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- 天理教次期真柱の結婚披露パレードが不評だったワケ 幸福の科学化する天理教はそろそろ人助けの看板を下ろした方がいい
- 天理教の象徴である甘露台の倒壊を「ただただ申し訳ない」と謝罪する内統領山澤廣昭氏が何に対して謝罪しているのかよく分からない。そんなに責任を感じて謝るなら辞任した方がよいのでは
- 天理教災害救援ひのきしん隊(災救隊)を政府や国民が特別視してはいけない理由
- 天理教に献金しないと命がなくなる!? 天理教表統領中田善亮氏の発言は恐喝罪、詐欺罪に該当するか 天理教本部、教義を曲解し犯罪集団へ変質
- 天理教を信仰する若者には未来がない
- 文書活動の低迷は天理教の知的劣化か
- 天理教の里親政策がとても重要な懸念を孕んでいるわけ
- 震災支援 天理教が集めている募金は適正に管理され使途不明となっていないかー東日本大震災を参考に
- 天理教のシステムでは有能な者は育たない 学識のない教育者たち
- 天理教に参詣する政治家たちと天理教の「法律を恐れるな」という反社会的姿勢
- 天理教の勧誘と集金はノルマ制である。なぜ天理教はそこまで金が必要なのか、それを説明できなければ全てが嘘っぽく聞こえる
- 天理教の問題は、一部の人間の問題か、組織の問題か
- 天理教維持財団という組織について 天理教が投資で大儲け&大損しているという噂を信じるか信じないかはあなた次第だ
- 天理教の雑収入4億6千万円はどこからきているのか いずれ宗教法人の透明性を問う時期が必ずやってくる
- 信者の自主性を偽装した集金方法を今も採用している搾取の天理教
- 天理カレーを食す
- こどもおぢばがえりも参加人数は減少している
- 天理時報の偏向記事から 天理教幹部の視野の狭さが若者を潰す 高齢者には退場していただこう
- 天理教の憲法解釈は危険思想か 天理時報6/28第4433号の「視点」から
- 天理教信者になるための通過儀礼「別席」を最後まで達成できるのは半分以下というサバイバル
- 天理教の幹部はお金持ちなのか ぼちぼち結論にしよう 奈良県高額納税者一覧から見る天理教幹部の収入
- 次期真柱(天理教トップの後継者)は天理教をワクワクさせることができるか
- 30年前に頻発した天理教の不祥事。教勢拡大は、不祥事に繋がるジレンマ。天理教幹部による8000万円脱税事件の背景。
- 天理教の財政的変遷 -天理教本部に集まるお供え金は2013年は126億円だが、10年ごとに約50億円ずつ減少している-
- ポスト130年祭の天理教はやはり衰退を止めることができなさそう
- お正月のお節会に参加したことのある政治家と、著名人を利用する天理教の戦略
- お正月に天理教本部でお餅を食べる行事「お節会(おせち)」の社会学的考察 -お節会開催中に土日が入っていれば参加者は増える-
- 権力者の脅迫行為には徹底的に反対する。
- 天理教の衰退と歴史的変遷を数字で表す 文化庁の宗教統計調査から
- 来年の天理教教祖130年祭に向けて 心が大事と言いつつ、要は数字ってこと
- 天理教の言っていることが理解できない怒り
- 人権意識の低い大教会長は糾弾されるべきである
- ↑自由投稿コメント欄を設置しました
- 天理教「こどもおぢばがえり」に行ってきた
- 天理教のハッピを着た人間が従軍慰安の国連人権委員会で、日本への謝罪を求める発言をしたという件について
- 三代真柱の死去に思う天理教の暗い未来
- 二代真柱と嘉納治五郎に泥を塗った天理大学柔道部の暴力事件の根深さ
- 天理教からの防衛の仕方 親の思いという暴力性
- 天理教に人権を語る資格はあるのか
- 北朝鮮とローマ法王と天理教と
- 天理教人の甘えの構造
- 良い天理教人の見分け方 「助からない」と言う天理教人には気をつけろ
- 自殺対策における宗教の役割
- 体罰と組織の開放性について
- ある天理教教会の寂しいお正月
- 命に対する慎みのなさ
- 天理教は衰退を止めることができるのか
- 皆にやさしい天理教の思考力低下
- 義援金の使途について
- 天理教を信仰することのメリット
- 天理教青年会総会に行ってきた
- 週刊朝日の事件に思うこと
- 植田義弘著「中山みき 秘められた大預言」発売記念に寄せて
- 久しぶりに天理時報を読む
- 青年さんは運転手
- 要するにお金ってこと3
- 要するにお金ってこと2
- 要するにお金ってこと1
- 天理教が考える、メディアへの成熟した考え方って何ですか?
