天理教の衰退と歴史的変遷を数字で表す 文化庁の宗教統計調査から

昨年から、このブログの運営にはKくんが助手として手伝ってくれている。といっても空いた時間に迷惑メール対策や、保守点検をしてくれている。以前、本ブログに「自立人生」さんがコメントを残してくださいました。そのコメントはリンクが多く、当初はサーバーで迷惑コメントとして判断され、掲載が遅れてしまっておりました。申し訳ありません。
今回、本ブログはせっかく「社会学」という名を冠しているので、たまには社会学っぽくデータで物を言いたいなとKくんと話をしていた。その中で以前の「自立人生」さんのコメントにデータが多用されていること思い出し読み返した。大変、素晴らしいリサーチで見習いたいと思います。
今回は、公開されているデータから天理教を数値で表したい。その上で、考察をおこない今後の課題が出てきたので、読者の方にもご協力していただけたらと思う。(コメントしたのに、表示されない場合などがありましたらメールにてご連絡ください)

今回使用したデータは、文化庁が毎年発行している「宗教統計調査」である。これは日本に存在する宗教法人が毎年、文化庁に組織概要を報告しているデータをまとめたものである。だからといって、宗教法人が文化庁に「本当のデータ」を申請しているかどうかは私にはわからない。たとえば「信者数」は信者とする基準などは、各宗派でバラバラである。あくまで宗教法人の任意に基づくデータであることは注意が必要である。今回使用したデータは、その中の統計が開始された1949年〜2011年までのデータを使用する。カテゴリは「教会数(宗教団体数)」「布教所数」「宗教法人の教会数」「男子教師数」「女子教師数」「教師数合計」「信者数」という分類である。今回は天理教のデータのみ使用した。(量が多くて他の宗派までやってられない)

まずは「教会数(宗教団体数)」。これは単純に全国に天理教の教会がどれだけあるのかという数字であると思われる。ところどころに不自然な上下がありますが、1985年あたりから、ほぼ16,500強でほぼ横ばいと思われる。それにしても1950年代から1985年までの増加率は凄い。
教会数
次は「布教所数」。布教所というのは教会になる前の小単位である。1965年から、急激な増加がみられるが、1985年ごろをピークに下降している。単純に驚いたのが、教会数よりも多いということ。

布教所数

次は「宗教法人の教会数」である。これは一番最初に掲載した「教会数(宗教団体数)」とは、どういう意味の違いがあるのか私にはわからない。しかし天理教の月刊誌である「みちのとも」を見る限りの教会数は、最初にあげた「教会数(宗教団体数)」の数値の方が最も近いと思われる。教会によって、法人登録がしてあるのかどうかということなのだろうが、教会によって法人登録をしている教会としていない教会の差が私には分からない。
宗教法人の教会数

次は天理教の「教師数」。「教師数」は天理教でいう「よふぼく」の上位概念である「教人」であると思われる。元データでは「男子教師数」「女子教師数」「教師数合計」に分けてあったが、ここではややこしいので、一緒にまとめた。2000年以降、ガクッと下降したことが見てとれる。何があったのだろうか。すでに死んだ人間なのに算入されていた教人を排除したのかな。
性差では、女子教師数の方が男子教師数よりも圧倒的に多いのは興味深い。教祖が女性であったことと何か関連があるのだろうか。
教師数

最後に「信者数」。「信者数」は天理教では「ようふぼく者数」であると思われる。驚くほどのバラツキがある。自然科学から見ると、このデータは明らかに不自然である。人口統計学でいうと、大量虐殺や大災害でもなければ、このようなグラフは描けない。何らかの統計処理に関する人為が入っていることは明白である。おそらく1966(教祖80年祭)後と1986(教祖100年祭)前にデータ整理がなされたために、急激な減少となったのだろう。注目すべきは、急減した1967年(教祖81)から1983年(教祖97)に270万人近くまで盛り返していることである。しかし一方で、1984年(教祖98)から1986年(教祖100)までは10万人弱の急激な増加率を記録しているものの、1986年の100年祭を機に再び減少に転じており、その後1996年の教祖110年祭まではゆっくりとした増加率でしかない。これまでと同様に2006(教祖120)後も、急激に信者数が整理(削減)されている。本データは2011年のデータまでしかないが、現時点では天理教の信者数はおよそ120万人と考えることができる。270万人のときと比べると半減以上である。来年の130年祭に向けて、もし信者数が130万人近くになったとしても、130年祭が終わった後のデータ整理では天理教の信者数が100万人を切ることも十分に考えられる。(データ整理では、毎回20万人〜30万人が削減されており、特に高齢化社会の影響は大きいと思われる)。
信者数

