☆ 教会本部参拝者受け入れ設備の充実について
① 礼拝場周辺のトイレの数が総体的に少なく感じます。特に大祭月には、女性用トイレが長蛇の列に
なっています。 ◎ 女性用トイレは、もっともっと増設が必要であります。
② 車社会でもあり、おぢばがえりの駐車場対策・整備に、もっと力を入れてほしいと思います。
一般参拝者に対する思いやりがいまひとつ、もっときれいな舗装がある駐車場をつくってほしいと
思います。
③ 祭典中、礼拝場に入りきれない参拝者に、もっと配慮をお願いいたします。
雨天と炎天下対策として、例えば、北礼拝場と教祖殿との間の中庭の上を全体的に屋根で覆うことを
(中庭の景観を生かしたデザインで)考えられませんでしょうか?
要約有難うございます。
① 仮に「魂は同じで肉体が何度も生まれ変わる」としても、各々に過去生の記憶が無いのならば、生まれ変わったかどうか、知る術がありませんよね?
他人の言う事は「信じられるかどうか」の状態なんですから証明になりませんよね。
② たすけ一条の仕事とは、具体的に「どういう人」を「どのようにする」と読み取っていらっしゃいますか?
③ どのような神言(箴言?)から「超常現象をも含む」と読み取れるのでしょうか?
宜しくお願いします。
② 教祖様が「この世の元始まりの話」をされていたのは間違いありません。「おふでさき」にもありますし、多くの方の証言記録も残っています。そのお話を元にして「こうきをつくれ」とお命じになりましたが、何人もの人が書いた「泥海古記」に対して「よし」と言われなかった訳です。
何がどう「あし」なのか確かな事は分かりませんが、教祖様の教えが「世直し」だということから考えれば、現実世の中を擁護する「因果応報・輪廻転生」論が混じっていたからだと考えるのが妥当です(他にもあるかもしれませんが)。
私が絶賛した「十全の守護の理」は、「因果応報・輪廻転生」論を省いて解釈した「生命理論」です。
② 教理教義
あちこちの宗教からのパクリ満載で、永遠に理解不能ですよ。仏教の無常と神道の現世追及は共存しません。教理が矛盾だらけ。教理の基となる内容は各宗教のエエとこ取りの寄せ集め。しかも、ユラユラ中身が時代とともに変化する。
ごくの中身がいつの間にかはったい粉から米粒に変わっている。宗教から頂くものには「意味」があるはずですから、中身が変わるはずがない。ごくを売って稼ぐのが目的の「宗教ビジネス」だからこそです。神名も、転輪王、転輪王命、天理王命、ころころ変わる。あり得ません。
③ 教祖様の教理は素晴らしいが、現在の教団が悪いと嘆いているうちは、洗脳は解けません。
最初の宗教団体設立時、みき婆が頼りにしていた博徒が仲間に入り、最古大教会の初代教会長になった。博徒が改心してかたぎになるのは素晴らしいことだと思いますが、宗教団体の幹部となって人の上に立つことは自分の来た道を考えれば普通は控えます。立教の最初から、こんな程度の宗教団体です。
① おさづけ
昭和初期まで、大多数の貧しい庶民に医療は高嶺の花で(国民健康保険は戦後の制度)、病気、ケガ、栄養不良、病死・・・は最も耐え難い試練であった。「おさづけ」は、現在は、「病は気から説」および「プラシーボ効果説」で解明されている。当時の、医学的知識の乏しい、お医者様につながらない貧しい人々にとっては、「おさづけ」は、最後にすがるよすがとして、大いに前向きに迎え入れられた。つまり、「おさづけしてくれる人は善い人」。
② ひのきしん
河原の清掃するのに、わざわざ、天理教の白文字を浮き出した黒い法被で参加させる。ボランティアは匿名ですることにこそ値打ちがある。江頭2:50の東北震災ボランティアは清々しかったですね。自前で調達したトラックに支援物資を満載し駆けつけ、帽子を目深にかぶり荷下ろしの作業を黙々としているうちに、周りの人が、気が付いた。『江頭さんですよね?』。
<屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと>
これは、教団にとって、一石二鳥の、利点2つあります。
② 不動産が丸々、「現金」となって手に入る
③ 布教師を「背水の陣」に追い込み、精神的に、布教活動に邁進させざるを得なくする。よく、話題に出てくることですが、昔の布教師は熱心だった、命がけで頑張っていた。。。。裏にはこういう背景があるのです。特に、先祖が名のある立派な家柄であるのであれば、何としても布教に成功して新規信者を獲得せねば、あまりにみじめで、格好がつきません。
① 市長参加の式典であれば、必ず、マスコミ報道があります。新聞誌およびテレビとラジオ。出発前、式典中、もしくは両方。それが、市役所広報課の仕事です。そこに、「梅鉢マーク」か、「天理教」の文字か知りませんが、電波に乗ります。堂堂と「天理教河原町大教会」が連呼されるかもしれない。何しろ、式典のメーンのイベントが任せられているのですから。
② 最低でも、市長の公式活動ブログ(市役所HPからリンクされる)に、河原町大教会長の写真をデカデカと載せている。市長は、特定宗教の宣伝をしているに等しい。
③ おそらく事前に市長への表敬訪問(市役所)とか、事後の市長主催のお礼会はあったであろう。ブログでは、市長の天理教への感謝感謝の文字列だから。これには、目に見える形で税金が投入される。
古い元会長様へ
2017年9月10日 8:39 AM
天理教は巧妙ではないと思いますよ。巧妙でしたらこれだけ具体的に批判が出てこないもの。他の宗教団体は事件や派閥闘争の書き込みが中心、天理教の場合宗教なのに教義を指摘されている時点でもう終焉を迎えている・・・ただ巧妙でなく強権を乱用していただけでしょう。しかも違法性がある強権それもネットの存在で乱用は出来なく成ります。現実的に分離分裂が起きなくても、皆さんの思いの中で心離れが起きてる時点でもう分離は発生していると言えましょう。後はその事が起きたら「やっぱり~」と皆さん思うだけのことです。もう宗教で教義問題が発ししてる時点で今後大きな分裂が起きます。社会でも習ったようにルターの免罪符でも起きたのですから
匿名2017年10月21日 11:27 AM
その噂が事実なら面白いことに成りますね!事実乗取りが行われた確固たる証拠が白昼堂々と公表されるのですから!本部側がどのような言い分を申してももう信じる愚か者は居ないでしょう。どのように公開されるのか楽しみです!語本部様の話題提供を心よりお待ち申しております!!!
たくや
2017年11月17日 10:28 AM
私は教会長から日々暴力を受け皹まではいつています。京都の西陣大教会上賀茂分教会の奥田晃会長です。この前京都地方検察庁へ刑事告訴をしましたが嫌疑不十分で不起訴でした。現金を200万以上脅迫されおまけに修養科まで無理やりいかされおまけにどこの教会でも行けとたらいまわしこの人は養子で奈良県十津川分教会の次男です。天理大学も5年で傷害事件を起こし示談前科なし。懲りない人です。5年で中退本当にバカな奴ですがこんな奴死刑になつてほしいとおもいます。教会長でもおやさまがいるかわからないそして私が修養科中肺炎になつた時詰所でオナ二ーばかりして私のことは知らん顔血のかよつた人間とはおもえない。みなさんどうおもわれますか?
たくや
2017年11月17日 10:56 AM
そしてこの教会長の義父奥田和男は京都の西陣大教会の役員ですが相談するとあんたが悪い信仰とは金やお金がない者は助からないとさらに120万さんげで払えと要求、京都検察審議会に起訴するよう要望、そしてようやく昨日奥田晃会長を刑法246条の詐欺205条の傷害で起訴。大教会長の永尾隆司と奥田和男を詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。京都地方検察庁の検事さんがガさイレされ、私に安心してください。天理教では別の事件でも捜査してたから私たちが懲らしめるから心を静めて公判まで共にがんばりましょうと激励されました。神様なんて本当はいないんだから今から修養科や専修科に行く人は冷静になつてほしいとおもいます。私は修養科にいつたこと後悔の毎日です。今回5人の検事さんが担当で心強いですがこの3人には恨みは消えません。また3人とも反省がないのががつかりです。可能な量刑を裁判所が判決することをねがいます。これは京都だけではなく全国の検察行政が今後取り締まる節目になるでしょう。
「たくや 2017年11月17日 10:56 AM
昨日奥田晃会長を刑法246条の詐欺205条の傷害で起訴。大教会長の永尾隆司と奥田和男を詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。京都地方検察庁の検事さんがガさイレされ、私に安心してください。天理教では別の事件でも捜査してたから、私たちが懲らしめるから心を静めて公判まで共にがんばりましょうと激励されました。・・・今回5人の検事さんが担当で・・
欲深い宗教団体です。
信者の方がよっぽど欲が無い。
閑散とした商店街を見てると、いくら子供おじばがえりとは言え、衰退の一途も頷けます。昔は人が溢れんばかりに行き交っていたのに。
大きな館は力の誇示としか映りません。
あの大きな館群に係る費用だけでも莫大な金額になると思います。
これらの費用をこれから先も誰が負担するのか?各所に点在する教会であり、信者です。その教会ではどうか?理立てと称して高額な金額を要求する。。。。
京都の歴史ある有名なお寺です。最近CMで脚光を浴び、訪れる人が後を絶たないです。それまでは京都の中でも知ってる人が立ち寄る位の静かな処でした。確か3代前の住職が庭園に枝垂桜の木をしかも一本だけ植えたそうです。時が経ち、平成の時代になってその枝垂桜の木は見事に成長し、今は枝垂桜で有名なお寺になりました。春には参拝客や観光客が溢れんばかりに訪れ、それはそれは賑やかです。本来のお寺としての意義はもう少し違う処に有る様ですが、枝垂桜の木を植えた時に今日の姿を誰が想像したでしょう。館建設の為に莫大な費用をかけ、こんなにも信者がいるんだぞぉ〜と溢れんばかりの光景を見せつけ。。。。。
結局東西礼拝場は完成したものの、脱会者や、教団を去る者は後を絶たず、結局何の為のふしんだったのか?首をひねるばかりです。どころか、詐欺紛いや窃盗も厭わない。抗議をしても神が見ている気を鎮めとか人がめどうか神が目どうかと天理教用語で交わされ、本当に疲れる。
自分の将来や団体の将来を考えた時に脱会を考えるのは誰しも同じで、この教団に対して未来を見い出せ無くなってしまいました。
あの時代に神殿や詰所を大きく拡張せずとも、欲を出さずあるが範囲内で納め、沢山の種類の多くの桜の木を沢山植え、手を掛けて世話をしていたら、平成の今の時代には春には見事に桜が咲き誇り、いつ行ってもあそこは桜が咲いているとサクラの里として有名な名所になっていたかもしれない。
どんなに大きな神殿を建設しても歴史の前には勝てない事を良く勉強しました。
サクラの里になるにももう遅いでしょうね。
信仰している者です。興味深く拝見させて頂きました。
なかなか核心をついておられ、頷きました。
本当に色々な事があると思います。しかし、教祖は、親である神様の思いは、ただただ子供(世界中の人間)の幸せを願い、悩み、苦しむ事がなぜ起こるのか、人としての生き方はどうあるべきか、をーから十までお教え下さいました。
その偉大な教えに泥を塗っている状況を、恥ずかしく、本当に申し訳なく思います。
私も組織に何じゃこりゃと反発した時期もありましたが、祖父や祖母、父や母の姿を見て、また、まだ若輩ですが自分の人生を振り返ってみても、あぁ、この道は、教祖のおっしゃったことは間違いないんだなぁと思うに至りました。 偉そうなこと言ってすみません
いつも時間をみつけては、カインさんのブログを拝読してます。
明治30年に曾祖母が入信し、小さな末端教会の初代会長になり、その子、孫、ひ孫と一族が天理教を信仰しております。とても怖ろしいことなんですが、その中で私だけ異端児で天理教を信仰しておりません。というより私は、その長きに
わたる末端教会の土地を父の入院治療費にあてるため売却しました。
個人名義の土地であり、斜陽宗教でもあり、上級教会へ吸収合併されたほうが楽だと思っておりましたが、なかなか自分が思っていたようには簡単には売らさせてもらえませんでした。
脅しや強迫は24時間夜中でもあり、あげくの果てには「教会は売るな、神様がお金を用意してくれる」と、世間一般の話し合いができないなか、粘り強く半年以上かかって、やっと売れました。
天理教人の脅しや強迫に私自身が怯えるようになり、鬱とパニックとそして、子供のころから天理教の教えの中で育った私自身がいつも何かにすがっていたい気持ちになっていました。ただ天理教の信仰も麻薬と同じで、ちょうど麻薬がきれて禁断症状になっているのだと思うようにしました。
ただ、私の中でどうしてもわからないのです。何代にもわたって「陽気ぐらし」とは裏腹にとても貧しい、いつまでも教団の組織に搾取され続けていることに、なぜ疑問をもたないのか。どうして「末代の理」という言葉を信じるのか。一族の中で私ぐらいのものでした。反抗していたのは。天理教に対して心の整理をしたくても話す相手もおらず、苦しみをわかってくれる人もおらず孤独でした。
漸く、このブログを読んで冷静に天理教を信仰したがための悲劇、悲しみが、どのようにして人間を奴隷のように扱えるのか、それも世代を超えて脈々と繋がっていくことを少しづつでも理解したいと思っています。
カインさん、これからも書き続けてください。楽しみにしています。
徳子さんの例は、多くの末端教会がかかえる問題を端的に示しているように思います。
陽気ぐらしを標榜する天理教なのに、鬱やパニックになるまで信者(しかも教会関係者)を追い詰めるのは、本当に悲しいことです。
なぜそんなに教会名称にこだわらなければならないのでしょうか。
家族の入院費をねん出することのほうが、はるかに親孝行ではないでしょうか。
末端教会の多くは、じっさい出すばかりで、ボロボロの状態です。
神様がお金を用意してくれるなどと、上級教会は安易に言うべきではありません。
こんなに末端教会の関係者が苦しみ、悲しみ、つらい思いをしているのに、それを告白でき、訴える場が天理教の中にはないことが本当に残念です。
天理教校や天理大学があって、天理教学や宗教学が研究されているはずなのに、まったく無力、なんの役にも立っていません!
たぶん教外の方が運営されている天理教社会学研究所だけが期待できる場なんて悲しすぎます。
徳子さん、がんばってください。蔭ながら応援しています。
教会とは看板だけで、6畳2間の小さな古家を改造して、親神様、教祖様、御霊さまの小さな社を祀り、鳴り物は、くっつけて添えてる状態です。信者は身内がほとんどでそれでも10人いるかいないかの中で、90年祭当時で毎月25万円の上納金ノルマがありました。祖父が教会の倍加運動で信者も集まらないのに、祖母を初代会長にしたので、部下教会の5万円も足していたのだと思います。
父は統合失調症、母は金!金!金!明けても暮れても金!金!金!今も忘れられないのは、90年祭に本部へお参りに行き、神殿の階段で母が「お道のご用を命がけでしていかなければ、必ずやふるいにかけられ熱心でないとふるいから落とされてしまう」と言っていた母があっけなくこの世を去りました。46歳でした。私はまだ高校を卒業したばかりで、母の死が深い深い悲しみでした。そのときに見た夕焼けが赤々といままで見たことのない綺麗な夕焼けで、日常の生活は何ひとつ変わってないのにただ私にはもう母がいない淋しい感傷に浸れるのも葬儀が済むまでで、葬儀が終わったら借金取りが次から次へと押し寄せてきました。母が作った借金だったので私は何も知らないけれど、借金を返すのに日々追われていました。今だったら自己破産もできたでしょうが、誰も教えてくれない。国民年金から葬祭費も出ると言うことも。ただ因縁が悪い!罰が当たった!このふたつだけでした。記憶に残っているのは。借金も返済が済み、私はこの教団の中枢をみたいと思い修養科へ行ってみたけれど神殿の拭き掃除と手踊りの練習に明け暮れ、これが修業の場だろうか?社会で働いている方がよっぽど修業だし、なんと楽なところか中枢の収穫はなし。ただ異常に賽銭箱が多くそして10円をいれてちゃりーんと音が聞こえるまでの長いことか。賽銭箱の中を目を凝らした見たらとても深いんです。
週刊文春に地下のベルトコンベアーでお金が一か所に集まるようにしていた。納得。
講習は真夏に行きました。狭い部屋で白い足袋のアイロン掛けを汗かきながら朝から夕方までしていたことしか記憶にないです。ある本部員が神殿が大きくなりすぎてひと手不足だから講習という人材を集めて無休で奉仕してもらっている。納得
100年からの信者であるのに、教団が何をしているのかどす黒いベールに囲まれて結局わかりませんでした。
はじめまして。投稿は一度もありませんが、ここのブログを前から見ていた者です。気がついたらブログが再開されており興味深く拝見させて頂きました。
今年のこどもおぢばがえりに行かれたのですね。お疲れさまでした。ブログの最後に”「においがけ」という布教活動は天理教でも大切な政策の一つだが、つくづく天理教は情報発信や広報活動が苦手であると感じた。”とございますが、以前の天理時報社に関するカイン様ブログにあるように天理教は個人の発言を原則規制する姿勢にあります。私個人もこのブログに感化されて先日まで天理教のブログを更新していましたが、所属する天理教分教会から反対されやむなく廃止にしました。
今年4月~6月に天理教よふぼくの集い、という講習がございまして、その中のビデオで里親問題に取り組まれる村田和子氏も、天理教が学校でも家族でもない第三の心が安まる場所として、もっと浸透して欲しい、ということを申しておりました。親のいない子供に対し、里親になってくれる家庭の割合は、天理教の信者が日本全体の中で7割弱を占めます。里親政策を推進する天理教はこの機会をもっと進めていくべきだと思います。
さて、カイン様ブログに対するコメントを見ると天理教組織に対する批判というか、憎悪というか…、そういったコメントが数多く見られます。教団が何をしているのか?そもそも教団がしていること(お金と人集め)が正しいのかどうかは、どうしても気にはなりますが、末端信者の個々人が考えても仕方のないことだと思っています。カイン様ブログにいう「いわゆる思考停止」ではなく、世襲制天理教組織という制度の中で、末端から(私も初代となるのですが)てっぺんに物申すその無意味さからです。
そもそも天理教の歴史は「教え」とそれを守るための「組織」の二項対立で成立していると思います。「教え」は教祖が、「組織」は秀司様や歴代真柱様が守ってきました。この二つは常に対立するのですが、どちらか一方が欠けると、もう片方も生き残れないという関係があると思っています。数多くの教えの中で天理教組織を批判する人は、そもそもの「教え」の観点から、天理教組織を批判しますが、例えば毎年天理市への10億のお供え(いるのかどうかは知りませんがw)であったり、その他、各詰所の運営費(一詰所で約年間一億)であったり、一天理教株式会社としての各役員への年収問題であったりを考えると、天理教組織としてもおいそれと今の体制を変えるのは難しいのだと思います。(ですし、何もしなくても年収数百万が入ってくるという今の暮らしを変えたいと思う人なんていないと思います)
では、やはり天の理に基づくこの世襲制は誰も変えられなくて、末端信者はいつまでもいつまでも毎年数十万から数百万というお供えを、上級教会に上納しなければならないのか?というとそうではないと考えています。先日、発売されたとある週刊誌の特集で、「献金型のビジネスモデルを持つ天理教は、教団の拡大期は収入も大きいが、停滞の局面に入ると収入が一気に減ってしまう」という指摘がありました。天理教の歳入は1979年の約243億から、2011年には約134億となり、30余年で100億以上も減少しました。ちなみに1979年を調べると教祖100年祭にあたり、教祖100歳だから100万お供えしよう!と何とも愚かなスローガンのもと、天理教教会長による銀行強盗や、信者へのお供えの強要があり、さらにそれでもお供えができなかったから、教祖百年祭式典中に、教会長が詰所から飛び降り自殺を図るという事件まで起きた、天理教の中でも、とても酷い時期です。
これは上記の真柱様体制による世襲制のマネジメントが、少子化の時代となった今、通用しないということを言っているだけに過ぎません。さらに現在、高齢化の中で多くの現天理教会長が尽力していますが、20年後、30年後には、その影も薄れ、現在の天理教信者(約121万)が二分の一から、三分の一程度になると考えています。道一条という言葉は死語となり、天理教教会長は、所得税免除という条件の代わりに、働きながらそのお金のほとんどを上級にお供えする時代が来ると思います。
なんとも言えないしまり方ですが、いい加減長いのでいったんこのへんで…
テーマ:「立派なやかたで信者は激減」。
<やかた普請はカネ集め>:
6月に出直された三代真柱が52歳であった30年前「四方正面」の立派な神殿建築は完成し、現在おやさとやかたも26棟出来た。
おぢばには天理教教団始まって以来最大の教団建築が林立している。
その一方、信者の数は教祖80年祭をピークにこの50年間、年々減少を続け戦後最低の水準となり、今も減少が続いている。
布教や「心のふしん」は後まわしで、やかた普請とカネ集めに精力の大部分を注いだ結果の衰退50年である。
形の普請を行えば、心の普請、布教もそれについて来ると考えた歴代真柱を筆頭とする教団本部の甘い思惑は見事に外れた。
巨大な建築には莫大なカネがかかる。
そのカネは全て信者のお供えである。
教会本部が次々に「形の普請」を行うので、大教会や有力分教会もそれにならい立派な「形の普請」を次々に行った。
その結果、末端教会や一般信者は中山ミキの教えには無い、あまりのカネ集めに教団組織への不信をつのらせ、多くの信者が離れた。
それが50年にわたる衰退の歴史である。
とにかく天理教はカネがかかりすぎる。
昭和20年終戦の当時、天理教は公称220万人の信者を抱える日本最大の新興宗教教団であった。
昭和41年(1966年)教祖80年祭参拝者200万人。
数字だけ見ると戦後天理教は教祖80年祭まで教勢が伸びて発展している様に見える、実際には終戦直後から一貫して教勢の衰退は始まっており、終戦時壊滅状態であった創価学会に信者数において、昭和41年教祖80年祭の時点で完全に追い抜かれてしまったのが実態である。
<天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
創価学会:
昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、組織壊滅。
昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態から出発。
創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、実際彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。
その反対に、天理教は巨大な教団建築を立てるため信者から多額のお供え金を集める方法を取った。
戦後、敗戦国家の再建にむけて日本中から大都会、大工業地帯へ人口の大移動が起こった。
戦前、国策に迎合し中山ミキの教理を捻じ曲げた天理教は国家の弾圧を受けることなく組織と信者はそのまま残った。
戦後、高度経済成長前の日本はまだまだ貧しく、地方から大都会へ出て来た膨大な数の貧困層は、本来天理教が取り込むべき人々であった。
この戦後の日本で起こった地方から大都会、大工業地帯へ人口の大移動は、膨大な数の人々を信者として獲得できる大きなチャンスであったが、おやさとやかた普請とカネ集めに精力を集中していた天理教はこのチャンスを生かす事が出来なかった。
また信者は移住した先の近くの教会に所属するのが自然で有るが、戦前からの教会系統が邪魔をし、時代の変化に適応できず、組織制度の改革も全く行われず大きなチャンスを逃した。
天理教は貴族生活の中で育った二代真柱の誇大妄想的発想で、あたかも、おやさとやかたや建物が出来上がることが本部の正しさ、教理の正しさを証明するかの如くの方針を取り、おやさとやかた建設に人モノカネの大部分を傾注し、巨大建築普請は実現したが、布教と人材の養成を行うための時代の変化に適応した組織変革は殆ど行われず、旧態依然、時代遅れの組織制度をそのまま残した。
その結果、建物が次々に出来上がるにつれ信者は減り出し、戦後ゼロから出発した創価学会に15年の短期間でいとも簡単に追い抜かれてしまい、70年にわたる衰退のウズの中に落ち込んでしまった。
戦後の20年間は教理の優劣は別にして、創価学会のやり方が成功し、天理教は失敗したのである。
組織制度は、教理のように変えてはならないものではなく、時代の変化に応じて変えるべきものである。
戦前の天皇現人神の時代から、戦後天皇の人間宣言、民主主義の時代へと天地がさかさまになるほどの変化が起こったにもかかわらず、天理教の組織制度が戦前のままとは、一体どういう事か。
巨大普請とカネ集めの失敗と、組織制度改革をおこなわなかった失敗を歴代真柱を始めとする天理教本部は一切認めず認識もせず、方向の転換も心の切り替えも全く行わずに今日まで来ている。
失敗を重ねて来たにもかかわらず教団としての方向の転換は今後も行われる可能性は全くない。
一つを変える事は、全てを変える道へとつながる。
大きな変化が有れば、上層部ほど失ものが大きいので、自己保身のため恐ろしくてそんな事は出来ないのであろう。
方向転換を行う意思が無い以上変化は起こりえず、変化が無ければ時代遅れのまま衰退は止まらず、とことん行きつくところまで行く。
具体的には真柱、本部員、大教会長とその家族が明日食べるコメが無くなるところまでいかざるを得ない。
戦後、昭和52年頃まで会費や献金を取らなかった創価学会の収入源は出版物(聖教新聞、書籍)であった。
「財務」称するカネ集め力を入れ始めるのは信者が1、000万人を超え教団が巨大化した昭和52年以降のことである。
<創価学会教勢>:
昭和20年8月終戦時、信者離散、組織壊滅。
昭和24年(1949年)300世帯(500人)。
昭和26年(1951年)5、700世帯(9、500人)。
昭和27年(1952年)2万2千世帯(3万7千人)。
昭和29年(1954年)16万4千世帯(27万人)。
昭和30年(1955年)30万世帯(50万人)。
昭和32年(1957年)75万世帯(125万人)。
昭和33年(1958年)130万世帯(216万人)。
昭和35年(1960年)172万世帯(286万人)。
昭和37年(1962年)300万世帯(500万人)。
昭和41年(1966年)公称600万世帯(1、000万人)。
昭和44年(1969年)公称700万世帯(1、160万人)。
<創価学会巨大化、組織とカネ、衰退開始>:
創価学会は昭和52年(1977年)以降「財務」(献金)に力を入れ始め、巨大な建築物を建てることに熱中し始めると信者数が減り出し、衰退を始め、天理教と同じ衰退の道をたどり始める。
平成元年(1989年)実動300万世帯(500万人)。
平成20年(2008年)実動150万世帯(250万人)。
天理教、巨大建築普請が進み信者が減る衰退データー:
<おさづけの理拝戴人数(年間)>:
昭和25年(1950年)天理ブール竣工。
昭和30年(1955年)おやさとやかた別席場竣工。
昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)
37、681人。
昭和41年(1966年)4月、いこいの家病院竣工。
昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
昭和59年(1984年)10月東西礼拝場普請竣工、ぢばを囲む「四方正面」完成(30年前、三代真柱52歳)。
この年、昭和59年(1984年)26、237人。
昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
平成10年(1998年)四代真柱就任の年、約10、600人。
平成18年(2006年)120年祭の年、9、991人。
昨年平成25年(2013年)、5、541人。
48年間で年間おさずけの理拝戴人数は32、140人減少(85.3%減少)。
巨大なやかたの建設を行い、カネ集めに熱心になればなるほど信者が減る。
<教会系統は利権>:
50年前の東京オリンピック開催の頃、高度経済成長は地方から大都会、大工業地帯への更なる人口の大移動を促し、天理教の信者が所属教会の近くにいなくなってしまった。
教会系統のため一般信者にとっては、信仰初代が入信時に所属した教会に100年後の子孫も所属しなければならず、新幹線や飛行機に乗らないと所属教会の月次祭にも参拝できないという、全くおかしな制度である。
教会長も遠くに離れた信者の丹精が出来ず、いつしか途切れてしまい、教会と信者が共倒れになる誤った制度である。
おまけに戦後40年間、布教活動に大きな支障がでる普請とカネ集めに全力を挙げ、また天理教を職業にする人たち(真柱、本部員、大教会、分教会)が生活するためのカネをお供えとして信者から集めた。
戦後の混乱期から高度経済成長への期間、日本全国で信仰を求める人の数は最高潮に達していたが、やかた建築のため莫大なカネを必要とした天理教はそれら信仰を求める人々、特に地方から大都会に移住した膨大な数の人々を新たな信者として獲得できず、他の新興宗教教団がそれらの人々を信者として次々に獲得し急激に発展していった。
教会系統は教会の近くに住む信者には通用しても、遠方の大都会に移住した信者には通用せず、天理教は多くの既存信者まで失った。
教会系統に関係なく、住んでいる地域の近くの教会に所属変更可能な制度に改めるべきである。
それが出来ないのは、お供え金を出す信者を教団や教会の所有物と考えるからで、利権である。
<世襲制度は諸悪の根源>:
天理教を職業とする組織の中で、真柱の息子が真柱、本部員の息子が本部員、大教会長の息子が大教会長、上級教会の息子が上級教会長、末端教会の息子はどこまで行っても末端教会長、生まれたその日に50年後の本人の立場が決まっている教団組織では、末端に行けばいくほどやる気を持てないのは当然である。
やる気とやる能力を持った人物の登用への道を閉ざし、やる気とやる能力が無くても親の後釜にすわる世襲制度は、諸悪の根源である。
末端教会の後継者が教会及び教団組織を飛び出し、世間で一般の職業を持ち、世間の人々の中で働きながら中山ミキの教えを実践する道を選ぶのは全く正しい選択である。
教団の上層部にあって、口先だけで、やる気もやる勇気も無く、不平不満を持ち本音と建て前を使い分けながら、自分の生活が第一で教団組織にとどまる人間は一般信者の敵である。
衰退を示す追加データー。
<天理教信者数>:
10年前、120年祭「地方講習会」参加者: 34万3千人。
本年、130年祭「ようぼくの集い」参加者: 27万1千人。
10年間で、7万2千人減少(20.9%減少)。
天理教(実動)信者数は、ようぼくの集い参加者人数である27万人程度。
<天理時報手配り>:
7前半前、2007年2月25日決起大会時、発行部数15万5千部(手配率6.9%)。
2014年9月25日、全国社友大会時、13万部(手配率48.3%)。
7年半で、手配り率は48.3%になったが、部数は2万5千部減少(16.1%減少)。
7前半前、2007年2月25日決起大会時、〇降〇彦表統領(当時)は「手配率を50%まで高めていけばお道全体はかなり活性化していく」と信者にハッパをかけていた。
今、手配率は50%に迫ったが部数は2万5千部減少し、7年の間におさずけの理拝戴者数(年間)は、7055人(2007年)から5541人(2013年)へと1514人減少(21.4%減少)。
〇降〇彦表統領は発言の責任を取らず天理大学学長へ横滑り、そんな事で良いのか!
組織制度が変わらない中、ようぼくネットワークなど欺瞞であり、時報の手配りなど無意味である。
<最近のデーター>:
年祭活動2年目の本年、平成26年1月―10月(10か月間)おさずけの理拝戴人数は前年同期間比、349名減少(7.5%減少)。
130年祭に向け信者の数は減少を続ける。
結論:
天理教を職業とする人たちは、教えより自分の生活が第一、メシを食っていける間は今のやり方を変える気は全くない。
現在のおかしな教団組織制度の中に、身上事情で苦しむ未信者を導き入れるべきではない。
<一般信者の道>:
天理教を職業としない一般信者は、本部や教会、他人に頼らず中山ミキの教えを自力で学び、日々の生活の中で周囲の人々に感謝しながら信仰活動を実践しよう。
失敗しても良いではないか、身上事情が起こればその都度心のそうじを行い心を切り替え前進するのだ。
ひのきしんの精神で日々働き、世の中に通用する知識や技術を身に着け職業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続けよう。
以上
テーマ: 「立派なやかたで信者は激減(内容一部補足字句修正、再投稿)」
内容を一部補足し字句を修正のうえ再投稿します。
昨日(2014.11.22.)付の投稿ではなく本日の投稿を私の意見とみなして下さい。
<やかた普請はカネ集め>:
6月に出直された三代真柱が52歳であった30年前「四方正面」の立派な神殿建築は完成し、現在おやさとやかたも26棟出来た。
おぢばには天理教教団始まって以来最大の教団建築が林立している。
その一方、信者の数は教祖80年祭をピークにこの50年間、年々減少を続け戦後最低の水準となり、今も減少が続いている。
布教や「心のふしん」は後まわしで、やかた普請とカネ集めに精力の大部分を注いだ結果の衰退50年である。
形の普請を行えば、心の普請、布教もそれについて来ると考えた歴代真柱を筆頭とする教団本部の甘い思惑は見事に外れた。
巨大な建築には莫大なカネがかかる。
そのカネは全て信者のお供えである。
教会本部が次々に「形の普請」を行うので、大教会や有力分教会もそれにならい立派な「形の普請」を次々に行った。
その結果、末端教会や一般信者は中山ミキの教えには無い、あまりのカネ集めに教団組織への不信をつのらせ、多くの信者が離れて行った。
それが50年にわたる天理教衰退の歴史である。
とにかく天理教はカネがかかりすぎる。
昭和20年終戦の当時、天理教は公称220万人の信者を抱える日本最大の新興宗教教団であった。
昭和41年(1966年)教祖80年祭参拝者200万人。
数字だけ見ると戦後天理教は教祖80年祭まで教勢が伸びて発展している様に見えるが、実際には終戦直後から一貫して教勢の衰退は始まっており、終戦時壊滅状態であった創価学会に信者数において、昭和41年教祖80年祭の時点で完全に追い抜かれてしまったのが実態である。
<天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
創価学会:
昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、組織壊滅。
昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態から出発。
創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、実際、彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。
その反対に、天理教は巨大な教団建築を立てるため信者から多額のお供え金を集める方針を取った。
戦後、敗戦国家の再建にむけて日本中から大都会、大工業地帯へ人口の大移動が始まった。
戦前、国策に迎合し中山ミキの教理をねじ曲げた天理教は国家の弾圧を受けることなく組織と信者はそのまま残った。
戦後、高度経済成長前の日本はまだまだ貧しく、地方から大都会へ出て来た膨大な数の貧困層は、本来天理教が取り込むべき人々であった。
この戦後の日本で起こった地方から大都会、大工業地帯への人口の大移動は、膨大な数の人々を信者として獲得できる大きなチャンスであったが、おやさとやかた普請とカネ集めに精力を集中していた天理教はこのチャンスを生かす事が出来なかった。
また信者は移住した先の近くの教会に所属するのが自然で有るが戦前からの教会系統が邪魔をし、時代の変化に適応できず、組織制度の改革は全く行われず大きなチャンスを逃した。
天理教は貴族生活の中で育った二代真柱の誇大妄想的発想で、あたかも、おやさとやかたや建物が出来上がることが本部の正しさ教理の正しさを証明するかの如く、誤った方針を取り、おやさとやかた建設に人モノカネの大部分を傾注し、巨大建築普請は実現したが、布教と人材の養成を行うための時代の変化に適応した組織制度の改革は殆ど行わず、旧態依然、時代遅れの組織制度をそのまま残した。
その結果、建物が次々に出来上がるにつれ信者は減り出し、戦後ゼロから出発した創価学会に15年の短期間でいとも簡単に追い抜かれてしまい、70年にわたる衰退のウズの中に落ち込んでしまった。
二代真柱の戦後の20年間は教理や教えの優劣は別にして、創価学会のやり方が成功し、天理教は失敗したのである。
組織制度は、教理のように絶対変えてはならないものではなく、時代の変化に対応できなくなれば変革すべきものである。
戦前の天皇現人神の時代から、戦後天皇の人間宣言、民主主義の時代へと天地が逆転するほどの変化が起こったにもかかわらず天理教の組織制度だけが戦前のままで変化しないとは、一体どういう事か。
戦前の昭和15年、大教会(82個所)、分教会(232個所)のほかに支教会(1、120個所)、宣教所(10、617個所)があった。
大東亜戦争の直前、昭和15年4月宗教団体法が施行され、国の宗教統制策により支教会と宣教所、計11、737個所全てを「分教会」の名称に改めないと「宗教団体」とは認められない国内の法律制度となった。
そのため、天理教はそれまで「分教会」としての資格のなかった支教会と宣教所、計11、737個所を一挙に「分教会」へ名称変更したのである。
その結果、それまで全教で232個所しかなかった「分教会」が昭和16年一挙に「1万1千969個所」へと増えたのである。
戦後、復元の際、このかさ上げされた分教会11、737個所は、もとの支教会と宣教所に戻すべきであったが、二代真柱は誤った組織制度を復元することなく出直し、今日まで誤りは続き、「分教会」の資格のなかった末端分教会は今まさに大崩壊の過程にある。
潰れて空き家になる前に「教会名称」を本部に返上するのが正しい道である。
巨大普請とカネ集めの失敗と、組織制度改革を行わなかった失敗を、歴代真柱を始めとする天理教本部は一切認めず認識もせず方向の転換も心の切り替えも全く行わずに今日まで来ている。
失敗を重ねて来たにもかかわらず教団としての組織制度改革や方
向の転換は今後も行われる可能性は全くない。
一つを変える事は、全てを変える道へとつながる。
大きな変化が起これば上層部ほど失ものが大きいので、変革が必要であることは認識していながら、自己保身を考えると恐ろしくて何一つ変える事が出来ないのであろう。
変革を行う意思が無い以上変化は起こりえず、変化が無ければ時代遅れのまま衰退は止まらず、とことん行きつくところまで行く。
具体的には真柱、本部員、大教会長とその家族が明日食べるコメが無くなるところまでいかざるを得ない。
戦後、昭和52年頃まで会費や献金を取らなかった創価学会の収入源は出版物(聖教新聞、書籍)であった。
「財務」と称するカネ集め力を入れ始めるのは信者が1、000万人を超え教団が巨大化した昭和52年以降のことである。
<創価学会教勢>:
昭和20年8月終戦時、信者離散、組織壊滅、戸田城聖ゼロから開始。
昭和24年(1949年)300世帯(500人)。
昭和26年(1951年)5、700世帯(9、500人)。
昭和27年(1952年)2万2千世帯(3万7千人)。
昭和29年(1954年)16万4千世帯(27万人)。
昭和30年(1955年)30万世帯(50万人)。
昭和32年(1957年)75万世帯(125万人)。
昭和33年(1958年)130万世帯(216万人)。
昭和35年(1960年)172万世帯(286万人)。
昭和37年(1962年)300万世帯(500万人)。
昭和41年(1966年)公称600万世帯(1、000万人)。
昭和44年(1969年)公称700万世帯(1、160万人)。
<創価学会巨大化、組織とカネ、衰退開始>:
創価学会は昭和52年(1977年)以降「財務」(献金)に力を入れ始め、巨大な建築物を建てることに熱中し始めると信者数が減り出し、カネ以外にも社会的事件を度々起こし、天理教と同じ衰退の道をたどり始める。
平成元年(1989年)実動300万世帯(500万人)。
平成20年(2008年)実動150万世帯(250万人)。
天理教、巨大建築普請、信者が減る衰退データー:
<おさづけの理拝戴人数(年間)>:
昭和25年(1950年)天理ブール竣工。
昭和30年(1955年)おやさとやかた別席場竣工。
昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)37、681人。
昭和41年(1966年)4月、いこいの家病院竣工。
昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
昭和59年(1984年)10月東西礼拝場普請竣工、ぢばを囲む「四方正面」完成(30年前、三代真柱52歳)。
この年、昭和59年(1984年)26、237人。
昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
平成10年(1998年)四代真柱就任の年、約10、600人。
平成18年(2006年)120年祭の年、9、991人。
昨年平成25年(2013年)年祭活動1年目、5、541人。
48年間で年間おさずけの理拝戴人数は32、140人減少(85.3%減少)。
巨大なやかたの建設を行い、カネ集めに熱心になればなるほど信者が減る。
<教会系統は利権>:
50年前の東京オリンピック開催の頃、高度経済成長は地方から大都会、大工業地帯への更なる人口の大移動を促し、天理教の信者が所属教会の近くからいなくなってしまった。
教会系統のため一般信者にとっては、信仰初代が入信時に所属した教会に50年後、100年後の子孫も所属しなければならず、新幹線や飛行機に乗らないと所属教会の月次祭にも参拝できないという全くおかしな制度である。
教会長も遠くに離れた信者の丹精が出来ず、いつしか途切れてしまい、教会と信者が共倒れになる誤った制度である。
おまけに戦後40年間、布教活動に大きな支障がでる普請とカネ集めに全力を挙げ、また天理教を職業にする人たち(真柱、本部員、大教会、分教会)が生活するためのカネをお供えとして信者から集めた。
戦後の混乱期から高度経済成長への期間、日本全国で信仰を求める人の数は最高潮に達していたが、やかた建築のため莫大なカネを必要とした天理教はそれら信仰を求める人々、特に地方から大都会に移住した膨大な数の人々を新たな信者として獲得できず、他の新興宗教教団がそれらの人々を信者として次々に獲得し急激に発展していった。
教会系統は教会の近くに住む信者には通用しても、遠方の大都会に移住した信者には通用せず、天理教は多くの既存の信者まで失った。
教会系統に関係なく、住んでいる地域の近くの教会に所属変更可能な制度に改めるべきである。
それが出来ないのは、お供え金を出す信者を教団や教会の所有物と考えるからで、利権である。
<世襲制度は諸悪の根源>:
天理教を職業とする組織の中で、真柱の息子が真柱、本部員の息子が本部員、大教会長の息子が大教会長、上級教会の息子が上級教会長、末端教会の息子はどこまで行っても末端教会長、生まれたその日に50年後の本人の立場が決まっている教団組織では、末端に行けばいくほどやる気を持てないのは当然である。
やる気とやる能力を持った人物の登用への道を閉ざし、やる気とやる能力が無くても親の後釜にすわる世襲制度は、諸悪の根源である。
末端教会の後継者が教会及び教団組織を飛び出し、世間で一般の職業を持ち、世間の人々の中で働きながら中山ミキの教えを実践する道を選ぶのは全く正しい選択である。
教団の上層部にあって、気位だけが高く、口先だけで、やる気もやる勇気も無く、不平不満を持ち本音と建て前を使い分けながら、自分の生活が第一で教団組織にとどまる人間は一般信者の敵である。
衰退を示す追加データー。
<天理教信者数>:
10年前、120年祭「地方講習会」参加者: 34万3千人。
本年、130年祭「ようぼくの集い」参加者: 27万1千人。
10年間で、7万2千人減少(20.9%減少)。
天理教信者数(実動)は、ようぼくの集い参加者人数である27万人程度。
<天理時報手配り>:
2007年(平成19年)2月25日決起大会時、発行部数15万5千部(手配率6.9%)。
7前半後、本年2014年(平成26年)9月25日、全国社友大会時、13万部(手配率48.3%)。
7年半で手配り率は48.3%になったが、部数は2万5千部減少(16.1%減少)。
7前半前、2007年2月25日決起大会時、〇降〇彦表統領(当時)は「手配率を50%まで高めていけばお道全体はかなり活性化していく」と信者にハッパをかけていた。
今、手配率は50%に迫ったが部数は2万5千部減少し、7年の間におさずけの理拝戴者数(年間)は、7055人(2007年)から5541人(2013年)へと1514人減少(21.4%減少)。
〇降〇彦表統領は発言の責任を取らず天理大学学長へ横滑り、そんな事で良いのか!
組織制度が変わらない中、ようぼくネットワークなど欺瞞であり、時報の手配りなど無意味である。
<最新のデーター>:
年祭活動2年目の本年、平成26年1月―10月(10か月間)おさずけの理拝戴人数は前年同期間(1月―10月)比、349名減少(7.5%減少)。
130年祭に向け信者の数は減少を続ける。
結論:
天理教を職業とする人たち、特に上層部は教えより自分の生活が第一、メシを食っていける間は今のやり方を変える気は全くない。
現在のおかしな教団組織制度の中に、身上事情で苦しむ未信者を導き入れるべきではない。
<一般信者の道>:
天理教を職業としない一般信者は、衰退から崩壊へ静かに向かっている教団本部や教会の組織信仰に、ドップリ浸かったり依存してはいけない。
信仰を続けるか否かは、自分自身が中山ミキの教えを実感できるか否かにかかっている。
中山ミキの教えを実感できなければ続けることは出来ないし、無理に続ける必要はない。
本部や教会、他人に頼らず中山ミキの教えを自力で学び、日々の生活の中で周囲の人々に感謝しながら信仰活動を実践しよう。
失敗しても良いではないか、身上事情が起こればその都度心のそうじを行い心を切り替え前進するのだ。
ひのきしんの精神で日々働き、世の中に通用する知識や技術を身に着け職業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続けよう。
以上
「天理教の虚像と実像」北沢元著 心交社 を久しぶりに読みました。この本が出たのは26,7年前のことだと思いますが、すごい本が出たと思いました。当時、読み進めて自分が漠然と感じていた矛盾やおかしなことに対して、けっして自分がおかしいのではなかったんだと安心したような気もします。この本は既に絶版になったようですが、現在もインターネットで無料で読むことができます。
すぐに読めるリンクも貼っておきますので、まだ読んだことがない方はご一読をお勧めします。読みやすい文体で書かれているので、若い人にもお勧めできます。
「天理教の虚像と実像」上
http://mixpaper.jp/scr/book_detail.php?id=4dca27b1ca2a0
「天理教の虚像と実像」下
http://mixpaper.jp/scr/book_detail.php?id=4dca29743335b
当時、話題にもなり、この本についてどう思うか周りの人とも話した記憶があります。反応は人それぞれだったように思います。「異端に目を向けてはいけない」とか「信じるものは教祖だけ」とか様々な意見があったように思います。また顔をしかめて返答に困っている人もいました。
「蘇れ天理教」を読んだ時も同じような思いをしましたが、こんな事実があったのかと同じ教団の中にいるのに信じられない気持ちになったこともあります。このような本を引き合いに出してコメントを投稿すると天理教批判本ばかり読んでいて天理教の教団を更に批判したいのかと誤解されそうですが、そうではなくそろそろ本来の道に戻るべきではないかと訴えたいだけです。
また所謂、批判本の中には事実とは違ったことや間違った解釈で書いているようなものも多いように思います。しかし「天理教の胸像と実像」は偏った目線で書かれているとは思いません。原典からの引用や教内の出版物からの引用もあり、客観的に書かれているし、筆者の思いも入っていて共感する部分は多いように思います。
なぜ、急にこのような本を紹介したり、続けてコメントを投稿しているのかと言えば、これらの本が出てから、月日が流れ三十年近くなろうとしているのに、その間、何も変わらず、ただ年々教勢が衰退しているのを誰も変えようとせず、旧態依然としたままだからです。
縦社会の中に組み込まれ、その中で矛盾を感じながらも二重構造の教団の中で悩みながらも、何も変えられずこんなものだろうと、皆がぬるま湯のような中で過ごしているようにも思います。私自身も変化よりは安定を志向しているのではないかと自戒しています。
百年祭の頃「白紙に戻って一より始める」と何度も唱えていましたが、百年という節に紆余曲折のあった教団のあり方を本当に戻すべき時ではなかったのかと今更ながら思います。教団をつぶすのでもなく、今の組織のまま衰退していくのでもなく、「本来の姿に戻る」べきではないのかと思います。
現行の教会制度を「白紙」に戻し、形のふしんではなく、心のふしんを進められる組織作りに変えていくべきではないのかと思い、実働として多くの人が目にするこちらのブログに投稿させていただいています。
純粋な信仰心を持った若者が百三十年祭に向かって自ら心定めとして街角で路傍講演をしたり、神名流しをしている姿もあちらこちらで見かけるようになりました。「実働」しなければと燃えている若者を見る度に、現行の教会制度のままでいいのだろうか、末端教会で事情働きしなきゃ食っていけないといいながら頑張って会長さんを見るたびにこのままでいいのだろうか、組織の改編を望まずにはいられません。
簡単なことではありませんが、誰もがそう思ったら少しずつでも動いていくことが大事ではないのでしょうか。
皆が改めてよく思案して「実働」するのは今ではないのかとも思います。
ネットで見つけましたので此処にアップしました。
昭和42年に危機意識をお持ち方が50年後を思って配布されたとか現物を見たことありませんが50年をそろそろ迎えます。
カイン様はこの文章をご存知と思います。
ネットからコピーアンドペーストです。
以下
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
50年後の天理教を想う
天理教○○員 ○ ○ ○ ○
(昭和42年2月10日刊 全天理教会に配布す)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
この小書を贈呈するに当たって
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
今から30年前、父は単独布教から部属教会21ヵ所をつくって、当時の旧制分教会長として、65才で出直したのであるが、父は晩年最後まで、自分は御本部の庭掃きでも勤めさして頂きたいと、心から言い暮らして出直しをした。
一昨年の12月、母は91才の高齢をもって出直したのであるが、毎日往診に来ていた医師も奇蹟だというほど、一日一日を保っていた。そしてその最後の出直しの日、私は教会長として母の枕元に坐った。最後のお授けを取り次がせて貰ったのである。
あるいはこれが母との今生の別れになるかもわからないと思うと、70才に近い身でありながら、子としての感情がこみあげて来る動揺を、一切神に凭れて、平静に平静にと自分の心を抑えながら母に言った。
「お母さん、今お授けを取り次がさして頂きますが、もう一度身上を貸して頂きたいとはお願いいたしませんよ。神様の御思召しのままに御守護下さいませとお願いいたしますよ。しかしお母さん、もしも出直しをされても、また○○の教会に生まれかわって来て下さいね」
母は床の中で合掌したまま、いとも安らかな表情で、
「それが一番の楽しみだよ」
と小さい声で言った。
平静に平静にと努めていながらも、お授けを取り次ぐ私の両眼からは、熱い涙がとめどもなく流れた。そうして、そのお授けが母との最後の別れとなったのである。
何回生まれかわって来ても、道の御奉公一念に撤しきっていた母であり、それがこの世における何よりも一番の母のたのしみであった。
およそ道の子として親里を慕い、道を想い、したがって道の最高の親たる真柱を愛さないものが、一人でもあるだろうか。
私は道の子である限り、そうしたものは一人もないと信じる。
かつて真柱は、天理教を一番愛しているものは俺だとおっしゃったことを聞いたことがあるが、私もそうだと思う。
真柱ほど、教祖様の理想実現に想いをこめられていられる方はあるまい。
しかし真柱を愛し、真柱への一番の親孝心とは、当面の真柱の御機嫌を伺い、真柱の御機嫌に終始することでは絶対ない。
いかにして一日も早く教祖様の御理想である陽気暮らしを世界の人類にもたらすかにある。
しかるに本教の現状を見る時、輪郭の美は非常な勢いで整って来ているが、教祖様の理想である助け一条の陽気さは、声のみ大きくしてその実力は教祖40年祭当時より、その信仰の熱度において、信徒の量において、むしろ低下しているのではなかろうか。
私は先般、宗教史専攻の東大教授笠原氏とお逢いして、いろいろ御意見を伺ったが、現在伽藍宗教といわれ、わずかに旧蹟として世の観光者によって命脈を保っている数多くの仏教本山の、最盛期から衰退に及ぶ当時の仏教と本教の現在とが、そろそろ似て来たような感じがしてならない。
もちろん、本教はそこまで下落するとは思わない。しかし、宗教の一番の生命である人の救いにおいて、現勢とあまり変わりのないようなことであったら、それこそ教祖様に対し、真柱に対し、どこに親孝心といえるだろうか。
先般挙行された教祖様80年祭は、道の子の想いに想った親の年祭だけに、本教史上かつてない盛大な式典であり、天候にもめぐまれて終始されたことは、われわれ道の者にとっては嬉しい極みであった。
しかし、あの170万人といわれる祭典への帰参者の中、本当に教祖様を慕い、親里を信じて帰参した道の子は、果たして幾人あったであろうか。
当時の集会員会では、約30パーセントの声が出ていたが、その他はそれ等の人たちに勧誘されて、地場を踏んだ観光者たちである。私はけっしてこれを悪いというのではない。たとえ本人は単なる観光のつもりで来たとしても、やがては大きな匂いがけとなるからである。
ただ私は、ここでもし道の指導者である教会長級が、あの姿そのままが現在の道の教勢の実力と誤り信じた場合、それこそ最も恐ろしい危険さがひそんでいることを憂える。
仏教の衰微した当初の原因が、当時の仏教幹部たちが、その当時の形の上だけの盛大さに囚われて、そのままを本山自体の信仰の実状と思いあがった誤りからはじまっている。
東京にある一流教会の婦人会と青年会の共同主催の座談会が開かれた時のことである。某教会所属の最も熱心な婦人教会長の質問であったが、
「先生、われわれは天理教貴族をつくるための信仰であるならば、私は道の信仰を直ちに止めます……」
と熱烈な口調であった。
私は貴族的とは、その人の人間としての価値が、その人の生活以下であった場合に起こる現象だと思うのであるが、教祖様ほど民主的に徹底された方はないのではあるまいか。
物貰いに来た一乞食の赤児を抱きとって、御自身の乳房を含ませられたあの御態度こそ、教祖から示された本教としての全人類に対する行き方である。
もちろん、つくし運びは本教信仰上の真理であるが、それはあくまで陽気さの上に立ってのつくし運びでなければならない。どんな身上事情の苦しみの中でも、あくまで陽気さだけは失わない指導こそ、用木の使命だと思う。そこにこそ天理教の魅力が生まれる。
最近のある仏教関係の雑誌に、最近における本教の批判記事が載っていた。もちろん仏教関係の雑誌だけに、天理教的の記述ではないが、私はこれを読んで、本教の指導者階級にも読んで貰いたいと思った。是非一読しておく必要があるとさえ思った。
これが、「50年後の天理教を想う」と題してこれを転載し、この小書を全国の指導者の立場にある皆さまに贈呈させて頂く所以である。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
50年後の天理教を想う
ーーーーーーーーーーーーーーーー
昭和20年の敗戦とともに、天理教は、他動的に国家の宗教政策の制限から脱して、立教以来、はじめて自由な天地に出た。多くの人がなお混迷と虚脱の境に ある時、中山真柱は直ちに「復元」を打ち出し、これを教団最高の方針と定めるとともに、原典のみにもとづく天理教教典の編纂に着手した。
「復元」とは、要するに、教祖の教えの本来にかえれということである。これはまず教理面からはじまり、現在の教典が24年に公布、つづいて31年には、本部の正式の編纂にかかる「稿本天理教教祖伝」が完成、これで、教理の基本コースは確定した。
だが教団の組織、実態の復元はどのようにすすめられているだろうか。
これに関する構想は、具体的に明らかにされていない。私の推測によれば、組織を一挙に改変することなく、まず組織の内容を形成する信仰を統一し、向上さ せ、その成人を待って、次第に理想に近づこうという、現実的な方法論がとられているかに見える。まず破壊してまったく新しい組織をつくろうというのではなく、漸進的で、あいまいな面が強い。新しいものはほとんどないといってもよいかもしれない。
この復元の実行は、教祖60年祭、70年祭、そして昭和41年の80年祭を軸としてすすめられたが、この歩みの中で、教理的には「ぢば」中心主義、組織的には「ぢば」にある教会、すなわち教会本部絶対主義の方向がすすめられた。こうして、真柱の絶対権威は高まり、施設はいよいよ本部に集中した。
そして教団の動きは、本部の方針が打ち出されてのち、それが地方に伝わり、時をおいて次第に実行されるという、上から下へ理を流すという姿が強化された。
この本部中心の権威と統制力は強固なものであって、かつての茨木事件のように、大教会が本部に異を唱えて離反するという事態はもはや想像もされない。大西愛治郎のように、天啓によって自分が「かんろだい」であると称するような人間も出て来ないであろうし、かつての大平良平のように、教理の純粋化を求める運動も、その存在理由がなくなってしまった。
では天理教は、もはや、異端を生むべき条件も必然性も皆無であろうか。それほど天理教の方向は安定し、完成しているのであろうか。私には、そうは思われない。
教理的にも、組織的にも、整然として統制がとれているかに見えるが、燃え上がる信仰情熱、内的エネルギーは、衰弱しつつあるのではないかと思われる。
この内的エネルギーの衰弱は、異端が出ることよりはるかに危険な徴候であると見なければならない。
復元は教祖の理想に照らしてみて正しく、その努力が20年以上にわたって行われているにもかかわらず、その実が思うようにあがらないというところに、現在の教団の最大の悩みがある。
教理面では、神一条の信仰が事あるごとに下部組織へ向かって流され、講習会も大規模に、かつ根気よく開催されているけれども、その浸透は、まだ本当の心 の深い部分へとどかない。そして、多くの人の信仰の実態は、あいもかわらぬ病気たすけ、御利益信仰の域にとどまっている。それだけではない。復元の教理を 説くべき立場の人の間に、早くも教理の固定化、ドグマ化という現象が生じている。これでは、造花のようにととのっていて美しいけれども、悩んでいる人を救う本当の力を欠くことになる。
戦後、天理教信仰の目的は、陽気ぐらしであると宣明された。これはたしかに教団の隅々まで知れわたったが、それは言葉の空転で、実際は陽気ぐらしと相去ることはるかに遠いものがある。
組織面では、世襲制によって主な人事は固定化し、明朗で公正な競争がなく、20年先の構成が大体わかるという具合である。
これを動脈硬化症と呼ぶ人もあるが、青年にとっては、これは甚だ意欲をそぐ原因となるために、多くの有為な若人が、自分の能力をフルに発揮できる新天地 を求めて教会の門を出てゆく。天理教は、かくして人物経済上、大変な損失を重ねている。(注:このことは将来の天理教にとって、何ものにも代えがたい一大損失である)それほどの能力も気力もないものは、安易なプチブル生活の地を求めたり、漫然と教団の中に生きているだけで、教祖の精神を喪失している。教会の後継者が少なくなりつつあるという現実は、前途の楽観を許さぬ事実である。
極言すれば、天理教は、理想は高く、本部は壮大なのに逆比例して、信仰のエネルギーが低下し、人間は卑小となり、求めるものが物質的、形而下的になっているのが現状である。
私は異端を待望する人間ではない。けれども、空洞をもつ大木になりつつある現状を放置する時、おそらく天理教は立教の宣言にふさわしい世界宗教として脱皮することは不可能であると思われてならない。ここに思いきった信仰と行動力を持つ異端的人物の登場を待望するのであるが、この種の人間は果たして出て来るであろうか。出て来るとしたら、どこから出て来るであろうか、本部からそういうラディカルな人間は現れないであろう。
青年会にしても、その本部は、失敗を恐れぬ不屈の精神に欠けているから、これも期待薄である。最も有望で有効であるべき文書の面ではどうかというに、溌剌とした昭和初期の個性と自己主張の時代は去り、自由な批判精神は失われ、真柱の亜流ばかり増えている。それも真柱の打ち出す復元の教理を完全にマスターした上、自分の独創を出してゆくならよいが、顔色をうかがって書いているような感がする。書く姿勢がおかしい。これでは真に世に訴え、人の心を揺り動かす 大文章は生まれてこない。本来ならば、何がなんでも訴えねばならぬ問題が山積しているのに、筆を執ることをなるべくなら避けようという傾向が強い。この面でも退潮と衰微の感はまぬがれない。
このように見てくると、天理教は深刻な危機に立っている。人類全体が危機に立っている以上、天理教だけが安泰であるべき道理はないが、この二つの危機を認識する度合の深いものこそ、現代と次の時代をになう人間像である。
天理教は、短いとはいえ、教祖没後80年の歴史を持っている。この80年祭は、生命も財産も名もいらぬという強い信念の持主によって築かれて来たものである。この種の人は今も数多い。こうした行為を天理教では伏せ込みといっているが、これある限り、教団は容易なことではビクともしない。けれども、教団がビクともしないことが理想なのではない。真に人類の苦悩に応え、それを救済するために、教団はどんな犠牲をも辞さないというのが、本当の伏せ込みである。 私が待望するのは、この種の大勇に生きる人間であり、これは、教団の保守的な側から見れば、異端と映るであろう。けれども、社会はその異端を望んでいるの ではあるまいか。
大正の末頃、増野道興は、天理教の海外伝道の可能性について、次のような演説をした。
日本中に布教を終え、その余勢をもって海外伝道をすべしという論は、正論に似てその実きわめて皮相的である。そんな甘い考えで事が成るものではない。天理教が日本で大いに圧迫され、禁止され、食って行けぬ時代になって、やむなく新天地を求めて海外へ大挙して出て行く。こういう時、海外伝道の道は開けるであろう。天理教は神の道であり、神の道は人間の欲を徹底的に排する道である。しかるに世人は欲の世界で生きている。天理教徒が欲を離れ、人にも欲を離れさせる生活を徹底して行った時、神の道と人の道は必ず矛盾すべきものである。その場合、世間と政府は己れを是とし、神の道に生きるものを非として圧迫するに至るであろう。私は何をいわんとするか。どこまでも神の道に撤し、ために世人の非難攻撃を受けるに価する天理教を待望するのである。欲のある世人からほめられる天理教は、畢竟神の道とは無縁のものである。これでは日本の人心改造も、海外布教も成るものではない。
筆者のいわんとするところは、この演説の中に尽きている。天理教は、現代、社会にいい子になろうとしており、また多くの人々は、組織の中でいい子になろうとしている。ここに問題がある。
明治20年の1月、教祖が姿をかくされる直前、政府の弾圧をおそれて、お勤めをすることをためらっている側近者に対して、教祖は「律がこわいか、神がこわいか」とせまり、さらに「律ありても心定めが第一やで」と明示された。これが天理教最大の指針の一つである。
現在天理教は、新憲法のもと信仰の自由を保障されている。一切の弾圧はもはやない。律と神とは鋭角的に矛盾はしない。けれども、律そのものがなくなったのではない。今や律は教団の中に存在している。それは、明らかに人間の心のつくりあげたものであって、天理教の中に、一般社会の常識や約束事、すなわち人間思案が多くなっているのである。何はさしおいても、この教団の中の律を打破するのが物事のはじめである。
ソクラテスはにくまれ役を一手に引き受けた。アテネを愛する彼は、アテネを巨大な牛に譬え、それが眠りこけないように、自分がアブとなってうるさく耳元で音を立てるのだと自負した。彼は不幸にして、牛の尻尾で叩きつぶされる羽目になったが、現在、私のもっとも待望するのは、このアブ的人間である。これが、差し当たって出現の可能性があり、しかもきわめて重要である。
大なる異端像が現れるほど天理教は成熟していない。けれども、天理教は自己にとじこもって眠っていてよい時ではない。眠りこけていたら、社会はさっさと天理教を見捨てて行くであろう。
差し当たって、アブ的人間が多く現れること。そこから一人のソクラテス的人間が出現することを私は期待する。
天理教の脅しや強迫に屈せず、天理教から離れて良かったと思える内容で嬉しいです。
縁もゆかりもない者の贅沢な生活を支える為に、自ら乞食のような生活や奴隷のような生き方をしてはいけないし、貧に落ち切れなどと教えてはいけない。
久しぶりに投稿させていただきます。以前カインさんに自分のコメントや著作を評価していただいたことのある「みさと」です。1年ほど前から大病を患い、という言い方は世間的で、じつは重い身上のお手入れを頂き、現在ほぼ回復のご守護を見せていただいております。
その間1年ほど、この社会学研究所サイトも閉鎖されていたようで淋しい思いをしておりましたが、先日ふとブックマークしたタイトルをクリックしたところ、進化したスタイルで再開されているのを知って安心いたしました。
自分は年が明ければ2月には83歳になる後期高齢者ですが、過去半世紀にわたり教祖の「原典」を出発点とする文書伝道に努力してきました。ところが未だに「原典」が宙に浮いたまま天理教内に定着していない原因に最近ようやく気がつきました。その原因とは、明治20年から昭和20年に至るまで政府権力の干渉を受けた悲劇の天理教史に、教会長はじめ大多数の指導層が無知・無関心のままであることです。この事実は天理教内に限らず日本人全体の問題で、今の政治家をはじめ国民のほとんどが戦前戦中の実態を知らないままで真の民主主義の意味を自覚できない状態にあるのです。
過去をふりかえれば明治20年から昭和20年までの60年間、政府の強制的圧力によって原典を公開できない年月が続いた悲劇の天理教史がありました。その事実さえ知られないまま、今では「応法の道」や「復元」という言葉が死語に等しく、その意味さえ失われようとしています。
例えば原典「みかぐらうた」の内、よろづよ八首をはじめ三下り目、五下り目を政府当局の強制によって削除されたのは、皇室を差しおいて「よのもと」や「ひのもと」という歌詞を許せないという理由からでありました。日本の「もと」は天皇=天照大神=伊勢神宮の他にあり得ないとされていたからです。昭和の初めに「おふでさき」「おさしづ」は一旦印刷・配布されたものの、年月を経ずに禁書に指定され回収・焼却されました。「泥海古記」に至っては一切の内容を否定され破棄することを強制されたのです。
したがって明治から昭和にかけての60年間、天理教の教勢は禁圧された三原典を必要としない「おさづけ」による身上たすけのみで目覚ましい発展を遂げました。つまり、個人の難儀不自由の元となる身上たすけしかできない状況であったのです。医薬が普及していない当時にあって病いは生死の分かれ道でしたから、不思議なたすけを求める人々は布教師に頼ってきて、一人が救われたら大勢の病人が救いを求めて集まってきました。教祖10年祭の年までに百万人を超えた信者数は、その後も10年ごとの年祭ごとに倍々ゲームのように増えていきました。
問題は戦後70年を経た現在も、原典を棚上げした戦前の「成功体験」の再現を夢みていることにあります。明治以来の天理教会を「神一条からは万分の一の道」(原典おさしづの一節)と諭されているにもかかわらず、戦後に復元され印刷配布された神一条の原典は建前として拝受されるだけで、現実には生かされていないのです。
今になって私がここにコメントを投稿しましたわけは、このたび身上の節を通して気づいた天理教史の真実を具体的に解明するとともに「原典からの出発」を目標として、今後も文書伝道を続ける心を定めているからです。
もし私の志に賛同して下さる方があれば、みさとブログ<心のテープ>[検索]へ立ち寄って真偽を確かめてくださることを期待してやみません。そのコンテンツには「人体をモデルとする組織論」はじめ「原典」にもとづく教理や伝道の資料を揃えています。
終わりに蛇足かも知れませんが、コメント欄の最初に投稿されている「五十年後の天理教」と題する一文は、当時の教議会(いまの集会)議長によって全教会あてに配送されたもので、その予測の正確さに驚嘆させられます。しかし今では、もはや「アブ的人間」が多く現れるだけでは間に合わない教団の危機が差し迫っているようです。
テーマ: 「50年後の天理教を想う」
昭和41年1月26日教祖80年祭が挙行された。
その翌年、昭和42年2月10日付「50年後の天理教を想う」刊行された。
作成した人は天理教濱市分教会長中澤隼人氏で天理教の全教会に配
布された。
作成し配布した中澤隼人氏自身が自分の氏名、立場をはっきり明記し全
教会に配布した公の文書であり、そして価値の高い文書である。
インターネット上でこっそり見るものではなく、今こそ天理時報に全文掲載
し、130年祭活動の仕上げとして下から上まで全教挙げてカンカンガクガ
クの議論を行うべき内容を持つ文書である。
中澤隼人氏については昭和33年7月8月号の「陽気」に掲載された同氏
の講演速記録「これからの道」が、平成22年11月12月号、平成23年1
月号の「陽気」に再録されている。
教理、教団の方針にそって力強く道の活動を行っていた全く尊敬すべき
教会長である。
中澤隼人氏は昭和十年代から昭和四十年にかけ神奈川県のみならず教
会本部においても、教外においても精力的に活躍された自他ともに認め
る立派なお道の人である。
略歴:
天理教濱市分教会長、天理教神奈川教区長、天理教集会員幹事長、天
理教教議員幹事長、教規変更準備委員、神奈川県宗教連盟理事長、神
奈川県教誨師会会長、教祖70年祭準備委員、教祖80年祭準備委員ほ
か。
お道の人として出来ることは全てやりつくし、その結果天理教の行く末に
大きな危機感を持ち、やむにやまれぬ気持ちで刊行されたのがこの「50
年後の天理教を想う」である。
中澤隼人氏はこの小論文を刊行した四か月後、昭和42年7月28日に出
直された(71歳)。
文字通り遺言である。
中澤隼人氏はこの小論文を全教会に配布する前、最も親しいお道の友
人常岡一郎氏に見せたそうである。
常岡一郎氏は鎮西大教長を勤め、教団から押されて参議院議員二期12
年勤め、中心社(修養団体・養護施設)を経営し天理教の社会的地位向
上に大きく貢献し、世間にも知られたお道の人である。
中澤隼人氏がこの小論文を事前に常岡一郎氏に見せた時、常岡氏は中
澤氏に対し、出さない方が良い、なぜなら出しても何も変わらないから、と
言ったそうである。
しかし、中澤隼人氏は道の行く末に対する大きな危機感とやむにやまれ
ぬ気持ちからこの小論文を全教会に配布した。
常岡一郎氏の言った通り、小論文刊行から48年間たったが、組織制度
は全く変わっていない。
そこに天理教が抱える最大の構造的欠陥がある。
それだけではない。
この小論文があまりにも天理教の問題点を正しく指摘し、そのものずばり
の的を得た内容であったため、中山正善二代真柱の不興を買い、すべて
の役職を取り上げられたそうである。
天理教に大きな貢献をした中澤隼人氏に追放同然の扱いをした中山正
善二代真柱は中澤隼人氏がなくなった三か月後に出直された(63歳)。
この小論文が刊行されてから48年経過したが、組織制度の改革は全く
行われることなく今日に至っている。
その結果48年後の今、この小論文にかかれている危機が、恐ろしいほ
どそっくりそのまま現実の問題として表面に現れ、天理教は取り返しのつ
かない危機的衰退に襲われている。
過去50年間変わらなかったものは、今後の50年間も変わらないであろ
う。
なぜなら、教団幹部に変えようという意思が全くないからである。
中山善司四代真柱は6年前、平成20年10月26日の本部大祭神殿講話
で、「組織が時代にそぐわないなら見直し修正することも考えなければな
らない」話されているが、口先だけ全く検討も実行もしていない。
組織の最高責任者は真柱である。
組織制度の改革を断行できるのは、真柱しかいない。
時々思い出したように口に出すだけで、必要な改革を断行できないようで
は組織のトップとして失格である。
独裁的リーダーであった正善二代真柱でも、組織制度の改革は出来なか
った。
ボンボン育ちの三代真柱、四代真柱には、何も出来ないのは当然と言え
ば当然であるが、変化が無いほうが自己の利益につながる教団幹部以
外、末端教会や一般信者にとっては、50年以上衰退を続ける教団の信
仰を続けることは自信の喪失にながり、陽気ぐらしどころではなくなる。
このまま衰退の中で信仰を続けるべきなのか止めるべきなのか、迷って
しまう程の不幸な事である。
14年前、平成12年6月26日本部月次祭お勤めの最中、一青年による
甘露台飛び込み倒壊事件が起こった。
同年7月5日、中山善司四代真柱は在籍者と直属教会長を本部会議所
に集め一言話をされた:「普段かんろだいの一番近くでご用をしている在
籍者の問題であり・・(中略)・・直属教会長が自らの姿勢についてよく考
えなければならない・・(中略)・・心を引き締め直しておつとめいただきた
い」。
真柱自身の反省とお詫びの言葉は無かった。
翌年、平成13年6月26日本部月次祭お勤めの最中、三代真柱の奥さん
が倒れ50日後に出直された。
中山善司四代真柱の言葉:「かんろだいは人間宿しこみの証拠として据
えられるもので、ぢばの標識であり私たちの信仰の芯」、
「ぢばは親神様のお鎮まりくださる所で、親神様、教祖、ぢばはその理ひ
とつ」、
「ぢばに対する信仰は親神様、教祖に対する信仰と同じこと」。
お筆先第9号50:「かんろだい建設の段取りは、専ら親神の指図でしてい
ることであるから、もし、この仕事を妨げる者があるならば、息の根が止ま
ってしまうであろう」。
木製かんろ台を倒した方は生き残り倒された方が出直した。
親神は道の統率者である中山真柱一族の信仰姿勢を正すため、一青年
を使って木製かんろ台を倒させたが、真柱に反省がないため、更に翌年
の6月26日本部月次祭お勤めの最中、三代真柱の奥さんを倒し50日後
にむかえ取られた。
一般信者にたいする「てびきみちをせ」の身上ではない。
信者を導き教団を統率する家には一般信者とは次元の異なる重い責任
がある。
一般信者の一部はこの時、神は本当に有るのだと実感した。
今更やる気の無い教団の人々を相手にしてもどうにもならない。
天理教を職業とする家の若者は、まず組織から出て一般社会で働き、職
業を持ち自活し、生きる事への自信、信仰へ確信を持ってから、その後
教団組織に戻るべきで有る。
そうでないと使い物にならない。
いったん教団組織の中に入ってしまうと外へは出られない。
天理教を職業としない一般信者は、教団や教会に頼らず中山ミキの教え
を自力で学び、職業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続ける
のだ。
教団や教会がどのように衰退しても逃げてはいけない。
自分の人生と信仰は自分で切り開くしか道はない。
中澤隼人氏「50年後の天理教を想う」は長文故、要旨を下記にまとめ
る。
この小論文の前半「この小書を贈呈するに当たって」は中澤隼人氏自身
の前文であり、後半「50年後の天理教を想う」は別の人が書いた形式に
なっている。
前半と後半を合わせて一つの文書になっているので、ここでは前半と後
半を合わせて中澤隼人氏の意見として取り扱う。
天理教の現状は、48年前に書かれたこの小論文の通りになっている。
読んでいるうちに、この小論文は最近になって書かれたものではないか
いう錯覚に陥りそうだが、まぎれもなく48年前に書かれたものである。
本部員や大教会長で反論できる人がいるなら是非反論してもらいたい。
<「50年後の天理教を想う」要旨>:
本教の現状は、輪郭の美は非常な勢いで整って来ているが、教祖様の
理想である助け一条の陽気さは、声のみ大きくして教祖40年祭当時より
信仰の熱度において、信徒の量において、むしろ低下している。
昭和20年の敗戦、天理教は国家の宗教政策の制限から脱して、立教以
来はじめて自由を得た。
中山真柱は直ちに「復元」を打ち出し、これを教団最高の方針と定め、原
典のみにもとづく天理教教典の編纂に着手した。
「復元」とは、教祖の教えの本来にかえれということである。
まず教理面からはじまり、現在の教典が昭和24年に公布、昭和31年、
本部の編纂にかかる「稿本天理教教祖伝」完成、これで教理の基本コー
ス確定。
組織の復元はどのようにすすめられているのか。
まず破壊してまったく新しい組織をつくろうというのではなく、漸進的であ
いまいな面が強い。新しいものはほとんどない。
教理的には「ぢば」中心主義、組織的には「ぢば」すなわち教会本部絶対
主義の方向がすすめられた。
真柱の絶対権威は高まり、施設は本部に集中。
本部の方針が打ち出されて、それが地方に伝わり、時をおいて次第に実
行されるという、上から下へ理を流すという姿の強化。
本部中心の権威と統制力は強固であり、かつての茨木事件のように大教
会が本部に異を唱えて離反するという事態はもはや想像も出来ない。
大西愛治郎のように天啓によって自分が「かんろだい」であると称するよ
うな人間も出て来ないであろうし、大平良平のよう、教理の純粋化を求め
る運動もその存在理由がなくなってしまった。
では天理教は、もはや異端を生むべき条件も必然性も皆無であろうか。
それほど天理教は安定し完成しているのであろうか。
私には、そうは思われない。
教理的にも組織的にも、整然として統制がとれているかに見えるが、燃え
上がる信仰情熱、内的エネルギーは衰弱しつつある。
内的エネルギーの衰弱は異端が出ることよりはるかに危険な徴候であ
る。
復元は教祖の理想に照らしてみて正しく、その努力が20年以上にわたっ
て行われているにもかかわらず、その実が思うようにあがらないというと
ころに教団の最大の悩みがある。
教理面では、神一条の信仰が事あるごとに下部組織へ流され、講習会も
大規模に根気よく開催されているが、その浸透は本当の心の深い部分へ
とどかない。
多くの人の信仰の実態は、あいもかわらぬ病気たすけ、御利益信仰の域
にとどまっている。
復元の教理を説くべき立場の人の間に、教理の固定化、ドグマ化という
現象が生じている。
造花のようにととのっていて美しいけれども、悩んでいる人を救う本当の
力を欠く。
戦後、天理教信仰の目的は、陽気ぐらしであると宣明された。
これは教団の隅々まで知れわたったが、それは言葉の空転で、実際は陽
気ぐらしからはるかに遠い。
組織面では、世襲制によって主な人事は固定化し、明朗で公正な競争が
なく、20年先の構成が大体わかる。
青年にとっては甚だ意欲をそぐ原因となり、多くの有為な若人が、自分の
能力をフルに発揮できる新天地を求めて教会を出てゆく。
このことは将来の天理教にとって、何ものにも代えがたい一大損失であ
る。
能力も気力もないものは、安易なプチブル生活を求め、漫然と教団の中
に生きているだけで、教祖の精神を喪失している。
教会の後継者が少なくなりつつあるという現実は、前途の楽観を許さな
い。
極言すれば、天理教は理想は高く本部は壮大なのに逆比例して、信仰の
エネルギーが低下し、人間は卑小となり、求めるものが物質的、形而下
的になっている。
私は異端を待望する人間ではない。
しかし、現状を放置する時、おそらく天理教は立教の宣言にふさわしい世
界宗教として脱皮することは不可能であると思われてならない。
思いきった信仰と行動力を持つ異端的人物の登場を待望するのである
が、この種の人間は果たして出て来るであろうか。
出て来るとしたらどこから出て来るであろうか。
本部からそういうラディカルな人間は現れないであろう。
青年会にしても、失敗を恐れぬ不屈の精神に欠けているから期待薄であ
る。
最も有望で有効であるべき文書の面ではどうか。
溌剌とした昭和初期の個性と自己主張の時代は去り、自由な批判精神
は失われ、真柱の亜流ばかり増えている。
真柱の打ち出す復元の教理を完全にマスターした上、自分の独創を出し
てゆくならよいが、顔色をうかがって書いている。
書く姿勢がおかしい。
真に世に訴え、人の心を揺り動かす大文章は生まれてこない。
何がなんでも訴えねばならぬ問題が山積しているのに、筆を執ることをな
るべく避けようという傾向が強い。
天理教は深刻な危機に立っている。
この80年祭は、生命も財産も名もいらぬという強い信念の持主によって
築かれて来たものである。
この種の人は今も数多い。
こうした行為を天理教では伏せ込みといっているが、これある限り、教団
は容易なことではビクともしない。
けれども、教団がビクともしないことが理想なのではない。
真に人類の苦悩に応え、それを救済するために、教団はどんな犠牲をも
辞さないというのが、本当の伏せ込みである。
私が待望するのは、この種の大勇に生きる人間であり、これは、教団の
保守的な側から見れば、異端と映るであろう。
けれども、社会はその異端を望んでいるのではあるまいか。
天理教は、現代社会にいい子になろうとしており、また多くの人々は、組
織の中でいい子になろうとしている。
ここに問題がある。
明治20年の1月、教祖が姿をかくされる直前、政府の弾圧をおそれて、
お勤めをすることをためらっている側近者に対して、教祖は「律がこわい
か、神がこわいか」とせまり、さらに「律ありても心定めが第一やで」と明
示された。
これが天理教最大の指針の一つである。
現在天理教は、新憲法のもと信仰の自由を保障されている。
一切の弾圧はもはやない。
律と神とは鋭角的に矛盾はしない。
けれども、律そのものがなくなったのではない。
今や律は教団の中に存在している。
それは、明らかに人間の心のつくりあげたものであって、天理教の中に、
一般社会の常識や約束事、すなわち人間思案が多くなっているのであ
る。
この教団の中の律を打破するのが物事のはじめである。
天理教は自己にとじこもって眠っていてよい時ではない。
眠りこけていたら、社会はさっさと天理教を見捨てて行くであろう。
以上
自立人生さん「50年後の天理教を想う」の著者名が分かりました。ありがとうございます。
先だって、こんな事が有りました。どう思われますか。
真柱御三方と本部員2名の元へお流れ頂戴に伺った時のことです。丁度私たち3人の番になった時、14時で私のスマホのアラームが鳴りました。大教会長に「教祖様お隠れの時刻です」と言うと手を除けてながら「今はいい」と言われ3人はお流れ頂戴をしてしまいました。
おぢばの14時のミュージックサイレンが鳴るとは皆が神殿教祖殿を向いて参拝しますが何だろうと。
後期講習で担任が14時の意義は慰霊では無い、忍でも無い、と諭してくれました。
私は何時もアラームが鳴ると東にいれば西を向いて、西にいれば東を向いて慰霊でも忍でもなく「教祖存命の理」の再確認をさせて頂く事と参拝しておりました。この「教祖存命の理」を信じることがお道の信仰そのものと考えて居りますので、その場で参拝しなかった自分が親神様教祖様のテストに不合格だと思い情けなくなりました。
一文字隼人 様
リンクして下さった「天理教の虚像と実像」を読みたいんですが、
開きませんm(_ _)m パスワードが必要みたいですね。
ドリー様
本当ですね。確かにパスワードがかかっているようですね。以前はパスワード入力画面は出ずにそのまま読むことができたのですが残念なことです。
天理教って窃盗しても詐欺まがいしても素晴らしいんですか????
その上お礼だって請求された。
断ったケド。。。。
??????何なんだこれ????
こんにちは☆
とあることから、貴殿のサイトを見つけ(天理教社会学研究所)毎日興味深く読ませて頂いています。
私は天理教関係でも何でもありませんが、奈良県天理市生まれ天理育ちなので、天理教は身近な存在ではあります。
天理市民は少なからず、何かしら天理教から恩恵を受けている部分もあるところはあると思います。
私の場合でしたら、病院です。そう、天理よろづ相談所病院(憩の家)ですね。
それから、お正月に誰でも頂ける「お節会」など(汁がいい味をしていて美味しいので、子供の頃から毎年よく行っています)
1つ今回は、病院についてお話したい部分があるのですが、
「天理よろづ」といえば、開所当初は東洋一と言われた程の奈良の片田舎に存在する病院にも関わらず、とんでもない高度な医療施設を有する病院だと聞いたことがあります。(特に眼科、心臓外科は秀逸とか。他の科も素晴らしかったと思います)
しかし、どうもここ最近なんですが、旧病棟から新病棟に移り出してからぐらいでしょうか
昔の京大系のベテランの超一流の医者と言われるような人が減ったように思います。
レジデントと言われる若手ばかりの先生で、やはり経験も浅い故なのか、考えられないような医療ミスを非常によく聞きます。
(私が小学生の頃は、周りの親に医者が多く、転向してやってくる子とか(理由はよろづ病院にヘッドハンティングされたような理由からで)
非常に優秀な医者の方が多かったように思います。)
貴殿のサイトを読ませて頂いていますと、現在は天理教も本当に色々と問題が山積していることが散見されます。
信者の数も昔に比べると、明らかに激減しているのが市全体を見ていて一目瞭然で分かります。
天理本通なんてシャッターアイランドもいいところで、閑散としています・・・(昔はもう少し賑わっていたような気がしますが)
よろづ病院が現在のような低いレベルになってしまったのも、天理教の衰退と相関関係が無くはないとも思えるのですが、その辺の事情はご存知なのでしょうか?
以前の旧病棟の方は、たしか2代真柱が精力的に取り組んで建てられたと思いますが、現在は天理教と憩の家とは経営が別になっているとも聞いたことがあります。
建物は建ててやるが(本部側)、その後の経営はそっちでやれよ的な感じなのでしょうか?
旧病棟の時でも、年間1億円前後の赤字が出ていたとも聞いたことがあります。
何故、病院のことを取り上げたかと言いますと、天理市民の1人として東洋一と言われた程の病院が現在のような変わり映えになってしまっていることが残念でならないのです・・・
別に天理教を擁護するとか応援していたとか全くありませんが、良いものは良いという意味で(医者自身も天理教とは全く関係ないと聞いてますし)素晴らしい病院が田舎の天理に存在していたことは事実で、(現在も存在はしていますが)中身が問題です。
1つは天理教の財政的な問題もあるのでしょうか?
かつては、それだけの選りすぐりの医者を引っ張ってこられたのも、財力が豊富でそれに任せて呼べたことが原因とか
しかし、財政的にしんどくなっている以上そんなことは出来っこないので、安い若手の医者にしておけばいいかみたいな思案もあるのでしょうか。
また、スポーツもあまり最近はパッとしたものを聞かないように思います。
天理といえば、柔道・ラグビー・野球などよく聞いたものですが、現在はあまり名前を聞きません。
色んな部分で何か活力が無くなっているというか、この変貌ぶりは何なのでしょうか?
お答え頂ける部分で可能ですので、よければご教示頂ければ幸いです。
憩の家について感じておられる通り、立派な新館が完成する一方で、若くて未熟な医師が多いことは事実です。その原因について最近次のような話を聞きましたが、医師自身の発言が発信源ということですから事実に間違いありません。ハードがいくら立派でもソフトが伴わなければ評価されないのが当然です。
熟練した名医が集まらない原因というのは、天理市が田舎であると同時に天理市内とくに天理教経営の小中高の各学校のレベルが最近とみに低下していることにあるのです。したがって、子どもが進学する年齢に達する30代後半から40代の医師の父親は、将来の子どもの進学に不安を覚えて市内の小中学校に入れるのをためらい、レベルの高い都会の学校に入れるため子どもが進学する年代になると憩の家を退職してしまう傾向があるというのです。
その実情を聞いている若手の医師たちも優秀であればあるほど将来の不安を感じて天理市内には就職したがらないそうです。結局、医師の求人を担当する事務局としては、どこも勤め先のない医師を探して就職を依頼する他に方法はない状態に追い込まれて頭を抱えているとも聞きました。
とくに本部の経営する小中高をはじめ大学に至るまで、昔はともかく最近とみにレベルが落ち、競争率も低く、大学に至っては定員割れがひどい現状に今から対策を講じなければ、お先真っ暗になる可能性があります。その根底には教職員の待遇や資質と密接な関係があることも否定できないでしょう。
要するに一般世間と同じ分野で競争するのではなく、宗教性の価値を高める活動(教理の掘り下げと普遍化・具体化)に努力を集中する以外に天理教の将来はないと、一市民として思わざるを得ないのです。
一天理市民 さんへ
貴重なご意見を誠に有難うございます。
また、同じ天理市民としての意見を頂けて光栄に思います☆
そうですか、、、なるほどですね。
>>天理市内とくに天理教経営の小中高の各学校のレベルが最近とみに低下していることにあるのです。
この部分に関しては、全く私の中では盲点になっておりました(驚)こういった背景も一因となっていたのですね。
そういえば、私の小学生の同級生(親がよろづの医者)は公立小学校→天理中学校に受験していく子は、当時はそれなりにいたように思います。今から、約20年程前ぐらいの事です。
>>結局、医師の求人を担当する事務局としては、どこも勤め先のない医師を探して就職を依頼する他に方法はない状態に追い込まれて頭を抱えているとも聞きました。
これも非常に驚きです。
これは、相当深刻な状態ですね、、、
こんなことは、昔では考えられないような事象ではないかと思います。
いやぁ、こんなこと言っては何ですが、現在の天理は何から何まで・・・という感じがしてなりませんね。
90年代はオウムの事件や阪神大震災等もありましたが、まだどこかに「安心」を持てる部分も残っていたものがあったと思います。
子供の頃の記憶でニュースでも、天理よろづは〇〇という病気の非常に難解な手術を成功させたなどというニュースを聞いては、親族などに医者がいる訳でもないものの、「お、また1つ凄いことを何かやってくれた♪」と妙に誇れるものを感じたものです。
現在の天理市は本当に閑散としていますね。
Wilipediaには、天理よろづは近畿地方屈指の医療水準を持つ・・・などと、書かれていますが、
「そうかな・・・?」というのが否めません。
何か、根本的に根源的な部分で変えていかないと、現在は末期症状になっているので、トップが危機感を感じて何か改革を起こさないと、ジリ貧は免れないと市民の1人として思います。
テーマ:「50年後の天理教を想う」から48年たった
●インターネットに、過去48年間にわたり「おさずけの理拝戴者の人数」
の激減を示すグラフがアップされている(植田義弘氏みさとのブログ):
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/bookimages/kyosei-glaf.jpg
●天理教の衰退は最近になって始まったものではない。
戦前、「革新」と称して国家からの弾圧を避けるため権力に屈服迎合し中山ミキの教えを曲げた天理教は、戦前信者数300万人以上、日本最大の新興宗教教団であった。
昭和20年の終戦と同時に中山正善二代真柱は中山ミキ本来の教えに
戻す「復元」活動を行うが真の「復元」は出来ず、戦後70年間一貫して衰
退を続け今日に至る。
●今から48年前、このままでは天理教は世間から見捨てられてしまうと
警告を発した文書が「50年後の天理教を想う」である。
この文書は、昭和42年2月10日付で天理教集会員(天理教浜市分教会
長)中澤隼人氏により全天理教教会に配布された。
この文書もインターネットにアップされている。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/50nen/50nen.html
●戦後、天理教はやかた普請に血道をあげ組織制度の改革を行わず、
「50年後の天理教を想う」で指摘されている通り衰退を続け、戦後ゼ
ロから始まった創価学会や立正佼成会に昭和40年の時点で完全に追い
抜かれてしまい、今や世間から忘れ去られようとしている。
<おさづけの理拝戴人数(年間)>:
昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)
37、681人。
昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
平成10年(1998年)四代真柱就任の年、約10、600人。
平成18年(2006年)120年祭の年、9、991人。
平成25年(2013年)年祭活動1年目、5、541人。
平成26年(2014年)年祭活動2年目、5、274人。
●<減少率>おさずけの理拝戴者の人数(年間):
◉昭和41年(1966年)教祖80年祭の年: 37、681人。
◉昨年平成25年(2013年): 5、541人。
◉48年間でおさずけの理拝戴者人数(年間)は32、140人減少
(85.3%減少)。
<解説>2013年(平成25年)1年間統計:
●おさづけの理拝戴者数:合計5、541人。
●平成25年11月、日本の総人口:1億2729万人。
<天理教は首都圏で崩壊寸前、奈良1県に特化>:
◉奈良県の人口は138万人、日本の総人口の1.1%、奈良県1県のおさ
づけの理拝戴者は766人、全体の13.8%。
◉関東教区の人口は4、287万人で奈良県の人口の31倍、日本の総人
口の33.6%、おさづけの理拝戴者数は723人、奈良県1県より43人少
ない。
<天理教は近畿地方以外で通用していない>:
◉近畿教区(奈良、京都、三重、大阪、兵庫、滋賀、和歌山):
近畿教区の人口:2、263万人(総人口の17.7%)。
おさづけの理拝戴者合計:2、446人(44.1%)。
◉関東教区の人口は近畿教区の人口の1.89倍あるが、関東教区おさづ
けの理拝戴の人数(723人)は近畿教区(2、446人)より1、723人少な
い(三分の一である)。
◉既に日本の中心、東京・関東首都圏に於いて力を失っている。
<2013年度(平成25年)教区別おさづけの理拝戴者数>:
●近畿教区(奈良、京都、三重、大阪、兵庫、滋賀、和歌山):
◉教会数: 5、166教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計2、446人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.473人(2教会で1人)。
●東海教区(静岡、愛知、岐阜、山梨):
◉教会数: 1、991教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計692人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.348人(3教会で1人)。
●四国教区(徳島、高知、愛媛、高知):
◉教会数: 986教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計232人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.235人(4教会で1人)。
●関東教区(東京、千葉、埼玉、群馬、栃木、神奈川、茨木):
◉教会数: 2、985教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計723人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.242人(4教会で1人)。
●中国教区(岡山、広島、鳥取、山口、島根):
◉教会数: 1、392教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計360人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.258人(4教会で1人)。
●北陸教区(福井、石川、富山、新潟):
◉教会数: 533教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計122人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.229人(4教会で1人)。
●九州教区(沖縄を含む8県):
◉教会数: 1、616教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計317人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.196人(5教会で1人)。
●東北・北海道教区(1道6県):
◉教会数: 1、687教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計319人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数: 0.189人(5教会で1人)。
●海外教会:
◉教会数: 320教会。
◉おさずけの理拝戴者数: 合計330人。
◉一教会当たりのおさずけの理拝戴者数:1.031(1教会で1人)。
<まとめ>:
おさずけの理拝戴者、かつては1教会で2名が、今や3教会で1名に激減、これでは教会は存続出来ない。
●昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)
37、681人。
教会数:約16、000教会。
一教会当たりのおさずけの理拝戴者数:平均2.3人(1教会で2.3人)。
●平成25年(2013年)おさずけの理拝戴人数(年間)5、541人。
教会数:16、676教会。
一教会当たりのおさずけの理拝戴者数:平均0.332人(3教会で1人)。
<まとめ>:平成25年(2013年)の分析:
●<おさずけの理拝戴者数>:
◉近畿教区:2教会で1人。
◉東海教区:3教会で1人。
◉四国教区、関東教区、中国教区、北陸教区: 4教会で1人。
◉九州教区、東北北海道教区:5教会で1人。
●天理教は近畿教区で若干の知名度は残っているが、その他の地域で
は知名度は著しく低下、末端教会は疲弊し既に力を失っており、教勢挽
回の可能性はゼロ、どの教会も青息吐息、絶滅危惧種の仲間入り寸前。
●60年間で信者の数が十分の一以下に減った天理教がいくら「世界たすけ」を叫んでも、叫べば叫ぶほど現実とのギャップがあまりに大きくウソに聞こえる。
●好むと好まざるとにかかわらず近い将来、大教会・分教会の数を現在
の十分の一以下に減少させる大リストラを行わざるを得なくなる。
●天理教を職業としない一般信者は教会や教団に頼らず、中山ミキの教
えを自ら学び、毎日の生活、職業の中で中山ミキの教え「ひのきしん」を
実践し信仰の自立を図るべきである。
さもないと、信者自身の人生が教団とともに破綻してしまう。
以上
興味深いデータありがとうございます。統計についてのご質問ですが、天理大学・天理高校・教校学園の学生・生徒は奈良県に入っているのでしょうか、それともそれぞれの出身地に入っているのでしょうか。奈良県766人だと、高校生だけで埋まってしまうので、違うような気もしますが。念のため。どちらにせよ一部・二部・教校あわせて750人の比重がおおきくなってしまってますね。
リストラも大変で、リストラされた人が、リストラを断行した人に、それでもついていく、と思えるものがなければ、ショック死してしまいます。
こんな事は社会的常識のはずですが。。。
窃盗は素晴らしくも有りません。
凄い事でもありません。何度もいいますが、
窃盗は犯罪です。何も死体を切り刻んで遺棄
するだけが犯罪ではありません。
どうして、窃盗は犯罪だと素晴らしい事でも何でも無いと信者が教えなくてはならないんでしょうか?窃盗は犯罪だと云う事を指導すべきですが。
御とか義理とかは、又別次元の話です。
変な宗教団体です。
誤りが有りました。
誤)御⇨正)恩
この間、初めて投稿させて頂きました憩の家です♪
ちょっと、天理教について勉強させてもらえませんか?
初歩的な成り立ちのこととか、教えとかは知っている〝つもり〟ではあるんですが、素人ながらに色々と天理教いついて知りたいことがあるので教えてください。
天理教の成り立ちというのは、そもそも中山みきがいきなり覚醒した感じのような出来事かた始まったと聞いておりますが、何故後世の人たちはこの人を「おやさま」と慕うのですか?実際に、その時代を一緒に生きたのならともかく、何がこの人を惹きつけるのですか?また、「親神」とよく聞きますが、ではキリストやイスラム、仏教などのいう「神」・「佛」と、どの部分で何がどう異なる神様なのですか?
天理教のキーワードといえば「陽気ぐらし」とよく聞きますが、これに関して思う部分は、そもそも天理教がこの世に存在しても、しなくても「陽気ぐらし」などという概念はそもそも新たに発見された価値観ではなく、依然からある価値観だと思うのですが、(別の言い方をすれば「みんな仲良くしましょう♪」「共に良いところを見つけあって、素晴らしいですね」これを大して変わらない気がするのですが・・・)天理教が誕生する前とした後とでは何らかの違いはあるのですか?
また、「だめの教え(最後の究極の教え)」とも言われる宗教のようですが、何をもって「だめ(究極)」であるのですか?
また、天理教本部の場所を「ぢば」といい、元の場所(人間誕生の場所)と言われているようですが、その根拠はどこから来るのですか?
また、9が9桁でどうのこうの、最初は「ドジョウ」から始まった。
どうやって説明が付くのですか?
中山みきが最初に発した「元の神・実の神」と言われるものに関して、では今までに誕生していた宗教を超えてしまう新たな出来事が起こったのですか?
天理教が誕生した後でも、戦争もありますしテロも起こってます。
仮に天理教が誕生してからというものの、そういった争いが一切無くなったという事実的根拠があるなどとすれば、客観的事実の証拠として1つの見解の凄さとして認められてもおかしくはないと思いますが、そうではない。
何が信者をそこまで惹きつけたのですか?
他の見方では「8つのほこり」などと言われますが、これは仏教でいうところの「108つの煩悩」と見ることが出来ますし、過去からの旧態から存在する教えで包含出来てしまうようなものばかりで、それらの範疇を超えてしまう部分があるのでしょうか?
また、親神は中山みきに乗り移り、中山みきを通して、神の言葉として発せられたと言われているようですが、その部分を論理的にどう説明つくのか教えてください。
私が一連に疑問に思い、質問していることは誰もが一般的大衆が思う純粋な疑問点であると思います。
批判的考察を持って聞いてる訳でもなく、事実論かたその整合性や論理性がどう辻褄が合うのかを知りたいのです。
1つ批判的に聞くとするなら、「因縁」といわれる概念があるようですが、では天理教のトップである真柱様と言われる方は、中山家の血を引くものしかなれず(制度上は世襲制ですね)ですが、しかし4代目の方のところで跡継ぎが出来ないということが悩みになっていると聞いたことがあります(養子云々とか)
もし、善い行いを積んでいるのであるならば、このようなことは起こらないとも取れるのではないのですか?
何の宗教でも原始的教えてから発展して、最初の教えから形が全く変わってしまっているような宗教も多々あると思いますが、天理教はどうなのでしょうか?
あれだけの大きい本部を持って、病院を持って、学校を持ってっていう部分では、ただ単に金だけではなく、それらをも凌駕する何かがあるから、それだけ人は集まったのだと思いますが、そもそも天理教とは何を追求する宗教なのですか?
長文になってしまい恐縮ですが、天理教の専門的なスレだと個人的に思うので、浅はか私にご教示頂けますでしょうか。
憩いの家様
私の知っている限りの事で答えさせていただきます。しかし、私自身もよくわからないことだらけですし、間違った認識を持っているかもしれないので、一信者の勝手な理解だと思ってお読みくださるようお願いします。
>何故後世の人たちはこの人を「おやさま」と慕うのですか?
教祖が在世時の時代背景とも関係があると思うのですが、そんな時代に神がみき様をやしろとして降りてきて、教えを伝えはじめ、口は人間ですが心は神であり、人々を助け導く為に50年の間、ひながたという形でまずはご自身も通られました。おびやたすけや病助けで入信した人もいれば、教祖の崇高さに打たれて入信した人もいます。なぜ、人々は慕うのか?と言われれば「おや」だからだと思います。
>ではキリストやイスラム、仏教などのいう「神」・「佛」と、どの部分で何がどう異なる神様なのですか?
他宗教については詳しくないので答えられませんが、人間を創った神であり、そして人間を創った理由も述べています。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教はもともと同じ神であったと聞いたことがありますが、根本的に西洋とアジアでは「神」の認識が違うように私は感じています。
>天理教が誕生する前とした後とでは何らかの違いはあるのですか?
これも歴史と関係してくる部分だと思いますが、幕末から明治にかけて動乱も多く、神が人間を創り、どのようにするべきかを教えなければと伝え始めた点で大きく違いはあると思います。教祖没後わずか十年で、教えが広まり三百万人以上の信徒がいたことからも、それはわかりますが、その教勢に危機感を持った政府も弾圧を強化し、為政者の流れに沿うような形になり教勢は下降し始めたと思います。いわゆる応法の道です。
>また、「だめの教え(最後の究極の教え)」とも言われる宗教のようですが、何をもって「だめ(究極)」であるの
>ですか?
これ以上のものはないという意味だと思いますが、今の教理が本当に究極のものであるかは私自身もわかりません。原典の解釈にしろ意見が分かれていたり、不明な点も多々あるからです。ただ応法のために変えられたり、誤解して解釈されていた部分があれば修正されなければならないと思っています。
>天理教本部の場所を「ぢば」といい、元の場所(人間誕生の場所)と言われているようですが、その根拠はどこから来るのですか?
こればかりは教祖が「ぢば定め」を行ったので、私は信じるしかないと思っています。
>また、9が9桁でどうのこうの、最初は「ドジョウ」から始まった。
泥海古記のことかと思いますが、歴史が始まる以前のことですから、人間にはわからないことだと思います。更に科学が進んで明らかになることもあるかと思っています。
>中山みきが最初に発した「元の神・実の神」と言われるものに関して、では今までに誕生していた宗教を超えて
>しまう新たな出来事が起こったのですか?
ちょっと質問の意図が分からないのですが、不思議な助けを多く見せられ、既存の宗教を超えたことをいくつも現したと思います。ですから教祖を慕い熱心な信者が多くできたのかと思います。
>他の見方では「8つのほこり」などと言われますが、これは仏教でいうところの「108つの煩悩」と見ることが出来
>ますし、過去からの旧態から存在する教えで包含出来てしまうようなものばかりで、それらの範疇を超えてしまう
>部分があるのでしょうか?
教祖自身が月日のやしろとなるまでは、信心深い奈良のいなかの主婦であり仏教を信仰し五重相伝まで受けられたとのことですから、仏教に関する素養もお持ちだったと思います。ただ民衆を助けたいと更に分かりやすくシンプルな形で教えを説いているのかと私は思っています。
>また、親神は中山みきに乗り移り、中山みきを通して、神の言葉として発せられたと言われているようですが、その部分を論理的にどう説明つくのか教えてください。
天理教の史実に関する文献や研究書などを読めば、その時の様子が詳細に分かるかと思いますが、私自身「神がかり」した人間を見たこともないですし、その時の押し問答なども詳しく読むと、やはり本当に神が降臨したとしか思えません。一般信者が読む教典や教祖伝などでは詳しく述べられているわけではないので、人々が疑うのも無理はないと思います。結局、信じるか信じないかの世界だとも思っております。
>しかし4代目の方のところで跡継ぎが出来ないということが悩みになっていると聞いたことがあります
>(養子云々とか)もし、善い行いを積んでいるのであるならば、このようなことは起こらないとも取れるの
>ではないのですか?
真柱は人間です。神ではありません。善い行いを積んでいたら跡継ぎができるという問題ではないとも思います。世の中に善い行いをしていても跡継ぎができない人はたくさんいると思います。教祖からの家系図をみると跡継ぎに関しては必ずしも直系の長男ではないように思います。教祖が予言して、生まれてくる子供の魂のことまで話していることがありますが、人は皆、魂の因縁あってその立場やその境遇で人はうまれてくるのかと私は思っております。ですから神がかりが本席様や小寒様、ナライト様にもあったのかと思います。神は魂を見分けているのかとも思います。
>何の宗教でも原始的教えてから発展して、最初の教えから形が全く変わってしまっているような宗教も多々あると思いますが、天理教はどうなのでしょうか?
異端のことでしょうか?天理教の場合、たくさんあります。ネットで「天理教」と検索し、更に絞り込んで「異端」とか「分派」で再検索すれば、いくらでも簡単に調べられます。
>そもそも天理教とは何を追求する宗教なのですか?
私自身の考えを申し上げますが、追求するのでもなく、人が人としてのあるべき道を教えているだけだと思っています。何かを追求しているのであれば「ようきぐらし」であると思います。
簡略して書いたこともあり、自分自身が分かっていないことも多いので、これくらいしか書けず、申し訳ありません。少しでもご参考になればと思います。
回答頂きまして有難うございます。
よふぼくの方ですか?(笑)
ニックネーム:「憩の家」として、病院の話題を取り上げましたが、天理市在住ですので天理教は身近な存在ではあるんですよ。本部も行ったことありますし、中の回廊も歩いたことがあります。ぐるっと1周すると1km近い感じがしますね。
昔は経営の神様と言われた松下幸之助さんが、天理教本部を訪れて感銘を受けられて、そこから経営の水道哲学を生み出したと言われてますが、天理教というのは一体どういう宗教なのか?という素朴な疑問が色々と私の中であるんです。
憩の家でも、開所当初で集められた医者の方々はその分野でも選りすぐりの方ばっかりだっと聞いたことがあります。胸部外科部長から→院長になられた「山本利雄さん」とか。
(http://blog.goo.ne.jp/hozugawa/e/f11c2a27fb9c4286e9c9147f17cc4d71)
天理大学附属図書館でそれに類する本を読んだりしたりすることもあります。
山本先生なんか、京大医学部を首席卒業で心臓外科の権威だったそうで・・・
そして、片方の顔としては、天理教の道に入られていたともあります。
つまり、それほど優秀な方であっても、尚、医療という分野のみならず宗教(天理教)にも傾注されそこに何か惹き付ける〝モノ〟があるというのは、非科学的とか実体がよく分からないようなまがい物とかではなく、ちゃんとした『何か』がある裏付けがあるから故の宗教でもあると私は思えるのです。
他では愛町分教会の初代会長である「関根豊松」という方も存じております。
何やら「おさづけ」が凄い人だったそうですが(見てもないし、体験もしていないので何も分かりませんが)
関根さんのようなレベルの方というのは現在の天理教にはおられないのですか?
また、ご縁もあってお聞きしてみたいと思いますが、あなたは天理教から何を学び、何を得れていると感じていますか?
憩いの家様
こちらこそご回答いただきましてありがとうございます。
>よふぼくの方ですか?(笑)
一応、修養科も出て、32年前に教会長資格検定も終え、教人登録もしております。
しかし、天理教について未だにわからないこと、知らないことだらけです。
松下幸之助さんの話は有名ですね。企業で天理教に感銘を受けて経営に活かしておられる方は他にもいると思います。また地方の教会が学校法人を運営したりしている例もあります。山本利雄氏に関しては著書も多く、医療と宗教の分野ではよく知られた方だと思います。天理教江戸分教会の会長でもあり本部準員でもあったそうです。ご存知かとは思いますが、村上和雄さんも遺伝子の研究では第一人者で信仰者として有名です。
愛町の初代さんの伝記のような本を読んだことがありますが、読後すごい人だったんだという感想を持ったことがあります。
>関根さんのようなレベルの方というのは現在の天理教にはおられないのですか?
私自身はいると思いますが、地道に活動されている方もいるかと思うので表だって有名な人というのは知りません。
>あなたは天理教から何を学び、何を得れていると感じていますか?
私は信仰的には四代目なので正直なところ天理教は大嫌いでした。若い頃は離れることしか考えていませんでした。ですから「何を学び、何を得れている」と言われても特に学んでいるとか、得ているという思いはありません。今まで生きてきて経験したこと、仕事を通して学んだことなどから、この教えはやはり正しかったのかと思っております。
天理教に対して批判的な人が多いことも理解できます。このブログの管理者様もおっしゃる通り多くの人が思っているのは「教え」に批判的なのではなく「組織」について批判的なのかとも思います。天の理を人間の都合のいいように使ったり、組織を動かすのに使ったりしていては、やはり天の理の通りのことしか起こりません。「なってくるのが天の理」と言いますが、まったくその通りであり、信者が激減し教団が衰退しているのも天の理の通りになっているだけのことかとも思います。
現在の天理教はもう衰退の一途という感じですか?
憩の家は、昔のような東洋一に返り咲くことはもう二度とない感じだと思いますか?
というより、新棟になってから何か根本的に全て変わってしまった感があります・・・
テーマ: 統計数字の説明
(1)おさづけの理拝戴人数(年間):
昭和41年教祖80年祭の年から平成10年四代真柱就任の年までの数
字は市販古書及び天理教信者により発行配布された冊子に示されてい
るグラフ等のデーターに基づく。
数値が概算の場合は数字の頭に「約」、「およそ」の文字を入れる。
平成18年から平成26年までの数字は「みちのとも」の毎年2月号巻末に
記載の「年間統計表」の実数値。
(2)平成25年教区別おさづけの理拝戴者数(年間)と教会数は、平成26
年「みちのとも2月号」巻末「年間統計表」の実数値。
教区別の数字は学生が通う学校の場所が基準ではなく、所属教会の場
所が基準。
(3)天理教の大リストラ:
自立人生は天理教の大リストラを要求しているものではない。
おさずけの理拝戴者は、50年前には1教会当たり1年間に2名強有った
ものが、昨年(平成26年)には3教会で1年間に1名弱と50年間で七分
の一激減しており、一万六千個所の教会を存続させることが事実上不可
能な事は誰の目にも明らかである。
ここまで信者数が激減し更なる減少が止まらない以上、分教会のみなら
ず大教会も本部も現状のままの維持存続は出来ない。
一万六千個所は信者の数が現在の7倍―10倍あった50年前に何とか
維持できた教会の数である。
昭和41年教祖80年祭の年、おさずけの理拝戴人数(年間)37、681人
教会数約16、000個所、1教会当たり1年間のおさずけの理拝戴者数平
均およそ2.3人(1教会で1年間2.3人)。
平成26年おさずけの理拝戴人数(年間)5274人、教会数16、676個
所、1教会当たり1年間のおさずけの理拝戴者数平均0.31人(3教会で
1年間1人弱)。
衰退は現在も止まることなく年祭期間の今も進んでいる。
天理教を職業とする教団及び教会関係者が好むと好まざるとにかかわら
ず近い将来、大教会・分教会の数を現在の十分の一程度に減少させ、か
つ本部も含めた大リストラを行わざるを得なくなるのが戦後70年間に渡
る衰退の結末である。
信仰は人間についていくものではなく、中山ミキの教えに基づく生き方を
実践するものである。
<現時点における結論>:
天理教を職業とする人たちに今更何を言っても始まらない。
天理教を職業としない一般信者は教団や教会に頼らず、中山ミキの教
えを自ら学び、毎日の生活、仕事、職業の中で中山ミキの教えである「ひ
のきしん」を実践しながら信仰の自立を図るべきである。
さもないと、信者自身の人生が教団とともに衰退してしまう。
以上
100年祭頃は、本部で全教会長を集めて講習会とかがあったように思います。
最近は・・対象: 受講時に50 歳未満かつ就任6 年以降の、受講を希望する教会長及びその配偶者というように、限定で講習会があります。
就任20年を超えるような教会長が多く集まると、夜になるとお酒も入り本音のねりあいになり、収拾がつかなくなり、若い教会長に悪い影響があるのか、一切なくなりました。長期・高齢教会長は本部では放置状態です。
最近は「バリ天」といって、異常に熱心な若者を見ます。ちょっと危惧するところもあります。天理教も統一教会のように洗脳やマインドコントロールを目指しているのかと思うくらいです。
天理教信者が激減した理由の1つに、『天理教維持財団』という天理教の金庫みたいなところが、ある時期に投資か何かで大損失を出してしまい、信者さんからの大切なお供え金をドブに捨ててしまったようなことがサイトで見られますが、このあたりも信者が去っていく原因の1つになったのでしょうか?
信者数がゆっくり減少し始めたというよりは、ある時期を境目に激減し出した感じですよね。
素晴らしい!
世襲制度は諸悪の根源、全くその通りでしょう。共産主義の北朝鮮を見れば一目瞭然、火を見るよりも明らか。建物の普請は親様は別の意味のこともっと深い意味のことを言われたと考えられないだろうか?
非信者ですが20年くらい前、興味があっておじばへも行きました。あの頃は商店街もまだ活気がありましたがそうですか—–知り合いに今も信者の人がいますが今の天理教は金集め主義だとはっきり言ってますね。あの立派な建物群を見れば一目瞭然ですね。病院も評判良かったのに勿体無いですね。詰所も繁忙期以外は一般の方々に良心的な料金で提供されたらどうでしょうか?山野辺の道とか結構人が多いですし長谷寺とかも近いですよね。維持費だけでも大変でしょう、劣化していくのは見るに忍びないですよね。
初めて拝見しましたが、面白いこと書いてありますね。全部はさすがに読めませんが。
私は後継者ですが、天理教は無くなってもいいと思います。だって、教祖の教えを伝えつづけることが私達の役目であって、天理教を残すことが目的ではありませんから。
だから、心配は必要ないんじゃないですか?
ちなみにうちの教会には青年会層が15人位いますが、半分以上はアンチ天理教です。そんな子らも、おじおばが亡くなって、私が継いだら信仰すると言ってます。
中田善亮・・・・・・・こんなえげつない奴が世の中にいることがまずありえない。その理由?性格悪すぎ。おたすけ
、おたすけ、おたすけ、オール天理なんて言うとるやつが、ランボルギーニなんか乗ってアメリカ走り回っていたのは30年前。みんなおそなえ一生懸命頑張ってしとった中で。オール天理・・・・・笑わせるな。
お前なんざにゃわかるまい、教祖のひながたなんて。
真宗大谷派(東本願寺)は安全保障法案に対する宗派声明を出しました。 http://www.higashihonganji.or.jp/news/declaration/10924/
創価大学も声明を出しました。「私たち関係者有志は、創立者・池田大作先生の理念を我が人生の根幹に据え、安全保障関連法案への「反対」を表明します。」
http://sokauniv-nowar.strikingly.com/
天理教は、なんと考えているのでしょうか?
安全保障関連法案に対する宗派声明発表
私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された「安全保障関連法案」に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて「真の平和」の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、「積極的平和主義」の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。
「私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか」、
「過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじ
る愚行を繰り返してもよいのでしょうか」と。
私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。
2015年5月21日 真宗大谷派(東本願寺)宗務総長 里 雄 康 意
なんのために声明出すのですか?
そんなことするなら天理教なんて解散して、政治団体か何か作ればいいって話ですね。
宗教の根本的なところを分かっておられますか?
お道の人は政治的声明で世の中を変えるというのがやりかたですか?
匿名さんへ
通りすがりですが、いまいち意味がよくわかりませんでしたので、
質問させて頂きます。
声明とは、意見や意思を世間に対して発表することで、
国民の命に関わる重要な法案に対し危機感を持った宗教団体が、
自らの考え方や姿勢を、声明として世間に指し示すことに、
何か問題があるのでしょうか?
声明を出された真宗大谷派(東本願寺)や創価大学は、
解散して政治団体を作ればいいとお考えですか?
匿名さんが「分かっておられますか?」と云われる
「宗教の根本的なところ」の内容を具体的に教えて下さい。
また、「お道の人」は、どのようなやり方で世の中を変えるのか、
具体的に教えて下さい。
よろしくお願いします。
匿名さん、よろしくお願いします。
話題の方とほぼ同世代の私は、東京で学生生活をしていました。東京学生会というのもあって、多少は関係したのですが、一度も姿を見たことがなく、プールでバイトしているという話しか聞きませんでした。事情に疎い私は、なんか、とっても不思議でした。百年祭の前のことです。オール天理というのは、いい言葉ですね。でも、結局、実態は、オール中山家の小さな枠組みになってしまっているように思います。東本願寺教務総長は天理教でいえば表統領です。上に立つ人のスケールというか、ビジョンというか、思想というか、そういうものを持っていて教団内部で支持される人がなる教団と、そういうものと関係なく血統・家柄で決まってしまう教団の違いはありますよね。オール天理をいうなら、いろいろな人材を登用すればいいのに。でも嫉妬と妬み(八つのほこりだろ!)で機能しないのは見えてるけれど。
そんなことしてはったんや・・・
中山家ってベールに包まれて、私たち下々のものには
垣間見ることも出来ないけど。
結構ショック・・・
あんたらの使う金は、お供えやで。
ほんま、ありえへん。
匿名さんは、こうした政治的なことに敵意を燃やしますね。でも、それってとっても政治的ですね。匿名さんの立場なら、一人一人の心直しこそ、世界助けだという教典のスタンスになるんじゃないかと思います。でも、そうなら、ここで政治的云々といって批判するような政治性を棄てて、そんな暇があるならひたすらおつとめをして、ここでの議論に参加しないのがもっともその信念に合致するでしょう。ただ、このブログがしばしば示唆することは、それが天理教の衰退の大きな要因になっているということなんですけどね。だから、匿名さんは、答えなくていいですよ。衰退云々なんて、どうでもいいことで、小さくなれば、小さいなりのスタンスがありますからね。小さくなれば、ぼろくそに書かれることもありませんよ。
(全てではありませんが)本部の先生方は、けっして悪い人ではありませんが、人の上に立って組織をリードするような技量があるとは思いません。
何が問題で、何をどうすればいいのか、責任を持って考える能力を持っている人材はいないのか?
当時貧乏アメリカ留学していた私には、あの超スーパーカーに乗って嬉しそうに周囲に手を振って、白煙をあげて飛び立っていた姿は、さすがショックでした。若気の至りでは済まない、慎みのない姿でしたね。あれから30年、彼はおそらく誰からも叱責されることもなく、心の成長もすることなく、未成熟な初老の男になって、しまったんですね。貧乏留学生は、今や貧乏教会長になりました。自分こそ何の成長もないのかもしれませんね。
たぶん 夢さんと私は同じような年齢かと・・・
30年前と言えば、日本経済はまだバブル期の最中だと思う。
何の疑いも無く、お供えで食べてる人たちは質素に
生活していると思い込んでた。
だって、普通はそうでしょ?自分が稼いだお金やったら
どんな使い方しようが自由だけど、お供えですよ?
人様が汗水たらして働いて手にしたお金を
神様のため人助けのためにと、天理教を信用して
お供えしてるのに。
ショックを通り越して、怒りになるわ!!
って言うか、アホみたいに何の疑いも無く信用してた
自分にも腹が立つ!
かなり年をとったものからみると、若いときやんちゃしてたから駄目だとは思いません。そのやんちゃが生きているのかどうか。みんなの前でやんちゃしていたことを公言しても納得できる歩み方だったのか。「やくざから教会長へ」でも、教会長として誰もが認めるから、そういえるでしょう。やんちゃをしておられたのなら、ぜひ、みずからやんちゃを公言して、ほこりある信仰の歩みを示してほしいと思います。
あのー、一般企業の御曹司が若いころにやんちゃしてた、
と言うのと、お供えで豪遊してるのとは違いますよね?
立場が立場なだけに、それはあってはならん事やと思います。
小さいころからそんなことも教育されずに成長し、
金が集まってくるのがあたりまえになってるのか・・・
夢のないものさん、
それではまるで匿名さんを子ども扱いしていませんか?
>宗教の根本的なところを分かっておられますか?
など、堂々と自分の意見を話されていたので、迷っていたこともあり、
詳しい考えを聞いてみたくて、わからない部分を質問したのです。
匿名さんは、勢いとは裏腹に詳しいことは答えることが出来ない人
なんでしょうか。
勘違いして質問してしまったこちらがお詫びします。
さきほど「安保関連法案に反対し廃案を求める天理大学教員有志声明」が8月6日に出されていることを知り嬉しく思いました。私は天理大学に直接関係はありませんが本当に嬉しかったのです。
ありました。
http://tenriunivasrb.wix.com/tenriuniv-asrb
おそらく彼は教理的理解はほとんどないのであろう。彼の書く文章、話す言葉には、天理教人をリードする感性は全く感じられない。表統領に無理やり自らねじ込んで就任したいと言った時も、かなめ会の選考委員の人たちは、少なからずも反対したという話を私の友人である直属教会長が話していた。末端の教会は、多くは疲弊している。わが教会も同様である。格差社会と世は言うが、天理教世界では、世界の比ではない。これを問題とも思わない、いや、感じない、オール天理のリーダーは、教祖ならどうなさるかと自問自答している布教師の原点に立ち戻るべきである。
「天理教平和の会」の有志が声明を出しました。
「戦争法案」の廃案を求める声明(天理教平和の会 有志一同)
http://www.geocities.jp/shougen60/bromaga/heiwa-seimeibun.pdf
そうですね。嬉しいことです。
一日につき百円のお供えをすれば⇔ひと月に三千円に⇔一年で三万六千円になります。
三十万人の信者さんが、かんろだいのお賽銭箱にお供えくださると⇔一年間で「108億円」になりますが・・・・・・
何か計算が合わない気がいたします!!??
何の為の計算ですか?「教祖はソロバン伏せて通れ」と・・・おっしゃっていますが。
教会本部のお供え収入は、大きく分けて、礼拝場にあるお賽銭箱と直属教会(大教会等)経由のお供えです。
天理教信者は、減ったとはいえ、約百万人ぐらいはおられませんか?・・・・・
教会本部の年間お供え収入は、直属教会(大教会)経由だけでも、もう少しあるのではないでしょうか!!・・・・・
( 天理教信者は、減ったとはいえ、約百万人ぐらいはおられませんか?・・・・)
いません。
( 教会本部の年間お供え収入は、直属教会(大教会)経由だけでも、もう少しあるのではないでしょうか!!・・・・・)
あると思います。「みちのとも」に出ています。お供えが集まっている間は、お道は変わらないでしょう。
教会本部のお供え収入は、「みちのとも」で発表されている収入額よりも、本当はもっともっと多いのでは
ないのでしょうか?(直属教会は248です。大教会159×1億円=159億円)
ご本部発表の「よふぼく」数は、855,708人となっております。天理教信者全体で百万人=いません・・・か?
いませんね。
このままでは駄目ですね。本部の先生方、全国の有志の皆さん、今の縦組織の在り方。世襲制。お金の問題等、大胆な改革が必要です。オール天理の優秀な思いを結集しましょう。自分の立場だけに固執しないで、教祖の思いに寄り添いましょう。
日本は、世界でも有数な「長寿国」であります。
日本人の中から、世界一の長寿者になられる方もおられます。
天理教の信者さんの中から、百十五歳になられる方が早く現れないかと、
いつも楽しみに待っております。
「 このたすけ百十五才ぢょみよと さだめつけたい神の一ぢょ 」
伊降伊蔵ご本席さまから、引き継がれた上田ナライトさまが二代目本席さま。
その後、「さづけ」を渡される方が、初代真柱夫人の中山たまえさまとなり、
その後、中山正善二代真柱さま・中山善衛三代真柱さまと継承されて、今は
中山善司四代真柱さまが、ご本席さま??のお立場を兼任されていることに
なる訳でありましょうか?
「おやさまご存命の理」と本席さまと真柱さまのお立場を語られる方は???
◎ 伊降伊蔵 → 飯降伊蔵
◎ 中山たまえ → 中山たまへ
天理教教会本部には、なぜ女性の「本部員」が現在おられないのでしょうか?
私の知る限り、女性では「増井りん」さんだけしか本部員に登用されていない
ように思います。
「本部婦人」の立場と「本部員」とは、組織の上でも、お役目がずいぶんと違う
ように思います。
本部直属教会(大教会等)でも、女性の会長さんもおられる訳でありますから
本部員の登用資格は、男性・女性関係なく平等にあるというのが、本当の意味で 天理教らしさであると、個人的にはそう思う次第であります。
「かぐらづとめ」のつとめ人衆 5 : 5 =10人 お手ふり 3 : 3 = 6人
おやさまから教えられた男女比は、50 : 50の同じバランスであります。
☆ 教会本部参拝者受け入れ設備の充実について
① 礼拝場周辺のトイレの数が総体的に少なく感じます。特に大祭月には、女性用トイレが長蛇の列に
なっています。 ◎ 女性用トイレは、もっともっと増設が必要であります。
② 車社会でもあり、おぢばがえりの駐車場対策・整備に、もっと力を入れてほしいと思います。
一般参拝者に対する思いやりがいまひとつ、もっときれいな舗装がある駐車場をつくってほしいと
思います。
③ 祭典中、礼拝場に入りきれない参拝者に、もっと配慮をお願いいたします。
雨天と炎天下対策として、例えば、北礼拝場と教祖殿との間の中庭の上を全体的に屋根で覆うことを
(中庭の景観を生かしたデザインで)考えられませんでしょうか?
◎ このような「要望書」は、ご本部のどちらの部署へ、お願いしたら良いのでしょうか??!!
400万人規模の巨大宗教団体!「立正佼成会」が安保法制に反対を表明!
http://www.kosei-kai.or.jp/infomation/070/post_502.html
素晴らしい子です!!
訂正 素晴らしいことです!!
<安保法案反対>公明に直訴へ 学会員、署名7000人
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150906-00000010-mai-pol
8.30国会10万人行動にもたくさんの創価学会員の方々が参加されておられました。
教会において、御供え等でたいへんな目にあっておられる方は、信仰をやめるよりも
「おぢば」で、直接神さまと向き合って、信仰を続けた方が良いと思います。
「教会はいらない!!」とは申しませんが、おやさまがご在世当時には、まだまだ、
教会どころか教会本部もなかった訳でありますから、それぞれが、しっかりと自分の
人生の上に、「天の理」の教えに沿った生き方を、見つけていけば良いかと思う次第で
あります。
「おぢば」に、こころをよせて・・・・・・・!!
私は、末端教会所属の一信者で、「よふぼく」になって、今や40年が過ぎています。
昔は、<理の親>という言葉はよく耳にしましたが、幸運なのか、その言葉に振り回された経験は
ほとんどないように思います。
巡教の先生からの献杯(お流れ?)は、その昔、直会の席でよくありましたが、その風習も今は、
当教会におきましては、見かけることはございません。
私たちには、御供えのノルマもないですし、とても良い教会なんだなあと感謝感謝であります。
本当に「おみちの中にも、世界あり」なんだなあと思っております。
古い教会長様
「戦争法案」の廃案を求める声明(天理教平和の会 有志一同) の情報ありがとうございました。
130年祭期間中に次々と起こる大きな困難に、信仰者として考えを表現することは当然のこと。
本部は文句をいってくるのでしょうか?
具体的に言ってきたら、反論できるだけの信仰心はもちたいものです。
言われたら、理をといてあげればよいのです。
陽気暮らしを目標とする私たちは、憲法9条を守りますと。
私がいつも思うことは、教会よりも自分の方が貧乏だということです。
分教会長夫人達の頭にはパーマがかかっています。年金暮らしの自分はおかっぱ頭。
酒好きの女が多い!!!
直会ってもう、やめるべきでは? 詰め所に宿泊すると、のん兵衛女が多いことに驚かされます。
酔っ払いにつきあわされて、早く寝たいのに寝られない。
詰所内は禁酒が当然でしょ?
天理教は修行しなくても人の上にたてるから、自分の行いに甘い。
自分は信仰者として、教会の皆さんの行動は神様に任せています。
でも、直会廃止は提案します。
教会の方へ
上級へのおつくしはノルマがあるんですか?
できない時は 心を低くして「申し訳ないけれど、できませんでした。」と申し上げてはいかがですか?
心を低くできれば、本当に申し訳ないと思い、その心に神が働くはず。
それはお金が集まるという働きではなく、何かしら、なるほどと思えるようなことが起きるのでは?
ある大教会では、古い信者2名の上に身上がおきました。
神様はちゃんと貯えがある所を知っておいでです。当たり前のことですが。
恨みながらお金をお供えするのは信仰的にも「?」のはず。けっしてそうは言いませんが。
心を低くしてお詫びする。それができないのは高慢なのでは?
もしも、これを実行して、上級から文句を言われたら、私が怒ってあげるからね。
あんたら、おかしいでしょう?ってね。
神一条に判断しましょう!!!
今の安部政権と天理教の幹部の皆さんの、思考がよく似ていると思えてなりません。一般信者の声、末端教会の声が届きません。
聴く耳がなければ、音として聞こえていても心には響かないのでしょう。
多分、理解出来ないのだと思います。
末端教会の会長さんをはじめとする方々は、本当にご苦労なことが多いと思います。
「よふきぐらし」を目標に、今ある問題を改善していかなければ、「おみち」から離れて
いく人々が、どんどんと増えていくことになります。
今まで郵便局が配達していた「天理時報」を、各支部の教会等の方々が手配りすると
いう内向きな方針が、大きなご用にもなっているように思えます。
ポスティングだけでもたいへんな時間と労力を費やすことを、各支部で競うような現状
には、今ひとつ理解に苦しみます。
よふぼく家庭とのコミュニケーションを地域で支えていくことには賛成ではありますが、
今のやり方では、一方通行のように思います。信者さんにも選択肢を与えるべきだと、
私は考えますが・・・・・
◎ 酒盛りの多い「直会」で、本当に、おたすけができるのでしょうか?!!
◎ いつから、おやさまより偉い <理の親> が存在するようになったのでしょうか?!!
◎ 御供え金のノルマがなければ、真の信仰ができないのでしょうか?!!
「百十五才定命」 ⇔ 天理教人の中からはまだ一人も115歳になられた方はおられないようです。
まずは、ご本部の方々の中から、「なるほどのひと」!!の「てほん・ひながた」をめざしてほしいと
いつも思っている次第でございます。
私は、末端教会所属の、いち「よふぼく」です。
私の所属する教会では、
* 月次祭祭典後の直会? ⇔ お酒は一滴も出てきません!!
* <理の親>と呼ばれる制度?は、存在いたしておりません!!
* 御供え金の強制(ノルマ)は、今まで聞いたことがありませんが!!
同じ「おみち」の中でも、やればできるんです。
でも、ちぁんとご守護はいつもくださっていることに、感謝いたしております。
ほんとうにほんとうに、ありがたいものであります。
何かにつけて、お道は、お道は・・・と天理教人はよく言うが、
そのお道の世界観が狭すぎて話にならんわ。
理の親がどうたら言う前に、こう世の中に無関心ではあかん。
ハッキリ言って、世界の動きなどどこふく風。
狭い井戸の中で、いつまでも陽気暮らしゴッコ。
しかもその中で、苦しんでいる信者も多い。
教会通わなくても、おつとめしなくても
世間の人たちは努力して陽気暮らししてまっせ。
最後にひとこと。
お金は世間の人たちの労働の貴重な対価。
この真実を忘れたら、人間詰みますで。
貴重なご意見をありがとうございます。
9月17日 参議院安保法案審議 午後4時30分ごろ
アベ首相はなぜか、法案の採決前に退出!
ひきょう者としか言えない。
昔から小学校のクラスに一人はいたような、勉強が少しはできても、
「友達がい」のない、ひきょう者の、よわい男子。
アベ首相はそんな姿をさらしていた。
委員長の解任動議が否決された後、自席に戻った鴻池氏を
ワッと自民議員がガードに走り、
ついで野党が取り囲み、せめて採決をさせない行動をとった直後の退席でした。
僕は知らんよ。
僕とちがって野党からもリスペクトされたようなコウノイケ君なんて
ほっとこっ! 人気がないぼくちゃんでも、勝ったもんね!
これが首相です。
種が悪いとこのような人間ができるんでしょうか?
採決だって、されたのかどうか、画面を注視していてもわからなかった。
自民議員が何となく規律していたので、おそらくは、事前に作戦が
立てられていたのだろう。
ならば、首相は、「可決されました」の声を聞いてから退席すべきだろう?
失礼なヤツだ。 人を小馬鹿にしている。
自分が嫌われ者だと知り、それでも強がっている。
哀れな人だ。
だれか、お助けに行かなくては。
誰もチャンネル持っている信者はいないのか。
親神様!!!
陽気暮らしができない人間社会です。
でも、多くの信者が平和を祈り、においがけを平和活動ととらえ、
謙虚に神名を口にしています。
天理教だけではなく、親神がかつていりこんだ、イエスや釈迦に
導かれてきた人々も、祈っています。
どうかお掃除をお願いいたします。
このままでは日本人は心が壊れてしまいます。
親神様、 おやさま、 130年祭を前にして
大きなお掃除をお願いします!!!
× 規律 起立でした。
創価学会員がインタビューに答えていました。「私たちは公明党にだまされていました」と。
我々は「教会本部にだまされていました」と言える人が増えるかも。
戦争なんてだれも納得なんかしないでしょうし、宗教関係なしに反対の立場に立つでしょ。
集団的自衛権がさも戦争に突入せんとする国家の方針のように言われてますが、本当にそうなんでしょうか。声高に反対活動をされている方々が論点とされているところは極論のように思えます。
集団的自衛権は、他国が攻撃されたとしても国民に明白な危険があると認められない場合には行使できません。新三要件を見れば明らかです。
また、侵略戦争の容認ではありませんし、これまでの自衛の精神を覆すものでもありません。
話し合いで戦争が起こらないように…という意見がデモなどで聞かれますが、話し合いが出来ない相手だったらどうするんでしょうか。そのお手本がISISや北朝鮮に中国でしょうか。また今回のノーと突きつけるだけの民主党も話し合いができない象徴のような党です。
天理大学有志の会のFacebookページでも運営側が容認派のコメントに対し、暴力的な発言をされてますね。
反対派の方が意思に合わないものは排除したいという考えを行動原理にしているように思います。
ほら、もう国内ですら話し合いができないんです。攻めてきた相手に話し合いを…なんてのは夢想家のいうことですよ。
さて、戦争法案反対と言っている人の中で知らない人もいるんでしょうが、現行の個別的自衛権の容認だって戦争になりかねないわけです。アレルギー的に戦争という言葉に反応して声を荒げる人は、他国の侵略を受けた際にされるがままを受け入れるのでしょうか。
そもそも自衛権を持ち、自衛隊を保有する以上、戦争の可能性があるということです。しかし、保有するが故に戦争の抑止力となっているんです。
近ごろはこの抑止効果が低下しているわけですよ。だからこのタイミングで集団的自衛権の容認の動きになっている。つまり、戦争抑止のための現実的な合理性があるということです。
世界中が武器を捨てて、共に手を取り合えたらどんなに良いか。けれど、現状は悲しいかな、暴力でしか自己を表現できない、また利益のためには武力行使も問わないという危険な思想があるんです。
今はまだ陽気ぐらしは夢のまた夢。私たちに出来ることは平和を祈り、身近なところから手を差し伸べていくことしかできません。
親神様、 おやさま、 130年祭を前にして
大きなお掃除をお願いします!!!
ってのはかなりカルト的な発言。たすけあいの邪魔になるから掃除してくれっていうことでしょ?
世界一れつたすけたい天理教が何を言うのか。願いの筋が本末転倒。信仰が私怨に負けてるよ。
はじめて投稿します。60年前の疑問に(天理高校二部)思っていた事柄がネット時代になり社会の表?に浮き彫りにされていて、いよいよ お道のみなさん本気に考えください。金の切れ目は縁の切れ目でお道は離れて58年、本当に良かった。と胸を撫で下ろしています。みなさん早く目を覚ましてください。これからも投稿させてください。
匿名の方がきな臭い。
うけとるすじもせんすじ
オカルト的? どのように読んだらそうなるんかい?
君はいわゆるネット上で戦争反対派をつぶして回る、右翼のあんちゃんじゃないかい?
ここを荒らしては申し訳ないが、ネットに慣れていない方のため、
「アラシ」的書きこみに惑わされないよう一言。
信仰者とは思えませんね。
今まで天理教お信じてよく天理迄参拝に行きましたが、これ程部内教会で神お欺く教会が有るとは? 暴力は振るうし身分お証明する物は取り上げて逃げ出さなくするし、又逃げ出そうとするとその人の髪お切って外に出られなくする、大きな問題になる前に対処した方がいいと思うよ?須磨の大きな教会さん?貴方の部内の兵庫にある教会と言えば解るかな?でないと告訴するよ?苦しんでる信者さんの為に!
それって監禁じゃないですか!
もっともっと世間に公表しましょう。明るみにださなきゃだめです。
「天理教 基本教理」の中に基本さんの師が言ってたそうです。
天理教とは「きいているだけなら天国、して地獄」本当にその通りです。
芹澤光治良先生の「人間の運命」が、天理教そのものです。
信者デスさん!苦しんでいる方を救ってあげて!
K大教会の一信者です。
最近大教会に住み込んでいた夫婦(部内教会長、大教会長実弟)が出て行きました。と言うか逃げて行きました。
大教会長夫人によるDVが原因です。教会に帰らさず女中あつかい(奴隷かな)暴力、言葉の暴力、ひどいものです。大教会長も見て見ぬ振りです。
誰も止められませんでした。
多分その夫婦は帰ってこないと思います。
今、張本人はまわりの人達の目が気になるのか詰所に逃げています。
暴力だけ見ても天理教だから許されるものではないと思います。
時間がたてばまた元のように振る舞うのは目にみえています。この現状を変えたいのですが、役員連中は教内の目もありますし、まぁまぁで終わらせるように思います。
大教会長夫妻を辞めさせるのが一番かと思いますが、一信者ではどうしようもありません。
このメッセージを拡散させて下さい。
ひょっとしたら教団の上層部の耳に入り状況が変わるかもしれません。
もしかして、KNZK大教会ですか?間違っていたらごめんなさい。
きっちりとした対応が必要ですね。
私は一信者で里親をしています。
天理教は教団を挙げて里親登録の推進をしているようです。
教会であればそこそこの広さはあるし、宗教家ということで行政への心象もいいでしょう。
里親登録をして里子を委託されると、月々結構な金額が委託費・里親手当として支給されます。
里親登録をして何年か経ち、何人かの里子を預かり、条件を満たすと
ファミリーホームを立ち上げることもできます。
ファミリーホームは事業で、補助者などを雇い、里子を最大6名まで預かることができます。
里親とは比較にならないくらいの事業費などが支給されます。
熱い思いを持って、里親として奮闘されている方々の方が多いに決まっていると思います。
が、私は教団が里親登録を推進するということに、すごく違和感があります。
個人個人が自分の意思で、自分の選択で登録するのなら何の疑問もありません。
なぜ教団がわざわざ天理時報などで大々的に特集したりするのか?
委託費や里親手当て、事業費などをお供えとして搾取しているのではないか?
子どもたちに出ているお金を、子どもたちに十分還元しないで、
この子らは因縁が悪いとか何とか言いながら、国から出たお金(税金)を
せっせとお供えしているのでは・・・?
里子には宗教の強制は禁じられていますが、幼い子には刷り込まれますよね。
こんなことは考えたくありませんが、里親という福祉を利用して、
教団が人集めと金集めをしているような感じがします。
私の考えすぎであればいいのですが、みなさんはどう思われますか?
古い教会長様
当たりです。
よくおわかりになりましたね。
この大教会腐ってます。
たぶん普通に帰って来て、何事も無かったようになるでしょう。
一度、潰れるか、社会的に大きな問題にでも、ならない限り、この組織は出直すことは出来ないでしょう。
覚悟して通りましょう。
「K大教会の…」 匿名さま
イニシャルでなく、実名称を書いた方が。
少しは、書き込む意義が有るのかもしれません。
カインさんも、ブログのある記事には。
大教会の名称を載せております。
残念ながら。
拡散したところで、何も動きはありません。
本部役員、大教会長、上級部内会長、婦人、役員…
横暴な自己権力を振る舞っている、一部の方々に対して。
上層部(本部)、教内でも、把握も認識もしています。
間違いなく、抗議、クレームも。
口頭、書面なりの方法で届いているのも確かです。
ただ、見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり、知っていても知らないふり…それが天理教組織です。
天理教関連のネット、掲示板も。
本部、教内の方々が見て読んではいますが。
無関心を装い、泥を被ることはさけ、波風を立てぬこと。
昔から続く天理教の現状です。
ただ、教会の役員、信者さん方々が。
声を合わせることで。
会長、役員の解任、交代は出来ます。
現に、信者さん方々の不信任案で。
解任させられた会長、役員は、何人もおります。
会長夫人も含まれるはずです。
その横暴さは、今に始まったことでなく。
昔から、黙認されてきたことですね。
暴力、DVとハッキリと書かれているので。
被害に合われた方と行政窓口に相談されるのも、
1つの案です。
問題は、ネットでは匿名で提示できますが。
行動に移すと、個人、家族、周辺の方々への。
嫌がらせ、脅迫まがいな迷惑行為の心配です。
天理教内、宗教団体内での、悲しい現実ですね。
八方美人の天理教。
それは、外面は良く、家の中では横暴を振るう。
言葉を悪くすれば、「家庭内暴力」です。
それは、権力であり、上納金の強要であり、
言葉での脅迫であり、宗教言葉での長き時間にわたる洗脳とトラウマです。
確かに、横暴振る舞いを続けているのは。
一部の天理教関係者です。
現実の教会活動、ネットでの言葉でも。
明るく、支え合い、強要も強制もなく。
素晴らしくあり、慎みある、人間味ある教会長の人柄に集い、天理教信仰を続けて繋げている。
大教会、部内教会、分教会も沢山あります。
目をそらせていけないのは。
社会、世間、教外に。
「一列兄弟、人助け」をうたい、掲げる天理教が。
教内の中での、人助けさえも出来ていないことです。
教会の因縁などと、それは間違ってます。
その時点で、天理教の無責任さを露呈しています。
家庭内暴力を、黙認して、容認し。
その時点で、何を語れるのでしょうか。
教理の元に人が集まり。
教理とは関係なく。
勘違いな構造的強者が、良心を持ちあえて我慢を選び耐え支える構造的弱者に。
横暴な振る舞いを続ける。
そこには、教理や天理教は在りますか?
信者さん方々の良心で支えられている天理教であり。
そして、信者さん方々の良心を踏みつけている
天理教でもあります。
天理教として、このままで良いのでしょうか?
宗教団体として、このままで良いのでしょうか?
何も感じませんか?
何も感じないのであれば。
信仰などしない方が、善いのかもしれませんね。
せつないですね。
修理巡教の本部準員の先生に甘露台倒壊の際、この事情について「本部の先生方は練合はされているのですか?」と問うたところ、「それは、していません。」と答えられました。「本部の先生方で本部の改革は出来ないのですか?」と問うたところ「それは、無理です。地方の会長さん方が声を上げてもらえば、あるかも知れませんが・・・」と言われました。
はぐれ雲さん、それは神崎です。
はじめて投稿します。
私も入信してかれこれ26年となります。天理でいう いんねんがありまして入信してのですが。
この宗教は以前から認識がありました。以前私の家の隣に某分教会がありまして、幼いころから鳴り物を聴きながら育った環境でしたし、分教会の息子・娘さんとも近い年でしたから 一緒に遊んでいました。その当時、ご両親は道一条でしたので、子供たちは本当に貧乏でしたが、どちらも明るい性格で、悲壮感は全くなかったです。
私が中学生になったころその分教会長さんが亡くなり教会があった場所は更地となりまして、今は私の会社に委託されて駐車場として管理しています。
天理教なんて全く私の人生にキーワードとして関係ないと思っていたが、廻りめぐって今、信者からようぼくとなり今現在、某布教所に月次祭に通っている自分の姿に不思議と思うのです。
気がつかないけれど、教祖さまはいるのです。
そう思います。
一方で、現実はいろいろ問題もあることも事実ですが、それはそれとして上をみたらキリはない。
お金がなければそれを訴え、あれば自分ができる範囲で上納する。その程度の認識です。
私が通っている布教所は道一条で通ることがむずかしくなりましたので、今は飲食店を経営しながら布教所を営んでいます。先生は毎日苦闘しながらも布教所を営んでいる姿には、えらいと思います。
皆それぞれ、自問自答をしながら、天理の教えを軸に生活している。それでよいのではないかと思うのであります。
人間には身分相応な生活=天理用語で言えば、徳分いっぱいの世界とゆうことなのではないでしょうか?
世の中すべて、平等になることは無理です。生まれた星で人生を楽しまなくてはいけないです。
隣の芝生は青い しかし、本当に幸せなのか?それはその人本人しかわかりません。
古い教会長様の言うとおり、神崎大教会です。
拡散することによって、教団の上層部の耳に入れば少しは変わると思ったのですが・・・
残念です。なぁなぁで終わりますかね。
教団内全部に広まればちょっとは変わりますかね?
神崎大教会1回壊れればいいと思います。
ちゃんとした人達だけでやり直せばいいのに。
神崎にも真面目に頑張ってやってる方は大勢居ると思います。
大教会長夫人始め駄目なのは一部だけだとおもうのですが・・・
朝日新聞(2015・10・18)に興味ある書籍が紹介されていました。(評・原武史)
『新宗教と総力戦』 永岡崇<著>(名古屋大学出版会)
原氏の書評から読みたくなりました。天理教の歩みです。
古い教会長様
私のような、まだまだ生意気な者と。
対話していただいて、嬉しく思います。
古い教会長様は、長き時間。
天理教を信仰し、天理教を見つめ。
本部へも意見をうかがい、
信者さん方々とも対話を繋げ。
自問自答も繰り返してきたと思います。
今後も、そのままに。
志を持ち、天理教を信仰し、心配をし。
多くの方々の声に。
対話を続け、繋げて欲しく願います。
「本部では、練合はしていない。
地方の会長さん方々が声をあげて…」
本部準員の言葉を文面に読み。
昔から感じる、天理教に対しての。
どこか靄がかったものが、晴れた気がします。
本部、地方限らず、天理教は天理教として。
「すでに昔から、サジを投げている。」
のように感じ、納得しました。
地方の会長さん方々がまとまり、声をあげるような。
想いも熱量もありません。
各々の大会、会議、講話など。
波風はたてないよう、言葉並べでもあり。
連絡次項を伝えるだけのもの、に成っています。
地方教会、信者さん方々も。
天理教に翻弄され、疲労困憊している方々、
家庭も多いことも現実です。
天理教にとって。
本部とは何なのでしょうか?
本部員の方々にも、系統もあり、所属教会もあると思います。
本部と大教会分教会は、法人格?が違うのですよね。
縦の大教会系統、その他に教区、支部。
教会の七割が事情教会と呼ばれるデータ。
事情教会の内容も様々です。
無担任教会、活動休止教会、信者数0~数人。
部内、部下教会の上納金で権威を持つ教会。
信者数もおり、教会家庭が仕事等で収入を得て。
宗教法人の非課税の恩恵を受け、裕福な教会。
教会活動に精進するも、宗教法人を得られない教会。
宗教法人とは、何の為の、何をする為のものなのか。
天理教内で、とても多くの、耳に聞く言葉。
「天理教は、教えは良いけど、本部のやり方は間違っている。」
でも、間違っている本部のやり方も。
天理教で在ることも、目も耳も反らしてはいけないことです。
「日々、成って来るのが天の理」という言葉。
本当は、
「今の現状に、成るようにやって来た。」
たったそれだけの事実だと思います。
今現在、世界中で、宗教離れが進行しています。
日本にも、多くの宗教団体が存在します。
天理教も、衰退減少していく。
その中の一宗教団体です。
私は、宗教離れは悪いことだとは思いません。
ただ、宗教活動、業務に従事する多くの方々が。
宗教業務を辞め、社会へ仕事を求めれば。
就職難などの言葉では済まなくなります。
そんな意味では、宗教団体も社会のバランスを。
保つ役割は果たしていると思います。
もちろん、人の人生、家庭を宗教で壊すことは。
極力減らさなければなりません。
少子高齢化の問題もあります。
お墓の意義さえも、考える時代になりました。
そして、宗教とは何か、必要なのかさえも。
考える時になりました。
天理教が衰退していくことが。
善いか悪いか、白か黒か。
日本人も、天理教も、グレーゾーンを好みます。
ただ、グレー(灰色)は、白と黒の混ざり具合です。
そして、世界は色彩とりどりに溢れています。
満場一致などはあり得ません。
手術には、情が有ってはメスは入れられません。
手術を受ける側も、手術をする側も。
情報、経験、体験、を集め、技術を駆使し。
願わくば、以前の機能に戻ること。
願わくば、それ以上に跳躍出来ること。
戻らずとも、新しい道を見つけ歩み出すこと。
リハビリとは、一生涯の自身との闘いです。
「陽気ぐらし」とは、闘わないことなのでしょうか?
天理教は、メスを入れる熱量も志も無くしましたか。
リホームよりも、壊して建て直した方が。
効率もよく、予算も同じかもしれません。
でも、天理教が潰れてることはなくとも。
土台まで疲弊してしまえば、建ち直す熱量は。
天理教には、無いと思います。
規模を縮小しても、勢いまかせに広げたツケは。
天理教自身で、整理整頓しなくてはなりません。
改革、復元、白紙にもどす、色んな言葉がありますね。
私が望むのは、天理教の外からの解体です。
天理教のコア、核とは何か。
天理教組織を、天理教内外の見識者、学者、信者さん方々などの、多大な努力のもとに。
解体し、整備し、新めることは、3年も有れば可能かもしれません。
夢見話ではありますが。
天理教の教則は、日本国家の多大な法律のもとには。
効力はありません。
何の為の法で、何の為の律なのか。
天理教組織に必要なことは。
カインさんも、ブログ記事の中に述べてある。
「自浄作用」だと思います。
天理教本部組織内部に。
天理教内外の、有識、見識者による。
「天理教社会学研究部」を設立することを願います。
おやさま百三十年祭ですか。
いつなのかは、私はわかりませんが。
旬だ節目だと、騒ぎ仰ぎたて。
役職、教会長などの交代が相次ぐと思われます。
強制に近い上納金の問題もありますが。
自己権欲を残すが為の。
多大な借金、普請などは止めて欲しく強く願います。
そして、権力や勘違いをおこす環境の中で育た。
一部の後継者、教人、関係者の。
増長と暴投は、防ぎ改めて欲しく願います。
私は、天理教に対して。
「理不尽、親心の無さ」と、抗ってきました。
自分自身の分岐点の出来事の際に。
天理教、天理教関係者とも。
一切の交流も連絡も、はっきりと断りました。
「宗教関係なく、個人としての付き合い…」
と、手のひらを返す天理教の方々も沢山いました。
「天理教により、財や時間、家庭も失った方々も沢山います。その方々に、その言葉をかけられますか?
出る杭を叩いて喜び、目の前の現実に見てみぬふりもして、何が陽気ですか? 自分達のしてきたことを、正道(まっとう)と思わないで下さい。自分達のしてきたことを、誤魔化さず。最期まで背負って下さい。」と。
本当は、もっときつい言葉を使いました。
自分の見てきた天理教と、全国に広がる天理教の
現実を確認したかったです。
やはり、天理教の現実はそのままでした。
天理教で救われ、支えられる方々も沢山いるのかもしれません。
でも、天理教で苦しむ方々も同じぐらいに。
それ以上にいることを、誤魔化さず、見失わないで下さい。
天理教の理とは。親とは。天理教とは。
私には、今でも、さっぱりわかりません。
わかりたくもありません。
それで善いと思います。
何年前に。
母を介護し、看取り、送り出し。
そして、月日を重ね。
母も私も、他の方々も。
振り回され、苦しめられた、天理教を。
整理した家の中で。
母の写真と、時々対話しながら。
日常にポッと浮かぶ。
母の姿を感じながら。
沢山のことを感じ想い悔やみ葛藤しています。
でも、感じたことの中に。
「最期に残るのは、人と人。たったそれだけ。
そして、命と時間は同じものだと。」
その時はその時にしか在りません。
そのとき出来ることを、やらない人が。
先や未来を語ることは、薄く感じます。
神を語る前に。
やるべきことが、沢山在りますよね。
母は、平均寿命よりも少し早かったですが。
自身の人生を全うしました。
中山みき様も同じです。
いつまでも「存命の…」と。
天理教の都合欲使わずに。
送り出すべきではないのでしょうか。
送り出し、次は自身が歩み成長すべきです。
子を持つ親の方々へ。
例え教会で在ろうとも。
自身の子に、いんねん、神の御用など。
天理教を持ち込まないで欲しく願います。
自身の言葉で、対話して下さい。
神がどうの…と使うことは。
育児放棄であり、親であることの放棄。
そして、親ではなくなってしまいます。
子供の未来を守ることが。
親、大人の存在意義の1つだと思います。
天理教内で、横暴な権力を振りかざす方々へ
一言に、わかりやすく伝えると。
イジメ、カッコ悪いです。
教理も組織も。
叩き磨きあげて欲しく願います。
組織こそ、叩かれて伸ばして叩いて。
ブレない核を作り上げて下さい。
ちょっと日常の中で、在る出来事があり。
感慨深い夜になったので。
内容の重複も、多々ありますが。
綴っていました。
はぐれ雲なので、またフワッと。
立ち寄って見ようと思います。
「天理教社会学研究所」
熱量を持ち志ある方々が。
多くのスタンスの方々が。
行き来して溢れる場所になるよう願い祈ります。
里親の件、自分が知っている限りでは、教会だけでは食べられない末端教会が里親制度を「利用」しているのです。里子に対して出る結構な金額の補助金で教会一家が細々食べているのです。この制度、貧しい天理教教会の食いものにされています。事実、上級教会長が言うのに「里子を受けたら結構ようけえ金が出るらしいで。あれはええらしいで。」とうまい話と言わんばかりの話をしているのを聞いて、いやらしさに興ざめした覚えがあります。里親福祉制度を「利用」し、自分達がありついている、否利用せざるを得なくなったこの天理教組織で泣く末端教会。おそらくもらった補助金をお供えにまわすと言うよりは自分達の生活の種になっていると思われます。人だすけの天理教が社会の税金を表向き上手に利用して社会に助けられている。お粗末で恥ずかしい話です。(全てではありません。里親として心から大切に里子を守り育てている教会も数多くあるとは思いますが。)
匿名の教会長様
そうですね、お供えよりも生活費ですね。
もちろん里親手当てという名目で出ている金額もありますので、
そこをどう使おうと自由ではあります。
委託されてきた3歳ぐらい子どもに、会長さん と呼ばせている里親にはびっくりしました。
なんだかモヤモヤした気持ちが拭えません。
社会的に最も弱者である子どもを利用しているようで・・・
教会関係の里親が増えると、色んな問題が出てくると思います。
傍観しているしかないですが・・・
《委託されてきた3歳ぐらい子どもに、会長さん と呼ばせている里親にはびっくりしました》
そこには、福祉のお金を利用して子供の住み込み人を作っているという意識があります。
年祭の年だから?いつもより大変なこと起きやすい?
よくわからないです。
私の周りにも年祭の影響で離婚した人がいるので、先生方は別席へのお誘いに熱心です。
お金がないと断っても、「それはどうにでもなるから」といっているそうです。
その人は息子さんを連れてお地場へいく予定らしいのですが。
私はそんなことで本当に助かるのか?と思います。
年祭にはノルマがあるらしいので、上級教会からの締め付けが厳しい。
結論として、最低ラインのノルマは達成しなくてはいけないのがホンネ
なのでしょう。
なんだかこの話聞いて、残念に思ったのは私だけかもしれません。
そんなことを布教所で話題にしたら、私はここに来れません。
人間関係を壊してまで、そのような会話はできないので、
教会を去るか黙っているかこの二通りの方法しかありません。
ここ何年間信者さんも減りました。
それはそれで残念ではあります。
今、インターネットで天理教の裏話が流れていることも布教所サイドも見聞きしてはいると思いますが、
私以上に教会にお世話になった方々ですので、その情報を冷静に検証したりすることは皆無です。
私自身も先生方にそのことについて議論することを避けています。
天理教の教えはすばらしい。しかし人にその教えを強制してはいけない。
私自身 おやさま・理の親様に恩義はあります。
しかしながら近い将来、結果として教会に足を運ぶ回数少なくなりそうです。
mami様
朝日新聞(2015・10・18)に興味ある書籍が紹介されていました。(評・原武史)
『新宗教と総力戦』 永岡崇<著>(名古屋大学出版会)
原氏の書評から読みたくなりました。天理教の歩みです。
とご紹介くださった18日の朝日新聞の書評読みました。
また ↓ のAmazonのレビューも講読意欲をわき立てますね。
http://www.amazon.co.jp/新宗教と総力戦―教祖以後を生きる―-永岡-崇/dp/4815808155
ただ、大学出版だけあって価格が高い!笑
天理教内で学べる歴史は教祖ご在世時代とおさしづの時代がメインですので、戦時下に焦点を当て、さらに客観的に論じているものは希有な存在だと思います。
いつか機会があれば読みたいと思います。高いんでね、買ってまで読めません。
年祭だから何かが起きるわけではないと思っています。何かがたすかる訳でもありません。この旬に頑張れば良いことが起こる。頑張らなかったら悪いことが起こる。そんなことはありません。現に上級教会の会長さんは上へのお供えに追われ、借金まみれで「旬」の最中に今年出直しました。頑張って、信じて尽くしていたのに、亡くなる時は亡くなるのですよ。(癌でした。私は出直しもご守護と思っています。)ふたつ上の教会長が私達末端教会の信者達に言ったことは、「お前達の勤め方が足りないから会長を救えなかった。何をしてきたのか。通り方をしっかり反省しなさい。」でした。会長が亡くなったのは私達のせいですか?彼はあなたの教会に借金まみれになりながらお供えを運んだのではないのですか?どうして助からなかったのですか?」と聞きたいのです。「旬だ、旬だ、」とは信者にお供えや信者獲得のはっぱをかけるための都合良い言葉。親神様は「旬」などのピンポイントには関係なく常に絶えることなきご守護を下さっています。良いことも、また自分にとって都合が悪いことも、全て親神様からの与えであり、たんのうし、常に喜びに変えて感謝の心を忘れず暮らすことだと思っています。「旬」の掛け声に振り回されてはいけません。旬だからではなく、日々毎日を丁寧に生きることだと思います。
匿名の教会長さん、まったく、その通りです。
まず、いろいろとハッパをかけられても、人が言っていることです。心を強く持って、神と向き合うと軽くなります。欲の混じった言葉に惑わされてしまっているのです。あいつは駄目な教会長だとレッテルを貼られても平気でいることです。
そして上上級の教会には参拝しない心定めをすることです。自分の教会家族と信者さんを全力で守ることが大切です。
何を言われても、平気になれる強さが必要です。相手の武器は言葉だけですので、当たっても死にません。
お金が集まっている限り、この組織は助かりません。お供えをしないことが、天理教を真から良くする方法です。
お供えを減らすキャンペーンをはりたいくらいです。
古い教会長様
そうですね。「上上級教会に参拝しない心定め」を私も最近考えているところです。手ぶらでは行けないし、お供え無しでの参拝となれば、必ず後で何か言われます。古い教会長様のコメントには全く共感です。自分の教会家族と信者さんがまず一番です。枝葉である末端教会が枯れ果てている今、幹だけが生き残れるはずがないのであり、枝葉が茂ってこそです。全国の末端教会の会長さん、私達枝葉が元気に茂る事を考えましょう。自分の教会が立ち行くことを考えましょう。お供えを減らし、本部や大教会にお金が集まらないようにする事こそが組織を解体し「新生天理教」を産み出す一番の早道です。
匿名様へ
本当に高価ですね。単行本3冊分!紀伊国屋に行きしばらく立ち読みしてやっぱり購入してしてしまいました。退職後は図書館と活字好きな友人から回していただく書物が主な私としたことが!
天理教が戦争協力したことの弁明や批判は何冊か読みましたがどれも今一ストーンと胸に落ちず。
過って、自身の問題として天理教団の戦争協力を考えなければならないことに直面したことがあったもですから。
匿名の教会長 さん、今の現状は、本部は幹ではなくて、巨大な根です。水分や栄養分を幹や枝や葉っぱに供給しなければならないのに、供給しないから根ばかりが巨大になってしまっているのです。
大地から栄養や水分を取って枝や葉に送らなければならないものを、それを枝や葉から取ろうとしているのです。
本部こそ、しっかりと神様の方を向いて、世界助けのパワーを我々に発信しなければならないのです。取ることばかり考えず、散財する心(さんざい心)を持ってほしいのです。
そういう呼びかけするなら、堂々と実名ですればいいのに。他人のブログのコメント欄というお膳立てされた場で、匿名の声を挙げても何も変わらないんじゃないかなぁと、冷めた目で見てしまいます。
ツイッターとかfacebookとか、実名でやれば賛同者も増えるのでは?もちろん非難も多数あるでしょうけど。
斯く言う私も匿名ですが、一信者ですのでお許し下さい。天理教がより良い方向に変わっていくことを願っています。応援してます。
一信者より さん、応援有難うございます。時が来ればそんな日が来るかもしれません。しばらく冷めた目で見ていて下さい。
ともに、天理教再生に向かって歩んで行きましょう。
質問があります。
表統領、次の真柱の名字は、
中山ではなく、なぜ中田なんでしょうか?
どなたか、諸井國三郎遺稿集をお持ちの方おられませんか?
教会設立の話を最後の最後まで教祖が反対されたお話が書いてあるそうです(天理市内の90代の方から聞き取り)。
信者数が増えてきたので、幹部の皆さんで20人以上、交代で教会設立のお伺いに教祖のところへいったところ、絶対お許しにならなかったそうです。
表統領の中田善亮さんは、現真柱の中山善司さまの弟。
中田家の養子となって、名字が中山から中田となった。
その中田善亮さんの長男の大亮さまが、現真柱にお子様がいないので、
善司さま・はるえさまご夫婦の養子となられた。結果
現在、次の真柱継承者は、中山大亮さまに決まっている。
おやさまは、眞之亮さまの願いである「教会本部」の設立を、
なかなかお許しにならなかった。
今の「郡山・山名・兵神・船場・河原町・・・・・・・」などの教会となる
元の「講」は、すでにお許しはあった。
「 どうでもしんじんするならば かうをむすぼやないかいな 」
MICHINOTOMO様
ありがとうごさいます。
やはり中田家へ養子になっていたんですね。
教会長の兄も知りませんでした。
今日は布教所の月次祭でした。かならず月次祭は参加します。
その月ごとの反省もこめて行きます。
これはとても大切なことです。人がなんと言おうとそれは実行しています。
天理教維持財団のことはもし本当であれば、残念です。
しかしそれは、親神様がこの巨大宗教化したこの宗教団体に天理用語でいうならば、お手入れを入れるでしょう。
それではじめて私たち末端の信者にも影響を及ぼすことになるでしょう。
それでも教理は私たちの心にしみ込んでいます。
本来、日本がもっていた お互い様の精神が天理教の原点です。
今の生活の中で自然と身についている信仰であります。
宗教団体が仮に崩壊しても、おやさまの行動やお言葉が生活する上での手助けになるでしょう。
「教祖が現身をかくされたのは「子ども可愛い故」と強調されてきたが、実際におさしづ原文の中には、定命を縮められた理由として。
「残念々々で──」「どうもならんから──」「余儀なく──」「是非なく──」「思わく立たんから──」「すっきり分からんから──」身をかくされた、という意味の神示が繰り返し述べられている。」
と、書いてあります。
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/
古い教会長さんへ
ずっと疑問でしたがこの神示を知りまして納得いたしました。
親神様のご守護については皆さん体験されましたか?
私は体験しました。これは神様が教えてくれた体験でした。
そう思うとやはり布教所へ月次祭は参加するのです。
これが私のご恩返しです。
これ以上でもこれ以下でもなく。
お友達や知り合いにも、天理の話しました。
布教所へ足を運んだり、別席も参加した人がいたりしましたが、残念ながら継続した人はいません。
結果私だけは相変わらず、月次祭へ参加している。
そんなことでよいのか?と自問自答しました。
でもそれ以上の情熱もない私です。
多分これでいいのと勝手に解釈して。
また、人様に必要とされるのであれば、お助けをしたいと思っております。
こんな調子のようぼくは、教会とすれば、あまり歓迎されないでしょうね。
NANASY様
いいえ、いいえそれで良いのですよ。まずはあなたが救われていれば結構なことです。教会が歓迎するようぼくとはどんな人物か?たくさん人を連れてくる人?お供えをたくさんする人?そんなことで喜ぶような教会には行かないことです。教会は数や金額にこだわらず、一人ひとりに丁寧に向き合い心が楽になってもらうよう勤める。教会とはそう言うことに徹する所だと私は思っています。おのずと助かった人が人を呼んできます。時間はかかりましょうが・・・自然体でいきましょうね。
次に、今日「教祖とその時代 天理教史の周辺を読む」と言う本を読んでいたら、教祖は賓のどん底へ落ちるため田畑を売り払ったと認識していたのですが、後に教祖存命中に(秀司さんが中心だったのか定かではないのですが)全部手元に買い戻しているのですね。中山家は相当裕福な金貸しできちんと利息を取っていた。教祖のうわさが広まり始め、お供え金も相当上がっていたらしい。だから買い戻せたのですね。米作りより綿作のほうが実入りが良かったらしく、金貸し以外にも手広く綿や養蚕で商いをしていたそうです。(教祖は金儲けには反対していたのかもしれませんが・・・)海の遠い奈良の地に居て中山家はかなり値の張る魚介を豊富に購入し食べていた資料が残っています。当時は高価で手に入らなかった「砂糖」も中山家では買えていたらしく秀司達が記していた食材購入帳からその裕福さが垣間見えると書かれていました。芝居や余興を見る楽しみも暮らしの中にあり、「ゆとり」のある生活をしていたことが窺えるとありました。私は教祖もその家族も現身をかくされるまで賓のどん底に居たと思っていましたが??ほうその赤ん坊に自分の乳を飲ませた逸話も、自らどん底に居て、なおも施したとの認識でしたが、当時の教祖の環境はそうではなかった。裕福で慈悲深い家があるからそこへ行けばありつけるよ、くらいの環境だったらしい。同じ一軒家なら教祖も高価な魚や砂糖を食していたと言うことでしょうね。私の頭の中は???だらけです。
おやさまひながたを通れ、どん底を通れ、とお供え地獄。食べたつもり、行ったつもりのつもり貯金をお供えにまわし、お供えこそが助かる道と信じて実行している信者さんを周りにたくさん知っています。我が家もそうでした。教祖の当時のありのままを知りたいです。捻じ曲げて純粋な信者を騙さないでほしい。どれだけの家族が巻き添えを食っていることか。真柱中山家は教祖や秀司・こかん様の逸話等、美談にせずに、ていねいに事実をありのままに出して欲しい。
匿名様
よきアドバイスありがとうございます。
布教所の先生方はいつも親切でにこやかに迎えてくれます。
私は先生方にこのHPをお知らせしたほうがいいのかどうか迷っています。
そこまで、踏み込んでいいのかどうか?
信仰の度合いはそれぞれ違うので、この話題をきっかけに関係がよくなくなることを
考えるとやはり言わないほうがお互いの身のためかとも思うわけです。
その一方で、隠し通せない自分がいるので・・・・。
むずかしいことです。
NANACY様
末端教会長です。私も上級教会にこう言うサイトがあることを知らせて議論したいのですが、アンチ天理教と思われて関係が悪くなるのを恐れています。アンチ天理教即ちアンチ上級会長となりますから嫌われたらことあるごとに嫌がらせを受けるでしょうから。信念を持ちつつも周りの顔色、空気を読みながら自分を守ることも大切です。誠真実の良い布教所に通われているようでいいですね。お互いに心から楽しめる陽気な信仰をしましょうね。
わたくしも、末端教会長です。末端こそ信仰が根付くのです。信仰がなければ、やってられません。
美味しいところが一つもないのですから。
コメントありがとうございます。
今現時点の段階では、このHPのことは言わないです。
いずれ議論する時が来るので、その時は今後の宗教活動のあり方を含めて議論することがあると思います。
それがお金のお願いのときなのか、それとも、強引な勧誘があったときなのかわかりませんが。
いずれ、口にする時があると思います。
理の親からいろんな事情で助けて頂いた恩も忘れて・・・。と周りから批判されても、疑問があれば当然聞きたくなるでしょう。 それが人間です。
布教所サイドは「上のことはわからない。知らなくてもいいことは知らないほうが幸せ」という可能性があります。
その時点で話は平行線となるとは思いますが。
いずれ、その時が来たら話さなくてはいけないでしょうね。
つらくても。恩知らずと思われても。
NANACY様
「互い互い知らし合い 互い互いの研究 諭し合いの道と言う」M30、2,25のあさしづより
「互いに遠慮は要らん 遠慮は追しょう、追しょうは嘘、嘘に追しょうは大埃の台」M31.5.9のおさしづより
つまり教祖はお互いに遠慮せずにしっかり研究し合い、談じ合いをしなさいと「ご神言」を出されておられるのです。現状では教祖の意に反して「上下関係」が人間の手によって作られてしまいました。布教所においても所長さんが一番。思うことを言うなんて許されない空気があるのでしょう。いずれ腹を割って話す機会が出来てくることでしょうね。私もいずれは腹を割って自分の思っている事を上級・上上級の会長と談じ合いしたいと思っています。私は末端教会長ですので今は空気を読みながら、自分の身を守りながら、時期、タイミングはゆっくり計りながら・・・。親神様は見ていらっしゃいます。私達の発言に光を当てて下さる時が必ず来ます。焦らず他人に流されず信念を持って自分らしい信仰しましょうね。
「・・・このやしきでは、親族の理では、世上救けること出来ん。・・・」(明治24・1・28)
「・・・このやしき高い低いの区別は無い。・・・」(明治28・8・3)
「・・・何ぼ諭した神のさしづ、皆んなあちらへ映るこちらへ映る。勝手の悪いさしづはは埋もって、・・・」(明治31・9・30)
「・・・教会長は、大教会長であろうと、分教会長であろうと、或いは場合に依ったならば、布教所を担当している単独布教師であろうと、全ては同じ理であります。・・・」(二代真柱様のお言葉)
これらのお言葉から教祖が何を求めておられるか、よくお分かりの事であると思いますが・・・。
更にこんなおさしづもありますが、
「・・・双方の心にとって皆々高い低いの理は無い。ろっくな道なれど、勝手の理よりだん/\高低の理を拵え、あちらこちらへ擦れ、心の理は散乱。
たった一つの理を、兄弟一つの理、後より出けた理もあろうまい。先へ出けたという理は無い。・・・」とも教えられます。・・・
世襲制がある限り、天理教の発展はない。断言します。
そうですね。世襲制があるかぎり発展はない。
天理教も会社経営も同じことです。
他人が中に入ってはじめて改革が行われると思います。
次に継がれる方々はこれからの世の中ふんぞりかえってはいられない状況であることはそれぞれ思っている。
しかし、歴史があればあるほど、いままでの慣習を打ち破ることの難しさ。
まして、幼い頃からその環境に生きてきたから、それを覆すエネルギーがない人々が多いのでしょう。
だから、三代で終えてしまうパターンが世の中の常ではないか・・・。
いずれにしても継続することは大変であります。
私の家は昔から商売を細々と営んでいます。
父親が亡くなってから、旦那と二人で家を継いでいます。
職業柄、人様のプライベートに関わることもあります。
しかし、職業の範囲で付き合うので、たとえ大変な事情のお客さんがいてもそれ以上は深入りしません。
業務を果たすのみです。
お道の話なんて心に思うことがあっても絶対に話しません。
ただ、いつも思うことは、人間はどんなに境遇がつらくても反対に恵まれていてもその人の心持ちで人生が動いているのです。
だから、自分の信仰している宗教の押し付けはしないです。
ただ、つらい人には何気に言葉をかけて少しでも助かってもらえればいいかな?
そうゆう気持ちいつも心がけています。
私にできることはそんなことしかできません。
だからできの悪いようぼくです。まずは積極的でないのが悪い点ですね。
nanacyさんの、その「自然体」な信仰の姿勢、いいですねぇ~。
私も一般信者ですが、年齢と経験を重ね、
日々の生活の中で心を研鑽し、
誰かをさり気なく、ささやかでも「おたすけ」出来る。
さわやかな、柔らかな風になり仄かな「にほいがけ」が出来る。
そんな「よふぼく」を目指したいです。
天理教には世襲制度は有りません。後継問題でおさまり易いから、どうしても子息に後継者という形になり易い傾向があるのも否めません。私の周辺の教会では、代々、血族関係の無い他人の方が会長として後継されています。無論、事情教会ではありませんが。最近でも血族関係の無い人が会長職を継がれた教会があります。
私も現職の末端教会長ですが、いつでもその職を辞する覚悟はありますし、息子に後継しようとは思ってはいません。愛町分教会初代会長関根豊松先生は、「・・・教会は信者のもの、僕はこの黒い鞄一つあれば、いつでも出て行くよ。・・・」と言われたそうです。そこには教祖の教えられた「執着心を去る」そのもののが垣間見られます。
このブログは、説得力が有りそうで無さそうでという感じがあります。カイン氏は研究者で学者であります。我々は信仰実践者であります。だからどちらが正しい間違っているというのではなく、ある種相容れない処があるのも否めないと思います。ただ、カイン氏の知人である天理教人の信仰や情報に関しては、ある種疑問を持ちます。この方おそらく某大教会の役員と思われますが、正しくカイン氏に今の天理教の現況を述べられておられるのか。ちなみに、おそらくカイン氏もその方も私も、同じ市に住むお互いだとは思いますが。
維持財団の話もありますが、私の教会は○○維持財団から、ちゃんと不動産を返されました。微々たる面積ですが当教会に登記し直ししております。教会本部も大変です。無駄な不動産、不必要な不動産など処分されております。憶測推測で物事を語られるのは、あまり良い事ではありません。
私は体制者でも反体制者でもありません。教祖の御教えを素直に実践しようと努力している一教会長です。引用される道の友などの資料はその通りだとは思いますが、以前に団体責任者の密輸の話が出ていましたが、当時知人の別の団体の責任者に聞きましたが、犯した人は信者でも、団体責任者でもなく、一般人で未信者で帰参を利用しただけであると言っていました。
御供金にしても、沢山する信者が信仰熱心であるとは考え違いも甚だしいです。ちなみに、御供金に名前を書いて頂くので、正確に御供台帳や現金出納簿に記帳出来ます。それを無記名にした場合、奉賽金、いわゆるお賽銭扱いになり、それこそ不適当な経理処理がなされる場合があります。だから記名して頂いて、後日開示請求があった場合、間違いないと確認して頂くことが出来ます。ちなみに、宗教法人は赤字決算は出来ません。
天理教の者は、問題が起こった場合本当は説明する必要があるのかも知れませんが、いちいちこれはこうだとは発信する傾向は、残念ながら少ないと感じております。私は系統は違いますが、ある先生の教えを深く受けております。その方が常に言われたことは、「・・・天理教が人を助けるではありません。助かる道を教わってその道通って助かるのです。信仰しているからいい、天理教やっているからいいでは、何年通っても、運命は切り替わりません。・・・」
更に、「・・・神様、こうして下さい、ああして下さい・・・と頼むのじゃなくて、教祖のひながたを見つめて努力することが、信仰そのものなんです。神様を拝むのが信仰でもなければ、お参りするのが信仰でもありません。お金を供えるのが、もちろん信仰ではありません。今日も一日、教えられた道を守って通る努力をさせて頂きます・・・と心に決めて、努力することによって、自然に与えられてくるのが天理なんです。・・・」と。
これらの事を誠心誠意実行している、名も無き教会、布教所、信仰者、よふぼくが存在していることを知って欲しいと思います。
とんとさん・・・確かに教会は世襲制ではありませんが、真柱は世襲ですよね。本部員に名を連ねるのは同じ名字です。大教会長を民主的に選ぶことはありません。
世襲でない教会は、後継者のいない教会。不祥事を犯した教会。それが多いだけです。
でも、一般社会から見て、世襲でないとは言えないでしょうね。例えば、世の中に、とても立派なお道の信仰者がいたとしても、けっして真柱になることも、本部員になることもないでしょう。
それは、世襲に近い組織だからです。
私もそれは否定いたしません。教祖の言葉は、日本古来の家制度を否定された言葉であり、、「寄る理」と「寄せる理」の違いがあるように、いずれ天の理に依る差配があると思いますし、実際教内いろんな問題が出た数年であったと思います。いづれにせよ、みかぐらうた、おふでさき、おさしづを基本にして、更に教祖の口伝を学ぶ時、親神、教祖の真の思いが、更に理解出来るようになると思っております。
この道は単なる一宗教ではないと思います。世界助ける世界宗教であるならば、もっともっと日本文化に染まった処を排除し、「世界治める真実の道」と言われたをやの思いに添ったお助け活動に共々頑張りましょう。
とんとさま とんとさまの述べられていることは正しいのでしょうね。でもなぜか胸に落ちず途中で止まっています。
天理教最高のトップ二代真柱中山正善さまのことばが実践されてきたならば何故もこう批判や嘆きなどなどの意見が上がってくるのでしょうか?真柱様の言葉は皆、フラットと言うことですよね。どうして理の親などの上下関係が出来たのでしょうか?良くも悪くも教団組織があったから天理教が続いてきたとは思っております。ご本席飯降伊蔵さまご存命の頃に私に繋がる者が入信したので自分はほとんど信仰者などとはいえませんが無関心にはなれません。とんとさまのをや(教祖様?)の思いに添ったお助け活動とは具体的に教えてください。『教祖以後を生きるー新宗教と総力戦』を読みながら「今」を考えています。なかなか自分の思いを文章にするのは難しいです。舌足らずでごめんなさい。
ぶっちゃけた話、宗教の教典の類など、道徳の一環と捉えればいいこと。
私はこの先、誰も別席や修養科なんぞを勧めたりすることはないだろう。
「天理教学者」なるものを目指したい方が三大原典でも鳴り物でも極めればよいこと。
一信者の私は、「花咲かじいさん」の悪い爺さん、「舌切り雀」のおばあさんにならないよう
日々の生活で気をつけること。
それだけでも神様は感心はしてくれるだろう。
とんとさん、
この道は単なる一宗教ではないと思います。世界助ける世界宗教であるならば、もっともっと日本文化に染まった処を排除し、「世界治める真実の道」と言われたをやの思いに添ったお助け活動に共々頑張りましょう。>
との意見ですが、本当にその通りだと思います。しかし、現状は一宗教以下に成り下がっています。ある本部関係者が言っていました。「本部の中は、伏魔殿や。」と、詳しい意味は分かりませんが、この耳で聞きました。
縁の下さんへ
「天理教学者」が我々一般信者に何を貢献してくれてんでしょうかね。
原典や鳴り物はわたしも修養科や講習でくわしく習いました。
自分でも勉強しています。
「天理教学者」が理の親は異端教理だとハッキリ言ってくれましたか?
ナンにも言ってないですよね。教会本部のゴマスリばかりして。
最低。ムダな存在。
だから、天理教社会学研究所にホントウの真実を求めてやってきています。
組織が巨大になるにつれていろんな人が集まる。
人があつまれば、いろんな考え方・価値感がでてくる。
しかし、ここに集まる人々は、皆、神様の助けを求めてくる。
それが天理です。
ありがたい。結構なことです。
しかしながら、現実を見たら、問題なことばかり。
それを一つ・一つ・丁寧に歩みながら
又、一つ・一つ・反省を少ししながら
毎日をすごして、また月次祭にいく。
その繰り返しです。
私の個人的な考えなのですが、日本文化を排除しての世界救済なんてありえるでしょうか?
天理教からは離れはしたけど、縁の下さんと同じく日々の生活を大切にしながら暮らしております。
信仰とは、誰の為でもなく教団の金集めに加担するのでもなく、日々感謝して暮らすことが尊いように思うのです。
私が反省しなければならないのは、例え父の治療費に莫大なお金が必要であったとしても、信者さんにとっては教会は心の拠り所であったことに思いをかけることができず、突然教会の売却を言い出したことで戦争のようになりましたが、詫びる一言があっても良かったのではなかったかと、天理教を信仰されている方のコメントを読んで初めて気づかせてもらいました。
母にしても、柏木何某の公演を聞いてから、自分ももっともっとたくさんの信者を作り、立派な御殿のような教会を頑張ったら作れると勘違いも甚だしいですが、母の野心家の魂に火が付きどうしようもないとこまでいきました。もう既に鬼籍に入って40年近くになるのに、未だに許せないんです。
母の生きている世界観が天理教全てだったので、耳に入る言葉は教団にとって都合のいいことばかりであったとしても、それを疑いもせず信じて生きていく方が楽だったし、認められる世界でもあったわけで、仕方のないことだったのかもしれません。
ようやく母を赦すことができつつあります。
これもカインさんのブログであり、真摯にコメントを書かれる方の生真面目さに、自分の頑なな心をもう少し柔らかくしてもいいのではないかと気づかせてもらいました。
ありがとう!と感謝することができなかった徳子です。
徳子は、「貧に落ち切れ」「道一条」とは真逆の、せっせと昼も夜も関係なく仕事に励み、大好きな和の暮らしの中で着物を着て楽しんでおります。
大正ロマンのハイカラさんのイメージで、着物に真っ白なエプロンをしてコーヒーを飲んで寛げる年寄りサロンをしたいと思っていますが、周囲の人達に「寝ぼけたこと言うな!」と相手にされません。
だけど諦めずに希望だけはもっててもいいかな~と思っています。
天理教とは関係ないのですが、何かいいアイデアがあったら教えてください。
徳子さん。
「母にしても、柏木何某の公演を聞いてから、自分ももっともっとたくさんの信者を作り、立派な御殿のような教会を頑張ったら作れると勘違いも甚だしいですが、母の野心家の魂に火が付きどうしようもないとこまでいきました。」・・・
多分、うちの父も、その影響を受けていたと思います。その影響を受けた人が天理教を支えてきたのですが、駄目にもしてきたと思います。もうバレているのです。本当の復元をしないと先がありません。いくら一生懸命走り続けても、ザルで水をすくい続けているのと同じです。何も残りません。
徳子様
喫茶店のようなディサービスも兼ねたご商売をされたいのでしょうか?
希望を持ちながら、まずは資金を貯めてください。
何かしら事業をしたい方がよく利用されるのは自治体で補助金がでるパターンがありますから、よく情報を集めるのもいいと思います。
私のお客さんで自営をされている方多いです。
ある人は就職氷河期で就職できなかった時代就職できず。
自分の勉強してきたことが生かされる場を作りたくて、大学卒業すると同時に自営を始めた女の子たちが
いました。
いまや、世界中からお客さんの要望を聞いて地場の業者さんへ提案し、商品化して輸出している企業となっております。ホント立派です。
起業する人はどの人みても前向きで転んでもタダでは起きない人ばかりです。
勉強になります。その根性は。
お互いがんばりましょう。
① mami様へ
ご苦労様です。歴代の真柱様もかなり努力されたようにもれ聞いております。特に前真柱様は、「理の親」とは、親神・教祖の事であるとハッキリ明示されていますし、親神様は、人間には高い低いの関係は無いと断言されていますが、信仰に導いた者と導かれた者、いわゆる、教団用語として理の親と理の子と表現なされたのでしょう。おそらく当時の方々はそれがなかなか理解出来なかったか、錯覚されたかも知れません。あくまでも推測ですが。それが日本古来の主従関係に繋がって行ったのかも知れません。私は一介の信仰者であり、偉そうな事は言えませんが、天理教は、宗教だとは思っていません。人の通るべき、実践すべき道であると確信しております。とりわけ、いろいろ教祖の口伝などが出ていますが、それを参考にしながら、むろん原典は基本ですが、「誠とは、己を忘れて人に尽くす心」「真実とは、人様の喜ぶよう努める心」と教えて頂いたので、人に対して、物に対して、言葉を通してなど/\、それらに対して日々誠真実を尽くす努力をしております。具体的には説明し難い事なので申し訳ありません。『教祖以後・・・』の本はちらっとひらい読みしましたが、私の能力では苦労します。知人の方は、よく調べておられるが少し事実誤認のところもあると聞いております。
② 古い教会長さまへ
私は直接聞いた事はありませんが、そんな噂が出ていたらしいですね。例えば「かなめ会」とか、「足の引っ張り合いをしている」とか、あくまでも推測ですので真実は知りません。ただ、正文遺韻の中で、「台所へ出ると埃がつく」との口伝を考えて見ますと、人間の心の埃の事を言っておられるのではないでしょうか。あくまでも個人の思いですが。おさしづでも、『ぢばも鏡なら世上も鏡、世上の理も映ればぢばの曇りも皆映る』『澄んだ道から澄んだ心が鏡やしき、澄み切ったもの。曇りあっては世界映ろうまい。少しでも曇りあっては、世界は丸曇り』と言われています。ここからしても、自ずと理解出来るのではないでしょうか。
③ 徳子さまへ
頑張って下さい。個人的には、「貧に落ち切る」とは、心を低くすることであると思いますし、教祖でも施しをされても、種になる母屋とか、一部の田畑は年切質に入れられていたと聞いております。「道一条」は、職業区分で言っておられると思いますが、いわゆる道専務。個人的には、どんな職種にいても、常に神一条の精神で勤める事が大事で、道専務の人間でも神一条の精神を忘れたらただの人と同じだと思います。だから「道に世界あり、世界に道あり」とおさしづに出て来るのだ思います。いろいろあるとは思いますが、前へ明るく進んで下さい。
とんとさん。
「かなめ会」とかの話じゃなくて、もっと奥の話みたいです。
古い教会長様
マグマのように熱い情熱が、教団の発展に与しそして家族を破滅に追いやることでもあり、全てのことが表裏一体なのですね。
nanacy様
一段、一段と目標に向かってチャレンジします。
素敵なアドバイスをありがとうございます
とんと様
私も教会の端くれの中で育ちました。
綺麗ごとだけでは済まされないものを、たくさん見てきました。
人間の蠢く欲に翻弄される、善良な人々があまりにも無知であるばかりに、苦悩に満ちた生き方をしてきた姿もみてきました。
真理はひとつであります。
そろそろ本部も真実を発表してもいい時期なのではないでしょうか?
この頃は忘れていましたが小さかった頃よく思ったものです。どんなに貧しくてもいいから普通(労働者)の家に生まれて来たかったと。皆様のコメントに接してめずらしくその頃の自分を思い出しました。大きなお寺四軒もある中で貧しい異教の教会の生活はそれは惨めなものでした。親はいい自分で選択した生活だからと反抗心一杯の自分でした。そんな私でも信者さんに育てて貰ったという感謝と負い目からは自由にはなれませんでした。なんだかんだと思いながらもこのブログに引き付けられるのは・・・・・・・・・。
mami様
・・・と続く無言の言葉 ・・・言葉にはできない思いは私にもわかります。
今まで頑張ってきた自分の心を労り、「よく耐えたね」と褒めたいくらいです。
徳子は応援してるからね~
古い教会長さん!
天理教維持財団の事ですか?
徳子さま 徳子さまの「私が反省しなければならないのは、、、、、、信者さんにとって教会は心の拠所であった、、、」との個所に打たれました。
内務省警保局資料(AdoboPDF)www.yousun.sakura.jp/pablic-html/siryou/keiho.html
昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)が載ってます。明治教典時代であり時の権力側の資料ですから真実とは言えないとは思いますがよく調査しているものと思いました。二代真柱の時代です。
とんとさん。
はっきりは分かりませんが、そうかも知れません。「かなめ会」より、もっと中枢のことだと思います。
「本部の中は、伏魔殿や。」 ⇔ 「教祖殿の奥を仕切っている」
絶大な力を持ったある人?の存在であります。
いずれ、おやさまが教えてくださることでしょう!!
「教祖百三十年祭」三年千日時旬の最後の御供えについて・・・・・
大教会等から、みなさま方に御供え袋が配布されていることと存じます。
今年の十二月の仕切りとして、真実の御供えをお願いしている次第です。
「かんろだい」に御供えする?というよりは、かたちの上では、実のところ
「ご存命のおやさまに御供えしたい」と、正直考えておられるのでしょう。
「教祖殿」に、この御供え金を御供えしたいという気持ちを、おわかりになり
ますでしょうか!!
ここのところが、なかなかむずかしいところであります。
いつも忙しい時に連絡があるのには、相性の悪さか。
理の親さんとはタイミングが悪くて・・・・。
神様掃除があるし、年祭のお供えもあるし・・・。
年末は私も事務処理などあって・・・。年賀状も出さなくちゃいけない。
経費もかかるし。さらにお供え金か。
不足に思う私は、出来が悪いようぼく。
なかなか神様のご守護もらえそうにないですね。
探究心 さん、< 絶大な力を持ったある人?の存在であります。>
というのは、一人の個人ですか?複数の人たちですか?
数年前、ある本部の中枢の人がエイズで亡くなったと聞いたことがあるのですが、本当ですか?
天理教社会学研究所、カインさんのブログ。
「引っ越ししました」の記事から始まります。
更新日は、2007年7月です。
このサイトの前にも、ブログをしていたと記憶にあります。
社会学研究所の他にも。
天理教に対しての、ブログ、サイトはありますね。
そして、私の生まれるもっと以前から。
書籍、文章、口頭などで。
全国からの、天理教内外から。
天理教に対しての、声は。
挙がり続けています。
声に対して。
天理教は、何か変わりましたか?
