。
天理教が「邪」であり「怪」である事に 殆どの人が気づいてしまったのです。
新天理教 三大理念
第一にお供えをしない
第二に布教をしない
第三に人として上下の差別をつけない
悩んだら教団より行政を頼ったほうがいいと最近学びました。
お供えして悩みを相談しても、教団(というかわたしの所属)は心を低くとか耐える事しか教えませんでした。
でも行政は相談に乗っても否定する事はしないし、的確な提案をしてくれるので、とても助かっています。
税金払ってて良かったなと思ってます。
これからも、教団には頼らず行政を頼って行きたいと思います。
また通りすがりがなんか言ってるの(笑)真柱発言の捏造 教祖伝の改竄 中山家が教義が捏造したから何を言っても捏造、通りすがりちゃんもやっとそこに気が付いた?(笑)
そんな事より早く真柱の頭の身上治ると良いね。善亮くんの心の病気も(笑)
「金の繋ぎは命の繋ぎ」とは脅しでなんとも陰湿で教団全体を陰気させるお言葉
教団は ようきぐらし って辞めたんだねwww
自分がこね回せる一点のみを全体に広げて誹謗中傷するのがネトウヨのパターン
だから、通りすがりはネトウヨレベル
それと、ここは、HNを変えても、匿名を使い分けても管理人さんは、投稿内容重視で
その事は、とがめない様です、だから、通りすがりさんも、匿名を使い分けることができる。
まあ、そんな事はスルーして
末端の現実を、本部の行状をネット上に晒す事は、親神様の御心に背いていないと思います。
正しい教えを、楽しく信仰する為には、今あるホコリを掃き出す必要があると思います。
教会長を自殺に追込んだノルマ地獄。「教会長も使い捨てか!」
天理教の年間行事のなかでも、とりわけ重要とされるのは、一月二十六日の春季大祭(教祖の亡くなった日)と、十月二十六日の秋季大祭(立教の日)の二つである。
ここ数年、天理教内で起きている不祥事を象徴する事件が起こったのは、昭和五十九年の秋季大祭前日であった。この十月は、天理にとっては、二十四日が親神(人間創造の神)が人間を宿し込んだとされるぢばの証拠として立てられた、かんろ台(甘露台)の据えかえの儀が行なわれ、二十五日が東礼拝場の落成の儀、そして二十六日が秋の大祭、即ち教祖・中山みき氏に神が天下ったという立教の日という具合で、三大慶事が重なった、とりわげおめでたい時期であった。
このおめでたい最中、十月二十五日に、山名大教会( 静岡県袋井市) の部下教会である静岡県の鮎ケ瀬分教会長( 伊藤辰彦氏) が天理詰所で自殺してしまったのだ。
″教会長、山名詰所で自殺す″ のニュースは、その日のうちに教団関係者の間を駆け巡った。
「十月二十五日、東礼拝場が完成した後、本部では三つの慶びだなんて浮かれていたんです。特に、山名大教会はこの十月一ヵ月だけで、三億五〇〇〇万円集めた。そこで、大教会長は約二〇〇名いる山名系の教会長を召集。詰所の大広間でお礼の意味をこめて、お勤めをやった。そのお勤めが終るころ、パタンという大音響がしましてね。窓の外をのぞくと、伊藤教会長が上の窓から飛び降り自殺をしたとわかったんです」
その場に居合わせた山名系の教会長は語る。
自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもないが、その日の午前中、その教会長はある友人に悩みを打ち明けていたのだ。
「自分はいかに本部や大教会からノルマを課せられようとも、食うには困らない。しかし、食うや食わずの生活をしながら、お供えをする信者たちがかわいそうだ。それも、やれ九十年祭、やれ百年祭だときりがない。信者たちの貧困生活を見ていると、これ以上、お供えをしろ( 金をよこせ! ) とは、良心に呵責を感じていえない。だが、そんな泣き言をいえば、上からおとがめをちょうだいする。私はもう、疲れはてた」
その結果の自殺であった。
死ぬ数日前からは、「大教会長に殺される! 」という言葉まで口走っていたといわれ、かなり追い詰められた精神状態であったようだ。
というのも、お供え(上納金)がその10年一ヵ月間に、「一教会につき、お供えが一五〇万円に達しない教会長は申し出ろ」ということで、いわばノルマを達成できなかった教会長が、絞り上げられていたのだ。
自殺した教会長も、何度か大教会長のところに行っているのである。そして、「教会長を辞めたい」ということも申し出ていたというが引き止められていたのだ。
これは、実は一教会長の自殺という個人的な問題ではなく、現在の天理教の在り方に対する痛烈なアソチ・テーゼであった。すべてが金集めに集中していく教会の在り方、そして、まともな論議も行なわれないやりきれなさに対する無力感は、他のほとんどの教会長にも通じるものであろう。
一教会長の自殺が本部の中心、天理の詰所で、しかも三つの慶びが重なったなかで起こったことは、かなり象徴的であった。
その衝撃は山名大教会系の教会長たちにとって、人ごとではないだけに大きかった。ほとんどの教会長は、ショックで、その晩眠れなかったという。
だが、その後、袋井市の山名大教会で行なわれた定例の首脳会議の席上、大教会長が語ったことは、彼らをさらに驚かせたというべきだろう。
「山名大教会は一教会当たり一五〇万円を集めたが、甲賀大教会は二〇〇万円だった。山名だって、私のいうとおりやっていたら、二〇〇万円だってできたはずだ」
そして、教会長の自殺については、
「礼拝場落成という慶びの日に、ああいう不祥事が起こったことは、あの礼拝場があるかぎり、染みのように付きまとう」
という発言をするだけであった。
じっと聞き耳を立てていた教会長たちは、「教会長も使い捨てか! 自分だけいい顔できればいいのか」と、口々にいいあったそうである。
(『新興宗教の正体』早川和廣)
自殺には原因不明のケースが良くあるよね。借金や女性問題、鬱病などいろいろあるからね。
「自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもない…」んだったら、大教会が悪いとは言えないでしょう。なんでも悪い事は教団だと決めつける。まあ、このあたりがこの掲示板の歪んだ所だな。人間の九図だわ(笑)
管理人さんは、HNを使おうが、匿名を使おうが、使い分けても、その辺は構わない様です。
しかし、クズクズ連発する、ろくでも無いアカウントにも、鷹揚ですよね。
客観的に見て、例の教会長の自殺は、教団の問題点をあぶり出していると思います。
真摯に受け止めず、クズクズ連発する方が、もし? もし?ですよ
天理教の真摯な信仰者であるとしたら、教祖様は、呆れられるでしょうね。
自分の発言が、サイレンリーダー、リードオンリーの天理教関係者に
客観的にどう受け取られるのか? ご理解されておられない様ですから。
>2019年11月13日 4:46 PM
>「自殺の本当の理由は、いまとなっては知るすべもない…」んだったら、大教会が悪いとは言えないでしょう。なんでも悪い事は教団だと決めつける。まあ、このあたりがこの掲示板の歪んだ所だな。人間の九図だわ(笑)
「いまとなっては知るすべもない…」と前置きした上で、
>「自分はいかに本部や大教会からノルマを課せられようとも、食うには困らない。しかし、食うや食わずの生活をしながら、お供えをする信者たちがかわいそうだ。それも、やれ九十年祭、やれ百年祭だときりがない。信者たちの貧困生活を見ていると、これ以上、お供えをしろ( 金をよこせ! ) とは、良心に呵責を感じていえない。だが、そんな泣き言をいえば、上からおとがめをちょうだいする。私はもう、疲れはてた」
でしょ?
あまりにも読解力のない書き込みに、ただただ失笑。
歪んでるのが自分だっていう自覚症状もないなんて、それこそクズだわな。
こういう人、天理教の上層部に多いでしょ。裸の王様みたいな人ね。内では威張り腐ってるけど外では何にもできない人、他人の話しを聞かない人。
(「他人の話しを聞かない人」というのは「他人の話しに素直に耳を傾けず、理解しようとしない人、自分が一番正しいと思ってる人」のことです。「耳を傾けず」というのは「聞かない」「受け入れない」という意味です。わかりますか?「素直」は「すなお」と読みますが、わかりますか?)
これからもせいぜい独りよがりの人生を送っていきなさいよ。誰も助けてくれないのを覚悟した上でね。
連続投稿すみません。
あのですね、「これじゃいけないから!!!」って、心ある方々がこれだけ助け舟を出しているんですよね。
そういう人の気持ちがわかってもらえないなんて、、、、と言うことなんですよ。これがすべてなんですよ。
天理教のお偉いさん。
上級、大教会、本部の善亮、大亮。時々通りすがる洗脳されて自分を見失ってしまっている典型的ひと昔前によく居たような盲目的天理教徒。
精神的に成熟していない幼稚レベルで適切な判断力が出来なくて柔軟さがなくて頑なで上に良い顔するが下の者はいじめても自分は徳があると思っていて、、、。
知的で教養があるとはとても言い難くて、自分が裸で嘲笑されているとは露ほどの自覚もなくて、、。恥とも思わず偉そうにふんぞり返って、、。
お偉いさん達を表現するならこう言う言葉しか思い浮かばないです。哀れで痛々しい人達。
かかわって後悔している者として老婆心ながらこれからの若い方達に申し伝えたい。将来ある若人は特に天理教に近ずいてはいけませんよ。人生を棒に振ります。心を縛られます。神を利用して恐怖感を植え付けられ、いつも脅されている様な精神状態に陥ります。
この場を借りてこの事をとにかく少しでも伝えたいです。
カルトはどう言い訳をしてもカルトでしかない。元々集金体質で信者を犠牲にし本部、特に中山家とその血族が美味しい思いをする組織体制で集めるだけ集めて枝葉は枯れ、枯れた原因も分からず「金の繋ぎは命の繋ぎ」となお金を要求する教団?こういう話って仰天ニュースなどの過去の怖い事件で聞かれる話が、教団では現在進行形で行われている事は間違いない訳ですから尚更危険でしかないですね。
匿名 様
2019年11月13日 10:22 PM
>>かかわって後悔している者として老婆心ながらこれからの若い方達に申し伝えたい。将来ある若人は特に天理教に近ずいてはいけませんよ。人生を棒に振ります。心を縛られます。神を利用して恐怖感を植え付けられ、いつも脅されている様な精神状態に陥ります。<<
全くその通りです。若者に限らず全ての現信者の皆さん。何度も同じ事を投稿していますが、天理教には絶対に関わってはいけません。自滅の道を歩みます。他者に布教すれば他者まで巻き添えにします。
元天理教信者です
教会の人が嫌いで天理教をやめました
天理教は素晴らしい教えだと本当に思っていましたし、いい人らばかりだと思っていました。
にをいがけもひのきしんも朝夕の参拝も毎日のようにやっていたら時期がありました。
しかし、ある日自分が身上になった時、同じ教会の人から仮病だの心の使い方が悪いだの、ちゃんと参拝行けとまあだいぶ否定されましたね
その時思ったんです。
天理教の人たちはまだ出会ったこともない人たちを助けたいと思っていて、それに向かって意気揚々と意識の高いことをして、さも勇んでいるかのような生き方をしている方が多いですね。
しかし、身内や下のものが助けて欲しい、手を差し伸べて欲しいと思った時は甘えだ、我慢しろ、たんのうしろと、厳しい口調で叱咤することが多かったです。
まだ出会ったこともない人には、未信者には優しいし、自分を犠牲にしてでもこの人らを助けたい!という気持ちになれるのに、近くにいる天理教徒が困っていて、苦しんでいたら、見向きもせす、寄り添うこともせず、お前がたるんでるだけやといわれる。
結局この人ら”人助け”とでかくいうてますが、いざその人が目の前に現れたら何もできない偽善者ばかりなのだなと個人的には感じました
> まだ出会ったこともない人には、未信者には優しいし、自分を犠牲にしてでもこの人らを助けたい!という気持ちになれるのに、近くにいる天理教徒が困っていて、苦しんでいたら、見向きもせす、寄り添うこともせず、お前がたるんでるだけやといわれる。
つまりは、<釣れた魚にエサはいらない>ということなんですが、このことは、以前にも指摘されていました。こういうことは非常に多いんですね。というより、人間にとって「永遠の課題」 かも・・
ぶたまん 様
2019年11月14日 10:38 AM
>>つまりは、<釣れた魚にエサはいらない>ということなんですが、このことは、以前にも指摘されていました。こういうことは非常に多いんですね。というより、人間にとって「永遠の課題」 かも・・<<
釣れた魚の数=上からのノルマということに他なりません。人間にとって「永遠の課題」というよりも、天理教独自の体質そのものだと思います。仏教やキリスト教ではこうした下劣な話は聞いたことがありません。
衰退を示唆する意見と心配をする意見に対して、 邪会学とレッテルを貼る人の構図に成っているのがおかしくてたまりません(笑)論より証拠 各所から被害のクレームが続出しているだけでレッテルを貼って押さえ込めるわけが無い(笑) 教理がどうとか実際は関係無くて、教団の体質とその結果が今なわけです。教理に関してもどうやこうや言ってる方いますが、天理教の教義ってそもそも信用性無いですからね(笑)不信なものを不信だと衰退意見、心配意見者が言ってるだけで、「お前らわかっとらん! 邪会学だ!」と言ってっては、これぞ教団の悪い体質が出てしまってますよね(笑)教団は事実をここまで嫌うのですか?事実ただの現実ですら受け入れられないとはそれでは危ない思想集団カルトと言われても当然です。本部や大教会や部内を保有する分教会にとって相当都合悪い現実なのでしょう。
もし仮にここに書かれている内容がウソだとしたら、教団自体が元気でなければいけないはずが、学校法人閉鎖、学校の統廃合、被包括法人の土地の収奪、など評判の悪い事をする意味がなくなります(笑)あげくには「金の繋ぎは命の繋ぎ」と明らかな資金難からの狭義改ざん、信仰上も、聖地の倒壊、トップの方の病気、一族の教団の私物化 など問題でしないのも現実です。
この現実に対してどう言い訳をしようとも現実は現実のままである事にも気がつけないのがもうカルトでしかない証拠ですね。
宗教が教義を改ざんする時点でその宗教は宗教で無い事ぐらい宗教家の方なら理解できなと問題なのですが、それすらも語られない時点で相当問題だともいますが(笑)
神という不確かな存在を作り、意識することにより、様々な効果が現れる。
思い込みの力等、科学では証明、検証できない事象はまだまだたくさんある。
人間は呼吸をして栄養を摂取して新陳代謝しながら老化し、子孫を残して死んでいく。
自分が生きていく上で必要なこと、不必要なことを選別していく。
その中の一つの考え方が『天理教』という宗教。
教祖中山みきは宗教団体を作ろうとはしなかった。
しかし、教祖の師弟達は宗教団体を作り上げた。
紆余曲折しながら、混迷の時代を経て月日が経ち、現在に至る。
科学技術、医療、教育、栄養状態
国民全体的に全てが昔より高い水準まで上がり、
お金と時間があれば、大抵のことでは困らない時代になった。
現代は需要の無いもの、過去の遺産は淘汰されていく。
需要があれば、人々が必要とするものは残り続ける。
衰退、退廃していくものは需要が無い。
今は宗教の宗教が無い。
宗教の需要がない
です
別の匿名です。
↑の匿名さんのご指摘どおり、確かに需要が減少していますね。
ただ、心の不安というものが曲者でして、そこにつけ入る巧みな言葉でカルトに誘導する者がいるのです。
ボンヤリ生きてはいけない世の中なんですね。
それにしても真柱夫妻+後継者夫妻計4名の「お入込み」が決まった記念行事は東京教務支庁だけではありません。大教会レベルの記念祭でも4人が来ると聞いています。
4人もくれば渡さなくてはならない金額も増えます。準備に駆り出される人々の迷惑も顧みず、にです。
同行の人々へも渡される訳ですから、団体集金旅行とも見えてしまいます。
せめて、日本社会の経済事情を考えて、「お礼は辞退します。」と、言えないものでしょうか。
出張旅費は経費なのですから本部予算から支出するのが筋ですが実態はどうか、知る由もありません。
もしも私が上記の面々のような立場にいて、この様な指摘を受ければ居たたまれない気持ちになるでしょう。
「恥」とさえ感じるでしょう。食事も喉を通らなくなり、顔をあげて表を通ることもできなくなるかもしれません。お勤めの時には、背中に注がれる信者からの視線に、刺されるような痛みを感じて頂きたいものです。
何故か、天理教のお偉いさんたちは当然のこととしてお供えから2000万円ものお与えを頂いても、気がとがめないまま生きているのです。そして中山一族は「貯め込んでいる」と人から見られたら恥ずかしくないのでしょうか。教祖の教えと真逆の生き方をして、よくも信仰者として生きていけますね。
まぁ、熱狂的な通りすがりさんのような古いタイプの信者たちが貢いでくれるから、当面は生活できるとばかりにたかをくくっているのかもしれません。
「今は宗教の需要が無い。」はたしてそうでしょうか? 日本の国は、確かに他の発展途上の国々に比べて、経済的、物質的にも恵まれ、医療や産業技術も格段に進歩し、一見、大変恵まれているように見えますが、その視点は日本のマジョリティー(多数派)を見てそのように見えるだけだと思います。マジョリティーという言葉を使いましたが、マジョリティーの中にも「心の貧困」に苦しんでおられる方々が大勢おられることはマザーテレサが来日された折、彼女が日本の国を見て感じられたことです。人間として生を受けた以上、人間は神からも祝福され、誰からも祝福されるべきですが、経済的に豊かな状態で長生きしても、結局、家族から疎ましがられて「高級老人ホーム」に入居させられ、孤独感を抱いたまま亡くなる高齢者が大勢おられます。
経済的に貧困である一人暮らしの高齢者はもっと悲惨です。ぎりぎりの生活保護を受給し、誰にも気づかれることもなく「孤独死」をされる高齢者、あるいは、「あいりん地区」の日雇い労働者のように、路上生活をしながら体の続く限り働き、最期は誰にも看取られることもなく孤独なまま人生を全うされる人達、いわゆる「精神的・経済的貧困」「精神的・経済的マイノリティ」が日本の国にもおられます。
日本だけではなく、世界中に目をやれば、国家間の意味の無い憎しみ、紛争や戦争、テロによって傷つき、命を失い、愛する家族を失っている人々がどれほど多くおられることでしょう。そういう難儀、困窮している人達に手を差し伸べ、何らかの形で救済することこそ、宗教の役割であると思います。「宗教の需要」は決して無くなっていません。
中国の俗諺(ぞくげん)に、「無事、不登三宝殿」 というのがあります。「無事だったら、誰も神殿にお参りには来ない」 と言う意味です。日本流に言うと、「困った時の神頼み」 ということなんですが、一般的に、宗教もその程度のものとして捉(とら)えれれているのではないかと思います。「困った時に助けてくれる、それが神様なんです。そうでなかったら、何のために神様があるのか解らない」 大抵の人はそう思っているんじゃないでしょうか。神様に、自分の苦痛や苦悩を取り除いてもらいたいためにお金を出し、そのお金できらびやかな社(やしろ)を建て、目いっぱい厳(おごそ)かに礼拝をする。こんなのって、神さまに対する<ついしょ(追従)>なんじゃないかと思うんですが、病める人たちは、そうは思わない。一生懸命神様に尽くしているんだから、「誠」だと思っているようです。
確かに、日本は科学も発達しているし、良き習慣も培(つちか)われているし、社会制度もいいです。したがって、宗教の需要も、昔に比べりゃ減ってきていると思います。しかし、それは<拝み祈祷>の需要が減ってきていることだと思うんで、減ったとしても、それはそれでいい現象ではないかと思います。つまり、宗教が持っている一側面の 「病気直し」とかいったものは、科学や医学に任せて、宗教が本来持っているコンセプトというか、神の思いそのものを追求していくことになると思うからです。
宗教の需要が無いと言うより、新興宗教の需要は無いということでしょう。古代から伝わる宗教に変わる存在が新興宗教から出なかったのが問題です。教団も天理教にはじまり現在明らかに中山教へと豹変しましたがそれにも需要が無いのと同じでしょう。中山教も今に始った事で無く、初代真柱就任と本席追放辺りからと言うだけの事でしょう。
天理教は宗教法人と言うかぶりものをまとっているだけで、過去に於いて最大のアピールポイントだった「病助け」の効能も無く(代表者本人が病に倒れ完治しない。二代、三代の死因も老衰ではなく贅沢病やら心臓病)。そう言った説得力の無さから目をそらして「命のつなぎは金だ」といまだに方針を変えていない。
こんな 偽教理でも一旦口に出した以上、引っ込める潮時がないのが実情でしょう。
天理教団が現在悪あがきしているのは 正に論より証拠です。ガラガラの商店街に始まって、ガラガラの神殿、ガラガラの境内。何回も倒壊する甘露台、人不足でほこりをかぶった回廊、真っ暗な詰所、本部勤務者の減少、給食部門の縮小、布教者養成所とも言える教育機関の消滅、憩いの家の二流化により赤字病院への転落、、、。明るい要素があるのでしょうか。
世の中から必要とされていないからこその現象なんです。一般的に不採算部門は潰すのが世の中ですから必要とされない宗教は存在する価値が無いと言う事だと。個人の悪趣味による集金活動はひいては日本経済にも悪影響を及ぼします。無い中から金を出す人達。貧困に陥った教会や信者さん達の生活保護者をこれ以上出してはいけません。
そんな中で集金旅行にお付きを引き連れ、性懲りもなく出歩く。お礼を遠慮する気配もない。真柱始めトップの精神性と人格は「不誠実・冷徹」の一言に尽きます。
自殺の本当の理由は遺書でもない限り本人しか分からないものです。
第三者が勝手に想像して、こんなお下劣な掲示板で大騒ぎしては迷惑だと思いますよ。本人がかわいそうです。そっとしておいてあげてくださいな。
匿名
2019年11月15日 3:08 PM
>>自殺の本当の理由は遺書でもない限り本人しか分からないものです。
第三者が勝手に想像して、こんなお下劣な掲示板で大騒ぎしては迷惑だと思いますよ。本人がかわいそうです。そっとしておいてあげてくださいな。<<
誰も大騒ぎはしていません。「死人に口なし」「臭い物にはフタ」的発想は、教会本部のお家芸ですね。クワバラ クワバラ。
真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
上記の二点についての感想をお聞かせください。
匿名
2019年11月15日 5:46 PM
>>真柱発言の捏造
教祖伝の改竄
上記の二点についての感想をお聞かせください。<<
あなたは常識がありませんね。他者に質問する時には、質問する相手方を指定するのが常識です。それとも、この掲示板のサイレントリーダーを含む不特定多数の読者や投稿者に対して質問されているのでしょうか? また、他者に質問する前に自身の見解や感想を述べるのが常識です。
2019年11月15日 3:08 PMの匿名 様
>第三者が勝手に想像して、・・・・<
それでは、この事実を書かれた早川和廣氏がでたらめを書かれていると想像されたのですね。
想像と断定される証拠は何でしょうか。
早川氏は、前後の状況を検証して書いておられると思います。氏の書かれた他の著書にも同様のことが書かれ、さらには、教会長による強盗事件や大教会長さんの自殺事件も著わされています。
全て、早川氏の想像で書かれていると断定さるのでしょうか。
人の死の重さの裏にあるものを追求することは、いけない事でしょうか。ましてや、自殺であれば尚更検証して原因を追究するべきだと思いますが。教団の闇を少しでも明らかにすることは、続く人たちの警鐘にこそなれ、蓋をするいわれはなないと思うのです。
崩壊
2019年11月15日 6:17 PM
>>真柱発言 の 捏造教祖伝の改竄上記の二点についての感想をお聞かせください。<<
崩壊さん 通りすがり系の虚言者は相手にしなくて良いです。以前も書かれていましたが、天理教の教義としての書物はあっても、それが明確に論文として解読されていない以上語るいいみが無い、つまり教義に一切の信用は無いのです。それを良い事に中山家と取り巻きが好き勝手に教義を改ざん捏造してきたのがこの教団の歴史です。
今後教団は中山家有利の論文を出す事もないでしょう。 中山家有利の論文を書こうものなら反論の嵐でその論文は必ず却下されます。一説聞くところによると、天理大学などの研究機関では、論文を出しているが、その中山家に不都合な論文は教団側が認めないそうです。総じて社会からの信用も得られなかったわけです。全ては中山家体制を維持する為からでた。身から出た錆なのですよ(笑)
ここは、HNと匿名を使い分けても、それだけでは、管理人さんは、削除されませんので
通りすがりさんも、匿名と使い分けていると思います。
投稿内容と文章で、教義や三原典にこだわる人は、少数でしょう
教団の実態、実際、現実に、多くの方が幻滅しているんです、それに対しては
擁護しようが無いと思います。
崩壊様
>一説聞くところによると、天理大学などの研究機関では、論文を出しているが、その中山家に不都合な論文は教団側が認めないそうです。
それは聞いた事があります。だから誰も読まない、目に触れないような冊子で、やっと論文等の発表をしているようです。
川向こうと言って、布留川を挟んで天理教の教義も教団の歴史も改ざんされ、強力な力で真実を抑え込んでいるのです。
教理勉強をしていると、異端者のような扱いをされます。
天理教のまずい部分、
例えば真柱の所得や、ノルマに耐えられず自殺した教会長、勘違いしている大教会長や役員たちのことを指摘されると
顔を真っ赤にして批判する人や、それは捏造だと必死に弁論してくる人や、そんなこと言うな!真柱様は素晴らしい!と言うてくる人ら、
それもう半分正解やと言ってるのと一緒やで?
真実を言われて、まともな証拠も出さずにお前らは何もわかってない!スタンスでくる人らを見ると本当に馬鹿なんだなーと思います。
では仮にその事実が真実ではないとして、それを否定するだけの証拠を持って来なさい
11月17日付け天理時報の巻頭言に、みかぐらうた四下り目の四ッ及び五ッが載っている。
扇の手の扇が何故日の丸なのか。月日の扇の紋を使うべきだと思うのですが、通りすがりさんの見解をお聞きしたいものです。
月日の紋は明治6年ころに作られたとあるが、菊の紋章は類似のものも含めて皇族以外は使用を許されていなかった。
戦後の復元の折に何故月日の扇に変更できなかったのか。丸に梅鉢の教紋も昭和16年3月31日制定の教規によって定められた、とある。
月日の紋で見ると、『教祖は、かぐらつとめ人衆の着衣に「月日の紋」12弁の菊の紋章を付けることを、早くから言われていたようだ。
それは、明治8年に安堵村の飯田岩次郎(文久3年入信の善六の子)18歳の時に手伝わせて作られたのが、はじまりであるようだ。・・・・』飯田岩次郎御伝記:一瀬幸三・初子 S63.5/30には記されている。とあります。
おつとめ着や教服の紋が梅鉢では、中山教と揶揄されても仕方がないのではありませんか。
このような議論をいつまでも続けていても詮ないことですが、教組が使われていたものでさえ、否定する意見が出てくるのが不思議でならないし、天理教の全ての信徒さん達が疑問を抱かれない不思議さが倍増どころか、何倍にも増幅してしまうのです。
ある意味で、信じこむことの恐ろしさを痛感しています。
ちなみに、月日の扇の図柄が掲載されているが、注釈に、明治20年頃、〇原町大教会でおつとめに使われたもの、とあります。
天理時報6面。
「失敗を認めて“逃げる”」と言うテーマの記事を読んでみた。失敗したのは我々信者と置き換えて読んでみた。
白いと思って手に取ってみた宗教は実は真っ黒だった。この信仰のせいで人生が大失敗だったと騙された側の我々と思って読んでみた。
一般的な事業や紛争やギャンブルを絡めての記事であるが「偽信仰」をつかまされた我々にも通じるものがある。
「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」
無意味に過ぎ去った日々も失ったお金も元には戻らないが、天理教にかかわった事が失敗だったと分かったら「早急に逃げる事」。それが宗教であれ、一般社会におけるどんな場面に於いても自分の身を守ることだと思いました。
「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」
紙面ではギャンブル、新規事業の投資等の話題になっていますが我々天理教徒も一緒です。逃げなければ多額のお金を取り続けられます。損失が拡大するだけです。
逃げる事が大事だと、天理時報が我々に「納得の説得」と言う記事で指南していると言うことですネ。
「・・・一生懸命頑張った結果、逃げる事を選んだとしても、それはが卑怯でもだらしないでも情けないでもありません・・・」と。
自分なりの解釈ですが、偽宗教に関わって損失拡大する前に上手に撤退しましょう!逃げて身を守りましょう!と受け止めました。
匿名 様 天理教信者の皆様
2019年11月16日 4:25 PM
>>「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」<<
「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」
大爆笑しました。大変面白い記事ですね。多くの信者が間違い(天理教)に気づいて既に逃げ出しているのです。この記事を書いた天理時報の記者さんも、きっと本心は天理教から逃げ出したいのでしょうね。人生を棒にふらない間に「迅速」に逃げ出したほうがいいですよ。
>>「・・・一生懸命頑張った結果、逃げる事を選んだとしても、それはが卑怯でもだらしないでも情けないでもありません・・・」と。<<
>>「・・今更やめる事は出来ないと考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです・・・」<<
その通りです。後悔先に立たずです。いくら頑張ったところで徒労に終わり、損失を被るだけです。喜ぶのは「天理教幹部のお偉い方々」だけです。天理時報の記者さん、天理教信者の皆さん、決して悪いことは申しません。「迅速」に天理教から去ったほうが、あなた方ご自身やご家族のためです。
「失敗を認めて“逃げる”」
余計なことかも知れませんが、この記事を書かれた方は、島田久仁彦さんと言う方です。ご参考までに。
匿名 2019年11月16日 4:25 PM 様
>>天理時報6面。「失敗を認めて“逃げる”」と言うテーマの記事を読んでみた。<<
面白い記事ですね。
理の親が「黒だと言ったら白い物でも黒だ」と絶対服従をさせ、
大教会青年や本部勤務、あるいは結婚や進学・就職にまで干渉し、
しばしば無理やり進路を決定するなど乱暴狼藉をはたらいてきた、
これまでの理の親達の悪しき慣習とはまったく異なる価値観だと思います。
珍しく天理時報の記事としては、個人的には納得できて素晴らしい記事だったと思います。
教団の無償労働力確保のために、若者の進路や夢を、
何かにつけて明治二十九年の『おさしづ』の一部を切り取って、
「いかんと言えば、はいと言え。ならんと言えば、はいと言え。
ハイハイハイと這い上がる道や。理の親の言うことをを立てて、
しっかり伏せこんで理づくりさせていただきや。せやないと助からんで。」と脅し、
若者にとって大切な10代後半から20代前半を、無理やり縛り付けてきた教団…….。
その教団がよくこの記事掲載を許可したものだなあと思います。
>>「・・・もし間違いに気づいたのであれば、またどうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げる事が必要です。・・・
・・・仕事や教育の現場でも“逃げること”をしっかりと教えなくてはいけない・・・
・・・逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見い出し、自らの身を守る術として捉えられるようになりたい・・」<<
天理教に縛られている皆さん、教団教理の理不尽に苦しめられている皆さん、
「卑怯でもだらしないでも情けないでもありません」と、
天理時報さんお墨付きですから自らを守るために教団からも脱兎のごとく逃げましょう (笑)
ボクシングでも攻撃だけではすぐに倒されてしまいますから、
ダッキングやスウェーバック等のパンチを避けるディフェンステクニックを身に着けるのが大切なのと同様、人生においても逃げるテクニックは必要ですね。
(この記事の執筆者の島田さんという方はこんな方みたいですね。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/jiho/)
天啓者不在の中山チュチェ思想教本部から逃げられる日本人は幸せです。
本部の大掃除が終わるまではトバッチリを避ける意味でもクワバラですね。
リンクが正しく投稿できませんでしたので訂正いたします。
この記事の執筆者の島田さんという方はこんな方みたいですね。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/jiho/
島田 久仁彦 しまだ・くにひこ
1975年、大阪府生まれ。同志社大学法学部卒。ジョンズ・ホプキンズ大学大学院(SAIS)国際学修士。 98年から国連紛争調停官として各地の紛争調停に従事。2005年から現在に至るまで、日本政府代表交渉官として気候変動交渉に従事。 12年世界経済フォーラム「ヤンググローバルリーダー」に選出。2011年から(株)KS International Strategies代表取締役社長として、紛争調停やM&Aに携わる傍ら、後進の育成にも取り組む。著書に『交渉プロフェッショナル』(NHK出版)、『最強交渉人のNOをYESに変える技術』(かんき出版)など。
簡単に考えましょう。年間寄付が平均数百億を超える組織なのに資金難になるような組織のトップが如何に無能か笑 人々をまとめる能力も魅力も無く、口から出てくる言葉は、事実真実に対する「ウソだ!信じるな!」と言うことしか出来ない狂気(笑)ウソだ!信じるな!」といった矢先に、学校法人閉鎖や各種法人の統廃合、他法人への土地の売却の持ちかけ、どの面下げて、どの口が 「ウソだ!」といったのでしょうか?w
これこそ天罰 「嘘つきは中山家とその取り巻き」ともう答えが表面化しただけです。
皆さん早い所避難しましょ 「さらぬ神と悪魔に祟り無し」教団は神の罰と自らの虚言で呪われてるのでさあ逃げましょうw
従兄弟の嫁が、愛町分教会のようぼくで、子供達を鼓笛隊とかに連れて行っています
嫁は熱心な、天理教徒なのか、月並祭に、数千円のお供えをしていると言います
でも、3元典とか、よく知らないって言います
愛町に参加してるのが、良いらしいです。
どちらかと言うと、教祖様より、初代様 (関根豊松氏)の方が中心になってる?らしい
建物も新しくなってるし立体駐車場も増設されて、愛町分教会は、大きくなってると言います
ヘェ〜って思います。
愛町教、関根豊松を崇拝する関根教とも言える愛町を本部が認めているのが変です。本部員に正してみたけど、困惑の表情は一切無かった。
結局、大勢の信者を送り込んでくれるので、よしとしているのだと思った。
本部はなり振り構わず、金に通じるものは何でもオッケーなんだと思いました。
天理教を名乗ってはいるが関根を拝しているので有りまた男尊女卑の体質で異質なものを感じます。
立教182年(令和元年/2019年)11月17日 天理時報4645号
納得の説得 国際交渉人が指南する交渉術 島田久仁彦
「逃げる」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。
「卑怯だ」とか「だらしない」「情けない」と思われるでしょうか。
もし何の努力もせず、ただ逃げるのであればそうかもしれませんが、一生懸命に頑張った結果、逃げることを選んだとしたら…..。
一度でも〝逃げた〟経験をお持ちであればお分かりになると思いますが、逃げるためには、かなりの勇気が必要です。
最近までは「緻密(ちみつ)な計画を立てて、それを達成すること」が成功の証(あかし)とされる風潮が、教育や仕事の現場に存在しました。しかし、AI(人工知能)やロボティクスの登場で、環境も目まぐるしく変化するなか、計画通りに進まないことばかりです。もしかしたら、その変化のスピードについていけず、失敗の坂道を転げ落ちてしまうかもしれません。
ここで必要なのは、失敗を認めて〝逃げる〟(撤退する)ことなのです。しかし、実際には「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」と考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです。ギャンブルで陥りやすい心境もそうでしょうし、新規事業へ多額の投資をした場合でも、もう少し頑張れば取り戻せるのではないかという虚(むな)しい期待から、途中で引き返すことができないのです。
紛争の世界でも、負ける側は、いつまでも逃げることができずに損失を大きくしていきます。おそらく太平洋戦争中の日本も同じだったのでしょう。たとえば、ミッドウェー海戦で大敗した際に「これは敵(かな)わん!」と講和に舵(かじ)を切っていたら、その後の多くの悲劇は避けられたのではないかと思います。
もし間違いに気づいたのであれば、また、どうしても相手に敵わないと感じたのであれば、迅速に逃げることが必要です。時代や環境の変化を敏感に感じ、自らが進める計画が、その変化に応えるものでないのであれば、いつまでも元の計画にこだわるのではなく、迅速に内容を修正していくことが重要でしょう。
仕事や教育の現場でも、〝逃げること〟をしっかりと教えなくてはいけないと考えています。「いい大学を出て大企業に勤めれば将来は安泰」という時代は終わりましたが、まだ「こうあるべき」というルールに縛りつけ、「こんなことをやったら面白い」というオリジナリティーの芽を摘んでしまっている気がします。
変化がとても速い、これからの時代に活躍するには、計画に沿った教育よりも、好奇心を存分に発揮して、「とりあえずできるだけ多く試して、うまくいったものだけを残し、結果を見て修正する」という柔軟な姿勢が求められるのです。
逃げることを否定せず、むしろ新しい夢を見いだし、自らの身を守る術(すべ)として捉えられるようになりたいですね。
匿名 様
2019年11月17日 10:56 AM
>>ここで必要なのは、失敗を認めて〝逃げる〟(撤退する)ことなのです。しかし、実際には「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」と考え、このままではいけないと思いながらも続けてしまいがちです。ギャンブルで陥りやすい心境もそうでしょうし、新規事業へ多額の投資をした場合でも、もう少し頑張れば取り戻せるのではないかという虚(むな)しい期待から、途中で引き返すことができないのです。<<
私は、末端分教会に生まれましたが、十代後半頃から天理教に幻滅し、自分の意思で天理教から去りました。その後、ミッション系の大学に進学しキリスト教を学びました。大学時代に洗礼も受けました。今から振り返れば、若かったので随分思い切ったことができたのかも知れませんが、人生も終盤に差し掛かり、結果的にこれで良かったと思っています。「もう少し頑張ったら好転するかもしれない」「さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やしてきたのだから、いまさらやめることはできない」という心理は理解できますが、天理教は好転することは無いと思います。様々な矛盾点が今後も噴出し、信者数は拍車をかけて激減し、終焉を迎えるはずです。さまざまな人を巻き込み、お金も時間も費やされてきたのであれば、これ以上、無駄なお金と時間をつぎ込み、被害が拡大しないうちに、天理教から逃げるのではなく、勇気を出して天理教から去るべきだと思います。
結局、自分達、教団本部の権威を脅かす存在は、それが天啓であっても
異端として排除する。
それが天啓者であっても、権威に触れず、要請通り、上納金を納めてくれるなら
分教会のまま、下部組織と巨大化しても、見逃しておくと言う事ですよね。
教団の考えは、非常に簡単な倫理であって、分かり易いと思います。
関根豊松氏が、お金を集められたのも、初代様と崇められる、霊能力
奇跡のお助けを、実現できたからだと、「天理の霊能者」には書かれていますね。
ただ、今の愛町分教会の会長様には、それ程の力は無い様に聞きますけども
愛町には、存命の初代様が、お働き下さっているんでしょうかね? (笑)
>十代後半頃から天理教に幻滅し、自分の意思で天理教から去りました。その後、ミッション系の大学に進学しキリスト教を学びました。大学時代に洗礼も受けました。
自分も分教会ではありませんが天理教4代目の家庭に生まれ、鼓笛隊に参加させられていましたが、天理教から離れることを希望して、大学生の時に洗礼を受け、いま牧師になるために神学校に通っています。
一連の投稿を見ていて本当に天理教から離れてよかったと思っています。実家が天理教になったのは、もとはといえば曾祖母が夫や子を亡くして天理教に入れ込んで寺から離れたのが原因と聞いています。ずっと、天理教の中の人たちがキリストに導かれるように祈ってきたので、主がその祈りを必ず聞いて下さったと確信しています。
匿名 様
2019年11月18日 10:33 AM
>>自分も分教会ではありませんが天理教4代目の家庭に生まれ、鼓笛隊に参加させられていましたが、天理教から離れることを希望して、大学生の時に洗礼を受け、いま牧師になるために神学校に通っています。
一連の投稿を見ていて本当に天理教から離れてよかったと思っています。<<
思い切って決断されて本当に良かったですね。私の大学の創立者 新島襄も幕末に国禁(鎖国)を冒して渡米し、アメリカで10年余りキリスト教の勉強をして牧師になられました。どうぞ「迷える子羊」を正しい方向に導き、「神の愛」を伝える立派な牧師さんになってください。ご検討をお祈りいたします。
以前投稿させて頂きましたものです。
信者の皆様無事逃げ出しておられますでしょうか?坂道を転がり落ちるりんごに巣食うアリにならないよう、一刻もはやく逃げ出してください。
さて、今回は、大教会、分教会で逃げ出せない立場におられる人々の参考になるかと私が実践した逃げ方をご紹介したいと思います。私はチキンなので立ち向かうことなく、全てを投げ出しました。
1.協力者を作る
本当に信頼できる協力者(内外問わず)を必ず一人か二人作ることは本当重要です。
2.消える時はいきなり
消える日をあらかじめ決めたら、その日に携帯電話番号、メールなどを一斉に変える準備を。アドレス帳などは協力者以外全消しすることが大切です。携帯は機種ごと変えた方がいいかもですね。
3.逃げる先は物理的に遠い場所に
近くだと精神的に落ち着きません。逃げる先に働ける場所を用意しておけるとベスト
4.準備は入念に
消える日を設定してからやること
・住民票の転出証明書を取得
転出先は自分が引っ越す先ではなく、違う場所に設定
・戸籍謄本など重要書類の発行
・マイナンバーカード、資格関係の証明書が自分の手元にあるか確認
・郵便物の転送依頼
郵便物は足がつきやすいので協力者の知り合いとかに協力してもらいその家の住所を転送先にしておくとよいでしょう。
5.場所の撹乱
ちょっと仲の良い人には消える直前くらいに自分のウソの行き先を言っておくと効果的です。言う人によって行き場所は変えて伝えると撹乱できるかもしれません。。出来るだけ具体的な方が信憑性が上がります。言い方も「お前だけに言うんやけどと」前置きも忘れずに。
6.手紙を残す
探さないでの一文を入れて手紙は必ず残しましょう。あと、自殺するつもりはないことも明記しておいた方がいいと思います。なぜなら警察に捜索願いとか出されたらめんどうだからです。
7.お金を貯める
動くのにはお金が要ります。最低50万くらいはないと逃げた先で厳しいではないでしょうか?消える日を設定する前にお供えはやめてとにかくお金を貯めてください。
以上、参考になるか分かりませんが逃げるにあたって大切なことを箇条書きにしました。これらのことを頑張って隠密に行ってください。そうすると逃げ出してからがグンと楽になります。
皆さん頑張って逃げてください!
以下は、天理教社会学研究所のtwitterの投稿です。天理教とキリスト教の違いが如実に見て取れます。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1196280479550328832
先月 大祭で天理を訪れた時、知人から聞いた話です。
知人が天理市内で出会った複数の本部勤務者の話によると 本部勤務者の間でも社会学の投稿がかなり読まれているとの事でした。
出会った本部勤務者達も天理教の衰えを実感しており、今後の身の振り方を真剣に考えている様子だったとの事でした。
この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。
>>この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。<<
天理教の問題は、日本の国の大きな社会問題に発展していくような予感がします。
今日の某全国紙のオピニオン&フォーラムにハビエル・ガラルダ神父へのインタビューが載っている。
タイトルは「ゆるし」への一歩、ローマ法王来日とあります。
今日まで、この欄には「許し」ということがなかったように思うのです。そうです、天理教にはゆるしという広い心の醸成が皆無ではなかったのではないでしょうか。
徳分とか、因縁とか責める言葉ばかりだったように思います。ここに決定的な違いがみられます。
人の心の深い闇を少しでも明るくなるようにと願う心の大切さを想わずにはいられません。
退職した元信者
2019年11月19日 9:36 PM
>>この掲示板も天理教の在り方を考えるという当初の目的から天理教離脱の為の助言や対策の投稿へと変化して来たように感じます。
考えるだけでは意味が無いですし本部中枢中山家の異常性が暴露され正どころの話じゃないのは明確なので、それ以外の方や個人の守り方になっただけだと思います。その中で一番適切で効果的なのが離脱と成っただけでしょう。
教会の「子ども食堂」もあわよくば天理教信者獲得の布石と考えている節があります。無償の愛。無償の奉仕であるべきですが。
ローマ法王の下心の無い大きな愛の大きさと比べると天理教教会の愛には取り引きの行為を感じます。
ローマ法王の心根の足元にも及びません。人としての在り方は目先の一見愛の行為で済まされる程浅いものではないのでしょう。
匿名
2019年11月20日 11:06 AM
カトリックの法王も所詮下心ですよ。ですが中山教(天理教と名乗る教団)との大きな違いは、奴隷問題 女性差別問題、LGBT問題など、過去の過ちに対して謝罪しています。
一方中山教は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と寄付の強要を教義に含んではね。後に世界宗教者会議にも出席できなくなりますよ
>考えるだけでは意味が無いですし本部中枢中山家の異常性が暴露され正どころの話じゃないのは明確なので、それ以外の方や個人の守り方になっただけだと思います。その中で一番適切で効果的なのが離脱と成っただけでしょう。
仰る通りだと思います。
本部や直属の人達は、自分たちは「神様の仕事」をしていると本気で思っています。
何を言っても聞く耳を持っていません。
複数の大教会長と直接会って話した事も在りますが、世間知らずで常識外れの態度や物言いには呆れかえってしまいました。
相手にするほどの価値の無い人間達だとその時 思いました。
天理教の改革など不可能です。
早々に天理教教団から離れる事が最善の方策だと思っています。
私は7年程前にお供え金を出すのはやめました。
所属していた末端分教会へも行きません。
昨年末の大掃除には、御鏡を不燃物として捨てました。
また、別席を運んでくれた方々や家族のおかき下げを集めて庭で燃やしてしまいました。
それでも皆、元気です。
知り合いの家族も子供さんたちが大学に合格したり就職も無事に決まったり結婚したりと皆順調な生活を送っています。
天理教本部が無くても全く困りません。
日々、「火・水・風」の守護を感じつつ真実に通る事が神の真意だと思います。
>ローマ法王の下心の無い大きな愛の大きさと比べると天理教教会の愛には取り引きの行為を感じます。
>本部や直属の人達は、自分たちは「神様の仕事」をしていると本気で思っています。
良い子ぶっている。
言葉には出さないが、「私たち、こんなに良い事してるのよ。わかるでしょ?」という態度が目を見ただけでわかる。
表向きは優等生、裏では陰口・いじめ・金集め。
これじゃあ陽気づくめも無理だわ。
社会学研究所さんのツイートにて紹介がありましたので、奈良県議会議録を検索しました。
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefnara/SpMinuteView.html?council_id=23&schedule_id=5&minute_id=6&is_search=true
三島神社に関して、以下の件については驚愕な事実!! 初耳でした。
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三島神社移転において造成中の土中から刀剣等が出土
↓
天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をした
↓
しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められている
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え~~~ッ!!
なんということでしょう。
この代表役員とは誰なのでしょうか?
どうしたらこんな罰当たりな恐ろしいことができるのでしょうか?
例えるなら他人のお墓を勝手に掘り返して、お骨等出てきた物を自宅にいったん持ち帰り
勝手に粉々にし、それをプラスチック容器に入れて
よその場所に埋めちゃったってくらい粗末に扱ったって事ですよね。
これは祟られますよ~~ 。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
以下、奈良県議会議録 三島神社関連部分の引用
平成8年奈良県議会第235回定例会(第四号)
◆二十七番(吉川新太朗君) (登壇) 議長より発言のお許しを得ましたので、質問をさせていただきます。
~中略~
昭和五十九年から昭和六十二年にかけて天理教が全力を挙げて移転した三島神社の跡地から出土した埋蔵文化財の件でお尋ねいたします。
この神社のあった場所は、天理市史によると、布留遺跡の一部に属する位置に当たる場所であり、地下を二十五センチメートルから八十センチメートルぐらい掘ると埋蔵文化財が出土するところであると記されております。また、有名な国宝七支刀のある石上神宮の関係が深い神社でもあります。この三島神社は、読売新聞が本年一月に「地方パワーの断面/天理教」と題して取り上げていたように、天理教八町四方構想の中にあって天理教としては、先代の中山真柱と今の中山真柱の親子二代にわたって、どんなことをしても移転をさせたいと、全力で動いて移転をさせた神社であります。なぜなら、天理教の一つの大きな事業である百年祭にはどうしても間に合わせたかったからであります。そのために、中山真柱みずからが他宗教の橿原神宮の山田宮司や石上神宮の森宮司に頭を下げて頼みに行って、やっと神社本庁の承認を取りつけたという経緯があります。
この神社移転には、旧三島町住民の賛成派、反対派に分かれて、旧三島神社の宮司に対して訴訟をしたり、新三島神社の工事に対して工事中止の訴訟をしたり、その他一、二の関係の訴訟事件は今も奈良地裁で行われている、しかも、訴訟事件が後を絶たない状態が統いているのであります。こんな地元住民の状況の中で、神社本庁の移転の承認が昭和六十二年九月十二日に決定するわけですが、天理教としては一日も早く念願の旧三島神社を取り壊したかったのでしょう。天理教の代表役員畑林清次氏のおられる表統領室の一部局に埋蔵文化財天理教調査団という立派な組織を有しながら、そことは何の相談もせずに、先ほど申し上げました布留遺跡の一角にある旧三島神社の建物の取りこぼちと造成を天理教の一部の人たちで急いで実行したわけであります。そのときにかかわった旧三島町の役員の方からの手紙で私はこのことを知ったのでありますが、造成中の土中から刀剣等が出土したのでありますが、これは大変なことになったと、出土してからでも、埋蔵文化財天理教調査団に相談しようかという意見もあったようですが、何としても天理教の百年祭という大きな節目に造成を完了する必要があったために、天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をしたのであります。しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められているのであります。私も先日この三島神社に行ってまいりました。確かにそれらしいものは埋められているようです。
最初に申し上げたように、旧三島神社の付近は石上神社の国宝七支刀の出土するような布留遺跡に属する位置ですから、どんな重要な古文化財が出土してもおかしくないわけですから、私の申し上げた刀剣の調査を、信頼できない天理教の一つの部門の埋蔵文化財天理教調査団に任せるのではなく、県として特別調査団でもつくって調査をする気はないか、お伺いいたします。
また一つは、県の考え方として、この天理教の埋蔵文化財調査団を、今までどのようなとらえ方をしてきたのか。また、これを機会に今後どのように考えるのか、お答えください。
私の質問はこれで終わります。答弁はわかりやすくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。(拍手)
>>造成中の土中から刀剣等が出土したのでありますが、これは大変なことになったと、出土してからでも、埋蔵文化財天理教調査団に相談しようかという意見もあったようですが、何としても天理教の百年祭という大きな節目に造成を完了する必要があったために、天理教代表役員の一人の決断で、自分の自宅に持ち帰り、いわゆる世間で言う盗掘をしたのであります。しかし、その行為の重大さに恐れて、この重要な古文化財を粉々に砕いて、現在の三島神社の拝殿の地下にプラスチックの容器に入れて埋められているのであります。私も先日この三島神社に行ってまいりました。確かにそれらしいものは埋められているようです。<<
事実であるとしたら、文化財保護法違反、器物損壊にありますが、天理市並びに天理教はその後、どのような対応をしたのでしょうか? また、奈良県文化財保存課はこのことを知っているのでしょうか?
入力ミスがありましたので、下記のとおり訂正します。
器物損壊にありますが、(誤) → 器物損壊になりますが、(正)
崩壊様
議会では質問に対して以下のような答弁がありました。(後からすみません)
しかし以下の答弁にあるように「文化財保護法の発掘届の手続は不必要」であったとしても、
埋蔵文化財に対する天理教の意識や態度というのもには不信感を抱かずにはおられません。
奈良県議会議録より引用
◎教育長(西川彭君) (登壇) 二十七番吉川議員のご質問にお答えいたします。
文化財発掘調査についてのお尋ねでございますが、埋蔵文化財の包蔵地、いわゆる遺跡地におきまして開発行為を実施される場合は、現在届出制や協議制をとっておりまして、その内容を審議し、発掘調査を実施しているところでございます。ご質問の天理市三島町地内にありました旧三島神社の旧社殿等につきましては、これは解体のみでございましたので、文化財保護法の発掘届の手続は必要でございませんでした。
それから、お尋ねの第二点の埋蔵文化財天理教調査団でございますけれども、これは文化財保護法第五十七条第一項に基づき文化庁に届け出、発掘調査を実施しておる、そういう団体でございます。
以上でございます。
大分県宇佐市にある宇佐大教会が競売物件として売りに出されている。遂に事情大教会が出てきたのか。神殿普請で借金まみれの果てに返済出来なくなったのだろうか?競売されるまでは使い続けることは可能だろう。誰も買わないからね。
大教会家族は、そして部内教会はどうなってしまったのでしょうか?
移転したとかではないのでしょうか?
内覧の写真を見ると、もうだいぶ使用していない雰囲気が感じられます。
このまま廃墟になるのを待つばかりなのでしょうか……..。
https://競売公売.com/auction/151940.html
2019年11月21日 10:44 PMの匿名様の情報は驚きですね。
地方の教会では、若い人たちが皆無で大変です。包括関係を解除してくださいね。先祖からの土地や家を手放さなければならないなんて、泣き面に蜂ですよね。
本部を見ていたら腹が立つだけです。不動産会社まで経営していて、何が道一条か。部下教会の人達をバカにしている。
競売物件は落札されなければ今まで通り使用することができる。今日は宇佐大教会の月次祭ですが、いつも通り勤められているようです。三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?宇佐大教会は一説には4億3千万円の債務を負っているとのこと。第二の宇佐大教会を生まないように借金の有無と金額を把握すべきだと思う。創立130周年記念祭が各大教会で執行されているが浮かれていてはいけない。明日は我が身である。
>>三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?<<
坪単価約1万円ですね。ほとんど「たたき売り」の状態ですが、新興宗教の施設跡はやはり敬遠されるのかもしれませんね。神殿等の建築物の解体費用も相当かかるでしょう。これからこうした大教会は増えていくと思います。天理教はいよいよ終焉ですね。
4億3千万円の借金ですか。数億円の借金を抱えて部内教会にお供えの締め付けをしている殿様大教会が近くに有りますが、信者減で支払いが滞り、お手上げ状態で競売となると、信者の今まで飲まず食わずの献金は水の泡だったと言う事になりますね。
もう言葉もありません。宇佐大教会所属の分教会も信者さん達もこの有様では神が信じられなくなるのではないでしょうか。力が抜けるでしょうね。
もっとも真実の神は天理教団にはそもそも居ませんから、空っぽの神を拝んでいても仕方がなかったまでの事だとも思えます。
これからはあちこちで大教会が潰れるでしょうね。
匿名 様
2019年11月22日 10:12 PM
>>もっとも真実の神は天理教団にはそもそも居ませんから、空っぽの神を拝んでいても仕方がなかったまでの事だとも思えます。<<
結局そういうことです。それにしても恐るべし集金集団です。
今日は、天理高校2部のオープンスクールですね
なので、夕方までに、おぢばに行って、学校参観して、詰所に泊まり
明日は、息子とご飯を食べて、こずかい渡して、
いろいろと話をしようと思います。
そろそろ卒業後の進路についても、話し合わないとならないしね
卒業後は、専門学校に行きたいらしいです、2年で数百万円必要ですが
親としては、何とか、その希望をかなえてやらないとね・・
私の別席は、4回で止まっています・・興味本位で受けていますが
ここを読んでると、ちょっと、意欲が失せてしまいますよ (笑)
借金踏み倒しで世間に迷惑をかける天理教って一体何?人助けどころか借りたお金を踏み倒す?競売?助かりたければ金を出せ?本部に金出して宇佐大教会以下教会、信者一同は助かっていますか??天理教教会本部は長年にわたり脅し文句を吐きながら金品脅迫してきましたが、今は詐欺、踏み倒しですか。何でもありですね。宇佐大教会の失態の責任は当然本部がするべきが筋だと思いますが無責任な本部ですね。
こんな醜態をさらして善亮はこれからも命の繋ぎは金!!と嘘ぶくのでしょうか。
天理教のメッキがはがれ実態が暴かれ始めましたが神さえも見放してしまった天理教の今後は時が解決して行く事でしょう。教祖が母屋とりこぼちの時、「祝ってくだされ」と新しい動きが始まる事をそう仰ったみたいですが、競売や、大教会家族の逃走、逃亡が相次ぐ昨今、その上本部も金欠で前にも後にも動くに動けずですから予想どうりのシナリオで進んでいるのは間違いないでしょう。
天理教はガラガラと音を立てて崩壊こそあれ、建設的な未来は在りようもないです。
ここの所10年が待てずに色んな騒動が現実になっていますもんね。
平成12年1月26日に中山善司真柱が言った「つとめはかんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」は、その後どうなっちゃってるの?
>>宇佐大教会の失態の責任は当然本部がするべきが筋だと思いますが無責任な本部ですね。<<
宇佐大教会の財政破綻の原因も本部への法外な「お供え」だったのかもしれませんね。昨日、天理教教庁に電話し、宇佐大教会が競売にかかっていることを知っているのか尋ねたところ、知らないという返答でした。本当に知らないのかどうか不明ですが、教会本部の無責任さに開いた口がふさがりませんでした。
匿名
2019年11月22日 1:45 PM
>>三千坪程の土地に神殿と付属建物があるとこのような地方都市では買い手はいないでしょう。教会本部も競売価格3175万円でも手を差し伸べる事もできないのであろうか?宇佐大教会は一説には4億3千万円の債務を負っているとのこと。第二の宇佐大教会を生まないように借金の有無と金額を把握すべきだと思う。創立130周年記念祭が各大教会で執行されているが浮かれていてはいけない。明日は我が身である。<<
競売価格3175万円程度の金額は、教会本部は今直ぐにでも調達できるはずですが、教会本部も「悪知恵」だけは働くので、仮に3175万円の金で、九州の一大教会を救済できても、今後、宇佐大教会のように財政破綻する大教会が立て続けに増えていくことが分かっているのです。そうなれば、教会本部の財政も破綻しかねないので、宇佐大教会の件については、見て見ぬふりをしているだけなんです。天理教という団体は所詮、狡猾で、「我が身かわいい」だけの団体なんです。みなさん、決して騙されてはいけません。
不動産屋から売り出しでなく競売は痛々しい。こう見ると尚更単なるカルト宗教にしか見えません。天理教を真面目にやっていれば良かったものを中山教団では道は続かず。
中山教団では道は続かず 様
2019年11月23日 2:36 PM
>>不動産屋から売り出しでなく競売は痛々しい。こう見ると尚更単なるカルト宗教にしか見えません。<<
見えないどころか、「カルトそのもの」なんです。それ以外の何ものでもありません。
中山家と天理時報はなぜ報じない?三島神社の件では世間と世に迷惑をかけ、宇佐大教会の競売は放置、もう無責任極まりない。信者は道一条中山は二枚舌の不動産管理会社(笑)信用なら無いので追放しましょう。
本部は部内助けられずに、人助けを謳うとか笑えません。ビル数本売ってでも買い戻せばいいものを天理教に対する愛は0無いとこれで確定しました。天理教をやるきない中山家は追放すべきです。ビル管理会社だけ持ち逃げしそうですのでそれすらも許さないよう監視を続けましょう。
天理教本部のお偉い様方へ
教団関係者の皆さんならば、既に宇佐大教会が競売にかけられていることは知っていますね。
では、その資料を見たことはあるのでしょうか。
78ページに及ぶ競売資料には神殿の間取り図だけではなく中段から撮影した、(写真13)物件5の主たる建物内部(神殿)と神殿内部の写真が公開されています。他の内部も丸裸にされています。
お偉い皆さん、自分の目で確認してください。
競売ではこのような資料が誰でも簡単にアクセスして閲覧できること、「知らない」では済まされません。
笑われますよ。
来年の東京教務支庁記念祭へは、真柱家家族4人はどのような顔で来られますか。
各地の大教会の創立130・100年記念にも4人で来られるといいますが、顔を上げてこ来られますか?
競売を放置しているあなたたちは、どれほど「むごい」人種であることか、信者の多くは胸糞悪い思いで注視しています。恥をしれ!
宇佐大教会の競売がどのような事情かは知らないが、現に第二回目(11月27日期限)として情報は開示されています。
天理時報の記者(存在するならば)は教内での報道が難しければ、個人で(匿名で)報道するくらいの矜持を示してほしい。
このように発言すると、すぐに「むりだ、できない」と外野から否定されるのが天理教。だめですよ、そんなことを言っても何も変わらないのだから。
自分が「動かない人」だから他人も同じと決めつけないでください。
各人が動かなくては天理教内でのモラルハザードの犠牲者が増すばかりです。
本部は天理教愛が無い。宇佐大教会の土地建物を見て良く分かりました。なぜ即買い戻さないのか?理解不能です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」言ってる善亮土地を売る(笑)低脳極まりないんですね。
匿名 様
2019年11月23日 6:30 PM
>>本部は天理教愛が無い。宇佐大教会の土地建物を見て良く分かりました。なぜ即買い戻さないのか?理解不能です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」言ってる善亮土地を売る(笑)低脳極まりないんですね。<<
教会本部は、天理教という宗教をビジネスの手段として使っているだけなんです。そもそも天理教という宗教に愛情などないんです。「金儲けの道具」にすぎないんです。3175万円程度の価格で買い戻せるならば、すぐに買い戻せるはずですが、教会本部は将来、大教会や分教会が連鎖倒産していくことが分かっているのです。最悪、教会本部所有の敷地建物の「切り売り」も念頭にあると思います。みなさん、天理教は宗教ではなくビジネスだったのです。今さら、こんなことを言っても「時既に遅し」ですが、天理教被害を最小限にくい止めるためにも、天理教から去れる人は迅速に去るべきです。
今日のオープンスクールは、授業で教義を始めてみました。
まだ、見識もない高校生が、身上について学んでいましたが
これは、一見、英才教育の様で、子供に、理解もできないのに、鵜呑み
させているだけだとも、見えました。
このまま、天理教内だけで生きて、布教者になっても
とてもじゃ無いが、人の心は動かせないだろうなあ・・
毎回、アンケートに、その由、書いて置いてきますけどね、(笑)
まあ、別に、なんでも良いですけどね・・
明日は、息子と、いきなりステーキで、ステーキでも食べながら
進路について、話し合おうと思いますよ。
崩壊
2019年11月23日 7:25 PM
宗教ビジネスと言えばそうも見えますが、分教会が競売ならまだしも大教会の土地が競売では、布教師は布教に困り、内部でも本部や教団の不信感がつのり寄付も減り離脱者も増えるのでその経済損失は3000万円では済みません。今の寄付金がほぼ壊滅に至る可能性もあります。少なく見積もっても3000万の10倍の30臆の経済損失はあるのではないでしょうかね。教団はビジネスにも成っていませんね
宗教ビジネスでも宗教でもビジネスでもないただのカルトだというのが笑えますw
お供えすれば助かると言われ続けて久しいが「お供えしても助からない」と言う事実を、宇佐大教会が証明しました。
4億3千万円の内の、多くの金が教団本部にも上納された事でしょう。その結果が結構な姿になるどころか衝撃的な落ちぶれた姿となり、家、土地、財産すべて差押えになった。
これは破産って事ですよね。飲まず食わずでお供えした結果が「破産」です。天理教教会本部はこの事実をお得意の「金の教理」を持って信者に説明する責任があります。天理時報には都合が悪い事実は秘匿し、勝手のいい事ばかりを大袈裟に褒め讃える様な記事ばかりで信者をもてあそんでも、ネット上では画像付きで情報は瞬時に駆け巡ります。
真柱は身上だからと言っても、話す事が出来ない訳ではないんだから、この事態を教理上の説明をして立場的責任を果たして貰いたいものです。
甘露台が倒れた時も本部は信者が悪いと言いましたね。宇佐大教会の破産も宇佐の信者が悪いと言う教理ですかね。
>>宇佐大教会の財政破綻の原因も本部への法外な「お供え」だったのかもしれませんね。昨日、天理教教庁に電話し、宇佐大教会が競売にかかっていることを知っているのか尋ねたところ、知らないという返答でした。本当に知らないのかどうか不明ですが、教会本部の無責任さに開いた口がふさがりませんでした。<<
分教会に真柱が来る(いわゆる入り込み)となると、
一生にたった一度のその巡教のために借金してまで客間を新築して、
豪勢なもてなしをてきた(せざるをえなかった)教会がこれまでたくさんあった。
しかも御礼は大金を用意。
そんなバカげたことを全国の教会にさせておきながら、
大教会まるごとが競売にまでなっているのに本部は知らぬ存ぜぬか?
いろいろと事情はあるのだろうが
宇佐大教会はじめその部内教会もこれまで本部につくしてきただろうに…….。
このまま宇佐大教会が消滅したら部内教会はどうなってしまうのか本部は考えないのか?
(部内教会は離脱して独立するきっかけになったと喜んでいてくれればいいが)
親だ親だと普段威張っておきながら、いざ子供が窮地に立たされたら無慈悲にも見放す。
もはやこの組織で中山みきの「せかいろくぢ」の教えを実践することは不可能。
全分教会は被包括法人を解消し、離脱独立すべし。
今こそ末端、信者側が教団本部を見放す時である!
愛町風にいうなら
本部の因縁が悪いので今の姿となったというであろう!
成ってくるのが天の理!
なんでもかんでも因縁で縛ることがいいとは思えないが、、、、、
お供えをせず
布教をせず
上下の立場に縛られず
ひとをたすけなされや
やさしいこころになりなされや
くせしょうぶんをとりなされや
純粋なおやさまへの信仰をしようではないか?
今朝の中席の最初の参加者は、20人位でした、初席は何処かの教会が
20人位? の団体が見えました 多いのか少ないのか、私には判断できない
流石に月末の日曜日のぢばは、数千人の参拝者が見えますね、
商店街も人が、たくさんいます。
毎月数千円程度のお供え、年に数回のおぢばで、千円程度の
浅ーい信者が多数見えるうちは、おぢば自体は維持できるでしょうね
一方で、破産したのか競売にかけられる大教会もある・・
本部にいたら、末端の苦労は見えないのでしょうね
さて、この先はどうなるのかなあ・・浅ーい信者の私は、見守るだけですね
中山家はじめその血族がこの悪質な組織体制を維持したいが故に天理教すら捨てたのですから、本部追放、ビル管理会社没収で、完全追放を目指しましょう。もう許せません。
陽気12月号のテーマが皮肉にも『救いの手』。宇佐大教会が競売にかけられているが、直属以外の部属教会にも競売にかけられて他人が住んでいる所がある。救いの手は差し伸べられない。時報に大亮が長野県の被害教会を訪問したと報じた。テーブルにはお茶と茶菓子が並んでいる。被害から1カ月も経ってのこのこやってくる。迷惑である。接待負担も馬鹿にならない。遊び半分でくるな!受け入れる側も迷惑だ!時報は何故か訪問した教会名を出さない。教会名を公表する、しないの基準でもあるのか?いっそ被害教会の全教会名を公表すれば良いのに。公表すれば救いの手を差し伸べる事もできるはずだ。
匿名
2019年11月24日 12:46 PM
中山ではダメだ(笑)中山早めに教団運営を血族以外の第3者に譲ればいいものを居るだけで汚名も負債も膨らむ悪循環です。
ただ父親 様
2019年11月24日 11:15 AM
>>流石に月末の日曜日のぢばは、数千人の参拝者が見えますね、
商店街も人が、たくさんいます。<<
今日は2連休の二日目なので、商店街も「山の辺の道」のハイキング客等で一時的に賑わっていたのでしょう。教会本部は「御身大事」なだけで、配下の大教会や末端分教会、布教所がどのようになろうと「我関せず」なんです。中山不動産株式会社は、タコやイカの足が1本ちぎれようが数本ちぎれようが、どうでもよいのです。とりあえず中山不動産株式会社の本社の温存を考えているだけです。
匿名 様
2019年11月23日 10:35 PM
>>教団はビジネスにも成っていませんね
宗教ビジネスでも宗教でもビジネスでもないただのカルトだというのが笑えますw<<
その通りです。プロのビジネス社会でも予見できないことが突然発生すれば、それで終わりです。天理教の場合、信者数やお供えの額が右肩下がりに激減していることは、過去30数年前から分かっていたはずですが、その原因を究明しようともせず、無為無策のまま今に至っているのです。ど素人のカルトが宗教ビジネスに手を染めたら、こういう結果になるということです。しかし、天理教が崩壊することにより、社会が少しでも良くなれば、それはそれで良かったと思います。
本日、ローマ教皇が原子爆弾被爆地長崎を訪問し、スピーチをされました。皆さんは「宗教の役割や使命」についてどのような感想をお持ちになりますか?
https://mainichi.jp/articles/20191124/k00/00m/040/044000c
ローマ教皇のスピーチ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52551350U9A121C1000000/
>>中山大亮 @daisukeke123 2019年11月23日 ツイート
帰宅すると部屋が掃除されていた
テレビをつけようとすると、つかない
コンセントが抜けている
つい、「つけといてくれよ」
と求める心
“コンセントを抜いてまで”
しっかり掃除してくれたにもかかわらずだ
気を取り直して
「いつも綺麗に掃除してくれてありがとう」
と認める言葉
求める→認める<<
↑
コンセントぐらい自分で挿せや!!
つーか自分で部屋ぐらい掃除せい!!
そんなことよりテレビ見とる暇があったら早く宇佐大教会なんとかせい!
宇佐のたった40カ所程度の部内教会なら、
一軒一軒現状視察もかねて勇気づけるために声がけに行ったれや!!
大金積まれにゃ動けんか?!
御馳走で接待してもらわな行きとうないか?
ぼろぼろの末端教会なんぞ敷居を跨ぐのも嫌か?
おやじのポケットマネーで3000万の入札くらいなんとかなるやろ!!
こんな大変な時に呑気にテレビなんざ見さらすなドアホーーーー!!!
ますのこせつ さん
二代真柱に切られて自殺してますよね。
東大卒で無かったからですよね
私は二代真柱の師である姉崎正治が諸悪の根元だと思いますが。この人が教祖を全て隠せと…
匿名ですが 様
>私は二代真柱の師である姉崎正治が諸悪の根元だと思いますが。
私もそう思っています。
二代は嫉妬深い人だったと思います。
自分になびく優秀な人間は取り上げましたが、
自分になびかない優秀な人間は遠ざけたと思います。
決して信仰者と呼ばれる資質のない人だと思います。
二代真柱が姉崎に「キリスト教や仏教のように優秀ない弟子達による分派を防ぐ方法」を尋ねたところ、教祖を徹底的に隠せと
二代真柱が姉崎にキリスト教や仏教のように分派を防止する方法を尋ねたところ、教祖を徹底的に隠せと言ったそうです。
誰かこの話知っていませんか?
二代真柱は夜伽で八島でしょ
正善は秀司の生まれ変わりだって伊蔵が言ってましたよね?
秀司が生まれたときに「お久し振りです」と
善亮だけは表にするなと、善亮が表になると教団が滅びると当時の役員が言ってましたよね。何せランボルギーニですしね、子供もこの親ですから狂ってます。宇佐は悲惨ですね。全ての大教会、早く終われ。
高安の松永も二代び斬られてますよね。
高安の松永も二代に斬られてますよね。
本部月次祭の際、いまだに真柱邸の前で深々と拝をする教会長。
教会長)何故お前は拝をしないのか」
私「神ではない、必要ない」
教会長「…」
私、心の中で「バーカ、そんな事もわからないのか」
教会長「親は親や」
私「子供を可愛がらず、搾取しか考えない上級や本部は親ではない。」
妻が癌になった、夫は修養科に行った。
家も売ってお供えした。
第三者の私、教会長に「搾取は止めろ。御守護があってからでも遅くはない。今お供えをしろと言えば、余計天理教のイメージが悪くなる」
教会長「…」
信者夫:お供え
信者妻:出直し
信者妻:全て財産を処分して全てお供えして教会住み込みしてたすからずに出直し
おさずけ 効かない
善亮、大亮
何とか言ってみろ
大亮
てめーの部屋位自分で片付けろ
お前早く布教の家に行って人助けしろよ
大亮
てめーの親父が美人局のときは三千万嫁の実家に頼ったよな。
宇佐の方が大事じゃねーのかよ?
お前東京行くなよ
天理教
大亮、一時的に復活する方法教えてやろーか?
大亮
お前一人でも未信者にお授け取り次いだことあるのかよ?
参拝者ゲットだろ?
あるわけないよな。
親父にもあるのか聞いてみろよ。
お前生きてて恥ずかしくないのかよ?
俺は未信者に沢山お授け取り次いだよ
知らない人に「私天理教、お授け取り継がさせて下さい。」、相手「お願いします」。それから毎日お授け取り次いだ。相手は涙流して喜んでくれた。
因みに後継者じゃないよ
でもね皆んな死んだよ。
善亮、大亮はじめ馬鹿な教会後継者ども
こんな経験できないだろ
俺「我が子を捧げてまで他人を助けてと親神に言えるか?」
教会長妻「いえる訳ない」
私「教会止めろ!」
教会長妻「お前、お供え少な過ぎ」
私「信者止めます」
おい大亮、これが現実だぜ
何とか言ってみろよ
何も言えねーだろ
古い元教会長 様
同意頂けるということは、姉崎のことを何かご存知なのでしょうか?
崩壊さん、こんにちは。
崩壊さんは元天理教からの現キリスト教徒でしたっけ?
流石に連休です、商店街に居るのは、おぢばに帰参した
天理教徒ばかりでしたよ・・一種の観光旅行だと感じます
お伊勢参りみたいに、おぢば詣でしてる人達
石上神社には、人がいませんでしたからね、参こう館も
見学者が、ポロポロと途切れ無い程度に、いましたよ。
おびやゆるしの場所にも、人が何人もいました。
毎月、数千円程度のお供え、観光旅行の様なおぢば帰参
御筆先は読んだことも無いって言う程度の、軽い信者が
実際大勢、見えるうちは、おぢばの維持くらいはできるでしょうね?
そう言う信者は、教団本部など、逆にどうでも良いだろうし
無理を言われたら、知らんぷりをするんじゃ無いですかね?
実際、うちの義母は、(本音は全然、神とか信じてないのに)
何故か、友人知人を別席に誘って、連れて来てる様です
歳を取ると、こう言うのも、楽しみなのか?って思います。
宗教に軽くしか、関わらない層って、結構大勢居てますよ
そう言う人たちが、結構下支えを、してるんじゃ無いでしょうか?
しかし、日曜日の朝の別席の先生・・
やる気ゼロ!って感じでした・・そう言うのは良く伝わる
聞いてるこっちも、聞く気ゼロ! ってなります・・(笑)
もうちょっと、真剣にやって欲しい、眠くて辛かった・・
そうか! わざとつまらなく話して、聞く方を辛くしてるのか?
息子といろいろ話したけど、おぢばの現場は人出不足で
教高学園、天理高校からのお礼奉公の勤務者さんって、大勢居るので
教高学園が無くなったら、勤務者が全然足り無くなるらしいですね
教高学園の偏差値は2部より低く、テストがダメでも12下り
踊れたら合格できると言われてるとか・・そこからの
天理高校1部の偏差値は高くて、合格できる人は、限られるから
2部は、現在倍率1、5倍くらいで不合格者が多いから、2部を倍増して
そこに教高学園の分の定員増やすのかな?
いったいどうなるんだろうね? って話してるらしいですわ
でも、2部ってしんどいよ〜 とか言っていましたわ・・
現在2部に来ている生徒は、未信者も多いし、教会子弟は半分もいないとか
卒業後は、天理教を離れて、専門学校、就職したい同級生が多いとか
その分、2部のしんどさを覚悟して来てるから、耐えられるとか?
しかたなく2部に来ても、たぶん耐えられないでしょ? って
本当に大亮の頭のヌルさに絶望ですね。一つの大教会が破産し、信者が飲まず食わずで伏せ込んだ教会建物、土地、動産、全て競売にかけられ、全部失い、追い出されていると言うのに。
当事者意識のまるで無い、こんな事件が起きている正にそんな時、ツイッターで のんきにテレビがつかない、コンセントが抜けてた、うんぬんかんぬん。テレビなど見ている場合か!
こちらでも怒りのコメント多数ですが、全く同感です。
善亮は女と金に目がくらみ、息子は阿呆丸出し。
今更何を言っても馬鹿馬鹿しさが先に立ってしまう。こんな教団は早く潰れた方が世の為だと心底思います。教団に身を捧げた我が家の先祖もさぞかし悔しがって居ると思う。
ただ父親
2019年11月25日 7:53 AM
>>宗教に軽くしか、関わらない層って、結構大勢居てますよ
そう言う人たちが、結構下支えを、してるんじゃ無いでしょうか?<<
おそらくそうでしょうね。大半の人が宗教に軽くしか関わっていないと思います。皆、平常の仕事や生活で精一杯なんだと思います。昭和40年代、正月に教会本部に行けば参拝者であふれかえっていました。天理本通りも同様で、歩くのが困難なほど参拝者で一杯でした。境内地の一隅にある総合案内所からは頻繁に迷子の呼び出し放送が流れていました。しかし、今、正月に教会本部に行っても、閑古鳥が鳴いています。天理本通りも同様です。本当に静かなものです。その当時、天理教を熱心に信仰していた信者さんやその家族が天理教に見切りをつけて去っていったのでしょう。お隣の桜井市にある大三輪神社は、正月ともなれば、初詣客の自動車で周辺道路が大渋滞します。初詣客が波のように押し寄せます。1月10日頃まで、そうした状況が続きます。やはり、日本古来からある有名な神社仏閣は、ありがたく思われているのでしょう。
東井朝仁 随想録「良い週末を」
2019/11/21 11月10日の青空に想う(2)
http://kjass.net/tooi/yoisyuumatsu/yoi20191121.html
滋賀県にあるK大教会とは?
蒲生大教会
甲賀大教会
湖東大教会
中野大教会
日野大教会
水口大教会
そして、火災を起こしたことのある大教会は
甲〇大教会 ?
天理教の金権体質は、根が深いですね
フランシスコ教皇がバチカンから来日しています。世界中の行く先々で心待ちにされ歓迎を受けています。バチカンの壮大な建物を見て我もそれをしのぐ建物を建てたい、と思った二代真柱。
時代は下がって、現天理教の現実。バチカンに負けず劣らずの建物は空っぽ状態で立ち尽くし、創り始めたが信者に逃げられ完結せず。
だめの教え、世界助けを標ぼうしているが実際世界に出て地球を救う全地球上の人々を救う働き掛けをしているか。世界の人は誰も天理教の真柱なんか相手にして無いでしょ。相手にするのは天理教教会関係者の忖度接待だけです。自分の身の程をどの程度に認識しているのか。
窮地の子供も助けられない、本部にメリットの無い子供は放置して知らん顔の宗教に、何処に存在価値があると言うのか。
災害地に行って現状復帰へ力は貸しているが、心底魂のレベルで救い上げられなければ、行政の復旧活動と何ら変わり無いと思っています。
大亮さんが「Angmar」さんの書き込みをリツイートしています。
日付は11月15日。
競売など「しったこちゃない!」のでしょう。
11月15日の大亮さんは「大教会競売」よりも高校ラグビーに関心を示している!
スポーツ脳だから仕方ないでは済まされませんね。
もう、ほんと、ウマシカな人よ!としか言えない。
自分の立場を考えればこんなこと書き込めないでしょうよ!
恥ずかしい! 世の中の人に知られたくない!後継者がこんなレベル!
*** 中山大亮 @daisukeke123 · 11月15日***
今年も来ましたこの時期が。
今年こそ全国制覇のチャンス!
接戦になること間違いなし。
なんとか勝ち切ってほしい!
参考までにリツイートした元の「Angmar」さんの書き込みは以下の通り。
第99回全国高校ラグビー大会
奈良県予選 決勝
11月17日(日) 14:00〜
橿原公苑陸上競技場
【 天理 vs. 御所実業 】
奈良県から花園出場をかけた大一番。
皆様には、天理の、天理の、天理の、
熱い熱い応援、よろしくお願い致します。
頑張れ天理高校ラグビー部!!
匿名 様
2019年11月25日 1:48 PM
>>だめの教え、世界助けを標ぼうしているが実際世界に出て地球を救う全地球上の人々を救う働き掛けをしているか。世界の人は誰も天理教の真柱なんか相手にして無いでしょ。相手にするのは天理教教会関係者の忖度接待だけです。自分の身の程をどの程度に認識しているのか。<<
カトリック教徒は世界中に13億人の信者がいます。日本の人口が約1億2千万人程度ですから、日本の人口の10倍以上の人達が、カトリックの信徒ということになります。まさに世界規模の宗教です。カトリックの信徒がなぜそんなに多いか、よくよく考えて見ると、キリスト教の教えは、世界に存在するあらゆる宗教に共通する普遍性をもつからだと思います。私自身、天理教は宗教ではないと考えていますが、天理教と呼ばれる新興宗教が日本に存在することを知っているのは、世界中を見わたしても、ほんの一部の宗教学者ぐらいだと思います。まして、天理教の真柱という人がどういう人なのか知っている人は、ほとんどいないでしょう。
天理教は「世界たすけ」どころか、「我が身たすけ」ばかり考えている集団です。到底、宗教と呼べるものではありません。
2019年11月24日 12:46 PMの匿名様の投稿の一部
>いっそ被害教会の全教会名を公表すれば良いのに。<
>公表すれば救いの手を差し伸べる事もできるはずだ。<
本当に教団本部といい、天理時報といい何故こんなに冷たいのでしょう。
お供えされた一部でも共済制度を作って回せばいいのに、そのような考えは皆無。悲しい程の冷たさに心が萎える。もっとも、お見舞い程度は出るそうだが、貰ったら最後その何倍ものお供えという名目のお返しが目に見えない圧力で迫ってくる。そもそも、見舞金が出る基準すら見えないのだから、出す方の胸先三寸では、制度としては存在しないんでしょう。
それにしても、災救隊のように対外的に目立つものには力が入る不思議。
おはようございます。
某詰所にいつもの様に宿泊させて頂きました。 23日の土曜日でしたが
私以外には、6人くらいの宿泊者が見えましたけど、基本的に7人でお供え7000円か?
他に修養科生やら、何やら、見えますけど、維持費は稼げていない印象を持ちます
まあ、宗教法人は税金が少ないから、一般に比べたら、維持費は要らない代わりに
宿泊費は取れないですからね、あくまで、個人のお供えですから
だから、鍵もかからない大部屋、テレビも無いですし、コンセントも少ない
殺風景過ぎて、おぢばツアーに使うにしても、寂し過ぎますね・・
もっと、集約して、まとめて2箇所位にして、大浴場、部屋にテレビくらいあったら
使いやすいでしょうが、無税事業と課税事業の狭間で、難しいとは聞いています。
経営という物に対する危機感が、足りないとは、感じます。
神様の思し召し、守護でどうにかなる、位に考えてらっしゃるのかな?
私個人の考えは、神様は個人の想いに応えては下さっても、個人だって
働かなきゃ、お金を稼がなければ、祈ってたって、腹は膨れませんからね
改革は、簡単な事だと思いますけど、危機感の無さから、変えないといけませんね
会社が倒産寸前なら、いくらハッパかけても、経営構造を変えなければ、そのまま倒産します。
時代に合わせて、大きく構造を変えていくだけでしょうね。
浅い信徒の1人としては、こればかりは、教団の執行部の問題であり
執行部の自己変革が無ければ、みんな、さらに離れていくだけだ・・と言い切れます。
頑張ってね?
ただの父親 様
まあ、いろいろなお考えがおありですが、詰所は一応修業の場のような考え方が支配的です。
例えば、食事ですが、一食250円。これもその一環のようですが、一方で行政(税務署)の指導もあるようです。この金額を超すと課税対象になるような話を聞いたことがあります。
もう、何年も以前から同じ金額なのもおかしな話ですが、税務署が未だにそのような指導をしているのでしょうか。それとも、本部の認識が甘いのでしょうか。
物価も上がり、消費税も上がっているにもかかわらず、昔のままというのも疑問に感じています。
四国お遍路の宿のように宿として営業出来る詰所があればいいのですが、そうなれば、税務処理も今のようなことではすみません。
二部時代に詰所勤務をした経験から、詰所は貧しいところという観念がしみ込んでいます。
当時、来る日も来る日も、おみおつけ(味噌汁)の具は、刻んだキャベツばかりで、業を煮やした修養科生が保健所に苦情を言いに行き、保健所からせめて週に一度は豆腐を入れてと指導があったが、主任は無い袖は振れんと息巻いていたことがありました。
風呂も毎日薪をわって沸かしていました。余談ですが、80歳を超した今も薪割はお手の物です。
確かに、詰所は参拝者の宿泊施設ではありますが、一方では、先に書きましたように修業の場でもあると理解されているのでしょう。
そうでなければ、何時までも一食が250円なんて設定が出来るわけがありません。本部も税務署もこの価格を見直す時代になっていることを考慮すべきだと思っているんです。
とりとめのない話になりましたが、他の宗教にも詰所のような施設があるのでしょうか。あるとすればどのような運営をされているのか、本山のあるような宗教団体と話し合いでもすればいいのですが、如何でしょうか。
各大教会ごとに設置されている詰所の稼働率を調べ、稼働率が極端に低い詰所は閉鎖していくべきだと思います。自動車は所有しているだけでも、車検費用、税金、自賠責保険料、任意保険料等の維持費がかかります。詰所の場合も、エレベーターの保守点検料、消防設備保守点検料等、法律で定められた保守点検料がかかります。また、経年劣化による修繕費も発生してきます。詰所の維持管理に要する経費は信者の「お供え」で賄われています。これから先、信者数は益々減少し、「お供え」も減っていくことは目に見えています。信者の負担をこれ以上、増やさないためにも、稼働率の低い詰所を閉鎖し、他の詰所との合併や統合を進めていくべきだと思います。
東風Zさん、こんにちは。
霊友会とか、無いですよ。 地方支部は全部、個人施設ですしね、
東京の本部、釈迦殿には、宿泊施設なんて無いです
静岡に研修施設、弥勒山がありますけど、研修の時の団体宿泊施設です
個人では泊まれません。
今の私の、教団も、東京と長崎に礼拝堂があるだけで、宿泊施設なんて無いです
自由にホテルを個人で取って、参拝します。
天理教は、教会といい、詰所と言い、おぢばと言い、巨大教団ですよ
おぢば帰りとか、子供の頃、すごいと思いましたよ
しかも、大教会ごとに詰所を持っているなんて、他に無いでしょうね
普通、本部一括で、1箇所、2箇所とかでしょう?
これほどの広大な施設を持っている教団は、他に無いでしょうね。
それだけに、信者が減ったとたんに、負担になるのは、致し方無いでしょうね
息子がお世話になっているし、オープンスクールの度に詰所を利用していますから
悪く言うつもりはありませんけども
まあ、今後は、教団本部と税務署で、話し合って、変えて行く必要は
あるんだろうなあ? って思いますよね。
>>それにしても、災救隊のように対外的に目立つものには力が入る不思議。
いい子ぶりっこ。
ほかになにがある?それだけじゃん。
>他の宗教にも詰所のような施設があるのでしょうか。
立正佼成会の本部(東京・杉並区)には「団参会館」という信者のための宿泊施設があります。
https://www.kosei-kai.or.jp/040honbu/0407/
地方公共団体でも、少子化の影響で学校の統廃合をしています。ハコモノの維持管理費は、地方公共団体にとって深刻な財政負担になっているからです。今後、ジリ貧になっていく天理教が無駄なハコモノをいつまでも保有していれば、「お供え」の絞り上げがエスカレートしていくと考えられるので、無駄なハコモノは整理統廃合していくべきでしょう。
匿名
2019年11月26日 11:36 AM
善亮大亮親子は本当アホなんですね。大亮のあのつくり笑顔も気持ち悪いですよね。
皆さん、いろいろとご教示有り難うございます。
箱モノに拘った二代さんの将来を見通す力がなかったことが証明されたんですね。バチカンに負けないものを作るなんて何を考えて居られたのでしょうか。
そもそも、徳があるとか、徳が無いとか、という言葉は、軽々しく言う言葉ではないのかもしれません。
天に唾する言葉だということを痛感すべきです。何事も重荷になって初めて気づくことなのかもしれませんが。
息子の話を聞いていて、天理で働いている、勤務者さんには、教高学園卒業からのお礼奉公と言う
教会子弟が大勢居るので、単純に教高学園が無くなると、勤務者が不足してしまうのでは?
と思うんですが・・
もちろん全日制高校だから、一列会の扶育に対してお礼奉公、(現在は3年)の
義務があるわけですけど、2部は、基本的に普段から働いているので、
お礼奉公の義務は課せらていないので
卒業とともに、天理を離れて、進学も、就職もできるので、ありがたいんです。
偏差値的に、天理高校の1部、または2部に入れない、教会子弟が、地元の高校に
自費で通う事になるなら・・逆に朗報かもね?
教会の自費にて一般高校なら、卒業後は自由じゃ無いですか? お礼奉公も無い訳です
自由に、進めるなら、お与え2万円から3万円で勤務者を務める義務も無いし
教区で布教者をするか、しないかも個人の自由じゃ無いですか?
自由に教会を離れて働けるなんて、その方が自然ですよね?
まあ、教会に自費で自分の子供を高校を出すお金も無いって言うなら・・・
今の時代に、貧困過ぎますよね、教高学園が無ければ、高等教育も受けさせられないなんて?
ちょっと問題外、今は、高校の学費は無償ですし、経費だけなら、なんとかなるでしょう
天理教を一旦離れたい、教会の子に取って、教高学園閉鎖は、だから朗報じゃ無いの?
世界一の陽気な夫婦?と大亮夫妻が言っていましたが、その意味が宇佐大教会競売の件でよーく分かりました。負債約4億 競売価格約3千万 一方 世界一陽気な夫婦の結婚諸経費は3億とか? ようきようき!陽気と言うかノー天気じゃないと出来ない所業ですね~(笑) 大亮夫妻だけのせいにしてはかわいそうなので、その結婚式に携わった人そろいもそろっておバカ揃い、この程度のバカじゃないと「金の繋ぎは命の繋ぎ」等と信じがたい言葉を開発しませんよね。
大亮負債は世界一の陽気な負債と言うことでしょうね(笑)
連投すみません。
教会出身の子は、門限が、夕務めまでしか、認められないとか
食事の前には、4回、手を叩いて、拝礼してからとか、その他
天理教ならではのしきたりが世間一般常識だと、思ってる子がいて
一般家庭出身の人から見たら、ビックリだそうです。
実際、今の2部は、一般信者家庭が多いらしく、偏差値も高く、
倍率も1、4倍くらいで、いくら天理教が好きでも、教会子弟でも
毎年、40人くらい、不合格になります。
そんな、子供達でも、2年の終わりには、禁止されてる携帯電話を
ほぼほぼ、みんな持ってるとか・・禁止の意味は無いですよね
教会を継ぎたいとか、布教者になりたいって言う子は
実際本当に少ないらしくて、普通にサラリーマンしながら、
親神様を信仰する人生で良いと言う、そう言う子達が、
信仰者としても一般的であって、純粋な教会の子も、感化されて
一回外に出たくなって来るのが、当たり前じゃあ無いですかね?
そう考えると、教高学園が閉鎖されるのは、天理教3代、4代の
バリ天の親を持つ子に取っては、将来が天理教一本より
人生の選択肢が増えて、返って良いんじゃないか?
なんて思ったりします。
子供達には、人生の選択の自由があるのが、普通ですからね。
その中で、あらためて自分の意思で天理教を選択するなら、
やる気も違うでしょうし、教団に対する批判力、
改革をして行く力も付きますよね?
純粋培養では、実際、生命力が弱いですからね・・
まあ、浅ーい信者の、個人的な感想です、すみません・・・・
やっほー!
上層部の方々みてるー?!
俺だよ俺!
とうとう帰ってきましたよ。
これから少しずつ真綿で首を絞めていくからよろしくー笑
東風Z 様
2019年11月26日 5:33 PM
>>箱モノに拘った二代さんの将来を見通す力がなかったことが証明されたんですね。バチカンに負けないものを作るなんて何を考えて居られたのでしょうか。<<
フランシスコ教皇は、昨日、バチカンに帰られましたが、教皇のスピーチは「世界平和」、「世界中の陽気暮らし」の達成に対する指針に満ちあふれていました。やはり「本物の宗教者」だと思いました。うわべの箱モノだけを真似てバチカンと張り合おうと考えた二代真柱の「愚かさ」がよく理解できます。やはり、天理教は体裁ばかり繕う「ハリボテ宗教団体」であるという感を再度、強くしました。
(※ ハリボテとは関西地方の表現で、中身のない「形だけのまがい物」という意味です。)
中山大亮、フォロワーからツッコミたおされる 笑
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>>中山大亮 @daisukeke123 11月23日
人にたすけられる人になるには
自分の弱みをさらけ出すこと。
いかに意地やプライドを捨てれるか。
こちらが心を開けば
きっと
相手の心も開いてくれる。
弱みをさらけ出せば
きっとそこを補ってくれる人がいる。
たすけあいは
さらけ出すところから始まるのかもしれない。>>
ゆー @ym19590319 11月24日
まずは、ら抜き言葉を直しましょう。 助けたいと思う方に、お会いしたら、まずはこちらから胸襟を開かなければなりません。 助けて欲しいと願う方は、内容は話しても、自分のせいだとは思いません。 自分を晒けだし、少しずつ心を開いていって下さるのを待つしかありません。
天理教お助け隊山ちゃん @tenriyamachan 11月25日
んー、なんか他人任せですね。 人に助けてもらうことを期待すると、助けてくれなかった時に腹が立つものかと。それより、何か助けてもらったら倍以上恩返しするくらいの方がいいと思います 助けて欲しいなら、その10倍は動かないといけないとも思います。弱みを見せたら、そこを突かれると思います。
馬瀬 稜 @mitiyukutoki 11月25日
助けられて助かるわけですが、この 助かる という言葉の意味がはっきしません。 助かるの定義を示していただけたら助かるのですが。
ウゾイタる @ITzQ4ECQmIfcbap 11月27日
大ちゃ〜ん! 「人に助けられる人になるには」って、、、 助けられるのに条件なんかいるのかよ。 助けられるのに注文つけられるのかよ。 人を助けるのは無条件だろがっ、このくそガキ坊っちゃんよ。 いよいよこの宗教団体も来るとこまで来たな。 高みの見物と洒落込むで〜
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弱みをさらけ出すと相手も心を開いてくれるって?
弱み(窮状を)訴える人達のアカをブロックするのは心を閉じる行為ではないの?
矛盾もいいところではないか。
ま、それが大亮クオリティってことか。笑
ツイートの最後にいつもこう書けば?
だいすけクオリティだもの
ツッコミを入れたこの方々がブロックされないことを祈ります。
去年、「中山秋のバンまつり」なんてあったしね~笑
そもそも人をたすけるのが大亮君の仕事ちゃうの?
>>人にたすけられる人になるには
自分の弱みをさらけ出すこと。<<
よく言えますね!! 宇佐大教会のように弱みどころか破綻した状態をネットでさらけ出しているのに、本部はたすけるどころか、その事実すら知らなかったではないですか。氷水で顔でも洗って出なおしてこい。だいすけちゃん!!
大亮、自分がどれくらいのアホウなのか、それさえも判らない位のアホ。
助けを求めている人を無条件で助けるのが大亮の仕事でしょう。次期真柱候補でしょ?本当に真柱になるつもり?ご冗談でしょ。
助けて貰いたいなら、どうせい、こうせい。助けを求める人への指図ですか?どこまで上から目線で尊大なんだ。
大亮もその父親も違和感だらけの人物。社会では新人は灰皿掃除から始める。大亮も便所掃除から始めるべき。修養科生は頭低くする事を学ぶために便所掃除をしてますよね。中身が空っぽで実態が伴わないのに立場だけ与えられているからする事なす事がトンチンカンなんだ。
崩壊さんの言われる様に、宇佐の人達は弱みをさらけ出すどころか天地がひっくり返っていると言うのに知らん顔。この件の情報が本部中枢に上がっていない筈が無いです。
大亮親子は真剣に責任を感じなければいけない事案。知らぬ存ぜぬを装い、全くの他人事。
支離滅裂、人格破綻者と言うのは大亮くん、あなたの様な人物のことです。
大亮安心しろ!お前は次期真柱だ!しかしその時にはもう金もない負債だらけの教団だけどな(笑)
信者はおろか社会から嘲笑の的だがそれもこれも「金の繋ぎ命の繋ぎ」とアホ抜かした親父のせいでな親父でも恨んでろwww
教高学園閉鎖って、本部にとっても、勤務者のなり手を減らす訳なんですね?
2部出身者は、卒業後に、お与え2万で勤める義務は無い訳ですし
高校まで地元で出た、教会子弟を、専修科に行かせても、勤務者で3年も
引き止める根拠がない訳です・・根本的におぢばの維持作業員が足りなくなる訳です
それは本部の問題ですからね・・
地元で高校出られたら・・俺は(私は) 自由だ〜って話しですよね?
なら・・実際、歓迎すべきことでしょう?
大教会に、お与え2万で、いる必要も無い・・
通常の勤務者のお与え、10万以上あったら、貯金もして免許も取って・・
適当な時期に、天理を離れて自立もできますよね!
そうじゃ無いのかな?
うちの息子みたいに、一般家庭の子は、親がバックアップしてるから
2部卒業後は・・完全に自由です・・
子供達が自由に進路を選べるなら、良いことです!
って・・思いますけど・・どうなのでしょうか?
アンチ天理教にとって、教高学園閉鎖って、歓迎すべき事だと思えますけど
それも、本部の批判になっていますけどね
それは、教会子弟にとっては、自由を得る可能性の広がり? じゃあ無いですか?
教高学園閉鎖って、本部も自分の首を締める結果になる気がします・・
どうなのでしょう?
匿名
2019年11月27日 9:17 PM
似非宗教中山カルトを潰すのなら全員で倒すまでですよ! 通りすがりでも味方につけます笑
宇佐大教会の特別競売が今日11月27日で終了した。入札があったのだらうか?入札が無ければ今まで通り教会として使い続けられるのか?仮に落札されても債権者は、今回の競売では債権回収も僅かだろう。何故大教会というだけでこれほどデカい箱物をつくるのか。返済計画もろくに立たず借り入れで安易につくるのか。身の丈に合った規模にできないのか。本部が救済すべきだという意見もあるが、案外大教会など不要かもしれない。いまだに権威主義者の毒大教会長がいる。何か諫言しよものなら、怒り狂い誰に物を言っているのだ、大教会長だぞとまくし立てる。まるで裸の王様でイエスマンしか居なくなった。いま
そいつは普請返済に困窮して金しか見えない。第二の宇佐になるだろう。哀れな醜態を晒す。大教会など無くなった方が清々する。
宇佐大教会は本部が買い上げようです。
土地の購入や神殿普請の願書は各教会から出されますが、それを許可するのは本部ですからね。
本部も責任を感じたのでは?
宇佐大教会は、25,405,600円で落札されたみたい。誰が落札したのか・・・
もしも本部が買い取ると言うのなら、複雑です。
本来必要の無い大教会だったかも知れない土地建物に当該大教会信者、部内教会は無理に無理を重ねて貧に落ち切った筈です。挙句の果ての破綻となった。彼らが拠出した莫大なお金は意味を成さなかった。水の泡と消えた訳です。
真偽の程は判りませんがもしも本部が買い取ると言うならその四千万円弱のお金は、現在も上納し続けている我々教会や信者からの原資金からですよ。負に負の金をつぎ込んでいる様に思える。
本部が責任を取るのは当然の行為だと思うが、限りなく衰退が続いている現状において負に負の金が今後生きることは無いと思う。あちこちで破産、競売が進み、負に負の金を注ぎ込み、どつぼにはまって最終的には本部が破綻するシナリオか、、
嫌、やけくそで金が無くなるまで買い取って全国に土地を所有し、不動産業に転身する目論見なのか。しかし元々は無理矢理もぎ取った血と涙と汗のこもった人の金が原資だから上手くいく理はないのだが。
私も大教会は不要と考えます。縦組織は神の目に叶いません。虐げる者と虐げられる者の力関係が存在してはなりません。この組織が早くゼロにリセットされる様、親神様の更なるお力を望むばかりです。
宇佐大教会 競売 久しぶりにこちらを覗いて、のけぞりました。
いよいよ破産の時代ですね~
東京都が子供の剥奪指数というのを掲げています。
海水浴に行く
キャンプやバーベキューに行く
毎月おこづかいを渡す
習い事に通わせる
年に1回家族旅行に行く
お年玉をあげる
子供用のスポーツ用品、おもちゃがある(時流にあった新しいもの?)
博物館、科学館、美術館に行く
スポーツ観戦や劇場に行く
毎年新しい洋服、靴を買う
学習塾に通わせる
クリスマスプレゼントをあげる
年齢に合った本が家にある
自宅で宿題をする場所がある
昭和50年代の私が育った末端教会は完全に子供を経済的虐待に陥れてたので、現代の教会子弟が
気にかかります。間違いなく、私は剥奪された子供時代を過ごしました。
上記の項目を子供に提供できていない家庭は、一般的ではないと行政は考えています。
末端教会の皆様。どうぞ天理教の活動よりも自分の子供たちを大切にしてください。
さもなくば、私のように家族不和が待っていますよ。
崩壊 様
そもそも、教皇と真柱を比較することが、おこがましいと言いますか、比較という言葉が適正なのか。
余りの違いに言葉がありませんね。教皇は82歳のご高齢でもエネルギッシュに回られました。言葉の一つ一つにも重みが感じられました。核エネルギーの使用を戒められたのも全人類の幸福を願わずにはいられない思いから発せられたものだと信じています。
一方の真柱は、教会の年祭等に行かなくてもお礼がたんまりと入る不思議。
信仰者の人の数の比較ではないでしょう。如何に誠心誠意努めておられるかだけです。
東風Z 様
教皇と真柱を比較するというよりも、「宗教指導者のあるべき姿」を教皇を引き合いにだして書きました。教皇と真柱を比較することなど到底、不可能です。立派な指導者に大勢の信仰者がついていくのは必然だと思います。
競売大教会は見るも無残な光景でした。しかしこれが現実本部運営の天理教はもう経営破たんしている。皓組織は上手くは回らない。何故ならば本部の経費が膨大であるから、本部さえ居なくなれば分教会大教会は生き残る道はある。しかしそれらを道連れにしようと中山は非道にも居座っているのが現状これが天理教団の現実 これは宗教ではないただのカルトです。御守護?ようきぐらし?十柱の神?もうこの教団には無い。その報いを 競売大教会 競売分教会 と言う形で現れてくる。
「妖気ぐらし」に変えたらどう?
本部は、年内に数百の専任者不在の教会の整理に取り掛かるとか言われています。さて、どのように整理するのか。
今までにこの教会に尽くしてきた人たちの意向が斟酌されるのか。上級教会なり本部が我が物にしてしまうのか。
いずれにしても、過去の貢献が無にされるようであれば、今後は、お供えなんて名目の金銭を前後の見境なく出すことは、結局バカを見ることになるのだろうか。
教会制度の矛盾が露呈したことはまちがいありません。整理教会の不動産等の行方を注視する必要がありますね。
教祖は、このような訳の分からない制度を作れと言われたのか。教団本部は納得が出来る説明をしなければならないでしょう。
いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。
又、天理時報がこの整理についてどのような報道をするのかも注視しなけえばならないでしょう。まさか、だんまりでは済まされないでしょう。
東風Z 様
2019年11月28日 5:41 PM
>>本部は、年内に数百の専任者不在の教会の整理に取り掛かるとか言われています。さて、どのように整理するのか。<<
おそらく、本部の不利益にならないように整理するつもりでしょう。「金儲け」にかけては抜け目の無い団体ですから。
>>今までにこの教会に尽くしてきた人たちの意向が斟酌されるのか。上級教会なり本部が我が物にしてしまうのか。>>
教会本部は、自分達に尽くしてきた真面目で善良な人達の意向など意に介していません。「我が身かわいいだけの団体」ですから。上級教会なり教会本部が我が物にしてしまうに違いありません。
>>いずれにしても、過去の貢献が無にされるようであれば、今後は、お供えなんて名目の金銭を前後の見境なく出すことは、結局バカを見ることになるのだろうか。<<
そういうことです。結局、正直者がバカを見るということです。
>>いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。
又、天理時報がこの整理についてどのような報道をするのかも注視しなけえばならないでしょう。まさか、だんまりでは済まされないでしょう。<<
天理時報は、所詮、一新興宗教の機関誌にすぎません。創価学会の聖教新聞と同じです。日本の大手新聞社である朝日、毎日、読売、産経、日経等の新聞でも、新聞によって論調は違います。天理時報はきっと「だんまり」を決め込むか、教会本部を擁護する記事を書くはずです。そうでなければ、天理時報の存在価値がないからです。しかし、その頃には、天理教の問題は「大きな社会問題」として、新聞だけではなく、テレビやインターネット等で大々的に報道されているでしょう。
補足
>>いい加減な、はぐらかしをしていては、益々信者さんが離れてゆくでしょう。<<
過去半世紀にわたり、信者数は目を見張るばかりに減少しています。天理教が崩壊する時期のほうが早いはずです。その後、天理教の分派らしき団体が発生するかもしれませんが、現信者さん達は関わらないほうが良いと思います。
部族組織が借金で困っても助けない。競売に係りネットで晒され買い戻す?もう遅い!天理教の人、中山家の人は人格破綻、何が親だ?この毒親が! もう信者の不信は止まらず不満に変わってます!
天高二部の廃止まで取りざたされると聞きました。なりふり構わず手を付けてゆくと言いますか、本部は二部生全員の面倒を見切れなくなってきたのでしょうか。
花壇などの世話をしていた農事部女生徒も居なくなれば、益々殺風景な景観になってしまうでしょう。
まさか、そこまでするとは思えませんが、切羽詰まってきていることだけは間違いなさそうです。
仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。
本来ならば、本部員と言われる方たちのお与えを削減若しくはセロとするべきでしょう。
一般社会では、組織に問題が発生すれば、先ず、責任者が給与の半減だとか、ボーナスを止めるとかの処分をしています。
どこ情報ですか?教えて下さいお願い致します。
東風Zさん、今のところ、2部のお話は、子供達は何も聞いていませんよ
何回も書いていますけど、2部生無しに、おぢばの労働力は足り無い様です、生徒の日当は、扶育費だけなら、1日当たり数千円ですが、人を雇えば、万円かかります。
実際は、教高学園などの卒業生の、昼間の高校の扶育費のお礼奉公 3年と言う義務で、勤務者としておぢばで働く労働動力が無ければ、2部生だけでは、いろんな作業が滞ってしまうと、うちの子はもう上級生ですから、現場から、そう言うのは、判る様です。
だから、高校閉鎖は、これ以上、絶対にでき無いはずです。 花壇なんてレベルじゃ無く、ありとあらゆる現場に、そう言う、学生労働者とお礼奉公の労働者を組み込んで、おぢばは成り立っているのが、現実の様です。
扶育も受けていないのに、勤労奉仕を強制する事は、できませんよ、法律に抵触しかねない・・
それで、600人からの労働力は満たせないし、給料払ったら、さらに予算が要ります。
まあ、私も、子供から、いろいろ聞いていますけど・・教高学園閉鎖したら
全然人が足らなくなるのに、どうするねん?って、現場の勤務者とかは、話しているそうです。
私は末端ですが、お与えなんてゼロです。教会を日夜守り、各種行事に出て一応の事は曲がりなりにもやっています。しかしながら、信者が数人では生きて行く上で少々でも給与として欲しいですが会計的に無理です。
大木の根ばかりが太り、この根は栄養を枝葉に送ってくれない。末端と言う枝葉は枯れ果てていつポキッっと折れるかと言う状況です。すでに大教会クラスがポキッっと来てますね。あちこちで予備軍多数の状況ですね。
我が家は他所から後継者が来ようとも渡せるお金はゼロです。ボイラーは25年経過していて昨年の夏には水が吹き出しました。最近では温度がなかなか上がりません。
水道管も50年越しで今夏漏水して漏水場所を探すのに困りました。
こういった諸経費は全て自腹です。
この親は知っていて知らない顔をする。世間ではネグレクトと言います。内に向いては子供を虐め、世間に向かっては「人助け」を叫び、災害救援などで良い顔だけはアピールする。
本部内に一握りでも崇高な人格者が居れば、また借金にまみれた子を思って心を痛める人間が居れば、今の様に子供が破産したり競売にかけられたりする様な事象は食い止められたでしょう。本部は長く伏魔殿と呼ばれ、善亮は金に執着し、次期後継者はピントが外れ、皆んな今さえよくば、我さえ良くばの人間ばかりです。
本部員だけ結構な給料を貰い、その上、貧乏教会に更なるお礼を出させる巡教に押しかけて来て、、。
もう調子に乗るのもいい加減にして下さい。
東風Z 様
2019年11月29日 2:37 PM
>>花壇などの世話をしていた農事部女生徒も居なくなれば、益々殺風景な景観になってしまうでしょう。
まさか、そこまでするとは思えませんが、切羽詰まってきていることだけは間違いなさそうです。
仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。<<
元々、中身が殺風景極まりないので、花壇の整備を端折るくらいのことは平気でやりかねないでしょう。少子化の現代、いずれ二部も廃校になるでしょう。教会本部にとって、天理高校や天理大学は、野球や柔道、ラグビー、ホッケー等のスポーツによる「宣伝手段」でしかないのです。
>>仮に、二部が存続されても、おあたえと言われる給与が減らされるようであれば、被害者は結局末端の人たちとなるだけです。<<
天理教の現状を鑑み、天理高校二部に進学を希望する生徒も自然に減っていくことでしょう。つまり、天理高校二部は、自然に消滅すると思います。天理高校二部に進学して、雀の涙ほどの「おあたえ」を稼ぐよりも、公立高校の二部に進学し、昼間、実社会で働き、夜間、学校で勉強したほうが、よほど部が良いからです。境内地花壇の整備や神殿等施設の清掃等は、人件費の安価な天理市シルバー人材センターに委託していくかもしれませんが、それも長くは続かないでしょう。
>>本来ならば、本部員と言われる方たちのお与えを削減若しくはセロとするべきでしょう。
一般社会では、組織に問題が発生すれば、先ず、責任者が給与の半減だとか、ボーナスを止めるとかの処分をしています。<<
民間企業の場合、業績が悪化して一番先に手をつけられ、路頭に迷うのは、一番弱い立場の労働者です。いわゆるリストラです。天理教は、上層部の温存しか考えていない団体です、よほどのことが無い限り、本部員と呼ばれる上層部の人達は、「我が手で我が首を絞める」ようなことはしないはずです。
崩壊さん
この不況時代、一円も親の負担の要らない、天理高校の2部の受験希望者は、年々、増えているんです。
定員は増えていないから、昨年だけでも、40人も不合格になっているんです。
お与えなんて、元々、洗剤代、日用品分しか無いんですよ・・
今の、2部生の父兄は、一般信者家庭が、大半の様です、学費はともかく、こずかい位は渡せます。
だから、携帯代も小遣いも親が、渡しているんでしょう、その実態は、私は、我が子から聞いています。
天理高校の2部生は、一般家庭からしても、本当にありがたい存在です。
崩壊さん、ただただ天理憎しのコメントなら、私は、あなたを支持しません。
崩壊さん
批判は、正当に正論でやらなければ、通じないと思います。
私は、我が子がお世話になっている、一般家庭の人間です、だから、天理教に感謝もしています。
基本的に外部の人間ですから、教団の圧力とか何もありません、もちろん知ってると思いますが
私自身は他宗派であり、親神様を、恐れても、守護を当てにもしていません。
天理教を選んだのも子の自由であり、卒業後も子の自由です。
今の私は、天理教団から、何も困る様な事は要求されませんし、もしされたら、我が子の卒業と共に
逃げ出すだけです。
教団本部が、内部の人間に牙を剥き、虐げているのは、問題だと思います。
それは、改善された方が良いと思いますけども、あっても無い事を、とにかく天理憎しで、思いだけで、たくさん書いても、支持はできません。
批判は正当に、事実を書いて、やるべきでしょう、そうで無いと、通りすがり氏の擁護と、
同じレベルだと、私は思いますよ。
もう一つ、言うなら、2部生は、昼間にひのきしんをしていますので
卒業後の、お礼奉公や、一列会への寄付義務がありません。
今後もそれを、無理に課す事は、できないでしょう、その時こそ、希望者がいなくなります。
今は、人気が高く、全日制の教高学園より夜間の2部方が偏差値が高いんです。
親としてはして、ありがたい限りです、
適当な話をされたら、父兄として、黙ってはいられません・・・・
天理教の現状を鑑み、天理高校二部に進学を希望する生徒も自然に減っていくことでしょう。つまり、天理高校二部は、自然に消滅すると思います。天理高校二部に進学して、雀の涙ほどの「おあたえ」を稼ぐよりも、公立高校の二部に進学し、昼間、実社会で働き、夜間、学校で勉強したほうが、よほど部が良いからです。境内地花壇の整備や神殿等施設の清掃等は、人件費の安価な天理市シルバー人材センターに委託していくかもしれませんが、それも長くは続かないでしょう。
何を持って部が良いと言うのか判らない、600人以上いる、ひのきしん者に本部は頼っているので、これを外部に求める事は、予算的に不可能に近い。
崩壊は、キリスト教の回し者か? コメント欄にやたら書くけど、本当に元天理教か疑わしい
事実をともなわない批判は、誹謗中傷に過ぎない
それでは、通りすがりと同列になってしまうだろう
本部にとって2部生がそういう大切な人材ならばいくらご恩奉じとは言え、ただ同然の安月給では人は寄って来ないでしょう。
また、待遇面とは別に 天理教本部が神の目に逆らったまま、本質的に変わろうしなければ人は必然的に去って行くと言う事は天然自然の理です。そう言う意味で、2部は今後下降線を辿るのが自然ではないかと想像します。
今現在では教会長も働きに出る人が増え、我が子の教育位は自力でと言う人達も今後は多くなって来るでしょう。最終的には本部として2部生に頼れなく事態は遠い将来来ると思います。これは長くこの世界に身を置いている者の感覚的想像ですが。
そもそも、二部の設置目的は何なんかをもう一度認識しなおすことですよね。それに沿って存廃を議論すべきでしょうね。私が二部に行かされたのは、勉強はどうでも良かった。ただ、他人のメシを食って苦労してこいの一点でしたから勉強には身が入りませんでした。
昭和30年前後の二部生の勤務先は多岐に亘りました。神具店有り、すし屋、魚や、詰所、教庁、時報社、刺しゅう部、農事部、まだほかにもあったでしょう。だから、中途退学者も多かったように思います。仕事がつらかったのでしょう。魚屋に努めている人は冬になれば手が赤く腫れていましたから。私なんか当初は月月火水木金金でしたから、時報社勤務のものが休みだと言っているのが羨ましかったことを覚えています。
何時の頃から全員が本部勤務になったのか、その経緯は知る由もありませんが、とにかく勤務先が一律になったことは、よい選択だったと思っています。
ただ、本部はあくまでも勉学が目的であるということを忘れないでほしんです。安易な働き手という認識であれば、崩壊様が仰っておられるように公立の二部を選択する方が目的達成には近いと思います。
天理教的に弱い立場の子弟だから使い勝手が良いでは、当事者の気持ちは萎えてしまいます。一にも、二にも勉強しなさいと言ってほしいですね。
二部の廃校の話は教校の話よりも以前に本部の内部事情に詳しい人(二部同窓生)から聞いていました。ただ、先生の処遇の問題は人事のことですから簡単ではないでしょう。でも、天理高校に限らず、少子の時代になれば一般の学校経営も何らかの影響を受けるでしょう。永遠なるものはないと思っておく方が気が楽です。
普通の16歳の子供が、親元を離れて、アパートを借りて仕事ををしながら、夜間高校に通うのは、大変厳しいと思います。そう言うお抱え企業の寮に入るなどしなければ大変ですし、新聞奨学生とかの選択しか無いでしょう。
天理教2部は、健康保険は親の保険ですが、病気になっても、怪我をしても、自費負担分は扶育費から出ますし、寮で面倒を見てくれます。
親は安心して、我が子を、預ける事ができますし、親から自立したい子にとっては、自立も可能です。 お与えは、生活用品を買うのに困る額ではありません。生活費を差し引いて、高校生なら妥当な金額です。
この学校経営に、お供えを投入するのは、十分親神様の想いに叶っていると思います。もちろん、勉学優先で、勉強する時間もあるし、お金に困らず、部活もしっかりと楽しめます。
仕事も覚えられるし、うちの子を見ていても、地元の同級生より、団体生活に耐え、周りを見て動く能力を鍛えられ、大人びており、この先卒業して、企業に就職しても十分生きられると、見ています。
現状としては、父兄として、ここに不満はありません、感謝しております。
希望者もいなくなる? 連投すみません。
息子の受験時より、年々、希望者が増えているのが現状です、現役父兄として、事実を書いているのに、それを無視して、2部に対して適当な評価を下すのは、放置できません。
教団の駄目なところは、改善していただきたいと思いますが、現役父兄としては、学校に対しては、ありがたいと思うから、在学中はお供えもするし、一列会に寄付もしますよ。
受験時に、詰所で一緒になった学生たちは、いやいや受験している子は、判りませんでした。 うちの子もですが自分で志願して受験している印象でしたよ。
実際、いやいやでは、続きませんよ、私の義姉は、2部を最初の夏休みで退学したそうです、団体生活が耐えられなかったそうです。 息子の学年も、5人くらい辞めたそうです。
しかし、だったら最初に40人も不合格者を出す現状に、定員を増やせば良いのにって思います。
今、旧校舎は耐震工事で補強中で、2部生は、仮では無く、新しい新校舎で、学んでいます、旧校舎と合わせたら、かなり定員を増やせるはずなので、教高学園の定員を、天理高校で増やすのか? まあ知りませんけど、そんな状況を、先日のオープンスクールで、見て、ヘェ〜って言う感想を持っています。
教団への批判は、事実なら、それは当然かと思いますけど、高校に関して、父兄が今の事実を書いているのに、それを無視して憶測で、適当に書かれると、我が子を馬鹿にされている様で、親として、見過ごす事は、できませんでした。
崩壊さんは、憶測で適当な事を言わないで頂きたいです。
父親が健在で、高校を夜学ですか。私なら稼ぎの少ない父親を恨むでしょうね。
悪意の中傷ですね、子供達をも中傷していますよね、そう言うのは信仰者にあらず、心貧しき行為だと思います。
うちの場合、私の反対を押し切って、息子が自分で志願したのです。
なぜなら、地元は田舎ですから、勉強嫌いな息子は、下の方の学校しか進めず、そのヒエラルキーは、ずっと言われます。 大人になっても、〇〇高校卒業って言うと、ああ、あそこかって、ずっと言われます。
そう言うのを嫌ったのと、田舎を離れたいのと両方でしょうね、父親からも離れられるしね。
親から離れたい年頃ですからね。
中学校の担任も反対、父親も反対したのに、母親がようぼくだったから、自分で探して、教会長に電話して話しを進めて行った、ここらからもう、自立心が強かったです。
今は上級生になり、2部暮らしを満喫してるし、卒業後は、専門学校へ進みます、その金は、2年で約500万円要りますけど、もちろん、お父さん出してくれって言うので、もちろん私が、ちゃんと用意しますよ。
その後は上京して就職したいそうなので、それも我が子の自由にさせます。
2部に進学した子達は、それぞれ事情はあれど、みんなしっかりした子たちに育っていると思います。
親を恨みながら、生活している子は、ほとんどいないでしょう、子供達は立派に育っています、中傷しないで頂きたいです。
崩壊さんのコメントは、その子達を否定してる様に感じるので、現役父兄として反論させて頂きました。
ただ父親さま、匿名さまへ
…批判は正当に、事実を書いて、やるべきでしょう、そうで無いと、通りすがり氏の擁護と、同じレベルだと、私は思いますよ…
…事実をともなわない批判は、誹謗中傷に過ぎない。それでは、通りすがりと同列になってしまうだろう…
私がいつ事実を伴わない意見を言ったのでしょう??ご提示くださいませ。私の言っている事は簡単です。次の二点がこの掲示板の上で行われたという事実です。
➀真柱発言の捏造
➁稿本天理教教祖伝の改竄
➂作り話とでっち上げ
以上、事実ですよ!
訂正 次の二点⇒次の三点
それは、それは、気に触った様で、すみません
私の興味の範囲は狭いので、じゃあ、この部分は、間違いですね? どうもすみません、謝罪致します。
私にとって、事実と言うのは、教団で起きている物事を指しており
言った言わない、発言の真偽については、見ていて、何の事やら良く判らないです。
社会学に書かれている事は、事実に基づく事が多いので、その揚げ足取りの様なコメントがあると、それはあまり関係ないんじゃないの? と言う印象を持ちます。
教団が行なってる行為、その当事者の告発に、意味があると思います。
崩壊さんの、天理高校の、2部生の実際について、事実を調べてもいないだろうに、私のコメントを無視して、一方的に評価されたのは、現役父兄として、ちょっと待って下さいよ!と言う言う気持ちで、書かせていただきました。
それは・・
通りすがり氏を引き合いに出したのは、教団が末端を虐げている事実、金金になっている、教祖の教えを曲げているであろう、事実を告発されてる当事者の存在を軽視して、あるいは無視されて、邪界学と一括して括って書かれておられる事に、形が似ていると思いましたので、引き合いに出させて頂きましたが・・違うんですね? それは、どうも、すみません。
ただ父 様
従弟も二部に入学しました。北寮の生活に馴染めず、物がなくなるなどのストレスで2か月で退学しました。
良くなったと言われる所以は、色々なプロセスを経て今のような環境が作られたからかもしれません。
でも、信仰とは一面を見ただけでは納得できません。この組織の末端に居た者の悲哀を経験した者にしか苦しみは分かりません。
ただ父様と、崩壊様はじめ天理教に幻滅を感じられた方々及び私とでは立場が余りにも違い過ぎていると思っています。経験しなければ分からない闇の世界があったのです。
その上で、この場で論じられていると思うのです。私は現行天理教は無くなればいいと思っているのです。
でも、信仰をされている方々は、そのようなことは微塵も思っておられないのですから、議論はかみ合いませんね。それでいいんじゃないでしょうか。
東風Zさま
寝ぼけた発言は控えた方がいいと思います。
明治16年当時、雨ごい勤めに使用したとされる甘露台の模型とはどんなものか教えて下さい。
以下の低レベルな妄言こそ、「捏造改竄でっちあげ」の紛れもない事実……..(笑)
いつ教祖が
「「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です」
と言ったのか教えて下さい。(笑)
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
東風Zさん、おっしゃりたい事は、よく判ります。
事実を否定はしません、教団の持つ、闇も、理解は出来ます。
私は、それを否定しているのではありません。
今の2部の父兄として、実態と違う事を書かれて、子供達が誤解されるのが、いやなのです。
崩壊さんは、教団憎しで、2部など行く人は無くなるって、今、2部に行ってる子達を否定した様にも受け取れるのです。
私の説明を一切無視されて、話しを進めました。
それについては、私個人としては、謝罪を求めたいですけど、それはまあ良いです。
だから、事実に基づけば、ある程度一致できますが、人のコメントを丸ごと無視されては、誰が見ても、ちょっと、頂けないかと思います。
あまり正確に内容を書くと、まだ我が子が在学中なので、身バレするから、大雑把にしか書いてはいませんけどね。
崩壊さんのコメント態度は、頂けません。
>>崩壊さんは、教団憎しで、2部など行く人は無くなるって、今、2部に行ってる子達を否定した様にも受け取れるのです。<<
私の投稿が誤解を与えてしまったようですね。大変、申し訳ありませんでした。2部で勉学しておられる生徒さん達を否定しているのでは決してありません。過去から現在に至る天理教団の趨勢を客観的に見て、私なりの将来の予測に基づいて、天理教被害者がこれ以上、増えてはいけないとの思いで投稿をさせていただいています。あくまでも、私個人の予測ですので、天理教が現在の状態から好転していく可能性が0パーセントであると断言できませんが、私には到底そのように思えません。(あくまでの私個人の感想です。)とにかく、2部で一生懸命学んでおられる生徒さん達を否定するような印象を与えたことについて、深くお詫び申し上げます。
また、私は、はからずも、天理教の末端分教会に生をうけ、幼少期から天理教の不条理を見て育ちましたが、幸いにも、青年期にキリスト教と出会い、洗礼を受けることができました。私は現在、プロテスタント系のクリスチャンですが、先日から来日訪問されていたローマ教皇のスピーチには深く感動し、共感を得ました。キリスト教も大きくカトリックとプロテスタントに分裂し、同じ宗教の中で血みどろの戦争やテロを起こしてきた歴史があります。宗教は人間の信仰の仕方や政治利用、解釈次第でいかようにでもなるが故に、反面、大変、恐ろしいものです。「両刃の刃」と言ってもよいでしょう、天理教も、これ以上、本来の教えから逸脱していかないことを祈ります。
…分かり易く、俗なる表現で申し上げます…
…信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば…
文章は良く読んだ方がいいです! 読解力のレベルの話じゃないでしょう。
むろん教祖の言ではありえない。
付け加えれば、rentとlendの違いについても私は言及したと思うよ。
万事こんな訳だから、ここは邪怪学研究所なんだねーー
さて、雨ごい勤めに使用したとされる甘露台の模型について真剣に答えて欲しい。
デタラメを一度言うと取り返しがつかない事になる。
崩壊さま
何を言っても無駄です。言い訳すればするほど、みじめになるだけです。あなたが2部で勉学しておられる生徒さん達を否定した事は誰の目にも明らかなのですから。
通りすがり ちゃん
2019年11月30日 8:22 PM
>>何を言っても無駄です。言い訳すればするほど、みじめになるだけです。あなたが2部で勉学しておられる生徒さん達を否定した事は誰の目にも明らかなのですから。<<
あなたが、どのように解釈されようがあなたのご自由です。どうぞ御勝手に(笑)
崩壊さま
>>あなたが、どのように解釈されようがあなたのご自由です。どうぞ御勝手に(笑)
何を言っても無駄です。
通りすがり ちゃん
2019年11月30日 8:54 PM
>>何を言っても無駄です。<<
それでは、もう何も申しません。さようなら。
崩壊さま
もはや、あなたは何を言っても無駄なのです。
言い訳は自分の首を絞めるだけです。
なぜなら
憶測で適当な事を言う人物である事が明らかとなり
人のコメントを丸ごと無視する人物である事も明らかとなり
何よりも、二部で勉学しておられる生徒さん達を否定してしまったからです。
先日、本当に久しぶりに天理に参拝しました。
数年ぶり?1、2年ぶり?
南礼拝場でお勤めをせず柏手だけを打ち参拝終了。
それから教祖殿、祖霊殿と回りました。
正直甘露台を前に拝をしましたが自分が一体何に対して拝をしているのかわかりませんでした。
とてもその場に神が鎮まっているとは思えない。
信じられない。
思い込まないといけないのか?
なので自教会にも神が鎮まっているとは到底思えない。
と言うことで虚ろな気持ちで神殿を後にしました。
せっかく来たので他の所も回っておこうと思い。
三島神社跡を眺めながらそこに神社があった形跡は全く無く完全に消し去られ、忘れ去られ、亡き者にされたことを思い何とも言えない気分になりました。
教祖は存命だと教団は言いますがもし姿があれば一体教祖は何と言われるだろう?
まず間違いなく怒りを通り越し呆れ果てられるだろうことは想像できるように感じます。
そのあと東側のおやさと館の方に行き閑古鳥の無く館内を歩きました。
そうしてまた思ったことは教祖はこんな館を林立させることを望まれたのだろうか?と想像してみましたがこれも違うのではないかと、そんな形などどうでも良い、もっと大事なことがあるだろう・・・と言われると思わざるを得ませんでした。
正直そうやって回っているうちに気分が悪くなって来て早々に天理を後にしましたが自宅に戻って来てからも気分が悪く調子を崩してしまいました。
とても身も心も洗われるような場所ではないと痛感しました。
特命 様
2019年11月30日 10:22 PM
>>教祖はこんな館を林立させることを望まれたのだろうか?と想像してみましたがこれも違うのではないかと、そんな形などどうでも良い、もっと大事なことがあるだろう・・・と言われると思わざるを得ませんでした。正直そうやって回っているうちに気分が悪くなって来て早々に天理を後にしましたが自宅に戻って来てからも気分が悪く調子を崩してしまいました。
とても身も心も洗われるような場所ではないと痛感しました。<<
特命様と同じような思いをお持ちの方は、きっとたくさんおられることでしょう。
通りすがりさんの崩壊さんへの攻撃はあまりにもしつこすぎませんか?ただ父親さんと崩壊さんとの対話に勝手に割り込んで、あなた関係ないじゃないですか。ただ父親さんは崩壊さんに「私個人としては、謝罪を求めたいですけど、それはまあ良いです。」と仰ってます。また崩壊さんは、「私の投稿が誤解を与えてしまったようですね。大変、申し訳ありませんでした。2部で勉学しておられる生徒さん達を否定しているのでは決してありません。」と誠実に謝って釈明もしておられるではないですか?教祖は「むごいこころをうちわすれやさしきこころになりてこい」と教えられたのではありませんか?それなのに執拗に攻撃を辞めない。あなた(通りすがり)はこれまでの投稿での数々の暴言悪態を諫められても決して謝罪なんかしない。
通りすがりさんのような変態的で気持ちの悪い人格破綻者になるのなら、天理教信者になりたいなんて世間の未信者の方たちは絶対に思わないと思います。通りすがりさんの投稿は現行天理教団の崩壊を進める上では皮肉にもアシストしてますけどね。あなたこそ何を言っても教団擁護においてはもうすべて無駄です。
それと、「真柱発言の捏造」なんてこの掲示板では行われておりません。れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論しただけではありませんか。通りすがりさんが捏造だと勝手に決めつけて因縁をつけ、単にあなたが勝手に大騒ぎして滑稽で惨めなザマを晒しているだけです。
× 真柱発言の捏造
〇 通りすがりが捏造だと騒いでいるだけ
通りすがりさん、これまでの投稿からあなたこそ何を言ってももうすべて無駄であり気持ちの悪い変態異端者です。
崩壊さん、いつも勉強させていただいております。ありがとうございます。
これからもかわいそうな変態異端者など相手にせず、博識かつ素晴らしい投稿よろしくお願いいたします。
特命さんのおっしゃること、すべて同意いたします。リアルなレポートありがとうございます。神は世界全人類一人一人の胸の内にいるのであり、森羅万象が神なのだと思います。
決してあの奈良の田舎の一地点にのみに鎮まっているのではないと思います。
匿名さま
あなたも何を言っても無駄です。なぜなら、甘露台の模型については何のコメントも無いからです。
崩壊さま
信用を無くした後のつまらん戯言はおやめになった方がいいです。
おはようございます
崩壊さんからキチンと一言頂けたので、私は、それで構いません。
今の2部生に、いやいや行かされてる生徒は、ほぼいないと思いますよ、定員100人に対して応募者140人、受かりたくても40人程不合格になります。
自宅から公立高校に行かせる事すらできない父兄も、学費無償化の今、少ないでしょう、親にほとんど、負担をかけずに、生活できて部活も楽しめますから、2部でも良いから、天理高校に行きたいと言う子は、全国区ならそのくらい、いる訳です。
4年間の全寮制夜間高校をやり遂げた事は、子供達の自信になると思います。 そのあとまで、天理教に縛られる訳ではありませんので、そこから羽ばたいていく事ができます、だから2部の存在は、一般信者父兄から見ても、ありがたいと思います。
分が悪いとか、希望者がいなくなるとか、そんな事は、現状ではありません。
もう一つ、2部生は全部で400人、他に、教高学園は全日制ですが、教会子弟はその扶育費を卒業後3年間、同じくおぢばで勤労奉仕する事で返納する見たいですが、その数百人も、2部生と同じく、おぢばを支えている勤務者なので、息子に聞いたら、そこがいなくなったら、作業する人が全然足らないよって、言う話だったので、単純に閉鎖では、おぢばの労働力が足らなくなるから、教高学園の枠を天理高校で増やす予定はないのだろうか? 寮はあるし、天理高校の校舎も増築していますので・・って言う、単純な質問です。
天理教でも、キリスト教でも・・私でも
敬虔な信仰者なら、間違っている、あるいは意図せず不愉快にさせてしまったと、悟ったら、そこは、それはすみませんでした、以後気をつけますって、言えば良いですし、言われた方も、それを快く受け入れて、次に行けば良いと思います。
遺恨を残さず、心サッパリと生きる為に、信仰って言うのは、あると思いますよね。
今回、崩壊さんが信仰者として、どう出られるか? と思っておりました。 私のコメントに、他の方から、私が言われた時も、その件に関しては謝罪訂正しましたが、あえて嫌味を含ませたのは、相手の、ここでの態度がとても信仰者だと思えないからです。
昔書いたけど、信仰するのは、自分の為、自分の性格、人格を高めて行くのが第一だと思いますので、コメントを読んで、この方は性格が悪い? と言う印象を与える様な、そう言う表現は、改められた方がよろしいかと思いますよね。
崩壊さんも事実に基づく批判は当然としても、過剰な盛り批判は、返って信頼を減らす様に感じます、御一考下さい。
おぢばを一周して、私が感じたのは、観光参拝者が多い時でしたから、巨大教団なら、普通の印象ですね。 みんなのいろんな想いと声が空中に溢れていて、ああ、にぎわしいなって言う気持ちです。
個人的な見解ですが、親神様とおぢばは通じている、聞いておられる、教祖殿でも、聞いておられる、祖霊殿・・よくわからない・・ただ、今の天理教は、親神様教祖様に祈りを聞いてもらう事はあっても、逆の方法は無いので、残された教えを元に自分で考え、守護を感謝するしか無いのかな?って思います。
神と双方向の交流ができたら、さらに良いのにって思います。
出せる範囲でお供えを出し、できるだけ参拝をして、残された教えを元に、自分を磨いている分には、天理教に参加していても、特段何も困らないでしょうね。
うちの子も、卒業後は、困らない程度の付き合いにとどめると言っていますからね。
余計なコメント、失礼しました、ありがとうございました。
「真柱発言の捏造」なんてこの掲示板では行われておりません。れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論しただけではありませんか。通りすがりさんが捏造だと勝手に決めつけて因縁をつけ、単にあなたが勝手に大騒ぎして滑稽で惨めなザマを晒しているだけです
真柱発言の捏造について詳しく説明いたしましょう。そもそも「れんだいこさんのHPの記事の真偽を議論した」のではありません。東風Zさまと匿名さまが、「真柱が全国の教会でかぐらづとめをやれ」と言っているのにやらないのはオカシイだろう」と私に暴言を吐いたのです。要するに東風Zさまと匿名さまは自分の意見として言っています。私に捏造だと指摘されてから、れんだいこのHPにあったもので俺は知らんよ!と言って、れんだいこ氏に責任を押し付けたのです。他人のHPから断りもなくかってに引用して、都合が悪くなると自分の意見ではないと主張するのはまともな人間じゃないでしょう。たとえそれが他人のHPから引用したものであっても、自分の意見として言ったのだったら最後まで責任を持つべきじゃないですか。要するに、東風Zさまと匿名さまは真柱発言を捏造したのと同罪、つまり捏造した事になりませんか。れんだいこ氏は昔から真面目な天理教の研究家ですから、迷惑をかけていると思いますよ。
つづく
ただ父親 様
2019年12月1日 8:00 AM
>>崩壊さんも事実に基づく批判は当然としても、過剰な盛り批判は、返って信頼を減らす様に感じます、御一考下さい。<<
ご指摘ありがとうございます。これから気をつけたいと思います。
崩壊さん、おはようございます。
余談ですが、2部に来ている教会子弟でも、教会に戻り、教会長、布教者を目指すと公言する子は、ほんの数人だと言っていました。 あとは、卒業後に、一般企業に就職を目指しているらしいです。
考えてみたら、2部は、そのまま高卒で就職できますが、3年の勤務者を経ると、履歴書に、天理教教団勤務と書かなくては、なりませんし、経営者が天理教の企業なら良いですが、一般的には、受けが悪いかも?
まあ、今は、若者の人手は不足していますから、杞憂ですかね。
車の免許、できれば準中型を取得していたら、寮付きの配送業など、すぐ就職可能かと想像できます。
天理教子弟の自立の為にも、お礼奉公の無い、天理高校2部は良い存在だと思います、ただ、在学中の生徒のお与えからの貯金では免許取得費用は賄え無いと思います、身の周りの物を買ったら残りませんからね。
そこだけどうにかなったら、十分、ありがたい存在ですよ、天理高校2部は無くなら無い方がいいです・・
ただの親父様
> 自宅から公立高校に行かせる事すらできない父兄も、学費無償化の今、少ないでしょう、親にほとんど、負担をかけずに、生活できて部活も楽しめますから、2部でも良いから、天理高校に行きたいと言う子は、全国区ならそのくらい、いる訳です。
4年間の全寮制夜間高校をやり遂げた事は、子供達の自信になると思います。 そのあとまで、天理教に縛られる訳ではありませんので、そこから羽ばたいていく事ができます、だから2部の存在は、一般信者父兄から見ても、ありがたいと思います。
まったく同感です。
しかし子供を二部に行かせた親としては、子供たちはたくましく育ってくれてはいますが、経済的にそれ以外の選択肢がない情況に追い込んだ教団は許し難いですね。
どこかで子供たちに申し訳なかったと思う一面を、最近感じます。
天理教から離れて7年が経過します。これほど気楽に生活できるのかと日々を満喫しています。掛かりつけ医からは、今の状態ならば長生き出来ますよと言っていただいていますが、自分では、あと、数年の命だと思っているんです。それで十分です。残された時間をより楽しく暮らせることを期待しながら生きていこうと思っています。
16年ぶりにできた4人目の孫娘も2歳になり息子家族共々に充実した日々です。
でも、教会関係者は遠回しにこういうのです。何時までも続くと思うな。これが天理教の本性を現していますね。
よかったの一言が何故言えないのでしょうか。悲しいかな、教会を離れた者への当てつけの言葉としか受け取れません。
個人的な投稿で失礼しました。
特命様。
同感です。私も本部神殿を回ってみても侘しさが募るばかり。心癒される感覚が無い。三島神社があった場所の真っ平らな広場を見る時、見てはいけない物を見てしまった時の様な、嘆きの様な、うなだれてしまう様な、そんな気持ちになります。本部はやってはいけない事をやってしまった。もう取り返しがつきません。
人間思案の行き着く先がこの閑古鳥の鳴く本部に導いたと思っています。ですから地方の教会が現在どう言う状況に置かれているかは推して知るべしです。
うちも今では 人一人来ない教会です。朝晩神殿に佇み、ほんとに此処に神が宿っているのかと思います。空っぽでは無いかと思うこの頃です。
最近、天理教宗教施設で軟禁状態に置かれ、掃除草むしり等を会長夫人の監視状態の中でやらされ、身も心も深く傷ついた人が胸のつかえを吐き出しに来られています。せめて人一人の癒しの場所になればと教会の存在意義をその様に考えていますが、、、。お供え金額や数字や体裁を追う現体制は人間不在で、はっきり言って衰退の元凶だと確信しています。
☆☆☆ 匿名様(2019年12月1日 10:17 AM)☆☆☆
上記の匿名様はもしかすると
匿名
2019年12月1日 1:20 AM 様かと勝手ながら想像しました。
なにせ、私の貧しい筆力では表せないことをズバリ書ききって下さった投稿でしたから、
感謝したほどです。崩壊様に関する気配りにも賛同しました。
今年も12月を迎え、この一年は天理教崩壊の過程が今まで以上に信者の目に耳に露わになった年となりましたね。
本部がこの社会学板を読んでいると噂に聞いていますから、ここは天理教にとって貴重な場であると認識しています。
この場を提供してくださっている方がどのような方かは知る由もありませんが、感謝と共に、今後もご厚意を期待します。
大教会が2回目の競売で落とされたそうです。写真で見る大教会内の様々な部屋や施設。
これまでの信者さん方のお供えが形になったものが教会ですね。
内部の事情通の方々の口からは、経緯を公表することも困難なことと推察します。
しかし、福岡教区の皆様の中にはきっと、いつの日か事情を公表し、今後に向けた提言を出したいと考える方がいるかもしれませんね。
Twitterのような細切れな情報ではなく、例えばこの場にでも公表して頂ければ、今後の教会関係者の道標ともなることでしょう。
以前の投稿の繰り返しになり恐縮ですが、来年の東京教区の記念祭をはじめ、各大教会の創立記念への真柱一家の集金旅行は何としても改革するべきです。
こんな簡単なことすら実行できないようでは天理教本部及び中山一家には「良心のカケラ」さえ無いことがばれるでしょう。
人が運ぶお金で生きてきた方々には、世間の皆さん(私もその一員)がこの暮に来て、クリスマスやら、お節料理やら、やたら出費が増えることに対応できず、心を痛めている状況ってご存知ないのでしょう。
私は売れる物は既に昨年売り払い、年を何とか越しました。今年は苦戦しています。あてにしていた物はお宝やで買い取ってもらえず、先日はブックオフに本を運んで、それでも120円入手できました。
120円でも野菜一つは買えません。しかし100円ローソンに行けば税込みで買える物がいろいろありますから、ありがたく120円を持ち帰りました。
問題は12月の月次祭のお供えでした。一年の終わりの月次祭をはずす(欠席の意味)ことも考えました。それも「アリ」だとも思っています。
ところで!!!そんな私ですがこの度、雑誌のパズルにあたりました!
現金が入手できます!(まだ送られてはいないのですが。)
僅かな金額ですが、雑誌購入にかかる経費を差し引いても黒字です。
あとはUCCインスタントコーヒーのラベルを貯めて応募したスイーツプレゼントが、息子や孫に当たれば、クリスマスプレゼントに代わるモノとなるでしょう。
私の技術を生かして作った手作りの物などは、喜んでもらえない淋しい世の中です。流行の「スイーツ」、これならば喜んでもらえるでしょう。
今年も体にいろいろ問題を抱えながらも医療費削減に協力することを目的に自己治癒能力に期待して過ごすことができました。
18歳から始めた献血は、今年を最後とするつもりです。70歳の誕生日の前までは献血可能なのですが(継続者にかぎっての条件です)、今年の献血で怖いことがあり、もう、限界かもしれないと悟りました。
皆様、どうぞ来年もこの場をお借りして、皆さんで学びあいましょう。
古参の投稿者の皆様方、経験豊かな皆様方からのご意見を拝読することで、私もそれなりに信仰生活を生きる方法を学ばせて頂いています。
ありがたいことだと感謝しています。
ただ父親 様
2019年12月1日 9:29 AM
>>余談ですが、2部に来ている教会子弟でも、教会に戻り、教会長、布教者を目指すと公言する子は、ほんの数人だと言っていました。 あとは、卒業後に、一般企業に就職を目指しているらしいです。<<
おはようございます。きっとそうでしょうね。現在の天理教の状態を考えた時、天理教と関わりをもつことを希望する若者は稀少だと思います。
>>3年の勤務者を経ると、履歴書に、天理教教団勤務と書かなくては、なりませんし、経営者が天理教の企業なら良いですが、一般的には、受けが悪いかも? <<
コンビニの高校生アルバイトや、その他事業所での高校生アルバイト、あるいは新聞奨学生でも履歴書に〇〇事業所勤務と記載する必要はないはずです。天高二部の卒業生だけ天理教教団勤務と書かなくてはならないのは不思議ですね。一旦、社会にでれば、後は、本人の努力次第、実力次第でいかようにでもなるはずです。「受けが悪い」とのご心配は無用かと思います。
>>在学中の生徒のお与えからの貯金では免許取得費用は賄え無いと思います、身の周りの物を買ったら残りませんからね。<<
生徒を社会に送り出す以上、せめて就職必需品ともいえる運転免許取得費用ぐらいは「お与え」に算入するべきだと思います。学校側の配慮が必要だと思います。
東風Z 様
2019年12月1日 9:58 AM
>>教会関係者は遠回しにこういうのです。何時までも続くと思うな。これが天理教の本性を現していますね。よかったの一言が何故言えないのでしょうか。悲しいかな、教会を離れた者への当てつけの言葉としか受け取れません。<<
本当に「天理教の本性」そのものですね。真の宗教者であれば、人の幸福を祝福するものです。
「命のレンタル料」。
地球上の70億人。我々70億人の中の一人一人ですが生命が始まって以来長い歴史を刻んでいますが神様に料金を払って進化を続け今まで生きてきたのではありません。神は一人一人の身体に入り込み、またあらゆる生命体の中に入り込み、守護し続けておられます。
たまたま人間として生まれた我々高度な生命体は、その感謝の思いを周囲の人々にわたして行く事こそが報恩感謝の行為です。神にレンタル料とは神の冒涜です。
神様は天然自然の理であり神と人間の関係性において料金が発生する事は有り得ないです。神は無条件にして全てを包み込み守護し続けます。
教団が言う「無い中を出すのが尊い」とはその通りです。
神の真意は我さえ良くばの欲を捨て、きょうだい達に使えと言う事であり、助け合う隣人愛こそが親神の望みですからその体現に為に無い中から人の為に金を出すのが尊いのです。
我々が出したお供え金が教団一部の欲深い人間の所へ流れている事実を知らされず、無理して無い中出すお金は尊い物でも何でもなく、ドブに捨てる様なものです。
はっきり言えば、あなたも私も教団に「騙された」と言う事です。
ここでも証言され暴露されていますが、真柱一家、後継者一家諸々の権力者が全国の教会からどれだけの莫大な札束を持ち帰っているかということです。我々が無い中神を思って出したお金ですよ。
彼らは徳が高い訳でもなんでも無く、徳は使い果たして擦り切れ、ただ中山家に生まれたと言うだけの権力者であり、残念な事に欲が深く、信者より自分の方が大切な人達で、信者には極貧を要請するが自分達は貧に落ちきっていない。そう言う事実が厳然と横たわっているわけです。
命のレンタル料と言う発想は神を利用した強欲な詐欺的発想です。)
人間同士の助け合いが見たいと思った親神が人間を創られた。その最初の御心に思いを致しましょう。決してレンタル料を出させようと言う差し引き勘定的発想はあり得ませんから。
本部の虚言に騙されない様に気をつけましょう。
命のレンタル料ということは、レンタル料を支払わないと人間は生きていかれないということですね。それでは、天理教に「お供え」しない他宗教の信者さん達は、全て命が繋がれずに死に絶えるということですね。本当にナンセンス、馬鹿馬鹿しいとしか表現のしようがありません。さすれば、天理教に全くお供えをしていない私や妻は、近々、天に召されるのでしょうか? そろそろ身辺整理をしたほうがよろしいのでしょうか?
そういう馬鹿なことを平気で言ってのける表さんは、一度、精神科の専門医を受診され、精密な検査を受けられる必要があると思います。お金持ちの表さんこそ、たくさん「お供え」になり、幾久しく命を繋いでもらってください。
古い元教会長さん・・
「しかし子供を二部に行かせた親としては、子供たちはたくましく育ってくれてはいますが、経済的にそれ以外の選択肢がない情況に追い込んだ教団は許し難いですね。
どこかで子供たちに申し訳なかったと思う一面を、最近感じます。」
経済的にそれ以外の選択肢が無いって、どう言う事でしょう?
教会子弟は、卒業後も天理教に関わる契約をして、全日制の多額の扶育を受けられるので、教高学園に行きますが、一般信者家庭は、そんな、条件は聞いて無いので、普通に、全日制の天理高校に進むと、自費負担が大きいと言われました、ただし、天理教に縛られる事はありませんけど・・だから2部を選択してるのは、一般信者家庭が多く、1部に行かないのは、成績が足りない・・全日制の学費、寮費を負担するお金がない (私は寮費まで出す余裕は無かったのと、息子の成績が足りなかった) と言うだけで、地元の公立高校に進め無い訳では無いと思いますけども。
いろんな理由で、地元の公立高校を蹴って、天理高校2部を、選んだと思いますけども、お金が理由の子は、今現在かなり少数派だと思います。
みんな、内緒で携帯持っていますし、親から小遣い送ってもらってるみたいですし・・直線的に、教団許し難しって言う具体例が判りませんわ・・
まあ、免許証に関しては・・おぢばの正規勤務者になれば、お与えも増えて、取得できるとは聞きましたけどね・・
上記の匿名様
心に響く投稿、読ませていただきました。心豊かに過ごされているご様子が伝わって、私の反省の一助にさせて頂きました。私の経験から申しますと、宗教は大人になってからでも遅くないという思いです。
教団自身が大人になっていただきたいです。でも、もう遅いかもしれませんね。天理教の関りの全てが悪かったとは思いませんが、子供に説く教えではないと思っています。
ただ父親様
>経済的にそれ以外の選択肢が無いって、どう言う事でしょう?
分かってもらえないと思いますが、その頃の教会の貧困は常識を超えていました。
お金を持つこと、貯めることは悪でした。
神を信じ、上級を信じて全てを捧げ、無理に無理を重ねて「おつくし」をしていたのです。
子供に必要な者は、お下がりを貰いまわり、何一つ買ってやる事はできませんでした。
高校進学についても、費用のかからない二部以外は考えられませんでした。
その子から毎月、お供えを貰っていました。
今の天理教の常識とは、また違う常識がありました。
疑問も質問もあると思いますが、そんな特別な世界観が天理教の常識だったのです。
おそらく、理解出来ない世界だと思います。
東風Z 様
2019年12月1日 7:15 PM
>>私の経験から申しますと、宗教は大人になってからでも遅くないという思いです。
教団自身が大人になっていただきたいです。でも、もう遅いかもしれませんね。天理教の関りの全てが悪かったとは思いませんが、子供に説く教えではないと思っています。<<
その通りだと思います。宗教はある程度、社会経験を積み、一般社会の価値観やルール、常識を少しでも知った年齢になってから始めたほうが良いと思います。「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが、社会経験の乏しい、善悪の判断が正常にできない若者が宗教に交われば、そのまま「朱の色」に染まってしまいまう可能性があります。「朱の色」のようにきれいな色に染まれば良いですが、「汚い色」に染まる場合もあります。天理教には少年会や鼓笛隊という幼少期から加入できる組織がありますが、幼少期から「汚い色」を刷り込まれ、洗脳されれば、脱色するのがとても困難になってしまいます。「三つ子の魂百まで」という諺がありますが、その通りだと思います。
色々な方々のご意見勉強になります。私は、以前より教団がもっと、直属が、大教会が、その直属がもっと所属する教会の状況をみて、親身になり我がことと思い、つとめてくれていたらと残念でなりません。が、一つ言いたいことは、そういった中でも、御供えをしないのも自由、おさづけを取り次ぐのも自由、上級に参拝するのも自由。何かを恐れているのでしょうか? 私は私用で、ご相談申し上げたら、全てのご用を強制自体しろといわれ、「なんだそれ」! 。 親身になって下さる先輩会長さん、信用をおける道の仲間にだけ事の由をお伝えしたら、「直訴してやる」とか「これも、なにかのチャンス」と、本当に私の道の仲間はありがたい存在です。 それと、天理教というものをひとくくりにするのではなく、教会本部のやりかた、又は、ひどい教会とかにして頂きたい。こんな私でも現在も、共におやさまの教えを根を掘りながら、組織に屈しない弱小分教会もあることを、記しておきたいと存じます。
まだ使える雑巾様
そうですね。真面目に親身になって悩んでくれる、組織に屈しない教会があるだろう事は想像しています。皆本部のやり方に疑問を持ちつつ、しかし教会として人のお役に立とうと誠実に人間らしく生きている方々です。
誠実な人ほどもがいています。どうあるべきか苦しんでいる。誠実であろうとすればするほど悩みの深みに入って行くのです。
誠実な人は立ち止まって悩み、開き直った人ほど自分が濁流に流されている事に気がつかないんです。何事にも思慮深く物事に対峙したいと思います。
一握の正義が苦しみながらもこの世界にまだまだ残っているのも現実です。
東風Zさま
※※※
れんだいこ様
とても残念な事ですが、あなたのHPに掲載されている「真柱発言」は、あなたが捏造したという事になっています。あなたに断りもなくかってに利用し、捏造を指摘されると「おれは知らねえよ、れんだいこに聞け」と言って、すべての責任をあなたに押し付けています。あなたのHPが良識あるHPである事は昔から存じあげています。たぶん八島グループにダマされて掲載したものだと思います。ここの掲示板は思想統制がされていて、正統な発言も、「桜を見る会」の不正を与党が全員で隠蔽を画策しているように、隠蔽されてしまいます。常に正統な発言を繰り返している「通りすがり」さんも排除されました。私が「通りすがり」さんに代わって、この掲示板の不正を指摘させて頂きたいと思います。
※※※
東風Zさま、あなたはとても立派な記事を投稿されているようですが、真柱発言の捏造をれんだこ様に押し付けたという卑劣な行為をどのように思っておられるのでしょう。良識ある人間のする事ではありませんよ。
東風Zさま
人間は一度過ちをおかしていまうと取り返しがつきません。
他人に濡れ衣を着せてしまいました。どんな言い訳がありますか?
お答えください。
思想統制されているなら、ただ父親など、出入り禁止になりますよね。
HNで書いてから、連続で匿名で書いても、別のHNで書いても、暴言で無ければ、管理人さんは、放置してくれます。1人何役でも可能です、管理人からは、判りますけどね。
真柱発言に触れてない人が多数です、それに関知しない人は、その話題に興味は無いですよね。
本部の行動、偉い人の言動、それらの、事実、実態を聞くことが出来ることに価値はあります。
もちろん、ウソ、だと思える内容、本当の嘘は、ダメですけどね。
事実、経験に基づく、内部告発を、知りたい人が大半であって、通りすがり氏みたいに、邪会学などと揶揄する、アカウントには、、多くの読み手は興味が無いんだと思います、だから返事も相手にもしない訳です。
私も、通りすがり氏には、興味が無いんですよ。
真柱発言の捏造とか、でないとか、どうでもいいんだですが?そもそも教祖、本席亡き後の天理教自体が捏造なんですから
「常に正統な発言を繰り返している「通りすがり」さんも排除されました。」
(自分)で自分を正統ってか? 自分以外は、ここではスルーだからな?
つまり、正統な、天理教徒は、上から目線で、人を小馬鹿に、揶揄するって訳だ、自分への揚げ足取り、「命のレンタル等」 には答えないけど、人の揚げ足は、ずっと取り続ける、ねちっこい性格も、正統なる ようぼく、の姿なんだな?
やめてくれよ、親神様も教祖様も呆れてるよ、客観的に見て、あなたさ、性格が未熟にしか見えないよ? ネトウヨと同レベルだよ、悪いけど、今後も無視しても勘弁ね!
東風Zさま
れんだいこ氏のHPを利用するだけ利用して、都合が悪くなると、れんだいこ氏に責任を押し付ける。同じ人間として恥ずかしくないんですか!
管理人さま
通りすがり氏を排除した理由をきちんと示すべきです。根拠もなく排除しては、思想統制された掲示板だと言う事を認めた事になりませんか。
普通の親父さま
たわごとはおやめなさい!
ヒステリーかい? (笑)
たわごと? 興味ないな、ここを炎上させて、攻撃してるのは、あんただよ。
興味が無いから、大半の人が無視してるんだよ、命のレンタルとかやめてくれよ。
思想統制って言うのは、異論を書かせないって事だが、あんた書いてるじゃ無いか?
あんたこそ、ここを閉鎖に追い込みたいんだろう? それを思想統制って言うんだよ。
自分で、掲示板でも作りなよ、どっかへ行ってくれよ?
あんたを仲間外れにするのは、嫌な奴だからだよ、バイバイ〜
匿名各位様。
東風z様は情報元を開示しただけで、詳しくはそちらにお尋ね下さい、と仰ったまでだったと思います。ソース元の人間が捏造したなどと言う悪意のある事は仰ってなかったと思いますが。
正当な発言をしている方々への言いがかりの様に思えます。陰険ですっきりしません。
私が経験した天理教の上級の方々もこんな感じでした。道理をねじ曲げて無理を通しておられました。まともに話のテーブルにつける方々ではなかったので、どうぞどうぞで道を開けてお通しさせていただきました。
天理教の現実を直視し、衰退の原因がどこにあるかを冷静に分析し、改めるは改めて考える方向に向かわないと結局は自分達の首を絞める事になるのではないかと思っています。
あるツイッターより
>>たまえ奥さまは、母が身上での困りごとを相談すると、すぐに解決して下さり、遠慮なく参拝する事が出来ましたが、大亮様は、お願いしても、何もして下さいませんでしたね。
不足してはいけない事は、解っていますが、対処する…とのお言葉を信じていただけに悲しいです。<<
もう 期待しない方が良いのですね。彼は苦労を知らず経験も浅く身が詰まっていないのにただ持ち上げられてハシゴを外されているお方です。する事為すこと本筋から外れた事しか考えられなくて、ましてや人の心に寄り添う度量も無いのでしょう。
ツイッターで愚痴をこぼさざるを得ない方がいる。彼は神を語る次期真柱として、人の苦しみに寄り添える事が出来るのか?それとも口先だけでその場を濁すだけの人なのか?
ラストエンペラーならぬ
ラスト真柱
そうならないように頑張ってもらいたいけど、難しそうですね。
教祖150年祭が最期の年祭でした。おしまい。
みたいな将来が頭に浮かんで来ます。
まあ、自分の身は自分で守り、さらに神の守護があっての人生だと思います。なんでもかんでも神頼み、人任せでは危うい。
明日も頑張ろう
阿呆になりなされや〜。
アホになったらみんなまぁるく治るんや〜。
そやからみんな阿呆にならにゃあかんのやあ〜。
そう言われたといい、10年たって意味が分かってきたとおっしゃってました。
難病の診断を受けながら、症状もほぼ出ずに毎日健康に廻廊拭きをなさって、毎日12下りを踊って、足腰も肩も痛くないとおっしゃる方がおられました。
その方の御子息はがんが消えたとおっしゃってました。
誰のためでもない。自分のためにやって、結果は自分のためになると思います。
阿呆になりなされや 今ではこういうことを言ってくれるのは高齢の方々だけです。
こも言葉の意味は深いと思います。
阿呆になって、それから随分先になって、あるいは世代を超えて結果を出すのだと、一ようぼくは思います。
信仰というのは、神を中心に自分と向き合う事でもあると思います。 自分の問題なんです。 人には寛容さを持ち、人の尊厳を守り、人に優しくあると言う、内面を作るのが、信仰と言うものではないかと、私個人は考えています。
思想統制とか、面白いことをおっしゃる方が見える。 思想統制って言うのは、真柱様万歳! しか言わせないか、あるいは、表頭領は阿呆だ! 以外の意見を言わせない場合を指します。 どちらでも書けるなら、思想統制などされて無いんです。
サイコパスに何言っても、無駄かもしれませんけども。
正統なる教えを習得された、「ようぼく」を自認する方なら、天理教は、やっぱり素晴らしい!って、どれだけの方に訴えられるか? やっぱり天理教しか無いって、どれだけ、サイレントリーダーに説得力のある事が言えるのか?
あるいは、教団本部は正しい! 表頭領こそ真実! でも良いと思いますよ。
このコメント欄では、それを書く事も可能です。 ただしアウェイですけどね。
正統なる教えを習得された、ようぼくは、教団本部への批判をしないと言うなら、揚げ足取って、取るに足らない存在扱いされる人を責めて、ヒステリーを起こしていないで、大多数のサイレントリーダーを唸らせる様な、説得力のあるコメントを書かれたら良いと思います。
宗教法人天理教本部教
これが天理教
人が立て合う世の中、それは、異なる文化、異なる宗教観を持つ人達であっても、互いに認め合い、尊重し合い仲良く暮らせる世界では無いかと思います。
だから、地球は、一つの価値観、宗教観で統一される事は無いとも思います。
いろんな考えの人、文化的背景を持つ人、地域性もあります、それらの人々が、互いに互いの尊厳を大事にして、尊重し合って、仲良く暮らせる社会を、地球上に実現するには、
実は、宗教に取っては、自分の宗教を拡大するのでは無く、互いに異教徒をも尊重すると言う、相反する考えを、持たなくてはなりません。
お前の神は、我が神の敵だ! 滅ぼしてやる!・・悪魔です。
だから、宗教とは、内面の追求であり、それぞれ個人で一つの神を追求されたら良いですが、社会の運営は、一つの神に頼らず、人権を重んじ、哲学と法律と話し合いで運営する必要があると思います。
陽気暮らし社会を標榜する宗教教団であっても、実態は、互いに否定、尊厳を奪う、身分の上下ありです、これは、まだまだ、みんなで練り合わなきゃ行けないと思いますよ。
古い元教会長さんの話に出てくる、昔の教会のお話、それしんどいお話ですよね。
東風Zさんの経験談、良く我慢されましたよね、大変でしたね?って思います。
崩壊さんのお話も、判ります、毎回恨みがこもっていますもん (笑)
しかし自己責任ですよ、確かに、信仰3代、4代、生まれた時から、レールに乗って、気がついたら、走ってるんだもの、なかなか変えられないですよね?
でも、結果として自己責任になってしまうよねって思います。
だから、皆さんが、ここで告発、警告しているお気持ちは、良く判ります。
ただ、怨嗟を書き連ねても、読んでいて、理解はできるけど、つらいだけです。
できるなら、今、その渦中の中で、悩んでいる教会子弟などに、信仰的自立を目指せるように、希望ある導きのコメントを、もっとされたらよいとも思います。
例え子供でも、一般家庭に育った子は、天理高校で教義科目で教えを習っても、染まる様で染まらない、ましてや、普通に生きてる大人は、何度、別席を運ぼうと、守護と引き換えにお供え? まあ、お付き合い程度にしておこ・・今の時代はそんな物ですからね。
ここは思想統制はされていない場所です、異教徒でも意見を書けます、ありがとうございます。
2019年12月2日 5:28 PMの匿名 様
お尋ねの件、私がどのような投稿をしたかを探し出していますので、もう少しお待ちください。
続投をお許しください。
私の投稿が原因でこの場を始め皆様にご迷惑をお掛けしてしまいまして、深くお詫び申し上げます。また、支えを下さっている方々には感謝の気味でいっぱいです。
先の投稿の現状ですので、ハッキリした折には改めてコメントさせていただきます。
又、れんだい様の著作権を侵害したとの申し出がありましたら、私の出来る範囲でお支払いできるものであればさせて頂きます。
とりあえず、御礼と併せてお詫びを申し上げます。
東風Zさん、話題にあげただけなのに著作権侵害はありません。ご心配なさらないでください。
USA大教会の土地、建物の競売はUSAの部内教会が買い取ったそうです。
どうなってるんだ、この流れは
匿名の一人です。
以前と比べ匿名が増え、しかも訳の分からない匿名書き込みも見受けられる現状。
読んでいてイヤな気分になることが増えました。
●しつこく「からむ」人。
●発言の趣旨をねじ曲げて受け取り、自説に引き寄せようとする人。これはある種の暴力的発言にも等しい。
●やたら文尾に「?」をつける気味悪い人。共感を求めているのかもしれないが薄気味悪い影がちらつく。
●オカルト信者の自分を棚に上げ、キリスト教ベースの人を揶揄する人。
●まじめな東風Zさんの人柄も理解しないで「いんねん」をつける人。この「いんねん」はヤクザの言いがかりのこと。
匿名として時々書き込むことで、この板の存続を図ることに少しでも協力したいと考えるのですが、そのような私でも読んでいて嫌な気分になることが多いこの頃です。
時に流れを変えようと試みても、上記のような人たちの「しつこさ」には辟易します。
これでは本部を喜ばせるだけでしょう。
以前には、親のいう事は黒でも白と思えとばかりの封建的なおさとしが横行していました。
今でも理不尽な親はいるものの、社会学の板から得る考えや、各種情報などで、救われる思いでいる人は確実に増えています。
これはTwitterとの大きな違いです。
「あらし」行為をして楽しんでいる輩と、まじめに宗教・信仰と社会問題を考える人たちと、見分けをつけながら読むようにしていますが、正直なところ、アラシの人を見るにつけ、いい加減にしろっ!と感じます。
そして怨嗟を書くことに批判する向きもあるようですが、綺麗ごとでは救済できない事実を披露している人への理解が浅いと感じます。
綺麗ごと、掛け声、うちの大教会長はいつもそうです。具体的お助け・においがけなどできない人だから、そのような講話になるのも必然なのでしょう。
つまり、「わかっていない」人が多いからこそ、社会学の場での発言が貴重なのです。
前にも書きましたが、中には立派な大教会長さんもいます。その方の月次祭講話を聴かせて頂くと、感激するほど天と地の差を感じます。人間としての資質の違いなのでしょう。問題を我が事として深く考え、その後、浮かび上がった言葉で話しますから、結論の違いが有る事があっても、真摯な宗教者として尊敬できます。
想像するに、その方は社会学にも目を通されているのだと思います。
宇佐の部内が買い取ったとは。買い取った部内教会の信者達はその行為に納得してるんだろうか。
信者に相談したのだろうか。 信者が納得したとは思えないが、その為に信者にとって終わりのないお尽くし地獄がが待っているなら本当に気の毒だと思う。きっと信者達の内部では泥々した思いが渦巻いていると思う。
文句を言わさず、はいはいと素直に親の言うことを聞けと飼いならされた我々信者の悲劇がこんな所でも起きているのかも、、と思うと改めて上の人間にとっては家来の出すお金には重みがないんだろうなあ、と思います。
東風z様。
実体験は説得力を有します。筆舌に尽くせないほどの苦しみを体験した人は人の苦しみに寄り添えます。この掲示板は多くの人々に天理教の実態を知らしめ生きる導きになっていると思います。本部の偉い方々や上の位置に置かれた上級教会の偉いとされる方々の多くは我々が受けた様な苦しみの体験がほとんど無く理解できないので口先三寸に終わり、人を感化する力も癒す力も持ち合わせないのが現状です。天理教の残酷さは後世に語り継がねばならないと思っています。
2019年12月3日 10:48 AMの匿名 様
ご教授有り難うございます。もう年齢ですので、そろそろ失礼させて頂こうと思いながら、ついつい同じことや余計なことを投稿してしまったのではないかと反省しております。
天理教にとっては、一番大切なおつとめについて、本部と八島氏の大きく違った見方を見ますと投稿したくなってしまいます。以前にも同様の内容を投稿しましたので、ご容赦ください。
例えば、本部員の永尾隆徳氏が著わされた「みかぐらうたの心」を読んで頂ければいいのですが、一例では、あしきをはらうてたすけたまへは、当初慶応2年(1866年)、教組が69歳の時に、あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと、というお歌を始めておつくりになりました。これが。みかぐらうたの始まりであります。『稿本天理教教祖伝』73ページ参照とあります。以下、中略。
明治15年に二段まで出来ていたかんろだいの石が官憲によって取り払われた。そのとき、第三節の手振りは元のままながら、「いちれつすます」の句は「いちれつすまして」と改まり、それに伴って、「あしきはらひ」は「あしきをはらうて」とあらためられました。(稿本天理教教祖伝)100ページ参照。と書かれています。
一方、八島氏の説では「あしきをはらうて」は、明治21年東京に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして、本席の許しもなく作られたものであります。と櫟本分署跡参考館発行〈立教165(2002)年10月26日発行〉の『みかぐらうた』【復元版解説付き)に書かれています。
ご参考。永尾氏の著による。
第一節 あしきはらひ 慶応2年
第二節 ちょとはなし 明治3年
第三節 いちれつすます 明治8年
第四節 よろづよ八首 明治3年
第五節 十二下り 慶応3年
とあります。
なお、第一節から第五節という呼び方は、二代真柱が、その著書にお使いになっています(中山正善著『続ひとことはなし その二』2ページ参照。
このように、教組が出直しの際に急き込まれた「おつとめ」がこれほど違うのは教義の根本を問う問題だと思うのですが、関係者は誰一人として問題提起されないのが不思議です。
更に、八島氏の著書には次の内容が書かれています。れんだいこ様のブログと混同してしまったのか、あるいは、この著書の内容を誤って投稿したのか、今のところ以前の投稿が見当たりません。更に探しています。しばらく猶予を頂ければと思っています
〈(立教160(2002)年10月26日発行・立教168(2005)年4月18日改訂・櫟本分署跡参考館・〒:632-0004天理市櫟本町3071番地・℡:0743-65-4902)より転写しました。
立教160年正月26日の春季大祭の真柱の神殿講話で、「教祖が教えてくださったかんろだいつとめを国々所々の教会でつとめるのがよふぼくの任務である」というお言葉を頂きました。それ以来、その努力を進めて四代真柱様も立教163年春季大祭の神殿講話で「つとめは、第一義はぢば・かんろだいを囲んで勤めるかぐらつとめを指しますが、その理を頂いて、国々ところどころでも月々のおつとめを勤めるのであります。」と仰いました。
教祖が教えてくださったおつとめに復元いたしますと、このようになります。
教祖時代のおつとめは、よろづよから始まって十二下り、そして、かぐらつとめです。
よろづよから十二下りのておどりの部分で心を作って、かぐらつとめをする。だからこの順番になっているのです。かぐらと言われる部分は「ちょとはなし」から始まり「いちれつすましてかんろだい」です。
皆様のなじんでいる「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」というつとめは明治21年東京に神道天理教会本部が出来た時、朝夕のおつとめとして、本席の許しもなく作られたものであります。
神道天理教会本部が奈良に移転した後、東京で前川菊太郎の名前で出版された『御かぐら歌』に初めて載ったもので、教祖の時代にはなかったのです。
教祖時代のみかぐらうたが、今まで整理されず、解り易く印刷されたことがなかったから、この度、出版することにしました。
明治の初めから天皇制国家の神道教理に基づく思想統制が有って、応法の理しか印刷できない日本の歴史がありました。
敗戦によって法的な規制が無くなっても、占領軍に合わせなくてはならないという事の他にも、いろいろな事情があって、永年皆が覚えてきた応法の理で良いのではないかという意見もあって復元が遅れました。
世界の情勢は天皇制軍国主義時代の思想の説き方が許される状態ではなくなっています。それで、真柱様の教祖への復元が、強く説かれたものと思います。このような時代の要請で、この度、初めて『みかぐらうた』(復元版 解説付き)として印刷いたします。
念のため申し添えますと「天理王命」の神名は、明治21年東京の神道天理教会本部が、本席がおさしづで禁止しているのに、目標札を発行いたしました。その時から使われるようになったのです。
ですから、本部が説くみかぐらうたと八島氏が説くみかぐらうたのどちらが本当なのかという事です。
これを明らかにするためには、史料集成部をオープンにしなければならないのか、という問題にも直面します。
立教から200年を経ていないにもかかわらず、このようなことになったこと自体が不思議ですね。
仮に、八島氏の説かれる説が正しいとしますと、あしきをはらて・・・を朝夕に21回も称名として唱えていることの無意味さが際立ってしまいますね。
教団本部は、八島氏が異端だと決めつける前に、根拠を示して現行の正しさを証明していただきたいですね。何故このようなことを言うかといいますと、言っておられることと、やっておられることが余りにも違い過ぎるから信用できなくなるからなのです。
天理教を調べていくと、八島英雄氏があり、いろんな所で取り上げられていて、片鱗しか判らないですが、天啓を排した、劇画中山みき物語の基礎でしょうか?
神がかりを否定した、天理教学という印象です。
もう一つ、芹沢光治理文学と井手国子のお話など
死の扉の前で、こんな一聞がありますよね
「真柱が、「いくら献金しても、神様は喜ばんのだ。神様の欲しいのはまことだからなあ。」
芹沢氏が「真柱、本部で普請をしていれば、信徒も大教会長も、なんとしてでもお地場へ尽くそうとします、その努力はお道でいうまことではありませんか。僕は少年の頃信徒の月掛を集める役を仰せつかって、子供心に悲しい経験をしたことがありますが・・・(中略)家族のうち大人が絶食して献金をつくった信徒もありましたよ。少年の僕は、ご本部って、いやな所だなあって思ったけれど・・・この貧乏な信徒の身をけずるようなおつくしはまことではありませんか」
「うん、そうだ。だから、この男が献金額を信仰だと考えて、その額の多いことを競うのは、まことでも信仰でもないんだよ」」
芹沢氏は、神がかりを肯定されていますが、現教団のありようを否定されている。
今の教団本部の印象は、一言で表すと
「理立て(お金)を神様の元(本部の運営の事)へ運んで、人助けのために運んでいただく」
お供えを本部にあげて、世の為に使っていただくのが、守護のお礼、守護と引き換えって言う事でしょうか?
正統なる、天理教徒の定義とは、なんだろうなあ、八島教学的に言うと、教祖様の教えを、理論的に実践している人だろうか?
芹沢氏的には、神の意思をしっかりと体現できる人なのだろうか? お助けを表せる人なのかな?
現教団的には、親に逆らわず、せっせとお供えを、持ってくる人と言う事かな?
通りすがりさんは、こう言う意味で「正統」な人って言う意味でいいのかな。
?ばかりで気持ち悪い?? いやあ、天理教自体、? が多いからしょうがないじゃない。
子供の頃、母から、第一節の21回は「じゅうじゅう(十々か充々)もう一回」という意味合いのように聞きました。
21回も「たすけたまえ」と唱えるなんて、すっかり拝み祈祷になっていますが、おそらくは転輪王に親しんできた信者たちに新たな神名を受け入れさせるための刷り込みが目的だったのではないかと。それと単調なリズムで特定の言葉を繰り返すことは人間の思考力や判断力を低下させる効果があります。国歌や軍歌・社歌など半分近くがリフレインなのもそのためです。オウム真理教の「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!」という掛け声も同じく、マインドコントロール・洗脳の常套手段と言えるでしょう。
成ってくるのが天の理と言う教えがあります。成ってくる姿は神の思召しであり、希望しない姿を見せられても喜びに変えようと言う事であり、どれだけ救われた言葉であったかと思います。
支部長の話では今現在、全国の天理教教会に於いて、名称はそのままに無人の教会が1000箇所以上有るそうです。本部からの郵便物が受取人不在でそのまま本部に舞い戻って来る数だそうです。
かろうじて息絶え絶えで生き延びている教会がその後に続いています。その数はおそらく数千箇所でしょう。現状を鑑みると数千箇所ではきかないと思います。
教会名称を保持する3条件が満たない教会は2000箇所以上あるとのお話でした。
おそらく2000箇所ではきかないだろうと言う教会関係者の声も上がりました。
本部参拝者数も10年前と比較してジリジリと減少しているそうです。確実に底辺へ向かっている印象です。
大教会一家が逃げ出し破産の挙句に差押えられる現実。天理教は長い時を経てやっと成るべき姿を体現し始めました。
成ってくるのが天の理ならば、本部はもとより我々信仰者は現状を受け入れ喜びましょう。生き残りをかけた昨今の本部の悪あがきは見っともないばかりでそこに意味は有りません。
親神様はゼロからスタートせよと現状を潰しにかかっておられます。神の思召しに狂いはないと思っています。
参考意見
2019年12月4日 12:22 PM
>>それと単調なリズムで特定の言葉を繰り返すことは人間の思考力や判断力を低下させる効果があります。国歌や軍歌・社歌など半分近くがリフレインなのもそのためです。オウム真理教の「修行するぞ、修行するぞ、修行するぞ!」という掛け声も同じく、マインドコントロール・洗脳の常套手段と言えるでしょう。<<
人間の心は大変弱いものであるということから考えてみても、十分、納得できる説明だと思います。幼少期、私の祖母(天理教信者)は、雷鳴を聞いたり稲妻を見るたびに、「南無天理王命」と呪文のように唱え、手を合わせ、雷鳴や稲妻が止むように拝んでいました。自然現象に関する教育をほとんど受けていなかったために、雷鳴や稲妻等で恐怖感を感じるたびに、何か超自然的存在にすがりたい、頼りたいという真理が働いていたのだと思います。天理教に限らず、キリスト教の「アーメン」や仏教の「南無阿弥陀仏」等の祈りの言葉も、そうした人間心理からでてくるように思います。また、語源は知りませんが、雷鳴を聞いたり稲妻を見たりして恐怖を感じた時、よく「クワバラ クワバラ」という言葉を人々が発していたのを覚えています。軍歌や社歌、応援歌、校歌等の類いも、誰もが歌いやすく覚えやすいように作詞作曲されています。軍歌は愛国心を煽り、応援歌や校歌も応援するチームや母校愛を鼓舞する心理的作用があると思います。早稲田大学の校歌や、六甲おろし等の応援歌が典型的な例ですが、マインドコントロールの手段としては大変有効だと思います。
ネット上では、教団関係無く、外国や、日本で、病院の出口とかで、やたらお授けを実行して、治った?と聞いて、結果をブログにあげてる、布教者も、見かける。
思うに、明治初期の布教者の姿の再現にも感じるので、復古派かもしれない。
私が以前、天理教の出来事は壺世界の出来事だと書いたら、それを取り上げて、違う親神様の、思し召しは全世界に通じる出来事であり、真柱の身上は、人類に対する警告だと言う人も、見かけた。 誇大妄想に感じる。
何をやって良いのか悩むのか、セミナーを模索している、若い教会長さんも見える。
神の存在を想定せず、オカルトを嫌い、劇画中山みきの世界を信仰の拠り所にする人
そう言う人は、上記のやたら、お授けを一般人に実践してる布教者のやり方を否定していると言う事になりますよね。
守護のお礼にお供え、何かと、お供えに集約されてしまうお話を、教団が良く公表してしまう現実
天理教は幅が広い信仰を受け止めると、言えば聞こえが良いけど、本部も含めて全部異端かもしれない混沌とした宗教と言う印象も、持てます。
世の中、宗教団体は、たくさんあるので、自分に合った宗教を選べば済む事です。
良いお話なら、本屋に行けば、いろんな方が、説いておられます。
いろんな本を読んで参考にして、生き方を模索した方が良いんじゃない? って思いますが。
経済的に苦しいなら教会長などはやめて、働き、家族を養いながら、教祖様を信仰し、真実の神でも、教えでも、求めたら良いと感じます。
過度なお供えを要求されても、一般市民は、無理ですって言うだけですし、逃げます。
やっぱり、教祖様の後継者たる、天啓者が存在して、親神様の意思、お言葉を取り継ぎ、信仰のメドウ、目標をしっかりと示した方が、ハッキリしますし、望ましいですよねと言う意見と、いや、今の本部も応報の理を正さず異端だから、資料室にある全ての資料を解放して、研究者に自由に研究させ、教祖様が説かれた真実だけの教えの書を作り上げ、教えの中心に置いて、みんなで学び実践するべきだ、と言う意見になるかな、 それとも両輪かな。
このままでは、じわじわ衰退するのは、親神様の思し召しか、なってくるのは天の理であり、理の通りか? そりゃ、金を中心に置いたら、逃げる人も居ますわ、って言う現実なのか、巨大教団の舵取りは、難儀ですね。
考えても下さい。
皆様の社会学に書きつけた思考の跡が、後日の史料となる日がくるのです。
教内発行の各種雑誌や新聞に書かれた資料と異なって、信仰者、或いは脱退者それぞれの心の軌跡がこの場に記録されているのです。
「後日」天理教がどのようになろうとも、宗教史を研究する人はいつの時代にも存在するはずです。
その研究の一級資料となる内容に値するのがこの場の皆様方の書き込みだと、いつもその様に感じています。
親神様、或いは他宗教の神々の思惑が何処にあるのか、現時点では知りようもないという事だけはどなたさまも了解できることと思います。
目線を少し先におくることで書き込む心の自由さが増すように思えます。
とはいえ対照的な本部の天理教教学に対する真摯さのカケラも見えない姿は、東風Z様の丁寧な書き込みにもあるように、不信感をまき散らし続けてきたと言えます。
これが世界宗教を目指す姿だとしたら、「井の中の蛙大海を知らず」と切り捨てm(__)mと言えるでしょう。
葬式仏教と揶揄される仏教界においては、真摯な研究が日常的に続けられています。宗教心のないまま仏教系の大学に再入学し、博士課程まで進んだ親友は「奴らは重箱の隅をつつくような事を研究している」と批判もしますが、言葉一つをとっても、中国を経て日本に伝わった経文は外国語翻訳というフィルターを通過する間に、その国の習俗や感覚までにも影響を受けた内容で日本人僧に渡されてきたのです。研究ということは検証の積み重ねでもあるのです。
たかだか明治時代という近世に起こった天理教の教理内容に疑義が有る事を本部はもっと敏感に受け止めなくてはなりません。何も二代真柱を尊敬する人に、止めよとまでは言いませんが、いい加減に二代真柱を崇拝することで目を曇らせることからは脱却して出直ししていただきたいと願います。
そして何よりも間違った行為は指摘されるまでもなく自ら改める姿勢を示さない事にはリーダーとしての資質を問われます。
集金旅行だけでも今すぐストップするべきです。
親なら子供の喜ぶお土産を持参するくらいの暖かな心があってもいいでしょう。
トップとしての見識を示していただきたい。
皆さんの話に割り込むようですみません。
2019年12月2日 9:07 AM tokumei 様
2019年12月2日 9:45 AM 匿名 様
2019.年12月5日5:28PM 匿名 様
2019年5月3日 8:52 PMの私の投稿が原因で、通りすがりさんの逆鱗に触れたのですね。気分を害されたことを私の不徳の致すところと深くお詫びいたします。
れんだいこ様のブログから無断で拝借したことがいけないという事でしたら、れんだいこ様に幾重にもお詫びいたします。
2019年10月29日 午後1時56分の匿名様がれんだいこ様のHPをご案内頂いていますが、私がこの記事を見た覚えがあることと、櫟本分署跡参考館が発行されている「みかぐらうた・復元版」に記載されている、真柱の指針にも1997年(平成9年・立教160年)1月26日の春季大祭の三代真柱の神殿講話で、「教祖が教えてくださったかんろだいつとめを国々所々の教会でつとめるのがようぼくの任務である」というお言葉を頂・・以下省略(2019年12月3日の投稿を参照ください)
を見て真柱の発言が本当と信じて投稿しました。
確かに投稿をする際に、引用先を書かずに「次の記事を見たことがあります」と投稿したことが倫理観の喪失と指摘されたのであれば反省とお詫びを致します。
言い訳がましいですが、私は教団本部の教義の在り方を信用していません。いまだに講社祭りには八咫鏡を飾ってお祭りをしています。ですから、みちのともに書かれた真柱の講話集そのものも信用していません。どこまで本当のことが書かれているのか。嫌な思い出ばかりの天理教がどのようになろうともどうでもいいことなんです。
若い方は勿論多くの人が天理教に近づいて、こんなはずじゃなかったなんて思いをされないようにとの思いで投稿しているだけです。
都合の悪いことは何でも蓋をしてしまう教団本部。今回の宇佐大教会の件についても、教会の信者さん達(せいぜい10人程度)も誰一人として事件を知っている人は居ませんでした。
勿論、競売事件ですから官報には公示されていると思います。そもそも、官報を見ている人なんて法律事務所の職員か、不動産業者か、一部の公務員か、関連の公益法人くらいでしょうか。
本当は、天理時報が事件を報じて、教会の在り方の参考にしてくださいというのが本来の時報だと思うのですが、知られたら具合の悪いことでもあるのでしょうね。競売事件にはプライバシーは存在しません。
余談ですが、官報は毎日発行されています。どれほど多くの破産事件が掲載されているか見てください。悲しいかな殆んどの破産事件が、破産財団さえ作れないのが現状ですよ。競売に掛けるものすら存在しないという事です。
益々、話が横にずれました失礼致します。
話がとんでもないところに飛んでしまって失礼しました。
ご参考:2019年10月29日午後1時56分に匿名様が、れんだいこ様のアドレスをご紹介いただていますので、よろしければご覧になってください。
>>若い方は勿論多くの人が天理教に近づいて、こんなはずじゃなかったなんて思いをされないようにとの思いで投稿しているだけです。<<
全くその通りですね。
宇佐大教会が破産して競売にかけられ、大教会長は何処かに逃げて太鼓やすり鐘、神具一式はもとより、箸一本さえも持ち出せない状況になっていた事実を古参の信者さんに知らしたら、絶句していました。本部は知っているのか?と。
彼女の頭に天理教教会、ましてや大教会の破産と言う話が出て来る時点でもう一体何が天理教に起きているのか理解出来ないご様子。声が上ずっていました。スマホもネットも関係のない世界に生きて、神様一筋に自宅で講社をお祭りし、熱心に神様につながって来た方ですので理解が及ばない、、。
大教会の破産、教会が1000も2000も潰れて異常事態に成っているなんて事は高齢の彼女達は何も知らないんです。
ネットにあぶり出される本部の不誠実で自分勝手なやり方、婚礼や派手なパーフォマンスの本部本位のお金の使い方、また信者や教会に課す心定めが「お金」と言うのは誠におかしな話だとお話しさせていただきました。本部の間違いが全国の教会を破産や一家離散の空っぽ教会に導いているのですよ、とお話したら深く納得しておられました。
黙って上の言う事に応える事こそが神への信仰と信じている老若男女の被害者をこれ以上出してはいけないと思う一心で私も書き込みをさせていただいています。
この掲示板が広く世間の目にふれてもらえる事を念じつつです。
危機感を持ってお供え額を元々少なかったけれど、少し増やしました。
これが私に出来たことです。
彼女も同じかもしれませんよ。
匿名 様
2019年12月3日 10:48 AM
ご丁寧なご支援を頂き有り難うございました。何より安心しております。私の最初の投稿が分かりましたので、お詫びと経緯を投稿させていただきました。
これからは、登校日と投稿内容をノートに記録してゆきます。もう、思いの大半を投稿しましたので、投稿回数は減っていくものと思っています。
今の会長さんは、何かに追われるような焦燥感に見舞われて、どうしてもギスギスされているのがありありと分かるのです。結果、アルコールに流れられて痛風という重い病を抱えられているのです。
天理教を信仰することによって心広く、温かい人に成人されんことを祈るばかりです。
東風Z
2019年12月5日 7:58 PM
>>天理教を信仰することによって心広く、温かい人に成人されんことを祈るばかりです。<<
上記お言葉を返すようでうが、お許しください。今の天理教にのめり込めば、のめり込むほど、温かい人どころか、人の痛みや辛さか分からない「冷酷な人間」になるだけです。現在、信者の皆さん、特に若い世代の皆さん。決して悪いことは申しません。一刻も早く天理教から離脱してください。
in deepというブログの 『未来の世界で「日本人だけがリアルな人類として生き残ることができる」理由』 という記事に興味深いグラフが載っていました。
とても長い記事ですが中ほどにグラフと共に次の様な事が書かれていました。
日本は、「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」について、
・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %
という、他のどんな国とも比較にならないほど、「権威と権力が嫌い」なのです。
2位は、・・・スウェーデンですが、それでも、
・良いと思う人 → 22.5 %
・悪いと思う人 → 50.2 %
と比較にならない差です。
その後に、台湾、韓国と続きますが、日本とはあまりにも数値がちがいます。
いくつかの国をピックアップしますと、以下のようになっています。
「権威や権力が今より尊重される将来が来ること」についての考えの比率
アメリカ
・良いと思う人 → 55.2 %
・悪いと思う人 → 7.1 %
ロシア
・良いと思う人 → 56.9 %
・悪いと思う人 → 3.5 %
ブラジル
・良いと思う人 → 76.4 %
・悪いと思う人 → 6.3 %
これらの数値を見た後、日本の数値を見ますと、改めて驚きます。
日本
・良いと思う人 → 4.7 %
・悪いと思う人 → 76.1 %
とにかく、地球の全人類の中で、日本人は異常なほど「権威が嫌い」なのです。
(引用ここまでです)
日本人は異常なほど「権威が嫌い」・・・まさしく天理教衰退の根源的な理由がここにあると感じました。
衰退の原因には、切れる事の無いお供え金の上納も確かにあります。
しかし、それにもまして信者が反発する事は、上級や大教会の会長、そして本部の連中の傲慢な態度や物言いなのです。
私が所属していた末端分教会でも多くの信者が離れて行きましたが、その理由は会長夫婦の日頃の冷たくそして横柄な言動や上級の会長の言動でした。
私が教会を離れたのも 真心の無い会長の言動が原因です。
中山みきは権威や権力に対抗して「一列は皆兄弟」と言った筈です。
しかし、本部在籍者達は「中山」という名字を振りかざし信者に土下座させ来たのです。
(今でも土下座させている・・・天皇陛下の前でも土下座しないのに)
「中山」という名字で権威付けし「本部」という名称で権力を振りかざして来たのが天理教教団だと思います。
三島神社の杜を取り払い池を潰して殺風景な境内をコンクリートの巨大な館で取り囲んだ風景は日本的ではなく西欧的な権威と権力の空間なのかもしれません。
日本人の根源的なDNA が、現本部の空間を拒否したのかもしれません。
伊勢神宮に行った事があります。
今でも年間数百万人もの人々が訪れています。
鬱蒼とした杜の奥に簡素な建物があるだけです。
権威や権力を誇示する物はありません。
もちろん土下座させられる事もお供えを要求される事もありません。
天理教の衰退は、本部員達が振りかざす「権威と権力」に対して日本人の根源的なDNAが嫌ったと言ってもあながち外れてはいないと思います。
現行天理教は、世界に広まる前に日本人から嫌われてしまったのです。
金の切れ目が縁の切れ目ではなく、「縁の切れ目」が「金の切れ目」となって現れて来たのでしょう。
門外漢なのに、投稿をする失礼を深くおわびします。
守秘義務の関係から詳細は言えませんが、法律系の資格を持っており、その関係である女性の相談を無料で受けたことがありました。
相談の内容についてはここでは触れませんが、相談者の方は女性でかなり経済的に逼迫されておられ、また、精神も病んでおられました。子供がいるので働けないため、生活保護を受けていたが、それではお金が足りず、出会い系サイトで売春をしていました。驚いて、それを制止すると、彼女は自分の育ちについて述べました。
実家は天理教の教会をしており、両親は熱心な信仰者だったが、本部に献金をするため、家族はいつも貧乏で食事にも事欠く有様だった、また信仰を子供達にも強要するので嫌だった、貧乏だったので中学を出るとすぐに働きに出て夜間高校を出たのだが、自分も自分の兄弟も大学や専門学校に行けなかった、と延々と過去を呪う言葉が続きました。親の面倒も見なければいけないが、自分も働けないので苦しんでいる、と言うのです。
天理教とは無関係ですが、私も特定の信仰は持っており、天理教は立派な宗教だろうと敬意を払っていたので、彼女の言葉にショックを受けました。私の信じている信仰も含めて、開祖や教祖は立派ですが、開祖や教祖が亡くなると、教えが曲がることがあります。しかし、彼女の言う天理教の話は今でも半信半疑でいます。
最近、別件で天理教について調べていた時に、このサイトを偶然に拝見し、彼女のことを思い出したので、失礼を顧みず、投稿しました。
なお、私は中山みき先生は立派な信仰者であると信じており、上の文章は天理教の信仰や信徒の方々を批判する意図で書いたのではありませんので、その点、ご了解のほどお願い申し上げます。
門外漢様
貴重なご意見を教外から聞かせていただきましてありがとうございます。
>>彼女の言う天理教の話は今でも半信半疑でいます。<<
とのことですが、
売春云々はあまり聞いたことはありませんが、門外漢さんの投稿にあるような女性の環境は
親がバリ天で、教団用の偽教理に洗脳されて熱心であればあるほど
天理教の末端教会ではよくあるあたりまえの話です
(バリ天とは「バリバリ天理教団を盲信している信者」の略で、教内ではしばしば使われている俗語です)
かくいう私も似たような極貧環境で育ちました。
その女性の仕事や経済状況が好転することを、同じ教友として(ある意味同じ教団被害者として)
陰ながら祈ることしかできませんが
門外漢さんにおかれましては、何卒その女性のためにできる範囲でおたすけ下さると幸いです。
匿名 様
本当にそうですね。人柄によるところも多少なりともあるようですが、多くの上層部の人達は、確実に上から目線です。
挨拶をしても言葉を返せず頭を軽く下げるだけの人はまだしも、酷い時は無視。お供えするのが当たり前。大教会のご分家と言われた役員は給与の10%~15%するのが当たり前なんて神殿講話してましたからサラリーマンの実態をご存じないのです。
仮に、生涯のサラリーが1億5千万円とすれば、2千5百50万円もお供えしなければなりません。住んでいるところで2千5百万円も出せばビックリするほどの豪邸が買えますよ。
このようなことを言っている宗教があるってこと自体が、人を救う教えでないと断言できます。
それを命のレンタル料だなんて言い方を出来る傲慢さにあきれてしまいます。それほどの自信がおありであれば、年間に3万人近く居られる自殺者を救ってくださいと言いたいです。
匿名様
ご丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。大変勉強になりました。
私の信じている宗教でも、開祖の教えを現在の指導部が都合よく変えたり、幹部の「宗教貴族」化という現象はあります。無料法律相談を通じて知り合った人の中には、色々な宗教団体や政党の活動者の家族の人もいて、そこでも同じような問題を抱えている人もいました。ただ、天理教のお話を聞き、教団内部の貧富の差がそこまで酷いのは想像もできませんでした。
余談ですが、昔、少林寺拳法を習っていたことがあります。少林寺拳法の開祖は、宗道臣さんといい、笹川良一の側近だった人物です。少林寺拳法が「宗教法人」であることは知らない人も多いですが、その宗道臣さんは、自分の母親が天理教の信徒であったが、病気になったが神様が治してくれると信じて手遅れになったとかで、終生、天理教の悪口を言っていました。その少林寺拳法も、開祖が亡くなり、2代目になると、開祖の教えを曲げた、とか、幹部が蓄財に走ったという批判が部内で起こり、「分裂騒ぎ」を起こしておりますから、皮肉なものだと感じております。
「次期真柱の結婚披露パレード」の映像には驚きました。天理教の内部の人はどうお考えかわかりませんが、部外者が見たら、悪い印象しかありません。これでは天理教の悪宣伝をしているようなものです。失礼を顧みずに申し上げると、これでは宗教というものが誤解を受けるのではないか、と感じました。
天理教に生じている問題は、どの宗教でも起こりうる問題だと感じます。私も反省の材料としたいと思います。
外部から見ると、天理教の教団はおかしい点はありますが、これは、開祖の教えから現在の指導部が逸脱した結果、生じたものだと思います。色々な問題は開祖の教えに戻れという神様の掲示であり、この掲示板もそのためにできたのではないか、と思います。
門外漢の投稿を許してくださった寛大な姿勢に感謝するとともに、皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。
門外漢 様
2019年12月6日 10:44 AM
>>無料法律相談を通じて知り合った人<<
私の勝手な推測で申し訳ありませんが、違っていたらお許しください。門外漢様は弁護士さんでしょうか?
もし、そうであるとしたら天理教の諸問題を司法的に解決する術は無いのでしょうか?
崩壊様
私は天理教にも天理教の問題にも疎く、また、天理教以外の信仰を持っているので、天理教の問題に介入することは越権行為かと思います。ただ、一般論として、いくつかの問題を言えるかもしれません。
以前は、法律で宗教の問題を解決するのはかなり難しかったです。
1 憲法20条(信教の自由)を根拠に、宗教団体には高度の自治権が認められていること。
宗教団体は、よほどのことがない限り、官憲の支配に服さないため、問題が起きても行政が入りにくい。(宗教団体内部の出来事は、ブラックボックスと同じですから、外部からは判断することが難しいので、行政も手が出しにくいです。)
2 裁判所法3条1項に「裁判所は法律上の争訟を裁判し」と規定されています。反対解釈をすると、
「宗教上の争いは扱いません」ということになります。これは、大石寺の曼荼羅訴訟事件に関する
最高裁の判例で確認されています。(教団の指導部に敵対的な言動をする信者を追放しても、宗教上の理由を根拠にあげれば、裁判所は”請求棄却”の判決をするしかないのです。)
3 どの宗教団体も、程度の差はあれ、政治家との繋がりがあります。国会を構成する議員も、選挙を意識して、宗教団体の問題には及び腰になりがちです。(何かあったら、政治家に頼んで、不祥事をもみ消してもらうことも可能ということになります。)
つまり、司法、立法、行政の三権とも宗教には及び腰だったのです。
さらに、莫大な財力と権力を持つ巨大宗教団体に対して、信徒が個人で戦うのは、力量の差がありすぎて、不可能に近いことです。特に宗教団体は、裁判になると、汚い手段を次々と使って相手を潰そうとします。過去に某巨大宗教団体が裁判をした時には、相手方の弁護士を買収するようなこともしたと言われています。
弁護士も、宗教の分野には介入するのは嫌がる人が多いです。
ただ、オウム真理教の一連の事件が起きてから、世間様も行政も司法もメディアも、以前ほど宗教には寛大ではなくなってきたと感じます。もちろん、宗教法人法が改正されない限りは根本的な解決にはならないのですが、それでも、いろいろな法律を駆使して巨大な宗教団体の一部の指導者の横暴に対応することは可能です。
これについて、全てをここで書くのはできませんが、とりあえず言えるのは、以下のようなことだと思います。
1 宗教団体(以下、「教団」と略す)から多額の寄付を求められた場合は、できる範囲の寄付をするという返事はし、それ以上の寄付をしないという真摯な意思表示をする。一旦寄付をしたら、民法上の贈与契約(民法550条ただし書)が成立し、取り消しが難しいので、納得するまでお金は出さないという姿勢が大事です。
2 教団と信徒とのやりとりで、紛争になる可能性がある場合は、できるだけ証拠として残る形で行うこと。
これは日本の民事訴訟法は、弁論主義という発想で運用されているので、証拠は本人が収集する必要があるのです。会話の録音も民事訴訟の場合は、例外はありますが、原則として証拠になります。メール、ファックスなども保管し、場合によっては、問題が生じた場合に弁護士に相談すればいいです。
3 寄付や無償奉仕をする以上は、自分には発言をする権利があるという発想をしても良いと思います。
宗教団体でこれをするのは至難のわざであるのは私も知っていますが、できる範囲でやってみたら良いと思います。なお、法律の本(民法、刑法、行政法など)を暇があれば読み、相手が変なことを言い出した場合に、これを制圧するだけの理論武装をされることをお勧めします。
以上は法律論ですが、教団のある程度の地位にある人や教学に詳しい人は、別の使命があります。
どの教団でも、寄付行為や無償奉仕を正当化する理論武装を、教義を元に完成させているはずです。
しかし、行き過ぎた寄付などを正当化する言動を教祖がするはずはありません。
教団側の理論武装を打破するだけの理論武装も、だれかがする必要があると思います。
以上、思いつくまま書きましたので、とりとめもない内容になりました。失礼をお許しください。
中折れ、失礼いたします。
動物の世界では、「自分の方がおまえより地位は上であるぞよ」 ということを示すために、強い者が弱い者の背中に馬乗りになることがあるようでして、こういうの<マウンティング>というらしいのですが、それを、テレビで初めて見て知った時、カメラが遠方に捕えていたため交尾に見えて、思わずハッとしたものですが、後から解説でこれがオス同士の行為であることを知って、「このお猿さんはゲイかな?」と思ったりしました。
なぜこの話をここに持ってきたかと言うと、「お供え」がこのマウンティングの役を果たしていた(いる)のじゃないかと思ったからです。つまり、天理教では、お金は弱い立場の者が強い立場の者に対して出します。お金を出す方がお金を受け取る方よりも弱いのですから、会長さんは信者さんに対して、力関係(上下関係)を明示するために、お金を信者さんに要求したんじゃないかと思ったのですが、どうでしょうか。
会長さんの実力は集金力で表されていて、たくさん金を集めれば、その分だけ立派な会長さんということになるんじゃないでしょうか。とすると、集めた金の額で他の会長さんにマウンティング(俺の方があんたよりエライよと言い合ったり)することもあったのではないかと思うんです。そうすることによって、知らず識らず金集めのための競争を煽(あお)られてしまっていた、ということになったのでは・・?
つまり、お金を請求するのに、ちゃんとした<目的>があったのか、これは~~に使うため、どうしても〇〇万円必要なのだという<必要性の度合い>を明示していたか、その必要性は信者の皆さんを<納得させる>に足るものであったか、という問題があったと思うんです。
まさか、「お~い、金を出せよ~」というと、信者は懸命に金を集めて持ってくる、それがマウンティングになり、オモシロくもあった、というんじゃないでしょうな・・。冗談じゃない、言う方は遊びででもできるでしょうが、金を出す方はタイヘンなんですから。0
門外漢 様
2019年12月6日 8:00 PM
ご多忙の折、早々に、丁寧なるご説明をいただき、ありがとうございました。大変参考になりました。
YAHOO知恵袋に12/6付けで質問が載りました。
質問者さんは詳しい情報も書き込まれていますので、参考までに
この場に転載させて頂きます。
Twitter情報を集めたと書いておられます。
===以下コピペ===
ツイッターで天理教の宇佐大教会(大分県宇佐市)が
銀行に差し押さえられて、
競売に掛かった話で盛り上がっています。
大教会が差し押さえられたことは
きっと初めてでしょうが、
今まで教会や布教所が
何らかの事情で、差し押さえに遭って
競売に掛かったケースってあるんでしょうか?
もしあるのでしたら、具体例を挙げて
ご教示いただければありがたいです。
ちなみにTwitterで得た宇佐大教会のケースです。
平成7年に三和銀行(現三菱UFJ銀行)奈良支店から
限度額4億3000万円の抵当権設定。
要は宇佐大教会の土地、建物、神殿を担保に
4億3000万円のお金を借りたってことです。
借金が返せなくなり、
2019年5月に差し押さえで、
6月~8月にかけて現況調査と物件撮影。
で、9月か10月に大分地方裁判所中津支部にて
3176万円で期間入札(オークション開始!)始まるも
入札者ゼロ。
そして11月に宇佐大教会の部内教会が
特別売却の2540万円で落札(購入)。
特別売却というのは、
オークションに出したけど、
買う人が誰もいなかったので、
もっと安い価格で、早い者勝ち!ってカンジで
再出品ってことです。
天理教本部が動かなかった(入札しなかった)のは、
本部と宇佐大教会とで、
何らかの確執があり、
本部は宇佐を
見放してる可能性が高いです。
普通でしたら、
1回目のオークションの時点で
本部が買って、
現大教会長を罷免して、
本部から新しい大教会長を派遣するっていう
動きにならないとおかしいですよね。
差押えが5月だったので、
それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。
最初に戻りますが、
今まで教会や布教所が
何らかの事情で、差し押さえに遭って
競売に掛かったケースってあるんでしょうか?
もしあるのでしたら、具体例を挙げて
ご教示いただければありがたいです。
≫ 差押えが5月だったので、
≫ それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
≫ 本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。
ご指摘の通りですね。
あり得ないほど低レベルの本部関係者たち、なのでしょう。
しかも銀行は奈良支店です。
当然、本部の耳に入らないはずはありません。
天理教は今や人間の「欲」を刺激してイベント集客を図って、その時だけは神苑に賑わいを演出して見せています。偽りの実態です。
お供えが減って困っていると学校までも閉鎖する状況下で、イベント関係にお金を使うのは浪費としか言えないでしょう。
イベント好きな青年層は言ってみれば人の金(お供え)で有名人に会ったり、肉を食べたりして喜んでいるだけ。青年層を馬鹿にしているのでは?まじめな青年も大勢いますから。
YouTubeに昨年の青年会総会がアップされましたが、これにもあきれるような場面が映し出されていました。
せっかくの青ヘルのメンメンのパフォーマンスに絡むようなピンクダンス。
あの腰の振り切り方は(18歳以下の方、ごめんなさい)ジャズダンスのセンスからは外れる「H系」ダンスです。誰が踊っていたのか知りませんが、あれを喜んで観ていたとしたら鏡をその顔面に突き出して自分の顔を見せてやりますよ。場所柄をわきまえるだけの分別を求めても、いまや通じないのでしょう。青年を参加させるために女性の体の魅力を使わざるを得ないほど、おじばに人が集まらないということでしょう。或いは考え無しの企画?ウン、きっとそうだ。考え無しの天理教だものね。恥ずかしい・・・・。
日光東照宮を見ても分かるように、徳川幕府の時代においては日本の主流の宗教は仏教であり、神道はその一部のような存在でした。
教祖、中山みきも浄土宗の尼僧を志望し五重相伝を受けるほどの熱心な信者だったと聞きます。それ故、私は教祖が教えた神名は「転輪王」だったと考えるのが自然であると思います。
明治になって神道が絶対的な地位を占め、天皇を神とする時代となり他の宗教に対する弾圧が始まりました。しかし明治2年から執筆の始まった「おふでさき」にも「天理王命」という神名は登場しません。その他「命」の付く神道式の神名も出て来ない(くにとこたちに、おもたりさまや等)。さらに「天理・天の理」といった単語さえ一回も出てきません。
明治13年、中山秀司が営利目的で設立した組織の名は「転輪王講社」。
明治17年、諸井国三郎がおぢば帰りの際に、旗の中央に日の丸を描き、その中に大きく墨書した文字は「天輪王講社」(逸話編一三九 フラフを立てて参照)。この時点で「転」から「天」へと変化したのは、明治5年に教部省が発した「三条の教則(教憲)」の影響があったのではないかと思えてなりません。三条の教則の一つは宗教団体が「天理人道」を教えることを要求していました。「天理」とは政府から出た言葉であり、これに応えるように、明治18年に神道天理教創立事務所なるものから「これまで天輪王命だった神名を天理大神へと改める」という改正諭告が全国に向けて出されました。三条教則と改正諭告のいずれも国立国会図書館で閲覧可能な歴史的事実と言えると思います。神名に「命」がいつ頃から付いたかは不明ですが、これだけでも既に、慶応2年に第一節の「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたとか、嘉永6年に大阪で「天理王命」の神名を流したという話には無理があるように思えます。
明治21年に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたという八島英雄氏の説に、私は高い信憑性を感じていますが、櫟本分署跡参考館発行の『みかぐらうた』(復元版)のオリジナルが残ってさえいればと残念に思います。戦争中の空襲で多くの事実を知る証人や証拠となる資料が失われたことは教団にとっては好都合だったことでしょう。
しかし手書きでも印刷物でもいいから、少なくとも三条教則が出された明治5年以前に残された「天理王命」の文字でも見ない限り、私は本部員の永尾隆徳氏の説を信じることはできません。おそらく史料集成部をひっくり返して探しても、そんなものは出てこないでしょう。あるならば本部は大喜びの得意満面で出してくるはずですから。
門外漢様や参考意見様のご意見は心強く胸に響きました。
人は心身ともに弱いものを持っています。身体的には三度の全身麻酔を受けています。心の面でも、何かにつけて悪い因縁が出る、お前には徳が無い、ひどい時には夕勤めに来なかったとして夕食をストップ、小学生の頃からこのような場面が再々でした。
宗教が恐怖心を植え付け、人の顔色を見る人間にしてしまったのです。
これまでの皆様の投稿始め上記のお二方の投稿を拝見して、天理教を離れたのが正解だったと改めて感じ入っています。多くの皆さんが、人助けという言葉に惑わされないように、くれぐれもご注意いただきたいと思っています。
神名の変遷について関連のサイトでご指摘がありましたので、少し整理して補足させていただきます。あくまで私見ですが。
江戸時代から明治初期までは「転輪王」。
明治5年以降、三条教則の影響からか「天輪王」に変化。
その後いつの時点で「天輪王命」という神道式の神名に変化したかはわかりませんが、少しずつ変化させて信者たちを慣らしていったものと思われます。
明治18年の改正諭告で「天理大神」が登場。この神名は以後の教典に長く使われることとなります。
明治21年、神道天理教会本部の設立後、おつとめに第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が加わり、朝夕21回も唱えさせることによって「天理王命」という神名を信者たちに定着させた。(刷り込みと催眠の効果狙いか)そんなところかと思います。
各教会は歴史的事実を自分の手と目で選り分ける必要がありますね。
本部は嘘を吹き込んで簡単に信者を騙しますから。
教団本部も心があるなら、今まで欺いて来た事実を真摯に受け止め、歴史的史実をしっかりと受け止めて、間違いをこれ以上信者に押し付けたりしないで頂きたい。
本当に卑怯な集団です。
小寒さんが拍子木を鳴らして浪速の地に天理王命の神名を初めて流したなどと、感動話もよくよく歴史を辿れば嘘八百じゃありませんか!!
参考意見様が言われるように、本部が言っている歴史的時点で既に天理王命の名前があった証拠があれば正々堂々全面に出せばいい。嘘だから探しても無いし出せないんです!
布教じゃなくて秀司の博打の借金尻拭いに行ったと言うのが事実の様だが、これまた美談に仕立てられた作り話。本部は嘘の上塗りで信者を騙し、今だに修養科などでも大嘘を信じ込ませています。
全国の教会長は、教祖の時代の原点に立ち時代考察する必要がありそうです。上の嘘に騙されて金集めや人集めに翻弄させられる様では、なんら社会に前向きで建設的な影響を、ましてや人助けなど出来よう筈が無いです。
大亮の結婚披露一大イベントをyoutubeで改めて見て、北朝鮮の将軍様でもあるまいに胸くそが悪くなりました。時は丁度甘露台が倒壊した直後でしたよ。馬鹿かと思った。挙句が世界一の幸せ夫婦になりま〜す。だった。
金返せ〜です。枝葉の子は枯れ果てました。後は根腐れでも何でも好きにやって下さい!
匿名 様
2019年12月6日 9:42 PM
>>差押えが5月だったので、
それ以降、宇佐のお供えが本部に上がらないことで、
本部が宇佐の変調に気付いてないことはないはずです。<<
本部は宇佐の変調に気づいていますが、教庁も表統領室も渉外広報課も詳細は知らないという返答です。(真偽の程は不明です)本部と宇佐との間に何があったのか知りませんが、本部の無責任な態度には呆れかえってしまいます。何があったにしろ、本部は正確で詳細な情報を公式に、正確に、迅速に、信者に周知する義務があるはずです。天理教には立派なホームページも、天理時報という機関誌もあるのですから、決して難しいことではないはずです。教会本部が真相を隠せば隠すほど、傷口は益々化膿し、信者の不信感は益々深まり、天理教の崩壊に拍車がかかることでしょう。
天理教の歴史を調べると、応法の時代について、弾圧を避けるためやむを得ず神道の形式を取り入れたというように説明されていますが、はたして本当でしょうか。
教祖の教えを伝え広めるだけなら江戸時代の隠れキリシタンのように活動することもできたはずです。信仰とは目に見えない無形のもの。心の中まで調べることはできません。(踏み絵のような手段はありますが)
しかし利益を得ようとするならそうはいきません。事実、中山秀司は転輪王講社を設置する以前から、教祖の不思議な助けを利用して信者からの礼金や、をびやほうその御守の販売などで利益を得て他の宗教団体とトラブルを起こしたり、人集めのために宿屋、蒸風呂を無許可で営業して警察のお世話になったりしています。
さて、ここからは私の推測であり、与太話と言われて結構ですが・・・
秀司と妻まつえの死後、中山の姓を手に入れた真之亮は、秀司が残した宗教ビジネスを拡大し、天下御免で商売したいと考えた。それなら国家権力と手を組むのが手っ取り早いけれど、それは教祖が許してくれない。真之亮の目的は商売であり、布教は手段でしかなく、欲しいものは教祖を慕って集まった信者たちであって、もはや教祖は邪魔な存在でしかなかった。明治20年に教祖が亡くなると、待っていたかのように翌年には神道天理教会を設立、初代真柱(当時は館長)となった中山真之亮は教内における絶対的な権威を手に入れた。
そういえば教祖最後の御苦労の際、真之亮は一人早く釈放されていますね。教祖は命を縮めるほどの凄まじい拷問を受けたというのに、真之亮と警察の間には何かありそうな気がするのは私だけかな。まつえの死にも不自然な点があったり、なにぶん科学的捜査のない時代ですから。もはやサスペンスの世界、いつか「中山家の一族」なんて映画化されないものか。
冗談はさておき神道天理教会の設立後、教団への弾圧は教内において天皇を神とする応法派による教祖派に対する弾圧へと変化します。
長い時を経て第2次大戦が終結し、天皇が人間宣言すると天理教の信者たちにとっては中山家が皇室に取って代わったようなものでした。これで中山家は神の血統として権威を確立できたわけです。戦後、復元と称して神道の様式を捨て始めたのは戦争協力を追及されるのを恐れたのでしょうか。しかし天皇が戦犯となることもなく、GHQが去ってしまうと復元も止まってしまいました。
天理教という組織は長い時間をかけて腐敗したのではなく、はじめから営利目的の組織だったのだと思います。明治21年の神道天理教会設立は教祖に対するクーデターのようなものだった。それが130年も続いたのは神道の様式をとって国家権力を上手く利用したこと、天然痘と結核の爆発的な流行、戦争による混乱などによるものでしょう。しかし最大の理由は、教団に利用された親神様と教祖が真実のものだったことだと、私は信じています。
宇佐大教会部内末端教会は大教会建設時(平成7年)に相当額のお供えをしてるでしょうね。その借金も終わらない内に破綻して更に又部内が買い取った。
二重の借金で部内信者にとっては二重の借金地獄で有り二重の借金苦です。
まさにきりなし普請。
直ぐに銀行から借りろみたいな事をお上は言うが一体こいつらは何様なんだろう。
銀行から借りて返せないと途方に暮れた所で待っているのは自殺か鬱か大教会一家の様に夜逃げか?
これが世界たすけ?
これが人だすけか?冗談じゃない。
そろそろ本部も本当の事を発表したらどうなんだろ。
参考さんのお話は、説得力ありすぎです。
つまり、今ある、天理教の信仰的外形は、教祖に関係なく作られて来た
それが、事実なら、教団のあり方、存在が問われる、重要事項です。
もう天理教が瓦解してしまうお話です。
実際、結婚パレードなど、なんの宗教的意味合いもありませんけどね
ただ、愛町分教会初代様に見られる様な、助けの奇跡があったのも
事実かと思います、ただのプラシーボ、思い込みだけなら
普通の拝み祈祷、加持祈祷だって、もっと一般化していますよね
一方で人間思案で教団組織が作られながら
一方で、真実、神が求められ、加護と奇跡も起きたからこそ
一時は、日本を席巻する程の巨大教団になったわけで
今でも、教団の嘘を暴いても、教団は教団、私は親神様を信じる
身上助けの奇跡を頂いた、神はいらっしゃる!
と言う教会長や信者さんが、多数見えるので、天理教は、
教団は衰退しつつも、信仰はまだまだ続くと思います。
神を信じていない人には奇跡も信じないし起きにくい
そう言う人は離れるでしょうし
信じて持たれた人には、時に奇跡が起きる
そんな人は、離れないでしょう
まあ、教団と距離を取って、わずかなお供えと参拝時のお賽銭
その位で生活していたら、天理教を信仰していても困らないので
教会子弟とか濃い関係者は減り、薄く信仰する信者は
そこそこ居るって言う構図が続く気がします。
>>直ぐに銀行から借りろみたいな事をお上は言うが一体こいつらは何様なんだろう。<<
宇佐大教会は九州にもかかわらず、本部お抱えの南都銀行から借金させた(させられた?)みたいですね。借りさせる時には本部後ろ盾があるとして本部口利きで簡単に借りられたのでしょう。
神を利用した嘘の理屈で、教団では普請、修繕、大掛かりな工事等の前には莫大なお金を理立てと称して上納させます。
宇佐に対しても本部は誰がどこで借金しようと自分の腹は痛まないのです。その人に借金させたお金から一部を自分達の懐に入れるのです。今回、宇佐が破綻しても本部は知らん顔で我関せずです。
さすが、教祖の反対を押し切って金儲け目的で教団を立ち上げた秀司を筆頭に中山家末裔が編み出した巧妙、かつ卑怯な手口です。
営利目的の似非宗教団体の中に身を置いても、神様は何処にでもいらっしゃるから奇跡を頂くこともできる。この世界、いや宇宙すべてが神様の懐の中なのだから。
私自身、信仰3代目として生まれ60年近くの間、何度となく命の危機から救われ、奇蹟を体験してきました。そのため親神様と教祖に対する想いは今も変わることはありません。
しかし、いつの頃からか教会の行事や、そこで関わる人々の言動や態度などに違和感とか矛盾のようなものを感じることが多くなりました。100年祭の頃、週刊誌で教会長の自殺の記事を見ましたが、その頃はまだあまり考えないようにしていました。
甘露台の倒壊以降だったと思います。何かの調べ事をしていて、このサイトに行き当たりました。ここには長年抱いてきた疑問を解決するのに必要な情報が溢れかえっていました。これまで書いてきたことは殆どが、この社会学のサイトと、その関連のサイトから得た知識と情報を、整理し再構築したものです。第一節に関してなど今では確信に近いものがあります。非社交的な性格ゆえ、なるべく沈黙を通すつもりでしたが、匿名さんの一人の「社会学に書きつけた思考の跡が、後に宗教史を研究する史料となる」という言葉に心を動かされました。私たち、特に4代、5代と古くから関わってきた人々は可能な限り、持っている知識・情報・自分自身の体験などを提供すべきかと思います。高齢者の方も最後までお願いします。
ここまで思いながら未だに天理教から離れられない理由は、母が教会の娘だった、ただそれだけなのですが。
匿名 様
2019年12月8日 12:56 PM
>>宇佐に対しても本部は誰がどこで借金しようと自分の腹は痛まないのです。その人に借金させたお金から一部を自分達の懐に入れるのです。今回、宇佐が破綻しても本部は知らん顔で我関せずです。<<
金儲けの為には手段を選ばない。我がさえ良ければ後は野となれ山となれ。カネカネ本部のやり方は終始徹底していますね。宗教法人名義を国に返上するべきです。
知り合いの大教会にしても、返済は信者任せで数億円の借金をしています。バブル期の借金をまだ払っているらしいが、利息分をやっと払ったくらいで中々元本までの返済には程遠いとの事。
要するに大教会は平気で借金をします。後は下へ下へとはっぱをかけて信者や末端に金を上げさせればいいんですから。しかし昨今は信者も馬鹿じゃ無いから逃げる人もいるでしょう。こうしてバブル期当初の目論見は想定外に外れて返済は滞り、第二、第三の宇佐が今後出て来るはずです。それでもこの大教会長は人々が土下座する中、その真ん中を大手を振って歩く殿様をやってます。可哀想な輩です。
天理教はとんでもない集団ですね。歴史をひもとけば嘘がぼろぼろ出て来ています。21回も神名を刷り込んでいかにもありがたい神は天理教にしか居ないかのような工作をしたんですね。もう全てが嘘に思えて信用出来ませんね。
皮肉ですが真実の天理教を求める純粋かつ真実の人ほど、現天理教のやっている事に疑問が噴出して逃げ出されるのですね。皆様こつこつと深く天理教の歴史を検証しておられ、内容の矛盾をあぶり出し、私も多くの事を学ばせて頂いております。
しかしながら、こんなに暴かれても本部本体から反論が出ないのが不思議です。勝ち目が無いからだんまりを決めているのでしょうか。
30年位ぶりに『天理教よ蘇れ!』を読み直した。本当に心が痛むような事件や苦しむ教会長の様子などが今更もって心に刺さってくるような気がする。あの百年祭は何だったのだろうか。各大教会の集金、心定めなどのノルマ等、本当に心から教祖を思い、勇んでやっていた教会長、信者は何%位いたのだろうか。あれから30年以上が過ぎたのに何も変わっていないような気がする。変わったのは世の中であり、天理教教団は何も変わらず、変われないが故に衰退している。財政的にも人材的にも衰退の一途を辿っていることは紛れもない事実で誰もが認めるところだ。
その原因やそれに至る過程などを調べていくと、だんだん見えてくるものがある。今の「天理教」というのはそもそも「天理教を名乗れる団体ではない」と言ったら、信じられるか? 教祖が中山みきであり、その教えの団体であるから間違いないとついて行ったり、我家の代々続いている信仰が「天理教」だからということで、心の中では何かおかしいと思っても離れられなかったり、距離を置きながらでもつながろうとしている人も多いように見受けられる。何も調べず、ただ与えられる教内の出版物だけで道を求めようとすれば、必ず葛藤が起こるはずである。
発想を変えて、教祖中山みきと現在の天理教は関係ない、或いは根元はそうだが、時代の流れの中で教祖みきの描くものとは違う教団に変わってしまったものだとしたら、葛藤も和らぐのではないだろうか。世界助けを急ぐから明治20年に姿をかくし、今も人間の陽気に助け合う世の中を実現するために働いている。しかし、みきが在世の時から既に宗教というモノに、金というモノに、教団というモノに憑りつかれた側近者がいて応法の道を選び、神道の一派として生き延び、組織を強固なものするために国とも連携しながら大きくなってきた組織が現状の『天理教』であると少し調べればわかってくる。本席亡き後は更にその傾向は強まり、二代真柱の時代で完成し、教団としては安泰になった面もあるのかもしれない。しかし、本来、白紙に戻って一からやり直さなければならない旬に、神籬、しめ縄、玉串をやめ、神道色を少し削るくらいのことで、肝心要の教祖の教えを忠実に守り、みきの理想とする世界の実現へ向かう組織としては何も変えられなかったのではないだろうか。もっとも中山家を中心とした宗教の大きな教団を作ることなど教祖みきは望んでもいなかったのではないか。
あと4~5年もすれば140年祭に向けて「三年千日」だと、また掛け声が始まるのだろうか?笛吹けど誰も踊らずになるのだろうか。今のままではいけないことは誰もが思っていることではないだろうか。100年祭前の悲惨な事件が繰り返されるのだろうか。
やめるにやめられない教会長も多くいることだろう。がんじがらめになっている上、長く続いた我が家の信仰から離れるという罪悪感で一歩踏み出せない人も多いのかと思う。ある教会長に「教会をお返ししたら?」と言えば、「そんなことをしたら、家族全員、住むところから考えなければならないし、路頭に迷うことになるから無理だ」と。では、「包括関係を解いて、一宗教法人として独立して、真に教祖みきの教えを実践し、陽気世界実現のためにがんばってはどうか」と勧めても、「難しい手続きはわからないし、反旗を翻すことはできない」とのことだ。八方塞とはこのことだろうか。
しかし、どこの大教会でもいよいよ会長不在や信者がいないなどの分教会整理が始まっているようだ。名称だけ残っているところも全国に多々ある。大正時代の倍加運動で異常に増えた教会が末端教会としてピラミッドの底辺で喘ぎながらも教団を支えてきた構造が崩れ、更に加速しているように感じる。これも神の働きからくるものだとすれば、人間は受け入れるしかないのかとも思う。
人は神ではない。神格化したり組織の中で上下を作るようなことをしてはいけない。この世をはじめた親神からみれば世界一列はみな子供であり、その一列は皆、兄弟であり他人ということはない。まずは教理と組織が乖離したその部分から改革しなければ教会の名称整理などしても意味がないのではないだろうか。
下々の信仰者からの上に対する発言は、ほぼ全て『不足』として捉えられる。
何を言ったか
ではなく、
誰が言ったか
で捉えられ方が変わる組織。
教会の上下も、婦人会も、青年会も、教区も、全て『誰(立場)』が発した言葉か が重要。
本部の思わくから外れる者や教会はたしなめられ、疎外、阻害される。
しかし、多くの人足とお供えを持っていき、黙認されている某分教会もある。
複雑だが、金と力の関係が確実に形に現れている。
経済弱者、情報弱者、下級教会はいつまでも支える側に回る。
それにあぐらをかいて踏ん反り返る上に立つ者達。
教祖が望んだ姿や人々の生き方、考え方、親神からの教えを説きながら、昔からこの様な現状である。
もう変われないし、変わらない。
衰退し続けるしかない。
真柱の後継者に神が降りてくるしか道は無い。
降りてきても、それを本部が認めて受け入れるかは分からないが。
宇佐のように財政が逼迫している大教会はどこですか?