以上、文化庁の「宗教統計調査」のデータをもとに天理教の形をグラフ化した。Kくんとデータを整理しているときの問題点について下記に列挙しておく。もし読者の方にご協力いただけるのであればご意見を賜りたい。特に今後、天理教のお金の収支について調査するつもりだが、これは天理教の月刊誌である「みちのとも」を見なくてはいけない。「みちのとも」は、私は購読しておらず、特に過去数十年となると国立国会図書館や天理大学図書館まで行かなくてはいけない。それは非常に面倒なので、協力していただける方は是非助けていただきたい。本当はこれらのデータを統計解析して、何らかの有意な減少率を明確にしたかったのだが、文化庁発表の天理教データは、不自然なデータが多いため難しい。しかし、今後金銭の収支データが集まれば、人員規模との間に何ららかの相関を出したいと思う。

データで見る天理教の考察と問題点
1  教師数や信者数が減少している中で、教会数は大きく減少していない。教会を支える人間の減少と苦しい経営が予想される。
2  教師数や信者数で、ある時にガクッと減少するのは、天理教本部がデータ整理をしたことによるのではないか。(すでに死んでしまっている信者を削除したり)
3  本部がデータを整理したということは、天理教の信者などによる、いわゆる信者数が死去した場合の「死亡届」のような天理教本部へ申請する制度はきちんと機能していないのではないか。(「みちのとも」では毎月の教会数と信者数が明記されており、中には「出直し」(死去)という項目もあるが)
4  天理教の主な出来事として「1966年に教祖80年祭」「1976年に教祖90年祭」「1986年に教祖100年祭」「1996年に教祖110年祭」「1998年に教祖生誕200年、真柱継承」「2006年に教祖120年祭」があり、「教会数」の頭打ちと「布教所数」の減少は1986年の教祖100年祭がポイントである。
5 文化庁の公表データであり、300強ある海外の教会や支所については計上されていないと思われる。
6 2011年のデータでいうと、1教会あたり約10人の教師と約70人の信者がいることになる。私がいくつかの教会を見てきた中では、実感とはかけはなれているが、天理教人はどう思うのだろうか。
7  前回の記事で述べたように、天理教が構成員に課すノルマの負担は、人も金もない中で年々大きな負担となるだろう。リアルに歴史上にみられた社会主義の崩壊の情景が頭をよぎる。それと同様に、現行の上意下達の天理教システムでは、明らかな制度疲労がおきており、どこかの水準で一気にクラッシュが起こるのではないかと危惧する。たとえば追い詰められた教会長による重大事件の頻発であったり、天理教信者による被害弁護団の結成などのモラルハザードである。

最後に、こちらでまとめたローデータの一覧表は、下記エクセルファイルにて公表しますので、ご利用ください。天理教の主な出来事も記載しました。

お願い
「みちのとも」に掲載されている天理教の収支報告である「一般会計歳入歳出予算」の過去、数年分をお持ちの方がおられましたら、写メールやコピーで結構ですので下記メールまでお送りいただけましたら幸いです。なお、毎年度の天理教の収支報告は「みちのとも」5月号に掲載されているのではないかと思われます。(今年度予算は、昨年2月26日の本部員会議にて予算が決議され、5月号の「みちのとも」にて掲載されていました)。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教の衰退と歴史的変遷を数字で表す 文化庁の宗教統計調査から」への12件のフィードバック

  1. 姑が布教師で苦しんでいます

    新婚当時、夫の収入が17万円しかないのに、5万円も仕送りしていました。
    一人暮らしの姑の生活費に必要と私も納得していたのですが、一年後、全額天理教に献金していると知って気が狂いました。つきなみ祭、分教会、大教会、本部、分教会建替えの積み立て
    舅は亡くなっていたので、献金名義が夫になっていて、だから、5万円くれるのは当然とのことでした。