成長のない物事には。
誰もが魅力は感じません。
不信感、嫌悪感だけが残るものです。
私は、天理教的に言えば、「元天理信者」
なのかもしれません。
でも私自身は、「元」とも思ってもいません。
ただ、生まれた場所に、天理教があっただけ。
の話であり。
周りの大人が勝手に、私を勝手に天理教にしただけの話です。
私がこの場所に生まれ居る、理由は。
家の天理教を、私の代で整理する。
「宗教を真ん中に置くと。
理不尽がまかり通り、理不尽を正当化し。
家庭も心も壊れるだけだから。
そこに、人間味も、個の存在意義も、
夢も持てないから。
私は、両親や天理教な大人達の、尻拭いの
為に、生まれて来たわけではない。」
子供心に、葛藤もし、訴え、抗って来ました。
そのような私でも。
おじばがえり、春集い、学修、学生会にも。
参加してきました。
普段会えない、他地域の同世代と会えることは。
楽しかったのかもしれません。
地元の高校を卒業後。
修養科にも行き、別席、おさずけの理
も終了しました。
修養科に行ったのは、まぁ。
子供の頃から、地味ぃ~に、否応なしに続いてきた。
天理教な大人達の脅迫まがいと。
押し付けられて、勘違いした責任感もありました。
修養科は、若い同世代の多い時期もあり。
楽しい部分もあったかもしれません。
若い世代の中でも。
それぞれの大教会、上級の権力話は。
すでに沢山出ていました。
本部の中の、欲まみれの泥臭さまでは。
若い世代は、知るよしもありませんでしたけど。
そして冷静に、修養科の内容には。
失望し、疑いました。
天理市の本部周辺の風景に、人が集まり。
どこか、被れて、馴染み。
そのような気に成ってる、だけのような感じも。
それぞれに、地元に帰り、年月も経ち。
天理教を続けて行る子が、何%いるのでしょうか。
修養科のクラスの同世代の子に。
難しい病気の子がいました。
修養科も休みがちでした。
おさずけの過程を終了し。
クラスで、憩の家におさずけに行きました。
その後、私一人でもおさずけに行きました。
でも、その子は。
後日、憩の家で息を引き取りました。
私のおさずけは、それが最初で最後でした。
その後、おさずけを。
するのも、されるのも、頑なに断りました。
深い理由はありませんでしたが。
ただ、その気に成ってるような…は嫌でした。
修養科修了後、上級の住み込みを経て。
家に帰り、就職し社会に出ました。
元々、夫婦中の悪い両親であり。
母は跡取り娘、婿に来た父は天理教など全くやらず。
元々の性分がギャンブル狂いの父なので。
毎日が、夫婦親子兄弟喧嘩、借金に追われる日々。
私が、身を削り壊しながら。
家と母を支えました。
両親に対して、親という気持ちは。
以前から、日々、薄れ無くなっていました。
そんな環境に天理教言葉を使っても。
ただの理不尽にしかなりません。
「神だ仏を出す前に、やらなきゃいけないことは。
親として、大人として、山ほどあるだろ!」って。
そして、上級、部内の天理教な多くの大人達は。
両親を注意することも少なく。
父には、腫れ物を触れるように。
抗い続ける私に、集中砲火をし続けました。
母は、上級、部内の会長方々の前では。
ビクビクし、手の平も返す人でした。
母も、生まれ幼少の頃より。
親や天理教に、脅迫まがいの環境を経てきたのですから。
そうやって、繰り返されていくのです。
それでも子供心に。
母をかばって生きてきました。
社会にでて、日々仕事に追われ。
生活費を母に渡しました。
もちろん、勘違いした母は。
上納金を増やしてしまい。
私自身がしっかりするだけ。
両親も天理教も更に、勘違いをしました。
青年会活動、各会議、地方講習会。
支部、教区、本部のひのきしんにも参加しました。
修養科以降の、天理教参加は。
母をかばう気持ちと。
家の天理教を整理する為の、筋道と過程でした。
「私が家の天理教を整理する。」
そう、公言もし参加してきました。
上級、部内会長、歳上関係なく。
例え、母が同席する前でも、天理教な大人達に対して。
理不尽は理不尽でしかない、と伝えました。
いんねん、どうのこうのよりも。
怖いのは、理不尽に屈すること。
自身がそっち側にいって、同じことを。
次世代にしてしまう、その方が怖いのです。
心ない父の、胸ぐらをつかむこともあった。
心ない父と天理教な大人達が、同じに感じました。
上級、部内にビクビクし。
手のひらを返し続ける、母にも嫌気がさし。
口もきかない日々が続き。
約束も守らない、筋も通らない。
天理教や親に、諦め、決別の時と感じました。
実際に、家庭裁判所、地方裁判所。
多様な行政、施設、機関にも足を運びました。
結局は、裁判所は使わずに済みましたが。
神様が、誰かが、いつか、なんとか、そのうち…。
それよりも、自身が動かなければ。
自身が、その目で、行動し、経験体験しなければ。
何も変わりませんし、先は見えません。
話を聞いてくれるだけで…。
その場しのぎは、寝て起きれば現実に戻るだけです。
悩み事は、自身で動いて、動かさなければ。
ずっと悩み事のままです。
自身で動き、沢山の方々と、色々な社会と。
接し、経験し。
自身の糧、血肉骨に成ることが。
沢山有りました。
心ない大人達の作った、必要以上の理不尽な道を。
抗い、葛藤続けながら、自身削りながら。
家の天理教も整理することも出来ました。
そして、母の介護もし、看取り送り出しました。
母の葬儀は、私が以前から親しくしていた。
地元の神主さんにお願いしました。
もう、昔の話ですけど。
介護、看護中。
車イスの母を押しながら、日本中を二人で歩きたかった。
母に色々な、景色を見せてあげたかった。
どちから親とか子とかは、もうありませんでした。
私が母の子であり、親の時もありました。
天理教の御守りは、母にずっと着けさせていました。
送り出すときも、御守りも一緒に。
私の御守りは。
子供の頃、遊んでいるときに無くしましたけど。
自宅で母を介護しながら、ベッドの母にこう伝えました。
「あの世が、あるか、ないのか。
来世とか、生まれ変わりが、あるのか、ないのか。
もし、来世や生まれ変わりがあるとしたら。
母ちゃんと親子なのか、他人なのか。
それは、今の俺にはわからないから。
自分が、最期を迎えた時にしか。
わからないことだからね。
でも、もし。
母ちゃんが、また生まれ変わって来る時には。
母ちゃんが生まれ来る場所には。
天理教も宗教もない家に、生まれて来れるように。
俺はずっと祈っていくよ。
俺も母ちゃんも、天理教で沢山苦しんだ。
天理教で他の人にも、迷惑もかけたかもしれないね。
もう、俺と母ちゃんの間には、天理教はないから。
俺は母ちゃんを、親と想う気持ちは。
もう、昔になくしちゃったけど。
母ちゃんも、俺に押し付けて。
逃げてきた部分も、沢山あったからさ。
母ちゃん、自分でわかっているよね。
でも、色々、有り過ぎたけど。
母ちゃんのこと恨んだりはしてないよ。
俺がここに居るのは。
母ちゃんが、俺を産んでくれたから。
だからね、俺が母ちゃんを介護して。
俺が母ちゃんを、最期まで看取るからさ。」と。
実際の介護生活は。
半分ノイローゼになりましたけど。
母の最期の1ヶ月は、病院のベッドの上でした。
毎晩、病院のベッドの上の母に会いに行きました。
書ききれないぐらい。
沢山のことが在りました。
沢山のことを、想い、感じ、後悔して、泣きました。
母を看取り、送り出してから。
半年ぐらいは、自然と涙が溢れました。
泣きたい時には、思いっきり泣いちゃった方がいいのです。
母の呼吸が止まり、先生を呼び。
先生と看護師さんに、確認してもらいました。
そして、お世話になりました…と。
「母ちゃん、家に帰ろうね。」
母を看取った、朝方の病院の窓から見える景色が。
世の中全てが、灰色のモノクロに見え。
世の中全てが、下らなく感じました。
母を看取り、最初に思ったことは。
「最低限の順番は守れた。
母を看取ることが出来た、と。」
そして、
「運命とか宿命とか縁とか、そんなものは無いんだ。
在るのは、目の前の現実。だったそれだけで。
選んでいるのも、逃げているのも。
最後に決めているのは、自分自身なんだ。
人が、執着して、騒ぎ立て、隠そうとし、守ろうとしていることって。
本当は、とても下らないことなんだ。」と。
そして、
「最期に残るのは、人と人。
たったそれだけのことで。
命と時間は同じもの、なんだ。
だから、毎日毎日は当たり前でなく。
その時は、その時にしかないんだ。」と。
後悔できるのも、生きている証です。
私は、沢山の後悔を、今もこれからも背負って生きます。
そして、一番の痛感した後悔は。
「その時その時の、自分自身の弱さ」でした。
結局、私は。
「母を守れなかったんだ。
守ってあげれなくて、守って来れなかったんだ。」と。
沢山の方々から、本当によくやって来たと。
誉めていただけることもありました。
でも、やっぱり、俺は。
まだまだ、弱かったんだ…と。
人が変われる時は、人生に数回しかありません。
自身の人生の分岐点を、見失わないように。
母の介護、看護時、母の居なくなった後も。
天理教な大人達が。
平気で土足の心で、善人面して。
母と私を踏みにじりました。
私には、理解できる容量も。
理解しようとする容量も。
我慢できる容量も、もうありませんでした。
「天理教ごときが、人の人生を勝手に決めるな。
あなた方は、天理教は。
何がしたくて、何を守りたいのですか?
年下の人間が、一人で筋を通してきたじゃないですか。
今まで散々。
年下や、出る杭を叩いて喜ぶのが。
あなた方の言う、天理教で、信仰ですか。
先に生まれた者として、先に生きる者として。
大人として。
もっと恥を知って下さい。」と。
代替わりし、上級会長職を継いだ息子は。
「天理教が何をしたいのか。
俺にもよくわからない…」と。
下を向いてしまいました。
でも、少し経てば、忘れたかのように。
天理教、信仰、神様と…。
あいつは、何もわかってないから。
信仰していないから、だと。
省みることもなく、成長もしない。
天理教な大人達の方々を見てきたので。
下を向く姿の、先が透けて見えてしまいました。
教えとか、信仰とか。
先に答えが出ていて、それに自分を。
無理矢理に当てはめてるようにも感じる。
自身がさも、答えを出してるかのように錯覚もしてる人もいる。
天理教が、人助けだと錯覚している人もいる。
だから、伴っていない、気持ち悪さを感じる。
自身の経験や体験、現実に勝るものはない。
「大小難を無難に。信仰してきたから、何事もなくやってこれた」と。
だから、人の傷みに対して。
わざわざ、感情を煽ることばりするのかもしれない。
無難にやってこれたと。
その錯覚には、多くの方々が犠牲に踏み台になっている時もある。
自身が、助けるふりして我が身大切な人もいる。
私は、世間では若者な中年の世代です。
そんな私でも。
母を介護し、看取り、送り出し、時間の中で。
沢山のことを、思い感じました。
天理教の方々は、私よりも年上の方々が多いはずです。
自身の親、信者さん方々を、看取り送り出した方々も、沢山いると思います。
それは、動物、ペットにも同じであり。
生命の誕生や成長、そして衰え最期の時。
何を感じましたか?
人生とは…考え悩みませんでしたか。
そこに、因縁、徳、出直し、神の働き…とか。
必ずしも、付ける必要はありますか。
信仰以前に、人や生命から。
人生の限られた時間を。
生きるリアルを感じませんか。
どこか、天理教で人を語ることに。
慣れすぎていないでしょうか。
時々、不愉快にも感じます。
天理教が。
宗教団体なのか、道徳団体なのか、宗教法人サークル活動なのか。
宗教なのか、ねずみ講なのか。
私にはわかりませんし、拘りません。
社会、世間、天理教外の方々が。
天理教社会学研究所、他の天理教板の。
記事、コメント、内容を読んだ時に。
教理の話は、ちんぷんかんぷんだけど。
やってることと教理とはかけ離れていて。
多大な上納金、縦社会、権力、隠蔽、まとまりの無さ、情の無さ…。
財産巻き上げられて、組織を押し付けられて、人を決めつけられて。
やっぱり天理教って、宗教って怖いな。
理不尽じゃん。
そう感じ、知ると思います。
それで良いと思います。
嘘偽りのない天理教の現実でもありますので。
天理教の現実を伝え、人を離していくことも。
それも人助けの、一つの形だと思います。
天理教の衰退…とは。
なんか、しっくりとこないのです。
ずっと以前、昔より。
天理教のやって来た問題点は。
何も変わらず、問題点のままなのです。
この先。
純粋な天理教信仰を求める方々と。
自己勝手に信仰を作る方々と。
どちらが残るかと考えれば。
間違いなく、自己勝手な権欲に信仰をつくる方々が。
残っていくでしょう。
欲の執着心が強い方が残るわけです。
純粋な方々は、きっかけが見いだせれば。
見切りをつけ、離れて行くだけです。
天理教は、終焉に向かっています。
歯止めがきかない天理教。
この先怖いのは、減少していく信者さん方々に
。
更なる、無を押し付けて。
どこか、暴走化していく可能性です。
教理の意味合いさえも。
天理教の存在意義さえも見いだせない。
成長もない毎月の。
会長、教区、支部、担当、各々の会議に。
社会学研究所、他の天理教への声のサイトの。
記事やコメントを、コピーし配布して。
インターネットをしない人、出来ない人でも読めるようにして。
全国の天理教の方々に。
興味を持つ天理教外の方々にも。
サイト内の挙がる記事と声を、毎月配布する方が。
偏りな時報、主旨のないパンフレット。
熱量のない会議、総会、集会より。
天理教としても。
意味合いも、成長もあるかもせれません。
案外に。
本部役員、先生方々の多くも。
コメントはせずとも、内心では。
社会学研究所を応援してるかもしれませんね。
度を過ぎて、散々に喰い散らかして。
間違いも認めず、省みない。
後片付けさえもしようとしない。
衰退し、崩壊し、終焉に向かう天理教を。
私は、見届けていきたいと思います。
「本部の中は、伏魔殿や。」 ⇔ 本部の中枢におられる方々に対して、
「この方たちは、本当にご存命のおやさまを信じておられるのか?」と
思われるような姿が、だんだんと現れでてきているからでしょう。
本部人事を関心をもって見ていると、本部の中の力関係が、少しずつ
わかるようになります。
力ある人が、あるところで長く関わると、絶大な力を持ち始めます。
いろいろな「〇〇〇室長」と呼ばれる役職を担っている方々だけでも
ご覧いただければ・・・・・・
私たちからみて、天理教の本部員さんたちに期待を寄せている
百十五歳の定命が、誰ひとりも達成できずにいる現状であります。
信仰者たる上から、出直しの病名などは、申し上げにくいもので
あります。
はぐれ雲さんへ
教会を解散したのでしょうか?
そうであるとすれば、エネルギーのいることでしたね。
私のダンナの故郷にも事情教会が近くにあります。
看板は無くなっていますが、建物はそのままあります。
そこの後継者は公的な仕事に就いて教会を継ぐ気もなかったみたいですよ。
私が幼いころ、隣に分教会がありましたが、そこはもともと、信者さんの土地を借りて建物を建てていたので、
会長さんが亡くなったことをきっかけで、更地にして返したような話でした。
いろいろありますね。
「 宗教法人 天理教教会本部 」 ⇔ 代表・内統領 ⇔ 本部員会議
「 宗教法人 天理教 」 ⇔ 代表・表統領 ⇔ 集会
「 かなめ会 」 ⇔ 直属教会(大教会・分教会)長会議 ⇔ 本部直属の会長の集まり(連絡会議・懇親会?)
この中に、選挙で選ばれたものはあるのでしょうか?
天理教教人(信者)の民意が反映できる組織体に構造改革しなければという思いが、みんなになければ、
天理教は、本当に・・・・・
「ご存命の教祖にお供えしたい」「教祖殿にお供え金をお供えしたい」とのコメントがございました。
私の父が死の淵にある時、天理教に助けを求めたら「最低100万は出さないと無理だよ」と言われたことを思い出します。若き日の私の教訓は「じゃ、お金のない人は死んでもいいの?教祖って、そんなこと言ってたの?」でした。
このサイトを見ている方も同じ想いをされているかも知れません。なんでもかんでも金なのか。どんなに心が卑しくても金があれば助かるのか、どんなに天理教を信仰していても金がなければ助からないのか。
「ご存命の教祖にお供えしたい」「教祖殿にお供え金をお供えしたい」良いですよ、やってください。でも、それは貴方だけにしてください。100万円お供えできないおばあさんは死んでくださいと言っているのと同じように受け止められてしまう方もいる訳でございます。
加えて「民意が反映できる組織体」ですが、それが実現したらどうなるか。信者の誰もお供えしなくなると思います。そもそも、厳しくノルマを課さないと誰も何もしないから、今このような「心定めシステム」が出来上がっているのではと思います。中山家の人からすれば、弱く無知な民を騙してこその商売なのではないでしょうか。少なくとも、すべての民意を反映したときに中山家がこの商売やりますか?と考えてみてください。
「教祖殿にお供え金をお供えしたいという気持ちがお分かりになりますでしょうか!!」お供えのために自殺したり、銀行強盗をした教会長の心がお分かりになりますでしょうか?そのために辛い思いをした多くの信者の苦悩がお分かりになりますでしょうか?よくご思案頂けますと幸いです。
(上記の発言は個人的な想いであり、不快な内容であると心得ております。どうかご容赦の程、お願い致します。)
探求心さん!
例の方ですかなぁ~? 三人寄れば何とかやらの話ですが??
nanacyさん
明確な部分は、
あえて暈して書かせてもらっています。
家に通ってくれていた数人の。
お爺ちゃん、お祖母ちゃん方の。
旅立ちを見届けてから、整理を始め。
なんとか、済ませることが出来ました。
色々ありましたし、色々見てきました。
もう、昔の話ですけど。
当時の天理教関係者との、接点は切ったので。
サイトで天理教を見て、感じています。
今の周りの天理教の状況はわかりませんけど。
何となく、予想はつきますけどね。
そうですね。
私は、田舎の地方都市に住んでいますが。
市内にも10~箇所ぐらいは、天理教の教会はあります。
町村にも、1~3箇所はあります。
私の住む地方は、天理教熱は低い方だと思います。
社会学研究所、他の天理教板で見るような。
神名流し、ハッピを着てのボランティア。
路上演説、戸別勧誘、チラシの配布。
地元で見かけた事はありません。
本部からのお達しの。
ひのきしんデー、においがけデーぐらいは。
やっていると思いますけど。
昔、参加したときは。
仕方なく、
時間内のやっつけ仕事の雰囲気でした。
7割りが事情教会。
カインさんの以前の記事にあるように。
事情教会って、呼び方もどうなのでしょうね。
信者数もそこそこいて、家族で仕事もして。
裕福にやっている教会もあります。
私の地方の、知る限りの教会では。
空き家の教会は知りませんが。
信者さんが少数人いて、
会長不在の教会はあります。
でも、先が続かない教会は、非常に多いです。
子宝に恵まれなかった会長さん夫婦。
独り身のままの会長さん。
子供さんが教会が嫌で、出て行ってしまった所。
天理の高校、大学、本部勤務まで勤めて。
地元に帰ってきて、やっぱり教会はやりたくないという所もあります。
代わりに信者さんが、教会長をやる方は。
ほんとに少ないと思います。
信者さんが居なくて、身内だけの所。
高齢者の方々が数人だけの所。
通いで、教会長をやってる所も。
先の続かない教会には。
本部や大教会で、代理人も出さないと思います。
ある程度の上級クラスで。
立派な神殿、お屋敷を持ち。
敷地も広く、塀でグルグルと囲って。
でも、普段は。
誰も近寄らず、閑散としていたり。
朝晩のおつとめの手も揃わないと、聞いた所。
上級所属の信者さんは、少ないい所。
近所付き合いも、上手く出来てない所も。
教会倍加運動のツケなど。
多様な原因もありますが。
それをいくら掘り起こしても。
実際は、天理教内の。
そのままの、今の現実なのです。
天理教の信者さんでも。
自宅には、代々の宗教があったり。
信者さんの家族の方々は。
天理教を嫌っていたり。
熱心な信者さんに比べて。
会長が消極的な所もあります。
ただ、天理教の内部構造を知ってしまうと。
例え会長といえども、陰りますね。
信者さん方々が思うほど。
天理教は、真っ直ぐではないですね。
会長、後継者、信者さん。
皆それぞれに、困惑していることも多いです。
本部で巡教などするよりも。
もっと正確な、信者数、世代別信者数。
事情教会のもっと細かい内情と把握。
天理教内の教会の負債額の調査。
それぐらいは、当たり前に。
既に済ませてあることだと思いますが。
あえてやらないのも、宗教団体なのかもしれません。
目に見えないものを、説く前に。
目の前の現実を受け入れないと。
未来も、世の中も、社会も、教内も。
教理さえも、見えないと思うのですが。
私の世代では、友人、知人、世間と。
政治、経済、社会の話は。
熱く語る時もありますが。
宗教関連の話は、ほぼしません。
家の冠婚葬祭が、神か仏かぐらいで。
無宗教の子もいますし。
時々、学会だよ!と教えてくれる子もいますけど。
へぇ~、そうなんだ‼で終わりです。
天理教だよ!と言う方とは。
日常で会ったことはないですね。
宗教=冠婚葬祭の儀式な感じです。
お宮、お寺、キリスト、イスラムは。
宗教というより、文化になってます。
新宗教=怖い、やばい、のイメージが強いです。
宗教に対しての。
苦情やクレーム話の方が多いです。
私の世代に、宗教に対しての。
固執は、ほぼありませんし。
関わり合いも、少ないのです。
天理教も、高齢化社会です。
どう頑張っても、後は続かず。
現状維持も不可能でしょう。
信者数の減少は、逃れなれない現実です。
良いか悪いかは、私は判断しませんが。
それは、自然の流れでもありますね。
でも。
宗教、無宗教、信仰なく。
掃除や整頓をすると、気持ちもよく。
普段見えないことが、見えることもあります。
天理教も、教内の整理整頓、掃除をしないと。
誰も見向きもしなくなりますね。
教えが良いのか、教団が悪いのか。
悪いのは、一部の方々なのか。
もしかしたら、その一部と思っていたのが。
半分以上を占めているかもしれない。
天理教の方々の、そのままを。
天理教の教えだと。
社会も世間も周りも、そう受けとります。
社会学研究所って、色々な意味にとれます。
天理教の中にも、社会はあります。
天理教も、社会から学ぶべきことは。
沢山あると思うのですが。
私は、これからも。
青臭く、人間思案そのままで。
そう在りたいと思います。
私は、人として、思案しているのです。
私は、自分以外の誰でもありませんし。
せっかく、自分に生まれてきたのだから。
色々な考えがありますね。
色んな方々が、声を挙げれると。
いいですね。
はぐれ雲さん
コメントありがとうございます。
人間思案そのままで。その意見は賛成です。
神がめどうっておやさまは申しましたけれど・・・。
私らは神さまにはなれませんね。
神さまのように心が寛容ではありません。
人間思案でいつも生活しています。
やはり我慢には、限度があります。
それが人間ですよ。
地位の高い方や、えらい先生でも、人間思案はするでしょう。
私よりもっと、思案だらけではないか?
と推測されます。
理の親について・・・前真柱の言葉は無視され続けている。
<天理教みさとブログより抜粋>
前(三代)真柱様と同じ昭和7年生まれの私は、2月の早生まれだから天理中学では1年上級生であった。戦争が終った昭和20年夏には私が2年生、前真柱様は1年生に入学された年で、全寮制の天中で最初の指導員として同室の生活を送ったことがある。
当時の中学寮は、いわば軍隊のミニチュア版であったから、1年上級というだけで下級生を暴力制裁するのは当然の権利であった。実際にその機会もあった。ずっと後になって何かの機会に「あのとき殴っておいたらよかった」と冗談を言ったものだ。入寮して半年も経たないうちに敗戦の混乱期となり、前真柱様も私も寮を出て自宅から通学するようになり、指導員として威張れる立場は永遠になくなった。
前真柱様の同級生であったことから恩顧を受けて教庁中枢の役職を与えられ、その立場を利用して恩を仇で返すような汚職行為のため免職となった人もあったが、逆に東大を出てアメリカに留学し、一流の宗教学者となった松本滋(聖心女子大学教授)も同級生であった。松本氏も数年前に出直したが、前真柱様とは単純な誤解がもとで最後まで疎遠のままであった。その理由を私は聞いて知っているが、ここで公開するつもりはない。ただ、前真柱様にとって最適の相談役を失ったことは生涯の不幸だったのではないか、と残念な思いは残っている。
昭和40年、教祖八十年祭を期して二代真柱最大の業績というべき原典「おさしづ」全7巻が編纂・刊行され全教会に配布された。その8年後に41歳で有名無実の事情教会をお預かりすることになった私は、「教祖存命同様の理」といわれる「おさしづ」を知らずして責任を全うすることはできないと心を定め、その体系的な参考資料の作成を志し、教友の理解と協力を得て2年がかりで完成し、4版まで版を重ねた。
第一部から第六部まで手書きオフセット印刷が出来上がるごとに、前真柱様(当時は現真柱)が参考に目を通して下さることを願って真柱邸の玄関にお届けした。全六部が揃った頃、たしか身内の結婚披露宴の折りに来賓として出席されていた前真柱様に、この時とばかり「おさしづ資料」のことをお尋ねしたところ「たしかに届いているが忙しくて読むヒマがない」とのお返事に失望した覚えがある。
それから20年、教祖百年祭に当たって「白紙に戻り一から始める」との諭達が発布された。まさに原典をもとに神一条の道に立ち返る復元の旬と期待したが、具体的には実現しなかった。発表された理念を具体的に実現するためには、よほどの実力と権限を与えられたプロジェクト・システムがなければ不可能であろう。
その後、前真柱様は「かなめ会」(全直属教会長の集会)会長として、「理の親」という言葉は教祖以外に使うべきではない、系統は昔は必要であったかも知れないが、今では布教の邪魔になっている、等々と発言されたことがある。その発言は「かなめ会報」にも記録されている。同じ発言を出張された講話の席でもされている。
mamiさまの教えていただいた資料を読んでます。
搾取のからくりが実に巧妙にできあがっており、人の弱みに付け込んでの悪徳商法であり、目に見えないものをあたかも実在のごときの教えは、洗脳されるわな~!
祖父母の時代の修養科は、半年もありその長きにわたりマインドコントロールされており、正常な認識能力も崩壊されて、教団の奴隷に成り下がるだけです。
それを「陽気ぐらし」「教祖雛形の教え道理」でごまかされ、入ったら最後出るに出られん世界です。
徳子さま
外部から分析するとそういうことになりますが徳子さまのご祖父母や私のつながる者たちはきっと喜び勇んでいたのだと思います。身上から助けられ(回心体験)た者は原典も何もあまり関係なかったかもしれません。「理の親」をたて全てをお供えすることも矛盾なかったのだろうと思います。それがずっとご本席出直し以後、戦後も続いてきて二代真柱出直しの時が教団はピークだったのではないかと推量しております。100年祭ではいろいろ不祥事が外部に出てしまいました。これからは教団がどのようになっていくかわかりませんが「をやさま」を慕う人々はなくなることはならないでしょう。
「多元文化」でサイトを開いてみてください。『芹沢光冶良の作品に現れた中山みき像を通しての彼の宗教観をみるーニューエイジ運動との接点』黄輝儀
徳子さま「 開いてみてください」などと押し付けみたいでごめんなさい。ご興味があったらということですので。
「多元文化 ニューエイジ運動」で。
追記 jairo.nii.ac.jp/0002/0001071 です。
mamiさまの『「おやさま」を慕う人々はなくなることはならないでしょう。』
その言葉に救われる思いです。
教団がおやさまの教えを改竄、捏造し、信者達を思うように操るように「泥水」を飲ませても
その「泥水」を吐き出し、「清らかな水」を改めて自身の胸に流し込む。
そんな信者達がいる限り、教団は衰退しようとも
「おやさまの教え」は細々と脈々と伝えられることと信じます。
縁の下さま
私も……慕う者の一人です。
おやさまは存命である。
ホントにそうなのでしょうか?
いるかもしれない。いないかもしれない。
困り果てていた時に夢で又は人さん通じてお出になると思う時があります。
私の場合は、困り果てていたときに浮かばせて頂いたり、又は人様を通じて教えていただく場合もありました。
なんでしょうか?人間の考えとは違う。第六感のような感覚です。
のちに思うと・・・。
きっとおやさま・親神さまのお働きに違いないと・・・・。
しかしながら、現実に戻るとコロッと忘れてしまう・・・・。
何度も助けて頂いているのに、未だ進歩のない私です。
「おやさまは、存命である。」 ⇔ これを、信じるか信じないかは、みなさまがたの
お心にお任せするしかございません。
☆ 「教祖存命の理」について
中山(前川)みきさまの魂は、幾度となくいろいろな方々に生まれかわってこられて、
寛政10年に、前川家にお生まれになられて、のちに中山みきさまとなられました。
そして天保9年に、中山みきさまは、「月日のやしろ」としてもらいうけられまして、
私たちの「おやさま」になられました。
明治20年、中山みきさまは、現身をかくされましたが、またどなたかに生まれかわること
なく、魂はぢばにとどまり、「月日のやしろ」=「おやさま」として、存命同様のおはたらきを
いただいているのであります。
「おやさま」の魂は、また生まれかわることなく存命のままでおられるわけであります。
このことは、科学的な理論ではなく、信仰的にみなさまが理解されるかどうかであります。
それは、みなさまそれぞれのお心の中で、感じていただければ幸いに存じます。
私は、天理教の教えを信仰しながら、「天の理」の「理科」を学んで暮らしております。
「天の理科学」が、本当におぢばからよろづよのせかいに広まればよいなぁと、個人的に
とても期待いたしております。
「例の方ですかなぁ~?」 ⇔ 申し訳ありません。
三兄弟?のことでは、ございません。
天理教の長い歴史の中で、「おさづけ」のおはこびに関してだけでも、
大きな転機がございます。
☆ 飯降伊蔵本席さまの時代
☆ 上田ナライト本席さまの時代
☆ 中山たまへさまの時代
☆ 中山正善二代真柱さまの時代
☆ 中山善衛三代真柱さまの時代
三兄弟ではなくて、我々三人で・・・ということですが!
7歳の男の子の糖尿病事件
この事件をニュースで見て最初天理教かと思いました。
医学までは否定しないでしょうけど治療費(お供え)については似た話よく聞きます。
天理教はいつからお供えが一番大切な教えになったのでしょうか。
なにかにつけて金の話ばかり・・・しんどいですね
そこまでしてお金が大切なら道一条といわれる方々がみなさん働いて得た給料をお供えして下さい。
愛町の初代に「何故、愛町にはお金が沢山あつまるのですか?」と聞いた人がありました。すると、「私はお金の話はしたことは、ありません。」「でも、天理教はおつくし(お供え)の話が大切でしょう?」すると「あれは、会長が欲しいから言っているだけだよ。」と言われたそうです。
「あれは、会長が欲しいから言っているだけだよ。」
ほんとにその通りだと思います。いい車にいい食事、贅沢三昧
それは徳があるからだそうです。
自分が神様と勘違いしている会長達の多い事
「助けてもらいたかったらお供えしろ!」
お供えしないと助けてくれない神様って? 誰が信じます?
私はお供えはしませんが日々感謝の気持ちは忘れないように過ごしています。
脱会したら因縁も徳も無くなりました。
月次祭は今回、祭典には自己都合のため欠席しました。
夜、参拝しました。その時にこのHPの話題をしました。
あんまり、かしこまった話にならないように。
さりげなく話題にしました。
私としてはなんだかホッとしていますが、
聞いた方々はどう思っているかはわかりません。
このところ、公私ともにあんまりツキがない状況で。
つい最近の話になります。
職業柄、いろんな人にお会いする機会があるのですが、
年末になると、切羽詰った方々が訪問されるケース多い。
最近、そんな方が来られて、よくよくお話を聞いてみると虚偽な事を
平気で言うわけですよ。
最後つじつまが合わなくなるような・・・。
多分、この人は、警察のお世話になったのではないか?
身内の人々とも疎遠になるケースです。
結局、商談の段階でお断りですね。
世の中、きれいごとばかりがあるわけではなくて、
まして、格差社会の世の中で汚くてもどんな形でも底辺から這い上がろうとしている人がいる。
政治家やえらい職業の方には全く理解できない世界が今多いってこと。
ようぼく的発想があれば、お助けにいそしまなくてはいけないところですが、
私自身、面倒を抱え込みたくないし、そんな器量もありません。
そんなことがあった前後はなんだか気持ちが滅入ってしまいます。
そんな時こそ、おつとめが大切なのか?
天理教のおつとめはこころの掃除が一番大切です。
そうでなくては、次にいけないような・・・。
信仰するってそうゆうものではないでしょうか?
テーマ: 48年間で初席者89.7%減少、おさずけの理拝戴者86.0%減少
130年祭まで残すところ2ヵ月となった。
「別席場をいっぱいに」の掛け声で年祭活動3年目の本年は、10年前の2005年に
比べ年間初席者の数は約3400名(17%)程増加しよう。
おさずけの理を拝戴するには別席を9回運ぶ必要があり、9回続ける決意が必要で
ある。
教団としてはおさずけの理拝戴者を得るには、まづ初席を運ばせる必要があるが、
あれもこれも実行する力が分教会にないので、初席者にポイントを絞った結果、初
席者の人数だけは10年前を上回りそうである。
しかし、おさずけの理拝戴者の数は10年前に比べ約2700名(29%)減少、修養科
修了者は約1600名(38%)減少となろう。
年祭が終わると疲れがドット出て3-4割減る。
著しい衰退は年祭活動3年目においても続いているのである。
<教祖80年祭と130年祭の人数対比>:
50年前の80年祭の年(1966年)には、初席者は年間11万人を超え、おさずけの
理拝戴者は年間3万7千人を超えていた。
別席の誓い おさづけの理
50年前、昭和41年(1966年)教祖80年祭の年:112194人 37681人
昨年、平成26年(2014年)年祭活動2年目: 11507人 5274人
———————————————————————
48年間での減少数(年間) 100、687人減少 32、407人減少
48年間での減少率(年間) (89.7%減少) (86.0%減少)
ようぼくとなる人の人数は50年前に比べ14%の水準である。
衰退を通り越して崩壊へと進んでいる。
この50年間にわたる天理教の著しい衰退には、はっきりした原因と理由があるはず
である。
教団が衰退の原因と理由を取り除かない限り、衰退は決して止まらない。
残念ながら教団には衰退の原因と理由を取り除く意思は全くないことは歴史が証明
している。
衰退の原因と理由を取り除くと、真柱を筆頭とする教団が今まで言ってきたことがウ
ソになってしまい教団の教理と組織制度が崩壊してしまうのであろう。
衰退の原因と理由を取り除けない以上、衰退はとことん行き付くところまで行く。
天理教を職業とする人たちは、本人が自分で選んだ道であり天理教で生活の糧を
得ている人たちであるから本部の方針に表面上は逆らえず、一般信者が何を言って
もどうにもならない。
本部を頂点とする天理教教団の衰退の原因ははっきりしている。
おや様の教えは素晴らしいが、教団の組織制度は全くダメである。
(1)敗戦と同時に始まった「復元」は、おや様の教えに戻る「復元」ではなく中山家と
本部に権力とカネが集中するという「失敗復元」。
(2)実力以上に大見えをはり、信者からお供えと称する巨額のカネを集め、巨大な
やかたや神殿を次々に建築し、末端教会や信者を疲弊させた失敗。
(3)真柱には真柱の息子がなり、本部員の息子が本部員、大教会長の息子が大教
会長、上級の息子が上級会長、末端の息子はどこまで行っても末端教会長、生まれ
たその日に本人の30年後、40年後の人生が決まってしまう時代錯誤の世襲制身
分制度の失敗。
(4)組織にガンジガラメになり、上級や大教会の家来として扱われながらお供金を上
納しなければならない末端教会長が、苦しまぎれに使い分けるホンネと建て前の二
枚舌。
(5)大教会や分教会がその家族の住宅となり財産となり、信者そのものが財産とな
っている教会の私物化。
(6)中山ミキの教えは素晴らしいので、なんとか教会につながっている一般信者は、
所属教会長や上級教会長の堕落した姿を見て、熱心な信者ほど教会と教団に批判
的になり、中山ミキの信仰を放棄しないまでも、教会や教団と疎遠になる。
教団や教会長が教えているのは70年間衰退を続けている復元に失敗した「中山
教」であり、おや様の本当の教えではない。
教団が教える「中山教」が全て誤りと言うわけではないであろうが、中山教は中山真
柱家と本部にとって都合よく書き換えられた教えであり、おや様の本当の教えではな
いニセ教理が混ざっている。
教理にニセが混ざり、自己保身のため時代錯誤の組織制度を温存していることが天
理教教団の衰退が止まらない真の原因である。
教団や教会長がおや様の本当の教えを信者に正しく伝え、時代に合わせた組織制
度に改革していれば、このように戦後70年間の著しい衰退が続くわけがない。
教団や教会のまともな若い人は、事実上の世襲制身分制度という時代錯誤の組織
の中で一生を過ごそうとは決して思わないであろう。
末端教会は上級や大教会に労働力を提供するだけではなく、お供えと称するカネま
で出さなければならない。
教会の家族が外で働いて得た金でかろうじて教会を維持しているのである。
貧乏だけが身に付き信仰が身につかない末端教会に自分の娘を嫁に出したいと思
う親はいないであろう。
若くしていったん組織の構成員に組み込まれてしまえば、10年、20年たってから教
団のニセ教理に気づき組織制度の異常さに気が付いてもそこから抜け出す事は実
上不可能である。
それぞれ皆、家族が有り生活がある。
幼いころから心や頭にこびりついた「中山教」を消し去ることも至難の業である。
教団組織から抜け出して社会で働くにも日本のように高度に発達した技術工業社会
にあっては、天理教の中しか知らないものが仕事を得るのは容易ではない。
組織から飛び出してアルバイト程度の仕事に就いて新たな生活を始めようと考える
ものは殆どいないであろう。
教会長や信者の中で最も人数が多いのは、60歳台と70歳台である。
10年後には、60歳台は70歳台となり力を失い、70歳台は80歳台となり出直しの
年齢となる。
従来型の年祭は今回の130年祭が最後となろう。
<一般信者の道>:
天理教を職業としない一般信者は、衰退の原因と理由をはっきり把握し腹をくくらな
ければ、信仰をすればするほど教団の衰退に巻き込まれて、信仰とは一体何である
のか分からなくなり人生を誤る事になる。
天理教を職業としない一般信者は、衰退から崩壊へ進んでいる教団本部や教会の
組織信仰、職業信仰に依存してはならない。
信仰を続けるか否かは、自分自身が中山ミキの教えを実感できるか否かにかかっ
ている。
中山ミキの教えを実感できなければ続けることは出来ないし、無理に続ける必要は
ない。
本部や教会、他人に頼らず中山ミキの教えを自力で学び、日々の生活と仕事の中
で自分自身を鍛え上げ信仰活動を実践しよう。
中山ミキの教えを本部や教会長に教えてもらおうなどという甘い考えを持ってはなら
ない。
失敗しても良いではないか、身上事情が起こればその都度心のそうじを行い心を切
り替え前進するのだ。
ひのきしんの精神で日々学び働き、世の中に通用する知識や技術を身に着け、職
業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続けるのだ。
<衰退を続ける天理教データー>:
「天理教統計年鑑1981、2013、別席の誓い・おさずけの理拝戴人数一覧」
(2015年6月7日付けカインのブログ添付ファイル)。
年度 別席の誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
1966年:112194人 37681人 記載なし 4547人 記載なし(80年祭)
1976年:119382人 33933人 記載なし 6450人 記載なし(90年祭)
1986年: 84190人 22892人 記載なし 4649人 記載なし(100年祭)
1996年: 35499人 13546人 記載なし 2554人 記載なし(110年祭)
1998年: 24994人 10417人 記載なし 1990人 記載なし(4代真柱継承)
1999年: 21970人 9898人 記載なし 2162人 記載なし(4代継承翌年)
以下みちのとも統計は毎年2月号、教庁決算は8月号:
年度 別席の誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
2005年: 19568人 9444人 4201人 2065人 165億円
2006年: 22755人 9991人 3832人 1902人 159億円(120年祭)
2007年: 13619人 7055人 3176人 1528人 155億円
2008年: 13069人 6825人 3040人 1265人 155億円
2009年: 13431人 6763人 3138人 1320人 142億円
2010年: 13424人 6798人 2820人 1284人 137億円
2011年: 10780人 5850人 2451人 1057人 133億円
2012年: 10816人 5375人 2555人 1167人 128億円
2013年: 11862人 5541人 2446人 1069人 120億円(活動1年目)
2014年: 11507人 5274人 2546人 1037人 118億円(活動2年目)
2015年:1月―10月(実績値)
18890人 5470人 2018人 916人 未定 (活動3年目)
2015年:1月―12月(推定値)
23000人 6700人 2600人 1100人 未定 (活動3年目)
以上
天理教は沈みゆく泥船、早く逃げ出さないと、船もろとも溺れ死ぬ、というわけですね。いつもながら、詳しい資料と得心の行く解説有難うございます。<一般信者の道>は非常に参考になりました。
中山みき様という稀有の方を宗祖に持ちながら、他の宗教に比べても、歴史は浅いのに、なぜここまで堕落するのだろう、と遺憾に思います。中山家が天理教という宗教にくっついてる限り、教祖がお啓きくだされた、純粋な教えに復元される事は多分ないでしょうね。どうしても、中山教になってしまいますね。自立人生さんがおっしゃるように、教団や教会に頼る事なく、わからなければ、信じられる先人の方が書かれた本でも読んで、自分で学ぶ、それが一番ですね。有難うございました。
2015年も終わりに近くなってきたのですが、師走の感じがしない。
しかし、いつもよりは、交通量が多いかもしれない。
それでも、年々早いスピードで年が明けてしまうから、昔のようにのんびり正月しますモードが遠のいているような。
都心では、中国人やらのバク買いで一部バブル状態だそうです。
現にわたしの地方都市でも中国人がバク買い目的で、訪れたこともありました。
私はなるべく外国人との商談は避けたいし、特に中国人は日本人の常識を覆す人種なので
避けたい。(韓国人も同様)
日本人は全く危機感のない環境にいるものですから、平気に商談に乗る人が多い。
それには困ったものです。
日本人としてのプライドが希薄なっていく昨今。
本当に情けないです。
情けないといえば、
店頭に物売りをする方々も最近、詐欺めいた商法で尋ねてくるのも情けない。
物を売るなら堂々とセールスしてもらったほうが気持ちいい。
そんなことを思っている。 自営業者のボヤキ。
私は天理教信者です。心やさしく素直な対応をしなくてはいけないのです。
しかし、現実は違います。
疑い心も使うし、八つのほこり毎日出していますよ。
そんな私も信者であることが、本当にこの宗教のためになるのだろうか?
とたまに思うわけです。
>そんな私も信者であることが、本当にこの宗教のためになるのだろうか?< などと考える必要ありませんよ。
nanacy さん、この宗教は本当に、私のためになるのだろうか?とお考えになった方がよろしいと思いますけども。
八つのほこりが無い人なんて、この世にいるのでしょうか?ご教祖くらいじゃないでしょうか?
世の中には、ほこりを出しまくって、まわりの人を傷つけてる人も多いけど、nanacyさんは、心根のやさしい方で、気にされてしまうのかもしれませんけど。 できるだけ、ほこりを出さないよう、もし出しちゃっても反省して、少しでも心使いを良くする姿勢でいれば(私も、八つのほこりまみれで、えらそうな事言える立場では無いですが)、十分じゃないでしょうか。
あまり気にせずに。
匿名様
コメントありがとうございます。
私は心根がやさしいわけではなくて、優柔不断なわけです。
いつもそんな自分に頭にくるわけです。
マヌケな感じ。もっと鋭くならないと。
腹がたったら、即言い返すような根性がないと世の中渡っていけない。
そうですよね。
我慢しないで、戦わなくてはいけない。
人生我慢ばかりしていたら、病気になってしまいます。
nanacyさん、私は若い頃は内気で、人に言い返す事など、とうていできない性格でした。あれから何十年経った今は、ようやくいくらかはずうずうしくなりましたけど、若い頃には傷つくことばかりでしたね。気の強い人が羨ましく、社交性のある人が羨ましかったものです。若い頃に今の図太さがあれば・・・まあ、誰しも皆、同じかもしれませんけどね。
匿名様
この宗教は本当に、私のためになるのだろうか?
ああ~!なんて素晴らしい言葉だろうか
私が求めていたのは、この言葉のような気がします
ここはこれまでの人生やら、思い込みを含めてなんとなくわかったこと、感情的にはならず、どうでもいいや、っていうスタンスで、こうなればなっていう思いを込め、それでも、中山系列企業に対して、憤りや、憤懣を思いをかけたくなったので、内部事情とあわせて、何か聞かせてもらうことはあるでしょうか?なにしろ、教祖がいなければ、私はこの世に存在しないのですから。
ツキが良くなり始めは、ちょっとしたきっかけから始まる。
そこに、気づくことが、わかるようになれば、自分の人生にゆとりがでる。
信仰するのは、気づきが人よりも早くなるのではないか?
だから、信仰している。
それがなくては、信仰している意味がない。
そう思うのです。
例えば、周りにいやな人がいても、つらさそうな人がいても、信仰することで、悟れることもある。
今の状況がつらい。又はつまらない。などなど。
すべて、悟ろうと思うのは信仰しているおかげである。
普段何気に思うことすべて、神様が悟ってほしいから、その状況を見せられるのでしょう。
気づきがなければ、信仰しないほうがいい。
そう思います。
思い込みとかそうゆうことでないのです。
信仰者は日常この姿勢で日々暮らしていくことが大切ではないかと思うのであります。
地元に所属教会がないので系列教会に行っておりますが、端々に見えるマインドコントロールの常套手段に笑える。講社祭、父が2ヶ月に1回にすると言ったら神は全てお見通しとか、ひのきしん、僕が本当に体調が悪いので勘弁してくださいと言ったら、もう誘わないとか(笑)弱者の心理をコントロールする言動(笑)そんなこと言っているから、一族誰も幸せに向かわないんだよと、言いたいぐらいだが、本人は正しいと思っているんだよね、それがまあ、ご自由にどうぞ。
「ご恩報じ」という言葉、よく祭文に書きますね。年とって祭文が書けなくなった会長の代わりに、身内の私が書いてるのですが、(ちなみに、毎度毎度同じ内容になってしまうので、少しでも変えなければ、と苦心惨憺している次第ですが)、そこでよくご恩報じと書きますが、この言葉いったい、「おふでさき」か「おさしず」にある言葉なのでしょうか?ご存じの方がおられたら、教えて頂きたいです。もちろん陽気ぐらしをさせたいとの思召しによって、人間をおつくりになったご恩はあるにしても、天理教では他の宗教と違って、神様を親と説かれてますので、親なら、子らが這いつくばって伏し拝むのを、そしてご恩を奉じられて喜ぶだろうか?と思ったりしてしまいます。もちろん神様と人間とは違いますけども。
そしてこの、神様へのご恩報じと言いながら、ご恩を奉じる相手が、上の教会や教団になってるのではないか、お供えを少しでも多くあげる事なども、と思う次第です。
天理教は言葉のレトリックに満ちています。この「ご恩報じ」も、その一つのように思えるのです。
2カ所 漢字訂正します。 奉じる →報じる です、すみません。
人は覚醒する事が重要です。覚醒とは何でしょうか。他人の神を信仰しないことと断言いたします。中山みきさんの神様は中山みきさんの信仰対象ですね、それは尊重する事であります。自分の神を信仰する、聖書のイエス、モーセ、そしておやさまは、雛型を通して我々に教えを説かれています。気づかないでしょうか。冒涜と取られるでしょうか。自由です。神は今ここにあり、奈良の天理に行かないといないなんて戯言は終わりにしましょう。そんなところに行かずとも、天理教に入らずとも幸福にはなれます。間違いのない事実です。面倒臭いのでここで切り上げます。
四代目様
「天理教に入らずとも幸福になれます」、共感します。冒頭の「他人の神を信仰しないこと」、以下の三行の部分が分かりにくいのでもう少し詳しく教えていただけますでしょうか。
どなたか正確な情報がわかる方、教えてください。
「あしきをはろうてたすけたまえ天理王のみこと」のおつとめは教祖の教えではなく「人間思案」からうまれた後利益を願う祈りであるとの話を耳にしました。これはH19年6月26日の本部月次祭において、本部役員であった当事天理大学学長の橋本武人氏が講話した内容です。人間が「天理教式祈りの体裁」を整えるためにあとづけで、この文言を創作したのでしょうか。教祖の伝えた祈りのことばとして毎日おつとめをしている者にとってこれは大問題です。作り事、まがいものなら、即刻、この箇所は省きたいですが。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」十戒1。戒めの言葉、あなた即ち匿名Aさん、わたし即ち神即ち匿名Aさんの内在神、ほかの神々即ち中山みきさんの神を信仰対象とする天理教組織他、宗教組織など。この人生において、あくまでも主体は匿名Aさんであって、宗教組織ではない。心理学者マズローは高次な欲求に自己超越欲求があると提唱しました。自分を越えていくことが欲求そのものとなる。組織の中で認められるために活動する事、これは承認欲求、人に認められることが人生の目的になってはいけないです。自己超越欲求の中で人は自己実現され、潜在能力がその活動において引き出されます。自分の潜在能力、即ち神の力を発揮していく、これこそ自身、自神への信仰です。心理学者アドラーは、嫌われる勇気を持てと提唱しました。イエスはこの世に何をしに来たのか、「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」。当時イエスはユダヤ教の人たちの中で主体的に生き迫害されました。組織の枠にはまらない生き方を実践しました。おやさまもそうしたのではないでしょうか。しかし、組織が求めるのは枠にはまった生き方、その目的は組織運営のため。宗教以外であれば、信仰の自由はあります、しかし宗教組織では、私は私を信じるということは、とある都合に照らしあわせると大問題になります(笑)先ずはここまでにします。
四代目様
なるほど、組織の中で認められる欲求、これが人生の目的になってはいけない。自分を超えようとする自己超越欲求の中でこそ人は自己実現されるのですね。本当に深く考えさせられます。この組織の中では異端扱いされて居心地は悪くなりましょうが、自分を信じること、即ち自分を大切にすることなのですね。日頃、長いものにまかれて生きる気持ち悪さの中、もっと自分の命を見つめようと思いました。毅然とした姿勢が大切ですね。ありがとうございました。
匿名A様、 おやさまや、イエスさまが命がけで切り開いた信仰が長いものにまかれ、事なかれ主義者が実践しているという考え自体がおかしな考えです(笑)時代に組織に迫害され続けても貫き通した信仰の味はどれだけ味わい深いものだったのでしょうね。自分を日々刷新していくこと、日々自身が新しくなる、自分の人生に希望の光が見えてこないでしょうか。自身が光輝くこと、おやさま、イエスさまの如く。実践あるのみですよね。
四代目様、あなたのコメント興味深く読ませて頂いております。ご自身は、多分宗教を信じられては無いと推察致します。
ご自身の内なる神を信じ、自己を超越した、神の如き能力を信仰する、といいますか。
あなたはニューエイジ活動をされてる方でしょうか?差支えなければ、お聞きしてもよろしいでしょうか?
つい最近のこと。
いつもは先輩、同世代、後輩と。
大人数で飲み交わす、飲み会を続けてきて。
たまには、少人数で飲みましょうと。
ある先輩一人と、私と後輩の3人の席を作り。
いつもよりも、濃い話をすることが出来た。
その先輩は、とても面倒見の良い性分で。
真っ直ぐであり、行動力もあり。
いつも、あえて悪役も努める方である。
先輩方々からも、後輩たちからも慕われ。
慕われ過ぎて、周りも頼りにし過ぎている感もあり。
一緒にいて、見ていて。
時々、その先輩がパンクしそうなきがして。
辛くなることもあったので。
心配になり、その気持ちを飲み交わしながら。
先輩と、色んな話を交え伝えました。
先輩も、
「好きで、性分でやっていることだからさ!
でも、そうだね。こうして、対で話してもらえて。
その気持ちは、本当に嬉しいよ!
みんな、個性が強すぎて。衝突も繰り返してきたり。
距離をとる時期もあったりね。
曲がった相談は受けないし、それなりに流すけど。
真っ直ぐな相談は、真っ直ぐに答えたいから。
やっぱり、仲間だからさ‼」
やっぱり、先輩は、そのままに先輩だった。
そのままが嬉しかった。
私も、「先輩、後輩、仲間、ダチ…。
でも、結局は。残るのは、人と人。人対人‼
たったそれだけだと思っています。」
後輩も、後輩の感じてきた気持ちを話したり。
みんなで、涙ぐむ話や、笑いが止まらない話。
いつまでも、人間臭く在りたいと。
あらためて感慨深く、そう刻みました。
どんな形であれ、仲間として。
相談、話し合いをすれば。
何らかの形の結果は、出すようにしています。
そこには、神も信仰などという言葉は。
1つも必要もありません。
時々、宗教話は出るにしても。
お寺のお坊さん、神社の神主さんぐらいで。
いわゆる、新宗教の分野に関しては。
勧誘がしつこいとか、お金をだましとられる。
家庭が壊れるなどの、被害感想を沢山聞きます。
私は、宗教話の場面では。
自分の家が、昔は天理教だったこと。
天理教が許せず、自分で整理した話をします。
「天理教は、外面は良いけど。
内側に弱い者虐めを続ける。
ヤクザ社会以下の理不尽な組織。
天理教限らず。
宗教に固執すると、人として心を失う。
俺の家もそうだったし、宗教で泣いてる人。
壊れていく家庭を沢山見てきた。
結局は、人が集まって勝手なルールを作って。
人が人を、踏み潰しているだけなんだよね。
これからもずっと、俺は許せないなぁ。」と。
聞いている周りも。
「天理教も、やっぱり危ないんだね~。」と。
私の地方では、天理教の認識、知名度は低く。
私の世代、私より年下の子達には。
認識度も知名度も、ほぼ無いかもしれません。
子供の頃、夏休みに近所の子達と、奈良に行ったよ。
高校野球で、昔は強かった所だよね。
ぐらいで、天理教には誰も興味もなく。
どこか、天理教も、学会さんも真光さんも。
よく勧誘に回っているキリスト系さんも。
他の宗教団体も。
世間では、全て一緒の、一くくりの宗教団体。
どこも同じ、という認識です。
洗脳されて、どこか怖い宗教団体認識です。
どこであれ、絶対に関わらないように!
と、宗教話が出ると注意は促してます。
その為か、宗教トラブルの相談も受けますし。
その団体の集会所なりにも、相談者と行き。
向こう側の話も聞き、私の経験と意見も述べます。
私のような宗教を整理し、宗教団体内部を知る人間には。
向こう側も強くは出ませんし、私も踏み込みません。
ただ、知人が心配だから同席しただけです、と。
関わらないことも、宗教団体に属さないことも。
立派な信仰心だと私は伝えます。
ただ、世間で騒がれるほど。
学会さん真光さん、キリスト系さんに。
私は、嫌なイメージは持っていません。
私は昔、家が天理教であったが為に。
晩飯も満足に食べれない時もありました。
友人達のお袋さん方々が。
「うちで一緒に、ご飯食べて行くよね!
あんたは、私の息子だからね!遠慮するない!」と。
そんな、外のお袋が何人もいてくれました。
世間では、普通の晩御飯だったかもしれないけど。
自分の家では、食べたことのない料理を。
いつも、お腹一杯にご馳走してもらいました。
外のお袋さん方々は。
それぞれに宗教を信仰していましたが。
私が天理教で、幼い時から傷ついていることを
知っているので。
宗教話は一切しませんでしたし、押し付けもしませんでした。
とにかく、お腹一杯に食べて、いっぱい話してね!と。
私が社会に出ても、外のお袋さん方々は変わらず。
晩飯、うちで一緒に食べていき!
あんたは私の息子だからね!と。
何年前に、亡くなった方もいて。
その方の、見送りに手紙を添えました。
他には、宗教を辞めたお袋さんもいて。
おばちゃん、洗脳されてたゎ~!と。
おばちゃんも辛いときがあったんだよねぇ。
早く気が付けて良かったね!と。
お互いに、笑い話にしてみたり。
子供の頃、今も。
友達のお袋さん方々の、優しさとご飯の味は。
生涯忘れません。
そして、天理教は。
生涯許せません。
ここ数年。
色んな場面や、色んな所で感じることがある。
「ゆとり世代、今の若い子達は…と。」
私は、若い世代、未成年達と。
一緒に物事をすることは多い方です。
今も昔も関係なく、若者は純粋で真っ直ぐです。
確かに、時代の流れはあるのです。
携帯電話、パソコンが普及しただけでも。
時代の感覚は変わります。
時々に、今の若い子達は…。ゆとりは…。
と、口にする年配者、大人達に対して。
物凄く、腹立たしい思いになります。
カインさんの前の、ブログ記事にあったように。
今は、高齢者の犯罪率の方が高いのです。
私も、日々の場面の中でも。
高齢者、年上の方々の。
ワガママや執着心、心の狭さ。
勘違いした、先に生まれたから偉い!?ような。
時々、ハッキリと口にして対峙する時もあります。
天理教に関しては。
小さい頃から、天理教の大人達の姿は。
理不尽にしか映りませんでした。
多分、私にとって。
天理教の年配者、大人達が嫌い許せないが。
世間の大人達も理不尽だと、成ってしまってます。
時々、世間の中の組織の理不尽さと。
天理教の理不尽さが、重なって。
嫌悪感と閉鎖感で一杯になり。
叫びたくなる時もあります。
今の若い子達…。ゆとり世代だから…。
と、自身の未熟さを振り返らず。
言い放つ年配者、大人に対して。
私は。
「ゆとり世代より、使えない大人達。」
そう称して、対峙しています。
子供達、若者の。
可能性を潰しているのは。
不平等を作っているのは。
先に生まれた者、大人達かもしれません。
天理教では、中山みきさんの名前を頻繁に使います。
おやさまの雛形、生き筋を通ると。
天理教の中で、中山みきさん、飯降さん方々と。
同じ生き筋を通した人は、一人もいないです。
そして、どこか勝手に美化もしています。
中山みきさんも、飯降さんも。
一人の人間であり、人生を生き抜いた個人です。
天理教が、中山みきさんの名前を使うだけ。
中山みきさんが、伝え残したかった。
生涯の生きざまを。
下げていることに、気が付いていますか。
中山みきさんが、何を伝えたくて、何を残したかったのか。
もっと、人一人として、各々に考え。
葛藤して欲しく思います。
天理教の方々は。
わざわざ、心定めと言わないと、何も出来ないのでしょうか。
ひのきしんと言わなくても、ゴミ拾いでも、ボランティアでも出来ますよね。
信者さんが、床に伏せば。
わざわざ何回も、お願い勤めしてると。
電話してくる必要はありますか。
親神様とか、おやさまとか。
人助けとか、を口に出す裏腹に。
人に見返りと、自己満足を求めるのですか。
時々、ほんとに、恩着せがましく感じます。
困っている人、立ちすくんでいる人。
何かしてあげたいのならば。
そのままに、サラッと。
何か、出来ることありますか?
と伝えればいいじゃないですか。
神がどうのより、そのままに。
自分個人の感情として、
行動すればいいじゃないですか。
先にも後にも。
わざわざ天理教に当てはめようとするから。
人間味が消えて無くなって行くのです。
いつまでも、何十年と。
組織が悪いけど、教えは良いとか。
中山家、教会が、会長が、先生が…。
教理が曲がっている、隠蔽、改ざんされている。
同じことを、何度も掘り起こして。
同じ問題を、何回も提議して。
それを練り合いと称して。
実は、何も進んでいない。
自身の保身の為に、進もうともしない。
親子喧嘩も出来ないのならば。
それは、人対人でもない。
立場上だけの上の者が、下の者を。
踏みつけて食い潰す。
間違っていることには。
人として、間違っている!と。
面を向かって伝えればいいじゃないですか。
天理教の方々は、当たり障りないように。
いい人に成ろうとしてる。
闘わずして、結果は出ないです。
天理教が守り通したいのは。
天理教の教えとは。
無能な馬鹿げた、村社会な天理教組織ですか。
勘違いし続ける狭い村社会の。
先生方々、会長さん方々ですか。
人間思案て言葉は、世間、社会からみると。
天理教は人を見下してるかのようにしか感じません。
天理教自体も、天理教信者も。
人間であり、人じゃないですか。
都合のよいことは、ご守護であり。
都合の悪いことは、不足で因縁で。
病気が治れば、関係もないお偉いさんが。
講話で、声高々に語り。
誰かが、病気になったり、つまずくと。
寄って集って、信仰が足りないと叩く。
天理教の陽気とは。
心が鈍くなり、自分さえ良ければ良い。
ということに、なることなのですね。
神のお手入れが…と聞くと。
オウム、キリスト系の終末思想と紙一重にも感じます。
どこか、無責任な、人頼みで自然頼みのような。
お手入れなどと、悠長に言っていたら。
天理教で被害を受け続けている方々のの苦しみが。
募るだけです。
天理教の作る、天理教被害は。
天理教人が作っているのだから。
人として、対峙して減らさなくてはなりません。
私も、昔。
天理教に抗い、対峙していた時に。
ここまで伝えれば、向こうで解るだろう。
現実は伝わるだろう。
気持ちをくんでくれるだろうと思いました。
でも、それは大きな間違いでした。
天理教に染まる方々に、相手の気持ちをくむことなど。
そんな思いは無くなるんだなとわかりました。
伝えたいことは、一から十以上に、二十以上に。
感情のままに伝えないと。
もちろん、天理教に染まった方々は。
わかっていて、気が付かない振りをする確信犯です。
立場が不利になれば、平気で掌を返す方々でした。
バリ天!?などと呼ばれる人種がいるのですね。
もしこの先、どこかの場面で。
バリ天と、会い話する機会があれば。
その人の心の根元から、折ってあげようと思います。
天理教を振りかざす方々に。
真っ向うから、筋を通し対峙して伝えれば。
目を反らして、下を向き逃避するのは分かっているので。
残念ながら、天理教は。
真も筋も揺らいでしまい、
弱い者虐めが信仰となっているのも現実なのです。
天理教が衰退するのは当然の結果であり。
これ以上に、見苦しいことは続けるべきではない。
消滅はなくとも、本部、周辺の建物を。
文化遺産として、保護するぐらいのことは。
国がしてくれるかもしれない。
本部、周辺部だけ維持できる天理教であればいい。
天理教と対峙していたときから、歳関係なく。
天理教の会長、後継者と呼ばれる方々に伝えてきたこと。
自分の代で、教会は整理すること。
親心があるのならば、子供に教会を継がせてはいけない。
もちろん、他の誰かに継がせてもいけない。
子供が決めることでなく、親が大人が。
整理しなくてはならないことです。
宗教などなくとも、信仰心は必ず人にはあります。
間違ったことをしたのならば。
罰を受け、法に触れれば刑を受けるのです。
宗教を語り、理不尽を通し。
真っ直ぐな人間が報われないのであれば。
そんな宗教は、この世には必要はない。
宗教とは。
必要の無いものかもしれません。
人が人を踏み潰すだけの。
勘違い続けるお偉いさん方々の。
自己満足な、理解不能な集まりです。
どこか、ニートと呼ばれる人達のような。
社会に行き詰まった。
自己勝手な逃避の溜まり場になっていませんか。
でも、時々に思うことがあります。
宗教は、使い捨てで良い。
そして、宗教とは。
可能性でも在って欲しいと。
天理教に可能性はありますか?
天理教内部がゴミ屋敷なのに。
隣のゴミを片付けた方が良いと。
恩着せがましく、教えだと言っています。
自身の周りのことを出来ない大人に。
魅力など感じません。
その言葉の薄さに、苛立ちがが募るだけです。
においがけ、そんなことはしなくてよいので。
ただの迷惑です。
無駄に有り余るパンフレットは、資源の無駄です。
天理教内部の整理整頓に。
全力を注いで下さい。
昔に、代を継いだ上級の息子が。
天理教を整理した私の家に理不尽に来て。
「みんな天理教を嫌々やっている。
みんな、本当の天理教を知らない。
天理教をやめたらもったいない。
教会なんて、どうでもいい。」などなどと。
私は、一回り以上年下ながらも。
思わず笑ってしまいました。
「嫌々なら、やる必要はないでしょ。
そもそも、天理教をやる必要もない。
私の見てきた天理教は、
そのままの天理教の現実ですよ。
理不尽だから、理不尽だと伝えて。
私自身が決めて、私が整理したことです。
家にも私にも次の世代にも。
天理教も宗教も必要もない。
教会がどうでもよいのならば。
どうして、もっとしっかり部内の話を聞かないのですか?
後の続かない教会は沢山在りますよね。
上級に対して、誰も心開かないですよね。
私が、一から十まで話さないといけないことですか?
矛盾を通り越して、腹立ちしか残りません。
もう、二度と家に来ないで下さい。」と。
他にも、苦言は伝えました。
その方は、反省も振り返る気もなく。
帰って行きましたけど。
沢山の天理教の方々を見てきて。
天理教と接してきて。
時々、個人的に。
宗教に染まる方々が、心配になることもあります。
宗教を信仰することとは、世間ズレして。
世間ズレすることを信仰と勘違いし。
教えと云うものに、答えを求めて。
そして、教えと云うものにビクビクして。
間違いを間違いと認めることも出来ず。
自身で葛藤する気持ちも失い。
自身で判断することを失い。
人として対峙することも失い。
個人として生まれてきた存在意義も。
失うことなのかな…と。
先に生まれた者として。
大人としての責任感とは。
自分達の世代が作った不条理は。
自分達の世代で、整理していくことです。
天理教、信仰を伝えようとか。
そんな責任感は、一切必要はありません。
次世代にとって、迷惑なだけの責任感です。
信仰は後からついてくるもの。
二の次、三の次で良いのです。
人として、個人として。
日々、考え、思い、想い、悩み。
行動しなければならないこと。
守り通さなければならないこと。
人生という、限られた時間の中。
先に生まれた者として。
次世代に魅せて伝えあげられることは。
「その人にしか出来ない、生きざま」
なのかもしれません。
神がどうのよりも。
宇宙であり、地球であり。
世の中の森羅万象、自然の在り様が。
神様で良いのでは。
神様に名前をつけると。
理不尽しかおこりません。
人間は、人間以上でも以下でもありません。
私も、私以上でも以下でもありません。
でも、せっかくに。
自分自身に生まれてきたのだから。
自分にしか歩めない人生と、限りある時間を。
自分らしく、表現し伝えて生きたいのです。
私の存在意義は。
私自身で見つけて生きたいのです。
はぐれ雲さま
宗教に固執すると、人として心を失う。俺の家もそうだったし、宗教で泣いてる人。 壊れていく家庭を沢山見てきた。
人が人を踏み潰すだけの。 勘違い続けるお偉いさん方々の。 自己満足な、理解不能な集まりです。
結局は、人が集まって勝手なルールを作って。 人が人を、踏み潰しているだけなんだよね。
う~んさすが!と納得してしまいます。
天理教教団は人の為にならず!しからばなぜ存在するのか?
教団の維持繁栄の為です。「絶対的な神、逆らえない神」に依存する人々を隷従させ、甘い言葉の砂糖菓子に群がる蟻のような人間に純粋培養させ、世代を超えて繋ぎ止めておく。
その巧妙な策略は見事です。
はぐれ雲様、書かれてる事深くうなずける事ばかりです。
子供の頃、食事も満足に食べれなかったお話は、やっぱり、他でも聞きますけど、そこまで、子供さんにつらい思いをさせる事は、間違いである、と思います。なぜ、教会はそのように、貧乏をしなければならないのか、組織の有りようが、貧乏をさせている、または、貧乏を推奨してるのですね。教祖が”貧”お通りになったとて、信者に強制する必要がありましょうか?
宗教に依存するな、というお言葉もおっしゃっる通りと思います。人間各自、おのおの人生を通る中で、それぞれに自分なりに悟れるところもあります。教祖の教えは、参考、何か示準を得たい時くらいに読む程度でいいのではないか、と思います。もちろん熱心におたすけをやられてる方々や、信仰を熱心をされてる方々までも、否定はしませんが、やりたければ、必要無い者まで、まわりを巻き込まないように、自分の道に精進してくれと申し上げたいですね。
それと、パンフレットなど、大量に作るのは、紙の無駄、資源の無駄、ほんとにそうです、もったいない。
はぐれ雲さん、その通りですね。
はぐれ雲さま 最後の8行、本当にそう思います。
最近、手にした本の中でこんな文章がありました。
「ヒーローが存在しない、代わりのきく誰でもいい「誰か」たちの運動体。
そこで俺らはありふれた「数」でしかない。
しかし確実に「1」であり、その「1」に計かることのできない価値が宿ってる。
一人ひとりが、何ものにも依存せず、孤独に思考し、判断し、路上に立ち、声を上げることで、
みずから民主主義の担い手となる。、、、、、、、、、、、」『SEALDs』 2015年10月20日発行 大月書店
私は落ち込むと、よく「たかだか私、されど私」と言い聞かせて生きてきました。これかも。
最後、「これかも」は「これからも」です。せっかちでごめんなさい。
天理教の「おさずけ」は気功ではないか、と思うのですが、どうでしょうか?こんな事を書いて、おさずけの値打を下げようとしているのでは無いですから、念の為。 他の宗教でも、手かざし、とか同じようなものが多いですね。
教祖が最初の頃は、病人の痛いところをさすったり、息を吹きかけたり、そういう病なおしで、知られるようになっておられた。医者の無かった頃は、そういう人達が多かったそうですね。人間は誰しも体内に、「気」という、生気、生体エネルギーを持っているそうですから、そういう気の強い人達が病なおしをしていたのだ、と思います。
気功でも、治す、という強い思い(念)を相手に与える事によって、又、相手の、これで治ると信じて受ける事によって病も治る場合があるそうです。重篤な病気までは無理でしょうが。歩けなかった者でも歩けだした例もあるそうです。
おさずけをする方もされる方も、神様にもたれる(信じ切る)事によって、行われます。気功治療は、気功をする者が、自分の気を信じて、強い念を病人の患部に送り、病人がこれで治る、と信じて気を受けるわけです。
おたすけをする人が神様を信じ、気功をする者が宇宙自然のエネルギーを信じる、神というのは宇宙、自然の力、とも言えますから、結局両方同じもの、おさずけは気功なのではないかと思った次第です。
はぐれ雲さん
まったくそのとおりですね。私も天理教の家に生まれ、上級より経済的、精神的に相当苦労しました。この恨み・つらみは、絶対に忘れられるものではありません。私もあと10数年後には教会を整理し、晴れて「自分を生きる」道に踏み出そうと密かに思っています。しかし教会は自分の実家であり、教会を辞めることは「住む家」を失うことになるのです。自分の命の残りの時間を考えながら、覚悟を決めなくてはならない「その時」をどう迎えようかと思っています。
現在は自分にうそをつきながら生きる教会生活。お供えの心定め・修養科への勧誘人数・・・色々紙に書かされます。無駄なお金を使いながら大教会に駆り出される、「活動方針徹底のための集会」とかなんとか。教団のために活動するのが「信仰」ですか?何を徹底させようとするのですか?そんなことはどうでもいい。信者さんと共に、私は孤独の中で自分に向き合い、宇宙の運行・自然エネルギーの働きなどを感じながら「生きるという意味」、「自分の命」、「自分の心」を見つめたい。
だから数少ない信者さんにお供えの話は絶対に言いません。よって上級へのおつくしはしない。(上級から自分を守るため、数千円だけします。交際費です。) あと数年、上級とは上手に付き合い、教団の渦には巻き込まれないと、日々自分の心に言い聞かせております。しかし実家ながら「家を失う」とは本当に理不尽な話です。全国の教会の後継者で信仰に見切りをつけている方々。後継をしなければ家を失うのですから話は深刻です。
教会が天理教本部のものになっている方々には、教会を止めたくても止められずに、不本意ながら続けておられる会長さん方も多いのではないでしょうか?理は末代、といいますが、ご本部は、末代、教会を続けさせるために、教会を自分達の物にしたのでしょうか?人だすけどころか、人を苦しめている、いったい宗教としての値打がどこにあるのか、と思います。ご本部には、人間味というものがありません。ご本部のいう信仰とは、神一条とは、人間の心はどうでもいいことなのでしょう。匿名の教会長様の心の安寧を祈るばかりです。
みんなでお金を出し合ってこしらえた教会や信者詰所なのに、それを教会本部にお供えして名義も教会本部にしてしまったので、もうやめるにやめられない。
やめたら、自分たちの住むところがなくなってしまうからです。
そもそも、小さな教会なのに宗教法人にしてしまう必要があったのでしょうか。
私はそんな必要はなかったと思います。
しかし、そうしてしまった以上、いまの天理教の体制にもはや耐えきれないのであれば、匿名の教会長さんのように主体性をもってきっぱりと整理の道をつけるのも一つの勇気ある方法です。
多くの事情教会はそこまで行かず、全体にやる気ムードが減退して、後継者も離れ、自然消滅の道を歩んでいます。
事実、いくつかの本部直属の分教会でさえも後継者が無く途絶えています。
匿名の教会長様
些末な事をお聞きして宜しいですか?上級へわずか数千円だけのおつくしで、上級から何も言われませんか?
うちなど、恥ずかしいのですが、来てくださる信者さんが、わずか3人なので、お供えから会費や諸費用など差し引いて、毎月2万程お供えしておりましたら、「少ない」と言われ、本当なら毎月、上級の月次祭に行かねばならない所を、足腰が弱って行けておりませんので、その分を旅費として、お供えするよう言われ、結局毎月3万のお供えをしております。匿名の教会長さんのところの上級が、数千円で済ましてくれるなら、随分と甘い上級と思われます。
私のような個人の。
不快にも思われる、言葉使い。
攻撃的でもある、発言を。
先に、お詫びします。
私も、人間味溢れる会長さん、教会。
こうありたいと思う、会長さん夫婦。
教会を支え、優しく純粋な信者さん。
純粋に見返りもなく、天理教の真を求める方々。
勤勉で、真っ直ぐな本部員、先生。
そのような、温かい方々を知っています。
ただ、残念ながら、今の天理教の中では。
そのように感じ伝わる方々が。
ほんの一部の方々なのです。
その方々を中傷する気はありませんが。
でも、正道に純粋に教理と向き合う。
一部の方々を庇う気持ちで、伝えようとすると。
理不尽な天理教の現実が誤魔化せれてしまい。
筋がズレて、真意が響かなく、霧がかり。
天理教の得意技の。
教理、言葉、権力を使った。
心意のすり替え、騙し合いになってしまいます。
その点は、先にお詫びします。
どこか人間嫌いであり、歳上には攻撃的に成った経緯はあります。
そんな私にも、天理教関係なく。
尊敬し、大好きな年輩方々、歳上方々は。
沢山おりますので。
沢山の方々が、私のコメントに対話してくれまして。
嬉しくも思います。
ありがとうございます。
おさずけは、気功かもしれませんね!
宇宙であり、地球であり、自然のの森羅万象は。
まさに神秘的に溢れています!
私は以前。
いつも見慣れた、街から見える山あいの景色。
その時は、夕方の雨上がりでした。
田舎の地方都市の街並みと低い雲と、
淡い夕日が、所々に差し込む光景に。
神が降りてくる!って、このような光景なのかな!
と、慌てて写メをとりましたが。
残念ながら、ピンぼけしてしまいました。
街を行き交う、他の方々も。
携帯をとりだし、写真を撮っていました。
神秘には、誰関係なく惹かれます。
そして、同じ光景に、いつ、また出会えるのか。
一瞬の瞬きなのです。
その時にしか味わえないのが、人生の時間です。
おさずけに、値打なんてありませんよ。
値打をつけているのが、天理教です。
インターネットのリアルな情報によると。
おさずけをするのに、その都度。
おさずけに金銭を要求する天理教人が、
全国的にかなり居るようですね。
私の昔に知る範囲では。
そのようなことは、見ませんでしたが。
現実的には、多いと思います。
私は、おさずけをするのも、されるのも。
ほぼ、頑なにお断りしましたので。
ちなみに、他宗教団体の手かざしは。
お付き合いとご愛嬌で。
何人かにしてもらったことがあります。
もちろん、
痛いところは、何も変わらず痛いままでした。
その後もお誘いはありましたけど。
一度だけのご愛嬌だから!
私は、無所属無宗教ですよ!と断りましたし。
相手側も、私には押し付けはしてきません。
他のいくつかの宗教団体の方々からも。
お茶を飲み、お菓子をつまみながら。
それぞれの団体の運営、
一部の勘違いした役員等への。
不満はよく聞きました。
天理教に限らず。
宗教団体それぞれに、問題だらけです。
全ての物事は。
こうありたい!と願い、想うことから始まります。
病は気から!も、確かなことだとも思います。
精神が肉体を凌駕することもあります。
何もしないより、何か出きることを!
答えや結果は、先の向こうにあると思うのです。
おさずけを取り次ぐのは、反対はしませんが。
結果も出せずに、弱味につけこみ。
金銭と見返りは、求めないようにして欲しいですね。
願わくば、恩着せがましくしないように。
天理教の株を下げているのは、天理教自身だと。
もっと、身に染みて欲しいな、と思います。
ほんとに、あの無駄な数のパンフレット類とか。
作成する費用、保管したり、
資源ごみに出す手間とか。
上層部も考えて欲しいですね。
天理教に、疲労困憊し、熱量も失った。
末端部に、配れと渡されても。
余るのは大前提なのに。
私は、天理教のにおいがけ、布教には。
大反対です。
天理教内の腐敗ぶり、理不尽さ。
末端部、信者さん方々の疲労困憊を放置して。
教内でイジメを繰り返し。
外面はよく、上っ面の人助けを唱える。
何を布教するのか、理解不能です。
人の尊厳をバカにするのも、
いい加減にしてもらいたいと感じます。
現実を受け入れない。
天理教のあしき慣習です。
教会、布教所、信者さん宅でも。
天理教が、たまたまに置いてあったが為に。
理不尽な苦労を、強要されてしまう方々。
人生さえも、諦め、とり戻しも出来ない方々。
天理教があったが為に、
家族にも深い溝が出来てしまった方々。
本当に多いことが、私にも許せない現実です。
「この恨み、つらみは、絶対に忘れられるものではありません。」
私も、そのままの気持ちであり。
私も、生涯に絶対に消せない根深い感情です。
私は、これからも生涯通じて。
天理教は勿論のこと。
私に、子供の頃から天理教を脅迫まがいに、強要し。
意見すれば、あの手この手で、出る杭を叩いて。
それを、天理教信仰だと。
洗脳されているのか、自己陶酔しているのか。
その方々の、元々の生まれ持った性分なのか。
脅迫、強要、イジメ体制、権力を振りかざすのが。
理不尽であり、無責任なのが。
それが、天理教信仰そのままなのか。
部が悪くなれば、手のひらを返し。
反省もなく、平気で悪気もなく、すり寄ってきたり。
私を追い込んできた、天理教の数々の大人達は。
天理教関係なく、人として、個人として。
生涯に許す気は、絶対にありません。
生まれ育った実家を離れるのは。
無念極まりないことですね。
教会の設立、代々の継承には、
様々な模様がありますね。
登記、不動産関連にしても。
全ての教会が統一されていません。
多種多様なケースがあると思います。
私は、天理教があったが為に。
学を得ることも出来ませんでした。
法関係に関しては、サッパリです。
天理教関連の学校には行きませんでしたが。
私の家は、家族関係も崩壊していましたし。
天理教が家族崩壊の拍車になったのも確かです。
家に通ってくれた方々も数人でしたので。
そして、通っていた数人の方々のご家族は。
天理教が大嫌いでした。
家も古すぎて、あちこちと倒壊も始まって。
私が十代の頃より、社会での稼ぎが綱でした。
整理に当たっては、関係物も。
心ある物だから、粗末には扱いませんでした。
そして学のない私に、支えとなってくれたのは。
教外の仲間、知人、行政機関も支えとなってくれました。
教内の方々には、散々な言葉を浴びせられましたし。
その後も、宗教特有の嫌がらせもありました。
私は、人として筋を通して生きてきたので。
引く理由などありませんでしたし。
もう、理不尽な脅迫まがいには。
屈っしたくも、諦めたくもありませんでした。
私自身の現在に生きる魂を、解放してあげたかった。
次世代に、希望は残してあげたかったのです。
多種多様なケースがありますので。
色々とは書きませんが。
理不尽は続けるべきでも、継ぐものでもない。
区切りは誰かが背負ってでも、
やらなければ成らないときがあります。
準備をして、闘い、区切りをつけ。
失うことはありますが。
分岐点に辿り着けたときには。
新しい出発を願います。
闘い、辿り着いた人にしか。
感じることの出来得ない。
景色と日常が待っています。
乗り越えた人には、日常も新しく感じるはずです。
今の世の中、神社、お寺でさえも。
後継者、檀家場馴れなどは、加速しています。
宗教離れは、世界的に加速しています。
宗教の必要性が、時代と共に問われています。
天理教の教会の後継者不足、信者さん離れは。
当たり前の話なのです。
私が知る昔にも。
天理教関連の学校、大学、本部勤務、
天理関連の仕事を終えて、地元に帰って。
就職し、教会活動をしないまま、
教会を離れた後継者も。
何人か居ました。
その教会のその後は知りませんが。
私は、連絡が着ても取りませんでした。
ただ。
筋を通して、表舞台で袋叩きにあったきた私と。
年老いた親に片付けをまかせて。
色んな理屈を延べ、
表舞台には出ないで、叩かれなかった後継者たち。
天理教の人を叩いて喜ぶ慣習には。
ほんと、歳下ながらにも、軽蔑してしまいます。
ただ、天理教の教会に生まれた。
たった、それだけのことで。
姓も名もあるのに、後継者と騒ぎ立て呼ぶのは。
人として扱ってない、と同じです。
本部直轄でさえも、途絶える所もあるのですね。
当たり前すぎる現実ですね。
天理教は、時代背景は合ったにしても。
度が過ぎました。
度が過ぎる、金銭や財の吸い上げを。
熱心な信仰として。
考え直せと挙がる声を。
不足だ、わかってないと。
さらに、脅迫して、隠ぺいして。
反省もすることはしなかった。
さらに、あしきに拍車をかけてきたのです。
天理教に抗い、対峙していた頃。
色々な感情と、葛藤してきました。
今も、これからも葛藤は続きますが。
たとえ、中山みきさんの。
感性と貫いた生きざまが、
素晴らしいものだったとしても。
天理教に対しての、感情の中に。
卑怯、中途半端…という感情があります。
天理組織は、残念ながらに。
人を、使い古して、使い捨てにして、成り立ってきました。
今現在も、人を踏み潰して成り立ってます。
踏み潰す人が居なくなるまで、踏み潰すでしょう。
天理教が、宗教団体なのか、宗教サークルなのか、
金集め、天理貴族の為のねずみ講なのか。
天理教は、宗教法人格を持つ宗教団体です。
湾曲した貧に、心も貧しくなり。
末端の教会、信者さん方々は、疲労困憊し。
自分自身に、嘘もつき続け。
自分自身の人生なのに。
どこか諦めることを悟り、信仰を唱える。
天理教の陽気ぐらしとは。
笑うことで、嘘をつき続けて、
諦めて染まることなのか。
その方が天理教の中で生きていくには、
楽なのかもしれない。
上級クラス以上は、教会を預かるとしながら。
無計画に、借金を重ねて。
自己満足の、人助けにも繋がらない建物を建て。
必要もない高めの車を揃えて。
寄り付かない場所に、さらに人が寄らなくなり。
会長会議など、何のための馴れ合いの会議で。
自身の浅はかさをすり替えて。
信仰が足りないからだと。
立場の弱い者を叱咤し、
自己満足の為の金銭や、数字を強要する。
その上には、さらに吸い上げる構造となり。
吸い上げられた方々には、何が残るのだろうか。
天理教の構造は。
残念ながらに、無能がさらなる無能を育て。
さらなる無能が拍車をかける構造になっている。
そこには、神も教理も中山みきもなく。
人間思案もなく、伏魔殿もない。
そのままの現実が。
天理教のそのままのの現実です。
これも、「本当の天理教」の姿です。
私の見てきたことは、
天理教の一部かもしれない。
私の何十年かは、天理教の一部分かもしれない。
でも、インターネットとの画面の文字に。
全国の天理教の姿が見えるのも確かです。
多少の誇張はあるにしても。
でっち上げの嘘はないと思います。
画面の向こうには、人がいて書き込んでいて。
その方々も、天理教の現実を書いているのです。
私は、天理教が消滅は望んではいませんが。
勿論、応援する気持ちありません。
他宗教団体に属する気も、まったくありません。
でも、天理教の再生も再編も望みません。
たとえ、再生したとしても。
やはり、同じことの繰り返しに成るような。
懸念は消えません。
今の天理教が衰退を続けて行き。
それでも、変わることはないでしょう。
見切りを着けた方々が離れていき。
自己欲の強い方々が、残って行くでしょう。
踏み潰す人が居なくなるまで…。
私自身の見てきた、天理教の現実の中で。
感じたこと…天理教では、人も魂も報われない。
宗教家として、宗教団体の中で。
最低なことをしているのではないのか。
そう感じることさえも、時々にあります。
アンチな、このような書き込みをすると。
書き込みを考えてしまう方々もいます。
これは、私個人の実経験と感情なので。
賛成も反対もあるのは当たり前。
天理教を好きな方々も多いと思います。
それぞれの気持ちを。
きれいに伝えようとせずに。
自由に書き込んで欲しいと願います。
自身の心です!
伝え方も、表現も、自由に在りましょう。
宗教とは、可能性で在って欲しい。
天理教を通じて、カインさんのブログ通じて。
このような、意見の集まる場を通じて。
それぞれのこれからの人生に。
何かを感じて、何かを得て欲しいのです。
天理教を信仰するのも、信仰心であり。
無宗教も、信仰心であります。
あなた様の言葉の前に、絶句するばかりです。相当のご苦労があった事とお察し致します。「天理教があったが為に学を得ることもできなかった」・・・辛い辛い思いを数々されて来たのだろう、と思います。読んでて涙が出て来ます。
あなた様の大事なご自分の人生です。何も縛られない、自由な人生を生きて行ってくださいませ。これからも、どんどんお書きになってくださいね。読む方は涙する位しか、何も出来ませんけど、でも心からの深い共感、そして、今の境地に至られた、はぐれ雲様を、ご尊敬申しあげております。
はぐれ雲さま あらためて「人間の尊厳」とは何かを考えさせられ、考えています。
ありがとうございました。
今現在、どの立場であれ、岐路に立っている方に勇気と希望の文章だろうと思います。
私にとっても。
匿名さま
読んでいただいて、対話もしていただきまして。
ありがとうございます。
書き込んでいると、感情移入し過ぎてしまって。
一応、地元の公立高校には進学して。
一応、卒業もしました。
高校は進学するつもりはありませんでしたけど。
中学の進路相談の時に。
「家は天理教で、貧乏だから。
高校には行かないで、働きたい。」と。
担任に伝えると、母が泣いてしまって。
高校に行ったのは、それだけの理由です。
私服もほとんど持っていないので、
制服の学校を選びました。
朝バイトをして、学校が終わってからバイトをして。
だんだんと、学校もサボって。
工事現場のバイトにも行ってみたり。
だんだんに、授業料、その他学校で懸かる費用、
修学旅行費、自動車教習も自分で払いました。
出席日数もいつもギリギリで。
テストも、毎回赤点の補習ばかりでした。
担任や他の先生によく呼び出されて。
「本当は学校は辞めたい…」と答えてました。
友達は、沢山いましたけど。
いわゆる、ヤンキーチックな方でした。
そしてやはり、自分でもどこか壁を作っていました。
幼い頃から。
お前は天理教をやるのが定め。
お前が天理教をやらないと、家を追い出される!
と、散々に母親にも。
上級、部内の大人達に脅迫まがいに、
言われ続けてきたので。
婿養子で来た親父は。
ギャンブル狂で、天理教のことなど一切やらず。
兄弟もいますけど、親父に似てしまって。
私が中学の頃から。
家族の崩壊は、更に拍車がかかっていきました。
天理教があったにしても、
社会的にも問題の家であり、家族でした。
私のように、家族関係の崩壊している子供に。
理の親だとか、神様とか、天理教云々を言っても。
ふざけるな!の一言でした。
母を庇う気持ちと、目の前の矛盾で悩み続けました。
期待という。
大人達の都合のターゲットにされ。
大人達の尻吹きをさせられてきたのが、現実です。
勉強をしても、その先にあるのは。
社会ではなく、天理教だったので。
どこか、夢も希望も持てませんでした。
高校三年生の頃。
大学、専門、就職と話す周りに。
自分がどれだけ、世間からズレているのか。
改めて思い知らされました。
学もなく、社会的にも適応性がズレていました。
それでも精一杯、背伸びしてきました。
その後も、本当に沢山の理不尽を背負いました。
あまり詳しく書くと、特定されてしまう…。
でも、多分、すでに。
私と昔に、天理教で接点のあった天理教関係者も。
このサイトを読んでいるとも思います。
はぐれ雲が誰なのか…
特定している天理教関係者もいるのかもしれません。
私も、それを前提に書き込みをしてきました。
濁しすぎると、リアルが伝わらないので。
私は、特定されても構いません。
私のコメントの文面は、そのままに。
当時の天理教関係者に、
対で、面を向かって伝えたことも多く含まれてます。
同世代、近い世代にも、
天理教の子供は、少しいましたけど。
みんなそれなりに、裕福でした。
車もあって、私服も沢山持っていて、
テレビゲームも持っていて。
自分の部屋も与えられて。
高校からは、天理に行く子は多かったです。
天理教の子供は、みんなお金がなく、苦労してる…。
と、実際は天理教内にも格差はあるのです。
天理教の教内外へ、世間に対しての。
貧乏自慢のような、アピール、伝え方は。
本当によくない、間違っています。
天理教だから…という、変な一体感も間違ってます。
貧を通ると言って、
格差を作って、貧を作って落としてるのが。
天理教の組織が作っていることで。
上級クラスの教会の息子は、若などと呼ばれ。
自分達は貧に落ちてるつもりかもしれません。
実際は、世間のなかでも貧ではないのです。
そのような環境で育てば。
世間ズレも、社会ズレも。
何がどうなのかさえも、勘違いをしたままに。
天理教のマニュアル化に染まって育ってしまい。
判断の出来ない大人になってしまっています。
そのまま、会長、先生と呼ばれてしまえば。
社会の中の、僅かな一部の天理教であることさえも。
判断出来なくなっています。
私が好きな本の一文に。
「十代の1年間は、
大人になってからの何年分にも匹敵する。」
それを読んだ時に、泣きそうになりました。
私が、多様な機関、施設で見て聞いたことに。
天理教に限らず、宗教によって、親の。
「ネグレクト、育児放棄」のようなことが。
今、問題にもなっています。
ネグレクトの使い方が、
間違っているかもしれませんが。
個人情報保護などで、
詳しい話は聞けませんでしたが。
個人情報過保護には、私は反対です。
子供達も、大人の身勝手な。
熱心という勘違いな信仰や、宗教によって。
心にも大きな傷を抱えています。
おじばがえり、程度なら問題はありませんが。
家庭の中は、外には見えないことは多いです。
特に、親、大人は隠したがるし、認めたがらない。
子は親の背を見て育ちます。
親子の間に、神も仏もいらないのです。
親でも逃げたいときはあります。
でも、親や大人のつまらないプライドや見栄、
弱さを。
認めずに、子供に押し付けるのは。
私は、とても嫌悪感を持ちます。
貧困にも格差にも不平等にも。
必ず理由も原因もあります。
子供達は、親や大人の弱さも受け止めて。
それを償おうと思うときもあります。
ただ、親や大人達の理不尽を見たときに。
親や大人が理不尽を認めなく、曲げた時に。
子供は、限界を過ぎ、受け止め切れずに。
傷がさけ、膿が溢れて。
恨み、つらみで一杯になってしまいます。
間違った親を通し続ける天理教に。
子孝行という想いのない天理教に。
何が残せるのでしょうか。
匿名の教会長さま
貴方の身の置き所のない苦悩が、ひしひしと伝わります。
住まいが教会であっても、従来の慣習に縛られず、自分なりに変えていってもいいのではないでしょうか?
ことわざ辞典にも「神かまうな、仏ほっとけ」と言う言葉があるくらいです。
適当にのらりくらりで、ご自分の人生設計を考えた方が楽しいかも
匿名様
先代会長(父)の時代、上級教会から血も涙もないお供えの強要に苦しめられました。父が亡くなる数年前、父のたっての希望を受け入れ会長を引き受けました。ただただ、父を思う親孝行だけの気持ちで・・・父亡き後教会の帳面を確認したところ一億に近いお供えが上級通じて上がっていました。思い出すにつけ、苦しかっ子供時代、不安にさいなまれた幼い日々、優しかった父・母を上級教会まで呼びつけてお供えの強要をした上級会長夫婦。その場面に私も居合わせ、男泣きに泣く父の姿が今でも忘れられません。数千円で済ませているのは、その鬼会長夫婦が無くなり、息子会長も無くなり、その後天理教の「て」の字も知らない全くの他人が(事情があり)行きがかり上の会長になったのです。これを機に我が教会の経済状態を知らせ、今後はお供え・お尽くし、一切出来ませんから。と宣言しました。数千円とはゼロではつきあい上、「角」が立つため、交際費としての意味合いです。我が教会は数百万の借金があります。教会を維持するために修理、維持費に費用がかかるのです。信者さんは数人しかおられません。今後何をいくら強要されても、上級が財布にまで手を突っ込むことはできません。「無いものは無い」。それで押し通す覚悟です。若い新しい会長には本部会計の不透明さも教えました。天理教維持財団が消滅したことも。何も知らない新会長ですから天理教の「裏の顔」も知らせなくてはいけません。何も知らないまま、善良な信者さんや、教会長たちを振り回してはいけませんから。今後、私は上上級から睨まれるかも知れませんが・・・睨まれても淡々とこの教団の在り方の間違いを語る覚悟でおります。「自分が自分である事。」「自分を生きる」こと。人生の残り時間には限りがあります。嫌われても、付き合いにくくなっても、自分を貫きます。嫌われたら上級に参る回数を減らすだけです。休んだ月のお供えは(数千円)はもちろん上げません。下からお金が上がらないという事がどう言うことであるか、末端教会の貧しさ・暗さ・惨めさ。そのうち上級・上上級・大教会とわかってくることでしょう。大教会様、貧に落ちきる「ひながた」を率先して、身を持って感じてください。末端教会は毎日、嘘にまみれたこの組織の歯車の一つとして、逃げたいけど逃げられないと言う、誠に息苦しい日々を過ごしております。
古い教会長さまへ
貴方様は、今の天理教の生き字引です。
まだまだたくさんのこと知っておりますよね。
もっともっと情報を出してくださいませ。
私の母も昭和7年生まれで、祖父の代から天理教に狂った家です。
私の家にも歴史があるように、古い教会長さまの天理教の歴史を知りたいです。
匿名の教会長様
数千円で何も言われませんか?と問うた者です。決して匿名の教会長様が、出し惜しみをしているなどと思っての問いではありませんでしたので。只単に、匿名の教会長様のところの上級は、金に恬淡としているのかな?そういう上級もあるのか、と思って、お聞きした訳でしたので、お気に障ったとしたら、どうかお許し下さいませ。
詳しくお話し下さいまして、本当に痛み入ります。匿名の教会長様のお父上様のご苦労、そしてあなた様の無念の思い、重々よくわかりました。もう何と申し上げていいか、わからない程です。お父上様を苦しめた上級、そしてそういう上級を生んだ天理教組織、許されるものではありません。
はぐれ雲様
本当に身につまされます。うちの大教会の子弟は聞いたことの無い名前のアメリカの大学に留学している大教会の若様。反対に末端教会の娘さんは高校入学金を用意していたにもかかわらず、その入学金は将来必ずおかげが頂けるからと上級にお供えさせられ、泣く泣く高校進学を諦めています。理不尽もはなはだしいです。その娘さんの入学金で米国留学していると言ってもよい、運転手付きの若様。方や中卒を余儀なくされ、世間で生き抜く最低限の学歴さえも天理教に剥奪されているのです。こんなことがあってよいのでしょうか?天理教は社会悪です。
私もお供えは減らしています。出すも出さないも、こちらの胸ひとつです。命までは取られません。強い気持ちが必要ですね。本部は困っていません。お尽しは上級に持って行くことがお尽しではない、と思っています。本当に困っている人、信者さん、家族、地域に尽くすことも大事だと思います。
出し方を変えただけで人生が楽しくなりました。クビになるまで会長でいるつもりです。元気で長生きして、今までにない「ひながた」を残します。
聞いたところによると、教会は独立した法人ですので、土地・建物は責任役員2名と代表役員の印で名義を変えられるそうですよ。教会である(又は、宗教活動をしている)限り(教会に無償貸与ということで)固定資産税は掛かりませんが、個人名義に移した時の取得税だけは掛かります。
詳しくは専門家に聞いて下さい。教会を売り飛ばしたという話も聞いたことがあります。
私は、ある時期社会で働いていました。100年祭前に会長になって、勇んでつとめていました。せっせとお供えもはこんでいました。借金をしてでも運んでいました。今もその影響があります。
柏木庫治さんの話を聞いて、勇んでいました。今、思うとあれは洗脳でしかなかったのでは、とも思います。
深く天理教の歴史や教理を勉強する内に目がさめました。一粒万倍なんてことは絶対にありません。出せば無くなるだけです。
要は出し方に問題があるのです。
今日はパソコンを開くのをやめて予定している事にかかれねばと思うのにやっぱり開いてしまいました。
はぐれ雲さまの文章を読ませていただき、よくぞ生き抜いてこられたと熱い感情に。
匿名の教会長さまの現在の様子がわかり、ほっといたしました。
「柏木庫冶」懐かしい名前です。(笑)母などの憧れの方でした!そのほか「常岡一郎」とか。
忘れていたことを思い出しました。中学一年生になったばかりのある授業でM・M先生が「迷信」ということで「天理教」を取り上げました。「神棚に祭ったお水を神様の水といって飲んだり、目を洗ったりしている。埃のかぶった不衛生な水を、、、」などと面白おかしく話しました。私が教会の子と知ってる小学校が同じ区域の級友は反応しませんでしたが他のそれは教師に反応して、、、。死にたいと思いました。教師を殺したいとも。同時に何故か母が哀れにも思いました。
その教師は転勤したばかりで私が教会の子と知らなかったのです。その後、知ったのかすり寄って声をかけてきましたが。今なら特定な宗教非難、偏向教育と大騒ぎになることでしょうね。
母は一切知りませんが。家での私と学校も含め外での私、二重の私を生きておりました。
今では忘れるぐらいの思い出になったのも生きてきたからだと思うのです。
「生き抜く」これが私の大事なポイントです。辛かったら逃げたっていい、極端ですが嘘だってついてもいいとも。
天理教というのは、純粋に教祖の教えだけなのだろうか?もしかして、他の宗教の概念が混じっているのではないか、と思う事があります。まず、なぜ”<講>ではなく、<教会>という名前を使っているのか?<天に得を積む>、という言葉も、これはキリスト教の言葉ではないのか?と思います。
おやさまの教えを冒涜する意図で言ってるのではありません。純粋なおやさまの教えに、もしかして、どなたかが、キリスト教から持ち込んだものを、おやさまの教えに付け加え、天理教というものを創り上げたのではないか、と思うところもあるのですが。
漢字ミスです 得 → 徳です すみません
古い教会長さま
深く天理教の歴史や教理を勉強する内に目がさめました。一粒万倍なんてことは絶対にありません。出せば無くなるだけです。要は出し方に問題があるのです。
差し障りなければ、どこで目が覚めたのか教えていただけないでしょうか?
母もまた「まことしやかな嘘」に乗せられたお道の人間です。そして家庭崩壊に陥りました。
そもそも真柱の名称も平田篤胤の「霊の真柱」からもらったものではないかと思っております。
なんせ2代真柱正善氏は、灯台の宗教学部出てるからね。
秀才の正善氏にかかれば、模倣も自分の考えにすり替えられるだろうし、まして今のように情報もなければ、教育を受けた方もそれほど多くはなかったでしょうし、正善氏が東大出でなく灯台出だったらもっと親しみわいたでしょうね。
徳子さま。
それは現実を冷静に見る目ができた時です。
とことん行き詰っていた時です。
仕事は事情働きだからダメ。
お供えに手を付けてはダメ。
沢山ある上級の月次祭をつとめよ。ひのきしんをせよ。
別席者・修養科生を出せ。
できる訳がありません。
仕事をしないと借金が返せない状態でした。
お供えを減らしても病気にはなりません。
いろんな行事に出なくてもお手入れはありません。
それに気づいたのです。
そこに至るまで、多くの仲間が支えてくれました。
上級の奥さんがお供えを取りに来た時に、「お供えの意味が分かりません。したくないです。」と言いました。勇気がいりましたが、それから、生き方が変わりました。
>お供えを減らしても病気にはなりません。
>いろんな行事に出なくてもお手入れはありません。
古い教会長様
ありがとうございます。
とても勇気が出ます。
正直、実家の元旦祭は行きたくありません。
なんのためにおつとめをやるのか、
おやさまはなぜおつとめせよなどと余計なことを言ったのか、迷惑でしかありません。
子供から多額のお金をお供えと称して取り上げる天理教は、根本からして間違っている。
ふつうは逆じゃないか。
末端教会の娘さんが高校進学のための準備金さえお供えさせられる一方で、大教会長の息子がアメリカの大学に留学しているという、匿名の教会長さんのコメントを読んで、本当に涙が出た。
こんなことは絶対に許されるものではない。
一般の人が天理教を毛嫌いするのも当然である。
天理教団よ、猛省せよ。
徳子さま。
「差し障りなければ、どこで目が覚めたのか教えていただけないでしょうか?」
ずーっと考えていました。思い出しました。
それは「オウム真理教」事件の時でした。テレビのコメンテーターが言っている言葉でした。
「法外なお金を要求するのは、カルトです。」
「思考を停止させて、教団のいう事に疑問を持たなくすることは洗脳でありマインドコントロールである。」
という発言でした。
カルトという言葉もマインドコントロールという言葉も知らない時分でした。
「これ、天理教も一緒や」と思った瞬間でした。もちろん多くの仲間のお陰ですが・・・。
おかしいと気づいたのです。
天理教が、信じるべき唯一無二の宗教と、親に小さな頃から教会に連れて行かれ、進学、就職、結婚、出産と節目の折に、理立て、お供えもして来て、それが実際はカルトも同然であった、というのは、むなしい限りですね。
考えてみれば、金をお供えして、運命が好転するなんて、そんな、金が欲しい神様なんて、「ありえへん」筈なんですが、そんな事、頭に浮かぶ事すらなく、言われるままにせっせと、お供えしてきましたが、それらを貯金にまわしておけば、とっくに家も買えてただろうな・・・。
このサイトの批判精神は天理教にとっても有益なものだと思うが、コメント欄が一部の方々の愚痴の捌け口になっているのがとても勿体無いと感じる。
愚痴と批判とはっきり区別はつけられないと思います。愚痴もりっぱな批判ですよ。
皆々様方へ
胸が締め付けられる想いです。
それぞれに、苦境の現実を乗り越えて。
今、それぞれに自身の足で立ち考えています。
そして、これからも乗り越えて行くのです。
僕は、コメントを書き込み始めると。
感情移入をし過ぎてしまい。
僕自身の消せない、天理教に対する恨みも溢れ。
攻撃的に書き込み、送信して。
その後、ふと。
少し反省のような気持ちになります。
自身の感情で、攻撃的に書き過ぎていないか…と。
このブログを開けるとき。
少し、ためらうときもあります。
でも、皆々様方それぞれの。
体験、感情の声を対話してもらえて。
とても、ありがたくも思います。
僕は、もう天理教を整理し、別け隔ててから。
何年もの月日が経ちますが。
やはり何も変わらない、
変革のない天理教のままですね。
このブログを通じて。
系統とか、歳とか、地域、関係なく。
全国の天理教と、色々な方々の声を。
聞き、感じることが出来ます。
上部に億千百十万単位のお金が。
お供えや費用という名目で摂取されてます。
社会では、それは恐喝罪、詐欺罪に当たり。
刑に服し、返納して、詫びること。
でも、宗教、天理教になると、罪にはならない。
理不尽極まりない…では済む話ではない。
僕が昔に、天理教と接し対峙してきた時の。
大教会、上級からの。
異常な金額…の要求はありませんでした。
天理教内でも、良くも悪くも噂話にも挙がらない。
大でもなく、小でもない、中堅な大教会でした。
僕の両親、兄弟…家族にも、
人間性の問題は多々ありましたが。
異常なまでの金額の要求は無かったにしても。
上部に、お金を摂取され続けてきましたし。
取り戻せない、自身の人生の時間も摂取されたのは。
僕も事実です。
そして。
人権さえも踏みにじるように。
お前のことは認めない!とさえ言われました。
もちろん、正面向いて、抗ってきました。
「理不尽には屈するな!」
僕の好きな先輩の言葉が、支えにもなりました。
このブログで、インターネットで知る。
異常な金額を要求し摂取し。
異常な権力を振り回す、大、上級会長。
読むと、驚きよりも、憎悪感が込み上げます。
ただでさえ、異常な天理教構造に。
さらなる異常が、まかり通り続けています。
先への希望のある若い子の。
高校のへの道を、お供えとして閉ざして。
かたや、若と呼ばれ、祭り上げられ。
贅沢をし、アメリカへ留学する。
結婚に関しても、上級の会長が別れさせたり。
天理教の、理不尽で異常な権力構造が。
馬鹿が、馬鹿を産み。
馬鹿を育て、馬鹿を増長させる。
末端の借金は、末端で返せ。
本部、大教会、上級の自己満足が為の借金も。
末端が返せ。
はっきり言えば、ただの追い込みにも感じます。
現に、百年祭時に。
命を失う出来事さえ起きている。
天理教は、
命さえも上層部、間違った権力者の気分で。
お供えしろ…というのか。
天理教は、社会悪。
そのとうりですね。
僕は普段の日常で、
天理教はカースト制度だよ!
そう、世間に伝えています。
天理教は、一列兄弟をうたいながら。
ヤクザ張りの上下関係を造りあげ、まかり通す。
実直な話、天理教はヤクザ社会以下です。
渡世の親分さん方々にも、色んな方々はいますが。
兄弟、子には。
上納金もあるが、手当て、こずかい、物品。
堅気な仕事も手配してくれる方もいる。
親分なりに、兄弟、子の先は案じてくれる。
確かに犯罪もあるかもしれない。
でも、罪にも問われ一般以上の量刑に服す。
人情味の溢れる、利益関係なく。
地域からも、頼られる親分さんもいます。
それも、一部の方だけかもしれません。
でも同じ悪でも、自身を悪と認めて生きている。
その点、天理教は。
人を使い古し、使い捨てにする傾向が強い。
人を叩きのめして、使い古しにしておきながら。
他の場では、
あの人は熱心に信仰して、尽くしてくれたと…。
どうして、その言葉がでるのか。
心のなさに、腹立たしいだけである。
末端から、金を上納し、摂取して。
末端の教会が困っていても。
末端の教会が普請、修繕するとしても。
本部や大教会が、寄付してくれることはない。
上部が寄付してくれる物といえば。
時代遅れの、お盆、置き時計、風呂敷とか。
記念…とか書いてあると。
リサイクルショップでも、引き取ってくれない。
粗大ごみになることもある。
上級あたりは、少しの金額は封筒で包むが。
結局、次の月には。
上級の月祭で、それ以上にお返しというか。
返金することなる。
上級が部内の月祭に来ると、御礼の他に車代を渡す。
しかも、毎月来られると、
一年の車代っていくらだよ!
人手が足りなくても、来てもらわない方がいい。
ありがた迷惑とは、まさに天理教上部です。
国家、行政、企業、会社、組合、渡世社会…。
世の中、確かに組織も縦社会はある。
理不尽も、あるかもしれないが。
仕事をして、給与を与えてくれる。
天理教の組織、縦社会は。
上部が摂取するだけの一方通行。
宗教法人の非課税とは。
人の為に、集まり使用する場所だから。
その為の、国が免除している恩恵です。
天理教の、とある教会の会長さんは。
うちは国に、税金払ってないから!
皆さんで使って下さい。
と、地区の集まりに、教会や駐車場を開放したり。
共働きで、親の帰りを待ってる子達を。
教会で夜まで預かったり。
地域の交流を深めている会長さんもいます。
出来るだけ、そう在って欲しいと思いますが。
天理教の教会は、閉鎖的な所が多い気もします。
僕の昔に、上級だった教会は。
敷地はとても広いけど。
部内の会長会議の反対を押しきって。
噂によると、一億近い借金をして。
当時の上級会長の、今までの名誉を誇示するような。
必要以上な、無駄な建物をたててしまい。
誰が返すんだよ!って感じでした。
利子だけでも相当ですよね。
減少気味だった信者さんも、さらに離れて。
朝晩のお勤めの人さえ揃わなくなり。
周りも分譲地になり、新しく越して来た方々から。
うるさい!とか、その他色々と苦情がきたり。
近所の子供が、自転車で遊びに来て。
「オウムだぁ‼」と、逃げて行ったのを見たことも。
どれだけ近所付き合いしてないんだょ…と。
その後、代を継いだ息子は…。
昔に、上級に息子が居たことさえ知らなくて。
あるとき突然に現れて、「あの人は?」と聞いたら。
上級の息子、後継者だよ!と言われて…。
後で他の人に聞いたら。
十代の頃は跡を継ぐのが嫌で。
引きこもりで、出てこなかったからだと。
「俺なんか、小学生の頃から。
月祭には、無理矢理にも駆り出されて。
引きこもる部屋があるだけ、俺より恵まれてるわ!」
と、皮肉たっぷりに返しておいた。
どうやら、天理の学校へ行って。
外国にも、しばらく行ってやがり。
教会に帰ってきたら、バリ天!気味でした。
代を継ぐと、さらに信者さんも離れてしまい。
部内の方々も、近寄らなくなって。
今は、どうなっていることやら。
天理教本部は、看板を貸しているだけで。
非課税に免除しているのは、日本国なのです。
理不尽を恩着せがましくするのも、天理教なので。
企業や渡世の看板は。
社員も家族も守り、支えてくれます。
天理教の看板は、家族や人を。
使い古して、使い捨てにしてしまうことも。
宗教法人をうまく利用している、
教会もありますけど。
教会や天理教の整理には。
時間も精神も削りますが。
専門家に、意見を聞くのが、僕も良いと思います。
ただ、司法書士の方々でも。
宗教関連、長引く案件、すぐお金に成らない案件。
あまり、手を出したがらない方が多い気もします。
宗教関連て、色々に難しいようで。
それぞれの教団の教則とかもあり。
必要以上の経費がかからないよう。
行政機関、天理教外の知人、インターネットなど。
利用できることは、全て利用してください。
系統によっても、拗れることもあるような。
本当は、天理教の教務支庁が、
中立性があれば、直ぐに済む話なのですが。
天理教側は、整理することなどに対しては。
とても陰湿で、手続きを教えたがりません。
教務支庁の担当の方も。
中立で協力的な方も、教団寄りで陰湿な方もいます。
割りきって、法人を残したまま。
生活を続けて行く方も、いるのも確かです。
裏社会などと呼ばれる業界では。
宗教法人を、一億ぐらいで買うこともあるらしいです。
全国の事情教会の整理もしないまま。
自ら整理を望み声を上げると。
烈火の如くに叩く天理教組織。
守りたいのは、人でも教えでもなく。
はりぼての、
穴だらけに荒んだ看板のような気もします。
でも、もう何年か経てば。
教会の整理、態勢の方針も変わるかもしれません。
とにかく、心折れないことを願います。
そうですね!
自分自身の歩みを振り返ってみると。
折れずに、腐らずに、今の此処まで。
乗り越えて、乗り越えて、
やっと此処まで来れたと思います!
ほんとに、自分でも思いますし。
社会にいても、周りの方々と対話しても。
自分がどれだけのことを乗り越えて来たのか。
感じることも出来ます。
世間、社会では味わうことの出来ない。
様々な経験と体験と、自己犠牲をしてきました。
歳よりも、経験に勝るものはなし!
仮に、天理教の上層部の方々とでも。
天理教用語になど惑わされずに。
堂々と対話出来るぐらいには、成った気もします。
僕の人生のバイブルは。
高校時代からアルバイトに始まった外仕事。
その後、別の職種の職人の弟子に入り。
二十数年続けた職人世界での経験と体験。
もう、無理に無理を重ね過ぎて。
体を壊し、職人界からは退きましたが。
日本人て、DNAが職人基質だと思います!
そして、先輩、同世代、後輩…仲間。
そして、バイブルには。
好きな、沢山のマンガもあるのです!
僕がコメントに書き込む言葉に。
「人間の尊厳、生きる魂、宇宙、森羅万象、志…。」
実は、マンガで響いた言葉なのです。
それぞれの作者の。
伝えたい熱量や想いが伝わってきて。
小説、文庫本などは、とても苦手ですが。
でも、自伝本とかは好きです。
この前は、田中角栄の本とか読み入りました。
僕は、正直なところ。
お筆先、おさしず、などは。
昔は家にもありましたが。
ほとんど読んだこともなく。
教祖伝なども、修養科の授業だけで。
別席の話も、ドジョウ…ぐらいしか。
でも、このブログであり。
他の天理教の掲示版を読むと。
お筆先、おさしず等を引用して。
わかりやすく説明してくれるコメントもあったり。
お筆先、おさしず、って。
本当に、素晴らしい内容ですね。
今更ながら、とても思うことがあります。
でも、今から取り寄せて読もうという気持ちは。
全くにありませんけど。
天理教を整理した時に。
天理教の全ての物、まだ使える書物なども。
天理教にお返しして。
僕が処分するものに関しても。
地元の神主さんに、相談して整理しました。
お袋の写真も、天理教関連に写っているもの。
僕自身の写真も、天理教関連に写っているものは。
全てその時に整理しました。
僕の家の中に、
天理教は、1つも残してくはありませんでした。
そして、年月も経ち。
今は天理教のお勤めさえも、あやしいぐらいです。
そして、僕自身の心も体も。
拒絶していると思うのです。
天理市へは、十年もっと以上行っていません。
現在の、本部内、周辺部、アーケード、詰所。
さらに、閑散とした。
寂れ続けて行く情景が、目に浮かびます。
そして。
お袋の介護、看病、看取り、送り出し、
その後の葛藤し続けた日々。
その時間は、僕の今までの人生の時間で。
一番に、濃くも重くもあり、乗り越える時間でした。
親との別れは。
間違いなく、人生に一度しかない。
人間には必ず、最期の末があることを。
思い知る時です。
そして、生きている。
ということを、もっと想うように成るときでした。
お袋との最期の時間と月日を通じて。
天理教が押し付け、騒ぎ立てること。
僕に対して、散々に天理教を押し付けてきた。
特に、上級や部内の会長方々、天理教な大人達が。
どれ程に、空しいものなのかを感じ得ました。
昔に天理教と接し、対峙していた頃に。
何か言い返せば。
反発だ、不足だ、お前は何もわかってないと。
「因縁があるぞ。悪いことが起きるぞ、何かあるぞ。
お前のために言っているんだ!」と。
当時接した天理教な大人達の九割ぐらいに言われて。
最初は我慢したけど、いい加減に呆れてしまい。
「人に対して、そのようなことを言って。
何が楽しいのですか?
それが、天理教だからですか。
あなたが俺に対して、面を向かって言ってる言葉は。
天理教のどうかでなく、あなた自身の言葉だ。
今のような言葉を人に浴びせて。
それを、教えだ、信仰だと喜んでいる。
俺は、貴方のような人には成りたくないから。
そうなりたくないから、天理教は要らない。」と。
もちろんに、さらに怒鳴られましたけど。
天理教でも。
年下や立場、相手を選んで。
調子に乗ってしまう方々が多いので。
大の大人が、出る杭を叩いて喜び。
末端の会長や信者さんが病気になれば、
信仰が足りないからだ、と怒鳴り。
言われた側は、押し込み、だとさらに縮む。
上部の会長が病気になれば。
大丈夫ですか?と金一封を持ち、見舞いに行って。
そのあとに、神のお手入れだと、陰口を言う。
いい人になろうと、装おうとしなくていい。
悪口も陰口を言うのはかまわない。
人と人として、言って欲しい。
ただ。
それを、神だ教えだと正当化して言うことが。
どれだけに、卑怯で恥ずべきことなのかを。
その当時も、今も思います。
カインさんも、ある記事に書いてあったように。
天理教は…後出しジャンケンだと。
確かに天理教は、後出しジャンケンをして。
あえて、引き分けを選ぶ。
白も黒もつけない代わりに。
世間には、様子見をして、当たり障りなく済ませ。
内側に対しては、相手を選んで、権威を振るう。
それでは、人は守れない。
卑怯…という感情が、強く残るだけです。
昨日の晩に。
他の天理教の掲示板を読み。
このブログを読み返して。
一つ思うことがありました。
僕の中では、最終形かもしれません。
天理教の云う、陽気ぐらしの実現とは。
「天理教を無くす」ことではないのか…と。
上級にお供えなど、
無理し続けて、身を削り続けて。
届ける必要はないですね。
信者さんが数人の教会は。
信者さんが数人になるまでも。
理不尽に耐えて、教会を守ってきたのです。
天理教の教会の半数が。
信者さんは数人、の状態なのでは。
横暴な権力や、
異常な金額のお供えを要求し摂取する。
そのように、人を踏み潰しても。
陽気と云う、会長がいつまでも。
注意を受けることなく続け。
地道に、信仰を貫き。
天理教に想い、意見や行動し。
末端と呼ばれ。
土台から、天理教を支え続けてきた方々が。
クビになるようなこともあるかもしれない。
そんな、理不尽な宗教は。
もう、要らないのです。
僕は、おやさまの雛形とは。
今までに、さほど考えもしませんでした。
でも、ほんの最近になって。
少し、わかるような感情が出てきました。
天理教がなくとも。
天理教の隠蔽、湾曲など調べあげても。
もしかしたら、親神様でさえも。
天理教の造り上げたものかもしれない。
そこには、真は無いような気がしました。
でも。
おやさまの雛形、生きざまも。
お筆先、おさしずも。
世界に認められたものなのですから。
天理教関係ない方々にも伝わる。
この世に残り続ける、生きざまと想いです。
お袋を看取り送り出し。
葛藤して、自問自答して、分岐点まで辿り着き。
天理教の因縁などは、
天理教が騒ぎ作り出しているものだと。
人は、人生を全し、最期を迎えれば。
そこには、天理教も宗教も、括りは無くなるのだと。
残るのは、想いなのだと。
先人の魂も、いつまでも。
現在の人達の都合で、縛り付けてはいけない。
信仰していても、何かあるときは何かある。
病気も怪我もする。
苦しいぐらいに悩む時もある。
どん底に落ちるときもある。
それは、生きているから。
後悔するのも、生きているから。
生きているから、これからも生きていく。
生きていく!というリアルを。
天理教の都合で、誤魔化せれたくはない。
人を踏み潰して、陽気ぐらしと云う。
そんな宗教ならば、要らない。
天理教に限らず。
真っ直ぐに信仰を想い敬う方々が。
宗教によって、報われないのであるならば。
宗教そのものは、要らない。
人は、宗教に振り回されてはいけない、と。
天理教組織の、続けてきた背伸びは。
もう、透けすぎて、要らないのです。
トップから、末端まで。
それぞれに、間違いは自覚しているはず。
もう、腹をくくり、道を示すべきだ。
これからの、子供達や若者達。
ずっと、理不尽を受け入れて。
信仰を通してきた会長さん方々に。
多くを捧げ、支え続けてきた多くの信者さん方々に。
ここれ以上、失望させないで欲しい。
何か一つでもいいから。
大切なことを。
ハッキリ示して欲しいです。
可能性は、少しでも残っている。
天理教だからこそ。
世界の組織の、先駆けに成って欲しいと。
そうここに、伝えます。
「信仰とは。神と自分の一対一の。
対話の繰り返しだ!」と。
宗教色の全く無い本に。
そんな一言が書かれていました。
何か、胸を撃ち抜かれた気がしました。
信仰にも、教理にも。
人の最期の時まで、答など見つからない
のかもしれません。
だから、毎日に求め葛藤し。
もがき、抗うものなのかもしれません。
そして、これは。
実際の、ある方の伝え残した言葉。
僕の好きなマンガに、引用されて知りました。
「stand & fight! スタンド アンド ファイト!
立って。そして、戦いなさい。」
世の中には、生きていくことには。
理不尽も、迷いも、葛藤も、不平等も必ずあります。
笑顔も、憂いも、愛情も、希望も。
乗り越えた先の向こう側に。
在るものかもしれません。
守りたいもの、貫きたいもの。
それぞれに在ると思います。
限りある、末のある人生に。
毎日の、常に過ぎ行く時間と月日の中で。
求め。立って、そして、戦い続けましょう。
天理教のブログかもしれませんが。
天理教を全く知らない方々も。
沢山の声を、書き込んで欲しいな、と。
僕は思います。
周りの感じたことって、とても大切です。
そこには、遠慮のない率直な、リアルがあるので。
せっかくの、全国につながる。
声の集まる場所です。
神や仏も。
宗教も信仰も教理もなくとも。
言葉一つに。
気が付けること、支えられることも。
沢山に、あります。
愚痴のはけ口であることは確かです。
本当にご苦労の連続であったと思います。
それはそれとして認めなくてはいけない現実です。
年祭のときは本当に大変のことが起こること。今回実際にありました。
それは、布教所の月次祭時、訪問した時にいつも迎えてくれる
布教所の奥様がいなかった。
月次祭の10日前のこと。
とある共同住宅での出来事。
今回の年祭テーマであるチラシを配っていた時に
そこの階段からすべり落ちて、大腿部分にひびが入り手術することになった。
これは本当にご守護なのか?
私は本当に災難であると思っていましたが、
見舞いに訪問した際に、ご本人は、反省の心を話されていました。
「私でよかった」というのです。
その言葉で私は純粋に信仰をされている姿に頭が下がる思いです。
私にはそのようなコメントはできません。
強い心とやさしい心を持ち合わせていないとできないコメントです。
そのような方からご守護を頂くべきです。
そうでなくては報われないです。
そう思います。
はぐれ雲様の散文詩のような文章には、胸にズシンと響く言葉が散りばめられています。
「天理教の云う、陽気ぐらしの実現とは。 天理教を無くすことではないのか…と。」 そうかもしれない、と思いました。
宗教は人を救うものでもあるが、又、人を縛り、苦しめるものでもあります。という文をどこかで読みました。天理教は残念ながら、後者になっています。 いんねんと、人を罪人の如く責め、罪の意識を植え付け、一生、理の親の前に、頭の上がらない人間にする、それのどこが、人をたすけていることになるのか? 天理教のいう、陽気ぐらし、とはどういうことをいうのか。 これ程、言葉と現実が乖離している宗教も、他には無いと思います。
nanacyさん。
その布教所の奥様の「私でよかった」という言葉。なんともいえません。
ちょっと無理しておられるかも知れないと思ってしまいます。
教会ではなく布教所ですから、経済的に基盤がある方でしたらいいのですが、末端の教会でしたら入院するのにも、後ろめたさを感じる方もおられるかもと思います。
天理教を批判する裏には、深い嘆き、恨み、悔恨、いろんな感情が張り付いています。愚痴を書くべきでは無い、としたら、批判も書けない、という事になります。何にしても、言論統制とも思えますよ。
匿名さま
同意です。
私の経験では文字にすることによって、他者に聴いてもらうことによって、自分自身を見つめることが出来てそれ以前の自分とは変わっていました。消化(昇華)されていくのかなと思いました。
出された批判や愚痴(?と思いませんが)の言葉をどう読み取るか、どう聴きとるかは読む側、聴く側の自由なのですから。
古い教会長さまが歩んできた歳月とその時代に生きた母が重なり、なんと申しましょうか。
言葉では語れない、どうしようもないものを背負って生きた、仕方のないことだったのでしょうか。
真摯に答えてくださっているのに、どうしたものか、あまりにも悲しすぎて言葉が見つかりません。
部外者です。無責任と思われるでしょうが感じたことを。
高校の時の友人が天理教に入っていて近所にも信者の親しい方がいたのでなんとなく興味は持っていました。奈良の山辺の道とかが好きなので天理にも何度か行きましたが本通り商店街、すごく寂れてましたのでびっくりしました。12、3年前は行事とかの無い土、日でも結構人が多く歩いてたのにと思いこのサイトを見ました。
あのすごい神殿、施設群を見ていると書かれている信者の方の苦しみが解ります。あれってみんな寄付でできたものでしょう?部外者でも想像つきますよね、維持するだけでも莫大な費用かと——。数多い詰所など普段はガラ空きでしょう、勿体無いですよね、何か活用方法は無いのかな?私も何度か勧誘されましたが大体がドライで不信心なもので——-まあ、この内容では入っていても辞めてますけどね。
高齢化社会だわ不景気だわでこれからますます信者は減るでしょう、信者さんも割り切って考えられたらと思うのですが無理なんでしょうかね。私の友人はそれから天理大学に入学しましたがどうしてるのやら、熱心でしたからまだ信者だと思いますが。
徳子様
熱心な信者様方には失礼を承知ですが、どうしてもこの考えが取り除けないのです。
徳子様の仰ったように、中山正善氏が天理教の教理の編纂に、深く関わっていたのなら、悪く勘ぐれば、中山みき様の教えも入ってるでしょうが、自分の宗教学上の知識を材料として、正善氏が作り上げた、正善教が、天理教の実態だった、正善氏は自分の考えを、みき様の教えとして、教理を作った、我々信者らが信仰していた天理教は虚構であった、という可能性だって否定できない、という事になりますね。
恐ろしい考えでしょうか?徳子様はどうお考えになります?
古い教会長さま
私が通う布教所はお店を経営しています。
道一条でないので、日銭稼ぎはできます。大丈夫です。
しかし、どこの自営業も稼ぎの波があるので、なんともいえないのですが。
私の経験上、必要となると稼げるものなので、心配はしていません。
神様はそうゆうところはちゃんと見ているのです。
そうでなきゃ。自営はやってられません。
布教所も最初は道一条でしたが、上級教会からのお達しで、方向転換しました。
事業立ち上げのころに信者さんの中に応援して頂いた方々がいて現在の姿となっています。
ある意味 信頼関係でここに集まっている教会 ということになりますでしょうか?
私のいる布教所はそんなところです。
教祖が「貧に落ち切った」のも、秀司さんが米相場に手を出して、失敗したからであり、又、ずっと貧に落ち切っておられた訳では無く、後には売り払ったものも買戻し、裕福な暮らしをしていた、という説もあります。ならば、教祖伝に書かれてある「この屋形取り払え」は全くウソという事になります。教祖伝は、虚実入り混じっている、と解釈するべきでしょうが、ならば、「教祖のひながたを通れ」、というのは、あまりにあつかましい要求です。確信犯で言ってるなら、呆れます。
天理教が「だめの教え」と書かれてるのは、正善氏が編纂した経典、教祖伝にて、そのように書かれてるだけで、おふでさきには「だめの教え」というお言葉は無かったと思います。「だめの教え」という言葉に、信者は必要以上に囚われてしまいますが、単に正善氏が、自教を、自分のとこが一番だよ、と言ってるだけです。他の宗教でも自分達の宗教を最高の教え、としますが、それらと、何ら変わりないということです。
売り払ったものを買い戻ししたのも事実。また教祖存命中の中山家の後半の暮らしは相当裕福であったと言うのは説ではなく史実です。相当のお供え金があがっていましたから。秀司さんがお供え金を溜め込んで教祖は嘆いていたらしいです。「教祖の時代とその周辺」と言うようなタイトルでしたか、史実にもとずいた書籍が出されていて読みました。一般信者が抱いている貧に落ちきった姿ではなかったようです。鯛にひらめではないですが、かなり贅沢な食材を手に入れ食していた帳面等が残されていて、中山家の暮らしが垣間見える史実に基ずく書籍です。そういう意味でも私たちは教団(中山家)からだまされ続けています。今もって。
「おふでさき」を、久しぶりに眼を通してみました。こんなことをいうと、叱られそうですけど、あまり内容が無い、と思われました。ひたすら、神の言葉を聴き分けてくれ、というお言葉がえんえんと続き、わかりましたから、早く、教えの真髄をお聴かせくだされ、いつになったら尊い教えをお教え頂けるのですか、とページをめくりながら思わせられる、という啓示書。
教祖のお歌形式の文の多さに比して、内容がそんなに無いように感じます。泥海こうき、、ほこり、往還道、たすけ一条などの記述もあるが、あまりの不要な文は省いて頂くのは、まずいのでしょうか?
はぐれ雲様、またここに書いて下さい。
あなたの投稿は、同じ思いを持っている者たちにとって、救いになるのです。
あなたと気持ちを共有し、涙し、過去を清算し、明日へ向かう、そのために、あなたの言葉がたすけになるのです。
お待ちしてます。
匿名さん、よくぞ言ってくれました。
たしかに「おふでさき」は、かんじんの神様の教えの内容が少なく、正味は今の10分の1もあればいいと思います。それもそんなにすごい、目が覚めるようなことが記されているわけではない。
早くつとめせよとか、そのくりかえしがやたら多く、ときに差別用語や下品な言葉づかいも見られます。生き神様の直筆とは信じられません。
みかぐらうたも、まったく単調なメロディーで、今の時代にはあわないように思います。あの複雑な手振りを全員やれと言われても困ります。
命の切り替えになるからと言って、習わされるけれども、別段何もかわりませんでした。おつとめしている人が長生きしているわけでもありません。
おさしづも、側近が腹が痛いとかしょうも無い相談ばかりしているし、刻限さしずも意味不明で、どうとも取れるものが多い。
教勢低下は、理の親がどうだとか、教団組織が悪いとか、皆さん書かれているけど、もともと原典がこんな状態なので、要は現代人には魅力が無くなってしまっているだけなのではないでしょうか。
匿名様
勿体ないお言葉に、恥ずかしくなります。
ありがとうございます。
僕は、…様。を付けていただけるような。
人格者ではありませんし。
僕自身が、社会の中で綺麗に!?
生きて来た…ともいいません。
葛藤、苦悩しながらも。
自分の存在意義を、探し求めてきて。
これからも、探し求めて生きたいのです!
いつまでも、生意気に、抗って。
最後の時まで、探し求めたいと願い生くのです。
ちなみに、「自分の存在意義」も。
僕の好きな、バイブルなマンガの。
響いた言葉の1つですよ。
書き込みをしていると、入り込み
話が脱線してしまうことが多く。
長々と、なってしまいますが。
気が向いた方は、お付き合いを。
伝えたい、主の書き込みを思った時に。
カインさんの記事に、当てはまるコメント欄の場に。
コメントしていこうと思います。
僕は、はぐれ雲、浮游雲です。
あちこちに、ふわふわと、現れますので。
縛られずに、時には黒く、雷もあるのかも。
結局のところ、脱線して。
長々と書き込んでいますが。
沢山の方々が、それぞれの立場、経験、感性で。
情報や書籍などを読んで、さらに伝えてくれます。
ネットの普及は、様々な問題、善し悪しはあります。
それは何事でも、善し悪しは付いて回るので。
判断し、取り込むのは、自身の感性です。
天理教に対しては、ネットの普及により。
天理教が、今まで装い続けてきた、
メッキが剥がれ落ちていきます。
もう、だいぶ昔から。
剥がれて落ちてはいるのですが。
本部、中山家一族、親族と。
自己満足な、横暴な権力を振るう方々も。
頑張って装おっているつもりなのでしょうか。
いつまでも、昔のような独裁思想は続きません。
天理教、中山みきさんの看板で。
人を馬鹿にするのは、もう見苦しいのです。
教祖伝はやはり、
中山家側寄りに作られた物、なのだなぁ…と。
修養科の時にしか、読んだことはありませんが。
とても、不自然なキレイさに。
なんだかなぁ?と感じました。
日本昔話の方が、まだ夢があるような。
貧に落ちきれ、も実際は違うのですよね。
僕もその記事は、他のサイトで読みました。
中山家は、一時期は暴落したが。
最終的には、裕福な生活をしていたと。
だめの教えは、正善氏が発したことなのですね。
たしかに、他の様々な宗教団体関係者と対話すると。
他の宗教の教えも良いけど。
やっぱりうちが一番!と、自信を時折みせたり。
老舗のラーメン店のような。
でも昔に。天理ラーメン。
カップラになって、コンビニで見たときは。
ちょっと感激でした!
「天理教の時代は、もう終わった。
天理教の役目は終わったと。」
と言う決まり文句も。
他の様々な宗教の方々から。
よく聞きましたけど。
僕には、
「天理教も、どこもかしこも。
どんぐりの背比べですよ。
それぞれの宗教団体内部に、問題も。
臭いものも、持っているじゃないですか。」
そう、お答えしてきました。
お菓子とお茶と、その方とのトークが楽しければ。
宗教話は、僕には二の次、三の次なので。
結局のところ。
教祖伝などが、組織寄りに作られた物としても。
秀司さんが、博打うちで、女遊びも好きで。
ろくに仕事もせず。
どうにもならん、息子だったのは事実ですね。
中山みきさんの伝えた、だめの教えとは。
「駄目な、どうにもならん息子に。
どうにか、ならないものなのか。頼む…。」
と、切々と嘆き、願い伝えた。
一人の親の、希望の願いなのかも知れませんね。
やっぱり、子が反れてしまっても。
なんとか、思い返し、真は持って欲しいと。
親は、願い伝えるものです。
今の天理教の現状も。
同じなのかも知れませんね。
「道を反れて、造反もし。
駄目な天理教に、どうにかならないのか…。」と。
親子にも、多様な親子関係があります。
中山みきさんも、息子秀司さんを想う。
一人の母親だったのは、事実なのです。
ただ、天理教内に蔓延る、理の親とは。
まるっきり、反対のような。
子が、親のワガママを聴いてあげている。
子が、親を成り立たせてあげている。
ただ、自身の子は可愛いから。
若と周りに呼ばせ、
贅沢を与え、アメリカへ留学させ。
自身より立場の弱い子には。
高校にも行かせず、結婚も破断させたり。
上納金は、キッチリ吸い上げる。
話を聞くだけで、心が腐ります。
中山家、血縁、周囲教団関係者が。
中山みきさんの。
想いと感性を、都合よく偽造して。
天理教の教え、天理教の生き筋として。
縦系統、天理教的な一方通行の縦社会を造り上げ。
神のご用、人助け、世界助けの名目で。
上納金を摂取し続ける。
そして、「確信犯」です。
土地や財や家族、家庭さえも失った方々。
個の人生の意味さえも失った方々。
どれだけの方々の無念つらみが。
天理教に遺恨を持ち、
無念が溢れていくのでしょうか。
天理教的に。
出直し、と言う概念がありますが。
中山みきさんから始まり。
天理教を尊う、会長さん、信者さん方々の。
直向きな想いや感性を。
天理教の一部の教団内部者が。
人を欺き。
自己満足な権力の立場の為と。
情もなく、ひたすらにお金の摂取に。
全力を注ぎ込む。
その、欺き続けた方々が、出直したら。
出直した先の世で。
オレオレ詐偽をするのですかね。
天理教の因縁とは。
よくにわかりません。
心を失うと。
痛まなくなるのですかね。
少しチキンな僕には。
時々に、心の痛まない人が
羨ましく感じる時もあります。
そう成りたい、とは想えませんが。
成れませんが。
僕は、教典も教祖伝もおさしづもお筆先も。
よくにわかりませんが。
天理教的には、落第者のような落ちこぼれでしょう。
それで良かったです!
天理教は、ただの通過点です。
もっと早くに、
見切り通過出きれば良かったのですが。
色々とありましたので。
社会で生きてきて。
これからも社会で、
自身の存在意義を探して求めて行きます。
自分の人生とは!
自分自身にしか、
造り上げることができない。
世に1つだけの、ブランドです!
天理教の全てを否定はしません。
もちろん、肯定もしません。
天理教の方々の全てを否定はしません。
天理教に存在意義を求め探す方々も。
もっと、堂々と胸を張って。
天理教を探して求めて。
それぞれの感性で伝えてください。
今日よりも明日は。
また新たな、発見があるように。
また新たな声も。
この場所に届けばいいな!と思います。
お道の中には、悩んでおられる方もおられますが、天理教のいい加減さと上手く折り合いをつけて、結構たくましく生きておられる方も多くおられます。
落ちこぼれた教会の会長さんが結構、骨があったりします。
裏も知っていて、自分の信仰を貫いている人もいます。
でも多くは、洗脳状態の人が多いのかな。
教会長講習会や大望塾で洗脳されるのだろうな。そういう人は、洗脳状態の時はイキイキとしているのですが、解け始めたり気づき始めた時に悩むのだろうな。
そんな人に、「無理しなくていいよ。今のまま楽しく生きればいいよ。」と、ちょっと話をすると、気が楽になったと言われることがよく、あるんですよね。
はぐれ雲さんへ
お母様の写真整理なされたんですね。
私の母は20年前阪神大震災で亡くなりました。
当時持ち出したのは膨大な家族の写真、月々の団参のスナップ
母が娘時代日章旗を持っていた写真も混じっていました。
70年も前になりますね。それを20年も抱えていました。
天理教では異端とされる愛町分教会の初代・2代目・3代目の写真もありました。
両親の写真だけ残して処分してしまいました。
ただ それだけのことですが はぐれ雲さんの清潔な文章に惹かれてコメントいたしました。
高校生の頃、夕勤め後「おふでさき」を母や信者さんの前で朗読するのが日課でした。
読後、心に残るものがなく単に我が息子のことを語っているくらいにしか理解できませんでした。
その中でひとつだけ記憶にあるのは「コレラというのが月日手入れや」の言葉があります。
私なりに要約すると、「コレラ!コレラ!とみな騒ぐが、これも神の手入れぞよ」
しかし、コレラを蔓延させないために、心を尽くし命がけで民衆を守った方々がおられます。
もちろんコレラ菌を発見された方がいて、救われたのですが。
ただ神の手入れで、指をくわえてじーと待っていることがいいことなんでしょうか?
人が人を守り、良心ある行動が人として正しい生き方ではないでしょうか?
匿名さまや無名さまと同じく、天理教の教理そのものに揺るぎないもの普遍的なものがあれば、もう少し違った形になっていたのではないかと思います。
それは、芹澤光治良先生のような優秀な方が信徒さんやその子弟にたくさんおられたはずです。
その方たちが、社会に出て世の中に役立つ人材として育てる環境を天理教教団がしていれば、なるほどお道の人はすごいな~となって、社会が認めてくれたと思います。
残念ながら、形ばかりにこだわり、人を育ててこなかったことが教団にとっての大きな損失ではなかったのではないでしょうか?
今となっては、もう遅いのです。
まるで、テレビドラマを見ているように、生々しい光景が見えるようです。教祖が秀司さんに、神様の仰せのとおりしてくれと、くどくどとかき口説き、秀司さんはそっぽを向いている。ギャンブルで家を傾かせ、金が欲しい、という事しか頭に無い秀司さんには、教祖の言葉も素通りするばかり。教祖を使って、いかに金儲けをするかという算段のみ。まるで、現在にもあるような光景です。
そしてそれは今の天理教でもあるのでしょう。そもそも天理教は、人助けより、金儲け、で立ち上げられたものかもしれない。天理教の、果てない屋敷普請、異常ともいえる、お供えへの執着。そもそも最初から、金儲け目当てで、崇高な理念など無かったから、ということでしょうか。
宗教は、金儲けが出来る、と知った者たちによって立ち上げられたから、欲にまみれた天理教になったと言えましょうか。何の不思議も無いことですね。信者たちこそ、いい迷惑です。
27日のNHK・TV「日本人のルーツ大解明、ご先祖さまを探る旅・・・」をどのようにご覧になりましたでしょうか?縄文人のDNAからルーツを探る内容でしたが、いまだにイザナギ・イザナミの神話を説く天理教首脳たちは見るに耐えられなかったのではと推察いたしました。かんろだいの一点つまり中山家の庭であった場所が人類発生の地であるとの「どろうみこうき」の完全否定であったと思うのであります。「人類のふるさと」はかんろだいのある中山家の庭だと思い込んでいる信者なんているのですか?教えてください。
みき様のおふでさきに飽き足りない方は、大本教にも出口ナオ様のお筆先、今、世に広く認知されている、日月神示などもあります。(サイトもあるから見られます。)泥海こふきも、別に、天理教の専売特許ではなく、大本にもあります。 日月神示を世に知らしめた、中矢伸一氏によると、黒住、天理、金光、大本、日月神示、すべて同じ神様らしいのですが、我々にはややこしくて、わからない世界ですが、要は、一つの宗教に入り込むのはお止めなさい、と言いたい訳でして。
あっちゃこっちゃ、いろんな世界があるよ、と、天理教が全てではないよ、と知って頂きたいのです。
こんなに末端教会や信者たちが
苦しんでいる現状を見れば、
中にはいい大教会長もいるとか、
教会制度も組織として必要悪だとか、
いまだに言う人がいるが、
全く間違いだ。
教会本部、大教会を頂点とした階級ピラミッドは
末端をこれだけ苦しめているという点で、
いちれつ兄弟としての存在意義を
まったく喪失している。
そんな大教会を解散して、
部内教会を自由にするような
勇気ある大教会長はいないものか。
末端さん、確かにそうですけれど、大教会長への本部の締め付けが結構あるのではないかと思っています。
しかし、多くの部内の長ですから、やる気になれば部内教会を守ることは出来るとおもいますが、問題意識を持っておられるかどうかが問題です。
しかし、多くの部内の長ですから→しかし、多くの部内を抱えている大教会長ですから
カイン様、皆々様、あけましておめでとうございます。新しい年の一番手の投稿が私で申し訳ないです。
私は一信者なのですが、信者といっても、月次祭に参拝する親の運転手として付いていく位ですから、一般人と変わらないです。その一般人の感覚からすれば、天理教社会は異常としか思えません。非常識を通り越して異常です。
知らぬ者がよけいな口出しをすることを、お詫び申し上げてから、あえて、差し出がましいことを言わせてもらいますが、なぜ、「お供えはこれ以上は出来ません。」と言えないのでしょうか。言ったら村八分に会う、ということなのでしょうか。
一つの末端教会で言いにくければ、同じような苦しい思いをしている末端で寄り集まり、話し合いの上、一緒に言上されるのはどうでしょうか。
この民主社会において、天理教社会だけは、いまだに江戸時代です。お上に逆らったら、牢に繋がれるのか、磔、獄門にでも遭うかのような、恐れを抱いておられるようです。
匿名の教会長様のお父上様は、誠にお気の毒で、上級に対する怒りが込み上げますが、上に従っていれば、同じような状態に陥りかねないのであれば、上にはっきり、物申したらいかがなものでしょうか。
村八分にされたとしても、借金地獄に陥るよりはましです。そんなことしかできぬ、しょーもない奴、と相手にしなければ良いし、もし、目に余るようなひどい事をされたら、弁護士や警察に相談すればよいです。世間の方が、本部や大教会より、頼りになるかもしれません。えらそうにえばってる奴らに限って、弁護士、警察という言葉に弱いものです。
一般人からの一つの意見として、申し上げました。ご無礼をお許しください。
テーマ: 天理教衰退データー
50年前の80年祭の年(1966年)には、初席者は年間11万人を超え、おさずけの理拝
戴者は年間3万7千人を超えていた。
<教祖80年祭と130年祭の人数対比>:
別席の誓い おさづけの理
50年前、昭和41年(1966年)教祖80年祭の年:112194人 37681人
一昨年、平成26年(2014年)年祭活動2年目: 11507人 5274人
———————————————————————————————————
48年間での減少数(年間) 100、687人減少 32、407人減少
(89.7%減少) (86.0%減少)
<衰退を続ける天理教データー>:
「天理教統計年鑑1981、2013、別席の誓い・おさずけの理拝戴人数一覧」
(2015年6月7日付けカインのブログ添付ファイル)。
年度 別席の誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
1966年:112194人 37681人 記載なし 4547人 記載なし(80年祭)
1976年:119382人 33933人 記載なし 6450人 記載なし(90年祭)
1986年: 84190人 22892人 記載なし 4649人 記載なし(100年祭)
1996年: 35499人 13546人 記載なし 2554人 記載なし(110年祭)
1998年: 24994人 10417人 記載なし 1990人 記載なし(4代真柱継承)
1999年: 21970人 9898人 記載なし 2162人 記載なし(4代継承翌年)
以下みちのとも統計は毎年2月号、教庁決算は8月号:
年度 別席の誓い おさづけの理 修養科修了 教徒登録 教庁決算
2005年: 19568人 9444人 4201人 2065人 165億円
2006年: 22755人 9991人 3832人 1902人 159億円(120年祭)
2007年: 13619人 7055人 3176人 1528人 155億円
2008年: 13069人 6825人 3040人 1265人 155億円
2009年: 13431人 6763人 3138人 1320人 142億円
2010年: 13424人 6798人 2820人 1284人 137億円
2011年: 10780人 5850人 2451人 1057人 133億円
2012年: 10816人 5375人 2555人 1167人 128億円
2013年: 11862人 5541人 2446人 1069人 120億円(活動1年目)
2014年: 11507人 5274人 2546人 1037人 118億円(活動2年目)
2015年:1月―11月(実績値)
21898人 6365人 2358人 1016人 未定 (活動3年目)
2015年:1月―12月(推定値)
23000人 6700人 2600人 1100人 未定 (活動3年目)
<天理時報発行部数>:
1984年(昭和59年)10月13日(天理教史参考年表):
天理時報30万部達成。
2007年2月25日布教部・道友社決起大会時:
時報発行部数15万5千部(手配り率6.9%)。
2015年6月「布教月報2015年6月号」記事:
時報発行部数:12万6千部(手配率50.2%)。
<天理時報、31年間の減少部数>:
1984年から2015年までの31年間:
発行部数:17万4千部減少(58%減少)。
<「120年祭地方講習会」と「130年祭ようぼくの集い」対比>:
2003年3月―6月「120年祭地方講習会」参加者34万3千人。
2014年3月―6月「130年祭ようぼくの集い参加者」27万1千人。
11年間で7万2千人(21%)減少。
以上
テーマ: 現役会長平均死亡年齢81.5歳
みちのともに教会長、前会長、前々会長の死去を知らす「出直し譜」の欄がある。
この欄には、出直し日、氏名(享年、立場)、教会名、住所が記載されている(前々会長も
前会長と表記されている)。
2015年1月1日から6月30日までの6ヶ月間に死去した教会長、前会長(前々会長)の
平均死亡年齢を集計した。
集計方法: 死亡者全員の死亡年齢を男女別にエクセルに打ち込み、死亡年齢の合計
を出し、その合計年齢を死亡人数で割ることにより、平均死亡年齢を算出。
<「出直し譜」2015年1月1日から6月30日までの6ヶ月間集計>:
現役教会長死亡人数(男女合計): 130人
現役会長平均死亡年齢(男女平均):81.5歳
<内訳>:
現役会長(男)死亡人数:86人(平均死亡年齢78.3歳)
現役会長(女)死亡人数:44人(平均死亡年齢87.7歳)
<2014年日本人平均寿命(厚生労働省調査)>:
日本人(男)平均寿命: 80.5歳
日本人(女)平均寿命: 86.8歳
女性は3年連続世界一、男性は世界3位。
<天理教現役会長平均死亡年齢と日本人平均寿命との対比>:
天理教現役会長(男)平均死亡年齢78.3歳は日本人(男)平均寿命80.5歳より2.2歳短い。
天理教現役会長(女)平均死亡年齢87.7歳は日本人(女)平均寿命86.8歳より0.9歳長い。
<分析>:
現役会長(男)が平均78歳という高齢で死去すると、その教会は教会長不在となるか、ま
たはその高齢な妻が教会長となる。
超高齢教会長(女)が数年で死去すると、その教会はそのまま教会長のいない無担任教
会となる。
78歳(男)や87歳(女)で死去した教会長に息子や娘がある場合、かれらは教会ではな
く外の社会(会社、役所、教職員その他)で働いていることが多く、年齢的には50歳台で
10年ほどで定年になる。
定年になり年金が受け取れる年齢となり、実家の教会長になる者も何割かいる。
一般社会においては御用済みであり、においがけお助けに走りまわるために教会長に
なるわけではなく、老齢の信者が若干いるので義理で教会長になり、何もしないとボケる
ので健康のために教会長になる。
教会に住めば家賃はタダで、生活費は年金でまかなう。
定年になっても教会に戻らず教会長にならない者も、割合は不明であるが相当多い。
教会長が平均78歳(男)や87歳(女)という超高齢で現役のまま死去しているのが、天理教
教団組織の実態である。
一般社会にはあり得ない「超高齢組織」であり、天理教教団組織が空洞化していること
の証しであり、将来の存続が極めて難しい組織である事は誰の目にも明らかである。
では、教会長が平均78歳(男)や87歳(女)という超高齢で後継者も決めず、無担任教会に
なることを知りながら死去する事は、果して間違っているのであろうか。
結論から先に言うと、間違っておらず、極めて正しい出直しの仕方である。
末端教会長を親に持ち、時代錯誤の世襲制身分制度の中で、末端教会に生まれたその
日に末端教会長となる人生が決まっていた人たちである。
上級や大教会に家来のように扱われながらお供金を上納し、若いころはおだてられてそ
の気になっても、30代になれば教団の教える教理は真柱や中山家、教団幹部を美化し、
神の教えを曲げたウソの混じった中山教であり、本当の中山ミキ・おや様の教えではないと誰でも気づく。
上級や大教会長が尊敬には値しない人たちであることをいやというほど見聞きし、体験する。
気付いた時には手遅れで、末端教会長を続けるしか道が無い。
組織・制度にガンジガラメになった末端教会長が苦しまぎれに使い分けるのが面従腹背、
自分の力では解決できない難しい事は考えない、諦め、ホンネと建て前の二枚舌。
面従腹背、ホンネと建て前の二枚舌の人生は、自ら選んだ道とはいえ、中山ミキの教え
に反するから苦しい。
おや様の教えでは、人間の常命は115歳である。
ようぼくの中のようぼくである現役教会長なら、世間一般の人より長生きするのが自然で
あろう。
信仰的良心に反し、自己矛盾に満ちた苦しいストレスだらけの人生をおくるので、現役教
会長(男)の平均死亡年齢は78.3歳となり、一般の日本人(男)平均寿命80.5歳より
2.2歳短くなるのであろう。
日本人が女性は世界一、男性は世界3位の長命をえたのは天理教のおかげではない。
日本人は勤勉に真面目に良く働き、自らの努力で、生活水準が向上するとともに寿命も
延びてきた。
陽気くらしを掲げる天理教が衰退すればするほど、日本人の生活は向上し寿命が延び
るとはなんと言う皮肉であろうか。
日本も世界もウソ混じりの「中山教」を必要としていない。
中山ミキの本当の教えではない、教団が教えるウソ混じりの中山教は自分の代で打ち
切りにしようと決意し、後継者も決めず息子や娘に教会を継がせない超高齢現役教会
長は、ものも言わずにろうそくの火が燃え尽きるように消え去る。
わずかな信仰的良心が残っている超高齢現役教会長が見せる教団への最後の抵抗で
あり、まっとうな出直し方である。
<参考>:
「出直し譜」2015年1月1日から6月30日までの6ヶ月間集計:
前会長(前々会長)死亡人数(男女合計): 115人
前会長(前々会長)平均死亡年齢(男女平均):86.8歳
「平均余命」:各年齢の人が平均してあと何年生きられるかの期待値が「平均余命」。
「平均寿命」:その年に生まれた0歳児の平均余命が「平均寿命」。
「平均寿命」と「平均死亡年齢」は異なる。
以上
自立人生様のコメントはいつもながら考えさせられる内容であり、我自身を振り返り我の呪縛を紐解く作業の役にたっております。
いまだに一族が天理教信仰者なので、私の姉など人としてどうなの?みたいな生き方をしておりますが、大教会婦人会№2の位置にいるらしく、おかしなことをしている姉のことをを味方していて、天理教批判者である私の顔を見たらいちゃもんつけたくて説教してきます。
とってもおかしな奇妙な世界ですが、どっぷりハマる人が教団の存続を維持しているだろうけど、傍目からみているとなんだかお気の毒なように思います。
「みちのとも」という天理教の刊行誌に、お道に非常に熱心な婦人会長が、信者のお供えのほとんどを上級にまわし、教会に一緒に住まわれているお母様が、ガス、米代、など何か月も滞納しており、再三催促されている、それの支払にお供えを廻したい旨を、遠慮しながら言うと、親を厳しく叱りつけ、人たすけに燃え、神様の為に尽くしきる、ごりっぱな娘さんの記事がありました。お母様は娘に、それ以上何も言えず、黙してうつむくのみ、という内容でした。
それを読んで、娘会長さんのご立派さに感心するより、親ごさんの胸の内を思うと、お気の毒でした。娘さんは、信仰の上からは賞賛されるのかもしれませんが、支払の催促に、つらい思いをされている親ごさんに対し、もう少し心を使ってあげるべきなのではないでしょうか。信仰熱心が過ぎると、世間からずれてくるように思われます。
「みちのとも」は、本部の指示なのか、そのような記事ばかり、載せているようです。はっきりと、洗脳の意図を感じます。
私の知っている老婦人の会長は、とても熱心でした。
でも、晩年は病院で寂しい最後でした。
それを見ていて、今いくら頑張っていても、お供えが出来なくなったら自分も同じ扱いだと思いました。
一生懸命やっている人が報われない姿を沢山見てきました。
お供えなんて、減らしてもしなくても、関係ないです。平気です。
心を煩わせることが一番よくないことです。
自分が納得した生き方をしたいです。
そもそも何のために「お供え」をするのでしょうか?
苦しいと藁にもすがりたい思いになり、「お金(お供え、心定め)で解決」できるのであればと思い、
無理をしてしまうようなこともあるかもしれませんが、物事を解決するのは、
本当にお金(お供え、心定め等)なのでしょうか?
多額のお供えをしたり、貧しい生活を自ら選択しているのは、
具体的にはどのような理由からなのでしょうか?
自分を犠牲にすればするほど、それが後で何倍にも自分が望む良い結果となって帰ってくる
という考え方も聞いたことがありますが、
それでは、神様が与える 「今」 を放棄して、 「自己犠牲」 を神様に差し出し、
神様と取り引きをしていることにはならないのでしょうか?
神様は、本当にそのようなやり方、生き方を望まれているのでしょうか?
自ら自覚できる因果応報という考え方は理解できますが、
人を苦しめる「因縁」という法則は、本当に神様は創られたのでしょうか?
呪縛さま
阪神、淡路大震災。
二十年前の当時に、TVに映った光景は。
同じ日本とは思えず。
理解が出来ることでは、ありませんでした。
その後、毎日に続く報道で。
大震災というものを、少しずつ知っていきました。
でも、やはり。
TVの向こう側に広がる光景は。
理解出来ることでは、ありませんでした。
昨年、NHKの特集で。
阪神、淡路大震災の時に。
生まれた子供達が、成人式を迎える…と。
それぞれの若者達、大人達の。
胸中に残る想い、残像を語っていました。
成人を迎えた子達に。
たくましく一歩一歩、
歩んで行って欲しいと願いました。
東日本大震災も同じく。
沢山の方々の、胸中に残る想いを。
TV、ネットで読み聞きました。
被災された方々、被災地の方々の。
悲しみや、消えない恐怖、絶望感。
生涯背負っていく、傷、痛み、辛み…。
受けられた方々の胸中は。
受けられた方々しか、わからない。
でも、それぞれに。
胸中に、色々な想いと一緒に。
生きている、生きて行く。
人生には、教えも理屈もないのかもしれません。
僕は、母を介護して。
日に日に、痩せ細って行く姿を看て。
日に日に、自身で手も動かせなくなる母を看て。
母の最期と、別れが来る。
覚悟をする時間がありました。
母は、平均寿命よりは少し早かったですが。
それでも、介護、看病しているとき。
病気に壊され、苦しむ母を看ることが。
辛く、逃げたいと思いました。
震災により。
ご家族が、突然に、一瞬に。
居なくなる現実を。
震災という、目の前に広がった酷な現実を。
受け入れることは、
受け入れられることでは、ないかもしれません。
時間が解決できることでも、
ないかもしれません。
そして。
生きている、生きて行く。
言葉には成らない想いも辛みも。
人それぞれの形で、胸中に在りますね。
僕と母の間には、天理教はいらない。
どちらが、親でも子でもいい。
僕と母が、在ればいいのだから。
天理教に写る母の写真に、
残す想いはありませんでした。
そして、亡くなった母も。
看取り、これからを生きる僕自身も。
天理教から、解放してあげたかった。
天理教以外に写る母の写真は。
アルバムに残してあります。
僕の家にも。
歴代の大教会長、上級会長、会長婦人の方々の。
写真がありました。
その方々に対しても、想いはありませんでした。天理教の物と一緒に、整理いたしました。
昔に。
天理教が、家の中にあった頃。
おつとめ、月次祭…。
天理教のお社と対した時、
何を願い、何を望むか。
とりあえずに、天理教に対しての。
膨れ上がる、
嫌悪感を抑えるのがいっぱいでした。
天理教に対しての、理不尽を訴えるように。
睨み付けていたようにも、覚えています。
天理教を整理して、母を看取った後日に。
「俺の家の中に、宗教はいらないけど。
でも、母ちゃんの居場所は欲しいから…。」
と、神主さんに相談して。
小さな信徒壇を買いました。
母ちゃんの写真を置いて。
毎日に、朝晩と。
多いときは、一日に何回でも。
信徒壇に納まる母ちゃんと。
ほんの一言、二言と対話してます。
「母ちゃん!おはよう、おやすみね。
母ちゃん!行ってくるね、ただいまぁ。
母ちゃん!今日はプリン買ってきた。
母ちゃん!今日はね…」と。
天理教があった頃に。
天理教のお社に対峙したとき。
こんな気持ちには、成れなかった。
天理教では、得られるものはなかった。
手を合わせる想い。
願い祈る想い。
そこには、教えも神様もない。
強要もない。
手を合わせる想いには。
その人にしか、わからないものが在るのだから。
何を守りたいのかさえ、
伝わらない天理教が。
作り騒ぎたててきたことなど。
どこか、とても虚しいものにも感じます。
呪縛さま。
呪縛というネームを読んだときに。
僕の考え過ぎかもしれませんけど。
何かに、自身を。
縛り続ける想いがありますか。
消えない残る辛みが在りますか。
僕も、生涯に背負っていくことは。
大小に在ります。
でも、少しずつでも。
解放して生きたいと思います。
社会学研究所に集う皆様方も。
狭く偏ってしまった天理教では。
感ぜられず、得られないことが沢山あって。
広く流れ行く、日々の各々の日常の中に。
想い得られることが、
沢山に溢れていると思います。
今日は昨日よりも。
一つでも、気が付けて。
想い得られることが在りますように。
震災にあわれた方々のことを思うと、神様こそが、まさに理不尽とも思えますね。もしかして、神様の目には人間はアリ程度のことなのか、と感じる事もありますが。それでもはぐれ雲様のおっしゃるように、生きていくしかないのですよね。命が尽きるまでは生きていくしかないのですが。だから、よけいに、自由に、縛り付けられずに、生きていきたいものと思います。私は、親を、天理教の御霊様には祭りたくはないです。死んでからも、天理教の上下関係の中で、肩身の狭い思いはさせたくないです。
みき様にかかった神様は、中矢伸一氏の説に拠ると、ニギハヤギノミコトという、神武天皇が大陸から渡って来て征服するまで、大和の地を広く治めていた、その地方の首長であったそうです。初代天皇であったともいうことです。それで、合点がいったのですが、おふでさきに、「とうじんにほんをままにする」と、とうじんに対する恨み言がやけに多いが、それは文字通り、大陸からの征服者に対する、被征服者の恨みつらみであるように思います。中山家は、未だ教えを知らぬ人々、と恣意的に解釈していますが。
しかし、世界中は皆わが子とも仰せになっている、それと、とうじんに対する恨み言と矛盾するように思いますが、みき様にかかった神様は、高次元におられる霊であるでしょうが、神様の心中も複雑というところでしょうか。
その高次におられる御霊様が、この世界をご創造された、最上位の神様のお心を、お教え下さったのかもしれませんね。
はぐれ雲さんへ
>呪縛というネームを読んだときに。
>僕の考え過ぎかもしれませんけど。
>何かに、自身を。
>縛り続ける想いがありますか。
>消えない残る辛みが在りますか。
その通りですよ。
母を失った悲しみは消えましたけど
今、体調も経済的にも絶不調でしてね。
困った時の神頼みで検索して研究所に辿りついたんです。
幼い頃、寝物語に聞いた天理教に救いを求めようとしましたが
自力で解決しなければ無理なようです。
ところで、はぐれ雲さんのお母様は亡くなっていませんよ。
はぐれ雲さんが、思い続けている限り、はぐれ雲さんの心の中で
生きていらっしゃいますよ。私の母も生きています。
肉体は脱いでも、霊魂はずっと生きているそうです。これは単なる願望ではなく、実際の話だそうです。お姿は、この世にいる我々には見えませんが、はぐれ雲さんや呪縛さんのすぐ傍に、今も来られてるかもしれませんよ。
上級に一切、ノーと言えないなんて、常識で考えれば、おかしなことなのに、そういうことが不自然だ、と思う感覚すら、麻痺してくるのだろう。大教会長なんて、末端から見れば、雲の上のやんごとなきお方、という感覚であろうが、そういうことは、教祖の教えには無かったことだ、と、少しでも通常の感覚を取り戻した人たちが、増えていけば、だんだんと、教団も、今よりマシなものになるかもしれないが。
皆さんは年祭のお供え金どのくらいしているのでしょうか?
私は正直あまりお供えしていないほうです。
しかし、月次祭もお供えしている。年祭もしている。
今回教会の外壁工事のお供えもして今年は結構自分なりにお供えしました。
先生方も不満もなく受け取ってくださいました。
お供えしたから幸せがくるわけではありませんが、お供えしないと悪いような気がしてですね。
私は天理だけじゃなくて、おつきあいと縁が重なり、毎年、春・秋に地場の2神社で、お付き合い程度ですが
お供えしています。
私のような人って日本国中いるのではないかと思います。
もし、自分の母親が亡くなれば、今度はお寺様にも毎年夏・冬に、お墓の維持でお供えしなくちゃいけない。
日本はやおよろずの神様がいっぱいいる。御付き合いと思っています。
だから、そんなに多額なお供えはできません。
でもお供えします。
家内安全・商売繁盛をお願いしているのだから。
当然、お供えはしなくてはいけませんね。
同じ教会の信者さんですが、高野山の方にも参拝に行かれてますね。うちの教会では一番多くのお供えをしてる方ですから、会長さんも気を使ってるのか、何も言わないですけどね。まあ、反対する理由も無いからでしょうね。
やっぱり、日本人の感覚は、一つの神様ばかり拝んでたら、他の神様に申し訳ない、と思っちゃうのかな?まあ、どちらがいいともいえないところですね。
カインさんが、こんなに、天理教のことを詳しく研究されてる意図は、なんなのだろうか、と不思議に思う。カインさん自身は信者でもないとのことだが、知り合いに天理教の会長がいるというだけで、これだけ綿密なデータを調べ、鋭い批評を論述され、我々にとっては、随分と目からウロコをとらせて頂いた、奇特な方という他ないし、ありがたいことと思う。
カインさんの天理教に対する意識も、当初に比べて、だいぶ厳しくなってきているように感じる。天理教をよくしようとしてくれているのか、上に目くらましされている、教会長達や信者らを啓蒙しようとしてくれているのか。何にしても、カインさんには、天理教研究に嫌気がささず、ずっと続けて頂きたい、とお願いします。
このHPに限らず、インターネットの普及により、いろんな情報が氾濫している。
天理教も情報氾濫で、ある部分被害者でもあり、加害者でもある。
それを信じるか信じないかは私たち閲覧している人が判断することです。
私は先生にこのHPの話はしましたが、結局この話題は避けるようにしています。
これ以上討論しても平行線であるわけですから。
個人個人で判断することです。
そうゆうことですね。
皆様の貴重な御意見 胸がすくわれる思いです
長年信仰させて頂いておりますが、近頃教会に不信感を抱くようになり悩んでおりました。
私は親神様、教祖をお慕いしておりますが、会長様はお慕い出来ません
おつとめもひのきしんもお供えも心をそえなければなりませんよね
なかなかしんどいです
若い頃は気付かなかった、今気づいていまいました。色々。。。
実家の母が教会の娘でした
子供の頃は部内の会長様達に教えられて育ちました
誰にでも好かれ本当に慈悲深い素晴しいお方ばかりでした
初代の会長様方はどなたも皆、教祖の教えを守り、おたすけをして
教会を設立なさったのでしょう
2代3代4代5代と代を重ねると親の徳にあぐらをかき
おたすけどころか好き放題の有様
信者さんもどんどん減っていきます
教祖もお嘆きかと思います
友人 知人はほぼ教会長、または夫人
はっきり言うと申し訳ないのでこの場をおかりしました
有難うございました。
『天理教の「御供え」について』とうい掲示板に「さっちん」という人の書き込みがありました。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
『クレームが出そうですが、どうかお許しを。
「添い切る」「立て切る」「信じ切る」「尽くし切る」、まだ有りましたっけ?こういう言葉に、だんだんスポイルされていくのではないでしょうか?自分の意思は失くせ、絶対服従せよ、と言ってるように思えます。
そしてもう一つ、私が違和感を感じるのは、「思わさせて頂きます。」こんな言い方、日本語であります?講話などで、先生方が皆様よくお使いになってるみたいですが、私は耳障りに感じます。私だけでしょうか?そんな事思うのは。』
結局は、洗脳。マインドコントロールなのです。
130年祭なんてしょせん天理教だけの内輪のお祭り
年祭、年祭と目の色かえて信者にハッパかけてる教会長を見ているとしょうじきドン引きします。
もっと世の中を見たらどうかと言いたい
情けない天理教
信者ですがさん、
教会にはお社はあっても神様は居られないかもしれません。
一人ひとりの心の中に神様はおられます。
お供えは、会長が受け取っているだけです。
それでもよいと納得して持って行って下さい。
何も得るものはない、と納得してお参り下さい。
全て自分でよく思案して、自分の責任で、自分の意志で行動して下さい。
私は古い教会長様のお考えに賛成です。でも、ご本部からは異端だと言われるのではないでしょうか。心の中に神様がおられる、というのは、天理教ご本部の教えとは違うと思いますけど、私も、自分のうちに神様が存在して下さっている、という方が真実と思います。
只、ちょっとご質問させてください。おぢばは、運命切り替えの場所と教わりました。おふでさきにもそのように書かれてたと思います。やはり、尊い理のある場所には違いなかろうと思いますが、教会には神様はおられないだろうが、おぢばに対しては、どう思われるか、古い教会長様のお考えを、お聞きできますでしょうか?
匿名さん、
私は研究者ではありませんので、詳しくは分かりませんが、おぢばは「世界たすけ」の、おつとめをする処で、
おぢばの中心に居られる方は、大きな責任と義務があると思います。
参拝者、帰参者が多くても少なくても関係無しに、真実込めたおつとめを、し続けることが大事だと思います。
神様の方を見ないで、人の方に目が行っているのではないでしょうか。
毎日、おぢばでおつとめをするべきです。
130年祭は26日一日だけです。では春季大際はいつやるのですか?
全国の教会、教区、支部の中で人材を出して、おぢばで毎日12下りのおつとめがつとめられたら、人も神も勇まれるでしょうね。
おぢばは、ある特定の人の専売特許ではないのです。
ぢばの理を戴いて、各教会でも月次祭が行われるのであれば、どこの教会でも同じ理となります。
わざわざ、上級や大教会に行かなくてもいいし、別に来て貰わなくてもいいのです。
参拝に行けば、お供えがいります。来ていただいたらお礼がいるのです。
とにかく、いつもお金がかかるシステムです。
立場によれば、いつもお金が入るシステムでもあります。
同じ理ではないのです。
おつとめの責任を地方の教会に押し付けるのではなく、おぢばで、しっかりと「世界たすけ」のおつとめをつとめて頂きたいです。
古い教会長さんへ
全く仰るとおりです
教会と信者はお金で繋がっています
部内の教会長さん達もお気の毒です
ワンマン会長ですから
お金が無いから教会に行けないと嘆いておられる方も大勢おられます
慎ましい暮らしをしてお供え運んでおられる信者さんばかりです
歳老いて参拝行かなくなったら放ったらかし
宅祭には来られますが
目的はお供え
何なの~
私も将来考えて慎みたいと思います
幼少の頃 おやさま の絵本を与えられました。
ボロボロになるまで毎日毎日読んでいた者です
家族に手をひっぱられ本部の廊下をすべって遊んでいました
毎年友達いっぱい誘ってこどもおぢばがえり行きました
電話もない時代でしたので、5月ごろから毎日母と友達の家に行き、おぢばがえりの勧誘をしてました
楽しかった思い出です
失礼しました
今さっきの話ですが。
日課のウォーキングをしていたらシルバーカーにハッピを載せて歩いているおばあさまを見かけましたので
こんにちわと声をかけしばらくお話しました
錦E大教会からの錦織?分教会の信者さんだったそうです
跡取りがいなくて今や跡形もなくなってしまったとおっしゃっていました
それでも天理教の教えが好きでこうしてわざとハッピを持ってよくあちこち行くのだと
お歳は90
頭下がります
そういえば以前も1時間ぐらい世間話したこと思い出しました
いつもの事ながらお道の人によく出会います
知らずにお付き合いしていたら神殿でばったり出会ったり
よくあるんです そんなこと
所属」されている教会が、跡取りが無いなど、何らかで、なくなるのだったら、会長さんが、責任もって信頼できる教会にご紹介するなりすればいいと思うのですが、でもやっぱり、自分の長年所属していた教会じゃないと嫌だということもあるかもしれませんね。もし、その信者さんがお若い方で、教会に通いたいというのなら、ご紹介するなりのことはしてあげないといけないと思いますね。
しかし、いろいろと問題はあるにしても、特にご高齢の信者さんなどは、そのように、お人柄の良い方が多くて、ありがたいことだと思います。
古い教会長様
見識のある方と存じ上げますので、納得の行かない点を、お聞かせください。
>教会にはお社はあっても神様は居られないかもしれません。
>何も得るものはない、と納得してお参り下さい。
そうしますと、古い教会長さんは、献饌などは一切しておられないのか、お祭りもしておられないのか、信者さんを一切、自教会に参拝させておられないのか、一体教会長さんとしてどのようなことをなされているのか、をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?信者さんを教会に集めて、お話なども一切なされてはおられないのか・・・?
匿名様。
神様のご守護は世界に満ち満ちています。だから教会の狭い箱の中に閉じ込めてしまっては、いけないという思いです。
もしそこの教会の会長に信仰が無ければ、いくら教えを説いても、そこには神様は居られないという意味です。
お供えをしたから助かるとか、願いが叶うとか、何かを求めてお供えをしても、人間の思うようにはいかない。
目に見えたご守護は何も無いかもそれませんが、それを承知で納得してすればいいことだと思います。
目に見えない、何かを得るかもしれません。
私は日々、今までの歩みを反省をしながら人の役にたつ人間を目指しております。
人間としての生き方が大事だと思い、天理教の立場からではなく、人間として、会長として、どう生きるべきかを自問自答しております。
匿名様。
>教会にはお社はあっても神様は居られないかもしれません。
教祖は「神はあるといえばある。ないといえばない」と言われました。
教会のお社には神がいる教会と、いない教会があるのでは。
>何も得るものはない、と納得してお参り下さい。
神のいない教会では、何も得るものはない。と思います。
よく自分の頭と心で思案して、納得して、自分の責任で行動することが大切かと思います。
理解致しました。古い教会長さんは、教会長としてのお仕事はされてるわけですね。
しかし、古い教会長さんのおっしゃることは、抽象的、あるいは形而上的というか、わからない時が、たまにですがありますので、ちょっと、レベルを下げて仰って欲しいな、と思う時があります。すみませんが、よろしく。
前に、上級に、「お供えはしたくないです、お供えの意味がわかりませんから」とか仰ったそうですが、上級からその後、嫌味、あるいは叱責など、無いですか?古い教会長さんの貫録の前に気圧されて、言えないのかもしれませんね。なかなか、古い教会長さんのようには、他の教会長さんは、上に言えないと思います、残念ながら・・・。
匿名さん、
私も結構、上級には気を使っているのですよ。
ただ、おかしいことは、おかしいと言う努力はしています。
しっかりした強い意志があれば、誤解や偏見はなくなります。
今はとても良好な関係ですよ。
いち教会としての最低限のつとめしかしていませんが、それで十分だと思っています。
26日は皆様本部参拝に行かれるんですよね
物心ついてから4度目の年祭ですが今回は自分の心ト向き合い
神様とだけお約束しました
一応守ってこれたかと自負しています
教団本部には学校始めなんでもありますよね
老人ホームとか介護施設は作れないのでしょうか
個人教会レベルではなく大々的な
そうすれば私も安心してお供えするよと
言われたご婦人がおられました
私 入力たどたどしく
稚拙な言い方しか出来なくてすみません。
もっともっと言いたい事や聞きたい事はあるのですが
文字におこすのは大変です
お付き合い下さり有難うございます
訂正します
物心というより自分の意思を持って迎える5度目の年祭です
うちの会長さんは、借金作ってまで、お供えをされていた方ですが、最後は寝たきりになり、実子がおられず、養子さんは教会には寄り付かず、病院に入ることも出来ず、教会に寝たきりでしたが、おかわいそうでした。一生懸命天理教に尽くしても、天理教さんは、最後の面倒はみてくれないのですね。
身寄りの無い会長さんなどが、最後を安楽に過ごせる場所、会長さん用の老人ホームでも作って下さればいいのにな、と思います。
気の毒な会長さんですね。要するにいくらお金を積んでも、ご守護は「お金の取引ではない」という証明ですね。ご守護を信じてお供えを上げきった会長さん。それでも結末はご守護のない姿ですよね。お供え信仰と最後の悲惨な結末。どう説明がつくというのでしょうか。やっぱり洗脳だったのですね。自分自身の中にいる「内在神」に向き合い、感謝し、毎日を生きる。人の中に居る「内在神」を尊ぶ。そして助け合う。自分も他人もすべての命は天然自然のエネルギーや、宇宙の法則や、自然の深遠な力の中に生かされているという真実。そういうことを心におさめて日々を謙虚に生きる。それでよいのではないでしょうか?不幸にして教団組織に組み込まれ、お供えのお金で悩み苦しむより「さわらぬ神にたたりなし」ということかもしれませんね。今ではこの信仰形態が人間の都合によるものだということが判りかけて、お供えはしないと決めました。心が随分開放されて陽気に過ごせるようになりました。教団に渡さず、人の役に立つようなお金の使い方をすれば良いと思っています。
匿名様のお言葉、至極もっともと思います。今、よく、内在神という言葉が聞かれるようになりましたが、これは伊勢白山道さんから始まった言葉なのでしょうか?それとも以前からあった言葉なのでしょうか?一時、伊勢白山道さんに傾倒していたこともあり、アマテラスオオミカミ、と拝んでましたが、いつの間にか止めてしまいました。
なぜ宗教を信仰しなければならないのでしょうね。宗教は所詮、他人の手垢がついてしまった神の教えです。神様は、あらゆる人間に、それぞれに、啓示を発せられていると、言います。それらを感じ取れた、特別な人が教祖として、あがめられるわけですが。
でも、私たち皆、心を澄ませ、神の声を聴きたい、神の思いを知ろうとすれば、神は私たちのもとに訪れてくれるでしょう。他人が作った宗教を、信仰させられるなんて、馬鹿らしいとおもいませんか?それより、自分の神様を見つけ、自分の神様を信仰しましょう。
こちら同様、お供えの掲示板に投稿されているコメントに只ひれ伏しております
プータローさん、ぶたまんさん、一文字さん、しんどいさん、ラグビーさん、kazuさん、すみませんさん
まだまだ全部よみ終えていませんが、いっぱい教理を教えて頂きありがとうございます
何百回聞かせて頂いた教会の講話など足元にも及びません
特にさっちんさんのコメントが解りやすく私の気持ち代弁していただいているようです
昨年10月26日のコメントは全くもって仰るとおり!!!
冷たい板の間に何時間も座った時はさすがに疲れました
でも皆さん平気そうなので口にも出来ません
かんろだいでおつとめされる本部員様はお手洗いもいけないのだからと思いました
何年も抱いていた素朴な疑問が日々解消、解きほぐされ、我が心の小さな神様に手をあわさずにはおれません
皆様 本当にありがとうございます
26日は体調よければお参りしとうございます
今年いっぱいが年祭ですからなるだけお参りしなければとも思っています
以前、匿名さんが(2015年10月31日7:36pm)書かれていた本が気になっていたのですが図書館にありましたのでお知らせします。
『教祖とその時代ー天理教史の周辺を読む』石崎正雄編 立教154(1991)8月1日 天理教道友社発行
7章 秀司「覚書」を読む 執筆者:上野利夫
はじめに
『萬覚日記』についてー文久年間における中山家の経済事情
『辰年大實恵』について―慶応四年の賽銭と中臣祓
『牛年大實恵』についてー明治三年の賽銭と金品貸しの覚え書
『申歳大實恵』についてー明治五年の金銭出納覚え書
以前に、ブログを読み、コメントもしていた者です。
昔を思い出し、嫌な気分にもなり、
辛くなるので…と。
少しの間、見ないようにしていました。
先日に、少し思う出来事があり。
久々に覗いて、書こうと思いました。
あくまで、僕の自己満足ですので。
先日に、小さな娘さんを連れたお母さんが。
宗教の勧誘に、僕の家に来ました。
天理教ではありませんが。
「このお嬢ちゃんは、貴女の娘さんですか?
とても可愛い娘さんですね。
大人が宗教を選ぶのは、大人の自己責任です。
でも、子供には神様を使わないで下さいね。
子供に神様を使うと、子供は悲しくなりますよ。
子供に神様を使うと、親ではなくなります。
お母さん自身が産んで、育てている子供さんです。
子供さんを、守るのも育てるもの。
お母さん自身であり、親であり、人です。
神様ではないと、僕は思ってます。
僕の家は、昔は天理教でした。
天理教で沢山苦しみましたし。
僕自身の、沢山のことを犠牲にもしてきました。
何が親で子なのかさえ、
わからなくなった時もありました。
今でも、時々に。
天理教に残された不条理に苦しんでます。
僕にとっては、教えが神様が違うとか関係なく。
天理教も、他の宗教も同じです。
どこの宗教団体も、
臭いことに蓋をして、耳を傾けなくなります。
お母さんにとって素晴らしいことでも。
子供には。
苦痛にしかならないこともあります。
貴女にとって素晴らしい教えでも。
その神様の教えで苦しむ人が。
もっと沢山にいることも、
知って欲しいとおもいます。
こんなに可愛い娘さんいるじゃないですか。
神様よりも。
娘さんとの時間を、大切にしてください。
お母さんとして、子供と居てください。
僕からの、勝手なお願いです。」
他にも、違う少し話もしましたが。
お母さんは、下を向いて、
すみませんでした…と。
お嬢ちゃんは、最初はつまらなそうにしていて。
お母さんが困っているのを見て。
お母さんの手を引いたりして。
お嬢ちゃんに。
「ごめんね。 お母さん大好きだよねぇ!」
と、家にあったお菓子を渡して、バイバイしました。
子は小さいながらも、親を庇おうと思うものです。
例え、親が親らしくなくとも、庇おうとします。
大きくなるにつれ、色々を知り感じて。
生意気にもなり、親の不甲斐なさも感じもします。
それでも、不甲斐なさを受け入れる努力もします。
もちろんに、子でも限界はあるのです。
僕は、日常的一般的な
、宗教的な文化は必要であっても。
宗教、教えと固執することは。
洗脳することも。
とても余計なもの…
人の存在を駄目にするもの…だと思います。
自分の母を、介護看病し、病院で看取った時に。
そのあとの時間に。
僕に対して、
天理教の大人達が騒ぎ立ててきたことの。
くだらなさを、とてもに痛感しました。
人の最期は、必ずにあることを看取り。
命と時間は同じものだと、感じました。
息を引き取ってしまったら、
話も、顔も合わせることも出来なくなりますよ。
そして、人生を全うされた方を。
いつまでも、引っ張ってはいけませんね。
人の魂は、帰るべき所に向かうと思います。
今を語るのは、今を生きている人です。
天理教には、
百十五歳定命?説のようなものがありましたね。
確かに科学的には、
人間は百三十歳?までは生きられるような。
介護を経験した身にすると。
長生きすることの現実を、考えてしまいます。
僕の友人、知人に。
若くして、病気事故などで。
早くに永眠した方々が何人もいます。
明日の命さえもわからない…。
だから、時間の大切さを思って欲しい。
いつか…とは、
明日にあるのかさえ、わからないのです。
特に、十代から三十代の若い世代には。
縛られずに、大人の洗脳などに負けずに。
冒険も失敗も、沢山にして欲しいと思います。
平均寿命が延びることで。
人は、がむしゃらに走ることも大切だと。
忘れてしまっている気もします。
宗教団体に限らず。
人が集まれば、ルールが出来て。
勝手な宗教的な空気や、洗脳などもありますね。
僕は、時々に。
社会、世間、組織、企業、人の集まりに。
宗教みたいだなぁ?と感じてしまうことが多くて。
空気を読め!などとは、まさに宗教な洗脳のような。
あえて読まずに、行動するので。
騒ぎ立てられることも多いです。
染まりたくないと…。
どこか人間嫌いが強くなってしまった。
天理教でのトラウマかもしれませんね。
洗脳の意味合いは、色々あると思いますが。
洗脳とは、先に生まれた大人達が作っている。
大人の都合で、子や次世代を洗脳する。
そのように、時々に思うこともあります。
天理教では、天理教がわざわざに苦労を作り。
勇んで、喜んで、通らせていただくと…?
おかしな話ですね。
昔に、天理教の上級の前の奥さんが。
勇んで通る!と、ことあるごとに言っていて。
日頃、部屋の掃除もしない貴女が言うから。
薄っぺらく感じますよ!と、一人笑ってました。
部内での評判も、良くない奥さんでしたが。
周りが気を使うことで、増長してしまうことがありますね。
良心とは、なんなのですかね。
他にも沢山に、勘違いとか、洗脳とか…。
やっぱり、染まると怖いなぁ…と。
ほんとは、確信犯だよなぁ…と感じることも。
天理教の中には、ゴロゴロと溢れていました。
天理教だから。
善い人で、なくてはならないわけではなく。
実際に、家族もメチャクチャな教会も家庭もあり。
やっぱり、言ってることと、やってることが。
ズレ過ぎているから。
当人も迷い悩み、周りも嫌になってしまう。
出来ないなら、出来る形を見つければいいのに。
宗教や信仰を、取り繕おうと無理をするから。
余計に、薄っぺらになっていくように感じたり。
教えなど、世の中にはないように思ってみたり。
毎日に、学んで見つけて生きたいものですね。
人は最期が、必ずに在るのだから。
最期まで、子や次世代からも、学んで行くべきだと。
過去に縛りつけるより、未来を考えたいと思ってはいますが。
想いある先輩を、敬うのも大切ですね。
想いある後輩の盾になり、魅せられるのも。
先に生まれた大人達が出来ることです。
大人達が、綺麗でいようとするから。
失敗を恥として、偉そうにしているから。
子供達の未来は、さらに狭くなってしまいます。
中山みきさんは。
人を問わず、魂は五分五分だと。
その言葉は、惹かれましたが。
教えを宗教にしてはいけないと。
そう伝えてる、中山みき様を教祖にして。
天理教は、理…と言う言葉を多用するけど。
一番耳にして、感じることは、理不尽だったり。
天理教の方々にも。
素晴らしいと感じる人は、沢山にいますが。
でも、決して天理教を信仰しているから。
素晴らしいと思うわけでなく。
その方々の、生まれ持った性分と経験です。
逆に、生まれ持った性分の良さを。
宗教に関わることで、狭くしてしまうことが。
勿体なくも思ったり。
天理教が衰退するのは、いっこうに構いません。
災救隊や、地域に貢献している教会が。
無くなることは、勿体ないと思いますが。
ただ、それ以上にも。
天理教の積み上げてきた、理不尽は。
度が過ぎると思います。
今後、さらに。
片寄った権力や勝手思想も強くなるだろう。
隠蔽体質も、無責任さも変わらないだろう。
本部から、末端まで。
親族血縁ばかりが、強く残り。
天理教は、すでに超高齢化社会です。
天理教に集う人も、日に日に減って行くでしょう。
人として、大人として、宗教関係なく。
十年後、二十年後の。
天理教に残される、若い世代のことを。
もう考えるべきではないのだろか。
全国の教会の整理もしないままに。
勘違いな権力者は、無駄な建物ばかりを建てて。
人が減る一方を承知で。
少ない人から、いつまでも上納金をかき集める。
上層部は。
組織も人も、空洞化し疲弊したら。
散々に、やり散らかして来ておいて。
後は知らない…と、きっと投げ出しますよね。
後片付けや、維持が面倒臭くなれば。
非現実的ではあるが。
先行きのなくなった天理教組織を。
中国や外資系に、投げ出すことも。
そんなことさえも、有るかもしれませんね。
財を溜め込んだ、一定の天理貴族は。
生活も心も、痛くは無いだろう。
でも、他の嫌々にも。
残された天理教の若い世代は。
どうなるのでしょうか?
初代の思い、先人の苦労も大切かもしれないが。
末代の理などと、洗脳してはいけない。
次世代が、宗教によって余計な苦渋を背負ったり。
先行きが見えないならば。
少しでも、後片付けをしていくのが。
その代、その代の。
先に生まれた大人としての、
責任感ではないのだろうか。
宗教だと、信仰を語れば。
責任逃れを続けて、いいのだろうか?
もし、天理教が。
今の腐敗した天理教組織、天理教意識を。
一掃し、大手術をして。
教内外の声を思案する宗教組織に。
声に伴う行動の出来る、大改革すれば。
世界中の、宗教団体、組織、企業、人々から。
絶賛させ、敬われる天理教になるけど。
ほんの1%以下の可能性ですけど。
全然に、難しくもない話なんだけど。
何が邪魔をしているのかなぁ?
可愛いお嬢ちゃんの、
バイバイする笑顔を見たときに。
とっても、嬉しくも思いましたし。
お嬢ちゃんの、お母さんをかばう顔にも。
色んなことを、想い考えました。
僕は、天理教の中で。
親心は、一つも感じることはありませんでした。大人は大人で、沢山に悩んでもいます。
でも、神や仏、宗教、信仰などの言葉の前に。
人として、大人として、大切なことは。
もっと、もっと、
手前に、目の前に、在ると思います。
またまたに。
無駄に長々と書いてしまいました。
また、覗きにきます。
はぐれ雲 様
「でも、決して天理教を信仰しているから。
素晴らしいと思うわけでなく。
その方々の、生まれ持った性分と経験です。」
同感です。若かりし日、修養科でその事を悟りました。修養科で学んだのは、その事だけ、といっても差支えありません。修養科では、要領が悪く、ひのきしんを上手く出来ない人、怠けてしまう人も、いろいろおります。、信仰篤いと自負されている方が、そういう人達に、思いやりの無い、厳しい言葉を投げかけていたり、逆に、信仰などしてないけど、仕方なく入って来た、というような人が、人の痛みを知る、思いやり深い方だったり、そういう事を経験しました。
昨日、教会の人にはっきり
来ないで下さい、いきませんと宣言しました
>世界中の、宗教団体、組織、企業、人々から。
>絶賛させ、敬われる天理教になるけど。
提案
本部の周りには大教会などの詰所がありますけど、普段何に使ってるんでしょうね?
年祭なんかは信者で一杯になるでしょうけどね。
普段空いているとしたら、老人ホームにしたらどうでしょうか?
ミクシでも天理教が大好きなおばあちゃんが死ぬ時はおじばで死にたいと言うので
呼びかけていましたが多くの声は集まりませんでした。
世話係は若い人に任せて、優しくしてもらえたら、また元気になって年上の人の相手もできるでしょう。
私だって還暦は過ぎていてもまだまだ身の回りのことは自分で出来ますし
園芸は得意、特にバラは20種ほど5年間育てたことがあります。
バラは老若何女、楽しませてくれます。そしてその色と香りは癒してもくれます。
広大な天理市がバラで埋まれれば、人が集まってきます。
どこかのお寺が桜を一本植えただけで名所になったようにね,,,
まだ、寝ぼけてるのかな(苦笑)
久々の休暇の時間に。
久々に、覗かせてもらいました。
新しい記者も更新され。
沢山の意見、感想が書かれていますね。
多種多様な声が、これからも。
集まり交わり、思考していければよいと思います。
久々に、読み。
少し思うことがありました。
僕は、以前に自身のコメントにて。
「非現実的ではあるが。
先行きの行かなくなった天理教組織を。
中国や外資系に投げ出すことも。
そんなことも、有るかもしれませんね。」
と、書きました。
確かに、僕自身が書いた言葉です。
他の記事の、コメント欄に。
僕のコメントを、引用された方がいました。
引用してもらえるのは、一向にかまわないのですが。
「アジアのブローカーに売るでしょう。」
と、文面が変わっていました。
そのコメントの後に、数人の方々が。
コメントを寄せてありました。
その流れを読んだ時に。
少し、疑問のようなものを感じました。
引用された方も、
僕とは形は違えど。
天理教で、とても苦労されきたことは。
数々の文面で、伝わってきます。
その方も、叫び訴えたい気持ちもあると思います。
ただ、僕は。
非現実的と前置きして、投げ出すと…。
引用したその文面は、
ブローカーに売るでしょう…。
となってしまうと。
受けとる側の意味合いは、
変わらないのかもしれませんが。
何故そう書いたのか、など。
気持ちや、言葉…方向が違ったままに。
ズレたままに、繋がって行ってしまいます。
まっ、僕もそれほど深く考えずに書きましたので。
気分を損ねたなどは、全くありません。
少し、クスッと、してしまいました。
天理教も同じことですよね。
教理はあれど、その言葉の受け取り方が。
人それぞれに違ったり、伝わったりで。
言葉の重みも感じたり。
逆に、言葉の薄さも感じます。
天理教の建前が、
何を伝えたいのか、守りたいのかは。
僕は、全くわかりませんでしたが。
この社会学研究所のブログにも紹介されている。
掲示板の方も、久々に読んで見ました。
投稿されている中で。
数名の方々の投稿と言葉が、とてもに残りました。
「被害と加害」
「時として、白か黒か示さなくてならない時もある」
その投稿があったときに。
少し慌ただしい意見が出ていたので。
蒸し返す気はありませんので、お願いします。
僕は、今までのコメントに記してきたように。
たまたまに生まれた場所に。
天理教があっただけ、のことで。
天理教により、大きな被害を受け続け。
昔に、天理教は整理しましたが。
整理することによって、
天理教のさらなる理不尽さも知りこともありました。
とてもに、激怒もしました。
書ききれないことの方が多いです。
今も、これからも。
天理教で受けた理不尽を背負って、片付けながらも。
生きて行かなければかりませんし、生きて行きます。
天理教が家にあった、当時。
天理教で良かったこと、嬉しかったこと、恩恵など。
1つも有りませんでした。
僕自身も、時間であり、財や金銭も。
天理教に奪われてきました。
家族も破綻していましたが。
でも。
選んだわけでも、望んだわけでもありませんが。
天理教の組織構造の、
加害している側に居たのも確かです。
加害している側にいることを。
僕自身、当時に。
若いながらにも、思い感じていましたから。
天理教の教理も、学ぶ想いにもなれませんでしたし。
天理教が、素晴らしいとも思いません。
ただ、望んだわけでもなくも。
自身が天理教として身を置いていることが、
加害している側に居ることも、
とてもに苦しかったです。
だから、理不尽な負債も背負い、決別をしました。
加害している側にいたからこそ。
大きな声で、僕自身の言葉で伝えて行かなければ…。
と、そうも思いました。
僕個人の感情ですので。
不快に思われた方々には、先にお詫びしておきます。
残念ながらに、どのような言葉を並べても。
やはりに、天理教が守りたいものは。
人権でも、人の幸せでも、家庭の幸せでもなく。
天理教が守りたいものは。
過剰なお供えであり、組織構造であり。
お偉いさん方々の、自己欲の塊であり。
一部の先生、会長、役員方々の自己満足である。
人を苦しめつづけて。
金銭、財を、これからも、どれだけ摂取しても。
天理教組織は、満足はしないでしょうね。
天理教で、苦悩する方々へ。
天理教を、する必要などありません。
天理教に、望みを持つ必要もありません。
天理教に、気持ちが向かなければ。
気持ちの向く方向に、手を合わせて想って下さい。
手を合わせる日が無くてもいいのです。
天理教の伝える人助けなど、しなくてもいいです。
しようとすると、自身も相手も困っていることが多いですから。
とりあえずは、自身のことが出来ているかどうか。
自身の生き方をしっかりすることも、
人助けの形の1つだと思います。
善い人でいようとしなくていいです。
悪い人でも、相手は救われることもあります。
先日に、地区の集まりで。
「罰があたる?」みたいな会話になって。
思うこともありました。
天理教から、離れようとしても、離れても。
罰など当たりませんよ。
人を散々に使い捨てにして、財を摂取して。
平然と、詫びることなく生きている。
一部の天理教の自己欲の塊の方々が。
罰など当たらないと、見せてくれています。
でも、人として、個人としても。
そのような大人に、成りたくないと思いますが。
人には個性があって、各々の頑張り方があります。
頑張り、実を結ぶ方法を探して見つかればいい。
天理教に、宗教に、信仰に。
無理に当てはめて、求めなくとも。
世界や日常に、探し求めるものはあります。
天理教社会では。
強要強迫まがいが、当たり前になってしまってます。
洗脳よりも、責任転換の塊かもしれません。
天理教、宗教に接することによって。
持っている個性や、時間を潰してしまうのは。
とてもに、勿体ないことだと思いました。
神様にすがりたい、託したい気持ちもあります。
でも、神様に名前をつけることによって。
苦しんでいる方々が沢山にいます。
神様は、神様で。
漠然としていていい、無形でもいい。
各々に、悩み葛藤して、自問自答して方向を出して。
あとは、自身が進む。
「勇気があるか、ないか。」
それだけかもしれません。
知りたいのは。
結果を出さないことを。
さもわかったように、理由つけることでなく。
自身の行動や言葉の、出す出る結果です。
勿論に、傷もつけるし傷もつきますよ。
生きていくことは、
決してきれいなことではありませんね。
コメント欄を覗いていて。
以前より、コメントする方々がとてもに増えましたね。
天理教内外のほんの僅かな声かもしれませんが。
これから、もっと沢山の声が。
増えて行って欲しいと思います。
批判でもなんでもありません。
肯定的でも、批判的でも。
各々の声で、意見で、生きてる証です。
少しだけ、天理教肯定的な意見が。
潰されてしまってる、ような感じも受けましたが。
各々の、見えて感じる環境がありますよね。
コメント欄に、「匿名」の方が多いことに。
勿体ないなぁ、と思いました。
とても、響く意見もあるのに。
たかが、ネームかもしれませんが。
案外に、その方の個性を感じることもあります。
僕も、まだコメント欄が賑わっていないころ。
はじめは匿名で、数回コメントしていました。
でも、自分の意見じゃないような気になってしまい。
ネームをつけることにしました。
僕自身、コメントを読んでいて。
残るコメントって、ネームがある方々が多いです。
案外に、現在も天理教の中で。
自身を持って進んでいる方のコメントは。
どこかに、気持ちのよい部分もあります。
天理教外の方々も、各々の観点で。
コメントを寄せていてくれたり。
コメントを書くということは。
大人としての、感性であり、意見です。
もし匿名だから、言いたい放題になっていたら。
読む方々には、せっかくの響く声が。
少し響かなく、なってしまいます。
確かに、閉鎖的な天理教社会です。
感ずかれたりするのは、気が引けますね。
やっぱり、どこか怖いかもしれませんね。
匿名の多さは、天理教社会の色んな意味での。
表れかもしれませんね。
でも、コメントすることによって。
ネーム、匿名関係なく。何か少しでも。
見つかることがあると、いいですね。
天理教内外の沢山の方々が。
このブログを読んでいると思います。
案外に、コメントしたくても。
投稿する手段が、
苦手で出来ない方々もいると思います。
文章にすると、カッコつけにもなっていたり。
きれいに書こうと、しなくていいのですけど。
画面に向き合うと。
文章にすることで、書けることと。
文章にすることで、伝わらないこともありますね。
僕は、天理教外の人達にも。
沢山の方々に読んで欲しいと思います。
特に、若い世代、同じ世代の方々に。
天理教って、宗教って、怖いなぁ。
信仰って、そんなに大切なの?