国立国会図書館デジタルコレクションは非常に便利だと思います。「天理教」で検索しただけで700冊は出てきました。いろいろと検索ワードを変えて試してみましたが、最も古い「みかぐらうた」は明治21年10月印刷のもので、著者が中山美支とされています。当時、思想犯とみなされた教祖の名は教団設立の障害と考えたのか。残念ながら教祖在世中の「みかぐらうた」はみつけられませんでした。
明治21年以降は教団の宣伝のため提供されたのか、多くの書物が残されています。昭和16年12月、日米開戦時に出された諭立第12号の表紙に大きく書かれた「必勝日本」の文字には笑ってしまいましたが。
天理教を批判する書物も多く、昭和5年には「天理教その搾取戦術」なんて本も出版されていて、けっこう社会学に書かれた事柄に通ずる内容のようで興味深いですね。
皆さんも国立国会図書館デジタルコレクションを大いに活用してみては。文字が小さい、漢字が古いなどの難点はありますが、ダウンロードしてPDFファイルで保存できますし、拡大すればなんとか読める。それに何といっても、タダですから。
http://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&viewRestricted=0
国会図書館のデジタル資料を見てみました。
昭和11年発行の「社会科学から見た新興宗教の暴露」の中、「天理教の巧妙な搾取の組織」と言う部分を読んでみました。
・・・財産は心の芥(ゴミ)だから、そんなものは捨ててしまえ、と云うのであるが、捨てる所がちゃんと決まっていて、よそへ捨てたら何にもならんのである。
捨てる場所と云うのは丹波市の御地場の御本部と、こうウマイ仕組みになっているので、芥(ゴミ)は他の社会事業や国防費や慈善に寄付したらアカン!逆さまに正しく云えば「財物は心の芥(ゴミ)だから本部へ持って来い」と、こう云うのである。・・・
・・・そうでなけれな管長がデカイ税金取られたり、デカデカした建物が、丹波市にじゃんじゃん出来る訳はないのである。・・・
この冊子は昭和11年発行で、11年当時の管長(真柱)の所得が70余万円だと記載されています。信者に心の芥は本部に捨てろと。それ以外に捨ててはお陰は無いなどど扇動し、管長自らは驚くべき桁違いの金を我が懐に入れていたと言う事実です。
正に「搾取の天理教」は過去から延々と美味い汁を吸って来た。その味が忘れられず、此の期に及んでも今だに搾取の体質を変えていない。過去の資料を鑑みて、善亮の「命の繋ぎはお金」は正に今だに続く「搾取の精神」そのものなのです。
国立国会図書館に保存されている各種資料を丁寧に一つ一つ調査すれば天理教の搾取の歴史、本部の矛盾等、全容がもっと明るみに出るのではないかと思いました。
参考意見さん、ありがとうございました。
すみません。上記資料の著者は佐藤信淵先生。発行元は大阪都民新聞社発行です。
追記させていただきます。
教団運営が神の思し召し、教祖様の想いから外れて、人間思案で肥大化した事は事実の様ですね、しかし一方で、神の守護、お助け、不思議もあるから、広がったとも言える。
とは言っても、創価学会、霊友会、立正佼成会などの昭和の仏教系大教団には、仏のお助けと言う明確な話はほとんど無く、横のつながり、団体帰属意識を利用した、時代の流行りの様な物だとも言える。
私自身、実際に霊友会子弟として育っても、それ以上の想いは持っていませんので。
天理教も、集団おぢば帰りなどの、団体帰属意識を利用した、巨大化がないとは言えませんよね、昭和40年代50年代は、信者では無いけど、観光バス旅行気分でのおぢば帰り参加って、ありましたもん。
私の従兄弟の嫁は、愛町の熱心な信者ですけど、話して行くと、信仰心やお助けの不思議より、団体帰属意識が優先されているのと、神社に願掛けするのと変わら無い意識で信仰してる部分が多い、単純に参加するのが楽しいからやってると言う印象です。
親様様は、本部の行いに天罰を与えない、放置されている、偉い人の心使いの間違いに、見える形で天罰を与えない、だから最初から、いないのだ、と言う意見も判ります。
教団の衰退は、単に時代の流れだとも、言えますからね。
真柱様が、不摂生で早めに亡くなってる様ですが、天罰より、不健康は短命であると言う、当然のお話の様に見えます。
私個人の意見に過ぎませんが、(神)と言う存在は、個人に影響を与えても、社会を直接動かそうとはなさらない、と感じます。 社会を形作るのは人間の仕事であり、神は個人の祈りに守護と知恵を与えて下さっても、目に見える形で、社会には手を出さない、それは教団運営にも、直接は手を出さない、本部が神のお心、お知恵を無視しても、神は手を引かれるだけで、本部を罰したりしないと言う事でしょうね。
だから、教団運営を批判して、神のお心に沿う様に変えて行くのは、信者の行動であり、間違っていると思われる決め事に、批判なく従う事は、神から見ても嘆かわしい?と言えるのでは無いでしょうか?
神に祈っても教団は人間の欲と行動で動いていますから、変わらない、教団を変えるのは、祈りを持って、教えを理解して、神のお心を理解して、理想の姿に変えて行こうと行動する信者の(仕事)でしょうね、
だから教団運営に正当な批判を行う事は、神に逆らう行動では無く、これも神の思し召しであると言えると思います。
社会を動かすのは、人間の仕事であり、異なる文化、異なる思想、異なる宗教であっても、互いに尊重しあい、共存共栄できる社会を作るには、社会哲学や人権意識、法律と言うのを大事にする民主主義を確立する必要があり、一つの神の名の下に世界を統一するのは、無理であり、神は個人的なものであると言う事を理解できたら、もうちょっと、イスラム教キリスト教などの争いも無くなると思います。
ヒンズー教のインドだって、人権意識の無さは中東と同じく酷いと感じますもんね。
まだしも、多神教の日本の方が、他者に寛容か?民主主義に近いかな?なんて思ったりします。
天理教を変えるのは天理教徒の仕事でしょうか?頑張って下さい。
追伸、訂正、連投すみません
親様様は→ 親神様
私個人は、実在する御守護神に祈り、エネルギーとして、神の知恵とお心、命の力を頂き、私や家族を守護して頂くのと、同時に自分の魂を向上させ導いてもらうと言うのが信仰の目的であり、自分を人間として良くして行くのが第一です。
だから、社会に対しては、神と言う存在は出さず、理念、思想により、政党に参加して、選挙活動や、ボランティアなどを通じて社会参加をしています。
神への信仰と、社会哲学、思想を分けていますので、無神論者と思われる事も多いですけどもね
ただ父親
2019年12月10日 7:55 AM
>>私個人は、実在する御守護神に祈り、エネルギーとして、神の知恵とお心、命の力を頂き、私や家族を守護して頂くのと、同時に自分の魂を向上させ導いてもらうと言うのが信仰の目的であり、自分を人間として良くして行くのが第一です。
だから、社会に対しては、神と言う存在は出さず、理念、思想により、政党に参加して、選挙活動や、ボランティアなどを通じて社会参加をしています。
神への信仰と、社会哲学、思想を分けていますので、無神論者と思われる事も多いですけどもね<<
要するに、自分自身、自分の家族のための「御利益信仰」というレベルだということですね。つい最近、アフガニスタンではからずも殉職された故中村医師(クリスチャン)とは、やはり根本的に違うのでしょうね。
こんにちは。
中村さんは、素晴らしいと思いますよね、私も、悲しいです。
ところで、崩壊さん
私を見下げて、楽しいですか? 人の信仰心を誹謗して、あなたは楽しいのですか?
私はそう言う事を言っているのです。
崩壊さんは、性格が未熟であると、私は感じています。
私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
その、私の志を支えているのが、信仰であって、
その信仰を人に押し付けたりはしない、人に説くためにやってるのでは無いのです
あくまで、私の人間性を向上させる、内的な物です。
ただ父親 様
2019年12月10日 12:21 PM
>>私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
その、私の志を支えているのが、信仰であって、
その信仰を人に押し付けたりはしない、人に説くためにやってるのでは無いのです
あくまで、私の人間性を向上させる、内的な物です。<<
そういう崇高な信念をお持ちであれば、決して貴方を見下げるどころか、尊敬いたします。私は精神的に未熟だと自分自身でも感じることがあります。不愉快な投稿をして申し訳ございませんでした。
誰もただ父様の孤独論に興味が無いってことです。
「財物は心の芥(ゴミ)だから、よそへ捨てずに本部へ持って来い」なんて、ほとんどコントのネタのようですね。
今なら誰も本気にしないでしょうが、まだ医術の発達していない時代、特に命の危機に瀕した人々は、藁にも縋る思いで信じ、従ってしまったのでしょう。
それにインターネットやテレビのような情報もない時代、たとえ嘘でも天皇を神として祀る宗教団体に逆らうことは、国家に対する反逆のように、信者たちは感じたかもしれません。
あの軍国主義の時代、教団は国家の政策に迎合し、戦争にも積極的に協力して、初代真柱は勲章まで授与されています。
それだからこそ、今なら霊感商法などと、マスコミにとりあげられ社会問題になるようなことも、まかり通ってきたのだと思います。
昭和55年(1980年)に福永法源により創始された法の華三法行が平成15年(2003年)の解散までに集めた金は、約一千億だそうです。
天理教は130年のあいだに、どれだけ集めたのでしょうか。
地球上がね、異なる文化、異なる思想、異なる宗教を持つ人々であっても、男でも女でも、互いに尊重しあい、助け合い、共存共栄できる世界になれば良いと思っていますよ。
一つの宗教、一つの神様で統一できる様な世界では無いと思っています。
その為に、神の知恵として民主主義があり、みんなで話し合い、法律を作り、それを守る事が必要であると思っています。
それとね
あなたの言う事に興味無いのも自由ですが、一言、くさしてやろう、皮肉を言ってやろうというのが人間の我であり、性格ですよね、(笑)
その我を自らとらえて、正すのに、信仰は助けになるかと思います
ご利益を求めて、お供えしようとするのは欲であり、欲を制御するのは信仰だろうとも思います。
だから私は、必要以上に、宗教にお供えは、しませんよ・・・
ありがとうございました〜
教会長です。
教会は独立採算にしてはと思います。
信者さんに頼らず会長の稼ぎで教会を運営してお供えは信者さんと相談して使用目的を考えるそれはおかしいでしょうか。
上級を食べさせるお供えはやめてもよいと思います。
抱括解除は難しいです。これからどうしようかなと思っています。
上記の匿名です 様
先ず、宗教法人法をしっかりとお読みください。包括解除を意思表示された時点で、上級や本部は一切手出しができなくなりますからご安心ください。いろいろな手続きが必要になりますが、訳の分からないお供えをする必要はなくなります。
包括解除は難しいことはありません。ここに投稿されている能力をお持ちのことからも分かります。
先ず、お住いの都道府県庁の宗教担当課へ相談に行かれることです。そのためにも、くどいようですが宗教法人法の要点を理解されておくことが大切です。特に、第4章は大切ですから熟知してください。
次に大切なことは、一にも、二にも記録を録られることです。何時何時の何時から何時までどこへ行った、その目的と会話の結果を残さず一冊のノートに時系列的に記録されることです。時には録音機を持って行き、相手の了解が得られれば、会話なり要件を録音されることです。全ては記録から始まります。
加藤ハルアキさんのブログをご覧になったでしょうか。教会長さんですから時間的余裕はサラリーマン等に比べればおありでしょう。迷われることはないと思います。
おっしゃて居られる趣旨に大賛成です。親神は本部にのみ居られるのではないと思っています。国々所々の言葉通りだと思っています。
>>私は、人を見下げないし、世の中の困っている人を助ける様に生きています。
>>政治に参加して、ボランティアにも参加しています。
それはそれは大層ご立派であらせられます。
でも本当に偉い人ほど、そういうの口に出さないよね。
天理教上層部の人たちを見てごらんなさいよ。大手を振って歩いてる人ばかりだから。
ただ父さんは人から愛されれば変われるでしょう。
自分の姿は見えにくいから、まずは奥さんと心を通わせたら良いのでは?
子供さんもまだ、高校生であれば、あたたかな家族が必要な時期です。
我を正すのに信仰が助けになると、自分で解っているからには初めの一歩は家庭でしょう。
知りもしない人、見ていない事も見て来たかの様に書かれるのは、毎回慣れていますけど、思わず、噴き出しました・・(笑)
まあ、互いに否定し合い、皮肉を言い合うのが、人間の我ですと書いたわけです。
私の文章が高慢であると言う風にとらえる人もいれば、そうですよねって、気にされない人も見えるでしょう。
そう言うのも、受け手の我の問題だと、何度も書いたよ。
私の言った事は、私にもブーメランになると承知しながら、書いています
だから、切りが無いので言い返しはしませんけども
言いたい事は、宗教は外に誇示する面がありますけど、信仰とは、内面的なものでしょうと言う事です。
信仰で内面を磨き、思想と理念で社会に参加する、と言う方法であれば、宗教同士も、否定し合う必要が無いだろうにって思う事ですよ。
神の働きは、教団の欲とは無関係に働くかもしれない、だから親神様は、教団本部に直接戒めを与えないから、ここまで来たのでしょう。
だから、天理教団を変えて行くのは、信者の仕事だろうって、言ってる訳ですよ。
離脱だって、本部は怒っても、親神様はお怒りにはならないと、私は考えています。
離脱した方が良いと考えるなら、躊躇無く離脱されたら良いと思っています。
頑張って下さい。
追伸、連投失礼します
私個人は自営農家で夫婦共働きです、上の子は国立大学に行っています、末っ子は天理高校2部ですが、地元の高校を嫌い自分で決めましたし、次は専門学校から東京に行って就職したいと言っていますし、基本的に息子の自由にさせています。
おかげ様で、夫婦仲、親子関係も、まずまずです、これも、信仰による加護と自己制御のおかげでしょう。
その信仰により、家族に制限させる事、我慢を強いる事は、私の場合は、何もありません、ただ、そう言う話をするだけで、友人の天理教教会長の生き方を(否定する)事にもなってしまう、信仰が家族生活に制限を与えて、長男に教会を継がせると決定している事の否定になる事も承知しています。
私個人は、信仰と思想を分けているけど、それも天理教信者には否定に聞こえる、致し方ありませんよね。
どうもすみません、聞き流して下さいませ。
♡♡♡ 中村哲医師の活動について思うこと ♡♡♡
中村哲医師の殉職後、毎日のようにテレビや新聞で彼の功績を讃える報道を見るたびに、私も妻も涙を流しています。世界は何と貴重な偉人を失ってしまったのでしょう。残念でしかたがありません。彼のアフガニスタンでの活動は「人間愛」「隣人愛」に満ちあふれたものだったと思います。彼は熱心なキリスト教徒ですが、「隣人愛」を説くキリスト教の教えを忠実に守り、体現していたのでしょう。彼の真似をできるような人は、そうそういないと思いますが、天理教の「人たすけ」という言葉が、陳腐で空虚に感じるのは、私たち夫婦だけでしょうか。
https://youpouch.com/2014/10/12/228076/
匿名です 様
2019年12月10日 5:13 PM
再度、失礼します。カトウハルアキ様のブログに次の案内が書かれています。一度アクセスされては如何ですか。
>この度、本ブログ「1/17000の闘争と逃走」の記事を参考にして、所属教団から離脱し独自の活動を始めた教会(宗教法人)が複数集まり、「ひながたの会」を設立することになりました。
離脱後の活動や行政手続き、信仰について情報交換をし、銘々の活動に役立てると共に、自分達が救われた事(離脱の経験)を伝え、後に続く人(教会・宗教法人)の支援をするためです。
詳しくは、http://mikagurauta.grupo.jp/をご確認ください。<
と、あります。限界集落にある天高二部同窓生の教会も名称の維持が難しくなってきて、カトウ様のブログを見て勉強しています。
南都銀行から借金、ですか?
宇佐大教会の抵当権は三和銀行奈良支店にあったようですが、その他にも南都銀行から融資を受けていた、という事ですか?
いろいろな事に詳しい人から聞いた話では「悪◯高き南都銀行」からと聞きましたが、、。南都からも有ったのかも知れません。
こちらで三和銀行と聞いてあれ?と思いました。
アメリカのどこかの大教会が5億円を借りて神殿普請したという話を聞いたことがあります。その場合、銀行は日本とアメリカのどちらなのでしょうか。
どこでも南都銀行というように決まっているなら、自分のところの教会も安心はできないかもしれないと、ちょっと気になったものですから。
その人云く、本部は借りる時は簡単に「借れ借れ」と言うそうです。貸す方も本部がついているからハードルが低く安心して貸すのでしょう。銀行ですから当然担保は設定していたでしょうが。
今回、当該大教会と関係がねじれ、その後支払いが滞って大騒動になっても本部は知らん顔のようです。結局取られてしまう前に部内が買い取ったと言う事ですね。
今回三和か南都かは定かではありませんが、本部と南都は仲良し関係で、信者は注意して用心するに越したことはありません。
余談ですが、うちの上上級教会が借金する際、我々末端教会などへは借り入れ金額も返済計画の相談も皆無で、末端が口を挟む隙間はなく、長年借金のつけだけ覆いかぶさって来ました。相談もない借金、なんでうちが払う義務があるんだ。教会の土地でも切り売りして自分で払え、いい歳の子供らに大教会でぶらぶらさせずに社会に出て働かせて親の借金なら払わせろと言ってやりました。相談しないといけないのか?とふざけた事を言ってました。天理教は上意下達が当たり前です。我々は黙って踏みにじられる虫けらです。
上が勝手に借金して払えなくなれば、第2の宇佐と言う事です。
明治36年・本部は教祖を否定する
教祖を神として教え、天皇を神と教えない教師は不良教師として粛清する。平野樽蔵らが「天理教会本部は天皇と天皇の先祖を神様と言っている。教祖を神様と言う者は不良教師である。辞任してお詫びせい」と迫り、約1400名の教師が辞任させられている。泉田藤吉、万田万吉ら大教会を設立していた教祖直系の高弟まで累に及んでいる。
明治37年
戦争協力体制へ進んでいくことになり、「借金をしてでも戦時国債を買え」という本部方針の下で250万円以上の戦時国債を買い協力した。日露戦争後、真柱の真之亮に勲六等の勲章が出される。
明治時代の1円は現在の約2万円。
天理教は約500憶円の戦時国債を買った事になる。そして、初代真柱に勲章が出された。
1914(大正3)年
12月31日、初代真柱(中山真治郎)が出直し(享年49歳)。背中に出来たできものが原因。
昭和11年当時の管長(二代真柱)の所得が70余万円。
米10Kが2.4円 現在3000円としても約1000倍。
当時の真柱の所得は、現在の7~8億円以上となる。
まさに金権体質だと思う。
(参考・れんだいこブログ)
♡♡♡ 中村哲医師の活動について思うこと ♡♡♡
中村医師の活動により広大な砂漠が緑豊かな大地に変貌しました。
素晴らしい活動です。
しかし、この緑の大地に起こった次の出来事は何と「土地争い」だそうです。
ペシャワール会の会見によると
中村医師が用水を建設すると土地の値段が30倍から40倍に跳ね上がり、土地をめぐって部族間の争いが起こったり、土地の軍閥が勝手に陣地を構築して土地を私物化する状況が起こってきたそうです。
現地の情報のよると、中村医師はこの争いに巻き込まれたらしいとの事です。
この世は、本当に欲に切りない世界だと思います。
> 今回三和か南都かは定かではありませんが
抵当権があったのは三和銀行(現三菱UFJ銀行)奈良支店で間違いありません。
登記簿謄本の画像を確認致しました。
少なくとも、宇佐大教会の土地建物を担保に融資をしていたのは南都銀行ではありません。
(本部と南都銀行の蜜月は否定しませんが)
匿名です
2019年12月10日 5:13 PM様
>抱括解除は難しいです。これからどうしようかなと思っています。
私はこの掲示板に出会い近年離脱した末端教会の長男で教会長です。
僭越ながら、1つアドバイスさせていただきます。
先ず、「被包括関係の廃止」はとても簡単な法手続きです。
ご安心ください、難しくありません事務的に必要書類を作成し手順通りにするだけで完了します。
手続き方法は全て管轄行政/都道府県庁の文書課の担当者が教えてくれます。
ただし、絶対にやってはいけない事が1つだけあります。
事前に「被包括関係の廃止を検討していることを教会関係に知られてはいけない」です。
教会関係とは、大教会はもちろん上級や兄弟教会、支部や近隣教会など教団関係全てです。
情報漏洩すると、必ず妨害や邪魔が入りますのでご注意ください。
ベストな方法は、先ず加藤ハルアキ氏のブログを確認されることをお勧めします。
実際の手続き方法や課題などがノンフィクションのストーリーでわかりやすく掲載されてます。
ご自身のシミュレーションのご参考になると思います。
参考:加藤ハルアキ氏のブログ
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei/entry-12356106667.html?frm_src=favoritemail
「ただ父親」様
横レス、失礼をします。門外漢なのに、再三、投稿する失礼をお詫びします。
「匿名」様と「ただ父親」様の議論は、おそらく多くの宗教団体でも同様の議論が起こりうると思います。
天理教を例にあげると、天理教という組織が目的とする「中山みき先生が説かれた真理を実践し、世界に広める」という目的自体は何もおかしなことはありません。天理教が学校法人を設立し、多くの子弟を教育されているのは立派なことです。学校法人の設立にかかる莫大な費用を考慮すると、偉業と言えるでしょう。
しかし、組織が目的を達成する活動をするためには、お金も人手も必要です。その負担は、当然、組織の構成員にかかってきます。想像ですが、天理教の人たちが憤慨しているのは、おそらく、その負担があまりにも重く、決定事項に教義との整合性がない点や情実や縁故が散見される点にあると思われます。その結果、熱心な信徒の家庭が破壊され、子弟が貧困に喘ぐという窮状が起きていたのです。
逆に言うと、仮に、天理教の全部の信徒が、立教以来、それぞれ必要最小限のお布施や献金しかしなければ、天理教の学校などできなかった可能性があります。天理教の高校も、言い方は悪いが、天理教の人の中には、多くの人の血と涙の上にできていると感じる人もいるかもしれません。
私個人は、「ただ父親」様のお考えに共鳴できる点も多いです。ただ、この掲示板は、いわば「天理教の被害者」が多く投稿される掲示板です。そう言う場所で意見を述べる場合は、組織と距離感を保つ信仰生活をされていると言う投稿は、一部の人のトラウマと抵触する危険性もあります。天理教がそうだとは言いませんが、政治団体や宗教団体は程度の差はあれ、信徒をマインドコントロールすることで組織運営をする傾向はあります。そう言う被害に実際に合った人にとっては、傷口に塩を刷り込まれるような反応を覚えると思います。
その点を配慮されたら、もっと素晴らしい投稿になったと思います。
せっかく、素晴らしい投稿をされたのに、ケチをつけるような投稿をした点をお詫びします。
また、「ただ父親」様のご投稿を拝見し、多くの点で勉強になった点も申し添えます。
最後になりましたが、益々のご健筆を心からお祈り申し上げます。
「教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。彼らは与えられた特別な能力によって神の意志を受け取り、それを人々に伝えるという役目を受けて送り出されてきた人間であり、私たちの教祖も、その一人だったのだと思います。
人間であれば、その命には限りがあり、だからこそ「おふでさき」を書き残し、自分の死後、教示を伝えることのできる飯降伊蔵や上田ナライトといった弟子を育てていたのでしょう。組織を作ることなく、人から人へと教えが広まる先々で、人々が助け合う講が自然に結ばれることを望まれたのだと思います。
それなのに中山・梶本家を中心とする宗教屋たちが、山澤為造の親戚である守屋筑前守の協力のもと、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。天啓者の上田ナライトが排除され、国家権力をバックに教祖に忠実な弟子、すなわち教団にとって都合の悪い弟子たちの大粛清が始まりました。泉田藤吉、万田万吉など名だたる高弟たちが辞任を迫られ、暴力を伴って追放され、なかには自殺する者もあったといいます。かつて教祖に無い命を救われたという平野樽蔵は、あっさり教祖を裏切って応法派の筆頭となっていますが、やはりヤクザは宗教ビジネスの旨味をよく理解していたのでしょう。
飯降伊蔵は教団の暴走を抑えたくて残ったのかもしれません。しかし「おさしづ」に「理」という字が約15800回も出てくるところをみると結局は教団の方針に流されていったのかも。まあ、家族を守るため仕方なかったのでしょう。
戦争が終わり、民主主義の時代が訪れ、天皇が神ではないとなると、今度は教団によって天理王命が神、教祖中山みきは地上の神であるということになりました。教祖は姿は無くとも今もこの世界にいて働かれているとされ、その子孫である中山家は神聖不可侵な一族となり、真柱の地位は血統によって受け継がれることに。
そして、ぢばを人間を始めた場所とし、甘露台づとめを独占して、そこに人と金が集まるシステムが構築されていったのだと思います。今では日本国内のみならず、海外にまでも。
どんな宗教にも聖地があり、巡礼というものはあるのでしょう。しかし天理教ほど年中、頻繁なのは珍しいことなのではないでしょうか。
参考意見
2019年12月12日 2:52 AM
「教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。
理路整然とした説明 ありがとうございます。
理解が深まりました。
私も、「みき」は親神の真意を伝える伝道者と思っています。
本席は、神懸かりにはなりますが、神との対話は出来なかったと思います。
普段は実直な大工の伊蔵です。
本席一人で山澤為造やその他の強欲な連中を抑え込むことは非常に困難な事であったと思います。
本席亡き後は、山澤為造・為信親子が天理教を完全に牛耳ってしまったのです。
山澤為造の妻は、梶本ひさです。
ひさの弟が真之亮です。
天理教の初代真柱は、梶本真之亮です。
真之亮が中山家に婿入りして初代真柱になったのです。
つまり、山沢為造は、初代真之亮の義理の兄であり 正善の伯父になります。
更に為造は、長男の為信を正善の妹 玉千代と結婚させて中山姓を手に入れました。
そして為信を御分家と呼ばせて権威付しました。
要するに天理教の実態は、中山家の仮面をつけた山澤教だったのです。
こんな天理教が「世界一列皆兄弟」とか「命の繋ぎは金」とか言ってます。
素晴らしい中村医師、寛容と平等ですかね、中村医師は、アフガンでキリスト教の布教活動をしていた訳ではありませんよね、アフガンのために尽力を尽くした。 中村医師の志を支えていたのが、キリスト教と言う事ですね。
天理教であっても、それを心の支えに、社会参加して人助けに奔走していたら、良いんじゃ無いですか? そう言う素晴らしい人が居るかもしれません。
信仰の道一筋って言ったって、それは布教が仕事になるんだもん、仕事だからお布施をもらう必要があるなら、中村医師とはそりゃ違うでしょ?
参考意見様、ありがとうございます。
参考意見様、おっしゃる事はよくわかります、それはまさにその通り、ありがとうございます、気を付けたいと思います。
もう一つ、私は、人の我と我は、すれ違いに摩擦を生じると言う事も考えています。私は、ここに匿名でコメントもしていますけど、匿名だと意見だけでサラッと抜けても、ただ父親を使うと、奥さんと話し合え? みたいな、本文と無関係な個人の我が現れる、匿名だと相手をイメージできませんが、ただ父親は一定の姿を持っていますからね。
私自身の信仰観は、徳を積んで神になるのでは無く、徳を積むのも肉体の仕事位に思っています。
中村医師は素晴らしい活動をされていました、でもそれで中村医師が天国、上に上がれるかどうかは、中村氏の心持ちの問題であり、他人からは判らないとも思っています。
この世でいろんな経験を積む事で、異なる存在に、寛容さ、情、許す、特に情と言うのは、穏やかな優しさとか、この地上でしか身に付かない事、それらを身につけた上で、霊界に進むと、そう言うことを、普段の神との交流の中で、学んでいます。
こう書いただけで、てめえみたいな、この野郎偉そうに!と言う想いを持つ人を、一定に起こしてしまう、地上とは、そう言う仕組みになっているから仕方がない。
地上においては、異なる文化、異なる思想、異なる宗教であっても、男でも女でも、互いに尊重し合い、たてあえる社会を目指す事、でも人の一生は短いから、社会は、なかなかそうはならない、それを繰り返し繰り返し、理想に近づけて行く世界、その様なことを、経典では無く、祈りの中で守護神から習っているんです。
私にとって、信仰と言うのは、そう言う物なのです。
社会に偉業を成す様な素晴らしい人間では無くとも、できる範囲で、社会に貢献して、積める徳を積んで、寛容さと情、穏やかな優しさを身につけて、あの世に向かおうと言う、個人の志の元です。
ありがとうございました。
中村医師の活動は、見返りを求めない「無償の愛」だと思います。
中村哲 > ただの父親
誰が読んでも文章からにじみ出る書き手の人柄は、比較するのもおこがましいと思うのでは?
無償の愛、神の愛
中村氏の、無償の愛の元になったのが、キリスト教であると言うのは判ります。
天理教でも、教祖様の本当の教えは、無償の愛であったと想像しますが
守護のお礼に、お供えって言う現在では、まったく違ってしまいますよね?
残念でなりません。
天理青年に向けて「世界中の国でお助けを」と大きな展望を持っている大亮青年会長だが、天理青年が中村医師と同レベルの仕事、つまり「無償の救済」をせよとその胸の内を理解して良いのか?
事実上の権力者である彼の父親は「命の繋ぎは金」と公言している。よって困窮の地においても命の危機に瀕している貧困の民に向かって「命の繋ぎは金」と言わねば、教えとしての理屈が通らない。筋が通らない。
大亮は父親が公言しているこの「金と命の教理」をもって世界の救済とどう向き合って行くのだろう。救済は美しいだけの物ではない。誰にも動かせない岩の様な強固な信念が必要です。
大亮が中村医師の様な救済を青年達と共に突き進むなら、善亮が黙っていないだろう。何故なら、無償の救済は「金」にならないから。中村医師の様な救済では人助けの宣伝にはなるだろうが、彼にとっては金の旨味は無いのだから。
また、大亮には有言実行を期待する。衣食住を他人のお世話になって無頓着でぬるい今の生活様態を改め、生きるか死ぬかの最前線で自ら指揮できるのか?出来ないなら、有限不実行ならば誰でも青年会長は出来ますよ。交代制でやって下さいね。
天理教の言っている事は矛盾だらけ。
天理教とは中山の姓を騙った梶本教だとばかり思っていたら、さらに進んで山澤教だったのですね。今まで御分家とは何か、よくわからなかったのが、これで理解できました。
そういえば山澤為造は、教祖の最後の時まで最も近くにいた梶本ひさを監視するためにか、強引に妻にしたなんて話もありましたね。男尊女卑の時代のこと、女性が自分の意志を通すことは難しかったかもしれません。
明治5年の、梶本惣治郎の妻おはるの出直しは、酒席で中山秀司に難癖をつけられた惣治郎が、腹立ちのあまり妻に向かって「去(い)んでくれ」と、捨て言葉を使ったため、神様が望み通りにしたのだということになっています。しかし私は神様が、ただ一度の過ちに、まるで売り言葉に買い言葉のように命まで奪ってしまったとは思えません。もしかしたら逸話編にある「仏惣治郎」などとは二代目真柱によって創られたキャラかもしれず、そこには日常的な家庭内暴力(DV)の存在を疑ってしまいます。また教祖が、桝井伊三郎に
「女房の顔を見てガミガミ腹を立てて叱ることは、これは一番いかんことやで。それだけは、今後決してせんように。」と、仰せになった。(逸話編137 言葉一つ)これも表現を抑えてのDVに対する戒めのように思えます。
この時代、夫の妻に対するDVは珍しくなく、多くの女性が鬱で無気力の状態だったといいます。東本大教会初代の女性会長・中川よしも入信する以前はバタード・ウーマン(被虐待症候群の女性)でした。
私は、教祖が強く望まれたことの一つに、女性の解放と自立があったように思います。そのため読み書きや針仕事などを教えながら、人間のあるべき姿と心を説いて聞かせたのではないでしょうか。
逸話編に幾度となく出てくる、屈強な男たちとの力比べも、女性を侮るなかれという、教祖のデモンストレーションだったかもしれません。農村で働いた教祖は実際に強かったのだと思います。テレビで得た知識ですが、普通の成人女性には片腕で70kgを持ち上げる筋力があるが、それをやれば骨が折れたりするので脳が痛みを発して止めさせるのだそうです。火事の中から死に物狂いの女性が、大切なピアノを一人で引きずり出したなんて話もありましたね。
力比べのエピソードは神の力を示すものとして、教祖を神格化するのに利用されていますが、もし本当に神の力なら、某漫画の主人公みたいに指2本で倒立したり、某空手家より見事に10円玉曲げができたかも。
しかし実際には最後の御苦労で、親指を縛って吊り下げられるという拷問によって、教祖の指は変形してしまっていたそうです。
天理教の諸問題については、法的解決も容易ではないという門外漢様のご意見を受け、昨今「桜を見る会」なる摩訶不思議な国のイベントが野党に追及され、マスコミでも大きく報道されています。今後、どのような展開になっていくのか分かりませんが、天理教の問題についてもマスコミの力を借りてみてはと考えている今日この頃です。具体的な方法については、現在、思案中ですが、何か良いアドバイス等があれば、ご教示願います。
キリスト教をここで持ち上げる方が見えますが、キリスト教と言えども、いろんな歴史がありますし、戦争と切っても切れないですしね、大航海時代なら、植民地にする為の布教や弾圧もあったと思います。
キリスト教だって黒歴史はある。
中村医師は素晴らしい活動をされていたと思いますけど、それは中村医師の生き方であり、1つの人生であると思います。その中村医師が、キリスト教を信仰して、心の拠り所にしていたと言う事が事実だとして、偉人が何を拠り所にしていたかは、人それぞれだとも言えます。
誰しも、あそこまでの生き方は、普通できない、もう別格であると思いますけど、中村医師の生き方を、あれこそ徳を積む生き方だとしても、逆に市井の人間は、多くが徳が足りないって事になります。
徳を積む、人助けをする、善行を積む、それは良い事だと思います。
乙武さんみたいな5体不満足な人の場合、生きていて、子供を作り、不倫までして見せるだけでも、すごい人だと言えます、体の不自由な人に希望を与えます。
宗教は特定しませんが、宗教やるなら、信仰するなら、とりあえずその人生において、できる限り精一杯生きて、家族を幸せに、周りを幸せに、社会を良くして行こうって言う思いで、周りの人に気を使わせず、常に親切で笑顔でいられるか? 毎日自分を向上させて行く指針に、その教えを据えられるか? そう言うことこそ、重要だと思っています。
宗教やってるのに、信仰持ってるのに、感情に任せて人に怒っては、良くないですが、人間だからしょうがないですが、その日のうちに反省するのもしと言う物でしょう。
信仰に限らず、人間性を向上させるための反省模索の心の行動は、誰でもあった方が理想ですね。
偉人と比べて自分は大した事は無いとか、人に、あなたは大した事は無い、なんて言う事も、思う事も、要らない、心のホコリだと思います。
あえて比べて、自分を否定したり、人を否定しても、それは無意味でしょう、自分の向上につなげて行けたら、それが良いと思うんですよね。
天理教者であっても、家族を幸せに、周りを幸せに、いつも笑顔で優しくある事、教祖様の教えを理解して、自分を向上させて、人生を良くして行ったら、それは正解じゃ無いのかな?
天理教が悪いって言うより、そうできない、そうさせない、現実の教団運営に、問題があると言う事ですね。
そう言う現実を変えて行くのも、善行の一つですよね、頑張って変えよう。
訂正 その日のうちに反省するのもしと言う物でしょう。
その日のうちに反省するのも、信仰と言う物でしょう。
すみません
中村医師の座右の銘は、天台宗の開祖 最澄の説いた「一隅を照らす」という教えです。彼はキリスト教徒でしたが、キリスト教という特定の宗教に固執せず、宗教の垣根を超えて「人類の幸福」を追求した人物だったと思います。下記に「一隅を照らす」のあらましを天台宗のHPをお借りして紹介いたします。
http://ichigu.net/digest/index.php
よく不正や不当な出来事が生じると、裁判に訴えて違法不当な出来事を正そうとします。
確かに裁判の目的は「社会正義の実現」ですが、実際の裁判では社会正義の実現が難しいのも事実です。
もちろん、明確な法律違反があり、かつ、しっかりとした証拠があれば、裁判で勝訴するのは可能ですが、それでも費用や労力は大変なものがあります。
そこで、メディアに訴えて、社会正義の実現を目指す人が多いです。実際、裁判よりもその方が確実だと言えます。しかし、メディアでも、やはり名誉毀損や信用毀損などの理由で訴えられる危険性があり、雑誌社などは常に訴訟を意識しながら、記事を出しています。メディアに訴える場合は、訴訟になっても大丈夫なだけの資料や証拠を提供することが必要です。
それで思い出すのは、伊藤律の伝記「偽りの烙印」です。伊藤律は、日本共産党の幹部の一人でしたが、共産党内部の権力闘争に負け、中国で監禁されます。その後、ゾルゲ事件などに関して、共産党側から「スパイ」との烙印を押されて除名されます。伊藤は、なんと、27年間も正当な理由もなく中国で投獄されます。その後、釈放され帰国した時には廃人同様になっていました。帰国後、伊藤は、自分はスパイではないと語りますが、松本清張や尾崎秀樹などの大物作家が伊藤をスパイであるという著作を広めたので、彼の声は無視され、失意のうちに世をさります。
伊藤の寂しい葬儀に出席した支援者の一人である渡部富哉は、伊藤の名誉回復を考えます。そして「事実をして語らしめる」というスタンスで、入手できる限りの資料を検討し、存命中の関係者に取材し、その調査の結果を「偽りの烙印」という本にまとめます。その内容は、取材した事実を持って、伊藤のスパイ説の根拠を一つづつ論破するというスタイルでした。この本が契機となり、伊藤に有利な証拠が次々に発掘されます。これを持って、伊藤の遺族や渡部は、メディアに伊藤をスパイとする出版物の訂正(例えば、松本清張の昭和史発掘など)を要求し、メディア側も善処を約束するに至ります。
今日では、伊藤をスパイとする説は、ほぼ否定されています。
主義主張に違いはありますが、渡部のやり方は、社会正義の実現というスタンスで考えると、一つの手本になると思います。
政治や宗教の問題となると、やはり感情に走りがちですが、それでは限界があります。
「事実をして語らしめる」というスタンスは、ある出来事について事実を淡々と述べると同時に、それを裏付ける証拠も淡々と述べるということになると思います。
追伸
あと、思いつくままに書かせていただきます。
*生存している人への名誉毀損は成立しやすいですが、亡くなられた方については名誉毀損の成立条件は厳しくなります。
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損がしにくくなります。(月刊ペン事件)
*事実であっても、プライバシー侵害にあたる場合は、不法行為(民法709条)にあたる場合があります。
*宗教の教義についての争いは、裁判にならないとして却下される場合が多いです。
*正当な訴えに対して、適当な裁判をふっかけて嫌がらせをする訴訟を「スラップ訴訟」と言います。最近、「幸福の科学」が行ったスラップ訴訟に対して、違法との認定がされました。
*大正時代の下級審判例ですが、浄土宗に「永代念仏」を条件に多額の寄付をした人が、寺院側が約束を履行していない事を知り、契約違反を理由に訴えた裁判で、寄付をした人を勝訴させています。教団側が約束を守らない場合は、信徒側が裁判に訴えることが可能な実例だと言えます。
以上、思いつくまま書きました。失礼をお許しください。
訂正
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損がしにくくなります。(月刊ペン事件)
を以下の通りに訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。
*宗教法人のトップに対しては、公人に準じる扱いを受け、名誉毀損が成立しにくくなります。(月刊ペン事件)
教義の真偽ついては双方ともに物証は無く、法的には争いようがないように思います。しかし、
宗教法人でありながら、各教会に生活に必要なだけの給与というものが無く、信者からのお供えが上納される前にその一部が直接教会の家族の生活費になっており、組織形態がマルチ商法に近い。
下部組織の問題や不祥事について、上層部が無責任。
集められた金の利用が投資など、出資者の思惑からかけ離れ、宗教団体として不適切なことがある。
組織内で働く人々の待遇や労働条件が特異である。
こうしたことを、宗教法人法、労働基準法、最低賃金法、憲法の保障する基本的人権などの観点から、世間に訴え争うことはできないものでしょうか。
参考意見 様
天理教の場合、大教会や分教会は、宗教法人 天理教と包括・被包括の関係にあると考えても良いのでしょうか?
最初に申し上げるのは、宗教法人と言えども、治外法権ではなく、違法行為があれば、法律は平等に適用されます。浄土真宗で僧侶の労働組合ができたり、神護寺で元職員が公益通報制度を利用して告発するなどは、その実例です。
ただ、宗教法人の方も、巧みに法律の適用を回避しようとします。天理教の場合、各教会が独立性であることは、本体である宗教法人 天理教には極めて有利な仕組みになっています。信徒数が増加している時期では問題は生じませんが、一度、信徒が減りだすと、現場の教会は悲惨な境遇になります。これを例えると、最近のコンビニ各社とフランチャイズ契約をしているコンビニ店長のような関係にあります。しかも、宗教法人なので、政府の介入が難しい面もあります。
こう言う場合は、個々の法律は犯していませんが、全体として、教会の人たちは天理教から人権侵害を受けていると捉えることも可能です。
例えば、弁護士会の人権相談や行政の宗教法人の窓口などに相談する手もあります。
相談の相手としては、極力、公的な機関を推薦します。一部の政党や宗教団体は、他の宗教団体のスキャンダルをネタにして、自分達に有利な工作を仕掛ける場合もあります。
なお、ヤマギシ会やエホバの証人などの団体では、信徒や元信徒が漫画で内実を告発し、団体の対応の改善をもたらしたとも聞いています。わかりやすくて良いかもしれません。
バタバタしており、走り書きですみません。
また、時間があるときに改めて書きます。
門外漢 様
2019年12月14日 4:38 PM
>>例えば、弁護士会の人権相談や行政の宗教法人の窓口などに相談する手もあります。<<
横レス失礼いたします。オウム真理教の一連の凶悪事件の際、紀藤弁護士やジャーナリストの江川紹子氏が脚光を浴び、マスコミ報道等でも再三、テレビに出演しておられたことを記憶しておりますが、両氏のように宗教問題に詳しい弁護士やジャーナリストは他にもおられないのでしょうか?
参考にならない意見 様
2019年12月13日 6:38 PM
>>キリスト教をここで持ち上げる方が見えますが、キリスト教と言えども、いろんな歴史がありますし、戦争と切っても切れないですしね、大航海時代なら、植民地にする為の布教や弾圧もあったと思います。
キリスト教だって黒歴史はある。<<
「キリスト教をここで持ち上げる方」とは、おそらく私のことを指しておられるのであろうと推測するのですが、私はキリスト教を決して持ち上げている訳ではありません。過去から近代の歴史を振り返っても、キリスト教にも恐ろしい暗部があります。中世の十字軍の遠征やカトリックとプロテスタントの血みどろの争いやテロもありました。殆どがキリスト教徒である欧米列強が黒人奴隷を売買したり、アジアの植民地支配を進めるために、キリスト教を利用した時代もありました。しかし、キリスト教の真の教えに触れた人達は、長崎や天草地方の「潜伏キリシタン」のように、江戸時代に幕府から「踏み絵」をさせられ弾圧を受けながらでも、命がけで現代まで信仰を守ってこられました。アフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師も、天台宗やキリスト教の真の教えに感銘し、突き動かされて活動をされていたのだと思います。
私は末端の一信者ということで、包括・被包括というものの意味がよくわかりません。所属する教会の教会長も本当に理解しているのか怪しいもので、宇佐大教会の件も他人事のような様子です。
しかし、やはり人種問題や差別問題絡みの事案と同じく、宗教に対しての司法の介入は難しいのですね。オウム真理教もサリンや自動小銃など作らなければ、まだまだ続いたのかもしれません。
ブラック企業の社員が行政指導を期待して、第3者に頼んで監督署に通報なんて話も聞いたことがありますが、その場限りの対応で根本的な解決にはならないようです。
マスコミも、よほどの確かな材料が無ければ、名誉毀損による逆訴訟を恐れるでしょう。実際、オウム真理教も一時は訴訟が大好きな教団と言われていました。
漫画による告発が成果を上げたというのには驚きました。これなら、いざとなれば漫画だからで切り抜けられるのかも。某漫画などは、カトリック対プロテスタントの抗争の中で、バチカンの暗殺組織なんてものまで登場しますからね。小説ともなれば、山崎豊子なみの徹底した取材と調査に基づくものでも、組織名や人物名は架空のものに変更されますから。
今の私にできることと言ったら、悪く言えば天理教の粗探し。二代目真柱によって編纂された教典と教祖伝の内容について、歴史的・客観的事実と比較し、科学的・合理的に検証していくことくらいです。とにかく根気よく続けていきたいと思います。
ところで私は、他の多くの匿名さんとの混乱を避けるため、一応ハンドルネームを使っていますが、このサイト内で教団擁護派に付け入られるような争いが生じることを避けるため、特定の誰かを名指しすることはせず、あくまで独白の形を取らせていただいています。(身に覚えのない返信などもありましたが。)それゆえ礼を失することがあるやもしれませんが、どうかご理解頂ければと思います。
「包括・被包括」ですが、例えば、今のコンビニを例に出しますと、うちの近所で酒屋を経営していた会社が、お酒が売れなくなったので、酒屋を廃業してコンビニに業種転換をしました。その時は、大手のコンビニチェーンと契約をし、その名称を使わせてもらい、商品の仕入れなどもお願いする代わりに、その大手のコンビニチェーンの会社にフランチャイズの料金を払います。乱暴なたとえですが、それに近いものです。天理教の教会を設立し、天理教の名称やシステムを使わせてもらう代わりに、お金を本部に支払う関係みたいなものです。
私自身も特定の信仰を持っており、宗教団体の問題点や矛盾を感じる点は多々あります。ただ、天理教の場合、部外者がこう申し上げるのは失礼ですが、本部の偉い人が結婚式のパレードをしているのに、末端の教会では極貧の喘いでいるのは、いくら何でもひどすぎると思います。天理教の教義自体を否定するわけではないのですから、このような矛盾ははっきりと指摘するのは、教祖のご意志に合致するのではないでしょうか。
私は、宗教問題のジャーナリストの知り合いはいますが、天理教については、カルト教団ではないので、なかなか取り上げてもらえない可能性はあると思います。you tube などで動画を出している人などに連絡をしたら、取り上げてもらえるかもしれませんが、確実ではないです。やはり、ご自身で何らかの形で警鐘を鳴らすのが確実だと思います。
なお、実名をあげると、日本共産党、創価学会、統一教会などは、日本の宗教団体についてよく調査をしております。共産党などは宗教委員会などを設立し情報を集めていますし、創価学会は、他の宗教団体の信徒を折伏するマニュアルを作っています。統一教会も同様の話を聞いたことがあります。こう言う所は、他の宗教団体を自分たちの活動に利用をしようとしているので、全く信頼ができません。が、こう言う人たちが寄ってくる危険性もありますから、宗教問題の専門家やジャーナリストと接する時は、調べてからの方がいいと思います。(ちなみに、これらの団体も上層部は比較的贅沢で、下部組織の人たちは貧乏だと聞いています。)
走り書きですみませんが、よろしくお願い申し上げます。
早く親神に降りてきてもらいたい。
本部が異端認定できないレベルの人間に降りてくれば、大きく変わる。
>天理教についてはカルト教団ではないので
カルト教団です。カルトです。
間違い無くカルト教ですよ。
天理教でも教会運営がバラバラなのと災害ひのきしん隊の成果も有って、世間の人は良い印象を持ってるだけです。
一歩中に入れば悲惨な状態です。
犯罪集団です。
>天理教についてはカルト教団ではないので
カルト教団です。カルトです。
間違い無くカルト教ですよ。
天理教でも教会運営がバラバラなのと災害ひのきしん隊の成果も有って、世間の人は良い印象を持ってるだけです。
一歩中に入れば悲惨な状態です。
>>本部の偉い人が結婚式のパレードをしているのに、末端の教会では極貧の喘いでいるのは、いくら何でもひどすぎると思います。<<
一般の方が見ても、理不尽であるこの現実が、実際に上層部では疑問にも恥にも思えないで実行されている。
この姿を大亮本人はどう考えているのだろうか。彼は「世界助け」の次期真柱である。
若者に良い事尽くめの綺麗事だけ言って居ても、彼らの将来は、手に職無し、技術無し、生活力無しの手も足ももがれた様な人間を増産する、彼らはそのラインに乗っているに等しい現実。大亮は彼らの将来に深い洞察の眼は持ち合わせて居ないのか。そこが問題だと思っている。
小さな壺世界の中のひのきしんだけでは生きて行けない今の日本の現実に眼を向け、社会で働く事の尊さ、自力で生きる大切さを認識し、天理教は彼らが社会で生きる道とその可能性を塞がないて欲しいと切に願います。
彼らの老後が生活保護のお世話になるのであれば(彼らの今の生活レベルは完璧な生活保護水準だと思う)、次期真柱の感じ方、とらえ方は宗教者としては本末転倒です。
崩壊様 (アフガニスタンで凶弾に倒れた中村医師も、天台宗やキリスト教の真の教えに感銘し、突き動かされて活動をされていたのだと思います。)
「感銘して突き動かされた」 それが信仰と言う物の基本では無いでしょうか?
信仰とは、人の内面を支えるものであり、私は宗教をやっていますと口にする様な物とはちょっと違うと言う事でしょう。
身上諭し、みたいな教えに沿って、人を指導する、(人を屈伏させる) 宗教的行動は、信仰心とは違うと思うんです、信仰心に厚い人は、愛のある言葉で、人に寄り添い手を差し伸べると想像します。
後継者の結婚パレードなんて、普通の人から見たら、ああ、この団体に近づいてはいけないって、そう言う宣伝に見えます。
天理教はカルトです。下から吸い上げ、上が贅沢な暮らしをしているなら、カルトと断定すべきです。それに、天理教団の教える教理は、人を不幸に落とし込むものばかりです。
阿部総理が移民推進、外国人労働者多数受け入れ政策を推し進めており、今後ますます、外国人に仕事を奪われ、日本人の生活は圧迫され、経済的に苦しくなっていくでしょう。
当然、天理教のお供えも、今後、減る一方。末端会長、信者さんも、上へのお供えは拒否して、自分たちの為に蓄財しておかなければ、将来飢えるようなことになりかねません。
<阿部総理が移民推進、外国人労働者多数受け入れ政策を推し進めており、今後ますます、外国人に仕事を奪わ<れ、日本人の生活は圧迫され、経済的に苦しくなっていくでしょう。
これは短絡的な見方です。
少子化がまず発端です。そして団塊世代がいま、順次出直している中で、今後更なる労働人口の減少。
じゃあ、女性にも働いてもらおうと、少子化問題との困難な兼ね合いに苦しむ中で、「労働移民」で解決を図ろうとしているのが現実です。
ネットに蔓延している短絡的な愛国主義者の言説に惑わされないことをお勧めします。
日本がとる移民政策は、移民というよりは海外からの出稼ぎ者に来てもらうための施策にすぎません。
いつも不思議に思うのは、嫌韓、嫌中の人々は何か、個人的経験が有ったから韓国・中国の人を嫌っているのだろうか。或いは骨身にしみるような戦時中の記憶を、子や孫の代の今でも、代々継承しているからなのか。
私自身はそのような経緯は無いし、個人的に知っているかの国々の人との交流も無いので、何故かくも嫌うのかが理解できず不思議に思うばかりだ。
一般人ではない例えば百田氏などはどのような経験から極端な愛国史観を持つようになったのか。友人曰く、「商売だよ」だそうだ。そればかりでは一貫して主張することも辛いだろうから、育った環境によるのかもしれない。例えば近畿地方では特定地域の出自を「部落」と表現して蔑視する風潮が強いが関東では他人に向かって「部落」だなんて呼ぶことは、長い人生の中で聞いたことは一度もない。
新年が来てもこの国に希望を見つけることは困難だ。新年は現在と地続きだから、そう簡単に問題が消えるものではない。そんなことは皆さん重々承知の事。だから新年の挨拶では、せめて言葉で希望を願うのだろう。
親神様にお願い申し上げます。
来年こそは少しでも人間の生活と地球環境に明るい展望が開かれますよう。
世界の人々がお互いに理解しあえるよう、その知能と心をバージョンアップして頂けますか。
私自身は周囲に心を配り、目を配り、気配りでアシストする生き方を続けていきます。
役に立つうちは生かしてください。
社会学のこの場を維持してくださる方、経済的にも時間的にもご負担・ご苦労が多い事と推察します。世のため人のためにご尽力下さり、誠にありがたく感謝しています。
すみません。大事な点を書き落としました。
国と企業は「就職氷河期」の人たちを放置してきました。
今になってようやく公務員として迎えようとしていますが、限られた人数でしかありません。
企業がブラック化している現状ではたとえ氷河期世代が入社しても、恐らくは「使えないやつ!」とばかりに自主退職に追い込むかもしれません。
一昔前は入社すれば職場で一から指導、教育して一人前の仕事ができるように成長する仕組みがありました。
今や「即戦力」が要求されます。アルバイト・パートですら即戦力が要求される時代です。
表面的な施策じゃだめです。
氷河期世代を教育して職場で有力な働き手に育てようとする仕組みと心が無ければだめです。
人間的にダメなリーダーの元で生きている我々日本人。
日本は素晴らしいなんてマスコミのまやかし番組で喜んではいられません。
>ネットに蔓延している短絡的な愛国主義者の言説に惑わされないことをお勧めします。
ありがとうございます。あなた様も、テレビや新聞での、韓・中擁護派の意見に惑わされないことをお勧めいたします。人それぞれに、いろいろ意見も違うのでしょうね。
ここは政治に対しての意見を交換する場ではありませんから、これ以上は差し控えます。
親神様、世界の人々がお互いに理解しあえるよう、その知能と心をバージョンアップして頂けますか? その気持ちはよくわかります。
人類の歴史は進化の歴史でもありますけど、神のお知恵を頂くのは、個人の努力でしょうね。
アホな政府に苦しまされるのは国民、アホな大臣を許しているのはアホな選挙民、つまり国民です、アホな政治を正すには、選挙で変えられるのだから、変えたら良い、政治家がダメだと思うなら、仲間を集めて自分が出れば良いんです。
天理教も任意の宗教団体です、嫌なら辞めるという選択ができます、逃げても、何も罪にはなりません。 本部と別に、我こそは天啓者として新たな宗教を起こす事も自由ですし、信徒で反逆してお供えを、止めてしまったって、罪にはなりません。
日本を住み良くしていくのは、国民の選択であり、責任でしょう
天理教を変えるのも、信徒の選択と行動でしょう。
こんな例も有ります。
私は天理教は以前は立派な団体だと尊敬をしていましたが、結婚式のパレードを見て、それが一瞬にして吹っ飛んでしまいました。昔、「金日成のパレード」という映画が流行りましたが、あれでは北朝鮮のパレードと同じような印象を与えてしまうと思います。
ところで、宗教家で貧乏な人はたくさんいます。最近、ブログが炎上したので有名になった岡口基一裁判官などは、著書「裁判官は劣化しているのか」で、ご両親がキリスト教の牧師であったがとても貧乏だった、と回顧しております。また、経済的に余裕ができて逆に堕落した宗教家もあるので、貧乏な事自体は、そこまでは否定できないかもしれません。
ただし、それは上から下まで、質素倹約をしていることが前提です。例えば、キリスト教会の偉い人が贅沢をしているのはあまり聞きません。キリスト教の組織でも使途不明金が多額に出ているのはキリスト教の内部文書で書かれていたので事実みたいですが、それは、左翼運動をしている人たちが教団の金をネコババして活動資金に使っている類のもので、私利私欲に使っているわけではないみたいです。ところが、天理教の場合、現場の人たちが必死に集めた金を結婚式のパレードに使っています。これは、現場の人たちが激怒するのも当然でしょう。
それと、それぞれの教会が経済的に苦しくなったのなら、上層部に収めるお金も減額するのが、筋です。また、人間としての情です。ところが、教会の懐具合を無視して、お金の取り立ては変わらずするのは、おかしいです。今では、あの山口組ですら、親分への上納金の割り当てがきつすぎるという理由で分裂したのです。
中国の諺に「貧しくを憂いず、等しからざるを憂う」という言葉がありますが、今の天理教は、全然、平等ではないと思います。
天理教という存在は、過去は、私のように違う信仰の持ち主から見ても、それなりに尊敬の対象でしたが、三島神社の移転や池の埋め立ての件からパレードの件も含めて、最近の動きを見ていると、とても尊敬できない、という印象を外部に与えています。
これは天理教ひいては、中山みき先生の教えにとっても、惜しむべきことだと思っています。
(部外者の感想なので、間違いがあれば、お許しください、)
門外漢様のご指摘は今の天理教の現実に対してまさしく的を得たご意見と存じます。
世間から見た天理教が異常である。尊敬には値しない。そう見られてしまっている現状の姿に、トップ責任者は目を見開いて自分達のやっている事の無意味さを良く考えて欲しい。
大事な教祖の歴史的史跡をいとも簡単に埋めてしまう愚行。信者の嘆きなど考えた事はあったのか。
度重なる年祭、記念祭、その度ごとのお供え要請。これは大教会や本部にとっての「集金の為の旬」であり、開催すればするほど金が入ってくる。こちらとしては迷惑千万だ。
次期真柱の結婚祝金を全教会から強制的に集金して、やった事はあのピカピカドンドンの結婚パレード。批判が出ない方がおかしいです。
現在の日本経済は諸外国と比べても考えられないほどの水準に落ち込んでいて、給料水準も低く世界と比べてみても日本国民は並べて全体が貧しくなっていると知りました。もはや日本国民は先進国から大きく水を開けられているそうです。
日本国民全体がそれならば教会生活者がどれだけ貧しいか推して知るべしです。世界だすけどころか身内の教会を踏みにじり、その上にのうのうと高給料を取って立っているのが現在の天理教教会本部です。
自分達のやっている事がいかに恥知らずであるかを良く良く認識しなければ、あとは望まなくても消滅するのみ。
今の天理教は70歳以上のご老人のためにのみあるだけ
これからのことを考えて、意味のない時間をすごさないようしてください。
無駄なお供え
無駄なひのきしん
無駄な御用
そんなことよりも自分の時間を大切にしてよき人生をおくられることを望みます!
「よくにきりないどろみずや、こころすみきれごくらくや」
へんな組織の中でへんな立場をもらうことに一喜一憂するのはむなしい!
そんなことのために人生はあるのではない、
たった一人の人でも手をさしのべてたすけていただく、その方が喜んでいただければ
それだけで意味のある人生だと思うのです!
決して、もっと多くのお供えを
もっといい立場を
なぞと意味のない組織の中で求めないよう
意味のある時間をすごしいただきたくこれからの方々にお願い申し上げます!
「死ぬ瞬間の5つの後悔」は、看護師のブロニー・ウェアが死の間際の人間の後悔をもとに著した有名な本です。
ブロニー・ウェアはオーストラリアで緩和ケアの看護師として働く女性である。彼女は人が死の間際において後悔する内容を記録し、5つにまとめた。ここではそのブログ(REGRETS OF THE DYING)とポール・グラハムのTODOリストを参考に、自戒を込めて5つの戒めを紹介する。
〇自分に正直な人生を生きればよかった
最も多くの人が死ぬ間際に告白したのは、「自分に正直な人生を生きればよかった」というものでした。
もちろん、本音では「もっと自分に正直に生きたい」と考えている人は多いでしょう。
しかし、つい周りの目や世間からの評価を機にするあまり、自分の思いを心に押し込める苦しい生き方をしている人が大半なのではないでしょうか。
全てを自分本位に振る舞うのは現実的には難しいものです。それでも少しくらいは、自分に正直に生きた方が後悔しない人生を送れる気がしますね。
〇働きすぎなければよかった
多くの人は仕事をしなければ満足に生きていくのは難しいでしょう。
しかし、本来生きていく手段であるはずの仕事に追われて、自分が本当にやりたかった多くのことを諦める生き方は、果たして本当に幸せなのでしょうか。
生きていくために仕事をすることは必要ですが、あなたは仕事をするためだけに生まれてきたわけではないはずです。
仕事よりも大切なもの。例えば、家族や友達、自分の夢に時間を使ってもバチは当たりませんよ!
〇自分の気持ちを伝えればよかった
嫌われたくない。恥ずかしい思いをするかもしれない。プライドが許さない。
いろんな理由はあるにせよ、自分の気持ちを相手に伝えられなかったという思いは、人生の最後に思い出す後悔の1つになるのでしょう。
家族に「ありがとう」、恋人に「大好きです」、親友に「お前と一緒にいると楽しい」。
少し恥ずかしいですよね。でも、ちょっとだけ勇気を出して、あなたの気持ちを素直に伝えてみませんか?
〇もっと友達と連絡を取ればよかった
よく「死ぬ瞬間は一人だ」という言葉を聞きますが、本当にそうなのでしょうか?
確かに、最後に誰かと一緒に死ぬことはできません。でも、その人の心にはその人生で出会った友達(もちろん、真っ先に浮かぶのは家族でしょうけど。)が思い浮かんでいるのだと僕は思います。
別にあいつとはいつでも会えるし。そう思う気持ちもよくわかりますが、たまには自分から友達に連絡を入れてみたらどうでしょうか?
あなたも楽しいでしょうし、何より相手からしても連絡をもらえるというのは嬉しいはずですよ!
〇もっと幸せに生きればよかった
結局、最後に思い浮かべるのは、いかに仕事で成果を出してきたかなどではなく、いかに幸せな人生を生きてこれたか七日もしれません。
幸せという言葉は抽象的で、その定義は人によって千差万別です。それでも、誰もが「自分なりの幸せ」は持っているはず。
言葉にするのは難しいですが、少しの間自分の胸に手を当てて「自分は今、幸せか」を自問してみるといいでしょう。
死ぬ瞬間の5つの後悔から学べること
最後にもう一度、死ぬ瞬間の5つの後悔について見返してみましょう。
1自分に正直な人生を生きればよかった
2働きすぎなければよかった
3自分の気持ちを伝えればよかった
4もっと友達と連絡を取ればよかった
5もっと幸せに生きればよかった
この5つの後悔を見て思うのは、「もっと自分の好きなように生きればよかった」と思って死んでいく人が多いのだろうなということです。
社会は私たちに様々な常識を押し付けてきます。「もっと仕事をするべき」「もっと他人を気遣うべき」「もっと謙虚になるべき」と。
でも、あなたの人生はどこまでいってもあなたのものです。社会の常識よりも自分の素直になる生き方をして何が悪いのでしょう。
もちろん、限度はありますが、多くの人はもっと自分にわがままに生きてもいいと思うのですが、あなたはどう思いますか?
>自分達のやっている事がいかに恥知らずであるかを良く良く認識しなければ
認識できるほど賢い人たちではないので、ほっときましょう。
消滅も近いし、自業自得というヤツですな。
巨大な建造物や派手なパレードが、人心収攬や大衆操作に効果的だった時代も確かにありました。次期真柱の結婚イベントを見てまず思い出すのは、1935年のニュルンベルクにおけるナチス党大会。(記録映画「意志の勝利」参照)
巨大なスタジアムやホールに集まった数十万の人々。揃いの制服その他の衣装。大音量で単調なリズムの歌その他の音楽が延々と続く中、繰り返し絶叫される共通のスローガン。夜空を照らす無数のサーチライトや数千人の松明行列。
このような小道具や演出によって興奮状態に陥った人々は、大量に発生したドーパミンとかアドレナリンといった脳内麻薬の作用によって、正常な思考力を失っていったのでしょう。
このようなメカニズムが解明された現代でも、まだ同じようなことが繰り返されているとは、つくづく人間とは過去から学ばない生き物だと思います。
結婚パレード以降、あの頃の青年会会員の気持ちの悪い高揚感もまたそう言ったドーパミン、アドレナリンの作用からなる、所属意識だったのかもしれません。
実力も人格も何も実態を知らない若者が「大亮サマ〜!!」と言う高揚感は側から見ていて大変滑稽でしたね。
しかし滑稽では終わらないのが、天理教の根深さです。
耳栓のAmazonカスタマーレビューに、天理教騒音問題登場 (笑)
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星五つ 天理教による太鼓の騒音対策に是非とも ├2016/2/15
私の隣の家は天理教です。
知っている方も多いかもしれませんが、天理教は「おつとめ」と称して太鼓などを打ち鳴らす習慣があります。天理教を信仰している人間全てを否定する気はないですが、私の隣に住む輩共は朝の6時半と夕方の6時に必ず太鼓を鳴らし騒音を撒き散らします。それも平日、休日、祝日、全て関係なしに。
周りには小さな赤ん坊がいる家庭や受験生のいる家庭、夜勤明けの人が住む家庭もあるのに、近所のことなどまるで考慮していないのです。
今、学生である私にとっても朝は少しでも長く寝ていたい時間です。休日、祝日ならば尚更です。近所の方々も諦めて何も言わない状況の中、私も殺意に等しい激しい嫌悪感を抱いていますが、このモルデックス社の耳栓に出会ってから何とか眠れるようになりました。
太鼓の振動までは消せませんが、ドーンドーンという不愉快極まりない太鼓の音がかなりシャットアウトされるようになりました。
また、その天理教の家の人間がいわゆる道路族というもので親も一緒になって子供と道路を占拠し、騒ぎ立てることが多いのですが、そういった人間が起こす騒音にも効果覿面です。
ちなみに目覚まし時計が聴こえるかどうか試したところ、あくまで私の場合ですが枕元に時計を置いておけばきちんと聴こえました。
本来静かな住宅街で騒音を撒き散らすような人間には文句を言ったところで大抵無駄に終わります。こちらは悪くないのにむしろ逆恨みされることも多いでしょう。
天理教に限らず、私と同じように何も悪くないのに理不尽な近隣の騒音被害に悩まされている方々は沢山おられると思います。そういった方々には是非ともこの耳栓をお勧めしたいです。
夜早く寝て朝超早く起きて勉強する型の方が点数はよくなると思いますよ。
私もギリギリまで寝ていた時より、早く起きて勉強した時の方が効果を上げました。
私自身は天理教の触れる前より天理教に触れてからの方が人生が充実しています。天理教に関わることで人生が価値のあるいとおしいものに変わりました。
太鼓の音は心臓を鼓舞する重要な働きをしているとおもいます。
昔天然痘が流行った時期があって、その天然痘にかかった赤ちゃんのためにおやさまは心をくだかれて、天保の飢饉の時には飢えた方々に施しをされてきました。
学生さんが今後地球で未来を生きていかれるのに、必要な教えである「もったいない」というエコの精神も伝えておられます。
そのタイトに生きるということがこれからの社会には重要です。
天理教の隣という環境にお生まれになられたのは意味があってのことでしょう。このサイトに導かれたのも意味があってにことでしょう。
人生にとって、社会を生きていかれるのに学ぶべき教えです。
学生さんの人生を大きく切り開くために朝のおつとめに参加されてみませんか。
清浄な空気がありますよ。
私はただの信者なんですけれども。
コミュニケーションの技術を持たなかった私です。
天理教の方々はコミュニケーション技術をさりげなく教えて下さいます。
コミュニケーション技術は人生を開拓していきます。
上記の匿名さん。
こう言う天理教徒の人の迷惑を省みない、この自分中心の発想が絶望的に救えない点です。天理教に疑問を持ちつつ関わっている方々、消滅寸前で一般世間からも尊敬に値しないと認識されているこの集団からとにかく出て頭を冷やして冷静に俯瞰する時間を持ってみてください。
洗脳状態の人で何を言っても判らない方々は自己責任で自分と教団の最後の結果をみたら良い。
我々の人生に彼らを相手にするほどの無駄な時間は残されていません。普通におかしい事がおかしいと思えない感性は精神を教団に乗っ取られて操られている事にきずい
てほしいです。
自分の金も時間も教団に取られ、金にまつわる自殺や、家庭崩壊の信徒家庭、離婚に至る教会夫婦が私の知っている周囲の天理教団内にいかに多いか、上記の匿名さんは知らないんだろう。
無責任な発言は世間から益々距離を置かれるのです。だからこその衰退、凋落ですが人の心に寄り添えない好き勝手な事を言っている方が消滅を速める事につながるし、世界の幸福の為にはなっていますが。
自己満足では生きて行けません。いくら頑張っても神の応援が無いからこその凋落だと認識して下さい。
天理教会の太鼓の音が気になるという意見ですが、音源(天理教会)の存在そのものが気に入らないという心理状態です。その場所から発せられるすべてに嫌悪感を抱くのです。太鼓の音に限らず、拍子木、鐘、笛、鼓等全てです。
私は生まれた時から天理教会で育ちました。教会の大人たちのやること為すことの全てが嫌でした。しかし、音に対する嫌悪感は未だにありません。これを慣れとでもいうのでしょうか。
学校の近くの音楽部の楽器の音がうるさい、幼稚園や保育園の子供の声がうるさい、赤ちゃんの声がうるさい等私には考えられない感情です。赤ちゃんは本来、泣くのが仕事です。言葉を発せられないから泣いて意思を表します。赤ちゃんの泣きかたで、ある程度何を言わんとしているかも分かります。
乗り物の中で泣いている赤ちゃんには水分を与えると泣き止むことが多いです。
話がそれましたが、気になることを気にならないようにするためには時間が必要です。
どうしてもいやなことは、避けるしかありません。
確かに、宗教施設の側にも配慮が求められていると感じます。講社祭りの際に小さな部屋で拍子木を力一杯打たれれば騒音になってしまいます。
相手を思いやる気持ちが求められているのでしょう。
匿名 様
2019年12月17日 7:33 AM
>>夜早く寝て朝超早く起きて勉強する型の方が点数はよくなると思いますよ。
私もギリギリまで寝ていた時より、早く起きて勉強した時の方が効果を上げました。<<
世の中には、夜働いて昼間就寝しなければならない勤務の人達、いわゆる夜勤をしている人達がいます。そういう人達にとって早朝に帰宅し寝入り端を起こされた時、睡眠のリズムが狂い、その後、熟睡できません。そうした状態が連日続くと、慢性的な睡眠不足になり、通勤途上に交通事故を起こしたり、仕事中に事故を起こしたりする場合があります。そういう人達のことも考えて、思いやりの心で「おつとめ」をしてほしいものです。
私はいつまで続くか不明ですが、夜勤の仕事をしています。何回も何らかのことに起こされます。でもまた眠ります。
夜勤の仕事の方々は寝ている間生活音に何回か起こされながら寝ています。
家族がテレビを見ていても、眠らないといけないという気持ちで眠りにつきます。
夜勤の仕事についている方々は意外と多いですし、夜勤入りのリズムも様々です。夜勤入りでも朝は何のかんのといって起きないといけない時間ですし、夕方は私は仕事に入るけれど、眠らないといけないリズムの方もおられるでしょう。今日も夜勤入りです。
参考意見
2019年12月16日 3:53 PM
>>このような小道具や演出によって興奮状態に陥った人々は、大量に発生したドーパミンとかアドレナリンといった脳内麻薬の作用によって、正常な思考力を失っていったのでしょう。
このようなメカニズムが解明された現代でも、まだ同じようなことが繰り返されているとは、つくづく人間とは過去から学ばない生き物だと思います。<<
昔、阪神タイガースが優勝した時、酒の勢いか群衆心理か知りませんが、大阪の道頓堀にダイビングしたり、ケンタッキーフライドチキンのサンダース人形を道頓堀に投げ込んだりする輩がいましたが、脳が興奮状態になると自制心がきかなくなり、理性が働かなくなるのでしょう。昨年も、東京の渋谷でハロウィンの時、暴徒化した若者が軽トラックを横倒しにする事件がありました。パチンコ等のギャンブルでも勝った時の一時的な快感で脳内にドーパミンが大量に発生し、ギャンブル依存症になり人生を破綻させる人達が大勢いるらしいです。人間の一種の生理現象といってしまえばそれまでですが、生理現象のおもむくままに行動すれば、社会秩序が維持できなくなります。そういう時こそ、一時の感情や群集心理に流されるのではなく、理性を働かせて自己をコントロールしてほしいものです。
いつだったか、どこかの神殿講話で「五色の石」というお話を聞きました。知っている人もいると思いますが、ご守護を願う盲目の娘に、教祖は近くの川の中から五色の石を探して来るようにと要求します。盲目の身では到底無理と、初めは諦めていた娘が、やがて一大決心し川に入って手探りで石を探すと、何日か続けた後に突然、目が見えるようになったという。これについて教祖は、無理と思える要求にも応えようとしたから、神も無理な願いに応えたのだと言ったそうです。
以前は結構いい話と思ったりもしましたが、冷静に考えるとそうでもなかったりします。まず、神のご守護が無償のものでなく交換条件があること。それに全てを見抜き見通しのはずの教祖が、相手の心を計るためのような試練を与えていること等。
それよりも私が強く感じたのは、天理教においては無理をするということが、非常に尊いことのように捉えられていることです。子供の頃の林芳松が教祖に言われるまま、脱臼して痛むほうの右手で茶碗を持ち上げようとしたら、ご守護を頂けたという話。(逸話編49 素直な心)
増井りんが吹雪の中、雪の降り積もった欄干のない細い橋の上を、跣足になって這うて進んだ話。(逸話編44 雪の日)
このようなお話は、高齢であったり身上であったり、また裕福でない信者たちに、お供えや労働を要求するのに利用されてはいないでしょうか。「無い中から出すことに意義がある」とか「借金してでも」というように。
無理とは、理が無いと書きます。何にでも「理」をつけたがる天理教が、無理を美徳のように扱うとは、なんとも皮肉な話ではありませんか。
匿名 様
2019年12月17日 12:58 PM
>>私はいつまで続くか不明ですが、夜勤の仕事をしています。何回も何らかのことに起こされます。でもまた眠ります。
夜勤の仕事の方々は寝ている間生活音に何回か起こされながら寝ています。
家族がテレビを見ていても、眠らないといけないという気持ちで眠りにつきます。<<
私も夜勤の経験はありますが、眠りについてから何回も中途覚醒をすれば熟睡はできません。医師にも相談しましたが、中途覚醒をすれば、どうしても睡眠が浅くなり熟睡は不可能になるということです。ある日、仕事からの帰途、無意識のうちに睡魔に襲われ、前方の車に衝突し、さらにその車が前方の車に衝突し、車3台が絡む玉突き事故を起こしたことがあります。渋滞路でどの車も低速でノロノロ運転をしていたので、幸い被害者の怪我は軽くて済みましたが、前2台の車の後部を破損させてしまいました。事故を起こす前、居眠りをしないようにコンビニやスーパーの駐車場を借りて、3回程仮眠をしていたのですが、それでも、突然、無意識に居眠りをしてしまいました。匿名様も、車で通勤されているのであれば、居眠り運転には十分気をつけてください。
おつとめの太鼓の音に関しての書き込みを興味深く読ませて頂いています。
まずは教会の隣にお住まいの方に、一信者として深くお詫び申し上げます。
同時に近隣の迷惑を考えない「我さえよければ」の自分中心の考え方の多い天理教集団を恥ずかしく思います。
もしかすると書き込まれた方は既に「やっぱり天理教って駄目だな」と見限ってしまわれたかもしれません。
どうぞ、その教会の玄関に掲げられている木製の看板を確認なさってください。
必ず「天理教△〇×〇大教会(又は分教会)」と名称が明記されています。
読み方は分からなくとも漢字で写し取れば大丈夫ですから、貴方様がお住まいの地域の教区事務所にご一報されて、太鼓の音を小さくするように、その教会を指導していただきたいとお伝えください。
ノイローゼになりそうだとお伝えください。騒音問題で神経を病むことは恥ではありませんから遠慮なくご指摘頂ければ幸いです。
太鼓は叩き方ひとつでかなり変わります。月次祭で見ていても、力任せに乱暴に打つ男性や近隣に配慮して軽くポンと打つ女性など、人によって様々です。
力を込めて打つことが許されるような田舎に在る教会ばかりではないでしょう。
都会では壁一枚隔てて隣家との間が人間の幅ほどしか離れていない、建て込んでいる環境も在ります。
敷地にゆとりのある教会ばかりではないでしょう。人間は自分の住む限られた地域の事情からしか理解できない事もあります。
どうか、太鼓が騒音となる環境も有る事に理解を広げてください。これは「慣れ」とは別次元のことです。生存を脅かすことにもなりかねません。
何事も教祖の時代の逸話に範を求める我々信者ではありますが、おつとめ環境の変化に関しては、天理教は謙虚にその変化に対応すべきです。
せっかくこの社会学の場に書き込んでくださった方に対して「朝勉」を勧めるような、からかい半分の対応は、「いじめ」との共通の根っこを感じます。残念に思います。
各地の教務支庁はネットで検索して頂ければわかりますので、お手数ですがよろしくお願い申し上げます。
年末恒例「除夜の鐘」深夜ではなく…昼間に
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191217-00000397-nnn-soci
世間様に気を遣って、年に一度の除夜の鐘でさえ昼間につくご時世ですから、
天理教の朝夕の太鼓は自粛、もしくはめちゃくちゃ小さい音でたたくなどはあたりまえの配慮だと思います。布教になるんだなんて言って喜んで大音量でたたく人がいますが、神名流しや駅前の手踊り同様、
逆効果で気持ち悪がられるだけです。(もちろん他の鳴り物も小さくたたくことにも注意)
月次祭は主に昼間で月に一度ですから、
ご近所に普段からお下がりを配り挨拶をしておくなどの配慮があれば、
それほどトラブらないのではないでしょうか。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought4/sp-th4p2-brainwashing/sp-th4p2-brw-5.htmより抜粋
宗教組織の崩壊の始まり
――洗脳による組織維持の限界
狂信的な教団では“洗脳”が功を奏して、一時的に信者が激増し、強大な宗教組織が形成されることがあります。ここ数十年の間に日本でも、勢力を急拡大して世間から注目されるようになった教団が次々と現れました。しかしそうした急成長した教団は、洗脳が完成した時がピークとなり、時間とともに内部から崩壊が始まるようになります。今をときめく巨大宗教組織も、必ず衰退していくようになるのです。
それは“洗脳”という方法自体が、神の摂理に反しているからです。無知な人間を騙して組織の一員とするような間違った方法が、いつまでも続くことはありません。教団が衰退し始めると、教団の指導者や幹部は焦り、危機感を抱くようになります。何としても勢力を維持しようと考え、さまざまな策を講じて必死に抵抗するのですが、いったん衰退期に入った教団を立て直すことは、もはや不可能です。今この時も、かつて強大な組織を誇った教団の指導者や幹部たちが、組織の崩壊を食い止めようと血眼になって努力しています。しかし、時間とともに崩壊は確実に進行し、衰退の道をたどるようになっていきます。
ここではそうした「宗教組織の崩壊・衰退のプロセス」を見ていきます。
宗教的情熱が色あせ、教団に対する疑念が発生
信仰を始めた当初は、信者本人は自分が洗脳されているとは思っていません。心の底から、「自分は幸運にも最高の宗教に導かれ、最高の奉仕人生を送ることになった」と思っています。「他の人には体験できない素晴らしい人生・最も価値ある人生を送ることができるようになった」と考えています。そして教団に導かれたことを、何度も神に感謝します。そこではすべての時間が充実し、信仰に対する一点の曇りもなく、教団に対して疑いを抱くこともありません。
教団では、信者に優越心と特別な使命感を持たせるための“洗脳”が徹底して行われます。そのため入信したばかりの信者には、まさにバラ色の人生が訪れたように感じられます。しかしその喜びと感謝に満ちた信仰生活は、徐々に色あせていきます。時間とともに、当初抱いていた教団への絶対的な信頼と、自分の人生をすべて捧げようという決意が揺らぎ始めます。教団に対する疑念が頭をもたげるようになるのです。
摂理に反した偽りの信仰は、いつか必ずほころびが生じるようになります。初めは天国のように思えていた信仰生活も、徐々に感動のない普通の生活になり、やがて苦しみのともなう“地獄”のような生活へと変化していきます。
教団内の人間関係の醜さ
信仰を始めた頃は、教団(宗教組織)の一員になれたことを最高の幸運と信じていた人も、時間とともに教団内の人間関係が、教団の示す教えと違っていることに気がつくようになります。教団の教え(真理)に最も忠実でなければならない教団の指導者や幹部たちの実生活が、あまりにも真理とかけ離れていることが分かるようになります。
教団の指導者や幹部たちは、外部に向けては博愛や正義を声高に唱え、世の中の不正や醜さを指摘し非難します。信者たちもそれに倣って、理想を唱えて布教に携わります。ところが目を教団内部に向けると、そこには理想とは正反対の世界が存在し、この世の醜さよりもさらに醜いエゴの実態を見せつけられることになります。組織の末端にいる信者たちは、自らの未熟さに心を痛め、修行を積んで教義どおりの理想的な人間に近づきたいと願っています。そうした純粋な信者にとって目の前の現実は、期待を裏切る絶望的な状況として映ります。
こうした教団内部の醜い人間関係の実態を知った信者たちは、疑念と不信感と絶望感を抱くようになります。否応なく目にした、この世の人間にも劣るような醜さ丸出しの人間関係が信者の心に疑いを引き起こし、教団全体に対する不信感を決定的なものにしていくことになります。
教団(宗教組織)の中では、入信したばかりでまだ教団内部の実態を知らない人間は信仰心を燃え立たせ、使命感を持って人生を捧げようとしています。その一方で、期待を裏切られ、ノルマに疲れ果て、情熱と意欲を枯渇させた年輩(古参)の信者がいます。ほとんどの教団では、こうした“二極構造”ができ上がっています。そして時間の経過とともに、教団創設時の宗教的情熱が内部から失われ、教団そのものが衰退の道をたどり始めるようになるのです。
教祖や指導者のカリスマによって急拡大したような宗教組織では、教祖や指導者が死亡すると内部分裂が発生し、あっという間に崩壊が始まり、衰退していくことになります。
教団の“ノルマ”に疲れ果てる
こうした教団内部の醜い人間関係とは別の理由によって、教団から宗教的情熱が失われていきます。しばしば“カルト”と批判される教団では、強烈な洗脳によって信者に使命感を吹き込み、がむしゃらに活動に走らせます。そして次々と“ノルマ”を課し、多額の献金を要求します。信者が教団に対して疑いを抱かず、宗教的情熱に動かされているうちは、そのノルマを“神のため・人類の救いのため”という思いで前向きに受け止めます。
しかし、疲れ果ててもなお次々とノルマを与えられ、実績を追求されるようになると、もはや心がついていけなくなります。そして身動きがとれない苦しい状況の中で、悶々とした時間を過ごすことになります。やがて教団からの非難の声が耳に入るようになると、自分自身を責める感情と教団に対する不信感によって、心はグチャグチャになってしまいます。
しかし、追い詰められ苦しい状況に立たされることは、霊的に見ればよいことです。本人にとって、これまでの考え方・あり方を広い視野から客観的に見直すチャンスとなります。“洗脳”によって動かされてきた、自分のこれまでの歩みを振り返る時となるのです。
教団の指示に従ってノルマ達成に必死に取り組んでも、常にそれを成し遂げられるとは限りません。この世の営業マンと同じで、精いっぱいやっても全く実績をあげられないこともしばしばです。教団では、実績をあげれば指導者から「信仰心がある」と褒められ、いつまでも実績をあげられなければ「信仰心が乏しい」と責められるようになります。そうした中で、他の信者が実績をあげる姿を見ていると、焦りを超えて“嫉妬心”が湧き上がるようになります。教団の指示に従って実績をあげないかぎり評価されない、目に見える実績によってしか信仰心が認められないと考えると、虚しさと不満が募り、さらに嫉妬心が燃え上がり、醜い思いが渦巻くようになっていきます。
実績をあげている人間の信仰心のなさ・純粋さの欠如は、日常生活を見れば一目瞭然なのですが、教団の指導者は“実績”という表面的な結果だけですべてを判断します。「自分の方が、もっと厳しい状況の中でノルマ達成に取り組んでいるのに」と思っても、そうしたことは一切考慮されません。しだいに「自分は長年、体の不調を押して精いっぱいやってきたのに、人間性も信仰心も劣る者がただ“実績をあげた”というだけで評価され称賛されるようなことは、教団の教えと違っているのではないか?」と考えるようになります。そして「信仰とは、いったい何なのか?」といった疑問が湧き上がるようになります。これが、どこの教団でも見られる信者の実態です。
入信したばかりの信者が意気揚々としている一方、長年、教団のメンバーとして歩んできた信者は疲れ果てて気力を失い、「みんなの後からついていくだけでいい」と思っています。当初の使命感や情熱が失われた中で、惰性で歩んでいるのです。
教団サイドから見れば、これはまさに危機的状況です。そこで何とか情熱を取り戻させようとアレコレと策を講じるのですが、思うようにいきません。いったん失われた宗教的情熱を沸き立たせることは、もはやできません。そこでさまざまな“洗脳”の手段に訴え、アメとムチを駆使して情熱を喚起しようとするのですが、いっこうにノルマは達成されません。こうした中で、次々と古参の信者たちが離れていくようになり、分派をつくるような動きも現れて、教団は一気に衰退の道をたどることになります。
“教義”に対する疑問の発生
こうした教団の状況を見ている信者たちの中には、他の宗教の教義や思想に関心を向ける者も現れます。現代のネット社会では、さまざまな情報を簡単に知ることができます。書店に行けば他の宗教の書物が並んでいて、容易に自分の教団の教えと比較することができます。すると、他の宗教でもなかなかよいことを言っていることに気がつくようになります。なかには、ネットを通じてスピリチュアリズムの存在を知り、その教え・思想の素晴らしさに釘付けになる者も現れます。ネットに掲載されているスピリチュアリズムの情報を貪り読む中で、これまで自分たちの教団だけが真実の信仰であると信じてきたことが、単なる思い込みであったことを知るようになります。
世間から“カルト”と呼ばれている狂信的な教団や新宗教・新興宗教は、洗脳によって強力な組織体制を整え急激に勢力を拡大してきましたが、今述べたような理由から、いずれ限界を迎えることになります。教団内部の宗教的情熱が失われ、分裂を生み出して衰退していくことになります。“洗脳”を利用して短期間に無知な人間を“盲信者・狂信者”に仕立てても、時間とともに内在していた矛盾が噴出し、自滅の道をたどるようになっていきます。短期間に急拡大した宗教組織は、短期間に衰退する運命にあるのです。
確かに、天理教は我が身勝手なところがあります。今はどうか知りませんが、本部では午後2時になるとサイレンのような大きな音で、よろづよのメロディーを流していました。周囲の人で迷惑に思っていた人が居られたと想像します。
私が所属していた教会も、移転当初は周囲に民家が少なく音に対する配慮は不要でしたが、今では民家が建込み太鼓や拍子木に対する苦情が来て以来、朝勤めは1年を通じて午前7時と決めていました。夕勤めは季節に合わせています。それでも周囲には相当に気を使っているようです。
ただ、苦情を言いに来た人は相当の年配者で、いきなり怒鳴り込んできたのでビックリしたと聞いています。
ただ、最近は余りにもいろいろな音源に建苦情があり過ぎますね。隣家のピアノ等の楽器の音、ステレオの音、子供の泣き声等、数え上げればきりがありません。
子供の頃に真冬の夜の8時過ぎになると、団扇太鼓を打ち鳴らして歩く寒行の音が有りましたが、うるさいという苦情を聞いたことはなく、むしろ、お米や小銭を渡していたことがあります。
今だったら、多分、うるさいといった苦情が来るのでしょうね。
時代が変わったこともありますが、騒音規制法では宗教的な音に対する規制は難しいのでしょう。
騒音規制法では、第一種区域では、昼夜を問わず45~50デシベルの規制がありますが、このレベルの規制の実態は分かりにくいです。
何事も解決には、喧嘩腰ではなく話し合いを通じて解決を図ることが大切だと思います。
何を騒音と感じるかは、人それぞれ個人差があると思います。私の場合、暑い夏の日、時たま風に吹かれて鳴る風鈴の音は、聞く者にとって心地よい清涼感を与え、心をリラックスさせてくれます。おそらく、アルファ波とよばれる人の心をリラックスさせる脳波がでているのでしょう。しかし、台風が近づいてきて、強風が間断なく吹き、風鈴が鳴りっぱなしの状態になれば、風鈴の音はうるさく、不快なイライラさせるものになります。また、朝にきく雀やウグイス等の小鳥のさえずりも、聞いていて大変、心地良いものです。しかし、路上のゴミをあさりに来るカラスの気味の悪い鳴き声は、大変、不快です。CDのレンタルショップに行けば、脳内のアルファ波を発生させるというふれこみで、小鳥のさえずりや、川のせせらぎ、さざ波の音等のCDがレンタルされており、私は、時々、借りてきて聞いてみるのですが、大変、心地良いものです。しかし、天理教の太鼓や拍子木、カネ、チャンポン、地方等の狂想曲は、私には、聞いていてお世辞にも心地良いものではありません。たぶん、天理教が大嫌いなせいもあるのでしょうね。「あさひるどんちゃんつとめする そばもやかましうたてかろ」というおつとめの歌がありますが、初めから、近隣に迷惑がられ、うとましく思われると分かっているのであれば、どうして、敢えて「おつとめ」をするのでしょうね。
逸話編91 踊って去ぬのやで より
明治十四年頃、岡本シナが、お屋敷へ帰らせて頂いた時の話。教祖に誘われ一緒に入浴したシナは、教祖が一番下に召しておられた赤衣のお襦袢を、幾日か後に頂くことに。
教祖は、
「着て去にや。去ぬ時、道々、丹波市の町ん中、着物の上からそれ着て、踊って去ぬのやで。」と、仰せられた。
つまり、着衣の上からとはいえ、下着姿(しかも目立つ赤色)で衆人環視の中、踊りながら帰れということです。まるで罰ゲームみたいですが、恥ずかしさや不安を克服してシナは実行し無事に家まで帰り着いたという。
おつとめ、神名流し、路傍講演など、人々から笑われ馬鹿にされてもやる、また人々から迷惑がられ嫌われてもやるという行為は、組織への忠誠心や信仰上の覚悟などを計るうえで重要な意味を持つのだと思います。
>>教団が衰退し始めると、教団の指導者や幹部は焦り、危機感を抱くようになります。
焦りも危機感も持たない宗教団体がありますね。
いえ、たとえ持っていたとしても、教団の指導者や幹部が人の話を素直に受け入れないから、気づいた時には手遅れなんですね。
まあ、どちらにしても、あり方が現代の世情には合わなくなってきているのでしょうね。路傍講演にしても、神名流しにしても教祖のひながたになかったと思われることを、さもあったように言い伝えているんですから、稿本教祖伝や逸話篇もどこまで信じていいのか疑いは強まるばかりです。
今更教義がどうであろうとどうでもいいことではありますが、周囲に迷惑が及ばないような配慮が益々求められることになるでしょう。
そもそも、幕末の混乱期に興った宗教というところに、一抹のうさん臭さを感じてしまうのです。この時期にいくつかの宗教が発生していることからも、なおさらそういう思いが吹っ切れません。
崩壊様、御心配いただきありがとうございます。車間距離をとって気をつけたいと思います。崩壊様も何回か寝覚められるとのこと御自愛下さい。難易度の高い大学を卒業されています。努力をされてきたことでしょう。
匿名様、私は夜型の勉強で2時まで勉強して途中からうつっぽくなって卒業式に出ないような人間でした。大人になってから同じ4時間睡眠でも朝型の方が効率が良いと身を持って知ったんです。なのでちょっと先輩ぶってしまいました。失礼しました。
東風Z様、お気遣いありがとうございます。
参考意見様のお話勉強不足の自分のいましめになります。
東風Z
2019年12月18日 7:31 PM
>>そもそも、幕末の混乱期に興った宗教というところに、一抹のうさん臭さを感じてしまうのです。この時期にいくつかの宗教が発生していることからも、なおさらそういう思いが吹っ切れません。<<
私もそう思います。浦賀沖に、今まで見たこともない黒い煙を吐くアメリカの巨大な蒸気船が4隻も現れ、250年以上続いた太平の江戸幕府に開国を迫った時、その当時の民衆のみならず、幕府や諸藩も計り知れないほどの不安感と恐怖感に恐れおののいたはずです。人心の恐怖感や不安感をベースに、様々な新興宗教が発生したのだろうと思います。
匿名 様
2019年12月18日 8:09 PM
>>崩壊様、御心配いただきありがとうございます。車間距離をとって気をつけたいと思います。崩壊様も何回か寝覚められるとのこと御自愛下さい。難易度の高い大学を卒業されています。努力をされてきたことでしょう。<<
ありがとうございます。私は定年退職後、数年、別の会社で夜勤の仕事を経験しましたが、現在は完全にリタイアし、毎日、悠々自適の日々を過ごしています。夜勤は大変な仕事です。車を運転していても突然、無意識のうちに睡魔が襲ってきます。こまめに仮眠をし安全運転で通勤してください。
どちらかと言えばバリ天だったころは、逸話編のお話を全部、本当だと信じていた、いや信じたかったのかも。それが教祖以外の者によって書かれたものと気づいてから読んでみると「あれ?」と思うことの多いこと多いこと。
特に多いのが教祖の言動について、こんなこと本当に教祖が言ったり、したりするものかと、しまいには「こんな教祖はイヤだ!」とさえ思うことも。例えば・・・
教祖は、その品物よりも、その人の真心をお喜び下さるのが常であった。(逸話編七 真心の御供)
貧しい信者がやっとのことで搗くことが出来た正月の餅。その搗き立てのところを持って来た真心を喜ぶというのはわかります。しかし裕福な信者が、搗いた餅から正月に必要な分を残し、余った分を持って来た。特に傷んだわけでもない綺麗な小餅を、わざわざ立派な重箱に入れて。よほど失礼な態度でもなければ、ありがたく受けるべきではないかと、貧乏性の私は思ってしまいます。
人の真心を欲することは、物や金銭を欲する以上の強欲と聞きます。仮に、相手に高慢心があったとしても
「要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない」なんて、「水を飲めば水の味がする」と言った教祖の言葉とは思えません。(この話って、キリスト教のカインとアベルの物語のパクリでは?)次に・・・
「二升にして置け。」「いや三升にしよう。」と、家の中で言い争いをしてから、「惜しいけど、上げよう。」と、言って、餅を供えたところ、教祖が、召し上がろうとなさると、箸は、激しく跳び上がって、どうしても、召し上がる事が出来なかった。(逸話編一八〇 惜しみの餅)
誰もが楽で、お供えをしているわけではありません。協議の末、惜しいという気持ちを克服して供えたのだから、むしろ褒めてあげてもよいのではなかろうか。さらに・・・
教祖にお食事を差し上げる前に、誰かがコッソリと摘まみ喰いでもして置こうものなら、いくら教祖が召し上がろうとなされても、どうしても、箸をお持ちになったお手が上がらないのであった。(逸話編八九 食べ残しの甘酒)
教祖は、私たち全ての人間の親であるはず。親は子供に食事を摘まみ喰いされるのが、そんなに許せないものでしょうか。
「そんなの神様に残飯を出すようなものではないか!」と、会長さんは言いますが。
ならば、誰かが真心を込めて供えた食材でも、調理の途中か運ぶ途中に、誰かが摘まみ喰いしたとしたら、教祖はその食事を退けるのでしょうか。穿った私は考えてしまいます。
「 教祖存命の理」というものは、中山家を神格化し、世襲制を正当化するために作られたものだと、私は考えています。そして「ぢばの理」もまた、富と権力の集中を目的としたものと思います。
世界の伝統ある宗教において、キリストも釈迦もマホメットも自らを神と名乗ってはいない。彼らは与えられた特別な能力によって神の意志を受け取り、それを人々に伝えるという役目を受けて送り出されてきた人間であり、私たちの教祖も、その一人だったのだと思います。
人間であれば、その命には限りがあり、だからこそ「おふでさき」を書き残し、自分の死後、教示を伝えることのできる飯降伊蔵や上田ナライトといった弟子を育てていたのでしょう。組織を作ることなく、人から人へと教えが広まる先々で、人々が助け合う講が自然に結ばれることを望まれたのだと思います。
それなのに中山・梶本家を中心とする宗教屋たちが、山澤為造の親戚である守屋筑前守の協力のもと、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。天啓者の上田ナライトが排除され、国家権力をバックに教祖に忠実な弟子、すなわち教団にとって都合の悪い弟子たちの大粛清が始まりました。泉田藤吉、万田万吉など名だたる高弟たちが辞任を迫られ、暴力を伴って追放され、なかには自殺する者もあったといいます。かつて教祖に無い命を救われたという平野樽蔵は、あっさり教祖を裏切って応法派の筆頭となっていますが、やはりヤクザは宗教ビジネスの旨味をよく理解していたのでしょう。
飯降伊蔵は教団の暴走を抑えたくて残ったのかもしれません。しかし「おさしづ」に「理」という字が約15800回も出てくるところをみると結局は教団の方針に流されていったのかも。まあ、家族を守るため仕方なかったのでしょう。」
大人になってから、天理教に接したので、私にとっては、参考意見様の、これら一蓮のコメントの印象がピッタリとハマってしまいます。
天理王の命の名は、教祖が亡くなった後に使われ出したと言う事
21回のお勤めも、明治21年、やはり教祖の亡くなった後に始まったと言う事
大阪の神名流しのお話は、時期的にあり得ない事
編纂された逸話は、心理的誘導が組み込まれている事
しかし、不思議なお助け、神の守護もある事、神は教団運営とは別に存在し続けている事。
個人的想像から、愛町初代様は、親神様の天啓があっても、教団の本音を見抜き、分教会組織で愛町を守っていると言う印象。
私個人の印象は、本心から親神様と呼ばれる存在、教祖様の教えを求めて生きるなら、天理教教会組織に近寄り過ぎず、組み込まれないで、普通に生活しながら、参加していた方が良いなって感じます。
太鼓も鳴り物も、決められた時間も、教団が決めた事に過ぎないなら、日常生活に合わせて、やったら良いでしょうしね。
後悔先に立たず。本当のことを説けばよかったのに、何故、美化してしまったのか。
美しすぎる内容に本当の感動はない。真相は、もっと生々しいはずだ。
>>太鼓も鳴り物も、決められた時間も、教団が決めた事に過ぎないなら、日常生活に合わせて、やったら良いでしょうしね。<<
知り合いの教会では教会長出直し後、会長不在となった。今で言う事情教会。近所に住む元教会長の高齢の親戚2人が親子交代でお勤めをしていると言う。親は80歳手前で病気持ち。息子は独身で仕事持ち。
こう言うギリギリの状況で月次祭は2人だけですると言う。上級会長も死亡で無人教会となっている。その上の教会長も病気で部内教会に出向く事が不可能な状態。
こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?
>>こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?<<
これから先、日本国内では少子高齢化がますます進みます。天理教は信者数が激減の一途をたどると同時に、信者の高齢化もますます進みます。「お勤め」は物理的に不可能となっていくでしょう。
>>こんな状態で高齢信者が無理に無理を重ね、本部の「人間」が決めた「お勤め」なるもの、する必要があるのでしょうか?
お勤めは本当に必要でしょうか?<<
追伸です。そもそも本部や上級教会にとって、「お勤め」なるものは「お供えの集金手段」としての意味あいもあり、宗教的要素は極めて薄いように思われます。
教祖が食事中、箸が飛び上がったり、手が動かなくなったということは、実際にあったのではないかと思います。いいトシした中二病患者の妄言と思って、聞き流していただいて結構ですが・・・
もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。
しかし天啓者である教祖は、神様からの無言のメッセージによって守られ、どのような危機も乗り越えてしまった。業を煮やした応法派の輩は、最後には官憲と手を組んで教祖を・・・。
『ほんあづま』2000年6月号巻頭言の中の分家の言葉、
「真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」とは、そういうことか?疑惑は深まるばかり。
明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家の仏壇を取り片付けさせたという話。(逸話編二七 目出度い日)これも廃仏毀釈の波に乗った応法派の輩の手によるものだと思います。なにしろ仏壇どころか、お寺まで燃やされた時代でしたから。
かつて尼僧を志したほどの教祖が、仏壇を取り片付けるなどという要求をしたなんて、私には信じられません。第一、明治17年に教祖が奈良監獄に収監された時の警察の資料では、教祖の宗門は浄土宗となっているではありませんか。
参考意見
2019年12月19日 2:06 PM
>>もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。<<
無きにしも非ずの話ですね。推理小説が好きな私には大変興味がそそられる話です。キリスト教にしろ仏教にしろ宗教に迷信はつきものです。もうすぐクリスマスですが、キリストが12月の寒い時期に馬小屋で処女マリアの胎内から生誕した話など、今どき誰が信じるでしょう。あり得ない話です。
>>明治五年七月、教祖が、松尾市兵衞の家の仏壇を取り片付けさせたという話。(逸話編二七 目出度い日)これも廃仏毀釈の波に乗った応法派の輩の手によるものだと思います。なにしろ仏壇どころか、お寺まで燃やされた時代でしたから。
かつて尼僧を志したほどの教祖が、仏壇を取り片付けるなどという要求をしたなんて、私には信じられません。第一、明治17年に教祖が奈良監獄に収監された時の警察の資料では、教祖の宗門は浄土宗となっているではありませんか。<<
私もそう思います。明治政府の廃仏毀釈政策に迎合するために意図的に捏造された話だと思います。教祖は浄土宗の五重相伝を受けたほど熱心な仏教徒でした。
自分の祖母が天理教の信者で幼い頃よく教会に遊びに行ったものだが、まわりの信者が会長の陰口を言ったりしているのを見聞きし、とても不思議な感覚を覚えたのを今でもはっきり記憶している。
参考意見
2019年12月19日 2:06 PM
>>もしかしたら、教祖の退場を願う応法派の輩が、教祖の食事に・・・と、恐ろしいことを想像してしまいました。なにしろ莫大な利益をもたらすビジネスが掛かっているのだから。科学的捜査も無い時代、しかも思想犯と看做されている教祖の身に何かあっても、警察は熱心に追及はしなかったでしょう。<<
八島氏から直接聞いた話です。
秀司が死んだ後に妻の松枝が妊娠したそうです。
不倫相手は、前川だそうです。
まつえは、堕胎の為に薬を飲んだのか はたまた盛られたのか・・・???
中南の門屋の右側の部屋で口から泡を吹いて死んでいたそうです。
前日までは元気だったそうです。
八島氏が、当時を知る古老たちから直接聞き集めた情報だと話してくれました。
退職した元信者 様
2019年12月20日 4:18 PM
>>八島氏から直接聞いた話です。
秀司が死んだ後に妻の松枝が妊娠したそうです。
不倫相手は、前川だそうです。
まつえは、堕胎の為に薬を飲んだのか はたまた盛られたのか・・・???
中南の門屋の右側の部屋で口から泡を吹いて死んでいたそうです。
前日までは元気だったそうです。<<
なんだかサスペンスドラマを視ているようですね。恐ろしい話です。
だから、本部は八島氏を追放したんだ。ところがどっこい、逆に裁判されて、こてパンにやり込められてしまった。
天理教青年会に言いたい。八島氏の著書に反論する本を出しているが、信用できない。なぜならば、本部が正しいというのならば、何故裁判で堂々と反論しなかったのか。何かやましいところがあるから、後出しじゃんけんのように変な本を出したのじゃないですか。
裁判を批判する人が居られるようですが、恥をかいたのは教団でしょ。
このような事実を多くの会長さんや信者さん方は、ご存知なのだろうか。私の所属していた教会の信者さんたちは、八島氏の存在すら知りませんよ。
このような事実を知った時どのような反応があるのか興味のあるところです。
口から泡を吹かれていたとお聞きして思うのは心不全だったのかなということです。
こういうことを書くのはやめませんか?
松枝さんの人権はどうなりますか?
もし服毒ならばドラマだと血を流していたりしますね。
皆さんお助け人ですよ。
逸話編七三 大護摩 より
明治十三年九月二十二日、転輪王講社の開筵式の時、門前で大護摩を焚いていると、教祖は、・・・お坐りになって、一寸の間、ニコニコとごらん下されていたが・・・・・
ニコニコと?・・・そんなの絶対あり得ない!と、私は思う。教祖は終始一貫して教団の設立に反対し「そんな事すれば、親神は退く(ご守護を失う)。」とまで、仰せになっていたのだから。この逸話、副題として「大嘘」と付けたくなる。
「たとい我が身はどうなっても。」と、一命を賭した秀司の真実・・・なんて、美化し過ぎ!ただの銭ゲバの執念と言ったら、言い過ぎだろうか? この年の「おふでさき」には書かれています。
さあ今日は 月日の腹が はぢけたで(堪忍袋の緒が切れた) 控えていたる ことであれども(15.13)
親の目に 残念の者は 何時に 夢見たように散る(死ぬ)や 知れんで(15.67)
事実この翌年に、中山秀司は61才で出直しています。秀司は、教祖を母として捉え、一貫して中山家の戸主としての立場から、世上常識に沿った利益営業を主張していたといいます。それって結局は、教祖を神とは思っていなかったということではないのかな。
秀司の嫁の死因はどなたかご存知ですか?
私は一般信者で被災地なんですが、災救隊の費用分担はどうなってるんですか?受け入れの大教会や教区の人は煙たがってる人が多いので、まさか費用の負担を被災地の教会や教区に求めてないですよね?
会長さんや関係者の方は口を濁している感じでしたのでこちらで知っておられる方がいらっしゃったらと思い書かせてもらいました。
逸話編七八 長者屋敷 より
教祖が、桝井キクにお聞かせ下されたお話に、
「お屋敷に居る者は、よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、と思うたら、居られん屋敷やで。
よいもの食べたい、よいもの着たい、よい家に住みたい、とさえ 思わなかったら、何不自由ない屋敷やで。これが、世界の長者屋敷やで。」と。
それが今では、リアルに長者屋敷になってしまいましたね。
住んでいるのは「大飲んべのみこと」やら「大食漢のみこと」やら、それが肥満化した「重たいのみこと」、あとは「賢くねえのみこと」といったところか。せめて「月並みのみこと」であればよいものだが・・・。
>結局は、教祖を神とは思っていなかったということではないのかな。
秀司さんは、おやさまになにかが取りついているとは思ったでしょう。それを「神」と呼ぶなら呼んでもいいでしょうが、秀司さんはおやさまとりついたこの神をよく理解してはいなかったと思います。
ただ、おやさまの傍に毎日いて、どんな難病でも次々にあざやかに直してしまうのを目撃していたでしょうから、この神さまの実力は認めていたはずです。しかし、この神の「思い」というもの、なぜこの神はオフクロのところに舞い降りてきたのか、その「目的」とするところは何か、ということに関しては、さっぱり解らなかったんじゃないかと思います。
誰かタイムマシンに乗って、秀司さんの所に行き、「いいですか、秀司さん、あなたのオフクロさんに取りつた神は世界救けする神ですよ。上級霊中の上級霊なんです」と言ってあげるとよかったんでしょうが、でも、たとえそうしても、秀司さんは解らなかったかもしれません。
神と言っても、「元の理」とか「おやの心」とか「人類を助ける」とか、そういうスケールの大きいものや、奥の深い教えなどは、どーでもよろしいんで、神様は、ただ病気を直してくれたらいいんだ、くらいのものとして捉(とら)えたんじゃないかと思います。
時は江戸、封建時代であり、医学や精神的な思想などほとんど発達していなかったころのこと、万病をたちどころに直してくれる神は、実はありがたかったことでしょう。秀司さんも、「これをほっとくテはないな」ぐらなことは思ったかもしれません。「これで、いいジェニ儲けができるで」・・・
しかし、おやさまが病人を助けると、ケーサツがやって来て取り締まる。じゃまをする。それで、お上(かみ)の目をくらますために、既存の仏教組織の名前を借りて、その傘下で、堂々と誰にエンリョ気兼(きが)ねすることなく、オフクロにお救け(病気直し)をしてもらう。
秀司さんがそう考えてしまったとしても、ムリはないと思います。病人は助かるんだし、こちらとしても、まぁ、ジェジェコが入って来る、双方得するんで、ええんでねーかい。
つまり、秀司さんは、仏教の傘下に下って、護摩などを焚(た)いたりすることが、ベターだと思ったんでしょう。こうして彼は、イエスやシャカやマホメットや孔子と並び称せられたかもしれない名誉をもらいそこねたのでありました。チャン、チャン。
災救隊への疑問様
詳しい事は判りませんが、教会が毎月支払う支部費が4月から値上がりになりました。教会の懐事情はギリギリを超えて赤字経営の所が大多数の中、支部長からの一方的通知でした。どの会長さんも口に出して反論する人は無く、結局言われるがままになります。皆黙って払っています。この押し付け体勢は変わらないです。
会計係りに聞いた所、災害対応への出費が増えたので、との事でした。翌月の支部会でやっと値上げ理由の説明が全体へ一言だけありました。
災害なら仕方がないと思う傾向が有りますが、信者の居ない教会への一方的押し付けで納得はしていません。不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。
逸話編一三 種を蒔くのやで より
慶応元年、また子供が生まれることになった。・・・すると、教祖は、「種を蒔くというのは、あちこち歩いて、天理王の話をして廻わるのやで。」と、お教えになった。・・・こうして、二人は、花の種を売りながら、天理王命の神名を人々の 胸に伝えて廻わった。
逸話編一五 この物種は より
慶応二年二月七日の夜遅くに、教祖は、・・・・・なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと と、唱えながらお通しになった。
おつとめ第一節に関する本部員、永尾隆徳氏の説は、こうした話に合わせたもののような気がします。
慶応2年とか嘉永6年とか言われても、なかなかピンとこないものですが、すべて西暦に直して年表にでもしてみると、色々と矛盾とかが見えてくると思います。
匿名様
>不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。
元々の予算は取ってあると思いますが。それ以上は決して負担はしません。
義援金を集めていますが、全て被災地へ持っていくのではなく、持って行くのは一部です。
その中から、災救隊の経費を捻出しています。
本部の懐は決して痛まない仕組みです。
元々、本部という所は肥を置く場所。
お金も労力も全て本部のもの。
本部から出すという発想はありません。
災救隊員は常時待機しているのではなく、急きょ集められます。
仕事を休み、教会の用事も出来ない。余裕のある教会はいいですが、末端は死活問題です。
匿名 様
2019年12月21日 7:55 AM
>>会計係りに聞いた所、災害対応への出費が増えたので、との事でした。翌月の支部会でやっと値上げ理由の説明が全体へ一言だけありました。
災害なら仕方がないと思う傾向が有りますが、信者の居ない教会への一方的押し付けで納得はしていません。不足金は教会ではなく本部へ負担を求めるべきだと思っています。<<
何も会計資料を提示することなしに、支部長の「鶴の一声」で値上げするとは、大変、不自然ですね。天理教の会長さんも皆、おとなしいのか、何も反論や質問がでないのが不思議ですね。「災害救援」を「錦の御旗」にして、増額したお金を別の所に環流させているのではないかという疑惑もでてきます。値上げするからには、しかるべき資料を提示して誰もが納得のできるような説明をするべきであるし、災害対応の費用は本来、教会本部が全て負担するべきであり、貧しい末端教会に負担を強いるのは筋違いだと思います。
末端 様
2019年12月21日 8:23 AM
>>本部の懐は決して痛まない仕組みです。
元々、本部という所は肥を置く場所。
お金も労力も全て本部のもの。
本部から出すという発想はありません。
災救隊員は常時待機しているのではなく、急きょ集められます。
仕事を休み、教会の用事も出来ない。余裕のある教会はいいですが、末端は死活問題です。<<
肥は植物が成長するのに必要ですが、過度な肥を与えると、根が腐り植物は枯死します。それが今の本部の現状だと思います。いつまでも末端を奴隷化する「天理教経営」は近い将来、必ず破綻します。
参考意見様の過去の投稿に
「 明治になって神道が絶対的な地位を占め、天皇を神とする時代となり他の宗教に対する弾圧が始まりました。しかし明治2年から執筆の始まった「おふでさき」にも「天理王命」という神名は登場しません。その他「命」の付く神道式の神名も出て来ない(くにとこたちに、おもたりさまや等)。さらに「天理・天の理」といった単語さえ一回も出てきません。
明治13年、中山秀司が営利目的で設立した組織の名は「転輪王講社」。
明治17年、諸井国三郎がおぢば帰りの際に、旗の中央に日の丸を描き、その中に大きく墨書した文字は「天輪王講社」(逸話編一三九 フラフを立てて参照)。この時点で「転」から「天」へと変化したのは、明治5年に教部省が発した「三条の教則(教憲)」の影響があったのではないかと思えてなりません。三条の教則の一つは宗教団体が「天理人道」を教えることを要求していました。「天理」とは政府から出た言葉であり、これに応えるように、明治18年に神道天理教創立事務所なるものから「これまで天輪王命だった神名を天理大神へと改める」という改正諭告が全国に向けて出されました。三条教則と改正諭告のいずれも国立国会図書館で閲覧可能な歴史的事実と言えると思います。神名に「命」がいつ頃から付いたかは不明ですが、これだけでも既に、慶応2年に第一節の「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたとか、嘉永6年に大阪で「天理王命」の神名を流したという話には無理があるように思えます。
明治21年に神道天理教会本部が出来た時に、朝夕のおつとめとして第一節「あしきをはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」が作られたという八島英雄氏の説に、私は高い信憑性を感じていますが、櫟本分署跡参考館発行の『みかぐらうた』(復元版)のオリジナルが残ってさえいればと残念に思います。戦争中の空襲で多くの事実を知る証人や証拠となる資料が失われたことは教団にとっては好都合だったことでしょう。」
というのがありますけど
なら逸話編の、慶応2年に教祖様が、なむてんりおうのみこと、とおっしゃったのは、作り話になりますよね
当初の、教祖様は、親神様を、なんと言い表していたのが、本当なのでしょうか?
日光東照宮を見ても分かるように、徳川幕府の時代においては日本の主流の宗教は仏教であり、神道はその一部のような存在でした。
教祖、中山みきも浄土宗の尼僧を志望し五重相伝を受けるほどの熱心な信者だったと聞きます。それ故、私は教祖が教えた神名は「転輪王」だったと考えるのが自然であると思います。
八島氏の説だったと思いますが、当時の教祖は浄土宗による救済に限界を感じており、真言宗も学び始めていた。「転輪王」とはそこで出会ったような話でした。
八島氏の説については、下記の資料をご参照ください。
https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho22-05.pdf&type=G&prt=3230
これも嘘♪、あれも嘘♪、たぶん嘘♪、きっと嘘♪、てな調子で、今日も教祖伝をほじっていきます。
逸話編三九 もっと結構 より
明治七年のこと。西浦弥平の長男楢蔵が、ジフテリアにかかり、医者も匙を投げて・・・
ちょっと待った!ジフテリア菌が発見されたのは明治16年。よく診断できたものだ。後世に診断されたのであれば、カルテなど病状の記録があったのか?
逸話編一四八 清らかな所へ より
・・・その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。・・・
ちょい待ち!コレラについて調べてみると、1日20~30回もの水のような激しい下痢。腹痛・発熱はなく、むしろ低体温となり、急速な脱水症状、血行障害、血圧低下、頻脈、筋肉の痙攣、虚脱を起こし、死亡する。・・・とある。某ドラマの話にもありましたね。突然、七転八倒の苦しみをはじめ、医院へ運ぶ途中で死亡なんて、急性膵炎なら身近にも発症から死亡まで30分という人がいましたが。
おおかた二代目真柱は、信者なんて無学無教養の集まりだから、むずかしげな病名さえ使えば、みな驚嘆すると考えたのではないかな?しかし!私が一番わからないのは次の例。
逸話編一一 神が引き寄せた より
・・・忠七の妻そのは、二年越しの痔の病が悪化して危篤の状態となり、既に数日間、流動物さえ喉を通らず、医者が二人まで、「見込みなし。」と、匙を投げてしまった。・・・
え……!? 痔の病? 痔(じ)……? 手持ちの稿本天理教教祖伝逸話編を開いて確認すると、たしかに「じ」と振り仮名までついてる。痔によって流動物も喉を通らずなんてことがあるのかな。もしかして人工肛門も無かった時代、出すものが出せないと食べることもできなくなったとか。……って言うより、これって単純に、癌(がん)のマチガイではないのかな。二代目真柱って東大出てたのでは?本の校正か写植の段階でミスがあったのかもしれないが。それなら、なぜ正さないのか。それも二代目真柱への忖度か?
参考意見 様
2019年12月21日 4:52 PM
内痔は化膿したまま放置しておくと、虫垂炎(盲腸)と同じで腹膜炎を併発し死亡する可能性があると思います。また直腸癌であれば、2年間抗がん剤を投与せず手術しなければ、全身に転移し死亡する可能性もあります。
痔の危険性について、私は知識が不足していました。
ただ「流動物さえ喉を通らず」という部分から食道癌を連想してしまいました。これからは専門外の事柄については気をつけたいと思います。
参考意見 様
2019年12月21日 6:44 PM
いずれにせよ、宗教には迷信や嘘がつきものです。宗教の違いは関係ありません。どの程度まで信用するかは、個々人の判断だと思いますが、迷信や嘘を盲信すれば、自分自身がひどい目にあうばかりか、何も関係ない他者にも多大な迷惑をかけてしまいます。オウム真理教の地下鉄サリン事件がその典型的な例です。よくよく気をつけなければならないと思います。
最近『殉教の人』(京城大教会・大熊忠次郎の伝記)を読み返してやはり感動するのですね。師と弟子、親と子の愛を感じます。不思議な助けも信じれます。きっと自分の祖先もそうだったのだろうと。過去にそういう時代があったとしても現代には通じません。皆様のコメントを読ませていただきながらいろいろと考えます。
教団が戦争協力にそれも積極的に関わっていったのは何故か、開祖中山みきからあまりにも遠くに来てしまった現在の教団。
大本教の事はほとんど知らないのですが開祖出口なおのように教祖出口王仁三郎のような人物が中山みきの側近に存在したら違ったのではないか。血縁に取り囲まれて応法の道の芽が最初からあったからではないか。中山みきは孤独の中で亡くなったのでないか。
そんなことを考えていたら『天理フリーフォーラム』に「教祖の教えと教団」(天理教と金光教の比較)を見つけ読んで金光教の教団が羨ましくなりました。
また、永岡崇(『新宗教と総力戦ー教祖以後を生きる』の著者)氏の「宗教とは誰のものかー『大本七十年史』編纂事業をめぐってー」(『日本研究』no47・2013)を読んでやはり大本教の教団が羨ましくなりました。
それぞれについて自分で述べるのは手に余りますので時間があったらぜひご一読ください。
教会に生まれ育った母の影響で、私も近年までは狂信的な天理病患者の一人だったと思います。一か月の内の三日間は他人のために働くという意味から、収入の一割をお供えするのを社会人になってから最近まで続けてきました。少ない休日も教会の行事があれば逃げることなく務めました。次第に教会組織のあり方に疑問や矛盾を感じるようになりましたが、それでも確かに神様はいて、何度も命の危機を助けられて、60年近くを生きてきました。それだから多くの事実を知った今でも、神様と教祖への想いは変わることはありません。また信仰は自分の心を律するためのものだったのだから、騙されたとか損をしたとも思いません。
しかし、自分が頑張ってやってきたことが、とんでもない巨悪を育てることへの協力であり、多くの人々の人生を奪い、地獄へ突き落としていた。それが何よりも悔しく、また申し訳なく思います。そんなわけで一人でも多くの人々が盲信をやめ、思案するキッカケを作りたいと願っています。私自身は教会親族という柵から、なかなか抜けることができませんが。
天理教で散々痛めつけられた人が金光教で救われたと言っておられました。天理教は最低、最悪だとも。あれは宗教じゃないと。
人を責めず、脅さず、相手の苦しみを自ら共にして祈る金光教の先生の姿勢に安らぎを感じたそうです。
天理教と違って、金の話は出てこない、脅しに聞こえる諭しもなく、ただあなたの幸せを祈りましょうねと言う姿勢に、謙虚だなあと私自身感じました。
そもそも、金集めのノルマなんて金光教には無いようです。
天理教の二枚舌は最低、最悪です。
今年は◯◯◯◯万円の目標に達しなかった、来年こそは頑張れと目標達成にハッパをかける大教会長。
金集めの心定めをさせる天理教は金光教から感じる品の良さが無く、さすがヤクザ組織を真似て無理やり金をむしり取るだけの凄みを感じます。
天理教は全く信用には値しません。
参考意見様
参考意見様、八島氏のお話はよくわります。 某加藤氏のブログも読んでいますので、神なき教祖様のお話は、理解はできます。
神懸かりと天振り、井出くにさんは、記録を読むと天降りですね
愛町初代は、どちらでも無い、私の教団と同じ、神霊能力者と言う印象
大徳寺さんは、神懸かりでしょうか?
息子が天理高校に在学してるから、天理教ってなんだろうと踏み込んで、社会学を探し当て、こっちの世界に足を突っ込んでしまったので、さっぱり分からなくなりました。
友人の教会長とかがしてくれる、教えのお話の根拠がどんどん崩れて行って、まったく天理教が入ってこなくなりましたし、私個人は自分の信仰があるので、それでもいいですが、もし、そうで無ければ、もっと真剣に昔の資料と合わせて、教祖のお姿を求めたかも知れません。
最初に天理教の看板があって、その奥に入ったら、全然違う世界が見えて混乱してる状態です。 教会子弟で育ってきて、大人になって、これを認めたら、ガラガラと足元が崩れて、自己崩壊してしまますよね。
友人の教会長が、ネットは一切見ないで下さい、異端ですから、放置して下さいって、本気で嫌な顔をする意味が判った・・絶対議論しないのは、知らないんじゃ無くて、多分知っていて、自分に言い聞かせているのかも知れません。
しかし、神様もいらっしゃる・・神懸かりなのか、天降りなのか、絶対神とか地球の親神様とか、キリストにも降りた神様だとか、実際記述も無いし、なんの根拠も無い、しかし教祖様を導いた、教祖が転輪王と想定した、神霊体は存在し、本席様やナライト様に神懸かりが受け継がれたと感じます。
転輪王の神懸かり、導きを受けながら、教祖の仏教の知恵を使って、人を導き、女性の地位向上や、世界平和に導いた?
天理教の人には失礼になりますけど、ここに来て、これだと、私個人の信仰、大霊界世界観に一致してしまいます。
連投すみません、追伸
今、別席を5回目を運び、息子が卒業するまでに、何でも経験だから、一緒にようぼくになってみようかと思っていますが、友人の教会長の成績を応援してあげようかと言うのが第一の理由です。
それで自分の持つ、信仰が揺らぐこともありませんしね。
だけど、この別席にも、真柱様のおさずけにも、今はまったく、根拠が無いんだなあって思うと、本当、これは歴史上の形だけなんですかね・・多分、これを受けなくても、親神様、神様って、天理教的に想う、信じる、祈るだけでも、当初の転輪王と言う神霊体なのか、格個人の守護霊、守護神なのか、それ以外か、不思議の守護が得られるなら、私の世界観とも一致します。
個人的な戯言ですが、私には教祖様の方が存在がくっきりと認識できるのに、親神様が漠然とした印象しかつかめないのは、天理王の命と言う存在は、後から作られた物だから? やはり八島氏の方が正しいな? と勝手に思ってしまいます。
昔教会に参拝に行ったら、拝殿では無い奥の居住スペースに安物のクリスマスツリーがかざられて居た。
そしてわざわざプレゼントまで用意されてて、会長家族は「メリークリスマス」だってさ。
どうせこんなレベルですよ。
日本人(ゴチャマゼ人種)だからクリスマスやるなとは言わないけど。
クリスマスが終わったら新年度の心定め。
バカバカしくてもう天理教は終わってますよ。
あー、それに最近はハロウィンが加わったかな?
ハッピーハロウィンだって。
ハロウィンにはいっそ仮装して各大教会でも周ったら如何だろうか?
私個人としては、神とは全世界、さらには全宇宙の創造主であると考えています。宗教以外の言葉で言えば「大自然の摂理」とか「絶対原理」とかいうものかもしれません。
おそらく教祖は、その時代その土地の人々が理解しやすいようにと、自分の宗教的知識の中から「転輪王」という名を、仮のものとして使ったのではないかと思います。
会長御子息へのクリスマスプレゼントの請求が来たのは言うまでも有りませんが、プレゼントを受け取った後で、プレゼントで貰うなら現金の方がいいと言って来た。
古は駄目で何でも新品。
廻りは皆used着てますけどねー。
何でも金カネかね。
図々しいにも程が有る。
天理教の「おさづけ」にしろ、「おびやゆるし」にしろ、「赤衣のお守り」にしろ、私はすべて迷信であると考えています。医学をはじめ、科学技術が発達していなかった幕末期に、当時としては原因不明とされていた病気も多く、また、お産で落命する女性も多かったと思います。そうした時代に、人は何かにすがりたいという心理がはたらくものです。現代でも、新車を購入すれば神社へ行ってお祓いをしてもらい、神社の名前が書かれたシールや反射板を「お守り」として車体後部に貼付して走っている車をよく見かけます。また、安産や婦人病の治癒を祈願して多くの女性が参詣する仏教寺院もあります。また、「厄除け参り」のように、男女それぞれが、厄年を迎えれば、厄を払うために、多額のお金(お布施?)を寺院にお供えし、厄払いをしてもらうという習慣も古くからあります。こうした「霊感商法」まがいとも呼べる風習や習慣が、いまだに日本の国に根強く残っています。あと10日ほどで新しい年を迎えますが、正月ともなれば、あちらこちらの神社仏閣が大勢の初詣参詣者で賑わいます。初詣の参詣者が、その年1年間の家内安全等を祈り、賽銭箱にお金を投げ入れます。これも何か超自然的なものにすがりたいという人間の心の弱さをあらわしていると思いますが、所詮、迷信にすぎません。
むかし読んだ漫画のなかに「神無月には神々が出雲の国に集まるので、それ以外では日本全国、神も仏も無いそうな」というのがありました。ただのギャグだと思っていましたが、最近になってネットで神無月について調べてみたら、実際に過去の神無月におきた災害を、神不在によるものと伝承している地方もあったりしてびっくり。
こんな漫画を思い出したのには訳があります。どこかの神殿講話で聞いたのですが、アメリカの某大教会長は、毎月二万円の飛行機代をかけて本部に参拝し、ぢばの理をアメリカに持って帰るのだそうです。
それじゃあ神様って、おぢばにしか居ないのか?帰る途中で飛行機が墜落したら、その月アメリカは神不在となるのか?いくらなんでも神というものを矮小化し過ぎてはいないだろうか。そんなことを考えてしまったものですから。
因みに、子供の頃の私は、早々と親にサンタクロースを虐殺されてしまい、クリスマスプレゼントを貰った経験がありません。
訂正
飛行機代は20万円でした。
参考意見様のコメント
「 私個人としては、神とは全世界、さらには全宇宙の創造主であると考えています。宗教以外の言葉で言えば「大自然の摂理」とか「絶対原理」とかいうものかもしれません。
おそらく教祖は、その時代その土地の人々が理解しやすいようにと、自分の宗教的知識の中から「転輪王」という名を、仮のものとして使ったのではないかと思います。」
つまり、参考意見様は、天降りも、神懸かりも、神霊などの、見えない世界の働きかけは、直接無かったと思う、 ザ、グレート、サムシング、への畏敬はあるが、大自然の摂理と言う事ですね。 我々は死後、物体として消滅する、消えると・・
まあ、そう考えて、理想社会を高い倫理観を持って目指す生き方もありでしょう。
私個人も、それが間違って居るとは思いません、内面の向上を目指すのが信仰であるとして、それを持つのに、決して見えない世界の働きかけが必要だとも言えないのが、地上ですから、神など迷信ですって言い切っても困る事はありませんもんね。
ただ、どこから来て、どこへ行くのか? どうして存在するのか、なぜ運命は様々なのか? こう言った事が知りたいと思うのも、人間なので、様々な思想、世界観が生まれて来ますし、神の守護を心の拠り所にしたくなるのも、人間の弱さと言えば、そうだと思います。
本物?も、嘘もあれば迷信もあれば、ダマシもありますから、あとは、自分が納得できる、信じられる物、(神様)、世界観を見つけるしか無いですね・・としか言えませんよね。
なら、やっぱり天理教を変えて行くのは、信者の責任ですし、本部が異端なら、教団を離れて、(親神様)を求める努力を個人的にするしか無いでしょう。
私個人は、自分が納得できる、大霊界世界観と御守護神に出会えて、幸運だったと思っています。
ひとこと言い忘れたことがあるのですが・・よろしければお聞き下さい。
これまでの ざんねんなるハ なにの事 あしのちんばが 一のさんねん (1-31)
みのうちに とこにふそくの ないものに 月日いがめて くろふかけたで (12ー118)
この二つのお歌は、ともに秀司さんのことを言ってるんですが、ちょっと見ると、矛盾しているように見えませんか?
上の句(1-31)の方では、秀司さんの心に悪事(あくじ)るので、その悪事がのかないから、ちんばという 「身の障り」 となって現れて来ている。と神さまは言われています。
こうして見ると、秀司さんの心には、親神に「残念」と思わせるほどの悪事があったのですが、ところが、下の句(12-118) では、「身のうちにとこに不足のない」 と言われています。
一瞬、「どっちやねん」 とつっこみたくなるのですが、しかし、神様というのは、常に真っ正直に、ストレートに思ったままを話す方(かた)だということを考えますと、ある条件下において見ると、秀司さんは悪事をかかえている人なのですが、別のある条件下において見ると、秀司さんは「どこに不足もない人」ということになるんでしょう。
つまり、用木として使おうとすると悪事があり、使いものにならない。が、しかし、神の僕(しもべ)ではなく一般人として生きる分には、十分りっぱに生きていけれる、ということでしょうか・・
で、悪事ということですが、私が知ったところでは、どうも内縁の妻の「おちえ」さんのことらしくて、二人の間には音二郎という子がいたそうなのですが、おやさまは、この二人を中山家から追い出したそうです。芹沢光治良先生は、この時のおやさまのこうした強い姿勢を不思議がっておられて、「ふだんはおやさしい方でしたが、この時ばかりは強く出られたようですね・・」と言っておられたのを覚えています。
私は江戸時代がどのような因習や風俗に包まれていたか知らないのですが、内縁の妻ならそんなに悪い事ではなかったのではないかと、思ったりしたのですが、まぁ、神さまの目には、どこかかなわぬところがあったのでしょう。
要するに、神の道は厳しい道であると思います。
秀司さんは、江戸~明治初期に生きた人であり、その時j代の風俗習慣の中にどっぷりとひたって生きてきたのですから、時代を超越してものを言われるような親神様を相手にした場合、通じ合うということはなかったと思います。
世界に目をむけても、宗教者として神の目にかなった生涯を貫きおおせた人はそんなに多くはなかったことでしょう。あのマホメットも、道をたどる途中で、サタンに心を売ったかのごとく私利私欲に走り、教えを自分にとって都合のいいように変えてしまったと聞きます。(芹沢光治良<神の計画>p,207 )
だから、・・・秀司さんが挫折した人であったとしても、(実際、挫折したんですが)、赦(ゆる)してあげてほしいです。
それで、こんな事を長々と言ってしまいました。
ぶたまん 様
2019年12月23日 4:30 AM
「おふでさき」のみならず、「旧約聖書」は荒唐無稽な迷信や嘘が多く、「新約聖書」も同じです。日本の「建国神話」も同じです。宗教に迷信や嘘、矛盾はつきものです。
大教会長が憎いです
夫はとある教会の会長でした。
5年前までは信者さんもたくさんいて、月次祭があると、4〜50人ほどが集まり、直会も楽しいものでした。
5年前のある日、大教会長が巡教にきて、教会長である夫に言いました。
「今度知り合いの教会がふしんするから、お供えよろしくな。20万円ほどでええわ。」
うちにはそんな大金ありませんと言うと
「ほな信者から貰えや。知り合いに金は用意するもう言うてもうてるから頼むで。」と返されました。
夫はどうしたらいいかわからず、上級の会長に相談しましたが、親孝行したらいい、と言われ納得のいかないままお供えすることを放置していたら、毎日のように大教会長から電話がありました。「お供えまだか?』と言うような内容の電話ばかりかけてきて、私も夫も心が折れて、渋々払いました。
一度払えば終わりかと思えば、三ヶ月後、半年後にまたお供えするよう言うてきました。
夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が「われ誰のおかげで協会持ってると思っとんのや!?大教会長のワシのいうこと聞けへん言うんか!?どうなっても知らんで!?」と怒鳴られました。
この時点で、夫はストレスで胃を弱め、白髪も増え、うつ病になっていました。信者さんに対するあたりも悪くなり、信者さんも協会に寄り付かなくなって行きました。
私は必死に夫を説得しようとしましたが、うつ病だったせいか、ちゃんとした判断ができなかったのかも知れません。
そんな状況が5年も続き、夫はとうとう全てが嫌になり、天理教を辞めることにしました。
私もそれに賛同し、教会も全て畳んで今は天理教とは無縁の生活を送っています、
ふと、家のまえで神名流しをしているのを聞いて、天理教のことを思い出し、ネットでこのサイトを見つけたので、書き込みました。
こんなことがないような宗教になって欲しいです、
いつか本当に人を殺すかも知れないと言うのを気づいてください。
大教会長が憎い様。
ご苦労されましたね。こう言うダニの様な大教会長が日本中いたるところに居るんですね。私もその類いの大教会長を人づてに知っていますが人に取り付いて生き血を吸うんです。生きていても何の役にも立たないダニ。自分がダニだと気がついていないんです。
人間的に歳を重ねても心が実らないから思考も精神も未熟でかつ幼稚。俺様を誰だと思ってるんだ?の低レベルですから相手にする様な人間でもないんだけど。上下関係に組み込まれると相手にしない訳に行かないんですよね。よくわかります。
先々の長い人生を考えたら教会を捨てて正解だったと思います。住居の問題、仕事の事、うつ病の回復に向けてと、本当に大変だったですね。
腐った図領について行っても道を違えるばかりです。見限ったのは大正解です。新生活が充実されます事を心から応援しています。神は誠実に真面目に生きる人間の側に寄り添って下さいます。必ず!
崩壊 様
2019年12月23日 2:23
迷信、嘘、神話 ・・「物語世界」には、それが多いです。みんなで造り上げた「架空の殿堂」です。みんなで架空のもの(ありもしないもの)によたれかかって生きていると気づく時もありますね。危なつかしいんですけど、それが実際に存在しているように思ってしまうんです。そうして裏切られる・・・私は、もう嘘は要らない。
↑ 上の文、ぶたまんの投稿です。スミマセン。
1
あります。存在しています。
いばらを針でかくようなでしたか。
本当にそれほどのものです。
あります。存在しています。
決して指の間からこぼさないで下さい。
失わないで下さい。必ず心の中で守って下さい。
お願いします。
水木しげる先生の晩年の幸福論
「お金を追い求めて金持ちになっても人間は幸福にはなれません。幸福はお金で買えないのです。ただ、私がその境地に至ったのも、漫画で成功して使いきれないお金を得てからです。なので、幸福になろうと思ったらとりあえず最初は金持ちを目指しましょう」
庶民の安心や幸せに、お金って大事です。
教会長も、かなり過去には、布教師から教会を作り、お供えを集められ、おぢばに競って寄進できた時代もあったのでしょうが、現在、それができる人は、ごく少数です
黙っていても、信者がお供えを持ってくる程、徳も無ければお助けもできないのに、下部教会、信者にお供えを出せと言うのは、まったく道理が通りません。
教団組織に組み込まれていない信者から見たら、ただ威張ってる大教会長様は滑稽なだけです、嫌だなと思ったら、離れるだけですね、神の守護のお礼にお供えをして下さいって言われたら、その神様を変えるだけです。
世間には、信者に寄り添う宗教も、心を導く信仰もいろいろありますからね、自分が気に入った宗教を信仰するまでですね。
(大教会長が憎い 様の投稿より)
≪夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が「われ誰のおかげで協会持ってると思っとんのや!?大教会長のワシのいうこと聞けへん言うんか!?どうなっても知らんで!?」と怒鳴られました。
「われ」って何という言葉なのか。犬にでも投げかけるような「ぞんざい」な言葉だろうに。
読むだけで心臓がキリキリ痛い。
関西弁の一種なのだろうが、「やくざ言葉」としてしか伝わらない。
会社の同僚、関西弁の石島氏の言葉には、同じ関西弁でも頭の良さがにじみ出ていて、聞いていて心地よかった。
「言葉は人」、だから多分、この大教会長は下品な人物なのだろう。
天理教布教に最初に火が付いたのも大阪だから、関西人をけなすつもりはないけれど、他の地域の言葉で育っている人にとっては、やくざに脅かされているとしか伝わらない。
関西人は、このことを頭に入れておいて良いのではないか。投稿文から推測すると、投稿者様は関西弁を日常語とする方ではないことがわかる。だから上記のような言葉を投げつけられた時のダメージは大きいと思う。
言葉の問題は上に立つ者ほど気を配る必要があると考える。(勿論、内容こそが重要であるという前提だ。)
ここまで書いてきてフト思った。教典は標準語で書かれているものの、逸話は天理付近の言葉や関西圏の言葉のためか、自分の英語読解力レベル同様、「判ったような、判らないような」モヤモヤ感が時に残ってしまう。
いくらテレビで関西弁をお笑い芸人たちがまき散らしていても、雰囲気しかわからない、ニュアンスが伝わらないという問題もあるが、そんなことはどうでもよいから、教内文書は標準語・口語体での表記がほしい。
本部講話まで標準語にせよとは言わない。しかし、文書は標準語にすべきだ。これは日本語から外国語に翻訳する際に重要な問題にもなることだ。翻訳者が天理育ちの日本人ばかりではないから、誤訳にもつながる恐れもあり、また、海外の人が日本語を学び、後に翻訳を試みる場合、標準語の他に古文・大和言葉をも習得しなくては正確な翻訳は難しいだろう。
この忙しい師走に、些末な事を書いて済みません。
大教会長が憎い 様の投稿の言葉の部分を関西弁ではない標準的な言葉に直してみました。
5年前のある日、大教会長が巡教にきて、教会長である夫に言いました。
「今度知り合いの教会がふしんするから、お供えをよろしくお願いしますね。
20万円ほどでかまいませんので。」
うちにはそんな大金ありませんと言うと
「それでは信者さんから頂いて下さい。知り合いには既にお金は用意すると言って
しまいましたので、よろしくお願いします。」と返されました。
夫はどうしたらいいかわからず、上級の会長に相談しましたが、親孝行したらいい、
と言われ納得のいかないままお供えすることを放置していたら、毎日のように大教会長
から電話がありました。「お供はまだですか?」と言うような内容の電話ばかりかけてきて、
私も夫も心が折れて、渋々払いました。
一度払えば終わりかと思えば、三ヶ月後、半年後にまたお供えするよう言うてきました。
夫は「もうお金ないです、払えないです、他をあたってください」と言うと大教会長が
「あなた誰のおかげで協会持ってると思ってるんですか!?大教会長の私のいうことが
聞けないと言うんですか!?どうなっても知りませんよ!?」と怒鳴られました。
言い回しや表面的な言葉の丁寧さを変えても、先方の脅迫恐喝的で強引な姿勢や内容自体
が変わる訳ではないですね。
参考意見様、他詳しい方
教祖様が最初に神懸かりになった時、憑いたと思える存在は、何と言ったんでしょうね? 我は元の神、実の神である! でしょうか?
それも後から作られたお話っぽいですよね、教祖様が転輪王と言う仏教系の呼び名を当てた、その親神様って、本当はなんて言ったんだろう。
個人的な感想ですが、神道系の神霊は、最初は〇〇の命って日本人向けには、名乗る事が多く、神格によっては大神と名乗ったりしますが、霊のハッタリもあるから審神能力が要ります。
天の将軍と言う説もありますよね、しかし、土地、社に鎮まる神なら、〇〇の命と最初から名乗る可能性が高い、将軍とは、神道には無い、呼び出す人に合わせて名乗ると思いますけど、将軍と言うのは、あまり聞いた事がない。
何も存在せずに、お助けや不思議を起こせるなら、ただの超能力ですから (笑)
個人的意見ですが、親神様なる、神霊が存在していると思いますけど、それはグレートサムシングとは違うと感じています。
どうでも良いお話ですみません、最初の呼び名・・何だったんでしょうね。
ある漫画の中にあった言葉。
「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。」
この度令和二年正月一日から施行される、中一部変更という「教区規程」「一般教会規程」で、これから末端教会などではどういった影響はあるのでしょうか?お詳しい方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
第十五条 3.懲戒に関する調査 新「及び」 旧「並に」その具申に関すること。
その他、第二十八条 最後に追加分、 第三十条 2の変更
父親 様
> 我は元の神、実の神である! でしょうか?
おやさまが大徳寺様の口を通して言われたことですが、最初に言われたのは、「我は天の将軍なり」ということでした。 「我は元の神・実の神である」ではなかったのです。
それから、「将軍」は、江戸時代、当時一番偉い人だったので、「天の将軍」 といったほうが解りやすいだろうと思ったから、そう言った、とお聞きいたしました。ご参考になれば幸いです。
(追:このことは、30年ほど前にお聞きいたしました)
教部省の三条教則に合わせて「天理王命」という神名を捏造した中山・梶本・山澤の宗教屋たちが、他の宗教と比較して最高・最強の神と人々に思わせるために「元の神、実の神」と言ったなんて話をでっち上げたのだと思います。
参考意見 様
2019年12月24日 1:49 PM
>>ある漫画の中にあった言葉。
「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。」<<
なかなかの名言ですね。敢えて付け足せば「お金で幸福が買えるわけではないけれど、お金で回避できる不幸は沢山ある。ありあまるお金で身を滅ぼす場合もある。」でしょうか。
そもそも、「神がかり」という現象自体、今後、精神医学や脳科学の分野で詳しく解明されていくと思います。
ここに相応しい話題ではないかも知れません、すみません。
参考意見様の
「 教部省の三条教則に合わせて「天理王命」という神名を捏造した中山・梶本・山澤の宗教屋たちが、他の宗教と比較して最高・最強の神と人々に思わせるために「元の神、実の神」と言ったなんて話をでっち上げたのだと思います。」
これが本当なら、今の十全の守護とか、天の筋道を持ってだのも、後付けの可能性が高いですね。
ぶたまんさんのコメント
大徳寺さんの信頼性は、とりあえず置いておいて、人間の知恵の範囲で当てはめるのが普通なので、将軍と言ったのは、判りますが、当時江戸時代の庶民は将軍様とか、天皇とかも、一般的では無く、単に幕府と呼んでいたらしいですし、身近にはお奉行様ですから、この将軍も、「 天の奉行なるぞ!」と言った方がリアリティありです。 (笑)
高級神霊は言葉を使わず、エネルギー想念だけで伝えて来ますので、人は、持ってる知識から当てはめて、言葉に変換するしか無いので、交流する人により判断が変わっても、来ると思います。
人に近い心霊は、まだ言葉で人に霊言して来ます。
耳元で囁いてくる霊聴などは、単なる心霊です、関わらない方が正解ですね。
天理教のある人から、天理教者でも、親神様とか教祖様と神霊的に通じてる人は居ますけど、公言したらすぐ破門されるので、そう言う人は黙ってお助けしていますよって、聞きましたよ。 その人の理の親は、それで破門されたと。
教祖様に降りたとされる存在は、記録は不確かな物だと言えますけども、その後本席様や破門された茨木基敬氏とか井出クニ、新しくは関根豊松氏に現れていますし、親神様のお助けが多くの信者に現れているから、強い神霊体が存在し関わってると感じます。
教祖様の霊体、関根豊松初代様の霊体の方が、信者なら、より波長を合わせ易いと思いますが、この話ここまでにします。
八島氏のお話の様に、教え、だけをシンプルに考えた方が、扱いは良いですね。
最近の脳医学、精神医学でも、逆に心とか精神が、脳内の反応だけでは無さそうであり、その活動位置が科学的にハッキリしない事になる可能性もあるかと思います。
A I で、人間の精神的活動、心、愛情が作り出せるなら、人間もまた、機械だと言い切れるかも知れませんけどね。
憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。
年の瀬に、失礼いたしました。
父親 様
2019年12月25日 9:34 AM
>>憑依症は精神分裂症、統合失調症、多重人格などとも見分けが付かないですからね、自分の意思で、そのコンタクトを管理できるなら、霊能力か、それでも単なる自分の思い込みかと言えますね。<<
憑依症に限らず、私たちが日常的に睡眠時にみる夢や、催眠術師による一時的な催眠状態中に起きる現象、有名な青森県恐山の「イタコの口寄せ」等は、すべて、人間の脳が何らかの変調を起こしている状態であり、近い将来、科学的に立証されるものと私は考えています。
宗教団体は、ご寄進をいただく会費をいただく、宗教団体の神々に、先祖様にお供えすると言っても。本当は、冷暖房・人件費・施設維持、その他団体の将来の運営のために、必要なだけですよね? それが、冷静に考えるこの世の実態ですよね。
寄付が多いほど、神様と先祖が喜び、守護が増す?
これこそが本当の迷信では無いでしょうか?
「心の自由、生活の自由、金銭の自由を奪い束縛する宗教があるとしたら」
そう言う宗教こそ、今後、廃って言っても不思議では無いと思います。
崩壊様は
あの世も、大霊界も一切否定なさってますが、それは個人の自由ですから。
生き方はそれぞれ自由ですから、人が存在する意味を問わず、自分を向上させるモチベーションとなる理論的信仰が持てて、生きられるなら、それで良いんじゃ無いですかね。
欲を抑えて、愛を信じられ、社会に尽くして生きられるなら、良いんじゃ無いですかね。
明日死んで、無になっても怖くない、何も思い残す事は無い、と言い切れるなら、それで良いんじゃ無いですかね。
私は、そう思っています。
連投すみません、崩壊様
私は弱い人間です、欲望のままに生きても、愛に生きても、死んだらみんな同じとは、思いたく無いんです。
この世に存在する理由が知りたいのと、欲を抑えて、愛に満ちた人生を目指す事の必要性が欲しいんですよ。
生活も安心安全に過ごせる社会が良いし、それは倫理的に求めていますが、心豊かに、与えられた人生を精一杯真っ当する(意味)が欲しいんです。
私は前世の因縁と言う概念は、大嫌いでもありますし、それを否定するだけの根拠も欲しいんですよ。
前にも書いたけど、二十歳くらいの時、いろいろな自己否定から、自分はどうしてこの世に存在するのか? 無駄じゃ無いか? 死んだ方が世の為だって思い詰めた時、今の信仰にであい、自分の存在価値と言う意味を知り、生きる意味を知った、その時に、本気で神のエネルギーを引いたら、引けてしまい、体の不調、身上も日に日に回復したし、心にもエネルギーを得られてしまった、以来30年、普通に働きながら、深い信仰の道に入り、神のエネルギーを引き続けていますので、私個人は今の信仰に縁があって良かったと思ってます。
だから、これを人に勧めても、本気にならないと神と交流はできませんし、布教活動があるとしたら、他者浄霊をして、エネルギーと効果を体感してもらう以外にありません、感じない人には、力不足ですみませんって言うだけですよ。
神の教えてなんて無いんですよね、言葉では伝えきれないのが本当です。
天理教で言うなら、最初にお助けして、結果が出れば、布教できるし信者も増えるでしょうって事ですね、毎回お助け受けてエネルギーを感じられたら、教会にお布施も集まると思いますよね、過去は、それで教団は大きくなった訳ですから。
天理教の本分、本領は、教えとお助けの両輪であって、良いお話、セミナーとかでは無いと思ってます。
良いお話、考え方だけなら、別に神も要らないし、お布施も要らないでしょう。
長々と、どうもすみません、そう思っています。
この場に関係無い部分が多いです、すみません、スルーして下さい。
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、れんだいこさんに謝りなさい。
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、れんだいこさんに謝りなさい。
誰に言ってるのでしょうか?
東風Z 様ですか? 連投のお父さんは、れんだいこ氏には、関わっていませんね。
まあ、お子様を除けば、お父さんは、ほぼ部外者ですから、無視で良いでしょう。
東風Z さんも、以前、れんだいこさんの件は、ちゃんと説明なさいましたよね?
何を偉そうに物申してるのですか?
あなたは意見する資格はないのです。
とりあえず、みなさんに謝りなさい。
↑ 2:04PMの人
通りすがり様
謝りなさいはいかがですか?
れんだいこ様は謝罪を求めているのでしょうか?
わたしには分かりません。
貴方様がどんな御立場の方かわりませんが言葉の使い方かんがえてもと思います。
私の意見にご気分わるくなさったら申し訳ございません。
大道教の方から聞いた限りでは、現在の教典が出来るまでは、「我は天の将軍なり」であったと断言されています。二代さんが教典作成の際に「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり、この度、世界一列を助ける為に天降った。みきを神の社に貰い受けたい」と変えられたのか。
長滝村の中野市兵衛宅は今も子孫がご健在で、この子孫が言われるには、市兵衛は学僧であって祈祷師のようなことはしておらず、天理教の説明は困ったものだと憤慨されていたそうです。
又、寄加持の台の「そよ」なる人物も、勾田村の人別帳には記載が無かったとも語られています。
教典がねつ造か、あるいは、大道教信者の方の語りが作り話なのか。いずれにしても異論が出るような宗教は、まともに信仰しない方が得策でしょう。
勾田村の人別帳は天理大学附属図書館に寄贈されたが、今は存在しないというのも不思議な話です。教団にとっては都合の悪いものなのかもしれません。
とにかく、コピー機が無かった時代の話ですから、どうにでもなったことは確かですね。
余談ですが、一度、ある本を借りに、はるばる天理まで行ったところ、一片の紙片を渡されて所属教会長の印を貰って来いと追い返されました。
家に帰ってネットで中古本を探すと、300円で買うことが出来ました。このようなことがあるにも拘わらず、
勾田村の人別帳が無くなっているというのも解せない話です。
櫟本分署跡保存会ですら何とかして取り壊そうと画策する、すなわち、教祖の足跡を無きものにしようとする天理教本部の姿勢に疑問を感じない方がおかしくありませんか。
極端な話、教祖が立教宣言をしたのかも疑問だと思います。ただ単に人助けの活動を始めますという、家族に対しての決意表明だったのかもしれません。その根底にあるのは仏教の思想であったと思いますが、教祖は自分の救済活動を宗教とは認識していなかったのでは?宗教にしたかったのは、教祖を利用し利益を得たい者たちだったと思います。
>>櫟本分署跡保存会ですら何とかして取り壊そうと画策する、すなわち、教祖の足跡を無きものにしようとする天理教本部の姿勢に疑問を感じない方がおかしくありませんか。<<
若江の家なる意味の無い建築物を大事に温存し、天理教草創期の大切な遺産である櫟本分署跡を取り壊そうと画策するなんて、天理教教会本部はどう考えてもおかしいですね。おっしゃる通り、教祖の足跡を無きものにしたいのでしょう。
若江の家なる意味の無い建築物を大事に温存し、天理教草創期の大切な遺産である櫟本分署跡を取り壊そうと画策するなんて、天理教教会本部はどう考えてもおかしいですね。おっしゃる通り教祖の足跡を無きものにしたいのでしょう。<
全くの同感です。若かりし頃、教祖最後のご苦労の場所を見てみたいと、素朴な発言をした時、上の教会関係者から蔑まれるような目で制止されました。「あんなところに行くんじゃない」と言いました。ー信者なら見てみたいと思うのが心情ですが、「あんな所」と言った意味が近年判ったのです。今は亡き八島先生の拠点のような所なんですね。
天理教行事で史跡巡りがありますが、教祖最後のご苦労場所、櫟本分署へ案内される事が絶対に無かった。その意味が今頃わかります。
本部のやる事は、損得、駆け引きばかりで、三島神社埋め立て含めて教祖は良いところどりのー商売道具でしか無いのでしょう。教祖の嘆きが現在の天理教の瓦解、消滅の実態を表しています。
3000箇所とも4000箇所とも言われる整理教会の存在。新年号の天理時報も金の話で始まりました。「値を持って実を買え」と。読んでいけば「値」とはつまり金である、と言う意味合いが読み取れ、こうして洗脳信者を益々惑わすのです。
天理教、これで凋落の勢いは益々加速されるでしょう。金、金ともっと叫べとそう思う。沈没の最後の姿を見届けたい。
逸話編二 お言葉のある毎に より
天保九年十月の立教の時、当時十四才と八才であったおまさ、おきみの二人は、・・・「私達は、お言葉のある毎に、余りの怖さに、頭から布団をかぶり、互いに抱き付いてふるえていました。」と・・・
つまり、教祖の神憑りは中山家の家の中で起きたということでしょうか。稿本天理教教祖伝には、寄加持の準備段階から詳しく書かれています。(かかった費用まで書いてあるのは話にリアリティをもたせるためか?)
しかし、天理教ウィキペディアによると、
1838年(天保9年)12月12日(陰暦10月26日)、森神社(現在の三島神社)にて中山みき(40歳)に「天理王命」が憑依し、天理教が発祥。・・・とあります。
また天理市の三島神社で検索して調べてみると、「天理教の教祖・中山みきが天啓を受けたことで知られる三島神社。本来の天理教のおぢばがえりはこの場所なのかもしれない」という解説もあったりします。
もしも、これが事実ならば、中山家が何が何でも三島神社を遠くへ移転させたかった理由が、わかるような気がします。
「この屋敷にいんねんあり」とは中山家が神の一族となるための重要な意味を持っており、まちがっても他の宗派や場所で教祖の神憑りが起きたのではマズいのでしょう。
もっとも、明治以降「天理王命」という神名を捏造し、天皇を神と祀る教団だったころは関係なかったかも。それが時代の変化によって、いまさら「教祖存命の理」などと、よくもまあ、いけしゃあしゃあと・・・。
教祖に心酔して入信した筈の有名なヤクザ、平野楢造など、コロッと信念を曲げて天皇こそが神である、天皇に無礼のある者は出てこい、などど言い、本部諸共「天皇こそが神」と政府におもねる姿勢を取っていたくせに、誠、いけしゃあと教祖を利用し「存命の理」などとコロッと話を変えてよく言うものだ。
だから天理教は創立以来の長の年月、折々に七変化してきた信用出来ない代物なのです。
ウィキペディアのパロディであるはずの、天理教アンサイクロペディアのほうに所々、真実が書かれているように感じてしまうのは、私だけでしょうか?「教祖ゾンビの理」なんてうますぎ。不謹慎ですみません。
子どもの頃、1月1日の元旦祭が終わり、一息ついた翌日の1月2日に家族で教会本部に参拝するのが我が家の恒例行事でした。その頃は、神殿や天理本通は参拝者で溢れかえっていました。ところが、今は正月といえども、神殿も天理本通も閑散としています。昔の状況が嘘のようです。天理教の信者が激減してしまったことが、はっきりと分かります。今年の初詣は、妻と二人で理不尽に移転させられた三島神社と由緒ある石上神宮に参拝する予定です。教会本部には参拝しません。
参考意見 様
2019年12月27日 4:56 PM
>>ウィキペディアのパロディであるはずの、天理教アンサイクロペディアのほうに所々、真実が書かれているように感じてしまうのは、私だけでしょうか?「教祖ゾンビの理」なんてうますぎ。不謹慎ですみません。<<
天理教アンサイクロペディアを誰が書かれているのか存じませんが、私も、かねてからそう感じています。
また一組のカップルが天理教の末端教会をあずかることの重圧によって不幸になりました。
なぜ末端の教会の後継者に嫁が来ないのか、
本部、大教会、上級のセレブと勘違いしている人間どもは、
以下のKさんのツイートを読んでよくよく考えていただきたい!!
あなた方のセレブな生活の陰で、多くの人たちが不幸に陥っているんですよ!!
↓
K @8_noir_8 さんの12月15日の 一連のツイートより
天理教関係でフォローしてくださっている方がいるのでご報告。
さっき彼氏に、好きだけど「天理教の教会長の嫁」にはなれないと伝えた。この歳でこんな話をLINEでするのは良くないと思いつつ、今日会う予定がドタキャンされ、年内は会うタイミングなく、電話もあまり取らない人なのでやむなくLINEで。
今後、天理教と結婚について悩み、私と同様の悩みを持ってここに辿り着く方がいるかもなのと、色んな人に色んな事を教わったので、何をどう考えてその決断をしたのか書いてみます。不快な思いをする方もいるかも、その場合は無視(ブロック)してください。
一番の理由は、私はこの10年くらいの人生を捨てるレベルで、仕事、友達、地元、両親(他に親の面倒見れる兄弟は無し)を捨てることになるけれど、彼には「親や信者さんの期待に応えることが大事」で、「宗教関連のトラブルに関しては、私の味方になるとは言えない」と言われたこと。
ここで前提として、彼家は天理教の末端教会であることを補足する。信者さんは祖父母世代の高齢信者数名、彼らのお布施は月に3-4万程度。彼両親は働いておらず、国民年金は満額受給不可、生活費は世帯を共にする彼両親の兄弟が援助している状況。つまり、教会長継ぐには、将来の金銭的リスクが高い
二番目の理由はお金。教会長するにはフルタイム不可になるらしく、私側がガッツリ働いて稼ぐことを提案、それ故に土日は休むことと家族のために時間を使いたく、宗教活動は難しいだろうと話すと、天理教は夫婦で活動すべきものだからと難色を示された。平日仕事して土日は宗教事して、私いつ休むの?
彼にはお金ばかり心配して、と言われたが、自分達の生活費、子どもができたら養育費、宗教関連費、彼両親の老後にかかる費用、どう捻出するのか考えるほどに不安しかなく。 添付※ は概算だが、頼りの信者さんも彼両親の兄弟も、あと数十年で生物学的にいなくなる。どう生きていけば良いのか見えなかった
※添付
https://twitter.com/8_noir_8/status/1206073121368707072/photo/1
今までの人生を捨て、彼のいる生活を選んだところで、私には理解できない部分が多い天理教に対して熱心にはなれず、それでトラブルが起きたとしても彼は私の味方になってくれない可能性が示されている怖さ。一般家庭以上の出費に一般家庭未満となる収入が予測されているが、彼一家は「なんとかなる」と謎の楽観視をしている怖さ。必死の努力せずとも神様が良いようにしてくれる、と現状を正しく認識できていない様子に見える怖さ。私はどうしても現実的に考えてしまうので、それらの将来不安を受け入れられなかった。
三番目に親のこと。彼側は、実家近くに住む他の兄弟がいるが、私の両親には私しかいない。私の父親は60過ぎている今も仕事していて、現在も10日くらい出張中。この歳になってもなお仕事して、今まで家族を支えてくれた自分の親を見放して、今まで働いてこなかった彼親のために稼いで、介護できるか?
自分の親よりも優先して面倒見れるか?と考えてみたときの答えは「No」だった。今まで家族のために頑張ってきてくれた親の老後が孤独って嫌だと思ったし、正直なところ、彼親が厚生年金全くないどころか、国民年金も満額貰えない生活をしてきたのは、私の生きてきた世界と違いすぎて怖いと思った。
彼のことは本当に好きだったので、この半年ほどずっと悩み、私側の考えを変えられないかとも悩んでいたけど、今までブラック企業で頑張ってきて、ようやく掴んだまともな会社での仕事や安定した生活を捨ててまで、友達や親を捨ててまで、苦労が見える生活に飛び込む勇気はどうしても出せなかった。
とどのつまり私は、彼への愛よりも安定した生活、つまりお金や自身の平穏さを選択したことになる。所詮その程度しか愛していなかったと言われればそれまでだし、そうなのだろう。もし彼や彼実家に、働かずとも、老後も安定した生活を送れるような資産があったならば、結婚していたかもしれないし。
今回、天理教信者ではない私が、天理教の後継者問題にぶち当たって感じたのは、たぶんに一般信者よりも信仰と近いところにいるが故の、漠然とした「なんとかなる」思想の怖さ。深く考えない、確認しない、正しく現状認識しないのは、個人の性格もあるだろうけれど、そういう家庭内教育の連鎖があり
就学や人付き合いも天理教で囲われ、世間一般的な考え方や教外の社会に触れる機会が少なく、そのようにして世代を紡いだとして世の大半は天理教ではないので、「茹でガエル」よろしく、じわじわと湯温が上がってることに気付けず、後世ほどに問題が大きくなり破綻を起こすんじゃないかなぁと感じた。
なお私の彼氏に関しては、散々にお金の話をした中で、少なくとも彼一人であれば、他の兄弟と協力しあうことでそんなに不自由なく過ごせるだろうと思えたのも「やりきった」と別れる決心に繋がった。なお寝ているのか、今のところLINEの既読は付いていない、、、。
さっき彼氏から電話があって2時間くらい喋った。別れ話しながら、お互いに好きだと再確認して、でも人生の目的とするものが違うから別れないとねという話や、思い出話などもして。ダメもとで、私の方が稼ぎがいいし今後の年収も増える予想なのでうちに嫁ぎにおいで!と言ってみたけどダメでした。笑
先の投稿では沢山のコメントありがとうございました。信者が少なかろうと、生活が厳しかろうと、教会の家に長男で生まれたならば教会を継がなければならない、なんていう身分制度が改まってくれることを願いつつ、私の天理教関係の投稿は以上になると思います。
彼氏にも言ったことだけど、教会の家の子だろうとも、親や信者さんの期待を大切にするのも良いけど、自分の人生、自分が何をしたいか、自分が楽しい人生を送るということ、自分を大切にしていただきたい。Twitter民の皆様にはお世話になりました。沢山の情報をいただき本当にありがとうございました。
東風Zさま
あなたの言っている事は八島が捏造改竄したものです。こんな事を本気にしているなんて、気の毒でもあり、哀れです。あなたは真柱発言の捏造の時もそうでしたが、自分で調べるのではなく、人の話を鵜呑みにしている無責任な人間なのです。そのうち貴方は次のように言うに決まってます。
俺は知らねえよ!八島に聞け!
匿名 様
12月27日
> 彼一家は「なんとかなる」と謎の楽観視をしている怖さ。必死の努力せずとも神様が良いようにしてくれる、・・・
こういう考え方をしている人達の元中に入り込んだら、あなたは、たちまち四面楚歌の憂き目を味わうことになるでしょう。人は、何よりも先ず、田を耕してパンを得なければなりません。それで、
> ようやく掴んだまともな会社での仕事や安定した生活を捨ててまで、友達や親を捨ててまで、苦労が見える生活に飛び込む勇気はどうしても出せなかった。
これで、正解だったと思います。
・・こんなところに、天理教が今抱えている問題もあると思いますが・・エラソウなことを言ってすみません。
本日大教会長よりお話しがありました。
親の心配事、大教会普請に全てを出し切ってこそ、真の親孝行である。
とのことでした。しかし、部内教会の事情に対しては。
自教会の事は自分達で解決してもらわないと困る。
そんな親に誰が従うのか?
年の瀬に大きな不足をしてしまいました。
分離大教会の関係者が出直した。名前も顔も知らないし会ったこともない。玉串料として各教会○○○円持ってこいとのこと。何十年も前に分離したところの大教会なんぞ知ったことではない。部内教会はATMではない。なんでも部内に頼るな。玉串料ぐらい大教会長が払えばいい。セコイ大教会長はいつまでもヒルの如く吸い付いてくる。部内教会は必死で剥がそうと苦悶する。吸い尽くすまで離れない。別れましょう大教会から消えましょう大教会から。カースト制より酷い階級組織はいずれ消えて無くなるだろう。
ある方のツイッターより。
>>様々な身上事情からのたすかりを願って、万感の思いでかぐらづとめを拝している信者も大勢いる中、ちょとはなしのちゃんぽんを間違えて、何が本部員でしょうか。
何がつとめ人衆でしょうか。
呆れてモノが言えない。<<
昨日の本年最後の本部かぐら勤めのちゃんぽんが、正にチャランポランで間違えて2度も拍子木とかぶっていたそうです。
こんな程度の勤めしか出来ない本部員に何も言う資格はありません!真柱は、こう言う実態に対して、当事者達に緊張感を持つ様きつく指導すべきです。
鏡屋敷の曇りは世の曇りと言う。しっかりして貰いたい。高給取りの茹でガエルよ。自分達は守られていて安泰だから、必死に祈りを捧げる信者を前にしても緩み切っているんだろうな?
こんな緩んだ馬鹿を背後から拝している我々もいい加減にしていれば良いのだ。
皆、無理して遠方から来ている筈なのに本部参拝の有り難みが消えた!!
色々な大教会のことがこの掲示板に出るけど、どこの大教会なのか言わないのはみんな自分のところを守りたいという思いもあるのではないか。本当に大教会のことを不足してるのであれば、包み隠さずどこどこ大教会長と言えばいいのに。言えないんだなぁ。
私が、「道の80年、松村吉太郎 著」 を借りて読んだ印象では、詳しい事はうろ覚えなので、すみません、大雑把な話で勘違いもあるかもしれませんけど。
当時の教団本部は、常々、本席様、(親神様)の意向を確認していた
本部員も、親神様を、畏怖していたと言う印象を持ちます。
松村氏自身も、身上で死にかけており、神様にお詫びをして、心定めをしたと言うお話もあり、常に神様を意識されている印象でした。
茨木氏に、天啓が出た時も、天啓自体を否定せず、教団の為に困ると言う問答が書いてあった。
公認活動も、親神様は、賛成してくれないけど、とにかく、親神様に、お願いしようと言う話
公認のため、教団として運営する為に、教義を編纂して、学校を作り、布教師を養成しなければならないと言う話、この辺りが、応報の理の始まり?
教義を編纂する為に、外から学者を入れて作ったと言う話
日本の人口の半分をお助け人にしなければならないと言う野望
戦後、宗教が自由になってからは、おぢばの神殿に、神が不在になってはならない、教団幹部自ら、神殿奉仕に出て、神を取り次ぐべきであるとか、でした。
松村氏の著書を読んだ限りでは、親神様の意向を、ずいぶんと気にしてると思いましたし、神への強い決意と言うのは、何度もありました。
当時の教団幹部は、本席様、親神様を怖れていた様にも感じます。 だから、ナライト様が不安定で、天啓者として不十分であったのを都合良く引退させて、その他の天啓者も、異端として、封じる事で、教団運営が人間の都合だけで出来る様になり、やれやれ・・とみんな思ったのかも? と言う印象を持っています。
松村氏自身、神の存在を信じて畏怖は持っていたと感じます。
教祖様、本席様の、神の天啓を信じて、怖れてもいたと言う印象ですかね。
劇画、中山みき、とは違う印象ですかね。
自伝なので、何が本当かは、判りませんが・・
個人的な見解であり、ここでは興味の無いお話ですから、読み流して下さい。
教祖様が、神憑りになった時、子供たちが怖がったと言う逸話が、本当なら
天降りですか、一時的に人格を渡して、口伝する霊言タイプですね。
意識して、渡すのと、無自覚に乗っ取られるのとありますけどね、呼び名がいろいろあった、安定しない、痛みなどの症状で戒めを与えるなら、神レベルでは無い強い心霊と言う印象です。ただ心霊も進化向上して行きますので、変わってきます。
関根豊松氏は、自らの意思で、神の力を取りに行ける、持ってるものに、祈りを込められると言う点で、教祖様の時より、神の方も関根氏も進化している。
大徳寺さんは、教祖様の霊体を、降ろして口伝している、親神様が降りてる訳では無く教祖様なら、過去の教祖と同じパターンに入ってる。
これらの事から、私的には、前にも書きましたが、教祖に降りたのは、大和の古代人の霊体の印象であり、平成の今は、信者のお助けなどから、進化され、人に直接降りてくる事は無いレベルに達しており、教団のあり方に嘆いてはおられても、捨て置かれておられるが、信者の願いは聞いておられると言う、印象ですかね
この辺りは、私の持つ、大霊界世界観に一致するんですよね。
まあ、天理教者には、お笑いでしょうから、捨て置いて下さい、ただ、世の中には、そう言う信仰や宗教も存在しますからね、いろんな宗教があるので、自分の信じられる宗教を選んで、信仰したら良いと思います。
みんな自分にとっては、自分の信仰が唯一無二だと思ってますので、自由でしょう。
天理教に縛られてるのは、あくまで、この世のしがらみだと思いますので、組織を離れても、神様の戒めは無いでしょうし、組織を離れて親神様を信仰されたら良いんですよね。
その点では、今の教団の指し示す、親神様は存在しないのと同じだと感じます。
ただの、グレードサムシング、概念上の神様
もちろん、お供えと守護は関係無いと、私的には言い切れます。
>>本当に大教会のことを不足してるのであれば、包み隠さずどこどこ大教会長と言えばいいのに。言えないんだなぁ。<<
実態の告発は匿名では出来ても、やはり自分に不利益が降って来るような事は出来ません。狭い世界ですから袋叩きに会うでしょう。現状を変えたいと思う人の世間に向けてのせめてもの告発だと思います。
大教会集会などでも、皆表向きは「頑張ります」とその場をしのいでいますが、一度個人に戻るとそれぞれ一人ひとりは内面に不満を抱えています。言わないだけです。
だから表に出ない不満がくすぶっていて特に若い世代の現状不満と教団未来への不安が渦巻いています。個人で寄り合うと不満、不安の話ばかりです。
教会後継者などは、立場上逃げられないから上にあからさまな不満は言えないし、だからひそひそ話の不満大会になるのです。
固有名詞は出さないまでも実態の公表は内外の意識改革には必要な気がします。
教会本部「これからは人も金も減っていくし、建物も老朽化していくから大変だけど、食わせていかないといけない人間がいるから維持に努めるから、末端の方々には諦めずに頑張ってもらいたい。」
大教会「各教会単位でにをいがけとおたすけに励み、教会を盛り上げ、上級と本部に信者とお供えを連れて足を運び、ひのきしんに励み、報恩、感謝の心で日々を通る。そうすれば明るい未来が拓けてくる。」
分教会「お前らも頑張れよ。」
教祖「やはり教会はいらなかったんや。講でよかったんやないか…?もう話せへんからしゃあないなー」
信者「あかん、今の時代に合わへんわ」
こんな感じですか?
>>教祖「やはり教会はいらなかったんや。講でよかったんやないか…?もう話せへんからしゃあないなー」<<
教祖「教会も講もいらなかったんや。全部白紙に戻す時が来たんや。」
通りすがり 様
世の中は、いろいろな考え方や思いの人達が居られていいんじゃないですか。暴力を肯定される方は別ですがね。ですから、通りすがり様は通りすがり様の生き方をされればいいんじゃないですか。
人は、それ以上でも、それ以下でもないんですから。要するに、人は神や仏ではありませんから。
神や仏となりますと、どうしても上から目線になりがちですから、そのようなものをバックに持ちたくないんです。普通に生きれば、偉ぶることもなく、卑下することもなくなりました。
終戦の後、GHQがもっと詳しく調べてくれたら良かったのに。ニュルンベルク裁判の場合、その後の継続裁判でナチスに協力した司法関係者、医者、教育関係者、宗教家なども訴追されています。そうすれば、こんな非人道的な組織は、早くに無くなっていたかもしれません。残念!
道具衆とその周辺の魂達が(進化の先頭付近にある魂達が)心の成人をされて、天啓を受けながら永遠のたすけ一条をつとめてゆく処が、お地場のお屋敷なのだし、その天啓者の中に人類の棟梁になりえる、神格者、神の化身の様な人物達も複数現れる。という教え。
善亮君も八島のおじさんも頓珍漢なのだが、病まず死なず弱らずの雛形を実現していない、分派も含めた天理系の偉いさん方も、なんだかな~ って感じですね。
感謝、喜び、優しさ、朝起き、正直、働き、創造性、向上心、謙虚さ、を培いながら、未来に現れる本来のお地場の姿を想像しながら、今のところは、自他共の健康長寿安全繁栄を祈りながら、独り陽気暮らしを深めてゆくだけなのかな~。
大掃除の後、大輔君の子供の世代にはおやさま級の神々しい神人達がお地場で御用を勤めておられるんだろうな~。
参考意見 様
2019年12月28日 12:01 PM
>>終戦の後、GHQがもっと詳しく調べてくれたら良かったのに。ニュルンベルク裁判の場合、その後の継続裁判でナチスに協力した司法関係者、医者、教育関係者、宗教家なども訴追されています。そうすれば、こんな非人道的な組織は、早くに無くなっていたかもしれません。残念!<<
当時、天理教は神道の仮面を被っていたので、天皇制と同様にGHQは温存したのでしょう。あるいは奈良県の片田舎の新興宗教など眼中にも無かったのかもしれません。
神風特攻隊のような尋常でないものを見てきたアメリカは、当時の日本人の精神状態を考慮し、もしも天皇を断罪するようなことがあれば日本国民総自決の可能性もあると考えたのかもしれません。中山家が未来を予想していたわけではないけれど、神道様式でのスタートは大正解だったわけですね。今となっては日本の政府も、かつて持ちつ持たれつの関係だった天理教が、少々おかしな宗教でも追及しにくいかもしれません。
非人道的と切って捨てるような発言はおかしいと思います。
真実誠の心で頑張っておられる方々に、その言い方はよくないと思います。
参考意見
2019年12月28日 4:05 PM
>>神風特攻隊のような尋常でないものを見てきたアメリカは、当時の日本人の精神状態を考慮し、もしも天皇を断罪するようなことがあれば日本国民総自決の可能性もあると考えたのかもしれません。中山家が未来を予想していたわけではないけれど、神道様式でのスタートは大正解だったわけですね。今となっては日本の政府も、かつて持ちつ持たれつの関係だった天理教が、少々おかしな宗教でも追及しにくいかもしれません。<<
GHQは、日本の西側に中国やソ連という共産主義の超大国がいたので、日本が共産主義化、社会主義化するのを極端に恐れていたはずです。また、そういう状況下にあって、アメリカ合衆国は当然のこととして、日本に軍事基地を置きたかったはずです。日本が左翼下し、社会主義や共産主義国家になることは、アメリカ合衆国にとって、大変、都合が悪かったのです。それ故に、GHQ総司令官マッカーサー(米国人)は、天皇制や神道を温存したのです。その結果として、日本列島にアメリカ軍の軍地基地が置かれることになり、特に沖縄には米軍基地が集中する結果になりました。現在もその状態は続いています。日米安保条約締結後も沖縄は依然としてアメリカ合衆国の領土であり、沖縄がようやく日本に返還されたのは昭和47年(戦後27年)のことでした。そうした歴史的背景を基に、今の天理教という宗教(?)を考えてみるのは重要なことだと思います。
匿名 様
2019年12月28日 5:48 PM
>>非人道的と切って捨てるような発言はおかしいと思います。
真実誠の心で頑張っておられる方々に、その言い方はよくないと思います。<<
確かにそうだと思いますが、「天理教的誠真実の心」というものは、大変、くせものです。何が真に誠真実かということは、過去の歴史的背景や現実を十分研究し、認識したうえで判断するべきものだと思います。
なるほど、アメリカには重要な損得勘定があって、ただ日本人を心配してくれたわけではないみたいですね。確かに子供の頃、あさま山荘事件など連合赤軍による事件のニュースを何度も見たものです。日本の共産主義化、社会主義化を望む者たちもいたのでしょうが、あまり国民の共感を得ることはできなかったようです。
時は流れ、本家ソビエトは崩壊し、中国も社会主義の皮を被った資本主義の帝国になりはてた現在、日本は様々な問題を抱えながらも民主主義の法治国家という形態を保てているほうだと思います。自由競争、能力主義による格差はあれど、福祉その他の制度によって、人として生きる権利を保障しようとしている。
しかし天理教という組織の中はどうでしょうか?まるで江戸時代のような封建的階級制度、北朝鮮のような権力の世襲制、貧困の奨励、強者による弱者からの一方的搾取、信教の自由も認めない。これほど人道的ではない組織の中にあっては、真実誠の心で頑張っておられる方々とやらがいたとしても、それは組織の維持と自分の保身のためであり、自己満足な行為にしかならないと思います。まあ教団擁護派の人とは1000年かかっても接点は見いだせないと確信しているので、議論する気もありませんが。
ところで子供の頃よく聞いた「赤の他人」とは、昔は共産主義者は家族からも絶縁されたことからきた言葉かと思っていたら、どうも違ったようです。ネットで調べても、よくわかりません。
以下の大教会長の言動は、もはや反社会勢力の人間にしか思えません。
大教会長や上級のパワハラの被害にくるしんでいる末端、信者の皆さん、
発言の証拠として録音をしておきしましょう。
Ohohoh @Ohohoh53751211 さんのツイートより
一れつ会を金で返していくと大教会長 に言った時の返事が
「お前、伏せ込みせえへん気か?そんな んしてみ?お前の弟の一れつ会止めた るからな。
扶育続けて欲しかったら、 黙って言うこと聞け。
俺は大教会で一 番偉いんやぞ!?」
と怒鳴られました。
>>「お前、伏せ込みせえへん気か?そんな んしてみ?お前の弟の一れつ会止めた るからな。
扶育続けて欲しかったら、 黙って言うこと聞け。
俺は大教会で一 番偉いんやぞ!?」 <<
以上の言葉はパワハラの次元を超え、日本国憲法で保障された「教育を受ける権利」の侵害、「恐喝罪」になると思います。宗教者の発する言葉ではありません。
教団内のヒエラルキーが固定され、上に立つ人から、パワハラを受ける。
そこには信仰心による、愛も、精神的向上も無い様なお話ばかり。
神を信じる恩恵よりも、権威として使われるだけの親神様
社会を良い方向に変えていくと言う目的があるのに、形骸化してる。
教祖様の目指した教えの世界はどこにもありはしない様に見える。
普通に仕事しながら、信仰して、ストレス無く、自身に神の愛が感じられ
守護が感じられ、感謝の想いで生きられる宗教の方がいいでしょう?
日本人には、選択の自由があります。
宗教も玉石混交ですが、いろいろあります。
もう、それ、辞めたら?
普通に、勤めて、働きながら、お助けしたら?
その方が、スッキリするんじゃない?
来年あたりから、教会の整理などで訴訟など起きることもあるかと思います。裁判を経験するかもしれない人々のために、裁判においてNGな言葉を一つ。
相手の主張に対して
「それは確かにそうであるが」
は、いけません。相手に更なる主張展開のチャンスを与えてしまいます。はっきりと
「それは違います」
と言えるように心がけましょう。
この掲示板では、まだ解決していない事が三つあります
➀真柱発言の捏造
➁教祖殿の捏造
➂天理高等学校第二部が卑下された
これから私が一つひとつここで取り上げますので、皆さまのご意見をお聞かせ下さい。
教祖殿⇒教祖伝 訂正します。
その内容は明治16年に雨ごいづとめが行われた際、模型の甘露台を使用したと、この掲示板に書き込みがありましたが、この模型の甘露台とはどんな模型かという問題です。御存じの方、よろしくお願い申し上げます。
いちれつ会から学費が出ていて、数年ふせこむことでその学費は払わなくても良い。いちれつ会を利用させていただいたことはありませんが、ようぼくですが、学費の対価としては私はなるほどの仕組みだと思っています。
もしもいちれつ会の制度がなかったら困る方々もおられるはずです。
学費というものは、意外と非常に高額です。人生をかけて自分で払っていくとおっしゃいますが、今社会で働きながら実際に入手出来る収入は思いの他少ないです。その収入の中、高額な学費を支払っていくことになります。成績が優秀でも進学出来ない無宗教の一般御家庭は多くあるし、全部の学費を借りて自分が払う形で進学する無宗教の一般御家庭もあります。
私はいちれつ会の存続の一部になるならばとお思い、お供えしています。
働きながらお助け、充分に出来るものではありません。ひのきしんなど出来る範囲でさせていただきますが、休みに物理的に休息も必要で充分なお助けの時間はなかなか取れません。
働きながらのお助けは当然時間を限定されますし、体を酷使することになります。
私は本来はやはり信者が支え、教会の方々が充分なお助けの時間を持てるように支える力を強くすることが必要だと思っています。
私達信者に出来ることは布教所や教会を支え、お助けをされる方々を支えることだと思っています。
ふせこむ中で学ぶことは社会に出ても生きると思います。ふせこみをさせていただいたことはありません。なので偉そうに言えません。しかし、現代社会のゆがみに気がついて、そこでバーンアウトする前に、しっかりふせこんで学ぶべきことを学ぶことはこの先の人生で生きていくと、私は思います。
子供のお話
息子が帰省して来た、盆と年末は、真柱様からのお与えが一月分でるんですね、中山って書いた寸志封筒に入っています。
天理大学と専修科に進む生徒は、3割以上かな、天理大学を出て一般企業就職とか、目指す生徒は優秀な方らしい。 専修科は、教会子弟位で、一般は行かないとか。
そのまま、おぢば勤務者とかも居る。地元帰って就職とか専門学校とかも、多数。
もう一人前の天理教者、お勤めもなんでも一通りできるみたいですね。
教高学園でも、iPad等の所持は公認、そうじゃなくても、大概、隠れてスマホ持っています。
子供達はネット情報を自由に得ている様です。
檪本分署跡保存会の存在も八島氏の事も知っていました。
大人にそれを聞くと、子供らは洗脳されやすい、八島は異端、檪本分署跡など行ってはならないとか、言われるそうですが、存在は知っています。
Twitterや、YouTube、インスタですね、それらで、教団の実態を、実話を、公表するのが、一番でしょう。
実話、経験談が、一番よろしいかと思いますよね。
社会学ブログ? 知らないって言ってました、ブログとかつまらないから見ないよって・・子供達は、そんなもんか、オッサンが多いかな (笑)
天理高校2部生のお話は当事者ですから、言っておきますが
天理高校2部生の子供達は、精神的にもしっかりしており、心配ご無用です。
ネットなどでも、情報を得ており、普通に一般社会に出たいと願う子は多いです。
私個人は、一列会にも、教団にも感謝しています、2部生は、普段のひのきしんから、卒業と共に、自由になる事ができますし、いろいろ仕事も経験させて頂き、感謝しています。
卒業生達は、心身共に、しっかりしており、決して柔ではありません。
天理教信徒も、教団に深く関わらなければ、困る事はありませんからね。
一般家庭の信徒の子供が、天理高校で学ぶ事は、なんら問題は無く、2部は、親の負担も少なく、高校教育を受けられる良い機会です。
実際、不景気な日本、夜間高校なのに、希望者が毎年増えていて、倍率が上がっています。
来年は1、5倍位になるかもしれません、つまり、50人位は、不合格になる。
だから、2部希望者が居なくなると言う指摘は、当てはまらないと、言っただけです。
某◯◯さんが、なかなか認めてくださらないので、しつこく、言わせていただきましたし、天理高校2部生は、しっかりした子達であり、決して教団の言いなりには、なったりしないと感じます。
◯◯氏の謝罪があったので、私個人は、それで結構です。
あとは御自由に願います。
どうしてこう言う低度の低い人間が上に立つのでしょう。車のドアも開けられない、閉められない。草履も自分で揃えられない。夫婦共に食べたものは食べ散らかし。酒は飲み散らかし。自分達の部屋のかたずけも側近の仕事。そう言えば大亮君も自分の部屋の片ずけは他人任せの様子が伝わって来ていますね。
ふんぞり返って、皆の衆に送り出される「馬鹿殿様」。また北海道のどこかの大教会長も本部準備の夕食を前に「本部はフランス料理、中華料理、和食。それぞれシェフを抱えていてな、食材も取り寄せられない物はないんだぜ。何でも揃う。本部は凄い所なんだぜ、、」みたいなニュアンスの事をノー天気な顔して言ってました。教会長就任の御招宴か何かの時だったかな、、?脳みそも一緒に茹で上がったタコの様に見えてしまいました。現状に危機感を持たない気の毒な緊張感のない人だなぁと思いました。さすが下から上がった他人のお金で食べている人の発想はこうなるか、、と思いました。
何食べさせられても、結局我々がなけなしの金の中から出したお金が原資であり、御招待とは聞こえは良いが、自分の金で食べてる様なものだと気分は良くなかった。
話があちこち脱線しましたが、上下組織の弊害です。中味のない馬鹿が大教会長となり牛耳る形相を見せているので、天理教に未来は無いと感じます。
理の親として畏敬の念、恐れを抱く対象は親神様と教祖だけの筈なのに、馬鹿に恐れを抱かなければならないこの現実はちょっと違う気がします。
いちれつ会
学修
災救隊
この三つが天理教の良心
北海道の大教会は、雨龍、網走、夕張の3つのうちのどこかですね。馬鹿な大教会の下にいるだけで辟易する。殿様気分でいられても困る。昇級に必要な50箇所部内もなく、せいぜい20箇所位しか部内がなくても大教会というのもおかしくないか?降格制度を作るべきだと思う。
みなさんが例を示して開陳された、天理教に対するみなさんの不満などは、一つ一つ真偽のほどを確かめなくても、「そういうことは起こりそうなことだ」とか「ありうることだ」とか思ってしまいます。だいたい、何でもその人にとって似つかわしいことが起こるものなんです。(逆に言うと、その人にとって似つかわしくないことは起こらないです、ハイ)
ここで不思議に思うことは、教団側のこうした矛盾、こうしたペテンとも言えそうな行為を神様はいつまでも放っておかれるのはどうしたことか?ということです。どうして、悪を懲(こ)らしめないのか?、天の法廷は休業中なのか?、はたまた、天の裁判官たちは居眠りをしているのか?・・etc
以前お聞きしたことがあるのですが、神様が(病気などを通して)ある人を注意をされたとします。注意を受けたその人がそれを悟って、「ああ、そうでした、私が悪ぅございました。改めます」とお詫びすれば、その人は許されるんだそうです。なぜなら、神様は親だから、だそうです。
かの人は自分の行った悪行に対する罪つぐないをしなくてもよいんだそうで・・
私はこれを聞いて、「神様は悪を見逃さず、悪を捕えてちゃんと懲らしめてほしい。この人のために苦しんだ人たちはたくさんいるんだろうから、そういう人たちにつぐないもしてあげてほしい」と思ったものですが。
まあ、神様のことですから、そこらへんのことは、ちゃんと辻褄(つじつま)をあわせていただいているんだろうと思いますが、神様の心には、人を懲らしめてやるという気持ちはないようです。
寛容で、心が広くて、何でも赦(ゆる)してしまわれるんですね。
とある教会の長男 @hinagata1798 さんのTwitter上のスクショより
はじめまして。僕はある天理教の教会に長男として生まれました。小さい頃からずっと「お道的優等生」であることを意識し続けてきて、いろんな選択をする際に一切自分の気持ちは表に出さずに天理一色になるよう心がけてきました。今思えば当時は洗脳状態だったため、「将来自分のやりたいこと(仕事や趣味)にかまけててはいけない。世間に出ずに本 部勤務などの伏せ込みをするんだ」と思っていました。天理高校に入学して以降、自分の教会の用事は言わずもがな、7、8分ほどの距 離にある大教会の用事にも限りなく参加しました。そのため、ほとんど遊んだ記憶はありません。6人兄弟の一番上なので僕がわがま まを言ったら下の子に示しがつかないという感覚もありました。
そんな調子で自分の人生設計を微塵もするこ となく流れ作業のように天理大学へと進み卒 業してしまいました。はっきり言って学生時代の思い出はほぼありません。追いかける夢を持てていなかったので空虚な時間でした。実はずっと心の隅には「やりたいことを見つけて仕事してお金をいっぱい稼いで普通の暮らしがしたいなぁ」と言う気持ちは正直少しあったんです。でも全て抑え込んできました。なぜそうしてきたのか。上記のように、自分からそう思っていたと僕は思い込んでいましたが、振り返るとそうではない部分もあ ったんです。
実は自教会が所属する大教会は大人たちに言 わせると “本来であれば 継いでいるはずの息 子さんがいます。しかし彼は自分のやりたいことを見つけ、就職をし、元旦祭以外は帰ってきません。そんな彼のことを大人たちが 「ええ年して教会のことほったらかして何をしとんのや。あんなようではあかんわ。」とネチネチ言ってるのを中学生の頃から耳にしていました。「会長も会長や。自分の息子には好き放題させといてなにが縦の伝道やねん。」と言うことも耳にしたことがあります。夢に向かって努力してそれを掴んで立派 に生きているのになんでこんな言われ方をするんでしょう?それを聞いた僕が、自分が夢を追いかけてしまったら僕はもちろん親まで そんなふうに陰で言われてしまう。そんなこ とは耐えられない。となってしまったのは自 明です。 たしかに大教会長は自分の子どもには何も言 ってないくせに、僕や他の教会子弟には、こ とあるごとに「おぢばの学校で学ばせてもら いなさい」とか「伏せ込みが何よりも大事だ」などと言っていました。
それが変だと気づいたのは大学3年になった 頃です。同級生や地元の友達が実習に行った り、就活をしたり、すでに就職してる話がたくさん目に耳に入ってきて、自分との差に気づいたのです。「自分の意思で進学先を選 び、高校の頃から夢に向かって勉強に勤しんでいたら、就職して社会人として立派に生きていけるのかもしれない」という現実がちらついたのです。もちろん簡単に仕事につけるとは思っていませんが、他のみんなと同じようにチャンスはあったはずだと思います。しかし、洗脳というものは怖いもので、そんな状態になっても「いややっぱりダメだ」と言 ってしまう自分がいました。 自分で言うことではありませんが、僕は中学 の頃、塾へ行かずとも(教会にそんなお金は当然ありません)学年で常に1位か2位の成績で、県内トップの公立高校にも普通に受かるぐらい勉強はできました。先生からもかなり説得されました。でも上記のことから天理高校を「無意味に選び、進学しました。高校時代も2 類生を含めてもトップクラスに位置していましたが、また無意味に天理大学を選びました。そして、就活を一度もすることなく卒業してしまいました。しかし心の中に「このまま本部勤務を始めてしまったらもう本当に後 戻りができなくなる。」という意識があった ので、なんとか避けて今は夜勤のアルバイト をしています。今は周りの大人に何を言われ ようが構わないと思っています。それを理由 に自分のたった一度の人生を不意にするなん て情けないからです。 本当はもっと早く気づくべきでした。友だち は正規雇用でもうバリバリ働き家にもお金を入れ、自分の趣味にも使えるお金や時間があるのに僕はフリーターです。お金も少ないし 時間もありません。バイトの休みはほぼ教会の用事だからです。ちなみに大学は一れつ会 だったので毎月お金を返済しています。
新卒じゃないだけで就活が厳しい日本にあっ て、何の資格も持たないフリーターの僕はかなりディスアドバンテージを背負わされました。普通の人であれば夢を探し、努力していたはずの6、7年ほどが僕の場合0に近いのです。自分で選んだんやろと言われればそれまでかもしれません。だから余計に悔しいんです。自分に何度腹が立ったか分かりません。 何度も1人で泣きました。でもそうさせられていたことも事実なんです。
Twitterは別アカウントで以前からやっていま したが、たまたま流れてきた同じような悩み を抱える方のツイートを見つけ、自分だけじゃないんやと思いました。それでこのアカウントを作りました。いろんな方のお話を見たり聞いたりしたいですし、愚痴もいっぱい言 いたいです。
たしかに宗教自体はダメなものとは思いませ んけど、それを子どものうちから上から押し 付けるようにして自分の選択ができない状態 に追いやるのは本当に間違っていると思いま す。成人したときに自分で選ぶべきです。それが信仰だと思います。ただ普通に暮らす人 生を送りたかっただけなのに。そこに向けて 少しずつ努力していこうと思っています。 長々とすみませんでした。
tokumei 様
>➂天理高等学校第二部が卑下された<
このような投稿は有りましたか。
二部卒業生ですが、卑下をしたことはありません。言いたいことは意志を大切に理解して欲しいということです。行きたい学校があったにもかかわらず、二部に行って他人のメシを食って苦労してこいという会長の言い分がどうかと言っているだけです。
次に、詰所勤務中に感じた一例です。本部の月次祭後に、詰所で会長たちが車座になって酒を飲みながら赤ら顔で談笑するのは勝手です。
ただ、その中の一人の会長に呼ばれて行けば、この会長がおカネを投げてよこして、近鉄の切符を買って来いと言った態度はどうかという事です。本部参拝の帰途に買えばいいだけのことではないですか。
当時の輸送部切符売り場は本通りにあったから、寄り道をしなくても買えたでしょう。
詰所主任の命令ならば聞かなければなりませんが、全ての会長の命令を聞かなければならなという事になれば、100人以上の会長の命令をいちいち聞くことになりますよね。
二部の学校が嫌にはなりませんでしたが、合格していた公立夜間の電気科の勉強がしたかっただけのことです。同窓会にも何回も参加しました。楽しい思い出も、嫌な思い出も話し合いました。それは今も続いていますよ。卑下していれば、同窓会なんか参加しません。
父親様の息子様は幸せです。自分の思い通りに進むことがどんなに幸せかという事です。普通科か、工業科か、はたまた、高専か、高専にはコースがありますよ。自分の能力に応じて進むことが出来る事は最大の幸せです。私には、それすらなかっただけのことです。
何だか愚痴っぽくなりましたが、要は、自分の能力を知り、それに応じた道に進むことが出来るのは最大の喜びであるという事です。
終りに、81歳の現在多くの同窓生が出直しましたが、教会長さんの出直しが多過ぎるのです。生徒時代に問題児だった者の方が長生きをしているんです。私もその一人です。これをどのように感じるかです。会長職が大きなストレスとなっているんじゃないですか。そうとしか思えないのです。
陽気暮らしの天理教の名が泣きますよ。昨年、出直された同窓生の奥様は生涯を通じて怒った顔を見たことが無いと仰っていました。そのような温厚な会長さんが、何故80歳で出直しをされたかです。この方こそ、115歳まで生きて頂きたかったです。人生は無情です。天理教の思い通りには行きませんね。
二代さんの時代に、二部にゴルフキャディ養成コースがあったとは知りませんでした。奈良市内に有って二部の先生が出張して授業をしていたとも聞きました。その生徒を二代さんは連れまわしていたとも聞きました。二部同窓生で天理大学まで進学した者(大教会直轄教会長の嫡男)の言ったことですから嘘の話ではないでしょう。
この話は同窓会の場で聞いただけで情けなくなりました。幻滅以外の何ものでもないです。末端教会長さんたちは苦労を重ねておられるときに、二代さんはゴルフ三昧っだったなんて、聞いた人の中には二部を卑下する人が出てきてもおかしくないです。
とにかく、現行天理教はまともじゃないと感じている一人です。
ぶたまん様
>「神様は悪を見逃さず、悪を捕えてちゃんと懲らしめてほしい。この人のために苦しんだ人たちはたくさんいるんだろうから、そういう人たちにつぐないもしてあげてほしい」と思ったものですが。
まあ、神様のことですから、そこらへんのことは、ちゃんと辻褄(つじつま)をあわせていただいているんだろうと思いますが、神様の心には、人を懲らしめてやるという気持ちはないようです。
寛容で、心が広くて、何でも赦(ゆる)してしまわれるんですね。
そうでもないようですよ。本部の重鎮も次々と倒れ、お抱えの「憩いの家病院」には行かず、病室には仮名の名札を付けて別の病院に入っているそうです。
気の毒なものです。いくら名誉も地位もお金もあっても、惨めな晩年を送っていると聞きました。
「ちゃんと天理の信仰をしていれば間違いがないのに」と思います。
東風Z様
>二代さんの時代に、二部にゴルフキャディ養成コースがあったとは知りませんでした。奈良市内に有って二部の先生が出張して授業をしていたとも聞きました。その生徒を二代さんは連れまわしていたとも聞きました。二部同窓生で天理大学まで進学した者(大教会直轄教会長の嫡男)の言ったことですから嘘の話ではないでしょう
三代さんの時代までありましたよ。その頃は本部の先生が連れまわし、週刊誌にも問題を指摘され、その後、廃校になりました。
地獄耳様
> いくら名誉も地位もお金もあっても、惨めな晩年を送っていると聞きました。
やっぱりそうですか。私が知らなかっただけですね。これ、神様の辻褄合わせだと思いますが、ヘンな生き方をすると、こうした病が似つかわしくなってくるんでしょう。それで、自然現象のように、病がその人の体内に発生する、ってことですね。
> 「ちゃんと天理の信仰をしていれば間違いがないのに」と思います。
言えてます。紺屋(こうや)の白袴、医者の不養生。お気の毒です。
病と縁を切るために、世のため人のため、目いっぱい人に尽くして尽くして尽くす、人だすけする、という生き方に変えられたら、病と縁は切れると思うのですが・・
三日講習での作文に、自分の身上体験について「神罰」という言葉をつかったところ、担任の先生から天理教に「罰」というものは無いので「手入れ」か「手引き」に直すようにと言われました。なんだか言葉遊びみたいで釈然とせず、悪事に対して罰を与えないような神様では、なんか頼りにならないなんて思ってしまいました。
今思うに「神罰」があって一番困るのは、教団の上のほうの方々なのではないでしょうか。実際、私の周辺の大教会、上級教会でも多くの教会長が身上を患っています。特に多いのは癌と脳梗塞で、上のほうの人たちは生活習慣にもよるのでしょうが、末端で頑張ってきた会長さんでも、最後は癌というケースが少なくありません。それは一生懸命に頑張るということが、組織のための人集めと金集めになってしまって、結局罪を作ってしまっているからだと思います。
天理時報の元日号に、真柱の年始挨拶が出ていますが、本当のところ今どんな状態なのでしょう。緘口令でもしかれているのか、教会の月次祭でも全く話がありません。経験が無ければわからないと思いますが、脳梗塞って、末期がんのような痛みや苦しみこそ無いけれど、けっこう辛いものですよ。まあ、これまでのこと全てが嘘だったとカミングアウトでもしない限り、「たいしょくてんのみこと」のご守護さえ受けられないと思いますが。
「とある教会の長男さん」の様な悲劇は天理教内では当たり前にあると想像しています。周囲にもいます。
いい歳頃になっても経済力が無い、資格が無い、スキルが無い。ないないずくしで教団に時間とお金を捧げた結果です。
この「とある教会の長男さん」も今更ながらの後悔をしておられますね。失った時間はもう戻りませんが、早めに気がついただけ良かったです。知り合いの息子さんは青年勤めを終えて世間に放り出されても、その都度教会行事に駆り出されるのでコンビニアルバイト位しか仕事が無く、一生アルバイトで食いつなぐだけのものです。家庭を持つなんて夢のまた夢で、世界一幸せな夫婦になります、とにやけた事を言えるどこかの偉いさん一派への尽くし運びのお陰で、世界一惨めな人生を送る多くの若者達が心の片隅で心底泣いて涙を振り絞っているのです。気の毒でなりません。
将来のある若者達よ、こんな理不尽を黙って飲み込んでいてはいけません。
ツイッターより、
本部による捏造の数々。
小寒さん神名流しの捏造。(真相は秀司の博打の借金の尻拭い)
天理王命の神名の捏造。(この神名が存在し得ない時期に小かんが神名を流したと捏造。)
母屋とりこぼちの捏造話について。
以下
ざっくり言うと、嘉永六年(1853年)に神名流しをした事になってますが、事実としては小寒さん達が大阪に行ったのは二年後の安政二年で、何をしに大阪へ行ったのかと言うと秀司がヤクザがやっている米相場で負けて人質に取られてたので、その借金を返しに行ったと言うのが真相です。
午前3:26 · 2019年7月13日·Twitter for iPhone
た◯ー
@JsohF5
返信先:
◯◯さん
この借金が原因で、お屋敷の母屋取り毀になるんですけど、これも施したという嘘事にすり替えられてるんですよね。
肝心の神名もこの時は転(天)輪王で、天理王命又は天理大神の神名が出てくるのは明治18年の改正諭告に初めて出てきます。
故に、明治18年以前で天理の神名が出るのはありえません。
不用意な欲望にうながされて自由な生活をして、最後のつけは負わなくてよい、と考える人は、自分の生涯をうつろな夢に託しているも同じだ。
仲間に対して、または、自分に対して罪を犯すものは誰でも、その時点で自分に判決を言い渡しているのだ。
他人の目からはその罪を隠すことができよう。だが一切を記録する神々の目からは隠し通せない。
正義は冷酷な重みをもってこの世界を支配している。その運用がしばしば目には見えず、それが石造りの法廷にあるわけではなくても。
この世の法廷の裁きを免れた者も、神々が課する罰則から逃れることは決してできない。
冷酷で執念深い復讐の神ネメシス(ギリシャ神話、掟の女神)は、このような男を必ず危難におとしいれる。
以下の、おそらくご自身は未信者であろう方のツイートを見つけて本当に悲しくなった。
これだけネット上で「おつくしは命のつなぎ」なんて発言は偽教理であると警告されているのに
2000万もの大金を簡単にお供えしてしまうほど深刻に洗脳されている人がいるのかと…..。
もはや振り込め詐欺レベルで取り締まってほしい。
偽教理の洗脳とは恐ろしい。
教祖は銭金をたくさんお供えしろとは言っておりませんよ。
makuta @makuta69 さんのツイートより
年末にまさかの判明。
嫁の親が嫁の口座のお金を天理教に2000万お布施してたらしい..
しかも嫁の口座なのに、地域密着やからと言って本人の了承も取らずに下ろしてたと。。
切ないなぁ。、
昨年夏にはこんなツイートも。ということは義母+嫁で3500万お供えした可能性も!?
makuta @makuta69 さんの 2018年8月16日 のツイートより
天理教って奈良に住んでていい印象やったのに、義理のお母さんが1500万もお布施で取られたわ。
絶対にこのお金返ってこないやろなぁ..
6、7年前の事ですが、同じ系統のある信者さんが言ってました。事業している親が1000万円お供えしたと。自分の所属教会はうちの親でもってるとも言ってました。
大教会では自分の所属が一番の稼ぎ頭だと自慢げでしたね。
かの親御さんは資産を持っているので1000万円位は懐にはこたえなかったのでしょうし、1000万円でおかげがあるなら安いもんだと言った所でしょう。
こうして彼らにとっては端金かもしれないお金が楽々集まる実態も有るんですね。
心定めの◯◯◯◯万円達成できたと、大教会長から今年も伝達がありました。
一年間 教祖を崇め、その結果報告が数千万円の心定めの達成報告。
何円集めたではなく、何人の人を助けたか、その人助けの実態を詳細に披露し褒め讃えるべきではないのか。
こころ通りの神の守護.
未来によき守護を賜る心の道、まことの心とは何かを説き続けるのがお地場のお屋敷の役割。
このままでは、中山天理教は、短命や難病因縁を見せ続けるのではないか??
百年以上たっても、よき雛形を実現できない真逆の、マイナスのひな形が現れるのは、百年前からの本部人事の瑕疵からくるものだろう。
地獄耳 様
ご教示有り難うございました。そうでしたか。三代さんまでもがでは、もう終わりましたね。週刊誌等に書かれなければもっと、もっと続いていたのかもしれません。三代さんの若き頃、奥方に皇室の方をとの話が、やはり週刊誌に掲載されて沙汰止みになったとかの話も二部同窓会で聞きました。
天理教は何処を向いているのでしょうね。
参考意見 様
脳梗塞や心筋梗塞は、軽くても数種類の薬を飲み続けるようです。知り合いも一見は普通の状態のようですが、6種類の薬を毎食後服用しています。それでも、時間の経過とともに片方の手足が正常に機能しなくなってきています。医師に薬を辞めたいと言ったところ、トンコロだと言われて苦さっていました。
一度壊れた脳組織の部分は修復できないのですね。
また、癌は日本人の死因のトップになるとか。日本人の二人に一人が罹ると言われていますが、天理教的にはどのような諭しをするんでしょうね。
とある教会の長男 @hinagata1798 さんへ
何事も、遅きに失したとは思いませんよ。全国に公立の能力開発センターがあります。35歳を過ぎてからシーケンスを学ばれて工場の電気や機械の回路のメンテナンスをされています。福利厚生も完備していて65歳の定年後も70歳まで働けるそうです。
優秀な方とお見受けしますので、是非チャレンジしてください。教会関係者の多くは人のうわさはするけれど、困ったときに手を差し伸べることはありません。なぜならば、そのような力を持っていないからです。自ら自分の無力さをさらけ出しているからです。実力のある人ならば必ず手を差し伸べられるでしょう。芸能人のサンマさんはそのいい例です。サンマさんに助けられたとよく聞きますよね。
何か困ったことがあれば、因縁が出たとか、徳を食いつぶしたとか、まるで自分が神でもあるかのような発言ばかりするのです。
そのような人はうっちゃっとけばいいんです。
終りに、この一年大変勉強させて頂きました。皆様良いお年をお迎えください。
一度壊れた脳組織の部分は死滅して、二度と修復されることは無い。私が過去に、本やテレビから得た知識もそうでした。
だから自分が脳梗塞による視野狭窄で、ほとんどの視覚を失ったときは、正直なところ神も仏も無いと思ったものでした。光も感じない闇の世界、わずかに鍵穴から覗いたほどの視界が残っていたおかげで、なんとか家の中での生活はできましたが、人ごみの中を歩くことも恐ろしく、仕事も失うことになりました。テレビの画面も部分的にしか見えず、好きな映画を楽しむこともできません。左半身の麻痺は、ひどいときは体の中を無数の虫が這いまわっているようで、毎日が自殺への誘惑との戦いでしたが、それでも身上を勝手にお返しするわけにもいかず、毎日のおつとめで、一日も早く神様が迎えに来てくれるようにと祈っていました。
それが一年ほど過ぎた頃から少しずつ、本当に少しずつですが視野が拡がり始め、一年ほどかかって右半分の視界が戻ってきたのです。今では左半分も、光は感じるようになりました。私の場合、目というカメラは正常で、頭の中のテレビが故障しているということなのでしょう。左右どちらの目で見ても、写真の左半分にモザイクをかけたような世界なのですが、タブレットやパソコンくらいでなら、なんとか映画鑑賞もできるようになりました。
人間の脳は全てが使われておらず、必要に応じて回路が切り替えられた。そんなふうにも説明できるのかもしれません。しかし、それは医者にできたことではなく、やはり私は神様のおかげと考えたいと思います。ただし、まちがっても「天理王命」ではありませんが。
今後、どこまで回復できるのかはわかりません。私としては、麻痺による難儀や不自由には最後まで耐えぬくから、全てのご守護は「見る」ということに向けてもらえたらいいなと願っています。仕事を失ったぶん教会との関りが増え、それまで見えなかったものが見えるようにもなりました。それで、いろいろと調べるうちに、このサイトに行き当たりました。あのとき死んでいたら、真実を知ることも無かったと思います。神様は少々手荒にしてまで、私の目を覚まさせてくれたのでしょう。
今の私の願いは、かつての私のような天理病患者たちが一人でも多く真実に目覚め、解放されること。あと、できることなら人生最後の一週間でいいから、脳梗塞になる以前の視覚を戻してもらうことでしょう。そしたら、その一週間は好きな映画三昧で過ごすつもりです。
因みに、私は血液の状態改善、血管の拡大のための薬を3種類、一生飲まねばならないそうです。幸い、血圧低下の薬までは飲まずにすんでいますが。
中山家はいつ教団を出て行くんですか?「鐘の繋ぎは命を繋ぎ」とかアホな教えを述べて天理教をやってないんだから早く出て行ってください!おやさまも「法より神」とおっしゃったのに中山家は裁判がお好きなようでしかも敗訴連発惨敗(笑)なに考えてるんですか?これがまさに中山家が天理教を汚した確固たる証拠!追放有るのみ!
中山教は天理教の異端だ!用木よ!異端の中山教を許してはいけない!
最高裁判決 敗訴
http://www.wada-pat.jp/hanrei/hanrei-11.htm
中田善亮は集会員(選ばれた分教会長など)を追放し始めたようですね(笑)
古い元教会長
小耳にはさんだのですが、中田善亮表統領は、現天理教に対して意見を述べる集会員を首にしているそうだ。
それでは #天理教 に未来はない。善亮教になってしまう。
#天理教の改革を支持する
#お供えを減らすキャンペーン
#集会
#表統領
https://twitter.com/huruikyoukaityo/status/1124420914378989568
おつとめを手離してしまうのですか?
左が回復したのに。奇蹟は起こったのに。
手離さないでいただけませんか?
天理から帰省した息子と、スキーに行こうと思ったら雨だったから、映画を見に出かけた。
スターウォーズを4Dで見た、息子と2人で食事をして映画を見るのは久しぶりです。
出かける車の中で、いろいろ話もできました。
高校で、御筆先、お指図、みかぐらうた、良く学んでるみたいです。
親神様が、元始まりの神で無かろうと、天理王の命が、明治18年以降に名付けられた物であろうと、教祖伝や逸話が、創作に満ちていようとも・・
息子にとっては、とりあえず、どうでも良いそうです・・・・
お父さんは、御筆先やら、習ってもいないのだし、天理教には関わらなくて良いと思う、ほっとけば良いじゃん、だって・・・息子がそう言うなら、もう感知する必要も無いですよね。
息子は、自分の将来の夢を見据えて、卒業後の目標に向かおうとしており、この先も天理教を生活の中心に置くつもりは無いそうで、まあ、一つの宗教哲学を学んだって言う感じですね。
一般家庭の信徒の子弟なら、そんな物ですかね、なんら心配要りませんね。
息子の将来の夢は、◯◯ですが、商売人でもあるし、ある種のカリスマ的な仕事です。 ストイックに独創的に、自分を信じ切る、わがまま、高慢と紙一重の自信も必要な職業です。
帰りに本屋で、息子は、自分で本を選んで買っていましたが、私も息子に、一冊、「ローランド、俺か俺以外か」 今の息子には、これが良いと思って、プレゼントしました。これは天理教の教えとは真逆の部分もありますが、未熟な小僧だもの、まずはおのれが何者なのか、何を目指すのかを、良く考えて欲しいと思っています。
若い時は、高慢になる位で良いですよ、せいぜい思い上がれ!って思います。
未熟なのに、人助け、とか言って欲しく無いとも思っています、優等生は求めてないです。 自由に、夢を追いかけてみやがれ、親として出来る限りの応援はするから・・
きっと、天理高校2部で、学んでる経験は、この先の人生に役に立つと思っています。
息子さん、来年は卒業ですか。
おめでとうございます。
ほんとにめでたいことだ。よきことだ。すっきりするね。
そういえば父親さんの「聖の・・・」サイトはいつの間にやら閉鎖されてるね。
内紛でもあったのかな。
天理教の人は他所のサイトを閲覧しても邪魔はしなかったよね。
サイトの存在を知られてしまったと、陽気何とかさんが自分の落ち度として、酷く反省謝罪した書き込みを見た記憶があるが、陽気〇さんの書き込みがヒントではなく、しっかりサーチした結果だったのだけどね。
結局社会学の人たちは何も邪魔な書き込みはしなかったから、陽気〇さんの心配も杞憂に終わったね。
霊をひくことができるようなすごい人だと自認している父親さん、あなたはすばらしい!
偉い人だ!
政治にもかかわっているって!すばらしい!
子供も優秀!すごい人がいるもんだ!
わがまま、高慢、なんでもござれ!
今年ももうすぐ終わりです。ゆく年に別れを告げて、くる年をお迎えします。中国では「辞旧迎新」なんて言いますが、これって今年と来年に区切りをつけて、来年も(は)よい年でありますように、という願いをこめているようで、何かかわいらしいような気がします。
ゆく年とくる年に区切りはない。ただ時間の無機的な流れがあるだけ・・・私はそう思う派の人間ですから、年が入れ替わるこの瞬間が来るといつも、「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの」 という句を思い出してしまいます。
ところで、この「棒」って、人間の力では到底あらが(抗)えないような力を持っている気がしてなりません。
自然は今ゆっくりと動き出しているような感じです。
皆さまにとって、2020年がよいお年でありますように・・
あけおめ
謹賀新年
投稿者の皆様、読者の皆様、あけましておめでとうございます。
何がおめでたいのか、自分でもよくわからずにご挨拶させていただいていますが、ご了承ください。
さて、今年のNHKの大河ドラマは、「麒麟が来る」というタイトルで明智光秀を主人公として、収録も10回程度終わっていたようですが、某女優が覚醒剤事件で逮捕されたため、放映が大幅に遅れるようです。私にとっては、そんなことはどうでもよいことですが、NHKの大河ドラマも、たまには、日本の新興宗教を題材にとりあげ、例えば、天理教であれば「お供えが来る」とか、「お金がくる」とか、あるいは「人を騙して我が身助かる」とかいうタイトルで放映すれば、視聴率は相当上がるのではないかと思います。主人公は一体誰にすればよいでしょうか?
匿名
2019年12月31日 6:02 AM
>中田善亮は集会員(選ばれた分教会長など)を追放し始めたようですね(笑)
古い元教会長小耳にはさんだのですが、中田善亮表統領は、現天理教に対して意見を述べる集会員を首にしているそうだ。それでは #天理教 に未来はない。善亮教になってしまう。
邪魔な集会員までクビにしてるとか本当に天理教は終わり中山教と言う異端が横行してるんですね中山家は中山教を信仰する異端確定www
ある教会からのツイッターより
@18aJCVsTzPE4·
明けましておめでとうございます。婦人会本部から年賀状、、
なんか、テンション下がる、、
1人あたり2人ノルマで百万会員、、
以前は1人あたり1人だったよね❔
はるえさん、無駄遣いはやめて下さい。63円使って16000箇所。
ハガキ代100万円越えの大金ですよ。しかも1000箇所以上の無人教会から宛名不明で返送されていると聞いていますが。無駄な抵抗はやめましょう。
あと、一手一つで勇めと、、 。本部維持の為の一手一つは、意味を見出せません。
世界の貧困下にある人々の為、病に苦しむ不幸な子供達や戦禍で翻弄される人々の為、天理教団一手一つで一列きょうだいの幸せの祈りを捧げましょう、勇みましょう、手を差し伸べましょう、なら胸を熱くして頑張ります。
教団維持の目的しか直感的に感じ取れないから、正月早々に気分が落ち込むのです。
ツイッターより。
古い◯◯会長
@huruikyoukaityo
甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。<<
ピピ
@sinkiittend
人間宿し込みの場所が中山家の土地ww
今まで何も疑問にも思わなったけど、何で??<<
この事実に納得出来ますかね。
人間宿仕込みの場所が個人所有地になっている。聖なる場所を私有地にしてるんです。何を目論んでの事か、傲慢、強欲、金の亡者の中山家の腹の内側がわかると言うものです。
個人的な邪念の上に建つ天理教本部。正月参拝者の少ないこと!年々減っている参拝者。人間宿仕込みの場所なら世界中から親を慕って人が押し寄せているのが真っ当な姿なはずだけど。この有り様です。
·
いづれ人類の棟梁たる神格者達を出現させる、啓示霊能者達の巣窟になる、世界で最も尊い徳のある場所なんでしょう。
現在、中山ご一統様の貯金箱かどうかは知りませんが、いつかは世界一列を優しく幸せにたすけてゆく、世界人類が慕う親里になってゆくのでしょう。
そのための神による本部の長い掃除の時期なのでしょう。世界の大混乱もその掃除の後に治まってゆくのでしょう。
甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
私は以前ブラジル伝道庁に勤めていたものです。
現在は天理教とは極力関わらないような生活をしています。人を助けたいという気持ちは忘れず、天理教を離れて社会貢献できるとあるNGOに所属しています。
ブラジルに行った経緯は大学でポルトガル語を専攻していたこともあり、大教会からの派遣で行きました。
伝道庁では朝晩のおつとめ、神殿掃除、ひのきしん、にをいがけ等色々なことをしました。
私が天理教を離れようと思ったのはブラジルでの2つの出来事があったからです。
1つ目は
ある日、路傍公演をしている時に、『貧に落ちきりましょう』という天理教の有名な言葉を言いました。するとそれを聞いていたブラジルの方が「その神は本当に私達を救う気があるの? 今も貧困で苦しんでいるのに、何故まだ貧しい思いをしないといけないの?この苦しみから救ってくれるのが宗教なんじゃないの?」と言われて、私は初めて天理教に対して疑問を持つようになりました。
2つ目は
ある日伝道庁に女性の方が来ました。彼女は痩せこけていて、ボロボロの服を着ていました。恐らく貧困層の方でしょう。彼女は私と伝道庁長が挨拶をすると、その場に崩れ落ちて泣き始めました。伝道庁長はどうしたのかを訪ねました。
彼女は2歳になる子供がいたのですが、3日前に病気で亡くなったそうでした。彼女は絶望して三日三晩泣き続けたそうです。夫は既に亡くなっており、その上子供まで亡くなったので彼女の心境は計り知れたものではなかったと思います。聞いているうちに私も泣けてきました。伝道庁長はどんな言葉をかけるのかとまっていました。伝道庁長は彼女に言いました「良かったね。旦那さんもお子さんも、神様が新しく生まれ変わってくるためにそうされたのさ。だからあなたがする事はその状況に感謝することだ。そして毎日ここに通いなさい。そしたら2人はもっと早くに生まれ変わってくるから。」
それを言われた時の彼女の呆れた顔は今でも忘れません。彼女は絶望していた所を救ってもらいたいから伝道庁に来たのに、待っていたのはさらなる絶望でした。これを聞いた時本当にこの宗教は人を助ける気があるのか?と思っていた疑問がこの宗教は人を助けることは出来ないという確信に変わりました。
天理教を信仰している皆さん、さっさと離れましょう。
もし人助けをしたいなら、医者になって人を救いましょう。カウンセラーになって人を救いましょう。介護士になって人を救いましょう。
少なくとも大教会青年、本部勤務、青年会/婦人会なんかにいても人助けなんてできません。
この宗教の言う人助けは誰も助けていません。
匿名 様
>甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
これは本当です。現在の宗教法人法が改正され、もし宗教法人の土地が国家に没収された場合、ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。
初期にブラジルに伝道に行かれた御夫婦は船の中でお子さんが出直されましたね。私の心の中にいつもあります。
ブラジルはキリスト教が多かったから出直すという概念ではなく、天国に召された地獄へ行くという概念ですね。
出直すという概念を初めてお聞きになれば、カルチャーショックをお受けになると思います。けれど出直すという言葉は人を救うと思っています。死を間近に感じた時、もう一度出直されるのだという思いでいます。また身近に戻ってくることもあるようだから、しっかりと受け入れられる優しい社会であるようにと思っています。
救うということは側に寄り添うということだと思います。
ここに来て下さいという言葉は彼女に寄り添う言葉だと思います。
ブラジル伝道では危険な状況に遭遇されることも多かったかもしれないですね。命のせめぎあいを間近に感じられることも多くあられたでしょうね。
充分に尽くしてこられたと思います。
ただこの宗教にも寄り添っている方々は多くおられましたよ。
少なくとも人の死に対し、「良かったですね。」は無神経過ぎます。
その方の傷が癒え、時間を経て自らその死を悟り理解できて初めて「良かった、、」と思えるのだと思う。第三者からいきなり「あなた、良かったんですよ。」は人の心を理解していない。拙速過ぎるし高慢過ぎる。
こう言う未熟なくせに高圧的で高慢な説教をする教会長を何人も見てきた。そして更に傷ついた彼らは天理教を見限ることになる。
涙を流すその心に寄り添う事。天理教に決定的に欠けている事は「黙って寄り添う態度」「共感の態度」。本部をはじめこの温みの欠落に気づいていない気がする。厳しければ良いと言うものではない。未熟者の自分が気づいていないその厳しさが神の受け取りに通じるものでも無いと思う。
天理教に謙虚さを求めたいです。あなたも私も、皆一れつ上下のない神の子ですよ。
人間には、生まれながらにしてもっている死に対する恐怖感があります。死ぬことは誰にとっても怖いはずです。昔、出撃前の神風特攻隊員に、恩賜のチョコレート(天皇陛下から賜ったチョコレート)と称して、モルヒネ入のチョコレートを特攻隊員に食べさせて特攻隊員の恐怖感を和らげていたということです。仏教の極楽浄土の思想や、キリスト教の天国の思想、天理教の出直しの思想等、死後の世界の存在を肯定する思想は、宗教や宗派の違いを問わずに共通するものだと思いますが、私個人は、死ぬことは、とりもなおさず消滅すること、無になることであると考えています。近親者を亡くすことは非常に悲しいことですが、亡くなった人はもう戻ってはきません。千の風になって吹くこともありません。近親者を失い悲嘆にくれている人、あるいは不治の病に苦しみ、死の恐怖におののいている人に対してできることは、ひたすらその人の心に寄りそうことしかないと思います。
ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。
どこでそのような説明があったのですか?