    子供が小さいうちは、私の実家から金銭援助してもらいました。夫が卑屈になってはいけないと思って内緒にしていましたが、夫も姑も、結局、私の実家のおかけで子供たちに十分な教育を施せたことを知りません。
    あげくに、子供たちが国立大学に現役合格したことを、祖神さま、天理教のおかげと言う始末。
    あの人たちは狂っています。
    しかしながら、精神病を発病して、精神病院へ強制入院させられたのは私です。

    結論、中山みきは、精神分裂病(統合失調病態)です。
    私自身が精神病になったせいで、精神病関連の専門書を何冊も読みました。私も理系専攻でしたので、かなりの専門書を読みました。

    貴ブログ、本当に勉強になります。本年の元日、例年のごとく、気持ちの悪い初詣をしましたが、あまりの閑散とした光景に唖然としました。四半世紀前からしたら、参拝者数が10分の1ではありませんか?こりゃ、姑が他界したら、さっさとずらからないと、少ない信者であんな巨大な宗教城壁維持するのが大変です。因みに、舅実家は仏教で舅自身が天理教を嫌っていたにも関わらず、そして舅実親が存命であったにも関わらず、葬式は天理教でした(姑の一存)。だから戒名はありません。恐ろしい宗教です。

    ここに書き込まれている、教会で生まれて必死で逃げだされた方々、応援していますよ。
    いっしょに頑張りましょう。

  2. もしもしかめよ

    いつもありがとうございます。すでに知られていることではありますが、興味深いデータです。それぞれに少し感想を書いてみたいと思います。
    1 大正の教勢倍化運動の時に教会数に比して信者数がのびなかったため、一教会単位の信者数が少なくなって以来の傾向です。
    2・3 何かのことがあるたびに数字の見直しが行われ、とくに死亡者が減らされます。そのために時々がたっと数字が減ります。死亡届のようなものがあるとは???
    6 大多数の教会はこの実態より少ないと思います。信者がおらずおつとめができなくなっている教会はかなりの数に上るという印象です。一方、勢いのある教会は人があふれているとも聞いています。
    7 モラルハザードが部下教会あるいは信者から起こると想定されているようによめますが(意図は違うのでしょうが)、上でモラルハザードが無数に起こっているから下でも起こると思った方がいいように思うのです。信者に責任を転嫁しているようにも見えます。社会主義でも官僚腐敗があったのではないでしょうか。

  3. ラメル

    はじめて投稿させていただきます。ラメルと申します。

    6について一部推測ですが述べます。

    1教会あたりの信者数が多く見えるのは、いくつかの現象の結果だと思います。

    カインさんが述べているように、出直した信者数を報告していないのではないかと思います。本部への届け出も私の所属する教会では数年に一度まとめてするとのことです。

    また、いわゆる事情教会が発生するときは、高齢者の最後の会長が出直すケースが多いと思われますので、教会としても事務能力が失われている事が多いのではないかと思います。どれぐらい事情教会があるのかは分かりませんが、その教会の多くの信者が名簿に載っている可能性があります。

    さらに月次祭の参加者は、信者数の全てではありません。まず仕事がある人は大概来ません。教会は月次祭の他に信者宅で講社祭というのをしていて教会としての収入はこちらの割合の方が大きい教会が大半ではないかと思います。むろん、教会長は月次祭への参加を進めるものですが、行事に参加しないで講社祭のみの信者も相当います。そしてときどきおぢばがえりして、おさづけの理をいただいているのが現状だと思います。

    それにしても1教会70人は多すぎですね。ほかの教会を見ても全然実感と違う気がします。

  4. ラメル

    修正。
    ×さらに月次祭の参加者は

    ○さらに私たちが普段教会で目にする参加者は

    説明不足でした。修正します。

  5. まみ

    いつも読ませていただいております。そしていろいろな思いや考えを自問自答するのですがなかなかまとまらず今日に至っております。確かに統計をみるまでもなく教団力は落ちて行っていると感じています。私の知っている範囲でも後継者がなく上級教会が数年間税金を払ってその後更地にしてやっと売れ解体代金が戻ったとか、20年近くも後継者とた息子さんが絶対に拒否しそれでもなんとか残したいと教会から布教所にし息子さんが管理者(所長?)過っての部内会長が月次祭をしていたりとかいろいろと耳に入ってきます。ただ私は思うのです。どうであれ、教団は続いていくだろうと思います。本部、大教会、分教会など職業にしている人々は生活権を守る方法を考えいろいろしていくと思います。自立人生さんが言うようにほっとくのが一番いい方法かと。たった一人で信仰の道を歩まれた親様を雛形に親神から心の自由を与えられているのですから自分自身の感覚や感情を表に出せるように自己主張できる自分をトレーニングしてまず自分を愛し大事にすること。そして理不尽なこと(教団の偉い人の無理な要請?)は柳に風と流して。