どうして、苦しんでまで続けるの?
なんでもよいので、感じて欲しいです。
もし、コメントする気力があれば。
率直に、そのままに書いて欲しいな、と。
画面から覗ける、理不尽な天理教社会を通じて。
大人達の、善いも悪いも見極めて。
何かを感じて欲しいな、と思います。
反面教師でも、あって欲しいと思います。
天理教内で困っている方々を。
天理教外の方々が、手を差しのべて欲しいとも願います。
天理教であり、宗教団体は。
外からは見えにくく。
閉鎖的な部分も多く、隠蔽体質です。
社会では犯罪になることも、宗教団体では。
通ってしまっていることもあります。
書面、裁判、訴訟、などを利用して。
行政、司法、第三機関、第三者の目の前で。
公衆の面前で、事実現実を伝えることが出来れば。
宗教被害などは、もっと減ると思いますが。
とてもに、労も要り、酷なことです。
そしてわざわざに。
録音機などを持ち歩いて。
会話を録音して、証拠としなければならない…とか。
考えてしまいます。
平和な日本も。
とんでもない世の中になってますね。
日本人の持ち合わせる優しさが。
違う方向へ、利用されてしまっているような。
お年寄りの方々も、若い方々も。
相手を信じようとする方々…。
内気な方々、考えすぎてしまう方々…。
これからも、天理教の中で苦しむ方々は。
絶えないと思います。
宗教とは…。
本当に、人の支えになっているのでしょうか。
僕は、生涯に。
天理教を許すことはできませんが。
正確に言えば。
天理教を利用して、己の自己権欲を。
僕に押し付けてきた、大人達に対してですが。
天理教、その方々への。
恨み辛みも消えることはないでしょう。
でも。
天理教の中で、腐敗した天理教と戦いながら。
葛藤し進んでいく方々は、嫌ではありません。
応援は出来ませんが、頑張って欲しいと思います。
相変わらずに、内容がまとまらない長文です。
同じ内容の繰り返しになってもいます。
今までも。
書き込むことは、とてもに疲れました。
無理をして、書き込んでもきました。
望まない宗教や、
大人の自己権欲に縛られたくはありません。
流動的でも、ありたいと思っています。
だから、はぐれ雲とネームをつけました。
書き込み続けることで、見つけられたものが。
僕の中にはありました。
はぐれ雲を卒業しようと思います。
お付き合い頂いた方々、ありがとうございました。
カインさんの活動も。
実を結んで欲しいと願います。
先月の講社祭りに会長さんに130年祭のお供えは幾らぐらいされたのですかと、尋ねると、何と答えられたでしょうか、会長さん、聞いただけは責任をとってもらうぞとの返答でした、さわらぬ神にたたりなしでしょうか?
ななし様
それはいったいどういう意味で、会長さんは仰ったのでしょうかね?冗談で仰られたのか、それとも不機嫌な様子でしたか? でもそんな事を尋ねる、ななし様もすごいですね。私はそんなこと、よう尋ねられません。
匿名様。
ななし様の >聞いただけは責任をとってもらうぞとの返答でした・・・
というのは、
そこまで心配して気になるのなら、もし借金をしてお供えをしていたら、その分、お供えを頼むで・・・と云う意味だと思います。
カインさんのおっしゃるように透明性が大事かと思い、要らぬことを聞いてしまいました、少しむっとした感じでしたね。
10年で50億減っているとは、おどろきです!会長さんも思うように集まらないのでしょうね、おはちがこちらに来ては藪蛇だったでしょうか。
グラフは良くまとまっていて、おおよそ正しいものだと思います。
以前、上級の月次祭に参拝した時、上級の教会長が、何か憂鬱そうだったので、お世話になったお礼の手紙に、「会長さんもお忙しいでしょうが、お身体にお気を付けて下さい。」というようなことを何の気なしに書きましたら、会長奥様からお返事で「身体の心配をしてくれるより、お供えを増やしてくれる方が嬉しいです。」というような事が書かれてありまして、いささか、ムッとしたものです。
はぐれ雲様
毎回、この道によって深く傷ついたご自身の体験を通し、この道の間違いに対して核心をつくコメントをありがとうございます。同様な息苦しさを持つ者として、ネットの向こうに、痛みの判り合える方がおられることに心癒されておりました。おっしゃるように、私もこの組織に縛られることなく、「流動的」でありたいと思います。
いつまでも過去の体験を思い出すのはお辛いことでしょうね。しかしこの場所で、はぐれ雲さんが生命をかけて「失った物」に対し、また決して取り戻せない「自分自身に帰属すべき尊い物」に対し、静かだけれど真っ直ぐなメッセージをいただくことにより、洗脳によって道を間違いそうになっている危なげな若者を天理教から救い出す、本当の意味での「人助け」であったと思います。教団本部、大教会関係者、またこの道の洗脳の入り口に立っている多くの教会の若者たち。必ずやこのページを見ていることでしょう。どうぞ、またいつの日か、この場所に戻ってきてくださいませ。お待ち申しております。
はぐれ雲様
あなた様が「はぐれ雲を卒業しようと思います」、と書かれてるのを読み、言い知れぬ寂しさに襲われました。あなた様の言葉はいつも、私たちの心の奥底まで届き、この方はなぜこのように深い言葉を紡ぎ出せるのだろう、と感嘆しながら、はぐれ雲様の思いに同感し、又、目を開かせられる多くの言葉もありました。
もう、あなた様の言葉を眼にすることが出来ないのは、寂しい限りです。またいつの日にか、あなた様に会える時を待ち望んでおります。そういう方々が、他にもたくさんおられることでしょう。ありがとうございました。お元気で。あなたは私たちの心の友です。
はぐれ雲様
どんな綺麗な言葉より、純粋に真実に立ち向かう勇者である あなたの
研ぎ澄まされた言葉は、心に響き届きました。
それは、受け売りではなく、虚飾もなく、勇気を持って自分と向き合い、
本当の自分の中から紡ぎだされた 紛れもない 「あなたの言葉」 だからなのですね。
誤魔化さず、風を受けても、嵐にあっても、真っ直ぐに生きることの
美しさを感じさせて下さったはぐれ雲様に感謝いたします。
どうかお幸せになって下さい。
私は教会の長女です。
上級です。
消して贅沢な暮らしもしていません。
あとお供えの図間違っています。
子供でも分かります。
もしそれが本当なら本部以外は餓死してるし、信者さんもついていきません。
あなたがみているものは本の一部の人が悟りをしてしまったのでしかない。
それに本当に本部120億円の収入があっても
維持費、人件費、に相当かかります。
他の宗教にくらべ冠婚葬祭の値段も相場より安いです。
長女様
冠婚葬祭が安い?
結婚の理だて50万円の請求でしたよ。
葬祭はお礼が30万円。足元を見て下さい。。。
>維持費、人件費、に相当かかります。
相当かかるのかを考えてください。
無駄なふしん、無駄な本部員・・・
教会の長女様
ちょっと見当違いです。
人間思案による無駄な建物、おそよ神に仕える人間とは正反対の私利私欲の、ほこりまみれの本部員(全員とは言いませんが)。人件費と言いますがその一部、または多くは将来を保障された天理貴族、彼らへの人件費や社会保障費ですよ。信者や教会は彼らの生活保障のために、あなたのように贅沢をせず、したい事もせず、食べたいものも食べず、行きたいところへも行かず、質素倹約をしながらピラミッドのトップを養っているのではありませんか。無駄な建物群。維持費がかかるのは子供でもわかること。誰がそのような維持費に苦しむようなことをしたのですか。私たち信者や教会は知ったことではありません。この教団、もう先は見えているのです。今後は教団が質素倹約に努め、無駄な人員は整理縮小し、身から出たさびとして、中山家が責任を取ればよいのです。信者につけを回すのは神の怒りに触れることです。神の意思に反します。
自分の恥をさらします
若い頃
教養掛かりの会長に
されました
初めていいますが 本当です
偉そうに教理を語る人間が
やることはゲスの極みです
3月11日 3:33 PM の 匿名様
あなたの恥ではありません。その教養係の先生の恥です。神様が見ておいでです。そのゲスの会長は自分のやったことのツケを何らかの形で取らされるでしょう。
私の友人は、教養係の会長に、部屋で裸にされて触られたそうです。その子は引きこもり状態の子で、修養科が辛かったのでしょう。皆と団体行動が出来ず、部屋に一人でいた時に教養係の先生が入って来て嫌らしいことをされたそうです。人間では無いですね。ゲスの極みです。
私の周りには、そんな「ゲスの極み教会長」はいませんが、私が知らないだけでしょうか?
私の周りは会長と信者で出来てる人
会長同士で不倫してる人
呆れるほど 大勢いますよ
なまえは隠しておきますが。
私にはどうでもいい事なので。
普通の感覚ではないのでしょう
匿名様。
驚きです。
「ゲスの極み教会長」達は、二代真柱の「ひながた」を辿っているつもりなのでしょうか。
大教会で女子青年してる頃は大教会長さんのマッサージ
してました
リビングで、家族の皆さんもその場に居てました
格別嫌ではなかったけど、あまり効果は無かったと思います。
やはり詰所ではハメをはずす方が多いように思います
友人の大教会の話ですが
女子青年が居ないそうなんです
なぜなら 昔(どれぐらいかは聞いてませんが)
青年さんが暴行して任◯させてしまったから、と聞きました。
大教会も詰所も怖いところです
若い女の子を、修養科や大教会等の住み込みなどにやるべきではありません。羊を狼の群れの中に放り込むようなものです。天理教だからと安心して、親は行かせますが、これ程危ないところはありません。そこには、常識の無い人間が待ち構えているのです。
任ではなく妊でした スミマセン
自分の恥をさらしたので
教内の本質もさらしました
一部の人間とはいえ、隠しては通れないことを知っていただきたいと思います
真面目に通っておられる会長様たちには、不愉快な思いをさせて
申し訳ないと思っています
思いもよらなかった事と驚愕されてる方もいるでしょうけれど、事実は事実ですから。
どこにでも闇の部分はあるでしょうが、天理教組織も例外では無かったという事です。
クズの教会長は神様の罰を受け、まともな教会長さんだけが、天理教組織で活動されるように、願います。
多分、事実だと思います。
本部の先生でもあるようですから。
どこからか聞こえて来るのですよね。
隠しようがありません。
本部関係で責任のある方が、もしこのコメントを見ておられたら何か対策が必要だと感じられるでしょう。何も感じない位麻痺しているとしたら大問題です。
もし、嘘だと云われるなら反論するなりして下さい。
結局は責任者と呼ばれる人が不在の組織なんでしょうか?
指導者がノーテンキすぎます。
悲しい話。でもむかしから、週刊誌で繰り返し取り上げられていたような話。最近、そんなことをみなくなったのは、天理教を書いても売れないからじゃないですか。『文春』は来ないっすよね。本部の人にも、昔、学生にいいよって、ポジションを失った人もいるらしい。ところが、みんながわすれていることをいいことに、学校に来るようになって、いつの間にか天理教の授業を持つようになった。狭い世界で、昔はなしを知っている親もいるのに。学生が後ろ指指しているのじゃないか。普通の学校ならそんな不名誉を許さないんじゃないかと思うのだが、これじゃ誰も文句をいわないか。
真柱だってわかってるんだろう。使用者責任?総理大臣なら任命責任?
人材不足っていうことか。
この人たちの「対策」って、きっとブログをやめさせることに違いない。。。。
2016年3月11日 3:33 PMの匿名 さん。
>自分の恥をさらします
若い頃
教養掛かりの会長に
されました
かなりショックを受けています。
その教養掛だけの問題でしょうか。
あり得ない恥ずかしいことです。
私が知らなくて、よくある話なのですかね。
これで、いいのですかね?
女性側からすれば、親にも誰にも言えず、沈黙と忍耐だけです。
仲のよい友人にさえ、言えませんでした。
そんな時代でもありました。
大教会や詰所に行くのが嫌でした。
相手が妻子持ちだったから噂にはならずに済みました
これで終わります
自分から発したもののやはり
忘れた方が幸せです
こんばんは。
一応、末端も末端の教会関係者です。
末端教会の生活困窮について、べつに、いまにはじまったことではありませんが、そりゃ大変です。
とにかく上級や大教会にお供えを持参しなきゃいけない。
最低限のノルマはやはりあるようで、お供えできなくても具体的なペナルティはないらしいですが、教会役員の並ぶ前で、この教会はいくら、この教会はいくらと、金額の発表会があるそうです。
教会も末端にもなると信者はほとんど身内という教会も少なくなく、宗教行事が多すぎて、普段は正社員じゃ勤務できませんから、休みの取りやすいアルバイトや日雇いの仕事して、なんとか生活を維持されている教会長さんもいらっしゃいます。
私が疑問に思うのは、分教会や布教所が無駄に多すぎること。
それぞれに会長や所長と呼ばれる責任者が駐在しとりますが、こんなに末端の教会が必要なんでしょうか。
それも本部に金額を集めるためといえ、採算の合わない店舗をだらだら営業させても仕方ないと思います。
会長職にしがみつきたい人もあるんでしょうけども、ここは仕切り直しで、大幅な教会整理が必要と感じています。
あとは時代錯誤の世襲制度。
生まれた家で、その人の立ち位置が約束される。
本部員の子は本部員。大教会長の子が大教会長。
これじゃどんなボンクラでも、一定の年齢や教理の修めかたをすれば、その道が約束されている。
ボンクラが理の親ですからね。そりゃやる気ある人のモチベーション消えますよ。
末端が本部を支えるのでなく、本部が末端の世話をしてやんなきゃ。搾取だけは本当にうまいよね。
信者さんから頂く真実の千円は、本部員の無能連中が陽気暮らしで使うためにあるんじゃないよ。
周知のように本部直轄の分教会長、大教会長には本部より月50万のお与えがありますよね
本部員も勿論それ以上お与えがありますね
世間働きで50万というとかなり優秀な、かつ働き詰めでないと貰えない金額です
それこそ
毎日 かぐらづとめをするなり、12下りのおつとめをされるべきだと思います
本部で毎日月次祭のようなおつとめをして下さると
26日の渋滞も緩和され畳にも座れて信者さんも喜ばれるでしょう
古い会長さんがおっしゃってたように・・・
全国の会長さん、奥さん、後継者さん達が、年に一度の本部のおつとめ以外は
正社員として仕事すれば、本部も安泰ですし・・・
おやさま御在世の時と違い、国内なら日帰りで行ける時代です
本部員巡教も止めて下さい
大教会から部内教会の巡教も
特に真柱様の教会巡教はなくした方が皆さん喜ばれます
↑
真柱様は巡教ではなく
お入り込み というんでしたっけ
むかーし 前真柱様
お入り込み 有難うございました
何にも覚えていませんが
なんか凄い出費だった事は覚えております
2016年3月15日 7:49 AMの匿名 様。
>周知のように本部直轄の分教会長、大教会長には本部より月50万のお与えがありますよね
本部員も勿論それ以上お与えがありますね
これは本当の話ですか?初めて聞きました。
本部の役職のある人は、お与えがあるでしょうが、全直属教会長にお与えがあるとは考えにくいですね。
そんなに羽振りの良さそうな会長は最近見ていません。
本部直属の分教会 大教会長さまたちは本部から
頂いております
この場を借りてお詫び申し上げます
100年以上前に母方の先祖が教会になりました
それ故に
部内教会が7.8箇所有り
そこに繋がる信者様も何十、何百人となっているやもしれません
かなりの方にお尽くし、お供えを運んで頂いていると思います
皆様 申し訳ございませんでした
祖先にかわりお詫びさせて頂きます
ご巡教、お入り込みがあると、下部教会はご接待、お礼、お車代と多額の金を出費しなければならない。いい加減に止めて頂きたい。来るなら、手土産に心づくしの補助金をお願いしたい。それこそが、上の思いやり、心遣いというものである。何しに来るのか?美味いものを食べたいから来るのか?
直属が月に50万も貰っている、その出処は当然お供えの筈だが、末端は全くの無給で、かつ奉仕する一方だが、阿保らしい限りだ。考えると腹が立つので考えないように、思考停止させるしかない。
本部や直轄などに、高級をだすのなら、全国の末端にも月10万でも5万でも、お与えを頂きたい。 末端から本部へ会費等払う一方なのは全く不条理である。本部からこそ末端に教会維持費を払って頂きたい。そうすれば、末端に金をやるのが惜しくなって、廃業したい末端にはすぐに廃業許可をくれることだろう。
本部から全教会に全ページカラー写真入りのダイアリーというものが配られているというのは本当なんでしょうか?
直属や、大教会が月50万もの給料を貰っており、本部の人間はそれ以上、というのが、本当の事なら、深い憤りを感じる。大教会や、本部にお供えを上げているのは、末端では無いのか?その末端に何のお与えも無いというのは、可笑しなことではないだろうか?会社では、平社員でも一定の給料は貰えるが、本部や大教会のみに、高給が支払われているということは、社長や、会長、会社幹部のみが、給料を取り、平社員には、給料無しの只働きをさせているのと変わらない。給料をくれる気が無いのなら、せめて、お供えの厳しい取り立てを止めて貰いたい。我々も食べなければ生きていけないのだ。
もし私が日本語を読めたら、インターネット翻訳機に依存しないでウェブサイトの掲示物を見るとか、あるいは関連書籍を買って読むでしょうに、そうでなくて非常に惜しいです。 インターネット上で天理教に対する世論を見たりしたんですが、現実で大多数の普通の日本人は天理教をどのように思うの? 好意的? 悪意的? あるいは “そんな宗教があることも知らなかった”?
乾邦人様
あなたは、どうしてそんなに、天理教に興味を持つのでしょう。あなたが興味を持つ程の宗教とは思えませんが。研究するなら、文鮮明さんの統一教会の方が、はるかに世界中に信者も多く、芸能人も多数入ってるし、研究しがいもあると思いますが。韓国発祥の統一教会に比べれば、天理教なんて、マイナーな宗教です。
大多数の日本人は、天理教の事はほとんど知らないです。単に数ある宗教の一つです。天理教を知っている人、つまり、過去に多額のお供えを搾取されたり、土地建物等をお供えしてしまったりして、被害を被った人は、恨んでる人が多いでしょう。好意的なのは、信者の中にどれ位いるか知りませんが、天理教の先生方の言う事を信じ切っている、疑う事を知らない、完全に洗脳された信者さんだけは、好意的なのではないでしょうか。
説明ありがとうございました。私特異な場合です。私は2005年に日本に行った大本敎人たちに会ったことがあります。数ヶ月前に大本敎に興味が生じ論文を探して読んで、学者らが大本敎と天理教を相互に比較することが多いということが分かりました。 19世紀に年配の女性に神霊が憑依て敎祖になった共通点があるという理由です。だから天理教にも関心が生じたが、韓国に大本敎人はいなくても天理敎人はいるので、比較的データを集めるやすかった。ところが、知れば知るほど、材料を集める集めるほど不思議に感じたのです。
度を超すように「中山家」中心的な姿がまさにそうです。真柱を中山家の男が世襲することを除いても「じば」を世界の中心としながら、現実に世界観を上書きしまうのも目立ちます。もちろん、宗教界で象徴的な世界の中心を設定する場合は、かなり多いです。しかし、天理敎のように、現実のある特定のポイントが(象徴的な中心ではなく)実際に中心とする場合は、珍しく、その中心が敎祖が居住し、その家の人が代々居住する家の敷地である場合は、はもっとないです。
非効率的で閉鎖的な宗教組織はい。月次祭の日付が上級教会と下級教会が異なること、そして上級教会の日ほど本部に近いことも天理敎組織の非効率性と上下関係の厳しさを礼儀レベルにまで適用した結果でしょう。カトリックの場合、全世界で重要な宗教祝日の日付がほぼ同じです。
だから知れば知るほど否定的な意味でおかしいと思うようになりますね。
乾邦人様
大本教は今は、かつてのような大教団は無くなり、信者数も少数になっております。つまり、出口ナオ、出口王仁三郎が亡くなると共に、大教団としては幕を下ろしたのですが、天理教は、中山みき様が亡くなっても、未だに大教団として、活動しています。「おぢば」つまり「人類を宿しこんだところ」という虎の子を持っていたからでしょうか。この「おじば」を真柱、又、天理教教団が手中にしている限り、天理教は宗教教団として生き残れるでしょう。只、信者や下の教会からお供えを取りすぎるせいか、教団も昔に比べれば、信者が激減しています。
乾邦人様
大本教と天理教と比較した場合、天理教の方が、宗教教団としての戦略に優れていたと言えます。天理教は教祖が亡くなった後も、「教祖存命の理」、そして「真柱制度」という、教祖の教えには無かった制度を導入し、真柱を生き神様同様の地位に祭り上げ、未来永劫、信者の崇拝を受ける教団を作り上げたのです。
今はかつての面影も無い大本教ですが、王仁三郎氏は晩年、「神殿は人の心の中に建てるものだ」、と仰られていたそうです。王仁三郎氏の言葉こそが、宗教家としての本来あるべき言葉と思います。
ここに詳しく記載が有りますね。
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q14156926349
親神は、天理教を立教したかったのでしょうか?
多分、親神が天理教を立教したのではなくて、人間が天理教を作ってしまったのです。
正直いって、神様も呆れています。その証拠に115歳と約束していたのに90歳と予定変更してしまったではありませんか。
それを存命の理という苦しい言い訳を考えだして正当性を作り上げたのです。
おさしずを、後ろ盾にしていますが、かくされた「おさしず」もあるみたいですし、「みかぐらうた」の原本も見つからないって可笑しい話です。
130年祭後、真柱の祭典講話の勉強会を直属教会毎に教会長夫婦講習会でしましたが、そこに強調されていることが、教会長夫婦を洗脳する文言です。
その強調されている部分こそが教祖の教えを教団の教えにすり替えた部分で、繰り返し、繰り返し、すり込まれて行くように仕組まれているのです。
今更、どうでもよいような話を聞かされながら知らぬ間に洗脳されるのです。
真柱のお言葉と称して、誰かが意図をもって作った文章です。
ここに寄せてあるコメントは一部の人だけの意見でしょうか?
確かに天理教の教会で素晴らしい活動をしている教会もあります。成る程と社会にも認められている教会も一杯あります。
そんな教会は、さて何か所くらいでしょうか。100くらい?1000くらい?多く見積もって2000の教会が素晴らしい教会だったとしても、それ以外の15000の教会が大変な、それぞれの色んな事情を抱えているのです。
言う場所もなく、聞いてくれる人もなく、「不足は切る理」と言われるので、自分のいんねんと悟るしかなく、黙って愛想笑いでごまかしながら生きていくしかないのです。
その人達の代表として、ここに集う人達が意見を申し上げているのだと思っています。
決して一部の人の意見ではないのです。
本部員・世話人・修理人といわれる本部の権威のある先生方にお尋ねします。
お供え、お尽くしの素晴らしさ、天理教を通ることの素晴らしさ、理の親を立て切ることの素晴らしさを誰にでも分かる言葉で、ここで説明して下さいませんか?
教会の上段から一方的に、誰も異論を唱えられない場所ではなく、ネットのコメントという誰もが見れて、誰もが意見を言える、この場所で、その素晴らしさを誰もが納得出来る言葉で話をして頂きたいのです。
そして、あなたの信仰と信念を聞かせて頂きたいのです。
本部は大教会長等の直属教会長の洗脳に力を入れているように思います。
(例えば、真柱の理、真柱の接待の仕方や、お言葉の重要性、おぢばの理、存命の理、理の親・・等)
本部ではバリ天じゃなくて、バリ本(バリバリ本部信仰)を作っているのです。
修理人で来られる本部の先生は決してお供えの話はしません。優しい言葉で労りの言葉でねぎらって下さいます。
お供えの話は大教会から聞くようになっているのです。
真面目な大教会長ほど厳しい取り立てになるのです。
ちょっと洗脳が解け始めている会長は悩んでウツ病になります。
洗脳が解けている会長は本音と建て前を使い分けて、Wスタンダードじゃなければ生きていけないのです。
それでも、なかには信仰的に生きている人もあると思いますが。
本当に罪な本部です。でも、本部って一体誰でしょうか?
多分、天理教の中で一番、幅を利かせている一族だと思います。
昔の天理教では考えられないくらい疲弊しているのは事実でしょう。今の本部員は充分気を遣い、それように対応しているとのことです。でも、給料50万は大嘘です。生活保護の支給より少ないのが現実でしょう。あとは雑収入としての講演料等です。時々確定申告のお手伝いしてましたから・・・・
古い教会長さん、教祖ならばって考えたことありますか・・・?その教祖が現天理教をご覧になられるとしたらお供え?大教会?本部員?その組織トップの真柱 なんて構図は教理のどこの一節にも出て来はしません。むしろ、おふでさきの最後に「さとさと たおとたおと びよさまびよさま」とあり、続いて「このはなしあいずたてあいでたならば なにについてもみなこのどうり」 更に、「いちれつ心しあんたのむで」と、むしろ先行きを案じて道の先達の責任の重いことをあらかじめ予言なさっています。
たとえ中山であろうが、前川であろうが、松村であろうが、誰であろうが特別扱いには一切しないと宣言なさっていると考えます。ところが、形骸化した本部あたりの偽信仰者の現状維持作戦は、大阪の商人よろしく、あちらの機嫌を伺い、こちらの顔色を眺めて、我が尻に火のついていないことを確認しつつ、生きていこうと画策しているのが現状でしょう。
教祖おひとりから始まったこの道、全くゼロからの道です。そこに無謀に建ったクソ名誉と金と力です。そんなものが万人うけいれられるわけがありません。砂上の楼閣ですね、なにもかもね。
本部が、大教会に気を使うのですか?
お供えの多いところとか?
それじゃあ
立派な大教会長さまたち
集まって談じ合う事できますよね
たそがれもん様
「給料50万は大嘘です。生活保護の支給より少ないのが現実でしょう。あとは雑収入としての講演料等です。」
末端教会長は、全くの無給です。講演料などの雑収入なども一切ありません。
本部員の方は、天理市内にお住まいと思います。末端教会長達のように、、おぢばに参拝するために、旅費を工面する必要もありません。
興味深い文章をみつけました。「わが中山みき」福島ひとみ(天理教霧路布教所)。1998年で古いのですが胸を打ちました。ご興味ある方は「天理教とフェミニズム」で検索して「no26 september1998」を選択してください。
2016年3月25日 6:24 PMの匿名 さん。
>本部が、大教会に気を使うのですか?
お供えの多いところとか?
それは、違うのです。
本部からの修理人は、部内(末端)教会へ来られるのです。「修理人で来られる本部の先生は決してお供えの話はしません。優しい言葉で労りの言葉でねぎらって下さいます。」もちろんお礼は支部から決められています。
大教会へ来られるのは世話人と呼ばれる人です。考えられない程のお礼を貰って帰られます。
本部は大教会長等の直属教会長の洗脳に力を入れているのです。(例えば、真柱の理、真柱の接待の仕方や、お言葉の重要性、おぢばの理、存命の理、理の親・・等)で本部の正当性をアピールして上納金の心定めをさせるのです。
古い教会長さまへ
わかりました。
有難うございました
修理人と世話人 よく聞く言葉ですが
違いがわかりました
しかしよく考えたものですね
信者は他人様からお礼を頂く事などよっぽど
喜んで頂ける事がなければありません
出してばかりです
たそがれもんさまへ
本部員のおあたえが少ないそうですが
子供さんたちは県外の私学に行かせるぐらいは
容易い事でしょう
中学 、高校でも部活などしていたら
かなり出費があると思うのですが
それとも
いちれつ会からかりているのでしょうか
本部員の中でも格差があるのでしょうか
天理教教祖逸話篇
おやさまを慕う気持ちが篤くなる素晴しい本だと思っていたのですが
ミカタを変えれば
本部の重鎮のご先祖様
おやさまのおそばでがんばったぞっていわれているのかなとも
思いました
両匿名さま。
>たそがれもんさまへ
本部員のおあたえが少ないそうですが
子供さんたちは県外の私学に行かせるぐらいは
容易い事でしょう
多分、そうだと思います。お与えが、たとえ少なくても生活にかかる費用(衣食住)が殆んどかかりません。お産の費用も出ます。厚生年金も入ります。嫁入りには白扇だけ用意すればいいのです。修理人・世話人としての巡教のお礼がかなり入ります。5季のお礼といって、春季大祭・誕生祭・中元・秋季大祭・歳暮と年に5回、世話人をしている大教会からお礼が入ります。そのお金は、大教会で全部内教会からお供えとは別に集金したものです。本部の人の人間性が変わってもおかしくないシステムです。
>天理教教祖逸話篇
もっと教祖の逸話はたくさんありますが、今の天理教の本部に近い人の先祖が主に取り上げられています。脚色されたものも多くあるようです。
もちろんあります。逸話編は稿本天理教教祖傳を編纂された時、あまり確実性のないものは逸話編に、中山家に都合の悪い話は闇に葬り去られている事じゃないでしょうか。信仰の切れている人の話はあまり聞きませんもんね。
> 私達は、上の理不尽を、こうして掲示板に投稿したり、いろんな他の情報も目に出来ますが、全国の末端教会で、年配の会長さんなど、インターネットを使ってないところも多く、このように、天理教や、本部、大教会等、上の理不尽についての投稿がされていることも全く知らず、苦しみも不満も、胸の内に溜めて、成す術も持たない会長さん方も多くおられると思いますが、お気の毒です。 それらの会長さん達に、このような天理教の現状、組織の支配から抜け出す事、組織の洗脳を解く事などを、何とか知らせて上げる方法は無いものでしょうか。全国の末端教会が、お供えを止める事、あるいは最小限に抑える事、又、それを上に物申せるようになる為に。
お供えのさっちんさん
無断引用ごめんなさい
激しく同意いたしております
10年または20年後は明らかに衰退しているでしょうが
今はまだ高齢者様が年金をお供えされておられましょうから
楽な教会はのんきに暮らしているでしょう
私の親もなかなかお供えを止めようとしません
働き詰めで歳おいて体もボロボロなのに・・・
教会の人間は何もしてくれないのに・・・
教会、つまり神様にお供えする事で、大難小難と、皆が無事に健康に連れて通って頂ける、家族が幸せに生きていけるとそう信じておられるのでしょうね。若い時などに一度刷り込まれたものから、抜け出すことはなかなか難しいことでしょう。熱心な信者ならよけいに、年老いて身体がボロボロになっても、お供えをしていなければ、不安になるというところまで、なってしまってるのでしょう。
宗教は、信じることが前提ですから、たやすく人を洗脳できます。その洗脳からの脱会は、至難でしょうね。
天理教上層部は、本当に罪深い事をしています。神様の前で、申し開きができるのでしょうか。
>教会、つまり神様にお供えする事で、大難小難と、皆が無事に健康に連れて通って頂ける、家族が幸せに生きていけるとそう信じておられるのでしょうね。(略)熱心な信者ならよけいに、年老いて身体がボロボロになっても、お供えをしていなければ、不安になるというところまで、なってしまってるのでしょう。
匿名様、これでは、「信仰」ではなくて、「依存」ですよね。
共依存的な関係は、お互いを高めあえる健全な関係性とは非なるものです。
参考
宗教依存症
https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教依存
http://karadanote.jp/12674
私はお金がないから出せと言われても無理。因縁はお金を出したからって切ってもらえるものじゃないでしょう。因縁も人生の宝物です。そんなに嫌わなくていいのじゃないですか^_^ガンと一緒です。仲良く出来たら因縁も長く付き合ってくれますよ。
教祖は陽気ぐらしの生き方を自らの生き様で示し、教理で教えられましたが、お金持ってこいとは仰られて居ませんね。ひながたの通りです。苦しいんでしょうね。本部様は。なりふり構ってなあい@
それでも12母屋を新築しようとしている。又お金が入りますよ。自分で払え、ゼンスケナカタ。せんきょうのお供えでしたっけ。これは失礼しました。
せんきょうって金持ち教会なんですね。事情教会に10万円づつお返ししたら?
たそがれもん さん。
12母屋は「せんきょう」の母屋になるのですか?
もちろん本部の母屋です。よくお金あるなぁ、よく決断したなぁと思っただけです。
黒い法被と扇子を持たされて、13曲もの歌詞や踊りを覚えさせられ踊らされる。
さらに数種類の楽器まで覚えさせられる。今時、若者どころか高齢者もしないよこんなの。
天理教の垂れ幕 「ようこそ おかえり」 ただそれだけ。
天理教をまったく知らない人には何のことかよくわからない。
なぜ「人類の故郷に ようこそ おかえり」などのように書かないのだろうか。
もしかして違うから?
「 ようこそ おかえり お供えしてね」 と書いた方がいいですね。
たそがれもんさんの「12母屋(もや)、せんきょう(宣教)」のコメントがよくわからなかったので検索しているうちに興味あるブログ「うきしま」の「天の定規」 番外編;「 お金について」諸井慶徳著作集より抜粋。お供え(お金)や教会システムについての皆様の様々の意見、感想、経験を読ませていただき、また自分の経験も含めて、よく思っていたのは教会システムと教理の乖離です。このことをシステムの上部の大教会長であって天理教学者だった故・諸井氏はどう考えていたのだろうかと言うことでした。矛盾に悩まれることはなっかたのか。100年祭頃、系統部下教会分会長の自殺と絡めて。いま一つ、すっきりせずにきました。(氏は1961年に出直され直接には関係はないのですが)ただこの文を読んで少しだけわかりました。美しいのです。理想的です。信仰が深ければ納得するのでしょうか。教会システムについて一切、触れられていません。なるほどと言う次第です!?
mamiさま。「せんきょう」は「ゼンスケナカタ」さんの教会名です「ゼンスケナカタ」さんは「オモテトウリョウ」です。「シンバシラ」のオトウトです。
「うきしま」の「天の定規」 番外編 読みました。
説得力はありますが、本部や上級が神に代わってお供え(お金)を集金しているのが、納得いきません。
http://www3.tokai.or.jp/ukishima/okane.html
古い協会長様
ありがとうございました。教会名だったんですね。
「納得いきません」私も同意です。言葉は真実を表しもしますが真実を隠しもします。
お詫び。協会長^~教会長さんです。ごめんなさい。
ありました。天理教鮮京分教会 中田善亮・会長。
1月26日に教祖130年祭のお供えをしたばかりですが、今度は4月18日の誕生祭のお供えを、部内教会25000円出さなければならないそうです。教祖は、もうプレゼントは結構、と思われてるのではないでしょうか。一体それらのお供えは、どこにいってるのでしょうか。誰が欲しがってるのでしょうか。
>現在でも毎月10億円を集めている天理教本部は、たとえば「◯◯大教会からのお供え金は今月は◯◯万円」という各大教会ごとのお供え金を記録した詳細なデータを持っていることは間違いないであろう。今回は天理教本部だけのデータであるが、全国にある各教会のデータがあり、それらは各教会どこも公表していないことは改めて明示しておく。公表してはいけないルールなんてないはずである
カイン様のブログより
年祭 普請 と称していくらでも吸い上げるのか
全国 全世界の分教会、信者に公表していただきたい
4月1日 12:07 PM の匿名様
「掲示板お供え」の方に、あなた様のコメントを引用させて頂きました。無断ですがお許し下さい。
天の定規読みました。美しいし理想です。
じゃ、お供えは千円でいいじゃ無いですか。 50年前の文章です。
2016年の現在において、将来今の年金受給者の様に皆が年金を受給出来るのか?
答えはNoです。年金制度は制度としてはとっくに破綻してます。今の日本は借金の上に成り立っている国です。
教団は教債でも発行するつもりでしょうか?
金は持ってる。でしょうが、破綻は早いです。教会は整理して教会家族全員で詰所に引っ越し、整理する必要が有ります。
こんなムチャクチャ教団に引っかかり、若い人は人生をムダにしないで下さい。
>あの時代に神殿や詰所を大きく拡張せずとも、欲を出さずあるが範囲内で納め、沢山の種類の多くの桜の木を沢山植え、手を掛けて世話をしていたら、平成の今の時代には春には見事に桜が咲き誇り、いつ行ってもあそこは桜が咲いているとサクラの里として有名な名所になっていたかもしれない。
どんなに大きな神殿を建設しても歴史の前には勝てない事を良く勉強しました。
サクラの里になるにももう遅いでしょうね。
↑
引用お許し下さい
桜を見てこの方の投稿を思い出しました
建物の寿命は何年位あるのでしょうか。いくら寿命がもったとしても50年位がせいぜいでしょう。天理には、ばかでかい建物がたくさんありますが、傷めば修繕費、修繕で間に合わなくなったら、又、新しく建てる、信者は永遠に、お供えを払い続けさせられます。きりなし普請は、きりなしお供え。
かしこい方は、もうとっくに、天理教から離れてるでしょう。
さっちん様へ
オススメの本
Amazonで購入しました
笑いと怒り 感動のツボが同じ者です
天理時報の発行部数について。 100年祭には30万部。130年祭の今は12万部だそうです。今日の例会で世話人が発表していました。無料で配布されている全国の教会17000か所、そして布教所もこの数字の中に含まれますから、純粋に一般信者の購読者は10万人を切っているのではないでしょうか。
教団が把握している信者数には寝たきり高齢者、認知症高齢者も生存している限りにおいては数字に含まれますから、実働している実際の信者数は10万人の購読者とその家族を入れて20万人を下回るのでは?と想像したりします。
今後はあの巨大な建物の修繕の、「きりなしお供え」が出来るのも、ついてくる人間がいてこそのこと。もうこの教団からは人が逃げ出しつつあるからどうなることやら。がらんどうの建築群の中で、中山家がしてきたことの長きにわたる過去を悔い、蒔いたる種はみな生えるのだから、一家で責任とって刈り取り、一家で修繕するなり壊して更地にするなりすればよい。
自分の頭で考える賢い二世、三世は今の天理教がやっていることには疑問を呈しており、寄りつく気配はありません。
匿名様、ありがとうございます。自分でも変わり者だと自覚してますが、ひんしゅくを買う事も、時に書いたりしてると思いますが、匿名様のように言って頂けると大変嬉しいです。落ち込まず、前向きに書き続けられます。ありがとうございます。
『シャーマニズムの心理学』[アズ]1994年 32号 新人物往来社 小田晋(筑波大教授)
p135 Ⅱ.教祖および宗派の構造と社会的背景
、、、、、、。現代の精神病院に入院させられている病的教祖と、幕末期や戦後の新興宗教の開祖たちのあいだの差異は、
ひとつには本人たちの天賦のちがいに規定される面もある。H・オーバンによると、真の神秘家や予言者は、その託宣や作品の中にある輝きが認められるが、偽の病的神秘家は、心的解体のために二次的な創造をなしえず、非実践性と夢想の中に埋没するとされる。しかし、精神的創造としての信仰体験の表現が”輝き”をもつとき、それは病的条件によって支配されつつそれをこえたものによって規定されるわけである。そこには創造的天賦の問題がかかわっていることは否定できない。この場合の創造性は、ひとつには、神からの託宣を詩歌あるいは経典の形で定着させる言語能力に、第二には、宗教的象徴を心像として定着する能力に、第三には、神のことばに従って行動する実践力に支えられているといえる。ここで成功した典型的な女性教祖の一例についてみよう。[奨励2]天理教祖 中山みき(1798~1887)の場合、 、、、、、、、、。
『新宗教と総力戦』2015年名古屋大出版会 永岡崇著
序章六 中山みきとは誰かーほとつの”読み”として p47
たとえば精神医学者の中井久夫は、みきの「忍苦が限界を超えた」ことによる「変貌」を「宗教的「創造の病い」」と位置づけ、「暗鬱な雲が一度に吹き払われて、明るい天地が眼前に開けた印象」を語っている。中井にかぎらず、みきの前半生における苦難の蓄積が、寄加持というきっかけによって神がかりによる人格転換をもたらしたと考える論者は多い。
『岐路に立つ天理教』1974年 エール出版社 神宮寺真著
p236
、、、、、。私は鏡ヶ池へと足を伸ばした。みきが自殺を図った場所である。、、、、、、、、、、、。哀しみに満ちたみきの顔があざやかに浮かんだ。あわれなみき!、、、、、、、、、、、。私はしばらくのあいだ池端に佇んでいた。、、、、、、、、、、
、、。生涯を孤独に過ごしたみき。両親にも、夫にも、下卑にも、そして直弟子たちにも裏切られた哀れなみき。90年の生涯を苦悩と慟哭のなかにあけくれたみき。-そのみきが死後90年を経ようとしている今日すら、200万もの人びとの生きるささえになっている。いまさらながらに私は、みきの偉大さをしったのであった。、、、、、、、。
130年祭は20万でした。興味あるところを抜粋してみました。
誤字訂正:奨励ー症例 ほとつーひとつ 申し訳ありません。
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
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古い教会長様
ご案内ありがとうございます。
早速「命の泣き声」さんのホームページのリンクへと行ってまいりました。
紹介されていた本も注文しました。
ありがとうございます。
古い教会長様。命の泣き声さんの壮絶な体験、拡散ありがとうございます。。腹の底から怒りを覚えました。慟哭にも似た叫び、取返しのつかない心の傷、取り戻せない時間、順調だった経済活動の損失等々、天理教はどうやって償うのか?天理教は神を語りながら、一人の人間を、また家族を巻き添えに、半殺しにしたと言って良い。
親神の教えからかけ離れた創作教理や人間思案の上下組織にがんじがらめで本当の信仰を見失っている多くの被害者たちが、声を上げられないで、もやもやしながら教内にいる現実を、もっと拡散して世に知らしめたい。
古い教会長様 拡散ありがとうございます。マインドコントロールされている人に一人でも目を覚ましていただくために、今後も目にかかられた情報を取り上げてください。
また命の泣き声様、よくぞ生きて来られました。今後も人助けと思って発信してください。応援しています。本も2冊注文しました。私もこの教団の「いい加減さ」の確認作業にかかります。
両匿名様、有難うございました。
出来ればコメントの最後にリンクを張って頂ければ嬉しいです。
いつの間にか過去の投稿になってしまいますので、お願い致します。
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おやさまの御誕生祭 婦人会総会を控え 本部も準備に追われる頃ですね
おやさま180歳ですか?
中山みきという一女性の教え?は
あの時代には盲目的に広まったのですね
施して?全財産を失ったけれども
親戚一同は
教団を設立し
よくがんばりました
おやさま どうか 安らかに お休みください
ありがとうございました
年老いた会長さんたちも
我が身を大切に為さってください
訂正します
おやさま 220歳です
お働き過ぎですね。
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ご自分の誕生日のお祝いに、多額の上納金が集められることを、教祖なら、お喜びになる筈が無い。誕生祝いなら、違った形でいくらでもできるだろうに。教祖伝に花や菓子、ケーキでもお供えすれば、その方が教祖もお喜びになると思う。金集めに利用されている教祖がお気の毒なことだ。
漢字訂正 教祖伝ではなく教組殿です。
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おやさま
1798年~1887年
12代将軍 徳川家慶の時代!!!
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子供時代、ちゃぶ台を囲んで家族で夕食を摂っていたら、突然精神を病んだ父が幻聴や幻覚で「貴様ー!何者だー!」と叫び、いきなりちゃぶ台をひっくり返し包丁を持って暴れる。
これが我が家の家族風景でした。
そして、この父から守ってもらえるものが、教会の神さまであり、絶対的な存在でした。
精神病院に入院している父の病状が安定すると、必ず母は父を家へ連れて帰り、家では決して薬を飲もうとしなかった父を野放しにして、結果的に病状が悪化して家族を苦しめるのですが、その一大事に母は必ず神様のご守護とを結びつけ、神様のお陰だと言うんです。
そして母が生きている間は、この修羅場が延々と続き、揚げ句の果て借金だらけにしてこの世を去りました。
「親に感謝しなさい」と言ってくる人もいましたが、正直感謝より身勝手な人に振り回された感が強いです。
周囲の猛反対の中、教会を売ってお金が入ったら姉達が私を裏切り、また母の弟の凄まじい強迫などで、私も命の泣き声さんと同じ苦しい症状で息をしているのがやっとの時がありました。
その時の心の叫びは、「だれも私を助けてくれない」世の中から見捨てられたような孤独感がありました。
そうなんです。子供時代受けた心の傷が、私を苦しめたのです。
なんか昔を思い出して書きました。
私の家庭も修羅場でした。私は父母が大喧嘩をしている時、只、蒲団を被って泣いてました。あれから何十年経った今でも、私の中に、泣きじゃくってた小さな子供が未だに存在し、時に顔を出すのです。孤独を感じる時、辛い時などにふと、、、。成す術も無く、只、只、蒲団をぐしょぐしょに濡らして、咽喉が痛くなるまで、泣いてた小さな子供の時の私、、。あの時の私を抱きしめてやりたいと思います。
自分で自分の心の傷を修復するのにどれほどの時間を要したのか。長かったです。
憎しみと怒りが渦巻き、自分でも飽きれるほど執念深かったです。
裏切った姉も母の弟も、天理教を信仰しております。
親戚縁者どなたさまも天理教人ですが、私は天理教に染まることはありませんでした。
子供の時から、「どうもこの天理教おかしい?」この疑念に対して揺らぐことのない信念がありました。
そして今いろんな方が、私と同様に形は違ってても天理教による苦しみがあるのを知り、やはり私だけではなかったこと、天理教の罪をしみじみ考えたりします。
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天理教のおかげで友達はたくさん出来ました
大切な友人たち
ずっと教内に居ると当然ですよね
何人もの友人が声 代弁します
私は辛抱するけれど
子供には絶対継がせない
離婚してでも実家(教会)には帰らない
親がいるうちは辛抱する
主人が上級の言いなりだから話会いにもならない
仕事と教会で大変
教会の息子でも全然優しくない
上級が大嫌い
参拝は行きたいけど教会の人苦手
みんな違う人の声です
本部にはこの声がきこえないのでしょうか
喜んでるのは上級教会の人だけです
少なくとも、この署名入りのお供え金システムを採用している教会には決して近づくべきではない。初めてこの封筒を見せられたとき、私は「天理教は恐ろしい。しんどなるわ」と思った。こういった感覚は天理教人にはないのだろう。改めて宗教は怖いと思う。
この袋がなくても天理教の教えを信仰することはできるはずである。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
上記
2015年8月 カイン様の記事
よくよく考えたらこのような当たり前の事に誰も気づかなかったのかな
また 気づいても言える雰囲気さえ無かったのだろうか
私は洗脳されていたんだとやっと気づいた
オウム真理教の信者もきっと・・・
でしょうね
感じる
悩む
考える
調べる
教わる
人の話を聞く
大切ですね
病気になったので薬を使用したい。
A薬は、8割の人に効果があり、副作用もほどんどない。
B薬は、6割の人に効果があり、副作用は多少ある。
C薬は、3割の人にしか効果はなく、副作用も強いので注意しなくてはいけない。
A薬もB薬も効果がなかった人が、C薬を試したいが果たしてどれだけの効果があるのか、効果があっても
どんな副作用に悩まされるのだろうかと考える。副作用が心配なら温泉療法や、民間療法もあるので
そっちをしたらいいのではないかと人にすすめられそうする患者さんが増える。
C薬は売れなくなり、自然と製造中止になる。
天理教をこの中であえて例えるとどの薬になるだろうか。よく考えてほしい。
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途切れなく張り付けさせて頂きます!
天理教が、というかその本部が間違っていて、自己的に改善する能力がないのだとすれば、あとは第三者的立場の人々が介入するわけだが、結局、先ずはだれが悪いわけだろう。
いまの表頭領の中田なにがしか? こいつを徹底的に追及すれば良いのだろうか。
その具体的なところから、そろそろ始めませんか。
世界で一番貧しい・・・
元ウルグアイ大統領のムヒカさんのほうが、
よほど天理教の教えを実践している件
私はカトリックを信じている韓国人です。大本敎と天理教について宗教学的に調べてみる一般人です。(私の趣味が儀式、宗教を調査するです。)韓国で天理教信者は20万人余り、全人口の0.5%未満に過ぎません。あまりにも存在感が不足するためにも天理教に反対する人もないでしょう。知りもしない宗教に反対する人がいるでしょう?
だから、このコメントを読んで人に聞きたいと思います。日本に住んでいる皆さんが天理教に反対する最大の理由、天理教に反感を抱くようにされた最大の理由は何なのかコメントに答えていただきたいと思います。 (私は日本語を知らないので、Web翻訳機を使用しています。なるべく簡単平易な文章で答えてください。ように翻訳がよくなります。)
理不尽な天理教のお供え。お供えをしたら理の親である会長が喜び、親神様、教祖も喜ぶとの巡教の話。
これ、世間で通用しますか?
天理教の「御供え」についてをリンクします。
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今、サミット開催で注目されている伊勢神宮のことで、週刊ダイヤモンド誌の興味ある記事がありましたので、貼り付けます。神社界のヒエラルキー、神社本庁と政治家との結びつきなどがわかります。ブログ貼り付けておきます。
「伊勢神宮が550億円の遷宮費用を賄った集金力の“内訳”」
http://diamond.jp/articles/-/89351
記事から
「この神社本庁の“政治部隊”を務めるのが、神道政治連盟と呼ばれる政治団体。その活動を支持する「神道政治連盟国会議員懇談会」には、与党自民党議員を中心に、304人もの議員が参加しています。安倍晋三首相をはじめ菅義偉官房長官など、現閣僚20人うち8割がこの懇談会メンバーです。」
創価学会は勿論公明党、神社本庁も安倍信三氏始め、大勢の政治家と結びついてるようですから、宗教法人法の改正など、夢の又夢ではないでしょうか。
乾邦人さま
私も問題はお供えだと思います。ただの不完全な人間でも、上級という立場にあるだけで、親であり神への入り口であるとして、彼らを喜ばせる。それがあなたの幸せや因縁切りや徳積みになるという教団が考えたご都合教理。
私達は元の神、実の神から命を頂いているお互い一列人間です。不完全な身であるにもかかわらず、親とあがめられることを当然の立場と思い、無理難題、理不尽を押し付け、それを仕込みと勘違いしている上級教会の人間たち。神の目から見たら、おかしくも、哀れな信仰ごっこ。いい加減にせよ、と見えてることでしょう。
今のおじばに神は居ないと思います。神が働かないから、どんなに信者獲得を願っても、世間の誰もついて来ない。おさずけも当然効かない。
教団組織に所属せず、一人でしずかに神を想い、真理を求めるほうがはるかに精神が癒されます。
これだけ、天理教組織の問題点、教理体系のの問題点を指摘するコメントがあるのに、本部の責任ある立場の方の説得力ある反論が出て来ません。
多分、書かれている事は、全て反論のしようのない事実だという事ではないでしょうか。
本部の責任ある立場の方といわれる人事態が不在の組織かもしれません。
昔からの〇〇家、〇〇家、〇〇家といわれている家系の皆さん、天理教を、これからどうしょうとしているのですか?聞きたいものです。
天理教の「御供え」についてをリンクします。
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高市早苗総務大臣の電波を止めるかもっていう発言と、天理教の中田善亮の思考停止を導く影響力はよく似ています。あの人は大◎分教会のようぼくですから、よく似てしまうんでしょうね。
奴の高校時代はボンタン穿いて、ペッちゃんこのカバンを抱え、真柱邸の表玄関である会計門から肩で風切って歩いているバカボンボンでした。そういうバンカラなら、加えてシンバシラの子供なら、友人関係は奴に共鳴する奴は少なからずいるはずなのに、コ偉そうなだけ。周りは人間性を見切ってましたねぇ。私もへって思ってました。そんな奴が天理教をコントロールしてる現実に未来はないし、ここの場所は中山・中田政権をけん制するマスメディアたるべきだと思ってます。
決して電波は止められないようにしないとね。
会社や商店などでも、経営者が世襲制だと、3代目で潰れるとよく言いますが、天理教株式会社もそろそろ、危ないでしょうね。
いや、天理教の中山家につながる幹部に至っては、あちこちに運営資金を分散して、あちこちに隠し金を管理していると推察される。だから、ここ数年の本部員になった人たちの傾向を見ると、中山家につながる一蓮托生・裏切れない人が圧倒している。知力、能力、世間知らず、すべて合わせてもその評価では、もどこの会社でも雇ってはもらえない人的能力の人ばかりでしょうね。
教祖当時の元始まりの魂の因縁という考え方が、本部員諸家を温存する要因になっているのです。
本部こそが救済の本拠地でありながら、本部員こそが人類のひながたでなければならない。という自覚無しに、どんな活動をしても、空しさが漂うんですね。
本部員に人類のひながたとは、無謀な要求ごとだと思います。信仰の上から言えば、教祖の50年のひながたこそ将来ともに究極の道であると思います。しかしながら、我々が知っている教祖のひながたは、二代真柱によって、既存の中山、中田をはじめとする歴代本部員の利益を第一義に決定されたものがほとんどであると私は思ってます。
本来だめの教えが、そんな閉塞感を誰もが感じる教えであるわけがないでしょう。
教祖のひながたは、信者に要求するのではなく、本部員自らが通らねばなりません。ひながたは、本部が自らの利益を第一義に捏造したのであったにせよ、じゃ、自分らがまず通って見せてくれ、ってことですね。
カイン様へ
いつもながらすばらしい記事を挙げて下さり有難うございます
私が本部要職なら資料修正部主任に推薦させていただきます(w)
本部は何にも反論もしないし だんまりを貫くお考えですね
あのだだっ広い西礼拝場で私はたった一人で参拝する時間があったことを思い出しました
なんと誰もいない~
昨年秋、平日の午後のことです
寂しいやら有り難いやら。。。
現実見ろよ ですね
具体的にここはどう言う機関ですか?
天理教の現況について、社会的にも一般人にも解り易く解説をしたサイトです。
宗教の世界は一般でも常識でも語れ無い天地天命の宇宙の神の世界だと言われれば確かにそうでしょう。
だってやってる事世間に語れませんから。
善亮氏の弟さんはどんな方ですか?
>善亮氏の弟さんはどんな方ですか?
久保善平さんと言います。本部直属の教会長で本部員です。とても人のよい方と思いますが、組織の上に立って指導するようなタイプではないようです。
中山家に生まれなければ、今の立場はないでしょうね。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/
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こちらで相談できると知らず、最新記事で相談事を書かせてもらいました。
ちっぽけな悩みかもですが、よかったら相談にのってください。
だそうです。
>しかし、信仰心の篤い、一般信者さんのお母様のような方々は、そんなにも、教会に、天理教に尽くし切る、信仰というものを通り越して、まさしく洗脳状態としか思えません。そしてそこまでさせる天理教の教会は、
《異常》です。信者を洗脳状態にさせる宗教は【カルト】、『多額な金』を信者に出させる宗教はカルト、とこれまでも投稿者の方が言われてましたが、その通りと、何べんも言いたいです。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
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皆でワガママ言いましょう。
植田義弘氏(ブログ<原典からの出発>)が新たなブログを発信されておられるようです。
* 教外向けブログ「未来をひらく生命の哲学」
* ツイィター「万年青年」
ごめんなさい。「万年青年」でなく 「万年哲学」です。
だいぶ前の話であるが、何かの用事で教会に足を運んだ際、ちょうど、おなじ系統であるべつの若い教会長さんが、何かの用事で訪れていた。その時の話。
その若い教会長さんはまだ教会を継いで日が浅く、それまでは民間の会社で普通に仕事をしていた。
自分の親が教会長をつとめていたが、老齢となり、御用するにも身体的負担がこたえるようになっていた。
自分が後を継げば、親の負担も減り、またそれ以上に喜んでくれることを知っていた。
しかし、今の仕事を辞めることは、すなわち生活がたちいかなることであり、おいそれと決断するわけにはいかない。教会に納めるお供え金も、信者がいるといっても金額的には微々たるものであり、その人の収入が大半なのである。それに、その人は結婚もし、子供もいた。
決断の日が来た。
大教会長からの言葉であった。
後を継ぎなさいと。
継いじゃったよーん。あホーン。
無職になり、収入ゼロ。奥さんがパートしてるけど、生活はキュウキュウ。両親も年金はあるが、まともに払ってないから貰える金額も低い。
子供たちは天理高校へ。
困窮する生活も、教祖の想いを感じながらと、健気に生きてらっしゃる。偉いんだか、なんだかなー。
大教会長様は理の親だから、そのお言葉に従いました。
それが後を継ぐ背中を押された大きな理由だった。
話を聞いていた当方の会長さん。
エライねー。だって。
私は遠目に二人を見比べて、アホだねー。
大教会長様、今日も貧に落ち切れの話をしながら、刺身食って、ビール飲んでまーす。
こんな天理教、ほろんじゃえー。
かわいそうに・・。又、天理教の犠牲者が一人。
会社に勤めていたのなら、教会長みたいな、収入も安定しない仕事など、継がない方が良かったのにね。
大教会長は、無責任極まりない。教会を継がせば、後はどうなろうと、お供えさえ払ってくれれば、どうでもかまわないのだ。
教祖、本席御在世当時なら、無責任大教会長でも、たんのうできたが、今では不満の矛先を教祖にさえ向けてしまいそうで、、、
したがって、在家のまま付かず離れず、不足せずの不良信者でございます。 ハイ
もうひとつ疑問が。
天理教組織は、一般人には腰が低いけど、教会を訪れてくれるようになると、だんだんエラソーになるのは気のせいか。
俺は理の親だぞ! 親の声は神の声だ!
なんてね。
かみはかみでも鼻紙だろが。ハナクソ会長。目くそ大教会長。耳くそ本部員。
目くそハナクソを笑う。
世間から笑われてるのも知らず。
各地方教会は、本部直属大教会を無視して、包括法人天理教から一度離脱すればどうだろう。上層部が浄化されれば再度復帰すればいいことだろうし。何でしがみつくのか理解不能だわ。
>天理教組織は、一般人には腰が低いけど、教会を訪れてくれるようになると、だんだんエラソーになるのは気のせいか。 >俺は理の親だぞ! 親の声は神の声だ!なんてね。世間から笑われてるのも知らず。
気のせいではないでしょう。一般人には、できれば信仰に入れたい、においがけの意識もあるから、反感を買わないように、腰低くする。
しかしいったん、引っ張ってくれば、しめたもの、後は、自分の権力を誇示し、理の親だ、神の声だ、と信者をコントロール、強迫。つまり、自分達は徳のある、神に近い人間だ、お前達とは違うんだ、と勘違いしてるんでしょう。かわいそうに。勘違いの人間達が、集まってる天理教組織。なぜ衰退するかもわかってないのかもしれませんね。気の毒に。
本部は「裸の王様」をどれだけ育成するつもりなのか。
オカシい、変だなと思いつつ「徳がある」「偉い」と思わされ、訳の分からない話を無理に有り難いと思いながら聞く。だから自分は大した王様だと勘違いして振る舞いをする。
これは誰に責任があるのか?これは本部員、大教会長に責任があると言うより、本部の「裸の王様育成システム」に問題があるようです。
本部は裸の王様を育成しているつもりではないのでしょうが、実際に「裸の王様」がアチコチに存在しているのです。
この問題を本部が根本的に解決しようとすれば、本部中枢にもメスを入れなければならないので永遠に解決することはない。
この問題を本当に解決するとしたら、神様のクーデターしかないのかも知れない。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
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(天理教の「お供え」についての掲示板に「匿名の教会長」さんが、投稿されていました。
一方的に巡教に来る先生に、一方的にお礼を決められる。
道と世間は裏腹といいますが、世間では決して通用する話ではありません。皆さんはどう思われますか?)
匿名の教会長 投稿日:2016年 5月24日(火)22時45分4秒 返信・引用
「巡教会長にお礼○○円、神饌料○○円これが相場だからな。ちゃんと準備せねばいかんで。」上々級会長から電話があった。「精一杯させていただきます。」と返事したら、「精一杯とはどういうことな?少々包むんじゃないで。」
「はい、精一杯させていただきます。」(この後「精一杯とは」についての色々やりとり。)
「理の親が言う事は素直に黙ってきけ」
「は?理の親って・・理の親は親神様・教祖ただ一人ですよ。それは違うでしょ。私は親だなんて思っていませんよ」
「・・・・」びっくりした様子で無言。「上級があって今のあんたの教会があるんだろうが。あんたが一人で教会やっとんではないで。」
「理の親というのは教会が出来た順番のことであってうちの教会は後から教会になっただけのことです。先に教会になっただけの人を親と思えと言われても、私には思えません。」
「そないなこと言うとったら二、三年であんたの教会つぶれるで。」
「はい。親神様がつぶそうと思われたら二、三年の内につぶしますよ。親の目にかなわなかったら、つぶれるときにはつぶれるんです。私は、間違った道を進まないようしっかり勉強して、陽気な正しい信仰をしたいと思ってるんです。黙って言うことをきけと言うのは信仰ではありませんよ。私は黙って言うことは聞けませんねえ。今、消滅寸前の天理教はなぜこんな姿になったか、今までやってきたことが間違っていたから親神様・親様が働いてない姿じゃないんですか?働いてくれてたらもっと繁栄してるはずじゃあないですか。」
「そんなことはいいんだ。あんたは目の前のことを一生懸命すればいいんだ。」
「いや、会長さん。なぜ消滅寸前になったか、今までしてきたことの何が間違っていたのか、そこから目を背けたら天理教の繁栄はないと思いますよ。」
「・・・・」無言。
「これは喧嘩ではなく議論ですから、風通しよく、またこういう機会は必要ですね。また話しましょう。素直に黙って言うことを聞けと言われてもねえ。私はできませんよ。」
「今日のところは、ここまでだ」
「はい、ありがとうございます。」
「巡教の時の手は必ず揃えるように。いいか。全力で努力せえよ。手が足りねば私が行くから電話してくれ。いいか電話してくれ」以上。
次の言葉はさすがに言えませんでした。
「いいえ、来てくれなくて結構です。ただでは帰されませんから。お礼を取りにくるのでしょ?そういう配慮は当然ないのでしょ?申し訳ないが迷惑です・・・」何とも言いようのない虚無感で、精神状態がおかしくなりそうです。
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huruikyoukaityou@yahoo.co.jp
教会が潰れても、ご当人ご家族の身体の健康を大切にする事が第一です。
神様はそちらの方が喜ばれると思います。
陽気暮らしの為の手段としての教会ですから、陰気暮らしになるなら、主な信者さんと相談されて、天理教から離脱すればいいでしょ。
詰所が使えなくとも、お地場への参拝は可能ですし、出版物も書店やネットで購入可能ですよ。
これからは、自由教会の時代じゃないですか。経済的に余裕があれば、尊敬される方を勝手に招いて講演してもらったり、お勤めに支障にならない限り、内職だって自由にできるんですよ。
自由であるという自覚から、神への感謝と喜びを深める事が出来るんです。
まぁ当該教会の上層部のバカ度次第ですけどね。
名義上組織には残っているけれど、かしもの説いておつとめはするけれど、上級や大教会には一切行かないという、ツワモノな会長さんもいらっしゃいますよ。
上納金は、義務金以外はせず、お地場で遭っても、会釈はしても、お互い無視していますけどね。w
そんな自由な天理教のほうが、我々も付き合いやすいし、面白いじゃないですか。
このような頭の固い、話の通じない会長が上々級なんて、どうにもたまりませんね。そのまだ上には大教会があるのですからね。そして本部。私なら、「相場(相場というのも、つくづくおかしなことを言うものですが)の金など、とうてい出せません。借金しろ、というのですか?」そして終いには、「やってられるか!辞める!」と言いますね。本当に、こんな組織でやれませんよ。
>「巡教会長にお礼○○円、神饌料○○円これが相場だからな。ちゃんと準備せねばいかんで。」上々級会長から電話があった。「精一杯させていただきます。」と返事したら、「精一杯とはどういうことな?少々包むんじゃないで。」
>「理の親が言う事は素直に黙ってきけ」
>「上級があって今のあんたの教会があるんだろうが。あんたが一人で教会やっとんではないで。」
>「そないなこと言うとったら二、三年であんたの教会つぶれるで。」
>「そんなことはいいんだ。あんたは目の前のことを一生懸命すればいいんだ。」
>「今日のところは、ここまでだ」
これを、「脅し」や「恐喝」、「威嚇」と呼ばないとしたら、何と表現したらいいのでしょう?
親の子供への愛情?教育?
いや、どう読み返しても、失礼ながら八九○に脅されてるようにしか感じられないんですけど。
>どう読み返しても、失礼ながら八九〇に脅されてるようにしか感じられないんですけど
その通りですね。知らない人がこの言葉だけ読めば、八九〇に脅されてるとしか思えない言葉の羅列です。
最後の捨てぜりふ、「今日のところは、ここまでだ」 怖いですね~。八九〇映画ですか?
おやさまの理の親は、おや神様だった訳です。有り難い、結構、優しい、勿体ない、低い心で通られよ。
と親神さまに教えられ、お地場の組み立てという特別な事情もあり特段にご苦労された訳です。
又、我々先々には、小なりと云えども土地所の手本雛形たれと教えて頂いてる訳です。
先々の現状は、本来本部の仕事であるはずの、御神言の研究に時間と労力と金を費やさざるを得ない状態な訳です。
その上、本部上層部の余計な普請を含む、余計な活動に参加する時間と労力と金を割いていたら、教会を中心にしたたすけ合いどころか、信徒さん達にまで余計な負担を掛けざるを得ないのです。
本部と教会は息一つの理と云いながら、地方教会の現状や意見の把握能力に欠け、吐く息だけは強い訳です。吐く息だけの上位下達システムでは生物は滅びます。
そもそも教祖、本席という教えの親(理の親)が現在の本部に不在である以上、全ての指令システムに神の権威を借りる事自体がナンセンスなんです。神ならその言葉に守護とリヤクが伴うハズですからネ。
先ず、真柱が人間宣言をし、全ての教会が自由教会宣言をし、本部直属教会が、詰所付のお地場事務センター宣言をし、各自由教会がどの教会の下に付くのかを、数年毎に主体的に選ばせればいい。上下の入れ替わりも可。
とにかく献金にしろ活動にしろ、たてまえ通り、教会担当者の裁量に任さないと人材が育つ土壌がますます狭まってしまうだろう。現状は馬鹿タコが足食って生きてる状態だろうし。
本部は、本席様のお言葉通り、慎みをもって、規模を縮める事が先決。余計なものは困っている先々の教会へ年祭毎に施せば如何だろうか。
本部が、親心を発揮して普請の凍結宣言をする。神ならざる歴代真柱の道楽は100年先送り、心は大きく形は小さく。
結論 あんまり上の者が先々を虐めていると、神戸天理組が出来ちゃうゾ。
我々が溶け込むべき神の想いと、中山家ご一統さんの思いが乖離してきたが故の、先々の天理教人の苦悩の種。
御神言の勉強とお勤め以外に、上層部とは、関わりたくないという姿勢が教会長の理想の雛形なのかもしれませんね。
何でしょうかね。ここの方の極端だけどわからんでもない発言。
でも、素直に「そうだ!」と思い切れないのは何でなんでしょう。
皆様の書き込みをしている時の表情を拝見してみたい気持ちになります。
きっといやらしい大人の顔をしているのかな、と。
なんかねちっこいんですよ。
意見するなら意見しないと。
会長さんにボンクラもいるでしょう。教会本部にもいるでしょう。
でも、それを裏でネチネチ言ってる人って大概だとも思います。
所属の会長さんがアホならはっきり言いましょうよ。
言わずに「今の天理教教会本部はだめだ」とばかり言っていると
なんだか「それと違って俺らはしっかり教理を治めてわかってる」
という思惑が透けて見えます。そしてそんな連中とネチネチ言ってる。
正直思ってるでしょ?天理教批判だけじゃここまでならない。
心のどこかで「自分はわかってる。上級や本部はわかってない愚か者」
というスタンスが出来上がっているんですよね。
それこそ高慢。何がしたいんですか?
もっと建設的に行きたいんですよね。
貴方こそ 嫌なら読まなければいいのに
2016年5月26日 10:46 PM 匿名様
あなたには裏でネチネチ言ってるとしか思えないですか?
いやらしい大人の顔もしてないと思いますよ。大方は、怒り、不満の顔だと思います。又、諦めの顔も多いことでしょうね。意見できるなら意見もしましょうが、そんな相手では無い、我々も意見ができる位置にいない。しかし、止むに止まれないから投稿しています。
我々を見下ろすあなたも、高慢に見えますよ。
地方教会が、陽気暮らしの道場だと仮定して、教会関係者の自殺だの刃傷沙汰だのが多発した問題を無視して
又、その大半が後継者不在という現実を無視して、その教会群の陰気暮らしの原因を洗い出さずして、どうして世界に陽気暮らしを弘められるでしょう。
本部大教会の無理な普請からくる、教会間上納金の(暗黙の)強制による、地方教会の経済的負担感が大き過ぎる事は大原因の一つです。
徳ある中山家一統は、豪気強欲によって、存命の教祖の神の教えを顕示欲によって汚してしまっているんです。
天理教の教えは好きだが、天理教団は嫌いという教会子弟の割合が、事情教会の割合なんですね。
初代さん達のような粗野でもエネルギーに溢れた人達なら、いやならやめるべ、ですが、そこに生活の場や先祖供養の場が同時に併存しているから、少々の信仰心や親々を思う気持ちと相まって、迷っている後継者も多いはずです。
泥の混じった理は流すわ、献金の取り立て厳しいわ、現在の大人しい、教会関係者が心を痛めて事情身上が発生しない方が不思議なぐらいです。先々の事情身上に対して、本来ならタスケルべき立場の上層部がかえって悪影響を与えている事を自覚すべきなんです。
外からのものは防げても、内からの大砲は防げない。上層部の顕示欲支配欲の自覚ととりこぼちの後、御神言に反しない現実的且つ建設的意見が先々の現場から発生する事を期待します。
眼前に命に係わる問題が横たわっている以上、高慢の誹りを気にしている程紳士ではない。ですね。
匿名 2016年5月26日 10:46 PM さんの建設的ご意見をお願いします。
私も教えは好きです。こちらを拝見していますが、正直なところそこまで教団を否定する気もないし、
本部のお偉いさんに対しても、あいつは…とかはないです。なんなら友達のお父様は大教会長様なので、悪く言われていると「そんな人でもないけどな〜」とすら思います。
じゃあなんで見ているのか、やはり末端の1信者としての疑問もあるんですよ。
でも、末端の1信者がそんな事を思っても、やはり口にはしにくい。なぜかって。
やはり教えに間違いはないと思うからですよ。そしてそのように教え込まれてきた。
天理教内部で言えば、本部や上級、会長さん各位の方が「立場が上」という暗黙の格付けがあるし、
ぽつんぽつんと点在する信者が1人で異論を訴えてもまかり通りません。痛くもかゆくもありません。
なのでこのようなネット上でもいいから「ここは矛盾してるよね」という信仰者同士の確認作業があってもいいと思います。
砂漠にたった一滴水を落としても潤いませんが、一滴ずつでも継続的に水をおとしていけば潤う、
そういう場所もあって良いのではないでしょうか?
あらま、良い議論ですわね。
どちらサイドも『井の中の蛙大海を知らず』というやつでしょうか。
天理教は人を幸せにしてるよ。
天理教は人を不幸にしてるよ。
人それぞれの解釈でいいじゃん!
僕たちはそれで良いよ。
でもね。
組織の姿勢として綺麗な部分にしか目を向けないのは終わってるっつーの!
どこをどう客観的に見ても天理教は人を不幸に陥れている側面があるんだから、当事者はそれを意識しなくては社会の一員ですらないし、大人として超未熟だね。
それを指摘されて感情的になってるようでは極左と極右の争いと同レベルってことだね。
当事者にも拘らず、傍観者の天理教本部幹部たちには死んでいただいて結構なんじゃないかな。
教理の解釈に齟齬が生まれるなら、教えすらも完全じゃねえっつーの!
あ、僕はニヤニヤしてますよ。
そのうち天理教も時代がマイノリティに成り下がらせることが明確なのに、何をごちゃごちゃと議論してるのかってね。
我、高慢でございやす。
http://inochinonakigoe.grupo.jp
匿名 2016年5月26日 10:46 PMさん。
>何でしょうかね。ここの方の極端だけどわからんでもない発言。
でも、素直に「そうだ!」と思い切れないのは何でなんでしょう。
皆様の書き込みをしている時の表情を拝見してみたい気持ちになります。
きっといやらしい大人の顔をしているのかな、と。
私はこのような議論をいろいろな場所でやっていますが、いやらしい顔をしている人は一人もいません。あなたの心の中に「いやらしい顔」があるからそう思えるのではないのでしょうか。
>なんかねちっこいんですよ。
意見するなら意見しないと。
会長さんにボンクラもいるでしょう。教会本部にもいるでしょう。
でも、それを裏でネチネチ言ってる人って大概だとも思います。
所属の会長さんがアホならはっきり言いましょうよ。
ここは、裏ではなくて表ですよ。ところで、あなたは、ボンクラ会長を見ると「アホ」といっているのですか?
大人だからこそ、気づき、悟って欲しいのです。
>心のどこかで「自分はわかってる。上級や本部はわかってない愚か者」
というスタンスが出来上がっているんですよね。
そんなこと、誰も言っていないし、思ってもいません。多分、あなたが「自分はわかってる。書き込んでいる奴らは、はわかってない愚か者」というスタンツなんでしょうね。今、現実に困っている事、可笑しいと思うことを言っているのです。
それも駄目とおっしゃるなら、自由にものの言えない組織になってしまいますよ。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/
天理教の「御供え」についてをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
裏でねちねち。とんでもない。この掲示板こそ大勢の人の目に触れる表ですよ。裏で言っていても届かないからこういう表に出てきているのです。
本部の幹部・その家族などの目もに触れているはずなのです。その方達に真逆の意見を唱える信者が少なからず大勢いることを知らしめ、知る機会を提供し、ネットはわずかでも流れを変える一役を担っています。
どうにもなれば直接言います。どうにもならない相手だからこそではないですか。あなたはお幸せな加害者ですよ。
心配しなくてももう意見は出てきませんよ。
どうせ逃げたんですからね。
大体わかるでしょ。
それが天理教人のやり口ですからね。
対抗しようとしても火に油を注ぐだけで、
話が通じないという訳のわからん理屈をつけて議論から逃げるんですよ。
まー、そんなレベルの天理教人と対峙するだけ時間と労力の無駄ですよ。
切り捨てましょう。
って、それに四苦八苦していたのが私ですけどね。
詳しくは私のホームページを参照してくださいませ。
http://inochinonakigoe.grupo.jp
一よふぼく
ときおりコメントさせてもらっています。
私自身は天理教は概ね好きです。お供えでのトラブルはありませんし、尊敬できる友人もたくさんいます。
ただ、ほとんどが教会関係者のため、言いにくい事もあると思うのでこちらで相談したいです。
今のところ天理教は所属教会制度ですよね。天高も、確か教会のお許し?がいりますよね。
ちょくちょく出てきますが、所属教会の会長さん夫婦がちょっと考えが合わないという場合、どうなんでしょうか。自分に何となく感じるものがあったのか、会長交代くらいからどことなしに気持ちが離れ、
私の家庭の問題を相談した時の対応が不親切で一気に苦手になりました。
天理教は好きなのに、です。
(昔はかなりどっぷりでしたが、今はそこまでではないです。)
なんだかんだ言っても、教会は教会関係者の住まいでもあります。
会長さん夫婦にモヤモヤしていて、でも天理教の教えは好きという矛盾感に悩んでます。
私が至らないんだという感じで…でも、言われた事やされた事を思い出すとやはりそこに
おやさまをかんじることはありません。
お供えでもなく教理でもなく、会長さん夫婦のやり方が苦手。
自分たちは高笑いして、私の心はいずむ。
私がわかってないだけでしょうか。皆さんみたいにお供えや教理、脅しであれば
言い返してもいいかもですが(脅しじみた感じはあるかな…)、なんか合わないだけです。
一よふぼくさん。
>今のところ天理教は所属教会制度ですよね。天高も、確か教会のお許し?がいりますよね。
ちょくちょく出てきますが、所属教会の会長さん夫婦がちょっと考えが合わないという場合、どうなんでしょうか。
そういうことが、よくあります。教会制度の最大の問題点です。
事情を説明して、気のおける教会へ参拝したらいいと思いますよ。
>今のところ天理教は所属教会制度ですよね。天高も、確か教会のお許し?がいりますよね。
そうですね。その時だけお願いに行けばどうでしょう。所属変更も出来ないこともないですが、すべて紙の上のことですから、信仰には関係ないと思います。
いい距離感で付き合えばいいのではありませんか。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
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天理教信者が順調に目減りしていることを記念して、天理教組織撲滅キャンペーンをはじめます。
やり方はとっても簡単。
お供えしないで下さい。それだけです。
カイチョーという人種が、もしかしたらキョーリという言語で、「OSONAE、OSONAE」と手を出してきますが、相手にしないで下さい。コアラがユーカリにの葉を食べるように、カイチョーはOSONAEを食べて生きています。危険ですので、見るだけにしましょう。
そうなんですよね~
信者に依存しているくせに、偉そうな態度で金銭をを奪う教団のどこに陽気ぐらしがあるのでしょうか?
旅人さん、その通り。お供えするからこの社会悪の教団が生きながらえるのです。「心の世界」は置き去りです。信者獲得、数字達成に信者は振り回されています。魅力がないのに人がついてくるはずがないです。お供えは個人の自由と言ったら、「教祖逸話編の二の切りを読め」と言われました。
日頃はごろごろしていて、においがけもせず、仕事もせず、自分は実践してもない教理をならべて、大教会と直属兄弟教会にだけははお供え金や、数字で対面を保ちたい人。
お供えで食べてるくせによく言うよ、と思いました。生活費を断つことが目を覚まさせる早道です。
2016年6月4日 7:52 AM 匿名様
>お供えは個人の自由と言ったら、「教祖逸話編の二の切りを読め」と言われました。
「教祖逸話編の二の切り」の意味は、人に施しをせよ、という意味であり、教会へのお供えをせよ、という意味では無いそうです。掲示板「お供え」に書いてました。
天理教の「御供え」についての中の、「金銭二の切り」おところをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs/907
http://6706.teacup.com/5051/bbs/910
2016年6月4日 7:52 AM 匿名様
あ、お供えの場所、リンクでは無く、コピーで貼り付けただけですので、すみませんが、ウエブ検索のところに張って、開いてくださいね。インターネット初心者なので、リンクの方法がわかりませんでした。ごめんなさい。
ご存知の方もあると思いますが、ようぼく手帳なるとても怪しい冊子があります。
書いて字のごとく、ようぼくたる人のためのガイドブックです。
ちなみに初版が出来たのが昭和42年6月26日。それから何度も改訂しているようです。
さて、この本の中でも、天理教全般の教えや取り組み方を記載しているわけですが、お供えのことにも触れています。
一部引用します。
「日々のお供えは、各教会を通して、元のぢばに運ばれます。そして、それがかんろだいにお供えされ、親神様に真実が届くのです」
かんろだいにお供えされて、はじめて真実? 誠意?が届くそうです。
教会長の懐に入ったお金は、親神様に受け取ってもらえないってことなんでしょうか。
もっとも、突っ込みどころ満載のテキストなので、他にもたくさんあるのですが。
教会へ行けば、ほこりのかぶった同じ本が何冊もあると思います。
お供えは当たり前じゃないんですけどね。
信者さんに、もっと思いやりを向けてあげて下さい。
本部の勤めが健康回復現象を爆発的に実現させるなら、布教や宣伝などしなくても、世界中から人も金も集まって来るだろ。
人のタスケよりも都市計画が大事な宗教なら。天理教教会本部改め中山普請教にしたらどうだ?
そうすれば当教会も心置きなく離脱するんですけどね。
最近あまりにも匿名さまの投稿が多すぎません?
何か自分の考えから逃げているようで面白くありません。
徳子さんへ。
実名で行動できれば早いんですけどね。
なにかとしがらみがあるから、仕方ないところと汲む必要もあるのでは。
中山家を軸とする本部組織を壊滅するために、組織に憤りを感じてる人の方が、本部が発表する信者数より上回れば、ボチボチ現象として出てくるでしょう。自然と。匿名なんて謙遜することなく。
いまのところ、古い教会長さんと、命の泣き声さんがリードして、下地を作りつつあるようです。
一番は、本部員、大教会長クラスの、儀式だけやってりゃ家族を養う給料を、20から50万の平均的幅で当然のように懐に入れ、実はそれは全国にいる貧困生活者も含めた真実を求める信者さんたちのお布施(お供えという言葉はどうも納得できない)なんだけど、あいつらはそんな感覚は皆無のようなゴミです。
本部神殿は素晴らしい、落ち着く、立派なもんだ、そんな感覚があるなら、無理です。
そういう形を作り、維持し、あわよくば政治家、芸能人、企業経営者にのみ媚びを売り、ようやっと死ぬ思いで神殿にたどり着き、ボロボロの服装で、しかもコップ一杯の水を所望するような本物の求道者を、汚いと片付けるゴミばかりです。いまの本部はね。
うわっつらのメッキだけというのは、徳子さんもご存知のことで、重ねて言うことはありません。
今立ち上がっている本部破壊、及び本部員の給料制の中止、それから生じる貧乏生活、大教会システムの破壊、中山家は所詮、神輿であることでシステムが再構築されていく、そういった大改革が必要でしょう。
教えは本物なら、1,000年後も残るでしょう。
まずは本部員の、一部既得権益の無駄なゴミどもを、排除すべきでしょう。
そこまできてると思います。
どうでしょうか。
匿名A様、匿名B様
こないだ天理の居酒屋で飲んでたら、私の隣で天理教の勤務者と思しき人たちが話をしていたのが、へぇーって思いました。最近、天理教の勤務を志す者がこの数年の間で30パーセント減り、取分け、昔から中山家の近くでつとめていた在籍者と言われる人たちが、見切りをつけてしまう現象が数多く出てきている。
結局、中山筋の人たちの結集で人事が結集されている。つまり、新本部員と言われる人たちは、中田表統領をはじめとする裸の王様の集合体になってしまっているとの話でした。だから、これまで本部の在籍者と言われる人たちは、口では言わないまでも、本部の勤務をささない方向にむいているようです。
いわゆる泥船には乗り込ませないのでしょうね。本部の人たちも。
君子危うきに近寄らず、ですね。
ほどほどさまへ
匿名では、コメントを投稿した人のイメージがわからない。
組織のしがらみがあるのもわかりますが、でもあえてそこから脱出するいいチャンスだとも思うのです。
しがらみも案外自分の思い込みってこともあるでしょうし、信仰はもっと自由であっていいと思う。
>昔から中山家の近くでつとめていた在籍者
とは、教祖伝に出てくる人達の直系の家々という事ですか?
これまでの、彼らの本部での待遇はどんなものだったんのでしょう?
一時本部員になったとしても、内外からの批判に対して矢面に立たされ、責任はあっても、権限、発言権は少ないのなら、やってられね~って思う人がいても不思議ではないですね。
教祖伝血族連から新中山血族連へと本部の執行部構成が移っていくという事でしょうか?
前善衛真柱様も中枢から離れたところへお子様を養子に出されたり、嫁がせたりしている訳ですが、中田家は別格としても、土佐家などの新血縁外様系の人達の割合が多くなるという事ですか?
ネット信者様
>彼らの本部での待遇はどんなものだったんのでしょう?
私の知る範囲では、本部のお与えです。立場が出来ると、巡教のお礼とかが入ります。
厚生年金も掛けてあるので老後は安心です。住む所も費用がかかりません。
私たち末端は国民年金も未納の所が多いです。
>教祖伝血族連から新中山血族連へと本部の執行部構成が移っていくという事でしょうか?
そんな、難しい人事は無いでしょう。只、真柱のお気に入りとか、気ごころ知れているとか、親が実力がある。嫁の血筋がよい。で決まっているように思います。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
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仰る通りです。真柱や、弟の善亮氏の兄弟姉妹の主人等、いわゆる親族と言われる人たち、またそれを後援するお気に入りの人たちの集権集団になっていってます。特にこの数年は。だから、それ以外の人たちは、ご機嫌伺い組合状態でしょうね。直属の会長も含めて。
うちの会長も以前は、中山さんらとは親交が深かったようですが、今は余りお気に入りではなくなったようで、色々教会の上でも影響が出てきています。所詮、中山個人商店ですから、宗教といえども公益性はありません。
そういうことを懸念なさった教祖は、おふでさきの最後で、「さとさとたおとたおとびよさまびよさま」との筆があり、更に「いちれつこころしあんたのむで」とあるのは、教祖の教えを都合よく解釈し、中山家を通じた利益のみを追求するこれまでの不条理、あるいはこの先を予言なさった事だと思います。
ご本部に限ったことではないと思います。
私の所属教会も親族信仰です。
教会に行っても参拝に行っているのかよそのお家におじゃましているのかと思うときがありました。
ただ参拝したいだけなのに、教会の奥さんから「何しに来たの?」みたいに言われたり。
「…ちょっと参拝したくて…」というと「あぁ、いや、今日なんか用事あったっけって思って」と。
教会の人間が、教会は信者がお参りに来るところという認識を忘れてしまうほど、
宗教って組織になっているんだなって思いました。
私はご本部の先生のことは詳しく知らないし、カインさんはじめとした教内の話を聞くたびに
「大げさじゃないの〜!」と思うときもありますが、
運営は信者じゃなくてもできるもんね…って、冷静になる部分でもあります。
教会の後継者の方とお付き合いしていたこともあるので(もちろん自教会ではありません)、
大げさすぎるというわけでもないよな…としみじみしています。
逸話編に梅谷四郎兵衛さんの話で『人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。』というお話があります。一部の腐敗は、教祖の教えて下さった本当の信仰ではありません。そこに重きを置くと、どんどん自身がずれて行ってしまうように思います。
その中にあって自分はどうあるのか、芯が大事だと思います。
神様に、とお供えしたものはどうなっても必ず天の貯金として、受け取って下さってるんやでと母は言い切っておりました。20年経った今、本当にその言葉の重みを感じています。
目先のこと、目につくことは色々ありましょうが、そんな小さなものでなく、もっと大きな大きなスパンで、視野で考える、そんな教えであると思います。
特集 天理教とフェミニズム
わが中山みき…(「天理教とフェミニズム」で検索してみてください。)
・・・・・・・・・・・(略)
縁あって私は一九八〇年から二年を奈良の天理教本部で過ごした。どんなに素晴らしい信仰者に会えるかと期待して飛び込んだ本部であったが、そこで私が見聞したのは、色と金にまみれたまさに「この世の地獄」であった。
たとえば、私が二年間居住した「ひのきしん寮」という女子寮は、金を取らない売春宿だった。私がこうした罵署雑言を吐いても、プロの売春婦に対する偏見とはいささかも関係のないことを御理解いただきたい。
起居を共にした十八から二十までの女の子達は、長期休暇が近くなると頭を寄せ集めて自分達の生理日を計算し、排卵日をはじき出しては、「安全日」を割り出していた。もちろんこうしたことは妙齢の女の子にしてみればごく自然なことなのだろう。問題は、彼女達がほとんど全「教会の子」であり、いずれは「教会に嫁ぐ身」であり、その「教会」は信者の寄付で食っているのであり、信者にとっての「教会」とは神の鎮座まします「聖域」であったということなのである。
女の子達が相手の男を好いていた、ということであればまだしも救いはある。しかし私の見るところ、彼女達が恋愛の何たるかを思い知るほど濃密なおつむと心を持っていた、とは到底考えがたい。
彼女達は、まるで何かに「追われる」ように男を欲し、男と寝た、のである。男にしてみれば、たとえ丸太のように横たわるだけの「売春婦」であったとしても、タダでやらせてくれ、避妊まで面倒を見てくれる、こたえられない美味しい話、だったことだろう。私には、男達が女の子達を卑狸な話題の肴にした高笑いの声が聞こえるようだった。
女の子達も、話題は男とセックスと芸能界に限られ、これが宗教の殿堂たる「聖域」で繰り広げられる人間劇かとまさに目を覆うような惨状が展開されていたのである。
なぜ本部勤務の女の子達がこんなになったのかを考えてみれば、理由はいろいろあるだろうが、女の子達のために弁明するなら、まず教会の貧しさがあげられる。貧しさゆえに、教養を積む修練を経る機会がなかったのだ、と言ってしまえばあまりにも紋切り型の説教調になってしまうけれど、それが現実である。
というのは、寄付が潤沢になる大教会になればなるほど、その子弟は「マトモ」になっていったからである。そして又、教会本部が勤務する女の子達に「おあたえ」と称して払う給料が月に二万円という額だったことも、理由の大きな一つとしてあげられる。この二万円から女の子達は、食住は保証されているとはいえ、衣類から化粧品から嗜好品にいたるまで賄わなければならなかったのである。
それは当時三十を過ぎていた私の目から見て、年頃の女の子が満たされた青春生活を送るには到底無理な金額だった。本部よ、せめて五万円この子達にやってくれ、そうしたならば、 “娯楽はセックスだけ”という惨状も何とか打開されるだろうに、という老婆心から私は何度念じたことか知れない。
カネがすべてを解決する、とは言いたくないが、私が本部で目にした現実は、その程度のものだった。
天理教本部について言いたいことは諸々あるが、この「無料の売春宿」たる女子寮が、現在の本部の堕落と頽廃の有り様を体現していると私は思う。・・・・・・・(略)
今の天理教本部は、人の迷惑も顧みず、徹底した自己満足のみを追求するカルト教団と化し、オウムと大して変わりはない。宗教には、現存する人間を脆拝してはならない、という原則を設けるべきであり、その禁を犯した時から、単なる詐欺集団に成り下がる。オウムがいい例だし、日本の新興宗教のほとんど全部がそうだろう・・・・・(略)
本部なんか本気で相手にしてたら、布教なんて馬鹿らしくてやってらんねえよ、というのが大方の目覚めた信仰者の思いだろう。私の中山みき信仰は、本部の堕落と腐敗とは一切関わりがない。・・・・・・・(略)
・・・・・古い教会長の感想(多分、限られた時期の、限られた何人かの女子の話だと思いますが、事実だと思います。丁度この頃、ゴルフキーパーをしながら学校へ通う、天理関係の寮があり、乱れていたという噂を聞いた事があります。程なくして閉鎖されました。)
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天理教の「御供え」についてをリンクします。
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A実町のK西が、また倒れたということをリークします。
2016年7月15日 10:19 PMの匿名 様。
>A実町のK西が、また倒れたということをリークします。
K西さんが、どなたかよく分からないのですが、所長さんのことですか?
何か問題でもあるのですか?
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コメント欄では有益な情報も埋もれてしまいます。
コメント欄に書き込むことで云々…として本部への効果を考えておられる方もあると思いますが、方法が消極的すぎます。
というのは、コメントが膨大かつまとまっていないから基本的に見る意欲がわかないということに原因があります。
コメント欄のレギュラー陣の先生方は天理教の現状の問題と打開策を示したサイトを作ったほうがいいと思います。
このサイトは著者に信仰がないのと、社会学的視点であるため、信仰的視座に立っていないと思うんです。(もちろん有意義なサイトだと思っています。)
そうしたことから、信仰ありきでこれからどうすべきかという課題を体系的にまとめていけば、分かりやすい上に多くの人の目にもとまるのではないでしょうか。
幾分他人任せになっていますが、いつも発信なされている方々に一つ提案をいたしたく思いコメントさせていただきました。
私は本部の政治的無能さ、無為無策さについて問題提示したいと思います。
なぜなら本部の政治的無能さのおかげで、私たちは幾度となくまともにその実害を受けているからです。
本部の月次祭は26日で、これは誰もが分かっていることです。
にもかかわらず、この26日前後名古屋方面から名阪国道を通って天理方面に向かうと、必ずと言っていいほど道路の補修工事などを行っていて常に渋滞に悩まされていました。
ある時など26日月次祭を参拝し終え、天理東インターから名古屋方面に名阪国道に入ったところからすでに工事渋滞で、十数キロもその渋滞がつづいていました。
この問題は本部が、名阪国道の管理者、国土交通省の奈良県事務所や三重県事務所と事前協議して、26日前後は不急の道路工事は避けて頂くという協議をしておけば簡単に避けられる問題です。
にもかかわらず、このような状態つまり名阪国道の26日前後の工事渋滞が何年も続き、多くの帰参者がどれだけ不便を被ったか分かりません。
また一般の利用者も多くの帰参者とともに渋滞に巻き込まれ、いい迷惑だったと思います。
行政側と何の交渉もしない本部と教庁輸送部の無能さ、無為無策さには呆れるばかりです。
さらに本部の政治的無能さを痛感したのは、教祖100年祭時の西名阪高速道路の天理インターの拡張工事についてです。これについては事実確認をして後日述べたいと思います。
人様の裸の写真を断りもなく掲げたり、Twitterのトップに持ってきてはいけません。
人格を疑われます。家族やバイト先などにも大きく影響します。
匿名です様
誰のことを、誰に対して言っているのですか?
匿名様
具体的には書けませんが、これを見ているであろう人に向かって書いています。
様々な人々がどういう未来を辿るのかが分かる程には、私は歳をとった。
彼の未来の方向を変えるべくアドバイスをしています。歳上のものとして。
匿名です様
あなたはどうしてそんなに彼のことが気になるのですか?
以前から執拗に彼を批判する。
実は自分を見ているんでしょ。
皆世界の胸のうち、鏡のごとくにうつるなり。
って御神楽歌で歌われているじゃないですか。
自分の姿は見れないから、相手を鏡にして見せていただいているんですよ。
気持ち悪いコメント書いて皆さんの大切なコメントが流れていくように邪魔する。
皆さん、大切に言葉を選んで選んで真剣に書かれているのに、
あなたは短いセンテンスでわけのわからない言葉で流れを止めるような行動を平気でする。
立ち向かうなら正々堂々とすればいいのに、
曖昧な表現でのらりくらりかましていく。
「バカにすんな!」と怒鳴りたくなるような衝動が何度もあった。
彼は今一生懸命生きようとしている。
私はそっと見守っていますよ。
匿名です様は彼より年上なんですね。
だったら彼の今の状況を広い心で包み込んであげる豊かさがあってもいいのではないですか?
彼はきっとすばらしい道が開かれる。
私は確信しています。
人のことをとやかく言う前に、あなたは自分の道をしっかり地に足付けて生きればいいのです!
彼より親御さんが気になりなす。時間がない。そして彼の子供さんについても気になります。
彼は素性を明かしている。就職時にはTwitterも調べられるだろう。
などなど。薬変わって夜寝れてないなどど。
しかし毎回裸が出てきて私もイラッとしてしまいます。
不愉快な思い失礼しました。
匿名様
私はお会いしたことはないですからね。
お顔も存じ上げてません。老婆心というものです。
不愉快な思い失礼しました。
匿名です様
裸が出てきてイラッと毎回するなら見なければいいのです。
イラッとするのにどうして毎晩チェックするのでしょうね。
不思議な人だ。
あの写真は確かに気分のいいものではない。
しかし今の若者たちならノリですることでしょう。
ただそれだけのこと。
何十年も前ですが、青年会の真面目な真面目な男性たちが
酔っぱらって真っ裸になって踊ってました。
不愉快でしたが、今となれば若気のいたり。
そんなもんですよ。
いいですか。
不愉快で見たくないならば、もういきなさんな。
あなたのおせっかいに申します。
人の人生にはいろいろな波があります。
嵐は誰も通りたくないけど、その中でもがきながら踏ん張る時期というものがあるのです。
自分の中にしっかりと理想を思い描いていても、
ままならぬ中、苦しむ時期というのがあるのです。
その時期に人は多くのものを得るのです。
それこそ後々のお宝です。
余計なおせっかいはしなさんな。
それから心のない謝罪は要りませんので。
嘘と追従これなんとかっていいますね。
後の匿名様
私は私なりに助けたかった。天理で助けることが出来ると思うから。
天理でいろいろな人々を助けることが出来るから、だから伝えた。
天理は奇跡をおこしてきてるから、天理を伝えたかった。
おせっかいすみませんでした。
分かりました。
匿名です様
奇跡ってなんですか?
不思議な現象ですか?
天理教でいう鮮やかなご守護とやらですか?
生きていること、今この世に存在していること、
息をしていること、すべてが奇跡ですよ。
本気で助けたいという思いがあるのであれば、
私にたやすく謝るべきではない。
それこそあなたが本気でない証拠。
我々家族は彼がこの先自分の夢を実現したとき、
彼のおもてなしの心をいただきにかけつけたいです。
私は毎日そっと祈ってます。
彼は今大変な中にいますが、先が本当に楽しみ!
しっかり読んでいればわかるはずです。
私もトンネルから抜け出すのに苦しい思いをしましたからね、
小手先だけのさとしが毒にもなりえることを知っています。
天理教の教理もさとす相手によって変わってくるということ知っておいてください。
同じ言葉でも発する人の魂によって毒になるのです。
この前の匿名様
奇跡とは、鮮やかな御守護のことをさして言いました。
私の魂では毒になりそうです。だから黙ってます。
匿名です様
正義感から「良いことをしてる」としても、
ここは個人的な伝言を伝える場ではありません。
人の為と書いて「偽」という字になります。
「良いことをしてる」つもりになる前に、
なぜ自分はそういう言動をするのか、
それは本当に相手の為なのか、実は自分の為ではないのか?
など、よく考えてみることをお薦めします。
匿名です様は、なぜ「良いことをしてる」のに、と思われているかもしれません。
人の心配などに逃げ込む前に、そういった根本部分に気付かなければ、
匿名です様は、また同じことを繰り返していくでしょう。
潜在意識や「エゴ」は巧妙です。
「宗教」や「教え」すら道具に仕立てます。
宗教関わらず、『本物』を求めている人は誤魔化されません。
なぜなら、自分の中のエゴや矛盾と苦しく惨めな思いをしながら、
対峙してきているのですから。
だから、こちらのコメント欄でも、『本物』を求めている人たちが、
教団に対する多くの矛盾や辛い体験に基づく意見など、
我が事として問題提起をし、意見を交されているのです。
自分含め、多くの大切な人生が掛かっていることでもありますから。
自分の影と向き合うのは苦しく辛いことではありますが、
自分を理解出来た分、理解力も深まるのです。
自分自身と向き合うことは、それだけの価値があると思います。
それこそが、本当の宗教ではないかと思います。
台湾・慈済基金会 の活動が素晴らしい。
天理教は本来こうあるべきだ。
http://alternas.jp/work/ethical_work/61822 より。
「4人の弟子と30人の主婦」が起源――台湾・慈済基金会
東日本大震災――この時、国内だけでなく海外からも様々な支援が行われていた。慈済基金会そのうちのひとつだ。慈済基金会は被災者の手に直接見舞金を渡していた。慈済基金会とはどんな団体なのだろうか、そんな疑問を持ち、私たち被災地支援のための市民メディアプロジェクトは、この慈済基金会の方々にお話しを伺うため台湾へ向かった。(学生による被災地支援のための市民メディアプロジェクト支局=細川 楓・武蔵大学社会学部メディア社会学科2年)
市場に買い物に行くときに5銭を節約して竹筒に貯金する。月の終わりに集まったお金で貧困で苦しむ人に手を差し伸べる。このほかにも、ご飯を炊くとき、一握りのお米を壺の中に入れる。こうして貯められた壺のお米は食料で困っている人に分けられる。
證厳法師が立ち上げたこの慈済基金会は、50年ほど前に4人の弟子と30人の主婦が行っていたこの小さな行いから、現在では台湾で仏教をベースにした巨大なボランティア組織へと成長した。
竹筒貯金は今でも形を変えて行われており、貯金箱にお金を入れいっぱいになったら慈済基金会に持ってくる。こうして集められた資金は災害地域の援助等に役立てられている。決して、慈済基金会を支える尼僧が使うことなく、すべて支援にあてられるそうだ。
では、尼僧はどのように生活しているのだろうか。
200名ほどの尼僧全員が生活する「静思精舎」という場所を訪れた。尼僧は毎朝3時に起床し、4時20分からお経を唱え、5時20分からは證厳法師の説法が始まる。6時20分に朝食をとり、7時には世界中で行われているボランティアについての話し合いを行う。日中はそれぞれ日ごとに決められた担当の作業に取り掛かかり、掃除や炊事、畑仕事だけでなく、台湾各地に存在する支部での説法や、静思精舎への来客のもてなし、隣接している工場での作業など様々である。
工場では石鹸やろうそく、アロマグッズ、提灯、災害時にガスや電気が無くても食べられるアルファ米などを製造し、尼僧が生活するために必要な資金を得ている。
そのため、畑には食事に使われる食材以外にも、石鹸やアロマに使用するハーブなどがたくさん育てられていた。また、調理の際に出る生ごみや、枯葉などを集め、肥料にする。これを利用し、つくられた作物は、化学肥料を使っていないため、体に安全な作物ばかりである。その他にも不要になった袋をごみの分別の袋として利用するなど、普通ならごみになってしまうものさえ再利用し、ものを大切にすることが徹底されている。
このようにして、静思精舎ではものを大切にし、自給自足の生活を送っている。これを「自力更生」という。自給自足で得たお金の一部は尼僧の生活費にもあてられるが、使わなかったお金は寄付しているそうだ。
寄付したお金が確実に支援に利用されるという透明性から安心して支援のためのお金を託すことができる。そのため慈済基金会ではお金の管理がとてもしっかりしているのだという。
私たちは取材時に竹筒に見立てた貯金箱をいただいた。私たちが「日本支部へ届けます」と言うと、慈済基金会の方は「集まったお金は慈済基金会ではなく他の慈善団体に寄付してもいい」と私たちに言った。私はとても驚いたが、それは、「困っている人を助ける」という同じ思いが根底にあるからではないかと感じた。
<制作した映像はこちら>
https://www.youtube.com/watch?v=VccSGYw1Qko
基本様
基本様が豊富な知識と崇高な解釈をお持ちであることはわかりました。
しかし基本様以外の方の多くの方のコメントも読んで自由な議論・意見を楽しみしています。
でも基本様が非常に多くの投稿をされるので、他の方のコメントを読んだり、探すのが難しいです。
ここはカイン様が開設したところであって、基本様の所有ではありません。
多くの読者はカイン様の意見や考えを読みたくてきています。
いまの時代、無料でブログを開設できますし、多くの掲示板があります。
基本様はそちらで自由に思うままに持論を展開されてみてはどうでしょうか。
ここは基本様だけの場所ではないことを理解してください。
はい。
主たるテーマは、このブログそのものにあって、カイン様に対して意見を言えるのはこのブログよりありませんから、お許しください。
カイン様は洗脳のプロで、討論のプロと理解していますので、相手にとって不足なしですので、万やむを得ない次第です。
投稿の量は出来るだけ少なくしますので、お許し下さい。
天理教教人さんの言う通りです。申し訳ないですが、基本さんは人様のブログに書き散らしすぎです。やむを得ないことではありません。これを世間では「荒らし」とも言います。存命の人の名前を出すのもネチケットに抵触しています。このようなことで天理教社会学研究所のブログが閉鎖されてしまっては何にもなりません。どうぞご自身で基本さんのブログをお立ち上げください。
討論にすらなってないし、教理を掬い上げて暴論に達する大妄想イカレポンチなだけやん。
モラルも倫理観もない人間が恥をさらしに来て、いい気味じゃないんですか。
http://inochinonakigoe.grupo.jp
医療ばっかり頼るんなら血液検査もしてもらわないといけないですね。
ある投稿記事です。
>どんな親に繋がるもひとつの神様から与わった姿に違いなし キツイ言葉に置き換えたなら、あんな会長じゃしょうがない こうでなければいかんと思うとしたら、そういう中を通らんとたすからないと 見える世界のもっとその先、その奥に神様の思いを感じとれたら間違いなく自分の信仰が一歩進むのではないかと素直にそう思う。
確かにあるかも知れないが、危険もはらんでいるようにも思う。こういう考えがモンスター会長、モンスター奥さんを生んでしまう。これは一般社会の人間関係の話であって、教会組織に当てはめてはいけない。洗脳の始まりになってしまう。
>確かにあるかも知れないが、危険もはらんでいるようにも思う
「盗人にも3分の理」程度の理屈で、9割7分は危険ですね。
逸話編や教祖伝には幾つか出てくる「輪廻転生型のこの世は修行の場」という考え方は、「みかぐらうた」「おふでさき」には出てこないんですよ。
「この世の苦労や困難は神の与えた試練だから堪能して修行しなさい」という内容は、その苦労や困難を生み出す「上級」にとっては都合のいい、下の者を奴隷化するための教え以外の何物でもありませんからね。
しかも、苦労したからといって、先々立場や身分が入れ替わるかというと、絶対に変わらない。
そのまま世襲制で子や孫にまで伝えられて、ますます固定化された身分制度が確立していく。
「身情事情は神の手入れ」は、今までの価値観や考え方を見直す切っ掛けになるモノであって、教祖さまの教えを知る、考えるための「導入部分」に過ぎないと思います。
その切っ掛けや導入部分から先が、苦労や困難、理不尽や身分差別が末代まで続く生活で「陽気ぐらし」など出来るわけがない。
「若い時の苦労は買ってでもしろ。」と説教する年寄りは嫌いです。
若い者に苦労させない世の中を作るのが、年寄りの役目ではないでしょうか?
すでに、年寄りの仲間入りをしてる年代ですが、そんなつもりで働いてます。
末端教会子弟様
「身上事情は神の手入れ」
このフレーズを読んで、思い出したエピソードがあります。
学生時代、原因不明の体調不良に苦しんでいた私。あるとき教会に行くと会長さん(当時)が
「身上事情は道の花というんや。なんも心配ない、なんも心配ない」と声をかけてくださいました。
(当時の会長さんは数年前に出直されました)
現在の会長さんは前会長さんの息子さんです。
いわゆるやり手というか、主張の強いタイプで、私が夫婦問題で悩んでいるとき
「信心する気持ちある?人のいうこと聞かんからちゃう?」とバッサリ言われました。
前会長さんも癖の強い方でしたから、家族の方は大変だったとも聞いています。しかし、私たち信者にはこれでもかというくらい心をかけてくださいました。
どっちが正しいかわかりませんが、おやさまだったらどっちの言葉をかけるだろうかと考えたとき、
私は前会長の教えで育てていただいたんだなぁという気持ちになります。
高校から親元を離れ天理高校へ。病気でも寮の先生が見守る。もっと親子でいたかったでしょう。
天理を守ってきたということは並大抵のことではなく、ただただありがとうございますと言いたいです。
過去のある投稿コメントより抜粋しますーーーーーーーーーーーーーー
○さんは、おそらく、典型的な依存症タイプだと思います。
こういう人は、自分の深いところにある本当の感情に対する自己認識が浅いんです。
なので、本心と言動を一致させることができないんですよ。親に教え込まれた
イイコちゃんを演じる以外の自己表現ができないんでしょう。
もしもね、他人の悪口に同調するのが嫌い、っていうだけの、それなりに強い意志と
正義感を持った人なのであれば、こんなに嫌われないと思いますよ。
そうじゃなくて、自分の中のマイナスの感情を認めるのが怖い、
という浅い人なんだろうと思います。つまり、相手を思いやってのことではなく、
自分がそういうのに触れるのが怖いだけです。結局、自分しか見えてないんですよ。
こういう人ってね、自分のマイナスの感情をきちんと自分で受け止めていないので、
無自覚にへんなところでその抑圧された感情の発散や埋め合わせをしようと
する傾向があるんじゃないかと思いますよ。たとえば、自分の不安を埋め合わせるために、
場の空気やニーズに無関係に、小さな親切・大きなお世話的な干渉(実は対人依存)
をしてくることが多いとか、ね。実際、どうですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
真 様
>「身上事情は道の花というんや。なんも心配ない、なんも心配ない」と声をかけてくださいました。
よく使われる言葉では「身情事情は道の花(華?)」ですね。
意味は諸説あるようで正確ではありませんが「身情事情を切っ掛けに入信した人は、熱心に信仰する素晴らしい人」といったような意味かと思います。
真様が繋がった会長さんは、心の出来た会長さんのようですね。
ネットで叩かれるお金に汚い会長さんなら「お供えの金額」に結び付けますから(笑)
「教祖さまなら何と答えるか?」は、私も常に考える事です。
身情事情や悩める人に対してだけでなく世の中のニュースや事件や世界情勢に対しても、「教祖さまのお言葉」が知りたくて天理教に繋がっているのが正直な所です。
匿名様の抜粋は考えさせられるものですね。
発言しすぎましたし、発言をしばらく控えようと思います。
【掲示板「お供え」について】の意見を拡散すべきである、という、命の泣き声さんの勧めにより、「お供え」に多数投稿されたご意見を、現在ツイートにしています。
又、天理教被害を広く周知させる為にも、社会学研究所さんのコメント欄に投稿された皆様のご意見も、無断ではありますが、ツイートにさして頂いてます。
https://twitter.com/sazannkasatuki
皆様の文章をツイートにする上で、拙いところは多々あると思いますが、お許し頂きたいと思います。宜しかったら、覗いてみて下さいませ。
又、過去に発信したツイートは見るのに手間がかかりますので、twilog (ツイートをブログ形式で保存してくれるサービス)に登録致しました。過去に発信したツイートも、今、現在起こっているものですから、全てを通して周知させるべきと思いますので。
twilogの開け方 開け方は簡単です、次のように打って下さい。
1 まず、【 twilog 】でウエブ検索して下さい。
2 【 Twilog – Twitterのつぶやきをブログ形式で保存 】をクリック
3 開いたtwilog の画面の中央右側の枠内に 【 sazannkasatuki 】と打ち込み、そのすぐ右横の「GO」をクリック、以上です。
twilog の各ツイートの左下にある、「 posted at 時刻 」の、時刻を 「クリック」 すると、そのツイートに関連した前後のツイート画面が開きますので、より、詳しい内容が解りますよ。
今までに発信したツイートが、月別にどこでも開けられます。宜しかったらご欄になってくださいませ。このtwilog は「お供え掲示板」と「社会学研究所」さんの投稿者の方々皆様のご意見で、出来上がっているものであり、皆様のものです。宜しくお願い致します。
TwitterはOS不足にて出来ませんが、お供え掲示板は見てます。
でも私はお供えの催促で悩んだことはないので立場が違ってますので静かに見ています・・。
ささやかではありますが、所属教会を支えていきたいです。
私が見た闇は皆さんとは違った視点の闇です。
自分なりにその闇に対抗するためには、天理教が必要だと考えています。
匿名ですさん、お久しぶりです。
またうっかりミスしておりますね。
お供えの掲示板には、「タイトルは天理教の「御供え」についてとなっておりますが、 組織制度についてでも、教理についてでも、 天理教のことであればなんでも談じ合ってください。」
と書かれているんですよ。
実は私もお供えを強要されたことは一度もないのです。
親は相当されてましたけどね。
自分がされてなくても想像力というものがあるでしょ。
皆さんの書き込みを読ませていただいて、想像してみてください。
ご自分だったらどうだろうかと。
その想像力こそが人への思いやりとなり、
それは匿名ですさんが大切にされている人をお助けすることにつながるのです。
twilog ややこしい仕方でやらなくても、古い教会長さんから教わりました。
http://twilog.org/sazannkasatuki で 私の twilog の画面が開きます。
古い教会長さんも twilog に登録されました。
http://twilog.org/huruikyoukaityo です。
よろしくお願いいたします。
訂正 すみません
【http://twilog.org/sazannkasatuki で 私の twilog 】
↓
http://twilog.org/sazannkasatuki です。すみません、そそっかしいので。
再度 訂正 なぜ ミスをするのか、自分に絶望する瞬間・・・・。
http://twilog.org/sazannkasatuki
あれ、又ダメでしたね、ごめんなさい、わからなくなった・・・。
50代元信者様
以前は適切なアドバイスをいただきありがとうございました。
まだまだきちんとした応対もできないまま自分の意見を書いてしまっております。お許しください。
闇は天理教に関することではなく、現代社会の作ったひずみのようなことに関してのものです。
天理教の浸透していた時代にはそのひずみは少なかったのです。
またおさづけに関してもそうです。おさづけをさずける方は天理に関して心がゆらげばさづけられなくなるように思います。受ける方もおさづけをさずける方を信じる心が大切に思えます。
教祖殿でおさづけの始まる前に、今日は教祖が教祖殿におられると感じる時があります。双方が天理を信じきっていると思います。すごい波動を発しながらおさづけをとりついでおられる場面に遭遇します。複数人で体験しました。
皆さんのように親が神一条とか、そういう環境にいたわけではないので皆さんと同じ経験はできてないのです。その変わり神一条のすごい方々と接する機会がありました。
教会の貧しさに関してはささやかですが、御供えをしていきたいと思っています。
天理教を守らないといけないです。遅い時間なのでこれで失礼します。
私がおさづけをとりついでいただいたのは神殿から遠く離れた所属教会でしたが、さすがです。しっかり効きました。
依存性人格障害の特徴
http://tanemura1956.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html
宗教依存症になった場合のデメリットーーーーーーーーーーーーーーー
宗教依存症は、自分の行動全てが教祖様だったり信じているモノのお陰
だと思っているため、基本的に人の話を聞かない事が多いようです。
ココロの隙間、自分の弱さを宗教で埋めているため、自分に自信もなく、
自分で決定していても『◯◯(信じている宗教)のお陰』となります。
また、全ての事を宗教のお陰だと思ってるので、お金なども差し出したり、
友人、知人の意思とは関係なく勧めたりします。
教団の活動が激しくなっていき人との付き合いが出来ない状態になります。
また、不安や恐怖などを煽り宗教に勧誘する人が多いため、そういった不安や
恐怖を持っている方が宗教にハマる場合が多いようです。
主婦、1人で友だちがいない人などが宗教にハマる場合が多いと言われています。
宗教は自分の芯を持っている人であれば、ココロの拠り所、安静を保つため
にはいいですが、不安から宗教に逃げるなどの場合、時間が経つに連れて
どんどん依存症になると言われています。
http://依存症の治し方.com/%E5%AE%97%E6%95%99%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87%E3%81%AE%E6%B2%BB%E3%81%97%E6%96%B9.html
より抜粋
匿名です 様
>教会の貧しさに関してはささやかですが、御供えをしていきたいと思っています。
> 天理教を守らないといけないです。
それぞれの思いや気持ちで感謝やお礼を込めて、教会に繋がり信仰を続けて行くのは素晴らしい事だと思います。私の(父の)教会にも毎月通いお参りをしながらお供えを上げてくれる信者さんが、僅かですがいらっしゃいます。
私の個人的考えですが、素晴らしい事だと感心しながらも「何に対して信仰をしているのか」が分からない(教えてあげられない)ジレンマに陥っています。
「天理教の組織」なのか、「教祖様の教え」なのか、「自分が素晴らしいと感じた体験」なのか。
これまでの書き込みからすると、匿名です様は「おさずけ」を受けてご守護を頂いたとの事。
その事実は素晴らしい事だと思いますし、その感謝やお礼の気持ちを持ち続ける事は、信仰云々は抜きにしても人として素敵な心だと思います。勿論、その気持ちから「お供え」を続ける事を否定はしません。
とはいえ、この掲示板やお供え掲示板に書かれている事や書き込んでいる人の殆どは、天理教の組織に苦しめられ、教組様の教えが不明のまま、個人的信仰体験もなく、日々、悩みながら心の平安をや生活の安定を得ようとしている人が多いのです。
その立場や状況の違いをご理解いただいて、「天理教は」とか「教会は」という言葉を使っていただけると、匿名です様の書き込みやご意見が伝わりやすくなるかと思います。
教会師弟様
皆さんには育てられた才能があります。小さいころから大勢の中で揉まれてきていて、常識も知識も対人能力も卓越したものがあります。
天理の知識も深いし、何より身についています。朝起きにしても、病気であろうと早い時間にきちんと起きることが身についています。他人を思いやる精神も、幼いころからしつけられて育てられた中で身についています。
私は信仰の深いすごい方々と接する機会があり、いくつも奇蹟的な体験を得て、人様の奇蹟体験を知り、10全の守護のすごさにも気づき、おさづけのすごさも知ってる。だけど、皆さんが持つものは卓越したものがあります。
魂の段階が違うものを皆さんはお持ちなのです。
匿名です様
>魂の段階が違うものを皆さんはお持ちなのです。
教祖様は「高山に暮らしているも谷底に暮らしているも、同じ魂」と言っています。
「魂の段階が違う」という考えは、仏教系の「輪廻転生」と「不遇は神の罰だからこの世で修行しなさい」という考え方です。
元の理でも、全ての種から一度に生まれ出直し生まれ変わりをしてきた人間というお話ですから、魂に段階も上下もありません。
この世で立場や境遇の違いは魂の違いではなく、人間が作った社会の仕組みで振り分けられているだけで、月日親神の意思に反したものであると思われます。
教会師弟様
教えていただいてありがとうございます。祖母を仏式で弔った際に仏教思想の影響も受けたと思います。
仕事をする=人に頭を下げる
匿名ですさんに質問です。
今までに人を傷つけて後悔されたことがどれだけありますか?
恥をさらけ出します。
私は夫に手をあげたことがあります(子どもにはありませんが)
夫の理不尽さに対してですが、でも苦しみましたよ。
手をあげた私の心と体が痛くて。
その他いっぱい失敗しております。
だから辛いだろうなって思うと涙が溢れます。
清濁併せ呑むってどういう意味かご存知ですか?
善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。 度量の大きいことをいうのです。
度量の大きな人間になる。
そのためにどんな道もとおらにゃならん。
今は辛くとも、いつかきっと花開く。
母は、若かりし日に沢山の過ちをしてきました。
今は反省の日々のようですが、そんな母だから人様に優しいですよ。
私はただただ真面目に正しく生きた人の言葉より
過ちを繰り返した中で削られ丸くなった人の言葉が心に響きますね。
削られるには痛みを伴うのです。
50代元信者様
遅くなってすみません。腹を割った誠意というのでしょうか。身を削りながら全身で相手のために何かをなさろうとされるところが、潔い印象です。
傷つけて後悔というのは、良かれと思って言ってることが傷つけていたり、何気ない一言が傷つけていたり、口けんかしたりいろういろです。
発した言葉についてはうじうじ考えたりします。
学生時代は暗くて地味でした。本ばかり読んでました。天理に触れてから明るくなってきました。社会人以降は8つのほこりを思い浮かべて感情に照らし合わせてきてます。8つのほこりが積もると心の鏡が曇ると教えてくださった友人の目がいつも思い浮かびます。海外布教華やかなりしころでした。友人も非常に苦労をされていました。
度量の大きな人間の生き方とは程遠くせこせこと生きている感じです。
身を削って飛び込まれるお姿は人間が大きいなと思いますよ。
<末端教会長は水飲み百姓 >
天理時報が届いた。教会長が活躍している記事はない。
目玉はちゃんと仕事を持って世間で活躍している人ばかり。
会長の記事は「座右のおふでさき」を除けば、訃報だけだ。
末端教会長は江戸時代の水飲み百姓。元気過ぎると文句を言う。死んでしまうとお供えが滞る。生かさず殺さずが丁度いいようだ。
古い教会長さま
こういうことではないでしょうか。つまり、教会長は文化活動、社会活動して目立ちすぎるな。信者獲得(においがけ)に信者管理(おたすけ・丹精)だけをやっていればよろしい。天理時報の一面にはデカデカとヨーロッパでの宗教間対話の記事が出ていたが、そういうことは表統領、大学の学長のような本部の偉い先生方のなさること。末端教会長が宗教間対話するのはもってのほか、そんなことをするくらいなら信者を獲得して来い、ということです。
匿名です様
匿名ですさんに光を与えてくださった所属教会の皆さんやご友人に
今心から感謝され、その元となる教えがこの先もずっと続いて欲しい一心で書かれているんですね。
体に力が入っていませんか?
体がカチカチになられているような、そんな気がします。
体をかためるとしんどいですからお気を付けくださいね。
そりゃ力が入りますよね。
誰も組織の上層部は援護射撃してくれないんですもの。
「いやそうではない。我々も改革に乗り出しているんだ」と語ってくれる人が現れないんですもの。
お彼岸を境に、ずいぶんと秋らしくなってきました。
芸術の秋、食欲の秋、楽しいことでご自分を満たしてあげてくださいね。
50代信者様
ネットに関して何か禁止されていると聞きました。だから方向違いの場所から僭越ながら書き込んでいます。
改革に関してですが、神殿も変わってきているように思います。何故変わったのか、それはそういう事情があったからなのだと思いました。
魂の違いでなければ、人間としての器の大きさなんでしょうか。皆さんと私で何かが違うように感じています。
体のかちかち感はないんです。以前回廊拭きをされてる方がおっしゃってましたが、「皆さん膝が痛いとおっしゃるけど、膝も全く痛くない。回廊ふきをした後は体が軽く感じられる。」とおっしゃってました。
私も肩はこってないんです。
12下りの踊りを通して足腰を自然と鍛えておられる方々がおられそうです。
母がリウマチかもしれないと思っていた時、母が手をおつとめのおてふりの一部の動きのように動かしていて、今痛みが消えていて、若干理学療法的なものを感じています。新しい記憶を忘れる状態になっても昔からの記憶は残る場合があるので、12下りは踊れるでしょうからその点も良いと思います。麻痺しても、求められているところまで手足を動かそうと頑張ることがリハビリにつながります。歌を歌いながら体を動かすことが健康維持に繋がっているように思います。
心の成人のための12下りなのですが、深いものを感じています。
すみません!元信者様です。ごめんなさい。間違えました!
12下りは心の成人を求めてのものだと思っております。
匿名です様
よろしければ、神殿がどのように変わったのか教えていただけませんか?
よい流れができてきているのなら是非知りたいです。
うっかりミスを繰り返しちゃうのって母と一緒(⌒∇⌒)
そそっかしい申年さんかしら。なんて。
癖ってなかなか直りませんよね。
で、思い出しました。
ずいぶん前に神殿にて、結界の内側に入れていただきました。
親類が神殿にて結婚式をあげたもので。
一般の人は上がれないあの壇上にて、座り勤めが行われました。
それが前の男性のお手ふりが、太鼓の音を無視してどんどん先走ってされるもので、
イライラしたことがありました。
手が揃わないとイライラするものなのですね。
その男性とはね、なんと大教会長さんでした。
後に聞くところによると、ずいぶんイラチな性格だったらしく・・・
大切なお手ふりにすら表れるのですから、気癖性分というのはなかなか変えられないのですよね。
そして、結界内に座った時、何故結界があの場所に存在するのだろうと不思議に思ったのです。
何をもって差をつけていらっしゃるのかと。
甘露台のある場所が禁足地で結界があるならわかるのですが。
ついつい思いついたまま書いてしまいました。
50代元信者様
神殿に伺うのが仕事の合間をぬってになりますし、母の顔色を見てになりますので、動きが制限されます。
だから以前はこう、今はこうと断言できません。
ただ以前より祖霊殿が遠くにいってしまったように感じています。
恩をあだで返したらいけない。ふところを貸してもらったことを思いおこして、ほこりを積む行為に及ばないようにしないと。
匿名です様
あなたのそのメッセージが特定の人に向けてのものでしたら、
お願い、そういうのもうやめてー
私からお願いします。
私からの叫びに近い思いです。
涙が出てきます。
正論は時にひどく傷つけます。怒りをあおります。
そっとしておいてあげてください。
お願いです。
過去のある投稿コメントより抜粋しますーーーーーーーーーーーーーー
○さんは、おそらく、典型的な依存症タイプだと思います。
こういう人は、自分の深いところにある本当の感情に対する自己認識が浅いんです。
なので、本心と言動を一致させることができないんですよ。親に教え込まれた
イイコちゃんを演じる以外の自己表現ができないんでしょう。
もしもね、他人の悪口に同調するのが嫌い、っていうだけの、それなりに強い意志と
正義感を持った人なのであれば、こんなに嫌われないと思いますよ。
そうじゃなくて、自分の中のマイナスの感情を認めるのが怖い、
という浅い人なんだろうと思います。つまり、相手を思いやってのことではなく、
自分がそういうのに触れるのが怖いだけです。結局、自分しか見えてないんですよ。
こういう人ってね、自分のマイナスの感情をきちんと自分で受け止めていないので、
無自覚にへんなところでその抑圧された感情の発散や埋め合わせをしようと
する傾向があるんじゃないかと思いますよ。たとえば、自分の不安を埋め合わせるために、
場の空気やニーズに無関係に、小さな親切・大きなお世話的な干渉(実は対人依存)
をしてくることが多いとか、ね。実際、どうですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
50代元信者様
そっとしておくことが心を傷つけることもあるんじゃないかと思います。
怒られてほっと出来る瞬間もあると思うんです。
でも貴女の方が人生も人も私より分かっていると思いますのでひきます。
補足ですが、聞く耳を持つ人だと思ってます。
匿名です様
あなたが発する言葉の内容が仮に正しいとしても、あなたには無理です。
そんな信頼関係を築いていません。
みなさん、
貴重な場にこんなコメントを続けて申し訳ありません。
この件に関してはこれで終わりにします。
50代元信者様
よく分かりました。
匿名です様
彼の最新ブログ読まれましたか?
彼は、ご自分がどうすればいいか、よく解っておられます。
そっと見守ってあげる方がいいと思います。賢い人ですから。
50代信者様、さっちん様、匿名様
御意見よくわかります。私は昔から人の気持ちの分からない人間です。振り返ります。
しかし建物を借りて人を雇い経営するということは常に毎月の支出を伴います。消費税は前年度の売り上げに対してかかるのですかね?法人税もかかります。
お店の経営は綱渡りです。風評被害も大きく関係します。
もし経営がなりたたなくなったらどうでしょうか。
そういう綱渡りの状況は貨幣経済の怖さそのものです。
そういうところも見えてしまいます。
全てが未来へと絡み付いた状況にあります。
全てが良い方向へ向いてほしいという思いは持っています。
カインさんのブログで、カインさんの記事に関係無いことを書くのは、誠に場をわきまえないことと、重々承知しておりますがお許し頂きたいです。そして、このような事を書いたことで、命の泣き声さんに、彼のブログで又、非常にキツイことを書かれそうな感じもしますが・・・。
命の泣き声さんは、どうも年上の女性の琴線に触れるところがあるように思われますね。匿名ですさんも、彼にかなり、ご執心のように思えます。傷ついた彼をいたわってあげたい、慰めてあげたい、と母性本能をくすぐられるのではないですか?(笑)私もそういう感情を抱いてしまい、一時、彼に「まとわりついて」ましたが。
挙句が、「うざい」「死んでくれ」「害虫」とまで罵られるはめになった次第でございます。「死んでくれ」は、まあ許せるとしても、「害虫」は許せん!と、かなり傷つきもし、腹も立っておりましたが。
彼がブログで、彼に手を差し伸べた店主に向かって書いた言葉の
「低脳が経験や年月だけを頼りに知能があるかのように擬態する典型的な姿」
「弱者を自分の元に取り入れて、善意を押し付け、自分の存在を認めてもらいたい典型的な形。自信のない人間のしそうなこと。」「善意を逆手に取って承認を要求してくる幼稚さ。」「自分に甘くて甘くて甘くて、認めてもらいたくて認めてもらいたくて」
これらの言葉が、全て自分に向けられたように感じました。彼にいたわりの言葉を差し向けている自分に、自己満足の気持ちが無かったか?無かったとは言えまい、と。彼は見抜いたのだろう、「押し付けの善意」、私の心の奥底に隠れ潜む気持ちを、そう思います。
彼が受け入れるのは、なまなかな人間では無理です。彼が、心から受け入れる人間の基準は、かなり難しい。彼に近寄らないほうが無難ですよ、匿名です様。「害虫、死んでくれ」と言われても意に介さない覚悟がお有りなら、どうぞ、お好きな程、彼に手を差し伸べてあげたらいいと思います。
ふとある詩の一節が浮かんできました。
「こわれています。さわらないでください」
「こわれた花瓶」シュリ・プリュドム/内藤濯・訳 の一節です。
この詩は私が中学時代に教生で来られた女性が、私への手紙の中に書き添えてくれたものです。
この詩を読んで涙を流していると聞いても、当時の私にさはピンと来ませんでした。
でも今この歳になるとじんわりと心に響きます。
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美女ざくらの花がしおれています。
花瓶に扇があたって罅(ひび)が入ったのです。
ほんのわずか擦(かす)っただけのことです。
音ひとつ、しませんでした。
しかし、罅はよしわずかでも、
日ごと切子ガラスに食い入って、
目にもとまらぬうちにじりじりと、
花瓶をひとめぐりしたのです。
花瓶の水が逃げました、しとしとと、
そして花の水気が尽きました。
まだだれひとりそれに気づきません。
さわらないでください、こわれています。
美しい人の手が心をかすめて、
傷つけることもよくあることです。
そのうちに、心はしぜんひびわれて、
愛情の花が枯れるのです。
いつも人目につかずにいることですが、
細かくても深いその傷がじりじりと、
しみるつらさに心は忍び泣くでしょう。
こわれています、さわらないでください。
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普通の公立中学校にて出会った教生の方。
その方とその後文通していくうち、その女性の家が天理教であると知りました。
ありがたいご縁でした。
そして今この詩を味わいながら、信じることは待つことだと実感しています。
逆には信じれる人は待つことのできる人ともいえるのでしょう。
信じて待つ!!
さっちん様、50代元信者様
いろいろとお気遣いありがとうございます。心を尽くして言葉を選んで書いていただき、うまく諭されるなと思いました。
人を諭すのは難しいですが、お二人ともそっと何かを作りあげるように諭されておられるところが考えさせられました。
そのそっと掌で包む感じが人間関係の深みを経験された結晶のように感じました。
ありがとうございました。
(こんな文章を書いたチラシが手に入りました)
齢七十を越え黙っていられなくなりました。
元より誹謗中傷は覚悟の上で、今、言わねば先々深い後悔にさいなまれることを予感して、非学浅才の身を顧みず、再び駄文を弄することを決心いたしました。
願わくば無関心の風を装うことんなく、ご意見、ご批判をお寄せ頂き、この道の未来へ向けて議論を共々に構築していきたいと思います。
どうかよろしくお願い申し上げます。
千葉・Z分教会・K・O
日本の総人口が六千万人台であった時代にお道の信者六百万人(あるいは八百万人)といわれたことがありました。(教祖五十年祭)
ところが現在お道の教勢は用木八十万そこそこ、実働用木数は三十~四十万人という為体です。
しかも低落傾向に歯止めはかからず、事情教会と称するものは増加の一途です。今や天理教という宗教が日本に存在することさえ知らない若者が多くなっており、正に存亡の危機に瀕していることになります。
しかし、天理教団という団体は不思議なことに、これ程危機状況にあるにもかかわらず、「何故こうなったのか?」「これからどうすれば良いのか?」という基本的な議論が何一つ湧き上がってこないのです。
教会本部からも大教会からも当たり障り無いスローガンが聞こえてくるだけで、この喫緊の大問題に踏み込もうとする姿勢は微塵も感じられないのです。
しかし、考えてみると、組織の上に安住している人達から、改革・変革の声が出されるはずもありません。
フランス革命にしろ、明治維新にしろ、インド独立運動にしろ、社会の矛盾に苦しめられている人達の声が大きなうねりを作っていったのです。
『草本崛起』草深い中に住む民衆の声を背景にしてこそ改革、変革は成し遂げられるものです。
教団の変革と発展は、私達一人一人が考えて、行動しなければ成し遂げられるものではありません。
私達自身が主役なのです。
お道では。「素直」ということがよく言われていますが、大きな誤解をもって考えられているように思います。
それは教祖の教えに従順であれということで決して私達に思考停止を求めるものではありません。
「成ってくるのは天の理」と云う言葉も又、誤解して使われています。
何の努力もせずに与えられた結果を神の意志として受け入れる姿勢は教祖の教えには全く無いものです。渾身の努力をした後、与えられた結果を「成ってくる理」と考えるべきものだと思います。
最大の努力をしてこそ「成ってけっこう、成らないで なおけっこう」と、すべてを許容できる境地が生まれてくるのです。
繰り返します、教団の危機的状況を逃げずに光を当て、原因と対策を究明すべく自由で本音の議論を展開してゆきたいと思います。
『無関心』こそ罪悪だと思います。
愛の反対は無関心である
(マザー・テレサ)
人間の最大の敵は無関心である
(沖縄・伊江島・命どう宝の家)
古い教会長様
無関心が今の天理教団には必要なのではないでしょうか?
私たち問題意識を持っているものこそ、教団に無関心なることです。
教団が存続しようが衰退して無くなろうが、教えは私たちの心の中に生きています。
教団に取り込まれ、矛盾の中で苦しんで居られる方々も、それはその方の生き方です。
私たちがどうにか出来る事ではないのです。
自分が矛盾を感じ、苦しいのなら、自分の力でそこから抜け出すしかありません。
でも、それをせずに周りと戦うことを避けて、自分の気持ちをごまかして
いい子でいることを選んで来たのです。楽な方を選んだのです。
自分の気持ちに素直になるということは、本当にしんどくて難しいことだと思います。
だけど、自分が自分の気持ちに素直になるために行動することが、自分を含めて周りの人間、環境、
状況、すべてを変えていくきっかけになるのです。
教団がどうなろうと、私たちに何の責任もありません。
無関心になり、お供えをしないことです。ひのきしんという無償の労働力も差し出さないことです。
そうすることが、教団内部の人間も、本部の偉いと思っている人間も含めて全員が幸せになれる
方法だとおもいます。私たちの行動が変われば、相手の行動も変わらざるを得ない。
2016年9月27日 9:56 匿名 様
>教えは私たちの心の中に生きています。
確かに仰る通りなのですが、私は、教祖が教えられた教理が正直言いまして、分からないのです。
「天理教青年会編 確かな教理理解のために」と「八島英雄氏著 中山みき研究ノート」を所有して、何度も読み比べています。
天理教青年会編とされる前著には著者名もなく、「まえがきに天理教青年会本部委員長 中田善亮」とあるのみです。第一に天理教青年会は、教団の正式機関ではないと聞きました。そのような人格なき社団が出版したものは信用に値しないと思考します。ましてや、心の深奥に迫る信仰書としては尚更のことでしょう。
一方、八島氏は中山みき研究ノートを著わすための資料をどのようにして入手されたのでしょうか。その全てが天理大学附属図書館に蔵書されているのでしょうか。二代真柱の信が厚かった八島氏は史料集成部に自由に入室することができたのでしょうか。さらには、中山家が独自に秘匿していると噂される資料にまで目を通すことができたのでしょうか。
信仰の拠りどころである「ひながたの道」に対する疑念は深まるばかりです。
知人はいいます。教祖の史跡を隠そう、隠そうとする現行教団は信用できないと。
匿名様。
成る程。そうかも知れませんね。
>日本の総人口が六千万人台であった時代にお道の信者六百万人(あるいは八百万人)といわれたことがありました。(教祖五十年祭)
ところが現在お道の教勢は用木八十万そこそこ、実働用木数は三十~四十万人という為体です。
しかも低落傾向に歯止めはかからず、事情教会と称するものは増加の一途です。今や天理教という宗教が日本に存在することさえ知らない若者が多くなっており、正に存亡の危機に瀕していることになります。
天理教の存亡の危機というのは、どうでも良いことです。
それに、実際の実働用木は2~3万人でしょう。
もし、この意見が伝えられるようでしたら、伝えておきます。
匿名A様、古い教会長様
たまたま天理教の教会に生まれて、教えを聞いて育ちました。そのことでいいこともあれば悪いこともありました。
教えの中で納得できないことや、いやいやそれは違うやろ、と思うこともあります。
親様は一人の人間です。
キリストも一人の人間です。
奇跡も起こせなければ、魔法も使えません。間違うこともあるでしょう。
自分が信じられること、納得できることだけを取り入れて、自分の人生に役立てればいいのではないですか。
宗教のための人生ではなく、自分の人生を豊かに生きるために宗教があるのだと思います。
選ぶのは自分です。自分の人生は自分のものです。
匿名Aさま、教理なんてわからなくていいじゃないですか。
人間として正しいことは誰でも知っています。どんな宗教でも、根本は同じです。
家族を大切にして、家族といえども相手を尊重し、毎日を感謝して淡々と生きていく。
大切なのは教理でも宗教でもなく、目の前の家族や友人、何気ない日常だと思います。
こう思えるまで、苦しみました。本を買いあさって読みました。
匿名Aさま、そこを通らなければ見えて来ないかも知れません。ご自分の納得いくまで勉強されたらいいと思います。
ふっと手放せる時がくると思います。偉そうですみません。
匿名様
(千葉・Z分教会・K・Oさんからの返信です。)
ありがとうございます。
私も教団という組織が必要不可欠なものとも思ってはいません。ただ、教団の崩壊は
信仰の消滅に繋がる可能性を感じています。
教会組織に依存しなければならないほどに信仰が弱まっている事は事実だと思いま
す。
もちろん、心の中に信仰を堅持し、それを代々伝えていければ・・・と思うのです
が。
教祖は教団形成に関心をお持ちではなかったように思います。応法の道、万分の一の
道である現在の教会組織ですから、信仰の在り方は他にもあるのだと思います。
戦前、戦争への道を転がり落ちていく時代に、石橋湛山氏は「いきつく所まで行くし
かない。そのとき新しい孝行息子が出てくるのを待つしかない」と語ったとか。
親鸞は教団形成に無関心でした。しかし、二人の孝行息子つまり蓮如と清沢満之のは
たらきによって新しい展開と発展を遂げました。
私は教団に片足を突っ込んでいる人間として、新しい孝行息子の出現を待ちたいので
す。
教団に無関心でいること、素晴らしい発想だと思います。ご意見感謝致します。
古い教会長様
アップしてくださってありがとうございます。
今朝z分教会の会長さんのお言葉を母に電話にて読んで聞かせてあげました。
母は感激し涙を流しておりました。
母も信仰生活の中で恐らく最近は心を曇らせるような出来事にいろいろと遭遇しているのだと思います。
ですが80半ばにして、教区内には大勢の仲間がいますし、母の年齢では抜けるに抜けれない。
それに母の兄弟は皆天理教です。
まあ抜けるつもりはさらさらないとは思いますが・・・
そんな母のような人たちにとっては一筋の希望の光となることでしょう。
そしてイニシャルで書かれているその方がどなたかわかってしまいました。
日ごろどのような活動をされていらっしゃるのかも、どんなお顔をされていらっしゃるのかも。
すばらしい活動をいろいろとされていらっしゃるのですね。
お顔を拝見しただけでも、素敵な会長さんだなと感じました。
私は匿名さんと全く同じ考えで、苦しみ沢山の本を読み、もはや宗教に頼ることなく生きておりますが、
母が以前私に語ったことが忘れられないのです。
「あなたはすごいと思う。何にも頼らず生きていけるのだから。本心でそう思う。
でも私はお道に頼らないと生きていけないのよ。私は弱いのよ」
古い教会長様、こちらに掲載してくださって本当にありがとうございました。
しばらく書き込むのをやめようと思っておりましたが、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたくて・・・
古い教会長様
千葉・Z分教会・K・Oさんからの返信を投稿してくださり、ありがとうございました。
偉そうなことを書いていますが、無関心で居られないので投稿している始末です・・・
私はこれからも、誰に何を言われようとも自分が決めた生き方を続けて行きます。
「新しい孝行息子の出現」することを、心からお祈りしています。
>日本の総人口が六千万人台であった時代にお道の信者六百万人(あるいは八百万人)といわれたことがありました。(教祖五十年祭)
まさしくこの点が私自身が天理教に興味を持ち、思案を続けている部分です。
これほど多くの人の興味関心を引き、信仰心を集めた「おやさまの教え」は何なのだろうかと。
おやさまの高弟と言われた人たちのお人柄やお話の内容は?と。
今の上級や本部から出されるお話や教理解釈などでは、とてもじゃないがそれ程の人を魅了したとは思えない。
実際、教勢は衰退の一途です。
また、千葉・Z分教会・K・O様のご意見、お話は、至極最もで当たり前のように感じられます。
でありながら、「誹謗中傷を覚悟の上で」という決心が必要な組織と教人たちの集団。
一体、何なんでしょうか?昭和後期からの天理教しか知らない私には、その落差と理不尽さが全く受け入れられないし理解できない世界です。
もっとも、そう感じていながら「関わらざるを得ない立場」になってしまったので、「無関心と適度な距離」を続けています。
末端教会子弟様
>「誹謗中傷を覚悟の上で」という決心が必要な組織と教人たちの集団。
教会長という立場の者が、本音を公の場所で発言するのは、本当に勇気のいることです。
話し合い、練りあいといっても、上級、大教会長の顔色をみながら発言している場面が多いように思うのです。
天理時報などで真柱の視察の場面が写っていることがありますが、みんな緊張感いっぱいの表情と姿勢をしています。表面に現れている姿はすべて虚構の世界です。
解決は、本部が余計な事を何もしなければ教勢は伸びるでしょう。
教勢が伸びているのは、本部から遠い位置にある愛町系統の布教所だけです。
2016年9月27日 9:56 AM 匿名 様
>私たち問題意識を持っているものこそ、教団に無関心になることです。
>教団が存続しようが衰退して無くなろうが、教えは私たちの心の中に生きています
>教団がどうなろうと、私たちに何の責任もありません。
>無関心になり、お供えをしないことです。ひのきしんという無償の労働力も差し出さないことです。
2016年9月27日 12:21 PM 匿名 様
>教理なんてわからなくていいじゃないですか。
>人間として正しいことは誰でも知っています。どんな宗教でも、根本は同じです。
>家族を大切にして、家族といえども相手を尊重し、毎日を感謝して淡々と生きていく。
>大切なのは教理でも宗教でもなく、目の前の家族や友人、何気ない日常だと思います。
お二方の匿名様のご意見に、全面的に賛成致します。教団がどうなろうと、天理教がどうなろうと、我々が思い煩う必要など一切ありません。教団も、天理教という宗教も、人間思案によって立ち上げられたものであり、親神様が思召したものではありませんから。教祖の教えと、天理教とは、別のものです。
「理の親信仰」と「貧に落ち切れ」が、天理教、天理教団の教える、二大主要教理ですが、この二つとも、基本的人権に抵触しており、当然ながら、人を幸せにするものではありません。気が付くのが遅すぎた位です。我々は人を不幸にする教えには手を貸さない、当たり前のことです。
そして、そういう教団へのお供えは、教団の存続をたすけ、不幸な人を増やすだけです。信仰をするのに、宗教は本来、必要ないものと思います。宗教は、人間が考え出した、金集めに一番最適な道具です。(神が作ったものではありません。)我々の人生も、生活も、宗教に振り回される必要など一切無いのです。
我々は自分達の生活を一番に大事にし、これ以上、不必要な犠牲を払ったり、上の横暴な要求、理不尽に、従うことはありません。
末端教会子弟 様
Z分教会・K・Oさんの返信です。
日本人は熱しやすく、同時に冷めやすい民族だと思います。どんなに熱狂的な宗教でも信者数が総人口の一割を越えることはないと言われています。
それがおそらくピークなんだと思います。創価学会も緩やかな下降線をたどると考えられます。
時代の変遷に応じて、教祖の教えに新しい血を注入する必要があります。このことを教祖(おやさま)は「きりなしぶしん」と表現されたのだと私は考えております。
仏教界でいまだに大きな教勢を維持する浄土真宗では親鸞という発電所から、蓮如と清沢満之という二つの変電装置を経て今日に至っています。絶対不ニの教えを
変えることなく、新しい血液を注入しているのです。キリスト教各派もしかりです。
天理教は教祖のお隠れ以降、国家権力との妥協を重ねてきました。何が本当の教祖の教えだかよく分からなくなってしまっている様な気がします。私は「おふでさき」と「ひながた」の再検証が必要と思われます。
天理教には二つの教理があります。教祖の説かれた教理と、教会組織を維持するための教会教理とです。これからは教会教理を徹底的に検証して、教祖の教理に無いものを削除していく必要があると思います。
ありがとうございます。
さっちん様
さっちさんの書かれているものを拝見していて胸がせつなくなりました。
激しい言葉の羅列が胸にズシズシ響いてきます。
私には宗教は必要ありませんが、私の母のように宗教を必要としている人たちもいるのです。
もう何年にも前になりますが、あなたと同じような気持ちで宗教を否定していた時期、
おぢばの高校に通っていて純粋に信仰していた姪に、私は天理教を否定する言葉を並べたてました。
姪は泣きじゃくり、それを見ていた兄はいたたまれなくなり姪を連れて帰っていきました。
私は姪を犠牲者にしたくないという思いでしたが、その時のことを思い出すと胸が苦しくなるのです。
ほんとうにかわいそうなことをしてしまいました。
人にはそれぞれの時期があるのに完璧に押し付けでした。
さっちんさんは、ご自分の教会の信者さんたちにはどのように話されますか?
こんな組織即刻辞めた方がいいですよ、と話されるのでしょうか。
私にはカトリックや仏教を信じる友だちが何人もいます。
その方たちは宗教組織の一員です。とてもイキイキ活動されています。
私は宗教を信じている友だちの前で
「宗教なんて必要ない」とは言えません。
過去の失敗の経験は本当に苦い思い出で。
ねずみ講のような組織がフラットな組織になって、お供えの強要もなくなり
捻じ曲げられた教えが正され、信者さんたちが笑顔で信仰できるようなれたら・・・
それが母の命のある間に実現できますように。
私はこんな風に書き込むことぐらいしかできませんが毎日お祈りいたします。
激しい言葉の数々に思われましたか? 私としては、至極真っ当で当たり前のことを述べたに過ぎない、と思っているのですが。50代信者様から、クレームを頂くとは意外でした。(笑)
一般的に、信仰と宗教とを混同しておられる方が多いと思うのです。「天理教」は、教祖を利用して、金儲けをたくらんだ人々が立ち上げたもの、今はそう認識しております。天理教が、教祖の教えを正しく信者さんに伝え、親神が望む陽気遊山の世界に導き指導しているのなら、別に天理教に対してどうこう書きません。信者さんが天理教に入って、一心に活動されてても、えらいな、と感心しこそすれ。
しかし、「お供え」掲示板で、皆様のご投稿を読んできて、天理教というのは、宗教と言えるものかどうか、これはもう犯罪、詐欺まがい(“まがい”ははずしてもいいかもしれません)まで行われている、と確信しました。
ならば、それを信者さんに、中で活動されておられる関係者の方々にも、知らしめるべきです。曖昧にし、教団の罪を見逃して、被害者を益々増やすべきではありません。
信者さんに対してですか?必要とあらば言いますね。放っておいて、その人が被害に遭いそうであれば。まあ、言い方は、考えるでしょうけど。うちにも信者さん何人かいます。お年寄りばかりなので、今さら、あの世に行く手前に(ごめんなさい)、その方達が今まで長い間信じていたもの((天理教(教団))を壊すつもりはありませんが、若い人であれば、もちろん、「社会学研究所」「お供え」掲示板見せますね。そして、信仰(教祖の教えを学び、心の修養をすること)と宗教(天理教)とは違いますよ、とはっきり言います。
50代信者様のお母様も、「天理教は教えを歪曲している。」と仰られたそうではないですか。そのように仰られたということは、きちんと「信仰」されているからではないのでしょうか。天理教への信仰ではなく、神様、教祖への信仰をされているからこそ、そのように見極められたということではないのでしょうか。
末端教会子弟様
>これほど多くの人の興味関心を引き、信仰心を集めた「おやさまの教え」は何なのだろうかと。
おやさまの高弟と言われた人たちのお人柄やお話の内容は?
その昔は、天理教を知らない人ばかりでした。
今でも、天理教を知らない人は興味を持って、おおむね良い印象を持っておられます。
ところが、反対されたり拒否反応をされるのは天理教を知っている人で、特に熱心に教会に通われていた人たちです。
これは、教えが問題ではなくて、上下関係を肯定する組織と教団教理が問題なのです。
さっちん様
さっちさん、とお名前ミスりました。ごめんなさい。
そして、どうもよく間違われるのですが、私は50代信者じゃありませんの。元です。
信者か信者ではないかは大きな違いなので、読んでいる方に誤解されないように訂正させていただきますね。
私の書いたものはクレームとして扱われてしまうような文章だったのですね。
だとしたら私の表現がまずかったのでしょう。
まだまだレベルの低い人間として認識しなくてはなりません。
誰にもわかっていただけるような文章を書くというのは難しいものですね。
これからの課題として努力していきますね。
母の信仰。そうですね。ずいぶん変わってきました。
変わるには、様々な思いをしてきたのだろうと想像しています。
でも実際のところはね、そんなにすべてが簡単に変わるものではないです。
未だに話しているとアレレ?と思うことはいろいろあります。
でもゆっくりゆっくりでいいと思い、アレレと思ってもスーッと受け流しています。
ゼロイチではないから。
人は違うから。
違いを認め合う世界になってほしいなと、そう思ったのです。
「ゆるす」というのは私の長い間のテーマでした。
難しいテーマでした。
お供えの掲示板に『親様が夫の愛人に毒をもられても許した』という逸話を時代にそぐわないお話しと書かれていましたね。
私にとってはこのお話もいつも自分を励ましてくれました。
そして辛い時、「おやさま・・・」とつぶやき自分の心を慰めてもらっていたものです。
多くの信者さんたちがまだ存在し、組織の中でしか生きられない人たちがいる以上、
その方たちの所属する組織がよりよきものに変わっていってほしいと願っていました。純粋にです。
そのために投稿しておりました。
宗教を拠り所に明るく生きられるなら、高額なお金を搾取されないのなら、宗教はあっても問題ないですものね。そのためには捻じ曲げられたものを元にもどさなくてはならないし、時代に即したものも必要になってくるかなと思ったりします。
クレームとしてではなく、違った側面から見た一つの意見として受け止めていただければさいわいです。
そして今まで私が投稿してきたものが、天理教という宗教を全否定するもののように思わせたのでしたら、
信者の皆さんにお詫び申し上げます。どんなであれ自分が大事にしているものを汚されたらいい気分はしませんものね。この経験今後に活かしていきたいです。
50代元信者 様
お名前、間違えて打ってたのですね。大変失礼致しました。50代元信者様と、認識はしておりましたが、キーボードを打つ時、頭から「元」という字が消えていたようです。大変失礼致しました。
50代元信者様の書かれた文章の中で一つ気になったのが、
>天理教という宗教を全否定するもののように思わせたのでしたら、信者の皆さんにお詫び申し上げます。【どんなであれ自分が大事にしているものを汚されたらいい気分はしませんものね。】
というところです。
お母様が熱心に信仰されている天理教を“汚した”ということを仰られてるのでしょうか?汚したのではなく、「汚れている」のです。汚したのは教団本部などの上層部です。もし、汚したとご不満に思われたのでしたら、その相手は、教団上層部、教祖の教えを捻じ曲げた人々です。
うちの母も天理教をもう何十年、今は、信者さんも少しだけの小さな末端教会の、形ばかりの教会長に据えられ、「理の親」の上級会長に、時に上から物を言われながら、「天理教信仰(ご利益信仰)」をしております。50代元信者様のお母様のように、「上は教えを歪曲している」なんて考える知恵も無く、死ぬまで天理教信仰をしていくことでしょう。悲しいことですが。 しかし、母が信じ切っている天理教の欺瞞を指摘せずにおこう、とは思いませんね。
身内が信じていようが、誰が信じていようが、害を与えるものでしかない、と思う点については、指摘するべきだと、私は思います。それが、「汚している」こととは、全く思いません。それで少しでも、より良くなって貰えるなら、そうなって頂きたい、と思っておりますよ。 50代元信者様と、同じ気持ちだと思います。
2016年9月27日 12:21 PM 匿名 様
仰る通りですね。ありがとうございました。
私は、既に教会にも行っていません。お供えもしなくなりました。近く神の社も教会に返す決心がつきました。
ただ、体が許す限り年に3回は天理に行きます。旧知に会うためと教祖墓地のみ参拝します。三殿は参拝しません。
家では、、霊社は置いておくつもりです。鏡も飾りません。これで曽祖父母の代からの現行教団の天理教信仰は終わります。
終わりにひとこと言わせてください。真柱の着ている教服は、教服と呼ぶのではなく「真柱服」と呼びます。唐草模様や梅鉢の紋も「白糸」ではなく「金色の糸」で刺しゅうされています。何という情けない宗教になってしまったのでしょうか。
皆様のご意見で決心がつきましたことに御礼申し上げます。
匿名A様
信者さんはどうなるんですか?
さっちん様
私も母にそれとなく伝えています。
「理の親などというものは三代真柱様(母には様をつけて話します)は認めていらっしゃらなく
公の場でも話されていらしたようだよ」とか。少しずつ少しずつデリケートに言葉を選んで細心の注意を払って伝えています。しずかーに穏やかな声で。
母に限らず、さっちんさんのお母さまに限らず、自分が信じているものを否定されると人はかなりヒステリックになるんですよね。それが自分の芯になっていればいるほど。
信じているものは清らかであると思い込んでいるわけですから。
ヒステリックにはならずとも、昔私にもそういう時期がありました。
真実はともかく、汚されたような気分になるのは、立場が違えばある意味当然のことのような気がして、
このような言葉を使ってしまいました。
実際に汚した汚されたという意味ではなく、汚されたような、という意味にとらえていただければさいわいです。
こうして書いていると、昔私がしてきたことが次々と思い出されます。
人生は愚かさを知る旅と誰かが話していましたが、今まさに過去の自分の愚かさを思い知らされています。
私にとって禊の時間だったのかな。
誰も知らず知らずに過ちを犯していますものね。
分かち合いの時間を、どうもありがうございました。
正直かなり疲れたので、充電いたします。
僭越ながら体を動かしていただいてます。自分が動かしてるのではない。
それは本当にそうだった。数十年を経てそう思います。
皆さんが御苦労をされてることは分かります。でも待ってください。大切なことを学ぶ場所を私達に残してください。
むのたけじ「たいまつ」
創造と信仰は対極にある。何かの創造は、
何かを疑って否定することから出発する。
とても難儀で苦労だ。難儀も苦労も嫌なら、
何かを信仰するしかあるまい。
そしたら安らかに朽ちるはずです。
安らかに朽ちていけない辛さというのは辛いものだと思いますよ。
核家族化で人間の最後を看取れる環境が減ってしまいました。
古い教会長 様
>反対されたり拒否反応をされるのは天理教を知っている人で、特に熱心に教会に通われていた人たちです。
すごく納得です。
「おやさま」のお言葉やなさりようを看板にして信者を増やし、一旦組織に取り込んだら、下部組織や信者さんを精神的に支配して搾取と奴隷化して絞り尽くす。
その事実に気が付いた人は逃げたり居なくなったりしますが、立場上や事情、義理人情があって、逃げるに逃げられない人の鬱憤や不満が爆発してるのですよね。
天理教組織は「縦の繋がり」を重要視しますから、同じ立場の者同士が話し合うことも情報交換することも、一致団結する事すら難しい組織です。偶然かもしれませんが、本当に上にとって「都合のいい」組織を作り上げたものです。
>天理教には二つの教理があります。教祖の説かれた教理と、教会組織を維持するための教会教理とです。
私個人の解釈は「教祖の説かれた教理」と「教会組織を維持するための教会教理」は正反対で、矛盾するものだと考えます。
天理教の始まりが「教祖の説く教理」で多くの人が集まってきた訳ですが、その人達を繋ぎ留めて営業利益を上げるため、「教組の姿」の耳障りの良い部分だけを残して拡大し、捏造や嘘を加えて広めてしまった。逆に言えば、そういう内容の方が多くの人にとって分かりやすくて感動できる内容だったのかもしれません。
「教会教理」に反する内容は秘匿し、秘匿できない部分は、解釈を歪め屁理屈を並べ立てて「理解できない」ようにして作り上げた内容が、今の天理教で教えられる「教義」であり話されている「内容」であるように思えます。
それを主導した人が誰かまでは分かりませんが、欲深い人間なら、知ってか知らずかそういう事をしてしまうのも人間としてやむを得ないのかもしれません。
ただ、内容が内容だけにその影響が大きく、これまで100年以上に渡って何千万人もの人が苦しみ、国家予算以上に巨額なお金が動いている以上、黙って見過ごすわけにはいきません。
私一人で出来ることなど微々たるもので何の力にもならないかもしれませんが。
「おやさまの姿」の虚構と嘘捏造部分を排除し、真実の姿を伝えること。そして秘匿された教えの公表と、歪められた解釈や屁理屈を排する教義解釈する姿勢を打ち出さなければ、天理教に未来はなく、おやさまの教えは消滅してしまう気がします。
10全の守護とか、裏守護とか、よく出来てると思うのですが。今でいう生活習慣病の考え方の先取りだと思えるのですが。
少なくとも私は苦しんでないです。むしろ助かってます。
匿名です 様
>僭越ながら体を動かしていただいてます。自分が動かしてるのではない。
それはそうです。
付け加えるなら、動かしてるのは理の親や上級教会長でもありません。
この事で、理の親や上級教会長からお礼も感謝を強制される必要ありませんね。
>大切なことを学ぶ場所を私達に残してください。
学ぶ場所は何処にでもあります。
天理教教会以外の場所や人の方が冷静で正確な事を教えてくれるかもしれません。
「理の親」を自称する人ひとりだけから教えを受けることが危険なんです。
>10全の守護とか、裏守護とか、よく出来てると思うのですが。
「裏守護」というのは聞いたことがありませんし、書いてある書物を見たことがありません。
どんなお話か教えてください。
>少なくとも私は苦しんでないです。むしろ助かってます。
つまり
「その人はいじめっ子と言われてるけど、私に優しくしてくれるから悪く言うのは止めてください。」
という事ですか?
教会師弟様
すみません。遅くなりました。
神様の御用をさせていただく過程で体の自由を頂けるのではないかと思っております。
神様の御用をさせていただくことを退いて自分のためだけに生きることを選んだら苦労してしまうかもしれないと思うのです。
神様の御用をさせていただくことで、鮮やかな御守護をいただいた方々のお話をよく聞きます。
ブチャさんも御守護の中にあられるように思います。
学ぶことに関しては天理を学びたいです。それ以外の本も参考にしますが、天理は別格です。
裏守護は10全の守護の症状がある方の神様の円の反対側の神様の働きも重視することでしょうか。
そんな風に思ってますが、もっと正しく詳しい解説を聞いていただきたいです。
いじめっこの話に関してはもう遅いし、また後日に持ち越します。
すみません。朝5時前に起きます。今日はこれで失礼しますね。
2016年9月29日 11:56 AM 匿名です 様
幸か不幸か定かではありませんが、私にはお連れする信者さんはありません。ただ、単なる信者ごかしでした。
それでも、教会の月祭には欠かさず参拝して、座りつとめ、十二下りのお立ち、笛以外の男鳴り物に出ていました。また、印ばかりのお供えも絶やさずに続けていました。
数年前に天理に行った際に逢った知人から「櫟本分署跡保存会」のことを聞き、さらに、このブログの存在を教わりました。
祖父母、父母の信仰への思いを想いながらも現行天理教団と決別する決心がついた次第です。
先に書き込みましたが、天理は遠いんです。それでも、信仰は別として年に3度天理へ行き、旧知に逢い、教祖墓地に参拝します。
ご心配を下さり有り難うございました。
2016年9月29日 11:59 PM の 匿名です様へ
>神様の御用をさせていただく過程で体の自由を頂けるのではないかと思っております。
神様の御用とは、『具体的に』何をすることですか?
>鮮やかな御守護をいただいた方々のお話をよく聞きます。
「鮮やかな御守護」とは、匿名です様が知ってる範囲で構いませんので、
『具体的に』どのような出来事ですか?
>それ以外の本も参考にしますが、天理は別格です。
「天理は別格」と思われる、根拠を『具体的に』教えて下さい。
>つまり「その人はいじめっ子と言われてるけど、私に優しくしてくれるから
悪く言うのは止めてください。」という事ですか?
>いじめっこの話に関してはもう遅いし、また後日に持ち越します。
匿名です様のコメントを拝見する度に、私自身、いつも末端教会子弟様と
同じような疑問を感じておりました。後日お待ちしてます。
匿名A様
分かりました。丁寧なお言葉ありがとうございます。そういうお気持ちだと分かりました。
匿名様
また数時間後に書き込みます。
50代元信者様とは、全く関係ない者だけどね。
(笑)…って、なんなの?
(笑)…って、わざわざ、書く必要あるん?
懸命に書き込むのは構わないけど。掲示板、
ネットの中だからと、調子に乗りすぎてない。
他の書き込んでいる天理教組織に属する、天理教関係者方々も同じくだ。
本部、本部員、大上末教会長を。自身も被害関係だと。批難批判を論じているが。貴方方々も、天理教組織の一端に属し、加害していることに。加害してしまっているという、意識はありますか。神様、おやさま、教え、信仰…自身で散々に言って来たんじゃないのか。今まで、散々に言い放ち。都合悪くなれば、洗脳されてきました…と都合で被害者になるの。自分で自身都合好く洗脳してきたのが本当ではないの。組織なくとも、信仰は出来るとか…何に何時までしがみついているの。
ねぇ、貴方方々の生まれ持った心は、いったい何処に在るの?
普段言えないことだから、掲示板に書く。逆じゃないのか。言えないん、ではなくて「言わないん」だろ。保身であり、非を受けたくもなく、非に立ち向かう気持ちもなく。かしもの、かりもの、とか持ち出さずに。皆様方々の口は、何の為にあるの。目も耳も鼻も、手足、心臓、身体、心…。自分自身の身体で心でしょ。なんで、他人事なん。自分達がやって来た天理教だろ。
被害がいつまでも続くということは、いじめを見てみぬ振りをしてきた…って事実だけだよ。誰それが、こうでしたあーでした…と書き綴り。その時になんで、止めないの。なんで、その時に言って伝えてあげないの。天理教組織て何が怖いの。怖いのは、心を無くす事じゃないのか。怖いのは、勇気のない自分を、誰かのせいにして、正当化することではないのか。見てみぬ振りをして来た事実だけが残るんだよ。天理教の云う、人助けってなんなん。天理教の云う人助けって、天理教人が勝手に思い込んでるだけだよね。人助けって、そんなに簡単には出来ないよ。お金や財を騙し巻き上げるのが、人助けなの。天理教組織も天理教人も、一緒に腐敗続けて来たんじゃないのか。
姿も本名もないネットで論ずるはいいが。一体、皆様方は何がしたいの。どのような形を求めているの。本当の天理教、成ってくるのが天の理、元に戻す、改革、再編…等と何かの変化を求めているのだろうが。衰退や消滅は、変化ではなく天理教人の出し続けてきた結果答えでしょ。どこか書き込むことに、心酔していないか。わざわざに、難しいような言葉使いや、言い回しを換えて、言葉や文体に酔いしれていないか。
結局のところ。天理教は、批判する側もされる側も、同じくして変わらない。本部から末組織まで含めて、同じ天理教だよ。同じ狭い池州に、不可解な天理教社会を造りあげ。狭苦しい池州で、同じ水と空気と餌を食べて。唱え伝える教えなどは、詐欺まがいに使われて。狭苦しい池州から、出る勇気もなく、池州の水も餌も変える勇気もない。逆に言うと。天理教人は、狭苦しい池州が、居心地の良いのかもしれないね。それならば、それで良い。ただ、天理教信仰などに理解も依存も求めない。天理教内外の、若者、子供、お年寄りに。天理教人の、勝手な依存や理解を求めるなよ。神のご守護、お手入れ、などと求める前に。何か目の前のことを、1つでもやってから書き込め。生きているんだろ。口も目も耳も鼻も、手足も、身体も、心も、今ここにあるんだろ。頭の中で勝手世界を作って、目の前の現実世界から、目を反らし続けていたら。神様なんて感じないんじゃないのか。
今もこの時も、この瞬間でさえも。天理教に苦しんでいる人達が沢山居るの。今まで散々に、天理教に苦しみ傷を受け続けて来た人達が沢山いたの。天理教によって、消えない傷を持って、なお懸命に生きている人達が沢山いるの。
天理教関係者が、貧しいだ、大変だと書いてあるが。貴方方々よりも、もっと大変な人達が、この裕福な日本にも沢山いるの。虐待、貧困、差別、騙しあい、貶しあい、人が人を傷つけ。明日の飯も命もわからない人も居るの。
社会に公平も平等もないよ。でもね、平等がないから、知恵をつけ努力をするのが人間であり。支え合うのが、家族であり仲間であり友だよ。
我が身大切な天理教ならば、人助けなどと語らず。組織、我が身が一番に大切です、と公言し認めればいい。その方が、通るだろ。迷う人は離れられるだろ。天理教は、上から下まで、同じだと認めなよ。天理教人は上から下まで、「天理教は詐欺です」とすでに認めているんだから。天理教は、時間と金と人生の無駄使いなだけだよ。
この社会学のブログ主様の記事の内容と言葉、お供え掲示板の管理人様のブログを開設した気持ちと言葉。
そして、過去のコメント欄、投稿欄に残る。今は、コメント投稿をされてない方々がほとんどだけど。少数ではあるが。天理教内外の方々の、実な心の文面もあった。
いつまでも、堂々巡りを繰り返すことを。いつまでも、繰り返し書き込み。何か変化はあるの。何を求め何をしたいの。
ネットは神様の道具とか…。ネットはネットでしかないよ。何でも神様をつけて、目の前の現実に向き合わないから。自身都合で神様をつけるから。心を無くし、人も離れて行くの。
常連さん方々も、たとえ時々に投稿される方でも。懸命に投稿続けるのは構わないけど。時々には、ご自身で投稿した内容や言葉を。過去に自身投稿したものも含めて。コメント投稿欄の全体を、一歩引いて読み見直して欲しい。批難批判するはいいけど、結局のところ。天理教の狭苦しい池州の中で、上から下まで同じ天理教人には変わりはありませんから。天理教は、上から下までの天理教人が造りあげているのです。
教えなどよりも大切なのは。自分自身として個として。この世に生を受け、生まれ育ち。自分が何をしたくて、何ができるのか。何を求めて、求めるならば何をするべきなのか。自分の身体と心でです。
ネット世界の中ではなく、現実の社会の中でです。
-天理教、天理教人達に。被害を受け続けて来た者より-
天理は本当にあると思う。騙してなんかいない。天理は本当にある。
遅くなってすみません。騙してない。本当に天理はある。
2016年9月30日 10:07 PM 匿名 様
>50代元信者様とは、全く関係ない者だけどね。
>(笑)…って、なんなの?
>(笑)…って、わざわざ、書く必要あるん?
>懸命に書き込むのは構わないけど。掲示板、
>ネットの中だからと、調子に乗りすぎてない。
50代元信者様のお名前を出して来たところを拝見すると、これは私に仰ってるのですか? だとしたらお答えしますけど、(笑)を付けたのは、文章が相手に不快な思いを与えないように、和らげたいという配慮と、ユーモアのニュアンスを加味する為に付けてます。
それから「調子に乗りすぎて無い。」というのは、私のどこが調子に乗ってると思われるのか、お書きください。誹謗中傷ですよ。
匿名様は「教えなんか」という言葉を使われましたが、信仰経験があると思えないです。職場が関係おありでしたか?
教祖の教えに「なんか」をつけようと思う人はいないはず。
2016年9月30日 10:07 PMの匿名 様。
とても骨のある投稿を有難うございます。以前、素晴らしい投稿をされていた自立人生さんと、同様の意見と感じました。
貴方の立場から見ると、おそらくそう感じるのでしょうね。
天理教を去って外から意見を言うのも一つの生き方ですが、天理教の組織の中から思うところ感じるところを発信していくことも非常に大事な事だと感じています。
天理教の組織の中で生きている人間は、みな同じという発想は、あまりにも単純すぎます。決めつけるものではありません。
あなたに強い思いがあるなら、ここの記事やコメントなんか気にせず、「天理教、天理教人達に。被害を受け続けて来た者」として訴え続けて下さい。応援します。
先の匿名様
>神様の御用とは具体的に何をすることですか?
奇蹟体験を持たれた方々が教会としてのつとめを果たされたり、布教をされていたり、修養科に入られていたり、回廊拭きをされていたりされていた時があられたりされてました。
しかし日頃の行いもそうだと思います。
すみません。残りは後日に書きます。
匿名様
>鮮やかな御守護とは匿名ですさんが知ってる限りでかまいませんので 具体的にどのようなものですか?
個人情報なので言えないです。私は講演や当事者との世間話、本などから知り、また所属教会で自分の目を通 して知りました。母のリウマチの症状がでないことに関しても医師が首をかしげてこんな例は珍しいとおっしゃってるとのことです。血液検査はマイナス、痛みもおさづけの次の日ぐらいからとまった(その時に病院で注射もされてますが)、MRIにて骨の変化はリウマチによるものらしいです。注射から数日経ても痛みが戻ることはなかったです。修養科にいたときだけ血糖値が正常に戻ったという話も聞きました。私も所属教会でいただいたおさづけの後痛みがぴたっと止まり驚きました。
2016年9月30日 10:07 PM 匿名 様
あなた様の投稿に対して、「古い教会長様」は理解を示れ励ましの言葉を掛けておられますが、非才の私には理解しづらい部分があります。
これほどの長文を書いておられますので、知識と教養をお持ちのことと思いますが、もう少し句読点の用い方にご留意されては如何かと思います。
一例として、
>そして、過去のコメント欄、投稿欄に残る。
と書かれていますが、目的欄は過去に書き込まれたすべてのコメント及び投稿をいうのでしょうか。それとも、この後ろに続く文章を指しておられるのでしょうか。「句点」を打たれていますので如何様にも受け取れます。
私は何時もこの欄の投稿を拝見しております。皆さんが色々な体験を通じて投稿された内容は良き参考にしております。
終わりに、私は現行天理教の信仰を止めました。ただ、「ようぼく」として教団の名簿には記載されていると思います。従がいまして、過去の一教徒として、あなた様に被害の一部でもお掛けしていたのであればお詫びいたします。
「さっちん様」も書いておられるますように、誹謗中傷と受け取られ兼ねない文面は、お書きにならない方がよろしいかと、老婆心ながら申し添えます。
教会師弟様、匿名様
>つまり「その人はいじめっ子と言われてるけど、私に優しくしてくれるから悪く言うのは止めてください」という事ですか?
天理が日本を支えてきたと思っています。東京オリンピックも2代真柱様のお力も大きいそうですね?日本の優しさや規律や大家族制度の礎を守ってきたのは天理教じゃないかと思っています。幼きころより厳しくしつけられ、我を抑え協調性を重んじ自他的な精神をプラスモチベーションにかえて頑張ってきた日本人の源は、祖母が天理教だった・・的なベースによるものもあるのではないかと思います。
今70代ぐらいの方がおっしゃってました。「食べ物がなかったけれど、母は物ごいに食べ物をあげていた。」と。なんと優しいお母さんだったのでしょう。その人は嫁いでからは昼ご飯まで作り、働きにいき、帰って夕食を作り、働いたお給料はお姑さんに渡したそうです。おこづかいもなかったそうです。お姑目さんは田畑で作物を作られていました。そういう優しい自他的な精神の教育を担う役割をしてきたのではないかと思います。
もしもかつてのように大勢で教会を支え、教会が指導できたらかつての日本が戻ってくるのではないかと思うのです。
ブランド物をインスタグラムにあげる これが娘の高校で流行っているようです。公立高校です。高校生がブランドにはまる、こんな価値観はよくない。使い捨て、ブランド三昧、遊興三昧、そんな価値観に真っ向から対立できるのが天理教だと思っています。みんな貧しくみんな平等で、みんなが他人を思いやる、そんな社会を作ることができるのは天理教だと思っています。
病気に関しても、自分の生活習慣や考え方を変えることで予防になるならよいことだと思います。天理はそういう部分も諌めていただけます。また医療の及ばない結果をだすこともあるそうです。(講演の体験談を聞いて)
インスタグラムに次々品物をアップし、使えるものを捨てていく、その社会の先にあるのは息切れした地球です。私達の生かさせてもらってる場所です。
所属教会だけしか知りませんが、上級も決して贅沢しておられるという印象はありません。
天理教の建物は古くても美しい。清浄な空気の中に佇んでいます。どの教会を見ても美しい。
人々が人生をかけてお守りしてきた美しさを感じさせます。
2016年9月30日 10:07 PMの匿名 様
文章は読みにくいものの、力強く厳しいご意見と承ります。仰ることはよく解ります。
文章からすると、天理教・天理教人から被害を受け、今は天理教から離れた人でしょうか?
そのお立場からすると、天理教関係者は全て「悪の組織の一員」であり「悪を実行してる人間」なのだから、内部で批判や悪口を言う事はその責任と過去を無視して被害者ぶっていることになる、とのご意見になるのはやむを得ないのかもしれません。
でも、古い教会長様の言うように、全てを一緒にして語ることは単純すぎますし、危険でもあります。
>何を求め何をしたいの。
私個人は、「教祖様の真の教え」を求め「教祖様の真の教え」を広めたい、と思っています。
そうすることが、「貴方のように天理教によって被害を受けた人」の拡大を防ぎ、「本人が気がつかずに騙されている人」を啓蒙し、「自分が気がつかずに騙してる人」に気づかせ、「意図的に騙している人」を追い詰めることになると信じるからです。
ご存知のように「天理教」は宗教と位置づけられています。
宗教は、その内部でどれ程非道な事が行われようと、明確に「犯罪行為を犯している」と証明され認定されない限り、国家権力の介入を許しません。しかも、組織的なのか個人的なのかの判断も厳格にされなければなりません。かつての「オウム真理教」が良い例です。
現在、天理教組織に属してる人も考え方は様々です。
貴方のご指摘通り、かつては「悪の手先」で非道なことをしながら自分に被害が及ぶと愚痴や悪口を言う、だけの人もいるかもしれません。嫌な思いをしながらも義理人情や事情が有って組織に留まっているだけの人も居るかもしれません。
でも、中には組織の間違いに気づき、改善や改革をしたいと思って忸怩たる思いで過ごしてる人もいると信じます。こういうネットの掲示板は、そういう人たちの情報交換の場であり、一人では何も出来ないでいる人の心の支えの場でもあります。私自身、こういう場で自分の考えを整理し、「同じ思いでいる人がいるのだ」と実感し力強く思っています。
貴方のご意見は、こういう場を否定し書き込む人を非難することになります。
それは結局、「天理教組織」の存続に力を貸すのと同じ事になりかねないのですよ。
もし、これ以上の被害を拡大させたくないと思うならば、その批判と非難は「書き込む人」ではなく「組織そのもの」に向けて欲しいと思います。組織の内外から批判と非難の声を上げれば、その効果はより高まるのではないでしょうか。それでも「内部の人間を責めたい」と思うなら、まずは共通の敵である「天理教組織」を倒してからやりましょう。
古い教会長様のご意見も同じかと想像します。
私も貴方の「心ある」行動を支持し応援したいと思います。
2016年10月1日 2:36 PM 匿名です 様
解釈や考えは自由ですが、余りに天理教に幻想を抱きすぎな気がします。
かつての日本・日本人の良さを「天理教の教えのおかげ」とするのは無理があります。
幕末から明治初期にかけて日本に来た外国人旅行者の日記には、だいたいですが、「日本人は善良で明るく、好奇心旺盛でよく喋り、子供やお年寄りを大切にして、貧富の差が殆どない生活をしている。」とあります。
江戸時代、南町奉行所の記録では、10年間牢屋が使われた記録がない時代があったそうです。
現代のような「刑務所に犯罪者が溢れ、街の治安も不安がつきまとう」ような日本ではなかったと言えます。
直接資料を当たらなくても、ネットやユーチューブ等で調べられますから、確認ください。
>ブランド物をインスタグラムにあげる これが娘の高校で流行っているようです。
娘さんの躾、教育は貴女の役目です。
天理教の教えやお話を使って家庭教育をするのは大いに結構ですが、その内容はよく吟味してください。
他人を思いやり、優しい心で接し、困っている人には手を差し伸べ、励まし合って共に成長していく、というような「教祖像」を使うのなら娘さんの教育に役立つでしょうが、「上の言うことは絶対で、従うことが人間の勤め」等というお話なら、止めた方がいいでしょうね。
>みんな貧しくみんな平等で、みんなが他人を思いやる、そんな社会を作ることができるのは天理教
「みかぐらうた 一下り目」には、「なにかつつくりとるなら やまとはほうねんや」とあります。
「みんな貧しく」は、教祖様の教えではありません。
今の「天理教組織」の教えではありますけどね。
「貧乏暮らしでも文句を言わず、お供えを出し続けなさい」という「理の親教理」です。
ここまでのお話からすると、匿名です様は「たまたま良い天理教の環境に恵まれ、現実に救われた体験を持ち、その経験から天理教に心酔して、良い面しか見ようとしない純粋で素直な人」と受け取れるのですが、今のネット社会で天理教の悪い情報を全く知らない訳が無いし、天理教に関わって時間が経てば「良い環境だけじゃない」というのに気がついて当たり前です。
もし「純粋で素直な人」ならそれでも構わないのですが、その書き込みや主張からすると、「純粋で素直な人を装った工作員」という疑いが消えません。
どちらにしても、その書き込みや言葉は、「現在天理教に苦しめられたり傷つけられたり悩んでいる人」にとっては、より苦しめられ傷つけられ悩まされる事になるので、この点を考慮してご意見ください。
教会師弟様
母が無神論者です。近所の教会に行きたいといったら激しく怒られました。天理に参加する話は母の機嫌を損ねます。
これほど天理を大切に思っていても子供には伝えられない。
それとは別に教会師弟様も長の年月私と同じ体験をされてきたらまた新しい考え方をされるかもしれないです。
工作員ではないです。(どこの?)
私は自分が見た世界を自分なりに止めたいと思ってやってます。それには天理が必要なんです。
匿名です 様
>これほど天理を大切に思っていても子供には伝えられない。
「天理教」と言わず、「天理教の良い部分」だけを伝えればいいじゃないですか。
私だって、天理教組織や教えを歪めてる上級その他には批判も非難もしますが、教祖様の教えそのものは素晴らしいと思っています。もっとも、その内容は嘘や捏造、歪んだ解釈が多く含まれてるので、取捨選択が必要ですけど。
>教会師弟様も長の年月私と同じ体験をされてきたらまた新しい考え方をされる
匿名です様も、長の年月私と同じ体験をされてきたらまた新しい考え方をされるでしょうね。
体験も経験も、考え方も解釈も違うから「話し合い」をし、その違いを「議論」して「より良いもの」を目指すのです。
「自分と違う体験だから考え方が違う、それは間違ってます」では話し合いにすらなりません。
>私は自分が見た世界を自分なりに止めたいと思ってやってます。
匿名です様が止めたいと思ってるのが「天理教に対する批判や非難」なら、工作員としか思えません。誰かに頼まれてとか、意識して工作員をやっているのでないとしたら、自覚のない工作員ですから尚更始末に負えないことになります。天理教のダメなところを擁護し、改善や改革を妨害する行為を無自覚にやっているのですから。
横槍になりますけど、「改善や改革を妨害する行為」って、ネットに書き込んでるだけじゃないの!
それで「工作員」呼ばわりするのはかわいそう。おやさまの教えの御旗を掲げるお方ならば、もっとやわらかやさしい心を使ったほうがいいのではないですか。
自身の意見に平服できないものは、一方的に断罪するって感じの文章で、なんというか…懐に奥行きがない。
「おやさまの教え」の御旗を掲げて教団批判をすると、なんだかレジスタンスみたいでもっともらしいですが、
肝心の教えを忘れて、批判に没頭する人の多いことは残念です。
ちなみに私は「工作員」ではありません。失礼しました。
教会師弟様
子供にも良い部分をもっと伝える機会を増やそうと思います。
体験は一人ひとり違いますね。確かにそうですね。
止めたいと思っていることは別のことです。
天理教からみではないけど天理教が解決のために必要だと思っています。
横から失礼様
お心遣いありがとうございます。工作員てかぁ・・とは思いました。(賢そうとも・・(–;))
しかしこういう文章を若いころに読まなかったのも体験としては大きいのかもしれません。
私は天理教人は道一条の方しかいないと思ってました。
ここ数ヵ月で衝撃のカルチャーショックでした。
ついつい熱く書き込んでしまいました。
横から失礼 様 匿名です 様
>それで「工作員」呼ばわりするのはかわいそう。
「工作員」という言葉が気に触ったのなら謝罪します。
しかし、過去の書き込みを読み返して頂ければ分かりますが、天理教から被害を受けた人や苦しめられ悩みを抱えている人や、耐え切れずに批判・非難するに至った人に対しての書き込みや言葉が、天理教のお題目や建前(これは、上級会長達が使い続けて、実際に多くの人が被害を受け、苦しめられ悩みを抱えるに至った内容)に終始しているため、そういう苦しめられた人が「余計に苦しむ事になる」から使った「工作員」です。
この点を何度か指摘させて頂いたのですが、全く理解されなかったようなので厳しいかもしれませんが「無自覚の工作員」という言葉を使いました。
ネットに書き込んでいるだけとのご指摘ですが、現状の天理教組織の中では、どれ程不満や不平を抱え、どれ程訴えたいと思っても、一人だけで声を上げるのは大変困難であり、また、事情や理由があってできない人が殆どです。組織体制や制度がそれを許さないのです。
一般の会社のように「労働組合」のようなモノがあれば、話し合いや団体交渉も可能でしょうが、それもありません。横の繋がりを否定する制度体制ですから、同じ立場で苦しみを共有するものが協力できないのです。
そんな中で情報交換をしながら、各々の事を振り返り、気持ちと決意を新たにするのは、現状ネット以外にはありません。ただ単に「ネットに書き込んでいるだけ」で片付けて欲しくない「思い」があるのではないでしょうか?
>「おやさまの教え」の御旗を掲げて教団批判をする
それほど自分の教義の理解や解釈に自信を持ってはいませんよ。
逆に、解釈や理解を深めたいと思いますので、間違いやおかしな点があったらご指摘いただきたいです。
練り合い・談じ合いをするのが大切なことだと思います。
なお、「おふでさき」にも、厳しくキツイ表現や言い回しは多々あります。
全て「柔らかく優しかった」訳ではないでしょう。
ご意見がありましたら、遠慮なくお願いします。
教会師弟様
いろいろ詳しく解説いただき、理解が深まった部分はあります。
しかし震災時に天理教から人もお金も災害地に向けて行きますよね。随分助かってる方々は多いはず。
教会師弟様
すみません。最後の文章を読まずに送ってしまいました。皆さんの大変さは書き込みを見て分かります。
労働組合があっても150日以上連続勤務をされていたり(シフト上は休みがありますが、実際いないと回りません。)、朝早くから夜中まで働いていたりと世間の労働組合もあてになるものではないように思います。
最近は法律が厳しくなったのか 変わってきてるようですが。立ち仕事で足に床擦れみたいなのを作りながら働いていたりする方々もおられたりします。世間も非常に厳しい状況で働いておられることもあります。
手がしびれた状態で、それでも聞き手ではない方の手を駆使して働いたりなどもあります。腰を痛めても腰に負担がかからざるを得ない仕事など痛みと供に仕事をしておられる方々は普通におられます。
ただ今の唯物主義の日本では大変だというのは分かります。お寺も供養にお金を出される方が減ってきて、維持が大変だと思います。あの建築物を支える供養の費用がみんなで分配できる仕組みが崩れてきています。宅配の僧侶などもおられますね。
祖母も毎月僧侶を祖父のためによんでお経を唱えてもらっていたのに、今はおじのところに仏壇と供に行き僧侶をよぶことはなくなりました。
精神世界の存在は存在根拠の証明を求められたまま忘れ去られようとしている時代になってきました。
教祖は存命でいらっしゃいます。「やむほどつらいことハない わしもこれからひのきしん」おさづけの時にか体に入り込まれると教えていただきました。存命のまま様々な事象に心を痛められながら私達を親神様のもとで導きお守りくださってます。
おさづけの時に体内で何か変化がおこることはありませんか?力を感じることはありませんか?
唯物主義と闘う教会は苦しい立場にあるのは分かります。なんとか信者がきちんとしっかり教会を支えたいと思っています。
いろんな意見が平行線を辿りながらも答えを模索していってると思います。
匿名です 様
匿名です様は、純粋に今の天理教を信じ切っておられるのかもしれません。私はあなたのことを純粋で、やさしい、素直な方だろう、と思っております。
が、現に、あなたの目にも入ってない訳は無いと思います。何百万の御供えを、ご守護が頂けると会長に言われ、それを信じて多額のお金を出してしまい、泣き寝入り、苦しんでいる被害者の方が大勢おられるのです。又、匿名の教会長様のお父上のように、上級会長から、理不尽なお供え要求に苦しめられている教会長さん達、生活もままならない信者の方々も大勢おられるでしょう。匿名です様は、そのようなことに関しては何も仰らず、末端教会子弟様が書かれてるように 【天理教のお題目や建前】 を書き込んでおられるのみ、あるいは何やら教祖伝で、波動が伝わって来たとか、そのような書き込みばかりされておられます。
ご自分が奇跡的な信仰体験をされたことは、結構なことであります。しかし、被害を受けて苦しんでいる人に対して、そのようなことを書き込んでも、被害者の傷口に塩を擦り込んでいるようなものです。私はこんなすばらしい体験をしてますが、あなた達(被害者の方々)は徳が無いからですよ、と言ってるに等しいことになると思いませんか?搾取体制を糾弾する投稿の後での、そのような書き込みは、「はぐらかし、糾弾者への無視」に思われます。現に天理教教団が行っていることと同じことです。そして、匿名です様がそういうことを書き込まれるのは、たいがい、被害、糾弾の投稿者の後です。被害者の辛い体験、あるいは天理教を糾弾した投稿のあった直後に、あなたはそういう書き込みをされています。あなたがされていることは、天理教の「工作員」と呼ばれても仕方が無いことと私は思います。無自覚にされておられるのでしょうけれど。
私たちは天理教組織の、「実際に行われている搾取構造」を糾弾しています。それに対して神秘的信仰体験や、「お題目」を書き連ねるのに、何の意味があるのでしょうか? あなたのやさしい気持ちで、被害者の方々にも寄り添ってあげて欲しい、と思います。被害者の方々の目線で見ることも必要だと思います。
<某・投稿より>
普段、少しでも信仰を実生活の場で活かせずいると気づけば社会の誘惑に負けて「まっいっか」と面倒くさいのが前に出たらあっというまに信仰なんて無くなります。
自分以外の家族が一人でも信仰があり支えがあれば、忘れた頃に指摘してくれる人もいますがそんな恵まれた環境にいる人はほとんどいません。
さらに残念なのはそんな素晴らしい環境にいても活かすどころか突き放す教会家族もいるほどです。なぜ、こんなに天理教の教会は堕落してしまったのか?それは応法という社会の仕組みにどっぷり漬かり過ぎて信心より仕組みが重要に成りすぎてしまったことに原因があると考える。
現代は結果的に時勢が去れば残る物は無く、理という見えない物のプライドだけを遺した。
でもごく稀にも、その事に気づき今も盛んにされている教会はこればかりではない、つまり仕組みに翻弄されながらもちゃんと理を聞き分けご苦労をされた信仰ある教会もある。それこそ継承できる理でもあり、それを神意でみるならば、現在においてこの意味を捉えるなら親神様に「篩(ふるい)に掛けられている」と感じる。
「社会(しくみ)の踏み台にされた信心(信者)」
江戸時代、仏教もまた檀家制度という名の戸籍管理が寺の管理となったことにより、実質的に寺 は、江戸幕府の統治機構の檀家制度により経済的基盤も安定し、幕府政権 の政治的バックアップも受けたことで、僧侶の生活が安定したが、かえってこれが僧侶の 腐敗堕落が進む原因となった。結果的に現在もはびこる、宗教の形はすべてに金がつきまとい、信心の無い仏教を現在に遺してしまった。信心無き道はどれも同じなのである。
匿名です さま
「末端教会子弟」です、「教会師弟」ではありません。
自分の立場と置かれてる状況を端的に表現した名前です。
>労働組合があっても150日以上連続勤務をされていたり
私は「労働組合のようなモノ」と言いました。
宗教に関わるものは労働者ではありませんから、労働組合そのものや一般労働者の苦労話を引き合いに出すことに意味はありません。
>なんとか信者がきちんとしっかり教会を支えたいと思っています。
匿名です様個人が支えたいと思うのは自由ですし、実際に支えるのも自由です。
でも、既に天理教によって苦しめられてきた人に「貴方の考えは間違ってる」と言う匿名です様の行為は、教会を支えることに繋がりませんよ。お題目と建前を引っ張り出して、天理教組織の問題を話題にさせまい、議論させまいと先延ばしにしてるだけです。
更には、苦しめられてきた人の傷口に塩を塗り、追い打ちをかけて谷底に突き落とそうとする行為です。
その他言いたいことは、「さっちん様」が代弁してくれたので省きます。
匿名A 様
>(2016年9月30日 10:07 PM 匿名)あなた様の投稿に対して、「古い教会長様」は理解を示れ励ましの言葉を掛けておられますが、非才の私には理解しづらい部分があります。
実は理解はしていません。ちょっとした嫌味です。
以前、自立人生というネームで書き込みされていた元・布教所長の方と同一人物だと思います。
色んな意見や、反発があっても一切、反論も意見も何も言わないのも似ています。色々と統計上から、今の天理教の現状を分析されていました。
それから<匿名です>さんは、誰かから依頼を受けて書き込みされているようです。ノーテンキな書き込みで荒らしにちかいです。本当に人を喰ったバカにした書き込みばかりです。
古い教会長様
>以前、自立人生というネームで書き込みされていた元・布教所長の方と同一人物だと思います。
私は、自立人生様の文章では無いと思います。私には、この 「。」 で区切る文章の書き方で、別の方を想像しているのですが、でも違ってるかもしれませんし、人物を割り出すことをする必要も無いので。「匿名」で投稿されているのですから、特定されたくないでしょう。
天理教に相当に深い恨みと被害者意識が強くお有りなのでしょう。私たちと一緒に「天理教組織に向けて」闘いを挑んで頂きたいと思いますね、これだけ力強い文章が書ける方なのですから。
古い教会長さま
それから<匿名です>さんは、誰かから依頼を受けて書き込みされているようです。ノーテンキな書き込みで荒らしにちかいです。本当に人を喰ったバカにした書き込みばかりです。
この人の書き込みがあってから、投稿するのがアホらしくて止めました。
徳子様
依頼など受けてないです。真剣に自分の感じた事実を書いています。
末端教会師弟様の言葉、さっちん様の言葉無視しているわけではありません。返答していないのは心の中で反芻しています。
人を喰った書き込み。
自分の考えで間違っているところは改めていただこうと思って書いています。
依頼をうけて書いているというのは違います。
人を喰った書き込み。
そうですか。皆様のお心を荒らしてしまって失礼いたしました。
勿論古い教会長様や書き込まれた皆様の意見も心の中で反芻しております。
ダブルワークで書き込む時間がないということもあります。
人を喰った気持ちで書き込んでいるわけではないです。
ボランティアワークが中心を占めていますが。
皆さんを怒らせていることはよく分かりました。
皆さん、天理教団の将来は心配しなくてもいいんです。すでに、本部員たちの善亮参りが始まっています。
何という情けない集団なんでしょうか。目ざと過ぎて開いた口が塞がらないとは、このようなことをいうのでしょうか。
この現象を見ただけで、将来のことはお判りでしょう。議論を待つまでもないことです。
匿名A 様
善亮さん、大亮さん、その取り巻き本部員達、天理教の頂点とその周りに居座るお家の方達に、お好きなようにして頂いて、そのうちに、周りには誰もいなくなった、という状況になっていくのが一番いいでしょう。
只、全国の信者さんや、末端教会長さん方に、お供えをしてはいけませんよ~と回覧を廻したいが、どうする術も無いのが残念無念じゃ~!
さっちん 様
>全国の信者さんや、末端教会長さん方に、お供えをしてはいけませんよ~と回覧を廻したいが、どうする術も無いのが残念無念じゃ~!