「匿名 様
>甘露台の立っている場所の一坪四方の土地の名義は中山家になっているそうな。
これは嘘ですね。そうなれば教会本部のほかに住所が存在するはずです。それがありませんので、デマということになります。
これは本当です。現在の宗教法人法が改正され、もし宗教法人の土地が国家に没収された場合、ぢばを守る為に個人名義にしてあるとの説明です。」
宗教法人の土地が国家に没収される場合というのは、宗教法人の存在や活動自体が禁止されるような事態です。確かに、個人名義にしておけば、収容される可能性は低くなりますが、そういう体制になれば、登記名義など関係がなくなるでしょうから、少し説得力がないように思います。
ただ、大変失礼な話ですが、仮に、天理教が将来、財産的に窮乏し、本部の土地が差し押さえや競売された場合に、中山家名義にしておけば、土地の処分の対象から外れます。
さらに言えば、天理教内部でクーデターが発生し、中山家が天理教から追放されるような場面になった時に、中山家が天理教に対して、甘露台の立っている場所への立ち入り禁止をすることが可能になります。つまり、中山家はこの事実を切り札にして、天理教の指導的な地位を世襲することも可能になります。
以上はあくまでも法律的な観点からの観察で、中山家がそんなことを考えているか、どうかとは関係がありませんので、ご注意ください。
匿名 様
2020年1月3日 9:18 AM
>>こう言う未熟なくせに高圧的で高慢な説教をする教会長を何人も見てきた。そして更に傷ついた彼らは天理教を見限ることになる。
涙を流すその心に寄り添う事。天理教に決定的に欠けている事は「黙って寄り添う態度」「共感の態度」。本部をはじめこの温みの欠落に気づいていない気がする。厳しければ良いと言うものではない。未熟者の自分が気づいていないその厳しさが神の受け取りに通じるものでも無いと思う。
天理教に謙虚さを求めたいです。あなたも私も、皆一れつ上下のない神の子ですよ。<<
おっしゃる通りだと思います。人の弱みにつけこみ、傷つき病んだ心に塩を刷り込み、教団を気球のように肥大化させてきたのが天理教です。それ以外の何ものでもありません。
門外漢 様
2020年1月3日 11:56 AM
>> ただ、大変失礼な話ですが、仮に、天理教が将来、財産的に窮乏し、本部の土地が差し押さえや競売された場合に、中山家名義にしておけば、土地の処分の対象から外れます。
さらに言えば、天理教内部でクーデターが発生し、中山家が天理教から追放されるような場面になった時に、中山家が天理教に対して、甘露台の立っている場所への立ち入り禁止をすることが可能になります。つまり、中山家はこの事実を切り札にして、天理教の指導的な地位を世襲することも可能になります。<<
いつも、法律の専門家としての見地から、ご投稿いただき大変感謝しております。将来、天理教が財政的にも宗教としての内容的にも、窮乏、腐敗していくのは明らかなことだと思います。また、現状を考えれば、天理教内部でクーデターが発生しても決して不思議ではありません。そうなれば、甘露台の立っている敷地を中山家が私物化したところで、天理教信者にとってはどうでもよいことだと思います。宗教利権を利用し、天理教の私物化を図ろうとする魂胆は、宗教以下ですし、誰も天理教など信仰する人はいなくなるでしょう。
このサイト内で多くの人たちが、中山教は天理教の異端だと言っていますが、それは事実を正しく認識できていないと思います。
まず第一に、私たちの教祖、中山みきは「天理教」なんて宗教団体を作ってなどいません。教祖が説かれた神名は「転輪王であり」、おふでさきには「天理」なんて言葉は一度だって出てこない。「天理」という言葉は政府が出した三条教則にあったもので、これをもとに中山家の銭ゲバたちが「天理王命」という神名をでっち上げた。そして官憲の手を借りて教祖を排除し、教祖を信じて集まっていた人々を騙して、天皇を神と祀る「神道天理教会」を設立した。そして国家権力と上手く協調して中山家に不都合な人々を排除していった。これが天理教の成り立ちなのだと思います。
とどのつまり天理教とは中山教そのものなわけで、その目的は最初から富と権力であり、人類の救済なんて名目にすぎなかった。天皇を神と祀っていれば、従わない者は非国民と看做されたであろうし、もし日本が戦争に勝ち続けていたら、まだまだやりたい放題が続けられたのかもしれません。
ところが日本は戦争に負けて、天皇が神様をやめてしまったものだから、いまさらのように教祖を引っ張り出して、中山家の安泰を謀っている。それが現実であり、だから私はこのような宗教の皮を被った営利団体に、改革の可能性などあり得ないのだと考えています。
地獄耳様 門外漢様
法律にお詳しいようで、私ごとき者が物申すのもなんですが、私は、人はこの世のあらゆる物に対して 「所有権」を主張することはできない、と考えています。なぜなら、この世は一切が 「かりもの」 だからです。手にするすべてのものは、神様のもの、あるいは神そのものということになるんじゃないか、と思います。
私は戦後生まれですが、父母の世代は戦前で、天孫降臨でトヨアシハラの水穂の国(=日本)に、神々が降り立たれて以来、日本人は、神々の住まわれているこの国に、神様に許可をいただいて住まわしてもらっている、と言うふうに考えていた人もいたようです。人は仮に住まわせてもらっているのであるから、この土地の真の所有者は神である・・とまで思ったかどうかは解りませんが、ま、そんな思潮もありました。
そういう大人がいる中で、私もその影響を受けたのでしょう。のちに運んだ別席で教えてもらった、この世は「かしもの・かりもの」 という教理も、すんなりと入ってきました。かりものだから、自分のものではないとスグ思いました。
たとえば、犬なんですが、散歩中によく電信柱とか人家の塀とかに、オシッコをかけていくのがいますが、あのマーキングという行為は、「ここはオレの縄張りだぞ」 といって、縄張り内の所有権を主張しているんですが、その所有権は同じ犬に対してこそ主張できるのであって、人間に対してはできません。
それと同じように、人間も 「ここはオレの土地だ」 と主張しても、それは同じ人間に対してこそ主張できるのであって、神様に対してはできません。その所有者が死んだら、その土地は誰のものでもなくなってしまうのですから。彼が所有者になっていれるのは、生きている間のほんのわずかな時間内のことにすぎません。
深いお話ですね。法的には守られる。しかし別の見方をしたなら神のかしものだからあくまでも借り物。中山家がどんなに貪欲に囲い込んでもいずれ死に絶える時が来たらならいっ時の刹那の所有物、、。人間とは浅はかな者なのかもしれません、、。
お正月から良い勉強させて頂いております。
匿名 様
おそれいります。同意していただき、ありがとうございます。
> 中山家がどんなに貪欲に囲い込んでもいずれ死に絶える時が来たらならいっ時の刹那の所有物、、。
つまりは↑そういうことなんですが・・
どんなに囲い込んでも、神様がそれはダメだとおっしゃったら、ダメになるでしょう。
ぶたまん
2020年1月3日 10:59 PM
年始から皆さんの書き込みが盛で何よりです。「借り物料」や「金の繋ぎは命の繋ぎ」等と申している善亮くん自身が「神からのかりもので悪戯している」のが現状ですからね(笑)年々日に日に信者の足は遠のき寄付も遠のき組織は確実に蝕まれている。さて何年もつのか
天理教と中山教の関係に関してご教授頂いてますが天理教は中山教ですと言っている内容で笑えました。しかし宗教法人法などを見ると中山家の所有物ではないのは明らかなのでこれもまた面白い話です。
世界救世教など他の宗教団体では信者の占拠により教祖が追い出されたとの事例がありますように中山家は追い出される前に自ら本部や組織を後にする方がよろしいのになにを勘違いしているのか中田善亮の暴走を黙認している中山家とその血族も罪づくりな面々だと思います。
当教会の信者さんで自営業の社長さんが近頃本部批判を始めました。
「善亮さんの発言(金の繋ぎは命の繋ぎ)は本当に残念だった」とおっしゃっていました。経営は甘いものじゃないどんなに努力しても天井で頭打ちが来るこれは不景気でも好景気でもその一線を御守護がもらえると思うから信仰している。その当の本人たちがそのような甘い考えの発言をしたことに呆れたと言い、私はただただ聞くことしか出来なかった。
それに教団の経営者の集いなどに参加した際にとある弁護士にも会った事があるそうですがその弁護は愛人と出席したりしていたそうだ。「弁護士の浮気」と聞くと、山尾志桜里衆院議員と倉持弁護士の件を思い出す。明らかに弁護士としてあるまじき行為だった。
その社長さんは最後に、「あなたたち家族は好きだが、中山家は出て行って欲しい」とはっきり言ってました。出て行かなくても本部はやがて潰れるともおっしゃってました。その理由に「中山家がやっている天理教本部に一切魅力を感じない。」とはっきりおっしゃってました。
至極真っ当な意見に私は何も言い返すことは出来なかった。
中山家と血族の方々は何をもって中田善亮の暴走を放置しているのでしょう?最後は「善亮が悪い!」と言い逃れするつもりでしょうか?それもまた無責任です。そうは問屋はおろしません。中山善司、中田善亮が追放される日、中山家の婿や嫁に行った血族も一族全員追放されるでしょう。それとも組織に居座り続け心中でもするのでしょうか?それが教団全体の信者に対して大迷惑なのを理解できないのでしょう。
善司も善亮もですが家族や親戚も同罪です。
館(やかた)構想と中山家体制ありきの教団存続にもう無理が生じている。実弟善亮が出てきたとたん中山家の評判は地に落ちました。聖地甘露台倒壊にはじまり法人乗取り、大教会の土地競売など等語り尽くせない惨状、中山家を代表する善亮に信用が無いから、お供え(寄付金)が激減するのは当然それでも黙認する本部員、窘めない親族、もう組織上層部の病理と症状は始まっているでしょう。自らの認める事の出来ない上層部は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と言い放ちこの明らかな義教を謝罪はおろか訂正もせず、中山教や善亮教と揶揄され、熱心な天理教信者から弾圧してるようにしか見えません。シナリオはいくつか考えられますが、いずれも中山家には最悪のシナリオばかり、おろかな宗教家が権力をふるい反対派を排除しても被害者の会などを結集され外部から訴えられたら社会的にも下手すれば刑罰すらありえる。宗教法人の土地建物の吸収合併に関しても、吸収目的で教会長家族を追放しているとも噂され、これは宗教法人法改正のきっかけに成る事件になりかねません。宗教法人法を利用した土地収奪事件 不動産詐欺とも言えるでしょう。
甘露台が倒され、真柱が倒れられたころを境に、一気に教勢が衰えているように感じます。これはいたって感覚的なものですが、もしかして、2~3年ほど前に本部で何か重要なことが発生しているのではないかという気がしています。表に出ていない何か。しかし、その克服をリードすべき両統領、とりわけ表統領は評判がよろしくないようです。大亮さんのことも、お披露めのやり方は信者の気持ちから大きく離れたものだったと思います。各教会に割り当てられたお供えなども考えると、信者は本部に対してそれぞれに考えるところがあっただろうと推測します。
しかし、元のおやは一つ。これは見失いたくないものです。さきの「参考意見」さんもそうでしたが、あまりに八島教学を信じすぎている印象(あくまで印象です)を多くの方に見受けられます。八島教学は参考にすべきところもあれば、首をかしげるところもあり、あくまで一つの参考としての「解釈論」で捉えるべきかと考えます。教祖に中心を置くがため、おさしづを軽んじすぎている感も受けます。おやを一つとして考えるのであれば、おさしづまでを含めた「解釈論」が望ましいのではないでしょうか。
また、多くの方が、井出くにさん、大徳寺さん、はたまた茨木さん、大西さん(この方はあまり話題に出ませんね)、花井さん、モラロジーさんに違和感なく接していらっしゃるようですが、井出くにさんの出現は、本当にそのまま教祖殿で受け入れるべきだったとお考えでしょうか。あるいは、大西さんも?飯田岩次郎さんも?おさしづとしては岩次郎さんは否定されていますね。須藤花井さんも本部できちんと受け入れるべきだったと?天理教の教えとしてソ連等の戦争話をすべきであったと?逃げる準備をしておけと?ともあれ、きりがない話です。あまり振り回されない方がよろしいかと思います。おやは一つ。そして、天啓は本席までということになろうかと思います。あとは個々の方々がなるほどなぁと受け止められることがあるのであれば、他の天啓を受けた方々のお言葉も、時にご参考になさればよいのではないかと(ナライトさんに対しては痛ましいばかりですが…)。
私個人としては、「おさしづ」がなかなか手に入らない現状が望ましくないと考えます。教会には置かれていますが、書店ではどこで買ったらよいものでしょうか。何やら、おさしづは既刊の「おさしづ」がさっと買えるものでもなさそうです。本部の隣の書店に行っても原典である「おさしづ」全巻が売っているわけではない感じですので、原典として軽んじられているのではないかという感じを否めません。
何はともあれ、皆さんの書き込みを読ませていただいていると、明治時代も今もあまり変わっていないのだなという感覚を覚えます。教祖と周囲の人たちとの思いの違い。私としては、教祖と、本席のお言葉を慕い、ぢばを大切に思うばかりです。お供えは、生涯教会にすべてを尽くしきった母に比べれば、ごくわずかなものです(母が出直した時、貯金はほぼゼロでした)。これは、私も仕事で忙しく、なおかつ怠惰なため、お道のことが少ししかできないので、せめてもの神さまへの気持ちだと思っています。
お道への接し方は、人それぞれでよろしいのではないでしょうか。まぁ、教会から「すべて供えよ」と言われれば、私も逃げますが、教祖と本席のおことばは、私には財産です。
キリスト教の話もよく出ますね。私は聖書にもしばしば触れますが、お道の教え(原典のことば)のほうが好きです。いちいち比較せずとも、それぞれにどこか得心するところがあれば、自分の心の糧にすればそれでよいのではないかと思います。
以上は、気軽な一信徒としての話ですが、末端教会等で苦労される会長さん、ご子弟、本当に大変だと思います。天理教本部は、これまでお供えされてきたとてつもない金額のお金をどうしているのでしょうかね。この2~3年の本部の経済的な苦境の声は、過去からの財産を考えると通常は考えにくいものです。上からまずは貧に落ちきらないと、と思ってしまうのも当然でしょうね。海外にファーストクラスで行かれる本部員の方の話を聞いたことがあります。神さまは泣いていらっしゃると思います。泣いているのは末端の教会関係者だけではなく、神さまも泣いておられる、そう思います。
長文、失礼しました。
コメット
2020年1月5日 2:04 PM
>>元のおやは一つ。これは見失いたくないものです。
これが重要なポイントですよね。他のコメントも読んで想ったのが、天理教自体が元々中山家が作り出した教祖の思惑に反する存在で天理教の本質が中山教であるという話ですから、これでは表統領中田善亮どころか、真柱と元の親の関係性は疑われる。いやそもそも無いのでしょう。
「教祖は貧落ちきれ」と言ったにも関わらず表統領中田善亮は「金の繋ぎは命の繋ぎ」と並べたら明らかに異端ですしね。
資金なんで大変なのは分かりますが中山家も一からやり直すか、やがて信者から追放されるかなのでしょうね。
年始早々、皆さんの熱心な議論が続いています、大変、良いことだと思います。教団の矛盾点を指摘されるのは無理からぬことです。当然のことだと思います。しかし、天理教は程なく崩壊します。長くは続きません。私は、現在、天理教を信仰されている全ての信者さん方、特に若い方々に申し上げます。ひどい目にあわないうちに、即刻、天理教から退避しましょう。最悪の事態を回避するための最善の方法だと思います。
おさしづより。
この道といふは、もの言ふまでのものである。金銭ずくで求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。又日日稼ぎと言ふ、皆働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩まで働いたとて、何ぼうのあたゑあるか、よう思やんせい。(40.4.10)
一日の日でも心たんのうの理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何ほどの金(きん)を持って来て、今日からと言ふても受け取るものやない。(23.6.17)
道のため運ぶ尽す理は日々にある。(補遺28・4・3)
尽す一つは道という。助けりゃ助かる、思えば思う、回れば回る。この理第一諭し置く。(24.6.3)→[コメット注:「回れば回る」という言葉を解釈すれば今話題の「金の繋ぎは命の繋ぎ」ともなるのかもしれませんね。しかし、神さまは、運び尽しを日日の中に見ておられ、また、おかきさげにもあるように、家業が第一ということはとても重要かと思います。「繋ぎ」で大事なのは心でしょうし、たんのう、日々の感謝、よろこびなのだろうと思います。]
>今話題の「金の繋ぎは命の繋ぎ」ともなるのかもしれませんね。しかし、神さまは、運び尽しを日日の中に見ておられ、また、おかきさげにもあるように、家業が第一ということはとても重要かと思います。「繋ぎ」で大事なのは心でしょうし、たんのう、日々の感謝、よろこびなのだろうと思います。]
これは正に天理教面している 中田善亮をはじめとする中山家に向けるべき言葉です。
例文としてか行きますが
心が無い中田善亮
たんのうが出来てない中田善亮
日々の感謝が出来てない中田善亮
よろこべない中田善亮
高慢な中田善亮
教理を分かてないと教内の信者からばれている中田善亮
「金の繋ぎは命の繋ぎ」もこのような極端な文章に纏めすぎです。これを中田善亮本人が機関紙で訂正と謝罪をしない限り宗教家として中山家は消されていくでしょう。しかも神の使いの用木によって
中山家の人は「今さえ良ければ」と思ってるのですかね?もしそう考えてたら甘いです。教祖の教えおふでさきも理解できてない事になりますし、仮に教団がなくなっても中山家は残ります。中山家と血族以外の元信者たちの恨み辛み暴露は止まらなくなるでしょう。訴えられれば警察や司法から政治家からも圧力は下ります。財団は解散させられるでしょう。末代まで恨まれ、呪われ生き地獄が続くのでしょう。
そうならない為にも親族の人はおろかな教理を説いて暴走している中田善亮を制止するべきでしょう。出来ないし無い時点で一族もやはり同罪扱いになりますからね。生きながらにして生き恥、どの面下げて人前に出ているのか?人間性を疑いますねwww
コメットさん
わかったような物言いで驚きましたが、
>お道への接し方は、人それぞれでよろしいのではないでしょうか。
そう思われているのであれば、お指図至上主義に誘導することなく静観していればいいのでは?
コメットさんのコメント(←オヤジギャグ・・というほどでもないか)
コメットさんの、おやの心を見失わないようにしていたい、という気持ちは、私も同意いたします。
おやの心を見失わないようにするためには、道具が必要ですが、コメットさんの場合は、その道具がおやさまが言われたことやお指図ということになっているのでしょう。
私も、おみちだけではなく、色々な宗教に接してもよいと思ってます。イエスやブッダといった、その宗派の開祖となったような人たちの言葉が、自分と神を結びつけてくれるものであると感じたなら、それを一つの警句(アフォリズム)としてとらえ、<心の糧と>するのもいいでしょう。別に宗派にこだわる必要はないと思います。この点も、コメットさんに同意させていただきます。
おみち、もしくは宗教への接し方も、おやの思いを見失わないでいる限り、人それぞれでよろしいかと思います。「むりに来いとは言わんでな」とか、「むしょうやたらにせきこむな」とか、神様もそう言われていますように、信仰者に対して押しつけがましいことは、してはいけないと思います。
論点がずれている人が多いのですよね。この期におよんで教理云々をテーマに話しても意味が無く、教団的に言うと「なってくるのが天の理、成って来た天の理」の話「教団の疲弊と中山家の暴走」をテーマに語るのが当たり前の事です。もっと簡単に言うと「中山家と教団が明らかに間違っているのをどうする?」なだけです(笑)そこに 教義書を持ってきて「間違った教団と中山家」を肯定していたら、「金の繋ぎは命の繋ぎ」と偽教を称える異常者に等しくなります。教団の信者、本部もこういう人がいるからいっこうに改善されないのでしょう。世の中は人の道や人として至極当然な答えがあり溢れている。その中で、天理教や中山家は「神様は違う!天理教は天理教だ!」と嘘をつき続けてしまった歴史がありそれにより洗脳し洗脳されの悪循環を続けていると見て取れます。
「金の繋ぎは命の繋ぎ」で信者を騙せ!と始まった言葉でしょうが、いくら信者を騙しても何も改善されない現実の方が騙した中山家にとっては恐ろしい事だと思います。中山の愚かな面々は神は愚か人を見る能力も無いと言うことです。
「神の気持ちは愚か人の気持ちも理解できない愚者の異常者」と言うことです(笑)
天理教が世間から相手にされない。気が付いたものから笑いものにされるのは当然、近頃では、大教会に集まった分教会の会長からも、本部批判や独立を示唆する話が出ている現状です。いくら「本部本部」と偉そうにしていても、稼ぎ頭の分教会にそっぽむかれったら終わりです。
中山家がこのまま教団本部に居座るなら、本部は崩壊するでしょうね。
本部も正しい事を言っているのならば現実問題的中して宗教ではそれを予言と呼び重宝されると思います。ですがこれが残念な現実で、本部のボンボン中山家の発言より、こちらに寄せられるコメントから予言が出てきてしまっている現状です。皆さんだって何故こちらのコメントに注目するのか?本部が本当のことを教えないから、こちらのコメントを見るわけですよね。
こちらのコメントでも再三再四、教団機関紙「天理時報」などの発言と内容方針の指摘はされてきました。しかし改善されない。なので皆さんまたこちらのコメントを見る。
悪いのは誰だ?教団は「ネットの嘘情報!」と言ってましたが、時が経ち明るみに成ったのは、「教団はリアル現実に嘘をついている」と言うことですよね。
生き恥晒して毎月元気に嘘をつく「中山家と天理時報」(笑)
ですよwww
予言者と狼少年では雲泥の差 「中山家が狼少年」であるのはもう確定と言ってよいでしょう。
中山家と本部は、生き恥の次期から次は生き地獄期が始まるのでしょうね。
部内教会数確保と事情教会整理の動きに戦々恐々としている上層教会。信仰の中身の推敲をしようとせず形と数にこだわる彼ら。彼らは教会確保の為に誰でも良いから教会長にすえて「整理」から逃れたいのだが、送り込もうにも希望者がいないのが現実。
大教会、本部を神の声と信じ込まされ盲信して来た彼らだが、これから計画されている本部の想定外の動きは実際、彼らにとっては想定外の事態のようで狼狽の色が見て取れます。
当系統でも教会長が集まれば、縦組織の解体、上級教会からの精神的経済的独立の話題が出て来ます。教祖の意志に無い人為的上下組織にほころびが出て来ているのです。
ハイ、と従わない教会長が出現し始め、生身の苦悩が声となって表に出て来ています。「 この教団は無い方が世の為になる」と判断した親神の計画に導かれているんだと思います。
失礼しました。
詐欺と解っていながらそれに協力する信者。
悪因縁と言えば黙っていても多額の献金が入る教団及び教会関係。
更に始末悪いのはその詐欺に同意して宗教勧誘をする人達。どっちもどっちだが。
「献金」と言う性格のものは、余程立証が出来ない限り返還はされません。本部も大教会も返還に関しては黙りを決め込んでいる様で当事者同士で話し合ってくれ方針です。
何方かが被害者の会を結成して云々と言う話しをしていましたが、被害者の会を結成した所で返還はまず無理でしょう。なぜなら「献金」は自ら進んでしている性格のものと見なされ、金を出した時点で「献金」と言う行為が成立してるからです。法的には何の差し障りも無いです。
彼らは信者に対しては現金でのやり取りを望み決して銀行振込等は望みません。
これからそれでもやはり献金をすると言う方々は、銀行振込をお勧めします。
でも銀行振込をした所で、オレオレ詐欺と変わらんが。
結局の所、ペテン師です。
でも宗教法人なので、これも当てはまらない。
法的にはどんなに詐欺であり、ペテン師でも宗教法人なんです。
天理教は宗教法人を辞めたらいい。
最早メンヘラとオタクの集合体でしか無いんじゃ無いですか?
> 論点がずれている人が多いのですよね。・・以下、了解いたしました。
私も、しかるべき地位の人が失言したりするのを聞くと、「船・飛行機で言えば、パイロットに当たる人が、このていたらくでは」 とは思います。船は海の上ですからまだしも(しかし、沈没すれば非常に危険です)、飛行機はいったん事故ると、ほぼ生存者ゼロを覚悟しなければならない状態になります。
「あの~、パイロットさん、この飛行機、高度がだんだん落ちてきてませんか?」「このままだと、墜落するかもしれませんよ」 なんて、聞いていても、返事がないという状態です。パイロットさんたちは、黙秘権をフル活用しています。
それとも、何ですか、パイロットさん自身どう答えたらいいか解らず、「そんなこと、オレに聞くな!飛行機に聞いてくれ!」と言ってるみたいです。
(それでは、と言って、「もしもし飛行機さん、この飛行機、ひょっとして墜落するんじゃありませんか?」と、飛行機に聞きに行ったら、こら、アホでんがな。そこまでアホにはなれまへん)
尾翼を失って操縦不能に陥った日本航空123便。そのボイスレコーダーに残された、墜落11分前の機長の言葉を思い出しました。
「これはもう、だめかもわからんね・・・」
>>尾翼を失って操縦不能に陥った日本航空123便。そのボイスレコーダーに残された、墜落11分前の機長の言葉を思い出しました。
「これはもう、だめかもわからんね・・・」<<
随分、昔の話ですね。結果的には「だめでした」。機体最後尾の圧力隔壁が金属疲労の為に破れ、その結果、機内の気圧で尾翼が吹き飛び、操縦不能となった日航機123便は御巣鷹山の尾根に墜落しました。搭乗者で助かったのは、今、看護師として活躍している少女(当時中学生)を含む数人でした。大阪の某大教会の後継者は、不幸にも当該機に搭乗していて犠牲になりました。当初、東京から新幹線で「おぢば」まで帰る予定だったそうですが、新幹線のダイヤが乱れ、不幸にも羽田から空路で伊丹まで帰ることになったそうです。
今の天理教は、あの時の日航機とそっくりだと思います。尾翼どころか主翼さえも失い、今や墜落しようとしています。天理教信者の皆さん、教団がクラッシュしないうちに安全に退避しましょう。搭乗しようとしている皆さん、搭乗してはいけません。「これはもう、だめかもわからんね・・・」と呑気なことを言っている場合ではありません。「これは間違いなくだめです」。
日本航空123便事故では坂本九さん他、多くの著名人が亡くなられたのは知っていましたが、天理教の関係者のことは知りませんでした。逆に明石家さんまさん等、ぎりぎりのタイミングで搭乗を回避していた著名人も多くいたようで、人の運命の分かれ目とは、本当に解らないものだと思います。
高慢な中山家の方々とその血族の皆さん神様は見てますからね。
そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
>>今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
どう凄いのか具体的に教えてください。
例えば、この天理貴族達におさづけを取り次いでいただいたらどんな難病も御守護頂けるとか…
>>むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
これはありますね。どうしても関わらねばならないパワハラ大教会、上級とか….
直接害がある分、中山家より先になんとかして欲しい深刻な問題です。
末端はやはり離脱が一番良い策なのでしょうがなかなか柵がね~
天理教を見限った瞬間
1. 真夏の猛暑の中、交通整理ひのきしんを頑張っている専修科生に横柄な態度をとる本部員を見た時。(交通規制で通れないみちに対してご立腹だった様子)
2.金銭をお供えしないと救われないと言う内容の講話を聞いた時。身上が治るんだから、金銭をお供えするくらい当たり前だろと言われたこともあります。
3. 会長がセクハラに悩んでいる女性の信者さんに対して、「あなたがセクハラをさせたことで、相手にホコリを積ませてしまった。その自覚はありますか?」と聞いていたこと。結局女性が悪いと言っていて、腹が立った。もちろんその女性もそれ以来来ていません。
4. うつ病と診断された私の弟に対して、親戚(全員天理教)全員がそんなの心が弱い、ホコリ積んでるから、普段の行いが悪い、他にも苦労している人はいるのに甘えるな、と言った無慈悲な言葉ばかり。弟は現在私以外の親戚とは絶縁状態。弟は就職してそこそこお金も稼いでいるが、教会にはびた一文も入れていない。(いいぞ弟よ)
5.そもそも人を助ける気がない。上でも書いている人がいましたが、「人助けをする!」と豪語している天理教徒をたくさん見たが、うちの家族のように身内が困っていたら助けの手を差し伸べようともせず、終いには甘えとされる。誰のための人助け?誰を助けようとしているの?身内には厳しく、未信者には甘く、自分には激甘な人しか見たことがない。
匿名 様
2020年1月7日 9:57 PM
>>うつ病と診断された私の弟に対して、親戚(全員天理教)全員がそんなの心が弱い、ホコリ積んでるから、普段の行いが悪い、他にも苦労している人はいるのに甘えるな、と言った無慈悲な言葉ばかり。弟は現在私以外の親戚とは絶縁状態。弟は就職してそこそこお金も稼いでいるが、教会にはびた一文も入れていない。(いいぞ弟よ)<<
うつ病を病む人に対して、最も言ってはいけない言葉ですね。人を助けるどころか、その人の心の病を逆に悪化させてしまいます。
>>そもそも人を助ける気がない。上でも書いている人がいましたが、「人助けをする!」と豪語している天理教徒をたくさん見たが、うちの家族のように身内が困っていたら助けの手を差し伸べようともせず、終いには甘えとされる。誰のための人助け?誰を助けようとしているの?身内には厳しく、未信者には甘く、自分には激甘な人しか見たことがない。<<
全くその通りだと思います。天理教は宗教ではありません。悪質な詐欺集団です。
どう凄いのか具体的に教えてください。
例えば、この天理貴族達におさづけを取り次いでいただいたらどんな難病も御守護頂けるとか…
人ですからね。叩けば埃はいくらでもでてきますよ。
真柱様ご夫妻のことは直接は存じ上げておられませんが、見聞きする中で凄い方という印象です。大亮さまご夫妻は大亮さまは直接お話をさせていただいたことがありますが、偉そうでもなく、むしろこのままのお道ではいけない。なんとかしなくてはという思いがひしひしと伝わってきます。奥さまは専修科の友人が凄いいい子で、魂があの時から違っていたのかもねと言っていました。
凄い人とは?
真柱ご夫妻、大亮ご夫妻は、天理教教義に裏打ちされた完成された人格をお持ちでしょうか。そもそも、天理教教義自体が胡散臭いと揶揄されている限り、何を基準に凄い人だと感じられるのかが理解できません。
ご自身が教義に照らして、その責にないと感じられたのであれば、直ちに下野されるべきです。
ましてや、・・・このままのお道ではいけない。なんとかしなくてはという思いが・・・であるならば、自らの思いを真柱に直言されるべきです。それが出来ないのであれば、やはり、潔く下野すべきです。連綿と今の地位にしがみついていると思われても仕方がないでしょう。むしろ、手放したくないんじゃないんですか。
本部員の善亮・大亮詣でが始まったなんてことは、もう、数年前に聞いた言葉ですよ。
見ていて、なんて情けない集団だろうと思っています。
教会の責任役員に有った時、お許しに同伴した際に、ご用場で説明を受けた際に聞いた、決して真柱の顔を見てはいけない、という注意は未だに心の引っかかりとして残っています。二度と天理教とは付き合わないとね。
吉野彰氏がノーベル賞のメダルを受賞される折のカール16世グスタフ国王と握手をされる際に、シッカリと目を合わされていました。
顔を見てはいけないという意味が理解できていません。
教会の責任役員に有った時、お許しに同伴した際に、ご用場で説明を受けた際に聞いた、決して真柱の顔を見てはいけない、という注意は未だに心の引っかかりとして残っています。
理解できないのであれば、顔をご覧になられたら良かったですね。
みんな、見てるんじゃないですか?私はしっかり見ましたね。
苦虫つぶしたような、魂の抜けたような、心ここに在らずのお顔でした。
見るなと言われる筋合いはないですから。戦前の天皇でもないのだし、ましてや埃まみれの人間の顔はどんなものか、見聞の為に見ましたね。
感想は上記の通りです。世間一般人と比べても魅力の無いただの人間とお見受けしました。
ただ神格化したいだけです。本人も恥ずかしく思っているんじゃないか。
満席でおさずけを頂く際にも言われました。
「真柱の顔を見てはいけない。」
何を時代錯誤のセリフを言っているんだ!、心底反発したものです。
なのでベルトコンベヤー的な流れを一瞬ながら、そのリズムに乗らずに乱して受け取りました。
30代になったばかりの自分ができたわずかながらの抵抗でした。
一人の「匿名」さんは、毎度、ご自分の思い込みのような基準で反論なさっています。
真柱をはじめ皆さんが「凄い方」とは、根拠なしの感覚的な捉え方ですね。
昔ながらの天理教信者のパターンとも言えるかもしれません。きっと優しい方なのでしょう。質素に暮らしている一族が資金難の中にも関わらず、ド派手な結婚披露宴をやりますか?
大亮夫人の人柄を、≪奥さまは専修科の友人が凄いいい子で、魂があの時から違っていたのかもね・・・
魂がちがっていた?ならば頂点に立つ前に、夫婦で天理から離れた地で布教の苦労をすべきと考えるのではありませんかね。まぁ、書きながら虚しくなるだけですが。
でも、この場で皆さんが(私も含め)問題としていることは「凄い方」であるかどうかという曖昧模糊とした感想でかたずけられるような問題ではないのです。
問題は昔から続く構造的な搾取の蓄積が宗教法人の在り方から照らして、まずいんじゃない?ということなのです。
「匿名」さんはどうもこの場の投書を「悪口を書いている」というレベルで受け止め、反応をされているようですが、社会的責任を考えましょうよ。何しろ「匂い掛け」をせよという行動原理が必須の教団なのですから。オウムと置き換えて考えれば、私が何を言いたいか、簡単に理解していただけると思います。
>匿名
2020年1月7日 8:19 PM
そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ
大亮君夫妻がどんなに凄くても 時すでに遅しです。
既に天理教は、多くの信者から見放されてしまいました。
信者が見放した宗教に新たな信者が増える要素はありません。
本部のライブカメラを見ると 正月三が日やお節でも本当にガラガラです。
私からすれば大亮君夫妻は、腐り果て滅びゆく巨大組織を背負わされた哀れなご夫妻のようです。
真柱も人だから叩けば埃はいくらでもでてくるというなら、その程度の人を特別な魂の人として崇め、年貢を納める必要も無いのでは?
見聞きする中で凄い方ですか。オウム真理教の全盛期、麻原彰晃の空中浮遊を信じるオウム信者に、実際に見たのかと尋ねると大抵こう答えたそうです。
「自分は見ていないが、見た人を沢山知っている」と。まるで信じ方がマニュアル化されているようです。
そういえばあの頃、麻原彰晃の風呂の残り湯をミラクルポンド(奇蹟の水?)という名で売っていましたね。牛乳瓶1本で3万円だったと思いますが、中山家も金に困ったらそんな商品も考えるのかも。バリ天のなかには買う者もいたりして。
2020年1月8日 11:05 AMの匿名 様
もとより、苦虫を噛み潰したような顔を見たくもありません。そのことより、このような言葉が出てくる教団の体質を言っているのです。だから天理教と縁を切っただけです。無駄な信仰生活だったと後悔しているだけです。
投稿の趣旨は、このような宗教の面をかぶった集団には近づかないようにとのPRをしているだけです。もっとも、、言うまでもなく若い方々は気付いておられるようですから、杞憂に過ぎないのかもしれません。
> 真柱も人だから叩けば埃はいくらでもでてくる
埃はいくらでもでてくる、ということは、ポンポンと叩くとまだでてくる、また叩くとまだでてくる、ということですね。ということは、さらにまた叩くと、まだ埃がでてくる。そうやってポンポン叩き続けると、しまいに何もなくなってしまう、というんじゃないでしょうね。
「あら、この人、埃で作られていたんだよ」って言われる。そんなん、イヤですよ。
真柱さんとは話をしたこともありませんから、どのような方か存じませんが、まぁ、私も埃多き人間ですから、叩かれ続けたら、皮一枚がモヌケの<抜け殻>となって残されてしまうでしょう。
私という人間は、この<抜け殻>の中に、欲や腹立ちや高慢といった埃をいっぱいギュウギュウ詰めに詰めこんでいるだけなんです。
こんな私の手を取ってお導きいただいたおやさまには、ただ申し訳なく思うばかりです。
このサイトをご覧になられて、(それが直接の動機というわけではないでしょうが)、天理教から離れて行かれた方もいるんじゃないかと思うのですが、どうなんでしょうか、その方々は、天理教はイヤだったが、おやさまや神様には助けていただいたという思いは、まだ残っておられるんじゃないでしょうか。
そういう方々は、かつての天理教の友人と交際はまだ続けられておられるんでしょうか。
天理教を辞めてもおやさまが手を引いてくださっているということを感じられたら、その御手をむやみに振りほどかないでいてほしいのですが
結局このサイトに投稿している人たちって、天理教のことを色々言っていますが、最終的には天理教のことが好きなんだなと思いますね。どうでもいいなら投稿しませんもんね。
どうにかしたいということですかね?
それが過激な投稿になっているだけと想像します。
私は何十年も恐怖労働させられ周りは部内教会長にしても辛い想いをしている私に相談に乗る形で話しているうち君は大変だね?〜と言いながら口走った言葉が私の名前で何々君を虐めちゃえ!え、?とお互いに、、
人間は嘘はつけないものだ。やはり部内教会長でさえそんな人間性。その会長は先日、出直したと聞いております。当然、私は決死の覚悟で信者を辞めさせて貰っていた。それに週刊誌にふと眼に飛び込んで来た文字が
天理教信者半減。これじゃもう終わりだね?天理さんは!タダこの天理王と言うのが曲者。なんか私にピタリ張り付いているストーカーみたいです。実際に天理教の分教会に住み込みの時も女性からの有るまじきセクハラ行為。教会で何を考えてるんだ!と言いたかった。そんな訳であれじゃカルト教団と言った方が妥当でしょう?
匿名 様
2020年1月8日 4:01 PM
>>結局このサイトに投稿している人たちって、天理教のことを色々言っていますが、最終的には天理教のことが好きなんだなと思いますね。どうでもいいなら投稿しませんもんね。
どうにかしたいということですかね?
それが過激な投稿になっているだけと想像します。<<
私は天理教が大嫌いで投稿しています。洗脳されている信者の方々、特に若い信者の方々がつまらないものにのめり込んで、たった一度しかない貴重な人生を無駄にしてほしくないのです。決して過激な投稿ではありません。天理教のありのままの姿を見て感じたことを忌憚なく投稿されていると思います。
参考意見 様
2020年1月8日 12:05 PM
>>そういえばあの頃、麻原彰晃の風呂の残り湯をミラクルポンド(奇蹟の水?)という名で売っていましたね。牛乳瓶1本で3万円だったと思いますが、中山家も金に困ったらそんな商品も考えるのかも。バリ天のなかには買う者もいたりして。<<
麻原彰晃のオウム真理教は、元々、天理教システムを真似たものです。いかにしたら霊感商法でカネが儲かるかということについて、天理教システムは大いに参考になったはずです。遠い昔、私が天理教の信者だった頃、「赤衣のお守り」という存命の教祖?が着られている赤い着物の切れ端を買った記憶があるのですが、今でも販売されているのでしょうか? 販売されているのであれば、一体、値段はいかほどなのでしょう? 読者の中にご存知の方がおられたら、参考までにご教示願います。
崩壊 様
詰所勤務をしていた頃の記憶ですので、現状とは違うかもしれませんが、当時は詰所で「お守り」下附願いなるものを作っていた記憶があります。
所属教会から立ち上げて、上級教会へのお運び、さらには上々級教会を経て大教会へ行き、最後は詰所という順序だったと記憶しています。
その都度、金封が要ったのでしょう。詰所でも金封を作っていましたが、金額の記憶はありません。
もう、60年以上前のことです。今も同じようなことをしているんでしょうね。順序順序と言ってましたから、お守り一つを貰うにも旅費や手続きは大変だったのではないでしょうか。
匿名
2020年1月7日 8:19 PM
>>そんなに中山家は高慢ではないと思いますけどね。
今の真柱様ご夫妻や大亮さまご夫妻、凄い方ですよ。
むしろ直属の大教会長さんがたの方が高慢で贅沢されてますよ。
まだこういう人いるんですね(笑)
中山家が高慢じゃない?何をもって? 甘露台倒壊、真柱「頭病気」、善亮「金の繋ぎが命の繋ぎ」と教祖の教えに釈迦に説法する高慢なのに?なにを言ってるのですか?
大亮くんは人の意見を聞けないツイッターブロック男なのに?w
本部の支店、大教会が!と言っても本店の本部がおかしいから大教会もおかしい事に気がつけないなら天理教学びな推したほうが良いですよ。
「竜頭が狂えば?( )」
()内を埋めよ。
答え
皆狂う
皆とは、大教会を含め信者も狂う
勉強してから反論してください。
東風Z 様
2020年1月9日 8:51 AM
早々にご回答いただき、ありがとうございます。そう言えば、別席を運ぶ時も「順序参り」をしましたね。上級教会、大教会、本部という順番に、ヒエラルキー(階層構造)の下部から上部それぞれに、お供えをした記憶があります。集金システムとして極めて巧妙な方法だと思います。お守りの時もそういう順番でお供えをした記憶がありますが、さすがに天理教は集金に関しては抜け目がありませんね。オウム真理教の「手本・ひながた」になったのもうなずけます。そもそも、「お守り」や「ごくさん」自体、天理教の教理とは全く関係ないものだと思いますが、一体、誰が考えだしたものなんでしょうね。
「お守り」に使われる赤衣は毎朝、教祖殿に供えられているものだと聞きました。修養科時代に三方に載せて運ばれているのを見たことがありますが、これも教祖の存命を、それらしく見せるための演出のように感じます。
教祖殿の奥の方には冷房も備えられていて、これも教祖は存命だからだと聞きましたが、本当に教祖が喜んでいるのかは、あやしいものだと思います。
よく教祖殿で奇蹟体験した人の話を聞きますが、エアコンの電磁波障害による幻覚という可能性も考えられるのではないでしょうか。
崩壊様
>上級教会、大教会、本部という順番に、ヒエラルキー(階層構造)の下部から上部それぞれに、お供えをした記憶があります。集金システムとして極めて巧妙な方法だと思います。
今は知りませんが、ある大教会では、お運びの時、大教会長夫婦・親会長夫婦・子供・孫までお礼の袋があったそうです。
お守りは、今は詰所の願書だけで良いと思います。
鰯の頭も信心から
今までに費やした時間とお金がもったいない、ここまできたのだから、と、離れられない方々、
今ですよ!今が『旬』ですよ!
来世に期待しないでください!
現世ですよ!大事なのは!
生きながらにして生まれ変わるのが教祖の、親神の教えですよ!
死んだら、また別の人生(人間とは限らない)ですよ!
今なんですよ!これからなんですよ!生きているうちが人生なんですよ!
うちの実親は死んでも参拝どころかお悔やみ電報ひとつ来ませんでした。
一生「教祖様」と言って信仰してました。
お供え、ひのきしん、あげればキリが有りません。
親が選択した道なので批判はしませんが、
そんなもんですよ。この宗教。
お供えが引き出せ無いと解るとお悔やみ電報ひとつよこしません。
もしも、教祖様がご存命(ありえない話ですが)だとしたら、今の教団をたちどころに潰されるに違いありません。
>>来世に期待しないでください!
現世ですよ!大事なのは!<<
その通りだと思います。二代真柱中山正善はその著書「陽気ぐらし」の中に「来世の安息の様な死後の世界像は描かない」とはっきりと記しています。
以下。
「天理教では来世と言うものを問題にしていない事を言っておきたいと思います。来世の安息であるとか、極楽浄土、地獄焦土と言う様な死後の世界像は描きませんし、従ってこうした死後の世界と現世の因果応報的な関係などにも言及しておりません。天理教では現世のみを問題にするのです。現世での人間の幸福を考えるのであって、教理では、来世とか死後の世界の為に現世があるのでは無く、現世は現世の為にあると言うことになっております。そして現世での幸福の究極の姿が「陽気ぐらし」なのです。」 中山正善著「陽気ぐらし」より。
二代の真柱がこのように現世のみを問題にする。とはっきり言明しているのに、なぜ、教団はいまだに前世の因縁だの前世の因縁切りだの言って、それを脅しの様に説教して来たのだろうか?金儲けの手段になっていたのは間違いないと思っているが、全信者の中から、また教会長たちから疑問や矛盾として問題視せず今に至っているのが不思議でなりません。二重教理、正反対の教理がある時ではまかり通り、ある時期では真柱が否定している。
天理教教会本部は過去から現在に至るまで、一体何が言いたいのか?真柱の言及を無かった事の様に今日を迎え、因縁を説き、貧に落ち切るその辛抱が来世の助かりに繋がるみたいな様な事を言い、エンドレスの陽気ぐらしを扇動し、それがまかり通っている。二代に言わせれば、「現世は現世の為にある」のである。
当時の教団のトップがその著書で明言しているにもかかわらず、筋道の立たない因縁を説き続け歪曲教理を放置し続けているのは、得心せよと言われても得心出来ない大きな矛盾です。
上記の匿名様が仰る通り、生きているうちこそが人生なんです!現世こそが人生です。有限の現世の時間を有意義に生きることこそが重要なんです。
本部のお偉い先生。分かるようにここに説明して貰えませんか。
匿名 様
2020年1月9日 3:38 PM
>>上記の匿名様が仰る通り、生きているうちこそが人生なんです!現世こそが人生です。有限の現世の時間を有意義に生きることこそが重要なんです。<<
全くその通りだと思います。「死後の世界」の思想は、人間が誰しも本能的に持っている「死に対する恐怖心」に由来するものです。仏教の「極楽と地獄」やキリスト教の「天国と地獄」の思想がその典型的な例だと思いますが、宗教の違いはともかく、そうした思想はどの宗教にも共通するものだと思います。人間は誰しも
死ぬのが怖いのです。そうした人間心理を利用し、因縁や出直しの思想をもっともらしく説き、教団の金儲けに利用しているのが今の天理教です。二重教理、正反対の教理が、ある時期では真柱が否定し、ある時期ではまかり通っているのは、その時々で天理教という教団が教理を正反対に歪曲してまで、金儲けしようとしている証拠に他なりません。要するに、教理などどうでもよいのであり、教団にカネさえ入れば良いという教団側の「我が身思案」に他なりません。教団側の勝手な都合で右へ左へと翻弄され続けてきたのが真面目な信者さん達ですが、そんなことがいつまでも通用するはずがありません。信者さん達も馬鹿ではありません。過去から現代に至る教団の矛盾に気づき、信者が激減しつつあるのが今の天理教の姿です。
毎度おなじみの睦輝さんがTwitterでアンケートをとっていますが皆さんはもう、投票されましたか?
内容は次のようなものです。
【#天理教 信者アンケート】
あなたは結婚する時に結納金を用意した、または結納金を頂きましたか?
※結納金無しで家電家具、着物、婚約指輪があった場合でも『結納金なし』を選んで下さい
〇教会や本部勤め、結納金あり
〇教会や本部勤め、結納金なし
〇一般信者、結納金あり
〇一般信者、結納金なし
アンケートの目的が判らないのですが、自分の例を披露しますと、
〇一般信者、結納金なしでした。
貧乏暮らしの比較をするためのアンケートでしょうか。
つまらない例かもしれませんが、東京在住の貧乏人の一例を書かせて頂きます。
我が家の親は、高校までは出してやるが結婚資金は自分で作るようにと中学生の頃から耳タコのように言いました。
高校時代も1年ほどの間、放課後はアルバイト。
就職した企業には高校の制服で出社。勿論、校章ははずしましたが。
ようやく初めての給与で衣服を購入。
父は一部上場企業勤務で人並みには収入があったはず。母が天理教信者。
高卒の少ない給与から毎月定額を家へ入れ、アフターファイブ(古い言葉!)には自費でいくつか勉強に励みましたので、もろもろの学費・教材費の負担は厳しかったものです。
その上、母は私を「金ズル」のように思ったのか、妹たちにケーキを土産に買ってこいとか(母もおいしそうに食べていました)
妹にスーツを用意してあげろと言うので小太りだったため、オーダーしてあげましたが、妹は何が気に入らないのかブスッとした顔で数回しか着ませんでした。
私自身の身を飾る余分な物は買う余裕など有りませんでした。
幸い、職場の人と付き合っては勉強する時間が無くなるので、変人レベルの立ち位置に徹し、遊行費の心配もなく過ごせました。
結婚した相手もつましくて指輪は私が一人で購入。7千円位だったと記憶しています。
新婚旅行なんて行かず、後日、東北の唐桑の国民宿舎に一泊しただけ。
年金暮らしの今、食べる事と光熱費、住居費は年金で賄えるものの、交際費や遊行費に費やす余裕は全くないのが実情。
総合口座から借りては次回の年金の入金で返済というように、やり繰りしながら生きています。
お供えをゼロにする勇気がないから、ゼロ=教会から消え去る方法しかないと思っています。千円札を包むたびに内心ではため息が。
その様な気持ちのお供えは神も喜ばないとか言う方もいますが、その言葉に傷つく私のような者もいる事を知ってほしいものです。
お供えに関して綺麗ごとを言ってほしくないのです。
賽銭箱に入れる小銭で済まないのが天理教でしょう。近所の神社なら十円玉一つですみます。
でもそれでは教会経営が成り立たない事も分かっています。
だから本部は各教会へ組織維持に関する費用を経費として渡すくらいの気持ちにならなければ今後、一層の高齢化と共に生活苦から信者は減少するしかないのです。
本部はすぐにでもできる改革として、宴会の飲食を廃止し、意味のない各大会を廃止すべきでしょう。
教内行事での酒飲み(男女ともに)が多い天理教という現状を変えましょう。
近所の神社の神主さんたちはどのように生活しているのでしょうか。
神主不在の場合は地域住民の力で清掃などをしているのでしょうか。
都会に住む自分には判りませんが、誰かの努力で支えられているのだろうと想像します。
お供えの不安・心配が無くなれば、純粋に信仰できると思いませんか。
そうですよ、大きな額をお供えしたい方も無記名で、お賽銭箱に投げ入れれば純粋性が担保できます。
これ、いいアイディアだと思うのですが・・・。
まぁ、本部がやるわけないよと、またまた、くさされそうですが。
上記匿名様
基本的に洗脳状態ですよね?
お供えやめて、自分が助かるなら、やめたら良いんです。
なんの為に、信仰してるのでしょうか?
ご自身に、何が積まれ、何が残っておられるのでしょうか?
貧乏は恥ずべきことではありませんが、それが宗教によるのであれば
恥ずべき事になるかも知れません。
天理教外の人間には、まったく理解不能な理屈かと、思います。
↑の匿名様
天理教にかかわってしまった庶民はやり繰りしながらお供え金に悩まされるのですよね。
私は昼食代、お下がり代として1000円一枚、のし袋にいれて帰ります。ただ食い、乞食は出来ないので。
本来神の望まないお供え金と言うものはする気が全く無いので上の会長さんには食費と思ってくれたらいいと思っています。
お供えなんて必要無いです。1000円以上する必要はないと思います。
ところで、 自分は苦しい財布事情の教会長で、信者さんにお供えの請求も強要もした事は有りません。神様は物やお金で御守護の駆け引きはしません、と常日頃から言っています。しかしながら、教会運営上の出費、出金の多い事。
本部は息絶え絶え状態の各教会へ最低限の運営費くらいは分配するべきだと思います。
本部からの最低限の運営費の分配?
もともと本部の資金は、各教会から、上納されたお供えですよね?
じゃあ、上納する時に、各教会の運営費は、そこから引いても良いはずですが?
違いましたっけ?
全部上納したら、どうやって生活するん? 愛町分教会の攻勢など、成り立たんやろ
もともと、お供えで生活費も足りない教会は、成り立っていないんやろ
意味不明、理解不能、教会を辞めるのが正解ちゃうの
本部からの運営費の分配とは
要は、生活費以上にお供えを集めてる教会の余剰分を
集められない教会にも下さいって言う意味ですよね?
それは、自分で集められない大教会が、下部教会要求するのと同じですよね
同じ、思考って事です、甘えではありませんか?
お供えで、生活費を得る事もできないなら、専業の教会長を辞めるのが正解でしょう?
仕事しながら、布教する、普通の布教者が良いんじゃ無いですか?
教外の人間には理解できない大甘の甘えです
私は天理教とは中山教そのものなのだと思っていますが、宗教法人法によれば教団は中山家の所有物ではないとのこと。ならば企業みたいに、代表者のリコールなんてことも有り得るということでしょうか。それが可能だとして、中山家の退場を望んでいる人々は、あくまで「天理教」という名の教団の存続と改革を望み、その中で「天理王命」という名の神を信仰することを望んでいるのでしょうか。
私は今でも朝夕の「おつとめ」を欠かすことはありませんが、第一節は家では完全にやめてしまいました。みかぐらうたは「なむ てんりんおう よしよし」と唱え、もう柏手も打ちません。教会では第一節は唱和せず口パクだけで、柏手も寸止めで打ってるフリ。まあ、ささやかな抵抗ですが。
教会の月次祭で、全てが神道の様式の中で「南無」と称えている。その珍妙さを通り越したインチキ臭さを誰も感じていないのが不思議でなりません。
中山家を排除できたとしても、130年かけて育まれた腐敗と因習は、大教会や上級のみならず、すでに一部の末端協会や信者にまで浸透してしまっていると思います。良い教会と悪い教会の線引きも非常に難しく、組織の改革や正常化などあまり現実的とは思えません。
私は信仰、いや信心というべきか、そうしたものは人間にとって、とても大切なものだと思っています。無神論さえも信仰の一つと言えるのかもしれません。しかし宗教組織というものの必要性には、すっかり疑問を抱いてしまいました。特に天理教なんて、形ある商品も無ければ、利益配当も無いマルチ商法みたいなもの。
「天理教」という名の宗教組織が存在するかぎり、教会家族、教会親族、それに重度の洗脳状態にある信者たちが、常識的な社会、正気の世界に戻れる可能性は極めて低いように思えます。一度、完全にリセットされて、そこから単立教会でも新宗教でも始めたほうが良いのではないでしょうか。
教祖のひながたの道50年をゆがめてしまったから、天理教と言うんでしょうね。自ら墓穴を掘ってしまったんです。
参考意見様の仰る通りです。それ以外に道はありません。虚実を取り混ぜている現行天理教が、「お道」なんて言えた柄でしょうか。
学生時代、一人の先生が言っていました。
「ジャーナリストという奴らは正義だ真実だと言ってるが、あいつらは戦争や犯罪や事故といった世の災いが無ければ、飯を食えない奴らなのだ」と。
天理教でよく耳にする「身上事情は道の花」とは、まさしくこれにピッタリで「身上事情は宗教屋の飯のタネ」と言い換えることもできると思います。かつて天理教の信者数が500万人とも言われた時期があったのも、天然痘と結核の爆発的な流行など多くの病苦を抱えた人々がいたおかげで、科学や医学が発達していない時代、特に貧しい人々は医療を受ける機会も無く、神に救いを求めるしか無かった。そうして逸話編で語られるような奇蹟があったことも、教祖の時代には少なくはない事実なのだと思います。
しかし、それが今現在の信者数は100万か60万か、あるいはそれ以下か? この状況から想像できるのは、今日までに助かった者よりも助からなかった者のほうが圧倒的に多かったということではないでしょうか。
助かった者は、自分の身に起きた奇蹟を人々に話し、それは口コミで拡がっていく。しかし助からなかった者は、死人に口なしとなり、それっきり人々に知られることも無かった。なかには全財産を投げ出した者もいたかもしれません。全てが教団にとって都合の良い時代だったのだと思います。
科学、医学の発達した現在、多くの身上が医療によって助かるようになりました。また福祉などの制度によって、誰もが最低限の医療は受ける機会を持っています。それ以上のことが必要になった時のためには各自の備え、すなわち金が必要です。宗教は、そのようなものを奪ったり阻害したりしてはならないと思います。
今でも、医学が万能というわけではありません。神様の力を借りなければならないこともあるでしょう。私の身上に起きた奇蹟だって、人間の医者では絶対に不可能なことだったと思います。
しかし、よく耳にする話ですが、病院の前に張り込んで、出て来た人を相手に「においがけ」をする。自分の足で歩いて通院できるレベルの病人を相手に「おさづけ」をして、良くなったら神様のおかげ、ダメだったら信心や努力が足りないなんて、そんなダメ元詐欺みたいな布教活動は、いいかげんにやめて欲しいと思います。
他人の不幸を飯のタネにしてはいけません。
世間から条件付許可で不適切な勧誘(洗脳)してると指摘を受けてます。教団は即改善してください。
自治体直営の山村留学センター所長が入寮児童と保護者にレリハラ/不適切宗教勧誘か
https://hbol.jp/209640
ハーバー・ビジネス・オンライン > 社会 > 自治体直営の山村留学センター所長が入寮児童と保護者にレリハラ/不適切宗教勧誘か
不適切な宗教勧誘が行われた疑いがある本郷山村留学センター
母親「所長、女子中学生の受け入れ、何とかなりませんか。いろいろ問い合わせしているのですが、なかなかうまくいきません」
所長「うちで預かってもいいんだけど、決めていることがあるからねぇ。天理高校に行く子だけ預かることにしてるから。じゃあ、○○子(娘の名)、天理高校に行ってくれる?僕は教会長なんだけど。天理高校は天理教の信者じゃないと受けられないんだよね。決まりがあるからね。今度、そういうの(別席)があるから、4人(所長夫妻、母娘)で行きましょう。おやさまという方がいるんだけどね、どういう教えでどうして大事なのか」
思いがけない提案に面食らった母親は思考停止状態になり固まってしまったという。脈があると思ったのか所長はその後、30分以上天理教についてブリーフィングを続けた。明確な返答ができないまま施設を後にした母親だったが、その後、友人にこの交換条件の提示について話したところ「それはおかしい」と指摘され、立場を利用した宗教勧誘であるレリジャスハラスメント/religious harassment(レリハラ)の被害に遭ったことに気付く。
「身上、事情は道の花」という天理教の有名な言葉があります。病気で苦しんでいる人、何かトラブルで困っている人の弱みにつけこみ、あるいは心の隙間に入り込んで信者を獲得してきたのが天理教ですが、そうした卑劣で姑息な手段は、これからは通用しません。
本当に人が人を助けることができるのだろうかと思う時があります。イエスも言ったように、「あなたの信仰があなたを救った」 というところが「真」なのであって、神ならぬ身で、人が「人助け」するなんて、実におこがましいではないか・・・
人を助けるという超能力を持った人も現れることがあるかもしれませんが、基本、「天は自らを助ける者を助ける」というのが本当なのではないか。
それはそれとして、特に困ってしまうのは、人助けといって、病人さんや不幸な人を探し求める人たちがいることです。そういう人達は往々にして病人さんを貶(おとし)めるところがあります。「あんたは、~~が悪い」、とヘーキで言います。
この時、お説教に夢中になっている彼は自分のことをタナにあげています。「あんた、よーゆーなぁー、それ前部あんたの事やないかぁ?」と、病人さんは思って、反発するでしょう。
どうか、天理教の善男善女(ぜんなんぜんにょ)よ、不幸な人を探し求めて、その人のアラ探しをしたりすることが無いようにしてほしい。人からとやかく言われなくても、大抵の人は自分で立ち上がれる能力を持っているんだから。
人の不幸をみつけると、ニンマリ笑うあの、悪魔のようなほほ笑みをみせることのないようにしてほしい。これ、人が不幸になることを望んでいる感じで、イヤァ~~な感じを相手に残してしまうよ。
「人助け」なんかしなくてもいいから、ただ、その人が幸せになることを祈ってくれさえすれば、それでいいんだが
↑ あぶたまん → ぶたまん
前部 → 全部 訂正いたします
不幸な人を探し求める天理教人を見ていると、古いコントの一場面を思い出してしまいます。
ボロボロな寺の住職が、訪れた人に一言。
「なかなか人が死なんでなあ・・・。」
人助けとか大嘘(笑)
参考にならない意見 様 2020年1月9日 10:36 PM
>本部からの運営費の分配とは
>要は、生活費以上にお供えを集めてる教会の余剰分を
>集められない教会にも下さいって言う意味ですよね?
>それは、自分で集められない大教会が、下部教会要求するのと同じですよね
>同じ、思考って事です、甘えではありませんか?
>お供えで、生活費を得る事もできないなら、専業の教会長を辞めるのが正解でしょう?
>仕事しながら、布教する、普通の布教者が良いんじゃ無いですか?
>教外の人間には理解できない大甘の甘えです
ご説、ごもっとも。
末端教会であれ大教会であれ本部であれ、「自分たちで自分たちの食い扶持分のお金を集められないなら専業などやめるべき」です。
つまりは、教会の上下関係など関係なく、どのような教義解釈や脅し賺し説教されようが、各教会・末端教会は年15000円の教会教費(これは被包括関係の法律上の義務、もっとも、滞納しても大した問題にはならないが)以外は「他所の教会や上級、大教会、本部にはお供えや御礼など出す必要はない」という『参考にならない意見様』の主張に賛成します。
久々に掲示板を読ませて頂きましたが、とても有意義なご意見を読むことができました。
有難うございました。
加藤ハルアキ 様
2020年1月10日 10:04 PM
>>ご説、ごもっとも。
末端教会であれ大教会であれ本部であれ、「自分たちで自分たちの食い扶持分のお金を集められないなら専業などやめるべき」です。<<
天理教では「道一条」が異常に美化され、教会長やその家族が世間で働くと「事情働き」をしていると言われ、あたかも何か悪いことでもしているかのように非難されます。教会本部は教会長やその家族を天理教に専従させることによって「お供え」の増収と安定的確保を目論んきたのです。こうした本部都合の誤った考え方は、教祖の「朝起き・正直・働き」という教えや「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」という教えと根本的に矛盾します。世間で一生懸命仕事をすることは自らの生活費を確保するだけに留まらず、社会に貢献すること、すなわち、「人たすけ」につながります。教会本部は自らの金儲けのために、本来の教理を正反対に歪曲し、誤った価値観を信者に植え付け、末端分教会を奴隷のように集金マシーンとして酷使してきたのです。
当たり前のことですが、
限られた人生の時間は
その人個人が
本来自由に使って良いもの
アホな理の親に支配され指図され、そいつらの贅沢のために
精神も時間も浪費するなんてバカバカしいこと
ささっと経済的に自立して、こんな糞カルト教団からはオサラバしましょう
尚、末端教会は被包括法人の廃止をおすすめ致します
みたま祭後の教話の常套句は、入信の元一日を忘れるな、今日結構に暮らさせて頂けるのは、祖霊殿にお鎮まり下さる〇〇〇柱の先輩諸先生方のご苦労のお陰あってこそ・・・。だったら、今のご苦労な信仰生活はさっさと辞めませんか。あえて天理教本部維持のための苦労なんてまっぴらです。
天理教は中山ねずみ講なだけだろ
何が「教え!」だよ
天理時報に真柱年頭挨拶時の写真が掲載されていた。見違えたかと思う程の別人に見えたのだが、身上に倒れた時は一切広報せず、回復した時だけ顔写真を見せて、だいぶん回復した、と聞かされても、遠方の一般信者は身上の事実を知らない方々も多いので、何か真柱にあったのか?と思うばかりでありましょう。
御都合主義で都合の悪い事は伏せる。こんな新聞を部数を増やせと言われても真実をありのままに記載しない新聞なんて読む意味があるのか。廃れて当然です。本部の顔色を見るのではなく読者の側に立って発信して欲しい。
匿名 様
2020年1月11日 12:23 PM
>>天理教は中山ねずみ講なだけだろ
何が「教え!」だよ<<
全くその通りだと思います。今の時代のように、天理教教祖が自らの口から発した言葉、先に述べたような「朝起き・正直・働き」や「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」は、テープレコーダーやVTRに残っているものではありません。教祖伝等の文献や口伝え等で残っているものであり、多分に歪曲されている部分もあり、真実では無い部分もあるはずです。しかし、今の信者さん達は確かに教祖が言われたというように刷り込まれてしまうのです。教祖が確かに教えられたかどうか、現代に生きる人々には誰も断言することはできないし証明することもできないでしょう。しかし、「朝起き・正直・働き」や「働くということはハタハタ(他者)を楽にすること」とは、宗教の範疇を超えて、人間として当たり前のことであり、わざわざ一新興宗教の「教え」として論ずる必要もありません。人間として当たり前のことをもっともらしく、教祖の言われたことのようにとりあげること自体が、うさんくさいのです。今の天理教団は「ねずみ講」以外の何ものでもないのです。
匿名 様
2020年1月11日 5:07 PM
>>御都合主義で都合の悪い事は伏せる。こんな新聞を部数を増やせと言われても真実をありのままに記載しない新聞なんて読む意味があるのか。廃れて当然です。本部の顔色を見るのではなく読者の側に立って発信して欲しい。<<
極論かもしれませんが、真柱の病状など信者にとってはどうでもよいことです。真柱も人間である以上、いつかは病気になり死を迎えます。「死」は人間やその他の生物と同様、この世に生きとし生けるもの万物平等にやってくる宿命です。天理時報という天理教教会本部ご都合主義の新聞を半強制的に定期購読させられる読者の皆さん達、そうしたインチキ新聞をわざわざ手配りしなければならない末端分教会にとっては、本当に迷惑なことです。
アンケートの件、取り上げて頂き恐縮です。
アンケートは2本立てで、もうひとつは
「結納したか否か、結納金の有無、扇一対交換のみだったか」
です。
私の知るところでは、教会へ嫁ぐ場合は「扇一対の結納」をする所が大半でした。
一般信者ですと今は結納自体をしない事が多い時代ですので、それも合わせて「天理教は扇だけの結納か、結納しないものだ」と思っていたのです。
ところが結納金を含め大教会以下でもきっちり結納する系統が関西に多いとか、教会に同居なら結納金を頂かないとタダで手に入れるお手伝いさんみたいで失礼だとか言う話を聞いたので、個人的興味でアンケートしてみました。
対した意味の無いアンケートですみません(^^;
諸教が教えておいて尚明かさなかったダメの一点とは、
天啓者が永続し、将来の人類をタスケル棟梁になる魂達が明かされる地場の理なのでしょう。
「いずれ棟梁四人いる、はやく伺いたててみよ」
啓示霊能者を追放してきた報いが、全天理教専従者達を襲っているのが現状でしょう。
このままでは、頭の中が、金一族擁する嘘八百のチュチェ思想になってしまうぞ。
みき様始め、道具衆とその周辺の魂が天啓者になり続け、たすけ一条をつとめ続けるところをお地場の理というのだろう。
道一条という美名に騙された、専従者一族達は気の毒だが、今からでも中山一族に天啓者を要求する事は理にかなった事だろう。
悩み事を本部の天啓者に伺って下さいと、中山家の人達にお願いすべきなのではないか??
宗教には、教義、教条の無い、形の見えない存在、神的存在に祈り、感謝して、自分を高い世界、人格に導いてもらう、自分をこの世で守護してもらう、神霊主義、祈り主義の宗教 (自分で祈り向上を目指すのであり、拝み祈祷とは違います)
個人的な信仰で高い人格を目指して、この世の社会的状況も、人として良い方向を目指して行くと言うのが、神霊主義宗教の理想のあり方だと考えられます。
教義、教条を定め、それを学びながら、日常生活の中で、行動で実践を積んで、自分の人格を高めて行く、行動として社会貢献をして行く、行動から徳を積むと言う生き方を目指す、こう言うのは、教条主義宗教だと言えるでしょう。
この場合の神様は、象徴的存在であり、人知を超えた偉大なる存在になります。
教条主義は、個人の人格を高めると言うより、個人の行動規範であり、社会参加においても、この行動規範で、動く事が多くなり、行動の自由を縛る部分もあります。
宗教同士の対立は、教条主義宗教の物ですね。異なる教条に対して寛容より排除の行動をするから、戦争になるし、神の名の下に殺しあったりできます。
天理教は、どちらの面も持っていますね、教条主義と神霊主義、現在は教条主義が主体であり、神は概念上の存在と化している様に見えます。
連投、失礼いたします。
教会子弟に生まれ、環境が固定されていると、身動き取れないので、それが一番の問題であって、教外の人や、一般家庭信者は、組織に距離を置けるので、どんどん離れて行く事ができます。 離れられないから、教団が変わって欲しいと言う怨嗟の想いが出て来てるのが、ここなのかな、と思います。
私の理解と印象では
布教者の道の路銀として、親神様が与えて下さったのが、お助けでしたよね。
布教者は、あざやかなお助けをして見せて、神の存在を証明してから、神の教え、生き方を説いて、信者を増やして、教会を構えて来たのが、歴史の始まりですよね。
先にお助けありきで、神の不思議を魅せてからの、神の存在を実感させて、陽気くらしの教えを浸透させて来たと思っていました。
関根豊松、初代様は、最初は関東に居たけど、知多から尾張と、場所を変えながら、布教活動をして、今の愛町分教会を作られたけど、それはあくまで信者とお布施を集めて作られたので、財産を投じた訳では、無い様ですね。
その根源は、この門を潜った人に助からない人は無いと言われた、初代様の凄いお助けの力、神の不思議だったと言う事らしいですね。
初代様は、先を見通し、愛町を分教会にとどめ、配下を布教所でとどめたりと、本部の干渉を最小限にとどめる方策をして、親神様、教祖様にもたれた。
神霊主義かな?と言う印象です、もちろん今の愛町でも、お助けが無くなれば、だんだん衰退するかと想像しますが、従兄弟の嫁一家が熱心な愛町信者だったので、聞いた話ですが、大きな鼓笛隊など、次世代の子供達を取り込む知恵も、持っておられる様ですね。
本部から運営費をくれって言う意見は、その、余剰力のある、ほかの系統が上納したお供えをこっちにも回して下さいって言う事なので、なんだか、悲しいですよね。
私が、一教会長なら、悔しいって感じるでしょうね。
神のお助けを表せられない、信者を得られない、もし自分がそう言う立場なら、情けなくて、悲しくなる。
専業で宗教やって行くなら、命懸けで、宗教者とは何かって、神の存在を求めたり、いろいろ、信者を惹きつけることを、模索するしか無いとも思います。
私自身は、専業宗教者では無く、一信仰者なので、友人知人が入院したり、頼まれたりした場合のみ、浄霊をしますが、少しは結果がでますし、無料であり勧誘もしないので、まったくストレスは感じません。
天理教も、働きながら一布教者として、生きる分には、楽しく、その方が、何も困らないんじゃないかな?って思います。
神なんて存在しない、教祖の教えこそ全てであると言うなら、そもそもお助けは、無いので、教条と教えを説くしか無く、キリスト教と同じですよね、毎週ミサでもやるしかない?
参考意見様へ、父親はこう思っています。
人間の体は、20歳位で成長のピークを迎えます、人間の脳味噌も、40代位でピークを迎えるらしいです、実際50代になり、記憶力も反射も衰えました。 もちろん体は20代とは比べものにならず、かなりくたびれています。
ところが、脳味噌には衰えが見えても、人格的には進化は止まらない感じがします。 経験の蓄積から、洞察力、推察力は20代はおろか、40代よりも深くなっています。
人格的にも、気力も衰えてはいません、肉体の念力では無く、想念力、祈る力は、加齢による衰えを感じません。
脳味噌は衰えているのに、より深く物事を捉える能力は、まだ成長しています。
極端な話、読心術に近い位、相対する人の心を読める様になり、優しく受け入れる力もついた、未来も、かなり正確に予想できるようになって来た。
しかし、おもしろい事に、これは個人差があるのです。
心を大事に、祈りや、自分を律して、信仰などで成長させようと言う生き方をした人と、死んだら終わりって、割り切って、人間的向上を軽視した人、周りを見ていても、その差は、50歳を境に、じょじょに広がって行くように見えます。
信仰をないがしろにするなかれ、体だけだと、死んだら無くなると、割り切る事無かれ、常に自分を見つめて、人として向上を目指した方が、ボケないと思います
人間が肉体なだけなら、借り物の脳と体の衰えとともに、人格も落ち、生物としての存在価値も落ちてしまうと言えますが、心と言う衰え無い存在があるからこそ、老いても、人間としての価値は落ちること無く、出直す事は、私個人は大霊界に霊体として生まれ出る事であり、祝うべき事だと思っております。
連投すみません、ありがとうございます。
永遠の魂たる我々人類の中でも、特に進化した道具衆の魂の方々が存在した事も、その魂が天啓者へと成人した事も、世界が旬刻限を通過して、永続する新しいニンゲンとしての天啓者達を中心にする文明が現れる事も、奇跡的な天恵に恵まれる時代にさしかかっている事も、大いに祝うべき事だろう。
必要なのは、本部の人事権を掌握する中山ご一統方による本部人事の百年間の違いを猛省する事だけだろ。
天理時報第4651号 2020年1月12日
中山善司・真柱様の「年頭あいさつ」が4 日夕づとめ後、本部会議所で行われ、
本部在 籍者、直属教会長、教区長、集会員、各会委員、施設長ら5人が参集した。
真柱は冒頭新年のあいさつを述べられ、昨年の一年間の一同の務めをねぎらわれたうえで、
「一年を振り返ってみるとからだもすこしずつ回復しているように思う」と話された。
続いて、「昨今の道の状況に鑑みて、
「私たちの基本、道を通り後に続く人をしっかり育てていくうえにおいて、
歩み方の中で基本となるところを、だいぶ忘れてしまっているのではないか。
「だんだんと流されてしまって、『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」
「前真柱様はよく、この場で、『去年よりも少しでも成人させてもらいたい』というようなことを、まずはお話くださっていたように思う。
それは大切なことなので、惰性というか、流れにまかせてしまわないように、
つとめていただきたい」と述べられた。
—————————————————————-
>「だんだんと流されてしまって、
『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」<
え?
は?!
いまさら?
それとも〇〇症も入ってきたのか?
小学校の学級委員長でももう少しましな挨拶ができるよ….笑
成人の定義も基準も曖昧で、ポエマー進次郎よりひどい…..笑
おまけに権威付けに父ちゃん(三代)頼み….
これが教団トップの年頭挨拶?
一日巡教するだけで100万以上?も平気で貰っちゃう精神状態のお方だから無理ないか orz
>『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに<
が、
『まだ搾り取れるやろ』と思っているうちに としか聞こえない。
もう本部ごと西之島にでも 「流されて」 くださいな。
結局この挨拶で真柱から出てきた言葉は、
「世界の苦しむ人達のことを慮る言葉、そしておたすけしようとする決意」ではなく
自分の身上のこと、教団の窮状のこと、
ひいてはわが身可愛いばかりの事。
これでは神が退くわけだ。
ダメだこりゃ…… (いかりや長介風に)
お地場の救け力を強化しないで、二の次三の次の伽藍づくりに勤しんできた本部の人達。
二代真柱を含めた道具衆と云われた人達さえ、人間力で間違ってしまった負の教訓を生かして、天啓者達を発掘して、お地場の屋敷のオタスケ力を強化するという基本に立ち返るしか道は無い。
昨年久しぶりにおさづけの拝戴の時の扉が開いているのを見た時、感動しました。
それから幾度か扉が開いているのを拝見させて頂き、また強い御神気を感じさせていただいた後真柱様が歩かれているということをお聞きし、おさづけの拝戴者らしき方々の数が少しづつ増えていくのを回廊から拝見させていただき、度々感動させていただきました。真柱様の御言葉を頂戴出来てとてもありがたく思います。
御神気のような気配があり、回廊でその御神気を感じさせていただくことが度々ありました。もしかして真柱様が歩かれているのかもしれないと思いながら、御神気の圧を感じました。
御言葉を頂戴出来てとても嬉しいです。
私のおさづけを喜んで頂ける方々がおられます。手のぬくもりを感じていただいています。
私は真柱様におさづけを拝戴しました。数十年かかっての拝戴でした。
この手のぬくもりをこれからも多くの方々に受け取って頂きたいと思っております。
『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、
気がついたら今のようになってしまったというような気もする」<<
まだ大丈夫は上層部の本音。まだ金を取れる状況が許されるだろうと思っていたと言う事。
一般信者が読む新聞に「内輪話」を記載して信者を馬鹿にしているのかと思った。
何も知らない一般信者は「え?天理教は大丈夫じゃないんだ」、と気づいてしまう。
(まあ、船が沈んでいる事を広報するのも時報の役目だからいいか、、)
こんな内輪話を聞かされたら皆不安になるし、トップ層一丸となって目を覚ましてこの難破船の舵取りに本気で取り組めばいい事。
本部はじめ上層部の気の緩みを広報誌で暴露する行為は馬鹿。
信者の存在が眼中にないのも読み取れる。真柱身上ご守護さえ頂けない天理教。
もう何おか言わんや。
今年最初の月次祭での上級の教会長の神殿講話で、部内教会の一つが名称を返却するという話がありました。信者3人でスタートしたという、典型的な倍加教会だということです。その話の中で上級の教会長は言いました。
「百年祭の年、お供えは330億円あった。(みちのとも発表の254億円は下降修正されたのか?)それが今では130億円にまで落ち込んでしまった。昔の信者たちは、かしものかりものの理を大事にしていたのに、今の信者たちは結構な身体を使わせて頂きながらレンタル料を払おうとしない。」
そう、ハッキリと「レンタル料」と言いました。こんな田舎の最末端の分教会で「善亮教」の手先に遭遇するとは。この教会長は百年祭の頃、自殺した教会長や銀行強盗をやらかした教会長がいたこと、そして当時の借金を今だに返済し続けている人々がいることを知らないのでしょうか。さらに彼は、
「こんなに立派な神殿やら、何から何まで用意してもらっているのだから、信者はより一層の努力をせねばならない」とも。
用意してもらった?その金を出したのは信者たちではないか。教団には信者たちを食い尽くしたという自覚が無いようです。まるで後先考えず全てを食い尽くす、イナゴの襲来のような災害なのでしょうか。
教会親族でなければ、途中で退席するところでした。新年早々、気分が悪い・・・。orz
上に行くほど狂っている組織なのか?
レンタル料よこせ、、、 魂のやくざ者、、、 根っから腐ってる。
今の信者たちは結構な身体を使わせて頂きながらレンタル料を払おうとしない。
そう、ハッキリと「レンタル料」と言いました。
え? 何? 天理教が貸してるの?
じゃあ、信者辞めたら、返さないといけないのか?
もはや、視野狭窄の極みだね
人間でも世話になった人には盆暮れのお礼をするだろ?と親神の「無償の貸与」を人間レベルのお付き合いに例を出し説教する愚行。
人間レベルの慣行を畏れ多くも親神に当てはめる大間違い。
絶対的な親神は対価を求めません。
心だけが我が物と言われ、心の使い方崇高な人間愛を求めているので有り、現金、現ナマを求めているはずがない。
感謝の最後は現金だ、金を持って来いと御筆先、みかぐらうたの歌詞中に書いて有りますか。欲を忘れて、とか欲があるならやめてくれ、、とかは、私利私欲を忘れて利他に心を尽くせと理解している。これなら教えとしての体を為すが、欲を忘れて神に現金を出せと言うのだから天理教は完全な偽宗教です。
100年の計がどうしようもない衰退と言う形で今はっきりと出ているのに金、金、金と殊更に強調するのは断末魔の叫びのようで哀れであり、レンタルしているはずの身上さえすっきりご守護の貰えない真柱の痩せてやつれた正月明けの写真を見せられても憐憫の情を誘われるだけで自分としては納得感がない。
だから天理教は偽宗教だと世間から言われ、白い目で見られ、街中で天理教の犠牲者が哀れにも踊っているのを遠巻きに避けて見られているのです。
弱肉強食の世界
盛者必衰で諸行無常で栄枯盛衰で…
天理教という宗教団体もこの摂理から逃れられない。
何故なら人間が作りあげた組織だから。
親神が教団を作った訳ではない。
人間が教団を作ったのだ。
天然自然、命のことわりを司る神だが、教団は神の所業ではなく、人間の欲や思惑の元に作られたものである。だから、いずれは衰退し、消えていく運命にある。
人間(生命)は命次の代に繋いでいく。
組織はいつまでも続かないものである。
皆様、どうか、今生きている間に、どこに身を置くことができるか、次代に何を残していくか、死ぬまでに何を成すか、視野を広げ、俯瞰的に、全体的に物事をよく見据え、考えて欲しいです。
『何』のために、『誰』のために生きていくのか…
神に生かされている、もたれているとお考えの方も、神が全てを動かし決めているのではないと、心は自由だと、よくよく考えて欲しいです。
全ての存在は全知全能の親なる神のかしもの、全ての現象は人の心どおりの神の守護。
感謝と謙虚さを養い、お地場に現れるはずの天啓者に心と現象の関係と誠の心とは何かを、永遠に身をもって教えて頂ける道が現れる筈だったのだが、、、。
かしものの理をユスリタカリに利用した朝鮮宗教、スピリチュアルマフィアへと落ちてゆくのか。
教祖時代とは逆に、上にゆくほど曲がっていたら大崩壊大掃除大解体からしか再生の道はないだろ。
心の道と賜る現象の関係。過去生前世まで遡って見える人間の存在は我々凡夫にとってみれば奇跡的なことではあるが、教祖本席時代にはそれが存在し、病まず死なず弱らずのひな形も現れようとしていたのだろう。
宗教屋たちも必要だが、中心に神人達が不在なら、純情な専従者は苦労存になってしまうだろう。
本部宇中山家には、お地場に天啓者の擁立を要望します。
教団にとって、公認の天啓があると、人間思案の教団幹部の方達にとって、不都合極まりありません。天啓の「おさしづ」には公認ですから逆らえなくなります。要するに教団運営にとって絶対的なものです。過去に本席飯降伊蔵さん、教祖が指名した上田ナライトさん、異端とされた井出クニ(国子)さんなど過去の扱いを知れば一目瞭然でしょう。今の教団が天啓者を公認することはないでしょう。出ればすべて異端扱いでしょうね。まがいものな天啓者と真実の天啓者を見分け出来ないでしょうから。天啓があれば、
祝賀パレードや学校閉鎖、現在の教団に対してどんな「おさしづ」があってでしょうかね。
三日講習の授業で聞いた、ある会長さんのお話です。
彼の教会に、たいへん信仰熱心な一人の女性がいました。彼女には女手一つで育て上げた20代前半の息子がいました。
その息子が交通事故の被害にあい、もう絶望的と言われた時、会長さんはICUの外から必死で、おさづけと願いづとめをしたそうです。たとえ助からなくとも、最後に一言でもいいから母親と会話をさせてあげてもらいたいと。
しかし、その甲斐も無く、意識の戻らぬまま息子さんは亡くなってしまい、その時の会長さんは、神様を責めずにはいられなかったと言います。
しばらくして、息子を亡くした母親から電話があり、おぢばに連れて行きたい人がいるので、会ってもらいたいとのこと。
その相手というのは事故の加害者の20代前半の女性と、その両親。いずれも未信者の3人だということを知った時、はじめて会長さんは、神様の深い思惑というものを理解することができたのだと言います。
会長さんのセンセーショナルな話っぷりが上手いこともあって、周囲の人たちは涙ながらに感動して聞いている様子でしたが、私はむしろ恐怖のようなものを感じてしまいました。
この加害者の女性には、もう自由な人生など有り得ないのではないか?命の負債とは、そういうものなのかもしれません。しかし、おぢばに行ったが最後、次は別席だ、次は修養科だと、要求はエスカレートしていきそうで怖い。こんなことなら交通刑務所にでも入ってキッチリ償ったほうがマシだった。そんなふうに思う日も来るかもしれません。
この会長さんは、すでに信者を3人獲得したつもりになっているみたいですが、-1で+3なんて、神様はそのような算数的な思惑で物事を決めているわけではないと思います。
穿った見方と言われるかもしれませんが、息子の死を布教に利用する母親というのも、なんだか怖さを感じます。
いずれにせよ、自分に対し絶対的な負い目を持つ相手に対し、宗教勧誘を行うのは、究極のレリハラであり反則技と思ってしまう私は、どこか変わっているのでしょうか。
天理教信者の身上レンタル料へのご意見·
だーかーらー!
借りた覚えないし、契約もしてないけど、レンタル料なら神様に直接払うから、支払い方法
おーしーえーてー!
先日の天理時報で、真柱の写真を拝見し年を取ったと言うより、困窮困惑衰弱しているように思いました。もう、頑張らないんで良いんじゃ無いですか?一度宗教法人法に則って、末端まで個人法人とし、神様、おやさまの真実の教えを、嘘偽り無く、資料修正部を完全オープンにして、対外に示していけば、なんとか復元への道はあるのではないでしょうか?このままでは、今現状元気なおぢばに蔓延る一族の思いのまま進んで自滅しそうな気がする。なにかチュチェ思想とかぶってしまう教団権力組織には、そろそろメスが入ることを望む。
参考意見 様
2020年1月13日 3:53 PM
>>いずれにせよ、自分に対し絶対的な負い目を持つ相手に対し、宗教勧誘を行うのは、究極のレリハラであり反則技と思ってしまう私は、どこか変わっているのでしょうか。<<
自虐心で苦しむ人に対して宗教勧誘をするのは、究極のレリハラだと思います。本人は十分に自覚し反省しているのですからそれで良いのではないでしょうか。失敗や過ちを起こさない人間はいないと思います。
先日紹介した、ある会長さんのお話について、まだ心に引っ掛かるところがあったので追記します。
交通事故で息子を失った母親が、加害者の女性とその両親、合わせて3人を、おぢばに連れて帰ったという。過失とはいえ、息子の命を奪った相手を赦し、お道へ導いた崇高な行為として、会長さんは話しているわけですが、どうしても私は素直に受け取ることができません。
まず第一に、亡くなった息子さん自身は天理教を信仰していたのか。そして親子の関係は円満なものであったのか。
こんなことを考えてしまうのは、このサイト内で、いわゆるバリ天の親に育てられた人々の悲痛な書き込みを、数多く目にしていたからです。
それにもう一つ、加害者の女性の家にも、普通に宗門というものがあったのではないのか。少なくとも冠婚葬祭の様式を決めるためのものはあったはず。しかし、命の負債ある者ともなれば、被害者の要望を拒否していくことは難しいのではないか。
このようなことを考え始めると、この会長さんのお話を、単なる美談で片付けることができないのです。交通事故の保障や賠償は宗教とは切り離して考えるべき問題だと思います。そうでなければ極端な話、「当たり屋布教」なんてものも重度のバリ天なら考えかねないような気がします。
10年程前の事です。膝の治療で整骨院へ行った帰りです。どうした訳か通ったことのない道に入ってしまい、坂を上ってきた車と私の自転車が接触してしまいました。ジャンプして正座で着地、Gパンをめくって見ると、治療中の左膝が擦り傷、慌てて降りて来た若夫婦が「病院に行って下さい」と言っているけど、頭の中は、娘夫婦と重なり、「大丈夫、大丈夫、普通に歩けるよ」と、自転車に乗ろうとしたらグチャグチヤに折れ曲がってる状態。仕方ないので自転車共々車に乗せてもらい教会へ。会長が居たので事情を話し、若夫婦が「念の為病院へ」と頼むのを断り、自転車の弁償をと言うのにも、「子どものお下がりでガタがきていたから寿命」と、車についたキズの方が気になり謝って無理矢理帰ってもらいました。翌日留守の時に果物を持参して来られ 居合わせた娘が受け取りましたが、お互いの名前も知らずに終了です。何回も通った道を間違えた不思議、治療中よりも調子が良くなった膝も不思議です。不思議は神の働き?気づきを与えて貰ったんだとスッパリと自転車はやめました。講社勤めに来て貰えなくなるからと信者さんが買って届けてくれたけれど会長が乗っています。暴走気味のおばちゃんがいつか加害者になるか自分が大怪我するかの瀬戸際だったのかも。片道40分を早足で歩くのでお陰様で今はすこぶる健脚です。60歳のあの時より健康になりました。このサイトのお陰で、匂いがけはしない、子ども達の配偶者に義理で別席を運ばせない、上からの目標の数に関係することには気を揉まない、敢えて数にならないお助けをする様にと考えを変えて実行してからは本当にストレス無く、罪悪感なく生きているからもあるんでしょうかね。
上からの目標の数に関係することには気を揉まない、敢えて数にならないお助けをする様にと考えを変えて実行してからは本当にストレス無く、罪悪感なく生きている<<
月次祭が近ずく度に気分が重くなり、終わって2、3日間は疲れが出て集中力が切れ財布を落とすは、物を置き忘れるわ、、、。虫歯でも無いのにしばらく歯が痛くて。
月次祭に手を揃えろ、家族を呼べ、と気が重くなる事ばかり。家族は兄弟姉妹子供達も皆天理教の事は信用していなくて距離を取っています。今更お呼びがかかっても迷惑がられるだけと言うのは良く分かっているので、本当に数字合わせの天理教は悩みの種の厄介物です。
上からの目標の数に関係する事には気を揉まない、敢えて数字にならないお助けを実行するよう心掛ける、は私も日頃から感じている事で、同じ苦悩の方が居られる事に大いに安心し、力を貰いました。
月次祭を迎えるのが憂鬱で大嫌いな教会長とその家族は意外と多いと聞きました。心と裏腹な事をして何してるんだろうと自己嫌悪に陥ったりします。
本音は早く逃げ出したい、、。
>>月次祭が近ずく度に気分が重くなり、…………
>>月次祭を迎えるのが憂鬱で大嫌いな教会長とその家族は意外と多いと聞きました。
>>本音は早く逃げ出したい、、。
教会運営がいかに負担になっているかということですよね。
古い元教会長さんのTwitterでの以下のアンケーと結果がその本音を如実に物語っています。
古い元教会長 @huruikyoukaityo さんのアンケート結果より
>教会家族の方に教会と信仰と生活について質問します。
教会を離れて、一信者として信仰したい。 42%
教会とも信仰とも離れて生活したい。 27%
教会の中で信仰者として生きて行くのが最高の生き方 21%
教会で生活するけれど、信仰はしないつもり。 10% <
教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!
教会で生活するけど信仰はしないつもりの10%を含めると、おおよそ8割に昇る天理教教会家族が現状を素直に受け入れられないのですね。
私は他所で教会関係者の7割が月次祭前の数日間を憂鬱に感じていると言うアンケートの結果を聞きました。苦痛の度合いは様々でしょうが、おおよそ7〜8割は苦に感じているのが本音と言う所でしょう。
苦しくても有り難いと自分で無理矢理に思い込ませ表向きには綺麗事を言い、本音が言えないのが天理教世界です。喜び勇んでいる教会が何%いるのでしょうか。
アンケート結果は本音の表れだと思います。
>教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!
離れたければ思い切って離れればいいのに。それでも未練があるのかしら?
教祖「無理な願いはしてくれな」
はい無理でしたね。
所詮人間思案
神のことわりには敵わない。
組織などその程度
神の懐で騒いでもしゃーない
nuno さんと 天理新喜劇 さんの最近のツイートだが、
貧乏末端教会毒親育ちとして同感することばかり。
うちの親もこんな感じだったなぁ。
外面は良くて、陽気ぐらしだの世界助けだの大きいことは言うくせに、
家ではいつもイライラ夫婦喧嘩(貧乏ゆえの金銭がらみの喧嘩が多かった)、
これでは教会子弟は教会から離れたくなるよ。
nuno @toarukyoukaino
子どもの頃の記憶で、1番悲しかった思い出は、日々父母に殴られたり、真冬に裸で外に立たされたり、何時間も正座点せられたり、「役立たず」と罵倒されたりした事より、たった一つの心の拠り所だったタオルケットを「ボロボロだから」と言う理由で、「捨てないで」と泣いて懇願しても捨てられた事。
子どもの頃は、そんな感じでしたね
私が社会人になった頃には金銭の搾取と、カード会社や消費者金融での借金を無理強いされたりしました
そんな人たちが教会長、教会奥で、外側では良い顔してたんですから、人間不信にもなりますよね笑
天理新喜劇 @tenri_hanako
なんか分かる。天理教 の教会子弟は両親(会長夫妻)から暴力受けるケースは多いと思う。
両親がしたくもない貧乏して表面上は「ひながた」だの「おつくし」だの「徳積み」だの言いつつ本心じゃなくて無理してるからフラストレーションが溜まり暴力として子供(家族)に発散する。ただの甲斐性なし。
さっと出られるなら皆出ているでしょう。
出たいけど出られない。現実的には出られない事情がいっぱいです。
この組織は歪んでます。心を腐らせ、中味を腐らせて行くのです。
本音を言わせない体制に甘んじている本部は、中味が腐りつつあるのを知らない。
人は嫌なら出ればと言う。
しかし組織の中のほどけない紐の様な歯車。思い描いたように簡単に飛び出してはいかないのが現実です。
ヤフー知恵袋にて、教祖になって儲けたいと言う質問のベストアンサーがこれ。
1・ご利益は実現できる範囲の事。
手からなんか出てアトピーを治すとか、本部の井戸水飲んで癌が治るとか言わない。薬事法に触れます。
2・奇跡はやめとく
胡座のまま空中浮遊とか、ガリラヤの湖を歩いて渡ったとか公言すると大槻教授やキッチュさんにボコボコにされます。韮沢さんしか擁護してもらえません。もう21世紀なので昔ほど簡単に民衆は騙せません。
3・年収の15%以上搾取しない。
某教祖の指針では信者の年収20%以上の搾取は組織の寿命を縮めるそうです。信者が長く活動できる事が肝要。
※5%は優しさ。宗教に必要なのは[愛情]と[脅し]
4・「地獄」や「霊障」を武器にして壷やハンコを買わせない。
何の価値もない壷に[幸せになる]等のアホみたいな付加価値をつけて高額で売ってはいけません。
高齢者にン十年ローンとか言語道断です。
5・聖地の制定
人がまずやって来ないような険しい自然で「悟り」「おつげ」があった事にしましょう。
ある程度、財源が確保できればそこに本部を設置して[教祖様・開眼の地]とか立て看板置いて全国から定期ツアーをさせましょう。いわゆる[聖地巡礼]です。歴史ある宗教でもやってます。
6・選挙にでない
おかしな事になります。対立政党を盗聴したりと(略
7・多角経営
ラブホテルや飲食店、不動産を運営しましょう。
全国に支部を置くような大宗教でもやってます。
8・機関誌を発行する
全国の信者に教祖の思想を並列化・維持したいなら重要です。
毎日書く事がないなら、海外から表彰されましょう。金で買えます。
後は、まぁ「勝利!勝利!」言っとけば「あぁ勝ったのか」と信者も納得します。
9・歴史ある宗教には敬意を払う
1000年以上前から民衆から守り賃とってるキリスト教や仏教から見れば、新興宗教はショバ荒らしにしか見えません。シマの拡大にはしっかり「スジ」を通すように気をつけましょう。仁義を通さないと[十字軍]やら[一向宗]やらが武装してカチ込んできます。
10・勧誘には大学のサークルという体裁をとる
「自分がなんのために生きているのかを教えてくれるセミナー」や「人生にプラスになるセミナー」等の曖昧かつ意味不明のサークル名で宗教団体の名称をボカして社会を知らない若者を取り込みましょう。
11・コミューンはやめる
あれな、内にも外にも波風たつから結構大変なんだわ。
12・なんでもいいから「神」は置く事
教祖=神とか言い出したらもう見てらんない。
ブッダ、キリストの生まれ変わりとか禁止。
過去の大物実業家のネームバリューを利用するのは詐欺です。
以上のルールの範囲内で上手くやれば、5年くらいでサラリーマンの年収超えるんじゃないでしょうか?
さて、いくつ当てはまるでしょうか?
伊勢神宮に団体参拝して来ました。
伊勢神宮の内宮の本社と下宮の本社には、本来賽銭箱は無いらしいです、それは、参拝は、生きてる事に感謝と世界平和を祈願する場所だからだそうで、個人的なお願いは、荒祭宮など別宮にするんだとか、そちらには、ちゃんと常設のお賽銭箱があります。
そうは聞いたけど、本社だってちゃんとお金を入れられる場所はあるから、来るものは拒まないんでしょうけどね。
神道的にも、世界平和を大きな神に願うなら、お供えは要らないのが筋ですね。
個人的なお願いには、お賽銭を出して、別宮、小さな神様に祈願しなさいって事ですが、土の神様には、豊作を、風の神様には、天災からの守護を・・
芸事と恋愛は、佐瑠女神社へ・・などなど・・
必要以上に、たくさんのお金を召し上げる神様って言うのは・・・存在しません、神様じゃありません (笑)
陽気暮らしの世の中って、世界平和を願うレベルだから、親神様には、本来、お供えは、要らないと思いますけどもね。
いまさらですが、本来、大きな存在とは、そう言う物でしょう。
匿名+
2020年1月14日 7:00 PM
>>離れたければ思い切って離れればいいのに。それでも未練があるのかしら?<<
離れたくとも、教会を住居にしている教会家族は居住するところが無くなりホームレスになってしまいます。借家を借りるにも教会専従の家族は、生活費が0となる為、家賃が払えません。天理教から離れて仕事が見つかれば良いのですが、見つからなければ生活保護に頼らなければなりません。天理教に未練があるのではなく、離れられない諸事情があるのです。
天理時報1月12日号より 『まだ大丈夫やろ』と思っているうちに、気がついたら今のようになってしまったような気もする。言い換えると→『まだ人を騙して金も集まってくるから何とかなるのだろう』と思っていたが、案外人は見かけによらず賢くなって我々の悪事を見抜いてしまった。我々の今後の贅沢な暮らしを続けるには何とかせねばならない。
さあさあ、皆の者、知恵を絞り組織運営のために金を、労働力を確保するのだ。
昔と違い、学力、治安、栄養状態、衛生環境、物資、人間の移動手段、情報の流通等々、あらゆる面で生活レベルは向上し、宗教にかかわらなくとも生きていける世の中になってきている。
しかし、我々は信者が支えてこそ成り立つ存在である。
従って、時代や環境を言い訳にせず、創意工夫をして食べていかねばならない。
諦めず、これからも信者に支えてもらう組織を維持、繁栄させることに勇んで欲しい。
開き直りましょう、そうすれば楽です。
上からの圧力があっても馬耳東風、聞き流す。自分が強くなるしかないです。
「そんなの無理ですわ、うちはこれで精一杯」何と言われようと、まともに受けなければいいんです。
月次祭に多額の祭典費と時間と労力を費やしているんだから、同じ勤めるなら、明るく楽しくやらないと損ですよ。
うちは、仕事、学校優先で休ませてまでお勤めに出しませんでした。休みの日は子ども、孫達が集まり賑やかです。一番人気の太鼓は取り合いで、間違いまくるわ、途中でトイレに行くわで、少年会お勤め練習の様です。上級の会長も仕方なさそうに笑っています。この教会を任されて20年余り、厳しかった前々会長の時に、孫を連れて来た信者さんが叱られたとか。お勤めは厳粛なもの、子どもが居ると気が散る。それ以来、小さい子だけでなく嫁さんも行きにくいしで、爺さん婆さんだけの集まりとなったとか。会長さんの子や孫も全員用木にしていて、ほん近くに住んでいるのに教会に来ない。相当なお供えをしていた末端教会ですが、私達になってから、年々信者さんは亡くなっていくわ、お供えは10分の1になるわです。でもこればかりは自然の摂理ですしね。若い信者さんが出来ても、自分の生活で精一杯ですし。かつての教会は、お金に余裕のある方が多くて競争していた感じで、100年祭当時、世話した信者さんが身銭を切って用木を大量生産したのかも?60人以上の用木名簿を見てたまげましたよ。手紙を出したら所在不明で返ってくるし、同じ町内の人も「えっ、私天理教違いますよ!〇〇さんに天理に連れて行ってもらっただけやし。」との事。いくら大阪で近いとはいえ、10回もの交通費に昼食代、幣帛料、若くもない信者さんの体力を思うと、何故?ですね。信仰を伝えるのではなく数、数、数、つまりええカッコしたい欲でしょうか。教会の息子さん達が後を継がなかったので何も知らない私達が来たのですが、近所の親戚の人から、「赤の他人のあんたらに、あの広い土地と建物を盗られたんや、ここらの人みんなそう思てるわ!」と、罵られ、先の見えない喜べない教会生活が始まったのです。
匂いがけなんてほど遠い、太鼓で迷惑かけない、町内のひのきしんに励み、いつも愛想良く爽やかに、、、
20年経てば周りも若い世代に代わり、住みやすくなってきました。でも、匂いがけも、大教会からの、活動方針の全教会陽気ぐらし講座開催もしていません。今年もやりません。息子達は協力はするが後は継がない、親もそれを望んでいない。未信者の婿さん達はお勤め中は自由に時間潰しをして、終わったら片付けを手伝ってくれ、賑やかに直会をしています。
高齢の信者さん方が亡くなり、私達夫婦もいつ何時かわかりません。会長は家族葬、私は献体登録しているので、それなりの費用を残しておけばいいです。医療にお金をかけなくていい様に気をつけるだけ。
毎日お餅を頂いていますが、カビが出て来ました。包丁でえぐり取って食べています。餅カビは癌の原因になるからと捨てる人がいるそうですが勿体ない。カビよりも癌になり易いのは精神的過度のストレスだと思います。笑う門には福来るです。これは確かです。開き直りで上に忖度しなくなってから良いことばかり起こっています。それもこれもこの場に参加させて貰ったお陰です。感謝!!
教校学園時代に、放課後参拝の帰り本通を歩いていたら、教服をきたおじさんが乗った原付に跳ねられたことがあったなー
私は道に勢いよく倒れた。原付に、しかも結構スピードが出ていたから当然と言えば当然だが。
おじさんは大丈夫?とか怪我はないか?とかいうのかなと思ったら、「どこ見とんねん!邪魔じゃ!」といわれた。
当時は驚いてパニックになり「すいません!」って謝ったけど、これ普通に考えたら警察沙汰ですよね?
時は経ち、まあそんなことも笑い話になり、今じゃ本部勤務青年ですけど、この前講話を聞く機会があって行ってみたら、あの時のおじさんが講話してた。
世界平和だの、人を助ける用木を目指しましょうだの、他人に優しく、気を使える人になりましょうだの、
能書きばっかたれてたけど、私はお前がしたことを忘れないからな。
輸送部長の山本利彦
お前のことやぞ
本通りってたしか自転車でさえ降りて押して歩くのが法的に正しくて、
バイクは通行禁止だったはずですよね。
道交法違反の上、恫喝して逃走、まさにひき逃げです。
しかも 『輸送』 部長っていうのがなんとも……. 笑
こんなやつが神殿講話(2016年5月26日)してるんですね。
世も末です。
笑い話では済まされませんよ。よくぞ実名を晒して下さいました。
本部勤務を辞める良い機会を与えてもらったんですよ。
どういう風に動けば良いんでしょう、どなたか良きアドバイスをお願いします。
無名様の教会と当教会の衰退加減(失礼な言い方お許し下さい)が同じなので我が教会を見てきたのかと思ってしまいました。信者は出直して減る一方、お供えは10分の1、家族は信仰する熱意が無い。(これは仕方ない。天理教はおかしな事ばかりで信仰する魅力も意味も無いと考えている。)何枚もにわたる用木名簿見たら町内の近隣住所でもう亡くなっているはずの見たことも会った事も無い人がいっぱい記載されている。遠方の方の名簿も多数あるが会ったことも無い。今頃、のこのこにおいがけに行ったとしても「あんた、誰?天理教?何それ?知らん。」と相手にされないのは目に見えています。
現在は4、5人の信者のみです。80万人とか言われているが実際は30万人くらいの信者と思う。きちんと名簿の手入れをしたら実働信者は20万人くらいではないか。
とにかく、上へのいいカッコの為の努力はしない。どうでも良い事に気を揉まず、出来ないことは出来ないと言い、ストレスを溜めない事が陽気ぐらしには大事。医学的にもストレスが病気を誘うと言う事ははっきりしている事ですから。
無名様教会の様な陽気で気楽な生き方は大いに力になりました。
介助なしに生活できなくなられた方の家に胸をはって怪しくなくいけるのは天理教ならではで、天理教ですで通ります。
それは先人の御苦労の上にあります。
公的なサービスでは突発的な事態にどうしても対応出来ないこともあります。
おさづけに伺いながら、食糧を運ぶことが出来ます。
ポータブルトイレの中身をトイレに捨てることだって出来ます。
洗濯も出来ます。
私がたまに行くその方は自らの信仰の他に、天理にもお供えをされていたとか。親戚の方が布教所をされていたとか。
時を超えて、人を変えて、その方は天理の恩恵を不思議と受けています。
皆様の大教会の後継者と言われる方はどんな方ですか?
うちの大教会の後継者さんは若いのにみなさんに人気で、先が楽しみですよー。
うちの大教会後継者はお勤めに出ない、ひのきしんしない。青年さんは使い勝手のいい働き手としてお抱え。お坊ちゃんはどこで何をしているのだろう?これでは将来の人望も尊敬も受けないでしょう。母親もお勤めしたりしなかったりで、いかにも自己中な口八丁だけの実働しない誠に人間的な方ですよ。
神の守護、御加護があったと感じる
神の守護、御加護だとしか言えない出来事がおきた
神にもたれたら、なんとかなった
これは、実際、天理教に限った事ではありません
いろんな宗教で、持ち出されるお話です
私の子供の頃、霊友会でも、先祖の守護、
御仏の加護があった! そんなお話を、良く聞きました
今だって、私自身、御守護神の守護とエネルギー
自身の魂親様の導きを感じて生きてる人間です。
大霊界世界観からしたら、様々な神々や魔神や
地獄に落ちたり、迷える霊体、エネルギー体が
あなたの放つ想い、想念、心のエネルギーに
関与してきていますから、事情、身上に現れます
だから、天理教も、霊友会でも、キリスト教でも
神や御仏の守護、先祖霊の、背後霊の、守護霊の
高き神の守護と言うのは、あると思いますよ。
天理教組織を離れても、親神様、教祖様の
加護に守護にお助けは、人間社会の都合に関係無く
あると言う方が、普遍的だと思います。
組織を離れても、地球上どこにいても大丈夫じゃ無いですか? (笑)
神前に神饌物を山のように積もうが、積むまいが、祭儀式が厳かであろうが、人がまばらで寂しかろうが、お手振りの手を間違えようが間違えなかろうが、神はそんな事には頓着していないでしょう。
まさしく神の守護は人間社会の都合に関係なく、地球上の何処にいても守られていると言うのが俯瞰的に発想してみて感じる思いです。
三宝の盛りが貧相だ、右足左足の踏み方が違うわ、お供えが少ないわ、どうたら、どうでもいいケチをつける人は神の本質が分かっていないんだと思います。
みんな組織ばかり見て人間信仰しているとしか思えません。すでに有り余る守護をされている現実を認識できず、幸せを下さい、守護を下さいと願う不幸。大事な時間を無駄にしていると思います。条件無しに無償で守護されているんだから神にもたれていれば良いんです。
ささやかな抵抗ですが、おつとめのときてんりん王と唱えています。
どうでもいいことですが?
神社では雅楽が奉納され三宝や社などほとんど天理教と同じです。
神道のトップは伊勢神宮であり、天皇の祖先をお参りしております。
おやさまは天皇も人間とおっしゃいました。
それなのに初代真柱様の迎合により今の神道からは脱却したものの形式上神道のような天理教になっている状態です。
異端ですが韓国の天理教などは社もやめてかんろだいを中心にすえてある教会もあります。
形はどうあれなかなか脱会も難かしいと思いますので
ささやかな抵抗はいかがでしょうか?
なむてんりんおうよしよし
組織はなくても信仰できる! 様
2020年1月17日 4:51 PM
>>神社では雅楽が奉納され三宝や社などほとんど天理教と同じです。
神道のトップは伊勢神宮であり、天皇の祖先をお参りしております。
おやさまは天皇も人間とおっしゃいました。
それなのに初代真柱様の迎合により今の神道からは脱却したものの形式上神道のような天理教になっている状態です。<<
天理教は神道と仏教を織り交ぜたご都主義の団体です。団体の保身の為の教理など必要ないのです。宗教ではありません。団体です。
>>異端ですが韓国の天理教などは社もやめてかんろだいを中心にすえてある教会もあります。
形はどうあれなかなか脱会も難かしいと思いますので
ささやかな抵抗はいかがでしょうか?
なむてんりんおうよしよし<<
そもそも、「なむてんりおうのみことよしよし」の「なむ」(南無)という言葉は、古代インドのサンスクリット語(梵語)であり、「無条件に仏に帰依する」という意味です。また、天理教で使われている「みこと」という言葉も本来、日本古来の神道に由来するものです。要するに天理教とは、前述のように神道と仏教をチャンポンにした得体の知れない団体(パチモンの宗教)です。韓国の天理教を何故、異端であるとおっしゃられるのか私には理解できませんが、私は、現在の天理教教会本部こそ異端以外の何ものでもないと思います。
↑
訂正します。
宗教ではありません。団体です。(訂正前)→ 宗教ではありません。営利団体、詐欺集団です。(訂正後)
社会学さんのツイートで
>今月の天理教本部の月次祭の神殿講話は「献金は命の繋ぎ」発言で批判殺到中にも関わらず地位にしがみつき信者離れを招いている表統領中田善亮氏ですね。
前回の講話では「私は教祖が大好きです!」と爆笑ズッコケ講話でしたね。
今月の講話ではどんなフレーズが出てくるかな?ワンチームですかね?<
とありましたが、
「おつくしは命のつなぎ」と発言した張本人ですから、
ここはひらきなおって
神殿講話のマイクに向かって
「大きなお供えをく~だ~さい ♪ 」
「大きなお供えをく~だ~さい ♪ 」
「カウンタックが買えるほどの~ ♪ 」
「大きなお供えを僕にく~だ~さい~ ♪ 」
と歌って思いっきりスベってほしいです。笑
「南無」だけではありません。
甘露台の「甘露」だって、サンスクリット語の「アムリタ」(インド神話に登場する神秘的な飲料)を漢訳したものです。
このようなことを言うと、うちの会長さんなどは、この道は知恵学問の道ではない、などと言います。それなら天理大学の宗教学科なんて、いったい何を学ぶ所なのでしょう。
前にも書きましたが、私も家では「なむ てんりんおう よしよし」を徹底し、手は合わせるだけで柏手も打ちません。第一節はとばして、「ちょいとはなし」から始めます。教会では仕方なく周りに合わせますが、第一節の、あの単調で洗脳的な響きには、最早おぞましさしか感じなくなってしまいました。
毎日、おつとめで神様にお願いしていることの一つですが。
一人でも多くの人が、真実に目覚めることができるように。そのために、目をそらすことも、耳をふさぐこともできないような、そんな奇蹟を見せていただけないものかと。
例えば本部月次祭の最中に、ゼンスケでもダイスケでもいいから、乱心して甘露台の上で裸踊りでも始めるとか。
そんなことがあれば最高なのに、なんて考えてしまいます。
参考意見 様
2020年1月17日 7:08 PM
>>甘露台の「甘露」だって、サンスクリット語の「アムリタ」(インド神話に登場する神秘的な飲料)を漢訳したものです。
このようなことを言うと、うちの会長さんなどは、この道は知恵学問の道ではない、などと言います。それなら天理大学の宗教学科なんて、いったい何を学ぶ所なのでしょう。<<
神をカウントする単位として神道では「柱」という言葉を使いますが、天理教でも例えば「十柱の神」というように、「柱」という言葉を使います。これも神道からパクったものだと思います。知恵学問の道では無いというのであれば、天理教関係の学校や医療施設である「憩いの家」は、一体、何のために存在するのでしょう。そもそも、天理教という団体自体が内部矛盾を孕んでいるのです。
>神をカウントする単位として神道では「柱」という言葉を使いますが、天理教でも例えば「十柱の神」というように、「柱」という言葉を使います。これも神道からパクったものだと思います
崩壊さま、「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。天理教を語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。
通りすがりさま、「レンタル料」なんて教理はありません。中山みきさまの教えを語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。
>通りすがり 2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。>
天理教も当てはまりまくり
音田恭伸 @indi_coop さんのツイートより
神仏第一ではなく、トップ、幹部のみが贅沢三昧宗教団体は10年で崩壊します。
集金システム崩壊中。
お布施の大半の出し手の60歳以上、消費税増税などの増税と年金額ダウンで、余裕資金が無くなり、お布施出来なくなっている。高額お布施の高齢者が、10年以内で施設に入り、お布施出来なくなるから。
強大な集金システムと膨大な出費(コンサートチケットの大量購入)とで日本の政財界に影響を及ぼしてきた宗教団体の仕組みが成り立たなくなります。
芸能界、TV業界、献金による政治家への影響、議員数による地方公共団体への支配、変わります。
消費税増税、見えない増税で、定年退職者は、毎月のお布施を数千円の減額をします。お布石金額との率で言うと、数十%。例えば、月に5千円、年間6万を月に1千円⇒年間1万2千円。
ボディブローのように効いてきます。また、特別祭などのイベント企画しても集まらないでしょう。
幹部真っ青でしょうね。
宣伝広告みたいな組織は必要であってもつぶしたり、資産運用の失敗をごまかすために、組織をつぶしたり、負の情報が信者に伝わらないように隠蔽したりなど、信者(信徒)の不満がつのり、信仰ではなく、ヤクザと同じだと気づかれるでしょう。
通りすがり ちゃん
2020年1月17日 9:27 PM
>>崩壊さま、「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。天理教を語るなら、もう少しお勉強なさってからにした方がいいです。<<
久しぶりのご登場ですね! お元気でしたか? 私は若かりし頃、聞きたくもない別席の話を9回も聞かされたのではっきりと記憶しています。別席の取次人様は「十柱の神」という表現をしていました。いつのまにか表現方法が変わってしまったのでしょう。
>「十柱の神」ではなく、「十全の守護」です。<
明治36年の中山新治郎著、天理教教典には、確かに「十柱の神」と書かれていますが。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815852
>それぞれに神名かみなを配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱とはしらの神名」と呼ばれることもありますが
「呼ばれることもあるそうです。」
親神様おやがみさまの広大無辺なご守護を、十の守護の理をもって体系的に説き分け、それぞれに神名かみなを配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱とはしらの神名」と呼ばれることもありますが、決して十柱の神々がおられるという意味ではありません。
これらの神名は、人間世界をお創はじめになるに際して、親神様のお心に溶け込んで、一手一いってひとつに働かれた道具衆の働きの理に授けられたものです。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/jyuzen/
決して十柱の神々がおられるという意味ではなく、道具衆であると言うのならば、もういいかげんに「みこと」を付けて呼ぶのはやめませんか。
おふでさきのように、「月よみ様」とか「をもたり様」ではダメなのですか。
どうしても神道式の神名にこだわるなら、いっそ「南無」をやめて、明治29年頃のように「あな てんりおうのみこと」と唱えてはどうでしょう。(復元30号65ページ参照)
仏教と神道のチャンポンなんて、いくらなんでも信者を馬鹿にしているとしか思えません。江戸時代のような無学文盲の集団ではないのだから。若い世代の者でも、不自然でインチキ臭いと感じ始めています。それに僧侶を志し、熱心に学ばれていた教祖に対しても失礼なことだと思います。
十柱の神と言う言われ方は私もはっきりと聞いて来ました。
甘露、南無、も無教養な私でも仏教臭を感じて来ました。子供の頃から南無ほうれんげきょう〜と仏壇の前で大人達の読経をあちこちで聞いて来ましたから。
そして中央に鎮座する鏡。これは神道ですよね。仏様に神様。天理教はまぜこじゃ創作宗教と言う事だったんですね。
根本に金儲けを目論んで中山家によって「創作」された訳の分からない集団だったと言う事です。
教会から離れたい教会家族がなんと計69%!!<<
婦人会費一人年間200円だと最新の時報ではるえさんが言ってましたが、一人200円って本当ですか?3人しかいないうちなら自分ふくめて年間800円の年会費です。でも年間11000円払ってます。将来的には全額教会家族の自腹になります。
会費としての受け取りが無いのに集金だけをべらぼうに取るのだから、今後教会は立ち行かないでしょう。
最近では消費税増税を機に、ほかの各種年会費含めて納めない信者さんがほとんどです。
教会家族も生身の人間です。綺麗事では生きていけないです。「教会から離れたい教会家族が69%」は現実の生の声です。
持続可能な教会の在り方を本部は真剣に考えるべきです。
私は親里高校に通ってました。
レスリング部の先生方は素晴らしく私の人生を明るく陽気な道に変えてくださり感謝しかありません。レスリング部の先輩後輩同期は一生の宝です。
教会子弟の一部の同級生や先輩後輩はクズでしたね。
私の家族写真を破り、金銭も盗み、大切な祖父の形見の万年筆を壊すなどとても許せない。
そんな奴らが今お道の中心なんで笑うしかありませんよね。
あと、久しぶりに連絡してきた友人からいきなり100万貸してってホンマありえない。
まず、お前学生時代に貸したお金数万円返せよな。
これから信仰始める人達に言いたい、よく見極めてからお道に入って欲しい。
自分と同じように辛い思いをして欲しくない
通りすがり 様
「レンタル料」なる言葉は、私のような夫婦で月額13万円余の末端に言うよりも、世界の主要国家の指導者層に向けて発言してください。そうすれば、諍いも減ることでしょう。
でも、多分一笑に付されるどころか、寝言にすら認識されないと思いますが。
「レンタル料」なる言葉は、天理市内の三島町内の更に狭い地域にのみ通用すのかもしれません。せいぜい頑張ってください。
南無とか甘露とか、神仏混合になっていると言いますが、伊勢神宮だって、江戸時代より昔は、神仏混合です。
戦乱で遷宮ができない時代に、遷宮をするために、活動されたのは、僧侶であり、今その僧侶は、別宮に、神様として祀られております、僧侶が神になっています。
万歳だって、明治からの伝統ですしね、天理教が神仏混合であっても、教祖は仏教出身、明治政府の廃物毀釈に国家神道しか許されない時代を経てるから、驚く事ではありませんが、それより、信仰の中心になる神様に関わる神官、天啓者、本席を失ってるのだから、教え中心に教義で進めなければならないはずなのに、人間思案で親神様を解釈活用してるから、八島氏だの、神霊主義だの、理の親だの、命のレンタルだの、混沌としているので、そんなのいまさらですよね。
神仏混合より、10柱でも10全でも良いですが、天理教を信仰する価値は、どこにあるのか? それを明確に、定義する必要がありませんかね?
教えを履行して、神の思し召しに沿って生きるなら、お供えは運営費だけでいい
神の守護、命の為に、お供えをするのが、教義なら、金だけ払っていたらいい
なんの為に、お勤めをするのか? 神がどう存在して関わっているのか?
もっと、倫理的統一感が必要では無いでしょうか?
天理教は本来、神霊主義では無いですよね、ただ、八島派の様な教条中心で神は概念と割り切ってる人も少数派だと思いますが、大いなる神、として、存在を信じるのが今の教団の主流の方針ですよね。
先日、ある天理教の相談所をやってる、知り合いから、おさづけは、別席を9回運んで身を清めて、真柱様から理を頂く事で、神様に降りて貰える様になり、おさづけは拍手2回で、降りて頂き、助けて頂き、また拍手2回で帰って頂くと言う説明を聞いたけど、所属の教会長にその話をしたら・・
そう言う人も見えますが!とお叱りでした。教会長は、親神様のお働きは、そう言う単純な物では無い、と説かれます、それが、現役教会長の主流でしょうか? それはそれで理解できますが、でも一部に、神霊主義でやってる人も見える様です。
八島教学を主にしたら、しかし、また違っていて、お授けなんて、ただのおまじない、祈りに過ぎませんよね・・
神霊主義の方は、八島は異端だよって私に言うんだけど、いや、神霊主義も、天理教内では、ほぼ異端だと思いますよ? と言うと、ムッとされた・・(笑)
一概に天理教をやっていますと言っても、ずいぶん違う物だなあって思いますが、息子の学んでる天理教は、教会長の説く説なので、それが主流だと理解はできます。
現に、真柱様には、お授けの正当性は無いと思いますし、それは天啓者しかできないはずですし、真柱様に現れた身上について、教団本部では、どうにもできないから、まさに本来真柱は、教団運営の為の中心の存在であって、天啓者では無い。
ただ、神霊主義の人は、天啓者では無い、真柱様でも、(親神様)は、降りて下さると言います。 そして、おさずけの時、自分に降りて下さる、取り継がさせてもらえる、助けて下さると言いますし、その方は、信者さんを持っていて、何度か奇跡を見せて下さったと言うから、まあ、私自身、神霊主義者だから、それは判ります。
勝手な意見で、申し訳ありませんが、私自身は
(親神様)と呼ばれる、存在は、ちゃんと見えて、教団運営とか、一切関係無く、信じる信者の祈りかけに、いろんな形で、働きかけてくださっていると確信します。
ただ、大いなる全能の存在だとは思っていません、その理由は、私個人は、大霊界世界観の中で、別の力のある(神)を奉じしていて、(親神様)は別に存在を感じるからですけども・・・
>さっと出られるなら皆出ているでしょう。
>出たいけど出られない。現実的には出られない事情がいっぱいです。
あらあらそりゃ大変。せいぜい苦労して人生の幕を閉じてくださいませ。
匿名+
2020年1月18日 12:39 PM
>>あらあらそりゃ大変。せいぜい苦労して人生の幕を閉じてくださいませ。<<
上記の投稿は一体どういう意味ですか?
東風Zさま
高齢者なのですから、もう少し分別ある発言をお願いいたします。何度も言いますが、あなたはれんだいこ氏を真柱発言の捏造の張本人にしてしまった人間なんです。もはやここで何を言っても無駄です。れんだいこ氏に謝罪して、許してもらってからご発言願います。
私が「レンタル」と言ったのはあなた方のように「信仰のカケラも無い人間」でも理解できるように、「俗なる言葉」で言ったまでの事です。「レンタル」「レンタル」と騒いでますが、私は「rent」と「lent」は別であり、本当の意味は「lent」である事をこの掲示板にキチンと書き込んでいます。こんな簡単な英語が分からないのでしょうか。この一番肝心な部分を黙殺し、「レンタル」「レンタル」と騒いでいるだけなのです。ですから、あなたの質問は何の意味もありません。
崩壊さま
もう少しお勉強なさった方がいいです。あなたの投稿記事を読んでいると、あまりに低レベルで可哀そうになります。あなたはサンスクリット語を学んだ事があるんですか?ネット検索で引用しただけでしょう。「南無」は仏教用語ではありません。あくまでもサンスクリット語です。どうかお勉強をお願いいたします。
争いは 同じレベルのもの同士でしか発生しない
さあ今日も元気に戦おう
通りすがり様、私のような無知蒙昧の者が褒めても嬉しくとも何ともないかもしれませんが・・・。
あんたは偉い!!!
あんたは博士!!!
お勉強に励んだ立派な信者様!!!
このくらいほめてあげたのだから、満足してよ。
もう、いい加減に、特定の人を勉強が足りないとか
高齢者がどうのとか、一般信者の投稿されている方々を非難するのは止めたらどうかな?
争いは同レベルの間でしか起きないというのも、なんだか上から目線の感じで、決して真実でも何でもない。
この場に書き込む人の中には「かまってくれよ」とばかりに絡んでくる人が貴方様の他にもいますが、周囲は迷惑に思っていますよ。
東風Z様、崩壊様、言いがかりをつけられてしまい、災難でしたね。
誹謗中傷、気になさらないでください。
誰とは言いませんが、特定の事柄に執着し、執拗に絡んでくる総会屋みたいな人がいてくれるおかげで、むしろこのサイトは活発化していると思います。
もっともっと馬鹿をやって炎上させて、信者離れを促進させてくれることを期待します。
崩壊さま
別席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
東風Zさま
天理教の悪口はいくら言ってもかまいませんが、他人を卑しめる事だけは止めてください、人生のエピローグなんですから。
天理の三島では「lent」が使用されています。「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
真柱発言の捏造、教祖伝の改竄、天理高校2部の侮辱、……どれひとつとっても許される事ではありません。
※言いがかりととは、身に覚えのない事への攻撃の事です。言葉の使い方に注意された方がいいです。
多分、読解力、理解力の問題でしょう。
。通りすがりさんが指摘する
≪「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
えーーーーっ、いつから「rent」なんて、わざわざ表記した人いましたか?
比較をするならば、そもそも現在形で書くべきだろうしね。勉強している人はね。
「俗なる言葉」という新たな切り口を見せてきましたが、これも意味不明。
要するにこの板であれこれ書いたところで意味不明。
私はまじめに相手をするのは止めて、読み飛ばすことにします。
バカバカしい。
mouroku?
匿名 様
2020年1月18日 3:37 PM
>>東風Z様、崩壊様、言いがかりをつけられてしまい、災難でしたね。
誹謗中傷、気になさらないでください。<<
お気づかいいただき、感謝申し上げます。私は大学の宗教学の講義で学んだことをありのまま投稿いたしました。今後、愚者の投稿はスルーし、この掲示板が健全な議論の場となるよう、私なりに配慮していきたいと思います。
参考意見 様
2020年1月18日 4:05 PM
>>誰とは言いませんが、特定の事柄に執着し、執拗に絡んでくる総会屋みたいな人がいてくれるおかげで、むしろこのサイトは活発化していると思います。
もっともっと馬鹿をやって炎上させて、信者離れを促進させてくれることを期待します。<<
おっしゃる通りだと思います。皮肉なことに愚者の投稿により、このサイトが活発化することは確実です。
馬鹿な投稿で、このサイトが炎上し、信者離れが加速することは、私の投稿の本意でもあります。天理教被害をこれ以上、拡大させたくはありません。
この場所は基本的に、交流する場所では無いと思います。
天理教について、自分の意見を書く場所であって
関連するお話を、書いて、サイレントリーダーに読んでもらうのが
目的の第一だと思いますし、異論でも反応を見て、
自分の意見がどう捉えられるかで、その考え方も理解できます。
常に、第三者を想定して、自説を書いたら良いと思います。
(◯りすがり)さんも、自分の正論を書かれ、第三者に訴えたら
それで良いと思いますが、どうしても、一対一に持ち込まれ
それで罵倒して、客観的にみんなに見せていますが
それは、自分の信頼を損ねるだけで、あまり意味が無いと思います。
一般的には、この方は(サイコパス)と言うふうに判断されますよね。
私個人は、興味の無い話なので、別に流すだけですから
気にもなりません。
どんな投稿でも、気に入らないのは、読み飛ばせばいいし
面白いと思ったら、一対一では無く、関連する自分の意見を
書いてみるまで、ですよね。
だから、迷惑かどうかは、ブログ主が決める事で、読み手は
気に入らないのは、自由にスルーすれば良いけど、
あえて、あなたは迷惑だとか、名指されると、その人には
刺さってるんだな?って、逆に判断できますよね。
コメント欄とは、そう言う楽しみ方が、楽で良いと思いますね。
とりあえず、離天された、崩壊さんの投稿回数を
下回る様には、気をつけております (笑)
2020年1月18日 3:37 PMの匿名 様
お心遣いを下さり有り難うございます。通りすがり様には、通りすがり様の信仰スタンスをお持ちなのでしょう。残念ながら私には天理教は残酷過ぎました。小さな子供にまで似非教理を植えこみ、希望の目まで摘んでしまった在り方に、陽気づくめの教えの片鱗も見いだせなかったことです。
色々な矛盾をはらんだ天理教の実態が少しでも明らかになることを願っています。
「残念ながら私には天理教は残酷過ぎました。小さな子供にまで似非教理を植えこみ、
希望の目まで摘んでしまった在り方に、陽気づくめの教えの片鱗も見いだせなかったことです。」
この文を読んで涙がこみあげてきました。
東風Z様、心から同意致します。
「おつくしは命のつなぎ」「レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。」
などと教義を歪めて脅しをかける。
天理教団とはなんと罪深い組織なのでしょうか。
父親 様
2020年1月18日 6:44 PM
>>とりあえず、離天された、崩壊さんの投稿回数を
下回る様には、気をつけております (笑)<<
私の投稿回数をわざわざカウントしていただき光栄に存じます。今後とも意味の無いカウントをよろしくお願いします。(笑)(笑)(笑)(大爆笑)
年をとってくると、子供の頃に観た、古い映画とか漫画とかを無性に観たいと思うようになりました。
「ベン・ハー」という、ちょっとキリスト教の宣伝っぽい古い映画の中で、ガレー船(手漕ぎの軍船)の内部の様子が描かれているのですが、そこでは漕ぎ手の奴隷や罪人たちは、足を鎖で床に繋がれ、戦で船が沈むことがあっても逃げることも許されない。まるで今の天理教の教会家族や教会親族を見ているようでした。
それと昭和40年代の特撮ヒーロー物で、ただ一度だけ使われたエンディングテーマが、これまた末端教会の後継者にピッタリの内容です。
ヤマトタケシの歌
1.どうせ この世に 生まれたからにゃ
お金も欲しいさ 名も欲しい
自分の幸せ 守りたい
僕だって 人間だ
僕だって 若いんだ
けれども その夢 捨てさせる
この世の悪が 捨てさせる
2.肩に 背負った 十字架の
使命の重さに 耐えかねて
たまには 泣けるときもある
僕だって人間だ
僕だって 若いんだ
恋もしたいさ 遊びたい
わかって欲しい この気持ち
動画サイトで検索すれば聴くこともできるし、カラオケにもあったかもしれません。上級のいる直会で合唱してみてはいかがでしょう。
匿名さま
>≪「rent」はこの掲示板だけで使用される「俗なる言葉」ですので、誤解のないようにお願いいたします。
えーーーーっ、いつから「rent」なんて、わざわざ表記した人いましたか?
これだから困ります。この機会にハッキリ言っておきます。私は最初から「rent」と「lent」の違いを申し上げています。過去記事を閲覧すれば明らかです。人の話はチャンと聞いてからコメントましょうね。
崩壊さま
>私は大学の宗教学の講義で学んだことをありのまま投稿いたしました。
どこの宗教学科なのでしょう(笑) 「南無」が仏教用語だなんて(笑)それが講義の内容なんですか?
ところで「十柱の神」はどうなんですか? スルーする資格もないでしょう。
東風Zさま
あなたも不幸な方ですね。こんな「埃の提灯持ち」サイトに夢中になって…今年はロクな事ないと思いますよ。年齢相応の分別ある行動をとられた方が良いと思います。
「おふでさき」の第12号が書かれたのは明治9年頃の話であり、明治2年に戊辰戦争が終わり、6年の
神道国教化政策により三条の教則が徹底され、神名も「天理大神」となっていた頃だと思われる。
7年には秀司が庄屋敷村の戸長になり、大和神社のふしや教祖が山村御殿へも出向かれたあとである。
8年にぢば定めも行われ、小寒の出直し間もない頃である。小寒についてはその前のおふでさき
9.10.11号にいろいろ書かれている。教祖は79歳、秀司は56歳頃である。秀司が教祖の反対にも
かかわらず、大阪堺へ蒸し風呂屋の申請に行った頃でもある。この12号が書かれた頃のおやしきの
様子なども踏まえ、12号を読んでいくと教祖がいかに残念な気持であり、孤独であったかとも感じる。
今日の月日の心ざんねんわ よいなる事でないとをもゑよ 12号 22
にんげんハあざないものであるからに 月日する事しりたものなし 12号 23
おやしきの中では既に小寒はおらず、教祖の思いが伝わっているものはいなかったのだろうか。
秀司もまつえも教祖の思いを理解していなかったのだろうか。それとも世間並みに暮らすことばかり
考えていたのだろうか。
月日にハなにかよろつをだんだんと ことハりてあるこれがしよちか 12号 24
いままでも何か月日のざんねんを たいていくどきつめてあれども 12号 25
何度も何度もくどいように説いて聞かせてきたのに全然わかっていないじゃないかと嘆いている
ようにも感じるが、この歌がよまれた時にはお屋敷の中で誰も理解者がいなかったのだろうか。
せかいにハたれかしりたるものハなし 月日の心ざんねんをみよ 12号 26
このたびハことハりたゆへまだくどき そのゆへなるのことわりである 12号 27
いかほどにくどきことハりゆうたとて たれかききわけするものハない 12号 28
くりかえし、くどいように神の言葉を伝えて指示しているのに、それを聞き分ける者がいないという
ことはどういうことだろうか。この頃は飯田岩次郎19歳で教祖にもかわいがってもらっていたはずだ。
飯降伊蔵は43歳の働き盛りでおやしきにも通っていたと思われる。仲田儀三郎、辻忠作、山澤良助など
既に入信し教祖のもとに古参の信者も通っていた頃であると思われるが、教祖の長男であり戸主でも
ある秀司に皆がついていったのであろうか。この12号の頃の入信後、間もない信者は山本利三郎、
泉田藤吉、増井りん、西浦弥平、板倉槌三郎等がいるが、おやしきの様子をどのように見ていたの
だろうか。教祖には絶対的な信頼と助けられた恩を感じていたのは当然として、やはり秀司との関係も
微妙なものがあったように感じる。
現代においても、この12号に書かれている状況があるような気がしてならない。人間はあざないもの
であり、神の思いをなかなか理解できずにいるものなのだろうか。人間思案の混じっていない純粋な
教理を伝え、人々を救っていくのが宗教の役目のように思う。しかしながら人間が教団という組織を
作ったら、やはり人間心がどんどん混じって神の思いとは離れたものに変質していくのは世の常である。
そうは言っても、組織がなければ純粋な教えを広めていくこともなかなか容易なことではないようにも
思う。教団などいらない、不必要だ!つぶしてしまえというのも感情に任せた乱暴な意見に思える。
要は組織の在り方の問題であり、人々に受け入れられない運営が間違っているのではないだろうか。
阪神淡路、東北と震災があり、神の立腹も皆が経験している。大正5年教祖30年祭以降、天啓者が現れても
受け入れられることはない。それでも神は人間を見守り、それぞれの心を見てご守護しているのかとも
思える。そう考えると些細なことで言い争ったり、つまらないことに心を奪われたりしている暇など
ないようにも思う。神の立腹は臨界点に来ているように思うし、人間を救済するために神が降りてきて
「神の社」を通して進むべき道をどこかで説いているようにも思う。しかし教団からすればそれは異端で
ある。仮に自分がその「神の社」に会ったとしても容易には信じられない。
異端研究を続けていると、教団がどのようにして現在の姿になったのかもわかってくる。伝道史を
調べていくと、やはり親神が待ったをかけていたのだと思わざるを得ないような史実にも出くわす。
詳しくは書けないがそんな事例を読むたびに人間試案の間違った解釈をして、苦しんだり、苦労したり
した人がたくさんいたのかと思うと陽気暮らしとは程遠いことだとも思える。月日の心を理解せず、
この残念を月日はどう晴らすのであろうか。早く方向転換をしなければならない節に来ているのでは
ないかと思う。(1.17に思いついたままを書き連ねてしまいました。長文、お許しください。)
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。 即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経
>通りすがり 2020年1月18日 8:42 PM
>「南無」が仏教用語だなんて(笑)
通りすがり様 もっと勉強してから投稿してください。
『南無』 は たしかに、サンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo 敬意、尊敬、崇敬をあらわす)」を音写した漢訳ですが、仏教用語です。
世界宗教用語大事典にも以下の説明があります。
世界宗教用語大事典 より
なむ 【南無】
仏教用語。梵語ナマス(namas)の音写(那摩・那謨・那莫・納莫などとも)。
帰命・帰礼・敬礼・信従などと漢訳。帰依信順する意を表した言葉。
通りすがりさんって面白い人ですねー。頭いいのか悪いのか、若いのか歳いっているのか、男なのか女なのか、自分で稼いでいるのかヒモなのか、一度会って拝顔したい思いです。自己愛の強い人なんですかねー?
ますます興味が湧いてきました。次のコメントをお待ちしています。
神仏混合が日本の風習だから、南無だろうが、神道だろうが、そんなに気になるものでは無いと思っています。
Lend 貸す Rent 借りる 神様が体を貸して下さる、神様から体を借りる、どちらでも、あらわす意味は、そうは変わらないでしょう。
貸して下さるのは、それが神様が世界を作ったからであって、神様はこの世のお金を集めたくて、人の世界を作ったのでは無い事は、教義にもありますよね。
お金は、陽気くらし世界を作る為に、世界に再投資せよって言っていますよね。
神霊主義に否定的な態度を示す、うちの教会長ですら、親神様へのお供えは、健康保険とかと同じで、守護して下さる代わりに出しているんですって、真顔で言うんですよね。
私としては、そっちの理屈の方が、よほど神様を何と心得る!と感じますけど、平然と言い切られると、はあ・・御自由にどうぞ・・私は遠慮しますってだけです。
互いに、受け入れられないお話になるんですよね。
私より一歳先輩で、信仰3代目の教会長であり、社会に出た他の兄弟もお供えで支えている様ですし、それで30年生きてきたから、今更、他の世界観を認めたら、いろいろ崩壊してしまう、だから、逆に天理一本で殉教する気だなとも感じる。
あなたは良いよ、ここまで来たんだから、このまま行けば良い、だけど、まだ中学生の長男に、天理教を継がせると決めていると言うのには、賛成できない。
上に姉が数名いるから、一般に嫁がせて、支えさせるつもりだろうか?
私が、子供の人生の選択は、子供の自由ですよ、親として支えてやるだけですって、天理高校入学時に言ったし、今もそう思ってる。
だから、教会長も、息子の自由にさせたら良いと思いますって言ったら、我が子は、道一本で生きる、その様に育てたって・・
神様から、体を借りたんだろう? どんな人生を選択しようが、それこそ、神様と息子で決める事だろう? 何で親のあなたが決めるんだ? 何か根本的に無理があると、いつも感じる。 愛情溢れる父親だとは思うけど、何か、精神的に縛られて自由が無いと、いつも感じる。
神の御意思を継ぐ親の想いは、すなわち神の御意思同然か? しかしそれが、理の親だの、親の言う事に逆らうなだのの、理不尽でも従えって言う、同調圧力の根底じゃないのか?
神霊主義では、神様は、理不尽な事は、要求しないし、同調圧力も無い。
同年輩であり、同じ年齢の子供もいるから、ついつい教会長と自分の生き方を信仰を通して比較して、いろいろ考えてしまいます。
通りすがり ちゃん
2020年1月18日 8:42 PM
>>どこの宗教学科なのでしょう(笑) 「南無」が仏教用語だなんて(笑)それが講義の内容なんですか? ところで「十柱の神」はどうなんですか? スルーする資格もないでしょう。<<
あなたの常識の無さには辟易します。私の学歴等は私のプライバシーであり、あなたに聞かれて返答する義務もありませんが、某有名大学を卒業させていただきました。また、当初の投稿で私は「南無」がサンスクリット語であると述べているはずですが、お読みになっていないのですか? とにかく、あなたのように非常識な方と議論するのも馬鹿馬鹿しく無駄な時間を浪費するだけですので、あなたの投稿については徹底的にスルーいたします。悪しからず。バイバイ
ななし 様
仰る通りですね。永年勤めた職場にもこういうタイプの方が居ました。会議の席でもこういう方の発言が基で会議が延々と続きました。
通りすがり様の意見が基で、いろいろな方の考え方や、知識が出てきて勉強になります。
幸、不幸の思いは立場や考え方で千差万別です。私の場合、夕食のご飯は麦の混ざったご飯150gが美味しく頂けることが幸せなんです。医療のお世話になることもなく、自分の行動が自由にできることほどすばらしいものはありません。
願わくば、昨年のような風水害や大きな災害が無い平穏な社会であることを願うばかりです。
統合失調症 + アスペルガー症候群 + 自己愛性人格障害 + サイコパス。
そんな究極のモンスターに会ってみたいだなんて、世の中には勇気のある人もいるものだ。怖いもの、いやキモいもの見たさというやつか、それとも動物行動学的な見地からの探究心からなのか。
私だったら、防弾ガラス越しででも無ければ恐ろしくて、とても観察なんてできそうもない。しかし、このサイトにとっては、ニトロ添加剤のような貴重な存在であり、今後の活躍にも期待したいところです。
皆様の直属の会長様ご夫妻は夫婦仲いいですか?
私の直属は微妙です。お道を信仰しているのに残念です。
本部も末端もリレハラしてるのに 通りすがり はのんきだなwww
夫婦仲が良いとはどんな状態でしょうか?喧嘩しないこと、いつも楽しそうに話していること?
家事一切しない、朝勤め、夕勤めに出て来ない嫁に対して一言も注意しない、住み込みが動いているから、部内が動いているから成り立っている会長宅の生活が快適過ぎて、仲が悪くなりようが無い所もありますが。
お互いの相手が改善すべき所を指摘し合いそれから喧嘩になる方が健全でしょうね。そちらのご夫婦の仲の悪い原因は分かりようもありませんが、もしかしてゼンスケさんみたいに女癖が悪いのかも、、、、
>皆様の直属の会長様ご夫妻は夫婦仲いいですか?
私の直属は微妙です。お道を信仰しているのに残念です。<
詳しくは語れませんがうちの大教会はてんやわんやです。orz
非常識な天理教人 においがけのパンフレット配り で不法侵入だと警戒される
1月19日
きみひこ @w3AqpbUpSveY0Sb さん 以下敬称略
天理教の人が勝手に玄関開けてなんか置いて行ったんやけど(笑)
狐家 杏@夢狐 @kitsuneya_kyo さん 以下敬称略
なんやそれwww
きみひこ
いや、僕も理解できないです(笑)
玄関がガチャって音したんで見に行ったら置かれてました(笑) →※
狐家 杏@夢狐
不法侵入やんwww
きみひこ
ビビりました(笑)
狐家 杏@夢狐
これからは施錠せなあかんな!
きみひこ
ほんますね!
※置かれていたのは天理時報特別号
うちの会長さんは、ネット情報を信じようとはせず、天理時報の記事を見て、天理教は今や海外にまで進出する勢いなのだと言います。まるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようです。
会長さんは、今日まで一度も職に就くことなく、道一条で通ってきました。それは先代の考えによるもので、世情働きによって安易に収入を得ることを覚えてしまうと、もう布教によって生活することができなくなるからと、学校を出た後も社会での勤労というものを経験させなかったのだそうです。
自らを背水の陣に追い込んでという考えは、わからないこともありませんが、普通に働くことのほうが楽というのは、ちょっと納得できない気がします。
お供えを持ってくる信者たちが、そのお金を手に入れるために、どのような苦労をしているか。どれほど人に頭を下げ、神経をすり減らし、時には命を削るようにして稼いでいるか。そうしたことに、会長さんの思いは至らないようです。だから、お供えの金額について、心無い発言も出たりするのだと思います。
初代が集めた信者は減る一方で、数人の高齢者のみとなってしまいましたが、代々の会長が子沢山だったおかげで、今では兄弟親戚のお供えだけで、教会家族は余裕で暮らしていけるようになりました。会長さんも、もう一般の信者を増やすつもりも無いようです。
今では教会の活動といえば、とにかく上級と大教会の御用に一生懸命で、これもまた先代からの仕込みなのだそうです。月に一回、神名流しをやっていますが、私には布教活動をしているということのアリバイ作りにしか見えません。
その会長さんに最近、孫ができました。男の子なので天理教がある限り、いずれは5代目の会長ということなのでしょう。家族にも信者さんたちにも可愛がられ、幸せそうに笑っている赤ん坊を見ていると、私は何とも切ない気持ちになってしまいます。
ああ、この子は「大きくなったらサッカー選手になりたい」とか「ピアニストになりたい」というような夢を持つことも許されないのだな。そして親の愛情を受け続けるためには、天理教を職業とすることが大前提となるのだなと。
親と上司は選べない
産まれてくる時代も性別も選べない
配られたカードで勝負するしかない。それがどういう意味を持つにしろ…
さあ、限られた人生を最大限に楽しみましょう!
人生は死ぬまでの暇つぶし
生きてるだけで丸儲け
色々な考えがあるんだなぁ
兄弟親戚のお供えだけで、教会家族は暮らしていける部分がある。
うちの教会長が、兄弟の信仰について口籠る理由に、それがあると気がついていました、兄弟からも、支えてもらってる様なのは、想像できます。
でもそれだけでは、生きられないでしょう。
若い頃から跡取りのいない教会に入った、教会長で、マメに信者さんの所を回っている様ですし、女房の実家の家族が入院すると、お授けに病院まで見舞いに来てくれる。
いろんな関係性から、うちとその教会はすごく離れているけど、息子の手続きにうちまで来るくらい、信者の所を動き回り、相談に乗り、動き回っています。
車も、毎回信者さんのお下がりをもらってる様です。
とにかく、今いる信者の家を周り、仕事のお手伝いから、人生相談、お授けと、教会に座ってる事は無いらしいですね。
そうなると、新たな信者は、信者さんが連れて来てくれるでしょうし、2代目信者も、出てくるでしょう。
教会が、ジリ貧な印象はまったく無く、かなり頑張っておられる様です。
バリバリ音が鳴る様な、バリ天で、神霊主義の私のお話に、すごい拒否感を出されますが、それでも、信仰一本で家族を養っているのは、尊敬に値します。
私自身は、普通に働きながら、自分の信仰を深めているだけで、布教活動もお供えも、もらっている訳ではありませんから、精神的には楽です。
個人的な事だけど、大霊界の先祖の霊を背負ってる部分もあるけど、だからと言って、継がせる義務も無いけど、お蔭様で、継いでくれる子はいます。
信仰一本で家族を養って行くのは、自分より、信者や信仰を優先して生きねばならず、私から見たら、正直、しんどいなあって思いますけど、おそらく、教会長本人は、道一本で行きられる事が、無常の喜びであるのだと、想像できます。
だから、長男にも、それを体感してもらいたいと、道の英才教育を行い、継がせるつもりなのは、理解はできますが・・
教会長自身は、本部勤務、教区で布教師からの後継のいない教会に入る、と道一本ですが、私個人は、それでも、一度、息子さんは外に出して、自由に選択をさせた方が、思考に幅を持てるし、神霊主義や、八島教学も客観的にとらえられて、より時代にマッチした、教会活動ができると思いますし、いざとなった時、どこでも生きていける様に思えるんですよね・・
親子は、似ていますが、反発するのも、親子ですしね・・
Twitterやってる人は自分を知ってる人もいるかもしれませんが、ohohohというアカウントでやってたものです。
Twitterを上司に特定されて、今までの暴露していたのがバレて、しこたま怒られました笑
監視されながら愚痴とか言えなくなったので、アカウント消しました。
DMで長文送ってきたり、アカウント凍結しようとしてきたり、ホンマに陰湿やわ〜
バカと絡むのはしんどい
上の続き
普通に睦月さん、古い教会長さん、ミライさん、とある教会の長男さんとかのツイートは面白かったし、勉強になる意見もたくさんあったから色々と絡んでみたかった泣
こういう意見を持った人たちがもっと表に出てきて、天理教のおかしいところを世間に広めていって欲しいと思った、と同時に自分もいつまでも愚痴ってないで、何か革新するための動きをしなければと思った。
どうにかして天理教と離れ、そしてこれ以上の天理教団の奴隷や搾取対象にならないように自分の周りから啓蒙活動でも始めようかな笑
教えが間違ってる、正しいかどうかは勉強不足なのでわからないが、天理教団の人が不条理で非常識なのは確かだ。
自分は幸いなことに、自分で天理教から抜け出そうと思うきっかけがあり、天理教がおかしいという点を気づく瞬間がたくさんあった。そのおかげで天理教に疑問を持つことができたし、社会をもっとみたいという意欲も湧いてきた。
最初は家族や親戚、教会の評価や世間体を気にしていた。「俺がやめたら、家族や教会に信者を一人逃したという汚点が残ってしまう」とか思っていた。家族や教会が人質にとられている気がして一歩を踏み出せなかった。
しかし、今の自分は家族や教会に悪いレッテルが貼られようとも社会に出ることを決めた。そしてその事を家族と話したら、「お前が幸せになるならそれでいい」といわれた。
自分は社会に出て「人助け」をしていきたい、それも天理教の教えを使わず、布教せずに。
天理教徒としてではなく一人の人として、困っている人を助けれる人になりたい。
参考意見様には共感の思いが強いです。
全時代的な環境において、人権も無く、将来の展望を持つことさえ閉ざされている教会に生まれた人達。
社会貢献を布教よりも下に見る不条理。私もですが、息子達も神経をすり減らし、人間関係に疲弊し、それでも家族を思い、健康を壊しながらでも家族が食べる為、家族に着せる為、子供に教育を施す為、歯を食いしばって働いて来ました。経済の為でもありましたが、社会貢献も確かに出来たはずと確信しています。働く事がどれだけしんどい事であるか、自身の体験と子供達の今の苦労している姿を見るにつけ、教会環境に甘んじている上層教会のぬるま湯状態とその締まりの無さには、呆れるのを通り越しています。人として経験すべき貴重体験をせずに未熟者のまま人生を終える彼らは、神に仕えた自己満足だけで死んで行くのでしょう。
かつてのうちの上層教会は無計画に10人近い子供を産んだ。下から上がる「人のお金」で生きて食べ継いだ彼ら。自分達が使ったお供え金が血と涙と汗の結晶だったと言う事をどこまで知っていたのかと思う。
部内集めれば100人以上の信者が集まっていた威勢の良かったその上層教会は現在、90歳前後の高齢信者が4、5人のみとなった。自前では月次祭の手も揃わない寂しさ。「もうすぐ信者がゼロになる。あと5年持たない」と兄弟教会の後継者同士、危機感を持って話しているそうです。
健康不安の方々は別だが、神は汗して働く者の味方であり、働かずして人の財布に頼っているような者に手を貸す訳は無いのです。教会人よ、働け。社会の厳しさを知れ。世知辛い世の中、働かざるもの食うべからずです。
社会で働く事を通じて神の御心を伝える行動は出来ます。教会内でゴロゴロしていてお供え金頼りの生活でも「自分は神一条」と勘違いしている彼らの発想は、天理教の常識は社会の非常識と知って欲しい。
昔と同じ事は不可能です。若い後継者達には是非社会で苦労して働き、お金を得る苦しさを知り、自立と人助けの両立を模索して欲しいです。
参考意見 様
2020年1月19日 11:40 PM
>>うちの会長さんは、ネット情報を信じようとはせず、天理時報の記事を見て、天理教は今や海外にまで進出する勢いなのだと言います。まるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようです。<<
洗脳の典型的な恐ろしい例の一つだと思います。昭和20年8月15日の終戦放送(別名 玉音放送)を聴くまで、日本国民は「天皇陛下は神様」「神国日本」という思想を刷り込まれ、信じこんでいたのです。「玉音放送」という表現自体がそれを物語るものです。その最終結果として、日本の国は焦土と化し、多くの出征兵士が負傷落命し、一般国民にも計り知れないほどの犠牲者を出しました。一新興宗教である天理教が崩壊するまでに、それほど時間は要しないと思いますが、天理教が完全崩壊し、無条件降伏を受け入れるまでに、現在の信者さん達は天理教から早々に退散するべきです。
↑の匿名です。Ohohooさん。ツイッター見てました。残念でしたね。
応援しています。天理教は方向転換させないと、社会の害になりかねません。
ある教会の奥さんの叫び!!
◯ピピ
@sinkiittendesia
·
1月18日
もーーー!!
どうでもいいじゃんそんな事!!
あーーー
もーーー!!!
うっとーしー!!!
無くなってしまえ!!!
・・・・・・・・・・・・・
同感です。私も切に願います。
あ〜も〜うっとおしい!どうでもいいじゃん!箸の上げ下げ一々言うな!
つい先日、上のお偉いさん?のご指導?に切れてしまった私。不眠が続く、、、。
も〜、無くなってしまえ!!!
ニュースにならない普通の暮らしこそが主役なのよ。←ある全国紙に掲載された、.歌手の加藤登紀子さんの「ひらり一言」より。
堅ぐるしい教義解説よりも、たまには、天理時報もこれくらいの言葉を載せて。
天理教の意見をポジションごとに纏めてみました。
中田善亮(旧中山)「金の繫ぎは命の繋ぎだ!」
(本音 用木は中山の言う事を聞け!)
本部員「そうですね!」
(本音 大丈夫ですか?)
大教会長本部員「そうですね!」
(本音 部内から本部の事聞かれて大変なんだけど!献金よけい減ったし!)
分教会長「・・・」
(本音 間違ったこといってる本部の中田善亮に!何とか言ってください!改善されないなら離脱します!)
信者「会長さん本部おかしくないですか?」
(本音 本部おかしくないですか?)
本音で語っているのは信者だけですよね。この教団は建前ばかりで本音が無くなっているから壊れたのでしょう。
九つ こいつは小細工統領や
建前だけの統領は これはいかんな
いろいろな方の書き込みを読んでちょっと感じたことを書かせていただきます。
会長さんのことをまるで大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことになった日本国民のようだと例えられていましたが、面白い例えだと思いました。発表を盲目的に信じ、玉音放送を聞いたら、誰もが信じられなかったのかとも思います。しかし、そんな会長さんばかりではないようにも思います。現実を見据えておかしいと思っている会長さんや信者さんも一昔前より増えているのではないかとも思います。しかし、その中でおかしいと思いながらも喘いでいる人がほとんどではないでしょうか。
情報機器がラジオくらいしかなかった時代と今は違います。むしろ情報過多の時代でどれが正しい情報か、信じるに値する情報かを嗅ぎ分ける能力が必要不可欠な時代になっています。まして自分が信じるに値する情報なのかは自分で調べて検証することもできる時代です。過去の文献や資料を集め、調べていくと都合よく解釈されているものに出会うこともあります。
元々、教会というのは会長ににをいをかけられ、その人柄や尊敬の念により、信者となり教会のために尽くそうとしてきた信者で構成され、教会単位で強固な結びつきを持ち、運営されてきた面もあると思います。しかし上からのお達しに対し、従うような体制が長く続き、それが信仰だと植え付けられてきた面もあるように思います。
その時代を通った人たちは教会はいいところだ、尽くしてよかったと思えるでしょうが、それを傍で見ていた子供たちの中には反発を覚える子供も少なくなかったのだと思います。二代真柱時代に揺るがない強固なシステムが出来上がってしまった弊害なのかとも思います。芹沢文学を読めばその時代のことがよくわかります。
末端の教会であれば、少子高齢化の波をもろにかぶり、信者の激減で頼れるのは息子、娘になるのでしょうが、子供の中の一人が教会を後継し、兄弟たちは働いて経済的にも助けるという構図も多くあるように思います。しかしそんな末端はいつか破綻します。集会員だった中澤隼人氏も昭和42年に「五十年後の天理教を想う」で危機的状況を述べています。ちょうど50年が過ぎたのが今です。中澤氏の杞憂は現実になったとも言えます。
「五十年後の天理教を想う」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/50nen/50nen.html
世情働きはよくないとか、道一条で通ることが大事だとか刷り込まれて、現実の生活との板挟みになって悩んだりする後継者も多いと見受けます。確かに後継者本人が信仰に目覚め、自らの意思で教会を後継し、勇んだ気持ちで世直しをするんだと教会運営をするのなら、理想的なことであり、それに賛同し、運営面で会長をサポートする役員、信者もついてきたら素晴らしいことだとも思います。しかし、それは少数派になっているようにも感じます。私はその原因は少子高齢化や長引く経済の低下にあるとは思っていません。もちろん少なからず影響はあるのでしょうが、それよりも人間思案で組織の運営第一で、本来、目指すべきところを失ったまま、組織全体が流れていることが原因のように感じます。
キリスト教のようにコンクラーベを行い、その立場にふさわしい人を選び、その人格者についていくような組織運営をしなければ教団というものは成り立っていかないのではないでしょうか。血統主義で人事も家柄などで決まるようなことを続けていては「人材育成」などといくら掛け声をかけても、若い人たちはついてくるはずもありません。やはり天理教は教団として「熟成していない」のかと思わざるを得ません。まだまだ人々が本物だとついていくに値する教団ではないのかとも思えます。まだまだ紆余曲折を繰り返さなければならないのかもと思います。
人材育成だけではありません。お供えの制度にもメスをいれなければなりません。大教会に割り当てのように集金ばかりしているようなシステムで下から順に吸い上げるようなことをやっていては破綻します。今の教会制度、カーストのような形では結局、大教会も分教会も同じことで、ただの中間構成員に過ぎず、無理な集金を親子何代にもわたって続けることは心の負担にしかなりません。むしろ会費制のように明朗な会計でやる方がましです。
本部勤務をする友人とも話しましたが、人材育成がうまくいっていないことを嘆いています。いちれつ会扶育という制度を使い、大学まで出て、その扶育を返すために2年間ひのきしん者として勤め、勤務者になっても5年でやめていく人がほとんどだそうです。部署の構成員も20代の若手と50代以降の古株で中間層がすっぽり抜けているようで、その若手層も30歳までを目安にやめていく人が多いようです。無理もない話です。夢も希望も未来も感じられないでしょうし、本当にこの信仰の元である本部なのかとも勤務の中の経験から感じ取っているからだと思います。それではいくら人材育成が大事だと言いながらもうまくいく道理がありません。何のために教団が存続するのか、存続しなければならないのか根本的に考えなければ、今の流れは止めることもできないばかりか、大本営発表を信じ続けて、8月15日の終戦放送を聞くことにもなりかねません。むしろ神はそうなるように仕向けているのかとさえ感じます。
以前の書き込みで教服を着てバイクに乗って親高生とぶつかった書き込みがありましたが、笑ってしまいました。本部員といってもそのレベルです。誰がついていくのでしょう。大勢の信者の前で講話を熱心にしたところで教理に関して薄っぺらさを感じるだけで、人の心を心底から動かす話などできるはずがありません。しかし、それを論(あげつら)ったところで何の意味もありません。その人たちもその将来本部員になる家柄に生まれたくて生まれたわけではありません。そしてその環境から抜け出せなかったのですから。
研究をすればするほど、矛盾を感じ、がんじがらめになっていくのが天理教です。まして立場が一般教会長、一般信者ではなく本部在籍者であれば尚更のことです。悲しい話や気の毒な話も聞いたことがあります。中澤氏は「アブ的人間」が現れることを期待すると結んでいるが、50年後の今、ネット上は「アブ的人間」であふれかえっているように思います。
>天理教は方向転換させないと、社会の害になりかねません。
アハハ、もうとっくに社会の害ですよ。
悠長な事言ってますね。
それが証拠に町内会の誰一人として寄り付きません。
その様な教会はご注意を。
なぜなら御近所は知ってるからです。社会の害と。
だから誰も寄り付きません。
その上元旦から大きな音で太鼓を叩き、叩き起こされるんです。大晦日ギリギリ迄働き、急ぎ脚で帰宅しやっとホッとして翌日の準備をしても朝にはいつもの時間に叩き起こされる。時計がわりとか目覚ましに丁度いいなんて言う時代じゃ無いんですよ。
町内会の誰一人来ない教会か良く観察する事ですね。
数えた事有りませんが、天理市の駅前商店街の一体何人の人達が本部のお参りに来られるんでしょう??
一応参道ですよね。
でも遠くからばかり来る人が詣でるだけで、商店街の人は行かないんじゃあ無いんでしょうか?
別に信者でも無いし、その地に居て商いしてるだけで。
中には信者って人も居たかも知れないけど。
天理教のお陰で食わせてやってるんだって?
何処も似た様な事やってるんです。
>中山大亮 @daisukeke123 1月1日
中山大亮さんが青ヘルくん【青年会公式】をリツイートしました
あけましておめでとうございます。
旧年中は、青年会の上にたくさんのお力添えを頂きまして、誠にありがとうございました。
今年は、「世界たすけへの挑戦」を胸に、さらに楽しく、ワクワクするような活動を進めていきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。<
「世界たすけ」とほざく前に、
せっかくのTwitterなんだから自分の気に食わないフォロワーブロックなんかしてないで、
「教団運営上、何か改善できることはございませんか?末端および信者の皆様のご意見をお聞かせください」くらいのこと言ってみろ!
お前は将来理の親の頂点に立つんだろう?(理の親は偽教理だが)
世界を助ける前に教団内の理の子が苦しんでいるんだからまずそれを助けろよ。
ワクワクしてるのは一部の御供えあぶく銭貰いの天理貴族だけじゃ!
最近は、教会ニートなんて言葉まで耳にするようになりましたが、うちの会長さんが言うには、道専務の教会後継者というものは、自分のやりたいこと諸々や、自分の夢というものを神様にお供えしているのだそうです。そう言われると確かに、誰にでもできることではないのかも。私だったら、金をもらって頼まれても真っ平御免です。それでもやはり、今時の教会を見ていると、その生活態度や意識に、矛盾や不条理といったものを感じずにはいられません。
代々、子沢山だったおかげで、兄弟親戚のお供えだけで豊かに暮らせている教会。事情教会が8割とも言われるなか、生き残っていることで、自分たちを信仰のエリートのように錯覚し、信者の意見には耳を貸そうともしない。選民意識が強く、常に上から目線で、しまいには信者のお供えで食べて育った教会子弟が、信者の生活レベルを見て、見下した態度をとることも珍しくありません。うちの教会の家族には美食家が多く、ただ美味しいだけでなく、高級であることが大事なようです。回る寿司や発泡酒なんて、まずバカにされてしまいます。
そんな教会で年末年始にかけて、3人の家族が立て続けに病気と怪我に見舞われるということがありました。致命的なものではありませんが、これについて会長さんは、まだまだ上級への伏せこみが、足りてないからだと言います。これまでだって、さんざん組織のための、理の親信仰ばかりやってきたのに、他に反省すべき点を思いつかないのでしょうか。つくづく上の方しか見えない人のようです。神様からの警告を正しく受け取れなければ、いずれ取り返しのつかないことになりかねないのに。
うちの会長さんは、パソコンもインターネットも使える人なのに、自分に都合の悪い情報は絶対に見ようとはしない。これまで書いてきたようなことを話しても、まるで私を憐れむかのような笑みを浮かべながら言いました。
「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」と。
その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだということです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。
昭和20年8月15日の終戦の時、軍人だけでも500人以上が自殺したといいます。長年、信じてきた価値観の崩壊というものに、彼は耐えられるのでしょうか。それとも案外、器用に変わり身できる人だったりして。
新さん @solar753 1月19日
カード会社にお金借りてまで教会にお供えする必要ないと思うし利子付いて返済すんの大変だんだし
教会の会長に「お供え金ないなら生活保護制度を使って国から金貰って教会に金持ってきなさい。」
って前に言われましたが、そんなことしたくないです。
↑
こんな教会長は逮捕されればいいのに。
恐喝罪であり、間接的な生活保護の不正受給だ。
文春とか大きなメディアが叩いてくれないかな。
天理教の闇をもっと暴いて外部の意見(世論)によって粛清する動きが活発化して欲しいものだ。
天理教は福祉と言う「国家予算」に寄生し、太って行く。
これは天理教が故意に目的外にお金を流出させる詐欺行為ではないのか。
血税に目をつけ偽教理を立て、最低限の生活レベルを脅かす行為。
生活保護費をかき集めている天理教の行為を一般市民に広く広報すべきだと思う。
だいすけ君、皆感じています。お気楽にワクワクしてるのは貴君だけ。貧者が天理教手下の者に更に生活を脅かされてる事実を知ろうとせよ。未来ある青年をムードで洗脳し、手を汚さずして夢ばかり見るな。掛け声は要らない。自ら汚れ役の先頭に立つ事こそが人望となり、人がついていこうと言うものだ。
もう一つ。謝礼付きなら世界助けの実働にはならない。
謝礼は置いて帰れ。行くだけで懐が温もるならそりゃワクワクするわ。貧者は最低限の生活の中にワクワクする心の余裕がどこにあると思っているんのか。貴君の周りに群がっている青年達も、口には出さないが中味を覗いてみれば仕事も持たされず生活苦でブルブル震えている若者も多いはずだ。
東風z様、有難うございます。
おトキさんの「自分からの人生」(好きなことを好きな人と、好きなように、、、、50才を過ぎたら嫌なことはしない、と心に決めたの。私だって若い日には無理をしたのよ。だから今は最高の人生を!)
私の場合は68才を過ぎてからですが。
遠い昔、高校の卒業アルバム用に寄せ書きをしました。私は「自分に素直に!」でした。
教会の三男坊と結婚してからは、自分の心に蓋をして不足、腹立ちの数十年でした。
でも、だから今がある、強くなれた自分があると思える様になりました。
今年は古希の学年同窓会をバスケ部だった男子が開催してくれるそうで楽しみです。それまでケガしないよう、病気しないよう、万全の体調を保たないと、、、
大変でしたね。
ROM垢だけ改めて作るか、ここからツイートログを閲覧して頂ければと思います。
https://twilog.org/o_muthuki
>>うちの会長さんは、パソコンもインターネットも使える人なのに、自分に都合の悪い情報は絶対に見ようとはしない。これまで書いてきたようなことを話しても、まるで私を憐れむかのような笑みを浮かべながら言いました。
「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」と。
その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだということです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。<<
嘉永6年(1853年)と言えば、神奈川県浦賀沖にアメリカ合衆国のペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻(黒船)が、日本に来航し、開国を迫る足がかりとなった年です。約250年余り続いた江戸幕府の封建制度が完全に崩壊(明治維新)し、日本国が近代国家へと船出しようとする先駈けとなった事件でもあります。
そうした時代にあって、「天理王命」という神名を口にだすこと自体、そもそも時代錯誤、狂っているとしか表現のしようがありません。読者の皆さんはどのような感想を持たれますか?
>「いや、嘉永6年に天理王命という神名はあったよ」
こんなことを真に受けている会長さんもいるんですね。よろしければリンクを貼っておきますから、是非、その会長さんにご紹介いただければと思います。嫌味で紹介するのではなく、本当の道を求めるよすがになればと思うからと付け加えていただければとも思います。
「天理教の神名変更について」早坂正章
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/1247/GKH010703.pdf
天理大学の早坂教授が書いたものです。以前、小寒の浪花布教について調べたり、神名流しについて調べた時に読んだものですが、嘉永6年はありえません。
「天理教における親神・天理王の命の神名」澤井治郎
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=2053&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1
これも同じく天理大学の澤井講師の論文ですがPDFになっています。上記の早坂教授の論文についても触れ、神名について述べています。この二つを読むだけでも「天理王命」は明治以降の神道国教化が影響し、「天倫王」や「天輪王」が変わったものであるとわかります。更にその時代についても考えると嘉永時代というのでは矛盾が多すぎるように思います。
嘉永6年(1853年)黒船が来航し、おやしきでは母屋の解体、夫善兵衛の出直し、こかんのなにわ布教、長女おまさが福井家へ嫁ぐ、などがあったとされる年です。教祖がおびや許しを始めたのは、その翌年の安政元年(1854年)であり、まだ「天理」という言葉さえ現れもしないころです。「天理」という文字が現れ始めるのは上記2つの論文を読んでもわかるように明治になってからの話です。三条の教則が出てからと考えられます。
ひらがなの発音「てんりん」に漢字をあてはめたもので「天輪」あるいは「天倫」と表記していたのであり、嘉永の時代に「天理」というのは不自然です。まして教祖直々に書かれた「おふでさき」には「天理」の文字も「てんり」もありません。「おふでさき」自体も明治(1868~)に入って書かれたものであり、嘉永時代に「天理」はどう考えても不自然です。桝井家に秀司が書いた書が残っているようですが、それにも「天輪王命」と書かれていることからも発音は「てんりん」であっただろうと思われます。
教祖に助けられ信者ができ始めたのは文久、元治、慶応の頃であり、それ以前の嘉永の時代に「天理王命」という神名があって、それを唱えていたというは考えにくいです。もし唱えていたとしても「てんりんおうのみこと」だったでしょう。
以前、現役の教会長さんにこんな話をしたところ、「そんなむずかしいこと、わからん」と一蹴されました。それどころか「どうでもいいやん、神名なんか…」
本席亡き後に徐々に国家の流れに追従し、第二次大戦が終わって、やっと縛りがなくなって本来の教祖の教えのままに世界の全人類にだめの教えとして伝わっていくべきものが、ゆがめられて、現代に続いてきてしまった弊害なのかもしれません。共に真実を見極め、本当の平和な世の中、陽気にくらせる社会実現のために道を追求したいものだと思います。
うちの会長さんと天理教の神名について話した時、澤井講師の論文も示して話したのですが、それでも教祖伝など道友社によってキチンと製本されたものしか信じようとはしませんでした。
まるで桝井孝四郎の意見みたいですね。
「これは初めから「てんり」であるべきものであると聞かせていただいております。・・・その書は・・・今天輪王命とはっきり書いてございます。しかし、これはそう書いておりますのでございますけれども、言うまでもなく、天理であると聞かせていただいております。」
天輪王命とはっきり書いてあるが、言うまでもなく、天理であるだなんて、ちょっと強引ではないのかな。
あれこれ話しても、やはり最後には「どうでもいいじゃないか」で終わってしまいます。赤の他人の会長なら、もう好きなように思わせておくところですが、なにしろ従兄弟ということで放ってもおけません。
早坂教授の論文は知らなかったので、これから読んで他の資料と合わせて考えてみたいと思います。でも本当は、天理教という組織が健全でさえあれば、神名なんて問題にすることも無かったのかもしれません。
新さん @solar75
パートに行けてるので、早い内にメンタルクリニックにかかった方がいいよ。
天理教の悪い所は医者や看護師でも無いのに、いかにも医学治療分野を勉強したみたいな事を言って金に結びつける事です。
皆さんが仰る様にそんな教会長は逮捕どころか役所に通報すれば良い。最寄りの地域支援センターに行き相談員に相談をして然るべきクリニックを紹介して貰うといいですよ。相談員は優しい人が多いから話しをちゃんと聞いてくれます。
天理教からは離れる方が良いし、金の要求には一切応じない事です。
相談員に、しつこい様なら天理教の教会長から金を要求されてると伝えなさい。
単細胞の生命をはじめ、地球上の生き物が産まれたきっかけは何か、諸説ある様です。
偶然か、あるいは神秘の力によるものか、いつか解明される時がくるのでしょう。
解明のその過程にある現在のところ、世界に在る様々な宗教に心を寄せている(又は、寄せていた)人々の人口は決して少なくはないようです。(宗教関係の統計は天理教に見られるように、幽霊信者数が闊歩していますから、実態は知り様も無いのですが、全くの無神論者数という統計が無いようなので、曖昧な印象になりますがお許しください。)
その現状を踏まえての神名に関しての私見です。
「親神」という呼称も二代真柱の教義整理の天理教教典に見られますが、中山みき=教祖に神がかりがあったことから考えると、教祖自身は神の存在をキャッチされていたことが唯一、天理教のはじまりとしての拠り所になるかと思います。なので、私は「神」様に心を寄せています。
口先では座り勤めで決まり文句を(私にとってはただの決まり文句にしか感じていないので)唱えていますが、「△×の命」という存在は子供の頃から頭に在りませんでした。(そういえば子供の頃は「てんりんおうのみこと」と唱えていました。子供って素直ですから周囲の人の声から学んでの事だったと思います。)
「神様」という世界標準の言葉にのみ畏怖の念をもって対峙しています。
加えて言うのならば、天理教だけが唯一の信仰とは考えません。たまたま親がお道についた二世ですが、組織としての天理教、上に都合の良い教義を信奉する世界には住んではいません。
宗教の細かい教義やら祭事やらは、すべて人間の考えた組織内の決まりごとにすぎません。茶の湯の手順とか、和弓の作法と同じようなものです。「心を整てから事にあたる」という意義はあるにしても、です。
(注)神霊主義に傾倒する人が、神に種類があるという、それらの「神」は私にとっては神様とは思えません。神霊主義は独善的になりやすい傾向や、思い込みを排除することが難しい世界のように見受けられます。
@@@@@@ 父親さん、見解の相違ですから絶対に絡んでこないでください。@@@@@
神の存在をキャッチということで最近バシャールというものがテレビにネットにあらわれますが、
もし、神が高次元の別の宇宙生命体であるとするとじゃおさづけは何なのという疑問が残ります!
未来の化学のDNA治療が働いて、人間の自然治癒力を高めるのか?はてさて?
信じるも信じないもあなた次第であります!
ダリルアンカは本物なのか詐欺師なのか!
水と神とは同じこと心の汚れをあらいきる!
真実を神様が受け取って人間の自然治癒力を高めると信じたい!
私は、教祖が五重相伝を受けるほどに熱心な浄土宗の信者であったこと。しかし浄土宗による救済に限界を感じ、真言宗をも学んだことから「転輪王」に出会ったという八島英雄氏の説から、教祖が最初に教えた神名は「転輪王」だとばかり考えていました。
しかし、早坂正章教授によれば「転」の字が使われたのは、明治13年の転輪王講社の設置から明治15年までの極めて短い期間だとのこと。確かに明治15年頃の御神楽歌の本を見ると、「天」の字になっています。
この頃は既に三条教則も出された後なので神道式に「みこと」までついています。「ちょいとはなし」から始まっていて、「いちれつすまして かんろだい」の後に、第一節みたいなものがあるのですが、「あしきをはろうて」ではなく「あしきはらい たすけたまえ てんりんおうのみこと」となっています。もしかしたら、おさづけに使われたものかもしれません。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/hon-mikagurauta/hon-mikagura.html
もう一冊の古い御神楽歌の本では、第一節は一切ありませんが、破られたわけでもないようです。歌の終わりでは「天輪王命」と唱えるようですが、九下り目の八つは「やまのなかでも あちこちと てんりんおうの つとめする」となっています。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/mikagurauta1/mikagura.html
いずれにせよ、明治18年の改正諭告以前、まして江戸時代に「天理王命」という神名は絶対にあり得ないし、神仏習合の江戸時代とはいえ、五重相伝まで受けた教祖が、わざわざ「命」のつく神名を考えたとも思えません。
ところで関連のサイトで知ったのですが「転輪王」というのは、あくまでも理想的な「王」の概念であって、神というものではないのだそうです。そういえば、おふでさきには「天理」や「てんり」の文字は無いかわりに、「転輪王」や「てんりんおう」といった文字も無く、ただ「をや」「月日」「神」と書かれているだけです。それでも御神楽歌を作る過程で、必要に迫られて「てんりんおう」という仮の神名を決めたのでしょうか。
早坂教授の論文によると、明治29年以降は神名は「天理大神」に一本化され、「天理王命」という神名も公の場からは消されてしまったということですが、「南無」をやめて「あな」にせよと指導があったのも、この頃ですね。
以前、会長さんから聞いた話ですが、本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。あれはあの時代に、おつとめを蔵に隠れて続けた本部員がいて、それを知った二代目真柱が、戦後その者に命じて書かせたのだとか。
戦後すぐに復元に取り掛かったことで、二代目真柱を高く評価する声もあるようですが、それならどうして神道天理教会以前、それこそ教祖在世の時代にまで戻さなかったのでしょうか。ただGHQによって神道との関りを追及されることを心配しただけではないのかと疑ってしまいます。
終戦当時、GHQは「国家神道」こそは日本国民を戦争へと駆り立てた悪の源泉として糾弾する構えを見せていました。被占領地の信仰への干渉を禁じるハーグ条約などもあって実現はしませんでしたが、それでも天理教の中で利益を得ていた者達としては、神道との関りなど無かったことにしたかったはず。やがてGHQが去ってしまうと、復元も中途半端なかたちで止まってしまいました。もう永遠に再開されることもないのでしょうね。
参考意見様
前の書き込みに対する意見をまとめていたところですが、次の書き込みがあったので、それに対して先に書かせていただきます。また神名に関しては次に書きこみます。
>以前、会長さんから聞いた話ですが、本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。
>あれはあの時代に、おつとめを蔵に隠れて続けた本部員がいて、それを知った
>二代目真柱が、戦後その者に命じて書かせたのだとか。
神殿南礼拝場にかかっている「よろずよ八首」の額は高安の初代、松村吉太郎の書です。それ以前は天理フォーラムの資料1にあるように「信徒参拝心得」の額を飾っていたはずです。写真もあるのでリンクしておきます。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/sinden/sinden.html
松村吉太郎についてもずいぶん調べてきたつもりですが、現在の天理教の元を作った元凶の一人と言っても過言ではないと思っています。「道の八十年」はお読みになっているかもしれませんが、中の内容をよく読んで史実を一つ一つ整理し、他の資料と比べていけば二代真柱が成人し、カリスマになるまで実務面で実権を握り、いいように体制を作ってきた人物であるとわかってきます。時代背景もありますが、国家と結びつき満州天理村などにも関わり天理教の異端とされるような過去の歴史的な事件にも深くかかわっています。
>戦後すぐに復元に取り掛かったことで、二代目真柱を高く評価する声もあるようですが、
>それならどうして神道天理教会以前、それこそ教祖在世の時代にまで戻さなかったのでしょうか。
「死の扉の前で」をお読みでしょうか?復元にかかった時の話がいくつも出てきます。全部書くとか長くなるので書きませんが、特に東井夫人の話が真実を物語っているように思います。芹沢氏の驚きもさぞや大きかったと思います。「復元」を読んでいくと本部の中で教祖を直接知っている古参の人たちと二代真柱の間でいろいろあったのだろうと感じます。二代真柱を高く評価するのは文化的な面で大きく貢献している部分もあるからだと思います。豪快な人柄ながら、頭脳明晰で人情も厚く、やはりカリスマ性を持っていたのかとも思います。秀司が生まれ変わって、前世ではうまくいかなかったことを今世で自分の思い通りやったのかとも感じています。それだけに井出くにのことは避けていたのかとも思います。
中山家は側近を血族で固め体勢維持を図ってるようですが体勢は守れても教団存続はきびしいでしょう。血族以外の者からすると「その教団天理教では無く中山教ですよね?」とはっきりとばれてしまった。近年の法人乗っ取り、甘露台倒壊、真柱病気、そして中田善亮の「金の繫ぎは命の繋ぎ」これこそ異端教理として皆さんに周知させてしまった。この発言に関して中山家の親族の中でも批判しているものが居るといいます。血族の中から批判するのもいいですが、皆さんに示しをつけるために、中田善亮は退陣させた方がよろしいです。時期真柱の実の親が異端ではね。呆れます笑
2020年1月21日 11:01 AMの匿名 様
81年を生きてきて感じたことは、自分に正直に生きることだと思っています。言うは易し行うは難し、ですが加藤登紀子さんの一言で一層、背中を押していただいたように思っているんです。
難しい天理教教義の議論には加わることは出来ませんが、歩んできた人生を反省の材料として残された人生を生きていこうと思っています。
例えば、今日は体調が思わしくなく食べたくないと感じた時は、無理をして食べずに水分と多少の塩分(梅干し)を摂って過ごします。二日も過ぎると体調は戻ります。煩わしい因縁論を気にすることもなくなりました。
まだまだ、お若いですから、一挙手一投足を楽しみの糧として過ごされんことを願っております。
神名は大事かも知れない、どうでも良いかも知れない。
経典主義なら、想定する神名が変わるのは、経典の信頼性に関わるから問題かも知れないけど、それが実在する偉大なる存在の場合、てんりんおうでも、てんりおうでも、指し示す存在が同じなら、信仰上の問題にはあまりならないでしょうね。
偉大なる存在なら、名前はありませんからね。
ヤハべ、エホバと同じ様な存在なら、てんりんおう、てんりおうの違いは、まあ人間の都合と時代の問題と言う事で、良いんじゃ無いかと思いますね。
神は偉大なる存在で、人間とは別であるとすれば、我々は、神の作った宇宙と言う箱庭世界で陽気暮らしをする、ペットみたいな存在と言う事になり、死んでは出直し、死んでは出直し、永遠に箱庭でしか生きられない存在と言う事になる。
仏教の曼荼羅は箱庭を表している物であり、どこかで解脱して、別の箱庭に移り行くのか?
エホバの証人は、この箱庭が最後の審判のあと、永遠に変わらない箱庭になり、人々は永遠に箱庭で仲良く暮らし、神はそれを見て、喜んでいると言う事になる。
スピリチュアルや大霊界世界観には、この世に永遠の存在はありません
あるとすれば、絶対的存在がいる、最も深奥の世界であり、我々は、そこを目指して、肉体消滅後も旅を続ける事になる。
この広大な世界(宇宙の外を含む)全体を、それぞれいろんな段階の存在が、神として運営に参加していて、世界(宇宙の外を含む)の秩序を保っている。
同じ、神を信仰すると、日本語で言っていても、想定する世界観が違うので、互いに、相容れないのを承知して、へえ〜って、聞き流したら良いでしょうね。
お授けも、偉大なる存在を想定するのと、スピリチュアル神霊主義では、仕組みが変わってしまいますが、良かれと想う、人の祈りに違いは無いですね。
それは、愛の祈りだと、ありきたりに、考えたりしますね (笑)
参考意見様
>その根拠を尋ねると、ただ教祖伝に書かれているから、二代目真柱がそう言っているからだと
>いうことです。これは、かなりの重症・・・いや、手遅れか。
二代真柱は絶対の存在で現代に続く信仰面でのカリスマであったのかと思います。しかし、その実態は芹沢光治良の「死の扉の前で」を読めば、神ではなく、むしろ人間臭さ満載の人であったと感じるはずです。また本部の重鎮の方々が独裁的な動きに焦燥感を抱いていたこともわかります。二代真柱が人間でありながら神の代理であると植え付けられてきた人にとっては、自分が信じてきたことを全否定されるようなものですから、簡単には受け入れられないでしょう。
「何かおかしい」と感じ、矛盾していると思ったら、自分で調べ、腑に落ちるまで検証し、納得がいけば、その道を信じて通ればいいのだと思いますが、何でも他人任せで盲目的に信じ込んでいては、人に、組織に、いいように使われるだけで気の毒な結末を迎えるしかないのかとも思えます。おっしゃる通り「手遅れ」になる前にしっかり自分の目を開いてもらえるようにしていくべきかと存じます。
>あれこれ話しても、やはり最後には「どうでもいいじゃないか」で終わってしまいます。
>赤の他人の会長なら、もう好きなように思わせておくところですが、なにしろ従兄弟と
>いうことで放ってもおけません。
お察しいたします。しかし、天理教の場合、大多数の人が年号がどうのこうの、史実がどうあったとかは関心の外の話であり、教会長にしてもそう思っている人が多いのではないでしょうか。私もどうでもいいじゃないかと思っていますが、どうでもいいと割り切れないのは、誤った情報や創作で都合のいいように教理面を説かれ、苦しんだり、嫌な思いをする人がいるのは健全ではないと思うからです。だから昔から伝わる逸話や教典、教祖伝などに矛盾がないか、それを元に都合のいいように人々を間違った方向へ導いていないかを正したいので、こちらのコメント欄に書かせていただいております。
神名にしてもそれは人間が暮らしていく上で便宜上、必要だから名称があるだけの話で、日本語を話す日本人だから、日本語の「天理王命」と付けられているだけで、「TENRIN-OH」と表記して、音を読めてはいても、漢字を使わない民族には「理」でも「倫」でも「論」でも何の意味も持たないと思います。私にとって神は「親神」であり、親なる神であり、人間とこの世を創造したもとだと思っています。その「神」の名称が時代の影響を受けて、いろいろな変遷があったというだけのことかもしれません。
“本物”の「神の社」が人々に「てんりんおうのみこと」だとしっかり伝え、それを唱えることが正しい道だというのであれば、それに従うべきかとも思います。しかし文字化して表記しなければならないことから「天輪」だの仏教由来の「転輪」だの「天倫」だのと出てきたのかとも思えます。しかし、そもそも漢字を使わない言語の外国人にこんな話が通じるでしょうか?日本人はともかく外国人に「てんりんおうのみこと」と唱えなければ救われないよということになるのでしょうか?世界宗教であるなら、究極のだめの教えであるなら言葉を超えた真理がなければなりません。
大事なのは本当に人が通る道のことであり、平和に陽気に明るく暮らせるための道を説いていくことができる組織が宗教の団体、教団であると私は考えます。残念なことですが、今の「天理教」がそうであるとは思えません。人に関してはカースト制度、教会運営はピラミッド体制のままで、誰がついていくのでしょう?そもそもそんな階層制度を作り上げることを「神の社」となったみきが唱えていたのでしょうか?おふでさきに残したでしょうか?すべて大正期から昭和初期にかけて“人間”が作り上げたものではないのでしょうか?
誰がそれを作り上げていったのか、そしてどうしてそうなっていったのかを調べていって、過ちを繰り返さないようにしていかなければ未来は変わりません。その旬が百年祭だったと思っていますが、何も変わっていません。
やはり、「どうでもいいじゃないか…」で済まされる問題ではないようです。
人間にしか宗教、神という概念は認識できない
他の動物には、祈る、祀る、拝む、そういった行為は見受けられません。人間に近い猿やゴリラ、チンパンジーにも見受けられません。
宗教を始めたのも人間。
天啓を受け、伝えたのも人間。
石や木に綱を巻き、神の依り代としたり力士の最高位の横綱も。
みな人間がやること
人間以外の動物には、群や集団、ボスを中心とした組織くらいしか
作れません。
人間がはじめたのが宗教。
そこに、人間より高い位置、存在を作り上げ、様々な事象に当てはめたものが宗教。
人間がはじめたものを、人間が続けていく。
人間がいなくなれば宗教は無くなる。
天理教世界観とスピリチュアル世界観について、ちょっと考えると
心とか魂とか、肉体以外に連続する存在を認めるなら、人とは違う、大いなる神と言う世界観であっても、人が神へと連続する世界観であっても、そうは違いが無いと思いますね。
神は偉大なる存在で、人間とはまったく別であるとすれば、我々は、神の作った宇宙と言う箱庭世界で陽気暮らしをする存在と言う事になり、死んでは転生し、死んでは転生し、この箱庭宇宙で、生きていく存在と言う事になる。
心とか魂とか、永続的な存在を認めなければ、ただの生物と言う存在で、それはそれで成り立つし、外側に神様も存在してもしなくても、どっちでも良くなります。
人はただの、生物と言う存在に過ぎない、と言うお話。
エホバの証人は、この箱庭が最後の審判のあと、永遠に変わらない箱庭になり、人々は永遠に箱庭で仲良く暮らし、神はそれを見て、喜んでいると言う事になる。
それだと宇宙の時間軸が固定されてしまうので、神の目的としても、それは有り得ないと思える。
心とか魂とか、連続する存在を認めると、この箱庭に閉じ込められる世界観では、宇宙も変化していき、またいつかビックバンを起こすので、どこか、現存宇宙以外に、心とか魂の存在できる世界を求めたくなる。
人とは違う、大いなる神が作ろうとしている世界であっても、それはやはりどこか宇宙の外にあるのでは無いか?と思いたくなります。
大霊界世界観は、連続する世界観であり、物質宇宙界から、さらに小さく細密になる素子へと変化しながら、心と魂と言う連続する、エネルギー体と言う個を維持しながら、進化向上を続けて行く、そして、最終的に、親である絶対的存在のいる世界にたどり着き、親神と共に、子として神々の世界を発展させて行く事が、最終目的である、と言う事です。
末端の人間から見たら、上の段階の進化向上中の存在は、神に等しい存在に見え、また、どの段階に置いても、上の段階から、導くために、手を差し伸べる存在がいると言う事です、当然、この世に生まれ変わる事は無く、必ずどこかの世界に行く事になる。
偉大なる神が、ただ1人存在し、連続する(魂と心)を大勢、子として育てているのか?
偉大なる神と、神が生み出した我々、連続する子供達が、それぞれ、段階で神として下を導いているのか? と言う違いだけですね。
スピリチュアル神霊主義の人は、多くの霊人、神々に、直に祈りで接するので、親神1人だとは、思えない訳ですよ。
自分に多くの、霊人、神霊が関わっていると、心と魂で感じている訳ですね。
神とは? と聞かれたら、神のエネルギーは、心で感じるのは、愛そのものであると思いますけどね。
人が生物以上の存在ではないとするならば、愛と言う存在も、無いのでは無いかと思ってる訳です。
本日久しぶりに南礼拝殿より朝勤め参拝をいたしました。
一番前の真ん中に相変わらずの方がお元気に参拝されていました。えーぃとかおーっとか独特な奇声とふりですが雨の日も風の日も変わることなく毎日ご参拝されていることは素晴らしいことです!
このかたにとっってはおつとめさえも形式はどうでもいいことで大事なことは毎日、変わらず、真実を尽くすことなのだなと思わせていただきます。
永尾よしえ先生のおつとめの地唄がありますのでご紹介いたします。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/mikagurauta/iburi.html
うちの会長さんみたいに今現在60歳前半くらいで、まだ3代目の教会長というものは、教団にとっては最も都合よく、扱いやすいカモのような気がします。
会長さんが子供の頃、初代はまだ在世中であり、その思い出もあって、教会の元一日というものには強い思い入れがあるようです。道一条で通った初代と先代の苦労を見たり、美談として聞かされながら育てられ、そのおかげで結構な今があるものと実感してはいるが、自身にはそうした苦労は無く、不自由を感じている様子もありません。
4代、5代と、それこそ教祖の時代から続いてきた古い教会に伝わるような話を聞いて育つこともなく、道友社の検閲済のような書物だけで天理教を学んできたのでしょう。
信仰の相手は神様だけだと、口では言いますが、上級を理の親として絶対視していて、行事の体裁や数字的な目標といったものは、とても大事なものみたいです。
一度、真柱邸に入ったことがあったせいで、すっかり頭の中がお花畑になってしまい、真柱様の暮らしは質素なもので、調度品や家具も粗末なものだった。出かける時は自転車だったなどと力説します。それが信者へのパフォーマンスだとか、税金対策というように考えることはないようです。次期真柱の結婚パレードとか、若江の家を疑問視する様子もありません。それは特別な魂の人だからなのだそうです。
いずれ一般の信者が一人もいなくなっても、兄弟親戚だけで充分やっていけるのなら、いっそ組織とは手を切って、天理教豊文教会のような単立教会になってしまえばいいのにと、私などは思ってしまいます。べつに給料をもらってるわけでもなく、上納金やら一方的な奉仕があるだけなのに、それでも大きな組織に身を置いて宗教活動をしたいものでしょうか。私には今だって、すでに世界助けには程遠い、身内だけでの自己満足な宗教ごっこにしか見えていません。こんなことを言ったら、さぞや激怒されて、話す機会も失われてしまうことでしょう。
これまで天理教の不条理に気づいてもらいたくて、神名の問題やら歴史的な矛盾やらを切り口に論じてきたのですが、60年以上かけて形成されてきたポリシーは、人がどんなに言葉を尽くしても変えられるものではなさそうです。
そう遠くない将来、会長さんは引退することになりますが、次からの世代のためにも、なるべく辛くないかたちで神様が、いろいろと考えざるを得ない機会を与えてくれることを願うばかりです。
ちょっと友人の教会長から聞いた話ですが、問題だと感じたので投稿いたします。
今、教会本部が各大教会に実働していない教会、名称だけの無担任教会などを整理し始めていると聞きました。大教会以下の分教会では「分教会」という名称でも部内教会があり、その下にまた部内教会があり、さらにその下に布教所があるというような形ですが、後継する者もおらず、教会自体をお返ししたいということも多々あるように見受けます。末端はもちろんのこと、中間に位置する教会でもそれは起こっています。
大教会からも部内教会にそういった教会があれば申し出てくるようにという動きがあるにも関わらず、何とか名称を残そうと他の部内教会の前会長やあるいは奥さん、子供、会長の兄弟などを立てて、残そうとしている事例もあるようです。私自身も他系統の会長からそういった話を直接聞いたことがあります。
しかし、この行為は明らかに間違っていると思います。
まず、第一に本部が整理をしていくという方針を出して実行しているのに逆らっていることになりませんか。第二に無担任教会になるまで上級教会は丹誠もしてこなかったから、結果的にそうなったのではないか?仮にやっていたとしても力不足でそうなった結果ではないのか。それを部下教会に押し付けるような形で体裁ばかりを取り繕うとするのは神が望むところなのだろうか。第三にそういったことをやっていればそんな姿を見ている部内教会の子弟の心はお道から確実に離れて行ってしまう。子弟だけならまだしも信者さんも愛想をつかしてしまうでしょう。本物ではないことを本物だと信じ、矛盾を感じながらもそうすることが信仰だと勘違いした結果が無担任教会という結果ではないのでしょうか。私にはそうとしか思えません。
私は大正期の倍化運動で急激に数だけ増えた教会が内容を伴わず淘汰されていった結果としか思えません。もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。それは部内の下の教会であればあるほど、そう思うはずです。固定されたカースト制度のようなものですから。誰が好き好んで、上級教会の言いなりで苦しい道を選び、子供に苦労をかけたいと思うでしょうか。
本当に信仰に目覚め、やはり世の中を立て直すにはこの道しかないと教会を盛り上げていけばいいが、下の部内教会が頑張れば、助かるのは上の教会であり、親教会を助けるのが子教会の務めなのだろうか。何かはき違えてはいないだろうか。
今の教会制度では若い人が離れていくだけのように思います。腹を据える覚悟がなければ通れるものではないとも思います。だめの教えにウソ偽りがないかを自分で検証し、道を求め続ける覚悟がなければ到底、務まるものではないように思います。ただ組織の中で江戸時代の封建制度のような中で無難に過ごしていこうというような気持では先は見えているようにも感じます。
現状の天理教という組織にはついていけないと真実を求めようと、教会役員、信者と相談して単立教会として独立することもできるようですし、無理難題ばかり言ってくる上級と縁を切ることもできる時代です。上級は部内からお金を吸い上げ、自分の子供には高い教育を与え、部内の末端教会の子弟は教育の機会さえ奪われる。天理教の中で嫌になるほど見聞きしてきた事例です。いいかげんにやめませんか。体裁を整えるために天理教をやっているのではないでしょう。
無担任教会、名称だけの実働もないような教会はすぐにでもお返しするべきです。恥ずかしいことでも何でもないです。もともと無理な倍化運動をやった結果なのですから。
とっとと名称をお返しして楽になりたいといった友人の言葉が胸に突き刺さって離れません。
天皇も人間といったおやさまの言葉に対し
天理カーストを作って人間に上下を作ってしまったのが今の組織です。
そこに生まれただけで、何の力もなく、本人は徳の違いと常に上から目線の人々です。
血筋でつぐのを避けるためあえて飯降伊蔵先生を後継者とし、息子や孫に継がせなかったのもおやさまです。
後継者は血筋ではなく一番信仰に燃えるものが継ぐべきです!
一度つぶしてしまって原始天理教に帰るべきだと思います!
おさづけもたまへさんから以降は親神様の承認しないおさづけなのでただのオカルトだと思います。
一〇〇〇人やれば一人や二人はプラシーボ効果で助かるでしょう!
現代は病だすけの時代ではなくいくらでも世の中のためになることをすることがおやさまの思いにかなうことだと思います。
>>もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。<<
いますよ、ここにいます。
我が子にはお前達は自分を大切にして自分らしく生きなさい、と伝えています。子供達には懇々と天理教の不条理と阿呆らしさ、馬鹿らしさを説き続けております。(ついでに友人知人にも。)「安心しなさい。貴方達にこんな信仰はさせるつもりはないからね」と宣言しているので彼らは安心して自由に神を求めているようです。
天理教は体裁だけの活動です。数だけの辻褄合わせです。あからさまですね。「心」と言う大切な物を置き忘れています。うちの大教会も会長不在の教会には教会長を引退したような老人を形だけの教会長にして数字を保っています。他にも会長不在教会を沢山抱えていますので、そう言う意味のない体裁維持の為の努力をする。
我々教会家族は形を保つ為の一つの駒で有り、自由にあちこちに送り込まれ、組織助けの一つの駒位なもの。その為に高齢になっても尚、己れを無にして大教会と言う権力者に人生を振り回されるのです。
せっかく戴いた命を、道を外した欲ぼけ組織の為に捧げているのです。皆目を覚ましましょう。自分らしく生きましょう。自分を大切にしましょう。神はいつでもどこでも無条件にご守護し続けてくださっています。意味のないプレッシャーに押しつぶされる無駄な苦労は返上し、健康を害する不条理なストレスから解放されましょう。
数年前までは、こちらの書き込みも真っ向から信じる人は少なかったでしょうが現実本部中山家の行いが表面化しこちらで書かれた先行きの懸念は予言のように当たり天理教と中山家のひずみは明らかになりました。こちらでも書かれる「中田善亮が悪い!」のも分かりますが、中田善亮を表統領と言う重要なポストに置き続けている。「真柱、親族、血族、本部員」など囲いの連帯責任です。
次期真柱は大亮くんなんですよね?大亮くんの実の父親が評判悪いと次期真柱の評判も悪く成る事が理解できなかったんでしょうね。ネット社会になっても隠蔽体質で逃げ切れると思っているのもお恥ずかしいです笑
その大亮さんを取り巻く若手連中がワンサカ活動している青年会!
心ある青年や、社会の厳しさを肌身に感じている青年たちの苦労を知らずに肉を食って喜んでいる天理村民。
人の時間を奪ってしつらえた後継者の結婚を何とも感じないお祭り好き天理教の人々。花道に飾り付けられた多数の花は、誰の手によって、誰の時間を犠牲にして作られたかと考え、吐き気がしたものだ。
大亮夫人は「魂がちがっていた」と話したり、書き込んだりするお花畑住民たち。
お徳がある?そう説明すれば納得するとでも思っているウマシカ動物園管理者たち。
表統領+大亮夫妻体制がここ数年の間に出来レースで整えられつつあるのが現状だろう。
うちの会長はことあるごとに大亮さんの名前を引用する。
それを聞かされる私は、参拝するための時間と交通費、内容の無い講話を聴かされる苦痛に毎月耐えている次第だ。「こういう親しか持てない我々に徳が無いのだ。」という天理教独特のあきらめが信者たちの間でつぶやかれている。自分の親から受け継いだ信仰の中で生育してきた、素直すぎる老人たちには「面従腹背」というエネルギー消費の少ない方法で抵抗するしか道がないのだろう。そして自分の子や孫には信仰を継がせないだけではなく、自らが教会からの「防波堤」となっている例も多い。「防波堤」!一気に参拝を止めれば、その後何かの不幸に襲われた時に、「信仰を止めたからだ」と自分を責める事になるかもしれない。そう思うと、面従腹背が穏やかに信仰を止める最適方法だと言えるのかもしれない。止める覚悟ができる人ばかりではないからだ。
「みちのとも」によると、まだまだ地方では地元密着の教会も存在するようで、狭い国土の日本であっても、多様性が有る事に、今更ながら驚かされる。仏壇を廃し、講社祭りにかえること、全村150戸中100戸。そういう地域もあれば、都会ではたとえ教会の人であっても狭い部屋に招き入れる事を躊躇する面もありと、様々だ。人の心が激しく変化しているその中でも最も変わっていることが女性の心だろう。今や女性が台だと説けば「私はそうは思いません。」と反論する女性は半数位はいるだろう。たとえ教会長夫人であっても心の中では反論している人も多い事だろう。「こうしたらどう?」なんて口にすれば「あー、もう、うるさい」と心の中で毒を吐く人のなんと多い事か。Twitterを見ると、もう、天理教の教えはパワハラ・モラハラ・毒親の言葉としか受け付けられない女性たちがいかに多いかと感じる。そういう人を相手の布教なんて無理じゃないかと感じている。
人間の中身がこれほど乱雑になっているからやたらな人には近寄らないように身を守る必要も感じる。けれど、離れられないのが家族であり、そうした中でこちら(高齢者)が心をやられ、挙句には体に不調が起きる事も有ると、整体の先生が話していた。思う事を口にしない高齢者は多く、マッサージをしていても、体をほぐすためには、まず、心をほぐさない事には効果がでないそうで、先生はマッサージ中に、言いたいことを言わせ、否定することなく聞いてあげるのだそうだ。これは天理教の先生にも聞かせたい言葉だ。
分教会レベルでのはなしになるが、月次祭の後、信者たちが居残って雑談しないように忙しそうに振る舞ったり、無駄口をしないようにしている会長夫人もいる。早く帰ってもらいたい、解放されたいと願う気持ちも理解できるが、信者からすれば時間を都合して参拝してきたこの機会は、他の信者たちとの談笑の機会でもあるので、もう少し、一時間程度はゆっくりしたいと思っているそうだ。忙しい毎日だから仕方ないね、と、物分かりの良い老人たちはあきらめているそうだが。お勤めを務める事で感謝を表すと言ったところで、教会が心の中を吐き出す場所になっていなければ、教会の存在価値などどこにあるといえようか。若い人から見れば、老人のくだらない話に付き合いたくないのだろうが、教会の社会的存在価値は世界だすけなどという高邁な理想(しかも口だけの)の前に、寄り集まった人たちが楽しく談笑し心の中を掃除して、家路につくこと、これはお金が無くても実現できることだろう。高齢者たちが少ないながらもお供えを運んでくるのだから、その日一日は信者のために費やしてみてはいかがだろうか。
>>もうこのおかしなシステムから逃げたい、子供にはこんなバカげたことを継がせたくないと思う会長もいるはずです。<<
ここにもいますよ。私は若い時教会長の親が急死し、会社勤めをしていましたが親孝行になるからと説得され会社を退職、しばらくは原典を勉強したりにおいがけに出たり友人に別席を聞いてもらったりバリ天に近い活動をしてきました。しかしながら三島神社移転問題の頃から何かおかしいと思うようになり、その後教団に対する不信感は日に日に膨らんでいきました。同僚の会長から教えてもらったこのサイトを知り、二代真柱により教祖の教えが教団の都合のいいように歪められたことにも確信が持てるようになりました。自身が信じられない組織に使い捨てにされることが分かっていて子供を巻き込むことはできませんし人に勧めることもできません。今、後継者候補となっている方々に言いたいのは自身が100パーセント納得出来ていなければ教会(特に末端)を継いではいけません。この組織は一度承諾したら自身の後継者を決めない限り出直すまで辞任という手続きがないのです。教会長にならないほうがよほど人救けはできます。
それにしてもこんなに内部から批判が集中しているのに全く聞く耳を持たない組織は聞いたことがありません。本部の中枢におられる方々は基本優しくていい人たちなのは認めますが今はやりの忖度が横行し、何も手を打とうとしない罪は指導者として半端なく大罪だと思えてなりません。
以下のような思考停止したバリ天が、改革を阻害し、上層部をつけあがらせ腐らせている。
皮肉にも批判を黙らせることが、教団崩壊を促進していることに気が付かない。
批判と愚痴や不足の違いも理解していないようである。
「批判」は主に特定の物事について誤った部分を指摘したり、
それらの改善を求めることを指して使われる。
批判に耳を傾け、改善するための努力を怠るような組織は消滅するのみである。
こんな教団にコミットしている時点で既に堕ちていることに気が付いていない。
まことに哀れだ。
↓
こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
巡教に来ていた上級の若造後継者に腰をくの字に曲げてへこへこしていた大好きな祖父母の姿を見るのが哀れで不思議で、情けなかった子供時代。古傷が心を蝕み生涯にわたってその貧困と不条理のトラウマと戦わねばならない教会関係者と信者の子女子弟。
癒えることのないトラウマです。我々のような教会家族の孫、ひ孫、信者子弟やその孫世代に、そっぽを向かれるような事を天理教団はやってきたんです。
変わろうとする意欲も意志もない腐ってしまった教団を外から変えようとしても無理です。教団が自らを助け維持したいなら善亮、大亮などの次を担う人間が目を覚まし、踏みつけたかつての全国800万人の信者とその子孫、教会関係者に懺悔し、生まれ変わらなければ道が生き永らえる訳がない。天は自らを助くるものを助くるという。ここまで意固地に嘘に塗り固められた悪道を押し通そうとしても神が許さないのは道理です。
こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
この方は、教団本部は、神の代弁者であると思っておられるのか?
天理教の盛衰は、世の中、日本の社会が決める事であるから、神の動きとは無関係、天理教を批判するのは、神を批判するのでは無く、人間がやっている教団運営に尽きるから、それは、なんら神的に問題は無いと思える。
都合良く神を持ち出し、自分の心の濁し、堕ちている事を、見ないフリをする事こそ、成人に程遠いのでは無いか? と考える。
なって来るのが天の理なら、教団の衰退は、教団運営に問題があるのと、社会情勢の動きがあるから、時代に合わせて変えなくては、衰退は止まらない。
親神様が、偉大なる唯一の神なら、なおのこと、教団運営の中枢にいる人達は、真摯に、神の思し召しを想い、求めて行くべきでしょうね。
天啓者もおらず、天啓者にお伺いを立てる事も無く、我らが決める事が、神の御意志だとするなら、湧き上がる不満もまた、神の御意志だと受け止める事だと思います。
上の立場の人間に対し、従順になるのは、日本人の特性でしょうか?
一昔前なら、お上に逆らう事は命懸けでした。小林多喜二を始め多くの心有る愛情深いひとたちが不当に
拘束され拷問で殺されました。今現在の社会でも内部告発して大変な苦労をされているひと、冤罪で裁判費用に困難されているひと、森友事件で抗議の自殺をされたひと。一握りのトップの為にどれだけの人達が犠牲になっているのか。今朝のテレビで、官僚になりたい若者がこの3年で急降下。グラフで示してましたが滝の様です。愛想尽かしされている安倍政権と同時進行の天理教。これだけ問題起こし、醜態をさらけ出しているにも関わらず、選挙では周りに言われるまま無能な候補に票を入れる人達、上からの声に従って数を作るのに必死になっている教会の人達、もう少し自分の頭で深く考えて下さいとしか思えないです。
昨日、婦人会の会議で、支部長(大教会長妻)が総会に向けての自分の思いを滔々と述べ委員たちの意見を聞いていて、私と他の人の意見が気に入らなかったらしく、机をバンバン叩いて声を荒げました。
おお、ヒステリーとはこういうのかと、感慨深く見ていたのですが、「何もせん姫」に自分の望みばかり言われて誰が叶えてやるか!の心境です。私みたいな、信仰浅い末端教会の者を委員にしたのが大きな間違いで、もっと嫌われ、向こうから、やめて下さいと言わせる様に、今年の心定めと致します。
無名様、頑張ってください。我が大教会長妻も何もせん姫です。自分は何もせん姫なのに、それでもって大上段から嫌味を言う。
な〜んにも出来ない、な〜んにもしない。自分の事も満足に出来ない。掃除なんかした事無い。料理なんかも作った事無い。子供が大人になった様な未熟な人でプライドだけで生きている。
ヒステリーといえば上級のかつての教会長夫婦もヒステリーで、教会お守り所で夫婦で喧嘩を繰り広げていました。感謝、慎み、ではないのか。
上級教会も上下組織のストレスを受けていたのか部内教会の我々に怒りをぶつけて、机をバンバン叩いて金の要求して来ました。
他所の教会でも信者が所属教会夫婦のヒステリックな「公開喧嘩」を嘆いていました。 ヒステリーは天理教内に多いのでしょうか。
下品なキ◯ガイ集団の様です。
秀司と正善の類似性
この二人について調べれば調べるほど、類似性を感じてしまう。一説には生まれ変わりであるから似ているのは当たり前かとも思えるが、生きて活動していた時期が違うのであるから、似ていると感じているだけなのかもしれない。しかし、自分が教えられてきた教理から考えても、同じ魂であるのかとも思えてくる。
明治13年に秀司は金剛山地福寺へ「親神は退く」との教祖のお言葉にもかかわらず、出かけていく。そして
明治 14 年4月8日に61 歳で出直すことになる。一方、正善二代真柱も教祖80年祭のあと、昭和42年に63歳で出直している。秀司は中山家の長男として、何不自由のない暮らしをしていただろう。人柄もよかったとようだ。しかし、おふでさき12・13号を読めば秀司が神の「ためし」には適わなかったのかとも思えてくる。
一方、正善二代も最後には癌でやせ細って出直したと聞く。教祖70年祭におやさとやかた構想や稿本教祖伝を出したりして復元のもとに体制を作っていこうとしてはいたのであろうが、志半ばで出直したようにも思える。
時代が変わり、生まれ変わっても「ためし」には適わなかったのかとダブって見えてしまう。革新を行ったことが残念だと後に語っていたはずだが、若き二代真柱が国家との間で苦しんでいたのかとも思える。
日本は結果的に軍部が国家を動かし、第二次世界大戦に向かい、うまく天理教も利用されてしまったのかとも思う。戦争協力をしたと批判の声もあるようだが、それも秀司のケースと同じく神の「ためし」であったのかとも思えてくる。国家の動きに追従し満州に天理村を作るなど戦前、戦中の資料などを見ると複雑な事情が絡んでいたのだと思う。しかし、上が打ち出したことに下のものは純粋な気持ちで勇んで応えていこうとしたのではないだろうか。天理村から731部隊に召集された青年の話など消え去ることのない辛い記憶を植え付けられてしまっただろう。気の毒でならない。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou2/pdf/kaitaku.pdf
私は積極的に教団挙げて戦争協力を行っていたとは思わない。しかし結果的に加担してしまった形になったのかとは思う。「神意の実現であると同時に、国家の事業を翼成する」と上層部から打ち出されれば、下層の人、純粋な信者は勇み立ちもするであろう。教団において大事なのは「隠して無かったことにする」のではなく、事実がどうであったのかをしっかり検証し、未来のために今の教団を改革していくことだと思う。これだけインターネットが普及した現代である。隠ぺいできる時代ではない。
おふでさきに出てくる「上」は国家権力、警察などと解釈されているが、私にはおふでさきを読んでいくうえで、「国家権力」ではなく、教団の中、「おやしきの中での上層部」ではないかと思えてならない。ここを読み違えてしまうと根本的におふでさきは分からないものになってしまうようにも思う。それほど、おふでさきを読むうえで「上(かみ)」は大事なものであり、道を間違ってはいけないものだとも思う。令和に時代が変わっても「上」の役割は重い。
>こせつ @mkosetu 1月25日 Twitter
>教団を批判したり、擁護したり、いろんな議論がネット上で踊ってるが、あまり意味のない事である。
そうだろうか?この人は批判も擁護も関係ないのだろうか。意味がないと本気で思っているのだろうか。
>天理教の盛衰は神様が決める事であるから、人間の動きとは無関係。天理教を批判しても無駄骨。
本当にそうだろうか?神が決めているのではなく、組織の上層部の間違った運営によって盛衰しているのではないのか?多くの人がそう思っているからこそ、これだけいろいろな意見が出てくるのではないか?
>むしろそれによって自分の心を濁し、自分が堕ちていくだけの事です。もう少し大人になって欲しい。
本当に天理教人か?この人は、、、? 堕ちていく人がいるのであれば、救うのが天理教人なのではないのか?「よふぼく」をやめた人なのか?それとも心を濁した人は救う必要はないのか?
私は教祖が見ていたらどう思うだろうか?親神が望むことだろうかと考えているが、もう一段、大人になって批判している人も擁護している人も共に救われる道を考えようとは考えないのか?「こせつ」さんも「更に大人になって欲しい。」ものだと思う。
「なってくるのは天の理」とはどこから出てくるのでしょうか?。おふでさき、おさしづ、には一言も出てきません。「なってくるのは因縁」としか書いてありません。
なって来るのが天の理なら、教団の衰退は、教団運営に問題があるのと、社会情勢の動きがあるから・・・・・
ではなく因縁です。
今起きている出来事には、当然、原因があり、その結果であると思います。
その原因があっての結果だから、表現の問題でしょうが、成ってくるのは当然であり、悪い種を蒔けば、悪い目が出て来ると言う因縁だとも言えます。
大教会の教会長とか嫁とかが、貴族の様に振る舞い、慎みがないのは、天理教には、自己制御のための、方策が弱いからですね、本来、その行動も、因縁と成って、心上身上に現れるのですから、下部教会の離反は、大教会長に現れた身上でしょう。
身分制度があり、それを選ばれし魂だと肯定してしまいますが、教祖様はそんな事、肯定しましたか? 選ばれし魂だと自認するなら、ぜひ教祖様を真似て頂きたい。
>>今起きている出来事には、当然、原因があり、その結果であると思います。<<
仏教的に言えば、「因果応報」ということですが、この世に起きる全ての事象には原因があります。原因を探求することなく、目の前の結果だけに気をとられ騒ぎ立てることは本末転倒です。この世の全ての事象の原因を追求し解決方法を探ることは、宗教以外の森羅万象について共通するものであり、問題解決の最短経路だと思います。
>女性が台
図々しいおばさんばかり。
若い内は初々しさもあるんだろうが、歳と共に図々しさに磨きがかかり、おばさん・おばあさんは言いたい放題、やりたい放題。おまけにオッサンは鼻持ちならない働かない、言いたい事うけど、辻褄合わない変な説教ばかり。
ただの図々しいおばんとオッサンの集団だわ。
憩の家 (公益財団法人 天理よろづ相談所病院)勤務の方から直接聞いた話し。
中山家とその親族は当該病院でVIP登録されているそうです。
「親族」の厳密な範囲までは確認しませんでしたが姓を聞く限りN田、M野、N野、S尾などが挙がっていたので少なくとも現真柱の兄弟姉妹の配偶者(の家族も含まれるかは不明)は対象のようです。
当該病院はF通の電子カルテを使用しているそうですが患者の目に触れず院内でのみ共有できるコメント欄に「VIP」の表示が出るとか。
「VIP」の扱いについてですが全てを聞いた訳ではありませんが驚いたのは「診察、治療費は病院持ち」との事。
私は信じられなかったので
「病院で立替て後日請求してるんでしょ?」
と確認しましたが
「本人に請求せず病院で支払っている」
との事。
VIPの制度については民間企業や民間病院なら反対はしません。
創業者親族(所謂オーナー)や多額の寄付をしている方が特別扱いされることについては賛否はあるでしょうが私は不快に思いません。
しかし、憩の家病院は別。
そもそも中山家の私費で設立、運営されている病院ではありません。
当該病院の運営母体が天理教というだけで、真柱は天理教の統理者ではありますが病院のオーナーではありません。
このVIP制度は病院が中山家一族の所有物であるかのような誤解を招きます。
天理教本部は財政難などと騒いでいますがこんな事をしていて全国各地で信仰をしている人が喜ぶ、納得する、不満に思わない訳がありません。
病院側の配慮だとしても本人が特別扱い(診察、治療費免除)を断れば良いだけの話し。
いよいよ組織としての天理教に嫌気がさしてきました。
この汚れた組織のなかで教祖の教えを信仰するのは難しい。
教祖の教えを純真に信仰するなら組織とは距離をおくほうが得策かもしれません。
情報源(前出の病院勤務の方)から聞いた話しに意訳等を加えず極力そのまま記しました。
当該病院のスタッフは全員が天理教信者ではありません。天理教に疑問を抱くスタッフも沢山います。
情報源は本部の役職者ではなく天理教組織の上層部に忖度する必要もありませんし比較的ニュートラルな視点を持っていると感じます。信仰についてはさておき病院の実態についての情報です。
万が一、情報源に誤解があれば上に記した通りではありませんので悪しからず。
天裏狂 2020年1月27日 5:28 PM 様
これは初耳でした。驚きです。
大変貴重な情報をありがとうございます。
このリークで天理教が更に異常な組織であることが明るみ出ました。
末端教会長達の中には、年金さえもお供えしてきた極貧者が多くいるのに
教団VIP達は厚生年金にジバリーヒルズの豪邸住まい、そして医療費は生涯無料……。
VIP達が考えているのは所詮自分たちの「命のつなぎ」だってことです。
(まあ仮にVIP達が自費で支払ったとしても、それさえも所詮搾取したお供えですけどね。)
憩いの家病院は確か赤字だと聞いていますが、彼らの耳にも入っている筈です。
それを承知でただ診療を受けているとは。呆れた輩達ですね。
最高医療をただで施せば赤字にもなるでしょう。
本来の天理教教理からはVIPと言う言葉とその意味合いは一番遠い所にある筈の概念ですが、その病院側の忖度を甘んじて受け入れ素知らぬ顔で利益を享受し続けている現実は、宗教家、教団トップ層としては大問題。彼らは恥と言うものを知らないのか。
メッキの下の顔がネットのお陰で暴かれ始め、 叩けばどんどん埃が舞い上がりますね。
この話が事実ならば、 こんな腐れ教団に関わるのは時間の無駄だと心底その思いを強くしました。どこまで腐っているのか。もっと詳しい事実が出る事を待っています。
そして、これが根拠のない全くのデタラメと言うのであれば、N家以下、ここで反論し、潔白を訴えるべきで、沈黙を守るならば、これは「黒」だなと思う。
金の亡者、本部N家以下が無料受診している事は今後ネットで全国を駆け巡るでしょう。本部には無料受診の事実関係の反論をしていただき、我々信者を安心させて頂きたく思います。
教会の悲鳴!
あるツイッターより。
お供え以外に固定費を徴収する教団、しかし払う方の財布は一つ、ただ名目を変えより多く徴収し生かさず殺さずの手綱の調節をしている。まだ、その金が人だすけのために使われているならまだしも、無駄な建造物や上層部たちの安定した生活の為に使われている。
twto
@ichiro0026
·
1月21日
教団は、人だすけを提唱しているならなぜもっと国際、国内支援に乗りださないのか?集まった金を無駄な建造物を建てたり、上層部の贅沢に消えてなくなるよりずっといいではないか。世界には、まだまだ支援が必要な場所がある。
*****
本部の贅沢もそうだが、他人の財布を当て込み、ただ診療。この教団トップは何をしてもどっちに転んでも人の金頼みである。そして今も弱いものの財布に食らいつく。
何が人助けか。何が世界助けか?
天理教団とは、中山一族の「わがみかわいい」だけの団体です。宗教を名乗るのもおこがましい利権だけの団体です。みなさん、決して悪いことは申しません。早々に天理教団から退散するべきです。
東京のとある教会のものです。
父親が会長をしております。
もう経営も維持もしんどいので畳もうかと思っています。
しかし、ある問題が
うちの教会は宗教法人なのですが、名義が天理教本部、または上級教会になっているため、畳もうと思ったら本部に許可が入ります。
そして畳んだ場合今住んでいる建物、土地には住めなくなります(名義が本部のため)
どうにかして、今住んでいる建物と土地を本部から奪うことはできませんか?
知っている方がいたらお願いします
先ず、法務局で土地と建物の登記簿謄本を取り寄せてください。
所有者が誰だかハッキリとします。
仮に、土地と建物の名義が本部又は上級教会になっていた場合、どのような経緯で本部又は上級の名義になったのかが分かるかもしれません。
過去に、建物を新しく建て替える場合に、借入金(資金)を借りる場合、本部は大教会名義でのみ南都銀行から融資されるやに聞いています。
負債の返済は当該教会が行いますが、債務完済までの間は金融機関なり本部又は上級教会が抵当権を設定しているでしょう。債務の完済後も登記がそのままになっているのかもしれません。
いずれにしましても、どのような経緯で本部又は上級の名義になったのかが分かりませんので、その辺の事情を詳しく説明されれば、司法書士なり弁護士から適切なアドバイスを受けることが出来るかもしれません。
ただ、土地及び建物をお供えされたのであれば、取り返すことは難しいかもしれません。欲深い天理教本部のことですから、価値のある不動産であれば、これ幸いとニンマリとしているのかもしれません。
お供えされたものは返すというような親切心はコレッポチモも持っていないでしょうから、あくどい宗教であることは間違いありません。
少しでも、良い方向に向かよう皆さんで応援してあげましょう。
教会を畳みたい。アドバイスください! 様
詳しくは分からないのもですが、上級、本部に相談したら、間違いなく追い出されるでしょう。秘密裏に実行して下さい。
離脱するという手もあります。
離脱に関しては「加藤ハルアキ」さんが詳しいです。
http://mikagurauta.grupo.jp/
出来るかどうか分かりませんが、代表役員の印と責任役員の印があれば、個人名義に変更できないのでしょうか?