  6. 匿名

    神経症になって、精神的に追い込まれても二度と天理教には戻らないとちかった頃の私。その頃、森田療法を知り、あるがままの自分を受け入れる。苦しみを苦しみとして受け入れ、そこから逃げない、何かにすがらない。そして森田正馬氏は、中山みきを精神障害者であると言い切っていた。その人を生神様、教祖として慕い、明治の頃から信仰し、貧困に苦しみながら、何ひとつ問題を解決をしないで陽気ぐらしを「あほの独り言」のようにして暮らした我が家族。自己否定しながら生きてきた私。「あるがままの私でいい」なんて今まであったろうか?私は子供の頃から理屈っぽい性格ではあり、教会をやめることを苦言していたけれど、いったん作った教会は、どれだけ弱小ではあっても廃業の許しはもらえないんです。だから教会は消えないんです。たとえ信者は減っても大教会は自分の権力を誇示するために、減らせないんです!詐欺師より残酷な詐欺だよな!

  7. 自立人生

    テーマ: ようぼくの数は12年間に193、205人減少

    <ようぼくの数>:
    天理教青年会発行、手帳の巻末に記載されているようぼく数:
       1995年(平成7年)9月末現在のようぼく数:1、093、205人。
       2003年(平成15年)9月末現在のようぼく数:978、931人。

    みちのとも2007年6月号p54、第204回定時集会の記事:
       2007年(平成19年)のようぼく数、約90万人。

    1995年から2007年までの12年間で193、205人減少。
       1、093、205人-900、000人=193、205人。
    193、205人÷12年=年間単純平均16、100人減少。

    2003年3月―6月「120年祭地方講習会」参加者34万3千人。
    34万3千人は上記ようぼく数978、931人の35%で、ようぼく数のおよ
    そ三分の一。

    2014年3月―6月「130年祭ようぼくの集い参加者」27万1千人。
    前回、2003年3月―6月「120年祭地方講習会」の参加者34万3千人
    に比べ7万2千人(21%)減少。

    「120年祭地方講習会」や「130年祭ようぼくの集い」の会場はようぼくの
    所属教会ではなく、ようぼくが住んでいる地域の支部により指定された教
    会を会場として行われるので電車やバスに乗って出かける必要がある。
    参加カードに最上級教会、所属教会、氏名、年齢、男女別、住所を記入
    し、入口の受付でお供え500円を支払う。
    従って、これらの集会に参加するようぼくは筋金入りとまではいかないが
    まだ信仰につながり実働しているようぼくとみなすことが出来る。
    しかし、熟年層、高齢者が多い。

    上記データーに基づき推計すると、
    2014年のようぼく数推計は「130年祭ようぼくの集い」に参加した実働
    ようぼく27万1千人×3倍=ようぼく数81万3千人(推計値)。

    別の角度から、2014年のようぼくの数を推計すると。
    1995年から2007年までの12年間で193、205人減少、
    年間単純平均16、100人減少。
    2007年から2014年迄の7年間ようぼく減少数(推計):
       年間減少単純平均値16、100人×7年=112、700人減少(推計
       値)。
       2007年ようぼく数、約900、000人。
       約900、000人―112、700人=787、300人(推計値)。

    ようぼく数のまとめ:
    2014年のようぼく数は79万人から82万人程度と推計。
    2014年の実働ようぼく数は約28万人程度と推計。

    このレポートの結論:
    「天理教を職業とする教会長」及び「天理教を職業としない一般信者」の
    内、人数の多い60歳台―70歳台のようぼくは10年後に、70歳台は
    80歳台となり出直しの年齢に達し、60歳台は70歳台となって社会的な
    力を失い、10年後には実働ようぼく数は約28万人から更に激減する。

    天理教は教団自身が自ら招いた結果として、誰もが未だかつて経験しな
    かった危機的状況となることは疑いが無い。

    年祭活動中も信者が減少している天理教教団本部が、今行わなければ
    ならない仕事は、「教会半減運動」、即ち教会の数を半分に減らす運動
    である。
    教会数を半分に減らし、所属教会が遠方に有る信者は、信者が希望すれ
    ば居住地域のしっかりした教会に所属変更を可能にする制度に改めるべ
    きである。