本当にそう感じます。
せめて、上級や本部にお供えやお礼など上げずに「直接人助けしましょう」と伝えたいです。
もし、本部や上級の会長が優秀な監督(人助けが上手くて、下への指導が上手く、結果を出せる人)なら、多少のお礼くらい考えてもいいかなと思えますが、「勝て、勝て、ホームランを打て、何故お前は全打席ホームランが打てないんだ!」と怒鳴りまくって威張ってる監督では、指導を受けようとも思えないし、ついて行こうとも思えません。
さっちん様や古い会長様、命の泣き声様、カイン様、また皆様のお陰で助かったと実感している者が、私をはじめ、十数人居ることをご報告させて頂きます
有り難い極みです。
訂正します。
2016年9月27日11:01の書き込みで「真柱服」の唐草模様及び梅鉢紋が金色と書きましたが、梅鉢紋のみ金色でした。早まった書き込みにお詫びいたします。
さっちん 様
善亮参りだけではありませんよ。大亮参りも盛んだそうです。ったく上ばかり向いている連中ですよ。
下々のことなど金づるくらいにしか思っていないのでしょ。〇〇にすんなと言いたい。
お供えを辞めた分の内の少しでも、京都大学の山中教授の研究グループ、国境なき医師団等に寄付をした方が、人類のためにもはるかに有効です。
匿名3 様
私も、カイン様、社会学研究所の皆様、お供え掲示板の皆様のお陰で助けて頂きました。ありがたい極みです。
皆様のお陰で、天理教に対する疑念、密かに抱いていた嫌悪感が、決して私の成人してないがための不足の心のせいではなく、心の拠り所とするに価しない、生き方の指標とできない宗教(組織)であると、確信を持つことができました。
皆様のお陰です。ありがとうございます。
「とと姉ちゃん」の最終回を録画してあり今観た。
「常子、よくがんばったね」そう常子の父親が彼女に語りかけるシーンを見ていて、
ふと泣きそうになった。
そして数年前のある場面が思い出された。
私に握手して、「よくがんばりましたね」と声をかけていただいた時のこと。
私はその場で人目をはばかることなく泣いた。
壁には天照大御神という文字が見えた。
「50代元信者様の関係者ではありません」と前置きをされて書かれている人がいる。
その人のことを私は存じ上げない。
ほとばしるように溢れ出している言葉の数々。
どんな思いで書いているのだろうかと想像すると涙があふれた。
その人は天理教から離れていても、まだ完全に抜け出していない。
最後の禊をしようとしているのだろうか。
でも確かに感じるのは、その方があらたなる道を歩もうとしていること。
きっと苦しいのだろう。相当苦しいのだろう。
私のように卒業するには、いったん自分から天理教を追い出さなくてはならないのだ。
忘れられなくても忘れる努力をしなくてはならないのだ。
一番大切なもの。それを守るために。
私はそうしてきた。
かかわっている以上、いつまでも過去から抜け出せない。
なのに、「応援してくれ」と尚そこにとどまることを余儀なくされる。
残酷なことだ。
この人たちは死にたいほとの苦しみを味わったことがあるのだろうか。
私はふるえた。
空白の時間が必要。
いつかきっと、あれもこれも自分にはすべてが必然で、すべてが意味があったのだと
そう思える日が来る。
その時に人は安らかなる笑顔で、穏やかな優しい笑顔で
どんな立場の人にも心温まる言葉をかけてあげられる日がくる。
まずは苦しい人は、自分を大切にしなくてはならないのだ。
「自分を知らなければならない。
自分が大切にするものは何か。譲れないものは何か」
これは新しい朝ドラのセリフ。
なんていうタイミングなのだろう。
あふれ出てくるまま言葉にしました。
50代元信者 様
その方は真面目な真摯な方なのでしょう、だからよけい、天理教被害の後遺症に苦しんでおられるのでしょう。でも、その方は、私達を全員一律に、悪の組織の一員である、加害者であると一方的に糾弾されておられます。 『一般信者以上に』 被害を受けている天理教関係者もいます。匿名の教会長様のお父上様などは、本当にお気の毒です。氷山の一角かもしれません。
>かかわっている以上、いつまでも過去から抜け出せない。
>なのに、「応援してくれ」と尚そこにとどまることを余儀なくされる。
>残酷なことだ。
>この人たちは死にたいほとの苦しみを味わったことがあるのだろうか。
もう既に、天理教から全く離れてらっしゃり、心のわだかまりも苦しみも全て、過ぎ去った過去のものとして清算されておられるのなら、投稿もする必要も無いことですが、今も心の中に癒されずに残っている思いを投じたいために、投稿されたのでしょう。そのお心の内を思うと同情を禁じ得ません。そして、「投稿されるなら、その矛先の相手は、私達ではなく天理教組織」だと、申し上げたいと思います。
私が余計な事を書かなくとも、末端教会子弟様が、既に余すところなく、2016年10月1日 5:17 PMのご投稿で、書かれております。そして次のようにも。
「もし、これ以上の被害を拡大させたくないと思うならば、その批判と非難は「書き込む人」ではなく「組織そのもの」に向けて欲しいと思います。組織の内外から批判と非難の声を上げれば、その効果はより高まるのではないでしょうか。それでも「内部の人間を責めたい」と思うなら、まずは共通の敵である「天理教組織」を倒してからやりましょう。
古い教会長様のご意見も同じかと想像します。
私も貴方の「心ある」行動を支持し応援したいと思います。」
それから最後に、もう一言、申し上げたいのですが、「応援してくれ」、」という言葉はどこにもありません。「応援します。」「一緒に【天理教組織に向けて】闘いを挑んで頂きたいと思います」という言葉はありますが。それらは、その方を傷つけるものではないと思います。
文章をよくお読みになってくださるよう、お願い致します。
さっちん様 ありがとうございます。
親神様、親様に誓って、嘘偽りない心で、さっちんさんに感謝します。
しばらくはさっちんさんのコメントを拝見して
震えて震えて、泣いていました。
ですが、震えながら、また新たなる光景が思い出されました。
それはもう10年以上も前のことでしょうか。
布教所長である母が父と一緒に離れた土地に住む私のところに遊びにきてくれた時のことです。
母と一緒に親子として楽しい時間を過ごしたいと思っていた私に、
まず母が渡したのは「地方講習会のお誘い」でした。
もう天理教から離れているのを知っているのに、尚すすめてくる母に、
私は泣き叫んで、「なんのためにここに来たのよー」とかなり感情的に怒りをぶつけてしまいました。
さすがの父も母がかわいそうに思ったのでしょう。
「もういい加減にしておきなさい」と。
母はその後、うちの庭に出て行って、泣きながら庭の草ひきをしていました。
「おやさま。おやさま」そう小さな声で口ごもりながら。
お母さん、ごめんなさい。
本当にごめんなさい。
今母の姿がよみがえってきて、私は母への思いに、こうしている間も泣いています。
辛かったでしょう。
逃げ出したかったでしょう。
さっちさん、ありがとうございます。
今は私に震えるような言葉を与えてくれる方はいません。
もしさっちさんがこうして書いてくださらなかったら、
私は母に心からあやまることはできなかったでしょう。
私にとって、さっちんさんとの時間は
禊をするための大切な時間でした。
ありがとうございます。
さっちん 様
>末端教会子弟様が、既に余すところなく、2016年10月1日 5:17 PMのご投稿で、書かれております。
ご賛同いただき、有難うございます。
でも私自身、2016年9月30日 10:07 PMの匿名様 程ではないにしても賛同できることは多いし、「天理教内部の人」に言いたい事は沢山あるんですよ。
身内の恥のような事になってしまいますが、私の母の言動はまさしく「匿名様のご指摘通り」の人です。
昔、上級の要求する通りのお供えを上げることが出来ていた時代は、上級からチヤホヤされ、兄弟教会から「〇〇さんの所が羨ましい」等と煽てられ、「他所は苦しい苦しいと言ってるけど、うちはキチンとお供えを上げる事が出来ている。有り難い事だし神様のご守護のたまものだ。」等とうち(家族)の中でさも嬉しそうに言っていました。
私の「おかげで教会はボロボロじゃないか。信者さんに余計な負担を掛けていないか?自分たちの生活費を切り崩してる事実をどう考えているんだ?」という指摘や質問には、「私は一生懸命やっている。それが信仰なのだから仕方ないじゃないか。教会の手伝いもしない(私には理が無いと言いたいらしい)で何を言っている。」といって全く受け入れることなく上級への尽くし運びを続けてきたした。
昨今、当教会も信者さんが高齢化し、減る中で、また、両親の年齢的にも上級の要求に応える事が出来なくなってきた中で、父(会長)の入院手術という出来事が起こり、私が「手伝う事」になった訳です。
「継ぐ」のではなく「手伝う」のは、「両親のやり方を継承しない」という私の決意の表れです。
お供え掲示板でも書きましたが、「お供え・お礼」等は一切廃し、各種会費も「納得できる資料が出てくるまで払わない」という世間一般なら当たり前の事をしています。
そのおかげで当初数か月間は、私のやり方では納得できない(気が済まない、心が落ち着かない)母との言い争い、戦いの日々でした。
例えば、
母「上級から詰所修繕のひのきしん袋が来たんだけど・・・。」
私「出さないよ。信者さんにも言わないし集めない。」
母「でも、上級から言われた事だから・・・。」
私「良いじゃないか、詰所がボロだって。教組様の雛型通りなんだから、それより人助けが大事でしょ?」
母「そんな事言ったって詰所くらい修繕しないと・・・。」
私「うちの教会がこれだけボロなんだから、詰所もボロでいいだろ?一列兄弟じゃないんかい?」
母「それじゃ上級に顔向けが・・・。」
私「お袋は言わなくていい。俺が直接言うから。」
母「お願いだから、それを上級に言うのはやめておくれ・・・。」
こんな感じです。
最近、ここまでのやり取りは減っては来ましたが、まだまだ根底には母の「見栄」が見え隠れします。
母に常々言ってるのは「自分で考えろ、答えを出せ!」です。
年老いて認知症のケが見え隠れする母には酷な言葉かもしれませんが、問題や困ったことを解決するのに愚痴や文句ばかり並べていても何も解決しないのは当たり前です。これまでの教会運営のように天理教のお題目や建前を説いて「他人の善意」をあてにして済む時代も終わりました。
ここやお供え掲示板に書き込みをされている人達は、自ら考え行動し解決に向けてアクションを起こした方たちだと思います。私自身まだまだ未熟な点が多いので、自分の意思を固め、様々に参考にさせて頂ける場だと思っています。
中島みゆきさんが「宙船(そらふね)」の中で・・・
「その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな」
と歌っています。
50代元信者様
50代元信者様は、感受性の豊かな方なのですね。私の文章に、あなたに感謝を抱かせるところがあるのか、と再度自分の文章を読んでみて、気が付いたのは単に、「応援してくれ」とは書いて無いですよ、という一言ですむ筈が、何やらピント外れのことをズラズラ書いてしまってたのじゃないか、と。「よく文章をお読みください」、と書きながら、自分も50代元信者様の文章、よく読んでないな~、なんて。(笑) 投稿すると、往々にして、そういうことをしてしまってることがあるのですよね。的外れのことを、一生懸命書いてたり・・。
50代元信者様のように、やさしいお顔がみえたり(教祖のお顔が見えたのでしょう?)、そういう奇跡は、私には何も起こりません。50代元信者様が、悩み苦しみ傷つき、真剣に道を求めて歩まれて来られた、そのことに、神様が微笑んでくださったのでしょう。
私も50代元信者様に、いろいろ学ばせて頂きました。老子やマドモワゼル愛さんも、ちょっと読んでみないといけないですね。50代元信者様のように、純粋さ、他への思いやり、広くものごとが見える高い視点、それらを学ばねばならないと思います。 私もお礼申し上げます、ありがとうございます
さっちん様
実は、何度か違うコメントを書こうとしたのですが、
そのたびに画面がスクロールしたり、カーソルが勝手に動いてどうしても書けなかったのです。
偶然でしょうが。
そして、冷静になるまでしばらく落ち着こうと思い、じっとしていたのですが、
体の震えがとまらなかったのです。
そして頭に過去が浮かんできたのです。
過去の自分はなんて愚かだったのだろうと。
あの時母はきっと震えていたのでしょう。
辛い出来事も自分を高めていけるために起きること。
実はちょっと辛かったです。
天理教から抜けて、私の心を救ってくださった方はその二つだけではないので、
ちょっと書いてみますね。著書だけの方がほとんどですが。
芹沢光治良氏、天命庵 大徳寺昭輝氏、日木流奈氏、ニール・ドナルド・ ウォルシュ、飯田史彦氏、春日大社元宮司 葉室賴昭氏、佐藤初女氏、シスター渡辺和子氏、神渡良平氏、エックハルト・トール、
その他 心理学や自己啓発本などたくさんです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
神様はこう言います。争いや喧嘩や人間の思いの行き違いでいろんなことがあるかも知れない。
でも一寸したことで腹を立てて切ってはいけない。後でどの様にその方にお世話になることに
現れるかもしれない。そやから「腹を立てたらあかんよ」言うんですね。あんさん方もそうです。
・・・・そういう時にふれくされた心でいるといつまでも素直にならない。素直になれないから
いつまでも心が曇ってくる。曇ってくるから絶対にしあわせにならない。
でも、いつも「ああ、これもご縁なのやなあ、ちゃんと離れてあげることも大事なのやなあ」
と思って相手を大事にしてあげたら、出会った時でもお互いに本当に気持ち良く出会うことができる。
ー飛ぶ鳥後を濁さずーという言葉がありますね。そやから後を濁さないようにお互いの心の交流、
いろんな時期があることを考えて、決して切り口上、捨て言葉を出してはあかんと言っています。
素直な気持ちをあんさん方が持つことや。敵をつくることはありませんよ。親神様の教えに敵は
ないですね。お釈迦さんにはダイバという敵がいましたね。イエス様にもユダというそれこそ
裏切ったような姿があります。でもこの道には敵がないんです。みんな神の光の前に許されることが
できます。
末端教会子弟 様
私も、毎月3千円づつ、ずうっと払わされ続けている詰所改修費、上級から、いつまで、という期限も一向に言って来ないので、修繕費の、うちへの割り当て、支払期限が解るものを送れ、と先月中旬に書き送りましたが、まだ返事はありません。無いのかどうかわかりませんが、あるならきちんと送って来るべきでしょう。杜撰極まりないです。それから、上級の神殿棟瓦葺き替えの費用も、心配してましたが、その分のお供えの請求は今のところは来てません。私が上の件で、物申したことで、素直に払わないだろうと察して、うちへの請求を取り止めたのでしょうか?(請求が来ても払うつもりはありませんが。)
>各種会費も「納得できる資料が出てくるまで払わない」という世間一般なら当たり前の事をしています。
私も末端教会子弟様が言われるように、これからは、支払については、証拠書類を見せて貰えるまでは拒否しようと思います。一般の会社なら当たり前のことです。既に、青年会費、少年会費、それに付随するお供えは拒否しておりますが、次の婦人会費一万円(教会規則では、一人〇百円の会費だけ)、婦人会お供え、本部と大教会、合わせて3千円も払う必要など無いですね。教祖誕生祭、25000円、これも何とか拒否したいです。教祖のケーキ代にどうぞ、と1000円位は出そうかな~なんて。
何か事がある度に、万単位のお供え、会費払わされ、それに馴らされてしまい、するのが当たり前になってしまってます。今まで払い続けた金はいくらになるか・・・。これからは慎重に、上級の顔色など一切構わずに、そう思い決めております。
さっちん様
お顔が見えたとかお声が聞こえたというのは、私は奇跡とはとらえていないんです。
はっきり聞こえたつもりですが、ひょっとしたらあまりに緊張していたため、
私の脳が作り上げたことかもしれないし。
やっぱりあれは書くべきではなかったかな、と思っています。
奇跡とは、この世に生きていること、もうそれだけで十分な奇跡。
人と出会うことも奇跡。
私が声を聞いたのは18歳の時のことです。
まだまだヒヨコの時期です。
さっちんさんは、「悩み苦しみ傷つき、真剣に道を求めて歩まれて来られた、そのことに、
神様が微笑んでくださったのでしょう。」と書いてくださいましたが、
ようやくスタート地点に立って歩み始めたころのことです。
もしも、あの声が私の幻覚ではなかったとしたら、
それは、「今から大変な道が待っているけど、がんばるのですよ」というお声だったと思います。
プライベートなことなので、あまり書けないのですが、
お供えの掲示板に書いたことなど、ほんの一部なのです。
渦中にいる間は、死にたいくらいでしたが、
今となれば私にとって大きな宝になっています。
会長や母によって、思考を押さえつけられていた面も確かにあるのですが
それより、私を悩ませていたものは、「こころ」というものを全く知らない人たちでした。
お道の中にいるとお辛いことも多々おありだと思いますが、
教えによって清く生きられる面もありますでしょ。
誰かのためにお役にたてることを喜びと感じられたり、手をあわせて深く感謝したり。
そういう中にいられるのは、幸せな面もきっとあるはずなのです。
でも世の中には、そういう心が全くない人たちが存在して、
我欲の中だけに生き、思いやりなど皆無に等しく、
奪い取ることだけ考えている人が、普通の生活の中に多々存在するのです。
なんでもお金、お金、お金。
神も仏も信じず、感謝という言葉を知らない人たち。
そういう人たちに囲まれるのも、また違う辛さがあります。
知っている人が教えてあげればいいのですが、それは容易なことではないのです。
たった一人でも、真実に気づけさせていただいたら、それは奇跡。
でも生まれ変わった人がいます。誰とは言えませんが。
天理教から離れて視野を広められて本当によかったとは思いますが、
抜けてからの人生は、信仰とは関係ない世界で傷だらけでしたよ^^
終わりなき旅。たぶん死ぬまでずっと。
50代元信者様
50代元信者様は、いろいろな不思議な「神秘的な体験」をされてるのですね。世の中には、そういう方もやはり、おられるのですね。霊感がおありになるとか、そういうことでは無いのでしょう?
実は私も今までに一度だけ、ほんとにたった一度だけは不思議体験をしているのです。50代元信者様のような、お顔が見えた、とか、そういうことには遠く及びませんが。
もう、10年以上も前、うちの教会の神殿掃除を、つまらないな~と、うんざりしながらやってた時です。私には奇跡なんて何も起こらないのだな~、修養科では奇跡が起きる人もいると聞いたけど、(まだ、今のように天理教を見限ってない時ですね。)などと思いながら、神殿にいた時です。
その時、ふと、胸に浮かんだのです。「元気で生きてることが奇跡だ。」言葉としてではなく、そういう観念(でしょうか、)思い、というか・・が、ふと浮かんだのです。私が普段は全く思ってもなかったことが。奇跡というのは、見えなかった目が、見えるようになったり、全く歩けなかった人が、突如として歩けだした、とか、そういうことを奇跡だと思ってましたからね。
あれは何だったのだろう。その時一度こっきり、2度とそういうことは起こってないのですけど。うちの教会の神殿掃除中だったから、神様か、教祖か、それとも私の守護霊か、私が小さい頃世話になった、先々代会長の御霊様か。ほんとにあれは不思議でした。
それで、信仰に目覚めて、お道に熱心になったということは、全く無いのですけど(笑)
まあ、こういうこともあるのだから、世の中は霊的なもの、目には見えないあるものが、存在しているのだろう、とそう思ってはいるのですけども。それが何かとはっきりは私には解りませんけども。
まあ、そういう次第です。
さっちん様
霊など全く見えません(笑)
ただ崇高な気持ちになったりすると香りで感じることはあります。
逆もあるのですが。くさーい匂い。
あとは、低級霊とか動物霊にとりつかれて、不思議な力を見せつける人のそばに行くと、
咳が出て近づけなくなったりします。
霊は見えませんから、あとでそういうことだったのか、とわかったりします。
会長や母や夫は、私が何か不思議なものをもっているように思っているようです。
ふふふ、たぶん恐ろしいのでそう思うのでしょう。
病気も治らないのにも意味があると思うので、鮮やかなご守護とかいう奇跡ってどんなもんなのでしょうね。
お道にいたころはそういうことに非常に興味がありましたが、今はからっきし興味ありません。
娘はステロイド離脱というのを経験しました。
壮絶なる闘いの日々なのですが、体液が3年にわたって夏になると出てました。
パジャマをビショビショにするくらいです。
体にたまった化学物質が膿として流れ出るのですが、
ある方の話によると、小分けにして出さないと人は死んでしまうのだそうです。
それが天然自然の理で自然治癒力。
変な力に頼って鮮やかなるご守護のようなものを願わなくてよかったと思います。
さっちんさんが掃除しながら天の声を聞かれた瞬間を想像しますとね、
クスッと笑えて来ます。
さっちんさんは、とっても楽しい人なんでしょうね。
ツイッターでも最初の頃好きだったな。美空ひばりとか言ってた頃。
ジョークを言いながら、鼻歌歌いながら、ルンルンと生きていたら
きっとめっちゃチャーミングで素敵なんだろうなー。楽しい人生を!
50代元信者様、さっちん様
楽しく奇蹟談義、不思議体験談義をされているところ、乱入ご容赦ください。
普段、理不尽不可思議非科学的を排除して理屈を並べる小生ですが、「不思議な体験」は経験してます。
古い話ですが、私の祖母が亡くなった時の事です。
当時、実家から500キロほど離れた地で仕事をしていたのですが、その瞬間、自分の周りの空間が歪んだかと思うと周囲の空気が一変し、自分の体を冷たいものが流れたような感覚に襲われました。
「もしや?」と思って電話を取り、実家にかけたところなかなか繋がりません。
何度かかけてやっと出た妹に「何かあったか?」と訊いたところ「お祖母ちゃんが○時✖分、亡くなりました」との答えです。その時間は、私を襲った不思議な感覚を感じた時間から1分も経っていませんでした。
事前(1週間ほど前)に親父から「お祖母ちゃんが危ないと医者が言ってるので覚悟しておけ」と言われていたものの、あまりの時間の正確さに驚いています。
いわゆる「虫の知らせ」というやつで天理教とは関係ありませんが(笑)
もう一つは、もっと古い時代。
私の兄の顔に「腫れもの」が出来た時の事です。
それを見た母が喜々として「病のさとし」の本を取り出し、「顔に出来る腫れ物はね・・・」と始めました。
当時から天理教を避け、母の説教が大嫌いの兄は、
兄「うるせぇ、そんな話聞きたくねぇ!」
母「何言ってるの、言うこと聞かないと治らないし、腫れ物が増えるわよ。」
兄「喧しい!顔がボコボコになったってそんな話聞く気はねぇ!」
二日後、兄の顔には腫れ物が4つになり、ボコボコどころかボコボコボコボコになっておりました。
それからしばらく、我々子供たちの間では「お袋は神様だから・・・」と恐れていましたとさ(笑)
今、「病のさとし」ってどうなってるんでしょうかね?
訂正です。
>その時間は、私を襲った不思議な感覚を感じた時間から1分も経っていませんでした。
⇒その時間から、私を襲った・・・。
です。
亡くなったのが先ですね。じゃないと「虫の知らせ」にもなりません(笑)
(売ってます・・・。)
>(売ってます・・・。)
まだ本屋で売ってるのですか?
昔読んだ記憶では感想としては「駄洒落本かな?」でしたけどね。
あれほど「病いのさとし」が好きだった母が、最近年のせいか「あちらが痛い、こちらが具合悪い」と零します。
春先の一件で私が父の手伝いをするようになってから、母にだけ私解釈の「病いのさとし」をしてあげることがあるのですが、何故か嫌そうな顔をします。どうしてでしょうか。
それはともかく、話が途中になってしまった「匿名です」さん。
天理教を必要とする、貴女がやりたいことって何ですか?
不可思議非科学的体験の収集・証明ですか?
唯物論の駆逐ですか?
人智を超えた偉大な力の証明ですか?
末端教会師弟様
ありがとうございます。
おさづけで病気を静めることです。
母へのおさづけのいんねん諭しでは病のさとしや深谷忠政先生の本をお見せしました。
皆さんの奇跡体験を読ませていただいてそういう能力が高いんだなと思いました。コミュニケーションの力の 高さと資質というのか。総合人間力の円の広がりが大きいというか、求心力がおありですよね。
霊的な能力です。
末端教会子弟 様
お母さまが諭されて嫌なお顔をされたというのを読ませていただいて、
すみません、夫婦で笑ってしまいました。
「宗教に関わらず、そんなもんだよね」と。
不思議なこと、沢山経験しています。
そしてそういうお話をすると、私に何かを求めて寄ってくる人がいます。
それは私の人間性というより、利用するためです。
そういう方は、だいたい日常生活、さもない暮らしを大切にしていないから。
家族に問題が起きれば、すぐに何かに頼る。不思議な世界に頼る。
現実逃避でしかないのですよね。
体によいものも食べ過ぎれば毒になるように、
不思議な世界は確かにあるとは思うけど、それに依存すれば
現実逃避となり、問題解決から遠のくんですよね。
今や天理教の専売特許のような病の諭とやらは、あらゆる方がされています
斎藤一人さんの病のお話も面白いですよ。
エリックハルトトールのようなスピリチュアル世界ではもはや普通にされています。
つまり意外にも多くの方たちが精神と肉体の神秘を理解し始めているのです。
だから、天理教はこれから大変でしょうね。
見えない世界は興味本位で近づくと、とても怖いです。
ふつーの生活に心をこめて、家族や隣人を愛し、与えられた今に集中するのが一番だと思います。
(孫はまだ誕生せず、台風と一緒に生まれてくるようで、まだこんな風に書き込みしています)
匿名です様
斎藤一人さん、おすすめですよ。
youtubeでたくさんのお話が聴けます。
特に劣等感のお話は最高です。
私はいっときはまってました。
匿名ですさんにとって大切な天理教を一番に考えながら、
でも読書するつもりでいかがでしょうか。
仕事とかお金に関して、凝り固まったものがおありのようですが、
ちょっと違った角度から見てみるのもいいものですよ。
昨日斎藤一人さんの写真を見る機会がありました。
心が見える時はおありですか?
匿名です様
全く見えませんよ。
こころなんて見えませんよ。
それこそ、匿名ですさんと一緒に工作しているように思われちゃいますよ(笑)
一人さんはお顔を公開されていませんが(ネット上では一切ないです)
生写真をどこかでご覧になったのですか?
ふと一人さんが出てきただけです。
偶然です!
99歳の方の詩集にのってました。
仕事なので夜にまた書きます。
匿名です様
一人さんは、お写真を公開されるのを拒否なさってます。
そのような詩集に写真が載っているのは考えられないのですが。
特別に掲載を許可されたのでしょうかね。
99歳の方と言えば、柴田トヨさんでしょうか。
一人さんのお顔、一度拝見してみたいので詩集の著名教えていただけませんか?
お時間ができたときで結構ですから。
ごめんなさい。相田一人さんでした。間違えました。すみません。斎藤茂吉と相田みつをと勘違いしたようです。すみません。
仕事に戻ります。
匿名です 様
>おさづけで病気を静めることです。
昔はいざ知らず、近年「天理教のおさづけは効かない」というのは内外でも知られたことかと思いますが。
たまに「○○系統のおさずけは効く」とか「どこどこにおさづけ名人がいる」等という根拠のない噂を聞くこともありますが、話を突き詰めていくと根も葉もない「噂」です。
なぜ効かないかを考えた場合、天理教内では「その人の信仰心が足らない」とか「日ゝの心遣いが良くない」などと言われ、おさづけした人を責める傾向がありますが、これは疑問です。
そういう「信仰心のない人」や「心遣いの良くない人」におさづけを渡す天理教本部の責任であり問題なのではないかと思えます。逆に、「どういう信仰心」や「どういう心遣い」をすれば効果があるのか、明確な基準を提示する義務があるのではないでしょうか。
世間で言えば、お茶やお花などの「師範免許」や囲碁将棋などの「段級制度」のような形で明確にしなければ、おさづけそのものが全く無意味になってしまうでしょう。実際、現時点でもどれほど意味があるのか疑問です。
とはいえ、上記の「おさづけが効かない理由」を言うのは「天理教本部」ではなく、中間にいる教会長だったり先人たちだったりするのですが。
匿名です 様
大事なことを言い忘れました。
匿名です様が「おさづけで病気を静めること」と、天理教を批判・否定する書き込みに対して「天理教のお題目や建前を唱えて反論すること」に、全く関連性が見えないのですがどうしてでしょう?
天理教を批判・否定する人がいると、匿名です様のする「おさづけ」に影響するのですか?
50代信者様
今YouTubeが見れない容量の少ないスマホです。また後日どこかで見たいと思っています。
教えていただきありがとうございます。
末端教会師弟様
御題目は実質を伴わない主張ということですが、実質が伴う主張になるように努力していこうと思います。
心を双方定めて信仰が高まった状態でおさづけを受ける必要があると思います。
申し訳ありません。また休みの日に書きます。
相対性理論を勉強したいけど、ちょっと読んだだけで頭がウニウニ状態。
そんな中子どものための相対性理論というのをみつけて、ちょっとかじってみたら
老子の「すべては反対になる」の教えや色即是空・空即是色にも通じて
はまりそう。いや悲しいかな、この頭じゃ、はまりたくてもきっとはまれない。
アインシュタインの名言が心に響く。
次はアインシュタインの世界にどっぷりつかってみようかな。
不思議なことなど書いて怪しい人に思われちゃうから。
今庭にきれいな大きな蝶々がやってきて花に止まったと思ったらすぐにまた飛んでいった。
(それでいいですよ)と伝えにきてくれたかのように。
人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。
もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ
すべての宗教、芸術、科学は、同じ一つの木の枝である。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。
人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。
この世は危険なところだ。悪いことをする人がいるためではなく、それを見ながら、何もしない人がいるためだ。
真実とは、経験という試練に耐え得るもののことである。
自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。
宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である。
兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。
優れた科学者を生み出すのは知性だと人は言う。彼らは間違っている。それは人格である。
この諺には、真実がある。人に対して正しく賢明な助言をすることはできる。しかし、自分が正しく賢明に振る舞うことはむずかしい。
知的な馬鹿は、物事を複雑にする傾向があります。それとは反対の方向に進むためには、少しの才能と多くの勇気が必要です。
お供えの掲示板やツイッターに井出クニさんのお名前をよく拝見するようになりましたね。
実は、もうかれこれ10年ほど前になるでしょうか。
夫と一緒に井出クニさんの朝日神社を参拝させていただきました。
芹沢光治良先生のご本に登場される井出クニさん。
本部員に引きずり出されかなりお怪我されたようですが、
厳しい道を歩まれた方をお偲びしたくて、一度おうかがいしたかったのです。
朝日神社には車で行きました。
ちょっと離れた所に車をとめて、のんびり歩いていくとJRの踏切(今は廃線)のすぐ横に
朝日神社がありました。
昔の木造の詰所を思い出されるような建物で、懐かしさに心が安らいだのを覚えています。
木の詰所、好きだったな。
ですが、そこから先にいくのはなかなか勇気がいりました。
夫に一緒に来てもらって扉を開けると、天理教の教会とはちょっとだけ違う雰囲気の神殿が見え、
お当番の方かと思わる男性にお声をかけました。
「参拝させていただいてもよろしいでしょうか」
ただ一言、「どうぞ」とおっしゃられたように記憶しております。
そういうのもあって、私はかなり緊張しておりました。
「天理教式の参拝の仕方でよろしいでしょうか」そうお尋ねしましたが、
静かにうなずかれるだけでした。
私のようにふいに訪れる方がいらっしゃるのかもしれませんね。
本当はいろいろとお話をうかがいたかったのですが、
「ありがとうございました」と言ってすぐにそのまま帰りました。
その後、近くにある井出クニさんのお墓をお参りさせていただいて、
我々は近くのパーキングで食事した時、観光パンフレットで、ある偶然を見つけました。
朝日神社のある三木市は日本で最初の金物の町、鍛冶で有名な場所だったのですね。
語呂合わせの遊びのようですが、
天理教の初代真柱であった中山真之亮さんは元々梶本 家の出身で、梶本家の家業は鍛冶屋だったんですね。
そして、親様のお名前と三木市がリンクしちゃって。
ひょっとしたら、なんて思いながら食事したのを思い出します。
さきほど投稿したものですが、「人生には、二つの道しかない・・・」から下のものは、
アルバート・アインシュタインの名言です。線引きするのを忘れていました。
芹沢光治良著「完全版 人間の運命〈1〉次郎の生いたち」に、父親が天理教に入信したために、酷い目に合う主人公が語られているという、ネットのカスタマイレビューを見たことがあります。☆5個の評価をしておられました。
そして、是非読んでくださいとも書いてありました。
何度も云いますが、講社祭りには父母の後ろに兄弟姉妹が座って、「天理教教典」、「おふでさき」、を交互に読んでいました。さらに、ある時期から「稿本・天理教教祖伝逸話篇」が加わりました。ところが、いつの間にか「天理教教典」を読まなくなりました。そして、「元の理」という小さな冊子が送られてきました。お勤めの後にこれを読めということでしょうか。
教団は、今こそ芹沢光治良著「完全版 人間の運命〈1〉次郎の生いたち」を全信者に配布すべきだろう。
私は、この本を購入しました。主人公がどのようなひどい目に遭ったのかをここに投稿したいのですが、出版社がOKを出してくれるのか、そこがポイントです。
皆さんお投稿内容と相違する内容になってしまって申し訳ありません。
広池千九郎氏のことがあまり語られていませんが、皆さんはよくご存じの方なのでしょうか。
私は以前からこの方のことが気になってしかたないのです。
で、調べました。
長くなります。申し訳ありません。ご興味のある方だけに。
文献は広池千九郎WEBSITE(なぜかトップページには天理教の文字はみつからず、中山真之亮で検索
してみつけました。) ならびに高野友治氏著『創象』から引用させていただきました。
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中山真之亮氏と広池千九郎氏の関係。
広池千九郎博士は、天理教に入信し、旧制天理中学校長となられ、全国をまわって天理教の偉大さを説かれた。それが、あるときから、天理中学校長を辞し、道徳科学の樹立に専念し、やがて天理教教師の職を返された。
(その経緯を調べてみました)
大正元年の大患は、千九郎の心境をより宗教的なものに向かわせた。千九郎は、病床で誓ったことを天理教の中で、実現しようとしたのである。家族や知人、恩師たちは反対したが、千九郎の意志は固かった。千九郎は、明治44年に、教祖中山みきの孫にあたる、中山真之亮管長と面会し、その人格に感動していた。中山管長は広い包容力を持ち、大きな視野のもとに天理教を考えていた。千九郎は、教理結集の仕事を依頼されるとともに、大正2年には、天理中学校長に就任した。こうした出来事は、世間の耳目をそばだてるのに十分であり、多くの新聞や雑誌が話題にした。
天理教本部での活動は、長くは続かなかった。千九郎は、中学校長として、さまざまな方針を打ち出したり、教理の理論的な整備に取り組んでいた。そんな中、大正3年に、中山真之亮管長が病死した。千九郎は最大の理解者を失ったのである。千九郎は追悼講演会において、管長とも協議した改善案を提示し、真情を吐露した。このことが、内務省から監視役として派遣されていた人々の逆鱗に触れた。そして、教団の存亡を脅かすほどの圧力となったため、教団側は千九郎を辞職させて、事態を収拾することを決めた。千九郎は、全財産も住まいも、学者の唯一の武器である蔵書も失った。その上、家族、先輩、友人に見放され、マスコミや社会の人々からも揶揄、攻撃されて天理教本部を離脱した。
いわれのない迫害に、千九郎は強靱な思索をもって応えた。千九郎はこの出来事を、自らが研究を続けてきた、古来東西の聖人が受けた迫害と重ね合わせていた。自分の心が浄化されるほど大きな試練が来る、恩寵的試練として受け止め、感謝したのである。千九郎は、弁明も非難もせずに、ただ自らの自己反省に努めた。そしてその中で、後に新科学「モラロジー」の根幹をなす「慈悲寛大自己反省の精神」を体得した。
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広池博士の入信については、山岡荘八著の伝記小説『燃える軌道』(学習研究社版)がある。それを読んでいただきたい。
どうして天理中学校長を辞められたか、奥谷文智氏の話では、大正5年(1916)の夏、博士が東京の宅へ帰っていたとき、ご本部から都合により出校に及ばずという通知があったものという。
その理由について、奥谷氏は、はっきりいわなかった。
私は諸般の事情を考えてみると、天理教校教頭大宮兵馬氏のご機嫌を損じたもので、ご本部として、やむなくこの処置に出たのではないか。
大宮兵馬氏は、当時の政府から天理教へ派遣された目付役であったといわれる(松村吉太郎の話)。何の目付役かというと、天理教が、明治41年(1908)11月27日に、時の日本政府から、教派神道の一派として公認されたとき、その所依の教典を「明治教典」とした。明治36年(1903)制作の敬神、尊皇、愛国……など10章からなる。この教典を実施しているかどうかの目付役だった。大宮氏みずからは天理教校の教頭として、「建国史」を講義していた。
政府の目付役だったから怖かったという。
天理教には天理教の原典がある。だが、これは表立って教えられなかった。もっぱら「明治教典」の国家倫理が教えられていた。それでも信仰的に、原典的精神が出る。大宮兵馬氏はそれを警戒していたようである。
ところで、広池博士の説く天理教は、かならずしも「明治教典」に依拠していない。その枠を抜けて、全世界的、全宇宙的な倫理道徳を説いていた。大宮兵馬氏はそれをきらったのではないかと思う。それで、このことを政府に報告するよと教会本部に迫ったのではないか。
そう考えると辻褄が合う。それが妥当な推論ではないか。
当時の天理教会本部は、政府を恐れていた。せっかく10年も苦心して国家公認の宗教になったものを、取り消されては大へんと思っていたようだ。事実、当時、天理教の国家公認を取り消すべしという議案が国会に提出されていた。
もう一つ例を挙げる。
大正3年(1914)12月31日、初代真柱が出直した。その翌年の大正4年に、奥谷文智氏が文を書き、諸岡長蔵氏が金を出して、「世界最後の教」という本を出した。2~30ページの本だろうと思うが、これを30万部(あるいは40万部)刷って、世界一般に配り、天理教を世界に知らそうとした。
これをご本部が聞いて配布を差し止め、全部ご本部へ送れといってきたので、諸岡長蔵氏はこれをご本部へ送ったという。
「貨車で1車ありました」
と筆者に語ってくれました。
これも世評を恐れ、政府を恐れていた心情のあらわれと思う。
広池千九郎氏は、大正4年(1915)に、天理中学校長を辞めてから、本島分教会(当時)長片山好造氏の好意により、同教会で静養し、勉強していた。この状況は拙著『伝道者』に書いておいた。
そのあと、大正13年(1924)ごろ、いまの天理市勾田町の七号館あたりに詰所をもち、シンケイ講詰所とかいっていた。本来は甲賀ー蒲生ー勢山の信者である広池博士は、二代真柱の好意により、教会本部直轄の講をもつようになったのだと、当時私と同級生で、シンケイ講の信者の香川景正君の話だった。
それが、教祖40年祭後の昭和4年(1929)1月、二代真柱にお願いして、天理教籍を離れ、広池個人として、道徳科学を世界に普及することになったのだという。
このことは広池千九郎博士自身から聞いた。
当時、天理中学校に、広池博士の弟の広池長吉氏がいた。東京の国学院出身の国語の先生だった。この人は本当の意味で信者だった。兄さんは信者というより学者であった。
広池長吉氏は、天理市豊田の天理中学校寄宿舎「よなほり」寮の寮長をやっていた。広池博士がおぢばへ来ると、弟さん宅に泊まった。そのとき、「よなほり」「よのもと」「ひとすじ」「ひながた」の4つの寮の生徒は「よなほり」寮に集まり、広池博士のお話を聞いた。私が中学5年生のときである。
博士は言った。
天理教の教義はじつにすぐれている。最近の欧米の進歩した学問書を読んでみると、教祖の教え給う教えとピッタリと合う。教祖の教えが、いかに崇高なものかがよくわかる。というより、教祖の教えを理解して、新しい学問「モラルサイエンス」(道徳科学)体系を作りたいと思っている。
それができたら、世の中の人々のものの考え方が変わってくると思う。また世の中の人々の天理教の理解の仕方が、より易くなると思う。
それについて、いま、私が天理教の信者であると、社会一般は私の話を聞いてくれないし、読んでくれない。それほど社会一般の人々の天理教ぎらいは根強いものになっている。
問題は、教祖の教え、親神の教えが世界にひろまるかひろまらんかにある。私が天理教の信者であるないは小さい問題だ。
それで管長様にお願いしたところ、快くお許しくだされ、道徳科学樹立に専念することになった。
博士の話の主旨はそのようなものだった。
この広池千九郎の研究に経済的応援をしたのが、諸岡長蔵氏である。彼は千葉県成田市の羊羹屋「米屋」の主人である。入信は明治27年(1894)ごろか。明治29年の麹町支教会の教会設置願書に彼の名が出ている。のち、甲賀ー近愛の信者になる。
ところが、あるときから、広池博士一派は、諸岡長蔵に寄り付かなくなた。一時は広池千九郎氏は諸岡長蔵氏の応援を感謝し、「諸岡はモラロジーの母」であるとまで賛辞を書き送っている。
どうして寄り付かなくなったのか。
私は終戦後、伝道史を調べていた最中、諸岡氏宅へ泊めてもらって、大へん厚遇をうけた。
あの当時、「米屋」の羊羹は日本第1級の品で、工場も大きく、従業員も多く、すばらしい勢いであった。
だが、諸岡長蔵氏自身の生活は、まことに質素なものであった。あれだけの富豪にして、特別の客間というものがなかった。私が大事な客間に泊めてもらったので、家族の人たちはその隣の居間に窮屈な夜を過ごされたようだ。
そうでもしなければ一代であれだけの金はできない。あれだけの社会貢献はできないはずだ。
広池博士の研究に金を惜しみなく出してやった。その出し具合は、諸岡長蔵氏が出した「広池博士よりの書翰抜粋」(昭和32年度3月版、タイプ印刷)を読むとよくわかる。研究所を作るにつき、基金年々積立、併せて5万円……云々とある。広池博士もよく使ったものと思う。それでも足りなかったものと思う。
学者は、自分がこの仕事をなそうと思う仕事の前には、無茶苦茶に金を使っても惜しいとも、すべきでないとも考えないのだ。問題は、その仕事の完成だけなのだ。
私が聞いたところでは、広池博士は晩年、各地の温泉宿に泊まり、身体を温めながら思索し、そして自分のそばには、たとえ温泉に浸かっていても、書生に筆と紙をもたせ、心に浮かんだことを言葉で言うて書生に書きとめさし、博士がそれをまとめるという仕事ぶりであったという。身体の弱い広池博士としては当然の処業であったと思う。
博士にとっては、金よりも、命よりも、自分の所論を体系化することが問題なのだ。
このころの生活費を諸岡長蔵氏が出したのであろうか。それとも他の庇護者がだしたのであろうか。つつましい諸岡長蔵氏としては、そこまでの金をださなかったのではなかろうか。
匿名A様
私も離れてから最初に読んだのが、人間の運命でした。
むさぼるように読みました。自分の運命と重なりあわせて。
実は昨日、久しぶりに芹沢先生のお話を聞いていたんですよ。
優しくて品のあるお声は、昨年出直されたお嬢様文子先生と重なり合って、
私もあのような声でお話できる人になりたいと思っていたところでした。
芹沢光治良先生と廣池千九郎博士との接点
心に残る話 『れいろう』昭和58年6月号 【ただ一言で私は恩人の一人に思っていた 】に
芹沢先生が廣池博士に向けて書かれたものが紹介されていました。
『れいろう』は、財団法人モラロジー研究所より 発行されたようですが、
今は在庫がなく、ある方がそのコピーを紹介されていました。
それによると、廣池千九郎氏が早稲田大学の教授であった時、芹沢先生の家の近くの分教会に講演に
来られた。芹沢先生が中学生の時だった。芹沢先生はその頃、偉いその先生が信者になったとて、天理教の新聞や雑誌が宣伝していたのを知っていて、家から4キロばかり歩いて行った。その学者に、学問することが神の意思に反するか質問しようという一念からだった。
話が終わるのを待ちかねて、廣池先生に会わせてほしいと教会の先生に頼んだが断られ、芹沢先生は先生も便所に行くことがあろうと考えて植え込みにかくれて、機会をねらった。
そして、 芹沢先生は廣池氏に尋ねるのだった。
「先生はお子さんが大学に進むのに反対しますか。僕は大学 まで勉強したいですが」
「いいや、息子は大学へやるよ。君は勉強が好きかね」
「好きです。中学ではずっと特待生です」
「そう、それは神様のおめぐみだ。元気を出してね」
その言葉は神の啓示に思われ、それで安心して、一日 も学校を休まず卒業した。
そしていつの間にか病気を忘れたが、天理教もすてた。
—————————————————————————————–
すばらしい方々が天理教から去って行かれたのですね。
信じてくださらなくても結構です。
私は今どこにも所属しておりません。
分派も何も関係ありません。
ですが、様々なご縁を今まで頂戴していたのは確かです。
そして何やら風がふいているようですね。
この台風一過のように。
そして想像していた通り、孫がそろそろ生まれそうです。
陣痛が始まりました。
そろそろ私も専業主婦にもどります。
連続した書き込み、失礼いたしました。
50代元信者 様
お孫さんの誕生が間近とのこと、おめでとうございます。
天理教とは何だったんでしょうね。大学まで併設しながら何の問題も解決できずに、信を失ってしまったことは悲しいの一語に尽きます。
周囲の方々と苦楽を共にされて、天理教という幻想に惑わされずに専業主婦にいそしまれることが何よりの幸せではないでしょうか。
私も、吹っ切れることが出来ました。
いろいろと勉強をさせて頂いたことに厚く御礼申し上げます。
両親が病没した後、上からの献金の催促等という理不尽な生活の中でも、裕福ではないにせよ、我々兄弟を育ててくれた遠縁の会長さんや奥さんに大変な御恩を感じていますが、本部や偉いさんには、横柄な匂いしか感じていませんでした。どこでどう道が曲がってしまったのか、浅薄な小生にはわかりませんが、皆さんに教えていただき勉強させていただきます。こういった掲示板を挙げて下さったカインさん、投稿者の皆さんに感謝いたします。
>なぜ効かないかを考えた場合、天理教内では「その人の信仰心が足らない」とか「日ゝの心遣いが良くない」などと言われ、おさづけした人を責める傾向がありますが、これは疑問です。
そもそも「おさずけ」というのは、一般信者が使いこなせるものなのでしょうか?
おさずけの名人がいたことも事実なんでしょうが、それはその人が、たまたまに「そういう力」を持っていた、ということであり、別席を9回聞いたからと、真柱様から渡されるおさづけに、本当にそれだけの効き目があるのか、疑わしいですね。
おさずけしても効かなければ、信仰心が足りないと言われるだけなら、「効きません」と言いにくいでしょう。効かなくても黙ってるのではないですか?そして、自分の信仰心が足りないと、引け目に思いながら、次第におさづけをすることが苦痛になってしまう。大多数の信者がそういう思いをしているのではないでしょうか?
末端教会子弟様の仰る通り、本部の無責任、ということでしょう。
>そもそも「おさずけ」というのは、一般信者が使いこなせるものなのでしょうか?
そもそも天理教が憩いの家を造ったときに、「おさずけ」はもう効きませんと宣言したようなもの。おさづけで病気がよくなるなら、医者は全員治療行為を止めておさづけしているでしょう。運転免許を持ってたらだれでも車を運転できる。それが使いこなすということ。そうでなければその免許は全くの偽物です。運転の名人というなら、その上でとりわけ上手な運転ができる人でなければなりません。うまく行くときは信仰がある、うまく行かないときは信仰が無いというのは、教会本部の都合のいい屁理屈です。まともに受け取る必要は全く無い。
無名様
医者薬は修理肥だそうです。二つが上手に絡み合っていくべきだと思います。
講演を最後まで聞いたら驚かれると思います。
50代信者様
芹沢光次郎の作品も読ませていただきます。ありがとうございます。教養深い文章で、格調高い時間をいただきました。お子さんのフォローに追われておられるのでしょうか。御多幸をお祈り申し上げます。
芹沢光治良さんでしたね。書き間違えました。すみませんでした。
匿名です 。
お前は誰や・・・?
ここは天理教の社会的な問題点を話す場所だよ。
ここはここは心の内を話す場所で、メールやチャットではない。
初心者ぶって書き込んでいるが、意図を持った確信犯と思える。
結構、天理教な、いい大人だろう。
初心者が、こんな書き込みをする筈がない。
初心者で、こんな事を言う奴、見た事もないし、聞いた事もない。
匿名です。
素性を明かす以外の返信、回答はいらない。
匿名です 様
まだ質問の答えをもらってないですよ。
>匿名です様が「おさづけで病気を静めること」と、天理教を批判・否定する書き込みに対して「天理教のお題目や建前を唱えて反論すること」に、全く関連性が見えないのですがどうしてでしょう?
天理教を批判・否定する人がいると、匿名です様のする「おさづけ」に影響するのですか?
後日回答するというから待ってたのに答えがない。
それどころか、今度は「無名様」に対して同じことを繰り返す。
いいかげんに止めてくれませんかね、そういう人の気持ちを考えない行動は。
確かに、「おさづけが効けば信心が深い、効かなければ信心が足りない」、この本部や上級などの「お諭し?」は、「今、信者が教団から頂いているおさずけが、まじないレベルのものである」、と証明してますね。
昔、教祖、本席、上田ナライト様から直接に渡された「おさづけ」は、それだけの値打のある、神様のご守護の頂けるものであったのでしょうが、上田ナライト様から、中山家に無理におさずけ受訓者が移されてからは、「おさづけ」は名前だけのものになってしまってるように思われます。
本部も、効けば信心がある、効かねばその逆、としか言いようが無い。おさづけを渡す役目が中山家に移り、本部が権力を握ったはいいが、しかし、おさづけに神様の守護は殆ど現われない。本部も、どう指導していいか解らない、そう言うしかない、そうやって誤魔化すしか仕方がない、というところでしょうね。
すみません。答えたつもりでした。今人間の意思というのを読んでいます。仕事もありますのでまた後日。
人間の運命もみつけたいと思います。
匿名です 様
答えてもらってないですよ。
1.>匿名です様が「おさづけで病気を静めること」と、天理教を批判・否定する書き込みに対して「天理教のお題目や建前を唱えて反論すること」に、全く関連性が見えないのですがどうしてでしょう?
2.天理教を批判・否定する人がいると、匿名です様のする「おさづけ」に影響するのですか?
>御題目は実質を伴わない主張ということですが、実質が伴う主張になるように努力していこうと思います。
>心を双方定めて信仰が高まった状態でおさづけを受ける必要があると思います。
関連性について何も言及してませんよね?
文脈からして「心を双方定めて」の双方は、天理教を批判・否定する人のことじゃないですよね?
また後日ですか。後日でもいいですけど、他の人への書き込みよりこちらの答えを優先してください。
そうじゃないと、いつまでも「匿名ですさ=工作員疑惑」が晴れません。
末端教会師弟様
双方というのはおさづけをする側の方、おさづけを受ける側の方です。
ふたりのこ々ろををさめいよ なにかのことをもあらはれる とは、おさづけをする側、受ける側の二人でしょうか?
それから芹沢光治良の「神の慈愛」にありました。
その午後、存命のみきが来られるなり、
ーご苦労さんやったな。ようできました。親神さんもよろこんでいなさるやろう。最後に鉋(かんな)をかけるつもりで、ようく初めから筆を加えてから、はよう出版社にわたしなはれ・・・こんな本、出してくれるかなんて、先案じはいらんで、ほんまに、あんたは臆病やが、親神さんが先廻りして、働きますからなあ・・・と、優しく言った。と10ページに書かれてます。
9ページ~10ページに書かれてます。
教祖がこの掲示板もチェックしておられるように思えてきました。
匿名です 様
>双方というのはおさづけをする側の方、おさづけを受ける側の方です。
そういうことなら、尚更、天理教を批判・否定する人とは関係ないですね。
それなのに、匿名です様が執拗に天理教批判する人に「反対の立場で書き込みをする」のはどうしてでしょう?
>ふたりのこ々ろををさめいよ なにかのことをもあらはれる とは、おさづけをする側、受ける側の二人でしょうか?
私個人の解釈は、「おさづけに関する事ではない」と思ってます。
効果があるかどうかも不明なおさづけで、効果が無かったら「ふたりの心がおさまってないからだ」という言い訳に使われそうですからね。
それに、「片方でも心がおさまっていないから効果がない」なら、人助けもおさづけも意味はないですね。
上記に返答は要りませんで、「匿名です様の行動の関連性」と「批判する人の存在が匿名です様のおさづけに影響するのかどうか」の2点にお答えください。
末端教会師弟様
1に関して詳しい自分の中に生じた思いの状況を述べることは出来ません。述べることで塩をぬりこまれたように感じるであろう人々がおられます。希望に影響を与えることになりかねません。
その根拠となる部分はこういう場で大きく書けることではないのです。
しかしその結論は双方の心を信仰心と諭しで満たしておさづけを受けることが必要ということです。
起承転結の承転を言えないと言ってるようなものです。起結で御理解をお願いしますというようなものですね。しかし書けないです。
2に関してはどちらかが、それらによって信仰心に疑いを持ち、心が定まらなくなれば、おさづけに必要な気が生じる状況を減らすのではないかと思います。おさづけに影響が出て、病を治めることができなくなることを恐れて反対意見を書き込んでいます。さづける方に迷いが生じれば、よくないと思います。受ける方も内省が必要だと思います。そもそもこの受けての真摯な内省がおさづけに大きく影響すると思います。
私みたいな弱輩者が大変失礼いたしました。
反・匿名です様
正体は末端信者です。ただ数十年前から道一条の方々の言葉の数々に触れ、天理の教えを鑑みながら、所属教会の皆様の教えや行動、本を通し、教祖の言葉、親神様への思いと共に生きてきました。
匿名様
おさづけはしっかり受け継がれているように思います。
匿名です様
>病を治めることができなくなることを恐れて反対意見を書き込んでいます。
あなたは、今迄そのような思いやりのある高尚な思いを持って、コメントを書き込まれていたのですね。
大変立派な方なのですね。
それでは匿名です様は、おさづけや病を治めることに関して、お供えやお礼は必要ないとお考えですか?
匿名ですさま
あなたのお返事はまるで、本部の推奨する「信者の見本」のようです。
>おさづけはしっかり受け継がれていると思います。
そうですか。しかし、それはあなたのご意見で、私はそうは思ってません、それだけです。
おさづけがしっかり受け継がれているなら、「おさづけが効かない」、という意見がなぜこうも投稿欄を賑わすのでしょう。ここは天理教の批判をする場所ではありますが、投稿者の方々は、皆、「事実に即して、真剣に思う事」を書いているものと思われます。それはその方の文章を読めば解ります。そして、匿名です様の文章からは、私は、残念ながら、そうした信憑性を感じられないのです。
匿名です。
「私みたいな弱輩者が大変失礼いたしました。」
弱輩者なら、人の話を咀嚼したらどうか。
本当に失礼な奴だ。
天理教の一番、嫌な部分を持ってる奴だ。
本当に根っから、嫌な天理教な奴だな。
返信も回答も要らないよ。
匿名です様
反・匿名です様は回答はいらないそうですが、他の方はいらないとは一言も言ってませんし、
それぞれ回答を待ってますので、是非よろしくお願いします。
すみません。今日は遅いのでまた後日にしたいです。
お供えは教会の方々が生きるために必要なものです。お供えは教祖の教えを人々に伝えるために御奉仕されてる皆さんの生活を支えるものです。
皆さんの能力は非常に高いです。その高い能力を天理に捧げておられます。
教養も霊的なものも、文章力の高さもコミュニケーション力の高さも頭もすごく良くて、人間力が高いです。
それは教会の中で様々な方々のもとで厳しく、慈しまれて育ったためです。
神殿でよく見かける光景として、見守る親の姿があります。手を出さず、その子を見守る親の姿があります。
子の模範となるように親も我を抑えて立派に生きてこられました。
世間で働けば高い能力を歯車の一つに納めなければいけないです。もともと高い霊的なものを持って指導的立場で命を受けてきておられるのに、経営のための資金をまわすための歯車になる必要があります。
高い理想を求めれば経営は逼迫してきます。もともとの正義心が「違う。」と自分のなかで囁きます。
生活のためと割りきって歯車になる これが働くということなのかもしれないです。
世間の矛盾もたいがい酷いものです。
私は教会は拠点のようなものなのかなと思ったりします。診療所のカウンセラーのような場所なのかなと思ってます。
皆さんは先生です。
そういうものなのかなと密かに思っています。
診療所のような、カウンセリングの場所のような と書こうとしました。
悩みよろづ相談所ということですね。悩みの話をながなが聞いていただけることも大切な行為です。
お礼についてはお金の価値観は人それぞれなので、人それぞれ違ってくると思います。
私は恥ずかしながらおさづけをとりついでいただいたお礼をお渡ししてなかったです。その日にお供えをしてたので、それでいいかなと考えてしまいました。
匿名です さま
現行天理教がそんなに立派ですか?
ある教会のお話をしましょう。これを書くことによって私の身元が分かってしまうかもしれません。それでもいいのです。
経済がバブル期の出来事でした。
都心部の一等地にあった教会が、郊外に移転建築することになりました。当然、「お運び」と「お許し」が付いて回ることになりますよね。その結果、教団本部は売却する不動産の価格は勿論、移転費用、新たに神殿等を建築する費用などすべてを把握してしまいます。
そこで、教団本部は「しめしめ」と思うわけです。収入と支出の差額がこれだけあるか、大教会長を通じて差額全額のお供えを要求してくるのかと思ったら、とんでもない、それ以上の額を要求してきたのです。
では、支出の不足額はどうすればいいのかといえば、その分は、信者たちにせっせと真実のお供えをさせよとの有り難いご宣託でした。
このような詳しいいきさつを知らない部下教会やその信者たち、直接の信者たちは、1千万円を超える不足分をお供えという形で穴埋めする羽目になってしまったのですよ。プラスの差額分をお供えせよというならまだしも、マイナスになることを要求してきたのですよ。こんなバカな話がありますか。その結果は、みじめな状態になっているのですよ。
匿名ですさん。よく考えてください。教団本部は1千万坪を超える不動産を所有しているのですよ。これが教祖の望まれた姿ですか。胸に手を当てて思案してください。
匿名A様
読ませて頂いて驚きましたが、”や〇ざ”と同じ、いや、”や〇ざ”なら、不足分まで集めさすようなことはするまい、と思います。その点は”や〇ざ”の方が、常識はあるのじゃなでしょうか?お供えという名目で、無尽蔵に金を集めることができる、という、その感覚は、もう理解し難い。
宗教、間違った宗教というものは、人間をどんどん異常にさせていくものなのかもしれませんね。本当に怖い、と思います。その人たちは、悪以外の何者でもありませんよ。もう、そんなことさえあるような状態なのであれば、離れる方が無難だと、つくづく思います。
匿名A様
それは知りませんでした。金額が足りないから無理と伝えるのはいけなかったのでしょうね。
やくざを甘く見ないでください。
教会の不文律というものを、私は理解してないように自分で思います。
2016年10月9日 10:27 AM 匿名 様
早速のご返信ありがとうございます。
>みじめな状態になっているのですよ。
といいますのは、結果的に神殿の建築費を削らざるを得ず、粗末な神殿になってしまい、神床は傾き、雨漏りはする、壁は剥げ落ちると散々の状態なのです。
不足分を借り入れすれば、高金利の時代ですから、返済額は住宅ローンの適用は受けられないので、結果的に借入額の倍近くになったことでしょう。そのような危険を背負い込むほどの勇気は誰にもなかったと思うのです。
神様がお鎮まり下さる場所をこのような状態にしたのは、他ならぬ教団本部です。結果的に神様を粗末な扱いにした張本人ですよね。
仰る通り、この教団には近づかないことが肝要です。未信者の皆さんも用心してくださいね。
匿名です 様
ご返信ありがとうございます。
少しはご理解いただけたようでホッとした気持ちです。
教祖の教えと教団の在り方とは、分けています。ただ、未だに真の教祖の教えの心理が見えてきません。教団は隠しているのです。
匿名A様
雨漏りのする壁のはげた床の傾いた神殿を心の拠り所にしている信者さんはおられると思います。
匿名A様
おさづけで人々を助けてほしいということじゃないんですか?
匿名A様
衝撃的な内容に驚きました。一千万坪を超える不動産をもってながら、なおもお金が欲しい。これでは教団本部は物欲の塊、金の亡者ではないですか。むしろ有り余る不動産を売って、私たち信者たちに還元し、その暮らしを楽にすべきではないでしょうか。
「うまく行くときは信仰のおかげ、うまく行かないときは信仰が足りないから」と私は以前に書いたのですが、それは単純に「おさずけ」問題の件でした。私の関係する教会は都心から遠い田舎にあります。信者も高齢化で減る一方なので現状維持が精いっぱい、移転普請という話は絶えて出ないのですが、本当にこれは恐ろしい話です。教団本部は、信者のお金を何だと思っているのだろうか。
「おさずけ」でもそうです。会長の科白は、「うまく行くときは信仰のおかげ、だから(神様へのお礼として)もっとお供えをせよ」、「うまく行かないときは信仰が足りないから、だから(神様へのお願いとして)もっとお供えせよ」。結局、お供え・お供え、金・金・金です。たすかりたいという切なる思いをお金の問題にすりかえてしまう、本当に恐るべき教団教理。信者の顔がお札の肖像画のように見えるのだろうか。信者もそろそろ教団教理のマインドコントロールから目を覚ますべきです。いや、もう覚ましつつありますよ。「天理教社会学研究所」で紹介されているように、天理教の教勢激減の統計数値がそれを示しています。教会本部は猛反省せよ。
先人が心を尽くして守って来られた神殿を守りたい。
無名 様
早速のご返信ありがとうございます。
天理までは遠いのと、年齢のせいもあって、私は年に3度天理を訪れます。教祖の墓地に参拝(三殿は参拝しません)と天理大学を卒業した知人に会うためです。
教団は本部周辺にだけ不動産を所有しているわけではありません。ある時、二人で奈良市内を歩きました。知人が、公園内の建物の一角を指さして、この土地建物も教団のものだと説明を受けました。
本部周辺の山々も教団名義のものが多くあるようです。山の手入れが行き届かず、周辺の住民が迷惑を被っているとも聞きました。(教団内に山の手入れが出来る専門家が居ないのが実情)
三代真柱は、不動産屋が顔負けするほどに不動産に執着されたのでしょう。教祖百年祭の前年の教団予算が500億円を超えていたことからも想像がつくというものです。
元一日を忘れるな、とか、縦の布教の充実などといわれても、素直に「そうです」とはいえません。言葉の使い分けをしてほしくありませんね。
本部の皆さん頑張っておられると思います。
匿名A様
教会本部の方も参拝していただけませんか。
>みじめな状態になっているのですよ。といいますのは、結果的に神殿の建築費を削らざるを得ず、粗末な神殿になってしまい、神床は傾き、雨漏りはする、壁は剥げ落ちると散々の状態なのです。
この点は、どの末端教会も状況は同じです。私のところの教会も勢いがあった時期に建てた木造の建物ですが、やはり雨漏りはするし床もガタガタで、かなり痛んでいます。修理するにも数百万はかかります。しかも、それに加えて、上級に願書を出して相応のお供えも包まねばならないとのこと。数少ない高齢信者だけでは、そんな費用やお供えなど出せるわけがありません。天理教は、親心が大切だと連呼するのなら、こういうボロボロの末端教会の修理費用を負担してあげるのが、本当の親心ではないですか。本部員による今の修理巡教は、各教会にとってはお供え集めのハッパをかける端迷惑な行事になってしまっているが、修理というからには本来、こういう教会の修理をこそ文字通りしてあげるべきだろう。
お願いいたします。
匿名です 様
結局、のらりくらりでまともに答えてくれないんですねぇ。
更にはツッコミどころ満載の返信に驚きですよ。
>述べることで塩をぬりこまれたように感じるであろう人々がおられます。希望に影響を与えることになりかねません。
他の人の書き込みで「匿名です様の書き込みで、古傷をえぐられ傷ついている」と言っている人がいるのに、その人の痛みは無視で、影響があるかどうかも分からない人に対する気遣いを優先させるのですね。
>おさづけに影響が出て、病を治めることができなくなることを恐れて反対意見を書き込んでいます。
つまり、「匿名です様がおさづけするのに、自分の信念が揺らいで効果が出なくなると困るから、批判・否定する人に対して消してまわってる」という訳ですね?なんと「自己中心的なたすけ方」なんでしょう。
>正体は末端信者です。ただ数十年前から道一条の方々の言葉の数々に触れ、天理の教えを鑑みながら、所属教会の皆様の教えや行動、本を通し、教祖の言葉、親神様への思いと共に生きてきました。
この設定は無理がありますね。腹の底から笑ってしまいました。
天理教の事を全く知らない「信者」ならともかく、数十年も天理教に触れ勉強されてきて「お題目」と「教団組織」に対する認識がそれでは・・・。
そんな純粋培養のような信仰をしてるというのは、どこの系列・教会なんでしょうか?
と訊いても、個人情報が~とかで答えてもらえないのでしょうが。
古い教会長様の言うように、あらし行為でこの掲示板に書き込みをさせまいとする工作員なんですね。
>三代真柱は、不動産屋が顔負けするほどに不動産に執着されたのでしょう。教祖百年祭の前年の教団予算が500億円を超えていたことからも想像がつくというものです。
何が「貧に落ち切れ」じゃ! 腹が立って胸がムカムカしてきました。100年祭で、末端信者のうちは、上級会長から、お供えせよと言われ、100万取られたのだ!まるで、高利貸しに、貯めたお金を無理やり持って行かれるようだったな、そう言えば・・。
金があるところに、にこやかな顔で、平然と寄ってくる、ドあつかましさ!神様にお供えして、それであなた達が助かるのですよ、という上からの、教団屁理屈教理で、平然としているのだから恐れ入る。
本部の方達、天理上層部の方々、どうか、ご自分達が、貧に落ち切って、信者に「範」を示してから、「貧に落ち切れ」って言って下さいませね。
匿名A 様
>ただ、未だに真の教祖の教えの心理が見えてきません。教団は隠しているのです。
「みかぐらうたは理の歌」であり「理が神」ですから「みかぐらうたが神」です。
教団が隠している事実や教えがあるのも事実でしょうが、「みかぐらうた」の意味を解釈するのが「教祖様の教え」に近づく第一歩だと思います。
石上神社から山辺の道へ入ってしばらく歩くと、竹やぶが繁っています。
手入れもされず、竹が密に生い茂り、道路に竹が覆いかぶさっています。
朽ち果てた囲いの横に、「勝手にタケノコを採るな 天理教教会本部」という立て看板・・・
それを見た時、悲しくて恥ずかしくて情けなくて。
でも、こんなところまで土地を持っているのか、という驚きと強欲さに呆れました。
そしてやはり最後は怒りしかありませんでした。
末端教会師弟様
そういう状況があります。あるんですよ・・・。本当に・・・。信仰の深まりカーブははじめはゆっくりで、徐々に急になってきたというものです。丁寧に指摘してくださり、ありがとうございます。大変分かりやすいです。行間を読まなくていいのが助かります。
心に天理はずっとありましたが、子供おぢば帰りを通してまた御縁をいただいた次第です。
さっちん様の投稿も驚きですが。なんだか大変ですね。
皆さんの状況を知りました。
ちょっとやることが沢山あってすみませんがこのあたりで失礼します。すみません。
無名 様
仰る通りですね。
本当に、お運びとお許しとは何なんでしょうね。行政の手続きでも簡素化されています。何故、天理教はそれができないのでしょう。
把握したいのであれば、完成届(パソコン又は書面による届出で十分)の提出を受けて、真柱から「よくやったね」の一言に添えて金一封でもあれば、その方がよほど喜べるのかもしれません。(夢のまた夢の出来事)
教団は、関西風にいいますと、ジェニ・ジェニ・ジェニの世界ですね。言っていることと、やっていることが180度の正反対の世界です。
>把握したいのであれば、完成届(パソコン又は書面による届出で十分)の提出を受けて、
欲深い教団ですから、「完成届」 など信用できないのじゃないでしょうか。徹底的に、細かく資産状況を把握して、そして取れるだけ自分達の方に取る算段をする、そのためのお運び、お許しなんでしょう。
人間の善の部分を涵養してくれる筈の宗教組織で、これ程、人間の強欲さが露骨に現われていることを、本当に不思議に思います。普通の一般の人の想像できる範疇を超える悪を、宗教教団が行っている、ということに驚き、呆れる思いです。
本部もここの人もどっちもどっち。
言い分はあるにせよ人の責め方がいやらしい。
やってることが嫌な上級の責め方と同じ。
こそこそとパソコンとにらめっこして、顔の見えないのをいいことに好き放題いうのは簡単。
教団は嫌でも教えを信じて信仰してますっていう感じも嘘でしょ。世のため人のためになんかすることよりもここに書き込むことにご執心になっちゃってんじゃないの。
そんな姿が容易に想像できて気持ち悪い。
やめりゃいいんだよ。嫌なら。
びっくりするほど気持ち悪い。
無能な本部の役人さんに感じた気持ち悪さとおんなじもんを感じる。
どっちもどっち 様
あなたがどう感じようと構いません。私はここに書き込むことは、意味があると思っているから書き込んでおります。
末端教会子弟さまが、2016年10月1日 5:17 PM (記事以外のコメント)で書かれていた、その言葉を、もう一度ここに載せさせて頂きます。これ以上申し上げることは無いので。
>【そうすることが、「天理教によって被害を受けた人」の拡大を防ぎ、「本人が気がつかずに騙されている人」を啓蒙し、「自分が気がつかずに騙してる人」に気づかせ、「意図的に騙している人」を追い詰めることになると信じるからです。
>中には組織の間違いに気づき、改善や改革をしたいと思って忸怩たる思いで過ごしてる人もいると信じます。こういうネットの掲示板は、そういう人たちの情報交換の場であり、一人では何も出来ないでいる人の心の支えの場でもあります。私自身、こういう場で自分の考えを整理し、「同じ思いでいる人がいるのだ」と実感し力強く思っています。
>貴方のご意見は、こういう場を否定し書き込む人を非難することになります。
それは結局、「天理教組織」の存続に力を貸すのと同じ事になりかねないのですよ。】
天理教から離れれば、それで済むことではありますが、やはり被害者が一人でも減って欲しい、と思ってるから書き込んでいる訳で・・。 そう思って、投稿されてる方は、たくさんおられるのではないでしょうか。
高校の時に半年くらい必要な時以外は誰ともしゃべらない時があったんですが、学生時代に天理にふれる中で性格が変わっていったんですよ。
皆さんからしたら、あんぐり・・という状況でしょうね。
子供からも「言わない方がいいよ。」と言われるけど、天理らしさが性格を開いていったんですよね。
おさづけの重要性とすごさに気がついたのはここ数年なんですけどね。
天理の良さってありますよね?あれで救われてる人々もいます。
壊したらせっかくの天理がなくなってしまう。コミュニケーションを学ぶ場所でもあるんですよね。
おさづけで助けることが大切なんですけどね。
一般社会でも同様ですが、汚れた組織であっても、教会は人間生活に係わる場所でもあった訳です。
どのような動機であれ、信者のみなさんや教団関係者の方々にお世話になった事は事実です。問題点を意識化して浄化してゆく事は、恩返しの一環だと感じるのです。腐っていても腐り切ってはいないと感じるからこその皆さんの投稿なのでしょう。
広域暴力団の掲示板なら、親分が悪いから皆でカタギになろうぜ!で終了するはずですが、今後も細々ながらも、神への感謝の拝と勤めを続け、少しでも自他供の健康長寿と家の繁栄のご守護を賜ろうと思うからこその、本部人事を含む上層部への意見表明でもある訳です。
ここのサイトは他の掲示板と違って、単に、献金をもらう側と出す側の対立闘争ではなく、改革変革を望んでも、根こそぎの撲滅を望んでおられる方は少ないように見受けられます。
前の投稿で書いた事だけではないですね。ちょっと、あまりにきれいごとを書いてしまいましたが。正直なことを言えば、不平、不満、悪口、いっぱい「お供え掲示板」で書き込んで来ましたけどね。でも、それはそれで、発散も出来たし、自分だけが不満に思っていることではない、と解りましたし、今後の方向性も見えて来ました。つまり、天理教組織の中で、一生、心に染まないことに、人生を費すべきではない、ということが。
投稿もし、他の投稿者の方々の意見も読んで来たからこそ、解って来たことで、私にとっては充分貴重な意味があったことです。ここの投稿覧が、他の方にとっても、それぞれ意味のあることだと、信じております。
どっちもどっち様
あなたは一見、客観公平の立場に立っているようですが、単に高見の見物をしているだけの卑怯な人間です。いじめの場面では、いじめる方もいじめられる方も、どっちもどっちだと言ってるのは、いじめる側に加担していることになるんですよ。組織ぐるみのいじめの怖さもそこにあります。離れる人はもうとっくに天理教から離れた。ここに書いている人たちは、ただ、今まで出したくても出せなかった声をあげているだけです。いつか自信をつけて実際の場面でも必ず声をあげていくでしょう。批判的意見を言うと不足するなと意見を封じられ、まじめな人ほど自分を責めて鬱病になる、世にもまれな抑圧的な組織が天理教です。
匿名です様
貴方の仰ってる事が本当なら余程すばらしい教会で良い会長様をお持ちなんですね
ならば私もお会いしたいです
どうか
教会名を教えて下さい
どっちもどっち様へ
>やめりゃいいんだよ。嫌なら。
>びっくりするほど気持ち悪い。
>無能な本部の役人さんに感じた気持ち悪さとおんなじもんを感じる。
この言葉、そっくりあなたにお返しします。
続けての投稿お許し下さい
匿名です様の
【天理】という言い方が気になってますが、普通は天理教とかおやさまとかいいませんか?
天理とは天理市の事を指しておられるのか、本部のことを言っておられるのでしょうか
天理市なら無くなることもないと思いますけど
教会がご自分の癒やしの場所である事 よくわかりました
何故か
会話も成立していない
ご自分の投稿をよく読み返していただきたいものです
偉そうにすみません
匿名3様
個人情報は出さない主義です。すみません。
匿名3様
末端教会長様が天理教という言葉を使うことが心の琴線に触れるという旨のことをおっしゃってましたので。
天理は天の理(宇宙の真理的な意味で)のことを表現したり、天理教のことだったりです。
話題がずれることに関してですが、以前匿名様が表現されてました。深い感情変化から逃げる旨のことを。それかもしれないですね。話題をそらして別の視点からの話題に変えたりします。逃げの一種なんでしょうね。
あと会話の流れを読めないのは馬鹿だからなんですが。
そしてさっちん様はじめ皆様がすごく怒っておられる状況も完全にではないですがわかります。
匿名です様
あなたは馬鹿ではないと思いますけどね。私には書けない、難しいことも書いてたりしてますよ。
私は、すごく怒ってませんので、ご心配なく。只、ちゃんとした文章も書ける方だと思うのに、わざとのように、はづしてたり、はぐらかしたり、してるように思えるのですが、とにかく、これだけ皆様から、あれやこれや言われながら、それでもしぶとく書き込んでおられる、その意図は何なのか、はっきりしろ~~!と言いたいですね。やっぱり、本部の刺客?
>そしてさっちん様はじめ皆様がすごく怒っておられる状況も完全にではないですがわかります。
匿名です様へ
あなたがしていることはこういうことだからですよ。
丁寧な敬語を使いながら、
教団内での様々な矛盾に深く傷ついている方々が書き込む側から、
透かさず次の行で、「この教団は素晴らしい。頭が下がります」などと
平気で謳えることが出来る。
教団内での様々な矛盾に深く傷ついている方々が書き込む側から、
綺麗な言葉で覆いながら詭弁を用いてその傷ついているコメント者の言葉を貶める。
核心を突いた、考えさせられるコメントの後に、あたかも、そのコメントの印象を消すかのように
間の抜けた思いつきのような一言コメントを、何行にも分けて投稿する。
真剣な前者のコメントを舐めた行為ではないでしょうか。
矛盾を追及されても、質問をされても、差し支えのないことは、スラスラと
すぐに答えるが、核心を突くような肝心の質問や、教団にとって都合の悪い質問は、
のらりくらりと余計な空想や思い付きを入り混ぜながら、はぐらかしたり、
結局内容のない答えしかしない。
こういった無意識のズルさは、他人にはすぐわかってしまうものです。
自分で自覚が出来ないのは抑圧しているものがあるからです。
皆さんの事を考えてる。心配してる。など、言葉では立派なことを言っていても、
実は自分の事しか考えてない、見えてないのが透けているのです。
「馬鹿だから」、などと逃げないで下さい。
馬鹿な人は、こんな風な知恵は回りません。
寧ろ、ポーズに囚われず、教団マニュアルに頼らずに、
一人の人間として心から人に共感することや傷付いた人に寄り添う、本物の心を育てて下さい。
匿名です 様
>そういう状況があります。あるんですよ・・・。本当に・・・。
根拠も理由も説明せずに「信じろ」と言われてもねぇ・・・。
匿名です様が「自分のお助けの為に否定する書き込みに反論し続ける」というなら、仕方ない。
で、その行動が「ひながた」に沿ってるのでしょうか?
「教祖様の教えてくれた人助け」の仕方なんでしょうか?
今の天理教の「おさづけ」が、教祖様の与えてくれた力であり、人助けの方法だと言うのでしょうか?
「みかぐらうた」を読んで意味を考えてますか?
まともな答えは頂けないでしょうが一応投げかけます。
さっちん様
竹を割ったような性格でいらっしゃってさばさば感がおありです。正義感がお強い方なんだろうなと思っています。
いろいろフォローしてくださったりしてありがとうございます。
意図は「おさづけで人助けを。」ということです。
後、昔ながらの大家族促進を狙ってます。祖父母が孫と接すること、これが昔ながらの日本だと思います。
孫も家に帰って誰かがいるとほっとできます。天理っぽいことです。
あたたかい日本であってほしいです。
本部に申し訳ないです。私が工作員って、もしそうなら本部の人手不足にもほどがありますよ。「他にできるやつはおらんのかい」問題発生です。皆さんもっと優秀なはずです。
おさづけで病気を治す、静める、予防する。これを狙っています。これが意図です。
ひきこもりさんを天理でコミュニケーションの力を育てる、これも狙ってます。
災害を天理でできる範囲で助けにいく、これも狙ってます。
そういう訳です。
「匿名です 」のコメント
「お供えは教会の方々が生きるために必要なものです。お供えは教祖の教えを人々に伝えるために御奉仕されてる皆さんの生活を支えるものです。」
末端の教会は自分の稼ぎの中からお供えをしている。信者さんのお供えで生きているのではない。上級に持って行かなければさえ、豊かに生きられる。本部の人間も自分の生きる糧は自分で稼げ。家業第一だ。
お供えをアテにするな。
「匿名です 」のコメント
「本部の皆さん頑張っておられると思います。」
「教会本部の方も参拝していただけませんか。」
完全に本部だな。お前は大亮か。
一読者B様
マニュアルとかあるのかないのか知らないですが、工作員ではありません。
またはぐらかしとして書いているわけではありません。あなたはそういう環境におられるのに、いまいち人を掴みきれていないと思います。
するどい分析をなさいます。しかし大変失礼ながら教科書からぬけだせていないのではないかと思うことがあります。
天理のことについてもそばにいながら深く関わりを持たれなかったのではないでしょうか?
これは推測が入っていることを根拠なく並べ立てました。
するどい分析で、私自身もそうかもしれないと何度も思い、内省をさせていただくきっかけを作っていただいてます。
ありがとうございます。
複雑な言い回しや、回りくどい人ほど、
言いたいことは簡単です。
自分をほめて欲しい、自分を助けて欲しいという、
そういう欲求が、
くどくどしゃべる癖をつけるのです。
おさづけがきいて、一時的に痛みが引いた、
天理ありがたい!が、信仰ではなくて、
病気が治ることより、
親神の神意をさとることが重要で、
信仰にも叡智が大切ですよね。
(叡智:すぐれた知恵、深い知性、真理を捉えることのできる能力)
匿名ですさんは、
素直になるのがそれほど難しいのですかね。
だけど、ここに真剣に書き込んでる方々へなにか、
恨みか怨恨かよくわからない影響を与えたいんでしょうね
情熱をぶつける場所が、天理教本部やおさづけにあると思いたいのでしょうね。
でも、この人の心をたてなおすのが、
神の望みですよね。
反匿名です様
畏れ多いことをおっしゃらないでください。
本部の人間ではないです。神殿によく行きます。その時に本部の方々が頑張っておられるのを頑張ってるといってます。
「反・匿名です 」さんの一言を確認しようと、ズ~と読み返してみました。「匿名です」が大亮君だったら、とても合点がいくのです。
彼が言っていると思って読んでみて下さい。納得いきますよ。
もしそうだったら、いいことですね。情報が垣根を越えて広がっているのですから。
こういう意見を耳に入れておく事はいいことです。もし、当たっていても、無視をして書き込み続けて下さいよ。
平成とは、正に世の中が「ろっくのぢ」になる意味です。ネットという網が国境や宗教や人種や立場を超えて広がっているように思います。
見るに耐えない感じになってるんで、一つ横槍入れてみます。
コイツは多分工作員でも上層部でもなんでもなくて、本当に天理教に心酔し切って思考能力を失ったただのうんこ野郎ですよ。
しかしまぁこうも空気読めない感が究極なので、現実世界でもコミュニケーション能力は皆無なのは見るも明らかでしょう。
そうやって生き辛そうにしている人間を甘い囁きで宗教が取り込んだんでしょう。
ただコイツは特別に絡みづらさが極限なんでその閉鎖的な傷の舐め合い洗脳コミュニティとも満足できるようなコミュニケーションが取れていないのでしょうね。
まぁね、典型的なネット依存にありがちなパターンでしょ。
ネットなら是非を問わず相手をしてくれる人がいる。
結局は肯定、否定どちらでも構わないんでしょうね。ただ返事が来るから自分が存在している実感が保てる、そういう感覚ですよ。
そういう人達の傷の舐め合いの集まりの場が世に言うネット掲示板という交流の場ですよ。
天理教にどっぷりの人間は閉鎖的空間で存在価値を確認しあって自分が存在していることを承認されている満足感を得ていますから、個々人が外に訴えかける必要はあまりないんでしょう。
(組織なんて関係なくて今さえ良くば、我さえ良くばです。
口では上手いこと言っても行動が伴っていないですしね。)
このうんこキチガイ野郎はこの建設的な意見を交換する場、孤独に悩まれていらっしゃる方々がお互いを支え合い力を手に入れる場において、さもアホみたいに天理教の素晴らしさを理論もクソもなくバカな情熱だけで撒き散らして反感を買って自分の存在を認識しているただのドM変態オナニー野郎っちゅーことですよ。
賛否どっちでも、こっちが反応すると頭に乗る。
どのような意見をほざこうが無視が一番よろしいかと。
そもそも一生懸命戦おうとしている皆様に対して自己中極まりないアホで無自覚な暴論でのらりくらり。
こんなヤツの相手をするだけ無駄ですよ。
有益な議論に水を差されているのは明確ですが、一つ有益かなと思うのは天理教人の典型的な姿が暴かれて結局はコイツの個人的な満足感のためだけに天理教人の全ての人間が株を下げてるってことですね。
結局は理論で対峙することはできないバカばっかりなんでしょうね。
で、その反論もただの感情論でしか帰ってこない。
議論にならない時点でまた株を下げる。
ありがとうございますってな感じです。
丸裸にすることにメリットがあるならとことん追及するべきかと思いますが、もう無益なら管理人さんにお願いして議論に水を差す迷惑投稿をする方なのでということで削除依頼するべきかなと思います。
なによりバカには無視です。
同じ土俵に上がるだけ無駄ですね。
同じ土俵にわざわざ上がって丸裸にして晒すのも一つですが。
http://inochinonakigoe.grupo.jp
>なによりバカには無視です。
>同じ土俵に上がるだけ無駄ですね。
>同じ土俵にわざわざ上がって丸裸にして晒すのも一つですが。
無視しかなさそうですね。
矛盾を突いて仲間を引っ張り出そうと思ったのですが(「どっちもどっち」とか、一人二人出てきたかな?)、余りにも非論理的で議論も話し合いもできないので、こちらとしては全く得るものがありません。
匿名です様の書き込みに気を悪くされる方も多いと思いますが、ネットの書き込みは「自由」ですから制止出来ませんし、後は管理人さんの判断にお任せしましょう。
戦前の日本人は、神道仏教風土の上に、魂と神の存在を信じた人達だった筈だが、敗戦以降は見えないものは信じないという風潮が蔓延しているのは、コミュンテルンやGHQなどの外来帝国主義のみならず、宗教事大主義へ敗北してしまった日本人の姿そのままであるように感じるのだが。
国家神道の配下に教祖が迫害されたからと言って、この世治める筈の天理教の指導者達がそれを論じず、中山家ご一統さんの顔色ばかりをうかがう拝金主義宗教家が廻りを固めてしまったからなのか。
心の道と現象の関係も説けず、誠の心も説けず、健康長寿と家の繁栄の雛形も残せず、先々からの教理に対する質問にも答えられず。中山家は中山マンセー教か中山筋肉教でも作りたかったのか?そんなお地場を顕すために教祖はご苦労されたのか?
皆さんすみません。途中で申し訳ありませんでした。
畏れ多くも大亮様ではありません。
末端教会師弟様
返事として投稿した分が接続が他の人と重なってうまくつながらなかったのか、投稿になってなかったようです。
今日は仕事なのでまた休みの日に投稿します。
「畏れ多くも大亮様」って、畏れ多いのですかね。変です。
大亮君が凄いとか偉いとか言って居るのではなく。彼は、単に天理貴族の家庭に生まれた青年で、立場上、人が作成した文章を読んでいるだけです。本当の意味での天理教の歴史も教理も勉強する場所がないと思う。
だから「匿名です」も「大亮君」も同じレベルで、「どっちもどっち」ではないかと思う。
もし、仮に彼になにか強い思いがあるのなら、ブログなりを作成して、自分の生き方や考え方を通してお道の教えを発信してけばいいでしょう。相当な「にほいがけ」になりますよ。そして、ネットで若い人たちと直に触れ合って本音を引き出したらどうですか。
2016年10月9日 5:53 PMどっちもどっち 様
あなたは、天理教教団の実態をご存知ですか。
一例として「お運び」の実際を書きます。
事前準備の煩わしさは省きます。26日の祭典終了後に教祖殿に集まる。大教会長以下、当教会長、その部内教会長、当教会の役員一同が羽織袴若しくはおつとめ着を着用する。履物も白鼻緒の下駄履きでなければならない。
待つこと2時間余、御用場へ進むように声があり、一同は額を畳に擦り付けるように平伏すると、真柱から「許す」という有り難い?お言葉を賜り、直ちに退出する。
正に、大名たちが将軍に拝謁する映画画面にそっくりだ。
後は、お分かりだろうが分厚い金封を納めて、親神様・教祖様・祖霊様に拝して終わる。
神殿の壁を塗り替えるだけで、このような煩雑な手続きが必要なのですよ。
あなたは「どっちもどっち」と仰いますが、今時、遠く天理まで行かなくてはならない、このような非能率なことをしている組織がありますか。
中山家の権威を見せつけ、金集めの為だけにある、このような組織には近づかないようにと訴えているだけですよ。
匿名A様のご投稿を読んで、胸に湧き上がって来た疑念があるのですが。
天理教組織は、宗教組織として改革することなどは、毛頭、頭には無いでしょうが、もしかして、万が一、天理教が続かなくても構わない、と思っているのではないでしょうか。それも見越して、ともかく資産を溜め込みたい、という意識しか無いのではないか、と思われるのですが。
本部は、全国の末端教会の不動産名義を、どれ位かは勿論解りませんが、相当の数、持っていることと思います。又、それ以外にも、あちこちに多数、不動産を持っているでしょう。
もし、お供えを上げてくれる信者がいなくなっても、本部名義の教会を、教会長を追い出し、そこを売り払って、充分生活していけます。多く所有している不動産を売って、あるいは、不動産を貸して家賃収入で、充分優雅に暮らしていけます。末端教会長がどうなろうが、本部は構わない、それが、隠された本部の本音なのではないでしょうか。
もし、この想像が当たっているとしたら、これ以上お供えを上げ続けることの馬鹿馬鹿しさを思わざるを得ません。
匿名です様
>マニュアルとかあるのかないのか知らないですが、工作員ではありません。
揚げが取れそうな言葉を見つけ、取り合えずその部分だけを答え、とぼけて逃げるのではなく、
文章全体を読み、言葉の綾や例えから、相手が何を言いおうとしているのか、何を表現しているのか、
その本質を理解する努力をしなければ、会話は成り立ちません。
こういったズルさが、相手をイライラさせるのです。
頭が悪いからではありません。そういうやり方に、性質(たち)の悪さ、いやらしさを感じさせるからです。
>あなたはそういう環境におられるのに、いまいち人を掴みきれていないと思います。
あなたは、人を判断する前に、自分自身のことを自分できちんと掴めるよう努力して下さい。
光も影も自分自身のことを理解できた分だけ、相手や相手の言葉を理解することができます。
>するどい分析をなさいます。しかし大変失礼ながら教科書からぬけだせていないのではないかと思うことがあります。
あなたの方が教団の教科書やマニュアル的思考に深く洗脳されて思考が偏ってしまっているのは、
投稿の言葉や内容だけで一目瞭然です。
>天理のことについてもそばにいながら深く関わりを持たれなかったのではないでしょうか?
深く関わっていたかどうかは、この会話に何か関係がありますか?
深く関わっていたら、自分にもっと共感し、理解してくれるはずだという意味でしょうか?
訂正
揚げが取れそうな言葉を見つけ、
↓
揚げ足が取れそうな言葉を見つけ、
罪を憎んで人を憎まず』
こちらの皆さんの言葉を読ませていただいて、
この言葉がずっと私の頭の中でこだましていました。
でもこの言葉の本当の意味を私は正確には知らない。
それで調べてみました。
「犯した罪は罪としてにくむべきものだが、
その罪を犯した人までもにくんではならない」(広辞苑)
『孔叢子』刑論にある孔子の言葉「古之聴訟者、悪其意、不悪其人(昔の裁判所では訴訟を取り裁くとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかったの意味)」から。
「憎む」は「悪む」とも書く。
聖書(ヨハネ福音書8章)にも「罪を憎んでも人を憎まず」という言葉があり、孔子の「罪を憎んで人を憎まず」と同じ意味と解釈される。
幸せのヒント 「人を憎まない」
『悪行や愚行は憎むが、個人的には敵対しない』 チェスターフィールド
『私は人を憎まずして、その欠点を憎む』 マルティアリス
『私たちが敵に憎しみを感じると、
むしろ自分自身が敵に支配されることになる』 デール・カーネギー
一時的に人の悪行や欠点を憎んでしまうのはしかたがない。
だが、いつまでも人を憎むのは、自分のためによくない。
『寛容になるためには、歳をとりさえすればよい。
人が過失を犯すのを見ると、
それは私もかつて犯した過失ばかりである』 ゲーテ
『われわれの親にも子にも友人にも欠点があれば、
われわれの憎み嫌う人にも特長がある』 新渡戸稲造
『私は自分に欠点があることをよく知っているから、
他の人の欠点をあげつらわないように心がけている』 ガンジー
孫2歳6か月がママの元に帰っていき、静かな時間、夫と二人で上記の格言を読んでいました。
二人が特に心に留まったのがゲーテの格言でした。
二人とも胸にせまり、涙があふれそうになります。
生きるというのは切ないことです。
でも切ないことを多く経験して、自分の愚かさに気付くたび、どんどん楽になって
寛容になっていく気がします。
以前、やなせたかしさんのお話をこちらに書かせていただいたことがありました。
正義の味方、みんなに愛されるアンパンマン。
でも子どもたちはバイキンマンも大好きなのです。子どもってすごいです。
やなせさんがバイキンマンを愛されキャラに仕立てているのもあるんですがね。
邪魔なものは排除する。
簡単なことですが、こわい行為ではないですか?
ある意味ファシズムのようで。
改革の勢いがつけば、反対勢力があらわれる。
当たり前の流れのように思いますけど。
人の人生でも、ジャンプアップする時は必ず邪魔が入りますものね。
のらりくらり回答を無視してくる行為、私も以前イラっとしましたが、
でもその方が工作員だとしたら、意外にやり手ですね。
こんなに皆さんの思いをかき乱しているのですから。
天理教が金集めの宗教ではなく、人の心を救える宗教であってほしいと切に願います。
母や親族のためにも。
「あなたは離れたからそんな風に達観できるのよ」そういう言葉が聞こえてきそうですが、
ちょっと前まで私にも憎み苦しみ抜いた時期があった、それだけはわかってくださいね。
太りたくない太りたくないのエネルギーは太れ太れのネルギーになります。
物事は強い執着とは逆のエネルギーに変わる。
もうこれは真理のようです。宇宙の法則のようです。
体験済みなので。
偉そうなことばかり書いてごめんなさい。
2016年10月10日 10:14 AMの匿名 様
仰る通りだと私も思います。
中山家と少数の取り巻きにとっては、信者数が減ろうが痛くも痒くもないでしょう。
例えば、自教会の不動産の名義人なり権利設定がどのようになっているのかを知っているのは、会長たる代表役員ぐらいでしょう。責任役員(2名選任)は勿論、信者は尚更のこと教会の名義関係がどのようになっているのかを知っている人は皆無に近いのではありませんか。
ですから、教団本部にとっては、事情教会だろうと、管理人不在だろうと、おいしい存在に違いありません。といえば言い過ぎになるのでしょうか。全く伏魔殿そのものです。
>天理教組織は、宗教組織として改革することなどは、毛頭、頭には無いでしょうが、もしかして、万が一、天理教が続かなくても構わない、と思っているのではないでしょうか。
天理教の中央の上層部は、ハッキリと言葉や口にはしなくても「信者が居なくなってくれた方が都合がいい」と思ってるでしょうね。
一説には、天理教団(法人を合わせてこう呼ばせて頂きます)の持つ資産は数兆円とも数十兆円とも言われています。全国各地に「天理ビル」なる名称で立派な不動産を所有して、運用している事をご存知の方も多いでしょう。その管理会社の役員は、当然ながら「本部員の親族」です。「天理」の名称を使わずに運用している不動産や資産の全体像は、誰にも把握できない位膨大なモノでしょう。
仮に「資産十兆円を年率3%で運用」したとしても、その収益は中山家や親戚筋、本部員家族・親戚が「末代まで何もしなくても遊んで暮らせる」のには十分な額です。
また、現在宗教法人名義で「信者が使っている施設」は収益を生み出すことは出来ませんが、使う人(信者)がいなくなればオフィスビルなり賃貸マンションなりに建て替えて運用する事が可能になります。
数年前に天理教維持財団が数兆円の損失を出したと騒がれた事もありますが、現金で失った訳ではなく「投資していた株価や債権の評価額が下がった」のが主な理由ではないかと思われます。
ただ、少なくなったとはいえ現在でも毎年100億円以上のお供えを集める事のできる組織ですから、まだまだ搾り取って利用しようとはするでしょう。
一般企業で考えた場合、年間100億円の「粗利」を上げる会社なんて、かなりの大企業であり優秀な会社です。しかも、税金・人件費・その他が一般企業より優遇されているため、実質は「売上げ1兆円規模の会社」に相当するでしょうから、その役員や取締役の立場を利用し、吸い尽くすと考えるのが普通です。
こういった組織の現状や実体を知らされる事なく、「神様へのお礼やご奉仕」という名目で教団の維持のために苦労を強いられ続けて、現実に支えている末端の信者さんや教会関係者に対して、真柱様はどういう気持ちでいらっしゃるのでしょうか?と、問いかけたいです。
50代元信者様
本当にそのとうりですね。
沢山の素敵な気付きの格言をありがとうございます。
ここは言いたいことを談じ合える掲示板です。
しかし、あまりに反対意見の方が多いので気の毒に感じられたのですね。
庇うという気持ちも大切にしたいと思いますが、あまりに目に付くこと、気になることに関しては、
率直に意見しあうことも双方にとってとても勉強になるいい機会なのではないでしょうか。
匿名です様も遠慮せずに、言いたいことをどんどん投稿されてます。
また、当事者だけではなく、様々な考え方の読者さんも多くその遣り取りを読まれていると思います。
意見をはっきりと言い合えることは、それぞれ、様々な本音や意見を知り合うことの出来る貴重な機会。
世間を広くする貴重な機会と考えます。
反対意見をされた方は気の毒に見えるかもしれませんが、長い目で見れば良いことも多いのではないでしょうか。
>邪魔なものは排除する。
50代元信者様にはそのように見えましたか?
しかし一生懸命、邪魔なもの、邪魔な意見を排除しようとしているのは、匿名です様ではないでしょうか。
しかしそれもよし。
意見が合ったらまた気になった人が投稿して意見を述べる。
「頑張っておられるのを」「畏れ多くも」など、不必要なほどのきれいな言葉で飾り、
「頭がわるいから」など弱者をアピールするようなことを言われるので、
弱者を庇わなくては、という気持ちにさせられるのは、よくわかります。
しかし、本当にその行動は弱者と言えるでしょうか??
私は、弱者という感覚より、匿名です様だけではなく、教団に多くいる潜在匿名です様全員に対して
意見し、投稿している気持ちでした。
つまり、本部にとっては、どちらに転んでも、損することは無い、ということですね。信者がたくさんいて、どんどんお供えが上がってくれば、それに越したことは無いですし、信者が減って、いなくなれば、名義が本部のものであれば、いづれ売却して利益が入る。本部が、そこまで先々のことを考えて、信者がお供えした教会の名義を、本部に移し替えたのだとしたら、本当に怖い組織である、と思います。
しかし、そう考えても、勘ぐり過ぎでは無いように思います。現に匿名A様からの、神殿移転建築で1000万以上もの不足金が出る程、無理なお供えを要求した本部であれば、その位のことを、用意周到に考えていたとしても、不思議はありません。我々が、これ以上馬鹿を見ないように、自分達で用心するしかない、ということですね。
無理なお供えは極力しないよう、そして今後のことを考えて用心していた方がいいでしょうね。
一読者B様
<あまりに反対意見の方が多いので気の毒に感じられたのですね。
実はそういう感覚は私の中にはないのです。
感情移入する部分がないので。
実際にお会いしたことのない方なので計り知れない面があります。
工作員である可能性もありますし、精神を病んでいらっしゃることも考えられる。
どなたが書かれていたように宗教依存の方かもしれない。
以前外国語で掲示板あらしをしていた方がいましたね、その人は完全に工作員でしょう。
その人のIPアドレスを調べれば何かと一致するかもしれない。
なんていろいろ考えたりもします。
これは管理人さんしかわからないので、どうしようもないですが。
以前私も自分のHPを持っていたとき、IPアドレスで人物を特定していたので。
>邪魔なものは排除する。
> 50代元信者様にはそのように見えましたか?
下記の意見に関して書きました。
<もう無益なら管理人さんにお願いして議論に水を差す迷惑投稿をする方なのでということで削除依頼するべ<きかなと思います。
その方の今の状況を考えると、あまり名指ししたくなかったので・・・
ですが、あいまいな書き方をしたがために、一読者B様が気になされたのでしたらごめんなさい。
>我々が、これ以上馬鹿を見ないように、自分達で用心するしかない、ということですね。
全国17000の教会は、それぞれ「宗教法人」になっています。
宗教であろうが会社であろうが、町内会であろうが趣味のサークルであろうが、その法人や団体の役員は、その法人や団体のために働く、その利益を守るために判断し活動する義務があります。
その法人・団体のお金を勝手に使ったり横流しすれば、当然ながら「横領」とか「背任行為」と言われます。
巡教の「お礼やお車代」ならまだ理解できますが、自教会になんのメリットも得られないのに「お供え」だけを払い続ける事は、自教会に対する「横領・背任行為」に等しいものがあるように思われます。
末端教会長に「お供えに見合った理の流れがある」等と教育・洗脳して、お供えを出させ続ける上級本部も問題ですが、出し続ける末端教会長たちにも「これが自教会にどれだけメリットがあるか?」を考える必要があり、有耶無耶のままに出し続けることがいかに世間一般からすれば「違法な行為」であるかを理解する必要があると思われます。
かくいう私の両親・祖先がこれを続けてきたわけですから、偉そうなことは言えません。
ただ、これ以上の被害の増大や間違いの継続を止めたい、知らないで続けている教会関係者には教えてあげるべきだ、という気持ちだけです。
本部員達がどれだけ汚れても、お地場は独り立ちできているのだから、我が永遠の魂から、人間可愛い一条で働かれている親なる神への感謝の心を深めて通る事に変わりはないが、やっぱり現本部員は入れ替えなきゃダメだよね。
最低限、御神楽歌やお筆先全般への当人の解釈を、表明更新し続ける人達でないと、聞いていてもつまらんよ。
受験秀才の歴史教師の授業の、年号の羅列と語呂合わせ暗唱術を彷彿させるだけで、この世と人間をいかにして救い、成人さすかという宗教本来の目的から遠ざかっているとしか思えんのよ。
時代背景もあったのだろうが、中山家の権威利権を擁護するためだけの御用学者が残り、視野の広い人達は本部から出て行ったのだろう。
そして敗戦後も、そういった人達を受け入れる土壌が養成される事もなく、本部は今に至っているのだろう。戦後利得者達によって、GHQやコミュンテルンに頭が乗っ取られた人達によって国柄が意識できなくなった日本人と、神が天下り続ける場所としてのお地場の土地柄を意識できなくなった天理の偉いさん達が、背骨の抜けた軟体動物よろしく、拝金主義と事なかれ事大主義で現状維持を目論んでいるだけだろう。
日本はお地場を戴く、いつの時代も最高度に進化した魂達が呼び出される、さらなる健康と進化の為の神の実験場ではないのか?本部は神の化身である教祖に近づいた話医者でもあり世界教師でもある人達が登場し続ける親里ではないのか?
本部員は全員魂と神についての本を書け。できない者は降格だ。
>本部員は全員魂と神についての本を書け。できない者は降格だ。
まあ、ほぼ無理でしょうね。うちに来られた修理人が、話の事を「ネタ」と言われていました。テレビを見て研究するとも言われていました。
話が変わりますが、表統領が中田になってから、飯降と上田が左遷されているように思えませんか。
こんなことで負ける私ではない!
どこの団体かは分かりませんが、自作自演がわかりすぎて、逆効果です。
お疲れさまです。
末端教会子弟 様
>一説には、天理教団(法人を合わせてこう呼ばせて頂きます)の持つ資産は数兆円とも数十兆円とも言われています。
その一説というのは、信用の置ける説ですか?末端教会子弟様のご意見、早速ツイッターにしちゃいましたけど、その、数兆円とも数十兆円とも、という金額に、あまりに大き過ぎるような気がして、そこの数字消そうかどうしようか(笑)迷ってるんですけど、ツイッターにして大丈夫な信憑性のある数字なのでしょうか?
私はなんでもかんでも信じる癖がありました。
疑うということができなかったのです。
本当にアホでした。
それが5年ほど前でしょうか。
次々にあきれるくらいに人に粗末に扱われて・・・
やっと50過ぎて気づいたのです。
私は誰かのためとなれば一生懸命になるタイプ。
なんでも許してしまう。
利用するには恰好の相手だったのでしょうね。
一気に嫌な思いを重ねたお陰で、自分の馬鹿さ加減に気付いて、
それから「疑う」ということを始めました。
自分を守るためです。
それまで一直線だった思考回路に変化が起きてから、
物事を見定めるのがおもしろくて。
小学校の高学年か中学生の頃だったと思います。
家にあった天理教関係の本に
猛毒である何かの菌を3人に飲ませた所、
絶対に大丈夫だと信じている人は助かり、疑った二人は亡くなった。
と書かれていて、それが強烈に私の心に残っていたのです。
信じていれば大丈夫、信じていれば大丈夫って疑うことをやめてしまった。
信じること疑うこと、どちらも大切ですよね。
私のことも疑ってくださって大丈夫ですよ。
末端教会子弟 様
ひとまず、ツイッターの方を消しました。
本部は、「信者たちより、教会長たちより、自分達の資産だけが大事なのだ」、という、その事に関しては、事実だと思いますし、是非ツイッターにしたい情報なのだけど、問題はその推定される教団の資産額の数字、何千億くらいにしといた方がいいのでは?
その「一説」の根拠に関し確かなのか、再度ご投稿お願いします。
ツイッター https://twitter.com/sazannkasatuki
ツイログ http://twilog.org/sazannkasatuki
匿名ですは・・・
「コイツは多分工作員でも上層部でもなんでもなくて、本当に天理教に心酔し切って思考能力を失ったただのうんこ野郎ですよ。」
うんキチ 「こんなことで負ける私ではない!」
成る程。
うんキチ=匿名です。
間違いない!
2016年10月9日 12:57 PM 匿名 様
>石上神社から山辺の道へ入ってしばらく歩くと、竹やぶが繁っています。
>手入れもされず、竹が密に生い茂り、道路に竹が覆いかぶさっています。
>朽ち果てた囲いの横に、「勝手にタケノコを採るな 天理教教会本部」という立て看板・・・
>それを見た時、悲しくて恥ずかしくて情けなくて。
>でも、こんなところまで土地を持っているのか、という驚きと強欲さに呆れました。
>そしてやはり最後は怒りしかありませんでした。
本当に、驚きと怒りでしょう。
聞けば聞くほど、情けなくて。知人はひのきしんという名目で山の手入れに行ったことがあるそうですが、なんの知識も持ち合わせていないので、どこから手を付けていいのやら、ワイワイガヤガヤで終わったそうです。
そのような竹藪ならば、さっさと売却して、そのお金はユニセフとか国境なき医師団なり、人助けの出来るところへ寄付すればいいんです。
さっちん 様
「一説では」は「噂では」と同じくらいの意味なんですから、証拠とか信頼できる根拠とかはありませんよ。
数十兆であれ数千億であれ、同じです(笑)。
でも、可能性や信ぴょう性は十分にあります。
以前に書き込まれた方がいるように、「日本の総人口が六千万人台であった時代にお道の信者六百万人(あるいは八百万人)といわれたことがありました。(教祖五十年祭)」という巨大教団です。
国民の1割が信者という状態で、仮に「国税と同額のお供えがあった」としたら、10年で国家予算と同額の収入になります。「屋敷を払いて 田売たまえ 天貧乏のみこと」と揶揄されるほど多額のお供えをさせていた事を考えれば、数年で国家予算規模になったのではないでしょうか。
そんな状態が明治後期から戦前まで続けば、どれだけの「資金」が集まったと想像できますか?
中山家と本部員を含めた親戚連中が「湯水のごとく」使っても減るどころか溜まる一方だったはずです。
「日本経済の成長の裏には天理教の資金があった」とも言われています。
勿論、現代とは経済規模も貨幣価値も違いますから、一概に「○兆円」と一括りには言えません。
前述の「数年前に天理教維持財団が5~6兆円の損失を出して解散した」ということは、その数倍の運用資金や評価資産がなければありえない事です。ギャンブルか何かに突っ込んで全てをスってしまうなんて不可能な額なんですから。
私個人としては「十兆円でも少なめだ」と思っています。
50代元信者様
2016年10月11日 7:27 AMの記事にとても共感致しました。
私からもひとつ、なるほどと思った文章をシェアさせて頂きますね。
——————————————
多くの人は誤解しているけれど
人を疑うとはつまり
その人間を知ろうとする行為なんだ
『信じる』
その行為は紛れもなく高尚な事だ……
しかしね
多くの人間が『信じる』の名の下に
やっている行為は実は
他人を知る事の放棄
それは決して「信じる」行為ではなく……
無関心
無関心こそ疑うより
はるかに忌々しい行為である事に
多くの人間は気づいていない
俺はかつてとある巨大マルチを潰したときに
その内部の多くのひどい人間を見てきたよ
だがマルチで最もタチが悪かったのはーーー
いい事をしていると思いこんで
結果 人を騙している人間の多いこと
そいつらには人を騙しているという自覚が全くない
なぜならそいつらは
自分のせいで相手がどれだけ苦しむかを
想像することから逃げている
完全な思考停止
究極の無関心状態だ
疑うことは決して「悪」じゃない
本当の「悪」はーー
他人に無関心になる事なんだ
(甲斐谷忍『ライアーゲーム IV』集英社 2007.5.23.発行)
—————————————————-
末端教会子弟 様
解りましたが、数字の部分どう書こうかしら。
「その金額は、あまりに膨大すぎて、とうてい把握できない。」かな?(笑)
私も初めてしりました。
本部はお供えが減って大変だと聞いていましたが。
大都市に五棟の賃貸ビルを所有していました。
他に温泉や駐車場も経営しています。驚きです。
http://tokyotenrikyokan.co.jp/
株式会社 東京天理教館
資本金 410,500,000円
代表取締役 松田 嘉次
社員数 57名(2014年4月時点)
さっちん 様
数字なんか書かなくても皆さんはもう十分にお解りですよ。
今までに皆さんが書き込まれた内容で想像がつきます。
それよりも、真の教えを求め続けましょう。
(2015年9月25日の記事)
天理教には天理教が投資して設立した株式会社があり、そこの役員は天理教幹部ファミリーであると思われる
私が確認したところ印刷業の株式会社天理時報社と、不動産業の株式会社東京天理教館の2つである。天理時報社は代表取締役が諸井博和氏である。彼の名前で検索すると天理教の幹部かその親類であることはよくわかる。みちのともによると「天理やまと文化会議委員」に任命もされているので幹部に近しい人物であることは間違いない。なぜなら天理教幹部で諸井という苗字は多いからである。
東京天理教館は、天理教という名前も入っており、普通に考えて天理教が投資して作った関連企業であろう。代表者の松田嘉次氏は、天理教幹部であるのかはわからなかった。しかし天理教幹部にも松田姓が複数いるため、ほぼ幹部親族であることは間違いないと私は見ている。この天理教会館であるが、月に数百万円のテナントを抱えるビルを複数運営しており、その賃料収入はかなり大きなものと考えることが普通であろう。
この会社から天理教へのお金の流れなどは不明だが、この会社自体は、非常に大きな資産と収入を有していることは間違いない。この会社が有しているビルなどは、もともと信者のお供え金が原資であり、天理教を経由して投資されたと考えることができる。
土地の取得、ビルの建設など都心に有するということは数百億〜数千億円規模のお金が投資されたことは間違いないだろう。
(それどころではない、資本金 が410,500,000円となっている)
http://tokyotenrikyokan.co.jp/
さっちん 様
具体的数字はお好きなようにどうぞ(笑)。
ちなみに、平成25年度の本部周辺の『路線価』は憩の家側(西側)で約50000円前後、東側(東大路)で35000円前後です。
ご本部の正確な面積は不明ですが、天理教団が「八町四方神の館」を目指して土地を買収してきたとして、一町=約109.09mですから、八町四方=761,640㎡です。
平均40000円としても、約300億円になりますが、実勢価格や評価額で考えれば数倍に跳ね上がります。
面積自体、私には「もっと多いのでは?」としか思えませんし、周辺に点在する施設や駐車場などの土地を考えたら、どれ程の資産価値でしょう?
それに、それらの土地の殆どは、天理教本部が直接買い付けたものではなく、大教会などの信者組織が購入した土地を「強制的にお供えさせた」と聞いていますが、どなたか「証言」や「証拠」をお持ちの方は居ませんかね?全国の分教会の土地ですら「お供えさせる」のですから、本部に近い所なら当たり前ですか?
また、各種学校や病院、参考館などの施設は、それぞれ「学校法人」「医療法人」「財団」になってるでしょうし、それらの間の「寄付行為」や「資産の移動」は一切公表義務がありませんから、全ては闇の中です。
公務員の「天下り」が問題視されて久しいですが、天理教組織内での「天下り」は信者や末端には知らされないで100年以上続いているのでしょう。
末端教会子弟 様
フムフム・・・。 ツイッターには、「資産は膨大なものであろう」と書きました。それは事実で、どこからも、突っ込まれないでしょうからね。(私) 万が一ツイッターが誰か、その筋から詮索されないか、と思って末端教会子弟様に数字を確認したのですが、まあ、無難に書きましたから大丈夫でしょう。
ともかく、信者達には「貧に落ち切れ」と教えながら、教団は、お供えで私腹を肥やして来た、ということは、このように証拠物件もあり、事実であり、許せませんね。このような事が現実に行われて来たことを、信者さんや末端教会長さんたち、関係者の方達にできるだけ、知って頂きたいですね。
教祖も、「金を溜めるとこの始末や」、とため息つかれてることでしょうね。
アンチ
2016年10月11日 12:18 AM
>どこの団体かは分かりませんが、自作自演がわかりすぎて、逆効果です。
>お疲れさまです。
いよいよ、ほんまもんの工作員登場ですか?
本部の人ですか?
アンチ 様
もしかして、別の方に仰ってた言葉でしたか?
勘違いしまして、工作員呼ばわりしてしまい、失礼致しました。お許しを。
>夢
>2015年8月10日 8:39 PM
>中田善亮・・・・・・・こんなえげつない奴が世の中にいることがまずありえない。その理由?性格悪すぎ。おたすけ
>、おたすけ、おたすけ、オール天理なんて言うとるやつが、ランボルギーニなんか乗ってアメリカ走り回っていたのは
>30年前。みんなおそなえ一生懸命頑張ってしとった中で。オール天理・・・・・笑わせるな。
夢さんの書き込みを見ればわかるでしょ。もう何もかもが終わりなんです。これを見てなお現行天理教を信仰しようという方は、余程崇高な精神?をお持ちの方かも。
昨日ある組織の方と話す機会があった。
そこはかとなく匂ってくる選民意識。
組織が出来上がり、人が群れるとそんなもんなのかねー。
だから私は群れを成すのがいやなんだ。
私は幼いころから一人が好きだった。
女同士の群れなんて最悪だった。
母が先日こんなことを言った。
「修養科の時に私は親様のお世話係をさせていただいた。
それは教会の奥様でもできないようなお役目らしい、ありがたい」と。
なんじゃそれ、って思ったけど、高齢の母ゆえに、私はもう黙って聞いていた。
優越感にひたっている母。
それで自分は親様に特別に大切にされていると思って生きる希望にしているのだろうか。
私は大勢が一斉に同じ方向を向くことにずっと違和感を感じて生きてきた。
民主党が政権を握った時も、「あー恐ろしい」と感じた。
すっからカンさんは、原発事故の後、都内の祭りに参加していたよ。
うれしそうーな笑顔でね。
こんな時に祭りに参加して笑っている場合か!と思って、その姿を写真におさめてあげたけど。
私は自分も何度かひどいイジメあっている。こんな性格だから。
真向からぶつかっていくから。
そして同じように、娘もイジメにあった。
イジメられている子をかばって娘はいじめられた。
その内容を書いていると、とんでもなく長くなるのでやめておくが、
私は最初にいじめられた子のお母さん、いじめた側のお母さんたちに
すべての事情を話した。あくまで穏やかに。
最初は怪訝な顔をされていた方もしだいに心を開いてくれた。
私は見て見ぬふりはできない。自分に火の粉がふりかかってきても。
今日は朝からため息ばかり。
そんな中、いつも私を支えてくれる本をひっぱりだしてきた。
神渡良平氏の「静寂の時間が命の根を養う」
どんなに一人が好きな私でも、たまに寂しくなることがある。
志をともにできる相手がいてくれるのは、やっぱりうれしいことだから。
でもそんな時にこの言葉が勇気づけてくれる。
神渡氏の本の中に出てくるセネカの教え
「至善は外界からの手を求めない。内部から培われて、自体から出てて全きものである」
陽明の
「天下ことごとく信じて多しとなさず、一人これを信じるのみにして少なしとなさず」
ショーペンハウアー
「人は他の人々と接触する必要が少なくてすめばそれだけで幸いである。自分自身一切の中の一切であり得る人こそ、幸福と心情の平成と最善を保ちえる」
そして神渡氏は書かれている。
「さあ、孤独に耐えよう。独を慎もう。そして真に創造的少数派(クリエイティブマイノリティ)になろう。」
さて、夏に下記のページにたどりついて、高野友治氏の「石上神宮の祭りの夜」という伝聞が
気になっているのですが、どなたかご存知ないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20080606/p2
こちらのページの管理人の方は宗教学者さんで、
「天理教の教義及史料集成部が、保管しているみきについての一次資料を全部公開してくれれば、天理教一教団に対してだけではなく、日本の宗教界全体に貢献できると思います。」
と書いてられるのですがねー
「天理教とフェミニズム」を書いた九州のあの女性の言葉がふっと思い出される。
本部にしてみれば100年祭頃はちょうどバブル直前の好景気
景気の良い信者さんに人参をぶら下げて教会に推奨。信者数が足りないと名前だけ
貸して教会に仕立て上げた
初代会長が出直されると仕方なく奥様が教会長となる
子供達は教会を継ぎたくないので、とし老いた会長さんが無理でも嫌でも取り残されている
酷い話だ
事情教会保存方法
・上級の会長夫人名義
・上級の息子名義
・自教会を息子に任せて事情教会を担当
・上級の親戚を名前だけと言って頼む
・上級の熱心な信者さんに頼み込む
まだありますでしょうか?
すみません
わかりにくい書き方をしてしまいました
大教会及び上級教会が部内の事情(失礼)教会を残す為のアレコレを
現実に知り得る範囲で書き込みました
先程リンクを記載したページのある方のコメントに
「天理大学宗教学科教授たちも「教内に検閲機関」があるので、天理教 教学研究をする者は殆どなく、他宗の研究をしている始末です」と。
天理大学人間学科宗教学科の教育目標には
●天理教学の理論をふかく修めさせ、それを実践にむすびつける資質や能力の養成
と、ハッキリ記載していますが、学生たちに何を教えるのでしょうか。
真実は知ってはならぬと教えるのしょうか。
これが学問だなんて、聞いてあきれる。
横浜である会の打ち上げに参加させていただいた時、私はある方にお会いしました。
その頃私はたくさんの不思議なお導きをいただいていた頃でした。
その方は東京にて東洋思想や古典を学んでおられる方でした。
その場は何気ない会話だけでお別れしたのですが、その後私にその会へのお誘いと
一冊の小さな冊子を送ってくださったのです。
今なら大変興味のある内容なのですが、当時の私はそういう勉強をする自信などありませんでしたし、
第一にもうグループに所属するのはコリゴリだったので、そのままにしてありました。
それが最近その冊子のことがふと気になりだしたのです。
それは芹沢光治良氏のお嬢様文子氏の講演録でした。
今朝初めてじっくり読ませていただいて、私は声をあげて泣いてしまいました。
是非みなさんに紹介したいです。
(祖父とは沼津で教会長をされていた芹沢先生のお父様のことです)
・・・(中略)私はその時に私の父とか祖父の眼を思い出しました。
父方の祖父は、私が初めて会いました時に、祖父だとは気が付きませんでした。
私の中の祖父のイメージは、母の父のように、孫の私を孫らしくといいますか、
横柄に取り扱うかなり威張った人が、私の祖父と思っていたのでございます。
でも、初めて会った父の父は、私がご飯をお茶碗によそえば、
「文子さんありがとうございます」帰る時は、何もしない小さい私にまで、
「文子さん、お世話になってありがとうございました」
帰ってからその背の低い、でも眼の綺麗な人が、私の祖父だと母に教えられた時は、
本当に吃驚いたしました。
その祖父は父を両親の処に置いて、父の言葉を借りれば「親に捨てられた」
と言っておりますけれども、その祖父は父が外国で病気になりました時に、
父の写真に向かって、毎日、毎日、祖父が信仰している神様のお授けのお取次ぎ
したそうです。そしてその祖父が亡くなった時に、その祖父の布団の下から
二本の真っ白い線、お授けの跡の残った父の写真が出てきたと、私は叔父から
聴かされました。
父はその祖父に、生前は親しみを抱かなかったかも知れませんが、晩年の父の眼は
あの祖父の優しい眼にとても似ておりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何で読んだか覚えてはないのですが、芹沢先生が天理教の教会長であるお父様のことを
信仰者として人助けのためにすばらしい生き方をした人だと書かれていたと記憶しています。
ひょっとしたらテープで聞いたのかもしれません。
壮絶なお助けでした。またみつけたら紹介させていただきますね。
ゴミ出ししてきて、ふと疑問が浮かんだ。
「どうして母は教えが捻じ曲げられてる」って思うようになったのだろう、と。
母は、教理の勉強などしていない。
ひたすら日参し、朝晩お勤めをし、以前は14時になると12下りのお勤めしていた。
思い当たるのは、「おふでさき」
母はお筆先を丸暗記しているような人で、
以前は会話によくお筆先の言葉が出てくるので鬱陶しかった。(自分の言葉で喋ってよ)って。
母は60代の頃、車いすで修養科に行かれる人のお伴をした。
母は修養科の教室で朗々とお筆先を読むもので、講師の先生から
「山の仙人より里の仙人になるように」と言われたそうだ。笑っちゃう。
私のようにお筆先のこともよくわからない元「なんちゃって信者」とは違い
母はお筆先によってしっかり教えを身につけていたんだ。
聖書を読まないカトリック信者なんていないだろう。
わが夫が言うように、本当にわたしは「なんちゃって」だったんだなー。
皆さん、元信者なんて偉そうに書いてごめんなさい。
50代元信者 様
天理大学宗教学科なんて何の学習能力も持っていませんよ。年に3回天理に居る知人に会いに行きますが、この知人は天理大学に入ったばかりに現行天理教に疑問ばかりを感じるようになってしまいました。彼は、最終的に史料集成部に教えの真実といいますか、教祖の真の姿があると確信して、入室を希望したのですが、80歳に至る今も彼の希望は実現していません。
高野友治教授に心酔し、八島英雄氏に何かを教わったのでしょう。
八島英雄氏は、二代真柱に乞われて東大入学をあきらめて天理大学に入学されたと聞き及んでいます。その八島氏がどのような道を歩まれたかは既に御存知の事と思います。
「中山みき研究ノート」に反論するために天理教青年会は「確かな教理理解のために」を出版しましたが、八島氏の裁判を通じて八島教学に何の反論も出来なかった教団本部はこの時点で既に終わっているということです。
匿名A 様
<天理大学宗教学科なんて何の学習能力も持っていませんよ
最初これに関することを無宗教の夫に話しても、なかなか信じてはくれませんでした。
「こんなこを有り得ないよ。信憑性が疑われる」って。
ところが匿名A様が書かれているような事実を目にして、
「学者としてのプライドがないのか! 信じられん!」って怒ってました。真っ赤な顔で。
学生さんたちはお気の毒ですね。
そういえば体育学部以外の学部においては、すべての学部の卒業生の就職先にあのゼネコンの名前が
入っていますね。天理教は上得意様なのでしょうね。
私も矢島先生の資料をいただくことになっていました。
ですが、私が調べ上げたことでほぼ間違いないということでしたので、今はお会いしようかどうしようか
迷っています。もうなんだかしんどくて。
その方もご高齢です。「みんな腰抜けどもばかりだ!」と怒ってられました。
私の場合は教理も勉強しておりませんし、完全に偶像崇拝でした。
そういう人が信者さんの大半を占めるのではないでしょうか。
簡単に情報が入手できる社会ですから、それらの方たちがどんな行動にでるかはもう言わずもがなですね。
>天理大学宗教学科なんて何の学習能力も持っていませんよ。
大きな権限を持った「主査室」という「検閲機関」があります。
それぞれ研究はされていますが、発表する場所が限られてしまいます。表現をオブラートに包みながら、良く読み込めば分かるという表現をしたりしておられるようです。
教外の出版社から著書を出されたり、あまり人の目に触れないような場所で発表されたりしています。
学生の書き物でさえ、大幅に書き換えられたり変更させられたりします。
陽気などで、上級の不足なんてことは、もっての外で、勝手に書き換えられます。
このようにいろいろなことが暴露されて反対勢力はまた動き出すでしょう。
賢くいきましょうね。
「疑い」をもちながら。
古い教会長様
言論の自由がない大学なのですね。
これじゃ廣池千九郎博士が迫害を受けた頃と変わらないですね。
もう国家からの圧力は何もないのに・・・
50代元信者 様
「月日の紋」、「月日の扇」すら復活できないのですから、もうどうしようもないのです。
「四つ よるひるどんちゃんつとめする・・・」に今の日の丸の扇の手では意味がありませんよね。月日の扇で勤めて初めて意味が理解できます。
もう、あきらめてください。その方が陽気に過ごすことが出来ます。
古い教会長 様
有り難うございます。検閲機関そのものがあったのですか。そういうことだったのですね。一度、知人にその辺の事情を聞いてみます。
高野友治先生著「天理教史参考年表」が教団によって没にされたと聞いております。手元にありますので、何度も読み返しているのですが、どの部分が教団にとって具合の悪い部分なのか分かりません。
スキャナーで全文を取り込んでいますので、ここにアップ出来ればいいのですが、一応、高野先生の御子息様なり、出版社(株式会社養徳社)の了解を頂く必要があるかと思っているところです。
一事が万事ですね。
目覚めると、ふと頭に浮かぶことを調べることにしている。
実は昨日の夜、井上昭夫氏の論文をみつけた。
論文 「みかぐらうた」釈義批判
―「味わう」ことの身体性にふれて―
『天輪王踊歌写帳』(慶応3年筆写)について検索してたどり着いたのだが
昨日は睡魔に襲われて中断。
その中でまず下記の言葉をみつけた。
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「みかぐらうた」という原典は、人類救済の珠玉の宗教的神楽でありながら、天
理教学においてはその現代的解釈や裏守護的・思想的解釈とは長い間無縁であったと
いわねばならない。
その原因を一口で言えば、天理教学や教団の保守的気質、世俗主義はもとより、自
宗教内の自由主義をも批判しようとする原理至上主義(ファンダメンタリズム)的傾
向、「復元」への無力性にあったと思われる。とりわけ、これらの壁を打破し、乗り
越える実力と勇気が欠落した原典研究を使命とする天理教学者の責任は重大である。
痛烈な自己批判による天理教学における思想的な変革が、まず新しい時代の初めに、
目覚めた挑戦的教学者によってなされることを期待したい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
学問的にはとても面白かった。
でも、何とも言えないもやもや感が残る。
そして退任の挨拶がグローカル天理に載っていた。
その一部を読んで興ざめ
「私にとって天理やまと文化会議は表の道、神社移転は対照的に裏の道」
三島神社移転問題に関与していたのですね。
このお方は二代真柱が実現できなかった最も大きな仕事は三島神社の移転であったと
喜多秀義元真柱室長に話したと書いている。
私はこの移転問題に関しては震えるほどの怒りを感じるのです。
すばらしい学問の道がありながら、あーーーなんともなんともやりきれない
1975年 三島神社移転の交渉が始められる。
1982年 教団から三島町まちづくり基本計画覚書が三島区評議員会に提出され、住民は計画を知る。
1985年 真柱を中心とした本部最高幹部が密かに三島神社移転の計画案を練っていたことが判明
1988年 三島神社移転
1988(昭和63)年、天理教祖百年祭後、天理教本部が、本部神殿東前にあった三島神社を
本部神殿東前から三島町のはずれに移転させた。この経緯につき、天理教真柱を取り巻く極く一部
の本部員が極く秘密裏に練り上げ、膨大な予算をかけて準備をし事を遂行したと云われている。
神社移転後、首謀者の一人の天理教教会本部内統領・中山正信本部員が出直した。
数年後、教団最高責任者の真柱が身上で倒れ、8時間にも及ぶ心臓の大手術を二度にまでわたって
受けられることになる。もう一人の首謀者である真柱室長・喜多秀義本部員も、神社移転後、時を 経ずして脳溢血で倒れ再起不能となった
尚、こちらの修士論文に詳しい調査内容が書かれています。なかなか面白いです。https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/11/1/11_299/_pdf
1999年 鏡ヶ池埋め立て
畑林清次氏 表統領となる
井上昭夫氏 おやさと研究所教授に任命される
2002年 天理教教会本部は、三島神社移転問題に関与したとみられる安野嘉彦本部員(表統領室長)、
山中忠昭本部員(当時の経理部長)、山本義和本部員(当時の営繕部長)の3名に現職罷免の
命令を出した。
グローカル天理にて井上昭夫氏は退任のあいさつで、はっきりと三島神社の移転に関与していたこと
書かれています。それも2代真柱の志を受け継いで。ですが、罷免されたのはこの3人のお方たち。
そして現職を罷免された安野氏はその後天理大学の理事長となられています。
天理教学者達に先ず望まれているのは、お地場の理想的なありようへの提言でしょう。
血統者達と預言者達を本部での並立、スンニ派とシーヤ派をお地場で両立させる方法の提案だと思いますね。
教組の御事跡をなるべくそのままに残すというのは当たり前の事であって、井上、喜多両氏とも常識外なんですね。もちろん中山真柱もね。
本部が機能不全に陥っていながら、社会のセーフティネットとしての地方教会から金と労働力を吸い上げようとすれば、地方教会も機能不全に陥るのは当たり前ですね。
天理の探求にも、教祖のファンクラブとしても、福祉団体としても、全ての足を引っ張ってるのが、教会本部と天理教のエライサンそのものなんですね。
質問です。
検定前期まで出ています。
私は天理教の上層部に接したことはほぼないですが、例えば学生時代には大教会長様の娘さんと仲良くなったり、修養科では本部役員の娘さんと仲良くなったりしました。
若い頃は、若くして教会長になった人と付き合っていました。
なので、そこそこ組織としての文句というか、あり方についての疑問みたいなのは聞いていましたし、
「あなたは純粋な信仰をしているから、あまり内部の事情は見て欲しくない」と言われたこともあります。
(真柱様のお宅勤務経験者でした)
ただ、隠蔽やあいつは性格悪い、などという話は聞いたことはありません。
真柱様も、普段は大変質素な生活だと聞きました。
人には恵まれて来た方だと思います。
ここに来ているみなさまは本部<おやさまだという人がほとんどだと思います。
組織は嫌だけど、信仰はいい。もっといえばすごくいい教えなのに組織がどうもね…ってことなんだと思うのですが…
実際、組織に関わっている方はどのくらいおられますか?
どの辺が改革すべき点だと感じますか?
私自身も、自教会の現会長様夫婦の考え方が合わなくなって、ちょっと足が遠のいています。
大正5年前後、三島神社は春日神社と呼称していました。いつごろから三島神社と呼ぶようになったのでしょうか。
真 様
真柱なら指揮権と統率力を兼ね備えていなければなりません。残念ながら両方ともお持ちでないような。
信者さんは皆さん組織に関わりのある方ばかりですよね。
私は元ですが、でもすみません。身内に天理教の人が多いもので、
こうして書かせていただいております。
それに広い広い眼でみれば、一列皆兄弟ですよね。
だから困っている人がいたら微力ながら力になりたいんですよね。
さて、三島神社の移転と鏡ヶ池の埋め立ては2代真柱さんの意向が強かったということは
井上昭夫氏の言葉からわかりましたが、
その2代目真柱というお人を偲ばせる文章をみつけました。
二代目真柱さんがお出直しになる半年ほど前の出来事です。
重い糖尿病で視力も衰え、厳しい食餌療法を受けておられた時のお話です。
芹沢先生の著書『神の微笑み』より引用します。
芹沢氏 「真柱さん、此の度の病気で、親神は君にどんなことをさとらせようとしているのか、
お考えになったことはありませんか」
真柱氏 「そんなこと、君、誰も僕には言わんよ」
芹沢氏 「側近者は気がついても、君が真柱だから、勿論言いませんよ。
僕は少年時代に、下痢をしても、風邪を引いても、神意がどうだと、天理教の先生から
懺悔させられましたよ。これは天理教の第一課ではありませんか」
真柱氏 「そんな話ははじめてだ」
中略
「わかった。ゆっくり考える」
それがですね、立教158年 秋季大祭の3代真柱さんのお話の中には、
「親神様のお手入れによって私は体の不調を感じるようになって、勝手な自分の判断から、
思し召しは十分考えることとして、傷は浅いうちに治すのがよかろうというので、
しばらく憩いの家で静養させていただきました」
と仰られているのですね。
小池さんのような女性登場しないかしらー。
匿名A様
はい、調べました。
古くは旧三島村・庄屋敷村の鎮守社で櫟森神社と呼ばれていました。
社伝では伊豆三島神社からの分社とされています
享保4年(1719)銘の石灯籠に櫟森神社と刻まれています
宝暦11年(1761)の遷宮記録に「石上大明神・ 布留御魂神南御殿、櫟森大明神・ 大山祇神中ノ殿、春日大明神・天児屋根命北御殿」とあります
明治4年ごろに春日神社と改め、大正8年に三島神社に改称しています
宗教と金、宗教と政治の闇は深いです。宗教家が使う金、政治家が使う金は、お供えと税金の違いはあるにせよ、信者や市民のなけなしの血の出るような尊い金なのであります。天理教も天理市もそのトップは本当に信者や市民のために使ってほしいものです。小さな神社を動かすのに大金を使ったとかいう話を聞くと情けなくなります。詰所もたくさんあるが、基本その教会関係者以外には使わせてもらえない。天理駅前に変なものが造成中。同じ造るなら病院分院や福祉センターなど、信者や市民のためになるようなものを造るべきではないのですか。信者だから市民だからといって、いつまでもお上のいうことにハイハイ頭を下げるだけではいけないと思う。親里にも信者オンブズマン、市民オンブズマンが出てきてほしいです!
村方の人 様
コメントを拝見して宗教オンブズマンなるものが存在しないかと調べていたら、
右翼のページにたどりついたのですが、街宣車などがそういう動きをしているのでしょうかね。
そして奈良県市民オンブズマンのページを見つけました。
天理教ゴミ収集料金和解事件。
http://naraombuds.exblog.jp/14907573/
この件もひょっとしたらカインさんがすでに書かれているのでしょうか。
もうため息しか出てこないです。
50代元信者 様
有り難うございます。よくお勉強をされていますね。頭が下がる思いです。
天理へ行った折には、三島神社にもお参り(何度も書きますが、教祖墓地のみ参拝します)していますが、石灯篭は見たことが無かったです。余計なことですが、新しい神社は敷地建物は立派ですが、なんだか寂しそうです。
欅森神社ですか。周辺に欅が茂っていたのでしょうか、それとも櫟本という地名と関係があったのか興味深いですね。勝手な想像ですが、櫟本分署跡保存会という名称も浅からぬ縁があったのでしょうか。
春日神社という小さなお宮は全国にあるそうです。興味が持てる機会を与えて頂き御礼申し上げます。
管長邸は大正4年12月27日に完成した。そして春日神社の東に炊事場が出来た。図面では、神社に沿うように鏡池があります。馬鹿なことをしたものです。
匿名A様
三島神社はこの13日がお祭りの日だったようですね。
匿名A様は三島神社にて、「なんだか寂しそうじになられるようですが、
まさに神様はそのようなのでしょう。
全国に鏡池のある神社はたくさんありまして、私はそれらの神社を夫と一緒に
真剣に参拝させていただきました。
それらは龍神をお祀りする神社でした。パワースポットとされるお宮様です。
三島神社もひょっとしたらと思っておりましたら、拝殿のお写真に見事な龍の姿がありました。
あくまでも想像ですが、龍神様が鎮まれます鏡ヶ池を埋め立てたこととなると、
それは恐ろしいことをしてしまったことになりますよね。
実際にスピリチュアル系の方のブログに、三島神社の龍神の夢をみたと書かれている人もいます。
それから三島神社の境内には、五十鈴姫神社がありますが、
天理の地元大神神社の摂社 率川神社は、媛蹈韛五十鈴姫命が御祭神です。
この春私は奈良市にある率川神社から大神神社に導かれ、そのまま天理に向かったのですが、
自分の意志とは反して導かれていきました。
三島神社と率川神社。こんな不思議な導きがあったとは。
私は自分でも不思議でならないのです。
頭にパッと浮かぶことを調べているだけですから。
そして、本当に不思議でならないことがいろいろあるのですが、
詳しいことを書くと私の身元がバレてしまうので、書けないでいます。
私自身は名乗っても構わないのですが、身内に多大な迷惑をかけてしまうので。
もし私にお役目があるのでしたら、早く終わらせたいです。できれば。
天理教の方は産土神社や氏神様、一宮神社を軽視されているように思いますが、
今、世の中の方はそれとは逆の方向に流れています。
きちんとした作法で参拝されている方が増えています。
お金を必要とする宗教は危険として認識していますし、お授けのようなものも
敬遠されています。
三島神社の移転、鏡が池の埋め立て、本当に取返しのつかないことをしてしまった、私はそう思います。
根本的な質問ですみません。
「三島神社移転」に関して、何が問題で、何がいけないことなんでしょうか?
50代元信者様の調査や書き込みで、全体の流れや関係者を知ることができましたが、移転させたことそのものに「何か問題があったのか」が理解できません。
移転の為に大金(金額不明ですけど)が動いたことでしょうか?
教祖伝に出てくる史跡を移動させたことでしょうか?
別に、移転を支持するとかいう立場ではないのですが、移転させたことを疑問や問題とされる根拠が分かりません。
末端教会子弟 様
んーーー、やっぱりそういう疑問を感じられますよね。
私も天理教の信者だったらそう思うかもしれません。
<移転の為に大金(金額不明ですけど)が動いたことでしょうか?
< 教祖伝に出てくる史跡を移動させたことでしょうか?
二つとも違います。
これはもう、「神様はいるか、いないか」のような議論になってしまいます。
「神様の存在を証明してみろ」みたいな。
大神神社(三輪大明神)と親様との関係について「れんだいこ」さんが書かれていますが、
親様にとって三輪の神様、布留の神様というのは幼い頃から深い信仰の場所であったことでしょう。
神仏分離される前の時代、親様にとっては浄土宗も神道も切り離すことのできない祈りの場。
私は天理教から離れて、あらゆる場所で祈りをささげております。
無宗教の夫も、それらの場所ではいろいろ感じるものがあるようです。
古くから神様に祈りと感謝を捧げ、儀式をされてきた三島神社の氏子様たちのことを
軽視する天理教は、天理にしか神は存在しないというのでしょうか。
親神様、天の将軍はそんな偏狭な神様ではないはずです。
末端教会子弟 様
うーん、難しいご質問ですね。
何事も全会一致の賛成で決まれば、めでたしめでたしですが、この移転問題は、何より人の心を踏みつけてしまったことではないでしょうか。
おぢ場の御膝元の三島町の住民の方を移転賛成派と反対派に二分してしまったことです。そのしこりは今も続いているそうです。
当時の奈良県神社庁のトップだった橿原神宮宮司は、三代真柱に直接会われて、移転を思いとどまって欲しいと申し入れされています。
ところが、教団は奈良県選出の衆議院議員の政治家を担ぎ出して、移転を強行してしまいました。
詳しい経緯は、株式会社あっぷる出版社発行の「早川和廣氏著 天理教・その腐敗と悲劇」の第2章に書かれています。
人々の陽気づくめを標榜する教団には、全国の神社宮司の方たちの移転反対署名を無視し、地元の人たちの心を混乱させてしまったことに、自責の念のかけらもないのでしょう。
天理教本部の建物群を見て、この姿になるには200年程早すぎたのではないかといわれた方を知っています。
子供の頃から「なってくる理を喜べ」と散々聞かされました。そうであるならば、教団自身がその日が来ることを気長に待てなかったのでしょうか。
百年祭での混乱が予想されるというのであれば、真柱邸を始め、その北側に広がる本部員たちの役宅を移転すればよかったのではないですか。
いささかなりとも、教祖、親神に喜んでいただく結果がこれですかと言いたいだけです。
末端教会師弟様
休みに返信すると書きましたが、心の中での内省にします。
うまく書き込みができない状態なので、質問をいただいても物理的に書き込みできないようです。
50m
すみません。うんキチで投稿してしまい失礼しました。
今朝は五十相伝について調べていたら、その途中で
「親様が出雲大社で修行をしていたことは「古神道の秘術」はじめ多くの文献に書かれています。 しかし天理教の書籍にその記載が無いのはなぜでしょう」
という質問があちらこちらで書かれていました。答えはみつかりませんでした。
実は私は信者であった頃結婚式を挙げました。
ホテルでの結婚式でしたが、式場は神式でした。
そして柏手は4拍手でした。
四拍手は天理教と一緒なので、母と偶然だねと不思議に感じたものでしたが、
神主さんの祝詞が、
「出雲大社の御前に慎んで・・・」で始まったのです。
そして、
【「御魂返し」(みたまがえし)を出来たと思われますのは、近世では天理教の初代教祖です。
国常立太神・スサノオから離れて現実界に降りて来た「元」眷属神の黒龍が乗り移ったと言えます。】
と、書かれている人がいて、ずっと気になっています。
そしてその方は、100年祭頃に黒龍は天理から去ったとも書かれていました。
私にはまったくわかりませんが、でもとても気になるのです。
50代元信者 様
匿名A 様
ご回答ありがとうございます。
「八町四方神の館」と公言してしまった以上、その中に他の神様や社があっては都合悪いと思うのは当然かもしれません。
他国なら宗教の違いで戦争になったり殺し合いに発展するのが普通と言える世の中で、政治力や資金力で従わせる極めて民主主義的方法をとったのは認めてもいいのかなと思います(笑)。
相手だって本当に移転したくないならとことん戦う事が出来たはずじゃないかな、と感じるのは私だけですか?
もっとも、宗教間の争いなら「教えの中身で勝負して、相手信者を根こそぎ改宗させる」くらいの素晴らしい話をしてみろ、ですね。
私には不可能ですが、真柱様にはそういう努力をする義務があると思います。
もっとも、社だの祠だの神の館なんていうのは、場所なんてどこでも構わないと思います(笑)
歴史的価値とか神々しい場所というのは評価しますけど、それだって数万年後は海底に沈んでるかも知れないし、大陸が移動して勝手に変わってしまうかもしれない。
かんろだいの立っている「ぢば」にしても教祖様が最初に「定めた」だけの話で、人間宿仕込みの「ぢば」だというなら教祖様は「ぢばさがし」をしなければならなかったはずだ、とどこかの本に書いてあったと記憶してます。
それに、地球全部が「泥の海」だった訳ですから、現在の地上の一点に9億99999の人間を宿仕込んだ場所たという主張も無理があるような気がしますね。
本当に矛盾だらけの教義だと感じます。
うんキチ様 匿名です様
もう、返答も何もいりませんよ。
末端教会子弟様
筑波大の修士の学生さんが論文で発表したものです。
しっかり調べられているはずですから信憑性は高いと思います。
当時三島町に在住する380世帯のうち,約80%が神社の移転を優先させるか,三島町の町づくりを優先させるかで意見が割れた.前者は主に天理教教会長や教団関連施設の勤務者,あるいは寮に居住する人らによって主張された.後者は,教団から提出された覚書には具体的な町づくりに対する支援内容が書かれていないために,まずは町づくり計画を進めた上で神社の移転を許可するという考えを持つ人々によって支援された.残る20%の移転反対派は,戦時中に当神社で祈祷経験のある,高齢者らが中心であった.
関連施設の立地する親里地区,さらには教団関連施設勤務者の社宅であるおやさと22 号館を1 つの区とみなす合計12区があった.それぞれの区からは三島区評議員会の構成員として,区長と財産区区議会委員の2人の役員が選出され,区長が町内会長を務める地区においては,評議員には含まれないものの,補助役員として1人が選出された.財産区区議会委員は,財産区と呼ばれる三島町所有の土地の管理を担い,天理市市議会委員としても活動した.1982年の「三島町町づくり基本計画覚書」が提出された際には,まず年1 回行われる財産区区議会において,財産区区議会委員の12人による移転賛成派と反対派の多数決がとられた.これらの12人のうち,賛成派と反対派は5 対7の割合であったため,三島町評議員会内部で神社移転は認められなかった.この件を教団に申告したところで,まずは移転の延期が決定された.もともと三島町民の多くは町づくりを優先すれば移転を受け入れるとした住民が全体の4割を占めていたため,三島町評議員会は,町づくりの計画について議論を進めようとしていた.しかし,1983年以降の財産区区議会では,補助役員の
財産区区議会への参加がみられるようになった.これらは教団との関わりの強い三島町在住の熱心な天理教信者であり,補助役員の議会参加を制限していなかった財産区区議会では,賛成派対反対派が同数となったことで,町づくりに関する議論は進むことなく滞った.結果的には,三島区評議員会において議論が重ねられる間に,三島神社の宮司および神社本庁と教団間において神社の移転が取り決められ,1988年に神社の移転が行われた.
—————————————————————————-
これが民主的方法ですか。
私は多数決の原理は民主的な方法とは認めませんね。
凡庸なる悪は安易な方に流れますから。(ちょっときついかな)
それから祈りの場がどこでも構わない。そういう考えはあるかと思いますが、
世界中のあらゆる場所に神聖なる祈りを捧げている場所があります。
日本においても多くの場所で。
それらを場所なんてどこでもいい、と言い切っちゃうのは、
そこを掃き清め、護っておられる方たちに非常に失礼な言い方だと思います。
真剣そのものですよ、みなさん。
祈りはどこでもできると思いますが・・・でもねーー
末端教会子弟様
千葉の成田にエネルギーに満ちた神社があるそうです。
(私は行ったことがありませんが)
森の中にひっそりとたたずんでおられるようです。
そこには宮司様はいらっしゃらないそうです。
それまでもずっと。
何故なら、そういう方をお招きすると、宮司様の思いによって
いろいろなことが生じるから。
だから氏子様たちが皆さんでお護りされているとのことです。
すばらしいと思いませんか?
そして、これは私のあくまで想像ですが、そういう氏子様たちは
恐らく日常のさまざまなシーンでご自分たちが護られていることを実感して
生活されているのではないかと思うんですよね。
度重なる投稿にて、いつも申し訳ございません。
末端教会子弟様
<相手だって本当に移転したくないならとことん戦う事が出来たはずじゃないかな、と感じるのは私だけですか?
反対派20%は高齢の方たち。
どうやって戦うでしょうか。
成田闘争のようにヘルメット被って神社のまわりにバリケードでも作ればよかったと言うのでしょうか。
<もっとも、宗教間の争いなら「教えの中身で勝負して、相手信者を根こそぎ改宗させる」くらい<の素晴らしい話をしてみろ、ですね。
天理教の教えとはそういうものなのですか?
ダメの教えとやらだからですか?
末端教会子弟様は、一列はみな兄弟とよく話されているようですが
兄弟は違う宗教をもってはいけませんか?
違う思想の中で生きてはいけませんか?
一列はみな兄弟という思いの中で、それぞれに認め合うのではなくて、
教えで改宗させる。あー、たまらないです、こういうの。
すみません、久しぶりに怒りモードで書いています。
あっ、でも私も昔モルモン教の宣教師さんと戦ったことありましたっけ(汗)
50代元信者 様
>これが民主的方法ですか。
文章を読む限りにおいても、民主主義的手続きを取ったと思われます。
氏子さんや地域住民の中に反対する人がいたとしても、決定権を持つ人(三島神社の宮司および神社本庁)が移転を決めたのでしょうから。勿論、買収されたか政治的圧力が掛かったか等もあったでしょうが、決定権を持つ人達が決めたことを実行するのが「民主主義」です。権限や権利の無い人間を集めても意味がありません。
>そこを掃き清め、護っておられる方たちに非常に失礼な言い方だと思います。
歴史的背景や個人的な思い入れ等を否定した話ではありません。
単に、人間だって引越しをすることがあるように、社や祠やお墓だって引越ししても何も問題ないでしょう、という意味です。それに、そういったものを移す場合に「それなりの儀式」をするのは、そういう人々の思いれや気持ちを切り替えさせる意味もあるでしょう。
何らかの理由があって引越しをすると、誰かに対して失礼に当たるのですか?
>千葉の成田にエネルギーに満ちた神社があるそうです。
私も場所や施設によって「何らかの荘厳さ」や「厳粛な雰囲気」を感じることはあります。
でも、「こういう感じは人によって違うのだろうな」とも思っています。
同じような「感じ方」をする人たちが集まって、その場所を守り継続させることを否定しません。
ただ、守り継続させるなら「それなりの立場や権限を確保しないとダメだろう」という事です。
>天理教の教えとはそういうものなのですか?
>兄弟は違う宗教をもってはいけませんか?
>違う思想の中で生きてはいけませんか?
「宗教間の争いなら」と言ったので、天理だけでなく世界中で戦争やテロを起こしているような宗教の指導者に言いたいです。違う宗教を認めないとか否定するとかではなく、「争うなら話し合え」ですよ。
話し合いの中で、相手が感動して改宗したり主張を変えるくらいの「中身のある」話し合いが出来れば平和的に解決するのに、という願いです。銃や札ビラで脅して改宗させたり強制したりするのは反対ですよ。
私は、「同じ宗教である必要はない」と同時に「違う宗教でなければいけない」とも思ってません。
より良いものを見つけ、考え、一緒に造り上げて行ければ良いと思ってるのですが。
たまに宗教関係の勧誘に訪れる方がいらっしゃいますが、「私は天理教ですがお話しましょう」というと、ほぼ全て「いえ、失礼しました」と言って帰っていかれます。どうして「話し合う」のを否定するのか分かりません。この「宗教が違うから話し合う事はできない」という姿勢こそ、争いの原因だと思います。
「一列兄弟」は天理教の教えです。
世界を平和に導く根本教義の一つだと考えます。
でも「心一つが我がの理」なのですから、違いや個性が有って当たり前です。
「兄弟なんだから俺の言う事に従え!」等とは言ってませんよ。
(天理教の上級は言って来ますけどね。)
存命の教祖は、どう想っていらっしゃたのでしょう。
親神が一連の世界大戦を止められなかったように、諸事情は、人間の自由意志に任せながら、その返しは銘々の魂の上に及んできているという事でしょうか。
それでは天理教のお上達の云う、教祖の想いに沿ってとは、いかなるところから教祖の想いを忖度するのでしょうか。
本部の意志が、真柱の意志が教祖の想いに沿っていなかったとしたら、我々はどういったソースから神の想いを汲み上げればいいのでしょうか。カルトのグルへの絶対服従も、一党独裁も容認しませんが、純粋な天理が流れ出す大元たるお地場の理を汚しているのは、他でもない、中山家、本部員ご一統様方だと言えないでしょうか?
永年にわたって「鏡屋敷地場から打ち出す言葉は天のことばであるほどに」と教えてきた中山マンセー教の偉いさんの人達の見解を伺いたいものです。
WASPを筆頭に、世界を蹂躙してきた、強いもの勝ち創世記主義に立ち向かい、自存自衛の戦いを繰り広げた日本帝国主義の原典は国家神道であっただろうし、赤紙はその宗教イデオロギーへの国家的強制改宗ではあっただろう。
創世記宗教へのカウンターとしての国家神道の押し付けではあっただろうし、教祖の時代に、そのドグマのお上からの強制によって、天理教もイジメられた事も史実だろう。
天理教以前から、多くの日本人は自らの本体が魂であって、森羅万象に神の働きを感じ感謝し祭って来た民族でもあっただろうし、鎮守の森に集まって、五穀豊穣を祈りながら相互扶助観念を養い、親戚の本家としての皇室を敬って来ただろう。天皇が神の子孫なら我々日本人にもその血が流れているという自尊心も感じてきたのだろう。
天理教本部も含めて、戦後の日本人は魂と神という文言にも嫌悪感を刷り込まれて来たのではないだろうか?
WGIPにコミュンテルンとユダヤ資本主義の策謀がどれだけ影響を与えたかは知らないが、自称インテリ層によって、魂の因果の法、日本仏教的な観念もまたカルトのゴミ箱に押し込められたのではないだろうか。
本来の天理教とは、神道的なものと日本仏教的なものを包含しながら、尚その上に、親里地場に親なる神が天下り続け、人類の魂を純化させ続けるという、不思議な神の道の出現であったのだろう。
天理教の本部員が出張ればいかなる病でも快復するといったような、神の化身達も未来には出現すると信じるが、その前段階として、神格者、天啓者達の出現がお地場には最低必要条件ではないだろうか。
心の問題をお金にすり替えてしまったのが天理教です。それでいいんですよ。どうぞお好きなようになさったら。
八丁四面鏡屋敷結構です。ゆくゆくは、その域を通る公道も付け替え、布留川も域外に付け替えるのでしょう。お金にあかして何でもやれば、すばらしい神域が出来る事でしょう。でも、人の心は離れてしまうと思います。
私達一族は、僧祖父母からの縁者を数えると、現在103人を数えます。その全てが天理教を信仰していれば教会はどれ程賑やかだったでしょう。現実は、100歳に近い叔母と80歳に近い私の二人だけがおさづけ拝戴者です。その私も教団とは縁を切りました。ただ、教祖の真の道すがらを知り得たら心が替わるかもしれません。
お地場とは神が天下り続け、人類の魂を浄化、救済し続ける、たすけ一条の親里と聞いたが。
教会とは、皆でお勤めしながら救け合って生きてゆく所と聞いたが。
国家神道の時代にさえ、天皇も我も同じ魂。同じ親神の子。と仰った教祖は強いもの勝ちやイジメの構造を嫌われたそうだが、
現実には教会間で、イジメを生む構造悪がいまだに幅を利かせているなら、それは問題ですね。
又、皆さんに負担を強いる本部の収奪構造と、安易な道専務論もそうでしょう。
盲目的信奉者がグルに絶対服従する姿もばかばかしいが、グルが馬鹿者達ならもっとタチが悪いですね。
明治末年の茨木氏の事件以降、この国には様々な分派や、新興宗教が発生乱立した訳ですが、もし茨木氏がお地場に納まっていれば、不思議な宗教者や有能な思想家も多くがこのお道に付いたのだろうと想像します。
道始まって75年すれば、国内アラアラすまし、それからは世界の掃除に掛かると仰られた教祖の預言の年限でもあった、明治大正時代が最大のターニングポイントだったのだろうと想像します。
宗教界のみならず、この国のかたち、ひいては世界の有様も今とは変わっていたのかもしれません。
地方教会で御神楽歌のお唱えを継続されている皆さんも、先々で教祖の事を想っている方々も、皆さんが、健康長寿と安全と繁栄をもっと謳歌できるような世界を、神が用意して待っていると信じますが、先ず本部員人事についての意見は各々が発信すべきなのではなかろうかとも思います。
末端教会子弟様
<勿論、買収されたか政治的圧力が掛かったか等もあったでしょうが、決定権を持つ人達が決めたこ<とを実行するのが「民主主義」です。権限や権利の無い人間を集めても意味がありません。
民主主義という考え方もいろいろありますが、現在の世の中において自分の意見を通すという意味においては、末端教会子弟さんのおっしゃることは、ごく普通のやり方だと思います。
それがされているのが今の世の中で、そういう考えで今の世の中は回っていますね。
世の中にはいろんな考え方の方たちがいて、その中である結論を導きだすにおいては、
権力をもつ人を味方に引き入れたり、ある場合には裏工作をしたりのも策の一つでしょう。
ビジネスの場などでは当たり前の世界でしょうね。
今回の三島神社の移転なども、法律的、もしくはあなたの言われる「民主的」という点に
おいては問題ないと思います。
ただ私は民主主義というのは、少数派であり、弱者である人たちの意見も大事にし、
そしてそこには人としてのモラルを大事にすべきと思っています。
これでふと思うのですが、多数派形成(手段を選ばぬ)=民主主義とするならば、
そしてそこにモラルがないのであれば、今の天理教というのも本部員たちの策によって
信者の大部分がよしとしている現状、つまりはお供えの強要、捻じ曲げられた教理というものも
認めざるを得なくなるのではないでしょうか。
現在において多くの神社が、通学路の確保や交通渋滞の解消の目的のために、神社境内の縮小や
移転を余儀なくされるのも多くあるのが現実と思われます。
それには神社の方の思いとか事情があるでしょうから、そこまで言及するつもりがありませんが、
三島神社においては、一宗教の都合で移動を余儀なくし、また神社庁や樫原神宮、地元の氏子さんたちの反対のある中、あなたのおっしゃる民主主義と言いながら、多数派工作によって移転を余儀なくしたというところに疑問を感じています。
<何らかの理由があって引越しをすると、誰かに対して失礼に当たるのですか?
引っ越しするのではなく、引っ越しさせられるということです。
三島神社には常に宮司がいらっしゃるわけではなく、そこを守っておられるのは氏子様たちです。
さまざまな行事を氏子様たちが大事にされてきたのです。
それでもまだおわかりになりませんか?
<ただ、守り継続させるなら「それなりの立場や権限を確保しないとダメだろう」という事です。
営利を追求する企業であれば、それは正論かもしれません。
でも心を大事にする宗教においてこれが必要とされるのが、私には理解できません。
<「私は天理教ですがお話しましょう」というと、ほぼ全て「いえ、失礼しました」と言って帰っていかれます。どうして「話し合う」のを否定するのか分かりません。
布教所長の母は他の宗教の方が勧誘に来られると、にこりと笑って家にあげますよ。
そして冷たい飲み物でも出して、まず相手のお話をゆっくり聞いてあげます。
母はさすがです。過去、私は負けじと向かっちゃうので相手に逃げられてました。
外国の宣教師の方はその後も母の元に来て、母の信仰について聞かれて帰られましたよ。
そんなこと思い出しました。
「さあ、話をしよう」に、言い負かしてやろうなんて気はなかったですか?
生意気なことを申し上げますが、まず相手の話を聞いてあげる、受け入れる。
そこからでないと受け入れてはもらえませんよ。
特に相手が女性ですとなおさらです。
50代元信者様
>民主主義というのは、少数派であり、弱者である人たちの意見も大事にし
これは必要なことでしょう。
無関係な人間はともかく、何らかの関わりのある人たちの反対意見を全く無視して押し潰したり一方的に事を進めるのは問題ありです。互いに歩み寄りや妥協点を見いだせれば良いのですが、期限や期間が決まっている(期限を伸ばしてロスやムダが拡大する)ものなら、決定権者の合意で進めるしかありません。
>でも心を大事にする宗教においてこれが必要とされるのが、私には理解できません。
宗教も「社会全体の一員」です。
社会全体の一員なら、社会のやり方や流れに沿っていくのも、一員としての義務であり仕方がないことなのではないでしょうか?心を大事にする事で公共性が高く人々の福祉に貢献する「宗教」だからこそ、税金その他で優遇されているのですから。勿論、その優遇が「適正かどうか?」という議論は別にあると思いますけど。
>今の天理教というのも本部員たちの策によって信者の大部分がよしとしている現状、つまりはお供えの強要、捻じ曲げられた教理というものも認めざるを得なくなるのではないでしょうか。
以前も書きましたが、天理教組織の中には『捻じ曲げられた教理』を「知らずに騙されている人」と「知ってても従がわざるを得ない人」と「知らずに騙してる立場の人」と「知ってて騙してる人」に分類されると考えます。
振り込め詐欺の現場を目の前で見て、黙って見過ごしますか?
勿論、天理教自体を「詐欺」とは言えないので、情報を与えられていない人に知らせたいだけです。
とはいえ、私自身、「現在の民主主義的解決の方法」が全て完璧で正しいとは思っていません。
個人主義と我欲が蔓延し、数と力が支配する状態で、モラルや価値観や倫理観に疑問を感じる点は多々あります。しかし、物事を運営する上で「より素晴らしくより良い方法だ」と思われる方法や判断基準が見当たらないのも現実でしょう。個人的には「教祖様の教えられたみかぐらうたの世界」がそうではないかと感じますが、その全体像は見えないままです。同じように感じ、考える人が沢山出てくれば、社会や人類にとって別の道が見えてくるのでしょうけども。
>「さあ、話をしよう」に、言い負かしてやろうなんて気はなかったですか?
相手がこちらを「言い負かしてやろう」と思って来るのですからお互い様です。
一方的に話をしようとする人の相手をする気は毛頭ありません。
女性の「私の話を聞いて欲しい」という心理や気持ちは分からないではありませんが、愛情や何らかの繋がりのある相手ならともかく、宗教の勧誘に来てそんな心理を出されても相手をする義理はありません。
神殿の状態が気になります。
末端教会子弟様
<期限や期間が決まっている(期限を伸ばしてロスやムダが拡大する)ものなら、決定権者の合意で進めるしかありません。
そういう案件は世間には数々あります。
でも三島神社の移転に関しては当てはまりますでしょうか。
末端教会子弟様は、「期限を伸ばしてロスやムダが拡大する」と表記されていますが、
この場合のロスやムダとは何をさしておられますか?
ふと頭に浮かび思い出したものがあります。
シチリア映画祭ドキュメンタリー部門で最優秀賞をとった映画『祝の島』です。
この島は祝島は、関西と九州の国東半島を結ぶ最短の航路上にあたり、奈良時代から海上交通の要衝となる寄港地でした。そして古代より、この島には航海安全を祈願し、豊かな海への感謝を捧げる神官の祝(ほうり)がいたとされ、神霊の島といわれてきました。瀬戸内海を行き交う船が危難に瀕した時は、この島に向かって一心に祈ると、島は霊光を発して行く先を照らした、という話しが残っております。
今は過疎化によって、人口500人足らず。その70%以上は65歳以上の高齢者です。
1982年、祝島の対岸4キロにあたる田ノ浦に上関原子力発電所建設計画が持ち上がります。祝島では住民の9割が反対を表明し、28年を経た今も、島をあげての原発建設反対運動が続いています。その影響で中国電力の事業は幾度となく延期され、大幅に建設予定が遅れてきましたが、2009年10月には、山口県が公有水面埋立免許を交付してしまうのです。祝島の人たちは「美しい海をこれからの世代に残してやりたい。」そんな想いと共に、原発に反対して、人生を懸けて訴えてきました。 それでも、そんなことがまるで関係無いかのように、上関原発の準備工事は進められてきました。それは、3.11の福島原発の後でも行われていました。
上関原発を建設したいと思っているので、今は現状維持の状態にすると中国電力は話しています。
http://kaminoseki-genpatsu-slapp.jimdo.com/
天理教には関係ありませんが、祝島と原発について詳しく書かれていますので、是非皆さんに読んでみていただきたく思います。そして機会があれば、自主上映会を全国で行っておられるのでご覧いただきたいです。
効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。
こういう危険性をはらんでいるのです。
<相手がこちらを「言い負かしてやろう」と思って来るのですからお互い様です。
一方的に話をしようとする人の相手をする気は毛頭ありません。
そうですか、お互い様ですか。
ではいつまで経っても平行線だからお話合いを求めても無理でしょうね。
ですが、末端教会子弟様が話されていた内容とずいぶん矛盾していませんか?
同じ土俵に立つのではなく、微笑みをもって毅然と向かう。
押し出すのではなく引き込む隙(よい意味で)を与えることが必要と思いますが。
長い長い時間をかけて・・・
三島神社の移転に関しては法律的にはクリアしているのでしょう。あの当時、本部在籍の人や勤務者が三島に引っ越しして三島の住民になった人が多くいます。
多数決ですから賛成派を作る為です。弁護士も数人おられるようです。だから、法律的には問題ないのです。
しかし、心の面、信仰的な面で大いに問題を残し、しこりを残したのです。
三島神社と鏡池が、あそこに有ったことは、とても重要な意味があったと聞きました。
http://archive.fo/yQfPL
天理教本部神殿の真東に位置して昔からあった鏡が池の美しいたたずまいも、 今は姿を消し、過去の思い出となってしまいました。
教祖100年祭を機に、天理教教会本部が、神社の氏子を始めとする地元住民の猛反対を押し切って、三島神社の移転を強行し、続いてその宮池である美しい鏡が池 を無残にも埋め立ててしまったからです。
そのいきさつの詳細は、いずれ『三島神社と天理教』の本に表される事になっておりますが、此の事件の陰に天理教教会本部の、宗教家にあるまじき無謀な行為が あった事は否めません。
それらをこれから皆様と共に検証して行きたいと思います。
どうか、最後まで読んでくださるようお願い致します。
私は、天理教の一教会長です。以前より三島神社の移転と、宮池の埋め立てには反対してきました。
それが、希望していた事とは正反対の結果になってしまって、本当に悲しく思っております。
けれども、この問題は、単に私一個人の感情の問題ではありません。此の中には、もっともっと、深く大きな問題が隠されている事を皆様方 に知って貰いたくて、この度ホームページを開かせて頂きました。
さて、それでは、深く大きな問題とは何でしょうか?
その1番目は、三島神社の神様自体が、聞いてあっと驚く大変な神様だからです。トップのサブタイトルに「三島神社の移転と鏡が池の埋め立ては 天理教始まって以来の大失敗」と書きましたが、その訳をこれから説明して参ります。
その2番目は、そのどえらい神様をどかすのに、目的を遂行する為には手段を選ばず式で、これが宗教家のやること?と疑いたくなるような 大変汚いやりかたで本部がやってしまったことです。この詳細は近々本にして出す予定です。
その3番目は、この問題には、神様もじっと黙っては見て居られなくなられた様で、人間の中に割って入って来られたということです。此処が一番の問題点 でしょう。
事実は小説以上の大ドラマ
天理教と三島神社に関わる問題では、正に、小説以上の大ドラマが展開されて参りました。
それなのに、17000ヶ所の天理教の教会長さんをはじめ、ようぼく、信者さんのほとんど全ての人が、此のドラマの内容も、話の概要すらも知らないのが 実情なのです。何故でしょうか?
それは天理教教会本部が、此の問題をひた隠しに隠して来たからです。神社移転の企画を練る時でさえも、公式の会議には一切かけないで、 極く秘密裏に、天理教真柱を取り巻く極く一部の本部員だけで練り上げ、目の飛び出る程の膨大な予算をかけて準備をし、秘密裏に事を遂行して来たからです。
天理教教会本部は、配下の17000の教会長や、ようぼく、信者らをあざむいて、何食わぬ顔で、神社を移転させ、その宮池を埋め立ててしまいましたが、 この様子を極く初期の段階から細大漏らさず御覧になって居られた方がおられました。それが、これからお話する「神霊」なのです。私は奇遇と申しましょうか 、因縁と言ったら良いのでしょうか、その「神霊」との縁を頂いて三島神社の問題に関わってしまったのです。
神霊の言葉を最初聞かされた時に、私はただ唖然と致しました。天理教教会本部が教祖100年祭までにどかしたいと考えていた三島神社の 神様の正体が、何と天理教の主神である天理王命そのものであると言うことを耳にしたからです。その時、私は、何か悪夢を見ているのではないかと、 自分の頬をつねってみました。 ちゃんと痛みはある、夢ではありませんでした。それはわたしにとって天地がひっくり返る程のショックでした。
自分たちの主神である天理王命を追い出して、天理教が今後栄えて行く筈がありません。余程の反省と、転換を図らなければ天理教の行き先真っ黒 であるといえましょう。
まず、最初に、今からあしかけ4年前、平成11年の4月9日に書いた私の小論文「天理教は宗教で無くなった」があります。 文章は、堅苦しく、きつい文章ですので、読み疲れるかも知れませんが、此の文章をしたためておいたおかげで、此のホームページを開くところまで こぎつけて来られた訳ですから、何か気にかかる事があったら、文章にしておく事は大事なことだと思います。
この本文のあとに、別に解説を加えていますが、現実との関わりが更に良く分かると思いますので、 この方も是非読んでください。
また、読後感などお寄せ頂ければ大変うれしく思います。
さあ、それぐらいの事を前置きにして、これから本文に入って行きたいと思います。
古い教会長 様
何時も感情論ばかりの私は、大いに期待しております。論理的思考で述べられれば、教団本部は、ぐうの音も出なくなるでしょう。教信徒も一度頭を冷やして、教理を考え直す機会になれば幸いです。
古い教会長 様
こちらのページ以前に拝見しておりました。
怒りに震えて掲示板に書き込んだこともございました。
古い教会長様の書かれたものだったのですか?
肌で感じる神霊を口ではどう表現してよいのかわからず、
私が様々な不思議を書くことでそれがかえってご迷惑になるようで毎日毎日思案しておりました。
伝えてくださってありがとうございます。
50代元信者 様
>この場合のロスやムダとは何をさしておられますか?
私は三島神社移転に直接かかわる者でも地域の住民でも氏子でもありませんから、実質的な「ロス・ムダ」がどの程度かは算出できません。ただ、物事を進めるにあたり期限があると主張する側からすれば、その期限を過ぎる事だけでも「ロス・ムダ」を被るでしょう。
>効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。こういう危険性をはらんでいるのです。
50代元信者様も私も、その「効率と利益を追い求める社会」の恩恵を受けている一員ではありませんか?
勿論、危険性や問題点があるならそれを解決する方法を考え取り入れる必要はあるでしょう。
それを指摘し問題解決の妥協案なりより良い方法や方向性を考える姿勢が「お互いに」大事なのではないかと思います。
反対する人の「感情的な部分や思い入れ」を全て否定するつもりはありませんが、全てに反対では何も進みませんし、それで計画や物事が止まるなら、結局は「反対派のゴネ勝ち」になりますね。
誤解のないように申し上げますが、私は天理教本部の三島神社移転や国の行う原発・空港建設・米軍基地移転等、推進派を支持も擁護する立場にもありません。反対される方の感情や思い入れも大事にしたいと思っています。でも、両者の言葉や行動の影に見え隠れする「本音と建て前」を使い分けながら争っている様子にうんざりする気持ちもあります。結局「推進派は利権と分け前が欲しい、反対派は感情論と自分のメリットがない事が気に食わない」と。
いえ、50代元信者様を始め多くの方が本音と建て前を使い分けて批判してると言っている訳ではありませんから誤解のないようにお願いします。皆さん、様々な事を調べ研究し、問題意識をもっていらっしゃる事に感心させられると共に頭の下がる思いです。私自身、天理教団の過去の「悪行」として記憶し、話のタネや今後の言動に参考にさせて頂きたいと思っています。
繰り返しになりますが、「効率と利益の追求」によって現在の社会は便利になり豊かになり発展してきました。その一面、多くの人がストレスを感じ、仕事や社会生活に心をすり減らし、自分が存在する理由さえ見失ってしまう人も多いかと思います。これは「効率の追求」は大事な事ですが、「利益の追求」が優先されてしまった結果かと思います。
かといって、それに代わる価値観や手法が見当たらない提案できないでいるのが既存宗教の限界なのでしょう。みかぐらうたには「さんざいこころをさだめ なにかにつくりとるなら」と書かれているのに、天理教上層部が「散財心を定めず、何も作り取らない」生活をしているのですから、言わずもがなです。
>ですが、末端教会子弟様が話されていた内容とずいぶん矛盾していませんか?
何が矛盾するのかご指摘いただけませんか?
「私は天理教ですがお話ししましょう」で帰ってしまうのは相手の方ですよ。
「微笑みをもって毅然と向かう」とか「女性ですとなおさら」という言葉に、私個人を「笑顔のない理論武装の堅物」というイメージを持ってらっしゃるように感じられますが、どうなんでしょう?私自身そういう一面が無いとは言いませんが、身近な人間ならともかく、普段の私を知らない人から言われるのは心外です。
古い教会長 様
私自身、子供の頃の記憶に鏡池があった景色は覚えています。教祖伝に出て来る池だという認識もしていました。信者さんに何の説明もなく買収して潰し、その後も何ら公式発表しない本部のやり方には疑問を感じざるを得ません。
疑問・問題と思うのは、「教祖伝に出て来る史跡旧跡を潰して、全国の信者さんに対してどういうお話を説くつもりなのか?ひながた辿れと言うひながたの跡を潰して話が成り立つのか?」です。多少強引でも、法律的・手続き的に問題がないのであれば、その点に宗教家としてとか神様に対してとかいう反対理由は弱いと思われます。
失礼致しまして申し訳ないですが、
50代元信者様も、末端教会子弟様も、もう宜しいんじゃないでしょうか?
どちらの仰ることも解りますし、きりがないと存じますので・・・。
>50代元信者
これは私が書いた文章ではありません。以前、会ったことのある会長さんです。今は会長を辞しておられますので会う機会もありません。
中澤隼人さんの、子息かご親戚ですだったと思います。
<中澤隼人 天理教>で検索して下さい。
末端教会子弟様
<私自身そういう一面が無いとは言いませんが、身近な人間ならともかく、普段の私を知らない人か<ら言われるのは心外です。
人格まで否定したつもりはなかったのですが、そのような誤解を与えたのは事実でしょう。
ごめんなさい。申し訳ありませんでした。
原発問題にしても末端教会子弟様が何をおっしゃりたいかはわかります。
息子とも真夜中に激しい議論を交わしたりしますから。
でもこれはここで書くことではなかったです。
逃げるようで申し訳ありませんが、もうこの話はこれで終わりにさせてください。
匿名様のお言葉を天からの声と受け取らせていただきました。
匿名様
そうですね。自分の考えに固執しすぎたかもしれません。
ヒートアップしてしまいました。
ご忠告ありがとうございます。感謝します。
古い教会長様
皆さまにはお目障りな議論になってしまい、ご迷惑をおかけしてしまったかもしれませんが、
こうして再びあのサイトの言葉を古い教会長様がアップしてくださってことで、
中澤氏のことも知りうることができました。感謝します。
ドラマ「仰げば尊し」は毎回泣きながら観ました。あの先生は中澤氏と関りのある方だったのですね。
もう終わりにしたい。もう終わりにしたいと思いながら、何かにとりつかれているかのように
毎日毎日書いていました。
初めの頃は書くのも怖く、たった一言コメントを残しただけでした。
それに対応してくださったのが古い教会長様でした。
古い教会長さんが千葉の教会長さんのチラシを紹介してくださったお陰で、
母に希望の光を与えてあげることができました。このことにも感謝いたします。
天理教とは関係のないことで、好き勝手なことを書いて
ご気分を害された方もいらしたことでしょう。本当にごめんなさい。
こちらの皆さまのお幸せを心よりお祈り申し上げます。
皆さまが笑顔で素敵な人生を送られますように。
二代真柱様が、なぜ三島神社を移転したかったのか、単に八丁四方の鏡屋敷を造成するのに邪魔なだけであったのか、それとも、天理教以外のお神様(同じ神様というご意見もあります。)が境内にあることが、気に食わなかったのか、どうなのでしょうか?ご存じの方がおられたら教えて下さいませ、
三島神社は教祖が願掛けをされた神社でしたら、「教祖ひながた」と、祭典講話の度に真柱様が口にされるのですから、教団としては、いくらご本部内だったとしても、そこに残しておく重要な価値のあった神社ですね。大きな鏡池があったなら、おちばの景観もおおいに上がったでしょうに、勿体ない事を真柱様はなさったものです。
天理王命と同じ神様ではなかったとしても、大事にしておけば、天理教は懐の広い宗教として、もっともっと信者の崇拝を集めたかもしれませんのにね。
匿名 様
大変失礼しました。
最初に50代元信者様、匿名A様から回答を頂いたことに、私が個人的感想を「軽い感じ」で書いてしまった事から話が逸れてしまったようです。決していい加減な考えや誰かを茶化すような意図ではなかったのですが、「軽い感じ」で書いたのでそのような印象を持たれたのかもしれません。
言葉や文章表現の難しさを感じます。
おかげで三島神社移転に関する事も学べましたし、色々と思索ができました。
お付き合い頂いた50代元信者様には、改めてお礼を申し上げます。
他の方には心苦しい文章や内容だったかもしれません。
不快に思われた方にはお詫び申し上げます。
今後、言葉や内容を選びながら書き込みを続けていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。
2016年10月17日 4:43 PM 匿名 です。
差し出がましいことを書きまして、失礼致しました。50代元信者様と末端教会子弟様、どちらも頭の良い、理論派のお二方ですから、づっと続きかねない、と思いまして(笑)、思わず口を差し挟んでしまいました。静観しているのも見物であったでしょうが。(笑)
50代元信者様には、三島神社の移転に関して、又、いろんな方面にわたって幅広い知識と、見識をお持ちで、いろいろと貴重なお話を教えて頂きまして有り難かったです。続けてご投稿お願い致します。
お二方のお話の中に出ていました、「民主主義」ということに関してですが、民主主義は数の論理で良識が打ち負かされる場合が、往々にしてあることと思います。民主主義は、衆愚政治になってしまいがちです。少数のエリートたちが社会をリードする方が、いい社会になる、という意見もありますね。が、今のところ、日本では、それは難しいのでしょう。
末端教会子弟様が、「お供え」掲示板で書かれてました、教組の教えられた、「やまとはほうねんや」と、みかぐらうたに現わされた社会では、民主主義のままなのか、少数エリートが社会を指導するのか、どんな社会になっているのでしょうか・・・。
三代真柱は今は亡き人、その人を悪く言うのは憚れるが、自業自得のところがあります。
詰所の明かりが少なく寂しいと云われていたが、三島神社移転問題に絡んで、橿原神宮宮司との会談のなかで、信者が減少しても構わない発言をした当然の報いではありませんか。会談の内容を録音した全文を公開すれば自明の理となります。さて、公開しますか。
又登場しますことに、恥をしのんで、これからは私の私情抜きに事実だけを投稿させていただきます。
中澤隼人氏のことを調べていましたら、廣池千九郎氏とつながりました。
昭和2年3月11日、廣池千九郎宛中澤隼人書簡です。
中澤氏が書かれた内容は書かれていませんが、
廣池氏は中澤氏書簡の封筒に、「天理教弊害」と書かれています。
ちょっと前に廣池千九郎氏と天理教との関係をこちらに投稿させていただいましたが、
私は廣池氏は天理中学の校長の職を辞されてから、天理教から離れていたものと思っておりました。ですが、下記のPDFの文章を読ませていただいて、驚くべき事実をみつけてしまったのです。大正10年から40年祭ごろにかけて、関係が復活されていた。
廣池氏は教会制度の弊害を十分に知りながらも、教祖の真の精神を継承し、
一段高い道徳的社会を建設するために、あえて教会制度の末端に連なるという
決心をしているのです。そして神恵講設置許可が降りるのですが、
その神恵講という名は管長が命名したものだったのです。(大正12年4月)
その内容は
http://rc.moralogy.jp/wp-content/uploads/1995/07/41sakurai.pdf
に書かれています。
日本の歴史学者、麗澤大学教授、桜井良樹氏が書かれています。
必読!
匿名A様が書かれている録音の内容、知りたいです!
50代元信者 様
仰る通り内容を知りたいですね。このような重要な会議ですから速記録なり、録音記録が無いはずがありません。
勿論、開示に当たっては相手方の了解があって初めて実現するものと思料しますので、簡単には実現するとは思っていません。
年に3回会う知人は、ハッキリと云っていましたから、嘘ではないと思うのです。教団内の事情を良く知っています。名前を書けば、エッと思われる方がおられると思います。
さっちん 様
>づっと続きかねない、と思いまして(笑)、
あと数回で収束してたと思いますよ。
天理教団に批判的な立場は同じですし、批判の「根拠」が違うだけだという認識は最初から分かってました。
50代元信者様は「三島神社の氏子や地域住民の気持ちや思い入れを重視」していると思われますし、
私は「教組伝の史跡を潰す事の信者に対する説明責任を重視」しているだけですから。
>末端教会子弟様が、「お供え」掲示板で書かれてました、教組の教えられた、・・・
私に解釈に対する疑問と思いますが、こちらの流れを中断するのも憚られますし、元の書き込みが「お供え掲示板」ですので、そちらの方に後刻(後日?)書き込みさせていただきます。
天理教フリーローラムとはどういう立場の方が立ち上げたのか存じ上げませんが、
本&文書というところに、三島神社の移転や鏡ヶ池の埋め立てについてかなり詳しく書かれています。
中澤氏の文章もみつけました。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/
少し抜粋しますね。
神社移転に使用した不正資料
・三島神社が移転する場所に天理教の専修科生の寮があったが、ここにいた学生6?人(一桁目の数字が読み取れない)を氏子に登録した。投票すれば賛成の数が足りないと予想したため、三島神社が移転した後、どこに住むかわからない学生まで氏子登録して数合わせを行ったと話す。
学生60人を使用することについては、天理教本部がすべてを集めた。
・三代真柱中山善衛も氏子登録して一票を投じている。
こちらにはその他不正や業者との癒着が詳しく書かれています。
胸が悪くなりますが、一読をおすすめします。
60人の学生さんたちが裏工作に利用されたことを知って、自責の念にかられることはないだろうか。
傷ついた学生さんたちはいないだろうか。それとも本人たちが知らないうちに登録されてしまったのだろうか。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/ の転載です。
あれから(100年祭)、30年位たっています。
当時の事を知る方も少なくなりました。
100年祭は色々事件の多かった年です。まず三島神社も移転になりました。その後、鏡池も埋め立てられました。寂しい限りでした。
当時、鏡池の埋め立てを巡るトラブルがあり何ヶ月の間、26日の本部祭典終了後に、其れを抗議する事態が起こりました。
今は、遠くの記憶になりました。
当時の神社移転に反対され、埋め立てにも反対されたこの文書にある中澤先生も、反対の文書をくばった為に
懲戒免職処分になりそうでした。
その後天理教より独立されました。。
今残っています当時の文書を公開します。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/iten.pdf
(株)東京天理教館の運営されているビル、その中でも千代田区神田にあるビルの
所在地を地図で見ていると、
東京天理ビル、神田錦町ようきビルが、ある大教会の建物に隣接しているのが
わかります。偶然なのでしょうか。
その大教会の初代会長は女性。
そしてその人はアタッシュケースで本部の地下に札束を落とすことで知られている愛〇分教会初代会長の生みのお母様。
知り合いがこの大教会の所属で、お話を伺う機会がありました。
たしか初代大教会長の年祭の時には、愛〇から多額のお金が流れると。
そのお金は大教会から本部へと流れていくのでしょうが・・・
いろいろと勘ぐってしまいます。
そしてその知人が申しますのに、その大教会(100年祭ころだったと記憶)に
3代真柱がお入り込み?の時、祭典の後、ビルの上階にて大宴会が催されたそうですが、
地方から来られた信者さんたちは、座る場所もないくらいの慌ただしさの中、
ごくごく普通の弁当が手渡され、上階で真柱を囲まれている会長方々は
なんと、帝国ホテルのコック貸し切りで料理がふるまわれたそうです。
現在を聞いてみると、大教会も代が変わられてずいぶん雰囲気は変わり、
黒塗りの車もなくなったようにお聞きしますが・・・
知人は、しばらくして天理教から去りました。
いつも饒舌なこの場所が、古い教会長さんの爆弾に、沈黙している。
文書をそのまま受け取ることはできない。
でも、ありえることだ、と思う。
沈黙は関心がかけ離れているからか。
おそらく違う。
言葉を失ったから。
「誠真実」
なんと空しい響き。
ちなみに、安野嘉彦とともに自治会との交渉の席にいたのは
中田善亮と聞く。
戦いは世代を超えて続いているのだろうか。
この爆弾は、どこに向かうのだろうか。
神殿に龍なのか、お鎮まりくださった神様なのか、分かりませんがおられます。
人間の霊力の重なりによる結界をはった御霊返しの空間作りについて考えています。
すみません。また余計なことを言いました。
「悲しい」「辛い」「悔しい」「情けない」様々負の感情を味わうことは
大人になるための時期、大切な大切なプロセス。
味わい尽くすことによって、その痛みが自分を守るためのバリアとなる。
言い換えれば、それによって人との上手な距離感をもつことができるようになる。
ところが「埃」の話で、負の感情を否定されるわけだから、
自分の心に浮上してもすぐに打ち消して、無きことにしてしまう。
でもその感情はずっと鬱積されたまま残る。
そして自分を責め続ける。
本来は相手に対して持つ怒りのベクトルが行き場所をなくし、自分に向かうことでエネルギーはそのままとどまる。
そして次第に生きるエネルギーを奪っていく。
お道の若い方に鬱の人や自殺者が現れるのはなんら不思議じゃない。
大人になっても、精神はずっと子どものまま。
人との距離感をもてないまま、表面は物わかりのいい人間で、いい人で、
負の感情を否定しながら、相手の要求にただ黙って従う。
相手の理不尽な要求にも従うふりをして生きざるを得ない。
自分を責めながら要求に従う道しか選択肢をもっていないから。
でも実は自覚のない憎しみがずっと心の中でくすぶりつづけている.
むしろ憎しみは肥大化していく。
若者は、鬱になりひきこもりになり、自殺にまで追い込まれ、
大人になりきれていない大人たちは、負の連鎖を繰り返す。
連鎖を断ち切ることは、痛みをともなう。
それまで生きてきた自分を総ざらいしなくてはならないから。
その作業は想像を絶する。
それまで隠れていた憎しみや悲しみが一気に噴き出してくるのだから。
置き去りにしてきた負の感情を、いい大人になってから味わうのはとても辛いものがある。
「過去はもう過ぎ去ったことなのだから忘れなさい」
人は簡単にそういう。でもこれができずにいるから苦しんでいる。
その苦しみから抜け出すには、どん底を味わうことしかない。
もうこれ以上無理と正直な自分と対峙するしかない。
そうしてありのままの自分を受け入れて、そんな自分を大切な人に認めてもらえて
そうして人は前にすすめるのだと思う。
自分で自分を受け入れる。それはもちろんだけど、まわりから受け入れてもらえて自信がつく。
そういう人の存在がとてもとても大切。
認めてくれる人はたった一人でもいい。親だったり伴侶だったり。
若者に埃の話をするのは危険を伴う。
親は絶対などと言って、親に服従させるのもそう。
親だから本来なんでも言えて、甘えられるのだ。
そういう場所があるから他で毅然と頑張れるんだ。
わが子は世間からは評判がいい。
ところがどっこい、私には素っ気なく、ひどい言葉も平気で吐く。
でも私のことは好きらしく、落ち込むと「聞いて」と連絡がくる。
私は自分が親から認められるようになってから、子どもたちの悪態が
とても可愛らしく、「なんでも言い合えるから親子なんだ」とうれしく思えるようになった。
やっとやっと・・・
私が死ぬまで甘えてくれればいいと思う。他でがんばれれば。
人との距離感を知らない大人がお諭しなんぞしようものなら、
それは凶器でしかない。
2016年10月19日 10:46 PM 言葉を失う 様
三島神社移転の瞬間に教団は、純粋な宗教ではなくなりました。政治力に頼った時点で、教団は自らの教えを否定したわけですから。
自分を大切に出来ない人は、本当の意味で他人を大切に出来ないのではないでしょうか?
「人を見る目を養うこと」もまた、人生には重要なことだと思います。
http://d.hatena.ne.jp/You-nagi/20100215/1266241102
より抜粋
———————————————————
■つきあって良い相手かどうかを判断するには、たった一つだけ見ればいい
信頼できる相手か、つきあっていい相手かどうかを見るにはたったひとつの事柄に関して、
相手の行動をみてゆけばいいと思います。相手と気が合う、趣味が合う、話が合う、
そういったものの以前にたったひとつだけ。
◎ それは「その人の言動の根底に、人間に対する愛があるかどうか」です。
◎ 相手が人間愛に基づいた言動を日頃からしているかどうかです。
ここでいう「人間」とは、あなたに対しての愛ではありません。もちろんそれも含まれますが、
第三者に対する愛があるかどうかに、その人が人間愛を持ってるかどうかがよく現れる
と思います。
その人の思想の根底に人間そのものに対する愛情があるのか、人間に対する尊敬が
あるのかはとても重要な事です。こういった部分を感じさせない人、他人を平気で裏切ったり、
たいした理由もなくこきおろしたり、簡単に見切ったりするような相手には注意すべきです。
■注意すべき相手の行動
第三者に対してひどい仕打ちをする人間は、あなたに対しても利用価値がなくなったら
簡単に裏切ります。今はなんらかの利用価値があるから、あなたに対して良いように
扱っているのです。
必要がなくなったりするとすぐにポイされます。たとえばこちらが何かのときに助けを求めた
としても、面倒になったと判断されて、簡単に切り捨てられます。
人間に対して愛のない人は、利用価値のない人間には非常に冷酷です。ある日突然、
人が変わったように冷たく扱われるようになったり、裏切られたりします。
人の変わったように感じてあなたは驚くかもしれませんが、それは、
◎ あなたがその人の本質を見抜けなかっただけです。
その人の今までの調子の良い言葉に騙されて、自分が相手にとって特別な人間なのだと
勘違いしていただけなのです。
■相手の行動を見る。
また日頃、相手があなたをどう扱っているのかも、しっかり見る必要があります。
他人に対する愛や尊敬のないひとは、日頃のあなたとのつきあいの中にも、そういう部分
が見え隠れするものです。
毎回待ち合わせの時間に遅れる、約束をよく破る、あなたの話をちゃんと聞かない、
あなたに対して気配りをしない。横柄な態度で接する。
あなたに対するほんとうの気持ちは、言葉ではなく態度に現れることが多いです、
◎ 言葉を聞くのではなく相手の行動をしっかり見てみてください。
天理教本部はいったい何を目指しているのでしょうか?由緒ある三島神社を強引な権力と金の力で移動させて。
三島神社のご祭神は、布留御魂神、大山祇神、天児屋根命です。
【布留御魂神は、石上神宮にも祀られている「十種神宝(とくさのかんだから)」とも称えられる、十種類の神宝の「神霊」です。「亡くなられた人をも蘇らす」霊力を秘めています。】
http://www.isonokami.jp/shinwa/shinwa2.html
みき様が、強力な病気なおしのお力を発揮されたのは、この布留御魂神のご神霊のお力によるものであった、と考えるのは、無理がありますでしょうか?
50代元信者の 10月16日 9:47 AM のご投稿で、次のような文章がありました。引用させて頂きます。
>今朝は五十相伝について調べていたら、その途中で
「親様が出雲大社で修行をしていたことは「古神道の秘術」はじめ多くの文献に書かれています。 しかし天理教の書籍にその記載が無いのはなぜでしょう」
という質問があちらこちらで書かれていました。答えはみつかりませんでした。
>四拍手は天理教と一緒なので、・・・・・・
神主さんの祝詞が、「出雲大社の御前に慎んで・・・」で始まったのです。
三島神社のご祭神に、「大山祇神」がおられます。この神様は、出雲大社に祀られている大国主(大物主)神のご先祖の神様です。
そして、みき様のお母様のきぬ様は、崇神天皇の時代に倭大国魂神を祀った長尾市宿祢の直系の子孫とのことです。倭大国魂神が祀られているのは大和神社。教組が、「どういう神で御座ると、尋ねておいで」と弟子に問答に行かせた大和神社です。大和神社のご神体が、天皇家の祭神に変わった為との事です。
そして、その倭大国魂神は、大国主神、大物主神の、同神異名、とも言われています。(異説もありますが。)
天理教の柏手は、4拍手で出雲大社と同じ、このことからも、天理王命は、出雲系神々(スサノオ、大国主神等)と関係がある、つまり、出雲系ご先祖の大山祇神を祀っている三島神社とも深い関係があると思われます。
その三島神社を移転させたのですから、真柱と本部幹部は愚かな、又、天理教信者達に対しても、申し開きも出来ない残念なことをされたものです。
50代元信者様
1行目最初のところ、「様」を記入してませんでした。大変失礼申し上げました。 ペコッ
2016年10月21日 4:20 PM 匿名様
あはは、気になさらないでください。全く気づきませんでした。
匿名さん、アップしてくださってありがとうございます。
ツイッターを拝見していてわかっちゃいましたよ^^
調べるの大変でしたね、私など神話を調べているだけで頭ウニウニです。
今日も勉強しようと思って分厚い神話の本と歴代天皇紀を持ち出してきましたが、
積読状態です。さっぱり頭に入らないんですよー。
そして今私は実生活において、最終の浄化を抱えていて、負の感情が噴き出しています。
それを一気にこの作業のエネルギーに変えているのですが、
その途中で感情をもてあましていると、ふとある本の紹介が目に入りました
その本は斎藤一人さんとお弟子さんの書かれた本で、「女性のための逆ギレのすすめ」です。
(私は斎藤一人さんとは何ら関係ないですが、たまに読ませてもらっています。痛快なのです)
これね、めっちゃおすすめです。今朝Amazonから届いたのですが、本の帯に
「理不尽なことを言われたとき、ガマンすることが修行ではありません。
あなたの修行は「それ、おかしいですよ」とか、言えるようになることなんです。
あなたの修行を淡々とやれば、あなたはあなたの人生を生きられます。それが天の道です」
もうね、このタイミングに、「あー神様ありがとうございます」って思いました。
私は30年以上姑の理不尽な言動に我慢してきました。
今は仲良くやっている夫とも、長年我慢のし通しでした。
「親には素直に生きなさい。嫁は我慢して嫁ぎ先に従順に従いなさい。夫をたてて我慢して生きなさい」
と母に言われ続け、
今はこうして意見を言える私ですが、良妻賢母の仮面を被って、ずっと我慢し内面は無意識に怒りをためこんでいました。
本の中から引用します。
「人間って、神が創ってくれた、価値あるものなんです。
相手も価値があるけど、自分も価値があるんだよ。
だから、どちらかが一方的にやられっぱなしとか、言われっぱなしとか、いけないんだよ。
いや、言われていることが正当なら聞く耳を持たなきゃいけないよ。
だけど「自分は悪くないのに言われてガマンしてます」って、心があると苦しいでしょ?