その場合、個人に取得税が、かかってくると思います。
教会を畳みたい。アドバイスください!2020年1月28日 1:30 PM 様
「ひながたの会」(http://mikagurauta.grupo.jp/)では、貴方のような方の相談を受け付けています。
「お問い合せ」からメールを頂ければ返信させて頂きます。
お待ちしております。
(東京なら近いですから、直接会って相談も出来るかもしれません)
コロナウイルスが日本国内で確認されました。それも奈良で 60代バス運転手だそうです。今月からおぢば帰りは春が過ぎるまで行かない方が良いです。天理市を媒介に感染拡大する恐れがあります。本部や大教会が中止しなくても、行くのを辞めましょう。「天理教が全国に撒き散らした!」って言われかねません。
【速報】感染者は奈良の日本人男性 新型肺炎 日本人初確認
https://www.fnn.jp/posts/00431122CX/202001281835_CX_CX
奈良県内病院で治療受けておられるならわざわざ天理方面へ行くのは危険ですね。
4/19の婦人会総会参加も要請されていますが行くのはやめた方が良いと思いました。それまでに終息すれば良いが。
数にこだわる本部が信者命を守る事を第一の重点に置き、信者に自粛要請する程の誠実さがあるとは思えないので、各人、自分の事として自己責任で動きましょう。彼らは必ず「神にもたれて、、」などと無責任な事を言うのですが、何かあっても絶対に責任取らないですから。
総会に何人集まろうが知ったことではない。我々にはその体裁は関係ないです。
コロナウイルス、目に見えない怖い感染力。おじばに神が居るならお膝元奈良県に日本初の患者がいます。天理教の力で奇跡を見せてよ。世界助けの天理教!それくらい簡単に出来るでしょ!?
俗な言葉に、「通さぬは、通すがための 道普請(みちぶしん)」てェのがあります。
道路工事の現場で、ヘルメットをかぶったオジサンの絵が頭を下げているその横に 「多大なご迷惑をおかけしております」という文字が書かれていたりします。
道路工事があるというと、人々は回り道をして工事現場を遠ざけますので、人の通りは減ります。<通さない>のですから、そうなるのもやむを得ません。
しかし、通さないのは一時的なもので、工事が終わり、きちんと道が整備されれば、人の通りは又よみがえって、大勢の人でにぎわうことになります。
希望的観測かもしれませんが、天理教は今、工事中なんじゃないかと思うんですが・・
ちょっとの間みちが通れなくなるのは、きれいに整備して、人々が楽に矛盾なく通れるようにする「道普請」のためじゃないかと思うんです。
(こう書くと、多分皆さんから私メに向けて、一万本の矢が放たれるかもしれませんが)
コロナは速乾性の手指消毒剤も有効っぽく書いてあるので、それも用いて手洗いの励行が大切かと思いました。手指消毒剤は飲むと大変危険で命に関わるので飲まれないように安全に配慮して使うべきかと思います。
速乾性手指消毒剤はアルコールにアレルギーのある方の使用は出来ません。
工事中、そうかも知れません。
天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理を望みます。世間では完成を急ぐあまりの突貫工事、中身の伴わない手抜き工事で、格好のいい体裁だけを整え、時の経過と共に徐々に不都合が露呈していく悪質な工事で、被害に遭われる多くの例を見聞きします。天理教が正にそうだと思います。
設計図の基本は教祖の教えであるはずなのだが、本部の代々欲深い「ただの人間」が引いた設計図を元にしているから、工事に例えるならば人を欺く本質的手抜き工事。悪徳業者なんですよね。
浅はかな目に見える現象だけに心を奪われず、真理、本質を見つめて慎みの心で改革して欲しいが、、、。無理だろう、、
地獄耳様の投稿の次の一節を見て、改めて天理教の恐ろしさを痛感しました。
>詳しくは分からないのもですが、上級、本部に相談したら、間違いなく追い出されるでしょう。秘密裏に実行して下さい。<
大教会長さん一家でさえ、真柱に不都合な一言を発したばかりに追い出されている実績がありますから、いとも簡単に追い出すでしょうね。人を何と思っているのでしょうね。まさか、犬や猫のように思っているんじゃないでしょうか。犬や猫はノラになっても何とか生きていけるでしょうが、まさか、一家がホームレスになれと言わんばかりです。
それぞれの教会の不動産が、何故本部名義になるのでしょうか。仮に、部内教会からお供えをしますと相談が有っても、それだけは、信徒の皆さんで守ってくださいと、何故言えないのでしょうか。
ましてや、不動産の価値が高いところであれば尚更でしょうに。
このような宗教を有難がって信仰している方々の気持ちが知れません。
教団に対して、少しでも不満の気持ちを持っておられる信徒さんは一刻も早く天理教から離れるが得策です。かく言う私も離れて8年になりますが、普通に暮らしています。離れる際には、教会関係者からロクなことが無い等と脅迫じみた言葉を投げかけられましたが、2年前には4人目の孫娘も生まれて、貧しいながらも幸せに暮らせています。
天理教を辞めるとはなかなか言い出しにくいものですが、天理教の人達は、思い切る理が因縁切る理、なんてよく言いますから、思い切って辞めると一言云えばいいだけのことです。あとは何を言われようと気にしないことです。辞めた当初は、会長さんが何の連絡もなく訪ねて来られたりしましたが、お茶一杯のみで対応しましたから、その内に来られなくなりました。そして、3年も過ぎれば忘れ去られましたから。
上級、上々級はもてなさない事です。旨味のない部内なんて、彼らにとって本来抱えている意味がないんです。利益があるから来るんです。抱える意味があるのです。
勝手に来てもお礼はしない。もちろ車代も出さない。暑い時はお茶くらい出します。ただ、手ぶらで帰って頂きます。苦労し損のくたびれ儲けを実感して頂来ます。だんだん学習し、彼らは来なくなります。
体験済みです。煩わしさが減って気分的に風通しが良くなりました。
匿名 様
1月29日 8:47
的確な例えをありがとうございました。
天理教は今修理が必要になっているのですが、おっしゃる通り 「天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理」を望みます。」
ゼニだけ取って、おから工事をする悪徳業者になってはなりません。まして、自分勝手な教理を作って、世の人を惑わすことをしてはなりません。(私は、天理教の人がそのようなことをしたという証拠を押さえているわけではありませんが、神の名を借りて物言われるのですから、悪徳業者にならないよう強く望みます。)
残念ツイート紹介 「批判すると脳内麻薬が出ちゃうよ だから黙ろうね」 だそうですよ
>天理教のミライ @tenrifuture
>ツイッターやってみて2ヶ月。あれこれ見てみるが、天理教批判の中には、思い通りにいかないことや、自分が幸せじゃないのを誰かのせいにして自己正当化しようとしているものも多いと思う。批判に共感を得たり、批判的な投稿を見つけて喜んでも、その快感は一時的な偽物でしかないのにねっていう話。<
>天理教批判者の中には、もはや批判することが目的になってしまっている人もいる。批判によって脳内麻薬になり得る物質が放出するために一時的な快感を得るが、脳は繰り返しさらなる快感を求めるようになる。思考が習慣化すると、思考が鈍り、視野が偏り、他責と批判体質がその人の性格と化す危険性も。<
↑
この上から目線のツイートの端々からにじみ出るものこそ「他責と批判体質の性格」を表していると思いますが?
ご自身こそが一時的な快感を味わって悦に入っていること丸見え。笑
苦しみを叫ぶ人達を一括りにして見下し断罪する人間が、
おたすけなどする気も、そしてできるわけもないでしょう。
本部員や大教会長達が「不足するな」と恫喝するのを、
少しばかり丁寧に言い換えたものと変わらないですね。
こんな傲慢冷徹な人と天理教を議論しても、
「天理教のミライ」 は絶望的に暗い というオチでした~笑
先日Yahooのニュースで尾畠さんの記事を読んだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200126-00010004-fnnprimev-soci
本当に頭が下がる思いだが、ひょっとして親神が望む人間というのはこういう人なのかとも思えてくる。何かの宗教に帰依しているのかどうかは知らないが、そんなことは構わず自らの意思で本当に人を助けて、それを喜びに変えている姿には深い感銘を受ける。
人はその行動のもとが何であるのか、知りたがるであろうし、どうしてそこまでするのかと不思議にも思うだろう。この人の言葉からは「よく」というものが感じられない。反対に「感謝」ということが原動力になっているのかとも感じられる。
小学校での講演会で一人の生徒が「ボランティアで心がけていることや大切にしていることは何ですか」と問うと、尾畠さんはまっすぐにその目を見て答えた。「お手伝いさせてもらったら、必ず結果が出ます。結果が出たら依頼した人が、ありがとうってニコッと笑ってくれる。その笑顔が、私には何よりの宝」と答えています。
これは天理教人ならどこかで聞いたことがあるような気がするのではないか。人を助けて喜んでもらい、その喜びを見て自分も喜べるというのは最高に幸せなことではないのかとも思える。それを実践の中から経験し、それをモットーにして次への活力にもしているのかとも思えてくる。宗教に帰依して学んだことではなく自分の実践から学んだとすれば「真実」なのかとも思う。
記事の中の次の文がおもしろい。今、80歳だそうだが、元気でまだまだこれからだと思っているようだ。
「あと50年ぐらいは続けられますかね、アッハッハ。命はひとつ。人生は一回。だったら、この世にある間に悔いのないように生きたいなって。あの世に行くときも、『さいなら~、バイバ~イ』って明るく逝きたいです。あと50年でも130歳やからね。まだまだ大丈夫です」
定命115歳などとケチなことを言ってないで、豪快に130歳まで生きて、たくさんの人々に有言、無言のメッセージを残していってもらいたいものだとも思う。このブログのコメント欄にああだこうだと書き込んでいる自分が小さく見えてしまう。他の人の書き込みを読んで、感情のままに書いたりしたこともあるが、尾畠さんに比べればちっぽけな人間なんだと知らされているようにも感じる。自分の能力を使ってできることを人を助けるために努力してやることは大事なのかとも思う。
憩の家のVIP待遇の話を読んでいると、一族経営で会社を食いものにして経営が立ち行かなくなる会社と同じだとも思えてくる。憩いの家でまじめに働いている人たちが気の毒になる。憩の家で働いている知人に連絡したら、まんざら嘘ではない情報のようですね。こんな状態では教会をたたみたいとアドバイスを求める投稿があるのも無理ないと感じる。本当に人を助ける心なら神が受け取る。しかし、人を助けるのではなく、苦しめているだけなら神は受け取るどころか、叩き潰すのではないか?
大教会が売りに出たり、教校学園高校をなくそうとしたり、次は何だ?と言いたくなる。天理教では因縁で説くのだろうが、次から次へとここで暴露されることも因縁なのだろうか。因縁なら果たして通らねばならないと聞いたことがあるが、まだまだ果たし切っていないのだろうか。
尾畑さんの記事読みました。人生は恩返し。尾畑さんの恩を返す対象は広く人、人、人。一列人間同士の恩の果たし合い。親神の望む姿を体現しておられます。なんのてらいも無く、欲も格好付けも無い。その純粋な誠の心。たった一度の人生を、人の為に喜んで生きておられる。やらされるのでは無く、自ら湧き上がる喜びと祈りを持って。
恩返し、、、。どこかの教団が恩返しだ、ご恩報じだ、命のレンタル料を出せだと言って神を利用して金品取ることばかり言ってますね。神を語る者が無料診療を享受し、特別待遇を当たり前として恥じる心を持たず、人としての精神レベルは雲泥の差です。尾畑さん、崇高な生き方です。自ら持たず、清貧に生きる清々しさ。
それに引き換え、我らが天理教トップの金満かつ下品な生きざま。魂の違いでしょうね。お恥ずかしい、、、
天理教への批判を封じ込めようとする人達は、とにかく現状を変えてほしくないのだと思います。おそらく今現在、天理教で不自由なく飯を食えている、あるいは何らかの利益を得ている人達。うちの会長さんも、その一人なのでしょう。
このような人たちは、他人の痛みは1000年でも我慢できるものだから、何とでも立派なことを言ってくださいます。
末端が苦しいのは、布教活動の努力が足りないだとか。ちょっと考えてみたら解ることですが、仮に一人が5人に声をかけたとして、5×5×5×5×5×・・・と、ピラミッドの12段目で2億人を超えてしまいます。他の宗教だってあるのだし、少しは現実的に物事を考えるべきだと思います。
日本人はよく、気合いだとか根性といった精神論に頼る傾向があって、それ故に大国相手の無謀な戦争まで招いてしまったように思います。
「百発百中の砲一門は、百発一中の砲百門に勝る」という東郷平八郎の有名な言葉。これだって実際にやったら、1回目の射ち合いで0対99になってお終いです。
上のほうの偉い人たちが何と言おうと、無理なものは無理だとしか思えません。
≪ 上のほうの偉い人たちが何と言おうと、無理なものは無理だとしか思えません。
面従腹背 聞き流し 忘れた振り ・・・これに限ります。
本部にしても婦人会にしても青年会も、すべからく人に何かさせるための号令をかける事が上層部の仕事だと勘違いしているのでしょう。真柱夫人も一人が二人に布教するように説いていますが、そんな簡単に布教ができるとでも考えているのだろうか。
入信すればお金と時間がかかる信仰なのだから、やたら声掛けをしたところでその家の経済状況をひっ迫させるという迷惑をかけてしまう事に対する謙虚な考察がないようだ。
そもそも「助けて頂けた」経験が少ない現状だから、軌道修正して「御恩報じ」「感謝の心」と、お供えするハードルを低く設定し直しただけの事だろう。生きている御恩に関して言えば、誰もがお供えする要件を満たしてしまっているのだから。うまい事考えたつもりだったのだろうが、なにせ、号令をかけている面々が、お供えを我が収入として高額所得者になっているのだから、全く説得力もクソもない。
信者家庭の子供は大学進学できなくとも、上級教会や本部関係者の子供は留学までできている現実は、どう見てもお供えのおかげだろう。信者さんに幸せになっていただきたいと教会関係者は願うのが筋だろう。いやならばさっぱりと教会を止める。
教祖の時代から続く家柄の人たちで頑張ればいいんじゃない。あの人たちの生活を支えてきたお供えが、たとえ少なくなってきたからと言って、一般信者には関係ない。ビップと呼ばれる人たちはなおさら、お助けに励んで、そのお礼のお供えを自分たちの手で稼げばよいでしょう。自らの正当性が証明できますよ。(これ、すべて皮肉です。)各地の大教会の記念行事に参列することは「お助け」じゃないのだから、お礼と称する金を持ち帰ることは道から外れた行為だと、もう、あきらめなさい。交通費は経費だから本部の支出で賄えば済みます。一般団体企業では当たり前のことなんだけどなぁ。
国内感染者の方が奈良県の方と聞き、全国の信者たちは、甘露台倒壊➡後継者のバカバカしい結婚披露➡真柱の身上➡表統領の問題発言と、そして奈良県!と、一連の流れに思いを致したのではないですか。
高速道路を通過する際に利用したトイレなども確定されておらず、お地場帰りの高速道路内でのトイレ利用の際に、ひよっとすると近距離での遭遇も有ったかもしれないと思う方もいるかもしれません。
今後、国内での患者数が4~5か月後に爆発的に増えた場合、月次祭も中止することにもなりかねません。
もう、お供え、お供えと唱える事、やめにしてください。表統領に代表する欲の心は天理教の混乱だけではなく、世の中の混乱も招いているのかもしれませんから。
ぶたまん 様
2020年1月29日 12:56 PM
>>的確な例えをありがとうございました。
天理教は今修理が必要になっているのですが、おっしゃる通り 「天理教本部には正しい道筋、正しい教理に基づいた工事、修理」を望みます。」<<
修理にも色々な修理があります。ものの5分か10分ほどの時間で終わる修理もあります。今の天理教を修理する場合、ほとんど現状を解体・分解し、オーバーホールをしなければなりません。おそらく膨大な時間がかかることでしょう。また、天理教をオーバーホールできる技量をもった優秀な技術者(語弊があるかもしれませんが)がはたして存在するでしょうか? 私にはそうは思えません。天理教は崩壊を待つのみだと思います。
思考停止、脳内御花畑のバリ天さんの最新ツイートがこちら
>>こせつ @mkosetu 2020年1月29日
天理時報の素晴らしさは、悪口や批判の文言は一切掲載しないという点にある。教祖の教えを確りと守っている新聞だと思う。教内の他の出版物も同様のコンセプトで編集されている。さすがである。<<
もしかしたらこのお方、教団VIP?
現在の既得権益を失いたくないから必死で教団擁護しているようにしか思えない。
毎度保身が動機の見え見えツイート、ぶれてない。
「さすが」である www
表 統 領 挨 拶
○ 非常に重たい話を御報告させて頂きます。みちのともの教報に山添哲、
平成20年9月13日教人登録を取り消すと載っております。(みちのと
も参照) 本年1月16日の会合における真柱に対する失礼な言動が発端、1月19 日にお詫びをしましたが部内教会が反発し、会長との話し合いが続きまし た。3月22日、日野大教会の月次祭での話し合いで前会長の発言がきっ かけとなり、大教会長更迭願いが部内93ヶ所の内85ヶ所の会長名で上 奏され、両統領の元、直轄教会長との話し合いがもたれた。借財の返済を 何十年に亘り部内は頑張ってきたが、これ以上大教会長の理不尽な言動に ついて行けない。そこで大教会長夫妻を呼び猛省を求めたが、聞く耳を持 たなかった。部内教会長から上申書が提出され、再び大教会長を呼び話し 合ったが、反省の色がみられなかったので審判会にかけることとなった。 8月13日常詰会議にかけ、8月25日、26日、9月3日の3日に亘っ て審判会を開催し、上記の結果となった。
・大教会長を利し、女子青年に性的行為 ・右翼の暴力団に3千万円
・オーストラリア日野出張所を弟の無断処分により私した ・・・
これが金、金、カネの天理教の実態!
暴力団に流れたお金も信者、末端からのお金?
こう言う表統領、善亮さんも女性関係で相手方より3000万円ゆすられたと話題になった事がありました。
重い話を報告しなければならないと言うが、自分の不始末の報告はもみ消した。
天理時報の利用法
ツイッターより
天理時報は素晴らしいですよ!
野菜の保存に使えるし窓拭きにも使えるし、火を起こしたり服の間に入れれば暖かいし…
ゴミみたいな内容でも十分に役立ちますw
私の活用方法:
ストーブのこぼれた灯油の拭き取りに。
料理のハエ避け、埃よけに。
窓の隙間風の詰め物に。(ぼろ家なので)
タンスの引き出しの敷物に。
生ゴミ袋の水分吸わせ用に。(水分が滴らないので廃棄処理時に重宝。)
子供の工作机の汚れ避けに。(汚すが丸めて捨てられる。)
犬の散歩時のウ◯チ取りに。
風呂の焚き付けには必需品です。
天理時報は毎年、毎回、同じような内容なので新鮮味がないと、若い人からは面白くないと不評です。読者を惹きつける魅力的な時報を期待します。
>天理教への批判を封じ込めようとする人達は、とにかく現状を変えてほしくないのだと思います。
>おそらく今現在、天理教で不自由なく飯を食えている、あるいは何らかの利益を得ている人達。
>うちの会長さんも、その一人なのでしょう。
批判を封じ込めることなどできるはずがない。表向きに批判ができなければ裏の見えないところで活発化するだけのことだろう。おっしゃる通り生活面で安定している教会の会長さん、つまり部内教会をいくつか持った分教会、あるいは親類・縁者がやる布教所を持った分教会だろう。元々、天理教校専修科、本科などで二代真柱時代に出来上がった教理書、それを強化する本部員が書いた参考書などで仕込まれてきたのだから無理もない話だ。
二代真柱著の「稿本教祖教祖伝」と芹沢光治良著の「教祖様」を読み比べれば、どちらが本当の教祖像かは言うまでもない。そもそも本の厚さからして比較にならない。「稿本」の方は二代真柱が収集したみきにまつわる文献・メモまでかき集めて保存されている環境がある中で書かれたはずだ。一方、芹沢氏の「教祖様」はそういった資料は本部から提供されず、時報の連載で読者に呼びかけ、古老の人や心ある人から提供された過去の資料などをもとに書かれている。みきの教えが脈々と生き続けているのは果たしてどちらの本だろう。私は善本社や新潮社などの出版社の回し者でもなければ、芹沢文学の心酔者でもない。ただ信仰に悩む人がいれば、おせっかいに一読を勧めるだけのことだ。
本の薄さからして、どれだけ体制維持のためにまずい部分をカットしたのかと、この二冊の読み比べをしたことがある方なら感じたはずだ。もっとも昭和20年、30年代に生まれた人は「稿本」しか目にしたことがない方がほとんどだろうから、真柱を神の代理者として崇めていくことが信仰のかなめだと思ってしまうのも無理のない話だとも思う。明治、大正期生まれで末端の方々は信仰面でも相当苦労されているはずだ。矛盾やおかしさも感じながらも道を求めていたのかとも想像できる。
私が不思議でならないのは昭和45年教派神道連合会離脱、教祖90年祭から100年祭に起きた教会長自殺などの一連の流れの中で何も改革されず、100年祭を迎え、そこから神の怒りが噴出したように、教内でも世間でも様々なことが起こったことだ。三島神社移転、バブルの崩壊、ソ連の崩壊、阪神淡路大震災と続き、鏡池埋め立て、甘露台飛び込み事件、東日本大震災、福島原発事故、甘露台倒壊事件、挙句に四代真柱身上など、これだけ見せられても、まだ変わらない。教祖みきにまつわるものは、とにかく消し去ろうとしているのだろうか?異を唱える者が出てきたら「異端」の一言で切り捨て、体制維持のために後世の研究につながらないように仕向けているのだろうか?やはり新興宗教でまだまだ紆余曲折を経なければならないのだろうか。
さて、日野大教会のことが書き込まれていたが、あの元大教会長はまだ日野に住んでいるのだろうか。一時、天理にも現れ、町の人に迷惑をかけていると噂を聞いたことがあるが、その後、どうしているのか知りたいところだ。天の理の通りになっているのだろうかと気になる。今まで調べてきて本当にひどい大教会長もいたものだという思いしかないが、半世紀近く自大教会の姿も見てきて、なるようにしかならないものだという思いもする。この社会学研究所の過去記事で不祥事について詳細に述べられているが、読み返すと呆れかえって話にならない。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=628
これだけひどいと、次の不祥事は何だろう?と思えてくるが、もう耐性ができて、驚きもしないのかもしれない。
元は正しかった組織が、長い歴史の中で腐敗してきたのであれば、大規模な工事なり外科手術による修復とか回復も有り得るし、意味もあるかもしれません。
しかし「天理教」と名の付く組織に関して言えば、その始めから一握りの人間たちの富と権力の獲得が目的であり、宗教なんて表向きの看板でしかなかったように思います。
転輪王講社の頃であれば、どんなに中山秀司が強欲で博打好きで、美食家で(酒は飲めなかったらしい)女癖が悪くても、そこには教祖がいて、奇蹟も救済もあったはず。秀司にとって教祖はドル箱でもあったけれど、それでもまだ親子の情というものもあったものと思います。
しかし中山眞之亮はそうではなかった。ユダは金貨3枚でキリストを売ったと聞きましたが、眞之亮の場合は金貨3枚どころではない、今の価値にして年収7億円という暮らしが待っているとなれば、悪魔に魂を売り渡してしまうのも無理からぬことかと。そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにした。それが「天理教」という組織の成り立ちなのだと確信します。
「屋敷をはろうて 田売りたまえ てんてこまいのみこと」
私も子供の頃に聞いたことがありますが、これは単なる揶揄ではなく現実にあったこと、しかも珍しくもなかったことなのだと、今では思えます。天理教による過酷な搾取に関する記述は明治・大正から昭和初期の出版物にも多く見られます。
このように生まれ嘘で塗り固められた組織を、大規模な工事をしてまで存続させる意味はあるのでしょうか。汚物をいくら掻き混ぜても綺麗にはならないし、下水を覗き込んで美点を探すような努力は、エネルギーの無駄でしかないように感じます。修理するよりも買い換えたほうが早くて安くあがるなんて、よくあることですし。
いっそ組織など無くなってしまえとは言いませんが、少なくともピラミッド型の階級組織など絶対にあって欲しくありません。そうやって直していくと、結局は全く別物の組織になってしまうような気もしますが、それならもうパチモンでしかない名前など使わなければいいのにと私は思います。色々な歴史的事実を知っていたら、天理教豊文教会も裁判をしてまで「天理教」を名乗りたがらなかったかもしれません。
天理時報の利用法を読んで、おおいに笑わせていただきました。
それで思い出したのは文化大革命の最中、紅衛兵に殺されてしまった一人のおばあさん。彼女はただ毛沢東の写真が載った新聞紙で大根を包んでいただけなのに。
集団ヒステリーというものの恐ろしさに、ここが平和な日本でよかったと思いつつ私には、この紅衛兵たちの姿と今の天理教の青年会が重なって見えてしまいます。
崩壊様のご意見はじめ、皆さま方の真摯なご意見をうかがって、私の方も慎重に熟考せねばならんと思いましたが、しかし、お聞きいただけるようなことは、今のところ申すことができませんので、しばらく考えさせてください。
でも、気になったことがありましたので、ここに開陳させていただきたく思います。
参考意見 様の 2020年1月30日 10:12 PM のご意見ですが、
> しかし中山眞之亮はそうではなかった。ユダは金貨3枚でキリストを売ったと聞きましたが、眞之亮の場合は金貨3枚どころではない、今の価値にして年収7億円という暮らしが待っているとなれば、悪魔に魂を売り渡してしまうのも無理からぬことかと。そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにした。それが「天理教」という組織の成り立ちなのだと確信します。
というところですが、これはちょっと疑問を感じます。
当時、親神様は、真柱を軸にして一つの体制のようなもの(これはややこしいのですが、組織化しようという目的でなされたのではなかった思うのですが)を作ろうとされていたようです。
そう思うのは、おさしづで、<真柱を芯にして肉を巻け>というようなことを言っておられたからです。
しかし、真柱の周囲は、その時すでに汚れていました。
お歌にも、 このはしら はやくいれよと おもへども にごりのみずで ところわからん (3-9)
にごりり水 はやく澄まさん 事にてわ しんのはしれの いれよふがない (3-66)
つまり、眞之介氏は、親神様の目にかなった方だったと思うのです。その周囲が悪かった。
周囲はおっしゃる通り、サタンに魂を売ったんじゃないかと思われるくらい、私利私欲でにごり切っていたんじゃないですかね。
(眞之介氏は、お若いのに、おやさまに同行されて奈良の監獄にまで入られました。)
さて、眞之介氏のその後ですが、49歳でお出直しになられました。ここからは、芹沢光治良先生の<神シリーズ>を根拠にして言うのですが、親神様の意思として、眞之助氏の周りが汚れすぎているために、一旦眞之介氏を迎えとり、百年祭にまた現世で働かれるように、49年間、天国で抱きかかえておられたのだそうです。芹沢先生はそのようなことを書かれておられました。この眞之介氏の魂は、天命庵の伊藤青年です。
天皇も人間といったおやさまなら今はこういうはず
真柱も人間!
天理教の闇と裏の顔。
天理教の起こした過去の不祥事。
抜粋を以下に挙げます。
>>借金の取り立てに、ある暴力団が間に入って動いたこともあって、本部がその借金を肩代わり、暴力団に金を渡して、騒ぎを食い止めたといういきさつがあった。天理教本部は、その上で、中野大教会以下の各教会長を罷免、それ以上、問題が表面化しないようにしたのであった。(p97)
「中野問題以後、本部は心配になって、全国の大教会の借金の有無の総点検をやった。その結果、全天理教の教会の借金は、中野大教会を除いて、約100億円あったと言われている。」(p100)
「日野大教会は現在、山添理一前会長が実権を握っているのですが、この前会長についてはなにしろ袖の下を使って、上に取り入り本部役員になったと一般に噂されているぐらいで、悪い噂がいっぱいという人物なんです。この前会長時代に、日野大教会は滋賀県の山中に大きな敷地を買って、そこに大神殿を建てた。その費用を、カネに余裕のない部下教会に割り当てたのです。当時は、さらに教祖100年祭に向けて、本部へのお供えもしなければならない時期でしたから、各教会は非常に苦しい状況だったわけです。しかし、日野大教会側の言い草は決まっていて、『親のいうことはハイと素直に聞け!』という天理教の金科玉条を持ち出し、命令に逆らえば教会長の資格はないということで、クビを切られてしまう。そうなると、その教会長一家は路頭に迷うわけです。つまり、大教会に生活権まで握られているから、すべての命令に対してはイエスとしか答えられない。そこで、彼ら教会長たちは窮余の策として、自分の土地や建物を担保に入れて、金を借りまくり、サラ金や高利貸しにまで手を出さざるをえなくなる。ところが、利息も払えない。その結果、暴力団が借金の取り立てにくる。とうとう、部下の教会は逃げ場を失って、最後の手段として天理教の真柱に自分たちの窮状を訴えるために直訴したわけです」その金額が、全体で36億円であったというのだが、結局、天理教はその36億円を天理教の”御用銀行”である地元の南都銀行に立て替えさせたのである。そして、部下教会は、今度は南都銀行に、借金の返済をするという形にしてのであった。(中略)つまり部内で36億円という借金を生み、暴力団が介入、真柱への直訴騒ぎまで起きたにも関わらず、本来、そうした問題を起こしたことに対する責任が問われる山添理一前教会長は何も処分されず、逆に天理参考館館長に就任、出世までしているのである。」<<
先日、本年1月26日にも、善亮氏が新たな重い話を報告したのであるが、(大教会長を利し、女子青年に性的行為。暴力団に3000万円などの不祥事の報告をした。)何ら過去から学ばず反省も教団の体質改革の断行も行われず、今だに上層部人間による女性への性的犯罪や暴力団へのお金の還流が行われ続けているのかと驚きを禁じ得ない。
この天理教団が泥々した闇組織と関わりあっている裏の顔を信者達は何も知らない。
暴力団に脅され金で解決しようとしたと言う事ならばその種を天理教側が持っていたと言う事で、善亮の胸中の根本にある「金の発想」が暴力団を呼び寄せ、災いを呼び寄せる必然の中に居るのだと思う。
こんな不気味な教団に身を置く必要は全く無い。
匿名様
>表 統 領 挨 拶
○ 非常に重たい話を御報告させて頂きます。みちのともの教報に山添哲、
平成20年9月13日教人登録を取り消すと載っております。(みちのと
も参照) 本年1月16日の会合における真柱に対する失礼な言動が発端
>先日、本年1月26日にも、善亮氏が新たな重い話を報告したのであるが
この話は平成20年の話で、この表 統 領 というのは、現・表 統 領 の中田善亮氏ではありませんのでご了解を。
地獄耳様。
失礼致しました。。ありがとうございました。
いちれつ会報が届きました。
理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
「 親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。 しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」
素晴らしいお話、ありがとうございます。
ところで、私には判らない部分があります、3度程読み返して見ましたが・・ここに出てくる(理)とは、(お供え)を伴う真心と言う意味でしょうか? 教えとは、毎日参拝せよ、(お供え、つまり現金?)を伴う、真実の心を、親神様に供えよ? と言う意味でしょうか・・・ 私には、参拝して、毎回ちゃんとお供えしたら、守護が得られて安心して生活できるよ、それを繰り返して、信仰信念を固めて行くんだよって、読めましたが、違うのでしょうか?
このお話の天理教の教えって、明確で分かり易いですよね、どうもありがとうございました。
参考意見様
ちょっと私と認識が違うようなので、書かせていただくことにしました。
>そうして官憲と協調して教祖を排除して、天皇を神と祀る神道天理教会を設立。
これは真之亮が主導でしていたことではないと思います。真之亮が梶本家からおやしきへ来たのは明治13年頃の話で15歳頃にあたります。おやしきでは秀司が金剛山地福寺に願い出て、転輪王講社を始めた時期でもあります。教祖を排除して神道天理教会を設立したわけではありません。神道部属六等教会になったのは明治18 年の頃ですから、真之亮はまだ子供というか20歳にもなっていません。ただ、秀司・まつえ亡き後に若い中山家の戸主として苦労はしていたでしょう。
>さらに天啓者を排除し、中山一族に不都合な高弟1400名をを粛清し、残った信者たちを
これもちょっと違うと思います。参考意見さんの以前の書き込みであった「本部神殿に掛かっている「よろづよ八首」の額。」を書いた松村吉太郎がやったことです。自伝の「道の八十年」でも、そのことは書いています。真之亮は教祖の言葉の断片を使って欺き、支配と搾取を思いのままにしたというのは、ぶたまんさんも指摘の通り、違うと思います。
また高弟と言われるような人は1400人もいません。高弟を切ったのではなく、むしろ逆で教祖に助けられ、教祖を慕い、熱心に布教をしていた人々です。無学で文字も読めないが教祖の教え通りに人を助けて回った人達で、今の時代でいえば末端の熱心な布教師に当たると思います。教祖の思えとは違うと本部の動きに反対するものたちを粛清したのかと思います。
真之亮は第一次世界大戦の頃、大正3年に出直しています。念願の天理教一派独立を果たし、数年後に亡くなっています。教祖が現身を隠す明治20年から明治40年の間は天啓を伝える本席がいて、伺いを立てて物事を進めていた時代です。真之亮と松村吉太郎は歳も近く、学のある吉太郎を頼りにしていた面はあると思います。親類でもあるから当然かとも思います。
時代的には明治41年以降で、天理教教会本部ができてから現代に続く体制が始まったのかと私は認識しています。急に始まったわけでもなく、徐々に形作られていったのかとも思います。布教師を育成するような教育機関もなく、田舎の神がかりしたおばあさんを教祖にして国から認められるものでもなかったでしょう。そこから組織だった体制を作らなければとなったのかと思いますが、当時の日本の時代背景を考えれば、国を相手に認めてもらわなければ先がないとも考えたのでしょう。その実働者が松村吉太郎です。
大正3年の真之亮亡き後は、大正7年に神がかりした本部員茨木基敬を罷免し、またナライト事件などもあり、混とんとしていた時代だとも思います。結局、大正14年に二代真柱が管長就任するまでの間、山澤為造摂関体制の中で徐々に体制が作られていき、昭和に入り、二代真柱が教理面でも組織運営面でも、その体制を確固たるものに仕上げたというのが私の認識です。
誰が悪者なのか、首謀者なのかと単純には言えない構造があると思います。結局、人間思案ばかりで、神の言葉を封じ込めるようにして組織を作り上げたことが誤りの始まりかとも思えます。人間の愚かさが具現化しているだけのようにも思います。人間は置かれた立場で意見も見方も変わってくるものかと思います。一個人として見て、付き合えば決して悪い人間でもないと感じることもあると思います。天理教の歴史上の人物をいろいろ調べているとそんなことを感じます。
仲田義三郎のように「にしきの布と見立てた者やが、、」とまで言われながら、最後には「すっかり腐ってしもうた」と言われ、諸井政一に「まことに悼ましき事の限りなりけり。すっかり腐ってしもうたと仰有るには如何なる過ちのありしにや」と評された高弟もいるわけで、教祖の手足となり取次までしていた人でも人間である以上、過ちを犯し、助けてもらえなくなるのかとも思います。よほど教祖に頼まれた「こふき本」の出来が悪かったのだろうか?または教祖の目には残念に映る行いがあったのだろうか。謎としか言いようがありません。やはり人間は人間です。
隠ぺい体質を改善し、間違っていたことはそれを認めて正し、これから皆でよくしていこう!とトップが変わっていけば、多くの会長、信者が勇み立ち、それで神も勇んで働いてくださるものだと思うが、まったく逆ですからどうしようもないです。更に混沌とした教団運営が続くのでしょうか。
仲田義三朗さんは、櫟本の監獄の、立つことも寝転がることも出来ない四角の角を上にして並べた木々の上に体を乗せる形の小さな檻に入れられて、その半年後出直されたと書かれてましたね。
あの形だと皮膚に角の形に床擦れが出来るでしょう。
あの監獄のあの檻を私達は見るべきだと思います。
おやさまも真冬に井戸の水をかけられたということです。
生きたまま体が腐ることは生易しいことではないです。
本来教祖の最後のご苦労場所を本部が眉をひそめて行かさない様にするのは何故でしょうか?本家、異端のわだかまりからだと思いますが、教祖の貴重な史跡の筈です。
また、中田儀三郎は教祖をして「腐ってしまった」と言わしめた、その腐った内容、何をしでかしたのでしょう。生き様を詳しくお教え頂けたらと思います。
仲田儀三郎についてはこちらが参考になるかと思います。れんだいこさんのページですが。ご参考までに
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/mikiryakuden/mikiryakuden_79sekikomico..htm
私は何かをしでかしたのでもなく、教理派の人として最も教祖から信頼されていた人なのかと思っています。しかし、応法派の人たちにのまれていった面もあったのではないかとも想像しています。しかし、それを確証するものもなければ単なる想像でしかありません。ですから謎なのですが。
想像や思い込みで書き込みをするのは危険ですし、ネットで誤解が広がるのも怖いことです。よく調べてから書くようにはしているのですが、まだ自分の中で整理できていないこともたくさんあります。
仲田儀三郎についてまた何か文献が出てきて謎が解ける日も来るのかと思います。
モリジロウ 様
2020年1月31日 8:18 PM で発表いただきましたご意見は、まことに以てその通りだと思いました。
よくぞここまで調べ上げられたと感心いたしております。私自身、啓発されることが多くございました。ありがとうございました。
> 誰が悪者なのか、首謀者なのかと単純には言えない構造があると思います。結局、人間思案ばかりで、神の言葉を封じ込めるようにして組織を作り上げたことが誤りの始まりかとも思えます。人間の愚かさが具現化しているだけのようにも思います。人間は置かれた立場で意見も見方も変わってくるものかと思います。一個人として見て、付き合えば決して悪い人間でもないと感じることもあると思います。天理教の歴史上の人物をいろいろ調べているとそんなことを感じます。
というご意見は、殊に我が意を得たりと思いました。
おやさまは、懐妊されたおはるさんに、「今度、前川の父の魂を宿しこんだ」 と言われています。前川の父というのは、おやさまのご尊父だということになるのですが、この時宿しこまれた人が眞之亮氏です。
思うのですが、こうしたことになったのも、前川のお父さんは、天国から現世を眺めていて、生前、愛娘(まなむすめ)だったおやさまが、世間の無理解にさらされ、狐憑きよ、気が違ったよと言われたりした後、教内においても、 衆愚政治というのですか 神のみ心をあまり理解していない人々が組織を造ってうまい汁を吸おうとしているさまを見つめられ、ついに居ても立ってもいられなくなって親神様に直訴して、おやさまの孫として生まれかわり、おやさまを支えたいと訴えられたからじゃないかという気がしています。
おやさまの善意を<食い物>にする人間の何と多いこと!そうした中でも、人助けの道を歩まれたんだから、やっぱりおやさまはすごい方です。
教祖伝などを読むと、そういったおやさまの<孤軍奮闘>ぶりが目につきます。天理教を理解していたのは、おやさまお一人だった(?)んじゃないでしょうか。・・などと、エラソーなことを言ってますが、私も天理教を理解しているとは言えない者の一人なのですが。
戦争は軍部や財閥の野望や利欲によるもので、天皇は国民を戦いに駆り立てるための道具として利用された。それと同じことで、真之亮も強欲な輩に利用されたということでしょうか。
確かに、二十歳そこそこの真之亮が主導でクーデターというのは、ちょっと無理がありますね。しかし、その後の展開を見ていると、全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えないのですが。監獄まで教祖に同行したのは、信者たちの信用を得るうえで、避けて通ることのできない通過儀礼だったと思います。その頃は既に警察との裏取引もあったかもしれません。
指摘されたとおり、粛清された1400名というのは、高弟ではなく教師でした。ここでいう教師とは、いわゆる布教師のことでしょうか。ということは、教祖に最も近いところの高弟こそが、教祖を裏切って応法の道へ進んだということなのか。そういえば、泉田藤吉に引導を渡したのは、無い命を教祖に救われた平野楢蔵でした。
これまで度々、山澤為造こそは諸悪の根源のように聞いてきたけれど、そこに松村吉太郎まで加わって、本当にどうしようもない組織になってきましたね。
仲田儀三郎については、教祖は悪い意味で「腐ってしまった」と言ったのではないと思います。教祖の最後の御苦労の際、彼は十露盤(そろばん)板のような床の拷問檻に10日間も入れられました。石まで抱かずとも「壊疽」をおこした可能性は高く、本当に身体が腐ってしまったのかもしれません。「腐った」という教祖の言葉の一部だけを利用して、応法派の輩が仲田儀三郎を貶めているのではないでしょうか。
以前うちの会長さんに、天理教にはキリスト教のような殉教者はいるのかと尋ねたら、仲田儀三郎の名をあげていました。
十露盤(そろばん)板とは、どのような物かは次を参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%8A%B1
私もまだまだ知らないことばかりですが、この場で根気よく意見交換を続けていけば、少しでも真実に近づけるような気がします。できれば今世のうちに真実を見届けてから来世に向かいたいものだと思います。
櫟本の監獄は諸刃の剣。
自分の人生を変えてしまうかもしれないです。
匿名 様
2020年2月1日 5:07 AM
>>櫟本の監獄は諸刃の剣。
自分の人生を変えてしまうかもしれないです。<<
自分の人生を良い方向に変えるという意味でしょうか? 悪い方向に変えるという意味でしょうか? 諸刃の剣であれば、良い方向にも変えるし悪い方向にも変える双方の作用があると思いますが、具体的にお教え願えないでしょうか?
天理教のお筆先にしろ、よろずよの歌にしろ、あまりにも幼稚でギャグのように突っ込みどころ満載なのに、どうしてこんな稚拙なものを信じられるのか私は不思議でならない。仏教で育った母なのに洗脳され、「この道しか幸せになる道はない」と言い切った母が、借金を残し46歳で孫の顔をみず、残された私はまだ18歳だったが大学への進学も諦め必死で借金を返し、28歳で自教会も売りました。辛いこともたくさんあったけれど現実に即した生き方が安定した生活を送れ、言葉遊びを信じ騙された者は破滅しかないことを経験をもって知ることができました。天理教は中山みきが密室で神がかりになったのも脚色されていて、本当は違うのではないだろうか。
匿名 様
2020年2月1日 9:32 AM
>>天理教のお筆先にしろ、よろずよの歌にしろ、あまりにも幼稚でギャグのように突っ込みどころ満載なのに、どうしてこんな稚拙なものを信じられるのか私は不思議でならない。<<
私も若い頃(10代後半)、あなたと全く同じことを考え、天理教から去りました。
>>仏教で育った母なのに洗脳され、「この道しか幸せになる道はない」と言い切った母が、借金を残し46歳で孫の顔をみず、残された私はまだ18歳だったが大学への進学も諦め必死で借金を返し、28歳で自教会も売りました。<<
私の実家は、高祖父母の代まで浄土宗の信者でした。私の母の実家も浄土宗の信者です。母の実家の近所にカトリックの教会があり、母は日曜日ごとにミサに通い、日曜学校にも行っておりました。見合い結婚で、どういう訳か天理教の末端分教会に嫁ぎましたが、以来、すっかり天理教に洗脳されてしまいました。母には元々色々な宗教を受け入れる寛容性(???)があったのかもしれませんが、私はどうしても天理教を受け入れられず、天理教から去りました。世の中には色々な境遇の人達がいるものだとつくづく思いますが、私個人としては、結果的に天理教から去って正解だったと人生も終盤にさしかかり思っています。
いちれつ会報が届きました、その2
「 理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
「 親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。 しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」 」
天理教人の友人が読んでくれた意見では、天理教では、「ひのきしん(日の寄進)」といって、日々の感謝と奉仕(おたすけも含む)を形で表すことを勧めます。ほんとうは、おたすけを毎日させていただくことなんですが、だいたい皆お供えをしているのですって・・・
「おつくしをして見えて来る世界がある」と言うのも前に聞いたなあ。
松村吉太郎氏の道の80年には、日本の人口の半分をお助け人にするのだ! と言った決意が書いてあったと記憶しています。
いちれつ会報なんだから、いちれつ会に寄付して下さいと言うなら判るけども、日々お供えをしたら、安心して過ごせる様になったと言うより、日々、感謝して、親神様の思し召しに応えよう、とか、日々お助けをしたら、不思議な人生の味わいを感じたとか、言って欲しいですよね。
父親様
>いちれつ会報が届きました。 理事寄稿として、松◯◯司 さんのお話がありました。
全文載せると問題あるので要約抜粋しますが
ということなので、添削します。
>親神様の不思議なお働きを感じる事は、私も時々あります。
神様の働きは常に感じているものです。本部員ともあろう人が、時々では駄目ですね。
>私の母は毎日、おぢばに居る時は御本部に、教会に帰った時は教会の賽銭箱に、お供えを入れていました、それを見て育った私ですが、若い頃は、「毎日お供えしようが、月に一回まとめてお供えしようが、同じ額をすれば一緒だろう」と思っていました。
自教会の賽銭箱にお供えを入れると言うのは、我が教会に返ってくるだけでしょう。
誰の為にもなっていません。末端教会は、給料の全てが教会の運営と上級のお供えに消えているのです。
余分な小銭もありません。
>しかし教会長になり、ご守護を願いたい事が増えた時、月次祭のお供えとは別に、母の様に日々のお供えをする様にしてみました。 すると深刻に思っていた事柄も、不思議と好転する事が良く起こり、「毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ」と感じられ、安心して毎日を送れる様になりました。これはやってみて初めて判った味わいです。
神に対して失礼ですね。お金で守護をするとは、低級な神にしてしまっています。
>( 危ない事、微かな理で助かるは日々の理と言う。) 明治26年4月29日
(日々尽くした理は、年々月月皆受け取ってある、盡し、働き損にはならん程に) 明治34年4月24日
と、お聞かせ頂きます。
教えをそのままやってみると言う変わらぬ努力を、真実の心としてお受け取り下さり、間違い無くお返し下さるのです、(抜粋) 」
神のお指図の解釈を金を集める為の道具にしているに過ぎません。
ぶたまん様
>>教祖伝などを読むと、そういったおやさまの<孤軍奮闘>ぶりが目につきます。
>>天理教を理解していたのは、おやさまお一人だった(?)んじゃないでしょうか。
“天理教”を理解していたというと、ややこしくなると思うので、“真実”を神から聞き、理解して、それを人々に伝えていたのだと私は考えています。おふでさきを読んでいても孤軍奮闘していたことがよくわかります。
参考意見様
>>確かに、二十歳そこそこの真之亮が主導でクーデターというのは、ちょっと無理がありますね。しかし、その後の展開を見ていると、全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えないのですが。監獄まで教祖に同行したのは、信者たちの信用を得るうえで、避けて通ることのできない通過儀礼だったと思います。その頃は既に警察との裏取引もあったかもしれません。>>
「警察と裏取引があった」とか、「信者の信用を得るため」というのは、それを証明するだけの文献や資料がなければならないと思います。それらを精査したうえで、結論として、そう考えられるというのならわかりますが、根拠なしに憶測ではまずいと思います。
「全くの不本意に神輿に乗せられただけとも思えない」というのもわからなくはないですが、明治20年に教祖が現身を隠され、明治40年の本席の出直しまでの約20年間、つまり真之亮が22歳~42歳になりますが、その間に神道本局部属教会になり、内務省秘密訓令、水屋敷事件、明治教典発布、日露戦争、不良教師事件など大きな出来事があり、本席のおさしづがあっても、組織のトップとして板挟み的な状況があり、苦労したのだろうと思います。そのそばで実働していたのが松村吉太郎であり、当時の国の情勢や内務省との駆け引きの中で、真之亮も吉太郎も奮闘していたのだろうと思います。
結局、それがいいことか、悪いことかとは単純には言えないと思います。なぜなら立場が違えばよくも見え、悪くも見えるからです。後世に生きる我々は冷静に史実を調べ上げ、そこから未来を見据えるべきかと思います。
>>泉田藤吉に引導を渡したのは、無い命を教祖に救われた平野楢蔵でした。これまで度々、山澤為造こそは諸悪の根源のように聞いてきたけれど、そこに松村吉太郎まで加わって、本当にどうしようもない組織になってきましたね。>>
教祖20年祭の明治39年の段階で松村吉太郎40歳、平野楢蔵は61歳です。平野の入信は他の人より遅く、屋敷の常詰になったのは41歳の頃です。そこから本席が出直す明治40年までの間、約20年にわたり本部に尽くしたのですが、本席と同じ年に62歳で出直しています。現在の天理教では平野楢蔵のことが高弟として紹介されていますが、安堵事件(水屋敷事件ともいわれますが)関係の資料を見ると、やくざそのものの活躍?をしていたようです。
不思議でしかたがないのが、教祖にかわいがられ人足社と言われた飯田岩次郎(安堵事件)も飯降伊蔵本席、平野楢蔵も皆、明治40年に出直しています。いったいどんな神の計らいがあったのか。神の粛清だったのだろうか?
その少し前の明治38年に二代真柱正善氏が生まれていますが、大きな教団の転換期であったのかとも思われます。山澤為造は51歳、松村吉太郎41歳です。本席もいなくなり、一派独立後の天理教教団を分派させずに統率していくにはどうすればいいのかと苦心したのではないかとも思えてきます。教理のかなめである本席という立場はナライトさんに引き継がれるはずだったのを、たまえ(ご母堂)に変え、おさづけの理を渡すシステムに変えました。これは中山家一族に教理面、行政面を一手に集中させなければ、本席時代と同じように神に伺いを立てて、なかなかスムーズに事が運ばないのを変えたかったのかと思えます。
教祖の血筋でトップの座に就き、教理面でも組織面・運営面でも統括する真柱を早く据えなければと二代真柱正善氏が成人するまでの間の繋ぎ的役割を山澤為造、松村吉太郎は担ったと見ることもできます。そうしなければ異端発生や分派どころか、政府に教団そのものが潰されていたともいえます。単純に善悪を問うことはできないと思います。天皇が人間であるといえない時代です。
前回の書き込みで書いたように誰が悪者なのか、首謀者なのか、そして何が善で、何が悪かとは単純には言えない構造があると書いたのはこのような背景からです。しかし、こういったことも今の教会本部では時間とともに忘れ去られていくように仕向けている印象を持っています。天理教学の研究者の皆様には“真実”を追求していってもらいたいものだと思います。
ようやく『満州天理村「生琉里」の記憶 天理教と731部隊を読むことができました。とても重い内容でした。731部隊のことは知っておりましたがまさか天理教が関わていると考えもしませんでした。確かにモリジロウ様のお話には納得できるものがありますが戦後、天皇が人間といえる時代になってからの教団の在り方が問題だと思います。GHQからの追及がなくなってからも教祖の道に復元せずの二代真柱はじめ上層部の在り方が問題だと思います。そのことが今日の教団の衰退をまねいていると思います。
地獄耳様、わざわざ、取り上げていただきありがとうございます。
「自教会の賽銭箱にお供えを入れると言うのは、我が教会に返ってくるだけでしょう。 誰の為にもなっていません。末端教会は、給料の全てが教会の運営と上級のお供えに消えているのです。 余分な小銭もありません。」
私は、あまり教会については存じません。 賽銭箱のお金は全て上級に差し出すと言う教会もあると聞いたので、これは、日常持っている多少のこずかい銭を、出すのか? と思いました。 私の印象は、もう、持ってるお金は、とことん出してみよ? と言う流れに感じました。
見開き1ページに、松村の苗字を持たれる理事さんが、寄稿して下さったのが、とことん、お供えをして見なさい? と言う風に受け取れる文章だったので、これは、マジで、マジか? と感じたのです。
「道の80年」には、日本人の半分をお助け人にする、神殿に神が居なくなってはいけない、年寄りこそ積極的に神前?神殿?奉仕に立つべきであると、自らおぢばに詰めたと書いてあったので・・
いちれつ会理事様のお話ならば、卒業後は、親神様の思し召しに応えて、陽気くらし社会の実現に向けて全力を出そう、とか、教祖様と同じ様に人助けをしよう、とか、積極的に、我が身を投げ出して、お助けをして行こう、そうしたら、見えて来る世界がある、毎日、親神様、教祖様にお守り頂いているんだなあ、と感じられ守護が得られて安心して生活できるよ、それを繰り返して、信仰信念を固めて行くんだよって言うのなら、なるほどって思うのですが・・
ああ、そうか! それは当たり前なんですね? つまりそれは当たり前だから、さらに、持ってる(お金)はとことんお供えして見なさいって事? なるほど・・・
もちろん父兄としては、いちれつ会には、それなりに(常識的に可能な範囲で)寄付はさせて頂くつもりですよ。
もちろん、おぢばに参拝する時は、パラっじゃ無くて、チャリーンってお供えは致しますよ・・
扇の伺いをしている宗教団体です。
病気、事故、災難、家庭内における事情、そして、現代社会における経済不況と政治混迷を背景に人の心も乱れ、数多くの … おうかんみちでは、この原因を『扇の伺い』を通し、親神様じきじきのお指図を頂く
http://www.oukanmichi.or.jp/tokushoku.htm
最後のご苦労でおやさまが12日間の拘留となったとき真之亮は「天皇が神である」と申し上げ早々と1日の拘留でかえったと思われる。
最後の御苦労:
二月十八日(陰暦正月十五日)、心勇組の講中が大勢、お屋敷へ参詣に来て、十二下りを勤めさして下され。と頼んだけれども、目下、警察より厳しく取締りあるに付き、もし十二下りを勤めるならば、忽ち、教祖に御迷惑がかゝるから。と、断った。
上村吉三郎はじめ、一部の者は、勇み切った勢の赴くまゝに、信徒の宿泊所になって居た、門前のとうふやこと村田長平方の二階で、てをどりを始めた。早くもこれを探知した櫟本分署から、時を移さず、数名の巡査が来て、直ちに、居合わせた人々を解散させ、つゞいて、お屋敷へやって来て、表門も裏門も閉めさせた上、お居間へ踏み込んで、戸棚から箪笥の中までも取調べた。すると、お守りにする布片に字を書いたものが出て来たので、それを証拠として教祖と真之亮を引致し、併せて、お屋敷に居合わせた桝井、仲田の両名をも引致した。
警官の言うには、老母に赤衣を着せるから人が集まって来るのである。と、それで黒紋付を拵えて差入れた。教祖は、分署に居られる間、赤衣の上に黒紋付を召して居られた。
さて、夜も更けて翌十九日午前二時頃、教祖を取調べ、十二日の拘留に処した。その様子を、この時、共に留置された真之亮の手記によれば、 教祖様警察御越しなりし当夜二時頃、取調べを受け玉へり、神憑りありし事、身の内御守護の事、埃の事、御守りの理を御説き被成れたのである。尚仰せ玉へるニハ、
「御守りハ、神様がやれと仰せらるゝのであります。内の子供ハ何も存じません。」と申玉へり。
と。つゞいて午前三時頃、桝井と仲田の両名が取調べられた。二人とも、御守護を蒙りし御恩に報いるため、人さんにお話するのであります。と、答えた。午前四時頃から、真之亮を取調べた。真之亮は、お守りは私がやるのであります。私は教導職で御座ります。教規の名分によってやります。老母は何も御存じは御座りません。と、答えた。これは、この前年に真之亮以下十名の人々が、教導職の補命を受けて居たからの申開きである。
その夜御一同は、そのまゝ分署の取調所の板の間で夜を明かされた。教祖は、艮(東北)の隅に坐って居られた。お側にはひさが付き添うて居た。真之亮は、坤(西南)の隅に坐って夜を明かした。取調所の中央には、巡査が一人、一時間交替で、椅子に腰をかけて番をして居た。桝井、仲田は、檻に入れられて居た。
>冨松幹禎 (陽気の記事)
最近は「おつくし」をあまり説かれなくなったのではないかと憂慮する。「かしもの・かりもの」の話を聞いても、おつくしをするようになるには、 もう一つ、超えなければならない壁がある。それは、親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 いくら熱心に教会に出入りしていても、おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。
おつくしをして初めて味わえる世界がある。思い切ったおつくしをする と、不思議に不安や先案じがなくなり、晴やかになる。親神様の親心を魂 に感じることができる。信仰が深まるのである。
できることなら毎日、ぢば・かんろだいに参拝してお供えをし、お礼を申し上げたい。その心で各地の教会や家庭で日々にお供えをする。「危ない事、微かな理で救かるは日々の理という」(明治5・4・8)と教えられる。
人だすけが最高のご恩報じであり、いんねん納消の道である。おたすけに専念できない人は、たすけ一条の上にお使いくださいと、おつくしをする。また、人生には、いんねんの苦労をするか、道に真実をつくして苦労を喜ぶかを選択しなければならない時がある。
今はみな結構になり、徳分以上の生活をしてしまいがちである。絶えず「おつくし」の声をかけてもらって、ちょうどいいのである。私たちは「おつくし」「ご恩報じ」「お供え」「理立て」と言うが、教祖はに真実を神の田地にまいた「ものだね」としてお受け取りくださる。<
匿名 様
2020年2月2日 2:09 PM
>>もう一つ、超えなければならない壁がある。それは、親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 いくら熱心に教会に出入りしていても、おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。<<
カルト特有の「屁理屈の展開」としか私には思えません。今どき常識ある人は誰も信じないでしょう。読んでいて背筋が寒くなる思いがします。
ほんぶしん、おおかんみち、れいりしどう会、いばらきグループ、天命庵、etc 、
啓示霊能者を擁する集団の全てを検証する責任が、おじばの責任者にはあるのではないか?
人集めと金集めに熱心であるほど、その責任は逃れられないのではないか?
たすけ一条のこのところ、よろずたすけの元締めであるべき地場屋敷なのだから、救済力の増進は日々に励むべき事ではないか?伽藍創りは二の次三の次だろ。
こんなことを書くと身バレしてしまうかもしれませんが、昨日うちの会長さんが、同じ教区の教会の神殿落成奉告祭とやらで出かけていきました。この衰退の中、まだ神殿普請できる教会があるなんてビックリしたものですが、さてはまた信者たちを当てにしての借金というやつでしょうか。私の周辺に、このサイトを読んでいる者はいないようなので大丈夫・・・いや、いっそのことバレてしまったほうがいいのかな?
教会生まれの母の影響で、バリ天として生きてきた私がこのサイトを知ったのは2017年、脳梗塞による視野狭窄に奇蹟のようなご守護を頂いたことがキッカケでした。若いころ修養科で朗読ひのきしんというものを経験していた私は、視覚の不自由な人々のため、教祖伝や逸話編の音声化を思いつき、地名や人名の読みなどを確認するためインターネットを検索。「天理教」と入力すると「天理教ヤバい」とか「天理教こわい」なんて検索候補が出てきてビックリ。さらに調べるうちにリンクして、このサイトに辿り着いたのでした。初めは半信半疑でしたが、甘露台倒壊の後、教会の月次祭での会長さんの言葉で目を覚まされました。信者たちを前に会長さんは言いました。
「これは我々みんなに対する神様からの警告なのだ。我さえ良くば、今さえ良くばの心が、まだまだ残っているということなのだ。」と。
これまで自分を含め、信者が悪い心を使えば、すぐに辛く苦しい身上事情となって表れてきているのに、本部で起きた事まで信者のせいだと言うのか?いくらなんでも、おかしすぎる。それ以来、ここに書かれた内容に対する見方が変わっていきました。
昨年12月の初め、おつとめ第一節と神名の真偽について、どうしても真実を確かめたくて、このコメント欄に参加しました。それ以来、昔から抑えてきた疑問について、自分なりに考えたことを書かせてもらっています。
私の見解には、それを証明できる物証や資料もなく、状況から推察した憶測にすぎないことは承知しているつもりです。だから当初は、いいトシした中二病患者の妄言としてなんて前置きを付けたりもしたのですが、ところが思いもかけず共感してくれる人もいたりして、つい調子に乗ってしまったかもしれません。
しかし証明できないのは、教団とて同じだと思います。長年にわたり信者たちに説いてきたこと、誰が伝えたとか誰から聞いたとかいう逸話編の話、極めつけは誰が誰の生まれ変わりだとか。証明できない事でも、巨大な組織によって活字化され綺麗に製本されれば権威付けられてしまうのが悔しくてなりません。
ところで私が真之亮を好意的に見れない理由。
よく戦争において見られる場面ですが、パルチザンやテロリストが敵に捕まった後、一人だけ拷問を受けることも無く解放されて帰ってきたりしたら、こいつは怪しいと思うのも自然なことではないかと・・・。
>>おつくしをしない人はいつか道 から離れていく。たすかっていただけないことになる。おつくしは修理丹 精の重要な要素と言える。<<
いえいえ、富松さん、貴方は天理教以外の世界を知らない人だから自信たっぷり言ってますけどね。天理教徒がおつくしの強迫観念で家族の絆が切り裂かれ、本人はもとより子供達も心を病み、一家諸共陰気な貧乏生活を強いられているのを横目に、天理教を見限って離れ、当然おつくしをやめて、心も生活レベルもすっかりと助かった状態になり、生き生きと心の自由を得て人生を陽気に暮らしている人々は山ほどいますよ。
それからおつくしお尽くしって言っていますが、人助けに使われてはいませんよね。レーザービームに打ち上げ花火。ちょっと古い話になりましたが、こんな事に使うお尽くしって、何ですか?
自分たちがやっている事をきちんと検証してから言いなさい。詐欺師集団と言われても仕方がない実態です。
教祖は人を助けよ、と言われました。親神様へのご恩奉じは「人間同士の助け合いの行為」をお見せする事です。本部と言う一点へ金を集める事が神へのご恩奉じと扇動し、貧困と心の呪縛へ罪なき人々を導く行為は大罪です。
教祖みき様が存命中に「お屋敷にお金を運びなさい。そうする事が人間の助かる道だ」と書き遺しておられますか?
真心を持って朝起き、正直、働きで、みんなしっかり働いて、わが身勝手な心を慎み、欲の心を忘れて谷底で苦しむ人々に寄り添う心を持ち、高山で理不尽な権力を振るう者は引き降ろし、いちれつがロクジの世界で互いに助け合いなさいと。ただそれだけのシンプルな温かい教えなんだと思います。
今では欲を離して本部に金を尽くせ、「命が繋がるのはお金だぜ、」と命はお金と引き換えだと言わんばかりの発想だなんて。私には余りにも本部のわが身可愛いだけの空恐ろしい身勝手教理にしか思えません。
富松さん、頭がおかしくないですか?正気に戻ってください。
冨松幹禎 様
「おぢば」と聞いただけで不愉快になりますよ。熱心な天理教徒だった父母を悲しませないようにとの思いで付き合ってきた天理教。
二部同窓生だった知人から同窓会の席で聞いた、本部には開かずの部屋がある、という一言で離れる決心がつきました。
ただ、それだけです。教えの全てを披歴して純真な信仰を求めるのが宗教でしょう。それが出来ていない天理教なんて信ずるに値しません。
70歳を過ぎるまでそのことを知らなかったのが唯一の不覚でした。長い教会との付き合いの中でも、このような話の欠片も語られることが無かったのです。会長さんも、このことを知っていたのか、あるいは知らなかったのかは分かりませんが、専修科を出ているのであれば知っていた可能性がありますよね。
参考意見様も、きっと、モヤモヤとしたものを抱え込んでいらっしゃるのではないでしょうか。
本部の、井の中の蛙発言なんて一切信用していません。
おつくしの意味は、お供えだけでは無いのでしょうが・・
「 親神様のご恩に報いるために、おぢばにつくしたい、運びたいという心。「おつくしをしましょう」というひと声。導く人のこの心と言葉が欠かせない。 」
それは理解できますが、結論的に、お供え(お金)をしなさいって言ってる様にしか読めないです。
うちに届いた、いちれつ会会報の理事の寄稿を読んで、やっぱりそう言うのが、根柢にあるのか?と、リアルに感じました。
世の中、玉石混合とは言え、宗教って、いっぱいあるんですよ、子供おぢば帰りは、ポピュラーな行楽で、親戚に天理教者が居たら、誘われます、それで天理教には馴染んでいますから、だからうちの息子の場合、地元を離れたいのと、天理高校への進学とマッチした訳です。 周りからは、止められましたが、親としては、本人が行きたい所へ行けば良いと言う方針でしたから、私は異教徒ですが、別に構わないよって思った訳です。
息子さんが天理高校に進学した(入信した)のは親神様の思し召しですから、お父さんも、お願いいたします、と来る訳ですが・・いや、私は結構でございますってなります。 私個人は、信仰は親子、家族であっても個人の自由であり、自分で選択したら良いと言うプライベートな物だと、硬く決めています。 もちろん、家族に勧めますが強制しません。 そうは言っても、この世はいろいろなので、別席を運んでる訳です。
そんな親もいるので、いちれつ会報の寄稿文には、猛烈な天理教(幹部)に対しての、拒否感を持ってしまいましたが、そう言う父兄もいると言う事を言いたいのと、卒業証書をもらうまでは、決してリアルには、言えないのと・・
以前に、12月納めの月次祭のかぐらづとめでチャンポンが間違っていたと指摘されていましたね。
みちのとも2月号で調べたらなんと冨松さんでした。頭がおかしくないですかと、言われていますが
本当にその疑いありです。うちの大教会の世話人なので、毎年1月の月次祭ではお話をされます。
いつもは、住み込みさんや、引きこもり、精神を病んだ人達に自ら積極的に関わりお助けされた話ばかりで、感心して聞かせてもらっていました。ところが今年の講話は、話し出しから、終わりまでずーっと
「おつくし」でした。何回言ったでしょう。後で大教会長も「びっくりしました」と、首を傾けた位です。
冨松さん、大丈夫ですか?それこそ晩節を汚すことのない様に余生を過ごしてください。
私は冨松さんの講話を数回聴いて、こういう真摯な信仰している人がいるんだ、と尊敬さえしていたのですが、最近おつくし、お尽くしと殊更強調する記事を読んで、興ざめしている者の一人です。見損なったというか、、。
え? 冨松さんどうしたの?冨松さんってこんな人だった?って、、。
上から言わされてる?
ご立派な説教を垂れても、厳粛な本部お勤めを間違えるようでは、、。
きちんとお役が果たせない人は本部お勤めの席に座る資格はないでしょう。この際、退場を申し出られてはどうか。
本部はマンネリなお勤めに甘んじているから度々間違う。世界助けを祈るお勤めならもっと厳粛に取り組んで下さい。マンネリでは駄目!親神が呆れています。襟を正せと申し上げたい。
東風Zさま
(2020年2月3日 8:43 AM)
本部には開かずの部屋があるというのは、どういうことでしょうか。もしよろしければ教えていただけないでしょうか。お供えが一か所に集まるとかいう空間とは別の何かの部屋でしょうか。
年明けから明るい話題がサッパリなので、気分直しに替え歌なんぞ作ってみました。有名な「勇敢なる水兵」の節で歌ってみてください。ジョークですよ。ジョークですからね!
「散々なる用木」
人影見えず金も無く 奇蹟も起こらず役立たず
空き家のごとき教会は 本部が乗っ取りいつの間に
信者に知られぬイカサマか 神を恐れぬインチキか
疑惑は本部にたちこめて 神のおかげもチト怪し
百年祭のたけなわに つとめ尽せる用木の
尊きお金で神殿は 絢爛豪華に飾られつ
銀行金貸し飛びまわり 数多の借金身に負えど
その返済に家売って 住み込み暮らしの用木は
教会長の貧乏を 疲れたまなこに見とめけん
声をしぼりて彼は問う 「まだ目覚めぬや中山は」
会長の眼は潤えり そのうえ声も力なく
怒り沈まれ中山は ただ金目当てになりはてり
聞きえし彼は悲しげに 深い溜息もらしつつ
「俺の人生返せよ」と 言う程もなく息絶えぬ
本部につくす用木の 向う所に救いなく
梅鉢の旗わらわらと おぢばの空を汚すなり
「まだ目覚めぬや中山は」 この言の葉は短きも
おやさま思う用木の 胸にぞ永くしるされん
富松さんの巻頭言は読み流すしかないと読み捨てておいたが、それは私自身は富松さんを知らなかったから、どうでもよい人としか認識できていなかったからなのだが。社会学は貴重な情報交換の場であると皆さんへ感謝している。
社会学に書き込んでくださった方々の感想では、以前の講話ではお助け話をされていた彼が、「お尽くし」一辺倒の講話内容に驚くほどの変化を遂げていたとある。
彼の心中を図るに、彼が真実の信仰者であるのならば葛藤があるはずだろう。
昔から天理教では葛藤を抱え込んだ信者の中には自殺する例がある。確か高名な本部員さんの息子も自殺したとか。
思うに富松さんは多分50代60代? まだまだ若くエネルギーも有るのだから自殺などせず(いえ、何も決めつけているのではなく、絶対に自殺の道を通ることはなさらないと思いますよ、話のアヤです。)、自身の心持に反した、本部の意向を反映した内容の講話を苦しみながら話すよりも、いっそのこと、本部員を辞退し、天理教教会長を辞任したらよいのではないか。教会長は辞任しても誰かが継ぐだろうから心配ない。一信仰者に戻ることで残りの人生を清々しく過ごせることになるだろう。強くお勧めする。
チャンポンを間違えたという事は、心に葛藤を抱えていたからだろう。
自教会への責任よりも、間違ったお尽くし説を説くことで多くの信者に迷惑をかける責任の方が大きいだろう。人間の人生は今しかないのだから、生まれ変わりとか、次の人生などのために「徳を積んで、因縁をきろう」などという、現実問題からの逃避的考えとはきっぱり手を切るべきだ。
生まれ変わりなどというあやふやな希望的観測は馬鹿ばかしい。天理教は前向きの解決から目をそらし、お供えで解決せよという、後ろ向きの努力を良しと教えている。困ったものだ。我々は今を生きているのだから。
>思うに富松さんは多分50代60代?
いやもっともっと高齢なはずです。前桜井大教会長ですよね。
80才近く、もしくはそれ以上ではないかと思います。
チャンポンも重くて体力的に厳しいのかもしれませんし、
なにせ高齢なのでリズムのキープも厳しいかと思われます。
たしか、遠い昔、少年会本部の委員長をやっていて、
『リトルマガジン天理教少年』では「トミザクラ編集長」というキャラクターで
少々悪役的なノリで連載されていた記憶があります。
コメット 様
お尋ねの件ですが、教団本部にある史料集成部というところと聞いています。
二部同窓生は天理大学に行き、教理の勉強をしていましたが、現行天理教の教義に納得できずにいたところ、史料集成部があることを知り、以降、何度も入室を希望するも許可されず、83歳の現在に至るも希望はかなえられていません。
大教会直轄教会の嫡男にも拘わらず、希望は一切相手にされないそうです。本部でも余程の地位にある人だけが入室を許されるのでしょうか。その辺の基準があるのかもわかりません。
教団本部にとって都合が悪いところなのか、あるいは、中山家にとって都合が悪いところなのかと思ってしまいます。
宗教には秘仏だとか、数百年に一度のご開帳だとか、勿体ぶったものが存在するようですが、本部にとって史料集成部も勿体をつけなければならないところかもしれません。
以前、史料集成部に関わった方が二人も自殺をされたというような投稿もありましたので、余程謎に包まれたところなのでしょう。
有名な天理大学教授が著わされた、天理教史参考年表なる小冊子ですら、真柱から発表はまだ早い等の理由をつけて、いちゃもんを付けるくらいの教団ですから大した宗教ではないと思っています。
ちなみに、私はこの小冊子を持っていて読んでいるのですが、どの内容が教団にとって都合が悪いのかさっぱり分からないのです。
睦輝さんのTwitterの画像にあったのですが、麹町大教会を会場に、以下のような講演があったそうです。
講師の先生は、画像からははっきりと読めないのですが、
加古大教会の会長さんで医師の、松尾太郎先生のようです。
有料の講演でありながらその上「お供え「」に言及している点でなんともなあという……。
どんなふうにお供えの教義的整合性を話したのか興味深いですが、
「金を払ってまで聞きたいとは思わない」との意見がTwitter上ではみられましたが、
社会学のコメント欄の皆さんはどう思われますか?
講演タイトル」 『天理教って必要なの?って思った人が、最初に聴く話』
「お供えってなんでするの?」
「そもそも天理教ってなに?」
「月次行かないといけない?」
話題の講師がすべての疑問に答える!
講演
前売券1,000円
当日券2,000円
持ち物「天理教への疑問」
50名限定 特別講話
2020年2月1日土曜日 14時~
富松氏は70代後半です。匿名様2/2 2:09PMを読んで気になり確かめました。卒業アルバムで。表統領のことばであれほど話題なってるのにそれよりもっとおつくし=お供え(=お金)を強調するようなる話などしてと。やはりいつも大教会の立場(肯定してくれる人たちばかりに囲まれてる)などなんの力もならない天理教などマイノリティの場の体験のないまま今に至たったのかと。せっかく埃かぶったアルバムを出したのでしばらくぶりに丁寧に見ました。天理教豊文分教会の裁判で被控訴人:宗教法人天理教:の代表役員I・M氏、天理教検定委員長
M・M氏、100年祭に自殺された教会長の大教会長M・K氏(年齢的にたぶん大教会長就任してると思う)は同学年同クラス成人寮(本部員子弟)でした。
東風Zさま
2020年2月3日 7:27 PM
どうも有難うございました。史料集成部でしたか。「本部」とありましたので、教会本部(神殿)かと思っておりましたが、あるいは史料集成部でしたら、教庁の一角かどこか特殊な庫などになるのでしょうか。場所さえもよく分かりませんが、想像するに、私が知る限り天理教関連の史料あらゆるものを集めているところと承知しているので、史料の保存という面で、最大限の神経を使っているのだろうと思います。天理図書館でも、見られない資料が意外とあります。修養科の名簿とかは見せてくれなかったですね。ほかにも天理図書館は文化財関係は見られないものと承知しています。史料集成部も後世に史料をきちんと残すのを使命としているのでしょう。必要があればごく限られた人に、限られた条件で閲覧となるのではないかと思います。文化財のように。個人的にはきちんと保管するのであればデジタル化して、閲覧室でも設けたらよいと思います(書籍類は普通に天理図書館で見られますので問題はなさそうです。異端関係の本は天理図書館には所蔵していないように見受けられますが)。活発な研究のために、工夫をしてほしいですね。
さて、最近、本部からの「お尽くし」の声がかなりストレートで、何やら行き過ぎた感さえ覚えるのが多くの信者さんたちの感想ではないかと思います。何か厳しい事情があるのでしょう。ほしい、ほしい、そんな声をあげたところで信者は動かず、むしろ逆に疑問を感じるだけではないかと思います。お尽くしは心にあります。誰しもに喜んで「誠」の心を持っていただけるように、自らが厳しくあるべきが本部員なり大教会長の姿であろうと思います。本部は、財産を売ればよいと個人的には考えています。今持っているさまざまな各地の不動産など、現金化して、お道や苦しむ人たちのために有効に使う方法はあるのではないでしょうか。そうやって本部が必死になることで、信者も自然とついていくことでしょう。お金、お金だけでは心には何も響いてきません。
私の亡き母が居住のための「家」を除くすべての財産をささげ、最後まで教会のために尽くし切った姿を思うにつけ、お金お金と声をあげる現在の本部の姿に、情けなさを感じるばかりです。(亡き母は尽くし切ってもまだ足りないと思っていたでしょうが、老いて安らかに出直しました。残ったのは残額数千円の通帳だけでした。服も何着もありませんでした。年金もすべてお供えしていました。それはそれで誠としてきっと神さまは受け取ってくださっていると、私は信じています。洗脳と言われるかもしれませんが。)
加古大教会長、松尾太郎。香川大学医学部を卒業。結婚12年目に生まれた一人っ子です。まだ36歳かな。
3カ所のクリニックの院長です。私達が考えている過重労働で成り手のいない小児科医や産婦人科医 などではなく脱毛、シワ、たるみなどの美容皮膚科です。阪大出の医師が居るので時間はあるんでしょう。儲かって仕方ないので3院目を開院したみたいですね。医者ではなくて経営者でしょう。母親の真理子さんと同じく講演業に勤しんでおられる様ですね。
真理子さんとこの太郎さんは息子ですか。大教会長の夫も医者と聞きましたが。
大教会長しながら、複数医院を持っていて忙しく働いていると。
真偽は判りません。
しかし、教会主催の講演に講演料まで取るとは。お金持ちはもっともっとと欲が膨らみ、益々谷底と高山の差が広がりますね。
神の目に合わせれば 無料ひのきしんが筋でしょうが、真理子さんも講演に走り回っていますね。
私のような違う信仰の持ち主から見ても、中山みき先生の教えは誠に優れた良い教えだと思いますが、天理教教団側の信徒に対する献金の姿勢は常軌を逸するものだと思います。「死の扉の前で」を読むと、本部に献金するために娘を売るような異常な行為が昭和の時代から行われていたみたいで、このような暴挙が長年続いたことに驚きを感じます。私が信仰する教団でも不合理な事は多々ありますが、幾ら何でも天理教の本部のやっていることは酷すぎると感じます。
有名な「貧に落ちきれ」という有名なお言葉も、「物質に対する執着から解放されよ」「貧しい人たちへの思いやりの心を持て」というような趣旨に解釈するのが普通だと思います。本部に献金するのは「徳積み」ですが、それだけが「徳積み」ではありません。公の事に使うお金はみんな「徳積み」だと思います。また、家族が調和し、近所とも仲良くし、仕事や学業、家事にそれぞれが励み、真面目に働いて得たお金を感謝の気持ちで、無理のない範囲で献金をするから「徳積み」になります。小作人が庄屋様や代官様から脅されて年貢を取り上げられるような感覚で本部に献金をしても、「徳積み」どころか、悪業を積むだけになると思います。特に、神様の名前を使って献金を強要するのは、神様を悲しませる事になると思います。
想像ですが、天理教は立派な学校も病院ももち、豪華な施設を多数保持しているので、多額の維持費が必要な体質になっていると思います。信徒の減少により収入が減少し、財政的に問題が生じたので、信徒に献金をお願いすることが増えたのでしょう。宗教団体の維持に多額のお金が必要なのは当然であり、信徒による献金の必要性は否定しません。しかし、どこかの大臣ではないですが「身の丈に合わない」ことはすべきではないと思います。私のような部外者から見ると、「きりなし普請」とは心の問題であり、教団の規模を拡大することではないと思われます。
規約に定められた会員の会費は払うし、可能ならそれ以外の寄付も応じるが、生活ができないような多額の寄付に応じるつもりはないとはっきりと意思表示をすることは、大事だと思います。
長年、このような悪弊が続いていた状況を考えると、今すぐに状況を改善するのは容易ではないとは思います。しかし、これが続くのは信徒さんにとっても、天理教にとっても良いことだとは思えません。最近は「司法改革」のおかげで、弁護士の数が倍増し競争が激しくなり、弁護士の相談の窓口も増えて敷居も低くなりました。法律の無料相談の機会も増えています。教団内で出世を目指すならともかく、生活もできないほどの寄付を強要されて、それに応じる法律上の義務はありません。
納得のできないことは、地元の弁護士に相談をしてください。
なお、法律相談は弁護士によって見解が異なることがないとは言えません。(「行列ができる法律相談所」で、弁護士ごとに見解が異なるのを見てもわかります。)顧客が複数の弁護士に相談することは「弁護士職務基本規定」という決まりで認められていることですから、弁護士に相談し、その弁護士の返答に納得できない場合は他の弁護士に相談をすることをお勧めします。
最後になりましたが、他の信仰を持つ人間が天理教内部の問題に口を挟むという無礼な行為をしたことを深くお詫び申し上げます。気分を害された方がおられたら、お許しください。
門外漢 様
2020年2月4日 3:27 PM
>>最後になりましたが、他の信仰を持つ人間が天理教内部の問題に口を挟むという無礼な行為をしたことを深くお詫び申し上げます。気分を害された方がおられたら、お許しください。<<
私も若かりし頃、天理教から去った人間ですが、この掲示板には再三投稿させていただいています。天理教外の人達が天理教というものについて、いかに考えられているかということは、天理教内の人達にとって大変参考になると思います。特に、法律の専門家としてのご意見は大変貴重であると考えます。これからも奇譚の無いご意見、ご感想をお寄せ願います。
教外の方の冷静で客観的な視点は大変有意義なものでした。やはり天理教団に体質的に常軌を逸した側面が有るのを一般の弁護士の立場の方がお見抜いておられたと、心を強くしました。
大手T大教会では、今回教会整理の対象が80箇所にのぼると言う事です。原因があって結果がある。調子に乗って雨後の筍の様に数字、形だけを追い求めた教会倍増計画。現在の私の教会もかつて上級からそそのかされて新しく出来た教会です。そういった教会が今、子々孫々にも受け入れられず、中味を伴わないまま朽ち果て、整理され消滅しようとしています。私が担当する教会も後10年で信者さんは消滅してしまいます。そして会長の私の命も持つか持たないか、、。お目どうは上級に移し教会長死亡、信者無し。この流れなら整理される運命でしょう。
今は教会の名称看板は辛うじてぶら下がっているが、各種行事に引っ張り出されるだけで、布教も何もしていません、、。全国的にもそんな看板ぶら下げただけの教会が多いと感じています。
子供の頃に見たあの勢いは夢か幻だったのか、、私達一家は上級の圧力で貧乏暮しに甘んじたけれど。今だに悔しい思いが忘れられませんが、その頃高度経済成長期で本部の懐は莫大潤い、本部はやりたい放題が出来たんだけど。
現在の状況を見ると隔世の感があり、此の期におよんで益々お金にこだわり始めた本部のなり振り構わぬ姿には全く持って虚しさが募りますね。もうどうあがいても教勢回復は無理なのにね。やってきた過去を学べば発展する道理が無いんだから。
愚痴とも嘆きとも言えない独り言で。失礼しました。
おやさまは、人に頼み事があった場合、頼む前にその人がしてくれることを<最高善>のように言われています。
曰く、「言われてするのは正直者。言われてせんのは横着者。言われぬ先からするのが真の誠」
用事をするのも、言われる前に先んじて自主的に動いてやること、これを「誠」とされました。
この背景には、「どうせぇこうせぇ、これは言わん、これは言えん」 という「言わん言えん」 の理があるからでしょう。つまり、よい事をするのも、人から言われてするのではなく、自分の意思ですることが大切とされているようです。
…………………………………………………………………………………………………………………………
さて、お立合い。ここからが本番です。
上記の 「言われてする」の 「する」、「言われてせん」 の 「せん」、それともう一つの 「する」、この3つのサ変動詞 「する」 の前には、何の名詞もついていません。「勉強する」とか、「化粧する」とかいったように、「する」の前に何か名詞をつけて具体的に何をするのか言い表すべきなんですが、ここでは名詞がついていないために、こんなこともできてしまいます。
「する」「せん」の前に「お供え」という名詞を入れて、「言われてお供えするのは正直者」「言われてお供えせんのは横着者」「言われぬ先からお供えするのが、真の誠」
私の村の小さな分教会では、もちろん、会長さんは↑そのようなことを言ったりはしませんでしたが、しかし、教会の中には、「会長さんは黙ってても、信者の方から自主的にお供えする、これが「誠」だ」、という雰囲気があったようです。
これは、教理をユガメているわけではないのですが、そういう雰囲気は教会の中にはあったようで、それが一つの圧力となって、信者さんの肩にのしかかっていたような気がします。
中山家と反社会勢力の関係
聞いた話 中山家の親族に元反社会勢力の方が居るそうですね。宗教は確かに万人のお受け皿で葉ございますが、今のご時勢反社会勢力元反社には厳しい時代です。その教団のトップの親族にはふさわしくない人が居るそうです。
「次期真柱の人の親族が元反社会勢力」と言われる日も近いでしょう。
近年の中田善亮氏の方針は明らかに反社会的であり、「金の繫ぎは命の繋ぎ」「土地の返却」などありもしない騙しの数々でとても宗教とは認められません。ご親族の影響もあるのでしょうか。
ここまで来ると、豊田商事事件のように、豊田商事事件 のような結末を迎えるのではないでしょうか。
豊田商事事件
https://www.youtube.com/watch?v=O6ESK8A2qoE
「金の繫ぎは命の繋ぎ」に関してですが、この言葉に関して、教会に言った言葉だ!等との言い訳が有るそうですが、信者も教会も一緒ですので何の言い訳にもなっていない。
それに 「金の繫ぎは命の繋ぎ」を分解しますと「繋ぎ」は前後同じ意味で「は」前後を修飾する接語ですので、
「金は命です。」や「命は金です。」と文章にしても間違いはございません。
つまりこれは宗教家の言葉とはとても言えないのです。
それに、未だに中山家は「血」のこだわりがあるそうですが、中山みきの子孫が「金の繋ぎは命の繋ぎ」と言ってるのなら、中山みき は「申し訳ない」と土下座で謝罪しても足りませんね。
未だに言い間違いの是正を図らない時点で言うこと聞く必要は無いのです。
真柱一同が土下座して今の天理教は間違っていますというべき!
天皇をまねたような真柱を廃止して血族で固めた組織を解体すべき
新しい組織は民主的にすべて選挙で長を選ぶべきである
いずれにしても現在の組織から百分の一ぐらいの組織に変更して
優先順位をさだめるべき
①参拝 (神殿)
それ以外の組織、たとえば大教会は廃止、教区のみとする
一般分教会はその教区の配下とし教費金は教区にお供えする。
信者からのお供えは本部または教区にお供えをしノルマ(1教会10万)を廃止する
②詰所の廃止
各大教会の詰所を廃止し、本部1か所に統合する。
修養科生も本部詰所からいく
③憩の家廃止、炊事本部廃止
④天理大学、天理高校の廃止
以上でだいぶ予算削減となるであろう
ようは組織はなくても参拝だけできればいいのである。神社と一緒
ちょ、ちょっと待って下さい。私が先 ↑ に言ったことは、誤解を招いたかもしれません。
私が言いたかったのは、おやさまがお話しされると、後世の人々は、その話しを往々にして「お供え」に結びつけようとしていた傾向がある、ということだったのです。
例えば、おやさまは、「言われぬ先からするのが真の誠」と言われましたが、これは、ごく一般的な用事について言われたのですが、この話しを、会長さんは、「言われぬ先からお供えをするのが真の誠」 というふうに話され、そのように何でも、落としどころを 「お供え」 にもっていかれることが多かった、ということだったのです。
なるほど、「言われぬ先にしたお供えを、誠あるものとして受け取る」と言っておきゃ、会長さんは黙ってじっと座っていても、お金が入ってくるな、と思ったからそう言ったまででした。おやさまが悪いわけではありません。
誤解を招く発言をしたかもしれないことを、お詫びいたします。(私も、チョンボをやってしまいましたが、発言って、難しいですね)
>>「金の繫ぎは命の繋ぎ」を分解しますと「繋ぎ」は前後同じ意味で「は」前後を修飾する接語ですので、
「金は命です。」や「命は金です。」と文章にしても間違いはございません。
つまりこれは宗教家の言葉とはとても言えないのです。<<
文法的に解釈すると全くその通りです。例えば、「私は日本人です」という文は、「私」が主語で「日本人です」は述語です。主語の「私」と述語の「日本人です」の間の「は」は、イコールという意味です。「金の繋ぎ」=「命の繋ぎ」ということになります。こんな馬鹿げたことを平気で言ってのける表さんはとんでもない馬鹿です。救いようがありません。
松村義司理事は道友社社長、高安大教会長、現真柱の中山善司や表統領の中田善亮とは従兄弟である
詰所は全て本部が管轄する。新たなものは建てない。今ある既存のものを利用する。修養科生は38母屋に寝起きし、一期講師も一緒にする。毎期男女100名ずつ。そうすれば一貫した修養になりますし、大教会毎のお手振りの違いもなくなるのでは。
分教会詰所の廃止。
先ずは其処から手をつけていくことがいいと思います。
みなさんどうでしょうか?
↑同意です。弱小大教会によっては今後、古くなる一方の詰所の維持管理、修理などの体力はなくなるものと思われます。既に本部にお供えした物件なのですから本部の責任下として管轄させ、各大教会は修理等の負担から解放されるべきだと思います。
中山みきは土下座して信者に謝罪すべき
2020年2月5日 11:25 AM
とても過激なタイトルですが読ませて頂いてなるほどと思いました。金は命、命は金、とは?まるで金融ドラマの台詞のようでとても宗教とは言えませんね。教会の集まりに行っても善亮さんの悪評の話ばかりですが、不思議に思うのが血縁に無い本部員の方が咎められ無いのは分かりますが、中山家の親族の方は何故善亮さんの横暴な言動を指摘しないのでしょう?私の会社でそのような事を行った時には大騒ぎです。いくら私が社長や会長であっても一瞬で首が飛びます。熱心な信仰者ではございませんがあえて言わせて頂きますと、中山家の方は育ちが良すぎて世間知らずすぎてかえって育ちが悪いのではないでしょうか?他の記事も読ませていただきましたが、昨今反社とのかかわりは当会社でも重々気をつけて従業員にも指導しているさなかに、中山家の親族に元と言えど反社の方が居るのはこの御時勢許されない事でしょう。どなたとは存じ上げませんが、もし仮に後継者の大亮さんの血にも反社の方との血縁があるのならば考えものでは無いでしょうか?これは内部の人間がと言うより外部から指摘を受けた際弱点に成りかねません。このような事態も見据えられない様であれば今後会社などの組織運営は続かないでしょう。
今、早急に調べる必要があるのは、大教会を含むすべての教会の負債の状況を把握することではないでしょうか。
本部のお供え攻勢や巨大建築費用及び維持管理費用が重荷になっているように思えます。
所属していた教会も、先の台風被害で借金をせざるを得なくなってしまったようだ。協力要請の文書が来ているが、年金生活者て、すでに教会を離れてしまっている者にまで当てにするなんて余程困っているのではないかと想像してしまう。
やみくもに突き進んできた教会名称が最大のガンになってしまったことに早く気付くべきです。
所属大教会長は、本部のお供え攻勢にもう勘弁してくれと批判や疑問を向ける事はなくて、益々頑張らねばと言う心向きの様に見えます。「今年は心定めの◯千万円本部にお供えできました、ありがとうございました。」と胸をなでおろす表情の大教会長発言を聞いてそう思います。弱小は弱小なりに同規模の大教会と本部上納金額を張り合っている様です。金額クリアーで自分の責任が果たせた、思っているのでしょうが、曲がりなりにも宗教家なら基本は「人を癒し、助ける事」が出来たかどうか?なのですが、一生懸命になって見つめるポイントが「本部命」で、ずれている。
実際本部に捨てるお金は無いのです。内実は詰所修理にその都度信者にお供え要求しなければならず、金が廻らない状況にもかかわらず、です。
匿名 様
2020年2月5日 10:01 PM
>>詰所は全て本部が管轄する。新たなものは建てない。今ある既存のものを利用する。修養科生は38母屋に寝起きし、一期講師も一緒にする。毎期男女100名ずつ。そうすれば一貫した修養になりますし、大教会毎のお手振りの違いもなくなるのでは。<<
38母屋は、「本部の迎賓館」で教会本部に訪れるVIPのみを宿泊させる施設だと昔聴いたことがありますが本当でしょうか? 外観は立派に見えるのですが、ほとんど稼働していないようにも見えます。また、天理市内でも修養科生のハッピを来た人はほとんど見かけなくなりました。詰所の利用者が激減するのは当たり前のことだと思います。38母屋にしろ各大教会の詰所にしろ、老朽化が進み、それらの維持管理費は最終的に末端分教会なり一般信者の肩にのしかかってきますが、それすら限界があります。早急に、他の公共施設や福祉施設に譲渡転用するなり、何らかの使用方法を考えておかないと、天理市街地は廃墟と化し、信者さん達のこれまでの「お供え」はドブにすてた結果となるでしょう。
>中山家と反社会勢力の関係 2020年2月5日 10:24 AM
>聞いた話 中山家の親族に元反社会勢力の方が居るそうですね。
もう少しだけ詳しく教えていただけませんか?
一番目の大教会の郡山初代会長・平野先生のことではなく、存命でそういう方が中山家の親族にいるのですか?
匿名
2020年2月6日 4:41 PM
現在の健在の方です。宗教内だとうすぼけてしまいがちでしょうが中山家が貰った嫁の血縁等に元反社会勢力に所属した人が居たりするそうです。中田善亮氏が何であのような発言をしたのか?その血縁の影響なんですね。と思えて成りません。これ組織内だと防げることでしょうが、外部からは叩かれるととても弱い部分です。例えば、他の宗教団体のトップの家族が元反社会勢力だったら?他の宗教団体をはじめ世間一般の方も当然批判します。
皓組織は善亮が崩し大亮で終わる。でしょう。
「金の繫ぎは命の繋ぎ」と人を恫喝すること自体、反社会勢力以外の何ものでもありません。宗教団体は国(文化庁)から認可を受けた公的団体ですから、天理教内外を問わず、大きな社会問題として国会等で議論するべきだと思います。
>>中田善亮氏が何であのような発言をしたのか?その血縁の影響なんですね。<<
金の繋ぎは命の繋ぎ発言。あれはヤク◯の発想。まぎれもない脅し文句です。善亮自身に反社と引き合うものがあるからそう言う文言が自然に出て来る。善亮、大亮一族が反社を親族に抱えているとは。
大亮も東南アジアで女性を買うような人間です。元気一本だが、宗教家として本質的に持ち合わせるべき精神の崇高性がない。これは致命的です。
善亮が崩し大亮で終わる。確かに。
カルト宗教やめました、というタイトルの本が出ているんですね。
母との確執、崩壊する人生設計、社会常識とのズレ、とあり、さらに、”宗教2世”の著者が25年間の信仰を捨てた後の物語。
「離れたら不幸になる」と言われたけれど、本当にやめてよかった! 累計5万部のコミックエッセイ、待望の続編
と書かれています。ちなみに、著者は、たもさん、という方です。
まさか、天理教じゃないでしょうが、興味がありますね。離れたら不幸になるなんて、天理教が言う常套句ですから、ついつい邪推してしまいますが、私はこの欄で、同じことをある方から云われましたし、教会からも云われましたから、宗教が言うことは、揃いも揃って皆んな同じようです。怖いですね。
中田善亮が放った言葉「金の繫ぎは命の繋ぎ」は宗教とは程遠い、誘拐や反社の台詞ですね。
天理教は中山家を離れ教団だけ消え去るのでしょうね。表立って誰も文句を言わずだがもう二度と教団の地に足を運ばないものが日々増えて行く教団の終わりはもう皆さん分かってるでしょう。
著者はエホバの証人を辞めた方だが天理に重なる部分はあると思われる
天理教も中山教もどうなったって、何とも思いません。
私メが望むことは、教友とおやさまの教えを分かち合いたい、ということです。
神さまの話ができたら、それでいいです。
では、教友とは何か。それは
友人 ≦ 教友 < 兄弟姉妹 (友人以上、肉親の兄弟姉妹 未満の関係)
また、
恋人 - 肉体関係 = 教友
(神さまを間に立てているのだから、友人関係より密度は濃いい。)
エホバの証人の二世さんですね。両親が熱心なところの子供は悲惨です。この人の様に逃げだせた人はいいですが、自由を奪われ洗脳に気付いていない若者も多い様です。うちにもしょっちゅう二人連れが来ましたがいつも年配とちょっと若めの婦人のペア。一回、男性が一人で来ました。20才くらいの男女が来た時は驚きましたね、初めてですから。、平均以上のルックス、今すぐにでもテレビに出したい様な爽やかで好印象の二人です。女の子の方が前に出て、一生懸命話して、男の子は後ろでニコッと笑っているんです。孫くらいの子を前にして、バアさんは、少し、平常心を失いかけて、いつもの様に、「こんなとこもなんやから、神殿へどうぞ」という退散の決めゼリフが言えず、「ご苦労様です」と、最高の笑顔で見送りました。昔、まだ教会へ来る前住んでいたアパートの隣の家に、美人でスタイルも抜群の奥さんが居ました。うちの子達とも仲良くしてたんですが、ある頃から二階の窓を開けて大きな音量でテープを流す様になったんです。ものみの塔の小冊子も目につくところに置いていて、ああ、入信したのかと思っていたら、暫くして子二人連れて家を出て行きました。あとへ来たのは、その奥さんより数段落ちる女性でした。後でよく知る人の話では、浮気性の旦那のことで悩んでいた時に布教に来た人から導かれ、熱心になり、旦那の親のお葬式に、他宗教の葬儀などの行事一切参加してはいけない教えを守って出なかったそうで、それが決定打となり奥さんに不利な離婚となったみたいです。子どものクラスのお母さんもエホバが原因で離婚したとか。家族を引き裂く宗教、子どもの精神を破壊する宗教、万とある宗教、まともなのはどこですか。
エホバの勧誘は本当に執拗です。我が家にも何回も勧誘に来ましたが、最終的に私が旧約聖書の話を持ち出し、エホバの教えとの矛盾点をついたら、それ以後、全く勧誘に来なくなりました。
私の遠縁の女性で乳癌を患った方がおられましたが、その女性はエホバの熱心な信者でした。ご存知の方も多いと思いますが、エホバでは、手術の際に、輸血を受けることは禁じられています。気の毒なことに、その乳癌を病んでおられた女性は、手術や輸血を頑なに拒まれ、癌が全身に転移し、結局、お亡くなりになりました。新興宗教の迷信の恐ろしさを私は痛感しました。
すみません、つまらないことですがエホバさんをうらやましく思った過去を告白させてください。
当時住んでいた集合住宅に賢そうな控えめなご婦人がいました。
その方と何処かのやはり美人で聡明な感じのご婦人(ともに私より恐らく10歳位年長)とで勧誘にこられました。勿論、お断りしましたが。
或る日同じ住宅の方が近所に戸建て住宅を建てて越されました。
直後に近所なものですからバッタリ遭遇した際に、「良かったですね」と私。
すると「お陰様で宝くじにあたったので。」と仰いました。
当時私は30代に入ったばかりで、そのご夫人から見れば妹のようなもので、何の警戒心も持たずにお話下さったように受け止めましたし、他の人に口外することもしませんでした。
エホバであっても神様には違いないのだと妙に感心したものです。
そして現在、エホバ関連でこの記憶を改めて思い出して感じることは、恥ずかしながら、
「いいなぁ・・・・私は天理教を信仰していてもいつも運が悪い。」という浅はかな感想なのです。
突っ込みたい方はいくらでも上げ足とってくださいまし。
我が家の信仰初代は実家の愚痴をこぼす先が教会でした。
病気を助けて頂いたというような「助けられた元一日」なんてものは存在しないので、皆さんのような立派な信心とは言えないから、運が悪いままなのかもしれませんが、どうでも良いと言えばどうでもよいことで、ただ、うつむきながらも毎日をまじめに生きているだけです。
「いくら金があっても墓場には持っていけない」などと偉そうにのたまう方もいますが、その様な方は金のありがたみを、ヒリヒリするような切望感を持たずにすんでいる恵まれた御仁だと言えるかもしれません。
(「強欲」ではなく、私目が切望するのは「小金」程度なのですが。)
とは言え、何といわれてもお金があれば叶う事って、世の中にたくさんあるんでございます。
ダイヤモンドプリンセス号に乗船されている方々の船室は、金額で仕様が異なります。
お金をだせばバルコニー付きの部屋での周遊。
まぁ、今回の厄災は全船室平等にふりかかってはいますが、その中でも窓無し部屋に捕らわれる方と海が眺められる部屋との差異は、マネーの差であることは確かです。はい。(どうでもいい事をかいてm(__)m)
くだらないことを書きつけ失礼いたしました。
マネーの差は幸、不幸を確かに左右しますね。先日も所持金が底をついてライフラインを止められ高齢の姉妹が自宅で亡くなって数日後に発見されたと聞きました。小金さえあれば生きていれたでしょうに。
天理教はお金を持つことを否定しますが、お金は必要です。世の中はお金で幸せになる側面は多々あります。病気の治療一つとってもお金さえあれば最高医療が受けられ、死ぬはずの人が死なずに済む場合があります。
命の繋ぎは金って言うけれど神様にお金を差し出してそれで助かる確率はどれだけあるだろう。むしろお金の力を借りて最高医療を施して貰う方が命を拾う確率は格段に高い。真柱も最高医療を受けたお陰で命を拾っているのだと思う。(イヤイヤ親神が助けたと言うなら、なんで完治しないのかと思います。)
お金と人間の幸せの関係はあらゆる面で密接に結びついていると常々感じます。
大金は要らないがそこそこの小金は幸福を感じる生活には必要です。人間を創造した親神にとって一列人間が貧に落ちきりボロボロになる姿は望む姿では無いです。
(天理教は教祖の習って貧に落ち切り慎ましく生きようと掛け声をかけているが、そのトップの張本人達がお金を溜め込んで大金持ちなんだから馬鹿げた団体です。)
理事寄稿について、天理教の友人に、どうなのかって聞いたら、天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良い、(むしろお金が欲しい?)になっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になるから、特におかしくは無いと言われた。
それがおかしいと思ったら、やらなければ良いと、そう言う事になります。
私の叔父叔母はエホバ、従姉妹も大人になって自分から、パブテスマを受けた。
ところがちゃんと輸血は受けている、そこまで拒否はしていない。
叔母も、普通の主婦であり、人柄は大変良い人です。
そこの従兄弟の嫁は愛町分教会の熱心な信者、子供達は鼓笛隊ですが、お供えは、できる範囲で行い無理はしないで、参加する事を楽しんでいる。嫁姑も、同居しているけど、互いの信仰に踏み込まず、天理教とエホバが一軒の家に共存しています。
要は、信仰する人間の理性がしっかりしていて、常識的な判断をして、自分で決めて行動していたら、天理教であっても、エホバであっても、特に困りはしないと思います。
誰かのせいにする前に、理性的に、よく考えて行動できたら、別に困った状況にはならないと言う、ありきたりの結論になりますよね。
変だ? おかしいと思ったら、立ち止まって検証してから、行動する事ですよね、それに宗教、信仰は個人的なもの、親子でも強制しない、変だと感じたら教団の言いなりにはならないと言う理性が有れば、スピリチュアルでも、神霊主義でも、日常何も困らないと思いますよ。
匿名 様
2020年2月8日 12:21 AM
仰る通りです。仮に、この姉妹の方が大教会に相談に行かれても、多分、ここはあんたの来るところじゃないと追い返されていたでしょうね。天理教の教会なんておカネを持ってこない人は眼中にありません。
永年信仰されていた人が、事情でお供えが出来なくなった時の会長の態度を見てきた者には、困っている人を助けるなんて思いは、これっぽちもないことを経験から想像できます。
現行天理教なんてさっさとなくなればいいんです。
匿名 様
2020年2月8日 12:21 AM
>>マネーの差は幸、不幸を確かに左右しますね。先日も所持金が底をついてライフラインを止められ高齢の姉妹が自宅で亡くなって数日後に発見されたと聞きました。小金さえあれば生きていれたでしょうに。
天理教はお金を持つことを否定しますが、お金は必要です。世の中はお金で幸せになる側面は多々あります。病気の治療一つとってもお金さえあれば最高医療が受けられ、死ぬはずの人が死なずに済む場合があります。<<
先日、NHKをはじめとするテレビで報道された「困窮死」のことを仰っていると思うのですが、人間の生存権は日本国憲法第25条で次のように保障されています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という条文ですが、生活に困窮し止むにやまれない状況に追い込まれている人々は憲法25条の趣旨に則り、生活保護費を受給する権利を有します。昔、どんなに生活が困窮し、光熱水費を滞納していても市町村役場は、水道給水だけは止めることができませんでした。なぜならば、水は人間の命に直結するものであったからです。しかし、時代が変わり、飲料水がスーパーやコンビニで購入できるようになってから、水道料金を滞納すれば、水道局は滞納世帯に対して水道給水を停止できるようになったということです。
ともあれ、私が疑問に思うのは、日本国憲法第25条で「生存権」が保障されているにも関わらず、なぜ、困窮死されたご兄弟は生活保護を受給されなかったのかということです。生活保護を受給されていたら、必要な医療も無償で受けられたはずです。また生活に必要な最低限の経費は国から給付されていたはずです。
天理教の教会なんておカネを持ってこない人は眼中にありません。<<
私の系統ではお金を貸して欲しい、と言ってくる人にはお金を渡してはいけないと言う、暗黙の了解があります。おにぎりを持たすとかして派出所を紹介するように言われています。お金を渡すとその人の徳を減らす事になるんだと。もっともらしいが、、。
それと、度々来ることによる教会住人への危険回避だそうです。
確かに人を助けるとは生半可では出来ないです。しかしこう言う指導姿勢にはわが身可愛さが見え隠れしてすっきりしない矛盾を感じています。言うは易し行うは難しですが所詮、天理教の教会の人助けなんて綺麗事なんだなぁと思ってしまいます。
教会はお金を持たないで助けを乞う人は、受け入れてはいけない、警察へ案内せよ、ですから。
生活保護を受給するに際して、行政はあらゆる手段を講じて申請者の親戚縁者を探し出して援助が出来るかどうかの有無を調査すると聞いたことがあります。
申請者は、親戚縁者に自分が困窮していることを知られることを嫌がり、なかなか相談しないのでしょうか。
地域には民生委員も居られて体制は出来ているのですが、人にはプライドを捨てることが出来ないのかもしれません。
少しでも優しい社会であって欲しいと願わずにはいられません。
ちなみに、私の住んでいる地区の民生委員が何方なのか知りません。
過去にも、生保を申請していない高齢の姉妹がひっそりとアパートで衰弱死をしていた出来事がありました。確か所持金が小銭で僅かしか残っていなかったとか?社会保障制度の難しさは、生活保護が必要な人たちの中には、書類をかいたり、必要なものを揃えて、役所に申請するという仕組みに対応できない境遇の方もいるようです。あくまでも、個人で申請するのが建前ですから。中には民生委員とか知り合いの方の手助けがないと難しい方もいるようです。残念ながら、その制度を悪用して取得していた事例もニュースになったこともあります。いい方法があればよいのですが。
国民皆保険、生活保護、義務教育、信教の自由…
日本には素晴らしい制度や保障がたくさんありますが、全ての人がその恩恵を受けることが出来る訳ではありません。
様々な宗教や支援団体がありますが、それに関わる全ての人がその恩恵を受けることが出来る訳ではありません。
万人受けする物や、多くの人に支持される物や人も、必ずしも10万人全員が認める訳ではありません。
人は、生まれる国、時代、性別、親、兄弟、家庭環境等は選べません。
先天的なものを理解し、後天的な要素、これからどう生きるか
これを真剣に考えて行動し、自分の望む人生にいかに近づき全うできるか。
自分にはどんな選択肢があり、どんな幸や不幸がやってくるのか…
同じ人間でも、国、人種、性別、身体能力、精神力、経験値…
みんな違うんです。一卵性の双子でも違う人生を歩みます。
前世だの来世だの言う前に、今までの人生を踏まえて、死ぬまでのこれからの残りの人生をどう生きるか…
代々の遺伝や行いを知ることは、これからの人生において色々なヒントとなり得ますが、前世などという科学的にも社会的にも証明できない事象に囚われず、弱肉強食の世界を強く生きて欲しいと思います。
そして人は死にます。死ぬまでに何を成すか、何を残すか。
天理教に携わる方々には強く生きて欲しいと思います。
弱者が弱者のままでは、生きていく上で得られるものも減ったり、少ないままです。
まず、自らが強くなること。
身体的にも精神的にも。立場や経済力は二の次で構いません。
まずは清濁併せ呑むことのできる健全な身体と精神を培いましょう!
それでは今日も明日もより良い人生のためにお元気で
「困窮死」を未然に防ぐために、市町村役場は水道料金や公営住宅の家賃等の滞納状況をしっかり把握し、社会福祉事務所や社会福祉協議会と密接に連携を取りながら、地球より重い人の命がいたずらに失われないように努めるべきだと思います。それが行政に課せられた責務です。「困窮死」のみならず「児童虐待」の問題も、縦割り行政ではなく、行政の横の連携により、相当防げるはずです。
貧困の問題は政治の問題です、宗教の直接の問題ではありません。
よく考えて、日本の政治の選択をしなくてはいけませんよね。
政治は選挙権があり、選択できるのですから。
天理教の教会に生まれたがために、ひどい目に会ったとしたら、それは親のエゴの犠牲になったと言う事かもしれません。
先祖がお供えした教会、天理教をやめたら、教団に持っていかれる、だからやめられないと言うのも判ります、確かに困りますよね。
一般的に見て、長男に継がせる、家族を教団に巻き込む、これは一方的な正義の押し付けだと、私個人には感じます。
職業が天理教の教会長と言うだけであって、家族を養う義務が夫婦と親子にはありますが、それで十分暮らせるなら、老舗や職人の様に、代々継承して行くのは、まあありなのでしょうけども・・
教会長は職業なのか? 信仰なのか? と言う境界の問題ですね。
そこが、混ざるから、複雑にしていますよね、本来、職業選択も信仰の選択も個人の自由であり、子供には強制すべきでは無く、それを継ぎたい弟子にでもやらせたら良いと思いますけどね。
教会に生まれると、職業も、信仰まで決められてしまう、ついでに教団内のヒエラルキーまで固定されて、決まってしまう。
それを、前世の因縁とか徳とか、根拠の無い理由で正当化されてしまう。
伝承させる技も、特技も、名誉とかも、あまり無いと言う現実。
側から見たら、理不尽でしか無い立場の人も居る訳です。
領主は領主、家来は家来、奴隷は奴隷のまま
下克上できるならまだしも、それもできないなんてね
親神様と教祖様は、当時の封建制度を打ち壊す様に、教えを広めようとしたのでは無いでしょうか? なのに、令和になっても、教団の自家封建制度が今ある教団の問題の根源かも知れないなんて・・・・
もっと、理性的に、問題を検証して、修正しないと行けませんが、宗教とはある意味、その理性を殺す装置でもあるんですね。
架空や概念上の神を祭り上げて、知性と理性を曲げさせる事も、宗教はやります。
だから、私個人は宗教団体の団体行動が好きではありません、宗教に参加しても、信仰としてプライベートに理性で自己管理する方が好ましいと思っています。
天理教者も、理性でもって、道理を通して、道を通るべき時でしょうか?
余談ですが、今の日本の宰相は理性も道理も無く、自分だけお友達だけ良ければそれで良いと言う方ですね、でも、公的な存在です、日本は独裁国ではありません、この宰相は選挙で拒否できます。 次の選挙で、拒否しないと日本はさらに酷くなる。
教団も、トップを選挙で変えられたら、良いですね? しかし本来、任意で参加する私的集団ですから、自分から教団を拒否すると言う選択肢を取るしか無いですよね。
そう考えると、独裁国家って、嫌ですね。
貧困だけでなく、その他の社会問題も確かに政治の問題です。しかし、政治には宗教が大きな影響力をもっています。日本の政権与党も自民党と公明党(新興宗教)の連立政権です。また、海外に目を転じても宗教の違いによる紛争やテロ、戦争なども過去から数知れないほど繰り返されてきました。宗教と政治は密接に関係しています。
父親 様
教会の常詰(住み込み使用人みたいな者)の子として育ったものとして言いますと、会長始め奥様、親奥様と呼ばれる方から二言目には、誰に食べさせてもらっているんだ、全て信徒さんのお陰だ、と言い続けられたことです。
一理はありますが、これって小さな子供に言うことではないと思うんです。
でも、これが日常でした。人の顔色を見るゆがんだ人間に育ちました。
当時、学校の先生の家庭訪問という制度がありましたが、家庭訪問の都度、先生から私達6人の兄弟姉妹は、全員が人の顔色を見る性格が強いとの指摘を受けたと母が語っていました。
81歳になった今も人の顔色を見る癖が残っている居るんです。兄弟姉妹が集まった際にもこの話は良く出ますよ。
天理教の教会がどのような所かは、この一面を見て頂いただけでもご理解いただけると思います。
大教会の青年さん、女子青年さんたちの不都合な扱いが、よく投稿されていますが、言われるまでもなく同情を禁じ得ません。
末端教会の立場や雇われ人の立場を想いますとハッキリと云います。現行天理教の教会は不要です。
死の扉の前で抜粋
上田ナライトさんの事件の後、本部では、真柱中心にすんなり信仰の灯を輝くようにはかったのだが、突然その若い真柱が三十年祭直前に亡くなったし、ナライトさんは狂人だと噂が流れて、福井氏のような青年達は、天理教の危機感に戦(おのの)いていたそうだ。その危機感のなかで、親神の約束どおり、三十年祭に神がおもてに現れるという希望が、若い人々の胸に蘇(よみがえ)って、秘かに心の準備をしようと、心懸けたそうだ。
芹沢光治良 死の扉の前で 199頁途中から
「いいや、真柱は最初会った時に、井出くにのことを話さないという誓いをさせられたからね」
「そうでしたね。先生、その井出くにって人は、一体どういう人ですか」
「この人も、その余波の一つだろうが、この人を識ったおかげで、僕は聖書を通じてキリストを理解できたが、また、天理教の教祖をすなおに理解できたし、『教祖様』を書く自信を持ったのだね……」
「それなのに、どうして真柱様は話すなと約束させたのでしょう」
「僕にも解らなかったのです。処が、『教祖様』の資料を調べているうちに、天理教の歴史に目を向けて、偶然手にはいった天理教関係の参考年表に-大正五年一月教祖三十年祭執行とあって、同八月、播州井出くにむほんと、あるのを発見して、目を見開きましたよ。このために、真柱はああ言ったのだなと、合点したが………その三十年祭前後に、天啓事件を起した水屋敷事件の茨木基敬や天理本道の大西愛次郎は、元来天理教の信者であるばかりでなく、教会長で重要な人物ですから、謀反人(むほんにん)の極印を押されるべきだが、天理教の信者でないこの婦人のむほんは、何か重大な意味がありそうで、教祖の三十年祭前後の天理教の歴史を、あれこれさぐったものです……君は天理教の歴史を勉強していませんか」
「いいえ…・・・不勉強で・・・・・・」
「三十年祭前後の四、五年間の天理教の歴史は、奇怪で変化に富んで、何か重大なことがあったようだが……君のような有能な人には、信仰上研究の価値あることだと思うがね」
「全然知りませんでしたが-」と、賀川氏はますます膝をのり出すので、忙しいのに、私も話の進行上やむなく話さざるを得なかった-
三十年祭の二、三年前に早稲田大学の漢学者の教授で広池千九郎博士が入信すると、天理教では大袈裟(おおげさ)に本部に迎えて、天理中学校長にして、熱心に布教宣伝にあたらせたが、三十年祭が終ると、博士はいつのまにか天理教を去ったが、その理由も期日もとどめていない。三十年祭の二年前(大正三年)には、教祖殿も本部神殿も落成して、信者は勇んだと話しているが、その年の十二月三十一日に、初代真柱が四十九歳の若さで死去したね。翌四年に十一歳の嗣子正喜が真柱に襲職したが、その後見入として本部で最重要な大黒柱である松村吉太郎が私文書偽造容疑で奈良監獄に、翌年まで収容された。その私文書偽造容疑が、どういうことか明瞭でないんだ。大正五年の一月に教祖の三十年祭が執行されて、八月「播州の井出くにむほん」とあるが、その前年四月一日、当時お地場で最も求道的な知識人だと評された大平良平が、「新宗教」という個人雑誌を創刊して、若い天理教人を勇気づけたものの、三十年祭が終って、井出くにのむほんとある月、八月に、十九号で廃刊した。この年本部員の増野正兵衛の息子、道興が弱年二十六歳で、異例にも本部員に抜擢(ばってき)されて、道友社の編集主任になり、天理教の機関誌「みちのとも」に、はじめて青年信徒の魂を奮起させる随想を多く発表して、自らそれを実践するために大教会長となって信仰活動を始めたが、間もなく死亡した-こうしたことを話してから、私は加えた。
「……それで僕は、その大平良平の『新宗教』という個人雑誌を探すのに苦労したものだよ。アルバイト学生の努力と多くの費用をかけて、ようやく創刊号と五、六号と最終号を手にいれたが
……それに目を通して、この人が天理教の教会組織に批判的で、三十年祭には神がおもてに現れると言い伝えられたことを、文字通り信じていた真摯(しんし)な信仰者だと、分ったけれど……最終号の廃刊の辞ともいうべき文章に、神がおもてに現れた現在、『新宗教』のような雑誌の存在理由は喪失したと、いうような言葉が目に飛びこんだ瞬間、僕は、それが、井出くにむほんの月であることを思いあわせて、目から鱗(うろこ)がおちた思いがしてね……何か起きたにちがいない-と」
「あの、三十年祭に神がおもでに現れるという言い伝えって、何のことですか」
「君のように若い人は聞かないかも知れんが、僕は少年の頃、よく聞いたものだよ。僕の父は明治二十二、三年頃の入信だが……家中皆それを信じていたね……尤も僕は三十年祭の頃には、自意識のはっきりした旧制一高生で、信仰などすてた後だし、生れた家へも帰らなかったから、天理教にどんなことが起きたか、何も知らなかったが……あの播州の井出くにが生きていたらば、むほんの顛末(てんまつ)について訊きたいと、切実に思ったものです」
「亡くなったんですが、その井出くにって、人-」
「敗戦の翌年、八十五歳で病死した。僕はその後、『教祖様』の取材で大和へ出向いた帰途、播州のその人の家へ寄ってみたんだ。その家に、親様の長女のおまささんの孫で、福井勘治郎という人が、ずっと同居していると噂を聞いたから、今も健在ならば、何か聞けるだろうと、思ったからだが……ところが、その家は 〝朝日神社″になっていて、耳の遠い老人の福井氏が神社の神主役をしていて、僕の質問に、-あんた、そんなことを知らなかったですかと、大きながら声で、だてつづけに一時間以上も話すのを、僕は仰天して聴き惚れてしまってね。無骨な人で、話も下手でしたが、その話の内容がとてつもなくて面白くもあり、吃驚しながら……」
「どんな話でしたか、先生、是非聞かせてください」
「うん」と答えたものの、どう話すか迷ったが、
「その福井勘治郎氏は三十年祭までは、天理教本部の家付きの人間で、本部で青年勤めをしていたそうだが、本部の神殿が落成する二年前ぐらいから、信者の間に灯が消えたように信仰が燃えないので、本部でも心ある青年は何か危機感を抱くようになったと言うのです。それも、氏の考えによると、明治二十年に教祖の死後、孫の真之亮が初代真柱になり、飯降伊蔵が本席として神の啓示を『おさしづ』で伝えることで、天理教の信仰の火が日本中に盛んにひろまったけれど、明治四十年に本席が亡くなってからは、教祖の血統による真柱と神中心の本席と、二本の柱で支えて来た天理教本部は、信仰中心の柱の方を失ったわけですね。血統による真柱は、それまで信者の心が自然に本席に傾くのを、無念に思っていたが、本席の死によって、信仰が真柱たる自分を中心に一本化するものと、期待したというのです。こんなことは、君は十分知つていたね……上田ナライトさんの事件の後、本部では、真柱中心にすんなり信仰の灯を輝くようにはかったのだが、突然その若い真柱が三十年祭直前に亡くなったし、ナライトさんは狂人だと噂が流れて、福井氏のような青年達は、天理教の危機感に戦(おのの)いていたそうだ。その危機感のなかで、親神の約束どおり、三十年祭に神がおもてに現れるという希望が、若い人々の胸に蘇(よみがえ)って、秘かに心の準備をしようと、心懸けたそうだ。大平良平の『新宗教』も、増野道興の感動的活動もその準備の一つだそうだ……」
「それで、三十年祭に、ほんとうに神が現れたと、言うのですが」
「それが……三十年祭は一月二十六日に行われて、いつ神が現れるか、若い人々は期待と不安をもって毎日待望したそうだ。その頃福井家は、晩年の親様のすすめに従って、本部の鼻先で開業した福井屋という宿屋を、母親と細君が細々と営業しながら、福井氏は毎日本部に青年勤めをしていたが、八月のむし暑い夜、十二時近く奉仕から戻ると、奥の客室から、低い女の声で、『みかぐらうた』が聞えていたそうだ。その日午前中に着いた女客だと聞いて、不審にも思わなかったが、翌朝五時前に目をさますと、同じ歌声が微かに聞えていた。主(あるじ)が起きたら会いたいと言っているという細君の言葉で、座敷に出向いて挨拶すると、豊かな容姿の中年の田舎の婦人が端坐していて-福井はん、ご苦労さんやなあ……親様にたのまれて、きのう教祖殿に坐りましたぜ。
親様のお言葉にまちがいない証拠を見せるためになあ………あそこに坐ったら、世界もお道も助かるように、神様のおさしずが刻々あるのやで………それがなあ、本部の人々が来なはって、引きずり出しましてなあ、袖は千切れて、えらいめにあいました。これから三昧田へ戻りたいが、お母さんはいなはるか……と優しく言うので、福井氏は退(さが)って、改めて洗顔したそうです。前日教祖殿に狂人が頑張っていて困ったという噂を聞いたことを思い出して、再び婦人の部屋をのぞくと……母親が婦人と旧知のように親しく話していて、しかも涙をこぼしでいるし、話の内容は、おまさ祖母(おばあ)さんのことや、四、五十年も前のことばかりで、驚いたことに、婦人は変貌して、話に聞く教祖になっていたと、言うのです。それからが大変で、母親はその婦人を教祖である祖母扱いをして、三昧田の教祖の生家である前川家へ歩いてお伴したが、暑い田圃路を下駄ばきで速いこと、福井氏も母親もついて行くのに息を切らせたそうで……前川家では、また、教祖が戻ったようで、誰も疑わなかったし、近所の老人達まで集って来て、昔語りをはじめた……と、福井氏は話したが………
「そうした有様を、とにかく福井氏はじっと観察しつづけて、三十年祭に現れると待望した神は、この人ではなかろうか、一体この人はどういうお方かと、婦人のあとをつけるようにして、播州の三木町へ来てしまったと言うのです。噂は本部にも伝わって、大平良平はじめ熱心な若者が集って来たが、婦人は問われるままに、誰にも、親神や教祖の思召(おぼしめ)しを納得の行くまで話して、神の力を示しては、すぐ本部に戻るようにすすめたけれど、福井氏は頑として本部へ帰ることをせずに、四十年以上たってしまったそうですよ」
「先生、井出くにのむほんと、本部で言うのは、その人が教祖殿に坐ったということでしょうか」と、賀川氏が吐息した。
「坐っただけなら狂人扱いして、済ませて、むほんなんて大袈裟に年表に書かないだろうが、教祖殿でお助けでもしたのではなかろうか。その上、教祖の重要な親族の福井氏が新しい神が出現したといって出向いたし、多くの信者が播州へ行って、天理教には大きな衝撃だったろうね。そのへんのことは何も僕は知らないが-」
その時、家内が夕食の支度ができたからと、合図した。そんな時刻になったことも、私達は気がつかなかった。
教団の本部員の人はどうも女が好きなようで、愛人、セフレ の噂が絶えません。大教会長兼本部員が部内教会長に手をつけている等等噂がどんどん舞い込んでおります。教団も疲弊してきているので崩壊してからではろくに慰謝料ももらえないので愛人をされている人方々はドンドン民事裁判をして慰謝料や手切れ金を貰いましょう。手切れ金をケチったらドンドン暴露しましょう。弁護士を雇う際は、教団に無関係の弁護士を雇いましょう。
教義問題、金銭問題そして女性問題今まで聞きなれない暴露が飛び交ってきたらその組織はもう崩壊間際です。その当事者の側近、知人、家族や愛人まで人間関係に終止符を打ち始めたようです。金と女と権力と汚職にまみれた天理教はもう宗教とは呼べません。
教団も、トップを選挙で変えられたら、良いですね? しかし本来、任意で参加する私的集団ですから、自分から教団を拒否すると言う選択肢を取るしか無いですよね。<<
トップを選挙で決めるのは大賛成です。傲慢な善亮率いるこの教団に人を救う力は無い。
息子が知り合いのつてで近所の某他教団の教会に参拝してきたと言い、「心が洗われた。お母さんも一度行って天理教の悩み事を相談したらいい。教会はこうあるべきだと思う。行って良かった。また行こう!」との事。
間違っても「命はお金で繋いで頂くもの」、なんてはしたない事は言わないそうだ。天理教でも良く聞くが「ご守護は心次第」とそこの会長さんが仰っておられたそうだ。ご守護に関するお金の話は皆無らしい。天理教の教会に生まれた我が子が他教団に行って心救われて返って来る。この事は私にとって深く考えさせられることでした。
天理教は縦の伝道と言うが、内容が矛盾だらけで人を魅了する力がないのだからこの体たらくなんだと思う。真面目に人生を見つめる教会子弟はどんどん他所を求めるようになると思う。
その教団のトップは選挙で決めるらしい。羨ましい。いいなあ。
独裁と民主主義の違いが同じ宗教でも人の幸不幸を決める。人間に真向かう姿勢の在り方の違いだと思う。
匿名
2020年2月10日 3:42 PM
天理教も例外でなく教団トップは選挙で決まります。しかし中山家と血族で本部役員を抑え談合をしているのが現状です。つまり天理教は天理教でなく中山教といえる最大の理由がここにあります。なので真実の天理教を辛苦したい場合教団から離脱して天理教としてやっていくほかないのが現状です。
これが天理教の本当の真実です。天理教教会本部は名ばかりで本当は中山教或いは天理教宗派中山 なのです。
「ネットの情報は嘘だ!」と天理時報が全教に呼びかけていたのが懐かしいです。今では大教会や教区の会議に参加しても本部の方針に対する疑問、不平不満、ばかりです。善亮氏はじめ中山家への不信感をあらわにする人も多く見受けられます。反本部の人は今や多数派です。ネットの情報は嘘であったら良かったですよね。だがしかし本当だった。ネットにしか真実がかかれないこの教団はもう風前の灯なのかと思う事が多々あります。
東風Z 様
2020年2月10日 1:57 PM
>>教会の常詰(住み込み使用人みたいな者)の子として育ったものとして言いますと、会長始め奥様、親奥様と呼ばれる方から二言目には、誰に食べさせてもらっているんだ、全て信徒さんのお陰だ、と言い続けられたことです。
一理はありますが、これって小さな子供に言うことではないと思うんです。
でも、これが日常でした。人の顔色を見るゆがんだ人間に育ちました。
当時、学校の先生の家庭訪問という制度がありましたが、家庭訪問の都度、先生から私達6人の兄弟姉妹は、全員が人の顔色を見る性格が強いとの指摘を受けたと母が語っていました。
81歳になった今も人の顔色を見る癖が残っている居るんです。兄弟姉妹が集まった際にもこの話は良く出ますよ。
天理教の教会がどのような所かは、この一面を見て頂いただけでもご理解いただけると思います。<<
私も末端分教会の長男として生まれ、全く同じような経験をしながら幼少期を過ごしました。確かに、信者さんの「お供え」で食べさせてもらっていることに相違は無いのですが、おっしゃる通り、子どもに言う言葉ではありません。そういう言葉を聞きながら育てば、子どもはだんだんと卑屈になっていきます。まず信者さん達の顔色を見るようになります。そして、隣近所の人達や友達の顔色を見るようになります。「教会の子どもは、親が働かなくても生活できるからいいな」という皮肉を友達から言われ、いじめられ、何度も悔しい思いをしました。こうした経験は教会に生まれた子どもでないと理解できないと思います。私が天理教が嫌になり、天理教から去った大きな一因だと思います。自分の食い扶持ぐらいは、自分で働いて稼いでみせるという反骨精神が幼少期から培われていくのです。
天理教の場合は寄付者出資者はどう見ても信者さんなのに、事情教会の土地を返せと言う本部は明らかに筋違いの理違いですよね。お供えには信者さんの念が篭っているので本部は呪われるばかりです。罰被り本部、罰被り中山家、行きはよいよい帰りは怖いですね笑
愛人の方々は即慰謝料や手切れ金を貰ってください。
2020年2月10日 3:33 PM
異常性欲者の2代真柱の真似をしてるのでしょうかね?そのような情報が漏れるという事は、その浮気相手からかその周りの人からでしょうね。信者さんも見てるでしょうしね。
本部の先生方は、皆さん、どれだけお供えをされているのでしょうか。
よくは分かりませんが、少なくとも、本部員以上になるとあまり清貧のイメージはないです。
本部勤務の方、皆がそうであるとは言いませんが。
本来は、本部員であるほど、もっと貧に落ちきり、末端でつぶれて行く教会に移り住んで教会の再興をはかるなどの努力などはしてほしいような気もします。
巡業に行くときにはお礼などをもらうなどしているようですが、もってのほか。
むしろ手弁当で、しかも元気のない教会であれば一緒ににおいがけしましょうと街をともに歩き、食事はすべてご神饌のおさがりを原則として皆で調理し、信者さんたちとともにお道の話をゆっくりする(教会には迷惑かも。しかしそうならないような土台を作っていくべき)。教会側でも信者の動員もせず、普通通りに日常の食べ物でもてなし、教会のありのままの姿で、ありのままの信仰を見てもらいながら、本部員と一緒に話したらいい。
教祖や本席は先生になるような人の高慢を何より怖れていたように感じます。
表統領も、名称の維持も苦しい末端教会で、1か月ほどでも布教するのを所を変えながらでも数年やってみるといい。そうしないと分からないこともあるし、信者もついてこない。少なくとも、今の表統領の評判を聞く限り、天理教は危機的とも言える。現真柱に何かがあったときには、本当の危機が訪れる。昔なら、何かがあれば「神は退く」と厳しいおさとしまであった。表統領の「さんげ」がない限り、天理教は一気に理が働かなくなるのかもしれない。
ちなみに私の小学校時代の謎。
こどもおぢばがえりなどで本部に行くと、真柱邸の前を通るときには、いつも頭を下げて、通った。子ども心に不思議でならなかった。真柱って人間でしょ?何でそんなに拝むの?その疑問は今も解けない。中山家の天理教ではなく、信仰者のための天理教であってほしい。今は、信仰者はどんどんと去っている。そして幹部たちは、残念ながら、何も気づいていない。お金がない。お金が欲しい。いろいろと耳にする限り、それしかないらしい。どうでもいい話だが、大教会長にも土下座まがいのことまでしていた子供時代。私にはトラウマになっている。素晴らしい大教会長さんもおられる。そのことを知ったのは、随分とあとになってからのことだった。
教理のことを考える上で「出直し」は大きなテーマである。教祖様が残した逸話などをもとに調べていけば、人間というものは出直して、次にいつごろに生まれ変わるのかわかってくるのではないかとも考えた。それで調べた例をいくつか挙げて考えてみたい。
秀司さんの娘で18歳で出直したお秀さんだが、1870年に出直し、たまえさんが生まれたのは1877年だ。すなわち7年後に生まれ変わったことになる。このことは「おふでさき」にも3号と7号に出ている。「このたびのはらみているをうちなるわなんとおもうてまちているやら 七65」「このもとは六ねんいぜんに三月の十五日よりむかいとりたで 七67」「それからハいままで月日しっかりとだきしめていたはやくみせたい 七68」「なわたまへはやくみたいとをもうなら月日をしえるてゑをしっかり 七72」後に初代真柱と結婚することになるたまえさんはお秀さんの生まれ変わりだと教祖様はおっしゃった。
初代真柱の真之亮だが、前川の父の魂を宿しこんだと言われていて梶本家の長男亀蔵として生まれ変わるが、長男で養子にもらえないということで1860年に一度迎え取り、1866年に眞之亮として生まれ変わる。つまり6年で生まれ変わったことになる。
教祖様のご主人、善兵衛は1853年に出直し、教祖様の実家である前川家では真柱の控え柱とも言われる前川菊太郎が1866年に生まれた。菊太郎は善兵衛さんの生まれ変わりだと教祖様はおっしゃった。つまり13年後生まれ変わったということになる。
教祖様の末娘の小寒だが、教祖様の次女で夭折したおやす、四女で夭折したおつねの生まれ変りと言われている。小寒は1875年に出直して後に二代真柱のお姉さんである玉千代として1902年に生まれ変わる。つまり27年後に生まれ変わったことになる。
教祖様の長男である秀司は1881年に61歳で出直しているが、後に1887年二代真柱として生まれ変わったと言われている。つまり出直してから6年後に生まれ変わったことになる。
これ以外にも撫養大教会初代の土佐卯之助の長女お初が胎毒でできたできものが元で明治17年に幼くして出直してしまうが、卯之助夫婦が医者、薬に頼ってばかりいて、出直させてしまったことをさんげして、長女を生まれ変わらせてくださいと願っていたところ、翌明治18年に次女のたつのとして生まれ変わったと言われている。長女のお初さんには胸に二つのほくろがあったそうだが、生まれ変ったたつのさんにも同じく胸に二つのほくろがあったそうだ。卯之助さんは教祖様の教えには間違いがなかったんだと更に信心を深くしたそうだ。この例ではわずか1年で生まれ変わったことになる。
この他にも似たような逸話があり、教祖様が天保9年に神の社となられてからは魂の因縁がお見えになるようで、出直しや生まれ変りについてたくさんの話が残っている。こうしていろいろな事例を調べてみると、人間は早ければ1年くらいで生まれ変わることもあれば、しばらく神のもとに抱かれて20数年あとに生まれ変わってくるということもあるようだ。
しかし、中には人間として生まれ変わるのではなく牛やイタチなどの動物に生まれ変わってしまった話も残っているようだ。おふでさきにも「たん/\とをんかかさなりそのゆへハ きゆばとみへるみちがあるから 八 54 」という歌もあり、昔から悪いことばかりしていたら牛や馬に落ちてしまうと年配の方は聞いたこともあるのではないだろうか。しかし今の教義解釈では牛馬に落ちるのではなく、神の恩を知らずに、報恩と感謝の道に気付かずに、だんだんと恩に恩が重なったその先には、牛馬のような道が待っているので、そうなってしまうのが気の毒でならないと解釈されている。だから報恩のため、レンタル料としておつくしを持って来いという論理なのだろうか。この世の中の77億の人の内、ほとんどがお供えしていないから地球はそのうち滅亡するのだろうか。この逸話にも解釈した人の何か忖度があるように思えてならない。
更に古い文献を調べていると牛馬に落ちてしまった話も残っていた。 教祖様の夫善兵衛様は、下女「おかの」という者を妾としてかわいがっていたが、そのおかのが教祖様の食事に毒を盛って自分が善兵衛の本妻になろうとした話がある。これは教会本部の復元第三号39頁にも出ている山中彦七のお話で信憑性のある話なのかもしれない。このおかのという人のことが気になり、以前調べていたところ、古老の話がいくつか残っていた。
教祖様、晩年のこと『今日は因縁ある者が来るさかい、ご飯をたんと炊いておいておくれ』と仰せられた。ところがそれらしい人は誰も来なかった。夕方になって布留街道を西から東へ、一台の牛車が瓦を満載してやって来た。その牛車は、中南の門屋の入り口の所まで来ると、御者が引いても叩いても頑として動かず、お屋敷の中を見つめていた。お屋敷にいた人々は「変な牛やなあ」と言うて見ておられると教祖様がおいでになり、牛に向かって『よう帰ってきたなあ。かわいそうに』と仰せられ、朝炊いたご飯を持って来させ、牛に与えられた。牛は涙を流しながらそのご飯を戴くと、「モウ」と一声鳴くと、御者に連れられて東の方へ立ち去った。 教祖様は側の人に「あれが、おかのの成れの果ての姿やで。色情をつかって金をとった者の姿や」とお聞かせ下されたそうだ。傍らで聞いていた乾やすさんは教祖様に「そうでしたら世の中の女郎は、みな牛馬に堕ちるんですか」と問うと、教祖様は、『女郎というても色々あるで。自らすすんで女郎になる者もいるが「親のため、家のため」と言うて、余儀なく女郎になる人もいる。「親のため、家のため」女郎になった者は、牛馬には堕ちんで』と仰せられたそうだ。また復元第二十九号100頁にもこの話は載っていて、教祖様はその牛に向かって「お前もこれで因縁果たしをしたのや」と優しくお聞かせになったということも載っている。
出直しや生まれ変りについて調べている時に思ったのだが、人間の寿命というものは人間にはわからない。直接、神に聞くしかない。しかし、容易なことではない。茨木のように神懸ったり、信仰を究めて神の声が聞こえるくらいにまでなった人なら自分の寿命までわかるようだが、簡単にはそのレベルまでは行けるものでもない。それこそ神のみぞ知るという話になるが、少なくともはっきりと言えることは教祖様が教えられたことを守り、人間としての道を正しく通っていれば何も案じることはいらない。牛や馬に生まれ変わることもない。
人間の目から見ればどうして若くして出直すのか、あんないい人がどうしてということも多々ある。逆になんであいつが長生きするのかということもある。しかし、それは人間にはわからないもので、神の思惑があるのかとも思う。人間にはそれが見えないから、残念がったり、うらやましがったり、理不尽だと感じたりするのかもしれない。
上記のような牛馬の話は最近では説かれなくなっているようにも感じるが、過去の話として風化させようとしているのだろうか。或いは教団にとって都合の悪いものとして、昭和史にかかわる4.5がカットされた「教祖物語」のように消されていくのだろうか。時報で中城健雄氏の訃報が出ていたが、神のもとでどんな思いをされているかとも思う。
以下は、古い元教会長 @huruikyoukaityo さんが行ったアンケート結果ですが、
社会学のコメント欄の皆さんはどう思いますか?
ちなみに自分はバカバカしいに一票です。
>「子ども出来ないのは高慢(子を産まん)だから」と言う悟しを納得出来ますか?
納得できる。 7.1%
納得できない。 20.6%
バカバカしい。 72.3%
総投票数 155票 <
丹念に教理をおさめないと見えてこないですね。
もっとしっかりしないといけないですね。
天理教においては、出直し、生まれ変わり、と言う概念といくつかの逸話はありますが、基本的に神霊主義でも無いし、大霊界世界観でも、スピリチュアルでも無い。
だから、魂の事や、霊体の事、死後世界の事を論ずると、自己主観に基づく想像論になり、基本的に異端となってしまいますね。
天理教でも、神の声が聞こえるって言い出して、破門される人が、少数ですが、いらっしゃる様ですね。
しかし耳許で声がすると言う現象は、ままある事ですよ。
ちょっと、個人的な話ですが、それはただの霊聴であり、精神的波長が近い霊体と、体質によっては、声として聴こえてしまいます。
実際、うちの娘でも、おぢばの詰所でも、夜一人でいたら、(オーイ、オーイって呼びかけられ、意識を向けると、よりはっきりと、そうだよ気がついてくれた?とハッキリ聞こえだす) と言う経験があります、天理高校行ってる息子も中学生の時、同様の経験をしています、ただ、親の私が、それを一切無視して、即座に御守護神に意識を合わせ直して、気合でうるさい!って拒否する様に言ってあったので、それで済んでいます。
ちょっとそう言う体質が子供に見えた当時のお話ですが、大人でもあり得ます。
おぢばであっても、そう言う現象が起き得ます、だから、声が聞こえても、神とは限らない、神のフリをした、浮遊霊、背後霊の場合もあるし、神聖な神殿であっても、今現在、それらの存在は居る様に感じます。
天啓者になりたい! なんて思って、神の声を期待するのは、人間に関わりたい霊体に取って、格好の餌食になりますので、お気をつけください。
神的レベルの存在は、神から声で話しかけては来ません、人の正しい努力に、理性を持って考える知恵に、そっと寄り添う様に守護し導いてくれる存在ですから、感謝の祈りで、日々過ごしたら正解だと感じます。
天理教を信仰するなら、天啓者も審神者も現在は居ないので、スピリチュアルは無視して、心で親神様と教祖様の想いを模索して、親神様教祖様の導きを願って、残された教えの生き方を理性で模索して求めるのが、良いんじゃ無いかと、思います。
生まれ変わりとか、前世の因縁とか、考えても、本当の所は判らないんです。
例えば女郎の生まれ変わりが牛? それは仏教的思想でしょう、世の中広い、そう単純では無いと思いませんか?
高慢だから子を産まん? 日本語の語呂合わせ遊びに過ぎないでしょ?
(この文章は、教祖様の初期神懸かり状態を否定する部分が含まれています、だから、ある意味、親神様とはいったい何であるか? と言う事も理性を持って模索した方がいいかもしれません。)
大霊界世界観やスピリチュアルを扱う場合でも、大事なのは、人間としての理性だったりします。
この世は肉体を持って、魂を成長させる場所である、だから、完璧を求めて努力する場所であって、完璧を得られる場所では無い。
人類が、異なる文化、宗教や思想の違いを互いに認めて、共存共栄できる社会を目指す、滅亡では無く永続的な社会を目指す場所だと思います。
しかし、太陽の動きによる氷河期、破滅的火山活動、巨大隕石の衝突などによる、地球生物の交代も起きますし
生命はたかだか100年足らず、だから今だって、政治は戦後生まれの戦争を知らない日本会議みたいな戦争カルト団体参加者が、多勢を占めてしまう。
戦争を知らなくても、その悲惨さを伝えられると言う手段が与えられてるのに、欲が勝って、また戦争するし、遠くの国の戦争は他人事になり、気にならない。
それが地球でしょう。
ここは、理想を求めて努力し、目指す場所であって、理想を達成できる場所では無いって思います。人類を作った、神が居るとしたら、ここは人として、努力し続ける事が、求められてる場所であろう?って、思いませんか?
ここで大霊界世界観に戻すと、努力した魂は、神を求めて上の世界に向かい、努力し無かった魂は、地獄で肉体を持たずに修行させられる。(あるいはまた別の場所で生まれてやり直しさせられるかもね?)と言う事になります。
どんな宗教に参加していても、スピリチュアルであっても、この世はなぜ存在するのだ? と言う普遍的な事を模索して、もし絶対神が居るとしたら、何が私達に求められているのだろうか? とか、人の基本とか、常に冷静に理性で考えていたら、教団に振り回される事も無いかな? などと思います。
冷静に模索したら、命のレンタルにお金、守護にお金、ハイハイ言わないから肺が病気になるとか、まったくもって、ナンセンス・・だと思いますよね。
連投失礼いたします。
教会が実家では、ナンセンスだと思っても、変えられない・・
でも、神様って言うのは、理不尽だと思って、黙って耐えていても、ご褒美をくれるとは限りません。
なぜなら、地球は行動する場所だからです、願っていても、願うだけでは変わらないでしょう。
願って行動しないと変わらない、もし神の御加護があるとしたら、正しい行動があるなら、その行動を加護して下さる、正しい願いなら、そこに神の知恵を下さる、そう言う物では無いでしょうか?
教団がダメだと感じる、嫌になる、ならば、教団を変える方向に進むか? 教団が変えられないなら、自分が変わる、つまり教会ごと離脱する、教会から離れる、とかの選択肢になるでしょうね。
あるいは、親神様を深く信仰して、教団行事はサボタージュするとかです。
政治は選挙で変える、希望が無いなら自分で立候補するとかしないと、変わらない。
世界もまた、祈っていても変わらないし、天理教を世界に広げるのが社会正義だと信じるなら、それを実行するしかありませんが、その正しい天理教、普遍的な教え、とかをまずしっかりと、自分の物にして、正しい行動の指針にする必要がありますね。
どの選択にしろ、現状を変えるためには、頑張って行動するしかないですね。
ここで切ります、どうもありがとうございました。
大して意味の無い事しか言えない善亮さん。
ツイッターより以下。
>>中田善亮表統領の神殿講話、「みこーとー」という呼称は間違いである、というのが、教団幹部としての公式見解であるなら、それはそれで良いだろう。
しかしそれなら、修養科や教校、その他の管内学校の指導者にもそれを徹底させるべきではないか。
結局、指導者の認識が一致していないからバラつく。<>同じことはみかぐらうたの歌い方などにも言える。
第二節「ぢいと」のリズムや、第三節「かんろだい」の節回しなど、一体いつになったら本気で統一する気なのか。
細かいことだが、そういったことから統率が取れていないことも一つの問題ではないか。
中途半端に神殿講話に残されると逆に厄介である。<>「その先生が正しいと思うならそうすればいい。素直に聞けんのなら習わなくてけっこう」と言われました。
同じ大教会の中でも全く統一されていませんし、なんなら会活動でおつとめまなびがあったら「自分と違うと思っても、1番上の人に合わせてください」とだけ言われました。<>そんな言い方では、信者に不満を持たせたり惑わせたりするだけだということが、何故分からないのでしょうね。これだけ長い歴史と大きな教団の規模があるのに、一番重要なおつとめに公式な見解が無いというのが不思議でなりません。<<
頭の悪い善亮ではミコトとミーコートー位しか指摘出来ないか。
私も教会の現場で困惑しています。私自身、疑問があっても上級の言う事と他系統の言う事では回答が違うので、信者さんに問われた時に「正解は分からない」としか答えられないです。信者さんから「え?会長なのに分からない?」と不信感を持って見られている状況です。
みかぐら歌も人によっては節回しも音程の取り方も違う。統一しないと、年々歳々別物になって行くのでは?
記憶が曖昧なのですが 昭和前半?の永尾?と言う本部のご婦人が歌う音源を聴いたが、現在のお歌とは別物に聴こえました。今のお歌のメロディーは歳月と共に変化してきたはずなので、この昭和初期?の歌い方の方が正解に近いのだと思う。
一事が万事、 統一見解を示さず「上級の言うことに兎に角合わせろ」の現状では現場は混乱してしまう気がします。統一見解も出せない本部の怠慢、何考えているんだろう。
ただ、神の望む姿は形式ではなく、形式が信仰ではないと言うのが神の真実だと思います。信仰の要は手の振り方だの角度だのと言った形式ではなく、本質的には信仰とは精神の在り方。精神とその生き方を問うものだと思います。
手が高かろうが低かろうが、右足左足の順番間違えようがどうでも良い。それぞれが陽気に楽しんで踊る姿こそ親神が望む最上の姿だと思う。
>>ただ、神の望む姿は形式ではなく、形式が信仰ではないと言うのが神の真実だと思います。信仰の要は手の振り方だの角度だのと言った形式ではなく、本質的には信仰とは精神の在り方。精神とその生き方を問うものだと思います。
手が高かろうが低かろうが、右足左足の順番間違えようがどうでも良い。それぞれが陽気に楽しんで踊る姿こそ親神が望む最上の姿だと思う。<<
おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。
崩壊 様
>おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。<
>宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。<
本当に仰る通りです。祭儀式でも、中足から座れとか、立つときは下足から立てとか、下がる時は中周りでとか、拍子木の重ね打ちを会長に咎められたりとか、お許しの時の服装は、羽織袴又はおつとめ着に白鼻緒の下駄ばきとか数え上げればきりが無いほどの窮屈さです。
教組が居らる時代はどうだったのか。以前にも書きましたが、教祖の葬儀の参列者の服装は、綿入れの厚着を着て写ってますよ。誰一人として喪服なんか着ていません。
今時の若い人に言わせれば、言葉は悪いですが、バカバカしすぎて付き合い切れないでしょうね。
天理教を離れて、貧しいながらも、ゆったりとした気分で過ごせる今が幸せなのかもしれません。
いろいろな宗教の作法について、ちょっと思った事ですけど、書かせてください。
宗教の目的と言うのは、いろいろあるでしょう。
前にも書きましたが、宗教とはある意味、その理性を麻痺させる装置としても機能します。
架空や概念上の神を祭り上げて、知性と理性を曲げさせる事も、宗教はやります。
自分達以外は邪教であり、殺しても構わない、邪教に捉われた人達を殺すのは、魂を邪神から解放させるので、功徳になる、だからためらわずに、邪教信者は殺せ!
などと言う狂信的な考えも、肯定してしまいます。 宗教は麻薬でもある。
実際、中東、アフリカではそれに近いことが行われてしまってる。 少数宗教を迫害し、殺すことも躊躇わない悪魔、魔神の行いを、聖戦として正当化する。
聖戦で、殉死すると、神に救われると信じて、特攻させるのは、麻薬ですよ。
地球は、一つの宗教や思想で統一できる様な場所では無いし、人の命は高々100年足らず、だからせっかく得られた平和も世代交代すると失わせる人が現れる。
この地球、地上に永遠のものは存在しないのだ、常に理想を求めて行動し続ける事が必要なんだって、理性的に理解できたら、良いんですけども。
異なる文化、思想、ジェンダー、地球上で、いろんな人々が、互いに認め合い共存共栄できる社会の仕組みと言うのは、私個人は、神によってなされる、神が統治するのでは無く、神を求めて、祈る、その想いに神が知恵として授けて下さると信じています。 正しき神は、愛だと感じています。
神の愛を持って理性で考える事は、自分の心を、宗教から自由にするためにも必要だと思います。
天理教でも、祈り、お手振りしながら、親神様の愛、教祖様の愛を模索して、理性を持って、教祖様の残した教えを心に収める様にして行ったら、本来の教祖様の想いに通じる気もしますし、成人とはそう言う物では無いだろうか? と思います。
大事なのは、神の心、愛を模索することじゃあないかなあ・・と個人的な意見です。
ちょっとぶっ飛びましたけども、書かせてもらって、ありがとうございます。
>おつとめの節回しや文句、所作など枝葉末節のことであり、どうでもよいことだと思います。<
>宗教の存在意義は「人間が幸福に暮らすための心の持ち方」を教えることだと思います。<
そもそも、歌って踊るこの天理教の祈りはどこから発生したのかと思っていました。
知人が言うには、教祖は浄土教の熱心な信者であった。当時は神仏混合の時代だった。その故に、教祖中山みきは神道の伊勢神宮へ「お伊勢参り」と言って度々出掛けて行ったそうだ。伊勢神宮に至る長い道中を当時人々は「念仏踊り」をしながら歌って踊って歩いていったそうだ。教祖が始めた歌って踊る様式は念仏踊りが発祥だとの事。
どなたか歌って踊る念仏踊りと天理教のどんちゃん踊りの関係を知っていられる方がおられましたら宜しくお願い致します。
念仏踊りでは太鼓や鐘やほら貝などでドンチャン踊って歌って念仏唱えながら歩く念仏です。浄土宗に熱心だった教祖がお伊勢参りで影響されたのもあながち嘘ではなく、当たっていると思います。
宗教に限らず、テレビで葬儀のアドバイザーが放映している葬儀参列の服装一つとっても、革製品、特にバッグはダメだとか、男子の礼装はセンターベントやサイドベンツはいけないとか。それじゃー革靴もダメ、ベルトも革製はダメ、革製の財布もダメとなってしまうでしょう。勿論、腕時計の革製バンドもダメでしょう。
若い頃の葬儀参列は服装はまちまちで、単に腕に喪章をつけていました。葬儀に参列できない場合は、職場の帰りにそのままの服装に喪章をつけて行きました。
前会長の十年祭の折も、もう十年だからとグレーのスーツにダークグレーのネクタイで行ったところ、他の方は全員が黒のダブル礼服に黒のネクタイの喪服姿でビックリしたことがありました。
何よりも弔う気持ちが大切なのに、なんだか、だんだんと住みづらくなってきましたね。
中身が無いんです、中身を見ないから、形にこだわるんです。
巨大宗教も、神がいないから、形にこだわる事で権威を付けているに過ぎない。
巨大な神殿、重厚な神殿は、見る人を威圧し、強い影響を与えるために作られている。
建国記念 の 日 一応、のがついています。
主役の神武天皇陵は、明治初期に作られた、後から演出された天皇の陵墓
あえて古い木を植生して、神々しさを演出していますが、中身はただの小さな塚だった
だけど、あそこを訪れた人は、神々しさに騙される。
形として、神々しさの演出は、宗教の騙しであり、人は気分で気持ちも変わる。
感動する様な神秘的な体験は、確かに心が洗われ、気持ちのリフレッシュにはなると思います。
だけど、それ以上のものではないと割り切った方が良いでしょう。
もう一つ、霊聴現象も、人間を騙すために、霊が嘘をつく事もあります。 憑依霊は元人間が多く人間の心を読み取り、騙してきます。 我は天地をつかさどる大神なり〜 我はそなたの守護神なり〜と耳元でささやき、心の中に、光を見せて、騙して憑依します。 霊界で向上できない霊にとって、人間の精神に取り付くのは、逃げられ、心地よいからです。 感覚を騙して幸福感を持たせる事もあり得ます。
我は天地創造の神なり! 本当の神レベルの神霊は、大きい事は言わない。 個人をしっかり、導き守護して、正統な修行をさせる、何でもかんでも助けない、正統な努力を要求する。
見た目と、雰囲気と、権威に惑わされず、真実を見抜く、理性と知性を鍛える必要があります。
神の存在は愛そのものである、愛なきものは、偽物である・・愛の中にも厳しさがある、厳しさの中に、優しさがある。 それは、理性で見極められます。
個人的な意見です、スルーして下さい。
匿名
2020年2月13日 11:18 AM
>>そもそも、歌って踊るこの天理教の祈りはどこから発生したのかと思っていました。
知人が言うには、教祖は浄土教の熱心な信者であった。当時は神仏混合の時代だった。その故に、教祖中山みきは神道の伊勢神宮へ「お伊勢参り」と言って度々出掛けて行ったそうだ。伊勢神宮に至る長い道中を当時人々は「念仏踊り」をしながら歌って踊って歩いていったそうだ。教祖が始めた歌って踊る様式は念仏踊りが発祥だとの事。<<
大変、興味深い話ですね。幕末に大流行した「ええじゃないか踊り」の時期とも一致します。天理から伊勢までは、桜井、長谷、榛原を経由する伊勢街道を歩けば、そんなに遠距離ではありません。中山みきさんが「ええじゃないか踊り」を踊りながら伊勢神宮に度々参拝している姿を想像し、思わず吹き出しそうになりましたが、無きにしも非ずかもしれません。お伊勢参りのみやげは「赤福もち」だったのでしょうか?(笑)
今後は、教団と中山教は消え、天理教の教えだけ残ることになるでしょうね。
中山家は「天理教は中山教では無い」とおっしゃりたいでしょうが「金のつなぎは命のつなぎ」「代々血によって」と虚言と血筋頼りなのが実力や魅力の無さをなおのこと際立たせだたせています。組織と言う集団が何故形成されるかと言うと、参加者全員に参加する利益があるからです。現在の教団と中山教には全員でなく中山家とその血族にしか利益が無い事を教団全体が気が付いてしまった事が発端でしょう。「人助け」と言いながら信者を騙し、借金棒引きの為には大教会の競売もいとわないというその傍若無人な様には教団全体が中山家に呆れたようです。皆さんから中山家は「触れず触らず相手されず」このまま衰退して行くので皆さんの都合のよい機会に「離脱、独立、脱会、そして中山家被害者の会など」を発足すると良いでしょう。
「金のつなぎは命のつなぎ」と言う文言をいまだ是正せずの事態を鑑みると、天理教と中山家は別物だと見る事が打倒だと思います。 中山家が教団に居残ろうが出て行こうが、被害者の会の名称は天理教でなく中山家被害者の会とするべきでしょうね。
偽教を説いて信者を騙そうとしたその罪は宗教上大罪でしかない。その報いと責任は中山家自身が末代までおうことに成ったのでしょう。
父親 様
2020年2月13日 6:45 PM
>>巨大な神殿、重厚な神殿は、見る人を威圧し、強い影響を与えるために作られている。
建国記念 の 日 一応、のがついています。
主役の神武天皇陵は、明治初期に作られた、後から演出された天皇の陵墓
あえて古い木を植生して、神々しさを演出していますが、中身はただの小さな塚だった
だけど、あそこを訪れた人は、神々しさに騙される。
形として、神々しさの演出は、宗教の騙しであり、人は気分で気持ちも変わる。
感動する様な神秘的な体験は、確かに心が洗われ、気持ちのリフレッシュにはなると思います。<<
現在の橿原神宮は、建国神話を基に明治政府が国策で造った神社です。橿原神宮が造営される以前、当該地に洞部落(ほらぶらく)という被差別部落がありましたが、明治政府は、強制的に部落を他所へ移転させました。見た目には境内地も広く神殿も立派です。神武天皇陵も隣にあり、荘厳な趣きを感じる人も多いと思いますが、橿原神宮が造営された経緯を知れば、お世辞にも立派な神社だとは思えません。
現在の天理教の歌って踊る様式のルーツについて。
仏教徒でありながら伊勢神宮に熱心に参拝していた教祖にとって世直し踊りのええじゃないか踊り、念仏踊りが日常的に目に入っていたと思う。
教祖率いる中山家に連なる人達が 大和神社前で太鼓や笛や鐘を打ち鳴らして祈祷の邪魔をしたとして捕らえられた件を教祖伝で見聞きするが、腰に太鼓を携え、鐘を打ち鳴らす様は、太鼓や鐘を打ち鳴らして踊る念仏踊り、ええじゃないか踊り同様の様子を想像します。天理教が神仏ミックスで現在の様に訳の判らない様式になっているのは浄土宗と神道伊勢神宮の影響下で出来上がったのかと言う気もしています。
捕らえられた時の歩きながらの「どんちゃん踊り」は確かに当時の念仏踊りに似た様子だったと思います。
当時、世の中では様式などそこまで細かく規制されていなくて陽気に踊る事が世直しの祈りのパーフォーマンスであったはずで、今の天理教が組織の権威付けでやっているのか、厳しい儀式の様式や作法など本来はあまり意味が無いのでは?と思っています。
現在の天理教の踊って歌う様式は教祖がこの念仏踊り、ええじゃないか踊りにヒントを得て自分なりに独自様式を整えたのかなあと、、思ったりしています。
私はみんなが 陽気に踊り歌う事が江戸時代の世直しの祈りであり、儀式、作法などにあまり意味を感じていない一人です。大して意味の無い、枝葉末節だと思っています。
右が天、左が地のお供えですが、伊勢神道では中心が神と考えるので
中心から左がわは右が天、左が地 中心から右は右が地、左が天となります。
また、年祭の意味ですが、ほとんど用語は神道の用語で3年千日とか年祭だから仕切って伏せこめなぞという意味合いはなくおやさまが言った言葉でもなく都合のよい金集めに使われたと思います。
年祭時だけ特別神様が働くわけではなく どんなときも どんなばしょでもいつでも真実にのって働くのが神様、おやさまだと思います!
年祭の伏せ込み、旬に種を蒔かねば、、等々教祖が言ったのでは無く、今の善亮レベルの欲ばり者が考えたのでしょう。
年祭が旬、と言う意味がさっぱりわかりません。年祭と言うピンポイントで神が働くはずは無く、3年先と言って特別の人参を鼻先にぶら下げ3年間お供えに励まさせる都合の良い集金方法です。
どんな時もたゆまず神は守護をし続ける存在で、愛そのものだと教団本部なぜ悩める信者に安心を与えないのか?
教祖は、次の様に仰っておられます。
「おや(親神)の思案と言うものは、わが子(人間)をたすけることばかり思っている。」
「神さんの信心はな、神さん(可愛いわが子)を産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで。」
我々子供も神さんだと言っています。そして、おや(親神)を信じ大安心してついて行く姿勢さえあればよいと。人間の上下意識、徳の有り無し等の差別意識は教祖の言葉にはありません。
現教団の言う事、やっている事の中に多大な矛盾があります。やはり教団運営者に神をないがしろにした欲が絡んでいるからに他ならないからでしょう。
貸しもの借りもの教理を「命の借代を奉じなさい。命はお金で繋がるんやで。」などと言う脅し文句を上手に使い分ける現教団は恐ろしや、と言う以外にないでしょう。
神を棄てた欲張りの言葉に惑わされず、「教祖の心」に今一度我々信仰者は回帰すべきです。
匿名 様
2020年2月14日 1:47 PM
>>現在の天理教の歌って踊る様式のルーツについて。
仏教徒でありながら伊勢神宮に熱心に参拝していた教祖にとって世直し踊りのええじゃないか踊り、念仏踊りが日常的に目に入っていたと思う。
教祖率いる中山家に連なる人達が 大和神社前で太鼓や笛や鐘を打ち鳴らして祈祷の邪魔をしたとして捕らえられた件を教祖伝で見聞きするが、腰に太鼓を携え、鐘を打ち鳴らす様は、太鼓や鐘を打ち鳴らして踊る念仏踊り、ええじゃないか踊り同様の様子を想像します。天理教が神仏ミックスで現在の様に訳の判らない様式になっているのは浄土宗と神道伊勢神宮の影響下で出来上がったのかと言う気もしています。
捕らえられた時の歩きながらの「どんちゃん踊り」は確かに当時の念仏踊りに似た様子だったと思います。
当時、世の中では様式などそこまで細かく規制されていなくて陽気に踊る事が世直しの祈りのパーフォーマンスであったはずで、今の天理教が組織の権威付けでやっているのか、厳しい儀式の様式や作法など本来はあまり意味が無いのでは?と思っています。<<
約250年(四半世紀)余り続いた江戸幕府が崩壊し、明治維新を迎えようとしていた日本国の近代国家黎明期において、勝海舟と西郷隆盛の決死の直談判により、江戸城は無血開城され、江戸庶民にさしたる犠牲者を出すことも無く、日本国は近代国家へと歩み出しました。世界史的にも類を見ないクーデター(革命)が成し遂げられた時です。おそらく、日本国の庶民は、将来に対する不安と恐怖に恐れおののいていたはずです。
そんな時期にあって、天理教という新興宗教は、おそらく「人心の癒やし」となったのでしょう。明治維新から150年以上経過し、日本の国のみならず、世界全体が新たな脅威に晒されています。例えば、地球規模の環境問題や未知の感染症問題ですが、未だに具体的な解決の糸口さえ見いだされず、世界中の人達が困惑し、難儀しているのが現状です。そうした状況下にあって、「我が家一族郎党の救済」しか追求しない(天理教=中山教)の存在意義はどこにあるのでしょう? はっきり言って、天理教など存在しないほうが、世のため、人のためになると思います。
↑
上記投稿文中訂正がありましたので訂正いたします。
約250年(四半世紀)余り続いた江戸幕府 (誤) → 約250年余り続いた江戸幕府 (正)
天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良いことになっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になり、それが今の天理教の基本ですよって言われた。
お供えを出して祈るって言うのは、どんな気持ちなんだろう?
お供えを置いて、親神様、どうかご守護をお願いしますって、願ったら、まさに、守護の依頼で、お金を神様に払ってるみたいになってしまうよね。
祈りとはなんだって言うのに、極論ですけど、私が良く想うのは、もし病気で我が子の命があとわずかの状態になってしまったら、親なら、もう心の奥から、命を投げ出しても、神様!どうか、私の命を差し上げますから、この子の命をお助け下さいって、お願いしますよね、それが心からの祈りだと思います。 教祖様の逸話にもありますよね、ただ、引き換えるのが我が子の命だったので、私あんまりこのお話は好きじゃ無い。
親神様、今月は30000円お支払いしますので、どうか家族全員無事で過ごせます様に、30000円は、私にとっては大金です!から・・・って言うのかな?
自分の命と引き換えにって言うのは、それだけ本気であり、心の底からの祈りと言う事であって、本気度の問題だと思います。
そうなると生きるか死ぬか、毎月ギリギリまでお供えしたら本気なの? そのくらい自分を追い込みなさいって言う脅迫でしょうか?
もう祈りと言うよう、それは願掛けですけどね。
神に祈る事って、どう言う事なのか? お供えをするってどう言う事なのか、冷静に理性を持って、良く考えると、いろいろ思い浮かんで来ますね。
親の因縁か子の因縁か、そんな事はいいから、とにかく助けて下さいーって一心に神にすがるのも、祈り。
いろいろ思いが巡ります・・・・
井伊直弼の居城彦根城がある滋賀県彦根市の次年度の予算は483億円と知りました。
翻って、約30年余前の教祖100年祭前年の天理教本部の予算は540億円だったとか。今の価値に直せば如何ほどでしょう。
このおカネのために教会長さんの自殺を始め強盗事件と悲惨極まりない事柄があった。
にもかかわらず、相変わらずおカネに執着する天理教。何の反省の態度も示さない、このような宗教にどれほどの魅力があるのだろう。
数え上げればきりが無いほどのボロが出てくる教団なのに、まだまだ、この事実を知らない信者さんたちが大勢居られる。高齢の信者さんの中には、天理教がそのようなことをするはずがないと思い込んでいる方が居られるという事実に悲しくなります。
>>お供えを出して祈るって言うのは、どんな気持ちなんだろう?
お供えを置いて、親神様、どうかご守護をお願いしますって、願ったら、まさに、守護の依頼で、お金を神様に払ってるみたいになってしまうよね。<<
親の子に対する愛情は無償です。天理教の神様は「親神様」と呼ばれています。親が子どもを守護する為に、そもそも「お金」が必要でしょうか? 「お金」は必要ないはずです。「お金」と引き替えに「守護」を求めること自体、神に対するこの上も無い冒涜です。「金の繋ぎは命の繋ぎ」という言葉自体が、神を冒涜していることになるのです。
東風Z 様
2020年2月15日 9:31 AM
>>数え上げればきりが無いほどのボロが出てくる教団なのに、まだまだ、この事実を知らない信者さんたちが大勢居られる。高齢の信者さんの中には、天理教がそのようなことをするはずがないと思い込んでいる方が居られるという事実に悲しくなります。<<
本当に数え上げればきりが無いほどボロがでてくる教団なのに、大勢の天理教内外の方々はご存知ではありません。特に高齢の信者さん達は、長年ドップリと天理教の中に浸かり、「洗脳」されきっておられるので無理も無いと思います。この掲示板の役割は天理教の実態を暴き、天理教被害者を少しでも減らすためにあるという思いで投稿をさせていただいております。
徳を積むということも天理教ではなく四書五行にかかれていることでいわば儒教です
本当に数え上げればきりが無いほどボロがでてくる教団なのに、大勢の天理教内外の方々はご存知ではありません。特に高齢の信者さん達は、長年ドップリと天理教の中に浸かり、「洗脳」されきっておられる<<
宇佐大教会が競売にかけられた話、上級教会が複数の裁判にかけられていた話、今まで秘匿していた事実をこの際話し、それを知った高齢者信者さん、びっくりして声が上ずる様な驚きようでした。神様の世界で大教会が競売にかけられるようなそんな不名誉があり得るのかと、、。
我々のお金を本部が人助けには使ってない事、神様はお金を欲していない事。本部の醜聞の現実をお伝えして信仰の談じ合いをしました。だから若い人がついてくるはずがない、と言ってため息をついておられました。
信仰にお金はいりません、正しい信仰をしましょうね、と誠心誠意のお話をしている所です。
「誠一つが天の理」なんかも、孟子の言葉「至誠天に通ず」のアレンジなのでは?
教祖の踊って歌う様式のルーツが念仏踊りというのを読んで、改めて教祖と仏教の関りの深さを確信できました。明治17年の警察の記録でも教祖の宗門は浄土宗となっており、それは終生変わることは無かったものと思います。
それにしても、いまだに「天理教」と「中山教」を別物と考えている人がいるようですね。
何度でも言いますが、私たちの教祖は「天理教」なんて宗教団体を作ってなどいません。「天理教」とは、中山・梶本・山澤家を中心とする強欲な輩が、教祖に背いて始めた営利目的のネズミ講であり、教祖の言葉や歌を都合よく利用して宗教に見せかけた組織にすぎません。軍国主義の時代には天皇を神と祀って信者を支配し、戦後は教祖存命の理などと言いだして中山家の安泰を計り、教祖の教えと真逆の封建的階級制度を築き上げてきた。それが「天理教」なのだと思います。
「天理教」を始めた者たちにも高い理想があったとか、複雑な事情があって一概に善し悪しを判断できないという意見もありましたが、やはり私の幼稚な思考力では到底理解できそうにありません。私が考えるうえで最も重要なことは「誰が笑って誰が泣いたか」であり、それについては今現在すでに、ウンザリするほど十分な結果が表れていると思います。
「天理教」という教団を作った彼らに「人を助けたい」という気持ちは少しでもあったのか、教祖の教えを正しく伝えようという意志はあったのか、そして本当に「天理教」という宗教団体が無かったら、教祖の教えは今日まで残らなかったのでしょうか。
「我は元の神、実の神である」
「みきを屋敷に貰い受けたい」
「条件を受け入れれば、この世を救う。でなければ、屋敷をなきものにする。」
これって脅迫ですよね。
渋々受け入れてはみたものの、世界は救われてますか?
社会学研究所の皆さんは「意識高い系」の方々だと思うので、天理教から離れたトピックではあるが、事の重大性から鑑みて、広い心で投稿を許して下さると、お願いする。
本日現在のところ、誰も指摘しない事を指摘する。
新型コロナウイルス感染の収束に関して、気温が上がる頃としている識者ばかりが高説を垂れている。
オリンピックを開催したいがために国民の健康を守る施策がゆがめられている。
国内にしか視線が向いていないから、地球全体に視野が広がっていないから、日本が暑くなる頃にはウイルスは死滅するとばかりの、「視野狭窄」な見解を述べているのだ。
日本と気候が反対の国々が存在することは小学生でも知っている事。
オリンピックには赤道の反対側の国々からも参加するし、一年中気温が低い国からも参加する。
ウイルスは日本から消えたところで、寒い国からの訪日者の体を介して、或いは荷物や機材を介して人間と共に訪日することを認識してほしい。
オリンピックを中止すべきだ。
残念ながら私には権力が無いから、中止を実現することはできない。
できることは、気が付かないうちに感染する機会を減らすよう、注意喚起をすることだ。
皆さんの家族、友人知人が、ボランティアとしてオリンピックに関わる予定であれば、ぜひ、参加中止を説明されてはいかがだろうか。
本来であれば、感染に知見がある専門家が広い視野で、オリンピック中止を説いてくれれば世の中は動くだろう。
けれど今の日本はすべての基準が「マネー」だから、中止による経済的影響を第一に考えてしまう。
なんとも「はしたない」「品位にかける」「命をないがしろにする」日本になっているから、絶望するしかない。
せめてあなたの大事な人を守るため、不参加を決断することで、いまだ振る舞いが解明されていないウイルス感染から逃れよう。
そして、今から農業の心得がある方々は、国内自給が難しくなるかもしれない事を見越して、庭や畑で生産活動を開始してください。
庭で鶏を飼い、食料自給率をあげることもできる事の一つだろう。
食料不足は十分に考えうることだから、庶民は政府や政府の回し者(笑)の言説は聞き流し、庶民はしっかり自衛策を考えよう。
誠に仰る通りと思います。オリンピック中止、そしてこれからは自給自足出来る人が生き残って行くのだと思います。
マネーで動いている日本国。それは否定する所ではないが日本政府は自国民の健康と安全を守る事よりは目が外に向いている。対外的な体裁もあるのだろう。体裁かと思う?
毅然として中止を申し出る国民を真に守ろうとする真実が無い。こんな政府に身を託しているのが我々国民だ。
オリンピックの開催で世界中の人たちがシャッフルされ、ウイルスが想像以上に劇的に蔓延したなら、もうエンドレスの最悪の環境下に日本は置かれるだろう。元気に見える人がウイルスを撒き散らしていると言う現実。このサイレントキラー。あなたも私も疑心暗鬼の見えない敵との恐怖におののく日常となるだろう。日本政府にオリンピック中止の断行を求めたい。
ひるがえって天理教であるが、四月に婦人会総会が開催される。本当に人助けを標榜する宗教団体であれば、迷う事なく中止を決定し、信者を守るだろう。
残念ながら、天理教トップ層には真の人助けの意識が欠落しているのが現実だ。信者やこれから信者になろうとしている人たちを慮る心が無いから、中止宣言には至らないだろう。人が寄ればお金が動く。金集めも三年前から要請されている。三年千日と言う事か。だから鬼畜の様な天理教トップはおそらく中止にはしないだろう。
私達は一致団結して、この春の婦人会総会には行かないと言う流れをみんなで作っていきましょう。
自分の身は自分で守る。天理教は信者の命を守るつもりは完璧無い体質。「命のつなぎは金」と虚言を言うが死ぬ時は死ぬのが現実の姿なのです。
中山幹雄 様
2020年2月15日 5:20 PM
>>「我は元の神、実の神である」
「みきを屋敷に貰い受けたい」
「条件を受け入れれば、この世を救う。でなければ、屋敷をなきものにする。」
これって脅迫ですよね。
渋々受け入れてはみたものの、世界は救われてますか?<<
親である神が、子である人間を脅迫するはずがありません。天理教立教以来、子である人間は救われるどころか、大変ひどい目に逢い続けています。世界は救われていません。
匿名 様
2020年2月15日 5:33 PM
>>本来であれば、感染に知見がある専門家が広い視野で、オリンピック中止を説いてくれれば世の中は動くだろう。
けれど今の日本はすべての基準が「マネー」だから、中止による経済的影響を第一に考えてしまう。
なんとも「はしたない」「品位にかける」「命をないがしろにする」日本になっているから、絶望するしかない。<<
オリンピックが、灼熱の東京で開催されることになったのも、アメリカのマスメディアの都合です。アメリカの利権が多大な影響を及ぼした結果です。結果として、マラソンコースが東京から北海道に変更されました。日本に限らず世界中がマネーの虜になっています。オリンピックは、本来、「参加することに意義がある」という趣旨で、オリンピックを通して世界平和を実現するという崇高な理念のもと、クーベルタン男爵が提唱したイベントでした。しかし、今やメダルの獲得数のみを争う大会となっています。それに輪をかけるように、マスコミの放映権等、マネー獲得の手段として利用されています。本当に情けない限りです。私は、パラリンピックのみを残し、オリンピックは将来的に廃止するべきだと考えています。ともあれ、天理教に限らず、世界中がマネーの虜になっています。返す返すも本当に情けないことです。
NTT西日本までがこの掲示板の広告出すんですね。
ドコモ使ってるのがちょっと気になってきました。
別にドコモにこだわらなくてもいいのかもしれないですね。
自分の払う通信費がこの掲示板の主の収入になっているんですね。
ある大教会の教会長夫妻を対象とした年頭お仕込みの席上で、本部員松田元雄氏が次の講話をされている。その要が時報に掲載されています。
元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切、と。
この話を聞いて、天理教が素晴らしい宗教だと感じる人が居るのだろうか。一体、何を捨て去るのか。本部こそあらゆるものをさっさと捨て去れば如何ですか。
家も財産も全て差し出して、上九一色村のサティアンで生活していた信者を「出家信者」と呼んでいましたね。これって天理教の「住み込み」に通じるものがあるし、そこでの「ワーク」なんてズバリ「ひのきしん」の言葉を変えただけのような気がします。
越美分教会初代会長の筒井敬一は「かまど返し」と言って、全財産をお供えさせたら布教者として大成功などと言ったそうですが、貧困を通り越した生活の破綻を要求することの意味が理解できません。
そういえば、うちの教会には柏木庫治の書の掛け軸があるなんて会長さんが言っていましたが、あんな百年祭のA級戦犯みたいな奴のものを有難がっているのなら、なんだか悲しくなってしまいます。
相手を傷つけても、自分自身は傷つけない。
それが、天理教中山教!
参考意見 様
2020年2月17日 2:37 PM
>>家も財産も全て差し出して、上九一色村のサティアンで生活していた信者を「出家信者」と呼んでいましたね。これって天理教の「住み込み」に通じるものがあるし、そこでの「ワーク」なんてズバリ「ひのきしん」の言葉を変えただけのような気がします。<<
オウム真理教の教祖 故麻原彰晃は、天理教システムを真似てオウム真理教を作りました。天理教システムと酷似していて当然です。サティアンで生活していた信者は、天理教的に言い換えれば「修養科生」、サティアンは「詰所」、ワークはおっしゃる通り「ひのきしん」すなわち「タダ働き」です。上九一色村は「おぢば」です。奈良県の上九一色村は、いつ消滅するのでしょう?
東風Z 様
2020年2月17日 1:26 PM
>>元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切、と。
この話を聞いて、天理教が素晴らしい宗教だと感じる人が居るのだろうか。一体、何を捨て去るのか。本部こそあらゆるものをさっさと捨て去れば如何ですか。<<
本当にその通りだと思います。本部こそあらゆるものを捨て去るべきですが、捨て去るにあたってドブに捨て去るような捨て方をしてはいけないと思います。本部所有の諸々の財産は、信者の「血と汗のお供え」で築き上げられました。せめて、世のため人のため、社会に役立つような捨て方をしなければいけません。
松田元雄氏や山田眞氏は「年頭お仕込み」ですからまず最初に一信仰者として2019年のご自分自身の親神に
持たれてあらゆるもの捨て去って生きた経験を話してほしいものです。「偉い」方々の話はいつも自分自身は別のようにお話なることが多い。だから具体性ない。全国の分教会の現状などに関心が無いのだろう!
匿名 様
2020年2月17日 3:59 PM
>>松田元雄氏や山田眞氏は「年頭お仕込み」ですからまず最初に一信仰者として2019年のご自分自身の親神に持たれてあらゆるもの捨て去って生きた経験を話してほしいものです。「偉い」方々の話はいつも自分自身は別のようにお話なることが多い。だから具体性ない。全国の分教会の現状などに関心が無いのだろう!<<
そもそも、「年頭お仕込み」と上から目線の言葉をほざく前に、自分自身を仕込むべきだと思います。天理教の「偉い方々」の常套句です。真に受けたらだめです。
崩壊様
ありがとうございます。本当にそうですね。
私はまず、松田氏、山田氏それぞれがご自身に対してどんな仕込みをしてきたの?と皮肉のつもりで書きましたが!「仕込み=教え込むこと」だから私の使い方は変でした。
私が言いたっかたはまずは「自ら見本をみせよ。」ということでした。
お仕込みだの修理だのいつだって上から目線。出来てない自分を棚に上げておいて偉くなった様な勘違いの上級教会長の前に正座させられ、我々一家はどれだけ苦しめられ、血の涙、悔し涙を流した事か。
天理教の最大の罪は神の前で人間に序列をつける「上下組織」と言うペテン組織を作った事だ。そして金が最上のお供えと言う本音。色々言うけど詰まる所はお金が一番好きなのだ。
馬鹿がのさばる天理教。馬鹿を崇めさせられる天理教。反論も文句ひとつも言えない天理教。
この期に及んでまだあらゆるものを捨てされと言っているのか。苦しんだ者として吐き気がする。
皆さま、この掲示板を通じて知った天理教の悪の数々、本当はペテン宗教だと言う事を世の人達に広く広く知らしめてほしいです。
貧乏すれども救われる事はありません。擦り切れた上に心に傷が残るだけ。
神の喜びって?
天理教は、ひのきしんを毎日、神様にお供えするのが、徳を積むと言う事になっているから、今現在、ひのきしんは、お供え、お金でも良いことになっているので、毎日、毎月、お供えをするのは、神様に徳を積み、ご守護を頂く、安心を頂くと言う事になり、それが今の天理教の基本ですよって言われた。
徳を積む行為を神が喜ぶと言うのは誰でも判ります。
神が作られた世界を、より良くする行為、陽気暮らしを皆で堪能出来る様に目指す行為を神は喜ばれると言う事ですね。 だから、お金であっても、この世が良くなるため、皆が幸せになる為に使うなら、徳積みになると言う事なら、納得できます。
元一日に立ち返り、あらゆるものを捨て去り、親神様にもたれきり信じきることが大切。 これも、あらゆる欲望、心の埃を捨て去り、サッパリとした気持ちで一心に神にもたれよ! と言うなら、理解できます。
でも、食欲、性欲を失ったら、滅びます。 向上心も欲です、怒りも社会を変える原動力です。 だから、捨て去るべき、あらゆるものとしては、憎しみ、妬み、強欲などの心使いだと、誰でも判りますよね。
お金は、社会システムとして必要な物です、生きていくのに必要な物として、命とお金まで、誰かに差し出す理由は無いと思います。 命の次に大事なお金を差し出せ、そうしたら神様も本気だと思って下さる? 私に取っては、どうひっくり返しても、その理屈を受け入れるのは無理ですね。
神の喜びって
天理教以外、例えば、私などは、神の喜びをこの様にとらえています。
あくまで、天理教以外の例です、読み流して下さい。
大霊界世界観とか神霊主義の場合、中心は、肉体ではなく物質より微細なエネルギー体の、魂の存在であり、この物質宇宙は、魂の助走期間として、とらえています。
つまり肉体の死後からが本格的な、生命体としてのスタートであると言う事です。
そう言う世界観からとらえる神、(神的になった存在)の喜びとはなんであろうか?
それは、人間、人間界からは、愛の祈りである。
神的存在とは、魂のエネルギー体が進化向上して行った存在であり、向上すればするほど、人から見ればそれは、愛という波動のエネルギー体になる。
神に祈る時、御守護神に祈るときは、愛の想いで、守護と導きを願う訳です。
どんなに必死の願いでも、根柢に、神に対する愛の想いで祈らなければ、神的存在とは波長が合わないと思います。
その愛の想い、祈りは、神自身を向上させる原動力になり、神も喜ばれ、奉じし祈る人々に、守護と導きとして、エネルギーを返して下さるのです。
だから、神への祈りと守護は、相互のエネルギーの交流で成り立っており、それ以上の物は必要がない。 誠の祈り、愛の祈りだけである。
人間に必要なのは、エネルギーの受け皿としての謙虚、礼節、敬いの心の器であり、心の器を作って、一心に神に祈り、神から、愛と慈しみと尊びのエネルギーを守護と導きとして頂くと言うだけです。
だから、神の守護を得るために必要なのは、想念の器作り、管理であり、いたって個人的な物です。
善行は神の為にする訳では無く、自分自身の神に相応しい想念管理の結果として行動に現れると言う訳です。
甘露があるとすれば、その心の器にこそ、降りて来ると言う想いです。
そう言う考えで日々生きていると、お供えと言うのは、あくまで、教団維持の為であって、それ以上の意味は無いと、考えるのです、必要以上に、お供えを出させるのは、強欲な人間のやる事に過ぎないと思うので、拒否します。
身上持ちだったうちの父も上級会長に言われてました。「身上を助けてもらいたいなら命の次に大事な物を差し出せ。精一杯のお尽くしをせよ。命を出せとは言わん。」
こうして我が家は貧乏し幼な子達は心が折れ、ひねくれ者になる寸前で目覚めて天理教から手を置いた。
幼な子だった我々きょうだいも遠に還暦を過ぎ、「天理教なんてあれ、糞よ。」と言い合い、再確認し、今は平和にそれぞれの生活を楽しんで通らせてもらっております。心の囚われが無くなった今の生活に感謝です。
宗教に関係のない愛知県の藤田病院がコロナウイルスの受け入れに200人の受け入れを政府に申し入れたようです 天理教はなにもしないのか?
情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので
>>宗教に関係のない愛知県の藤田病院がコロナウイルスの受け入れに200人の受け入れを政府に申し入れたようです 天理教はなにもしないのか?
情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので<<
空き箱同然の詰所を感染症対策の整った医療施設に改装し、患者を受け入れることができないものか? 私も同じことを考えていました。多額の費用がかかり天理教単独では無理かもしれませんが、国との話し合いで補正予算なり予備費をなんとか捻出できないものかと考えたりしています。
>>情けないどのようにしやんしたとてもひとをたすけるこころないので<<
コロナウィルス感染に関する先の私の投稿は、私の理想論です。人たすけを標榜する宗教ならば、当然、人たすけの為に、しかるべき対応をするべきです。しかし、教会本部は「御身大事、我が身大事、我がさえ良くば」という体質ですので、所詮、理想論、机上の空論にしかなりません。教会本部は人をたすける心など、さらさら無いのです。本当に情けないの一語に尽きます。
参考意見様の投稿の一部
>越美分教会初代会長の筒井敬一は「かまど返し」と言って、全財産をお供えさせたら布教者として
大成功などと言ったそうですが、貧困を通り越した生活の破綻を要求することの意味が理解できません。<
全くその通りですね。大成功の裏で二代さんは、若い頃、お手伝いさん付きの、若江の家に住み、真柱になっては再々に亘り億円単位のお金を持って古書を漁りをしていた。その結果が、今の参考館に繋がっていると聞きますが、貧に落ちきった信者さんたちの怨念がこもっているんじゃないかと思ってしまいます。
昨年亡くなった教会住まいの先輩は、僅かの額の国民年金を65歳を待たずに早期受給して減額された少額の年金をもお供えに励んでおられた。二代さんの贅沢極まりない品行の数々を知らずに亡くなったのが、せめてもの救いだったのかもしれません。
どこまでも人をバカにした教団に何の魅力があるのだろう。
まだまだ、洗脳から解けることのない多くの信者さんたちが居られるようですが、一刻も早く意味の無い信仰から目覚められることを願うばかりです。
信者は金が中山家の本音では?
「金のつなぎは命のつなぎ」の意味は「金のは命、命は金」と以前書いてありましたが、これよくよく考えると、信者は金と言ってるようなものですよね。
つまり中田善亮と言う似非宗教家をはじめとする中山家とその面々の本音が浮き彫りに成りですね。
ひのきしん と銘打って、させることは無報酬労働
お供え と銘打って、させることは多額の上納金
そして本部からの給与支援金は一切ゼロ
これでよく「金のつなぎは命のつなぎ」と言えたものですね。世間知らず、浮世離れ、もいいところ、誇大妄想と言っても過言ではないです。
匿名 様
2020年2月18日 4:14 PM
>>ひのきしん と銘打って、させることは無報酬労働
お供え と銘打って、させることは多額の上納金
そして本部からの給与支援金は一切ゼロ
これでよく「金のつなぎは命のつなぎ」と言えたものですね。世間知らず、浮世離れ、もいいところ、誇大妄想と言っても過言ではないです。<<
決して過言ではありません。全くその通りです。付け足す所も、削除する所も、訂正するところもありません。人間として許されないことを教会本部は平気でノウノウとやっているのです。今までこうした事象が社会的に許され、法的責任を問われることなく、まかり通ってきたこと自体が不思議で仕方がありません。何故、こうした「社会悪」、「法的悪」が公然とまかり通ってきたのでしょう? 返す返すも不思議です。
仰る通りです。天理教の本音は信者は金。においがけお助けで信者を増やそうとハッパをかけるが信者が増えれば金も増えると言う算段です。
貧乏暮しに甘んじている貧困教会に本部からお手当の只の1万円でも貰ったためしが無い。
それで持って全亮はゴルフ場の理事、女からのゆすり(火の無い所にゆすりに来ません)、次の真の柱の大ちゃんは東南アジアで女買いをしたと。さかのぼれば二代も信者の娘でも御構い無しにお伽要求する様な輩で、修司以降代々の女たらしの家系だ。信者が田を売りすってんてんになっている時、若造だった二代は若江の家なる豪奢な家で貴族生活をしていた。また二代は信者のお金を湯水の如く使って世界中から古本を買い漁り現天理図書館が出来た。(芹沢光治良先生の死の扉の前でに詳しく書かれています。)
参考館の品々も自分の趣味が高じて買い漁った品々で、我々信者がすってんてんになりながら頼んだ覚えもないのに自分の金の如きに人のお金を使って買い漁ったもの。
信者が金ならもう金は寄らない。教会も1000単位で整理縮小され、信者も増えない現状。
幼い時からの 貧乏暮しは理由が分からずこんなもんだと通り過ぎたが、大人になってあれこれ理不尽な問題点が見え始めると震えるような怒りが込み上げてきた覚えがある。
金の亡者の天理教なんかに人生を奪われない様、今足を突っ込みかけている人たちに注意喚起を申し上げたい。
天理教のブログに9年前の「東日本大震災 被災教区・災救隊支援募金へのお礼」なるお知らせが掲載されていました。当時は震災募金と教区・災救隊支援募金の2本立てだったと記憶していますが、掲載文によると後者の募金が総額5億753万2520円とあり信者の善意には驚きました。それに反して遣いみちに「震災直後からの災救隊の諸活動をはじめ、教区支援・被災地慰問などに活用させていただきました。」とあります。被災教区や災救隊ねの支援はともかく、本部からの慰問とあり、その費用くらいは募金ではなく、本部が出すべきではないでしょうか?当時、表統領が被災地を慰問している写真が天理時報に掲載されていましたが、なんと教会に関係者を集めて、神殿講話のように前で話しをしている光景でした。関係者は救助支援で忙しくしているのに何だろう?と思いました。現地に出向いて一緒に活動している写真ならともかくと思いました。私の思い違いでしょうか?
二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もちろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでましょう。
>>匿名
>>2020年2月19日 12:26 AM
>>二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もち>>ろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでましょう。
は?
あなた、二代さんの子孫?
天理教団の体質そのものが私利私欲なんだよ。いまさらふざけたことを書くな!!
そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも、天理教から離れればいいだけの話です。
まぁ離れていると思いますがね。わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
匿名様
>二代さんは、いろいろなことにお金を使ってますが、自分の私利私欲には使ってないですね。もちろん図書館とか、参考館はありますが、それも布教伝道に役にたつものだったのでしょう。
一昔前の、先生方が、よく言われていた文言です。
本当に、そうかどうか検証してみたらいいですね。
>そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも、天理教から離れればいいだけの話です。
まぁ離れていると思いますがね。わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
三流のお店が、客のクレームを嫌がったり、従業員の意見を無視するのと似ていますね。
新型コロナウィルスによる肺炎の勢いが治まらない現状に鑑み、本部は2月の月次祭の参拝を自粛されるよう案内されては如何でしょう。万が一にも感染拡大の手助けをしていたといわれることのないようにすべきですね。
それとも、天理教に限っては親神様がご守護下されているので、その御心配は御無用にとでも思っておられるのでしょうか。
特に、高齢者の参拝者が多く、寒冷の中での参拝は大きなストレスになります。参拝を考えて居られる方も今回は見送られることが賢明かと思っているんですが、皆さん如何でしょうか。
連投すみません。
二代さんは、有り余るおカネを前に、貧乏人になりたいなんて冗談を云っていたことがあると聞いたことがあります。
人をバカにするとは、これ以上の言葉が見つかりません。この言葉もいろいろな情報をくれた二部同窓生から聞いた数々の教団スキャンダルの一部です。
別の宗教なら、この様に考えていたりします。
親の思いに沿わない心遣いをしたら子供の身上でみせられるって、誰が言えるんだろう? 親は親の生を生きています、自分は自分、子は子です。
他人でも親子でも、感謝、慎み、助け合いですが、自分の想いを押し付けてはいけませんよね。
親子と言っても、信仰も職業も結婚も個人の自由ですから、神を理由に人を縛るのは、人間のやる事で、神は本来、そういう事に感知しないと思います。
親の願いは、あくまで親の願いなので、頭を下げて、理由を説明して、子に頼むべきでしょうし、拒否されたら、親も反省すべきでしょう。
身上は、いろいろですが、大霊界世界観だと、生まれ変わりはないですし、親子間には霊的連鎖はありますが、親の罰が子に出るとしたら、親か先祖に恨みを持った霊体が、子孫に災いをもたらしますが、その人の守護が勝てばそれも避けられる。
身上の、そこに当てはまる事に、人間の知恵でいろいろ理由を見出しても、無駄ですよね、自分の人種や顔や性別も、選んだ記憶は無いんですから。
命を与えられた場所、肉体、条件の中で精一杯生きるしかありません。
地球には、生まれた時から戦争や貧困で、幼くして死んじゃう魂もあるんですからね、それでもあの世のスタートは平等です、運良く生きられて、先に高い神になって行けたなら、そう言う、不運な幼き魂を、救い上げ、引き上げてあげる事もできるんだから、それをやるんですよ。 だから、望む人間を導き守護する事も、社会が良くなる事も神レベルの存在なら、願いでもあり、喜びでもある訳です。
運悪く地獄に落ちたら、そこで苦しみながら、上を目指すしかありませんけども、もう一度肉体を持たされる事は、無いです。
ところで、真柱様は、高い世界に登っていると思いますか?
最初からそんな物を約束された存在はありません、この世の栄華も一切関係ありません。
死後は魂と心だけしか残らない、あの世には物は持っていけない。
歴代の真柱様によっては、地獄に落ちていても、不思議では無いと思っています。
生前、心から神を奉じして、そう言う生き方をしていなければ、親神様とも波長が合わず、真柱様と言えども、救ってはくれません、と言うか、救おうにも神と波長が合わないなら、地獄でしっかりやり直せってだけですね (笑)
末っ子が初産で超安産でした。この娘も姉達と同じく未信者と結婚したので、ダンナに気を使ってか、「をびや許し、もらいに行かんとあかんの?」と聞くので好きにしたらいいと言いました。ただし、「お腹の赤ちゃんにはお父さんが居る時に生まれてきてねとお願いしときや」とは何度も言っておきました。私の5回の時も嫁、娘二人の7回の出産の時も全て父親が居る時に陣痛が始まり入院させることが出来たからです。
胎児は親の言葉を聞いている。我が家には何人も守護霊さんが居るから大丈夫という自信があるので気安めに4千円は必要ないと考えていました。かくして日曜日、父親が会社休みの日に陣痛が始まり入院して3時間で生まれました。初産でこの早さだから二人目からは気をつけるように注意されたとか。をびや許し頂いてても難産、死産、何人も知っているので信頼はしていませんでしたが、強い娘を改めて見直しました。
無名 様
2020年2月19日 11:35 AM
>>初産でこの早さだから二人目からは気をつけるように注意されたとか。をびや許し頂いてても難産、死産、何人も知っているので信頼はしていませんでしたが、強い娘を改めて見直しました。<<
そもそも「おびや許し」自体が迷信です。天理教立教時、女性の「お産」や天然痘(ほうそ)、結核等の疾病は、ともすれば命に関わることでしたが、今やNICU(新生児集中治療室)を備えた医療施設もでき、超未熟児で生まれた赤ちゃんも助かる時代です。天然痘は種痘の発見と普及により世界から根絶しました。死の病と言われた結核もストレプトマイシンの開発により完全治癒できる時代です。今流行しているコロナウィルスの治療薬もいずれ近いうちに開発されると思います。今後、癌ですら早期発見、早期治療、Ips細胞の研究開発による再生医療により治癒する時代が来ると思います。
おびや許し、は迷信でしょう。受験の時などにお守りを握りしめていればなんか守られている様な気持ちになると言う、その程度の事だと思います。おびや許しを貰ったから大丈夫、と思い込めるフラシーボ効果で、それはそれで個人の自由。安らぎ程度のものです。
おびやを貰わなかったから難産すると言う訳でもありません。
私の娘も嫁もおびや許しなどに興味は無く、私も意味を感じないので言いませんでしたが、皆安産しました。教会の孫に当たる我が娘も全く天理教には不信感の塊ですが、彼女の上に数々の幸運が重なり、母子共に命を落とす難局に遭遇しながら無事出産しました。天理教信者にのみ守護が有り、娘の様な無神論者には守護がない、宇宙の神とはそんな存在ではないです。
天理教信心に深く入れ込み過ぎるとおかしな教理に心を縛られ生きずらくなるだけで、自分の心の声を聞きながら心通りに生きると言う晴れやかな主体性はなくなりますね。人に操られる人生は自分の人生と言えるでしょうか?
神は地球上の遍く全ての人々を守護する。宗教、宗派の争いは人間レベルでやっている事で、我々は唯一神の前にただただ安心して感謝と自他を大切に思う心を持って生活していれば良いのでしょう。お金のお供えと守護を重要な教理として説くおかしな宗教に縛られて自分の心と肉体を虐める事は神の哀しみだと思います。
話があちこちしてしまい失礼しました。
>匿名
>2020年2月19日 6:07 AM
>そう思うのであれば、わざわざこんな掲示板に顔を出さずとも…..
>わざわざ書き込まなくてもいいだけの話です。
このクソリプ、そのままそっくりお返しする。
私たちは、衛生状況が良い日本国内であっても既に市中感染が始まっていることを認識すべきだろう。
多くの会長たちは自家用車で天理までくるのかもしれないが、一般信者の多くは公共交通や団体でのバス便利用だろう。
私の所属大教会からは、いまだに月次祭中止の連絡はない。皆さんの教会ではいかがだろうか。
月次祭以外にも各種行事が有ろうかと思うが、そもそも大教会家族は移動することなく、自分の住まい(教会)に人々が来てくれるから、感染する危険度が低く、現状を甘く見ているのかもしれない。
大教会家族だけで月次祭を執り行うという選択肢があるはずだ。
世間的には月次祭は「不要不急」の行事にあたるから、真の神様目標(めどう)が心に納まっていれば、収束迄の数か月間は教会家族で勤めようと考えるのではないか。
しかし、本部がこれを許すはずはないと推測できる。
何事も「ガン」は中山家あるいは本部中枢の人々なのだろう。
信者数が減ったとはいえ、本部拝殿は人と人の間隔はほぼ握りこぶし三つ程度に詰めて座っている。
2メートル程度は距離をおきたいと識者から聞かされているが、天理教では本部をはじめ各教会でも実現は難しい条件だろう。
まして集団での飲食がつきものの天理教では感染が広まる場となりやすい。
厳しく言えば、新規修養科生募集もストップして「様子を見る」良識が求められよう。
広い意味でのイベントは、何も「今」、実施しなければならない理由など、何があろうか、ちょっと考えてみれば、何もないことに気が付く。
ましてやオリンピックすら中止をしても生きていけない人が出るとはいえない。
何事も日本を中心に考えるようでは視野狭窄と言えよう。
医療が整っていないような国々迄へも感染を広げてしまう恐れが在るイベントは中止しなくては第二の中国を産んでしまう。(海外からは既に日本も中国と同レベルの批判を受けてしまっているが・・・。)
選手が気の毒だと、方向違いの同情を述べる人もいるが、浅いレベルでの同情は危険を招くのだと学習していただきたい。
水泳関連で天理教の広告塔になっている一族もいて、天理教団としては格好の宣伝活動の場ともなりそうなオリンピック・パラリンピック。
そもそも、福島の復興や原発が収束していない日本が、オリパラ開催に巨額の活動費を注ぐこと自体が「愚行」なのだから、現状は神の答えの一環なのかもしれないと、深く受け止めている。
学生の頃、別席の空き時間に天理参考館を覘いてみました。そこで見たものは東洋や南米の物が多く、オタク趣味の私の目を楽しませてはくれませんでしたが、特にインパクトが強く記憶に残った物といえば中国の纏足の靴とエクアドル・シュワル族の干し首(現在では展示していないらしい)くらいです。
全体的に見て学術的な価値のあるものばかりなのかもしれませんが、あまり布教伝道の役に立つものとも思えず、リビドーの赴くままに生きた二代目真柱の趣味道楽の産物にしか見えません。
ところで、このコメント欄でも度々話題になり、多くの人たちがその開放を望んでいる史料集成部について、私も以前は中山一族にとってのパンドラの箱のように考えていました。しかし最近では、もしかしたら中には何も無いのではないかという不吉な予想が頭をもたげてきています。
教祖の真の姿を伝えたいという想いも無く、教祖に所縁ある三島神社を強引に移転させ、鏡池を埋め、できることなら櫟本分署跡さえも消し去りたいと考えるような輩が、自分たちに都合の悪いものを、わざわざ残しておくでしょうか?
おふでさきの2号と3号の約5年間程の空白部分とか、戦時協力にふれるような資料とか、隠すだけでは充分とはいえません。いっそ戦災によって焼失したことにしてしまえば、最も確実で安心できるとは思いませんか?
四方を海に囲まれた日本では、敗戦が決定的となった時から占領までに全国各地で昼夜を問わず書類その他の資料の焼却作業が行われました。天理教だって、何も手を打たなかったとは思えません。陸に囲まれ本国そして最後には首都までが戦場になったドイツだと、米軍だけでも1100tの政府公文書を押収したといいますから、
しかし史料集成部に何も無かったとしても、教団と中山一族の正当性を証明できるようなものだって無いのも確かだと思います。繰り返し言いますが、手書き・印刷を問わず江戸時代に残されたなんていう「天理王命」の文字でもあるならば、本部は狂喜して公開するに違いありません。
子供の頃から虐げられて長〜く見てきた天理教は究極の無責任体質ですから、本部月次祭への参加の自粛、婦人会総会参加への自粛、あるいは中止、を言い出せるか否かは見ものです。善亮は時報などでも色々とごたくを並べて格好いい様に振舞っているがその頭の深層は全て金盗りの発想だから、信者の命を守る事に慎重を期する事はないでしょう。
今の時点では婦人会総会に何人参加するのか各教会に集計取ってますね。うちの大教会も危機感無し。本部に進言する勇気も無し。我が身可愛いだけ。信者の命は二の次か。
参考館は、オープンスクールの時に2度ほど見学させてもらいました。
あくまで、資料館であり、文化遺産として面白いと思いますね、国宝級の古文書など、文化財保護としては、素晴らしいとは思いますが、これらの収蔵原資は全てお供えからできていると思うと、見学する分には、ありがとうございます、としか言いようがありません。
天理教には直接関係無いと言う印象です、あくまで宗教団体の社会貢献の一つでしょうね。 そう言う意味では、社会貢献だから良いのかもしれませんね?
天理教では、死後世界について、世界の構成について書かれていないので、そこについては個人の憶測になってしまいますし、前に私が書いた箱庭論でも、世界の構成が説明できなければ、本当は神様の存在の定義もできないので、親神様と言うのが何者であるのか? 実は漠とした存在な、ままな訳です。
ライブな教団なら、天啓者、霊能者、審神者を擁して、どんどん真実の世界を解明して、人間のあり方、世界のあり方をもっと突き詰める部分があって良いと思いますが、天理教はそこについては止まっているので、致し方無いですよね。
どうして日本人なの、その家なの、その生い立ちなの、男なの女なのって説明もできないのに、親の因果が子に報いなんて、そこだけ言える事では無いと言うのが、理論的な考察です。
日本人は、理論的に考えで合理的に行動するのが苦手であり、忖度が得意で、感情的、和を持って良しとする部分が多いから、宗教団体も、右へ倣え!で良しとされるし、理論は曖昧な神で封じられ、不合理な事でも教義で押し付けられるのは好きじゃない。
息子へも、理論的に考え、合理的に行動せよ、ただし義理人情は大事にしろと教育して来たので、天理高校に行こうと、全然染まらなかったのですが・・
私の信仰は、仮想のエネルギー理論ですが、実際、行動から守護と導きを感じるし、結果も出ているので、これは実在すると、個人的に仮定し、信じられる訳です。
天理教においても、一般信者は、そんなに困って無いよね? 付き合いで、人間関係を楽しんでいる人も多勢でしょう。 ただ教会に生まれると大変ですよね? でも、そこから、これはおかしい! って声を上げるのも、怒りを持つのも、それは全て正しいこの世の仕組みであり、真実の神的存在は拒否しないと考えられます。
これ程問題提起がなされているにも拘わらず何も手を打たない天理教団。
学習とは、問題解決の手段を学ぶことですよ。独りよがりの集団を相手にする空しさ、これに極まれりです。
女子プロゴルフの開幕戦も無観客試合と決まりましたよ。
とりあえずひのきしんデーと婦人会総会は絶対中止だと思います。
2月月次祭も自粛すべきだと思うのですけど。
所属の大教会は2月末に婦人会の行事をするそうです。
絶対参加言っています。何を考えているのやら。
行かないと後で吊し上げをくうのですが、行かないでおこうと思います。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、本日、厚生大臣も不要不急の行事等は控える様にとテレビで国民の向けて発信しています。全国各団体はその諸行事の中止、延期を次々に打ち出しています。
神殿にすし詰め状態で行われる本部月次祭です。感染するには一番危ない体勢です。危機感を持って各大教会に「世の状況を鑑み、積極的に参拝を要請するものではない。特に高齢信者の参拝は自粛されよ。」と信者の命を守る親心を示して然るべきである。
今月26日は直ぐそこまで来ている。何の発信も無く感染の脅威などどこ吹く風の態度を貫く天理教本部の冷徹かつ徹底的な無責任体質がこう言う非常時にこそ判明してしまう。
天理教も以下のようなニュースにならなければいいのだが、
各種祭典・行事をどうやら自粛する動きは今のところないようだ。
新型肺炎、韓国で初の死者 感染者100人超、教会で多発
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020022001001487.html
韓国、南部で新型肺炎急増…教会で集団感染か
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200220-00000577-san-kr
韓国で新型ウイルス感染者急増-宗教団体施設で集団感染か
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-20/Q5Z6U2T0AFBN01
匿名
2020年2月20日 10:10 PM
>>神殿にすし詰め状態で行われる本部月次祭です。感染するには一番危ない体勢です。危機感を持って各大教会に「世の状況を鑑み、積極的に参拝を要請するものではない。特に高齢信者の参拝は自粛されよ。」と信者の命を守る親心を示して然るべきである。
今月26日は直ぐそこまで来ている。何の発信も無く感染の脅威などどこ吹く風の態度を貫く天理教本部の冷徹かつ徹底的な無責任体質がこう言う非常時にこそ判明してしまう。<<
全くおっしゃる通りです。教会本部は本部神殿に参拝者が集まれば集まるほど、賽銭箱にお金が落ちるという考え方なんです。天理教とはそういう宗教(?)なんです。本部に参拝し、コロナウィルスに感染する信者さんが幾人でようが、本部にとってはどうでもようことなんです。本部にとっては神殿の賽銭箱に「お金」がどれくらいの量、投入されるかが一番大事なんです。読者の皆さん、これが天理教の実態です。何が「人だすすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。現在、天理教信者の皆さん、これから天理教に入信しようとしている若い方々、絶対に天理教に関わってはいけません。自分自身の身の破滅にとどまらず、ご家族やご友人、親戚縁者の身の破滅に繋がります。
てんりさん @ten_ri_san のツイートより
>先日、他系統の教友から聞いた話。その教友の所属教会に大教会を批判する内容のFAXが送られてきた。送り主は部内教会の奥さんで、その系統全体に送信。その奥さんは精神的な病気だったようだが、文章は理路整然としていて、内容も皆が口に出して言わないだけで、誰もが共感できるものだったらしい。
しかし、そこの大教会長は、その内容を見て反省するどころか上級教会の会長も揃って「お詫びに来い」と呼び出し、謝罪させたという。<
↑ ↑
誤字がありましたので、下記の通り訂正いたします。
何が「人だすすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。(誤)
↓ ↓
何が「人だすけ」「陽気暮らし」の宗教(?)なんでしょう。(正)
↑の匿名様、てんりさん@ten_ri_sanの教友の方はもしや「東京都内の大教会」での事を紹介してくださっているのでしょうか。一信者の私には流れてくるはずもない内部情報。所属大教会では上記のような告発文が出たとか出ないとかの話は聞こえてきてはいませんが、他大教会の事とすれば、同じような状況が有る事に、今更ながら、天理教の欠点が露わになった結果だと思えるのです。(勿論、立派な大教会長夫妻もいますので、全員の人柄を非難している訳ではありません。この社会学板に書かれた批判を深く咀嚼して、ご自身の深い考察による言葉で、直球の回答を月次祭講話で話す方もいます。)
ウーーーン、どうしても、これは、うちの大教会のことのように思えてならない。
東京都内の大教会かどうかだけでもヒントがほしいものです。
私自身の経験をご披露します。
その部内教会の奥さん同様、「あの人はちょっと精神的に病んでいるから」と大教会奥さんが決めつけ、その部内教会夫人の話すことを、さも、内容に疑義があるかのように、私に言うのでした。聞かされた私は、ひっくり返りそうになりました!その方は「狂ってしまった人」扱いなのです。けれど、私自身がその方と直接話しても、そう、「理路整然」とされていました。それを狂ったというのならば、私も狂っているのでしょうか。ならいと様が狂ったことにされてしまった歴史がありますから、自分に都合の悪い事をはっきり物申す人を狂人扱いにするのでしょう。一昔前に社内で常識的な発言をしたら「アカ」と決めつける馬鹿丸出しの上司がいましたっけ。一部上場食品会社での経験ですが、社員のレベルはその程度。言いなりになる人だけが好い扱いを受ける企業体質は、恐らく今も変わらないでしょう。日本人の体質だと思います。天理教内の事だけではないのです。今の政府を見ていても同様。もう、高齢者には早くこの世を去ってほしいのでしょう。
まぁ、そのうち出直しますから。その時は信者が一人減ったとしか受け止めないでしょうね。
肺炎の身上サトシは、素直でない心でしたっけ?
詳しい人、肺炎の原因となる心使いを教えて。
教えて君 様
2020年2月21日 6:26 PM
>>肺炎の身上サトシは、素直でない心でしたっけ?
詳しい人、肺炎の原因となる心使いを教えて。<<
確か、結核の身上さとしは、「高慢」だったと記憶しています。肺炎も結核も肺の病気です。ハイハイ(肺肺)と素直な気持ちを持たないから肺を病むそうです。素直な気持ちとは、とりもなおさず、上級教会や教会本部に対する絶対的服従と忠誠心です。天理教は「身上さとし」や「事情さとし」を教団本部の維持の為に、巧妙に利用してきたのですが、今の時代、そんな非科学的迷信は通用しません。病んでいる人達を救済するどころか、その人達の心を「どん底」に突き落としかねません。
馬鹿な権力者は強い、どんなに倫理的に証拠を示して追い詰めても、シラを切り続け、言い逃れ、司法に手を入れ、メディアも抑えて、役人も平伏せさせ、自分とお友達を守り切る。 それでも、さすがに国民も、馬鹿が自分の妄想で行う政治は恐いと気がつき出したのは幸いだ。 自分達の上にこんな馬鹿を置いておくのは恐い、そう思ったら、次の選挙で落とさなくては、何も変わらないし、変わらない国民が多かったら、その被害の責任は、やっぱり気が付かない国民の責任になるだろう。
日本の民主主義を破壊する馬鹿な宰相と政党を拒否しないと、さらに酷くなる。
天理教は、国家では無い、私的集団だ、しかしそこに、生活を組み込まれた教会関係者は、日本国から逃げ出せない国民と同じかもしれないが、教団運営には国政と違って選択権が無い。
組織相手の対策は、唯々諾々と従い続けるのか? 財産を放棄して逃げるか? 逆に離脱して財産を持って逃げるか? と言う事だな。
教団に民主主義的な運動があれば、そんな事は心配しなくて良いんだがな
そこは、神とは別だろう? 神は人間の社会運営に直接手を出さないだろう、つまり、馬鹿でも元気であるし、正直でも病気になる。
教団の自浄作用を神に期待するのは、無理だろう。
ここは一つ、冷静に、対処する事が望まれる。
ハイハイ言わないから肺にくる、それが高慢だって?
諭しって、屁理屈こねて、相手を追い詰める事なのか?
誰がそんな馬鹿な事を言ってるんだ? そう言うのが、馬鹿なんだ
馬鹿は言っても理解しないから最強だよな?
上の人間が馬鹿なら、選択肢は、二つ
上手に機嫌を取って、持ち上げて、交わすか?逃げるか?
やっぱり、離脱するか?
真面目に付き合ってると、こっちが心を病んでしまうだけだな
馬鹿に付ける薬は無いんだよなって、割り切って
現実的な対処を取るしかないよ
こっちが、強くなるしかない。
馬鹿に対処する方法を考えろって、神様は言ってるかも知れない。
少なくとも、そう言うのは、神に祈っても解決しない
確かにお供えしたら、馬鹿は喜ぶから解決するな?
それはしかし、捨て銭だ
心が病んでしまう前に、早く逃げた方が良いだろうね。
> ハイハイ(肺肺)と素直な気持ちを持たないから肺を病む・・
こんなん聞くと、「天理教は ‘トンチ教室’ か!」と、叫びたくなります。昔、ありましたなぁ、長崎バッテンさん、石黒ケーヒチさん、清川虹子さん、←これらの名前を知っている人は相当のお年かと思いますが、珍問珍答の連続だった、あのNHKのラジオ番組。
こんなオヤジギャグとも駄ジャレともつかないものを教えにないまぜて言うの、やめていただきたいデス。
コロナウィルスのことなんですが、パンデミックを引き起こすような強力な病原菌だということを思いますと、神様の思いも相当強いものがあると思います。ですから、一つ二つの心遣いの誤りがこの病気を引き起こしているとは思えません。もっと複合的な原因があって、この病気の流行を招いたんじゃないでしょうか。
この病気が人から人に感染するということを考えれば、人の心についたホコリも感染するんだな、と思います。何が正しいか何が正しくないかといった判断を、間違えることなくできるようにしたいものです。
今中国は、他の国を泣かせてまでも自国の利益を追求してるんじゃありませんか?
南シナ海の領海侵略、人権無視の臓器移植、ウィグル侵略、国内の経済格差や不平等、とくに貧富の差といったらもう、民衆は忍耐の限界を超えて今にも爆発しそうな怒りを抱きかかえているんじゃありませんか?
最初に、理想の社会論、21世機は、異なる文化や宗教を持つ人達が互いに存在を認め合い、肯定しあって共存共栄できる社会が望ましい。 個人のジェンダーの尊重、役割の尊重と尊厳が守られる社会、人権が守られる社会がいい、私利私欲や強欲を法律、ルールで抑えて、社会の再分配をしっかりする事が良い、誰もが、平和に安心して暮らせる社会が良い
そう言う前提で、物事を考える基本があると良い
時に、宗教は利己的になり、社会的な理想から離れます。
だから一つの宗教、一つの神で地球が思想的にも社会的にも統一されたら、必ず抑圧される存在が生まれると思います、宗教には限界があるんです。
冷静に、理性で、理論的に考え判断したり、合理的に行動する事は、地球で生きる以上は、どんな信仰をしていても、大事だと、個人的に思っています。
コロナウィルスを神の怒りに結びつけるのは宗教、それは中国への罰と考えるのも、宗教的であり、狭い発想で妄想的です、だから宗教には限界があると感じます。
神の罰では無い、パンデミックは、社会の有り様を再検討せよと言う神が与えた機会だと思います。 考えて変えるのは自分達に課せられた問題です。
地震は、繰り返し来ます、だから先人の残した痕跡、知恵から、防災インフラに投資するんです。
コロナウィルスは致死率は低い、だから、国民皆保険のある日本では、インフルエンザ同様、重症化しにくいから、政府も甘くみてる事に気がつく。
日本の対処は世界から批判されています、真摯に受け止めて改善する必要がある。
アメリカでは、インフルエンザでパンデミックを起こし、もう12000人も亡くなってる、これは、皆保険がなく、病院に書かれない貧困者が多く、重症化するからです。
アメリカは、貧困と無保険が国民の命を奪ってる、だからサンダース議員が若者の支持を得られるんです。 アメリカと言う、国の有り様が問われているんです。
中国も、もう大国です、世界中から批判されてる、だから上層部は世界の信頼を得るために、必死に国を引き締めている、だんだんと、これから中国も開かられた大国になって行くでしょう、何しろ、日本より豊かになりつつありますからね。
コロナウィルス発生源とした、必死にいろいろ改善しなくてはならないでしょう。
世界は、中国が止まっただけで、日本も倒れるくらいの相互依存関係がありますから、互いに、国が栄える方法を取らなくてはなりません、もう日中間も米中も現実的には戦争はできないんです。
連投すみません
大霊界世界観の私として、神的にはどう考えるかと言うと、ウィルスは、大霊界から送られて来るエネルギーで、突然変異を引き起こすとか、みています。
だから、インフルエンザでも、掛かった人には、細菌とは別の、マイナスのエネルギー体が作用している様にも見える。
理由はいろいろあるけど、良いエネルギーでは無いと感じます。
私個人や私の所属する教団の経験では、浄霊、つまり神の良いエネルギーを送る事で、インフルエンザの持つマイナスエネルギーを消すことができる、だから我が子の高熱も、浄霊で普通の風邪位に落ち着かせた事は、何度もあります。
しかし、声高に、インフルエンザは、大霊界からのマイナスエネルギーだ! なんて言っても、誰も信じないでしょうし、宗教的解釈の違いから対立も引き起こします、だからこそ、その存在が社会に与える意味と機会について、神の知恵をもらいながら、理性的に考えて、地球で人類がやるべき事は何であるかを、冷静に考え、やる事が大事であると、思うんです。
自分の神様の存在を声高に表に出さず、個人的に模索する範囲内なら、対立も避けられます。
教会は信者の身上が深刻なら深刻な程、心底ではニンマリしている。
「癌は頑固だから癌になるんだ、、。あんたのその頑固な性格が災いしてる。思い当たる所はないか?」と諭されて、「ここはひとつ精一杯のお尽くしをして助けてもらうしかないな、どうや?」と言われたらその人は「いいや」と言えるだろうか。
自分は頑固じゃないと思っていても、そうかもな?と思うものです。占い師が万人に通じるような諭しをするが、悩んでいる本人は当たってる!と思ってしまう心理をついている。要するにペテンにかかってしまうのが弱っている時の人間の弱さです。
また癌は頑固、は日本語圏だけで通じるギャグ。英語で癌をガンとは言わない。トンチかギャグか人を小馬鹿にした天理教独自の低級なペテン師の発想です。
埃は避けて通れ、と教祖が言っています。天理教教団の最大の埃は本部中枢に積もっています。彼らは親神が最も嫌う「埃」を撒き散らしています。こんな埃を相手にしていては大事な時間とお金の無駄と言うものです。
参考にならない意見 様
2020年2月22日 10:52 AM
>> ハイハイ言わないから肺にくる、それが高慢だって?
諭しって、屁理屈こねて、相手を追い詰める事なのか?
誰がそんな馬鹿な事を言ってるんだ? そう言うのが、馬鹿なんだ
馬鹿は言っても理解しないから最強だよな?
上の人間が馬鹿なら、選択肢は、二つ
上手に機嫌を取って、持ち上げて、交わすか?逃げるか?
やっぱり、離脱するか?<<
長年、天理教は屁理屈とダジャレを織り交ぜた偽教理、偽さとしによって、信者を騙し獲得してきたのですが、今の常識ある人々にはもちろん通用しません。そんな馬鹿げたことを説く宗教(?)から信者が離れていくのは無理からぬことです。天理教被害から逃れるベストな方法は離脱しかないのです。
以下は、おそらく熱心な信仰をお持ちの方のツイートの引用なのですが、私には理解ができません。
これが天理教的「信仰熱心な事」なんでしょうか?
「息子が旅行に行くというので
気を遣いながら
理立てを提案した
すっと出してくれた
うれしくて
大教会へお供えに行った」
疑問.1
そもそも旅行に行くのになぜ「理立て(おそらく現金によるお供え)」が必要なのか?
そんな教理が教祖の教えにあるのか?
疑問.2
なぜその「理立て=現金によるお供え」を大教会に供える必要があるのか?
どなたか教祖中山みきの教えに照らして、納得のできる教義的整合性をもって
アホな私にお諭しいただけませんか。
ちなみに天理教原典であるおさしづには金銭について以下のように諭されていますが、
教会にお供え(おつくしや理立て)をせよとの教理は説かれておりません。
『おさしづ』における「金銭」についての神意
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。
心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。
これだけよう聞き分け。
おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
思うよう〈に〉成るも「いんねん(因縁)」成らんも「いんねん」。
皆んな(みんな)だん/\「いんねん」知らず/\越せば、どんな「いんねん」が持って出るや分からん。
どねしても(どのようにしても)成らんが「いんねん」。
金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが「いんねん」という。
おさしづ 明治23.8.26 補遺
これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。
おさしづ 明治34.5.25
〈神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない。
おさしづ 明治35.10.7
道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない。
おさしづ 明治37.7.15
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずく(尽く)で求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。
又(また)日々稼ぎという、皆(みな)働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩) まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え/給与)あるか、よう思やん(思案)せい。
おさしづ 明治40.4.10 (陰暦2.28)午後五時半
短期間で偉くなっちゃった当時のにわか重鎮達も、本質より金儲けに心を奪われてたんでしょうね。教えに泥を混ぜてでもね。
自国民の臓器売買って、狂った中共人はさておき、国民の健康を疎かにした安倍自民も対中施策(特に入管法)と経済施策(特に消費増税)では、おかしくなっちゃったね。
何を信じていいのやら (T_T)/~~~
神一条は金銭ではいかん、、、本部にとっては都合の悪いご神言です。
本部はこう言うおさしずの言葉をどう見ているのでしょうね。ご神言として今更クローズアップはしたくないでしょう。
お供え激減で欲の心が抑え切れず。そんな神言知らんと目を伏せて通る善亮、、。
背に腹はかえられぬから見て見ぬ振り、知って知らぬふりを通すのでしょうね。信者は馬鹿だと見くびっているのでしょう。
ことさら真実のご神言を知らしめて寝た子を起こす事は無い。ご守護は金、カネ、ゼニ!!これ以外に無い。この方針で行く!!