    系統に基づく教会制度は破壊され潰れる大教会も出てくるが、いまのま
    までは、信仰を続けている信者と教会が共倒れになってしまう。
    以上

  8. 自立人生

    テーマ: 1教会当たりのようぼく数

    2014年「130年祭ようぼくの集い」は、ようぼくの系統や所属教会とは
    関係なく、ようぼくが住んでいる地域の教会が会場となって教会本部の主
    導で行われた。
    地方から大都会へ移住し所属教会から離れても信仰を続けているようぼ
    くはこの「集いに」参加。

    その前年2013年に行われた「全教会一斉巡教」は、直属の大教会が主
    導し、各ようぼくが所属する分教会を会場として行なわれた。
    所属する教会の近くにすんでいるようぼくにとっては参加しやすかった。
    とりわけ足腰の弱った高齢ようぼくは参加しやすい。

    そのため、「全教会一斉巡教」に参加したようぼくの数は「130年祭ようぼ
    くの集い」の参加者より5万5千人多い。
    2013年「全教会一斉巡教」ようぼく参加者32万6千人。
    2014年「130年祭ようぼくの集い参加者」27万1千人。
       計算:32万6千人―27万1千人=5万5千人(多い)。

    この「全教会一斉巡教」の参加者32万6千人は所属教会の近くに住んで
    いる人が多いので、常日頃から教会に参拝し教会の月次祭にも参拝して
    教会を支えている実働ようぼくである。

    天理教分教会の数(国内)16、196個所(みちのとも2015年2月号)。
    「全教会一斉巡教」ようぼく参加者32万6千人。
    1教会当たりの実働ようぼく数:
       326、000人÷16、196教会=平均20人。

    分教会一か所当たりの実働ようぼく数は平均20人である。

    16、196個所の分教会の中には、教会長も信者もいない幽霊教会もあ
    れば、大教会を超える規模の分教会もある。
    実働ようぼくが100人を超える教会もあれば、ようぼくが10名もいない衰
    退教会もある。
    平均してならせば1教会当たりの実働ようぼく数は約20人。

    1教会当たりのようぼくの数20人が今後とも維持できるならなんとかゴマ
    カシながらでもやっていくのであろうが、衰退が止まらないのであるから2
    0人がその内10に人減ってしまうのは理の当然である。

    <おさづけの理拝戴人数(年間)>:みちのとも毎年2月号巻末年間統計
    2005年:9、444人。
    2014年:5、274人。
    9年間で4、170人(44%)減少。

    2005年1教会当たり新ようぼく誕生数(海外教会307個所含む):
    9、444人÷16、982教会=0.55人(2教会で年間平均ようぼく1名)。

    2014年1教会当たり新ようぼく誕生数(海外教会321個所含む):
    5、274人÷16、517教会=0.31人(3教会で年間平均ようぼく1名)。

    新しいようぼくが生まれる割合は、2005年には2教会で年間1名であっ
    たが、9年後の2014年度は3教会で1名弱にまで下がった。

    今の教団の組織制度では、教勢が上向く事はあり得ない。
    誰が考えても1教会当たり20名のようぼくで、その数が年年減少している
    なか、16、000個所の教会を維持できなくなるのは目に見えており、この
    まま突き進めばやがて教団・教会の組織が崩壊するのは必然である。

    年祭活動中も信者が減少している天理教教団本部が、今行わなければ
    ならない仕事は、「教会半減運動」、即ち教会の数を半分に減らす運動
    である。
    教会数を半分に減らし、所属教会が遠方に有る信者は、信者が希望すれ
    ば系統にこだわらず、居住地域にあるしっかりした教会に所属変更を可
    能にする制度に積極的に改めるべきである。

    系統に基づく教会制度は破壊し潰れる大教会も出てくるが、いまのま
    までは、かろうじて信仰を続けている信者と教会が共倒れになってしまい
    元も子もなくなってしまう。
    以上