人の中には全員、神様がいるんです。その神が、嫌がってるんです。苦しがってるの。
不当なことを言われたら、「違います」って言えないのはおかしいんです。
「私はなにもしてない、なにもしてない」って、何回も言い続けなきゃならないような
ことをしているからおかしいんだよ。お互い平等なんだよ、人って。
だからしっかりしようっていうことです。」
匿名さんの調べられたこと、実に興味があり、私も調べつつあるのですが、
今日はどうもまとまらないので、またご報告させていただきますね。
母は、結局ほとんど変わってなかったです(苦笑)
人の心というものはちょいとにわからんものなるぞ。
人の心というものはちょいとに変わらんものなるぞ。
体と言葉の暴力で私を育ててきたことを母は笑って話すので
「精神的におかしくなったので電話きるね」と言って今日は母を拒絶しました。
先日約束したのに、ありゃーー今日は完全に感情論、全部私情だー。
50代元信者 様
私が調べられたことなどは、表層的なことで、調べれば調べる程、いろんなことが出て来そうです。だから私はもうこれ以上は足を踏み入れませ~ん。
ツイッター上で、天理あるあるbotさんという方に、散々、違うと突っ込まれながら、何とかイチャモン(笑)をつけられないように、無理やりという感じでまとめましたが、あるあるbotsさんにも書いたんですが、沼地に足を踏み入れるようなもの、ですね。日本古代史なんて、素人の手に負えませんよ。学者が研究することです~。
それこそ、天理大学宗教学科では、こういう天理教の神様の由来とか、石上神宮、大和神社、大神神社、布留御魂大神との関係など、そういうものを研究されてないのでしょうか?
あっ、今、中矢伸一氏の著作に、興味深い文章を見つけました。私がまとめた拙いものより、はるかに親神天理王命の真相に迫っているような感じですので書いておきます。
「大物主とは、ニギハヤヒのことであるとする研究家は多く、筆者も前著でそう述べた。たしかに三輪山に祀られる大物主とは、ニギハヤヒと同一視し得るところもある。
大物主とは、「大」が美称、「物」は精霊とか霊魂を表す言葉、ヌシは君主のことであり、「偉大なる神霊の主」という意味で、ニギハヤヒの別名としてつけられた神名と思われる。
では、ニギハヤヒ到来以前には、三輪山はただの山だったのであろうか。筆者はそうではないと考える。おそらく三輪山は、太古より大和(という名でなかったにせよ)周辺の人々から信仰を集める霊山だったのであり、そこには「太陽神」と「蛇神」との神格を併せもつ神が祀られるにふさわしいとされたのであろう。
三輪山の神はまた、【大山祇神】とも称される。大山祇神は「記紀」によれば木之花咲耶姫の父親であるが、山の神としても知られ、全国各地の山においてよく祀られている神である。山からは水が湧き出て、川となって里を潤すことから、水神として崇められる場合もあり、集まった水が川となり、細長く流れるさまから蛇神や龍神として祀られ、さらにこれが天空に昇って雷神(大雷神・オオイカズチノカミ)となる。
・・・・・・・・・
三輪山はこのように、「天地諸神」すなわち「天地地祇」のすべての神々の鎮まる山であり、それはまた天皇霊の坐します最高の神体山であった。
先に述べたように、天神とは太陽神のことであり、地祇とは蛇神や龍神を代表的な御遣い神とする地の神のことである。
そして天皇霊とは、ニギハヤヒが大和の地に初めて王朝を開いて以来、この山に付与されることとなった神格であると思われる。」
「封印された日本建国の秘密」 中矢伸一 日本文芸社
訂正です
「天地地祇」のすべての神々の鎮まる山 → 「天神地祇」の
Inochi. Genki ?
50代元信者様
お供え掲示板の方で、末端教会子弟様が、「八つの埃」についてのご考察を述べておられました。
>埃を全て祓ってしまっては人間らしく生きることができない。埃を払うと陽気ぐらしになる」ではなくて「陽気ぐらしの邪魔になる埃を払いなさい」ではないだろうか、と ・・・・
「初めての人に天理教のお話をするには『八つの埃』と『貸し物借り物』から始めなさい」と教えられました。その結果は、上記の「理の親教理」に結びつきます。
この事を理解したとき、背筋が凍るような感覚に襲われました。
今の天理教組織の堕落と腐敗ぶりの原因が分かったような気がします。
親様は「癖性分をとりなされや」とお教えくださってますし、お筆先にも「埃」の記述はありますが、それを「八つの埃」と特段に強調したのは、教団の教理捻じ曲げの一つだったのではないでしょうか。「埃」のお話は、心に留め置く程度で良かったものではなかったのでしょうか。
私も若い頃は、親戚の中でも嫌いな人とは口もききませんでしたが、今は結構仲良く喋くってます。こちらも向こうも年をくって丸くなり、ツンツンしてるエネルギーが無くなった、ということもあるでしょうが(笑)。「八つの埃」なんて始終意識して、自分の心の中に自然に湧き上がる感情を押さえつけながら暮らしていれば、ホント、ノイローゼか、鬱にでもなりますよ。生きていくうちに、経験を積み、失敗も重ね、だんだんと会得できるところもあるのですから。
50代元信者様が仰るように、若者には「八つの埃」などというお話を強調して話すべきではないですね。「教え」ではこういうことが言われてますから、気をつけなさい、くらいにしておくべきですね。それぞれ人生経験を積み、何かにつまずいた折に、そういえば親様は「埃」というお話をされたいた、と心に浮かび、そうして成長する、自然にまかせておけば良いように思います。
「八つの埃」は、お筆先から、自分達の都合の良い部分を強調し、歪曲した「教団教理」に過ぎないものと思われますね。
追伸
悟ったようなことを書いてますが、上級会長に対しては、非常に態度の悪い私です。
愛想の一つも言わず、見送りもせず。
やっぱり、たいして成長してないですね。(笑)
にこやかに応対し、しかし、教団の疑問点は、遠慮なく指摘し、会長さんもお考え頂きたい、と意見もし、そして、にっこりとお見送りするのが、「できた」人間なのでしょうが、私には程遠い境地。
さっちん様
<私も若い頃は、親戚の中でも嫌いな人とは口もききませんでしたが
私も若い頃そんな風に生きたらよかった。
嫌なものは嫌、嫌だから嫌。 できなかったなあー。
全く正反対の生き方だった。
みんなにニコニコして笑顔をほめられて。
私には反抗期もなくて・・・
それを最近まで続けてきました。
それが数年前、喧嘩して夫に対して「このハゲ! うるさいんじゃ」って言ってしまったんですよ。
そしたら、なんと夫は笑い出しちゃって。私はキョトーン。
私にしたらたまらないですよ、そんな言葉を出しちゃって。
でもそういう風に、「ふざけんな」とか「どっかいっちまえ」とか言っている方が
簡単に仲直りしちゃうんですよ。それがずっと不思議だったのですが、
昨日一人さんの本を読んでわかりました。
女性は二つに分類することができる。
一つは強い女性、そしてもう一つは、ふふふ、ものすごく強い女性なんですって(笑)
つまり女性はみんな強い。
なのに夫を立てたり弱いふりをして頼ろうとすると、男性はイライラし、
仮面をはがそうとしちゃうみたいなんですね。
自然の摂理に反しているのでしょう。
尽くすタイプの女性のパートナーにDV加害者が多いのもうなずけます。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」
平塚らいてうの話がふと浮かびます。
私は所属教会が遠かったので、近所の教会を参拝させていただいていた時期があります。
そこの会長さん(男性)はワンマンで威張り腐っていましたね。
奥様はかわいそうなくらい怒鳴りまくられて従って。
その奥様、リューマチでした。我慢を強いられると関節痛に出たり、湿疹に出たりすると
昨日の本にも書いてありましたが、まさしくその通りでした。
大阪のおばちゃんは強いですよね。体ほぐしの先生に言わせれば、だから大阪の男性は楽なんですって。
これからは女性がリードする時代なのかもしれない。
卑弥呼の時代のように。
亭主関白の家は暗い、かかあ天下の家は明るい。
この団体が衰退するのわかります。
暗くなるようになっているのだから。いろんな面で。
最後に夫から一言、「僕にハゲはありません」とな。
50代元信者 様
「このハゲ! うるさいんじゃ」 だから、罪が無くて可愛げもあって、良かったですね。
これが、「男のくせに、細かいことばかりクドクド言って、あんたがいると うんざりするんじゃ! カス!」 だったら、修羅場になってたかもしれないですね。(笑)
さっちん様
まさか透明人間になって我が家に来られましたか?修羅場ありましたとも。
夫と二人でそんなこともあったね、と大笑いです。
やっと私も太陽になれたのです。
さて平塚らいてうさんのお姉様は一時期熱心な天理教の信者さんだったんですが
でもその後大本教に変わられたとか。そして平塚らいてうも大本教に非常に興味をもつことになるですね。
どうしてお姉さまが天理教から大本教に変わられたのか知りたいものです。
中矢伸一さんは日月神示研究の第一人者ですが、なんかちょっと繋がりを感じますね。
日月神示とは、出口仁三郎さん率いる「大本教」にいた岡本天明さんが大本教から離脱し同じように自動書記にて国常立大神の神示を書かれたものですよね。
<みき様のお母様のきぬ様は、崇神天皇の時代に倭大国魂神を祀った長尾市宿祢の直系の子孫とのことです。
先日これを拝見して驚きでした。それと同時にふと野見宿祢のことを思い出しました。
垂仁天皇時代、歴史上初めての展覧相撲が開催され、当時大和で一番の力持ちとされていた
当麻蹴速(たいまのけはや)の相手をしたのが野見宿祢。結果野見宿祢の圧勝だったのですが
その野見宿祢を出雲国から連れてきたのが、長尾市宿祢だったのですね。
そういえば、大和神社のすぐ近くに相撲神社がありますね。三昧田も近くですよね。
愛知県の大学の宗教学者の方が、親様の逸話にある力比べについて書かれていますが、
親様のお母様のご先祖様にそういう方がいらしたわけですから、親様は小さい頃から相撲の話を
よく聞いておられたのでしょうね。
力自慢の若者を相手に力だめ しを好んでやったのが逸話に伝えられていますが、
その信憑性はともかくとして、ここにも繋がりを感じます。
私桜井や天理、明日香はくまなく歩きました。相撲神社も行きましたが、
まさか親様につながるとは、当時は思いもしませんでした。
ただ、「タイマノケハヤ、ノミノスクネ」の名前は記憶から離れなかったんですよね。
50代元信者 様
>中矢伸一さんは日月神示研究の第一人者ですが、なんかちょっと繋がりを感じますね。
日月神示とは、出口仁三郎さん率いる「大本教」にいた岡本天明さんが大本教から離脱し同じように自動書記にて国常立大神の神示を書かれたものですよね。
以前にも、お供え掲示板の方で書いた事ですが、中矢伸一氏は、黒住、天理、金光、大本、そして日月神示の神様を、同じ神、あるいは同系統の神(国津神)と書かれておられます。天理、金光、大本に現われた神様はクニトコタチノミコトである、とも書かれてました。クニトコタチだの、ニギハヤヒだの、スサノオだの、もう、何が何だか訳がわかりません。人間に解る訳ないのは当たり前ですけど。(笑)
>みき様のお母様のきぬ様は、崇神天皇の時代に倭大国魂神を祀った長尾市宿祢の直系の子孫とのことです。
これも中矢伸一氏の同著作に書かれてたものです。
>野見宿祢を出雲国から連れてきたのが、長尾市宿祢だったのですね。
親様の逸話にある、「力比べ」は、遠い時の隔たりがあるにも関わらず、垂仁天皇時代の、相撲の試合に繋がってるような、神様の存在を、感じさせられる逸話ですね。
私が古代日本の事で知りたい、と思う時に読む本は、中矢伸一氏、飛鳥昭雄氏、関裕二氏、くらいです。それ以外の、しち難しい書物などは、とうてい読めません。頭が拒否します。(笑)
飛鳥昭雄氏の書物も、是非読んで見て下さい。面白いですよ。飛鳥氏の本を読むと、天照大神もイエス、キリストもニギハヤヒも同じ人物、クニトコタチもヤハウェも同じ神様、勿論、天理王命もヤハウェなのでしょう。(笑)。しかしそれはその通りかもしれませんね。この世界を創った神様なら、国別に違う神、ということもないでしょうからね。
興味深いお話が続いていますね。ちょっと私も仲間に入れてください。
10年程前、とある教会子弟から
「おやさまが山村御殿に行かれたとき、懐かしそうな顔をしたそうですよ。
おやさまの前世は皇室にゆかりのある尼さんだったそうですよ。」
私はそんな話は初耳だったのですが、「けっこう有名な話ですよ。」との事。
「おやさまの前世の尼さんて、どんな人だったのかなあ。誰だったのかなあ。」
なんて考えながら、数か月経った頃、以前、読みかけたまま何処かに紛失した
宮尾登美子著の『東福門院和子の涙』と言う作品を思い出しました。
東福門院和子、ご存知の方も多いと思われますが、
徳川二代将軍秀忠の娘で、時の天皇である後水尾天皇に嫁いだ女性であります。
私は以前から、その和子と言う女性には興味を持っていたので、
出版されて間もない頃に初版本を買い求め読み始めたのですが、
文体が「口語体」と言うんですか、和子に仕えてた女性の目線で書かれていて、
「姫様はお悲しみになりました。」とか「上様はお怒りあそばされました。」などの書き方で、
5,6ページほど読んだら、肩が凝って疲れてきちゃったので、
そのまま放置して紛失してしまったのでした。
その著書を、今度は意を決して読破しようと、すでに文庫本化されものを買い求め、
読み続けておりましたら、終盤近くに「文智女王」という女性が登場したのです。
その文智女王とは、後水尾天皇と和子とは違う女性の間に生まれた姫君で、
本作品中では「頭脳明晰で、人柄も良く、若いのに徳が備わった」と言った紹介がされてました。
私は何だか、おやさまを彷彿したのですが、更に読み続けていると、
その女王が、花村御殿こと「円照寺」を建立した人物だったのです。
円照寺は最初、京都に造られたのですが、程なくして帯解に移ったようです。
更に作品中では、文智女王と和子は、信頼しあい終生良い関係であったとの事。
これが史実、事実であったなら、双方素晴らしい心持ちの方だったのですかね。
下世話な言い方をすれば「本妻と妾の子」という間柄なのに、
それを超えられる何かをどちらも持っていたのですかねえ。
さて、この「文智女王」なる御方が、おやさまの前世か否か調べる術もありませんが、
でも、何だか「おやさま」が私にこっそり「御自分の前世」を教えてくれた。
思い込みだ、考え過ぎだと嗤われるよですが、ちょっと嬉しかった出来事でした。
50代元信者 様
前に書かれていた以下の文章
>【「御魂返し」(みたまがえし)を出来たと思われますのは、近世では天理教の初代教祖です。
国常立太神・スサノオから離れて現実界に降りて来た「元」眷属神の黒龍が乗り移ったと言えます。】
と、書かれている人がいて、ずっと気になっています。
そしてその方は、100年祭頃に黒龍は天理から去ったとも書かれていました。
私にはまったくわかりませんが、でもとても気になるのです。
天理教信者であれば、誰しも大変気になるところですね。100年祭頃に、真柱や、真柱を取り巻く幹部たちが、強引なやり方によって、三島神社を移転させた訳ですが、天理教の神様がお怒りになり、御遣いの龍神もおひきあげになったということでしょうかね。
その、書かれた方は霊能者の方だったのでしょうか。
さっちん様
<その、書かれた方は霊能者の方だったのでしょうか。
そのようですが、でも私自身お会いしたこともありませんし、
私が霊能者だと断定することはできないのです。
今スピリチュアル系のブログランキング1位の方です。
文章を転載することを禁じられているので、こんな書き方しかできません。
そこには天理教に疑問を感じ始めた信者の方たちも沢山来られているようです。
なにせ文章とコメントの数が膨大なので、調べるのが大変で。
記憶の中のお話なので正確ではないかもしれないのですが、
親様は今のこの現状をとても悲しんでおられ責任を感じておられる、
ということと、この集金システムを作られた方たちはあちらの世で酷い目にあって
おられるというのを読んで、スカーッとした記憶があります。
そして日月神示についてよくふれられております。
最近の私は自分が確かな実証を得るまで完全に信じることはできませんねー。
それでですねー
古神道を調べていて見つけた話なのですが、作家佐藤愛子さんは、古神道家の相曽誠治氏を唯一信用できる霊能者であると話されていたそうですが、生きておられたらお話聞いてみたかったですね。
佐藤愛子さんのお話がちょっとおもしろかったので紹介します。
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佐藤さんは、レベルの高い本物の霊能者と、そうじゃない人の見分け方があるという。
「高額の謝礼金を取る人はダメですね。相曽(誠治)先生はわざわざ静岡から北海道の山荘まで来てくださいましたが、旅費も含めてお金は一切受け取っていただけませんでした。本物の霊能者というのは人を助けるのが使命なので、それでお金儲けをしてはダメだと言いますね、それに、沢山お金をもらい始めると、霊能がだんだん消えていくとも言われています。」
「あの世ではね、善悪という価値観はないみたいです。
たとえば昔の武士の場合、信念を持って殺してる場合は、殺したほうじゃなくて、殺されたほうがその無念さ、怨みなどで地獄に落ちている場合もあるとか。
つまり、殺された憎しみとか、恨みを引きずると成仏できないらしい。
私は人にだまされたり、損をさせられたりするといつでもカーッと怒ります。でも怒るけど、相手は憎まないんです。もともとモノに対する執着がないほうですからね。だから、執着や恨みつらみがないという点では、霊的価値観から見て、結構いいセンいってるかなと思います」
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またつながってしまいました。
間違ったことには、その場でカーッと怒り恨みを残さない方たいいと(笑)
我慢している方が罪作りになってしまうとも。
そして有料先生はあかんねー。お授けでお金なんてもらっていたら力なくすってばさ。
縁の下様
なんか意味深なお名前ですね。縁の下の力持ちという意味なのか月の存在なのか。
ちょっと想像してしまいました。
私は縁の下にいたはずが、今は床を突き破って今では天井をも壊しそうな勢いです(笑)
もう何年も天理教関係の掲示板はのぞいていなかった私がこのように書き込むきっかけになったのが、
春の出来事でした。大神神社の春の大祭に参拝させていただいて奈良に向かう途中、
踏切事故に遭遇して天理で降ろされてしまい、夫と二人渋々本部を参拝させていただいたのですが、
その踏切事故があったのが帯解駅付近でした。
偶然でしょうが、最近いろいろなことが線で結ばれていっています。
近々三島神社を参拝させていただくつもりですが、その際には帯解駅で降りて円照寺に向かいたく思います。
一般公開はされていないようですが、せめて雰囲気でも。
久々に歴代天皇紀を読みました。第108代後水尾天皇と典侍藤原輿津子との皇女梅の宮、のちの文智尼王。
歴代天皇紀には文智尼王のことはほとんど記載がありませんでしたが、後水尾天皇が出された訓戒書には
・短慮を深くつつしむこと。
・いつも柔和の相であられること。
・敬神崇仏により、何事も正直に守るること。
・芸能のこと、和歌を第一に心にかけること、御手習もゆだんなくなさること、漢才は充分にもたれること。
琴笛は自分にあったものをすること。
他にもいろいろあり、これはこの後の三天皇登極にあたって示されたもののようですが、
「頭脳明晰で、人柄も良く、若いのに徳が備わった」まるで梅の宮を見習いなさいとおっしゃっているかのようで・・・
縁の下様の想像はあたっているかもしれませんね。お筆先などまさにそうですものね。琴や笛も。
そしてこの時代に起きた紫衣事件や沢庵のことがちょっと気になっています。
まだ残っていた「いい人でありたい」をかなぐり捨てて、こんな風に書き連ねることに
批判をあびることを重々承知で書きます。お目汚しになるかもしれませんがお許しください。
実は天理教がここまで腐敗しているとは思っていませんでした。
せっせと感謝の気持ちで終わらせようとしておりましたのに、実に悲しかったです。
それと同時にさらなる心の解放が起きて、もう二進も三進もいかなくなり、
シャンプーしながらカッカしていました。
すると妄想が頭の中をかけめぐったのです。
それは、明後日秋の大祭に神殿にて退出する真柱氏に「少しの間、私の話を聞いてください。」と大声で叫ぶというものでした。リアルに言葉が浮かんできて心臓はバクバク。
すると「ジャンヌダルク!」と浮かんだのです。
夫は私のただならぬ様子に「どうしたんだ?」と。
私は妄想を夫に話し、「実行しちゃおうかしら」と言うと、夫は「ついていくよ」と笑ってる。
「あなた平気?私がそんなことして。でもきっとその前に本部員にひきずり出されちゃうわね」
すると夫は「その前にまわりの人に抑えられるよ」
「そうかなー、こんなおばさんが勇気を出して叫ぶのよー。みんなだってきっと同じこと思ってるわよ」
しかし次第に熱もさめ、「天理教史に名前が載るなんてまっぴらだわ」と私が言うと、
私より天理教組織に詳しくなった夫が、「真柱さんに言っても無駄じゃないのか?」と。
「そうね! それに私もう信者じゃない」
その後は笑って過ごしたのですが、あんな妄想抱いたの初めてです(笑)
これを本部の方が読んだら、当日目を光らせるかも。
行きませんってわたし。その日は孫を一日預かる約束なのです!
でもそんな人現れたらいいなー。
さて、ジャンヌダルクについて面白い記事をみつけました。
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同じ性質の人ばかりで集まっていると、その組織の問題点は見えづらくなっていくものです。慣習というものは変えにくく、それによって苦しむ人も多くいると思います。
“騎士道精神”に縛られて、イギリスに負け続けていたフランス軍もそうでした。1427年、神に啓示を受けた少女がそんな男たちを救います。彼女の名は、ジャンヌ・ダルク。誰もが知る歴史上の人物である彼女は、なぜフランス軍を救えたのか? そこには、固定概念に縛られない女性の強さがありました。
いまの時代、女性が優秀だなあと思うのは手持ちのカードのなかに切り札のジョーカーを持っているからなんです。男にはそれがないから、上司の顔色をうかがったり、自分の意見も言えなくて縮こまってしまう。ところが女性はいざとなればエースさえも切れる切り札を持っているんです。
生涯、組織・群れのなかでパワーゲームをプレイし続けなくてはならない男に対し、別の選択肢を持つ女性は組織の序列やルールから自由。ときに奔放に振る舞って「空気が読めない」と男側の反発を招いたとしても、彼女たちの働きは硬直化した組織に風穴をあけ変革を促してきました。
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50代元信者 様
>まだ残っていた「いい人でありたい」をかなぐり捨てて、こんな風に書き連ねることに
批判をあびることを重々承知で書きます。お目汚しになるかもしれませんがお許しください。
いえいえ、50代元信者様は、まるでジャンヌ・ダルクのように、天理教の問題点をいろいろと指摘し、我々に考えさせてくださっています。真柱様に直訴するのは、お止めになった方が良いと思いますけど。(笑) お名前を今、思い出せませんけど、天啓を受けられた女性の方で、引きずり出されて怪我をされた方がいらしたそうですが、そのような目に遭っても、つまりませんもの。 それに、50代元信者様が、そのようなことをする程の価値など、もう、天理教団にありませんよ。 でも、「ついて行くよ」と、言って下さる、やさしい旦那様をお持ちで、幸せなことですね。
それより、ここで、どんどん投稿なさって、我々をこれからも、啓蒙なさって下さいませ。
昔、本部の人たちは、天理からちょっと外れた田原本あたりで、羽目を外していた。
今は東京で羽目を外している。
人間だから、それもいいでしょう。自分のお金で遊ぶのなら。
でも、もし、それが信者さんのお供えだったら、問題あるよね。
私が聞いた話です。
もう10年以上も前のことですが、京都市内に今も羽振りのいい教会があります。その教会の教信徒で生活保護を受給している人から、教団本部に相談がありました。あまりにも激しいお供え攻勢にたまりかねてのことでした。さすがに教団本部も良心の一片があったのか、その教会に注意を喚起しました。
しかし、これって根本を云えば教団本部にあるのではないですか。心定めと称して、1年間の別席者数、修養科生数を始め究極はお供え額を割り当てる。大教会なり本部直轄教会は、これをすべて部内教会に割り当てる。羽振りのいい教会はいいかもですね。
こうして得られたお供えが、一部とは云え、古い教会長さんの仰るような使い方をされていたかと思うと、悲しみ以外のなにものでもありません。
お供え額が500円でも、千円でもいいじゃないですか。交通機関を使って毎月参拝に来られる信徒さんがあれば、長時間の講話は必要ありません。10分でも15分でも心に響くお話であれば、教会は賑やかになるでしょう。
余談ですが、私はJRの青春18切符の発売に合わせて年に3回天理行きます。それも新幹線の開通に伴って第3セクター化した路線が挟まって、青春18きっぷのメリットが無くなりつつあります。天理に行く機会も少なくなってゆきます。
本部も近畿中心の宗教になりつつあるのでしょうか。
何かコメントしたいんです。でも雇われているのは無力です。
天理教勤務者 様
どのようなことでも、本当の事ならこゝへ投書をされては如何ですか。このようなことを云うとカイン様には申し訳ないですが、少しは気持ちが楽になると思うんです。
組織が大きくなりますと、宗教団体といえども一般の組織と変わらなくなり硬直化して、ものが云えなくなります。だからこそ、この場を活用されては如何でしょうか。
ありがとうございます。このサイトを見ていて思うことは教祖の教えに帰れないことのもどかしさです。でも、教祖の存命中から教祖ご自身が、ざんねん、立腹、から、とうじん、というあらゆる言葉をくしして、家族をはじめとする周囲の者をさして仕込んでおられたんだんなぁと思うことです。
教内の普通の理解ではそれらは教外をさして、教祖ご自身がもどかしいって思っておられたと考えがちですが、私の思案は正に教祖ご自身が道の始まりから今にいたっても変わらない、にほんといわれている周囲の人たち(私たちも含めて)の道中だと思います。
しかし、うちの課長は中山家の息ににつながっている人で、彼と接していると、思考停止を余儀なくされます。決まり切ったこと以外は相談にもな得れません。
教祖の教えに帰れっていわれても、何がそうなのかもわからず、教祖が現し身を隠されたときも、勝手にせいというハッピーエンドでなかったのではないかと思います。
だから教勢の衰退は当然のことであり、教祖のご意志であると思います。
私は天理を離れて数十年たつ者です。私は、神と人間は絶対の関係にあるが、人間と人間は相対の関係にある事を念頭に置くべきであると思います。対象が神である場合その言葉を守り、行動規範とする絶対性がありますが、対人間であれば相対的にあたるべきであり、(真柱、教会上層部も真の人間です)そのためには、人文科学、自然科学に親しみ人間性を磨き上げ、教養を身につける事をお勧めします。神に教養は通じませんが、人間と対する際に、相手を分析し、訴えを吟味し、意見を付け加え、互いに創造してゆく作業は人間に与えられた権利であり義務であります。私は教祖の教えに帰ることのできる者は自分自身だけであると思います。もしその思いを他人に伝えれば、それは本人の思惑が入り込んだ意見であり、純粋な教えでない(本人が意識しようとしまいと)可能性は否定できません。信仰は極めて個人的なものであり、たとえ真柱といえども人であり、天理教人は皆、人である限り人権を持ち、決して人間思案の一言でかたずけられたりせず、他人の信仰(三島神社など)の権利を侵すべきではありません。
本部の「人材育成」とは。熱心におたすけにまわり、時報を手配りし、教会で務め、上級に運び、大教会で青年勤めをして天の声を素直に聞く人をつくること。それ以外はない。
それぞれの徳分を伸ばすなどということがあるが、実際には、徳分も時間もお金もすべて犠牲にさせられる。
一生懸命につくしても、本部・上級の人たち(=特に徳分を伸ばさなくても生きていける)のパシリになるだけ。正論を言っても弾き飛ばされる。気に入られても、逆に足を引っ張られる。人材を人材と思わないから、人材は人材にならない。身分的に独占している席を、本当に有意な人材に譲ることがない人たちの、「人材育成」という言葉に騙されてはいけない。本部の人が邪魔をして、決して教組の人材として扱われない。だから、若い人よ、教会組織にとらわれず、その枠から思い切って外に出よう。神様から与えられた徳分を生かせば、そこには教祖の人材としての、あなただけの席が、必ずある。
Ue no hito mo
Kurou. Sareteru. Youni
Miemasu
真柱様のお言葉 感動 しました。
2016年10月9日 10:09 PMのコメントより転載
>匿名です様へ
>あなたがしていることはこういうことだからですよ。
>丁寧な敬語を使いながら、
>教団内での様々な矛盾に深く傷ついている方々が書き込む側から、
>透かさず次の行で、「この教団は素晴らしい。頭が下がります」などと
>平気で謳えることが出来る。
>教団内での様々な矛盾に深く傷ついている方々が書き込む側から、
>綺麗な言葉で覆いながら詭弁を用いてその傷ついているコメント者の言葉を貶める。
>核心を突いた、考えさせられるコメントの後に、あたかも、そのコメントの印象を消すかのように
>間の抜けた思いつきのような一言コメントを、何行にも分けて投稿する。
>真剣な前者のコメントを舐めた行為ではないでしょうか。
>こういった無意識のズルさは、他人にはすぐわかってしまうものです。
>自分で自覚が出来ないのは抑圧しているものがあるからです。
>皆さんの事を考えてる。心配してる。など、言葉では立派なことを言っていても、
>実は自分の事しか考えてない、見えてないのが透けているのです。
>「馬鹿だから」、などと逃げないで下さい。
>馬鹿な人は、こんな風な知恵は回りません。
>寧ろ、ポーズに囚われず、教団マニュアルに頼らずに、
>一人の人間として心から人に共感することや傷付いた人に寄り添う、本物の心を育てて下さい。
◎寧ろ、ポーズに囚われず、教団マニュアルに頼らずに、
◎一人の人間として心から人に共感することや傷付いた人に寄り添う、本物の心を育てて下さい。
天理教勤務者 様
崇高な精神を説く教団本部の管理組織が仰っているような状態ですから悲しいですよね。
Tさん、人材育成さん、匿名さんが仰っている通りですよ。私の手元に、立教175年(平成25年)10月25日に打ち出された「諭達第3号」があります。書かれている内容と教団の現状の余りにも大きいギャップに開いた口が塞がりません。
所詮、中山家とそれを取り巻く少数の人の安泰のみが図られているのです。それの証拠に、このブログに投稿された記事の一部を除く多くがそのことを証明しています。
ストレスを克服することは並大抵のことではありませんが、健康に留意されて、黙々と仕事をされることが何より肝要かと思っています。
私事で恐縮ですが、いろいろなことを乗り越えて今日があります。その陰には、自分を理解してくれる人があったことです。どうかそのような方を探してください。きっと、周囲に居られると思いますよ。
ありがとうございます。その通りだと思います。家族や理解のある周囲の人に支えられてきたから今の自分があります。
匿名です=ウンきち=大亮もどきさん。
こういう人達が本部の中枢で組織を運営しているのです。
大体、本部内の意識の低さ、問題意識の低さを感じます。
学ぶ場所がないのですから、仕方ないですね。
気の毒です。
それより、教団教理に洗脳されている教会長、よふぼくの方が気の毒ですが。
二代真柱中山正善氏は、年間2億円ものお金を古書購入に充てていた。昭和38年の天理大学附属図書館の拡張工事の落成祈念式典には、有名な古書店主が顔を揃えていた。日本ばかりでなく、世界中の有名な古本店のおやじさんが正善氏と顔なじみであったし・・・。「天理教・その腐敗と悲劇 早川和博氏著」より。
その当時で、年に2億円も使える人は、そうざらには居ないよ。1日に換算して55万円。このようなお金どこにあったのか。お供えしろ。お供えしろ。だと、笑っちゃうよ。
一日に55万円使える人はうらやましい限りですが、彼は超一流の英雄ですからね、社会的な貢献者としては等価であると思います。しかし、宗教者としては生腐れ坊主だったでしたでしょう。中田善亮どころではありません。色地獄の覇者でもありました。中山系、中田系以外で本部員になっている人の多くは、初代、二代目さんのお手つきの子孫です。
昔はそういう時代だったんでしょうけどね。
「色地獄の覇者」が、『教組ひながたを辿って、たすけ一条の陽気ぐらし』 を信者に説くとは呆れますね。
頂点におられる方が、信者の金を私的に使いまくり、色ボケで、大きく道に外れているのですから、教団本部の人達が、埃にまみれ、信者のことを全く考えず、信者のお供えで、でかいビルを建てたり、、利己的なことばかりしているのも、仕方がないのかもしれませんね。二代真柱が、もっと真摯な方であったら、こんなにも天理教教団が、金に汚い組織にならなかったかもしれませんね。
社会的にも、教内的ににも彼の業績には心酔すべくスーパーースターであった反面、、今となっては受け入れがたいお道のレガシーとなって、まじめに道を歩もうとしている人たちの意欲を削いでいるのは私だけが感じている事ではないはずです。
そういうように言うに言えない、末代まで隠し通さなければならない負の財産は、地方でコツコツと布教にに与える影響は計り知れず、「人が目標か、神が目標か」という踏み絵を毎日踏み続けられている事実には変わり有りません。
かしものかりもの、八つの埃、心通りの守護。
善司氏の基礎的なお話は素晴らしかったですね。
では、お地場に引き寄せられて、たすけ一条を務められる魂達は今どこにどうして居られるのでしょう。
次回は、お地場の人衆についての言及を期待いたします。
天理教勤務者様
「自分を大切にする心理学」でググって下さい。
「人間関係の質を決める脳とこころのしくみを知って、 自分を大切にするための、 認知行動セルフ・カウンセリング。」
のサイトです。何日もかけて読んで下さい。
天理教では、自分を大切にするということは教えられません。
自分が他人と対等な立場で生きない限り、本当の陽気ぐらしはできません。
教団から離れるのが難しいのなら、教団にいたままで、ご自分が思うように生きられる強さを手に入れてください。
価値観や生き方の大変革となり不安定になるかも知れませんが、そこを通らないと人生は取り戻せません。
せっかくの一度きりの与えられた人生を、自分の納得のいくように生きたいと思いませんか?
天理教団は関係ありません。これは、今までの自分自身との戦いです。
偉そうなことですみません。。。
天理教勤務者様
以前にどなたかが紹介されていたと思いますが、もうひとつブログを。。。
「あるがままの自分を取り戻す」 の中の
「あるがままの自分を取り戻す方法」をこれもまた何日もかかりますが読んで下さい。
中尾英司さんのブログです。
とにかく目から鱗の内容です。一度どん底に落ちますが、自分を再構築する作業を経て、やっと自分を生きられます。
ここでストップです。
天理教勤務者様
それを選ぶのも、あなたの自由ですよ。
どう生きるのかは、みんな自由です。
天理教勤務者様
ハンドルメームで投稿されたらどうですか。たとえばTKKSってのはいかがですか?
若い後継者たちに同じ思いはさせたくないのです。現実を、しっかり見る目を養ってもらいたいのです。考える力、ものを言う勇気をもって貰いたいのです。その為には本当の情報がいるのです。情報は心の栄養です。
三笠宮様の薨去に接し、謹んで哀悼の意を表します。
世界の古代史や宗教史にも造詣が深く、教祖御事跡の円照寺にもゆかりが深く、天理大学でも教鞭を執られ、又、茨木氏の啓示録によれば、初代真柱の生まれかわりだそうです。
お道と皇室の、日本の国柄とお地場の理を考える上で、有用な不思議な魂の方であられたのかもしれません。
不敬かもしれませんが、様々な記事を読んでいて、近現代史を再考する上でも、興味深いお方に様に思います。直接授業を受けられた方がいらっしゃいましたら、お人柄などを教えて下さい。
初めまして。時々このブログを興味深く拝見させて頂いており、初めてコメントさせて頂きます。
私は末端教会の後継者として生まれ、おぢばでの学生時代を経て、本部勤務、上級青年、鼓笛スタッフ、学修スタッフ、布教の家を経験した者です。
幼少期から学生時代は天理教が大好きで、天理教の行事は神様が喜ばれると本気で思っていて、喜んでやっておりました。
布教の家の時、私はよく訪問先でお話をさせて頂けたほう(と言っても断られたほうが断然多いのですが)で、そのお話は色々と頭の中で閃かせて頂きました。それが出来たのもおぢばで学ばせて頂いた知識があったればこそと思っていたのですが、ある時期から、訪問先でよく「うちも他の宗教信仰してますから結構です。」と言われた時、ふと「その神様、親神様なのになー」と思うことが頻繁になり、ついに閃きさんが「親神は天理教だけの神ではない」と言いました(インスピレーションを受けました)。
布教の家が終わった後、天理教団組織は私のことを手ぐすね引いて待っていたように、ヒエラルキーにコミットさせるのですが、その閃きさんが嫌がるのです。でも立場的、良心的、社会的にもやらねばと思って、組織活動と、「私の思う天理に適うたすけ活動(閃きさんがワクワクする活動)」とを両立させるのですが、組織活動の中に親神様のエネルギーが感じず(何故なら組織内での愚痴不足は多いし、布教の家の時に私が閃いていたような天理に的を射た話は微塵も聞こえてこない)、疲れちゃって疎遠になってしまいました。
疲れると閃きも起こらず、超孤独な中、真理は何かを必死に探し求めました。中山みき研究ノート、アマーリエの中山みきメッセージ、シルバーバーチの霊訓、大川隆法の中山みき・天理王命の霊言、アドラー心理学、斎藤一人等々を勉強させて頂きました。
「中山みき研究ノート」と「アマーリエの中山みきメッセージ」を図書館で借りて読みましたが、目から鱗でした。僕の閃きさんが「うんうん、その通り」と言わんばかりの、まるで砂漠の中で見つけたオアシスの水を飲むように、心の中に入っていきました。
アマーリエさんによると、教祖は、「わたしの時代の中におきましては、民百姓たちが、士農工商のような封建時代で、取り残された民衆たちに少しでも幸せになっていく道を伝えたかった。そしてわたしは出て、神一条の、神一筋のその思いというものを、素朴な、その恵まれぬ民百姓たちの身になって、神の愛というものを伝えていきたいと願い出て、許されて出てった者であるのです。
しかしその後、皆様ご存知かもしれませんが、日本神道というものの流れの中で、神道に属さねば宗教は皆つぶされる、お取りつぶしになるという、そういう戦時国家の流れの体制の中で、わたくしは、大変何度も投獄されましたし、そのような中においても、わたしは神の社となって、その信仰心そのものを、神の地上代行者として、そのままに生き抜いていく姿を見せてこそ、人々はわたしの姿を通して神の存在を感じてくれるのだと、そのように守護霊にも言われましたので、頑張り抜いてあの時代を生き抜いたのです。」
「中山みき研究ノート」も教祖は人間だと言ってますね。
次に「シルバーバーチの霊訓」ですが、以下に霊訓の一部抜粋を書きます。
【イエスは人間だった】
「まずイエスにまつわる数多くの間違った伝説を排除しなければなりません。それが余りに永いあいだ事実とごたまぜにされてきたために、真実と虚偽の見わけがつかなくなっているのです。
インスピレーションというものはいつの時代にも変わらぬ顕と幽をつなぐ通路です。人類の自我意識が芽生え成長し始めた頭初から、人類の宿命の成就へ向けて大衆を指導する者へインスピレーションの形で指導と援助が届けられてきました。
地上の歴史には予言者、聖人、指導者、先駆者、改革者、夢想家、賢者等々と呼ばれる大人物が数多く存在しますが、そのすべてが、内在する霊的な天賦の才能を活用していたのです。それによってそれぞれの時代に不滅の光輝を付加してきました。霊の威力に反応して精神的高揚を体験し、その人を通じて無限の宝庫から叡知が地上へ注がれたのです。
その一連の系譜の中の最後を飾ったのがイエスと呼ばれた人物です。
地上の人間はイエスの真実の使命についてはほとんど知りません。わずかながら伝えられている記録も汚染されています。数々の出来ごとも、ありのままに記述されておりません。増え続けるイエスの信奉者を権力者の都合のよい方へ誘導するために、教会や国家の政策上の必要性に合わせた捏造と改ざんが施され、神話と民話を適当に取り入れることをしました。
イエスは (神ではなく) 人間でした。物理的心霊現象を支配している霊的法則に精通した大霊能者でした。」
【真の宗教とは】
「われわれに反抗する大きな勢力がまだまだ存在することを忘れてはなりません。その中でも特に警戒を要するのがキリスト教会と言う宗教のプロが有する既得の権力です。彼らはそれを振りかざしてわれわれの使命を阻止せんとすることでしょう。彼らにはもはや何ら新しい恩恵は持ち合わせないのです。持ちだすものと言えばカビの生えたような古い教説ばかりです。彼らのは身は今の世にあっても精神は古き時代に生活し、その過去の栄光を現代に甦らせようとします。今の彼らには他に何の持ち合わせもないからです。教会堂はもはや倒れかけた墓の如く陰うつな空虚さに満ち、およそ神の霊の宿るところでは無くなっております。
古い時代に霊の道具である霊媒と聖職者との間に衝突が生じたのです。聖職者の本来の仕事は聖堂や教会等、宗教的行事の取り行われる建物の管理でした。原初形態においては両者の関係はうまく行っておりました。が、ある時代から聖職者の方が神示を受ける霊媒にばかりに関心が向けられることを不愉快に思い始めました。そしてそれまでに入手した神示を資料として、信条、儀式、祭礼、ドグマ、教説などを分類して綱領を作るという、いわゆる神学的操作を始めたのです。何やら難しい言説を有難く信奉し、理性的に考えれば絶対におかしいと思いつつもなおそれにしがみつきます。
人のために役立つ行為、霊性に動かされた行為、無私と利他的行為、自分より恵まれない人へ手を差しのべること、弱き者へ力を貸してあげること、多くの重荷に喘ぐ人の荷を一つでも持ってあげること───これが私たちの説く宗教です。
ラベルはどうでもよいのです。形式はどうでもよいのです。口先だけの文句はどうでもよいのです。大切なのは〝行い〟です。〝行為〟です。つまり各人の毎日の〝生活〟そのものです。」
天理教は完全にキリスト教の轍を踏んでいますね。正善さんはキリスト教からノウハウを学んだかのようにさえ思います。
これで私の天理教の教義や組織に対する不快感の理由が明確になりました。
大川隆法は、天理王命は天御中主神だと言っております。
斎藤一人さんが「俺に知恵を授けてくれて色んなことができるようにしてくれる神様って、何ていうお名前ですか?って聞いたことがあるの。そしたら神様が『アメノミナカヌシ』っつったの。」
私は斎藤一人さんのお話をyoutubeで聞いたりするのですが、親神様・教祖からのお話だと思って聞いてます。すごく納得がいきます。
これを知った以上、信者さん(少ないし身内しかいませんですけど)には、古い教会長様が仰っていたように「二刀流」でうまく使い分けて通るしかありません。
私の個人的意見を申し上げて申し訳ございません。
天理教勤務者 様
「天理教勤務」というのがどのような場所や役職を担っているかは不明ですし、確かめようもないことですが、もし本部で何らかの仕事をしている方なら、是非とも「ご意見やお考え」を書き込んで頂きたいと考えます。
別に、暴露話や内部告発をして欲しいというわけではありません。
様々な立場の方のご意見や考えを知りたいのです。
よろしくお願いします。
天理の霊能者 様。
スナフキン様。
神は天理限定で現れているものではありません。世界中の人に入り込んで教えを説いています。
天理教では、残念ながら本部中枢に入り込んでおられるようには思えません。
むしろ、末端教会や信者さんに入り込まれている場合もあるかもしれません。
不思議を見た人も多くいます。
「めいめいの社」と言われているように、それぞれに入り込まれる可能性もあるかもしれません。
天理教勤務者様
本部内の腐れ体質は、いつか改善されなければなりません。そんな時がきっとくるでしょう。
古い教会長様
お返事ありがとうございます。繋がれたことに嬉しく感謝します。
古い会長様より「めいめいの社」と言って頂いて、早速調べてみましたところ、「半牧之御筆先之歌」にヒットしました。これもまた良い勉強になりました。ありがとうございます。
斎藤一人さんのお話を書きます。非常に天理に適っていると思います。
「俺ここんところテレビ見てて苦しいんだよ。もうじき地震が来る津波が来る。直下型の地震が来た時には3分以内に津波が来るって揺れている間に逃げて下さいってどこに逃げるんだよ。あんな恐怖なことばっかり言われると明るく生きれないよ。地震が来ないんじゃないんだよ、地震が来ても大丈夫だっていう波動を出してた時、震度7が震度6になったりするんだよ。恐怖の波動というのは恐怖のことを呼び寄せるんだよ。だから今みたく恐怖を煽るような事ばっかし言ってたらおかしいんだよ。東北の津波なんか1000年に1回しかこないのをね、明日くるような事ばっかし言ってたら、本当に来るからやめなって。恐怖の波動は恐怖を呼ぶの。」
「豊かになって、安心の波動を出せるようになろう。豊かは悪いことじゃないの。お洒落も良いの。男が女にモテたいのも当たり前なの。神がつけてくれたの。神がつけてくれたものを否定するのは神を否定するのと同じなの。(中略)正当な欲はいいんだよ。正当な欲までいけないっつてたら絶対に金持ちになれないよ。人のものを取ってくるんじゃないんだよ、自分が働いて物買って何が悪いの?日本ってさ、半分税金なんだよ。自分で働いたのが半分税金で取られるんだよ。働かない奴の方がエゴなんだよ。働いてお洒落して楽しんで何いけないの?そんなこと言う神様聞いたことないよ俺。俺についてる神様はそんなこと言わない。」
より豊かで楽しくあるために、闘うとしたら、支配欲と闘う必要があるのかもしれない。
宗教を利用した支配欲。内なる大社高山こそ敵なのかもしれませんね。
かしものかりものを意識して感謝を深めても、かしものかりものの理を支配欲に利用する宗教家には注意が必要なのかもしれません。
スナフキン 様
閃きが起こるなんて、すばらしいですね。50代元信者様も、いろいろ感じる方のようですが、スナフキンさんも、神様の思いをキャッチされてるんでしょうね。神様は、あらゆる人々に啓示をもたらしてるのだけど、それを感じ取れる特別の方たちが、宗教の教祖になったりするとのことです。
斉藤一人さんは、教組になってもおかしくない方のようですね。他にも、そのように、自分自身のお社に神様を臨在させておられる方、結構おられるようですね。
今の時代は、本やネットで広く発信できますから、もう宗教団体を創る必要もない時代に入ったのでしょう。
斉藤一人さんのお言葉の
>豊かになって、安心の波動を出せるようになろう。豊かは悪いことじゃないの。・・・。神がつけてくれたの。神がつけてくれたものを否定するのは神を否定するのと同じなの。(中略)正当な欲はいいんだよ。・・・働かない奴の方がエゴなんだよ。働いてお洒落して楽しんで何いけないの?そんなこと言う神様聞いたことないよ俺。俺についてる神様はそんなこと言わない。
教団本部が教える「貧に落ち切れ」という言葉に比べて、何と温かい、愛情あふれるお言葉でしょう。こちらの方こそ、「神様のお言葉」だと、誰が読んでもそのように感じるでしょう。
さっちん 様
コメント嬉しいです。ありがとうございます。感謝します。
私の閃きは、閃きなのか妄想なのか分からない所もあるんですけどね(笑)
また斎藤一人さんのお話を載せます。とても勇気を頂けます。
「人間って万物の霊長だから、毒蛇にできるぐらいのことは、実はできるんです。
それで、ケンカなんかしたりして、ののしりあってるときって、言葉に毒があるんです。この怒ってるときの息を圧縮して調べると、とんでもない毒性がある。注射すると、人間がイチコロで死んじゃうくらいの毒を吐くの。
だから、夫婦でののしりあったりすると、家の中が毒で充満するの。そうすると、それを子どもが、自分で吸って部屋を浄化しようとする。それだけで、子どもがアトピーになっちゃったり、ぜんそくになっちゃうこともあるの。
うちの旦那が嫌んなっちゃってね、どうのこうのって。…別れちゃいな。
子どものために我慢してるって、言いながら我慢してるんだったら、別れちゃいな。
別れることよりも、その愚痴を言ってることの方が悪いの。別れたって幸せになる人はいくらでもいるけど、その愚痴を聞かされながら、健康になる子どもとか、幸せになる人って、いないんだよ。」
>天理の霊能者 様
>より豊かで楽しくあるために、闘うとしたら、支配欲と闘う必要があるのかもしれない。
>宗教を利用した支配欲。内なる大社高山こそ敵なのかもしれませんね。
>かしものかりものを意識して感謝を深めても、かしものかりものの理を支配欲に利用する宗教家には注意が必要なのかもしれません。
教祖様の教えは全て「内在する自分の心」との葛藤と戦いかと思います。
そして、同じ葛藤と戦いを続ける者同士で「こう」を結び、その輪を広げることで豊かな陽気ぐらしの世を建設することが出来るのだと思案します。
たとえ教祖様の教えに導いてくれた理の親であっても、理の親自身が「内在する自分の心」との葛藤と戦いをせず、理の子を支配し金を毟り取ろうとしている現状の天理教会組織では、「こう」を結ぶ相手ではありません。
スナフキン様
スナフキンさんのような経歴をお持ちの方なら、斎藤一人さんのお話もちょっと聞いてみようかなと思われるかもしれませんね。私も天理教の人には一人さんがおすすめです。
「俺は精神論者じゃなくて感情論者」という話、とても好きです。
天理の霊能者様
初代真柱様の生まれ変わりって何人もいらして、どなたが本当なのでしょう。
ま、神様は過去を忘れて生まれ変わらせてくださっているのだから、今を見たらいいですね。
さっちん様
私は霊能力はないです。ただ何となく導かれていると強く感じているだけで、隣人を愛し、ご縁を大切にしていけば、誰もが本来感じ取れるものだと思っています。
いろいろ書き連ねてきましたが、秋季大祭が一区切りだったようです。日照りの毎日に雨が降ったかのように体が緩み始め、ちょっと風邪をひいてしまい完璧にトーンダウンです。
二代真柱氏の暴露話は私にはちょっときつかったです。吐きそうでした(トラウマかな)
私の母も修養科を出てから不倫したのですが(最終的な関係まではいってないと申しておりますが、私は幼い頃男との密会現場に連れてかれていました。だから不倫と聞いただけでダメなんです)、以前所属していた教会の会長も会長になる前に不倫(女性の会長です)、その連れ合いも不倫。そして教会長夫妻は離婚。一人息子もその後不倫、そしてその連れ合いもその後不倫。そして息子夫婦も離婚。教会の跡継ぎであるその息子は今の私より若くして身情にて血を吐きながら壮絶な死をとげました。離婚は必ずしも悪いことだとは思いません、でも全員が不倫ってどう思います?
こういう教会でも名称の理とやらをいただいてずっと教会を続けているのです。私はあまりの酷さに会長や息子に何度か直訴したのですが、逆に叱られて帰りました。それが理由で教会から離れたわけではありせんが、自然と離れるようになりますよね。教会の数を増やそうとして誰彼かまわず教会長にしてしまった上級の責任は重大なのでしょう。この上級教会ではお嬢さんが自殺されております。こういう人たちがどうやって人助けをするのでしょう。私が所属していた教会の信者さんたちは、一軒を除いて全員お嫁さんが若くしてお亡くなりになっています。そうでない一軒の家というのは役員さんの家ですが、会長に対して厳しく意見を言うお宅です。
信者の時は教会長にビシバシ意見をいうなんて、なんと恐ろしいと思っておりましたが、それが正しい生き方だったんですね。ようやくわかりました。
天理教は都合の悪い事は貝の様に口を噤んでしまいますが、《私は貝になりたい》と言う有名な映画がありますが、この映画をバカにしてますね。もっと言うと、こう云う生き様の人達を馬鹿にしてますね。
このサイトって不思議なサイトですね。
まず、運営者のプロフィールが書かれてません。
過去ログ辿ってやっとカインさんと分かりました。
カインといえばキリスト教のカインとアベル
天理教とは、何ら関係はありません
老人の暇つぶし程度のサイトでしょう。社会学とも言えません。
腐敗し切った新興宗教に未来なぞ有りません。
嫌なら辞めたらよろしい。宗教の自由は憲法でも認められています。
それなのに天理教の役員達の行いは嫌いだけど、元の教えは好きだなんて私から見れば矛盾しすぎです。
古臭い泥海物語 ドジョウがどうしたこうたら 中山みきは 一種のパラノイアだったとする説もあります。
あんなのは妄想にしかあり得ません。奇跡の惑星 地球 46億年の歴史の果て 我々人類は誕生しました。
ネットで喚いていても 何の解決にもなりません。本部に乗り込んでデモやるか 静かに立ち去るか その
二つしかないと思います。はぐれ雲さんのいた頃は楽しかったですがね、私も本日を持ってロムも投稿も
辞めにします。以上
呪縛改自由の翼様
あなたが、天理教に対して、どういう考えを持とうと自由で、この投稿欄を去る、というのもご自由ですが、カインさんのネームやブログのこととか、他の投稿者の意見を、腐すようなことを書く必要がなぜあるのでしょうか?
捨て台詞のような投稿は、他の投稿者を不愉快にさせます。
嫌なら黙ってここを去れば宜しいのです。
>以前所属していた教会の会長も会長になる前に不倫(女性の会長です)、その連れ合いも不倫。そして教会長夫妻は離婚。一人息子もその後不倫、そしてその連れ合いもその後不倫。そして息子夫婦も離婚。教会の跡継ぎであるその息子は今の私より若くして身情にて血を吐きながら壮絶な死をとげました。離婚は必ずしも悪いことだとは思いません、でも全員が不倫ってどう思います?
・・・・・・・・・
この上級教会ではお嬢さんが自殺されております。こういう人たちがどうやって人助けをするのでしょう。私が所属していた教会の信者さんたちは、一軒を除いて全員お嫁さんが若くしてお亡くなりになっています。
ヒェ~~、怖い話ですね。二代真柱の行状にはウンザリでしたが、その全員不倫という教会の話は、それこそ非常い怖い。因縁が悪い、〇情因縁ということなんでしょうか。因縁話の好きな教会長だったら、飛びつきそうな話ですね。
私は因縁話は嫌いなんですよね。人間として生まれてくるということは、誰しも因縁を持ってるからで、因縁が無ければこの世に生まれて来ない、と、仏教関係か、スピリチュアルの本かで、読んだことがあります。だからそんなことをいちいち気にする必要はない、気にするから返ってドツボにはまる、と思ってるんですけども
親様は、「案じれば案じる理が廻る」と仰られてるし、斎藤一人さんの「波動」というお話からしても、概ねそう思ってても間違いではないと思いますね。
わかりました! そお教会の方達は、「不倫の波動」を出してた、ということですね。なるほど。
しかし、名前だけの教会を無理に存在させて、その不倫教会のように、返って周りに悪い影響を与え、ひいては神様、教祖の名を貶めているような教会は、上級や、大教会、最終的に本部と、上がきちんと監督責任を負わねばなりませんね。
天理教は、「理の流れ」とか、「理の親」とか、そういうことはしつこく言うが、社会的に当然のことは、疎いのか無責任なのか、我関せずらしい。ほんとに矛盾した、つまり、上の都合の、身勝手な組織です。
神の啓示が教祖に天下ってから約180年の歳月が流れた訳です。その最初の70年間は啓示者の言葉を聞きながら教会本部地場は運営されていたわけです。時代が進めば進むほど、人口が増えれば増えるほど、教祖本席様のような偉人達が必要な世界であると感じます。
御神楽歌はそれを示唆していると感じますし、元の理の道具衆の話も同じです。
こかん様も初代真柱も他道具衆と言われた方々の生まれ変わりを主張する人達が、分派を含めたお道に繋がる人達には大勢いらっしゃいます。
たぶんどなたかが本当で、他は勘違いなのでしょう。
人様の過去生がわかる人物が複数登場するしか、この問題は解決しないでしょう。
その構造こそお地場の大前提だったのだろうと思いますし、早晩そのような方々が登場されるだろうと感じます。
われわれは、森羅万象に神の大御心を感じ、感謝の心を深めておけば、このお地場の問題は親神が解決してくれるだろうと思います。
ただ云える事は、天啓者不在の本部は、罪の方が多いのかなと感じます。
ユーミン見てます?
天理の霊能者 様
ちょっと疑問がありますので、質問させてください。
>こかん様も初代真柱も他道具衆と言われた方々の生まれ変わりを主張する人達
道具衆とか十全の神様とか言うと、何か人格を持った「尊い存在」のように思われて、その魂の生まれ変わりの人がいる、などと考えてしまう人も多いのでしょうが、元の理を素直に読むと「生まれ変わる存在ではない」としか解釈できないのですけどね。生物の「タネ」は全てドジョウだ、と言っているのにですよ。
道具は道具でしかなく、守護の理は法則のようなものですから、言い換えれば『「トンカチ」や「万有引力の法則」の生まれ変わり』と言ってるようなものです。
本部は、どうしてこんな奇妙な解釈をするのでしょう?
単なる「権威付け」「自尊心の発揚」「詐欺商法の仕込み」でしょうか?
それならそれで、納得できるのですが。
>人様の過去生がわかる人物が複数登場する
仮に、誰かが「私は人様の過去生がわかる」と言ったとします。
他の人には、その人が「本当に分かる」のか「嘘をついている」のか判断できないんですよね。
他の人からは、その人の言う事を「信じられるかどうか」という問題になります。
だから、複数登場しようがしなかろうが、解決しないと思いますよ。
これは、「神の言うことを伝えている」とか「過去に亡くなった人の霊を呼び出せる」なんて主張する人についても同じなんですね。
で、失礼ながら、天理の霊能者様は、「霊能者」と名乗っていますがどのような「力」をお持ちなんですか?
呪縛改自由の翼様
ここは、天理教の被害の実態が語られている場所だと思うのです。貧に落ちきれとの信仰の根幹に関わるような偽の言葉を何のためらいもなく流布して、年祭のお供えのために、65歳の年金受給年齢を待たずに繰り上げ減額受給迄してお供えを続けた人。1961年11月の国民年金が実施された時点で、掛け金を払う年齢を過ぎてていたために、障害福祉年金を受給していた方が、これも親神様のお陰だと吹き込まれて年金額の半分をお供えしていた人など、数えれば切りの無いほどの人たちがあったとことではないですか。お供えをするかしないかの判断は最終的に個々人がするものですが、小さいころから「貧に落ちきれ」と刷り込まれた誤った教理によって被害を受けてしまった実態に目を向けてくださいと云っているのです。
教団本部や教会を維持管理するためには、最小限の経費は必要でしょう。しかし、二代真柱が昭和38年前後に年に2億円もの古書購入費を使ったとか、天理高校二部生の女性をキャディ代わりに連れまわして、奈良国際ゴルフクラブで遊んでいたとの話を聞くと、腹が立たない方がおかしいんじゃないですか。
お金が余れば、もうこれ以上のお供えは要らないから教会の補修に使うようにとか、しばらくはお供えを控えてくださいとかいうのが親心というものではないですか。
そのような親心のかけらもないような天理教は信仰してはいけないということだけです。このブログは多くの人が見ておられると思うから、そのことを言いたいだけのことですよ。
そして、多くの皆さんは教祖の説かれた真の教えを求めておられるのです。
>ネットで喚いていても 何の解決にもなりません。本部に乗り込んでデモやるか 静かに立ち去るか その
二つしかないと思います。
と呪縛改自由の翼さんが書き込んでいますが、「本部に乗り込んでデモやるか 静かに立ち去る」これで解決になると思っておられるのですか?
本部の思うつぼです。どうも、本部の回し者ですね。
また「本日を持ってロムも投稿も辞めにします。」とのこと・・・結構な事です。
こう来ないで下さい。でも又ハンドルネーム変えて、本部的な事を書き込むのでしょうね。
我々の本体が神の分け御霊、神の子、永遠の魂である事は信じるかどうかの問題でしょう。
ドジョウ´と呼ばれた、どんな原始生物であっても、魂+身体、すなわち生命体があったという事でしょう。
生命現象、魂と身体を結ぶ働き、生命の発現は永遠の謎ですが、かしものかりもの、本体は魂であるという教えは信じます。
飲み食い出入りの働きだけが付加されたドジョウ´、例えば小さなミミズ´の様な生命体が現れ、現在の人間身体へと進化してきたとしても、その進化の発動の意味は今だ謎です。
生命の発現も進化の発動も神が目指すにんげん´を実現する為になしていると教えられているように思います。
現在の人間もその過程にあるのでしょう。
お筆先には、この身体の働きの属性の一つ一つの実験に使われた魂があると書かれているように思います。
個人的には、そのミミズ´のご苦労に対して拝をしている訳ではなく、そのミミズ´に使われた、人類の進化の頂点付近にある魂が、教祖の様な、よろずたすけの現象とその現象を噴出させるだけの磨きあがる事に対して拝をしたいと思っています。例えばたとえ道具衆の魂達が支配欲とエゴに汚れるなら、世界は治まらないし、個人的には軽蔑し、シカトして通るしかありません。
けれども個々人のこの身体を含め、この世は神の身体であって、我々永遠の魂は、永遠に神の無限のかりものを借りて、生かされており、その神は人間可愛い一条で働いているのだから、身の内はじめ森羅万象に親なる神への感謝と安心感をより深められるよう、八つの癖性分を払って、少しでも魂の進化の先頭にあられる教祖の精神に近ずかせてもらうのが、永遠の人生街道の根本的目的だと考えます。
現在の天理教本部員達が、宗教を利用した支配欲に汚染されているとしても、世界が進化を続ける限り、いつかは教祖の様な、不思議なご人格と救済能力を発揮するような方々が、現れ続けるお地場になると信じます。
魂の自覚と森羅万象にたいする感謝の中に、この身上の諸機能諸現象が含まれる事は当然ですが、人類の精神の進化に貢献してきた魂、(例えばこれまでの宗教祖達)偉人さん達の働きにも感謝したいと思います。
教組の過去生のどこかに卑弥呼であった頃があるかどうかは知りませんが、道具衆達の魂は、そんな過去生があったのかな?とも想像します。人類の精神を進化変容させる宗教的な偉人超人は、その在世時は、我々凡夫からは、変人とか狂人とかカルトとか突然変異とかのレッテルを張られながら、苦労の人生を歩まれたのだろうけれど、後の世には、神として拝をされるようになるのかもしれません。お地場とは本来そのような魂が引き寄せられる親里なのだろうと書かれているように思います。
日本国内でさえ、麻原某や大川某に限らず様々な変態的な宗教運動や、自称霊能者や霊媒者なども無数にいらっしゃる訳です。
神霊次元でも世界の大混乱期とも言える訳ですが、「この世治める道、最後の教え」なのならば、未来のお地場はこのような現象に対しても、答えを出して戴けるのだろうと思います。
>「権威付け」「自尊心の発揚」「詐欺商法の仕込み」
に組して自他共の、尊い今世を無駄にしたくはありませんし、不健康な人生も不足心の多い人達との付き合いも御免ですが、教祖の残したお地場と、失礼ながら、それに連なる方々の動向に興味が尽きません。
若かりし時期に教祖の御事跡巡りと、(教祖とお地場を否定しない人達の)神秘家巡りをした事があります。いろいろな不思議な現象を目の当たりにしましたが、多くの皆様が、かしものかりもの、心通りの守護というキーワードを元手にお話しをされる訳です。そのご神言そのものにも力があるのでしょう。
ある神秘家の力を借りて、身上平癒を祈ると不思議に健康回復のご守護を戴いたことが幾度かありますし、その方のお力をお借りして未来予知を試した事がありますが、これも恐ろしい程の確立でした。
それでもやはり、過去生を見れるような方々が永遠に複数存在しなければ、未来永劫この世を優しく健康に治めてゆく事は不可能だろうし、そして神の想いのお地場とは本来そんなところだろうという事です。
ハンドルネールにも使われていますが、「天理の霊能者」豊島泰國著←これはかなりの良書だと思います。教内の多くの方に、特にここに来られている方は是非一読されることをお薦め致します。単に天理教を批判する内容ではなく、悪意のない立場であまり語り継がれていない史実が詳細にまとめられています。貴重な画像も多々ありますので、見るだけでも楽しめますよー。ただ、「とめ筆」云々の記述の真相は眉唾ものであり何とも言えませんが…もし実際にあるのであれば多くの方で検証されるべきだとは思います。
この本だけではなくいろいろと調べていくと、やはり腐敗の原因は教会本部制度にあると思いますね。あれほど教祖は「ならん」と仰っていたことが、現身を隠されてから、あれよあれよと認可に至る当時の流れにはどうしても違和感を感じます。きっと教祖にはいずれこうなることが見えていたんだろうと思います。お供えは教祖ひながたのように教会にするのではなく、実際に実社会で困ってる方に施すことが本来あるべき姿なのかもしれません。宗教を家業にしてはいけないということです。キリスト教も然りです。
https://www.youtube.com/watch?v=wDFiwAh_Ikc
少し長い動画ですが、時間を作って是非見て下さい。お道の改革へのヒントが満載です。
海外より さま
ハッキリ言って、お道の改革は無理です。立教から179年、教祖存命中はまだしも、初代真柱以降は、遣ること成すことがもう滅茶苦茶。
天理教の紋所を中山家の紋から教祖の赤衣の紋である菊にすら変更できないのですから。
ただ、仰っている「天理の霊能者」豊島泰國著は即購入しました。
呪縛改自由の翼 様
>古臭い泥海物語 ドジョウがどうしたこうたら・・・
随分以前のことですが、テレビで京都大学の教授が「人間の顎にはエラの形跡が残っています」と語っておられたのを見たことがあります。人間の祖先があながちドジョウだったのかも知れません。人間の皮膚は魚の皮膚に近いという話も聞いたことがあります。泥海の中の生物が46億年の年月を経て人間が生まれたのでしょう。その生物がドジョウだったのか、それとも、泥海の中の生物を総称してドジョウと表現したのかは定かではありませんが。
天理の霊能者 様
長々と書いて頂いたのですが、正直、何が言いたいのかよく理解できません。
私が読んで理解できた分を纏めさせて頂くと、
「生命誕生から人間まで成長させてくれた、有り難い親神の思し召しには感謝の念が絶えない。」
「世の中には神秘家や不思議な力を使える人が大勢いるし、そういう人が誕生し続けるのが『お地場』だから、その人達に世界を救って貰おう」
という事でよろしいでしょうか?
要約すると、
①各々が永遠の魂なのだから、進化・生命現象含め、森羅万象は親なる神の身体、神の守護なのだから、感謝の心を深めるのが信心の基本ですよ。
②お地場とは最高度に進化・成人した魂達が、たすけ一条の仕事をするところですよ。
③その最高度に進化・成人した魂達の救け一条現象とは、超常現象をも含みますよ。
とご神言からは、読み取れます。という事ですね。
匿名A 様
早速購入していただいようで嬉しく思います。(著者でも出版社の者でもありませんが。笑)
内容は教祖のご在世当時の雰囲気が生々しく伝わってきますし、どうして本部が本席様以降、天啓者を失ってしまったのか、その背景が良くわかります。国家権力(または高弟個々の権威欲)に屈し、大事な天啓の御教えを曲げてしまう本部の姿勢を批判し、逆に異端として断罪されてしまった方々の方が、むしろ忠実に教祖の教えを守り抜こうとしていたのかもしれないということもわかります。特に北大教会系の茨木基敬氏の一件は本当に残念でなりません。神紋である月日の紋、十二弁の菊の紋の作成手伝いを教祖から許された平安大教会系の飯田岩治郎氏も最終的に懲戒免職。それまでの功績等は一切無視し、神懸かった人は全て排除していく本部の姿勢にはホント呆れます。
個人的には改革が無理とは思っていません。179年経ったからこそ出来ることもあると思います。
やるべきと考える人がそれぞれで動いていけばいいと思うんです。今の時代、昔と違って情報を求めればいくらでも集められます。わかった人が声を上げていくことで変わってくると思うんです。谷底競り上がりで、むしろ中枢に居て利権にしがみついて甘い汁を吸ってる人達をおたすけするくらいの気持ちでもいいかもしれません。天の定規に狂い無しで(それは出直した後かもしれませんが)、必ずそういう人はそれなりのことが本人に返って来ると思うんです。最終的には自分と神様、自分と教祖でしかないと思います。
天理の霊能者 様
要約有難うございます。
① 仮に「魂は同じで肉体が何度も生まれ変わる」としても、各々に過去生の記憶が無いのならば、生まれ変わったかどうか、知る術がありませんよね?
他人の言う事は「信じられるかどうか」の状態なんですから証明になりませんよね。
② たすけ一条の仕事とは、具体的に「どういう人」を「どのようにする」と読み取っていらっしゃいますか?
③ どのような神言(箴言?)から「超常現象をも含む」と読み取れるのでしょうか?
宜しくお願いします。
④お筆先は教祖を含む道具衆の魂をお持ちの方々が救け一条のお地場を確立される物語りとして、彼らの自己証明の道でもあった、と読み取れます。(それが現在実現されているかどうかは別として)
⑤神の啓示を伝えるほどにまで磨かれて、神として拝をされる天命を授かった魂の方々だったのではないでしょうか。(そこに超常的な救け現象も含まれるんでしょう)と読み取れます。
末端教会子弟様の教会ではお筆先とか御神楽歌をどのように扱われているのでしょうか? お地場の確立を含めた主題は全体を通し読みされて、ご自分で読み取って下さい。
天理の霊能者 様
>④お筆先は教祖を含む道具衆の魂をお持ちの方々が救け一条のお地場を確立される物語りとして、彼らの自己証明の道でもあった、と読み取れます。
教祖様が「違いあるなら歌で知らする」といって残された「おふでさき」ですからね。
「おふでさき」の書かれた時代背景と中山家や周辺の出来事を考慮してますが、あまり事実や事件などは知る術がないので、逆に、「おふでさきの文言」から当時の事件や出来事を推測して、その意味を解釈させていただいています。
「ちがいあるならうたでしらする」という言葉からすれば、「おふでさき」は教祖様の教えの「補足説明、傍な者へのお仕込み、叱咤激励」という解釈が自然かと思われます。
元の理も、「教祖様が良しと言わなかった泥海古記」を基にしてる事から、完璧ではないと留意しつつ教祖様の教えと照らし合わせて解釈するしかありません。
唯一「みかぐらうた」の意味と内容が教祖の教えの「信者が身に付けるべき基本(=陽気づくめの世の建設、ひとだすけの道)」と理解できます。
『「ふしぎなたすけ」に「超常的なたすけ」が含まれる』という解釈が不思議です。
今の天理教に「超常的なたすけ」が出来る人がいますか?
真柱を芯にすえる現天理教は、教祖の教えから大きく逸脱しており、信者さん達、部下教会長さん達を、自分達の金集めに利用する為に歪曲捏造した偽教義で粉飾した紛い物といえます。
社会学研究所さんのコメントに、かつて、「天啓のゆくえ」という著書、そして「異端」ということについて書かれてありましたが、教団から去って行った異端とされた人々は、自らの方をこそ正統とみなしている、只、解釈の違いであり、異端とみなされたのは、力関係に過ぎないとも言える、というようなことでしたが。
現天理教の改革は期待できそうもないですし、教団からは離れるのが一番被害が少ないことと思いますが、いろんなしがらみで、今、組織を離れることが出来ない状況にあったとしても、我々も、現天理教こそ異端とみなし、現天理教を頼らず、自ら教祖の教えを理解し、自らを正統と自負し、上の間違った要求は、拒否する(やり方は剛柔それぞれですが)ことが肝要と思われます。
2016年10月29日 9:09 PMの匿名 様
>天理教は都合の悪い事は貝の様に口を噤んでしまいますが、・・・・・。
それはそうですよ。ずっと昔、教会長資格検定講習という講習を受講した時のことです。講師の名前は忘れましたが、くだんの講師曰く「天理教は成層圏を悠々と飛んでいるが、〇〇学会は低空すれすれ、いつ不時着するかわからない状態。比較するのもおこがましい、だと宣った。
何をお高く留まっているのですか。今や立場は完全に逆転していますよ。(私は〇〇学会員ではありません、念のため)
なのに、未だにお高く留まっているのか。それとも一言でも反論すれば、それに対する反論が10倍にも、100倍にも、いやそれ以上になって帰って来るのを恐れているのかのどちらかでしょう。
どっちに転んでも悪く言われる。貧すれば鈍するとはこのことではないですか。
FBの投稿です。
こんな事、投稿すべきじゃないかも知れませんが。
友達の女の子が妊娠したんです。
相手の男、認知したくないと、逃げてます。それも教会長の息子!!
そこの家族みんなが無かった事にと!!
女の子…………………….9週目に入り、不安で不安で。
昨日、その子から泣きながら連絡があり。
新しい生命。出直してたそうです。
なんやろ。いつの時代も女性が弱者。
男が女を守らないでどないするねん!!
なんで同じ信仰しているお道の子に
あんな男がいるねん!!!
愚痴になりましたが、その男も、その家族も信じられない…
昨日、ゆうづとめ後、バッタリとその男に会い、それもちがう女の子を連れて。
呆れ返って。
僕が何も知らないと思ったらしく、
〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと喋ってきたので、
思わず、近づくな!お前は何をしている?
お前はほんまに男か?と、言ってしまい、怒りがおさまらず、
殴りそうになりましたが。
相方が居てたので手を止めました。
ため息しかでませんでした。
しょーもない投稿すいません。
投稿してみなさんの意見も聞きたくて。
宗教上ふさわしくない投稿になると思いますので、
その内消しますね。
(世間では、よくある話かも知れませんが、教会の息子と教会家族であることが問題だ。)
私がまだ二十歳のころに次の話を聞きました。
当時は、天理高校二部生の勤務先に「詰所勤務」と呼ばれる制度がありました。昼間は詰所の仕事をして二部に通うのです。同じ詰所に大教会役員の子女が天理高校一部生として住んでいました。この子女は大教会長の縁者で気ままな娘だったそうです。
学校に居るときに雨が降り出せば、この二部生に傘を持ってくるように詰所主任を通じて命じるのです。そればかりか、少し疲れたからと下校時に自転車で迎えに来いとか。まるで召使いそのものだったそうです。
かわいそうに、くだんの二部生は傘を届けるやいなや、自転車で詰所にとって帰り、夕食も食べずに、今度は徒歩で小走りに登校したと語っていました。学校に着いても空腹で勉強も上の空だったと悲しい思い出を語ってくれました。
この話からも分かる通り、また、古い教会長さんが仰る通り、天理教の教会制度は完全な封建社会の縮図そのものです。大教会クラスの人達は、自分たちは特権階級の頂点に居るような感覚の持ち主ばかりです。
以前、私はこの欄に、天理高校は一部を廃止して、二部のみにせよといった言った理由は、この話を聞いたからです。
教団幹部たちに、まともな人間感覚を求めること自体、全くのナンセンスという事実です。
>天理教の教会制度は完全な封建社会の縮図そのものです。大教会クラスの人達は、自分たちは特権階級の頂点に居るような感覚の持ち主ばかりです。
その狂った感覚が麻痺した代表が中山家だとしたら、救い難いね。
天 様
御意。怒りよりも悲しみです。今日まで熱心に信仰を貫き、今は老人施設に入居している叔母に、この話をする勇気は持ち合わせていません。
株式会社・天理教があるとは誰も知らなかった。別に構わないが、本部の人間は口と心と行いが一致すべきだ。
「貧に落ち切れ・・・」とばかり言わずに、各教会にも大いに経済活動を奨励してもいいかも。
大都市に五棟の賃貸ビルを所有している。 他に温泉や駐車場も経営している。
http://tokyotenrikyokan.co.jp/
株式会社 東京天理教館 資本金 410,500,000円 代表取締役 松田 嘉次 社員数 57名
今回の記事「知的劣化」は機関紙だけに見られるものではないです。
おふでさき、みかぐらうた、おさしずなどの三原典の解読が未だに完了していない有様
天理大学おやさと研究所が明確に動き研究を続けているのに、それを理解し適応しない本部組織の上層部が今明るみに成っています。
この状態は今に始まったことでなく、真柱体制が始まって以来のことでしょう。
つまり教理教義の私物化、自分たちの都合のいいように改竄している歴史があります。それが故意か不可抗力かを明確に追求する事がインターネット教徒の指名です。言いなりの時代は終わりました。
ネット時代以前もおかしいおかしいと思い離れた人、それでも残った人でしかないです。
その残った人達らが今このようにして、原点回帰、原典回帰すべく立ち上がっているのだと感動してます。
真柱体制でも問題は無いと思いますが、不可抗力でも教義書の無益な改竄はやめさせるべきです。
T
2016年11月22日 2:22 PM
(上級教会を敬え、目上を敬えは、朱子学的な考えでしょう。江戸末期の農婦の学問とは、儒学であり、孔子,孟子であり、蘭学ではありません)私は神の言葉を伝えた中山みきも、その時代のボキャブラリー、思想、法律の範囲内での言葉であり、現在では処理しきれない問題があっても当然であると思っています。その国を代表する宗教団体、宗教庁は、重大な見えない鍵をにぎっています。
上記の 事を おふでさき では から と表現してます。
参考
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000uz56d-att/GT185-Inoue.pdf
と天理おやさと研究所グローカル天理で井上昭雄先生が発表しています。
つまり国学者、本居宣長が提唱した 「やまと意と漢意」を知る事で実はそれを解読できるのです。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%84%8F
大和意
はかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ大和民族[1]古来の素直な態度に対して、
漢意
中国文明に特徴的であると宣長の考えた、物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。
しかし、おふでさき注釈 なども発売されていますがそれですら新しく書き換えていないのです。何か不都合があるのでしょうか? 再出版が資金的にあれなのか? それなら真柱からの発布 或いは 毎月の天理時報での連続広告でも何でもできるのにそれをしようとしない。
「知的劣化」は機関紙だけでなく、教義解読とそれを理解するものの少なさなのでしょうかね。
それを井上昭雄先生は、ふでとり学人 と表現しそれを急務と訴えている。正当性もあるに、資金的もそうかかるわけでないのにそれをしない本部はもう終焉と思いますね。
本当はカルトなのですか? と思わされる事態です。このまま続けば天理教教会本部は社会から抹殺されるでしょう。
匿名様
大変残念なことですが、本部はカルト以外何ものでもない感じですね。。。
教内から離れ、また日本を出て海外で長く生活していると痛切に感じます。
また教会本部が設置された当時のことを歴史的背景を踏まえて深く調べていくと、おかしなことが芋づる式にわかってきます。
おふでさきやおさしづの本格的な再研鑽がなされないのは、本当のことがわかってしまうと教会本部の存在や教会制度そのものを否定せざる負えなくなるからだと思います。
神意よりも保身。沈む船の上で保身したところで一緒に沈むだけなんですけどね。。。
おかしなことに気付いた人達で、教会や系統関係なく、有志で集まり平成の「講」を結んで研鑽していくべきなのかもしれません。
海外より
2016年11月22日 9:01 PM
ですよね。その昔それに気が付き公の場で言った者達が、本部から異端扱い。
しかし現在ではインターネットがありその情報の真偽性をはかる材料が揃います。
気が付いてる直属も結構多いようで、直属で出版する出版物ですら「検閲と改竄をさせる本部」いつの時代の官憲か?その昔、官憲などのお上を「から」と表現していたのに今度は本部が、「検閲と改竄を要求」これこそおふでさきの「から」です。
もう「本部=から」 で決定でよろしいでしょうね。
おふでさきの注釈などでは、高山などの表現も、お上と指すと言ってますが、
実は高山は「中山家とその親族」の事を指していると聞き、それで読むと納得がいくのです。
第2号46
高山のにほんのものととうぢんと
わけるもようこれもはしらや
この柱が、かんろだい あるいは 真柱 であるとか
「高山」の文言に関しては、おふでさき全般で見られますが、序盤からお上でなく、上層部や指導者と指してる注釈も出ています。
結局、代々続き形骸化してるのもありますが 海外よりさんのおっしゃるように「本席派:真柱派」で真柱派が主導権をとり、次期本席 上田ナライト を阻害してキチガイ扱いしたみたいですしね。
そのうち おふでさきから第2号46が消えたら笑います(笑) 不都合な文言が消えそのうち本部がおふでさきを発売禁止したりw みかぐらうた おさしず も発禁 本部終了w
なににせよ今の本部に、談じ合い をする度量も根性も無いでしょうからね。自滅していくのでしょうかね。
天理おやさと研究所は現代の本席なのでしょうか(笑)
匿名様
有難うございます。
確かにおふでさきは内々のことも説かれていますが、「高山」に関しては少し解釈が私と異なります。
一般常識とされていることからかなり逸脱してますので、怪しいヤツだと思われる覚悟で書きますね。笑
明治弐年よりおふでさき第一号が書かれますが、ポイントは明治維新(本来、明治革命と呼ぶべきでしょうが…)が起きてすぐ書かれているという点です。
明治維新とは何やら素晴らしいことであったように学校で教わりますが、様々な書籍やインターネットで調べていくと、単なる薩長の人間を使った日本の乗っ取りであったことがわかります。その薩長の後ろ盾が何だったかを調べるべきだと思います。悲しいことにそれからの日本は現在に至るまで、ずっと乗っ取られたままです。確信を得るまでは時間もかかりますし、大変な作業ですが、調べてみると面白いですよ。
そこでおふでさきです。
第二号 三十二
とうぢんがにほんのぢいに入りこんで
ままにするのが神の立腹
第三号 五十七
高山のしんのはしらハとうじんや
これが大一神の立腹
とあります。
ズバズバと本質が説かれていますので、弾圧を受けるのは当たり前ですね。
〉天理おやさと研究所グローカル天理で井上昭雄先生が発表しています。
〉つまり国学者、本居宣長が提唱した 「やまと意と漢意」を知る事で実はそれを解読できるのです
井上という人、ここのブロクのどこかに出ていた、三島神社移転の実働隊じゃないの。大丈夫?信用して。
私達夫婦は、市町村民税も課税されていない、いわゆる低所得者です。それでも教会長は月々の「お供え」をするのが、ご恩返しであり、まこと真実の表れであると力説される。
だったら教団本部のまこと真実とは何なんでしょう。大都会で収益ビルをもち、その他の収益事業を隠し持って、これ以上に何が必要なのですか。まこと真実の欠片も感じられない。
教団本部こそ、まこと真実の実態を見えるように全教信徒に示す時ではないか。現真柱の天理教用語の羅列の言葉は聞き飽きました。そろそろ天理時報の購読も止めるときが来たようだ。良い事も悪いことも事実を報道するのが、それこそ「時報」ではないのか。きれいごとばかり掲載していて感動を得られると思っているのであれば、大きな間違いだ。
続投で失礼します。
前の投稿の具体的な一例を言いますと、例えば、収益ビル5棟の収支の実態を天理時報に掲載できますかということです。
教信徒には関係が無いというのであれば、発行された株式はどのような経緯を持って発行され、どのような方が株主であるのかということです。知ったところでどうしようもないことですが、株主の一覧だけでも分かれば、天理教団本部の収益事業の一端だけでも分かるということです。
それとも、相変わらず、「寄らしむべし、知らしむべからず」ですか。
財団法人天理教が増えている ・何かおかしいぞ
(天理教社会学研究所 さんのツイート)
キーワード「財団法人天理教」 の検索結果 全 6 件
財団法人天理教水口大教会維持財団(法人番号:8160005002448)滋賀県 甲賀市
財団法人天理教湖東大教会維持財団(法人番号:4160005006361)滋賀県 東近江市
財団法人天理教河原町大教会維持財団(法人番号:1130005014279)京都府 京都市左京区
財団法人天理教郡山大教会維持財団(法人番号:7150005002532)奈良県 大和郡山市
財団法人天理教維持財団(法人番号:3150005003245)奈良県 天理市
一般財団法人天理教一れつ会(法人番号:3150005007997)奈良県 天理市
https://www.houjin.info/search/?name=%E8%B2%A1%E5%9B%A3%E6%B3%95%E4%BA%BA%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99&kind=&pref_name=&city_name=&address=
財団法人天理教水口大教会維持財団と財団法人天理教河原町大教会維持財団と財団法人天理教郡山大教会維持財団の法人番号指定はすべて2015年10月5日と同じ。なぜ?誰が号令をかけている?天理教本部だとしたら、本部の財産を分散させるため?それとも本部からクーデター離脱するための布石?
Yhoo知恵袋の質問と回答です。皆さんはどう思われますか?
ID非公開さん
2016/10/2020:59:56
天理教の分教会の教会長をしていた方が自殺しました。天理教では亡くなることを「出直し」と言いますが…やっぱり自殺をすることで人生をやり直そうとしたんでしょうか?
…前にも質問したのですが。まだ悩んでいます。
kurozumi_azumadaさん
2016/10/2022:53:24
こんばんは。
私はそうは思いません。
教会長という立場、教師(教人)という立場は、信者さんのお手本ともなるべき立場です。神様からの大切なお借りものである身上(身体)を人間の側の都合で勝手に処分することは本来許されないことであり、そのようなことをする人に神様が新たな身上をお貸し与えくださるとは思えないからです。
つまり、身上や事情を「道の花」として受け止めて「たんのう」せず、自殺という形でかりものを処分してしまう人には、新たな身上をお借りして「出直す」ことは許されないのではないかと思います。
言葉がきついかもしれませんが、亡くなられた教会長さんは精神的に耐えられなくなり、やむを得ず教えに反する行為をしてしまったのだと思います。
>言葉がきついかもしれませんが、亡くなられた教会長さんは精神的に耐えられなくなり、やむを得ず教えに反する
>行為をしてしまったのだと思います。
分教会長さんにどのような心身上の背景が有ったのかも問うも事なく、身上事情は道の花なんて言葉を使って人の死を簡単にかたずける回答者の神経が理解できません。これでは現行教団本部の本質丸出しです。
天理時報は、過去に如何ほどの教会長さんの自殺があったのかも報道していません。過去には大教会長さんが、こともあろうにおぢばにおいて自殺されたことがありました。それでも天理時報は報道していないはずです。今回、たまたま一人の分教会長さんの自殺をとらえて断罪する恐ろしさに、人間性の欠片も見い出すことが出来ません。
回答者は質問者に真摯に回答されたつもりでしょうが、私でしたら回答は出来ません。御霊の安からんことを祈るばかりです。
古い教会長 様
文章が乱れたことお詫びいたします。
真意をお汲み取り下さい。失礼します。
ちょっとお待ちください。
回答者のプロフィールをみて、書かれている一部を検索して一体何の宗教の方かと思いましたら
黒住教の教師さんですよ。
私は黒住教のこと全く存じ上げないのですが、同じような宗教用語を使われるのでしょうか。
この方のコメント辛すぎます。
古い教会長 2016年11月25日 8:35 PM様
私の中で古い教会長さんのイメージが少し変わりました。すこし、残念な気持ちです。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1149#comment-93954
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/kurozumi_azumada
これがベストアンサーの方のプロフィールです。
自己紹介 :
ある教派神道の教師です。
宗教カテを中心に利用させていただいております。
よろしくお願いします。
何事もありがたいにて世にすめば
むこうものごとありがたいなり(御文143号)
向こうことみなおかげぞと思いなば
ねてもさめても有り難きかな(御歌191号)
————————————————————————
この御文、御歌とやらを検索にかけますと、黒住教とわかります。
通りすがり さん。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1149#comment-93954
読みました。
でも、「財団法人天理教水口大教会維持財団と財団法人天理教河原町大教会維持財団と財団法人天理教郡山大教会維持財団の法人番号指定はすべて2015年10月5日と同じ日。・・」とカインさんが書いておられます。2015年10月5日というのは昨年ですよね。日付の間違いでしょうか?
何か動きがあるのかと思ってしまいます。
古い教会長様
2015年=平成27年10月5日 この日が「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」の施行日です(一番上の行)。一番下には、公表サイトの開設日として同じ日がしるされています。ご参考までに。
https://www.nta.go.jp/mynumberinfo/houjinbangou/schedule.htm
どうしても疑念が払しょくされない場合には、以下の作業を試みてください。2015年10月5日に、天理教的な意味がないことはすぐわかります。
https://www.nta.go.jp/mynumberinfo/houjinbangou/schedule.htm
の頁の一番下の、リンク(法人番号公表サイト)から入る。次のリンクでも同じ。この頁は古い教会長さんの法人infoの検索結果のもととなったデータベースです。たどっていくと同じところへ行きつきます。
http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/
ここで「法人の商号及び所在地」から探すのところ、部分一致検索にして「河原町」と入力、結果がそこそこ出てきます。天理教河原町大教会、維持財団は4ページ(31~40件目)に登場します。ここで、手当たり次第にほかの法人の登録日を見てください。10月5日ですよ。
ご参考までに。
現行の公益法人制度は、次の法律に基づいて成立しています。従いまして、単に、財団法人天理教水口大教会維持財団などの名称を有する法人は存在しません。必ず一般財団法人なり公益財団法人という名称が冠されます。
この根拠法令は次の通りです。この法律は、通常「公益三法」と呼んでいます。
■平成19年6月2日に次のいわゆる公益法人制度改革関連三法が公布されました。施行は平成20年12月が予定されています。
1 「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律」
(以下「一般社団・財団法人法」といいます。)
2 「公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律」
(以下「公益認定法」といいます。)
3「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」
(以下「整備法」といいます。)
ちなみに、天理教いちれつ会は、一般財団法人です。天理よろづ相談所病院は公益財団法人に認定されています。
また、例えば、財団法人天理教維持財団(法人番号:3150005003245)奈良県 天理市がどのような状態にあるかは、奈良地方法務局で、登記を閲覧することが出来ると思います。多分、登記は閉鎖登記となっているのではないでしょうか。
私が疑問に感じる点は、このような法人の動きが信徒に一切知らされなかったことの一点にあります。天理時報は何をしていたのかということです。
続投失礼します。
財団法人天理教維持財団(法人番号:3150005003245)奈良県 天理市が存在しない理由は、公益三法が施行されてから5年以内に、すなわち平成25年11月30日までに特例民法法人(旧法法人の呼称)は新法に.基づく法人に移行するか、または、移行出来ない場合は、決議解散をすることになります。決議解散をしなかった場合は、法施行から5年を経過した時点で主務官庁が法人の主たる住所地を管轄する法務局に対して、解散の登記を嘱託します。
解散後は、元理事等が清算人に選任されて清算事務を行い、遅くとも2年以内には清算を結了し、清算人が清算決了の登記を行って当該法人は存在しなくなります。
解散に至る経過や、清算決了に至る経過は、必ず議事録が作成されています。天理時報は、この議事録を公開すべきです。多分出来ないでしょうが。また、清算決了の登記は法務局に10年間保存されます。
匿名A 様
詳しい説明ありがとうございます。
「財団」で問題と思われるのは、その理事や評議員等の関係者が「どのような人達」で構成され、その収入や事業が「どのような所から得ているのか」だと思います。
一般であれ公益であれ財団法人から報酬を貰うことも経費を使うこともかなり自由が利くわけですから、宗教法人で集められたお供えを財団法人に寄付し、そこから報酬を貰うなり経費を使うなりしていたとしたら、「いかがなものだろうか?」という疑問です。
大教会といえども本部の被包括宗教法人ですから、その運営や人事等に本部の意向なり金銭的な上納なりは必要でしょう。不動産なども、いつ本部に召し上げられるか分かったものではありません。それを回避するために「財団法人」を作ったとしたら、やってることは「中山教の分家」みたいなものだと感じるわけです。
末端教会子弟 様
仰る通りですね。かなり以前でしたら公益法人は毎年決算を行い、議決を得た残余財産の額も登記事項でした。決算書に基づき登記する訳ですから1円たりともおろそかにできませんでした。
以前、公益法人の存在が問題視されていた頃は、事業計画書、事業報告書、予算書、決算書、役員名簿、社団法人にあっては社員(会員)名簿等は、何人でも閲覧できるように常に常備するように主務官庁の大臣名等で指導が有りました。なのに、当時、教団にこのような法人が有ることすら知らされていなかったわけですから、閲覧をするとかの以前の問題ですよね。、中山教の罪は重いですよね。
本願寺の維持財団のように問題が表面化しただけでも、まだ民主的だったのかも知れません。そういう意味からも天理教団は全くの伏魔殿と断言してもよいのではないでしょうか。
今に思えば、障害福祉年金の半分以上をお供えし続けていた母が哀れに思えてきます。
教祖の教えを日常生活に生かせるように、別の道を歩まなければなりません。
>Yhoo知恵袋の質問と回答です。皆さんはどう思われますか?
50代元信者様がお調べ頂いたように、回答者は「黒住教の兼任(兼業)教師」のようです。
私自身黒住教の教義などは分かりませんが、黒住教の教師が天理教の用語を使って何を頓珍漢なことを答えているのだろう、というのが正直な感想です。一応、「自殺はいけないことですよ」と言ってるので一見間違ってはいないように見えますが、天理教用語と解釈が滅茶苦茶です。
質問者の文章も天理教の信者か関係者にしてはかなり違和感があるので、もしかしたら「自作自演」なのかなとも思えます。
個人的解釈ですが、「みかぐらうたやおふでさき」を素直に読めば、「出直し」=「やり直し」ですし、「自殺してはいけない」とも書いてません。勿論「自殺してもいい」とも書いてませんから「どちらでもいい」のでしょう。教祖様の教えが「皆が陽気に暮らせる世界を作るために働きなさい」という事から考えれば、「皆が陽気に暮らせる世界になる保証があるのなら自殺も選択肢の一つ」と解釈します。
過去に自殺された教会長さんは過剰なお供えの要求や教会運営に絶望されての事と聞き及んでいます。
当然、これらは「陽気ぐらし」とは全く無縁の話なので、あくまで歪んだ組織の犠牲にされてしまった訳です。
自殺された方の心中察するに余りありますし、改めて歪んだ組織や上層部の悪意に対する憎しみが湧いてきます。
>Yhoo知恵袋の質問と回答です。皆さんはどう思われますか?
このような悲しい被害がなくなることを祈るばかりです。
『もう宗教は、これで救われると言って金を集められなくなった』 より
http://agora-web.jp/archives/1448627.html
今や、あらゆる部門で「コンプライアンス」が求められる時代である。
宗教法人もまた、その例外ではなくなってきているのである。
一読者B 様
大変参考になり有り難うございました。本当に宗教の本質とは、何なんでしょうね。
現行天理教団は、個々人の信者に対しては露骨に直接的に「お金」を出せとは言いません。天理教用語を巧みに使って誘導します。
例えば「心定め」、「ご恩返し」、「ひのきしん」、「つくしと運び」とか「真実」などと一寸聞くには、心の有りようを称えるように聞こえる言葉を連発します。
しかし、究極はお金を持ってこない信者は、真の信者として扱ってくれません。
ただ、教団本部は、直轄教会を始め各大教会に対しては、1年間の心定めを要求して金額を提出させているようです。
恐ろしい宗教です。
末端教会子弟 様
>「自殺してもいい」とも書いてませんから「どちらでもいい」のでしょう。
「自殺」をすると、魂は行き通しということですから、死後、成仏できなくて、ものすごく苦しむらしいですよ。自殺した人は死んでから、非常に後悔するとのことです。
首吊り自殺をした人が、魂だけになって、しかし、まだその場にとどまっていると、死体を発見した家族が、驚き嘆き悲しんでいる光景が、自分がまだ生きている如くはっきり見える。そして、あの世の「いいところ」に行こうと思っても、どうも行かせてくれない仕組みになっているらしい。霊界に上がれず幽界(幽霊などが居る世界)にとどまったり、真っ暗闇の中に閉じ込められたり(地獄の一つでしょう。地獄は自分の心が造る世界との事)、あるいは自分がまだ死に切れてない、と思った霊は、死に場所を求めて彷徨ったり、まあ、いい結果にはならないそうです。(霊に関する書物からの知識です。)
肉体は神様からのかりもの、という教理からしても、神様からお貸し与えられたものを、自ら壊す、というのは、神様に対して申し訳ない、と天理教教会長であれば、そう思うのが、当然と思います。「過剰なお供えの要求や教会運営に絶望されて」のことなら、お気の毒でありますが、でも、自殺、という選択死は取らず、教団から離れるべきであったと思います。
本当の苦しみを理解してないからだ、という意見もあることを承知で、書かせて頂きました。
中田善亮表統領が露骨にお供えを要求している。(10・17直属教会長・教区長へ方針発表)
『まず「ご恩報じ」の意識を高め、ご恩報じの実践を徹底すること。教会長はこれをしっかり説いて、教会の先頭に立って進めてほしい。「ご恩報じ」をキーワードに思案し、実践すれば、すべての面で次のステップにつながっていくと思う。
「お金のことは言いにくい」と避けていては、よふぼくは、おつくしの意味がますます分からなくなる。おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。』
全く訳の分からない論法だ。本気でそう思っているなら、中田家の全財産を「ご恩報じ」して、ひながたを見せてくれ。
中山家こそ、命のつなぎである「おつくし」に勤しめ。歴代の真柱は、みんな「命のつなぎ」が足りないのか早世されているではないか。
>「お金のことは言いにくい」と避けていては、よふぼくは、おつくしの意味がますます分からなくなる。おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。』
本当にこんな事を言っているのですか?最悪ですね
天理教の神様はお金で人を判断していますと言っているのですね。
>全く訳の分からない論法だ。本気でそう思っているなら、中田家の全財産を「ご恩報じ」して、ひながたを見せてくれ。
中山家こそ、命のつなぎである「おつくし」に勤しめ。歴代の真柱は、みんな「命のつなぎ」が足りないのか早世されているではないか。
私もそう思います。本部員、教会長、道一条と言われる方々が働いて得た給料からお供えをして下さい。
匿名A様
ありがとうございます。
このサイトで様々な体験談やご苦労、思いを知る事が出来、目が醒めました。
高尚な教えを説きながら、結局は「お金」と「権力」で成り立っている世界。
思いやりや道徳を説きながら、結局は「お金」と「権力」の優先順位が高い世界。
「お金」と「権力」の優先順位が高い世界では、「お金」と「権力」を得る側の、一部の人間だけが
得してるケースがほとんどで、後はその満足(幸せ)を継続させる為に、「お金」と「権力」を
与えてくれる方の側に、少しでも不満や不足に気付かせずに、いかに「実はあなた方は得してるんだ」と、
錯覚させるかということが必要なのだと、確か洗脳か何かがテーマの本で読んだ事があります。
そこは本物の「陽気な世界」なのか?
実は一般社会と変らない「欲望の世界」が渦巻いているのではないか?
そうであれば、お金も掛からず、自由な分、却って一般社会の方が恵まれているともいえるのではないか?
ある時から、よくよく目を凝らして見ています。
何事も大切なのは、冷静に「本質」を見ること、そして「本質」を知ることだと思います。
そこからでなければ、本当の判断は出来ませんから。
さっちん 様
> 肉体は神様からのかりもの、という教理からしても、神様からお貸し与えられたものを、自ら壊す、というのは、神様に対して申し訳ない、と天理教教会長であれば、そう思うのが、当然と思います。
「皆が陽気に暮らせる世界になる保証があるのなら自殺も選択肢の一つ」という条件付きです。
貸主(神様)の希望や要求を解さずに、長く大事に使ったからといって意味はありません。
教祖様が25年寿命を縮めたひな形をお考え下さい。
その他の「日本仏教風の輪廻転生論」のような「あの世」「魂だけ」「霊界」「地獄での苦しみ」等は、語るまでもありません。
末端教会子弟 様
>「皆が陽気に暮らせる世界になる保証があるのなら自殺も選択肢の一つ」と解釈します。
ちょっと意味が解りかねます。自殺をして、皆が陽気に暮らせる世界に生まれ変われるという保証があるなら、ということですか?
>貸主(神様)の希望や要求を解さずに、長く大事に使ったからといって意味はありません。
>教祖様が25年寿命を縮めたひな形をお考え下さい。
上の両文にどういう関連性があるのでしょうか?上の文は、神様の希望を解さない人ですね。 教祖は信者達の神一条の覚悟が得られないまま、扉を開いて、ろっくの地に均そうと出直された。上の文の人は、我が身思案、教組は人助け。寿命を縮めた理由が180°違うと思いますけど、同じことと解釈するべきなのですか?
>「日本仏教風の輪廻転生論」のような「あの世」「魂だけ」「霊界」「地獄での苦しみ」等は、語るまでもありません。
信じる信じないは自由ですので、勿論信じろと強制は致しません。私は死んだら霊になり、あの世に行くだろうとは思ってますので、こういうことになるらしいので、自殺はお奨め致しません、という老婆心から書きました。
しかし、末端教会子弟様は、霊的な世界が信じられないようですが、なのに、出直し(つまり生まれ変わり)は信じられるのですね。不思議なことです。
さっちん 様
さっちん様らしいご回答ありがとうございます。
まず、私は自殺された方の事をとやかく言っているのではないということをご理解ください。
その上で、自殺という行動そのものの是非善悪だけを考えます。
例えば、
船が難破して食料もない無人島かどこかに何人かで流れ着いたとします。
救援が来るまで待っていたら全員が餓死してしまうような状況で、誰かが「私の肉を食べてくれ」と言って自殺を決意したとして、その決意と行動を責める事ができますか?
勿論、話し合いなら「例え全員餓死しようと自殺はいけない」と言う人もいるでしょうが、「俺の肉を食べてくれ」といってさっさと自殺してしまった人がいたら、それを責められますか?
また、その人が「助かる見込みもなく餓死を待つだけの状況には耐えられない」と言って自殺したなら、ご指摘の通り「理由が180°違う」でしょうけど。
>自殺をして、皆が陽気に暮らせる世界に生まれ変われるという保証があるなら、ということですか?
その人が自殺をして『この世が、皆が陽気に暮らせる世界になるという保証があるなら』です。
パラレルワールドのように、別の世界や世の中があるなどとは考えてません。
>出直し(つまり生まれ変わり)は信じられるのですね。不思議なことです。
他にも書きましたが、「出直し」=「やり直し」と解釈します。
元の理で言う「出直し」は、「魂(生き物全て)の平等」を説くための神話です。
「魂」が不滅で色々な生き物に生まれ変わっているなら、最初の「九億九万九千九百九十九」以外の人間や生き物は「魂」を持っていないのですか?(たまにそう主張する人もいますが)
肉体の発生と共に魂が発生し、肉体の消滅と共に魂も消滅する。
肉体の情報が両親から半々に受け継いでいるのと同様、魂の情報も両親から半々に受け継いでいる。
人間の思考や思想、理想や志といったモノが「魂」の産物なら、その意味で「魂は不滅」です。
厳しい事を言いますが、その「日本仏教風の輪廻転生論」を捨ててから「みかぐらうた」と「おふでさき」を読んでみてくれませんか?
「天理教の因縁話」に疑問を持つさっちん様が「死んだら霊になる」を信じる方が不思議ですよ?
末端教会子弟様
末端教会子弟様らしいご回答ありがとうございます。(笑)
末端教会子弟様のご回答に対して、外れのない意見を述べようとしてたら、長文になってしまいました。決して、反論がための反論ではなく、談じ合いです。
自殺をすることによって、『皆が陽気に暮らせる世界になるという保証があるなら』自殺も選択肢の一つと考える、というご意見に、別段異議は唱えませんが、そうすると、
>「自殺してはいけない」とも書いてません。勿論「自殺してもいい」とも書いてませんから「どちらでもいい」のでしょう。
という意見は、人をたすけるという条件付きなら、自殺をしてもいい、それ以外であれば、自殺をしてはいけない、ということになりますかね。
まあ、あえて申し上げれば、人をたすけるために自殺する、ということは、末端教会子弟様が例としてあげられた、無人島に漂流した、というようなことでもない限り、滅多に起こりえないことですし、「皆が陽気に暮らせる世界を作るために働きなさい」というより、「犠牲的精神」と解釈するべきでしょうか。人をたすける為でも、自殺はやはり、教組もお奨めはされないことと思いますけどね。
>肉体の発生と共に魂が発生し、肉体の消滅と共に魂も消滅する。
>肉体の情報が両親から半々に受け継いでいるのと同様、魂の情報も両親から半々に受け継いでいる。
>人間の思考や思想、理想や志といったモノが「魂」の産物なら、その意味で「魂は不滅」です。
「肉体の情報が両親から半々に受け継いでいる」のはその通りでしょう。
「魂の情報も両親から半々に受け継いでいる」、これは、ちょっと、どうかな?と思います。魂は、消滅、発生するということですが、消滅してしまったら、どこから発生できるのでしょうか?最初の宿し込まれた「九億九万九千九百九十九」の魂は、消滅したり、発生したりしながら、現代まで人間が続いているのですか? そうしますと、末端教会子弟様は、元の理における、教祖は「いざなみの命の魂のお方」というのは、もちろん否定される訳ですね。消滅して続いてないのであれば。(まあ、私も教祖がいざなみの命の魂のお方などと、そんなことを信じている訳ではありませんが、「教理」としてはそうなっている、その教理を否定される訳ですか?ということですね。教祖のみ、魂は生き通しで、他は消滅、発生を繰り返し、その個々の魂は出直しをしても、全く前世と関連が無い、違う魂なのでしょうか?
>最初の「九億九万九千九百九十九」以外の人間や生き物は「魂」を持っていないのですか?(たまにそう主張する人もいますが)
どじょに魂が宿し込まれた時に、それ以外に生物がいたかどうかは、勿論解りませんし、今、談じ合いしている問題外のことで、どちらでもいいことと思います。それこそ、神様でないと解りません。
>日本仏教風の輪廻転生論」を捨ててから
>「天理教の因縁話」に疑問を持つさっちん様が「死んだら霊になる」を信じる方が不思議ですよ。
「天理教の因縁話」に疑問を持つ、というのは、【天理教という宗教】が、因縁のお諭しをするのは、教祖の教えでは無いのではないか?ということです。私は因縁を全く信じてないわけではありません。又、こういうことを書くと末端教会子弟様に突っ込まれそうですが、「前世」「生まれ変わり」ということは、世界的に研究されています。欧米の方がはるかに進んでいます。エドガー・ケーシーという霊媒の力を持ったアメリカ人が、前世(それは、今世のすぐ前かもしれないし、何百年前のことかもしれない)に、その人が生きていた時代に悪い行いをした事が、今世で、返って来た例を、多く挙げており、それらは、保管され、研究され、書物も出されております。勿論、悪い行いの返しだけではなく、いい行いには、いいことが返ってきた例をあげられております。
そして同じく霊に関しても、随分以前から欧米で(イギリスから始まりました。)、実際に霊が存在し、霊の世界があることも研究、実証されております。
エドガー・ケーシー、スウェーデンボルグなど、いくらでも、霊的世界に関する書物は出ております。読まれてみて下さい。興味深いと思いますよ。
さっちん 様
無人島の例え話では「人助けのための犠牲的精神」と解釈されても仕方がありませんが、教祖様が25年の定命を縮められたのは「皆が陽気に暮らせる世界を作るために働く」という教えを自ら実践し続け、傍な者にも実行して欲しいという気持ちから警察の弾圧・拷問を覚悟の上で引き受けたのでしょう。命を永らえたいと思えば教えを説かなければイイのですから、そこが人間の常識や価値観を超えた「じゅうようじざい」の「神にも等しい意思」です。
>元の理における、教祖は「いざなみの命の魂のお方」というのは、もちろん否定される訳ですね。
元の理の原型となる「泥海古記」そのものを教祖様は認めていません。
教祖様やその家族の者が「十全の守護の魂の生まれ変わり」等という説明は、一列兄弟という教えに矛盾します。矛盾する事は、どちらか(あるいは両方)が嘘や間違いですから、「教祖様が認めていない泥海古記」が間違いだと判断する方が妥当です。教祖様は初めから「人間の魂ではない存在」とすると、ひながたや道すがらに矛盾します。
転輪王講社の頃に、教祖様や中山家を崇めさせる為に作られたお話が基になっているのではないでしょうか?「かんろだいのぢば」に月日親神がお鎮まり下さっているというのも同様だと思われます。
さっちん様の言う「魂は不滅であの世に存在し、輪廻転生を繰り返しながら現世で何らかの肉体を持って生まれてくる」という考え方と、私の言う「肉体と共に発生し肉体と共に滅ぶ」という考え方、現実世界において何か違いがありますか?
輪廻転生を繰り返して来た過去の記憶や考え方などが残っているならそちらが正しいと言えるでしょうが、何も残っていないなら「どちらでも同じ」ではありませんか?
ただ、「輪廻転生」の考え方は、来世で幸せな人生を歩めるように悪いことを慎み善行を施しなさい、というお話なら良いのですが、現世での待遇や状況が「前世での行いの結果」だと言われるんですよ。
身分差別や貧富の差が「前世での行いが悪かったからだ」になり、障害や遺伝的疾病までが「前世の因縁」になってしまう。しかも「現状をたんのうして来世でケッコウな人間に生まれて来られるように信心」して「日々精進」しなさい、と教えています。
これでは、人間が作り上げた差別社会や格差社会が「神様が作ったものだから変えられない」と言っているようなものです。
まさしく、上の者に都合がよく下の者を虐げる教え、ですね。
みかぐらうたやおふでさきからは、そのような考え方は読み取れません。
Yahoo知恵袋のベストアンサーが良く出来ている。
<天理教はどのくらいヤバいのでしょうか?>という質問に対して・・・
<ベストアンサーに選ばれた回答>
yurisakuyurisakuraさん(20代の方です) 2013/7/2422:18:01
天理教の教会の娘です。
どなたかも書いていましたが、どの宗教に属しているかよりも、信仰心があるかないかです。
天理教に属しているだけで、本当に信仰心がある人は極々わずかです。
宗教に属していなくても信仰心がある方もたくさんいます。
何が言いたいかというと、彼女のご家族が本当に信仰心がある教会なら心配ありません。
逆に教えをねじ曲げて、自分の都合のよいように解釈し、念仏宗教、お供えや参拝さえしていれば助かるみたいな教会であれば、やめるべきです。
天理教の教えは、とてもシンプルで、人を助けてこそ自分の全てが助かるという教えです。純粋に求めている心のキレイな人ももちろんいます。
が、上記のような教会も悲しいほど存在します。なぜ、そのようにバラバラなのか、
天理教は、人を変える教えではありません。あるのは、自分と神様だけです。人を助けて、おやさまの通った道を通り、おやさまのような人になる為に信仰します。
なので、目の前で悪いことをする人がいても責めません、正しません。逆に自分を責めます。そういう人に出逢う自分が悪いとなります。自分を変えなさいという教えです。なので、例え教会の親が教えに反する考えで教会を運営していても、誰も咎めることが出来ません。そういう教えではないのです。親が絶対と言われます。天理教でいう親とは自分が信仰のきっかけになった教会の教会長です。なので、親には基本逆らえません、故におかしなことも平気でまかり通ります。
結果、教会によって、同じ天理教でも、全く違う雰囲気の教会になります。
親がお供えお供えといえば、それに困窮する教会信者で辛い悲しい教会になります。
かと思えば、教えに忠実で、信者さんにもとめず、ひたすら神様を求めていく親なら、教会も明るい教会となります。
それだけ、極端でムラのあるのが天理教です。
しかし、いい一面もあります。天理教の一致団結出来た時は、多分他の宗教よりも大きな活動をしていたりします。
東北大震災の時は、他のどの宗教よりも一番先に一番多くの金額の寄付をしたという話が有名らしいです。
スポーツや音楽にも力を入れて、それにはお金を惜しみません。
私は天理教の教えは素晴らしく、尊いものに感じていますが、いまの天理教の組織は大嫌いです。とても、友人や知人を勧誘したくありません。
信者集め、お供え集めにやっきになり、肝心の人助けや陽気ぐらしからは程遠い教会が多いからです。本来の教えと実際教会がやっていることは、かけ離れています。
そういう意味ではヤバい宗教です。
今、天理教は本当に転換期に来ていて、今教会が変わらなければ数年後ほとんどの教会は潰れると思います。後継者がいないからです。
でも上が教えとかけ離れているままなら、正直本部教会以外の小さな教会は潰れてくれたら、と思います。
ほとんどの教会は、教会を運営していくだけで生活に困っています。天理教には、各種の小さな教会を支えていく仕組みや取り組みがありません。なので、ほとんどの教会長は生活に困っています。教会長は働きたくても働けません。なぜなら、教会の御用やおつとめが隙間なくあるからです。
それを全て行って参加していたら、働く時間がありません。よって貧乏になります。
信者の多い教会や子どもの多い教会はやっていけますが、他のほとんどの教会はなかなかやっていくだけで精一杯です。
よって、人助けの為の教会ではなく、教会運営の為の教会になっている教会がほとんどです。
末端教会子弟様
>身分差別や貧富の差が「前世での行いが悪かったからだ」になり、障害や遺伝的疾病までが「前世の因縁」になってしまう。
まずはその比較において間違っていると思います。
そして障害をもつことを悪いこととしてとらえていることも。
私は長年障がい者の方たちとご縁がありました。
障害をもつお子さんをお持ちの親御さんは、皆立派な方が多いです。
それは精神面においてということです。
ご本人もそうです。
これは何も根拠がない話ではありますが、
障害をもつ子を家族に持つ、もしくは障害をもって生まれるということは、生まれ変わりの最終到達点だと言われるくらい実はすばらしいことなのです。
神話の中で「蛭子(ひるこ)」について書かれていますが、古代の人は蛭子は神の子として大切にされてきました。
難病もつことも然です。
苦しい課題を与えられながらこの世に生をもって生まれて、
まわりに生命の有難さ、当たり前に感謝することを身をもって教えてくれる。
そういう尊いお方なのです。
お金はあった方がいい。
だが大金持ちが幸せかと言ったら、必ずともそうとは言えないし、
よほど悪どいことをして儲けたお金ならまだ知らず、良心をもってお金を儲けるということはなかなか
難しいことです。かなりの苦労を伴います。
天理教の中にいるとお金持ちと接する機会が少ないと思いますが、
現実の世界でそういう人たちと接していると実感できることです。
天理教の人たちは、質素な生活をしているので金持ちに対して偏見がありすぎです。
現代に思いやりがなくなってきたのは、想像力の欠如だと言われています。
それは詩や俳句を愛でることがなくなったからだとも言われています。
行間に込める思いを想像できなくなった。
お筆先は短歌の形式で語られていますから、どうにでも解釈できます。
白黒はっきりさせたくなるでしょうが、そこはめいめいの胸の内でよろしいんじゃないでしょうか。
ただし、良心とやさしさをもっての解釈にしたいですね。
人を恐怖に陥れたり、相手を責めるような形になってしまう解釈がいけないのは、大人として本来常識の範囲でしょう。
「わが身うらみであるほどに」この言葉も、「うらみ」という言葉が使われているので誤解を招いてしまうのですよね。親様もこの言葉を使われたことに後悔されていないだろうか。
曖昧さの中で優しく生きればいいのではないでしょうかね。
末端教会子弟様は白黒はっきりさせたいのでしょうが・・・
さっちん様へ
信じる信じないは貴方次第という話になりそうなのですが。
昭和40年から50年代の古い話になりますが、本部の西に三島という名の小さい公園がありました。
その公園と道を挟んだ反対側に木造の古びたアパートがありました。
そのアパートの一室に神様と話をする女性がいました。名前は、須藤花井と言っていました。
この女性の存在を知った切っ掛けは、私と同期に講習を受けていた京都の木津の方が教えてくれた事からです。
須藤花井さんから聞いた話です。
私が知人から問われて答えられない事を須藤さんに聞いたのです。
「こかずが九億九万九千九十九人では、一人半端になる。余った一人はどうなるだ」と言う人がいるけど。
須藤さんは
「ああ それね あと一人はおや様だよ。おや様が入って10万になる。偶数で男女同数だよ。」
「男の魂は男 女の魂は女 今までもこの先も不変だ」
また別の話ですが、知人から兄が行方不明なのだがどの方面に居るか聞いてほしいと頼まれて須藤さんに電話を掛けたのですが、暫く無言が続きそのあと「あのな 神さん自殺した人の事いくら聞いても何も答えんのだよ」
後日 その知人からお兄さんが東尋坊で見つかったと連絡がありました。
須藤さんは、自殺した人はその場から動くことができないと言っていました。
輪廻転生もしない。消滅もしない。身動きできない状態だという事なのでしょうか。
神様からすれば与えた命を自ら断つなどもってのほかということでしょう。
当時 須藤さんの下へは 信者や本部の方、教会長、専修科生など多くの天理教関係者が訪れていたようです。
この「研究者さん」や「お供えさん」を見ている方の中にも須藤さんを訪れたことが有る人も居ると思います。
が 須藤さんから聞いた話は全く出てきません。
話の内容が「信じる信じないは貴方次第」という事ばかりですから書き込むことを遠慮するのかもしれませんね。
ツッコみどころ満載・中田善亮表統領の露骨な方針発表。(10・27直属教会長・教区長へ方針発表)
どう思われますか?・・・(みちのとも12月号より)
「おたすけの実践」
教祖年祭を終え、これからはじっくりとおたすけの実を求めていかねばならない。ひながたを手本として、教会長を中心に、おたすけの実践の輪をどんどん広げてほしい。
そのなかで大切なのは、「いんねんの自覚」と「心定め」である。これまた、昔に比べ、あまり厳しく言わなくなったように思う。説きにくい場面もあるだろうが、相手の真のたすかりのため、また子供たちにいんねんを引き継がないためにも、これを説かなくてはならない。
古い会長様
率直に思ったとおりに書き込みますね
この文言にイラッとしました。空々しい、虚しい。 信者を説き伏せてお供えを持ってこーいと仰っているように感じました。
ますます教会から距離を置こうと思います。母親はせっせと運んでおりますが、母のようにはなりませんゾ!
ネット上に溢れている、様々な宗教の問題。
関係のない他宗教の話ではありますが、信仰宗教においては、
不思議とどこでも何か共通するような問題が持ち上がってますね。
下記参考です。
教団トップの世襲
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/seshuu.html
脱税・横領・教団私物化
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/datuzei.html
こちらの脱会信者さんの声
普通の生き方がしたかった
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan061.html
献金できんなんて人間じゃない!
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan044.html
お勧めできません
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan047.html
あ、やっぱり間違ってる
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/taikendan/taikendan054.html
一読者B様
添付ありがとうございます。
私、こういう意見が聞きたかった。
上層部の難しい話とか、違法とかそんなん正直どうでもいいから、最近の話題にはついていけませんでした。
他宗の話でしたが、天理教にも同じような話がゴロゴロ転がっていると思います。
そういう意見をもっと出して「ここが変だよ!」って言わないと、
何も変わらない気がします。
正直、お供えがとか、本部員がとかいう話ではないと思う。
そこに行くまでの話が先だと思います。
喜 様
>まずはその比較において間違っていると思います。
何が間違っているのかご指摘いただけませんか?
>苦しい課題を与えられながらこの世に生をもって生まれて、
>まわりに生命の有難さ、当たり前に感謝することを身をもって教えてくれる。
>そういう尊いお方なのです。
この考え方の方が「障害をもつことを悪いこととしてとらえている」ように感じられますけど?
「苦しい課題を与えられながら生まれてきた」という比較対象がなければ、自分の「生命の有り難さや当たり前に感謝すること」を感じられないのか、と思えますよ。
そういう価値観を持ってしまうのが「輪廻転生論」の問題点だと指摘してるのです。
インドなどでは寺院の前に「障害」をもった人が大勢「ものごい」をしています。
参拝客が拝んだりお布施を差し出す様子があちこちで見られます。
おかげで、意図的に怪我をしたり子供に障害を負わせて「ものごい」をさせる人が後を断ちません。
そして、インド社会は誰でも知っている「身分社会」です。
この状態や政治体制や社会の構図を「是」としているのが「輪廻転生論ではないだろうか」と申し上げています。
個人の好みならどうでもいいでしょうが、「善悪はっきり」させないと現状の社会的問題や人間社会の病は何も変わりません。
末端教会子弟 様
私の受け取り方の間違いだったようです。
言葉というのは難しいいものです。
申し訳ございませんでした。
インドに話が及ぶとは思いませんでしたが、
インドに限って話せば、確かに末端教会子弟様のおっしゃることは事実でしょう。
難病の人、身体に障害をお持ちの人、
私はそういう方とお会いしますと、ただただ尊敬の念にたえませんので。
それは、決してその方に比べれば自分は幸せ、なんていう浅はかな考えではありませんが、
そのようにとられてしまう恐れのある発言だったかもしれません。
以後気を付けます。
原始仏教のお話は好きですが、輪廻転生に関しての知識は皆無に等しいので、
談じ合っても私の知識ではどうにもこうにも話にならないと思います。
何が事実かわからない中で善悪はっきりさせるということは至難の業でしょう。
末端教会子弟様ならできるかもしれません。
どうぞおきばりください。
喜 様
別に喜様個人を責めるつもりも非難するつもりもありません。
喜様が「障害を持つ人」を尊敬し、尊重する「心」は貴重なものだと思います。
インドの例は極端かもしれませんし、インドの大半は仏教ではなくヒンドゥー教ですね。
原始仏教というなら、ブッダは輪廻転生や死後の世界について説いてはいないと聞いたことがありますがいかがでしょうか?
ご指導いただけましたら幸いです。
末端教会子弟 様
きょうは月末で、いろいろ所用もあり、遅くなりましたが。
>さっちん様の言う「魂は不滅であの世に存在し、輪廻転生を繰り返しながら現世で何らかの肉体を持って生まれてくる」という考え方と、私の言う「肉体と共に発生し肉体と共に滅ぶ」という考え方、現実世界において何か違いがありますか?
>輪廻転生を繰り返して来た過去の記憶や考え方などが残っているならそちらが正しいと言えるでしょうが、何も残っていないなら「どちらでも同じ」ではありませんか?
この世に生まれて来る個々人それぞれの、家庭環境、運命などの違い。貧乏人の家に生まれる人もいれば、金持ちの家に生まれる人、順風満帆に苦労なく人生渡って行ける人もいれば、艱難辛苦に遭う人もいる。これらの違いを、末端教会子弟様はどのように説明されますか?「魂は消滅し、発生し、何の連続性もない」というお考えからすると、これらの違いは、単なる偶然ということになりますね?「消滅」というのは、全くの無になった状態と解釈します。もし、「思考」なり、「癖」「習慣」なりが残っていれば、それは消滅とはいえませんね。
「この世は理でせめたる世界」とある、末端教会子弟様は「理が神」と言われている。末端教会子弟様の言われる「理が神」という「理」とはどういうことを指して仰ってるのですか?因縁、いわゆる「カルマの法則」も、この世を「理」でせめてあるからおこる、この世の仕組みである、と解釈できます。
出直しのことを、「古い着物を脱ぎ棄てて、新しい着物を着るようなものや」と、教祖のお言葉であったと思いますが(いろいろ所用があって、いちいち調べてる時間が無いので、違ってたらお許し願いたいですが)、魂が消滅するのだったら、こういう表現にはならないだろう、と思われます。
それと、疑問が湧いたのですが、魂は消滅する、というお考えを持っているなら、末端教会子弟様はご自分の教会に御霊様のお祀りはされてないのでしょうね?信者さん方の「御霊祭」などはどうされてるのでしょうか?魂が出直して消滅するなら、そのようなお祀りをすれば可笑しいことになりますね。
でも、私も末端教会子弟様同様に「因縁」という言葉は嫌いです。人間にはどうしようもないものに思われますから。だから気にせず、せっかく教祖が「案じれば案じる理が廻る」という、いい言葉を教えてくださってるのだから、気にしないスタンスで生きればいいと思ってるのです。
天理教団は「因縁自覚」のお諭しをします。教祖はそのようなことは教えていない、教組はむしろ、因縁を気にしなさんな、と教えておられるように思います。「五重相伝」まで受けられた教祖が「いんねんつけることはさらにいかんで」というお歌を残されたのみで(悪)因縁に関しては何も説かれておられません。つまり、「教団の因縁自覚のお諭しは、教祖の教えでは無い」、と私は思います。
古い教会長様
>「おたすけの実践」
ほんとにツッコミどころ満載ですね!
「いんねんの自覚」と「こころ定め」が大切なそうな。いつまでこの脅しで信者から金を巻き上げれると思っているんでしょう。「相手の真のたすかり」って何ですか?いかにも相手を思って言っているように、そして子どもを引き合いに出して「いんねんを引き継がないためにも」って。
信じられないくらいの上から目線で言える神経がすごい。
「ひながたを手本にして」、ぜひ、えら〜い中田善亮表統領様からなさってください。
末端教会子弟 様
<ブッダは輪廻転生や死後の世界について説いてはいないと聞いたことがありますがいかがでしょうか?
仏教界においても言ってる言ってないで意見がわかれているようですね。
来世についても、皆今生きているから真実はわからないのです。
わかるものならとっくに答えは出ているでしょう。
学問ではないのですから、グレーゾーンがあってもいいのではないでしょうかね。
私の場合は、「なんとなくおかしい」とか「なんとなくあやしい」とか言う不確かな時ほど
実は危険であったりします。
なんとなく、という感覚は経験を積み重ねていく上での第六感のようなものなので、どうにもこうにもこればっかりは。
ですから指導できるようなものは何一つ持ち合わせておりません。
それより善亮という人の発言の方がハッキリした間違いで答えがすぐに出ます。
『お尽くしが命のつなぎなどではない!』ということ。
天理教から離れお尽くしをやめていった人たちの、その後の歩みをみれば一目瞭然です。
末端教会子弟 様
>「輪廻転生」の考え方は、来世で幸せな人生を歩めるように悪いことを慎み善行を施しなさい、というお話なら良いのですが、現世での待遇や状況が「前世での行いの結果」だと言われるんですよ。
>身分差別や貧富の差が「前世での行いが悪かったからだ」になり、障害や遺伝的疾病までが「前世の因縁」になってしまう。しかも「現状をたんのうして来世でケッコウな人間に生まれて来られるように信心」して「日々精進」しなさい、と教えています。
>これでは、人間が作り上げた差別社会や格差社会が「神様が作ったものだから変えられない」と言っているようなものです。
>まさしく、上の者に都合がよく下の者を虐げる教え、ですね。
末端教会子弟様が仰ってるこれらのご感想については、私もおおいに賛成致します。これらは全て現行天理教教団が、弱者である信者に対して行っていることですね。
あなたは因縁が悪い。それは前世の行いが悪かったからだ。だから、たんのうして徳を積め(=お供え出せ、神様の御用、ひのきしん、においがけに励め)とお諭しをします。
これは「教祖の教え」ではなく、「中山教」「金集め教」でしかありませんね。このような弱者を苛める天理教のあり方も、「百害あって一利無し」と思うところです。(はっきり言って、教団のいいところって見つけられません)
教組の教えを捻じ曲げて平然としている、本部の害虫どもを総ざらい追い払い、ピラミッド組織を解体する。それ以外に、組織改革は無理であると思います、が、そのような事は現実には起こりえないでしょうから、教団がこのまま衰退し潰れてくれることを願っています。
さっちん 様
>これらの違いを、末端教会子弟様はどのように説明されますか?
「どうして私はこんな貧乏な家の子に生まれてきたんだろう?お金持ちの家の子に生まれてくればよかったのに」なんて言う子供に対して「どう説明するか」という質問でよろしいですか?
私ならこう答えますよ。
「あなたがあの家に生まれてきたのは、あなたの両親が『子供が欲しい』と思って産んだから。欲しいと思わなかったら、あなたは生まれてこなかった。あなたは両親の遺伝子を持ち、両親の家庭環境の中で育てられたから、あなたに『なった』。違う家の子に産まれてくる子は、あなたと遺伝子も違うし家庭環境も違うのだから、あなたには『ならない』。」
そして、
「あなたの家が貧乏なのは、人間が作った仕組みの中であなたの両親がたまたま貧乏なだけ。貧乏が嫌なら抜け出す努力をすればいいし、仕組みそのものを変える方法もあるかも知れない。」
ですかね。
「お金持ち」を「美男美女」とか「頭がいい」とか「何かの才能に優れた」なんて言葉にも置き換えられますね。
>もし、「思考」なり、「癖」「習慣」なりが残っていれば、それは消滅とはいえませんね。
『人間の思考や思想、理想や志といったモノが「魂」の産物なら、その意味で「魂は不滅」です。』と書いた通りで、その点では意見が一致しますね。
ただ、「更新されない過去の情報や出来事」ですから、今現在「活動している魂」ではありませんね。
その意味で「御霊様」はお祀りする意義があります。
今現在「活動している魂」ではなく、「過去に存在した自分の祖先の足跡を敬う」という点で。
それに、「私の教会」ではなく「父の教会」です。祭祀関係には口出しできません。
また、左脳人間の私でも情や情感や畏敬の念はありますし理解できますよ。
ただ、教義の解釈は出来るだけ厳密にし、情に流されないようにするべきだと考えてるだけです。
「理が神である」は「お書き下げ」です。
「おさづけ拝戴」の際に貰いませんでしたか?
この「理」は「みかぐらうた」と「かぐらつとめ」の理論でしょう。
「おふでさき」は補足説明と傍な者への叱咤激励です。
「カルマの法則」はカルマを信じる人にしか通じないので「法則」ではなく「理論」かと思われます。
>出直しのことを、「古い着物を脱ぎ棄てて、新しい着物を着るようなものや」
教祖様が亡くなられた後、教祖様のご遺体をどうしたらいいかお伺いを立てたところ、本席が「古い着物を脱ぎ捨てたようなものや、捨て置け。」と「おさしず」された事でしょうか?
教祖様が亡くなった人に関してそのような言葉を残したという話があったかどうか、私も分かりません。
詳しい方、古い教会長さんとかならご存知かな?(笑)
でも、亡くなった人に対する言葉でないのなら、「出直し」=「やり直し」でもその文章は成り立ちますね。
「顔を洗って出直して来い」とかと同じ意味の、上品な表現かと思います。
末端教会子弟 様
私は、「因縁=カルマの法則」の考えに固執しているわけではありません。只、カルマの法則(自分の蒔いた種は自分で刈り取らねばならない)というものは、やっぱりあると思わねば、説明のつかないことがあるのではないか、と思ってはいます。
例えば「成ってくるのが天の理」、これもカルマの法則と言えるものではないでしょうか?しかし、この世界を支配している仕組みに、実際にカルマの法則があるとしても、悪い現象が起こっている場合に、その説明を、「自分の因縁」と聞かされて、諦観、自棄、悲観的な気持ちに陥るなら、「あなたの家が貧乏なのは、人間が作った仕組みの中であなたの両親がたまたま貧乏なだけ。貧乏が嫌なら抜け出す努力をすればいいし、仕組みそのものを変える方法もあるかも知れない。」と末端教会子弟さんのように、説明することの方が、因縁という考えに捉われているよりは、はるかに救いになり、前向きな気持ちになると思います。
【教組も、だから、悪因縁については一切仰らなかったのかもしれない、と思い至ります。】
現行教団の「因縁自覚」諭しは、信者をたすけているのではなく、因縁という精神の檻に信者を追い込み、因縁納消の為と説き、信者を献金奴隷に仕立て上げている、何度も言われている通りです。
「お書き下げ」、私、自分のものはどこに行ったか行方不明です。で、検索してみましたが、なるほど、教祖の教えの「真髄」ですね。この言葉の中に「因縁」という言葉はやっぱり出てきませんね。
この「お書き下げ」の言葉は、宗教、宗派、問わず、又、信仰の有る無しを問わず、人生の指針とするべきお言葉であると思います。
因縁の話と矛盾するようですが、飯田史彦氏の「生きがいの創造」という著作では、あの世の魂が、いろんな人生を経験したい、「苦労する人生、障害を持つ人生、などなど」と、あの世で自分の人生設計を立てて、両親を選んで生まれて来る、というものもあります。50代元信者様が、「最近のスピリチュアルの世界では、そういう考えが広く通っているのですよ」、と仰られたのは、このことだと思いますが、因縁論で痛めつけられた人々には、おおいに救いになる説でしょうね。裏付ける事象も多々あるそうですので、末端教会子弟さんに、一読して頂いて、ご感想をお聞きしてみたいですね。でも、あの世で魂が人生計画をする、という時点で、末端教会子弟さんは、はなから受け付けないかもしれませんが(笑)。
つまり、この世の仕組みはどうなっているのか、カルマの法則以外にも、いろいろあるのか?
結局、死んでみないと解らない、というところに落ち着いてしまうのですけど。(笑)
さっちん 様
結局、「死後の世界は死んで見ないと分からない」なんです。
死んだ人間は生き返りませんから、生きている人間には死後の世界は分からない、となります。
真実は、輪廻転生論かもしれないし、無の世界かもしれない。
私が懸念してる、考えているのは、「その思想や考え方が現実世界にどういう影響があるか?」です。
私は、この世現実世界が「良い世界」になればいいと思ってますし、なって欲しいと思ってます。
「良い世界」「悪い世界」の基準や内容は一言では言えませんが。
輪廻転生論で『「来世でケッコウな人生に生まれるよう善行を施しなさい」ならまだ良い』と言ったのは、この世現実世界に対して「悪影響が少ない」と感じるからです。
でも「身分差別」や「貧富の差」などの『現実世界の仕組みそのものを変えれば無くなる』であろうのに、仕組みそのものを変えることに気付かせず、苦しんでいる人達の考え方や行動を縛り付けて限定してしまう『上の立場の者に都合のいい思想』だと思いませんか?
仏教伝来は奈良時代頃だそうですが、伝来ではなく全国を統一した「大和朝廷」が導入したのが正解だと思います。勝手に伝来してきても、排除する事も禁止しする事も出来たのですから。
大陸の進んだ文化や技術、文字や技能を持った人達を呼び寄せたいという考えもあったでしょうが、自分たちの支配体制を維持確立するため、自分たちに都合がいいから積極的に導入したと考える方が妥当でしょう。また、教えを説く宗教家たちも、上の者に取り入り自分たちの教えを広めたいという考えでいたはずです。この両者の思惑が合わさって「日本仏教」となり広められたのですから、その教えが「どういうものか?」は自明でしょう。
「本当の民衆のためになる教えや思想」は、民衆と共に一生を歩み、考えた人から生まれるのではないかと思います。それだって、組織が拡大して上の立場になってしまえば、どのように歪むか分かりません。
「共産主義」しかり、「天理教」しかりです。
私が「教祖様の本当の教え」を求める所以です。
これが真実なら、驚きだ。<分家とは中山正信氏のことである>
『ほんあづま』2000年6月号巻頭言
分家「あまり教祖伝をほじるなよ」
八島「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。外部からあばかれたらどうします。山本周五郎が『樅の樹は残った』という小説を書いてから、極悪人原田甲斐が、実は仙台藩を救った忠臣であったと、常識が変わっています。今までの日本は天皇制軍国主義の思想統制があって真実が説けなかった。今から真実を説く、教祖伝の編纂をやり直す、と教会本部が発表すれば、混乱は起こりません。教内はうすうす気づいていながら、何時本部が真実を言ってくれるか待っているのです。後れたら皆が背を向けます。そうなったら取返しがつきません。」
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
豪気な御分家中山正信氏の言葉の中に怯えを感じた。私の頭の中に、戦後ニュースで見た、イタリアのムッソリーニがパルチザンに殺され、逆さ吊りにされた場面が走馬燈のように走った。
それから約二昔の歳月が流れた。正信氏が亡くなって十年、その間におつとめを教祖が教えた通りに復元すべき人が、また、ひながたを正すべき人が次々と世を去り、或いは教外に押し出され、みかぐらうたを歌い、教祖の教えを手踊りで、自分の身体で表せる人が次々と教団に背を向け、教えを求めても得られず、修養科生は十分の一に減り、教会は三分の一以上が活動を停止している。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html
古い教会長 様
私は、このことを教会関係者に伝えたところ、八島英雄氏の云われることには「理」が無い、の一言で片づけられました。
地球上の何処に居ても同じだと思うのですが、おぢばに繋がっていなければ理が無いとは、何とも滑稽な理論です。
理という言葉を簡単に、かつ、都合よく使い分けしているように感じました。
後に残ったのは、この方の苦悶の表情だけでした。
教信徒は激減して、八島氏の云われていた事が現実になってきていますね。
匿名A 様
私も、人から言われて、八島英雄氏のことを語るのは気が引けましたが、今となっては、今の本部に理があるとも思えず、八島氏の言ってることの方が理があるようにも思えてきました。
>地球上の何処に居ても同じだと思うのですが、おぢばに繋がっていなければ理が無いとは、何とも滑稽な理論です。
本当に、そうです。
もし、そうであるならば、おぢばに繋がっていなくて、理の無い人ばかりにお金を払って登場させている、雑誌「すきっと」って何なんでしょうか。
>地球上の何処に居ても同じだと思うのですが、おぢばに繋がっていなければ理が無いとは、何とも滑稽な理論です。
教祖様も事を人知を超えた病助けの超能力者というオカルト話を信じている人には、八島英雄氏の主張と史実の情報公開は理解しがたいものがあるのでしょう。組織の中で信仰をしている人には、自分の過去の人生を否定されているような感覚に陥るかも知れません。
私は、「中山ミキ研究ノート」と「劇画 中山みき物語(画とみ新蔵・監修櫟本分署跡参考館)」を読み、天理教に感じていた矛盾と疑問があらかた消えました。
何のアポイントも無く櫟本分署跡を訪ねたところ、八島先生は、地方の小さな末端教会の子弟でしかない若い頃の私に笑顔と親しみを込めた態度で応対してくれ、ぶしつけな質問にも全て真摯に答えてくれました。食事を出され宿泊までさせてくれて、長い時間色々なお話をして頂きました。
その後も何度か訪問しましたが、先生の態度は全く変わりません。
その中で、「研究ノートにも書けなかった事が沢山ある。当時はこれが精一杯だった」という言葉が今も鮮明に残っています。「それはどんな事ですか?」という質問にその場ではお答えいただけませんでしたが、八島先生は最後まで「教祖様の本当の姿や教えを伝えたい、天理教を改革したい」というお気持ちと姿勢だったと思います。
浅学薄識の私には「書けなかった事」が何なのかまで考えが届きませんが、「教祖様の本当の教えを知りたい」という気持ちだけは今も変わりません。
八島氏も、「教祖様の本当の教えを知りたい」という気持ち
で、ご本人なりに史実を研究したんだと思いますね。
彼の事を、分派、異端より異教と評したJS氏の意見に同意しますが、天啓者不在の現在の教会本部は未教ではないだろうか?
知人は天理大学を卒業、今は80歳天理近くに住んでいます。年に3回ほど逢って近況から教団のことまで話し合います。
八島先生に師事した彼は史料集成部への入室を訴え続けています。
このようなことを書けば、彼と私の身元はほぼ分かってしまっているのではないかと思いながら書き込んでいます。
まじめ一方の彼の希望が実現する日は来るのでしょうか。そして、八島先生も書けなかったこととは、どのようなことだったのでしょうか。彼に逢った折に時間が許せば聞いてみようと思っております。
終わりになりましたが、「この世は理攻めの世界」という言葉を、まだ20歳にもならない頃に聞いた覚えがあります。悲しい言葉です。
>「この世は理攻めの世界」という言葉
>悲しい言葉です。
「攻め」という言葉の響きから、そう聞こえるかもしれませんけど、私は「理」によって秩序だてられた世界、ということを強調してあるだけに聞こえますけど。えらそうに言って申し訳ありません。匿名A様が悲しげなので・・。
只、この場合の「理」という意味を、別の言葉でどなたかはっきりと説明して頂けませんでしょうか?
匿名A 様、さっちん 様
>私は「理」によって秩序だてられた世界、ということを強調してあるだけ
さっちん様の解釈でよろしいかと。
「この世は理でせめたる世界なり なにかよろずを歌の理でせめ」(おふでさき1-21)
→「この世は理詰め(理で成り立つ)の世界なり、何でも全ての理を歌で説き聞かそう」(個人的解釈)
この「理」は国語辞典の解釈で良いのではないでしょうか。
というより、教祖様は国語辞典的意味でしか使っていないように思われます。
1.真理、摂理、法則。この世の中を構成する絶対的ルール。
物理や化学、数学の法則等、知る知らない、信じるか否かに関係なく世の中を動かすモノです。
2.理論、理屈、理由、理路整然など。「1」程ではないが多くの人が納得できる主張や考え。
内容によっては信頼性や用途、適用範囲などに違いがあります。
「十全の守護の理」は「1」です。
人間(生き物)の誕生から死までを司る機能や役割、性質・作用等を十個に分類して説いています。
「ぬくみ」「すいき」=温度と水分
「飲み食い出入り」=現代風に言えば「消化器官」と「その働き」でしょうか
「息吹き分け」=「呼吸器官」
「種」「苗代」=「遺伝子」と「子宮」(母方の遺伝子も含んで解釈しましょう)
など・・・・、どれ一つ欠けても「命」は存在できません。(原生生物やウィルスは別でしょうが)
それぞれの「モノ」を「いざなみ」「いざなぎ」「おうとのべ」「たいしょくてん」等と名前を付けたと「おふでさき」「元の理」から解釈できます。あくまでも命を産み、育て、死に至るまでの「道具」として。
つまり、例えるなら、「万有引力の法則」の事を「山田一郎」、「エネルギー不変の法則」の事を「田中花子」と名付けたようなものです。
更に言えば、教祖様以前に「生命に関わる道具」についてこれ程大胆に解釈し、関連付けて、解説して教えた学問も、学者も、書物もないでしょう。
これだけでも「ないことばかり言いかける」し、「生命理論の『親』」と呼ぶに相応しい教えではないでしょうか?
だから私は「教祖様は『いざなぎのみこと』の魂」という話を否定するんですよ、さっちん様。
お分かり頂けますか?
ちなみに、上記は「劇画 中山みき物語」からの受け売りです。
苦情や質問は、「とみ先生」か「櫟本分署跡保存会」にお願いします。
(私の読解力不足で勘違いしていたら、私の責任ですが・・・。)
失礼しました。
「教祖様は『いざなみのみこと』の魂」でしたね。
あわてて打つと紛らわしいです。
どちらにしても、「そういう魂の問題ではない」と否定させていただきます。
末端教会子弟 様
理路整然とご説明頂き、ありがとうございました。
私も勿論、「教祖がいざなみの命」と主張する気はないですけどね。(笑)
>どちらにしても、「そういう魂の問題ではない」と否定させていただきます。
末端教会子弟さん、反論ではなく、質問なのですけどね、
その十全のご守護は全て、人間の体の器官だと思います。体の器官が完璧でも、そこに魂が入っていなければ、電池の切れた機器、充電してない携帯のようなもの、と思われます。
その十柱の神様のうち、人の魂の守護をつかさどる神様は、どの神様でしょうか?
十全のご守護の説明だけでは、人の魂がどこから人間の体に宿るのか、ということの説明にはなってないことと思います。再度言いますが、これは素朴な質問です。
さっちん 様
>体の器官が完璧でも、そこに魂が入っていなければ、電池の切れた機器、充電してない携帯のようなもの
鋭い質問ですね。
例えも私が考えていた事と同じです。
身体の各器官は「ハードウェア」、それに電気(さっちん様が言う『魂』)が供給されなければ動かないのではないか、という疑問ですね?
でも、電気はエネルギーです。
エネルギーは、人間の活動(飲み食い出入り、息吹き分けなど)の中で自家発電しています。
必要なのは、最初に「スイッチ」を入れる(「ボタンを押す」かな?)こと。
それは受精の時で「命の誕生」であり、スイッチが切れた時が「死の訪れ」です。
「ハードウェア」には「ソフトウェア」が必要ですね。
「ソフトウェア」は、「心」だと考えます。
心は「本能」や「感情や感覚・気分」「考えたり思ったり」しますが、意識無意識に関わらず「身体を動かす」役割も担っていると思います。「思わなければ身体は動かない」のですから、「思わなくても勝手に動く」のも「心の役割」です。
「心」の中で、意識できる部分を「自我」、「無意識の部分」を「魂」と呼んでも構わないのですが、既に「エゴ」とか「エド」等という心理学用語がありますし、世間で言われる、人格のようなもの備えた「魂」とは全く違います。
人間の「心」も、まだ解明されていないモノの一つです。
「心なんて存在しない、脳が活動する中で、さも在るように錯覚してるだけだ」という説も有力です。
実際に、人間(生き物)の何処を探しても「心」に該当する器官も部分も見当たらないのですから。
これに関しては、私の考えもまだまとまっていませんが、「錯覚であれ何であれ、在るように感じられるなら在る」としか言えません。
さっちん 様
というかですね・・・・。
さっちん様の考える「魂」というのはどんなモノなのか考えてみませんか?
どんな性質、役割、特徴、働き等をするものなのか。
多くの人が「魂」と言っていても、それぞれが考える「魂」って結構違うと思いますよ。
手塚治虫の「火の鳥」では「個人の魂」と「コスモゾーン」の関係を説いているようです。
人間の魂が死後に「幽霊」になるという人もいれば、閻魔様の裁判を受ける、というような人もいます。
全て、「死んでみなければ分からない」事なのに。
死んだら考えたり知る事ができる器官(脳)が活動していないのだから、結局人間には「死後の世界」を知る事はできない、という考え方もアリでしょう。
末端教会子弟 様
私の只一つの質問にお答え頂いてないのですけど。(笑)
「人間に魂を入れる神様は十の神様のうちのどの神様か」、という質問です。
何やら、難しげなことを書き並べて、私の質問から意識を逸らそうとしているように思えますけど、ズルくありません?(笑)
反対に魂は何か、と問われても、とっさに考えがまとまりませんけど。(笑)
人間が亡くなった時に、魂の緒が切れる、とも言うそうですね。じゃ、命そのものが魂か、というと、それだけでもないような。命だけあっても、その個人、になるとは言えず。
違っているかもしれませんが、インターネットで検索などせず思うこと書きますと、(面倒ですし、サイトから知識を仕入れて書いても仕方が無いので。)
その人を、その人に有らしめているもの、ということでしょうか?前世とか、そういうことを書くと、又、末端教会子弟様に突っ込まれるでしょうが、過去に経験したことや、過去に感じた感情など、それらの情報が記録されたもの、人間の感情、心、行動、いろんなものを生み出す、(何でしょうね・・。元?)
無意識とか、自我、とか、それらのややこしいことを、論議するつもりはありません。Wikipediaを読めばわかりますので。
さっちん 様
>私の只一つの質問にお答え頂いてないのですけど。
以前に、
『肉体の発生と共に魂が発生し、肉体の消滅と共に魂も消滅する。
肉体の情報が両親から半々に受け継いでいるのと同様、魂の情報も両親から半々に受け継いでいる。
人間の思考や思想、理想や志といったモノが「魂」の産物なら、その意味で「魂は不滅」です。』
と、私の考えを述べてますよ。
「肉体と共に発生して肉体と共に消滅する」のですから「肉体から離れては存在しない」訳です。
誰かが出し入れしたり、宇宙から飛んできたり、それこそ魂が自分の意思で身体(生まれてくる家)を選んだりなんて事もありません。
それなのに、
>「人間に魂を入れる神様は十の神様のうちのどの神様か」
と質問されても答えようがないです。
「スイッチ」や「心」など、さっちん様の考えに近そうな例えや内容を挙げてみましたが、どうにもさっちん様の考えている「魂」にヒットしないようなので、さっちん様の概念を述べて貰って比較検討しようと思ったのですが、どこか問題ありましたか?
末端教会子弟 様
もう談じ合いは、終了していたものと思っておりました。末端教会子弟様の不屈の精神には、感服致します。(笑)
いささか、こちらは疲労ぎみ、でも、なんとか、できる範囲で、お付き合い致しましょう。
長文になりましたので、項目別に番号をふらせて頂きました。
① >魂の情報も両親から半々に受け継いでいる。
両親の肉体のDNA遺伝子が子供の肉体に半々づつ受け継がれる、というのは勿論、生物学的に検証された周知のことですが、魂が、両親から半々づつ、といいますと、それでは、魂を構成する遺伝子のような物質が存在する、という訳ですか?
両親から半々づつ受け継ぐものは「気質、性質」であると思います。気質、性質は、両親の肉体的特徴を受け継ぐことにより、性格に影響を与えるもののようです。(サイトをざっと検索) 末端教会子弟様は、魂と、「気質、性質」とを混同されているのではないでしょうか?
②
>元の理の原型となる「泥海古記」そのものを教祖様は認めていません。
教祖様やその家族の者が「十全の守護の魂の生まれ変わり」等という説明は、一列兄弟という教えに矛盾します。矛盾する事は、どちらか(あるいは両方)が嘘や間違いですから、「教祖様が認めていない泥海古記」が間違いだと判断する方が妥当です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>「十全の守護の理」は「1」です。
人間(生き物)の誕生から死までを司る機能や役割、性質・作用等を十個に分類して説いています。
(中略)
それぞれの「モノ」を「いざなみ」「いざなぎ」「おうとのべ」「たいしょくてん」等と名前を付けたと「おふでさき」「元の理」から解釈できます。あくまでも命を産み、育て、死に至るまでの「道具」として。
つまり、例えるなら、「万有引力の法則」の事を「山田一郎」、「エネルギー不変の法則」の事を「田中花子」と名付けたようなものです。
更に言えば、教祖様以前に「生命に関わる道具」についてこれ程大胆に解釈し、関連付けて、解説して教えた学問も、学者も、書物もないでしょう。
これだけでも「ないことばかり言いかける」し、「生命理論の『親』」と呼ぶに相応しい教えではないでしょうか?
末端教会子弟様は、上の文では、「泥海古記」を否定され、下の文では、絶賛されております。どういうことなのでしょうか?
③ 次にお筆先の 次のお歌
【 せんしよのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる (1-74) 】
このお歌には、はっきり「前生」というお言葉が出ております。この「前生」を末端教会子弟様はどのように説明されますか? これも泥海古記と同じく、間違いだと仰るのですか?
ご自分の都合で、これは認めたり、これは認めなかったりでは、仰ることに信頼性が欠けるのではないでしょうか?
さっちん 様
順番を変えてお答えします。
② 教祖様が「この世の元始まりの話」をされていたのは間違いありません。「おふでさき」にもありますし、多くの方の証言記録も残っています。そのお話を元にして「こうきをつくれ」とお命じになりましたが、何人もの人が書いた「泥海古記」に対して「よし」と言われなかった訳です。
何がどう「あし」なのか確かな事は分かりませんが、教祖様の教えが「世直し」だということから考えれば、現実世の中を擁護する「因果応報・輪廻転生」論が混じっていたからだと考えるのが妥当です(他にもあるかもしれませんが)。
私が絶賛した「十全の守護の理」は、「因果応報・輪廻転生」論を省いて解釈した「生命理論」です。
「都合のいい部分だけ抜き出している」と思われるかもしれませんが、私としてはオカルトや矛盾するものを省いているだけだと考えています。そうしないと教祖様の教えに届かないと感じるからです。
③八島先生は「前生は親、来生は子の事ですよ」と言っておられました。私も賛同します。
「前生のいんねん寄せて守護をする これ末代までしかと治まる」
これ、難しいんですよ。
「いんねん」というのをどう解釈するかで全く意味合いや内容が変わってきます。
②で「因果応報・輪廻転生」論を否定してるのですから、人の「形質や性質、特徴といったもの」と解釈するのが妥当かなと考えます。
で、「親が生きてるのだから十全の守護が働いている、それが子孫に伝わって確かに命は続く」という程度かと。
おふでさきは単独ではなく、前後の歌も併せて考えてください。
で、①ですが。
私は世間一般の人の言う「魂」というものの「存在そのもの」を疑っています。
その役割や特徴や性質や働き等、人によって意見がばらばらで全く定義もされていません。
人の死後に関する魂の状態や様子も諸説百般あり意味がわかりません。
さらに言えば、私にはその必要性も見出せません。
魂の話をする人が言う事は、大抵の場合「それって『こころ』でいいじゃん」と感じられます。
「気質・性質と混同してる」のではなく「気質・性質(こころ)の方へ誘導してる」が正解です。
だから、さっちん様の言う「魂が生まれ変わると考えなければ説明がつかない」という内容やお話を伺いたいのです。もしかしたら「魂が生まれ変わると信じている」のが先で、「その考えで説明できる出来事があった」のかもしれないからです。何しろ、日本では数百年間、「霊肉二元、因果応報、輪廻転生」が説かれ信じられてきたのですから、漠然と信じてる人が殆どなのではないでしょうか。
それら日本仏教に「忠孝道徳」や「心学道話」などが加わって、天理教の「理の親教理」「教団維持の教理」が出来上がったように思えてなりません。
八島氏は資料収集家でもあり、分署の保存に貢献された教祖伝歴史研究家ではあったけれども、天啓者不在後の中山天理教同様、教理的には自己矛盾だらけでしたね。
永遠の魂と神の守護の理の関係、道具衆の魂と身体の機能の関係。最初にその機能の実験に使われた魂という意味なんじゃないのかな。
神の目指す「にんげん」に我々より近づいた、進化した魂があって、お地場で、世を救い人をたすける活動をして下さる天命を持っている魂なのではないか?
教組は道具衆の魂に対して、神として拝をさせる為にも、ひながたの道を通れと仰っているんだと思いますね。
晩年の教祖のように、千里眼や念動力、予知や遠隔治療等の自由用自在の救け能力の常態的的発現も、お地場に道具衆の魂が引き寄せられるという大前提も、神の啓示者、不思議な霊能者達がいらっしゃって初めてわかるんですけどね。
不思議な霊能者が現れる条件として、教祖の教えが伝えられなければ、現われ様がないのではないでしょうか。
教団が教祖の教えを明かさないのは、不思議な霊能者が現れることを最も恐れているからではありませんか。
八島氏はそのことに気づいておられたと想像します。
教団本部は教祖の足跡を隠そう、隠そうとしているというより、なくしてしまおうと目ろんでいると聞いています。何よりの証拠でしょう。
宗祖亡き後の宗教団体が往々にして陥る、家元利権と聖地利権で喰ってる中山家ご一統様方にとっては、経済的な安定、集金が目的なんでしょうね。それが善亮さんの一連の発言に現れていますね。
ただこのお道には、特別な意味を持たせた場所があるんですね。万タスケの為の本拠地としてのお地場なんですね。
本部の中枢が、世界救けだとか、人だすけの為のお地場の存在理由を考えないのならば、皇室や貴族と間違っているんじゃないか?という批判は当たっているかもしれませんね。
この選民思想と、ノブレス・オブリュージュは対局にあるものだから、もしお地場でヨロズタスケを勤めなければならない魂達には、神格者である事を要求される筈ですね。ひながたの道を通れという。
善亮氏の云いたいのは、「万タスケは致しませんが、献金だけは集めます」という事なのか?
それが親里地場からのメッセージであるなら、現在の教会本部は一度解散した方が、世の為、人類の為になるんじゃないか。
末端教会子弟 様
>魂の話をする人が言う事は、大抵の場合「それって『こころ』でいいじゃん」と感じられます。
今まで、「魂」とはどういうものか、ということに関しても、結構談じ合いして来たと思いますが、「それって『こころ』でいいじゃん」と片づけられるとは、いささか、がっくりですね。
>さっちん様の言う「魂が生まれ変わると考えなければ説明がつかない」という内容やお話を伺いたいのです。
私、とっくに書いてますけどね。何を読まれて来たのですか?カルマの法則(自分の蒔いた種は自分で刈り取らねばならない)ということは、欧米でも信じられています、検証もされてます、と。決して日本的な、又、ヒンズー教のみの世界観ではありませんよ。ですけど、天理教において、信者に対して、「因縁自覚」のお諭しはするべきではない、という点については、かなり書き込んでると思いますけどね。忘れられてるなら、読み直してくださいませ。今まで書いたこと以上に付け加えることはありませんので。
そして、「成って来る理が天の理」というのも、そういうことではないか、ということも書いてます。末端教会子弟様は、「成って来る理」、というのは、なぜ起こると思われますか?単に、一生懸命やってれば、努力が実って運命好転する、ということでしょうか? 現行天理教団が今衰退しつつあるのは「天の理の通りに成って来ただけ」、とたくさんの方が書かれてますが、末端教会子弟様はこれも、本部の強欲や教団経営の失敗の結果に過ぎない、ということなのでしょうか。
もうここら辺で止めときましょうか?末端教会子弟さんと談じ合いは二度としたくないですね。(笑)
末端教会子弟さんと、談じ合っても「ピンクの餅」にはならないようですから。
それから、これから月次祭の準備やらで、7日までは時間が空きませんので、何か書かれてても、お返事はできませんので、一応ご連絡しておきます。
>もうここら辺で止めときましょうか?談じ合いは二度としたくないですね。(笑)
了解しました。同意します。
今後は、さっちん様の書き込みのおかしな所や矛盾するところを「突っ込む」だけで「書き捨てる」事にします。
反論されるのは自由ですが、返事はいりません。
以下、書き捨てです。
過去の書き込みでは、「研究されている」「検証されている」等と書かれていますが、具体的な内容が書かれていません。さっちん様の身の回りや出来事に当てはめた答えもありません。
つまり、さっちん様の「血肉」になっていないのではないかと感じていました。
また、理の親教理や天理教組織に対する批判的な言葉も、「教祖様はそんな事言ってませんよね」「教祖様の教えではありませんよね」とは書かれているものの、矛盾点を突いたり「正しい教えや解釈はこうです」という主張や考えも見当たりません。
これは、「理の親教理」も「さっちん様の考え」も、同じ「霊肉二元論・因果応報・輪廻転生」などを基本としているから、批判拒否するだけで終わっているのだろうなと思われます。
「成って来る理が天の理」は「因果」です。
「物事には原因があって結果がある」「結果にはその原因があった」はこの世の摂理です。
物理化学数学等ではこの「因果」が明白ですが、人間社会の現象では複雑で色々なモノが絡み合ってるし気まぐれな人間の思惑等も含まれているので、人間の力では「何が原因」なのかを見つけ出すのは困難な場合が多いです。
「因果応報」では、全てを単純化した上で(この方が人々には分かりやすいですからね)人間の価値観で「善い事をすれば善い結果が訪れる」「悪い事をすれば悪い報いを受ける」と説いており、現実世界では当たってる事もあるし当たらない事もあるので「宗教」なのです。
「善い事をすれば善い結果が訪れる、悪い事をすれば悪い報いを受ける」だけなら民衆教育のためには悪いことではありませんが、これが「輪廻転生」と結びついたら最悪だと何度か書かせていただきました。
「天理教が衰退している」という結果に対して原因や理由は色々あるでしょうが、「衰退している」という結果が漠然としていて一つの原因や理由を指摘する事は出来ません。多くの原因があって多くの結果が合さって「衰退してる」なんでしょう。その中での大きな割合を占めるであろう「原因」や「結果」なら考えられますが。
捏造・虚像・拡大解釈等で矛盾する「教祖像」を全て受け入れると、その矛盾を解決する為にはオカルト(不思議不可思議超常的など)に頼らなければなりません。
>晩年の教祖のように、千里眼や念動力、予知や遠隔治療等の自由用自在の救け能力
なんて事を言う人まで現れるわけです。
個人的にそういう能力が欲しいと思うのは個人の自由ですが、他人に「そういう能力を身に付ける修行をしろ(ひながた辿れ)」は無茶苦茶ですね。
古い教会長様が言うように「まずはお前(本部の人達)がやって示してくれ」ですよ。
個々人の魂から発揮される、心の道どうりに、神がたすけ一条の守護をして下さっている世界が、この現象世界なのでしょう。因果を受ける主体は永遠の魂なのですね。
金正恩が早晩惨殺によって今世を終えるとしても、それは分かりやすい因果応報ですが、神が心の道通りの、人類に対するたすけ一条の守護をもって、この世を運営進化させている証しだと感じませんか?
正恩君には、気の毒ではあるけれど、当人が改心しない限り、人類の未来にとっては良き事なのでしょう。
神への、存在への、感謝と、人類への優しさを深め、神の化身達(啓示者、霊能者、神格者の様な人達)が
お地場に増え続けてゆくのを楽しみ、そのお心を学ぶのが、親神が顕した、親里地場の道だった訳です。それによって人類の精神も広範囲に建て替わってゆくわけですね。
その意味では、本席様以後、啓示者を不要と断定してきた、全ての本部執行部の人達は間違って来たんですよ。
現在の中山天理教が衰退するのも神のたすけ一条の守護の一環なのだから、ありがたい事に変わりはないのだけれど、正恩君だとか善亮君のようなイジメっ子の魂の未来に因果応報のしかるべき守護があるのは当然でしょうが、現在イジメられている側の人達の沈黙の陰気さも外野から見ていても、気の毒なんですね。
先日、発行された「あらきとうりょう265」に、青年会長・中山大亮氏のインタビュー記事が掲載されている。
ブラジル青年会での記念祭に十二下りの総立ちがあるので、三ヵ月かけて必死に練習したそうです。
においがけをして、初席者も十四人出来たそうで、大したものです。
非常に真面目な良い青年だと思いますが、どう考えても私の青年時代と、さほど変わらないし、もっと人の為、世の為に尽くしている青年は他にも一杯おります。
また、何十年と教理を深く掘り下げ、地道な信仰生活をして、ひながたを通っている人もおられます。
なのに、何故、まだ未知数な青年を、真柱継承者に推戴するのかが、よく分かりません。
真柱は「教祖の血統者の系譜に基づき、本部員会議において推戴する」ことになっているそうですが、本部員は彼が真柱に相応しい人物だという事が、どうしてわかるのでしょうか。
教祖の血統者でなくても、中山でなくても、真柱にふさわしい人を選ぶべきではないでしょうか。
よく「魂が違う。」という言葉を聞きますが、一体だれが魂の違いを見分けられるのでしょう?本部員先生なのでしょうか?
末端教会子弟様
自分の思う所を、誤解を生じることなく述べさせて頂くため、随分長い投稿文になりました。
そして今回の投稿を以て、末端教会子弟様との談じ合いは打ち切らせて頂きます。末端教会子弟様は、今回の私の投稿に対しても、全てに反論を述べられるでありましょうが、それに対して、再度意見を述べることは控えさせて頂きます。後は、コメント欄の読者の方々の判断にお任せ致します。末端教会子弟様の意見を是とされる方もおられるでしょうし、私の意見を是として下さる方もおられるでしょう。それで良いのではないでしょうか。
私は、これ以上続けても無意味なことで、自分の時間と労力を無駄に消耗するだけと思いますので。 末端教会子弟様と、意見を一致させる必要も無いことですし、お互いの解釈、考えの違いで仕方がないことと思います。
A:因縁の問題について
まず、末端教会子弟様の前回の投稿から
>「成って来る理が天の理」は「因果」です。』
>「物事には原因があって結果がある」「結果にはその原因があった」はこの世の摂理です。』
末端教会子弟様も「成って来る理」は「因果」、と言っておられます。原因と結果と。私の言っている「カルマの法則」これも結果の出る行いのこと、末端教会子弟様のお考えと変わりはないと思いますが、違いは、末端教会子弟様は「生まれ変わり」はない、私は「生まれ変わり」などということを、常に念頭に置いて生きている訳ではありませんが、あると思わざるを得ない。
いろいろ言葉がごちゃごちゃしてややこしいので、整理しておきますと、
因果・・・・原因と結果
カルマ・・・・・行為・又は、結果をともなう行為。輪廻転生と関係づけられる。
因縁・・・仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。(ブリタニカ)これも「物事を生ぜしめる原因」、と解釈してよいでしょう。
原因による結果が今世中に現れて、清算されればよろしいが、今世中にその返し(いい場合、悪い場合両面)が行われない場合の説明は、転生(生まれ変わり)の仕組みがあると考えねば、説明がつきません。皆が皆、今世中に自分のしたことの決着がついているとは言えません。善行を積みながらも、一生苦労し続けて人生終わる人、人を苦しめ、金儲けなどで悪業を積んだままの人など、いろいろと思います。悪のみを考えるから、悪因縁、ということが先に来てしまいますが、良い因縁の場合も勿論あります。
因に対する果を受けなければ、因果の摂理に反する。悪業の返しを今世に受けてない人は、死んで地獄に落ちるか、来世返しが来る、と解釈しないと「理で攻めたる世界」ということの説明がつきません。「理の世界」ではなく「理で攻めたる世界」、つまり「厳然」として現われる摂理であります。自分のしたことは必ず帰って来る。自分の蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。例外があっては「天の理」「理で攻めたる世界」ではありません。
しかし、この世の摂理、法則として、あるのだろうが、それを「宗教」に利用するのが悪いのであり、この因縁の法則自体は、良いも悪いも無い。私は「悪因縁」のお諭しは反対である、と再三述べてます。良い因縁の諭しは一応、良いとは思いますが。
以上、考察を述べましたが、生まれ変わりという事に関しては、いくら談じ合っても平行線、お互いの解釈の違いで仕方がないと思います。只、末端教会子弟様の以下の投稿で、
>他にも書きましたが、「出直し」=「やり直し」と解釈します。』
>元の理で言う「出直し」は、「魂(生き物全て)の平等」を説くための神話です。』(11月29日 8:19 PM)
元の理の部分に「出直し」というお言葉が入っているお歌を見つけられませんでしたが、私の見過ごしかもしれませんので、何号の何番か、教えて下さいませ。
>教祖様が亡くなられた後、教祖様のご遺体をどうしたらいいかお伺いを立てたところ、本席が「古い着物を脱ぎ捨てたようなものや、捨て置け。」と「おさしず」された事でしょうか?』
>でも、亡くなった人に対する言葉でないのなら、「出直し」=「やり直し」でもその文章は成り立ちますね』
「古い着物」というのは亡くなった折の、今まで神様からお貸し頂いた「肉体」と解釈します。私が、出直しは生まれ変わりではないか、と述べたところ、末端教会子弟様は、「やり直し」と返されましたが、何をやり直すのか、はっきり書かれてませんでした。「やり直し」というのは、再度行うことです。つまり、、同じ魂を持つ人が新たな肉体をお借りして、又新たな人生をやり直す、としか解釈できませんが、他の意味がありますか?人が亡くなって、その人の魂も消滅するなら、やり直しとは言わないと思いますが。
B:魂の問題について
>② 教祖様が「この世の元始まりの話」をされていたのは間違いありません。「おふでさき」にもありますし、多くの方の証言記録も残っています。そのお話を元にして「こうきをつくれ」とお命じになりましたが、何人もの人が書いた「泥海古記」に対して「よし」と言われなかった訳です。
何がどう「あし」なのか確かな事は分かりませんが、教祖様の教えが「世直し」だということから考えれば、現実世の中を擁護する「因果応報・輪廻転生」論が混じっていたからだと考えるのが妥当です(他にもあるかもしれませんが)。
私が絶賛した「十全の守護の理」は、「因果応報・輪廻転生」論を省いて解釈した「生命理論」です。』
>教祖様以前に「生命に関わる道具」についてこれ程大胆に解釈し、関連付けて、解説して教えた学問も、学者も、書物もないでしょう。
これだけでも「ないことばかり言いかける」し、「生命理論の『親』」と呼ぶに相応しい教えではないでしょうか?』
>「都合のいい部分だけ抜き出している」と思われるかもしれませんが、私としてはオカルトや矛盾するものを省いているだけだと考えています。そうしないと教祖様の教えに届かないと感じるからです。』
泥海古記というのは、お筆先に書かれてあるもの以外にあるのですか?お筆先の中の泥海古記を読んだ限りでは、因果の意味を指す因縁の話は含まれてないと思います。
「このどぢょなにの事やとをもている これにんけんのたねであるぞや(第四号 123)
「このものを神がひきあけくてしもて だんだんしゅごにんけんとなし」( 〃 124)
お筆先のこの歌の中の「種」が魂と解釈できます。泥海古記のこの部分は、因縁とは関係ない部分ですので、省く必要は無いと思います。
>それぞれの「モノ」を「いざなみ」「いざなぎ」「おうとのべ」「たいしょくてん」等と名前を付けたと「おふでさき」「元の理」から解釈できます。あくまでも命を産み、育て、死に至るまでの「道具」として。』(12月3日 6:46 AM)
の「道具」に
「このこかす九をく九まんに九せん人 九百九十に九にんなるそや」(第六号 46)
「この人を三か三よさにやどしこみ 三ねん三月とゝまりていた」( 〃 47)
と、親神が九億九千・・もの「子数」を、うおとみとに宿し込み、人間へと「せへぢん(第六号48)」していった、と記述されています。
私は、「道具」に人間の魂を宿し込まれた部分も入れてこそ、末端教会子弟様の感じたように、今までに説かれたことの無かった「生命理論」と思います。魂を入れる、と一般的にもよく使われますが、魂を入れなければいくら完璧な身体があっても、木偶人形の如きです。
そして末端教会子弟様は、私の、魂のご守護下さる神は十柱のうち、どのお神様でしょうか?という問いに、「肉体から発生する」、などとちょっと陳腐としか思えないお答えを返されましたが、やはり先に述べましたように、親神のご守護によって、魂を宿し込まれたものと思います。
C:前生の問題について
>③八島先生は「前生は親、来生は子の事ですよ」と言っておられました。私も賛同します。』(12月4日 7:01 PM)
>②で「因果応報・輪廻転生」論を否定してるのですから、人の「形質や性質、特徴といったもの」と解釈するのが妥当かなと考えます。』
>おふでさきは単独ではなく、前後の歌も併せて考えてください。』
この末端教会子弟様のご意見に関しては、それに対する答えとなる文が載ってます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E3%81%BF%E3%81%8D
の、8 脚注 の 9 ・・・(このwikipediaの最後の方です。)
【 9^ ただし、植田は八島の考察を「教祖の天啓やひながたを人間的なレベルの思想や行動と受け取り、霊魂や転生を否定し、心身を唯物的に認識していることには同意できない」としている(天理教みさとブログ<原典からの出発>「5/25 月例会報告」) 】
八島氏は霊魂や転生を否定されていることから、「前生」ということは信じておられなかった。故に「前生は親、来生は子の事ですよ」と、そういう表現をされたのでしょう。
「前生のいんねん寄せて守護をする これ末代までしかと治まる」の「前生」は、末端教会子弟様が仰ったように、おふでさきの前後を読み直しましたが、文字通りの「前生」としか私には、解釈できませんでした。
D;魂とは何かという問題
>魂の話をする人が言う事は、大抵の場合「それって『こころ』でいいじゃん」と感じられます。
>「気質・性質と混同してる」のではなく「気質・性質(こころ)の方へ誘導してる」が正解です。
面白い弁解ですこと。(笑)
性質はあくまで、その人の性情の質です。性格は生育環境が合わさって形成されたものです。
☆性格とは;「先天的な気質と後天的な影響とによる、その人の感情、意志などの傾向(国語辞典より)」
感情や、行動を起こす【主体】」とはなり得ません。そして心とも違います。解りやすいサイトがありましたのでご参考までに。 「心」と「魂」の違い http://ameblo.jp/lokahi-healing/entry-11462684407.html
「魂」は、生まれ変わりする主体になり得るが、「心」は主体となり得ない、と考えます。
E : 最後になりましたが、前回の末端教子弟様のご意見から
>理の親教理や天理教組織に対する批判的な言葉も、「教祖様はそんな事言ってませんよね」「教祖様の教えではありませんよね」とは書かれているものの、矛盾点を突いたり「正しい教えや解釈はこうです」という主張や考えも見当たりません。』
私は、理の親教理や天理教組織に対しての批判は、今までに再三書いております。矛盾点を突くことも、正しい教えや解釈も書き込んでいると思います。「そうですよね、言ってませんよね」と、投稿者に同意を求める気持ちで、付ける場合もあるでしょう。理の親や組織に関しては、「お供え掲示板」で、組織については、末端教会子弟様と談じ合いに入る前にも、ピラミッド組織を均してフラットな組織にし、大教会、上級教会を廃止、と書いております。教祖の教えから、本部も不要、と書いたこともあります。
が、いちいちそれらの過去の投稿文を探し出して、ここに、日付を付けて載せる必要は無いことですし、そんな無駄なことをしている時間もありませんし、何より、これ以上投稿を長くするのは、読者の皆様にご迷惑を掛けますので、控えさせて頂きます。
>これは、「理の親教理」も「さっちん様の考え」も、同じ「霊肉二元論・因果応報・輪廻転生」などを基本としているから、批判拒否するだけで終わっているのだろうなと思われます。』
私は論理だてて書いているつもりです。言いがかりでしかありませんね。
以上をもちまして、以後、末端教会子弟様と、投稿で意見を交わし合うことはありませんので。末端教会子弟様が、今後、私の意見に対して、如何なことを述べられようが、私から返すことは今後一切ありません。
遂に、教団は全教会の不動産乗っ取りの挙に出たのでしょうか。手始めに〇〇大教会から始めようとか言いながら。何と破廉恥な行いでしょうか。しかし、現行教団の執行部の顔ぶれを見れば、あり得ない事ではありません。
代表役員(会長)はともかく、責任役員の職責の重要性は増すばかりです。うっかり、決算書に押印してはだめですよ。信者の奉仕で維持されてきたものであるならば信者に還元するのが筋というものでしょう。
本当に恐ろしい教団です。何度もいいます。現行天理教には絶対に近づいてはいけません。
こうした「乗っ取り」暴挙は、ここ最近囁かれている、各大教会の財団法人設立のラッシュとも関係が深いと思われます。
教団執行部の方々は、最早「お金」しか眼中にないのではありませんか。
やみくもに設置され、建てられた学校群、参考館、図書館、医療施設の拡張、おやさと館など数え上げればきりがありません。
これらを維持するためには、要員と莫大な維持管理費用が要るのは当然です。今こそ教団は教祖の教えに立ち返り、不要の物は国立等の機関に寄付をして、純粋な宗教機関として出直すべきだと思うのです。
優秀な人材の育成は重要な課題だとは思うのですが、宗教としての重要な人材とは何かを考えるとき、方向が違ってくると思うのです。
ある方が漏らされた言葉「天理教がこの姿になるのには数百年早すぎた」。若い頃に聞いた言葉ですが、心の隅に残っていました。
>「天理教がこの姿になるのには数百年早すぎた」
現在の中国を見れば一目瞭然ですよね。ついこないだまで自転車が目だったあの国が今では経済大国にと思ったのもつかの間その陰りはすぐに訪れ経済の衰退それに伴い政治不安など国家崩壊しかねない状態です。
私達の日本も戦後、復興そして高度経済成長そしてバブルを向かえ飽和 その際成長と共に起き忘れたものを取り戻そうにもそれが何かすら見えなくなってしまった。この日本でもそれだけの問題を抱えているのにそれより急速に発展した中国ならばそれ以上のこの事態に成るのは納得が行きます。
この教団もその日本と共に急速に成長したが今の路線の途上で信者離れは起こり現在加速しているのでしょう。この戦犯は二代真柱が発端、そして現在の中山家を中心に祭りあげているその周辺と言えるでしょう。
ソ連崩壊の際にそれまでの資料が大量に世界に公開された。崩壊までの序曲でもそれらの資料やトラブルも表面化します。
上記の、本部、本部員の大教会乗っ取りはまさにその序曲の引き金であると痛感させられました。
とうとう来てしまいましたね。本部が自らタブーを起してしまったのですね。この波紋は全教に広がりそして本部に帰る事でしょう。その帰った時が本部の終焉と成るでしょう。この教団はあと数十年で崩壊するでしょう。
なんとも悲しい話しですが皆さん薄々気が付いていたことでしょう。
教会をお持ちの方は自らの教会を本部から守りましょう。そして戦う準備をしましょう。その武器はこの天理教社会学研究所さんに沢山落ちてます。後は騙されない心と守る為に戦う為の多少の勇気だけで充分です。
「永遠の魂が輪廻転生を繰り返す」という考えで主張されている立場は尊重させていただくとして。
明らかに論理的におかしな部分をいくつか指摘(書き捨て)させていただきます。
>悪業の返しを今世に受けてない人は、死んで地獄に落ちるか、来世返しが来る
「因果」はこの世の摂理だが、この考えは「因果応報」という宗教的考え方。
この「因果応報」が真実だとしたら、例えば、「借金を返さないで死んだ人は生まれ変わって返済する、お金を返して死んだ人は生まれ変わった人が返済してもらえる」のかな?
「お金の代わりに~」なんていう話も無茶苦茶になるし、明確な基準も判断材料もないのに偉そうに「前世での・・・」なんて言う人間は、良い事言おうが悪い事言おうが「詐欺師だ」ということ。
>自分の蒔いた種は自分で刈り取らねばならない。
「原因」から「結果」までの時間軸を計算に入れていない。
>「やり直し」というのは、再度行うことです。
六下り目八ッ やつぱりしん/\せにやならん こゝろえちがひはでなほしや
亡くなった人に対して言ったのではなく、信仰の心得違いをした人に「心を改めてやり直せ」とのお諭し。
本席の「古い着物を脱ぎ捨てたようなものや」は教祖様の亡骸について言っただけで、「魂が古い着物を脱ぎ捨てた」という解釈も出来なくはないが、「新しい着物に着替えてくる(生まれ変わってくる)」等とは言っていない。
>「道具」に人間の魂を宿し込まれた部分も入れてこそ、
さっちん様の年齢なら「夫婦の行為」を「子供を宿し込む」と表現することは理解できると思われます。
勿論、実際に子宝を授かるかどうかは現在の科学を持ってしても「神の思し召し」なので、敢えて言うなら「宿し込む」のは十全の守護ではなく「親神様」になる。
>「心」と「魂」の違い http://ameblo.jp/lokahi-healing/entry-11462684407.html
この記事、「心と魂の違い」を説明してるのではなく、「潜在意識を『魂』と呼べば気が楽になる」という説明をしているだけ。
「心には『潜在意識、顕在意識、超自我』がある」という説が心理学の主流派であり、個人の潜在意識が輪廻転生を繰り返すと考えるのは無理がある。
>ピラミッド組織を均してフラットな組織にし、大教会、上級教会を廃止、と書いております。
こんな事は「一列兄弟という教え」からして当たり前。
「何故これらの組織が作られたのか?」「その根拠となる理論体系は何なのか?」「その根拠となる教えの解釈の矛盾や問題点はなんなのか?」「正しい教えと解釈は〇〇である」といった考えや思考をしていない(輪廻転生の考え方では出来ない)ということ。
さっちんさまと末端教会子弟さまの出直し、心と魂をめぐる教理の議論、とても感銘をもって読まさせていただきました。
それぞれとても深いところをついておられ、それぞれに説得力を感じました。
私のような者がさらに横から自分の意見を申し上げると、議論が錯綜してしまいそうですので、ここでは一言だけ申し上げさせていただくことにしたいと存じます。
経験上、私の思いますのには、練り合い・談じ合いというのは、こういう掲示板で交し合うようなものではなくて、やはりお互いに膝突き合わせて時間をかけてやり取りするのが一番だと思います。
ネット掲示板のやりとりでは、顔が見えない、表情が見えないために、ちょっとした言葉の行き違いが思いもよらない溝を双方に生んでしまいます。
そういえば、最近、我々の周辺でも練り合いの場面がなくなってきたように思います。
昔は、大教会でも教区でもわりとやっていたし、本部主催の行事の中にも取り入れていました。
しかし、愚痴の言い合いや上級の悪口をいうのは良くないなどという理由で、練り合いは縮小傾向にあります。
その結果、言いたいことが言う場がなくなり、直会もみな車の運転があるので早々に引き揚げてしまい、「有志」だけが飲み会の席を設けてそこで愚痴の言い合いをするだけになってしまいました。
私が近年そういう席に行かなくなったせいか、今ではそうした愚痴の言い合いの場さえなくなった感があります。
その意味でインターネットの出現はとてもありがたく、単なる愚痴の言い合いだけでなく、客観的な数字もお示しいただき、それに基づいてユニークな提案も出されています。
(一見、破壊的なように見える発言も、新しい建設のためには必要なんです。汚い膿を出すのは浄化の第一歩です。)
全体的に天理教の雰囲気が硬直してきたのは、お互いにしらふで本音を言い合える場がなくなってきたこともあるように思えます。
天理時報も教理上の練り合い議論が載らず、天理教学の研究も同じことの繰り返しで、わくわく感がなくなりました。
地方の教会の衰退は着実に進んでいます。
月次祭を教会家族だけで細々とやっているだけで、これ以上「おつくし」圧力が強くなれば、信者の心は離れ、教会は空き家のようになるばかりでしょう。
働き盛りのようぼくが、今の天理教にまるで魅力を感じないのが、最大の要因です。
天理教の教会教理にも教会行事にもわくわく感がゼロにひとしい。
だから、「おつくし」は高齢教会長・高齢信者の老人年金からがメインという悲しい現実があります。
陽気の四コマ漫画も笑うに笑えない、統領さんのおつくしは命のつなぎというのも苦しい嘆願にしか受け止められません。
しかしながら、これ以上、末端の人達からお金をむしり取っては絶対にいけません。
末端布教所長 様
ありがとうございます。
ご指摘の通り、ネットでの文字だけの練り合いに難しさと困難さを感じています。
出来るだけ建設的な話や方向にしようと思いつつ、相手の「面白い弁解ですこと。(笑)」とか「ちょっと陳腐としか思えないお答え」とかいう言葉に過剰に反応してしまいました。
元々、こういった議論は「あると主張する方」がその根拠や理論を提示し、「ないと主張する方」が反証するのが普通なのですが、今回のやり取りは逆になってしまったために読む方のお目汚しになってしまったようです。改めてお詫びいたします。
しかし、
>愚痴の言い合いや上級の悪口をいうのは良くないなどという理由で、練り合いは縮小傾向にあります。
これって、明治時代の「集会条例で言論弾圧」したのと同じ状況ですね。
お上は、自分たちの非を認めず現体制を維持する事に汲々としてることの証明でしょう。
そういう組織の行く末は自然消滅か誤った方向に進んで玉砕するかのどちらかである事は、過去の歴史を見れば分かります。
それとも、本部の面々は「自分が生きてる間さえもてばいい」とでも思ってるのでしょうかね?
老いぼれ教会長 様
しかし乗っ取り事件とは凄まじい状況ですね。本当に貴重な情報ありがとうございます。
「乗っ取り事件」について、書いていただける範囲で結構ですので、心より楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
ん? おいぼれ教会長よくぞいってくれた。まさに世も末じゃ・・・教祖。
失礼しました。
老いぼれ教会長さん
2016年12月7日 4:27 PM
統領コンビ噂では聞いてたけどほんま最低やな!知り合いに言いまくったるわ
>老いぼれ教会長さん
乗っ取りそのものが悪いこととは思いませんが、その目的や手法については興味があります。
公開できる範囲で構いませんので、ここで晒して頂ければ嬉しいです。
年金!年金と会長は云うが、昭和5年以前生まれの者と、それ以降生まれの者とは支給額に雲泥の差があることを知っているのか。
90歳近い厚生年金受給の信者が30万円近くの受給額があるからといって、70歳代の老人信者の年金支給額も同様だと思ってもらっては大迷惑だ。
その辺の社会事情をしっかりと勉強して認識を新たにしてからお供え!、お供え!と云って。
全く「井の中の蛙」は困ったものだ。
匿名A
2016年12月11日 12:04 PM
おー!その年代でその差額があるのははじめて知りました。勉強に成ります。
年金狙いの教会長そしてその年金教会のお供え狙いの年金本部w
バカの一つ覚えで運営して来てるだけなので、年金と連呼してる頭が粘菌(アメーバー)単細胞なんでしょうね(笑)
単細胞教会と単細胞本部まさにこれそこ元はじまり実際もう今までの教団も本部は終わりを迎えていて次なる時代が幕を開けたのだと確信しました。それは皆んが気づき立ち上がったからです!
匿名 様
2016年12月12日 8:18 AM
匿名様ありがとうございます。
本当に困った方々です。少なくとも教団幹部連中は一度、ウルグァイ東方共和国大統領・ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノ氏著「ホセ・ムヒカ 日本人に伝えたい本当のメッセージ及び外の著書」を読んでほしい。
初代・二代・及び三代各真柱は共に早逝。何が115歳定命か、自ら範を示せ。
しかも、その所為を信者たちの信仰の度合いが低いからだと宣う大教会長が居られるというから、世も末だといわれても仕方あるまい。
信者たちが何か悪い事でもしたというのか。さんざん「お供え」を搾り取っておいて何をか云わんやである。
天理教の名誉回復のために、云いたいことがあるなら大教会長連中は、この場へ実名で反論すべきだ。
成層圏を悠々と飛ぶのが天理教で、地上すれすれで今にも不時着しそうなおんぼろ飛行機が〇学会だと云っていた本部の講師のような上から目線の人達にはカキコ一つできないだろう。
真柱も年金柱と改名したら良いのにね。
年金教教会本部
だいすけさま年金でのご結婚おめでとうございます!(近親交配)
老人の年金を騙し取ってる天理教教会本部はどこぞの詐欺集団と一緒!
最低だわ!なにがだいすけさまだよ!
結婚なんかできる財政状況や信仰状況ないだろ!
実の親父は法人乗っ取りしてるとか恥ずかしくてやってられんわ!
匿名 様
2016年12月12日 8:18 AM
続投失礼します。
年金の実態を述べます。私の知る範囲のことなので全てではないことをご理解願います。
叔父(96歳)は公務員でした。現在の年金額は、月額33万円余です。一方、同じく公務員を定年退職した78歳の知人の年金月額は23万円です。ちなみに、私の厚生年金月額は15万6千円。手取り月額は13万7千円です。
では、厚生年金は如何ほどでしょうか。今から受給が始まる人の平均月額は18万円前後でしょうか。
そこから所得税、市町村民税、社会保険料(介護保険料・後期高齢者保険料など)などが差し引かれますから手取り額は15%ほど低くなります。余談ですが、官民格差を感じます。
なのに、大教会から来る世話人先生は、大祭後の講話で「年金の2割くらいお供えするのが当たり前だ」と云うから開いた口が塞がらいという気分になります。
表統領は、もっとお供えさせろと云ったそうですが社会的な背景を斟酌して、各個々人に向かって発言すべきです。
夫婦で月額13万円の国民年金受給者に、2割をお供えしろなんて発言できるはずがありません。
このような発言をする連中と付き合う必要は皆無と断言します。
おはようございます。はじめて投稿します。
乗っ取り、近親交配などテーマをざっと見せて、真柱とその側近はまさに今回のパククネ問題と産経新聞前ソウル支局長軟禁事件を思い出しました。
世界宗教と言いながら日本宗教にも成れず現在は朝鮮カルト宗教と同じですか~困ったものです。
参考に動画はっときます。
【文化講演会】『なぜ私は韓国に勝てたのか』 産経新聞前ソウル支局長 加藤達也
https://www.youtube.com/watch?v=v6VHGrK1n2k
■助け合いの大切さを伝え続ける
天理教 表統領
中田善亮
人間関係の希薄化が言われて久しいですが、若い世代にとってはそれが当たり前の事となり、なぜ問題なのかさえ分からない人が増えている事に憂慮の念を覚えます。
順風満帆の状況が続けばそれに慣れてしまい、少しの異変には気づかなくなりがちです。同時に、異変に対処する力さえ削がれてしまいかねません。
あらゆる場面で合理化が進み、暮らしが豊かになりましたが、人は自分の力だけで生きているのではなく、助け合い、支え合い、生かされているお互いであります。
自己中心的な考えは心を曇らせ、こうした事も分からなくさせます。心と心の繋がりが薄れ、争いの基にもなり、また、助けを求めている人の心の声さえ届かなくなります。
時代が移り変わろうとも、地球上のありとあらゆるものに感謝し、与(たま)わる恩を知らねばなりません。思いやる心の大切さ、助け合う大切さを伝え続けていく事が求められていると思います。
http://www.relnet.co.jp/izuo/newyear_message/2016/message.html
2016 宗教者による新春メッセージから
お前が言うな。
信者一同より
2016年12月16日 9:44 AM 匿名様
>離脱(独立)は意外に簡単!(「宗教法人法」関連記事を見てみよう)
自教会の土地(建物)名義を、宗教法人天理教(本部)にお供えしてしまっている教会の場合は、独立しようとすると、土地(建物)を没収され、追い出されたりしないのでしょうか?その点はどうなのでしょうか?「お供え」掲示板の方でも、この問題は散々議論され、我が家(教会)に住み続ける為には致し方ない、ということで、気に染まぬながら、教会長を続けておられる方も多いようですが、その点が問題と思います。
しかしながら、ここ最近の、本部や大教会の、教会乗っ取りの記事、又、あなた様の記事を印刷しまして、それぞれの教会会長さんにお見せすることは、教団のピラミッド状態に、大きなヒビを生じさせる、有効な手段と存じます。本部や大教会に対する疑心暗鬼の心が生じ、忠誠心が崩れ、実際に独立しない(できない)までも、それぞれの教会に精神的自立の気運が生まれ、本部、大教会、上級教会は、権威、信用を失墜することと存じます。
ある会長さんの自己紹介です。
「はみ出し不良教会長です。にをいがけ、おたすけしません。おつくしもしません。」
と書いてあるが、世の為、人の為の活動はされています。
素晴らしい。
私も「はみ出し不良教会長」さんみたいになりたいです。
同意します。
上級のための「においがけ、おたすけ、つくし、はこび」は不要ですね。
教祖様の教えを守り実現するための「においがけ、おたすけ、つくし、はこび」に切り替えましょう。
個々人が「教祖様の教え」を考える必要があると思います。
この教団に愛想をつかしている会長です。自分の信条に反し、内容の無い偽の教理のあほらしい流れに巻かれざるを得ないこの組織の中で、命をくすぶらせている会長です。
信仰を離れたらどんどん幸せ感が増してきたというような事を50代の元信者の方がどこか掲示板に書いておられたと思いますが、本当にその通りです。出来ることなら私も飛び出して自分らしさを取り戻したい。しかし生活の場はここしかない。上から押さえつけられ、信者からも古い偽信仰を押し付けられ、自論を話せば信者から不信感を持たれ、自分に蓋をし、自分を無くして教団の為に犠牲を払う、「私」っていったい何?と思います。多くの人を偽教理で不幸に落とし入れてきた罪深い教団です。
尽くし運びが出来ないことを、あんたは勉強が足りん。と言われ、水が上から下に流れるように理は上から下に流れるのだから、心せよと言われ。こんな前時代的封建制度がいつまでも通用するはずがありません。親神様、教祖様、この組織を早くつぶしてくださいませ。
匿名さま。
ご心痛、お察し致します。「メタ認知」という発想があります。自分を客観的に見ると、どうでもいい事に右往左往している姿が浮かびます。実は一番、強い力を持っているのは末端教会です。それは、自分の力で生きているのからです。
上級にとって、事情教会になればお荷物でしかありませんから、教会として存続しているだけで、組織は有り難いと思っている筈です。
まず、お供えを減らして下さい。何を言われても強い意志を持って減らす。または、しない。行事類は参加しない。上級へも極力、行かない。
神さまだけを見つめて生きて行くだけ。毎日を楽しくウキウキと生きる事を考えて生きる事。
何を言われても、何を思われても関係ないです。しっかり貯えをして、いつどうなっても良いように備えて下さい。
自分自身を変えて下さい。同じ思いを持った同志が沢山います。
https://www.facebook.com/iinochi16527/
すみません、勝手にリンクを貼りましたが、私もかつて、ここで救われました。
<自分自身を変えて下さい。同じ思いを持った同志が沢山います。
https://www.facebook.com/iinochi16527/ >
神よ。
あるなら答えてくれないか?
私は神など信じない
それは忘れもしない阪神大震災で母を失ってからだ!
神よ あるなら答えてくれないか
私は神など信じない!
なぜなら神の最大の弱点を発見したからだ。
その弱点とは、人が神を信じなくなったからだ。
神の存在は、人に信じられる事によって生じる。
そして、人に信じられなくなって消滅する。
皆さんのおっしゃる事はそうではないかな?
離陸の時が来ました。さようなら、皆さまへ。
古い教会長様。
少し元気が出ました。
上級会長がうちの教会の信者に「会長が月参りをしない、横着を決め込んでいる」と、言いつけて私の悪口散々。うちの信者たちは、理は上から下に流れるのに、所属の会長が上級に参らなければ自分たち信者はお陰がもらえないではないかと不満を持っています。
理が上から流れるなんて、教祖の教えではないはずです。信者にあなたの今までの信仰は間違ってたんですよ、と言いたいのですが、正しい信仰を伝えたら、怒って去って行かれそうで恐いです。わずかなお供えでも、教会活動・教会運営・各種年会費支払いには必要な財源ですから。
それからおたづねですが、信者からのお供えは「つなぎ」と聞いていますが上級へつなぎが「ゼロ」でも信者が納得するでしょうか?自教会の運営その他会費支払い他で上級へ「お供え」できる余裕はないのですが、信者は私がいくら上級に出しているのか気にしています。信者にとってはそれが信仰ですので、「自分たちのお供え」が上級に供えられていないとなると、これはどう返事をしたら良いでしょうか?
胃が痛くなります。よろしくお願いします。
離陸とは?
>信者からのお供えは「つなぎ」と聞いていますが上級へつなぎが「ゼロ」でも信者が納得するでしょうか?自教会の運営その他会費支払い他で上級へ「お供え」できる余裕はないのですが、信者は私がいくら上級に出しているのか気にしています。信者にとってはそれが信仰ですので、「自分たちのお供え」が上級に供えられていないとなると、これはどう返事をしたら良いでしょうか?