しつこく繰り返して恐縮ですが、本部月次祭は本部員たちに任せて、拝殿に座る一般信者は自主的に欠席すべきだとは思いませんか?
感染が爆発的になると医療崩壊になるという指摘は重要な指摘なのです。
中国の失敗を日本国内でも繰り返すことになるのです。
天理教上層部は優先的に入院ベッドを憩いの家に確保できるのかもしれませんが、一般人は運命の波に翻弄されるやもしれません。だから日本全国から天理市に集合する(移動する)状況は、感染拡大につながることになると認識すべきです。
政府が移動制限を指示しない現状は、責任をイベント主催者にゆだねているわけだから、天理教としては社会的影響を考慮して、自主的にイベント中止を決断するべきです。大きな団体としての社会的責任を果たしてください。
世界救済を唱える上層部なのだから、今こそお勤めに力を入れると考えるのでしょう。
けっこうですよ、皆さん、本部員の底力をみせてくださいよ。あなたがたがしっかり勤めてくださいよ。
見物人が居なくても、あなたがたがしっかり真剣につとめてくださいよ。
移動することで感染が広がることは、既に明らかになっていることを「知らないふり」でやり過ごそうとしないでください。あなた方の入退出時に、毎月頭をたれている我々信者の犠牲(感染の危機)は必要ないでしょう。事が収まる迄のことなのだから、どうぞ命がけのお勤めで役目を果たしてください。
・・・このような私見をいくら言い立てたところで、洗脳された信者の多くは各教会での月次祭レベルでも、はずすことに(欠席すること)恐怖をもってしまうのです。私は次回の教会祭典日は欠席することを決めたと身内の者に告げたところ、糖尿病を患うハイリスクの身なのに、家庭内のごたごたの解消を願って出席すると言います。その事情は天理教では何年も経過しているが解決しない事情なのですが。
公共交通を乗り継いで時間をかけての参拝なのに、判断する理性が働かないのです。
未来永劫、この状況が続くわけではないのだから、そして一人の判断が周囲に大きな迷惑をかけてしまう(感染)かもしれないのだからこそ、理性的な判断が当然必要だと判らない洗脳状態を人はどのように見るのだろう。
天理教のホームページには下記のお知らせが掲載されている。
信者に周知徹底したい趣旨から、ここにコピペするけれど、まさか、バリ天の人から、文句は出ないだろうね。訴えるとか脅す輩が必ずいるからね。
新型コロナウイルス感染症について 2020年02月21日 (金)
帰参者の皆様へ
新聞・ニュースで既知の通り、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者が多数確認されております。国としては、一人ひとりの咳エチケットや手洗いなどの実施の重要性を訴えています。
咳エチケットとして、マスクの着用を心掛け、マスクがない時にはティッシュやハンカチで口や鼻を覆うようにする。また、帰宅時や調理・食事前に石けんと流水による手洗いをこまめに行い、アルコールで消毒する等が感染症対策として挙げられています。帰参者の皆様におかれましては、咳エチケットや手洗いの励行、感染症予防にお努め頂きますようお願い致します。 信者部公衆衛生課
国が国なら本部も本部。すべて個人の責任落とし込む。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
情けないがこれが国の現状であり、本部の現状。(そんなことは皆さんとっくにご承知の事ですが)
これで感染したら、どのような「おさとし」をたれるのだろうか。
どなたか(万が一にもあっては困るが)感染後に受けた「おさとし」を今後、参考までにご披露ください。
上記、すみません訂正です。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
大きなしてからの ➡ 大きな視点からの
匿名 様
2020年2月22日 11:17 PM
>>新型コロナウイルス感染症について 2020年02月21日 (金)
帰参者の皆様へ
新聞・ニュースで既知の通り、日本国内でも新型コロナウイルスの感染者が多数確認されております。国としては、一人ひとりの咳エチケットや手洗いなどの実施の重要性を訴えています。
咳エチケットとして、マスクの着用を心掛け、マスクがない時にはティッシュやハンカチで口や鼻を覆うようにする。また、帰宅時や調理・食事前に石けんと流水による手洗いをこまめに行い、アルコールで消毒する等が感染症対策として挙げられています。帰参者の皆様におかれましては、咳エチケットや手洗いの励行、感染症予防にお努め頂きますようお願い致します。 信者部公衆衛生課
国が国なら本部も本部。すべて個人の責任落とし込む。
公衆衛生は大きなしてからの方策がとられなければならないだろうに。
情けないがこれが国の現状であり、本部の現状。(そんなことは皆さんとっくにご承知の事ですが)
これで感染したら、どのような「おさとし」をたれるのだろうか。
どなたか(万が一にもあっては困るが)感染後に受けた「おさとし」を今後、参考までにご披露ください。<<
天理時報の記事は、天理教の責任逃れ、言い逃れ以外の何ものでもありません。コロナウィルス感染問題が完全に終息するまで、教会本部の「おつとめ」をはじめとする諸行事は全て中止するべきです。もしも、教会本部に参拝した信者さんがコロナウイルスに感染したら、ハイハイ(肺肺)という素直な心にならないからという馬鹿げた「おさとし」をするのでしょうか? 賢明なる読者の皆さん、こうした教会本部や天理時報の無責任な対応一つをとっても、天理教という宗教(?)が、「我がさえよくば」という超利己的な考え方によって動いているのが、よくわかるはずです。信者の皆さん、こんな宗教(?)に長居は無用です。即刻、離脱しましょう。
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
おさしづは、本席様が出した物ですね。つまり教祖様亡き後の教団に、親神様が出された言葉と言う事ですね。
それだけでも、当時の教団の方針が想像できますよね?
コロナウィルスはすでに、国内に入っています、そのうち一斉に患者が増えるのではないかと予想されるので、個人的には、自主回避、無用に接触を避けて不要な外出を止めると言う選択肢を取るのが正解でしょう。
私の教団でも、神の守護があれば大丈夫とか言う信者個人も見えますが、それは自分の内心に留めて、ウィルスの蔓延を防ぐ現実的対応を求めるべきだと思います。
こう言うのは、自己責任もありますので、当面、参拝自粛の選択肢は正しいと思いますが、お供えを集めたい団体としては、神の守護を持ち出し、自主選択させながら、内心に圧力をかけて来るのでしょうね。
もし発生しても、信者の自主的行動であり、個人の心使いが良く無いから守護が足りないとか、言うなら、公的に存在する宗教団体としては論外でしょうね。
あくまで、想定です。
お供えは、振り込みまたは郵送で、受け取る・・信者は自宅でお勤めせよ? と公式に出しても、世間的には天理教ってお金だねって、言われるのがオチ・・
年会費制なら、参拝は自粛または自己責任で無理せずにって言えるのにね。
いろいろ、個人でも団体でも、そのありようを試されていると、考えるのは、正論の一つかと思います。
政治を見ていても、世の中には理性的に考えるより、感情的にしか考えられない人の方が、多いんでしょうけどねって、思っております。
連投失礼いたします。
日本政府も、ダイヤモンドプリンセス号と言う博打クルーズ船での対応をミスっているのに、おおむね成功していると言い張る。
問題ない、問題ないって、偉い人が言い張ると、問題点の検証と改善を行う事は、偉い人の言った事の否定になるから、検証と改善が出来なくなってしまう。
パンデミックは、いろいろ社会を改善せよと言う神の与える試練だと考えた方が、正論だと思います。
私と同じ信者でも、中国は傲慢で酷い国だから神の罰だとブログに書く人もいて、あんた、それ思い込みだから、間違ってると私はコメントしています。
だったら、この先、日本も手酷いパンデミックにオリンピック中止に追い込まれる。 いや、神の罰で無くても、このまま無反省なら確実にそうなるかもしれません。
天理教においても、いろいろ上がってる声を無視して、抑えつけたままなら、信者離反、教会離脱は、そりゃあ増えるでしょうよ?それが、地球における道理と言う物でしょう。
地球においては、神の思し召しは正論とか道理として作用すると考えた方が正解に近いと思っています。
大霊界も姿は見えないし、見えない理由があるんです、想い、祈りでしか判らない世界です。
地球において、やらねばならぬ行動は、見える事ですから、簡単なんです。
理性で考えて、合理的に行動すれば良いんです。
神の守護は、行動に心で祈る事で現れると感じます。
新型コロナウィルスについて思う時、皆さんが思い起こされるのは、アルベール・カミュの<ペスト>という小説でしょう。カミュはこの小説の中で、ペストが流行したのは神の下した<罰>なのだ、としていたと思っていたのですが、今、この年になって思うと、事はそう簡単なものではないという気もしてきています。
この病気が大流行すれば、ある一帯は<死>に取り囲まれ、老いにも若きにも、死が平等に訪れて来ること、そのために、問われているのは<死>ではなく、むしろ<生>のほうであるのではないか、人間は根本的にどう生きなければならないか、まで猛省しなければならないのではないか、といこと。
これと、おやさまの言われる「病のもとは心から」ということ。
以上、復習しますと、
①新型コロナウィルスは神の下した罰ではないのか、
②これによって、人間は猛省を促され、生き方の根本まで問われている、
③「病のもとは心から」
この三ッつで、今から『三題話し』を作らなければなりません。
結論:これは私の能力を超えているナンモンです。しがって 三題話しはできません。
しかし、稚戯めいていると言われるかもしれませんが、二十歳ころに読んだカミュの<ペスト>の最後の部分が記憶に残っていて、その場面は、すでにペストの大流行は終わっていたのでしたが、カミュはこれを「ペスト菌は活動を休止しているだけであり、今はハンカチの縫い目の縁などにじっと潜伏しているが、やがてまた『人間に反省させる時』が来たら、そのときはいつでも復活する用意はある、というようなことをいていました。
カミュの<ペスト>はもう一度読み直してみたいです。
心の八つのほこりは、お互い様のエゴと支配欲からやって来るのだから、天与の健康を享受して、病まず死なず弱らずが実現されるには、エゴと支配欲に流れるエネルギーを進化生長欲に向けることが不可欠だろう。
より優しい穏やかな陽気な社会を目指して心身共に働かせる事が誠なのではないか?
先ず優しい心になりて来いというたすけ一条のオジバの人事が狂って、宗教を利用して他人を支配搾取してきた、エゴと支配欲の深い人達がリーダーになれば、お地場でさえホコリが積もるばかりだろう。
ホコリのコロナが蔓延る世界からお地場に還ってきても、教祖の様な神通力も暖かい親心も感じない、木枯らしとホコリが舞う、寂しい風景を心情を感じるんですよね。
ところで、講演家の筒井何某の教会はその後どうなっているのかな??
弱者救済か弱者タカリか? 様
2020年2月23日 4:39 PM
今の天理教は、死肉にたかるハイエナやハゲワシと同じです。我が身(教団)が生き残るために、息絶え絶えの末端教会や信者の痩せ細った肉さえあさろうとしているのです。宗教ではありません。八つのホコリにまみれきった団体が、今さら何をあがいているのでしょう? 末路はもう間近です。
崩壊さんは、かなり教団に厳しい気持ちがあるのは、良く判りますけども
書きよう、表現、繰り返しからの印象は、強い執念、怨念すら感じて
崩壊さんと言う人物に対する印象も落ちてしまい、逆にコメントの説得力も落ちるので
その辺は、もうちょっと客観的にプロデュースされた方が、よろしいかと思いますよ。
余計なお世話でしょうが。
印象の良い人の批判と、憎しみばかりの人の批判では、受け取られ方も違いますからね。
天理教教会本部は2月26日の月次祭の参拝客の受け入れを中止することを決定すべきだ。
それくらいの社会的責任を負っていると理解しています。
安全とは、危険を予知して、その危険を未然に防ぐ技術です。これくらいのことが分からなくて何が宗教法人を名乗ることができるのか。今からでも遅くないでしょう。代表役員は学習能力の有無を問われている。
何も起こらなくて良かったでは済まされない問題だと思っています。
本日23日18:30分からの加藤厚労相省臣の記者会見での一部内容です。
「(新型コロナウイルス患者が増加する)スピードと言いますか、角度は、対策によって高くも低くもできるという専門家の方々からいわれております。」
初めて、患者数増加のグラフ(イメージ的なもの)を示して、国民の対応を求めていました。
この時点で、まだ、国民の自覚を促すだけで、国が例えば外出制限をかけるというレベルの考えは持ち合わせていないことが判明したものです。国民生活への影響の大きさを考えての事なのでしょう。
陰性を示したクルーズ船からの下船者に対しても「不要不急の外出は控えてください」程度のお願いなので聞く者に危機感はあまり伝わらないと思います。大臣の言葉には国民からの忖度を求めている感すら受け取った私は過剰反応者なのでしょうか。(笑)
とは言え、患者数が爆発的に増加すると医療機関で対応できなくなる事を防ぐことが重要だということは認識されているからこそ、イメージ的なグラフを示しての説明をしたのでしょう。
問題対応初期からの厚労省の危機感の薄い対応がここまでの感染の広がりを招いたことは誰の目にも明らかな事です。さて、翻って天理教本部の見解は相も変わらずなのでしょうか。
唇~寒し~日本国~天理教~
そして天皇誕生食事会・・・さぶっ・・・・
× 加藤厚労相省臣
〇 加藤厚労省大臣
恥ずかしながらの訂正です。m(__)m
2/23(日) 17:32 東海テレビの報道です。
『名古屋市は23日、市内に住む70代の男女2人が新型コロナウイルスに感染していたと発表しました。
愛知県内で感染が確認されたのは17人目です。
感染が分かったのは、名古屋市に住む70代の男女で、
いずれもハワイ旅行から帰国後に感染が判明した60代の女性が訪れた市内の屋内施設で感染したとみられていてます。2人とも容体は安定しているということです。』
この施設で感染したとみられる10人(愛知県内の感染者は17人)は、たった一人の女性からの感染でした。
夫婦でハワイ旅行から帰国後、夫が感染し入院中のことで、妻は濃厚接触者として自宅待機すべきではなかったかと多くの非難が寄せられているようです。
彼女の活動日・時間がはっきり特定できていることと、複数施設にわたっていることから推測すると、教えている立場の人なのかもしれません。この件は関東圏での報道はまだありません。
「施設」としか報道されていない中、良心的に当該施設からの情報がホームページに掲載されています。
☆ 言うまでもないことですが、「天理教」と置き換えて想像すれば、本部の鈍さにイラつく私の気持ちもご理解いただけるのではないかと思います。
天理教に不信感を募らせて数十年。中山家と本部が非難されることは構いません。けれど万一、感染して死亡するなんてことが起きたら、その家族は嘆くことに。
どうぞすぐに対応策を発表してください。
本部員だけでお勤めをつとめると決めてください。
参拝は遠慮するようにと布告を出してください。
各家庭で祈ればよいだけの事。
それができないのは、お賽銭が集まる機会が消えてしまうから決断できないのですかね。
バカみたい。いえ、馬鹿なのでしょう。
・・・・・・・・・・・・
《お客さまへのお知らせ》
・・・・・・・・・・・・
2月16日(日)、名古屋市熱田区保健センターからの連絡により、
新型コロナウイルスに感染した方が、当ショッピングセンター
2階「イオンスポーツクラブ3FIT」を利用されていたことが分かりました。
この連絡を受け、改めて衛生管理を徹底するため、
「イオンスポーツクラブ3FIT」は2月20日(木)から当面の間、休館いたします。
今後の営業等につきましては決定次第ご連絡いたします。
同時刻にご利用された会員さまには、イオンスポーツクラブより個別にご連絡させていただきます。
【新型コロナウイルス感染症に感染した方が施設利用した時間】
2月9日(日) 午前10:40~午後12:40
2月10日(月)午前10:05~午後1:10
2月12日(水)午前9:10~午前11:10
2月15日(土)午後1:50~午後6:10
2月16日(日)午前11:30~午後4:30
ご迷惑ご心配をおかけし誠に申し訳ございません。
イオンタウン熱田千年館内についても清掃・消毒を強化しております。
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グリーンスポーツクラブ 会員の皆様へお知らせ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2月19日(水)の深夜、保健センターからの連絡により新型コロナウイルス感染症で陽性反応の方が出た方が当施設を利用していた事がわかりました。その方のご利用時刻は13日(木)昼12:00頃からとの事です。
この連絡を受け2月20日(木)と2月21日(金)に臨時休業とし、保健所の方と連携を取り清掃消毒を行います。
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スポーツクラブ アクトスwill名古屋みなと
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日頃、スポーツクラブアクトスWill名古屋みなと店をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
この度、港保健センターからの連絡により、新型コロナウイルス感染症に感染した方が下記の日時に当施設を利用していたことがわかりました。
当該日時以外のご利用のお客様は感染の可能性はほぼございませんが、皆様に安心してご利用いただくため2月21日(金)、22日(土)に臨時休業し港保健センターの指導の下、施設内の清掃消毒作業を行います。その後におきましても港保健センターの指導のもと、適切に対処してまいります。
また、上記時刻にご利用されていました会員様の中で2月29日(土)までに次の症状がある方は、お住まいの市区町村の保健所、保険センター及び帰国者・接触者相談センターに至急ご連絡ください。
■新型コロナウイルス感染症に感染した方が当施設を利用した日時
2月14日(金) 午前10:30~12:00
2月15日(土) 午前10:00~12:15
コロナウイルス感染はもう既に初期段階では無いと専門家の話です。政府は国の経済活動への影響を考えてまだ初期段階だと小さめな認識を示していますが。20代の若い女性が呼吸器を要する重篤状態に陥っているそうです。小学校などの教育機関にも蔓延の兆しが見えています。専門家の話では今はもう既に拡大期で爆発的蔓延を今の段階で何としても抑えておきたいそうですね。
翻って人を助ける天理教。「言うべき事は言った、後はお前らの責任やで」と言わんばかりの当たり障りの無い無責任な対応です。70代80代の重症化率は格段に高くいと言われ高齢信者で何とかよろよろ立っている天理教は彼らこそ大事な存在じゃないですかね。
人を助ける天理教、、世間に向けて彼らはこう言っております。しかしやっている事は多くの皆様の批判にさらされる様な薄っぺらい対応しかしない。
命が大事、高齢者は自宅にてお祈りせよ。となぜ言えないのか、、
今後、本部三殿を防護服を着て消毒液を振りまいている情景はあり得る話です。
そこまで行ったら天理教看板の名折れだろうに。
教団トップに良心と言うものが無いと言う事実が良く分かった。
どこまでも偽物の匂いがしてきますね。
参考にならない意見
2020年2月23日 5:52 PM
>>崩壊さんは、かなり教団に厳しい気持ちがあるのは、良く判りますけども
書きよう、表現、繰り返しからの印象は、強い執念、怨念すら感じて
崩壊さんと言う人物に対する印象も落ちてしまい、逆にコメントの説得力も落ちるので
その辺は、もうちょっと客観的にプロデュースされた方が、よろしいかと思いますよ。
余計なお世話でしょうが。
印象の良い人の批判と、憎しみばかりの人の批判では、受け取られ方も違いますからね。<<
ご忠告ありがとうございます。確かにおっしゃる通りだと思いますが、この掲示板に投稿する人達は、天理教に対する、様々な思いや体験を胸に投稿されていると思います。私もその一人です。私の表現方法や言い回しは、読む人それぞれにとって、色々な印象を与えていることは十分、承知しております。私は、「印象の良い人」というイメージを読者の皆さんに抱いてもらいたいとの意図で投稿しているのではありません。また、プロデュース(作文・脚色)している訳ではありません。私は自分の思いのたけを単刀直入に投稿させていただいております。日本の新聞社や放送局でさえ、同じニュースや社会問題の伝え方一つでも会社が違えば論調や表現方法に違いがあります。前述のように、天理教に対する考え方は人それぞれ違いますので、投稿内容に差異があるのは、当然のことだと思います。私は天理教に対して私なりのスタンスで投稿をさせていただいていますが、「表現の自由、言論の自由」は日本国憲法第21条でも保障されています。私の投稿内容に干渉されるのも結構かと存じますが、まず、ご自分の投稿内容を検証されてはいかがでしょうか?
この度の新型コロナウイルスによる肺炎に対するコメントは知事クラスの方々がされていることを見ても、非常に重大なこととして捉えられていることが分かります。
如何に感染の拡大を防ぐかに腐心して居られる姿が見えてきます。それに比べて天理教は何とのんびりしていることか。少なくとも、表さんか、内さんクラスがコメントを発してもおかしくない状況じゃないんですか。
最大の問題点は、不特定多数の人々に迷惑をかける結果になるという視点が欠けていることです。本部に参拝した人だけに問題が発生するんじゃなくて、心理的な不安感が醸成され拡散される恐れがあることが問題なのであって、自分たちだけの問題じゃないということです。
どうしても参拝を容認されるのであれば、本部のあらゆるところにアルコール消毒液を配置し、全ての人にマスクを配って装着を義務付けることです。近くの小さな食品スーパーですら入り口にアルコール消毒液が置いてありますよ。
何を言っても聞き入れない教団の体質を見れば、云う方がバカバカしくなってきますが、多くの信者さんに言いたいことは、これを機に天理教から離れる絶好のチャンスだととらえているんです。
まさか、天理教を信仰していれば新型コロナウイルスによる肺炎には罹らないとでも思っておられるのだろうか。
東風Z 様
2020年2月24日 2:09 PM
>>何を言っても聞き入れない教団の体質を見れば、云う方がバカバカしくなってきますが、多くの信者さんに言いたいことは、これを機に天理教から離れる絶好のチャンスだととらえているんです。
まさか、天理教を信仰していれば新型コロナウイルスによる肺炎には罹らないとでも思っておられるのだろうか。<<
まったくその通りだと思います。教会本部に参拝すれば、親神様の御守護により新型コロナウィルスに感染しないとでも考えているのでしょうか? もし何事も無く、月次祭が終了すれば、結果オーライで、「親神様の御守護のお陰で」というように天理教独特の「こじつけ」をするのでしょうか? しかし、感染症だけに、参拝者が家に帰られる途上、あるいは、家に帰られてから2次感染、3次感染、4次感染が、あたかも「将棋だおし」のように引き起こされる危険性もあります。教会本部はそこまで考えているのでしょうか?
これ迄政府の意向を汲んだかのような発言をしていた元WHO関係者が、今日24日になってようやく発言を変えてきた。
「このウイルスは手強い」・・・・アリバイつくりの発言か?一般人を馬鹿にしている。
爆発的感染の元となった韓国の教会での参拝方法・状況を指して、感染リスクが高いと説明。
腕を差し伸べれば隣の人の体に届くほどのスペース。
長時間の会話。(お祈り)
飲食を共にする席。
・・・・これは天理教と全く同じ条件。
天理教本部は発病は個人の責任に落とし込むつもりなのだろう。心つかいで積んだホコリの結果だとか因縁だとか。感染の機会を放置することは、場合によっては殺人に至る道を放置したことになるのだが、信仰者の心はそれでも痛まないのだろうか。
お賽銭箱に投げ込まれる「お金」の取れ高を気にするあまり、参拝中止の決断ができないのだろう。
万が一にも信者が感染しても、その行動歴を天理教参拝と告白しなければ隠しおおせるからと、教団への帰属意識の高さに期待しているのか。
ところで教会によって感染防止の対応策に違いもでているようだ。
ある分教会はちゃんとアルコール系手指消毒薬を玄関に設置している。
その上級大教会は玄関は勿論、トイレにも設置。
ところが、ある大教会は全く用意なし。勿論トイレにもなし。
でも、多分大教会長宅には用意してあるのだろうと邪推したくなる。なにせ自分たち一家が一番大切な人たちなのだから。信者のことなんてイベントの頭数にしか見ていない。多くの人が不満に感じているが、何しろ信者の方が格段と悟りが深いから、たわごとは聞き流すことで信仰を続けてる。
全くバカバカしい限りだ。
24日になっても動かない本部。
もう、やる気が無いのだろう。やはり何を言ってもダメな中山家と本部なのだね。
須藤花井さんの予言にあった「黒門の前に死人がかさなり、各家は戸を立ててひっそりする(意訳)」は1年ほど前のことかと思っていたが、この新型コロナウイルス蔓延を予言していたのだろうか。そういえば黒門撤去をした時はこの予言を思い出して笑ってしまった。
コロナウイルスで宗教団体の集会も禁止すべき事態です。天理教も月次際をコロナが終わるまで中止すべきです。全国から集まり全国に散らばる この行動そのものがウイルスを蔓延させる元となります。
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55924820R20C20A2PPD000/
以前、このサイトで知った「昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)」ですが、最近の事象に通ずる内容があったので再度紹介します。
・・・(中略)
(②) 病気の原因となった埃、即ち物欲を除去することによって救われるという教理でありながら、その物欲の結晶たる物質を献納せよ、その交換条件として疾病が救治されると言う矛盾、そしてここに悲しむべき生活資力の放棄と私経済の破壊が起こる。
(③) 医療の功を認めず、これを否定し、療病の唯一絶対の方法を「たんのう」に求める結果、無知から起こる不自然な生活をなさしめる。安静を必要とする結核や腎臓病に日の寄進なる奉仕労働を強い、食生活を無視させる等治療の目的に逆行せしめる。現に丹波市町は日本一の確率の結核死亡率を示している。これは、奈良県衛生深砂川技師が統計の上で発表した。阪大教授今村荒男博士は、日本一とは世界一の死亡率であり、迷信禍宗教悪の恐るべきを指摘し、これを学界及び大衆に発表して天理教本部の猛省を求めた。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
この資料には、私が子供の頃よく聞かされた身上諭しについても多く記載されていて、そのトンデモなさに今読むと笑ってしまいます。八つの埃を全て揃えるとライ病とは・・・。
しかし昭和11年の時点で既に、天理教という組織について、特に搾取の手口に関してなど、かなり正確で客観的な調査・分析がなされているものだと感心しました。
それにしても結核死亡率が日本一なんて不名誉な記録を作ったものです。もしも天理市を爆心地として感染爆発でもあった日には、地下鉄サリン事件よりも大きな人的被害を出した宗教として歴史に名を遺すことになるのかもしれません。
天理教幹部は月次祭他諸行事を強行しウイルス感染拡大の一翼を担うのですか?
人助け、世界助けを語るなら、国民のこれ以上の不幸を食い止める行為は諸行事の中止です。拡大原因を作る機会を一つでも多く持たない事。誠実で賢明な決断をし、いち早く率先して行動に移す、人助けのイロハのいの字だと思います。
申し訳無いが天理に参拝する人だけ感染しないとお思いですか?天理に今居る神は、残念立腹の神なんですよ。今の本部はご守護なんていただける環境にないんですよ。
今自粛しないと大変な事になる、と医療従事者の警告が日に日に熱を帯びているのだが。善亮、大亮の脳みそは今何を思考してるんでしょう?真柱は口がきけないのか?真柱は身体は不自由だが思考は出来てるんでしょうに。トップとしての責任感と言うものはないのか?子を思う親心は無いのか。本部の無責任で感染拡大を手助けし、肺炎を起こしバタバタ死んで行く、、。まことに本部の考えは殺人助長とも言えるのではないか。
>「黒門の前に死人がかさなり、各家は戸を立ててひっそりする」
これは須藤花井さんの預言ではなく おや様が存命中に周囲の人に話していたようです。
私の母親は、所属の教会の初代会長から聞いたようです。
私は、小学4年か5年頃に母親から聞きました。
この話について須藤さんに質問したら これは第三次世界大戦の様子だ説明してくれました。
以前 海外よりさんが ほぼ同じ内容の話を母親から聞いたと投稿されていました。
平成8年に須藤さんは以下の様な事を話してくれました。
「あのな 5月になったらな 天理にお参りに来る者はおらんようになるからな」
この話は、複数の人が須藤さんから直接聞いているようです。
天理在住の知人も聞いており、昨年までは3月から4月頃 朝鮮半島で再び戦争でも始まるのかなと話していましたが、先月下旬に知人から「もしかしたらコロナウイルスの影響で5月頃になったら参拝者が来なくなるのかも?」と話がありました。
全く関係ないかもしれませんが・・・?
匿名 様
2020年2月25日 9:17 AM
>>天理教幹部は月次祭他諸行事を強行しウイルス感染拡大の一翼を担うのですか?
人助け、世界助けを語るなら、国民のこれ以上の不幸を食い止める行為は諸行事の中止です。拡大原因を作る機会を一つでも多く持たない事。誠実で賢明な決断をし、いち早く率先して行動に移す、人助けのイロハのいの字だと思います。<<
人助けのイロハのいの字すら無い教団に何を言っても無駄です。誠実で賢明な決断ができる教団であれば、今日のように衰退はしなかったはずです。信者さん一人一人、我が身を守るのは自分自身です。明日、2月26日、教会本部の月次祭に参拝してコロナウィルスに感染しても、教会本部は「知らぬ存ぜぬ」を決め込むのは目に見えています。信者の皆さん、我が身は我が身で守りましょう。
今、ウイルスは全国に拡がっている。感染者も24日の時点で日本国内だけで145人、死亡者1人、これはクルーズ船で罹患した人を除いての数字だ。先日、クルーズ船から下船した日本人達も、各県の自宅へ帰宅した。その人たちが陰性のままなのかどうか、解らない。
26日、全国16677か所の教会から一斉に会長さんや信者さんらがおぢばに集まって来る。ちょっとした民族大移動だ。おぢばの神殿だけに、感染の危険があるのではない。感染者のいる地域から来る人もいるだろう。また、移動の途中に感染する場合もある。旅の途中で、ウイルス保持者の中国人から感染するかもしれない。そして感染した人たちが何人かいるかもしれない神殿に、祭典、講話を含めて2時間以上密集するのだ。この怖さを、もっと真剣に考えるべきである。
政府は大勢集まるイベントの中止、学校の休校なども勧めている。
本部は、今からでも各大教会に通達し、おぢば参拝は取りやめるように、上級教会から部内に連絡させるべきだ。もう遠方からは出発している人もいるかもしれないが、仕方がない。できるだけのことはすべきだ。もし、本部の人たちが、信者らの感染より、お供えの減ることの方の心配をしているのなら、失望というか、もう言葉が無い。
匿名 様
2020年2月25日 4:36 PM
>>もし、本部の人たちが、信者らの感染より、お供えの減ることの方の心配をしているのなら、失望というか、もう言葉が無い。<<
本部神殿の至る所に置いてある賽銭箱や、大屋根を支える巨大円柱の根元にある賽銭投入口の「これでもかと言わんばかりの数の多さ」を考えれば、毎月の月次祭は教会本部にとって「お供え儲け」の貴重な機会ではないのでしょうか? 本当に参拝者の健康や命を真剣に考えているのであれば、明日の月次祭は中止するはずです。いくら本部神殿が広いと言えども、飛沫感染を防止するためには、人と人の間を最低2メートル空けなければならないということです。
この世で自分の身を守るのは、最後は自分では無いですか?
参考意見様の貼り付けた資料を見たら、戦前から、天理教は感染症の発生などについて、政府から注意を受けてると書いてある。
まず、教団から、参拝中止、自宅にて静穏にしろなんて、言わないでしょう。
まあ、月次祭だからって、今はそんなにおぢばに参集しないもんね、割とガラガラですから、恐れるほどの問題にはならないでしょう、何しろ政府が、感染者数を増やしたく無いから検査も控えてるんだもんね。 潜伏感染者はもう、パンデミック寸前だと予想されていて、国が検査もしないんだから今更、天理教が責任を責められる様な事態にはならないでしょう、それほど今の天理教は社会に影響力を持ってはいない。
とりあえず、自宅で静かにしていたら良いんです、呼び出されたら、風邪で熱っぽいのでご無礼しますって言えば、大丈夫でしょう。
どっちみち教団は何にも責任取らないし、何もケアしないんだから、自分の身は自分で守っても、良いんじゃ無いの?
まあ、最初からそう思える人は、言われなくても、行かないでしょうけどね?
勇んで行く人は、全て自己責任だと、親神様を信じて特攻するしか無いでしょう。
月次祭は中止など考えられず強行したいのだろうけど、驚くことに天理教のHPを見る限り、25日の午後と26日の午後(どちらも13:00~15:00)おやさと講演会まで通常通りの様です。館の東講堂という密室の場所で行うようですが、現在の感染被害の懸念されるこの非常時に講演会に参加する信者などいるのでしょうか?それにしてもせめて講演会くらい中止の決断が出来なかったのでしょうか?感染が起こってしまう恐れの危機感がなったく感じされません。
退職した元信者様、詳細情報をありがとうございました。
私のうろ覚えな記憶が訂正されてありがたく思います。
この度お寄せくださった情報で、なお一層、この預言が身に染みて感じられます。
この社会学板は本部関係者も閲覧しているようなので、おや様のこの言葉を、もう、「知らぬ存ぜぬ」では許されないことになるかもしれません。
おや様の言葉を複数の人が聞いていたという事実、この一点を無視している事だけでも、あってはならない事です。良心が有るのならば、いたずらにネット発言の監視をしている不毛の作業に励んでいないで、肝心かなめの「やるべき事」は何かを考えてください。
人それぞれの受け止め方、考え方が有るから、私見をごり押しすることはしません。
けれど、多くの人の安全を考えるのならば、本部行事は中山家一族と本部関係者でやる、このくらいの気概を示すべきでしょう。
なにせ、「血統正しき御一族様」であり、今日まで信者の皆様から寄せられたお供えで生きてこられた面々なのですから、ここ一番という今こそ、「ご恩返し」行動にとりかかるべきではないでしょうかね。
「御恩報じ」は一般信者だけに向けられる言葉なのですか?
中山家ご一統様は、一般信者様にむけて「御恩報じ」を果たす絶好の機会ですよ。
高額報酬を得ている本部員さん方々、信者さんへの「御恩報じ」のため、準備・実行・撤収まで、下々を使うことなく、あなた方とあなた方の家族を集めて実行して見せてください。
これ迄受けた恩恵は、すべて信者のお供えからいただいてきたのですから家族総出で恩返ししましょう。
無観客試合という決断ができる人たちも存在します。どれほどの興行収入を失うかもしれないのに、ファンの健康安全を優先した大人の決断です。このような立派な決断を天理教に求める事は無理なのでしょうか。
また来月もくる月次祭。4月の婦人会。
思考停止は何も天理教だけではなく日本人の持つ傾向とも言えますが、欲を捨てて、よーーーーーく、考えれば判る事。
いずれ収束するまでの期間限定なのですから、覚悟を決めてやって見せてください。
匿名
2020年2月26日 8:08 AM
住吉大社での土俵入りが新型ウイルス拡大防止のため中止されました。一方、世間知らず中山家が運営する天理教と名乗るカルト宗教は月次際と言われる月1の祭典を中止にはしないのでしょうか?
天理教では最近「金のつなぎは命のつなぎ」と言う狭義が盛り込まれたので金を繋がないと新型ウイルスにかかるとでも言うのでしょうか?
日本の新興宗教である幸福の科学では、「感染撃退祈願」と銘打って奉納目安1万円と言っています。やはり天理教も他の新興カルト宗教となんら変わりない証拠ですね。
コロナも 天理教の異端で中枢部に規制している中山カルトの本性暴く為に神の思し召しなのでしょうかね。成ってくるのが天の理 ですものね!善亮さんwww
大相撲 住吉大社での横綱土俵入り中止 新型ウイルス拡大防止
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200226/k10012302061000.html
各地の青年会では、新型コロナ流行の世間の対応を見た上でも、行事や総会を執り行う所が多々あるようです。
学生会行事や少年会のおつとめまなびは軒並み中止を決めています。
婦人会と青年会は止まれない列車の様な状態なんですかね?
月次祭やめたほうが良いですよね。教団の収入の多くは老人の年金だっと聞きます。コロナで死ぬ方のほとんどが老人です。早かれ遅かれまた一段と収入は落ちます。これは神様の異端討伐の御守護ですね。
うちの大教会は婦人会110周年記念祭に向けて広く信者にお供えの要請をしています。下から下から順番に大教会へ。その金は当然本部に上がっていきます。本部は全国の大教会から莫大な記念祭のお供えを貰う流れになっている筈です。婦人会記念祭を中止したらそのお供えを受け取る筋道が宙に浮くから中止に躊躇しているのか?
記念祭やらなかったじゃないか、金だけ受け取るのか?って言われたくない。
人の命は軽んずるがお金は一番の関心事。もう見え見えな感じです。
中山家はいつまで天理教のふりをしているのですか?大亮に変わる際に善亮大亮アホ親子教団にでも改名して良いので早く出て行ってください。出て行かないから事情身上ばかり起きてる事に気がつかない宗教指導者とかただの笑いものです。
昨日の神殿は本当にすきすきでした。祭文奏上の頃でもすーっとかんろだいの一番前までいけました。
結果が分かるのは三日後くらいですが天理教から一人でもコロナが発生すれば修養科、講習も中止となるだろうしそれより世間様からひどくたたかれるだろうなと思います。
中山家だけでなく大教会をはじめ今の組織では末端の教会に生まれたものは何もモチベーションがなく
根性論では到底やっていけないだろうなと思います。
いくら、親神様と教祖が信仰の対象であり組織がどうであろうが関係ないと言われてもです。
新型コロナは神の警笛であり、日本をはじめ天理教が試されているんだろうなと思います。
中山家のことは死の扉にもありますようにあの頃から狂っているんだろうなと思います。
死の扉の前での最後から10頁前ぐらいから糖尿病の2代さんの話がでてきますが、あれから60年、70年たっているのに今の天理教と全く同じような状況が書かれています。
情けないどのよに思案したとても人をたすける心ないので
信仰家ではなく信仰ビジネスと化した教会長のすがたもかかれています。現代と全く一緒です。
まず、あり得ないことだと承知しながら馬鹿な質問を敢えて投稿しますが、教会本部は月次祭はしても、コロナ撲滅の「お願いつとめ」はしないのでしょうか?
崩壊 様
> コロナ撲滅の「お願いつとめ」はしないのでしょうか?
実は、私も ↑ そう思っていました。
集団で「お願い勤め」をすると、その思いは天に届くのではないか。
でも、いかんせん、「人を助けるこころがない」
じゃあ、というので、せめて形だけでもお願い勤めをすれば、カッコウがつき、世間に顔向けもできそうなものだが・・と思うんですが、これもダメ。災いが我が身に降りかかってこないうちは、動こうという気配はない。
「お願い勤め?・・へっ!!バカバカしい。こんなものやったって、何のキキメがある?」
まさか、そう思っているんじゃないか、と疑ってしまう。
違うっつ~の!、<誰がために鐘(警鐘の鐘)は鳴る>だ。新型ウィルスの、この警鐘の鐘は、あんたのところにもいくかもしれないんだ。あんたのために鐘は鳴っているのだ。
>>「お願い勤め?・・へっ!!バカバカしい。こんなものやったって、何のキキメがある?」<<
それが、教会本部の本心でしょう。お勤めは人たすけの為にあるのではなく、金儲けの為にあるのですから。
うちの教会の次男坊は天理大学の授業で、布教部の先生による「おさづけ」を見学したそうです。末期がんで七転八倒していた患者が、見る間に静まって眠りについたと話していましたが、これが「憩の家」で行われたのであれば多分にヤラセ臭いような気がします。
上田ナライトを排除して中山たまえが渡すようになった「おさづけ」も真柱の病気によって効果のないパチモンと証明されたようなもの。このうえ「願いつとめ」なんぞやれば、さらに効果のないパチモンと証明してしまうだけだと、本部はよく承知しているのだと思います。
哀しいかな。天理教教団本部に人を助ける心無いので、、。
3流、4流の宗教団体と呼ばせて貰おうと思いましたが、ランクをつけようも無い。
つまり宗教団体とは呼べない本当のパチモンだった事が今回の対応を見て判明したと思う。
今回の月次祭強行も腹の底は見え見えです。
崩壊様が言っておられますがもう一度私めも言わせていただきます。
「本部月次祭のお勤めは人助けの為にあるのでは無く我々の金儲けのためにあるのだ。命の繋ぎは金だと言っておるだろうが。月次祭に来て音のしない紙の賽銭を落として命を繋げ!わしらは信者がコロナに感染しようが、拡散しようが知った事じゃ無い。次の婦人会総会も金儲けの旬だ。強行するで。」
それにしても真柱は発言権は無いのか?あれは単に飾りか?
善亮の胸の内を代弁させて頂きました。
このような資料も見られるとは良い時代になったものだと思います。あと半世紀早くインターネットが登場していたら、百年祭の悲劇も防ぐことができたかも。
https://donburi.accountant/history/?ds=84875&do=5&cname=%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E5%A0%B4%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
参考意見 2020年2月27日 1:58 PM 様
>うちの教会の次男坊は天理大学の授業で、布教部の先生による「おさづけ」を見学したそうです。末期がんで七転八倒していた患者が、見る間に静まって眠りについたと話していましたが、これが「憩の家」で行われたのであれば多分にヤラセ臭いような気がします。
憩いの家で行われたのであれば、病院の、眠り薬の入った、痛みを緩和する薬が、ちょうど効いてくる頃だったのかもしれませんね。
「本部月次祭のお勤めは人助けの為にあるのでは無く我々の金儲けのためにあるのだ。命の繋ぎは金だと言っておるだろうが。月次祭に来て音のしない紙の賽銭を落として命を繋げ!わしらは信者がコロナに感染しようが、拡散しようが知った事じゃ無い。次の婦人会総会も金儲けの旬だ。強行するで。」
その通りです。音のしない紙の賽銭を投入して命をつなげるのであれば、古新聞紙を紙幣サイズに裁断し、無記名で古封筒に入れて賽銭箱に投入したほうが、コスパ的観点からもベストだと思います。(語弊のある表現かも知れませんが?)天理教の「お供え」とはそれほど意味のない無駄なものです。
匿名 様
2020年2月27日 4:56 PM
>>憩いの家で行われたのであれば、病院の、眠り薬の入った、痛みを緩和する薬が、ちょうど効いてくる頃だったのかもしれませんね。<<
おそらく、医療用モルヒネを投与されて一時的に痛みが緩和しただけのことでしょう。太平洋戦争に従軍された帝国海軍軍人(故人)に聴いた話ですが、船酔いが激しく戦力にならない兵士に軍医がモルヒネを投与し、無理矢理、戦力として酷使していたそうです。
私は単純に、偽の患者を使った演技かと思っていたのですが、そうか!モルヒネという手がありましたね。
もうね、学生会の行事の中止だの、みみっちいこと言っとらんで、
欲に切りない泥水の「今だけ、金だけ、自分だけ」の、
現行天理教団を 『中止』 すればいいのじゃ。 by 親神
全国で興行中止が相次いで居ます。ウイルス蔓延、拡大阻止の為の苦渋の決断です。皆、倒産覚悟、しかし人命には変えられないと言う事での決断です。
天理教も此の期に及んで明らかに金儲けの興行は中止すべきです。何を躊躇してるんでしょう?皆さま言われるように、本部員だけで命がけでお勤めをすべきだと思います。(鳴り物を度々間違うようでは神に祈りは届きませんよ。老婆心ながら、、。)
天気中山教、倒産したって本望じゃないですか。コロナから信者を守り、拡散を防ぎ、間違え、間違え、お勤めをし、多くの人を助けた?訳ですから。
天気→天理の訂正です。
匿名 様
2020年2月28日 8:21 AM
>>天理教も此の期に及んで明らかに金儲けの興行は中止すべきです。何を躊躇してるんでしょう?皆さま言われるように、本部員だけで命がけでお勤めをすべきだと思います。(鳴り物を度々間違うようでは神に祈りは届きませんよ。老婆心ながら、、。) <<
天理教の化けの皮が剥がれた今になって、教会本部もわざわざ金にならない「お願いつとめ」などしないでしょう。「金に結びつかないことは一切しない」それが天理教です。
親神やおみち の本当の意味
天理教は、親神(おやがみ)やおみち 等の言葉を多用しますが、これらの意味を考えると、今現在の中山体制が見えてきます。
単刀直入に言いますと、「金のつなぎは命のつなぎ」で明らかになったのですが、おみち は「中山家に金を運ぶお道」 でしかない。
親神は、これが不思議なことに、みかぐらうた、おふでさき、おさしず の3原典には「神や月日」は出てくるが、親神はほとんど出てこない。むしろないのでは無いでしょうか?つまり、教祖は使っておらず、後の造語となるわけです。はっきりもうしますと、親神自体が嘘となります。
ではその実態は、「金のつなぎは命のつなぎ」を訂正しない中山家の横暴と頭おおかしさから鑑みてみますと、親神とは、中山家をさしている言葉になります。つまり中山家は自らの事を神と思いこんでいるのでしょう。
「そんな馬鹿な!」
とお思いの方も居るでしょうが、甘露台倒壊の事を思い出してみてください。あの当時、後継者大亮の結婚を控え、倒壊の後即修復してしまいました。
善亮も「甘露台が無いとなんともさびしいものです」と神の聖地と思えない私物を失ったかのような発言を残している。
大亮に関しては、自身のツイッターで、NYセンターの社を「カッコイイ!」とそのまま写真を載せています。
これは中山家が何を言い訳しても彼らの行動がそう表している証拠となります。
親神、おみち と銘打って、信者を騙し、今現在も騙している中山家だったという事です。
追伸
今後どうなるのでしょう? このまま居座れば、以前より言われている「中庭宗教裁判」はおこなわれる事は確実でしょう。
親神 おみち の本当の意味
2020年2月28日 7:07 PM
親神と言う言葉おかしいですよね。神の親などと言うと一神教的で日本の宗教ではない。やはりこれも二代真柱がバチカンに影響を受けて改ざんしたのでしょうか、それに親神は中山家と言う観点とても興味深く見させてもらいこれは確信を射ている。中山家の教団の私物化が告げられてきましたがこの疑いを解消するもにも教団を去った方が良いのですが、彼らは教団が私物で我ら中山が親神であると言っているのと同じ状況を作り出しているのですね。だから中田善亮は「金のつなぎは命のつなぎ」等と到底宗教ではありえない言葉を発することが出来たのでしょう。いくら財政が厳しくても、教義の如く信者を誑かしてはいけない。それを訂正もせず今日に至る。しかも新型肺炎で世があれる中も集会を中止しない反社会的集団であるのが現在の天理教です。今月も月次祭と言われる金のつなぎ集会はおこなわれ、それと同時に新型肺炎ウイルスも全国に撒き散らされたに違いありません。これは後に大問題になる出来事になるでしょう。おみちと言う名の誤った道とは正に非行と同じなので、やはり中山体制の教団からは離脱したほうが良いのでしょう。
これまで何度も言ってきたことですが「天理」とか「天の理」という言葉自体が「おふでさき」には無いのですから。「天理王命」という神名も「天理教」という組織も、全て中山・梶本・山澤家を中心とする宗教屋たちが知恵を寄せ合って考え出したもの。
しかし言われてみると、確かに「親神」という言葉も出てきませんね。「親」を強調するようになったのは、おそらく「理の親」という偽教理による、封建的な支配体制の確立が目的だったのでしょう。
その「親」という言葉から、ふと頭に浮かんだ話。
中山家の女中で、善兵衛の妾で、殺人未遂なんぞやらかしたあげく、牛に生まれ変わったという「おかの」。その姿を指して教祖は「あれが、おかのの成れの果ての姿やで。色情をつかって金をとった者の姿や」とお聞かせ下されたとか。
女性が職業を持てなかった時代。16世紀のベネチアほど極端でなくとも、生きるために結婚か職業的娼婦という選択を迫られたような時代に、教祖が女郎を貶めるような発言をしたとも思えないのですが、私が気になるのは次の一言。
「親のため、家のため女郎になった者は、牛馬には堕ちんで。」
つまり親のために女郎になるのはOKだと。天理教では実の親以上に理の親が大事。ならば理の親のため、すなわちお供えのために女郎になるのは、むしろ良いことなのだと。言い換えれば、売春をしてでもお供えをせよ。
・・・と、このように誘導するために作られた話のような気がします。借金してでもなんてサラっと言ってのける輩ですから。実際、お供えのために娘を売ったなんて親もいたそうですし。
天理教では実の親以上に理の親が大事。ならば理の親のため、すなわちお供えのために女郎になるのは、むしろ良いことなのだと。言い換えれば、売春をしてでもお供えをせよ。<<
その昔、天理教偽教理に騙された天理教徒が娘を売ってお供え金を用立てた話は「死の扉の前で」に芹沢先生が書かれていたと思います。
現実には背筋が凍るような話ですが、二代が巡教先で中学生を夜のお伴に所望していたのは有名な話で、天理教は仮面を被った犯罪者集団。今でもお供え金を巡っては恐喝、詐欺まがいの集金手法が取られていて何でもあり、でしょう。
私の知っている会長は古い信者に「太鼓を買うからちょっと貸して」と大金を借り、「返してと言われても後は返さん」と言って笑ってました。貸した方は、いつまでも返して貰えず、「神さまに供えた」と思って泣き寝入りだったそうですが、この会長はこの流れを想定した上での確信犯です。
ダニ以下の会長ですが、大きな顔してました。こんなのがまかり通るのが天理教世界です。
14時のミュージックサイレンが27日から停止しており、
本部としてはもう鳴らさないらしいんですが、
詳しい事情を何かご存知の方いらっしゃいますか?
本部の人達も、ぶっちゃけ2時にいちいち活動停止するのが
めんどくさくなったんでしょうかねぇ 笑
匿名
2020年2月29日 1:17 AM
現在の中山家の人々はぶっちゃけ教祖の事なんてどうでもいいと思ってますからね。「親神は中山であり中山は親神である。」と思っていると言われてももう過言では無いでしょう。当教会の会長さんも修理巡教に来た先生に「善亮さんのせいや!」と言ってあげたそうですw その声は修理巡教の先生で止まってしまってるでしょうが、その先生も何も言い返せなかったと聞きます。もう引き返せない所まできました。今後教団と共に衰退していく淫行2代真柱の血を引く、悪因縁悪党集団中山家を黙って眺め続けると致します。
さんげが足りぬのは悪因縁中山家です。
吹き出た因縁とめど無く、知らぬ存ぜぬ信者と金は離れゆく、縁者側近は善亮を裏切り、善亮のせいで治めるのか まさにこれぞ 金のつなぎは命のつなぎか 見るも無残な悲劇の続く
性欲怪物中山正善の末裔は信者に偉そうに講釈たれる暇があったら早く因縁納消すべきじゃないですか知らないふりをしていてもだめ私の知人でも正善の婚外子の血筋の人が沢山居ます。その人たちらは本家からあしらわれています。その人たちらの怒りも無かったことですか?骨肉の争いは怖いですね。
お金がないからでしょうね。ミュージックサイレン
匿名 様(2020年2月29日)
≫ 私の知人でも正善の婚外子の血筋の人が沢山居ます。
そうなんですか。婚外子という事は認知だけはしているということなのでしょうか。
黒歴史は忘れ去られば無かったことにもなりますから、どなたか知る限りの事実を
記録されてはいかがでしょうか。
子供の頃から教会へ通っていた中、どうも、天理教は「色情因縁」ともいうべき色恋沙汰が多い教団だと見ています。多くの人が集まれば、人も動物も同じく本能があることから、きれいごとを言うなと笑う向きも有るかもしれません。けれど、何十年も天理教の人たちを見ていると、「金のかからない娯楽」としか思っていないような気がしてならないのです。
つまり、「親が親なら・・・」とばかりに。二代真柱を親と呼ぶならばの皮肉ですが。
衰退期に在る天理教はとうの昔から、モラル崩壊から、内部崩壊が進んでいたと、年寄りの観察結果です。
うちの大教会の奥さんは妙に色っぽくて、男性に語り掛ける時はすり寄るように話していますが、女性たちには笑顔をむけるときは少ない(ほとんど見たことが無い)ように感じています。ほんと、すり寄るように身をくねらせて・・・。気持ち悪くゾッとしますが、代々色情因縁の教会だからかとも思えます。(色情因縁などという表現を、あえて使いました。要するに個人の傾向を表しているだけで、天理教の教えを「おちょくって」みただけです。)
・・・・信者に向かって因縁を説くのが通例でしょうが、大教会と言えども「因縁まみれ」の姿は、信仰していても因縁なんて切れない事を証明している訳でしょう。出直しなんてことに惑わされず、今の人生を誠実に生きていく事こそ、人間の務めだと思います。
匿名 様
2020年2月29日 1:17 AM
>>14時のミュージックサイレンが27日から停止しており、
本部としてはもう鳴らさないらしいんですが、
詳しい事情を何かご存知の方いらっしゃいますか?<<
教会本部は教祖崇拝から中山家崇拝へと信者の意識を逸らそうとしているようにも思えます。中山家一局集中体制を作りたいのではないでしょうか。
匿名 様
2020年2月29日 12:26 PM
>>衰退期に在る天理教はとうの昔から、モラル崩壊から、内部崩壊が進んでいたと、年寄りの観察結果です。<<
その通りだと思います。モラル(道徳・倫理)とは人間のあるべき姿、人間の生きる道として、宗教の違いや範疇を超えて存在するものです。宗教とはモラルという次元を超越して、人間をはじめ万物のあるべき姿を説くものだと思います。モラル自体が崩壊している宗教は宗教ではありません。
2時のサイレンですが、Twitter情報では、本日は鳴ったらしいですね。
ならばただの故障とかメンテナンスだったのでしょうか。
教団の衰退は明らかに中山家のせいです。真柱の発する諭達の道一条(教会だけに専念する意味)どおりやっての結果です。末端教会は貧しくお供えのために尽くしてきました。しかし今になってその財政難が本部でも現れただけでわめいてる中田善亮をはじめとする中山家と血族本部には呆れます。出て行けと言う人の言葉がごもっともで、責任を感じているなら中山家一族郎党、教団を後にすべきです。金のつなぎは命のつなぎなどとほのめかし、法人乗っ取り、部内無担任教会の土地を返せとの発言にも本部の馬鹿さすら感じました。無責任な中山家に憤りしか感じません。無能なのは中山家です。この意味を理解できない無能さも持ち合わせているのでしょう。初代真柱は首の身上で死亡、2代真柱は色情因縁で性病で死亡との噂あり、3代真柱は歌ときれいごと、4代は何もせず頭の身上、この様はなんですか?中山家に偉そうに言われたくないですね。これが全国の信者用木の本音です。だれも中山家ありきの教団の復興なんて願ってません。大変な事態になる前に教団を後にされるべきでしょう。
中山家の方針は中山家だけが得する方針だと皆からの文句しかでません。土地返せから、「中山家は本当信者のことなんて考えてないんだ・・・」と皆さんの知れるところになりました。
これほどの悪しき因縁を積んできて、今日になり限界を突破し神の堪忍袋の緒も切れ、神の立腹が続く中、反省の色も一つも無い中山家には神が様々な命の取り方をするのでしょう。
全ては神のかしもの、全てはかりもの。心どおりの神の守護、心一つ自由用。
中山家や教団幹部家に対する神の心どおりの返しも、怖いものですね。
病まず死なず弱らずの天啓者が現れて、現象と心の道の関係「理」を詳しく説き聞かせて頂ける日はいつになったら来るのでしょう。
本来なら、短命や難病や血族が中断する事が少なくなってくる筈のお道の幹部家のひな形が本部で見られる筈ですが、現状は、、、。やっぱり本部人事に根本問題があるのでしょう。
↑
>>やっぱり本部人事に根本問題があるのでしょう。<<
本部人事というより、中山家を筆頭とする教会本部一族郎党が狂っているのです。
新型コロナウイルスの感染拡大が続いている、から始まる時報の「視点」。
表題は、「日々月々のおつとめに心を込めて」である。
誰に向けて言ってるのだろう。時報社は真柱邸、善亮邸、本部員邸に各1000部づつ切り抜きにして送りつけるべきです。
毎月毎月、やる気のない間違いだらけの本部勤め。この表題はそっくり本部にお返しします。「本部は月々のお勤めに心を込めてやれ」
本部員による心を込めないチャランポラン、間違いだらけのお勤めに全国教会長が自教会を留守にしてまでして、祈りを捧げに来ているのです。人に説教垂れる前に本部自らの足元をしっかり見つめ気の緩みを厳に慎み、真柱始め、善亮、大亮、本部員はしっかり本部勤めに心を込めよ。
天理時報はお金を払ってまで読むようなものではないですね。内容はいつも綺麗事ばかりのこの程度で、、。
以下のニュース、天理教の東京の教会長が容疑者との話がTwitter上で語られています。
路上で寝ていた人を轢いてしまうなんて運が悪いと言えば悪いのですが、
飲酒運転が根本的にダメでしょう。
宗教団体幹部がひき逃げか 路上に寝込んだ男性死亡 2020年2月28日 19時12分 テレ朝news
死亡ひき逃げの疑いで宗教団体幹部の男を逮捕です。
仲間と酒を飲んだ後、道路の上で男性は寝込んでしまいました。事件はこの後に起きました。宗教団体幹部の清康雄容疑者(58)は23日、東京・葛飾区で乗用車を運転中に道路に横たわっていた男性(40)をひいて死亡させ、現場から逃走した疑いが持たれています。警視庁によりますと、清容疑者はレンタカー店でアルバイトをしていて、勤務する営業所から別の営業所に車を移す途中でした。取り調べに対して清容疑者は容疑を否認しています。
上記のニュース確認しましたが、どこをどう読めば「飲酒運転」になるのですか?
> 仲間と酒を飲んだ後、道路の上で男性は寝込んでしまいました。
この文の主語は「ひき逃げされた男性」です。したがって、飲酒していたのはひき逃げされた男性です。
ふつう「飲酒運転」というと、車を運転していた人が酒を飲んでいたことをいいますが、ここでは、車を運転していた人は酒を飲んでいません。そう読み取れます。
この文、ヒジョーにややこしいですね。意味不明です。
飲酒運転は読み間違えました。大変申し訳ございませんでした。
このようなごていねいなお詫びをされるほどの問題ではないと思います。私らも、しょっちゅう言葉のミスをいたします。
天理教本芝清分教会(認証番号:6562)
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/houjin/shukyo_houjin/files/0000000614/houjinmeibo291231.pdf
ぶたまん 様
2020年3月1日 9:04 AM
>>ふつう「飲酒運転」というと、車を運転していた人が酒を飲んでいたことをいいますが、ここでは、車を運転していた人は酒を飲んでいません。そう読み取れます。
この文、ヒジョーにややこしいですね。意味不明です。<<
飲酒運転は、社会的にも法的にも許される事案ではありません。しかし、私は警察の摘発を逃れて、飲酒運転をし、あたりまえのように摘発を逃れ、事なきを得た天理教会長や信者さん達を山のように知っています。今となっては、警察も摘発の仕様がありません。
天理教は「おつとめ」終了後、「なおらい」(直会)という慣習があり、アルコールを含む飲食をし、そのまま帰宅される信者さん達が今だに多いようです。この際、警察も各分教会や大教会の祭典日をきっちりと把握し「なおらい」終了後、飲酒検問を要所要所でするべきだと思います。
直会とは、基本は神道の行事ですからね、祭典の後に、みんなでお供え品とお神酒を頂き、会食をするのは、どこの神社でも同じだと思います。
だから、天理教も、歴史の流れで、神道の儀式を踏襲し、因縁とか、南無天理王の命とか、仏教の教えも混ざってる、チャンポン宗教なのです。
純粋に教祖様が説いた、教えと言う、本当のオリジナルな部分というのを、抽出して、さらに磨いて、天理教の根本原理にするとか、新たに霊能者でも集めて、再び(神様)にコンタクトを取って、修正するとかしなければ、まあ・・
今の時代では、もう最後(ダメ)の教えとは言えないですね。
参考にならない意見 様
2020年3月1日 6:32 PM
>>今の時代では、もう最後(ダメ)の教えとは言えないですね。<<
世間の人々が、汗水流して一生懸命働いておられる真っ昼間から、酒を飲み「おさがり」を喰らうこと自体が、そもそも間違っているのです。最後(ダメ)の教えというより、元々、最後(ダメ)な教えなんです。
↑ 訂正
元々、最後(ダメ)な教えなんです。(誤) → 元々、駄目ダメ)な教えなんです。(正)
しつこく何度でも言いたいと思います。
天理教本部の月次祭は日本各地からの(場合によっては他国からも)人の移動が伴う行事で、更なる感染拡大に影響します。
祈りの形態も韓国の新興宗教教会での大規模感染の教会内の状況とよく似ています。身震いするほど似通った状態です。
感染拡大を防ぐには、3月月次祭は真柱一家と天理教本部員とその家族総動員で勤めてください。
勤め人以外の信者の参拝は遠慮するようにと「布告」をだすべきです。
月次祭の勤めはなにも参拝者がいなくともなり立ちます。
心ある信者は各自の家で勤めれば良いのです。
参拝者が天理に来ないと賽銭箱に入るお供えが期待できない事から、こうした決断ができないのです。
お供えをせよ、お供えは命のつなぎなのだからとばかりに号令をかけている天理教団は、欲にまみれてしまった憐れな組織なのです。
憐れでも社会的責任からは逃れられません。社会に存在を許されるためには公益を優先しなくてはなりません。
教服姿でつとめる人と準備のためにその家族が心を込めて働くべきです。恩返しを身をもって示すべきです。
神奈川県には中華街があります。美味しい中華料理が提供されている歴史も長い、日本人に愛されている場なのです。
ここで働く中国の人々は、今年の春節には里帰りをしないよう、帰国を自粛していたそうです。
過去の感染症の広がりの際に、痛い目にあった(風評被害)経験則が生かされたものです。
そして今、中国在住の家族からは「日本は大丈夫なのだろうか?」と心配の声が寄せられているそうです。
政府のぬるい対応を見聞きして、武漢の二の舞になるかもしれないと心配しているのです。
子供への外出規制がかかったということは、とりもなおさず、大人の行動自粛につながるものです。
天理教の場合は「お供え問題」さえ飲み込めれば、欲を捨てる事ができれば決断できる、単純な組織なのですから、今すぐ頭をクリアにして問題解決に臨んでください。
まさかと思いますが、真柱一家と本部員家族一同は、世間を敵に回してでもマネー確保の臨戦態勢をとっているわけではないでしょうね。
目を覚ましてください。
大相撲春場所も無観客で実施すると「観客無し開催」を決断しました。
天理教も本部員だけで賽銭度外視で実施せよと、以前からこの場でどれだけ多くの人達が進言している事か。何の問題も無いんですから。
それでも賽銭収入にこだわるなら、政府にお賽銭損失を計上して損失補てんしてもらえば良いんじゃ無いですか?!
妻蹴り大けがか 高校教員を逮捕
03月01日 12時42分
自宅で妻の顔を蹴り、鼻の骨を折る大けがをさせたとして奈良県にある私立高校の56歳の教員が傷害の疑いで逮捕されました。
逮捕されたのは奈良県内の私立高校の教員で天理市に住む近藤勲容疑者(56)です。
警察によりますと、近藤容疑者は29日午後11時前、自宅のリビングで家事をしていた54歳の妻を両手で押し倒したあと顔を蹴り、鼻の骨を折る大けがをさせたとして傷害の疑いが持たれています。妻から通報を受けて警察官が駆けつけたところ容疑を認めたため、その場で逮捕したということです。調べに対し、「妻の家事のやり方が気に入らず、腹を立ててしまった。申し訳ありません」と供述しているということで、警察が詳しいいきさつを調べています。
神道でも、神社の月次祭の後は、直会はありますし、真昼間です。
まあ日曜日が普通ですけどね、だから、神道と同じだと言ってるだけで
天理教も同じだと、コメントしたのですが、ことさら天理教を否定してる訳ではありません。
そこにかこつけて、なにかと人のコメントから天理教批判を重ねる姿勢を、以前私は
あなたの信頼をそこない、批判の軸が弱くなりますよって、言わせて頂きましたが
その返事は、うるさいなぁ! お前もだ! でしたよね。
だから、あなたには、関わりません。
「結婚式のパレード」の件は驚きましたが、「二代が巡教先で中学生を夜のお伴に所望」にも驚きました。様々な文章を読むと、残念ですが、真実である可能性があるとも思えます。
確かに、江戸時代には、殿様や高僧への「御伽」の話はありましたが、大正や昭和の時代になると流石に、この手の話はスキャンダルとして認識されるようになりました。例えば、浄土真宗の暁烏敏さんなどは愛人がいたのでメディアに激しく攻撃されましたし、「希望社」という教化運動をしていた後藤静香さんは、未成年の女性と関係を持ったことが問題になり、「希望社」は事実上、潰されてしまいました。
しかるに、「二代」さんへの性接待が長年続いたという話がもし事実なら、これは常軌を逸する話です。
教団への異常な献金も大きな問題ですが、これはまだ、「行き過ぎ」という表現をすることは可能です。しかし、性接待は明らかに「間違い」というレベルの話です。特に、「中学生」というのが事実なら、とてもひどい話だと思います。
私は、中学生の時期に性的虐待を受けた女性から相談を受けたことがありますが、精神的なトラウマはもちろん、肉体的にも損傷を受け、妊娠しにくい体になったと医者に言われたと言います。もし、未成年の女性に対して、そういうことが組織的に行われていたとしたら、ひどい間違いだと思います。
というか、本来、正しい信仰を持つ人間なら、「それはおかしい」というべきだと思います。そのような悪弊が続いた事を、天理教のためにも惜しむものです。
門外漢
2020年3月2日 4:07 AM
二代真柱の淫乱ぶりは色情因縁でまとめられない断罪されるべき行為です。それを中山家、本部員が容認しているなら天理教はカルト宗教どころかSEXカルト教団となりカルトでも最も悪質な信仰カルト集団に該当します。いくら中山家や本部員でもこの件はこの事実否認は出来ない。実際中山正善の婚外子の方は多数健在です。中山家体制の血族と本部員は引責し総辞任すべき事案です。中山正善はじめ中山家の人間は宗教を利用した性犯罪集団と言っても過言ではないでしょう。
近親相姦 淫乱 婚外子 天理教の御守護 ようきぐらし は性的快楽なのでしょうか?皮肉にも笑えない人間ともいえない輩が意気揚々と何も無かったように営み続けた。その報いが今罪深き血族に現れたのでしょう。神さまは見てらっしゃいますね。
ネット上には、いろんな方が見えます
統合失調症を患い、一旦敵だと思い込むと、執拗に絡んで、相手がネット上から消えるまで攻撃し続ける人も見えます。
この人はやばい!・・・そう言うのは見てる人は客観的に判りますが、本人は冷静さを欠いており、判っておられないので、執拗に書きこんでいたりします。
それを、注意しよう物なら、お前こそ!と逆切れされる事もあり、今度は自分が攻撃対象になったりするから、やばい!と感じたら触らないのが一番です。
まあ、そう言う人は、5chに多いですね。
そこまで酷くなくても、ちょっと病的かもなって人も、見えますので、まあ静かに触らないのが一番でしょう。
二代さんの中学生っていうのは、時代的には、戦前の女学生なら、今の高校生くらい?かなとも思いますが、本当なら、それも精神異常者レベルですね・・怖い怖い
私はまだ小学生でしたが、教会長だった祖母と父が声を潜めて悩ましげに話しているのを覚えています。その後、誰になったん?と白羽の矢の当たったのが誰になったか詮索していた様子も覚えています。何か困り事の話をしているなあ、とその時の戸惑いの空気感を今だに覚えています。うちの子はまだ小学生だから、、と父は取り敢えずホッとしていたと思います。
しかし、怒るとか憤慨するとか言うのでは無くどうしよう、どうしよう、、と言う雰囲気でしたね。何とか探さないといけない、とにかく何とかしないといけない、と言う、、
子供の私は 祖母達が悩ましげにしていた真柱の御伽の相談を「おとぎ話」の話として子供らしくトンチンカンに受け止めていましたが。
性接待の準備をし、巡教となれば客間まで新築し、理不尽なお金は信者、教会から搾り取った。末端教会だった我が家は、上級、上上級の度重なる普請に父親が悲鳴をあげていたのを思い出します。客間を一棟新築したのは真柱の一泊の為だったと知ったのは最近の事です。家族の苦悩と悲鳴の原因を作っていたのはこの建物か!と何部屋も有る天井の高い豪華な造りの施設を見て、天理教と言う組織に底知れぬ無念と絶望感を持ちました。真柱の巡教一泊の為だけの分厚い手順書も今だに残されていますが、部内一同、誰がおしぼりを渡すだの、ご案内は誰がするだの、分刻みのスケジュールを一から十まで書かれていました。馬鹿馬鹿しくも、一冊の本の様な分厚い仕様でした。私もすっかり高齢者と言う大人になり、上級から問答無用で渡されたのであろう両親の遺した大真面目な書類の山を見て、当時の大人達は何て事をしていたんだろう、馬鹿馬鹿しい限りだなあと、、。抵抗出来ない立場にあった両親達の経験した過ぎ去った過去の時間に思いをはせると、無念の一言。遺影を見上げて語りかけるのですが、可哀想で言葉も出なかった思い出ですね。
天理教団は人を救う団体では無かったですね。どれたけの罪深い行為を重ねて来たかを、しっかり見つめるべきで、もう消えて無くなるべきですね。もう結構です。
今回本部はお願い勤めをするとか言ってますが綺麗事はけっこうです。パーフォマンスはいりません。腹にヘドロを抱えた人間が幾らやっても時間の無駄でしょう。神は見抜き見通し。見ていますよ。
門外漢 様
2020年3月2日 4:07 AM
>>教団への異常な献金も大きな問題ですが、これはまだ、「行き過ぎ」という表現をすることは可能です。しかし、性接待は明らかに「間違い」というレベルの話です。特に、「中学生」というのが事実なら、とてもひどい話だと思います。<<
性接待、特に「中学生」が関与していれば、これは「間違い」というレベルではなく「犯罪」だと思います。
曽祖父母の代からの天理教に終止符を打ったものとして、天理教に対しては執拗に絡んでいる一人かもしれません。そのような心境に至った数々の苦い経験を語って、このような苦い思いをする人が一人でも出ないようにとの思いで投稿し続けています。
この場に書けない出来事も経験しているのです。絡まり取られると想像されている方も、想像を絶する苦い経験をされた方ではないかと想像しているのです。
天理教内で平々凡々と暮らしてきた人たちとは比較にならない地獄を見てき者の意見です。
フランスは5000人 スイスは1000人以上の集会禁止となりました 詰所も受け入れ禁止の所がでてきました 修養科は神様が助けてくださるところだから休校にしないらしい オカルトであり根性論です!
東風Z 様
2020年3月2日 9:05 AM
>>曽祖父母の代からの天理教に終止符を打ったものとして、天理教に対しては執拗に絡んでいる一人かもしれません。そのような心境に至った数々の苦い経験を語って、このような苦い思いをする人が一人でも出ないようにとの思いで投稿し続けています。
この場に書けない出来事も経験しているのです。絡まり取られると想像されている方も、想像を絶する苦い経験をされた方ではないかと想像しているのです。
天理教内で平々凡々と暮らしてきた人たちとは比較にならない地獄を見てき者の意見です。<<
私もその一人です。天理教の被害者をこれ以上出したくないという思いで投稿しています。読者の皆さん方は、私の投稿について、どのような印象をもたれ、どのような感想をもたれているのか全員の方々のご意見を聴くことは、掲示板という特性上、不可能だと思いますが、私の意図するところ、本意は冒頭の通りです。
色情因縁>
ウチの会長、赤や紫色にラメ入りのパンティはいてた。50才をとうに過ぎてるけど。何か?
理の親だってさ。馬鹿!
もしも教会へ参拝した後、感染してしまったらどうしますか?
行動確認として立ち寄り先を尋ねられます。
正直に教会所在地を申告しないでいたら、消毒ができません。
多くの方々に迷惑が掛かってしまいますから、正直に話すしかないでしょう。
消毒作業をテレビなどで見ますと全ての屋内設備に噴霧しています。
神様の上段だって噴霧されますよ。
本部であればかんろ台なんて造作物もその対象になります。
天理市保健所がどの程度の危機感を持っているのか知る由も有りませんが、万一の時は天理教からも人手を借りる事ができるからと思っているのでしょうか。それだけの数の防護服一式をそろえる事ができますか。
何しろ広大な境内地と詰所群。毎日二回のおつとめには学生生徒も参拝しますから、天理市内は人の移動は日常的にあります。天理高校二部の学校長名の保護者へのコロナウイルス感染に関するお知らせによれば、二部の生徒は不特定多数の人との接触は少ないそうです。認識の違いと感じます。
表統領と大亮さんの力で新型コロナウイルスに対するバリヤーを張ってくれるのでしょう。
そのバリヤーの中には一般参拝者も囲い込んでくれるのでしょうか。
何しろ都会では疑わしい症状の患者でも検査をしていただけない状況がずっと続いています。
天理では憩いの家があるから安心なのですか。
しつこく投稿しているので精神疾患の人のように言われてしまいました。
天理教では正論を吐くと精神疾患扱いになって口をふさがれる例は身近にも有りました。
「あの人のいう事はおかしい。」と信用を失わせることが狙いです。
では天理教を止めてしまえばいいのでは?それもありです。
けれど神様がいる事を実感し、経験しているからこそ、胸を張って言える事もあるのです。
わが身が可愛かったら口出ししないのが一番安全な組織です。
しかしこれほど世界がネットワークで結ばれる今、たとえ天理教の偉い人たちやその周辺の人たちが、「ネットに影響されるな」と言ったところで、中国の若い人たちと同じく、「私たちは判っています。馬鹿ではありません。」と発言するでしょう。
明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。
匿名 様
2020年3月2日 12:08 PM
>>明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。<<
やっと重い腰を上げたんですね。私が得ている教会本部からの情報では、2月27日現在、教会本部は「おねがいつとめ」は、月次祭の趣旨と被るので実施しないとのことだったのですが、各方面より問い合わせが相継いだために、やむなく「おねがいつとめ」をすることになったのでしょう。体裁を繕うだけの意味のないことのように思えます。
江戸時代の遊郭における遊女のデビューは、およそ15、16歳の頃でしたが、初潮が早ければ12、13歳でも「水揚げ」という儀式を行い客をとるようになったそうです。水揚げを行うのは40歳以上で常連の上位客だったとか。江戸ことばでは処女との性交を「新鉢を割る」と言ったそうで、そうした場面が艶本に多かったことから、多くの男性が憧れたようです。そのような願望が二代目真柱にもあったとしても不思議ではないでしょう。
二代目真柱の巡教の際、ずばり中学生を用意せよとは言わなかったかもしれません。しかし神のごとき存在である真柱の姓接待に、職業的娼婦など使うわけはなく、素人であっても確実に処女であることが求められるならば、そのような年齢の少女、だいたい中学生ということに帰結していったのではないでしょうか。児童福祉法など整備されていなかった時代でもあり、なかには名誉なこととして喜んで娘を差し出した親もいたかもしれません。また極度の貧困ゆえの悲劇ということも考えられると思います。人から聞いた話ですが、自爆テロを行った者の遺族は、その組織から一生困らないほどの金を貰えるのだとか。
常に新鮮なもの、高級なもの、希少な物が欲しい。
逸話編七「真心の御供」において、おすそ分けの餅には目もくれず、出来立ての最も良いところの餅を喜ぶ教祖の姿は、こうした二代目真柱の心理の表れのような気がします。そうなると逸話編八九「食べ残しの甘酒」に出てくる古くなった甘酒なんて、熟練した職業的娼婦を意味しているのでは?
二代真柱のこう言った有り得ない逸話を知らない若い人達は多いと思う。威勢ばかり良くて、意味の無いイベントなどに燃え上がり、若い大亮などにカリスマ性を求めておかしくなっている若者層に、過去の指導者?がどう言う事をして来たか、きちんと知らせ、目を覚まして欲しいものです。
未来有る若者が大事な人生を棒に振るのは過去の人達だけ十分です。
直属やら支部から連絡があり明日のお願いづとめに合わせて教会で祈念しろとの事。
つとめで拡散阻止できるなら簡単だ。拝み祈祷の如きなら。
感染拡大を阻止するのは「集会するな!」なので神頼みする事ではない事を理解できない本部中山家はこれこそ病人の所業です。何かしらの知的障害を疑わざるおえませんね。
2020年3月2日 1:58 PMの匿名 様
知っていても、知らんぷりをしているのか。あるいは、洗脳されているから、まさか嘘だろうと思い込んでいるのか。どちらにしても罪は重いです。本当のことを知ろうとしない、上から言われたことを鵜呑みにする態度。
これが一番危険です。少しの疑問点に対しても、納得させることが出来なければ宗教としては失格です。
私の叔母は、それこそクソが付くほどの真面目で熱心な信者でしたが、二代さんの淫行には寛大でしたから、話のつじつまが合いませんでした。
目を覚ますのは難しいですね。
続投御免なさい。
叔母が曰く、真柱さんも男だからねぇー、では本当に済まされないでしょう。洗脳とはこのことです。
幸福の科学の祈祷と同じようなことを始めたのですね。
東日本大震災の時もおつとめしてましたね。
毎日したらいいのに
新型コロナウィルスの拡大防止、早期終息を願ってのお願いづとめですが、おやさまは、確実に、我々皆に、このお勤めをすることを願っておられます。(←これ、どこから聞いたんだ、とは言わないでください)
おやさまは望んでおられるのですが、ここにも、言わん言えんの理は働いていて、「おやさまが望んでおられるんだから、あんたもやり」、と言って、おつとめを信者の皆さんに強要しては、意味がありません。
「言われん先からやるのが、真の誠」とか言われているんで、強要されてしては、どんな善行も誠のないただのパフォーマンスにすぎません。ですから、あくまでも自主的に、真実をこめて、神に敬意を払って、真剣に祈らなければなりません。
明日、正午から、ですか。私メも参加させていただきたいと思っています。
東風Z 様
2020年3月2日 3:18 PM
>叔母が曰く、真柱さんも男だからねぇー、では本当に済まされないでしょう。洗脳とはこのことです。<
まったくその通りだと思います。男だから何をやってもよいという理屈も法律もありません。嫌々ながら真柱の夜の相手をさせられた女性達(中学生から??歳)の心の傷は一生癒えることはありません。まして、真柱の私生児として何も知らずに生まれた方々は、どんな気持ちで生きていかねばならないのでしょう。私の想像の域を遙かに超えています。宗教者としてはもちろんのこと、人間としてもあるまじき行為です。
青森縣分教会長。
息子さんだと思います。
色んな事言いませんが、後じまいに結婚された方のご苦労は計り知れません。
私は夜の神殿の教祖殿の前を回廊拭きをしているときに、二代様のことで「本当ですか?」と、おやさまに心の中でお聞きしました。
「あんたには見えるやろ。」という念が来ました。「私にはそういうのは見えないんですよ。」と念でお答えすると、バッと影絵の様なものが浮かびました。
二代様が何方かに降霊のような状態でおやさまにお入り頂いて、二代様とおやさまが何方かの体をお借りしてお話されているところが浮かびました。「そうなんですか?」とお聞きすると「そうや。」「しっかり伝えてや。」という念がまた来ました。
なので私は二代様とおやさまがお話されていたと思います。
そしてその話の内容を末端教会子弟様が夢で御覧になられたかもしれないという状況がありました。
私は「しっかり伝えてや。」という念を教祖殿で受け取りましたので、お伝えいたします。何年か前のことです。
すみません、何を言っておられるのかよくわりません。なんらかの返答でしょうか?
霊の声だの、念だのを受け取ったら、天啓者になりますが、実際何が、誰が言ってるか判りゃしないんです。
神殿の中にも、神以外の、いろんな霊体の存在が普通に居ると感じます。
人間に接触してくる霊体なんて何を言いたいんだか、意味不明な事も多いですよ?
理性的に判断して、合理的に考える事が重要です。
若い女性の夜伽を所望する権力者は、精神的に異常だと判断出来ます。
そんな好き放題の権力者の魂がまともに向上できるとは、考えられない。
教祖様は、叱りこそすれ、それを認める事はあり得ないと考えられます。
そんな権力者の魂は、今世の地位に関係無く、地獄(そう言う修行の場)に落ちますね、天理教は天国入りを導く宗教では無いので、偉い人だって、下に落ちます。
神霊と交流する場合、しっかりとした理性と人間的経験、判断力が必要です。
見させられる物を鵜呑みにしないで、冷静に判断されて下さいね。
二代様が中学生をとおっしゃったのは、小学校卒業も多い中、旧制中学ということは、ある程度高い語彙力を持っているということかなと思います。
純粋でおやさまが入り込みやすい言葉でいえば巫女的な存在の方を、おやさまとお話される目的で呼ばれたのではないかと思います。
匿名さま。
>二代様が何方かに降霊のような状態でおやさまにお入り頂いて、二代様とおやさまが何方かの体をお借りしてお話されているところが浮かびました。「そうなんですか?」とお聞きすると「そうや。」「しっかり伝えてや。」という念がまた来ました。
なので私は二代様とおやさまがお話されていたと思います。
教祖も色情には寛大だったと言いたいのでしょうか?
教祖も二代も、淫乱だったと言いたいのですか?
私達は文明や利便さ、贅沢さや家畜の肉食とひきかえに何かとても大切なものを失ってきたのではないでしょうか。
だから見えなくなってしまったのではないでしょうか。
二代真柱さんが短命で出直したことを熱心に信仰されている方に聞いたら、「早く出直して生まれ変わった方が良いことがあるのよ」と答えられました。
その様な教えは聞いたことが無かったのですが、どなたか分かる方いらっしゃいますか?
早く出直すことを喜んで受け取ろうとするとこのような考え方にぬるのですかね?
この理論なら、早く死のうが長寿だろうが、喜べるんですかね?
どんなことでも、なんでもかんでも喜べるのが教祖の教えなんですか?
カソリック教会で、聖職者により未成年の少年少女への性的虐待が世界的に頻発していました。長年、教会内部でタブーとされていましたが、被害者が声を上げ始め、ついに民事、刑事の裁判へと発展しました。結果として、教会が多額の賠償金を払い、有罪の判決を受けた聖職者が出て、ローマ教皇も対策を約束するなど、社会に大きな衝撃を与えました。
カソリック教会の場合、独身制が背景にありますが、犯行はあくまでも各聖職者の個人的な行為でした。ところが、天理教の「二代」様の件は、教団が組織的に実施していたもので、悪質性はカソリックの比ではないものがあります。
ここのところが、この問題の特異点です。もし、以上の疑惑が事実だったとしたら、天理教の存在そのものを揺るがす事態になりかねないです。
天理教の「二代」様の件に関しては、おそらく、「御伽」の相手をした女性の多くは鬼籍にはいっており、生存している方も証言をするとは期待できないと思われます。また、証言が得られても、それを立証する証拠や証言が存在するとは限らないし、時効の壁もありますから、法的な対応は難しいでしょう。
さらには、天理教側としたら、下手にこれを認めたら、社会的なスキャンダルになるのはもちろん、女性の人権軽視というので、社会から激しい批判が集まりますし、裁判沙汰になったら莫大な賠償金を取られるので、否定せざるを得ないでしょう。下手をしたら教団が崩壊してしまいます。
天理教側としたら、これは絶対に認められない問題であるとも言えます。
私は天理教の信者ではなく、この問題を告発する立場でもないので、これ以上の言及は避けますが、この問題をスルーするにしろ、真面目に取り上げるにしろ、被害にあった女性たちの心情を思いやることは大事だと思っています。
匿名
2020年3月2日 8:31 PM
あなた頭大丈夫ですか?無知にも失礼にも程があります。霊、天啓、などの言葉で擁護するのはやめて頂きたい。そもそも真柱身上、表統領善亮は偽教理、教団財政難、事情身上は頻発、これらの状況は全て中山家の不徳の致す所です。
中山家には徳はない。徳が有るならこの状況にも至っていない。
真柱は天啓(てんけい)してない。天啓者は本席までです。
おさづけ、はいたい はあれは厳密には中山教のおさづけで、天理教のおさづけではないので効かないのです。
被害女性を教祖と見立てては無いです。
教祖、中山みき は、善兵衛の浮気と秀司のほうとうぶりに頭を悩ませてました。
つまりあなたの言っている事はおかしすぎます。
結婚外子の子孫は今でも沢山生きてますので証拠はあります。それは法的問題云々では無く、宗教としての体をなすかなさないか問題です。無論成しません。どんな理由をつけても二代真柱中山正善の色情因縁であり不徳の致す所そしてその直系として、中山、善衛、善司、善亮、大亮 は居るのですから、因縁は代々持ち越されるのであれば、その償い天理教理で言えば「因縁納消(いんねんなっしょう)」すべきで宗教指導者としての手本を見せる事が義務となります。つまりそれが足りない不足しているから、教団の各種事情(事件)身上(病気など)があるのです。そして神は待ち続けたがもう待てない状態が来ので中山家を追放、出て行かないなら貧に落とす事にしたのでしょう。それが現在です。
中山家も中山正善の婚外子問題は表に出ないようにしてきたみたいですがこのような情報が漏れ出すという事は、婚外子家族への保障がしっかり成されてないからでしょう。教団外に追放された婚外子家族も居るそうですし、今から再度口止め料を配る事もできないのでしょう。
以前から中山家の骨肉の争い と言う人もいましたが本当だったのだと思います。
二代真柱がヨーロッパ各国を歴訪した旅行記が「種撒旅行」(しゅばんりょこう)と題して発刊された時、教会内では皆口々に、あれは子種を撒く旅行。あちらの女性、こちらの女性への種まき旅行だと皮肉っていました。当時から真柱の女好きは有名だったのです。発刊の本来の目的は種撒、つまり真柱自ら天理教の教えの種を世界に伝える歴訪の旅と言う大真面目な意味だった筈です。ところが実際には女好きの種まき旅行だと皮肉られていた。
色情因縁は教祖の長男から途絶える事無く現在に至り、善亮の女性問題(3000万円のゆすり問題)、大亮の東南アジア女性買春、と色情因縁は連綿と続いているようです。
お松雌松の隔て無し、と人間の平等を説いた教祖の当初の教えから、いつのまにか二代の頃には女性蔑視、女性軽視、男性の性の道具扱いに。そんな流れが出来ていた。とても神など語る資格の無い一族だと思っています。
善司を除き正善、善亮、大亮は性欲が強く肥満とかただの駄目人間の典型です。表立って皆さんお世辞を駆使して持ち上げてるでしょうが本音では魅力もカリスマ性も感じてないでしょう。
〉善亮の女性問題(3000万円のゆすり問題)
親戚縁者である本部員仲野芳行や教区長篠田欣吾に縋って天理教神奈川教区のお金を横領したんでしょ。
「純粋でおやさまが入り込みやすい言葉でいえば巫女的な存在の方を、おやさまとお話される目的で呼ばれたのではないかと思います。」
2代真柱問題を炎上させる為に、ワザと焚き付けるための投稿だと思いますが
わざわざ、若い女性の夜伽を所望する理由にはなり得ません。
それなら、そう言う天啓を行う、宗教儀式を昼間、何人もお勤めを行いながら、教団で考案して試行、実行されたら良いのです。
実際、教祖様は、加持台になられて天啓を起こされた訳です、この加持台は、神の言葉を受ける巫女と同じ物です。 教祖の持たれていた、仏教の知識と、それまでの生き方による精神的素養を、降りた霊体が波長が会って、気に入ってしまったが故に、この体をもらい受ける! と宣言されたのが、始まりでしょう。
若い女性には、霊媒になりやすい体質の方が多い、だから人知れず、霊が見えて苦労されてる人もいる様ですが、霊体が自身の向上の足がかりとして、知恵と素養のある大人に降りる事もあり得ます。
加持祈祷師に呼び出される心霊は、そんなに高級では有りませんし、人間に近い波長を持っているので、強引に乗っ取る可能性もありますし、心霊に悪意があったり、人間側の精神が弱ければ、加持台は発狂、精神異常を引き起こす事もあるかもしれません。
井出くに氏も、常に強烈な神の振動?を抑えていると、天理の霊能者に書いてありましたね。
だから、霊の声が聞こえたら慎重に対応する必要があります、神だ! などと持ち上げず、お前は誰だ!何者で私に何用であるか? と毅然と跳ね除ける意思が要ります。
もし、教祖様、親神様を降霊、降神させるなら、真柱自身が台になるか、ちゃんと大人を用いて、数名がかりで、お勤めを行う様な儀式を模索試行しているでしょう。
もともと、血筋を選ばぬ天啓者は、中山家を中心とする教団運営に、じゃまな存在でしか無いので、あえて本席を空席にした訳ですから、そんな天啓者を作る事は絶対しないでしょう。
若い女性、それを信者から夜伽に所望するなんて、異常な性的欲望を抑えられないだけですし、文化的脈絡も無く、目的があったとも思えない収集も、金持ちの骨董収集と同じ様に個人の趣味でしか無いでしょう。
真柱自身が、欲望のおもむくままに生きられて、何かのインタビューで陽気くらしとは、私自身の事だとおっしゃったらしいですが、誰かを虐げての、陽気くらしなんですか? って思えませんか?
冷静に、理性的に、理論的に、合理的に模索して考えてみてはどうでしょうか?
DNA鑑定が格段に進歩した現代、親子関係をほぼ100パーセントの精度で立証するのは可能です。しかし、二代さんの時代は不可能だったのでしょう。それをよいことに、世の中のあちらこちらに種をまき散らせておられたのでしょう。返す返すも「人間として下の下」だと思います。今日、コロナウィルス感染症終息の「お願いつとめ」をするそうですが、二代さんが手をつけた女性達と図らずも彼女らの婚外子としてお生まれになった方々への「謝罪と幸福を祈るおつとめ」もされたらいかがでしょう。
匿名様 2020年3月2日 12:08 PM
≪明日3月3日正午本部神殿にて新型コロナウィルス感染拡大の早期終結祈願のつとめが行われるとの事。感染≪拡大防止の為参拝はご遠慮ください。月次祭、婦人会総会も感染拡大防止の為各教会でお勤めください。
??? 本部ホームページには、何処にも「感染拡大防止の為参拝はご遠慮ください(後続)・・・。」
かかれていませんよ。本部のお知らせは下記のごとくそっけないものです。
これでは単なる祈祷のお知らせでしかありません。
このお知らせのどこに感染拡大防止の問題意識が見えますか?
因みに参考までに社会学さんがりつリツイートされた一文を後段に貼り付けました。お読み下されば
中山家&本部の本音が見えます。いつも感じていた事ですが、やはりキャツラはそういう考えだったのだと、自分の(すみません手前味噌をお許しください)洞察力が正しかったと思えた次第です。
2020年03月01日 (日)
新型コロナウイルスの感染拡大の早期終息等を祈念し、3月3日正午、教会本部神殿でお願いづとめを勤めます。
新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に進行しています。
天理教教会本部では、感染拡大の早期終息はもとより、罹患された方々の身上平癒とともに、さまざまな困難に直面している方々の、一日も早い平穏な日常への回復と、社会的・経済的な混乱の収まりを願って、3月3日正午、本部神殿でお願いづとめを勤めます。
また、それぞれの教会やようぼく・信者においても、日々のおつとめのなかで同様に祈念してくださいますよう、お願いいたします。
立教183年3月1日
天理教教会本部
【社会学さんのリツイート】
OGAWA Kandai @grossherzigkeit · 3月1日
一方でまあ、天理教の本部系統の人に話を聞く機会があったんだが「天理市が守られればそれでよく、長期的には東京も大阪も不要」みたいなことを結構あけすけに言うんだ。で、そんな彼は当然全国的な視座をまるで持っておらず、結構偉い人のはずなのに「取材」として話がまるで参考にならないのである。
・・・・・絶句する方もおられるかもしれませんね。このジャーナリストは上品な表現で書いていますが、要するに「イナカモン」だということですよ。誰を取材したかは容易に想像がつきます。
バカな発想ですね。東京・大阪が無くなれば天理教は維持できなくなるでしょう。いや、日本そのものが大変なことになることが何も分かっていない。言葉を失うとはこういうことです。私の周辺の教会は既に死に体状態ですから影響は少ないでしょうが、天理教にとって東京・大阪は、まだまだ頼りになるでしょうに。
最早、人の言うことじゃないですね。
地下鉄サリン事件のターゲットが永田町であったことを考えると、無政府状態は権力奪取のチャンスと思っていたりして・・・。
テレビの時代劇や漫画で見たような場面ですが、お城の天守閣の上で殿様が、望遠鏡を使って町の若い女性を物色している。家臣たちも、殿の今夜の夜伽相手に使えそうな美女を求めて、街を探索する。
強大な権力を手に入れた男がハーレムを望むのは、世の常というものでしょうか。江戸時代の大奥といい、北朝鮮の喜び組といい、中国の皇帝なんて2000人の妻?がいたとか。
宗教界も同じことなのか、ラスプーチンから麻原彰晃まで枚挙に暇がありません。世間から隔絶された世界ゆえに、その発覚にも時間がかかり、時には悲惨な結果を生み出すことも。昔、イタリアの何処かで古い修道院を解体した際、トイレの便槽から大量の嬰児の白骨死体が発見されたといいます。おそらくは長い歴史の中で、そこの修道女たちが産み落とし始末された子供たちなのでしょう。こうなると、宗教家も男だからなんて言ってられませんね。
宗教団体による殺人 KILLER CULT
https://www.madisons.jp/murder/room/cult.html
春学中止みたいです。
新型コロナウイルスの感染が拡大しつつある国内外の現状に鑑み、日本政府から防止対策の更なる基本方針が発表されました。
教会本部では、これを踏まえ、3月28日に開催予定の「立教183年春の学生おぢばがえり」式典及び直属アワー、前夜祭「春まつり」等の関連行事すべてを中止することに決定いたしました。
参加予定の学生生徒をはじめ、保護者の方々、および学生層育成に携わる教内各位には、今回やむなく開催中止に至ったことについて、ご理解くださいますようお願いいたします。
立教183年3月3日
天理教教会本部
3日正午からとり行われた 「お願いづとめ」 に参加させていただきました。
失礼ながら、こんなに多くの人たちに来ていただいたのか、というほど多くの方が来られて、おつとめを勤めてくださいました。
私はおやさまや親神さまと違って、皆さんの心の中までは見えませんが、こうして集まられるということは、やはり心あればこそできることなので、皆さんのその心は、きっとおやさまにも受け取っていただけたことと思いました。
新型ウィルスで、不幸にして亡くなられた方もいらっしゃったのですが、健康で過ごせている我々もひょっとしてこの病に倒れることがあるかもしれないと思うと、人間は人間同士皆繋がっていることを強く感じました。人間はやっぱり兄弟なんですね。おつとめをしていただいた方々に感謝いたします。
父親の死後、子供が父親に対する強制認知の請求をする期間は父親の死後3年となっています。ですから、2代さんへの認知の請求はできないことになります。生まれた子供に戸籍上の父親が存在する場合は、親子関係不存在の訴えを起こすことは可能ですが、その場合も二代さんについてのDNA鑑定が認められる可能性は少ないでしょうから、法律上は打つ手は少ないでしょう。
ただ、法律上は時効や除斥期間があったとしても、信仰の世界では重大な問題だと思います。第三者委員会などを設けて事実関係を精査するのが本来の筋だと思っています。
さらに、二代さんは公人に準ずる存在(月刊ペン事件参照)であり、亡くなっているので、仮に公共の場所で「御伽」の話を持ち出しても名誉毀損は成立しにくいです。二代さんの婚外子の人が名乗り出ても、逆に、天理教側は打つ手はありません。その点も付け加えておきたいと思います。
2代真柱様が亡くなられたのは、昭和42年、もう50年以上前、夜伽をした人も、おそらく70代になって、恥として喋らなければ、もはや、伝説でしかありません。
しかし、逆に伝説は生き残るんですよ、そして今の教団の姿勢は、相変わらず強権的な人が多いと来ては、それほど否定もされない。
東風Zさんら、経験者は、遠慮なさらずに、もっと過去の経験を語って、ここに記録を残し、伝説を強化して下さい。
二代目真柱の夜伽について考えていて、頭に浮かんだのは「人身御供」という古い風習。
人間にとって、最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は、神への最上級の奉仕だという考え方から、洪水など自然災害の多い地方では、その季節が迫ると人身御供の儀式が行われたのだとか。「ヤマタノオロチ」なども水を支配する竜神と考える説があり、生け贄とされた者は、川に投げ込まれたり、自ら入水したり、時には人柱として生き埋めにされたりしたそうです。
生贄となる者の条件は、15~16の美しい処女であること。選ばれた娘の家には何者かによって目印の矢が立てられたとかで、これが「白羽の矢が立つ」という言葉の由来なのだそうですね。
相手が神ではありませんが、黒澤明監督の「七人の侍」の一場面。皆殺しを免れるために、村は定期的に食料と若い娘を山賊に差し出さねばならなかった。順番の迫った娘の父親は我が子を守りたい一心で娘の髪をバッサリと切り落とし、村人たちの非難を浴びることに。これに似たような修羅場が、二代目真柱の巡教を控えた教会でも見られたのかもしれません。
なんだかもう教祖が「我が子の命を差し上げます」と言ったなんていう話も、人身御供を要求する二代目真柱の願望から生み出された作り話のような気がしてきました。
しかし伝説というものは、常に何らかの真実を秘めているものですね。ヤマタノオロチ退治は大規模な治水工事だったとか、桃太郎伝説は瀬戸内海での海賊討伐が元ネタだとか。他人から聞いた話ですが、昔とても我儘な殿様がいて、明日どうしても狩りをしたいとかで、晴天に恵まれるよう一人の僧侶に祈祷させた。ところが雨が降ってしまい、怒り狂った殿様はその坊さんを縛り首にしてしまった。それが「てるてる坊主」の由来なんだそうですが、ほんまかいな!?
広島や長崎の被爆地は世界遺産に指定され、「負の遺産」として未来を生きる人々の為に残されることになりましたが、それでも、原子爆弾の惨劇を体験した被爆者は年々、高齢化し、実際に被爆された「原爆の語り部」の方々も年々お亡くなりになっています。ユダヤ人が強制収容されたポーランドのアウシュヴィッツ収容所も世界遺産に指定されていますが、広島の場合と同様、収容されていたユダヤ人の方々は高齢化し、年々、お亡くなりになっています。要するに、実際の体験者の「生の体験談」を聴くことが困難になってきています。「生の体験談」を語り継いでいくことは、「伝説」として風化させない為に、非常に重要なことですが、個人のプライバシーにも十分、配慮しなければなりません。
芹沢光治良の「小説」の一部をどうして現実として喋ってるんだ?
被害者やその家族が証言でもしているのか?
全くの出鱈目とは思わないが、又似たような事があったかもしれないが、「現実」と決めつけて非難している君達は教団本部以上に変だ、これって坊主憎けりゃ袈裟までの類だろ。
全くの出鱈目とは思わない。そして似たような事があったかもしれないとは認めているのですね?
「事実は小説より奇なり」なんて諺もあるように、実際はもっとエゲツないものだったと思いますよ。それに芹沢光治良の小説だけを問題にしているのではないでしょう。
なんとかして批判を封じ込めたいのでしょうが、社会的弱者であるがゆえに、泣き寝入りせざるを得なかった被害者やその家族の心情を慮ると、まだまだ手ぬるいくらいです。
仮に「二代様」についての「御伽」の話が事実無根だとすれば、これはご本人にとってはもちろん、子孫の人々や天理教にとっても大変な侮辱になります。むしろ、天理教側が率先して事実関係を調査し、潔癖を証明すべきだと思います。
ご本人が亡くなられたのが昭和42年だとしても、まだ関係者の何人かはご存命だと思います。当時の資料も残っているでしょう。弁護士による第三者委員会を設置し、事実関係を調査すれば良いと思います。
先ほど、従軍慰安婦の強制連行報道をした元朝日新聞記者が高裁でも敗訴したとの報道がありました。あの報道の場合でも、歴史家が70年前の関係者の証言や証拠を発掘し、当時の人々の証言を集めて、「強制連行の事実はない」との結論を導き出しました。類似の事例は他にもあります。
ここは、天理教側が、積極的に調べるべきだと思います。
教団本部以上に変だ・・・ということは教団本部も変だと思っているということかな?
宗教的指導者に、ご落胤が複数存在すると言う時点でアウトです。
何でも難儀はささぬぞえ、たすけ一条のこのところ。
お地場が、たすけ一条のお屋敷から遠ざかっている事に失望したからとといって本部と同じような無茶をしている分教会も分派も変だが、宣伝と違う本部が最も変だよね。今のところ開祖の預言は外れたという事でしょうか??
無茶をしているのは部内を多数抱えた教会だけだと思います。末端教会は上に振り回されるのが精一杯です。生活がかかっており布教する意欲など削がれているのが現実ではないでしょうか。働き始めた会長たちは多いです。
お供え金をいかに工面するかは真面目な教会長は無理してでも工面しています。涙ぐましいですよ。
教祖逸話でどうしても納得できないのは、他人の子供を助けるためにわが子の命と引き換えにと祈った場面。こんな事を美談のように信者に言ってはいけません。実際人間の本能として自分の子を犠牲にして他人の子を助けたいと思う本能は無い。こんな人間離れした話は教祖を神と祭り上げる為の教団の作り話ではないかと思っています。
真柱に愛おしい娘を夜のお供として、いけにえにすることを信者にのませた教団本部がいまだに名誉棄損の訴えも起こさない、起こせないのは認めざるを得ない現実があったからだと思います。
我が子を犠牲にすることを善しとし、その引き換えに膨大なご守護を貰える。その思想は我が子に食べさせなくても着せなくても修学旅行に行かせなくても、貧乏させてでも、お供え、お尽くしを徹底した暁には、その対価としてご守護がある、、。子をも犠牲にして人を助けたと、おや様雛形を声高に叫び、これが天理教の貧のどん底思想につながっていった。逸話編は二代の時代に書かれたものだと思いますが、彼の人為的な思惑が根底にあったに違いないと思います。
実際、逸話編にはいるはずのない女性の名前が語られていたりと嘘が多いそうですね。
匿名様
>芹沢光治良の「小説」の一部をどうして現実として喋ってるんだ?
被害者やその家族が証言でもしているのか?
現に、本部関係者から聞いています。
>全くの出鱈目とは思わないが、又似たような事があったかもしれないが、「現実」と決めつけて非難している
現実だから本部からの正式な反論がないのです。
>君達は教団本部以上に変だ、これって坊主憎けりゃ袈裟までの類だろ。
教団本部は確かに変ですが、坊主は憎くありません。教祖の教えに反した行為を許せないだけです。
火のないところには煙は立たず、ですよ。
>>火のないところには煙は立たず、ですよ。<<
その通りです。「壁に耳あり、障子に目あり」です。
芹沢光治良の小説といえば人間の運命とか伊藤幸長本とかありますが、教祖様の中で「我は天の将軍なり」という一説があります。徳川時代に倣ってそういったのか本当に天の将軍であれば「元の神、実の神」と言った教典も二代様の創作であります。みかぐら歌の原本9下り目が隠されたのも中に「てんりんおうのつとめする」の一文があるからではと思います。今ある、教典、教祖伝、逸話編、みかぐらうたなどすべて?として本当におやさまの言いたかったこと
「ひとをたすけなされや」
「やさしいここころになりなされや」
「くせしょうぶんをとりなされや」
の三つを心として信仰していければなあと思います。
神様が受け取るのは真実の心だけなのでおつとめもおさづけもどうでもいいことだと思います。
天理教の組織のほうをみるのではなく今の世の中で苦しんでいる人、自殺しそうな人、そういった人によりそって助けてあげられる信仰者でありたいとおもいます。信仰ビジネス者ではあかんと思います。
>>天理教の組織のほうをみるのではなく今の世の中で苦しんでいる人、自殺しそうな人、そういった人によりそって助けてあげられる信仰者でありたいとおもいます。信仰ビジネス者ではあかんと思います。<<
本当にその通りだと思います。巨大な建物や組織など無くても信仰できるのです。
連合赤軍あさま山荘事件も日本航空123便墜落事故も、映画化の際には被害者のプライバシー保護のために、人物名や会社名は架空のものに変更されています。しかし、それによって歴史的事実まで無かったことにはなりません。山崎豊子さんにはもっと長生きして、是非とも天理教を題材とした作品を書いてもらいたかったものだと、私は残念でなりません。
やはり被害者保護という理由から、芹沢光治良は小説という形をとったのだと思いますが、もし彼がドキュメンタリーとして週刊誌などに発表していたら一体どうなっていたのでしょうね。
教祖が、他人の子供のために我が子の命を差し出したという行為に疑問を抱く人は少なくないようで、天理大学の学生たちの間でもよく議論のタネにされるとか。30年以上前、私の修養科での授業でも質問した者がいました。見るからに暴走族風のその若者(たぶん10代)は言いました。
「たとえ我が子とはいえ、自分以外の他者。その命を勝手に交渉の材料に使うようなことが許されるのですか?」と。
先生は明確な答えを出すことができず、結局は神の思惑は人間には計り知れないということで終わってしまいました。
教祖を神格化するために、とかく教祖の人間的な部分を排除したがる教団ですが、最近の修養科の授業では、こんな質問も出たそうですよ。
「教祖って、子供がいるからには、セックスしてますよね?」
みきちゃん、あんたも好きね~~
中山みきは紛れもなく人間です。今は埋め立てられてしまった三島神社の池に神と家族の板挟みになり苦し紛れに飛び込もうとしたりした。いわゆる自殺を試みた。みき様は神では無く生身の人間でした。しかし、教団側が神に仕立て上げたかった為、人間らしい行為の現場など残して人間であったと言う側面を語り継がれたくなかった。埋め立ての理由としてそれも1つだったとお聞きしました。
教祖が人間では教団的には不都合なのですね。
お伊勢参りを楽しんだり、美味しいものを食べていたり、家族を食べさせる為に稼業に勤しんだり、教祖の存命中の中山家の経済は豊かなものとして史実に残されていて、決して貧のどん底生活に徹しては居なく、今日より明日とより豊かな生活を求めて生きた、普通の女性だった想像します。神に仕立て上げたのは金儲けしたかった中山家の思惑だと思います。
大川隆法・幸福の科学グループ創始者 兼 総裁が22日、香川県観音寺市のハイスタッフホールで、「法力を身につけるには」と題して講演を行い、約1300人が詰めかけた。
講演の模様は、同グループの中継網を通じて、四国や近畿、中国地方にも中継された。
中国発の新型コロナウィルスの影響で、日本でも全国的にさまざまなイベントが縮小・中止される中、会場にはマスク姿の参加者も散見された。
冒頭、大川総裁は「(マスクは)実際全然要りません。(中略)コロナウィルスを死滅させることも可能です。そういう法力を持っております。だから全然気にしないで、治しに来たと思った方がむしろいいかもしれません」と語った。
https://the-liberty.com/article.php?item_id=16834
参考意見 様
2020年3月5日 3:14 PM
>>山崎豊子さんにはもっと長生きして、是非とも天理教を題材とした作品を書いてもらいたかったものだと、私は残念でなりません。<<
もし山崎豊子さんが天理教を題材とした作品を書いたとしたら大変、センセーショナルな興味深い作品になることでしょう。小説のタイトルは「白い巨塔」ならぬ「紫の虚頭」にでもなるでしょうか? 彼女の秀逸作である「大地の子」においても、主人公の陸一心(中国残留日本人孤児)という名前をはじめ、固有名詞は全て架空です。小説である以上、固有名詞は当然、プライバシー保護の対象になると思いますが、有吉佐和子さんの「華岡青洲の妻」のように、登場人物のほとんどが実名で書かれている小説もあります。山崎豊子さんは「大地の子」を書くにあたり、何回も中国を訪問し、現地取材を重ね、当時の中国トップの地位にあった鄧小平氏からも取材の協力を受けており、ストーリー自体は現実にあった話だと思います。
>>やはり被害者保護という理由から、芹沢光治良は小説という形をとったのだと思いますが、もし彼がドキュメンタリーとして週刊誌などに発表していたら一体どうなっていたのでしょうね。<<
いくらドキュメンタリーとして週刊誌に掲載したとしても、被害者や被害者家族の人権やプライバシー保護の観点から、最初は匿名で掲載すると思います。新聞やテレビ等のマスコミでも、警察が公式に発表しない限り、被害者名は匿名で報道すると思います。
>>「たとえ我が子とはいえ、自分以外の他者。その命を勝手に交渉の材料に使うようなことが許されるのですか?」と。<<
我が子と言えども、親の所有物ではありません。人格を持った一人の人間です。神の創造物に違いはありません。上記の若者の質問は当を得ていると思います。
>>教祖を神格化するために、とかく教祖の人間的な部分を排除したがる教団ですが、最近の修養科の授業では、こんな質問も出たそうですよ。
「教祖って、子供がいるからには、セックスしてますよね?」<<
もちろん、性交渉をしたから子どもがお生まれになったのでしょう(大爆笑)。コウノトリは運んで来てくれないと思います。
結婚さえしてなかったら、処女懐胎なんて話もデッチ上げたかもしれませんよ。なんたって宗教ですから。
>>結婚さえしてなかったら、処女懐胎なんて話もデッチ上げたかもしれませんよ。なんたって宗教ですから。<<
聖母マリアならぬ、聖母ミキになっていたかもしれませんね!!
旧暦(天保9年10月)の26日は、立教の元一日、23日から続いた夫善兵衛との問答が治まらず、みきの容体に危機が迫り、致し方なく善兵衛がみきを神の社に捧げる事に同意した日である。
と、あるところからも教祖は神ではないと思っています。
教組は、ひながたを示されたと教えている。天理教の信仰とは教祖のひながたの道をたどることである。ならば、ひながたとは、あくまでも人でなければならない。ひながたが神であるならば、人は到底その道を歩むことは不可能と考えられます。人が神になるなんてありえないことでしょう。
>>ひながたとは、あくまでも人でなければならない。ひながたが神であるならば、人は到底その道を歩むことは不可能と考えられます。人が神になるなんてありえないことでしょう。<<
その通りです。
金のつなぎは命のつなぎ、土地を返せ、等の事実無根教えにもありえ無い宗教としても絶対にありえない事を言い出した中山家を代表する中田大亮大先生の妄言が全ての発端でしょう。ご落胤は調べる以前に有名な話です。本部中山家は隠してるつもりだったのかは知りませんが大教会の長老にでも聞いたら皆知ってます。
親神様もでっち上げの神だそうです。中山みきも月日や神とは言ってますが、親神は言ってません。おそらく二代真柱のでっち上げでしょう。
今の本部中山体制を作る為に「理の親(りのおや)」と名前をつけ、これは皆さんご存知の上級をさす言葉です。親神?とはとなると、つまりこれは本部中山体制をさす言葉なのでしょうと先だって存在しない神の親神 のコメントを見て思いました。
つまり理を違えたのは紛れも無く本部中山体制です。御守護があるわけございません。もし仮に中田善亮氏辺りが「俺らは徳人が違うのだ!信じろ!」と言ってきたら「では真柱の身上回復は?教団の財政悪化の御守護は?」としっかり答えが出るまで聞き続けましょう。
最後に本部がどんな対策を打ってももう終わりです。今ではコロナウイルスで各教会の月次祭、講社祭、葬儀のキャンセルが続出です。つまり教会には金は回ってません。それなのに「金のつなぎは命のつなぎ」と金のつなぎ祭こと月次祭をやめない本部 金のつなぎ祭りは、コロナウイルス蔓延もつないでますのでご注意を
以下、いつTwitterで見かけたのかは忘れましたが、某スクショをテキスト化しました。
まずナ〇オ先生が以下のような返答をした状況なのですが、
おそらく教団特権階級の子弟がお供えを原資に留学しているような生活を享受していることに反して、
末端教会は窮状化しているような差別的格差に対する疑問を
どなたかがナ〇オ先生に尋ねたのだろうと推測されます。
ナ〇オ先生の以下の返答は疑問とツッコミどころが満載です。
まあ説得力のないことないこと。笑
この程度の物言いで言論弾圧できるとでも思っているのでしょうか?笑
栄えている教会を例に出して、窮状にあえぐ教会を無慈悲にも切り捨てていますが、
そもそもナ〇オ先生は教会を布教してゼロから立ち上げたことがあるのでしょうか?
末端教会の貧に落ちきった生活を経験したことがあるのでしょうか?
しかも愛町、本芝房、天浦を引き合いに出して説得しようという情けなさ。笑い
人のふんどしで相撲をとるとはまさにこのこと。笑
現在洗脳から解けた自分からすれば、「ぢばの理」などと振りかざされてもちゃんちゃら可笑しいですが、
洗脳されている人間からすれば、
印籠を持ち出されたような威圧感を受けて、何も言えなくなってしまうんでしょうねぇ。笑
あとナ〇オ先生、
「おつくし(金)のつなぎは命のつなぎ」「理の親制度」等の
偽教理にまみれている現行教団こそまさに『異端』ですよ。笑
こせつ@mkosetuとか、ナ〇オとか教団VIPは頭に虫が湧いてる輩しかいないんですねぇ 笑
ほんと、天理教、嫌いだわーーーーー笑
引用テキスト化開始
>>ある方からメッセージがはいりました。旧知の本部在籍者の方です。全文コピペします。
>>「私も一理あると思います。しかし、本教としても才能ある若者にはできる限りその素質を高めて上げたいとの思いからの留学でないか と思います。さらに、教会の窮状と言 われますが、頑張っておられる教会も 多くあります。窮状に陥っている教会 は、全てとはいいませんが、その使 命であるにをいがけ・おたすけが滞っ ている姿じゃないのですか。真剣に使 命を全うすれば、教会の窮状なんて有 り得ないと思います。その証拠に愛町 や本芝房(本理世)天浦(兵神)など いくつもあります。私からすれば甘えとしか思えません。ぢばの理を頂かな いと教会も栄えません。そのためには、何人もの本部のそれぞれの関係者が考えて実行する様々な動きにものを言うのは、ぢばの理を軽んじる姿でし かありません。ある意味、あなたの主 張は異端に近いと私は思います。お気 をつけください」
だとよ。 ぢばの理を軽んじる?異端?ハァ?オ モロいじゃないか。ますます、モノを 言いたくなりました。ありがとうござ います。ナ〇オ先生!!<< テキスト化終わり
やっぱり天理教団はただの中山教だったんですね。中山家のワガママを擁護するためだけの集団に成り下がり、教理関係なく「つなぎは金」と大声で言うほど落ちたわけですか情けない笑
天理教は終わりの無い陽気暮らしを目指させて、その間、生きている限り金を取る。天理教が陽気暮らしの完成を宣言したら金を取る理由が無くなる。だから陽気暮らし成就の宣言など出す筈がない。10年ごとの年祭。陽気世界を目指して!と100年経っても同じ事の繰り返しを聞かされる。だったらいつ陽気世界が来るんだよ?となる。つまり、終わりなき搾取され続ける人生旅。
要するに我々は騙されて金だけ取られているんです。天理教に関わったが為の終わりなき苦行。展望無き生活。人生の振り返りで見えてきた事は、苦しかったと言う実感だけだ。
結果を出せない天理教。見えてきた結果は、地震、災害、コロナ、地球の灼熱化、、。生きていけない地球環境。どこに天理教発のご守護があります?金しか興味の無い人間達が集まって、太鼓もまともに打てないお願い勤め?何を意味のない、結果は出せないと自分達も分かっているパーフォマンスをやっているんだ?です。お願い勤めに寄り集まる信者の誠こそ真実を感じます。本部は子に学べです。本当に情け無い。
天理教が詐欺だと言う、一番分かりやすいのが、真柱の病気が治らないと言う現実です。本部財政破綻と言う神に見放された現実です。事もあろうに大教会の差し押さえです。散々金を絞った挙句、親が子である教会の土地財産を奪おうとしている諸々の現実です。これが人を助けて我が身助かる?どれだけの人を経済的、精神的に踏みにじった事か。
天理教教団本部は人をいじめて我が身つぶれるを地で行っている。われわれ被害者は怨念を込めて良く見届けましょう。天理教が潰れて初めて陽気暮らし世界が実現するのです。
陽気暮らし世界の実現に向けて、みんなで偽教団消滅への啓蒙、努力、精進しましょう。
教団は教祖中山みき や 本席制度を廃止した時点で天理教は消滅し現在の中山教へと変貌してしまったのでしょう。本席を廃止したのが何を隠そう中山家の嫉妬からとも聞いてます。
本部側からしてみたら様々な諸問題も中山教に改名すれば解決するのでしょうが、多くの離脱者が生まれるので騙し騙しで天理教を運営してきたのが本当のところでしょう。やかた構想や教勢倍化運動など本部主体の政策が教団を破滅に向かわせたのですからこの衰退と共に中山教撲滅を目指し天理教復興運動が開始され中山家追放への流れができてしまうのですから、もういい加減改名した方が良いと思います。
現在の中山体制の親族、本部員などがいくら講釈をたれても、天理教で無く中山教の話なので誰も納得させることはできないのが現状です。「天理教を信仰したいのに中山教を信仰させられる。」のでは、信者は愚か布教も上手く行かないのは当然です。それで教団縮小するのなら、中山教に改名して離脱者を作るか、中山教が出て行くかの二択に成るわけです。中山家にとっては苦しい二択に思われるでしょうが、今まで教団全体を騙してきた罪を考えたら苦しくもなんとも無いでしょう。それより信者や中山教の被害者の苦しみを知る事もできないから、今現在身上や事情として味わってとも言えるでしょう。つまり中山体制で実質中山教と言う間違った教団のあり方である以上どこを補強しても無意味なのです。誰も心からついて行ってません。この先がとても恐ろしく思います。いくら側近でもやがて中山家を裏切る側近しか居ないのですから、中山家の側近や親族からでも情報が漏れだすようではもう、現在の中山体制は限界が崩壊寸前そこに来ての新型肺炎ウイルス、本当の神が親神の本当の正体傲慢中山体制を消滅させる日が来たのでしょう。
匿名
2020年3月6日 6:39 AM
中山家が本当に天理教を信仰しているなら、上級理の親の廃止、天理教の規制の無い研究、中山血族以外の宗教指導者を立てる事ぐらいできますよね。変えたら良いだけなのでそれを変えないのは中山家の責任です。
これらが出来ないのであれば金目的で中山家が教団を乗っ取ったと言われても仕方ありません。ここで中山家の本当の信仰心を試されているのに出来ないようであれば求心力は無くなる一方です。
金のつなぎは命のつなぎ、立場と信仰は血筋、などと恥ずかしげも無く騙し騙しでやってるから、教団全体から笑われてる事に気が付けないほど非常識で信仰心のないおかしな人間に成長してしまったのでしょう。
中山家の宗教家の真価を今問われてる時なのです。このままでは、中山家と共に一度教団(中山教)は潰れ、悪どい中家抜きの形で天理教が復活するのも良いでしょう。
人足社とは。
天高二部の宗教学科の授業でも教えられた覚えがない人足社とは。多くの教会長さん方もご存知の無い言葉だと思っている。
天理時報は解説をしてください。教祖が発せられた言葉であれば尚更でしょう。それとも教団にとって余程具合の悪い言葉なのでしょうか。
「人足社」は私も聞いたことがありません。一体、誰が教祖の発した言葉と言っているのでしょう?
東京のイスラーム文化協会では合同礼拝を中止しました。
天理教で月次祭を中止した教会があるのでしょうか。
感染拡大防止の策をとらないまま、3月の月次祭が迫ってきます。
過日、天理市に問い合わせをしたところ、市からは本部へはたらきかけを既にしているそうです。
市は信教の自由に十二分に配慮されていて、しっかりした行政としての在り方を示されていました。
既に公共施設でのイベントは中止している状の中で、本部がどの程度危機意識を持っているか。
信者の自分から見た本部の危機感はぬるいと感じていることをお伝えしました。
繰り返しの提案で恐縮ですが、本部月次祭は本部員とその係累家族でつとめるべきです。
信者各位には参拝を遠慮するように布告を出してください。
筋金入りの信者たちは自分から参拝を止める事はできないからなのです。
止めてしまったら、後々何か悪い事が起きた際、「月次祭をはずしてしまったからだ」とおかしな悟り方で後悔するのです。
思考方法が、このように定型化されてしまった信者にとっては本部からの布告であれば素直に聞き入れるのです。
特に年寄りは自分の定例行動を変える事がとても難しくなりがちです。
皆さん、貴方の両親や高齢信者さんに、ぜひとも言ってあげてください。自宅でお勤めくださいと。
自家用車で移動されている天理市付近居住者は危機感が薄いのでしょうか。
東京では人間距離に関しても、例えば信号待ちの際、それなりに配慮している人も見られるようになりました。
混雑したスーパー店内でも通行する際にお互いに会釈して配慮しあう姿も見られます。バス停の行列でも距離の取り方がこれ迄とは微妙に変わってきています。
インフルエンザの死亡率と比較して「騒ぐことは無い」と宣う人もいますが、病気になると本人は苦しむことになりますし、周囲の人にも迷惑をかけてしまいます。
また、政府系のO(お)氏は本日のテレビで「感染者5名のうち他人に感染させるのはその中の1人だけです。」と、まだ確証も無い情報を垂れ流しています。
このように、死亡率とか感染程度とかの「数字」でものを言うのは一見、科学的な匂いを発しているのですが、感染防止策には「的外れ」な言葉遊び程度の情報といえましょう。
国民をなめている権力者の実態が見え隠れしていますね。
昨年の12月初めから、もう何度も書いてきたことですが、「天理教」は教祖が作った教団ではありません。おふでさきにも、みかぐらうたにも「てんり」という言葉はありません。最近になって気づいたけれど「親神」という言葉も無かった。教祖が亡くなる3年前、奈良監獄に収監された時の警察の記録でも、中山みきの宗門は浄土宗ということになっています。
「天理王命」とは明治5年に政府が出した「三条教則」にあった「天理人道」という言葉をもとにデッチあげられた神名であり、「天理教」とは婚姻によって中山姓を手に入れた梶本眞之亮を長とした利益目的の宗教ビジネス。教祖からパクってアレンジした「おふでさき」と「みかぐらうた」を使って信者を騙し、時流に合わせて天皇を神と祀り、国家権力と上手く協調しながら、真柱の独裁による信者への支配体制を固めていった。
戦後、天皇が神をやめると、今度は「教祖存命の理」などと言って中山家を神格化し、その権力の世襲を正当化し、「親神」とか「理の親」という親を強調した造語を使ってピラミッド型の封建的支配を確立させた。
このように「天理教」とは最初から、教祖の教えとはかけ離れた「中山家の中山家による中山家のための教団」なのです。「天理教」が腐敗して「中山教」になったわけではありません。まずはその事実を知り、受け入れることが大事だと思います。
中山家を異端として追い出したい人達は、そんなに「天理教」という名の教団で梅鉢紋のついた着物を着て、神仏チャンポンの儀式で「天理王命」という神名を唱えていたいのでしょうか。立派な神殿や、これまで出したお供えを無駄にするのは、もったいないと思うのかもしれません。私も40年ちかく用木として人生の多くを費やしてしまいました。しかし、それがとんでもない巨悪を養い、さらに多くの不幸な人々を生み出していたことを想えば、高い授業料だったのだと諦めることにしています。教会親族という事情から、私自身は天理教から離れることができないけれど、せめて不幸な人々をこれ以上増やさぬよう、命ある限り声を上げていきたいと思っています。
情報の豊かな今の時代、信仰をするのに宗教団体は無用、むしろ邪魔と言ってもいいくらいです。私は今でも神というか「目に見えない力」というものの存在を信じていますが、天理教という教団には、いずれ消滅してもらいたいと思っています。たぶん今世では最後まで離れられそうにないけれど、来世にまた天理教の家に生まれてしまって、否応なく同じ過ちを繰り返すことのないように・・・。
>崩壊様
人足社というのは教祖中山みき様が定めたもので、「神の社」として貰い受けた者のことです。三人いると言われ、乙木村の山本吉五郎、安堵村の飯田岩次郎、上田ナライトがそうです。別鍋を食べさせ、心を濁さないようにして、腹を立てないようにしなければならず、人間のように働かなくてもいいという人のことです。神の社として働くのですから、心を濁すようなことがあってはいけないとされています。
現在の天理教では伏せられていることのようですが、飯田岩次郎は水屋敷事件で異端とされていますから、今の天理教では「人足社」という言葉もナライトさんもタブー視されているのかと私は推察しています。
参考になるリンクを貼っておくので、ご一読されてはと思います。
「乙木村の山本吉五郎」
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/ninsoku/ninsoku.html
「飯田家へのおたすけ」
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_31_2.htm
「大道教 管長(飯田尚)の話」
http://www2.mahoroba.ne.jp/~daido/kantyou.html
参考意見
2020年3月6日 3:04 PM
歴史的背景はよく理解しました。
天理教と中山教
「親神や理の親」と違って天理と言う言葉には一部の利害は含まれないので天理は天理で良いと思います。中山家からしても「天理教は中山家のものだ」とは決していえません。信者側も教えと組織体制の矛盾を感じてる人は沢山居ます。
「天理教と中山教」と区別する事で現在騙されている人には分かりやすいですし今はこの表現で良いと思います。
仮に中山家が教団は中山家のものだ。と言うのであればその時点で天理教は消滅し中山教が発生するということです。現時点でも中田善亮をはじめとする中山家の私物化が露呈されるほど天理教は薄れ、中山教が目立つ状況です。信者からしても、中山教は信仰したくないが天理教は信仰したいわけです。
確かに「天理」とは、もともと神道にある言葉であって、中山家のオリジナルではありませんね。信者が「天理教」という教団名を望むのなら、それでよいのでしょう。私は少し抵抗がありますが、それは気持ちの問題なので・・・。
しかし、もし中山家の退場が実現したとしたら、教団のシンボルマークは当然、改められますよね。朝夕のおつとめで神床の御簾に、これでもかとばかりに散りばめられた梅鉢紋を見る度に、気持ちが萎えてしまうものですから。
参考意見
2020年3月6日 7:13 PM
天理教なのに、中山家の梅鉢の家紋が教団のマークに使用されている事への指摘をする方も多く私も違和感を感じます。中山家は天理教や教団を私物化する意思がそこに見え隠れしていると言ってもおかしくない証拠の一つだとも言えます。そもそもそのつもりだったのでしょうがもう中山家教団私物化計画は終わりにして頂かないと今後より酷い問題が起こる事になるのでもういい加減中山家の人々も気が付くべきだと思います。
金のつなぎは命のつなぎ、信仰と立場は血筋 等とその場しのぎで言い続けにも限界があります。これらの中山血族の発言と意見も、教祖の教えとは全くもって解離している意見です。裁判所判決でも天理教の名称独占は出来ないとでています。
騙し騙し天理教と言わず、いっその事勇気を持って中山教あるいは、天理教中山宗派にでも改名し方針転換を図るべきです。
親神と上級理の親制度の関係を考えますと確かに中山家を中心とする現体制が親神であると成るのが本当に恐ろしい病原であるのは間違いないです。中山家の人は本当に自分達は神に等しく徳が高く選ばれた人間だと思い込んでいるのでしょう。そこから考えてみると、中田善亮の「金のつなぎは命のつなぎや信仰は血筋」等の妄言が発せられるのが理解できます。理解を出来ると同時に愚かな考えをした痛々しい人々なのも確かですので、教団衰退と共に中山家の傲慢さや中山教と揶揄されるもの致し方の無い状態でしょう。
世間では新型肺炎ウイルスで集合集会を控えているのに、教団は一向に月次祭を辞めない。それは神に等しい中田善亮神が「金は命」とお告げを下ろしたからなんでしょう。
これは誇大妄想で病的状態であり危険な段階入ったと思います。
問題は中山家だけではありませんね。
本部婦人と呼ばれる皆さんも、自分の立場を誇るだけでは今の時代、信者からの視線を知らないままでは滑稽な姿を晒すことになってしまいます。
古いTwitterを掘り起こすと、この様な書き込みがありました。
≫ 1月4日の第二食堂で行われるすき焼き会に来られる婦人会本部の奥様方の登場の仕方が
≫ 毎回大奥みたいだなあ…って思って眺めていました。
フムフム、誰かが準備してくれた「すき焼き」を奥様方が召し上がる行事なのですね。
お返しに、準備して下さった方々を自邸に招いてねぎらった奥様はいますかね。
食い逃げですか?すき焼きの良い匂いだけ鼻先に漂わせて、自分たちだけが食べるなんて恥ずかしくないのでしょうかね。
もう、この様な浪費は止めるべきです。学校を閉鎖する財政状況の中、おかしな金銭感覚に疑問を持たない婦人達は神経が図太いのでしょう。
所詮、人の金、お供えだから使い放題の感覚なのでしょう。
何かと「ひのきしん」に価値をおく天理教。
これは労働奉仕の事です。ただ働きしてくれる労働力を、信仰の一部に上手に組み込んでいるのです。
教祖様はなかなかのやり手でした。うまい仕組みを考えついたものです。
教会に参拝したら「ひのきしん」をするものだ、そうです。
公共交通機関を乗り継いで到着するのですから疲れ切っています。教会に住む人々は移動の疲れが無いから理解できないのでしょう。
また、一応は外出着を着用して参拝していますから、その服装のまま、ひのきしんをさせられても困るのです。貧乏人の外出着は教会貴族から見れば、外出着クオリティを満たしているとは見えていないのでしょうか。
もう、何を言われてもできないことは、はっきりと断るしかありません。
それらの天理貴族は中山王家を基盤に形成されたわけです。婦人会、青年会、少年会、学生会など各会には必ず中山の血族が配属されています。一見苗字が違っても血縁がある血族は無数に居ます。階級制度は、中山が頂点に君臨する為に作ったわけですし、今では中山家を崇拝しされる為の機能を果たしているのです。
細部を語るとこのような解説になると思いますが、これらももう終わりです。
彼らは天理教の信仰者の上に立っているはずだったのですが、中山家と血族と貴族は中山教だったことが判明したのです。それが「金のつなぎは命のつなぎ」「信仰、徳、は血」等の中山体制を保つ為の偽教理の数々です。それに信者は猛反発をしている状態です。
それに面白いのが、中山家や血族、貴族であっても、自分達が中山教と気が付いてなく、天理教だと思い込んでいるのです。中山家、血族、貴族の中でも混乱が起きているのです。ですので「天理教と中山教」の視点はとても面白い問題を巻き起こすことになるでしょう。
真実の天理教を取り戻す為に戦う。しかし戦うと言っても直接戦わずとも、権力を貪り虚言だけを吐いている中田善亮を筆頭とする中山家に加担し無いだけで良いのです。
献金しない(無理な減らす)活動に参加しない。疑問がある場合はちゃんと質問をし明確な答えがない場合は相手にしない。
これだけをすれば、天理教の皮を被った中山教は消えてなくなります。もうすでに資金難は起こり、数々の身上、事情も多発、それに教理(教義)自体も中山家や血族、貴族に合わせたかったのですが、数々の指摘でもう嘘はつけない状態です。そして新型肺炎ウイルスと、成って来るのが天の理
もう親神と言う偽の神を殺す為に、本当の神が現れたと思ってよいでしょう。
モリジロウ 様
2020年3月6日 5:41 PM
>>人足社というのは教祖中山みき様が定めたもので、「神の社」として貰い受けた者のことです。三人いると言われ、乙木村の山本吉五郎、安堵村の飯田岩次郎、上田ナライトがそうです。別鍋を食べさせ、心を濁さないようにして、腹を立てないようにしなければならず、人間のように働かなくてもいいという人のことです。神の社として働くのですから、心を濁すようなことがあってはいけないとされています。<<
ご回答ありがとうございました。それにしても妙な話ですね。人間であるはずの中山みきさんが、他者を「神の社」として貰い受けることなどできるのでしょうか? 人間中山みきさんは、腹を立てることはなかったのでしょうか? 心を濁すことはなかったのでしょうか? 天理教というものが益々インチキ臭く感じられます。
他の宗教信仰者はこんなふうにとらえていたりすると言う、一つのサンプルです
箸休めだと思って、読み流して下さい。
偉大なる何かの存在は信じているけど、天理教の示す親神様がそれに該当するかは分からない、と言うか、親神様とか、元の神とか、そんな事は教祖様のお話には無い様ですから、天理教の神様って、いったい誰? と言う事になります。
唯一絶対の神と神以外人間と言うなら、この宇宙は箱庭であり、生まれ変わりながら箱庭に居続けるなら、私達は、神の箱庭のペットみたいな存在だと言う事になります、それでもいつか地球は消えるからペットの存在理由が不明です。
だから、本当は、偉大なる何か、神は存在せず、私達は死んだら消えるだけで、何もないんだ、虚無に帰るとと考えるのが、正しいと思います。
ただ、それだと刹那的で悲しいので、神が存在するなら、いつか神に会える、神と暮らせると考えた方が希望がありますね。
人は神になれないって言う人がいますが、肉体は神にはなれませんが、魂が神から分けて頂いた命の萌芽だとしたら、魂は神の子なので、徐々に成長して神になり、親である神に会い、そこで新たな永遠に続く世界を親神と共に作ると言う考えが成立します。
それが、大霊界世界観であり、スピリチュアルと言う事です、大霊界世界観では、唯一の造物主を除いて、全ての霊体の存在は皆延長線上にあると言う事です、これが、神の前には命は平等と言う事です、魂の無い肉体だけの動物は残りませんので、動物は肉を食べても大丈夫と言う訳です。 もしかしたら、高度に発達したイルカの魂とか、いるか、な? それは判りません、波長が合わない様で、見た事ありません。
続きです
天理教の成り立ちは、教祖様が加持祈祷の加持台になり、祈祷で降ろした霊体が、教祖様とつながりがあった(先祖かも) あるいは、教祖様の素養(五重奏伝などの仏教研鑽や心の優しさ)を気に入って、因縁あり、この体をもらい受ける! となったと言うのが、客観的な状況です。
霊界で生きる霊体にとって、魂と想念のエネルギー体だけで向上して行く、より研ぎ澄まし創造主と言われる存在に近づく努力は雲を掴む様に大変らしいです、方法はいくつもあり、少し上の霊体に導いてもらう、あるいは、人間の背後について、導く、守護する、力が得られたら、台になる人間を見つけて、大きく守護をして人間の信者から祈ってもらう事も、飛躍的に向上する方法の一つ、つまり宗教の守護神になる事は、霊体にとって、向上の一つの方法であり、だから地上には、いろいろ神が降りてきた、と言う宗教が、結構たくさんあるんです。
霊体の方が、人間を引きつける為に、我は最高の神であるぞ!とか言うんですよ、でもね人間に降りてくるのは、人間に近い存在であり、神と言えるレベルの存在は、神から人間には降りてこない、波長が合わないから、だから神レベルとの交流は人間側から、望んで交流してもらう必要があるし、神側にも合わせてもらう必要があるんです。 承諾した神霊に守護をして頂くと言う訳ですが、もともと、人間には、守護霊とか守護神とか、ガイドする存在が付くようになっていますので、先ずはそっちに感謝して、守護と導きをお願いした方が良いかもしれませんしね
奇跡的な体験、守護を感じた時、実は背後霊、守護霊と自身の波長が良くあって、守護と奇跡を起こす事ができた! と言う事も多いと思います、それが、神はいらっしゃる!と言う気持ちになり、ますます、守護霊とつながりが強くなるんです。
今年の正月、おぢばの神殿で親神様とは何であるか、強く波長を探って祈っていたら・・強烈に苦しくなってきて、重圧を感じたので、急遽謝罪して止めました。
以前は金色の光を感じたりもしましたが、まあ良い加減なお話です。
今は、相当レベルが高くなっておられる様で、神レベルにうかつに降りられたら、こっちの精神、肉体が破壊されると言う恐怖ですね。
どうしたら、感じられるのか? それは霊体とか魂の存在を信じる事ですね。
今回のコロナは、宗教や政治や経済体制であろうが、人類の弱い者イジメの酷い心に対する神の警告じゃないのか?
中共の終わりの始まりであることは間違いないが、我々も唐人心を慎もう。
一番慎むべきは、中田善亮を筆頭とする中山家と血族とそれを支える貴族の天理教の皮を被り続ける中山教団ですね。
金のつなぎは命のつなぎと言い放った中山教団に信者の心は切れましたからね(笑)
コロナウィルスを神の怒りに結びつけるのは宗教的発想ですね、それを中国への戒めと考えるのも、狭い発想であり、妄想的です、だから宗教的発想には限界があると感じます。
神の罰と言うより、パンデミックは、社会の有り様を再検討せよと言う、神々が与えた機会の一つであもあり、自然現象でもあると考えた方が、より判りやすいかと思います。
どこをどの様に捉えて、考えるのかは自分達に課せられた課題だと言えます。
今の日本を見ていても、政治(オリンピック優先、緊急事態と言う独裁的手法、国家の情報コントロールなど) や国民のいろんな改善点、問題点があらわになっています、(例えば買い占めとか)
この機会をどのように考えるか?
自分の考え方、人間としての有り様とか行動も問われていると考えた方が、よろしいのでは無いでしょうか?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00000024-jij-soci
新型コロナウイルスに感染し亡くなられた80代男性の最後の様子が時事通信社記事に(上記)在ります。
内容をかいつまんでご紹介します。
毎日発表される亡くなられた方の人数の「重さ」は命の重さであることを改めて感じさせてくれます。
2月上旬に発熱し治療を受けたが改善されなかったので新型コロナウイルスの検査を漸く受けた結果が陽性。
基礎疾患があったことから重度の肺炎で容態は悪化する中、坑エイズ薬が投与されるも病状は一進一退。
2月下旬、遺族の要望で窓ごしの面会が数分、許されたが直接声をかける事はかなわず「おじいちゃん、がんばって」の声は男性に届かず翌日お亡くなりになったそうです。
家族は隣接した部屋の窓越しの面会であっても、防護服・高性能マスク・手袋・靴カバーを着用し、携帯電話の使用も禁じられた(ウイルス対策の為)とのこと。
人工呼吸器を装着した男性の顔はパンパンに腫れあがって別人の顔のようにかわっていたそうです。
お気の毒としか言えません。
真柱夫妻をはじめとした天理教の権力者の皆さんに知っていただきたい。
このウイルス感染の厳しさは亡くなられたあとにも続くのです。
感染者の火葬経験のある社に依頼した火葬は、防疫のための袋におさめられお顔を見ることもかなわず、霊きゅう車の利用も断られたため別車両での移動となったそうです。経験のある社であっても、しかも自治体からの紹介を受けての御用であっても、すんなりと受けてもらえた訳ではなかったそうです。ご家族の方々の気持ちを斟酌するに、何とも言えず、厳しい現実がここにあったのです。
・・・・・・・・・ご冥福を祈ります。
感染拡大防止策を求めてしつこく何度もこの場をおかりして投稿させて頂く意味をどうか、ご理解いただきたいと思います。状況を想像して対策を実行する決断を下してください。洗脳された信者は参拝遠慮するようにという布告が出されない限りは、「月次祭をはずすこと」への恐怖から、行動を自分で決められないのです。
全国的な人の移動を伴う本部月次祭は3月から当分の間、中山家一族と天理教本部員とその家族でお勤めください。各人は各家庭で祈れば同じことです。(違いはお賽銭がお供えが本部へ集まらない事だけ)
感染を甘く見るような情報を意図的に流す専門家もいる現状ですが、各人が賢く判断し、拡大を防ぐ努力をしたいものです。私たちは天理教徒であっても、社会人として存在していることに責任を持たなければ、カルト教団の一員と同じ事になってしまいます。
これだけ言葉を尽くして提案しても、理解できなとしたら・・・・。
崩壊さん、私も中山みき婆そのものが胡散臭いと思っております。
これからは、みき婆さんに焦点当ててみて、キリストとの比較検証していただきたいものです。
朝夕のおつとめに1000人以上の人が集まっていますが危険ではないでしょうか 本部員だけですべきです 無責任な天理教です
匿名
2020年3月7日 4:31 PM
中田善亮狼中年のせいで、教祖中山みき まで汚名を着せられ可愛そうですが致し方ないことでしょう。信者はみな天理教を信仰したいのに、中山教の中山家が主導したために教団は中山教に変貌し、使わない建物ヤカタをたて、中山家と血族と貴族は贅沢三昧し、信者はもう呆れてやる気は無い。ただそれが今明確に暴かれただけですね。ますます衰退は加速するでしょう。
匿名 様
2020年3月7日 4:31 PM
>>崩壊さん、私も中山みき婆そのものが胡散臭いと思っております。
これからは、みき婆さんに焦点当ててみて、キリストとの比較検証していただきたいものです。<<
キリスト教にも説明のつかない胡散臭い部分は多々あります。一例ですが、キリストは十字架にかけられ一旦死亡しますが、再度、復活します。死亡するということは人間であるという証拠です。迷信であることはキリスト教信者でも分かってます。常識では考えられない話です。中山みきさんも存命であると言われていますが、一旦、死亡されたからには人間であるということです。存命であること自体、常識では考えられません。天理教では「不思議が神」という言葉がありますが、私には信じられません。
森田療法で有名な精神科医森田正馬氏が、天理教教祖中山みきは祈祷性精神病であると何かの本に書かれており、お家没落の憂き目に合い、年齢的にも更年期もあり不定愁訴などかなり精神が病んでいて、これを身内の者が神がかりとして、「病直しの生き神さん」として宣伝したんでしょうか?
聖書を時々読んでいます。崩壊さん早々にコメントありがとうございます。
無責任教団は4月18日おや様誕生祭、19日婦人会総会を現時点では開催決行の腹づもりの様です。支部の話です。
まだ様子見でしょうか?学生会、少年会の集会は中止を決めて居るのに、大口の集会は特段の金の集まる機会なので簡単にはあきらめきれないのでしょうね。
規模が大きいほど感染リスクは高いのに。どうでもいい集会から中止を決めている。
金が欲しいんだなぁ。浅ましい。
唐人心とは、今さえよくば(未来はどうなってもいい)、我さえよくば(他者はどうなってもいい)という優しさの欠けた心なのでしょう。病根たる八つの埃の根源たる、支配欲とエゴの深さも唐人心と云うべきではないか?
コロナウイルスだけでなくグローバルスタンダードたる強いもの勝ちの世界観が蔓延っている事への神の残念と捉えるべきではないか?
ローマ教皇だけでなく、宗教の指導的立場の人間でさえ、経済力のある国にすり寄るご時世に、現天理教指導部もアメリカンいやチャイナ発のチャイニーズグローバルスタンダードに精神が汚れている事への残念なのではないか?
こころどうりの神の守護。唐人が日本の地に入り込んで、我が儘にするのが神の残念。神の残念今ぞ顕す。
匿名 様
2020年3月7日 7:05 PM
>>森田療法で有名な精神科医森田正馬氏が、天理教教祖中山みきは祈祷性精神病であると何かの本に書かれており、お家没落の憂き目に合い、年齢的にも更年期もあり不定愁訴などかなり精神が病んでいて、これを身内の者が神がかりとして、「病直しの生き神さん」として宣伝したんでしょうか?<<
十分あり得る話だと思います。私の親戚にあたる若い人で、精神を病んでおられた方がおり、森田正馬博士が、まだご健在の頃、東京の森田博士のお宅に本人を連れてうかがったことがあります。昔の話ではっきりとしたことは記憶しておりませんが、一見、診療所のように見えない民家の応接室に通され、博士に本人の症状等について色々と聴かれた後、しばらくの間、森田博士の治療施設で1ヶ月か2ヶ月程度の宿泊を伴う治療が必要であるとの診断を受け、私一人で帰ったことを思い出しました。幸いにも、本人は治療の甲斐あって、精神の病は完治し、無事に社会復帰いたしました。中山みきさんも、家庭的な複雑な諸事情や更年期障害等で、精神を病まれていたのかもしれませんね。
奈良・天理の保育所職員関係者が大阪のライブハウス訪問、保育所は臨時休園へ
2020.3.7 20:09産経WEST
https://www.sankei.com/west/news/200307/wst2003070013-n1.html
奈良県天理市は7日、市立南保育所に勤務する職員の関係者が、複数の感染者が出た大阪市内のライブハウスを訪れていたと発表した。天理市は22日まで保育所を臨時休園し、職員を自宅待機とした。
市によると、職員の関係者は2月中旬にライブハウスを訪れ、その際に感染者と濃厚接触があったという。職員は今月6日まで保育所に出勤していたが、発熱やせきなどの症状は確認されていない。
保育所で18日に予定されていた修了証書授与式は23日以降に延期。市は児童の健康状態を電話で確認するとともに、保護者には児童に外出を控えるよう要請している。
月日の社、神の啓示者と名乗った教祖の言行と奇跡的な救済物語を検証するなら科学的ともいえるが。
何でもかんでも神の啓示者をじたがるのも、何でもかんでも精神障害の症状にしたがるのも、議論以前の問題ではないか?
崩壊さんは無神論者なのか??人間の中心が魂であることも認めないのか???
中共の終わりの始まりではあるだろうが、おじばにたすけ一条の元締めになってほしいものだ。集金一条じゃなくてね。w
崩壊様
>ご回答ありがとうございました。それにしても妙な話ですね。人間である
>はずの中山みきさんが、他者を「神の社」として貰い受けることなどできるのでしょうか?
中山みきは人間です。神ではありません。「耳うつし」という言葉をご存じでしょうか?口のない親神が中山みきに対して、神の声を伝えることです。それで、みきが見抜き見通しだと言われているのは月日親神から「耳うつし」で聞いていたからです。みきに直接、息の授けをいただいた高井猶吉が語っています。(『教祖より聞きし話』高井猶吉P5)
つまり、月日親神の方からみきに対して「耳うつし」があり、その3人を神が人足社としてもらい受けたいと伝えたと私は考えております。
ですから、月日親神は、みき同様に神の思いを人間に伝える者を人材育成していたのかとも思われます。その一人が飯田岩次郎であり、水のさずけをもらうほどの人物であったのに、結果的には分派してしまって、本部からは異端扱いになっています。もう一人のナライトさんは狂人扱いで戻されています。
私の推測に過ぎませんが、ナライトさんも見抜き見通しだったエピソードが残っているので、恐らく親神が「耳うつし」でいろいろ教えていたのかとも思います。ちなみに飯田岩次郎も「耳うつし」があり、分派していきました。茨木もそうだったのかと思われます。
>人間中山みきさんは、腹を立てることはなかったのでしょうか?
>心を濁すことはなかったのでしょうか?
人間ですから、腹も立てれば感情移入することもあったと思います。二代真柱が作った教祖伝や現在の教典では中山みきを最初から神だと扱っていますが、芹沢光治良もいうように最初から神だったのではなく、月日親神の「やしろ」であり、それほど神に見込まれた人物だったのだと思います。ですから別鍋で、働くことも必要なく、心を濁すようなことをしてはいけない上に、いつも心にほこりのついていない状態に保たなければならなかったのかとも思います。「天理の霊能者」に出てくる人物たちは、その神に見込まれるレベルにあったか、神から見て候補者レベルにあった人々だと私は思っております。
神さまの「腹立ち」というのは、人間の腹立ちとは違って、「ホコリのない腹立ち」 というようなものではないかと思います。
おふでさきに
「人間の我が子の意見思てみよ 腹の立つのも可愛いゆえから」 (5-17)
とあるのですが、この「腹立ち」 は、子どものことを思って意見しているのであって、感情的になって腹を立てているわけではありません。したがって、この「腹立ち」 の後に続く「可愛い」 もホコリの可愛いではありません。
可愛い子どもの将来を思ったら、どうしても意見や注意をしなければならない。だから、むごい言葉を使って意見をする、意見をするが、子どもを見捨てたりはしない。なぜなら、憎くて叱っているわけではないのだからです。よって、むごい言葉を吐いても、憎いというホコリはありません。、
人間の腹立ちと神さまの腹立ちは、やはり同質のものではなく、次元が違っていると思います。
おやさまも、ひながたの道を通られる過程において、たとえ、心遣いに人間らしいホコリがあられたとしても、それを昇華することをマスターされていかれたのではないでしょうか。
解り切ったことばかり言ってすみません。理屈をこねたついでに、一つ言わせてください。
私も、モンリジロウ様と同じで、おやさまは」最初から神ではなかった、と思います。おやさまは人間のところからスタートされて、神に近いところまで昇りつめられた、と考えます。このことは、修行を経ることによって、人間は誰しもおやさまのようになれる、ということを語っているのではないでしょうか。
だから、おやさまのことは、そのまま伝えられるといいのではないかと思います。なぜ、二代さんは、おやさまは最初から神だったということにこだわられたんでしょうか・・。
匿名 様
2020年3月7日 10:09 PM
>>月日の社、神の啓示者と名乗った教祖の言行と奇跡的な救済物語を検証するなら科学的ともいえるが。
何でもかんでも神の啓示者をじたがるのも、何でもかんでも精神障害の症状にしたがるのも、議論以前の問題ではないか?
崩壊さんは無神論者なのか??人間の中心が魂であることも認めないのか???<<
私は、齢を重ねるにつれ、無神論者に近づいているように自分でも感じます。例えば、今回のコロナウィルスの問題も、若い頃は、「神からの何らかの啓示、警鐘かもしれない」と感じることもありましたが、今は、地球の温暖化等、環境問題と何らかの因果関係があるのではないかと考えるようになりました。もちろん、万物の霊長と言われる人間を人間たらしめているのは魂であると思います。人間が他の生物と比べて決定的に違うのは「理性」や「良心」を持っていることであり、人間の魂は理性や良心に他ならないと考えています。
個人的な意見です、読み流して下さい
最初から神なら、宗教の教祖として都合が良いですね、特別な存在であり、存命の神として扱うことで信者はついて来ますからね。
私の様な大霊界世界観から見たら、教祖様だけが特別なのではありません、人間なら誰しも持っている素養だと思います。 誰の体もみんな同じ様に、肉体と想念体と魂で構成されている事に変わりはありません。
愛町信者は、初代様を特別視していますが、実際、初代様の霊体は神的に向上して存在し、信者を助けておられる様に感じます。
教祖様も、同様に、進化されて存在しています、だから、私は教祖が降りてきたと言っても老婆では無いと感じています、もし赤い着物の老婆が降りて来たと言うなら、ほかの霊体に騙されてるように思います。
肉体は神にはなれませんが、魂は、神が分けてくれた命です、だから、誰しも、肉体から解放された後は霊界で生き続け、時間をかけて階段を上る様に進化しながら、時に子孫を、人間を導き守護する事になると思います。
因縁として、怨みを残し地上に残って、人に取り付く方も見えますし、加持祈祷師とかが呼び出すのを虎視眈々と狙ってる霊体など、いろんな霊体が存在するので、霊の
声を神の声だと勘違いして、取り憑かれる事もあるから、要注意です。
神になればなるほど、人間に通じる言葉を話すことはなくなります。 波長が全く違います。
肉体に魂の萌芽を植えて、地上に生まれるのは一回のみです。
心づかいを間違えば、この世でやり直しでは無く、そう言う世界からスタートして、想念にこびりついた埃を削り取られます、それが地獄と言う苦痛の世界なのです。
誰だか判らない、漠然とした神、神と想っているより、守護霊様ありがとうございますって祈った方が、守ってもらえるかもしれませんよ。
もちろん、お供えは、要りませんしね。
神とは何であるか、この世界の構成はどうなっているのか? なぜ私達は存在するのか? どこへ向かうのか? そう考えだすと、天理教には明確な完結する世界観が教えに存在しないので、結局、個人の思索になり、どんどん天理教から外れて行きますし、異端になってしまいますね。
そう言うことを指し示す、神レベルの存在とコンタクトを取って探索する本席様の様な存在を無くして、人間の考えで教団を運営して来てると思うので、偉い人の言うことでも、全て人間思案でしか無いと感じてしまいます。
天理教の範囲内で真摯に生きるか、天理教を超えて異端となっても、神様を探求して行くか? 突き詰めたらそうなって来ませんかって思いますし、いっそそんな物は一切存在しない、人間死んだら終わりだと決めてしまうかですね。
人は死ねば終わりです。水と空気と土に返ります。この思いはあくまでも自分の思いであり、他の方の死への思いを否定はしません。魂なんて言ってますが、魂も生きている限りのことではないでしょうか、二度の全身麻酔を受けた経験からの感想です。幸いにも麻酔から目覚めましたが、目覚めなければ終わりでした。
ただ、それだけのことです。82歳目前の超健康老人の繰り言です。
なんだかんだと理屈をつけておらるようですが、それぞれの経験から語っておられるだけだと思っています。
再度、言います。他の方の思いを否定はしません。なぜなら、人はそれぞれだからです。
父母を始め親戚縁者の墓参も3年以上していませんが、申し訳ないとも思っていないし、別段、精神に異常をきたしているとも思っていません。
日々、腹8分目に食し、飲酒はせずというより出来ない、タバコも40年前にやめています。雨の日以外はよく歩きます。バスを降りる時も二駅前でおりて歩きます。バス運賃も10円安くなり、一挙両得です。
小・中学校の同窓会では、何を楽しみに生きているのかと問われますが、笑顔を返すだけです。
信仰による幸福論を説きますが、天高二部の同窓生の死亡率が一番高いですよ。小・中学校同窓生の方が生存率ははるかに高いです。
介護保険や後期高齢者保険をなるべく使わないのも一種の人助けだと思っているんです。大げさに人助けなんか叫んでいるが、なんだか悲壮感が漂っているようで馴染むことが出来ません。
新型コロナウイルス肺炎も、いろいろに発せられる注意事項を忠実に守る以外に予防方法はないでしょう。
注意事項を守ることも、人助けの一環だと思っています。
天理教布教部長・柏木庫治氏から教会長資格検定講習修了証を受けた者のとりとめのない繰り言です。
東風Z さん
私も他の方の思いを否定はしません。なぜなら、人はそれぞれだからです。
私も、もちろんそう思っています。 だから自分の考えを書いているだけです。
いろんな現象について、系統だてて説明出来る様にしています、それを書いて、ここで誰かに足りない部分を突っ込んでもらえたら、さらにそこを模索して答えを出そうと言う意図は持っています。
全てを系統だてて説明出来る世界観が欲しい、これが私の信仰の原点です
それと、前にも書いたけど、奇跡と不思議が得られ、自分の存在意義をハッキリさせてくれる今の世界観に出会った時、衝撃であり、それも信仰のモチベーションになっています。
私はこれで幸せだし、いろいろ救われていますし、自分の死の先も判っています。
長年の信仰せいか、ある程度、見えますし、判りますしね。
それも洗脳と言われても、どうしようもないし、友人の教会長を説得できるわけでも無いです、教会長は、神について私とは絶対話しをしません、価値観が崩れてしまうからでしょう。
人を変えられない、ただ、天理教の価値観に、こう言う世界観からの判断もあるよって当てて見てる訳です。
天理教をやめても、他にも神様は、いろいろあるよって言いたいのです。
息子が天理高校に行って無ければ、ここに書いたりはしませんでした。
信仰による幸福論を説きますが、天高二部の同窓生の死亡率が一番高いですよ。小・中学校同窓生の方が生存率ははるかに高いです。<<
少しずつ洗脳から解け始めている熱心な70代の信者の知り合いから安否の電話があり、今回部内教会合わせて50万を本部婦人会にお供えするから4月の総会には皆んな参加してほしいと言われたんだ、、と。
こんな非常時に自分は行かないと返事したそうです。「本部は狂ってるね。電車と言う箱の中に詰められて移動する人も多いのに。何がご守護だか。自分の身は自分で守る。第一真柱の身上が治らないんだから、ほんま天理教も笑いものだね。どこにご守護があるんだか〜。」
信仰した筈の天高二部生の方が寿命が短く、世間一般の方が長生きすると言う現象は、「真柱も完治せず。つまり信仰してもご守護が見えず」を証明していて、天理教信仰がいかに意味のない、意味不明な活動であるかと言う現実を表して居ると思う。
幹部から脅迫めいた諭しを受け、事ある毎に自分の発露からなる行為を否定し疑問視する生活習慣を植え付けられる。 天理教から植え付けられた神への怯えと強迫観念を捨てたら天理教信仰者は世間一般の人々の様にもっと長生き出来るのだと思います。
コロナウイルスが流行したため、社会全体が動きが止まっております。
私が所属する宗教団体でも、既に全ての行事の開催が原則として中止され、どうしても必要な会議なども、小規模なものに限り厳重な条件付きでの開催となっています。大きな行事も急に中止になりました。会議もネット会議なども代替に使っているみたいです。
このような現状ですが、宗教を信じる人は、「祈る」と言う手段が残されています。
信じる宗教は違いますが、至誠天に通ずと思います。天理教の皆様も祈っておられると思いますが、私たちも祈りを深めたいと思います。
みき教祖の話しを読んだときにに「理性」や「良心」の発露を感じましたが、後の宗教家の話しを読むのには疑問と疑いと修正が必要で、なんだか肩の凝る作業ようでしたね。
病まず死なず弱らずという信仰の効能を説かれている以上、信者と未信者の寿命を比べる事は有効ですね。
何代も本部の云う事を聞いた人達の平均寿命が、世間様より短命なら、有益どころか有害とさえ言えますね。
どんな栄養のあるミルクでも泥を混ぜれば有害ですが、ご自身で濾過しながら飲む必要のある現在は、骨の折れる仕事が加わったようですね。水源地から泥を混ぜたら詐欺的犯罪的という悪口を完全否定はできないですね。
本部関係者各位
いまだに教会関係者の間の抜けた感性に戸惑っている信者さん達がいて、所属会長に総会開催の有無を聞いても返事は頓珍漢だそうですよ。あるの?ないの?と聞いてるのに話を逸らされるそうですよ。本部から婦人会総会中止の連絡が無いらしいが、どうしたんだろう?と本気で心配しておられますよ。本部に中止要請の電話してみようか?と一信者の立場でそこまで真剣に悩んでおられますよ。
天理から感染者が出たら絶対に本部が疑われる。そうなったら大変な事になる、と言っておられます。本部を消毒する様な事になったらお終いだ。とそう言う心からの心配をしている信者の心があると言う事に寄り添って下さい。自分の事の様に本部が世間から叩かれる事態を恐れ、我が事の様に本部を心配する信者の思いに、ちょっとは本気で考えて下さい。命をお与えくださった親神様の前に命を大切にする事。集団感染の渦の中へ招き入れる様な行為は命を粗末に扱う行為です。強行開催は親神様から頂いた互いの命を大切にせよと言う神意に反します。中止宣言したなら、本部の株も上がるんだが、と誠にかように思う次第です。
二代目真柱が教祖を神に仕立て上げたかった最大の理由は、教祖の子孫である自分の権力を正当化し、中山一族を特別な魂を持つ神聖不可侵な一族として、未来永劫その安泰を確固たらしめるため。そうとしか私には考えられません。
真柱が倒れて後、ブラジルから来た修養科生が、おさづけの拝戴を受けることなく帰国したことについて、うちの会長さんは言っていました。
「それほどに真柱の理というものは重いものなのだ」と。
しかし「神」の能力とか素養といったものが遺伝するわけもなく、真柱には天啓を受ける能力など有りはしないし、おさづけの効果さえ怪しいものとなってしまいました。
今では私は、教祖は人間だった。ただし、ただの人間ではなかったのだと思っています。病人が奇蹟のような回復をできたのは、あくまでも神の守護によるものであり、教祖は神様のメッセージを人々へと伝えるスピーカー付き翻訳機(なぜか関西弁仕様)として送り出された一人の人間なのでしょう。それは誰にでもできることではなかったと思いますが。
後世の人間によって、人間的な側面を否定されているのは教祖に限ったことではなく、聖書においてもキリストが笑ったという描写は一つも無いのだそうですね。精神的な意味とは思いますが、神は自らに似せて人を創られたとも聞きました。それでは人間らしいとは、あまり良くないことのように聞こえてしまいますね。そうそう、うちの会長さんは月次祭の神殿講話で言っていましたよ。
「私は神様の目線で物事を見るようになってから、不足したり腹を立てたりすることが無くなりました」って。
彼は自分が何を言っているか解かっているのかな?
イタリアの首相は、ロンバルディア州全域および14県の封鎖を発表した。
経済拠点ミラノや観光都市ヴェネツィアも含まれ、総計1600万人の住民が影響を受ける。
隔離中は結婚式や葬式も、開くことができない。
住民はできる限り家に留まり、不要不急の外出を控えるよう求められている。
こうした爆発的感染拡大状況のなかでローマ教皇庁は7日、教皇が毎週日曜にサンピエトロ広場で
行う、「正午の祈り」を、8日はビデオ中継で実施すると発表した。
広場に信者が大勢集まらないようにするためという。
今を生きている信者を尊重した立派な決定だと思う。
本教信者の中には、「おじばの理」を持ち出して反論する人もいるが、そんなことは信者は誰でも
知っている。
お願い勤めに千人集まろうが、このたびの新型コロナ感染拡大防止の前には的外れの視点であろう。
じばの理が信仰の要だというのならば、親神が何故に人間を創ったのか、その元一日に思いを巡らす
ことの方が、信仰の要だ。
人間創造の意義を全うするには、未知のウイルスの前で人間の理性を働かせ、感染防止策をとる事は、
教えに添った行為なのだ。
これが理解できずに、洗脳結果なのか「月次祭ははずせない」などと縛られている信者を救うには
本部からの布告が必須と言えるだろう。
本部が決定できないならば、各自の判断で本部参拝は中止することで信仰者の真の心を示しませんか。
うちの教会の人たちは躊躇する様子も無く、1歳児を含む全員が2月の本部月次祭に参拝していました。そのうえ2月までは修養科1名、2月からは、ひのきしん隊2名を出しています。移動には自教会の車を使っていますが、この様子だと本部から来るなと言われない限り、3月の本部月次祭も同様になりそうです。神事を抜かすことへの恐怖からなのか、それとも典型的な恒常性バイアスなのか・・・。
試される信仰心。(信者)
試される組織への忠誠心。(教会従事者)
求められる自発性。(青年会)
応えられない、答えたくない、自分は悪くないというスタンスの教会本部。
如何なる神の思わくか
この度の新型コロナウィルス流行という節。
生き節か死に節か
さあ思案だ。先案じではなく、思案思案。
大人しくしていよう
自分は
地方教会の人が救けを求めても、偉いさんは知らんふりなんだろうな~
地球の生命は100億年と言われています。想像を絶する長い時間の如何ほどの時間を人類は生きるのだろう。
下手をすれば、人類は原子力の使い方を誤って、人類のみならず、地球の生命そのものも死滅させるのではないかと思っています。
高レベルの放射性廃棄物は地中深く埋設するといっているが、地球には何が起こるのか分からない不安定な要素を抱えていると思う。
福島原発だって、もう少しの所で首都圏を含む約3千万人の避難を余儀なくされていただろうと言われている。世界には250基を超える原発がある。1基の不調が連鎖的に他の原発に影響を及ぼせば、と想像すると地球は暑熱疑獄になるのだろうか。
杞憂に過ぎないとは思っているが、原子力技術者はあり得ないことではないとも語っておられたのを聞いたことがある。
人類は、そのような刹那の中で生きているのかもしれない。新型コロナウイルス肺炎が発生することだって誰が想像しただろう。
教団本部の人達程お目出度い人たちが他に居られるのだろうか。お願いつとめだとか、婦人会総会だとか何を考えて居られるのか。神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。
>>神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。<<
若狭湾沿岸だけで15基の原発があります(原発銀座)。考えただけでも恐ろしいことです。地球上に住んでいる人間をはじめとする生物は、卵の殻より薄い膜の上に住んでいるようなものであり、いつ終末を迎えても不思議ではありません。
>神があるというんであれば、福島原発と新型コロナウイルス肺炎をさっさと始末してください。<
ただ、助けてくれ、助けてくれ、と言って願うだけでは、助けてもらえません。
その代償として、あなたは何を神に供えるつもりですか?
もちろん、金銭を以て代償とすることはできません。(金銭はすでに否定されたんでしょう?)
私は、この世に起きる戦争や紛争、自然災害、原発事故等、人間やその他の生物を不幸にしてきた事象は、全て「なるべくしてなった」ことだと考えています。神が存在すると仮定しても神に起因することではありません。全て人間の果てしのない欲望や利己主義に起因すると考えます。天理教的表現を借りれば、「我が身恨み」であると思います。全て人間の責任です。人間は過去から現在まで惹起した様々な事象を検証しないで、欲望や利便性、効率性のみを追求してきた結果が、今の姿です。人間はもっと謙虚になり、過去に犯してきた過ちを猛省し、検証しなければ、地球の未来へとつながる糸口すら見つからず、破滅へと向かうことは目に見えています。
>総会開催の有無を聞いても返事は頓珍漢だそうですよ。あるの?ないの?と聞いてるのに話を逸らされるそうですよ。
話をはぐらかすのは天理教分教会長・大教会長ほか、幹部の常套手段ですな。
そこまでカネが大事かいな?崩壊寸前でありながらまだ絶対王政を装うの?
まったく素直になれない人たちね。
「命の危険をものともせずに行くか?私は行くわけないでしょ!」これが正常な人間。
「どんなことがあろうと行く。」こう思ってる人は意志のない人。善悪の判断ができない人。他人の言いなりにしか行動できない人。
手遅れにならないように後悔しないように、もう答えははっきりしていますが、ここまで言われてもまだ行きます?
> 人間はもっと謙虚になり、過去に犯してきた過ちを猛省し、検証しなければ、・・・
その通りです。金は要らん。金を持ってきても、神さまは受け取られん。みんな、生き方を変えよ。心をを変えよ。
1億総ザンゲ。70億総々ザンゲ。・・と、エラソーなことを言わせていただきます。
>>その通りです。金は要らん。金を持ってきても、神さまは受け取られん。みんな、生き方を変えよ。心をを変えよ。
1億総ザンゲ。70億総々ザンゲ。・・と、エラソーなことを言わせていただきます。<<
本日、教会本部からの情報では、教会本部の月次祭は3月26日予定通り挙行するとのことです。月次祭は、人類の救済を目的に執り行うという本部側の言い分です。傲慢極まりないと思います。教会本部は、もう救いようがないほど狂っています。
婦人会総会、関連行事中止みたいです。天理教ホームページに掲載されました。
月次祭の挙行は別に構わないと思います。問題なのは特に参拝者が県外から来て、地元に帰っていくということです。だから、本部員やお地場在住者のみで行えばいいんです。県外者は会長は自教会で、信者は自宅もしくは教会(近ければ)で遥拝をすればいいんです。そのことを本部がHPで発信するべきです。どなたかが、投稿していましたが、参拝者が万一感染していた場合、本部の消毒等、行政の天理市も大変なことになるのです。市内には保育園勤務者の大阪ライブハウスに行っていた方がいて、濃厚接触者?かもしれませんから。本部は県外者の参拝自粛を訴える気もないのでしょうか?
婦人会総会中止の発表がありましたね。遅きに失した感があります。「行政の要請を受け」の一言には違和感を覚えます。命を大切にする教団ならとっくの昔に自発的に中止の決断が出来た筈。この非常時にノー天気な動きしか見せないから天理市行政も黙っておれなくなったのでしょう。本部は天理市の要請を受け渋々重い腰を上げたと言う所でしょうか。
本当は開催したかったが、行政が許さなかった。渋々中止せざるを得なくなった。結局そう言う事なのでしょう。
天理教本部と言えども行政管轄下で生きていると言う事を忘れてはいけない。
「親神」が、理の親教理による支配体制を強化するための造語というように考えていたら、とんでもない疑問が頭に浮かんできてしまいました。
教祖「中山みき」は在世中、本当に人々から「おやさま」と呼ばれていたのでしょうか。言い伝えではなく、それを裏付けるような手紙などの文書が、明治20年までに残されているのでしょうか。
「親」に「様」を付けたような呼び方なんて、まさに理の親教理に利用するための発想のような気がしてきたもので。
一時期ここのコメントでも擁護されていた 大亮の嫁のぶえも最近はすっかり高慢になったみたいですね笑 高慢してると真柱みたいに頭の身上にかかるので お大事にw
一億総懺悔、七十億総懺悔、要りませんよ。
コロナウイルス自体、昔からある風邪のウイルス、新種ってだけですね。
衣食をしっかりして、免疫力を付けた人は重症化もせず、重い風邪程度で回復しているとも言われています。
しっかり手洗いと、うがいをして、無理せず、人混みに出なければ、恐る程では無いと思います。
この混乱に乗じて、儲けようとする人、非常事態宣言で国民を支配しようとする内閣、無能な首相、買い占め、利権、ライブハウス閉めてもパチンコ閉めずの不思議。
社会の問題がいろいろあぶり出されてますね。
天理教も本部の運営の問題点が、良く見えた・・と言うだけでしょう。
無用に、漠然とした神様に結び付ける必要も無いかと思います。
死んだペットは何処へ行く?
動物は、魂体と言うほど、強い霊体を持っておらず、肉体消滅後は、その霊体も、大霊界のエネルギーの流れにまた霧散して行くと言われています。
魂や想念などを維持しているエネルギーこそ、絶対的存在である造物主が中心から放射するエネルギーであり、我々の霊体は独立した意思を与えられているけど、造物主につながったエネルギー的存在である。
動物レベルは独立しておらず、霧散するが、人間に飼われたペットは、人間の意思が望む事により、再びエネルギーを集めて、自分の身近に自分に属するエネルギー体として置くことができる。
だから、死後の世界でも、ペットに再開する事は可能であるが、自分自身がエネルギーを集められるだけの、霊的レベルに達していなければならない。
どこかに書いてある文章ではありません、いろんな人の意見と、御守護神に尋ねて、浮かんで来た答えです。
犬でも猫でも、長く飼うと、人間の愛情を受ける事により、霊体が強化され、個として固まって行きますので、死後の霊界でも、それが残り、自分が呼び寄せ、現すキーポイントになります。
どうでも良いお話ですが、ペットについて尋ねられた時、ちゃんと仮説を立てて説明できた方が良いですよね? 天理教ではあまり触れられて無いので。
新型コロナウィルス肺炎も自然災害の一種になるのでしょうか。近年、地震・津波・台風・水害。雷等の災害多発がいわれていますが、明治29年の琵琶湖大水害は近年の水害とは比較にならないほどの被害が出ていることが、滋賀県大津市の南郷(現・瀬田川洗堰)洗堰に隣接して設置されているアクア琵琶というところを訪ねるとよく分かります。
一度行ったことがありますが、素晴らしい施設です。
ところで、天理教では全ての禍は神の立腹と説かれていますが、これをどのように受け止めればいいんでしょうか。天理教を信仰されている方は、この教えを受け入れられているように感じていますが、先の東北の津波では、いたいけな幼児までもが亡くなられている状況を同様の想いで受け入れるのには、余りにも観念的過ぎると思います。むしろ、何の罪や咎もない幼児までもが災害に遭われている状況を見ると、人と云えども所詮は自然の一部であり、その自然の禍に会うのは無常と言える過酷な状況ととらえざるを得ません。
人知では超えることのできない、目に見えない一線があると考えるしか気持ちを納得させることが出来ないのではないでしょうか。
酷な見方かもしれませんが、ではどうすればよいのかの答えは永遠の課題でしょう。
改めて思うのは、あらゆる災厄は自然の中で生きる厳しさを思い知らされる出来事として捉えるしか心の処し方が無いということでしょうか。
天理教を信仰することにより、あらゆる艱難辛苦を受け入れることが出来る心づくりが出来るということでしょうか。
そこでお聞きしたいことは、信仰の頂点に居ながらも体の一部に不自由を抱えておられる真柱さんの心境を忌憚なく吐露していただけるのかということです。
あらゆる災厄は自然の中で生きる厳しさを思い知らされる出来事<<
天理教では神の立腹とか言って信者に更なる回避の為の献金などに繋げているが、所詮あらゆる自然現象は天然自然の姿そのものであり、意味とか大いなる存在の意思とかは無いように思う。宇宙エネルギーに飲み込まれているだけなのかと。
罪も咎も無い善人、幼児が何故死ぬか。天然自然の世界では死ぬ時は死ぬ。生きる時は生きる。ただそれだけの事ではないのか、、。
真柱が治るのも、治らないのも、神がどうのは関係ないかと思う。善人も悪人も等しく死んでいく、、。
人を助けて我が身助かるは、人間関係の上では作用するが、宇宙的エネルギーの爆発の前では、人間と言うものは人に踏まれる足元の蟻のような存在ではないかと、、。踏まれた無垢なる蟻は何故今突然踏まれ死んだか、理由がわからなく殺される。生きると言う事は理不尽と背中合わせと言う事かと。無情が人の一生の本質であり、天理教がいう命の繋ぎはお金と言う発想は、お金で生き延びよ、と言う低レベルな欲張りが考える発想に過ぎないかと。
天然自然の前では真柱も治らない。治らないものは治らない。代々の真柱も苦しんで死んだ。当然の事、信者の信仰心を咎めるような本部の姿勢や考え方は傲慢そのものでありナンセンスそのもの。現状神は一々の人間の願いなど聞いちゃいない。
今を生きる我々はせめて周囲の人間を大切にし、助け合う中で互いに笑い合い、痛みを分け合って生きるだけ。人を助け、助けられてそこに幸福感を感じて生きる。それ以上でも以下でもなく。それで良いのではないか、、。おかしな宗教団体の権力者の欲望に振り回されるのは全く意味を持たないのかと、、。
わからない事だらけです。失礼しました。
前にも書きましたが、答えはありますよ。
私は、この様にとらえています、簡単な理屈です。
異なる文化、異なる思想、宗教の人同士が互いに存在を認め合い、尊重できる、社会的仕組みを作ること、自然災害に備えて、防災をする事、病気や怪我に備えて医療を発達させて、誰でも受けられる様にして行く事。
人間も地球の一部、だから地球環境を守り、自然のバランスを保つ事
それを目指す場所、でもなかなか全部は整いはしませんね。
人1人の命は短く、人間には神の理性と共に、欲と動物の心、悪魔の心が与えられていますから。 それを持って、霊体を磨く場所、修行の場所
大震災は繰り返し来ます、だから備える、人間は世代を超えて伝える事ができます、考える知恵も与えられています。
人間は、いろんな事ができる、人類には英知がある、地球と言う奇跡の場所にいる事もわかっています。
地球では、繰り返し災害は起きます、学んで知恵を出せと、言う事です。
神々は、人類に必要な知恵を常に、エネルギーとして下さっているのです。
神々は、罰を与えない、戒めない、常に愛の手を差し伸べています。
受け取れない、気がつかない人が多い。
欲を増幅させる魔神のエネルギーもある、それに乗れば地獄に進めます。
地球は、霊体を短期間に成長させる場所、だから修行の場所。
幼くして亡くなった、魂は、小さなエネルギー体の集まる場所で、長い時間をかけてゆっくりと成長を続けて行きます、愛情のエネルギーを出す神的霊体に育てられ、神への階段を登るだけです、決して消える事は無い。
神々は、罰を与えない、戒めない、常に手を差し伸べています。
それを心でしっかりと受け止め、自分の魂に神への階段を登ってもらうのが、信仰だと思います。
人間をはじめ、この世に生きとし生ける生物、コロナウィルスのような細菌ですら自然の一部です。地球上に存在する万物、地球という天体そのもの、あるいは地球以外の天体(宇宙)も広い意味での自然です。自然のほんの一部にすぎない人間が、自然の計り知れない力に抗うことは不可能だと思います。
匿名 様
2020年3月10日 10:38 AM
>>今を生きる我々はせめて周囲の人間を大切にし、助け合う中で互いに笑い合い、痛みを分け合って生きるだけ。人を助け、助けられてそこに幸福感を感じて生きる。それ以上でも以下でもなく。それで良いのではないか、、。おかしな宗教団体の権力者の欲望に振り回されるのは全く意味を持たないのかと、、。<<
その通りだと思います。それが本来の「陽気くらし」だと思います。
天理教教会本部に3月の本部月次祭への信者参拝の自粛の布告を要請します。
地方では規模の大、小かかわらずそれぞれの教会が各信者に自教会月次祭参拝への自粛の要請を出し始めています。教会家族だけで実施するとの流れが出始めました。教会長は電車利用の信者に対し、参拝しないで欲しいと、敢えてはっきり自粛要請の連絡を入れています。これが誠意と言うものです。
それなのに本部は、、。
地球規模で感染拡大していると言うのに、この非常時に本部はどうなっているのだろう?と信者は本部の煮え切らない姿勢に疑問と不信感を持ち始めています。
天理教教会本部は信者のコロナ被害を相当軽く考えているんでしょう。世間の感覚から一歩も二歩も遅れてる、、。無責任の極み。
改めて3月本部月次祭への参拝の自粛を要請します。教会本部は国の方針に従いましょう!!
アルバイト中にひき逃げ逮捕された天理教幹部の意外な窮状
3/10(火) 16:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200310-00000013-pseven-soci
事件は“バイト中”に起こった。警視庁は2月28日、東京都葛飾区の路上で男性をひき逃げして死亡させた疑いで、同区に住む清康雄容疑者(58)を逮捕した。メディアは清容疑者の肩書きを「宗教団体幹部」と報じ、事件発生時は「アルバイト」の最中だったと伝えた。宗教団体関係者に取材を進めると、都内在住のある天理教信者がこう証言した。
「彼は葛飾区にある天理教の教会長です。レンタカー店でアルバイト中で、運転業務中にひき逃げをしてしまったらしい」
ひき逃げという犯罪の悪質さもさることながら、気になるのは「なぜ天理教の幹部ともあろう人物がアルバイトを?」という点だ。奈良県天理市にある教会本部に問い合わせると、容疑者が教団の教会長だったことを認めた上でこう話した。
「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事をしている教会長も多数います」(広報担当者)
前出の信者が窮状を明かす。
「本部にお供えを出しながらバイトをかけ持ちし、疲弊しつつ何とか生活している教会長も全然珍しくありません」
清容疑者の自宅を訪ねると、古い一般民家のような建物に教会の看板が。近隣住民に聞くと「常に多くの人で賑わっているわけでもなく、お金のある感じではない」と印象を話した。
清容疑者は容疑を否認しているが、前出の広報担当者は「人として許されないことで残念」と語った。「宗教はカネになる」ともいわれるが、その対極にある事件だった。
※週刊ポスト2020年3月20日号
葛飾の教会名が分かれば、上級の教会長の意見を聞きたい。
貧乏教会長は、神殿だけではなく車両の修理もままならない方も多く、危険運転を強いられるが、本部や大教会は献金を奨励するばかりで、かえって危険度を増しているのではないか?
この宗教の幹部人事に大欠陥があるのではないか?
天理教教会は多くが貧困です。この記事では教会家族は信者のお供えで生活すると言うが、そもそもこの記事のように、教会に賑わいなど無い。人が来ない、信者が居ない。世間一般よりは格段に生活レベルは低いです。
この会長さんは貧乏教会故に、自動車保険にも加入出来ていなったのかもしれない。やった行為は罪だが、思わず逃げた心情は理解できる。相手に補償は出来ないんだから。天理教教会の貧困の現状は哀しいがここまで心を荒ませてしまう。
天理教幹部は黒塗高級車に乗り、底辺教会の会長さんはお金がないからバリバリとおかしな故障音を響かせて、信者宅を訪問しておられる。廃棄寸前の値がつかない様な中古車を手に入れて修理を重ねて乗り継いでおられる。
教会家族も 最低限の生きる権利がある。上に行くほど豊かになるこのシステムに忠実に従い、人を跳ねても逃げざるを得ないほど追い込まれる環境に居る多くの教会です。もう上にお供えする必要は更々無いと思う。陽気とは程遠いです。
2020年3月10日 10:53 PMの匿名様の下記の投稿の一部
>「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。<
>基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事を<
>している教会長も多数います」(広報担当者)<
教団本部のこの素気無さのコメントから感じ取れるのは何という冷たさか。散々搾り取っておいて都合が÷悪くれば、途端に手の平を返す態度。このような宗教を信仰してたなんて馬鹿だったとしか言いようがありません。
せめて、亡くなった方への冥福を祈る言葉の一つもなかったのでしょうか。教えの不徳の致すとこくらいは言えただろうに。
東風Z 様 読者の皆様
2020年3月11日 8:39 AM
>>教団本部のこの素気無さのコメントから感じ取れるのは何という冷たさか。散々搾り取っておいて都合が÷悪くれば、途端に手の平を返す態度。このような宗教を信仰してたなんて馬鹿だったとしか言いようがありません。
せめて、亡くなった方への冥福を祈る言葉の一つもなかったのでしょうか。教えの不徳の致すとこくらいは言えただろうに。<<
天理教団とは、そもそも「我がさえ良くば」という利己主義にまみれた団体です。宗教と呼べるシロモノではないのです。ひき逃げを決して肯定はしませんが、ひき逃げをするに至った一末端分教会長の事情や背景は法廷の場で十分審議され、裁かれなければなりません。今回の事件に限らず、天理教被害に苦しんでおられる方々は、世の中に大勢おられます。現在、信者の皆さん、天理教からは即座に離脱しましょう。
天理教は中山教、金のつなぎは命のつなぎ教団らしい回答ですよね。
>「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。<
>基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事を<
>している教会長も多数います」(広報担当者)<
独立採算制で、包括被包括である以上 「土地を返せ!」と言った本部もおかしいのですよね。だがこれこそ「金が命の中山教団」真骨頂なのでしょう。戸惑う事も無く
トラブルはその教会責任、本部の経営不振は本部以外の教会の責任 ともまあ無責任な本音が浮き彫りに成りましたね
>>独立採算制で、包括被包括である以上 「土地を返せ!」と言った本部もおかしいのですよね。だがこれこそ「金が命の中山教団」真骨頂なのでしょう。戸惑う事も無く
トラブルはその教会責任、本部の経営不振は本部以外の教会の責任 ともまあ無責任な本音が浮き彫りに成りましたね<<
全くその通りだと思います。「金が全て」「責任転嫁」「弱者いじめ」教会本部の体質はそれに尽きます。
他に何か付け足す言葉はあるでしょうか?
長く教会をやってきて金が全て、責任転嫁、弱いものいじめ。本当にそれにつきます。もう一つ付け加えるなら「低能」・「低脳」。人としての能力がないし各種事案に考える力も無い。的確な判断力、アカデミックさは無いと思う。
江戸時代を地で行っているお方達ですから放って置くしか無いと思っています。
無い袖を振るのが誠真実という。言われたことは忘れません。要は借金をしてでもお供えをしろっていうこと。
これって、心理的な脅迫罪でしょ。振り込め詐欺よりたちが悪い。悪すぎます。
偶数月の15日になると銀行のATMに来る多くの高齢者。この姿を見て、待ちに待った年金からかすめ取る気持ちが湧きますか。普通の人間ならできませんよね。それが出来るのが天理教です。
>>偶数月の15日になると銀行のATMに来る多くの高齢者。この姿を見て、待ちに待った年金からかすめ取る気持ちが湧きますか。普通の人間ならできませんよね。それが出来るのが天理教です。<<
高齢者の年金は高齢者の生活費です。生活保護受給者の保護費も生活困窮者の生活費です。天理教が肥大化した陰には信者さん達の汗と涙と命があります。天理教という「害悪」は、一刻も早く無くなってほしいものです。新型コロナと同様に・・・・
天理教と教団は中山教に呪われ、その中山家自体因縁と言う呪いにかかっていますね笑
天理教は終わりやがて教団も終わり最後に中山家が滅亡するのでしょうかね。そうならないように治すのも無理でしょうから早いうちに辞任していただきたいものです。
のぶえさんも高慢になり始めたとの噂ですね。沈没寸前の船長の嫁と言う自覚は無い模様ですね。こういう人に限って乗客をほっといて船長夫婦が一番に逃げる。今の天理教の無責任さを見ると我が身可愛い無責任船長。信者の事なんか考えちゃいない。持ちつ持たれつの取り巻きにちやほやされるから自分が見えなくなってるのでしょう。
本部員は相変わらずお尽くしお尽くしと自分が出来てもいないお尽くしの説教を垂れるし。お金の話は出せば出すほど人は逃げて行くんだから、まあ言える間にしっかり言えば良いわ。
神様はお金は使わない。使えない。そのお金、誰が使うんですか?!
このたびのウイルス感染拡大状況において、情けない天理教本部の姿勢を見せつけられる毎日です。
本部月次祭の際の、信者の参拝を、どうしても止めようとしない「戦犯」は誰なのでしょうか。
ここ迄お供えにしがみつく姿は、もう、救いようのない餓鬼そのものです。
組織の運営費が足りないのならば、今こそ中山家は貯えている財産を吐き出しなさい。
各教会長さんへのお願いです。
「こどもおじば帰り」も中止の段取りをお願いします。
責任をもって子供たちを預かることができますか?無理でしょう。
「こどもおじば帰り」は本部にとっては渡りに船だと、
コロナのおさまり具合によっては結構簡単に中止を決定するんじゃないでしょうか?
なにせ教校学園閉鎖もパレードもコスト削減が理由でしたから
多額のお供えを持ってこられない子供たちのおもてなし行事も、
本部は削減したいコストのうちの一つであると推測できます。
なんならついでに今年でこどもおじば帰りも永久に終了なんてこともありうるかも….。
なるほど同意なツイート紹介
「人生設計を放棄させてきたカルトの社会的責任は問われるべき」
Joel Mitsuru Kurashiki @Joel_326 さんのツイートより
既にエホバの証人は、無年金など老後の備えを怠ってきたことにより
生活保護受給者が急増するなど、社会資源を食い潰す存在になっています。
生活保護受給者の大半が高齢者という中で、
人生設計を放棄させてきたカルトの社会的責任は問われるべきでしょう。
それに対する教内の方のツイートより
↓
とある教会の長男 @hinagata1798 さん
天理教も同じやん。
「人生設計を放棄させてきた」ってとこがまさに。
そうか、社会資源を食いつぶす存在になってしまってるんやな。これは考えたことなかった。
人に迷惑かけてるやん。あかんやん。
苦しみの道を歩むのは助かりのためとか言うてる人これにはなんて言うんやろ。
富松と言う本部員、どうにかならないか。コロナで多くの中小企業、零細小売業、母子、父子家庭の経済がギリギリに追いやられている昨今。皆、生き死にの渦中にあり、相次ぐ倒産の憂き目の中でどれだけ夜も眠れないほどの日々を過ごしている事か。そう言うお金の苦しみを知らない者の一人富松説教人。所詮、本部に給料貰い、ボーナス貰っている。貧者の献金の上に裏ずけられた安泰がそこにある。裏付けがある人間が無責任を言うな。世間の人々は明日の分からない真剣勝負で生きている。明日から路頭に迷う潜在危機と共に生きているんだ。
簡単にお尽くし信仰が重要だの、借り物のご恩奉じだの、口先三寸なら誰でも言える。ぬるま湯に浸かる人間が暇つぶしでやって来て信者のお金で持てなしを享受し、高級なシルクの着物なんぞを着て謝礼を貰って帰る。こんな人間が何を言おうと高慢そのものである。茹で蛙に何が分かっていると言うのか。信者の献金のごくつぶしである。先が見えない倒産家族にまだお尽くしせよと言うか?自分はシルクの服を着てね。
何度投稿すれば得心がいくのだろうと思ってしまう。
数千万円単位の所得税を払う教団最上層部が居る一方で、市町村民税さえ課税されない信者さんたちが、わんさと居られる。
この落差というか矛盾にも等しい現実。上級教会長たちは何故この現実に目覚めないのか。大教会長に至っては完全な洗脳状態が続く。
お許しの御礼を何の臆面もなく事務的に受け取る現実を見たものとして、むなしが募るばかりです。
このような宗教が何時まで続くのだろう。創立130年記念祭を打ち出した大教会が、何とかの繰り返しのように唱える一手一つという呪文に続き、親神様にお喜び頂くという殺し文句。何のことはないおカネ集めだけが目的ではないのか。御恩報じなんていわずとも、謙虚に生きていれば十分です。
目を覚まそう、教内の若者たち。
ひとをたすけてわがみたすかる
なんて心が一つもない無責任な天理教本部
本当にそう思うなら真柱をはじめ本部員、大教会長、全員、単独布教にでよ!
何も能力がないのに親から受け継いだ既得権にあぐらをかいているだけの方々
もう誰もあなたがたの言う通りには動かないのだから!
ご存知の通り、選抜高校野球も中止になりました。でも、3月の教会本部月次祭は強行するということです。
それほどまでにして「お供え」が欲しいのですか。
>>ひとをたすけてわがみたすかる<<
「信者を苦しめて 幹部儲かる」 それ以外の何ものでもありません。
天理教はやはり詐欺そのものだったのかと、100年という長い歳月を騙され続けた我が先祖、子孫の最後はお家断絶、そして消滅と精神障害です。
何ひとつ幸せだと感じることのない、苦しみだけの末端教会に生まれた己の運命を呪ってきたが、そもそも天理教が騙しの教えだから、信じた者が詐欺に騙されていたのだから苦しみしか味わえなかったのは仕方のないことだったんだと。
脅しや脅迫で信者を繋ぎとめてきた天理教だが、その終焉も間近に迫ってきている。嬉しい限りです。
立場と血脈と肩書きだけで生きて来た方々は、死ぬまでそのままですよ。いまの立場を失わない限り。
教会の中で生きていく方々も、離れない限り教会の中で死んでいきます。
来世に期待してないで、現世を楽しみましょうよ。
せっかく日本に生まれたのだから
速報
直属教会長各位
ただいまの新型コロナウイルス感染拡大を防止する社会全体の取り組みを踏まえて、教会本部3月の月次祭および春季霊祭は例年通り勤めますが、参拝者の殿内への昇殿をご遠慮いただき、代表として直属教会長、教区長の参拝のみで勤めさせていただくことにいたします。
部内教会長はじめ、ようぼく・信者の方々に、本部3月月次祭への参拝をお控えいただき、当日は、教会、布教所、信者詰所、自宅などから遥拝をしていただくように周知徹底をお願いいたします。
取り急ぎメールでご連絡いたしましたが、詳細につきましては追って書面を郵送しておりますので、ご覧くださいますようお願いいたしま
す。
立教183年3月12日
天理教教会本部
とのことです。
流石に本部も対応せざるを得なかったようです
↑ ↑ ↑ ↑
匿名 様 読者の皆様
2020年3月12日 4:13 PM
さすがの教会本部も教内外からの痛烈な批判に晒された挙げ句の果ての対応だったのでしょう。この掲示板も役に立ったのだと思います。
匿名
2020年3月12日 4:13 PM
崩壊
2020年3月12日 7:27 PM
本部はまた重要な事を隠しましたね。天理教会本部内でコロナ感染者が出たんです。ここに来てまで隠蔽体質なのが呆れます。
あれほど、各会を中止しろ!と言ったのに、いう事聞かないからこうなった。1月前に全て中止しべきだった後手後手の対応ですよ。
感染拡大をさせた天理教団の責任はありますね。
また天理教が感染拡大さえていたと言う社会学の予言的中ですね。
ニュースに出るのを楽しみにしておきます。
未信者
Q「天理教ってなんですか?」
布教師
A「御守護により病気やトラブルが治せます!」
未信者
Q「なぜ真柱さんは治らないんですか?」
布教師
A「あ・・・」
未信者
Q「なぜ中山家がずっと真柱にいるんですか?血縁宗教なんですか?」
布教師
A「あ・・・」
未信者
Q「教祖が書いた、おふでさき、みかぐらうた、おさしず に血が大切とは書いてないですよね?」
布教師
A「えぇ・・・」
未信者
本部は中山家とその血族で牛耳ってると、ネットで見ましたよ。
布教師
A「あ・・はい」
未信者
中山さんだけが得する宗教を誰が信用すると?
布教師
A「失礼しました・・・」
これが各現場で起こってる現状で人であるなら誰でも思う疑問です。
その疑問も教団の現在の体制に無理があり矛盾があるからです。
天理教が勢力を拡大できないのも、中山家に徳が無いにもかかわっらず、天理教のふりをしているのが原因です。つまり根本的に「この宗教は嘘だ!」と悟られるからです。
>匿名
2020年3月12日 9:44 PM
天理教会本部内でコロナ感染者が出たんです。<
本当ですか?
もう少し語れる範囲で教えていただけませんか?
本理世の本芝清分教会です
>本理世の本芝清分教会です<
それはひき逃げ事件ですよね。
そうではなくて教会本部内でコロナ感染者が出たというソースが知りたいのです。
どなたかなにかご存知の方いらっしゃいませんか?
匿名
2020年3月13日 12:29 AM
ソースもニュースが取り上げるまで出てきませんからね。現場の人に聞くと良いと思います。知人に聞いたらチラホラそんな噂が出てるみたいです。検査に入ったとか
検査ではコロナ発生とはいえないんではないでしょうか?
天理市の幼稚園か保育園に勤務している人が経過観察中ということは報道されていますが、その人が天理教かどうかは定かではありません。
最初2月末に修養科で一人憩いで検査という噂はでましたが、ニュースにはなっていません。
この時期にほんとかうそかわからない情報をだすのはどうかと思います。
>>本理世の本芝清分教会です<<
情報ソースは分かりかねますが、虚実はともかく、虚実がはっきりと確定するまで、固有名詞を掲示板に掲載するのは、いかがなものでしょう?
組織を通して、神の思いを伝えるというのは、危険すぎます。
組織から人間の思いを払拭するのは不可能です。
組織の中でそれなりの地位が出来てしまうと、カッコウを保つことが優先されます。
人の苦しみとか悩みとか、人を助けるまごころとかいったものは、わきに追いやられます。
信仰をしたければ、組織から離れる方がいいです。
神様と一対一で直接向き合ってください。
三月だけではなく
「教会長はじめ、ようぼく・信者の皆様におかれましては、
これからは 永 久 に、
各教会・布教所・信者詰所、自宅などから遥拝されますようお願いいたします。
上級や大教会・本部へのお供え、ひのきしん等もしていただかなくて結構です。
親神様はそんなことをしなくても、御守護くださいますからご心配しないで下さい。」
って言うてくれへんかなあ….ねぇ本部さん。
さすがの教会本部も教内外からの痛烈な批判に晒された挙げ句の果ての対応だったのでしょう。この掲示板も役に立ったのだと思います。<<
その通りだと思います。本部は確実にこちらの意見や批判を閲覧しているはずです。
本日のホームページで3月月次祭に本部神殿に昇るなとの通達ですね。参拝は控えるようにと。
今頃になって遅すぎます。一般教会、信者がどれだけ本部の生ぬるい動きに気をもんだ事か。この無責任体質が本部なんですね。時を逸すると本部としての誠意は半分しか伝わらない。まあ彼らに誠意なんてものは無いんだけど。旬を逸したら芽が出ないとよく聞かされてきたが、まさに本部こそこの重要な通達の旬を逸した。効果半減。むしろ多くの信者に気をもませた分、そのぐずさ加減に不誠実さがクローズアップされた。すべて後手後手。
今回、靴脱ぎ場あたりに賽銭箱を設置するんだろうな。金を取る事にぬかりはないから。
>>今回、靴脱ぎ場あたりに賽銭箱を設置するんだろうな。金を取る事にぬかりはないから。<<
これでもかと言わんばかりの数の賽銭箱を設置するかもしれませんね。もしかしたら、神殿階段下に有名な神社仏閣で初詣の時に設置される投げ入れ式の超大型賽銭箱を設置するかもしれませんよ(笑)
組織はなくても信仰できる!
2020年3月13日 10:09 AM
>>検査ではコロナ発生とはいえないんではないでしょうか?天理市の幼稚園か保育園に勤務している人が経過観察中ということは報道されていますが、その人が天理教かどうかは定かではありません。
経過観察と言うことは濃厚接触か感染の疑いと言うことです。それにコロナウイルスは発症しないから感染拡大しないのでなく感染はするが発症しない人がいると言うことです。検査で感染が確定されているだけで、感染者数の数十倍の患者数はいるといわれてます。
>>本日のホームページで3月月次祭に本部神殿に昇るなとの通達ですね。参拝は控えるようにと。
本部のこの厳戒体勢に何が隠されているか?考えてください。 今まで不対応だったのいきなりおれです。
私も社会学さんのコメントをみて知人に聞きましたが、確かに教団ではない。記事の内容でしたが、教団関係者の家族がその施設に関わっていたと聞きました。発祥はしてなくても感染の疑いはあります。コロナの検査方法 pcr の精度は40%から70%と制度もまばらで今まで感染してても陰性だった事がたくさんあります。
今後教団内で発症者が出たとしても日本の報道では固有名詞までは出さない可能性はあるでしょう。
ネットニュースも尽く消されてます。
2020/03/06 – 奈良県で新型コロナウイルスの患者が新たに3人確認されたことが分かりました。3人はいずれも奈良市在住です。 … 下船後の検査では陰性でしたが、2週間の健康観察が終わり検査したところ、陽性と確認されたということです。2人に症状はなく経過観察期間中は自宅待機をしており、周囲への感染の恐れ … 奈良・天理の保育所職員関係者が大阪のライブハウス訪問、保育所は臨時休園へ:
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-00010002-tvnv-l29
皆さん喜びもつかの間奈良のバス運転手がコロナ感染とわかった時点で普通は対策します。教団はこの一月なにをしていたのでしょうか?
元々教団は隠蔽体質なので先に注目しておかないともし教団内で発症者が出てきた時どうなるのか考えたときが一番怖いです。隠蔽体質の教団なら病気を隠蔽するのか、それとも患者自体を隠蔽するのか、本部の月次祭厳戒体勢をみて違和感しか感じません。また何か隠してるのでしょう。
それに月次祭で本部員だけならまだしも直属教会長の出席はさせませんよね?させてたらまた感染拡大します。それにその月次祭で本部員が感染し発祥したらどうするのでしょうか?それこそ隠蔽してしまうのではと心配です。しかも新型コロナウイルスは死体からも感染します。その対応はどうするのでしょう。
本部だけでなく、大教会、分教会の集会の禁止をなぜしないのですか?天理教の人でももう感染しているのに病院にもいかず、或いは行けない、教会長の意向で通院させてもらえない教会や家庭はあるのではないでしょうか?無いとは言えませんしむしろ多くの教会がそう言う状態でしょう。神様が御守護を・・・で治るならコロナは感染拡大してません。コロナは回復しても2度3度感染するので「宗教施設で濃厚接触を繰り返し1月放置地域の感染源に」との見出しでも出際はこの教団は本当に終るでしょう。
それに月次祭で本部員だけならまだしも直属教会長の出席はさせませんよね?させてたらまた感染拡大します。<<
これはダメだと思いましたね。直属教会長は犠牲にさせるのですね。請われれば彼らは拒否出来ないだろう。
婦人会総会や前夜祭はコロナウイルスの影響でなくなりました。
しかし総会のお祝金は既に集めているので婦人会本部にするそうです。
8,000円×教会数なのでかなりの額になります!
結納が納まってから破談になったにもかかわらず、お祝金を返却しないようなものですネ!
お祝いする方(直属教会)も受け取る方(婦人会本部)もどうかしています。
ウチはまだお祝金を上納しておりませんでしたので催促がありました。
…ひょっとしたら婦人会本部には渡さずに大教会の会計に入るのかも知れませんネ⁉️
本部だけでなく、大教会、分教会の集会の禁止をなぜしないのですか?<<
そうなんです。各教会は困ってるんです。信者から問い合わせはあるは、上からの指示は一切無いわで。無責任の極みですわ。お金の集金司令はスカッと下まで届きますがね。金の集金に関してはもれなく信者に浸透させて、きっちり持っていきますが。
天理教団は人命軽視。物、金重視。こういう緊急時にこそ、本部の本音がさらされたと思います。人命軽視でやる事為す事、全て後手後手。やってる事は最後まで殿様思考。直属会長をお供に従えないと、お勤め出来ないんか?直属と言う命を持つ犠牲者を事もなく従え巻き添えを食らわせるのだ。
そもそも、教団は人間を造ったのは親神と言っているんだから、人類が困る原因を造ったのは一番にも教団本部の行いが悪かったからではないのか。お願いつとめをするよりも先に中山家一同と取り巻きが懺悔すべきです。
そうでなければ、お願いつとめをしたからと言ってご守護を頂けるはずもないでしょう。
新型コロナウイルス対策に関する、全国の教会へ教団本部からの指示は一切しないでしょう。国はお願いという形を含めて指示を出していますが、当然補償問題が発生します。国は今回のウイルス問題で多額の臨時予算を使います。当然、指示をだせば各教会もお供えの収入源がたたれ、本部はそのお供え補償などに責任がかかるはめになりますから。
御神言を拝読すれば、おじばには最も進化した魂達が引き寄せられ、最も成人した上で、永遠にたすけ一条を勤められる筈ですよね❓
教祖の様に、お優しくて、超能力を発揮して、困った人達をたすけあげる人達がおじばにいらっしゃる筈ですよね❓
何でも難儀はささぬぞえ、たすけ一条のこのところのおじばは、まだ始まってないのかな??
でも未来には、成立する筈ですよね❓
より優しい世界へと導く、人類の棟梁達が登場する筈ですよね❓
病まず死なず弱らず、健康.・長寿・安全・繁栄の雛形を実現させた人達が溢れて、神と共に世界にそれを分かち合う勤めが舞われる処でもある筈ですよね❓
又それによって奇跡的な救けが巻き起こる場所でもある筈ですよね❓
もしかしたら、たすけ一条のおじばが始まっていないのか❓いまだしょやしき村は天保9年のままなのか❓
神が出て何か一切を説き聞かす筈ですよね❓
直属教会長たちが月次祭に参集するという事は、教会長家族のお世話をするための
詰所の人手が必要という事になります。
ある大教会長家族は数名の乳幼児を連れての帰参。
会長夫人がおじばで外出する時は、子供たちを「数時間」詰所にいる人にあずけていく。
詰所にいる人間にはそれぞれの仕事が有ることを知らないのだろうか。
子守を引き受ける人的余裕が無い状況が見えないのは、目が曇っているからだろう。
目が曇るという状況は、脳にも情報が届かない事を意味している。
勿論、大教会の若嫁がすべてそうだと言っているのではありません。
数年前のことですが、S大教会夫人は赤ちゃんをおんぶして(今時珍しい!)
自教会の別席信者をお世話していました。
子供連れの修養科生の皆さんは、みんな子供を連れて歩いていますね。
筈ですよね?様。
「筈」なんですがね。これは騙しの手口ですから永遠に実現しません。実現したら「皆様実現しましたね。ご苦労様でした。解散。」になってしまい、大亮の子や孫の食い扶持の金をとる手段がなくなります。100年たっても200年たっても延々と「陽気暮らしの実現の為に一手一つで~」「命のつなぎは金~」と神が言っていない事を馬と鹿の一つ覚えの様にやらすんです。すべては金の為です。
神が働けば、こんな非常事態にしません。少なくともおじばのある人類発祥?のこの日の国、日本で。おじばに巣食う悪の存在こそが、神の救いの邪魔をしているのです。
騙しの手口に神が働く筈がございません。
本部の新型コロナウイルス対策はずさんです。直属教会長はじめ一切の帰参を禁止しない限りは感染拡大の原因になります。
金のつなぎは命のつなぎ、も恥ずかしいですが、金のつなぎは菌のつなぎ までしている。
天理市関連のコロナ情報です。
1)天理市長「県の対応危惧」 3月11日18時30分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20200311/2050003981.html
新型コロナウイルスへの感染が確認された未就学の女の子が通う施設がある天
理市の並河市長は、11日、県に対して「同じ施設に通う子どもなどが希望し
ても検査を受けられず県の対応を危惧している」などとして改善を求めました。
県内では今月8日、30代の男性の感染が確認されたほか、その長女で未就学
の女の子も翌日に感染が確認され、天理市は、男性の濃厚接触者が勤務する保
育所と、長女の通う施設を臨時休業にしています。
これに関連し、11日、天理市の並河市長と市議会議員13人は、県の鶴田医
療政策局長に要望書を提出しました。
この中で並河市長は「臨時休業している施設と保育所に通う子どもや職員が検
査を希望してもほとんど受けられていない。県の保健所の対応を危惧している」
として、すみやかな検査を求めました。
また、「施設などに通う子どもの家族がほかの病気で近くの診療所を受診しよ
うとしても拒否されるケースも出ている」として、適切な対応を求めました。
これに対し、鶴田局長は「保健所のすみやかな対応に向け体制を強化したい。
また、医療機関を適切に受診できるようしっかりと対応したい」と述べました。
要望書を提出したあと、並河市長は「県と市が連携して感染拡大を防ぐための
対策を講じたい」と述べました。
2)※この天理市の情報はホームページから何故か削除されていますので閲覧できる
サイトを貼り付けました。
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=0-n8CTzyg6IJ&p=%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%B8%82+%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A&u=www.city.tenri.nara.jp%2Fkakuka%2Fshichoukoushitsu%2Fkohoka%2F1583727970901.html
新型コロナウイルス感染症対策について(第四号) 令和2年3月9日天理市
3月7日付、市対策方針(第三号)で、「市立南保育所職員の関係者」として
お伝えした「大阪市北区のライブハウスで発生したとみられる新型コロナウイ
ルス感染症クラスターの濃厚接触者」がPCR検査の結果、3月8日時点で「陽性」
であったことが判明しました。
また、未就学児童1名(同感染者の「濃厚接触者」)も、PCR検査の結果、3月8日
時点で同じく「陽性」であったことが判明しました。
「濃厚接触者」である南保育所職員は、3月8日時点では「陰性」でした。
(※ ご本人の同意を以て公表しています)
つまり、検査結果が陽性であった方が天理市内では2名となったということですね。
天理市のホームページ内容が削除されている理由が不思議です。
市内の大型商業施設は限られていますから、買い物の際の市中感染が気になります。
あっ、そうか、一族と本部員関係者は「上げ膳据え膳」でした!
気にもならないのかもしれません。
情報公開という点からも気になります。
東京の或る区の感染相談窓口で得た情報では、ある程度の情報公開されている例では、
関係先の協力が得られた場合だそうです。(勤務先企業など)
個人の行動履歴は自治体が聞き取りをしていますが、これを公表したくない人もいる
のは無理からぬことと理解できます。
けれど多くの接触可能者が生まれることが予想される場合、感染防止の観点から、
関係先の公表は必須と言えるでしょう。
この天理市の市民の方が信者さんとは今のところ、どこからも聞こえてきません。
仮に天理教関係者が濃厚接触者に含まれている場合、本部はどのような行動をとる
のでしょうか。市のホームページ削除の理由が知りたいものですね。
コロナウイルスは対策が移動制限と隔離しかなく特効薬もまだ発見されてないから世界中パニックなのです。コロナウイルス感染者確認 と言う報道を良くみますがあの報道の仕方も勘違いします。症状があり検査し感染したことを確認できただけですので、それ以外の人が感染してないとは成りません。感染しても症状がでない。検査も制度がまだ低いのも問題です。
コロナウイルスは元々風邪の菌が変異したのですから感染力は高いわけです。
風邪のウイルス
ライノウイルス、コロナウイルスが多く、RSウイルス、パラインフルエンザウイルス、アデノウイルスなどが続きます。
https://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=2
天理で2名の感染者が発見されたとするならば、10倍と言う記事は葉kk年出来ましたが100倍のコロナウイルス感染者いると予測するほうがいいでしょう。実際は何倍いるのかも分かっていません。だから怖いのです。
武漢で39倍と言う記事もありますが、「武漢はもっとあったのではないでしょうか?」と誰でも分かりますよね。武漢では数万人が死亡しその死体を焼却 実際の数も共産党政府が隠蔽しています。
CNN「日本のコロナ感染者は氷山の一角…実際は10倍」
https://s.japanese.joins.com/JArticle/263400?sectcode=A00&servcode=A00
どう考えても感染者が数が少ないです。大阪55人に対し、中国人観光客の多かった京都が12人 和歌山が14人 この数字はあてに成りません。奈良県が7名中、天理で2名この高確率の感染力、この数に対し10倍100倍をかければ実際の数字が見えてくるのではないでしょうか。
新型コロナ感染者 兵庫・奈良であらたに4人確認
https://www.mbs.jp/news/kansainews/20200309/GE00031980.shtml
月次祭での帰参各地からの参拝は新型コロナの流入流出の原因となり教団外の天理市民には迷惑です。ただちに直属教会長の帰参も禁止すべきです。それに天理市に対する新型コロナウイルスの持込と天理市外への新型コロナウイルス持ち出しの危険性があります。持ち出し感染したらまた教団が天理市に対する風評被害の原因を作る事に成ります。
月次祭での帰参各地からの参拝は新型コロナの流入流出の原因となり教団外の天理市民には迷惑
2020年3月14日 5:49 PM
このコロナ感染者が天理市内ででたにも関わらず教団本部は本部へのお供え(献金)は銀行振り込み や 現金書留など代わりの方法があるにも関わらずなぜ直属教会長の帰参での手渡しをこだわるのか考えて見ると本部会計の不正会計をしているのでは?と思われても仕方ないです。
例えば、100億円を現金でお供え(献金)されているとします。そのうち20億を会計計上せず、お供え総額を80億と書く、20億は税務署も分からないお金に換わります。
このようにして会計計上してない資金が大量にあるのではないでしょうか?ライブドア事件なども税理士の共犯の不正会計事件です。
教団や中山家など資金難みたいなので、消えた現金はそちらに流れてるのですかね?と疑われて当然
これはコロナ対策のすざんさから大事件が発覚しそうです。
コロナの対応がずさんである理由が献金の手渡しにこだわる為その理由は不正会計ができなく成るからなら辻褄が合います。
粉飾決算を行ったとされるライブドアの手法とは?
https://www.e-zeirisi.com/livedoor-4236.html
天理で感染者がでたとするとそこに通園している子もしくは父兄が日曜日に朝づとめに参拝しているかもしれません 朝夕の参拝も禁止したほうがいいと思います 中山家とご親戚だけでどうぞ!
天理教も韓国のカルト宗教と同じ末路をたどりそうですね
密着して「アーメン」が感染原因となると、手で触れるおさづけも本部だけでなく全教会や信者に禁止すべきです。
新型コロナ 韓国の新興宗教団体からなぜ広がったか 独特の礼拝様式 組織の閉鎖性も
会長や幹部を告発 解散求める請願は110万人超に
大邱市での感染拡大を受け、韓国大統領府のホームページでは、教団の解散を求める請願への賛同が三月一日時点で百十万人を超えた。また、教団の被害者団体は、感染拡大防止を妨げたとして、感染病予防法違反などの疑いで李総会長を刑事告発し、検察が捜査を始めた。ソウル市も、保健当局の業務を妨害し死者が発生したなどとして殺人容疑などで教団幹部らを告発した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/202003/CK2020030402100060.html
日本の各アーティストだけでなくライブハウスやイベント会場が逆にキャンセルを入れるような状態なのに、教会本部は見せかけの対策だけ打って日本全国にある直属会長だけ献金手渡しの為だけに呼び出そうとしている。椎名林檎の東京事変も以前は強行の姿勢を見せていたが各所からバッシングを受けてこの記事に至ったわけです。
天理教ももう明確にバッシングを受ける時期かもしれませんね。コロナウイルス対策のずさんさを許すと教団内だけでなく日本各地で死者が増えるかも知れませんので皆さんで拡散しましょう!
椎名林檎さんの東京事変、5公演中止「改めて話し合い」
https://www.asahi.com/articles/ASN346DS4N34UCVL01H.html
公益財団法人・天理よろづ相談所病院「憩の家」 も新型コロナウイルス対策に関してなにをしていたんですか?予防は感染者が出てからのではなく出る前から対策を打つ事です。教団本部の月次祭に直属教会長を呼ぶのは今出来る感染予防の移動制限と隔離に反します。これをする本部は公益性は欠き、それを指摘しない公益財団法人・天理よろづ相談所病院「憩の家」にも公益性はございません。
どこまでこの組織は腐ってるのでしょう。
直近の皆様のコメントで本部への金の流れがよく分かりました。こんな非常時でも本部月次祭に直属教会長に命をかけて参集させるのは、お供え金現金手渡しの機会だからなのですね。リアルに解って来ました。
全国から電車を乗り継いで来る大教会長もいるでしょう。そう言う行為が彼らに感染リスクを負わせる事、また加害者になる可能性を秘めている事に本部は考えが及ばないのでしょうか?現状、感染予防の移動制限と隔離と言う世の方針に反しています。
適切かつ常識的な判断力に欠ける頭の悪い本部の人間達。
根底には金しか興味が無いからやる事為す事、全てがずれてくる。
また、直属から直接現金の受け渡しとなると、確かに粉飾の余地は有りますからグレーな事をやってるんでしょうね、天理教は。命は金で繋げ、と脅し取った金が本部で何に使われているんだろう?こんな非常時でも金とセットで物事を考えている金満で頭と性根の悪い善亮の顔がチラチラ浮かんで気持ちが悪くなって来た!
天理市からの情報
新型コロナウイルス感染症対策について(第四号)
令和2年3月9日
天理市
3月7日付、市対策方針(第三号)で、「市立南保育所職員の関係者」としてお伝えした「大阪市北区のライブハウスで発生したとみられる新型コロナウイルス感染症クラスターの濃厚接触者」がPCR検査の結果、3月8日時点で「陽性」であったことが判明しました。また、未就学児童1名(同感染者の「濃厚接触者」)も、PCR検査の結果、3月8日時点で同じく「陽性」であったことが判明しました。「濃厚接触者」である南保育所職員は、3月8日時点では「陰性」でした。
(※ ご本人の同意を以て公表しています)
天理市新型コロナウイルス感染症対策本部は、上記の感染者2名が発生した状況を受け、以下の対策を取ります。市民の皆さまの命と健康を守るため、引き続きのご協力をよろしくお願い致します。
1.市対策方針(第三号)に基づく市立保育所での対応
(1)3月7日付、市対策方針(第三号)で決定したとおり、令和2年3月9日より3月22日までの間、南保育所を臨時休業しています。再開については、3月22日の時点で状況を確認し、改めて決定します。
(2)なお、未就学児童の関係施設(以下、「施設X」)も、市対策方針(第三号)に基づく市要請に応じた対応を取られています。
2.施設関係者への対応
(1)南保育所職員については、9日時点でPCR検査の結果「陰性」が確認されていますが、潜伏期間等を考慮し、全児童には休業期間中、外出を控えるようお願いします。また、南保育所より、各児童の健康状態を電話で確認いたします。
(2)「施設X」の全関係者(※児童及び施設勤務者)に対して、自宅待機を求めます。発熱や呼吸器症状がないか、市としても、「施設X」と連携して健康状態を確認します。また、保健所等と連携し、濃厚接触者の把握に努めます。症状があった場合には、直ちに「奈良県帰国者・接触者相談センター(0742-27-1132)」に相談いただき、適切な対応が受けられるよう、市も支援します。
(3)南保育所及び「施設X」の消毒作業を行う他、市内での感染拡大防止のため、関係者と緊密に連携した対策を取ります。
3.学童保育所及びその他の保育所、小学校の「一時預かり」について
(1)「施設X」関係者の兄弟姉妹が通っている学童保育所と、小学校の「一時預かり」は、最悪の事態を想定した予防的措置として、令和2年3月10日より3月23日までの間、臨時休業します。臨時休業となるのは、前栽、丹波市、井戸堂、朝和、柳本、二階堂の各学童保育所と小学校の「一時預かり」です。
(2)市立北、中央、嘉幡保育所、やまだこども園には、「施設X」関係者の兄弟姉妹がいないため、3月9日時点では、感染症対策を徹底の上、「預かり」を継続します。上記(1)で臨時休業とならない学童保育所と小学校の「一時預かり」も同様に継続します。
(3)ただし、今後、感染が拡大する場合や、経路が不明な市中感染が発生した場合、2月28日付、市対策方針(第二号)に沿って、いささかの遅滞も無く、直ちに全ての学童保育所及びその他の市立保育所・こども園、小学校の「一時預かり」を概ね2週間臨時休業とします。
4.市民の皆さまへのお願い
(1)市では、感染拡大の抑止に向け、市民の皆さまと協働し、全力で取り組むため、個人情報保護のため問題がある事項を除き、市が把握する情報の共有に努めます。市民の皆さまには、手洗い、うがい、咳エチケット、部屋の換気などの感染症対策の励行と、冷静な対応をお願いします。
(2)大阪市のライブハウス「大阪京橋ライブハウスArc」(大阪市都島区)や「Soap opera classics-Umeda」(大阪市北区)など、新型コロナウイルス感染症の陽性患者が確認された施設を利用された方で、発熱や呼吸器症状があり感染の不安がある方は、直ちに「奈良県帰国者・接触者相談センター(0742-27-1132)」までご連絡ください。
(了)
※ 保育所や学童保育所、小学校での「一時預かり」事業は、奈良県ではなく、天理市の所管事務です。この市対処方針第四号に関するお問い合わせは、奈良県ではなく、天理市新型コロナウイルス感染症対策本部までお願いします(市役所代表0743−63−1001にお電話いただき、交換で「対策本部」とお伝えください)
※※※ 全ては「金の為」 ※※※
新型コロナ関連の投稿が連日続いていますが、教会本部の考え方は、「お供え至上主義」、「私利至上主義」、「利己主義」に尽きると思います。信者の皆さん方、未信者の読者の皆さん、決して騙されてはいけません。
【BBC】新型コロナウイルス感染拡大の「震央」となった欧州で、主要国のスペインとフランスが14日、イタリアに続いて緊急規制を実施すると発表した。
https://www.bbc.com/japanese/51893583
以下抜粋
スペインではペドロ・サンチェス首相が14日、非常事態を宣言。日常不可欠な物資と薬品の買い物、仕事が目的の場合を除いて、【市民が自宅から外出するのを禁止した。】
【美術館や博物館、文化施設、スポーツ施設も閉鎖される。】『レストランとカフェは、デリバリーでの営業のみ認められる可能性がある。』
『生活に重要な銀行やガソリンスタンドなどは営業を続ける。』【学校はすでに全国で休校となっている。】
EUはじめ国際社会がコロナ予防対策のため移動制限を実施している。銀行振り込みなどでの受け渡しも出来るにも関わらず代替手段を無視し本部月次祭の各県からの直属教会長の集合を呼びかけている教団本部は社会から批判されるべきです。反社会的組織確定です。世界宗教者会議にも連絡を入れたほうがいいです。現天理教団はカルト確定です。コロナをまきチラそうと画策しているに等しい悪魔教団です。反国家思想でオウム真理教のように共産主義国などの出先機関の疑いもあります。大変危険な思想を持っているに等しいです。
ツイッターや各所で拡散お願いします。
天理からかなり離れる地方の教会です。
切に思うのは。
本部から、4月からの各教会の月次祭の停止(教会長のみで務めてもいいです)を指導してほしい。できないなら、せめて直会を禁止してほしい。上級・大教会への日参も禁止してほしい。
この件が終息したら、今まで通り、往復5万かけてのおぢば帰参、往復2時間かけての上級日参はいたします。
中山家が金儲けしたっていいよ、ダイスケがアホだっていいよ。
とにかく、本部は社会的責任をしっかり感じてほしい。
地方で教会やってるのは辛いのよ。
>>銀行振り込みなどでの受け渡しも出来るにも関わらず
代替手段を無視し本部月次祭の各県からの直属教会長の集合を呼びかけている<<
それは本当ですか?
大教会に各分教会から集められたお供えは、大教会長が直接現金を持参して本部に納めているのでしょうか?
そんな危険なことを本当にしているのでしょうか?
天理教は、この状態でも行事を開催されているのですか?
私が所属する教団では、一切の活動を停止し、ネットで代替しております。
ちょっと驚きました。
上級の月次祭の神殿講話で聞いた、どこかの大教会の後継者が本部月次祭の御供を届けに行った時のお話。
御供の受領場所である本部の一室に入ると、その時の受付係は彼の叔父だったそうで、閻魔様みたいな叔父の前に置かれた机の上に、ぶ厚い御供袋を置いて退出しようとした彼を、叔父は呼び止めました。
「待て!これで全部ではあるまい」と。そこで彼は自分の財布を机の上に置いて下がろうとしましたが、それでも叔父は
「まだだ。まだ全部出してはおらん」と言います。しまいにポケットの小銭まで全部出して、ようやく叔父は
「よろしい」とニッコリ笑ったのだとか。彼は自分は信仰者として、まだまだ甘かったと深く反省・・・、なんて美談仕立てのお話だったと思います。
道友社の小冊子か何かから引用された話なので、本部月次祭の御供が現金の手渡しなのは事実のようですね。銀行振り込みのように数字の記録が残る手段は選ばないとは思っていましたが。
しかし、この話で感動する人っているのでしょうか?私は聞いていて不愉快でしかありませんでした。
匿名
2020年3月15日 8:04 PM
なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。公序良俗を乱し社会不安を煽る行為なで公安警察など政治事件の扱いだそうです。
本部の対応がずさん過ぎます。感染拡大の原因になり発症者を大量に出し、最悪死傷者を出た際どなたが責任を取るのでしょう?真柱ですか?中山家ですか?全本部員ですか?