- こどもおぢばがり
- しばらく宗教的人権をテーマにしようと思う
- 天理教のリアルな一部
- 色々な人がいて当然なんだけど・・・
- 若者の気持ちなんて分かりはしない
- 情報発信と天理教の苛立ち
- 生命倫理をちゃんと考えているとは思えない
- 原発再稼働に対する天理教の沈黙について
- ぜんぜん伝わっていない縦の伝道
- 天理教と生活保護
- 天理教と足
- 天理教の構造 かしもの•かりもの編
- 天理教の構造 ひのきしん編
- FLASH 5/8号 東日本大震災と宗教
- 論じることと、行動すること
- 天理教が把握していない被災地支援が多くある
- 天理教人は、あらゆることに不満が多い
- 信念を持つことと社会に逆行することは全く異なる
- 自己点検を機能させ天理教を前進させるためには
- 美しい高校野球の闇
- 布教の行動特性について
- グローバルとは何か
- 天理時報が届かない
- マインドコントロール(洗脳)について
- お金について つづき
- お金について
- 「ステマ問題」から見えるもの から見えるもの
- 誰も止められないインターネットという波
- 自由からの逃走
- 業務連絡
- 「今さえ良くば、我さえ良くば」というピットフォール
- インターネットは信頼性が低いのか
- 天理時報4264号視点「信仰者のリテラシーとは」は自由社会に対する挑戦である。
- 天理スポーツの教団的機能
- 天理教人のバランス感覚が試されるとき
- 理の親について 付け足し
- 今年最後のウエルカムバック!
- そうだ、天理へいこう。
- 天理時報がしっくりこない理由
- 天理教が最も嫌いな相手を支援するということ。
- 理の親 再考 結
- 理の親 再考 下
- 理の親 再考 中
- 理の親 再考 上
- 厳しい大教会の目的とは
- 信仰の上下は人間関係の上下
- 信仰的格差について
- 売られたケンカは買いません
- 誰にとっての行為か、誰のための行為か。
- いつも直前に言われても・・・
- 安全地帯にいるという大きな壁
- 天理教というヤクザ世界
- 無縁社会について天理教では語られない大切なこと
- 天理教と悲観論
- 最近の私と天理教の接点
- 「集会」の原則は満場一致って・・・?
- 突然、天理教の教会が消える日
- 私が私であるための文章
- いかに信仰動機を駆動させるのか。
- コトバはなかなか届かない
- 社会における天理教の役割を考える人は誰か
- 全部好きなんて、そうは問屋が卸さない。
- こどもおぢばがえりの音楽と信仰の系譜
- こどもおぢばがえりに行ってきた。
- 本日、こどもおぢばがえりに行ってきます。
- 今年も「こどもおぢばがえり」がはじまる
- 中立・公平な報道などありえない
- 天理教の異文化理解と自民族中心主義
- ひのきしんの熱意は冷めた?
- 天理高校野球部の不祥事について。これで最後。
- グローカル天理7月号
- 天理教の家族観から見えてくる天理教の限界
- 天理高校野球部の不祥事について。
- 「信条教育」を「効率」で語ってはいけない
- 信条教育は学歴で賄うことができるのか
- 天理教に2つも大学が必要なのか。
- 不満の溜め方
- 天理教幹部内での見解の相違はあるのか
- 宗教家が非現実的な夢想家であることについての整理
- 原発反対活動をする天理教人について
- 天理教における修業的鍛錬とは何か つづき
- コメント欄について
- 天理教における修業的鍛錬とは何か
- 言葉の温度差
- 教義の学問的証左
- 天理教から原発を見る
- ちょっとまってね。原発の見方。
- 天理教は人災をどう紐解くのか
- 災害救援ひのきしん隊のブログとその他
- 天理教と情報統制について
- 教義の幅について<追記>
- 教義理解の幅について
- 神が多い理由
- スパイや工作員には憧れるけど・・・
- 陽気ぐらし達成の世界を想像する
- 生きる意味
- 言葉と実践
- 天理教において震災は天罰か -災害を神からのメッセージとする危うさ-
- 理の親は不要か
- 天理教と日本文化とフライデー
- CNNの天理教紹介記事の意訳
- 天理教をフライデーする
- 天理教の視点
- 備忘
- 門戸を開き続けることの意味
- 真柱、被災地へいく。
- なかなかすすまない被災者受け入れ
- 天理教災害救援ひのきしん隊の新聞記事
- 天理教本部で祈る。
- 被災者が信者であるか、非信者であるか
- 支援はあるものの中から行うべきである
- 神の真意を想像するのは後回し
- 被災地にとってよそ様な天理教本部
- 地震という外側
- 被災者受け入れのトラウマ
- 詰所にて被災者受け入れを開始
- 地震の支援の目的
- 天理教の地震支援が本格始動したようだ
- 行政支援の難しさと、宗教支援の当たり前さ
- 被災者の西日本疎開計画
- 天理教災害救援隊に期待します。
- 祈り
- 東北地震について
- 宗教法人への風当たりと、かなめ会という俗物