  9. 徳子

    自立人生さんのような考えの持ち主が教団中枢の中にいるだろうか?もし、いたとしたら既に潰されているでしょう。社会から受け入れられない胡散臭い宗教団体になっていますよ。
    例えば、信者もいない老会長がひとりいたとしても、その老会長の僅かな年金からでもむしり取ることができるでしょうし、信者の数より、一教会がどれだけお供えできるか。一教会あたり10万円の献金があったとして、それを教会の数で掛けたら何億集まるでしょうか。とどのつまり中身ではないんですね。お金をどうしたら効率良く集めるか。金を見て人を見ず。ではないでしょうか。
    今から35年前の話ですが、私の母が教会長をしていたころ、大教会から25万円の献金を強要され、その額に満たなければ、居場所のない冷遇の扱いを受けるため、母は毎月必死で金集めに狂っていました。もちろん子である私など相当な被害を蒙っておりました。今も教団のやり方は変わっていないのではないでしょうか。

  10. まみ

    ここ数日、2007年からのカインさんのブログを再読させていただいておりました。また、それぞれの方のコメントも。私はどう考えているのかと自分に問いながら。思想信条の自由、表現の自由はどんなことがあっても死守したいと思ってます。何となく息苦しさを感じる昨今ですから。このブログは内容はもちろんのことカインさんの姿勢に力をいただいております。つくづく思うのですがインターネットの普及は素晴らしいことと。功罪はありますが。匿名であっても自分の思いをコメントの形で表現できるのですから。教団の統計は日頃経験していることで納得です。これも狭い経験ですが末端では高齢者がほとんどですから月次祭の時は送迎してます。参拝できない信者さんにはお供えのお下がりを届けたり。信仰の中身にもよりますが皆さんは「うちの教会」と言ってます。また、おぢば帰りは人数が少ない時は他の教会の団体に入れて行ってもらうようです。60~70代が中心です。そして偉い方が巡教に来られても信者さんは余り感じてないようです。確かに10年後はなくなっているかもしれませんね。現在40~50代のようぼくが鍵になるのではとは思いますが。コメントを見ますと暗い気持ちになります。「理の親」に悩まされているようで。おふでさき、おさしづに解答はあるのではないか。被害者意識では生きるのはもったいないと思うのです。キリスト者には文学者は多くあり羨ましいですが特異な方ですが芹沢光次良作品には多く教えられることがあります。96歳迄一貫して自己を貫からたこと90代で、神シリーズ8冊もだされました。最近知ったのですが(評伝芹沢~同伴する作家:勝呂奏)天命庵の大徳寺氏を紹介したのは天理教谷郷分教会長で教内でも有名な松本滋氏であった。彼も教団と教理の二重構造に悩まれていたのだろうと推察してから「天理教の信仰と思想ーこれからの人間の生き方」再読する気になりました。教会は廃止できます。ただそれには被害者意識があっては無理です。無関心になって初めて可能かと。愛と憎はコインの裏表と私は思っています。私に信仰あるのかと問われると「はい」と答え出来ない自分でありますが「おふでさき」と「おさしづ」を読みたいとははっきり答えられます。また、私の友人は天理教に関係ない人がほどんですが中山みきのことは話題にしてます。中には興味持ってくれる方もあります。何が言いたいか自分でもわからなくなりました。まとまらなくてごめんなさい。

  11. 足助分教会犠牲者

    会長自身が信者を見下し自分に都合の良い人にのみ何かしているようです。元布教所ですが金銭の要求とお供えの金額を乗せるため随分悪どい手で信者数同士を競わせるようたかこさんが頑張っていましたがその内皆気付き始め知らず知らずの内に信者数も減少しています。またお供えを教会親族の会社の立て直しに使うなどありえない行動に出ます。但し上位の教会に苦情を申し立てても困った様子で何の役ににも立ちません。これで宗教法人資格が取れるのは意味不明。会長家族が信者のお供えで学費の高い大学に通い、信者は間抜けにも少ない収入から学費の安い大学にやっと子供を通わせていますが、信者の不満が教会中の彼方此方にあり過ぎてとてもここが陽気暮らしとは思えない程
    ドロドロしてますよ。

  12. 匿名

    信者が文字通り激減しているのが分かる。グラフを見ても大変な減りようだ。天理教社会学研究所のブログ主の分析は鋭いし、コメント欄にも多くの有益な意見が書いてある。天理教教会本部はなぜこれらを採用しないのか。いずれにしても、人権意識の低い宗教団体から人が離れていくのは当然なことだ。

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