3月末の月次祭は本部と各地の直属教会長参加と言うことですがこの決定は本部員会議で決定したのでしょうがこの決定事項には重大な難点があるので早急に変更させるために事を皆さんで拡散しましょう。
2月19日に、2月26日の本部月次祭の参拝は取りやめてはどうかと言う意味の投稿をしたものですが、本部は聞き入れませんでしたね。今となって、ようやく重い腰を上げたのでしょうが、遅きに失したと感じています。
余りにも独りよがりの思考が露わになってだけです。恥さらしもいいとこです。
感染源になったとか、ならなかったとかの問題ではないでしょう。片田舎に居るものでも手洗いとウガイの励行。マスクは予備が無いのでキッチンハイターを薄めた液に浸した後にお湯で洗って使っています。
自分が感染しないためでもあるが、花粉症でクシャミをするので、他人にも嫌な思いをかけることのないようにとの思いで早い段階から励行しています。
結局、本部はおカネ集めのための月次祭に過ぎないと思われても仕方がないほどに落ちぶれてしまったのです。
本部員や直轄教会長さん達も良心がおありなら、3月月次祭、4月の誕生祭及び4月の月次祭は参拝なさらないことが賢明な判断ではありませんか。自分のためだけではありませんよ。
本部の顔色を窺っていても何の価値も生みませんよ。
本部が今後、月次祭の出席を完全本部だけに変更しても、このまま強行しても本部の判断が頼りにならない信頼におけないものだという事がはっきりします。しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。この対応の悪さの悪名は世間にとどろく事に成るでしょう
>>結局、本部はおカネ集めのための月次祭に過ぎないと思われても仕方がないほどに落ちぶれてしまったのです。
本部員や直轄教会長さん達も良心がおありなら、3月月次祭、4月の誕生祭及び4月の月次祭は参拝なさらないことが賢明な判断ではありませんか。自分のためだけではありませんよ。
本部の顔色を窺っていても何の価値も生みませんよ。<<
全くその通りです。自分のためだけではありません。天理教クラスターが発生しかねません。
>>しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。<>なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。<病家探求-そこで目標は病人及び病家に称される。その方法としては病人怪我人の後をつけたり、飲食店、商家の小僧、道端に遊べる児童に尋ねたり、産婆の出入り、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。かくして、病家を見分けると拒絶されても何回でも執拗に訪問し、一寸した家事の手伝いをしたりして、「お話させて頂きます」と言っては天理教を説く。その真摯な態度、不撓の精神に屈服せしめて、病気災難は自己及び祖先の悪因縁のためであることを知らしめ、終に入信の決意を抱かしめるにいたるのである。<
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
これって、うちの教会の初代に匂いをかけた布教師が、やっていたこと全てなので驚かされました。その布教師は病院の清掃のおばさんから情報を得て、癌で入院中だった初代会長夫人(私の祖母)を訪ねて来たのだそうです。
医学の発達した現代においても、思考が江戸時代のままの本部のことだから、今の状況を教勢回復のチャンスくらいに考えていたとしても不思議ではありませんね。
前のコメントで貼り付けに失敗したので、やり直します。
どうもすみません。
>>しかも天理教は憩いの家と言う病院もありながらこの対応はお粗末でしかない。<>なぜ全世界的に新型コロナウイルスの予防の為各国移動制限をかけているにも関わらず2名の発症者と実際何人感染しているか分からない天理市に各県から人を呼び集めないといけないのですか?これはどう考えても金銭問題だと思われ、しかも感染者拡大を狙った行為と受け止められても致し方ない。<病家探求-そこで目標は病人及び病家に称される。その方法としては病人怪我人の後をつけたり、飲食店、商家の小僧、道端に遊べる児童に尋ねたり、産婆の出入り、医師の人力車夫、長屋の井戸端会議等に注目せよと指導されている。かくして、病家を見分けると拒絶されても何回でも執拗に訪問し、一寸した家事の手伝いをしたりして、「お話させて頂きます」と言っては天理教を説く。その真摯な態度、不撓の精神に屈服せしめて、病気災難は自己及び祖先の悪因縁のためであることを知らしめ、終に入信の決意を抱かしめるにいたるのである。<
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
これって、うちの教会の初代に匂いをかけた布教師が、やっていたこと全てなので驚かされました。その布教師は病院の清掃のおばさんから情報を得て、癌で入院中だった初代会長夫人(私の祖母)を訪ねて来たのだそうです。
医学の発達した現代においても、思考が江戸時代のままの本部のことだから、今の状況を教勢回復のチャンスくらいに考えていたとしても不思議ではありませんね。
おかしいな。なぜか送信が上手くいかない。
抜けた部分の補足です。
実際に歴史を振り返ると、天理教の急成長は天然痘・結核、そしてコレラといった伝染病の流行なしにはあり得なかったとも言えると思います。
昭和11年内務省警保局の調査報告にある、信者の獲得方法の2番目の項目には次のように書かれています。
>病家探求-そこで目標は・・・
日刊ゲンダイが弁護士に事例として取材しています。
他山の石として天理教本部関係者も知っておくべきでしょう。
この社会学研究所は本部関係者もチェックしているそうですから、しっかり、関係先への
お取次ぎをして下さい。
●●●「陽性」でスポーツジムに行ったら犯罪か?
スポーツジムからの感染事例が相次いでいる。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客の60代男性が、下船後すぐに静岡市内のジムを訪れていた。
また、現在東京都をはるかに上回る数の感染者を出している愛知県では、夫婦でハワイから帰国後に感染。
先に発熱・入院した夫を置いて、60代の妻が、その間、一日の中で、複数のジムを「はしご」をしていた為、多くの人へ感染させている。
このため複数のジム店舗では閉鎖・消毒に追われた。
このように患者と濃厚接触したことが明らかであったり、「陰性」でも自宅待機を命じられていたのに外出したことで、結果的に複数人に感染させている例が報告されている。
店が営業停止になったり風評被害で潰れたりした場合、原因となった人に賠償を求めることは可能なのか。
「感染している蓋然性が高いとわかっていたり、自宅待機を命じられていたにもかかわらず外出し、立ち寄った先で多くの人を感染させたことで、業務に支障が出たという場合は、不法行為に基づく損害賠償請求を受ける可能性がある。
また、人に対しては故意や過失により感染させたとして、傷害罪や過失傷害罪に問われる恐れもあるが、その人が他人に新型コロナウイルスを感染させたということの立証は難しい。
しかし、立証のハードルは高いが、「自分だけは大丈夫だ」と考えていると痛い目に遭う可能性はある。
韓国では、新興宗教の教祖が新型コロナの集団感染をさせたとして殺人罪で告発されている。
韓国の教祖は土下座をしていましたが、土下座だけでは許されませんね。
そういえば、天理教の場合、だれが土下座担当なのか。
>>内務省警保局調査報告書<<
これを読むと、天理教は昭和11年頃には内務省警保局からその搾取の犯罪性に目をつけて問題視していたのですね。天理教には「神が怖いか律が怖いか」と言う国家の法を犯しても神一条の方が優先する、と言う人を盲目的にしてしまう脅し文句があります。神こそ錦の御旗で、犯罪行為を犯罪とも認識せず、結果として国家に問題集団として調査、追跡の対象になっていたのですね。現行天理教も同じような詐欺的搾取、人権蹂躙は為されていますが。管轄は警察署なのか法務局なのか、ジャーナリストの方でも良いです。天理教の実態を調査し、取り締まり、告発し、社会に問題提起してほしいです。
こういう事実はうちの上級も上上級も若い大教会長も知らないでしょうね。。お調子者の大亮なんかにしっぽを振っている若い会長の姿を見ていると、天理教の犯罪的過去から現在に至る歴史など知ってるはずが無いようなお気楽さです。上級教会は信者家族から金返せ裁判が最近まで継続していたと言います。天理教はオウムに引けを取らないほどの巨悪詐欺集団ではないのか。日本国法曹界は天理教の金にまつわる人権蹂躙、神をカタル詐欺的金品要求の実態に目を向けて欲しいです。
これを読んで先祖が受けた搾取の実際が同じなので、そう言う事だったのかと再認識した。うちの先祖は被害に遭っているともしらずに信仰だと思って助かる道は喜納、喜捨と信じ、泣き泣き喜んですってんてんになっていました。
騙して建てた大伽藍。人の居ない詰所群。善亮が金、金、と叫べば叫ぶほど白ける現行詐欺師集団中山教。国家全体がコロナの非常事態に陥っていても、社会に迷惑をかけてでも金の運搬人直属教会長だけは参集させるんだね。
蒔いた種が実りその実は自分で刈り取るのが天の理です。その昔おかしな病気諭しは当たり前で、病弱な父親とその母親は息子が快癒するならばと、信じて金品巻き上げられましたが、弱みにつけ込む行為です。
教団本部が現在天の理にたがわず、真っしぐらに衰退しているのがせめてもの救いです。
この掲示板は天理教から受けた心の傷を癒す精神衛生の場でもあります。一方的な独り言をとりとめもなく、、。失礼致しました。
>一方的な独り言をとりとめもなく、、。失礼致しました。<
いやいや、一方的な独り言ではありません。立派な戒めの内容になっていますよ。
弱り目に祟り目とは天理教のごり押しのことです。助かって頂くなんて言いながら、本心はおカネを貢ぐ人を増やす目ろみです。
なぜならば、月次祭に参拝してもお供えを持ってこないか、お供えが少ない信者さんには挨拶の一つもしませんから。上級教会長になればなるほどこのような人が多いんです。経験者語るです。
挨拶一つ返せない人が、天理教でいう成人とは恐れ入ります。
韓国の教会で新たに集団コロナ感染。前回とは別の宗教団体で恵の川教会と言う。
命と健康があっての信仰だとテレビでのコメント。宗教関係者は考えて欲しいと。
天理教がいつまで意地を張るか?金にこだわっている場合では無い。
大教会に集まったお金は来月か再来月か、コロナが終息してからしっかりとかき集めれば良いではないか。
本部関係者だけで実施すべきだと強くおもう。
日本国内で宗教団体天理教からコロナ集団感染、とテレビに出されたら本部はアウト!!どう開き直れるか。本部、欲はこの際捨てよう。
ふと感じたこと。余談ですが失礼します。
>天理教には「神が怖いか律が怖いか」と言う国家の法を犯しても神一条の方が優先する、
と言う 人を盲目的にしてしまう脅し文句があります。<
ん?神って怖くないですよね。神様は罰を与えないし。寧ろ遍く全ての者に愛を注いで助けてくれてるだけ
のイメージ。
もしや意味を『神=教団』にすり替えられているのでは?
神=本物の親神様=愛なら、
「愛が怖いか律が怖いか」と言われたら、
愛は大切です。良心を大切にしますと言えるけど、
神=教団(や上級など)と、刷り込まれていたなら、
意味が「教団(や上級など)が怖いか律が怖いか」になって、
思わず「言う事聞きます!」と『神=教団(や上級など)』に条件反射的に
従わなければならないような思考回路になってしまうのかも。
とふと思いました。
間違っていたらすみません。
もしや意味を『神=教団』にすり替えられているのでは?
>>神=本物の親神様=愛なら、
「愛が怖いか律が怖いか」と言われたら、
愛は大切です。良心を大切にしますと言えるけど、
神=教団(や上級など)と、刷り込まれていたなら、
意味が「教団(や上級など)が怖いか律が怖いか」になって、
思わず「言う事聞きます!」と『神=教団(や上級など)』に条件反射的に
従わなければならないような思考回路になってしまうのかも。
とふと思いました。
間違っていたらすみません。<<
全くその通りです。「洗脳」の恐ろしさです。戦前の「神国日本」思想。「天皇陛下は神様」思想と全く同じです。私は左翼主義者でも右翼主義者でもありません。過去の日本史を含む世界史を顧みたとき、結局、そういう結論に達するのです。広島の原爆記念碑に刻まれている世界史的に有名な碑文「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆、戦争被害の犠牲者や遺族の切なるやりきれない思いを無にすることなく、世界人類(自然現象も含む)は「真の陽気暮らし」に向けて突き進む「旬刻限」が到来しているのだと思います。
本部は今月の集金祭りに各地の直属教会長をコロナの街天理市に呼びそして各地に帰すのでしょうか?変更した方が良いでしょう。支持率の高い安倍首相ですら今回のコロナ対策で水際対策を打たなかっただけで致命的といわれてます。それに面白いのがオリンピック中止の可能性でも国民は落胆していない。むしろ「オリンピック中止で良いからコロナ対策打って!」が本音だった。なおアフリカでもコロナウイルスが感染拡大し始めたので気温が上がっても感染は止まらないとの見込みが出ているようです。
オリンピック開催に関しても、佐野研二郎のロゴ問題に始まり、東京都知事小池百合子の開催地問題とゴタゴタが続き最後にコロナ問題で国民もつくづく政治家に呆れたようだ。
一方教団でも表統領中田善亮氏をはじめとする中山家に対して不信感を通り越し怒りをあらわにする人が増えてきているのは当然の事でしょう。
現在の中山体制は白紙に戻すために、真柱と本部員は全員辞任すべき事態が起こるでしょう。
安倍首相、森元首相と面会
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020031601075&g=pol
日本国民7割「五輪開催できない」…森喜朗会長もピリピリムード
https://japanese.joins.com/JArticle/263729
問題は自分の頭で考えることのできない馬鹿会長ばかりということです 上級の意向とかまったく関係ありません 何が正しいか自分で考えろ!
そうなんですよ、ウマシカ会長は困る。こころのアホはいいけど、頭のバカはダメ。頭のバカは自分のことしか考えとらん。
けど、こころのアホっていうような人、天理教の信者さんの中に多くいませんか?私メは信仰しているうちに入らないんだけど、天理教信者の方々に対して好感度は高いんです。天理教の人というと、思わずこころのアホを求めて近づいていってしまいます。
欧州入域、30日間禁止 対新型コロナで連携模索―EU首脳会議
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020031701159&g=int
イタリア 死者2000人超える わずか4日間で1000人以上増加
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200317/k10012334731000.html
EUでも入国禁止と移動制限対策を打たざる負えないにもかかわらず。この二つの記事をみただけでも天理教教会本部の決定には異常性しか感じない。本部は月一回の月次祭で直属教会長だけは全国から呼び寄せて全国に帰すのでしょうか。一般信者と直属で無い会長と直属会長の違いとは、本部に献金上納金をするかしないかだけでしかない。直属教会長に金を運ばせ、各地に菌を持って帰らすのだろうか?天理市では2名の感染者が分かっていて潜伏感染者が何名いるかは今の技術では分からないのが現状だ。特効薬が出来てない。検査も高確率ではない。だからこれだけの世界的パニックと死者も多数出してのパンデミックなのに、世界情勢はおろか一般常識に欠ける以上に世間では対策しているのにどう考えても天理教教会本部は非常識としかいい言いようが無い。
直属教会長の参加も禁止と急遽変更しても内部からは叩かれるだろう。しかし直属教会長の帰参と帰郷の動きで感染源に成り、発症し感染者が出てしまい、挙句の果てに死亡者まで出たら内部どころか世間から圧力をかけられる日が来るでしょう。いくら内緒にしても天理市内の一般市民も教団の動きをみてスマホでネットに投稿でもされたら炎上の火種になるでしょう。
EUのような先進国でも渡航制限による対応をかけているにもかかわらず天理教教会本部が今月末の本部月次祭に各地から直属教会長を帰参させたとしたらそれは、「お願い勤めをしたのでコロナでうちらは死なん!」と思っているのでしょおうがこれも確証はないですよね。それに「教団外の人間に感染が広がろうが関係ない!」と明言してしまってるようなものです。中小企業や小規模宗教団体では無いですから教団内外はおろか社会からもみられて居る意識が欠如しているのでしょうか、これでは無責任の域を越え社会悪に成ってしまいます。
それに直属教会長さんにしてみたら「我々直属教会長は死んでもかまわない!と思われているのだろうか?」と疑心も湧きます。
しかも,もし月次祭以降感染者が地方の宗教施設から出たら本部が責任を取れるのですか、この際は週刊誌で答えたように「地方の教会は包括被包括関係ですので」と言い逃れするのでしょうかね笑
本部の決定は考えが甘いそして、信者や地方教会はじめ直属の分教会大教会にも人命を優先しない本部の愚かさを露呈してしまった。
直属教会長さんにしてみたら「我々直属教会長は死んでもかまわない!と思われているのだろうか?」と疑心も湧きます。<<
全くその通りです。金を運ぶ任務を負っているが故に命が軽んじられています。
直属教会長は被害者にも加害者にもなり得ると言う重い現実。お前ら被害者になるのは辛抱せい。ならまだ内輪で許せる。しかし、加害者になり得ると言う視点が、決定的に欠落している。
本部は馬と鹿しか居ないのか?と言われて、「ハイ、そうで〜す。」と開き直りで済む話では無い。
3・16日付朝日新聞に各宗教団体のコロナ感染防御関連記事が掲載されたそうです。
デジタル版では以下の部分のみ無料で読めます。天理教が取り上げられたのかどうか、
どなたかご存知ですか?
創価学会本部がある東京・信濃町。ふだんは礼拝施設「大誓堂(だいせいどう)」の
誓願勤行(ごんぎょう)会に日々約千人が訪れ、にぎわいを見せる。
だが最近は人通りがまばらになった。同会が2月中旬、勤行会の中止を発表したからだ。
機関紙「聖教新聞」も再三、感染の注意を呼びかける。
地域の座談会などすべての会合を中止とし、訪問や激励といった活動の自粛も打ち出した。
立正佼成会(東京・杉並)は5日に予定していた教団創立記念式典の開催を見送った。
月に4度ある大聖堂への団体参拝も中止。
訪問や対面による布教はしないことにしたという。
既成仏教教団で最多の寺院数をもつ曹洞宗は、宗務庁(東京・芝)での毎日の座禅会、
写経会を中止した。
歴代首相らがたびたび訪れた臨済宗国泰寺派の全生庵(東京・谷中)も8日、15日の
日曜座禅会を中止した。
多くの教団は、感染拡大の対策について「今月中旬」までを一つのメドとしているが、
真宗大谷派の東京の拠点、東本願寺真宗会館(東京・練馬)は2月末の時点で、今月
20日の彼岸会(え)と永代経法要の門徒の参拝を取りやめにした。
混乱の長期化をにらんだ措置で、4月の釈迦(しゃか)の誕生日「花まつり」などの
行事も延期を決めている。
会館では「高齢者の門徒さんもたくさん集まる行事だけに安全第一に考えた」という。
天理教だけが意固地になって月次祭をいつも通り実施していたら・・・。
直属教会長だけが参集と言っても、詰所に宿泊すればひのきしん者も必要。
曖昧な態度の本部通告だからか、熱心な信者はそれでも各教会に参拝している状況だ。
本音が透けて見えるからだろう。上記各宗教団体のように、心の底から真摯に
信者の安全を願う気持ちがあれば、信者は素直に従うはずだ。
忖度まみれの教団心理が邪魔をしているということだ。
政府系のプロパガンダもどきのTV出演者の情報も「現状を信じたくない」という
バイアスに加担している。新しいウイルスに関しては防御しながら対応するのが
求められている社会的対応のはずだ。
本部の3月の月次祭には直属教会長だけと言うが、おつきが必ずついてくるはずです。数百万の札束と盗難のリスクを抱えて一人で来るはずが無いです。表向きは一人でも、実際には必ず複数人数で来るはずです。
詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。そんな時に直属教会長、その家族や運転手などが群れて来れば詰め所のお世話係りはコロナ感染リスクを背負います。人の移動は自粛せよと言う流れに逆らっています。
日本のメディアでもコロナウイルス感染拡大の原因懸念として「新興宗教」が多々出始めました。新興宗教は、本山への巡礼と各所での集団生活 により感染リスクがとても高いといわれている。天理教は正にあてはまる組織体制だ。三月末の月次祭で感染拡大は濃厚でしょう。
もし仮に天理教で感染拡大が発覚したら教団トップである真柱は謝罪できるのでしょうか?韓国の新興宗教ですら土下座をしていたのですか?謝罪も非も認められな中山家と本部員はどう責任と謝罪をするのですか?ちゃんと考えてますか?
【襲来! 新型コロナウイルス】元凶の宗教団体を「殺人罪」で告発! 朴槿恵前大統領の名まで浮上する泥沼政争 韓国紙で読み解く
https://www.j-cast.com/kaisha/2020/03/08381582.html?p=all
2020年3月18日 5:30 PMの匿名様の投稿の一部
>詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。・・・<
無理難題を言わなければならない立場を想うと、何という悲しくて空しい現状。奢るもの久しからず、と書かれた平家物語を持ち出すまでもなく、地に足のついた活動が出来なかった教団の姿が痛々しい。
表さんが笛吹けど踊らず、益々萎縮していくことでしょう。あらゆる身分を捨てて裸一貫で出直す覚悟は、一般信者さん達ではなく、教団中枢部に求められる姿勢でしょう。
真柱、内統領、表統領、本部員、大教会長などのきらきら星のような名称も捨てて、ただ、ただ一人の人間として生きていくことが求められているように感じています。
何の肩書もない今が一番幸せな立場だと思えるようになって来ました。
>詰所は今、空っぽの建物管理だけしている様な状態です。通常人手はそんなにいません。・・・<
もったいない限りです。どうしても詰所が必要であれば、どこか1ヶ所か数カ所必要最小限に集約し、他の詰所は売却して売却金を信者に還元するという方法もあるでしょう(現実問題としは難しいのかもしれませんが・・・)あるいは、もっと有効に活用する方法があるかもしれません。教会本部はいつまで旧態依然を通すのでしょう。どうして智惠を働かせないのでしょう? 愚者の集まりとしか言いようがありません。
無能の集まりであり 低能の集まりです!
私の妻がスーパーに買いものに行けば、スーパーの食品売場の棚から私の好物の納豆やアオサ(海藻)が売り切れてしまって店頭に無いそうです。理由は新型コロナウィルス感染に対する効用が納豆やアオサにあるという科学的根拠のないデマが爆発的に広がり、仕入れることさえできない状態だということです。
納豆やアオサと比較するのは、全く次元の異なる話かもしれませんが、医学や科学の発達していなかった幕末から明治にかけての天理教立教時、当時、不治の病とさえ言われた結核等の感染症や、治癒困難とされていた天然痘(ほうそう)等の感染症、あるいは、当時、死産や難産でやむを得ないこととされていた女性の「お産」が、天理教の「おさづけ」や「おびやゆるし」等の今で言う「まじない」で、たまたま偶然に助かった人達の噂やデマが爆発的に広がり、今の天理教に至ったのではないかと考える昨今です。人間の「溺れる者は藁をもすがる」という心理は昔も今も変わっていないようですね。
明日は上級の月次祭。
悩みましたが…早朝に御供を運んで休みます。
喘息あるしコロナをもらったら大変‼️
皆さんどうされますか?
月光仮面
2020年3月19日 8:43 PM
>>明日は上級の月次祭。
悩みましたが…早朝に御供を運んで休みます。
喘息あるしコロナをもらったら大変‼️
皆さんどうされますか?<<
それは個々人の自由だと思いますが、いわれの無い「お供え」をどうしてそこまでして運ぶ必要があるのでしょう? その「お供え」は一体、何に使われているのでしょう? 私にとっては疑問だらけです。(真相は私なりに把握はしておりますが・・・)。読者の皆さん考えてみてください。(考えるまでもないことと思いますが・・・)。
確かにですよネ⁉️
私は信者さんには一切御供を強要していません。
…と言ってもお運び下さいますが月次祭の祭典費用で維持費も上納金も出ません。
私は会長になった時から将来を予測して、起業をし無事に成功を致しました。
故に上納金は私個人的にしている状態です。
私は祭典講話でもどうどうと大掃除の話もし、コロナ騒動もその予行演習と話しております。
既に中国でのコロナ騒動がありました1月より本部も大教会の月次祭にも参拝しておりません。
私は上級からの出向で今の教会に来ておりますので色んなしがらみがあり仕方なしに上納金を運んでおりますが…
正直、危機感のなさに呆れております
月光仮面 様
2020年3月19日 10:26 PM
>>私は信者さんには一切御供を強要していません。
…と言ってもお運び下さいますが月次祭の祭典費用で維持費も上納金も出ません。
私は会長になった時から将来を予測して、起業をし無事に成功を致しました。
故に上納金は私個人的にしている状態です。<<
月光仮面は「正義の味方」です。「疾風のように現れて、疾風のように去って行く ♫ ♪」という歌の文句にもありますが、個人的に上納金をされるのは、「正義の味方」さんの勝手です。はたして、その上納金は正義の為に使われているのでしょうか? 私には甚だ疑問です。一握りの集団の「私利私欲」を満たすために使われているのではないでしょうか? 本当の「正義の味方」さんならば、諸悪の根源に上納金を出すのでは無く、世の中の本当に困っている人達、弱い立場の人達を助けることだと思います。悪を見つければ「疾風のように現れて」、悪を退治すれば「疾風のように去って行く」のが、私のイメージしている月光仮面です。
今までのコロナウイルス対策は一定の成果は現れているようだが、オーバーシュート(医療での対応不能、医療崩壊状態)の恐れもあるとのこと、緊張感溢れる会見であった。
内容をポイントで抜粋
・CPR検査に関しても精度の不安定性を公表
・移動制限対策に関しては成果は現れているだろうが、個々の一定性かを抽出することはできない。
・宗教団体による感染拡大は、韓国の新興宗教の事例もだし指摘
クラスタ(集団)を観察と対策をおこなっているが、やはり新興宗教団体の聖地巡礼と帰省の行動は、感染拡大原因に成るのは明らかでしょう。
動画
イベント自粛は継続?解除?専門家会議が見解
https://www.youtube.com/watch?v=Ldc–rAw9sI
東京五輪「予定通り」も・・・「無責任」批判相次ぐ(20/03/19)
https://www.youtube.com/watch?v=U6eDnrZeCQg
IOC(国際オリンピック委員会)が東京オリンピック・パラリンピックを予定通り開催する方針を表明したことに対し、IOC委員が「無神経で無責任」と批判しました。
元アイスホッケー選手でIOC委員を務めるカナダのへイリー・ウィッケンハイザー氏は自身のツイッターで、新型コロナウイルスの感染拡大について「この危機はオリンピックより深刻だ」と指摘しました。そして、IOCが17日に予定通りの開催を表明したことについて「無神経で無責任」と痛烈に批判しました。また、リオオリンピック女子棒高跳び金メダリストのギリシャのエカテリーニ・ステファニディ選手もツイッターに「これは4カ月後に状況がどうなっているかではなく、今の問題だ」と投稿して「IOCは私たちを危険にさらしている」と批判しました。
私は全く商売なんて分かりません。
ただ教祖の高く買っては問屋を喜びませ、安く売っては客を喜ばせるを実行しております。
正直、利益は二の次に考えておりますし、赤字を出してもその方の生活を考えて切る事は一切しません。
損さえしなければ慈善事業でも良いと考えております。
故に会社を辞める人はおりませんし、仕事も人も増える一方です。
贅沢さえしなければ普通に生活は出来ます。
私は若い頃に本部勤務をしておりましたので疑問に感じる事ぎ沢山ありました。
天理教では世間並みと言う言葉をよく耳にしますが、正直今の天理教は世間以下です。
父に呼び戻されて良かったと思います。
私は微力ながら改革を推し進めてまいりましたが、もはや諦めモードです。
上納金は上級の維持費程度しかしておりません。
月光仮面 様
>上納金は上級の維持費程度しかしておりません。<
それでも立派です。なかなか出来ることではありません。上級と聞くだけで嫌な思い出がよみがえります。大祭の際のお入り込みの様子は、殿様かそれ以上のお出迎えとお見送り。特に、黒塗りの車でお見送りの際の万歳三唱のバカバカしさ。たんまりと入ったお礼を懐に帰られるのでしょうが、責任役員を務めていた折にも、その金額が如何ほどなのは知る由もありませんでした。責任役員なんていっても形だけでした。それにもまして、万歳三唱は大きな声で近所迷惑この上なし。
系統により違いがあるとは思っていますが、何時までこのようなことが続くのでしょうか。
三月末の月次祭の直属教会長の出席の是非で賑わっていますがそう言えば先日行った【お願いづとめ】は何の意味があったんでしょうか効果0ゼロでしたね。本部は何事もなかったかのようにしていますが現在の中山体制では、おさづけ、お願いづとめ、一切の御守護は無いと言うことです。社会学のコメントを書かれる方、閲覧されている方は分かっているでしょうが、まだ御守護がある前提で実質中山教の天理教の異端を信じてる方もいらっしゃるのでドンドン拡散していきましょう。
毎度毎度、無慈悲な「さらし首」…….。
これが教祖の教えを伝える教団のやり方か……..。
情けない……。
みちのともより
= 告 =
法人の所在地 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇
法人名 宗教法人天理教〇〇〇〇分教会
代表役員名 〇〇〇〇
責任役員名 〇〇〇〇
責任役員名 〇〇〇〇
右法人(本文は縦書きなので)は、今般、宗教法人天理教から離脱し、宗教法人天理教とは関係のない 宗教団体となったことにより、今後は、右法人はもちろん、右法人の代表役員、 責任役員並びに今後とも右法人と行動を共にする信者は、右法人が宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。
令和二年三月五日
宗教法人天理教代表役員 中田 善 亮
アホ善亮と買春大亮はじめ犯罪本部員らを晒し首にしてやりましょうや。
今度はどこの教会の離脱ですか?? 教会の離脱や棄教はどのくらいのペースですか?
匿名 様
2020年3月20日 1:07 PM
>>右法人(本文は縦書きなので)は、今般、宗教法人天理教から離脱し、宗教法人天理教とは関係のない 宗教団体となったことにより、今後は、右法人はもちろん、右法人の代表役員、 責任役員並びに今後とも右法人と行動を共にする信者は、右法人が宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。>>
離脱された上記分教会は、被包括関係にあった当時、どのような権利を有し、どのような利益を享受されたのでしょう。いわれのない多額の上納金を搾取され続け、詰所建設に至っては多額の金を「お供え」として支払われたはずです。利益どころか大変な損失をこうむってこられたはずです。教会本部は「さらし首」のつもりかもしれませんが、教会本部自身の腐りきった体質を、みちのともにさらしているようなものです。これでは、益々、離脱していく教会が増え、信者も減り続けるに違いありません。
横浜市 本伊勢分教会です。
上級には私の自宅もあり出向で部内教会に来ております。
従いまして維持費位は仕方ないのですが…
私の上級教会は全教でも50番目以内の教会ですが、教勢は教祖110年祭から右肩下がりです
同世代の部内教会長が立ち上がり今改革しなければ未来はないと言う事で上級会長と役員の解任をチラつかさせて改革を推し進めております。
しかし反対勢力もあり厳しいものがございますが、会長や役員にも意見し、短気な私はキレる事もあります。
未だに上から目線、理の話を持ち出しますので呆れております。
改革するのは今しかないと思います。
>>信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。<<
読めば読むほど腹が立ちます。本伊勢分教会がどこの大教会の所属が知りませんが、詰所の建設時におそらく、多額のお供えをされたはずです。被包括関係を解消しても詰所を利用する権利はあるはずです。もっとも、老朽化した詰所など利用しなくても、天理市には比較的安価で宿泊できるスーパー銭湯もありますし、その近くには新しくできたビジネスホテルもあります。詰所の利用価値などほとんど無いといってもよいでしょう。事実、現在、天理市内にある詰所ですら、ほとんど利用者もなく、空き家同然の状態です。
月光仮面 様
2020年3月20日 6:50 PM
>>私の上級教会は全教でも50番目以内の教会ですが、教勢は教祖110年祭から右肩下がりです
同世代の部内教会長が立ち上がり今改革しなければ未来はないと言う事で上級会長と役員の解任をチラつかさせて改革を推し進めております。
しかし反対勢力もあり厳しいものがございますが、会長や役員にも意見し、短気な私はキレる事もあります。<<
大きな教会になるほど、既得権益も大きくなり、それにしがみついていたい会長や役員もいると思います。
ご存知のとおり、天理教全体の教勢も右肩下がりどころか、「崩壊」に向かって垂直落下している状態です。
せっかく改革を推し進めておられるのに、水を差すようで申し訳ありませんが、ほどなくして、天理教は完全に崩壊するでしょう。
東本です。
月光仮面様
上も下も無い平らな組織にして下さい。それが無理なら上に上下意識、選民意識、理の親意識を持たせない関係性を作ってください。対等に話ができる教会組織に。
上から巡教に来てもお礼、お車料は出さない。加えて下は上にお尽くしはしない。経済的困窮度は下ほど苦しいと言う、その窮状を上にはっきり理解させる。
上は下を当てにするな。自分の事は自分でせよ、という当たり前の意識を上に持たせる事。
下に旨味を求めないで、と私ははっきり言っております。下にお尽くし金を出させる事。下は上の行事に出るのは当然という意識。ひのきしんと称して自由に人の時間と交通費を盗む事。上も下もない、自分の事は自分でせよ、です。
天理教の場合、特に上下意識は百害あって一利なしだと思っています。現実、頭が空っぽのお偉いさんを作るだけです。
どうか、よろしくお願い致します。
自然淘汰されるものを抗う必要はないかと無能で低能な上が気づかないのが可笑しいのであって気づいた時にはもう遅いでしょう 今からその準備をしておくに限ります!
己の支配欲とエゴの為に「神」をさえ利用してきた悪因縁が、肺炎として現れているんじゃないか?
お地場に蔓延しない事を祈るが、私が感染したら、お地場に平癒の願いに上がるだろう。
匿名
2020年3月20日 1:40 PM
離脱法人は相当数有るそうですがこの離脱開示も本部側のさじ加減ですので公表してない教会がたくさん存在します。それに開示するにも離脱法人に迷惑にならないよう数年の猶予をあけなくてはいけないので、開示ざれるものは数年前のものになります。
和風総本家の最終回で、若くて、なりたての職人さん数名の、その後を取材していましたが、皆さん、若い時より、生き生きとして、柔和で、良い顔をしていました。
師匠とかの祖父は亡くなっていて、後を継いでる孫の、自信にあるれる笑顔は、とっても素敵で、若い頃の方が尖って、焦った顔をしてるのが、良く判ります。
きっと、職人の技能を追求して生きる事は、生き方にも反映されて、良い年齢の取り方をするんだと思いますし、魂も向上して行くと思います。
宗教団体に加入していても、良いとは限らない、宗教は理性を麻痺させたり、良心のカケラを捨てさせる機能もありますよ、実際、世の中の大宗教は様々であって、それが社会悪として存在してしまう場合がありますからね、一つの思想、思考に絡め取られるのは、良い事ばかりでは無いと思います、宗教に入っていたからこそ、苦しむ事もあるでしょう。
どうせ生きるなら、生き生きと人生を楽しみ、社会に貢献できる生き方が良いですね、それこそ神様の望む、陽気暮らしと言う物でしょう。
現状が苦しいとか、ストレスを感じるなら、それきっと、現状が間違ってるんですよ。
コロナでちょうど良い理由になるから、近所の手前、信者も教会に集められないし、教会長も出歩けないので、当面、お布施は無理です、自分の生活費で精一杯ですって言って、静かにしてたら良いんですよね。
文句言われたら、私もう4日も熱があるんですが、会いますかって、言えば良い。
>離脱された上記分教会は(中略)
>教会本部は「さらし首」のつもりかもしれませんが、教会本部自身の腐りきった体質を、みちのともにさらしているようなものです。これでは、益々、離脱していく教会が増え、信者も減り続けるに違いありません。
上から目線。で、自分の首を絞めることになるのを想像もできない本部。
頭の良い人というのは先を先を読んでいくものだけど、目先の事すら想像もできない人の配下にいる信者・関係者は哀れとしか言いようがない。まあ、洗脳されてる自覚がないのだから哀れじゃなく陽気に暮らしてるのかな。天理教だから。
それにしてもよくまあ、こんな人達の御機嫌取りができるもんだ。
最も進化した魂達が、最も成人しながら、永遠にたすけ一条を勤める処を地場神屋敷というのであって、教祖の御苦労の意味もそれを了解させるためだったのだが、教祖の血の末裔は、八つの埃の根源である、支配欲とエゴの温存と増長のままに、宗教にさえそれを投影したまま続いてきたのだが、とうとう恐慌的お手入れにも対処できず、お手上げ状態を呈しているのが中山執行部の現状だろう。
よろずたすけも甘露台世界への善導もなしえぬまま滅びさるのは一族支配の金王朝にも似た精神構造の人達であって、お地場の本来の機能と構成が再生発展する事を願う人達の想いは、神の想いと合致するゆえに、実現化してゆくのだろう。
節から芽が出る。恐慌間近の世界においても、未来には執行部が神の化身のような人達を中心に研鑽されているのを拝見できるお地場の未来の姿があるのかもしれない。
世界と教会本部の大崩壊が立て合って起こっていても、神がお地場に世界人類の棟梁としての神人達を登場させるに違いない。
天理教教会本部が倒産しても天理教は消えないので心配はいりません。現在の本部は中山教なので中山教が消滅するだけです。離脱しても天理教を名乗り天理教を信仰して行けます。中田善亮「金のつなぎは命のつなぎ」をはじめとす本部が明らかに天理教から逸脱してしまった昨今本部との包括関係を解消する方が天理教の正当性が有ると言うことです。以下に国立国会図書館の最高裁判決を添付しておきます。
この裁判に関しても中山教の中田善亮が中心に信者に無断で裁判を行い勝手に敗訴した裁判です。この責任もまだ取ってませんよね?善亮さん?なにしてるんですか?恥ずかしくないですか?中山家の面々はいつまで天理教のふりをし続けるのでしょうか(笑)
国立国会図書館
被包括関係を解消した天理教の地方分教会が「天理教豊文教会」を宗教法人の名称として用いることは、不正競争防止法による規制の対象とはならないとし、さらに、宗教法人天理教の氏名権を違法に侵害するものでもないとした事例(最高裁平成18.1.20第二小法廷判決)
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7990493-00
ただの父親ちゃん
2020年3月21日 9:28 AM
>>宗教団体に加入していても、良いとは限らない、宗教は理性を麻痺させたり、良心のカケラを捨てさせる機能もありますよ、実際、世の中の大宗教は様々であって、それが社会悪として存在してしまう場合がありますからね、一つの思想、思考に絡め取られるのは、良い事ばかりでは無いと思います、宗教に入っていたからこそ、苦しむ事もあるでしょう。<<
全くその通りです。今日は地下鉄サリン事件が発生して25年目ということですが、マスコミのニュースを見るにつけ、つくづくそう思います。
皆さま皮肉混じりのコメントされていますね。
感染者が続々と平癒、快癒の願いに押し寄せたら、本部は両手を広げて迎え入れるだろうか?答えは目に見えて「ノー。」お願い勤めなどやっているがただの格好つけです。善亮、大亮が陽性者一人、一人を膝元に座らせてお授けを取り次いでくれるだりうか?本気のお願い勤めならやらなきゃ嘘でしょ。
金にしか興味の無い彼らがする訳が無い。手下を使って本部敷地内からつまみ出すのが彼らのやる事です。
>・・・宗教法人天理 教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はも とより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。>
まさか、おさづけまでもが効かなくなりますよって、云ってんじゃないだろうね。元々、効くわけないだろうと思っているのでどうでもいいことだが、ついつい、言いたくなってしまいました。
そもそも、権利と利益ってあったのかなぁ。むしろ、取られる一方だったように思っているのですが。本部さんは何か勘違いをしていませんか。
一人ひとりの信者さん達を大切にしなかった付けが回ってきて、言うに事欠いたのでしょう。
とんでもおさしずトメフデの黒門に死体の山って文言が、伝染病患者が押し寄せたら現実になってしまう。
病院を作った理由は、死の直前の重病人が人目につかない為なのか?
本部が提供するたすける方法に欠陥があって有効性に欠ける為か?とも疑ってしまう。
中山ご一統様方には、地場屋敷が提供するはずのヨロズタスケとは何かを聞かせて頂きたいものだ。
病まず死なず弱らず、無事無難、世界世の中処繁盛、百十五歳定命、歳を寄るめはさらに無し。
このままでは健康長寿安全繁栄でいつまでも若々しい人類達が溢れる場所としてのお地場とは反対になってしまうじゃないか?
お金が地球上に出回る以前から、人類は無条件に親神様のご守護に守られて来ました。
お金なんか無い時代。野山を駆け巡って生きてきた時代。人類はたくましく生き継いで来ました。今頃高々200年で金と命の引き換えと言う脅し文句を持ち出す中山は詐欺師集団そのものです。
金に魂を奪われた中山の来し方をみんな良く考えて欲しい。
お金ってい良いもんだな。貨幣と言う概念が出来はじめた頃人類は初めてお金と言う物に価値を置きはじめた。命の発祥とお金とどう言う関係性があるのだろう。お金の出現前に命は連綿と守られ続けて来たと言うのに。
天理教は中山と言う金儲け主義者達が教祖を利用し、神の名を利用して立ち上げた詐欺師集団でしか無い。
良く見てみよ。トップは病気が治らず、頭の悪い弟は人品軽薄、ただの欲深で、ゴルフ場の理事?この息子も色情因縁を受け継いでいる様子がうかがえる。色情因縁は頭の悪い親父さんにも言えるが、神奈川あたりで女性問題で3000万円の脅しに遭ったとか?
天理教ご守護メニュー。
Aランク・・しっかり金出したな。ご苦労であった。即快癒が見込めるかも。だが、しかしあくまでも、かも。
Bランク・・これだけか?しばらく苦しむが、ご守護の見込みはあるかも。あくまでも、かも。もっと金出せば早く治るかも。
Cランク・・金、出さんのか。金の繋ぎが命の繋ぎだと言ったろうが。金を出さない者は救われないと心得よ。
こうして、どこまでも保証のない「かも?」の世界で出しても出しても脅迫観念に苦しみ、結局快癒もせず、貧乏しただけで苦しみ、むしろ早死にする場合も現実あったりする。
金さえ手に入れば本部的にはオーライ。出した信者が死んでもおわびは無い。保険会社ならそれなりのランク保証はあるだろう。天理教に金を出すのはどぶに捨てるに等しい。隣近所に出しておけば、まだ助け合いの協調と言うものがあるだろう。
天理教は最低最悪の詐欺師だと思う。
地下鉄サリン事件という世界的にも類を見ない悲惨極まりない事件を引き起こしたオウム真理教教祖麻原彰晃は天理教システムを真似てカルト教団を作ったという事実は、出版物等でも広く知られています。天理教教会本部は少なくとも社会的道義的責任を感じるべきではないですか?
あの最高裁まで行って天理教本部が負けた裁判、中山善亮が主導して起こしたんですか?どこまでも頭の悪い人間ですね。再認識しました。
大教会乗っ取り事件では欺瞞会議で大教会長さまを悪人に仕立てて辞任に追い込み、刑事告訴を逃れるために莫大な示談金を支払ってんて笑
私は教会に生まれ育ちました。
親々が因縁を切る為に大変な中を通ってくれ、また信者様方も同じようにお通り下さいました。
お陰で教会も伸び栄えて今の私があります。
先ず皆んなが丹精して下さった教会を何とかしたいと言う思いが強いです。
天理教どうこうと言うよりは、先ずは自分の所属する系統から何とかしたいです。
教祖100年祭以降の教勢の下降は、教勢調査を担当しておりました私には直ぐに分かりました。
公共料金は滞納。国民年金は払えず。家族旅行も出来ず。子供達はTDLやUSJにも行けず。外食も出来ず。
こんな中を通りながら上納金を運んでいても、上級や大教会に参拝に行っても誰一人挨拶もしてくれない。
そりゃしばいたろか!と思いますし、子供達が親の後を継ぐ気になんかなれません‼️
未だに上から目線でものを言い、理がどうとか伝家の宝刀の様に振り回す。先ずはこれからやめさせなくてはなりません。
そして言いたいのは、上納金が集まらないのは部内教会の所為ではありません。
私にはただの悪代官にしか見えません。
ふんぞり返っていないでバイトをする事から始めて欲しいと思います。
そうする事で初めて、部内からの上納金は血と涙と汗の結晶だと分かると思いますし、まともな挨拶くらいが出来るようになると思います。
私の経営します会社には100名以上の方々働いておられます。
先ず社員が幸せになってくれなきゃ経営者としては失格です。
それは教会も同じかと思います。
今の天理教には自浄作用はありませんし、それぞれの既得権益を守るのに必死です。
教祖の年祭→大教会記念祭→上級記念祭と息つく暇もない末端教会はただの金づるとしか考えてられていないのかも知れませんネ!
実際、改革派の私も最近嫌になっております。
私は上級の記念祭よりも部内教会が喜び勇んでつとめて下さるように丹精させて頂く事が先だと訴えましたが…大教会長にご臨席賜って記念祭をと力説する上級会長に失望しました。
それもお忙しいから平日になるかも…
誰の為の記念祭で何の目的があるのか?
色んな事に腹が立つので「お前が勝手にやれ!」と小突いてしまいました
私から熱いものが無くならない限りは「改革」は推し進めます。
私の父が話しておりました。
「K大教会は偉いもんや!役員が会長に向かっておまはんさっき神殿講話で言うとった事は間違っとるぞ!」と意見しとる。
だからK大教会は伸びるんや‼️
へいこら大教会長に胡麻をする大教会には未来はあらへん…
更に本部に至っても同じだと思います。
月光仮面 様
2020年3月21日 2:14 PM
私も天理教の末端分教会に生まれ育ちましたが、思春期を迎える頃、天理教がつくづく嫌になり、別席を最後まで運んだものの、教会は継がずに、かねてから興味のあったミッション系の大学に進学し、宗教学の講義でキリスト教をはじめ、仏教やイスラム教について勉強しました。世界的にメジャーと言われるそれらの宗教も立教時のオリジナルの理念は素晴らしく立派であったと思いますが、開祖の後を引き継いだ信者達が作ったつまらない組織により、当初の理念は信者の勝手な都合の良いように歪曲されてしまったと考えています。私は宗教に組織など必要ないと考えている一人です。この掲示板に投稿されているどなたかのHNのように「組織は無くとも信仰できる」のです。
月光仮面様。
よくぞ言って下さいました。上は下の苦労なんぞ知らない。金は勝手に上がって来るもんだと思っています。うちの父親が亡くなった時、大教会へ合祀に行きました。幣帛料は持参していましたが、事務的な役員に催促されて出しました。その後合祀祭前に神殿に入ってきた大教会長は私に気づいたが、立ったまま知らん顔をしました。天理教内にどっぷり浸かるとこんなに非常識な人間になるんだ、と呆れた。恩を売るつもりは毛頭ない。「お父さんお寂しくなられましたね。長い間、お世話になりました。」当然この程度の言葉はかけられると思っていました。ところが、こちらから畳に座り手をついて生前の父親のお礼を申しても、突っ立ったまま「ああ。」だけでしたね。肩すかしを食らったようで、すっかり失望してしまいました。
お尽くし、お尽くしと、末端故に、上級、上上級、大教会と普請だ、年祭だ、記念祭だと、出さねばならない機会は終わっても終わっても、押し寄せる波のようにやってきた。息つく暇もないお尽くし、お尽くしに貢献してきた父親の会長人生。その事実を娘の私は知っている。しかしこの人は、人の金で生きてきた人。人の苦労や痛みを知らないが故の致命的欠陥を内包している自称「大教会家族は徳の高い人」。これでは、天理教に長く関わるだけ時間とお金の無駄でしょう。
こんな馬鹿の勘違いがこの組織を牛耳っている限り、神の残念は形として確実に現れ出て来るはずです。いや、もう現れています。人助けの天理教が所在するのは近畿圏ですが、コロナはその近畿圏に拡大されていますね。もう、ご守護なんてはじめから無いのだし、それを解ってやってるその詐欺的行動様式はやめましょう。
月光仮面様。天理教に期待も未来も見えませんが、せめて現組織で虐げられる人が一人でも少なくなる様、宜しくお願いします。何を言われようと、神が見ている、気を静めです。
私は当該教会の役員さんや信者さん方に神様がこの世の大掃除をされて陽気ぐらしの世の中になると教会はなくなると説いております。
実際には今でも全ての方が神様と一対一で対峙する天理教で良いと思いますけど…
1日も早くにそんな世の中になって欲しいです。
匿名 様
2020年3月21日 4:37 PM
>>うちの父親が亡くなった時、大教会へ合祀に行きました。幣帛料は持参していましたが、事務的な役員に催促されて出しました。その後合祀祭前に神殿に入ってきた大教会長は私に気づいたが、立ったまま知らん顔をしました。天理教内にどっぷり浸かるとこんなに非常識な人間になるんだ、と呆れた。恩を売るつもりは毛頭ない。「お父さんお寂しくなられましたね。長い間、お世話になりました。」当然この程度の言葉はかけられると思っていました。ところが、こちらから畳に座り手をついて生前の父親のお礼を申しても、突っ立ったまま「ああ。」だけでしたね。肩すかしを食らったようで、すっかり失望してしまいました。<<
これに似た話は私も聞き及んでいます。知人の義父の末端分教会長がバイクで信者さん宅に講社祭り行かれた折、不幸にも交通事故に遭われてお亡くなりになりました。その分教会長さんの属されていた大教会長は、弔いやねぎらい、慰めの言葉等は一切口にせず、開口一番「おつくしが足らんからや」と言ったそうです。さすがの知人もそれを聴いてぶちぎれてしまい、奥さん(交通事故で死亡された教会長の娘さん)と共に、天理教から離れていかれました。こうした話は他にもたくさんあるはずです。
私はここに書けないような過激な事を今までにやりました。
人物を特定されてしまいますので書けませんが…
その時には私の立場などどうなっても良いからと関係各省庁に働き掛けました。
結果、負けてしまいましたが⤵︎
最後の手段はマスメディアを利用する事でしたが、天理高校がセンバツを控えておりましたので断念致しました。
やるからには腹を括らないと返り討ちに遭ってしまいます。
先ずは身近なところから改革を推し進めて参ります。
とりあえず4月は家族だけで月次祭にします。
来てはいけません。
今月は自制できませんでした反省します。
うちから出してはいけません。努力したいです。
末端が努力したらとんでも上級から伝わったら良いと思います。
匿名です様。
あたり前の事をあたり前にすれば良いのです。とんでも上級、とんでも上上級、上に行くほど世間知らずのとんでも大教会となります。末端こそ凛として手本を示しましょう。
大教会はお金をいくら本部に持って行けるか、大教会同士で見栄の張り合いをしているのが現状です。弱小は弱小なりのお供え金額の目安があるらしいですよ。我々のお供え金は大教会長の本部忖度金、本部ご機嫌伺い金です。彼は自分の立場上の見栄も有り、その目安に向かって部内や信者にペテンにかけるのです。信者は馬鹿だと思っているのか、なめているのか。
今更分かりきった事ですが、お金でご守護はもらえません。心通りの守護です。
また、月次祭参拝を信者様に自粛して頂けば、お供え金は当然減ります。上納出来ない正当な理由付けの出来る良いチャンスです。これを機に上への上納金は減らしましょう。末端は一致団結して本来為すべき自教会のお助け活動にお金を使いましょう。
「信仰の元一日を忘れるな。」
この言葉は、うちの会長さんも大好きで、月次祭でも講社祭でも度々口にしてきました。教会の初代がこの道に入って通ってくれたおかげで、今日の結構な暮らしがあるのだと。
うちの教会の歴史は、私の祖母が癌で入院していた時に、一人の布教師から匂いをかけられたことに始まります。その布教師A先生は、普段は病院の前に張り込んで、出てきた人を家まで尾行して家を確かめた後、訪問布教を繰り返していたそうで、病院の掃除おばさんから情報を得て、祖母の病室を訪れたのでした。このあたり、内務省警保局の報告にあった布教スタイルそのままといった感じですね。
まだ幼い子供を何人も抱えていて、死ぬに死ねない想いの祖母は天理教に入信し、自らも布教師となって匂い掛け・お助けの道を歩み始めました。そんな祖母の命を助けてもらいたい一心から祖父もまた商売を畳んで道一条を通ることを決意します。それが私の母の実家である教会の始まりでした。
自分を信仰へ導いたA先生に対する祖母の忠義は徹底したもので、それが今の会長さんの理の親信仰、上級至上主義のルーツとなっているようです。月次祭の神殿講話で会長さんが話した、祖母の忠義ぶりを示すエピソードをひとつ。
病を抱えながら休日も無く、朝早くから夜遅くまで布教に歩いた祖母。その甲斐あって信者も増えていきました。A先生に喜んでもらいたくて、がんばって集めた御供を納めに行った時のことです。A先生は祖母の胸ぐらを掴んで激しい口調で言いました。
「こんな目腐れ銭で助かると思うな!」と。
初め聞いたとき私は、大事なのは金銭ではないという意味でA先生は言ったのかと思ったのですが、会長さんに確かめたところ本当に金額を問題にしていたのだそうです。
どんな理不尽にも腹を立てず、A先生への祖母の忠義は揺らぐことはなかったと、これまた美談めかして会長さんは話すのですが、やはり私は感動することができません。
信者たちが楽に出したわけでもない御供。それを「目腐れ銭」なんて「はした金」よりもっと酷いヤクザ言葉を使ったA先生に対して、祖母は一言くらい抗議すべきだったと、孫である私は残念に思います。
結果としては癌が治ることも無く、祖母は私が生まれる少し前に亡くなりました。驚異的に延命されたと言えるかどうかは見方次第ですが、母はよく「私は母を、とても早くに失った」と言っていました。癌になる前に、既に子供たちも生まれていたのだし、一体どれほど歴史が変わったというのでしょうか。
教会にならなかったら、母の人生も違ったものとなって父と出会うことも無く、私も生まれてこなかったかもしれません。それなら、こんな事を考えたりすることも無かったのだし、それはそれで悪くない気もするのですが・・・。
病まず死なず弱らず、無事無難、世界世の中処繁盛、百十五歳定命、歳を寄るめはさらに無し。
健康長寿安全繁栄でいつまでも若々しい人類達が溢れる場所としてのお地場思想って、エルサレムに神が降臨して、契約した人々を復活させて、神と共に永遠に生きる世界ができるのと同じ構図ですもんね、エホバの証人と変わりないです、天理の証人ですよ。
何度も言いますが、この地球には、永遠の理想世界は実現しないでしょう。
地球は、理想を求めて、努力する場所でしょう。
この世を治める神人など、現れない、仮に神人レベルが現れても、必ず寿命はある。
おぢばに、神人が現れる可能性を信じられるなら、それも自由。
誰でも、与えられた、生を、一生懸命生きる事しかできないんです、この世は変えられる事は、変えたって良いんです、元一日は先祖の人生のお話なんです、継ぐ義務はないんです、自由です、本当に前世の因縁など無いんです、そんな事は無視しても問題ない、あなたの人生はあなたがオリジナルでしょう。
自分の人生は、自分の物です、神様は正当な努力を要求されます。
人に預けず、神様に甘えず、精一杯頑張って生きましょうぞ。
コロナにも負けず、手洗い、うがいに、免疫を上げて乗り切りましょうぞ!
神はより優しい世界が見たいのだ。
やさしい心とは正反対の中山教本部は、弱い者イジメの中共にすり寄るローマ教皇のおひざもとイタリアの様に、ウイルスが蔓延するんじゃないか?
神の大掃除が加速度的に起こる事を喜びで受けるにしても、犠牲者に対する気の毒さは拭え無いな。
財務省に騙されたお上が消費税で庶民を苦しめ、入管法改正で日本の国柄を貶めている現政府。
ローマ法王も経済人も目先の金目当てで中国マンセー。
イタリアパンデミックは象徴的な神の手入れだな。
人類発症の地と言っている地点で胡散臭い そういうことを主張するから他の意見も聞くことができない 世界中に人を助けるポイントは数多くありおぢばもその一つといえば諍いも起きないのに 神様はどこにでもいる 真実の心に乗りて働く 諍いのある所や 不平不満の多いところで働く訳はない 組織はなくとも一人一人が真実の心でとおれば世界も人も救われると思います!
>>組織はなくとも一人一人が真実の心でとおれば世界も人も救われると思います!<<
全くその通りだと思います。
天保の大飢饉と迫るコロナ恐慌への対処。
善亮さん達には、神の言葉を宣伝に使いながら、人集め金集めするよりも、権力者に対して民のカマドの逸話を説く神道家のように、教祖が中山家の財産まで、貧者に施していったひながたをお見せいただきたいものだ
その延長線上に神人達が登場する下地があるのではないか?
善亮ご一統とツイショウ大教会長達が奈落に落ちるのに付き合いたくはないですがね。
とりあえず弱い者イジメはヤメテね。
>>教祖が中山家の財産まで、貧者に施していったひながたをお見せいただきたいものだ<<
誠に中山一統のやっている事は現行不一致もはなはだしい。
現中山家の財産を守り固めて、行く先々で信者のお金を御礼と称して臆面もなく懐に入れて、信者、教会にのみお尽くしと、貧乏になるのを解くのは、理の通らないデタラメ説法です。中山さん、理とは道理の事ですよ。物事の筋道って事ですよ。わかります?
中山さんと一族郎党の方々、天理教という温室から出られるべきです。天理教も少しは良くなるかもしれません。
私が会長になりまして10年間はアルバイトをせずに生活が出来ました。
しかしその後、御供頭の役員さんの身上と事業の失敗やギャンブル依存症から田地田畑を売り飛ばされて自宅が残るのみとなられました。
お金で人は助けれませんが、自動車ローンも受けれないので名義を貸して上げた結果、私が支払う事になってしまいました
最近では、月次祭にはお参り下さいますが御供が無い月もあります。
ある月には、金封の中にお詫びの手紙が入っておりました。
私は御供ってお金でするものだけではなくて、時間(おつとめ奉仕)の御供もありますし、身体(ひのきしん)でするのもOKだと思います。
教会に心を寄せて下さるだけでも有り難いと思います。
「目腐れ銭」なんて言葉は初めて聞きました!(◎_◎;)
私は、「部内」「役員」「信者」と呼ぶ会長は信用ならない奴だと思います。
私は親から「ご部内さん」「役員さん」「信者さん」と呼ぶように教わりました。
皆様方のご丹精、真実のお陰でお育て頂いた事を考えれば呼び捨てには出来ません。
その真実の結晶が教会であると思うから何とかしなくてはと思います。
勿論、金封に手紙だけで御供金が入っていなかった!なんて言うつもりもありません。
今の天理教は天理教ではありません。最も適切に表現すれば中山教です。過去の歴史を顧みても、天理教から分派独立した「ほんみち」や、現在、宗教法人ではありませんが「モラロジー研究所」も天理教から分派独立した団体です。中山教に矛盾と疑問を抱き、中山教から離れていった団体は他にもあると思いますが、これからも分派や独立、離教は続くことでしょう。中山教は誰かが大改革の狼煙をあげない限り、崩壊することは間違いありません。中山さんと一族郎党、取り巻きの方々が実権を握っている限り。
天理教メキシコ出張所のひのきしんからの帰りでなければいいのですがねぇ。
Twitter情報では、天理市も管轄内にある郡山保健所扱いとなっているようです。
↓
奈良県で女性1人の感染確認
2020年3月22日 15時11分 共同通信
奈良県は22日、40代女性の新型コロナウイルス感染を確認したと発表した。
ボランティア活動のため昨年からメキシコに滞在。
今月16日に帰国した後、せきや胸の痛みなどの症状が出て検査を受けていた。
おたすけに熱心なことは素晴らしいと思う。
だがこれからコロナ患者が増えていった場合、
「我が身どうなっても」の玉砕覚悟精神の
おたすけ熱心なようぼく達がコロナ患者の方におさづけをして、
以下のイタリアの神父たちのようにならなければいいが…..。
【神も仏もないのか】
新型肺炎患者の最後の秘蹟を行い多くの神父が感染・死亡 イタリア
2020/03/22
https://twitter.com/vismoglie/status/1241377853817618433
カトリックでは、危篤に近い段階で司祭(神父)を呼び、逝去の前に「聖油の秘蹟」=塗油式を行うが、その際にコロナウイルスに感染したくさんの神父が亡くなっている。ベルガモでは15人の司祭が亡くなった。ここ3日間でミラノも3人の司祭を失った。パルマは6人の司祭と次々に……
コロナウイルスで病中の真柱は死んでも良いのか?と本部のコロナ対策のずさんさから思うようになった。それは月次祭の全国各地からの直属教会長の帰参を未だに変更してないのでしょうか?変更してないのであれば疑問しか浮かびません。コロナウイルスも色々情報が明確になってきましたが、老人と持病もちの方の死亡率だけが以上に高いです。現真柱の善司氏は脳の病気をしてると聞きます。
CPR検査でも確実性がないので、全国各地の直属教会長が感染して無いとは言い切れない。むしろ感染はしているが発症していない。と見るのが適切です。それに、効果があるといわれるアビガンも副作用が非常に強く妊婦や他の疾患を持ってる方には使用できない。
ここまでの情報はTVニュースでも流れているのに全国各地からコロナ感染していないと言い切れない直属教会長を発症者2名いる天理市に呼び寄せるという事は、真柱、中山善司氏の死亡率が高まると言えます。
以前より実弟の表頭領中田善亮氏と真柱との確執が言われてましたが「真柱は死んでも良い。という判断として受け取っても仕方ない判断だと思います。
紙幣や硬貨も相当数のコロナウイルスをはじめ細菌が付着しております。
現金書留、銀行振り込みなど代替手段はあるになぜ直属教会長を呼びよせるのか?理解に苦しみます。
コロナ対策大きく左右される求心力
IOC委員「大会の延期は決定された」米紙報道
東京オリンピック・パラリンピックについて、IOC=国際オリンピック委員会が開催の延期を含めた検討を始めると発表したことを受けて、アメリカの全国紙「USAトゥデー」はIOC委員が「延期は決定された」と述べたと伝えました。
「USAトゥデー」が23日、ホームページに掲載した記事によりますと、IOCのディック・パウンド委員は電話でインタビューに答え、「IOCが持っている情報に基づいて大会の延期は決定された。大会は7月24日に始まることはない。これから延期による甚大な影響を処理することになる」と述べたと伝えています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200324/k10012346291000.html
コロナウイルスによる感染拡大予防のため東京開催のオリンピックは延期が決定した。その最中天理教教会本部の毎月26日に開催されるお祭り月次祭(つきなみさい)では毎月全国各地から奈良県天理市の本部施設への巡礼が行われている。今回は直属教会長と呼ばれる本部直属の教会長以外は参加禁止になったようだが、この直属教会長の参加が物議をかもしている。この直属教会長も他の教会長と同じく全国に点在している。コロナウイルスの感染予防移動制限の原則に反する決定だからだ。それに天理市では2名の感染者(発症者)が確認されていてこの2名の感染者との報道は実質2名の感染と確定しているわけではない。発症者が診察を受け制度もまばらなpcr検査で陽性反応がでて初めて報道各社は(感染者)と報道している点だ。つまり奈良県天理市の潜在的感染者数を誰もわからない状態である。それに教団トップの真柱(しんばしら)中山善司氏は以前より頭部の病気でもあり、コロナウイルスによる持病もちの死亡率が高い事もあり心配は後を絶たない。その世界的に非常事態宣言がいつ出てもおかしくない中、天理教は全国各地から直属教会長を呼び寄せてしまう教団本部の決定に多くの教団信者が不信感を抱くようになった。月次祭まで残り数日となったが教団本部の今後の適切な判断と決定に注目が集まっている。その判断如何で本部の求心力は大きく左右されるだろう。
コロナ、宗教界にも波紋 座談会やミサなど中止相次ぐ
https://www.asahi.com/articles/ASN3J3DRWN3BULZU00Z.html
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国内の宗教団体が集会の中止や活動の縮小を次々に打ち出している。問題の長期化で、春の彼岸への影響も避けられなくなった。
創価学会本部がある東京・信濃町。ふだんは礼拝施設「大誓堂(だいせいどう)」の誓願勤行(ごんぎょう)会に日々約千人が訪れ、にぎわいを見せる。だが最近は人通りがまばらになった。同会が2月中旬、勤行会の中止を発表したからだ。
機関紙「聖教新聞」も再三、感染の注意を呼びかける。地域の座談会などすべての会合を中止とし、訪問や激励といった活動の自粛も打ち出した。
立正佼成会(りっしょうこうせいかい)(東京・杉並)は5日に予定していた教団創立記念式典の開催を見送った。月に4度ある大聖堂への団体参拝も中止。訪問や対面による布教はしないことにしたという。
既成仏教教団で最多の寺院数をもつ曹洞宗は、宗務庁(東京・芝)での毎日の座禅会、写経会を中止した。歴代首相らがたびたび訪れた臨済宗国泰寺派の全生庵(東京・谷中)も8日、15日の日曜座禅会を中止した。
多くの教団は、感染拡大の対策について「今月中旬」までを一つのメドとしているが、真宗大谷派の東京の拠点、東本願寺真宗会館(東京・練馬)は2月末の時点で、今月20日の彼岸会(え)と永代経法要の門徒の参拝を取りやめにした。混乱の長期化をにらんだ措置で、4月の釈迦(しゃか)の誕生日「花まつり」などの行事も延期を決めている。会館では「高齢者の門徒さんもたくさん集まる行事だけに安全第一に考えた」という。
うちの系統では大教会役員による年一回の月次祭巡教が、
このコロナショックの中通常通り行われています。
皆さんの系統ではどうなさっていますか?
普段の巡教でもマンネリなつまらない話に加え、
高い御礼と食事の接待等で負担がかかっていてただの大迷惑なのに…..。
はっきりこちらから断れれば良いのですが、
バリ天の両親はとてもじゃないけど断るなど口に出せないと言います。
本部から指導していただけないものでしょうかねぇ…..。
いっそのこと、アホな本部員の話でもいいから
ZOOMとかで巡教を全国一斉にしてもらえないものでしょうか。
100円くらいなら払いますよ。笑
>>普段の巡教でもマンネリなつまらない話に加え、
高い御礼と食事の接待等で負担がかかっていてただの大迷惑なのに…..。
はっきりこちらから断れれば良いのですが、
バリ天の両親はとてもじゃないけど断るなど口に出せないと言います。
本部から指導していただけないものでしょうかねぇ…..。<<
本部自身が巡教の甘い汁を吸ってきたので、本部は指導するどころか推奨するはずです。あちこちの教会に巡教に行って御馳走や酒をたらふく飲食していれば、生活習慣病になり殉教すると思います。
天理教が言う、有難い話なんか聞き飽きましたよ。時報を見ても空しさが募るだけです。
大切なことは、先ず、自分を知ることです。それが出来なくて他人を説得することは出来ません。50歳代の若さで酒に振り回されて亡くなった大教会直轄教会長さんを知るものとして感じたことは、天理教は一にも、二にも数字、数字ばかりで人を責め立てて何になるのでしょう。
心定めとは、人を責め立てるだけです。この一言で酒に走らなければならなかった立場を想うと、天理教って何が目的なのかが分からなくなりました。
天理教教会本部員関係者などが安泰で暮らせることが目的なのでしょう!数字にこだわる姿勢は保身以外の何物でもありません。天理時報にしても、この世界の危機的な状況化で、予定になかった今週号は来週号と合併号?(要するに休刊)ですよ。掲載する記事が無いからでしょうか?こんな時こそ、通常にはない本部員たちの世界的規模のコロナウイルスに対する神のお示しとは何なのかを本部員全員の考えを載せるとか、特集号を出すべきでしょう。天理時報が通年のお決まり行事だけの新聞であることが明白になっています。それから4月29日に予定されている全国一斉ひのきしんデーに関する何らかのお知らせ(例えば一斉を中止して、日時や場所なども個々の都合に合わせて行う形に変更するとか)をすべきでしょう。いまだに何一つ発信していません。現場の判断にゆだねているから全国の支部の判断はまちまちなことになるでしょうし。当然担当者はどうすべきか悩むところでしょう。これは全国の月次祭や催し行事も同じことです。本部でありながら都合が悪いことは統制をとろうとしません。お供えやお礼は積極的に集めているのに、この大問題に対して何もしようとしません。世界助けを願っている宗教法人の代表がこんなことで良いのでしょうか?
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2019/10/18/30752/
「令和元年台風19号 災害救援募金ご協力への御礼
本教では、「令和元年台風19号」の被災地の一日も早い復興を願い、10月18日から令和2年1月10日にかけて、道友社を窓口として「天理教災害救援募金」を実施してまいりました。
期間中の募金総件数は1371、募金総額は6246万9165円に上りました。
真心をお寄せくださいました大勢の皆さま方に、心から御礼を申し上げます。
この募金は、後日、被災地へ義援金としてお届けいたします。
また、災害救援ひのきしん隊の活動、および被災教区の復興支援にも活用させていただきます。
多額の募金をお寄せいただきました各位のご協力に対し、重ねて御礼を申し上げます。
天理教災害対策委員会」
その内訳です(みちのとも4月号)
千葉、栃木、岩手、福島、宮城、茨城、長野の各県庁を訪れ、計2千600百万円の義援金を寄託した。
なお、義援金の残高(3646万9165円)は、災害救援ひのきしん隊の活動、および災害教区の復興支援に活用される。
「しっかりお供えは受け取りまっせ~おたすけはせーへんけどな!」
Information
一般帰参者の3月月次祭前後の 施設利用について
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2020/03/16/32215/
2020年03月16日 (月)
3月26日の月次祭および27日の春季霊祭におき ましては、新型コロナウイルス感染拡大防止のた め、一般帰参者の殿内、回廊、境内地での参拝はご 遠慮ください。両日とも祭典終了後まで、お茶所、 インフォメーションセンター、西地下、スロープ昇 降口、殿内エレベーターのご利用はできません。
なお、お供え物につきましては、神殿西御守所へ 下ならびに教祖殿御守所にて、それぞれ受け付け おります。
また、3月25日・26日・27日の「説教・神殿おたすけ」はございません。 ご理解の程よろしくお願いいたします。
立教183年3月16日
「境内地での参拝はご遠慮下さい。」ですが、神殿西お守り所、教祖殿お守り所は境内地内ではないのですか?お供えする人は境内地入場させるのですか?え?え?
お供えする人は感染していいんですか、、
ひのきしんデー、うちの支部は中止となり安堵しています。毎年大層に幟を立て、おぢば方向に拝をし、支部長が上からの言葉を代読し、市役所から提供された大量のゴミ袋。ひのきしん内容といえば、1メートル四方の小さな草をむしりながら、おしゃべりをしているご婦人方、雑草と植えられている植物の違いも分からず、めったやたらと草刈機で刈り取る男性方。休みの日の朝からの草刈機の音は近くの家にとっては迷惑でしょ。湿った土を払いもせずに重くなったゴミ袋、回収の人が大変です。まだやり残しの所が多く虎刈り状態の公園なのに、時間が来たから終了となり、又おぢば方向に拝をして休憩時の残ったジュースを貰って、お疲れさまと解散。本当に地域のためにひのきしんするのなら、一年に一回では少ないですよね。定期的に施設などで活動している地区や教会も多い様ですし、本部主催のこんなつまらない行事はやめたらいいんと違いますか。
時報に何ページにも開催場所やら写真やら。いくら載せる記事がないからって、ムダですわ。わざわざ開催場所調べて車や自転車で行く事自体おかしい。自分の近くの公園や家の周りの掃除してたらいいですやん。
昔、あの広い鶴見緑地に、車で信者さん達とワイワイと行ってたのが懐かしい。公園側から、もう結構と、断られた様です。他の遊びに来ている家族さん達に迷惑だったんでしょうね。褒められたり感謝されたら徳積みにならないからと、昔の人は隠れてひっそりと良い事されたとか。ハッピ着て、幟立てて、そのくせやる事成ってなかったら恥ずかしいだけです。もう、永久にやめましょう。
オウム真理教以降数々の新興宗教が有名になり社会から嫌われる一方です。世界的感染拡大の最中に集団で居たら違和感でしかないですし下手すると通報されます。パナウエーブ研究所などは、真っ白の衣装で違和感があっただけで有名になったわけです。天理教もそう変わりない事に皆さん気がつきましょう。
3月25日・26日・27日の「説教・神殿おたすけ」
月次祭前後だけであっても、そんなのが残っているんですね。ところで説教する人達は、誰がどんな資格で選ばれるんですか??
全教一斉ひのきしんデーは中止にならないのか?この状況でやる気満々とは呆れる。速く中止宣言すべきだ。ある支部では
飲食を提供するらしい。天理教は馬と鹿の集まりなのか?
志村けん感染で波紋、菅田将暉との“初共演現場”が急遽中止に
志村けん(70才)が新型コロナウイルスに感染し都内の病院に入院していることが明らかになった。主演映画『キネマの神様』の撮影にまもなく入る予定だったという。
https://news.livedoor.com/article/detail/18022185/
著名な志村けんさんですらコロナに感染し映画撮影を中止したのに本日月次祭ですが全国各地の直属教会長出席さ各地に帰すのでしょうか?理解に苦しみます。それに感染者が出た時点で感染拡大助長教団として天理教の名は世を轟かす事は間違いなく各地の教会の布教成果の更なる減退は間違いなくなるでしょう。
結核菌は感染していても、発病して開放性肺結核にならない限り伝染しないと聞いていますが、今回の新型コロナウイルスは感染しただけでも他人に感染すると聞いている。
天理教の人達はこの辺の事情をご存知なのか。とにかく人が集まらないことが重要なのに、今日26日に本部に集まる人たちは、余りにも無責任すぎる。
それとも、天理教徒、特に本部関係者や大教会長はじめ本部直轄教会長たちは感染源にすらならないとでも思っておられるのだろうか。そうであれば、思い上がりも極まれりといえるだろう。
イギリスのチャールズ皇太子も感染されたと聞くと、庶民の我々は特段の注意力が求められています。
天理教ライブカメラを朝から見ております。新型コロナウィルスの関係もあると思いますが、境内地はガラガラの状態です。コロナウィルスが終息したとしても、毎月26日の本部月次祭は、ガラガラの状態になるだろうと彷彿させるような今日の映像でした。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/livecamera
八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!
いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。
通りすがり ちゃん
2020年3月26日 2:25 PM
>>八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!
いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。<<
久々のご登場ですね!! お元気でしたか? 教会本部はほとんど鎮圧・制圧されています。ワクチンも特効薬も必要ありません。 教会本部は天然痘のようにこの世界から根絶するでしょう。
またまた「アホな通りすがりウィルス」が発生 笑
「恥ずかしい自演がばれたことのほとぼり」が冷めたのでまた投稿を始めたのでしょう 笑
クラスター等とトレンドに絡めて、うまいことを書いたつもりなのでしょうが思いっきりスベっています 笑
しかし「通りすがりウィルス」の周りには相手にする人間が誰もいないので感染させる心配はありません。笑
そのうちこの投稿欄からも管理人様に再び駆除されることでしょう 笑
東風Zさん、あなた気をつけた方がいいです。高齢者は死亡します。反省するのは今のうちです。崩壊ちゃんはどうでもいいが、貴方が心配なんです。命は大切にしましょうや!
岐阜県の合唱団から6人の感染者が出たそうです。また、その中の一人は別の合唱団にも所属していて、そこでも感染者が出ています。
合唱と言えば通常は対面するのは指揮者だけで、皆さん横並び。
けれど団員数が多ければパート別に二重、三重の列が作られます。
やはり唱和するのはリスクが高いのでしょう。合唱練習は週に1~2回程度。
教会のおつとめは???
今更ですが本部の朝夕のおつとめの状況では1~2メートルの人間距離がとられているのでしょうか?
誰かからの指示待ちではなく、自分の安全を守るために自分でできる事にはつとめてください。
翻って、天理市民の安全を脅かすような信者の無自覚な行動は、厳しく身を律して慎むべきでしょう。
集団で歩き回る姿は、今や「ブブッー」でしょう。
通りすがりさんは、だから、皆から嫌われるのだね!
通りすがりくんは教団本部の痛い点を突くと出てくるよねwww
ライブカメラでガラガラの本部見られるのがいやだったのかな?
本部の不透明な金の動き?
コロナ感染拡大の元凶のことかな?www
通りすがりが行かないと本部ガラガラで閑古鳥が鳴いてるみたで余計廃るからはよ行って来いwww
通りすがり
2020年3月26日 2:25 PM
>>八島コロナウィルスが発生、櫟本クラスターが頻発、邪怪学でオーバーシュート!いずれワクチンで八島コロナウィルスも鎮圧・制圧されると思う。
八島をたたく前に「金のつなぎは命のつなぎ」と言い放っち是正もせずい一年以上たち事実上中山の意見として提唱した中山家に問題があるやろwww
勝手に名称裁判して最高裁で敗訴して異端に名称を取られたのは誰のせい?八島せい?中山家の中田善亮のせいですが?笑
二代 真柱正善の隠し子問題は八島のせい?正善のせいやろ笑
教団衰退は八島のせい?中山家の今までの行いが悪いからやろ笑
中山教団の人は本当に頭が沸いてるんやな笑アホラし笑
まさに 『鬼畜カルト』 の発言
↓
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
ヤシマコロナも変異して、猛毒なウィルスになってしまったようね(^。^)
東風Zさま、レンダイコ事件は水に流してあげますから、どうか心を入れ替えて欲しい。命を大切にして下さい。
とどのつまり、金と人足が欲しいのだ。本部は。
その流れが大教会や部内を抱える分教会に行き着く。
なんてことはない、食っていく為の算段である。
感謝と報恩を叫び、様々な事象に教理を当てはめ、納得させて、時間と手間と金を集めるのだ。
昔はwin-winの関係が成り立っていたが、経済や科学が発展するに従って、宗教以外にも縋るものが増え、楽しみが増え、生活水準が上がり、自分で物事を考え判断する人々が増えた。
明治以前に発生し、大正時代に骨格が作られた組織の構想は、現代では淘汰されていくのであろう。
もっと変化をしなければ、組織は生き残れない。
教えは残すことはできるが…
東京都も不要の外出は控えるようにとの要請が出されましたね。要は迷惑をばら撒かないようにとの配慮からでしょう。そのような配慮が出来ない集団があることに悲しみさえ覚えます。
爆発感染が起これば医療崩壊が起きる姿は、イタリアやスペインの現状を知れば言うまでもないことでしょう。
万が一にも感染が分かれば、自分ちのみならず、向こう三軒両隣が消毒されますよ。自分がコロナに感染するのは自業自得ですが、他人に迷惑を及ぼすことを一番恐れます。
だから、行動を自粛するのは当然のことでしょう。近くを運行する路線バスにも乗客は殆んど見ません。皆さんも我慢をして自粛されているんでしょう。
それをあざ笑うがごとくに本部に人を集める神経を疑います。
命のレンタル?とか平気で言ってる人間は本当に危ない奴だわさすがカルト笑
借りに百歩譲って神様には切り手いたとしても、中山にも教団にも借りてないからなー笑、しかも教団が言ってる「親神」て後付やろ笑 教祖は 神か月日としか表現してないしな
頭に問題が有り過ぎて発言の問題点に気がつけないほど脳みそ沸いてるんやな笑
匿名
2020年3月26日 5:11 PM
>>
まさに 『鬼畜カルト』 の発言
↓
通りすがり
2019年7月18日 9:48 PM
身体は親神様からの借り物であり、常に十全の守護をもってお守り下さっています。健康であるからこそ、働く事が出来ます。働く事が出来るからこそ給料が頂けます。この健康をお守りくださっている親神様へ「健康で働く事ができました。ありがとうございます」という思いを供える、それが「おつくし」の一つの意味です。命をお与え頂き、お守り頂いている神様への感謝の心を形にしたものこそ「おつくし」です。正に「おつくしは命のつなぎ」です。分かり易く、俗なる表現で申し上げます。要するにレンタル料です。レンタル料を支払わなければ二度とレンタル出来なくなる。これが道理です。
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。
>>
これが天理風教の代表者の1人中田善亮大先生の解釈なんですね!だから信者が減ったんですねWWW
「これが道理です」の使い方が「これが定説です」の ライフスペースと同じでワロタWWW
ちょっと前の懐かしい事件~カルト宗教編~
http://www.uraken.net/zatsugaku/zatsugaku_69.html
神のかしものかりものの理を知って、全てに感謝の心を深めるという教えは素晴らしいが、神になり代わってお金を取るのは、オレオレ詐欺とかわらんだろ。善亮君は馬鹿なの?
通りすがり ちゃん
2020年3月26日 6:56 PM
>>ヤシマコロナも変異して、猛毒なウィルスになってしまったようね(^。^)
東風Zさま、レンダイコ事件は水に流してあげますから、どうか心を入れ替えて欲しい。命を大切にして下さい。<<
あなたが訳のわからない投稿をすればするほど、あなたの意図する方向と逆方向、逆効果になっていることに気づきませんか? あなたの投稿を真剣に読んでいる人など誰もいませんよ。ご自身の低脳ぶりを披露するのは、いいかげんに止められたらどうですか?
教団が誇る使命感が社会に受け入れられるのであれば異論は申しませんが、現実はそうじゃないでしょう。
命のレンタル料だとか、人を呼び寄せるだの、現状では及びもつかないことを何の臆面もなく実行せよと言うんだから。
これを指摘するとヤシマコロナ変じて猛毒ウイルスと断定されると、八島さんも墓場で苦笑されているんじゃありませんか。
教祖中山みき曰く「コロコロ変わるから心」と仰ったなら、今の御時勢なら「中山と天理風教も終わるコロやナ」と言うやろうなーしかも教祖中山みきは存命なんやろ?本部中山家がうまく行かないのは全部教祖中山みきが阻止してるんちゃうか?教祖じゃなくでも一般人ならあんたらの異常さはわかってるで気がついてないのはあんたらだけやろ笑
通りすがり 2019年7月19日 8:56 AM
とりあえず、表統領の発言には何の問題もない事がお分かり頂いたと思います。
もう一度、信仰の無い方々に分かり易く、極めて俗なる文言で申し上げれば、要するに、「かしもの・かりもの」の理とは「命のレンタル」の事です。レンタルしてレンタル料を支払わなければ、レンタルしたものが取り上げられてしまうか、二度とレンタルできなくなる。これが道理です。>>
この論理には重要なことに間違いがあります。
神様から借りた身体を神の思いに沿ったお礼をすることです。
本部に、教会に、金を出すことではないはずです。
本部に金がないのであれば、「道の路銀」として渡された人助けにまい進すればよい。
巡教などとやった気になるようなことをせず、人助けにまい進すればよいのです。
本部にいる役員さんも、人助けをし預かっている自教会を盛んにし、大教会へとすればいいのではないですか?
教団の低能ぶりは既に判る人にはわかっています。教団擁護の方が騒いでおられますが、取るに足らない教団中山の一分子で同じ穴のむじな。高次元の真実を求める人たちにとっては同じ土俵に立って議論できるお方ではない人と拝察します。だから人が離れて今の惨状です。
天理教が廃れたのは、高い精神性を求める集団にはあまりにも受け入れがたいお粗末さと内容の不条理さ、ナンセンスさ。ダジャレ説教の数々。
ご守護とお金をセットにしている教理はあり得ないし、悪質な詐欺です。コロナを機に全国の教会へのお供え金は劇的に減少しています。つまり本部へ上がるお金の予想外の減少は自明の理です。コロナは天理教衰退、消滅への神の意志でもありましょう。脅しては取り、取っては人が離れていく。この循環に入ったら後は時間の問題です。いえもう既にこの循環に入っていると思います。
閑散とした今の姿は教祖100年祭から比べたら坂を転げ落ちる勢いですね。
お金を一番手っ取り早く手に入れるのであれば、「コロナ退散」 の御供 を各教会に有償配布すればいい。
BBC 新型ウイルスの死者、世界で2万人超す 東京都は外出自粛要請
https://www.bbc.com/japanese/52044652
全世界的に移動制限かけている中天理教は何をしました? しかも3.26だけでなく2.26も全国各地から人を呼び寄せました。人助け?世界助け?とは感染拡大の手助けですか?感染拡大の世界助け?宗教は社会悪でしかない証拠
匿名 様
2020年3月27日 1:48 PM
>>教団の低能ぶりは既に判る人にはわかっています。教団擁護の方が騒いでおられますが、取るに足らない教団中山の一分子で同じ穴のむじな。高次元の真実を求める人たちにとっては同じ土俵に立って議論できるお方ではない人と拝察します。だから人が離れて今の惨状です。
天理教が廃れたのは、高い精神性を求める集団にはあまりにも受け入れがたいお粗末さと内容の不条理さ、ナンセンスさ。ダジャレ説教の数々。<<
ズバリ、その通りです。本質をついておられます。何も補足することはありません。中山の一分子がこの掲示板にいかなる投稿をしようと、だれも真に受けないでしょう。時々、投稿される中山の一分子さん、あなたの投稿は天理教の心象を益々悪くしていくだけです。もういい加減にご自分の低脳ぶりを自覚されるべきだと思います。
訳の分からない通りすがりはもしかしたら表統領その人かもね。
短文しか入力できない人=スマホを何とか使っている人(PCとは無縁の人)
ところで、いよいよ須藤花井さんの予言が現実味を帯びてきましたね。
「黒門の前に死体が重なる」は黒門撤去で防いだと、ホッとした人々もいたでしょう。
でも、新型コロナの前には天理教の一度のお願い勤めは、むなしくかすんでしまいました。
たしか、5月でしたかね。家々は戸を立てて、その陰で人々はひっそりと。
外出禁止令はいまだ出されていませんが、今日明日の外出自粛要請は今後につながることは明らかです。
預言の当たりはずれを問うているのではなく、どのように現状を認識するかを自身の心に問いかけています。
天理教発生以前から存在する神を、地球誕生にかかわった事象を神の業ととらえ、新型コロナウイルス発生を、繰り返されてきた一連のウイルスと生物の宿痾の戦いと捉えれば、スッキリ胸の内に納まるような感じがします。
その「今に」存在する私たちが、偶然にも天理教という組織に関りながら(過去形の場合も含め)、その組織と教えに幾つもの問題点を見つけ自分の言葉でこの場をお借りして発信しているのです。
天罰とか、因縁とか、カルト集団内での言葉での表現は、もはや社会に通用しません。
信仰していようが止めようが、当たり前のことを書いて申し訳無いのですが、大切なのは一人一人の頭で考え、行動する、これに尽きるのではないかと。
そのためには「洗脳」状態から抜け出る事が自立への第一歩になるのです。
神の存在を信じていても、自分と神との関係性を、依存から自立した個人へと自身が変容すれば、信仰は生活の中で瑞々しくも存在できると思います。
濁り水の世界である教会組織や中山家一族の力を借りなくても、神との日々は誰にでも存在しているのですから。(言うまでもないことですが、そんな事は既に身についておられる立派な方々もおられます。)
さらに言えば天理教だけが最高の教えではないことを謙虚に受け入れなくてはなりませんね。
(とは言え、わたし自身は多神教は民俗学的な社会観からは理解していますが、それを信仰の対象にする事はバカバカしいと感じています。)
「訳の分からない通りすがりは、もしかしたら表統領その人かもね。」笑
またはアホ善亮の飼い犬ども(例えば乗っ取り事件実行犯の前内統領山澤廣昭の兄弟の島村廣義。そのまた飼い犬の中山治信(はるのぶ)または高井久太郎あたりかな笑笑笑
感染爆発してしました。天理教さんは自粛要請を無視して集会を開きましたよね?しかも3月2月千葉県の福祉施設で57名施設内の人間ほとんどが感染しました。教会ごとクラスター化するのは時間の問題です。お願いづとめ は無意味 月次祭 集金祭 は続行 直属教会長を全国から呼び寄せる。
新型コロナウイルス
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000967.html?word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9&utm_int=all_header_tag_001
障害者福祉施設で57人感染確認 千葉 東庄町 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200328/k10012355661000.html?utm_int=word_contents_list-items_001&word_result=%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9
崩壊ちゃま、あなたが「必死!」なのは分かりますが、相手にされていません。
レンダイコ事件ではこの掲示板が完全フリーズしました。なぜなら、デタラメな内容ばかりの掲示板である事が明らかになった瞬間だったからです。東風Zさま、いいお年なんですから、もう少しまともなコメントをお願いします。新型コロナで命を落とさなくても、あなたはヤシマコロナの猛毒にやられて既に命を落としています。この掲示板は世の中を知らない高校生が大騒ぎしているレベルです。それも成長の一コマでありますから、大いに盛り上がって下さい。ただ、「憎い、恨み、腹立ち」の心に新型コロナウイルスが寄って来ます。命を大切になさることをお勧め致します。
アホの通りすがり、 自分こそがデタラメばかりの低脳であることがバレる 笑
顔真っ赤やな 笑
通りすがり 2020年1月18日 4:56 PM
別席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
通りすがり 2020年1月18日 1:05 PM
もう少しお勉強なさった方がいいです。あなたの投稿記事を読んでいると、あまりに低レベルで可哀そうになります。あなたはサンスクリット語を学んだ事があるんですか?ネット検索で引用しただけでしょう。「南無」は仏教用語ではありません。あくまでもサンスクリット語です。どうかお勉強をお願いいたします。
匿名
2020年1月18日 9:49 PM
『南無』 は たしかに、サンスクリット語の間投詞「ナモ(नम namo 敬意、尊敬、崇敬をあらわす)」を音写した漢訳ですが、仏教用語です。
世界宗教用語大事典にも以下の説明があります。
世界宗教用語大事典 より
なむ 【南無】
仏教用語。梵語ナマス(namas)の音写(那摩・那謨・那莫・納莫などとも)。
帰命・帰礼・敬礼・信従などと漢訳。帰依信順する意を表した言葉。
通りすがりさんは、以前の通りすがりさんですか?どうも違うように見えます。別人28号でしょうね。
通りすがりという人間は、本当におやさまの教えを信仰している人間なのか?
まともな議論が出来ずに論破されてばかりだからといって、腹いせに人をウィルス呼ばわりしたり、年寄りを小ばかにしたり…..。
きっとお供えで生活しているニートで、教団の財政が逼迫しているから大切な金づるシステムの批判は黙らせたいのだろう。
まあこれが偽教理によってつくられた今の天理教人のレベルなんでしょうな。
「短文入力しかできない」と書かれたから少し長文を投稿してくるあたり、なんとも幼稚で情けない w
ご愁傷様でーす。
通りすがり が来なくなるのも寂しいので書き込みしてもらうと中山教徒と天理教徒との差が明白になるので好都合なんですよね。通りすがりの反論は論点をずらす為の反論で議論の方向がずれるものではないので意味は無いんですけどね。何とか変えようにも変わらない何故なんでしょう?それは中田善亮を筆頭とする中山家と中山教の本部が変わらないから論点が変わるわけは無いわけです。このような簡単なことも理解出来ないようでは通りすがりくんは反論する意味は無いですよね笑
席の話に「十柱の神」など登場しません。「十全の守護」です
「南無」は仏教用語ではございません
もう少しお勉強してからご発言ください
「十柱の神」でも「十全の守護」でもどちらでも意味が伝わればいいのでは?年代層によって、呼び名が変わるだけです。
それに南無が仏教用語ではない? 南無 阿弥陀仏?は何教でした?www 反論が痛々しいwww
サンスクリット語だから仏教ではないもおかしいwww そもそも仏教の原書は大体サンスクリット語ですがね? サンスクリット語であるが仏教用語ではないも間違いでそもそも仏教によりサンスクリット語は中国を経由して日本に伝来していますがねwww
「中山みきは他の宗教の影響を受けていない」と仕向けたいようですが、中山みきは熱心な仏教の信仰者だったのは教団内でも有名だったのでは?
ネット上には、統合失調症や、ADHDや、その他精神的に、病院通院者も普通に参加されます。
私自身、ある場所だ使ってるHNを使われて、もうめちゃくちゃ、そのHNが5chで誹謗中傷を繰り返して、私を演じて、あいつはとんでもない奴だ!と、その病気の方にやられました。 病気だもんね、もう弁護士通じて裁判するしか無いけど、ネット上のHNのやり合いで、50万も使えません。
某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。
某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。
某◯◯すがりさん、やばい印象です、間違いないADHDでしょう、触ってはいけません、お大事に・・・本気で、思います、お大事に〜
いえいえ。崩壊様も東風z様も、有益なご意見を出され、毎回納得のご投稿です。
ここに投稿される方々は知的にも高く、見識高い方が多いように感じています。
高校生の大騒ぎ感はむしろ最近出現された本部寄りのお方に一層強く感じられます。駄々をこねている大人子供の様で、ちょっとお可哀想。
中山から利益を受けているお方か、それとも洗脳されて自分を見失ったお方かとお見受けします。
頭が硬く柔軟性が無く、ちょっと突っ込んだ話を向けると答えられない、、天理大学宗教学科を卒業していても深い話には何も答えられない。何を勉強して来られたのか?と思ってしまう。知性を疑うこう言う方が天理教教会長あたりに多いんですよね。だから世間には通用しない井の中の蛙です。
少なくとも中山一族は社会の役には立っていません。災害救援隊の費用も中山が自腹を切っている訳ではありません。その都度別途に義援金を信者に募り、隊員にかかる諸費用もその義援金の中で維持運営されていますね。よって義援金の多くは被災地に渡っていないそうですね。中山の彼らが最前線で泥にまみれている訳でもありません。中山は自らの身を切らず、汗を流さず、ひのきしんと称して若い信者にただで労働させ、信者のお金で天理教の看板を世に光らせ良い格好をしているだけです。中山一族には宗教ビジネスのお金の匂いと嘘の匂いがプンプンします。
話が脱線しました。崩壊様、東風様、ぶたまん様、弁護士の方やその他多くの見識高い方々の幅広いご意見ご投稿、今後も社会を良くする為にどうぞ宜しくお願い申し上げます。
参考にしないでの意見 様
2020年3月28日 10:19 PM
>>某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。<<
私は別に意図的に執拗に投稿したいという気持ちで投稿している訳ではありません。現天理教に対する理不尽さや矛盾についての投稿が余りにも多いので、私の投稿回数も「自然に増えていく」のです。誤解なさらないようにお願いします。現天理教が本当に素晴らしくリスペクト(尊敬)に値する宗教であるのならば、私は一切この掲示板に投稿はしないはずです。
現状の天理教が不可解な点
①教祖存命の証明
②かんろだいが人類発症の地である証明、そこに天理王命が存在し御守護をくださっている証明
③おさづけの理論的な証明
たとえばおさづけでいいますと一般的にヒーリングとかスピリチュアルの一種であるとすると
世界にはさまざまな能力者がいます。なべおさみなどもそうかも
最もポピュラーなスピリチュアル・ヒーリング
スピリチュアル・ヒーリングと言うと、おそらく多くの人は、ヒーラーが病人に手をかざしたり、患部に手を当てて治療している様子を思い浮かべるのではないでしょうか。中国で始まった“気功”や日本発祥の“霊気(レイキ)”、日本の新興宗教(救世教・真光教)で行われてきた“手かざし”、アメリカ人D・クリーガーによって考案された“セラピューティックタッチ”などが、この種のヒーリングとしてよく知られています。
スピリチュアル・ヒーリングの中では、この「手かざし」や「手当て」というシンプルな方法が多く用いられています。その意味で、手かざし療法・手当て療法は、最もオーソドックスなスピリチュアル・ヒーリングのスタイルと言えます。スピリチュアリズムにおいて展開しているスピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)でも、この手かざしや手当てが用いられています。
古い時代の有名な「手当て療法」としては、イエスによる“奇跡治療”を挙げることができます。聖書には、イエスが患者の体に触れることで病気が癒されたという記述がしばしば登場しますが、これはイエスが「手当て療法」を行っていたことを示しています。また、中世ヨーロッパ(*特に英国とフランス)で800年間にわたって行われてきた国王による“ロイヤル・タッチ”も、この手当て療法の代表格と言えます。
※ロイヤル・タッチ(王による手当て療法)
英国では17世紀の国王チャールズ2世が、10万人もの病人に手を触れて治療をしたことが記録に残されています。また、ウェストミンスター寺院を建てたエドワード王、ローマ教皇に反抗して国教会を設立したヘンリー8世、その娘のエリザベス女王も優れた治療能力を持っていたと言われています。英国では、王に手を触れてもらうことが国民の権利の一つとして、当時の憲法に定められていました。
フランスでも国王が手を触れるだけで病気が治ると信じられており、国民が王のもとに殺到しました。13世紀のルイ9世(聖ルイ)の時代には“ロイヤル・タッチ”が連日行われ、押しかけた国民の多さに、とうとう時間制限を設けることになりました。その後、ルイ11世の治世には、病人を選別して“ロイヤル・タッチ”は週に1度と決められました。17世紀には治療日が定められ、ヒーリングの当日には千人もの民衆が押しかけたことが記録に残されています。ルイ13世の時代にはさらに多くの病人が殺到し、1日に2400人もの病人を治療しています。国王は“ロイヤル・タッチ”のあまりの人気に悲鳴をあげ、嘆いたとも言われています。ルイ14世の時代には、1日に3000人近い病人が押しかけ、かの有名なベルサイユ宮殿内において治療が行われました。
中世においては“ロイヤル・タッチ”はある意味で、国王の義務として位置づけされており、国王自身もそれを受け入れていました。国王にとってロイヤル・タッチはとてもハードな公務でしたが、多くの王が忠実にその責務を果たしました。国王は、自らの義務としてヒーリングを行うことによってその権威を国民に示すとともに、国民の信頼を勝ち取ってきたのです。
英国のロイヤル・タッチは、ピューリタン革命(清教徒革命)を機に終わることになりました。フランスのロイヤル・タッチも、ルイ16世治世のフランス革命をもって終焉を迎えることになりました。
3種類の手かざし療法・手当て療法
手かざし・手当ては、ヒーラーが患者に“治療エネルギー”を与えるための方法です。治療エネルギーを患者に与えるという目的からすれば、「手かざし」でも「手当て」でも、それほど違いはありません。「手かざし」ではヒーラーは患者に直接タッチしないのに対し、「手当て」では患者の身体にタッチするという違いがありますが、肝心な治療エネルギーを与えるという点から見れば大差はありません。
その一方、「手かざし療法・手当て療法」では、治療エネルギーの内容において天と地ほどの違いが生じます。治療エネルギーには、霊界の霊たちがつくり出す「スピリット・エネルギー」と、地上のヒーラーの霊体に存在する「サイキック・エネルギー」と、地上のヒーラーの肉体に存在する「マグネティック・エネルギー(生体磁気)」の3種類があることを説明してきました。スピリット・エネルギーを用いる治療が「スピリット・ヒーリング」、サイキック・エネルギーを用いる治療が「サイキック・ヒーリング」、マグネティック・エネルギーを用いる治療が「マグネティック・ヒーリング」です。
「手かざし療法・手当て療法」は、用いられる治療エネルギーの違いによって「スピリット・ヒーリング」と「サイキック・ヒーリング」と「マグネティック・ヒーリング」に分けられることになります。治療風景はどれも同じように見えますが、内容的には全く異なる治療が行われているのです。
スピリチュアリズムにおける手かざし療法・手当て療法では、霊界の霊たちがつくり出す治療エネルギー(スピリット・エネルギー)が用いられるため、多くの場合「スピリット・ヒーリング」になっています。一方、世間で広く見られる手かざし療法・手当て療法では、サイキック・エネルギーやマグネティック・エネルギーが用いられており、「サイキック・ヒーリング」や「マグネティック・ヒーリング」になっています。
手かざし療法・手当て療法はどれも同じように見えますが、それぞれのヒーラーによって用いられる治療エネルギーが全く異なります。そしてそれにともない治療効果も違ってきます。
※私たち「日本スピリチュアル・ヒーラーグループ」では、「スピリット・ヒーリング」としての手かざし療法・手当て療法を行っています。
「オーラ療法」は、手かざし療法と同じ
さまざまな手かざし療法・手当て療法について見てきましたが、これらは形式は少々異なっていても、いずれも「ヒーラーを通して治療エネルギーを患者に与えることで病気を癒す」という点では共通しています。ヒーラー自身が有する生体エネルギーには「サイキック・エネルギー」と「マグネティック・エネルギー」があり、状況によってはこの2つを同時に与えることもあります。
サイキック・エネルギーもマグネティック・エネルギーも、ヒーラーの身体内をめぐっているだけでなく、ヒーラーの体外にも放射されています。それがよく言われる“オーラ”です。手かざしなど患者の身体に直接触れない治療では、オーラを投射することで治療エネルギーを患者に与えます。この意味で「オーラ療法」と呼ばれているものは、「手かざし療法」と同じと言えます。
手かざしによって、神のエネルギーを流すことはできるのか?
世の中には、「自分のヒーリングは、神から送られてくるエネルギーをストレートに用いるため治療効果が最も強力である」と豪語するヒーラー(治療師)がいます。ヒーリングにおいて神のエネルギーを直接、使用しているかのように主張するのですが、すでに述べた通り、そうした言い分は霊的事実とは一致しません。
神が造られた宇宙と霊界には“神のエネルギー”が充満しており、人間をはじめ、すべての生命体はそのエネルギーを取り入れて生存しています。しかし“治療”ということになると、神のエネルギーをそのまま“治療エネルギー”として用いることはできません。神のエネルギーは、治療エネルギーに転換されるプロセスを経て初めて、治療に用いることが可能となるのです。治療薬は、純粋な水(蒸留水)にさまざまな有効成分を加えてつくられますが、神のエネルギーはこの“蒸留水”のようなものなのです。神のエネルギーを直接“治療エネルギー”として用いるというようなことは、あり得ません。
これについては霊界の実態を知ると、より明瞭になります。幽界(霊界下層)でも、他界して間もない霊に対してスピリチュアル・ヒーリング(スピリット・ヒーリング)が行われていますが、それは神のエネルギーをそのまま与えるといった漠然としたものではありません。そこで用いられる治療エネルギーは、神のエネルギーにさまざまな霊的要素を加えるという薬を調合するようなプロセスを踏んでつくられたものなのです。
地上人が神のエネルギーをストレートに用いて治療をするというようなことは、一方的な思い込みに基づく勝手な空想にすぎません。
「サイキック・エネルギー」を与え過ぎて、へとへとになるヒーラーたち
サイキック・ヒーリングの場合、ヒーラーは自分の“生体エネルギー”を患者に与えて治療をするため、エネルギーを消耗してへとへとになってしまうことがあります。「何とか病気を治してやりたい、早く治してやりたい」と気負って無理をしたりすると、自分の生体エネルギーを一度に与え過ぎて破綻してしまいます。ヒーラーは常に“神のエネルギー”を自らの内に取り入れる努力をしていないと、治療によって生体エネルギーを使い果たし、すり切れてしまうのです。
ヒーラーや治療師には、大気中から“霊的エネルギー(神のエネルギー)”を取り入れるための瞑想や祈りが不可欠です。霊的エネルギーをしっかりと補給し、自分の健康を維持するのに必要な生体エネルギーを確保したうえで、余ったエネルギーを患者に与えるというのが「サイキック・ヒーリング」と「マグネティック・ヒーリング」の鉄則です。
実はこれはヒーラーや治療師だけでなく、病人や老人を相手にする仕事に携わっている人たち全般に当てはまることなのです。医者や看護師・介護福祉士・カウンセラーなどは、相手(患者)と接する際に、自分の“生体エネルギー”を無意識のうちに与えることになります。特に霊的に敏感な体質を持っている人の場合には、生体エネルギーを相手に奪われるような状況に置かれ、自分自身の生命力が急速に枯渇することになってしまいます。医者や看護師・カウンセラーといった人たちは絶えず、精気を失うような状態にあるのです。相手が精神病患者や衰弱した老人などの場合には、より多くの生体エネルギーを消耗することになります。まさに“身を削って相手を癒す”ことになっています。医者や看護師やカウンセラーは、ある意味でサイキック・ヒーラーと言えるのです。
※イエスは、大勢の病人に対して「サイキック・ヒーリング」を行いました。しかしイエスの場合には、今述べたヒーラーや気功師のように生体エネルギーを消耗して、へとへとになるようなことはありませんでした。必要な“霊的エネルギー”を自由に取り入れることができたからです。
それが可能となったのは、イエスの霊的器(霊的キャパシティー)が別格だったからです。イエスは「霊性」が並外れて進化していたことに加え、「心霊能力」も飛び抜けていました。そうした高い霊性と心霊能力によって、完璧とも言えるような霊的コントロールが可能となったのです。
「聖水ヒーリング」とは
水に治療エネルギーを吹き込んで行うヒーリング
手かざしや手当てという方法は、どこまでも“治療エネルギー”を患者に与えるための手段にすぎません。それと同じようにヒーラーは、水に手をかざすなどして“治療エネルギー”を吹き込んだ“聖水”をつくり、それを患者に飲ませたり注ぐことによって病気治療を行うことができます。これが「聖水ヒーリング」です。
治療に用いられる“聖水”は、治療エネルギーを吹き込むヒーラーの内容によって大きな違いが生じます。「スピリット・エネルギー」を吹き込むことができるヒーラーがいる一方で、「サイキック・エネルギー」や「マグネティック・エネルギー」しか吹き込むことができないヒーラーもいます。見た目には同じ水ですが、ヒーラーによってつくり出される“聖水”の内容は全く異なったものになります。
今こそ天理教がノーブレスオブリュージュの精神で世界の人に施しをすべき時であると思います。
義を見てせざるは勇無きなり
真柱をはじめ各リーダーたちが日本をはじめ世界を救ってほしい!
人の上に立つリーダーにこそ才や弁でなく、明確な哲学を基軸とした「深沈厚重」の人格が求められます。謙虚な気持ち、内省する心。「私」を抑制する克己心(こっきしん)、正義を重んじる勇気。あるいは自分を磨き続ける慈悲の心、一言で言えば「人間として正しい生き方」を心がける人でなくてはならないのです。
そうした高潔な生き方を己に課すこと。それが人の上に立つものの義務、ノーブレス・オブリージュ。
これが本来、上に立つ者のあるべき姿だというわけです。 上に立つ者は、ノブレス・オブリージュの精神で自らを律し、同時にそれによって自らを鼓舞し、それに従う者はその姿を見て勇気づけられるのです。
詳細な説明なしに決め付けする方どうかしてるって成るからやめた方が良いです。
「参考にしないで下さい」なら分かりますが「参考にしないでの意見」という文章も不明ですし書くく文章を指摘されたときの口実の名前なら「通りすがりの意見なんで!」と言い逃れしようとしてた通りすがりと変わりないですしね
>>参考にしないでの意見
2020年3月28日 10:19 PM
ネット上には、統合失調症や、ADHDや、その他精神的に、病院通院者も普通に参加されます。
私自身、ある場所だ使ってるHNを使われて、もうめちゃくちゃ、そのHNが5chで誹謗中傷を繰り返して、私を演じて、あいつはとんでもない奴だ!と、その病気の方にやられました。 病気だもんね、もう弁護士通じて裁判するしか無いけど、ネット上のHNのやり合いで、50万も使えません。
某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。
某、崩◯さんも、執拗で、大丈夫か?って感じて、信頼は無理です。
某◯◯すがりさん、やばい印象です、間違いないADHDでしょう、触ってはいけません、お大事に・・・本気で、思います、お大事に〜
組織はなくとも信仰できる!
2020年3月29日 9:32 AM
金のつなぎは命のつなぎ と言い出す中山家には到底無理な話です(笑)
未来に出現する四人の人類の棟梁達に先立つ、神の器械達は啓示者霊能者の能力を備えているのだろう。
それらを地場に貰うのは、人事の最高責任者としての真柱の根本的な仕事ではあるでしょうね。
けれどもまた、それを取り巻く宗教屋達の仕事の根本でもあるでしょう。
天理の宗教家達が率先して、神の器械をお地場にもらう意識を持たなければ、世界の恐慌群も治まらないのではないか?。
それが、つなぎ問題を解決する根本でもある筈ですね。
不要不急の外出は控えて下さいとの要請に対して、庶民はどのように応えることが出来るのでしょうか。
田畑に面した小さな住宅街では、窓を開ければ新鮮な空気に接することが出きます。少し足を延ばせば、降り注ぐ陽光に体いっぱいに温かみを感じることが出来ます。有難いことです。
閉じこもり生活を乗り切る極意は、との問いに対して宇宙飛行士スコットケリー氏は「宇宙で1年暮らす」ような心構えが必要だと言っておられると、新聞は報じています。
医療崩壊を招かないためには、一人ひとりの行動で乗り切ることが大切だとも。
ローマ法王庁のフランシスコ教皇はただお一人で祈りを捧げておられましたよ。真柱もお一人でお願いつとめを勤められればいいんじゃないですか。
2020年3月28日 10:36 PMの匿名様。私ごときの投稿がお役に立つとは思いませんが、ご期待頂き恐縮しております。おかしいことはおかしいとご指摘いただければと思っております。よろしくお願い申し上げます。
不要不急の外出は控えて下さいとの要請に対して、天理教は応じてません。 わざわざ全国各地から直属呼び出して現金受け渡して帰省させる。その後全国で感染拡大してますし全部とは言わずにしても大きく関わる可能性はありえます。大企業でも一度に多くの社員を全国各地に移動させる事は無い。全国の直属教会約230箇所から1人以上の移動があるわけなのである意味テロ幇助行為と見ることもできる。
コロナが治まりしだい政治経済など無責任行為を働いた国や人に事後制裁が始まるのでしょう。中国はコロナウイルスの発祥地であるにも関わらず、米国や日本などのウイルスだと無理なウソをつき始めて、米国から正式に「チャイナウイルス」と命名されてしまった。天理教ももう少しおとなしくするのが懸命でしょう。
>>某、なんとかさんにも、それを感じます、正常では無いでしょう。<<
もしかして、私のことかな?自分が正常だと言い切れるほどの自信はありませんし、とりあえず人畜無害だとは思っていますが・・・。
私は天理教の中で、苦しみ悩んでいる人達が考えるための材料になればと思い、自分の知識や体験といった情報をこの場に書くことにしました。それで「こんな見方、考え方もありますよ」くらいの気持ちで「参考意見」というHNを選びました。
しかし書いてきた中には、中二病のオタクの妄言と言われても仕方ないようなものもあったりして、むしろ「参考にすべきではない意見」だったのかもしれない。私のHNをもじったらしいHNが使われるのも、そうした指摘のような気もします。
「参考意見」なんて大層なHNを不快に感じる人もいるかもしれませんが、少しでも共感してくれる人がいるうちは、このHNを使わせてもらいたいと思います。いずれ時が来たら、うちの会長さんにも全部読んでもらうつもりなので。
うちの会長さんは今月26日も夫婦で帰参していました。末端なので本部まで金を運ぶ用も無いはずなのですが。よほど神事を抜かすことに恐怖を感じるのか。自分たちには神様がついている。疑えば神が退くと思うのでしょうが、自分がウイルスを運ぶことになるかもしれないとは、どうしても考えることができないみたいです。
感染の状況を報告する記者会見を追いかけて視聴しています。
感染してしまった人々の感染経路やどういう立場の方か、挙句は年齢性別すらも個人情報として、
開示を拒む方々が多いため、明かされる情報は少ないのが現状です。
感染すると差別を受けるという現状があるそうで、いくつかの意味あいから、残念に思います。
さて、以前からTwitterで天理教内のコロナ関連の情報を共有しようと呼びかけている人もいます。
実際のところ、感染した方々がどのような信仰を持っていようがいまいが、情報的価値はありません。
その上で個人的には、天理教教会関係者で教会実務の中で感染した方がおられるのか否か、
どなたかがカウントしているのか興味はあります。
もしかすると私自身、参拝の途中で感染したかもしれないなどと感じる事が有っても、多分、正直に告げる事はしないかもしれません。いや、ウソはダメだから正直に詳細を話してしまうか?
そうなったら教会の神床だって防護服に身を包んだ方々が消毒して回りますよね。
最悪のケースでは鏡の表面にだってウイルスが付着しているかも・・・。
この様な時にでも、私は普段からの捉え方が「不届き者」なので、心は平らです。
何故かと言えば、鏡は「物」でしかない、人間が工業技術をもって製造した物です。
お金を払って入手できる物であり、神様の体ではないのですから、消毒OKです。
この様に考えるうちに気が付きました。天理教には「聖なる遺物」が無いことに。
教祖が作った「ぬいぐるみ」位ですか、残されているものは。
それとても厳密な意味の「聖なる遺物」ではないような気がします。
教祖と「おやがみ」の関係性にまつわる遺物が無い事の不思議に今、気が付きました。
しいて言えば教祖が身投げしようとした鏡池が「聖跡」でした。
その重要性を無視して埋め立てた本部の考え方は、どう考えても納得できません。
今更言っても始まらないのですが、誰の発案で、誰が同意した事なのか、
天理教の歴史にきちんと記録を残しているのでしょうか。
教えとして聞かされてきた幾つもの話が、教祖以降の「人間思案の結果」の
話(つまり教理とは言えない)かもしれないという、だんだん明らかになり、
何となくうさん臭さも漂い始めた現行教団と権力者たち。
このままでは新型コロナを切っ掛けに、世界中の人々がこれまでの生き方に
自分なりの疑問を持ち始め、心や考えを再検討し始めている状況の中で、
既成宗教が更なる衰退を加速することは容易に想像できると思いませんか?
どなたかがご指摘のように、法王は一人で特別の祈りを捧げました。
その姿を映像を通じて見た人は、感動したのではないでしょうか。
真摯な姿、欲にまみれていない清浄な空気感を纏っていたと見えたのです。
寡聞にして無知な私ですので、断定できる学識根拠は持ち合わせていません。
誤りもあると思っていますので、その点、お許し下さい。
外出自粛の中、降りしきる雪も昼頃にはピタッとやみました。
暇に任せての繰り言と読み捨てて頂ければ幸いです。ファンキーー!
中山教の人間が天理教の話しに反論を書く必要性は本当は無いのにどうしても反論してしまうのは相当資金繰りが厳しいのでしょうね。精神的にも経済的にも疲弊困窮し始めてるのでしょう。
匿名 様
2020年3月29日 4:09 PM
>>しいて言えば教祖が身投げしようとした鏡池が「聖跡」でした。
その重要性を無視して埋め立てた本部の考え方は、どう考えても納得できません。
今更言っても始まらないのですが、誰の発案で、誰が同意した事なのか、
天理教の歴史にきちんと記録を残しているのでしょうか。<<
三島神社移転の経緯については、早川和廣 著 「天理教・その堕落と悲劇」(株)あっぷる出版社発行という書籍の中で詳しく書かれておりますが、掲載内容の要約をこの掲示板に掲載すれば、誤解を生じてはいけませんので差し控えます。当該書籍は既に絶版となっており、一般の書店で購入はできません。私はアマゾンで中古本を購入しましたが、アマゾンの在庫も少なくなってきているようです。出版時の販売価格は1冊1,000円でしたが、現在、アマゾンの中古本の価格で、1冊7,000円から8,000円程度の値段がついています。どうしても手に入らない場合は、国立国会図書館(東京都)や国立国会図書館関西舘(京都府)でも貸し出しや閲覧は可能だと思いますので、図書館に問い合わせてみられたらよいと思います。
匿名
2020年3月29日 4:09 PM
かがみ池の埋め立てはやかた構想予定地の内側なので二代真柱の中山正善の考えでしょう。埋めた以降天理教の没落が始まったのでしょう。神仏や先祖を尊む気持ちがなく祟られましたのが現在の教団、各教会そして中山家でしょう。
先祖を一番粗末にしているのが、現中山一家、一族です。
初代の元一日を忘れるな、と言い、会ったこともない初代会長の苦労を知ってそれを真似ろと本部中枢は言いますが、本部中枢こそ、中山みきと言う元一日を忘れてしまっています。
中山一族はみき様の元を知る努力をするどころか、隠すべきは隠し、利用するべきは利用し、全てはお金の為に改ざんに改ざんを重ね、元の姿は何処へやら?に成っています。
元々金貸し、質屋をしていた非道な中山の創作天理教で神など宿っているとは思えません。
匿名
2020年3月29日 11:25 PM
現在の中山家が何故皆さんの目に滑稽に見える原因がそれですよね。教祖中山みきに不敬気周り無い子孫たち人に教示すること無し自らが享受すべき
天啓前の教祖が他人の病気平癒を願った三島神社だって「聖跡」でしょうし、八島教には異論百出だが、櫟本保存会はGJだと思うね。
教祖の面影を消しても天理教本部が存続できると思うなら、中山家ご一統様方は慢心の極致にいるのだね。
ホント世界大変を招いているのは、中山教本部そのものではないか?とさえ思ってしまう。
コロナ滞在施設について。
現在増え続けている軽症者の自宅隔離は実質的、現実的に非常に難しいそうです。
天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。
各自治体は一時滞在施設として利用できる施設を探していると言う事です。
感染爆発前の切迫した問題だそうです。
本部はお金以外に興味が無い。それは分かっていますが、汚名挽回には確実になりますし、誠真実の発表の場だと思います、、。
志村けんさんが死去、新型コロナ感染で肺炎
https://www.sankei.com/life/news/200330/lif2003300017-n1.html
昭和の伝説的音楽・コントグループ「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍した人気コメディアン、志村けん(しむら・けん、本名・康徳=やすのり)さんが29日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。70歳。通夜、葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れの会の開催を検討している。
事務所によると、志村さんは今月17日に倦怠感の症状があり、自宅静養を開始。20日に東京都内の病院に搬送され、重度の肺炎との診察を受けて入院した。23日に新型コロナの検査で陽性が判明していた。
昭和25年、現在の東京都東村山市の生まれ。自身のエッセー「変なおじさん」などによると、柔道の有段者で厳格な教師だった父が、喜劇中継を見て笑っていたことに衝撃を受け、お笑いの仕事に憧れを持つようになったという。高校卒業直前にドリフターズの付き人として、故いかりや長介さんに弟子入り。昭和49年、ドリフを脱退した故荒井注さんに代わって正式メンバーとなり、ギターを担当した。
グループ加入後2年ほどはギャグに恵まれない時期もあったが、TBS系のコント番組「8時だョ!全員集合」の「少年少女合唱隊」コーナーで東村山音頭を披露したことが転機となり、一躍人気者に。童謡「七つの子」の替え唄「カラスの勝手でしょ」、加藤茶さん(77)とのヒゲダンスなどで番組の人気を支えた。
同番組終了後はフジテレビ系「志村けんのだいじょうぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」などで変なおじさん、だっふんだ、アイーンなど幅広い世代に親しまれるギャグを生んだ。
多くのレギュラー番組を抱える一方、平成18年からは、バカ殿様が城の者たちとさまざまなコントを繰り広げる舞台「志村魂」を旗揚げ。ライフワークとして毎年公演を続け、コントを考える作家、演出家、演者として独自の笑いを極めた。
今年は、30日に放送開始した「エール」でNHKの朝の連続テレビ小説への初出演など、芸能生活50周年に向けて新たな挑戦に乗り出した矢先だった。
匿名 様
2020年3月30日 9:33 AM
>>天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。<<
私もそう思います。医療施設として転用するには医療器具や隔離機能の問題、患者の輸送の問題等、いろいろと解決しなければならないことが多いと思いますが・・・
志村けんさんと言う国の宝を失い国民全体が考え直すべきときが来ました。教団、中山教の人はこれを「志村けんの悪しき因縁だから!」と言い切るのでしょうか?それは明らかにおかしい。それが中山教の論理なら「真柱の頭の病気も悪しき因縁」も認めることになる。世の中論理ではない!と言うならすべての学問はウソに成ります。つまり学校機関も医療機関もやる資格はございません。と道理に反した発言を中山教がどれだけしているか理解できませんかね?
中山教も、コロナで善司、善亮、大亮、のぶえ など一人ぐらい神に命を取られないと気がつかないのでしょうか?それで良いのでしょうか? 甘露台が倒れた時寂しいと公言したのは誰でした?起こってからはでは遅い事は有るのです。全国から直属教会長を全国から呼び寄せた時点で感染拡大を助長したのは明らかです。直接的因果関係は無い。ともいえますし、実は因果関係があるとも言える状態なのです。何故なら、未だにコロナウイルスの明確な検査が出来ないからです。真偽性があやふやの状態なので分からないだろうと感染拡大の手助けはしてはいけません。
国の宝を失った時その国の国民の団結力は一気に上がります。風紀風潮も変わります。独自路線を進み続ける宗教団体なら世間から叩かれる日も遠くはなくなります。
>>天理教本部は、ガラガラで利用されていないほとんどの詰所をコロナ軽症者の一時滞在施設に名乗りを挙げるべきだとおもいます。<<
天理教は病人を漁って信者を獲得して教勢を拡大してきた歴史があります。格好の狩場にされないかと不安ですが。
本部中山一族、大教会長へ直訴します。
コロナの蔓延で教会月次祭に信者の参拝禁止を言わざるを得なくなって来ました。
現状お供え金が上がりません。お供え金から支払っていた上級への上納金、各種支払金、支部支払金、、。払えません。
せめて少年の居ない教会の少年会費、青年の居ない教会の青年会費。免除してもらえませんか?
会計が苦しいのはにおいがけ、おたすけが足らんのだ、と散々言われて来ましたが、コロナでもそれを言いますか?現状、そうじゃないでしょ?
多くの教会は皆働きに出て自分達の生活資金は自前で捻出していますよ。ご心配無く。あなた達の様に人のお金で乞食はしていません。
前代未聞の事態が起きているのです。
上級上納金は免除でお願いします。
本部巡教は今年は中止して下さい。まったく無意味な巡教で貧乏教会に無心に来る恥ずべき行為。
世間では飲食業も、旅行業も、小売業も、あらゆる職種で停滞が始まっています。教会だって同じです。皆苦しんでいます。本部、大教会だけ安泰と言うことはありませんよ。本部、大教会は今までと同じ形態で素知らぬ顔で集金活動をしようとはゆめゆめ思わないで下さいよ。
匿名
2020年3月30日 8:33 PM
上記匿名様、心より同意いたします。
匿名 様(2020年3月30日 8:33 PM)
水増しの教勢数は外に向けての為だけではなく、集金のための水増しでもあったのですね。
幽霊会員の会費を平気な顔で受け取る上級教会には
きっぱりと「御供えが集まりません。」と仰ってください。
・・・・それがなかなか言えないんですよね。
一信者の私も教会長夫人向けの雑誌を毎号買わされています。
幽霊分教会が何件もある都内の大教会でのことです。
50分教会という条件を満たしていない大教会を見逃したままの本部の考えは
何なのでしょうね。
少子化と高齢化による人口減少は逃れようのない現実なのにもかかわらず、
思考が固まったまま「おつくしはいのちのつなぎ」と繰り返すだけの無策ぶり。
現在の新型コロナ蔓延の中で上記の匿名様のように苦しむ教会信者に対して、
本部は一度くらい「親らしい心」をかけることができるかどうか、じっくりと
拝見しましょう。
本部の人手が足りないと方々から声が聞こえてきます。
中山家ご一統様は自分の部屋くらい自分で掃除しなさい。
大亮さんのTwitterで彼の部屋の掃除を人任せにしていることがばれましたよね。
大亮夫人は自分の家庭の食事の支度を人任せにしていませんか?
今の時代、旦那が炊事をすることは珍しくない世の中ですから夫婦でしっかり
家事分担できるでしょう。
王侯貴族のつもりで暮らしていては人間が腐り切りますよ。
せめて修養科生並みの気持ちで毎日を送ってください。
何も苦労無しでは単なる「若造」から脱皮はできないからです。
今のままでは仮に真柱職についたとしても信者からはそっぽを向かれますよ。
衰退は必至の天理教ですが、衰退する経過の中でも責任は果たしてください。
感謝 慎み たすけあい。
教えが生きていたのは末端だけで、トップに近づくほど嘘とツイショウの集金教だったという事ですか?
本当にその通りですね。もうバカ殿様はやめましょう。(志村けんさんのご冥福を心よりお祈りします、、。)
教会関係者の苦しみを知らぬ存ぜぬでは無責任すぎるでしょう。一般社会では社員有っての会社です。
本部が成り立っているのは、教会、信者有っての事でしょう。全国の教会が潰れ、信者にそっぽを向かれたら、必然的に本部は潰れる。分かりきった事でしょう。
教会関係者は今多くが働いています。だからある程度自立に向けて体力をつけています。本部関係者はどうですか?信者のお金でボーナスまで貰ってのうのうと生きている。緊急事態に遭遇したなら自力で生きる術も知恵もないでしょう。神の目から見ても「人として残念な生きざま」と映っている筈です。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と、祖母に繰り返し聞かされ育ちましたが、この言葉を彼らに贈りたいですね。中身がすっからかんでふんぞり返るお殿様は煮ても焼いてもいただけません。尊敬もできません。
本部は全国の困窮教会に寄り添い、自分達が今有る命の恩人と言うべき16000箇所の教会の汗と涙に感謝の頭を垂れるべきですね。
正に衰退する経過の中ですが、最後の締めくくりの責任を果たしてください。
末端教会の窮状を知らない教団本部が、親・親・親・・・と言わないで。何しろ、出す一方で親らしいことをしてもらったことは一度もないんですから。
所属教会に三代さんのお入り込みがあった時も、役員に記念の猪口各一個と色紙への揮毫があったが、御礼は如何ほどだったのか。
今は亡き会長さんは当時、準備段階から帰られるまでの間、ピリピリしていて見るも気の毒だったことを覚えています。
イエスも釈迦も教えを説いたのですが、〇〇教という組織は造りませんでした。
私はそれでよかったのではないかと思います。開祖たる人が言った言葉は真理であっても、組織化の欺瞞(ぎまん)に汚されて伝えられていきます。
私個人としては、初代真柱は認めますが、2代目以降は認められません。(おまえごときに認められなくても、どぉってことないワ、と言われることでしょうが・・・)もちろん、本部員も大教会長も認めていません。
で、本席ですが、眞柱が2代目3代目と繋がれていったのなら、本席も2代目3代目とつながれていくべきではなかったかと思います。そうならなかったのは、本席職は、天啓を受けた人によって継がれるべきだったからでしょうか。
天啓を受けたという人が現れても、それが本物かどうか見分けることができないので、そのような人をそうそう信頼することはできない。それより、<血筋>の方が、ハッキリしていて解りやすいので、<血>の方を信頼したのでしょう。
なるほど、<血>は解りやすいかもしれません。しかし、人間っぽい。私はそれは人間同士のつながりを言ってるだけで、おやさまが神に近い人であったにせよ、その子や孫も神に近いとは思えません。
それに対して、<天啓者>は半神半人のようです。そういう人たちはまた、人を救うために日夜激しい修行を行わされているようです。当然の流れとして、<血統>を重んじるだけの人達とは確執が生じてしまいます。
ツイッターより。
>>私は天理教(分教会)の者です。
本部の月次祭、行事が縮小、中止されたのは分かりました。しかし、
未だに分教会の月次祭については
何も通達はないのですか?
本部からはっきりと活動自粛の指示をしてください。地方には
普通に大勢参拝してる教会ありますよ<<
私も本部が何のアナウンスもしない、全く動く様子が無い事にイライラがつのっている者の1人です。
4月の月次祭は、独断ですが信者さんの参加を断りました。教会家族のみで執り行う事を了承してもらいました。それにしても本部は何をしているのか?人の命を何ととらえているのか?
本部は天理教と言う看板を背負っている各教会に対し、元締めとしての責任感と言うものは無いようですね。もう本部などを相手にせず、自分の頭で考え、足並みは揃わなくてもそれぞれが最善と思える行動をするしかないと言う事ですね。いや、むしろ今後は本部や大教会にお伺いを立てる必要などないと言う事を今回の事で学習しました。
お供えも動員も律儀にする事は無用です。皆自教会を優先し、自教会の為に働きましょう。
本部は本当に責任感の無い頼りにならない人達ばかりだ!単なる飾りか?
大阪教区はひのきしんデー中止を発表しました。本部はこの件に何も対応しません。次元は違いますが、大阪府と政府みたいな気がします。
真柱と天啓者が仲良くすればいいだけの事なんですが、中山家の方で嫌ったんでしょうね。
もっと言えば真柱に世界一列をタスケル気などなく、中山教の繁栄の為に世界から集金したかったんでしょう。
最も進化した魂達が最も成人した旬刻限に、それらの身体を借りて全知全能の親が天下ったという文脈からすれば、中山家には進化した魂達が生まれ変わっても、成人が足りないから天啓者にならず、よって世界人類をタスケル能力が発現しない。という事なのかもしれない。
けれども、最後の教えの道は先になっても必ず成り立つのだとすれば、中山教本部の権威が失墜した昨今、やっぱり天啓者達が出現する未来は近いのかもしれない。
以前にも投稿したことがありますが、天理教を牛耳りたい中山家一族にとって、天啓者は邪魔なのです。その天啓が絶対になってしまい、思うように牛耳れなくなります。そのことが過去に異端として追放した一番の理由でしょう。その当時から真の天啓者なのかどうかが見極められなかったことも要因の一つでしょう。ところで、私も思っていましたが、本部は全国ひのきしんデーや地方の教会の祭事、行事等についても一切何の発信もしていません。別に地方の状況はちがいますが、何らかの基本方針を発表してもいいと思います。本部には何のために真柱、表統領、内統領がいるのでしょうか?地方の教会に対してお供え不足の補填の責任などを取りたくないのでしょう。各教会が自己責任つとめなさいとでも言いたいのでしょうか?この全世界の一大事で本部の無責任体質があからさまになったように思います。
このままいけば、中山善司、中田善亮、宮森与一郎はじめ教団中枢みな逮捕やな笑
外出禁止令の中で礼拝続けた牧師、警察が逮捕 米フロリダ州
https://www.google.co.jp/amp/s/www.cnn.co.jp/amp/article/35151603.html
「レンタル料を払え」と言って、世のヒンシュクを買われた方々へ、
「レンタル料」を請求するのなら、(身体が)故障した時、ちゃんと修理して治して下され。
今みたいに、新型コロナウィルスで苦しんでいる人々を、一刻も早く治してくだされ。
人の身体をちゃんと管理していることを、また管理できることを世に示した後で、金を請求してくだされ。
…………………………………………………………………………………………..
匿名
2020年3月31日 10:55 PM また、3月31日 11:26 PM
お二方のレス、ありがとうございました。私はうまく書けませんでしたが、よきお答えを感謝いたします。
ぶたまん様。笑ってしまいましたが、誠に的を得たコメントと拝察致しました。
善亮表頭領さん、
レンタル料を請求するなら、故障が起きたら修理して治してくだされ。人間の身体をちゃんと管理している事を世に示してから請求してくだされ。正論です。
兄の善司さんが故障したままは、レンタル料の請求を踏み倒しているからですかね?治りたかったら即刻しっかりレンタル料払ったらどうですか?懐に入れる方が多いのでしょうか。
弟の善亮が命とレンタル料の関係が真実として信者に語るのだから、善司さんも身上を受けて躊躇無くレンタル料を払っているはずです。しかし神が善司さんを治せないのはそこに「お金は神の働きに関係性が無い」、と言う証明です。天理教本部は命の修理が出来ない証明をトップ善司さんを通して世に証明しているじゃありませんか。この事実を棚に上げて今後何が言えると言うのですか?
中山の人間が金を取っているだけで、、。元締めの中山の人間は単なる世間並み以下の人間なので。当然命の保障と言う対価は出せない、と言う真実です。
命の繋ぎはお金。これは善亮の金儲けの為の口先三寸に過ぎなかった。故障したままの兄が証明してますやん。
匿名 様
ありがとうございます。
天理教は無力ですね。何かにつけて無力、無関心。
「これで♪金もって来い♪、か。天理さん、ええ商売しとるでぇ~」って、言われますよ。
青年会では、ビデオレターを作成して、教祖御誕生祭にお供えするそうです。募集した動画を編集するそうです。
別に動画にしなくても、心を受け取ってくれると思われるのですが、なんでもありなんですかね?
コロナが終息するまで、毎日お願いづとめをするのが中山家と本部員達
つとめ人衆のまさに「つとめ」なのではありませんか?
世界たすけを標榜する天理教がこういうときに一番大切なことができずにどうするというのですか。
全くその通りです。コロナ終息への本部のお願い勤めは確か、たったの一回だけですよね。
地球規模の災難に遭遇している今こそ髪を振り乱してでも一心不乱にお願い勤めをするのが世界助けを標榜する本部の為すべき事ではないのだろうか。
なのにたったの一回だけとは。これが子供に見せる親の姿かと全く情けなく思います。各教会、信者は国々所々で祈れ言うが、その前に自分達こそ普段のお勤め以外に世界助けのお願い勤めを毎日するべきです。それこそが本部の仕事でしょう。
金集めにだけご執心だから本来為すべき事がわからないのでしょうが、今後の本部の振る舞いをじっと見ていようと思います。
上の匿名様の言われる通りです。おやさまは今コロナの終息を、必死に願われていると思います。どうか、おやさまに心を添えるように、添い願いという形でもいいですので、しかし真剣に、おつとめをしていただきたいです。ナマイキなことを言ってすみません。
匿名さん
2020年4月1日 10:17 AM
>元締めの中山の人間は単なる世間並み以下の人間なので。
これは言い過ぎです。
「元締めの中山の人間は人間以下の動物なので。」
が正しいでしょう。
初コメ失礼します。
私の祖母は熱心な信者さんです、私が悩んでいるとお参りしなさいと何度も教会へ連れて行ってくれます。
私は精神を病みやすく、仕事を続けられないのですが、今度仕事をやめたら3ヶ月修養科へ行きなさいと言われました。
祖母は好きですが、天理教については正直なところ長い間不信感を持っています。それを伝えても、疑うな、ただ信じなさい、みたいな感じのことを言われます。
修養科とはどんな感じなんでしょうか?絶対に行きたくないです。拙い文章で失礼しました。
私が修養科に行っていた時、精神を病んでいた教会後継者の奥さんが来ていました。
教会長である夫君の両親が、精神を病むのは精神力の問題だ、朝が起きれないのは気持ちの持ち方だと言って彼女は叱咤され続けて来たと。素人は鬱の苦しみを知らないから。
詰め所の教養係も朝起きれないと言うと、それは気持ちの持ち方だと同じ様に責めたそうです。つまり、彼らは教養がないので、鬱とか精神的病に対する知識も素養も無いので神にもたれて頑張れ、なんとかなると神様、神様の連呼だけで攻めてきます。
修養科なんかに行ったら、益々苦しむ事になると思います。近くの詰所から通っていた精神を病む別の女性は3ヶ月間終了するまで、回復した兆候は見えず、ずっと詰所に引きこもっていましたね。たまに会う時でも陰気で辛そうで今にも泣きそうな顔をしておられて、苦悶の表情は最後まで変わりませんでした。よほど詰所で叱咤激励され、追い詰められたのでしょう。
心の病は 精神論では治癒しません。神様任せでも治りません。当然お供え金でも治りません。きちんとした専門医師、カウンセラー等の指導を受けるが正解だと思います。
おばあ様は盲信状態とお見受けします。修養科を誇大評価するのは逆効果を生む事もあり、危険です。1にも2にも天理教に近ずかない事をお勧めします。
私は内頭領は信じています。しかし、牛統領室長の西浦ホモ野郎はくそ善亮と共に断罪すべきくそ人間と心得ています。
修養科について教えて下さり、ありがとうございます。また、心の病について、一度専門医に相談してみたいと思います。
最近、祖母はますます傾倒していっているように思います。こちらの皆様のコメントを見ていると危険に思います、コロナも金銭面的にもとても心配です。
ここはとても勉強になります。周りの方は天理教に肯定的な方ばかりですので、知らないことや疑問に思っていたことが解消されました。ありがとうございます。
2020年4月2日 1:06 AM たこ野郎さま
>私は内頭領は信じています。
>しかし、牛統領室長の西浦ホモ野郎はくそ善亮と共に断罪すべきくそ人間と心得ています。
内統領 宮森与一郎も悪の枢軸中山一門ですよ。
ホモやゲイなのかは分かりませんが、「くそ」の一員に変わりはありません。
前の表統領が在任時にも仲田氏を表統領に推すブレーンがあり、真柱が「まだはやい」と言って先延ばしにしましたが、やはり二度目は押し切られたようです。
「命の繋ぎが御供金」「ハニートラップ問題」「意に沿わない集会議員は任命しない」等を考えても傍若無人な氏の振る舞いは許されるものではありませんネ!
匿名
2020年4月2日 8:45 AM様
おせっかいですが同じ病を持つものとして経験談です
教会や修養科ではよくならないです
専門医にかかるのがまず先決ですが食事も見直してみてはいかがでしょう
ごはんや麺類せんべいスイーツなどを減らして動物性たんぱく質を増やせばかなり症状は改善されると思います
炭水化物を食べて血糖値が爆上がりしその後下がる、これが不定愁訴の大きな原因と唱える医師もいます
天理教もがっつり調査し、世間に周知していただきたいですな。
もちろん遠い過去にもさかのぼって。
聖職者の性的虐待16件 日本カトリック教会調査
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00000196-kyodonews-soci
日本カトリック司教協議会(東京)が国内のカトリック聖職者による未成年者への性的虐待の実態を調査し、16件の被害の訴えがあったことが2日、教会関係者への取材で分かった。被害があったとされる時期は1950年代から2010年代。これまで世界の教会で性的虐待が問題化し、日本でも一部被害が明らかになっていたが、調査では加害者らが適切に処分されなかったケースも判明した。問題の対応に長年消極的だった教会の責任が問われそうだ。
司教協議会は昨年5月以降、全国の16教区や各地の修道会などに、被害があった時期を制限せずに実態を報告するよう要請、調査を進めてきた。
天理教は、二代真柱が性的異常者の顔を持っていましたからもっと世間に周知すべきです。真柱に夜のお供えとして犠牲にされた数多くの歳若い女性達の精神的被害はいかばかりかと思います。
お松め松のへだてなしと言われた教祖の言葉はどこへ。真柱が何の疑問も良心の苛責も無く行った行動は、激しく責められるべきです。うら若き女性達は一段低い「物」として男性、真柱の欲望の玩具にされていたわけです。
こう言う事実を伏せて天理教が今現在何を言おうが、気持ち悪いだけで、そもそもアウトなのです。
メッキはメッキで巨大伽藍、巨大神殿を建てて幾重の錦をまとっているがに見えても、芯たる核が悪なら、メッキはいつしかはげて偽物が露呈するのはいずれ時間が答えを出してきます。歳が流れ近年の天理教の廃れた形相は本質が悪だからどうする事も出来ない。本部中枢は悪あがきをせず、素直に天の理に頭を垂れるべきです。
他人のみた夢の話を聞くのはホントにつまらないことですが。。。
実は昨晩、ダイスケさんが自分の子供を膝にだいて劇場の椅子に腰かけている夢を見ました。
私は通路を挟んで一人ですぐそばに腰かけているのです。
ダイスケさんはすぐに立ち上がり通路をおどけた姿で前方へ移動していくのです。
知り合いでもない人の夢を見るなんて不思議です。
ダイスケさんは自分の子供と一言話していました。
子供はしっかりた受け答えをしていました。
何故、このような夢を見なくてはいけないのかと気が重くなります。
天理教が現在進行形で衰退している現在、あの、おどけた姿を見せながら、
着席の人々の間を通路を進んでいく、これは衰退劇を暗示しているのでしょうか。
何やら予言めいた夢でした。
健康長寿安全繁栄のご守護をいただくのも、その反対も心の道の反映なのだから、よき雛形が無ければ宗教指導者としては失格ですね。中山教の中枢の方々の寿命等も調べてみたいものです。
天理教は速やかに詰所を人助けの為に差し出すべきです。感染拡大が進む中、各地で病床が足りなくなるのは必死です。詰所の病院化か或いは自宅待機者の隔離場所として有効活用出来ればこれこそ人助け教団としての崇高な振る舞いでしょう。あのアパホテルも収益減と風評リスクを理解した上で私より公益の為に供与するのです。公益宗教法人が公益の為に供与出来ない訳がないです。
行政からの供与申し出に拒否の意志を示さんばかりの、このタイミングで先手を打つような時報紙面。詰所の信仰道場としての意義等を語っています。だいたい道場と言うが、修養科生は毎期0人か1人か2人。前代未聞の大混乱に捨て身で施設提供こそ教団が出来る人助けだと思います。信仰道場だと言うが、現在どれだけ有効活用が出来ているかは周知の批判の通りです。
信仰道場としての詰所の存在意義にあれこれ理由付けしても、ここまで廃れてしまっては詰所をあれこれ語っても、もう終わった感があります。私も散々詰所建築資金のお供えを出しましたがこんなさびれた姿になってしまったとは残念な結末です。
なんとか世の中の為に有効活用されないかと思うのですが、、。
ユスリタカリの唐人達に利用された、本多、吉田、朝日新聞の記者達をはじめとする侮日史観の偽善売国奴達の創作である、日本軍による南京大虐殺や慰安婦の徴用などのの歴史検証本を客室などに置いた愛国者達の経営するアパホテルですか。
詰所だとトイレ食堂など水場が共用なので感染症患者の隔離には向きませんが、何かお役に立てなければ宝の持ち腐れのようでもったいないですね。
テレワーク、PC授業さえ可能な時代にそんな箱物群がどの程度有用か考えなかったのかな?人数や利用頻度に合わせた箱物をよく考えないと、維持にさえ信者の皆さんに負担がかかるんだよね。
阪神淡路大震災の時、被災された人達を詰所で受け入れる話が出ました。各寮区毎に詰所主任か、専任の勤務者が出席して話し合いがもたれました。うちは主任も夫も留守の為に私が出たのですが、短期間では済まない、長期に及ぶ可能性がある、費用はどうなるのか、経験のない事で、皆さんからの積極的な意見はあまり出ませんでした。その中で専任の人について来た婦人が強い口調で言われたのです。「どんな人が来るか分からない、それこそ✖️✖️や✖️✖️なんかが、、、、」という信仰者とは思えない言葉が出ました。驚きだけでしたが他の大人しい男性方はシュンとしてしまい発言無し。あの選民主義の差別者はいったい誰?後で知ったのは、東京の大教会、有名な柏木さんの娘さんでした。喉の手術をしていたようで凄いしゃがれ声でした。出ない声を絞り出しての熱弁でした。例え一家族でも、ホームレスの人でもお世話させて貰えたらと、思っていたのですが結局は受入依頼無し。国、自治体としても宗教団体と絡むのには躊躇するかも。
なさけないどのよに思案したとてもひとをたすけるこころないので
なんのための天理教なのか?
なのための信仰なのか?
信仰ビジネスのため?
新型コロナウイルスの感染拡大による医療崩壊を防ぐため、大阪府は無症状や軽症の患者を療養させる施設となるホテルの募集を始めました。
【大阪府 吉村洋文知事】
「無症状の方、軽症者の方は宿泊施設での療養を進めていきたいと思います」
無症状の患者などを療養させる宿泊施設として大阪府は100室以上の規模を持ち1棟単位で貸し出すことを条件としています。
ホテルには看護師と保健師が常駐し、ホテル側の従業員も運営にかかわるということです。
募集する期間は7日までで、早ければ来週にも運用を始めたいとしています。
大阪府では3日、1日あたりでは最多となる35人の感染が確認されていて、そのうち23人の感染経路がわかっていません。
大阪府で感染が確認されたのはこれで346人となりました。
吉村洋文知事はこの週末も外出自粛を要請しています。
無名 2020年4月4日 9:40 AM
その中で婦人が強い口調で言われたのです。「どんな人が来るか分からない、それこそ✖️✖️や✖️✖️なんかが、、、、」という信仰者とは思えない言葉が出ました。柏木さんの娘さんでした。
あの方は、若いころからマニュキュアをし、チャラチャラしていたからねぇー。そんなものです。今や教内全体に、助けるなんて「かたち」だけです。そんな人たちが頂点にいるのですからね・・・・・。理想を彼らに求めるのはこちらの妄想です。
表統領様の自教会と部下はジリ貧だもんね。
でも神はどこまでも底抜けの人助けを望んでいるのですよね。
コロナ ふるいにかけられないようにしないとね。
衰退情報。
内統領の話から。
今回本部へ戻る教会は800箇所。
と言う事です。
800も無人教会が放置されていたとは。教会名称の理は末代、、、と言う話は嘘だったのですね。簡単に消滅!
その時々の事情で鉄則を変え、都合に合わせて物事を進めて行く天理教と言う組織。
人間の都合に神はご加護を与えない。
表統領の教会の名前を教えてください
被害者様
表統領 中田善亮(昭和37年3月5日生まれ)
本部直属 鮮京分教会長 です。
何も知らないのですが、鮮京分教会内に居住しているのでしょうかね?
天理市内に本宅のような所があるのでしょうか。
匿名(2020年4月4日 2:31 PM)様
800か所の整理ですか。
今のところ所属大教会の中の訳アリ分教会を本部へ返すとは
聞こえてこないのですが。
50分教会という要件をはるかに下回る分教会数の大教会ですから、
「お目こぼし」してもらうのかもしれません。
その方が本部へ納入する各上納金も減額にならず、本部も大教会も
ウインウインなのですね。
言うまでもないことですが、これを支える分教会や信者たちの苦労は
放置されたままです。
とっくに見限られている大教会です。ある人がこんなことを言っています。
「コロナで参拝者が無ければ拝殿は小さな子供たちの運動場だね。」
「うるさい信者の目も無くて、奥さん、のびのびしているんじゃない。」
「また子供ができたりして・・・。」
一桁間違っていませんか?
8000箇所ぐらいでも。
ありがとうございました。Googleマップで見てみたところ一応天理市内のようですね。教会本部までは車で5分らしいので居住されてるのでしょうか。それとも別にお屋敷があるのでしょうか。住所が公開されていたら恨みを持つ誰かに襲撃されるかもしれないですからね。
一桁間違っていませんか?
8000箇所ぐらいでも。<<
今回、無理矢理、布教所長を教会長にさせて潰れた教会を復興させる例を聞いています。こう言う無理矢理に復興させる例は他の大教会でも相当数あると思います。新規に教会長を送り込んで、頭数が減るのを食い止める算段です。信者の居ない教会に送り込まれて苦労するだけなのに、よく引き受けたもんです。泣き落としと想像しています。
所属の大教会でも教会長が居ないままで廃れた教会を5、6箇所抱えています。ですから50箇所と言う条件は昔から満たして居りません。高齢の引退教会長の名前で幽霊教会長を据え、書類上の体裁を整えて逃げ切るのかも知れません。神の眼には何の意味も為さない数と体裁にこだわる天理教です。所属大教会の抱える死んだ教会が書類上生き返るかどうか注意して観察していきたいと思います。
こう言う実態ですから殆ど活動していない不活動教会も含めると実際にはは16000箇所の半分以上、8000箇所、又はもしかしたらそれ以上あるかもしれません。
現実、信者は高齢者ばかり2、3人と言う所がざらです。
大阪教区がひのきしんデーを中止した判断は賢明でしょうね。
この時期に何処かで集団で集まる事さえ危ない訳ですから。行かない方がいいし集まらない方がいいですね。金だけ持って来いと言うのならそこはシカトで良いんじゃ無いですか?
自分でどうにかしろって。
大阪でコロナウィルス軽症者向けての収容施設を募集してますが、各部屋風呂とトイレが付帯設備条件ですが、多くの詰め所はこれにも当てはまらない為提供も出来ないですね。それでも東北大震災の時は提供も出来たので未だマシだったのか?
いずれにせよこの巨大施設群も問題有りですね。
尤もトイレが壊れた雨漏り等の修繕に関しては今に始まった事では無いですが。
新しく建設された詰所はいざ知らず、従来の詰所の構造はあくまでも健常者向けの物です。
上記の匿名様の投稿ご指摘の通りです、さらにはエレベーターもベッドのままの利用は不可能です。病院のような広さは確保されていません。
今になって思えば、よりによって使い勝手の悪い物建築物を大量に作ってしまったんです。
そもそも、新型コロナウイルスの出現を誰が予測したでしょう。
教団本部に問いたいのは、この事態をどのよう思案させて頂くのでしょうか。天理教義に照らした誰もが納得できる思案を開示する時でしょう。これが出来なければ宗教としては失格ですよ。
思案せよ。思案せよと、言われ続けた者の繰り言です。
各教会の月次祭を中止するよう本部がお達しをだしてほしい
年寄は神様のことは大丈夫と勝手な解釈をしている。
本部が禁止しないと年寄は理解できない。
教団本部の責任は重いと思います!
東京都内の新型コロナ関連110番…「公園で遊んでいる小学生がマスクをしていない」「花見をしている人がいる」
https://snjpn.net/archives/189285
と通報されるそうです。これはこの参事の中当然の通報だと思います。
教団も通報される日が来まし、内部から通報したらいいのです。いくら教団側が、日本国憲法第21条 (集会の自由・結社の自由・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密)を主張しようとも、それよりも重要なのは【 国家の最大の責務は国民の生命、財産、そして国益を守ること】 です。
自然権、幸福追求権 など国民に個人には宗教よりも尊い権利が与えられています。
国民、信者の生命なくして財産も守れず。まず政府も教団もその筋を間違えてるのです。つまり教団内部で言えば、理を履き違えていると言う事です。
各専門化や国民の声を無視しきれず政府はやっと思い腰を上げました。
さあ中山教団の判断を高みの見物でもさせてもらいましょう笑
>>年寄は神様のことは大丈夫と勝手な解釈をしている。<<
バリ天は、「神にもたれていれば大丈夫」などといって、
月次祭や教団内行事を最優先し、世間の職業をはじめ、経済的な事や医療的な事を軽視します。
以下の記事と同様に、天理教も、多くの住み込み人を抱えている大教会や教会は、
クラスター化するのも時間の問題かもしれません。他人事ではありません。
ユダヤ教「超正統派」居住区で感染拡大 集団礼拝やめず 大家族で“密集”し生活
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200404-00000039-mai-int
イスラエルのユダヤ教超正統派住民の居住区で、新型コロナウイルスの感染が深刻化している。礼拝を優先し、政府が呼びかける「不要不急の外出禁止」などの情報を信じない人が多いことなどが背景にある。今後、大規模な集団感染を引き起こす可能性もあり、イスラエルのメディアは、超正統派にとって第二次大戦中のナチス・ドイツによる「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)以降、最大の脅威」と警鐘を鳴らしている。
超正統派が集住する地域で深刻なのが、イスラエルの中心商業都市テルアビブに近い人口約20万人のブネイブラクだ。4月2日までに、人口約90万人の最大都市エルサレムとほぼ同じ900人以上が感染した。
イスラエルは建国時、国家統合のためユダヤ教の伝統を公的に守ることを約束し、超正統派に特別な地位を与えた。多くの男性が就労せずに宗教研究に没頭することを支援し、政府の補助金で生活する人も多い。出生率は6・0前後と高く、子だくさんの家族が2世代、3世代とアパートに「密集」して暮らすケースもあり、こうした生活環境も感染拡大の要因の一つとみられる。テレビやインターネットと距離を置き、政府や報道機関の情報よりも聖職者の言葉を信じる傾向もあり、政府がシナゴーグ(ユダヤ教会堂)での礼拝規制に踏み切った後も、超正統派居住区では礼拝が続けられていたという。
現地メディアによると、感染症の専門家は2日に国会で証言し、「ブネイブラクの潜在的感染者は、人口の約40%に上っている可能性がある」と指摘した。事実なら、現在判明している感染者の80倍以上に当たる。
教会本部が月次祭 の中止を発表しない限り、皆さん信者の方々が新型コロナウイルスにかかるリスクが上がり死亡する可能性も高まる。それに感染力が驚異的であるが故に教会がコロナクラスターになる可能性は十分に高い。
安心してください。コロナに感染したら、「本部が中止しなかったから!半強制的です!」と本部のせいにしてください。
イタリアも祈ってばかりで初動対応が遅れたが故に、、、バチカンの責任とは申しませんが。
本部は参拝禁止についてはなかなかはっきり言わず、この及び腰の姿勢は何にこだわっているのでしょう。本部聖域でさえも来れば感染すると言うこの現実。神も仏もご守護も無いと言う事です。科学の目で見れば信仰者も無神論者も感染は全く無差別、平等です。信仰の意味って何なのですか?本部が日頃から言ってる神にもたれてと騙されて来ましたが、現状では本部に神は居ませんね。神を慕って行っても結果、死に至るのですからね。お供えしても無駄、もたれていても駄目と言う事の証明が為されました。本部教理の裏ずけが全く怪しくなって来たと言う事実が突きつけられました。本部はおじばに神の働きが無いと言う現実に向き合う時、参拝禁止だなんて辻褄の合わない意味不明な指示は格好悪くて出来ないのでしょうね。
100歩譲って本部が我が子の安全を案じるなら天理時報と言う媒体で、はっきり禁止と言えばいい。遠慮せよとか控えよでは、長年神にもたれている人は遠慮も控えたりもしないと思う。
26日の参拝の件ですが、一般信者は、上殿して参拝はできないようです。昨日から、教祖伝の南側の回廊にそのような張り紙が張り出されています。
4月26日は私的な用で天理を空けますから、私は関心はないのでざっと目を通しただけですから、詳しいことはよく解りませんが、天理教本部も、各地の教会にそういった通達はしているのじゃないかと思います。
各地から集まって来た信者さんたちは、庭にずらっと並べられた、例の折り畳み式長イスベンチの上で、参拝されるんじゃないでしょうか。
そうそう、それから、お金の件もぬかりなく(笑)書かれていました。上殿するところに賽銭箱を設けている、とのことです。(確か、そう書かれていました)
26日のことではなく各地の教会の月次祭を禁止にしてほしい うちの馬鹿会長は日本が百万人感染しても一億からしたらたいしたことはないといった 本当にアホだ 年寄りの認識はこんなものです!
ぶたまん
2020年4月5日 8:15 PM
>>そうそう、それから、お金の件もぬかりなく(笑)書かれていました。上殿するところに賽銭箱を設けている、とのことです。(確か、そう書かれていました)<<
こと「お金」については抜け目がないのですね。信者の安全よりも一番大事なものは「お金」。教会本部の拝金主義は徹底しています。とても宗教と呼べるものではありません。
どう転んでもおカネが必要な組織と形体を作ってしまったんですね。
神殿、教組殿、親里館、学校、図書館、参考館、病院、諸々の付帯設備。それに荒れ放題の山林。更には其其の大教会群も規模こそ小さいが本部と同様。
教会一つを設立するにも、鳴り物一揃えだけでも数百万円は必要。御簾だって50万円は下らない。
これだけの物を維持管理しようと思えば、人助けどころか、金集めに必死になるのは当然。
見た目で人を引き付けようとしたんじゃないでしょうか。そのような気がしてなりません。
崩壊様 東風Z様
本部の方(かた)も、お金(お供え)に関しては書かれなかった方がよかったのではないかと思いました。
この張り紙では、「お金」が強調されてしまって、国難とも言えるこの病気が蔓延しようとしている中、まだ自分のことを心配しているという本質があらわになってしまいました。
ここは一つ、ソロバンを伏せて、誠真実で乗り切っていただきたいものです。
>>これだけの物を維持管理しようと思えば、人助けどころか、金集めに必死になるのは当然。
見た目で人を引き付けようとしたんじゃないでしょうか。そのような気がしてなりません。<<
おそらくそんなことでしょう。しかし、お金を搾取される信者はたまったものではありません。別にお金を教会本部に支払わなければならない義務が法律で決まっているわけでもないのに、「お供えノルマ」を苦にして自殺したり、強盗さえした末端分教会長がおられたのですから。本当に狂ったカルトとしか表現のしようがありません。
記憶が正しければ、他人を伝染病に感染させる行為は刑法上では傷害罪であり、死亡すれば傷害致死ということになると思います。
今の状況下で、本部が信者の本部参拝をハッキリと禁止せず、感染経路などから生じた被害に因果関係が認められれば、それは危険に対して認識ある過失による傷害罪が成立する可能性があると思います。
さらに賽銭箱を用意しているとなると、それは信者の参拝を期待しているということであり、感染の危険を容認したものとみなされれば、未必の故意による傷害罪も成立するかもしれません。可能ならば賽銭箱の写真など残しておくと良いかも。
尤も、本部がハッキリと参拝を禁止したとしても、危険に対し無知な信者や洗脳状態の信者たちは自己責任として参拝してしまうのでしょう。
ヤクザの抗争において組員が犯した殺人が、忠義ゆえの暴走ということでかたずけられ、組長が殺人教唆に問われることもない。そんな構図が頭に浮かんでしまいます。
要するに! 賽銭箱をそこに設置することを「恥」と感ぜず、
鈍い 鈍すぎる 「理解力」も「共感力」も持ちあわせず
既得権益にしがみつく
人の人生を踏み台にして生きている
・・・天理市民になっても意識は「村人」のまま
今や掃除されるのは天理教組織と中山家ご一統。
ようやく天理教の縛りから自由になれる旬が巡ってきました。
月次祭の賽銭箱を回収する作業は中山家の皆さんにやらせましょう。
だってファミリービジネスなんだから。
嫁も子供を背負って賽銭を数えるくらいは働けるでしょう。
本部作業担当の青年さんたちは当日感染を防ぐため自室にこもってください。
若い人も重症化しています。
詰所がクラスターともなりかねません。
理解力が無い人の許可などとらず、一言こう言いましょう。
「味覚障害が出ているような気がする。自主隔離に入るから、ひのきしん、できません。」
首相は明日にも緊急事態宣言を出す段取りにはいるとのことらしい。
少なくとも3週間、となれば月次祭はその期間内に入る。
さっ、中山家と親戚一同の皆さん、総出で月次祭をお勤めください。
一族総出で、準備から賽銭箱撤収まで、勇んでお勤めする姿を親神様に
ご覧いただこうではないか!
私ら信者はじっくり皆さん本部上層部と中山家と親戚縁者の誠真実を見極めるだけだ。
結局いまだに本部の姿勢は3月月次祭と変わっていない。
思考停止なのか。
思考能力がないのか。
直属教会長の参拝を求める意識が理解不能。
全国から人の移動を抑制することで爆発的感染を防ぐ必要があるのにもかかわらず!
天理市民への配慮が全く今もってないことに驚きを感じる。
天理市民の皆さん、天理市役所へ抗議の声を電話をかけてください。
天理教本部はいまだにこのようなコメントを本日掲載したのです。
問題意識のカケラも無い教団なのです。
教会本部 4月月次祭の参拝について
2020年04月06日 (月)
新型コロナウイルス感染拡大の状況に鑑み、教会本部の4月月次祭は、直属教会長、教区長のみの参拝で勤めます。
教会長はじめ、ようぼく・信者の皆様は、月次祭参拝をお控えいただき、各教会・布教所、自宅などから遥拝をお願いいたします。
立教183年4月6日
天理教教会本部
>>賽銭箱を用意しているとなると、それは信者の参拝を期待しているということであり、感染の危険を容認したものとみなされれば、未必の故意による傷害罪も成立するかもしれません。<<
徹底して信者を守る為、参拝を阻止する位の厳しくも徹底した親心が有れば、賽銭箱を置くと言う無意味な振る舞いが思い浮かぶはずが無いです。
上の匿名様がおっしゃる通り、賽銭を入れに来る人間を暗に期待している。来たければここに賽銭箱があるから宜しくね! そう言う心の裏返しです。無責任きまわりないです。
小汚い根性が、見え隠れして本当に気分が悪くなる。
過去近しい人の見聞から、のぶえがだんだん気位が高くなってるらしいが、賽銭くらい子供を背負って数えさせればいい。何様と思っているんだろうか。
無責任きまわりない 。は「極まりない」に訂正。日本語が怪しくなって来た、、
>>尤も、本部がハッキリと参拝を禁止したとしても、危険に対し無知な信者や洗脳状態の信者たちは自己責任として参拝してしまうのでしょう。<<
本部の「ねらい」はまさにそれなんです。本当に気分が悪くなります。いまいましい限りです。
昨日ひのきしんを決行した支部がある。静岡教区駿豆支部である。発熱していない、マスク着用する等の条件つきで決行したらしい。この状況でよくもやったもんだ。愛知県、大阪府は全支部中止なのに大丈夫か?いくら思考停止教団とはいえあまりにもお粗末である。29日にも別の場所でやるらしい。何とかしてくれ。
現在、発熱などの症状が無くても元気でも、ウイルス保有者はいるのです。
明日出される宣言は、強制力がないと言っても、頭の中に脳みそがある人ならば
どのようなふるまいをすればよいのかは判断できるはずです。
大動脈の新幹線は止まらないからといって新幹線に乗車してウイルスを座席に残して
京都で近鉄に乗り換え天理に到着すれば、その道中にもまき散らしているのです。
東京ではなかなかウイルス検査をしてもらえない現状があるので、皆がウイルス保有者
としての自覚を持つべきなのです。
中山さん、お宅の銀行通帳が残高ゼロとなったらネットで公表してください。
勿論、周辺の天理在住の貴族さんたちもです。
そしていよいよ不動産資産に手を付ける時かもしれませんね。
何しろ大学をはじめとした教師たちの雇用責任(給与支払い)を果たさなくては
いけません。勝手に減額するというようなことを平気でする教団です。
何なら労働組合を作って、しっかり閉鎖する時の手当てを要求しましょう。
中山家が貧に落ちきるには今が絶好のチャンスです。
そこから信者の信頼が回復するかも?
信者もそこまで甘くはないけれどね。
これまでの責任を果たす意味から是非とも貧に落ちきる姿を見せてほしいものです。
皆さまへ
申し訳ございません。教祖殿に張り出されていた張り紙の内容ですが、今日見たところ、<賽銭箱>という言葉は見当たりませんでした。賽銭箱ではなく、「お供え物」 となっておりました。お供え物は〇〇と△△で(←神殿内部の2か所で)、受け付けております、となっていました。もし、私の早トチリで天理教側の名誉を傷つけることがあったとしたら、ここにお詫び申し上げます。
教祖殿の張り紙が一般の信者に対しても向けられたものであれば、そしてお供え物の受け付け場所を指定しているのならば、信者の参拝を前提としているのであり、賽銭箱という形が無くても同じことだと思います。
>>教祖殿の張り紙が一般の信者に対しても向けられたものであれば、そしてお供え物の受け付け場所を指定しているのならば、信者の参拝を前提としているのであり、賽銭箱という形が無くても同じことだと思います。<<
その通りです。
お供え物の受け付け場所なんて、教会関係者に対して張り紙なんかで通達するようなこととは思えません。4月6日現在、天理教のホームページのお知らせに「信者の皆様は、月次祭参拝をお控えいただき」と一応のようにありますが、おそらくは信者の参拝はあるものと予想しているのではないでしょうか。しかし、大っぴらにホームページのお知らせでお供え物の受け付け場所を指示するのはマズイと考えたのか、張り紙という方法に落ち着いたのでは?
>>おそらくは信者の参拝はあるものと予想しているのではないでしょうか。しかし、大っぴらにホームページのお知らせでお供え物の受け付け場所を指示するのはマズイと考えたのか、張り紙という方法に落ち着いたのでは?<<
その通りだと思います。真面目な洗脳された信者の足元を見ているのです。騙されてはいけません。
レスをいただいた皆さま、ありがとうございます。
今日の張り紙の内容は、昨日の張り紙の内容を書き換えているかもしれません。
つまり、賽銭箱という単語は、昨日の張り紙にあったかもしれません。それに、信者さんは上殿できないと書かれていたと記憶しているのですが、今日の張り紙には書かれていませんでした。
ひょっとして、本部の人達はこのサイトを見て、張り紙を出したり、色々コロナ対策をしたりしているのかもしれませんね。
>>ひょっとして、本部の人達はこのサイトを見て、張り紙を出したり、色々コロナ対策をしたりしているのかもしれませんね。<<
コロナ対策をするのであれば、信者やその他感染の危険にさらされるかもしれない人達の安全を第一に考えてやってもらいたいものです。
親神の御守護を信じて一手一つに・・・。これって、完全な洗脳状態です。
いまだにこのような言葉が飛び交う大教会通信。一斉ひのきしん、おつとめ学び、一体何が言いたいのか。
自分のみが感染して重症化しようが、亡くなろうが自業自得だろうが、今回の新型コロナウイルスは周辺の見知らぬ人に簡単にうつす危険性を自覚してほしい。
天理教者は何故このような基本的なことが理解できないのか。信仰という一見は素晴らしく見える精神が公益に反していることが理解できていない幼稚さにあきれるばかりだ。
天理教者は何故このような基本的なことが理解できないのか。信仰という一見は素晴らしく見える精神が公益に反していることが理解できていない幼稚さにあきれるばかりだ。<<
いやはや本当に幼稚なんですね。どうして天理教教会関係者は、こんなに幼稚で知的レベルが低いのですかね。同じ系統の教会は近畿圏から来る部内教会長の月次祭参拝を止めようとはしません。お供え金を運ぶ要件があるから?自分はうつらないと思っていても、知らぬ間に移って人にうつす加害者になり得る意識がない。天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。
>>天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。<<
確かにその通りだと思います。染物も染料の中に浸かっている時間が長くなればなるほど脱色するのが困難になります。塩素系の漂白剤を使っても真っ白にすることは困難です。洗脳の恐さです。戦前の日本のように、教育勅語を幼少期から刷り込まれ、天皇陛下は神様(現人神)、天皇陛下の為に戦死することは名誉なことであり、戦死すれば靖国神社に軍神として祀ってもらえるという皇民化教育と全く同じです。世間の常識、人間としての常識を幼い頃から培い、誤った思想に染まらないようにすることがいかに大事なことであるかということが、過去の日本の歴史や世界の歴史を振り返ってみても分かります。
>>天理教を長くしていると、世間の常識、当たり前の大人の認識が麻痺してくる気がします。常日頃顔を合わす事があるが「盲信」と言う言葉が似合っている人達です。自分の頭で考える事が出来ない、ロボット信仰しているような人達です。<<
kasa.on さんの 午前11:24 · 2020年4月6日 ツイートより
@KasaArtWorks
天理教の信者さんが布教に家々を回っている…
確かに今は、家にいる人が多いかもしれません。
でも信者さん、あなたがもし保菌者だったら、
各家庭に菌を持ち込んでることになるんですよ。
本末転倒です。いますぐ止めてください
現行天理教は、自己の正しい歴史を追及する気持ちさえ持ち合わせていないんです。高野友治天理大学教授が著わされた「天理教史参考年表」という小冊子すら、二代さんだか、三代さんだか知らないが、まだ早いと言って、早々に引き上げさせたとか聞いています。
見ていて冊子のタイトルの通り、天理教史にとって非常に参考になるものと思っているんですが、道友社は何故販売を続けないのか訳が分かりません。
隅から隅まで読んでも、現行天理教にとってどの部分が都合が悪いのかさっぱりわかりません。
さては、屋敷の図に上田ナライトさんの屋敷図があるのが気に食わないのでしょうか。〇〇の勘繰りに過ぎないのかもしれませんが。
東風Z様
上田ナライトさんの豊田墓地でのお墓の場所を考えると、決してないがしろにされたのではないと思います。
政府がこの不十分の戦後制定されたままの現行憲法での緊急事態宣言が発令され内容には要請が多いわけですが、個人は合法か違法かと文面で裁かれるわけではなくそれより怖い社会制裁が待っています。都内などでは、マスク不着用や集会などでの警察への通報が増えています。看護師など医療関係者への無益な差別も横行しているようです。
天理教の月次祭への通報事例も出ています。本部の出している対策を打って行いくださいは通用しません。一切の集会の自粛がいまは必須です。国家の発令を無視するならそれは国家反逆罪に等しく、一般国民から反社会的行動をとる反社会組織と思われても当然と言う状況です。
社会学さんのコメントでも皆さんが注意喚起を促したのに一行に聞かない中山教団は相変わらずおろかな反社会勢力であることは変わらず自らそれを表明したと言うことでしょう。
またあたってほしくない「社会学のコメントの予言」となってしまいました。
今の状況下での天理教本部の姿勢に対する批判に対して、次のように意見する人もいるようです。
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c/status/1246815464468045826
これが教団擁護派の標準的な意識と解釈してよいのでしょうか?
URLでリンクできなかったので転載します。
>>各教会に丸投げというより、地域でもそれぞれ違うのだから、それぞれで判断すればいいのですよ。何を言ってるの?
逆に呆れる。こんな時でもなんでもかんでも批判のネタにしかできないの?
相当擦れてますね。<<
これが本部、あるいは教団擁護派の標準的な意識と解釈してよいのでしょうか?
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c/status/1246815464468045826
リンク先があったはずの場所にみつかりません。さすがにマズイと考えたのかな?
URLをコピーして別タブで検索すれば移動できました。
穴掘り明星
@i2RIkv40hOJFe6c
https://twitter.com/i2RIkv40hOJFe6c
各教会に丸投げというより、地域でもそれぞれ違うのだから、それぞれで判断すればいいのですよ。何を言ってるの?逆に呆れる。こんな時でもなんでもかんでも批判のネタにしかできないの?
相当擦れてますね。
一般的にこのような方は 不謹慎中 で本部が正しい前提で反論してしまっているんでしょう。しかしこの人の思いむなしく、天理教の月次祭はじめ集会は通報されてます。低脳本部も行政の注意、指示に従わざるおえない状態です。
一般国民から通報されている現実を知らないのでしょうか、外国や法律が違っていたら教団解散させられる話です。
熱烈信仰者「第二の迫害や!コロナ感染に乗じて天理教を潰す算段やな!みんな!こんな時こそ神様にもたれて通るんや!命捨てても構わんという者のみおつとめせよいう初代真柱様のお言葉を今この時にこそ思い出すんや!」
本部(ニッコリ)
こんな感じですかね?
信仰が暴挙を生み、暴挙が奇跡を生む
みたいな?
2020年4月8日 12:15 PMの匿名 様
ご指摘有り難うございます。やはり、私の勘繰りでしたね。亡きナライトさんに申し訳ないことをしてしまいました。
この小冊子はいい本だと思います。専修科生が卒論の参考にと、この本を天大付属図書館で閲覧した際に、なかなか出てこなかったので、余程慎重な取り扱いをされているのかと聞いて、コピーをして渡した覚えがあります。勝手にコピーしたことはアンフェアでしたが、卒論の参考になるのであればと思ってしました。
奈良県の図書館にもあるように聞いています。
教会の会長はどう考えても30万はもらえません。個人事業主のシステムにも当てはまりそうにもありません。月次祭、信者様のお祭りなど全て止まっている現状は全くアウトです。借金もありますし今は誰にも迷惑をかけない終息の方法を考えています。
東風Z様
僭越ながらすみませんでした。
おさずけしてはいけません。
天理教のおさずけは明らかに濃厚接触行為です。本部は迅速に全国の教会に中止の通達をするべきです。
また、街中の不特定多数の個人宅をにおいがけして歩くのも感染拡大につながります。自粛と言うより、本部は禁止するべきです。理髪店なども濃厚接触の空間として営業自粛の話題に入っているようです。おさずけは顔前で身体中を触りまくります、、。
また関東などは特に緊急事態宣言下です。「外出自粛、自宅に居てくれ」と言う都や国の方針をどこ吹く風風で個別訪問してうろつくようでは、ますます天理教の非常識が世間から批判の的にされるでしょう。
18日の誕生祭にやはり直属教会長を参拝させるのでしょうか?極力人の移動の自粛をと、国から要請されている昨今にもかかわらずです。本部おつとめは集会形態でもあり、大勢の直属の人間が全国から甘露台前に集合します。国々所々から人の移動を強要する事であり、反社会組織と言われて世間から通報されても仕方ないような暴挙と思いますが。本部神殿内で互いに感染してまた国々所々へ拡散しに帰っていく天理教幹部達。
甘露台前だから感染しないと言う保障はどこにもありません。
以下の、ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートを読んで、怒りがおさまりません。
現時点で、天理教教会本部はこのコロナショックのさなか、
お目標様返還のお運びは強行するみたいです。
こんな融通の利かないことってありますか?
ツイートによりますと、天理教教会本部はこう言い放ったようです。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
もう一度強調します。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
もう教会長や信者を「奴隷」、「虫けら」くらいにしか思っていませんね。
もう命を軽視した発言ですよ。
このままお目標様の返還が強行された場合、天理教教会本部は命を軽視した発言をし、教会長や信者達を2000人以上?を、コロナ感染の危険がありならが呼びつけたということになります。
(仮に、後日、このお運びを中止したとしても、このコロナショックの危険がある中、
本部は非常識かつ無慈悲にも、多くの教会長や信者を感染のリスクを冒して呼びつけた事実は残ります。)
もしもこのお運びが強行されたとしたら、
これって未必の故意じゃないのですか?!!
これって未必の故意じゃないのですか?!!
これって未必の故意じゃないのですか?!!
天理教教会本部の、非常識さ、冷徹さ、傲慢さ、ここに極まれり!
本当に恐ろしい組織です。
広く世間に周知もすべきです!!
これが世界をたすける組織のやることか!!!!!
さてみなさん、これでもしもこのお運びによって感染者が出て、死者まで出た場合は、
天理教教会本部は殺人を犯したということになります。
これって奈良県知事等が自粛を要請できないのでしょうか?
ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートより抜粋させていただきました。
(日付はツイートなさった日)
会長不在、信者不在の教会の御目標(おめどう)様(一般的には御神体という感じかな)を、教会本部にお預けすることになりました。
こんな時期に、と思うのですが仕方ないですね。4月5日
教会本部直属の大教会などが部内(配下)の会長不在、信者不在の教会の御目標様(御神体)を集約するようなのですが、うちはその直属大教会まで数百キロの距離があります。この移動が問題です。
神様と教祖、それぞれのお社(お宮)に収められているものを運ぶのですが、不敬にならないよう、それぞれ1人ずつが抱え持つようにとのことです。
そして公共の交通機関は使えないので車を使うとなれば運転する者が必要。最低3人は要るようです。
若い人は働いてるし、高齢の方は体力的に厳しいし、何より現状の中、車で長距離移動することを不安に思われています。
上級教会(天理教では教会に上下があります)に頼むとなれば、数人で来られることになります。
その宿泊、接待、御車代、御礼と数十万円の出費になるでしょう。祭典や葬儀のように御供収入は見込めないので、正直これも厳しい。
どちらにしても、万が一感染者が出た場合の事を考えると・・・。
今回、教会本部に御目標(おめどう)様をお返しするのは、全体で700以上の教会と聞いています。1つの教会につき、3人が関わるとすれば2000人以上の人の移動が発生します。
各都道府県から移動自粛が出されていると思いますが、御目標様の返還については指定された期日を優先せよ、ということです。 4月6日
色々悩みましたが、上級教会(天理教の教会は上下関係があります)から数人お越しいただいて、会長不在の教会の御目標(おめどう)様(御神体)を引き上げていただくことにしました。接待とおれいで痛い出費になりますが、うちの信者さん達を感染のリスクに晒すことはできません。
しかし私は、引き上げに同行しなければなりません。戻りは都市圏を通過する電車を使わざるを得ません。
戻ったら2週間、外部との接触を避けることになるでしょう。4/29の、ひのきしんデーも他の人にお願いしなければ。
この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ、とのことです。4月7日
妻からは泣かれてしまいましたが、仕方ありません。4月7日
何とか車を借りる手筈ができました。都市圏を通らないルートを思案中です。ただ、やはり戻ったら一定期間は隔離と考えています。4月7日
これは全くの個人的な憶測なのですが、上田ナライトさんは、本部にとって、カイライ(あやつりり人形)にしようと思えばできる、そういった人ではなかったかと思います。「別に怖い存在ではなかった・・」
このおさしづは時代考証が必要なのですが、<自分にとって都合のいいおさしづは聞くが、都合の悪いおさしづは聞き流している。それで、指図するのはもう止めようかと思っている>と言うような内容のおさしづが下がっています。
おおよそ人は、自分にとって都合の悪いことを言われると、たとえ神の言葉であっても、うとましく思うのが常で、神から指図を聞いて教えられた通り行動に移そうとする人はそういないと思うのですが、本部も当時はそういう風潮だったのではなかったかと思います。
教祖伝を読むと、おやさまお出直しのころには、秀司さんの身勝手な行動に掻きまわされたりしたことがあったりして、このころから、すでに腐敗は始まっていたのかな、と思ったものですが、おやさま亡き後、その腐敗は、飯降伊蔵翁の晩年のころには相当進んでいたのではなかったかと思います。
そのころ(おやさま30年際ころ)、出てきたのが井出クニ氏でした。
もちろん、本部側は、教祖殿で話をしようとした井出クニ氏を引きずり下ろしました。
で、私個人の意見では、本部が怖れたのは上田ナライトさんではなく、井出クニ氏ではないかと思います。
芹沢先生の本に書かれていたことですが、芹沢先生が「教祖伝」を書くために、2代真柱さんに資料を貸してくれと申し出られたとき、2代真柱は井出クニについては何も書かんでくれ、とたのんだそうです。
匿名
2020年4月8日 10:54 PM
おはこび、は全国から新型コロナウイルスを運べという事でしょうか?せめて郵送にしましょう。それでも駄目と強要するなら、各所に通報、メディアにも連絡してよいでしょう。今世界的にストレスがたまってるので天理教叩きが開始されるのも目に見えてますね。世間の方々にカルト宗教叩いて楽しんでもらいましょうか
本部の礼拝場が閉鎖され、南礼拝場だけの参拝になった。西・東・北は朝夕のおつとめ時だけ開けれらるようだ。
本当に馬鹿じゃないのか!
南礼拝場だけ開けたら、それだけ人と人の距離が縮まる。小学生でも分かる事。
本部は小学生以下の知能か。
>>南礼拝場だけ開けたら、それだけ人と人の距離が縮まる。小学生でも分かる事。
本部は小学生以下の知能か。<<
その通りです。出入り口をすべて開放したほうが換気効果も高くなります。どうしてそんな簡単なことが理解できないのでしょう?
>>「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」<<
教会本部の無責任体質、「我がさえ良くば」という利己主義を露呈していると思います。宗教ではありません。
>>「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」<<
命令されてする行為に自己責任というのはあり得ません。仮に自己責任を承諾したとしても、念書でも残してなければ有効とはならないと思いますが、いくら本部が狂っていても自殺教唆や自殺関与に近いような犯罪行為の証拠を残すようなことはしないでしょう。今後、本部その他の上層部との会話は可能な限り録音しておくと良いと思います。メールも消去せずにパソコンなどに保存しましょう。だいたい人命に関わるような命令を口頭で済ますこと自体おかしいと思います。正当な命令なら文書にして出せばいい。軍隊でさえ、それくらいは要求できますよ。
大鳥大教会の詰所が竣工したと天理時報の記事にあった。現状からすれば新詰所は不要なはず。どこかと共有すれば良いはず。従来の詰所に比べれば縮小されてはいる。しかし、多額の建築費用は部内が負担する。時報の視点には、詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になるという。この思考が悪循環を招いている。筆者の(安)とは誰なんだ。視野狭窄の極みだ。もっと現状認識を持て。世の中の変化に対応できなければ消えて行くだけだ。
「この御神目標(おめどう)様の返還に際しての行程の中で万が一感染した場合は自己責任で対応せよ」
これは本当なのか?
本当なら、「かしものかりもの」の教義とズレていないだろうか。「神にもたれきれば、感染しない」と言い切りなさいよ。嘘であっても。そしてお運びで感染者が出たら本部は腹を切ってほしい。末端教会は本当に真剣に通っているんだ。自己責任とは何事か!
お返しは800箇所です。
私はお運びのマイクロバスの運転を拒否した。教会長になって上級に逆らったのは初めてだ。私の父親が生きてたらこっぴどく叱られるに違いない。でも可愛い娘が三人もいて、まだまだ死ねないよ。
それより統合がどういう形で行われるのだろう?各教会それぞれ尊い教会設立の思いがあるはず。どうなんだろう。わからない。
御神目標(おめどう)様の返還でお運びは不要では?
親神様が御神目標(おめどう)様に鎮まっているわけないので?
神様はどこにでもいるもので、かんろだいだけにいるのでもなくて、各教会の御神目標(おめどう)様にいるわけでもない
おやさまのお社の御幣も同様、教会設立時にうやうやしく本部からいただいたが、そこに何の意味もなかったことが今回証明されているのでは?
それなのにそれに対して返還でお運びとは本部の考え方に疑問を感じます。
正月のどんど焼きにように近くの神社でもやしてもらえばいかがですか?
費用0円です。
今回のコロナのお願い勤めがまったく効き目がなかったことで
天理教自体が詐欺集団であったことが露呈しました。
本部や上級は頭をさげて末端や信者にお詫びすべきではないでしょうか
日本人や天理教人は素直でいい人がおおいので
親から受け継いだ信仰を捨てることができませんでした。
自分の親や先祖を否定することになりからです。
父親の系統も母親の系統も天理教の人は自分の存在さえも否定することになるからです。
今回のコロナはノアの箱舟と同じで
ふるいにかけられるときだと思います。
今こそ、洗脳された人々の目を覚ます時だと思います。
高齢者は参拝を自粛してくださいといっているのに今日も高齢者は参拝にいきます。
親心があるなら参拝を禁止しますとはっきりいってください!
ご本部様よろしくお願いします!
>>それなのにそれに対して返還でお運びとは本部の考え方に疑問を感じます。
正月のどんど焼きにように近くの神社でもやしてもらえばいかがですか?
費用0円です。
今回のコロナのお願い勤めがまったく効き目がなかったことで
天理教自体が詐欺集団であったことが露呈しました。<<
その通りなんです。正月明けの地方の「とんど焼き」の時に、修験者(山伏)に般若心経を唱えてもらい、燃えさかる「とんど」(地方によっては呼び方は違うと思います)の火の中で燃やしてもらえれば、それで事足りることなんです。何もそこまでしなくとも、居住地の地方公共団体の可燃物、不燃物、粗大ゴミに仕分けし、廃棄物として処理しても良いはずです。処理するものは、中身のないただの物体に過ぎないのです。
>>大鳥大教会の詰所が竣工したと天理時報の記事にあった。現状からすれば新詰所は不要なはず。どこかと共有すれば良いはず。従来の詰所に比べれば縮小されてはいる。しかし、多額の建築費用は部内が負担する。時報の視点には、詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になるという。この思考が悪循環を招いている。<<
「 詰所を共有すると、信仰的大・機能的な質の悪循環になる」ということは、一体、どういう意味なんでしょう? 一般常識があると自ら自負している私にとっては理解しがたい話です。悪循環を招いているのは、一体、誰なんでしょう? どうして、空室だらけの詰所建設の為に部内が負担しなければならないのでしょう? 悪循環を招いているのは、一体、誰なんでしょう? 読む者にとっては、不可解、不思議の極みです。
生前の母が言っていました。家が火事になった時には、何を置いてもまず御神目標様を運び出せと。もしも焼失するようなことがあれば、よほど大きな心定めでもしない限りその家は絶えてしまうことになるからと。教会育ちの母は、自分もまた親からそのように言われていたのだと思います。
御神目標がどのような物か見たことはありませんが、母には申し訳ないけれど、それは人の手によって作られた「物」に過ぎないと思います。かつて踏み絵を拒否して死を選んだキリシタンの人々を愚かと言うつもりはありませんが、この現代において偶像に命を懸けるのは正しい判断とは言えません。お運びのマイクロバスの運転を拒否した会長さんは立派だと思います。もしも報復人事その他の嫌がらせでもあれば命令した者を実名で告発すべきです。
ここ一月ほどの間、教会へも行かず時報も見ていませんので本部への返還作業が
これほど進んでいるとは知らず、驚きました。できれば情報通の方々に、この話の
全貌が明らかになるような、更なる情報をご教示頂ければと、お願いする次第です。
過去記事に、「かなめ会」で表統領が発言した内容を紹介してくださった方が
おられました。その時から今日までの間に進んでいたスピード感と言いましょうか、
天理教にしては仕事の進捗が早いことにびっくりです。
その上、その返還日程迄組まれていて、コロナ感染拡大下の日本国内を、廃棄する
お目標様が天理目指して旅する姿はこっけいではありませんか。
バックミュージックは狂騒曲でしょう。
必死に集められた木製製品と不燃物を処理するのは天理市清掃局なのでしょうか。
不法投棄はできないから所有地にでも埋めるのでしょうか。
そもそも、本部の本心は私同様、無頓着の輩がこうしたことを牛耳っているのに、
それを、さも、ありがたいものをお返しいただくと表面上を取り繕っているだけの
ことでしょう。だから日程ありきですし、感染は自己責任と言えるのでしょう。
返還を告示するのならば、その時点で一連の作業の工程を説明する、最終着地点をも
説明することに思いが至らない、行き当たりばったりの天理教人なのです。
先の先まで見通して考え抜く力の有無が問われる、これも一つの失敗事例でしょう。
仏教でやる魂抜きのような儀式(私はそんな事には無頓着な人間ですが)でもすれば
ほとんどの皆様の気持ちは平らかになるでしょうから、丁寧に分解して分別し、
地域の処分方法に則った処分を現地ですればエネルギーも節約できます。
仏師が心血を注いで「のみ」をふるった昔の仏像と異なり、単なる木製製品なのです。
私の所属大教会はとっくに50件の分教会など無いのにもかかわらず、相変わらずの
隠蔽工作(「みちのとも」の分教会数の記載数が実態とかけ離れている数)を
続けてきました。当然、幽霊教会は返還の対象になるのでしょうが実態は見えません。
では、この度の皆様方が投稿くださっているような本部への返還作業が粛々と(ある
いは、こっそりと)実施されている(されてしまった)ならば、一般信者に報告が
あるのが普通の組織運営だと思いませんか。
いや、普通の組織ではないからこそ、隠蔽もまかり通っていたのでしょう。
そもそも大教会として分離独立する際に既定の数に足りなくて、急遽土地探しをして
作られた分教会長さんのご苦労話を聞いた事もありますから、無理な状況の中で功名
心から誕生した大教会と言えるのかもしれません。こうした無理話はむしろ美談として
流通しているのが天理教です。
恥ずかしい行為をしている本人たちは、お尻丸出しふんどし姿を後ろから覗かれても
気が付かない者です。純真な子供たちはヤイヤイはやし立てますが、大人は見て見ぬふり。
前近代的な日本の貧しい時代の根性そのままの姿が、どうしても色濃く透けて見えてしまいます。
とてもじゃないが、私の代までは信仰するが、子供たちには神様の存在だけを伝えるに
とどめます。何も一信仰組織にこだわることなく信仰心はもてるのですから。
長々と駄文にお付き合いくださってありがとうございます。
どうぞ感染防止につとめ生き抜いてください。
昔、韓国にあったK大教会が日本に引き上げる際、釜山まで大事に おめどう様 を奉戴してきましたが、日本に戻る船に乗船する際 係官がこれを咎め、おめどう様 を「ぽい!」 と海に捨てられたそうです。その大教会長の心情につては紹介しませんが、
おめどう様 は当該大教会長が責任もって焼却すればよいと思いますが・・・・
もっとも 包括契約でおめどう様を返還する 事になっているから モノがないと仕方がないのかなー
お寺と同じように離檀料のような金銭が要求されるのかなー?
さて、海外に持ち出すときは おめどう様 はどうするのかなー? 金属探知機の装置を通すのかしら?そんな不敬なことをさせるのかなー?
教えてください
目標を『めど』とは読まない。めどとは漢字で目処または目途と書く。意味が目標(もくひょう)だから目標を『めど』と読ませている。天理教独自の言葉で分かりにくい。全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。そもそも大量生産した鏡と御幣に価値があるのか?かつて朝鮮に神社があった時、敗戦後昇神式なる儀式を行ったといわれる。天理教も本部に運ばずに現在目標がある場所で済ませてればよい。無駄な出費は無用だ。お社に何年も入っていた目標は埃だらけでみすぼらしいものだ。
>>天理教も本部に運ばずに現在目標がある場所で済ませてればよい。無駄な出費は無用だ。お社に何年も入っていた目標は埃だらけでみすぼらしいものだ。<<
その通りです。「目標」のある場所や自治体で「廃棄物」として合法的に処理すれば良いことなんです。別に大仰しく考える必要などありません。教会本部自体が「埃だらけでみすぼらしい物」なんですから。
なんでもかんでも手続きと経費を設け、本来ならば末代まで続けるべきと定めた教会の「理」を断腸の思い(?)で「お戻し」という形で返却。
木製の社と、鏡と御幣といった物理的な物を処分し、法人名義も解消。
さて、この「末代の理」とは、どこぞの誰が言い出したのか?誰がそういう設定にしたのか?
また、末代の理の定義とは何なのか?一名一人という人それぞれといった幅の広い解釈で済ましてしまうのか?
教会の理を、名称の理を大事に繋いでいかないと事情身上に現れてくると宣った先生方は、この現状をどう捉え、どう説明するのか?
結局、発言力や決定権を持った者のさじ加減で、いくらでもやり方を変えていけるのだ。教理も歴史も組織も。
そんな中、まだまだ天理教が伸びゆく、人々が助かっていく といった未来を想像できる幸せな方々が羨ましくて仕方ない。
教会の理を、名称の理を大事に繋いでいかないと事情身上に現れてくると宣った先生方は、この現状をどう捉え、どう説明するのか?<<
本当にそう思います。身上、事情に現れると脅し、助かる道と、なけなしの金品を差し出させ、今となっては消滅するとも知らずに当時の信者は食べるものも食べず、着るものも着ず、教会普請に骨身を削り、、教会名称を守ろうと心血注いだのです。
今わかる事は天理教はその都度、人間の都合(中山の都合)に合わせて「行き当たりばったり」をやらかすと言う事。彼らが今後何を言っても信用出来ないと言う事がよくわかりました。名称の理は末代と非常に重々しく信者、教会は受け止め、聞かされてきました。しかし、この度「名称の理が末代では無い」事が披瀝されました。
本部中山はこの話の辻褄をどう合わせるのか?よくわかるように説明せよ。
中山お得意の信者が悪いに行き着くのか!!
神の御胸に届く様な普遍性の無い「命の繋ぎは金」教理も中山の欲から発生したたわ言です。はっきり言って全く信用に値する理の通るものではありませんから皆様、お互いに注意喚起に努めましょう。
世間の迷惑、天理教!!
ツイッターより
ぷー
@0fKJnTq
·
12時間
今日もせっせと信者が来る準備しています。天理教には休校になった子供を連れて来ているし、老人、赤ちゃん連れてくるバカな親もいます。ウイルス撒き散らさないか心配。
どうにかして欲しい。
#スッキリコロナ
#スッキリ
1
4
ぷー
@0fKJnTqr
·
4月8日
毎日、天理教の人達が集まっています。就学前の子供連れ、休校になった子供も連れてきてるし、3密になってると思うので集団感染が起きないか心配です。もし発生したら迷惑ですし、とにかく心配です。
#スッキリコロナ
2
10
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
3月5日
窓開けて換気しながら太鼓叩くとかしないで下さいね。ただでさえ迷惑なんですから、大勢で集まって
#天理教
#新型コロナウイルス
2
ぷー
@0fKJnTqr
·
3月3日
民家だからこんな時でも集まるんですね。地域の迷惑にならないよう、韓国の宗教団体代表みたいに土下座して謝ることのないように
#天理教
#新型コロナウイルス
1
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月12日
宗教の勉強も大切なんだと思いますが、交通ルールの勉強しなおした方がいい。制限速度守れない。歩道に広がって歩き、我が物顔。自転車は反対側を逆走。
あなた方専用の道路ではない。
町民は迷惑しています。
常識が無さすぎる。
#天理教
3
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月11日
貢ぎ物おろすのに、交差点付近で駐車辞めてもらえません?邪魔なの分かりませんか?皆さん交差点確認しにくそうにしてますよね、迷惑なんです。
#天理教
#近所迷惑
#警察通報事案
3
ぷー
@0fKJnTqr6J
·
2月11日
太鼓のドンドンと、変なかねみたいな音が聞こえてきて迷惑です。窓一切開けず、儀式行って下さい。迷惑です。ただでさえ、町に教会とか構えてるだけでも迷惑なんです。分かりませんか?
人助けの天理教の看板降ろした方がいい。どれだけ世間に迷惑かけているか、本部は良く認識しなさい。
天理高校は連休明けまで休校にします。
2部生のひのきしんも、休みです。
寮も一時閉鎖します。
子供の帰宅に公共交通機関をなるべく使わないために
父兄は子供を、土曜日までに迎えに来て下さい
自宅で、出歩かずに自習させて下さい。
おぢばで感染者でも出たのか?
大急ぎで迎えに行く事になりました。
ほんまに腹立つ。おめどうさんて本当にただの「物」ですから!なんでみんな分からへんの!?
宅急便で着払いで送ってもいいんですよ。うちが終わる時はそうするつもりですし、上級の立場なんて考えません。今まで十分過ぎるほど尽くしてきたつもりですから。うちは教会に来てから修理するところが沢山あり、会長が下手なりに大工しましたが、さすがに大きな増築は工務店に頼みました。お運びなんて意味不明のボッタクリですから上には知らさず勝手にしましたよ。ほんとに詐欺集団ですね。教会が世間の常識に外れた行為をしていて、今まで我慢していた近隣の方たち、どうかいい機会です。ドンドン通報して下さい。
↑ 無名さま
ほんまに天理教はボッタクリの詐欺集団です。
早く、世のため人のために潰れてください。
5年以内に破綻する銀行に奈良の南都銀行が入ってます。
今後のイカサマ天理教が楽しみ!
あちこちの教会ではお運びなんかせずに、皆トイレ工事や屋根を直してますよ。一々本部なんぞに関わっておられません!
うちも会長がお運びなんぞ無視して教職舎の瓦の全面張り替え、外壁のモルタル塗り替え、車庫の新築、バルコニー増設、全部無視してやりました。長年世間で働いて来ましたから、全部自腹でやりました。本部が祝い金をくれる訳でもなく、誰からも文句言われる筋合いはありません。
その上この土地も建物も先代が本部にお供えしている代物。自分たちの子孫に渡っていく物でもありません。本部には有難がってもらっても良いくらいです。
世間の皆様、よく聞いて下さい。守銭奴とは天理教本部の事です!!
ロックダウン中のフィリピンでは国会議員200人が民衆のために使ってほしいと総額1億円の給与の返納をしました。
日本でロックダウンしたら、おたすけに燃えている(月次祭の講話がそうだから、こっちは信じてますよ)我が若き大教会長様も、そういう美しい心を見せてご自分のお与えやRolexを寄付されると期待しています。
大教会長がロレックス!?誰のお金から買ったと言うのでしょう?言わずと知れた事じゃありませんか。考えられません。
貧に落ちきっていない上層部の現実ですね。うちの前大教会長もうん十万の服の値段を口にして見せびらかしてました。お徳が高いから大教会に縁があり住んでいると臆面もなく言ってました。信じると言う事はここまで人を阿呆にさせるんですね。大教会長の事です。聞いてる我々はあんた達はお徳が無いと言われてるようでした。こう言うのを天理教上層部の選民意識と言うのですね。
天理教の醜聞があちこちで暴露され、つまらないペテン集団に代を重ねて振り回されて来た事を今頃改めて無念に思います。
お供えはストップするに限ります。ロレックスに変わります!!!
無名
2020年4月10日 10:45 AM
>>ほんまに腹立つ。おめどうさんて本当にただの「物」ですから!なんでみんな分からへんの!?
宅急便で着払いで送ってもいいんですよ。うちが終わる時はそうするつもりですし、上級の立場なんて考えません。今まで十分過ぎるほど尽くしてきたつもりですから<<
わざわざ、教会本部まで宅急便着払いで送る必要もありません。梱包料金が無駄です。お住まいの地方自治体のゴミ処理の規則に従って、粗大ゴミ、不燃物、可燃物、というように仕分けして処理すれば無料ですみます。所詮、処理するモノ自体がゴミ以下のものですから。
匿名
2020年4月10日 1:05 PM
>>その上この土地も建物も先代が本部にお供えしている代物。自分たちの子孫に渡っていく物でもありません。本部には有難がってもらっても良いくらいです。
世間の皆様、よく聞いて下さい。守銭奴とは天理教本部の事です!!<<
全くその通りです。
匿名
2020年4月10日 5:05 PM
>>大教会長がロレックス!?誰のお金から買ったと言うのでしょう?言わずと知れた事じゃありませんか。考えられません。
貧に落ちきっていない上層部の現実ですね。うちの前大教会長もうん十万の服の値段を口にして見せびらかしてました。お徳が高いから大教会に縁があり住んでいると臆面もなく言ってました。信じると言う事はここまで人を阿呆にさせるんですね。大教会長の事です。聞いてる我々はあんた達はお徳が無いと言われてるようでした。こう言うのを天理教上層部の選民意識と言うのですね。
天理教の醜聞があちこちで暴露され、つまらないペテン集団に代を重ねて振り回されて来た事を今頃改めて無念に思います。
お供えはストップするに限ります。ロレックスに変わります!!!<<
大教会長はロレックスですか。別に不思議な話ではありません。某中堅分教会の会長は、20歳代でトヨタの高級車を乗り回していました。某大教会の住込人子弟も同様です。車種については敢えて言及しません。ご想像にお任せします。
本部はコロナ問題を乗り越えられないでしょう。専門家ですらやっと把握がとても難しい。わかっても感染拡大を止められない。著名人などは情報不足と誤認で問題発言ばかり、教団は発熱者を隔離してるだけで検査には出さず勝手に陰性と触れ回って感染拡大させているそうです。本部で培養された新型コロナで蔓延する危険性しかありません。
匿名
2020年4月10日 5:35 PM
>>教団は発熱者を隔離してるだけで検査には出さず勝手に陰性と触れ回って感染拡大させているそうです。本部で培養された新型コロナで蔓延する危険性しかありません。<<
教団の言うことなど信用してはいけません。100%嘘だと言っても過言ではありません。個々人のみならず、接触するであろう不特定多数の他者の安全を守るのは個々人の自覚と良識だけです。
匿名 様 (2020年4月9日 6:05 PM)
情報、ありがとうございました。
≪ 全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。
「ご祈念ほどき」ですか、回復していない真柱がつとめることができるかどうか。
784教会、この法人名義の土地はどうなるのでしょうか。
その地の法人としては解散でしょうが、土地財産は天理教本部の懐にはいるのでしょうか。
各教会の元々の所有者に返還されるのでしょうか。
儀式の段取りは教団の内部の単なる行事にすぎません。社会的な意味・価値は無いのです。
そして解散の後の財産は、公正な引き渡しがされるのかどうか。
おそらく教内ではしっかり皮算用の上、784教会の土地からの収入を当て込んでいるはずです。
財産整理のプロセスを公正に公表しなくても、法人として許されるのでしょうか。
ご祈念ほどきなる行事で終わらせるつもりなのでしょうか。
まったく、社会性に欠ける人々です。
恵まれた本部周辺の皆さんは大学まで出して頂いています。中には留学までも。
高額の音楽教育を施された皆さんやらもいて、一般信者の私などは「徳がない」と
高校卒で終わりました。高校生活もバイトで授業料を支払いました。
教会子弟が高等教育を受ける姿を見聞きすると、何故、自分にはそのような道が
許されなかったのかと、やはり徳が無いからだとあきらめていました。
何が言いたいか。つまり、私のような高卒の者には法律に明るい友人などいないから
上記の疑問に対する正解も、それこそ費用を払って専門家に伺うしか道が無いのです。
しかし、教内には立派に大学を卒業し、道専務で生きている人がいるのですから、
自分の知識で公明正大な通り方を教団に進言するくらいの事はできるのではないですか?
お供えで生きてきた人たちは責任を果たしてください。
進言しても上層部が聞かない時は宗教新聞にチクってください。
天理教は社会の中での注目度は低くても、金がからむ問題ならば、俄然、注目されますよ。
ロレックスなどの高級品を身につけている大教会長は珍しくないのでしょうか。天理大学に受からなかったから学費が高いので有名な私立大学へ行った大教会長なら知ってますがこちらも少数派ではないのかもしれないですね。大教会の後継者なのに入学させてもらえなかったとは袖の下が足りなかったのか、他の何かが足りなかったのか?高い学費は一体誰が出していると思っているのか、よく考えて欲しいものです。
うちのの大教会長も海外留学経験者です。末端がお供え金で喘いでいる正にその時、です。二十代の私は父母が苦しんでいたのを見ていたので憤慨しましたが、母は大教会長は世界を見て見聞を広めるのも大事なんだろう、、と半ば肯定的に言っていました。当時は上に行くほどお徳が違うと本気で信じている時代です。今なら、馬鹿馬鹿しいお話で、彼らをバカ殿と言い、座敷乞食と言って蔑む時代になりました。現状を正しく認識する事が重要です。40年近く前の当時は大教会長は雲の上の存在で、末端ごときが何か言える時代でもなく、末端はひたすら上級、上上級のお供え要請に借金重ねて苦しんでいましたね。今でも上下関係はありますが皆、賢明になり意識が変わり始め、ネットで真実も暴かれ始め、人権蹂躙が問題視される様になり、ノーと言える教会長も増えて来ているのは確かです。こんな組織は早く潰す。社会と、苦しむ教会関係者を一人でも救う為です。
お目どう返還に「コロナ感染は自己責任。返還するには金持って来い」。こんな無責任で人の命を軽視し、過去から長年本部を支え続けた恩人たる存在を守る意思のカケラもない殺人組織に、どこに存在意義が有ると言うのか。早く完全消滅するしかない。
Rolexでこんなに食いつかれると思わなかった(笑)。Rolex程度で怒るなんて、みなさん本当に純粋な人達なんですね。天理教も捨てたもんじゃないなと思いました。
大教会長レベルで、時計なんて、二個持ち三個持ち当たりまえですよ。要するに信者の前では安い物をして、三越や吉兆に行く時はオシャレするんです。Rolexなんて甘いです。パティックだってしちゃうんですから。
私の知ってる限り、大教会長より直轄のデカい分教会長の方が贅沢してますよ。別の車庫だってちょっと遠くに持ってるんですから。
それと、これは言わない方がいいかもですが、24日25日の晩、奈良駅の日航ホテルに泊まってる教会長多いですね。うふふ。
もう20年くらい前の話ですみません。私の姉が阿倍野近鉄百貨店の婦人服売り場で働いてまして、隣が神戸のブランド店でした。その店に毎月決まった時期に40代位の人が買い物に来て、毎月、4万程の服を買って帰るんだとか。驚く事にその人は、自分の家は天理教の教会で、信者が沢山いて、その中の一人が自由に好きな物を買える様にと、毎月、何万もの商品券をくれるんだと、自慢話のように話したとか。聞かされた店員さんは呆れて姉に教えてくれたそうです。当時私は自分の服を買うなんて贅沢だと思っていて、いつも姉のお下がりをもらいに行っていたので、「天理教の教会の奥さんて、ピンからキリまでなん?あんた、ようやってるねえー」って信仰していない姉に半分バカにされましたっけ。いいにおいがけしてくれますわ〜
>>Rolexでこんなに食いつかれると思わなかった(笑)。Rolex程度で怒るなんて、みなさん本当に純粋な人達なんですね。天理教も捨てたもんじゃないなと思いました。<<
Rolexに限らず、天理貴族達を養うために末端信者はどんなに苦しい哀れな生活を強いられてきたのでしょう。純粋というより「無知の恐怖」「洗脳の恐怖」の典型的な例だと思います。
大教会には大手有名百貨店の外商部が、着物、洋服、貴金属などの売り込みに定期的に来ていたそうです。バブルの頃のお話ですが。
本部に300億円越えのお供えが集まっていた頃です。大教会もピンはねで潤っていたのでしょう。調子に乗って買うから来ますよね。良いお得意様ですから。住み込み人はよく見てるんです。今はそうもいかない様ですよ。着ている服の格が落ちて来ましたね。私が見てもわかります。お金が集まらないから我々とほぼ同じか、それ以下かもしれません。人の金目当ての生活だから集まる金次第の生活レベルになるのは必然です。
いずれ本当の乞食になる日も遠くないでしょう。自分たちは徳が高いと勘違いしてきたつけで、今後は崖から転げ落ちる未来しか見えない可愛そうな人達です、、。
コロナ終息後の天理教本部の「営業成績」は相当悪くなっているはずです。
親神の意志の1つとしてコロナウイルスを出現させてこの極悪な天理教の息の根をとめると言う目的が一つには有るのかもしれません。
今は厳しい世の中ですが1人1人世に出て働きましょう。苦労はありますが働いて自分の未来は自分の力で築きましょう。ロレックスの会長、高級車の会長、こう言うのを乞食と言うんです。我々が働いて手にする給料に贅沢三昧の上層部に使わせるお金は一文だってありません。彼らには恥を知って欲しいですね!!
>お目どう返還に「コロナ感染は自己責任。返還するには金持って来い」。こんな無責任で人の命を軽視し、過去から長年本部を支え続けた恩人たる存在を守る意思のカケラもない殺人組織に、どこに存在意義が有ると言うのか。早く完全消滅するしかない。<
オウムはサリンを拡散して殺人を犯したが、
天理教はこの緊急事態宣言の中、
全国から教会長を呼びつけて、コロナを拡散しているってことですな。
間接的な殺人行為だ。
>>今は厳しい世の中ですが1人1人世に出て働きましょう。苦労はありますが働いて自分の未来は自分の力で築きましょう。<<
その通りです。人間が通るべき本来の道です。
>全国から784教会の目標を4月から6月の期間に集めて真柱により御祈念ほどきと呼ぶ儀式が執り行われるらしい。
自分の身は自分で守ろうとする常識的な信者は本部になんか行くわけがない。
行く人は死を覚悟してるのだからほっとけば良い。後悔するのは本人でしょ?
やっと目が覚めてからじゃ遅いけど、他人の知ったことじゃない。
>後は崖から転げ落ちる未来しか見えない可愛そうな人達です、、。
コロナ終息後の天理教本部の「営業成績」は相当悪くなっているはずです。
親神の意志の1つとしてコロナウイルスを出現させてこの極悪な天理教の息の根をとめると言う目的が一つには有るのかもしれません。
地場屋敷の大掃除は本部人事の抜本改革ですね。犠牲者には気の毒ですが、人類皆の良き未来の為には、ありがたい事ですね。感謝かんしゃ
人類がより優しい明るい世界、甘露台世界に向かう過程の大節の一つでしょうが、大社高山になってしまった中山教本部も油断できないという事なんでしょう。
今回は、世界規模の上下共の大掃除が始まってしまった様な嫌な世界ニュースが広がっていますが。チャイナコロナ以後の世界は多くの分野で隔世の感を感じる様な、進化の為の大変化の予感もします。
天理教HPのニュース画像に写ってる
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/news/2020/03/04/32124/
本部神殿の太鼓、皮がボロボロじゃねぇか。張り替えるのケチるほど財政が逼迫してるんだなwwww
見るも無残なありさまだ。
部外者が天理教について発言をする無礼をお許しください。
「下の、ミララッパ @29NSpcSNdhd6ZBP さんのツイートを読んで、怒りがおさまりません。
現時点で、天理教教会本部はこのコロナショックのさなか、
お目標様返還のお運びは強行するみたいです。
こんな融通の利かないことってありますか?」
という投稿を拝見しました。宗教儀式のため、多数の人が本部に集まるという内容だと解釈をしております。
これについては、天理教の信仰を持っている人は、病気にならないという発想も背景にあり得るのかもしれません。確かに、私も医者が見放した病気が信仰により治ったという実例を何回も見ているので、そういう考えも理解はできます。が、仮に、その考え方を肯定するにしても、やはりこの時期に人が集まる行事はやめるべきだと思います。
今回の緊急事態宣言は、日本の危機的な状況に鑑み、止むに止まれず政府が出したものです。その趣旨は、全国民に対して、人命や社会の維持のため、個人の自由の制限を甘受してくれ、というものです。仕事を失ったり、学校に行けなくて困っている人もたくさんいます。それでも我慢しているのは、イタリアやアメリカのような悲惨な状況を回避したいと思っているからです。
しかし、このような時期に宗教団体が集会を開催し、全国から人を集めたら、一般の人はどういう反応を示すでしょうか。ある人たちは憤りを感じるかもしれません。また、「あの人たちがやっているのなら、自分たちもやっていいだろう」という発想をする人もいるでしょう。日本中の人たちが我慢をしている最中に、そのような努力を無にする行動をすることは、みんなの努力を無にすることになります。やっているご本人たちは神様の命令を忠実に守ったと思っているでしょうが、他の人が見たら、自分たちの努力を裏切る反社会的行動になります。
さらには、天理教の指導者の人たちがそんなことは考えていないと思いますが、これでは、天理教は、指導部の私利私欲のため、信者の健康を危険にさらす反社会的なカルト教団であるとの誤解を招く危険性すらあります。
私も特定の信仰を持っていますが、私の所属する教団も小規模な行事を含めて全ての活動を停止し、会議もインターネットでの動画配信に切り替えています。あの創価学会ですら、行事の自粛をしていると報道されています。神仏を信じる信仰者は、やはり公益というものを意識すべきかと思います。
コロナウイルスの感染拡大も、いつかは終わります。コロナウイルス感染拡大がおさまってから、堂々と宗教行事をすれば良いと思います。みんなが我慢しているのですから、それまでは信仰者も行動を控える方が良いと思います。
重ねて、部外者がこのようあ失礼な発言をしていることはお詫びします。
いほり様
>https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/news/2020/03/04/32124/
本部神殿の太鼓、皮がボロボロじゃねぇか。張り替えるのケチるほど財政が逼迫してるんだなwwww
見るも無残なありさまだ。
これは皮がボロボロになっているのではありません。
毎日、朝晩のおつとめで叩いているので表面の塗りが取れているだけです。
張り替えるのは莫大な費用がかかりますが、ひと言声を掛ければ、一億円ぐらいすぐに集まる組織ですので、心配はいりません。今でも資産を腐るほど持っています。
門外漢 様
2020年4月12日 12:00 PM
話題をそらせて申し訳ありません。失礼の段、お許しください。
門外漢様は法律の専門家であるということで、ご教示いただければ幸いです。
過日から、全国784ヶ所の教会が目標(めどう 天理教でいうご神体)を教会本部に返却する件について、本掲示場で何かと話題になっておりますが、2020年4月10日 10:23 PMに投稿された匿名様のご質問について、私も疑問に思いましたので、ご教示いただければ幸いです。以下、匿名様の質問を一部引用させていただきます。
>>784教会、この法人名義の土地はどうなるのでしょうか。
その地の法人としては解散でしょうが、土地財産は天理教本部の懐にはいるのでしょうか。
各教会の元々の所有者に返還されるのでしょうか。<<
>>何が言いたいか。つまり、私のような高卒の者には法律に明るい友人などいないから
上記の疑問に対する正解も、それこそ費用を払って専門家に伺うしか道が無いのです。<<
私の質問は、匿名様の質問と同様で、仮に784ヶ所の教会が各教会の目標(めどう)を教会本部に返却し、天理教の信仰を止めた場合、当該教会の敷地や建物が天理教教会本部の名義になっていれば、所有権は天理教教会本部にあるので、教会の敷地建物は教会本部に没収され、教会長やその家族は、教会の敷地建物に居住することができなくなり、他所へ転居しなかればならないということになるのでしょうか? 転居先が無ければホームレス状態になるのでしょうか? 多くの教会の敷地建物は、教会長の先祖の個人所有であったと聞いておりますが、天理教に入信し、教会になるにあたり、天理教教会本部名義で登記をしているようです。
女鳴り物は、三曲の扱いを細か過ぎるほど注意されるのに、男鳴り物は何も言わないんですかね。
呼び出し太鼓じゃないんですよ。二本バチが有るのに何故わざわざ金の塗りの所を目がけて叩くのか?
鬼太鼓座とかの和太鼓演奏見て下さい。本部があれだから、大教会から末端迄もハゲハゲですわ。スリガネもチャンポンもいい加減だし、2ヶ月続けて間違うわで救いようがない、高い楽器が泣いてます。
古い元教会長さま
ご指摘ありがとうございます。
「ハゲ太鼓」なんですねwww
崩壊 様
ご質問、ありがとうございます。宗教法人や社会団体に入会時に全財産の寄付を条件とする、という事例は天理教以外にもあります。
まず、「原則」から申し上げると、信徒が宗教団体に財産を寄付した場合は、贈与契約(民法549条)になり、所有権は信徒から宗教団体に移ります。家屋敷を信徒が宗教団体に寄付した場合、所有権は宗教団体に移り、寄付した人がその家に住んでいたとしても、宗教法人が好意でその人に住まわせている(使用貸借 民法593条)とか、あるいは管理人の扱いになります。この場合、宗教団体が「出て行け」と言えば、出て行く羽目になります。
ただ、団体に入るときに、団体の要請に従い全財産を寄付しておきながら、脱退するときに無一文で放り出すのはあまりにも酷い、という批判が出てきました。そこで、裁判でも、いろいろな方策で救済する判例や裁判例が出てきました。
宗教団体ではありませんが、有名なのは「ヤマギシ会」をめぐる裁判です。この場合は、入会者が「入会に際して全財産を寄付する」「脱退時にも返還をしないという約束があったみたいですが、裁判所は「こんな約束は公序良俗に反する」(民法90条)として無効とし、ヤマギシ会にお金の返還を命じました。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/093/000093_hanrei.pdf#search=%27ヤマギシ会+財産++返還%27
天理教の教会の場合、私は事情を知りませんが、各地の教会が、被包括宗教法人であるか、どうかで扱いが変わってくるとは思います。
仮に、教会が被包括宗教法人である場合は、これはその法人の解散の問題があるので、簡単ではありません。
が、土地の名義が天理教本部の名義になっているとあると、おそらく法人格はない可能性があります。その場合は、土地建物は天理教本部の懐に入ります。教会を廃止したら、住んでいる人は追い出される危険性はあります。ただ、それでは路頭に迷う場合は、上記の「公序良俗違反」で救済を求める道はあるかもしれません。ハードルはかなり高いですが、不可能ではないとは思います。
まずは、土地と建物の登記簿謄本をとって経過を確認してください。かなり昔のものなので、「閉鎖登記簿」や「土地台帳」も調べた方が良いでしょう。
あとは、家の中を探して、家を寄付した時に交わした書類などを見つけてください。その上で、弁護士や司法書士に相談に行ってください。
法テラスや司法書士会や弁護士会の無料相談が主催する無料相談会もあります。また、法科大学院などで、学生の勉強のために無料相談会も実施しています。
相談に行く場合は、出来るだけ証拠になりそうな書類を全部持っていき、また、相談の内容をあらかじめ紙に書いて行った方が良いです。
こういう事例の場合、普通の弁護士では必ずしも対応できない場合もあるので、弁護士が見つからない場合は、カルト問題などに強い弁護士さんに相談をしてみるのが良いと思います。
ご不明の点があれば、お気軽にお尋ねください。
門外漢 様
ご多忙のところ、早々にご回答を賜りありがとうございました。ご教示いただいたことを基に、私なりに勉強してみようと思います。まずは御礼まで。
崩壊様
天理教がそうだとは言いませんが、相手が大きな宗教団体の場合、お金も人員もあるので、単独で相手にするのは難しい点があります。争いを奨励するのは気が引けますが、同じ悩みを抱えている人達で集まり、団結して対応を相談するのが現実的だと思います。
門外漢 様
2020年4月12日 6:23 PM
>>争いを奨励するのは気が引けますが、同じ悩みを抱えている人達で集まり、団結して対応を相談するのが現実的だと思います。<<
了解いたしました。ありがとうございます。私自身は訴訟とは直接関係ないのですが、この掲示板の読者の方々にとって大変、参考になるであろうと推察します。丁重なるアドバイスを頂戴し、改めて御礼申し上げます。
医療の隠蔽体質で巨大クラスターが発見されました。職員の通報により発覚したそうです。教団も隠蔽していてはこれを越す100人1000人規模の感染集団を生み出すことでしょう。
その時には、「コロナ!天理教」 と言う見出しで週刊誌などから叩かれてしまうことでしょう。
東京・中野の病院で87人感染確認 院内の感染計92人
東京都は12日、中野江古田病院(中野区)の入院患者や医師、看護師ら87人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。重症者はいないという。同病院では4日までに患者5人の感染が確認されていたといい、感染者は計92人に上る。都は「院内感染の可能性が極めて高い」としている。
都によると、同病院からの連絡を受け、1日に保健所が現地で調査。4日までに入院患者5人の感染が判明した。接触していた他の患者や医師らを検査した結果、12日までに87人が確認された。都によると、感染者のほとんどはいまも院内に滞在しているという。
同病院のホームページによると、5日から外来診療や新規の入院患者の受け入れ、面会を中止している。
朝日デジタル
東京・中野の病院で87人感染確認 院内の感染計92人
https://www.asahi.com/articles/ASN4D5RZZN4DUTIL012.html
教庁予算が審議され、可決・了承された。令和2年度の予算は93億3608万円。前年度より9%減額されている。今年はコロナの影響で収入減が予想される。前年度より20%くらい減るのではないか。無駄な行事を減らして歳出を減らすしかない。
崩壊様と門外漢様との会話を始め、皆さんの投稿から読み取れることは、天理教本部が如何に欲深い集団であるかということが分かります。
教団本部は、たとえ土地建物のお供えの要望が出されたとしても、どうか皆さんでしっかりと守って地域のひながたになるように努めてくださいというのが親心というものだろうに、よくも、しゃあしゃあと受け入れること自体、みかぐらうた五下り目、八下り目、九下り目、十下り目及び十一下り目それぞれの四ツの歌の意味が全く理解できていないということを如実に示していることが分かっていまったということです。
教団本部自らがみかぐらうたを否定している行為にほかなりません。
特に、価値のある不動産には目が無いというのは人心にも劣るということです。その最たるものの一つが東京都千代田区のイギリス大使館近くにある〇〇母屋でしょう。
話は、逸れますが、令和2年度の予算は93億3608万円を誰からむしり取ろうとするのでしょうか。
毎月の家賃15万円が払えなくなって商売を辞めると言っていた人が居られます。社会が疲弊している時に余りにも無神経すぎるのではないでしょうか。全額とは言いませんが、せめて幾ばくかの金額でも新型コロナウイルス対策に寄付されては如何ですか。
大亮ツイッターに直訴の教会長の悲痛
>>教会長です。今月破産しそうです。大亮さん助けてください。今までお供えしてきました。貸付でも良いので何か手をうってください。よろしくお願いします。<<
これは当教会でもひしひしと感じている事です。お供え金と言う血の循環が止まりました。これは上納金の原資です。
一般社会の事業従事者、雇用者、被雇用者皆、先の見えない闇の中で悶え苦しんでいます。教会でも同じ事なんですよ。血の通った物事の見方をして下さい。
大亮さん。集金の手をゆるめるよう、各大教会に発布し、下支えして来た教会を守って下さい。我々は失業保険もありません。教会家族もあなた一家と同じく、生きています。家族も幼子も食べています。
親なら この非常時、何らかの策を練るのが責任あるリーダーじゃ無いですか?