上級へつなぎが「ゼロ」でも信者が納得するでしょうか?・・・・
納得はされませんでしょう。だから、何も言う必要はありません。
世の為、信者さんの為に使えばいいのです。
バレて何か言われれば、「すみません、」と謝ればいいだけです。
それで、信者さんが去っても仕方ないでしょう。お供えは上に流すのではなく、下へ流すのが自然の道理です。
>「自分たちのお供え」が上級に供えられていないとなると、これはどう返事をしたら良いでしょうか?
私なら「教会維持の為の経費と、人助けの為に使っています。」と言います。
これからは、信者さんや部内教会に頼るだけの教会の存続は、危ういと思います。
教会は、それぞれ自立しなければないません。
>お供えは上に流すのではなく、下へ流すのが自然の道理です。
確かにその通りですね。自信をもって自教会の運営とおたすけ活動に使い切ります。
>教会維持の為の経費と、人助けの為
信者さんには、はっきりそういえばいいですね。赤字経営なのですから。去っても仕方ないと言う覚悟で、当たり前の道を堂々と歩きます。
古い教会長様、元気が出ました。ありがとうございました。
スーパーで夜8時半をまわる頃、生ものの肉・魚の売れ残り商品が半額以下になる。そんな見切り品を求めて日々生計を立てている我々零細末端教会のことを、本部の人たちは知っているのでしょうか。お金が命のつなぎだ、「お金を出せ」と言った善亮さん。座敷乞食に言われたくありません。70億の地球人口、みんなお金で命を守られているのでしょうか??実働信者はたったの20万人程と思われますが、このこの落ちぶれた教団トップの頭の中、最後のあがきは、お金なのですね。
善亮さん、私は少なくとも貴方のように乞食はしていません。質素に、畑の野菜と半額の食料品で少なくともあなたよりは教祖様のひながたに近い所で、工夫しながら自立生活をしています。
愚痴をこぼしてしまい、失礼致しました。
>離陸とは?
あらゆる宗教から離脱することです。
天理教が嫌なら辞めればよろしい。
教えが恐ければ続ければよろしい。
簡単なことでしょう?
救いは己の心の中にあります。
そうではないかな。
日中、夜間寒風のふく中、立っておられる、開けっ放しの本部を守っておられる、それだって大変なことだと思いますよ。
一晩中代わり交代に風に吹かれて立っておられる姿を信者は見てます。
教会、布教所の皆さんの尊い生き方は尊敬いたしております。
しかし本部の皆さんの寒風に耐えておられる姿を見ていると、悩む心が消えていきます。
寒いだろうと思います。
>しかし本部の皆さんの寒風に耐えておられる姿を見ていると、悩む心が消えていきます。
寒いだろうと思います。
耐えているのは、末端教会の子弟ばかりです。本部員が、夜間寒風のふく中、立って、開けっ放しの本部を守っているのを見た事がありません。
それどころか、二代真柱は地方の教会で泊まられる時、夜伽と言って必ず女の人が共に寝て相手をする習慣がありました。ある教会へ行かれた時、「中〇生を用意しなさい。」と言われたそうです。婦人方は困ったようですが、ちゃんと用意したようです。
私の知り合いに、本部員が巡教の際に必ず寄っていた、置屋にいる妾さんの子供がいる。もう高齢だが、昔、本部へ行って、我々が入った事もない場所を案内してもらったそうだ。かつて本部の人は、やりたい放題でした。(今でも?)
>本部の皆さんの寒風に耐えておられる姿を見ていると、悩む心が消えていきます。
寒いだろうと思います。
本部の皆さんは寒風に耐えたりしません。女性の暖かい人肌に居ます。
耐えているのは、末端の教会子弟ばかりです。
かんろ台の周りに座っておられる先生方のことを開けっ放しの中で座っておられると表現しました。
本部の法被を着て、立っておられますよ。
明治三十九年二月十三日(陰暦正月二十日)
増野おとも十三才足の痛みに付願
・・・さあ/\何よの処/\その時はその時、さあ日が経つ月が経っては又々事情、万事の処にてほんにこれでこそと、心に嵌まりたら何も無い。さあいつ/\まで連れて通りたいからである。心にほんにそうかいなあと、速やか嵌まれば、十分であろう
・・・こういう事はどうであろうあろうと、席に一つ、了てから、こういう事あったと話の間に、一つ追うてみるがよい。言葉の中に小田原話のようにも思うなれど、そうやない。真の事尋ねば真の事諭し置く。こういう事に思う、どういう事に思う、こういう事話聞かして貰いたいという、これだけ諭し置こう。
・・・・又大勢本部員ある。悪い者は無い。悪い事は一つもしやせんなれど、三名立ち並んで始末して行けば、皆んなに見せて満足する。それが大きな道に成る。
このやしきに勤め、給料貰うて入り込んで居る。これが残念々々々々。
今のさしづ人間の話ではない程に/\。
この、「三名」とは、真柱と表棟梁と内棟梁のことでしょうか?
また、「今のさしづ人間の話ではない程に」とは、この三名は人間ではないということでしょうか?
>しかし本部の皆さんの寒風に耐えておられる姿を見ていると、
いや、正直言ってそんな事をする意味が分かりません。
親神様は、人間に「苦労しろ」とか「我慢しろ」と言ってるのですか?
まともな親なら、自分を守るためとはいえ「子供だけに」そんな事はさせませんよね?
勿論人生は山あり谷ありですから、苦労や困難に耐えられる「忍耐力」や「「前向きさ」は必要でしょうが、自分たちで勝手に「苦労を作り出す」必要なんてないと思います。
「親神様の親心って、どんなだろう?」と考えさせられます。
また「霊力」だの「霊道」だのと意味不明なオカルト話を言う人が出現しましたね。
この「匿名」さんは、古い教会長さんとやりとりをした「匿名」さんとは別の方ですよね?
どのような主張をされるのも結構ですが「匿名」のままでは混乱するので名前をつけて欲しいです。
ちなみに、みかぐらうたやおふでさきには「霊」という言葉も教えも見当たらないのですが、どういう解釈をすれば「霊力」だの「霊道」だのという話になるのでしょうか?
カインよ。
心あるなら答えてくれないか?
カインは神なのか?
それとも市井の民か?
カインとアベルの末裔か?
これ以上、悩める子羊を苦しめるのは辞めにしないか。
プロフィールもなければ、一言も返信しないとは天上界に住んでいるつもりか?
カインよ。
心あるなら答えてくれないか?
How to be happy
幸せになる方法
それは、たった一本の雑草を抜くことから始まります。
嘘だと思うならやってごらん、必ず幸せになれますよ。
自由の翼 さん。
>これ以上、悩める子羊を苦しめるのは辞めにしないか。
ちょっと意味が分かりません。
誰が悩める子羊で、誰がカインさんによって苦しめられているのですか?
あなたは本部の回し者ですか?
自由の翼 さん。
私は、悩める子羊ではありません。ただ、悩みが無いと云えば嘘になりますが。
現行天理教を通じて物心両面で、いろいろな事柄を経験しました。プラス面とマイナス面を比較しますと、明らかにマイナス面のウェートが高く感じられたことから、現行天理教には近づかないようにとアピールしているだけです。
私の経験からだけではなく、このブログを通じて知り得たことも多く、投稿者の皆さんに感謝しています。
教団本部は今、お金が無くて困っているようです。11月の別席者が4千人を超えたと報じられていますが、これらの人達が教団の「金づる」にならないように願うのみです。
おやさと館も不要部分があれば、解体すればいいんです。エレベータ一つを取ってみても高額な点検費用や維持管理費が必要になりますよね。人気のない館に入ると、大きな無駄を感じるのです。だから、お金が無いのであれば、少しでも維持管理費を減らす努力をしてゆくのも現行教団の在り方ではないでしょうか。大きいばかりが能じゃないですよ。
教団自身が、教祖の心をしっかりと受け止めるべきです。教祖は、お金をお供えせよとは一言も仰っていません。信仰者の感謝の心がお供えに繋がっているだけで、本部が如何ほどのお供えをせよというのは本末転倒です。
2016年12月18日 12:26 AM 匿名 様
>本部の皆さんの寒風に耐えておられる姿を見ていると、悩む心が消えていきます。寒いだろうと思います。
ご心配なさらずとも、あったか~い発熱式の高級な防寒下着を着込んで、カイロも一杯貼り付けておられますよ。(笑)
「お供え」掲示板では、灯油も買えない教会の方が、厚着して凌いでおられるとのことですが、本部神殿から休憩に入れば、温かい暖房のきいた部屋が待ってるでしょう。
古い教会長さん
>ちょっと意味が分かりません。
解りませんか?
>誰が悩める子羊で、誰がカインさんによって苦しめられているのですか?
誰がどうのではありません。私にはそう見えると言うことです。
貴殿の投稿には注目していたのですよ。中々見識のあるお方とお見受けしていました。
しかし、二代目がどうしたとかに至っては頂けませんね。
内部事情を晒して何になりますか?それなら署名活動して本部に乗り込むか?
いっそ貴殿の教会を解散したら如何ですか?
私は運営者が何者であるか分からないサイトで議論する気はありませんから
これにて回答とさせて戴きます。
>あなたは本部の回し者ですか?
違いますよ。
ただ、私の父は宗教を実社会に生かした人です。
(金儲けではありませんよ、人助けです)
私はその息子です。
匿名Aさん
誰だって悩みはありますね。それは繰り返し襲ってくる波のようなものだと思います。
私も天理教の布教者には騙されましたよ。
天理教というキーワードに共感を覚えて、家に招いたのが失敗の元でした。
宗教の自由は憲法でも認められています。なぜ?憲法まで出して立法化しなければならないか?
それは日本において、あまりにも神や仏の存在が多いからでしょう。
一体このサイトに何人の人が投稿しロムしているか?
いかほど投稿しても無駄にしか見えません。
それも自由でしょうね。お好きになさいませ。
それを呪縛と言います。
以上を持って本サイトから解脱します。
私の名前をクリックしてくれませんか?私のブログにリンクされます。
ご意見あるならば、そこで承ります。
自由の翼 様
ご苦労様でした。カインさんはこの場を提供してくださっているんだと思います。
ただ、私はどのようなことがあっても、書き込む場合は相手方を呼び捨てにはしません。最低限の礼儀だと思っています。
>二代目がどうしたとかに至っては頂けませんね。
内部事情を晒して何になりますか?
二代真柱は、池田大作(いや、それ以上)に匹敵する公人で歴史上の人物です。
時代が時代なら週刊誌の餌食でしょう。
公人だから内部事情が出てくるのです。
公人の宿命です。自身の蒔いた種がようやく芽を出して来ているのでしょう。
知らされてない事実が沢山あるのです。それを知った上で、それぞれの信念を持って、信仰を培っていく事が大事です。
真実を覆い隠すことは、もう出来ない時代になったのかも知れません。平成ですから、私のように組織の端っこに居る人間でも、発信出来る時代になったです。
>それなら署名活動して本部に乗り込むか?
いっそ貴殿の教会を解散したら如何ですか?
良い提案ですが、止めておきます。私は微力ですから、特攻隊にも異端にもなれません。だから、天理教の腹の中にいて、チクリチクリと胃袋を攻めていきます。それが精一杯の抵抗です。
さすが、古い教会長さん、これ以上無い程の、見事な反論です。!!
感心したあまり、つい書いちゃいました。(笑)
>二代目がどうしたとかに至っては頂けませんね。
内部事情を晒して何になりますか?
組織が大きくなれば、晒されて困る内部事情も時には出てくることもあるかもしれません。
しかし、時代背景を差し引いても、多くの信者に教えを説く宗教者の立場である二代様の行動は、
「内部事情」などという言葉で済まされることなのでしょうか?
宗教者も人間である以上、清廉潔白であるべきだ、などとは思いませんが、古い教会長様のお話は、
あまりにその域の想像を超え、衝撃的で信じがたい話でした。
中○生の女の子ご本人やその親御さんはどんな思いだったのでしょう。確かに納得済で何も感じてない場合も
あるかもしれませんが、容易に想像できるのは、その時は納得させられても、後で深い傷を負ってるかもしれない
ということです。まだ何もわからない中○生の女の子が一夜限りの遊び相手として道具にされるのですから。
もしも自分の娘だったら「馬鹿にするのもいいかげんにしろ!」と怒り狂って火をつけているかもしれません。
協力していた周りのご婦人達の感覚も恐ろしいです。対応にあまりに人間味を感じなく、
何か「蝋人形の館」という言葉が咄嗟に思い浮かびました。
ピラミッド組織の中では弱者、犠牲者の声は揉み潰されて届かないものです。
その時代には、強制わいせつ罪や 強姦罪などはなかったのでしょうか。
児童福祉法や青少年保護育成条例は?少女を守るものは何もなかったのでしょうか?
もしこんなバカバカしい話が本当の話であれば、教えを説くどころか、一般の信者さんよりも最低~!という
ことになりませんか??なんだか感情が先走って、纏まりのない文章になってしまい、すみません。
>>二代目がどうしたとかに至っては頂けませんね。
>内部事情を晒して何になりますか?
「内部事情」ということは、これが単なる噂ではなく、内部では事実として知られている事と云うことですね?
そういう事なら掘り下げて考えましょう。
今も昔も、偉い人への接待は「ご馳走、お酒、色、高価なお土産」と相場が決まっています。
善悪はともかく教祖様の教えを理解しないで世間並の判断をするなら、「真柱様がいらっしゃる」ときには最高級のものを揃えるのが接待する側の習慣や常識になっても不思議はないでしょう。
こういうのは大抵、本人が要求するというより、「お付きのもの」が手を回したりアドバイスしたりするのも常識です。
「中〇生を用意しなさい。」というのが、真柱様本人の言葉かどうかは疑問ですが、仮に本人でなくともそれを言わせた責任は真柱様にあります。
いつの時代のことかと考えたのですが、ご存知のように、大正3年に初代の跡を継いで10歳で二代真柱になられます。1967年(昭和42年)に62歳で亡くなられるまでですが、流石に10代の頃のお話ではないでしょう。
また、「中〇生」というのが間違いないのなら、戦後の学校制度の話です(戦前は「高等女学校」ですから「女学生」と呼ばれていたはず)ね。昭和21年以降~40年頃まででしょうか?
昭和33年に「売春防止法」は施行されるまでは、お金さえ出せばその目的のために来てくれる女性を用意するのは、なんら困難はなかったでしょう。(もっとも、違法ですが今でも困難ではなさそうですが)
ただ、流石に「中〇生」となると、そういう玄人では不可能です。
玄人集めてご乱行ををするなら「お大尽様のお遊び」(もっとも、そのお金は元を質せば信者のお供えですが)で済まされることを、二代真柱様は、以前話題にもなった「人妻」とか「一般女性」とかの素人がお好きなご様子。年齢とともに「若い娘」に興味が行っても不思議はありません。
とはいえ、用意する側も困ったでしょう。
大教会長や役員たちも、流石に自分の娘を差し出すわけにはいかない。
信者の娘を差し出すにしても、そんな事が知れ渡ったら今後の教会運営に関わりかねない。
時代は天理教が元気だった頃のお話ですから、ちょっとした大教会なら家族で住み込んで雑用をやっていた人達がいるのも当たり前だったでしょう。信仰熱心で住み込んでいたというより、世間一般では問題があったり普通に働けない障〇があったり・・・。
そこに年頃の娘がいれば、白羽の矢を立てるのも自然な流れでしょう。
そこは男からではなく、役員の「ご婦人方」がいわゆる「因果を含めて説得し、小遣いの少しも握らせて」でしょうかね?
まぁ、何にしても、当事者関係者含めて、全てが「ゲスの極み」に間違いはないでしょう。
>二代真柱は地方の教会で泊まられる時、夜伽と言って必ず女の人が共に寝て相手をする習慣がありました。ある教会へ行かれた時、「中〇生を用意しなさい。」と言われたそうです。婦人方は困ったようですが、ちゃんと用意したようです。
初代二代真柱様の下ネタ話しは聞いた事がありますが、これはさすがにないな。ネタ元を教えて下さい。
>初代二代真柱様の下ネタ話しは聞いた事がありますが、これはさすがにないな。ネタ元を教えて下さい。
ある地方の大教会です。そこの部内の会長が、ご婦人から聞いた話しです。
しばらくして、その会長さん一家は教会を出られました。それ以来30年ほど会っていません。
二代真柱時代、おつとめを終えて回廊を歩いている二代真柱に、来ているジャンバーを投げつけた青年がいたそうです。
当時は、ちょっと話題になりました。
その青年は、どんな心情だったのでしょうか。
チョイト 様
真柱、表統領等はそれ自体が敬称です。その敬称に「様」を付けるのは、かえって相手方をバカにしていると解します。
ただ、書類にする場合に、宛先として記する場合は、「殿」を付けることが慣習となっています。
ですから天理時報が真柱に「様」を付けて報道しているのには大きな違和感を覚えるのです。聖教新聞だって、池〇会長と報道しています。天理教は異常な社会ですね。
以前にも書き込みしましたが、二代真柱は、奈良国際ゴルフ俱楽部に行くとき、天高二部の女性生徒をキャディー代わりに連れまわしていました。そのような人に「様」を付けるなんて私にはできません。
終わりになりましたが、下ネタ話は初代・二代もそうですが、秀司さんも同様ではありませんか。
天理教、もっとシッカリしてくださいね。それにしまして、このような話が出てくるようでは終わりですね。
天高二部生に本部員や大教会長の子弟は居ません。経済力の弱い教会の子弟や教会に家族毎に住み込んでいる「常詰」といわれる人達の子弟が殆んどです。弱みに付け込んだ何でも有の二代真柱の行為は許せません。
欧米でも、カトリック教会の、今まで隠匿されて来た、少年に対する性的虐待が大きな社会問題となりました。
二代真柱が清廉潔白な人物では無かったことは、疑いようのないことですが、私は二代だけではなく、大きな権力を持っている、本部幹部や、大教会、大きな分教会あたりでも、決してこのような性的な問題が起こらなかったとは言えないのではないか、と思います。大きな権力と、金を握れば、人間は自分の欲望に向かうものです。それを律するのが、正しい人間の在り方なのでしょうが、天理教教団上層部は、正しい人間がどれ程いるのか、という状態だと推察します。
隠されて、信者の目や耳に触れない事柄が、結構あるのではないでしょうか。
某・大教会長(故人)が女子青年を愛人にしていました。
それを知った、役員の奥さんが、表棟梁に相談に行ったら、「よくある話ですからね。」と問題にしてくれなかった。
その奥さんは、相当ショックだったようだ。
古い教会長
2016年12月21日 12:53 PM
女癖でニ代真柱に勝てる阿保はいないです。 本部在籍でも未だに二代の愛人の家系は存在してます。(みんないわないだけ)でも皆知ってます。
愛人隠し子そして近親婚頭が狂ってます。
現在の真柱はそうでは無いでしょうが、次男の女癖も悪いらしいです。美人局でゆすられているとか噂を聞きました。
私も、◯統領が美人局に嵌められて、その写真か動画かをネタにゆすられ(600万から3000万と諸説聞いた)、その件を兄上である真◯様にとても言えないために、奥さんの実家にお願いして、お金を工面してもらったらしい。その工面の依頼が、教区・支部レベルで駆け巡った地域があるそうだ。
それが事実として、それが理由で「尽くせ・運べ」と無心しているとしたら、最悪のスキャンダルではないのか?
現真柱は、真面目な方のように思われますね。以前、ご夫婦でにおいがけされている、とかいう投稿を拝見しました。
その現真柱に子供がなく、(神はなぜ、現真柱に子供を与えなかったのでしょうか?)、その、ゆすられてるという〇統領の息子が、次期真柱になり、〇統領が天理教を牛耳るようになるのでしょう。 天理教が倒れる速度が速まった、ということでしょうか。 神は天理教をこれ以上続かせたくないと思われてでしょうか?
しかし、現真柱は、いつも苦渋に耐えておられるような風情。ちょっと、お可哀そうな感じもします。
ここまでくると天理教の本部さんは善良な宗教団体ではなく、もはや、悪徳政治団体ですね!
どう考えても、神様おやさまが望まれるような状態ではないですよね!
所属される信者の皆さんが可哀想です。と言っている自分も元信者ですが…よかった(^^)
2016年12月22日 1:30 PMの匿名Aさんは、従来の「匿名A」ではありません。念のためカキコします。
以降、匿名Aは使用しません。
2016年12月21日 10:02 AMまでの匿名A。
さっちん 様
>しかし、現真柱は、いつも苦渋に耐えておられるような風情。ちょっと、お可哀そうな感じもします。
さっちん さま
>しかし、現真柱は、いつも苦渋に耐えておられるような風情。ちょっと、お可哀そうな感じもします。
失礼しました。再度投稿します。確かに、さっちんさんの仰ることに一理あるかもしれません。ただ、私は、現真柱がお気の毒とは思っていません。真柱が大教会の創立記念祭に入り込みの時の様子を見ていて感じたことは、視線の焦点が定まっていなかったことです。神殿の真正面を素通りされて、慌てて正面を少し過ぎたところで社に向いて拝をされました。手も袴の前に揃えず、ぶらぶらといった感じでした。何か精神的な重荷を感じているのでしょうか。
何時までも、他人から可哀そうにとの感情を移入されるよりも、早く真柱職を辞任されて、夫婦でつましい生活を送られるのが最良の道ではと思っています。無責任なという批判が出るかもしれませんが、人間に必ず明日があると思うなと云われたことが再々あったので、現真柱にもこの言葉を呈したい。
東風Z 様
現真柱が、真柱を継がれる前に、「真柱になりたくない」と言われていた、というツイッターも読みましたので、上に立つような事を好まない、根が地味で真面目なお方が、気が進まない神輿の上に乗って、心ならずも重責を果たしている、と勝手に想像してましたが、違ってたのでしょうか? 外見からの印象だけでございますから。
真柱としてのご器量が無かったのなら、ご本人も辛いでしょうが、廻りの方や信者さん達にとっても、不幸です。
東風Z様の仰る通り、真柱職が、ご本人にとって、重荷なだけの嫌な仕事であるのなら、早く引退されて、ご夫婦水入らずで過ごされたら宜しいことですね。 それは同じように思います。
数年前の11月、本部の朝勤めに参拝した時の事です。
東礼拝場へ入ろうとした時、目の前を朝勤めに向う真柱一行が通り過ぎました。
その時、私の胸の内にある感情が湧いてきました。
「一体 私は何をすればよいのか。どうすれば良いのか。」
その時の真柱は、とても陰鬱な表情でした。
真柱は、日々孤独な生活を送っているのだと感じました。
胸の内を明かす人は、真柱の周辺にはいないと感じたのです。
本部の内情に詳しい人物から善司さんが真柱職を拒んでいたと言う話を聞いたことがあります。
その理由
女道楽の正善、正善に反発してだらしない生活を送った善衛、その姿を身近で見聞きした善司さんが真柱職を拒んだ
という事だそうです。
善司さんは真柱職に端から魅力など感じていなかったのでしょう。
教務で東京へ出張されたおりは、ご自分から市井に出てパンフレットを配り布教活動をされていると首都圏内の教会長から聞いた事があります。
とても真面目な方だとその教会長は話していました。
私も早く真柱職を引退された方が良いのではと思うのですが。
私が勝手に思う事です。
「現真柱に子供がいない」と言う事実について
善司さんは、この事について思慮すべきであるとおもうのです。
「子供がいない」と言う事の本質をもっと深く考えるべきです。
何もせずに真柱職を引退したらまさしく無能であると思います。
「子供がいない」と言う事は「子供の行く末を考える必要が全く無い」と言う非常に強い立場にあると思うのです。
神が与えた現実を前向きに捉え果敢に攻めるべきです。
斧「よき」となって天理教本部を叩き潰すくらいな事をやってほしいと思うのです。
本部から追い出されてもいいじゃないですか。
子供の行く末なんか心配しなくてもいいんですから。
真柱である前に、親神 おや様を慕う一人の人間としての本質を深く考えてほしいと思うのです。
真柱を辞めるならひと騒動起こしてからにして欲しいと勝手に思っているのですが。
離陸できないようですね。では、個別に回答しましょう。
匿名Aさん 2016年12月19日 4:13 PM
>ご苦労様でした。カインさんはこの場を提供してくださっているんだと思います。
場を提供するだけでは、管理者(運営者)とは言えません。放置しているだけでは雑草がはびこるだけですからね。
>ただ、私はどのようなことがあっても、書き込む場合は相手方を呼び捨てには
>しません。最低限の礼儀だと思っています。
私もカインのプロフィールが書いてあれば呼び捨てにはしません。
書いてないでしょ?だから路傍の石ころ同然だから呼び捨てにするのです。
ダイアモンドでもダイアモンドさんとは呼ばないでしょう?
だいたいカインとはキリストが誕生する以前の聖書の物語です。
そもそも匿名Aさん 2016年12月19日 4:13 PMのAとはアノニマスのAでしょ。
アノニマスとは匿名のことですよ。匿名に匿名を重ねて何になるんですか?
————————————————————————————————————
古い教会長さん 2016年12月19日 7:40 PM
>良い提案ですが、止めておきます。私は微力ですから、特攻隊にも異端にもなれま>せん。だから、天理教の腹の中にいて、チクリチクリと胃袋を攻めていきます。そ>れが精一杯の抵抗です。
ゲリラ活動ですか?それも良いかもしれませんが、それならご自分のウェッブサイトでやられたら良いじゃないんですか?ツィッターを始められたと思いますが
あんなのは子供のオモチャにすぎません。精一杯の抵抗?地べた這ってる虫けらが
燕雀に喰われると同然ですよ。白頭鷲(世界三大宗教)の、その下新興宗教たちの
一部 天理教など燕雀と同然です。
さて、カインや古き許会長に異口同音に賛同するものは、同一回答とします。
語るに足らん!
—————————————————————————————————————-
さっちんさん 2016年12月19日 8:45 PM
>さすが、古い教会長さん、これ以上無い程の、見事な反論です。!!
>感心したあまり、つい書いちゃいました。(笑)
見事ですって?(冷笑)古い教会長さんの直下に投稿してるから
私への当てつけですね。さっちんさんなんて低俗週刊誌やテレビのゴシッ
読んで寝転んでるだけの、おばはんと同じですよ。
これ以上私にちょっかいを出すと、いつまでも滑走路で待機するぞ。
ラジャ?
—————————————————————————————————————
提案
1, ネットで署名活動したら如何でしょうか?
匿名(ハンドルネーム)では署名活動にならんと思うがね。
目安には為るだろうけどハンネじゃねぇ
2, 天理教など辞めてしまったら如何でしょうか?
新興宗教など掃いて捨てるほどありますしね。
3,..それらも出来ないなら、「カイン教」へ、宗旨替えしたら如何でしょうか?
それか「カイン盲信教」とか フフフ
自由の翼 様
>さっちんさんなんて低俗週刊誌やテレビのゴシップ読んで寝転んでるだけの、おばはんと同じですよ。
普通の主婦ってそんなもんじゃないですか? それが何か?
おばはんでも、もの申したいと思う事もあり、もの申せる場所があったから、もの申してるのが、いけませんか?
私は、あなたのように、自前のブログを開設する才覚もありませんのでね。そのような者の声を、あなたは封殺しようとなさるのですか? 「以上をもって、本サイトから解脱します。」と、潔い方であるな、と思ってましたが、また、顔を出されて、取るに足りない者である私にまで、
>これ以上私にちょっかいを出すと、いつまでも滑走路で待機するぞ。」
ですか。 いささか、がっかりであります。
2016年12月19日 1:31 PM
自由の翼 様
匿名Aとして最後の書き込みをします。天理教は止めましたよ。ただ、僧祖父母、祖父母、父母の墓が天理教の墓地にあり、埋葬許可証も教会に取り上げられています。また、家には先祖の御霊社があり、これを切ろうとすると多額のお金が必要で迷っているだけです。
仏教でも墓終いには多額の金銭を要求されると聞いていますが、天理教とて同じことです。80歳に近い私にはそのような大金は持ち合わせていません。
ですから、現行天理教には近づかないようにと書き込んでいるだけです。しかし、これも余計な言い訳かも知れません。
>そもそも匿名Aさん 2016年12月19日 4:13 PMのAとはアノニマスのAでしょ。
>アノニマスとは匿名のことですよ。匿名に匿名を重ねて何になるんですか?
は私ではありません。勝手な想像はしないでください。
>匿名A
>2016年12月22日 1:30 PM
も私ではありません。ですから匿名Aは使わないと宣言(2016年12月22日 1:30PM)したのですが、自由の翼さんから私宛の問いかけがありましたので、今回はやむ負えず匿名Aにて書き込んだ次第です。
カインさんよろしくご配慮の程お願いいたします。
自由の翼 様
>提案
>1, ネットで署名活動したら如何でしょうか?
>2, 天理教など辞めてしまったら如何でしょうか?
>3,..それらも出来ないなら、「カイン教」へ、宗旨替えしたら如何でしょうか?
何のための提案か不明ですが、全く意味のない行動ばかりですね。
ここに書き込みをされている方々、閲覧をしている方には、ほぼ共通の人生の目的があります。
1.教祖様の本当の教えを知りたい。
2.天理教に関わることで理不尽な環境に置かれている自分や親戚、信者などを救い(救われ)たい。
3.天理教団がこれ以上社会悪を振りまかないように本部・上級の連中が反省して自己改革をしてもらいたい。
天理教を辞めれば自分個人は助かるでしょうが、1・3は実現不可能になりますし、自分に縁のある信者さんたちは救えません。
勿論、末端の小さな教会の主張など本部が取り上げることはないでしょうが、こっちが辞めることで本部上級を楽にさせてやる必要もありません。
だから自由の翼さんは、本部・上級を擁護し守るようにしか聞こえない発言で、そちらの立場の人なのだろうと判断できます。
現在の最良と思われる選択は、古い教会長さんが言うように、上級の要求を拒絶しながら内部でチクチクと批判と改革を訴え続け、少しでも多くの人の「意識改革」を促すことです。
それで上級が実力行使に出てきたら、離脱手続きを採ればいいのですから。
皆さん、やめましょうよ。
ここはカインさんが設けてくれた「なんか変だぞ天理教」の場です。
カインさんが何かを投下してくださり、そこに「私もそう思ってた!」と
体験談なり意見なり対策なり自分が聞いたことのある話なりを持ち寄って、
「あなたもそう思ってましたか!」を確認しあう場所です。
カインさんが真実でもなんでもないから、カインさんに従うわけでもない。
よって彼が何者であるかなど必要ではないのです。もしかしたら真柱様かもしれない。それもまたいいじゃないですか。
誰が誰だかよくわからないので名指しは混乱の元かと思うので避けますが、本部教を大事にしたければ
難しい言葉で混乱させるがよろし。私はシンプルな言葉で練り合える、さっちんさまですか?おばさんの
ゴシップなんぼのもんじゃいですよね。挑発にのって難しい事言わず、「オバハンの情報網なめんなよ!」でよろしいではないですか。(ちなみに私も女性です)
難しい言葉でごちゃごちゃ言ってる誰さんだか知りませんが、本部擁護したければもっと言葉を選んではいかがですか?本部を守りたいのか教えを守りたいのか、ただの賑やかしなのか言いたいことが全くわかりません。
天理教社会学研究所や「お供え」掲示板の意義については、今、天理教という組織から噴出するネガティブな面においての狭義の集約という点においてたいへん意味のあるものだと思います。
そこから問題の解決に直結はしないでしょうが、その出発点としての位置付けはできるかと思います。
最大目的としての問題の解決をどこに用意するかによって解決方法は異なってきます。
まずは、天理教組織自体の根源的な問題解決を目的とするのならば狭義を出しあって満足することはできないでしょう。
さらに一歩踏み出した宗教問題の解決方法の模索や、広義としての宗教組織の構造や天理教のみならず日本宗教史と歴史的な背景を総じて解釈することを要するでしょう。
次に、個人の精神的損傷の回復を目的とするのならば、各個人の不満を共有し合い、集団としての団結や意見の交換をしながら個人の精神的な強度を高めていくということもまた有意義でしょう。
ただし、多くの場合は短絡的にどちらかのケースに結びつけられるほどの選択は簡単ではないのでしょう。
その間の中間思想的な場所に目的を見出だしているのだと思います。
すなわち、天理教を辞めたから問題は解決という簡単なものではなく、さらに過去に被った憎しみの解消と現実組織の変質、それらは各個人の精神単位では簡単にイコールでは結びつかないでしょう。
文化の発達は広義と狭義が密接に結びつき、妥当な妥協点や双方のメリットが両立した上で前進していくものだと思います。
その上で、この場を狭義と仮定した場合、広義の受け入れがあって問題解決は前進するものかと思います。
現実、日本の歴史を見た上でも、宗教と歴史は切っても切り離すことはできません。
また、その理解を深めることが現代の宗教問題を解決するにあたってとても大切かと思います。
現代において、科学技術や医学の進歩によって人類の不安感は解消されてきています。
謎が謎のままにされてきた過去の時代と現代とでは同列で語ることはできないのです。
長い歴史の間、過去において、何ものかもわからぬ不安な事態と遭遇した場合に人々が頼るべきは宗教しかなかったのです。
そこに人々は集まり、金と権力が集まってきたのです。
そして巨大な建築物で権力や信仰心を誇示し、崇拝者を集め、集団により不安感を軽減していたのです。
それにより行政は進化してきましたし、歴史的な宝物も現代にまで残されてきました。
科学、医学の進歩により壊滅的な打撃を受けているのは宗教と言われています。
これは日本のみならず世界的に進行している状況です。
逆に、発展途上国においては先進国であったように新宗教の台頭が見られます。
経済の発展により、格差が拡大し、下級層の不満の解決の拠り所として急伸しているのが現状で、これは日本の高度経済成長期にも同じようなことが見えたのです。
ここではかなり霊的に寄り添った信仰心のあつい発言も見られますが、これは現代においては稀な存在になりつつあります。
しかし、前時代においてはなんら珍しいことではなく至って普通の人々の感性はそこにあったかと思います。
逆に言えば、旧時代的で有益な精神的標本とも見えます。
宗教はこれから絶滅の危機に瀕するのは時代の流れです。
そこに価値を見出だすには歴史的な意義を重要付けなくては先はありません。
それを国家に守られながら実行しているのが神仏信仰であり、信仰心のない人間に対しても宗教的な意義よりも歴史的な意義を前面に出したアピールを打ち出していかなくてはいけなくなりました。
ほぼ経済界と同様のことが行われているのが神仏信仰の現状であり、それに成功している寺社は唯一無二の観光地として人気をはくし、成功していない寺社は急速に衰退しているのです。
また、ニッチな需要に活路を見出だすために恋愛成就や子守等、こじつけとも思える打ち出しをしている寺社が多発しているのも現状です。
広義的に未来を予見するという見地でいうと、少なからず宗教は衰退していくでしょう。
しかし、それが消滅という形をとる可能性は低く、国家によりその歴史的な意義を見いだされた物理的な「モノ」あるいは「行為」に対して価値は付けられることでしょう。
その歴史が200年弱という天理教は歴史的な視点から見ても魅力は薄く、保護される対象とはならないでしょう。
信仰的な側面から言っても科学、医学の発達した現代において、またSNS等により簡単に精神的な繋がりを維持できる現代において、宗教的な意義は過去のどの時代よりも急速に意義の無いものに成り下がってきています。
これは世界宗教史的に激変の時代を過ごしているのであって、そこをどう乗りきるのかは天理教のみならず宗教界全体の問題となりつつあります。
だからSMAPは解散するのです。
現代人が見る機会を逸したもの、それは生から死への移り変わりの様子。
昔は大家族で医療も充分ではなく、間近に死を隣あわせた。
だからこそ分かることがあった。
大勢の中で葬式をあげて、その死の姿も生き方も知ることができた。
だから魂の存在を実感できた。
何を言ったとるんだ!諸君!
グズグズ言っとる前に行動しろって言ってるだろうが!
私の父は3歳で実母を亡くし、兄 弟は 腹違い
五歳の頃に銭湯で片目を亡くし、いじめにあったのだ!
今でもあるが陰湿極まりないイジメにあったのだよ!
イジメた村の連中をどつき倒し近隣から村一番の悪ガキと評され
単身神戸に出てきたのだ!そして出会ったのが私の母
神戸で鰻屋のお嬢ちゃんだった
そして そして 実業家となった父は ありとあらゆる信仰をし
ついに会得したんだよ。名古屋は愛町分教会 関根豊松氏の愛弟子として
愛光分教会とは昵懇の中だった。愛美町布教所の先代五味さんとも昵懇であった。
そして、恵子夫人と私の母親とは仲良しであった。
二人とも自分の事より、まず他人の事を優先する人たちであった。
私は二人の女性から愛された者である。
皆さんは一度は天理教に救われたはず。それなのにグズグズ言ってるのは
笑止千万である!神などいない 仏もいない 人間が介在する中で
憎しみ 恨み つらみが 生まれてくるのである!
いい加減にせい!愚かども!
文句があるなら わしのブログまで 出てこい!
http://blogs.yahoo.co.jp/goinkyo_64
goinkyo_64@yahoo.co.jp
末端教会子弟さま 016年12月25日 2:19 PM
ふぅ〜ん 歳でございますか!
1.教祖様の本当の教えを知りたい。
自分で考える事ですね、心の中にありましょう
2.天理教に関わることで理不尽な環境に置かれている自分や親戚、信者などを救い(救われ)たい。
共依存と言います!
3.天理教団がこれ以上社会悪を振りまかないように本部・上級の連中が反省して自己改革をしてもらいたい。
無理ですね、一旦既得権を得たものが手放すでしょうか?
真さん 2016年12月25日 2:59 PM
>難しい言葉でごちゃごちゃ言ってる誰さんだか知りませんが、本部擁護したければも>っと言葉を選んではいかがですか?本部を守りたいのか教えを守りたいのか、ただの>賑やかしなのか言いたいことが全くわかりません。
誰の事だい?読解力のないオバハンは引っ込んでな!
私は修羅場をくぐってきてんだよ!
自由の翼 様
あなたですか、自己紹介ありがとうございます。
私は書きました、もう誰が誰だかわからないので名指しは混乱の元だと思うので書かないと。
本部を擁護してんのか賑やかしか分からないのはあなた様のことなのですね。自己申告ありがとうございます。
親神様おやさまは、可愛い子どもに修羅場をくぐらせたいとおっしゃってたでしょうか。
好きで修羅場をくぐりたいなら、それも心の思うままです。
私は、穏やかに、日々を楽しくお過ごしくださいとしか思えません。
自由の翼様
あ、あとあなた様が10代でもない限りあなたにオバハンと呼ばれるような年齢ではありませんので
ご理解を。自分で言うならまだしもですが。
10代の若かりし青年なら、その口の悪さも成長段階と微笑ましく受け取らせていただきます。
ひつこいね 真さん2016年12月25日 8:10 PM
私は64歳だよ
カイン盲信教の教祖様と御成遊ばせ(冷笑)
24年前 あんたらは何してたんだい?
私は阪神大震災で母も実家も失ったんだよ
当時行き場所がなくて仮設暮らしだった
修羅場を潜るとはこの事だよ!
真 2016年12月25日 8:13 PM
拙い脳みそで勝手に想像すな!
自由の翼様
あなたのような方がここに来て決して綺麗とは言えない言葉で
文章を残していくのはどうしてでしょうね。
あなた様の苦労に比べれば私なんかは若輩者ですが、もしあなた様が天理に感銘を受け
人の信仰なんかどうでも良い、私は親神様おやさまの道を行くと思っているのであれば、
ここで悪態つくよりもっと親神様おやさまのお心にふれる時間が取れるはずです。
私自身も天理教により、精神面でぐっと成長させていただいたので、今でもお道を嫌いになることはありません。
が、あることをきっかけに「ここが変だよ」に気がついてしまいました。
自分が見て来た天理とかけ離れた対応を取られたからです。
なので、私はオバはんのたわごと(しつこい表現ですが)が案外的を得ていると感じるのです。
ひつこい奴らだなぁ ことば使いは丁寧だが
粘着極まりない輩どもだ!
腹割って話さんかい!
天理教を嫌ならやめろ
教えを請うなら続けたらよろしい
グズグズ言うなら便所の虫と同じだよ!
勝手に喚いていなさい
http://rocketnews24.com/2011/04/20/89825/
>人の信仰なんかどうでも良い、私は親神様おやさまの道を行くと思っているのであれ>ば、
>ここで悪態つくよりもっと親神様おやさまのお心にふれる時間が取れるはずです。
ひつこいんだよ!真!
私は神も仏も信じないと言ってるだろうが!
悪態ではない! 諸君らの意地汚い言葉の方が悪態である!
いい加減にしなさい!
文句があるなら我がブログなりメールにしなさい!
http://blogs.yahoo.co.jp/goinkyo_64
goinkyo_64@yahoo.co.jp
自由の翼様
天理教をやめたいのはきっとあなた様ですよね?
ここに来て言葉を残して行く人はほぼ皆「本部教」に論を唱えているのであって、
「天理教」に異議を唱えていませんよ。
本部教に疑問を感じて、やめたくもないあたたかな天理の教えから離れてしまうのが嫌だから
お互いで支え合ってるんですよ。
あなたさまのように苦しんで苦しんでそれが天理だと思う方にはそぐわない場所だと思うし、
私自身は天理の組織とかカネとか数字的なことはよく分かりません。
もっと言って仕舞えば、自分が出したお供えがどう使われようなんて知ったことではないです。あなた様がおっしゃるように、私はただ、自分の性格を明るくしてくれて、たくさんの友達とたくさんの経験をさせてくれた親神様おやさまに感謝しているだけです。
それとは別に、なんやねんそのやり方!もっとちゃんとやれや!って思うことがあるだけなので、
数字や金のときはここにはあまり出入りしません。
腹割って話せと言うのなら、私もここにはあまりそぐわないかもしれません。
カネや本部には興味ないですから。教会の人の対応が嫌だっただけなので。
だけどたまに、そう言う部分に触れた話題を提供してくれる人がいるんです。
だからこそ、いらぬ個人攻撃で入りにくい雰囲気は作ってもらいたくないんです。
ある意味、あなた様のような方の方が、話が合うかもですね。
そして私はあなた様のブログも拝見しましたが、
ごめんなさい面白くないブログには出入りしません。
こちらでの会話の方がよっぽど楽しいですね(個人攻撃ではなく、あなた様のご意見がです)。
名古屋愛町分教会 長野県松本市愛美町出張所 現 長野県塩尻愛美町布教所
元所長 五味渥美 その息子 五味(忘れた) その孫 五味(忘れた)
息子の嫁 五味恵子夫人 なん年前だろうか…
乳癌でなくなったよ…誰にも知らせてくれるなと言っていたそうだ。
今頃は天国で私の両親と一緒に話している事だろう。
なんて話してるか知らんがね。私には聞こえてくるのだよ。
モゥそっとしていておくれ 私も旅立ちの日が迫っているのだからね。
あなた様も何かしらわだかまりがあるからこちらにたどり着いたことでしょう。
なんらかの検索がなければ、少なくとも「天理教」と言うワードがなければおそらくたどり着けない
ブログ(こちらはブログなのでしょうか?)ですからね。
せっかくなら、御言葉を借りて「腹割って」お話しされて見てはいかがですか?
正直何が言いたいのか、天理教hが好きなのか嫌いなのか何に文句が言いたいのか分からなかった出だしよりは、少しお心が見え隠れしてる気もするのですが。
しつこいのはお互い様、でももしかしたら、あなた様の心が理解できる人もこちらにはおられるかもですよ。
ひつこいね!!!
真 2016年12月25日 8:48 PM
やめたんだよ 私は!
神よ。
あるなら答えてくれないか?
私は神など信じない
それは忘れもしない阪神大震災で母を失ってからだ!
神よ あるなら答えてくれないか
私は神など信じない!
なぜなら神の最大の弱点を発見したからだ。
その弱点とは、人が神を信じなくなったからだ。
神の存在は、人に信じられる事によって生じる。
そして、人に信じられなくなって消滅する。
両親の待つ天国に旅立つ時が参りました。さようなら、皆さまへ。
自由の翼様
確かにそうかもですね。
私らが信じない限り神は存在しない。
しかし、神の言葉を指針に活動しているものたちが、それをしてしまったらいけないと思うので、
私が気にしているのはそこのみです。
お疲れのことと察しますので私への返信はもう結構です。
私は、その話ができる人と談じあいのですから。
うざいんだよ!真 2016年12月25日 9:03 PM
>お疲れのことと察しますので私への返信はもう結構です。
お前がレスするから俺は反応するわけだよ
>私は、その話ができる人と談じあいのですから。
論じ合うだと?何を抜かすか!アマが!へ!( *`ω´)
>神の言葉を指針に活動しているものたちが
何が指針だと?人がやってることと神のなせる事とは違います!
神を信じるなら、人など信じてはなりません。
人を信じるから神への誤解が生じるのですよ。
おわかりかな?皆さん。
モゥそっとしておいておくれ…
疲れたから..
自由の翼様
あら、急にまたお元気になられて。
しつこいと言われるのも心外ですが、あなた様も疲れているなら休まれたらいいのに。
あなた様がお言葉返してくださるからこちらも話がやめられないのですよ。
男性だからピンとこないかな、じゃあまたと言ってるのにまた喋り出す井戸端会議のおばちゃんみたいですね(笑)
ほんともうお疲れなら、おやすみなさいでしめてください。
こっちもここまでタンカ切られたら引っ込みにくいのですみません。
出てこいや!オバハン!真2016年12月25日 9:28 PM
http://blogs.yahoo.co.jp/goinkyo_64
http://blogs.yahoo.co.jp/goinkyo_64
自由の翼様
だから、あなた様のブログは面白くないので読む理由がないんですって。
なんだかんだ言ってこちらの読者を誘導するのならば、
興味が出るような事をお書きになっては?一度見に言ったので言える事です。
あ、私オバハンじゃなかった!人違いですね!おやすみなさい。
年末の大教会決起集会での大教会長の話。冒頭から、意を決していたのか、「本部より話があった。もうどうにもならない所まできている。」と。
それを聞いた私は、やれやれ、やっとここまで漕ぎつけたか、と内心ほくそ笑んだ。女性問題で脅されているらしい表統領の言葉そのままに、おうむのように、「お金のことは言いにくいと言わずに、命のつなぎとして、しっかり伝えてほしい。来年は本部に〇千万円お供えしたい、大教会経費がいるから〇千万円(約二倍の金額を提示した)ぜひともよろしく頼む。」
そして来年の大教会方針として、目標達成のための数字の羅列表明。
ああ、もう馬鹿馬鹿しい。哀しい。ここまで旅費を投じて来たことの虚しさよ。
たった一人でいい、一人の人を助け上げることの難しさ、尊さをそんなに軽く考えているのか?数字が上がれば良いのね?大教会にとって、目先の目標達成が信仰のかどめか??消滅寸前の状況では、信者を増やさないと本部へのお金の約束金額が達成できないもんね。めんつがつぶれるもんね。
「来年一年、人に寄り添い、心を癒し、その方に明日への活力を取り戻して頂くにはどうしたら良いでしょう?皆さんでしっかり談じ合いをしてください。」
大教会長たるもの、こう言ってほしかった。宗教家として見ているところが違う。焦点がずれてる。どうにもならない所まで来たのはその種が実った結果でありましょう。
「蒔いたる種はみな生える」の証明をよくよく噛みしめるべきです。
匿名で。
2016年12月26日 11:50 AM
表統領の言葉そのままに、おうむのように、「お金のことは言いにくいと言わずに、命のつなぎとして、しっかり伝えてほしい。来年は本部に〇千万円お供えしたい、大教会経費がいるから〇千万円(約二倍の金額を提示した)ぜひともよろしく頼む。」
表統領「銭が命のつなぎ」これなんでっか~!いつから天理さんは金融業になったんどすか~?直属から訴えられて本部さんおわりまっせ~www
強要罪
https://goo.gl/SrUi0W
詐欺罪
https://goo.gl/NqwUDk
ハイ有罪!表統領を豚箱に送り込め!
私「親父(現会長)さん、お袋さん、表統領が『おつくしは命のつなぎ』と仰ってますよ。」
父母「そうかぁ、これからもシッカリ『おつくし』せねばならんなぁ。『おつくし』しないと命が切れてしまうからな。」
私「いや、ちょっと待って。うちの前会長(父の母)は96歳で出直したよね?」
父「あぁ、そうだったな。」
私「親父さんは今年85歳、お袋さんは82歳だったよね。」
父母「あぁ、そうだよ。」
私「たしか、初代真柱様は49歳、二代は62歳、三代は81歳で出直してたはず。」
父母「へぇ、そうなんかい?」
私「ということは、うちは前会長はもとより、親父さんもお袋さんも歴代真柱さまより長生きしてるのだからもう充分『おつくしをした』ということになるよね?」
父母「歴代の真柱様たちよりも『おつくし』させて頂けたとは、有り難い事だなぁ。」
私「歴代真柱さまより『おつくし』が多いなんて本部や上級の人たちに失礼に当たるかも知れないから、もう止めておいた方がいいよ。」
父母「・・・・・・・。」
1955年(昭和30年)天理高校二部に入学した大教会直轄教会の常詰の子弟は天理教いちれつ会の四種扶育生だった。詰所勤務に決まっていて、入学時に教会長に次の言葉を投げかけられている。
「勉強などどうでもよい。詰所で4年間修行してこい。分かったなー。」この言葉が天理教の若者に対する全てを表しているように感じる。
ちなみに、この知人(二部生)は云っている。詰所では掃除洗濯は当たり前。遠くに帰る教会長の切符買いまで。切符ぐらい自分で買えばいいのにと思ったとも。正に会長が云った通り、クタクタで学校に行っても勉強どころではなかったそうだ。何度も学校を辞めようと思ったが、教会常詰の父母を思うと出来なかったと述懐している。
教義を教えるどころか、丁稚奉公と何ら変わらい扱いだった。そして後に会長曰く。高校を出して貰っただけでもありがたく思え。
この知人は、教会を飛び出し、苦労を重ねた末に適職を得て定年まで勤め、今は悠々自適に暮らしている。もちろん天理教とは何の縁もゆかりもなく。
お金のお供えが「命の繋ぎ」だと。よくぞ云えたものです。.
匿名
2016年12月26日 8:15 PM
末端教会子弟
2016年12月27日 9:13 AM
匿名A
2016年12月27日 9:49 AM
カネのおつくしは命の繋ぎwwww
まずおやさま言ってない(笑)法的に違法(寄付の強要) 終了wwwwwwwwwwwwwwwwwww
一般信者や分教会はおろか大教会や本部在籍者ですら表統領、内統領やその支持者のおかしさに気がつくこの状況、異常だろw 天理教教会本部が天理教やってませんと言ってるんだけど(笑)親神さまおやさまの教えにそむく上層部まさにカルトwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
【カネおつくしは命の繋ぎ教団】 に名前改名すればいいのに(笑)表統領逮捕も近いんじゃないかな?と思える様に成ってきた(笑)
20年程前のことである。所属教会の役員夫婦から次の依頼を受けた。
別系統の大教会の創立記念祭に、夫婦で参拝してくれないかと。その大教会までの交通費は出すからとのことであった。
なぜ、と問うと、参拝者を3千名と見込んでいるが、到底その数に達しない。一人でも二人でも多くの参拝者を確保したい。なおも不審に思って理由を聞いたところ、意外なことが分かった。役員の奥方がその大教会系統の分教会から嫁いできていたのだ。
そこまでして見栄を張るのか。その当時は天理教に大きな疑問を感じていなかったので、1日をかけて参拝したが、参拝者数は2千名程度であったように思う。その頃には教勢に陰りが見え始めていたのでしょう。
教団本部は、もっと早くこのことに気付くべきであった。誠にご愁傷様である。
先々代会長が亡くなった折、息子二人、どちらも会長職を継ぐ気は無く、教会の土地建物を売却する、ということでしたので、神様をお移ししなければならず、どうするか、という事を信者たちで話し合いしていた時に、上級会長が持ってきた話が、「大教会長に金を借りて、その教会の土地建物を買わないか」、ということでした。建物の方は、もう、古~い家で値打は無いけど(住むのは差支えない)、土地は100坪、2500万でした。
あの時、お金を借りてて、母がそこに住み込んでたらどうなってたでしょうね。大教会長さんが、借金を棒引きにしてくださるとは思えないし(上級会長は「借りて」、と言われました、「お金を頂いて」、とは言われませんでしたからね。)多分お金を借りれば、抵当権も付けられていたことでしょう。少ない信者で、お供えを払い、同時に借金も払い、など、できる訳もありません。上級会長が、うちの教会が借金を返すのを助けてくれることなど無いないでしょう。そのうち、土地名義は大教会に移ったのではないか、と思われます。
天理教が、酷薄な高利貸しに思える次第です。
「なぜ めぐり逢うのかを私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない」
真柱さんの結婚式のために作られた歌。
「織りなす布は いつか誰かの傷をかばうかもしれない」
こんなやさしさは何から生まれるのか。「よりそう」ことの大切さが説かれたのは、阪神淡路、そして東日本大震災のことだと記憶するが、その前から、そのことの大切さが説かれている。これって教祖の言葉じゃないか。「つくしはこび」のメッセージと比べてほしい。
立教158年(1995年11月26日)「確かな教理理解のために」」初版発行。
刊行にあたって
天理教青年会の機関誌である『あらきとうりょう』第149号に、「確かな教理理解のために」という特集を掲載したのが8年前、立教150年のことでした。
お道を信仰する私たちにとって、教祖がお教え下された教えを正しく理解せねばならないことは、必要不可欠というよりも、むしろ当然のことであります。すなわち、「原典」に立脚した教理を身につけることであります。
とはいうものの、直接「原典」を拝するだけで、正しい理解を得ることはなかなか困難なことでしょう。そこには、ある程度の予備知識とでいうべきものが必要であります。それは身の周りの、道の先輩から得る場合がほとんどであると思います。
しかし、その予備知識を与える者の知識が誤っていたり、焦点がずれていたり、あるいは単なる受け売りであったりすれば、おのずとそれを受ける者には誤った解釈が伝わることになります。
誤った知識が、単なる勉強不足や当人の悟り違いであるなら、矯正の余地もあるでしょう。しかしそれが作為的に歪められたものであったり、根本的に「親神様、教祖、ぢば」から心がまったく離れたような解釈であったならば、これはもう本教の教えといえず、まったく別のものといわざるを得ません。
更に、教外の宗教学者による天理教の研究書等についても、中には教内信者に誤解を招く内容のものがあります。
この種の曲解や誤謬に満ちた著書について、それを否定する判断力を身につけることも、一面私たちに必要な姿勢であります。
陽気くらし世界建設に向かって知から強く歩む私たちが、ぢば一条に心を尽くそうとする真摯な態度に対し、邪魔をするどころかその素直な気持ちを利用しようとするに至っては、許すことが出来ない暴挙であります。この暴挙を排し、教祖にお喜び頂ける成人の道をまっすぐ歩む上に、本書が参考になれば幸いです。
最後に、ともすれば目を背けがちなこういった問題に対し、正面から取り組まれた著者の方々に心より敬意を表すると共に、今回改めて本書の出版にご尽力下さいました道友社の方々に厚く御礼申し上げます。
立教158年11月
天理教青年会本部委員長
中山 善亮
以上について次の疑問を呈します。
この本は、八島教学に反論する形で出版されたと理解している。そのうえで、
1995.4月、八島に対する立退き要求の訴えは東京地裁で却下の判決が下った。本部の控訴は無く結審した。
この場において、天理教青年会は、教団の正式機関ではないと証言している。正式機関で無いものが何を書こうと、一考察に過ぎない。何故教会本部名で出版しなかったのか。教団は逃げているとしか思えない。
更に、真柱をはじめとする教団の正式機関は、八島教学は異端だと一言も言っていないと証言している。
「刊行に当たって」を読んだ段階でこの本の全てがは信用できない。
これを読んで、誰がお供えをすると思っているのか。
↑ 一部誤字がありましたので次の通り訂正します。
陽気くらし世界建設に向かって知から強く歩む私たちが、→陽気くらし世界建設に向かって力強く歩む私たちが、
東風Zさま
確かにそうですね。私が持っているは「あらきとうりょう」122号「特集 共産主義の宗教論とその問題」の1冊のみですが確かに天理教青年会本部出版部です。天理教本部青年部でないとおかしいと思っていました。婦人会も然り。「責任」と言う指摘でなるほどと思いました。青年会は真柱の長男がなり、婦人会は真柱夫人が必ずなっていますもの。
つくづく思うのですが2代真柱の責任の大きさを感じます。戦争に協力してしまったことを真の意味で教団トップとして反省し教団の在り方や教理も真の復元をしていたらと思います。中山みきからはるか遠く~。当然の帰結かなと感じながら皆様のコメントを読ませていただいています。
皆様本年はお疲れ様でした!来年は天理教の内外、持ち場立場関係なく、金の亡者でおやさまの教えを詐欺に使ってる本部にお供えを上げずに破綻させ、天理教から中山家を追い出しましょう!天理教の悪の元凶はまさに偉そうにして各教会を虐め抜き!金しか目が無い強欲な中山家だとこのサイトを見て確信しました!
私は熱心に信仰している部内や信者さんを護ります!中山家と本部なんか無くなっていい!唯の金食い虫だしね。
教えを詐欺に使う中田善亮も来年はどうなるか楽しみだね。
年金教詐欺本部、年金詐欺柱 年金詐欺統領、年金詐欺だいすけ 全員極潰し(笑)
彼ら血迷う中山家とその側近に御守護あれ!(笑)
皆様、今年一年間ありがとうございました。
後半から「◯統領の大教会乗っ取り事件」や、「◯統領のハニートラップゆすられ疑惑」など、
腐敗した天理教本部の醜態を露呈するリークが続きワクワクしていたのですが、いずれも来年に持ち越しのようですね。
乗っ取りリーク元の「老いぼれ教会長」さま、◯統領の発言などの続報、お待ちしております!
それではみなさま、来年こそ天理教本部転覆のよい年になるよう「一手一つ」(で合ってますか?)で頑張りましょう!
mami さま
2016年12月30日 6:47 PM
ありがとう存じます。教祖の真の教えに接する機会が来ることを願っています。
当時の中田善亮委員長の言葉も、今に照らせば結局お金だったのですね。お供えは、本来感謝の気持ちから発するささやかな行為であって、何十万円、何百萬円もするものではありませんし、また、庶民には出来ませんよね。
今年1年いい勉強をさせて頂きました。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
『お金のことは言いにくいと避けていては、よふぼくは、おつくしの意味がますます分からなくなる。おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。』
(金のことは言いにくいと避けていては、世間の奴らは、上納金の意味がますます分からなくなる。上納金は命が惜しかったら金を出さねばならないということであり、組本部に受け取っていただく「恭順の姿勢を表すもの」である。)
【命が惜しけりゃ金を出せ】 天理組本部 中山善亮組長の言葉
「よふぼく」の意味を考えますと、下記の方が近いと思いましたので、
「世間の奴ら」 を 「組構成員、下っ端、末端組織の奴ら」 と訂正させて頂きます。
いずれ棟梁四人居る。
いずれお地場には、棟梁という教祖本席を凌駕するほどの神の化身達が現れるのですが、現在はお笑い棟梁に笑わせて頂いてる最中なんでしょうか?
2017年は、大掃除の仕上げの旬の始まりですね。偉いさん達には気の毒ですが、掃除の後は、ありがたいお地場にお目に掛かれる筈です。
馬鹿田銭亮
2017年1月1日 4:08 PM
12下りの九ッ
これハこざいくとうりやうや
たてまへとうりやうこれかんな
山澤小細工統領や
建前両統領これはあかんわな
先日こう聞こえました(笑)
元旦の天理時報から
真柱のお顔は、陽気づくめの喜びあふれる顔には程遠い、何とも言えず、暗い表情に見える。
何を考えておられるのか、天理教の崩壊を逃れられないものとして予感しているからだろうか。諦めなのか。
それに対して、紙面下半分の両棟梁は、揃って悪人面。内容は、相変わらずのきれいごとを言ってるだけのようだが、宗教組織の営業の言葉とはいえ、よく言えるものであると、半ば感心する。
「天理教あるあるbot(ほぼ手動) 」さんという方からのツイートです。
社会学さんに転載してもいいですか?と伺いましたら、「全然大丈夫ですよ。」ということでしたので。大笑いですね。
『確かに二代さんはカリスマだったけど酒と女にえげつなかった話はよく聞くし、お葬式には何処の子かも分からない大勢の子供らがわらわらと「お父さん!」と叫びながら棺に縋り付いたというのは有名な話。』
匿名 (2017年1月2日 3:03 PM)さま。
>元旦の天理時報から
真柱のお顔は、陽気づくめの喜びあふれる顔には程遠い、何とも言えず、暗い表情に見える。
何を考えておられるのか、天理教の崩壊を逃れられないものとして予感しているからだろうか。諦めなのか。
前真柱さんが、事情があった大教会の部内教会長さんと、数名ずつ何回も懇談をされたようです。その時に初めて大教会の実態を聞かされたようです。多分、現真柱さんも、聞いておられたのではないでしょうか。
今まで、真柱さんのお入込みの時だけ盛大に見せかけていたことや、神輿に乗せられて、現実を知らなかった事に気づかれたのではないかと思います。
自身の力ではどうしようもない、今の天理教を憂いておられるのかも知れません。
つじつまの合わない言い訳をする教会長。
以前、参拝をしていた教会の役員を務めておられた夫婦には子供が出来なかった。こともあろうに、そのことを何の関係も無い私になじった教会長。挙句の果てに養子縁組の画策を始めた。今時、家庭裁判所は未成年者を養子とする養子縁組は容易には認めてくれない。結局、この夫婦は相次いで出直しをされた。教会にとっては信者が減ったわけだ。
教会長は何故子供が出来ないことを前生の因縁と云って、他人に云うのか。現真柱にも子供が無いではないか。この教会長が私に云ったことを真柱にも云えるのか。現真柱の養子縁組は、成人同士の合意だから簡単だ。
そのことを徳のある方と、徳の無いものとして比較する神経がおぞましい。
天理教の教会長の認識なんてこの程度のものだ。この役員夫婦は少なくとも教会に貢献されたはずだ。それならばその徳を称えてしかるべきだ。このような小さな問題でも社会学の参考にしていただければと思います。
古い教会長
2017年1月4日 6:47 PM
「神輿に乗せられて、現実を知らなかった事に気づかれたのではないかと思います。」
未だに気が付いて無いと思います。気が付いてたら実弟 表統領 中田善亮の暴挙を止める責任は真柱にあるのですから早く辞めさせるべきだと思います。両統領主導による 教会乗っ取り等の記事をこちらで見かけて以来中田善亮はじめ両統領の悪評をよく耳にするようになりました。
中田善亮は短気で高圧的な態度で弱者を黙らせるような性格だそうです。聞いた時いい年した大人が恥ずかしいとおもいました。 本部でお坊ちゃんとして大事にされそのような人格形成が成されているのでしょう。その様な傲慢な性格は中山家だけかと思いきや本部は家柄にも格があるそうで上下が決まっているそうです。
現内統領の性格は自己中心的で二枚舌三枚舌で周りを翻弄する性格だそうです。それで周りの人間に迷惑をかけ本部内を荒らしていると聞きました。
私は友人が直属教会の後継者で本部青年をしているので聞きました。
以前も、本部在籍をザイセキと呼ぶとの記事を見ましたがそれも本当だそうです。本部はよくわからない世界でそんなに酷いのか?と疑問に思っていましたが、悪評以上の家柄で格が決まる階級社会トップに近くなれば近くなるほど傲慢な性格が目立つそうです。信仰心も感じられないそうです。耳にする話は下らない世間話ばかりこんな人達らが本部員?と疑問に思うそうです。そもそも信仰心はもう関係ないらしくいかに中山家や先輩を立てられるか?で判断される世界だそうです。北朝鮮や共産主義国家と本部組織の対比の意見も目にしますが本当に北朝鮮と変らないです。
北朝鮮や共産主義など崩壊した組織をまねては天理教本部も終わりは近い。しかしそれに気づこうともしない本部上層部だそうです。
こちらの社会学のページで様々な記事が気になり自分の本部に近い知人友人に聞いてみました。数十年前と違い直属の友人など本部に近い人間であっても快く話をしてくれる。快くと言うか堰を切る と言うべきでしょう。話をしこちらの天理教社会学のサイトを元に聞いていくだけで「うわ~やっぱりか!噂で聞いてたけど結構書かれてるなー」と話してくれるようになりました。本部に近い人間でも「この悩みは私だけじゃ!俺だけじゃ!無かったんだ!」と言う印象を全ての人か受けます。
本部青年の知人でも本部と言う組織は本部在籍の階級社会があり家柄が良くないと本部準員、本部員には中々成れないそうです。つまり大教会や直属の分教会がいくら本部とコネクションを持っていようが改革なんて無理だそうです。本部の問題はその家柄階級制度の上位で無いと解決はできないそうです。家柄階級制度の頂点に勿論、中山家が君臨しているので、現状悪化するこの教団とその頂点の本部という事は、真柱は未だに無駄に神輿の上に座ってるだけの人だと言うことです。
大教会乗っ取り事件の続報まだでないですかね?と 楽しみにしていたところでとうとう私も同系統の方が教区で聞いてきたらしく本部の大教会乗っ取りの話を耳にしました。本部最低です!しかもその加担した方の名前も聞きました!こちらでは伏せておきますが、その面子を聞いて驚きました! 〇尾系、〇井系、そして中山系の名のある者が犯行に及んでいるようです!正直本部にはがっかりしました!こちらで真柱の中山家が金の亡者!などと書いてあって信じられませんでしたが乗っ取り事件の噂を聞いて確信に至りました!本部はやはり天理教でなく中山教です!金の亡者の最低の詐欺集団!当教会系統でも結構噂になっていて「本部終わるんちやうか?」や「本部は潰れても仕方ない!」と天理教の史実を語りだす古い教会長さんもいらっしゃいました。色々聞かせてもらって天理教、親神様おやさまの教えと本部が離反してることを知りなおのこと本部に悪意を感じました。私自身も本部が潰れても仕方ないと思いました。
大教会乗取り本部 様。
>天理教の史実を語りだす古い教会長さんもいらっしゃいました。色々聞かせてもらって天理教、親神様おやさまの教えと本部が離反してることを知り・・・・
とても良いことですね。古い会長さん方は、元々いろんな事をご存知でしたが、語る場所もないし、語ることが教祖を裏切るような強迫観念になり貝のように口を閉じていました。でも実は、教祖の思いを本当に実現したいならば、それを語らなければならないのです。おかしい事をおかしいと言える、変な事を変だと言える、当たり前の事が普通に言える組織になって欲しいだけです。
大教会乗取り本部 様
>天理教の史実を語りだす古い教会長さんもいらっしゃいました。色々聞かせてもらって天理教、親神様おやさまの教えと本部が離反してることを知りなおのこと本部に悪意を感じました。
厳しい事を言わせてもらいますが、そういう古い教会長さんたちには同情の余地がありませんね。
史実や事実を知っていながら、ずっと黙って本部や上級のやり方に協力してきたんですから。
自分の立場を守るためとか、教祖様を裏切るような強迫観念に捕らわれていたとしても、『自分たちに被害が及びそうになってきたから騒ぎ出した』としか思えません。
もっとも、それで過去を悔い改め、今後本部崩壊に向けて行動するというなら少しは見直してあげてもいいのですが、これから「信者さんたちにどういう話をして、各々がどういう行動をするか」を見ないことには判断できませんね。
単に上級や本部の悪口や内部告発をするだけなら、「責任逃れの裏切り者」(もっとも、私の立場からすれば「本部の裏切り者」大歓迎ですが)です。
引き続き、情報をお寄せいただければ嬉しいです。
大教会乗取り本部
2017年1月15日 8:24 PM
大教会乗取り未遂事件なのでしょうが乗取りとなると本部にも弁護士がいたと思って検索しましたら数人いるみたいです。
今中道信 羽成守 日野修一 鳩谷邦丸 別城 信太郎 大畑道広 この方々は何をされているのですかね? 本部員が法人乗取という違法行為をしているのに無能なのかそれとも共犯なのか?
不正競争防止法判例データベース 名称使用差止等請求事件(天理教)
http://husei.hanrei.jp/hanrei/uc/1313.html
↑ 東京地裁の判決で天理教側勝訴の判決ですが、高裁、最高裁では逆転敗訴してますね。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/hanketu.html
被包括関係を解消しても「天理教」の名称を使用しても良い、ということかと。
匿名
2017年1月16日 2:55 AM
社会的に地位のある弁護士がなんで違法行為に加担するかが理解できない。バレたら一発で資格取り消しでしたよね?
この弁護士、アウトですね。
http://wrs.search.yahoo.co.jp/FOR=mGt92JZV3ih0AQ1MizFhqjsao3PCuKMxiAYd5Qtgog_T5uIWkYV62JU3KSAzL6hxCnu7DMdP2DemLTEcbd4T_GpF3HWbsFkRJKBPuuAI898Vw54tkf8o4uxlEWpm1R4Q6dxLO5rpVnraDOV9M6ucPPjMQRMNnkvHLfP8DCELmxjhRUZCQ5DNFy1sdnFtvOuXZXjga9ghgkKSHpfjEkyRc9bmLCdgiqLGeWGb.yND48UT0vbaPmTKYJ_CTTv5Kt6l7cVZ/_ylt=A2RA0nT1yntYnEYAuhfjm_B7;_ylu=X3oDMTEyZTZ2b2ZkBHBvcwMzBHNlYwNzcgRzbGsDdGl0bGUEdnRpZANqcDAzMjA-/SIG=12f14858e/EXP=1484608693/**http%3A//www.nichibenren.or.jp/jfba_info/autonomy/chokai.html
末端教会子弟 様。
>厳しい事を言わせてもらいますが、そういう古い教会長さんたちには同情の余地がありませんね。
史実や事実を知っていながら、ずっと黙って本部や上級のやり方に協力してきたんですから。
誠に、その通りかもしれませんが、古い新しいを問わず教会長の約3分の1は洗脳されています。後3分の1は洗脳が解けて、真実に気づいています。その人たちは黙って道を去って行くか、背反面従で生きて行くか、行動を起こすかに分かれます。後、3分の1は洗脳が解け始め、悩んでいるように思います。
実は会長は「 史実や事実を知っていないのです。」「知らされていないのです。」
余程、自身で根ほり葉ほり研究しないと真実は隠されて見えなくなっています。
史実も事実も知らない会長さんの方が遥かに多いのです。
古い会長さん方が語り始めたのは、自分自身が経験した理不尽な教団の在り方であって、教理的な史実や事実の間違いではないと思います。
語ることは不足になると、思い込まされていたのですから口を閉じていたのでしょう。
もちろん中には、たちの悪い教会長もいるとは思いますが。
ホンマや、いろいろ書いてあるわあ~。
【弁護士法】
第1条 (弁護士の使命)
①弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
②弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び
法律制度の改善に努力しなければならない。
第22条 (会則を守る義務)
弁護士は、所属弁護士会及び日本弁護士連合会の会則を守らなければならない。
第56条 (懲戒事由及び懲戒権者)
①弁護士及び弁護士法人は、この法律又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の
会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があったときは、懲戒を受ける。
②懲戒は、その弁護士又は弁護士法人の所属弁護士会が、これを行う。
第57条(懲戒の種類)
弁護士に対する懲戒は、次の四種とする。
①戒告
②2年以内の業務の停止
③退会命令
④除名
第58条 (懲戒の請求、調査及び審査)
何人も、弁護士又は弁護士法人について懲戒の事由があると思料するときは、その事由の説明を添えて、その弁護士又は弁護士法人の所属弁護士会にこれを懲戒することを求めることができる。
【弁護士職務基本規定】
弁護士は、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする。 ‥
弁護士は、その使命を自覚し、自らの行動を規律する社会的責任を負う。‥
第1条 (使命の自覚)
弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と、社会正義の実現にあることを自覚し、 その使命の達成に努める。
第5条 (信義誠実)
弁護士は、真実を尊重し、信義に従い、誠実かつ公正に職務を行うものとする。
第6条 (名誉と信用)
弁護士は、名誉を重んじ、信用を維持するとともに、廉潔を保持し、常に品位を高めるように努める。
第10条 (依頼の勧誘等)
弁護士は、不当な目的のため、又は品位を損なう方法により、事件の依頼を勧誘 (非弁護士との提携) し、又は事件を誘発してはならない。
第14条 (違法行為の助長)
弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない 。
第50条 (自由と独立)
官公署又は公私の団体(弁護士法人を除く。以下これらを合わせて「組織」と いう )において職員、若しくは使用人となり、 又は取締役、理事その他の役員となっている弁護士(以下「組織内弁護士」という )は、弁護士の使命及び弁護士の本質である自由と独立を自覚し、良心に従って職務を行うように努める。
第51条 (違法行為に対する措置)
組織内弁護士は、その担当する職務に関し、その組織に属する者が、業務上法令に違反する行為を行い、又は行おうとしていることを知ったときは、その者自らが所属する部署の長、又はその組織の長、取締役会、若しくは理事会、その他の上級機関に対する説明、又は勧告、その他のその組織内における適切な措置をとらなければならない。
【日本弁護士連合会会】
第10条 (職責の自覚)
弁護士は、人権の擁護者であり、社会正義を顕現するものであることを自覚しなければ
ならない。
第11条 (非違不正の是正)
弁護士は、常に法令が適正に運用されているかどうかを注意し、いやしくも非違不正を
発見したときは、その是正に努めなければならない。
第13条 (公私混同の禁止)
弁護士は、法廷の内外を問わず、裁判官、検察 官及び同僚に対して礼節を守るとともに、公私混同の態度があってはならない。
第15条 (弁護士の本質)
弁護士の本質は自由であり、権力や物質に左右されてはならない。
第29条 (会則を守る義務等)
①弁護士は、所属弁護士会及び本会の会則、会規及び規則を守らなければならない。
ということで、その弁護士は「真っ黒」確定ですね!
まともな弁護士であれば、そんな「法人乗っ取り」とか起きひん、いう事ですね!
本当なのかこの話!?
>ということで、その弁護士は「真っ黒」確定ですね!
>まともな弁護士であれば、そんな「法人乗っ取り」とか起きひん、いう事ですね!
弁護士が絡んでいるのに「これから乗っ取りしますよ」なんて言う訳ないじゃないですか。
『大教会長や役員の言動に問題があるから、処罰して組織を改革する』と言うに決まっています。
弁護士も、『事実は乗っ取り』だと分かっていても、引き受けた以上は依頼人の利益のために働くのが仕事です。
裁判所も、普段の両者の言動などは審理しませんので、争点となる部分の事実関係だけで判断するでしょう。
テレビドラマじゃないんですから、事実を過去に遡って全て調査し、勧善懲悪のお裁きを出してくれるような「水戸黄門」は現実世界にはいませんよ。
「本部から修理人が来て、大教会長や役員の言動を非難し、責任を追求した」という「事実」だけでも、大教会長側は不利だと思います。
狙われたが最後、大教会側は不利な戦いを強いられるでしょう。
何といっても、非包括宗教法人である以上、人事権や事情運びの判断は本部側にあるのですから。
私もその先生のお話、所属の教会で聞かせてもらったことがあるので信じたくはないけれども、現実にその大教会で起きていることなので…。
[狙われたが最後、大教会側は不利な戦いを強いられるでしょう。何といっても、非包括宗教法人である以上、人事権や事情運びの判断は本部側にあるのですから。」
本部側に全ての権限が!と教内の人が思い込んでいるだけで人事権どころか殆ど権限は無いです。包括法人が他の被包括法人に人事権はもてません。あくまでも指南だけで最終決定は被包括法人側にあります。
この辺の相互の誤解により起きる乗取り事件もあります。この辺の事は意外と被包括の方のが詳しく包括側が安易にその垣根を越えてしまうケースが多いのです。それにより不可抗力の乗取りが起きてしまうケースもあり天理教のような組織体系だと起こりやすいでしょう。
宗教法人法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO126.html
宗教法人法 包括関係
https://goo.gl/xwX38r
あれ、私は、大教会側が有利と聞いておりますが。
月日残念
2017年1月16日 10:42 AM
そうなんですか乗取り未遂という事は大教会と役員側が本部とその弁護士を阻止したと言うことだから大したもんだな
弁護士が他の教会長にやられたのか(笑)すごい教会だな!今時そんな教会あったのか!どこか知りたいわ!
闘いの手法、心得ている教会のようですよ!
匿名
2017年1月16日 11:04 AM
カッコイイ!少林寺みたいですね(笑)
皆で各所に「害悪弁護士なんですが」と連絡入れてた方がいいわな!
若先生、超武闘派らしい
未遂で終わり、本部側が引き下がったのなら結構な話ですが。
個人的には、どういう事実があって、どのような対抗措置をとったのか興味があるところです。
出来るなら、詳しい事情や経緯を教えていただきたいと思います。
また、一度眼をつけられ狙われた訳ですから、今回撃退したとしても今後の教会運営や本部とのやり取りで「何らかの扱い」を受けなければいいなと老婆心ながら心配します。
たとえば、事情運びや会長交代の承認などで、今まで以上の「お供え」を要求されるとか・・・。
その時「独立」ちゃいます格闘技?は
その時は「独立」ちゃいますか??
末端教会子弟
2017年1月16日 12:28 PM
「事情運びや会長交代の承認などで、今まで以上の「お供え」を要求されるとか・・・」
それらの嫌がらせ行為を本部がするなら大教会は離脱すればよいでしょう。実際本部の悪行も悪名も知られてるわけですから、しかしここまで露骨に露呈してくると本当に天理教本部も末期だと思いました。
>実際本部の悪行も悪名も知られてるわけですから、しかしここまで露骨に露呈してくると本当に天理教本部も末期だと思いました。
私個人的には『本部が悪の塊』で『大教会が悪の手先』なんですが。
どの系統の事か分かりませんし、その大教会長の人柄や普段の言動などは不明ですが、所属する部下教会や信者さんからお供えやお礼を集めて、自分たちの生活費や遊興費、子供の学費や小遣いなどを抜いて、残りを上級に上げていたのでしょう?
教祖様の教えてくれたみかぐらうたを素直に解釈すれば「教会専従」なんていう立場や解釈が、埃以外の何ものでもありません。
匿名
2017年1月16日 12:39 PM
このサイトを見ている本部に不信を抱いてる私達からしたら是非とも本部との決別を独立してもらいたいです。調べてみますと
wikiより
単位宗教法人と包括宗教法人
[宗教法人には単位宗教法人と包括宗教法人があり、単位宗教法人は被包括宗教法人と’単立宗教法人に分類される。
単位宗教法人とは神社、寺院、教会のような境内建物(宗教法人法3条)を有する宗教法人であり、宗教法人法2条(宗教団体の定義)の第1号に該当する団体である。包括宗教法人は単位宗教法人あるいは非法人の単位宗教団体を包括する宗教法人であり、宗教法人法第2条の第2号に該当する。例えば、仏教では宗派(宗団)が包括宗教法人に、本山や末寺が被包括宗教法人にあたる。
また、単位宗教法人のうち、包括宗教法人もしくは非法人の包括宗教団体の傘下にあるものを被包括宗教法人といい、そうではないものを単立宗教法人という。被包括宗教法人が包括宗教法人から独立して単立宗教法人となることもできる。]
wiki
https://goo.gl/eTkTzi
このように独立する権利はあるそうなので意外と簡単に成れるみたいです。本部がおかしいなら独立宣言をしたらいいだけだそうです。
末端教会子弟さん
[狙われたが最後、大教会側は不利な戦いを強いられるでしょう。」
とあるように、乗取りそして嫌がらせを受けてきたんでしょうからもうその教会の方々もいい加減気が付いたでしょう。私は他系統の者ですが、その様な被害者教会を応援します。
お供えブログ 古い教会長様 投稿日:2017年 1月16日(月)08時40分33秒
の転載です。
(中根?でしょうか)
という記事を見て、私も以前天理に帰参した際に中根の噂を聞きました。噂以前には聞いたことのない大教会名だったので今でも鮮明に覚えてます。今回の真逆の話でもしこの乗っ取り未遂事件が中根であれば私も騙されていたでしょう。本部は嘘を流して大教会長を追い出す手口を使うと別件で聞いたことがあります。私が中根の噂を聞いた時には中根は本部に狙われていたのだと気が付きました。しかし乗っ取りが未遂という事は防衛したという事でしょうから凄い教会ですね。是非ともその話を聞かせて頂きたく思います。
匿名
2017年1月16日 5:44 PM
古い教会長さんは何故中根と名指しで聞いたのですかね?総合して考えると本部が流した噂話を聞いていたのか?それとも教区か系統で乗取り未遂事件を噂を聞いてたのですかね?それとも情報通の古い教会長だけに両方聞いていたのかな?
でもね、なんちゅても二代真柱の戦争協力は致命的だわね。あの天理ほんみちという異端教団ですら弾圧されても、投獄されても一、時の政府と命を賭して戦ったんだから。二代真柱は教団を守るとかとか、(ほんとは中山のためだろけど)訳のわからん言い分けををして、ひのきしん隊を殺人集団にしたんだから。
その孫、●善亮に良心などあろうはずがない。三代続いている北朝鮮の金家となんらかわらない。いくらミサイル撃っても、教祖は笑ってござる。
だからね、●亮だけがアウトではなく、弱腰の初代真柱が教祖にかけあって、講習所なりと・・・・と言った瞬間から応法の道が始まったんだろうね。教祖にしてみたら、やれるものならやってごらんというお気持ちで現身をお隠しになったんだろうね。
だから中山は全員アウト!戦争協力とはお考えではなかっただろうけど。●亮はそういう遺伝子をもつ、くそやろうでしょう。自分という存在のルーツをたどってみな。
いやはや全く 「足のちんばが一のざんねん」が 秀司以来延々と続いているという事ですね。
現状は、おや様を否定しているのですから、やはり中山家は「粉も無い」ようになるんでしょう。
「足のちんばが・・・」は、おふでさき1号に早々と出て来るのですが、
1号の1から28を親神の世界助けの序章とすると
29に続く歌は、秀司を筆頭とする欲の心を持った連中を批判しているのでしょう。
かんろだいは警察が強引に取り払ったのではなく秀司の妻「まつえ」が奈良警察署に依頼した(八島氏より)
かんろだい勤めを解放しないのは中山家
おふでさきの核心部分を5年分ほども抜き取って刊行したのは中山家
神様おや様を騙って金を集めるのは中山家
御分家と宣って中山家を蚕食する山澤家は不可分
「おふでさき」は、全編にわたって
強欲まみれの中山家が世界一列助けたい親神の志を邪魔立てする最大の「あくじ」と書かれているのだと思います。
この「おふでさき」が天理教(中山教)の経典とは、もうホントに笑い話ですね。
1号ー36には 「このあくじなんぼしぶといものやとて 神が攻め切りのけて見せるで」とありますが、
このせめぎ合いは、一時神が人間の強欲に負けたのでしょう。
だからおや様を連れ帰ったのだと思います。
帰参者激減の本部の現状を「親神様はお手てたたいてお喜び」だと思います。
おや様だって「ざまあ見や 金ため込んで来たからや」と言ってるでしょう。
私は、中山家とその眷属の衰亡をこの目で見ることがとても楽しみです。
おや様130年祭にも秋季大祭にも帰参しましたが
帰参者激減の本部祭典の様を見るとなぜか心が「ウキウキ」してきます。
偽物は早く潰れろー こんな気持ちです。
教祖の雛形に対する『悪の雛形』という位置付けでしょう。
匿名
2017年1月16日 12:44 AM
乗っ取未遂事件は弁護士まで関わってたと知って驚きを隠せませんでした。本部の弁護士も本当宛にならないと知りました。本部の法人乗取に弁護士まで加担させられていたら弁護士も首が何個会っても足りませんね。
今回の「大教会乗取り未遂事件」の話を聞いて正直半信半疑でしたが、著名な弁護士まで関わっていたと成ると大変面白くなってきました!続報お待ちしております!
退職信者
2017年1月17日 8:50 AM のコメントに「いいね!」をポチッ
屋敷の掃除は今も昔も変わらない永遠のテーマということ、よく分かりました。
掃除できないままで「ふしん」なんて出来っこありませんからね。
おやさまにお詫びして辞任必須の本部員が多く居そうです。
んー…本部のお抱え弁護士が犯罪に関与ですかあ…世も末ですなあ…。
以前「法人乗っ取り」リークの「老いぼれ教会長」様、続報お待ちしておりますよ!
私主にツイッターを根城にしているしがない者なのですが、こちらの記事を拝見しまして興味本位にて投稿致します。お目汚しお許し下さい。
さて、気になったのが大教会乗っ取り事件ですが、リーク元とされる「老いぼれ教会長」さんの投稿がそっくりそのまま消えているので、どなたかあらすじでも良いので再度ご教示頂きたいのですが、よろしいでしょうか?
おー、お役に立てる日が来ました!
個人的に、かなり衝撃やったのでコピペ保存しておりました!
貼っておきます(^^)
老いぼれ教会長
2016年12月7日 4:27 PM
先日、支部の例会で小耳に挟んだんですが、本来、世話人(本部員)は一人らしいのですが、とある大教会にはプラス2名の計3名が毎月のように月次祭に行って、やれ会議!やれ御手振り!と押し付けて、あげくに会長さんか奥さんが管理していた会計を、教会の人らを騙して勝手に異動したらしく…それでみんな怒ってしまって、若手の先生方が弁護士さんに相談したら、「それ法人乗っ取りですよ」とか「集団詐欺ですよ」とか言われたらしく、それで今、その本部3名は大教会から訴えられるとか何とかで、吊るし上げられているみたいですよ。 それで、その指示をしたのは、どうも両統領らしいんですよね。知人が「月次祭で本部員から、その音声を聞かされた」とか言ってました。で、表統領か内統領か、あまり覚えてないけど、「立て直す」とか、「会長夫妻の会計はやめさせる」とか、「台所の中まで踏み込んで調べ上げる」とか言ってたらしくて、その音声聞かされた後に、部内の会長さん方が、「ふざけんな!」とか、 「会計勝手に代えやがって!」とか、「大教会長、首とかふざけんな!」とか、「俺達で立ち直るから帰ってくれ!」とか何とか、めちゃくちゃ紛糾したらしいんですよね。 それだけ愛されている大教会長さん方とか、そのご部内や信者さんとか、ちょっとうらやましい気もします。 今月12月号の「みちのとも」で表統領が、「金出せ!」と言ってますよね(28~29ページ)。 前述の大教会でも会計を無理矢理の代えたのも「お金」狙いなんでしょうかね。 今の本部に、純粋な信仰はもう無いのでしょうか…。
天理教ないないさん
ありがとうございます!会計が会長夫妻の管理にあったのは驚き(一般的には事務の役員に複式簿記させる)ですが、それを世話人先生の指示で変えさせるというのはいくら大教会が宗教法人天理教協会本部の被包括法人であっても許されませんし、法的にもかなり問題があります。しかもそれが両統領の指示なら本末転倒です。よほど大教会の会計が杜撰で、横領が横行し目も当てられない状況でもない限りは無理な話です。もしそうでないとすればやはり大問題ですね・・・。これはちょっとまずい状況かも。情報の裏取りをしてみます。コピペ大変助かりました!!
>おやさまにお詫びして辞任必須の本部員
おふでさき
17-9 にんげんをはじめかけたるしょこふに かんろだいをすゑてをくぞや
人間を始めかけた証拠に かんろだいを据えて置くのだ
17-10 このたいがみなそろいさいしたならば どんな事をがかなハんでなし
かんろだいが皆揃ったなら どのような事も叶うぞ
17-11 それまでにせかいぢううをとこまでも むねのそふぢをせねばならんで
かんろだいを建てる前に 世界中の強欲な者どもを掃除しなければなるまい
17-12 このそふぢとこにへだてハないほどに 月日みハけているとをもゑよ
一列済ますこの掃除に例外は無いのだ。
中山家・山澤家・本部員どもよく聞けよ この歌はお前達に向って言っているのだ。
お前達が行った悪行は、わしがしっかりと見届けているからな。
昭和55年に聞いた話
「大掃除になったら本部員の三分の二は始末すると親神が言っている。」
聞いた時には「何言ってんだー 此奴 ひでー奴」と思った。
あれから30年有余、今では洗脳もすっかり解けて中山教の実態も丸見え。
今では八割方が始末されるのではないかと思っている。
強欲どもの魂は、死んだら抹消だな。
「出直し」 そんなことは親神だって承知しないだろう。
奈良の大仏様に踏みつぶされて「粉も無い」ようになればいいんだ。
中山家・山澤家・本部員ども 読んでいるのか。 お前達の魂は抹消だ。
地獄へも行かない。永遠に消え去るのだ。
此奴ら この文章読んでも「ふん」て思ってんだろうな。
救いようがない。だから抹消なんだけどね。 ま いいか。
天理教あるある
2017年1月17日 10:03 PM
大教会でも小規模なら会長夫妻が持ってるケースはいくらでもありますよね。他の人がやらないとか適任者がいないなど、これぐらいだと一般の自営業規模の話である話です。問題点は包括、非包括の関係で教内の人は親会社子会社のように勘違いされてますが実際は看板貸のチェーン店で一番近いのはコンビニだといわれてます。つまり看板が天理教であっても、中身は~~家の自営業なんです。
つまり本部や上級には会計監査の権限はございません。むしろ他の法人に喧嘩を売るような状態で非常に危険です。以前のコメントでも書いてありましたが今まで本部は同じ手口でやってきたみたいですね。つまり今まで逮捕されなかったのが可笑しかった訳です。
法人乗っ取りは会計から始まるケースと、檀家、信者を集団で騙すケースの二種類が有るそうです。
「本部の場合は会計に問題がある!」などのいちゃもんから入るみたいです。つまり本部が「会計が会計が!」と近づいてきたら乗っ取りの合図だと思っていい訳です。この教会も会計はちゃんと返してもらったのかな?
乗取未遂事件
この話の私も聞きました。この教会の世話人がとんでもない人みたいです!「だまっとれ!」が口癖らしく「女はだまっとれ!」「お前はだまっとれ!」と女性差別、本部以外は人と思ってない態度だったと聞き流石に私も憤りを感じました。こちらでも書いてあった様に世話人には何の権限も無いのに偉そうに意見するそうです。世話人の域を超えていると言ってました。弁護士の方も居たそうですがここの噂通りみたいです。弁護士は終始大教会側に反論していたらしいですがとても弁護士とは思えないようなおかしな発言していたと聞きました。本部と弁護士がここまでおかしな状態だったとはと皆吃驚していたそうです。その方曰く会議に出席した感想だと本部と弁護士は黒にしか見えなかったそうです。聞いただけの私でもその内大事件に成る予感がしました。
私、いわゆる投資詐欺に遭いまして、お金を300万近くだまし取られましたけども、その詐欺会社には、ちゃんと弁護士も税理士も顧問としていたのです。私も含め、だまされた数千人の方々は、まさか弁護士や税理士が付いている会社が詐欺の会社などと思わず、信用して出資してしまったところもあります。
出資者に対する月々の、利益を含んだ返還支払の送れの説明会にも、税理士は顔を出しておりました。弁護士は、他の仕事の為出席できない、と、顔を見せませんでした(怪しい)。詐欺社長は、「私は絶対逃げたりはしません。会社を建て直してから、きちんと返済致します。」と、涙ながらの弁解(後から思えば、大芝居)をしているのを、税理士は何食わぬ顔で、横で平然と聴いていました。
結局、賢明な出資者が、警察に被害届を出し、1年以上も捜査が入って、ようやく社長は逮捕されましたが、弁護士も税理士も、懲戒も逮捕もされていない様子です。
教訓として、士業の人でも、信用してはいけない、ということが解りました。弁護士は、自分を雇っている人間が、例え加害者側であっても、雇っている人間の利益の為に働くのだ、ということです。
教区大好きさん
あの、よろしければイニシャルトークで構いませんのでどちらの世話人先生かお分かりになられますでしょうか?
天理教あるある2017年1月18日 12:24 PM
教区大好きさん
あの、よろしければイニシャルトークで構いませんのでどちらの世話人先生かお分かりになられますでしょうか?
天理教あるあるさんご返信ありがとうございます。女性差別をするこの偽善者を突き止めるべく本日は再度その知人に連絡を取り聞いてきました。
一点前もって言いますが、被害者の大教会の名前は被害者保護の観点から伏せさせて頂きます。知りたい方は個々でお調べになって下さい。
そして本題ですがその教会の世話人は K知県の大教会 K大教会の元大教会長S村 という人だそうです。「お前はだまっとれ!」「女はだまっとれ!」等の暴言を吐き続け、なんだか大教会側の方針を邪魔するような意見だったそうです。それ以外は大した意見も述べず底が知れた感じだそうです。表立っては祭典等に顔を出すだけでその様なことは今まで見られなかったそうですが、会議に出席した際に、その世話人の稚拙な本性を見せられて唖然としたそうです。弁護士も大人の言動とは思えないような虚言を連発していたそうです。
部内教会側では表立っては「世話人先生」と呼んでるそうですが、本音では「本部は何しに来たんだ!」「ふざけんな!」「あいつを世話人とは思えない」「あれを世話人や本部員にした本部はおかしい」「本部大丈夫か?」「弁護士大丈夫?」など、本部に対する不信感は積もり、本部批判も始まっているそうです。
本部から補佐として、N山氏とT井氏も来ていて、そのS村を処分しないで放置してる時点で本部の無能さも伺えると言ってました。
その方自身も始めは「本部から先生が着てくださって徳がある」等と喜んでいたそうですが今ではこの有様だそうです。
部内教会内でも本部の指示により一部の教会を中心に良からぬ動きをし始めたそうです。そして部内教会内でも疑心暗鬼が始まりある日突然部内で本部の指示を真に受けた方が出直したそうです。そこから本部の態度も一気に変ったそうです。
部内教会でも、「本部、それとも大教会が正しいのか?」悩んだらしいですが、神が大教会に味方したと言う事だそうです。それ以降本部側の3人は大人しくなったそうですが、今回は追い詰められたのか正気を失ってるようにしか見えなかったそうです。
弁護士も「裏では大教会を悪く言っていたのに、会議の席では大教会に法的に負けていた。」と言ってます。弁護士の二枚舌本性も垣間見たといってました。
その方曰く、「本部がこの様な有様で今後も続くなら矢も得ず天理教から離脱した方がましだと思えてしまう。なので大教会側へ真柱が謝罪をしないと治まらないのでは?」とも言ってました。
その人も心配しているのは、今回の件がまさか「あの本部が!(法はおろか信仰でも)」との動揺を隠し切れない様子で噂が広がり、TV、新聞などに知れ天理教団自体が壊滅してしまうのではないかとの心配もしてるそうです。
色々聞かせてもらいましたが、私自身も今回のこの乗取未遂事件はこの天理教団の大きな節と成るとしか思えませんでした。 この教会から天理教が変わると期待もしております。凄いですね。真実の信仰は上下は関係ない!部内教会が本部の過ちと戦っている。真柱は何をしてるのですかね?恥ずかしいです。においがけする気が失せました。私も上級との折り合いが会わず教区活動だけが主に成ってましたが本部が壊滅するなら、私はこの教会に非難することに決めました!神が居る。神が真実なる者に味方した!との素敵な話とも受け取らせて頂きました。
>教区大好きさん
S村先生といったらあの双子で有名な・・・?うちの大教会とも血縁関係にあるので他人事ではないですね・・・。報道機関への緘口令は既に敷かれていると思います。修養科棟のひのきしん中にベランダから落ちて亡くなられた信者さんのことなど聞いたこともないでしょ?総務部や渉外広報課辺りは個々の部分に敏感ですから、すぐお金を渡すと思います。多分、具体的な登場人物がある程度明らかにならなければ問題化も難しいかもしれません。しかし今回の件に関しては大変驚いています。大事になって真面目な信者さんが馬鹿を見るような事があってはなりませんからね・・・。
うわー!噂もここまで来れば事実ですやん以前もこちらの記事で「本部や統領の手口」見たいな書き込み有りましたがそのSMて人その内統領の兄弟やん。うわーつまり過去の乗っ取りの手口通りにやっていたってことやな(笑)とうとう本部が墓穴を掘った(笑)在籍の人や本部勤務の人からの書き込みも多くなったのでおかしいなとは思っていたのですが、事実以外の何ものでもないわ(笑)やっぱり嫌われ者の内統領、表統領やん 俺も気になって在籍の友人に聞いたら実際相当嫌われてるそうです。「あの2人じゃ無理やろ(笑)」といわれる始末、そしてことの顛末がこの乗っ取り事件発覚(笑)お笑い本部、お笑い統領ですやん(笑)
天理教あるある 2017年1月18日 4:19 P M
「報道機関への緘口令 ・・・総務部や渉外広報課辺りは個々の部分に敏感ですから、すぐお金を渡すと思います。 」
私メディア関係に知り合いが居ますが、一新興宗教なんて屁でもない扱いですよ。むしろ新興宗教団体なんて怪しい詐欺集団だとしか思われてません。
本部にテレビ、新聞に緘口令引くほど今の本部には金も無い。口止め料払う金も無い。そもそも緘口令は退いておらず、ただ被害者に口止め料を払っていただけだそうです。
今の新聞やテレビメディアは、週刊文春などの週刊誌に先を越され、特種を欲しがっているので、これはひょっとするとひょっとしますよ!
「天理教本部乗っ取り事件」等の見出しが飛ぶかもですね。
その昔では
【2002/09/11 織田無道、宗教法人乗っ取りで逮捕!】
http://www.tv-asahi.co.jp/smt/f/geinou_tokuho/hot/?id=hot_20020911_060&
という記事も飛んでます。1995年オウム事件以降メディアはこぞって宗教法人を取り上げる傾向になり宗教に関する記事は増えてます。
近頃では
【開運商法で逮捕された詐欺に実在の寺が関与!?どこの寺?場所は?】
http://king06.com/archives/4911
その昔教内の人ならオウム真理教をもじって「オウム天理教(笑)」と揶揄された経験も有るでしょうが、今後【オウム天理教教会本部】や酷いと【オウム本部】等といわれる日が遠くなさそうですね。困ったのもです。
本部側も自分達の過ちを悔いて散華の道を通る日がやっと来たのだと得心し、通りかえしの道だと思い、早いところ解決してもらいたいです。さもないと上記のような問題が発生することは間違いなしです。
私がその友人にでも言うのは簡単ですが、ここは様子を伺いたいところでもあります。
まずは、マスコミにでも叩かれて、恥を晒して、禊(みそぎ)をしなければ、数々の罪を犯して来た本部が、このまま見過ごされては、苦しんだ信者さん達や会長さん達が浮かばれませんよ~。
教祖100年祭の折に、あまりの過酷なお供え要求で、教会長達に自殺者が何人か出た、犯罪者も出た。
若手の後継候補者に自殺者が多い、今回の、本部の大教会乗っ取り、もう、宗教団体として、体を成していない、そういうもの全部、特集を組んで、報道して頂ければいいのですが。
統一教会、オウム真理教に続く、信者から金を搾り取る、悪徳、詐欺宗教団体として、どこか、特集して下さい~。
さっちん様
2017年1月18日 6:54 PM
さっちんさん私も同感です。よく「本部が悪の親玉で、大教会は悪の手先」と言われてますが私も大教会は悪の手先と自身の所属教会ですらそうおもってました。しかしこの被害の大教会は本部の悪事に加担しなかったのは大変驚きで目が覚めました!この被害者大教会の為にも私もテレビ新聞メディアを動かして欲しいものです!本部が悪の親玉加担した者は皆成敗するしかないと思いました。「以前に皆でお供え額を減らそう!」ともありましたが、教区大好きさんのように皆でこの教会に教籍移動するのも一つの手かも知れません。(移動を許してくれるかは別ですが)どうせ本部はお供え額と信者数ぐらいでしか判断してないでしょからね。正しいことをしている教会に教籍を移動する時代なのかもしれません。
結局、本部や教団が、そこまでの目にあわないと、洗脳されてる方々は目が覚めない、と思います。私の教会の上級会長など、私が、社会学さんとか「お供え」で書かれてる情報から、いくら現状を書き送ったところで、殆ど信用してないみたいです。私が、勘違いか、変なインターネットに騙されてるんだろう、という位のところでしょう。信仰熱心な信者さん達や、教会長さんは、そういう方が結構多いのではないでしょうか。自分が今まで信じきってたものが、詐欺同然ですよ、なんて言われたところで、はなから信じませんよね。
オウム真理教でも、麻原が逮捕されてようやく、信者達は、自分達は麻原に騙されていたのだ、と気が付いたみたいですね。それでも、今だに麻原を信じてる信者達や、オウム真理教に新たに入信してる方もいるようですけど。
そのような洗脳された方々の目を覚ますのは、本部や教団が、マスコミなどから叩かれるなどして、世間から、はっきりと名指しで非難れるところまで行かないと、無理だと思います。そして、その方が、洗脳された方々を救うことになると思うのですけどね・・・。
さっちん2017年1月18日 8:25 PM
その通りです。
一ついいこと教えましょう。
テレビ新聞各メディアのメールフォームに
簡単な説明「天理教宗教法人乗っ取り事件」等簡単なタイトル
社会学さんの記事以外のコメントのURLをコピー&ペースト
を皆さんがするだけでやがてメディアも嗅ぎ付けます。
皆さんでそこからやりましょうか!
私も元の会社ですが素性を知られたくないのでメールフォームから送りました。
適当なメールアドレスを作って送ると良いです。皆で送られたらメディアも動きやすいですし沢山送るといいですよ。
今となっては企業の不祥事も内部告発が頻発していますし、時代の流れ的にも「組織への裏切り」から組織是正への「働きかけとしてのツール」になってきていると思いますよ。
その大教会の管轄の教団と関わりの浅い地域の地方新聞社あたりがベストかもしれませんね。
大きなメディアは相手にしてくれそうもありませんし。
地域で火をつけて、なんとか燃え上がらせるという道筋が良さそうですね。
天理教は腐ってもメジャー教団ですしかも加害者が教団を代表する本部ですからその教団の違法行為が取り上げられるのはもう時間の問題です。被害者側に訴えられたら一気に新聞メディアも見出しを飛ばすでしょうね。嗅ぎ付けて報道して第三者或いは被害者の会を発足して告発されるなどの場合もあります。なので本部側は引き際が肝心だと思います。和解金で治めて方がよろしいでしょう。以前の書き込みに世話人の稚拙な人間性がかかれてましたが、その世話人が大分問題あるのではないでしょうかね?それかその弁護士が黒幕かもしれません。このような事件はさっちんさんがおっしゃっていたように、士業のものが黒幕の場合が多いです。大事件の予感がして・・・一様昔の友人などには知らせました。後は各メディアに対する連絡の多さで目に付くでしょう。
一応私は大手各社の方に何通か出してみました。
何かコピペみたいにして大量にメールを送れるようにするといいかもしれませんね。私はいい文章がかけないので遠慮いたしますが・・・。
天理教あるある様2017年1月19日 10:29 AM
>一応私は大手各社の方に何通か出してみました。
>何かコピペみたいにして大量にメールを送れるようにするといいかもしれませんね。私はいい文章が>かけないので遠慮いたしますが・・・。
いいですね私も何通か送ってます。
ポイントとしては
1天理教が法人乗っ取り違法行為
2弁護士も関与
この二点だけでも中々気を引きます。
私も噂を聞いたのですが、やはりこの件での書き込みが多くて教内の今一番の関心事だと実感しました。
とにかく島村さんの人格が酷いらしいです。以前のコメントでもあったように「お前はだまっとれ!」「女はだまっとれ!」と人権侵害、女性差別主義者みたいで話してくれた先生も怒ってました。話してくれた先生も、「他の教会で暴言を連発してたら訴えられても仕方ない」と言ってました。それにもっと意味深だったのが、「島村さんと弁護士は何か追い詰められている印象を感じた」とも言ってました。
その人も乗っ取り事件を私から聞いて「そうだったのか!」と合点がいったようです。内部のことだし教会なのでそんな事をしているとは思いたくなかったようです。しかし「そう考えると怪しいのが数教会あるな~」とも言ってました。
「島村氏、弁護士、一部の教会長」 が犯行に及んでいたと言ってました。なんだか本部主導あるいは島村主導?で色々おかしなことさせられていたみたいです。
匿名
2017年1月19日 3:30 PM
名前出してくださってありがとうございます。これで私達も悪党の餌食に成らないで済むので大変助かります。これだけ情報が出てくると言う事は現場では余程の事が起きたのだと伺えます。加担したしさせられた会長さん方の悲喜交々な情景が目に浮かびます。本部はどうされるんでしょうね?早く謝罪したらいいのに、早く治めないと教会内で加担した人達が今度は吊るし上げられるでしょうし、それとも教会内での処分などされるんでしょうけど本部初め部内教会に口を挟みすぎて焼けどどころか大火傷、その対応にあたふたしてるのでしょうかね?いいきみです(笑)本部も黒とわかってなんだか安心しました。個人的に私も社会学さんサイトを周りの皆に紹介して注意喚起をしていきます。
お供え掲示板からこちらへ来ました。
大教会の乗っ取りは過去にも結構ありましたよね。今回は防げで良かったですね。
とは言え、大教会側はしこりになるでしょうね……。
それにしても、こちらで名前が挙がる本部の方は養子さんばっかりですね。偏見というわけでは無いですが……。
養子は虚勢を張る人が多いとよく聞きます。嫁ぎ先で何とか成果を出さなくてはと焦るのでしょう。しかし養子だかと言ってでなく、問題は虚勢を張る人には良い人は居ないと言う事でしょう。この島村という方もその様な方なのでしょう虚勢を張り散らして教会滅茶苦茶にしたんでしょう。しかも部内では出直しも出たとなると大変です。コメントを読んでると「本部や島村の性で部内会長が死んだ!」とそう思えてきます。
お供え掲示板と言うのがあるんですね私も今度行って見ます。
あくまで一般論ですが・・・巨悪は決して自らの手は汚しません。894マイナス1の世界がそうであるように、金の為ならなんでもするチンピラを手下に使う、弱みを握ったやつを使いこなす、飴と鞭でいいように言いくるめる、なんでもありのやりくちを使ってきます。しかも被害者たちにお互いに不平不満をぶつけ合わせさせるぐらいの根回し・マインドコントロールを平気でやってきます。ここまでくると目標の半分は達成できたも同然の状態になります。仮に失敗に終わっても(←いまここ?)実行犯を使い捨てにする非情さも持ち合わせているのが巨悪の面目躍如といったところでしょうか。自らに追及の手がおよぶ前にトカゲのしっぽ切りで幕を引くのがオチです。そして巨悪は神妙な面持ちで被害者ヅラをしていれば一件落着。杞憂であればいいのですが・・・・。
皆さん、ここでゴチャゴチャ言わないで、手っ取り早くいきませんか、イかせませんか!?
「文春リークス」へ、ようこそ(笑)
http://shukan.bunshun.jp/list/leaks
愁うもの様
「虚勢を張る人に良い人はいない」なるほど。そうですね。
養子じゃなくても、虚勢を張る人はいますからね。
私は今は天理教とは関わり合いが無いですが、有力分教会に親族が複数います。皆威張ってますね。自信が無いから威張るのでしょうか。
センテンス・スプリング!
2017年1月20日 7:26 PM
>皆さん、ここでゴチャゴチャ言わないで、手っ取り早くいきませんか、イかせませんか!?
>「文春リークス」へ、ようこそ(笑)
>http://shukan.bunshun.jp/list/leaks
週間文春!良いですね!
匿名改めゆきんこ
2017年1月20日 7:36 PM
「虚勢を張る人に良い人はいない」なるほど。そうですね。
養子じゃなくても、虚勢を張る人はいますからね。
私は今は天理教とは関わり合いが無いですが、有力分教会に親族が複数います。皆威張ってますね。自信が無いから威張るのでしょうか。
その通りだと思います。
きょ【虚】 の意味
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/55618/meaning/m0u/
虚勢、虚構、虚言 等 無いのに有る様に見せている人のことです。つまり嘘吐き、如何わしい人の部類でしょう。必要最低限は仕方ないでしょうが、教内の人はどうもこれだけに頼り勢いだけそして中身がない方が多いと思います。そしてそれが組織上層部に行けば行くほどその傾向が強くなるのでは?と思わせられた事件です。話も通じないのは基礎知識が著しく乏しい証拠 良い年した大人で本部の本部員たる重要な位置にいる人が犯罪行為など行うべきことではございません。本部には幻滅です。おやさまがおっしゃったように、2/3の本部員総入れ替えを為さった方がよろしいでしょう。
初めまして、自分は小さい頃から天理教を信仰していたのですが、このサイトを見て今の天理教(特に愛実町分教会)に対して疑問に持ち始めるようになりました。
はじめまして。
私的には愛町系さんは凄い、素晴らしい系統だと思っているのですが、もし宜しければ、その疑問に思われる箇所などを教えていただければ有り難いのですが…。
愛町の初代さんは「不思議な力を持っていた」という逸話を幾つか聞いたことがあります。
オウム真理教と同様に「オカルト大好き人間」の集まりなんでしょうかね?
噂では「おさづけ」をしてもらうのもキッチリお供えを出させるとか、教会ひのきしんやご奉仕も義務化されているとか聞いていますが、実際はどうなんですか?
人々が自主的に喜んで、参拝されているなら問題はありませんが、
もし、人の動員とかお供えが強要されるようでしたら、問題があるでしょうね。
話はかわりますが、中田表統領さんの美人局の話はガセネタだったのでしょうか?
ここに書き込まれている皆さんは、ある意味「命がけ」でいらっしゃると思いますので、細かい部分はさて置き、まったくの個人的な感触で申し訳ないのですが、ガセネタは、ほぼほぼ無いと思っております。
ガセネタなら美人局のような具体的な内容は出てきません。中田善亮という男の醜態がそのまま在籍からも漏洩させるほどの人望の無さなのです。 中田善亮はみちのだいなどでも異端発言を残すほどの虚け者 早く身を退くことをすすめますがね。 お尽くしは金 などと陳腐な教理を説く陳腐な知能、文章化として残った以上もう取り返しがつかない事態です。本部はとうとう、親神様おやさまとの決別を決断したようです。今後本部離脱の教会が現れるのは必須でしょう。
>ガセネタなら美人局のような具体的な内容は出てきません。
その後の進展の書き込みがなかったので、そう思いました。
その後、どうなったのでしょう?
> 中田善亮はみちのだいなどでも異端発言を残す・・・
というのは、いつぐらいの「みちのだい」ですか?
どんな、異端発言だったのでしょう。
センテンス・スプリング!
2017年1月21日 3:39 PM
第二弾
さあみなさん、おかしなことはおかしいと、どんどん告発していきましょう!
NHK「ニュースポスト」
http://www3.nhk.or.jp/news/newspost/agreement.html
日テレ「news every.」
http://www.ntv.co.jp/every/form/index.html
TBS「Nスタ」
http://www.tbs.co.jp/n-st/mail/
フジテレビ「みんなのニュース」
http://www.fujitv.co.jp/minnanonews/bosyu.html
末端会長
2017年1月21日 12:29 PM
ここ 二 三ヶ月のですよ。 おつくし を 金と断定してる時点で親神様おやさまの教えに反します。なので天理教理ではございません。つまり異端と言う事です。本部は表統領 中田善亮になりとうとう馬脚を表しました。本部が異端を指定するのでなく本部自体が異端なのです。そのうち みちのだい など回収するのんじゃないですかね(笑)
いやしないでしょう。奴は快楽主義的自己中心型の、いわゆるヘルメットをかぶった三島や、河原城の店主と同じスタイルの商工会議所のおーなーきぶん!そんな、アカデミック的な文章がどうした、態度がどうの、彼の知能レベルは私たちには4解読不能でしょう。たとえばパンダが表統領になったかんじですわ。いいすぎですか?
中山家とそれに群がる親戚縁者たち、さらに、それに繋がる大教会長と更にそれに繋がる直轄教会長・部内教会長たちの縁戚関係を見れば、もうがんじがらめの世界だ。そのような胡散臭い世界とは、さっさと縁を切ることが肝要かと思います。
5年前に現行天理教を離れておいて、心中本当に良かったと思っています。
恩着せがましいことばかり云って、二言目には「ご恩返し」を連呼している。馬鹿の一つ覚えとはこのことを云うのだろう。
お供えを止めて、ユニセフや国境なき医師団に寄付をしている方が、余程心が晴れ晴れとしている。
オール天理
2017年1月22日 6:43 AM
テレビ新聞メディア陣も珍しい宗教詐欺パンダを見たいと思いますよ(笑)
最近 表統領 中田善亮 と 内統領 山澤廣昭 の顔を見るとマヌケ面にしか見えなくなりました(笑)
新聞紙面に今までの悪行が載るのが楽しみです。
産経
http://www.sankei.com/west/news/150327/wst1503270041-n1.html
天理教を潰した伝説の統領として有名になるでしょうから今の内に焼き付けて起きます(笑)
世界の中田英寿(元サッカー選手)そして今後注目されるのが 世界の中田善亮(現カルト宗教家)です。
神はお金 お金は神が心情の金利教教会本部(元天理教)の表統領、美人局なんか気にせず引っ掛かり金をせびられても信者から巻き上げて払うが心情
善亮なんとかしろや~こんなん言われとったら大亮くんが可哀想やんけ~
中山大亮お坊ちゃま、においがけや路傍講演したりして割と頑張ってはるけど、お父ちゃんらの悪事を知りはったら、さぞお悲しみになるやろなあ…ちゅうか、息子まで共犯者でないことを祈ります。
失礼、「お父ちゃん」とは実父、中田善亮氏の事です。
うわぁっ、聞いてもうた(愕)
乗っ取りやってるの、島〇本部員、中〇〇信本部員、高〇〇太郎準員やってー!!!
息子を真柱に養子に出し自分は表統領?なんなんこの見え透いた状態、大亮の事が可愛いのかしらんけど「乗っ取り、美人局、資金的癒着」等関与し取ったら大亮が気の毒やわ~本通の寄り合いでももう噂されてるで「善亮さんもうダメかも」と次の人探しが始まってるしな、本部在籍でもここまで嫌われた中山の人間も前代未聞やで~しかし中山の人間でろくな奴見たことないけどな~
天理垢ユウゾー
2017年1月23日 11:51 AM
〇村 本部員 〇山 本部員 〇井 本部準員
こいつらを見かけたら要注意ってことか
T
2017年1月23日 1:34 PM
※「T」様のコメントから、勝手ながら抜粋させていただきました。事は相当深刻な状況に陥っている模様です。
さて、今回の言葉(一連の表統領の「おつくし」発言)は、上層部目線で見れば危機感の表れであり、道友社の校閲を通して出てきたことは、リスクを承知で出した可能性は否定できません。
かなり、宗教法人の債務不履行が現実味を帯びてきた可能性があります。
もし債務不履行となれば、教団名義の資産差し押さえ、売却、人員整理となり、とっばちりを受けることになります。
皆様方、お気を付けください。それでも、動揺が収まらない場合、教団分裂の危機が発生すると思われます。
それでうるさく「おつくし、おつくし」、あげくの果てには大教会を乗っ取って、不動産などを本部名義に、または財団法人を設立したりして、この本部の窮地を乗り切ろうとしているんですね。
もはや本部には、われわれ部内信者は、ただ金や物にしか見えていないのでしょうね。
真の信仰はいずこへ、月日様・教祖様…。
以前のコメントで、
財団法人天理教水口大教会維持財団(法人番号:8160005002448)滋賀県 甲賀市
財団法人天理教湖東大教会維持財団(法人番号:4160005006361)滋賀県 東近江市
財団法人天理教河原町大教会維持財団(法人番号:1130005014279)京都府 京都市左京区
財団法人天理教郡山大教会維持財団(法人番号:7150005002532)奈良県 大和郡山市
財団法人天理教維持財団(法人番号:3150005003245)奈良県 天理市
一般財団法人天理教一れつ会(法人番号:3150005007997)奈良県 天理市
という情報がありましたが、上から水口、湖東、河原町、郡山の四つの大教会は、姻戚関係や人事の状況などを見ると、完全なほど本部に政権を握られています。
今後、大教会などで財団法人が設立された場合、「乗っ取られている」「掌握されている」と思って間違いないと思われます。
参考館などもお客はガラガラ。スタッフも手持無沙汰でどんな仕事をしているのやら。365日の空調費、展示品保護管理費は延々続く金食い虫で、信者が激減し教団が衰退しても、このお宝を放置すると言う訳にはいかないでしょう。だれのお金で鬼集したのですか?自分のお金ですか?
調子に乗るなと言いたい。莫大集まったお供え金で買いあさり、その上、女にもだらしなかった二代真柱。神の理を説く資格もない人物から延々と今に世襲している。
現真柱と奥さんのあの顔は、忍びないほど苦渋に満ちています。陽気暮らしを謳う教団の代表に据えておくにはふさわしくない、超陰気顔の夫婦です。可哀そうに、「お飾り」ならもうやめたらいいのに。
太亮さんの時代はもうぐちゃぐちゃで、あちこちの教会の紛争処理で教えの体裁は無くなっているでしょう。
伏せこんだ悪事の種が今実っていますよ。明るい未来の要素は一つもありません。悪事の実りについては中山家、教団上層部の方々で天の理を噛みしめながらしっかり味わってください。人を苦しめたのだから、今度は苦しんでしっかり「成人」してください。
後継者もいない私たち、新しく生きる準備とひっそりたたむ準備をしていましょう。
さあさあ、ドンドン告発、告発!
奈良県警察 情報提供(※奈良県以外の事件は各都道府県警察へ情報提供またはご相談ください)
https://www.police.pref.nara.jp/cmsform/enquete.php?id=2
消費者庁 相談窓口
http://www.caa.go.jp/region/shohisha_hotline.html
文化庁 宗教法人問い合せ
https://inquiry.bunka.go.jp/InputForm.aspx
NHK「ニュースポスト」
http://www3.nhk.or.jp/news/newspost/agreement.html
日テレ「news every.」
http://www.ntv.co.jp/every/form/index.html
TBS「Nスタ」
http://www.tbs.co.jp/n-st/mail/
フジテレビ「みんなのニュース」
http://www.fujitv.co.jp/minnanonews/bosyu.html
週刊文春「文春リークス」
http://shukan.bunshun.jp/list/leaks
朝日新聞「こちら調査報道班」
https://www.joho.asahi.com/
センテンス・スプリング第三弾!
2017年1月24日 8:14 AM
>さあさあ、ドンドン告発、告発!
親神様おやさまの教えに確信的に歯向かう本部をさっさと潰してやりましょう!
この教団を良くする為にはまず本部を潰せ!そうすれば組織内の善と悪がはっきりしますよ!
天理教教会本部なんか、無くったっていいんですよ。手元にある「元治元年の勤め場所建築当時の中山家」図(この時点で甘露台は据えられておらず、ぢばを示す印が表示されているのみ)や「明治20年当時のお屋敷」図を見ているんですが、「甘露台」は屋外にあります。勤め場所の神床は甘露台に尻を向けて拝をする配置になっています。
現在の東西南北の礼拝場なども不要です。正座をして一礼四拍手・四拍手一礼も不要です。「ぢば」に行けば、据えられている甘露台に向かって、それぞれの拝の仕方で祈念すればいいのです。
以前、どなたかが書き込みをされていましたが、祭典時の足の出し方がどうのとか、献饌の順序がどうのとか、社の前の神鏡に曇りがあってはいけないとか、くだらないことに囚われて、肝心の教祖の教えは教団本部都合にすり替えられてしまいました。
もう一度言います。教団本部なんかさっさと無くなればいいんです。
>一礼四拍手・四拍手一礼も不要です<
私も同感です。そもそも、四拍手せよと教祖が教えた作法なのでしょうか?それぞれの仕方で拝をすればよいと思います。うちの上級などは、信者が集まったら一斉に横に並んで、音を揃えて四拍手の参拝をします。ナンセンスだと感じています。形式主義で笑えます。各人がそれぞれに持つ願い事、悩み事はまちまちです。一人、一人が神と向き合い、他人に気兼ねせずに参拝するのが、本来の心の世界であり、願いの姿です。
有難い「会長様?」を中心に据えて参拝する姿は、単なるパフォーマンスで、何をしていることやら。笑っちゃいます。
>勤め場所の神床は甘露台に尻を向けて拝をする配置になっています。<
これなんかも、その昔、全国の教会に指示を出して、尻を向かさないように建て替えさせましたよね。末端教会も信者も上級教会建て替えの為のお供え金の脅迫で泣かされました。本部が勝手に考えてじば中心に、じばの神聖化を高めようとしただけでしょ。
大教会も本部の悪の手下で、やること為すこと、くだらないことばかりに囚われていて、いったい人を救い助けるためにある宗教法人として目指すところは何なんでしょう?我々信者、末端教会は上の欲望の餌食にならないよう、凛として動ぜず、自分の生活を守りましょう。
甘露台に尻を向けないように…
この話を聞いて思い出しました。
上級協会が数年前に普請し、本部(甘露台)の方向を向く形になったのですが、
それまでの普請会議はなかなか進まなかったんです。
当時の自教会の会長(今は故人)が「何も難しいこと言わんでも、(信仰心をもって)甘露台の方を向いた神殿にしたいんです。よろしくお願いします、と頭下げればいい話やのになぜそれができんのやろう」とぼやいていたのを覚えています。
本部がどうのとか言う前に、甘露台の方を向いた神殿にしたいんです!と言う気持ち(信仰心)があるのがどうか。自教会前会長はかなり頑固で偏屈ではあったようですが、私ら信者には本当に信仰心の塊で接してくれました。
団参の時はどうしても交通費として参加費(5000円)が必要となるのですが、
それすらも「(借金の事情で)お金がない人もたくさんいます。お金はいらんからどうぞ皆様一緒におぢばにかえらせてもらいましょう」と頭下げる方でした。なかなか教会に来んからと言って上から物言う感じではなく、優しい言葉をかけてくださる方でした。
お供えの話をする時ですら「頑張ってくださる上にこのようなお願いをして誠に申し訳ないのですが」と必ず一言添えてくださる方でした。
今の時代にも教会に来る人は、それでも教会が好き、天理が好きなんだと思います。
本部ではなく、信者さんを見て欲しいです。おやさまをみてほしいです。
かたちだけおぢばの方を向いても遠回りだと思います。
真
2017年1月25日 10:13 AM
とても良い話です。しかしそのような会長さんを踏み台にしている本部がなおさら許せなくなる話です。
以前記事で(黒衣装集団?)教服の話がありましたが、あれは明示大正の裁判官 法服がモデルです。
教服を作りそれで真柱派を結集させ本席派を追い出したと想像ができました。
イメージとユニフォームですね。現在の本部も、教服を推奨し一般信者には法被着用と時代に合わない衣装を着させてます。これが世間との乖離を生み布教の妨げにも成っているのです。
「世間とは違う!」と教団を肯定したり、「においがけしろ!」と強要するこの矛盾本部は何年の時代錯誤を起しているのか?と、もう目が当てられません。
本部首脳陣が、「カネは命の繋ぎ」と阿保吹く暇があったら、十全の守護で考えても
【しっかり親神様おやさまを立て、皆さんにつないで貰えるように「信仰の回帰」をすべき状態でもあるのにそれにも気がつけない信仰上の危機状態】
表統領 中田善助 内統領 山澤廣昭 が率先して 「カネは命の繋ぎ」と天理時報、みちのだい など核機関紙に掲載させてしまってる以上「本部がもう異端です!」と言っててる状態
もう天理教教団の終末です。
http://buyee.jp/item/yahoo/auction/r175796543?rc=yaucc&lang=ja
教服を作った頃には威厳、威圧感を感じさせるものであったのでしょうけど、今はもう、時代遅れの、異様な古臭い装束としか感じさせないものになってますね。黒、というのも、何だか暗いイメージです。
話、変わりますが、月次祭では、着物に着替えなきゃいけない、というのが、もう、天理教の古臭さを表してますよ。これらの形にこだわってる限り、新しく生まれ変わる、なんて遠いような感じがしますね。といって、12下りは揃いの洋服で踊っても、恰好がつかないですね。(笑)
さっちん
2017年1月25日 3:20 PM
ですよね。宗教衣装という側面ではそれもそれなんですが、以前社会学さんの記事にもあったように流石にあの【黒法被】は違和感しかもたれませんので変えるべきです。その昔は講ごとにお祭り法被を着たから始まってるのですから、一般のお祭りの法被のようなデザインに回帰させる方が回帰的ですし現代社会からしても和を感じさせるというわブーム視点から見ても効果的ですしね。
「よさこい祭り」で着てるような、ああいう和の衣装、といいますか、現代風和装?といいますか、ああいう感じ、いいですね。天理教も、あれくらい現代風に変えてみればいいかもしれません。
よさこい祭りの歌も、元は単調な音階をアレンジして、華やかにしてますから、12下りも、現代風アレンジを加えれば、かっこよくなるかも、ですね。
匿名
2017年1月19日 3:30 PM
乗っ取り事件噂聞いて来ましたでー
島村は高知大教会の元会長やんかー 法人乗っ取り事件起すぐらい本部がカネに苦しいなら 高知 敷島 中河 のあの贅沢別館を売り払ろうてお供えせーや ホンマ今の本部は最低やな この話を教会で聞いてみんな呆れとったで(笑)
「本部もその加担した本部員も時間の問題ちゃう?」とうちの系統でも見放されてますわー
「悪い事いいません 御本部はんはよ自分達の過ち御気づきに成った方がよろしんとちゃいますかー?(笑)」
そうしないと親神様おやさまから見せられます故にー怖い怖い!
心機一転、人の懐に手を突っ込みます。悪しからず。両統領より。
よさこい(笑)。
確かに明るくて躍動感があって、お祭り(月次祭)って感じが出ますね。ワクワクして楽しそう。
教服、おつとめ着、法被……黒だと利点は汚れが目立たないって事ぐらいでしょうか。
子育てをする時の母親や保育園の先生は明るい服装を着るのがベターですしね。子供は明るい色の服を着た大人を見ると、安心感を得るそうです。
教会の子弟が暗いのは、黒づくめで育ったからかしら(私とか)。
東風Z
2017年1月25日 7:18 PM
>心機一転、人の懐に手を突っ込みます。悪しからず。両統領より。
両統領先生人の懐に手を突っ込むのはいいのですが下半身丸出しです。袴はき忘れました?特に表統領先生弱み握られて右翼にカネ払ってるんとちゃいます? 近頃本部周辺で右翼の街宣車うるさいんですわ
天理教本部・天理市をかけまわる街宣車
https://www.youtube.com/watch?v=ZKuiBPf5PH4
2017年1月25日 8:48 PM
匿名さん。街宣車が来るなんて、余程弱みを握られているのでしょうね。いずれにしても困った人たちです。これほど書かれても何も感じていないのでしょうかね。
普通だったら、ちょっと恥ずかしくて外を歩けないでしょう。
以前にも書き込みましたが、あの人達はこう思っているんですよキット。
「お前たちは不時着寸前のボロ飛行機、せいぜいぼやいとけ。それに比べて我が方は、成層圏を悠々と飛んでいる」とね・
全く逆だと言う事に何故気付かないのでしょうね。
東風Z
2017年1月26日 9:26 AM
東風Zさん面白いです(笑)
教団内のルールは江戸時代の時代錯誤です。参勤交代のような本部への帰参(おじばがえり)形骸化した封建社会(そとみだけ)と代表的にこれだけかと思いきや本部員などの上層部の細部、思考回路等までが止まってしまっているんです。しかも本来の教理でなく真柱体制に成ってからの体制維持教理しか知らないのでどうしょもございません(笑)実際は結構不安だと思いますよ(笑)
天理時報を見ると良くわかります。一面記事が 【真柱 表統領 内統領 大亮】 この四人を中心に毎回記事が編成されてます。 近々の天理時報は、表統領 内統領 の対談写真に成ってイメージアップ作戦的な記事でしたが、乗っ取り事件の主犯格とも言われてますのでその噂は当人達 本部も知ってるのだとわかりました。
そんな事しかできない本部 教理を説けど間違えて一般信者にも指摘される本部(笑)恥ずかしいです(笑)
重要な参考資料なので、社会学さんに、転載させていただきます。
(無題) 投稿者:kazu 投稿日:2017年 1月25日(水)19時23分16秒 返信・引用
「お供え(お金)と天理教(教団)」を過って体制側はどう見ていたかがわかるネットで見つけました。『昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)』。体制側の資料ですから偏向があるとは思いますがよく調べられていると思いました。教理の捻じ曲げは組織化しようとした時点から始まったと思います。年季が入っていると。戦後の「復元」に教会組織がそのまま残された理由もわかる気がします。(昭和15年「宗教団体法」で大教会・分教会2段階に変更されはしましたが。)
天理教は搾取する為に創られた? 投稿者:さっちん 投稿日:2017年 1月26日(木)11時30分29秒 返信・引用
教団の教理捻じ曲げは、今、中田表統領に始まった訳では無く、教祖のひながたを捏造しての「貧に落ち切れ」で、大勢の信者達を貧のどん底に落としてきた如く、天理教という宗教団体が現出して以来、天理教は教えを捻じ曲げての搾取の歴史である、と言えるのではないでしょうか。
Kazuさんが提示して下さいました、『昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)』から抜き出させて頂きました。昔から、そして現在までも、大勢の人々を苦しめてきた、「天理教」という宗教団体について、非常に的確に言い表されていると思います。
kazuさん、ありがとうございます。
『天理教の搾取
第一、 はしがき
「屋敷を掃ろうて田売りたまへ天手古舞の命」とか又「屋敷を掃うて立退きたまえテンツルテンの命」とか俗間によく言われるのは、天理教の「みかぐらうた」冒頭にある「悪しきを掃うて助け給へ天理王命」の章句をもぢったもので、同教信者が骨の髄まで搾り取られて零落し行く悲惨な状を嘲笑風刺したものであるが、皮肉にも又よく実相をとらえた言葉である。
祖先伝来の田地田畑から、家財道具、家屋敷にいたるまで悉くこれを売り払って、天理王命=天理教御本部に運びつくした無一物の信者は、最早天理教を離れては生活出来ない。止む無く教会入りをして「御道の人」となり、教会の雑用などをして一生を終える。その中での少し気の利いたものは何とかして教師の資格を得て「にほいかけ」いくらかの信者を得ては小やかな宣教所を造り、自分が引っかかってきた、同じような手段で人々に働きかけては搾取し、その搾取によって宣教所がら支教会、次いで分教会へと言うように教会所を漸次昇格して搾取の範囲を拡大し、本部に忠勤を擢んで中教会にまでもデッチ上げ本部の役員とでもなれば先ずは成功といふところ。
天理教発展の過程は巧妙にして悪辣なる伝統的搾取の連鎖に外ならない。天理教の教義と行事は、搾取せんがために出来ていると言っても敢て過言ではなく、事実教義の解釈と運営、一切の教説、用語は皆この目的のために働いている。更にその教会組織は上下の関係を宗教的結帯を以って緊密に結び付けて強固なる統制を保ち、同時にその間に自由競争を盛んならしめて信者からの搾取と布教戦線へ死に物狂いに突進せしめる、言ふまでもなく、如何なる宗教も程度の差こそあれ、何れも多少の搾取をしないものはない、然しながら、ものには自ら限度があり、社会的通念とも称すべきものがあって、その搾取の程度が目にあまり、そのやり口が巧妙にして悪辣、義憤を感ぜしめる様なものがあれば、世人の指弾を受けるのは当然であり、監督官庁としてもその実情を決めおくことは必要であり、時にはこれに向かって対処しなければならぬ。この意味に於いて、天理教が如何なる搾取をなしつつあるかを一応検討調査して見たのである。
ここに搾取とは言っても、その事実、内容、限界等を認定し判定することは至難の事に属する。由来、宗教信者の寄付、寄進の行為は當人の発意、意志に関する事であり、そこに無言の強制威嚇、或は詐欺が行われておかなければ、殊更に取り立てて問題とするには及ばないであろう。故に信者の個々の場合に於ける関係を揣摩臆測使用とするのではなく、教団の機構運営等その客観的方向から検討して搾取の事情を見ようとするのである。しかしここにも又困難が伴う。機構それ自身は判然しても、これが搾取に向かって動いて行く事情は、物的証拠や計数的結果を全体として具体的に挙示し難い丈に、搾取や詐欺なる事を決定するには余程慎重にかからねばならぬ。故にこの点を補うものとして専ら、物的証拠の薄弱なる、又それなき事件に於ける被告の人格、人物論の如く、その宗教全体の調子、教団の性格、布教の実際が単なる参考以上に有力なる判定資料たり得る、と言う事が考えられる。かくして、今天理教の搾取を便宣上、教義、組織、行事の三つの方面から分けて考察してみよう。
一、 教義、教説は如何に搾取に都合よきか
二、 教団組織及びその運営は搾取に対して如何に働くか
三、 儀式及び行事の執行に如何に搾取するか
以下略
匿名2016年11月22日 7:08 PM
以前かかれてたこの匿名さんの書き込みが印象的でしたしここから考えますと、天理教教会本部は、もう【天理教を成ず】漢(唐)理教教会本部と言うべきでしょう。
それに、その後読み込んでいくとおやさと研究所の井上昭夫先生も、【ふでとりがくにん】(少数精鋭の学ぶ「ふでとり学人」養成の具 体的な実践企画の創造意識であろう )
とおっしゃっている。
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000yu6f0-att/GT188-inoue.pdf
現在の本部の執行部は「やれ おつくしはカネ」「乗っ取り事件」など等 【かねとりがくにん】【とちとりがくにん】それはおろか表統領 中田善亮 のように教理をねぎ曲げる【ふでおりがくにん】しか以内状態だといえます。天理時報など広報機関も「お尽くしはカネ」を掲載した以上【うそつきがくにん】と言えましょう。
匿名2016年11月22日 7:08 PM
T
2016年11月22日 2:22 PM
(上級教会を敬え、目上を敬えは、朱子学的な考えでしょう。江戸末期の農婦の学問とは、儒学であり、孔子,孟子であり、蘭学ではありません)私は神の言葉を伝えた中山みきも、その時代のボキャブラリー、思想、法律の範囲内での言葉であり、現在では処理しきれない問題があっても当然であると思っています。その国を代表する宗教団体、宗教庁は、重大な見えない鍵をにぎっています。
上記の 事を おふでさき では から と表現してます。
参考
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000uz56d-att/GT185-Inoue.pdf
と天理おやさと研究所グローカル天理で井上昭雄先生が発表しています。
つまり国学者、本居宣長が提唱した 「やまと意と漢意」を知る事で実はそれを解読できるのです。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%84%8F
大和意
はかりごとを加えず善悪ともにありのままのさまを尊ぶ大和民族[1]古来の素直な態度に対して、
漢意
中国文明に特徴的であると宣長の考えた、物事を虚飾によって飾りたて、様々な理屈によって事々しく事象を正当化したり、あるいは不都合なことを糊塗したりする、はからいの多い態度を指す。
しかし、おふでさき注釈 なども発売されていますがそれですら新しく書き換えていないのです。何か不都合があるのでしょうか? 再出版が資金的にあれなのか? それなら真柱からの発布 或いは 毎月の天理時報での連続広告でも何でもできるのにそれをしようとしない。
「知的劣化」は機関紙だけでなく、教義解読とそれを理解するものの少なさなのでしょうかね。
それを井上昭雄先生は、ふでとり学人 と表現しそれを急務と訴えている。正当性もあるに、資金的もそうかかるわけでないのにそれをしない本部はもう終焉と思いますね。
本当はカルトなのですか? と思わされる事態です。このまま続けば天理教教会本部は社会から抹殺されるでしょう。
コアクロック
2017年1月26日 4:12 PM
コアクロックさんのコメントを読ませてもらい私も調べました。
本部 と 天理大学付属 おやさと研究所 の関係 天理大学付属 おやさと研究所のHPを調べてましたら、興味深い記事が出てきました。
おやさと研究所 所長退任挨拶
http://www.tenri-u.ac.jp/topics/q3tncs00000gd7n9-att/q3tncs00000gd7wx.pdf
内容では 流石誠実な学者と評価すべく鋭い切り口 人によっては赤裸々な内容に感じ取れる方も居るでしょうから是非ご覧になると楽しんでいただけるでしょう。
・天理やまと文化会議 から 縮小されて出来た 天理大学付属 おやさと研究所 と 予算の縮小
・三島神社問題
など等盛りだくさんな内容です。
内容に関しては、井上昭夫氏が能力が高い故に激務が重なり、三島神社問題等も抱えさせられたみたいですが、正味本部の指示ですので本部側の責任でしょう。
社会学さんコメントを見ると高尚なものが多いのでやはり 天理大学付属おやさと研究所 の方も書いてるだと思いました。 しかし、コアクロックさんのコメントを読み おやさと研究所 と 天理教教会本部 の教義解釈の乖離は一体何なのか?と疑問しか浮かびません。疑問を通り越し本部への 本部への猜疑心 と言うべきでしょう。
本部側は 「おやさと研究所には勝手に言わせとけ」なのでしょうか?これほど確信的論文が提出されているのに未だに教義理解を深めない 本部執行部 挙句の果てに 法人乗っ取り事件 教義歪曲によるお布施の強要 をする 表統領 中田善亮 内統領 山澤廣昭 のこの始末。これほどの 思想信条の乖離 本部執行部側の遅延 発展障害 が発生しているので当然、軋轢や確執 も有ると予想できます。
どれほど現行本部が愚かなのか? 論評するに足りるものであり、その戒めおも受け取れない本部には今後未来は無いと断言できるでしょう。
参照
天理大学 附属おやさと研究所
http://www.tenri-u.ac.jp/oyaken/
おやさと研究所 の 研究所2017年1月26日 6:14 PM
すばらしい内容で感動しました。私も本部には騙されていたことに気が付きました。
「本部の 建物 もろとも 本部の改竄教理 もぶっ潰せ!」ですね。
こちらの記事そしてコメントを見させて頂き誠に貴重で皆さんの真剣みが伝わってまいります。
今回の本部 ”教義歪曲” 本部はあえて反省せずにそのまま悪事をしていて欲しいと思ってます。何故ならば私は本部が潰れる事を願っているからです。ここに来て皆さんが おやがみさま おやさま に背いた体制維持の為に偽教理に気が付かれたので、おのおのが本部に攻撃を開始しているのです。変化無い本部なら自ずと自滅するでしょうし、皆さんによって潰されます。つまりこの状況は 本部が部内信者に仕掛けた”宗教戦争”以外他ならないのです。皆さんはお気づきに成ったかわかりませんが、もうすでにこの天理教社会学研究所さんのブログコメントを介して 偽教本部 対 おやがみさま おやさま の真教義の”教義戦争は始められたのです。その昔古代ローマでもその国を正すべく立ち上がった一人の勇者が居ました。それは皆さんもご存知の ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)です。国を正す為に、反旗を翻し、ルビコン川を横断 その際に言われたとされる名言が「賽(サイ)は投げられた」https://goo.gl/TWdfrHです。 こちらに集う人々は本部がうそぶく教理を見抜き 個々に「賽を投げられた」姿に私は感動させられました。おのおの「互い立て合いたすけ合い」で互いに喚起している姿 その姿勢を持ってすれば悪の枢軸である偽教理本部を倒すことはそう遠くないでしょう。
以前にも記事でありましたように、【教団機関紙(天理時報)での教義の歪曲違法行為を推奨】 する傾向が現行本部にはございますので、それだと【公安警察】の監視対象に成るでしょう。
主に国家体制を脅かす事案に対応する。
国外的には旧共産主義国の政府、国際テロリズム。また国内的には、極左暴力集団、朝鮮総連、日本共産党、社会主義協会、学生運動、市民活動[2]、新宗教団体(セクト)、右翼団体(右派系市民グループ含む)などを対象に捜査・情報収集を行い、法令違反があれば事件化して違反者を逮捕することもある。さらには、同僚の公安警察官、一般政党、中央省庁、自衛隊、大手メディアなども情報収集の対象になっているとされる。
https://goo.gl/hAa8ie
もしかして今回の件もうすでに公安警察が動いてるのかもしれません。今回の件は弁護士も絡んでるようなので事件性も高いですし日本でも有数の新宗教団体天理教の本部の違法行為ですからオウムの真理教 上九一色村のにの前だけは踏まないでしょう。もし監視対象に入っていたら一番監視のし易い弁護士から監視されるでしょう。
最近の社会学さんや、お供え掲示板の投稿を拝見すると、皆様の意識は明らかに以前と変わって来たように思います。以前は「教団、本部が潰れて欲しい」、というような意見はごく少数でした。心に思っていたとしても、公にそのようなことを書く方は殆どおられなかったと思います。しかし、今は教団が潰れて欲しいと、はっきりと投稿に書かれている方も増えてきました。密かにそう思っておられる方も随分とおられるのではないか、と推測致します。
今回の表統領の「金を出さなきゃ命が無いぞ」という脅し文句同様の言葉、その表統領は、いろいろ醜聞の噂が絶えないという人物、又、本部の大教会乗っ取り未遂等、いろいろ事が続いて起こっておりますが、親神、教祖の鉄槌が下ったと思うのは、考えすぎでしょうか。しかし、新しい兆しが見えてきたようで、返って喜ばしく思っておるところです。
今後、皆様それぞれに、各自、思う方向に進まれていくと思いますが、取り敢えず、教会関係者が最低限しておくことは、「お供えを最小限にすること」だと思います。そして、この社会学研究所さんのブログを、ご存じない教会長さん達、教会関係者に教えてさしあげることだと思います。
>警視庁には、サイバー犯罪に対応する部署として、
>▽犯罪情報を集約する 「刑事部捜査支援分析センター」
>▽インターネットを使ったテロ行為を取り締まる 「公安部公安総務課」
>▽サイバー犯罪捜査を担う 「生活安全部サイバー犯罪対策課」などがある。
今回の事件を場合は上記、 「刑事部捜査支援分析センター」が動いている可能性があります。
いち早く本部の愚行を止めていただきたいものです。
警視庁のみなさん、よろしくお願いします!
本部と偽った悪徳異端者を慣用句などで表すと
うそ‐つき【×嘘▽吐き】
嘘吐きは泥棒の始まり 悪いと思わないで嘘をつく人は、泥棒をするのも平気になるということ。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/19011/meaning/m0u/
盗人猛々しい
盗人猛々しいとは『盗人』と『猛々しい』から成る合成語で盗みや悪事をしながら平然としていたり、それを咎め(とがめ)られると開き直ったりする者を罵る、江戸時代から使われた言葉である。『猛々しい』とは本来「ひどく勇敢である」や「いかにも強い」という意味だったが、ここから「図太い」という意味を持ち、更に盗人猛々しいに使われる「図々しい」という意味を持った。また、盗人猛々しいは『ぬすっとたけだけしい』の他に『ぬすびとたけだけしい』とも読まれる。
http://zokugo-dict.com/23nu/nusutotakedakesi.htm
これらの悪徳異端本部員や本部と言う集団をどう信じろというのでしょうか? これを信心が足りないなどと言うならそれもまた悪徳異端本部員当人の信心の無さでしかない。(異端だから仕方ないが)
これは共産主義国家が良くやっていた粛清に至るまでに行われた自己批判です。
自己批判
https://goo.gl/cZu8el
自らの誤りを分析することで、そこから得られる教訓を学び取る。そして二度と同じ過ちを繰り返さないことで、自己を高めるという考え方である。ブラック企業、【カルト的な宗教などで洗脳手法の手口として行われる】事もある。
とありますようにまさに洗脳です。 信心が足りない真柱はじめ本部員が言う「信心が足りない」は自己の他者批判であり洗脳の手口だったのです。つまり自己批判の悪用と乱用がこの悪徳本部はじめ教団全体に蔓延しているのです。よく「この教団は共産主義なのか?」と言う方が多いですがそう思える一部分と言えましょう。
だがしかし、乗っ取り事件やこちらで行われているコメントのやり取りによってその手口はもう白日の下に晒されたので同じ手口は使えません。
古い教会長(2016年4月22日 6:23 AM)さんがいった様に
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
(真実を発表して欲しいと願うばかりです)
と分家「我々を中庭に引き出して殺すだろう。」と自覚してるではないですか(笑)
本来自他共に自己批判されるべきは、【真柱はじめ悪徳本部員であり乗っ取り事件等各種本部主導でやった違法行為の加担者達】
もうすでに【本部と偽った異端者の自己批判】分家「我々を中庭に引き出して殺すだろう。」は始まっていますがね。天理教社会学研究所のコメント欄と言う名の中庭で
今回の本部の違法行為に関してのコメントをいつも楽しみに見させてもらってます。本部の法人乗っ取り事件に関してですが、今までも各大教会で前例はあったので乗っ取り行為時代が習慣化していたことは事実でしょう。実際皆さん表で語らないだけで家や自教会などの個人空間では共有され知っていることでしょう。最善の危機回避対応としてと最高権威者やその担当責任者、或いは現場担当者に即謝罪をさせます。同じ宗教組織でもキリスト教カトリックの最高司祭のローマ法王は行く度々謝辞してます。
ローマ法王フランシスコがバチカン祭司の「悪魔崇拝」を公に謝罪。
http://rapt-neo.com/?p=12876
「キリスト教徒は同性愛者に謝罪するべき」、ローマ法王
http://www.afpbb.com/articles/-/3091898
カトリックは悪魔崇拝もしていたのですね・・・二代真柱もカトリック バチカン カブレだったと聞きます。カトリックを見習って現天理教本部も悪魔崇拝をしていたのかもしれません。真柱体制に至るまで本席派(神の啓示)をないがしろにした現在に至る真柱派は神に背いた悪魔教団と言っても過言ではございませんがね。どちらにせよ本部はじめ宗教法人が違法行為を繰り返してはいては反国家思想集団(カルト)と断定され最悪天理教教会本部から宗教法人格剥奪の危険性もございますので早々と謝罪をすべきでしょう。
>分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
>八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
中山家の者を皆が中庭に引き出して殺すだろう、という程の「真実」というのは、いったい何なのか、知ることができないのは、はなはだ残念ですね。「搾取、捏造、教理捻じ曲げ」、何でもありの本部ですから、どんな酷い悪辣なことだったとしても、もう驚きませんが。それだけ、悪の根が深いということですね。
しかし、分からないとなると、よけい知りたくなりますね。
匿名2017年1月28日 10:05 PM
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
と、中山家の人が殺されるほどの事ですから、何点か考えられます。
真柱派教理改竄虚偽説
教義などの改竄を故意に行っい体制維持に使った。
偽教 改竄による体制維持 本席派との争いに利用した。上田ナライトへの迫害 等から考えられます。
中山家全滅神の啓示予言説
おふでさき など隠された教義書に「中山家を皆殺しにしろ!」との内容がある。
教理改竄虚偽説はもう皆さん後存知でしょうが、予言説はあくまでも推論です。 中山家が殺されるという事はそれぐらいの神の啓示があったのでは? との視点です。おそらく時代的にも、本席 飯降伊蔵 後継者 上田ナライト への迫害を企てた真柱派の教義改竄虚偽説は濃厚でしょう。それにつけたし 中山家全滅神の啓示予言説があるかもしれません。
おやさまが可愛がったが故に迫害されたのでしょうが真柱派の行った迫害には理解に苦しみます。
先人の足跡7 【上田ナライト 】おやさまの娘分として、神一条の生涯 tenrikyo
https://www.youtube.com/watch?v=fdddLYS7Xos
>中山家の者を皆が中庭に引き出して殺すだろう、という程の「真実」
我々末端の者には知る由もありませんが、「殺すだろう」と言う位酷いことなのでしょう。
教義の改竄や捏造で金と権力集めに利用したとか、本席やナライトさんを迫害・追い出したとかも有るでしょう。
それよりもっと酷い事を想像してみた(あくまで想像ですよ)のですが・・・、
「教祖様を警察に売り渡した張本人だから」
根拠については、ここでは省かせていただきます。
他の記事コメントからの転載
天理教本部中枢悪党リスト
2017年1月29日 12:23 PM
内統領 山澤廣昭
表統領 中田善亮
本部員 島村廣義
本部員 深谷善太郎
本部員 中山治信
本部准員 高井久太郎
この6名以外に心当たりがあったら追加していってください。
次なる被害者を出さないためにも、皆でこのリストを完成させて注意喚起していきましょう!
末端教会子弟
2017年1月29日 6:28 AM
>「教祖様を警察に売り渡した張本人だから」
ピン!っときたけど、
「百十五年の じょうみょうを. ちぢめておんみ かくされた」???
中山家の誰かが毒盛ったな
随分昔の、時の政府、体制側の調査資料ではありますが、現行天理教の教えている事、やっている事とほとんど変わらないことに驚かされます。天理教団は、当時と何ら変わっていない、と理解せざるを得ません。あまりによく書かれているので、長くなって申し訳ないですが、所々抜き出してみました。皆様方には、是非ともこの資料、通してお読み頂きたく思います。
『昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)より
『天理教教義なるものは、仮令それ自身としてはよきものを持っていても、その個人的社会的弊害、客観的影響、決してこれを軽視することを許さないのである。天理教教義は文字の上での解釈や意味よりも実際上の機能と言う点からは、搾取のために巧妙に織り成された一つの組織であるとも考え得られる。事実はそのためにのみ働いている仕組みである。
教祖伝- 教祖雛形の道
天理教信者たるものは、「助け人衆」「神の用木」として「家屋敷家財道具を売り払ってこれを天理教本部にあげることにより」無一物となって谷底へ落ち、教祖の通ってきたと同じ途をたどらなければならぬと強調し、その実行を迫るのである。
(二) 神観
天理王命とは、十柱の神総名総称であるが、その各々の神の属性は、・・・人間身体の各部の守護に配当され、それらは神からの借物である。
(略)
神々の属性を、人体に関する素朴な考へ方と結び付けて、而もそれを病気(身上)生活上の不如意(事情)の場合に説くのである。 病気で苦しみ、不遇に泣いている時それとは何等必然的関係のない原因を持って働きかけられ、神様を道具として攻め立てられる。而も最後の頼み、一意の望みをかけさせておいて、たださへ無知な大衆である。かかる逼迫の場合、弱みに付け込まれ、希望でつられて、是非、確否、正当な判断の行はれよう〇地などはなく、そこには熱狂的な夢想が支配するだけである。(以下略)
(三) 病理観・・・
・・・ここに注意すべきことは、一教師又少数の教師がタマタマかかる病理観によって布教していると言うのではなく、かかる考え方は天理教教師養成機関たる天理教校に於いて、「御助けの実習」として教えられ訓練されつつあると言う事である。そしてこれが、又天理王命の守護、借り物と結び付けられて説かれると言う事である。
(略)
以上身上事情に就いて一々は挙げなかったが、これに対する方法を一言にすればこうである。「因縁は先回りする。恐ろしいことや、一日も早く天理親神様からの借り物の生命、身体、財産をお返ししなければならぬ。先ず身代即ち財産は身の代わりとしてお尽くしをしなければいかん。」と。又曰く「因縁なら通らにやならぬ通さにやならぬ」と。
(四)布教上の用語
・・・病人をとらえ、不幸な家庭を訪問して、その病象、不幸の成ってくる系図及びそれを除去する方法を一流の執拗さを以って説き教え、時に迫るのである。この時の具体的方法を最もよく示す言葉を拾って見る。
天理教では、如何なる病気も心の埃から来るのであり、それは神がその人をお道に引きいれる手引きであり、埃なることの警告であるとする。・・・種々に表現している。ひきよせ、おてびき、お手入れ、御意見、せきこみ、おためし、何れも神がその人を自分の手下へ引き寄せ、その心をためさんとして忠告し、且つ急いでいる、と言う意味。
病の原因は言うまでもなく、
因縁の理を悟れ
深い因縁の人(この因縁からは、逃れられない)
悪因縁を切りよい因縁をつなげ
因縁は先廻りするからのがれられぬ。
因縁なら、成るも因縁、成らぬも因縁
理は御道 御道は理
理をふき分けよ
理は千里一跨ぎ
かくの如き攻め道具を使っておいて金品を巻き上げるには体裁のよい言葉が使用される。
おつくし おはこび おつなぎ 理をたてよ
御返しせよ たんのうせよ 理をつけてお返しせよ
運び方が足らぬ時は、信者を「神の用木」とおだて、「神の道具」に仕立て、或は「神様の仰せ」「地場」としておどかし、上級教会や本部の命令には絶対服従を強い(その訓練は後に記す)命がけで金銭を運ばしめ、これが無くなれば日の奇進で労力搾取と最後の血の一滴まで絞り取る。
(略)
(ニ) たんのう
前生のいんねん、その日その日の因縁からは免れ得ない人間は、「いんねんなら通らにゃなならんとおさなゃならん、通ってはたさにゃならん」の教示の通り一切をいんねんの現れとして深く親神様の思し召しの程を熟慮し、「因縁と言う、因縁一つの理はたんのうより他に受け取る理はない」との神言を悟り、おはこび、おつくしをして、悪因縁の切り替えにたんのうしなければ何時までも苦しみ、救われるときは来ない。
(ホ) まことしんじつ
人間の心は埃の心を使って「悪いんねん」の種を播きがちである。かく心が動揺するのは、未だ真に「心の立替」ができていない征據である。それでは神様の思し召しに叶わない。故に始終心に鞭打って如何なる事があろうとも「たんのう」して「ほこり」を積まない様にすると同時に、進んでひのきしんに励まなければならぬ。かかる真の心の立替を親神は、「まこと」とも「じんじつ」とも教えてあると言う。かく心の立替をして誠真実の心になってこそ親神の思し召し、即ち天理に副うこととなる。「誠一つは天の理」かくて親神の守護がある。「日々受け取る中にただ一つ誠一つが天の理、天の理なら直ぐと受け取り直ぐと返すがひとつの理」「真実の心を神が受け取ればいかなる自由用もみなして見せる」「月日より真実試み定めて、受け取り次第返しするぞや」故に又、逆に言えば、守護をいただけないのは、まことしんじつの心がたらぬからで、「実が誠か、誠が実か見えねばわかるまい」との教示があり、身上事情を援けて頂くためには「誠と言う思案があろう、実という所があろう」と御説示なし下されあると言う。
天理教教義に於いてこれまで述べてきた所は、実際に於いて本教の教師養成機関たる天理教校の教科内容に於いて如何に説かれているか、これをその教本の中から一部分だけを拾って見る。
貧のドン底へ落ちきれ、谷底へ、これ雛形の道 (教祖伝講義二十頁其他)
元の理を知らず、理をたてぬから (おふでさき講義二十四頁)
この世は理で攻めたる世界 理のふしんをせよ (同 三十五,三十九頁)
身上事情は神様のなさること (みかぐらうた講義二頁)
神は身上事情を以って人に迫る (同 三十六,三十九頁)
出すべきものを出さず尽くすべきことを尽くさずに (同 二十七頁)
無理な願いをしてはいかん (同 二十七頁)
病気を助けてくださいとは欲だ (同 三十六頁)
勤めの理を欠いてお助けはできぬ (同 四十二頁)
徳をいただくには其れだけの価を出さねばならぬ (同 五十頁)
神様が取り上げてくださる道筋にはそれぞれ筋がある(同 四十四頁)
筋とは理である、理を欠かず理をたてねばいかん (同 四十五頁)
たんのうに魂をうちこめ (同 五十頁)
教命のために働けば子供や家の事はかまはずとも神様が看てくれる(同 二十七頁)
親一代のたんのうが子供の幸福への種蒔 (同 五十一頁)
親のたんのうと子の出世 (同 五十二頁)
一粒万倍の理 (同 六十五頁)
(略)
これまで、冗長に亘って述べてきた所を要約すれば、一つの具体的な病気は、埃の堆積か前世の因縁かによって起こる。故にこの埃を払い、悪因縁を切るには懺悔と奉仕の道を、具体的には「おつなぎ」「お運び」又は「ひのきしん」によって積み、親神の守護をいただかねばならぬ。と言うにある。人間の弱点である疾病その他を機縁として生活の転機を図らんとするのは悪いことではない。然し天理教の場合には、恐るべき悪意と悲しむべき弊害が必然的に伴う。
而して教会本部、若しくは一般教会に功労のあった者の子孫は、常に「理の親」として父祖の職と地位と権能とを世襲するのである。
序に「理の親」と言うのがあるが、これは、信徒の最初に入信した教会、又は教会長を指し、これには「理の親」として服従信〇しなければならぬ。そしてその信仰過程に於いて所属教会の任意選択を許さず、従って教師間に於ける信徒争奪の如きは絶無である。もって述べた様に、教会同志の間には自由競争を採り、信者に対しては教会の任意選択を許さないあたり、その組織の巧妙感歎の外はない。
(略)
『昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/keiho/keiho.pdf
匿名
2017年1月29日 8:12 PM
『昭和11年内務省警保局(天理教関係資料)より 国家機関の資料だけにしっかりとした調査内容と分析です。これは【天理教団マニュアル】と呼んでもおかしくない内容です。参考にいたします。ありがとうございます。
>中山家の誰かが毒盛ったな
秀司もまつえも亡くなる前日までとても元気だったそうですよ。
病で寝込んでるなんて事はなかったそうです。
元気な二人が、突然亡くなったということですね。
まつえは中南の門屋の座敷で口から泡を吹いて亡くなっていたそうです。
毒盛られたのかもと私に教えてくれた人が言っていました。
中山家の人が毒盛られるなんて 聞いてビックリ
秀司とまつえが死んで得する人は誰ですかね。
私はあの人しか思い浮かばない。
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が起こって我々を中庭に引き出して殺すだろう」
分家の言う我々って誰ですか?
確か分家は他家から養子にきてできた家系ですよね。
分家は
分家は何を隠しているんですか。
分家が殺されると思う程の真実(事実)とは何ですか。
詐欺ですか。横領ですか。それとも…?
「退職信者」さまのコメント
2017年1月30日 6:25 AM
>確か分家は他家から養子にきてできた家系ですよね。
「御分家」は、
中山玉千代さん(初代真柱子女で、二代真柱の姉であり、教祖が「こかんの生まれ変わり」と仰った人)が、山澤為信氏と結婚して立った家系です。
「こかん」さまの家系なんですかね?
中山御分家様。
>「御分家」は、
中山玉千代さん(初代真柱子女で、二代真柱の姉であり、教祖が「こかんの生まれ変わり」と仰った人)が、山澤為信氏と結婚して立った家系です。
「こかん」さまの家系なんですかね?
おそらく、教祖が「こかんの生まれ変わり」と言ったというのは、後の人が創作した話でしょう。生まれ変わりというのは同じ家系に生まれて来るとは限りません。
おそらく教祖の在世当時の人達の生まれ変わりは、伏魔殿のような本部周辺ではなくて、もっと僻地に生まれ変わっておられるでしょう。おそらく芸術家とかアーチストとして人を感動させ、人々の心を癒しておられると思います。
それは、本部周辺に生まれていたら異端として追放させられてしまうからです。
古い教会長さまのコメント
2017年1月30日 9:03 AM
>おそらく、教祖が「こかんの生まれ変わり」と言ったというのは、後の人が創作した話でしょう。生まれ変わりというのは同じ家系に生まれて来るとは限りません。
>おそらく教祖の在世当時の人達の生まれ変わりは、伏魔殿のような本部周辺ではなくて、もっと僻地に生まれ変わっておられるでしょう。おそらく芸術家とかアーチストとして人を感動させ、人々の心を癒しておられると思います。
>それは、本部周辺に生まれていたら異端として追放させられてしまうからです。
ほぉー、なかなか興味深い推論ありがとうございます。妙に納得してしまいました。
ちなみに「正文遺韻」の99ページに、
「小寒様御死去ノ時 三十年タテバ生レカへス ト仰セラレタリト」
と記述がございますが、玉千代さんの出生は、小寒さん死去の「27年後」ですからね。近いと言えば近いが、違うと言えば違いますものね。
古い教会長さま、ありがとうございました。
>分家は何を隠しているんですか。
>分家が殺されると思う程の真実(事実)とは何ですか。
>詐欺ですか。横領ですか。それとも…?
天理教は創立当時から、どろどろの伏魔殿だったのですね。
現行天理教には近づかない方が良い、とつくづく思います。近づくと足を取られる、底なし沼のようなところです。
「法律のお勉強をしましょう!」さまのコメント
2017年2月1日 9:14 AM
「宗教法人天理教」と 「宗教法人天理教教会本部」が、いかほどの法令違反を犯しているか、みんなで法律のお勉強をしましょう!
宗教法人法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26HO126.html
刑法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html
組織犯罪処罰法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO136.html
民法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html
「法人乗っ取り」には、あの教内有名弁護士も絡んでいるという話なので、
弁護士法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO205.html
弁護士職務基本規定
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/rules/data/rinzisoukai_syokumu.pdf
日本弁護士連合会(日弁連)会則
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/rules/pdf/kaisoku/kaisoku_no_1_160422.pdf
そして、天理教本部の法令違反・違法行為が認識できたら、
「センテンス・スプリング」さまのコメント
2017年1月24日 8:14 AM
さあさあ、どんどん告発、告発! さあさあ、ドンドン通報、通報!
奈良県警察 情報提供
(※奈良県以外の事件は各都道府県警察へ情報提供またはご相談ください)
https://www.police.pref.nara.jp/cmsform/enquete.php?id=2
消費者庁 相談窓口
http://www.caa.go.jp/region/shohisha_hotline.html
文化庁 宗教法人問い合せ
https://inquiry.bunka.go.jp/InputForm.aspx
NHK「ニュースポスト」
http://www3.nhk.or.jp/news/newspost/agreement.html
日テレ「news every.」
http://www.ntv.co.jp/every/form/index.html
TBS「Nスタ」
http://www.tbs.co.jp/n-st/mail/
フジテレビ「みんなのニュース」
http://www.fujitv.co.jp/minnanonews/bosyu.html
週刊文春「文春リークス」
http://shukan.bunshun.jp/list/leaks
朝日新聞「こちら調査報道班」
https://www.joho.asahi.com/
新宗教の信者激減 10年後に消滅する教団も 投稿者:NEWSポストセブンより 投稿日:2017年 2月 1日(水)18時32分59秒 返信・引用
興味深い記事が見つかりました。
以下記事内では、天理教の信者数は2015年に117万人との数字があげられいますが、多すぎるように思います。
新宗教の信者激減 10年後に消滅する教団も
http://www.news-postseven.com/archives/20170201_480409.html より。
日本の新宗教界に異変が起きている。天理教、立正佼成会など大手の信者数が軒並み激減しているのだ。
その背景には何があるのか、宗教学者の島田裕巳氏が解説する。
* * *
創価学会の信者数は今のところ横ばいだが、他の新宗教に目を向けると信者数の減少に歯止めがかからず、もはや消滅の危機を迎えている。
文化庁「宗教年鑑」にその傾向ははっきり表れている。江戸末期に成立した天理教は1990年に約180万人いた信者数が2015年に約117万人と、25年間で3分の2に縮小している。
立正佼成会も同じ期間に約633万人から約283万人と半分以下にまで落ち込んでいる。注目すべきは、2014年から2015年の1年間だけで実に26万人減少していることだ。このペースで減り続けると約10年後には教団は消滅する計算になる。
この背景にあるのは先進国に共通する「宗教消滅の危機」と同じ理由による。
1990年代以降にインターネットが普及し、人は何か悩みを抱えても、教会の門を叩くより、まずはネットで検索するようになった。
日本人の多くは欧米では日曜日に教会に行くものと誤解しているが、ヨーロッパではミサに集まるのは高齢者ばかりで、その数も年々減っている。アメリカでさえ無宗教が増えている。
そうした社会ではすでに宗教的カリスマを必要としなくなり、心の拠り所は“ゆるキャラ”で充分ということになる。
日本の新宗教が信者を増やしたのは、高度成長期に地方から都会に出てきた人を取り込めたことにある。希薄になった人の繋がりを宗教に求めたからだ。しかし、現代の若者は何か困ればスマホがあり、人間関係はSNSで築く。それでは宗教の出る幕がない。
その意味では、創価学会も同じかもしれない。聖教新聞を配るバイトは敬遠され、日々の生活で経を読む勤行をあげれば報われるといった信仰心は薄れていく。しかし、前述したように、宗教を超えた日常を基盤とする組織を構築できたことが、他の新宗教にはない強みとなっている。
新宗教の教団が軒並み消滅した後でも、その枠を超えた創価学会だけが、人的ネットワークの強みを発揮して生き残る可能性は高い。
※SAPIO2017年2月号
http://www.news-postseven.com/archives/20170201_480409.html
文化庁編「宗教年鑑 平成27年版」によると、
【天理教】
教会数 16,358(うち宗教法人 13,875)、 布教所数 16,739、 計 33,097。
教師(教人)数 147,327(うち男性 58,187、女性 89,140。
信者数 1,169,744。
(数字は総て平成26年12月31日現在のもの)
文化庁編「宗教年鑑 平成27年版」
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/h27nenkan.pdf
ちなみに、先日の「後継者講習会推進大会」で、井筒梅夫氏(芦津大教会長)が、
「現在ようぼく数は名簿上、約86万ですが、実動数から考えると、25万から35万の間、これが我がお道の現在の実力です」
と言っていました。
実働数様
86万人という数字に驚きでした。統計上ではさすがに100万はいると思っていたので…
そういう私もようぼくですが、実働数ではないと思いますし、
30万前後という認識であれば、本部含めた教会関係者がほとんどということでしょうね。
「マコ」さまのコメント
2017年2月2日 10:38 AM
>実働数様
>86万人という数字に驚きでした。統計上ではさすがに100万はいると思っていたので…
>そういう私もようぼくですが、実働数ではないと思いますし、
>30万前後という認識であれば、本部含めた教会関係者がほとんどということでしょうね。
悲しいかな、でも事実のようです。
「こどもおぢばがえり」も30万!とか言っていますが、大人も含めた延べ人数ですからね。
さて「推進大会」は、まず中山大亮氏が挨拶し、次に井筒梅夫氏、そして諸井道隆氏(山名大教会長)と、壇上で話をされていましたが、どなたのお話も、切羽詰まり切っているような印象を受けました。
ただ、大亮氏の、
「一ヶ月前まで大阪のアパート暮らしだった私ですが、中山家に養子縁組が決まった途端に、周囲の態度が一変して…」というお話を聞いて、近くに座って居たおばちゃん達が涙を流しているのを見ました。
今回、本部は大改革を余儀無くされることと思いますが、その断行後は「この若者に賭けてみよう」という思いを、少なからず湧かせてくれたご挨拶でした。まあ、一縷の望みなんですが…。
実働数様
推進大会というのがあったんですね。そこにご出席されているということは、活動されている方だと
思います。
だいすけ様がそのような発言をしたのは、周囲からはゴーが出ていたのでしょうか。
それとも、本当にだいすけ様の本心というか、そんな感じだったのでしょうか。
ご婚約者の方のことも少し知っているので、ここで聞く本部の話を聞くと、
少し心配になります。
もし明るみになるなら、どうかご結婚までにはっきりさせてほしいです。
実働数様
貴重なお話、ありがとうございます。
すみません。読解力不足で、大亮氏の話のどこにおばあちゃん達が涙したのか、わかりません。
孤独だって事でしょうか?
実働数様
貴重なお話、ありがとうございます。
すみません。読解力不足で大亮氏の話のどこにおばあちゃん達が涙したのか、わかりません。
以前、大亮氏がアメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたという書き込みがあったことと関係ありますか?
末端教会子弟様。
>読解力不足で大亮氏の話のどこにおばあちゃん達が涙したのか、わかりません。
以前、大亮氏がアメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたという書き込みがあったことと関係ありますか?
アメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたというのは、親父の善亮さんの話だと思います。
「おばちゃん達が涙を流した」というのは、「一ヶ月前まで大阪のアパート暮らしだった・・」とか「中山家に養子縁組が決まった途端に、周囲の態度が一変した…」ことに、恐れ多くも真柱継承者という立場の方が「大変だったね・・・」という事でしょうか。まぁ甘い話です。
我々の方がもっと大変な日々を送っているのですがね。
人間は、楽な環境にはすぐ慣れる、ということですが、大亮さんには、そのアパート生活をいつまでも忘れないようにして頂きたいですね。そのうちに、周囲にかしずかれ、〇百万のお供えを受け取ることに、何の抵抗も感じなくなるかもしれません。パンダのお父さんが付いてますからね。そのうち、自分の頭もパンダにならないように、自戒して頂きたいです。パンダ父さんに、苦言を呈するくらいの方だったら、天理教も変えていけるでしょうけど・・。
おはようございます。
大亮くんに期待できるか? それは難しいでしょう。大学ポット出の青年は昔に比べかなり精神年齢は低下していると聞きます。
>「一ヶ月前まで大阪のアパート暮らしだった私ですが、中山家に養子縁組が決まった途端に、周囲の態度が一変して…」というお話を聞いて、近くに座って居たおばちゃん達が涙を流しているのを見ました。
この涙は、現状苦しい中でも次ぐ青年に対する唯の同情の涙程度にしか聞こえません。 アパート暮らし? それもお供え そのお供えで何か革新的なことをできないと何にも評価できることはございません。 近々で言いますと、「大亮の実父 表統領 中田善助など 乗っ取り事件の関与者全員の首を飛ばす」これぐらいのことをしないと評価はできませんね。 後は本部の体制改革 盟家だけでの本部や教団運営に限界が来てるところで、家柄でなく、能力でその人選をできるか? ぐらいです。大亮くんにできるか?答えは見え見えの無理ですよ(笑) いくら真柱後継者でもたかが青二才 周りの家からしたらただの小僧 所詮【大亮は傀儡の操り人形】としか評価はできません。これが現実です。なんだか機関紙で「大亮さま!大亮さま!」とアピールしてるから特別な感覚をもたれる人も居るでしょうが、所詮 【教祖に背いた悪因縁深い異端中山家】のいつもの養子ですしね。なんの特別な事でもない。
社会学の閲覧者でも、非現実的な願望を描く人がいるのが正直残念に見えましたが、これも社会学さんの記事でも御座いました様に、「大亮 大亮!」目にし過ぎてよからぬ願望を描いた性でしょうか?と差っぴいてみてました。
初代真柱からざっと書いてみました。付け足していってもらってリスト化希望です。
・真柱体制の初代真柱は 首の病 身の上さとし から申せば 「目上にさからったから」あれ?真柱の目上? つまり 本席<おやさま<親神様 と神に背いたとまさに見せられる。
・二代は 皆さんもご存知の【下半身王】 と やかた等建設物を建てて(これがもとでで現在の本部の財政状況悪化) 女性問題をおこしまくる在籍にめかけ家系が今でも存在する。公表はしないが羞恥な周知の事実
十全の守護どうりの結果 つきよみ と くにさづち の相互の使い方の悪さが原因なだけ(あれ天理教の頭がこれですか?(笑))と失笑されるしまつ。
・三代は二代の女遊びから実父に対する【怨恨の人】 その癒しの逃避先として 歌狂い で有名 景気的には一番よい時代で 高級外車を数台お供えされ保有 しかし具体的に教団に対して影響を与えられたか?と考えると疑問視か残らない男
4代真柱は現真柱であり、【足の身の上】を持った男 数代前の生まれ変わりでは? と言われるが何れにせよ 【あしのちんばがいちのざんねん】とおふでさきでもあるように、おみちを歩んでない結晶の男 本人に責任はないかもしれない。初代から三代までの悪しき因縁を背負って生を受けたのかもしれない。しかし 現在 実弟の 中田善亮 を 表統領 に就任させ 美人局疑惑や乗っ取り事件など様々トラブルを起させてしまってる管理者責任を今後どう始末をつけるか? というところ そもそも期待はできない。
時期後継者 中山大亮(旧姓 中田大亮)
中田善亮の実の息子 子無しの中山家に養子 天理時報など機関紙で異常なぐらい持ち上げられてるが、唯の大卒の若造 周りの在籍の家々の操り人形になって終わりの予感 表統領 中田善亮の摂政政治のただのパンダとも言えるパンダ親子である。
簡単にまとめただけでも 真柱体制を作った中山家はごくつぶし以外の何者でもないですね・・・
中山分家が八島に「中庭に引きずり出されで殺されてしまう」と言葉を残すほど、暗殺の歴史?と疑われるほどの血なまぐささ しかも教祖毒殺疑惑も ここまで来ての様々な露呈された事象は【終焉の序曲】にしか聞こえず。これは神が奏でた序曲だと疑うものも少なくないのでは?と察するばかりです。
>30万前後という認識であれば、本部含めた教会関係者がほとんどということでしょうね。<
三日講習会などに参加するのも、多くが教会関係者です。参加者がいないから教会長夫人などが数字のかさ上げに動員されています。また大教会でも「使用人」として使う青年がおらず、ターゲットになる教会子弟からでさえも断られている始末。台所をあずかる「住み込み婦人使用人」も新たには見込めず、一度台所に放りこまれたら、逃げられない現状。ご本人は洗脳状態ですから満足しているのでしょうが、傍からみると、お気の毒としか見えません。
上もご本人の社会的自立の事などは認識外で、年をとって社会に出たにしても自立の為の経済能力を奪っているので、まったくの使い捨てです。無責任この上ないです。
表に向いては人助けを叫び、内に向いては会長家族のための食事や掃除や雑用をさせるための「使用人」を都合よくかこっている。
信者が減って、何かにつけて、全てが自転車操業のようにしか見えません。
修理人巡教は本部員、本部準員の小遣い稼ぎと言われ、1日3~4か所を回られる。
大亮さんは、奈良教区の修理人になられました。担当の教会を回られるのですが、お礼は一切要らないそうです。
普通、修理人が来たら(30分~1時間の話をして)1万円ないし2万円のお礼を持って帰ります。
他の教区の修理人も見習ってほしいものです。
古い教会長 さま
>アメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたというのは、親父の善亮さんの話だと思います。
失礼しました。
父が父だけに、アパート暮らしもどんなアパートかとも思いましたが、
>担当の教会を回られるのですが、お礼は一切要らないそうです。
からすると、多少はまともですかね?
まだ猫かぶってるだけですか?
古い教会長
2017年2月3日 8:13 AM
修理人事態が実際は出来の悪い本部のボンボンの研修の一環ですからね(笑)お礼に関しては渡さなければいいんです。なんで研修生に金を渡さなくてはいけないのか? そもそも本部の研修の一環なので本部から金を出すべき案件です。 修理人もとい世話人も宗教法人法にはそんな規定は御座いませんし合法的権利もない立場です。それはおろか修理人や世話人が不満者を募り、教会乗っ取りを図った不当行為の歴史もありますから廃止すべきです。
元々公家政治が原型で、天皇や公家衆を動かすために各大名が金品や贈り物をしていました。それと同じ状態で且自ら出向する公家となんとも厚かましいのが修理人と世話人制度であります。
乗っ取り事件の話でも「女はだまっとれ!」等等世話人や修理人の分をわきまえない言動があるそうですし、早く廃止すべきです。今や教ないも、修理人が部内から修理され 世話人が部内から世話人が世話される時代では本末転倒であります。
中山大亮 に期待できる意味がわからない。様 2017年2月3日 4:50 AM
>大亮の実父 表統領 中田善助など 乗っ取り事件の関与者全員の首を飛ばす」これぐらいのことをしないと評価はできませんね。
なるほど、その通りですね。実父を罷免する、これくらいのことをして頂きたいものですが、しかし、そんなことをしようとすれば、大亮さんの方が、中山家ファミリーから、「幽閉、押し込め」の目に遭うかもしれませんね。アホな殿さまを、家来たちが「幽閉」して、藩を守って来た如く。天理教上層部の感覚は江戸時代なのでしょうからね。
やっぱり、天理教が、変わることはないかも。
さっちん 2017年2月3日 9:57 AM
異端中山家を本部もろとも倒産させたらいいのですよ。そうすればそのショックで各大教会特に本部真柱派の手先大教会は一気に方針転換せざる負えないので真実の天理教が待ってるでしょう。 本部という穴が開いてそこに神様が降臨してくださりますでしょうし
古い教会長
2017年2月2日 7:11 PM
末端教会子弟様。
>読解力不足で大亮氏の話のどこにおばあちゃん達が涙したのか、わかりません。
以前、大亮氏がアメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたという書き込みがあったことと関係ありますか?
アメリカで高級車を乗り回して遊び歩いていたというのは、親父の善亮さんの話だと思います。
「おばちゃん達が涙を流した」というのは、「一ヶ月前まで大阪のアパート暮らしだった・・」とか「中山家に養子縁組が決まった途端に、周囲の態度が一変した…」ことに、恐れ多くも真柱継承者という立場の方が「大変だったね・・・」という事でしょうか。まぁ甘い話です。
我々の方がもっと大変な日々を送っているのですがね。
↑そりゃ朝から晩までここに張り付いてたら生活も苦しくなるでしょう。
信者さんいないんでしたっけ?
批判しまくる割に宗教法人の土地代払わなくていいのに助けられているんじゃないですか?
悪く言う割に「教会長やめます」と言わないのは結局甘い蜜を吸えてる部分もあるからですか?
法律のお勉強をしましょう!さまのコメント
2017年2月1日 9:14 AM
>「法人乗っ取り」には、あの教内有名弁護士も絡んでいるという話なので、
すいません話題さえぎって。あまりにもショッキングだったので‥
これもしかしてあの弁護士教会長さんのことですか???
うわぁー超ショックなんですけど↓↓↓
わたし、お話、自教会で聞いたんで‥
この乗っ取り被害の大教会の名前を聞いちゃったんです昨日‥
たしか弁護士先生の大教会って〇〇だって言ってたんですよね。
失礼だけど初めて聞いた大教会だったから逆に印象深くて‥
自分の大教会に乗っ取りとか仕掛けてるならぁ最悪ぢゃないですかぁぁぁ‥
ああ、弁護士先生とかでも悪いことするんですね‥
はやくねてわすれたいよーんんzzz
崩壊寸前だから、上にはお供えせず今のうちに蓄えておこう。
って書いているのを読んだが、
教会長さんたち働いてないんだよねー。
だとしたら上級にはお供えしないで信者さんたちのお供えを貯めておこうってこと?
信仰にお金いらないって書いていて
ちゃっかり信者さんたちからお金いただくの?
お供えはいただけませんってちゃんと伝えてるはずだよね。
でなかったら、あんたちのやっていることは本部と一緒だね。
教会を運営するためにはお金が要る?
じゃあピラミッド組織を認めることになっちゃうじゃん。
自分は上の匿名さんとは別人だよ。
批判攻撃まっただ中、匿名さんよく書いたなって思ってさ。
自分も思わず書いたってわけ。
ちなみに自分も天理教は大嫌いだけどさ。
主観ですが、イメージを書いてみました。
二代真柱
プライベートは周知の通りだが、
教内外の有能な人物と多く交流を持ち社交性はピカイチ。しかし、館建築や倍加運動などやり過ぎた。教理の復元を試みようとしていた唯一の人物。
三代真柱
プライベートは良き家庭人だった。教内のイエスマンとの交流が主であった為、情報が偏る。教外との交流は積極的にしない。教理の復元はイエスマンに止められたのか、ほぼ無し。
四代真柱
プライベートは歴代で一番質素。
内向的で、教内の気心の知れた数人の幼馴染と奥様にしか心を開かない。教外との交流はもっての他。
教理の復元は興味があったのか、無かったのか、本人に聞いてみないとわからないが、この先も何か起こりそうな気配無し。
五代真柱予定者
おそらく何処にでもいる感じの良い青年。近い親族とは言え中山家で育っていない為、気苦労は多少ある。
完全なスマホ世代の為、情報を得ようとすれば何時でも何処でも得られる為、思考に偏りはないかもしれない。もしかすると、教内の惨状を一番知る事が出来るかもしれない。
しかし、教理の復元については年月があまりにも経過し、彼が真柱になる頃には化石化されてしまい期待は全く出来ない。
以上です。
2017年2月3日 12:07 PMの匿名 様。
>崩壊寸前だから、上にはお供えせず今のうちに蓄えておこう。
って書いているのを読んだが、
教会長さんたち働いてないんだよねー。
それが・・・、ほとんどの会長さんは働いています。その中から教会の維持費とお供えを捻出しています。
>上級にはお供えしないで信者さんたちのお供えを貯めておこうってこと?
信仰にお金いらないって書いていて、ちゃっかり信者さんたちからお金いただくの?
わが教会もそうですが、部内が沢山ある教会は別にして、信者さんから頂くお供え以上に上級に持って行っています。
大多数の教会長は年金やアルバイトの中からお供えをしています。
ここ最近上級会長に、ちょいちょい、カインさんの記事や、東京天理教館の事など、送ったりしてましたけど
先日の上級からの手紙でございます。
「あなたがいろいろ調べて送ってくださいますが、お供えは神様に一か月の御礼と、又この月を何とか守って頂きたいとのお願いのつもりでさせて頂いていますので、その先々の事は考えません。まして、(送って来る記事は)信用もできません。大教会長様、日々、本当に勤められています。・・・(中略)」
上級の文章も、これまでより、厳しくなってきてるようです。
今年は大教会の創立記念日、又、大教会から先生のお入込がある、とのこと、です。(一方的にそのような事を書いて来てます。こちらの意志を無視して。)
うんざりしますね。ほんとにう・ん・ざ・り、です。
2017年2月3日 11:33 AMの匿名 様。
>そりゃ朝から晩までここに張り付いてたら生活も苦しくなるでしょう。
信者さんいないんでしたっけ?
批判しまくる割に宗教法人の土地代払わなくていいのに助けられているんじゃないですか?
悪く言う割に「教会長やめます」と言わないのは結局甘い蜜を吸えてる部分もあるからですか?
久しぶりに、本部っぽい人が登場して下さり嬉しい限りです。
お陰様で信者はいなくても、大きな御守護を頂いて、悠々と楽しんで日々を送っています。
親神様・教祖の為に天理教内に居て、知っている限りの情報を発信し続けます。貴方にとって、とっても目障りでしょうね。「絶対に教会長はやめません。」それは、教会長が発信している事に値打ちがあるからです。
中にいて、中から発信して行きます。教会長の本音も一杯聞けますし、天理教団の本音も垣間見ることが出来るからです。
貴方のコメントに刺激をうけて、天理教が変わるか潰れるまで益々発信し続けますよ。有難う。匿名さん。
しかし皆様は、天理教をどのようにしていきたいとお感じなのでしょうか。
本部へのお供えをやめて、本部員の疑惑が明るみになって、建造物の縮小…?
したら、いい天理教が戻って来るのでしょうか。
昔はただ、お道の教えを世の中に広める(布教)ことと、人助けという
信仰の指針?があったのかなと思うのですが、
今は教団維持とか人数集めとか、イベントの成功とか月次祭とか講習会とか、
それをこなしていくパフォーマンスばかりだと思うんです。
私も、困ったことがあって教会の人に相談に行ったとき
「鼓笛とか色々あるから」と、そう遠くないのに1ヶ月一回くらいしか会わなかったり、
会いたきゃ来いみたいな雰囲気もありました。
話が脱線しましたが、ここにいる人は天理教の持ち直しのためには、
「過剰なお供えはもう辞めよう」を目標となさっているのでしょうか。
信仰そのものの目指すべき姿というのはどのように考えているのだろうかと興味があります。
てるみなん@天理垢さま
2017年2月3日 12:06 PM
>あまりにもショッキングだったので‥
>これもしかしてあの弁護士教会長さんのことですか???
>うわぁー超ショックなんですけど↓↓↓
私、5、6年前にその先生のお話聞いたことあったなぁー、と思っていたらありました。ここで聞きました。
http://fukyo.tenrikyo.or.jp/h-sc/wp-content/uploads/2011/06/sinnpojiumyoukou.pdf
弁護士が犯罪に関与?本当なんですかね??
マコ2017年2月3日 7:02 PM
>話が脱線しましたが、ここにいる人は天理教の持ち直しのためには、「過剰なお供えはもう辞めよう」を目標となさっているのでしょうか。
>信仰そのものの目指すべき姿というのはどのように考えているのだろうかと興味があります。
大切なのは、「天理教」の捕らえ方です。以前からのコメントで皆さんが書いてくださってるように教団を運営する本部は天理教から考えると異端です。「神に背いた異端真柱派中山教」 と表せるでしょう。「天理教」をちゃんと信仰したいなら、その「神に背いた異端真柱派中山教」の本部を倒産させる事が第一です。なので本当の復元をするには 真柱体制を崩壊させることです。
信仰を理解する上でまず二つのことを理解すべきです。「盲信と妄信」
【盲信】
[名](スル)わけもわからず、ただひたすらに信じること。「権威の説として盲信する」
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/218564/meaning/m0u/
【妄信】
[名](スル)むやみやたらに信じること。ぼうしん。「記事を妄信するな」
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/218563/meaning/m0u/
さっちんさん のコメントでもあったように、
「内容が怪しいと調べもしない上級教会」本当は不都合だし知りたくないから自分が出来る話をしだす【教内に多い大多数の盲信で妄信する無知な偽善者】の典型例ですよね。
この「盲信と盲信の理解」を前提にしてしか信仰は語れずです。
盲信と妄信(もうしんともうしん)
2017年2月3日 8:00 PM
興味深い内容ですね。まさにその通りです。皆盲信し盲信しているといえます。それは教内に限らすだとも思います。しかし現代は先日の週刊誌の記事
1990年代以降にインターネットが普及し、人は何か悩みを抱えても、教会の門を叩くより、まずはネットで検索するようになった。 http://www.news-postseven.com/archives/20170201_480409.html
と有るように本当に時代も人々の考えも進化しています。一般の若者ですら宗教家並やそれ以上の知識を有している時代なのです。 それを教内の人は愚か本部の人間すら気が付いてないで密閉型の時代錯誤世界になってしまったこの教団というべきでしょう。現代の若者の音楽をきいいても感心させられる内容も多くございます。
今回は一例を挙げてみようと思います。
SUPER BEAVER らしさ
https://www.youtube.com/watch?v=RdEIZiO9a8o
自分らしさ他人らしさを考えさせる 歌です。歌詞では「コンビニの太字を気にしていたんだろう、でもねそれでもね見えるものがあるんだよ きづいてよ」 ととても考えさせる内容です。
教内の人は、3原点を元に信仰をしていますが、その原点に書いてある文字面を鵜呑みにするのでなく、それを自身の読解力で噛み砕いてその先を見つめなくてはいけないのです。しかしその読解には様々な他の情報が必要なのです。
それにその三原点も真柱派による【不都合な改竄と隠蔽】は以前よりコメントでも出てきてます。それを理解した上で その【本部の改竄と隠蔽】を「行間より読みとる」等の日本語にはすばらしい言葉が御座います。
らしさ の歌でもあるように「見えるものがあるんだよ!見えるものに気づいてよ!」と見えるものが見えてくる日が必ず訪れます。
イメージ様 2017年2月3日 12:40 PM の
「五代真柱予定者 の イメージ
おそらく何処にでもいる感じの良い青年。近い親族とは言え中山家で育っていない為、気苦労は多少ある。
完全なスマホ世代の為、情報を得ようとすれば何時でも何処でも得られる為、思考に偏りはないかもしれない。もしかすると、教内の惨状を一番知る事が出来るかもしれない。」
を、ツイートした直後に、「書いてくれてありがとう」という返事のツイートが入りました。
安藤吉人さんという方からでした。
私が「大亮さんですか?」と質問ツイートすると
「そうです。大亮さんです✨僕は青年会委員長の安藤です。」とのお返事でした。
社会学さんで、大亮さんに対する期待と、どうせ無理だ、と、いろいろ意見書かれてるから、お読みください、と返事しておきましたよ~。
ええ~~?!(今頃、興奮している。)
さっちん様
すみません、その安藤さんと言うのはいわゆるハンドルネーム(ネット上での名前)であって、
実は本人です、と言う意味ですか?事実なんでしょうか?
奥様になられる方も、SNS関係一切削除なさってるようなんですが…
(本人が削除を決めたのか、SNS禁止なのかは分かりません。奥様になられる方の知り合いから聞きました)
確か「そうです、大亮さんが、側にいます。」というツイートも来てた筈なんですけど、そのツイートは消えてましたね。
ん?待てよ、もしかして、いたずらだったのかしら~?もしかして・・。 その大亮さんの返事も。
青年会委員長の安藤さんは、私のツイートのフォロワーに、さっきからなってますけど。何だか、青年委員長らしからぬ、キャンペーンとか、そんなツイートばかりだぞ。怪しいな、青年委員長に安藤吉人って人いるのかしら。
もしかして、2人共、偽物だったかも・・・。
安藤吉人さんは実在しているようです。私がツィッター見た限り、アカウントは安藤さん本人だと思います。根拠は無いんですが(笑)。
あのドラマのような一連の流れは、そう思いたいです。
実在はしてるとしても、ほんとに青年会委員長でしょうか?プロフィール見た限り、風船を頭に被ってて、とうてい委員長とは思えませんけど・・。多分いたずらだったんでしょう。皆様、お騒がせ致しました。申し訳ありません。安藤吉人とかいう人はブロックしてやりました。
さっちんさん ゆきんこ さん 今流行の成りすましでしょ(笑)大亮くんと安藤吉人くんが書き込み分けないでしょ(笑)
大亮くん安藤くんがこの状態でSNS開設してたら一気に炎上してパンクするしね(笑)
ネットは甘くないですよ! 大亮くんだろうが真柱だろうが晒し首 が始まりますからw 今ここでもう晒し首にされてるのに(笑)
それに大亮くんの嫁はSNS削除したとなると本人からなら良いけど、他人から仕向けられたらまるっきり洗脳です。期待なんてしてる時点で さっちんさん ゆきんこさんが傷つくだけです。
ついに正体現したきつね、青年会本部委員長の安藤。やつの嫁は問題の善亮坊ちゃんの娘ちゃん。名前は忘れたけど。安藤の親父は道友社の次長?副社長。。偉そうな物言いの救いようのないあほ。天理時報って3分読んだらはい終わりの新聞ですけど。。。。あんな売れない新聞の手配りに心血注いでね、全くわからないコンセプトやわ。
つまり、善亮坊ちゃんの娘と、本愛の会長の息子(青年会の委員長)は夫婦。こいつらの時代に天理教は移行するんやろな。トランプ並みに自己中心主義も徹底すれば世界の常識になるような。
天理教の真柱や統領がSNSを開設して批判否定を受け入れられたら大したものですよ!
それが出来ないから、ネット依存セミナーなど 時代錯誤なセミナーしてるんですよ(笑)
今やスマホ時代で皆ネット依存してるのでもうネット依存は死語ですしね意味不明なセミナーです(笑)
ただ教団にクレーム処理能力があったのならば現在のような資金難にはならなかったでしょう。乗っ取り事件も起こらなかったでしょう。つまり本部上層部に理解力 社会学さんの記事で言いますと、「上層部の知的劣化」以外の何者でもないのです。それなのに悪人探しをしている上層部 お前らが一番悪人なんだよ!こういうのを日本語で「盗人猛々しい」というのです。
一言言わせてもらうと、一塊の本部員程度では人事権も資金管理の権限、何一つありません。Zの顔色伺うだけです。もっと言うと内頭領(こいつ一番こそくな奴)も、真柱もありません。
Zこそが天理教なのです。つまりオール天理になりさげた張本人でしょう。教祖は世界いちれつをたすけるために月日のやしろになられたけど、Zはオール天理のためだけに、沈みかけた泥船にモーターを付けようとしているのでは?沈没は目に見えてるのにね。
でも起死回生の一手はあります。全教会を本部直属の教会にして給与制を確立することではないでしょうか?そうなれば本部は各都道府県一カ所程度に教会を絞る方向に舵を取るでしょ。教会長も世襲制ではなくなるし、取った取られたの信者争奪戦も起こらないだろうし、何よりもぢば一筋になれるのではないでしょうか?
大教会も、上級も、部内もなくなります。教祖の仰った「講」それがシンプルで「無理に来いとはいわんでな。付き来るならばいつまでも良し」という世界に近づけませんか?
本部員に外国人も女性も出てきます。オール天理ではなく、オールワールドになりませんか?
ぱんださんの、全直属の案はその昔ならありえたかもしrねあいけど、過去から現在まで全ての悪事がばれた本部の直属なりたいとわ思いません。返って大教会が防波堤になっているとしか思いません。あの関根豊松の愛町が大教会に成らない理由はそれです。 本部からのお供えノルマを上げられる そして本部の無知で傲慢なやつが来なくて住むからでしょう。
匿名さま
2017年2月3日12:06 PM
〉私、5、6年前にその先生のお話聞いたことあったなぁーと思っていたらありました。ここで聞きました。
http://fukyo.tenrikyo.or.jp/h-sc/wp-content/uploads/2011/06/sinnpojiumyoukou.pdf
〉弁護士が犯罪に関与?本当なんですかね??