- 現代日本社会を最悪に評する天理教
- 天理教の見方、考え方
- 神は死んだ さてどうする天理教
- 神は死んだ、我々が殺したのだ
- メディアリテラシーと八百長
- 世界ろくじに踏み均せという神の真意への誤認
- 構造主義から天理教を観る④
- 構造主義から天理教を観る③
- 構造主義から天理教を観る②
- 構造主義から天理教を観る①
- 天理教を精神分析する(教養編の続き)
- 天理教を精神分析する(教養編)
- 天理教建築再考
- お節会に行ってきました。
- あけましておめでとうございます。
- 師もまた走る
- 宗教を語り合う危うさ
- 落し物と探し物
- 他宗教への理解が、天理教の価値を決める
- 愛とか、信頼とか、という過信
- やっぱり心配、20年後
- 最近の出来事
- 天理教里親論で決して語られない最も大切なこと
- 天理教的危機についての続き
- 天理教における地殻変動的危機感とは
- 二次被害とは人為的であり、止めることができる
- 宗教ブームが来ているのか!?
- 私の慎み論
- 人間思案
- 家族という幻想
- 鍛えるとは何か
- 私の話は難しい3
- 私の話は難しい2
- 私の話は難しい1
- 消えてしまった
- お節会に行ってきた。
- 天理教人はなぜ里親制度を希求するのか1
- 理の親が「理の親が・・・」というのは、そろそろ止めてもらえませんかね?
- 「おつとめ」は体にいい!?
- 天理時報普及キャンペーンと財政
- 天理教と政治
- 臓器移植と教義解釈(8/30付けの天理時報から)
- 里親ブーム
- 子育て不安はイケナイことなのか!?
- 何事にも相性はある。天理時報にも。
- 世間様
- 裁判員制度を考える。
- あけましておめでとうございます。そして今年の抱負。
- 今年も終わります。悲しいけど晴れやかな年越し。
- 自分の言葉で話してもらえませんかね。
- M上先生再考
- 「慎み」再考
- 天理教の財政と天理時報手配りの戦略
- 本部大祭の感想
- 今週末は教会本部の大祭
- 正確に教義を伝える方法はあるのか
- 前記事のコメントの返事 「夫婦雛形と離婚」
- 天理教と原理主義
- 教会本部ぶらり旅の続き。
- 教会本部ぶらり旅
- 明日、久しぶりに天理市の教会本部に行きます。
- 守るべき宗教儀礼
- 労働という罪悪感
- 大工さん
- 「感謝・慎み・たすけあい」というスローガンの垂れ幕
- 検索 備忘録
- 天理教にとってお盆って何ですか?
- 学生生徒修養科
- 事情教会って言うのそろそろ辞めませんか?
- 歓待について
- こどもおぢばがえり再考
- 天理教と宗教建築
- 天理教の教会は道場?
- 天理時報批判
- メールのお返事
- 天理教平和の会を考える
- 神が人間を作ったワケ
- 生かされているというアポリア
- 陽気ぐらしという定義
- 天理大学という昼下がり
- 中国の見方
- そんなに嫌なら辞めればいい。
- 修養科という査定ライン
- 大阪府政について
- 会長の違いについて
- 真心のお供えについて
- 大人について
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- M君について
- 告白について
- 大祭について
- あけましておめでとうございます
- 2007年度の総括
- 天理教批判と反省について
- クリスマスについて
- 宗教学者の宗教について
- 神殿講話に意味はないについて
- 天理教の疑問 その1
- おさづけは効かない
- おさづけとその意味性について
- ITについて
- なぜ誰も口を割らないのかについて
- 20年後の天理教について 真柱をヒントに。
- 修養科、教養掛について
- 三日講習会について
- 錯覚から天理教の終焉について
- 東京出張について
- 謝ったら負けについて
- みんな怒っている
- 心理主義について2 に行く前にメディアについて一息。
- 心理主義について
- 道一条について
- 徳分について
- 天理教的世襲制について
- 会長という名称について
- ひのきしんについて
- 結婚について
- 批判について
- 和田あき子について
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- オルテガとの再会
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- 河合隼雄 尊師の死について
- メールの返信について
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- 天理教の用語使用についての説明
- 学力低下の考察から・・・
- 会議について
- 天理教の主張について
- いんねんについて
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