真柱に進言して下さい。若いあなたには、その勇気も能力も、天理教を守り変革する情熱もないなら、もう皆見限るでしょう。想像力を駆使してこの非常時下の教会を守って下さい。
全国784ヶ所の教会が目標(めどう 天理教でいうご神体)を教会本部に返却する件
今の時期あまりにも非道であるので〇日新聞デジタルに投稿しました。
東風Z 様
2020年4月13日 8:13 AM
>>特に、価値のある不動産には目が無いというのは人心にも劣るということです。その最たるものの一つが東京都千代田区のイギリス大使館近くにある〇〇母屋でしょう。
話は、逸れますが、令和2年度の予算は93億3608万円を誰からむしり取ろうとするのでしょうか。
毎月の家賃15万円が払えなくなって商売を辞めると言っていた人が居られます。社会が疲弊している時に余りにも無神経すぎるのではないでしょうか。全額とは言いませんが、せめて幾ばくかの金額でも新型コロナウイルス対策に寄付されては如何ですか。<<
世界全体がリーマンショック以上の過去に類を見ないような「世界恐慌」に突入しようとしている今、93億以上の予算編成ができること自体、「眉唾もの」です。予算編成の根拠となる詳細な資料を天理教のホームページで公開するべきです。東京都心にある教会本部の不動産収入や、離教していく末端分教会不動産の売却収入まで見込んでいるのかも知れませんが、大変、甘い話です。中山教温存の為に如何なる手段を目論んでも無駄です。「時既に遅し」です。ついに「親神の鉄槌」が教会本部に下りた気がします。
2020年4月13日 8:42 AMの匿名様の紹介
>大亮ツイッターに直訴の教会長の悲痛<
この時期に教団本部では、毎日毎日2千5百50万円余が消えてゆきます。絶望的な想いの教会長さんたちは、この数字を見られて、どのような想いが胸を過るのでしょうか。
教会長さんに言いたいです。本部なんか当てにせずに、どうか遠慮なさらずに生活保護を受けてください、と。
5月より修養科停止するとの情報あり。年々減少傾向にある修養科生。特段停止しても問題無いかも。コロナ収束後も毎月募集は難しいのではないか。教団の縮小がコロナによってさらに加速している。この際教団の大掃除してみたてはどうか。
崩壊様
これは完全な想像ですが、この時期にいきなり大量の教会の整備をするということは、空白になっている教会の不動産などの財産の取得が目的のような気がします。そうなると、土地建物の返却などを要請されても、そこに住んでいる人たちへの補償を行う可能性は低いでしょう。
現在、宗教法人は多くは収入の減少に困っており、不要になっている土地などを売却しています。また、株などの投資で減収を補っている団体も多いですが、今回のコロナショックで株式は大暴落しており、軒並み資産を減らしております。財務という観点から考えると、遊んでいる資産を処分し、別の投資に当てるなどの対策が必要かと思われます。
天理教の場合、施設も多く、行政に協力金を出しているので、特に多額の運営費が必要でしょう。今まで天理教のやり方を見ていると、残念ですが、土地建物の返還要請があっても、補償がなされるとは限らないと思われます。
土地建物の返還要請があってから動いても手遅れです。あらかじめ弁護士や司法書士に相談し、また、同じような境遇にある人たちが集まって相談し、どうすれば良いか、準備を始めることをお勧めします。
追伸
生活保護がダメなら30万円は貰ってください。これも遠慮は要りませんよ。
門外漢 様
2020年4月13日 12:37 PM
重ね重ね親切なアドバイスを頂戴し感謝申し上げます。実は私も同様のことを想像しておりました。近年、人々の宗教離れが進み、天理教に限らず、どこの宗教団体も「経営」に苦慮しているようです。昨夜テレビを視ていたら、某禅宗の末寺が檀家の減少で「経営」が苦しくなり、副住職がラーメン店に修行に行き、夜間、寺の境内にテントを張ってラーメン店を開業し寺の経営難を凌いでいるということが番組(なるほど珍百景)で紹介されていました。
ご指摘の通り、教会本部から土地建物の返還要請があってから動いていても手遅れだと思います。私自身は直接の当事者ではないのですが、今後、教会本部から離脱あるいは離教していく教会や信者は激増していくであろうと思いますが、宗教問題に詳しい弁護士や司法書士は数少ないと思います。私が個人的に思いつくのはオウム真理教の一連の事件で活躍されていた鬼藤弁護士ですが、どのようにしてアポをとり、どのようにして相談をもちかけたらよいのかが問題です。それ以前に、同じような境遇にある教会の人達がどのように集まって相談したらよいかすら直ぐには分からないと思います。17,000ヶ所程度と言われる天理教の末端分教会がいかにして、情報を交換し、相談しあえる体制をつくるのか、現状では非常に難しい問題であるように私には思われます。
崩壊様
弁護士は宗教とか教育の問題に関わるのを嫌う人が多いです。ややこしいし、お金にもならないし、迷惑を受けることもあるので、逃げる人が多いでしょう。
ただ、中には、正義感の強い、真面目な弁護士もたまにはいます。(そうでない人の方が多いかもしれませんが。)そういう弁護士さんに巡り合ったら、それなりに一生懸命になってくれます。
例えば、不動産の登記は、公示力はありますが、公信力はありません。不動産登記に所有者の名前が載っていても、「その人が所有者であろう」という一応の推定は働きますが、「その人が所有者だ」と断定するまでの効力はありません。そこで、その推定をひっくり返すだけの証拠と法的な構成を見つけ出せば、登記があっても、所有権の争いに勝てます。これは、なかなか難しいですが、不可能ではありません。
弁護士も、今は、司法改革で競争になり、相談しやすくなっています。色々な人にどんどん相談して、信頼できる弁護士や司法書士を見つけてください。なお、費用についても、最初に「これだけしか出せない」とはっきり言ったら、法テラスの補助制度などを教えてくれます。とにかく、やる気があり、誠実な弁護士や司法書士を見つけことが大事です。
門外漢 様
2020年4月13日 3:38 PM
了解いたしました。ご多忙のところありがとうございます。今後とも色々と伺うことがあるかと思いますが、よろしくご指導の程、お願い申し上げます。
このご時世、買い物の時に、マイカーの走行距離が伸びているのを見て、
妻に尋ねると、「にをいがけ」をやっているとのことで、呆れました。
妻は、深くは信じていないと言いますが、先生という人や、
一緒に「にをいがけ」をしている人が、「真剣に私たち家族の
事も、心配してくれている」と言ってます。
もう、普通の考え方には、戻れないのでしょうか?
①愛実町布教所について
小西実・小西博子夫妻が「神様」の扱いをされていて、
この人たちの言うことは、絶対服従のようです。
その下に、黒い服を着た「先生」という人が居て、
リーダー的な人に、活動やメール配信を指示しているようです。
妻は、そこから飛んでくるメールに従って、朝から夕方まで、
にをいがけと称して、複数人で訪問しているようです。
妻は、小西夫妻や先生の事を信じているようで、
「寝る時間も取れないほど、他人の悩みに答えている」と言ってます。
家で、壮年会や勉強会?のCDを聞いているようで、私も聞いてみると、
〇壮年会:それなりに良い話をしている(講演会と称し、信者を勧誘するため?)
〇勉強会:小西実所長が「お前ら笑えや!」、「ワシの話に反応しろや!」と怒り、
小西博子夫人は「良い大学に合格する話」、「お金、病気の話」を繰り返し、
天理教の教義と関係あるのか?、と疑問でした。
②最近の状況
2月終わりには、一斉送信と称して、コロナウィルスのチェーンメール
が配信されていました。上から届くと、こんな事も信じるのでしょうかね?
(https://www.nishinippon.co.jp/item/n/586997/)
その後、数週間くらいは、布教所やにをいがけを少し控えてたようですが、
3月の後半になり、近く大祭があるようで、先生と呼ばれる人たちから、
「しっかり活動するように」との指示があり、このご時世にも関わらず、
メール配信と称した指示メールに従って、積極的に出かけているようです。
③その他
自宅近くにも、天理教の布教所があり(普通の家のようなところです)、
「そこに行ってみたら?」というと、愛実町布教所では禁止されていることで、
「他の布教所に変わると、不幸になる」のだそうです。
話は変わりますが、博子夫人の話には、よく大学の自慢話が出てきて、息子さんは、
「東京大学に入る実力があったが、自宅から通学するために神戸大学に進学」
したのだそうです。
崩壊 様
門外漢様
横から割り込み失礼します。
これまで「ひながたの会」で相談を受けたり情報を寄せてくれた教会(大抵は末端教会)は、全て、本部と「被包括関係」を結んでいる宗教法人であり、不動産の所有は教会(その宗教法人)の名義です。
本部や上級の名義という方が少ないと思います。
しかし、被包括関係にある教会(法人)が解散する場合は、「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程があるはずです(私の教会を含めて全ての教会で規定がありました)。
今回、お目標を返却するという事が、即、宗教法人解散に繋がるかどうかは不明ですが、それによって何らかのその教会の関係者と本部との間で何らかの「いさかい」は避けられないでしょう。
上記のように不動産がその教会(法人)名義なら、離脱してしまえばトラブルも裁判沙汰にもならずに、引き続き教会施設を使って、誰にも邪魔をされることなく自分たちの信じる信仰を続ける事ができるのですけども、「長い付き合いの天理教関係者から縁を切られる」ために前進できない人や踏み出せない教会は多いと思います。
加藤ハルアキ 様
崩壊 様
加藤様におかれましては、貴重なご教示に感謝申し上げます。私は天理教の事情は全く知らないことを最初にお断りいたします。ですから、間違いがある可能性は申し上げます。
宗教法人法には、以下のような条文があります。
「第二条 この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。
一 礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」
「お目標を返却する」ということは、おそらく、宗教法人の解散を前提にした作業である可能性はあると思います。
その場合、そのままだと、ご指摘のような「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程に従い、不動産などはすべて天理教本部に所有権が動きます。つまり、住んでいる人たちは、そのまま無一文で放り出される危険性はあります。
ただし、土地建物の名義が被包括宗教法人の名義の場合は、この関係をまず解消すればこの問題は無くなります。天理教本部が介入することができなくなるからです。
もし、このような手続きをされる場合は、早めに動かれることをお勧めします。
加藤ハルアキ様の言われた、
> 被包括関係にある教会(法人)が解散する場合は、「残余財産は宗教法人天理教に帰属する」という教会規程があるはずです <
という規程なんですが、天理教側が あまりにも身勝手なので驚きました。この一方的に身勝手な規程を結ばされるとき、疑義を抱いた人はいなかったんでしょうか?また、こうした規程そのものが違法とされることはないのでしょうか?
確かに、昔は疑義を抱いても、それを口に出して上級に問いただす雰囲気はなかったかもしれません。「なんで、そういうことを聞くのじゃ。おまえはワシを疑っているのか?ワシらは、親子(理の親子)じゃないか」、とか言われたんでしょうか?
百歩譲って、日本国内では許されたとしても、海外布教では、こうした一方的な規程は、『侵略行為』 とみなされるでのではないのですか?
相手の信頼を得てから、徐々に干渉範囲を広げ、気付かれないように侵略し、後戻りできないように支配する。
典型的なヤクザそのものですね。
人の良心や、弱者を食い物にするビジネス。それをやってのける側は善意であるという恐ろしさ。
指示や命令は上から下へ、下から上へいくのは金と人足だけ。教会本部の許しの元、上級を神と思い立てて通れ。それを神が喜ぶ。お前は試されている。
お前のため、良かれと思って、助かるため、科学や常識の理外でないと助からない…
最後の最後は『神にもたれよ』
どれだけ苦労し、頑張っても、良い結果にならなければ、『神様から見たらまだ足りないのだろう』
「天理教の信仰者である前に、人としてどうなのか?どうありたいのか?」
これが一番大事だと思う。
生きるために信仰するのか
信仰するために生きるのか
今日もコロナは感染を広げる。
門外漢様
加藤ハルアキ様
もし、教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、放っておいて勝手に事情教会にされて没収されても、一向に構わないでしょう。
解体費用なども上級か本部が何とかするでしょう。責任はありません。
最近の皆様の投稿を見て感じたことは天理教本部の底知れぬ恐ろしさです。
このような教会規則を作らせた教団に怒りを禁じ得ません。信者さんたちの必死の願いを裏切るような規定が有ったなんて誰が知ろう。責任役員を務めた者としてあまりにも迂闊でした。そもそも、教会規定そのものを見たことはおろか、存在すら知らなかったのですから。
私の勤めていた公益法人では、入会を希望する者(個人法人を問わず)には、まず定款を示して、その活動方針に賛意を得たうえで入会手続きに進みました。
定款は登記事項でもありました。教会規定も登記事項なんでしょうか。それとも、関係行政庁への届け出事項なんでしょうか。登記事項は閲覧が可能ですが、届け出事項であれば閲覧すらできないのでしょうか。
いずれにしましても、教会規定は寄らしむべし、知らしむべからずの物だったんでしょうね。
今も、苦労をしているだろう天高二部同窓生の会長さんたちの姿を想像すると、うっすらと涙が浮かんできます。
生きるために信仰するのか
信仰するために生きるのか<<
この視点を見失ってはいけない。よりよく生きるための信仰であり、信仰するために生きているのではない。
どれだけ多くの人が信仰するために時間とお金と家族を犠牲にして、生きながら「死んだような苦痛の毎日を生きた」のか。
現役教会長の方が真柱が質素だとたて奉るが見かけの質素に気をとられて人に見せない彼らの預金通帳を見たことがあるのか。彼らの先代達がかつて高額納税者だったという事実は消えない。虚飾と消えない事実とどちらが真実か?
ぶたまん 様
2020年4月13日 10:45 PM
>>確かに、昔は疑義を抱いても、それを口に出して上級に問いただす雰囲気はなかったかもしれません。「なんで、そういうことを聞くのじゃ。おまえはワシを疑っているのか?ワシらは、親子(理の親子)じゃないか」、とか言われたんでしょうか?<<
昔、天理教に入信し教会になった人達は、高等教育を受けた人も少なく、法律の詳しい知識もないまま、上級の言われるままに教会になった人達がほとんどであったのだろうと思います。「理の親子」という訳の分からない「親子関係」を盾に、半強制的に教会にさせられたケースがほとんどだったのではないでしょうか?
崩壊様
> 昔、・・・・法律の詳しい知識もないまま、上級の言われるままに教会になった人達がほとんどであったのだろう
そうなんです。私もそうではないかと思った人間です。
上のこのご文章の中で、「昔」という一字がキーワードになっていて、・・・つまり、今と昔では、世の中も天理教自体も少し雰囲気も様子も変わって来ているんじゃないかと思うんです。また、雰囲気だけでなく、実際に、教会長が代わるなどしたら、信者さんを取り巻く環境も変わって、「初代さんはよかったのに、二代目さんは、どうもね」といった不満不平が出ることもあるんじゃないかと思います。
信者さんにしてみたら、「昔と比べて、こんなハズじゃなかった!」という事態が発生していたとしたら・・、法律も、機械的に判断するのではなくて、信者さんを取り巻く『環境』というものは時々刻々と変化するものだということを加味してもらって、例の矛盾を感じる規定を無効にすることはできないものかと思った次第です。
コロナ拡大の中、けっして政府は国民が安心できるような自粛要請と保証をセットで語ろうとしませんね。
天理教本部も同様。
教会の整理統合の話には財産・金銭面の整理を「無いものがごとく」或いは「気が付かないフリ」をしているのか判らないけれど、そのプロセスを明示しません。
本部が決め、実行することに下の者が口をはさむなんてことは想像すらしていないのでしょう。
「その立場にある者」以外の人々が意見を言うことは、天と地がひっくり返ったことのように感じるのかもしれません。
しかし今の時代は、その立場にない者であっても、問題点に気が付いた人が、警鐘を鳴らし改善を求める事は、もはや人として普通の行動になっています。
一部では「プロ市民」などと反感を呼び起こすことが目的のようなネーミングで、その動きを阻止しようとする徳川時代の民のような人たちもいますが。
そんな時代錯誤の人たちは権力者と表裏の関係で「目クソ鼻クソ」のような心貧しい連中です。
よもや天理教本部の皆様方はそのような憐れな人ではないと思いたいものです。
きっと、緻密に問題を解決する能力に欠けているだけなのでしょう。(と、思いたいものです。)
古い教会長さんの短いご指摘を拝見して、少々気がかりが残りました。
そこには古くからの信者さんたちの思いに対する気配りが感じられませんでした。
会長さんとは、信者一人一人の思いになど構っていられないという文化伝統があったようですね。
元会長さんの時代には面倒な事を言いだすような信者は少なかったでしょうしね。
放置された教会建物を取り壊すのかどうかは売却する際に決めるのでしょう。
土地建物に価値が有るかどうか、少なくとも都市部においては、それなりの価値はあります。
過疎地の人の意識と奈良県天理村の住民と、都市部の住民とでは、感覚が大きく異なるのです。
そして、後継者がいなくなった教会は放置されたいきさつがあり、土地建物を捨てても教団から脱却したかった方々の気持ちを想えば、けっして軽く扱われてよいものではないと強調したいのです。
匿名様
>古い教会長さんの短いご指摘を拝見して、少々気がかりが残りました。
そこには古くからの信者さんたちの思いに対する気配りが感じられませんでした。
会長さんとは、信者一人一人の思いになど構っていられないという文化伝統があったようですね。
元会長さんの時代には面倒な事を言いだすような信者は少なかったでしょうしね。
この度、本部にお返しする教会は、信者がいなくて、会長も不在で、何年も経っている教会です。
「教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、・・」と言っています。それを後継者だったからと、お詫びに付き合わされ、多額の費用を負担までしなくていいですよ。よ言いたいだけですので誤解のないように。
>後継者がいなくなった教会は放置されたいきさつがあり、土地建物を捨てても教団から脱却したかった方々の気持ちを想えば、けっして軽く扱われてよいものではないと強調したいのです。
元々、布教して教会になった、というより、事情教会が出来て、誰も持つ人が無く、上級の都合で、ちょっと熱心な信者さんが、自宅を改造して神さんを祀って、形だけ教会といっているケースが非常に多いのです。
だから、包括法人なのですから「教会の土地と建物を離れて独立して生活されていて、土地も建物も値打ちのないものだったとしたら、放っておいて勝手に事情教会にされて没収されても、一向に構わないでしょう。
解体費用なども上級か本部が何とかするでしょう。責任はありません。」と、言いたかったのです。
匿名
2020年4月15日 2:22 PM
>>コロナ拡大の中、けっして政府は国民が安心できるような自粛要請と保証をセットで語ろうとしませんね。
この問題は確かに皆さん目の当たりにしています。これらの問題点は、現在の政権与党の自民党の責任にされがちですが、どうも野党や官僚に問題があるということが発覚してきました。皆さんご存知の「マスク2枚」は経産省系官僚の今井氏と浅野氏が主犯だったようです。
そして、新型コロナ対策の審議を野党が審議拒否していたのも国民の目に晒され、与党も大変でしょうが、野党の方が国民からの信用を失い壊滅的事態になっているようです。
そして国民補償給付の最大の問題点は、財務省の出し渋りだそうです。日本は実際世界有数の超が付くほどの経済大国であるのは曲がりも無い事実、実際無尽蔵に資金調達を出来るのです。新型コロナ発祥の中国の様に書類改ざんで世界二位になった様な国とは大違いと言うことです。
一方教団には野党は存在しません。中山家一党独裁です。資金的問題も底を尽き始め各所にある被包括法人の土地の売却で運営費を捻出しようと言う愚策悪政を敷いているところでしょう。これは明らかに誤りです。
信者に痛みだけしか与えない政策をしているから人気が消え中山不要論が出てきても致し方ないということです。
これらのような指摘は社会学のコメントでもなされてきたことで、それを押し切って、被包括法人の土地や財産に手をつけたのは紛れも無く中山一党独裁状態の現体制ですのでもう逃げも隠れ出来ないでしょう。
もう宗教云々の前に教団運営が焦げ突き出しているのは間違いないでしょう。あと何年持つのか?が見物です。
古い元教会長様は、<土地建物を捨てて教団から脱却していった人々の気持ち>にいついては、書かれていません。古くなった教会の処分について書かれただけです。
それは多分、<気持ち>についてまで書くと、テーマが枝別れしてしまう上、冗漫になってしまい、何が言いたいのかがぼやけてしまうことにもなるからでしょう。
我々も、こういった短文形式で投稿する場合、言いたいことを一つにしぼって、できるだけ簡潔に書こうとするのではありませんか?簡潔に書いて、読み手に何が言いたいかを伝えやすくしようとします。古い元教会長様も脱会せざるを得ない人々の無念な気持ちは十分解っておられるのに違いありませんが、今回はそのテーマは避けられたんじゃyないでしょうか。
私が読んだ印象は、「包括法人で、価値のない教会をもらってもそれはゼロなのだから、上級は喜んでばかりはいられないだろう。それどころか、解体しなければならないとなると費用がかさみ、ゼロを通り越してマイナスになってしまう。これでは、よけいなお荷物をしょいこんだことになるだろう」 という皮肉めいた言い方をされているというものでした。
また、そうした表現 が、上級教会の「無責任体質」 に対してアテコスリにもなっているのだろうと思いました。
私の読みが浅いため、カン違いしているかもしれません。そのため、横ヤリを入れてかき回すことになったかもしれませんが、古い元会長様は信者さんに対する配慮が欠けているのではないかというご心配は不要のものと思います。
ぶたまん 様
私の気持ちを代弁して頂いて有難うございます。
その通りです。
返される800の教会は、長年放置されてきて、会長も信者もいない教会です。
中には、誰も住んでいないあばら家で。お目標様も上級が無断で持って帰っているケースもあります。
今回の800カ所のお返し教会の中に、会長が不在でも教会家族が住んでいる所は入っていないと思います。
上級の教会家族(奥さんや息子や前会長)が名前だけ会長になり、月次祭だけ通っているような教会は含まれていません。
実際、教会としての機能を果たしていない事情教会を数えると、この10倍にはなるでしょうね。
一信者にしか過ぎない者が生意気な事を申し上げ、古い元教会長様はじめ皆様にご不快な思いをさせ、失礼いたしました。お詫び申し上げます。元会長さんを非難する者ではなく、たまたまハンドルネームで会長職に在った方だとわかり、言ってみれば一信者から会長代表へと申し上げた次第でした。ぶたまんさんがおとりなしくださったので元会長さんのお気持ちが晴れたことと思います。会長へたてつく人なんて現実世界にはあまりいませんし、私だっておとなしそうな一信者として参拝しています。
お詫びの後に弁解を許していただけるならば続けてお読みください。
申し訳ありませんが、ご不快に感じる方はスルーして頂ければありがたく思います。
たった一つだけの例ですが、事情教会の経緯と現況を、そこに関わっておられる方から、直接聞いていた状況があったので、全国の教会事情などを知る由もないまま、こちらの場に紹介させて頂いた次第でした。
詳細を書きたいところですが、当事者の方に迷惑がかかるので気持ちを代弁するにとどめた次第です。
教会登録を削除されていないまま空き家の教会に行き、自発的に清掃活動をされている方がおいでなのです。
しかもその教会は自分の所属教会ではなく、単にそこの会長さんの生前を知っていて、事情に同情され、建物に風を通すだけでなく、清掃にまで心を砕いているのです。そこの前会長さんと会長さんをはじめかつて通われていた人々の姿、声を、その方だけではなく、私も存じ上げていますから、一人で清掃されているという事を知った時には胸にぐっとくるものがありました。
長い教会との付き合いの中では、一人一人に心の中の記憶として、この教会のように会長家族はいなくとも、関わった人は勿論、遠くから眺めていただけの私のような立場の軽い者にとってさえ、様々な記憶に残るものがあるのです。理知的な方々からすれば感情的な言い分と捉えられることは承知していますが、教会建物というものは、単に経済面から論じるだけではかたずけられない面があり、だからこそ、天理教本部は特段の配慮をもって信者に一連のロードマップを語らなければならないと強く思うのです。そして天理教団本部だけの事ではなく、すべての会長たちには一信者たちが積み上げてきた教会の姿を重く感じる感性を捨てないでくださいと言いたいのです。
清掃活動を続けている方も一信者さんです。講社祭りすらしていない信者さんです。しかしバリ天ではありません。ご自分なりの感性で、教会関係者の皆さんの言動を長年にわたり観察され、ご自分なりの頭で判断された挙句の行動です。話を伺った私も、一種の正義感に裏打ちされたその方の言葉に共感した事を申し添えます。天理教の世界での上下関係ほど滑稽なものは有りません。社会で働いてくると一寸の虫にも何とやらという負けじ魂が育つのです。
お読みくださった皆様に御礼申し上げます。
天理教社会学研究所
@tenrisyakaigaku
コロナ禍について、真柱も、SNSをやってる次期真柱も表統領も教義的コメントはなし。
教えを放棄してるのも同然。
何のためのリーダー?
何のための天理教?
何のための信仰?
祈りも一度だけ?
真柱として仕事しろよ
午後2:06 · 2020年4月16日·Twitter Web App
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@tenrisyakaigaku
さん
集金組織のトップだから、神性の話が出来ないってね。
笑い話どころではないですよ。<<
真柱さん。コロナに対する教義的発言を信者にして下さい。集金組織のトップだから神性の話はできないんだね、って事ですか?トップとして大変心もとないです。
ちゃんと仕事して下さいよ。我々信者はこのコロナ出現に対する信仰的方向性が見出せないんですよ。どう受け止めたら良いのですか?貴方は反省反省ってよく言いますが、何をどう反省したら良いのか、具体的にご指導下さいな。
大亮くん。これまでの反省の上に今後の歩み方を思案し、、、と3月の月次祭で奏上されたが、これまでの反省の具体策を示してください。常に思うが漠然とした説教は雲をつかむようでさっぱり解りません。貴方を含めて信者一同の反省点は何ですか?
全都道府県への緊急事態宣言が出されましたよ本部さん。
それでも祭典や「ご祈念ほどき」に全国から教会長や関係者を招集し、三密のリスクを冒しますか?
以下のように世間の人たちに忌み嫌われ迷惑がられてますよ?
これでは人をたすける行為に明らかに逆行してませんか?
終息する迄、即刻帰参自粛、およびお運び中止をすべきです。
Twitterより
〇何が怖いって、18日に天理市で開催される教祖誕生祭に全国から教会長が招集しようとしてる。もちろん緊急事態宣言中の地域を含む。本当に危機感がないです、天理教教会本部は。
〇保健所に連絡したら対応してくれるのでしょうか、、奈良県民として怖すぎます
〇保健所とか市役所県庁国会議員とかいろんなところに相談したらいいと思います。
〇本日、市のコロナウイルス感染症対策本部と教会本部へ嘆願書を送信しました。けど1人のちからではどうしようもできないですよね…
保健所と議員さんですね!アドバイスありがとうございます
他宗教から次のような批判が出ています。
https://www.youtube.com/watch?v=DXqOu69kxpA&feature=youtu.be
今月24日お目標お返しの為に、紋付羽織袴を纏い馳せ参じ一堂に集合する。現代版参勤交代のようだ。無駄な経費、時間をかけて儀式が執り行われる。本部員が各地を廻り回収しに行けばよいのでは。今迄の労をねぎらい謝意を述べるべきだ。全国に緊急事態宣言が出ても相変わらず全国各地から呼び寄せる神経が分からない。天理市民はどう思うのだろうか?
匿名
2020年4月16日 6:33 PM
明らかに通報対象です。
強制力が無いからして良いわけでございません。国家が出した緊急事態宣言を国から認可を受けた宗教法人が無視する事は反社会組織であるという事に成ります。三密は勿論、不要不急の外出も原則禁止です。ひのきしん など集合、集会を伴う行為も禁止です。
本部がある天理市や奈良県はじめ全国バンバン通報しましょう
緊急事態宣伝でも、参拝や奉仕作業を無視してやらせて集合、集会三密で感染者出したら、とうとう教団も終わるかもしれないので放置しておきましょう笑
楽しみです!笑
現・天理教を擁護し肯定されている方々の書き込みが、なんと説得力のない事か。
批判している方々は、経験や体験を通して語られていますので、とても心に響きます。
信じ込み、思い込んで教え込まれた教理だけを駆使して語っても薄っぺらいだけです。
何も、難しい事はないのです。
現・天理教は、教祖の教えられた通りにすればいいだけの事です。
緊急事態宣言は、、感染予防の為なので感染者が出てからでは遅いんですけどね笑 教団上層部はお頭がロックダウンして理解がオーバーシュートしてるのかな?そして医療崩壊改め教団崩壊が待っている笑
ご守護!ご守護!で人をだまして感染者出せば良いのです。感染者出た時点で本部の信用は驚くほどなります。おめでとうございます!
天理教により少しでも負の側面を見せられたり、体験をした人達は、この欄に書かれている一つ一つに頷くことになるのでしょう。
本当は、もっともっと明るい教えであるはずなのに、心は一考に明るくなれない。いやなことばかりが思い出されてしまう。
教団本部は何故このことに気付かないのだろう。お道という教祖が示されたひながたの道を辿る努力をすればいいだけなのに、そのひながたが捻じ曲げられてしまった。
その原因の最も愚かなことの一つが、頂点を目指す心が余りにも拙速に過ぎたことではないだろうか。ある人が本部の建物群を見て一言、このような姿になるにしては、余りにも早すぎたんじゃないかと。
教組70年祭当時私は二部生でしたが、いま思い返すと成る程と思ってしまいます。
S詰所にて、陽性反応が出た修養科志願者を隔離中
と、噂話が飛び込んできました。
これが事実ならとんでもないことですが、嘘であって欲しいです。
>>教団本部は何故このことに気付かないのだろう。お道という教祖が示されたひながたの道を辿る努力をすればいいだけなのに、そのひながたが捻じ曲げられてしまった。
その原因の最も愚かなことの一つが、頂点を目指す心が余りにも拙速に過ぎたことではないだろうか。ある人が本部の建物群を見て一言、このような姿になるにしては、余りにも早すぎたんじゃないかと。<<
数年前、天理教のハッピを着た中年の女性が、私の家に「においがけ」に来られ、開口一番、教会本部の建物群の立派さや壮大さをひたすら強調され、一緒に「おぢばがえり」をしませんかとおっしゃいました。私は、自分自身の生い立ちと今は天理教から離れていること、そして宗教の本質は建造物で評価されるものではないことを申し上げたところ、そのご婦人は何も言わず逃げるようにしてお帰りになりました。
今、天理教のライブカメラが1台増設されています。4月15日から4月27日までの期間限定ということですが、一体、どういう目的があるのでしょう? 教会本部建物群の威容を誇示したいのでしょうか? 私には不明です。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/livecamera/
ライブカメラの増設を私も天理教のHPで知りました。はっきり言って何の意味があるのかと唖然としました。これまでの南側正面のライブカメラなら夜でも明るいし、ライブで人出も見えます。でも、新設したライブカメラ2は、北側の神殿入口を含めた3殿の全景が動画で写っています。これなら写真で十分だと感じました。24時間動画の意味が不明です。暗くなると画面は真っ暗です。昼間の映像も静止画のようです。活用してくださいと記載してありましたが、何に活用するのでしょうか?
もし、ライブカメラを設置するなら、南礼拝殿の中から甘露台および神床周辺を常時ライブで写してはどうかと思います。我々にはできませんが、道友社なら可能では?この期間は、神殿には一般信者ははいれませんから、せめて全国からPCの画面等で遥拝が出来るのではないかと思いますがどうでしょうか?
>>もし、ライブカメラを設置するなら、南礼拝殿の中から甘露台および神床周辺を常時ライブで写してはどうかと思います。我々にはできませんが、道友社なら可能では?この期間は、神殿には一般信者ははいれませんから、せめて全国からPCの画面等で遥拝が出来るのではないかと思いますがどうでしょうか?<<
その通りです。道友社なら可能であると思います。神殿内は写真撮影不可との教会本部からの「おふれ込み」ですが、道友社が自ら複数のカメラで撮影した月次祭の式典や甘露台で執り行われている「かぐらづとめ」の模様、あるいは、神殿内外の状況をネットでリアルタイムで中継したら、それで済むことだと思います。どうして、遠方から多額の旅費を費やし、多額の「お供え」携えて「おぢば」に参拝しなければならないのでしょう。読者の皆さん、どのように考えられますか?
何度も同じ内容のことを投稿しますが、お許しください。
他宗教(日蓮正宗)が、天理教を下記のように批判しています。私は「当たらずとも遠からず」という気持ちで聞いていましたが、何回も聞いている内に「当たっている」という気持ちになりました。読者の皆さんはどのような感想をお持ちになりますか? 人それぞれ考え方は違うと思います。奇譚の無いご意見をお聞かせください。
https://www.youtube.com/watch?v=DXqOu69kxpA&feature=youtu.be
今日、天理教ホームページのお知らせが更新されていました。明日の教祖誕生祭への信者の参拝を控えるようにとお願いしてはいますが、やはり強制力を感じさせるほどではありませんね。これでは熱心な信者や危機意識の乏しい信者の参拝は止まらないような気がします。尤も禁止したとしても神事を抜かすことへの恐怖を刷り込まれた信者は自己責任として参拝してしまうのでしょう。それで感染があっても、本部は信者が勝手にやったこととして逃げるのでしょう。
ライブカメラを見ると、本部前の沿道には大教会ののぼり旗が並び、何人もの人が箒を持って掃除をしていて、まるで信者の参拝を予想し迎える構えを見せているかのようです。神殿正面の階段下には白い箱のようなものが見えます。拡大してもよくわかりませんが、まさか賽銭箱ではないでしょうね。
参考意見 様
2020年4月17日 4:43 PM
>>やはり強制力を感じさせるほどではありませんね。これでは熱心な信者や危機意識の乏しい信者の参拝は止まらないような気がします。尤も禁止したとしても神事を抜かすことへの恐怖を刷り込まれた信者は自己責任として参拝してしまうのでしょう。それで感染があっても、本部は信者が勝手にやったこととして逃げるのでしょう。<<
洗脳されきった信者は参拝するでしょう。そうした信者を阻止するために、要所要所に警備員でも配置し、参拝を徹底的に阻止する体制を本部側はとるべきだと思いますが、本部側はたとえ1円でも「お供え」の増収を目論んでいるのでしょう。要するに、信者や他者の命より、我が身(幹部)大事。本部大事、という考え方がありありと見て取れます。とんでもない「人たすけ」の宗教です。
これは神様の配慮なのかと感じます。
新型コロナ感染拡大に伴い、不思議な事が私の心の中で起きています。
それは、「おじば」を慕う気持ちが消えてしまった、ということです。
煙のごとく、消え去ってしまいました。
長年、教団本部や天理貴族の皆様に対して、種々、残念な思いを抱えていましたが、
それでも奈良県天理市の穏やかな風景の中にある場所を(場所です!)慕うような心はありました。
ところが、その心がスッキリ消え去ってしまったのです。コロナ騒ぎの中で、なのです。
皆さんの中にもひょっとして同じような現象が起きてはいませんか。
何がどうしてこうなったというものではなく、人為的な切っ掛けも全くないのですが、
気が付いたら消えていたのです。
危険を冒しても天理に参拝したいという気持ちがあると、参拝できない現状が厳しいものになり、
ストレスを感じるでしょうが、それが無く、スッキリ平和な心持ちなのです。
これは神様の思いに添っているからかもしれませんが、私はそのような信者にありがちな、
平面的な悟り方をするつもりはありません。
ただ、コロナ感染を防ぐために、外出を控えれば多くの人が助かるという道筋を歩んでいれば、
自然とストレスのない心持になるのだと考えました。
あまりにも当たり前のことなのです。
そしてこれが最も大きな収穫なのですが、
「おじば・かんろ台」に拘泥しなければ、元の理の矛盾点に悩むことから解放されるのです。
コロナウイルスの時代は私を自由にしてくれた旬だとハッキリ感じています。
同感です。本部は「ただの場所」です。
コロナではっきりした事があります。それは、「おぢばに行けば助かる」と言う事が、天理教的に嘘、偽りであったと言うことです。
コロナをもってして、神の聖地は手も足も出ないと言う現実を今天理教の歴史の中で
目撃しているのです。確かな現実として見ています。今、天理教の神は苦難の渦中にある民衆を「ようこそおかえり」と抱える事が出来ない。「来てはいけない」と遠ざけているのです。
こんな神の何処に守護や有り難みがありますか?今多くの感染者が回復しているのは遅々とはしていても、それは医学、科学の力によるものです。天理教本部は全くの無力です。
さて、善亮さんに登場してもらいましょう。「命の繋ぎは金」を皆が納得する様に説明して下さい。金で解決するのでしたね??コロナで死にかけた人はお金を本部に運べば命が繋がるのですよね。さあ人助けです。善亮さん。全国の教会長に働きかけて、宗派を問わず、罹患者からお金を本部へかき集めましょうか?命が繋がるなら電話総動員で一人一人を説得しましょうよ。その昔、一本100万、2本200万ってね。そんな端金で助けてもらおうって思ってるのか!ってね。大きな人助けですよね。
おぢばが「ただの場所」と言う事がわかりました。神が働かない場所と言う事も今回のことで分かりました。
聖地だ、なんだと変な騙しに乗せられてうっかりと信じてしまっていたが、そんなこだわり、洗脳から脱却すれば、普通にストレス無く、国々所々で幸せに暮らせるのです。皆さま、もう騙されないようにして自分の有りのままの生活を取り戻しましょう。人生は自分のもの。重いものです。天理教の欲に乗せられて良いようなものではありません。騙されて後悔してもやり直しはききません。
参考意見
2020年4月17日 4:43 PM
教祖誕生際【直属教会長、ようぼく、信者さまの参拝は控えていただき】
成りましたので、今後の月次祭も同じ対応をするようにさせましょう。新型コロナ感染拡大支援教団といわれるかねないので
以下のS大教会部内の末端教会が競売にかけられています。
教会長家族はどうされたのでしょうか?
なぜ競売に至ったのでしょうか?
ご存知の方、語れる範囲で教えていただけませんでしょうか?
https://競売公売.com/auction/163189.html
緊急事態宣言が出されている昨今、未だに本部への参拝は控える位にとどめて居るのに驚きました。
地元の寺や寺院では門を閉め閉鎖してる所もあります。ましてやにおいがけと称して勧誘や集会等もっての外です。
知り合いには寺から封書で参拝に関するお知らせなるものが届いた人も居る。
場合によっては門を閉め閉鎖をするので、参拝来所の際には電話連絡で個別対応をする趣旨だ。マスク無しは対応しかねると有ったようだ。
ただこの様なお知らせを出すのは実に心許なく、出来れば自宅待機をお願いしたい趣旨だったそうだ。
色々な事情や又意見も有ろうが今は仕事で給料を貰う立場でなければ自宅待機が望ましいだろう。尤も無職の会長は最初から自宅待機が出来るので、何もそうじやらにおいがけやらに出掛ける必要は無いのに、何故か教会で月並祭。三密で窓を開けて集会。集まってお掃除。最早コロナウィルスまき散らしの細菌テロだ。
天理市でも出掛けて来る人を見込んで旗だか提灯迄立ててるのだから。今は不要不急の外出は控えステイホーム。自宅待機です。
其れでも三密の集会が止まないなら通報対象だとご忠告申し上げといた。立派な反社会的行為だ。
尤もバリ天なるは思考が止まってるので、更に熱心になるかもだが。近所迷惑も顧みないだろう。
匿名
2020年4月18日 1:09 AM
また競売、しかもまだ新しい「存命の理」の掛け軸が滑稽ですね笑
九下り目
四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから
六ッ むりにでようとゆうでない こころさだめのつくまでは
九ッ ここでつとめをしていれど むねのわかりたものはない
ほこりにまみれた泥水にまみれた、弱者を虐め金を毟り取る、欲と高慢だらけの教会長や教会役員、上から目線の金持ち信者は「ぢば・かんろうだい」に来るな!と親神様・教祖が、今回の武漢肺炎のパンデミック騒ぎで「警告」なさっているのだと私的には強く思っております。本部員も然り。
115歳定命と定めつけたい神の一条が本当なら、真柱は今の心の軌跡を天理時報に連載してください。
4月19日号も調子のいい話ばっかりで、少々うんざりしています。苦しい時の心の有り様を説くのであれば、真柱の心情の吐露が何より求められているんじゃないでしょうか。
そうでなければ信者さん方の心は、ますます離れていくことになるでしょう。
心の叫びのような話が聞きたいですね。
東風z様
その通りですね。
前回号かその辺りの時報にて、真柱は初代から代々真柱の置かれた天理教的状況とその時々の苦難を回顧し、今回のコロナにまつわる苦難が4代真柱としての自分また教団としての苦難だ、と言う様な事を天理教的視点で語っていましたね。
世界宗教を標榜する宗教の真柱ともあろう者が天理教的苦難を語るのは世界宗教家トップとして余りにも無責任でかつ視野が狭く、針の穴の中をのぞいているようなもの。やっぱり引き受けたくなかった真柱職で、器が小さいなあ、と言う印象が強いです。
地球規模で人類の置かれている困難な状況と今後進むべき道、精神の在り方等々のご神言が聞けなければ、これが天理教の苦難だ、とぼやかれても、それがなにか?と言う気分になります。指導者として甚だ心もとない真柱、との思いを強くしただけです。質素倹約を演じているだけが仕事じゃなく、質素倹約生活を通して何を行動し発信するのか。模範を示してこその存在意義だと思います。
今こそ、ちゃんと仕事をして欲しいです。今こそ、旬だと思います。
ライブカメラを見ていますが、10時を過ぎたころから人が集まり始めました。
12時20分現在のライブカメラを見ましたが、さすがに参拝者は少ないですね。
12時を過ぎてから人は減り始めました。11時10分ごろがピークで、数えたら子供を含めて50人はいて、けっこう密集していましたが、パトカーが来ることも無かったようですね。時々プリントスクリーンで画像をパソコンに保存しておきました。
関連サイトにもありました。11時14分の様子です。
https://twitter.com/tenrisyakaigaku/status/1251338365087002624
こどもおぢばがえり中止の連絡あり。
正式発表はまだのよう
そりゃそうか
こどもおぢばがえり中止は3カ月以上も前から発表するのに
教祖誕生際の直属教会長、ようぼく、信者の参拝を控える告知は前日という……
まあ こどもはお供え持ってきませんからねぇ
>>まあ こどもはお供え持ってきませんからねぇ<<
その通りです。こどもおぢばがえり中止によって、相当な経費が浮くはずです。人の命や健康より「金儲け最優先」の教団が考えることは終始一貫しています。
神が怖いか、律が怖いか、、
やっぱり、神より律を重んじないといけません。日本中が緊急事態の渦中です。感染はお金でも祈りでも、どうにもなりません。地球規模です。
天理教は律の中で生きているんです。国と科学の目に従わないといけません。
今回直属教会長を排しての誕生祭のお勤め。本部はやっと世間並みの事が出来ましたね。
こどもおぢばがえりも中止。神の居ない本部ぢばに今後どれだけ繋がろうとおぢばに神は居ない、人類を救う力も無いと言う事が判明し、このまま沈没、消滅していけば本当にスッキリすると切に思います。
>今回直属教会長を排しての誕生祭のお勤め。本部はやっと世間並みの事が出来ましたね。
4月26日の月次祭も直属教会長の参拝を止めるのでしょうか。
何しろ「金儲け最優先」の教団ですから 26日に金を届けるかもしれません。
それにしても「須藤花井さん」が話していた様な事態に動いて行きますね。
私は、平成8年に須藤さんから直に聞きました。
「5月になったらな 天理にお参りに来る者は 居らんようになるからな」
この話は複数の人が、須藤さんから直接聞いています。
聞いた当初は、何の事やらさっぱり分かりませんでした。
北朝鮮が、ミサイルを頻発に撃つようになった頃からは、春さきに第二次朝鮮戦争が起こるのかもと話し合っていました。
今年の1月、武漢の新型コロナウイルスがネットに載ったこと知った天理の知人が「5月になったら天理にお参りに来る者はおらんようになる」はコロナウイルスかもしれないと連絡してきました。
今 まさに事態はその方向に動いています。
私は、おふでさきに何が書かれているか調べてみました。
少々 飛躍し過ぎかも知れませんが
2号 32 唐人が日本の地に入り込んで ままにするのが神の立腹
33 だんだんと日本助ける模様立て 唐人神のままにするなり
34 この先は唐と日本を分けるでな これ分かりたら世界治まる
4号 16 上たるは何も知らずに唐人に 従う心これが「おかしい」
17 日日に神の心の急き込みは 唐人ころり(武漢ウイルス) これを待つなり
4-16について考えるなら おふでさきが書かれた明治初期 日本政府は清国に媚びへつらってはいませんでした。
この歌は、現在の日本の状況そのものです。
「上たるは」 政界(与党や野党)経済界(大企業から中小企業まで)マスコミ(NHK や民放各社・新聞各社)に至るまで日本のほぼ全てが中国共産党の顔色をうかがって行動しています。
IR汚職事件で明らかになったように政界は与党から野党まで中国マネーに汚染されています。
中国マネーは日本ばかりではなく世界の隅々まで汚染しているそうです。
おや様亡き後の130有余年、鏡屋敷から流れ出た強欲まみれの泥水が世界に流れ出た結果、地球は強欲にまみれた薄汚い星に成り果てたようです。
この先 武漢ウイルスは、世界をどの様に破壊していくのでしょうか。
ちなみに、中国共産党は今年の2月1日をもって、神を祈る事を法律で禁止したそうです。
何を祈るのかって・・・もちろん 中国共産党であり「習近平皇帝陛下」です。
退職した元信者さんの須藤さんの話は、大変興味深くワクワク楽しみに読ませていただいております。
ありがとうございます。
以下のように本部は参拝自粛をやっと告知しましたね。
5月もおそらく同様に自粛でしょうから、須藤さんの予言は当たっていると言えますね。
そもそも医者の手余りを救済すると説いているのですから、
コロナの重症者を憩いの家が受け入れたらみるみる快復した!
とか、
真柱や本部員、大教会長におさづけをしていただいたらコロナが消えた!
なんて勢いのある御守護をどしどし見せていただきたいものなんですが…….ねぇ…….orz
せめてお願いづとめはたった一度ではなく、もっとやっていただいてもいいはずでは?
(個人的には毎日やるべきだと思います。
そんなに普段つとめ人衆は忙しいのでしょうか? ゴルフとかですか?)
>https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2020/04/18/32538/
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、「緊急事態宣言」が全国へ発出されている現状を踏まえ、本部4月月次祭は、つとめ人衆のみで勤めさせていただくことにいたします。
直属教会長や教区長はじめ、教会長、ようぼく、信者の皆さまには、おぢばへの帰参をお控えいただき、各教会・布教所、自宅などから遙拝していただきますようお願いいたします。
立教183年4月18日
天理教教会本部<
【暴力団も自粛 幹部の感染警戒】
yahoo.jp/BAwnld
新型コロナの感染拡大で、不要不急の集会が自粛される中、定期的な会合を重んじてきた暴力団でも幹部らが参集を避ける動きが出ている。特定抗争指定暴力団の山口組と神戸山口組は3月以降、大半の会合を取りやめた。
>>新型コロナの感染拡大で、不要不急の集会が自粛される中、定期的な会合を重んじてきた暴力団でも幹部らが参集を避ける動きが出ている。特定抗争指定暴力団の山口組と神戸山口組は3月以降、大半の会合を取りやめた。<<
自らの損得勘定のみで活動している反社会勢力ですら、我が身自身を守るための最低限の対応をしているのです。天理教は反社会性力にも劣るのですか? あるいは、「反社会勢力以下の反社会勢力」なんでしょうか? 私には「反社会勢力以下の反社会勢力」にしか思えないのですが。
↑ ↑
上記投稿文中入力ミスがありましたので訂正いたします。
天理教は反社会性力にも劣るのですか?(誤) → 天理教は反社会勢力にも劣るのですか?(正)
今回一人10万円支給される。 信徒80万人 で 800億円。 実働信者30万人でも 300億円。
いくら御供されるか、人助け 善亮さんの力量が試されます。
「金のつなぎは命のつなぎ」
このまま人も集まらず 金も集まらずで天理教が終息することを願います!
今月、ご祈念ほどきのお運びは予定通りおこなわれるのでしょうか?
>>今回一人10万円支給される。 信徒80万人 で 800億円。 実働信者30万人でも 300億円。
いくら御供されるか、人助け 善亮さんの力量が試されます。
「金のつなぎは命のつなぎ」<<
困っている人達から金銭や財産を搾取し、肥え太ってきた姿が今の教団の姿です。「金のつなぎは命のつなぎ」ではありません。「金のつなぎは教団の維持存続のため」なんです。教団を維持するだけの意味の無いことに、これ以上、お金を使うのは止めましょう。どうせ使うのであれば、本当に困っている人達を喜ばせることに使いましょう。お金の多寡は関係ありません。
10万円の給付は貴重なものです。大切にして自分のために使いましょう。まかり間違っても、何の存在意義も持たない現行天理教にお供えと称して寄付しないで。
どうしても寄付をされるのであれば、平素、身近でお世話になっている施設等で困っておられる所があるはずです。
仮に、天理教にお供えをしても、当たり前のような顔をされるだけです。
定年退職をした折に、退職金から10万円のお供えをしましたが、長年ご苦労様の一言もありませんでした。御供の包み一つを渡されただけでしたから。
退職した元信者様
退職した元信者様のご投稿。
いつも、興味深く読んでおります。
これからのご投稿も、心待ちにしております。
おはようございます。
子供が卒業してしまえば、後は、無関係でいられます。
一列会へのわずかな寄付くらい、痛くも痒くもありませんので、それは行います。
自殺された方のお話を聞くと胸が痛みます。
でも、意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。
私など、息子の卒業とともに、はい、今まで、ありがとうございました!
これで終わりにできます。
今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました!
私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。
神様も、天理教の親神様とは別に自分の守護神が存在しますしね、ありがとうございました。
普通の父親になります 様
2020年4月20日 9:48 AM
>>自殺された方のお話を聞くと胸が痛みます。
でも、意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。
私など、息子の卒業とともに、はい、今まで、ありがとうございました!
これで終わりにできます。
今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました!
私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。<<
天理教と縁が切れて良かったですね。しかし、縁を切りたくても切れない状況に追い込まれ、自死せざる終えない状況になる人が過去におられた、(あるいは現在もおられるのかもしれません。)という事実を忘れてほしくありません。息子さんの卒業で、「はい、今まで、ありがとうございました!これで終わりにできます。今まで、ここにも参加させてもらってありがとうございました! 私はもう、これで、天理教とは縁が切れます。」というように簡単に縁がきれるような人達ばかりではないのです。「意思を強く、逃げ出す気になれば、大事な命と家族を守れるのではないかと思います。」確かにその通りですが、様々な諸事情で、その通りにならなく、悩み苦しんでおられる信者さんや布教所、末端分教会がたくさんあるのです。HNをわざわざ変えてまで投稿される意図は私には理解しかねますが、元のHN「ただの父親さん」、天理教と縁を切り、新たな人生に歩みだされた、あなたとご家族全員の幸をお祈りいたします。さようなら。
崩壊様
「私はもう、これで、天理教とは縁が切れます」というように簡単に縁がきれるような人達ばかりではないのです(〜中略〜)様々な諸事情で、その通りにならなく、悩み苦しんでおられる信者さんや布教所、末端分教会がたくさんあるのです。
具体的にはどんな事情でしょう?(ひとつひとつできるだけ詳しく)
それがわかれば救えませんか?それともあきらめるしかないのでしょうか?
>>具体的にはどんな事情でしょう?(ひとつひとつできるだけ詳しく)
それがわかれば救えませんか?それともあきらめるしかないのでしょうか?<<
ひとつひとつ具体的に詳しく述べれば、個人情報が「真っ裸」の状態になります。私の投稿内容に疑問を抱かれているように拝察しますが御懸念は無用です。私は、これ以上、「天理教の犠牲者」が増えないようにとの一念で投稿しております。あきらめるか、天理教の信仰を続けるかは、法的(律)に日本国憲法で保障されている「信教の自由」にも規定されています。「律を優先するか、個々人の信仰を優先するか」は、個々人の自由ですが、律(法律)も、所詮、人間が作りだしたものです。誤りもあります。完璧なものではありません。「一人間としての良心や常識」があるかによって、天理教の信仰を続けるか、止めるかは最終的に個々人の判断(自由意思)であると思いますが、私個人としては止めるべきであると考えて考えています。
ただひとついえることは天理教の神はいなくとも
真実の神は存在するかもしれないということです。
そのために天理教の神への信仰はなくても、真実の神への信仰をもち、困った人によりそい
力のない人々、子供たちをたすけてあげらる人になりたいということです。
真実の神はお金を求めません、地位ももとめません、
その人の真実にのみ、ご守護をくださいます。
腐った組織は朽ち果てて、上も下もなく、おつとめも、おさづけもなく
修養科もなく、こどもおぢばがえりもなく、教会もなく
自分の生活範囲の中で信仰していければなあと思います。
親戚縁者すべてが天理教の中で、天理教のふりはするけれども
教費金はもったいない
支部費ももったいない
そんなお金があったら困った子供たちにおいしいものをわけてあげたい。
そう思います。
HNを固定しないと、誰だか特定できない、立ってる軸も何も判らないから
言いたい事が言える反面、信用は無いですね。
それで構わないと思うと、匿名よりは、イメージしやすいので、父親に絡めていますが、それもどうでも良いし、要は、誰かに構って欲しいとも思わない、交流したい訳でも無いと言う意思表示でもあります。
信仰心と実生活が両方一緒だと、実に厄介だと判りますよ。
教会長を見てれば感じる、私と1歳違いだもの、子供が全部教高学園を出て、専修科からの勤労奉仕をしてる。 教会長の親も別の教会、兄弟も教会長、他の兄弟が勤めてお布施で支えてるらしい。 長男に継がせる予定、長男以外の兄弟からの、お供えで支える事も視野に入ってると思う。 何の人生の選択肢も無い家庭、神に奉仕できる事が最高の喜びであって、選択肢が無いのも問題無いと言い切る教会長に対して
私は、息子の事で感謝はしていますが、それ以上の事情など関知しません。
選択肢も自由も無い家庭、だけど神に奉仕できる幸せのある家庭?
何か、家族全員、心の奥にわだかまりを感じます、開けてはならない、心にパンドラの箱を全員持ってる気がします。人間は基本的に自由な意思を持たされています、それを封じる信仰心なんて、いろんな自由意志を封じ込めたパンドラの箱を持たないと生きられない。 教会長の奥さんの不自然な笑顔や、子供達の表情に、たぶんパンドラの箱を持ってるって感じる。 もちろん私が、別の信仰を持つ人間だからこそ、余計に私には隠してるのが、判ります。
教団に対する不満もあるだろうに、それも封じて、神一筋に生きる姿勢は、まさに修行者だとは思いますが、そのパンドラの箱から毒が漏れ出して、自分を壊してしまってからでは、遅いし、一生心に沈めて生きるのが本当に幸せなの?って思います。
神への信仰って、もっと楽しく、もっと幸せです。 神に導かれ、神に近づいて行くのは、本当に心の底から幸せです。 自分1人幸せにできなくて、人が幸せにできるのか? 私の心にはパンドラの箱は存在しない・・・
どうか教会長、せめて我が子には、選択肢の自由を、逃走の自由を、与えてあげて下さい、まあ、自分が縛られて生きるのに、疑問が無ければ、判らないでしょうけども
組織はなくとも信仰できる! 様に同感です。
私の信仰スタンスも同様、天理教のふりで切り抜ける日々です。
何しろ、ついに不思議な事に、おじばに拘泥する気持ちが消えさり、
晴れ晴れとした心持になってしまったのですから。
そうなりたくて、努力した結果では無く、コロリ!と、コロナの最中にココロが変化したのです。
感染拡大の不思議な作用の一つだと感じています。
コロナ感染拡大の中で、どうしたものか、「コロナ疲れ」と言い訳しながら悠長な行動をとっている人たち。
報道を見聞きするにつけ、危機感の無さに驚くとともに、これこそが当初の政権寄りの報道垂れ流しの成果なのかもしれないと、怖くなりました。WHOの発言も災いを残しています。
海外の話で恐縮ですが、フランスで幼児二人を育てている姪は、工夫を凝らして室内で子供の相手をしているそうです。外出禁止ですから、日本の比ではない窮屈な日々です。
たっぷり有る時間の過ごし方の工夫を聞きました。玩具で遊ぶばかりでは飽きてしまいます。
そこで、新聞紙を使って遊具を作ったり、粘土細工でおままごとの野菜やパンをつくれば遊びの準備に時間を費やすことにもなるそうです。幼児をお持ちの親御さんの参考になればと思います。
在宅勤務の男性向けに安価な簡単料理を一つ。
キュウリの塩もみをツナ缶のツナと混ぜるだけ。おいしいですよ。マヨネーズなんて入れないでください。
キュウリの薄切りが面倒ならば一口キュウリをかじったら、少量のツナを口に運び食する。近い味わいになり、より、簡単です。
>>どうか教会長、せめて我が子には、選択肢の自由を、逃走の自由を、与えてあげて下さい、まあ、自分が縛られて生きるのに、疑問が無ければ、判らないでしょうけども<<
どうか信奉者の皆さん、自分が誤った固定観念に縛られていることに気づいてください。誤った「組織やしがらみ」から勇気をだして抜けだしてください。もっと広く自由で愛情あふれる「こころ」をもってください。我が子だけではなく、全く関係無い他者に誤った教えを強要し不幸に突き落とすのは止めてください。 崩壊より
>>明治35年発行「天理教の害毒」より
(三)衛生上に於ける害毒
唯今も一寸申しましたとおりに天理教に於いては医薬を退けるのでありますから、その衛生上に及ぼす害毒は実に大きなものであります。勿論天理教の教義にも申すべき「八つのほこり」の中には「必ず医者を止めるでもなく、薬を止めるでもない」とはあるが、実際は止めているのである。それは何故かというに、同書の中にも「助かるも天理、助からぬも天理」と言いて、医薬を用いても天理に叶わずば助からず、たとい医薬を用いずとも天理に叶えば助かるというのであるから、全く医薬を退けてその助かる助からぬをすべて天理にまかせておるのである。なるほど多くの病気の中には、医薬を用いても助からぬのもあり、医薬を用いなくとも助かるのはあるが、それは病気の軽重や性質によるので致し方ないところであります。この致し方無いところが彼等の弘通を図るのつけめで、一にも二にも、御供物によれの神水によれのと言うて金平糖を服せしめ水を呑ましめて病気を治そうとするのである。それで治れば全く天理王命の御冥護と言い、治らねば信仰が足らぬのであると言う。これらは愚民の耳に入り易いところでござりまするで、高価な薬価を払い、多くの診察料を出すに及ばぬ。ただ御供物さえ戴けばよいというようになって、医薬によって助かるべきものも終に不治の病となり、流行病の如きは医者に見せないものですから知らず知らずに蔓延する憂が少なくないのです。
右様の次第でありまするで、天理教の衛生上に及ぼす害毒は実に少なくないのでござりまする。それのみならず御供物として与える金平糖の中にモルヒネというような劇薬を入れてあるということは往々発見する事実で、これは大和にある天理教本部より各支部に分つのでござりまして、このモルヒネというのは劇薬でござりまするが、ごく少なく用いるときは一時苦痛を止めるような作用があるものですから無智の人々はその毒なることを知らず、一時休めのこの薬の入れてある金平糖を神の御利益であると言うて有難がるのでございましょう。この事は警察でも非常に注意をしますので、今はモルヒネを入れるようなことはありますまいが、医薬を棄てて金平糖や御水によって平癒するなどという信仰は衛星の普及を害して厭うべきの迷信を助長するものでありますから先年、東京に於いては警視庁から左の如き達示を府下各警察署に出してそれを取り締られたことがあります。
>近来天理教会はその信徒を一室に集め、男女混淆ややもすれば即ち風俗を妄るの所為に出で、或いは神水神符を附与して愚昧を妖惑し遂に医薬を廃せしめ若しくは妄りに寄付を為さしむる等、その弊漸次蔓延の傾向有之趣を以って厳重取締方内務大臣より訓令の次第も有之候 條将来は一層視察を厳密にし時宜に依りては公然会場に臨み、若しくは陰密の手段を用い、その非行を決摘し法令に触るる者は直ちに相当の処分を為し、又その然らざるも、必要に因りて祈祷説教を差し止め、若しくは制限する等臨機適宜の方法を用いて其取締を厳重にし、殊に金銭募集の方法については最も周密なる視察を施すべし。云々<
と、この達示によっても明らかに三個の害毒が認められております。(一)は医薬を廃せしめ神水神符を以って愚昧を妖惑する衛生上の害毒、(二)は男女混淆ややもすれば風俗を妄る風俗上の害毒、(三)は金銭を妄りに寄付せしむる社会上の害毒で、これらは天理教の害毒として何人にも認めることのできる明白なるものであります。殊に重病者に若し祈祷によって全癒する時には財産の半分を天理王命に差し上げるなぞを誓わしめ、これを誓わざる者には少しにても貪欲の心のある者は神の助けたまう理無ければ、僅かな財産に執着せず一意に神に祈り、全快せば其の財産を神に献ずることとせば平癒せざることはあらじなど勧むるのでござりまするから、目前重病の苦痛に耐えかねているものですから、苦し紛れにその事を誓い、万一平癒すれば直ちにその誓約の金を寄付せしめ、平癒せざる者には信仰の足らざる故であるなぞとの遁辞を設くる例は少なくないのです。そのために多くの財産を天理教の為に取られた者は多くあるのでござります。<<
戦後間もない頃まで、まだ覚醒剤の危険性は認知されてなかったのか、古い雑誌の広告でヒロポンが普通に宣伝されているのを見たことがあります。国鉄の夜勤者はゼドリンという薬を配給されていて、父は受験勉強の際に鉄道員だった祖父からくすねて使ったことがあると話してました。このゼドリンについて調べたら、ずばりアンフェタミンのことでした。明治35年ともなればモルヒネも充分あり得る話だと思います。宗教に限らず、昔から麻薬は洗脳の常套手段ですし。
子の人権は天理教組織には無い!
コロナでお供え金も滞り、それでも上納金を減額する事に躊躇している友人の妹さんの教会経済を心配していると、いやいや、2人の子供達がそれぞれ◯万円づつ出し合うから1◯万円になるのよ、、。と呑気に言うのですが、働かずしてお供え頼りで無給の母親の生活費を子供に当たり前の様に出させるのはおかしいのではないか?と思いました。信仰があっても無くても自立出来ない親を持つ天理教教会の子弟はむごい人生を歩む事になる。子供らは疑問を持たないのか?と思いました。洗脳されて育てば、疑問もわかないのか。信仰が起因して自立出来ない親の傷を子が舐めて上層部だけが潤っているにもかかわらずです。生物学的生みの親の犠牲になっている子供さん達は天理教世界では普通なのでしょうか?
子の人生と権利。子が幸せに自由に生きる権利。親のしている信仰で子の人権が蹂躙されるこの天理教世界の暗黙の了解を現代において放置していてはいけないと思います。
いほり 様
兄弟は他人の始まり、という諺がありますが、天理教では逆に言うに言われない縛りがあるように感じています。
例えば、私の所属していた教会長は大教会長と深い血縁関係にありました。また、80数か所ある大教会の部内教会の3分の1以上、あるいは、半数近くの教会長が大教会長と血縁関係にあると感じていました。
もう、がんじがらめの目に見えない縛りです。
以前にも投稿しましたが、大教会のある直轄教会長も同様でした。心定めという一見優しさに溢れる言葉ですが、内実は余りにも惨い縛りに堪えかねて、酒に流れて50歳代の若さで出直しをされました。達成できない数字の夢にうなされて眠れない日々、その日々に見るに見かねない憔悴ぶりは誰の目にも哀れに映ったことと思います。
陽気暮らしという一見は素晴らしい目標ですが、現実は悲惨なものでした。明治36年2月25日設立という由緒ある教会でした。
そのような教会が如何ほどの数があるのでしょうか。
以前、この欄だったと思うのですが、ある大教会の若い会長後継者が夫妻で教会を出られて奥様の里へ行かれたと有りました。どのような想いで教会を後にされたのか、心の軌跡を知りたい思いです。
かく言う私も二部卒業後に教会常詰めの子としての立場を捨てました。教会に残された両親や弟妹達の苦労は想像を絶するものでした。今は幸せな人生ですが、亡くなった両親や現存ずる弟妹達の心中を想うと今も心が痛むのです。
そのような教会環境は人を幸せにするものでは無く、不要の物です。
崩壊さま、東風Zさま、丁寧なお答えありがとうございました。
私は決して崩壊さまに疑問を持っているわけではありません。同じ境遇をお持ちの不特定多数の方々が安心して天理教から離れられるようなヒントがあれば、と思って投稿したつもりです。誤解を与えてしまうような書き方でした。お詫びします。
東風Zさまの書き込みを拝見しますと、想像を絶する苦難との戦いがみてとれます。
本当になんとかならないものでしょうか。
犠牲者が一人でも増えないのを祈るばかりです。天理教も。そしてコロナウィルスも。
私見ですが、天理教に係わってきたものとして、世上働きをしたものとして、その人の 「向き・不向き」があると思います。不向きな方にその責を担っていただいても、無理です。私の経験から、何もしなくても、居るだけで組織が動くようにして譲っても、その方のリーダーの資質で、事故をおこすは、事業に失敗するは、最後にはダメとなりました。
ましてや、教祖のひながた をたどる人生を送るということは、それなりの覚悟が必要でありましょうし、それなりの特性(徳でもよいですが・・・)がないと無理だと思います。
今の教団の中にその覚悟、その特性にあった人がどれだけいらっしゃるかです。
田舎の教会ではそのような血族で、事を成し遂げなければならないにのは理解できますが、神はそれを望んでいるのでしょうか。
教祖の存命のころでも、神は適切に人を選んでいるように思います。
教会ありきであれば、何が何でも血族で教会長をつなぐのは理解できますが、教えありきであれば、時にあった人間が繋いでいくのが一番良いように思います。
典〇分教会、〇山大教会、〇野大教会、などなど、必ずしも直系の方が繋いでいません。むしろ世上で頑張っていた、おられると思います。それでいいのではないでしょうか。
最後に 教祖の教え だけは忘れないでね!
七里の風 様
2020年4月21日 2:27 PM
>>何もしなくても、居るだけで組織が動くようにして譲っても、その方のリーダーの資質で、事故をおこすは、事業に失敗するは、最後にはダメとなりました。<<
「まず組織ありき」という考え方ですね。そういう誤った考え方が「天理教教会本部」という「うどの大木」を崩壊へと追いやり、素直に真面目に信仰してきた人々を不幸にしてきたのです。お分かりになりませんか?
>>教祖のひながた をたどる人生を送るということは、それなりの覚悟が必要でありましょうし、それなりの特性(徳でもよいですが・・・)がないと無理だと思います。<<
まずあなたの解釈される「教祖のひながた」とは一体、いかなるものでしょう。具体的にご説明願います。また、「特性」と「徳」とは全く別次元のものです。特性とは,あなたのおっしゃられる才覚(才能)のようなものだと思います。例えば「商売の才覚」「処世術」というように。しかし、徳とは「人間としての心の在り様」「人間としての生き方」に関わる極めて精神性の高いものだと思います。
>>最後に 教祖の教え だけは忘れないでね!<<
何度も同じ質問をしますが、あなたが解釈されている「教祖の教え」「教祖のひながた」とは一体、いかなるものでしょう? 具体的に説明願います。
まとめサイトに天理教のスレッドが上げられていました。
まだ黒門撤去前の写真が載せてあり、なぜか御神体が隕石になってました。笑
2020年4月21日 某ツイートより
天理教はこのご時世でも拍子木叩いて集団巡回か
さっき天理駅で見かけました
話はガラリと変わるのですが、ドイツの哲学者(名前は忘れました)が、紀元前5~600年のころのことについて、書いていました。
何でも、彼によると、このころ人類の歴史を一気にステップ・アップさせることが、世界中で同時に起こっているというのです。これを「世界同時性」というような呼び方をしていたと記憶していますが、
さて、この紀元前5~600年のころなんですが、
①インドでは、お釈迦さまがお生まれになられて、仏教を教えられました。
②イスラエルでは、預言書の「イザヤ書」が書かれました。
③中国では孔子が現れて、人の歩むべき道(倫理観)を説きました。儒教です。
④ちなみに日本ですが、日本の建国は紀元前660年です。
(ちなみにイエスの出現は、これより500年後、モハメッドの出現はこれより1100年後です。)
元の理によりますと、こうした事柄は、天保9年を起点にして、さかのぼること3,999年の「文字の仕込み」の時期の中に入るのですが、①~④のこれらのことが起きたことによって、人類は知恵の黎明期を迎えたといってもいいんじゃないか・・と、彼はそう言っていました。
そうだとすると、天保九年(1838年)や、おやさま百年祭なども、歴史を区切る「一節(ひとふし)」だったのかもしれません。節を生かして、一段上に昇ることをしなければならないのかもしれません。
今後も、人間の歴史は「世界の同時性」を以て進んでいくのでしょう。グローバル化は、いいと言っても嫌だといっても、避けて通れないものなのでしょう。コロナウィルス騒動の後、世界中経済の不況が来ることを、多くの専門家は説いていますが、世界の兄弟たちと仲良くやって、励ましあって、おやさまにご安心いただきたいものです。
(今回もエラソーなことを言ってしまいました。すみません)
ぶたまんさん
2020年4月8日 11:52 PM
>教祖伝を読むと、おやさまお出直しのころには、秀司さんの身勝手な行動に掻きまわされたりしたことがあったりして、このころから、すでに腐敗は始まっていたのかな、と思ったものですが、おやさま亡き後、その腐敗は、飯降伊蔵翁の晩年のころには相当進んでいたのではなかったかと思います。
そのころ(おやさま30年際ころ)、出てきたのが井出クニ氏でした。
もちろん、本部側は、教祖殿で話をしようとした井出クニ氏を引きずり下ろしました。
で、私個人の意見では、本部が怖れたのは上田ナライトさんではなく、井出クニ氏ではないかと思います。
芹沢先生の本に書かれていたことですが、芹沢先生が「教祖伝」を書くために、2代真柱さんに資料を貸してくれと申し出られたとき、2代真柱は井出クニについては何も書かんでくれ、とたのんだそうです。
2か月ほど前に知人の会長さんから「井出国子」に関する本のコピーが送られてきました。
「心のはらい 第一巻 神さまのこと
著者名 芹沢 真一
発行所 朝日神社友の会 心のはらい普及部
発行日 昭和48年8月26日 全276p 現在絶版」
私は、井出国子の存在は知っていましたが、詳しいことは殆ど知りませんでした。
知っている事と言えば
・兵庫県三木町出身の女性で播州の教祖様と呼ばれていた事
・教祖30年祭の年に天理に現れ、教祖殿から本部の人に引きずりだされた事
・不思議な霊力を持ち、家を振動させることができた事
この程度でした。
今回、この本を読んで「井出国子」は「播州の教祖様」ではなく「国常立」そのものである事を初めて知りました。
「みき」と同様に 女性が神懸かりになったことから「井出国子」を「播州の教祖様」と捉えていましたが、それは大きな間違いであると知りました。
正善は、「井出国子」はおや様とは別次元の存在と認識していたのだと思います。
そして、「須藤花井」の存在も恐れていたのだと思います。
正善を筆頭に、本部中枢の連中は「国常立」と「面足」が日本に現れていたことを知りながら 信者を欺いて莫大な金銭を巻き上げて来たのです。
この高慢で傲慢で無礼な組織もそろそろ終わりの時が来たようです。
話はそれますが、数日前の明け方に夢をみました。
「私が、別席場の下にいると 突然雨が降って来たので傘立ての所へ行きました。
しかし、どの傘も壊れていました。
その中にひときわ立派な傘が一本ありました。
その傘を手に取り頭の上に差し上げた時、一陣の風が吹いてきて傘がパッと開きました。
開いた傘を見上げたら、傘には骨が一本もなく、風が通り抜けたあと傘は地べたに落ちてしまいました。」
ここで目が覚めたのですが、立派な傘に骨が無いという事は、本部を支える直属が先に潰れてしまうことかもな・・・
なんて 適当な 夢の話です。
崩壊 さま
>>「まず組織ありき」という考え方ですね。>>
私は組織ありきの考えではありません。
天理教教会本部があろうが無かろうが、信仰する態度には組織は関係ないことです。
ただ、この欄でいろいろな方々の内容からして、何も無理して末端の教会長の責を担わなくても、信仰を続けなくともよいと思うのです。
いろいろな柵の中で言い含められて続けているのかもしれませんが・・・・、
能力がなくても望んでいるのが本部員、大教会長、その下の教会長かも・・・。
信者が師を選べば良いのではないでしょうか。信仰は人の心の中にしかないのですから。
廃れた教会はホカされても、それで良いのではないでしょうか。
答えになっていないかもしれませんが、悪しからず。
一番いいのは孔子や孟子のように教えだけ残ることだと思います。
至誠天に通ず とか
義をもってせざるは勇なきなり とか
天理の教えとして何が100年後のこるかなあと思います!
貧に落ちきれ は だめ
おつとめをせよ も だめ
つくしは金 も だめ
にをいがけをせよ も だめ
神名流しをせよ も だめ
おぢばがえりをせよ も だめ
ひとをたすけなされや
やさしいこころになりなされや
くせしょうぶんをとりなされや は OK とか
退職した元信者 様
退職した元信者様、皆様の言われていることは実体験に即したことであることを、私も信じております。私は体験していなくても、私が体験した事柄を参照して、こういうことはあっただろうなァと思う事例は、たくさん見い出されました。
> 正善を筆頭に、本部中枢の連中は「国常立」と「面足」が日本に現れていたことを知りながら 信者を欺いて莫大な金銭を巻き上げて来たのです。
と書かれていますが、<宗教的な財産>を常人が受け継いでしまうと、大抵こういう風になってしまうのではないでしょうか?
多くの信者さんを受け継ぎ、いたるところからレスペクトを受け、じっとしていても金は集まってくる、ということになると、自然マトモな状態ではなくなるでしょう。
繰り返しを恐れずに言いますと、マホメッドでさえも、最初のうちは真摯な態度で神の言われることを聞いていましたが、次第に神の教えを自らの権力のために利用するようになった、と芹沢先生は本に書かれています。
マホメッドは奴隷でしたが、神に開祖として選ばれた人物ではあったのです。それでも、失敗してしまった・・
ですから、おやさまやイエスが、純真な気持ちで教えを伝えられ、神の任務を全うされたことの方がむしろ奇跡といっていいのかもしれないと思うのです。
こう言って、欠点の多い天理教組織を擁護する気持ちは毛頭ありませんが、おやさまやイエスのような、ストイックな道はなかなか通れません。
おやさまは、天理王命の称号をいただくことになられたそうですが、それだけの価値のある方だと思います。
『天理時報』の紙面立て変更について報告あり。新型コロナの影響から天理教行事の減少により紙面に載せる記事がない為6面から4面に、発行は月3回になるとの事。
『天理時報』も行事が無いと編集難しいのだろう。近い将来月1回になる日も…。
>>発行は月3回
本来半年で約25回発行でしたから、月三回なら18回発行、
すなわち四分の一減らすということですので、お値段もお安くなるってことですよね?
え?まさか、お値段据え置きですかーーー!?
もしも据え置きならある意味便乗値上げですよ?
さすがぶれない抜け目ない天理教です!笑
まあどっちにしろ読んでませんけどね 笑
発行回数が少なくなるのは歓迎です。皆、高齢信者が手配りで苦労しています。ガソリン代も馬鹿にならないと密かに不満を抱えています。
郵送料を浮かす為に、そう言った経済的、時間的に犠牲を強いながらの現状です。
表向きは信者同士の交流を密にして横の繋がりを、、などと言っていますが、実際には郵便局配達員の代わりをしている様なものです。
ましてや、今コロナ感染拡大期で終息まで相当な時間がかかりそうです。高齢信者、高齢教会長が動き回り、命の危険とまた反対に感染加害者にもなり得る現状です。
道友社は緊急にこの問題を取り上げ、再考して下さい。
赤旗、聖教新聞以下のクラス通信ですね。
内部の人も外部の人も読んでいて特に得られるものがない、楽しくない、教養にならない。
さっさと廃刊するかweb配信にしたらいいのに
>>さっさと廃刊するかweb配信にしたらいいのに<<
軽4輪の自動車や自転車で天理時報を手配りしておられる85歳と84歳の老会長夫婦がおられますが、交通安全という観点から考えても非常に危険です。もし、交通事故が発生したら教会本部なり道友社は保障してくれるのでしょうか? 中身の無い新聞は早々に廃刊するべきだと思います。WEB配信したところで読者は少ないでしょう。
天理教教団本部には多くの顧問弁護士が居られるようですが、崩壊さんのご指摘のようなことに至った場合は道友社(教団本部)にも雇用者責任が発生することが考えられますから、顧問弁護士はハッキリとした見解を示すべきです。
手配り者に何か不都合なことが起こっても善意でやっていることだからと逃げを打つつもりでしょうが、そう簡単にはいきません。
自転車・自動車通勤を認めている多くの企業等は、雇用者責任に対応するために通勤者に億円単位の対人補償の任意保険の加入を義務化して、毎年保険の更新期に保険契約証の提示を求めています。
特に、社有地を駐車場として提供している場合は責任回避は不可避です。末端教会が手配りをしている場合は注意の上にも注意が必要です。
手配り制度の良い面ばかりを強調していますが、ハッキリ言って手配り制度は即刻辞めるべきです。たとえ自転車だからと言って安全とは言い切れません。小さな子供さんに怪我でもさせたら大変ですよ。
天理教は何かにつけて、余りにもいい加減すぎるのです。
天理教の責任問題について。
教会長が信者さんを同乗しておぢば帰りをしたり、上級行事の参加に同乗させたりしていますが、万一事故を起こしたら当該教会長の責任になります。
昨今は貧困者が無保険で走っています。先日も貧困の天理教教会長が事故を起こして逃げた事件がありましたが、保障能力がないから怖くて逃げたのでしょうか?全ての教会が自動車保険に加入しているとは言えない現状です。
本部はお供え金の集金には熱心ですが、こうした保険も払えない貧困教会が無保険で天理時報を配る為に走り回る現実を傍観せず、また認知症も妖しい様な高齢教会長や信者に無責任に丸投げしているのは、大問題です。
ひのきしん、ご苦労様。では済まない問題をはらんでいます。本部は厳しい経営状態の道友社を守りたいのは分かりますが、信者、高齢教会長の善意に無責任に乗っかっているままでは、今後問題が起きた時に大きな批判を受けても遅い気がします。
再度、各支部を通じて「手配り継続希望有り・無し」の意思確認の場を提供し、本人がやめる機会を作るべきと思います。手配りが始まって以来そう言う希望を聞く機会は無かったと思います。
子を案じる親としての当たり前の姿勢を忘れないで、と思います。
先の私の投稿で、天理時報を手配りしておられる老会長さんの軽4自動車は車体が傷だらけです。車をバックさせる時や右左折する時に、電柱や路肩の石等に当たったり擦ったりしているとのことです。年齢的にも運転免許証を返納し、車の運転は止められたほうが良いと思います。奥様も自転車に乗って近所の信者さん宅へ天理時報を手配りしたり、講社祭りに行かれていますが、最近、膝が痛むので、歩いている時によく転倒されるそうです。自転車に乗るのは大変危険ですが、後継者がおられないので仕方が無いとおっしゃっていました。こうした末端分教会は他にも数多くあると思います。高齢者に天理時報を手配りさせる上級教会は一体、何を考えているのでしょう? また、教会本部はこうした実態を把握しているのでしょうか? 天理時報はすぐにでも廃刊するべきです。どうしても、出版したいのであればWEB配信に切り替えるべきです。
支部で手配り担当者をしています。初めの頃は道友社は担当者を寄せて会議などありました。当時の社長は事故など有れば道友社が責任持って対応すると口頭では言っていました。全国的に展開してからは何もないように思います。今までやめた支部はないと思いますが、今回の状況で辞めたい支部を公募した場合私は辞めたほうが良いと思います。
手配りひのきしん者の高齢化は大問題です。私は無理ならば辞めてくださいよと言っています。本当に良い機会だと思います。時報も体裁も発行時期も減少するようです。手配りのメリットとデメリット何方かが大きいか考える時期だと思います。
思いつくまま登校しました。文章がおかしいのはお許し下さい。
教団は信者や教会の善意にあぐらをかいてはいけません。時は動き、流れています。信者も教会長も歳をとります。道友社(教団)は折に触れて現状の確認し、進むべきか、引くべきか等、その都度の判断をするべきです。一度決めたら、後は宜しく、、では老体に鞭打って動かざるを得ない人達に向けて、無責任と言わざるを得ない。やめたい支部、或いは個人的にやめたい希望を持つ人々は多いはずです。ノーと言えない、言ってはいけないと長年刷り込まれているから、みんな無理に無理を重ねていると思います。
我々信者も事故等の遭遇を頭に入れて、馬鹿正直にただ働きの安請け合いをしない様にすることが肝心です。(ひのきしんですから、と美しい話では終わらない事を忘れずに。)その点、教団ははっきり対応を紙面にて提示して欲しいです。
匿名 様
2020年4月24日 6:57 PM
>>教団は信者や教会の善意にあぐらをかいてはいけません。時は動き、流れています。信者も教会長も歳をとります。道友社(教団)は折に触れて現状の確認し、進むべきか、引くべきか等、その都度の判断をするべきです。一度決めたら、後は宜しく、、では老体に鞭打って動かざるを得ない人達に向けて、無責任と言わざるを得ない。やめたい支部、或いは個人的にやめたい希望を持つ人々は多いはずです。ノーと言えない、言ってはいけないと長年刷り込まれているから、みんな無理に無理を重ねていると思います。
我々信者も事故等の遭遇を頭に入れて、馬鹿正直にただ働きの安請け合いをしない様にすることが肝心です。(ひのきしんですから、と美しい話では終わらない事を忘れずに。)その点、教団ははっきり対応を紙面にて提示して欲しいです。<<
上記投稿文、私は全くその通りであると思いますので、全文引用させていただきました。教会本部の皆さん、道友社の皆さん、宗教というよりも、むしろ、「人間としての常識や良心」があるのであれば、即刻、「天理時報の手配り」など廃止するべきです。どうしてもやりたいのであれば、「弱い立場の者」に押しつけず、ご自分達で責任をもっておやりなさい。
この度のコロナの節を通して、天理教も制度が少しでも改良されるといいですね。
お供えも今よりも少し少なくていいことになるといいですね。少額になると、おみち(天理教)が通りやすくなるでしょうから。このままだと、何か狭っ苦しいし、狭いと精神的にも圧(あつ)を感じて、通りにくいね。
おやさまの「こころ」はもっと広いと思いますよ。そのおやさまの教えを狭めちゃダメですよ。
エラソーなことを言ってすみません。
100年祭当時も、打ち出の小づちでもあるかのように、お供えが集まりこのまま天理教は世界3大宗教に仲間入りするだろうとの錯覚、妄想から、お供えに頼る運営ではに走りました。その結果本来あるべき自給自足を基にした運営への発想が皆無となりました。当時から警鐘をならした会長などもいましたが、まったく相手にされなかったように思います。天理時報も記事が取れないからという理由で発行回数等を減らすようですが、本来あるべき宗教新聞として、このコロナウイルスによる世界の危機に、天理教教団としての教理にのっとった解釈等の掲載がまったくといって見当たりません。中止・活動自粛等や鎮静を願う記事はあっても、がむしゃらに毎日、平常時の月次祭や朝夕づとめとは、別に祈願づとめをしてもいいくらいなのに、一事業所のように活動の自粛を発表するだけの組織です。宗教として無力であることが示されれば、信者はどんどん離れるだけでしょう。
>>お供えも今よりも少し少なくていいことになるといいですね。少額になると、おみち(天理教)が通りやすくなるでしょうから。<>おやさまの「こころ」はもっと広いと思いますよ。そのおやさまの教えを狭めちゃダメですよ。<<
そもそも、おやさまは お供えしろなどとおっしゃていないはずですが。
本部は信者につべこべ言う前に偉大なご先祖の思想をもう一度検証してください。
「命の繋ぎはお供え金でっせ」。教祖はその昔、教祖を慕って寄り来る人々にこう言って説教したのでしょうか?御筆先のどこにも「わしになあ、お金を持っておいでや。我は天の将軍や。はした金はいかんで。儲けたらお初のお金を持ってくるんやで。その金額見定めて守護するからなぁ。我への信仰の基本はなあ、お金をわしに持ってくることやで。」なんて書いる所はないですが。
ところがです。今の天理教団はお金を持って来ることが信仰の基本になっています。暗黙の了解です。
人助けとか陽気暮しとか漠然とした掛け声は、何か言ってないと宗教団体としての体裁が保てないからです。みきの血を引きながら、残念にも精神が地に落ちた子孫の偽らざる本音は、「お金」です。
柏木庫治などと言う、天啓者でも何でもない人間が金、金と信者を煽って、「お金で助かる天理教」にしてしまいましたね。彼はただの人間です。つむぐ言葉は神のご神言では有りません。弁舌家のただの人間が、本部と共に有りもしない都合のいい教理を作ったのです。天理教の極悪人だったと今頃になって言われています。
「命を繋ぐのはお金やで。」こうはっきり言った表さん。お金が欲しいと本音が隠し切れない。よくしゃあしゃあと言ったものです。
お願い勤めも一回こっきり!教祖は存命時、警察が踏み込もうと言う非常事態に落ちいった時、命がけでお勤めを勤めよと言われたんじゃあ、、。表さん、真柱さん、本部員さん。今地球規模の非常事態です。毎日コロナ終息のお願い勤めをしなさい。今しないで今後何のお願い勤めをするんですか?過去経験したことの無い人類の非常事態でしょうが!これ以上の非常事態は無いでしょうが!皆地方の教会で信者宅で、それぞれが終息のお願いをしているというのに、各種行事中止で気を緩めているのか本部はぼやぼやしてるんじゃない!
心臓の病は心が冷酷な方に多いとか?
弱い信者や地方教会が困っているのを見て見ぬふりをしながら年祭毎に無理な献金を集め続けた、宗教の幹部
が居ましたっけ? 心臓はお元気ですか?
心臓の病は心が冷酷な方が多いということはないと思います。
芹沢光治良先生の「神の慈愛」(P,170より以降)に、おやさま亡き後、又、ご本席様亡き後のおぢばの様子が書かれています。言い古されたことかもしれませんが、ここに掻いつまんでご紹介します。
①二代真柱は、<地上の将軍>になろうとした。
②二代真柱は、天理王国を組織しようとした。
③それは、将軍家(中山家)の下で、直属の大教会は大名というしくみ。
④大教会で信者数が多くある処は、その部下教会を本部直轄に昇格して、大教会の勢力をそぎ落とした。
(これは、下剋上(げこくじょう)を防いで、将軍家の安泰をはかったためと思われる)
⑤大教会の土地建物すべて、本部に所有権があるような処置をした。
⑥本席が亡くなられると、「存命の教祖は教祖殿に納まり、教祖の言葉を取り次ぐ者も天啓者もいない」 と、はっきりさせた。
⑦二代真柱が中心で、教祖伝を編纂して、教祖は生まれながらに神であって、人間ではなかったと宣言した。
⑧二代真柱は、教祖の直筆の都合のいいものだけで、教理を創って教会に公布した。
(これは天理教と言うより、中山教というべきものだ)
⑨このため、将軍家としての統治はうまくいったが、統治される信者や小教会長の方は、徳川時代の大名の下で、塗炭(とたん)の苦しみをした民よりも、精神的な自由がなく、おまけに、激しい搾取(さくしゅ)に苦しんでいるのが現状のようだ。
天理教はこのあたりを変革していただきたく思うのですが・・・。
宗教家が尊敬されるのは、大きな教会を持っているから、とかいった経済的な理由ではなく、謙虚で心が低い、やさしい、思いやりがあるといった人格的なものではないでしょうか。
↑上のkoというのは、ぶたまんです。毎度エラソーにして、すみません。
<天理中山王朝・親族の理では世界救ける事が出来ん。>
明治二十四年一月二十八日 夜八時半
刻限(前おさしづに基づき中山会長へ御願い致しました処、会長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話伝えました。)
・・・
親族の理を以て放って置けんというは、どれから出たか。このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん。苦労艱難の道を通り来て理を聞くなら、一つの道も通そう。限り無き処まで尽そうというは、どういう理であるか。中山家の続くまで救けるというは、親族の理であろう。三十年以前の理を聞き分けるなら、何も分からんやない。残念の道も通りて来たわい。・・・・
ぶたまん様、古い教会長様。わかりやすく現天理教の犯した間違いの原点をご教示下さりありがとうございます。
明治24年の頃から本席に「親族の理では世上助けることが出来ん」とはっきり言われていたのですね。現天理教が中山家と親族で固めている現状は、誠にご神言の真反対の姿としか言いようがないです。
初代、二代と巨大献金を集め、巨大建築物を誇示し、特に二代は趣味の考古物や高価な古本を世界中から鬼集して自己満足したのでしょうが、自らの抑えきれない欲望を信者の献金の上に先行させ本質的に世界を助ける心が無かったのだとしたら、それに続く中山家4代、5代も困難な世上を助けられるはずもございません。
正善と懇意にし天理教に対して善意の告発をして各種の著書を出された信頼する芹沢光治良先生の「神の慈愛」をもう一度読み返そうと思います。
中山家の犠牲になってきた多くの人々が自ら目覚め、天理教の間違いを初認識される事を願います。資料に元ずく発信は冷静で有り、動じない証拠ですね。
昨日、知人が別の所用のついでに教会本部に立ち寄り、真柱邸から出てこられた天理教教会本部のハッピを着た男性に、三島神社の移転理由を聞いたところ、分からないので、南側にある保安係の詰所に聞いてほしいとの返答があったそうです。早速、保安係の詰所に行き、複数の勤務者に同様の質問をしたところ、「分からない」という同様の返答が返ってきたということです。再度、天理教と三島神社の関係について知っているかどうか尋ねたところ、別席の話等で十分知っているとのことでした。天理教教会本部勤務者は三島神社の移転の件について一般信者から質問があれば「知らない」と答えるように、教会本部から指導されている(鉗口令)のではないかという疑念をもったそうです。別席の話を少なくても9回も聞いた者であれば、誰でも天理教と三島神社の関係は熟知しているはずです。三島神社の移転理由について「知らない」と返答するのは不自然極まりないと思います。
「取下になりました」
敷島ー名草分教会の部内教会が競売にかけられていたが、入札締め切り前に取り下げられている。
何か事情が変わったのか。
入札期間 2020年5月8日(金)〜5月15日(金)
公開日 2020年4月17日(金)
崩壊
2020年4月26日 3:44 PM
中山家は様々な罪を犯し過ぎているので質問される勤務者もお気の毒ですよね。中山家が人助けなんてとんでもない。中山家自身が問題の根源なのですから何を誤魔化そうにもネット時代では誤魔化すのは不可能一国の大国の王や大統領ですら失脚させられるのですから大亮夫婦が笑顔で動画をだしても誰も誤魔化されませんよね笑
私は、別席5回運んで、息子の関係が無ければ、これで止めるか? いっそ満席にしようか
決めていませんが、三島神社の事、記憶にございません・・
そんなお話、出たっけ? 眠らないのに必死で、内容は、ほぼ覚えておりません・・
大亮夫婦が真柱になれるかどうかはまだ決まっていない
それにふさわしければ現真柱がとっくに禅譲しているはず
現真柱が中山家で継ぐのが妥当なのか、それ以外が妥当なのか、つぶす方向が妥当なのか
日々、おやさまとご相談されているのではないかと思います。
単なる父親 様
2020年4月27日 9:35 AM
>>私は、別席5回運んで、息子の関係が無ければ、これで止めるか? いっそ満席にしようか
決めていませんが、三島神社の事、記憶にございません・・
そんなお話、出たっけ? 眠らないのに必死で、内容は、ほぼ覚えておりません・・<<
私が別席を運んでいたのは、50年近く前のことです。現在の別席の話は聞いたことがありませんが、私は「居眠り」を必死でこらえながら、三島神社と天理教の関係について、はっきりと9回聞きました。三島神社の移転については、天理教内から相当なバッシングを受け、本部側としては触れられたくないので、別席の話から削除したのかもしれませんね。参考までに下記のHPをお読みください。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
話がそれてすみません、、
ツイッターより。迷惑な天理教の騒音。
>>はぁー、本当毎日毎日クソうざい太鼓だこと
これより不愉快な音って、世界中探してもなかなか無いと思うよ
ドンドコドンドコドンドコドンドコ
叩いてる本人は10分くらいだからいいでしょって思ってるんだろうが、10分×365日×10年で計算してみろよ、って話ね<<
現在、コロナで皆在宅で辛抱しており、コロナ疲れでストレスもピークに差し掛かかっております。天理教教会のお勤め騒音は信仰していない人達にとってはストレスそのもののようです。各教会は大人の発想でお勤めの自粛をしても良いのではないでしょうか。本部行事も何もかもが中止されています。月次祭さえも参拝自粛です。お勤めに参拝してもしなくても、世界は粛々と動いていて何も変わってはおりません。(コロナ以外)
つまりお勤めをしてもしなくても世の中は淡々と動き、お勤めが世の中に与えるプラスの影響もはっきり言ってございません。
この際、天理教教会は世間への騒音迷惑を鑑みて、それぞれ教会が置かれた地域住宅環境に合わせて教会長の判断で将来的に中止しても良いのではないでしょうか。
社会の中の一員であると言う自覚は大人の第一歩です。
某芸人が問題発言で現在炎上しておりますが、
考えてみると
「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!
>>「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!<<
天理教 = アウトー! だと私個人として考えるのですが、間違っているでしょうか?
全国の弱小教会長様。
各教会は今こそお尽くし、上納金の減額、ストップする良いチャンスです。
実際に信者からのお供え金がストップし始めましたね。
上に上げるお供え金はストップしましょう。今こそ大義名分があるのです。世界的大停滞が起きています。勇気を持って体当たりでお供え金のストップを実行しましょう。自教会と与えられた自らの命を充実させる事こそが重要です。
本部のお供え金も減り始めました。この流れを加速させなければ天理教で悩めるものは救えません。体当たりで上級に断固とした姿勢を示して行きましょう。
コロナで世界が苦しむ今こそ、誰も悪者にはならない筈なのですから。
つい最近、日月神示(昭和19年に岡本天明の自動書記により書かれた書物)を読む機会がありました。そこに興味深い一節があったのでご紹介いたします。
「一二三、三四五、五六七ぞ。五の年は、子の年ざぞよ」(『日の出の巻』第2帖より抜粋)
一二三、三四五、五六七の読み方は一二三(ヒフミ)、三四五(ミヨイヅ)、五六七(ミロク)です。最初の2つの読み方は納得できますが、五六七だけ『ミロク』と読ませるのです。
ミロクとは、『ミロクの世』として、
日月神示で言う「三千世界の大峠を越えて、岩戸が開かれる時代」
仏教で言う、「弥勒菩薩がこの世にくだり衆生を救うとされる未来の世」
という意味とされています。
そして、五六七をごく普通に読むとなんて読むでしょうか?
そう。コロナです。
五六七=ミロク=コロナ
そして、今年は子の年です。
ここから推測すると、コロナによって、ミロクの世へ向かうはじまりの年が子の年、つまり今年のことではないかと思います。
ここで考えてみてください。
コロナウイルスの『コロナ』とは誰が命名したのでしょうか?
『コロナ』とは、ラテン語またはギリシア語で王冠、太陽の周りの光の環に由来しているそうです。ウイルスの形状が、太陽コロナの形状に似ているということです。
太陽=日様=をもたりのみこと
ということを考えるといま世界中での現状が神様事としか思えません。
これをオカルトで終わらせるかどうかは人それぞれです。
しかし、皆様お気を付けください。
きっと大掃除に向けて動きはじめているのです。
天理教などというもう終わった宗教などにかまっている時ではありません。
世界情勢から目を離さないでください。
どうか真実の心でお通りください。
お願いいたします。
支部費の会計について疑問がある。支部では一応会計報告がある(大雑把ではあるが)。支部費として年間6万円近く払っている。支部教会はそこそこの数があり。支部の年間収入は300万円くある。半額近くは教区に上納される。残り150万円は支部活動費として使われる。その内訳がどうも怪しい。個人的に流用しているような感もある。少し突っ込んで聞いたら早口でまくしたてられはぐらされた。天理教の教会長は酒、タバコ好きの人も多く飲み食いに使われているような気もする。会議費として計上されているが。どうも怪しい。大所帯の支部は収入も多く誤魔化しもあるのではないか。今年はコロナの影響で行事も出来ず支出は大幅に減る。役職手当も減額すれば毎月の支部費も減額できる。この際無駄を徹底的に省いてもらいたい。
>>崩壊
2020年4月27日 6:49 PM
>>「おつくしは命のつなぎ=天理教に献金しないと命がない」
との発言は、芸人の問題発言どころではないおぞましい脅迫であり、
反社会的発言であると思います。
善亮 アウトー!<<
天理教 = アウトー! だと私個人として考えるのですが、間違っているでしょうか?<<
どなたかが、私のHNと同じ「崩壊」を使って上記の投稿をしておられますが、大変、紛らわしいので他のHNをお使い願います。
芹沢真一著 「心のはらい」より
井出国子さんが亡くなられたのは昭和22年9月6日正午です。
その前年、21年5月6日に井出国子「国常立」さんは、芹沢真一氏に次のように話したそうです。
p84~
「天理教租の、みかぐら歌の、
よろづよの、世界一れつ、見はらせど胸のわかりたものはない、
そのはずや、といてきかしたことはない。
このたびは、神がおもてえあらわれて、なにかいさいをとききかす。
ききたくば、たづねくるなら、いうてきかす。
よろづいさいのもとなるを。
というのは、神が、もう一度、この世に現れるということを、書き残したものや。」
これは、明らかに「面足」が「須藤花井」として現れる事を言い残したものだと思います。
須藤花井さんは、常々、「世界情勢から目を離したらいかんよ」と言っていました。
「5月になったら天理にお参りに来る者はおらんようになる」も現実のものとなって目に見えてきました。
武漢ウイルスによる世界情勢の混乱を眺める時、おふでさき17号は避ける事の出来ない流れかなと思っています。
須藤さんから聞いている話で、いまだ見えていない事がいくつかあります。
・世界中が大不況になる。
・世界中に食料危機が訪れる。
今まで見えていなかったが、コロナの影響で世界はその方向へ動きつつあるように思えます。
もう 江戸時代そのままの天理教などに関わっている時では無いと思います。
匿名 様
2020年4月27日 10:34 PM
4月24日10:57に天理教は何かにつけて、余りにもいい加減すぎるのです。と投稿しました。
拝読して本当にその通りだと感じました。いやしくも宗教法人を名乗るのであれば、たとえ1円であってもおカネの出入りを明確にするべきですね。
入金伝票、出金伝票及び振替伝票への記入は法人にとって最低限のモラルです。そして、伝票の裏面には出入金の根拠を誰にでも分かるように書いておくことも大切です。誰からも後ろ指を指されないように細心の注意を払う理由は、お供えという人の善意の最たるものだからだと思っています。
何かにつけて、もう、終わってしまった天理教組織ですから、今更ながら何を言っても詮ないことではありますが、最大の愚行は天理教維持財団が誰に知られることもなく解散したことです。上が上ならば、下も、また下ですね。
天理よろず相談所病院「憩の家」
新型コロナウイルス感染者発生のお知らせ
2020年04月27日(月)
当院職員1名が新型コロナウイルスに感染していることが判明しました。
行政機関に報告し、接触者等につきまして調査しております。
今後の対応は随時ホームページ等でご案内させていただきます。
https://www.tenriyorozu.jp/cat_info/20200427new
病院の職員でも感染したと言う事は、潜伏感染者多数いるでしょうね。天理市田舎なのにこんなに早くしかも病院で感染者出るなんて怖い。新型コロナ蔓延してるのに、全国から参拝者の往来をさせたのも感染者発生の原因でしょう。
匿名
2020年4月28日 11:08 AM
未だに全国から参拝者の往来をさせてるなら悪質なパチンコ屋と変わらないですよね。市町村や国に通報して名指しで公表してもらいましょう。
東風Z 様
2020年4月28日 7:56 AM
>>いやしくも宗教法人を名乗るのであれば、たとえ1円であってもおカネの出入りを明確にするべきですね。<<
>>入金伝票、出金伝票及び振替伝票への記入は法人にとって最低限のモラルです。そして、伝票の裏面には出入金の根拠を誰にでも分かるように書いておくことも大切です。誰からも後ろ指を指されないように細心の注意を払う理由は、お供えという人の善意の最たるものだからだと思っています。<<
おっしゃる通りだと思います。「納税」は法律で定められた国民の義務であり強制力を持ちますが、「お供え」は、建前上、信者の善意、自由意思に基づくものであり強制力を持ちません。税金と違い、お供えをしなくても、行政からペナルティーが科せられることはありません。したがって、お供えの会計処理は細心の注意を払って為されるべきであり、会計処理に不正がないかどうか、第三者機関が常にチェックする必要があると思います。国や地方公共団体の予算執行ですら、会計検査院という独立した機関が適切に執行されているかどうかチェックしています。宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。
補足訂正
先の私の投稿文を次のように補足訂正します。
宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。(訂正前)
↓ ↓ ↓
宗教法人の場合にも会計検査院のような独立したチェック機関が必要であると思います。特に天理教のように財政規模の大きい宗教法人には、国税当局が定期的に税務調査に入るべきです。(訂正後)
憩いの家病院で職員がコロナ感染者だとは、、、。
奈良県内には病院が幾つもあろうが、選りに選って人助けの天理教が関わる病院の職員から感染者が出るとは、、。各科の診療が中止に追い込まれこれでは人助けのお役目が果たせない。感染した職員に罪は無いが、天理教二代か三代真柱かの息のかかった病院で神の御守護はどこにあるのかと思ってしまいました。本当に辻褄の合わない信仰です。
やはり天理おぢばに神は居ないし働きがないと実感します。現天理教団は神のいない抜け殻です。抜け殻が必死に神を語り金を求め、一応の宗教法人としての体裁を整えようとしているけれど空しいばかりです。
コロナ撲滅のお願い勤めも一回切り、コロナ終息、平和を祈る気持ちも無し。
どなたかも仰っておられましたが、本部は今回の人類の苦悩における神の思召しを一切信者に語らず、沈黙を守り、一体全体どうなっているんだろうか?
抜け殻だから仕方ないと言うなら、、、わかりました。了解です。
>>4月26日の天理教HPのお知らせ
4月29日から5月6日までの大型連休の期間、「朝づとめ」「夕づとめ」を除くすべての時間帯で、神殿、教祖殿、祖霊殿への昇殿をお控えいただくことにいたします。<<
朝づとめ夕づとめで昇殿させたのでは意味が無いような気がします。むしろ同じ時間帯に人が集中して、危険が増大してしまうのでは?なぜ全面的に禁止しないのでしょう。たとえ一瞬でも信者が賽銭箱に近づけるようにしておきたい為としか思えません。
ライブカメラを見ていると白い箱が靴脱ぎ場あたりにあったり無かったりしているように見えるので、昇段出来ない時間帯は抜け目無くこの白い箱に賽銭を入れる様にと置いているのではないでしょうか?ひのきしん青年に番をさせているのでしょうね。
前代未聞の緊急事態で賽銭箱を急遽作ったのかと勝手に思っています。
神社、お寺も全面的に入場禁止にしている所も多いようです。お金に抜け目のない天理教本部の姿に失笑してしまいます。
>>やはり天理おぢばに神は居ないし働きがないと実感します。現天理教団は神のいない抜け殻です。抜け殻が必死に神を語り金を求め、一応の宗教法人としての体裁を整えようとしているけれど空しいばかりです。<<
神は、既に「おぢば」を見限り、これまでの天理教教会本部の暴挙に鉄槌を下しているのです。「抜け殻」を信仰しても意味がありません。
白い箱は参拝される人への消毒液の台ですよ。
いやいや参拝参詣は中止にさせるべき!各宗教団体が勝手な行動取っているから感染者数が減らない!言うこと聞かないパチンコ屋や身勝手な観光客と同じ!それとも、においがけ と称して、布教活動を続けて、新型コロナ蔓延させるつもりですか?オウム真理教今世紀最も悪質なカルト宗教団体がありましたが、コロナ天理教と改名するつもりなのでしょうか?やはり天理教は疑いようも無いカルト宗教だということでしょう。通報されて国や一般国民から圧力かけられたら良いんです。
本部神殿正面の白い箱二つは18日と26日にもありました。ライブカメラの画像を保存しているので確かです。あれが消毒液の台ならば、参拝を容認しているということであり、HPのお知らせは自粛を呼び掛けているフリでしかないということなのでしょうか。18日と26日に本部前に集まった人々に退去を呼びかけている様子もありませんでしたし。
池田大作さんも植物痴呆状態だそうだけどドウなの⁇
マスコミさえ左右する宗教全体主義の情報にもネットのお陰で穴が開いて
いろいろ分かってありがたいが、宗教プロパガンダにも使われる工作員も暗躍しているのね。
オメドウサマの返却ラッシュと、世界規模の大掃除が立て合っている旬刻限ですね。
節から芽が出る如く、ジバから打ち出す天の言葉を大望します。
善亮さん達が人類の棟梁ならばね。
皆さん、ライブカメラ見られるほど、天理教熱心なんですね。
>>オメドウサマの返却ラッシュと、世界規模の大掃除が立て合っている旬刻限ですね。<<
確かに立てあってますね。おメドウ返却とはおメドウは国々所々で存在意義なし、人々から必要とされていない、と言う証拠ですもんね。教会が潰れると言うことはそう言う事です。この流れこそ本部の大掃除の序段です。800箇所の消滅は終わりの始まりです。この類の潰れる寸前教会はまだまだ驚くほどいっぱいありますから。
おメドウさまを国々所々にもったいぶって大金を包んで鎮座させたが、存在価値無しとなったら出戻る時も大金つけて親元へ出戻らせる。行きも帰りも金がいる。人助けを標榜しながら一事が万事金を取る。どれだけお金を取れば気がすむのか。本部がそんな根性だから世界規模の大掃除とおメドウ返却が立てあう姿を本部は見なければならなくなる。
善亮、大亮、勿体ぶって毎月祭文読んでいるが、どこまで神の本質が理解できているのか、この渦中にあって神の思し召しもまともに信者に語れず、空虚な沈黙を守るのは、神の本質が判らないただの阿呆としか思えないのですが。大掃除されてください、と切に思います。
参考意見 様
2020年4月29日 11:25 AM
>>本部神殿正面の白い箱二つは18日と26日にもありました。ライブカメラの画像を保存しているので確かです。あれが消毒液の台ならば、参拝を容認しているということであり、HPのお知らせは自粛を呼び掛けているフリでしかないということなのでしょうか。18日と26日に本部前に集まった人々に退去を呼びかけている様子もありませんでしたし。<<
要するにそういうことなんです。天理教教会本部がいかに狡猾であるか自ら証明しているようなものです。人間の命より、天理貴族の命と生き残りしか考えていない輩なんです。
>>皆さん、ライブカメラ見られるほど、天理教熱心なんですね。<<
別に天理教熱心で見ているのではありません。教会本部を監視するために見ているのです。不正や矛盾をあばくために見ているのです。カメラの台数をもっと増やして、教会本部の内側をもっと詳細に監視できるようにしてほしいものです。
甘露台倒壊後は、監視カメラを神殿内に取り付けたと聞いていますが。そんなに信者を監視するんですか?我々は監視付きの参拝ですか。パチンコ屋じゃないんだから。
不正行為もしませんから。本部のやる事はいつでも内向き。自分らの都合の為に動く。そうでは無くて監視カメラはいらないから、「かぐら勤め」を全国の高齢者でも遠く離れた自宅からでも見れるようにライブカメラを付けてください。その方がどれだけ暖かい親心を感じられる事か。監視カメラの話を聞いた時は親の裏の顔を見たようで、ぞっとしました。かぐら勤めはそんなに勿体ぶって見せない勤めなんですか?
ライブ参拝だと賽銭箱に賽銭は入りませんが、そこがネックですかね。
上記の匿名様の「かぐらつとめ」ライブ中継に賛成です。
以前、大徳寺さんのお祭りで「かぐらつとめ」を見せて頂きました。
参拝に行けばだれでも見る事ができ、天理市本部で、なぜ、これを非公開にしているのか
不思議に思ったものでした。
立体曼陀羅の流れをくむ概念・世界観が表現されていると思います。
所謂「秘儀」でも何でもありません。
コロナ後の世界では私たちは嫌でもこれまでと大きく行動は勿論、思考も変わらざるを得ないはずです。
大国の都合だけではバランスが取れないこの地球上の生命体が、この旬にきて、初めて他者との協調を
イデオロギー抜きで、個々人の意識を調整して、調和をとって生きるすべを身につけなくては崩壊する道を進むことにもなるのでしょう。
世界の中の天理教にも変化は急き込まれています。
かんろ台に本当に甘露が降り注がれる日が来るのかどうか。
本気で待ち望むのであれば、2回目の倒壊の後の修復に、又もや木製の模型のような
軽い「なんちゃってかんろ台」を平気で据え付けるような暴挙はなされなかった思います。
その上、「なんちゃってかんろ台」に監視カメラをつけようと考えたのは明らかに方向性を間違えています。
そもそも、エセかんろ台を監視するという事のどこに信仰上の正義が感じられるのでしょうか。
大事なかんろ台ならば中山家ご一統の皆様方のうち、20~40代の人たちが交代でお守をすればよいでしょう。大亮さんが先頭に立って、シフト勤務についてください。
どうせ、と言っては何ですが、その程度の活躍の場が無い事には、無能の人達と言われている評判を回復する機会は訪れないでしょう。
教祖の末裔と歴史的名家の親類縁者の皆さん、シフト勤務、頑張ってください。
ところで、おめどう様返還にお供えも必要なのですか?返還に?
1箇所幾らと決まっているのでしょうか。
教会長さん教えてください。
阿漕な商売はするなと教祖が教えていることを忘れた振りをしても、信者は見逃せないのです。
>>おめどう様返還にお供えも必要なのですか?返還に?<<
この掲示板によると、お運びと称して、コロナ禍の真っ最中に関係教会長らその他関係者を集団で来させ、本部へのお供え金付きだそうです。お礼金?幣帛料?名目はわかりませんが、お金を包んで本部へお供えするそうです。コロナ感染は自己責任で来い、とのお達しだそうですよ。
鎮座させるにもお金。撤去するにもお金です。挙句、跡地は本部の物です。守銭奴です。
おめどうさん返却って?
新聞紙に包んで神社かお寺でいくらか包んでお焚きあげして貰うのでは駄目なんですか?
とても一般的で丁寧だと思いますが?
返還にお供え、天理迄の往復の交通費、そして更にそれらにかかるお礼?
で一体幾らになるのやら。
中に入っているのはただの人工物です。それぞれが地元で神聖な炎でお焚き上げすれば、道中でコロナに感染することも無く、また感染させる加害者にもなり得ません。そもそも本部は神の居ない抜け殻なのだし、心も肝心の神の御心も語れない抜け殻なのですし、抜け殻が800個も預かっても沈没船の中に行き場はないでしょう。焼いて灰にし、形を留めない方がスッキリすると思います。
信者や信者家族その子孫達、また世間に見放され、その結果として潰れてしまった教会です。鎮座した神?も働きが無かった結果です。そんなどこかの工場で作った人工物にひれ伏し、大切な生活資金を信じて供えたナンセンスを我々もよく認識すべきです。
没落本部が金集めの道具、手段にしているに過ぎないです。
>>甘露台倒壊後は、監視カメラを神殿内に取り付けたと聞いていますが。そんなに信者を監視するんですか?我々は監視付きの参拝ですか。パチンコ屋じゃないんだから。<<
「監視カメラ」という表現は不適切だったと思います。お詫びいたします。信者を監視するのでは決してありません。「モニターカメラ」という表現が適切だったと思います。かねてから、疑問に思っているのですが、教会本部の「かぐらづとめ」はどうして、甘露台の根元の「穴の中」の参拝者から見えにくいところで執り行われるのでしょう? 参拝者の皆から「かぐらおつとめ」の一部始終を見られたら、何か不都合なことでもあるのでしょうか?「おぢば」から遠く離れた教会は、「おぢば」に参拝すること自体が、旅費等の関係で相当な負担を強いられているはずです。どうしても教会本部の「かんろだいづとめ」を参拝したいのであれば、今、流行のオンライン参拝や、既に一部の公立学校や塾や予備校で実施されているオンライン授業等の方法もあります。経済的理由でインターネット回線やパソコン等のIT機器を整備できない教会もあると思いますが、教会本部が責任をもって補助金でも出して、そうした教会を救済すべきだと思います。
>>経済的理由でインターネット回線やパソコン等のIT機器を整備できない教会もあると思いますが、教会本部が責任をもって補助金でも出して、そうした教会を救済すべきだと思います。<<
上記に補足いたします。
もっとも、天理教教会本部側は、さらさらそんな気持ちなどないでしょう。主たる目的は一人でも多くの信者を教会本部神殿に参拝させ、お供えの確保を目論んでいるのですから。天理貴族の考えることは所詮、そういうものです。
全世界のコロナ感染者の皆さん、罹患者の医療に携わっておられる皆さん、コロナ感染の渦中にあって、必死で社会インフラを支えてくださっている皆さん、皆さんのご努力に感謝の意味を込めて、下記の讃美歌を捧げます。
https://www.youtube.com/watch?v=tjbyanYNDBs
真柱さんはどのような日々を過ごしているのでしょうか。
以前、会長たちの集まった席で短いながらも話をされたという記事を見ました。
それから時間が過ぎ、コロナ感染も広がる中、いっこうに信者向けの話をされないまま今に至っています。
代わりに表統領がいくら話を流したところで、真柱職と表統領職では全く立場が異なります。
発語が不自由なのであれば夫人が言葉を拾って、書き物にして時報に掲載することはできるでしょう。
それとも真柱さんがそれを望まないのか?リタイアしたいのでしょうか。それは無責任というものです。
信者は大病を患っても修養科に送り込まれます。ヌクヌク大事に保護されるだけでは回復しません。
過酷なリハビリに努力するのは多くは家族の世話を担う妻たちで、旦那はのんびりペースのリハビリというケースが多いこともあるようです。真柱家族がどのような状況かは全く知らないので、あくまでも一般論を書きました。施設滞在のリハビリではないようですから、或る程度は真実をついていると思っていますが。
後継者と言われる大亮さんもTwitterは気の向いた時に書き込むだけ。
Twitter内で教会長らしき人(Twitterでは必ずしもプロフィールは正直な記載とはいえません。)の書き込みによると、その人は大亮さんの子供を動画で見て楽しんでいるそうです。
ラインで?でしょうか。子供の動画を流すのは個人の勝手ですが、公職にある人はコロナ禍の現状から、自分の発信内容を考える必要があるのではないでしょうかね。
ラインは友達同士、親しい人と結ぶことが多いことは事実です。だから子の成長を・・・ここまで書いて、うんざりしている自分がいます。
・・・判らないのは天理教上層部の思考回路。感受性。社会性の欠如。
何を言ってもダメ、ですね。だからお供えを出さない事が最善の策になるのでしょう。
黙っていても下から上がってくる莫大なお供えで生きてきた一族郎党。
既に個人の財産として、しっかり蓄えているのでしょう。信者ごときが何をほざいているとばかりに、嵐がすぎさる時を待つのでしょう。
全国には、まじめで立派な教会長さんもおられます。その方々の次世代の方が後継する時には単立教会として宗教法人登録をして残っている信者さんを丹精してください。
町の神社仏閣と同じような「参りどころ」として存在するのも立派な仕事です。
厄介な、じば参拝は大名の参勤交代じゃあるまいし、むしろ地域の中で人から心の拠り所として愛される教会になるための手続きとして、単立教会への変更は、積極的意味合いを感じませんか?
やどしこみの場として教えられてきた聖地じばには空虚さしかありません。
しかし、これを地球上どこの地点にもご守護して下さっている「空気」を感じる場と悟れば、そう、何も天理市にこだわる事は無いのです。
以前の投稿で、おじばに対する気持ちがスッキリ晴れたと書きました。
今もスッキリ、何の曇りも有りません。
ただ、ダメ組織の責任の一端は、信者にもあることから、引き続き天理教に対する危惧を投稿しています。
この場を提供してくださる方にはいつも感謝しています。ありがとうございます。
素晴らしいご投稿ですね。全面的に共感します。盲目的にでは無く、真に神の存在を模索している信者達にとって、現天理教教団の振る舞いは、全く空虚な限りです。
話変わって昨日、娘から久々に電話がありました。次男と自分たちの辛かった成長期の事を語り合ったと言います。
「昨日お兄ちゃんと久々に話をした。私たちきょうだいの生活は天理教によって目茶目茶にされた。父母の不仲の原因はいつも天理教が原因だった。お母さん、あなたはいつも教会の事で留守ばかりで自分たちがどんなに寂しかったかわかるか?これまでの人生の不幸の原因はいつも天理教だった。天理教は一体私に何をしてくれた?その結果が、この家族バラバラになったんだ。」
家族といっても血だけのもの。我々夫婦は離散しました。娘達は両親を恨みます。バラバラになった親をみるのは辛いと。
昨日私が娘に言えた事は「大変申し訳ない事をした。お母さんを許して欲しい。」この一言しか言えませんでした。
「今となってはお母さんも、爺ちゃん、婆ちゃんも犠牲者だったんよ。天理教がつぶれてなくなる事を今は心底願ってるから。」娘の最期の一言。「お母さん、自分が犠牲者だと言うけどね、子供で何も分からなかった私らきょうだいがいちばんの犠牲者だからね。」
天理教に振り回されて、多感な成長期の子供達の心を気がつかない間に傷つけた。親としてのこの大失敗を、私は一生背負って行くんだと、天理教教会に生まれた運命を諦めつつも済んだ事として受け入れ、今後負の連鎖を孫達には絶対に受け継がさないぞ、と心に強く誓う者です。
この地球規模の困難に向き合う 我々信徒の心向きに力を与えてくれような真柱の発信はゼロ。
役職に見合う仕事をしないならお辞め下さい。次期真柱の若者よ。血が真柱になるのではありません。精神の鍛錬と人格の向上。精神的崇高性が無ければ「真柱」になってはいけません。他の適格者があれば自ら降りてその適格者の応援に徹して下さい。
我々古い信者(元信者)は中山ご一統、中でも二代真柱にどれだけ苦しめられたか、目をそらしてはいけません。今後は全国教会にお詫び行脚をするつもりで生きて行って頂きたいです。
Twitter情報
本部がやっと、や~っと、直属以下、全国各教会の月次祭参拝自粛を要請。
遅すぎやろ!
世間知らずにも程がある! 怒!
ご連絡
◎御本部より直属教会長宛に以下の連絡がありました。
現在、おぢばや各地の教会、また個々人のようぼく家庭においても、コロナウイル
スの終息と世の治まりを親神様、教祖に願い、一方では政府や自治体のコロナ対策
要請に応えて、最善を尽くして努めている最中にあります。
月が替わり、来月になりますと各教会では五月の月次祭を勤めることになります。
教会によりましては、いまだに多くの所属ようぼく・信者の方々に月次祭に寄るよ
うに声がけをしているところもあるようです。ようぼく・信者やその家族からは、
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。
一日も早いコロナウイルス終息のご守護を願う気持ちは同じですが、各教会が所
属するようぼく・信者の心情によく配慮し、月次祭への参集を控えるなど、直属教会
「 よりご指導をお願いいたします。
立教 183年4月28日
内統領宮森与一郎
>>ようぼく・信者やその家族からは、
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。>>
なんか他人事みたいに語っとるな。
これまでの「理の親には絶対服従」を強要してきた
お前ら本部の封建体質そのまんまやろーが!!
本部が責任ある行動をさっさととらないから直談判の電話連絡が殺到しているのでしょう。
コロナ禍真っ最中に感染は自己責任で来い、とおメドウ返却に呼び出しているのはどこのどなたでしょうか?
この文面を読むと教会長が悪いと批判していますね。そうじゃなくて本部への批判電話です。
まず本部の初動が遅かった。婦人会総会中止も、本部3月月次祭も多くの信者が中山だけでやれ、と気を揉むのを尻目に、直属教会長を呼び出して密集密接で強行しました。そう言う失態を棚にあげて何ですかね?この教会長を批判する様な文面は。親が子を思う温みは感じられません。責任逃れ。我々本部は悪くないが子供が言う事を聞かない奴がいる。本部に苦情電話が来て迷惑してる。お前らちゃんとやれ。
これはそう言う文面です。
本部への苦情電話はすなわちダイレクトに本部自体へのフラストレーションであり、教会長をきちんと統制、指導出来ない本部への直接批判と受け止めなければいけません。いつも、いつも、何があってもお前らが悪いと言う姿勢は今も昔も一貫してますね。やれやれ、、我が身を振り返れと言ってやりたいです。
世界規模の干ばつ
かつておつとめで雨が降ったとのことで
おつとめが急がれているのだろうか?
「新聞紙に包んで神社かお寺でいくらか包んでお焚きあげして貰うのでは駄目なんですか?」
という投稿を拝見しました。基本的に、神社などは、神道のお札をお焚き上げの対象にしています。お寺も仏教の関係物が対象のはずです。ですから、天理教のものは、やはり天理教で対応してもらうのが筋ということになります。
ただ、この時期に、このような「おめどうさん返却」をされるのは、おかしいです。少しでも常識があるなら、中止か延期にするでしょう。それを強行するのは、何か背景があると思われます。
門外漢 様
2020年5月1日 1:29 AM
>>ただ、この時期に、このような「おめどうさん返却」をされるのは、おかしいです。少しでも常識があるなら、中止か延期にするでしょう。それを強行するのは、何か背景があると思われます。<<
何もこの緊急事態の折に、「おめどうさん返却」をするのは、おかしいと思います。しかし、今の天理教の実態を鑑みた時、一刻も早く天理教と縁を切りたいと考えている末端分教会が我々の想像以上に多く存在するのかも知れません。先の私の投稿でも書きましたが、既に宗教性を失い形骸化してしまった宗教の「おめどうさん」をわざわざ神社仏閣に持ち込んで処理しなくても、可燃ゴミと不燃ゴミに解体分別し、地方自治体のゴミ収集車に収集をしてもらえば、無料で処理できるはずです。
>天理教教会本部は2月26日の月次祭の参拝客の受け入れを中止することを決定すべきだ。
それくらいの社会的責任を負っていると理解しています。
安全とは、危険を予知して、その危険を未然に防ぐ技術です。これくらいのことが分からなくて何が宗教法人を名乗ることができるのか。今からでも遅くないでしょう。代表役員は学習能力の有無を問われている。
何も起こらなくて良かったでは済まされない問題だと思っています。<
上記は、去る2月23日に本欄に投稿した内容です。宮森内統領が今になって何を寝言を言っているんだろう。
イタリア・ペザーロ市の病院で医療関係者が病院の廊下にへたり込んでいる写真があります。12時間交代のシフト勤務。その間は防護服を脱げないため、12時間は飲まず食わずトイレにも行けない、と解説されていますよ。本部の屋敷でヌクヌクと過ごしている場合じゃないでしょう。コロナ病棟の掃除にでも行かれたらどうですか。
宮森さん、お分かりですか。世界助けを標榜されるのであれば何をすべきか。
更に、京都大学人文科学研究所準教授・藤原辰史氏の論文でも読まれては如何ですか。この内容は天理大学から出されるべき論考ですよね、おカネばかり見ている天理教では無理な話なんでしょうが。
とにかく一度、天理教史の見直しをされては如何ですか。天理教は少なくとも文明集団ではないことが明らかだということです。
>>イタリア・ペザーロ市の病院で医療関係者が病院の廊下にへたり込んでいる写真があります。12時間交代のシフト勤務。その間は防護服を脱げないため、12時間は飲まず食わずトイレにも行けない、と解説されていますよ。本部の屋敷でヌクヌクと過ごしている場合じゃないでしょう。コロナ病棟の掃除にでも行かれたらどうですか。<<
ごもっともなご意見ですが、既に「抜け殻」と化してしまった、天理教に対しては「無駄な期待」にしかすぎません。真の「人たすけ」は天理教という「宗教とも利権団体とも反社会的勢力とも判別のつかない得体の知れない団体」が完全崩壊しなければ、どうしようもありません。「得体の知れない団体」がこのまま存在し続ければ、先祖代々にわたって、天理教を「正しいもの、最後の教え」として信奉している人達を更に不幸のどん底に突き落とすだけです。
>>昭和11年発行「伏魔殿を発く」より
昭和10年12月、当局に於いては、邪教撲滅の陣を拡大強化する為に内務省保安課に、宗教係を新設した。──(中略)──
一、成金宗教天理教を探る
屋敷を払うて田売りたまえ──成金宗教、天理教は一体どれだけ儲けるか?
ある人の推測によれば、──昭和八年の税務署の年所得査定は、百二万円となっているから、事実現在は百五十万円くらいはあるであろうと言っている。他人の懐中具合を気にしても始まらないが──、では天理教の財産は、いくらほどあるものだろうか。これ亦、ある人の推測によれば最高七億、最低一億はあるだろうと言うが、的確な計算ではなく、目の子算だから、あてにはならない。さて──
信徒七百万人と称する天理教管長中山正善の所得査定減額運動に絡む贈収賄容疑事件で、同教本部外事主任、堀越儀郎は昭和十年十二月十一日に任意出頭の形式で、奈良署へ同行を求められた。遂に、起訴前の強制処分で収容されたので、今後の発展如何を注目されていた矢先、同月十六日!午前六時。制私服百三十名の警官隊は、自動車、ハイヤー、バス数十台に分乗し、拂暁の薄闇を衝いて天理教本部に到着し、天理教庁会計、財団、経理各部と教庁事務所の管長が日常執務する調査課と、中山管長邸、その分家の中山為信、その外、松村吉太郎、山澤為造、諸井慶五郎の諸幹部邸宅並びに前記の堀越儀郎の留守宅及び四課長の私宅など、一斉に家宅捜査を行い、多数の証拠書類を押収して引き揚げたのであった。
この検挙の内容は、税金査定額が急激に低減したために、当然司直の眼が光ったわけで、脱税のための賄賂への嫌疑がかかったのだ。これ以外に、某重大事件が含まれていると伝えられているようだが、これについては筆者は知らない。
そこでこの所得税の問題だが、宗教団体は所得税が免除されているのだから、管長個人の所得税との限界との混同からきたものだと言う者もあるが、その法律的解釈は行政裁判によって明らかにされることであるから、ここで論ずる必要は無いのだ。その所得税納入額は、大阪税務監督局区内では、天下の住友の次に位するという豪勢さだ。昭和七年までは、管長個人の年所得三万三千円と見積もられていたが、調査の結果、昭和八年には管長個人と天理教とは二面同体であるとの見解から、天理教本部の所得七十二万円と(前期の百二万円が七十二万円に引下げられたのだ)査定されて、十七万円を課税されたのだ。それが九年度の所得は四十万円となり、続いて十年度には三十九万円と査定額が轉落したので、臭いぞとなったのだ。
ここで、ある二人の消息通から聞いた話を紹介しておきたい。
その一人は──、
「天理教や金光教や大本教ときたら、経済原則の上からまことに表彰するに足るものがある。天理教などは、いつだって金が本部にあったことはない。つまり死蔵したことはないのだ。いつもスッカラカンである。然るに一朝、サァとなると半年の内で百万円の外語学校を建てる、二百万円で神殿を造るといったように、パッパと集めたと思うと撒いてしまう。これが他愛のないことだが経済原則に添うているのだ。だから金が苦も無く集まるのだ。この点では仏教僧侶より神道僧侶のほうが現代的である。現代的とは、よく経済原則による生活を営むということである。」
また、ある材木商の主人は──、
「天理教の本部には、金が降るほど集まると言われているが、近頃はなかなかそうもいかないらしい。以前は材木の注文が天理教から来ると、商品を送らない前から何万円というような大金でも前金で、どしどし支払ってくれたものであるし、またその買い方でも非常に大様であった。しかし近頃は、そういう大名のような買い方をしてくれず、値段の交渉も難しくなったし、また金にしても前金はおろか、他方様と同様お百度を踏まないと払ってもらえないという具合になった。これで見ると、天理教の本部も勝手元は世間で見るように楽ではないようだ。満更、払い汚いだけではなさそうだ。」
かと思うと──、
一方では、一代の法螺吹き伊東ハンニこと松尾正直が昭和九年五月頃、支那放浪の旅から帰朝すると、直ちに天理教本部を訪れて彼一流の辯舌で、新東洋主義の理想と天理教主義とは一脈相通ずる点があるから、日滿支に天理教を宣布してやると持ちかけて、僅か一年間に数回にわたって百万円余を引き出してしまった。しかも、これは中山管長の内諾もなしに堀越、上田などの役員が自由に、この大金をハンニに手渡したということだ。この一事を以てしても、いかに天理教の会計が紊乱した状態にあるかが暴露されたというものだ。否、余りに大きな世帯だから、呆れたと褒めておこう。
次に、天理教の今後の方針について、注目すべき一事を報告しておく。
今年の教祖五十年祭と、明年の立教百年祭の為に、前以て五年の募財期間を立てて一千万円募財計画をしたのだが、その内訳は、五百万円の信徒納金、百五十万円の教会課金が本部に集中し、更にその間に、全国教会の負える借金三百余万円の償還方を行う筈で、この合計が一千万円という建前なのだ。これについて天理教を代表する某幹部の公表しない言説を特に引用してみよう。
「天理教の募財能力も、教祖五十年祭を以って解消すべく、この機を逸すれば、もはや本部を充実することができないから、無理にでも大募財を断行しなければならない。」
先年、筆者はこの明けっぱなしな抱負を聞いたことがあるが、読者諸賢以って、如何となすや!まあ、これだけの殊勝な心掛けが事実あるのなら、筆者は喜んで「天理教」を礼讃することにしたいと思う。次にだ──、
いま仮に、天理教が何億の私財を蓄積していようが、少しはその金を有意義に使用しているかどうか。
も一歩突っ込んで、天理教の教祖ミキが私財を蓄積せよと、彼女の所謂、宗教的実践ともいうべき経歴が教えたかどうか。どんな子供にでも判るような「教理」そのものの解釈を、何故に「屋敷を拂って首つりたまえ・・・」なんて人口に膾炙されるのか。そんな働きかけをやっているかどうか──を、検討してみる必要が大いにあるのだ。まず順序として──、
一、社会事業をやっているかを調べれば、これにはかなり出資しているようだ。
養徳院、託児所、盲学校、六踏園などの経営から、幼稚園、小学校、中学校、女学校、天理外語学校、女子学院(女子の外語校)の教育事業にも莫大な経費を用いている。
その外、天理教本教師養成所である。天理教校、天理教教義講習所などもあるが、要するに「天理教」を背景にした宣伝学校とはいえ、他の教理のものに比較して、かなり意を用いていることだ。なお、ここに「天理総合学園」の拡張充実計画を立てているそうだが、これが完成すれば、維持費だけでも年額百万円を要するとの話だ。それだけでなく国防費にも献金するし、また先だっては大阪二大新聞の義金募集の競争に踊らせられて、百万円を投げ出したことさえあるのだ。
次に教祖、中山ミキの歴史的なる「過去の生活」を抄して、そこに何を教えているかを指摘してみたい。
(教祖伝、逸話編の紹介、我が子の命と引き換えに他人の子を助けた話など──以下略)
これは、わざと古文体なる「天理教教義要領」から引用したものである。ここで注意したいのは、彼女が神憑り(天啓)によって第一に叫んだ要求は、中山家の家財資産を売却し、貧者を救済せよ、であったことだ!
筆者は天理教の提灯持ちをしたくて教祖の伝記を抄録したのでもなく、また「貧者を救済せよ」なる善行を表彰したいためでもないのだ。即ち「この精神」が現在の天理教にあるや否やを検討したいからなのだ。
世人は、ミキの神憑りを宗教的偏執狂であるというが、しかし天理教側にあっては無論、こんなことを思ってみただけでも、恐ろしい冒涜に違いないはずであり、それどころか、そこに侵すべからず神性に拝跪するのであろうから、それ故にこそ、まことに「貧者を救済せよ」なる天啓なるスローガンに対して、今日の天理教は恥じるところが無いかと──声を大にして詰問したくなる。
身近な例を上げる。筆者の知人某、支部教会の教師から切に勧められて、やっとの思いで金を工面して、学校へ入るべく本部へ行ったものだが、ふとしたことから幹部の豪勢な生活ぶりを見て、彼は奮然として直ちに帰京してしまったのだ。この事実は何を意味するものであろうか。
教祖の所謂「貧者を救済せよ」の神言とは、あまりに遠いかけ離れた実践的矛盾さを如実に暴露しているのではないか。
事程左様に、信者を喜ばせ狂わせてくれる天理教本部こそ、太るばかりで、さぞ血圧の高いことだろう。真の宗教精神を生かす可く、「屋敷を拂うて田売りたまえ」──の錯誤に落ちてはならない。筆者は叫ぶ。
天理教よ、天理教管長よ、大幹部たちよ。真の「天理」の大道にかえれ。そして宗教精神で、世を導くことを忘れるな。
徒に殿堂の大きさを誇るな。信徒者の多数を誇るな。それは却って「天理」に違背した證左にさえ見られ、識者の蔑視にしか価値がないではないか。徒に現状を延長することは、天理教本部が「完全なる伏魔殿」になることである。
筆者、徒に天理教を誹謗して発いたのではない。第三者として、天理教を厳正に批判するのだ!諒せよ!<<
昭和11年発行の本ですが、今も昔も変わりませんね。当時の百万円って今だとどれくらいなのでしょう。あと信徒700万人というのは教団が示した数なのでしょうか。
種苗法改正とは?
自分達の命に直結してくることのようです。
今もし平成6年の事態が起きれば他国に頼ることも出来ません。
今社会学と名打つならば、本当に社会学について話すべきではありませんか?
お金だけとって何もしなくていい(これを人は詐欺という)
こんなスタンスの組織はやめてしまえ!
お金も返せ!
神様が守ってくださるから子供のことはほうっておいてもいい
うちもそうだった
みんな洗脳されていたんだなあ!
おつとめさえすればどんな病もたすかる!
そんなはずないだろう!
>>昭和11年発行の本ですが、今も昔も変わりませんね。当時の百万円って今だとどれくらいなのでしょう。あと信徒700万人というのは教団が示した数なのでしょうか。<<
昭和11年頃の百万円の価値は、値段にかなりの開きはあるものの、最低で10億円、最高で30億円程の価値があるようです。
立教の元を辿り、大事にし過ぎてしまい、時代にそぐわない、逆行する組織。
旧態依然のまま、自浄能力も平等な人事の選挙も、能力や実績に基づいた人事もない。
コネと金がモノを言う恐ろしい組織である。
組織の都合に振り回される教会長や家族、信者達。
いつまでもこのままであろう。
大亮さんが真柱になろいとも、変わらない、変われない。
誰が割りを食うのか、これまでの歴史を見れば一目瞭然。
弱者が上を支えるのだ。
せかいいちれつみはらせど、むねのわかりたものはない。
人間には神の思惑など分かりようがないのだ。人は神ではなく、神にはなるないのだから。
人が人を救うのだ。足下も掬う。
神は人には測れない、手の届かない存在、概念である。
上手く利用する者もいる。利用される者もいる。
ただそれだけ。
信じるか信じないかは あなた次第です 笑
>>昭和11年頃の百万円の価値は、値段にかなりの開きはあるものの、最低で10億円、最高で30億円程の価値があるようです。<<
──ということは、教祖五十年祭と立教百年祭に向けた一千万円募財計画とは、今なら100~300億円ということになりますか。5年計画だったとはいえ「無理にでも大募財を断行しなければならない。」なんて言った某幹部とは当時の表統領あたりではないかな?(どうも表統領という役職に悪いイメージが固定してしまって・・・)
それにしても、これと比較しても、教祖百年祭の前年の513億円というのは狂気の沙汰としか思えませんね。バブル経済のピークでもあったのでしょうが・・・。
>>それにしても、これと比較しても、教祖百年祭の前年の513億円というのは狂気の沙汰としか思えませんね。バブル経済のピークでもあったのでしょうが・・・。<<
まさに狂気の沙汰ですね。(元々狂っている教団ですが) 狂気の沙汰の犠牲となり自死や強盗にまで追い込まれた教会長さん達は、本当に気の毒です。
「天理時報手配りを続けたいですか?」とツイッターでアンケートを取ったところ115票を集めた。
13%の人が 「続けたい。」と答え、
87%の人が 「止めたい。」と答えた。
これが実態だが、本部は知らないだろうし、知ろうとはしないだろう。
平成30年1月の「みちのとも」で手配り10年という特集をしているが、皆の思いとは正反対に、大いに素晴らしいという記事が満載されている。
タイトルだけ記してみます。
「『天理時報』普及・活用と手配りのさらなる“進化”へ」
「手配りひのきしんの輪が 地域のたすけ合いに進化」
「年間延べ五万人が実働する 常時活動と拡充へ」
「 時報の記事を話の台に 講社祭で信仰深め合う」
「手配りで強まった縦横のつながり」
どうも、13%の人の意見だけが綴られているようだ。
これからも、手配りを続けるのであったら、強制的ではなくて、13%の人だけでやれば良いと思う。
芹沢真一著「心のはらい」より
宗教について井出国子「国常立」さんは、次のように言っています。
p227~
宗教はいらん、わしの教えは、宗教にせん、信者を作るために、現れたのとは違うぜ、
宗教は、もうお終いや。
芹沢氏が、宗教がお終いになるのは、いつ頃かと問いかけた事に対して
p228~
生きてるうちに、お終いにしようと思ったこともあるが、
今つぶしてしまうと、それで食っている人が、食えなくなって可哀想や。
だんだんでいいやろ、
どうや、神さんが、あんばいようするぜ、
心配せんで、おきなはれ。
偽物宗教団体の天理教にも とうとうお終いの時が迫って来たようです。
天理時報がいよいよ薄っぺらくなった。ページ数はもとより今回のトップページの
テーマは「男と女のすれ違い」。
宗教紙なら、現在の未曽有の社会混乱、生命の危機に遭遇している少なくとも信者読者に訴える神的悟りの話がテーマではないのでしょうか?
生命の危機、生活そのものが脅かされようとしている只中において、「男と女のすれ違い」がテーマというのはあまりにも感覚がずれており、少なくとも信者の信仰心に寄り添うものではないと思う。コロナで取材できないなら信仰の本質的話題に切り込む、今こそがその機会でしょう。
天理教教団の信者に対する軽い扱いとその思い、隠せない本性が素直に表れていると思います。「神を求める信者と神を求めない本部のすれ違い」ですね。
京都大学人文科学研究所準教授・藤原辰史氏の論考のタイトルの言葉を無断でお借りするのは心苦しいのですが、もう一度言います。
歴史に学ばず、現場を知らず、統率力なき言葉。このタイトル、今の教団本部にピッタリ当てはまるのではないでしょうか。
もう、終わったところに何を言っても無駄だと思いながらも投稿する自分にも呆れていますが、信仰を求めておられる方々にお伝えしたい。どうか、天理教にだけは絶対に入信されないようにご留意ください。
形而上下相和してなんて言っていますが、待っているのは地獄にも等しい差別社会ですよ。
5月1日10:00AMの匿名様
種苗法改正とは?
大手全国紙では大きく記事にしません。敢えて事実を知らせたく無い力が働いているのかも。心ある地方紙、機関紙、ネットでしか知り得ないでしょう。農協関係の人達が殆ど上から言われるままに自民党支持してたのもありますし。公明党支持者からの反発は無いのでしょうかね。今は新聞もテレビもコロナ関連ばかりなので忘れられている問題が沢山あります。森友問題で自殺された赤木俊夫さんの奥さんが実名で必死の思いで告発され、オンライン署名をされ1ヶ月、もう34万人程あつまっています。署名でしか協力出来ないのも情けないですが、皆さん方もよろしくお願いします。
無名
2020年5月2日 8:31 AM
種子法に関して私も目にしましたが、この騒動とは裏腹にこれは日本の高品質の種子を盗まれないように改正されています。長年かけて高品質の品種を改良しても、外国人窃盗団により、中国韓国などに密輸されているケースが多々ありました。この事例にもあるように、オーストラリアでも作付けされていたようです。しかもこの騒動はとある有名芸能人が問題提示していたので、あれ?と思い調べたらまったく問題が無い。むしろ第三国に利益のある報道である。コロナ問題でも発覚したように、日本のメディア芸能は特に外国への利益供与が出立ちます。メディア芸能程度ならまだ良いですが、コロナ対応の遅れから政治の野党はおろか与党内部にもそれらの売国奴分子が増えいたのを国民は目の当たりにし国民の監視はより強まっています。このようなフェイクニュースに騙されぬようにした方がよいですね。
種苗法の一部を改正する法律案について
https://www.maff.go.jp/j/shokusan/shubyoho.html
なぜ種苗法を改正するのですか。
農業者の皆様に、優良な品種を持続的に利用してもらうためです。
日本で開発されたブドウやイチゴなどの優良品種が海外に流出し、第三国に輸出・産地化される事例があります。また、農業者が増殖したサクランボ品種が無断でオーストラリアの農家に譲渡され、産地化された事例もあります。このようなことにより、国内で品種開発が滞ることも懸念されるので、より実効的に新品種を保護する法改正が必要と考えています。
自家増殖は一律禁止になりますか。
自家増殖は一律禁止になりません。
現在利用されているほとんどの品種は一般品種であり、今後も自由に自家増殖ができます。
改正法案で、自家増殖に許諾が必要となるのは、国や県の試験場などが年月と費用をかけて開発し、登録された登録品種のみです。そのような登録品種でも許諾を受ければ自家増殖ができます。
種苗法についてそういう思いも分かります。
しかし世界で干ばつが広がっていて、作物の減少は農家の命に関わることです。今作っている作物の許可が降りる降りないの綱渡りの状況であれば、作地面積は更に減っていくことでしょう。
今、ビクトリアの滝が枯れたとも言われているこの時期に、法律を動かすことの危険を思います。
山に雪が降らず、山が水分を充分保っているように見えない今年、各国が干ばつの影響をうけている今、作物を減らす法律を立てることが食糧の確保と逆行しているように見えます。
知的所有権としての品種の保護は分かりますが、第3国の方々も美味しい果物を召し上がる機会があられても良いのではないでしょうか。
ウィルスが蔓延するくらい空気が乾燥しています。
本来の湿潤な空気感が今感じられるでしょうか?
今年の埃っぽい乾燥が今年の夏の作物にどう影響するのか、不安です。
今年法律を動かすことは、時期尚早に感じられます。
私達が今考えることは作物を増やすことではないかと考えています。
匿名 様
2020年5月2日 1:01 PM
>>知的所有権としての品種の保護は分かりますが、第3国の方々も美味しい果物を召し上がる機会があられても良いのではないでしょうか。
ウィルスが蔓延するくらい空気が乾燥しています。
本来の湿潤な空気感が今感じられるでしょうか?
今年の埃っぽい乾燥が今年の夏の作物にどう影響するのか、不安です。
今年法律を動かすことは、時期尚早に感じられます。
私達が今考えることは作物を増やすことではないかと考えています。<<
全く同感です。「世界一列は皆きょうだい」「互いたてあい たすけあい」という天理教本来の教えにも添うものです。今や地球規模で環境が破壊されています。地球の温暖化、毎年のように発生する大規模森林火災、台風やハリケーン等の風水害は、全て成るべくして成ってきたことだと思います。食べたい物をたらふく食し、肥満になり、ダイエットや減量に国家的プロジェクトとして取り組んでいる国もあれば、その日一日、必要な栄養も摂れず、栄養失調で痩せ細り、幼児期から死を待つしかない状況におかれている国もあります。今や地球は、自国のことだけを考えていればそれで良いという状況ではありません、世界規模で二酸化炭素の排出量を減らし、地球の温暖化に歯止めをかけなければ、世界規模の食糧難の時代がくることは目に見えています。自然災害もまた然りです。世界中の国々が協力し、少しでも乾燥や高温に強い品種を開発し、当面必要な食糧を確保していく必要があります。国境とは人間が勝手に線引きして作りあげた行政区でしかありません。これからの時代、地球全体の生きとし生けるものが遍く物質的にも精神的にも豊かに生きていける方策を考える時期にきているはずです。
種苗法改正案、今、大変な状態だからこそどさくさに紛れて押し通したいんですよ。政府はいつもその手でやって来たんですから。国民が舐められているんです。「他国なら暴動やら革命とか起こすけど日本人は従順だね」と、外国の人に呆れられるほどです。政府は農家、国民、ましてや貧しい国の人達の事などちーっとも考えてないですよ。改正して得する国は何処か?日本の農家を疲弊させ、自給率を最低にしたのは誰か。責任とった政治家はいません。今の政権は歴代最悪ですけど国民はそんなに怒ってないのかな?面白い位に国と天理教が重なっていてアホらしくなります。ハーバード大学出身の芸人、パックンことパトリック、ハーラさん、アメリカの貧しい母子家庭で育ち、お金が無いなりに体験出来ること、挑戦出来ることは何かを柔軟に考える少年だったそうです。日本に来て26年、日本女性と結婚し、言葉、文化、歴史、毎日勉強になる楽しい生活を送ってきたが気になることが、、、日本人には、言う勇気が必要だ。そして、批判的思考も大切です。政府の発表も鵜呑みにしてはいけません。コロナショックで生活が揺らいでいる今こそ批判的思考を持ちたい。政治家頼みでなく国民が政治を主導すべき、リーダーは国民であるべき。投票権を持つ国民は政治の所有者であり責任者でもある。その自覚を持ってほしい。平和憲法を持つ大国として自信をもって国際的に活躍してほしい。自衛隊も軍隊としての機能を強化するより、人道支援を中心にした「助け隊」にしたらいい。医療や教育、難民支援など力で抑えるのではなく、力で助ける部隊だったらかっこいい、、、と、参政権の無いパックンが語っています。
自然界も人間の世界も、根本的には弱肉強食、適者生存なんですよね。変化できないものから消えていく。
弱者が弱者を救うのは難しいことが多い。
辛い現実を乗り越えていくために、神という存在、あの世、この世、前世、来世という世界を作り、生きていく上で起こり来る事象に教理を繋げて考えさせる。そして金と人を集める。
うまくできたものですね。
自らの体験や思考も、教理が元にあると、自分で考えているようでも、実際にはどうだか…
事実を俯瞰的に、客観的に、さらに主観的にも捉え、どうやったら良い結果に繋がるか、自らの意思で、自発的に行動し、常に自分を変化させていくこと、周りの変化に気づき、対応していくこと。これが大事かと。
漠然とした表現しかできませんが、複雑で厄介で先が暗い時代、それも天理教という組織の中で生きていく自分に、毎日言い聞かせていることです。
自分にとって「神」とは、自然現象、人間の力が及ばない世界のことです。
人は神ではない。神域と呼ばれる偉人も多くいますが、あくまで神の域であり、神ではない。
人は人。
少しでも早く、コロナウィルスの感染が終息に向かうよう、「お願い」ではなく、「御礼」と「心定め」をして、お勤めをつとめております。
ほんの微力な末端の教会長ですが、天理教に携わる方々がここの色々な書き込みを見て、生きていく上で、少しでも良い方向へと向かえるようになれば良いと思います。
無名 様
2020年5月2日 6:14 PM
>>日本人には、言う勇気が必要だ。そして、批判的思考も大切です。政府の発表も鵜呑みにしてはいけません。コロナショックで生活が揺らいでいる今こそ批判的思考を持ちたい。政治家頼みでなく国民が政治を主導すべき、リーダーは国民であるべき。投票権を持つ国民は政治の所有者であり責任者でもある。その自覚を持ってほしい。<<
昭和30年代中盤頃から50年代初めにかけて、全国的に学生運動が非常に盛んな時期がありました。日米安保条約という不平等条約を敗戦国であるという理由で無理矢理締結させられました。日本はアメリカの「浮沈空母」のように位置づけられ、アメリカにとって格好の軍事拠点となってしまいました。ベトナム戦争の空爆のために飛び立った米軍爆撃機は沖縄の米軍基地から飛び立っていきました。米軍機の空爆で何の罪も無いベトナムの民衆が多数犠牲になりました。また米軍側兵士にも多数の戦死者を出しました。朝鮮戦争もまた然りです。朝鮮戦争の軍需景気は日本の高度経済成長のきっかけになりましたが、その為に、日本にとって太古からの恩人である朝鮮人民が犠牲となり、国家は南北に分断され、未だに休戦状態が続いています。結局、世の中というものは一番弱い立場の人間達が政治利用され、犠牲になるのだと言い切ってしまえばそれまでの話ですが、そうした状況に矛盾を抱き反旗を翻して抵抗したのが全国の大学生達です。私も彼らと同世代です。私は目立った学生運動こそしませんでしたが。思想的には彼らと同じ考え方をもっていました。あの当時の若者とくらべ、今の若者は余りにもおとなしくなってしまい、社会に対する問題意識が希薄になっているように思えて仕方がありません。私は暴力やテロを決して肯定はしませんが、今の若者が社会の矛盾や権力に対して、もっと積極的に正々堂々と物申すようになってほしいと考えています。
↑ ↑
上記投稿文中入力ミスがありましたので下記の通り訂正します。
日本はアメリカの「浮沈空母」(誤) → 日本はアメリカの「不沈空母」(正)
崩壊 様
文中の
>『日本にとって太古からの恩人である朝鮮人民』
はどのような『恩』でしょうか?
学校で習った程度の歴史ですが、古代から中世において何度のかの戦争はしましたが恩を受けた歴史は学んでいませんし、調べても特にそういった出来事は見当たりません。
また日本併合後は同じ日本人として世界大戦を経験しましたが、日本の敗戦後には「戦勝国づら」をして日本国内で散々に悪逆非道を行ったという記録や話が沢山残っており、祖父母も「朝鮮人には酷い目にあった。立場上仲良くはしても決して心を許してはならない。」という言葉を遺しています。
私自身は朝鮮民族との間にどうこうはありませんし、この掲示板に政治や国際問題を書き込むのも適切ではないかもしれませんが、崩壊様の書き込みに「天理教の初代が救われた恩を忘れず尽くし運びをしなさい」という洗脳状態と似たような主旨の言葉を感じましたのであえて質問させて頂きました。
特に匿名 様
2020年5月3日 3:42 PM
例えば、日本の古い仏教寺院(法隆寺や飛鳥寺)の建築様式や技術、仏像等は、朝鮮半島から渡来したものであると学生時代に習った記憶があります。古墳の測量技術や造営技術もまた然りです。鉄や銅の金属器の鋳造技術も朝鮮半島から渡来したものであると習いましたが、私の記憶違いであればお許しください。
特に匿名 様
日本と朝鮮半島との関係については、ネット情報で申し訳ありませんが、下記のHPをご覧ください。また、天理参考舘やその他の博物館の学芸員に聞かれても詳しい情報が得られると思います。
https://biz-journal.jp/2018/11/post_25616_2.html
特に匿名 様
京都市右京区に太秦(うずまさ)という地名があります。一度この地名の由来をネットで検索されては如何でしょうか。韓半島との深いつながりが理解できると思います。
韓半島は関係ありませんが、、太秦には広隆寺という寺院があり、ここに国宝第1号に指定された弥勒菩薩像もあります。非常に優雅な姿ですよ。
特に匿名 様
東風Z様の仰るように、奈良県内にも百済(くたら)という地名が奈良県北葛城郡広陵町に存在します。世帯数の少ない小さな集落ですが、集落内には立派な三重塔か五重塔であるのか記憶は定かではありませんが、現存しています。小さな集落内、しかも、奈良盆地のほぼ中央部に塔が建立されるのは、日本国内どこを探しても、おそらく当該集落だけであろうと思います。地名から推測するに明らかに朝鮮半島にかつて存在した百済(くだら)という国名が起源であろうと思います。集落の住民も朝鮮半島からの渡来人であったと思います。もし、ご興味がありましたら、一度、お調べください。
崩壊 様 東風Z 様
ご教授有難うございます。
仏教、仏像、建築様式や技術など、その一部が朝鮮半島を経由して日本に伝わっているのは耳にするお話しですが、発祥や技術開発をしたのは印度や中国ではありませんか?
勿論、伝えたこともそれなりの功績を評価するべきかと思いますが、その事を過大評価することは、現在の天理教の教義を伝えたことを重要視する「理の親制度」を擁護するような印象を受けてしまうのです。
稲作は大陸から半島を経て伝わったという定説がくちがえって、逆に(日本)列島から渡ったという説が有力になりつつあります。教科書で習った事が真逆である事に失笑してしまします。
我々の固定観念だとか権威だとかはそんなものなんでしょうか?想像以上に(地続きであった)大陸世界と日本列島は密接に文化交流があったのではないか?と想像する者です。
江戸時代の鎖国なんてほんの小さな歴史の一齣であったのでしょう。
又、神道と混じり合った仏教も日本に来て進化昇華したのではないか?とも思うものです。
昔の建築技術や灌漑技術に大陸由来の影響を否定するものではありませんが、それさえも半島は導入の通り道に過ぎなかったように思っているものです。
なんにつけても、半島起源説マンセーって馬鹿にしか思えないんですケド。w
文章力が皆目無いので上手く書けませんが、昔歴史の授業で縄文時代にばかり時間を割いて、近代になると時間が無くなり終わり、というパターンが多かったようです。先生もどこまで事実を話せば良いのか、先生個人の思想も違い、触らぬ神に的に端折った感はありますね。でも、古代、日本は島国だから他国との交流も無く文化は遅れていた事、中国、朝鮮からの文化、文明が伝えられなければ今の日本は無かった位は言ってましたっけ。漢字が無ければ貴族の女性文字、かなも生まれなかったし、仏教が伝わってなかったら、それこそ天理教も成り立たなかったですし。秀吉が天下を取って調子に乗り、朝鮮侵攻して負けたけれど、多くの陶工を連れ帰り佐賀に住まわせたので、白磁の有田焼が作られたとか。まだまだ沢山あるでしょう。私が6年生の時一番の仲良しが在日2世でした。性格の優しい明るい子でしたね。我が家は朝鮮人、部落などの言葉は誰も使わなかったですね。聞いたことなく育ちました。父が何年も兵隊に取られ、おしっこも凍る北支で中国兵と戦い、家族にも一言も体験を話さなかった壮絶な辛い思いをしてきているからなのか、自分に厳しいけど部下には優しかったようです。毎年、正月に6人ほどが食べに来て母が大変でしたっけ。たまたま目にした事、耳にした事だけで、今ならネットでの間違った情報を鵜呑みにせず、自分の頭、心で判断したいです。知らないで終わらない、知る努力、知らないといけない義務もあります。毎日が勉強ですね。 今日はとても嬉しいことがありました。教会関係の用事が全て無くなり、家にこもるのが好きな私は、貧乏性で何でも残しておいたのが役に立ち、毎日色んな生地で立体マスクを50枚程縫いました。上げるところも決まっているしでミシンを片付けていたら、孫から妹が生まれたとの電話。こんな時なのに上二人を出産した助産所が家族の立ち会いを許可してくれたとか。憲法記念日に9人目の孫が誕生。これはなんとしても9条を守らないと。そう強く思いました。有り難いことです。
北方領土。竹島、尖閣諸島、拉致問題。国際問題を解決するバックボーンに武力が無ければ、交渉すら始まらないと思うのですが、国際問題の解決の直接的手段ではなくとも、間接的に武力の放棄は現代ではむしろすべきではないと思うのですが、九条無修主義者の皆さんの意見を乞います。
東京には中国人の金持ちが投資目的で買ったマンションなどの資産がたくさんあります。 観光地も中国資本が、投資目的で、物件を持っています、中国人の観光客が多いから、投資価値があると言う事です。
日本政府がある以上、外国人が資産を持っても、それは日本の統治下にあります。
中国政府が東京に核ミサイルを落としても、アメリカ政府は遺憾であるというだけで、北京を核攻撃など、しないでしょう。
じゃあ、日本政府も、核ミサイルを装備する必要があるのか? しかし日本には中国人の投資目的の資産があります、中国にも日本の投資した資産があります。
お互いに利益を得ているのに、経済的に相互依存してるのに、わざわざ破壊する理由は無いんですが、そうなると軍事産業が困るから、表向きは煽りますね。
このコロナ不景気でも、軍事衛星と航空機部品の関係は安定して製造を続けていますからね。
日本が、真に独立して、地政学的に、アメリカ、中国、ロシア、韓国、東南アジアとそれぞれバランスをとって、交渉していたら、軍事力も最小限で済みます。
憲法9条は、日本が米国の軍事産業にしゃぶり尽くされない為の、法律であり、だから、中曽根元首相など、古い自民党は、不沈空母などとアメリカに寄りながらも、あえて憲法9条を変えなかった。 日本が米国の軍事産業に取り込まれたら、独立国家になる道が永遠に閉ざされます。 現実、アメリカの属国下にある今は、憲法9条は日本が米国の戦争に巻き込まれるのを防いでいます。
それを改憲するのは、日本を米国に、名実ともに売り渡す行為でしょう。
さて、どんな宗教であれ、神が存在するなら、神は戦争を望むでしょうか?
仏様は、戦争を望むでしょうか?
神への信仰をされるなら、どうしたら世界は平和になるのか? 人々が安心して暮らせる様になるのか? そう言う方向で考えて欲しいなあって、思いますね。
芹沢真一著 「心のはらい」より
戦争について井出国子「国常立」さんは、戦争中や終戦後、芹沢真一氏や信者に次の様に話していました。
p201~
今度の戦争では、神様も空襲する敵機を見逃しているのや、
しかし、その気になったら千機二千機の飛行機でも、一度に打ち落して見せるぜ。
神様の風を使ったなら、そんなことは何でもないぜ。
終戦後は、
二度と日本には、原子爆弾が落ちるようなことはないぜ、
こんどは、神様が風を使って、日本の上に、入らないようにするぜ。
この事に関して須藤花井さんは、次のように話していました。
「もし次、大戦争が起きたら、皆が交代であしきはらいのお勤めをするんだ。
途切れることが無いように、勤めるんだ。
そうすると敵が日本に向けて撃ったミサイルは、自分たちの方へ向かって戻って行くんだ。」
須藤さんから聞いた話の意味がよくわかりませんでしたが、
今回 この文章を読んで あしきはらいのお勤めが神の風を吹かせる事と納得しました。
信じる信じないは、あなた次第と言う事ですが。
今、世界の核ミサイル保有国は
アメリカ・イギリス・フランス・イスラエル?
インド・パキスタン
ロシア・中華人民共和国・北朝鮮
ミサイルは、何処の国から飛んでくるのやら・・・
どのような人が神のような言葉を話そうと、日本だけは大丈夫というような言葉は信用しない。
日本だけ、天理だけ、なんてえこひいきする神なんて神ではない。
おつとめなんて、意味がない。祈って叶うなら世話ない。
でも、目に見えない偉大なものに祈るという行為は尊い。
すべてやりつくした上で、祈るという行為は尊い。
私は昔からおつとめが大嫌いです。
参考にしなくてもいい意見 様 (2020年5月4日 6:38 AM)
ご投稿に感謝します。大人の思考とも言うべきご意見に心が平らかになります。
安倍首相の憲法改正を主張する映像から読み取ることができるその表情は、コロナ感染の報道とは明らかな違いがありました。
何としてでも改正するゾという決意に捕らわれた、ある種の妄想にとりつかれたかのような「一念」が張り付いた顔のように感じました。まぁ、人それぞれだから、広い意味での天理教関係者の中にも安倍首相大好き人間もいることはネット書き込みからも知られている状況ですね。
そうした中での「参考にしなくてもいい意見」様のご意見を拝読し、人間としての良心が感じられホッとした次第です。
戦時中の体験を親から聞かされ育った世代は、親の体験から植え付けられた感覚を持ったまま成長することは非難できない事ではあります。
多くは成長過程の中で、「あれっ?親だって間違えているじゃないか!」と気が付く事柄にぶつかります。
天理教の、ネット世界が開かれて以来、現在に至る状況は、まさに「親」は絶対という盲信が打ち砕かれる現在進行形の過程そのものですね。
(この場合の「親」は無批判に使うのでは無しに、便宜的に使用している、組織とか上級とか、信者である肉親等々を指します。)
卑近な例を持ち出し恐縮ですが、お許しください。
亡くなった父は戦時中、国内で地下工場建設の為、朝鮮半島から送り込まれた人たちを使う立場でした。
現在、戦時補償を要求されている大企業が幾社か有りますが、父の勤務していた企業(誰もが知っているような企業です。)は、そうした訴えを起こされていません。
戦後、すぐに転向できない苦しさから、退職した父でしたが、心根の優しい人でしたから、戦時中の徴用工に対しても、非道な事はせず、人間的な信頼を得られていたようです。
話を聞いた中でも印象に残る話は食料調達です。
どこから調達したのか聞き忘れましたが、その日はウマが手に入ったそうです。(軍用馬?)
朝鮮半島から連れてこられた人の中にウマを解体できる人がいたので、その日は皆で馬肉を胃袋に収める事ができ、喜ばれたそうです。生きるために個人的な食糧隠匿をしようと思えばできたはずですが、しなかったのです。
そうした関係性があったためかどうかは判りませんから、断言はできないのですが、その地下工場建設をしていた大企業は補償の訴えを起こされていません。
恨まれることなく敗戦を迎えたことだけは確かなことでした。
立場が違えど「苦楽を共にする」ことで信頼が生まれるのは戦時中であっても、そうした例は映画などにもありますね。
今、コロナで日本の様々な歪みが露わになっています。中には貴重な医療資源が外国人に使われることに反対する人もいます。
けれど、海外在住の日本人が医療差別を受けたら、どうなりますか?
国によって状況は違いますが、外国滞在の日本人もその国の医療資源の恩恵を受けられなくては、結局のところ、まわりまわって日本国内へダメージが運ばれることが、もう、誰の目にも明らかになりましたね。
どうかお願いですから政治体制が異なる国との「共存」「共生」に知恵を出し合うことで地球上の厄災を乗り越えるべく、心をあわせませんか。
賛同ありがとうございます。
今、日本には軍事インフラとして国防軍である自衛隊があり、国際的身分は警察官ですが、自国の防衛はできる訳です。
日本は決して丸腰ではありませんし、米国に守られている訳でも無い、米国は日本に駐留してるだけで、日本防衛の義務は安保条約には、はいっていない。
「適切な対処をする」と言うだけです
首都近郊に巨大な治外法権の国連軍事務所、米国の基地が二つも存在するのは、日本を占領下に置き続けるタメであり、日本の官僚が従っているのは、日米委員会と言う事実があります。 いまだに米軍の占領下なのです。
自衛隊が米軍の下請け軍隊として、海外に行かないで国防に専念させる為にも、今は憲法9条が大事だと思います。
改憲派は、米軍の傀儡であり、売国行為じゃないでしょうか?
コロナの今、杏ちゃんがYouTubeでギターの弾き語りをしてくれています。美しい声にうっとりします。でも歌の内容は深い。1971年ベトナム戦争さなかに作られた加川良さんの「教訓1」です。杏ちゃんから知ったという人が多く、私は50年ぶりに聞いて涙が出て来ました。3年前に亡くなられたのが残念です。あの当時弟がギターを買い、生徒会長になって、N高ベ平連を作り、放課後に反戦フォーク大会を開いて、学校から両親呼び出しの電話があったのが懐かしいです。若者達が燃えていた時代です。阿倍野の地下街で毎週フォークゲリラが集まり、仕事帰りに立ち寄っていました。最後の頃は警備員、巡査まで出て来たので終わってしまいました。
日米安保なんてまやかしです。アメリカは日本を守ってくれません。沖縄の元海兵隊員が証言しています。有事の際に日本を助けるなんて教えられてもいないし、そのための訓練なんて一回もした事はないって。アメリカという国は儲けになる事全てに首を突っ込み主導権を握ります。先住民のインディアンを虐殺してアメリカ大陸を手に入れた歴史、アフリカの民を力で商品化した歴史、西部劇ではジョンウェインを筆頭に共和党支持の役者達に日本人は大いに騙されましたね。アメリカの俳優は日本と違い政治的な意見を堂々と言っています。日本の芸能人がちょっとでも発言するとアイツは左だとかで打たれます。情けない国です。家庭でも、職場でも、仲の良い友達間でも政治の話は出ないという先進国では考えられない実情です。やはり、子どもの時から学校で自分の意見を言い合う機会がない事、討論する授業無く育って来たからでしょうか。いくら成績が優秀でも自分の思い一つ言えない弱い人間では生きていけません、すぐ心が潰れますよ。匿名で発言できるこの場を大いに利用すればいいじゃないですか。視野の狭い凝り固まっていた考えが変わるかも。目からウロコのこと沢山この場で学ばせてもらっていますよ。感謝です。
人と人を引き離す。親と子を引き離す。国と国を分断する。コロナの出現によって、大いなる神は何を意志しているのだろう。地球の歴史の想像を超えた新たなるステージに私達は突入した様に感じます。神とか祈りで乗り越えられるとかそういう段階を超越してしまったのでしょうか。
信仰心もこの未曾有の現実の中では全く力にならないと最近ではそんな気がします。聖地ぢばにも近寄れない現実。祈りをも拒絶するコロナ。人を思い、助けを求める人に近ずいてはいけないコロナ。
こう言う昨今の経験の中から考える事は、お金と言う価値観で命を繋ぐ、と言う発想など、全く陳腐で、意味を成さないと言う事だと思ってしまいます。天理教信仰について考え込む昨今ですね。
私も杏さんが「教訓1」を歌われているのをテレビで見てぐっときてしまいました。私がこの歌を知ったのは
2014年7月集団的自衛権の行使が閣議決定のみで合憲へと解釈変更になった時でした。
加川良「教訓1」(1973年)
命はひとつ 人生は一回
だから命をすてないようにネ
あわてるとついフラフラと
御国のためなのといわれるとネ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
御国は俺達死んだとて
ずっと後まで残りますよネ
失礼しましたで終わるだけ
命のスペアはありませんよ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
命をすてて男になれと
言われた時には震えましょうよネ
そうよあたしゃ女で結構
女のくさったのでかまいませんヨ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
死んで神様と言われるよりも
生きてバカだと言われましょうネ
きれいごとならべられた時も
この命をすてないようにネ
青くなってしりごみなさい
にげなさい かくれなさい
昨日は憲法記念日でしだ。今日の危機を現憲法に添う政策を実現してほしいと一国民として強く願いながら
この歌詞を嚙みしめております。
たとえ今、お国のために戦いなさいと言われても、聞いているふりをしてください。
そして周囲の様子をしっかり見聞きしてください。
先の大戦の時には金持ち、有力者、国会議員の息子たちは危険地域には行かないよう配慮されていました。
中曽根さんの軍歴も会計係なのに、戦後生まれの私たちはコロッとだまされていました。
有力者の息子の首相が何故か勇敢な振りをして、大将気取りのふるまいをしているのを見るにつけ、
安全地帯にいる子供が戦争ごっこに興じているように見えてしまいます。
映像は正直に表情をとらえますね。
日本国憲法が世界に広がるように、世界が戦争を放棄するようにと考えています。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(一)天理教の発生とその歴史
全国に信徒七百万を有し、遠く海外布教にまで手を広げている天理教──年収数百万の所得があって、住友男爵につぐ多額納税者である天理教管長中山正善とは果たして如何なる人物であるか、更に最高幹部松村吉太郎が今日の天理教を築き上げるまでに如何なる秘密工作を施したか、厳正なるメスを振って解剖する前に、先ず天理教の発生とその歴史を一瞥することにしよう。
そもそも天理教なるものは今を距てる百年ばかり前、即ち天保十年秋十月大和国山辺郡丹波市村大字三島、農業中山善兵衛の妻中山ミキ子が(当時四十歳)が病気となり、平素信神深い田舎者のこととて山伏の某に病気平癒の祈願をこめてもらうと忽ち本人は逆上して「我は天の大将軍であるぞよ!」と居丈高になり、この日より全く人格一変して新宗教を唱道することになったのが即ち今日の天理教である。
伝るところによれば初代教祖中山ミキ子は天性慈悲深く仏教の熱烈なる信者であり、十九才の時すでに五重相伝を受け、相当の財産があったのを全部貧民乞食に対して善根をおこない、本人は全くの無一物となり、月夜に荒れ庭の落葉を焚いて暖をとったというほど徹底した人類愛の実行者であったという。
今日の天理教が「貸し物、借り物」というヘンテコな教理を振りかざして諸人の財産を吸い上げ、馬鹿げ切ったコケオドシの大建築を行うばかりで、この非常時と言われる時節に何等国家的社会的の事業にビタ一文寄付をなさざるのみか、宗教家なる立場を忘却して脱税を図るに至っては言語道断、国賊なりと言われても一言の弁解もあるまい。
(二)独立運動と賄賂政策
初代教祖存命中は一派独立の宗教でなかったため、諸国より大勢の参詣人があると警察から厳しく取り締まられ、一時を糊塗するため表面宿屋業を装い、密かに集合していたが、頻繁なる当局の手入れのため教祖始めその門弟は十数回に亘り拘留処分に付されたのである。かくて教勢拡張上非常に不便があったので京都神祇官吉田某氏に泣きつき神道直轄として布教することになったのである。それにしても一派独立するにあらざれば天理教百年の大計を樹立することができないので、初代管長中山新治郎の命を受け天理教きっての知恵者といわれる松村吉太郎(当時の高安大教会長)が上京して当局に猛運動を試みたが、天理教は淫祠邪教なりと見られていたため容易にその目的を達することができなかった。
ここに於いて万策尽きた松村は先ず内務省から指摘された教義の不備を改めるため、当時大阪天王寺畔に住んでいた宗教学者中西牛郎なる者に多額の原稿料を支払い、天理教本来の教義と似ても似つかぬ立派な天理教教典なるものを編纂したのである。これがその後、大正四年か大正五年ころ一時天理教が宣伝用にかかえていた御用学者法学博士廣池千九郎が天理教教頭大宮兵馬と、天理教教典は天理教精神を現している、いないの大論争を卷起した問題の教典である。
松村吉太郎はこの教典を内務省に差し出すとともに、時の警保局長古賀廉造に対し十数万円のワイロをつかまして明治四十一年にやっと一派独立の許可が下ったのである。この事件に関しては松村を古賀に紹介した小川某が報酬金が五万円少なかったのを理由として契約不履行の件を大正五年奈良裁判所に告発したため松村吉太郎は約半ヶ年奈良刑務所に収容され教祖三十年祭に参列することができなかったが、彼らの一統は十数万の巨費を投げ出し、花井卓造、鵜澤聰明など天下一流の法律家を雇って「そんな契約は公序良俗に反する」とウヤムヤに葬ってしまった。
(三)天理教が淫祀邪教たる理由
宗教復興の声とともに最近検挙された大本教、その他──(中略)──、天理教等々数百に上るインチキ宗教が続々と跳梁跋扈してその応接に暇がないのが今日の現状である。
真正の宗教は安心立命をするのが本旨であって、決して病気が治るとか、金が儲かるとかいうべき筋合いのものでない。然るに天理教は病は心から発生するものだと称して医薬を排斥する傾向がある。昔、天理教は金平糖にモルヒネを調合し病者に提供していたので問題となり、今日は御洗米を之に代用しているようである。
然して天理教が淫祠邪教たる所以は「借り物の理」なる教義を有し、天地宇宙、万物一切は天理王命が創造したものであって、人間は之をお借りしているのであって、その身体自身も自己のものであって自己のものに非ず。神より借り受けているのであるから、その賃借料を出さなければならぬと言うのである。
然り而して人類発生の地は天理教本部─奈良県丹波市三島の地場であると言い、教祖中山ミキ子の魂は恐れ多くも○○○の再来なりと言うのである。(尤も最近はこの主張を表面しなくなったようであるが熱心な信者は之を固く信じている)かかる教義を有すると共に「地場から打ち出す言葉は天の声である」と称して絶対服従を強い、「借り物の理」を真っ向から振りかざして信者の財産を根こそぎ搾取するのだから宗教を仮面とする吸血鬼であり、詐欺の親玉である。全国六百万の信者の中には先祖伝来の田地田畑を失い、その産を破って路頭に彷徨している者はその数幾万なるか分からない程である。
更に天理教が純然たる一種の○○主義なることは彼の米国のアマナ社団と共に有名なることは斯道の学者河上肇が嘗てその昔証明した通りである。今日全国の天理教会が至るところで財産を全部本部に献納してしまって、共同生活をしている者は無数である。<<
御供えは借り物への賃借料なんて、昭和10年に既に言われていたとは・・・。「宗教を仮面とする吸血鬼、詐欺の親玉」には思わず笑ってしまいました。
ここまで読んで思ったのですが、天理教が官憲の弾圧を受けた理由は、ただ単に自由や平等を説いたからではなく、現実に国民生活に有害なものと判断されたためではないかと。明治38年の内務省衛生試験彙報. 第11号には「天理教会供米中モルヒネの存否試験」という報告があり、この時は検出されることは無かったようですが、天理教は完全にマークされていたのでしょう。
藁をもつかむ思いで集まった病人達に過酷な御供えを要求し、生活を困窮させ、適切な治療を受ける機会を奪い、金が無ければ養生の必要な者であっても奉仕労働に駆り立てた。その結果、丹波市町は結核の死亡率日本一、いや世界一となったことは内務省に記録された歴史的事実です。
今日、自粛要請のある中でも本部前には信者の参拝が絶えることが無い。病人あっての天理教とはいえ、科学の発達した現在に柳の下の泥鰌を狙うのはチョット無理があるように思います。
参考意見 様
2020年5月4日 4:38 PM
いつも貴重な資料をご投稿いただき、ありがとうございます。大変、参考になります。今後ともよろしくお願いいたします。
特に匿名 様
2020年5月3日 9:25 PM
>>勿論、伝えたこともそれなりの功績を評価するべきかと思いますが、その事を過大評価することは、現在の天理教の教義を伝えたことを重要視する「理の親制度」を擁護するような印象を受けてしまうのです。<<
歴史の解釈は、正しい部分もあり、誤りもあると思いますが、歴史の解釈や議論と天理教の教義を比較して論ずるのは、あまりにも飛躍しすぎ、無理があるのではないでしょうか? あなたが、どういう印象を受けられるのかは、あなたのご自由ですが、私は歴史と天理教という一信仰宗教をチャンポンにして考えておりませんので、誤解のなきようお願いいたします。
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上記投稿文中、入力ミスがありましたので、下記のとおり訂正いたします。
天理教という一信仰宗教(誤) → 天理教という一新興宗教(正)
心通りの神の守護。
より優しいより便利で豊かな世を見たいのは神も人も同じだろうが、神の方法論は最も進化しているであろう、道具衆とその周辺の魂達の身体を借りて、天啓を宣べ伝えながら、たすけ一条を勤め続ける事を、お地場に実現する事であった筈。
我々凡夫が可能なのは、感謝・喜び・優しさ・創造性・向上心・謙虚さ・朝起き正直働きの心を養いながら、神がお地場に天啓を再来させる事を大望し続ける事くらいしかないのかも知れないが。
支配欲とエゴが蔓延る世界にあってこの国の大平和を希求する大和魂も汚され続けているならば、教祖ご在世当時のトウジンコロリや牛の先道といった疫病の蔓延だけでなく、人類が次のステージに進まざるを得ない段階では、あらゆる災害が時間密度濃く押し寄せてくるのではないか?とも今世紀に入ってからの世界地球規模の災い群にそんな想像をしてしまいました。
憲法記念日は昨日。改憲論、護憲論はもう終いにしましょう。歴史認識は各自違うので論戦しても無駄。過去にこだわりるより現在どうすべきか論じるべき。
人は過去に学び、次に伝えようとしています。幼稚園、小学校、中学校、高校で生きていく基本を学び社会に出てからは先輩に学びます。勿論、家庭においても学びます。
先生を恩師と呼び同窓会にも臨席頂きました。遠い昔、和人が韓半島人にいろいろな技術を学んだことは事実です。電気技術を学んでいた折に、仕事が終わった後に親身になって難解な複素数をや微分を教えてくださったのは韓半島の出身者でしたよ。理の親教理を擁護するような思考と思われるのは、少し違うと思うんです。
>>過去にこだわりるより現在どうすべきか論じるべき。<<
「温故知新」という言葉があります。確かに過去にこだわってばかりいれば、未来に向かって前進することはできません。「温故知新」とは「古きをたずねて新しきを知る」という意味ですが、人類が過去に犯してきた過ちを謙虚に検証・反省し、二度と同じ過ちを繰り返すことがないように常に心がけ、努力することにより、明るい未来が開けていくと信じます。歴史を研究し検証することは、同じ過ちを繰り返さないために欠くことのできない条件であると思います。
私には護憲論・改憲論という立て方は良くわかりません。私などは後期高齢者で確かにバスや電車で外出できず友人に会ったりもできず不自由を感じますが実害はありません。ただ感染したら周りに迷惑かかるし高齢者は重篤なると言われているので怖いとは思ってますが。
しかし多くの人々の実害が多大です。どうして「補償するから安心して休業を」と国は国民を安心させないのだろうと。
憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」
これに添う具体的な国の姿勢がほしいと思うのです。
気になるツイート ご紹介。
いよいよ本部もコロナがきっかけで崩壊か。
うさこ @ptp69
ただでさえお金無かったのに今年は、コロナで色々行事とかも無くなるからもうダメだろうね、聞いた話だけど、財源がないから本勤なくす方向で本部が進めてるって本当?
Zzz999 @Zzz99942630829
大分前から、改革はしてきていますが一部が了承?しない為に進まずにいます。天理大学にお供えが赤字の補填の為に大分流れていますし、各教会は面倒見れない人を境内掛に送り込んだりと、、全体的に腐っていると思ってました。前の表統領は改革派でしたが、その為に潰されたみたいですよ。
また文章力なしのオバチャンですみません。5月4日6:02PMの匿名さんのような人、すごく多いですね。まだお若いんですか?日本人は自分に降りかかって来ていない事には無関心な人が多いみたいです。戦中派も戦後生まれも、若者も同じく。過去にあった事は全て今に繋がっているのに、自分の近くにないからスルーなんですね。その方が楽だもの。自分に関わる家族、親戚、友達以外ならどんな理不尽な事や不平等な事があっても関係ない。想像力も無ければ怒りという感情もない。つまりあったかくないんですよ。桜井よしこや杉田水脈を見て感じるのは、一言で言えば「気持ち悪い」です。温かい血が流れていないような、冷血な生き物のような、、、テレビで目にしてしまったら気分を和らげる為YouTubeのお世話になります。昔も今も変わらない垂れ目に潰れた鼻の岡林信康さん。時にはキリストさんに見えてしまうのが不思議です。顔と同じようにとろ〜んとした柔らかい優しい声に笑って一緒に歌って不快な気分一掃です。
コロナウイルス感染の恐怖を感じながら、会長に従わざるを得ないといった声が、
本部へも少なからず聞こえて来ています。<<
5月の月次祭に日が近ずくにつれ、信者さんに会長家族だけで実施する旨を伝えなければならないと思っている昨今です。本部の伝達を伝えて説得力のある話で遠慮して頂こうと、本部からの通達を再び読んでみたが、上記の文章に違和感を感じました。会長に従わざるを得ない、ではなくて会長には「はい」と言って素直に従えと聞かされてきました。信者さんは当然の事、我々下っ端教会は上級の言う事には絶対服従で従わなければならなかったのです。信者や下っ端を黙って服従させて来たのは本部です。
本部に従わないと怒る前に、本部は早めに手を打つべきでしたし本部の手抜かりを責任転嫁した文章としか思えません。
我々教会長も今後は自分勝手で手ぬるい本部には従わず、世の中の常識に照らして自分で思う所を実行しなければと思いましたね。
匿名 様
2020年5月5日 11:39 AM
>>我々教会長も今後は自分勝手で手ぬるい本部には従わず、世の中の常識に照らして自分で思う所を実行しなければと思いましたね。<<
何か事があっても、本部は何も責任はとりません。「天理教の常識は世間の非常識」です。教会本部の月次祭をはじめとする諸行事は、世界的なリスクを冒してまで参加するようなものではありません。教会本部の真の目的は「金集め」なんです。不要不急の外出を控え、出来るだけ家に留まっていることが、コロナの早期収束のために、我々一般庶民ができる最善の方法です。
金をたくさん積めば、本部はニッコリ。
ただ、それだけのこと。
神はニッコリするのかな?ニッコリするのは人間だけじゃないかな。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(四)天理教の不敬事件
かつて天理教は教祖中山ミキ子の魂が国祖○○○○の再来であると口伝を以って信者を教育していたので一日、筆者は大和の天理教本部に松村吉太郎を訪問したことがあるが、その時美しい令嬢が玄関に現れて来たので來意を通したが、その時どこかの女学校長は面会を許されたが筆者はウサンな奴と見られたのだろう、天理教庁の方へ廻された。見ると三十過ぎの青年がいたので二三問答の結果「もっとエライ人に会わして貰いたい」と言うと今度脱税事件でイの一番に検束された外事部長堀越儀郎の所に連れて行った。
玄関から奥に入ると堀越儀郎は図々しくも偽病を使い、布団の中に横臥していて「病中で大変失礼致します」と断りながら筆者が不敬の事実を突張ると、彼は「イエ、それは教祖の魂が○○○○の魂によく似ていたと申すまでです」と巧みに問題の中心をそらし、のらりくらりと瓢箪ナマズの答え方をする大胆不敵な男である。彼、堀越儀郎が如何なる詭弁を弄しても熱心な信者は天理教祖は○○○○の魂の再来であり、現管長中山正善の魂は月夜見尊の再来であると堅く信じているのだからどうにも手の付けようがないのである。
更に天理教の御筆先には「今までは高山(○○○の意味)ばかりがはびこりた これが残念ばかりなるぞや」と暗に○○○を呪詛する言葉があるのは見逃せない危険思想である。
かつて昭和五年に奈良地方に於いて陸軍大演習の行わるるや天理教は莫大なる運動費を使って天理外国語学校付近に御野立所を設備したのを勿怪の幸いとなし、同教の機関雑誌「道の友」にこのことを記して如何にも同教が不日国教に指定せられるかの如き思わせぶりを信徒に抱かせたのは不謹慎極まる挙動である。
(五)天理教の脱税事件
大本教大検挙に続く天理教の大手入れ、吹き荒ぶ糾弾の嵐に教界の雄「神の試練」はあまりにも峻烈、まさに師走の霜よりも手厳しい、底なしに拡がる全国の脱税疑獄事件は遂に神聖なるべき教域の真只中に波及、昭和十年十二月十六日払暁を期して突如奈良県警察部の手で行われた中山天理教管長所得税査定の謎をめぐる剔抉のメスは全国の信徒七百万と号する天理教の御地場、讃仰のメッカ丹波市の同教本部、中山管長邸はじめ宏壮雄大を誇る同教団の中心建物に向かっておろされた。
奈良検事局ならびに奈良県刑事課で鋭意摘発中の天理教中山管長所得額査定に絡む教団大疑獄は十一日同教外事部主任堀越儀郎氏の引致、辰巳元貴族院議員の召喚を見て拡大を予想されていたが十六日早暁、奈良地方裁判所棚木、川崎、大橋三判事は奈良署員、県刑事課特高員一五十余名を指揮、バス、自動車三十台に分乗十一班に別けてまっしぐらに丹波市三島に向い天理教管長邸を初め教庁内会計部、財団部、経理部、総務部調査課、教庁詰所、会計部長山澤為信(四五)会計部収入課長上田民夫(三一)印刷部長東井三代次、庶務部長諸井慶五郎、元老松村吉太郎(六九)外事部主任堀越儀郎(四六)一五日収容済み─元老山澤為造(七〇)海外伝道課長高橋道男方の各所の家宅捜索を行い会計関係の帳簿多数を引揚げたが、十時二十分に至りまず総務部調査課長後藤聡一郎(三一)会計部副長宮森興志彦(四五)同収入課長上田民夫(三一)同支出課長澤田芳蔵(四八)を連行、直ちに自動車で奈良署に送った。
中山管長の所得額は昭和七年までは僅か三万円で、これが査定に当たっていた奈良税務署歴代署長は豪勢な天理教の教勢発展に伴い管長の所得も必然増加せるものと見ている。
昭和六年イギリス留学から帰って同税務署長に赴任した渡邊武氏が従来の査定方法を一新し調査を進めた結果、百万円を突破するものと見られるに至り昭和八年の所得額を先百二万円と内部で査定したのが今回の事件の発端である。しかし余りにも一躍巨額となり、かつ昭和七年には天理教祖殿及び神殿の改築があったので信者の寄付も多く、このため管長臨時所得が多額に上った点をも考慮し推定で額は七十二万円に引き下げ発表した。天理教側ではこれに異議を唱え、さきに収容された堀越儀郎氏が主となって所得調査員の藤山一益氏に軽減方の運動を依頼し大阪税務監督局への異議の申立を行った。当時も安藤直税部長は渡邊奈良税務署長らと共に八年十月中山天理教管長自身から所得の事情を聴取した結果管長は宗教家の立場をも考慮し遂に同年十一月異議申立てを取り下げた。当時天理教側では所得税施行細則に寺院仏堂には税金をかけないが教会所の名が無いのを税務署が巧みに掴んで教会所であるところの天理教庁の収入全部を中山管長の個人所得と査定したのが不当であるとの理由で異議を申し立てたものであるが。税務署側では教庁の収入と管長の個人収入は別個に取り扱ったとなっており、当時東京方面でも天理教側から税務署の査定方針を不当とする運動が相当行われたとの噂があった。
越えて九年度には管長の査定額は反転して四十万円となり、この急激な軽減が今回の事件の疑惑の中心になったので今十年度も引き続き三十九万円に低下している。
(六)宗教家の権威何処にありや
七百万信徒を擁する天理王国の財産は底知れぬものと言われ、本殿内に十数個備え付けられている大賽銭箱には昼夜を分かたず参拝の信者から投げ入れられる賽銭の音が絶えず。大祭などの場合は数万円に達すると噂されているが、これらは絶対に外部より窺知できず、毎夜本部員によって極秘裏に勘定されると言われているが、このほかに包金として巨額の金額が献金されており、ときには数万円の全財産を献金する狂信者があるほどで殊に大祭日などの多額の義務的寄付金が割り当てられる始末で天理教の擁する巨財は全く窺い得られないにしても、最近における天理教の支出した金額でも明年の教祖五十年祭、明後年の立教百年祭を前に教祖殿、本殿などの建築費だけでも百万円と称され、昨年都市計画のため県へは七十六万円の寄付をなし、一昨年来大規模な天理総合学園設置のため付近数万坪の土地購入に百万円を要している。このほか大祭準備のために外苑その他の修築などに数万円が投ぜられている。
また昨年館長渡米の際は約三十万円が費消されたと伝えられるが、各本部員の豪奢な生活はいかに巨財を積んでいるかを如実に物語っており、県への寄付金、土地購入などは全部天理教財団より支出されているので、今回問題になった中山管長の所得は一寸不明である。<<
毎度、国立国会図書館デジタル資料より。古い漢字を変更した他は、誤植ではないかと思えるような部分もそのままにしています。PDFファイルなどはコピー貼付が効かず、私はタイピングの技術も無いため指一本のカナ入力なので大変非効率なのですが、少しずつでも古い資料を紹介していけたらと思います。
参考意見 様
2020年5月5日 9:16 PM
>>PDFファイルなどはコピー貼付が効かず、私はタイピングの技術も無いため指一本のカナ入力なので大変非効率なのですが、少しずつでも古い資料を紹介していけたらと思います。<<
いつもありがとうございます。入力作業が大変であろうと拝察いたします。少しずつで結構ですので、ご無理なさらないようにお願いいたします。
参考意見様。いつもありがとうございます。コピーさせて頂きました。折りがあれば若い上級会長に見せようと思っています。若い人達の中には、明るい次期真柱と共に能天気に浮かれている者もいますが、天理教が100年も前からこの様な社会からの批判の対象となっていた事を知っている者は居ないと思います。
今テレビを見ていたらコロナによる失業と自殺者の相関関係を伝えていました。天理教教会家族も今では仕事で教会生活を支えている場合が多く、この現状では失業を余儀無くさせられている事は簡単に想像できます。
生活経済が立ち行かないと言う事が命をも脅かす現実をテレビが発信しています。天理教信者、教会家族も先ずは自らの生活の立ち行きを考えるべきで、こんな時にお供え、お供えとむしり取られるならば、天理教は鬼畜以外の何者でも無いと。
各種行事も中止で収入も無い代わりに出費も当然無いわけですから、この際こそ本部は信者子供達の立ち行きに思いを馳せて、各種集金の手をゆるめ、あるいは集金延期として、親の心遣いが感じられる様にして欲しいと思います。
温故知新で、お知らせ頂いた様な過去を実際に起きた事として若い者に知らせる事がとても大切だと思います。
>>生活経済が立ち行かないと言う事が命をも脅かす現実をテレビが発信しています。天理教信者、教会家族も先ずは自らの生活の立ち行きを考えるべきで、こんな時にお供え、お供えとむしり取られるならば、天理教は鬼畜以外の何者でも無いと。<<
そうなんです。鬼畜以外の何ものでもないのです。
参考意見
2020年5月5日 9:16 PM
金にガメツく 女にだらしない 中山家や教団の本質を暴いてる話で良いですね。この体質を「親だ理だようきぐらしだ」と摩り替えて信者を騙してきただけの宗教とは名ばかりの詐欺集団でしかありません。社会学の皆様も、教団では教理と呼ばれる教義を議題に話されることがありますがそれ以前に問題点を探そうともどこを辿れど中山家の存在自体が問題の根源でしかないのがこの教団の本性でしょう。中山家の中田善亮が今になってどれほど頑張っても逆効果しか生まなかったのが結果です。
甘露代倒壊、真柱身上、学校組織など各所縮小、極め付きにコロナ問題で万事休す。
教会でオジを唱えて吹く数人で踊る行為はライブハウスとなんら変わりません。つまり参拝の仕方も必ず変えないと回り近所から通報される対象なのです。本部は発表して無いでしょうが、ネットでも一般人からのクレームも目にしますの通報もされているようです。中田善亮の「金のつなぎは命のつなぎ」は実は「菌のつなぎは命を絶つ」とコロナ感染の斡旋をし感染拡大を担っていたとも言われる日も遠くないでしょう。
なにかにつけて各種責任を「信者のせい」にして来た中山家の責任でしかない。中山家事態の堪能が足りてないからこの様 頼みの綱の不動産収入も、テレワーク等が発展し事務所を構えず行うことから今後価格暴します。部内から土地を騙し取って売却しようにも駄目でしたね。
神様は見てますよ。中山家はいつ責任を取り教団を後にし今まで積んできた因縁を納消するのか?がみのもですね。それを怠るからこの様とも言えます。天罰が区立ている最中はそれをバチとは気が付きにくいでしょうが、これはただのバチです。
教団内でも中山教の人間は中山家の都合の良い話だけ信じ込まされてますが、本部中山家が各部内にしてきた事を調査してますが、事実を知れば知るほどこの惨状に陥るのは当然の事だと誰しも納得するでしょう。皆さんも自身で調査して見ると嘘に隠された真実が見えてくるのでお勧めです。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(七)伊東ハンニと天理教の関係
六百万信徒に一大ショックを与えた天理教大手入の結果は長年〃謎〃の煙幕に包まれた天理教庁会計調査課をめぐって使途不明の莫大な金が各方面にばらまかれ、その間その衝に当たっている収容中の堀越外事主任をはじめ多数幹部に背任横領の疑惑も検察当局の峻烈な解剖室にのせられんとしており〃屋敷を拂って田売りたまえ〃の寄進に次ぐ寄進に信徒から「神様」へ奉られた財産が一部幹部によって如何に自由に使用され彼らの私腹を肥やしていたかが暴露さるべく、六百万信徒に及ぼす影響は天理研究所、三輪講などの分派抗争の熾烈な際とて天理教の浮沈にも関聯し、今や讃仰のメッカ丹波市天理街には暗雲低くたれこめている。
天理教から各方面へ謎の金がばらまかれているとの噂は過般大阪府特高課に検挙され先般収容された伊東ハンニに対し天理教問題と相俟って、謎はますます深刻な疑惑を一般に投げかけているが、この謎(使途不明の金)の発端は内地の布教に行き詰った天理教が満洲事変を契機として、さきに満洲に於いて確固なる布教地盤を持っていた大本教と対立して満蒙方面で布教の途を開かんとしたことに始まり、先ず第一手段として某方面に猛烈な運動を行った結果ハルビン郊外に天理移民村を建設、満洲布教の第一歩を踏み出し、これを順次拡大して今日数箇所の移民村の獲得に成功、本部教庁外事部並びに調査部が主体となって天理外語出身者を中心とする宗教移民を送っているが、たまたま天理教の計画を知った怪人伊東ハンニが、当時新東洋建設学生隊の参謀格、元大阪○○○社員渡廣介氏仮名の紹介で中山管長に喰い入り、移民村建設には某方面への運動資金が必要だと、某方面の名を利用して莫大な金を詐取したと言われ、これが機縁となって堀越外事主任は外交的機密費並びに交際費と称して会計部から多数金額を引き出してはハンニを利用して東京、大阪、京都などの株街に暗躍していたとも伝えられ、この外最近現れた問題として堀越外事主任が教団幹部の反対を押し切り、最高幹部を動かし目的不明の二十万円という大金を某方面に送り、しかもこの支出金は会計帳簿には記載されておらず、謎の支出として本年夏ごろ、同教が真の宗教としての発展を祈る生一本な天理青年会より成る少壮幹部中に、堀越糾明の気運さえ起こり、今日残された問題として少壮幹部の手で二十万円真相調査が行われている。
(八)所謂二十万円事件の行方
二十万円調査問題は七月初めごろ発生したが、これに関し堀越外事主任は昭和八年、中山管長が南支方面調査のため旅行した際、南方軍閥白崇嬉、李宗仁氏らと会見、この時、天理教を認めても良いとの南方軍閥の好意に対し、謝礼として三百万円出すと口約したことがあり、この為その口約を盾に東京某方面から資金百万円の資金支出方を要求してきたが最高幹部会議で一蹴されたのでその諒解運動こそしたが大金を出した覚えはないと聲明、これに対する少壮派の調査の結果は中山管長渡支当時の○○○○○○現○○○○○○○○と同氏の腹心元伊東ハンニ関係の某と中山管長、堀越外事主任が本年一月頃、東京柳橋料亭柳光亭で百万円の資金要求に関する第一回会見を行い、席上南支軍閥への口約もあるので二十万円を諒解金として支出することになったが、これも一部幹部の猛烈な反対を受けたが何故か堀越氏は最高幹部を動かし、まず松村元老の手から五万円を引き出し東京の某所で前記某方面に手交し、次いで十五万円を三回に亘って新大阪ホテルで手交した事実を突きとめ、直ちに会計部支出課長澤田芳蔵氏について帳簿面を調べたところ全く記載されておらず、ただ仮支出の形式で堀越氏が収容の今日までそのまま帳簿整理もしていないことが明らかとなり、当時澤田支出課長自身も不可解な支出金と思うのみで少壮派の追窮に対し返答に困り、自ら調査すると答えてその場を取り繕ったもので、結局今日に至るも、この二十万円が何の目的で出されたか全く不明である。<<
前回の投稿で入力ミスがありました。(六)宗教家の──の途中ですが──
─殊に大祭日などの多額の義務的寄付金が─(誤)
─殊に大祭日などの場合は多額の義務的寄付金が─(正)
このように「場合は」が抜けていました。まあ教団のやってることに変わりは無いので意味は通じたものと思いますが。当時は新聞や雑誌くらいしか無かったのでしょう。テレビがあったら間違いなくワイドショーで大きく取り上げられていたのでしょうね。
それにしても昔の人は、よくあんな難しい字を読み書きできたものだと感心します。なんとなくは判るけれど自信が無ければネットで調べたりと苦労もありますが、これが少しでも誰かの役に立つのであれば、頑張って続けていきたいと思います。
参考意見 様
2020年5月6日 4:28 PM
>>これが少しでも誰かの役に立つのであれば、頑張って続けていきたいと思います。<<
天理教の闇の部分が、益々、よく分かってきました。私だけではなく、参考にされている読者は多数おられるはずです。少しずつで結構ですので、ご無理なさらないようにお願いいたします。松本清張の推理小説より遙かに「面白い」ですが、冗談にも「面白い」という表現は使えないですね。いつもありがとうございます。くれぐれもご無理なさらないでください。
自分はバリ天の両親の元、末端教会に生まれ育ってきましたが、
天理教との関りは、ただただ苦痛で、自分の人生の手枷足枷でしかありませんでした。
田中角栄の遺言に「官僚栄えて国滅ぶ」とありますが、
天理教の場合は「理の親栄えて理の子(末端、信者、組織)滅ぶ」といったところでしょうかね。
最終的には近い将来、教団本部ごとさらなる衰退、崩壊、消滅を迎えるのでしょう…。
夏草や 守銭奴どもが 地獄行き
※ 参考意見様におかれましては、貴重な資料のテキスト化、ありがとうございます。
いよいよ中山家によるタスケ一条の雛形をお見せいただける旬が来たのですか?
貴重な資料ありがとうございます。
中山正善の悪党ぶりは相当なものですね。自らの自己満足の為に満州への侵攻に信者の血のお金をばらまき、会計上に載らない説明つかないうやむやなお金を強引に支出していたのだと?その頃足元の日本の信者達は屋敷を払うて田を売りながら、なけなしのお金を献金して神のご加護を信じ、極貧に甘んじていたと言うのに。
「現中山天理教・詐欺師中山善亮」の体内にその血が脈々と流れていると言うことです。その血を思うと別に不思議な事では無いと、妙に納得しました。
匿名
2020年5月6日 11:41 PM
>>「現中山天理教・詐欺師中山善亮」の体内にその血が脈々と流れていると言うことです。その血を思うと別に不思議な事では無いと、妙に納得しました。
以前一時期「教団は中山の血統」の話が良く出てましたが、中山家の悪行がバレ的ますとその血統自体の正当性どころかむしろ不正当性が出てきます。一刻も早く中山家は教団を後にしないととんでもない事件が起こることでしょう。公表されていない教祖の終末の予言にもかかれてますでしょう。再三再四中山家の追放を書かれてましたが本当は追放と言うより避難なんですよね。数年前なら資産を持って出て行けたでしょうが、今現在では信者の皆さんも知識をつけたのでもう資産を持って逃げることは出来ないでしょう。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(九)今回の検挙に関する怪聞
大本教に大弾圧を下したとみるや矢継ぎ早に、その名を脱税疑獄にかつて天理教王国を見舞った大検挙の嵐に、お地場丹波市町は時ならぬ大混乱に陥り、宗教聖地平和の夢は一瞬にして破れたものである。二百余の警官隊、そして自動車トラック隊─家宅捜査、検挙と教庁本部の奥深く秘められた乱脈を極めた会計状態に鋭い解剖のメスは揮われ、数々の証拠物件を押収して凱歌を上げて引揚げた。これは慎重に慎重を期した検察当局が、一糸乱れぬ統制下に水も漏らさぬ計画を遂行したのであったが、さてその収穫は?意外極まる怪事実がその後発覚して、当局を極度に狼狽させまた憤怒せしめている。というのは十六日払暁を期して行われた捜査陣に、これが指令さえも発せられておらず、極秘裏に樹てられた計画内容が奇怪にも検挙より五時間早く、すでに天理教本部側に入手されていた事実である。
X27号式スパイの暗躍か、それとも検察当局重要幹部の手落失態か、お地場丹波市本部に検挙隊来る!の内情を教庁本部が受け取ったのは十六日午前一時ごろと推定される。天理教本部では狼狽し、午前四時という早暁本部の各役員たちは続々として登庁して急遽対策を講じた後、各係はそれぞれ重要書類の大整理にかかり、検察隊がどっとばかりに押し寄せた「午前六時」には総ての準備を終了して、いつでも御座れ・・・とその来着を悠々と待ち構えていた。
これがため当局が苦心惨憺たる大捜査も事前に漏れたこの計画内容に、全くその裏をかかれ予期した収穫は何一つとして得られず、必死の覚悟で徹底的摘発に乗り出した天理教本部の脱税疑獄その他の事件糾明の捜査方針に大支障を来すの已むなきに至った。これがため今回の捜査陣首脳部たる奈良地方検事局堀検事正以下係検事並びに齋藤奈良県警察部長らは捨て置き難い一大奇怪事なりとして、この奇怪なる秘密漏洩内容の真相探究をなすべく大活動をつづけている。
(十)罪を天下に謝せよ
天理教は多年に亘り陛下の赤子であるところの国民より多額の金品をまき上げ、今日人類が蓄積している財産はすべて「ほこり」と「罪悪のかたまり」であると称しながら、之をかき集めてコケオドシの大建築をなし、あまっさえ国民の三大義務である納税をゴマカし、上聖明をあざむいて脱税するとは風上に置けないインチキ宗教である。而して多数人民より吸い上げた浄財を以て、天理教幹部は大阪南地宗右衛門町あたりで芸者遊びをなし、花柳界で「お地場様」ともてはやされている。その証拠に今度の脱税事件で、中山為信以下五名の本部員が奈良署に拘留されるや、イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。天理教では「ひのきしん」と称して教校の生徒たちに無報酬労働を強い、毎年全国から集まった老若男女を数千人収容して宿賃、米代を徴収した上、石土運びや地ならしの土方仕事をロハでさしておきながら、これらの仕事をする者の方では「さして頂きます」と心から献身的の努力を捧げさしているが、非常時の今日、天理教は果たして国家に何物を貢献したか、貢献したものはただ搾取と脱税あるばかりでないか!天理教の幹部諸公にはキリストの所謂「神は人間の造れる宮に住み給わず」という一片の真理が分かる者がいないのであろうか?哀れむべきは無智蒙昧の信者たちで、搾取せられるだけ搾取せられた後は、ただ自殺と発狂あるのみである。
今日、天理教の信者は全国に七百万ありと言われているが、一人一円出したとしても七百万円である。況や天理教は「かりもの」「ひのきしん」の教義を振り回して家倉田畑を根こそぎ蕩盡さすのであるから、その額は蓋し幾千万、幾億に上るか、これだけはお釈迦さんでも御承知はない筈である。天理教も、ここらで多年の罪亡ぼしに、せめて此の際百万円くらいは社会事業─防貧事業に投げ出したところで、天の神様─教祖は決して御叱り遊ばさないことを筆者は堅く御引き受けする。
どうじゃ天理教の幹部諸公、早速吾輩の提言を入れて実行してみる気は無いか?敢えて天に代わって進言する次第である。<<
いやあ面白い・・・と言ってはいけないか。
薬物使用、贈収賄、背任横領、そして脱税。天理教の読み物などの、おつとめをして警察に拘留されたなんていう美談は案外こうした反社会的行為による事件をすり替えた作り話のような気がしてきました。雨乞いづとめで拘留されたのも、ひょっとしたら法外な報酬の要求でもしたのでは?とてもロハで何かを引き受けるような輩とは思えませんし。
いろいろ気遣っていただきありがとうございます。気ままな隠居生活の中、起きたり休んだりしながら作業しているので、どうぞご心配なく。
詐欺師・中山善亮を影の権力者として舵を取らせ、全国の大教会が操られている。その下で分教会が操られ。偉大?な先祖が巧妙に発案した上下関係の構築で下の者には発言権を持たさない絶対服従の組織。上に行く程旨い汁が吸える構造。正善は知恵のある「大悪魔」で、東京帝国大学で悪知恵を練りに練って中山家存続の為の構造を練り上げたそうですね。神を金儲けの手段にしました。
そんな悪知恵の上に立つ教団の思惑など知る由も無い無垢な信者達は正善に利用されているのも知らず、神だけを信じて塗炭の苦しみに代を重ねて行きました。
現在 知らなかった資料が次々とあばかれる世となり、中山天理教本部はうかうか詐欺行為は出来なくなりました。
上級会長はかつて講話ではっきり言いました。「お供えを沢山する人としない人のご守護が同じはずが無い」「借り物には礼をせよ。」
貸しもの借り物思想をお金を取る手段にして本部に毒された人間が全国でお殿様化し、弱いものいじめをして命まで取って来たんです。とんでもない詐欺集団、犯罪集団です。
古い資料が語る黒い歴史に腹の虫がおさまらなくて、失礼しました。
>>上聖明をあざむいて脱税するとは風上に置けないインチキ宗教である。而して多数人民より吸い上げた浄財を以て、天理教幹部は大阪南地宗右衛門町あたりで芸者遊びをなし、花柳界で「お地場様」ともてはやされている。その証拠に今度の脱税事件で、中山為信以下五名の本部員が奈良署に拘留されるや、イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。<<
空いた口がふさがりませんね。絶句します。
>>イの一番に差し入れしたのは、これら平素並々ならぬ御ひいきを豪っている大阪南地花街の芸者たちであったことを以て見るも全ては明瞭である。
信者には貧に落ちきってお供えしろとか言いつつ
この当時からその集めたお供えで豪遊してたってことですよね。
もう早く解散してくれよ。
中山管長も学生時代から新橋に遊んだことは有名な話である。<<
当時学生だった二代真柱は信者が貧に落ち切っている最中に若江の家なる豪奢な住まいを充てがわれ、新橋で芸者達と遊んでいたとは。我が家の祖父母は戦後、教会を設立し(本部、上級からの設立要請に服従)、我々一家は子供達は穴の空いた靴を履かされ、いとこ達のお古を着せられ、お金については絶対服従で上級、上上級に尽くし切りました。今思えばそんな信者一家が辛酸を舐めていたにもかかわらず、二代は金の力で世界中から古文書や考古物など買いたい放題のしたい放題をやっていたんです。
今だに若江の家なる物を保存し、保存するにも費用がかかっているはずです。いずれ廃れゆく組織だから、後生大事に保存して信者のひんしゅくを買うよりは解体すべきです。見たくもないです。記念すべき過去の栄光なら詰所も館も中山一統の自力で保存されたらよろしい。本部が滅んで信者が去った後、ご一統様でしみじみと眺めたらよろしい。
悪事を働いた種が今実り始め、甘露台倒壊、若き布教師養成機関は閉校し、各種目玉行事も中止に追い込まれ、神が居るとされるぢば、その地点にも近寄れない現状です。ぢばで奇跡が起こるなど、口が裂けても言えなくなった現実です。
真柱は何も発信せず沈黙を守ったまま。組織の長として全く居る意味の無い真柱を抱えて信者は漂流船に乗っている様です。影の司令塔は先祖同様人格的にはアウトですし、蒔いた種通りの姿を成ってくるのが天の理だと悟ってもらうしかないです。
人生の半分以上を棒に振った信者の繰り言です。
>>二代真柱は信者が貧に落ち切っている最中に若江の家なる豪奢な住まいを充てがわれ、新橋で芸者達と遊んでいたとは。<<
三代真柱に至っては、慶応義塾大学在学中、夜の銀座で豪遊していたそうです。天理教で「通り返しの道」という言葉がありますが、今の中山家一族は先祖の「通り返しの道」をまっしぐらに歩んでいるのでしょう。「通り返しの道」の終点は、すぐそこまで来ています。天理教の崩壊は近いです。
>>昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」より
(十一)天理教伝道者の窮乏
天理教本部が、八町四面は神の館、きりなし普請と称して、壮麗なる大殿堂を営んでいる一方、天理教布教者は日々如何に窮乏の生活をしているか、天理教管長自身の著書たる「天理教伝道者に関する調査」二〇六頁~二〇八頁を示すに実に左の通りである。
(大縣宣教所、女)昼は布教に、夜は会計維持のため按摩に出させて頂くことにせり。(当時は普通の按摩賃は七銭~八銭なれども、素人の事ゆえ六銭)斯くせる中に追々信徒の増加を見、一時按摩を中止せしも信徒の奉献金だけでは維持するに足らず、搗てて加えて子供等の増加は益々生活の窮乏を告げ、安治川、傳法方面に行くに二厘の渡船賃にさえ差支え、十四五町も迂回して船津橋を渡るなど惨憺たる状に陥りしかば、不本意ながら昆布巻行商に出づるの止むなきに至れり。されど昆布巻は売残ると腐敗する恐れあれば、売薬行商に変更し半日は商売に半日は布教に出させて頂くことにせり。かくて大正八年二月に至り、折柄流行せしインフルエンザのため、妻及四人の子供は枕を並べて病臥し、妻及末女は死を思わしめたる時、断然意を決し稼業を捨て道一筋に通らせて頂くべく大神様に誓いしに、さしもの大患も鮮やかに御守護を頂き、五人共全快するを得て今日に至る。
(海外布教、男)朝鮮全羅北道裡里(地名)に於て布教開始以来、教費の捻出に対しては本人妻の内職と、少し許り時々の行商等により細々ながら継続す。尚一方長男をして銀行に勤務さして之に充当なり。
(郡山支教会、男)布教時代の維持は家族の内職(妻の裁縫、長男の夕刊売り、弟の労働)及び信徒の奉賽金等。
(郡山宣教所、男)大正十一年布教開始以来同十四年教会設置迄の布教費は長男の働きに依りて得る一ヶ月金二十三円内外。
(名東宣教所、男)妻女の賃仕事及び自己の工賃等を以て頗る不自由なる生活の傍、布教伝道し大正十一年頃より信徒の維持者も出来た時には上級より経費の補助を仰ぐ。
(肥長支教会、女)親教会、食うに米無く火の消えた状態であったため、私は見るに見兼ねて世間の人々が夢路を巡る時刻に、長崎市内の車場から車場を歩いて蝋燭を売り、その売上金を全部肥長へ盡させて貰いました。どんな寒い夜でも夏の暑苦しい日でも一日として安らかな眠りを持ちませんでした。私の生活費を送っていた娘は、当時市内稲佐で芸妓をしておりまして、ある客人から「貴様は偉そうな顔をしているが、母親はローソク売りをしているじゃないか」と悪口を言われて、彼女は冷水を頭から浴びせられた思いで失神せんばかりに驚き、且羞恥心に耐えかねて私の所へ来て、箪笥を隈なく探し其の一隈からローソク三箱を取り出して私に示し、これをどうするのかと問いました。それで私は訳を話しました。すると初めのうちは自分の送る金が足りないからそんなことをするのかと言って口惜泣きしておりました娘も、親教会の窮状を救うためだと知りまして、ようやく心を取り直してくれ、そして「どうか今日から商売は止めて下さい。その代わり私は髪でも他人の三度結ぶ所を一度にし、お櫛も押しませんで肥長の方も私が盡さして頂きますから、どうか商売だけは止めて下さい」と申しました。その後娘はあらゆる辛酸をなめながら、他人の悪口雑言の下を潜って淋しい生活を続けながらも、親教会維持のため努力したのであります。
(郡山宣教所、男)神戸市布教開始明治四一年十月より布教中は経費の出所なく、長女は義務教育を完了さす能わず、中途退学せしめ、ドンス職工場へ女工に入らして、亦長男は朝夕新聞配達をせしめてその労働に依って得た賃金を以て布教費に充てたり。
(十二)教祖の精神に還れ
伝え聞くところによれば、天理教祖中山ミキ子は何不自由なき豪農であったが、一たび豁然として大悟し慈悲寛大にして自己反省するところあり、その多くの財産を窮乏者に分ち、文字通り無一物となって其の九十年の永き生涯を終わったということであるが、今日の天理教幹部にして果たして幾人か教祖の精神を体得し、之を実践している者があるか?身は何れも百姓、町人上りの草莽卑賤の徒輩にかかわらず、豪然として王侯将相を凌ぐゼイタク極まる生活をなし、信徒を見ること恰も奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度であろうか?吾人はあの壮麗極まる殿堂を見るたびに、この裏面に潜む哀れなる無数の信者が食うや食わずにギセイとなって多くの血と涙を以て累々結晶したものであると思うと実に慄然たらざるを得ないものがある。
天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。
── 完 ──
これで一冊完了です。元の本は30頁ほどの薄いものですが、よく調べられていると思います。天理教が絶対に信者に知られたくない事実なのでしょう。
これまで紹介してきた本は何れも、天理教が教祖の教えとかけ離れたものと認めており、あくまで天理教の組織を批判したものだと思います。天理教を批判する本は他にも多くあるのですが、他の宗教による攻撃的な内容だったり、なかには教祖を狂人だのペテン師だのというものもあって資料的価値の低いものもあります。それらを吟味して、客観的事実と思えるものから紹介していきたいと思います。
昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096422
>>今日の天理教幹部にして果たして幾人か教祖の精神を体得し、之を実践している者があるか?身は何れも百姓、町人上りの草莽卑賤の徒輩にかかわらず、豪然として王侯将相を凌ぐゼイタク極まる生活をなし、信徒を見ること恰も奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度であろうか?吾人はあの壮麗極まる殿堂を見るたびに、この裏面に潜む哀れなる無数の信者が食うや食わずにギセイとなって多くの血と涙を以て累々結晶したものであると思うと実に慄然たらざるを得ないものがある。<<
もう現代においてもこのまんまですやん。
「奴隷に接するが如き態度は何という思い上がったトンチンカンな態度」
おい、うちの大教会長、おまえのことやで!!
参考意見様ありがとうございます。
参考意見様の文章読ませていただき、この当時に書かれた冊子を思い出しました。「ほんみち」から独立した「天理三輪講」の勝ひさの氏(1941年。・昭和16年病死)の『天理教更生の巻』(昭和11年12月23日発行)です。昭和9年から教祖(中山みき)の神言(おふでさき)の本部の解釈の誤り正べく訪問しかつ12、000余の教会長にも冊子そうされたようです。本部に相手されず教会長からも返事は一つもなかったそうです。それで大阪時事新報に50日間「天理教御神言解釈」として連載したことにより本部から反駁をうけるようになったようです。昭和10年11月15日早朝200余名の信者たち並び『天理三輪講』の旗を立てて丹波市天理教本部に向かわれた。16日、所轄警察署、京都憲兵隊長にも届の上で(大人数移動故)。丹波市駅から奈良県警察部、憲兵及び丹波市警察署員の護衛を受け旧祖霊殿で会見。立会人奈良県警察特高係1名、丹波市警察署特高係1名、東京中央農民会長 中野芳氏。本部側代表 堀越儀郎氏、同 橋本武氏(神言書持参せず)。三輪講教務係10名(神言書持参)。堀越氏は『教理解説について本部に落度は更にない、本部として部下の者から教理の教示を受ける教示を必要断じてない。』押切検討開始せず無礼と責めたようです。
それから10日ほど滞在し面会求めるも宿宿先手回され結局引き上げる。未明帰る道中で詠んだのが
『釜バケツふとん背負ったルンペンか
汽車も電車もツンとていた
管長は酒池肉林の花御殿
教祖のさしづ座布団にして』
またまた冊子を作成し発送しようとしていたが遅しと。昭和10年12月16日に大都市大新聞の『号外!』
天理教の脱税に次いで
管長捜索!
証拠書類の焼却!
伊東ハン二事件1
松村老に引責!
教典の不可解!等々
教理解釈色々とあったでしょうがこの当時から2代真柱の人格に対して許せなかったように感じます。
天理三輪講は昭和11年に治安維持法と不敬罪で13名検挙うち9名起訴される。
私には教理はよくわかりませんが信じる道に殉じられた方に思います。」現在の「神一条」に引き継がれてるいるようです。
この『天理教更生の巻』は当時、各教会に発送されて私の先祖は読んだと思うのですが本部に洗脳されていた
から無視しでも捨てるほどの関心もなかったのかと。
上記
管長捜索!-管長邸捜索!です。ごめんなさい。あと2,3ありますがよろしくお願いします。
国会図書館デジタル資料で「三輪講」と検索したところ、勝ひさの氏の著書が3冊出てきました。活字ではなく退色が進んでいるようですが、いずれ読んでみたいと思います。なるほど「天理教」以外のワードで検索すれば、まだまだ面白い資料が見つかるかもしれません。
https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E4%B8%89%E8%BC%AA%E8%AC%9B&viewRestricted=0
イタコ芸の某の科学と同様のいんちきさである。
トップが東大というところも同じか
息子がおやじはインチキだと公言しているだけイタコ芸の某の科学のほうがましか?
前妻も息子もまだ良心があるのかも
良心があるのであればこの組織に加担している我々も恥を知るべきではないだろうか
いつまでこの組織にふりまわされなければいけないのだろうか
いつまで自分を欺かなければいけないのだろうか
芹沢先生の「天の調べ」によると1987年に親神はこの世に現れたとある
赤子であれば現在33歳、伊藤青年のように魂にあらわれたのであれば50歳前後
この世にあらわれた親神は今どこで、何をしているのであろうか
早く世界を救ってほしい!
>>天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。<<
大亮さん、本部で月毎に奏上する祭文中の「反省」と言う言葉は、貴方がた一家がするべき事なのです。間違っても騙された信者一同がするべき事ではありません。この場で昭和10年頃から既に糾弾されていた天理教の黒い諸史実を真正面から受け止め、目をそらせてはいけません。若いあなたは先祖の犯した事、何も知らないのですね?
月次祭の反省と言う言葉、慣用句の様に軽く奏上しているのではありませんか?どこをどう反省するのか、誰が反省するのか、あなたが言わんとする反省しなければならないのは信者ですか?それとも中山一統さんですか?両方ですか?両方ならば信者としての反省と中山一統さんとしての反省とを、分かりやすく具体的に説明して下さい。それ無くしてスルーするなら、何の意味もない意味不明な祭文を勿体ぶって読んでいるに過ぎません。信者を馬鹿にしていますか?しっかり反省の方向性を示して下さい。
指導力のない教師に意味不明で下手な指導を受ける子供は不幸ですが、全く同じことの様に思えます。
>>天理教幹部諸公よ、卿らは「勿体なや祖師は紙衣の九十年」の精神を奮い起こし、速やかにその誤まてる生活態度を捨てて、まっしぐらに慈悲寛大、自己反省をなし、人類救済のため一直線に無一物の高尚なる宗教家的生活に入るところがなければならぬ。敢て素人たる吾人が説教して聞かす次第である。<<
「ひながた通らねば ひながた要らん」どころか、ひながたを全く反故にしている天理教幹部諸侯の皆さん、天理教の全くの部外者からですら上記引用のような批判が出ています。それも80年以上も前からです。宗教者というより人間として恥ずかしくありませんか? 真摯に反省し改める気持ちがないのなら、即刻、教団を解散しなさい。それこそ真の人たすけです。
改革派
ツイッターより
·
>>5月1日
GWにおぢばへの参拝を自粛するように通達がございました。
勿論、県をまたいでの移動も自粛要請が出されております。
4月29日の南礼拝場前には賽銭箱が設置されております!
矛盾を強く感じます!?
京都市の観光寺でも山門閉まっていますよ!!<<
金、かね、カネの天理教です‼︎
☆★☆ 宗教は無くても人助けはできる ☆★☆
私は、NHKで放映されている「逆転人生」という番組が大好きで、毎週、視ております。先週であったか、先々週であったか忘れましたが、奈良市内にある「まるかつ」というとんかつ店を取材した番組が放映されていました。その店の店主は、幼い頃から家庭の事情で貧しい生活を余儀なくされ、自分の生い立ちを振り返り、貧困家庭の子ども達に「腹一杯ご飯を食べてほしい」という思いで、無料食堂の取り組みをされています。今現在、天理教炊事本部や詰所の炊事体制がどのようになっているのか存じませんが、せめて、天理市内の子ども達だけでも対象にして、無料食堂の取り組みをされてはどうですか?「まるかつ」さんのHPは下記の通りです。
https://marukatsu912.com/muryoshokudo/
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
社会科学から見た新興宗教の暴露 佐藤信淵
(1)宗教の果たしている使命
天理教の今度の事件は、単に脱税だったと言い、大本教の事件も結局はどうなるか分からない。不敬罪は確実だと言われ、治安維持法が適用されるかも知れない──。「分からない」だの「知れない」だの曖昧なことしか予見が許されないのは或いはまた、不敬罪や治維法の網の目にもかからないかも「知れない」と言う訳になるのである。由来類似宗教には不敬な内容を持っているのが普通であって、天理教の初期のものにも甚だしいのがあるのを、早く隠滅させてしまって事なきを得ているのだが、兎角その派の管長というものには、怪しい言動がつきものなのが類似宗教の特色なのである。そして其の怪しい言動が、信者をタブラかす一つの技術として、たとえ演ってる方は無意識にしろ、信者を誘導するところの一つの駆け引きともなっているのである。さて、それはそれとして、不敬の大本教と脱税の天理教とを当面の二つの事件として取り上げて、この二つの宗教の大略をかれこれと詮議しながら、何故こんな馬鹿らしいものが横行するか、また、せにゃならぬか──という、今の社会のカラクリを、わかり易く話してみようと思う。
そこで大体ものの考え方というものには二通りの途がある。この世の中は人間の作ったものじゃなくて、神様でも仏様でも何でもいいが、人間よりエライ奴がこさえた──というのと、地球の上に生き物が生まれて、それが段々と高尚な生き物になり、その中から人間が出てきて、その脳というものが一番進んだところの物質であり、考えというものはその脳の働きで、世の中は神様が造ったなどと考えているのも結局はその脳だけの働きであって、考えは自由に出来るが、目の前の事実が、何も神様が造ったなんてことを証明してやしない──と。この二つの途の出発点があるので、大学だの博士だのと言って威張っていても、せんじ詰めれば結局はこの二つの途のどっちかに分類されるのであるが、後の正しい考え方よりも、前の頼りない考え方が評判がいいし失業もしないから、お偉方の悉くと言っていいほど、デタラメ派に籍を置いているわけなのである。
そこで宗教というものは、このデタラメ派のこさえた物なのは分かりきったことであるが、これとて仇や座興に造ったことでは決してない。大体人間というものの考え方は、本当は二つの区別の後の方の正しい途しか持っていないがために、沢山の人間が集まって生活して行き、それに親分ができ、その親分を守る子分ができてくると、「あの親分だって我々と同じ人間じゃねえか」と直ぐ考えるのが当たり前で、この「同じ人間」となるのが親分子分の仲間ではツライので、「同じ人間でない」としなければならず、人間でないならば蛙やナメクジラには出来ないので、人間以上のもの、即ち神──と、こう決めとかなくちゃ色々の点で具合が悪くなるのである。そこに宗教というものが興る一つの原料があるわけである。(その他いろいろと原料はあるが、ここでは話の都合上、この原料だけで進めてゆく。)本当を言うと、この親分を人間以上のものに多くの人に考えさせる(自由に「考える」のではない、押し付けて「考えさせる」のである)宗教というものが、本筋の宗教なのである。この本筋のものに、分家のようなものが出来てくる。親分の持っている団体というものは、子が子を産んでだんだん人数が殖えてくる。そうすると子分(役人といってもいい)の方で「親分は神様だぞ」と人々に押し付ける専門の役が出来てくる。これが宗教家というもので、別に働きはしない。親分からホマチを貰ってブラブラして「親分は神様であるぞよ」と言って廻っているのである。そうするうちに世の中も進んでくるし、人々の間に学問が生まれてくる。もちろん親分は、この学問という武器も独占してしまう。そこで「親分は神様だぞ」なんて単純なこと言っても人々は承知しなくなってくる。「親分は人間でこそあれ、神様の子孫だぞ」或いは「親分というものは人間である。がしかし、この世の中には無くてはならぬ神様みたいなものだ」などと、いろいろと言い方を変えねばならない。この、いろいろの言い方が、いろいろの宗教を生むのであるが、本筋の宗教に決して叛くようなことはしない。また叛くようだったら直ぐ潰されてしまうのである。こうして分家が出来るが、本家と分家とは別のように見えるけれども、切っても切れぬ間柄で、世の中が進むと、本家の方は宗教以上のものとして理屈をくっつけてしまって宗教とは言わせないようになって、分家だけが今度は堂々と宗教の看板をあげるのである。本家の看板が分家へ廻って、本家は別の看板をあげねばならぬように、人々の考え方が進んできていて、宗教は本家と縁がうすいような顔をして、その実は本家の為にナミナミならぬ働きをし、また夫れがために、本家から保護を受けている。──という有様が現今における世界の宗教の使命というものの極カミ砕いた解説なのである。そうして本家としては人々に言い尽くせない神様のこと(或いは神様を分らぬように包んで、貴い物だと教えること)を分家の方の宗教に任して、人々をして「なるほど御本家は有難い」と思わせ、本家は本家で「宗教が無くてはウマくいかん」と分家を褒める。──茲に持ちつ持たれつ相互に働きかけている。うまく出来ているではないか?<<
以前、匿名様の一人に一部紹介して頂いた本です。実存主義の立場から書かれたものか、教祖に対して失礼な表現なども有ったりするのですが、興味深い内容も含まれていたので、テキスト化することにしました。
>>人々をして「なるほど御本家は有難い」と思わせ、本家は本家で「宗教が無くてはウマくいかん」と分家を褒める。──茲に持ちつ持たれつ相互に働きかけている。うまく出来ているではないか?<<
まるで、ヤクザの世界と同次元の話ですね。そのうち、本家と分家、分家同士の抗争事件が始まるでしょう。
司法当局も今のうちに十分目を光らせておくべきです。
天理教団解体始まる?