結婚前の、私のアイドルだったウチの大教会長さんのお話を聞きに行ったら、一緒にお話してましたよ。
http://fukyo.tenrikyo.or.jp/top/wp-content/uploads/2013/07/kaisaiyoukou2.pdf
教会の奥さんしてます
2017年2月4日 4:24 AM
その弁護士は決断ミスしましたよね。いくら客先の依頼でもその報酬が数百万でも数千万でも数億でも、違法性をわかっていながらの黙認或いは行為は弁護士な時点で(違法性を知らないでは済まされません)弁護士資格停止に成ります。一旦資格停止されたら事務所は回せない弁護士会も狭い世界もう弁護士では食べていけません。その間何で食いつなぐの?元弁護士とか「悪人でしょー」と後ろ指刺される社会のお荷物でしかないです。
違法行為は反社会行為つまり天理教教会本部はカルト宗教になりましたねーメディアが動きだすのもあと少しかとそしてカルトの弁護士として有名なのがオウム事件の横山弁護士 余生もみすぼらしいですしね。
https://www.youtube.com/watch?v=av3h7jvIjKI
昨晩は、大亮さんの「書いてくれてありがとう」の言葉に、「何と気さくな方!ほんとに良い人かも!もしかして、天理教変わる?」と少々舞い上がっておりましたが、どうやら99,9%、偽物のいたずらのようです。お騒がせ致しました。
河原町大教会の、一枚檜板を散々クサしておきながら、大亮さんという、今の「ブランドネーム」と接触できた!と、感激していたのでは、説得力がなくなりますね。(オハズカシイ・・・笑)
マコ 様 2017年2月3日 10:52 PM の
>奥様になられる方も、SNS関係一切削除なさってるようなんですが…
>(本人が削除を決めたのか、SNS禁止なのかは分かりません。奥様になられる方の知り合いから聞きました)
という情報から判断しますと、、大亮さんは、SNSからの情報は、一切遮断されてるのでしょうか。そのように周囲から強制されたのか、それともご自分がそのように判断されたのでしょうか?
しかし、それでしたら、今までの真柱と同様、改革の期待はできそうもないですね。
さっちんさん 頼むわ(笑)
まず大亮で浮かれるとか修行が足りないやろ(笑)それにブランドとかどうでもいいしな(笑)そんな事より大亮は「親父の首取れるの?」等等色々課題があるでしょ(笑) 大亮に対する思いより さっちんさんはさんちんさんの名前を大切にしてや(笑)陰ながら応援してるんやから(笑)ほんまたのんますわ
さっちんさん 頼むわ(笑) 様
陰ながら応援してるんやから(笑)
ありがとさんで~す。上級に屈するのは嫌や~~~、最後の頼みの綱は、「ヒホウカツカイショウ」でしょうかね・・。
さっちん 2017年2月4日 4:40 PM
>上級に屈するのは嫌や~~~、最後の頼みの綱は、「ヒホウカツカイショウ」でしょうかね・・。
大亮なんて上級どころか最上級の悪徳真柱の玉子やしな(笑) 非包括解消したいならすればいいと思う。 ブログ立てて教義戦争し掛けたらいいよ。社会学さんの記事やコメントのコピペで今のバカ本部なら楽勝にたおせる。教義に関してヨッワイしな本部(笑) ビックリするほど弱いで本部、だってちゃんと天理教してないからね本部(笑)
さっちん様
もちろん、スマホなどの情報検索はできるでしょうから、SNSくらいは閲覧しているのではないでしょうか。
青年会などでも、必要だとは思いますし。
しかしその情報をどこまで公開しているかは分かりませんよね。
一緒にひのきしんしたくらいで、アドレス交換なんてしないでしょう。
奥様になる方も、非常にフレンドリーで誰とでも平等に接することができる女性です。
でも…もしかしたら電話番号も変え、最低限必要なところにしか教えてないかもですね。
教内で言えば、有名芸能人と同じくらいプライバシーや個人情報は狙われるでしょうから。
仲良しこよしになってもいけない、かと言ってお山の大将でもいけない。
今までは後者でもやってこれたかもですが、これからの時代は厳しいでしょう。
確かに、SNSはむやみにしないのは賢明かと思います。
教義に関してヨッワイしな本部(笑) 様 2017年2月4日 10:31 PM
>ブログ立てて教義戦争し掛けたらいいよ。
教義戦争する程、天理教に愛情は無いです。第一、そのようなことが出来る程、教理や教義、知りませんよ。(笑)
他にいくらでも、適任方、優秀な方おられますし。あなたとかね。
【愛の反対は、憎しみではなく無関心】と言いますが、天理教と縁が切れたら、私はもう、無関心になるでしょうね。
教会の奥さんしてます 様
2017年2月4日 4:24 AM
>私、5、6年前にその先生のお話聞いたことあったなぁーと思っていたらありました。ここで聞きました。
http://fukyo.tenrikyo.or.jp/h-sc/wp-content/uploads/2011/06/sinnpojiumyoukou.pdf
>弁護士が犯罪に関与?本当なんですかね??
>結婚前の、私のアイドルだったウチの大教会長さんのお話を聞きに行ったら、一緒にお話してましたよ。
http://fukyo.tenrikyo.or.jp/top/wp-content/uploads/2013/07/kaisaiyoukou2.pdf
この悪徳弁護士、ご立派にコラムとか書いてるよ!
道友社とかに書くぐらいだから教団のお抱え弁護士か何かなのかな?
こりゃ両統領さんたちともベッタリな感じ?
http://doyusha.jp/doyu/top/?page_id=637
文中より
「たとえ過ちを犯した人であっても、罪を償ったうえでの更生や将来の社会復帰をも見据え、その人の〝心のたすかり〟につながることを胸に置いて…」
弁護士さんて違法行為したら一発でアウトなんでしょ?
まずは自身がたすかるよう共犯者達がたすかるように懺悔・改心する、させることぢゃあないですかね!
なんだっけ、大量検挙かも?って聞いたよ(爆)ヤバくねっ↑↑↑
教義に関してヨッワイしな本部(笑) 様 2017年2月4日 10:31 PM
教理と教義で、出来上がっているのが宗教だと思います。私は、天理教に限らず、宗教というものは無い方がいい、と思っているのです。どの宗教も、人間が作り上げたもので、もともとの教祖の教えから、多かれ少なかれ、逸脱、脚色、歪曲してある部分もあるでしょう。
中山みき様の教えなら、最低限
「やさしい心になりなされや。人を助けなされや。癖性分をとりなされや。」それでいいと思ってるんです。お筆先に書かれてる、生きていく上で、参考になる教えは、A4紙1枚か、多くても2枚あれば、それで書ききれるくらいだと。
それ以外にどんな教理、教義が必要なのかな、と思うのです。
<中山みき様の教えなら、最低限
「やさしい心になりなされや。人を助けなされや。癖性分をとりなされや。」それでいいと思ってるんです。
同感!
それが出来ずして、教理を解釈しても何の意味もないと思います。
その一見普通で簡単に思えることが、全くできないのが人間ですから。
>「やさしい心になりなされや。人を助けなされや。癖性分をとりなされや。」それでいい
月日親神が人間をお作りくだされた目的である
「みなが陽気に暮らすことの出来るよのなかにする」を
付け加えていただきたいと思います。
個人の修養・修行の重要性を説く教えとともに、苦しむ人を生み出す「よのなか」を改善・改革しないと何時まで経っても助けを必要とする人が減りません。
<個人の修養・修行の重要性を説く教えとともに、苦しむ人を生み出す「よのなか」を改善・改革しないと何時まで経っても助けを必要とする人が減りません。
個人の修養・修行がまず最優先だと思います。
心の成人した人が世の中を変えられる。
どんなに立派なお題目をあげても、人としての基礎がなければそれは絶対に無理!
心無い人が作り上げた構造改革など、信用できません。
例えば、今のこの組織が、世の中の構造を変えようと唱えたところで、誰が信用しますか。
そうですね。優先順位というものも大切ですね。
先ずは個人がやさしい心になり、人を助ける心になり、癖性分をとる努力をして幸せになる。
そしてその上で、みなで陽気に暮らすことの出来るよのなかを創っていく。
それこそ、いちれつ兄弟の考え方ですね。
互いに尊重し合う気持ちがあれば、役割分担はあっても、一部の人だけが得をするような
偏った上下関係など必要ないのでしょうね。
癖性分をとる。
これだけとっても至難の業です。
繰り返される過ち。
何度も何度も同じ過ちを繰返し、それでも人はそれになかなか気づけないものです。
気づいても、それを修正することはなかなかできません。
よいことをして、わるいことはしない。
これは、簡単明瞭な言葉ながら、実行するのは実に困難です。
教祖様のお言葉というのは、そういう平易な言葉であったと思われます。
沢山の書きこみを拝見しておりますが、
やさしい心、という一つとってもできてない方が多くみられます。
そういう方々が、改革しよう、変えていこうと言って何ができるのでしょう。
先ずご自分を変えたら?、先ずご自分が優しい心になられたら?と思ってしまいます。
いつも思います。
教祖様ならこういう時、どんなお言葉をかけてくださるかと。
アスファルトの地面を突き破って咲くタンポポのように。
優しく咲く花が地面を突き破る力があるように。
そんな力が改革の力になることも、そっと心にとめておきたく存じます。
自然は大切なことを教えてくれますからね。
信者さんに心無いことを言ったり、お供えを強要したりする教会長、あるいは、部下教会を奴隷扱いする上級、大教会など、天理教社会には、理不尽なことが山程まかり通っているようですが、親様の、
「やさしい心になりなされや。人を助けなされや。癖性分をとりなされや。」
これらを、きちんと守るだけで、天理教社会の理不尽な事の、殆どが消えるのではないでしょうか?
この、3つの教えさえ守れていないのに、教理、教義なんて、教えて、(学んで、)どうするの?って思いますけどね。
ほんとうに、さっちんさんのおっしゃる通りです。
それが実行できずにいて、どのようにして、他人様をお助けすることができましょうね。
お諭しごっこをして、教祖様の真似事をする。
そのお諭しというのは、自分たちに都合よくなるようなお諭し。
人を追い詰めるようなお諭し。
お供えの問題はもちろんですが、人を責める全くやさしさのないお諭しで、
どれだけの人が精神的に追いつめられ、精神を病んだことでしょう。
真面目で自分を責めるタイプの人は鬱になり、
もう一方の方たちは攻撃性をおび。
危険です。ほんとうに危険です。
その三つができない人がお諭しをするのは危険です。
>そのお諭しというのは、自分たちに都合よくなるようなお諭し。
>人を追い詰めるようなお諭し。
>お供えの問題はもちろんですが、人を責める全くやさしさのないお諭しで、
>どれだけの人が精神的に追いつめられ、精神を病んだことでしょう。
教祖様が亡くなられた後、天理教は短期間で爆発的に拡大しました。
多くの人は、教祖様の人柄を伝え聞き、教祖様を慕い、入信されたのではないかと思います。
今も、教祖様を心から信じ繋がっていらっしゃる信者さんが多いことと思います。
それなのに、今ではご指摘された「状態」になってしまいました。
「中山教」等とも言われ、最初から「騙されていた」と主張する人もいます。
「応法の道」が修正されなかったのが原因だとする人もいます。
いつ、どこで、どう変わって、こうなったのか、難しい問題かとは思いますが、これを考えなければ「同じ道を歩む」ことになりかねません。
私には私の考えがありますが、皆様めいめいの思案をしていただきたいと思います。
こういう場に集まる皆さんは、現状に疑問を感じ「なんとかしたい」と思ってらっしゃる方達なのですから。
ですから、その間違った道を作られた方がたは
その三つを無視されてきたわけです。
ご本人たちが三つの教えを徹底できなかったわけです。
やさしさなどない。
人を本気で助ける気などない。
欲にまみれて、気癖性分だらけ。
自分たちだけが豊かになる道。
「やさしさ」と言う言葉を安易にとらえすぎです。
深い、深いものです。
簡単な言葉というのは、実に重く深いものなのです。
末端教会子弟様は、それらをご実行されていらっしゃるのかもしれませんが、
わたしなど、一生涯自問自答でございますね。
>ご本人たちが三つの教えを徹底できなかったわけです。
過去の「共産主義革命」の指導者や提唱者が同じような事を言っています。
「自分たちは、本当に人民の平等と幸福のために戦い、絶対に誤った方向に行かない。過去の指導者たちとは違う」と。
そうして作られた、ソ連は崩壊しましたが、今でも中国・ベトナム・キューバなどは残っています。
それらの国々を見てどう思いますか?
共産主義の話は一つの例ですし宗教と政治は違うと思われるかもしれませんが、人が集まり同じルールを持って生きていくという本質は同じです。
また、天理教においても、その『3つを無視される方』が、どうしてこんなに発生してしまったのでしょうか?
最初から3つを持たない方が入信し、上級へと登っていったのでしょうか?
上級に登った途端に、3つを無視するようになったのでしょうか?
上級でなくても3つを無視される方はいますがどうしてでしょうか?
組織の問題はおいといてください。
私はそのような難しい問題はわかりませんので。
組織よりもまず個人と思いますので。
それで、お聞きします。
末端教会子弟様は、
優しい生き方をされ、人をお助けし、癖性分をなくすことに
日々精進されていらっしゃるのでしょうね。
教友として尊敬いたします。
すばらしい。
天理教団の過大な都市計画 により資金難に追い込まれているとコメントや記事などでもよく書かれています。都市も体制も共産主義国家のようではないか?と例えられますがが、良く考えますとナチス第三帝国にも被ります。都市計画やその体制にもまさに被る。ナチスドイツと言えば、ヒトラーの独裁体制による悪政は有名ですが、今回はナチス第三帝国の都市のページを参考に添付しておきます。
ドイツ第三帝国建築
http://isar-athen.de/thema/sanpo-t2.html
つまり真柱独裁体制を支える両統領による悪政 真柱派による第三帝国的都市計画ともいっても過言ではなかったのではにでしょう。「天理時報」など教団機関紙による信者への炊き付けそれに加熱した人々教義の改竄と故意な誤読解をさせ建てた おやさと館等、教勢倍化運動などで行われたことでしょうが、現在では教倍化運動の反動により教勢落下反動が起きているだけともいえます。本部だけでなく教内全体が教勢倍化等の【教団上層部の悪政と愚策犠牲者】ともいえるのです。急激に成長したものは急速に衰退し終焉を迎える。現在で言いますと中国がまさにそうです。急激に成長した国は建物は建てれども、それを支えるだけの知性や文化が伴わず維持できず衰退する。教団上層部は得策を見つけられず部内を叩く、叩き方の一つ【法人乗っ取り】が明るみに成りバレルほどの世間知らずともばれる始末。「やしきを払ろうて助けたまえすってんてんの似非本部」と、本部は屋敷(おやさとやかた等)を即処分し、教団の経済維持を推敲するだけなのですが、似非本部の自暴自得を【部内の性】にし、部内に手を出すことしか出来ない知的障害を感じざる終えません。何かしら本部と言う人格は屈折し障害を起していることは明らかでです。本部からのおいりこみなど強制に執行しているそうですが、この強制性は法的にもその強制性は認められず各部内も拒否する権利が優位でありむしろ【部内の偽本部に対する拒否権】の方に強制性を認められる内容です。迷惑をこうむった地方教会は勇気をもって似非本部など中枢を拒絶する事が今後の主流となるのでしょう。
不祥事を治めずして大亮氏は結婚出来るのか?
ローマ法王ですら謝罪はする。2017年1月28日 9:39 PM さんの書き込み
ローマ法王フランシスコがバチカン祭司の「悪魔崇拝」を公に謝罪。
http://rapt-neo.com/?p=12876
「キリスト教徒は同性愛者に謝罪するべき」、ローマ法王
http://www.afpbb.com/articles/-/3091898
等が書かれていました。ここ最近「乗っ取り事件」を皮切りに 天理教はおろか宗教家は勿論 人としても犯してはいけないタブーを教団上層部の本部人や弁護士が起し、教内の誠実な信仰者の怒りは頂点に達してしまった惨状でしょう。天理教の最高司祭の家 中山家の隠して来た史実も益々出てきてしまっている状態だ。記事畑だった私からしても衝撃だったのが、中山家を中心とした近親相姦が横行している歴史と現状だ。真柱後継者になる大亮氏も近くは無いが血縁者の疑惑が上がっている。血縁の問題は表向き隠してもその子に出てきてしまうものだ。再び子供が生まれない時代がやってくるのであろうことも懸念される。これらの問題は中山家を中心に教団を運営する一社会人としてそして公人として責任を持って解決すべきであろう。それより、「法人乗っ取り」や教義改竄などは被害者が発生していることであるので早急な謝罪などの責任を果たすべきことであるのでしっかり謝罪し、本来なら読売朝日などの全国紙などでの謝罪広告をすべきであろうが、最低限教団内の機関紙「天理時報での公的な謝罪」を果すべきである。機関紙に目を通すと教団内は真柱後継者の大亮氏の結婚で賑っている様に見せているようだが、とても無理の有る記事だと感じざる負えない不自然な編集と構成が続いている。「あたかも何かから逃げたいような逃避的記事」 と感じていたがその後「乗っ取り事件」をこちらで知り頭の中の点と線が一気に繋がったのである。
これらの件は天理教社会学の読者より良く知っているものがいる。それは当事者の本部自信である。 天理時報の一面の内容は「真柱 両統領、大亮」で構成されている。これは以前ではありえなかった状態であろう。これはそちらだけに目を向けさせ、乗っ取り事件と言う失態を隠し自身も忘れたい心情を感じざる負えないのである。そんな逃避行動を続けてもやがていきずまる。先の大戦の日本軍も大本営発表で嘘の記事を並べさせたが結果戦況は悪化するばかりであった。天理教という日本国内でも有数の新興宗教である以上社会的責任や社会常識を外した事が世間に知られた際の被害を考えた際それは社会問題として日本中のお茶の間のテレビ、全国紙を飾ることは間違いない。そして見出しには常に「宗教法人法 違反 カルト」の文字が並ぶ
前文で書いてあるように、ローマ教皇も謝罪が教皇の責務として慣例化しているのである、天理教も今後も続く伝統宗教としての道を歩みたいのなら 「最高司祭の謝罪の慣例化」は避けては通れない道になるであろう。まずは現状の乗っ取り事件の謝罪を皮切りに、【最高司祭真柱の教団の過去の過ちの謝罪】をしていく事が急務であろう。それをせずして「若い後継者の結婚」は流石に信者もその異常性を感じるであろう。大亮氏の年齢から考えても少し延ばしても問題はないであろう。
>優しい生き方をされ、人をお助けし、癖性分をなくすことに
>日々精進されていらっしゃるのでしょうね。
ネットの事なのでお互いの事は全くわかりませんが、もし現実にお互いの事を見ていたとして、仮に私が「しています」と言ったとしても、あなたから見れば「全然足りないじゃないか」と感じるかもしれませんよね?
あなたが「あの人は素晴らしい、精進されている」と感じる人でも、別の誰かが見たら「まだまだ足りない、勘違いしてる」と思うかもしれません。
それぞれの判断基準や尺度がバラバラだと、結果として先述のような「状態」になりかねないのです。
「そんな事は関係ない、私は私で精進をする」というなら、それも一つの正しい信仰だと思います。
天理教本部中枢悪党リストさん2017年1月29日 12:23 PM
のコメント以来ちょっと気になり本部関係を検索していたら、公益財団法人 天理よろづ相談所 役員名簿
に複数名 悪党リストと 乗っ取り事件 の名前が挙がっていてビックリしたのでコメントしました。
第一期 評議員
中山治信
第二期 理事 幹事
監事 島村廣義
乗っ取りメンバーが 公益財団法人 天理よろづ相談所 の委員とかショック!
しかも理事の 羽成 守 この人があの弁護士?
再びショック!
これじゃ 公益法人 天理教 よろず 法人乗っ取り 相談所 じゃないですか!
三度ショック!
http://www.disclo-koeki.org/07a/00961/a.pdf
https://goo.gl/ZWhML8
2017年2月6日 8:38 AM
天理教 よろず法人乗っ取り相談所 さま
誠に勝手ながら「カインさまの弟子」を名乗らせていただきます。
地道な調査、誠にありがとうございます。
ハハハ、最悪ですね。こうした関係性が洗われていくと、本部主導で悪事を働いて、不祥事を起こしまくっているのだな、ということがよく分かりますね(笑)
これで本部員「島村廣義」、本部員「中山治信」、弁護士「羽成 守」の、密な癒着性があらわになってきましたね。
当然ながらこの上には、内統領「山澤廣昭」、表統領「中田善亮」がいて、その横あたりに本部員「深谷善太郎」がいて、准役員の「高井久太郎」などは彼らの「従順な飼い犬」なんでしょうかね。
そして以前のコメントにあった、
「乗っ取り被害の大教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
「この詰員含めて4、5名のうち役員1名が、事故か何かで亡くなった」そうで、
残り3、4名の内に、この弁護士「羽成守」は含むのでしょうか?
するとあと1、2名、大教会からすると「造反者」がいるということになりますね。
〇〇大教会の有志の方々、私たちも皆さんと共に闘いますので、有力情報よろしくお願い致します。
偽本部に対する拒否権は明らかに存在する。様 2017年2月6日 12:20 AM
>本部からのおいりこみなど強制に執行しているそうですが、この強制性は法的にもその強制性は認められず各部内も拒否する権利が優位でありむしろ【部内の偽本部に対する拒否権】の方に強制性を認められる内容です。迷惑をこうむった地方教会は勇気をもって似非本部など中枢を拒絶する事が今後の主流となるのでしょう。
上級会長から、【今度大教会から先生が、うちの教会に来られる】との、こちらの意志を無視した一方的な連絡がありましたが、拒否できる、法的な根拠、何かありますでしょうか?あるなら、お教えください。上から勝手に決められ、どうにも腹に据えかねます。
私の記憶が正しければ、内統領「山澤廣昭」と本部員「島村廣義」は、共に永尾家から山澤家、島村家(高知大教会)に養子にいった兄弟じゃないでしょうか?間違っていたらお許しください。
さっちん 2017年2月6日 4:02 PM
>上級会長から、【今度大教会から先生が、うちの教会に来られる】との、こちらの意志を無視した一方的な連絡がありましたが、拒否できる、法的な根拠、何かありますでしょうか?あるなら、お教えください。上から勝手に決められ、どうにも腹に据えかねます。
一方的な連絡 が 一方的な決定であるならそれは協議しなくてはいけないでしょう。しかし通例からすると(今までこうしてましたよね?)等となると話し合いはこじれます。つまり最初から何らかの不当や違法性「(契約)を拒否したのに勝手に来た」の争点を作る事が前提として大切です。勘違いをしてはいけないのは「来て欲しくないから来るな」 と言う感情的な願望であればそれもまた一方的です。ですので、まずは互いが認識できる内容 拒否する真っ当な理由を元に話し合う そこには拒否権は発動します。
2001年にはこんな文書が流れたことも。
本部総務課
各 位
2001年11月5日
インターネット上の掲示板等へ投稿について
最近、本教団に関するいかなる根拠なき意見・情報等についてもインターネット上の掲示板等へ投稿することはこれを自粛するよう厳重に注意を呼びかけます。
発言はこれを教内で建設的に行うように心掛けて下さい。インターネットは信徒各位・関係者各位その他全世界に向けて解放・発信されております。
悪意あると思われる根拠なき情報がインターネット上に多数流され、これが教団の存続そのものを危うくしかねない信用不安の原因の一端となる可能性が存在します。
なお既に若干名を各方面の協力のもと特定済みで対応検討中です。その他の各位においても本日以降対応がなされない場合は、
悪意ある投稿者を特定調査し警察・法曹関係者と相談してしかるべき態度を取る場合もありますのでそうした事態にならないよう重ねて厳重に注意を呼びかけます。
心当たりのある諸君は、各方面の協力のもと徹底追求に協力をお願い致します。
本教の現況を冷静に判断し自覚と責任を持った行動をして下さい。
尚、信徒各位・関係者各位に於かれましても、この掲示板に書かれている悪意あると思われる根拠なき情報を信用なさらないようにお願い致します。
関係者への対応も改善しておりでますので何卒ご安心下さい。
以上
真っ当な理由 様 2017年2月6日 10:12 PM
>拒否する真っ当な理由を元に話し合う そこには拒否権は発動します。
「教会を辞めたい」と申し入れている」ことは、拒否権発動の理由には、なり得ませんか?
さっちん2017年2月6日 10:28 PM
それは勿論 日本国憲法第19条 https://goo.gl/rUrTY で保障されてますので勿論是非は自由ですよ。
それにこれは【個人の思想信条の自由】が主権者の自由意志を保障してるのです。強制されることも無いと言うことです。
日本国憲法第19条 思想信条の自由 様 2017年2月6日 11:33 PM
そうですよね。ありがとうございます。わ~い!♪♪v(⌒o⌒)v♪♪
自由の為に闘うぞ~!最悪来るようなことがあっても、金一切払ってやらん!!
いったい、何しに来るんだ、たいした話もせんくせに。 ムカッ( ̄∩ ̄# 凸
ブチキレ寸前 さま 2017年2月6日 9:54 PM
「私の記憶が正しければ、内統領「山澤廣昭」と本部員「島村廣義」は、共に永尾家から山澤家、島村家(高知大教会)に養子にいった兄弟じゃないでしょうか?間違っていたらお許しください。」
たしか〝双子〟の兄弟やったかと。
ほんで、河原町の婿養子は、永尾からですよね!?
これで「山澤廣昭」、「島村廣義」、「深谷善太郎」が繋がりましたね!!
>火の鳥
>2017年2月6日 10:21 PM
>2001年にはこんな文書が流れたことも。
>本部総務課
>各 位
>2001年11月5日
>インターネット上の掲示板等へ投稿について
火の鳥様が投稿された標記の文書を見て感じたことを書きます。
1.この文書は天理時報に掲載されたのでしょうか。あるいは「みちのとも」に掲載されたのでしょうか。
2.何れにも掲載されていなかったとした場合、宛先である各位とはどの範囲を云うのでしょうか。例えば、教会長止まりとか。いや、布教所長も含むのか。さらには用木までなのか。
文中に「根拠なき意見・情報等・・・」と書いていますが、だとすれば本部が発する意見・情報等は全てが正しいのですか。
たとえば、以前は講社祭りの後には必ずといっていいほど「天理教教典」を拝読しますと、教会の人が音頭を取って家族の参拝者が共々に読んでいたものが、いつの日からか急に天理教教典のことを口に出さなくなってしまったではないですか。
教団は、これこそ真摯な情報を発信すべきでしょう。都合の悪いことはだんまりを決め込め込んでいれば、いつか人は忘れるだろうぐらいに思っているのだろうと勘繰りたくなります。5冊あった天理教教典は4冊は捨てたが、1冊は何かの参考になるだろうと思って捨てずにいる。
>悪意あると思われる根拠なき情報がインターネット上に多数流され、これが教団の存続そのものを危うくしかねない>信用不安の原因の一端となる可能性が存在します。
と書かれているが、こともあろうか本部自身が正しい情報を発信できていないのではないのですか。まあ、人をバカにしているとはこのことでしょうか。教団はいい加減な文書は発信しない方がいいんじゃないですか。
私が書き込んだこの投稿は、根拠なき情報ではありません。家族全員が経験した事実です。今月はここの章から読むんだと準備までしていたにも関わらず、急に最後まで読まずに、章の途中で天理教教典を読まなくなったことを亡き母は不審に思っていましたよ。天理教教典には、教団にとって余程都合の悪いことが書かれているのかもしれません。
東風Zさんへ 2017年2月7日 10:24 AM
私が解説しましょう。答えから言いますと、唯のはったりです(笑)
平たく言えば警告文です。しかし一方的な文面ですので私には(脅し)に感じ取れます。何故ならば思想信条の自由と表現の自由は日本国憲法で保障された権利であります。 「犯行声明文」など脅迫の類でなければ一切問題は御座いません。
最近流れてるコメントにはその様な類は一切御座いません。むしろ悪質な教団の現状を解説しているコメントに過ぎずそれは表現の自由の範疇で御座います。
それにこの文面でおかしいのが、
>なお既に若干名を各方面の協力のもと特定済みで対応検討中です。その他の各位においても本日以降対応がなされない場合は、
悪意ある投稿者を特定調査し警察・法曹関係者と相談してしかるべき態度を取る場合もありますのでそうした事態にならないよう重ねて厳重に注意を呼びかけます。
心当たりのある諸君は、各方面の協力のもと徹底追求に協力をお願い致します。2001年にはこんな文書が流れたことも。
本部総務課
各 位
2001年11月5日
インターネット上の掲示板等へ投稿について
最近、本教団に関するいかなる根拠なき意見・情報等についてもインターネット上の掲示板等へ投稿することはこれを自粛するよう厳重に注意を呼びかけます。
発言はこれを教内で建設的に行うように心掛けて下さい。インターネットは信徒各位・関係者各位その他全世界に向けて解放・発信されております。
悪意あると思われる根拠なき情報がインターネット上に多数流され、これが教団の存続そのものを危うくしかねない信用不安の原因の一端となる可能性が存在します。
なお既に若干名を各方面の協力のもと特定済みで対応検討中です。その他の各位においても本日以降対応がなされない場合は、
悪意ある投稿者を特定調査し警察・法曹関係者と相談してしかるべき態度を取る場合もありますのでそうした事態にならないよう重ねて厳重に注意を呼びかけます。
心当たりのある諸君は、各方面の協力のもと徹底追求に協力をお願い致します。
本教の現況を冷静に判断し自覚と責任を持った行動をして下さい。
尚、信徒各位・関係者各位に於かれましても、この掲示板に書かれている悪意あると思われる根拠なき情報を信用なさらないようにお願い致します。
関係者への対応も改善しておりでますので何卒ご安心下さい。
以上
どこの協力で特定されたのでしょうか?警察に通報もしていないのに特定?つまりこの文面どうりだとハッキング行為をしたといってるのに等しく本部総務課が違法行為を行っていますという文面になります。これは個人情報保護法などの法に抵触する可能性が御座いますのでとても稚拙な警告文である事は確かです。自ら馬脚を現した感じになっております。
それに文末には言論統制と言論封殺と疑える文面に成っており 思想信条の自由 表現の自由を侵す文面に成っております。 こんな警告文を出すぐらいならさっさと通報すればよろしい。
自ら無知を露呈した恥ずかしい文面で見ても居られません。
>平たく言えば警告文です。しかし一方的な文面ですので私には(脅し)に感じ取れます。
はっきりと、「脅し」にしか思えない文面です。
「若干名を各方面の協力のもと特定済み」、「警察、法曹関係者」、
脅しとも思える言葉を使っています。つまり、
>既に若干名を各方面の協力のもと特定済みで対応検討中です。その他の各位においても本日以降対応がなさ
れない場合は、悪意ある投稿者を特定調査し警察・法曹関係者と相談してしかるべき態度を取る場合もあります
「教団に都合の悪いことを、ネットで公表するな、誰がやってるか、既に何人かは解ってるんだ。
調べりゃすぐ解るんだから、言う事きかないなら、警察、弁護士に通告してやるぞ。」
と、はっきり言ってます。
>本部総務課
>各 位
>2001年11月5日
>インターネット上の掲示板等へ投稿について
これ以降は、こうした警告文は出されていないのですかね?
ほんま、本部て稚拙なんですね。幻滅やわー…。
この組織は本音が言えない、恐ろしい組織です。
何か問題があった場合、呼び出されるのは直属の会長、上級の会長で、その方々から注意を受けるのです。
日頃、親しくしている人に迷惑がかかる事と、大概、上級には逆らえないという刷り込みと洗脳が行われていますので、言いたいことも黙ってしまうのです。
講習で、ある先生が何でも質問しなさいと言われるので、ある質問をしたら「君は、どこの直属だ!」と、えらい剣幕で叱られたと言っていた知り合いがいました。
「君は、どこの直属だ!」って質問に直属は関係ないのに、そうやってプレッシャーをかけてくる組織です。
「きヽたくバたずねくるならゆてきかす よろずいさいのもとなるを」が大原則!
先生の勉強不足と言われてもしかたないですね
。教理を正しく理解していれば答えられるはずなんですが、本部異端教理に染まっていると叱って脅すしかないのでしょうか。
このような講習では受講者が減るのも納得です。
思想信条の自由と表現の自由
匿名
2017年2月7日 12:02 PM
幼稚な本部
古い教会長
匿名
2017年2月7日 1:15 PMの各位
安心しました。これからも教団についておかしいと感じたことは投稿してゆきます。
目的は、入信した方が、心から救われるのであれば何も問題はないのですが、こんなはずではなかったと後悔されることが無いように願う意味からで、正しい教祖の教えに触れられる機会を妨げる意思はありません。
教団はシッカリとしてください。
さっちん さま
>自由の為に闘うぞ~!最悪来るようなことがあっても、金一切払ってやらん!!
>いったい、何しに来るんだ、たいした話もせんくせに。 ムカッ( ̄∩ ̄# 凸
素晴らしい!!
さっちん様の決意と行動に心より賛同します。
以前、私が「上級には一切出すのをやめた」と言ったとき、さっちん様から「そんなことして大丈夫なのか?」というご心配を頂いたことがありました。
その心配をお返しする程ではありませんが、相手だけでなく周囲が納得する「出さない理由」をハッキリさせないと、何かとトラブルや不和の基になるのも事実だと思います。
当方は、
「うちは貧乏なので教会の改修運営に使わせていただきます。たとえ余っても地域地区の人助けをします」
でした。
さっちん様のご健闘を応援します。
「天理教一れつ会」とは、天理教の学生達を支援する扶育機関です。
(卒業後、奴隷同様の使役が待ちうけていますが)
その「一れつ会」の役員(理事)に、乗っ取り実行犯「中山治信」の名前が!
http://ichiretsukai.tenrikyo.or.jp/?page_id=139
そりゃ天理の学生、皆おかしなるわなあ。乗っ取り事件起こすようなんが役員(理事)やしなあ‥
乗っ取り実行犯とされる「中山治信」さんは、その大教会がある、栃木県の世話人でしたので、島村さんと共に行動されたのでしょう。
聞くところによると、大人しい控えめな方らしいのです。本部の命に逆らわれずに実行されたのではないでしょうか。
>古い教会長さま 2017年2月7日 7:25 PM
>乗っ取り実行犯とされる「中山治信」さんは、その大教会がある、栃木県の世話人でしたので、島村さんと共に行動されたのでしょう。
>聞くところによると、大人しい控えめな方らしいのです。本部の命に逆らわれずに実行されたのではないでしょうか。
私がある本部在籍者から得た情報だと、その大教会に乗っ取りを仕掛けてから、中山治信が栃木県、高井久太郎が埼玉県の、それぞれ「修理人」に任命されたそうです。
その知人いわく、
「あの馬鹿ども(両統領ほか)、包囲網気取りでそんな人事異動しよってん。分かり易過ぎて馬鹿丸出しやん。アホちゃうか!」
と申しておりました。
末端教会子弟 様 2017年2月7日 4:19 PM
有難うございます。あなたから激励の言葉を頂くとは思いませんでした。素直に感謝致します。
>相手だけでなく周囲が納得する「出さない理由」をハッキリさせないと、何かとトラブルや不和の基になるのも事実だと思います。
神様をお引き取り頂きたい、と申し入れているにも関わらず、一方的な、大教会の先生の入込の通達をしてくるんですから、もう、不和、トラブルになっても構いません。上級に対する私の気持ちはもうとっくに離れています。只、信者さんが居ますので、そのことだけです。信者さんに煩わしい事態が起こらないか、とそれだけが気がかりですね。もしかして、上級から信者さんに、私が教会を辞めたい、と言い出しても、反対してくれ、絶対役員として、ハンをつかないで欲しい、なんて連絡が行くのじゃなかろうか、と。
「神様をお引き取り頂きたい、と申し入れているにも関わらず、一方的な大教会先生の入込の通達には承服致しかねます。来て頂いても、こちらが承知致したことではありませんので、御礼、交通費の支払義務はないことと思います。その点、ご承知おきください。」と上級会長には、そういってやるつもりです。トラブルなど、もう何とも思いません。カルト宗教に遠慮する必要は無いです。
もう少し脅してやりましょうか。「人権センター等に相談に行くことも考えておりますが、そうなると、あなた(上級会長)の名前も出さざるを得ませんが、宜しいですね。」と。上級は、どう出るでしょうか?慌てて、大教会に、どう対処したらいいか、訊きに行くでしょうか?(笑)
匿名(さっちん?) 様
>あなたから激励の言葉を頂くとは思いませんでした。
そのような言い方をされるとちょっと困りますが、教義解釈・宗教観の違いと組織改革の行動は別の事だと考えてます。素直に応援したいと思ってますし、出来るなら協力したいくらいです。
>上級から信者さんに、私が教会を辞めたい、と言い出しても、反対してくれ、絶対役員として、ハンをつかないで欲しい、なんて連絡が行くのじゃなかろうか、
これが一番怖いですね。
内部から分裂させられたらひとたまりもありませんし、こちら側教会内部の人間だけが「嫌な思い」をすることになります。
私は、上級の言う事に従いそうな役員さんを私に協力してくれる人に交代させました。
たまたま高齢で教会にあまり顔を出せない状態なのもあり、辞任していただきました。とはいえ、気分を害されても困るので、役員さんと奥様二人に「名誉役員」の賞状を作って任命し、快く引き受けていただいた次第です。勿論、名誉職ですから、法的権限も何もありません。上級に届け出はしていませんが、キチンと書類にしてあります。並行して有力な信者さんにも「説得」をしました。
>「人権センター等に相談に行くことも考えておりますが、そうなると、あなた(上級会長)の名前も出さざるを得ませんが、宜しいですね。」と
脅し文句としては面白いのですが、相手の強硬手段を誘発しかねないようにも感じられます。
また、役所が取り上げてくれるかも疑問です。出すだけでも意味はあるかもしれませんが。
さっちん様個人に宗教の自由が保障されているように、上級にも保障されています。
上級は上級で、その団体の規則やルールに従って下の者を教育・指導するのは当然のことなんです。
「間違った教義やツマラナイ話やお供えの要求など、教育・指導じゃない」と感じるかもしれませんが、それが今の天理教組織の実態です。
勿論「いらっしゃっても、お供え・お車代・お礼など一切出せません」と宣言しておくのは結構だと思います。
実際来て要求されても、「出さないと言ったはずですが」と言えますからね。
こういう時こそ冷静な判断と慎重な行動が必要だと思いますので、頑張っていただきたいと思います。
ツイッターの投稿より
「親神様、教祖、祖霊様を遥拝した後に「青年会長様に礼!」との号令がかかったのには驚いた。いつからそうなったのかは知らないが、大亮さんを遥拝の対象とすることには、甚だ違和感あり。自分は北朝鮮にいるのかとさえ感じた。」
末端教会子弟 様
あなたのせいで、春風さんからツイッターをブロックされましたよ。純粋、繊細な方だからね・・。
あなたと意見交換したのが、春風さんの感性には理解できなかったのでしょう。
>教義解釈・宗教観の違いと組織改革の行動は別の事だと考えてます。
それは私もそう思ってるのですがね。それに言っときますけどね。私があなたと、もう2度と意見交換することは御免だ、と書いたのは、教義解釈、宗教観の違いなどではなく、あなたの、「絶対退くことをしない、相手を認めることをしない、自分の意見を通すためなら手段を選ばないところ」ですからね。紅白の餅をついて、ピンクの餅にする、などと、その気も無いことは書かない方がよろしい。
ちょっと聞きたいのですけどね。上級にお供えを一切あげてないそうですが、「会費」も拒否されてる、と、前に書かれてましたね。全ての会費を拒否されてるのですか?
「教会教費」これは、宗教法人は、本部に年15000円支払う、と天理教規則に書いてある、それだと思うんですが、末端教会子弟さんは支払ってるのですか?又、もし、支払わなければ、何か罰則なり、あるのでしょうか?
ほほぅ。
豪華なもんですな。
http://www.takenaka.co.jp/majorworks/41918032011.html
http://blogs.yahoo.co.jp/irohatree/369234.html
宗教者は、心や体を病む人たちを始め生活苦に陥っている人たちに寄り添い、平安な日々に立ち返る手助けを神や仏の加護を願いながら誠意をもって務めることが全てであろ。
まことに崇高な精神をもって臨まなければできない務めである。
なのに、そこで脅迫まがいのお供えが出てしまっては終わりであろう。もう少し別の言い方があったのではないだろうか。
例えば、日々ご苦労があるでしょうが、たとえ少額であっても神への感謝の気持ちの表れとしてのお供えを続けて頂くことが、教団にとって非常にありがたいことであり、親神様にもお受け取り頂くことが出来ると信じています。とでも呼び掛けて頂き宗教者として精進の道を歩んでおられれば、受け取り方が違ったと思うのです。
何時までたっても変な噂話が飛び交い、挙句の果てに上から目線では誰もついてきません。
天理教よろず法人乗っ取り相談所 さま
2017年2月6日 8:38 AMのコメント
>「乗っ取り被害の大教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
この方、私の大教会の奥さんの〝お父さん〟ではないかと思います。
大教会やおぢばで、その先生をちょくちょくお見かけします。
最近、この乗っ取りについて、
「どうも、奥さんのお父さんが、本部員が奪った会計を、今持っているみたいよ」
と聞きました。
うちの大教会の奥さんは、その大教会の役員宅から来ているので間違いないと思います。
(また、その被害大教会から本部の詰員は、現状一名しか行っていないとのことで特定しました)
正直、不安半分、期待半分の微妙な感じですけど‥そもそも両養子なんで誰でもいいや(笑)
河原町の大教会長一家は、驚くほど内部で嫌われ陰で金将軍一家と言われているほど。慕っている人を探す方が難しい。大教会長は気安く声をかけれないほどの神様ですからね。表統領になりたいみたいだが、その時には驚くほどの話が暴露されますよ。子弟の進学拒否、嫌いな役員を地方へ左遷、弟である大教会役員の信者への淫行の隠蔽
斯道会のガン さま 2017年2月8日 12:41 PM
小生、昔「お道の癌」と言われておりました(笑)
さて、河原町大教会長の件ですが、貴殿の情報は、かなり信憑性が高いですね!
前表統領 上田嘉太郎氏を辞めさせて(中枢のなかでは正当派なので、悪党どもの不評をかったらしい)、
今の中田善亮にかわり、深谷善太郎は次期の表統領になる予定らしいですよ!
今は策略上、なりを潜めている状況らしいです。
これは中枢も中枢の正統派の方に聞いた話なので間違いないと思います。
>古い教会長 様
>2017年2月8日 7:43 AM
>ツイッターの投稿より
>「親神様、教祖、祖霊様を遥拝した後に「青年会長様に礼!」との号令がかかったのには驚いた。いつからそうなったのかは知らないが、大亮さんを遥拝の対象とすることには、甚だ違和感あり。自分は北朝鮮にいるのかとさえ感じた。」
この投稿を読んで思い出しました。
教会の娘なので、30年ほど前に修養科へ行ったときのこと。
その時に組み係なるものをさせられ、毎回職員室?に先生を迎えに行ってかばんを持って教室に連れて行く、みたいなことをしていた。(それもおかしな事で。今なら自分で来いって言えるけど。)
その職員室みたいな部屋に当時の真柱の写真が掲げてあるようで、前を通るときわざわざ立ち止まって写真に向かって拝をしなさいと言われた。
何それ?! 人間やん! しかも写真に拝? と違和感ありすぎで不信感でいっぱいになりました。
写真の前を通るときも拝をしなかったら、修養科から詰所に苦情の電話が入って怒られた。
でも、絶対に拝はしないで通しました。
せっかく違和感と不信感を持ったのに、そのときにもっと真剣に天理教を検証すれば良かったな、と思います。
教会に生まれ育ったので、信じてたので、疑えなかったのかな。
おかしなところには目をつぶって考えないようにしていたのかも。
でもいつも違和感はあったのは事実です。
さっちん 様
>あなたのせいで、・・・
それは、私が「さっちんさんの行動に賛同する」と書き込んだからですか?
>「絶対退くことをしない、相手を認めることをしない、自分の意見を通すためなら手段を選ばないところ」~
「すっぱいぶどう」の話はご存知ですか?
最後は、私が狼の立場になった時にハッキリするんでしょう。
今の段階でどうこう言っても答えは出ないように思えます。
>ちょっと聞きたいのですけどね。~
以前の書き込みに書いてあります。
書いてないのは「追徴金」とか「延滞利息」とかの事くらいかな。
さっちん様
春風(妻)は、一連の流れが落ち着いたら、天理教関係のサイトから離れると、以前から決意しておりました。
ですから、こちらのお二人の書込みが原因ではありませんよ。
以前から離れようとしていたのですが、中々離れることが出来ず、思い切るために一旦すべてをブロックしたようですが、いまはすっかり(天理教サイトから離れた)元の生活に戻っていますよ。
>それは、私が「さっちんさんの行動に賛同する」と書き込んだからですか?
あなたが、春風さんをかなり傷つけたからではないのでしょうか?
昔も今も信者ではない人 様 2017年2月8日 6:27 PM
春風さんには、大変感謝しております。いろいろ教えて頂きました。春風さんに、もうお会いできないのは淋しいですけど、春風さんが、幸せな生活をされることが一番ですから。
うちの教会のことで、ご主人様にもご心配頂いたようで、ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
まぢ切れ寸前様
早々のご回答ありがとうございました。
やはり内統領と前高知大教会長は兄弟でしたか。
なんか嫌な感じですね。血統でつながった一部のグループが暗躍してるようで。
>ほんで、河原町の婿養子は、永尾からですよね!?
この情報は知りませんでした。そうでしたか。
なんだかなー ですね(笑
読み返したら、あまりの言葉足らずに恥ずかしくなったので再投稿します。
>「乗っ取り被害の教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
この方、私の所属する大教会の会長夫人の〝お父さん〟ではないかと思います。
大教会やおぢばで、その先生をちょくちょくお見かけします。
最近、この乗っ取りについて、うちの大教会のある奥さんから、
「どうも、うちの奥さんのお父さんが、本部員が奪った会計を今持っているみたいよ」
と聞きました。
うちの大教会の奥さんは、その大教会の役員宅から嫁いで来ているので間違いないと思います。
(その大教会の、役員から選出の本部詰員は現状1名しかいない、とのことで特定しました)
正直ご夫婦、この事件に関与してない? うちの会長さん、この人と神殿当番の日まで一緒だし、仲良し密度が濃厚過ぎるんですよね!一緒にまとめて逮捕とかならない?大丈夫ですか?という感じです。
不安半分、期待半分の(横柄な態度や嘘つきなところが好きになれない)、微妙なところですけど‥
そもそも、うちの会長さん夫婦は両養子なんで、もう誰がやってくれてもいいや。なら私でもいいか、という感じです(笑)
ブチキレ寸前 さま 2017年2月8日 7:30 PM
>なんか嫌な感じですね。血統でつながった一部のグループが暗躍してるようで。
神さま・おやさまは、
「親族と言うては神の道とは言おうまい。」(M23.6.21)
「神一条の道には親族は無い。」(同上)
「親族事情には分かりゃせん。世上には皆親子きょうだいと言うて、親族と言うても、きょうだい何にも隔てる理は無い。」(M24.1.27)
〔神を蔑ろにした前川家の窮地に、初代真柱の「中山のある限りは粗末にはせん(援ける)」という発言に対して〕
「中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう処より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。
‥親族の理を以て放って置けんというは、どれから出たか。このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん。‥中山家の続くまで救けるというは、親族の理であろう。」(M24.1.28)
と、神の道に「親族だから」などという「身びいき・えこひいき」は要らん、と強くお戒めになっておられ、また、
「表門構え玄関造りでは救けられん。」(逸話篇 五)
と、おたすけは家柄などでできるものではない、と仰り、
「血筋と言うが血筋やのうて(じゃなくて)、親の心の筋を、子が引くのやで」(教理大要)
と仰いますから、バカ親の心の筋を引くと、子供もバカになる、と言う事ですね!
つまり、はるか昔この頃から、中山家はじめ本部の大方は、神の言うことを聞かない「信仰的異端」ということが断言できます!
風に吹かれて様 2017年2月9日 7:57 AM
>「乗っ取り被害の教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
>この方、私の所属する大教会の会長夫人の〝お父さん〟ではないかと思います。
差し支えなければ、どちらの大教会なのか、伏せ字やイニシャル混じりで結構ですので教えていただけませんか?
私は、その〝お父さん〟のお名前知っていますよ。交換条件でいかがでしょうか?
玉千代様がこかん様の生まれ変わりであるのは、教祖の預言だけではなく、本席様のお話にもある事ですが、その後はどこに生まれ変わったのかは、天啓者が永続していないとわかりません。残念ですが。
本部関係は姻戚関係が複雑に絡み合っているのは、もしかして、人類を救済する事が可能な重要な魂を呼び戻すための受け皿という考えが残っているからではないか?正善氏が玉千代様の家筋を重んじたように。
>「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで。」
「秀司やこかんが、遠方から帰って来たので、こんなに足がねまった。一つ、揉んでんか。」「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」(『逸話篇』一一〇、魂は生き通し)
「正善、玉姫」とは山本利雄氏の『続人間創造』の中で、二代真柱正善様が秀司先生の生まれかわりで、玉姫とは初代真柱様の長女玉千代様のことで、こかん様の生まれかわりであると説明されています。
どうも、この逸話は創作臭いですね。天理教存続、中山家存続の為の創作ではないでしょうか。二代真柱の女癖の悪さは、もしかしたら、お金を一杯溜めて出直した秀司の生まれ変わりかもしれませんが。
初代真柱様の長女玉千代様へ山澤家から養子に入られ、分家を作られたそうですが、山澤家の策略が見えてきますね。
親族では治まらんとも言われています。
こかんさま、乾某、ナライト様、本席様、山本某、飯田某、茨木初代。
中山家以外から天啓者が出現してもらっては、この宗教権力と権益を独占できないのだから中山家にとっては不都合と考えた方もいらっしゃったのでしょうし、その中山家に取り入って、権益の御裾分けにあずかろうという下心のある方もいたのでしょう。
当時の権益は下火の現在とは、けた違いのものがあったのだろうと想像します。
玉千代様の処遇も、啓示による秘教的知識と、中山家を含む周辺の人間の様々な業が絡み合ったドラマでもあったのでしょう。
玉千代様もナライト様も天啓者として完成しなかったという事実は、残念ではあるし、未来への教訓でもあるのでしょうが、本部の掃除が終われば、このような魂の方々にお地場を浄化していただく時代が来るのでしょう。楽しみです。
人権侵害した時点で宗教家失格
島村廣義 の発言で「女はだまっとれ 男はだまっとれ」と発言をしたとの書き込みがありましたが、その時点で聖職者の人権侵害として完璧社会問題化する内容です。
本来なら即、本部員などの役職停止ないし罷免などですが、内統領が実の弟 山澤廣昭 だから未だに腑太陽としか思えません。本部員や各重要ポストに置かれてるのか謎でしか御座いません。 このような状態がまかり通る組織体制だから衰退するのでしょうけどね。これら違法行為の不対処をしてる時点で中山家 中田善亮 山澤廣昭 など本部上層部 役職はじめその家柄が相当悪質である事は白日の下に晒されこの教団に対する疑問を晴れました。しかも 弁護士会長で有名な 羽成 守 の名前も挙げられてますが弁護士としてしてはいけない行為をしてしまったんですね。
法務省のHPに 人権関連のページは多数ありますので 今回の被害教会以外の方も心当たりの有る際はご連絡やご相談をされた方がよろしいかと思います。
法務省 人権侵害を受けた方へ
http://www.moj.go.jp/JINKEN/index_chousa.html
人権相談
http://www.moj.go.jp/JINKEN/index_soudan.html
人権擁護局
http://www.moj.go.jp/JINKEN/
ふっと吹かれて様 2017年2月9日 1:05 PM
>「乗っ取り被害の教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
>この方、私の所属する大教会の会長夫人の〝お父さん〟ではないかと思います。
>差し支えなければ、どちらの大教会なのか、伏せ字やイニシャル混じりで結構ですので教えていただけませんか?
>私は、その〝お父さん〟のお名前知っていますよ。交換条件でいかがでしょうか?
早々のご反応、ありがとうございます。
大教会は、〇山大教会です。
その先生の苗字だけなら、私も知っていますよ!
〇高先生です。大教会役員で、部内の分教会長さんらしいです。
河原町の人は本部で結婚式を挙げることができません。なぜなら、河原町の人間は本部で結婚式を挙げるほどの徳がなく、理がないからです。これは偉大なる大教会長様が決められた大変ありがたい宗教の自由の制限なのです。はっきりそう上級会長に言われました。私も本部で、教組の前で結婚式を挙げたかった。教組に見て頂き、御礼したかった。河原町部内に嫁いで唖然としました。カインさんは本部や本部員の異常さを指摘していますが間違ってる。本当の異常は大教会。管理する人も指摘する人もいない大教会長を教組とした独裁国。誰の目も入らない、大教会長一家のやりたい放題。教えより「大教会長様が言ったから」とわけがわからないルールばかり。部内の直属会長たちが「このままだと140年祭までに河原町は潰れるから引きずり下ろせ」と言われている人が表統領候補など、教えよりも組織しか見てない人ばっかり。私達は詰所のふしん費という年貢を押し付けられているだけ。河原町を出て外の系統にお嫁に行った人は本当に「河原町から出て行けて楽だよー お道が楽しくなった」と皆いうのは本当羨ましい。こんな組織にいるくらいなら死んだほうがマシだと最近つくづく思う。
教組の前で結婚式をあげたかったさん2017年2月10日 7:56 AM
あなたの大教会の大教会長も天理教本部中枢悪党リストに名前挙がってます。
天理教本部中枢悪党リスト 2017年1月29日 5:54 PM
内統領 山澤廣昭 表統領 中田善亮 本部員 島村廣義 本部員 深谷善太郎 本部員 中山治信 本部准員 高井久太郎
河原町 高知 と大教会長であり本部員を兼任している島村廣義 と 深谷善太郎 の 二名の名前が挙がってます。「大教会だから?」と言う括りはもう古いです。今回の乗っ取り事件で大教会であっても「悪徳本部員」の被害にあっているようですしね。いいたいことはわかります。大教会もそれぞれですしね。河原町の教祖殿での結婚式の話ははじめて聞きましたので正直驚きました。あげたかったさん の意見は河原町がおかしい とのご意見でしょう。
教組の前で結婚式をあげたかった さん2017年2月10日 7:56 AM
過去のコメントに上がってましたよお宅の大教会長の名前
お道の癌 2017年2月8日 2:04 PM
さて、河原町大教会長の件ですが、貴殿の情報は、かなり信憑性が高いですね!
前表統領 上田嘉太郎氏を辞めさせて(中枢のなかでは正当派なので、悪党どもの不評をかったらしい)、
今の中田善亮にかわり、深谷善太郎は次期の表統領になる予定らしいですよ!
この文面で反応された意見でしょうが、中田と深谷は悪党と書いているのではないでしょう。よくお読みに成られた方がよろしいですよ。しかし河原町は色々聞きますしね。悪党リストにも名前が挙がるほどの悪人のようですし心中察します。
それにしても悪党リストの精度が高いですね。これは相当な機密情報が流れてると感じます。
悪党リストの精度が高いです。さま 2017年2月10日 10:04 AM
「それにしても悪党リストの精度が高いですね。これは相当な機密情報が流れてると感じます。」
本部在籍者の中の〝反・悪の枢軸〟の皆さんが、我々に協力して下さっているのです!
みなさん本当にありがとうございます。
今後もダラダラと、情報漏洩よろしくお願い致します!
河原町大教会は、本部が敷く手法を、そのまま部内に対して敷いているという感じですね。
しかし、教祖の御前で結婚式を挙げられない、というのには驚きました!
あと、教会信者子弟の進学拒否とか、
嫌いな役員を地方へ無理に左遷とか、
弟である大教会役員の、信者への淫行の隠蔽とか‥
なんかもうメチャクチャですね、河原町は!!
結婚式をあげたかったさん
その話は私も聞きました。
ただ、私は「部内の方にも結婚式を見ていただく為」大教会や各教会で挙げると聞いたことがあります。
表向きはそうしてるのでしょうか…
先日も河原町の部内教会に所属する友人と少し話したのですが、色々ありますね。特に今は慌ただしいようで…
なんか直接お話したいです。
天理時報
立教180年2月12日号最新号
一面は「後継者講習会推進大会」と、
やはりではあるが、中山大亮氏と上川布恵さんが、「めでたくご結納の儀」である。
そもそも、尚早な継承者の結婚自体が、一連の不祥事の火消し、イメージアップ戦略に他ならない。
そして三面の「視点・偽情報にどう向き合うか」の最後の方に、
「偽情報に惑わされぬよう、善き風に添って、冷静に情報を取捨選択し、新しいツール(インターネット)を使いこなすことが求められている。」
とある。
我々の活動を遠巻きに牽制しているようにも取れるが、
教会本部、貴殿らが押し広める本部教理こそが偽情報である。
恥を知れ!
結納が一面??さん2017年2月10日 1:48 PM
>「偽情報に惑わされぬよう、善き風に添って、冷静に情報を取捨選択し、新しいツール(インターネット)を使いこなすことが求められている。」
遠巻きに認めてくれてありがとう!ですな(笑)
ネット的には「効いてる効いてる~!」
ですよ(笑) 天下の大天理時報が反応し始めた件について(笑)
風に吹かれて様 2017年2月10日 7:48 AM
>「乗っ取り被害の教会から、本部に来ている〝詰員〟が大教会側の主犯格」で、
>この方、私の所属する大教会の会長夫人の〝お父さん〟ではないかと思います。
>差し支えなければ、どちらの大教会なのか、伏せ字やイニシャル混じりで結構ですので教えていただけませんか?
>私は、その〝お父さん〟のお名前知っていますよ。交換条件でいかがでしょうか?
>早々のご反応、ありがとうございます。
>大教会は、〇山大教会です。
>その先生の苗字だけなら、私も知っていますよ!
>〇高先生です。大教会役員で、部内の分教会長さんらしいです。
〇山大教会ですかあ。
大教会で〇山は、
本部からの出向になるのでしょうか?奈良の〇山大教会は、今は確か、〇降〇彦本部員ですよね。
岡山の〇山大教会は最近、もともと役員?の老先生が会長さんになられましたよね。
ということは、〇岡県の〇山大教会ですかあ…早速、調査に入ります!
風に吹かれて様、ありがとうございました!
イニシャルじゃなくて良いよー!
知りたいよー!
ワイドショー傍観者さま 2017年2月10日 5:13 PM
>イニシャルじゃなくて良いよー!
>知りたいよー!
いやいや、とりあえずはイニシャルでいきます。
「S岡県の、K山大教会です。」
そのお父様は、
「H高先生です。」
今回はこれでお許しください(謝)
>天理時報視点「偽情報にどう向き合うか」
「偽情報に惑わされぬよう、善き風に添って、冷静に情報を取捨選択し、新しいツール(インターネット)を使いこなすことが求められている。」(安)
(安)様。
書き込まれている、偽情報と思われる情報をお聞かせいただくと、大変、有難いのですが。
また、疑問や質問に分かりやすく答えて下さる。公式の掲示板かブログを作って下されば嬉しいですね。
どうか天理教教会本部も新しいツール(インターネット)を上手く使いこなして、教祖の真の教えを世界に発信して下さることを切に希望致します。
また、天理時報等の機関紙にも、ありのままの情報を(良いことも悪いことも)掲載して下さることを合わせて希望致します。
古い教会長さんのおっしゃる通りだ。
災救隊の活躍は報じられても、一教会の火災情報などは全くの無視。原因を始めその後の様子なども時報は報じるべきだ。
そうすれば多くの支援金が集まったのではないのか。そのようなことも報じられていない。
私が在職中に阪神淡路地震があったが、直接の支援には行けなかったが、関係者から集まった支援金は1千万円にも上り、専務が携えて行っている。
石川県金沢市内の教会が火災になった時も教内から如何ほどの支援があったのか、未だに分からない。このような教内新聞にどれほどの読む価値があるのだろう。
最後に、偽の情報などとこのブログに投稿されている内容があたかも嘘八百といわんばかりだが、、私が今までに書き込んだ内容が嘘か誠かを地域名や教会名及び関係者名を挙げて細かく道友社宛に送るから、それを記事にしてくれますか。絶対にしないことを確信しています。
二代真柱は、奈良国際ゴルフ倶楽部に天理高校二部のキャディコースを設けて、昼の日中からこの生徒をキャディーとして連れまわしていた事実をどのように伝えるのか。夜に教師がわざわざゴルフ場迄出向いて夜間の授業をしていたことなど、如何ほどの人がご存知だろうか。
度し難いとは時報の方ではありませんか。
時報の視点 読みました
本部も必死ですね
加速する信者離れ、後継者不足、お供え激減を食い止めたいのでしょうが。
130年間、騙し続けた結果でしょう
ひとりひとり、よくよく悩み考えた結果が現状です
おやさま、親神様に対する感謝こそあれ、教団には惑わされたくありません
天理教お供え掲示板コメント
(無題) 投稿者:火の鳥 さま
投稿日:2017年 2月10日(金)17時10分11秒
>最近の天理教社会学研究所のコメント欄は、教団内の噂話のリアル版がやり取りされてるみたいで興味深いね。
火の鳥さま。
我らの情報は、嘘・偽りは一切ない、リアルもリアルでございます!
私は本部在籍者や、長期の本部勤務者に多くのコネクションを持つ者です。
過激な情報の提供は、大方が「私」と思っていただいて間違いございません(笑)
そして現在に至っては本部の彼らが直接に、この「社会学」さまに情報を提供してくださっている
という状況までに至っています。
今後も引き続きがんばりますので、応援のほど、よろしくお願い致します!
敬具
さっちん
2017年2月11日 12:58 PM
暴行恐喝宗教ですね。これは正常な宗教がやることでは御座いません。 これは悪党リストに教会名と氏名を挙げるべき事柄です。最近 河原町大教会の 深谷 善太郎 の名前も挙がってますので、最低限イニシャルでも良いので調査と共に情報提供を望みます。
天理時報者は直接対決をここですればいいがそんな事を出来る人材もいないか(笑) 天理親里研究所の面子も書き込んでるこのサイトには天理時報程度では勝てない(笑)そんな下らないことで悪戯に時間を費やすなら 本席問題 真柱体制問題 過去から現在に至る法人乗っ取り問題 等 全て真柱と両統領で謝罪視しろや 胡散臭いよーほんまに 良く天理時報や各種機関紙で嘘はおろか 教義改竄 を堂々とできたもんやな(笑) 呆れたわ 嘘か本当は 読んだ本人の自由だしな
あと異端本部に良いこと教えてやるは ネットわなデマ書いたら叩かれるんだわ 本部がウソいうならここで反論したらいいやん どうせ来れんやろけどな 本部が異端だっと白日の下に自ら晒したんやし やから異端本部は叩かれて当然(笑)
立のつながりを重視する天理教は、お供えを吸い上げるには絶好の組織形態だ。
中部地方のある教会は、地震により教会会堂が全壊した。再建には多額の借入金が必要になったのはいうまでもない。
資金の調達は所属大教会長名により本部を通じて南都銀行から借り入れることとなる。当然、その時点で教会の土地及び建物には抵当権が設定されてしまう。
このような事態に立ち至った時に天理時報は何も報道しない。本部は大きな災害時には災救隊を派遣して売名的な行為を優先し、天理時報もこの行為を大げさに報道する。また、災救隊が使用する費用の寄付お願いも大々的にアピールする。
ところが、教団はこのような教会が被った災害等に対しては実に冷酷である。天理時報はこのような級友の困窮に対して支援を呼びかけることを何故しないのか。
例えば、この度の震災で〇ヵ所の教会が被災されました。再建のために教友の暖かい支援をお願いする、と呼びかけ支援の仲介をすれば、幾ばくかの支援金が集まると思うのだが、そのような気配は微塵も感じられない。そのようなことをすれば本部へのお供えが減るとでも思っているのかも知れません。
事実、先述の教会は我々の想像を超える金額の返済が今も続いているのである。
うかつに教会の名称などと有難がって受けたものなら、待っているのはお金の地獄以外に何もないのである。
教団はもう少し横の繋がりを重視して助け合いの実態を醸成すべきであろう。
住み込みの障がい者を大教会長が投げ飛ばしたという話を聞いたことがある。
そこの大教会に住み込んでいた人から聞きました。
この掲示板を時々見ている教団上層部の方々に。
この教団は本当に恐ろしい組織です。「宗教」は表向きの顔で、内に向いてはやくざ組織となんら変わりません。この組織の実態は教祖の教えからは程遠い上下関係による「いじめ」そのものです。
末端教会はお金と精神的理不尽を飲み込むことばかり。お金がないこと、自尊心を踏みにじられること、がどんなに辛いことか、権力にあぐらをかいている人には分からないでしょうが。
例えば、巡教はこちらが頼んでいるのではない。そちらから来るなら日程なりをこちらに聞くのが常識。〇月〇日にあんたの教会へ行くと通告。こちらの都合などは無視。
経済的に迷惑千万なのに、なぜお礼まで渡す必要があるのか?末端教会は信者もいない、建物は老朽化、雨漏りも直せず、子弟の進学はもちろん出来ず。
(大教会子弟は信者の血と涙のお供え金で留学までしてますね。これが教祖の望む姿ですか?当たり前ですか?信者子弟は進学資金をお供えに上げろと恐喝にも似た仕込みを受けております。その結果進学を断念せざるを得ないのです。)
この掲示板を時々こっそり見ている教団上層部の皆様方に申し上げます。偽情報に注意など、教団の保身に走っておられますが末端教会の実態をご存じですか?先ほど申したような巡教でお礼をもらうような悪習慣を断ち、巡教で地方の末端教会の疲弊した状況をつぶさに把握し、親なら親らしく、むしろ「金一封」を渡すくらいの気持ちを使う方がよほど教祖の気持ちに近い。ただ私は金一封は要らない。むしろお礼は要らないと固辞する姿を見てみたい。そうすれば教団に対する見方も変わるかもしれない。巡教が迷惑と感じている教会は相当数ありますよ。(金出せ泥棒となんら変わりませんから。)
我々教会長も代を重ね、初代の時代から受けた精神的、経済的、上からのいじめを家族ぐるみで体験し、「いじめ後遺症」で今だに苦しんでおります。教団は後継者を育てることに躍起になっておられますが、実態を余りにも知らなさすぎます。だれがこのような集団に自ら飛び込もうとしますか?人間の心とは常に傷つきやすいものなのです。後継者講座で人を育てると言うが、あなたがた上層部は人を見る目が余りにも甘すぎる。後継者を育てる前に、教団中枢部のあなた方が人間として誠実に「生き直し」をし、自らを育てなおし、後継者がついて行きたいと思えるような「魅力ある集団」を作り直すことです。
育てる順序を間違わないでほしい。本部と言う「土台」が人間思案の空虚な砂上とすれば、後継者という柱を何本立てようとも、所詮無理な話だ。本部よ。もっと大人になれ。
そして、偽情報だとおびえる前に、本部こそ真実の情報を出すべきだ。復元もせず、偽情報で信者一同をだましているのは、そちらの方ではないか。信者はだんだんに目覚めて来ている。この教団が行きつく先は目に見えているではないか。猛省せよ。
「世の中のために奉仕貢献し、さらに自ら栄える」
という企業理念を持った大企業が実は内部ではブラック企業でした。
みたいな。
内部には一部、堅物の擁護派が残ってるけどね。
みたいな。
ある女優さんが、宗教(天理教ではないです)を理由に引退されるようです。
事実確認や、いくらかマスコミ操作もあるかもなので鵜呑みはこわいですが、
これを機に少し、宗教へのメスもはいるのでは…と思います。
マスコミだけでなく、結局は今まで声をあげられなかった一般社会から
カインさんのように声をあげていける時代。
少し注目して見ています。
「おあしが足らん」
方言から考えると、西日本の教会でしょうか?
お供えが足りない時によく言われるのは、「おつくしが足りない」
「はこびが足りない」「つなぎが足りない」で、おあしは初めて聞きます。
独特の言い回しを探っていけば、直ぐにわかると思います。
平田弘史・幻の『教祖絵伝』
http://blogs.yahoo.co.jp/hanshirou/29653460.html
すこ
天理時報の視点書いた(安)っていう人、安藤正治(道友社次長)って人らしいよ。
天理教あるあるbotさんに、80歳のお婆ちゃんを虐待した、大教会長と大教会名のイニシャル教えて欲しい、とのツイート2回しましたが、お返事ありません。すみませんが、そういう訳ですので、ごめんなさい。
しかし、人権相談窓口に通告するのは、非常に有効な手段と思います。
カインさんのブログ【天理教の問題は、一部の人間の問題か、組織の問題か】からの抜粋をツイートに書かせて頂いきましたが、参考になると思いますので、ここにも載せさせて頂きます。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=986
『・若者の婚姻関係に大教会長や会長が意見や介入をする。
・結婚式を教会本部であげさせない大教会長のルールがある。
・一れつ会では「理の親」(大教会長)の署名を求める。
私はこれまで、上記の事例については、その都度、奈良県、天理市、京都市などの相談窓口や該当部署に通告している。話は親身に聞いてくれるが私が当事者本人ではないということで事例に対して対応はとれないということであった。人権窓口は基本的に通告すれば対応の結果まで教えてくれることになっている。私も当事者に確認の上で、対応までは求めていないため、行政報告という点で留めてもらうように働きかけている。きちんと声をあげて、上記のような天理教で頻発する類似のトラブルを知ってもらう段階と考えている。
行政に報告するだけでは何も事態が進展しないことは承知している。1年ほど前より、何名かの研究者と連絡を取り合う中で、今後の動きは練っていた。昨秋には天理教の脅迫的集金方法や天理教責任役員の言動について国にも通報した。本来であれば宗教法人の管轄は都道府県や文科省管轄の文化庁であるが、戦略的に現時点では総務省と消費者庁に相談した。
すると「国としては個別の事象に対応するこは難しい。国が動くためには【一定程度の数の声】がなければ動けない」という助言をもらった。
以前は一部の天理教人だけが問題であると思っていた。しかし調べれば調べるほど、天理教全体の構造的欠陥と感じるようになった。
ノルマ制の集金方法や人々に不安を与えて努力を強いる言葉は天理時報に溢れている。社会から見たときに、このような狂った組織は社会の評価を受けて是正されなければいけないと思う。集金ノルマを課しているような組織が「ひとだすけ」と言ったところで誰が信じようか。』
安藤は、中田善亮表統領の悪の枢軸の一端をなす輩です。安藤が自ら望んで枢軸入りしたのですからね。善亮の娘を長男の嫁にしましたね。実は安藤はちょっと頭がいいものですからアホ善亮ををおだて、周りを欺いて中山ご一統様までなりあがりました。
天理時報の視点は、ばればれでしたね。安藤は風を読み切る力まではない。つまり学歴詐称の官僚みたいなもんでしょうね、きっと。これさえ言うとけば中山、中田、山沢に義理は添えれると考えたんでしょう。これを天下の猿と言うのです。猿知恵。
ほんまに視点の文章の作り手はマニュアルがあるのではないかと思うほど普遍性すら感じます。初め世間の話題性をあったニュースを披瀝し、ちょっとそれの社会的問題点、そして教理的らしき意見を述べ、(今回は的外れなおさしづまで引用)おまえの頭はちょいアホ。
ロー 様 2017年2月12日 9:23 PM
>天理時報の視点書いた(安)っていう人、安藤正治(道友社次長)って人らしいよ。
ぱんだ 様 2017年2月13日 3:46 AM
>安藤は、中田善亮表統領の悪の枢軸の一端をなす輩です。
>安藤が自ら望んで枢軸入りしたのですからね。善亮の娘を長男の嫁にしましたね。
>実は安藤はちょっと頭がいいものですからアホ善亮ををおだて、周りを欺いて中山ご一統様までなりあがりました。
安藤正治は本愛で、その長男が現天理教青年会委員長で、その嫁が表統領中田善亮の娘で、その委員長の上役が天理教青年会長の中山大亮である。つまり、義理の親子兄弟姉妹ばかりである。
こんな閉鎖的な人事を平気でやっている本部。改善されるわけがない!
姻戚関係だけでは判断しかねるが、もう少し具体的な悪事への関与が認められれば、「悪の枢軸リスト」に掲載してもよい人物であろう。
本愛も本部で結婚式出来ませんよ
これからは、教会長はじめお偉方の発言は全て録音しよう。録音機も安価になった。
どのような発言が録音されるのか楽しみである。教会常詰さんを罵倒する教会長の言葉を何度も聞いてきた。一言一言を録音しておけば、これが人助けの組織に居る人の言葉とは到底思えません。
そして、最後は最も汚いやり口である「無視」である。これは残念ながら録音できない。
以前、信仰を続けていたころの話です。私が思い病気になった時、教会の常詰さんがおさづけの取次に来てくださった。その方が帰り際に云われた一言は「私がここに来たことを会長に云わないでください」であった。この定詰さんは月に一度のフリーの日を割いてわざわざ来てくださったのだ。
教会としては、むしろ喜ぶべき行いであるのを隠さなければならない現実をどう見るのか。情けないの一言に過ぎる。
それを黙っていなければならない教会組織とは一体何なんだろう。
この会長、大教会の役員ですよ。
匿名 さま 2017年2月13日 7:36 AM
>本愛も本部で結婚式出来ませんよ
では、安藤正治も「悪の枢軸リスト」に追加致しますか?
SNSについて。
確かに、ここで書かれていることやネット上の噂が100パーセント真実かと言われたら、
取捨選択する必要はあるのかもしれません。
私も、情報を鵜呑みにはしたくないですが、こちらに書かれていることと私が見聞きして来た事は
多くが一致します。
そして、噂ではなく事実なら書いてもいいでしょうか?
私自身辛いことがあって教会の相談に言ったとき、何を言われたかどういう対応をとられたか。
そこに教会の考えがあってのことだったと言うなら、その時の対応を本部や大教会、上級に
お伝えしても胸はって「おたすけです!」と言えるのですね?と聞きたい。
実際、本部のお助け係に行った時、担当の先生が
「困りに困って教会を尋ねている人に、諭しなんかしても負担になるでしょう」と逆に教会の奥さんに注意していました。もう時間外だったのに話を聞いてくれて、私の住む地域の相談施設の電話番号などを調べてくださり、おさずけも取り次いでくださいました。本部にもこういう先生がいらっしゃいます。
本部をあとにした後、その奥さんが言った言葉
「ね、おぢばにきて正解だったでしょう?」って。なんか違うわ。
カインさんのように、本部にメスを入れられる人は少ないと思うし、それを「根も葉もない噂だ」と言うことも簡単だし、ネット環境が当たり前になった今の時代、ネット情報を鵜呑みにする人ばかりではないです。
ただ、本当に多いのは教会の対応おかしいぞ?って経験だと思います。
お金をとられたわけでもない、人権侵害とも言えない、相談もできないその辺りでくすぶってる人。
その経験談はおよそ「事実」だと思います。
お金が絡む事なら専門家に任せることもできるでしょう。
それを後押しするのは「これやっぱりおかしいよね?」くらいの人が声を上げていくことだと思います。
ここを閲覧している人、思い切って声を上げてほしいです。
拝啓:中山大亮様
2015年1月12日。この日は天理教校学園マーチングバンド部の定期演奏会が天理大学杣之内(そまのうち)
体育館で行われました。私は家族を連れて観に行きましたが、演奏自体はさすがに全国レベルだけあって、
非常に楽しませてもらいました。演奏も終わり「帰ろう」ということで、ちょうど体育館の横を歩いていたときです。(この日は混雑のため、)車両進入禁止の所に一台の黒塗りのベンツが停めてあり、その車を取り囲むように先ほど演奏していた高校生たちがユニホーム姿で整列をしていました。そこにさっそうと現れたのが大亮くんです。
おいおい、大亮くんよ。体育館からお宅まで歩いたってしれてる距離じゃない?
運転手付きの高級車で来るか?
年端もいかない高校生にそんな姿見せるなよ。
あえて、わざわざベンツを選んでしまってるところに草はえる。
もし、万が一、景気の良かったときから大切に乗り継いでたとしても、せめてセンチュリーであって欲しかったwww
センチュリーやったらまだ皇室っぽいし。
新車で1,500万は下らんな。
が、今なら百歩譲ってプリウスでしょ。
譲らなくて良かったら、イオンバイクで自転車買ってこいや!
流石放蕩息子で有名カネカネ教団表統領 中田善亮の実の息子 ベンツ大亮!
なーんの期待も出来ない蛙の子(笑)
大亮で天理教も終焉を迎える・・・・・・
わざわざ丸出しのヤクザ感出すぅ~!?
その脇の甘さが頭悪いしバカすぎない!?
突っ込みどころ満載www
皆々様、上層部にはおつむが足りないですわ。
末端教会子弟
2017年2月14日 1:26 AM
乗取り未遂事件の周辺情報。
乗取り未遂が「〇根大教会」だということで、そちらの系統に近い立場(細かい情報は伏せさせてください)の人から話を聞く機会がありました。事件に直接関係するものではありませんが、参考までに。
その昔、〇根中教会が大教会に昇格する際、〇根の親教会、子教会の1つも大教会に昇格しています。
その際系統で切り分けると、〇根大教会は基準の「部下50教会」に届かなくなってしまい、結果、この3つの系統の部下の「異動」が結構派手に行われたそうです。言うなれば「教会の養子縁組」といったところでしょうか。
その際に、部下を取上げられた分教会が多数発生し、また、その上の教会に「お供え」として移動させられた教会もあったとか。それで部下を減らされたり失った教会の不満や鬱憤は、今現在も年寄りたちの間では続いているようだよ、との事です。
こういう事は「本部主導」で行われたと思われますし、勿論、私は「理の親理の子」の教会組織やお金やお礼の流れなどを認めるモノではありませんが、これも一種の「乗取り」と言えそうです。
これが今回の事件と直接関係あるかどうかまではわかりませんが、「上の者は下の者をないがしろにして軽く扱っている」というイイ見本だと思えます。
引き続き、事件の情報をお持ちの方は教えて頂ければ幸いです。
宗教組織で乗っ取り事件と聞いてもピン!と来なかったが、世間の会社間にある乗っ取り、と考えると理解できました。部下教会を取り上げられたとか、お供えしたとか、つまりは、子会社を乗っ取られた親会社の恨み、ということですね。しかし、宗教組織で、乗っ取り騒動が起きるなんて、情けない限りです。ますます、天理教が、宗教に名を借りたビジネス組織(やくざ組織)である、という思いを強く致しました。
さあ、天理時報さん。アドレスさんや法人乗っ取り情報コメント転載さんが言っていることが本当の出来事か、あるいは偽情報か天理時報は詳細に調査して記事として掲載してください。
情報の真偽を見分けをせよ、と書いたのは他ならぬ天理時報なのだから、この投稿に限らず全ての投稿について調査をして真偽のほどを報道する責任を負ったと理解している。
調べようもない遠方の出来事の真偽のほどを見分けをせよというのであれば、その方法論も掲載すべきであろう。そうでなければ無責任極まりない論調である。
例えば、アドレスさんが投稿されたことが本当なのかを本部の渉外課に電話で尋ねれば真摯に応えてくれるのか、どうかだ。高い電話代を払ってまで尋ねる気にもならないが、尋ねたところで100%答えてくれないだろうけどね。
天理教本部中枢悪党リスト
内統領 山澤廣昭
表統領 中田善亮
本部員 島村廣義
本部員 深谷善太郎
本部員 中山治信
本部准員 高井久太郎
(道友社次長) 安藤正治(天理時報社の虚言記事の著者)
中山善亮の顔写真が天理時報に掲載されて居ましたが表面が良い腹黒顔です。
人相学に精通していたらすぐわかる顔です。 期待できない顔 流石 ベンツ大亮と言われるだけある。良くみたら中田善亮そっくりですしね。大したこと無いですわ
大ちゃんの写真の件。
確かに。
典型的な天理教教団組織顔してますね。
打っても、「カーン」と威勢の良い空洞音が鳴りそうな筒系ですな。
こんなにも若い青年を真柱継承者にすることが間違いですし、かわいそうです。
中山姓でなくても信仰を積み重ね、経験を積み重ねた全国の教会長の中から選ぶべきですね。
古い教会長
2017年2月14日 10:45 PM
本部を潰すしかないですね~現況団はどうも組織に拘り過ぎて教義がなくなってしまってますからね。それに本部が異端でしょ こりゃどうしょもないわ お尽くしはカネ教団(笑) 大亮パパはスキャンダル男 あんじゃこりゃ(笑)世間知らずの本部員 終わってるわ
「真柱制度」などというものがあるから、今のような、中山家とその取り巻きたちが、一手に権力を独占するような組織に成り下がったのではないでしょうか。「真柱」は、天理教初期の初代眞之亮氏の折には無く、眞之亮氏は「管長」と呼ばれていたとのことです。中山家が教団を独占する為に教理捏造してつくられたものではないのでしょうか。「真柱」を人質に、表統領や内統領が好き勝手できる、今の教団の形を壊さない限り、天理教が良い方に向かうことは無いと思うのですが。
マーチングバンド定期演奏会の一コマを投稿した者です。大亮氏が一人駅前で路傍講演を行っているとのこと、噂にも聞きますし、小生も目にしたことがあります。
がんばって下さい。
今までの中山家は信者に対して後方から「においがけをせよ」といいながら、自ら先頭に立って布教をする姿は皆無でした。そんな大亮氏が寸暇を惜しんで布教に励む姿には共感を覚えます。先般の青年会総会での式典のあいさつ良かったですよ。自分の信仰を語っていましたね。これも現真柱にはないことです。
期待しています。
大亮氏が、今の現状を変えてくれる人かどうかは、大亮氏が真柱になってから後の教団の様子を見なければ分からないだろうが、高校生を並ばせて見送らせ、運転手付きのベンツに乗って帰ることを、当然と思っているなら、あまり期待できないように思う。
自分の「アパート生活」を信者の前で話し、自分が後継者に決まった途端、周りの扱いが変わった、と話したそうだが、それは、どういう気持ちで、そのような話をしたのだろうか。只、真柱に決まって、周りが特別扱いしてくれるのが、嬉しいという気持ちだけだっのか?
大亮氏には、まず、自分の周りの、そういう特別扱いを変えて行く意志を持って欲しいと思う。
腹黒顔の中山大亮くん2017年2月14日 9:55 PM
こんにちは私もコメントを見させてもらい再確認したところ確かに本性卑しい顔でした。それに奥さんの顔を見てもお綺麗なんですがこれまたビックリ本章卑しい顔ですね・・・ 夫婦揃って本性卑しい顔 期待できませんね・・・
大亮夫妻…様
私は、奥様になられる方の事を少し知っていますが、本当に素朴な子です。
昔からあの顔つきなので少し気の強い子?って感じですが、接してみるとほんわかしていて
どこまで話していいか分かりませんが、特に布教に関してはよく考えよく行動している子です。
世間の感覚というのも併せ持ってますしね。
ご両親も人当たりが良く、私のような他教会所属の者の事もよく覚えてくださってますし。
ただ、このご時世の中で大亮様の結婚相手というのも実に注目されていた事でしょう。
縁談なのか恋愛かは分かりませんが、上川先生ならあえてこの苦労の中に娘を送り出すのも納得です。
まっすぐゆえ、縁談となればお受けすると思いますので。
彼女のことが悪く言われるのは心苦しいです。
彼女の朗らかさが活かされたなら、きっと明るくなると思うのですが…
他宗教のことですが、参考になりました。
他信仰宗教(Kの科学)被害者の声(http://www.geocities.jp/hs_cult/page1.html) より抜粋
いかに財布のヒモをゆるめて中味を吐き出させるかというトーク訓練はミニ研修会を開いて
リーダー会員中心に熱心に行います。相手にNOと言わせない会話のもっていき方とか。
「布施をしてもったいなかったなと悔やむ心」と「布施をして誉められたい心」を会の幹部がどういう風にして
「布施をさせていただいてありがたいという心」に変えていくか。
「布施は執着を断つ修行である」という幹部のあおりにのって会員がお金を出さされていること。
「布施をすることが会の中での会員の自己実現の手段となっていること」
「布施をして何らかの見返りを求める心」を会が利用していること。
精神的に外堀をどんどん埋めていって、追い込んでいって、
最後の最後は強制せずに、あくまで「おすすめ」です。
1.いかに金をださせるか、
2.金をだしたこと自体を布施した側が「布施の機会をお与えくださりありがとうございました」と思わせるか、
この2点に教団は力をいれるわけです。
Kの科学は布施は修行の一つと教えているんです。最初は苦しくてもありがたいと思えるようになったら、
修行が進んだといって信者を徹底教育しているんです。修行といえば苦しくても頑張る会員の性質をつかんで
いますね。職員の中でもちょっとえらい人の説法では「誰でも最初は布施して、布施したことをもったいなかっ
たなと悔やんだりするんですよ、布施してみんなに誉められたいと思うんですよ、これを乗り切って布施すること
がありがたいと思えるようになったら修行が進んだんですよ。」と信者の心理をついて布施のありがたさを強調
しています。
会員も布施してあとから布施したことを後悔したり、あるいはせっかく布施したのだからみんなから誉められたい
と思ったりしているのでその辺りを説法でずばりと突くんです。会員は図星をつかれたんで、布施して悔やんだり、
誉められたいと思ったりした自分を恥ずかしいと思うんですね。こうなると一丁あがりです。
もう信者にとって「布施してありがたい」と思う以外は「恥ずかしい、あさましい考え」になってしまうんですね。
教団幹部はマインドコントロールの手法を熟知している。
創価学会崩れを幹部登用しているのも納得です。
元職員 家族
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長男は、大学生ですがスポーツカーで精舎へ行くことで有名です。
多分、地方の信者は知らないのでしょうね。長男のスポーツカーは、「真っ赤なポルシェ」です。
信者が、なけなしの赤貧の一灯で植福したお金が、長男のスポーツカーに、嫁の銀座ショッピングに、
O川の高級腕時計に、それぞれ、使われています。
これが、宗教家の行いでしょうか?
元職員 家族
参考:
職員残酷物語-元職員の証言に見る、幸福の科学の実態
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-865.html
私は御供えにしたお金が何に使われるよう、あまり興味はないですね。スポーツカーになろうが高級腕時計になろうが、一旦、出させていただいたので、だったら出さなきゃいい話です。むしろ、神様は、だすという真実の心を受け取るのですから、神様に受け取っていただき際すればいいだけの話です。ゴチャゴチャ言う方がおかしいですよ。
ベンツに乗ろうが、飲みに行こうが、どちらでも結構です。信仰とはそう言うものなのではないですか?
末端教会長 様。
>私は御供えにしたお金が何に使われるよう、あまり興味はないですね。スポーツカーになろうが高級腕時計になろうが、一旦、出させていただいたので、だったら出さなきゃいい話です。むしろ、神様は、だすという真実の心を受け取るのですから、神様に受け取っていただき際すればいいだけの話です。ゴチャゴチャ言う方がおかしいですよ。
ベンツに乗ろうが、飲みに行こうが、どちらでも結構です。信仰とはそう言うものなのではないですか?
信仰とはそう言うものではありません。そういう考えは洗脳状態の恐れがあります。
何に使われても構わない、というお供えの出し方では神様は受け取っては下さらないと思います。
お金や真実の心を出すのでしたら、世の為、人の為に出すことが大事です。もちろんお供えしたお金が、人助けに使われているのでしたら問題はありませんが。
「ベンツに乗ろうが、飲みに行こうが、どちらでも結構です。」という出し方は人助けになっていないと思います。
洗脳状態洗脳状態っていうけど、
見ること聞くことすべてにいちゃもんつけて
〜が悪い、今の〜が〜で悪い
って言ってる人が洗脳状態じゃないのなら
俺は洗脳状態でいいわ。
人助けのためにお金をだすという考え方なら、天理教の教会ではなくて、貧困の国に寄付したほうがよっぽど人助けになると思いますけどね。
要は神様に受け取っていただくかが大切なことでしょう。
何に使われても構わない、というお供えの出し方では神様は受け取っては下さらないと思います。
なぜそういいきれるの?
流石にベンツはヤクザっぽいから、TOYOTAのセンチュリーが良かったな。
皇室っぽいし、500万くらい安いし。
はじめてコメントさせて頂きます。
この掲示板でいろいろな真実を知り、驚くことも多いです。
名出しで、大亮様、奥様になられる方、青年会委員長の事も書かれておりますが、悪く書かれていたりして心苦しい気持ちになったのではじめてコメントしました。
3人ともだいたい私と同年代なので友人達からの話によると、良い話しか聞かないくらい素晴らしい方です。
奥様になられる方は少し知っていますが、素朴で贅沢をするような子でもないですし、マジメで明るく通っている子です。人の痛みもわかる子だと思います。
大亮様の奥さんには誰がなるのだろう?と思っていましたが、名前を聞いた時に驚きと同時にしっくりくるものがありました。
青年会委員長さんもとても優しくて温かい雰囲気で、人から好かれる人だと思います。
大亮様も若く勢いのある方ですし、
これから夫婦で陽気ぐらしへの明るい信仰を引っ張っていってくれると思っています。
若者はまだまだ役に立たないかもしれませんし、本部では意見も言いづらいかもしれません。
でも、私たち夫婦の間ではこれからの明るい前向きな気持ちになれる御成婚のニュースでした。
乱筆乱文で失礼しました。
真の信仰心と宗教にお金を納めることとは何の関係もないのではないでしょうか。
天理教にお供えすることが、=「神様にお受け取り頂く」ということになりますか?
「神様に受け取って頂く為のお金」というような誰も証明できない、おふでさきにもない、
根拠のない話にすり替えるからおかしくなるのでは。
もし、神様がお金を必要としている、実際に受け取っているというのなら、
その証拠や根拠を教えて下さい。よろしくお願いします。
お金を集めているのは「神様が」というよりも、
教団運営の為の資金なのではありませんか?
信仰は信仰(お金は掛からない)、そして運営費は運営費として、
皆にとって無理のない最低限の会費で、皆が安心納得するような明朗会計が
なされていれば、十分に信仰はできるのではありませんか?
なぜ「神様が」と、資金(お金)の話にわざわざ神様を引き合いに出すのでしょう。
そういった遣り方は神様が喜ぶ、正当な遣り方だと思われますか?
また、こういった信者さんの足元を見るような遣り方が、
近代の多くの宗教問題の原因になっていることは確かです。
末端教会長 様
>ベンツに乗ろうが、飲みに行こうが、どちらでも結構です。信仰とはそう言うものなのではないですか?
それは、例えば「銀行に預けたつもりのお金を銀行員が横領し、ベンツを買ったり飲みに行ったり愛人囲ってギャンブル三昧の生活をしていても構わない」という事ですか?
組織の中で上に立つ決断をするというのは、それと同時に責任も生まれるんですよね。
リーダーになるということはいい人とはまた違った資質が求められると思います。
その覚悟が無いんやったら大ちゃんもいい人が罪なことになるよ。
いつも乗っ取り事件を中心にコメントを楽しませて頂いてます。その昔他の教会の乗っ取り事件の話を思い出したのですが、本部は謝罪や責任をまったく取る気が無く無責任だという話を聞き驚いたことを今でも忘れません。謝罪が出来ないから教会側の不信感も積もり泥沼化やがて騒動沙汰になり担当者が交代で幕を下ろしたと聞きました。(うらでは口止め料数億円単位が発生したとかの噂もでてました) 今回の乗っ取り事件の現場でももしかすると本部側の無責任で泥沼化に成っているのか心配です。 泥沼化すると問題も大きくなるので心配ですね。現代ではインターネットがあり情報が行きかっているので今後鮮明に情報が流れ出ることでしょうし天理時報の記事も目を通しましたがあまりインターネットを理解してない方の記事でした。変更報道で有名になった朝日新聞以下の偏った記事としか思いませんでした。
本部は事が起きると無責任からの泥沼化するそうです。さんのコメントで
>本部は謝罪や責任をまったく取る気が無く無責任だという話を聞き驚いたことを今でも忘れません。
のコメントで謝れないで気になったのですが本部は集団的に自己愛性人格障害です。
「謝れない 病気」で検索してみてください。
https://goo.gl/8gQhjY
自己愛性人格障害
DSM-IV-TR
誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。
1. 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な賛美を求める。
5. 特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)
6. 対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行動、または態度
https://goo.gl/q4ARAi
上記の箇所にも相当数当てはまる事がこちらのコメントでも散見されるのではないでしょうか再度これを参考に確認して頂くともっと本部の本質が見えてくるでしょう。 信者離れ経済的困窮など社会からの閉塞感から本部は精神的にも危険なカルト集団へと変貌しているのではないでしょうか
宗教というものに対して懐疑的にならざるを得ないのは、宗教にお供えが付きものであり、又、どの宗教団体も概ね、豪華な宗教施設を建てていることだ。それらの施設を見れば、信者たちが出した金が、宗教施設建築に莫大に使われていることは、想像に難くない。しかし、豪華な建築物を喜ぶ神なら、私は信仰したくない。
上が何に使おうとも関知しない、お供え(金)を出すこと自体、その心を、神がお受け取り下さる、というのは、教団が教えている教義に過ぎない。それに、人間同志に、本来、上下の区別は無い。本部に神の如く、従うのもおかしな話だ。教団に毒されているからである。本部だの、大教会だの、末端だの、人間が勝手に作った組織に過ぎない。
お供えは、本当に困っている、必要なところに渡るように、心配りをするべきであり、神様がお望みのことではないだろうか。
カインさま記事 投稿日: 2017年1月20日 |
>表統領の発言を見て、メールをくれた方の感想を載せる。
>「天理教は素晴らしい教えです。それは人間生活の指針となるものです。これまで70年間、それだけを信じて暮らしてきました。だからこそ、今回の表統領の 発言は悔しくて、悲しくて、なんて教組(おやさま)にご説明させてもらえばいいか分かりません。毎日泣きながら教組と信者様にお詫びしています」。
メビウスさま 2017年2月13日 9:28 PMのコメント
>初めて投稿させていただく者です。よろしくお願いいたします。
>ブログ主様の仰る「法人乗っ取り未遂」についてお伺いしたいのですが、それは具体的にどのようなことなのでしょう?
>もし天理教本部が犯罪まがいのことをしているというのであれば、私としてはこれより先(家族を)天理教の一切の行事に参加させるわけにはいかないと考えております。
教会本部よ。このような事態に貶め、陥っているのは、おまえらの自業自得である。
取り沙汰される「機関紙での表統領の強要脅迫恐喝発言記事」や「大教会法人乗っ取り事件」、また「ハニートラップ・美人局による ゆすられ疑惑」などを、全教・社会全体に向けて早急即刻に謝罪せよ!
天理教と北朝鮮似てますよね
金正男(キム・ジョンナム)暗殺、衝撃的でしたね。
天理教組織内でも、そんなことが起こらないことを願うばかりです。
【ツイートより】
★★さん「例えば、ダイナマイトは砕石したり建物を解体したり、便利なものです。でも、扱う人間の使い方一つで人を殺す道具にもなったりします。ダイナマイトに罪はないのに人を殺す道具として忌み嫌われる存在になってしまいます。どんな宗教でも、神様の教えを人間が利己的に扱うので宗教は悪などと言われます https://twitter.com/okaimhome/status/830680255379562497 …」
私 「神の教えをそのまま純粋に保っている宗教なんてあるのでしょうか?私は、宗教というものをつくること自体が、悪とまでは言わないけれど、よけいなことではないか、と思います。キリストさんも、教祖も、私の教えを土台に宗教作ってね、とはおっしゃらなかった筈。」
★★さん 「キリストはわかりませんが、その通りですね。
人間が宗教団体というものをきちんとコントロール出来ないのをわかっていたからこそ、教祖は教団、教会の設置を許さなかったのだと思います。宗教は今後、教典も教義もなく、道徳観の様に神様の教えだけが残ればいいです。」
私 「キリスト教も、キリストさんが死んだ後、確かパウロだったか、弟子が宗教にしたらしい。天理教も、みき様が亡くなった後に出来て、自分達が勝手に作った教理で、大勢の信者を貧に落ち切らせた。だから、いい教えは世界にいろいろあり、一つに縛られる必要はないと思う。」
★★さん 「そうなんですね。そこまで知りませんでした。
大昔は人々に道徳観などなく、宗教というものがないと人が真っ当に生きられなくてどうにもならなかった部分はあるでしょうけど、現代は違いますからね。」
おそらく、天理教はこれでいい、間違いないと本気で思っている人は数人でしょう。
殆どの人が、「変だぞ。おかしいぞ」と思っている筈です。
ただ信仰的に内に飲み込み、不足は駄目だと、たんのう(辛抱)するように仕向けられ、上手くごまかされているのです。また、教内には身分制度があって立場上言えない雰囲気もあるのです。
本部中枢の方々の方が、天理教の問題点をもっと分かっている筈です。そうでなければ、ここの掲示板に本部青年や本部員や准員の先生が本気で心を込めて、書き込まれる筈です。実は、殆どの本部青年や本部員や准員の方々も私たちと同じ思いを共有されているのだと思います。
ある准員の先生が言われていました。「我々では本部の改革は無理です。」「地方の会長さんの声が上がることの方が可能性があると思います」と。
絶大な権力立場を持ちながら、末端の苦しみや状態、社会常識を知らずに、疑問を持たない真柱。
真柱を祭り上げ、贅沢させておくことで富と権力のおこぼれを得ている取り巻き親戚連中。
末端の苦しみを知ってか知らずか、自らの立場や生活を守る為に苦言や提言もしない本部員と准員。
本部の方針がバラバラなのをいいことに、自分の席に胡座をかく大教会長。
苦しさや辛さを常に持ちながらも、不足や文句を言う事が教えに反すると信じ込まされた洗脳状態の末端と信者は、上に対して「良い子」でいるしか信仰心を認めて貰うことができないし、自ら進んで「良い子」でいようとする。もっとも、多少の文句や苦情は無視されたり握りつぶされるだけだが。
これら全てを擁護し維持するような「教理解釈」や「教えの歪み」が今の教団全体に広がっているのか、「教えの歪み」が今の教団の在り方を作ったのかが分からない。
改革するには末端や信者が一致協力して上に対抗するしかないと思われるが、既に大半の末端教会は事情教会となり、また、横のつながりも出来ない組織構造である。しかも高齢化して具体的行動を起こすこともままならない。
天理教は「詰んで」いる。
最後に残るのは、本部と収益性のある関連法人だけだろう。
これらも全て真柱と取り巻き親戚連中の支配するところだ。
真柱様、贅沢されてるとはおもいません。車はベンツに乗られてるかもしれませんが。
本部のお宅につとめられた青年さんから聞けばそんなのすぐにわかりますよ。
しかも、三代真柱様の追悼集見ても、桟がすり減ってもそのままにしてるとか、いまだにこんな古いものを使っているのか、とかそういうのばっかり座談会にでてきますよ。
ちゃんとみなさん見て、なんでもいおうよ。
「お供えをだすという真実の心を神が受け取る」という教理はどこにも無い。
言うならば、「人をたすけたいと思う心を神が受け取る」の方が、親様の教えに添ったものではないかと思う。
お供え(金)が欲しいのは、教団の人間であり、八丁四方の鏡屋敷、おやさとやかた、などというものを、信者から、偽教理、教団教義(ご恩報じ、誠真実、心定めなど)で搾り取った金で建てている本部は、自分達がそのような権力を誇示できるデカい建物が欲しいだけのことである。本部は、神様の思召しから大幅に外れている愚行を行っている。宗教というものに名を借りた、本部の暴走に盲目的に従い続け、自分達の生活、家族まで、犠牲にする必要はない。現行天理教に、お供えを上げる価値も、義務も全く無い。
だったら2017年2月16日 7:00 PMの匿名さん、何故教団は次から次へとお供えの要求をするのですか。
教会会堂建築費用4千万円を準備していたところ、その25%に当たる1千万円をお供えせよと言ってきた大教会長。(近くこの大教会名及び直轄教会名を天理時報社に通報して真偽の報道を要請する予定です。)
結果、出来上がった建物は雨漏りはする、壁はひびだらけ、廊下はまるでウグイスバリ。その後信者さんたちがどんなに苦労をしたのかお分かりですか。
まさか、このお金がベンツの一部に消えたのですか。二代真柱は古書を買う為に1億円を持って行ったとか。いや2億円だと言っているのですよ。
平成23年の南紀大雨で屋根が壊れた田辺市内の教会の屋根は未だに、ビニールシートが張られたままですよ。
ベンツに乗らなければ見えが張れないのですか。言っていることと、やっていることが余りにもちぐはぐだから信者や元信者は納得が出来ていないのですよ。
ましてや、三代真柱は不動産屋顔負けの不動産屋といわれた人ですよ。全国に1千万坪もの不動産を持ってどうするのですか。
古い教会長さんが書き込んでおられるように、収益ビルまで持って、いざというときには中山家やその取り巻きは一切困らないように準備をしていると勘繰られても仕方がないでしょう。
真柱はじめ、両統領、本部員は信仰に必要な物以外は売り払ってユニセフに寄付をして、比叡山の千日回峰行に近い修行でも始められては如何ですか。(余談ですが、教学を持たない天理大学なんか不要です。)
救われる道はこれ以外にはありません。
更に2017年2月16日 7:00 PM匿名さん、いつぞや教会に真柱のお入り込みがあった。
本部から教会までの道中の各所に、要員を配置して「ただいま真柱様の車が〇〇を通過されました。」の連絡が逐一教会に入ってくる。緊張の3時間、何故これほどまでのことをしなければならないのですか。
このような経験をされた方が、まだまだあると思っています。真柱のお入り込みなんかまったくの不要です。
真柱のお入り込みに際して1億円の客殿を建て借金を返している大教会いくらでもありますよ。
2017年2月16日 7:00 PM匿名さん、もう一度あなたのお考えをお待ちしております。
匿名です。
真柱様は贅沢してません。
客殿などを作ってるのは、それは勝手に大教会がしてることでしょう。
二代真柱様が本をたくさん買われたのは知ってます。参考館を作られたのも知ってますが、それは布教が目的でしょう。
中山家の図書館ですか?中山家の部屋にその買った本があるのですか?
天理大学付属図書館ですよ。
布教をする人たちが困らないように、勉学に励むようにという思いです。よく調べればわかることです。
あと、真柱様が来られるのにいちいち連絡がどうのこうの、なぜそこまでするのか。と言っていましたが、それも勝手に大教会がしてることでしょう。そんな決まりはありません。
真柱様のお入り込みが不要と言ってること自体、信仰的に話ができません。
不要の意味がわかりません。
真柱様が個人的に不動産をもっていないでしょう。よく調べてください。宗教法人としての土地建物です。
勝手に想像を膨らませて、揚げ足をとるのは人としてどうかとおもいます。
ベンツが話題によくでますが、
あれは公用車です。個人のものではありません。
個人の車は、スパシオというトヨタの車です。
真実なら神が受け取る
というお言葉はあります。
それはお金である必要はないです。が、お金でもいいとおもいむす。
逸話編に二の切りの話があります。
御供も大切な信仰実践のひとつです。
>真実なら神が受け取る
>というお言葉はあります。
>それはお金である必要はないです。が、お金でもいいとおもいむす。
そうでしたか。お教え頂き、有難うござました。ですが、その真実、という意味はどのようなことを指しての「真実」でしょうか? 逸話編に二の切りの話があります、それは人に対する施し、を言っておられます。人をたすけなさい、ということですね。教団の館群の建築を助けることではなく、やはり、人助け、ということを目的としたもので有るべきではないのでしょうか?
教会長様。
>御供も大切な信仰実践のひとつです。
信仰実践ということで、教会長様自身が自らのお金をお供えされることは勝手だと思います。
でも、自分のお金をお供えするのと、信者さんに「逸話編の二の切りの話を持ち出して。御供も大切な信仰実践のひとつです。」とお供えを促すのとでは話が変わってきます。
もし、信者さんにお供えを要求するのであれば、そのお金は、人助けの為に、このように使われていますと具体的に説明しなければならないでしょうね。
「御供も大切な信仰実践のひとつです。」という言葉だけで片付けられる問題ではありません。
たとえ法人名義だとしても信者は好きに使えませんよね
もし使えたとしてもどれだけのお供えしなきゃ駄目か
熱海か箱根に別荘も持ってますよ
二代の道楽を擁護する人もいるのですね
女ぐせは宗教的にどう思案すれば良いのでしょうか?
大教会が勝手にやる事?
真柱がそんな事する教会には私は行きませんと言えば良いだけの事と思いますが
2017年2月16日 9:05 PM 匿名様
>それは勝手に大教会がしてることでしょう。
大金をかけての様々な接待を、何も言わずに甘んじて受けておきながら、
「教会が勝手にしてることですから」はないのでは。
それは、トップとして責任放棄、責任逃れをしていることになります。
なぜなら、そういった費用は全て信者さんからのお供えだとわかっている筈なのですから。
そういった場面場面におけるあり方(責任感や方向性への指導)に漠然とした不安を感じるから、
地味な服装か派手な車か、など細かいことにまで関心が及ぶのかもしれませんね。
こだわりなどはそれぞれです。元々服装や持ち物に無頓着な人もいますし、
地味で質素な物を選ぶことが「偉い」という訳ではありません。
そうした錯覚が存在するから、見かけだけでもわざわざ地味に質素見せようと、
取り繕うようなことをする小賢しい人も出てくるのではないでしょうか?
本当は、(もちろん分相応な予算内であればですが)派手でも、金髪でもいいのかもしれません。
要は見かけだけではない、もっと大切な要素がその人の行動に、その人の言葉に、
その人の生き様に、その人の判断、考え方などに感じられるのかどうかなのだと思います。
真柱の為に、客殿を作った話から比べれば、だいぶスケールは小さくなるが、所属する教会に大教会長がお入込みに来られる、というので、上級会長の指示により、畳を新しいものに変え、ふすまも張り替えた。
なぜ、そのように取り繕う必要があるのだろう。古い畳、変色したふすまのままでいいのに、と思ったものだ。
大教会長さんに、古い、長屋の如き末端教会を見て頂いたら良かったのに、と。
信者のお供えが、真柱の接待の為の1億からの客殿や高級料理等の接待、大教会長家族らの贅沢な生活、本部幹部の資産形成、高額所得、教団の館等建築に使われているだけなら、いっそのこと、教団の破産を願いたい。真柱も、その周りの人間達も、一度貧に落ち切って、又、一からやりなおして貰いたいものだ。
匿名 様(意見を言うなら『匿名』はやめて貰いたいのですけどね)
>真柱様、贅沢されてるとはおもいません。車はベンツに乗られてるかもしれませんが。
>本部のお宅につとめられた青年さんから聞けばそんなのすぐにわかりますよ。
>しかも、三代真柱様の追悼集見ても、桟がすり減ってもそのままにしてるとか
「贅沢」といっても、そういう金銭的・物質的な贅沢だけではない。
人数的、精神的、時間的、空間的など、多くの贅沢の種類がある。
つまりは、無駄とも思えるくらい常識外れに費やされている「モノ」をいう。
例えば、
少し前の事だが、私の系統の大教会に真柱の「お入り込み」があった際、事前に所属教会長と会長夫人全員が集められ、「真柱様の接待掛り」が割り振られたそうだ。
私の母は「お手水掛り」になり、家に帰ってから私に喜々として話をしていた。
どんな掛りなのか聞いたら、「真柱様がトイレを使って出てきたら、柄杓の水を手に掛けてあげる掛り」だと言う。たかが2~3時間の滞在で、トイレを使うかどうかも分からないが、ずっと「真柱様用トイレ」の前で待っているし、驚くことに、隣には仲の良い教会の会長夫人が「タオル掛り」として立っていたのだとか。
この調子では、下足掛り、スリッパ掛り、廊下の案内係り(これは大教会長かな?)、応接室のドア掛り、お茶掛り・・・等など、馬鹿らしい掛りが沢山用意されていたのではないかと想像する。あまりにも異様な世界だ。
トイレの後に手を洗うくらい、キチンと躾ければ幼稚園児だって蛇口を開いて洗い、ぶら下がったタオルで拭くくらいの事は一人でできる。
大事なお客様の接待、おもてなしと言えばそうかもしれないが、母には「キャバクラ嬢じゃないんだからさ」と言いたくなったのをグッとこらえた。もっとも、60過ぎの婆さんでは本物のキャバクラ嬢にはなれないだろうが。
これは、真柱が言ってやらせた事ではないだろう。大教会の方で「気を利かせたつもり」で「自主的にやっている」とされていることだと思う。でも、こういう事が始まったキッカケや継続して他所でも行われているなら、それなりの「指導掛かり」が居るのではないだろうか?
「一列兄弟・平等」の教祖様の教えからしても、あってはならない事だ。
これらの「王侯貴族のような扱い」に「異常さ」を感じないとしたら、真柱自身にも問題があるだろう。逆に言えば、こういう事に「慣らされてしまって」感覚が麻痺してるとしか思えない。
>真柱の「お入り込み」について。
実は、真柱の「お入り込み」の際に事細かく本部から指示があるのです。大教会が勝手にやっていることではありません。
その真実、という意味はどのようなことを指しての「真実」でしょうか? 逸話編に二の切りの話があります、それは人に対する施し、を言っておられます。
いや、ちゃんと読んでください。
人に対する施しではありませんから。
一昨年、120周年を大教会でつとめたものです。
真柱様、奥様、大亮様の御臨席でしたが、本部から指示があったのは、おつとめの時の動線と、御揮毫のこと。写真撮影のこと。だけでした。もちろん、こちらが全て聞いてからのことですけど。聞かなければ、たぶん何もないと思いますよ。おつとめの動線などは、それぞれの大教会で、中段があるところもあればないところもあるのでそういうことです。
ここに人を配置してや、通られたら連絡を。など一切ないですよ。
てきとーなことを言ってもわかる人にはわかります。
たとえ法人名義だとしても信者は好きに使えませんよね
税金で建てたものでも、私たちが好きには使えません。
女グセを宗教的にどう思案すればいいのか。
別に宗教的に思案する必要があるのか?
強いていうなら、女グセがダメだと思ったら反面教師としてみればいいだけの話です。
自分がいけないと思うことは、真似しなくてもいいのです。
なにも熱くなって、言うことでもありませんが。
そして指示をした修理人世話人にもお礼という名のお金がいる
匿名様。
>本部の指示について。
実は、昔からの慣例というものがあって、一部の本部員からとか、奥様とか、上級大教会からとか、それとなく支持があるのです。(ちゃんとしたマニュアルではないのです)
でも、それを無視するのは、余程の勇気がいるでしょうね。
支持もないのに、どことも同じスタイルでお迎えから、お見送りまでの一連の流れが出来上がっているのは偶然ではありません。
それにまだ、大教会独自の接待が加わるのです。
事実は、いかなる弁明があっても消すことは出来ません。京都のN大教会に聞いてください。「三歳舎」が如何ほどの金額で作られたかを。ここまで書けば十分でしょう。
書籍は天理教だけのものを集めれば十分です。後は公立図書館に任せればいいんです。
それより大切なことは、史料集成部及び中山家が秘匿している資料をすべてを何故図書館に移さないのですか。そして全面公開することです。
天理大学卒業の知人は、未だに史料集成部への入室を希望していますが、50年を経ても実現していません。
一度、教学を命を懸けて追及する比叡山や永平寺をつぶさに見学してください。本当の宗教の一端が見えてきます。
真柱も大教会長も、どっちもどっちだということです。但し、大教会長全員とはいいません。どんなに暑い時も、また、寒い時も詰所から本部まで歩いて行かれる姿を見たことがあり、後で詰所の方に聞くと「よほどのことがない限りそうだよ」といっていました。このような人にこそ頭が下がるのです。
末端教会子弟様
>もっとも、60過ぎの婆さんでは本物のキャバクラ嬢にはなれないだろうが。
まずここに反応してしまった。
60過ぎの女性も最近は綺麗で魅力的な方はたくさんおられますで。
若さだけじゃないかもしれませんでー。
ここでキャバ嬢が出てくるという発想が意外ですなー。
私は天理教に対してひどい怒りを感じているもので、改革を強く望んでいる。
だが
トイレの外に数人が待機されているのを想像すると、自分なら迷惑ですなー。
落ち着いて用も足せない。
トイレくらい独りになりたいもんですわ。
「真柱様、豪快な音をたてられてましたわ」なんて言われかねない。
毎日誰からも見られず、気楽に生活している自分らはしあわせですわ。
精神的、時間的、空間的自由を確保されてるんでね。
真柱、しっかりしてくださいな。おねがいしますわ。
この現状なんとかしてくださいな、
と常々感じている自分も、ちょっと感じたもんで。
すみません。
自分は大金積まれても、大勢からいつも見られるような窮屈な暮らしはしたーないです。
教会長 2017年2月17日 8:16 AM 様
>人に対する施しではありませんから。
「早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。」
「施し」、と書かれております。「お供え」とは書かれておりません。
天理教本部寄りの教えでは、お供えやお尽くしをすること、と教えているようですが、この事に関して、
「お供え掲示板」でも意見が交わされ、そして「困っている人々への施し」ということで、それに反論は無いようです。
以下、掲示板の意見です。でも、人によっていろいろお考えもあろうと思いますし、勿論それを強制するものではありません。私はこういう考えです、というだけです。
http://6706.teacup.com/5051/bbs/907
http://6706.teacup.com/5051/bbs/post/index/comm_id/912/
http://6706.teacup.com/5051/bbs/post/index/comm_id/913/
教会長 2017年2月17日 8:16 AM 様
掲示板の下の2行訂正します。
http://6706.teacup.com/5051/bbs/912
http://6706.teacup.com/5051/bbs/913
昭和58年1月17日、京都のN大教会直轄教会の京都市北区にあるH分教会に三代真柱のお入り込みがあった。
この時に、真柱の通過が逐一報じられた。真柱からお手付の「ちょこ」が役員に配られた。
後は、これが事実か虚偽かは 2017年2月17日 8:25 AMの匿名様がご自身で調べられればいいだけです。
ご自分の経験から虚偽だと決めつけられる論調には言葉がありません。教団本部にお問い合わせされれば如何ですか。まさか記録が無いということはありませんよね。どこの教会が云々というより昭和58年1月17日の三代真柱の行動は記録されているはずですから。
匿名です。
それはその教会がされたことでしょう。30数年前のことを言われても、その時の時代もあるでしょう。人も多かった時代です。
今持ち出す問題ではありません。
さっちんへ
「早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。」
「施し」、と書かれております。「お供え」とは書かれておりません。
施しを辞書で調べてみてください。
お布施のことです。
よく調べてから物事を言いなさい。
言葉尻だけを見るのはどうかと思うよ。自分の意見が正しいと思っているあいだは、成長できません。
>30数年前のことを言われても、その時の時代もあるでしょう。
30年前だろうが、現在の大教会の接待のことであろうが、意味することは同じだ。
少し前に国会で安倍首相が「主婦のパートで月25万」と発言して「社会常識がなく庶民感覚と乖離してる」というような批判を受けたが、まさしく天理教の「真柱」が末端教会や一般信者の感覚や価値観と乖離した「王侯貴族」のような状態である。しかも、天理教には「野党」もいなければ、批判する「マスコミ」もない。
そんな価値観や感覚の持ち主が「人助け」と言ったところで、何処の誰をどのように助けると言うのだろうか?
う~ん、このブログを立ち上げられたカインさんは、教団に対して辛口の評価をされながらも、何とか教団を立ち直らせようとの思いがあってのことではないかと想像できるのです。
それにも拘わらず、教団擁護派の方々は良い面ばかりを強調されていますが、そうではないでしょうと云いたいのです。
信者の多くの方々、また、末端教会の方々が経験された、教えとは裏腹の矛盾に満ちた経験を話されているにすぎません。
教団は教祖が示された真の教えを披歴せず、教団に取って都合のいいことばかり言い募り、金集めに執心し続けたのです。そして教祖百年祭の前年に1年間で500億円を超えるお供えを集めたのです。その結果、何が起きたのか最早何の説明も必要を感じないほどです。早川和廣氏著「天理教・その腐敗と悲劇」を見れば明らかでしょう。
この事実に目をつぶって信仰を続けよといい。お供えをしなければ命がありませんよ、とまで言えばもう終りでしょう。
>自分の意見が正しいと思っているあいだは、成長できません。
辞書を見ましたが、仏教用語で、「僧侶などに、金銭や品物を施し与える事。また、その金銭、品物。」
とありました。自分の意見が正しい、と固執はしてません。私の考えです、と述べてます。
この場合、人々への施し、と解釈するのは、間違ってますか?
教祖が「施しをせよ」と仰った意味は、僧侶へのお布施の意味でしょうか?
匿名です。
まさしく天理教の「真柱」が末端教会や一般信者の感覚や価値観と乖離した「王侯貴族」のような状態である。
どこをどう見てそう思われるのかお願いします。
接待に関してそのことを言っているのなら、話し合いになりませんので、結構です。
さっちんへ
教祖が「施しをせよ」と仰った意味は、僧侶へのお布施の意味でしょうか?
完全にそうです。とも言い切れませんが、それも含んでいるとおもいます。
「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
と。これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。
匿名 様 2017年2月17日 2:50 PM
この場合、一部でも、僧侶への施しを指すとは考えにくいです。天理教とお寺と関係ないことと思いますけど・・。教祖伝の「第三章 みちすがら」では、
【月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまにまに「貧に落ち切れ」と、急込まれると共に、嫁入りの時の荷物を始め、食物、着物、金銭に至るまで、次々と、困って居る人々に施された。】とあります。
教祖が、「神の急き込みによって貧に落ち切った」かどうかは、疑わしいと思ってますが、それでも、教祖であれば、「施し」という意味は「困って居る人々への施し」以外にはないと、私は思っております。
匿名様。
>「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。今、火事やと言うたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。早く、二の切りを惜しまずに施しして、身上を救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
これは教会へお供えをしなさいというお諭しなのですか?(もしそうであるならば、本当につまらない信仰です)それは違います「惜しいという心」を無くしなさいと言う話です。
それを「教会へ本部へお供えすれば助かる」と、都合のいいようにすり替えているのが問題です。
一度も天理教にお供えをした事がなくても、世の中には偉人と呼ばれる素晴らしい人が多くおられます。
喜多治郎吉の話にしても表統領の話にしても
天理教の神様はお金を出さないと助けてくれない神様なんですね。
だから信者が減っていくんでしょうね納得しました。
よく教えは良いけど組織がダメだと聞きますが
お金出せでは教えもダメですね。
身体は借り物 借りてるからお礼にお供えしろとか
言ってる事やからと一緒ですね。
>匿名
>2017年2月17日 1:26 PM
>匿名です。
>それはその教会がされたことでしょう。30数年前のことを言われても、その時の時代もあるでしょう。人も多かった時代です。
今持ち出す問題ではありません。
それでは、その教会がバカだっただけ。遂に教会の化けの皮が剥げましたね。
百年が過ぎようと、千年が過ぎようと、流れが変わらない限り同じことですよ。
そもそも、本部が欲しいのはお供えではなく維持費でしょう。
健康そのもの、なんの悩みもない人に
「助かるためにはお供えをせよ」なんて言ってもなんのこっちゃです。
だけど、教団を維持して行くにはこれだけの経費が必要となります、教会を立て直すにはこれだけ必要となりますとなれば、お金を差し出す人はいると思うんです。
天理教が好きな人なんてたくさんいるんですから。
それにはやはり、上のものが良い車に乗ったり、留学なんてしていたら説得力もないんじゃないですか?
政府が税金アップするのとなんら変わりません。
宗教的な思想までいかなくとも、ごく自然に考えればわかることだと思うんです。
こちらが望んだ建物ならまだしも、閑散とした建物、教会家族しか使わないような家電、信者さんが乗らない車にお供えと称したお金を渡さなければ信心とは言えないのですか?
ちなみに私は信者家庭ではなく、お寺さんの管轄です。
お供え(お賽銭)は一切要求されませんが、
維持費などのお願いには来られます。
お寺の維持は皆様のおかげですと頭を下げていただいてます。
年に何回かは檀家さんやご近所さんを招いてご馳走の振る舞いがあります。
お布施や維持費のお礼だそうです。
おやさまでさえ籠を降りて歩かれているのですよ。
匿名様
「施し」というのは、確かに金銭的なものも含まれるかもしれませんが、
一般的に、恵まれてる人が、恵まれていない人に与える「恵み」のことを言う
場合が多いのではないでしょうか。
日本の僧侶への「お布施」の場合、「お坊さんに施ししました。」とはあまり言いませんね。
財産を捨て、衣一枚で托鉢しているような、俗世を捨てた本物の修行僧に対しては、
「施しをさせて頂きました。」という言い方をすることもあるかもしれませんが。
しかしながら、解釈が分かれる、証明の出来ないことに、だからお金を出せば(お供え等)問題が
解決するんだ と人に勧めるということ。
信じる人が自分でそうする分にはいいですが、人に勧めたりして責任とれるのでしょうか?
>お供え(お賽銭)は一切要求されませんが、
維持費などのお願いには来られます。
お寺の維持は皆様のおかげですと頭を下げていただいてます。
このお寺さんのやり方は、好感持てますね。多分、維持費もいくら必要である、ということを、檀家さん達の納得の行くよう、収支の明細などきちんと付けて、説明に廻られていることと思います。
が、天理教はそういうものが、一切不透明で、建物建築費、維持管理費いくら掛かっているのか? 他の沢山の施設も、会計をきちんと付けてあるのか、どんぶり勘定、自転車操業のように、お供え出せ、と言ってるように思えます。
税理士、会計士入れて、教団の財政状態を公開するべきだと思います(多分そのよなことはしないだろうが)、そして、無駄な出費を削り(真柱や大教会長などの接待費等に、信者のお供えを湯水の如く使わないように)、そうした姿勢が全く見えない教団に、お供えを上げても、ヘドロの溜ったドブ川に、柄杓で水を注ぎ入れてるようなものです。
教団本部は一度、貸借対照表を天理時報に公表して下さい。
宗教法人として、毎年奈良県か国の文化庁に対して収支決算書や予算書を出しているはずですから、貸借対照表の作成くらい簡単なことです。
奈良県なりに対してこの情報を公開請求すれば公開することはないのでしょうか。
奈良県民の方、一度奈良県庁に尋ねてください。
今の天理教を見てると、自分の行動が目に見える成果となって自分に返ってくるということが本当に証明されているようでとても興味深いです。
因果応報。
原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらす。
いい人だろうが、
ベンツに乗ろうが、
人の心を支えようが、
恐喝しようが、
神に納めようが、
人に奪われようが、
救おうが、
貶めようが、
捉え方は人それぞれでしょうが、結果としては表れてくるのですね。
流石、教えだけは間違ってない。
自分で自分の首を絞める、ブーメラン教団。
それが天理教。
アーメン
カイン様
以下の投稿欄について
>【投稿コメントについて】
>以下のようなコメントは削除します。通常の迷惑メールに加え、敬語を使わない、10語以内、他者の意見に耳を貸さない、名前を変え何度も同じようなコメントをおこなう、非論理的文章など読者に配慮しないものも含みます。
>なお1度削除しますと、以降自動的に同じIPアドレスからはコメントできません。悪質な場合は自動的にアクセスブロックとなります。
と、新たにかかれましたが、これは警察や裁判所、または教会本部などから改善命令や警告、または圧力などがかかったものなのでしょうか?
明確に事実、真実をお教えいただけましたら幸いです。
管理人のカインです。皆様の自由な言論空間に干渉してしまい申し訳ありません。この度、コメント入力欄に突然、但し書きを設け驚かさせてしまい大変申し訳ございません。ここ数日、本サイトへのアクセスが急増して毎日2000人近くの方が訪れてくださっております。一方で、心無いコメントも増加しており対応に苦慮するとともに、苦情もいただきご迷惑をおかけしております。ここにコメントしていただいている方の99%以上の方は何も思い当たることはないと思いますが、一部の方が非常に悪質なコメントを残していかれます。またそれらのコメントに対する苦情も頂いております。そのたびに削除しておりますが、その削除行為も言論の自由の上で大変心苦しく思っております。そのことについても「なぜ消すのか」とご意見を頂戴することもあります。数分のうちに数十から数百の意味のない文字列などが書き込まれることもあり、強力な自動削除ツールを導入し一定のルールを設けました。このたび関係者と相談の上、私的な言論空間で一定の制限を設けることは必ずしも言論の自由を制限することにはならないと考え、言論の質を保つためにも制限を設ける方向になりました。本サイトに対して反対意見などを頂戴することもありますが、公的機関や教団等から正式な圧力は一度もありません。そんなことがあっては大変なことであり、もしそのような事態が発生いたしますと即時公開いたします。あくまで制限は非常に悪質な投稿に関してであります。その「悪質さ」は思想、信条を限定するものではなく、子供の汚い悪口レベル・海外からの攻撃ツールと思われるものです。恐らくこれまで投稿され掲載されている方の多くは、これまでと同様に自由に発信していただいて問題ありません。本サイトに対する批判、批評を含めて自由に発言していただきますよう、今後共よろしくお願いいたします。もし正当な理由なく削除されるような場合がありましたら個別に対応いたします。上記のような現象がみられなくなった際には、但し書きを撤去いたします。よろしくお願いいたします。
匿名 様 2017年2月17日 1:30 PM
>よく調べてから物事を言いなさい。
>言葉尻だけを見るのはどうかと思うよ。自分の意見が正しいと思っているあいだは、成長できません。
スルーしようと思っていたのですが、失礼な書き方ではないでしょうか?
「言葉尻」を取っている、という事ではありません。教祖の御言葉は一語一語、重要な意味があると考えるからです。教祖は「施し」と書かれています。「お供え」という言葉でも「お布施」という言葉でもなく「施し」と。「施し」という言葉に、親神、教祖の思召しがはっきり、言い表されている、と思っております。
そして、もう一つ。謙遜ではなく正味の話、自分はそうたいした人間ではないですが、あなたに「成長」を心配して頂く必要はございませんので、そのような、意見に関係無いことを書かれるのは、どうかと思います。
Cain 投稿作成者2017年2月18日 8:28 AM
完璧本部側の誹謗中傷コメントでしょうね。とんでもない悪質な行為を行い始めたのでしょう。回線パンク攻撃であればIPは特定できます。 短文の誹謗中傷であれば書かせてもいいと思います。どうせ本部側は下らないコメントしかかけないんですから(笑)しかし悪質な荒らしを本部側がするとは思いませんでしたね。あの天理時報の安東と言う人がやっとるのか?
とにかくネットの荒らしなんか気にせず淡々と運営してください!
閲覧だけさせてもらってたものです。
乗っ取り事件以降皆様の反応と比例してコメント数が急増したのでしょう。以前は数百単位だったように思います。
天理時報のネットに対する記事といい荒らし急増と良い偶然にしてはおかしすぎますね。
乗っ取り事件も続報をお待ちしております。毎回楽しみにしております。私も知人より伺いました。やっぱり酷い状態だそうですね。以前 泥沼化しているのでは とのコメントがあった通りのようです。どもう謝罪する気はなさそうだとおっしゃってました。どうしょもないですね。伺った名前も悪党リストの3名でした。私も自身の耳で確認しました。こちらのサイトは確かで正直本部にガッカリしましたが、私もドンドン他の方にこのサイトを宣伝させてもらってます。一日2000人となるともう人気ブログですね!
Cain 投稿作成者 さま 2017年2月18日 8:28 AM
明快な説明文ありがとうございました。
しかしながら本部は、ホンマひどいですね。
挙句の果てにはサイバー攻撃ですか!!!
都合の悪いものを、攻撃や排除とかするのではなしに、ちゃんと釈明や謝罪をすれば教内は、それなりにみんな信仰者ですから、まだ間に合う(許してくれる)と思うんですけどね。
そんなことも理解できないからサイバー攻撃とかしてしまうんでしょうけど(笑)
匿名2017年2月19日 8:41 AM
サイバーアタックなんかIP調べたら一目瞭然ですけどね。 本部側は無知だけにそういう事がわからなかったのでしょうかね(笑)残念な上層部(笑)
カイン様、
今回のサイバー攻撃、IP調べて、本部側の連中を特定して訴えたらいかがですか?
京都府警サイバー犯罪対策
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/anzen/cyber/
本部悪質ですね。さすが教祖の教えを背き守銭奴の道をたどっただけある!意から出た錆 はよつかまればいい!
信じたくはないけど、本当の話みたいですね。本当に教会本部って酷い!
・美人局ゆすられ疑惑(これで私たちの「お供え」が他に流出していたら、とんでもない話!)に、
・表統領の「金を出さなきゃ命がなくなる」発言に、
・大教会法人乗っ取り事件
そのうえに、
・特定ブログへのサイバー攻撃(このブログが攻撃されたということですよね)
なんて本当に酷すぎます!
みんなに、このブログ広めますよ!
ほんと最低、本部!!
>信じたくはないけど、本当の話みたいですね。本当に教会本部って酷い!
水を差すようで申し訳ないのですが、今更ですよ。
・美人局ゆすられ疑惑(これで私たちの「お供え」が他に流出していたら
天理教は「決算報告」や「貸借対照表」を公表していませんので、集められたお金が何処にどのように使われているかが一切分かりません。おそらく、多くのお金を別法人に移し、中山家や親戚連中の資産形成のための投資や運用に使われていると想像しますが、実態は誰にも把握できません。
地震の救助ひのきしんやおやさと館の建設などの情報は「天理時報」で流しますが、それらの経費も「その都度別途に集められている」と感じられます。
そんな状態が何十年も続いているのが実態です。
・表統領の「金を出さなきゃ命がなくなる」発言に
教祖様時代の中山家は「貧に落ちきっていない」のに、信者には「貧に落ち切らねば貧しい者の気持ちは分からん」等という『怪しげな教理』を、既に100年以上前から説いてます。
母屋の取りこぼちをしたのは、秀司の「相場での失敗が原因」だというのは資料に残ってるそうですが。
・大教会法人乗っ取り事件
「乗っ取り」そのものは、善悪はありません。その手法とやり方の問題です。
今回の話に上がった「〇根」については、かなりキワどい手法と手口だったようですが、明らかな違法性まではなかったので、公権力の立ち入るところではなかったのでしょう。
それに、大教会の乗っ取りは昔からあったようですし、江戸時代よろしく、養子や血縁関係で「乗っ取った」例が沢山あると聞いていますが。
・特定ブログへのサイバー攻撃
いわゆる「言論弾圧」と「言論封殺」ですね。
私自身、何か発言しようとすると「あんたには理がない」という言葉で押さえ付けられたことは度々あります。そして、その言葉を周囲の者が「認めてしまう」という状態の「組織のあり方」に疑問を感じてきました。
勿論、この掲示板は天理教とは関係ない掲示板ですから、有ってはならない事ですが。
別に、本部や上級を擁護してるわけではありません。
もう「堪忍袋の緒が切れて、呆れ果てているような心情」だという事が言いたいだけです。
>私自身、何か発言しようとすると「あんたには理がない」という言葉で押さえ付けられたことは度々あります。
天理教の中でしか通用しない、非論理的な言葉だ。
「徳が無い」「発言できる地位、位置、身分に無い」ということだろう。しかし、徳が有るかないか、そんなことなど、神様でも無い限り解らないことであるのに。
そういう非論理的な言葉で、下の意見を押さえ込み、行動を制限し、上の思う通りに動かしてきた教団の、結果が今の状態である。我々はこれ以上、上の犠牲にならないよう、慎重に行動せねばならない。
末端教会子弟2017年2月19日 7:14 PM
>・大教会法人乗っ取り事件 その手法とやり方の問題です。 かなりキワどい手法と手口だったようですが、明らかな違法性まではなかったので、公権力の立ち入るところではなかったのでしょう。
キワドイ手法な時点でかなりの問題があると思われます。これは訴えるか訴えないか 被害者側の心情に担保されているでしょうしね。 泥沼化のコメントで凄く気になってます。本部は謝罪する体質が無くずるずる行ってしまい被害者の心情を逆なでした瞬間全てが吹っ飛びますからね。とにかく被害者の方々に謝罪と賠償など責任問題で解決すべきでしょう。 こういった事件は静かになった跡に ドーンと表に出てくるものです。こちらに流れてきている情報はこれでも表面的な一部の情報でしょうし今後とも楽しみにしてます。
>キワドイ手法な時点でかなりの問題があると思われます
まず、私の基本的考え方として「理の親教理」を否定してます。
なので、大教会という立場や役割は、本部の出先機関としか思えません。
極端に言えば「ヤクザの内部抗争、縄張り争い」かな、といったところです。
キワどい球でも、ストライクゾーンに入っていればストライクです。
相手を打ち取るためなら、変化球やキワどいところ、意表を突くところに投げるのが当たり前です。
末端教会子弟
2017年2月20日 10:13 AM
>まず、私の基本的考え方として「理の親教理」を否定してます。
確かに理の親教理は否定すべきです。皆さんそこからのその期待感をその被害者教会に持ったところもあるでしょう。被害教会は訴えるべきでしょう。とにかく訴えが無い事には警察も動けません。その被害教会も今回真価を問われている。もし被害教会立ち上がりし時ここの皆さんで助けましょう!その時が天理教団の維新の時です!他にも被害大教会も沢山あると聞きます。今まで被害に有って来た大教会も共に立ち上がるべきだ!私の大教会もその昔本部からの乗っ取りを受けました。それは系統内で内密にされてますがやはり本部への不信感は今でも語られてます。「あの時本部をやっておけばよかったのに」とおっしゃる方も大勢居ます。このブログも系統内の方から聞きました。
各系統 このブログに目を通されてる方々ドンドンこのサイトを皆に教え天の時に備えましょう!当系統や私の周りでも本部壊滅近しとしか聞きません。本部には本部という組織の維持もまま成らない末期状態です。
理とは一体何なんでしょうか。このようなことがありました。講社祭りが都合で出来なくて、後程、お礼分を教会に持って行ったところ、理立てをしていると云われました。理とはお金のことか?
また、教団本部の流れを汲まないものは、全て理が無いという云い方をされました。
理とは便利な言葉ですね。
本部の流れが無い他の宗教はすべて邪教だということになります。上から目線そのものです。
お供えは命の繋ぎという表統領の言葉は、姿や形の見えない究極の霊感商法です。
四代前の先祖の名前は知らない(わざわざ除籍謄本を取るまでもない)、入信の動機も知らない、顔も知らない(写真が無い)、書き残したものも無いなかで、元一日を忘れるなと言われても、もともと何も知らないものを忘れようがありません。
雑感です。
当方の大教会の「教会名称録」からのものです。教会は確実に減っているようですね。
教会長不在教会 他教会預り(その教会自体は無い)
平成10年 7
平成20年 27
平成27年 37 17
匿名2017年2月20日 11:30 AM
教団全体の不在教会あわせただけでもどの大教会よりも大きい大教会が誕生するほど不在教会はあるでしょうね。信者数からすると全盛期の1/5は下らないでしょう。強制倍化運動 の残骸 やかた建設 肥大化した本部組織 の余波はこの現在にも漂ってますね。 教理が無茶苦茶 ただの組織の力学教なで今時だまされると思ってる本部執行部が脳足りんすぎます。 「おつなぎはカネ!」と公言してしまった以上 今までインターネットでは創価学会がよく叩かれあの創価学会でも二分し衰退の一途をたどっている。今後はその隣で天理教も叩かれて行くと考えるとこの教団には創価ほどの体力は現状もう無いといえましょう。 教団の将来を想像すればその悲惨な参上は誰しも目に浮かぶでしょう。今後は本部の信者に対する愚弄体質を是正さすべく全教一丸と成って暗にでも問題ないので本部にはむかっていくしかございません。
ここ数年で天理教教会本部が本当に自らの過ちを謝罪し是正できないでいるならばもう終わるでしょう。インターネット社会の影響を何も理解できていない。信者達は皆賢い。本部だけが時代錯誤の膿と化し いや癌の如くもう末期業態ともいえよう。教理の善悪も今ではわかるものもいない。教理が理解できぬ愚かな本部に未来は無いでしょうね。
中田善亮 筆頭に明確に「お尽くしはカネ」と取り返しの付かない異端を表明した本部はもう終わるでしょう。
数年後にはお供えも激減 教団は差し押さえ 土地も売り払われる
「屋敷をはろうて助けたまえすってんてんのみこと」をじで行く運命なのでしょう。
東風Z様
東風Z様のコメントを読みながら思わず笑っていました。(ごめんなさい!)早速国語辞典で調べました。(1)法則、原理
(2)道理、理屈だそうです。無理にこじつけると理屈でしょうか!?もちろん「理立て」などの単語は載ってません!
私は東風Z様と違って4代前の先祖の入信の動機、飲まず食わずの単独布教の苦労の末に教会設立に至った道程もも知ってます(自教会史から)が。その頃の教団信仰に迷いも疑問もなく貧に落ち切ることこそ信仰だと思っていたのでしょうね。まったくおかしな信仰です(財産=お金=お供え=理立て)。
過って『天理教の虚像と実像』に出会った時、胸が痛くなり、いつか目も潤んでました。私がずっと疑問に思っていた解答がここにありました。あの感動からたくさんの時間が流れた今日、皆様によってインターネットを通じ多くのことを知ることのできる時代が来ました。私など信じられない時代です!!
2017年2月20日 7:45 PM mami 様
そうですか、ご先祖様はご苦労をされたのですね。本当に悲しみしか感じない教団ですね。
私の場合は、多分事情で入信したのではないかと、うすうす感じていました。しかし、詳しいことはさっぱりです。ただ、母が熱心だったものですから、信仰を止めることは母が悲しむだろうとの思いがあり、会社勤めを続けながら教会に参拝していました。
ところが、6年ほど前に天理大学を卒業した知人が、今の天理教は教祖の真の教えではなく、中山家を信仰対象とする中山教とでも云うべき存在であることを、いろいろな具体例を示して説明してくれたのです。
更に、この知人から早川和廣氏著・「天理教・その腐敗と悲劇」という本があるから入手できれば是非読むようにとアドバイスを受け、たまたまネットで購入でき、読んだところ教団のあまりにも酷い状況の一端を知るところとなり、教会と距離を置くようになりました。教祖百年祭の前3年千日の間で、1500億円ものお供え集めたと聞いて、もうビックリ以外の何ものでもありませんでした。
それはそうでしょう。大教会長や分教会長の自殺、強盗事件、投資の失敗とキリがありません。人助けの教理が泣いていますよね。
余談ですが、この本の全てをパソコンに打ち込みました。全文の紹介は著作権の関係から出来ないと思うのですが、ひどい部分は抜粋して紹介しようと思っています。
正直いいまして、未だに理とは何なのだとの疑問が消えていません。多分、教団にとってこれほど都合のいい言葉は他に無いのではないかと思っているほどです。
小学校にも行かない頃から吹き込まれた天理教用語の数々は、容易に頭から抜けきることはありません。
ただ、知人は真の教祖の教えを知ることが出来ればと、80歳になる今も求道活動を続けています。しかし、教団はこの動きに対しても厳しい批判の目を向けています。悲しい教団ですね。
つたない文章で失礼します。
mami
2017年2月20日 7:45 PM
mamiさんだけでは御座いません!皆本部の教理改竄に怒り来るって滾っておる所です! 顔を突き合わせては中々話さないでしょうがここ最近「~~さんも見てたの?~~さんも見てるか!(笑)」とこのような会話が増えてまいりました。教団全体持ち場立場関係なく現在の本部の方針を憂い不満に思ってるものばかりです。 一日に2000アクセスという個人ブログで考えたら人気ブログです。 社会学さんの影響を肌身で感じる今日この頃となってまいりました。 知人の教会 大教会 ましてや本部師弟でも現体制に相当猜疑と不満を抱き各地各所で話は成されているみたいです。 本部中枢の人間は疑心暗鬼差をまして暴走し続ければいいともいます。そうすれば自滅或は何者かに訴えられることは必須でしょう。
もう本部の似非教理が通用しなくなってると本部自らが察する時が迫っているのです。
東風Z様
1日に2000アクセスという個人ブログ様
ありがとうございます。
『天理教・その堕落と悲劇』楽しみにしております。『天理教よ甦れ!』と同じような内容かと思って購入しませんでした。残念に思っていましたので嬉しいです。
2000ものアクセス、本当に凄いです!カイン様には感謝です。大変にご苦労されて運営されておられること、今回具体的にわかり有難いの思い深くいたしております。。
社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
裁判沙汰になったみたいですが賠償金支払いの判決が下されてます。
宗教法人(宗教団体)にも使用者責任で訴えることが出来るみたいです。
素人がネットで調べて知ったことなので申し訳ないです。
突然すみません。さん
2017年2月21日 12:26 AM
天理教教会本部や一部大教会はこりゃ訴えたら皆勝てるやん! って判決ですよ(笑)
本部は調子のらんとおとなしくせな終わるでw
突然すみません。様 2017年2月21日 12:26 AMのコメント
>社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
>裁判沙汰になったみたいですが賠償金支払いの判決が下されてます。
>宗教法人(宗教団体)にも使用者責任で訴えることが出来るみたいです。
この判例からすれば本部や悪徳上級教会などを訴えて、勝訴の可能性が極めて高いと思われます。
刑 事 訴 訟 法 27条
一 、被告人、又は被疑者が法人であるときは、その代表者が訴訟行為についてこれを代表する。
二、数人が共同して法人を代表する場合にも、訴訟行為については各自がこれを代表する。
刑事訴訟法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html
民法715条 (使用者等の責任)
一、ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について、第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
二、使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
民法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html
※〔カイン様。修正しましたので、お手数かけますが、前コメントの削除をお願いします。〕
突然すみません。様 2017年2月21日 12:26 AMのコメント
>社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
>裁判沙汰になったみたいですが賠償金支払いの判決が下されてます。
>宗教法人(宗教団体)にも使用者責任で訴えることが出来るみたいです。
この判例からすれば本部や悪徳上級教会などを訴えて、勝訴の可能性が極めて高いと思われます。
刑 事 訴 訟 法 27条
一 、被告人、又は被疑者が法人であるときは、その代表者が訴訟行為についてこれを代表する。
二、数人が共同して法人を代表する場合にも、訴訟行為については各自がこれを代表する。
刑事訴訟法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO131.html
民法715条 (使用者等の責任)
一、ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について、第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
二、使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
民法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html
> 教会長不在教会 名称預かり(教会自体は無い)
>平成10年 7
>平成20年 27
>平成27年 37 17
教会の数が多すぎるのだから、減るのは当然である。海外教会を覗いた国内教会数は16353教会だが、都道府県で割ってみると、一つの県で平均348教会もある。すぐ近辺に同じ天理教分教会があったりするが、お互い行き来することはない。地域に関係無く「系統」が入り乱れて乱立している。
県の人数や広さから考えれば、一つの県でせいぜい50もあれば、(50でも多すぎると思うのだが)充分であろうと思う。一つの県に50教会とすると2350教会でよい。現在ある教会の内14000教会は不必要である。教会が減って行くのは自然の流れであり、これまでが無理な状態を通してきたのだ。末端分教会長に全ての無理を押し付ける形で。教会数の適正を考えれば1000~2000位になっても仕方がないことと思う、これから益々減って行くことであろう。
又、教会によっては、上級、上々級、上々々級と、大教会までに3~4つも上級を戴いているところもある。これらの縦組織にする意味は、結局「理の流れ」ということで説明されるのであろうが、そもそも「理」という言葉は、本部や大教会から下に対して、何かと都合良く使われているが、教団内でしか通用しない恣意的な言葉である。つまり、本部、大教会の持つ「理」(徳か?)を下に流してやっている、という勝手な理屈。その理屈で、月に何回もあっちこっちに参拝に廻らねばならない末端教会の負担は大変なものであろうと思う。1か月は早い。
教団本部がこういう無理な形態を長年維持させてきたが、もう限界に達っしているのであろう。ピラミッド型教会組織を解体、大教会の系統を解体など、組織再編を行わない限りは、天理教が今後も立ち行くことは難しいであろう。
匿名2017年2月21日 3:36 PM
確かに無駄な立て組織には正直限界であるしかしそれはもうことすでに遅し、組織改革派もう出来ないでしょう。それは宗教法人法の壁が立ちふさがるからです。本部以外の教会も実は独立した法人だからです。それを乗っ取り工作を仕掛けている本部が明らかになったのが現在のこの状況でしょう。「御本部が御アコギなこと(違法行為)をしている」最低な集団です。しかも以前あったコメントではその実行犯が、よろず相談所などの理事会のメンバーとか恥ずかしいですね。しかも弁護士が実行犯にいてなぜそれが成功しなかったのか? がポイントではないでしょうか? 弁護士が手を止めると言う事は一つしかなく違法行為をしていたからでしょう。 一般的に考えてこれしか御座いません。 つまり弁護士が相手にもいるのか、それとももうすでに捜査が始まっている の二点と考えるべきです。
私は訴えて欲しいです!真面目な信者を騙してそんな違法行為をしていたなら、罰せられるべきです!
「信者のお供えを返せ! お供えを弁済せよ! 異端は本部だ!詐欺団体天理教!」
とこちらのコメントに出てくるままに私も同感ございます。本部が解体されれば各地かくところで天理教は生き残る 本部が消えても教えは消えない! 親神様 おやさまはは不滅である! 異端本部は消えうせろ! と感情的にも強く思います! ふざけんな 悪党リストの面々!
開かずの部屋とは
史料集成部は、開かずの部屋と呼ばれている。ここに関係した人で2人が自殺をしている。
教団は何も明らかにしない、正に伏魔殿である。
公開しないで何の価値があるのだろう。素朴な疑問にすら答えない教団に教理の教えを乞うことなど余りにも愚かなことだと思う。
以前、教会長にこのことを問いただしたところ、そのようなことをしたら大変なことになると言っていた。
この会長は史料集成部のことを知っているか疑問だ。なのに大変なことって何と思った。再度、問いたかったがバカバカしくって辞めた。恐ろしい教団だ。
> T さま 2017年2月21日 1:48 PM
>各教会の努力不足としか言わない本部は無策極まりないと思います。
>いや、知っていて各教会に責任転嫁するのは人間の性でしょうか。
>資金不足に陥った宗教団体は、大ナタを振るうか、非常手段に出るか、その両方を行使するのか、いずれにせよ皆様方、お気を付けください。
>匿名さま 2017年2月21日 7:04 PM
> 弁護士が手を止めると言う事は一つしかなく違法行為をしていたからでしょう。 一般的に考えてこれしか御座いません。
>つまり弁護士が相手にもいるのか、それとももうすでに捜査が始まっている の二点と考えるべきです。
>私は訴えて欲しいです!真面目な信者を騙してそんな違法行為をしていたなら、罰せられるべきです!
これらは大教会法人乗っ取り事件についてのコメントでしょうか?
本部が非常手段に出、大鉈(おおなた)を振るったものでしょうが、この事件の噂が飛び交うようになったのは去年末頃からだったと思いますが、実際には昨夏からなんだそうです(関係者から聞きました)。
ということは6、7ヶ月ほど経過していることになるので、こりゃかなり話がこじれているものと推測します。
自ら振った大鉈を、振るい返されたら本部も、もうこれで終わるでしょうね。
組織改革のため、苦しめられる信者さんたちのためにも、その大教会には勇気をもって大英断されることを切に願います!
応援してますよ、〇〇大教会!
TSA様2017年2月22日 9:12 AM
是非その被害大教会にはがんばっていただきたいです。今後どのような動きがあってもドンドン情報が出て本部の面目が潰れるだけです。本部がいかに悪行を重ねた歴史を持っているかはこちらのサイトで覚えました。最低な集団がこの崇高な教団を支配しているこの現状が本当に嫌になりました! 友人知人の間でもこちらのサイトが話題で持ちきりです。知人ではその情報を率先して聞きに行ったりしてる人もいます。 今後とも打倒異端本部に陰ながら協力させてもらいます。
こんな状態で息子を天理高校第2部受験させて大丈夫なんでしょうか?
だんだん心配になってきました。
misaさま 2017年2月22日 12:48 PM
>こんな状態で息子を天理高校第2部受験させて大丈夫なんでしょうか?
>だんだん心配になってきました。
私の子どもは「スポーツ・文化関係で天理高校1部に行きたい」と言っていますが、私は子どもに「本当に行きたければ、自分自身の意思と責任で行きなさい」と、暗に反対を伝えています。
もちろんハッキリと現状や理由なんて小学生には名言などできません。
また、スポーツ・文化関係の強豪校は天理でなくとも、たくさんありますからね。
まだ考える時間はありますので、今後時間をかけて話し合っていきたい(説得?)と思っています。
開かずの部屋とは
今から30年ほど前の事ですが天理市に在住する方からこの2人の自殺者の事を聞いた覚えがあります。
自殺した2人は本部員の息子さんで兄弟だそうです。2人とも東大卒だと言っていました。
お兄さんが自殺されたので弟さんが係りの仕事を継いだのだがその弟さんも自殺したと話してくれました。
この方は、2人はおふでさきの2号と3号の約5年間程の抜けている部分を読んだに違いないと言っていました。
おふでさき17号に出て来る「ざんねん・かやし・そうじ」について具体的に書かれているのが
この隠された5年間だそうです。
この未公開の5年間がおふでさきの核心部分だと言っていました。
ここを読み悲嘆にくれて自殺したのだろうと話してくれました。
東大卒の兄弟が自殺するのだからその内容は想像を絶するものだと思います。
そもそも神は天理教という一宗教団体を興すためにおや様に下がったのではないと思います。
人類の悲惨な未来から子供達を救うためにおや様に天下ったと思います。
その具体的な手段がかんろだいとかぐらつとめであると思います。
が、しかし、神の思いは中山家やそれに追随する欲深な人々に踏みつぶされたのでしょう。
現状の世界情勢を眺めてみればこの先どのような状況に至るか想像できると思います。
人口爆発による食料不足、飢餓や紛争、テロ、さらには第三次世界大戦などと言われています。
この様な状況を今の天理教が解決できますか。
どのように考えてもできる訳がないと思いませんか。
今の天理教は欺瞞に満ちた組織です。
おふでさきに何が書かれているのか
私たちは公開されている部分から考えるしかないが結論として地球の大掃除でしょう。
何回読んでも陽気ぐらしは大掃除の後としか考えられない。
世界一列ろくじに均された後にかんろだいが建てられるのだと思います。
「しんじつ」「つとめ」は全編を通して出現しています。
しかし「助ける」は13号でほぼ終わりです。
14号から17号は、ほぼ親神の苦渋に満ちた思いです。
「ざんねん かやす はらす しりぞく ちる そうじ」この様な言葉がつづられている。
要するにこの道は親神のざんねんはらしの道という事でしょうか。
亡くなられた本部員の息子さん兄弟の事をこの私でさえ知っているのだから
本部中枢の人達は更に詳しくその内情を知っていることでしょう。
伊勢神宮の収支ってどうなってるのか調べてみた、が。 – 情報と音楽
http://penguinlab.jp/blog/post/183
宗教法人と情報公開は難しい話みたいですが、信者は大体の情報を知ることが出来るのではないでしょうか。
統一協会の責任を認めた判決の概要
http://www.stopreikan.com/hanketu/hanketu_gaiyo.htm
統一教会の責任を認めた最近の判決 | リリアンのブログ
http://ameblo.jp/rennbo-mayu/entry-11775407301.html
やはり裁判沙汰になっていますが、賠償金支払いの判決が下されてます。
有力な証拠や証言が必要になると思いますが、お金を返してもらえる可能性は高いと思います。弁護士に相談してみて下さい。
素人がネットで調べて知ったことなので申し訳ないです。
退職信者 様
ありがとうございます。私も現在も天理市近くに住む天理大学を卒業した知人から詳しい話を聞きました。
芹澤光治良氏始め高野友治氏や八島英雄氏のエピソードを交えた話でした。このような大切な話は、私のような中途半端な知識に基づくよりも、教団自身が、恥を忍んで語るべき出来事だと思うのです。残念ながらそのような気配は微塵も感じることが出来ません。
私が子供の頃は、6人の兄弟が両親に連れられて教会に参拝し、両親の兄弟(叔父・叔母)も子供を連れて教会に参拝し、他の信者さんも含めて狭い会堂にはあふれんばかりの信者が集っていました。ところが、今や私の家系で信仰を継いでいるのは97歳になる叔母一人となってしまったのです。
寂しい教会を見ていると、何故このようなことになってしまったのかの原因を教団は胸に手を当てて考える時です。
何事も隠していては、神の想いは伝えられないと思うのです。
>寂しい教会を見ていると、何故このようなことになってしまったのかの原因を教団は胸に手を当てて考える時です
会長の話やお供え等を疑問に思ったり断ったりすると
徳が無い、理が無い、心が成人してない、信仰は理屈じゃない
等々の言葉で非はすべて信者にある
自分達は尊い神様の教えを説いているから言うことを聞きなさい
と言わんばかりの上から目線、中には会長が神様みたいな扱いの教会多いです。
会長の理ってそんなに凄いのでしょうか?理をたてる?
実の親子、兄弟等でも会長に自分の意見を言う事が出来ない。
会長の言う事に素直に応じる事が神様が受けてって下さる。
このような歪んだ教えが信者が減っていく一番の要因だと思います。
陽気暮らしの天理教
教会行くと陽気どころかお供え、仕事休んで月次祭来い、
休日の〇〇デーの参加の話等でしんどいです。
信者の事思って言ってると言いますが全部自分達のノルマ、生活の為の発言です。
匿名 様
2017年2月23日 9:16 AM
本当にその通りですね。出発時に少し方向を違えた(応法の道へ)為に取り返しがつかなくなったのかも知れません。それにしましても、上から目線だけは止めてください、といいたいです。
「二代真柱は、ヴァチカン宮殿視察後に、これに負けない建物を造れと、『おやさとやかた』の建設に着手したのが真相」と、以前どなたか投稿されていた。二代真柱は自分を「カトリックにおける神の代理人、ローマ教皇」に見たてていたのだろう。しかしローマ教皇にはコンクラーベによって交代があるが、真柱は世襲制であり、中山家以外の者がその地位に就くことは無い。
信者達の莫大なお供えは、おやさとやかたという虚飾の伽藍を造ったのみ。後はいくつかの、教団所有の文化法人か。信者の心のこもったお供えを自分の欲望のままに使い、信者さんの人生を左右する宗教教団を、自分の所有物としか見ない最高権力者、あるいはまた、真柱を取り巻く、甘い汁を吸おうとする者達、そのような人々しか、教団の統括者として戴くことが出来ない信者達、又、教内関係者達は大変不幸である。
匿名さま2017年2月23日 9:16 AM
>会長の話やお供え等を疑問に思ったり断ったりすると 徳が無い、理が無い、心が成人してない、信仰は理屈じゃない
等々の言葉で非はすべて信者にある
これ各上級や大教会だけでなく、本部がこういう教えだからだめなんですよ。以前本部員に「教理の質問してみ!答えられないから(笑)」のようなコメントがありましたが私もつくづく思っていました。 答えられないと言う事は信仰してないのと一緒 講和できても教理がわからなず。 それが現在の本部員初め教団の本質です。異端本部と揶揄されていますが、これ揶揄でなく真実の例えだと痛感させられてます。
真柱とは必要なのか?さま2017年2月23日 11:47 AM
こちらのコメントの数々で、中山家が教団の悪の権化だと暴かれた!暴かれたというより、中田善亮 が表統領に就任して以来本部でも憂う声が絶えないのが実情なのでしょう。 これほどの情報が今まで外部に漏れたことは無かったわけですから、この気運を おやさまの合図たてあい と受け取り 一気に本部を壊滅に追い込むべきですね。
twitterのsatuki(さっちん?)様、はみ出し教会の奥さん様、かかな様
突然すいません。「切る、切られる」問答、つい気になったもので。
おさしづに、
〝残念の理ほど、怖わいものはない。残念の理、一代でいかにゃ二代、二代でいかにゃ三代、切るに切られんいんねん(因縁)付けてある。これは退くに退かれん理によって。なれど、神に切る神は無い。なれど、切られる心はどうもならん。仇言に捨言葉、神は大嫌い〟 〔M24.1.28〕
とあり、なかなか怖いです。そして逸話篇にも、
〝前生のさんげ(懺悔)もせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、また泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた〟 〔148 清らかな所へ〕
とあります。また、高井猶吉の伝承では、
〝恩に恩を着たら落ちるで〟と仰る。落ちたら容易に人間界へ出られん。これを「死んだ」と言うのや。
〝恩に恩を着て、人間の道を切るから、道が切れて死ぬのや、落ちるのや。神様はそれがいぢらしいから、理を聞き分けて落ちぬようにせよ〟と仰る。〔高井家資料 90ページ〕
〝神がこうして表へ現れたからには、どうでもこうでも、この道は付け切る。
親は我が子の始末しかねない。聞かねば聞かんようの始末を取る〟〔高井家資料 34ページ〕
とあり、よーく読むと、なかなか恐ろしい〝おふでさき〟級のホラーなのです!
>自殺した2人は本部員の息子さんで兄弟だそうです。2人とも東大卒だと言っていました。
お兄さんが自殺されたので弟さんが係りの仕事を継いだのだがその弟さんも自殺したと話してくれました。
この方は、2人はおふでさきの2号と3号の約5年間程の抜けている部分を読んだに違いないと言っていました。<
知りませんでした。驚きです。
私たちが教祖の思いをたどる教科書、「おふでさき」は教団にとって都合の悪い所を削除して「再編纂」された「嘘の代物」だったのですね。聞くところによると、筆跡も明らかに違う部分があるとか?ということは「おふでさきの現本」は公開出来ない「極秘本」と言う事ですか?いよいよこの教団は怪しいですね。
都合の悪い所は信者に見せず、都合よく再編纂して信仰の指針にしている、「だまし」そのものです。
二人が尊い命をかけて絶望とともに、抗議した心情を思うと、中山家は鬼畜以下。彼らに天の審判が下らないはずがありません。お供え激減、信者激減、すでに結果が出てきてます。
通りすがりの教祖の弟子 様
怖いじゃないですか~~。「無理に来いとは言はんでな」ではなかったのですか~?
そういうことを書かれると、逃げようとしている足に、鎖かまを投げつけて巻きつけられ、ズルズルと引き寄せられるような感じです。それ、ホントにホントですか~?
( ̄_ ̄|||) どよ~ん (__|||)ぞぉ~~~~~
社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)_国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
統一協会の責任を認めた判決の概要
http://www.stopreikan.com/hanketu/hanketu_gaiyo.htm
統一教会の責任を認めた最近の判決 | リリアンのブログ
http://ameblo.jp/rennbo-mayu/entry-11775407301.html
まとめてみました。とてもよく似たことで献金させられた方、相手側は違法行為(犯罪)である可能性が高いと思います。お金を返してもらえる可能性もあります。警察や弁護士に相談してみてください。
頭が熱くなりました。一体、被害者の人権をなんだと思っているのでしょうか!身体的傷だけでなく精神的傷が癒えるのには時間はとてもかかると思います。刑事告発できるといいですね。
加害者の味方と教団の保身とだけしか考えてない。
あげくに仲介料70万ってなんですか!ここにもおかしな理の信仰が見えます。
どんな思いで修養科に来られたか知りませんがどんなに失望されたことでしょう。人間不信になられるのではと。
その責任を大教会長らは少しもわかっていない。何は差し置いても大教会長も加害者も心からまずは謝罪するのが当たり前でないですか!本末転倒です。
時代にまったく逆行しています。
告発とは
犯人以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示をいいます。(ちなみに、犯人自身が申告するのは自首です。)
次の要件を満たす必要があります。
犯罪事実の申告があること。
犯人処罰の意思表示があること。
告発人は実在する人物であること。
傷害罪の第三者による告訴について – 事件・犯罪 解決済 | 教えて!goo
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8645976.html
暴行、傷害は犯罪です。どうしても許せない場合、第三者でも告発出来る可能性があります。
有力な証拠、証言が必要になると思いますが、被害者を助けてあげて下さい。
さっちん様 2017年2月23日 5:41 PM
>怖いじゃないですか~~。「無理に来いとは言はんでな」ではなかったのですか~?
>そういうことを書かれると、逃げようとしている足に、鎖かまを投げつけて巻きつけられ、ズルズルと引き寄せられるような感じです。それ、ホントにホントですか~?
>( ̄_ ̄|||) どよ~ん (__|||)ぞぉ~~~~~
本当に本当です(笑) さらに「おさしづ」には、
さあ掃除や。箒が要るで、沢山要るで。使うてみて使い良いは、いつまでも使うで。使うてみて、使い勝手の悪いのは、一度切りやで。隅から隅まですっきり掃除や。
M20.3.15 刻限
親があって子という。子は何人あれど皆可愛もの。なれど、どんならにゃ(どうにもならなければ)ならんように片付ける。中に出直す者もある。我が子であってまゝ(侭)にならん。
M31.3.30
などもございます。そして、
「牛馬といえば、等しくこれ獣(けもの)のように思うているけれども、これは他の獣とは違い、人間より堕(お)ちたるもの」と仰せらる。
人間たる間に悪気(あっき)に悪気を積み、恩に恩を重ねて、ついに人間に生まれ〈変わり〉ては恩の返しようが無きゆえ、牛に堕として恩を報じさすとなん(報じさせるという事である)。
『初めは真っ黒の牛に生まれる。黒いというは、心の暗い々々理があらわれているのや。邪険(じゃけん)の心の理があらわれて、 二本の角(つの)が生えている。モーモーと鳴くは「モーかなわん」と言うも同じこと。「モーモーどうもならん」「モーしようがない」「モー往生したか」という時のモーや。また「牛追い」と言うて、人に追われて日々食う物は、藁(わら)や糠(ぬか)のようなカスを食うて、人の三人前も重荷を背負わせられて通る。これ、人を追い倒してきたから、この世は人に追われるのや。
そこで七、八度も出変わりして、それから「馬」となる。馬となれば色も変わる。角も取れる。鳴くにも「ヒヒン」という、人の笑い声に似てくる。これだけ人間に近寄って(近づいて)きたのや。
それからまた七、八度も出変わりして、恩を報じたその上で、今度は「犬」となる。犬で何度も出変わりして、真っ白い、鼻の赤い犬となったら、その次は人間に〈再び生まれ〉出してもらえる。
けれども、東も西も分からぬ丸の大馬鹿や。それからだんだん出変わるたびに賢くはなっていくけれども、牛馬に堕ちた間の苦しみで、先に人間で在りしうちの知恵はスッキリ失うてしもうて、一かけから(一から)いかにゃならん。なかなか容易な(簡単な)ことじゃない。これが「地獄」と言うのやで。また天の本心も、牛と堕ちれば取れてしまうのやで』と聞かせらる。
さて今までは、こういう事も知らなんだやろう。
このたびハさきなる事を此よから しらしてをくでみにさハりみよ 五 2
この度は先なる事を この世から 知らしておくで身に障り見よ
このよふハいかほどハがみをもふても 神のりいふくこれハかなハん 五 3
この世は如何ほど我が身思うても 神の立腹これは敵わん
めへ/\にハがみしやんハいらんもの 神がそれ/\みわけするぞや 五 4
銘々に我が身思案は要らんもの 神がそれぞれ見分けするぞや
と、お付けあそばされたるは、
『牛同様に、寝ていて食べさしてもらい、ししばば(尿糞)の世話もしてもらい、人間だけの自由(じゅうよう)適わずして、長年、人の恩をきて果てたなら、今度は牛やで』と聞かせらる。
『世上の諺(ことわざ)にも「寝ていて食べると牛になるぞ」と言うて子供らを戒めるは、知らず知らず神の教えや。そこでこの世では、我がまま気ままに我が身の栄耀(えいよう/栄華/繁栄)を思うても、この世はそうして通れても神の立腹。この次の世は、モーかなわん、かなわん。牛と堕ちたらどうも仕様があるまい。すれば銘々に我が身の思案は要らんで、ただ誠真実、立て合い、たすけ合いの心を持って通れよ。我が身の事は思わずとも、神が見分けて心だけよいようにしてやるで』との仰せなり。
諸井政一 正文遺韻 250〜251頁
さっちんさんが「そういうことを書かれると、逃げようとしている足に、鎖かまを投げつけて巻きつけられ、ズルズルと引き寄せられるような感じです」と仰るように、皆がこうした厳しい教祖のお言葉を聞くと怖がるので、教典、教祖伝、逸話篇には掲載されていないと思案します。計算ずくですよね!
さっちん 2017年2月23日 7:22 PM
インターネット完全管理ははっきり言って無理です(笑) 国家レベルの中国共産党ですら完全管理は出来ていません。削除以来程度でしたら本部だろうが個人だろうが誰でも出来ることです。 仮にIPで特定しようにも地域までは出来ますがそれ以上は中々難しいものです。したところで犯罪性など決定的なものでない限り何も出来ません。そもそも犯罪性の有る書き込みなら警察が動きます。「本部がインターネット対策室を作っている!削除される!」などの書き込みをよく見ますが、たしたことは出来ていませんしむしろ対応が遅すぎてもう後手後手です。それにいくらパソコンと若者集めても、教理改竄や犯罪性のある行いを積み重ねている時点でそのパソコンと若者も無意味 まずインターネットなどの認識がまったく持って出来てないのでしょう。 本部のパソコンやネットに関しての認識は10年は遅れてます。
通りすがりの教祖の弟子 様
詳しいご説明有難うございました。しかし、一、二度読んだ限りでは、非常に怖く感じますが、要は、人間として道を踏み外すな(つまりお道ということになるんでしょうね。注:天理教ではございません。)ということでございますね。
このおさしづからしますと、天理教のそうそうたるお偉いさん方は「恩に恩が重なって」来世は牛馬でございますね。ホホホ・・。
切り言葉、私、上級会長には、結構つかってますけど、しかし、追い払わなきゃ、いつまでもしがみついて来るもんで、これくらい許して頂きたいのですけどね、神様には。相手が悪いのだから(笑)。
神様に対する切り言葉ではありませんので・・。(弁解) (;^_^A アセアセ・・・
社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)_国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
統一協会の責任を認めた判決の概要
http://www.stopreikan.com/hanketu/hanketu_gaiyo.htm
統一教会の責任を認めた最近の判決 | リリアンのブログ
http://ameblo.jp/rennbo-mayu/entry-11775407301.html
とてもよく似たことで献金させられた方、相手側は違法行為(犯罪)である可能性が高いと思います。お金を返してもらえる可能性もあります。警察や弁護士に相談してみてください。
告発とは
犯人以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示をいいます。(ちなみに、犯人自身が申告するのは自首です。)
次の要件を満たす必要があります。
犯罪事実の申告があること。
犯人処罰の意思表示があること。
告発人は実在する人物であること。
傷害罪の第三者による告訴について – 事件・犯罪 解決済 | 教えて!goo
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暴行、傷害は犯罪です。第三者でも告発出来る可能性があります。
有力な証拠、証言が必要になると思いますが、被害者を助けてあげて下さい。
宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
【幇助犯・教唆犯|犯罪の手助け・そそのかしだけでも犯罪になる】 | 刑事弁護 | 東京・埼玉の理系弁護
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宗教団体(宗教法人)による違法行為(犯罪)に関係していた場合「犯罪(違法行為)だとは知らなかった」「私は関係ない」は通用しない可能性もあります。
無料で相談出来る弁護士事務所もあるみたいです。
被害にあわれた方は相談してください。
匿名 2017年2月24日 4:53 PM
中田善亮 山澤廣昭 の2人だと各直属教会 脅してそうだな(笑)あいつら評判悪いからなー 今後も教団内は問題山積すしそうやな ネタが尽きなくて良かったわ(笑)
堺大教会と言えば先頃、詰所が取り壊しされていましたね。
大分古い木造でしたし、まあ取り壊しも納得かな。新しい詰所でも普請するのかしら。
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必要のないことを無理矢理させるのは強要罪になる可能性があります。
店員に土下座を強要した人が逮捕された事件もあります。
行動の強要や金銭の強要があった場合、警察に通報、弁護士に相談して下さい。
天理教あるある 2017年2月24日 7:06 PM
本当言論の厳戒態勢(笑) 本当あほらしいですね(笑)そんなんで大教会はじめ本部など教団全体の言論を抑えられるわけ無い(笑) もう時代が変ったと言う事が50~60代以上の人間にはわからないのでしょう。先日もコメントであったように言論統制は国家レベルでも出来ないこともう無理です。つまりその自由な言論空間を恐がると言う事は本部もその大教会も何も教理を理解出来て無いと言う事です。とうとう尻尾を出し始めましたね(笑) 再三再四こちらでも言われてますが本部はじめその様な大教会は天理教で無く異端である!おやがみも おやさまも異端は許さず!本部もその大教会も倒せ! です。皆さんもお気づきでしょうがこちらはのコメントでも時よりトンチンカンなコメントが来てますがおそらく本部が火消ししに着てるのですが毎回失敗してるのでしょう(笑)
さードンドン異端本部の歴史を暴いて、全教一丸と成って 異端中山とその側近を教団から追い出してやりましょう!
教団衰退と資金難の問題は、もう二代と三代真柱の負の遺産だと明確に言える。
三代真柱の ゆたつ3号 に世情働きするな との文言が明確に書いてありそれにより教内では、「みち一条衆 と 世情働き衆」 などの見えない派閥抗争が起きていたのは事実、これにより教団内のお供え(お布施)は減少の一途をたどる。
二代真柱に至っては、バチカン被れになり、膨大な維持費を生んだ おやさと館建設
これらの先代の負の遺産をどう払拭していくか? がどの家でもある使命であるわけで、それを出来ない中山家がファザコンマザコン家系であると言い切れる。現にいい年に成った真柱が前真柱に「パパ~あれでよかった?」と甘え口で話しかけていたのは本部や在籍者内では有名である。
ツイート情報
「堺大教会の詰所はとても古くて雨漏りしたり、風呂は一人用で交代でしか入れない。トイレを近年、急ぎで新しいのに作り替えたのに、ちょうどその新品トイレの場所を、本部が更地にしてよこせといってきている。みな激怒している。中山家側は賛成、そうでない側は反対。なぜならお金がないから。
(土地の一部を差し出せ、というのは、どういう訳で?)
「そこまでは調べてないのですが、天理本部の建物をぐるーっとでっかくする計画があるそうで。その地図を見たのですが画像はとれず。でも、市内を取り囲むような建築物でしたよ」
あのオウム真理教ですら、ある部分は真理を言い表していたにちがいない。 でなければ、あれだけの信者を獲得できるはずがない。100パーセントウソっぱちだったならば、いくらなんでも騙しとおせるはずが無いからだ。
どの宗教にも、真理である部分と、真理ではない部分が存在するのではないだろうか。
だとすれば、単一の宗派のみを、完全に信じ込んでしまうことは非常に危険な事と言わざるを得ない。
それぞれの宗教の、真理だと思える部分を各自が取捨選択して、自分だけのオリジナルの教義を創り出すことが、真理に近づくためのより良い方法だと思う。したがって、それは既存の宗教のように固定化されたものにはならず、常に模索されるべきものである。
大体、日本の一地点を指定して、そこが聖なる場所だなんて、おかしいと思わないか?
この無限の宇宙を創り出した神が、そんなみみっちいマネをするとでも?
神の目から見れば、聖も邪もない、上も下も無い、分けへだてなどないのだ。
天理教などしょせん日本国内限定の宗教だと、これでもうバレバレなのだ。
そもそも「ようぼく」という用語が気にくわない。
お前らは神の奴隷なのだと言わんがばかりではないか。
違う。
この世に神でないものなどなにもない。
この世界はすべて神でできている。
ひとりひとりは実は神なのだ。
目を覚ましなさいよ。
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行動の強要や金銭の強要など必要のないことを無理矢理させるのは強要罪になる可能性があります。
店員に土下座を強要した人が逮捕された事件もあります。
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1歳女児暴行死でわかってきた「悪魔払い」の状況がひどすぎる – NAVER まとめ
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憑依妄想 | なんでも雑記
http://ameblo.jp/banana-8t1e/entry-12174993003.html
この事件では「私には神の手がある」という言葉、暴行、金銭の受け渡しなどがあったみたいです。
犯罪(違法行為)は警察へ通報、弁護士へ相談して下さい。
うわー天理教の弁護士も結局金欲しいだけの洗脳された弁護士しかおらんのか? 最低やわ よろず相談所の役員名簿とか見たら結局同じ人間が利権むさぼってるだけど状態(笑) なんだ既得権益が信仰か? そんなんで騙せるとでも思ってる教団があほらしい。 もう脱退するわ 脱退してお布施減らした方がいいわな
わお 2017年2月25日 6:22 PM
そやなーそもそも おやがみさま おやさま の教えに本部が絶対で偉いなんて書いてないしな、ここ最近ネットで言われるように成って本部もあたふたしてきたんだろうけさ、元々本部が耳を傾けてなかったからだろ(笑) 「不足をするな!」と偏った教え込みしとったよな(笑)不足させる本部は悪くないんか? ええ加減にせえよ!無為だな建物建ててろうひしたくせによ 勝手に潰れろ 天理市界隈でももうゆうめいなはなしやで 本部はもうおわりやってな
はじめまして。いつもこのブログを我が信仰の心の教科書として拝見させていただいております。私は天理高校の二部出身で、在学中から本部役員や教会長どものふざけている姿を見ておりましたので、天理教の教えは素晴らしいとしても自分自身で信仰をしようとはとても思えませんでした。いま現在、教会に住んでいますが信仰はしていません。でも協会が独自で新聞をだしていますが、今度このブログを紹介したいと思っていますがよろしいでしょうか?
【Twitter】 てんりさん @ten_ri_san のコメント
>Twitterでも話題になっている大教会の乗っ取り。
>しかし、噂になっている大教会の教勢を考えると、本部がリスクを負ってまで乗っ取る意味があるのだろうかと思ったりもする。
#天理教 #大教会 #世話人
2017/2/23 18:15
私、実は昔、この大教会に行かせていただいたことがあります(詳細は控えさせてください)。
指定の駅に新幹線で到着。お迎えの車に乗せていただいて挨拶もそこそこに、「ここから大教会までは、どれぐらいかかるのですか」と伺うと、「到着しました。ここです」と。 ものの2、3分でした。あまりの近さに驚いたのを記憶しています。
そして研修会の後の会食にて、教会の皆さんと話がはずんで遅くなり、夕闇が迫りはじめた頃に大教会をあとにしました。すると周辺はキラキラきらめくネオン街!十数人もの呼び込みの男性たちが通行人に声をかけ、車に向かって手招きをしていました(唖然)
これはあくまで私の推論ですが、本部はこの大教会の不動産までをも狙っているのではないかと思います。
好立地で、天理教事典には「三千余坪」とあります(街中であの土地はスゴイ)。実際の評定価格などは分かりませんが、なかなか高価な土地なのではないかと思うのです。
それで乗っ取って政権を掌握、土地の名義も変えてしまえば「本部の飛び地境内地」。その後はどうにでも好きなようにできますよね。
たとえば、それを売却して、ひっ迫する本部の会計に補填しよう、などの「もくろみ」なのではないでしょうか。
2017年2月26日 6:39 PM自称中道派 様
カインさんは胸の内で了承されると思っていますが、教会関係者の態度が心配です。
あなたの教会でのお立場が分かりませんので、可否を申し上げることは出来ません。また、どのような内容を投稿されたいのか、とか、信者さん全員にブログを紹介されたいだけなのか、あるいは、住んでおられる教会関係者にブログの存在を紹介したいだけなのかなど色々なケースが考えられます。
現住の教会の雰囲気とブログに投稿されている内容との温度差を勘案されて判断されては如何でしょうか。
私事で恐縮ですが感じたことを簡単に書いておきます。僧祖父母の代からの信仰を継いできたものですが、余りのお供え攻勢と天理市近くに住む知人から教団が真の天理教ではなく中山教であるとの助言を受けて5年前に天理教から離れたものです。
ただ、私は社会に出て曲がりなりにも管理職に就くことが出来ました。そして、何より父母の薫陶を受けて
部下や周囲の人たちに低い心で接することが出来たのは教えの一端が心の隅にあったからではないかと思っています。
それでも、思う事は今の教団は余りにも酷すぎます。本当のことを云うと異端と云われかねない雰囲気です。
常々、親神様・教祖にお喜び頂くと云いながら、教祖の足跡を消そうとしていることを知人から聞き、何を隠そうとしているのか、得体のしれない怖さを知ったからです。
教団関係者は、「聞き分け」を連呼しますが、むしろ、聞き分けをしなければならないのは教団関係者、とりわけ現場の教会長の方々です。言い訳をしようものなら、聞き分けが足らないと一喝するのですから話し合いも何もあったものではありません。(私の経験から感じたことです)
あなたが良かれと思ってされたことが、かえって窮地に立たされるようでは元も子もありません。その辺の雰囲気を勘案されて判断をされては如何でしょうか。
匿名 2017年2月27日 8:29 AM
その乗っ取り事件の話私も聞きました。なんだか本部側が詐欺行為を繰り返して大教会側に発覚したそうです。
大教会側と裏切り者で裏切り者を養成したのが本部らしいですし話を聞く分には大事件の香りしかしてませんでした。
本部はこちらにも書いてあったように、「謝罪する気が無く逃げ回ってる」そうです。それを追求する教会側、裏切り者を擁護する本部と弁護士会長らしいですが、他から見ても裏切り者と本部の言い訳が見苦しいそうです(笑)
その人曰く、「本部が折れないで推し進めたら事件は確定知るだろう」と言ってました。教会側が丸く治めようにも本部側の島村氏もかなり問題があるようで、「偉そうに言っていたかと思えば翌月は言ってない」など二転三転コロコロ意見を変えてるそうです。 「女はだまっとれ!」等の発言もしてるのに、して無とか言い出す始末 「島村は無責任で男らしくない」とその方はいってました。 その島村氏と本部の補助2名のおかげで本部のことを誰も信用できなくなったって言ってました。やっぱり現場では「本部の高慢さと愚作で泥沼化」してるそうです。 私はその話をしてくださった方にも訴えることをお勧めさせて頂きました。(笑)むしろ内容的には他人の私でも訴えることは出来る感じでしたよ(笑)
今後も楽しでした(笑)
社会学さんに書いてあった内容は大きく間違ってなく正確でした。今後とも愛読させてもらおうと思いました。
私の長姉(63歳)が、4人姉兄の中で唯一教会へ嫁ぎ天理教を信仰しています。
今年、還暦を迎えた独り身の兄のことと、お墓のことを相談に長姉の家に相談に行きました。
兄にもしもの時はどうしたらよいか?と聞いたら「死んでも私に連絡せんといて」と、天理教で食べている身でありながら、すごいことを言う。
そして、私に40年近く前に亡くなった母の霊璽と父の霊璽を「あんた、持って帰って」と、私はこの霊璽は、仏教での位牌だと思って、抱きかかえて帰りました。
教会の御魂に供えるのかと思いきや、50日祭の過去帳に移す仮の位牌だったんです。
とっくに、しかるべき形で納める霊璽を何十年もほったらかしにしておきながら、今更天理教信者でもない私に返すんです。本当に困りました。
両親が信仰していた教会の会長に、この経緯を話をしても「神さんに手を合わせとるか、教会に参らな助からんぞ」と本題に話が進まず、上級の会長に聞いても「僕ではわからん」と情けない返事。
大教会長に聞いて、やっとわかった始末。
私もこのついでだから、「天理教って下からお金を吸い上げて、大教会も立派な神殿ができましたね。」と言ったら、大教会長、即答で「教えは上から下に流れる」なんのこっちゃ!
まあ、こんな具合で、知り合いの宮司さんに頼んで、霊璽をしかるべき形で納めることができました。
天理教って最低!姉保奈美も最低!これで大教会の婦人会№2の位置にいるんだって!
本部だけが腐っているんじゃなく、ほとんどが腐ってるよ。
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「教会に参らないと助からない」などの発言は脅迫罪(強迫罪)の可能性、その発言によって被害者が恐怖する、発言した人物からの金銭の要求や金銭の受け渡しがあれば恐喝罪の可能性があります。有力な証拠、証言が必要です。警察、弁護士へ渡す必要がある場合、犯罪(違法行為)があったと思われる日時や状況を出来るだけ詳しく記録、また有力な証拠や証言となる場合は音声や画像は録音、撮影して記録して下さい。
宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
天理教は、強迫、恐喝で信者を代々繋ぎ止めてきた歴史があります。
私自身、28歳の時に自教会を売却した身で、天理教用語の下品な言葉に慣れてしまい、また始まったこの天理教馬鹿がくらいにしか思っておりません。
以前は、法テラスに相談にして対処の仕方を教えてもらいました。
天理教と関わらないことが最善なので、これで姉とも絶縁します。(寂しい事です)
南紀大教会の部内教会の会長夫婦は、お金を得るために偽装離婚しました。
直接本人から聞いたら話ですが、離婚してからの方が夫婦仲が良いらしい。
そして、うつ病の信者を教会に住みこませ、車を買ってもらったりしてますよ。
告発とは
犯人以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示をいいます。(ちなみに、犯人自身が申告するのは自首です。)
次の要件を満たす必要があります。
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犯人処罰の意思表示があること。
告発人は実在する人物であること。
傷害罪の第三者による告訴について – 事件・犯罪 解決済 | 教えて!goo
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8645976.html
宗教団体(宗教法人)による犯罪(違法行為)があれば、親、子供、親族、友人など罪に問われる可能性があります。
【幇助犯・教唆犯|犯罪の手助け・そそのかしだけでも犯罪になる】 | 刑事弁護 | 東京・埼玉の理系弁護
http://www.mc-law.jp/keiji/13088/
宗教団体(宗教法人)による犯罪(違法行為)に関係していた場合、親、子供、親族、友人などでも教唆罪、幇助罪の可能性があり「犯罪(違法行為)だとは知らなかった」「私は関係ない」は通用しない可能性があります。
宗教被害・宗教トラブル | 福岡の弁護士 古賀克重法律事務所
https://www.lawyer-koga.jp/religious/
集団訴訟の長所と短所 | 全国発リーガルジャパン弁護士ブログ
http://www.legaljapan.jp/blog/?p=4605
宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
匿名さま
天理教被害者として、今後は録音して記録に残し訴えていきます。
参考にさせていただきます。
匿名 2017年2月28日 2:08 AM
貴方の性だけではない。異端本部信仰の性です。その様な行動を取っていては異端真柱本部と変わらんと言いたかっただけです。困ったら 大教会の性?部内の性?信者の性? それでは異端本部と変らない!そうなる前にどうにかするのがおたすけ人!異端本部の偏った教えを信じていてはたすかるものもたすからない!異端とも気がつけない現状の本部にこの先御守護ももう無い。見せられるは悪しき因縁有るのみ 貴方もそれを痛感させられた出来事だったのではないでしょうか?
あなた自身も大分お疲れの様子、事件は警察やケースワーカー 自身は病院などに一度相談されると良いです。
おたすけも出来ない異端本部信仰は終焉を迎える。どの信仰者にも全てその出来事が起きる。気が付いたものから周りのものに伝えよ!皆おやがみの用木である。用木には全て神が降りる。真柱も本部上方も困っておろう何故かわからんか?皆神が困らせてるのだから 「これからハうそをゆうたらそのものが うそになるのもこれがしよちか 」
真柱を上方におく為に嘘を付き今まで頑張って来たがもう終わり、嘘吐き異端本部が真柱や本部上方が嘘になる日がきた。本部は神を捨てた だから神から捨てられる用木達は用意は出来たか?いつ気づくのだ?誠真実の邪魔を本部がしてるのは皆気づいてるだろ誠真実を語る時代が来たのです。
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よく似たことで献金させられた方、相手側は違法行為(犯罪)である可能性が高いと思います。お金を返してもらえる可能性もあります。
告発とは
犯人以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示をいいます。(ちなみに、犯人自身が申告するのは自首です。)
次の要件を満たす必要があります。
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暴行、傷害は犯罪です。第三者でも告発出来る可能性があります。
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「教会に参らないと助からない」などの発言は脅迫罪(強迫罪)の可能性、その発言によって被害者が恐怖する、発言した人物からの金銭の要求や金銭の受け渡しがあれば恐喝罪の可能性があります。
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宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
(天理初めてのS・Kさんの修養科中のブログ)
<弱者への配慮のない担任教師にぶちあたる>
11月3日火曜日
昨日から、修養科の授業がスタートしている、ことになっている。
今日は、自己紹介。
その前に、クラスごとに「組係さん」と呼ばれる人を決めるのが通例で。
1番さん。
2番さん。
4番さん。
なぜ3番がないのかは知らないけれど、
これは、生徒が決めるのではなくて、
担任が「本部ルール」で好きに決める。
1番さん=とても大変、クラスのまとめ役であり、
うちの場合、担任の先生と尻拭い役でもあった。
本部ルールでは「天理教会の関係者であること。若い子であること。」
この若い子ルールは後でまた詳しく。
軽くふれると、
天理では「女は子どもを産むのが当たり前と考えられている。
はっきりいって、over30で結婚してないと、なんで? そんないい歳になって、と面と向かって言われ、
over35で独女は青年会に入れなくなり、
over40で婦人会に事実上入れてもらえなくなる。
(旦那さんは? お子さんは? どこか具合でも悪いの? 質問攻め
で、話を戻すが、
2番組係さんは担任の「秘書」なので、「若い子」
そして、教会関係者。
うちのクラスの担任はものすごく勘違いしていた男性で、
若いきゃぴきゃぴの女の子=自分のことを20歳すぎて「●●子ね~」
としゃべっちゃう、かわいいキャバクラ系の女の子。
担任はこの2番さんを三ケ月間、傍にはべらせて、
「●●子」、と下の名前で呼んで、
特別扱いするものだから、その内、
当然、2番さんも勘違いし始めて、
「あなたたちの出席は、●●子のむねしだい!」と言い出す始末。
この子は、クラスのみんなが密かにこの子の文句を言っていたのを知らない。
別に知らなくてもいいけれど、
天理ってさ、
そーゆう良くない癖性分を直そうと努力するところだと思っていたから
がっかり。
で、4番さんは本部ルールで「看護師」
完璧にすごくいい人。
なにせ病人が多い(病気を治したくて来ている人が多いのね)
4番さんにはとてもお世話になった。
あ、1番さんもね。
で、まぁ、うちのクラスは後々、責任感の強い1番さんと担任が大ゲンカ。
1番さんと2番さんがケンカ。
そりゃそうだ。
信心深い1番さんにとっては、
とんでもないクラスに当たってしまったのだ。
895期の〇〇〇組がスタート。
今や誰でもスマホを持ってる誰でも写真をブログに上げるツイッターに書くラインで友人に、そこに個人の感想が付くのは当然のは当然のことです。つまり総監視状態とも言えます。そこを気に出来ない天理教団の方がおかしいのです。
その昔から、創価学会 統一教会のスパイは幾らでも入り込んでいた。その対応をしてこなかったマヌケ本部、今では部内の信者から乗っ取り事件や教義改竄などの指摘を受けてるだけなのに、「ネットの情報は嘘だ!誹謗中傷だ!」と書き垂らす天理時報に皆幻滅、こんな教団だから今のこの様になってるんです。今後の本部の不祥事はドンドンネットに上がってくることでしょう。皆がスマホを持ちネットに繋がっているのですから、乗っ取り事件の情報の速さと正確性はまさにネット社会の賜物と言えるいい教訓だと思っております。
宗教団体の責任を考える上での主な裁判例
http://masakikito.com/syuukyou.hanrei.frame.htm
宗教被害・宗教トラブル | 福岡の弁護士 古賀克重法律事務所
https://www.lawyer-koga.jp/religious/
集団訴訟の長所と短所 | 全国発リーガルジャパン弁護士ブログ
http://www.legaljapan.jp/blog/?p=4605
宗教法人(宗教団体)による犯罪(違法行為)には使用者責任があります。
犯罪(違法行為)があった信者に関係した同じ宗教法人(宗教団体)の人物は罪に問われる可能性があります。
宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
告発とは
犯人以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告して、犯人の処罰を求める意思表示をいいます。(ちなみに、犯人自身が申告するのは自首です。)
次の要件を満たす必要があります。
犯罪事実の申告があること。
犯人処罰の意思表示があること。
告発人は実在する人物であること。
傷害罪の第三者による告訴について – 事件・犯罪 解決済 | 教えて!goo
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8645976.html
暴行、傷害は犯罪です。第三者でも告発出来る可能性があります。
2015年度前期刑法Ⅰ(総論) 第10週 未遂犯・不能犯・中止犯 – Rechtsphilosophie des als ob
http://blog.goo.ne.jp/rechtsphilosophie-des-als-ob/e/e2b5de31ec3d2e99afd35cba9696fe2e
宗教法人(宗教団体)による犯罪(違法行為)が結果的に発生しなかったとしても、犯罪(違法行為)を実行しようとしていた準備や意思があれば罪に問われる可能性があります。
宗教法人(宗教団体)でも犯罪(違法行為)があれば警察に通報、弁護士に相談しましょう。
初めて、参拝して、いきなり修養科に入った、S・Mさんのブログより。
(中々、鋭い記事になっている)
(修養科は)よっぽどのことがない限り受かるのですが、
よっぽどのことがあると落ちる。
例えば、殺人とかやっちまって、
三ヶ月身を隠す為にやってきているとか(実際にいる)
教会ごとのノルマの数を達成する為に
もう本当に死にそうでよれよれの車いすの高齢者を修養科へ送りだす
(これは、いました)
とかね。
教会ごとのノルマというのは、
初代(新参者、興味、勉強の対象として天理にいったもの)の私が知ったところでは、
「本部>大教会>分教会>部内の分教会>布教所」という組織の中で
本部から下へ下へと課せられるノルマである。
この年は、親様(中山みきさんのことね)の130年祭というやつで、
このノルマが大変だったそうで。
教会ごとに、修養科という学校に何名以上入れること!
という命令(これを都合よく言い換えると目標ね)がくだり
頭数が揃わないと(そりゃそうよ、信者激減してるものね)、
教会や布教所の奥さんや友だちや顔見知りや、
はたまた二回目、三回目の修養科生がやってきていましたわ。
>頭数が揃わないと(そりゃそうよ、信者激減してるものね)、
教会や布教所の奥さんや友だちや顔見知りや、
はたまた二回目、三回目の修養科生がやってきていましたわ。<
参加者がいないから、なりふり構わずと言った感じです。私は開き直っていますから、黙って軽蔑しながら見ています。馬鹿馬鹿しいあほの集団だと。
会長の妻や、親族、子供など、手あたり次第に行かせてます。それでも芯のしっかりした人や一般から教会に嫁いできた奥さんなどは、疑問に感じるらしく、主人である会長と喧嘩をしながら拒否する人は拒否してますが。今の修養科は二回目、三回目の教会関係者ばかりです。うちわでぐるぐる回しているだけのこと。
要するに大教会へのノルマ達成。また、教会としてのメンツ。部内教会はその上級教会長のメンツのためにいちきり振り回されるのです。
ホトホト現体制のあほさ加減に憐憫の情さえ感じます。
中間教会は大教会へのメンツのため、大教会は本部へのメンツのため、部内を食い物にしながら生きてるようなものです。一般の方にこんな集団に入って頂く「においがけ」など出来るはずがない。私にも良心というものがありますからね。本当に潰すか再生させるか何とかしてほしい。
ちょっとお邪魔します。
少々気になったところがあるのですが、天理教では中山みきの遺文をすべて公開している
わけではないのですねぇ。教典そのものと言える遺文の一部をあえて非公開、二次資料も無しと。
これ非常に危険なことのように思えますがねぇ。単に本部にとって不都合なだけであれば良い
のですが、もし信者の方々の信仰心そのものを吹き飛ばすような衝撃的な内容だったら
どうなるのだろうと少し心配しますよ。なんせ私も教団こそ違え経験者ではありますので。
30年前のことを書いて何?、という書き込みを見たが、歴史はその時の流れに乗っている。途中に大きな改革なり革命でもあったのか。早川和廣著・天理教 その腐敗と悲劇を反省材料にしていれば教団の今は少し違った形になっていたのではないか。懺しろ、反省しろと耳が痛くなるほど聞いてきた。真柱はじめ教団幹部は一度でもこの言葉を聞いたことがあるのだろうか。
【Twitter】天理教社会学研究所
@tenrisyakaigakuさまのコメント
>昨日からコメント投稿者の名前が錯綜しており、裏付けのない個人情報が多く含まれているコメントが散見されます。
>削除依頼も複数届いていることから、3/1の0時をもって、当該の一連のコメントを削除致します。
2017/02/28 22:59
教区はスパイ天国なのか・・・様
2017年2月27日 12:36 PM
情報提供ありがとうございます。いつも楽しみにしております。
>裏切り者を擁護する本部と弁護士会長らしいですが、他から見ても裏切り者と本部の言い訳が見苦しいそうです(笑)
弁護士会長が擁護となると弁護し始めたのですね・・・本部と裏切るものは真黒と言ってるようなものじゃないですか(笑) これ揉めたら本部は負けるから内密に示談すればよくて争ったら本部がまずいくなると、友人の弁護士もこの件を注目していて言ってました。 (判例がなんだとか言ってました)弁護士が副業で弁護士面してるのも世間一般的に如何といってました。俺なら恥ずかしくてしないともいってました。私もその弁護士会長の講演を聞いたことがありましたので幻滅しました。
本当に本部がここまで最低だと思いませんでした。
>耳ダンボ様 2017年3月1日 4:37 PM
>裏切り者を擁護する本部と弁護士会長
本部というのは島村廣義、中山治信、高井久太郎の3名のことですよね?