中山真柱一家は個人資産の隠し口座を持っている?
既に引退用居住地を準備した?
・・・・なーんてね。これは昨夜の夢のスポーツ新聞の見出し。
意識下での疑いが見せたものか。
そしてコロナで目が覚めた信者もいる。
大教会は直轄信者をせめて電話で近況を聞き、安否を問うたり、
何か不自由をしてはいまいかと、親心をかける気配はさらさら無し。
信者同士がお互いの近況・情報交換につとめ、長年の信仰歴の間の
天理教教会のおかしさを話し合う。
それでも教会から離れない信者たち。
「お供え」こそが、信仰に信者を縛り付けている現実。
「徳積み」信仰が、信者の欲を刺激しているのだろう。
本部南礼拝場階段下の賽銭箱は乞食根性の表れにも見えてしまうのは何故だろう。
もぅ、本当に恥ずかしくてたまらない。
どこにそんな宗教団体があるか。
あの賽銭箱を置くように指示した者を暴いてください。
晒してください。
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(2)農村の後家さんが教祖
天理教の教祖中山ミキ婆さんも、大本教の教祖出口直婆さんも、普通の女性ではなかった。理智の調整を失ってしまった一種の病的な女性で、早く言えばヒステリーの姉さんみたいな病人だったのである。天理教のミキ婆さんは大和の農家の後家さんで浄土真宗の信者であり、大本教の直婆さんは丹波の大工の是も後家さんで稲荷下げの信者であったので、其処まではどちらも、普通の農村のおかみさんなのである。
天理教のミキ婆さんには「天の将軍」が乗り遷ったし、直婆さんには「艮の金神」というものが乗り遷ったのである。天の将軍に艮の金神というのはどんな神様だか、ずっと後になって、色々ヘリクツをつけて勿体ぶったことを言うのだが、ともかく何でもいいので、神様さえ乗り遷ってくれれば、あとは団子でも餅にでもしてしまえるのである。その団子や餅にする役がついているか?居ないか?で、宗教になるか?どこの村や町にでも今でもいる稲荷下げになるか?に岐れるのであるが、天理教には本席様といって其の道の天才である飯降翁というエラ者がおり、大本教には誰でも知っている出口王仁三郎というのがいたのである。
ミキ婆さんも直婆さんも、お筆先を残しており、神憑りになって喋ったことを筆記したものがあるが、それを見ても別に大したことは言っていないし、寝言みたいなもので、それを色々に解釈して信者に教えているのだが、天理のも大本のも、この解釈して教えている處のものは、大同小異で茲に管々と比較してみたところで面白くもなんともないから止しとくが、面白いのは天理教の例の「邸を拂うて田売りたまえテンリオウの命」という誰でも知っている悪口は教祖にだけは言えない──というヘンチキリンな話をしておこう。
ミキ婆さんは、田舎では相当な農家へ嫁に行ったのだが、そろそろ狂いだして、人に物をやって仕方がないのである。亭主は初めは舌打していたが、それが嵩じて来たので、喧嘩の絶え間がなかった。一家の主としてこんなのは今でもよくあって、気の毒なのだが、出来心で女中と通じたりして、変な嫁を残して死んでしまったのである。それからは邸を売ったり田畑を人手に渡したりして施しをやって、ミキ婆さんは後家になってスッカラカンになってしまったのだが今の天理教とは全く逆であって、信者に金をやった教祖の実践が、今度は二代目三代目になると、信者から金を儲けている──というオカシイ状態になっているのである。これにも屁理屈はちゃんとついていて、なかなかウマい申し開きがあるのだが、申し開きだけで、事実がチャンと逆なのだから、「邸を拂うて・・・」の雑言は、ミキ婆さんだけには当てはまらないのである。
そこで斯うした農村の後家さんの唱えだして、それを粉飾した處の類似宗教というものが何故高僧智識の物々しく堂々とした本筋の仏教を超えて信者を集めるか?というと、こうした本筋を宗教とし、天理や大本やを類似宗教として、宗教を玄人とし類似の方を素人とすると、素人の方が本当に実篤らしく見えるのである。天理の方ではなるべく言葉づかい等を一種特別な大和の方言でもなく河内の方言でもないケッタイな田舎言葉で以て布教しろ──という建前であり、大本では「うちのは宗教でない」などと愈々宗教とは縁の遠いようなことを言っているのだから、世の中は宗教に愛想が尽きていて、なるべくその宗教臭くない手で広めようとする算段が、信者を捉えてくる要素ともなっているのも見逃してはならぬのである。だから農村の後家さんが、天の将軍に乗り遷られ艮の金神の化身でであったほうが便利がいいのであって、叡山や高野山のエライ坊さんが、そんな事をやりだしていたとて、こんなに天理教や大本教のようにデカくは成っていないのである。
なお日本は神国なので、それはそれは沢山の神様がいられるが、天理教のも大本教のも教祖の説いていた神様は決して今までにレッキとした神様ではなかったのであるのは残念である。天の将軍だの艮の金神だのは古事記にも日本書紀にも神名帳にもない神様で、探してみたら旧暦の支那の迷信からきた暦の方の神様みたいなもので、天理教の十柱の神といって、古事記に見らる神様を組み立てたのはずっと後のことであり、艮の金神も王仁三郎に××××神に置き替えられたのである。でないと、いろいろと都合の悪いことが出来てくるので、是もやむを得なかったのである。で、こういう便利重宝なものだから、宗教というものが、如何に御都合主義でデタラメであるか?ということが分かろうと思う。<<
教祖に対する偏見や失礼な記述を削除すべきか否か迷いましたが、これも教団の悪行ゆえと考え、全文そのままに転載しました。それでも教祖が、教団とは全く異なるものと認められていることが、せめてもの救いだと思います。
匿名 様
2020年5月8日 8:08 PM
>>本部南礼拝場階段下の賽銭箱は乞食根性の表れにも見えてしまうのは何故だろう。
もぅ、本当に恥ずかしくてたまらない。
どこにそんな宗教団体があるか。
あの賽銭箱を置くように指示した者を暴いてください。
晒してください。<<
乞食根性と強欲根性こそ天理教の本質なんです。あの賽銭箱こそ天理教の本質を象徴するものです。
皆さん気が付いているでしょうが「感謝、慎み、助け合い」等とスローガンを掲げてますがこれですら
・(中山家に)感謝(せい)
・(中山家に対する態度を)慎め
・(中山家に上納金を上げる為の)助け合い
が真実が本音ですからね(笑)
皆さんは
・(「金の繋ぎが命の繋ぎ」を言った中田善亮にはある意味)感謝(しましょう。)
・(神に背き、天に唾し、新型コロナを全国に撒き散すなど悪行を重ねる中山家への上納金を)慎み(ましょう)
・(中山善亮初め中山家の天理教を馬鹿にする妄想発言にだまされぬよう皆さん)助け合い(ましょう)
ですね。
一時期「ネットの情報は嘘だ!」と嘘つきが申してました(笑)
皆さん真実が見えてきましたね。
「金の繋ぎは命の繋ぎ」の中田善亮の過ちに関しても社会学の皆さんも再三再四警告をしていました。それでも反省の色も無く改めることも無くなのでもう年月またいでいるのでもう新しい教義として認定します。つまりカルト宗教確定と言うことになります。
皆さんそれで良い分けないですよね?教団はもとより天理教を救済するには、中山家の追放しかないのです。
大層な事をすることはないのです。中山家に背を向け神をしかり拝み、上納金を辞め苦しむ方々や自分のためにお金を使いましょう。そうすれば道は開かれます。中山教団に居なくても、天理教は出来ます。むしろ中山教に居ては天理教は殺され間違った教えだと罵られます。
さあ立ち上がるときです!
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(3)天理教の巧妙な搾取の組織
管長の所得が七十余万円という莫大な天理教の大世帯になるまでには一朝一夕のことではなかった。ミキさんが開いた本の形になっていない教義を、開けゆく世の中に順応させるように組み立てなければならなかった。それに一派の独立という大事業があった。独立というと、もともと天理教はそれ自体独立しているのじゃないか?との反問があるだろうが、神様の方の新しく出来る宗派では、初めから独立はできないのである。天理教は、はじめ神道(本局)へ席を置いていたのである。(大本教はまだ独立できないでいるのだ)この独立というは新興宗教では大問題であって、現今天理教、神道(本局)の他に金光、御嶽、黒住、扶桑、神習、修成、神理、實行、大成、大社、禊の十三派が独立しているのであって、宗教を経営する最初の方法は、これ等の何處へでも席を置くのである。殊に御嶽、扶桑両教は此の席貸し専門みたいな派であるが、別に席を借るために教義が同じでなければならない──なんて野暮なことは問わない。席料さえ払えばいいので、そこは寛大な神様だから御賽銭次第で非常に便利にできているのである。今一つの方法は修養団体という形をとるのである。(これは「ひとのみち」が新しい手として始めたのだが・・・)そこで一つ独立をしようとすれば、昔も今も内務大臣の許可がいるのであるし、その席借りしている母家へ莫大な御供え物をして、その御利益で推薦をして貰わねばならない。現今ならいざ知らず、話は三十年も前のことだから、お役人衆を動かすには何を以てせねばならなかったか?直ぐ分る筈であった。内務大臣の許可であっても閣議を経なければならない。それには、今でも天理教の真の柱石と言われている松村吉太郎氏が奔走することになったのであるが、明治三十二年から運動を始めて前後四回却下され、ようやく十年かかって四十一年の末に許可されたもので、その第二回目の請願に「教典」の必要に迫られて俄かに学者に依嘱して、ミキさんも夢にも考えなかった、難しくて堂々とした(!)「天地の悠久にして万物の生成化育息まざる所以のものは神明調攝の天理に依る」なんだかんだと、物々しい教憲を作らざるを得なかったのである。ここでも明白なことは初めに教憲があったのでなくて、後で必要に迫られてこさえ上げた合理化であることだ。それに、この独立の前に教会の搾取組織を完成したのは必然的に、資本主義社会の種物としての天理教の土台を決定しているものと見られている。
その組織というのは信徒が最下級であって、それから教徒に進み、この教徒は准教師であって更に教師に上る。その上には役員が色々と階級を具えているわけで、一般的には献金は信徒と教徒から出ていて、この献金は本部へ直接のもあれば、一部は必ずその所属教会から経由するもので、この教会は信徒百戸(百人にあらず)以上獲得して初めて創立され、この上に支教会がのっていて是は信徒五百戸(宣教師のものを基本とする)以上を必要とし、その上に分教会がのっていて是は信徒二千戸(宣教師・分教会のものを基本とする)以上とし、その上に中教会信徒五千戸以上、大教会信徒一万戸以上、そして本部が最上層に泰然としているのである。勿論これらの中間搾取を通過しながら、一定の所額を本部に上納しなければならぬこと勿論である。
加えて初めの入信が宣教所であると、本部へのお参りにも、先ず宣教所から支教会へ分教会へと順次経由してから丹波市へ行くので、これを「お運び」と言っているが、一地方に必ずこの一連の組織が配属されているのでなくて、競争して各地に教会を作ってゆくので、北海道の上に和歌山があり、その上に奈良があり、そしてその上に丹波市の本部があるのだから、北海道で入信した者は、本部への「お運び」にこの地方へ回り道して行くわけで、その一つ一つにタダで済まないこと自明である。「親子」の関係でこれを説明してあるのだから実にうまく考えてある。その上にまた信徒になると、教徒にならねばならぬ仕組みにこしらえてあるのだが、この教徒というのは「お授け人」といって、もう直ぐ宣伝を実践するのである。一人でも多くという拍車をかけられて、百戸つくることを先ず目標にする。つまり命懸けででも百戸の信徒、即ち宣教所を持ちたいとやりださねば救われないように、ちゃんと教育されるのだから恐ろしいのである。大体どの宗教でも、自分が信じたならば有り難さを独占しないで、他人をも入信さすことによって自己もなお救われるという仕組みに出来ているのだが、天理教のはそれを直ちに宣教所獲得に引っ付けたところに巧妙さがある訳なのである。そしてこの気の毒な宣教所というものが約一万千箇所もあるし、第一線に立って血の出るように働いて信徒をこさえている「お授け人」の教徒が約二十五万人いるというのだから、七十余万円の所得も何の不思議は無いし、税務署で査定したのだから、その他に幾らあるか分かったものでない。こういう搾取の組織は現今の資本主義そのものの訳で、その内容である教義の如きも、資本主義の謳歌以外の何物でもないこと、これも分かりきったことで、財産は心の埃やアクタで汚れたものだから一切捨ててしまえ──というのはいいとして、その捨て場所は丹波市の本部へであって、社会事業や国防献金へと勧めているのではないのである。例えてみれば露店で万年筆を売るインチキな香具師であっても、つぶれていても万年筆はくれるのであるが、宗教商売は何一つ物をやるのではない。お札一枚だってタダはくれない。精神的な霊験をくれるというけれど、それならば、何も病人ばかり助けないで、東北の飢饉など、神の有難い摂理によって忽ち豊作にしてくれるべきだが、おそらくそんなことは不可能なのである。ただ御賽銭を納める個人個人にのみ有難いのであるが、新興のあれこれの宗教、「ひとのみち」だの「生長の家」なんてものも、天理、大本その他いろいろの宗派と教義に於て大した相違はないので、本質的な著しい特色づけは如何にして経営しており、どんな御賽銭の集め方をしているかが問題となるだけであることを知らねばならない。<<
病人だけでなく、飢饉なども救うべき・・・。なにやら現在の状況にも通ずるものを感じます。今日、ライブカメラを見たら、黒い着物姿の集団が。まさかと思ったけれど、婚礼が二件あったそうですね。敷地外で個人的に強行したのでしょうか。
>>「親子」の関係でこれを説明してあるのだから実にうまく考えてある。その上にまた信徒になると、教徒にならねばならぬ仕組みにこしらえてあるのだが、この教徒というのは「お授け人」といって、もう直ぐ宣伝を実践するのである。一人でも多くという拍車をかけられて、百戸つくることを先ず目標にする。つまり命懸けででも百戸の信徒、即ち宣教所を持ちたいとやりださねば救われないように、ちゃんと教育されるのだから恐ろしいのである。大体どの宗教でも、自分が信じたならば有り難さを独占しないで、他人をも入信さすことによって自己もなお救われるという仕組みに出来ているのだが、天理教のはそれを直ちに宣教所獲得に引っ付けたところに巧妙さがある訳なのである。そしてこの気の毒な宣教所というものが約一万千箇所もあるし、第一線に立って血の出るように働いて信徒をこさえている「お授け人」の教徒が約二十五万人いるというのだから、七十余万円の所得も何の不思議は無いし、税務署で査定したのだから、その他に幾らあるか分かったものでない。<<
「理の親子」制度をつくり、巨大なネズミ講を巧妙に組織したということですね。出資法違反にはならないのでしょうか?
何方か末端の教会で、なんらかの支援又は貸付などご存じでしたら教えてください。私の調べた事では宗教法人では雇用調整助成金だけでした。うちには当てはまりません。ここに書いても、申し訳ないですのですがとても困っています。
しっかりした意見交換の中に水をさすような投稿許しください。
とてもこまっている。代表役員です。
天啓者達の永続を意味する言葉を、宗教家業の勧めに書き換えて多勢の人生を支配搾取してきた張本人達が、正善氏始め、道具衆の魂達だったとすれば、この百年間の本部のトップ人事と世界人類の混乱を終わらせる方法も又、中山御一統様方が、お地場に天啓を大望する心を定めるしかない。
世界人類が地場から打ち出す天の言葉に耳を澄ましながら、優しく豊かな神一条文明を楽しむには、この根本問題の解決による人類のステージアップからだろう。天保九年に顕れた神に尋ねれば、全ての王節はそこに収斂すると答えるに違いない。万事神一条の道。
参考意見さんの資料、大変しんどい思いをしていただき勉強になります。ありがとうございます。
もう数10年も前です。テレビをつけたら古い映画をしていました。今東光の「こつまなんきん」。途中からだったので筋はよく分からなかったのですが、主演の嵯峨三智子が着ている赤一色の羽織の背中に大きな白文字で「天狸」と書かれてあるのです。確か新興宗教の教祖にされた嵯峨三智子の金と色とが絡んだ娯楽物だったと思います。調べると、昭和35年に出版され、すぐ同じ年に映画化されています。「悪名」シリーズは面白くてよく見ていましたが、今東光の本は読んだことが無く、テレビによく出ていた豪快な、好色坊主としか見ていなかったのですが、ウィキペディアで調べると、スケールが大きすぎて驚きました。「昭和の怪人」と言われたらしいです。
八尾市にある天台宗の末寺天台院を任されている時代に何作もの河内を舞台にした小説を書いていたようです。高安大教会とは一駅違いの近さです。新興宗教同士なら、勢いのある相手への妬みで誹謗中傷とも取れますが、天下の天台宗です。人脈豊富、あらゆる分野からの知識もある人ですからね、きっと小説、映画化許可してでも広く警告をしてくれたのではないでしょうか。
暴力団でも震災の際には炊き出しを行ったとか?
直接的な感染防止・医療対策の他に、経済困窮対策として、消費税撤廃・緊急ベーシックインカムの導入などを政府に要求する事も必要なのではないか?
教団執行本部による政治的提言や、困窮者にたいする緊急散財、詰所や大教会施設への緊急生活所としての供与など、お国と共同でも経済困窮者への緊急延命処置などの活動の準備はなされつつあるのか?
感謝・喜び・優しさ・創造性・向上心・謙虚さ・朝起き・正直・働き。より優しく豊かで健康な家庭と社会を夢見て、教祖の信奉者の皆さんは日々マコトの心を養おうとされていらっしゃるのでしょう。
ところで、世界一列をタスケル筈の教会本部はオツトメと(人集め・金集め以外に)具体的提言と活動は何をされているのでしょうか?
又、常人では覚束ない、奇跡的な救済を起こす筈の本部の勤め人衆の人選はどのように行われるのですか?
シンバシラ様のご神託ですか?
疑問ばかりですいません。
とてもこまっている代表役員 様
≪しっかりした意見交換の中に水をさすような投稿許しください。
≪とてもこまっている。代表役員です。
水をさされたとは全く感じませんから、どうぞご安心なさってください。
ご心痛の事、お察し申し上げます。
困っておいでの事情とは、コロナ禍の中で月次祭の信者参拝が無いので、上級教会への納金などに
お困りなのかと推察しますが、具体的には何の為のお金にお困りなのでしょうか。
宗教法人が雇用調整助成金が受けられる場合もあるとのことですが本当でしょうか。
整理すると、所属教会の代表役員さんという立場でのご心配は、自教会の経済状況が困難なので、
緊急の支援・貸付を探していらっしゃるということですね。
貸付には返済が待ち受けますから、緊急融資を受けても金欠地獄は先延ばしになるだけですね。
ぶしつけで非礼をお許しいただきたいのですが、食べる物にも困るという状況でしょうか。
仮に食料すら購入できないという状況ならば、信者さんに食料支援を求めるという道もありますね。
お供えが届かないから食べていかれないという場合は、飢え死にする前に「食料」を送って頂だけないかと。
お金をおくることに抵抗がある人でも、人は飢えそうな人を見殺しにするとは思えません。
食べることには困らず、上級への各種納金に困っておられるのであれば、上級へその旨伝える事が
一番の解決策だと考えられませんか。
「お供えが集まらないから今月は納金できない。」
と、プライドを捨ててでも事実を伝える。「事務的に」「伝える」のです!
上級には上級の役目がありますから、シンプルにその役目を果たしてもらうのが筋でしょう。
上級は本部に向かって、「お供えが集まらないから本部へのお供えも上げる事ができない。」
と、伝えるべきだと考えます。事実なのですから。
お供えが集まらないからどうしよう、と、考えるのは本部の仕事です。
何のための本部なのか。
これ迄順調に下からあがってきたお供えでヌクヌク暮らしていた人々。
これ迄「養ってあげていた」のだから、緊急事態にはしっかりその職責を果たしてもらえばよいのです。
下部組織の役員さんが、あわてて借金をするのは断固、止めるべきです。
繰り返しますが、信者だって馬鹿ではありませんから、お供えが集まらないから食べる物にも困っているという状況を見捨てるとは思えません。各地のフードバンクに心を寄せる人もいる社会です。
しかしながら、上級へ、本部へと運ばれる「お金」は一円だって出したくない(出せない)状況の人が社会には大勢いる事も忘れてはならないのです。
どうか、目を覚ましてください。
家族の命を守るための行動こそが、人として問われているのだと考えてください。
天理教組織を守るために、貴方様が借金をすることは、間違った行動です。
返済地獄が待ち受けているのですよ。
天理教組織で良く思われたいというプライドが邪魔するならば、そんなものはゴミ箱へ投げ入れてください。
困っている下部組織を救えないような天理教団は、世界助けの宗教とは言えません。
信用できません。
自己崩壊の始まりです。
若江の家では二代真柱の学友たちも入り浸り、専属コックの作る料理を楽しんでいたそうです。
バカバカしいほどお供えが浪費されていたのです。
それでも借金をなさいますか?
失礼を承知で申し上げます。天理教を信じながらでも仕事につくことは問題ないのですから、これを機に仕事を探す道も考えられたらいかがでしょうか。
私は家族を養うために、転職を繰り返し、何とか食べさせてきました。
いつも職場では底辺の立場に置かれ、つくづく自分は徳が無いのだなあ、と感じながら生きてきました。
しかし借金だけはしないように心がけてきました。返済能力が自分には無いことを知っているからなのです。
どうぞ、天理教だけの世界観という視野狭窄に陥らないよう、冷静に行動されますよう、お願い申し上げます。
失礼な事を書きつけました。申し訳ありません。
とてもこまっている代表役員 様
2020年5月9日 7:15 PM
不確かな情報で申し訳ありませんが、「法テラス奈良」に一度お問い合わせになられたらいかがでしょう。
何か糸口がつかめるかもしれません。法テラスは全国組織です。ちなみに、法テラス奈良のURLは下記の通りです。
https://www.houterasu.or.jp/chihoujimusho/nara/
とてもこまっている代表役員
2020年5月9日 7:15 PM
本部は各教会お供え停止、10万配布 などの措置を取るべきですね。困った時に助けてくれない本部はもういりませんよね。遺脱したら、お供えや各会費は払う義務はなくなるので離脱されてはいかがでしょうか?良い機会ですよ。【金の切れ目は縁の切れ目】と言いますからね。
【金の繋ぎは命の繋ぎ】困った部内につながない本部を意味している言葉だったのでしょう。
中山大亮に対する某会長さんのツイートより
>>4月12日
教会長です。今月破産しそうです。大亮さん助けてください。今までお供えしてきました。
貸付でも良いので何か手をうってください。よろしくお願いします。<<
そして大亮は完全無視。
ぶれない搾取体質そのままです。
信者のみなさん、世間の皆さん、これが「せかいをたすける教団」の次期真柱の態度であり、本性です。
この若造、まだ後継予定者にもかかわらず、
噂ではたった一日巡教に赴けば、数十万の御礼を手にするとか…
とてもこまっている代表役員 様 、
うちの実家の両親の教会も普段ただでさえ貧に落ちきっているのに、
このコロナ禍で大変困窮しております。
もう本部や上級にお供えはもちろん、教会費、支部費等を支払い拒否しましょう。
最終的には生活保護を申請するしかないのではないでしょうか?
ここはなんとか生き延びねばなりません。どうか乗り越えてください。
教祖の教えは、ひとをたすける教えではなかったのでしょうか?
しかし、この組織があるだけで、人を苦しめてるではありませんか。
もうほんとに、天理教って何なんでしょうかね……..溜息
親だ親(理の親)だと言いながら、
天理教の親(理の親)は子供に金を無心し続け、都合が悪くなると無視をするネグレクトであり、
普段は理の親に何事においても絶対服従を強いる精神的DV野郎であり、
いわば児童(理の子)虐待のオンパレードですね。
皆さんいちれつ会を御利用になられて学校を御卒業されたのですか?
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(4)大本教の発展と王仁三郎
大本教の出口王仁三郎こそ、この類似宗教を盛り上げた立志伝の男である。若い時には是も稲荷下げだったのである。それが出口の直婆さんが艮の金神に乗り遷られている處へやって来て、直婆さんにうまく取り入ってしまったのである。この時分には直婆さんは金光教を信心していたのであるが、王仁三郎が少し神道の知識を持っていたので直婆さんの出まかせの説法や御筆先を解釈したのであるが、大正五年になって元海軍機関学校教授文学士浅野和三郎という人が入って来て、いよいよ物々しく堂々としたようなことを説きだした。そこへ欧州大戦で財界に金の波が打ち寄せたので、いい機会に恵まれて太ったのである。大正十年には第一次の大本教事件が起きているが、それから七ヶ年間も京都地方裁判所、大阪控訴院さらに大審院と係争していたが、昭和二年に禁固五年の前審判決が「大赦により免訴す」と破棄されてしまったので、王仁三郎は大本教再興にとりかかった訳である。
天理教の今度の事件でも、松村吉太郎氏が取り調べられて本部に帰って来て、「天理教の目覚ましい発展には節というものがあって、その節の時には何かしらの弾圧を受けるが、ちょうど来年は五十年祭だから・・・」などという逆宣伝的なことを「天理時報」という天理教新聞に書いて、抜け目のない事を言明しているが、大本教の第一次の事件の時も王仁三郎はこうした逆効果を大言壮語していたものである。この太々しい態度が実は信者に大きな感銘を与え、狂信に拍車を加えるので、こうした点からしても宗教の経営というものは、例の一時流行した映画俳優の逆宣伝の古めかしいインチキ性を具えているということを見逃してはならない。
大本教の金の集め方は、天理教ほど露骨で信徒一本槍ではなく、いろいろの会を作って会費だの献金だので搾取しているのだが、最近では右翼団体の力を借りて昭和神聖会というのを作っているし、蒙古の紅卍教と提携しているのは周知のことで、満洲方面に於ける天理、大本の進出は一体何の為にやっているのやら訳の分からないもので、王仁三郎はヂンギスカンの様に馬に乗って蒙古入りをやったし、天理教の中山管長は満洲へ行って、伊東ハンニという、いずれも皆様御存知の札つきに喰いつかれて金をとられているし、天理教の海外布教ナンセンスや、大本教のエスペラント一口話や、××にオベッカを使ってマサカの時に・・・の褌の当て外れ等のお笑いの一席は別の機会に譲るとして、兎も角も、金のうんと有る天理、大本がファッショや其の後盾のコンツェルンやトラストやと同じような投資をしている有様は、内地の信者の血の出るような献金が一旦丹波市や綾部へ集められて、海を渡って行くスヂミチと同じ一つの途をたどっているのに注意してみると、決して農民や労働者や小商人の真の救いの道ではなくて、むしろ其の逆であることに思い当たらねばならぬ。
第一次の大本事件の後に王仁三郎に逢って話を聞くと、傲然として「世間ではワシの×ぐらの上の方をいぢくりよるから、段々固うなるんぢゃ。その下の××をギュと握られたら御陀仏なんぢゃがな」とカンラカラカラと笑ったというが、王仁三郎という男は剽軽な漫才師みたいな男で、この一面が信者を捉えているらしいが、元は稲荷下げが、多少とも神道に通じているくらいが関の山なのに、よくもあんなに金を集めたものだと言われているが、何にしても王仁という男は人気者である。
天理教には、松村吉太郎という王仁に匹敵するエライ人がいるが、松村の方は陰性で、是も何度かクサい飯を天理教の為に食ってきた怪傑で、今は表面は大教会長なのだけれど、娘が管長の夫人になっている等、教内の勢力は大したもので、事実誰よりもこの男が一切を切り盛りしているのである。冗談口もあまり叩かない、どこか安達謙蔵に似ていて(似ているどころか安達と天理教は今では切っても切れない、いい仲なのだが)王仁とは全く反対の仕事師である。この人物の相違は結局のところ、王仁の産業資本式の軟らかさと、松村の金融資本式の進歩した事業化のタイプがみられて面白く、教内の組織などもそうした相違を持っていると観ていいのである。<<
この時代すでに、天理教の海外布教ナンセンスなんて言われてしまってて笑えます。王仁三郎について読んでいて、柏木庫治を連想してしまいました。
「こつまなんきん」をアマゾンで探してみましたが、見つかったのは文庫本と映画パンフレットだけでした。DVDはおろかVHSさえソフト化されてないらしく、動画サイトで断片を見ることもできませんでした。映画は続編も作られており、テレビで放映されたことがあるのならソフト化の可能性もゼロではなく、いつか観てみたいものです。
匿名
2020年5月9日 10:42 PM
法人長を勤めていると生活保護はもらえないと思います(地域によりますが)一般的に、所有の財産(土地建物を含む)がある場合は無理です。それに宗教法人というのは厄介でして何かと面倒です。手続き上最も簡単なのが、包括関係の解消です。
コロナを契機に天理教と名乗る新興宗教団体実質中山教団には他人を助ける能力はないのは分かったのですから、速やかに独立するのがお勧めです。
教祖も「皆独立するコロかナ」です。
そもそも親子関係を提唱している教団が何故子供の組織孫の組織の独立を望まないのはこれもおかしな話です。全ての分教会、大教会独立したら良いのです。
親だ親(理の親)だと言いながら、
天理教の親(理の親)は子供に金を無心し続け、都合が悪くなると無視をする<<
本当にそうなんです。大教会は勝手のいい時には連絡をよこしてきます。しかしコロナで社会全体が貧困化し、下々の教会も同様に苦しい段階に入っている事くらい容易に想像できるはずなんですが、何のお伺いも一切御座いません。親なら子の状況を案じる電話の1本あるのが普通だと思います。今回コロナ社会となり、世間では親は遠く離れて住む子供達に事ある毎に様子を聞いて、心配したり、安堵したりしていてそれが当たり前の情です。
天理教の場合、コロナではお金にならない。お金にならない事例には情も関心も向けないと言う心情が今回手に取るようにわかりました。こういう態度で今後、親だと大手を振れるのでしょうか。今まで再々連絡をよこしてきたのは集金業務のための口先三寸だったのかと思ってしまいます。
信者です。いちれつ会で学費を多く天理教側も支払っていくんだろうと思います。私はいちれつ会を利用していません。
いちれつ会を御利用になられて御卒業された方もここにはおられるのではと推察します。
本来皆で若い人々の学費を分担して負担を減らす制度のようです。
でも卒業をして就職をされて、皆さんが天理教を叩くことで、いちれつ会の存続に必要な資金はどうなっていくのでしょうか?
集まった御祝いをいちれつ会に寄付されたと記事にありました。
コロナであろうといちれつ会として出ていく費用はいるでしょうし、他にも寄付をされていると思います。
皆さん、もしもいちれつ会を御利用になられて御卒業されらなら、若い世代を追いこむことなく御自分の学費としてかかった分をお供えしていただけませんか?
お供えで育ってこられた方も多いでしょう。
御自分の生育にお供えの支えがあったことをお考えいただけませんか。
お供えで支えて下さい。
私もお供えを自分の出来る範囲でさせていただいています
教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたいます。
天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。
余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。
お供えしていただけませんか。
私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
先ほどから、やたら「お供えしてください」を連発して、サブリミナル効果でも期待しているのでしょうか?
お供えは、今まで十分にしてきました。正しく使われていたなら、今でも本部は困っていないはず。
間違ったところに湯水のように使ったから、いま困っているだけのこと。
自分の生活が一番大切なので、もうお供えはしていない。
今回の新型コロナウィルスの蔓延は、今までの価値観を根底から、行動から変えることで防ぐことができるウィルスであることを思うと、すべてをコロナのせいにして、自分の行動を変えることができるまたとないチャンスだということも出来る。
すべての人が立ち止まって考える機会が外から与えられたということは、何か意味があると思わざるを得ない。
震災へも多額の寄付があったはずですよね。最近の震災でも寄付はされていたと思います。
ネット情報によって様々な使われ方をされていることは、嫌でも目にします。それは間違っていると私も思います。
しかし誠真実の心で天理の教えを守られている方々を救っていただけませんか。
その方々のためにお供えいただけませんか。
「誠真実の心で天理の教えを守られている方々」って誰のことですか?どこにおられるのですか?
実態の不明確なことに大切なお金は出せません。
寄付する側にも責任があります。本当に世の中のためになる使い方がされるのか?反社会的勢力にそのお金が流れることはないのか?など、自分がお金を出すことには慎重になるべきです。
天理教にお金が集まらなくなることにより、本当の意味で救われる教団内の人が多数いると思います。
言い換えれば、自分の足で立ち、自分の頭で考えて、自分の意志で生きるチャンスだということです。
>>しかし誠真実の心で天理の教えを守られている方々を救っていただけませんか。
その方々のためにお供えいただけませんか。<<
誠真実の心でした「お供え」を「誠真実」の心で受け取り、「誠真実」の為に使うためには、一体、誰が管理監督したらよいのでしょう?
それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。
「天理教」教会をする事で自力で生きて行けない苦境に陥入ると言う、その教会制度そのものに大きな問題点があったと思います。今回のコロナで教会は人のお金をあてにせず生きる方向性を模索するその機会を見せられたと思います。
↑の匿名様。自分の事は自分でする事です。この天理教制度では自分の事が出来ないのに上納してきました。その結果いちれつかいと言う機関から援助を受けざるを得ない状況に自らを追い込んでいるんです。そんな援助をあてにしないで、自分の事は自分でする事を学ばねばなりません。教団本部の様に人のお金に頼る組織制度をガラガラと解体して、健全な組織に作り変えることこそ急務です。下から上へと無条件で強制的に流す天理教のお金の流れ方がおかしいんです。
これからは人のお供え金をアテにしないで自力で働いて下さい。今は仕事先が見つからないかもしれませんが、みんな世間では苦しみながら自力で生きています。教団組織のお金の流れの間違いに早く気づき、自分達扶育生の為のお供え金をして下さい、だなんて乞食根性を出さない事です。上納制度をやめればいちれつ会もいずれ不要になるでしょう。
考えは改めて
>>皆さんが天理教を叩くことで、いちれつ会の存続に必要な資金はどうなっていくのでしょうか?<<
お供えによって貧困に追い込まれなければ、いちれつ会も必要無くなるとおもいます。入学金や学費をお供えされて進学の道を断たれた者が、どれほどいることか。
>>集まった御祝いをいちれつ会に寄付されたと記事にありました。<<
自分が働いたお金ではありませんから、痛くも痒くもないでしょう。
>>教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたします。<<
ただ一言「働け!」。どうしてもイヤなら、せめて托鉢に歩いてください。
>>天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。<<
「天理時報」お得意のプロパガンダ記事ですね。
>>余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。<<
余裕が無ければ人助けもできないような宗教なのですか?
>>天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。<<
教典、教祖伝、逸話編、おさしづ、その他なんでもネットで閲覧できますよ。むしろ純粋に教祖の教えを学ぶことができるかと。
>>それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。<<
信者を名乗ってはいますが、どうやら本部の工作員のようですね。真面目に議論する価値も無いように思います。
匿名 様
2020年5月10日 11:36 AM
>>それは親神様がお考えになられ、おやさまが導かれると思います。<<
過去からの「お供え」も親神様が、お考えになられ、おやさまが導かれたのでしょうか? もしそうであれば、天理教は宗教と呼ぶにも憚られる体たらくの状態になっていなかったはずです。今まで、法外な意味の無い「お供え」を強要されて、自殺者や犯罪者までだしてきた事実を今こそよくよく振り返るべきだと思います。
>>教会の方々の命を支えていただけるようお願いいたします。<<
と投稿された匿名様。
私も教会ですが、そんな甘い考えが普遍的に世間に支持されるものではない事を早々に悟りました。自力で働いてきたから人のお金に頼らず生きる底力も持つ事が出来ました。乞食根性は神は褒めてはくれませんよ。自分の足でしっかり立って下さい。
働きましょう。這いつくばって働きましょう。人の援助を貰うという甘い考えが明るい未来を呼び寄せない事は、人のお金をアテにした現教団の廃れぶりを見ればお分かりでしょう?
いちれつ会の基金は二代真柱の結婚祝いの金やで。
ちゃんと調べな。
天理高校二部は返金いらんしな。
各組織や活動の経緯を知り、理解してからお供えだなんだと宣うんだな。
現在は残っていない部署もたくさんあるでな。
農村地域の布教推進の部もあったしな。
教えの元を辿るなら、並行して組織の元も辿らないと、上に良いように使われるでな。
気ぃつけや
いちれつ会に流れたお供えを支えていた一般信者の私iは、高校生の時からアルバイトで学費をまかなっていました。だからか、授業中は居眠りでした。
高校一年全員で受験した結果、IQが182あり、教師からは大学進学を勧められましたが、結婚資金をためて早く家から独立せよと、耳タコのお説教を聞かされて育った身には夢物語でした。
一信者の自分は「いちれつ会」なんて存在も知らされず、今日に至る迄、つまりは我が子も姪も甥もバイトに励んできました。
ずっと貧乏です。信仰していても、ですが、それは仕方ない事と思っています。やはり大学へ行かなかったことで自分の世界が決まってしまう現実は、そのまま受け止めています。教会長夫人さんがお茶会をやったり、飲み会に出かけたりとグルメ生活をされる話を別世界の事と仕訳して心穏やかに生きてきました。
「お供えしてください」との寝ぼけた書き込みを拝見して、これは黙っていては判らない人もいるのだと考え、ここに書き込ませて頂きました。
いちれつ会の皆さんは十分に恵まれた存在だと知ってください。
学費が足りなければバイトしてください。
世間では当たり前のことです。
いちれつ会のお陰で高等教育を受け、社会でも仕事に成功している天理教の有名人はどこに隠れているのですか?今こそ、ご恩返しをして下さい。演奏会なんて開いたところで、それは皆さんの自己満足にすぎません。
天理時報に顔写真が載るような方々こそ、いちれつ会の資金を自分の懐から出してはいかがですか。
「お供えしてください」と書き込まれた方へ一言、
貴方はこの機会に既に「なっしょう」されましたか?
貧のどん底に落ちるには絶好の機会ですよね。
まずは自分ができる事をやってください。
今は世間の人々でも、必死に自分ができる事は何か、考えて考えて、実行している時なのですよ。
お供えに乗っかって、いかにも立派な事を言うだけでは、もう、誰からも相手にはされませんよ。
あなたの貯金通帳が残高0になる日が来れば、貴方の主張に耳を貸す人が現れるのです。
売れる物はすべて売りつくして下さい。
私は売れる物を売りつくすことを高校生の時から実行しています。
高卒で入社した会社へは初めての給料を頂くまで、高校の制服で通勤しました。
これは高度経済成長期での実体験です。勿論、恥ずかしかったですよ。校章だけは外しましたが。
本部で結婚式を挙げるカップルの、なんと、恵まれたことか!と、思います。
恵まれた人には下々の状況がピンとこないのでしょう。
大亮さん夫婦の正月の写真をインスタで見ました。
子供に鏡餅のコスプレをさせていました。普通の夫婦をやっていられるんですね。
のんきな親子の姿を拝ませて頂きましたよ。
ばかばかしい教団です。
匿名
2020年5月10日 8:02 AM
>>天理よろづ病院の方から海外の国々に医療チームが派遣されたこともあったようですね。余裕があった頃はそうやって様々なお助けもされていたようですね。お供えしていただけませんか。私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです
教団(中山体制)がある方がむしろ天理教が学べなくなります。中田善亮の「金の繋ぎが命の繋ぎ」発言から明確化し確信に至る「天理教と中山家の乖離」コロナ禍での対応の遅れ怠慢、そして無支援でハッキリしてきたのではないでしょうか。このままでは末端教会は相当数消えてなくなります。競売物件も多数出ています。それに天理教は教団よりも今やネットの方が情報量も多く虚実様々でしょうが検証して行く方が教義の革新に触れられる機会が多いですよ。
教団存続を願う人も居ると思いますが、コロナで末端教会はおろか大教会なども危機に瀕したこの最中に支援金の一つ優遇措置の一つも打たない中山家は、教団存続を願ってないでしょう。本心は潰すつもりです。潰すつもりが無ければ今までの体制も無かったといえます。これは抗力か不可抗力かは定かではないですが、教団が縮小し消滅する流れでは、資産の取り合いが始まります。現におそなえとか託けて、無担任教会の(被包括法人の土地の没収)を開始してますしね。
もう終焉は始まっているがその終わるまでの期間が膨大に無作為に広がった教団ですから時間がかかっているだけです。
真面目な人ほど馬鹿を見る状態ですので、信者の皆さんはご自身の資産の確保だけに目を向け、今や金集めに奔走している中山家の餌食にならぬよう気をつけてください。
皆さんのおかげで踏ん切りつきました。
何とか生きていけます。
有難うございました。
とても困っている代表役員様。
先程投稿した教会長ですが、困窮している事実を率直に上に直訴すべきです。教会会計のあらかたを説明してこれだけしかないからもう無理、と言うべきで、上納金の性質はこちらの胸三寸です。義務ではないです。
コロナ禍で世間も困窮しています。今こそ拒否出来る潮時です。代表役員様が貸し付け等の目処がついたと言うなら取り敢えず安心ですが、借りたお金の中からまた上納すると言う事だけはしないで下さいね。とにかく今後お供え金はストップです。当方、実行しています。仲間はいますよ。
神様からの罰など何一つ受けていません。家族も幸せに生きていますから取り敢えず安心してお供え金をストップしてくださいね。
お互い今まで散々苦労してきました。残りの人生、新しい未来を見ましょう。天理教に踏み潰されるなんて犬死にみたいなものですよ。
久しぶりの投稿です。
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
『アルバイト中にひき逃げ逮捕された天理教幹部の意外な窮状』
2月28日に東京葛飾区の某教会長がアルバイト中にひき逃げ事件を起こし逮捕された事件の記事で、記者が「なぜ天理教の幹部ともあろう人物がアルバイトを(しなければならないのか)?」と教団本部に問い合わせたところ、
「天理教の教会は独立経営で、本部から給与が出るわけではありません。基本的に信者さんからの『お供え』を収入としていますが、教会外の仕事をしている教会長も多数います」(広報担当者)
とのこと。
(「天理教」「ひき逃げ」で検索すれば記事が出てきます)
末端教会の経営状況や資金的窮状は、私自身も経験しよく理解しています。
しかし、このように本部広報担当者が「お供えは教会の収入」と公言してしまう呆れた現状において、いくら「いちれつ会」や「憩いの家」「各種学校法人の運営」に一部回されていると言っても、素直に「お供えします」とはなりませんよ。
そういう施設や団体への寄附であれば、自分が応援したいと思う施設に直接寄附するなり送金すれば良いだけです。勿論、それらの施設や各種法人の役員には「中山家」を始め教団幹部のお歴々が名を連ね、殆ど何もせずに一定の報酬や手当を受け取っている事は明白ですけれども。
10万円、もうすぐもらえます! さて、本部は、この国からの支給金をお供えさせるのでしょうか?
信者10万人で10億ですよ〜 30万人で30億ですよ〜
このお金は税金です、ある意味、親神様からの、給付金かもしれませんよね?
このお金を、また、親神様にお供え返しさせるのでしょうか?
私個人は、この給付金を、そのまま、お供え袋に入れさせるような、そんなことを
本部や教会長が言ったら・・
全力で、ネットなどで告発して非難対象にしますよ〜
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(5)信心で病気が治るか?
昔、佐竹のお殿様が病気になって、山田正珍という医者が治療していると、よくあるやつで脇から行者に御祈祷を勧める者があった。正珍先生マユをひそめて、怪しからん奴だと思って「そんなこと、まかりならん」と言った。すると今度は行者がノコノコ正珍先生の家へ来て、ぜひ殿様に御祈祷をお勧めしてくれと、クドクド言うのである。「では明日、殿中で貴殿の法力を試してから、させるかさせないか決めよう」と言って帰した。
翌日、正珍は紫圓という薬と、その解毒薬を用意してお城へ上った。行者は勿論、身分ある武士の紹介で、お城の中に入って殿中で待っていた。正珍が言うには「貴殿は、殿様の病気を治すぐらい何でも無いと言ったが、それが出来るなら、人を殺すことも出来ようし、それが出来なんだら、せめて腹痛ぐらいは起こさせる法力があろう。そこで今この場で、拙者を祈り殺してみせるか腹痛をさせてほしい。その代わりに今、拙者が飲ませる薬を飲んでからで、この薬は間違いなしに腹痛が起って、ついには死んでしまう薬である。こうすれば貴殿は法力、拙者は医術で、術比べができるわけだがどうだ」と言うと、自慢の鼻の高い行者は承知をした。が、行者がようく考えて見ると、ちと分が悪いのである。「どうぞ」と薬を出されてみると、「しかし」と尻込みせざるを得なかった。「卑怯だぞ」と正珍が一喝したので仕方なく薬を飲んだ。そして九字を切って、お経を読んで呪文を唱えだした。處で行者はキイキイ腹が痛んでくるのに、正珍先生キョトンとして別に痛くも痒くもないのである。しばらく拝んでいたが「ちょっと失礼」と言って厠へ立つと、行者は下痢をやってますます腹痛が激しく、廊下まで這い出して来たが七転八倒している。そこで正珍は「もうよかろう」と、解毒薬を与えて籠で行者の家へ送り届けてやった。
いくら行者でも劇薬には叶わないのである。その理と同じで、行者が必ず病気を祈って治せるとは言えないのである。行者が祈って治る場合がある。医者が博士であっても薬を盛っても治らない場合がある。これは屁理屈ではなくて、実際日々に我々の身辺で、見たり聞いたりしていることである。
これは外国の話であるが、ある山国の医者の薬局にモルヒネと重曹とだけが、ひどく盛んに使われて、他の薬は一向使われもしないのに、その医者は名医だと言われて、事実患者を大して盛り殺しもせずに、褒め称えられたという話がある。これは本当のことで、モルヒネと重曹を上手く使いこなせば大抵の病気が治せそうだと、僕の友人の博士が笑って話していたのだから、途端に医者というものも頼りないものだと思ったことがあった。
自然の療能──という難しい言葉がある。一口に言えば、病気は勝手に治るというほどの意味を持っており、も一つ詳しく言うと、人間の身体の一部分が患っても、他の大部分が完全であると、だんだんとその患っている部分を治して行くもので、よく「日にちが薬」即ち安静にしているのが何より薬という諺がある。これは間違っていない本当のことであるが、この事を殊更病気を治す第一の根本原理のように考えている医者もおり、宗教家もおって、この人たちが、とんでもない噓っぱちなことを言ったり、したりしているのである。
また一つは精神療法というのがある。(この精神療法というのは催眠術のようなものをいうのではなくて、なかなか難しい理論があって本当は別の言葉があるのだが、この話の中では仮に精神療法と言っておくのだから、ものの分かった人は誤解しないようにして貰いたい)これは自然の療能の兄弟分みたいなものであって、これも絶対に治らんとは言えないが、限りがあって何でもかんでもこれで治ると思ったり、言ったりしているのは間違っているのである。
今いろいろ流行っている宗教というものは、大抵病気を治してから信者にしてしまうのである。治ったら有難いし、治らなんだら信心が足らんと言って引きずり込むし、こんな重い病気が治った、あんな大病も治ったということを聞くのである。また一方では病院が患者で満員で、急病の重い寸時を争う患者が入院できないとし、甲病院で難病だと言ったのを、近所のお医者が四日ぐらいかかってケロリと直したというし、乙病院の見立てと丙病院の見立てとが反対で、一方は心臓だと言うと一方は子宮が悪い──ままよ、と捨てておいて、ラジオ体操をしていたら治ってしまったというのがある。
こう書いてみると、ヨタのようであるが、じっと皆様の身辺で見たり聞いたりしたことの記憶を辿ってもらうと、決してヨタどころじゃなくて本当の話である。ヨタのようであるが本当だ。そうすると、ヨタと本当が入り混じっていることになる。で、どんな点がヨタで、どんな点が本当だろうか?
教会所で病気も治るし、病院でも病気が治る病気もあれば治らない病気もある。つまり限度というものがあって、教会所でやっていることは、前に言った精神療法と自然の療能の一手販売であって、薬を出したら法律で罰を食うのだから、これは法律によっても出来ないのである。
また病院では、エライ博士や科長さんがいて、ここでは精神療法と自然の療能と、そして薬と手術とその他いろいろの治療を受けることが出来るのであって、教会所より病院の方がいいに決まっているのだが、この病気や先生や科長さんにも限度があって、絶対に治し得るという保証はできないこと、これも分かりきったことなのだが、案外こんなことが間違って考えられているので、これを信じすぎるとヨタになるのである。
博士にも誤診がある。だから、ラジオ体操で治るのである。病院でたとえ治らぬと言われても、天理教や「ひとのみち」で治る、即ち精神療法と自然の療能とで治る場合がある。サイコロを振って丁か半かみたいに一寸見えるけれど、これは決して偶然に治す方法へ落ち着くのではなくて、治るのが必然であったから治るので、死ぬという必然性のある者は、世界中の病気を飛行機で駆けずり回っても死ぬので、これはヨタに見えて、本当の話なのである。
だから宗教で病気が治せるのは、ほんの一寸した小さな部分だけなのである。その一寸した小さな部分を、まるで門口も奥行きも広いように言い立てるインチキ性が宗教の特色であって、正珍先生と行者の話のように、てんで比較にならぬような力しか持っていないのである。重病が治って不思議に見えるのは、宗教が治すことの出来る一寸した小さな部分が、たまたまこの重病を治すべき唯だ一つの方法であっただけで、この重病人は良い医者が診て治療をしていたら、きっと重曹ぐらいを飲まして何の苦も無く治してやっている筈である。それに注意しなければならぬのは、近頃の医者は金がとれないと見ると直ぐ信心を勧めて逃げてしまうのである。「薬だけでは治りませんから、何か信心してみたら」なんかと、イケしゃあしゃあと言うのが沢山いるのである。ところがこの病人は薬代や診察代が払えないのだから、勿論宗教にも行けないのである。宗教には医薬以上のお金がかかるので、一体こうした気の毒な我々というものは、如何して病気を治したらいいと言うのだろうか。<<
私は今でも自分の身に起きた奇蹟は、神様のおかげと信じていますが、その神様は「天理王命」などという名ではないものと確信しています。
誰か知らないけど、擁護派意見は書き込ませないのは酷いなぁ。
いろいろな人に書いた返事全て消すとは。
何故天理教擁護派の意見は書き込ませないようにするの?
匿名
>>2020年5月10日 10:07 PM
消えたのは何かの間違いかもしれませんよ。
是非、擁護派の論理的かつ建設的な意見をお聞かせください。
ところで、こんなサイトができたんですね。
https://www.nisei.online/
https://www.nisei.online/post/天理教の家に生まれた天理教%EF%BC%93世の悩みと教えの矛盾に気がついたきっかけ
加藤ハルアキ様より孫引き
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
↑ これは、一体誰が書かれたものでしょうか。なんとも身勝手な方だなぁ、と思いました。これ又、問題発言にならなきゃいいが・・という気さえします。
「私は信仰の場を失いたくないですから、この私を支えて信仰を続けさせて下さい。」
と言われているのですが、こうした信仰は、果たしてホン物といえるでしょうか?
ここに、少しばかり勘グリを加えて申しますと、「私は、聖なる<乙女の祈り>を捧げたいのです。ですから、どなたかこの私をカツギ上げて、汗水垂らして得たあなたのパンを私に持って来て下さい」
となりかねません。
私は、信仰と言うのは、たとえそれが神に礼拝をするというだけであっても、石に噛りついてでもする、神を敬い拝することは、どんなことがあっても何としてもやり遂げる、という強い決意のもとで行われるのではないかと思うんです。
お供えがなければ学ぶ機会が失われるというのは、ニセ物の信仰じゃないですか?
あなたは、労働に汚れていない美しい手をしているのですか?だったら、勇気をもって、労働で手を汚して下さい。手を汚したあと、神を拝されてはどうですか?その方が、労働をしていない美しい手で拝するより、神に歓迎されるでしょう。手を汚したために、信仰の機会を失い、神信心続けれなくなったとしたら、それはそこまでの信仰 (その程度の信仰) だったということですよ。
私は信者です。お供えをいただく方ではありません。
私が天理の教えに固執するのは、一部の人しか見ない世界を見ているからです。
だから自分がお金がほしいからでもなく、自分がお供えがほしいわけでもありません。
どういう世界を見たのかは言えませんが、天理の教えが必要だと思っています。
>お供えしていただけませんか。
>私は信者として、天理の教えを学ぶ機会が失われることは嫌なんです。
ぶたまんさんの意見に同意です。
いくら「貧に落ちきれ」と言われても、
本当に乞食になってしまってはあきまへんわ.。
まあある意味本当に貧に落ちきっいるのは(精神的に貧しいという意味で)
人の金をあてにして、お金くれくれくれくれ言うてるお供えで生活を保護してもらっている幹部、大教会長、大きな分教会、理の親達ってことですなあ。
末端の多くの教会は、信者さんのお供えで経済が成り立っているのではなく、会長家族の収入で成り立っているのが現状です。
匿名様、そこまで心配されなくても大丈夫ですよ。
それから
>何故天理教擁護派の意見は書き込ませないようにするの?
ですが、私も擁護派です。
ただ、擁護派と言っても、教祖擁護派・教団擁護派・組織擁護派・本部擁護派・中山一族擁護派と
いろんな擁護派がありまして、それぞれが何故擁護しているかを、述べて頂ければ良いなと思います。
また、間違っていると思う所も述べて頂ければと思います。
次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
私一人でお供え出来る金額には限界があります。
天理の教えを守らないといけないです。
>>天理の教えが必要だと思っています。
天理教の教えが必要だといいうことと、
御守護と金銭をリンクさせて搾取することは別問題。
稿本天理教教祖伝逸話篇№178 身上がもとや の「金銭は二の切り」の話も
捏造教理、偽教理だと断言できるでしょう。
http://tenrikyo-benkyo-blog.seesaa.net/article/364271046.html
教団本部は実に姑息でせこいことにこの逸話編№178において、
以下の文言でしっかりと本部の公式ではないという予防線をはっています。笑
「これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。」
ちなみに何度も投稿しておりますが、教祖のおっしゃられた金銭については以下参照。
『おさしづ』における「金銭」についての神意
金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。‥
金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。
おさしづ 明治22.8.12 (陰暦7.16)
一日の日でも心たんのう(足納)の理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。
心だけ金銭、何程(なにほど)の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。
これだけよう聞き分け。
おさしづ 明治23.6.17 午前三時半
思うよう〈に〉成るも「いんねん(因縁)」成らんも「いんねん」。
皆んな(みんな)だん/\「いんねん」知らず/\越せば、どんな「いんねん」が持って出るや分からん。
どねしても(どのようにしても)成らんが「いんねん」。
金銀力(きんぎんちから)で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力で行かんが「いんねん」という。
おさしづ 明治23.8.26 補遺
これもと(これも、と、)金銭づく(尽く)でする事はどうでもなる。なれど、心を養う理は、金銭ではいかん。これしっかり聞き分け。勝手はならん。金銭で出ける事は小さい。
おさしづ 明治34.5.25
〈神の〉自由(じゅうよう)〈の守護〉というは、何程(どれだけ)の金銭積み立てたと言うて(いうて)成るものやない。
おさしづ 明治35.10.7
道という尋ねる一つ理、所々一つ〈教会〉名称、この理〈、〉金銭や智者学者で出来たものやない。
おさしづ 明治37.7.15
元というものは、金銭ずくめ(尽くめ)で買えるものやない。真実の一つ心を出し、一つどうこう理を尋ねば、心は勇んで来る。
おさしづ 明治37.12.17
この道というは、もう言うまでのものである。金銭ずく(尽く)で求められやせん。国々所々あちらこちら遠き所より運び来る。
又(また)日々稼ぎという、皆(みな)働いてる人の事を思え。金銭稼ぎ、朝晩(朝から晩) まで働いたとて、何ぼうの(どれだけの)あたゑ(与え/給与)あるか、よう思やん(思案)せい。
おさしづ 明治40.4.10 (陰暦2.28)午後五時半
>>匿名
>>2020年5月10日 10:58 PM
>>次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
>>信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
>>私一人でお供え出来る金額には限界があります。
>>天理の教えを守らないといけないです。
ならば本部のどんぶり勘定の会計の公正化、透明化や、
お供えの恣意的な利用を糾弾し、それを改めることの方が先でしょうが!!
寝ぼけたこと言ってんじゃないよ!!
自分の子供は海外留学させたり、派手なパレードやレーザービームで散財したり、
アホか!!
私も会計は、もっともっと透明化すべきだと思います。
「破綻する大教会・・」等と言われますが、こうなったのも理由はあるのです。
つまり、不用なものは社会から排斥されます。これが社会の「掟」です。
天理教教団が社会の粗大ゴミになるかどうかは、私には判断がつきかねますが。(このことについては、関心ありません)
あなたは、天理教教理について言われていますが、見た目にとらわれている所はありませんか?壮麗な本部建物は、神の目から見ると、ひょっとして、バラックの掘っ立て小屋(ほったてごや)みたいなものかもしれませんよ。
匿名
2020年5月10日 10:07 PM
ここの人は中山教(中山体制)批判派ではありますが、ほとんど天理教擁護派です。中田善亮大先生のおっしゃることよりこちらのコメントの方が今現在の困窮や事件を的中させていますしね。
中山家がでっち上げた親神の存在は否定されてますね。親神と言う言葉自体おかしな日本語です。それに理の親構造組織の頂点に立つ中山家こそが親神ですからこれでは神様ご立腹ですよ笑
>>「破綻する大教会・・」等と言われますが、こうなったのも理由はあるのです。
つまり、不用なものは社会から排斥されます。これが社会の「掟」です。<<
私も同感です。無理やり残そうとしても、社会から受け入れられない物は排斥され、淘汰される。これが理でしょう。大教会が破綻する。本部が廃れる。社会が求めない掟としての衰退であり、いずれ消滅の道を辿るでしょう。
不要なものは排斥され普遍的なものは嫌でも残り続ける。神の為す天の理を見て破綻途中にある現教団の本質を深く洞察すべきです。
匿名様
>次々破綻していく分教会、大教会を見ていると恐ろしくなります。
全く恐ろしくはないですよ。「成って来るのが天の理」です。
神様がなさる事です。その先に、きっと明るい未来がある筈です。
>信者がしっかり支えていかないと、甘露台の場所を守れないと思います。
大丈夫です。「ぢばは一人立ちしている」という言葉もあります。
何があっても大丈夫です。
>私一人でお供え出来る金額には限界があります。
そんなに頑張らなくても良いと思います。
>天理の教えを守らないといけないです。
天理教の教えは守らなくても良いです。教祖の教えを守って下さい。
古い教会長様
私達は守られたおぢばしか経験がありません。もう私達が生を受けたとき既におぢばは結界が張られて守られていました。24時間守られています。
おぢばは0地点とおっしゃる方もおられるそうですね。
出直すための入り口だと思っています。
ここが入り口でここから入っていくと、次の世界に行けるとそういう場所なのだと分かりました。
そういう場所だと分かっていなければいけまないと思うのです。
これは、人から聞いた意見ではなく、私が思っていることです。
日本にが聖地と呼ばれる場所が複数あります。守られていない夜の聖地に近づいた時、その場所一帯の禍々しい雰囲気に恐れを感じました。その聖地は空海が修行をした場所で、石仏もあります。
お宵の祭りがあるという情報で行きましたが、その場所ではなかったのです。
おぢばにもしも24時間結界を張れなくなってしまったら、どうなるかと思うとこわいです。
今先生方が守っておられ、先生方を皆で支えるということになっています。
祖霊殿も夜間本来開けるべきだと考えています。祖霊殿に関しての意見も知っていますが、開いていた昔の方が良かったです。
両方から結界が張られていました。
人としてどう生きるべきかという生の部分の天理と、出直すことを迷わないようにサポート出来る天理と、両方がしっかりしなければいけないと思います。
いけまない→いけない
日本にが→日本には
誤字すみません。
この世界に聖地など存在しません。人間というものは、所詮、弱いものです。何かに頼りたい、何かにすがりたい。という人間心理から、心の拠り所として、宗教や聖地なるものが作られたのです。真言宗の大本山である高野山奥の院にも、弘法大師空海が「生き仏」として祀られています。天理教教祖中山みきさんのように神格化され、毎日三度の食事やその他日常生活全般の用事は、高野山真言宗の僧侶が365日、毎日、あたかも空海が生きているかのように世話をしていますが、私は、毎日、天理教の教祖殿で「ご存命のおやさま」に対して行われている「お給仕」と同じようなものだと考えています。人間は、生きていくための心の拠り所として、自分達が立派な人物であると信じこんだ人間を死という現実をもって終焉させたくはないのです。いつまでも永遠に生き続けていて欲しいのです。しかし、それは大きな誤りです。人間やこの世に生きとし生けるものは、この世に生を受けた瞬間から老化が始まり、やがて、時を経て、死という終焉を迎えるのです。それが天然自然の真理だと思います。
>>昭和11年大阪都民新聞社発行
「社会科学から見た新興宗教の暴露」より
(6)「ひとのみち」と「生長の家」
──(天理教に関する部分以外を省略)──
天理教では財産は心の埃やアクタだから、そんな汚れたものは捨ててしまえと言うのであるが、捨てる所がちゃんと決まってあって、他所へ捨てたら何もならんのである。捨てる場所というのは丹波市の御地場の御本部へ──と、こうウマい仕組みになっているので、埃やアクタは他の社会事業や国防費や慈善に寄付したらアカン!逆さまに正しく言えば「財物は心の埃アクタだから本部へ持ってこい」と、こう言うのである。そうでなければ管長さんがデカイ税金を取られたり、かんろだいという一群のデカデカした本部の建物が丹波市にジャンジャン出来上がるわけはないのである。そして信心すればするほど、財物は本部へ持って行かねばならなくなるのである。
宗教商売というのは、何一つ与える必要は無いのである。こんないい商売は他にたんとある筈は無いので次々に興ってくる。そして、その新しいのは古いのと違っている点は、御賽銭の集め方が違っているだけだ──と、言っていいのである。だから古い天理教より、新しい「ひとのみち」の方は、また違った方法で本部にお金を上げる仕組みになっている。
──( 中略 )──
静かに考えて頂きたいのは、不幸が除かれ、或いは金儲けが出来た者だけが信心深いわけで、不幸が除かれず金儲けの出来ない者だけが信心の不足と──こう二つに別けて、さて金儲け、幸福というものが先に考えられて信心はそれを飾るだけのものだ。──こう置き替えると、不思議は無くなるのである。
宗教を信じなくとも、金儲けをする人はあるし、不幸でない人もあるから、信心の深浅とは別に関係がないのである。ここの明るい理屈を知っておらんと、要らんことをして損をするわけである。ましてや、お賽銭なぞ出せっこない不幸な人は、いよいよ宗教にすがったとて、直接に宗教からは不幸は救われないことを知るべきである。
宗教というものは、その持ち前の建前として、必ずこの世界中が、みんな自分の宗教で救われるということを大なり小なり言うのである。チョンマゲが男の頭の上にのっかってた頃は、海の外は皆ケダモノのような人間が住んでいると思っていたのだから、日本だけだったけれど、今ではそんなケチなことは言わない。世界中を、この有難い教えで包んでしまうというのである。ところでこの宗教というものは、この世界中に星の数ほどもあって皆お互いに、世界中を自分のに自分のにと広めていくのだが、救われる方だって、どれにしたらいいか迷うわけで、ある大新聞の「身の上相談」でも時々こんな質問をする人があるかして、エライ人が何處の宗教にも差しさわりの無いように答えたのを見たことがあるが、何しろ宗教々々と言ったとて、教祖や管長や先生たち、みんな人間で食物を食い(絶対に食わないで決して六ヶ月以上は生きていない)家に住み(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)着物を着て社会人として生活してゆかねばならない。だから宗教団体と名のついている人の集まりは、大なり小なりの経営ということが必要で、献金を受けねばやって行けない。前話した天理教の管長さんが多額納税者であるのなんか、いい見本で、大きくなった宗教など沢山献金があるわけであり、宗教それ自身としても、金が無ければ大きな宣伝は出来ないのである。とすると、宗教を広めて世界中みんな自分の宗教にしてしまうというならば、これと交互に信者を沢山、献金を沢山ということを計らねばならない訳になって、ここに宗教同士の競争が出来てくるのである。
現に筆者は天理教の大教会近くに住んでいるのだが、同じ近所に「生長の家」の出張所みたいなものが知らぬ間にでき、大きな看板を出して、時々集会をやりだしているのであるが、黒い服を着た、そして胸の所のポケットに笏を入れた天理教の女の先生が筆者の家へ入って来て、女中に教会へ説法を聞きに来いと勧めてくれるのである。
「あんたはん、お顔の色が悪いが病気やないのですか?ちょっと上がらしてもろて、ここでお話さしてもらいます」
筆者の家は狭いので、上がって来られたら仕事場へ座らせにゃならんし、座り込まれると仕事に差し支えるので、断って帰ってもらうと玄関へ出て行ったのである。ところが、その先生というのは筆者の女中より、もっともっと顔の色が悪いのである。
──( 天理教に関する記述はここまで )──<<
まだ続きはあるのですが、他にテキスト化を急ぎたい資料もあるので、ここまでにします。興味があれば、デジタル資料を見てください。PDFファイルでダウンロードも出来ます。
社会科学から見た新興宗教の暴露
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097310
「結界」という言葉を使うという事からわかるのは、天理教の教祖の教えからは離れた信仰ですね。
信教の自由は憲法で保障されていますから、どうぞご自由にご自分の考えを開陳なさってください。
どなたかが擁護派の投稿は消されると書いていますが勘違いだと思いますよ。
もしもWindows使用で、書き込みしにくい時は、まず「メモ帳」に入力し、コピペでコメント欄にうつしてください。
消されるのはヤフーの知恵袋ではないですか?
真剣に質問してくる方もいれば、真剣に答える方もいて、貴重な場なのですが、回答するベテランの文言が意味不明というか、舌足らずというか、頭をひねる事が多いのです。
知恵袋では「消されてしまった!」とまじめに回答されている方からの書き込みを最近も読みました。
社会学ではどちらかというと嫌韓・嫌中派が論破されている感じじゃないですかね。
教祖の教えからすれば、さもありなん、なのでしょう。
今日もまた、ライブカメラに黒い着物姿が。結婚式で感染したら、シャレにならんと思いますが・・・。
けっかい
神殿の上段前にある木で作られた仕切りのことかな?笑
天理市がお買物券を配布するそうです。
地元の店で1000円の買い物で500円分使用可能。1世帯5000円分配布。
天理教から市への寄附金の一部がこうして市に回るんですね。
まあ、天理教の土地建物が非課税で、教会本部も寄附金の使い道には関知しないので文句を言うつもりはありませんが、信者のお供えがこういう形になっているという事実があります。
財源の出所が違うとか言われたらそれまでですが、本部と市は密接な関係ですから、まあ、色々と意見はあるかと思います。
>>何しろ宗教々々と言ったとて、教祖や管長や先生たち、みんな人間で食物を食い(絶対に食わないで決して六ヶ月以上は生きていない)家に住み(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)着物を着て社会人として生活してゆかねばならない。だから宗教団体と名のついている人の集まりは、大なり小なりの経営ということが必要で、献金を受けねばやって行けない。前話した天理教の管長さんが多額納税者であるのなんか、いい見本で、大きくなった宗教など沢山献金があるわけであり、宗教それ自身としても、金が無ければ大きな宣伝は出来ないのである。とすると、宗教を広めて世界中みんな自分の宗教にしてしまうというならば、これと交互に信者を沢山、献金を沢山ということを計らねばならない訳になって、ここに宗教同士の競争が出来てくるのである。<<
要するにそういうことです。宗教という「隠れ蓑」を被っていても、営利企業と同じなんです。しかし、営利企業と決定的に違う点は、営利企業は、自らの営利の為に、新規の発明、発見やそれに伴う商品開発で、世の中に多大な貢献ができるということです。しかし、宗教は信者から多大な賽銭やお布施、お供えを巻き上げて社会に何も還元できない。また、信者を救うどころか苦しめることしかできないということです。(この世に存在する全ての宗教とは思いませんが)。私は宗教を全否定はしません。しかし「当たらずして遠からず」が現実ではないでしょうか?
崩壊様
聖地は存在します。空海なのか、役小角なのか、おやさまの他にも存命で守っておられる方々は存在すると思います。
御本部でおやさまの元、まだ出直しておられない方々は大勢いらっしゃると思います。
あらき棟梁を山に連れていけと言われているのは、山に聖地があり、聖地の中で触媒に出会ったように感性が強まるんです。
私の考え方が天理教ではないと言われても仕方ありません。
私は自分で神様とのつながりを見つけていこうとしていますから。
おぢばは力を持っていて、私には先生方が守っているように見えます。
信仰1代目の我流の信仰です。
>>私の考え方が天理教ではないと言われても仕方ありません。
>>信仰1代目の我流の信仰です。
ならば天理教である必要はない。
あなたが開祖になって宗教団体を起こせばいい。
古い元教会長 様
2020年5月11日 8:57 AM
<<匿名様
全く恐ろしくはないですよ。「成って来るのが天の理」です。
神様がなさる事です。その先に、きっと明るい未来がある筈です。>>
「なってくるのは天の理」はいったいどこから出てきた言葉ですか?
おふでさき、おさしづ にありますか?
おさしづには 「なってくるのはいんねん」 と教えてくださっています。
神様がなさるというのは、うぬぼれです。
この宗教はバリバリの現世利益であり、願い通りの守護ではなく、こころどおりの守護なのです。
なんでも 「なってくるのは天の理」 というのは、人間のおごりだと思いますが・・・・・
入力ミス発見。
誤、──(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)
正、──(山や野でうろついてばかりいたら浮浪人)
まずワードパッドで編集して、読み上げソフトに読ませてみた後コピペするなど、念を入れてはいたのですが。
私は天理の教えが凄いと思っています。
だから天理教についていきたいと思っています。
にたようなのはあります。 まいた種がはえるということですね!
明治三十二年八月二十一日
檪本梶本宗太郎家族共本部へ引き越しに付、後の処浅田徳二郎へ委して引き越さして貰う願
さあ/\尋ねる事情/\、さあ/\悠っくりと筆に取らにゃ分からん。一代々々又一代暮れて、言えば二代三代、事情何代経ったて、どうでもこうでも成って来るが理。所という立ち越してこちらへと言う。どうもこれまで遅れてある。言えば三代の理に成りたる。早く心に成ったら、心の理悠っくり諭す。これまで無き事言うやない。三代後この理ほのか/\経ち、又年限経ち、よう/\生えて立ち帰った理。このやしき、元々始めたやしき。よう聞き分け。これからという心以て、順序始め掛けるという理、一寸理に諭して置こう。どれだけ良い木/\と言う。やしき楽しむ理諭す。この木十分々々と思たて、それ大層経った木でも、心が治まらにゃどうもならん。親から蒔いた種から、年々という心の理によって育つ。年々によって何処から眺めても成程というは、この道木に譬えてあるが人に諭す。又他に取次役取次役、順序諭さにゃならん。このやしき世上の一戸、芯というは違う。一戸芯ではない。重なる理も同じ事、この道の理ありて理ある。入えったさかいにこれもこれもと言うた処が、理が無くばならん。何程大き木植えた処が水上がらにゃどうもならん。庭先々々へ植えて楽しむ事出けん。年限である。又内なるしんばしら、楽しむもの蒔いて、楽しむという心、最初から大きいものは無い。この道道理から出けた道、これ聞き分けてくれ。日々旬増さにゃならん。これ分からんからどうもならん。よう聞き分け。物蒔いた処、人に育て育てゝ貰わにゃならん。これ聞き分け。これ最初から、さあ/\と言うた処が育たん。育てるのやない。そら倒かすのや。崇めるも聞き分け。植木同様なもの。さあ/\何時なりと/\。さあ/\許そ/\
参考意見 様
2020年5月11日 2:15 PM
>>入力ミス発見。
誤、──(山や乃でうろついてばかりいたら浮浪人)
正、──(山や野でうろついてばかりいたら浮浪人)
まずワードパッドで編集して、読み上げソフトに読ませてみた後コピペするなど、念を入れてはいたのですが。<<
文脈から入力ミスは容易に推測がつきましたので、お気になさらないでください。入力作業が大変な中、いつも大変参考になる資料をご投稿いただき、深謝申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
また現実を無視する路線に入ってきましたね。教義を語り夢を見るのではなく、ちゃんと教義を元に現実を語りましょう。 現実問題現在のトップの中山家が何をしてるのか?それが宗教組織としてその教義(教理)に沿っているのか?が法的にも社会的も勿論教団としてももっとも大切なポイントです。元来の教祖の下した教義に関しては差ほど問題は無いが現在の執行部(中山家を中心とする血族体制)が中田善亮の「金の繋ぎは命の繋ぎ」を公的に認めた事が教団側の致命的な誤りなのです。ここから教団の崩壊が一気に加速した。中田善亮自身も「この発言をすれば皆を騙せてお供えがあがる!」と思ったのでしょうが実際額が上がる分けない(笑)離脱者離脱潜伏が増えただけ、この中田善亮発言の問題は血族や親族の中からでも批判者が出ているとの情報は得ています。この発言によって教団における中山家の立場の正当性が天から地に落ちたようなものですからね。それにコロナ対策もズサン教団内の経済対策も怠慢これでは破滅消滅する教会も増えるのは当然、稚拙な頭脳しか持って居ない現在の執行部では「私たちは大丈夫!」と思っているでしょうが、結果的に全体の本部への資金が絶対的に減るのは確かなので愚かな対応です。このように中山家ではもう教団運営は出来ない。という実証を現在も皆さんにアピールしているだけです。これを信じたくない人が「天理教はすばらしい!」と曖昧な夢物語を叫ぶだけの享楽思想に逃げているだけです。
現在の天理教と名乗る教団の教義認識とその実情はただただ見るも無残で壊滅前夜の風前の灯にもならない状態です。
>>この発言によって教団における中山家の立場の正当性が天から地に落ちたようなものですからね。それにコロナ対策もズサン教団内の経済対策も怠慢これでは破滅消滅する教会も増えるのは当然、稚拙な頭脳しか持って居ない現在の執行部では「私たちは大丈夫!」と思っているでしょうが、結果的に全体の本部への資金が絶対的に減るのは確かなので愚かな対応です。このように中山家ではもう教団運営は出来ない。という実証を現在も皆さんにアピールしているだけです。これを信じたくない人が「天理教はすばらしい!」と曖昧な夢物語を叫ぶだけの享楽思想に逃げているだけです。<<
元々、中山家の正当性など地に落ちていたのです。分かっていても誰も口に出して言い出せなかっただけでしょう。「中山教」という「傘の下」でこれまでぬくぬくと生きてきた大教会や中堅教会以上が大半だったのです。末端教会や布教所、一般信者は、長いものに巻かれるしか仕方が無かったのです。しかし、教祖100年祭以後、三島神社の移転等、不条理な出来事が噴出し、休火山が一気に大噴火を起こしたごとく、中山教の衰退ぶりが著しく目に見えてきたので、やっと「傘の下にいた人達」も目を覚まし、怖くなってきただけのことだと思います。中山教の崩壊・消滅はすぐそこまで来ています。
崩壊様の仰る通りです。無くなった人のお給仕に何の意味があるのか分かりません。宗教が理解できない理由の一つです。
先祖祀りも一応50年が区切りですよね。遠忌750年法要なんて聞いても何の感動も覚えません。最近では回忌や年祭もしなくなってきました。義父母も3回忌後は何もしていないようです。
父母も5年祭を機に終わりにしました。もう、こちらの体が持ちません。無理をして遠くに居る人まで呼び寄せる必要なんて、さらさら考えられません。
存命の教祖の140年祭なんて矛盾もいいとこ。要はおカネ集めの方策以外に考えられません。
生きている内が華だと思っているんです。俗なコメントですみません。
七里の風様
>「なってくるのは天の理」はいったいどこから出てきた言葉ですか?
確かに、当たり前のように使っていましたが、出典は分かりませんね。
>「なってくるのは天の理」 というのは、人間のおごりだと思いますが・・・・・
昔から聞かされ、思い込まされていたようですね。
成ってくるのが天の理
(一般)
【なってくるのがてんのり】
「天理教の教えの一つで、物事が成ってくる、あるいは現に成ってきたことは、すべて親神様のご守護であるということ。
親神様は、人間のことはすべてお見通しで、その心どおりの姿を世上にあらわす。そして人間に、身の回りに起こってきたことを通して、自分の心遣いを反省するようにと教える。
同じことが成ってきても、人によって受け取り方はさまざまになる。たとえ自分にとって不都合なことに思えても、それは陽気ぐらしさせてやりたいという親心からからの配慮であるという教え。何事もまるごと、喜びをもって受け入れることが大切だとされている。」 以上がブログを調べたら出ていました。私も末端教会で育ちましたが、よく聞いた言葉です。親が亡くなった時でも、家族で練合をして、マイナスイメージで受け取らずに、どんな不幸でもプラスに受け取る発想の考え方です。出どころは不明ですが、教会ならどこでも使っていた言葉だと認識しています。
1966.11.01 第1次医療班出向(人名)
1967.03.03 第2次医療班出向(人名)
1967.09.22 第3次医療班出向(人名)
1968.03.17 第4次医療班出向(人名)
1968.08.30 政変が勃発。国軍と人民軍が教会敷地を挟んで戦闘。特に神殿正面破風部分に大穴が空き、トタン屋根が蜂の巣状に破損。
1968.11.03 第5次医療班出向(人名)
1969.04.16 第6次医療班出向(人名)
1969.09.28 第7次医療班出向(人名)
1970.03.23 第8次医療班出向(人名)
1970.09.23 第9次医療班出向(人名)
1971.03.23 第10次医療班出向(人名)
1972.03.21 第11次医療班出向(人名)
1973.03.15 第12次医療班出向(人名)
1976.03.20 第13次医療班出向(人名)
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
序論
この書短簡なりと言えども、寸鉄能く人の肺腑を抉るの概を以て、天理教の病弊を剔抉せんとす。天理教徒を以て之を見る時は、説くところ或いは矯激に過ぐるの非難あるや保し難し。されども著者の真意は、ひたすらに其の非を挙げて、これを呪わんが為にあらず。その取るべきは之を取り、その取るべからざるものに向かって、鞭撻是正を加うるにあり。予の天理教について、その内幕を研究するや年あり、得るところ頗る少なしとせず、以て天理教を攻滅せんとせば、この書にスパ抜くところ未だ十中の二三に達せず。別に彼らの致命傷となるべき、さらに多くのものを知らざるにあらず、実に言わざるにあり。けだし怖い叔父チャンたる能わざるにあらず、懐かしき叔母チャンたらんとすればなり。教徒は一読して忽ち自らその弊を知るべく、教外の人は以てその侮るべからざるの長所ある事を暁るを得ば、本書の目的の一半はすでに達せりと言うべし。さらに一歩を進めて、幸にその改革策を容れ、改過遷善 の実を得ば、諺に言う禍を転じて福と為すの道なり。若しそれ教会の徒、頑冥にして忠言を納るるに吝かならば、第二の矢は今や番えて弓に在り。叔母チャンは変じて怖い叔父チャンたらんとす。乞う之を諒せよ。
第一章 天理教とは何ぞや
ただ一口に天理教といえば、これも世の中に数ある淫祠邪教の一つで、愚夫愚婦を相手に無稽の荒誕を並べ立て、社会一部の人を迷信に誘うのみの事。左のみ顔を赤め声を大にして、その流毒を絶叫する程の、大した利害を国家に及ぼす程のものでもあるまい。畢竟かかるものは世の中の黴菌も同様、世の進むにつれて相手にする者の無くなるは請け合い。今さら大人げもなく、こんなものを一々取り上げて騒がなくも、自然の成り行きに放任しておけば、やがて消滅してしまうまでの事さ。これ今日に於ける一般人士の天理教に対する観察で、一応ごもっとものようではあるが、それは其の一を知って未だ其の二も三も御存知なき人々の、浅薄極まった皮相の意見のみ。なかなか天理教の社会に於ける潜勢力というものが、世人の想像するような生やさしいものではない。実に今日では日本国中の津々浦々にまで行き渡り、信徒の数が無慮七百万を算するのである。七百万という数がすでに驚くべき数であるのに、しかもそれが小児などは一人も算入したものでなく、全く相当の年齢に達した者のみの計算だと聞いては、さらに驚かざるを得ぬ。日本国の人口を六千万とし、この内三千万は子供と見積もり、残った三千万を一匹前の人と看做せば、天理教の信徒は実にその四分の一を占むるのである。
かほどに多数の信徒を網羅して、社会の一角に大勢力を成せる天理教が、何故その割合に世間の物議に上らぬのであろうか。それには深き仔細がある。そもそもこの宗旨に限って、信徒の中に充分な教育のある人や、社会に相当の位置を保てる人々は、ほとんど絶無と言うても不可なきほどで、概ね農家や大工左官に商人と、世に目立たぬ階級の人のみ多く、自然これ等の人の一挙一動が、何事をすればとて世間は一向頓着せぬ。もしこの七百万の信徒等が、たとえ僅かでも政治的色彩を帯ぶる事になったとすればどんなものか。勿論、純然たる宗教の事ゆえ、政治などとは何の関係も持たぬのであるが、世人の心付かぬ間に七百万は一千万と、次第々々にその勢力を扶植して、終には日本人口の過半数に達するの日が無いとも言えぬ。もしその過半数の人々が天理王の尊の神託とあらば、財産はおろか大切な生命でも捨つるに躊躇せぬとして、その結果はどんなことを仕出かすか。一度この辺に想い到れば、なんの天理王くらいがと鼻の先であしろうていらるる訳のものではあるまい。かく言えばとて、天理教徒が謀反を計企むと言う次第ではない。さらば外に如何なる結果を生み出すことになるのであろうか。他にあらず、迷信に基ける宗教的の信仰が、社会の風教を害うのみでなく、実に多数日本国民の財政の基礎を、根本から破壊せらるるのである。
いや、この点は将来の問題でなく、数十万の人々は、今日すでに其の財産を根本から覆されて、当に飢渇に泣きつつある。なお又その極には到らぬまでも、現に数百万の人々は、今や天理教教師なる者の毒牙にかかって、祖先伝来の貴重なる財産を詐取されかけているのである。これは財産上の問題に過ぎぬが、さらに一歩を進むれば、七百万信徒中の多数の者は、家族が如何なる病気にかかっても、ひたすら天理王の尊の神力を頼み、進歩せる医療の道は斥けて顧みず、怪しげなる祈祷と、如何わしき神水や神饌を唯一の生命とたのみ、容易く治癒るべき病気も其の期を失い、甚だしいのは左までにも無き病気に、非命の死を遂げさす事も数知れぬ。もし数多き病人の中に、たまたま百発の一中で、病気の快癒する者があれば、これこそ祈祷の力よ神の御陰よと、鬼の首でも授けた如く、鼻高々と大法螺を吹き立て、我が事成れりと大威張りに金品の寄進を強要するが常である。元来この宗教の生命とも言うべきは、彼等仲間の常套語たるヒノキシンと称する言葉で、当今はこれに日の寄進なる文字をこじ付け、およそ此の世に日輪ほど恵深きもの無ければ、この大恩ある日輪に対する如く、神に向かって報恩の為に、財産は言うも更なり、時と場合に依れば、大切の生命をも捧げねばならぬという意味を、極簡単に約めたものである。従って彼らの為に日の寄進の一語は、大切な真言秘密とも言うべき、題目と看做されつつある。如何に無恥厚顔の教師輩でも、露骨に金銭の無心は出来かぬる場合に、この簡単明瞭な一語を以て、神への寄進を突貫するは、実に上手な遣り方と言うべきである。アアひのきしんナル哉、日の寄進なる哉、澆季浮薄の世の中に、独り天理教の教師のみに限らず、誰か日の寄進を好まざる者ありやと、ここで一番世間の人へ調戯っておく。
冗談はさておき天理教なるものが、現在でさえこれ程の毒を世間に流すを、我関せずと捨て置かば、やがて世間の気の付く頃は、大抵日本の半分は、彼等に喰われてしまうは必然。なんと精神界の信仰ほど、恐ろしきものは無いと言うことに合点が行かれしか。そも如何なれば天理教なるものが、僅か六七十年の短時日に、斯くまでの発展を為し得たるか、天下に奇蹟なるものがありとせば、これ等をこそ奇蹟中の奇蹟と言わねばならぬ。右の手に剣を提げ、左に携えたるコーランを示して、汝之を信ぜよ然らざれば只死あるのみと、暴力を以て信仰を強いたマホメットは兎も角、キリストでも釈迦でもお気の毒だが中山美支子に比べては、遙かに及ばぬ。いや教祖の中山美支子を担ぎ出すまでもなく、現に支教会か宣教師の長ぐらいな分際でも、数万の信徒を擁して、一ヶ年の内只一人で集める金高が、救世軍などの連中が年中休まずに、大勢かかって僅かに受くる金品の高に数倍するの事実が、各所に沢山あるのを見ても、その不思議な威力いや魔力が那辺にあるのか。実に訳の分からぬ奇代の奇蹟で、これから見ると、詐欺同様の事をして俄分限になった成り金などが、いくら悔しがっても真似もできぬ。それでオマケに天理教師の方は、成金輩が世間から糞のように言わるるに引き換えて、活仏のように慕わるるとは、どこまで旨くやっているのか、てんで角力になってはおらぬ。イデヤこれより読者と共に章を追うて、この驚くべき魔力の正体を解剖に付せんかな。<<
大正4年。天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経っていない頃に書かれたものですが、タイトルは「ああ無情」を意識したのでしょうね。
匿名 様
2020年5月11日 10:09 PM
>>1966.11.01 第1次医療班出向(人名)
1967.03.03 第2次医療班出向(人名)
1967.09.22 第3次医療班出向(人名)
1968.03.17 第4次医療班出向(人名)
1968.08.30 政変が勃発。国軍と人民軍が教会敷地を挟んで戦闘。特に神殿正面破風部分に大穴が空き、トタン屋根が蜂の巣状に破損。
1968.11.03 第5次医療班出向(人名)
1969.04.16 第6次医療班出向(人名)
1969.09.28 第7次医療班出向(人名)
1970.03.23 第8次医療班出向(人名)
1970.09.23 第9次医療班出向(人名)
1971.03.23 第10次医療班出向(人名)
1972.03.21 第11次医療班出向(人名)
1973.03.15 第12次医療班出向(人名)
1976.03.20 第13次医療班出向(人名) <<
一体、上記は何の記録でしょう? 説明文や解説文が無いので、読む側にとっては何も分からないのですが。(大体の推測はできますが、確かなものではありません。)
参考意見 様
2020年5月11日 10:22 PM
>>大正4年。天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経っていない頃に書かれたものですが、タイトルは「ああ無情」を意識したのでしょうね。<<
天理教という宗教団体が生まれて、まだ30年も経たない頃に、天理教の本質は見抜かれていたということですね。大正4年というと、今から既に100年以上の歳月が経過していますが、大正、昭和、平成、令和という長きにわたり、天理教という矛盾に満ちた新興宗教団体が生き残ることができたこと自体、私には不思議に思えて仕方がありません。権謀術数を駆使して政治の世界に取り入り、信者を騙して生き残ってきたのでしょう。まるで、スリッパの裏でいくら叩いても死なないゴキブリのような存在であったのでしょう。有害な昆虫やウィルスほど駆除するのに時間と金を必要とします。新型コロナのように世界的なパンデミックに至らなかったことが「不幸中の幸い」であったと思います。
天理教独特の教えと聞かされてきた教えの一つ「なってくるのは天の理」は、表現は異なるが、ほかの宗教でも神様を信じる人々の胸の内には「起きている事には意味がある」という認識があります。勿論、成熟の度合いに影響される面も有ると思われます。
国籍、人種、文化的背景が違う人々であっても、この感覚は折々に見聞きします。
天理教独特だからといって信奉するというスタンスではなく、受け取り方がストレスをため込まない受け取り方、視線を少し遠くに投げかけた受け取り様なので、心の暴走を防ぐには有効ですね。
この場合の宗教というのは、霊魂とか大自然を信奉するのではなく「神」という、人や動植物を超える存在を神と認識する宗教です。
天理教にしがみつくことが最善の通り方とは言えない事が、ここ数十年間で露わになりました。
一人一人が自分の頭で考え、心に問いかけ、限りある命の時間の中で精いっぱい生きようではありませんか。
それにはがんじがらめになった包括関係を解消し、まずは、宗教法人として独立し、現信者さんの丹精が生きがいと思われる方はその道を進まれる事でしょう。上下関係、封建的思考・行動は今が捨て去るチャンスです。
そして社会で賃金を得る経験をすれば、巨大教団の陰の部分が誰にでも見えるようになるはずです。
下積み経験を糧としてください。
>>天理教独特の教えと聞かされてきた教えの一つ「なってくるのは天の理」は、表現は異なるが、ほかの宗教でも神様を信じる人々の胸の内には「起きている事には意味がある」という認識があります。勿論、成熟の度合いに影響される面も有ると思われます。
国籍、人種、文化的背景が違う人々であっても、この感覚は折々に見聞きします。<<
例えば、仏教でいう「因果応報」ですね。この世に発生する事象には必ず「原因」があり「結果」があるという考え方ですが、元々、どの宗教にも一切関係のない普遍的な真理です。「天理教独特」ではありません。天理教でいう「因縁」の思想も仏教からパクってきたものだと思いますが、どこの宗教からパクってきたにしろ、普遍的な真理に間違いありません。解釈の時点で多分に歪曲され、自宗教の都合の良いように解釈されていると思います。長年の天理教からの洗脳状態やしがらみを一切絶ち、この世に起こる一切の事象を科学的、論理的な思考回路で、「原因」と「結果」という普遍的な方程式に照らして考えていくことは、とても大事なことだと思います。
崩壊様
医療班出向というのは、海外での医療活動をされてきた活動の記録です。
様々な状況を鑑みて詳しく書いてなくて、分かりづらくてすみません。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第二章 天理教の価値
天理教の教祖たる中山美支子は、寛政十年大和國山邊郡朝和村の一農家に生まれたのである。幼少からして聡慧怜悧で、両親に対しては孝行、兄弟をよく労わり、他人へ対しても極めて親切で、殊に信仰心の深かったことは、殆ど先天的であったとは、天理教に関する何れの著書を見ても、異口同音に称揚するところで、信徒もまた頻りにその人格を褒め立てるが、こんなことは其の教徒が教祖伝を物するに大抵極まった紋切型と、一口に貶してしまえばそれまでだが、しかし全くこの婦人が天性慈悲深き美徳を持っていたことは、正に事実に相違ない。さてこの婦人が如何なる事を動機として、新たに天理教なるものを起こしたのであるか。教祖伝によると、美支子は十三歳にして中山家に嫁ぎ、つぶさに艱難を嘗めて四十一歳に至り、その長子が重病に罹ったので、ある時修験者を頼み、一老婆を加持代として神卸しの祈祷をやらせたが、二度目の時には加持の老婆が来らぬので、美支子が臨時代理の加持を勤めた。この時神は美支子に乗り移り、我は天の将軍なりと叫ばれた。この時が実に美支子の初めて天啓を受けた時で、これより豁然として迷夢から覚め、宇宙の理を洞観することが出来るようになったと言うてある。
もし中山美支子の天啓なるものが、果たして一修験者風情の神卸しに依って得たものとすれば、いやはや馬鹿げた天啓で、三文の価値も無き子供騙しの寝言と言わねばならぬ。恁麼甘口な言い草は、四五百年の昔なら知らぬこと、当世の化学とか物理とかいうものを喰いかじった連中に、とても納得のいく気遣いなし。されど今こそ愚にも付かぬ事を言うたものだと笑うけれど、天保年度の頃に於いて、無学な美支子の口から此のくらいの事を言い出すのは、敢て少しの不思議も無い。その当時の人を説く方便としては、むしろ当を得たものと言うてよかろう。
しかし著者の考えでは、お美支叔母さん決して此の時から俄かにエラクなったのではあるまい。その実は持って生まれた信仰心が、多年の世渡りの実験に研かれて、この時分には既に救世済民の宗教心が、十二分にその胸臆に蓄えられていたものと想わるる。予は天理教に対して、一点の恩も無ければ恨みも無く、従ってその善は善とし、悪を悪と遠慮なく断定する立場から、叔母さんの人物には実際敬服する。惜しいことに学問が無かったが、もし此の人にして十分の学識があったなら、如何に高尚幽遠な真理が巧みに説かれたであろうかと、少なからず惜しんでいるのである。一説によると此の婦人は、一方ならず嫉妬心の深き性質で、あいにく御亭主がまた一方ならぬ好者であったため、石になるほど焼き据えた揚句が、終に悟りに入ったものだと伝えられている。こんな事がもし事実だとすると、大いに教祖の器量に障ると、教徒が無暗に押し隠すのも無理ではないが、それは大いに悪い思案だ。禅に悟入する時なども、随分つまらぬ事が動機となって頓悟を得ると同様、婦人一般の通用性たる、焼餅の凝り固まりが極度に達して、却って氷点下にも降った冷静の心から、浮世を悟ったものとすれば、少しも恥ずる所はない。か様な事が動機となって、殆ど我という事を我が心より忘れ果て、危なく厭世に傾くところを、ドッコイ平素の慈善心が食い止めて熱烈な博愛家となったのは、実に叔母さんのエライ所だ。とにかく如何に天理教を仇敵視する人の目から見ても、美支子が欲に放れた博愛家で、一生涯の行いが或いは狂的であったかは知れぬが、少しの身欲も無く、また些かの虚栄も無かった事を否認は出来まい。これほど無欲な人の創めた教えを、教祖が死んで如何ほども経たぬ間に、忽ち営利の機関として仕舞った末社共の罪悪は、憎むでも尚お余りある奴共である。仏教でも耶蘇教でも追々年を経るに従って、教理の転化を来したり、甚だしきは全く営利の具に供さるるようになるのは、大抵の宗教に免れ難き通弊なれど、天理教に至っては余りに堕落の仕方が速やか過ぎる。この原因は何であるかと尋ねるまでもなく、教祖が無学であったため、教理は飽くまで高尚でも、その理を言い顕すべき修辞の術が極めて拙で、とうてい学識のある人々の信仰心を左右することは出来なかったのである。既に夫れ等の人を薬籠の中へ入れることが出来ぬ上は、勿論徒弟の中に、キリストの十二使徒や日蓮上人の六老僧の如き、大人物の出来ぬのは当然の理で、叔母さんが如何にエラクとも、継承者その人を得なければ、人を救うの宗教が、却って人を殺すの刃となるは、真に已むを得ぬ次第である。然し美支子が道の為に一身を捧げ、殆ど狂とも言うべきほど熱烈であったのは、生半の学問に制されて右顧左眄するということが更になく、これが為に鉄よりもなお固き信念を得た賜物と言わねばならぬ。この絶対的信念ある叔母さんを助くるに、六老僧の如き傑物があって、美支子の未だ研かれざる醇樸に、充分なる研きをかけて世に出したら、今日上流人士なる者の為に、擯斥されるような事には萬々ならなかったであろう。然るに美支子老刀自の死んだ後、教理なんぞの善悪にはお構いなく、只々信徒の多きと財力の豊かなるを当て込みに、教職を帯びた輩などが、我も我もと蟻の甘きに就く如く、籍をこの宗教に納れて、次第次第に私利を営むの設備に汲々する事となったのである。これら奸譎の徒輩の眼中、固より精神界に貢献せんなどの考えは毛厘もなく、教会の堂宇を荘厳にし、益々信徒の数を増加して、以て利を射んとする事にのみ急なれば、勉めて外観の美を衒わむ為、多少知名の人々を金銭を以て雇い入れ、教祖の真意にもあらざる教典様のものを代作させ、さらに教会の独立を得んが為めには、世に媚ぶるの必要上、真神唯一の本義を捨て、進んで多神教ともいうべき一種ヘンテコのものに改造し、或いは数十万金を惜しげもなく賄賂に振り蒔き、さらに一歩を進めては、教会内に制度を立てて教職の階級を定め、中学大学等の教育機関を設けて、以て大いに人士の養成をなし、やがて此等の輩を爪牙となし、いよいよ以て天理教なるものの、世上言うが如きの浅薄なる迷信教にあらざる事を標榜せんとするなど、俗世に対するの施設もまた勉めたりと言うべきである。これ等のことは教会の秩序と威信を保つため、必ずしも無用の事とは言われぬが、唯ここに惜しむべきは、先にも既に述べた如く、教祖美支子が、御神楽歌若しくは御筆先等にて、その意を顕した教理そのものが、未だ研かれざる珠と同様、本来の質は正に名玉たるに恥じざれど、卞和の如き人があって、悪しきを切り捨て磨きをかけるにあらざれば、未だ完璧とはならぬ。然るに何人もこの珠に研磨を加うるを以て、教祖に対する大不敬と心得、ひたすら教祖に媚びて、研かざるの珠をそのままに完璧として世に伝えむと、外部より様々と要らざる丹青を施すを是れ事とし、却って珠の真価を掩い匿した事である。
しかし是が為に全く教理が転化してしもうたという次第でもなければ、しばらく之を論外に置き、別にこの宗教が荼毒を天下に流した大原因がある。それは外でもない、教会の勢力を張る事に急なる為、布教に従事するところの教師の選択に重きを置かなかったのと、各種教会の新設に相当の制限を設けなかったのとの二つである。畢竟協会本部の方針は、ひたすらに信徒の殖える事をのみ希望するので、教師となるべき人の人格や、教育の有無などはお構いなく、只々多数の信者を勧誘し得る者に重きを置き過ぎた結果、いわゆる教師と称する者の多くは市井の無頼漢などで、教育もなければ人格も劣等で、教理の何たるかをさえ説明し得ぬような沒道理の者どもが、ただ訳も無く迷信的に神の有り難さを説きたて、日の寄進を以て神の救いを乞えば、如何なる病も即座に平癒するなどと、無責任な法螺を吹き、ひたすら金銭を貪るが本業とされ、この誘惑の術の最も巧みな者が、多数の信徒を作って、本部へも多額の納金をした功労により、最初は宣教所より支教会、分教会、遂には大教会と出世する。言わば戦国時代の武士も同然。名々の技量で領地の開拓は勝手次第。お手柄功名の優劣は、専ら「おつなぎ」と称する名目の下に、本部へ納むる冥加金の多寡に依るのである。此の如くにして数千の教会堂は、日本国中至る所に設けられ、偖その出来上がった教会へは本部から「おつなぎ」の誅求頗る激しく、若しこの冥加金の納付を怠るときは、忽ち教会召し上げの憂き目を見るは目の当たり。さればとて公然と定められたる信徒の月掛金位にては、眼薬の代ほどにも足らず、是に於てか、日頃より部下に飼い置く手先教師を使嗾して、盛んに愚民を誑惑し、随分思い切った日の寄進をやらせる。こうなると全国各所の教会は、僅かの例外を除くの外、たいてい宗教伝導の名などは只看板のみで、その実は詐偽を本業とすることになったのである。中にも憎むべきなのは、殊更に教会の敷地建物を抵当に入れ、年内三度も信徒の信仰心に訴えて、その借入金の返済をさせるのがある。この外あらゆる手段を講じて数多の金品を貪り取り、その一部は本部への納金に充て、一部は酒色の資に供するか、ないしは家族親族の名義を以て、別に相当の商法を営ませ、何時教会が潰れても、神職の仮面を剥げば、商人として飯を食うに困らぬよう、なかなか抜からぬ用意がしてある。このへんは支部の連中のみでなく、殊に本部に於ける幹部連などは、内々想像も及ばぬ程の巨富を致し、中にも巨魁と言うべき奴などは、数百万の暴富を蓄え、平素は何食わぬ顔にて、ことさら綿服などを纏うて質素を示し、大きに世間を欺けど、内々の腹を捜ってみれば、宗教家という天職よりも、生涯一度は貴族院の議員にでもなるのが畢生の理想であるそうなが、こんな事をさせるのが教祖の本意であったろうか。おそらく今頃は、草葉の陰で美支子刀自が、血の涙に咽せているであろう。
説き去り論じ切って是に至れば、この機会を以て、いささか教祖教理の在る所を陳べねばなるまい。そもそも美支子の説く所を、根拠として天理教の教理を演繹敷衍したる著書頗る多く、何れもその説くところは立派なれど、概ね教会に媚びて教理の美教典の精を衒わんが為、曲筆附会せざるは無く、或いは蛇足を加えて、却ってその真を失えるもあり、一として教祖の真意を代表すべきものあるなし。是に於て予は第一に御神楽歌と御筆先とに重きを置き、第二に諸多の雑巻を参酌に供した結果、凡そ左の如き綱領を得たのである。
其一、宇宙を司裁する所の神は唯一にして、之を天理王の尊と称す。天理王とは天道の理を謂えるものにて、天道は正理に與するものなれば、此の正理こそ宇宙間一切の是非善悪を司裁し給うの意なり。
其二、人生の目的は甘露台の建設にあり。甘露台とは、仏教の安養浄土、耶蘇教のパラダイスなどと同一義のものにて、人間が盡く理想の域に達した時の、圓満無垢なる住居を謂うたもので、場所の所在は天国にもあらず、極楽にもあらず、現在我々の住居するこの世の事を言うたのである。
其三、甘露台の落成を計るには、天理王の尊の御心に協うよう、只一筋に日の寄進の心を以て、献身的に神を敬い人を愛し、よく七情を節して、中にも貪欲鄙吝などという、卑しむべき心の汚れを洗滌するを旨とすべし。
其四、人生に免がれ難き病苦患難の如きは、みな因果因縁の理より来れるものなれば、既往の罪を懺悔して、己の一心を精浄無垢にし、現世の罪悪より脱却せば、神は直ちに人々の病苦患難を去らしむ。
以上の四項は其の太洋を約述したるもので、説く所は数千数万語を超ゆれど、要するに至誠の心を以て、天理に合するを神人の合一と認め、人に教うるに克巳制慾を以て法となし、因果応報の理を以て天道の律となるせは、先に著したる拙著天道に説ける所と殆ど異なる所なく、極めて簡単明瞭に天理を述べ、少しも文辞を修飾せざる所に、醇の純なる味わいを含み、確かに独立の宗教たるべき値打ちは充分なれど、当世の相違と教祖の無学の為に、或いは今日の学理と矛盾する所もあり、或いは偏見固陋に過ぎたる点も無きにあらず。ややもすれば迷妄に走るの失あるは、独り天理教のみに限らず。仏教も耶蘇教も共に時代の知らしむる所で、余儀なき事と言わねばならぬ。<<
教祖の名が「美支子」となっていますが、大正2年版の教祖伝の「美伎子」を見間違えたのかもしれません。独特な教祖像を描いていますが、実際に教祖に関わった人々が生きていた時代に書かれたものならば、もしかしたら教団によって美化された教祖より、本当の教祖に近いのかもしれません。
匿名様
「医療班出向というのは、海外での医療活動をされてきた活動の記録」
だそうですが、何故1976.03.20 第13次医療班出向 で終わっていますね。
予算がなくなったからでしょうか?
「変わらぬが誠」ならば、活動し続けるのが誠ではありませんか?
海外での医療活動をされてきた事は素晴らしい事ですが、だからお供えをし続けて下さいと言うのはイヤらしい事だと思います。
あまり自慢しない方が値打ちがあると思いますよ。
とにかく如何に天理教を仇敵視する人の目から見ても、美支子が欲に放れた博愛家で、一生涯の行いが或いは狂的であったかは知れぬが、少しの身欲も無く、また些かの虚栄も無かった事を否認は出来まい。これほど無欲な人の創めた教えを、教祖が死んで如何ほども経たぬ間に、忽ち営利の機関として仕舞った末社共の罪悪は、憎むでも尚お余りある奴共である<<
現中山の子孫は、自らこの教えを広める資格が有るのか無いのか胸に手を当てて考えて欲しい。みき婆さんの様な慈悲の心、施しの心、人類救済と言う完全なる理想とそれに伴う人格を持ち得ているのか、、。血では救済は出来ない。精神とその行いこそでしょう。
天理教が低級な宗教に成り下がっているのは、大正以前から時の指導者が欲にまみれた低級な人格の集合となり、それを令和の現在まで引き継ぎ、彼らが客観的に見ても教養ある哲学の人とはどの方向から見ても言えないからかと、、。善亮氏の「お金の繋ぎがいのちの繋ぎ」を公に宣言した事などは、その浅はかさの極みでしょう。
この人達の理想世界は虚構であり、神は本部中山一族を見ながら「汝自身の足元を深く掘れよ」と仰っているに違いないです。
>>天理教が低級な宗教に成り下がっているのは、大正以前から時の指導者が欲にまみれた低級な人格の集合となり、それを令和の現在まで引き継ぎ、彼らが客観的に見ても教養ある哲学の人とはどの方向から見ても言えないからかと、、。善亮氏の「お金の繋ぎがいのちの繋ぎ」を公に宣言した事などは、その浅はかさの極みでしょう。
この人達の理想世界は虚構であり、神は本部中山一族を見ながら「汝自身の足元を深く掘れよ」と仰っているに違いないです。<<
その通りだと思いますが、神が本部中山家一族郎党を見て、いくら「汝自身の足元を深く掘れよ」と言ったところで、掘れば掘るほど一番肝心な根がないのですから、根の無い樹木のように、掘れば掘るほど朽ち果てて、倒れるしかないのです。それが、今の中山教の姿に他なりません。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第三章 天理教の解剖
仮に一歩を譲って、世上の人の言うが如く、全然天理教の存在を否認し、これを撲滅せんとするか、数百万の信徒が俄かに帰向する所を失うを奈何せん。殊に信仰なるものは、一度その人の心を支配する時は、外部より如何なる迫害を受くるとも、容易にその信念を翻すものにあらず。まして当今の世の中は、信仰なき上中流階級の人々ほど、却って憎むべき罪悪を敢てする習わしなれば、左なきだに宗教の奨励を必要とするの時に当たりて、せっかく六七百万もの多数の信徒が、極めて無邪気な信仰に入れるものを、ムザ々々と破壊させ、さて改めて如何ほど理想的な新宗教を樹立すればとて、なかなか一朝や一夕に、個程の大衆を精神的に糾合し得らるべきものにあらず。若しこの天理教徒等が、国体に取りて寛容することの出来ぬような、危険思想を包蔵するものなれば、たとえ如何なる事情がありとても、一刻も早く剪滅せねばならぬ事は勿論なれど、教師教職の者共にこそ、用捨し難き罪悪はあれ、多数の信徒に至りては、無明の迷信は伴うものの、その信仰心は飽くまで清く、殊にその基礎を祖先教たる神道に置きて、敬神の念の極めて厚き点などは、我が日本国の宗教として、最も適切のものと言うべく、これを今さら撲滅するなどとは、勿体なき事の親玉で、百の弊害はあっても、一の利益を見出すことが出来ぬ。さらばとて現在のままに捨て置かば、先にも極論せし如く、教師教職などと称する不良の徒に、悪事の舞台を授けておくも同様。やがて如何なる珍事を惹き起こすや計り難き事なれば、今日に於て速やかに大英断を以て大改良を施し、禍を転じて福と為すの方法を講じなば。第一は国家風教のため、第二には数百万の信徒のため、第三には天理教それ自身のため、永遠無窮の幸福を得べきものと確信する。嗚呼、実に此の如くして、はじめて教祖中山美支子も地下に瞑目することが出来るであろう。
今試しに天理教の綱領として、前段に挙げたる四ヶ条と、現在の流弊について、総捲りの批評を試むれば、凡そ左の如き長所と欠点とを指摘する事を得べし。
其一、教祖は極端なる唯一神教論者なり。只この唯一神を名づくるに、天理王の尊を以てせるは、少しく其の称呼に於て感服し難しと言えども、我が日本国に於ける実在の神々と、宇宙の司裁者たる天理との間に区別をつけ、しかも此の両者を宗敬するを以て、教えの根本となせるは、よく天道の自然に協い、併せて当世の学理に矛盾する事なく、理義明白の教理と言うべし。憾むらくは教祖の没後幹部の人々が俗界の施設を飾るを急にして、独立の神道たる待遇を其の筋より得んため、宇宙の司裁者たる天理の仮想神と、実在の神々とを混同して、十柱の神を代表者となせるは、多少無理もなき事情の伏在せることと、些か同情せざるにはあらざれど、これが為に全然教理の根本意義を没却するに至れり。教祖の真意はかかる混雑不分明のものにあらず。飽くまで天理を以て宇宙唯一の司裁者となし、さらに実在の神々に対する敬神の誠を以て、祖先崇拝的神道の本義に合せんとす。その条理や一貫せりと言うべきである。然るに是に一つ首肯し難きは、余りに神助をたのむ依頼心の深過ぎる事にて、この点は甚だ面白からず。神を依頼するの念如何に深ければとて、神は漫りに福を授くべきものにあらず。これ元来神は授くべき福を所持し給わざればなり。但し福は所持し給わざれど、天道の正理に基づきて、よく人道の本義を保つ人々は、天理の然らしむる所、自ら福徳を招くべし。これを神の御利益と見做すも敢て差支えなけれど、その実福徳を得ると得ざるとは、神に在らずして我が心に在り。我が心にして真の道に叶わずば、千種万様の手段を盡して神に媚ぶるとも、神は決して福を授け給うものにあらず。返す返すも人道の実践躬行と言える代価を支払うて、然る後福徳と言える代物を買い取るの外なし。抑も敬神の意味は、神前に福を祈るの謂いにあらずして、神前に我心を正すを本義とし、少なくとも神前に叩頭く時の一刹那の、詐りなき心を以て常の心となさば、邪道に陥る事はあるまじ。神前に磨ぎ澄ましたる明鏡を置くのは何の意ぞ。徒に神威を飾る為ならず、正しく我が心をこの鏡に写せとの理ならずや、我が面のヒョットコに酷肖せる事は顧みず、鏡の面に女惚れのする好男子の顕れざるを怪しむ勿れ。神鏡に映れる我が心に一点の曇りなくば、この心こそ神意にも協うて、自然に福徳を招くものなり。かかる見易き道理を忘れて、ひたすらに神助をのみ仰げばこそ、様々の迷信の起こるものにて、神官や売僧は此の迷信の弱点に乗じて、多くの愚夫愚婦を喰い物にするのみ。この輩が神に代わりて甘い汁を吸えばとて、神仏の腹の足しには少しもならず、神前に金の鳥居を寄進せんより、その金を以て多くの貧窮に施す方が、余程の功徳になると知らずや。頻りに神の効顕利益を説くは、利を以て人の信仰を誘うに過ぎず、天理教の教祖とても、これ程の道理を知らざる筈はなけれど、五厘か一銭の賽銭で、徳福無量を希うような、虫の好き人々を説き勧めるには、神の利益を誇大に示す必要もありしならん。されど過って改むるに憚かるなし。今後は金品の日の寄進を以て、神の御利益と引き換えにせぬよう、断乎と改正せねばなるまじ。
其二、甘露台建設なる語の説明不充分なりしため、無学無識の信徒や天理教門外の人々が、その真意義を了解せざるの傾きあるも、教祖の所謂甘露台なるものは、世界の人を罪悪より脱却せしめたる暁の理想郷を謂える者にて、その意義や遠くして其の旨や深しと謂うべし。
其三、人道の根本は克己制慾を本とし、進んで献身的となり犠牲的たるを以て、仁義の極致たらしめん為め、日の寄進の約語を作られたるものにして、貪欲鄙吝を戒めたる此の語の意義や、通俗的にして然も深遠、誠に人道の精はこの一語に網羅せられたるものなれども、味よき菓物に虫の付き易く、甘きものには蠅の群がる習いにて、後世の教徒がこの語を限りもなく濫用悪用せるは惜しむべし。
天理教徒は日の寄進を以て、啻にその信徒を欺くのみにあらず、中にも最も横着なる者共は、自己の所有せる教会が、如何に多数の信徒を有し、これ等の信徒は皆な教会の命ずる所とあれば、命維れ従うものなるかを装い、以て世間の人の心を釣り、偶々外部より其の多数の信徒を利用せんとする者あれば、待ってましたと言わぬばかり、被我利益の交換的に、先ず前金として相当の冥加金を奉納せしむるか、或いは莫大の金額を融通せしめざるはなく、然も奉納または融通を受けたが最後、多くは自己等の義務を果たすことなし。これ等の詐欺的手段は全国至る所に行われ、害毒を流すこと数知れず。抑も本部は未だこれ等の事実を知らざるか、将又既に之あるを知るも、損得勘定の上より打算して、放任的に黙許し置くものにゃ、何れの道寛恕すべき事柄にあらず。予はその多くの実例を知るも、ここに筆誅するに忍びざれば、暫く筆を歛めて、彼の徒が之を悔い改むるや否やを験せん。
其四、因果応報の理を説くこと極めて懇切なり。これ実に天理自然の然らしむる所。宗教の骨子はこの点に在りと言うも不可なれど、魂魄の再生を説けるは仏教と同じく、断じて同意し難し。この点は拙著天道に記載せる如く、因果応報は一身及後身(子孫を謂う)にのみ及ぶものとし、魂魄は再生せざるものとなすの当たれるを信ず。因果因縁の理を敷衍して、諸病は盡く前生及び現世の罪悪に起因するものなりとの説は、世間の人々多くは一種の迷信と嗤笑すべけれど、予は飽くまでこの説に左袒するものなり。若し人間にして絶対に罪悪より超脱し、所謂甘露台に居住し得るの時来らば、罪を受くべき因を蒔くという事なければ、随って病苦患難などという果を結ぶべき道理なきは、当然の事と言うべし。されども這は是れ幾万年の後を期して、その理想を述べたるに過ぎず、如何に天理王の尊の御心に従い、人道の精に心がくればとて、今日より直ちに無病の域には入り難く、如何に懺悔祈祷をなせばとて、既に罹れる病の一朝に平癒すべき理なきは、三歳の小児にも見易き所。但し至誠天に通ずとさえ言うほどにて、清き立場より正しき願いを籠むるものなれば、天理も之を愍れみて、擁護の眥を垂れ給う事なきにあらねば、祈祷を以て全然無用のものとは言い難けれど、この法をのみ頼みて、進歩せる医療の道を怠るは甚だ宜しからず。人事の盡すべきは之を盡して、然る上の神頼みなれば、癒ゆるも癒えざるも是れ天命なりとの、安心立命観を得るの利はあるべし。始めより人力の盡すべきを盡さずして、専念神力に依頼するは頗る非なり。然るに教祖没後に出版せられたる数多の著書などは、医療を捨てて祈祷神助をのみ頼むの弊風は、既に一洗せりなどと、頗る立派な事を書き立つけれど、その実これ等の弊風は、一洗どころか増々甚だしく、一にも祈祷二にも神助と、汎々たる教師輩の一人として此の方法に拠らぬ者はなき有様にて、多くの病人を誤つのは皆これが為である。
其五、凡そ如何なる宗教でも、急に沢山の信徒を得んとするには、単に高遠の理を説くばかりにては何人も承知せず、後世を助くるとか、現世の病苦を救うとか、乃至は此の世に志を得ぬ不幸薄命の人が、人を怨み世を果敢みて、心に悲愴の感を懐けるの時、物質的の栄華の恋うべきものにあらざる所以を説き聞かせ、彼の心の寄る辺なきに乗じて、神仏のみが独り無二の味方なる事を諭しなば、盲亀の浮木に逢えるが如く、底心を捧げて神仏を頼むに至るが人情なり。されば此等の方略は、大抵の宗教家が既に隈なく試みられた常套手段で、天理教の教祖とても、この筆法を学べるものなるが、些か他と趣を異にせる点は、天理教祖に限り、這般の消息を悉皆承知の上にて、人々を欺罔せるにはあらず。実に当人自身も、正に斯くあるものと信じ居たるなれば、その説く處他宗教の如く、横着気を加味せるものにあらず。天真爛漫たる所に至誠の流露されたる趣がある。
其六、以上に述べたる教祖至誠の面影は堕落無慚に流れたる天理教の今日にても、なお幾分の純分子を止め、稀には感歎すべき高潔な教会主を見出し得る。さて此等の教会主は、却って教育の無き婦人か、或いは博徒などの中年から翻然悔い改めて善道に入りたるものなどに多く、従って筆は勿論舌も頗る拙で、なかなか人を説くなどは、思いも寄らぬようなれど、至誠の心ほど恐ろしきものはなく、一挙一動身慾は毛厘もなきに引かえて、熱心の度は鉄をも溶かす勢いなれば、その熱誠に動かされて、遂に熱心なる信徒となれる人々もある。これ等は信徒中にも殊に健全な分子と言うべきもので、説く方も醇なれば、説かれる方も純。他の宗教には一寸見られぬ現象である。若し夫れ此等の人々の信仰から、迷信の部分を取り除き、学理と矛盾せぬようにして、天理を唯一の神と仰ぐ事にさせたならば、天下無比の清き宗教徒となるべきものである。
其七、神楽歌なるものを熟読するに、その歌の心や決して浅薄のものにはあらざれど、学問の素養なき人が、生まれた土地の方言を其のままに、何の修飾する所もなく、心に想える事を出任せに列べ立てたるものなれば、歌の様余りに卑俗に失して、人の嘲笑を招くを免れず。必ずしも流暢なる美文を尊ぶにはあらざれど、その精神を存じて、その形丈は今少しく優美の調に改作したりとて、些かも教祖の尊厳を傷付くる事にはなるまじ。尚また祭礼の時行わるる神楽に至りては、舞踏の様此上もなく俗悪を極めたるものにて、殆ど噴飯を禁ずる能わざるべし。斯かるものは大改善を施すか、さもなくば寧ろ全廃するの勝れるに如かず。
其八、神饌は国恩神饌と相通ず。宜しく新鮮ならざるべからず。然るに一度神前に供せられて後、これを信徒に分つや、或いは数十日の後に至るもの少なからず、信徒また直ちに之を受用することなく、他日病人のあるに及んで、初めて之を服用するの風あり。神饌その物の種類にも依れど、概ねカビを生ずるに至る。その人体に害あるや言を俟たず。況や信徒に配布せらるる神菓の如きは、神力を衒わんが為め一種の薬法を加うるの説あり。海外○○に輸送するものに至りては、殊更に此の秘法ある事を耳にす。今にして断然かかる詐偽の手段を根絶するにあらざれば、その弊の及ぶ所や測り難からん。
其九、教会内部新旧思想の衝突あり。比較的新教育を受けたる教師教職を新思想派とし、これ等の人々は些か当世の空気を呼吸し、宗教の何たるかくらいは会得し居るもの故、旧来のお有りがたを屑しとせず、ややもすればハイカラ的施設を行わんとするの意見を有すれども、古老先輩は飽くまで教祖生存時代の旧思想に捕らえられ、改正の施設を以て教祖の威信を損ずるものとし、少壮派の改革論を喜ばず。この両派の暗闘は、未だ明らかに表面には顕れざれど、今や鬱勃たる暗雲は、丹波市を中心として各所に漲り居れば、近き将来に於て大爆発を見るに至らん。この衝突は実に天理教の存亡にも関すべき革命の禍根にして、本部の威令甚だ振るわざるの今日なれば、或いは天理教徒の大分裂を見るに至らん。これを未然に防がんとせば、新旧両派共にその極端なるハイカラと固陋の見を捨て、協力一致天理教を以て、世界の宗教を統一せんず意気と抱負とを抱き、小異を捨てて大同に合し、以て勇往邁進せば、豈啻に天理教宗運の永久なるのみならんや、実に天下民衆の福たらん。
其十、天理教は教祖中山美支子の嫡孫玉江夫人の配中山新次郎氏を頂いて管長となせり。これ教祖に対する報恩の意に基づけるものにして、歴史の未だ古からぬ天理教としては無理ならぬ事なれど、彼の大谷本願寺を見るにつけ、永く法祖の血脈を以て教界の首脳となすは、策の得たるものにあらず。もとより累代人物の続出は望むべからず。一朝愚劣の人にして其の位置を保たんか、内外共に威信を失墜する事甚だしく、遂には信徒をして疑惑の念を起こさしむるに到らん。これ予が管長公選の議を樹つる所以である。されど教祖の恩は永く之を忘却すべからず。その血脈を遇するの道は、宗府の外別に相当の待遇法を設け、永世年金の制を定めて之を待つの法なきにあらず。既に現管長の如き、名は実に至高至厳の位置に身を置けど、内々実権はその手に在らず、少数幹部のために制を受くるの実あり。此の如くして現状を持続せば、久しからずして教祖血脈の威信は却って地に墜つるに至らん。予は寧ろ現管長の現状に対して、同情の念を禁ずる能わざるものなり。(本書の印刷中中山管長は不幸にして物故せられたり)<<
ここまでの入力ミス訂正
第一章
誤、──(なんの天理王くらいがと鼻の先で)
正、──(なんの天理教くらいがと鼻の先で)
第二章
誤、──(畢竟協会本部の方針は)
正、──(畢竟教会本部の方針は)
誤、──(以上の四項は其の太洋を)
正、──(以上の四項は其の大要を)
天理教をしっかりやるのであれば集合して組織でやる意味があるのですが、現在の教団は、食べるので必死、将来食えなくなる事が目に見えているのでその不安に駆られて今嘘付いてでも金を集めているのでしょう。教理(教義)から考えるとどう考えても矛盾しか生まれない。教義を主体とした時に中山家一党独裁の矛盾が顕著に成るからこそ組織の上下重視におもきを於いてしまったのでしょう。今まではそれでこれましたが今後はもう無理、宗教団体自体が胡散臭く如何わしいもので今や古くそしてほとんどの団体が確実に誤りであると一般人からも認識されています。どの団体も布教がうまくいくわけがない新興宗教団体でも一握り以下しか伸びていない。
現体制では続けるにしても、中山家は無視して信仰しましょう!と言えどこれにも無理がある。中山体制の終焉なのです。続けても無理をきたしているので必ず衰退しかせず、継続維持すら難しいのが現状です。
これに中山家事態が気がつけないのが気の毒で、追放しようにも出て行きそうに無いただただ寄生虫の様に欲のままに組織を食い荒らす害虫の様に生息しているだけです。組織に必要なものは朽ち果て、離れ、不必要なものが幹を食い荒らしている。これでは教祖中山みきの教えとまるで真逆大木が折れる。ぶどうの房も枯れてなくなると皆さんも気が付かれる事でしょう。
枯れて朽ち始めた木を治すのは至難の業、教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。
>>枯れて朽ち始めた木を治すのは至難の業、教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。<<
時既に遅しです。中山家云々より天理教は実質的にもう終わっています。
>教団組織を治すのは中山家が自ら出て行くか、追放される以外はけっして治る事は無いでしょう。<
中山家が追放されても、ねずみ講的組織のもと、
大教会長、上級会長の経済的精神的パワハラが続くのなら
同じことのような気がします。
やはり末端教会は離脱が一番手っ取り早いベストな問題解決だと思います。
ちなみに、古い元教会長 @huruikyoukaityo さんが
以下のようなアンケートをとってくださっています。
約半数の教会が離脱を希望しているという結果となりましたね。
アンケートの結果が消滅しましたので、再度お尋ねします。
あなたは離脱したいですか?
離脱したい。 46.7%
離脱したくない。 26.2%
思案中。 27%
(投票数122票 )
上記の離脱したくない26,7%の中には離脱したいけど住居を失うから離脱したくない、と言う立場の人達が含まれていると思います。積極的に離脱したくないではない人達の悩みは大きいです。
離脱したいの大方は、気持ちはあっても諸々の縛りで実際には離脱出来ないのだと思います。
天理教は多くの教会関係者の手足を縛って身も心も、またその家に生まれ落ちた子孫にまで家、土地、財産を残す事は出来ず、末代にわたって文無しの不幸に陥れているのです。
天理教の汚さ、今から50数年前の事です。
我が家の教会移転の際、会計予算を提示するよう上級から指示され、土地購入費、建築費、電気工事費、、、等々の中に「埋立て費」の項目があり、田んぼで埋立てが必要な土地であった事から「埋立て費◯◯万円」と父が記載して上級に報告したそうです。そうしたら都合よく勝手に「埋立て」を「理立て」と解釈。それは違う埋立て費用だ、といくら説明しても通さず、結局埋立て費用を理立てとして全額上級に取られました。父は移転の理立てはするつもりでいたでしょうが、埋立て費用分を取られてしまってお金の工面に困窮し、夫婦で泣き言を言っていました。悲しい子供時代の思い出です。黒いものでも白で通す、部内教会には圧力をかけても許される、そんな詐欺行為も精神的暴力行為も当たり前でしたね。
廃れるのは当たり前です。その上級も今では建物ばかりが大きくて閑古鳥が鳴いています。善良な信者や我が両親達からむしりとって建てた無意味な教会堂です。
>>部内教会には圧力をかけても許される、そんな詐欺行為も精神的暴力行為も当たり前
ご苦労様でしたね。お察しします。
自分も大教会、上級には泣かされてきました。
しかし、昨今の上級や教団内の状況を見ていると、神がろくぢにふみ均し始めたなあと実感しています。
崩壊まであと少しの辛抱です。
コロナは終息して欲しいですが、天理教もこのままコロナ体制が続いて欲しいです。今は、つかの間の幸せです。
平時に戻っても今後 巡教にも来て欲しくないし、上級、大教会にも行きたくないし来て欲しくないです。大教会記念祭などにも意味を全く感じません。
100年も前から詐欺体質を糾弾され批判は今に始まった事では無い事を生々しく知り、みんな今までよく耐えたと思います。もう続く理がないし種もない。天理教本部はじめ、自教会も 静かに自然な形で消えていくと思っています。
今、それに向けて教会関係消耗品等の断捨離に努めていて、過去の栄光?にまつわる登り旗や40枚、50枚に登る団参の時首に垂らす手ぬぐい様のタスキ、子供おぢば帰りの帽子類数十枚、捨てました。神具倉庫の中の古いお社はただの入れ物と思い焼却場へ捨てました。教祖90年祭時に配布された館形状のお供え貯金箱も近く焼却場にゴミと一緒に捨てに行きます。お供えに脅迫されていた過去の自分と家族を思うと忌ま忌ましい限りです。
講社から返却された古いカンザネサマを開いて見たら錆びた8角の金物が入っていて、ものものしく織物袋に包まれています。こんな物を火事の時に一番に持って逃げると聞いていますが、馬鹿馬鹿しい事です。命の方が大切です。講社は全国的にも日々消滅していると思われますが、皆さん、どう処理されているのでしょう。
「埋立て費用」を「理立て費用」に「勝手に変換」とは詐欺行為そのものでしょう!!!
数々の理不尽な行為を被害者周辺だけが事実を知っている、これが黒歴史継続の一つの原因であったかもしれません。
虚偽の話はそれこそ神様が許されませんが、神を背負って自分の悪徳行為を正統化するような組織の行為は、広く社会に知らせる事は、信者としての社会的責任を果たすことに繋がります。
けれど、なかなか、こうした内部告発は、表に出ません。それは周囲の人をも巻き込むことが確実だから、教内での婚姻によるがんじがらめの人間関係が足かせにもなっているのでしょう。
内部告発の方法で、一つ提案したいことがあります。
自分を守りつつ、情報を公表してください。
・自分の事として書かずに、人から聞いた(知人が・・。友人が・・。)事として表現。
・実名を想起できる範囲で、頭文字+誤字表記、地方名(大阪近郊、近畿地方の、東京都23区内の等々)。
以前からも社会学では上記のような表現で書き込みがあります。
するとそのすぐ後に「名誉棄損で訴えられますよ」と、短文の脅かし投稿が現れます。
「名誉棄損」「裁判」という言葉が好きな人物です(笑)
もっとも、天理教では裁判と言えば墓穴を掘る結果になるのですがね。
お供えが蜃気楼のようにように信者の目を曇らせていたが、コロナ禍でその曇りが晴れて、心もスッキリ晴れ渡り、おじばの呪縛から離れ、世界のどの場でも信仰できると目覚めたのです。
各地の教会は本部から独立した後、地域に根差し、地域の人を助ける「普通の教会」として残ることもできるのではないかと思います。教会家族が教会に居住することだけは包括関係を解消すればかなえられますので、信者さんたちとの心を割った話し合いを始めてはいかがでしょう。
2020年5月14日 10:40 PMの匿名様の投稿を拝見して、改めて天理教の闇を思い出しました。
以前に投稿した内容ですが、もう一度投稿します。
大都市の中心部にあった大教会直轄分教会は600坪余の土地に古い会堂が建っていました。当時の会長の身上と旧教務支庁舎として使われていた関係から、構造上の問題等があるとの理由から、大教会長から新しい神殿の建築をとのお諭しが出た。
先ず、客殿のとりこぼちをすることになったが、この建物は二代真柱が度々利用していた経緯があって、大教会に移設することになった。(大教会来賓棟になった)
ところが、建築費用が思いの外高価になることと、せっかくの計画が、神殿はおぢばの方へ向け拝が出来るようにとの指針から、客殿の移設は出来たものの、神殿建築は頓挫してしまう。
そのような折に、昭和43年11月に立地の市から土地を譲ってほしいとの申し入れがある。これこそが、鮮やかなご守護と受け取られることになった。
紆余曲折があったものの、同年12月18日に市との売買契約が成立した。くしくもこの日は教会の月並祭の日であった。
翌年の昭和44年1月には移転建築のお許しが出て同年10月に移転建築落成奉告祭が行われた。
ここまで書くと、土地売却から移転建築まで全てが順調に進んだように見えるが、内実は大きくゆがんでいた。
それは、神殿建築費用の問題であった。当初、建築費用予算は4千万円であった。建築業者も会長の姉の嫁ぎ先である同じ大教会の直轄教会の信者さんが経営する建築業者だった。
此処で起こった最大の問題点は、建築に先立ち大教会長から1千万円をお供えするようにとのお諭しが出てきたことだ。結局、建築費用4千万円から出さざるを得なくなり、建築費用は3千万円に減額されてしまう。
結果は、後々大変な苦労が待つことになってしまった。25%もの費用を削られて建てられた神殿は酷いものだった。雨漏りはするは壁は剥がれるは、使われた材木も一見して質の悪い物だった。
後々、雨漏りの屋根の吹き替えに1200万円を要することになった。壁の補修に250面円が必要になったなど、部内教会始め信者さん方に多大のご苦労を掛けることになってしまった。
教団本部は、これら一連の行事に付きものの、お許しという行為でおカネの流れをつかんでいたのは紛れもない事実だ。それ故に1千万円もの供えを要求してきたのだろう。後々の信者さんたちの苦労に思いが及ばなかったのだろうか。
端々のことなど、どのようになろうと知ったことではないという思い上がりというか、恐ろしいまでの金銭欲に信仰の理念は吹き飛んでしまった。
拙い文章になりましたが、この文を読まれて思い当たる節がおありの方が居られることを願っています。
余談ですが、この教会に昭和58年1月に三代真柱がお入り込みをしている。よくもしゃあしゃあと来られたものだと、今更ながら思っています。
この欄には数々の末端教会の窮状が綴られていますが、大教会直轄教会でも似たような状況にあったことは事実です。この欄に天理教と書き込むだけでも気分が悪くなります。
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第四章 天理教の財政
世人は彼の各所に巍然として聳えたる教会の大廈高堂を見て、その財政の裕福にして余資の綽々たるを想察するならむ。されども是れ表面皮相の観察なり。その実に豊富なる財力を蓄うるものは、全国数千の教会中、僅かに数十を算するに過ぎず、他は皆な窮々として余喘を保てるもののみなり。彼等は決して財政的に本部の保護を受くるものにあらず。否、却って冥加的に「おつなぎ」を献じて、常に本部を富ましむるの機関たり。ゆえに本部は益々富みて、各種の教会は愈々窮す。予の知れるもののみにても布教の本分を盡すなんぞは暫らく措き、如何にして教会を財政的破滅より救わんかと、俗中の俗事に頭脳を悩まして、日夜苦慮奔走し居るもの、東京市内とその附近のみにて尚お数十を数うべし。この外、全国に渡りては、殆ど瀕死の境に彷徨せるもの枚挙に遑あらず。或いは言わん「日の寄進の発展かくの如くして、尚お然かく窮乏するの理あらんや」と。ところが実際だから争えぬ。これ皆、彼等が盛んに日の寄進の行われたる際に於て、教会の基礎を固むることを知らず、驕奢堕落に財を靡し、多くの信徒を泣かせた結果、今日却って信徒中の、住まうに家なく食うに食なき者共を、教会自ら救護せでは叶い難き。多くの日の寄進中毒者を生じ、一面には新入信徒に対する日の寄進、意の如くならず。しかも本部の誅求は虎狼よりも尚お猛くして、殆ど飽くことを知らず。これに於てか教会たるもの、勢い宗教家の仮面を脱して、金銭を貪るの猛獣と変ずるは、小人輩に免れ難きところなり。然らば顧みて本部は何如、教祖の没後本部が貪り得たるところ、驚くなかれ実に何億萬を算すという。ああ日の寄進の威力もまた偉ならずや。さて、この巨額の金はソモ何れの方面に費消せられたるか。その費途もまた多岐多端にして、容易に計上すべくもあらざれど、幹部員の驕奢蓄財は言を待たず。この外、実に言うに忍びざるの費目数千万に達する事を、ここに詳記せんとすれば、驚くべき方面に意外の怪我人を輩出するを奈何せん。上下共に醜陋の人を以て満たされたる当世に、些か血清療法を行わむため、大に筆誅を加うるは、快は即ち快なれども、異常の事を敢てして、社会組織を潰崩せしむるが如きは、著者の好まざるところ。異日、必ず天自ら之を言うの期もあらむと、先ずこの辺にて口を篏し、(賄賂を貰った為ではねーゼ)さて本部が今なお握ってござる資財が、表面と内面とでは、正に○○○、○○○、○○○、この外○○の○国へ、オット此奴は天機洩らすべからず。意地の悪いようだが言わぬが花で、書いたからとて害にはならぬが少しも益にはならぬ。それよりも次章で述ぶべき改革策、一名(別名)天理教救済論を是非に断行させる為、その資金として内々に取って置き、帳面上のスパヌキ丈は、預かって置くこと此の如し。<<
言うに忍びざるの費目数千万。詳記すれば意外の怪我人を輩出してしまうとは、おおむね女性関係ではなかろうか。伏せ字の部分は一体何だろう。
匿名
2020年5月15日 9:31 AM
コロナは終息して欲しいですが、天理教もこのままコロナ体制が続いて欲しいです。今は、つかの間の幸せです。
緊急事態宣言が解除された地域でも三密行為、集合行為は依然としてクラスター化するのは間違いないので原則禁止です。これは公共の利益から考えて宗教法人として独立性をもっているにしても、公益性は必ず無視できません。つまり公益性の下に宗教法人はあるからです。つまり公共の利益に反する事を教団がするのであればそれは官公庁の指導領域になります。つまりあまりに公共性公益性を損害するようであれば教団に対しての解散命令もありえるのです。
教団で行われるような、集合しての礼拝行為、集合しての賛美歌などの唱歌行為、食べ物の提供なども感染原因になりますので公益性を反する行為になります。
お願いづとめ の結果虚しくこのコロナ禍、これが紛れも無い天理教と名乗る中山教の真価です。これを機に現教団の中山教であり天理教にあらずのあり方などが信者さんにも周知され脱会や独立が盛んになってきているようです。教会を営めど近所に通報をされ市役所等の指導が入りお勤めは中止せざる負えなくなった。その反面勤めしなくてもの本当の現実が見えてきた方々、お勤め参拝等の礼拝行為にこだわり続けた本部の懐疑心は高まりを越え一気に皆さん気が付かれたようです。
親神などと言う神は、中山家のでっち上げで中山家の都合により創作された神です。本当の神はこのコロナをもたらし中山教への戒めとして更なる経済困窮を与えるでしょう。不動産収入も今後激減します。信者の金で隠れてビルを建て、騙しては信者の土地を没収しては売却した罰でしょう。
神は見ている。次は何を奪うのか?楽しみです。天理教が善だとすれば、中山教は異端ですので当然悪です。皆様方くれぐれも騙されぬ様お気をつけ下さい。
>お願いづとめ の結果虚しくこのコロナ禍、これが紛れも無い天理教と名乗る中山教の真価です。
「お供えしないからいつまでたってもコロナが終息しないんだ」とか言いそう(~_~;)
人助けなんざ何もしてないぞ。陰湿過ぎて腐りきった宗教。絶滅しろ。穀潰し!!!!!!!!!
教会の子供でも引きこもりは存在してるぞ。
今後どうするのやら。
天理教の騒音公害
ツイッターより
あー始まった始まった
非常識宗教団体の大騒音祭りが
#天理教 #騒音<<
他人に迷惑かけまくってる組織が「たすけ合い」なんて教義掲げてんのマジ失笑モンなんだけど
#天理教 #騒音<<
しゃあねえ
クソ宗教団体のクソ太鼓騒音なんて聴きたくもないし、昼間どっか出掛けるか
在宅中だから外出バレたらまずいのによ
あーむかつく<<
うわっ……最悪
隣のチンドン屋、紫の旗出してんじゃん
今日15日だから昼間クソ太鼓か
死ねよ天理教
なんでよりによって在宅の日に
死ねよ天理教(2回目)<<
あーむかつくむかつく
なんで俺が耳栓して寝なきゃいけないんだよ
このチンドン屋カルトの隣に来る前は一度も耳栓なんてしたこと無かったのに
そもそも耳栓って何?レベルだったのによ
ほんと騒音だけは許せない<<
住宅街で不要な騒音を出すヤツは死んでいいぞマジで
自分たちだけ良ければいいと周囲の迷惑考えないお猿さんたちは殺処分されても文句言えないからな
騒音馬鹿のせいで崩壊する家族が周囲にいることを覚えとけ
道路族然り天理教然り
隣のヤツらは俺がキチガイや半グレじゃないことに感謝した方が良い<<
また親父とお袋が「外が煩くて眠れない」「気になって目が覚める」とかワーワー喚いてる
この町(と言うよりチンドン屋カルト天理教の隣)に来てから、ずっとこんなクソつまんねえ会話ばっか
なんでこんなしなくても良いような会話で荒まなくちゃいけないのか
マジでうんざりだな<<
以上の様に、天理教教会の視野狭窄と自己満足の為に、その騒音で関係のない一般市民の方々にどれだけの苦痛を及ぼしているかと言う事です。
苦情に対し行政からの立ち入りがあれば太鼓や鐘の騒音も止めざるを得ないでしょう。実際お勤めが出来なくなった教会もあるようです。一般市民は泣き寝入りする事なく静寂な時間を取り戻す為、行政に相談した方が良いです。
今回のコロナ禍で、教会月次祭への参拝を強制しないよう本部から通達が出されました。これは信者家族からの苦情によるものです。同様に教団本部は都市密集地に於ける苦情を踏まえて、教会のお勤めの自粛、騒音ととらえる一般市民への配慮があって然るべきで、今回のコロナでの学びを生かして、お勤めの実行は柔軟にと言う通達を同様に出すべきだと思います。
どちらも庶民の苦しみを、そして末端や信者の苦しみを知らない能天気なアホ共
↓
うちで踊ろう 首相 安倍晋三
https://www.youtube.com/watch?v=HSwjr38vm8o
うちで唄おう 中山大亮
https://www.facebook.com/100015383509409/posts/807542089768567/?d=n
匿名
2020年5月16日 2:44 AM
子供を出汁にしてる時点で信用ならぬ夫婦です。今時インターネットに子供の顔を安易に晒す親はどうかしてます。ライン狂いのぶえちゃんだけネットで楽しんでて下さい笑 二番煎じ三番煎じただのパクリの中山教団に未来は見えません。
ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!
これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。
りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!
>>教内での婚姻によるがんじがらめの人間関係が足かせにもなっているのでしょう。<<
本当にその通りですね。右を見ても、左を見ても血縁ばかり。それなのに、お互い顔を合わせれば他人行儀な長々とした挨拶を交わす。目に見えない上下関係が隠然と見え隠れする。
普通ならば、いよぅー!、元気か。で済むものを。江戸幕府そのままの悪しき儀礼がまかり通る組織。
バカバカしい組織です。絶対に近づいてはダメですよ。
匿名
2020年5月16日 6:08 AM
>>ぶっさいくな子供ですねえ。本当に我が子を世にさらす時点で常識を疑う夫婦です!これで天理教が治められますかね?人のお金で命を繋いでる夫婦。コロナの真っ最中に歌歌ってる勘違い親子!大亮さん助けて下さい、と下々教会の訴えも彼は無視している現実。その苦しみに何の手立ても、寄り添いもしない。りんご顔の不細工娘を抱いて一生歌っておれ!<<
皆さんの思う通り歌ってる暇が有るなら全国の経済困窮している教会を救えないのかな?人助けの宗教なのに?と当たり前に疑問が浮かびます。この大亮さんと言うお方は1人では何もできない人のようですね。どうも嫁と子供を出汁に高感度を上げたいようにしか見えません。娘さんもお父さんにそっくりと言うか、やはり近親の血族との噂が一目で分かりますね。血が濃い家だと他の嫁ぎ手もいなくなるので悪循環を繰り返しているのでしょう。一方教団には経済困窮でインターネットに接続できない層もたくさんおられるのに何故この教団はインターネットを使うのか意味が分かりません。搾取したお金でネットで能天気に無駄な動画を流すダメ教団であるのは確かですね。
歌ってる暇があったら、コロナ終息のお願い勤めをしようと思わないのでしょうか?一回したらやったつもりですか?だから全国の信者、教会が本部の正体を薄々気づき始めているのです。
ノー天気で低ノー。皆さま仰る通り、子供と嫁を利用しなければ自分一人では何も発信出来ないのですかね、次期真柱は。真柱も軽くなったものです。
コロナ禍における神の取り次ぎをして下さいな。大亮君からして親ばか自己満足で視野狭窄だから、今自分が為すべき事が何なのかが全く見えてない。良き夫、良き父親の前に、天理教教団本部の少なくとも次期トップでしょ。今日本国内、全世界が苦しんでいる前代未聞の事態です。この事態に夫婦親子で居間でくつろいで歌で応えるんですか?!世間のフツーの夫婦と同じか又はそれ以下です。立場をわきまえて為すべき仕事をしてください。我々信者にとってあなたは耐え難い程の情けない存在ですから。
宗教法人がバックとなっている株式会社天理教館は資本金も中小企業の域を超えている。
疑問の一つは、2020年4月現在の社員数が54名とあることだ。
公募されたのだろうか?天理時報に社員募集の広告が掲載された記憶は無いのだが。
知り合いの会長の息子がこの中の施設に勤務していることを知り、調べてみたのだが、恐らくは公募は無いだろうし、教内での公募もしていないのだろう。
人事は天理教団の中で、推薦という形の権益で決まるのだろうか?
お供えに頼らず何らかの仕事に就いて収入を得るための場と思えば結構な事だが、一部の人々のための職場であっては「強欲」と言われても仕方がないだろう。
生活に困る教会関係者の悲鳴が上がっている現在、何らかの救済策を真柱後継者の大亮さんに訴えてもスルーし、そのくせ嫁と子供と一緒に歌い興じる姿を悪びれることなくFacebookに載せている。
このような他人の痛みに対する鈍感な人には何も解決策は期待できない。
以下の財産を54名の社員のために事業を今後も継続するべきか否か、考えて頂きたいものだ。
しかしそこには懸念がある。
恐らくは救済策に回すことはしないだろう。
自分たちのための美味しい財産は残しておくのだろう。
株式会社天理教館 http://tokyotenrikyokan.co.jp/company/
※会社概要
会社名 株式会社 東京天理教館
本社所在地 東京都千代田区神田錦町1丁目9番地
設立 1960年6月
資本金 410,500,000円
代表取締役 小谷 幹雄
社員数 54名(2020年4月時点)
※事業所一覧
本社 東京天理ビル
東京都千代田区神田錦町1丁目9番 TEL 03-3292-0502
横浜支店 横浜天理ビル
神奈川県横浜市西区北幸1丁目4番1号
本郷支店 本郷天理ビル
東京都文京区本郷3丁目16番4号
福岡支店 福岡ようきビル
福岡県福岡市中央区大名2丁目10番29号
駒込支店 東京スイミングセンター
東京都豊島区駒込5丁目4番21号
※所有賃貸物件
東京染井温泉SAKURA ・・東京都豊島区駒込5-4-24
本郷天理ビル第2駐車場 ・・東京都文京区本郷3丁目102-8
天理三島荘 ・・奈良県天理市三島町159-1
天理わらく荘 ・・奈良県天理市指柳町318-1
天理駅前駐車場 ・・奈良県天理市川原城町675
天理300番地駐車場 ・・奈良県天理市川原城町300
熊本春日土地 ・・熊本市春日2-746
※会社概要には抜け落ちていますが下記も賃貸物件です。
神田錦町ようきビル
東京都千代田区神田錦町1丁目13番5号
敷地面積 204m2
建築面積 173m2
延床面積 866m2
基準階床面積 173m2
構造・規模 地上5階、地下1階、塔屋1階
鉄筋コンクリート造
エレベーター 1基
主要設備 空 調:各階各室個別空調
床仕上:OAフロアタイルカーペット
その他:カードキーによるオートロック方式
(24時間対応)
設計・施工 株式会社 竹中工務店
>>生活に困る教会関係者の悲鳴が上がっている現在、何らかの救済策を真柱後継者の大亮さんに訴えてもスルーし、そのくせ嫁と子供と一緒に歌い興じる姿を悪びれることなくFacebookに載せている。
このような他人の痛みに対する鈍感な人には何も解決策は期待できない。>>
仰る通りです。
ぜひここは、本部、大教会等理の親たちに、
おやさまの貧のどん底のひながたをたどる姿をお見せいただきたいところですね。
なにもしないしできないでしょうけど…..。
https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/oyasama/
天保9年(1838年)10月26日、「月日のやしろ」と定まられてからは、
まず「貧に落ち切れ」との親神様の思召のままに、
「貧しい人々への施し」に家財を傾け、
貧のどん底への道を急がれました。
まるで狸のだんなと狐の女房の化かしあいのようなイメージの動画です。
天理教は信じない
親神様は信じない
神様のみ信じます!
無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。
神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。
こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。
天理教の人間は人ではないんですか?
簡単に傷つけて良い存在ですか?
皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。
それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。
こんなのいじめです。
私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
まだ自分達の3分の1程しか生きてこられていないんですよ。
一斉に皆で攻撃しますか。
すみません。半分弱ですね。
自分達の20代はどうだったんですか?
普遍の真理を逸脱して自我のまま生きることは、一種の自由を感じられることでしょう。
でも自我を野放図にのさばらせておけば、結果として普遍の真理が待っているのです。
その普遍の真理の究極の結果の中に入る頃、情報発信は出来ないんです。
客観的に見てお伝えしています。
弱者イジメの連鎖を生むムゴイ心を超克して、より優しい喜び多い人間世界を実現しようという、神の想いを伝えた教祖の教えと、その実現の為の中心地であるお地場の人事にこれほど乖離ができているのは何故なのか?
中心地の責任者達が世界を啓蒙先導するどころか、世界のお荷物にさえ落ちようとしているとしたら本当に悲しい寂しい限りですが、今回の疫病の蔓延をただ単に神による大掃除の一環と云うだけではなく、具体的に本部人事の洗い替えを含めて、人類の未来の為のメッセージを発信し続けて頂きたいと願います。
不変の真理の発信元としてのお地場の再生を望みます。
>>こんなのいじめです。
バリ天の親をもった末端教会子弟や信者は、
まじめに貧のひながたをたどり、爪に火を灯すような生活をしております。
中にはそんな極貧生活が自分の希望ではない人も大勢いるでしょう。
また昨今では「貧に落ちきれ」の教理も、研究が進んで信憑性が疑われつつある中
搾取用の偽教理に怒りを覚える末端や信者も増えてきています。
真面目に貧のひながたをたどってきた人たちのなかには、
一生独身で、家庭も子供も持つことが出来ずに終わる人たちもたくさんいます。
(それぞれ個人のせいだといわれるかもしれませんが、貧困が連鎖することはまぎれもない事実であり、
貧困が未婚の原因になることも大きな要因の一つです)
大亮は、公益性が求められる宗教法人の次期代表であり公人です。
Twitterで窮状を訴えられても無視をし、
極貧生活をしている人たちのただでさえ苦しい日常が、
このコロナ禍でさらに苦しい状況に陥っていることをまったく想像することもしないで
インスタグラムやFacebookで
呑気に嫁と娘との幸せを見せびらかすようなことを無神経にもしています。
しかもその生活は、他人の「人生をかけた極貧生活」よって支えられている生活です。
これは人の神経を逆なでする行為であり、
はるかに
大きなおおきな」 『いじめ』 にも等しい行為です。
だから叩かれているというのがわからないのですか?
アホな擁護派の 匿名 さん。
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>無宗教でした。人間関係に苦労してきて、天理の教えを意識すると人間関係に抵抗感がなく生きていけるようにまりました。神様の存在ははじめは信じていませんでしたが、今はおられるということが分かります。こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。天理教の人間は人ではないんですか?簡単に傷つけて良い存在ですか?皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
そんな薄っぺらい意見は今まで散々ここで見て来ました。教団の歴史と中山家の犯した罪をちゃんと調べてから意見した方が良いです。中山家は天理教のふりをし中山教をしてきたのは紛れもない事実。ここ数年で起きた事情、身上を見れば明らかに中山家の積み重ねた因縁、わが身恨み、因果応報
20代なら何でも許されるんですか?中山大亮が皆の前で売春婦を買ったと発言しても良いんですか?自分の意思が無い赤ん坊を親の都合でネットに顔をさらして良いのですか?この無知で低能の20代にあなただけは命を預けたら良いのでは?といくらでも反論は出ますし、あなたに対しての反論は私以外からも数多く出てくるのでまず賛否様々な情報を学んでから意見されるべきです。それにこれは、教団内の天理教VS中山教 の宗教戦争ですのでそれに関わりたくないのであれば意見は差し控えたほうが良い。
それに気味自体も騙されていることに気が付くべき「中山は天理教にあらず中山教なり」です。中山家は金銭目的で教団を牛耳り天啓者を追い出し現在の中山真柱体制を作り上げたという紛れも無い事実が現在も残っている。
「法人乗取り、甘露台倒壊、信者の金でビル所有、真柱身上、学校法人廃止、他方人土地搾取と売却、大教会競売、分教会各地競売、等」
と嘘偽り宗教家として人としてあるまじき行為の歴史を積み重ねたのが他でもない中山家です。
いじめ?とんでもない。中山家がどれほど本部内、教内、大教会、分教会をイジメてきたか知らないからそう言う事をいえるんです。あなたもそのように悪徳中山に方を持つだけで中山が教団にして来たイジメに加担することに成りますがそれでも良いのですか?あなたは人間じゃないんですね。
と言い返されます。
>こんな風にまだ20代の若い御夫婦を平気で傷つけることは反対です。
>天理教の人間は人ではないんですか?
>簡単に傷つけて良い存在ですか?
以下、ずっと天理教(中山教 理の親教 お供え教)が行ってきた主なカルト的脅し
〇 天理教を辞めると不幸になる
〇 天理教にお供えしなければ命がない
〇 理の親の言うことをきかないと身上(病気)や事情になる
等、挙げればきりがない
言い換えて反論してみましょう
こんな風(上記のような)に末端や信者の子弟の心を脅して平気で傷つけることは反対です。
天理教教団弱者の人間には人権はないんですか?
簡単に傷つけて脅して搾取して良い存在ですか?
>>大正4年発行 上田千尋「噫(ああ)天理教」より
第五章 根本的改革策
前章より追々陳べ来れる如く、天理教の現状たるや、各所の教会は亡滅に垂んとし、附属の信徒は日の寄進のために、その肉を喰われたるのみならず、その骨をしゃぶられ、今や家族と共に飢寒に泣くもの七十万に超え、進んでは天理王の尊の神恩に浴すること能わず、退いては教会の扶助に限りあり。この如くして本部は何時までか、独り栄華の夢を貪り得るものと思惟するにゃ、信徒の衰亡は教会の破滅を招き、教会の破滅は本部の爪牙を失うて、やがて天理教の全滅となるべきは、火を見るよりも明らかなり。思うて是に到れば、著者の如き無縁の者も尚おかつ天理教燼滅の日に於ける惨毒を想うて、慄然たらざるを得ず。病すでに膏肓に入りて、救う能わざれば則ち止む。苟くも之を救うの道あらば、上は天理の為、下は七百万信徒の為めに絶大の英断を惜しまざれ。著者は至誠の心を以て天理教の益友たる立場より、あえて左の二策を献ぜんとす。
其一、 天理教生命保険相互会社の設立
如何に宗教は営利事業にあらずして救世の天職なりとはいえ、教会の維持費なくては立ち行かず、布教の資なくては人を導くことも成り難し。是に於てか其の資を信徒に仰ぐの要起こる。これ天理教に日の寄進ある所以なれども、従来の法にては其の労多くして得るところ甚だ固からず。况んや名をお道に籍るの醜徒その途に充満して、蠧毒を天下に流すは前述の如く、弊の底止するところを知らず。これ乃ち断然日の寄進を全廃し、新たに生命保険相互会社を起こして、天理教会収入の基礎を永遠に確立せむことを、ひたすらに慫慂する所以である。
そもそも生命保険なるものは、こと新しく爰に説明するまでもなく、一種の強制貯金法にして、これを大にしては国家の基本を安んじ、これを小にしては一家将来の安固を計るの道なれば、左なきだに宗教家の立場としては、その信徒に之を奨励勧誘すべきものである。孔子も言わずや、恒産なきものは恒心なし、衣食足りて礼節を知ると。これ真に千古の金言。常の産なきものは如何に心を善道に置くとも、妻子の飢寒を見るに忍びずして、心ならずも其の節を変じ、知らず知らずに天道に背き、終に人道の罪人となるは、古今みな人情の免れ難きところ。陋巷に住んで臂を枕とし、水を以て酒に代うるとも楽其の内にあるは、顔淵にして始めて之を得べし。末世の人々に向かって、渇するとも盗泉の水を飲まざれと、口を酢くして教うるとも、いかでか之を守らるべき。綿服なりとも暖かに着、粗飯なりとも飢ゆることなくば、更にそれ以上の贅沢をなさん為、道ならぬ事はなさざれとの教えなれば、人々その説に耳をも貸すべし。飢寒に迫れるの人に向かって、何程有り難き説法を説き聞かせばとて、朝に道を聞かば夕に死すとも憾みなしと、往生観念の容易に出きるものにあらず。このくらいの事は明治大正の世になりて、著者が初めて発見した新説にあらず、ズーっとの大昔から幾万年の後までも、千古不易の人情なれば、宗教家たるものは此のへんに留意して、先ず第一に其の信徒をして衣食住に困らぬよう、相当の方法を授けるが肝要。第二は律義に稼いだその中から、勤倹貯蓄を心がけ、一朝不測の災厄に逢うても、一家が乞食にならぬよう、日頃の用心をさせねばならぬ。ところで貯蓄の方法は銀行もあれば郵便貯金の制度もあり、その他仕方は様々あるが、少し貯まると心に油断の出来るが人情。殊に何時でも引き出すことの出来るというが、重宝に似て実は然らず。無ければ無くて済む事にも、つい引き出してしまうが世の習い。そこへいくと保険金の方は、一旦払い込んだが最後、中途で止せば兎も角も、引き出すということが絶対に出来ぬ。これが一種の強制貯金で、イヤでもオーでも年限の満つるか、途中でヒョックリ死ぬまでは、掛け込む一方で後戻りがならぬ。ちょっと不便のようにも思うかしれんが、イザという時思い懸けもない纏まった金が受け取れるので、充分に一家の振り方が附けられる事になる。此所の道理を呑み込めば、生命保険の味は止められぬ。そこで天理教の教師は布教の傍ら保険の勧誘員になり、各所の教会は一種の代理店で、着実に営業を励んでさえいれば、年々本部はこの収益のみでも並々の事ではなく、各教会は教会で相当の歩合を受け、教師は名々保険勧誘の成績次第、それ相当の募集費に有り付き、さらに一歩を進むれば、信徒の被保険者が保険金を受け取った時、一割とか一割五分とか予めその額を定めて、教会へ日の寄進に附き、その内本部へ何程、代理店役を務めた教会が何程と、浄財の分配を受くるとても差支えはない。ややもすると世間の人は、苟くも宗教家ともあるべきものが、俗世間の人々のように、営利の事業に手を出すは、その本分に背いて、甚だ穏やかならぬなどと、了簡の狭い議論をする者もあるが、如何に宗教家なればとて、食わずに生きて居らるる筈はなし。この点は俗人も同様、相当の収入がなくては、本人は申すまでもなく妻子眷属の養育が出来ぬ。元来、著者日頃の意見は、左なくても宗教家たる者は名々生活のためには別に本業を営み、布教のためには一厘半銭の報酬をも受けぬ事にせぬと、百弊がそこに生まれて、終に今日の宗教界のような、堕落無慚のものとなるが古今の通弊と決まっている。されば宗教家だからとて衣食住のために、皆相応の家業を営むのに何の遠慮が要るものか。イヤ遠慮どころか大いに進んでやるべしである。況や天理教が一面には信徒に勤倹貯蓄を奨励する傍ら、自己の材用にも充つるため、保険会社を営むは、実に一挙両得の名案と言わねばならぬ。
さていよいよ天理教が生命保険を自営するとなったら、各地に置くべき診査医に、平素信徒一般の診察治療を引き受けさせ、診察料や薬価を特に割引して、信徒の便宜を計る事にすれば、今日のように祈祷や神水で病気の平癒を頼むより、遥かに御利益が現実である。この法でいけば診査医もまた相当の患者を得て、自然被保険者の診察料を軽減する事もでき、四方八方諸共に一方ならぬ便宜を得るは明白である。
およそ世の中に、営利事業も沢山あるが、生命保険ほど彼我共に割の好いものもタントはあるまい。然るに当今社運の振るわぬものが数あるは何故なりやと、その原因を尋ねるまでもなく、同業者の多いため、容易ならぬ競争募集費を要するためで、言わば費用負けがするのである。これさえ無ければ保険会社は万々歳、二割三割の配当をして、なお十二分の積立金がグングン出来て行くのである。現に日本でも五大保険会社などの成績を見れば、世間で涎を垂らしているではないか。然るに天理教自営の会社なれば、募集費額が幾らも要らず、それこそ万々歳以上である。ただ、これに一つ大いに最初から用心せねばならぬのは、制度の完全と当職者の人選に注意して、常に紀綱の振粛を怠らぬようにせぬと、とかく甘いところに蟲が群かるテ。
其二、 植民地開拓の雄圖
天理教徒現在七百万の凡そ一割に該当すべき七十万の人々が、極端なる日の寄進中毒で、無資無産の身の上と零落れ、この先を如何にせんと信徒も教会も共に途方に暮れつつあることは、いかに押し隠しても其の事実を掩うことはできぬ。これ等多数の窮民を、本部は抑も如何にして、今後永遠に飢渇より救わんとする所存なるや。一人に対して金百円の資を給せんとするも、尚お七千万円の巨額を要すべし。これは到底本部に於て実行し得べしとも覚えず、仮に百歩を譲りて、本部にこの雅量ありとするも、物価騰貴の今日、到底百円金は一家生計の基礎を定むるに足らず、況やこれ等の窮民は、久しく金銭に餓えたる事なれば、俄かに得たる金円を着実に利用するものは少なく、必ずや酒色に耽湎して、忽ちに雲散霧消するは必然。かくては折角の救済法も更にその甲斐なし。これに於てか予は断乎として、天理教本部に強うるに植民策を以てせんとす。植民策とは何ぞや。天理教徒の窮困者中より、まず身体の強健にして農事の経験あるものを駆って、第一朝鮮第二北海道その他へ移住植民せしむるの法なり。由来植民政策たるや、敢て天理教徒のみに限れるにあらず。現在我が日本国の現状は、明治以来年々五~六十万の増率を以て人口を激増し、明治十年頃に於て三千五百万に足らざりし人口は、現在六千万近くを算し、遠からず七千万にも達せんとするの有様に至り、一方に殖産興業の蹟を顧みるに、耕地の増加は僅かに五十万町歩内外に過ぎず、その生産する所を以て、到底この多数の国人を養うに足らず。さりとて工業の未だこれを補うに足るべき進歩は望み難く、これに於て乎食物の騰貴に労銀の低廉を伴い、今や蕞苒たる本島の所産を以て自ら俸すべくもあらず。たまたま海外移民の挙ありといえども、政府の外交これに伴わざるため、到る所一として成功せしものあるを聞かず。この如くにして更に数十年を経ば、生産不足のため、まさに自然の亡滅を見るに至らむとす。寒心に堪えざる問題ならずや、政府もこれに観る所ありて、さきには北海道移民の法を講じ、今やまた朝鮮に於て内地よりの移住民を歓迎せんとす。然れども由来我が日本人の固性として、とかく祖先墳墓の地を離れて、遠く海外へ雄飛するの勇気に乏しく、たまたま壯圖を懐く者ありても、資力これに伴わず。遠く外国に植民地を求むる事はさておき、帝国の領土内たる台湾か朝鮮にさえ、未だ移民の見るべきもの一つもなし。これ政府の施設完からざる為とは言いながら、一面には華族富豪の輩が、徒らに一家の安を貪るのみにて、空しく巨資を擁しながら、絶えて国家に貢献せんなどの考えはなく、個人の栄華さえ久しければ、能事終われりとなすの現状にて、箸にも棒にも掛かる手合にあらず。かかる頑冥不霊の者どもを説諭するには、蘇秦張儀の弁を以てするも、なおかつ数十年を要すべく、到底急の間に合う見込みなければ、ここぞ一番天理教が、一大奮発を以て世間に率先し、一つには年来蒔いた罪業消滅のため、二つには国家への御奉公、三つには困窮信徒救済のため、かねて蓄えたる巨資の一半を投じて之が資金に充て、たとえ始めから一旦には出来ぬまでも、徐々として怠らずば、ただに教徒を救い得るのみには止まらず、終には一般人への模範となり、我も我もと之に習わば、人口過剰の声も自ら消え、新領土を真日本と化成することもでき、十数年を出でずして、日本全国をこの頃の不景気より救い出さば、天理教の功徳もまた無量と言うべきである。
説を為すもの或いは曰く、半官半民の拓殖会社が現に朝鮮に出来てはいるが、その成績が頗る面白くない。この外にも民間の有志家で、朝鮮に移民の企てをした者が少しはあるが、何れも思うように行かぬところを見ると、朝鮮移民問題も案外、内地で畳の上の議論をするほど値打のあるものではないかも知れぬと、これ羹に懲りて膾を吹くの愚論ぞや。拓殖会社なるものは、只一の地主会社たるに過ぎず、朝鮮の大地主となって、土地貸下げには多少の便宜を與うるとも、移民そのものに移住の資力なくば、首を伸ばして待てばとて、お客さんのあるべき筈なし。加うるに、お役人さんなどの遣る仕事で、うまく行った例しを聞かず、私営の頃には相当の成績を挙げた仕事でも、お上のものとなってから儲かるものは、誰が遣ってもきっと儲かる煙草専売か塩屋さんくらいのもので、その外何一つとして、これは感心と言えるようなものはあるまい。殊に人殺しをするより外には浮世の御経験が更にない、金筋連なんぞを親玉に担ぎ、役所で煙草を燻かすが商売の、お役人さん達に任せたとて、百姓のコツなどが理解るべきものにあらず。さて、その次は民間の有志家が遣ったというが、これも先ず以てお役人仕事と大同小異。殊に資金が甚だ不潤沢で、始めた一年目か二年目には、最う相当の収益が見られるものと誤信して、遣ってはみたが後が続かず、加うるに根が営利本位で、過剰民救済のため献身的国家的に企てた仕事ならねば、頭から辛抱気が薄く、少しばかり遣ってみて、想うように行かぬと忽ちシビレを切らしてしまう。こんな風では移民事業ばかりでなく、何一つとして箆の遂げらるる筈なし。そこで本真の真面目に、鉄の甲を被って遣ろうというには、少なくとも一年くらいは費やして、十二分の費用をかけ、場所の選択、風土の相違、地味の適否は申すに及ばず、土地の風俗、周囲の状況、生活予算に至るまで、残すところなく取り調べ、慌てず速らず十年計画というような事にして、相当な学識のある技師を聘し、農業に充分の経験ある老農を助け、おもむろに天理村を建設せば、何の成らずという事あらん。ああ幾万の天理教徒よ。予がこの言を以て座上の空論とすることなく、能く冷静に、能く真摯に、信徒の前途を想うとともに、教祖の真意を理解せば、柳の下の泥鰌を夢見て、何の発明する所もなく、空しく旧套を墨守して、徒にその亡滅を待つの時にあらず。すべからく迷夢より醒めよ。緊褌一番奮発せよ。時は汝を待たず。数年にして蓄うるところの資財すでに盡るの日に至り、後悔臍を噛むとも及ばず。ああ我が愛するところの天理教徒よ。世人が一斉にその歩調を揃えて、まさに天理教を呪わんとするの期は甚だ遠からず。この時に至って周章狼狽するも時すでに遅し。先んずれば人を制すとは兵法の奥義。乞う願わくは敵の未だ陣形を成さざるに当たって、宜しく其の圖を為せ至嘱々々。畢(終)<<
一冊完了しました。改革策の章は、今となっては読んでも詮無いこととも思いましたが(そんなの本部がやるワケなかろーもん!)百年前に教外からも、こんな意見があったということで。
一応、実物はこちら。PDFファイルはありませんが、ページ毎にJPEG表示にして画像保存できます。
上田千尋 噫天理教
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/906449
>>自分達の20代はどうだったんですか?
必死に薄給で働いていましたよ。
だいたい1日巡教に招待されるだけで、ただの後継者にもかかわらず、
夫婦で数十万以上も平気でもらってしまうような神経の持ち主ではありませんでしたよ。
ド派手なレーザービームの婚礼の祝いやベンツパレードなんてしてもらってませんよ。
古い元教会長 さんのツイートより
@huruikyoukaityo 2019年11月13日
地方の教会でのお礼(最低ライン)
世話人・修理人のお礼もけた外れです。
大教会記念祭・予算書御礼
真柱様 100万
奥様 50万
大亮様 50万
若奥様 30万
随行長 30万
随行員 20万
随行員 20万
本部在籍者 100万
匿名
2020年5月17日 10:13 AM
>>皆さん、教理を信じられなくなったかもしれませんが、人間の普遍の真理はあります。それは私は天理の教えで上手く表現されていると感じています。こんなのいじめです。私は少なくとも天理の教えで育ってきた皆さんが、一斉に攻撃をかけている姿が恐ろしく感じます。
普遍の真理をまず語ってから使ってください。あなたの文章も詐欺のような文章です。そもそも人間の歴史は、栄枯盛衰です。王や皇帝は自らの失敗を民衆からとがめられ処刑に処されたのも普遍的事実。中田善亮、中山大亮が中山家代々の過ちの責任を取るのも普遍的で必然的です。
本当に彼らの言う「御守護」と言うものが存在すし「世界助け」を達成したら良いのではないですか?コロナのお願いづとめが何の意味もなさなかった事実、世界を助ける実力もない事実、他人を助けるはおろか自分たちが人の寄付によって生活している事実、虚言を吐くのもいい加減にして頂きたい。
近頃中国共産党が「尖閣諸島はわが領土」と言い出して本性をあらわし日本国民全員が反中に成りましたが、あなたや本部中山家の主張も酷似してます。自らが火事場泥棒のクセして誰かを犯人に仕立て上げる卑怯で姑息で人間の考えではない。イジメだ!と言えば何でも許されると思ってるのか?誰がイジメてきたんだ?どれだけの教会長を自殺に追い込んだんだ?もう怨念の亡霊が中山家を呪い祟っている現状をただただその網膜と脳裏に焼き付けて得と得心すべき事態なだけでしょう。
祟られて当然、呪われて当然、自然崩壊して当然
成ってくるのが天の理と得心すべし
そうです。
以前にも投稿しましたが、親族の女性は布教所から教会になれと強要され、圧力に逆らいきれず未信者の家族反対の中、その狭間で苦しみ命を絶ちましたよ。天理教は叔母さんを奪い、娘達から母親を奪ったんですよ。これ、全て天理教組織から受けた圧力、イジメですよ。
大亮を イジメた?中山一族はイジメどころか天理教に関わった一体何人の尊い命を奪ったと認識していますか?皆苦しんで、もがいて死んでるんです!
正に中山一族は祟られて当然、呪われて当然、自然崩壊して当然です。
大亮氏は、普通の青年です。
親父の善亮氏も普通のオッサンです。
歴代の真柱も普通の青年だったのですが、生まれた時からレールが敷かれお宅という狭い空間で教育され育って来ました。自らの行動や、巡教とかでの講話は全て管理されていましたので、信者から見ると、特別な徳といんねんある魂を持つ人物だと思い込んでいたし、本部は信者を洗脳してそう思い込ませて来たのです。
ところが、中山家の二男である善亮氏は、善司真柱と違い比較的自由に育ち、真柱宅の規律の外で育ったので普通の青年だったのですが、真柱の二男という事でチヤホヤされ、中山家の因縁そのままに、今まで隠れていた中山家の本音を悪気もなくペラペラしゃべるので、天理教の本質がバレてしまったのです。
大亮氏も善亮氏も、けっして悪い人間ではないのですが、本部としては、歴代の真柱を始め中山家を中心とする本部中枢の信者洗脳のテクニックがばれてしまったのです。
これは善亮氏の功績と言えるでしょう。
結局、天理教教祖の教えは素晴らしくても、中心に位置する中山家は特別に神が宿る家系ではなく、座敷に暮らす乞食に成り下がっている事がバレたのです。
ですから、普通の青年である大亮氏に多くを望んでも無理な話なのです。
天理ドリームバンドの前で歌う大亮一家の映像はほのぼのしています。歴代の真柱一家が出来なかった公開映像です。本質は昔も今も変わっていませんが、大亮氏は隠していた物、隠れていた物を一般公開し、中山家の本質のまま行動しているだけなのです。信者の深い思いや辛さや苦しみまでは決して分からないでしょう。
それは仕方ありません、普通の青年だからなのです。
天理教に失望した点
①今回の天災(人災)に対し親神様が何の効力も発揮しなかった点
②それに対し天理教が組織として何も人救けの行動を発揮しなかった点
たとえば、憩いの家を半分コロナ専用病棟にして大阪のコロナ被害者を受け入れるとか
詰め所の一部を開放とか「人たすけ」を標榜するわりに行動が遅く、緩慢であった。
甲子園が中止になるのであれば、詰め所や親里球場をつかって有志の高校野球大会ぐらいできるのではないか?
おやさと野球大会をやるくらいであれば?
どちらにしても世界がコロナで苦しんでいるときにのんびりと歌を歌っている場合ではない!
あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命 あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命 あしきを払うて どうぞコロナせんよに しっかりたのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命
ほうそ→コロナに変えてつとめてみてはどうか?
詰め所の一部を開放とか「人たすけ」を標榜するわりに行動が遅く、緩慢<<
失業して寮を追われ路上生活者になる寸前の人達に行政が知恵を出して手を差し伸べているのを見るにつけ、空っぽで何の用にも供していない詰所に利用方法はないのか、ずっと考えていました。何千人受け入れ可能でしょうか?宝の持ち腐れじゃないでしょうか?風呂、トイレ、食堂、全て完備しています。随時受け入れ、職場復帰までの後押しは出来ないものでしょうか?それに関する維持費なら少しですが喜んで費用を出させて頂きます。東日本大震災の時も全国の一般市民は皆んなで助け合いました。オムツ、ミルク、生活用品、全国の善意が寄せられました。
今回、 天理教教団本部がこの詰所を利用する人助けに手を挙げてくれる事を心から待っています。
詰所も憩いの家も、人手が足りず、物資も回せず、衛生環境も良くないです。満足に受け入れが出来ません。
ただでさえ経年劣化が進み、金も人も集まらず、悪循環のまま寂れている真っ只中です。
全国の分教会も、ほとんどの所が人を受け入れられない状態かと思われます。金を出してくれるなら喜んで受け入れてくれると思いますが。笑
なんにせよ、本部も各教会も、コロナの害に対して何もなす術が無い、気概も無いのです。
所詮は組織です。有志の集まりではなく、世襲によって継続できている弱小団体となってしまっているのです。
教内も外部の人も、天理教に期待せず、自分の身は自分で守りましょう。
行動あるのみ。そこに神がはたらくのだと思います。
古い元教会長様
≪ それは仕方ありません、普通の青年だからなのです。
「普通の青年」が聞いたら怒りますヨ。
普通の青年は必死に生きていますから。
嫁を貰うどころか、自分の住む場所さえ確保することがむずかしい世の中なんですから。
「普通の女性」も厳しい中で職を失えば、即、家賃が払えなくなり、やむなく、搾取されるセックス産業に組み込まれる現状すら起きています。(岡村の失言の後、東京新聞で実情を取材しています。)
元会長さんは若い方に対してお優しい気持ちをお持ちの方だと、これまでの投稿からも推測していました。
身近に若い方がおられればこその、しかも大亮さんなどとは比較にならない優秀な若い方に恵まれておいでなのかもしれないと、ひそかに家族像などを想像していました。(想像は趣味です。)
でも大亮さんを普通の青年と同じ土俵に立たせては、問題の本質を隠してしまいます。
その立場を考えれば、責任を自覚することができるはずです。
中学生レベルでも、立場と責任の自覚は十二分にできるものです。
甘やかしてはダメです。ダメな者にはダメだと教えてやる事は親切なことです。
生物学的父親がダメだから、息子もダメだとあきらめては、多くの信者を放置することになり、社会問題になるからです。教団内部の自浄作用が全く期待できないのですから、はっきりとダメ出しを、一般信者の分際で、大変おこがましいことですが、繰り返し投稿させて頂く次第です。
元教会長さんとは立場が異なりますので、はっきりと一般信者側からの考えを披露する意義はあると思っています。
天理教団が衰退の一途をたどっている、今はその真っただ中ですから、後継者としての「責任」ある立場の者の言動は多くの人々の注目の的なのです。
私はおじばの意義さえも、スッキリ洗脳が解けました。衰退はこれまでの一連のおじばで起きていた事柄から、必然のことだと。多くの方々同様、その様に考えます。
「いじめ」だと考える方にお願いです。
批判される内容に特化して考えてください。何を問題として指摘されているのか理解してください。
嫌われたくないから、あるいは中山家同様天理教団の中での恩恵を手放したくないから、直言・進言することができる人が教内にいなかったから、或いはそういう人を排除してきた歴史があるから、ここまで腐ってしまったのでしょう。
年配の方々に少し説明させてください。
今時の子供を持つ親たちは、子供の顔はネットに晒しません。
「安全対策」からなのです。写真を出すにしても、顔の部分を加工して(お面をかぶせるように等)、姿かたちは判るが顔は見せない工夫をするのが常識です。
徹底している方は年賀状でさえも顔が見えないのです(´;ω;`)
匿名様
>「普通の青年」が聞いたら怒りますヨ。
普通の青年は必死に生きていますから。
ある意味、大亮さんも被害者です。
必死に生きている青年の方が、余程、人間として幸せだと思います。
私も末端ですが、本部中枢の裕福な人たちより、余程充実していますし幸せです。
東風Zさんや崩壊さんも、多分そうだと思います。
要は真実を知ることです。何も知らされず、真実も知らずに、神輿の上に登らされている大亮氏を気の毒に思うだけです。
>>私も末端ですが、本部中枢の裕福な人たちより、余程充実していますし幸せです。
そうかもしれませんね。
関西の設立の順番の割と早い、
部内教会を数多く持つ、とても裕福で大きな大教会の後継者(現大教会長)を知っています。
彼が若い頃の話ですが、口癖が 「死にたい~死にたい~」 でした。
若くして彼には自由になるお金もたくさんあった。
ちやほやされて、周りの人間はみんな召使のイエスマン。
しかし、全く幸せそうにはみえませんでした。
親の言いなり、教団の言いなりで、猜疑心が強く、人を信じていませんでした。
彼について最も不幸だなと思ったこと。
それは自らの意志と決断で自分の人生を切り開いていくという
「自己決定権」」 が皆無だった。
彼もある意味被害者だった。
「死にたい~死にたい~」 は、
最初から人生を決められた籠の鳥の、絶望の嘆きだったのでしょう。
ちょっと贅沢な刑務所みたいなもんです。
終身刑ですかね。
所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる 2万人を調査
「自己決定によって進路を決定した者は、
自らの判断で努力することで目的を達成する可能性が高くなり、
また、成果に対しても責任と誇りを持ちやすくなることから、
達成感や自尊心により幸福感が高まることにつながっていると考えられます。」
https://www.kobe-u.ac.jp/research_at_kobe/NEWS/news/2018_08_30_01.html
教会の長男に生まれると、後継者になる。
我が子の進路に別の選択肢を与えないで、教会長になる様に教育する。
天理教は素晴らしいから、継がせるのは、子供の為である。
これは、一見正しい様に見えますが、いわゆる毒親では無いでしょうか?
自由な選択肢の中から、己れの人生を見出させ、決めさせ、生きさせる。
親として、自分の意に沿わずとも、その背中を押してやるのが、親心でしょう。
神様って言うのは、支配者ではありませんよ。
人が望む道なら、お知恵を下さり、守護も下さり、導いてもくれる。
しかし、支配はしないのが、神的存在であり、支配するのは、魔神、魔霊です。
天理教の親神様と言う存在も、本来は、支配者では無いと感じます。
知恵を授け、理想に導き、守護を下さるが、支配はしない。
黙って、選択を見守る時もあると思います。
教会の親子の関係からも、私個人は、基礎的に神とのズレを感じており、守護の代わりにお供えするんです、で、気持ちにトドメを刺されました。
本部中枢の人たちが不幸だとは決して思わない。
末端の教会で、天理狂に依存した家庭は既に崩壊しています。
親の愛も得られず、守ってももらえず、ましてお金がない!貧困ゆえの惨めな生活。
馬鹿にされ、虫けらのように扱われた。
親が、先祖が天理教の詐欺組織に依存さえしなければ、私自身もう少しリラックスした人生を歩めたものをと思っています。
教会長の長男さんが起っての願いで比較的堅実な企業に就職された。休日も年間120日あり喜んでおられたが、これが返って仇となってしまった。休みの日は教会関係の行事に駆り出され、心身ともに疲れ切った表情でした。給与だって教会の維持費に回っているんじゃないかと想像していました。
特に、年末年始は掃除から始まり元朝祭、初寄り、役員会議の後の宴会の送迎と休む間もなく初出勤。見ていても気の毒だった。
本当に天理教は何を考えてんだか。これではデートの約束も出来ないだろうにと思った。
親神様は一刻一秒も休みなくご守護下されていることを思えば、休みなんて生易しいことを言うんじゃない、このような言葉を何度聞いたことだろう。
人の人生を何と思っているのだろうか。本当に罪な組織を作ったものです。講の組織で充分だったろうに。
大亮君は、ヘラヘラと笑っている場合じゃないでしょう。
気持ちにトドメと言うのは、息子が天理高校に居る間、天理高校を出た事は感謝していますけれど
天理教との関わりは、そこまでで、卒業と同時に、終わりにすると言う事です。
もともと、私個人は他の信仰で人生を生きていますので、親神様は絶対的存在ではありませんし
≪ 何も知らされず、真実も知らずに、神輿の上に登らされている大亮氏を気の毒に思うだけです。
えーーーーっ、何も知らない? 知らされず? 神輿に上らされている?
大の大人が操り人形だというのですか?
本人もそれで良しとしているからこそ、TwitterでもFacebookでもここで指摘されるような言動を晒しているのですよ。
立場から逃げられないから気の毒だという人もいますが、本当にいやだったら天理から離れますよ。
現に離れていく人々もいるわけですから。
一方では、逃れられない立場を受け入れ、必死に立場の責任を果たそうと努力されている会長もいますから、大亮さんを「気の毒だ」と言って、無責任さを放置することはできないのです。
次期真柱なのですから、普通の青年ではないのです。お供えの総元締めなのですよ。
多くの人々の人生を狂わせたと言っても過言ではない教団のこれまでの中で、一教会長として信者に対して教団の中での責任の一端があることに鈍感でいてはだめですよ。
自分は神様の思惑がどこにあるのか、成り行きを見守っています。
組織としての教団に属することは苦痛でしかない自分なのですが、信者としての責任を果たす意味から、あえて苦言を呈しました。信者の必須行為、「匂い掛け」をしてきた責任をとっている次第です。
私だってキツイことを書きつけて嫌われたくないという弱い心の人間です。
面と向かっては元教会長様へ苦言を呈するなんてことは「畏れ多くて」出来ません。
ネットだからこそ自由に虫けらのような小さな弱い立場でしかない信者でも「モノが言える」のですからありがたい時代です。
全知全能の神が人間の親であるという教えにどれだけ心が救われたことでしょう。
更に神が表へ現れてなにかいっさいを説ききかす。という宣言に、有難い不思議なお地場が顕れたものだと、いずんだ心も明るい心に替えて生きてゆけるな~~と、どれだけ勇気づけられたことでしょう。
中山本部ご一統様方が悪人だとは思いませんが、教祖の宣言からは、現状の本部の面々は雲泥の差であることは否めません。
我々が本部の先生方に対して、神格者を望むのは、教祖が残した文言からして、当然の事なのだから、それについてお地場の責任者はどうお考えなのでしょう。現中山真柱家そのものが天啓者不要論なのでしょうか?
天理教には、もう天啓者なのか、霊媒なのか、妄想なのか、ちゃんと神を見極める審神者的な部門が存在しないので、何も認めないでしょう。
失われた本席は、2度と戻らないでしょう。
芸能人でもないのに、パレードやら何やら、普通の神経なら不安になるでしょうが、お勤めなさってるようですから、普通じゃありません。
普通の神経なら、真柱になる前に、全部の教会を回って、状況を見て話を聞くとか、現状を良く調べて、聞いて、知って、教団の未来を模索されたら良いのに、神殿を見てかっちょいい〜って、普通じゃありません。
SNSで多くの批判を受けたら、普通は不安になって、沈黙しますが、そうじゃないから、普通の神経じゃありません。
オワコンじゃ無いですかね?
お助けが、効かないと思うなら、教えだけで信仰できますか?
みんなで、何万ツイートで、教団批判したら、変わる可能性はありますが、もう天啓者は現れないなら、どう変わるって言うのかしら?
理想の天理教って言うのは、どう言う天理教なの?
どう言う姿が、理想の天理教の姿なの?
全然見えないわ〜
かんろだいも二代真柱が木製にしたので、二度と石造りには出来ないでしょう。
おやさとやかた構想も、教団が消滅するまで継続するでしょう。
黒門も再建しないでしょう。
よのもと会も復活しないでしょう。
あと50年後には、朽ちてみすぼらしい本部と大教会と自力のある分教会のみが残るでしょう。
匿名 様
2020年5月19日 9:42 PM
>>あと50年後には、朽ちてみすぼらしい本部と大教会と自力のある分教会のみが残るでしょう。<<
あと50年ももてば、「御の字」だと思います。私はあと10年以内に完全に崩壊すると予想しています。世のため、人のためにも早急に完全崩壊するべきだと思います。
わけのわからない宗教に生まれて
わけのわからねいルールと立場におかれて
自分の将来も自分できめられず、若いころは鬱屈とした青春を送ったが
そのうち今のルールと立場を受け止めて、しらずしらずのうちに神様はいるかどうかわからないが
これでお供えを運んでくれる人がいるからまあいいか
それでその人がたすかった気になるならまあいいか
こんな感じでしょうか?
あと、10年生きるか、20年生きるかわかりませんが、これからの人に
一人でもそんな不幸な人生を送っていただかないよう、喚起するのが年寄りの役目ではないかと思います。
天理高校を卒業して、アメリカへいき自由にいきるんだといっていた大教会後継者が
今では本部中枢で○○部 部長になり大教会長になっておられるかたもおられます。
また、ある人は同様に本部のお金でアメリカに留学し、今では天理時報に連載され、本部に重宝されているかたもあります。
高校のときとは違って、今は、、、、、
出来上がった大人のルールに反抗することは本当に難しい、いつか従順にならされてしまう。
それでもいかんことはいかんといい続けなければ、不幸な人はずっと不幸なままとなってしまう。
何が本当の世界だすけなのか?
またまた面白い(いや本当は、とてもヒサンな)記事をみつけました。1927年(昭和2年)6月30日の大阪朝日新聞。父親の貯金1500円を勝手に天理教にお供えしてしまった娘の話。
>>水呑百姓の虎の子千五百円 この父にこの娘 岡山県 XYZ生
財界に逆まく狂瀾は遂に私等の小さな港の町に押寄せて、銀行には忽ち取付騒ぎが起った。D・G銀行の門前にひしめく預金者の中に、Nという熱烈な天理教の信者がまじっていた。彼は一個の水呑み百姓に過ぎないが、粒粒辛苦の膏血を、家族に内密でこの銀行へ預けていたのである。その夕景、彼は多年蓄積した千五百円の大金を懐中にして帰って来た。
銀行へ預けてある間は妻にも子にも秘密にしていたが、今目の当りに千五百円の現金を握って見ると、嬉しくもあり、また誇らしくもあり、彼は到底自分一人で楽しんでいられなくなった。『どうだ、お前たちは千五百円という大金を見たことがあるまいそれ、これが百円札だ、十円札もこんなに沢山ある。このお父さんが長い間一生懸命に働いて溜たんだ』と見せられる家族よりは、自分の方が珍らしがって並べて見せた。見せられた家族は一同思わぬ意外に驚異の眼は瞠ったが、誰も父の秘密預金を責める者はなく、皆ニコニコ顔でこれを迎えた。
間もなく彼は外出したが、外出先から帰って来ると、どうしても血と汗で作りあげた千五百円の顔を拝まずにはいられなかった。無事なお札の顔を見ようと金箱の蓋を取って見るとコハ如何に、ツイ一時間ばかり前、確かに入れて行った千五百円が藻ぬけの殻になっている。屋内の大捜索、家族の厳重な訊問が行われたことはいうまでもない。しかし千五百円の紙幣は遂に見当らなかった。
Nは半ば狂気のようになっていた。彼は暫らくしてから娘の姿が見えないことに気がついた。そして娘は何時まで経っても帰って来ないので、いよいよ娘の持逃げしたことを確信し、近所の人々を頼んで夜中大捜索を始めたが、娘の行方は不明であった。『あの娘も年ごろだ、情夫が出来たんだろう』『イヤ、年ごろになっても親父が何も買ってやらないから、着物でも買いに行ったんか知れんぞ』井戸端会議にはいろいろの臆測が出たが、娘の消息は絶えて知れずに早くも四、五日の日は過ぎた。
ある日の正午ごろ、行方不明の娘がヒョックリ帰って来た。親父は烈火のように怒っているが、娘は平静そのもののような顔をしている。親父は娘の平気な顔を見て一層腹立たしくなった。『金はどうした、カ、金は…』親父は可愛い娘が数日の間どうしていたかを聞こうとはしなかった。娘は急き込む親父を冷やかに見ながら『あんな沢山のお金を家に置いとくのは勿体ない、罰が当ると思ったから大和の天理様へ寄附して来ました』と答えたので、天理凝りの親父は只娘の顔を見つめて目をパチクリするばかり、固めた拳のやり場に困った。<<
この娘の行為が、本当に純然たる自発的行為であったのか、甚だ疑わしい気がします。家に置いとくとバチが当たるなんて、入れ知恵した奴がいたのでは?これもまた美談のネタとして、大いに教団に利用されたことでしょう。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
大阪朝日新聞 1927.6.23-1927.8.10 (昭和2)
金融恐慌エピソード(上から8番目のエピソード)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00779995&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=5&LANG=JA
こんなのも、ありました。
>>時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家
七十万円 中山正善(天理教管長)山辺郡丹波市町
略歴 中山正善は天理教管長なり前管長中山新次郎大正四年一月死亡後管長の職を襲い中山家を嗣げるも本人は尚お幼にして同地小学校に通学中なり<<
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
時事新報 1916.3.29-1916.10.6 (大正5)
(※スクロールして真ん中あたりから奈良県。画像は#153)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00797596&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
全国調査 における中山正善 70万円の資産家(小学生)
こう言う暴露資料が容易に目に触れる時代になりました。これに対して中山一家はどう言う申し開きが出来るのでしょうか。
真柱家は質素倹約してますよ〜といくら取り巻きがフォローしていましたが、パーフォマンス以外の何物でもないです。大正4年の以前から信者のお金を溜め込む根性、その心根は断ち切られるどころか、連綿と現在では善亮に繋がっています。彼らは密かに隠し大金を持っているのです。
信者のお金で全国に不動産を持ちビジネスに励むのが裏の顔。この顔こそが中山一族の本当の姿です。
私も後10年で天理教のウイルスは感染力を弱めほぼ終息すると思います。今回コロナが天理教崩壊、衰退、消滅へと確実に良い引金になったと喜んでいます。コロナで天理教が語ってきた教理にどうしようもない矛盾が見えて来ました。本部にも近寄れず、甘露台前で祈る事も神が許さない現実。もう何を信じて良いのか、、。
現在信者は教会に寄り付けない。当然お供え金は集まらない。教会は布教に出歩けない。月次祭は教会家族が簡単に済ませる。各種行事は無くなる。教会家族は密かに開放感を味わい喜んでいる現実。食っていけない零細教会からは一揆が起きる。窮鼠猫を噛むです。こうして負のスパイラルが起きて天理教組織は自滅するはずです。
最後までお金の執着が原因で天理教は朽ち果てる。天理教の歩んだ崩壊への道筋を人生の教科書にして、同じ失敗をしないようにと、子々孫々に人としての生き方を語る材料にしたい。
「昔むかし、天理教と言うのがあってなあ、何よりお金が好きな爺さんがおったんじゃ。・・・欲張って人の金を騙して取ってなあ、大きな家は建てたが最後はみんなに相手にされずに寂しく死んじゃったそうな。こんな人間にならんように。人には親切、決して人を騙すような事はしてはならんのじゃで。その時はよかったと思っても、悪い事はぜ〜んぶ自分に返ってくるんじゃからな、、、。」
腹立たしい限りです。失礼しました。
本部員の連中やバリ天どもも余程のバカでない限り現状は把握できているち思いますよ。わかっていても何もできないし、馬鹿な後継者に何もいえない。このまま滅びゆくのを見つめていることしかできない。大亮は頭が弱いから現実が分からない。善亮の子だから頭の構造が親父と同じ。
全国の教会をまわってみろよ。
天啓者を追い出した時点で中山教
昭和の時代別席で「不足を思うだけで助からない」という話をしている時点でインチキだと。何と信者を馬鹿にしているかと。今や真柱の身上も助けられない。コロナ防止にも役に立たない。何処の教会も全く不思議な助けがない。末端教会長どもは真柱亭の前で深々とコウベを垂れ、この中は畳がぶよぶよで質素な生活だと感動している。でも善衛は東京に行く度に銀座の馴染みの店で豪遊。正善なんかもっと非道い。中学生を夜伽。さすが秀司の生まれ変わり。
真柱家は質素倹約してますよ〜といくら取り巻きがフォローしていましたが、パーフォマンス以外の何物でもないです。大正4年の以前から信者のお金を溜め込む根性、その心根は断ち切られるどころか、連綿と現在では善亮に繋がっています。彼らは密かに隠し大金を持っているのです。
私の先輩の祖父が東大で正善と同級生でした。正善のふざけた話し(主に金について)をよく話してくれていました。
>>天理教のウイルスは感染力を弱めほぼ終息すると思います
素晴らしい例えですが、
うちの両親の「深刻なバリ天脳症」はどうしたら治癒するのでしょうか? 笑
何か特効薬はございませんか? 笑
死ななきゃなおらない?笑
天理教で一番いらない組織は婦人会だと思うの
皆さんは天理教がどうのこうのと、色々言われているのですが、他の宗教を見ても、同じじゃないでしょうか。
「日本には、現在、贋(ニセ)天啓者や贋予言者や、神の贋代理者が多くて、しかも、おのおの迷える羊を集めるようにして、宗教団体をつくっている」 (芹沢光治良<神の慈愛> P, 216)
「人々は物質的には豊かにみえても、心は飢えて動物よりも貧しい」 (同上 P,217)
これでは、ちと寂しいんで、どこかに清楚なところはないかと探してみるのですが・・
「さびしさに天理の門を立ち出て見れば いずこも同じカネをくれ暮れ」 (←百人一首のパクリ)
このさびしさは、何か、人がいないというさびしさなんですよ。宗教だ何だと言う前に、各個人がまず人としての温かみというか、人間らしさを備えることが大切なんじゃないかと思ってしまいます。
芹沢先生の晩年の作品、神シリーズの、特に<神の慈愛>などには、ペテン師やらニセ牧師やら、そらもう、魑魅魍魎(ちみ・もうりょう)(←カンタンに言うとバケモノ)が、ふんだんに出てきますよ。
「婦人会死すべし」さん、
布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
[天理図書館職員]様
布恵さんが南米の教会に住み込まれていようが世間知らずでなかろうが一女子に伏魔殿代表格の婦人会を変えることなんか絶対にできません。夫である大亮氏も奈良教区修理人に就任した際、御礼は無用と公言し、改革しようとしましたがたちどころに潰されて結局お供の御礼まで決められてしまいました。有名な話です。だいたい布恵様とか大亮様とか大教会長様とか様付忖度はやめませんか。
違うの違うの
歴史を見てもわかるように女に権力を持たせたらだめなの。国が崩壊してしまうの。
婦人会の理不尽さ、無理難題を押し付けるがめつさ、傲慢な態度、若者に対する横柄な態度とかは本部勤務者、大教会は教会青年の人なら知っているはず。
あの人らに発言権や決定権を持たせたらいけないの。
婦人会はいらないし、あったとしたらもっとサポート役でいるべきなの。
例として私の姉は婦人会で勤務していた時に上からのパワハラで病んでしまって、現在5年間も精神病院にいるの。
当時パワハラしてた人は未だに「あの子は伏せ込みが足りない。メンタルが弱い」などと周りに言いふらしてる。
婦人会の役員達は自分等の時代はもっと厳しかった。だから若者も一緒にするべきだと言われている。
老害と売れ残りのおばんが多い本当にこの世のゴミ箱みたいなところなの。
違うの違うの
歴史を見てもわかるように女に権力を持たせたらだめなの。国が崩壊してしまうの。
婦人会の理不尽さ、無理難題を押し付けるがめつさ、傲慢な態度、若者に対する横柄な態度とかは本部勤務者、大教会は教会青年の人なら知っているはず。
あの人らに発言権や決定権を持たせたらいけないの。
婦人会はいらないし、あったとしたらもっとサポート役でいるべきなの。
例として私の姉は婦人会で勤務していた時に上からのパワハラで病んでしまって、現在5年間も精神病院にいるの。
当時パワハラしてた人は未だに「あの子は伏せ込みが足りない。メンタルが弱い」などと周りに言いふらしてる。
婦人会の役員達は自分等の時代はもっと厳しかった。だから若者も一緒にするべきだと言われている。
老害と売れ残りのおばんが多い本当にこの世のゴミ箱みたいなところなの。
きお
>>だいたい布恵様とか大亮様とか大教会長様とか様付忖度はやめませんか。<<
天理教階層制度の一端を表すものですね。いつまでも「皇室ごっこ」は続きません。
じゃあ、今の会長さんでは駄目なんでしょうか。根はもっと深いところにあるように思うんですが。要は、教団の在り方ですよ。例えば、田舎では若い人が居なくなり教会自体が維持できないんです。
組織全体の在り方が問われています。教会制度が最大のガンでしょう。ガンとは矛盾した存在なんです。ガンがはびこり宿主の死と共に組織も亡くなるのです。婦人会も青年会も各種委員会もガンなんです。
宗教には唯一、正しい教理があればいいだけです。
婦人会の中も上下関係があって、力のある大きい大教会関の奥さんは横柄が出来、弱小大教会の奥は分際をわきまえて控えめにしておらざるを得ない。出る杭は打たれるので。ここはイジメの構造です。
何が婦人会総会ですか?払いたくもないお供え金なのかお祝い金なのか?そんな忖度金を払わされました。年間200円の年会費なのに10000円も払わされています。50人分です。うちはまだ良心的で、知り合いは40000円だと言ってました。200人分だと憤っています。教会長不在の教会で近所に住む数人の信者が草取りをしていて日頃は鍵のかかった教会です。この金額の違いは大教会の胸三寸でしょうか?
全国から 慣例的に取られる高額な年会費で本部婦人会のボスが幅をきかせて会議だ忘年会だ慰労会だと事あるごとに会議費名目で湯水の様にお金を使っているのでしょうね。
コロナで教会が逼塞して行く中、誰かが声を上げなければ、鍵で締め切られた信者2、3人の教会から200人分の年会費が理不尽に搾り取られる現実を変える事は出来ません。小さな声でも皆んなであげていきましょう。
>>何が婦人会総会ですか?払いたくもないお供え金なのかお祝い金なのか?そんな忖度金を払わされました。年間200円の年会費なのに10000円も払わされています。50人分です。うちはまだ良心的で、知り合いは40000円だと言ってました。200人分だと憤っています。教会長不在の教会で近所に住む数人の信者が草取りをしていて日頃は鍵のかかった教会です。この金額の違いは大教会の胸三寸でしょうか?<<
天理教の救いようもない病理です。癌のようなものです。早期発見して全摘出しておけば、大事には至らなかったと思いますが、もはや手遅れです。
5月4日から5回に亘って紹介した昭和10年現代公論社発行「天理教の秘密をアバク」。その元ネタと思われる新聞記事を発見したので、紹介しておきます。これは、この本が小説のようなフィクションではないことを証明するものと思います。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事
大阪毎日新聞 1935.12.17 (昭和10)
管長の所得が何処まで曝される?
底知れぬ財団の巨財
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10067782&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
こーゆーものを、いくら見せられても、バリ天の人達は宗教弾圧のための警察のデッチ上げだとか言うのかもしれません。オウム真理教の強制捜査が始まったころ、TVカメラの前で「警察がサリンを作ってオウムに罪を着せたんだ!」と、叫んでた若いオウム信者みたいに。
「皇室ごっこ」というワードがぴったり
大亮さんも皇族になったようなつもりで、自分の子供の顔は世の中中の人が拝みたいはず
ありがたくて喜んでお供えを増やしてくれるかも、とか
皇族のお子様はお顔を隠してはいらっしゃらないから自分の子も!と思ってSNSにさらしてるのかも
おめでたすぎるんですけど
天理図書館職員 様
≪ 布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
≪ 南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には
≪ 絶対ならないと信じています。
スペイン語が堪能で南米の教会に住み込んでいたことは知りませんでした。
それは天理の学校で学んで婦人会から派遣されたという事ですか。
これが例えば個人の力で志をもって南米に出かけたというのであれば素晴らしいですが、
単に教内のレールに乗っかっただけの事じゃない?
不祥事を起こして逃げ帰らなかっただけよかったとは言えますが。
今更鬼の首をとったように書きつけるのも虚しいのですが、学歴・教内経歴がその人の真価とリンクしていると、いまだに考える人がいるのにあきれます。
天理教が手本とする皇室を引き合いに出せば判りやすいですね。
今の皇后は自分の実家の文化を物差しにして皇室の伝統から背を向けて、長年にわたり自分の勤めをおろそかにしてきました。雅子皇后のファンが言うように素晴らしい人ならば、病気療養の間に短歌の一つでも学んでいればよかったでしょう。才能が無くても希望すれば立派な先生にいくらでも師事できる環境なのに、しなかったから正月には残念な作を披露しました。いずれ皇后になるのであれば病気でもできたことですが。
結婚前には語学力と海外生活経験と外務省勤務を「売り」にしてきました。
引きこもりの療養後、ひとたび皇后の地位を得ると、あっけらかんとした笑顔を振りまき、病気はどこへ?と、国民は唖然とする状況。これは巷の噂通り、前の天皇夫妻の事を嫌っていただけのことか・・・。
前の皇后も語学力、その他の能力は高い水準の資質を持ちつつも、苦悩の中でも努力され、勤めを果たしてきました。
その苦労を超えて責任を果たしたからこそ国民から愛されてきたのでしょう。
大亮夫妻は結婚資金を自力でねん出しましたか?
お供え金を結婚資金に回してよいのかと、少しでも考えましたか?
多くの人々の時間と労力の犠牲の上で成り立った一連の披露行事にためらいはありませんでしたか?
天理のレールに乗っかって、信者のお供えで勉強させてもらった高学歴の人々は、「自分には選択の自由が無かった。」「天理教をやってやっている。」とばかりの言いぐさで開き直っていませんか。
選択の自由がなくても食べていかれる、高等教育を受けられる、趣味の時間が持てるなんて、うらやましい限りです。貧乏人には選択する以前の生活権すら危ぶまれる日本社会なのですよ。
選択できる幸せなんていうものは言葉遊びレベルの苦労知らずの人の考えです。
信者は心の中で、突っ込みを入れまくって話を聞いたり、文章を読んで冷笑しています。
ネット社会のお陰で、隠していた面が表に現れた結果が現状なのです。
本部の婦人なんて自己満足と高慢の巣窟じゃないですか。
婦人会解体!大賛成。
青年会解体!大賛成。
包括関係解体!大賛成。
信者の教会所属の自由変更!大賛成。
教内の関係性をロックに地ならし、平らな存在にし、各教会ごとの独立採算。
その前には、
本部財産整理に、公平かつ能力のある信頼できうる人たちが任意あたり、情報は明瞭に公開し、地域ごとに審議されるような検証を経て、清算することが望ましいと考えます。
⚡どうじゃぁ! かなめ会の面々よ! 忖度している場合じゃないぞ!
お供えに依存・期待する生活はもう、成り立たないことがわかったら、直ちに動きなさい!!!。
ふ~っ、疲れた・・・。
どうせバリ天には理解できないだろう。
金が無くても、神様が助けてくれますよ。きっと。
だから、お供えお供え叫ばずに、人助けしましょう。
生活が安定している方、経済的に問題のない方、心身共に健康な方を支える必要は無いです。
困っている、苦しんでいる人々を助けましょう。
上っ面、外面を綺麗に取り繕っても、いずれは剥がれますよ。剥がれても良いように内々を治めておきましょう。
高いところにいたら、低いところにいる人は助けられないですよ。
歩み寄り、理解しようとする姿勢、そして、本人が助かったと思える結果が得られるまで頑張りましょう。
神の物差しという言葉で誤魔化すのはやめましょう。
>>ふ~っ、疲れた・・・。
どうせバリ天には理解できないだろう。<<
その通りです。何を言ってもバリ天には理解できないのです。しかし、バリ天以外の読者には十分、伝わっているはずです。バリ天以外の若い読者の皆さん! くれぐれも、馬鹿げた宗教に騙されて、人生を棒にふらないようにしてください。ぶたまんさんがおっしゃているように、天理教だけがどうのこうのと言われるものではないと思います。宗教に限らず、世の中全体が狂っていると思うことが多々ありますが、若い読者の皆さんは、何が正しく、何が間違っているか、何が人類の幸福につながるか、森羅万象にわたってしっかりと判断し、自分の意見をしっかり発言できるように、これからの長い人生、しっかりと勉強を積んでいってください。
天理図書館職員
2020年5月21日 8:20 AM
なんとも御心酔されていると察します。ご自身の勝手なのでよろしいですが結果がそうなるとは確実にはいえません。それに天理図書館職員?かどうかは知りませんが教団組織から給料をもらっている以上あなたも洗脳されていることに気が付くべきだと思います。天理教は今教祖の教え通り本当に天理教を信仰しているのか?と
最近TVや新聞でも取り上げられている中国のウイグル自治区の再教育施設と名ばかりの強制収容所を見て教団関係者は感じるものがあるはずです。それはまるで教団施設の様だからです。そこでは中国共産党による強制教育が成され、反抗するものは処罰し酷いと死刑です。人種迫害問題としてナチスドイツ以来の大事件になっています。
中山家体制を維持すべく中山家が何をしてきたか?近年起きた事情身上を見れば明らかです。
盲目しモウロクしているより、図書館職員ならもっと重要な文献を読み中山家の過ちに気が付きいち早く自身と家族を守ることを考えた方がよろしいです。
中国の「思想改革」収容所 「犯罪予備軍」を教化ご心酔
https://www.youtube.com/watch?v=ojedxXPFKEc
>>図書館職員ならもっと重要な文献を読み中山家の過ちに気が付き
いち早く自身と家族を守ることを考えた方がよろしいです。
教団から給料をもらっている人間は、
現教団を擁護することこそが、自身と家族を守ることになるでしょうから
過ちに気付いたとしても、見て見ぬふりをするのが精いっぱいでしょう。
>>教団から給料をもらっている人間は、
現教団を擁護することこそが、自身と家族を守ることになるでしょうから
過ちに気付いたとしても、見て見ぬふりをするのが精いっぱいでしょう。<<
正直、その通りだと思いますが、天理図書館の職員さんご自身やご家族の保身はともかくとして、この掲示板に無責任な投稿をすることにより、不特定多数の読者が謝った方向に誘導され、最終的に読者自身やご家族、その他親戚縁者等にも被害が及ぶことを重々認識され、天理図書館の職員さん自身の意見なり思いを投稿されるべきだと思います。この掲示板を読んでいるのは、現天理教擁護派ばかりではないことを、くれぐれも、お忘れなきようにお願いします。最も被害を被るのは、現天理教を信奉している若き信者達です。
若き信者さん達へ、たった一度きりしかない人生です。くだらない宗教に騙されて、一生悔いが残ることのないようにしてください。私自身からのお願いです。
>>天理図書館職員 2020年5月21日 8:20 AM
>>布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
スペイン語が堪能だから「世間知らずな奥様」には絶対ならない
南米の教会に住み込んだことがあるから、「世間知らずな奥様」には絶対ならない
なんなのこの短絡的かつ幼稚な推測。笑
ご愁傷様です。笑
南米アルゼンチンに行っておられたのは確かですが数週間です。
住み込んだと言うのは誇大解釈です!
正しい情報を流して欲しいですネ!
天理図書館職員
2020年5月21日 8:20 AM
>>布恵様が会長になられたらきっと変わります。スペイン語が堪能ですし、
南米の教会に住み込まれたこともありますから、「世間知らずな奥様」には絶対ならないと信じています。
あなた図書館職員にしては理解不能な文章をお書きになられますね笑 グーグル翻訳ですか?笑
「布恵さんはスペイン語が堪能なので世間知らずではありません?」ちょっと意味が分からないです。
「布恵さんはスペイン語が堪能なのでアルゼンチンに彼氏がいます。」この例文の方が文章としては理解できます。
宗教を妄信する人は誇大妄想が強いですよね。まるで精神に問題がある方の文章みたいです。今時の若者でもそのような飛躍した文章は書きません。
鰯の頭も信心から
こうあって欲しい、こうでなくては困る、自分の想像や思惑通りの形にならないと辛いから、事実を自分の都合の良い形に変換して受け取る。
自分が信じ、時間と金を費やしたことが、思ってたんと違う!いや!そんなはずは無い!視点を変えて見れば…そや!受け取り方次第でどうとでもなるんや!
良心や引き返し難い心理につけこまれる信仰者達。
どこまで突っ走るのか、いつまで変化を待ち望むのか…
教理と組織を切り離して、割り切って考えることの方が建設的。
能力や実績が伴わない人事、自浄作用も無く批判されても変わらない、変えられない御都合主義で走り続ける狂気の沙汰。
原動力は信者の金と人足。
ああこわいこわい
天理図書館職員 様
現役の頃の職場における上司との会話は、顔が合うときには次のようなものでした。
私(係長):専務、おはようございます
専務:おはよう
私:(疲れ気味の専務に向かって)今日は体調どうですか
専務:有り難う。まぁまぁだね。ところで君は?
私:有り難うございます。お陰様で・・・
専務:そうか、頑張ってくれよ
私:しつれいします
課長、部長、事務局長や常務に対しても顔が合えば同様のあいさつで終わりましたが、通常は、おはようございます、おはようで終わることが殆んどでした。
天理教は違うんです。長々とコメツキバッタのように何度も何度も頭を下げての挨拶が続く。だから、妹婿が初めて教会に行った時の挨拶の長さに閉口して二度と教会に行きませんでした。
日常生活の中でのえもいわれぬ堅ぐるしさの根源は何に由来しているのでしょう。
布恵さんは、そのような雰囲気の一つでも解消してくれるのでしょうか。多分、どこかの教会に行けば、長々とした挨拶が続き、帰りがけには数十万円単位のおカネが入るだけでしょう。
もう、このような組織はさっさと壊れればいいだけのことです。
昔、火鉢の炭の火を消さないようにうっすら灰をかけて保っていましたね。埋み火と言うらしいです。
この場に寄って下さる天理教に苦しめられている人たちは正に埋み火の状態ですね。灰から上に出し、息を吹きかけるだけで赤く燃えてきます。それなのに、息という風ではなく、水をかけて消してしまった人も数え切れない程居られたでしょう。 怨念だけを残して、、
今、コロナが少しずつ鎮まりかけてきた頃に文春砲が炸裂です。やってくれますねえ。天理教の問題など美味しくも何ともないので文春は相手にしてくれないでしょうが、サンデー毎日なら何とか、、
もうすぐ梅雨の季節です。これ以上カビが増殖しない様に風を通さないといけません。一人の風は弱いけど、多勢の、それも怨念のこもった風は台風並みになるかもしれません。
>>もうすぐ梅雨の季節です。これ以上カビが増殖しない様に風を通さないといけません。一人の風は弱いけど、多勢の、それも怨念のこもった風は台風並みになるかもしれません。<<
雨だれも石を穿つかもしれませんね。
政府の機嫌を取りつつ、海外布教を狙ったのは満洲だけではなかったようですね。見出しを見たときは一瞬、人身売買かと思ってしまいました。
>>大阪毎日新聞 1936.6.26 (昭和11)
花嫁七千人の注文
邦人活躍の比島から
天理教本部で一肌ぬぐ
大和丹波市天理教本部へフィリッピンから花嫁七千人の”注文”のあった話—常夏の国フィリッピン群島ダヴァオ市附近には現在一万四千余の邦人市民がマニラ麻裁培に従事刻苦精励の結果農場を経営しているものが多いが、事業の関係と同島には年ごろの婦女が少いために独身生活をつづけ単身奮闘している現状にあるので同地の天理フ教ィリッピン教会長本宮寛、ダヴァオ教会長塚本義輝の両氏はこの家庭愛に恵まれぬ同胞のために適当な配偶者を斡旋しようとかねて計画中であったが、このほど右花嫁七千人を天理の教信徙で二十歳以上三十五歳までの身体強健、志操強固の婦人のお世話を願いたいとの申込があったので、同教本部では移民国策の上から見て邦人の壮挙を全からしめる国家的事業であるとし、全国各教会信徙に対し花嫁募集のために力瘤を入れることになった(大和丹波市発)<<
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10024924&ENGINE=IMAGE_FILE&POS=1&LANG=JA
訂正
誤、──(同地の天理フ教ィリッピン教会長本宮寛)
正、──(同地の天理教フィリッピン教会長本宮寛)
>>このほど右花嫁七千人を天理の教信徙で二十歳以上三十五歳までの身体強健、志操強固の婦人のお世話を願いたいとの申込があったので、同教本部では移民国策の上から見て邦人の壮挙を全からしめる国家的事業であるとし、全国各教会信徙に対し花嫁募集のために力瘤を入れることになった<<
フィリピンは敬虔なカトリック教徒が多いので、日本の訳のわからない新興宗教の募集に対して、どれぐらいの応募者があったのでしょうか? おそらく少なかったはずです。移民国策で日本の人口を増やし、やがては兵力として使おうとしていた日本の軍事体制に迎合し、日本の国に取り入ろうとする教会本部の考え方ややり方は、到底、宗教と呼べるものではありません。
これは、日本からフィリピンへ天理教信者の女性を送るという計画ではないですか?
御供え地獄で生活の破綻した大量の女性信者を、国内から厄介払いし、海外で布教させ、おまけに政府にも取り入ることができる、一石三鳥のアイデアと考えたのでは?どこまで本当に任意の募集だったかも怪しいものです。行けと言われて、信者は逆らえませんから。
参考意見
2020年5月22日 4:32 PM
政府の機嫌を取りつつ、海外布教を狙ったのは満洲だけではなかったようですね。見出しを見たときは一瞬、人身売買かと思ってしまいました。
これは移民政策で、いうなれば労働者確保の体の良い人身売買です。戦前には多くの日本人が移民として各地に送られました。満州、北米、南米そしてこのフィリピンでしょう。「土地をもらえ豊かな生活が送れる」等のスローガンを掲げられて各地に移住したものです。満州は日本の傀儡国家でしたので比較的裕福でしたが、日本軍敗戦と共に本土帰還時に中国人朝鮮人韓国人からの虐殺にあったり大変だったようです。北米では第二次世界大戦に入り、日系人は強制収容所に入れられました。南米はブラジルに多くブラジルでは土地はもらえましたが原生林が生えたジャングル等で開拓でやっとだったそうです。
似たような事例で言いますと、北朝鮮の帰還事業も「このようの天国北朝鮮」と騙されて帰国してほとんどが強制収容所行きです。
移民の歴史には、欧州では侵略の歴史があり、東洋では奴隷や労働者としての歴史が多く見られます。最近ですと中国の移民では各国を経済的政治的に侵略している節が見て取れますので大変危険です。
「おもどし(お戻し)」と言う言葉で、他法人(部内)の土地を未だに収奪している中山本部体制はやはり終焉を迎えてますね。おもどしでなく「おしゅうだつ(お収奪)」と言うべき事態でアホかと思いました。コロナなど経済的に困難な中すべき政策ではないと誰しも思う事態本当にアホなんだと思います。
今現在日本でも、コロナ騒ぎに乗じて検察庁長官問題が話題になり成りましたが本当目的は公務員の定年延長です。この件で、自民党が!安倍が!と言うが多いみたいですが、与党も野党もどちらも官僚に踊らされている。この真犯人は実は官僚なのですよね。
教団で言えば官僚とは本部員本部員のほとんどが中山血族なのでこれはとんでもない独裁体制であり独裁体制を超えた、権力で労働者階級を押さえ、外国に対しては侵略政策をとる独裁制「ファシズム」であろうと推測できます。現に本部員を血族で固め、大教会分教会以下各地の教会を中山本部員体制で押さえ、余った土地を収奪している。これはファシズム以外の何者でもない。「ナチス中山」と言っても過言ではないです。
いち早く中山ナチスのファシスト体制を打倒すべく、各協会中山家以外が結束して、お供えをもっと減らすべきですね。
満洲移民に関しては資料が豊富ですね。本部のエライ人が、何やら得意げに新聞で語ってますが、昭和9年といえば脱税事件の前の年ですね。ここの資料は、コピペ可能なのは有難いけれど、何故か伏せ字だらけ。やはり現存の団体をフルネームで出すのはヤバいのかな?
>>大阪朝日新聞 1934.3.19 (昭和9)
信仰移民 天理教よく山東移民を同化するや
天理農村について、本部役員、同青年会の重鎮松村義孝氏は移民計画の精神を語った。
御教祖五十年祭、立教百年祭の二大年祭に奉仕した時、偶々、満洲事変と、その結果東洋平和の為め興った満洲国の建設は、全日本人をして今や日本が重大なる立場におかれつつあることを強く意識せしめたのであります。
新興満洲帝国は実に五族協和の王道楽土の実現を建国の精神となす故に、我々日本人は満洲国と協調し、同時に大和民族の大陸進出を策し、更に大いに亜洲亜民族の為めに貢献し海外雄飛の大使命を達成せしめねばならぬのであります。
顧みて本教に於ては、事変に先立つこと一年前より両御年祭の活動の万針の一として人類の更生、日本人の更生が叫ばれていたのであります、本教の海外伝道の一助として、他面祖国日本の生命線確保の為め、君国貢献の念願を以て青年会の大事業として、満洲移民の計画を提議し、昭和七年六月一日の常務委員会に於て協議の結果その具体的計画を樹立すべく、同年暑中休暇を利用して実地調査班を派遣することに決定したのであります。
かくして更に第二次調査第三次と回を重ね、今日の実地調査が大体最後のものであると思います、我々はこの調査を携えて、常務委員会に計ることにいたします……
と酷寒零下四十度北満の曠野にあって松村義孝氏は確信の色を顏に浮べつつ、力強く物語った。
農村移民と一口に言うが、移民は決して捨子ではない、尊い遠大な使命がある、而し北満には皇軍の活躍があり景気はよし、事業はドンドン起るから、資力なくとも裸一貫で飛び込めば何んとかなるよ、その意気が第一必要だよ、なんて考えてやってくるのがほとんどのらくら者である、どうしても資力は必要だ、それよりもあの力強い伝統と信仰に生きている山東移民とそれから自然の酷寒と太刀打ちするには、何によりも信仰が第一で、満洲伝道廰長深谷 コ郎氏に、天理農村の信条について聞くと同氏の顏にサット血色を帯びて一文字にギュット締った口は容やかに開いた……
従来移民事業が行はれたが、余り成功したものが少く誠に困難な事業となされ、時によれば不可能とさえ云われています、即ち感情の衝突、利益分配上の不平、待遇の不平等種々の問題が起ったり、又よく働く勤勉な人もあり、また怠ける人もあるといった状態で経営困難に陥ったようであります。
一般に困難とされている人の問題ですが、これは本教の信仰を有するもののみが一致団結してやれば必ず成功すると信ずるのであります。寧ろ他に於て困難とされていることを、吾々は「ひのきしん」の精神を以て如何なる困難も排撃して一手一つの心に結び合って行けば必ずここに立派な理想的天理農村を建設し得ると信ずるのであります。
我々の計画する移民事業はその企図小なれども、小さくとも曾て成功した事のない困難な事業を天理教青年会に於て実行し、ここに理想的農村を建設し得たとするならば、その貢献する処は決して少くない、引いてはこれが国家の為めに幾分なりとも御奉公申上げることが出来ると信じたのであります。
一、移民の資格
天理農村移民資格は天理教青年会員で授訓者、既教育在郷軍人で年齢二十三歳以上三十五歳以下の普通小学卒業以上の者で、満洲永住の決心者で信仰も身体も強壮で有配偶者であり、農事経験者か手職ある者に限っている。
一、壱戸当り割当面積
水田参町歩、其他五町歩で外に宅地、路、学校、教会、墓地、病院、農事研究所、倉庫其他潰地が一戸当り二町歩の割で計十町歩。
一、所要資金
資金は総て天理教青年会より貸与し、渡満第五年度より年賦償還せしむ、償還完了を待って住宅土地を移民の所有に移し独立自作農とする、但し一切金利を附せぬ。
一、所要資金貸附 壱戸当り
(A)固定資本 二、五七九円
(イ)土地 一、五五九円
土地買収費 一、一三九円
土地改良費 四二〇円
(ロ)造営物 七二〇円
住家(支那式三間房子壱間当り一三三円) 四〇〇円
倉庫兼苦力舍 一〇〇円
廐舍 五〇円
豚舍 二〇円
井戸(貮戸共用) 五〇円
共同設備 一〇〇円
(ハ)什器(農具概算) 二〇〇円
(ニ)家畜 一〇〇円
耕牛 六〇円
種豚(牝二頭牡一頭) 四〇円