弁護士教会長(どっちが本職なんですかね?)というのは羽成守のことですよね!
教区でも、支部でも、うちの大教会でも、噂でもちきりです!
本部も、悪徳弁護士も、もっとズル賢いのかと思いましたけど…
いずれにしても幻滅です。
教祖130年祭の前年に、私の知人も2回目の修養科に行きました。天理大学まで卒業して、教会の五男坊というだけで。
80歳近い年齢ゆえに大変だったようです。して、何か悟ることでもあったのかと聞いたところ、その感想は「修養科とは歩くことだと見つけたり」だそうです。
全くの数合わせ以外の何物でもありません。
いずれにしても幻滅です。
(初めて、参拝して、いきなり修養科に入った、Mさんのブログより。正直な気持ちが綴られています。教会関係者には大いに参考になると思います、)
天理本部にある神殿を見学!(^^)!
いい天気
暇だったし、本当にいいお出かけに。
まずは、神殿でまんなかに「カンロ台」というものがあるところ。
甘露飴と同じ漢字を書いたかな、忘れた。
ここだけ天井が吹き抜けになっているけれど、空は見れない。
なにせ、結界があって、それ以上進むと警備員がすっとんでくるのだ。
あと、賽銭箱の周辺だけでなく、あちこちにものすごい数の監視カメラ。
私はこれにたまげたわ。
だって、人を信用していない証拠よね。
この後、教科書の逸話編で、みきさんがドロボウさんに米を与えたと習うのだが、
監視カメラのことを思い出しちゃって、
あたし、しらけてしまった。
親様(みきさんのことね)の教えを実践する!って
何百回も聞くんだけど、
???
なんともはや俗世の人間関係縮図でした。
匿名さま 2017年3月1日 6:54 PM
>本部というのは島村廣義、中山治信、高井久太郎
>弁護士教会長(どっちが本職なんですかね?)というのは羽成守
こんなに情報が出てくるってことは、もうこの事件の結末が近いということなんですかね?
ついに鉄槌をお振りになられるんですかね、あの大教会??
詳しい方、情報お願い致します!
>ゆうたろう@tenri
>2017年3月2日 2:15 PM
>こんなに情報が出てくるってことは、もうこの事件の結末が近いということなんですかね?
>ついに鉄槌をお振りになられるんですかね、あの大教会??
ちゅうかこの際やし、全部逝ってもろといた方がええんと違います?
島村、中山、高井、羽成、あとその裏切り者とかいう部内の連中も!
植田義弘氏「天理教の歴史と現実=信仰の自立にめざめよう」より。
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/blomaga/rekishi-genjitu.pdf
<枯れかけている枝葉>
教祖百年祭以後、天理教という大樹の凋落は誰の目にも明らかになっています。枝先の葉は落ち、ほとんど花は咲かず実も結ばない樹木に比べられる現状といえるでしょう。
天理教を少しでも客観的に観ることができる人は誰でも、今のままでは、将来発展するどころかジリ貧になっていくことは自明の理と実感しています。
仮に部内教会が何カ所・何十カ所あっても、枝先の末端教会が枯れていけば、幹も枯れてしまいます。幹や根にあたる直属教会や教会本部は、社会の土壌から養分を吸収して枝葉に送り込む力を失っています、もちろん肥えとは金銭だけではなく、現実に対処するためのあらゆる情報が含まれています。
今や枝葉が落ちて枯れ木寸前の状態があちこちで見られます。世の中の人々も天理教に無関心で、振り向いて見ようともしなくなっています。
もちろん1万7千カ所の教会の中には、特別に環境や肥料に恵まれた樹木に例えられるような教会もあって、今でも珍しく花を咲かせています。教内の報道機関は、そうした珍しい花や果実ばかり探して紹介しているのが現状です。
それでは天理教という教団を活性化する方法はあるかと言えば、殆ど再生のエネルギーは残っていないと断定せざるを得ないのです。
何故ならば、先々の教会の後継者の多くは、上級教会を支えるために自分の一生を費やしたいとは思わないで、教団の改革を望むより教会を離れて社会に出て働くことを選択するほうがよいという空気になっているからです。まして高齢化したようぼくの次の世代は教会に近づこうとはしません。教会数からいえば、こうした末端教会が全体の3分の2を占めているのです。
そろそろ後継者講習会のお話きてませんか…?
私は、「絶対プラスになる!必要ならご主人様にもお願いに行くからぜひ説得して!」
…私が行きたい前提になってる(T ^ T)
すみません。分かりにくかったかもですか、いきなり話を持ってこられ、
カッコ内のように言われました。
こちらを閲覧している対象年齢の方、どのように対応してますか?
ちなみに10年前は行きましたが、この10年で教会側と色々あり、かなり印象悪くなってます。
20〜40歳の方 様。
>「絶対プラスになる!必要ならご主人様にもお願いに行くからぜひ説得して!」
空気も読めない。相手の気持ちも分からない。一方的な言葉ですね。
洗脳されて、上から言われるまま、何の疑問も持たず伝えているのでしょうね。
哀れに思いますし、気の毒にも思います。
あなたは、自分の意思をしっかり持って、行動をして下さいね。
【〇〇創立××年記念祭を目指して「おつとめ奉仕者の育成」に一層力を注いでご努力下さる上から「総出月次祭」実施して頂く運びとなりました。・・大教会から「おつとめ推進員」が派遣され、一緒にお役を勤め、祭典講話をさせて頂きます。略 】
大教会から来たハガキです。文章は低姿勢だが、内容は、上からの命令という、まことに理解しにくい不可思議な文章。
天理教秋田支部 秋田県男鹿市の船川港分教会の元信者です。僕も天理教には失望しました。自分は10代から活動してたのですが、最初の頃はそこの会長からひのきしんやらで一緒に活動をしてたのですが、30代になり、僕が病気を患うとあまり連絡がこなくなりこっちが悩みを打ち明けてもその後連絡がきませんでした。ひのきしんやらやってた頃は連絡が頻繁にきてたのに自分がこういう状況になると連絡が来なくなるという事に僕は驚きショックを受けました。天理教は人助けやら陽気暮らしをうたってる割にはやってる事はそんなものなのかと思いました。実際そこの会長も神の教えがどうのこうのとかこうしなきゃ駄目だとか訳のわからない事が多かった気がします。
やはり元凶は本部です。
そして本部に逆らえない、または右にならえで、同じようにする直属教会がすぐその下にあり、またそれにならってやっている部属教会もある。
しかし中には、それらの過ちに気づき、真の月日親神・教祖の教えを追求、または本部以下の組織に反旗を翻している教会や個人もたくさんいるのも事実。
月日親神・教祖、真柱の仰ることと、本部の組織的にやっていることが、まるで違うのが大問題。
真柱以下、つまり両統領からが狂ってしまっている者が多いのである。
「竜頭狂えばみな狂う」という〝おさしづ〟があるが、まさに本部の体制を批判したお言葉、あるいはその予言であると思えてならない。
嘘に嘘を重ねる天理教に未来はないと断言する。親神様・教祖にお喜び頂くと口を酸っぱくして唱えるが、行っていることは真逆。先人方の書物を発禁にするくらい朝飯前。酷いことに、教祖の足跡も消そうとする。
挙句の果てに、誰が出版の責任者かさえ不明の書物を出版する青年会。ましてや、解説書であればなおさらのことではないのか。
それに比べて、「永岡崇氏著・新宗教と総力戦」は説得力抜群である。
天理太郎様
私も同じような経験をしました。
子どもの頃から結婚するまではあれこれ世話を焼いてくれましたが、
あるとき私ら夫婦に事情が起こり、私も疲労困憊のとき、水を得た魚のように偉ぶり、
修養科だの、今こそご主人様を別席へだの、行事に参加すれば助けていただけるだの。
私が少しでも渋ると「誰のためにやっとることや!」と怒鳴る。信者なんて、人員確保としか思ってない人もいますよ(意識的にじゃなくても)。
その事情というのも夫の暴力(モラハラ含め)で私が実家に身を寄せていたという事なのですが、
暴力や子どもへの虐待などは「聞かなかったこと」にされました。でしょうね、知ってて黙っていたとなれば都合悪いですから。
挙句に教会の奥さん「私、この結婚はやめたほうがいいと思ってたのよね」だってさ。
あんたがよその教会の人に「信者さんゲット」(夫は未信者です)っていってたの知ってるからね。
ここでは大教会や本部、お供えの不透明さや法律のことが盛り上がりますが、
もっともっと日常で行われていることも明るみにしたほうがいいと思います。
Yahoo知恵袋に、こんな相談が来ています。今「バリ天」と言われている人が、教会に嫁ぐとこうなってしまうのかも知れません。
普通の常識があって、その上で信仰心があることが、求められます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12171129157
<天理教について質問> 私の上の姉が天理教の教会(小規模らしい)に嫁いで10年近く経ち、他県なので年賀状のやり取りくらいで実家にも帰省せず家族とも殆ど疎遠でした。私は大学卒業後、実家がある市から遠い街で独り暮らししながら何とか難関を突破して公務員試験に合格し、数年前から地方公務員になりました。
問題が起きたのは去年下半期に天理教に入れと何十回も電話やメールを受けた事、今年早々職場を辞めて信者になれという電話やメール。それから1ヶ月も経たずの昨日から常識を越える回数の電話やメールを受け取り困ってます。
その内容は…
私がまず信者になる事。次に仕事で貯めた預貯金を全部教会に献金する事。次に職場辞めるか今の職場で布教し、何れ職場を辞めて姉の教会か大きな教会に住み込みする事。次に天理市で研修を毎月受ける事。次に3ヵ月間天理市で修行する事。その後もっと遠くの町で布教して信者候補を姉の教会に連れて行く事。これは期限がある約束なんですがトータル10人以上の信者を今年中に作って来年度の行事に参加する事。それを素直にやらなければ○美(私の名前)の得が切れて寿命も無くなるという感じです。
公務員には規定や法律があり職場で宗教活動は無理だと言うと、それは人間の勝手な言い訳、無理だと切り口上に言い捨てるアンタがおかしい、得も命も切れる。神さんには無理という言葉は無い、無理と勝手に決るアンタに全然利が無いと逆ギレされました。
後で何人かに聞いて調べたら、おさずけという手かざしの免状と修養科という長期間の修行、布教して新規信者の獲得をする事だと知りました。この1件で天理教の印象がめちゃくちゃ悪くなりました。何で関西圏内の教会って気違いじみてるんでしょう?姉のメールを見ればノルマに追われ無理難題言われても頑張らなきゃ死んじゃうって感じで必死みたいで痛々しいです。
父方親戚に天理教信者の伯父夫婦がいますが至って常識的な人達で従兄弟妹達も信者になってはいますが職業を持って普通に生活してます。
ぶっちゃけ天理教の信者にはノルマや時代錯誤な考え方、仕事辞めろ、お金を出せ、言う事聞かなきゃ命が無いという脅しが蔓延してるんですか?
古い教会長さま 2017年3月6日 9:29 AM
この「ヤフー知恵袋」の相談、ひどいですね!
自分の言動が社会規範から逸脱していることにも気づかない。またそれらが中田善亮表統領をはじめとする「悪の枢軸」連中のおうむ返しであることから、この方、頭の中「中山教教団教理」に完全にヤられてます…。
このままならば確実に家族親族関係が崩壊してしまいますよね。
ここまでくると、教会や個人にもよるが、「カルト・セクト」と言われても仕方がない。
やはり先ずは、何といっても社会的な常識を身に付けることでしょう。
うちの少年会員たちでも「悪いことしたら警察とかに捕まんねやろ?」と、よく言うてますよ!
うちの教会は「天理教原理主義」を目指しています。
現在の(まあ昔から何も変わっていないのでしょうが)本部の身勝手な教理ではなく、あくまで神さん・おやさんの御教えに沿って通らせてもらおう、という方向性です。
だから天理に沿わんことは、なんぼ上級や大教会であっても言うこと聞きません。あくまで「神さん・おやさん」です1
古い教会長様
お返事いただくありがとうございます。
その後、同じような環境の友人に相談したところ、友人はすでに断っていました。
理由は私と同じ「結局は人員確保やん!信仰じゃない!」という理由でした。
私も、勇気を出して伝えようと思います。
その後、他の内容のコメントにも書きましたが、使える時には使って、困ってる時には力になってくれない。ほとぼりが冷めたかのように講習参加のお誘いに、子どもの名前を勝手に使ってる…。
信仰以前に、まず何かが違うと思います。
>ここでは大教会や本部、お供えの不透明さや法律のことが盛り上がりますが、
もっともっと日常で行われていることも明るみにしたほうがいいと思います。<
知ってる例ですが明るみにします。
友人の実家教会のことです。会長である父上が出直した際、上級教会から100万のお供えを言い渡された。友人宅は家業があり裕福だったので、100万円上納した。それ以前には母上が100万上納していた。
母上は、夫である会長の亡くなる直前だったので、「この100万円は本部にお供えしたいから本部に持って行ってくださいね。」と言って願いを込めて上級に預けた。
数年後この上級の車が軽自動車から、新車の普通車に買い替えられた。
その時母上は「あの100万円は確かに本部に供えてくださったのでしょうね。」と確かめたそうだが、小さな声で「はい」と言ったきりだったそうだ。友人いわく、信者がほとんどいないので部内教会頼りなのに、中古ならいざ知らず、新車の普通車に「格上げ」させて、購入するなんて、あの200万円が車に化けたのは間違いないと言っていました。
疑われないようほとぼりが冷めたころに、車を買うという根性の悪さ。友人いわく、もう上級にはお供えは上げないと言っています。二人でこの道のねじ曲がったやり口を批判する日々です。
お供えの使い道の件ですが天理教では変な理屈があります。
お供えをした心を神様が受け取って下さるのだから
その後の使い道は関係ない。
使い道に不足をすると神様が受けとってくれない
不足は切る理と言って命が切れてしまいます
お金出した上に命も取られたらたまったもんじゃありません
昔天理に住んでいた時、振込も大変なので直接本部にお供えしときますと言うと
順序が違うとか理が違うとか言われました
お供えは所属教会にしないとダメだそうです
そもそも本部が やかた建設 等の浪費癖があるので現状に至るわけです。神様も「龍頭が狂えば皆狂う」と仰いました。
真柱体制の中山家を初めとするその側近を早いところ教団から追放すべきです。追放と言うと法的にも中々難しいので、本部お供えをしない事が大切なのです。中山家の善司 善助 大亮 が未だに浪費してるのでどうしようもないです。天理駅前でにおいがけ? パフォーマンスただのパフォーマンス丸見え(笑) 本当に信仰者なら泥酔者でもその願いをかなえてあげるのが宗教家だったのではないでしょうかね~~~~ 大亮くん(笑) 大道芸人か?(笑)
以前、この欄に、教団名義か中山家名義かは知らないが、ベンツのお供えがあったと投稿されたことがあった。もし、事実ならば何故断らなかったのだろうかと思う。
そもそも自動車を所有するには、もろもろの事前手続きが必要だから、いきなりお供えしますといって持ってくるはずがないと思う。事前に打診があったと思う。そうであるなら、その時点で断ればよかったのだ。あるいは、もう少し目立たないものでも結構ですとか言えなかったのか。
貧に落ちきれというのであれば、それ相応の在り方があったのではなかろうか。ベンツを持ったばかりに、諸々の憶測が飛ぶことにもなろう。
現在の教団を見ていると、大きいことはいいことだ思想に満ち溢れていて、見るも情けない姿になってしまった。子供の頃に堪能せよ、堪能せよと耳にタコができるほど聞かされた言葉を本部にお返ししたい。
>そもそも本部が やかた建設 等の浪費癖があるので現状に至るわけです。
これ「浪費癖」ではなくて、「金集めのための理由付け」じゃないですかね?
建築業に関わる方ならご存知でしょうが、「建築費の原価」なんて、発表されてる「建築費」の数分の一ですよ。しかも、その大半は「人件費」ですが、本部の「やかた建築なら多くの人が「ひのきしん」で無料奉仕してますよね?天理教と某大手ゼネコンさんの結び付きは誰でも知るところですが、発注元と施工主が結託してれば、どれ程の金額を抜くことが出来るか、想像に難くないです。
しかも、大きな建築物は信者さんへの「信仰心の発揚」にも繋がるし、世間への訴求効果もある。
一石何鳥もの効果のある「政策」なんだと思えます。
確かに現在の天理教は衰退しており信者数もお供えも減ってますが、それでも年間100億以上のお供えがあり、それ以外の見えない部分のお金の流れはもっと多いでしょう。
現在の本部の心配は、「自分達の代はもっても、自分達の子供たちや血縁者たちの食い扶持が作れない」って感じがします。これまで貯め込んだ数十兆円とも言われる資産は、中山家ががっちり抱えて離さないでしょうから。
犯罪者の財産について | その他(法律)のQ&A【OKWAVE】
http://sp.okwave.jp/qa/q6470701.html
犯罪者となった者の財産はどうなりますか? – たとえば没収されるようなことはあ… – Yahoo!知恵袋
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1419653569
お供え(お布施)、資産(財産)でも犯罪(違法行為)によって得たものであれば被害者に返さなければいけません。
弁護士法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO205.html
弁護士法に違反していれば相手側の弁護士にも法的処置がある可能性もあります。
社会的相当の範囲を逸脱した宗教団体による献金勧誘行為(消費者問題の判例集)_国民生活センター
http://www.kokusen.go.jp/hanrei/data/201408_1.html
統一協会の責任を認めた判決の概要
http://www.stopreikan.com/hanketu/hanketu_gaiyo.htm
統一教会の責任を認めた最近の判決 | リリアンのブログ
http://ameblo.jp/rennbo-mayu/entry-11775407301.html
【幇助犯・教唆犯|犯罪の手助け・そそのかしだけでも犯罪になる】 | 刑事弁護 | 東京・埼玉の理系弁護
http://www.mc-law.jp/keiji/13088/
宗教団体(宗教法人)による違法行為(犯罪)に関係していた場合「犯罪(違法行為)だとは知らなかった」「私は関係ない」は通用しない可能性があります。
脅迫と強迫と強要と恐喝の違いについて|横浜ロード法律事務所 離婚 交通事故 刑事事件等 弁護士無料相談
http://www.yokohama-roadlaw.com/column/post_45.html
脅迫罪、強要罪が成立する要件を教えてください。 – その他(法律) 解決済 | 教えて!goo
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6687022.html
「教会に参らないと助からない」などの発言は脅迫罪(強迫罪)の可能性、その発言によって被害者が恐怖する、発言した人物からの金銭の要求や金銭の受け渡しがあれば恐喝罪の可能性があります。
行動の強要や金銭の強要など必要のないことを無理矢理させるのは強要罪になる可能性があります。
宗教被害・宗教トラブル | 福岡の弁護士 古賀克重法律事務所
https://www.lawyer-koga.jp/religious/
集団訴訟の長所と短所 | 全国発リーガルジャパン弁護士ブログ
http://www.legaljapan.jp/blog/?p=4605
被害者の人たちが犯罪(違法行為)だと訴えなければ、第三者でも限界があります。
犯罪(違法行為)の可能性があることに黙っている、何も言わない、何も行動しない、それではさらに苦しむ人たち、被害者は増えていきます。最悪の場合、国や報道機関を巻き込む大問題になります。
自分自身の現状や周囲の意見などをしっかり受け止め、宗教法人(宗教団体)として、人として、自分自身の言動を考え直す、見つめ直すことが出来る人は出来るでしょう。
「警察沙汰、裁判沙汰になって初めて自分自身の誤ちに気付いた。」これこそが最悪の場合です。
>中山家が数十兆円もの資産を
金額の多寡はわからないが蓄財の可能性は充分にあり得る事だと思います。
そういえば「神の言う事聞かねば中谷家は粉も無いようにする」
「こ」は粉なのか? もしかして「子」かも?
本部の言う事は信用できない。
良き統領は「斧統領」らしいし
大社高山取り払いは「大砂高山取り払い」で「ろくぢに均す」に繋がるらしい
粉もないは「子も無い」かもしれない
もし「子」だとしたら現真柱は「子」がない。
既に「中山家は子も無い」状態に置かれています。
もしかして おふでさきに書かれているように「世界一列大掃除」が近づいているのかも。
北朝鮮のミサイル発射や暗殺事件、韓国は政権崩壊状態、EUやアメリカは移民で混乱状態、
中国 アメリカの軍備拡張
中近東からアフリカでは、人々が武器を手に取り喜々として撃ち合い殺し合いをおこなっている。
まるで鍋の中で煮物がブツブツと煮えるように世界各地で火の手が上がっていくようである。
煮物が鍋から噴きこぼれる時は一瞬である。
同様にこの騒乱状態が全世界に広がる時は一瞬の事のように感じる。
天理教の組織は巨大であるし、多額の資産を保有しているのなら自滅はしないだろう。
しかし世界全体が混乱状態になったら日本国自体の存立も危ないであろう。
天理教が崩壊するのならその様な時であろうと今は思っている。
世間では皆が「平和 平和」と叫んでいるがこの地球に100年も平和が続いた時は存在しないし
多くの新兵器が使用されることを前提に開発されている。
皆、新兵器を使いたくてうずうずとしている。
「中山家はこもない」今は、やはり大掃除の一歩手前かもしれない。
これが私の単なる思い過ごしなら良いが、現実にはこの地球には大量の兵器が存在している。
この兵器を片付けるには強欲な人間どもが互いに戦いあって互いに果てるしか方法は無いかもしれない。
やまさかやいばらぐろふもがけみちも つるぎのなかもとふりぬけたら
まだみえる ひのなかもあり ふちなかも それをこしたらほそいみちあり
世界各国の軍備増強を見るにつけ「ひのなか ふちなか」はこれからの事のようの思えるのです。
里 里 田を打つ音 田を打つ音 飄飄たる様 飄飄たる様
この話 合図立て合い 出たならば 何についても みなこの通り
この人間世界は、もう成り行きに任せて行き着くとこまで行かなければ欲から離れる事が出来ないと思います。
それほどに人間は愚かだと思う今日この頃です。
兆はいい過ぎですね。流石に数百億程度でしょうよ。一千億以上もないと思います。そもそも事業失敗しかしてない駄目団体ですから、入っては出て行きで今の現状 やかた建設等でバチカンをまねるならバチカン銀行のように何故銀行経営をしなかったのか? その程度の駄目な経営陣です。駄目すぎて今では詐欺や違法団体とかしてそのうち世界宗教会議からも締め出されます。カルト団体まっしぐらの現在の天理教教会本部www
最近真柱が、おやがみさま おやさま を信仰してます!って言い始めたみたいだけど何かあせってるよね。そんな事より公式に「教理改竄と隠蔽」「宗教法人の乗っ取りの歴史」謝罪文をドンドン出さないと信者の心はどんどん離れるだけです。もう隠しとおせない世界になったことを理解できない本部首脳陣(笑) 時代遅れ過ぎて認知症なのですか?という感じにしか受けて取れません。時代は変ったのです。ここ数十年のめまぐるしい時代の変化にも対応できない集団は消えてなくなるだけです。
退職信者様
鍋の煮物の例え、どちらからの引用でいらっしゃいますか、
今は閉鎖されましたが「したらば掲示板」で、こういった書き込みがありました。
何でも、三十数年前に本部の近辺に居住してた予言をする女性の話でした。
昭和57年ごろのことで、先ずは、ソ連が崩壊、解体する予言。
次は、時の皇太子(今上天皇)が、実は「あらきとうりょう」であって、
天皇に即位しないとのこと。結局は現在にこのように至ってますが
最後に、中国が南シナ海に手を出したら、戦争が近いとのこと。
その様子は、あちこちで戦火が立ち上がり、
鍋がふきこぼれるような形になり、一週間で世界中が火の海になる。
こう言った表現を使われてました。
あの書き込みは、退職信者様だったのですか?
「鍋が噴きこぼれる」の表現が気になりコメントさせていただきました。
朝鮮半島情勢につて
現在、朝鮮半島は北も南も混乱しております。もし、朝鮮半島にて第二次朝鮮戦争が起きれば大量の難民が予想されております。西日本日本海側に、対馬に漂着する難民は数十万単位になると予想されております。その難民の収容場所に政府より天理教本部に打診の可能性はあると思います。(数千単位の食事を用意し、寝泊りできる施設はそうざらにありません)その際、北朝鮮難民の中に潜む、特殊部隊隊員による後方攪乱作戦も予想するべきであると思われます。(武器は没収されていますが、ホームセンターで買えるものより爆発物は簡単に作成できます)天理教は、信教の自由を盾に断ることもできますが三島神社移転の禍根が、三島の人々がどう影響するか予測はつきません。世界一列皆兄弟が天理の行動規範になるべきですが、戦争に限らず、県内の災害時の寝食の提供などの想定対策はあるのでしょうか。
縁の下様へ
確かに以前「したらば掲示板」に書いた事があります。
私が話を聞いたのは、昭和58年8月の事です。3,4人の人が一緒に聞いていたと思います。
「あんた たてまえ統領は誰だか知ってるかい。
皇太子だよ。
皇太子は、先いったら自分から位を降りる時が来るからな。
それが切っ掛けで世界の王侯貴族達が自分の位を捨てる時が来る。
世界の人が、上もない下もない平らな世の中に成る切っ掛けを作る人だ。」
昭和64年1月7日 小渕官房長官が手にした紙に「平成」の文字が書かれているのを見た時、あまりの驚きに体中の毛が総毛だった気がしました。
「平らな世の中に成る」を思いだしたこと そして第3次世界大戦も近いかと不安に思いました。
しかし、その後の世界はとりあえず大した変化もなくいつしかその不安も消えてしまいました。
昨年の7月 陛下御自身から攘夷の意思があるとNHKのニュースで流れた時は驚きました。
33年も前に聞いていた話ですから。
「神と話をする女性」は昭和30年代の中ごろから天理に住まいしていたようです。
私が、その方に会ったのは、確か55年の3月、講習終了後のことです。
当時、本部の西に三島という小さな公園がありまして道を挟んで東側に本部所有の木造2階建てのアパートが建っていました。
そのアパートの1階に居住していました。
私がその女性に会った切っ掛けは同期に講習を受講していた奈良の北の木津の婦人が話してくれたからです。
私は、神と話をするなんて有る訳ないと真っ向から否定しましたが、木津の婦人は「絶対に神さんと話している」と言うのです。
理由を聞いたら婦人の息子さんが体調を崩し数か月病院通いをしたが思わしくないと自宅の隣の婦人に話したら、隣の婦人が「女性」の存在を教えてくれたとのことでした。
隣の婦人も天理教の信者だそうです。
木津の婦人は、「女性」を訪ねて息子さんの病状を話したら
すぐ「病状の原因、病院では解らない理由、治癒の為の具体的な方法を教えてくれた」と話して居ました。
息子さんは程なく回復したから「あの人は神さんと絶対に話している」と言い張るのです。
私は、言い合っていても仕方がない。自分の目で確かめようとおもい訪ねたのです。
そこで聞いた事は
・天理教は中山教だと神さんは怒っている
・本部員達は座敷乞食だと神さんは怒っている
・憩いの家などくだらん物作って 次の大掃除の時は潰してしまう
・この世に武器があるうちは陽気ぐらしは実現しないと神さんが言っている
・人間はまた大戦争を始めると神さんが言っている
・戦争と同時に地球の大掃除をすると言っている
・次の大掃除の時は本部員の三分の二はさらしてしまう
等々
当時の私は、天理教どっぷりだったのであきれたり腹をたてたりして帰ったの覚えています。
その後、「女性」の事はすっかり忘れてしまいました。
58年の5月、知り合いの息子さんが体調を崩し病院を3か所も回っても原因が解らず症状も回復しないと聞いた時、3年前の話を思いだしたのです。
「女性」に病状を説明すると すぐ原因や状態、治癒方法を教えてくれ一週間で治癒しました。
それが切っ掛けで改めて58年8月に「女性」にもとを訪れたのです。
その時この女性の名が「須藤花井」と知りました。
後でわかったことなのですが、「須藤さん」の所には信者ばかりでなく教会長や専修科生たちもたくさん訪れていたそうです。月次祭前後は信者さんや教会長さん方が多数訪れていそうです。
特に専修科生達は、御筆先について本部の先生たちに質問しても答えてくれないときは「須藤さん」に聞きに来たそうです。
「須藤さん」が質問に対していつも明確に答えるので立場の無い本部は専修科生の出入りを禁止したそうです。
つまり私が書いた内容は特別な事ではありません。
「須藤さん」の話を知る天理教関係者は全国に多数いるという事です。
私の住まいは関東ですし、勤め人でもあるので滅多に天理には行けません。
私より多くの情報を知っている天理教関係者が全国に多数いると言う事です。
ここ「社会学」や「お供え」のサイトで中山教や座敷乞食の語句を見た時、元は「須藤さん」から出て来た言葉だと私は思いました。
知っている人は沢山いるが、投稿しても「荒唐無稽な話だ」「そんなアホな」と無視されると思い皆さん遠慮されるのでしょう。
「須藤さん」については学研で発行する雑誌「月刊ムー」で特集が組まれたことが有るので古い購読者なら知っている人は全国に居るはずです。
「須藤さん」は「月よりの神言」という本を自費出版しました。
この本は天理のアーケード街の本部に近い書店で山積みになって販売されていましたから、購入された信者さんもいるはずです。
この本は、アメリカのボストンで英訳出版もされています。国内でも英訳本を持っている人が居ます。
この本を読んで、ニューヨークから天理まで「須藤さん」を訪ねて来たアメリカ人も居たそうです。
「月よりの神言」を英訳された方は、アメリカ、ボストン在住の久司道夫氏(くしみちお)です。
久司道夫氏(東大法学部卒)は2014年に亡くなられましたが、経歴の概略はウィキペディアで知る事ができます。
「須藤さん」は天理教に入ろうかと親神に相談したら「天理教に入ったら本部に邪魔され本当の事が言えなくなる。入ったらいかん」と止められたそうです。
天理教と無関係なら本当の事が自由に言えると話していました。
「須藤さん」が本部周辺で真柱さん(善衛)に会うといつも真柱さんから会釈してくれると話していました。
真柱夫人からも婦人用の小物が時折プレゼントされていたようです。
私が訪れた時は、夫人から贈られたスカーフを見せてくれました。
「須藤さん」が亡くなられたときは葬儀に真柱名義の供花が飾られて居たそうです。
真柱夫妻の「須藤さん」対する姿勢が何を表しているかお分かりでしょうか。
善衛一個人として「須藤さん」が話す「親神、親様、お筆先、本席等々の本当の話」は否定しないと言う事です。
神の意図から外れた天理教はあまりにも巨大に成り過ぎたのです。
善衛さん善司さんに対する批判のコメントを読みますが無駄な事なのです。
真柱一人ではどうにもならないほど巨大で腐臭にまみれた組織になり果てたのです。
象に歯向かうねずみどころか蟻ほどにしかならないとおもいます。
真柱に天理教を変革する権限はありません。
おや様から始まったこの道は、世界助けの道であったはずです。
しかし、当時のおや様周辺の人々はあまりにも無知蒙昧で欲深だったのです。(今も同じ)
真実を求める人々はお屋敷から追い出されてしまったのです。
だから親神はみきを連れかえってしまったのです。
この道は、「世界助けの道」から「世界一列大掃除の道」に切り替わったのです。
おふでさき17号には明確に書かれています。
「須藤さん」は常々「世界情勢から目を離したらいかんよ。逃げる時を見失うからな」と言っていました。
「須藤さん」は亡くなるまで本部所有のアパートで生活していました。
「女性」は亡くなるまで本部所有のアパートに住まいしていました。
退職信者様
ちょうど手がすき、ここを覗いたところで、折りよくあなた様のコメントを拝読する事ができました。
多くの御時間を割かれて、御手を煩わしての御返事、深く御礼申し上げます。
「鍋が噴きこぼれように」の表現に「もしや」と思い
思い切っておたずねさせていただきました。
貴重な体験談も御聞かせくださり、参考にさせて頂く事の多くを賜りました事、
たいへんに嬉しく存じます。
「この世の裁断を下すのは、やはり最後には神」
どのような状況に雪崩れ込もうとも、それも全て「神の意」による「神の導き」
その様な思いを胸にしっかり踏まえ、これから訪れかもしれない「動乱」の中でも
神の思惑に沿った行いを自分なりに模索しながら突き進んでゆけるよう
あらためて心と姿勢を正しております。
そこから始まる、長い長い茨道やら火の中も潜り抜け
きっと、その先に神が用意してくれてるであろう「ほんみち」を楽しみに、
信心だけは身から放さずに、顔を上げ、前だけを見て、
歩き続ける覚悟をいたす所存にございます。
いつも拝見しております。『須藤花井』さんのお話は豊嶋泰国さんの『天理の霊能者』にもコラム的にとりあげられていましたね。まさか再びお名前を目にするとは。まだまだ埋もれた話がありそうですね
須藤花井さんって初めて聞いたと思ったら、天理の霊能者に出てましたか、。
ちょっと見直してみますわ、。
他に何処かで資料がないですかね?
縁の下様へ
「中国が南シナ海に手を出したら戦争は近い」について
これは平成に入って間もなくの頃聞きました。
「先行ったら中国は必ず南シナ海に手を出すからな。それが新聞に載るようになったら戦争が近づいた証拠だ。新聞から目を離したらいかんよ」
「中国が露骨に手を出すようになったらベトナムだけではどうにもならん。ベトナムはロシアに必ず助けを求める。」
「ロシアはベトナムの求めに応じるだろう。その次は中ロの紛争だ」
「中ロの紛争の後が本当に大変だ」
「いいかい 車のガソリンは常に満タンにしときや。いざとなった時、スタンドでガソリンを入れている間は無いで。そんな事してたら逃げ遅れるで。」
「満タンなら200キロや300キロは走れるだろう」
当時の私は、「ふーん そうですか」 こんな軽い気持ちで聞いていました。
平成23年(2011年)1月3日(月) 4日(火) 読売新聞4p 国際面に出たのです。
3日の見出し 南シナ海さらう中国
4日 中国の海洋戦略本格化
「九段線 第一列島線 第二列島線」の図入りです
現在の中国の空母遼寧の艤装工事中の写真も載っています。
あの時の話がついに出て来たと正月から驚きました。記事は今でも保管しています。
平成26年5月(2014年)ベトナム海洋警察の巡視船と中国の艦船が南シナ海で数度にわたって衝突する事件が報道されました。
この報道を聞き気楽にしていてはいけないと思い、所有する2台の車は常に満タンにするようになりました。
ベトナムは、2009年にロシアと6隻のキロ級潜水艦供与の契約を結び、2013 年から供与開始、今年の1月20日には6隻目が引き渡されました。
当初「露骨に手を出す」の意味が解らなかったのですが2014年頃から中国の南シナ海埋め立ての報道がなされるようになりその意味が理解できました。現在はここまでの進展です。
中ロの紛争はまだ見えていません。
「もし仮に」・・・こんな仮定で書いても全く無意味な事なのですが、
もし当時のおや様周辺の方々が私欲もなく思慮深い人々であったなら、おや様の言葉を素直に聞き取れる人たちであったなら、親神はおや様に病助けなどさせずとも、かんろだいは静かに立ち上がり勤めはひっそりと行われ、第一次世界大戦も第二次世界大戦も始まらず、核の火も灯ることは無かったのではと思うのです。
須藤さんが話していました。
「真実が10点満点のうち4点に届かん者は、次の大掃除の時にさらしてしまう。
真実がわからん者に陽気ぐらしの世界は作れん。
自分に真実が足らんと思ったら今からでも遅くはない。
真実に通って点を稼げ」 と神さんが言っていますよ。
本部員の多くの者は4点に届いていないのでしょう。
「ガソリン満タンにしてどうするのだ? 何処へ行けばよいのだ?」
私達はみんなで協力して別荘の様な気持ちで疎開先を2か所確保しました。15年ほどかかりました。
大都会から遠く離れた海抜300mを越す高原です。川からも離れた場所です。
家内の実家は新潟の標高300mを越す山奥、田も畑もあるところです。親神の計らいと感謝しています。
北海道から九州まで各地に準備されている人たちはおられます。皆天理教の信者さん達だと思います。
その方々が、多くを語ることは無いでしょう。なぜなら話しても皆聞き入れないからです。
メソポタミアのノアの様なものですね。
世界情勢にとって、極東の小さな島国の腐敗した一宗教団体の内部事情など無関係です。
世界各国が自国の利益を求めて冷酷に動いて行くという現実を直視すべきです。
天理教本部や組織の改革を語るには、時遅しです。
天理教の現状は、もうどうにもならない状態だと思います
今は天理教に目を向けるのではなく、世界情勢に目を向け常にその動向を注視しなければならない状況に至ったと思うべきです。
おふでさき17号
68 月日には 世界中は みな我が子 かわいいいっぱいおもていれども
69 それ知らず みな一列は めへめへに 埃ばかりを思案している
70 この心 神のざんねん 思うてくれ どうも何とも言うに言われん
前述しましたが、ここに書いた事柄は私だけが知っている秘密事項ではありません。
多くの天理教関係者が須藤さんから聞い及んでいるはずの事柄です。
2017年3月10日 8:47 PMの小澤哲二様
「須藤花井」さんのことについては、
「『姫神の本』 聖なるヒメと巫女の霊力 学研』
に掲載されていたかもしれず、『天理の霊能者』であるということは
私の記憶違いかもしれませんので、そのことを言い添えさせていただきます
不良信者 様
「終末予言を説きつづけた須藤花井」として、天理の霊能者に出ていますね。
それより、中田表統領の思考、信条、信仰がヒドいですね。元々、天理教が持っていた本音が出ているだけかも知れませんが、「お里が知れる」状態です。
昨年11月27日、第240回定時集会から、
<M集会員の質問> いま、お道が世界に向けて発信すべきことは何か、お伺いたい。
<中田表統領> 発信というのは、対象や内容をはっきりさせたうえで行わないといけない。お道から教外、世の中に向かってのことと、本部から教内に向かってのことは全く違う。また、本部から直接伝えるべきことと、教会や教区を通して伝えてもらいたいことを整理し、いろいろな手だてを用いて発信していきたいと相談しているところだ。
(世界であろうが、教内であろうが発信することは教祖の真実の教えであるべきなのに、本当に大馬鹿としか言いようがない。本部の二枚舌・三枚舌を自ら暴露してしまっている。)
最早、〇〇に付ける薬は無いということでいいんでしょうか。
退職信者様の、お話、「黙示録のハルマゲドン」が連想されます。
やはりキリスト教の神も、天理教の神も同一神ということでしょうか?
世界中が、神の審判にさらされるのでしょうか。
しかし、怖いです~。 )゚0゚( ヒィィ
さっちんさんへ
やはり最後の審判だと私は思います。
親神は、本席を通して大掃除に関する「刻限さしず」を幾度となく下していたようです。
中矢伸一氏の「真正日本」という本なのでしょうか、その本の80P以降に本席の刻限さしずとして
明治15年10月29日や明治34年3月などいくつかの「刻限さしず」が載っています。
私が持っているのはP80から数ページのコピーなので「真正日本」なのかよくわからないのですが。
昨年の11月 天理市に在住する方から「明治39年7月13日 刻限さしず」のコピーをいただきました。
これは芦津大教会の初代が書きとったものの写しだと説明してくれました。
本席は明治40年に亡くなっているので、その前年まで大掃除の警告を発していたと言う事です。
各さしずの表現に少しずつ違いはありますが内容はほぼ同じです。
同じことを何度も繰り返しています。
聞いている人間が馬鹿ですから、同じこと何回も言ってくれてるのでしょう。
本部は、その類の事には一切触れずにせっせと金集めをしている訳です。本当に腐った奴らです。
私の母親は、天理教の教会と知らずに神殿にあがったと言っていました。
神殿をのぞいたら立派な御鏡が飾ってあったから何処の神様か知らないがお参りしよう。
昭和23年6月1日のことです。
私が、小学校1年の頃だと思います。
家の風呂焚きを任されて薪をくべていた時、傍に会った古びた桐の下駄を竃にくべてしまいました。
それを知った母にどえらく叱られました。
「なんて事するんだ。これからまた戦争が来るというのに。物を大事にしろー」
「先行ったらな朝になっても戸の開かん家が立ち並ぶんだ。大変な時が来るだ。物は大切しろー」
私は、「はー?」なに言ってんのかなでした。
この話を「須藤花井さん」にしたら、
「戸が開かないのはな、今なら解る。中性子爆弾だよ」
「あんたのお母さんは、会長さんから聞いたんだよ」
「会長は、戦前の人だから半年間天理で過ごしていたはずだ。当時はおや様から直に聞いた人たちが沢山天理に居たからな。その人達から聞いたんだよ」
お勤めについて須藤さんは
「あんた おつとめ21回やるけどなんでだか知ってるか」
「あれはな、そうじの後は21か国残してくださいとお願いしてるんだ」
「天理教の者は訳もわからず勤めている。不憫やなー と神さん言ってるで」
21か国はどこが残るんですか。?
「それはな、国旗に月と太陽と星が描かれている中から21か国だ」
「使っていてもだめな所はある」
「いちれつすますは分かるかい?」
「あんたら よい豆と悪い豆拾い分ける時、台の上で両手でかき回して広げるだろ」
「あれと同じだ。真実の解る人間とわからん人間をかき回して真実の人間を救い上げるんだ」
「救い上げた真実の人間を種として陽気ぐらしの世界を作るために残すんだ」
「神さんの救いの手に残れるように真実つくさんといかんよ」
「あしきをはろうて」は、おや様存命中はなかったから間違っていると言う人がいます。
入れたのは山澤為造でしょうか。
当時は、本席は存命ですから必ず「伺い」をたてた筈です。そのうえでの決定だと思います。
神の意向が入っていると思うほうが自然です。
親神はかんろだいが取られてしまったので「助け」から「掃除」に切り替えたのです。
21か国残すのだから21回お願いしろと言う事でしょう。
秀司や良治郎、為造、まつえに前川等 本当に酷い事をしてくれたと思います。
この人達が、かんろだいを潰した張本人達だと私は思います。
おぢばに帰らせていただきました。駐車場だったところが、お店になってたり、営繕の倉庫が取り壊されていたりと、少しづつですが、縮小されていっている気がします。
退職信者様
御返事遅れまして申し訳ありませんでした。
また更に多くのこと御教えいただいたこと、御礼申し上げます。
確か、「したらば掲示板」に御書きになってた事
私の記憶では「神が戦争を起こすのではない、武器を持った者は、
玩具を手に入れた子供のようになり云々・・・」
と、言った様なことが書かれてたと思います。
ならば「神の審判」は天災なのでしょうかね。
先日のコメントに、恰好な避難先を確保なされた事を
「親神の計らいと感謝している」と述べられましたが、
私の現在、居住してる場所も地盤が強く、海抜100m超えの
関東の海側の政令指定都市の郊外なのです。
実は、ここの土地は、詳しく書けば話が長くなり、ややこしくなるので端折りますが
聊か尋常ではない経緯があった後に住む事になった場所なのです。
途中、経済的に困窮した折にも、手放そうかと考えた事も、二、三度ありましたが
その度に何かしらが好転して、事なきを得て、彼此26年の年月が経過いたしました。
私にとって、此処に住み続けられてることは「親神の計らい」だと思っておる次第です。
さて、私は神様から「及第点」は頂けるのでしょうか。
頂けて、生き永らえば、陽気ぐらし世界の建設に精を出し、
そうでなければ、あちらの世界で魂を磨き上げ、
また、こちらの世界に送り込んでもらえば、それでよい事。
見抜き見通しの御守護だけ頂戴できれば、それで良いと考えて
日々、淡々と「最後の審判」を待つ次第であります。
縁の下様へ
神の審判は、人災・天災 全てを含んでいるのかなと今は思っています。
「親神から及第点はいただけるか」について
これは杞憂であると思います。
日々 喜びの心で通っていれば全く心配はないと思います。
「どこに喜びを見つけるのか」
それは「己の目で見て 己が気がついた事に 己が動き 己が喜ぶ」と言う事だと思います。
例えば 机の汚れに気がついたら布巾で拭くと机が綺麗になる。綺麗になったら「おーきれいになったなー」と自分が喜ぶ。
汚れた布巾をゆすいできれいになったら「きれいになったー」と自分が喜ぶ
この様な自身の「気づき・行い・喜び」を包括したものが「真実であり喜び」であると思います。
例えが少し変でしたが、家族の皆がこの様な心で日々過ごしたら、そこには陽気な生活が広がるでしょう。
これがおや様の言う「真実に通りなさい」「喜んで通りなさい」の姿だと思っています。
この様な喜びの心根を親神は望んでおり、この喜びを見て親神も共に喜ぶのだと思います。
つまり「及第点」は親神から頂けるものではなく、朝目覚めてから夜寝るまでの間 常に自身の内から「喜び」として湧いてくるものと思います。
「及第点」はご自身の心の内に在ると思っております。
心の成長はこの世でしかできないと聞かされております。
生きて残るも、魂で残るも ひとえに真実の心根にかかっていると考えます。
後は親神の思し召しのままにです。
縁の下様には、 日々、生き生きとお過ごし頂ける事をお願い申し上げます。
どうぞ私の意をお汲みくださるようお願い申し上げます。
退職信者様
この度は、いろいろと御教示いただき、ありがとうございました。
この教団の教えはいったい、どれが真実なのか
どれが改竄、捏造なのかわかりませんが、
「喜びの心」だけは、神が一番に求めるものと感じております。
どのような谷底に落ちようとも、そんな所にも「喜びの種」「希望の種」はある。
此処までの道中、幾度かの「不思議な御守護」と思える出来事に遭遇しては
難を乗り越えられてきた自分は、いつしか自然に、そう思えるようになりました。
退職信者様も、くれぐれも御壮健で御過ごしくださいますよう、お祈り申し上げ、
また、この度の御骨折りに感謝申し上げ、私からの挨拶とさせといただきます。
中山家は足起因縁しか積んでこなかった。それが答えです。ただそれだけ
中田善亮はただの守銭奴で天理市界隈でもただの笑いもの(笑)大輔は布教の大道芸人(笑)
教祖はおろか神おも背いた!私は本部が潰れていくさまを遠くから見守っています。
本日発売!!サンデー毎日3.26増大号
集中連載 新宗教の『明暗』編6「大プロジェクトは未完」天理教の正念場
今朝の朝日新聞に載っていました。まだ読んでいませんが「おやさとやかた」の事かと!?
追記 山田直樹氏の文章です。
今日配信のdマガジンから
サブタイトルは
「運営トップ「面統領」仰天発言の表と裏
ジャーナリストの山田直樹氏寄稿
【小見出し】
「信者にはしっかり献金させよ」
「262万人ピークに信者が半減」
「『おつくし』にはノルマがある」
次号につづくようです。
サンデー毎日編集部に、情報どんどんリークしましょう!!
面統領 → 表統領です。興奮して、ちゃんと見てませんでした、すみません。
FBのコメントより。
今の教会長は「親」ではなく「殿様」
厳しい年貢の取り立ての話もよく聞きますね。
本部員、大教会長レベルの方々から、もう一度信仰のありかた等勉強しなおした方がいいんじゃないかなと思います。
天理の教えが歪んで広がるのは嬉しくないです
サンデー毎日 昨日予約してたコンビニでは結局 取扱が無く購入できず
違う店に電話確認したら 既に売り切れとのこと
来週分を予約して電話置く
するとすぐに電話かかってきて 今週分お取り寄せしてもらえるといわれました
mami
2017年3月13日 9:01 AM
私もサンデー毎日読みました。 山田尚樹氏の文章は懇切丁寧に教団の財政や計画を語ってくれていてとても読みやすかったです。山田氏には教会長の友人がいるとのことなので、やはり私達のような内部の人間から本部へのクレームが寄せられているのでしょう。街宣車問題、中田善亮問題、法人乗っ取り未遂、お尽くしは金 と目まぐるしさの最後がメディアによる攻撃開始、本部も末期を迎えていることは確かでしょう。それにこちらのコメントで寄せられている内容も間違いで無い事が立証されてくる。もう本部は終わる とここ最近いたるところから耳にします。特に「お尽くしは金」を発言した時点で今回のサンデー毎日初回掲載も語られているようにこれは、「寄付の強要」に当たる大問題を真柱の実弟 次期真柱の実父 の 現 表統領 中田善亮 が発言した時点で 本部の末路は決定されたのでしょう。違法行為と教理の改竄 を糸も簡単に起す本部はもう宗教団体と呼ぶにふさわしく御座いません。
私も大量に買い知人にも配っております。早くこの悪しき本部が潰れますようにと
震災の時とかその他様々な場面で人々を助けた天理教をつぶしてはいけないとお思います。
助けられた人々も多いと思います。
さまざまな急性期病院が破綻してる。天理よろづ病院も急性期病院で、しかもDPCの病院。
助けた人々も多いはず。乗っ取りとかではなくて、皆が病院を破綻させないように、急性期の救急を保てるように頑張っておられるんじゃないでしょうか。
>皆が病院を破綻させないように、急性期の救急を保てるように頑張っておられるんじゃないでしょうか。
お供えやおつくしが病院の経営と維持のためだけに使われているなら、災害救助や復興支援のためだけに使われているのなら、多くの人は文句も言わないし批判もしない。
そういう「人助け」をついで程度の位置においといて、自分達の贅沢と蓄財に奔走してる本部中枢部に対して憤っているだけだ。
末端教会師弟様
贅沢をしている方々がおられるのか、おられないのか、ネットの推測の情報しか知らないので、よく分からないです。
本部中枢の方にお会いする機会はないですし。講演などでお話を聞くなどはあるかもしれないですが。
身近な大きい教会でも贅沢をされてるようには見えないし、前真柱様でしょうか? ラップの使い回しをされていたとか、余った食材を連日召し上がっておられたとか、そういう情報を見たりしますし、留学は贅沢とおっしゃいますが、最近は大学で学部によっては留学が授業に組み込まれている学校も多くあるようです。
誰かの贅沢ばかりに目を向けて、大切なものを壊してはいけないと思います。本当に贅沢をされてるのでしょうか?
宗教には本来教理が一番大切です。教理のない宗教は拝み信心、自分勝手信心になります。原始宗教なら未だしも、文明・科学が進んだ今日、盲目的信心は有り得ないでしょう。天理教の教理は、おふでさき、おさしず、みかぐらうたで造られてます。そこに教祖のひながたも含まれ、出来たのが今日の教理です。でも沢山の違いがあります。三原典はその時の明治の現場を台に先の事を言われてます。言葉の中に、隠し言葉、伏せ込みがあります。おさしずに「いと言うのにろと言うて分からん。いと言うたらい、ろと言うたらろ、はと言うたらは、この順序間違わん。」明治三十二年十二月二十九日。
たとえば、にんけんをつくりだしたるしようこふに かんろふたいをすえておくぞや おふでさきがありますが、今の時代
本当にあそこぢばが、人類のふるさとと思う人が、どれだけ居るでしょうか。悪いけれど天理教馬鹿だけでは無いでしょうか。にんけんと人間、大きな違いがあります。濁点がありません。濁点とは埃です。埃の無いにんけんとは 神の事です。でもおふでさきには、にんけんしか使われてません。神で有るにんけんかまたは人間。人間の事を尊称としてにんけんとも書かれてあります。それはおふでさきの前後を読めば分かります。ぢばは、神の発生の地で高天原なのです。だから宗教弾圧の時代本部を東京へ移そうとしたとき、おさしずでぢば一つの理と親神は反対されました。ですからぢばは人間の故郷でなく、神の故郷なのです。だから神が帰って子供である人間が、お帰りなさいと言うのです。ですからおやさとと言うてあります。親とは神の事です。これは、皆、
南無天理王命、弥勒様から聞きました。今の天理教本部は神様がいません。でも本部だけで一人立ち出来てます。いつ壊れるか分かりませんが。
おふでさき ひとのものかりたるならばりかいるで はやくへんさいれいをいうなり これは中山家あるいは本部にぢばを貸して有るだろう早く神に返して礼を言ってくれと言う事です。おふでさきを書いたのは教祖ですが、書かせたのは親神です。だからおふでさきは親神の立場で考えなければ分かりません。私は天理高校や専修科も出、単独布教のまね事もしました。いろいろ悩みました。お助けとは何だろう。本当にたすかるのか、助からなければならないのは自分の心ではないのか。はぐれ雲さんのように、自分が加害者の時もありました
。今は教会を上級へ返してます。天理教本部からは離れましたが、天理への思いは強いものがあります。今日はこの辺で
匿名です様
あなたは、あなたの「信じ方」で信仰していれば良いだけのことです。
私も教団と言う組織を通り越して、自分なりの信心をいたしておる一般信者です。
「そこはめいめいの胸次第」「一名いちにんの信仰」
あなたの心のままに信心すれば良い。それだけのことです。
そこはめいめいの胸次第。
一名いちにんの信仰。
教会はセイフティネットであったり、コミュニケーションスポットであったり、個人個人の心の埃を払うための拠り所であったり、つなぐ役目、教育の役目、心身の向上、維持の役目を持っていたり、
なによりおさづけを取り次げるようぼくが生まれる場所であり、大切な場所です。
匿名です様
>教会はセイフティネットであったり、コミュニケーションスポットであったり、個人個人の心の埃を払うための拠り所であったり、つなぐ役目、教育の役目、心身の向上、維持の役目を持っていたり、・・・
それは教会としての役目を正常に果たしていれば、ということです。そのような、ちゃんとしている教会も勿論あるでしょうけれど、全部がそうではないことは周知の事実です。サンデー毎日さんに、今まで、内部の者だけにしか知られることのなかった、現教団のことを書いて頂けるのは、非常に良いことと思います。外部からの干渉も、内部からの抵抗もないのをいいことに、本部はお尽くし、お供えが、一番神様が喜ぶ誠真実であると、信者に嘘を教えて来たのですから。この際、徹底的に、内部の欺瞞、嘘を暴いて頂きたい、と思います。匿名ですさんが仰るような、りっぱな教会に、全ての教会が立ち直る為に、必要なことと思います。
※[お供え」から転載します。
①「天理教の正念場」
投稿者:サンデー毎日 投稿日:2017年 3月13日(月)12時29分26秒
サンデー毎日3月26日増大号
集中連載 新宗教の『明暗』編6「大プロジェクトは未完」天理教の正念場
サブタイトルは、運営トップ「表統領」仰天発言の表と裏
ジャーナリストの山田直樹氏寄稿
【小見出し】
「信者にはしっかり献金させよ」
「262万人ピークに信者が半減」
「『おつくし』にはノルマがある」
②「中田善亮表統領よ教理にないことを言うな。 」
投稿者:古い教会長 投稿日:2017年 3月13日(月)12時08分17秒
信者、よふぼくは、教理にないことで右往左往している。
<天理教教理を学び神意を悟る>より
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/archives/1063362564.html
中田善亮表統領の言う、
「おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である」という、「お供えをしなければ、親神様が真実を受け取れずに命が切れる」を意味するお言葉は「おふでさき、みかぐらうた、おさしづ」の原典、「教典、教祖伝、逸話篇」の教義書にはございませんし、そもそも神様はそんなことは仰っていません。
ここまでだけでも、教祖の御教えを曲解し歪曲した、宗教法人天理教の代表役員「表統領」ともあろう人物の、本来の御教えから乖離した「本末転倒な公式発言」であると言わざるを得ません。誠に残念の極みであります。
人様のために尽くしきる心を持つことから始まるということではないでしょうか。
おさづけの時、自分自身側に立って教祖が働いてくださる時、自分自身の何かが赦されるのではないかとも考えていますが、どうでしょうか。それが人を助けて我が身助かるという意味なのかなとも考えていますが、どうでしょうか。
>身近な大きい教会でも贅沢をされてるようには見えないし、前真柱様でしょうか?
毎年、奈良県高額納税者のトップに真柱が、ベスト10に奥様や親戚連中が入ってるのが明らかになってるのに、まだそんな惚けた事を言うかな?
ネットにとどまらず、遂に、マスコミ・メディアからの攻撃も始まりました!
(サンデー毎日さま、先駆けをありがとうございます)
「命が欲しけりゃ献金しろ」発言問題。
なぜ街宣車が本部を周回するのか問題。
これにハニートラップ美人局も絡んでいるのか問題。
法人乗っ取り事件の教唆(犯罪指示)ほか、数々の法令違反の問題。
これには、あの有名な、お抱え弁護士教会長も絡んでいるというから驚きです!
さあどうする、天理教表統領中田善亮!
匿名です 様
あなたは何か勘違いされていませんか。能力があっても教会常詰の子弟というだけで、天高二部にしか行けず、そこでの成績が良くても大学へ行くのは駄目。いちれつ会の扶育を受けられ二部に入学が出来ただけでもありがたく思え、と言われて大学へ行くのなどもっての外。
一方、天理高校一部へも受からず、他の私立高校から大学まで至れり尽くせりの待遇を受ける大教会や上級教会の子弟。
そのようなことが日常茶飯事に行われる教団。これがまともな姿ですか。「徳」が無いの一言で片づけるバカな大人たちの集団が今の天理教です。
前述の常詰の二部生が、入学前に会長から云われた言葉「勉強なんかしなくていい。苦労をして来い」これが差別教団の実態の一端だということをどこまで理解されていますか。
理念と実態の乖離に気づいておられない、あなたの日常の書き込みは理解に苦しむことばかりです。
優秀でも大学に経済的に行けない子は増えています。それは一般の社会でもそうです。
しかし社会の方もそれは心得ているようで、優秀な人は次第にのびていきます。
仕事ですので失礼します。
匿名です 様
あなたが仰っている現状は百も承知しています。
今後のお願いは、答えにもならない書き込みは必要を感じません。社会のことをお尋ねしているものではありません。
私が書き込んだ内容の出来事が、教祖の教えに照らしてどのような考えでおられるのかをお尋ねしたものです。
ただ、匿名です様の言論の自由を封じる気持ちでないことを申し添えます。
もう少し的を得た書き込みを期待するものです。
〇〇大教会、おかしなしきたりがあるようだ。信仰には、相手を思いやる暖かさが必要だ。
FBのコメントより・・。
「昨夜、ピンポーン
出てみたら、マンションの住人さん。
お婆ちゃんが亡くなった事 何で教えてくれへんかったん
お参りだけ させて。と。
有り難いですよね~。
参拝して頂いて 一頻り思いで話。
沢山の お供えもいただきました。
ここに越してから たかが18年。
母は、天理教60年。
天理教教会会長と名の付く お方は誰も来ず ほったらかし。
天理教 以前に人間としての気持ちはないのかな
なんだかんだの、しきたり があるらしいけど、そんなしきたりは、おやさま が作ったんかい
おやさまの言葉なんかい
〇〇大教会様。」
「お聞きしたい事があります。
〇〇大教会のしきたり らしいのですが、
母親が出直した折、私は、直接の教会の上級に連絡しました。
それが、しきたり に反したようで、連絡はしません。
出直した事は、直属の教会にも連絡はしません。
〇〇大教会は、始めに教えていると。
私は、聞いた事が無いのですが本当でしょうか」
先ほどのFB記事の続きの記事です。
この〇〇大教会の人は「理の親」「理の子」とか、会長さん、奥さんを立てるとか、変な権威主義のある教会です。
「〇〇大教会のしきたり らしいのですが、
母親が出直した折、私は、所属教会◯◯分教会の上級教会に連絡しました。
教会側が言うには、それが、《◯◯のしきたり》 に反したようです。
「まずは所属教会に連絡をすべきであると。」
出直した事は、上級者教会経由で所属教会には連絡はしてくれないのでしょうか?
仮に間違えたとしても、母の為に天理教式で葬儀をしてあげたいと思ったことを叶えてくれないほどの間違いなのでしょうか?
〇〇大教会では、《順序》と言うものを始めに教えていると言いましたが、私は、聞いた事が無いのです。
それは本当なんでしょうか
長年御用に尽くしてきた母のことを思うとやるせない気持ちとなりました。
1年前に自宅の近くに天理教の教会があることが分かり、母の年祭のお願いをしましたら、快く引き受けて下さいました。
このご縁によって、現在はこの教会と繋がるようになり、月次祭も参拝させていただくようになりました。
ご近所の方が来られ、来るべき教会の方が見えなくて、ついつい感情的になって投稿した部分もありますが、情けない思いを断ち切る為に心の内を晒しました。
私が、悪いのは分かっています。
が、やるせなくて、私のせいで、母は、御霊移しも、何もしてあげれなかったのが、辛かったので愚痴ってしまいました。
すみません」
東風Z様
常詰の子弟は天理高校2部へ行く ということは存じ上げておりませんでした。
夢があり、勉強をし、良い成績を取り、けれど1類2類、あるいは大学に行けないと知った子の落胆はとても大きいと思います。自分よりずっと成績の悪かった、自分より勉強をしていなかった子が大学に入っていき、自分は社会にでなければならない。それはかなり辛いことだと思います。
T先生は常詰の子弟?で医師になっておられるではないかと若干思いながら、例外も含みつつもそういうことなのですね。
ただ悔しい思いをされつつも、優秀な子は高卒で、大卒だとなかなか入れない企業に入れたりしていますし、中で資格検定を次々と受けて信頼を得て仕事の幅が膨らんでいくようです。勿論役職にもついておられます。
教内で働く(この言い方で合っているでしょうか)場合、求められる能力は特殊で一朝一夕に身につけられるものではありません。特殊な能力を要求されると思います。それは机上の学問だけでは身につかないもので、苦労をして身につくものだと思います。
どのような状況におかれても、それは親神様のご意志だと思いますし、また教祖が導きをくださると思います。それを誠実にこなしていくことが自身の未来、次世代の未来を開くことにつながると思っています。幸せの形はステレオタイプなのではないと思います。
つまり、幸せの種はどこにも落ちていて、みんなが拾えるものだと思います。
末端教会子弟様
師弟とまた書いてしまってすみません。例えば私の勤め場所の経営者の銀行口座には多くの預金が入っています。しかしその預金は借りているもので、支払いのためにプールされているものです。
預金が多いということはイコールその方の資産が多いとイコールではないと考えています。
貸借のバランスの中で、本当に贅沢をされているのか、よく分からないのです。
匿名です様
あなた様が何らかの理由によりみづからの意志で自覚的に信仰を持たれたのだろと推察しています。だから、すべての状況に親様のご意志、教祖の導きと思われるのでしょうね。
しかし、親の信仰のため過酷な状況に置かれている子弟にはとても冷たい言葉に思います。
以前、大教会から来ていた、教会長の講習会かなにかの出欠の問い合わせを、私が大教会に直接返事を書いて送ってたら、上級会長から、「順序があります。上級に連絡してくるのが当たり前です。そんなこともきちんと守らないのはあんたとこだけよ。」と母が電話で叱られていた。
大教会から問い合わせが来ていたから、大教会に返事したのに、大教会には、上級から報告してもらわねばならないらしい。末端教会が、大教会に直接返事するのは畏れ多いこと、というのだろうか。順序とか、上級の理とか、そんなことが重要なのか、何かといえば、そういうことを口にして、上から指示してくるのが、ウンザリであった。上級会長から電話、と聞くと、また(母が)何を言われるのだろうか、と不愉快だった。そういうことなどで嫌気がさして、絶対、教会なんかしたくない、頭下げるばかりなど御免だ、と思うようになったのも当然のことではあるまいか。
一列兄弟よりも、教会組織の縦の順序、上から下に流れるとかいう「理」というものの方が重要な事らしいが、おやさまの教えにそういうことがありましたっけ?
僭越ながらこの順序は一般の職場でもあることで、これでよく怒られました。
誰に伝えるかは天理教内だけではなく、一般の職場、ご近所、プライベートなグループにおいて、全て気を使わないといけないもので、私はよく上司を怒らせました。
そしてそれも一因で職場を去らないといけない状況にあったりしました。
匿名です 様
>この順序は一般の職場でもあることで、
>誰に伝えるかは天理教内だけではなく、一般の職場、ご近所、プライベートなグループにおいて、全て気を使わないといけないもの
一般の職場などでは、そういうことに気を使わねばならないことは、当然のことと納得できます。平社員が社長室に入って行って、気軽に口をきいてはいけないのは当然です。
私が言ってますのは、あまりに「順序」とか「理」とか、そういうものに捉われて過ぎているのではないか、そんなことが、天理教という宗教の世界で、重きを成すようなことなのか、ということです。一列兄弟が理念なのに、順序がどうのこうのと、そんなことを事細かく言う必要があるのかな、ということです。
題名:大馬鹿としか言いようがない
投稿者:古い教会長さま
投稿日:2017年 3月11日(土)10時05分27秒
中田表統領の思考、信条、信仰がヒドいですね。元々天理教が持っていた本音が出ているだけかも知れませんが、「お里が知れる」状態です。
昨年11月27日、第240回定時集会から、
<M集会員の質問> いま、お道が世界に向けて発信すべきことは何か、お伺いたい。
<中田表統領> 発信というのは、対象や内容をはっきりさせたうえで行わないといけない。お道から教外、世の中に向かってのことと、本部から教内に向かってのことは全く違う。また、本部から直接伝えるべきことと、教会や教区を通して伝えてもらいたいことを整理し、いろいろな手だてを用いて発信していきたいと相談しているところだ。
(世界であろうが、教内であろうが発信することは教祖の真実の教えであるべきなのに、本当に大馬鹿としか言いようがない。本部の二枚舌・三枚舌を自ら暴露してしまっている。)
匿名です さま
>預金が多いということはイコールその方の資産が多いとイコールではないと考えています。
誰が「預金額と借金額」の話をしましたか?
税金は収入のある人が納めるのが当然で、高額納税者ということはそれだけ多くの収入を得てる人だということ位小学生でも知ってますよ。
毎回毎回、話をそらしてトボけたコメントするのはやめて下さい。
しかし相変わらず匿名です様のコメントは、オカルト・輪廻転生が全開ですね。
他の人とのやり取りに口を挟むのは大好きなので、ツッコミいれます。
>どのような状況におかれても、それは親神様のご意志だと思いますし、また教祖が導きをくださると思います。
「一列兄弟、世界ろくぢ」と説いた月日親神、教祖様がこんな格差のある社会や天理教組織を作ったり望んだりするわけないじゃないですか。
「人間の欲とホコリで作られた苦しむ人が多いこの世の中を、神の気持ちを理解した皆の力で建て直しなさい」という教えだということは、みかぐらうたを読み解けば簡単に理解できますよ。
教祖様はその方法を教えてくださったが、教祖様亡き後は、皆の力を合わせて「建て直す」しかないでしょう?
「苦労をして身につくもの」とか「誠実にこなしていくこと」なんて言葉も輪廻転生の考え方を基本にしているから、世の中の成り立ちや根本原因から目を逸らさせるための「為政者に都合のいい思想と言葉」ですよ。
>一般の職場、ご近所、プライベートなグループにおいて、全て気を使わないといけないもの
法的根拠や個人の知識経験能力、人間の情や気持ちなどによって成り立つ上下・序列関係と、天理教の組織を同一に語らないでください。
天理教のように、血統と相続が根拠で絶対的に変わらない上下序列関係を「中世封建制度」と言うんです。
FBでの、ある方のコメントです。
『大きな声じゃ言えませんけど、詰所に行けば半分は殿様の集まりみたいな感じ( ー̀дー́ )
祭典講話で人の悪口しか言わない会長もいる……
信じられないでしょ?事実です。
天理教も終わりじゃなって思える時があるのが悲しいです』
さっちん様、末端教会師弟様
遅くなりました。少し詭弁を使わせていただいて良いでしょうか?勿論おっしゃることは大切なことです。それは分かります。
大教会の所属の信者さんは大勢おられると思います。その中の一人の方について名前を告げられた場合、多くの信者さんの中のどの人になるのか、調べるのに時間がかかるのではないでしょうか。
同姓同名もあるかもしれないですし、大教会が遠方にある場合、距離の問題もあります。
また命令実行のサイクルで一つの過程がとばされると、その課題について実行がなされたか確認できずにグルグル指示が回り、結局実行できないあるいは実行が遅れるということがあるのではないでしょうか。直属に伝えることが一番早く確実に実行されると歴史の古い天理教は経験で知っているのではないでしょうか?
それで、私のこの詭弁を誰が聞きたいでしょうか。そんな言葉聞きたくない、それが人の心理だと思います。
そういうことを分かっておられるのが教会子弟の皆さんです。苦労して身につけてこられたことです。私が身につけてこれなかったことなのです。
仕事なので失礼します。
末端教会子弟 様
よく言ってくださいました。
信徒詰所勤務の天高二部生が、同じ信徒詰所から通学する大教会役員の子弟の天高一部生の小間使いのような勤務を送った経験者には、消すことのできない心の傷を負っているのです。
下校時に雨が降ってきたから傘を持ってこい。遅れたから自転車で送れ。あまりにも気ままな言動であった。
傘を持って行ったがために、夕食も食べず、授業にも遅刻した。せめて、詰所主任はこの時ぐらい自転車に乗って行ってもいいよぐらいは言って欲しかった
これが逆だったらどのような結果が待っていたのだろう。あの当時は携帯用傘やビニール雨合羽等の便利なものはなかった。夜の9時過ぎに雨に濡れながら帰った二部生に思いを馳せる人など居なかったのである。
以前にも書き込みましたが、二代真柱は奈良国際ゴルフ倶楽部でゴルフ三昧、そのキャディーは天高二部の女子生徒だったのです。大教会長の子弟がキャディーをしたのでしょうか。多分あり得ないでしょうね。
小さな出来事だったかもしれませんが、このような姿が天理教だっただけの話です。そして、現在もこの教団には形は違えども同じようなことに満ち溢れているのでしょうね。
今も、80歳を過ぎた常詰さんに、一日中、一言も声を掛けない教会長が居るんです。
何が「ろくぢ」、「一列兄弟」、「ようきづくめ」の世界なんでしょうね。
匿名です 様
あなたの言われることは詭弁ではなく、その通りです。処理上の手続きを能率よくするには、上級を通して大教会に連絡して貰うのが、確かに良いと思います。
私が、上級会長に対して不愉快だったのは、前の投稿にも書きましたが、「上からのものの言い方」です。「大教会には、こちらからまとめて連絡しますから、大教会への連絡事項に関しては、全てこちらへ連絡してください。」とそのように、こちらに分かるように説明並びに、「丁寧に柔らかく」言って欲しかった、ということですね。
腹が立ったので、上記のことを手紙に書いて送るつもりだったが、結局よう送りませんでした。まだ、上級に対して何も言えず、遠慮していた頃ですから。(今は言いたいことズケズケと書いてますけど。笑)
そうそう、この間の、巡教の先生のことですけど、はっきり断って欲しい、と書きました。【一方的に決められましたが非常に不愉快でした。母の介護もありますし、教会を辞めたいと思っておりますので、これ以上煩わしいことに時間を取られたくありません。来られても大教会の決定なら、大教会が支払うのが筋と思いますので、こちらに支払義務は無いことと思います。(もし来たら、あなた(上級会長)へのお供えを巡教の先生に廻します。)】
最後の( )の部分はさすがに書けなかったが、そうする気でおりました。上級からは、「断りました。」の返事が来ました。今、上級会長からは、会費の最速も、「仕切り」のお供えの催促も一切ありません。私が払わないのを知ってますから。言いたいこと言える、というのは、ほんとに精神衛生にいいですね。(笑)
東風Z様
いえいえ小さな出来事ではありません。もし、彼女等が私だったら一生許さないくらいの出来事です。
教団が減り続くのも当然と思います。まったく鈍い感性、感受性!!
また、私の偏見ですが「2代真柱ゴルフ三昧」というだけで教団トップとダメと思ってしまいます!?
匿名です様
末端教会子弟様、さっちん様、など他の方の話している内容は、物事の本質についてです。
匿名ですさまの言ってることは、すべて物事の上辺の一面に過ぎません。
本質についての話しに対し、物事の上辺の一面を提示したところで、相手が納得する筈は
ありません。そこが、話しが噛み合わない原因と思われます。
>遅くなりました。少し詭弁を使わせていただいて良いでしょうか?
>私のこの詭弁を誰が聞きたいでしょうか。
「詭弁」とは、道理に合わない、言いくるめの議論。ごまかしの議論。
「―を弄(ろう)する」。論理学で、相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、
見掛け上は正しそうな、虚偽の推論。
とありますが、匿名です様は、詭弁を用いて相手を言いくるめるような必要性をなぜ感じて
いるのでしょうか?「本質」を見る事が怖いのでしょうか?
それを無意識の「依存」といいます。
自立は、現実から目を背けないことで得られるものだと思います。
つい、投稿してしまいました。横からすみませんでした。
mami 様
確かに、二代さんは頭の優秀な方でした。ですからこの方は、頭の優秀な方を大切にされました。八島英雄氏は東大に合格されていたにも関わらず、正善氏の要請を受けて天理大学に入学されたと聞いています。
でも、これは結果的に藪蛇になりましたね。人の用い方までは至らなかった方でした。いろいろな憶測が飛ぶ中で、キャデイーのことをご存知の方は皆無に近かったのではないでしょうか。
ゴルフが悪いのではありません。宗教家がゴルフ三昧というのがどうかということですね。しかもキャディーの用い方が悪すぎました。
常詰の子弟や、末端教会の子弟は心理的に使い捨てに過ぎなかったのではないでしょうか。そうとしか受け取ることが出来ませんでした。
東風Z様
本当にそうですね。東大卒の本部員子弟を登用し官僚体制を築かれました。一時的にうまくいっていたでしょうが今ではその弊害が出て来たのではないでしょうか。
八島様の櫟本分署跡に一度、訪ねたことがあります。中山みきに惹かれるのは「一列みなきょうだい」「女松男松へだてなし」の生き方を示され、貫き通されたことです。組牢というのですか、それを直に目にした時、仲田儀三郎、桝井伊三郎両氏のお姿が浮かび、確かにここに信仰があった。と、ひにくれ者の私でも熱いものが。私ならすぐに中山みきを裏切っただろうとも。仲田様はこのあとお亡くなりになったのですね。
みき亡き後、本席に神が降りなかったらどうなっていたのだろうとふと考えることがあります。東風Z様のコメント読んだ時もふと。
八島様は2014年10月23日に他界されたのですね。一度、直にお話を聞きたかったです。
八島英雄氏は温厚そのものの方だったと知人から聞いていました。高野友治先生といい、このような方の書物はすべてと言っていいほど教団により葬り去れてしまいました。残念ですね。
私は次のお話を聞いた覚えがあります。間違っていたらごめんなさい。
「・・・天理大学のある教授が、勾田村の人別帳を入手し研究していたが、広く公開した方がよいと考え、天理大学附属図書館に寄贈した。その後、必要があって寄贈者本人が閲覧を申し込んだが、この人別帳は天理図書館にはなく、閲覧できなかった。勾田村のこの人別帳には『そよ』の記載が無かった為と思われる。・・・」
『そよ』とは修験者の市兵衛の寄加持の台に使われた勾田村在住の女性である。と稿本教祖伝に書かれている。しかし、人別帳に『そよ』の名の記載が無かった事実が表面化することを恐れた教団は、寄贈された人別帳を破棄したのか。それとも史料集成部に隠してしまったのか、謎である。
天保9年10月23日は生憎と『そよ』が不在で、『みき』が代わって加持台を勤め・・・・とある。
稿本教祖伝は作られたドラマかもしれません。
天理教は「一列兄弟」が教祖の教えなのに、その教えを世界に向けては全く発信していない。それどころか、天理教組織は厳格な身分社会、封建社会である。親様は、「身分による差別」に反対したそうだが、親様の教えを説く教団が、教えと真逆の差別社会を形成しているのは、不思議なことである。教団頂点に居座って、都合の良い号令を発してお供え集めをしている上層部が、お筆先で「大砂高山」と攻められていた者達のことにピッタリあてはまる現状は、皮肉なことである。
一読者B様
依存はしてるでしょう。自立とは何でしょう?抽象的でなかなか難しいです。
何故詭弁を使ってまで守ろうとするかの答えの一つです。
ポスティングの経験をしました。そうして感じたことは老人がほとんどの田んぼの広がる美しい町があるということです。そして空家になっている家の多さ。閉鎖された小学校の多さ。天理教の教会がある村には子供の姿が少しだけありました。
教会あとなのでしょうか?大きな門の中のある空間。中に家が建っています。村は空家だらけ。子供の声は聞こえず鳥の声が聞こえる。
子供世代は便の良いところに暮らしてして、老人達が田畑を守って生きておられます。
教会のある村はほんの少し活気が感じられます。美しい環境で人々は生きておられる。
けれど、老人達がいなくなっていけば、美しい村は林に帰っていくのかもしれないです。
あと数十年後、どうなっているのだろうか。
天理教の果たしている役目。親を守ることを教える宗教。
私は天理教は日本人に親を守ることを伝えることが出きる宗教の一つだと思っています。教会がひけば、人もひく。教会があれば子供の姿が見える。
にぎはしや (…)つきくるならば なのではないかとも思います。
天理教は村をつなぐ役割を果たしてきたのではないかと思うのです。
親の面倒をみる そのことを長い間伝えてきた宗教だと思います。
mami様
冷たく聞こえましたか。傷つけてごめんなさい。おっしゃるように私は自分で信仰の扉をたたきました。
皆さんの御苦労をネットを通して知りつつあります。
(何を隠しているのだ)
分家「あまり教祖伝をほじるなよ」
八島「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。外部からあばかれたらどうします。(中略)今から真実を説く、教祖伝の編纂をやり直す、と教会本部が発表すれば、混乱は起こりません。教内はうすうす気づいていながら、何時本部が真実を言ってくれるか待っているのです。後れたら皆が背を向けます。そうなったら取返しがつきません。」
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
匿名です様
私は何も傷ついておりません。
ただ、「どのような状況におかれても~それは親神のご意志、、、、、教祖の導きと思います」と簡単に書かれることに他者に対する愛を感じなかったのです。私はそれを云えるのは『親神(沈黙されていますが)』のみと思っている人間なので。
回心と言う形で。回心していない人間に向かっては言ってはいけないと思っている人間です。
mami様
すみません。その通りです。自分が辛い環境に置かれた時に、神様は大難を小難にしてくださっている。これは諭されているのだと思って耐えて状況を乗り越えることが出来てきたので、軽々しく書いてしまいました。考えたらずでした。
この先は今日はつながらなくなるのでここで失礼します。
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匿名です様
>依存はしてるでしょう。自立とは何でしょう?抽象的でなかなか難しいです。
>何故詭弁を使ってまで守ろうとするかの答えの一つです。
そうですね。依存していると、依存対象と自分を同一視してしまうのです。
なので、依存対象(教団)を批判されたりすると、あたかも自分が批判されているか
のような気分になるのです。
自分をそういう気分にさせるものこそ「エゴ」と言われるものの正体ではないでしょうか?
例えば そんな時、自立している人は、自分が今は仕方なく依存してしまっている状態
であること、そして自分のエゴが反応して、感情が乱れ心が波立っていることなどを、
否定せずにあるがままに見ることが出来るのです。
なので、自分はどうしたらいいか?ある程度問題点を認識することが出来、
その今の現状から現実的に問題解決のスタートを切ることが出来る。
「素直」に、ありのままに見て、聞いて、感じることが出来る。
一方、依存して盲目になり、エゴに振り回されている人は、依存対象が批判されると
自分の不安感などを埋める為に、あるがままの真実を知ろう見ようと努力するよりも、
見たくない都合の悪い現実に、いち早く蓋をして無い事にしようとします(エゴの働き)。
そして他人の体験や気持ちに寄り添い共感するのではなく、あたかも都合の悪い話を
打ち消すように、別の話しや逆の話しを他から持ち出したりして(詭弁)、
本当の現実を無視して自分の意図に合うように現実をコントロールしようとするのです。
それは、自分が安心感を得る為に、他人を利用して逃避しようとしている姿です。
困ったり、傷ついたりしている様々な人が問題と向き合っているところへ、
その問題自体を無くしてしまいたいという自分のエゴを守るために、
きれいな言葉、自分は、批判をかばう側にいる優しい人間なんだという暗の主張を
持ってきて、依存対象を不自然に美化する反面、他人を悪者に貶めるかのような
やり方をしていること。
なぜ、共感が得られないかを知りたければそういった、自分の見たくない現実も
ありのままに見なければ、本当に人の心に響く「においがけ」など出来ないと思いますよ。
匿名です様は、信仰や教団を大切にする立派な人間に成ろうとしているのかもしれませんが、
まずは、自分が実際に「何をしているのか」や、自分の「本心」に気付かれることを意識
してみることをされてみたらいかがでしょうか。
肝心の自分のしていることを自分で見えていないのに、霊や波動が見えるというのは
説得力がないですよ。
二度にわたる余分な書き込み、失礼しました。
はじめまして。よろしくお願いします。
教会の会長のことで悩んでいます。
その人は、子供のころから意地悪な人で、いくら親切にしても仇で返してきます。
母の姉の息子なのですが、うちの親は姉の子供たちに親切でしたし、
その人が生まれた時には、育児を手伝うために、母は仕事を辞めて、しばらく姉の家に通いました。姉が子供を産むたびに そうしました。
その人が、教会の青年に住み込みをしてた時も小遣いをあげたり、その人が結婚した時もたくさんお祝いを包んだり、
その人が教会の養子になって義理の父母が亡くなった時も、通夜も葬式も参列して香典もしましたし、
その人が入院した時は、お見舞いもしましたし、失礼のないように 対応してきました。
それなのに、その人は教会長だというのに、自分の教会の信者や、教会関係者には、失礼のないように対応するのですが、
うちは、その人の教会の信者でもないし、おとなしい性格で文句も言えない人間だと思っているのか、見下して失礼なことばかりします。
私の父が闘病中、その人がうちに見舞いに来ました。
何の連絡もなく、突然やってきて、教会関係の工事の手伝いの帰りだったらしく砂埃だらけの汚れた作業服で、真っ黒に腐ったミカンを5個、見舞いだと言って持ってきました。
白いビニール袋に入っていたから、まさか黒く腐ったミカンだと 思いもせず、母は何度も丁寧に頭を下げてお礼を言いました。
その人が座ったところは、服が汚れていたので、畳も汚れてしまいました。
私は、腐ったミカンに対してお礼を言う、母の姿がかわいそうで、つらくて、今まで親切にしてきたのに何でこんな酷い事をと 悲しくて、動悸で胸がすごく苦しくなりました。
また いつかこんな酷い事をしに来るんだろうなと思うと、心労で数日 不整脈も出ました。
その人は独身の時も 突然こんなふうに失礼なことをしに来たのです。その時も すごく嫌でした。
私は子供のころ、この人に海の中に置き去りにされて 2時間 海や浜辺で迷い子にされたことがあります。
親を見つけられなくて 不安で怖くて 心の傷になっています。
でもこの人は 謝ってもくれなかったし 見下して無視するだけの態度でした。
「うっとおしい」とか言って虐めるくせに、私を自分の用事に使ったり お金を出させたり 利用してきます。でも、何もお返しはありません。
その後、父が亡くなりましたが、その人は父に香典もしませんし、手を合わせにも来ませんでした。
昔から、その人は 数えきれないくらい、私たちをつらくさせるような事ばかりします。
おとなしい人間には、どんなに酷いことをしてもいいとでも、思ってるのでしょうか?
母の姉の子供ということで、ずっと何十年も我慢していたのですが、精神的にまいってきてしまいましたので、
母の姉に 少し話をしたのですが、「自分の子供は悪くない。それくらいで不整脈になるほうが悪い。出来損ない」と、ものすごく馬鹿にされ、責められ、悪者扱いされています。
母の姉に対しても、うちは親切にばかりしてきました。 母はおかずを作っては何度も姉の家に運びましたし、病院に付き添ったこともあるし、
電話で愚痴を聞いてあげたり、一方的に親切にしてきたのです。母の姉は、いくら親切を受けても何も返さない人でした。母や私をタダで利用するだけの人でした。
そして、自分の子供たちには与える一方で、身びいきのきつい人でした。
それで、絶縁状態なのですが、散々つらい思いをさせられ、悪者扱いにされて、みんなで悪口を言ってるのかと思うと、心が情けなく辛いです。
姉というだけで、妹をそんなに見下さないといけないのでしょうか? 姉といっても何一つ姉らしいことをしてくれたこともないし、姉は親の葬式代も 妹にさせて知らん顔をしたのです。
ずっと我慢して、親切にしていれば、いつかは態度もましになるかと思っていたのですが、
性格の悪い人に いくら親切にしても 感謝もしてないことがよくわかりました。
私たちから 労力やお金を取り上げれるだけ取り上げて 文句を言えば 掃き捨てるような態度です。
いろいろ酷い事をされ、利用され、暴言を吐かれて、胸に刃物が刺さっているみたいに 痛く苦しいです。
親切にして意地悪されたら どうしていいのか分からないです。
その人は教会に養子に行ったのに、何でこんなに酷い人なのか・・・母の姉にしても、何十年間も布教所の看板をあげていたのです。
母の姉に暴言を吐かれてから数か月経ちますが いまだにフラッシュバックで苦しんでいます
どう思えば 気持ちを割り切れて 忘れられるのかと思います。抑えきれない怒りが沸き上がってくることがあって 血圧も上がってしんどいです。
東風Z
2017年3月16日 2:34 PM mami様宛の投稿の一部を訂正いたします。
>八島英雄氏は東大に合格されていたにも関わらず、
上記の部分を以下のように訂正いたします。大変申し訳ございません。
「八島英雄氏は。非常に優秀な頭脳の方で、東大を目指して勉強をされていました。」
しかし、二代真柱が東本大教会で八島氏に直接会われて、天理大学へ招聘されました。
八島氏は、どのような経緯を経て「中山みき研究ノート」を書かれたのか。想像するまでもなく、史料集成部への入室が許されていたと想像します。そうでなければあれほどの内容の物は書けないと思うのです。
二代真柱は、八島氏の裁判も含めて氏を非難されたことが無かったとも聞いています。一体、背景に何があったのか。これ以上のことは書けませんが、二代さんの行状を考えれば、何かの想像は付くと思うのですが。
2017年3月16日 9:52 PM古い教会長様が投稿されているように、ご分家までが直接話をされる立場の人であることも大きなヒントになるのではないでしょうか。
単なる部内教会長が話し合える内容ではありませんよね。
八島氏の書かれた本に青年会本部が出されている本を見れば、嘘偽りばかりと思いますよ。
八島氏と分家の話も創作だと思います。
>八島氏の書かれた本に青年会本部が出されている本を見れば、嘘偽りばかりと思いますよ。
>八島氏と分家の話も創作だと思います。
もっと具体的な根拠を明確に教えて下さい。よろしくお願いします。
『ほんあづま』2000年6月号巻頭言
「八島何故出て来ない。すぐ来い。天理大学が全国大会に優勝して、祝賀会が東本で行なわれているだ。」「私は柔道部ではありません。ラグビー部ですよ。」「東本で祝賀会が行なわれているのに、天大OBとして出て来ないという事があるか、早く来い。」「行きます、行きます。」
時は、天理大学が東本大教会を宿舎にして、柔道の全国大会に出場し、優勝し、東本大教会の三階大広間で優勝祝賀会が始まった時である。人は天理柔道の総帥、中山正信氏からの電話である。急いで東本へ行き、三階の会場に顔を出すと、挨拶もそこそこに「二人だけになれる所があるか」と言うので、一階の青年ホールへ行き、二人だけの話になり深夜に至るまで続いた。
『ほんあづま』の論調が、『稿本天理教教祖伝』のフィクションの洗い直しを進めて、すでに、こかんさんの大阪布教が、作り話である事が誌上で証明されていたのである。
分家「あまり教祖伝をほじるなよ」
八島「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。外部からあばかれたらどうします。山本周五郎が『樅の樹は残った』という小説を書いてから、極悪人原田甲斐が、実は仙台藩を救った忠臣であったと、常識が変わっています。今までの日本は天皇制軍国主義の思想統制があって真実が説けなかった。今から真実を説く、教祖伝の編纂をやり直す、と教会本部が発表すれば、混乱は起こりません。教内はうすうす気づいていながら、何時本部が真実を言ってくれるか待っているのです。後れたら皆が背を向けます。そうなったら取返しがつきません。」
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
豪気な御分家中山正信氏の言葉の中に怯えを感じた。私の頭の中に、戦後ニュースで見た、イタリアのムッソリーニがパルチザンに殺され、逆さ吊りにされた場面が走馬燈のように走った。
それから約二昔の歳月が流れた。正信氏が亡くなって十年、その間におつとめを教祖が教えた通りに復元すべき人が、また、ひながたを正すべき人が次々と世を去り、或いは教外に押し出され、みかぐらうたを歌い、教祖の教えを手踊りで、自分の身体で表せる人が次々と教団に背を向け、教えを求めても得られず、修養科生は十分の一に減り、教会は三分の一以上が活動を停止している。
拝み祈祷を営業政策にした神道天理教は迷信家の集団と化して教祖の教えは亡びようとしているのである。
昔、神道になるために、教祖を警察に売った。十余年前ひながたを顕彰し、おつとめの復元につとめている櫟本分署跡参考館を教外のものと断定した。然し今日櫟本のつとめ場所を見ると、捨てた良心の種が育って花咲くように教祖の教えた通り教祖と共に歌い、踊り、誠の心を取戻し、人の喜びを見て楽しむ心を我が身体で表す、世界たすけの働きの中心になるべき人が続々と誕生している。櫟本を苗床にして世界中に良心の花を咲かせなくてはならない。
一読者B様
分析ありがとうございます。客観的に自分を見よということですね。
これが難しいことですね。丁寧に分析していただきまして、文章を何回か繰り返し読んで噛み砕こうと努力しております。自分を客観的に見れていないということの御指摘、自らの振り返りが不充分であったと改めて思い返しております。
ところで専門家でいらっしゃるようなので、以前より聞きたかった質問をさせていただきたいと思います。
心理学で病気と気質を結びつけた分類が存在しますよね。天理にも病気と気質を結びつけた分類が存在していますよね。
天理は気質に着目し、自ら心のほこりを払うよう自身の反省をすること、人のために尽くす精神を持つこと、及びおさづけの理によって、病気を遠ざける、あるいは表にでない形にする、あるいは根本の病気は存在していても痛みを減弱させるということを伝えていますよね。
体質改善という言葉がありますが、気質改善によっても体調のコントロールが可能ではないかと考えています。それは心理学によっても理論補強がなされるものではないかと考えておりますが、いかがでしょうか。
2017年3月17日 4:08 PM 匿名 様
私は、天理教青年会本部会編「確かな教理理解のために」と八島英雄氏著「中山みき研究ノート」を何度も読みました。
ただ、青年会編の本には責任者の署名がありません。先ず、この点に大きな疑問を感じているのです。
青年会はただ単に「編」とだけしか書いていないのですよ。このような本は頭から信用できかねます。
もっと責任を明らかにして著してほしいです。
刊頭に、「刊行にあたって」として当時の青年会委員長の中田善亮氏が寄せられている文がありますが、中田氏は、いま、このブログでも話題になっている方で信用性は0に近いでしょう。
そして、八島英雄氏著本が嘘であると断定されるのであれば、その根拠を示してください。
何れにしましても、教団は史料集成部を開示しない限り、何を仰っても信用できないのです。天理大学を卒業した知人は現在80歳。それに至る間、史料集成部に入室を希望するも実現していないのですよ。おふでさきまでも秘匿部分が有るという知人。この知人の疑問に教団は何時になれば答えるかと云いたいです。
教団にとって都合の悪いことはすべて隠してしまう体質にあきれるばかりです。
櫟本分署跡は、教祖が最後にご苦労された場所ですよ。寒い中冷水迄浴びせられた教祖を思うとき、教団は積極的に保存をは図るのであればともかく、潰してしまおうとする意図はどこにあるのでしょう。
終りに、これは噂話として聞いた話ですが、八島英雄氏は二代真柱の落し胤だと噂されていました。こんな山奥に居る私にまでこのような話が聞こえてくる教団とは一体何なんですか。お伺いします。
終りに付け加えておきます。天理教青年会は天理教教会本部及び天理教の正式機関ではありません。
仮に裁判になろうとも、天理教青年会名での発言は何の意味も持たないということです。
匿名 様
2017年3月17日 4:26 PM
更なる投稿をお許しください。
教団は何故、虚実を織り交ぜてまでして教祖伝を書くのでしょう。
立教の根本である天保9年10月23日の件で書きます。修験者の市兵衛のご子孫は今もご健在だと聞いています。
長滝村の中野市兵衛宅は今もご子孫が健在で天理大学の有る方がうかがっておられる。ご子孫のお話では、市兵衛は学僧であって、祈祷師のようなことはしていなかった。天理教の説明は困ったものだと憤慨されていたそうです。それでは、教祖と市兵衛との関係はどのようなものだったのでしょう。教団の単なる創作話だったのでしょうか。匿名氏は一度、中野氏宅を尋ねられて真偽のほどをご確認されては如何でしょうか。
立教の話もドラマチックに仕立てられている感がぬぐえないのです。
終りに、天理教は現在の縦社会組織を解散して、講を作り、自由に談じ合いの出来る組織に変わるべきです。
信仰を辞めて5年、今更教団の在り方を論じることも無いのですが、曽祖父母の代からの信仰が嘘であったのかと思う怒りをこのブログをお借りしてぶっつけているだけかもしれません。
逆に何故、八島氏の方を信じるのか根拠を教えてください。
また、研究ノートの批判はあらきとうりようの雑誌に連載されておりました。だから、青年会が発刊したものと思います。
つい最近も天理教に関する島田裕巳氏の書かれた本に対しての解釈が適当でなかったため、あらきとうりように安井幹夫氏が書かれた記事が載ってありました。
例えば、本部が本当のことを隠している、自分たちの都合のいいようにしているとありますが、本当のこととは一体なんなのでしょうか?それがなければ陽気ぐらしができないのでしょうか?
八島氏は、分署の保存と、一部史実の掘り起こしの労という功績はあったのでしょうネ。
彼は単に二代真柱のいう事を自分流にアレンジしながら、疑似甘露台勤めをしていただけですね。
悪人ではないけれど、中山天理教の悪癖からは解放されていても、解体後の再生案を含めて、それを超える深みは、ありませんでしたね。
中山天理教の教議上の悲劇は、啓示者の永続論をごまかす為に、それと地場の理を切り離してしまったところです。
復元の基本は、啓示者、本席様のお席に座られる方々を、真柱がどのように迎えるかという事からです。
八島氏から二代真柱の頃の想い出話を聞かせて頂いた時に、魂の検証と啓示者の永続問題に対しての意識の無さに、現教団本部と同等の無機質な寂しさを感じたのを想い出しました。
匿名です様
私は専門家ではありません。
ただ、余計なお世話と知りつつ、匿名です様が過去から何度も同じことを
繰り返しているのを目にして来て、自分が気が付いたことをつい口にしてしまいました。
素人の話しなので、実際に的を得ているかどうかはわかりませんし、
匿名です様は、「自分はそんなことはない」と否定することも出来ます。
ただ もしも、思い当たるような、自分の心に引っ掛かるようなところがあれば、
「客観的に自分を見よ」という上から目線の言葉で締めくくるのでははなく、
先のコメントを読んだ時に感じた感覚や、「自分は本当は何をしたかったんだろう」、
そして「実際何をしてるんだろう」と素の自分をきちんと見てあげて感じてあげて、
自分の事をちゃんと「知ってあげる」ことを大切にしてみて下さい。
自分の外にある何かを大切にしようと必死になる前に、自分をちゃんと見てあげて下さい。
あなたが、必死で何かを守ろうとしている姿は、本当は「大切にされたい」という
あなた自身の抑圧された願望を満たそうとしているかのようです。
大切にされる資格は誰に対しても無条件に与えられている資格です。
必死にならなくても、いい人にならなくても、あなたは存在しているだけで、
大切にされるに充分な価値のある人間なのです。
なので、これ以上、あたかも自分が価値の無いもののように振舞う必要はありません。
盲目になるのも、依存するのも、あなた自身が潜在的に、自分のそのままの価値を
認めてないからです。
そうでなければ、現実を無視して盲目に何かを不自然に美化し、現実を無視してまで
むきになって庇い続ける必要はないのです。
本当に「大切にする」ということはそういうことでしょうか?
因縁があるのほこりだのと言われても、ただひとつ、素の自分の価値を自分が自分で
心から認めてること。その自分軸(中心)から冷静に正直な目で物事を見てみること
をお勧めします。最初は簡単ではないかもしれませんが、本当の気質改善は、
そこから始まると思います。
自分の中に自分(エゴではない)が留守の状態で、気質など改善できるとは思えません。
他人に都合の良いように改善されやすい状態ではあるかもしれませんが。
匿名です様が何度も同じ事を繰り返すのを見てつい余計なことをしてしまいました。
素人ですので、誤りも多々あると思いますが、正直な感想を述べさせて頂きました。
流石にこれで失礼します。
失礼しました。
匿名 様
2017年3月17日 10:05 PM
進化する魂 様
2017年3月18日 1:16 AM
どの教えを信じるのかは人それぞれでしょう。
僧祖父母から両親が繋いできた天理教に対する信仰の姿を見ていて感じたことは、お金に明け暮れていた事だけです。
私の小学校下級生の頃は、通学生のほとんどが藁草履でした。なかには裸足の子供もいたのです。ようやく進駐軍のジープの廃タイヤが底になった草履が売り出され買ってほしかったが、そのお金もお供えに消えたことを覚えています。
二代真柱の教会建築は本部の方向に向けて建て替えよとの命令に、立派だった大教会の神殿及び教祖伝は無残にも取り壊されて、15億円近い建設費を投じて、その支払いに四苦八苦していた親の姿を見て、よくやっているなんて思いますか。当時現役だった私にも、一度でいいからお供えをしろと言ってきた金額は、驚くほどの高額でした。住宅ローンの支払いでつつましい生活を送っていた妻が、ついに堪忍袋の緒が切れたのです。未信者で結婚した妻は、母の勧めで別席まで運んでくれました。教会の月次祭には幼子の手を引いてバス、電車を乗り継ぎ参拝してくれました。しかし、糸の切れる日が来たのです。
表統領が、お尽くしは命の繋ぎと言っている限り、いずれ誰も見向きもしなくなるでしょう。
私の祖父母からの一族は、正確な人数は把握していませんが、60人を超えると思っています。その中で天理教の信仰を続けているのは、97歳になった叔母一人だけです。
どのような理論を掲げようと、現実を見てください。仮にこの60人の半数だけでも教会に繋がっていれば、教会はどれ程賑やかだったでしょう。ジジババばかりでお勤めの人手も揃わない現状を見れば、教団は何をしなければならないか言うまでも無いことでしょう。
教団代表役員の言葉が余りにも悲しいですね。
匿名 様
2017年3月17日 10:05 PM
進化する魂 様
2017年3月18日 1:16 AM
「理が神」という明確な指針があり、教祖様は「みかぐらうたは理の歌だ」と仰っている。
これは「みかぐらうたに込められている理論、法則、指針が神」に他ならず、おふでさきは傍な者が「違いがあるので記しおいた」補足説明と叱咤激励の言葉だと言える。
にも関わらず、教内には「みかぐらうた」には記載のない、オカルト満載の出来事や輪廻転生、肉体を離れた魂の存在などを主張する人も多い。
確かに日本の宗教の歴史や他宗教の有様を見れば、オカルト全開や輪廻転生、肉体を離れた魂の存在を信じ、人間以上の力を持つ「神や偉人(天啓者)」の存在などを崇め奉り、祈りを捧げてご利益を願う信仰スタイルのモノが多い。
教祖伝の初っ端に「天の副将軍が天下った」等と記載があるので、それをそのまま信じてしまえばやむを得ない部分もあるのだが、個人的には、これに矛盾や疑問を感じない事に不可解さを感じ得ない。
「みかぐらうた」は、そういったオカルト的なものを否定はしていないが含まれていない、という事は文言を素直に読めば簡単に理解できるのではないかと思われる。
オカルト的視点に立つ人からは、八島氏の話に対して「無機質な寂しさ」を感じるのも当然かも知れないが、オカルト的視点を排して論理的に分析すれば八島氏の話に矛盾がないことが理解できる。
またまた再投稿失礼します。
何しろ、教団は八島英雄氏を罷免したことを受けて、裁判を起こされ敗訴したではないですか。なんの反論も出来なかった教団。唯一、被告側が、天理教青年会が・・・と言いかけて、八島氏の弁護人から、青年会は教団の正式機関で無いとの指摘を受けて沈黙している。それ故に、「確かな教理理解のために」は読むだけ無駄ですね。それとも、教祖の真の教えが表面化するのを恐れたのか、控訴もしなかったではないですか。
もし、現教団の教えが正しいというのであれば、何故、偽計業務妨害罪や信用棄損罪、威力業務妨害罪などの法律の適用できる方策を講じて八島氏を告発をしなかったのですか。
ほんみち、天真教、神光苑、日の本神誠講、聖正道教団、世界心道教、大道教、モラロジー、まだまだある分派を生んだ教団。
挙句の果てに、三代真柱善衛氏が独身の頃にあった、氏の奥方に皇室の女性をという話があったとか。この話は雑誌が騒ぎ立てて立ち消えになったと聞いた。教団はどの方向を向いていたのか。
余談ですが、この雑誌名をご存知の方は、是非ご紹介をお願いします。
いずれにしても、教団の教えに少しでも反論を加えた段階で、異端と決めつけるところに、教学が育つ環境は皆無であろう。古い教会長さんが仰って居られた、主査室に逆らった段階で異端なんです。
主査室のお歴々は一度、比叡山の教学の現場を見学されては如何ですか。
2017年3月17日 10:05 PMの匿名様並びに進化する魂様、もっと社会の現実をしっかりととらえてください。
話題の流れから外れていますが、すみません。
ちょっとガス抜きをさせてください。お供えをしないから上級・及び上々級教会から冷たくされています。長年の天理教の虚偽実態を知るにつけ、信念を持ってお供えをストップしているところです。
ところが非常にわかりやすく最近、上級・上々級が、出すものを出さんのなら困らせてやる的な行動にでてきます。
上々級が上級に、私に対する「いじめ指南」をしているらしく、ほとほとこの世界に居るのが嫌になりました。やれやれと言ったあほらしい世界ですね。
上は下からお供えやお礼をもらうものだと思っている。もらえなくなったら反逆に出る。やっぱり宗教の仮面をかぶった「やくざ」だと思った。馬鹿な裸の王様なのに、見識ある人間から見たら相当低級レベルなのに、そんな評価しか無いのに、あほな裸の王様だから偉そうな振る舞いをしているけど。
常識のない偏った低レベルの人間の集まりなのだから、本気で立ち向かわなくてもよいと言うことはわかっているのですが。今後は飄々とした態度で打たれ強くならねばと思っています。自分流を貫いていますが、この世界は住みにくいなあと思います。
こちらに書き込み、少し発散出来ました。有難うございました。
末端教会 様
気苦労が多いことと存じますが、信念を持って貫いて下さい。
段々それが当たり前になり、呆れられるとこちらのものです。
あそこの教会は出来ない教会だとレッテルを貼られれば、気が楽です。
会長不在になって事情教会になるより、余程ましだということに気づく時が来ると思います。
応援しています。
天理教はもとはといえば、人間が造った宗教ではありません。神が教えた宗教です。ところが人間は天理王朝・天理王国を造ろうとしました。「我は元の神実の神である このやしきにいんねんありこのたび世界一れつを助ける為に天下った みきを神の社に貰い承けたい.」ここから始まりました。そして教祖はそれまで あの人は優しい人や 神様みたいな人やと言われたが、天啓が降りてからは あの人はきつねつきや狸つきや化け物や気違いやと言われてます。
天啓とはそんなものでしょう。理屈に合わない現象でしょうから。普通では分からないでしょう。でも現在天理教信者の中で行われているおつとめも天啓の一つです。三原典は天啓。飯降さんのおさしづは自分で言って意味を「わかりません」と答えられたとか。でもこれだけ膨大な神の言葉が残っているのは天理教だけです。おさしづは全七巻約七千頁に及びますから。教祖四十九年の道すがら、飯降さんの二十年のおさしず、上田ナライトの五年のおさしづ、合計七十四年間思いを伝えられた親神様はもう声を出さないのでしょうか?そして何故その言葉を全部本部は出さないのでしょうか?上田ナライトは天啓者と認めながら、ナライトの天啓は一切見えません。飯降さんの天啓も調べると明らかに抜けてる年代もあります。大分前に天理図書館で読んだ本、たしか増野鼓雪(道興だったかも)の薄い本にかんろうだいとは、弥勒菩薩を中心とした兎卒天の世界で有るというような事を書いてありました。驚きましたね!そんなこと聞いてないですからね~こちらの弥勒様もよろづよは十首有るとさしづで言われました。たしかによろづよ八首と言う言葉はおさしづにも載っていません。よろづよと言う言葉は有ります。私の娘は史料集正部に勤務しました。開かずの間がやかたの地下にあり鍵は数人の人しか持ってないので誰も入れ無いそうです。本当の天理をどうして隠すのでしょうか?隠さ無ければならない理由が有るのでしょうか?そんなことよりお金を集めるのが大事なのでしょうか?隠すから天理教が尻すぼみしているのでは無いですか。後数年で潰れますよ!以前の表統領、中山慶一さんへこちらの人が布教されました。神様の話しをしたとき、玄関でなく表へ出ましょうと言われ、「そうですか神様出ましたか」と言われました。何か知っておられるのでしょう!「世界一れつを助ける為に天下った」のです。天理教を助ける小さな神様では有りません。この日本を助け、この日本の通り方を世界に見せて世界を助けるのです。
末端教会 様
本当に低レベルの人間達だと思います。お供え出さないから苛めるとは、呆れた、卑劣な人達。カツアゲしてる不良学生と変わりませんね。バカな奴らだ、と相手にせず、もし、目に余る、酷いことをされたら、弁護士さんか、警察か、人権相談所もありますので、そこで相談されるのも一手段です。
末端教会様の勇気を応援しております。
しかし、天理教の上級の会長さん達は、ほとんどが、こんなにレベルが低いのですか?情けないですね。
私は現在32歳です。ひいおばあちゃん、おばあちゃんが熱心な信者でした。母も20代までは熱心で私を連れて教会へ足を運びました。
私の父は重度のアルコール依存症で、DVもすごかったのです。そこから、私自身も父から受けたDVにより精神疾患を患ってしまい、非常に母が悩んでいました。
母がある時、教会の先生に相談しました。
母:「なぜ私はこんなに大変な人生になってしまったのか。。たくさんひのきしんもし、人助けもしてきたのに・・」
先生:「あなたの前世が人を沢山困らせていたからです。これからも天理教でお道の活動をしなさい」
その時から母は天理教から遠のきました。前世と言われたら言い返せないし、弱みに付け込まれている気分だったそうです。
高校生なった私は、少しお姉さんの年齢の方がわざわざ教会(新宿)から私の住まい(一時間離れた地域)までやってきて、「夏の修養科へおぢばへ行かないか?」と言われました。
私はその熱意に関心し、一週間のおぢばへ行きました。その後から、彼女たちの私へのお助けが始まり、私はとりあえず教会に通うようになりました。
そこから洗脳ははじまり、本当に苦しかったのを覚えて居ます。
(もし今これをしたら。。神様が怒ってしまうかもしれない・・・どうしよう・・)とか、ただ普通の事をやろうとしても、神様が怒るかもしれない。。そして私は不幸にまたなるのかもしれない・・と不安で、先生の言われた通りに生きて居ました。
今から14年前の話ですが、当時18歳の私はいつものように若女将先生のお道の話を聞いていた時、ある男性信者が先生に向かってこう言いました。
信者:「○○先生・・この度はご親族の選挙の当選、おめでとうございます。どちらの政党でしたっけ?民主党(当時の名前)でしたっけ?」
若女将:「ありがとうございます。いいえ、自民党です。」
信者:「これも神様ですね。」
若女将:「そうですね。神様のおかげです」
この会話を18歳の私が耳にした時、一瞬にして冷めました。心の音がサーーーーッてしたのを、今でも覚えて居ます。その後つかさず私は先生にこう尋ねました。
私:「自民党って安保賛成ですよね?それって戦争をしても良いって事ですよね?それって神様は望んでないし、陽気暮らしとはかけ離れています」
若女将:「あなたはお道の人なの!!自民党は私じゃなくて、身内なだけ!!その話は関係ない!!!お道の人は政治なんか関係ない!!」
私:「でもさっきの男性は、神様が導いてくれたんですねって言ってましたよね!?私はそんな戦争しても良いと思っている人達と一緒に信仰は出来ません!!私は安保反対です!!そして私は20歳になったら選挙にも行く!!」
それを伝えた時、先生はかなりヒステリックになり、私を罵声しました。驚いた私はすごく泣いたのを覚えて居ます。
次の日もその次の週もひつこいように電話が掛かって来ました。
泣きながら私は「天理教の教えは理にかなってない。私はこれ以上関わりたくない!!」と伝えました。
その後からとても心がラクになりました。
やはり天理教は政治とからんでないように見せかけて、絡んでるし、どっぷり右よりの方が多い事ものちに知りました。あの時18歳の私ながらに感じたことは間違ってなかったと改めて、このブログを拝見し思えました。
末端教会 様
2017年3月18日 8:40 PM
> 本当に低レベルの人間達だと思います。お供え出さないから苛めるとは、呆れた、卑劣な人達。カツアゲしてる不良学生と変わりませんね。バカな奴らだ、と相手にせず、もし、目に余る、酷いことをされたら、弁護士さんか、警察か、人権相談所もありますので、そこで相談されるのも一手段です。
> 末端教会様の勇気を応援しております。
> しかし、天理教の上級の会長さん達は、ほとんどが、こんなにレベルが低いのですか?情けないですね。
ことは、上級の会長さん個人のレベルの問題ではありません。
現在の天理教団は、本部(宗教法人天理教)を包括法人とする全国17000教会(宗教法人)が集まる組織です。そして、各教会の規則をご覧になれば分かるように、本部が各教会の「会長の任命権」「各種の事情運び承認権」「規則の変更承認権」などを握っています。
これは、江戸時幕府が全国の大名を統治した方法とそっくりで、上に逆らうと「取り潰し」や「石高召し上げ」「軍事制裁」という制裁が待っています。
江戸時代は、幕府維持の財源を農業に頼っていましたが、現在の天理教は、信者からのお供え、お礼、つくしはこびだけです。上級になればなるほど「天理教専従」の傾向が高くなり、お供え、お礼、尽くし運びの減少は自分達の生活を直撃するのですから、納めない教会を「反逆者」とみなすのは当然なのです。更に言えば、表頭領の言葉のように、そういう上納金を「神へのお礼とご奉仕」だとすり替えて教化しているのですから、江戸時代の身分制度より始末に負えません。
勿論、この体制そのものが間違っています。
とはいえ、末端や小さな教会が単独で意義を言ったり、意見を言っても握りつぶされ圧殺されるのがオチです。
まずは、古い教会長さんのアドバイスのように、自分の身を守りながら力(万一のためのお金)を蓄え、上の言うことは馬耳東風でやり過ごし(精神衛生上の健康のため)、同じ立場の者や教会が集団になって上級と対抗できる時が来るまで、教祖様の本来の教えを模索しながら教会運営を続けていただきたいと思います。
不動産絡みの問題がなければ、私のように「被包括関係の廃止」準備をしておくのもひとつの方法です。
Twitter 「天理教教理を学び神意を悟る」さまより転載
【予告】
「サンデー毎日 4月2日号」は、3月20日(祝)発売。
〈集中連載〉
新宗教の「明暗」編 ⑦ 山田直樹
信者100万超 「天理教」〝布教の精鋭部隊〟が奔走
表紙
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/20170402%E8%A1%A8%E7%B4%99%E4%BA%80%E6%A2%A8.jpg
目次
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中吊り
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/170402%E5%8F%B7%E5%8D%8A5%E6%AE%B5_%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E_WEB_OL%20%281%29.jpg
『天理教の「御供え」について』 より転載
投稿者:崩壊 さま
投稿日:2017年 3月18日(土)17時04分54秒
「サンデー毎日の次号は、3月20日に全国の書店で発売されます。天理教の実態が大きな社会問題として注目を集めることでしょう。」
ある方のブログより。
『今回ではなく10年前の教勢調査の話になった
国と大教会の資料の差
教会子弟の離教
教会子弟で17歳未満がいたとしても17歳で別席も運ばせてないようぼくにもさせてない
そんな教会は信者さんの丹精なんてできないんじゃないかと思った
教会が信者さんのお供えで成り立っている以上ようぼくにならないのなら教会から出すのは当然だろうし
(その前にでていくんだろうけど)
親の姿見て喜んでないから信仰がつながらない
でも信仰初代の子弟は違うと思う
初代はある意味自己満足の信仰でその子どもたちは今までの満ち足りた生活が一変したりすることもあり初代の子供が全員お道につながることがむずかしかったりする
うちの初代の子供沢山いたけど3人しか信仰つながらなかった
おばあちゃんの嫁入り道具売ったりろくでもない兄弟だったみたい
旦那様の教会の初代さんも子供はみんな天理教嫌いで墓守さえもしてない
それで旦那様が2代会長になってるということもあるけど
初代は自分で求めた信仰だから理解も早い
でも子弟は?
明日は教会子弟育成者講習
〇〇ちゃんは今のままなら天理高校いってもたぶん信仰からはなれるだろうな 』
中田善亮表統領、なんだか随分とお焦りのようでございます(笑)
【表統領お話 2月27日 第38母屋 9階大広間 「かなめ会報606号」2ページより抜粋】
日々は、お立場の上からご苦労いただきまして誠にご苦労さまでございます。今年も早いもので、二月が終わろうとしています。本当に日だけがどんどん過ぎていくような、焦りのような気持ちがあります。
今年一月の教会のいろいろな成果が上がってきておりますが、一言で申せば全体としては、すこぶる思わしくない数字であります。年祭後の余波とか、考えられる要因は様々あるとは思いますが、それにしても非常に良くない数字でありまして、これは「おつくし」の面でも、人の面でも同様であります。非常に心配をしております。
心配と申しますのは、それによって教勢云々や、あるいは本部の懐具合はどうだとか、そういうことではなくて、こういう状況が続いていけば、それが普通になってしまうと申しますか「仕方がないんだ」というような意識が、私たちのみならず、全教を支配するようになりはしないか、と心配するわけであります。
「ご恩報じや、日々の理であるとか、おたすけの実践など、基本に重きを置いて再出発」ということを申しました。「基本からやり直すんだから、今すぐ成果が出ないのは当然」という一面もある一方、我々には教会を基盤とする教勢の基礎がありますので、何もまるっきり一からやるわけではございません。現有の「ようぼく」はもちろん、教会の周辺にいる方たちの丹精、そして、そういった方たちが動いてくださることも含めて、私たちの「にをいがけ」や、おたすけの実践ということを、とにかく努力を惜しまず勤めさせていただかねばなりませんし、そういう意味ではV字回復ということは当然望みも致しませんし、そういうものでもないと思います。一歩一歩進んでいくしかないと思います。これを機会と捉えて、頑張れる人が一人ひとりと増えるご守護を、何とかいただけるように勤めていくしかないと思いますので、全教がしっかりと一手一つになって発奮していけるような、その先頭に立つ皆さん方であっていただきたいと、大いに期待を致したいわけであります。 (以下、省略)
焦りを隠せない表統領
2017年3月19日 10:07 AM
焦り
年祭後の余波とか
「おつくし」の面でも、人の面でも同様であります。非常に心配をしております。
また「お尽くしと金」のことばかり(笑) 表統領 中田善亮 お前は人の前に自分のことを心配しろ(笑) 全教から 不信がられてるのはお前と 内統領 山澤廣昭 (笑)
最低最悪の両統領(笑) 歴史に名を残せてよかったね。 中山家の血筋が迷惑な異端発言をしたとね(笑) 週刊誌で叩かれるという意味が意味わかってないようだね。 今後他のメディアにも取り上げられて、オウム真理教事件のようにならなければいいけどね(笑)
表統領 中田善亮氏は、暴力団の恫喝と変わらない、「金寄こせ」発言を、マスコミに晒してしまった以上、責任を取って辞任すべきなのではないだろうか?本人は毛頭そのつもりはないのだろうが、宗教団体の長ともあろうものが、間違った教理を信者、全国の教会に向けて発表した、ということは、重大な失態である。信者の人生に重大な悪影響を及ぼし、全国の教会長に対しても、おたすけの方向を誤まらせてしまうことになる。
「サンデー毎日」の記事を書いたジャーナリストの友人の教会長のように、中田表統領の言葉はオカシイ、と不満を漏らしておられる賢明な会長さん方も少なくなくおられるようで、幸いなことであった。
サンデー毎日さんには徹底的にやって頂きたい。中田表統領辞任、本部、大教会解体、でき得れば、そこまで追い込んで頂きたいと思う。
この世で一番重要なのは、案外と「目に見えない存在」であることが実に多いのです。
みなさんは「空気」をご存知ですか?
「そりゃぁ~、知ってるサァ!」とでも思いましたか?
正確に言えば、「今、思い出した」のではありませんか?
いくら水や食糧があっても、「空気」がなければ生命現象は成り立ちません。
ここは、私たち人間も同じですね。
この地球上で一番偉いのは「空気」です。
では、その「空気」って、目に見えますか?
これが答えです。
私たち人間にとっても一番重要で尊い存在である「空気」は、やはり「目に見えない存在」なのです。
みなさん人間は「目に見える存在」に目を奪われすぎており、「目に見えない存在」の意味・価値・尊さがあまりにも分かっていないのです。これが、この世が「目に見えないトリック」を通して人間に学ばせたる「教化」です。
「目に見える存在」に気づくなんてことは、そんなのは幼児にもできます。
「目に見えない存在」に気づき、その「目に見えない存在」の意味・価値・尊さにまで気づいて、その存在に対し自分を同化・同居させることができるか否かが、人間が試され与えられている「成長の本質」なのです。
これができた人間は飛躍的に進歩し成長します。
これが「神仏観」「道徳観」であり、「霊性」「精神性」の役割なのです。
例えば、科学も、化学も、物理学も・・、医学も、生化学も、栄養学も・・、近代に入って、どうして短期間で急速に飛躍的な進歩を遂げることができたのだと思いますか?
それは、人類に「電子顕微鏡」なる道具が誕生し、今まで「目に見えなかった」ミクロの世界が細部まで手に取るように「目に見えるようになった」からです。
人間は、今まで「目に見えなかったもの」が目に見えるようになると、急速に成長し始めるのです。
これは何も、科学・化学・物理学や、医学・生化学・栄養学といった学問の世界だけのことではありません。
人間の人生に関わる「日常生活の中に当たり前にある物事」の中にこそ、この本質が潜在しているのです。
この日常生活の中には、人間を急速成長させるための「目に見えない存在」が無数に散りばめられています。
その成長が、その人に合わせて必ず用意されています。
それはやはり「目に見えない存在」の中にあり、人間が気づいてくれるのを今か今かと辛抱強く待ってくれているのです。
今までは、これは宗教の役目でした。
しかし人間は、宗教がこの人間界に存在する意味にたどり着けた人は極めて少なく、宗教の真意にたどり着くことのできた人間は稀であり、多くの人間は宗教を単なる「自分を救わせる道具」として乱暴に扱ってきたのです。
宗教とは、人間人類に「目に見えない存在」に気づかせ、その意味・価値・尊さを悟らせるためのヒントを与えるテキストにすぎません。
ところが、人間という生き物は、宗教が何だか「自分を救ってくれる良いもの」だと完全に勘違いをして、宗教に学ぶことよりも、宗教に「私を助けてぇ~! 救ってぇ~!」とすがりついちゃう人間ばかりだったのです。
そして、その人間の幼さと弱さを餌にして、世の宗教組織は人間を信者にして囲み、「救う」と言いながら、その人間のすべて(その人の子供や子孫に至るまで)を「巣食う」のです。
本当の宗教を知る人は、宗教組織になど所属しておりません。
この「宗教組織のトリック」を知る人は、宗教組織などには少しも近寄りません。
その「宗教組織」を牛耳る「目に見えない背後存在」の正体を知っているからです。
これからは「宗教ゴッコ」をやって自己満足に浸っている時代はもう終わりです。
もし宗教と言うのなら、自分自身が「自分オリジナルの宗教観」を自分の中に築き、これを『自己責任』で持ち、救いだとか何だとかではなく、「自分で自分を成長させて救う道」を自分の中に見出すべきです。
宗教とはあくまで、自分が歩むべき道筋にたどり着くためのテキストにすぎず、霊学は今までの宗教を超える実学ではありますが、その霊学もまた、自分が歩むべき道筋にたどり着くためのテキストにすぎないのです。
世にはまだ「スピリチュアルゴッコ」に狂奔している方々が多いようですが、霊的なものとは人間を救ってくれる「都合の良いもの」であることは決してなく、霊的なものの役割とは、人間が「目に見えない存在」を通して大事なことに気づき悟れるようにアシスト(assist:手伝い・援助・促進)し、成長する準備の整った人間がより『真実』へとたどり着きやすくするためのテキストにすぎない、ということを知って頂きたいと思います。
ブログ「癌と食養」より
おや様は「神は、あると思えばある、無いと思えば無い、信じる心の誠から見えてくる利益が神の姿や」と仰られた。宗教的な概念から言えば、この世界を支配しているものは「神」と言えようし、宗教的な言い方を避けて言えば、宇宙の法則とか、自然の摂理ということになるのであろう。
神が欲しいのは誠の心、ということは、言い替えて言うなら、誠の心で通ることが、苦しみを少なく、又(悪)因縁という人生の負債、やり残しの宿題を背負わずに生きることができる、最良の生き方である、という、この世界の法則なのであろう。神様が喜ぶこと(この世界の摂理に合った生き方)は、お供え(金)を神様に上げることではなく、自分の人生を誠実に、陽気(喜び)の心、感謝の心で生きることなのだと思う。勿論、人を助けてあげられれば、よりよい生き方になるのは当然であろう。
世のあらゆる真実に気づける人たちというのは、心の奥底、本気で生きてきた人たちであると私は認識しています。人生の諸事に対して本気で悩み、本気で苦しみ、本気で楽しみ、本気で喜ぶ・・、自分で自分を誤魔化さず、自分で自分に嘘を付かない生き方ができている人たちです。自分の心の事実(本性)に対し、また、世間や社会の事実(実態)に対して、自分なりに本気で向き合い、悩み、よく考えて生きてきた人たちです。こういう人たちは、事実の結晶である『真実』に縁(えにし)できる心・意識・認識・素養を身に付けていた人たちです。
ところが、世間には、この真逆の人たちが多いです・・。
自分が悩み苦しむことというのは、自分が今回の人生でそれを見つめ、その答えを自分なりに見出すべき的(人生の本当の目的)なのです。それなのに、自分の悩みや苦しみに対して「なぜ、こんなことが起こるの・・、もう嫌・・」的な文句や愚痴や嘆きしか思えず、感じられずに、自分の悩みや苦しみに対して本気で向き合えないで逃げてばかりいる・・、そんなことだから、自分で自分を誤魔化す、自分で自分に嘘を付いて生きています・・。このような人たちは人様に対して平気で「うわべ」を取ります。それに対して何の罪悪感もありません。それが常識だと思っています。中にはこれを「大人の行為」だと思っている人たちさえいます。自分の本心ではない「うわべ」の言動など、それはただ単に「不実」という「嘘八百の誤魔化し行為」に過ぎません・・。これは、自分の身や姿を小奇麗に飾り守るためだけの「人生の誤魔化し運転」です・・・。
当然、この人間界という場所は危険な諸事が起こる次元世界であり、身の危険に対して自分で自分を守るのは必要な行為ですから、この「うわべ」の言動のすべてがいけないとまで私は言いません。
しかし問題は、そこに何ら身の危険があるわけではないのに、重要な人間関係に対してでさえも、この「うわべ」の言動を平気で当たり前顔して使いこなす人が世に実に多いということです。家族に対して、伴侶に対して、我が子に対して、親に対して、友人に対して、平気で平気で「うわべ」の言動をいとも簡単に取ってしまう・・、そこに微塵も罪悪感が湧かない・・、そんなことは当たり前・・、こういう人たちは完全に「我良し」に固まっており、自分の本性(心奥)が「いい加減」だから、そうなってしまうのです。
心を浄化し、心が澄んでいる人たちは、この手の心の動きと行為を「自分がしてしまうこと」を嫌います。後味が悪く、この手の心の動きと行為を「自分がしてしまうこと」が何だか嫌で嫌でたまらないのです・・。
嘘を付かない人というのは、嘘を付けないのです。こういう人は嘘を付くことができません。それは、自分が嘘を付くことに対して深い嫌悪感を感じるからです。自分が嘘を付くことが嫌で嫌でたまらず、そんな自分が許せないのです。これは、自分の本性(心奥)に「いい加減」が無いからです。
自分の面子(メンツ)を成り立たせるために誰にでも平気で「うわべ」の言動を取り行なう人たちは、自分の本性(心奥)が「いい加減」ゆえ、罪悪感も湧かずに「うわべ」の言動をたんたんと取り行ないます。家族であろうと、伴侶であろうと、我が子であろうと、親であろうと、友人であろうと、簡単に簡単に「うわべ」の言動で誤魔化して済ませるのです。この「うわべ」の生き様が、やがて「自分の末路の質(この先の自分の姿)」を決定付けることになることも知らずに・・。
「うわべ」の人生を生きれば、やはり、最後は「うわべ」しか残りません。これは至極当然の話です。自分の人生の中で常に「うわべ」を積み重ねてきたのですから、人生の最後に「うわべ」しか残らなくで当然なのです・・・。
「うわべ」の人生を生きている人たちは、自分のいざという時に(日常的にも)「うわべ」の人・物事しか自分に寄ってきません。自分の「心の質(本性)」と同気同質のもの(存在)しか自分に寄ることができない・許されない(縁が起こらない:縁起しない)という原理・仕組みがこの世にあるからです。
「縁起」とは、“縁起の良いもの” を家の中に飾っていれば “縁起の良い出来事” が起こるのではありません。
“縁起の良い出来事” とは、“自分の「心の質(本性)」の内容” によって引き起こされるものなのです。
これは完全に平等であり、完全に自分の「心の質(本性)」の内容如何による「自力」の領域になります。
この世には、本当は不平等など一つも無いのです。
「癌と食養」ブログサイト より
脅迫の慰謝料の相場は?|脅迫 弁護士に無料相談
http://www.kyouhakubengo.com/isyaryou
【刑事事件】事件別の示談金相場一覧と示談交渉の|厳選 刑事事件弁護士ナビ
https://keiji-pro.com/columns/38/
示談金、示談交渉出来る場合もあります。悪質かつ繰り返しの脅迫行為であれば慰謝料が高額になる場合もあります。
「教会に参らないと助からない」などの発言や悪質な脅迫(強迫)行為、必要のない行動を強要する強要罪など犯罪(違法行為)はしっかりと証拠を残して警察や弁護士にすみやかに相談しましょう。
※証拠はスマートフォンや音声レコーダーなどで記録する、日時や状況をできるだけ詳しくメモする、多数の被害者の同じような被害の証言など。
中田善亮表統領の発言した「お尽くしは命のつなぎ」という、恫喝とも暴言ともいえる言葉に、ツイッター上でも批判的な意見が交わされていますが、その中でも、是非とも社会学さんに転載したいと思う、非常に卓越したご意見があり、発信者の方に快く承諾して頂きましたので、ここに転載させて頂きます。
【本当に残念なお知らせですが、神様は資本主義者ではありません。
一万円札をお供えしても、神様が受け取られるのは原価の23円分だけです。
残りの9977円分は日本政府が生み出した単なる「信用」だからです。
神様の目指されるゴールは陽気暮らし世界であり、100億円稼ぐことではありません。】
【「おつくしは命のつなぎであり、親神様にお受け取りいただく真実である。」
天理王命を資本主義の価値に乗せた瞬間、天理王命は資本主義の奴隷です。
お金を親神様が、子供である人間からの真実としてお受け取りくださる、という発言のヤバさです。
お金をもらって喜ぶのは、煩悩にまみれた、あざない人間だけです。
私は畏れ多くて口が裂けても絶対に言えません。】
【お金は大社高山の世界支配の道具です。欧州の国際金融資本家が通貨発行権を握っています。
自分の価値を資本主義に乗せた瞬間に、お金に支配されます。
「手段」であるはずのお金を「目標」にしたら大社高山の奴隷です。
「あなたの人生の価値をお金で測るな」です。
天理教の基本は「大社高山取り払い」です。】
宗教団体に強引な献金の損害賠償◇様々な損害賠償問題◇男と女の慰謝料のいろは
http://www.oykrh.net/x16-4.html
宗教法人にも使用者責任が適用される場合があります。その場合宗教法人の代表者が罪に問われる可能性があります。
他人の起こした事件に巻き込まれる?!共犯容疑 | 刑事事件弁護士相談広場
https://www.keijihiroba.com/involved/involved.html
宗教法人(宗教団体)による犯罪(違法行為)に関係していれば信者も共犯です。教唆罪、幇助罪などの罪に問われる可能性があります。
恐喝問題や、警察や法律に詳しい方、回答をお願いいたします。盗られたお金… – Yahoo!知恵袋
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1270324997?ccode=ofv&pos=2
質問ですが、恐喝事件などで脅し取られたお金を取り返すにはどうしたらいいで… – Yahoo!知恵袋
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q133872528?ccode=ofv&pos=1
犯罪(違法行為)の被害者はお金を返してもらえる可能性があります。
しかし、相手側の財産(資産)などがなくなってしまった場合、返してもらえなくなる場合もあります。
相手側にお金を返してもらえるよう、被害者はすぐに警察や弁護士に相談して下さい。
江戸時代はヤブ医者が多かったので神社や寺が精神科の役目をしていた
http://zakkicho.info/496/
江戸時代の精神疾患による犯罪 | こころの病を乗り越えて〜当事者による、回復のヒント〜
http://keyakiza.blogkan.com/?p=712
教祖さまは精神病だった? 宗教と精神病の類似点に見る”聖性”の異常性と正当性 – サイゾーpremium
http://www.premiumcyzo.com/i/modules/member/2012/12/post_3825/
宗教精神病説 – Wikidepia | @wiki
https://www31.atwiki.jp/wikidepia/sp/pages/22.html
木村天山ブログ「 神仏は妄想である 398」 に中山みき・出口ナオの神憑りについて触れられています。その文章の結びが興味を引きます。
精神医学者・ 中井久夫氏の「宗教的「創造の病い」を参考にされて。
『サンデー毎日』本日発売
よみがえる宗教 新宗教の「明暗」7
信者100万人超の天理教で”布教の精鋭部隊”が奔走
▼貸しビル業、スポーツ支援・・・
”多角経営”支える足元は?
教義と切り離せない「スポーツ」
「にをいがけ」で布教を推進
天理教を直撃『”大プロジェクト”完成時期は白紙』
この「直撃」として教団の橋本広満・総務部渉外広報課長に5点聞かれています。
難しい理論は書けませんが、天理教を離れて5年が経過しました。
さんざん悪いことが起こると脅かされたのですが何事も起こらず、楽しいことばかり。所属教会、上級教会、大教会、本部の年祭ごとのお供えもしなくていい。
月次祭での献饌時の足の運びがどうの、こうのと考えなくてもいい。膝歩がどうの。上下の別、先後の別など数え上げれば切りがないほどの作法を悩む必要もない。
そもそも、八咫鏡は教祖の望まれたものでもないと聞いたことがある。先祖の社の鏡も外して社のみ。毎日、水を供えるだけ、月命日に限り、米、故人が好んだもの、水を供えるだけ。手も打たず拝をするだけ。
それだけで故人も喜んでくれているだろう。間もなく私もそちらに行きます。
生活の安全に関する不安や悩みは 警察相談専用電話 #9110へご相談ください:政府広報オンライン
http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201309/3.html
宗教法人による犯罪(違法行為)の相談などにも対応してもらえる可能性があります。
脅迫(強迫)行為、強要行為、迷惑行為などがあれば警察相談専用電話へご相談ください。
以下の3つすべてに当てはまれば名誉毀損の免責になり、刑事罰にも損害賠償の対象にもなりません。
公共の利害に関する事実に関わるもの
公共の利害に関する事実とは、このまま世間に公表しなければ公共に対して利害が生じるような場合です。
もっぱら公益を図る目的があるもの
公益を図る目的とは、例えば、政治家の資質を問うためにスキャンダルを報じたり、会社の不正を暴露するために内部告発をするようなことです。
真実であると証明されること
そして、そのことが全くの事実であり、それが証明できれば名誉毀損の免責となります。
宗教法人による犯罪(違法行為)や迷惑行為は伝える、教える、知ってもらう、情報の共有、被害を防ぐ、被害者を増やさないことが重要です。
「みちのとも」4月号。
井筒梅治郎の巻頭言。増井りん、板倉槌三郎、土佐卯之助、梶本宋太郎の教話の特集。
いつまでも過去の偉人しか登場しない。もうこれから天理教には偉大な布教師は登場しないだろう。
というよりも、登場して欲しくないのが本音だろう。
もし、この過去の偉人達が現在に現れたら、異端者扱いをされるであろう。
本部さん。
教祖の教えは、心を立て替える道。お供えをする(させる)ことが信仰の本質ではないと思うのだが…。
お供えもしなきゃ、本部の人たちが世間で働かないといけないからね。持ち場、立場でしょ
サンデー毎日の新宗教の「明暗」天理教⑦読んだが、正直期待はずれの感があった。スポーツ支援に力を入れていることに、かなり紙面を割いていたが、そんなことより、もっと、教会長や信者に対するお供えのきつい要求が実際には行われていることを、もっと書いてくれ、と読みながら思った。
東京天理教館の貸ビルなどの不動産事業や温泉事業も教団の収入の一部となっている、としか書かれていない。中山家や本部幹部達は高額納税者であり、実際は、中山家や本部幹部などへの個人的な収入になっているのではないかと思えるが、そういうような記述は無かった。
かゆいところに手が届いていないような、表面だけをさすったような印象であった。
教団の広報課長へのインタビューについても、記者の質問に対して、広報課長は無難に取り繕っていたように思われる。
この記事では、残念ながら、期待していたような、天理教教団に対する的確な、痛烈な批判とまではなっていないように思う。
前回と違ってコメントが上がらないのは匿名様と同じように期待外れと感じられたのでしょうかね?!
確かに淡々と書かれているように思って読み流してしまいますね。
35ページ下段「教義と切り離せないとはいえ、スポーツ支援に注力する”体力”が今後の天理教にあるのか否か。前回述べた通り、信者にもっと寄付をさせるよう教会長にハッパをかけた、教団の運営トップである表統領の言説から考えると、その行く手に暗雲が立ち込めているといえるかもしれない。~」など書かれてますが、、、ね。
私は広報課長の『おやさとやかた』の件に注目しました。68棟のうち28棟で完成時期は現段階ではお答えできないと答えてる箇所。この直撃に山田氏は『”大プロジェクト”完成時期は白紙』としているのに注目。2代真柱から始まり、まだ40%とは!!「心のふしん」を「形のふしん」になってしまった時から今日があったのではと、、、、。
広報課長は何とか職責をこなして答えていてこれ以上の答えは無理かなと。面接は真柱あたりでないと。こんなものでないでしょうか。
がっかりしたのは現真柱を「中山大亮」と間違っていたところです。
調査報告 石坂愛「天理市における教団と地域住民間の土地利用をめぐる諸相」是非一読を。(カインさんツィターから)
サンデー毎日よりずっと興味深いです。
mami 様
>調査報告 石坂愛「天理市における教団と地域住民間の土地利用をめぐる諸相」是非一読を。
上記はまだ見ておりませんが、三代真柱は不動産屋顔負けの不動産屋と云われた方です。早川和廣著 天理教・その腐敗と悲劇 第2章の中で『カネと力で土地漁り。「人を救う」はずの天理教が掲げる地上げ屋の看板』というタイトルで土地取引のあざとさが克明に描かれています。
ここには長くて書き込みが出来ませんが、近く「天理教のお供え」の欄に投稿しますので、ご覧になってください。
調査報告を読まなくても大体の想像がつきます。本当に酷い宗教ですね。救われるなんて全くの嘘ですね。信者さん方も早く気付かれて教団から距離を置かれるといいですね。
東風Z 様
時折「お供え」の方を投稿されているかなあと見てます。楽しみにしております。
三島神社移転とおやさと建設との関係でしか見ていませんでしたので驚きだったのです。
調査報告によって全体像がわかり、変に感心してしまいました。何も言うことなしと言うか、、、ただただあきれたと言うか。
100年祭前後の多くの方の不幸をまた思い出してしましました。
>100年祭前後の多くの方の不幸をまた思い出してしましました。
私も思い出しています。親戚の人でその当時(100年祭の頃)布教所をしている人が天理教絡みで自殺しました。
初代会長(祖母)の姪でした。亡くなる一か月くらい前、この世と、また関わりある人との別れを覚悟したのか懐かしげにふらりと私の家に突然訪ねてこられ、その後の予期せぬ不幸でした。
何があったのか・・
100年祭への「お供え」として布教所から教会へ格上げするべく、所属教会から相当の圧力を受け、また家族からは猛反対を受けていました。上級教会、大教会からの相当の圧力、猛反対する家族。両者との板挟みの末の結末でした。(土地・建物名義を教団にお供えせよとの圧力もかなりのもので、その意味でも家族は大反対でした。)
「陽気暮らしをせよ」と親神より命を頂きながら、陽気暮らしを目指す教団組織によって、一つの命が抹殺された。教団に殺されたと言っていい。私は聞いていないが上級・大教会は娘たち家族に対しこの自死をどう慰めたのか?私にとってこの教団は不信感以外の何物でもありません。
mami ご返信ありがとうございます。
この書によりますと、教祖百年祭の前年の昭和59年1月5日は本部直属教会長による年頭会議が開かれる日でした。この日の朝、天理教肥長大教会長は、詰所において首つり自殺をされている。
また、山名大教会では教祖100年祭の3年千日の間、毎日100万円をお供えしようと部内教会に発破をかけています。その結果、昭和59年10月25日に静岡県の鮎ヶ瀬分教会長が詰所から飛び降り自殺を図っておられる。
この日は、東礼拝場落成の日であり、前日の24日は親神が人間を宿し込んだ地とされる「ぢば」の証拠である「かんろだい」据かえの儀が行われ、翌々日の26日は立教の祈念を祝う天理教の三大慶事が重なった、とりわけお目出度い日であった。
とあります。その他にも教会長による銀行強盗事件や自殺事件が相次いだのですが、教団渉外課は、これらの事件について、個々の問題とすげないコメントを出すばかりでした。
人を炊けることを標榜しながら、教内にある人すら助けられなかった教団に、人助けなどできるわけがないと思うのです。
既にご存知のことと思いますが、三代真柱は三島神社移転問題で橿原神宮宮司との会談で、移転を思いとどまって欲しいとの要望を蹴って、信者が減っても構わない発言までされているのです。
このような宗教に何時までも関わっている必要性など、さらさらありません。
皆さんも十分にご留意ください。
「人を炊けることを標榜しながら、」を「人を助けることを標榜しながら、」に訂正します。
嫁の実家が天理教の分教会で、現会長就任から半世紀近くたつ。
嫁以外の子供たちは、みな矛盾に満ちた境遇に嫌気がさし、それぞれ独立してからだれも実家に近寄ろうとしない。
宗教などそれまで見向きもしなかった私だが、嫁と一緒になり、約10年前であるが、修養科に行った。
ツッコミどころ満載の本部組織の間近で生活したわけだが、振り返れば、それはそれで楽しい三ヶ月だったと思う。
それから10年。
気づけば教会とは距離のおいた生活をしている。
大教会長は毎月給料をいくらか知らんが定期的にもらえる生活と知り、役員は死ぬまで交代はなく、交代しても世襲制であり、末端の教会長や布教所長は、派遣かパートの仕事を兼務しながら、教会の活動に勤しんでいる。
中には世界を飛び回るビジネスマンもいるけど。
なんの宗教組織も、お金がなければ存続出来ない。
幽霊が出そうな墓場が敷地の脇にあり、寺の本堂もボロボロ。僧侶の袈裟も色あせ、みるからに小汚い人間が仏像に向かって木魚をポクポクしながら念仏を唱えている。
そんな場所へ、助けて貰おうとすがりに来る者がいくらいるだろう。
どちらかと言えば、小綺麗な建物、小綺麗な身なり、口を開けばトンチが効いた小話をしてくれる人のもとへ行きたくなるのでは。
私が教会と距離を置いたきっかけは、こちらは身内として相手をみていたが、向こうは、信者の一人としてカウントしていたこと。
冗談じゃない。
義理であれ親としてみるが、また、人生の先輩として言葉に耳を傾けるが、理の親視点の教理なんぞ、ありがたくもなんともない。
どこの世界に、当然のように子に金をせびる親があろう。
親が病弱で、それでも仕事はするが、生活費が足りず、やむを得ず幼い子供らが新聞配達とかして生活費の足しに働く家庭はあろう。
そのとき親は、ありがとう、ごめんね、悪いね、と思うんじゃなかろうか。
それがないと感じるから、みんな腹を立ててるんだろな。
個人的には、天理教であれ何の宗教だろうと、信仰するのは自由だと思う。
だから、これが絶対正しいとは思わないでほしい。
なんか脈絡ない文章ですね、ごめんなさい。
最後に、天理教組織は否定する人間です。
春秋の大祭時とそれ以外の適時に大教会長なり世話人先生がお入り込みの際は、正に江戸時代の殿様並みの扱い。
大教会長様がお越しですとの一声(大教会長様御成り―)で、会長以下役員が金魚の糞そのままに、ぞろぞろと後ろに付いて神殿へ。参拝は大教会長の四拍手に続いて一斉に追随。三殿を参拝後、エアコンの効いた客室まで、また、ぞろぞろ。
更に、その場で会長の丁寧極まる挨拶が長々と続く。その間、金魚の糞同様の役員連中は平身低頭。
お入り込み人の「本日はようこそお勤めくださいました」の挨拶が終わると、会長がお入り込み人を先導しながら神殿へ。その後ろを式典の三役はじめ、部内教会長、役員がこれまた金魚の糞同様にぞろぞろ。
そして、直会(宴会)に際して、御婦人方は着物に着替えての接待。
直会(宴会)も終り、さて、お入り込み人のお帰りになった。会長以下大勢の役員・信徒が万歳三唱でお見送り。
そして、ようやく長い半日が終わるのである。
遠い昔の思い出です。
このような光景をみてどれ程の人が、さすが天理教だなー!と思うだろうか。
このような、行き過ぎた歓迎、接待は止めるようにとの真柱の鶴の一声が何故出ないのか。不思議な世界だ。
櫟本分署で、冷水を浴びせられる拷問を受けた教祖の足跡をどのように受け止めるのか。真柱以下の教団幹部は、二言目には教祖にお喜び頂くというのであれば、一度、真冬に裸になって冷水を浴びられては如何か。ぶくぶく太った両統領がエアコンの効いた部屋で、ハッピを着用して教理を説いても何の感動も湧きませんね。
匿名
2017年3月23日 9:15 PM
サンデー毎日の論調がどうであれ天理教教会本部が教祖の教えに反してるのは曲も無い事実、表統領 中田善亮 は特にですが、内統領も雁首そろえて罷免と教団追放されるべきである。それが何故出来ないのか?つまり中山教である事は明白である。最近天理市内でも「本部が破綻するで~」「本部はおかしいのちゃうか?」等と良く耳にするようになった。どんなに抑えようと思ってももう止められないところまできているのであろう。これは教無いだけでなく商店街の教外の人でも見切りを付けた発言が見られる。「天理さんは天理さんやめたんかい?」という言葉も聞かれる。商売人は表立っては言わないしかし、街中では本部の悪行で持ちきりである。
本部はもみ消せるとでも思ってるのか? 表統領 中田善亮 の教義改竄 乗っ取り未遂事件 などこいつらなに考えてるん?(笑) 唯でさえネット時代になったのに 中山様偉いなんて誰も思わんて(笑)
以前天理時報でもネットのウソ情報とか書いてたが、天理時報の方がウソついてるやん(笑)もう本部の信用も中うなったな 親神 教祖 信仰してないしな(笑) はよ潰れたらいいわ(笑)
教団の上層部は、何でも人にやらせることに慣れていますから、自分でパソコンを操作出来る人は限られているでしょう。
いくら人に監視させていても、監視役の人が、我らと同じ思いを共通しているかも知れません。
残念ながら、裸の王様たちは何も判っていないまま終焉の時を迎えるのかも。
それとも、問題意識を持った改革者が本部に現れるのか。
財政破綻目前の本部、法人乗っ取り未遂など違法行為を行い 表統領は 「お尽くしは金」と意味不明な発言をするほど本部は終焉の始まりを迎えている。各系統でも拡散されその噂しか聞かない。本部も本当に終わった。
東風Z様が投稿された、大教会長などの入り込みの方々に対する接待の有様は、馬鹿馬鹿しくも滑稽極まりない、江戸時代の戯画である。それを又、皆が真剣にやっている、というのが、井の中の蛙の、この教団の異常さを表している。
「一列兄弟」という言葉は既に、上層部のお偉い方々にとって、もう何の意味も無い言葉としか思えない。エアコンの効いた部屋で、高級菓子や玉露を飲食しながら、「貧に落ち切れ」と平気で言えるのだろう。彼らにとって、意味の無い言葉を、冷めた意識で信者に向かっては発しながら、「たすけて頂くために、ご恩報じ、お尽くししましょう。」という言葉だけには、俄然力がこもることだろう。
理念の無い教団が、いかに内部風化し、上下の位置関係だけが堅固になり、お供えの確保、信者獲得にだけ狂奔するものか、天理教はそれのいい見本となっている。
東風Z 様
「お供え」投稿読ませていただきました。ぜひ、この投稿を多くの方が読まれることを願います。
本当に100年祭は大きな意味を持ちますね。30年の時間の流れ中で今の凋落の姿がある。そう思います。
私は自分自身のいろいろな矛盾した面によく悩んできました。何とか統一した自己を獲得しようと生きてきました。
だから不思議で今一、どうしてもわからないのです。
教団上部の方々は自分たちの「乖離」にどう処理しているのかが。それとも乖離など感じていないのか?どうしてもわからない。
「ご恩報じ」などの言葉には私はついていけません。(私は「恩」と言う単語は駄目なんです。)それを口にするのですから親神、教祖へのそれこそ「ご恩報じ」は
社会に世界に「具体的」に教祖のように手を差し伸べることでしょうに。本当によくわかりません。
mami 様
横から失礼します。
私も天理教の教理と現実の教会組織、みかぐらうたの内容と説かれている講話の内容に矛盾を感じ、自己矛盾を繰り返しながら、教祖様の真実の教えを求め探り続けてきた一人であると自負してます。
教団上部の方々が「乖離」に気づいていないはずが有りません。特に教祖様の事を直接知り、話しを聞き、雛型を見てきた歴代真柱は自己矛盾に陥っていたのではないかと考えます。
その答えは、歴代真柱の「寿命」に影響していると思わざるを得ません。
初代は49歳、二代は63歳という短命に終わっています。
教祖様の教えを知りながらそれを伝えず、現実の教団の在り方に乖離がある中で責任と重圧を感じていれば、当然の結果だと言えるのではないでしょうか?
三代は80過ぎまで生きられましたが、周囲の方の証言通り、凡庸で悩む事が少ないお方だったようですので、日本人の平均寿命まで命だったのではないかと考えられます。
手元には資料がありませんので、過去の両統領や重職に就いていた方々の寿命までは不明ですが、主な大教会まで範囲を広げても、100歳を越えて生きていた方は居なかったのではないかと思われます。
「人間はひとすじ心」が持って生まれた性ですので、裏切りや隠ぺい、嘘や誤魔化しの人生を歩むと、命を縮める事に繋がると思案させて頂きます。
匿名 様
ありがとうございます。そうかもしれませんね。
一つだけ訂正させていただきます。私は匿名様と違って、「自負」など持てないジグザグの恥多い半生を生きてきましたので。ただ、中山みきの「世界いちれつみなきょうだい」「女松男松へだてなし」に深く共鳴し生きてはきましたが。
二代真柱が女好きだったのかは私は直接知ることはできませんが、いろいろな方の投稿読むたびに「中山おあい」氏の短い人生を思い浮かべたりしました。2代真柱にとっては再婚ですがおあい氏は初婚。内実は知ることが出来ませんが何故か「2代真柱女好き、隠し子もいる」等の投稿を目にする度に。
また今回、現表統領の美人局云々の投稿ではこの方の奥さま(顔も名も知りませんが)はどうされているのかと~。
教団は本当に男性社会に思います。この面からも教理からずれていると思います。
二代真柱は再婚していたんですか?
二代真柱50年祭ですね、後継者の結婚式もあり
又お供えですね・・・
二代真柱50年祭に大亮さんの結婚式ですか・・。来年は立教180年ですね。
我が大教会でも、今年は大教会の〇〇年祭、いろいろ行事ごとありそうです。その度にお供え請求されるでしょう。お金がいくらあっても足りません。
行事の度に、全国の教会にお供えを要求するのは、いい加減に止めて貰いたいものです。そんなに金をかけて行事を盛大にする必要があるのでしょうか。部下教会が疲弊しないよう心配りしてくれるのが、「親」というものではないでしょうか。「各教会でそれぞれに祝ってくださいね。」それで充分なのではないでしょうか?
上記の皆々様
いいコメントを有り難うございます。
天理教団には、「反省」という概念も言葉も持ち合わせていないのでしょうね。
何をしなければならないのか。それは過去の有りようを何もかも「ぶっちゃけ」る以外にないのかも知れません。
その勇気が問われているだけです。今更、研修会だ、講習会だ、などと言っている限り従来のものの付け焼刃に過ぎないと思います。私が所属していた教会ではないのですが、知り合いが就任している山あいの小さな教会の会長さんの次の言葉を、教団本部はどのように受け止めているのでしょうね。
その教会長さんの言葉「若い人が居ないんだよねぇー」ですよ。
カネ、カネ、カネ。カネが敵(かたき)の世の中とは、言い得て妙なる言葉ですね。
天理教って集めた金を人の為に使わず、詐欺師と同じことをしてて、そのことに気づかず盲信している人も罪な生き方をしているように思うのは私だけでしょうか。
「中山みき研究」の本を読んでると、秀司は教祖の家の普請のために集まった金をネコババして材木を踏み倒したり、たまゑは竈の灰まで自分の物やと豪語していて、それを見ていて何もしないみき自身もどうなのかな~とみきの周囲の人間って信用できる人はいなかったんじゃないかと勝手に思ったりしてます。
洗脳されている人は、お供えを生命の繋ぎと本当に信じている。切ったら切られると信じている。
50年も間違った教えを信じてきた人は自分が間違っていると気が付こうともしない。
本当に怖い ことだ。
うちの上級会長でもそのように信じ込んでますからね。「お尽くし」は神様に対する感謝の気持ちを表すことだそうです。神様につないでおくことは大事なことなのだそうです。感謝の気持ちをお供え、お尽くしと、形にして差し上げなきゃ、へそを曲げて、人間を身上にでもするというのなら、人間と変わらないような、横暴な神様ですね。
元の理で、神様は、人間の陽気ぐらし(遊山)を楽しみたいと人間を創った、と教わりました。それ以外に人間創った理由は何も無かったですけどね。人間が、陽気に幸せに生きてる様を見られたら、それだけでお喜びの筈と思案させて頂きますです。親なら、そういうもんだと思いますしね。
天理教は軍国主義に協力し、信者を洗脳した歴史がある。今も洗脳し続けている。
(某氏のフェイスブックからの転載です)
天理教は先人達のご苦労と応法の道を通ったがゆえに良い事と悪い事に利用された時代もあることに若い人には知られていない。
ある日、戦争中のおぢばの記事を見た、天理教教会本部を中心におぢばは軍事基地となっていた時期がある。
太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷であり、日本軍 初の特攻兵器「回天」の乗り組み員を育てたのもおぢばから死地へと見送った時代もあった。
1943年(昭18)年12月1日、三重海軍航空隊奈良分遣隊は約1万人の兵舎として天理教信者詰所等を接収してそれを任せた。
飾東詰所は軍需工場に、船場詰所は第1兵舎に、湖東詰所は通信講堂訓練所に、現おやさと各館が建つ場所には士官宿舎、旧高知詰所の東部分と現本愛詰所から南にかけて分遣隊関係病院、旧高知詰所、現天理大学体育学部学舎には第2兵舎、現天理大学体育学部のグランド一帯は練兵場、旭日詰所は第3兵舎、撫養・兵神・旧南海・水口・河原町の各詰所第4~第8兵舎、旧南海・水口・河原町詰所は練兵場、※天理本通り三島町の現本芝詰所では憲兵隊舎(信者を取り締まった)、天理本通り河原城町の天理教会郡山詰所は陸軍病院、天理教校校舎は第二一兵舎(北側の運動場は練兵場)、天理中学(現天理高校)の南側と東側には第七、第八練兵場、第七、第八練兵場は作 業の中心は天理教信者のひのきしんによるものらしい。天理中学校は軍需工場へ校舎地下 室と一階に開設。魚雷の部品等の製造に生徒が従事。高安大教会信者詰所の一部を分遣隊第二本部に、天理外語専門学校運動場も練兵場へと・・・
そのおぢばに赴任したある兵士の手記によると予科練生活は教官や先輩からも、ややもすれば鋭い罰直の鞭が飛んでくる。それは、声の出し方、話し方ひとつについても、同じで、声が小さければ、「聞こえん、やり直し」で何回も発声させられる。意地の悪い先輩には、理由もなく殴るのは朝飯前、出身地や名前などにも何かと因縁をつけてはいびるのがいた。朝起きて早くきちんと着替えをすませ、夜床について休むまで、何でも自分一人できれいにできなくてはならない。例えば衣服を綺麗にたたんで就寝すれば良し。もし、そうでなければ、容赦なくたたんだ衣服を崩される海軍名物が待っている、五分前というのは、起床時間に限らない。何でも五分前、集合するのでも何でも。その規律が守れないと、罰直が待っている。これがただの鉄拳であればまだいいかもしれない。それが文字通り、バットでスイング。
これ見た時、専修科時代を思い出した。
もしかしたら、専修科の軍列行進とかこの時代の名残なのかな?って思った。
おぢばが今ある形になるまではさまざまな時代の移りによって右往左往され、その陰で生きた信仰信者のご苦労ははかりしれない。しかし、時代とは辛いものでそんな奔走されたひとりひとりの信仰の物語は誰にも継がれることなく埋もれてしまっている、道の成り立ちも大事だが、天理教を何よりも支えたのはそんな名も知らない誠信仰を持たれたようぼく先人達であることを忘れてはいけない。
こかんさんの十三峠越えは、借金返済旅だったと本部員の妻が言ってました。事実を完全に布教美談に捏造してます。
私の実家が所属する大教会は、10年後には分教会が10ヶ所消滅ですって。今も分教会長婦人が名前貸ししたり、事実上の教会運営なし。
その現実を見据えず、年祭や創立の式典にむけて、大教会の経年劣化エアコンの入れ替え及び、神殿にエアコン導入希望。二千万円必要だとか。
この大教会、会長家族しか暮らしてないんですよ…
来賓で呼ぶ中田さん等、本部の人達に対する見栄だとしか思えません。
こやま 2017年3月31日 8:54 PM
その借金は、秀司の借金ですしね。秀司は 野菜を売って生計を立てていた。とありますが、本当は大阪で米相場博打打ってましたしね。これも捏造
因縁納消と偉そうに言っているが、一番因縁納消しないといけないのは、中山家です。
近親相姦の連続で未だに大亮でも近親者との結婚、因縁納消なんて考えてもいない無信仰者達それが教団本部の一部中核の本性 汚れた魂はまさに中山家でしかない!反省せずに他者だけに文句を言うは共産主義国家の上層部と何も変らない危険思想、経済面で逼迫して法を逸脱し始めたその集団は反社会性集団としてカルトと認定される日は遠くは無いでしょう。
堂島米会所
https://goo.gl/m77JlA
古い教会長 様
ありがとうございます。
そういう具体的な事実や事例は大変参考になります。
以前、自教会の古い書棚から見つけた昔の冊子の中に、
・「概観天理教」昭和18年4月発行
・「教典衍義新講」諸井慶徳、昭和18年1月発行
というのがありました。
戦争真っ只中の日本でこんなモノを発行する意味が分からなかったのですが、天理教が積極的に戦争に協力したという話からも、こういったもので教化を強め、本部が進んで信者を戦地に送り込んでいたのではないかと推測されます。
「概観天理教」は、教典(明治教典)と教祖伝と教会発達史と年表が一冊に纏まったものですが、満州・支那・南方伝導などの記載もあり、国威発揚と意気軒昂に大いに役立ったように思われます。天理教の歴史を知る上でも大変興味深いものでした。
古い教会長様
「須藤花井」さん記事では、私の記憶の補足をしていただきありがとうございました。
東風Z様(2017年3月16日 5:45 PM)
秀司は博徒でならず者様 (2017年4月1日 11:32 AM)
勾田村人別帳に「そよ」なる女性名が見当たらないのでないか、という疑義のお話、
興味深く読ませていただきました。史料集成部が非公開扱い(寄贈者に対しても!)に
してしまった理由は判らなくもありません。
その関連で言うと、地方文書(土地の行政等に関わる古文書)の中に、秀司様に
都合の悪い内容が残っている可能性も否定できませんね。史料集成部もそれに
気づいているのではありませんか。
「不燦然探知簿」についても、『復元』に公開されたものについて、その
内容を把握することが出来ますが、実際はどこまで公開されているのでしょうか?
匿名様(2017年3月29日 3:53 PM)
御長命といえば、増井りん先生(97歳御出直)くらいしか思い当たりません。
私の祖母(1902~1997)は、大正の終わりころに、本部でお見掛けしたと
よく話していました。
「須藤花井」と「島村ヒサノ」
以前 須藤さんの著書で「月よりの神言」について書きました。
須藤さんは、この本の原稿は「高知大教会の島村ヒサノさんが持って来てくれた紙に書いた」と話していました。
島村ヒサノ姉は、須藤さんに次のように話したそうです。
「私ら小娘の時から、先行ったら神さんは高知から出て来ると聞かされてきました。貴方がその神さんです。
神さんの話すことをこの紙に書いてください。」
この様に話して白い紙を束にして置いて行ったそうです。
神さんが話してくれた事を「島村ヒサノ姉」が届けてくれた紙に書きためて本にまとめたものが「月よりの神言」だそうです。
詳しい事はわかりませんが、「島村ヒサノ姉」は本部員の娘の立場から高知大教会へ嫁がれた方のようです。
そして、「須藤花井」は高知県出身です。
「須藤花井」は、「面足命」であり「おふでさき 3-85 4-35 5-49 しんじつの神」であり「みかぐらうた3-10 じつの神」だそうです。
「月よりの神言」の内容は終末予言というものでしょう。「おふでさき」と基本的に同じです。
そして、「須藤花井」の存在を確認できる人達は、中山善衛や夫人、ヒサノ姉などおや様存命中から繋がる本部のごく少数の人達だけでしょう。
このごく少数の人達は「おふでさき」の核心について知っていたと思われます。
しかし、中山善衛や夫人、島村ヒサノ姉も既に鬼籍に入られてしまった。
今では、本当の事を知る人々はほとんどいないのだろう。
飯降家や上田家では今でも密かに伝えているのだろうか。
仮に知っていても口には出さないでしょう。自殺者が出るほどですから。
「須藤花井」は三島神社について次のように話していました。
第3次世界大戦に日本は参戦しない。しかし、外国から攻められる。
日本の宗教施設は全て攻撃目標にされる。
本部は攻撃を受けて破壊され大きな穴があく。
三島神社もあそこに在ったら壊れてしまうから今の場所に移動して良かったと神さんが言っている。
大きな穴は池になり真ん中の島に「かんろだい」が建つ。
島に渡る橋が掛けられ、その橋から池を見下ろすと池の面に自分の前世が移る。
自分が前世に何をしたか映る。
これが本当の鏡屋敷だ。
「須藤花井」は、かんろだいも陽気ぐらしも鏡屋敷も全ては大掃除の後の事だと話していました。
現本部員や要会の面々は、本当の事は全くわからないのだと思います。
大事なのは目に見える事だけ。「札束」
天理教教団は、神が見えない愚か者の集団だと思う。
大教会長からの通達事項、
〇〇大教会にて、創立〇〇年には、真柱様・奥様、大教会の全名称に繋がるおつとめ奉仕者さらに、未来のおつとめ奉仕者全て、大教会神殿に結集して、「たすけづとめ」をする、ということで、一斉巡教に変え、「おつとめ推進員」を派遣するとのことですが、説明の箇条書きの中に、下記の文がありました。
・「おつとめ推進員」への御礼及び交通費は一切不要ですが、食事の世話はお願いします。ただし、食事は別室でなく皆と一緒にお願いします。
こちらのコメントやお供え掲示板などで、「巡教」に対する、末端教会の経済的苦境を、大教会長が目にしたのでしょうか?若い熱心な会長らしいですけど・・。
匿名様。
とても画期的なことです。
その、交通費は大教会持ちなのでしょうか、まさか推進員持ちではないですよね。
創立〇〇年の当日も、真柱様・奥様にお礼はなしで、食事は別室ではなくて皆と一緒だったらいいですよね。
古い教会長様
そうですね。今までそういう例が全く無かったのなら、画期的なことですね。これが今後も続けばいいのですが、大教会創立〇〇年ということで、大教会長さんが、気持ちが大きくなっての、今回だけのサービスで終わるなら、がっかりですけど。
しかし、推進員さんが来られて、御礼、交通費、要らない、と言われても、こちらとしては、全く何も渡さないという訳にはいかないでしょうし、やはり、気持ちばかり、と、いくらか出さざるを得ないのじゃないでしょうかね。
匿名様・古い教会長様
どこの大教会か知りませんがそう言うことは部下が行くときでなく、自身が行くときに言ったのだったら確かに画期的ですが
部下にそうしろと言うのは逆に特権意識をひけらかしているように思うのはひねくれ物の私だけでしょうか。まあ少しは前進と言えないことはありませんが・・・ 横やり失礼しました。
八町四面様。
>どこの大教会か知りませんがそう言うことは部下が行くときでなく、自身が行くときに言ったのだったら確かに画期的ですが。
確かに、そうです。自分が身を切る事をしないと、人は動いても、心を動かす事は出来ません。
部内の会長の心を、掴んでいる大教会長が、はたしてどれくらいいるのでしょうか?
いきなりごめんなさい。詳しくは分からないですが、今までは必要なはずだったのに「お礼や交通費はいらない」ということになったのは、お金のことになると脅迫罪や強要罪になる可能性があると相手が知ったからなのでしょうか?
さあ、どういうことで大教会長さんが、そういう決定をしたのか分かりません。今まで部内教会にばかり払わせてて反省した、なんて書く訳ないでしょうから。(笑)まあ、今後も続くかどうか、様子見ですね。大教会創立〇〇年祭では、どうせ、全ての名称から、盛大にお供えが上げられるでしょうし。
もっとも理想的なのは、天理時報やみちのとも誌上で「巡教等をいっさい廃止する」と、真柱が正式に宣言することだと思います。(10月の真柱神殿講話での発表ならベストだが)
普段末端教会のほとんどは、毎月上級や大教会に月次祭参拝しているのですから、なにか伝えたいことや学ばせたいことがあるのなら、末端教会長や信者が上級や大教会に集えばいい話です。巡教員がわざわざ狭い末端教会になんか来ないで、逆にみなさんが来てくれれば楽なんじゃないですか?それで十分なのではないでしょうか?もっと楽なのは「巡教のお話をネット配信(見逃し配信あり)」ですが笑
巡教員である会長は上級の会長とは違う会長が任命されてわざわざ来ます(うちの系統の場合)。巡教のある月は、巡教員に対する御礼と、上級会長に対する御礼が二重に発生します。全く意味が分かりません。なぜ上級の会長が巡教員として兼任で来ないのか?上級の会長が兼任して来てくれるのならわざわざ別のお供えをしなくてもいいわけですから。しかもいまだに巡教員には(もちろん上級の会長にも)別火別鍋の接待をしているところも多いと聞きます。
それをわざわざ立場の低い所に偉そうに赴いて、暗黙の了解で、御礼、交通費、食事等「忖度」せざるを得ない状況をつくり、上納金を発生させる悪習がうまれた動機は「世間で働いていないいわゆる道一条という人々に対する無理やりつくりあげたワークシェアリング」としか思えません。要するにただの「金銭欲」ではないでしょうか。
だいたい天理教には不可思議な悪習が多すぎます。大教会長から印鑑をもらうだけなのに、いちいちなんで御礼(うちの系統は3000円)が発生するんでしょうか?なんで「いりません。貴教会の活動費としてお使いください」と言えないのでしょうか?バイトひとつしたこともなく、右から左にお金が流れてくるのが当たり前の育ち方をすると、3000円(私には大金)なんて二束三文の小遣い程度にしか思っていないのでしょうね。部下教会の苦しみを慮れない人間(大教会長)が「ひとだすけ、せかいだすけ」ができるわけありませんよ。
創立記念祭ともなれば必ずといっていいほど通常のお供えとは別に、茶封筒が作成されます。
それも、役員会で決定した様に装うていますが、発案するのは当の大教会なり、上級教会です。それを持ち帰った会長が、さながら自分の発案のように見せかけて、今日あるのも親神、教祖はじめ上級があったればこそなどと恩着せがましくのたまい、既に作製した見本の茶封筒を役員に配布して、これを皆さんに配布させていただきたいが如何可と諮るのだが、このような茶封筒を見せられて止めときましょうなどと言えますか。
本部の年祭、大教会の年祭、さらには上級の年祭と重なると、二つの封筒があることが起きる。
通常のお供えの金封、年祭のお供え茶封筒が二つ、お鏡料の金封と四つの封筒があると、さすがに何とかしてよと言いたくなる。
一つ一つの封筒に、さも重みがるように神殿講話が行われる様は、宗教というより丸っきり別の世界の話だ。
このような宗教を信じていたことが悔やまれる5年以前の体験談です。
(偶然見つけたFBの記事です)
今朝、早くに所用で二人の教会長に電話した。
一人は、これから仕事に出かけるというから、用件だけ伝えて今晩その返事をもらうことになった。もう一人は、パートに出かける奥さんを車で送る途中ということで折り返し電話するとのことだった。
これが今の本教の現実だ。もちろん、朝づとめ後、多くの信者とともに布教に出る教会もあるだろう。部内教会の月次祭や信者の宅祭へ出かける道専務(本教の専務)の教会長夫婦もいるだろう。
ところが、本教には「事情働き」という言葉があり、また一方では「道一条」「道専務」という言葉がある。
ネット上で「事情働き」を検索すると、出てきた。
「事情働き(じじょうばたらき)とは、天理教信者が社会に出て働くこと。天理教では天理教に専念していること(道一条)が素晴らしいとされている。しかし、中山みき教祖は本業(自分の職業)をしっかりやれと教えていたので、本来天理教に専従せずに仕事を持つことは悪いことではない」。
ところが本教の空気は「道一条」が素晴らしくて、「事情働き」はその対極にある言葉として使われるので、「素晴らしくない」という意味だろう。
そして、事情働きをする教会長夫婦はおそらく全教会の半数近いだろう。本教中枢が次の年祭へ向かって、この現実をどう捉えて、どんな新しい手を打つか、大いに期待して早い段階でその方途を示してほしい。
先日、メッセージを送ってくださった本教本部在籍者の
「教会の窮状と言われますが、頑張っておられる教会も多くあります。窮状に陥っている教会は、全てとはいいませんが、そのの使命であるにをいがけ・おたすけが滞っている姿じゃないのですか。真剣に使命を全うすれば、教会の窮状なんて有り得ないと思います」
は、日当たりの良い場所にある一部の「木」の繁茂を見て、「森」を語る、無知な都会人に思える。
しっかりと現実を見てほしい。
(偶然見つけたFBの記事です)
近頃、本教に妙な動きがある。古い「道の友」が消えている。見ること、読むことができなくなったということだ。
誰かが意図的に回収しているかもしれないという噂を聞いた。
友人が過去の「道の友」を読みたいと道友社や天理図書館やその他関係各所に問い合わせたところ、「ない」と言われたり、閲覧を断られたそうだ。理由は聞かせてもらえなかったという。
幸い別の友人の教会には、創刊号からすべて揃っていた。早速、読んでみると興味深い記事がいろいろある。中には、今の本教には「不都合な真実」となるかも知れないなかなか面白そうな記事もある。
「これか!」と頷けるものもある。なるほど、もし、私が本教の中枢にいたら、回収したくなる内容のものも見つけた。
残念ながら私は本教の中枢にいないので、回収に協力するつもりはない。異端でもないので、殊更声を上げるつもりもない。ただ、全国の御用に励む教会長さんや布教に勤しむおたすけ人の皆様には、ぜひ読んで欲しい。勉強になる。
大教会長の印鑑の件ですが
私の友人が子供を天理高校に受験させようとし
忙しく仕事が休めない為、所属の会長にお願いしたところ上級、大教会すべて
本人と親がお願い(お礼?お供え付き)に行かないと印鑑を押せないと言われ受験を辞めました。
ただでさえ少子化で子供が少なく学校にも天理教以外たいした特徴もないのに(スポーツも吹奏楽も昔みたいに強くない、2類もたいした大学にいけてない)
最初から親を別席運ばせどこの所属か決めるのではなく、誰でも受験できるようにして
3年間学校に通ううちに天理教って素晴らしいなと思ってもらえるようにすればいいのに、
数少ない天理高校受験を希望する子供を天理教の組織がつぶしている。
もったいないですよ。
私学は入学してくれる生徒がいないと潰れます。いちれつ会が使える生徒ばかりでは運営できない。
(偶然見つけたFBの記事)
★反響が凄かったお話〜
3年前の『誰も知らない事実①』〜ノンフィクション(勝手ながら敬称は省略します)
2013年5月3日、大阪シンフォニーホール。
大阪教区おうた演奏会は1700の観客席を埋め尽くして開催された。
当日そのホール玄関で、スリムで長身、ダークスーツをスマートに着こなした責任者・Ntと彼の参謀のTuは、ホールの全扉が閉められ演奏が始まったのを見届けて、ホールの玄関から出ていった。
定員は1700名のシンフォニーホール。チケットの販売と頒布枚数は2000名分、その全員が当日ホールに足を運べば、300名が溢れる。これは大問題である。かといって、1700名分のみ販売・頒布すると多くの空席ができる可能性は否めない。つまり、何枚販売・頒布するかは過去のデータから割り出す統計学であり、予想であり、賭けである。
入場者は1697名。読みは的中、パーフェクトな数字が出た。阪大数学科出身のTuの計算が的中した。賭けに勝ち、ホッとした2人の仕事は終わった。
「責任者がどこへ行くんや!」「今始まったばかりやろ!」2人の後ろから、本部から送り込まれた2人の本部員・NとMがそう怒鳴った。
「わしらの仕事はこれで終わったんや、せやから2人でコーヒーを飲みに行くんじゃ!」
Ntはこう言い放って後ろも振り返らずに出て行った。
この日朝早くから、少しでもいい席を取ろうとホール前には観客の長蛇の列ができていた。
この列を見て、NtはTuに「大丈夫か?」と何度も聞いた。Tuは「大丈夫です」そう答えるしかできなかった。
そこへ例の2人の本部員が開場数分前にやってきて、「300名も溢れたらどうすんねん!」「責任はお前が取れよ!」と冷酷な表情で言った。この2人の本部員は、何か問題が起こった時に本部にその被害が及ばないように、「責任はお前らやで、本部は一切関係ないで」と念押しにやってきた。2人は本部からの伝言を運んできた「忠犬ポチ」みたいだ。ただ、本部からはそんな指示は出ていないと思いたい。
さて、演奏会も無事終わり、1700名の聴衆も帰路に就いた。
そして、会場となったシンフォニーホール、音楽研究会など、その他すべての支払いが終わった。
これで責任者Ntのお役ご免である。
その時、Tuが、「Ntさん、残った現金40万円を本部員の2人が『これはもらっておく』と言って持って帰りました」
「えっ、あの40万はDVDの費用とちゃうんか?」
その通り、40万は1年間練習に励んだ素人のコーラス隊に配るDVDの製作費用だった。
「そうです!」
「音研のギャラは払ったやろ」
「はい、きちんと支払いました」
後日、Ntの姿はおやさとやかた東棟4階の音研事務所にあった。
「すみません〜大阪教区のおうた演奏会の責任者Ntで〜す」
「何かの間違いで持って帰られた40万円返却してもらいにきました!」
静かなやかた4階ホールで、Ntの大声が響き渡った。
数日後、Ntの元に、音研の理事長・Kから電話があり、
「Ntくん、会いたいんやけど、都合つけてくれへんか?君と二人で話をしたいんや」
Ntが「それなら、私が先生の元に伺います」と言うと、
「いや、今回は私が大阪まで行く」との返事。
「わかりました。それなら大阪教務支庁で」
それから数日後、高齢のKが自ら軽自動車を運転しておぢばから大阪教務支庁までやってきた。
玄関で待ち構えていたNtが、応接室へ招くと、
「いや、ここでいい」
玄関先で、Ntに分厚い封筒を手渡し
「すまんかった、今回はこれでおさめてくれ」
と深々と頭を下げて、そのまま自分が運転してきた車に乗って教務支庁を後にした。
もちろん、分厚い封筒の中には現金40万円が入っていた。
文責 T R
天理教の信仰を捨てる行為とは、まず最初に「おかきさげ」を捨てることだと、今も思っている。
皆さん、その勇気をお持ちですか。
我が家系で唯一信仰を続けている97歳になる叔母が常々言っていた、二代さんは行く先々で女性と関係があったという話。そのような霊能者でない、むしろ不浄と思われる人からもらった「おさづけの理」なんて、何の意味も持たないと悟ったからです。
タンスの底に眠っていたとは言え、さすがに「おかきさげ」をゴミ箱に捨てるのは気が引けた。不要の仏具、位牌、みたましろなどを燃やしてくれるところがあった。自動車で約5時間の所へ老骨に鞭打って持って行った。5年前のことだ。
信仰生活を振り返るのも嫌だ。だが、このような惨めな思いをする人を一人でも出さないようにとの思いから投稿を続けています。信教の自由は心次第ですが、天理教に入信するには、気が向いた折に手を合わせておこう等と安易な気持ちでは絶対にダメ。物心両面で相当の覚悟が必要なことだけはお伝えします。
天理ボケという言葉がある。
確かに天理にいるとボケると思う。ただし、これは教内者として天理で生活した場合に限定した話だ。
何せ、教内の殆どの部署が9時・5時勤務。ある部署へ夕方5時過ぎに出向いたら、両手でをされた。
そうか、本部在籍者、勤務者の方々は5時半の夕づとめに間に合うためか。それなら仕方ない。
ところが、夕づとめ参拝者の何と少ないこと。東西南北の礼拝場はパラパラだ。本部在籍者や勤務者が家族揃って参拝してもかなりの数になるだろうに、ほんとに少な過ぎる。
本教教勢の低下、いや本教中枢者の意識の低下だろうか。
まさか、中枢者が天理ボケしているのか。
ありえるかもしれない。
(一日、参拝することもなければ、一度も手を合わすこともない本部勤務者の家族も多い。某氏の書き込みを参考にしました。)
「上級」「理の親」「本部員」という言葉は原典には全く見当たらない。
でも、その立場になると「俺は偉いんだ」と勘違いしている人をよく見かける。
とんずらしてしまった大教会長。
パチンコ狂いで一期講師中に自らの組の修養科生に、パチンコ代を無心する大教会長。
教区の一大イベントで「これはもらっておく」と勝手に大金を持って帰る本部員。
教内には親心の全くない「理の親」が多くいる。
(某氏の書き込みを参考にしました。)
私が所属していた教会長は、専修科を出ている。この専修科が曲者だ。
私が真面目?に信仰をしていたころのことです。春の大祭は遅くに始まるので当日出発でも間に合うと思い、子供に駅まで送らせて始発列車に乗った。ところが雪の影響か遅れてしまい、本部に着いたのは下半下りも中盤に差し掛かっていた。
ふと見ると、人目が付きにくい回廊の下の隅で、会長が数人の同年配者と談笑しているところを見てしまった。
各下りの終わりの「南無・・・」の時も話している気配だ。心から信仰しているのかと疑問が湧いた。
常々、元一日を忘れるなとか、御恩を忘れるなとか、天理教用語を連発していても形だけの信心では誰もついてこなくなるだろう。最近、大教会の責任役員に就いたと聞いたが、何が大教会の責任役員かと思ってしまう。
布教部の「教会長子弟育成プロジェクト事務局」より「教会長子弟 親の心得」なる小冊子が全国約1万7千箇所の教会に配られた。
読んで、唖然とした。
「何?これ?」
「今さら、当たり前のことをたらたらと?」
「なめとんのか?」
「印刷代、勿体無い」
これが、率直な感想だ。
一体何のために無駄な金を使って出したのか?
何が「教会長子弟育成プロジェクト事務局」だ。余程、おめでたいオツムの事務局なのだろう。
(私は洗脳プログラムの為の小冊子と思っている。
思い付きのような発想のプログラムで、すでに大失敗は目に見えている。
印刷代は布教部の予算に入っているので、いずれにせよ無駄に使われる運命にあるのだろう。
これは某氏の記事を参考にしました。)
教団本部及び本部直轄教会は、会計年度終了日から3か月以内に、前年度の収支書、財産目録、貸借対照表等の
公益法人会計基準に準じる会計書類をパソコン上に公開せよ。
教団本部は、そのための基準ソフトを作製して、一定基準以上の教会に無料配布すべきである。
これが実行できないような本部を始め巨大教会は、宗教法人の資格を剥奪すればいい。
このような当たり前のことが出来ないで、何が法人か。伏魔殿といわれないためにも、必要最低限の道徳基準だ。
東風Z 様
専修科が曲者、とはどういう意味なのでしょうか?
東風Z様の思うところを教えていただけますでしょうか。
睦輝 様
私は幼いころから、つい5年前まで天理教と関わってきました。
この間に、接した専修科を卒業された偉い人に接した人の感想ですので、この表現は適切ではなかったか部分もあるかとも思いますが、とにかく、この方たちは自分が得た教理や作法は絶対に正しいという感覚の持ち主でした。
箇条書きにしてみます。
1.何事も上から目線(例えば、直ぐにお前は・・・という)。俺より偉いものは居ないという感覚。従ってこちらが言っていることは否定する。相槌が打てないんです。
2.お勤めが雑でした(とにかくテンポが早い、おうたを味わうという感覚が感じられない。三代真柱が出されたCDのテンポは遅すぎると言って、勝手に早めたものまで持ってくる)。特に、私が高齢になってからは大変でした。
二下り目が終わって、三下り目に入る折の扇子の準備に手間取ったことが再々でした。もう少しペースを緩めても、お勤めの時間が1時間も伸びることはないでしょう。お入り込みの先生が、講話の中で、もう少し早くといわれても、ん?と思ったものです。
3.3月13日に書きましたように、言っていることと、やっていることが違うんです。結構遊び好きの方が多かったように思います。遊びがいけないとは言いませんが、マージャン・パチンコは絶対にやめてほしい。
詰所で、主任さんの目を盗んで花札をしている専修科生仲間を見たことが再々ありました。時間が有り余っていたのでしょうか。
4.とにかく声を張り上げればいいという感覚。講社祭りなど、小さな部屋で勤めるおつとめでも、教会の会堂で勤めるのと同じ声の大きさ。周囲への配慮など全くしないんです。専修科を出た人が初めて講社祭りに見えましたが、拍子木を打つ音が余りにも大きいので3人の子供たちは耳を塞いで部屋を出てしまい、それ以降、二度と講社祭りに参拝しなくなってしまいました。
5.完璧を求められる傾向が強かったです。式典、ておどり、鳴り物のなどすべてに完璧を求められましたが、自分たちと同じレベルを求めないでいただきたい。私はお立ち12下りをほぼ間違いなく勤めることが出来ましたが、それでも間違うことがありました。職場を休んで大祭に参拝させて頂くと、ふと、仕事のことが頭をよぎると一瞬戸惑うのです。
祭典後の講話で、本日はよくお勤めくださいました。しかし、親神様・教祖様にお喜び頂くには今一歩の精進をお願いしたい、くらい言っていただければ、また気持ちも変わるということです。
6.宗教者に求められるポイントは、優しさだと思うのです。私が接した方は総じてこれが欠けていたように感じました。
雑な表現になりましたが、遠い昔の想いです。比叡山の千日回峰行は死を覚悟した業です。あるいは、永平寺の修行僧になれとまでは云いませんが、道を求めた時点で出家したことになると思うのです。
天理教の目標は、山の仙人ではなくて、里の仙人を目指すと言われますが、むしろ、後者の方が難しい面があると思います。
しかし、知人が言うには、専修科に入るということは仏教でいう出家に当たると言っていることからも、もう少し俗人を離れる覚悟を持って、それでもなお、里の仙人になっていただきたいのです。
身内に教会長がいます。
道専従が美徳とされ、あばら家同然の教会襲名をしたのが約半世紀前。
貧に落ち切れの教えを忠実に守り、妻子にも極貧を強要し、家族の要望は一切受け付けず、たまに得る収入や食品、物品は即大教会へ。
大教会親族は当たり前のようにそれを受け取り、感謝の言葉一つもない。持ってくるのが当たり前。
妻は仕方なく残ったが、子供らはみな反発して大人になったら出て行った。
会長が死んでも、葬式には出ぬとまで憎んでいる。
その会長、当時の自分は悪かったと今は反省の弁を述べるが、一方で、仕方ないと割り切っている。なってくるのが天の理だからと。
猿でも反省はできる。反省の言葉を吐いても、微塵も心がないんだな。
天理教に限らず、どの宗教も組織に維持には金が必要だ。
この社会学でも、天理教以外の宗教にもスポットをあて、権力を握る中田某のような愚行を繰り返す輩を取り上げてみては如何だろう。
そして比較してみる。
いかに愚者蒙昧であることが、より輪郭を持って浮かび上がるのではないか。
残念ながら、天理本部は衰退しても解体はないだろう。
また消滅したとしても、純粋に教理を親しむ方々が路頭に迷う。
その時、愚かな会長や本部の連中が、そのあとのアフターフォローまで促すことは出来ないし、しないだろう。自分らの明日の食い扶持探しでそれどころじゃあるまい。
それは、神にすがるというより、本部にすがっていることの裏返しだと思う。
だとすれば、本人の自立心向上に繋がらない。
信仰は自由。でも自由の裏には責任がある。
その二つ一つをもって、信仰の土台にしていければと願う。
東風Z 様
回答ありがとうございました。
専修科を出られた方が、悪しき振る舞いをしていた、その批判だったのですね。
てっきり専修科自体の批判かと勘違いしてしまいました。
まあ、専修科への感情はあまり良くないようですが…。
卒業と同時に教人の立場となる以上、専修科生はある程度の完成度を求められる立場に居るわけです。
専修科を出た彼らにしてみれば、専修科で学んだものが正しくあり、身に付いた知識が正当、正義です。
それを学んだ当時のまま、見直したり改める事なく振りかざす卒業生が居るのは嘆かわしいですね。
自身の行いを見つめ直し、教理の理解を深める努力を続け、またお手振りや鳴り物の手直しもキチンと受け入れて、教人としてようぼくを正しく導けるよう努めて頂きたいものです。
今は後継者講習会などで簡単に教人が増える時代になりましたが、少し前までは教人は少なく、上の立場にある人が大半だったため、自身を偉いと勘違いする教人が多かったのだと思います。
専修科卒業生が…と言うよりも、教人が…と捉えた方が良いのかもしれません。
まあ道一条至上主義で考えると、高卒で専修科に行くと社会に出ずして純粋培養の教人となり、「若くして教人まで上り詰めた自信」「道一条に進んだ自負」「天理教人からの尊敬」を手にするので、専修科卒業生は偉ぶりたくなるものかも知れませんが。
私の家族に専修科卒業生がおります。
彼女は専修科時代に染み付いた、お手振りや鳴り物のくせは直らない、と卒業して何十年も経つのに言っております。
専修科とは、それだけ濃く天理教を学び続ける2年間なのでしょう。
(もちろん息抜きもあるでしょうが)
ただ、今の彼女は道一条の生活から脱した一信者でしかなく、変に偉ぶる教人ではありません。
専修科卒業生も多種多様、色々です。
私はその実例を見てきております。
一概に、専修科卒業生は…と批判しないで頂きたいと思います。
余談ですが、私はただのようぼく信者です。
ただし、現行の教団組織には疑問を持っており、教会や行事には距離を置いております。
長々と失礼致しました。
布教手帳の統計。
平成15年のようぼく数は97万8千931人。
平成28年のようぼく数は85万7千474人。
13年間で12万1千457人減
年平均9千342人ずつ減。
120年祭の「地方講習会」の参加者は34万3千人。
130年祭「ようぼくの集い」参加者は27万2千人。
7万2千人の減。
一応教会につながっている実働ようぼくは概ね3分の1とすれば、
平成28年の実働ようぼくは約28万5千人。
しかも、高齢者が占める割合が高い。
10年後、現在の教勢を維持するはまず難しい。
(最近もらったチラシ参照)
ある方からの情報です。
音楽研究会の理事長が「私も理事長の職を引かせてもらうから、みんなも一緒に引かせて貰おう」と理事全員とともに現職を辞した。
その内部関係者から「理事長は、数人の理事の灰色行為を知り、その責任を取って理事たち全員を引き連れて辞任された」と聞き、それにまつわる事実も知らされたという。
こと細くその実態を聞いたが、公表出来ない生々しい話。なんと情けないことか、こんな奴らが、今まで偉そうに演台を前にもっともらしい話をしていたのかと思うと、胸糞悪い。
まぁ、どこの世界でも見聞きする立場を利用して、私服を肥やすというコソ泥まがいの行為だが、人間がちっちゃ過ぎて呆れ果ててしまった。つくづく本部員、本部准員なんて立場はいらんと思った。
(某氏の記事を参考にしました。)
(何でもない普通の一信者さんの記事を参考にしました。ちょっとオカシイとおもいます。)
親神様、おやさまの御教えよりも、信仰心のない所属教会長の言う事が優先される。
信者の弱みにつけこんで、お供え要求、おさづけも、しに来ない。
嘘がとても上手な腹黒政治家性格の教会長がいる事実を知って頂きたい。
>親神様、おやさまの御教えよりも、信仰心のない所属教会長の言う事が優先される。<
現在、余命幾ばくも無い親の介護をしているのであるが、実親の親孝行よりは、本部、大教会の意向を受けた各種行事に参加させようと圧力をかける上級教会長夫婦。温もりも、優しさも、寄り添う気持ちも無い。
あらがうと、「神さん一番でもたれて通れば良いようになる。人間思案捨てて。」この一点張り。
天理教が言う「親孝行」とは、「上級信仰」のこと。信仰心のない上級・上々級・大教会に従う事が尊い実親の介護よりは優先させられる。
世間に向けて「親孝行」を叫ぶ「天理教」は至極まっとうに見える。しかし、一旦入会させられると、「親孝行」とは教団への献身であり、時間もお金も奪われ、自分らしく生きることの自由をも奪われる。親孝行とは、「理の親孝行」のことだったのかと後になって今頃判る。世間はこうして私のように騙される。
ここに天理教の世間向けと教内向けの、二枚舌、三枚舌の致命的な矛盾がある。騙されてはいけない。
うちの両親は、かつて詰所勤務者をしてました。
同級生には、色んな家庭の子弟がいました。
大人になってからも色んな事が耳に入ります。
天理幼稚園から同級生の本部員の娘(現在、某大教会婦人)の弟は、天理教から離れて一般企業で働き、一般の人と結婚しました。
結婚時に本部員の親から新築のマンションの一室を御祝いにプレゼントされてましたよ~
購入費数千万円のお金の出所は?
明らかに贈与でしょ~
彼はその後離婚して、その部屋で一人暮らし。
腐敗してるのは、音楽研究会だけじゃないですよ。
権力で階層を作って行くシステムは、『特定の一部人々の利益の為』には
良いのかもしれませんが、全体(皆)の利益のことを考えた時には
リスクがあまりにも多く、インターネットで多種な情報が飛び交うこの時代、
多くの人たちは既に目覚めていて、今後は、権力だけで従わせるような
やり方は、非常に難しくなっていくのではと思われます。
こういったシステムが全体(皆)にとって有効となるのは、権力を持つ人間又は中枢組織が
、「人間性の成熟した常識ある人格者」であるということが絶対最低条件だと思います。
皆をどう守っていくか、皆のお供えを、どう皆さんの為に役立てることが出来るか。
そうでないなら、任意のクループで会費制の勉強会にした方が、余計な被害は
少ないと思います。
欲に駆られた権力者、人を利用し、嘘をつくことをなんとも思わない権力者、
目障りな正しい事を言う邪魔者を権力で陥れ、排除しようとする権力者、
権力を持つ者は、こういった権力を持つ上での人間の弱さを知り、克服できており、
そして物事を正しく観、識別し、指導できる素養がないのであれば、
自ら辞退させて頂く位の良識のある人でなければ、権力の為の権力者ではなく、
真に「人々の為の権力者」という役割は務まらないのかもしれない。
権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験
http://wired.jp/2011/06/03/%e6%a8%a9%e5%8a%9b%e8%80%85%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%9c%e3%80%8c%e5%a0%95%e8%90%bd%e3%80%8d%e3%81%99%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9a%e5%bf%83%e7%90%86%e5%ad%a6%e5%ae%9f%e9%a8%93/
以下のページは、あまりに鮮やかに的を得ていて、神とは、宗教とは、と改めて考えさせられる。
本来、認めたくなく、見たくないことだが、このまま真実と向き合わなければ、
自分の人生の真の解決は始まらないだろう。
————————————————-
宗教とビジネス、なぜこの対極にあるもの同士が結びつくのか。それは、宗教は儲かるからである。
なぜ、宗教は、儲かるのか。宗教をビジネス的観点から見ると、特定多数から定期的に定収入、
つまり、税金のような収入を期待できる。反対に、税金がかからない。そのうえ、元手がいらない上、
仕入れも、あまりかからない。物によっては、タダである。しかも、物の品質は問わない。
信心も鰯の頭からと言うように、紙切れや木の札でも効能があると思えば、効能があるのである。
しかも、その効能に関しては、最初から保障する必要がない。
保証書付きのお札やお守りなど見たことがない。大体、そんな事すれば、有難味が薄れてしまう。
効能がわからないからありがたいのである。当たり前に、PL法などとは無縁である。
工業製品はこうはいかない。製品の品質を保証した上、問題が起きたときは補償しなければならない。
こうなるともとでもいるし、保険も必要である。つまり、経費がかかる。
更に 信者というのは、固定客のようなものである。商売であれば ほとんど固定客でリピーターである。
また、一人一人のお布施がわずかでも集まれば、巨額の金額が期待できる。
しかも、信者は、言い値で物を買ってくれる。更に 賃金を要求するどころか、信者自身が、金を出して
でも働いてくれる。これが一般の企業ならば賃金を会社が払ったうえ、賃金に見合って仕事だけしか
働かすことができない。無償奉仕である。つまり、経費がほとんどかからないのである。
これで儲からないわけがない。だから、金の亡者達が宗教に群がってくる。
そして、その利権を争って跡目争いのようなことも頻繁に起こる。
しかも、宗教で儲けようとする者達は、人の不幸につけ込む。
不吉なことこそ、忌み事こそが、宗教ビジネスには、格好の材料なのである。
だから、何か不幸があると金の亡者達は、神を騙って蟻が砂糖に群がるようによってくる。
しかも、どんな人間にも不幸や悩みの種は尽きない。特に健康の事、男女の仲、人間関係(家族の事)、
金や仕事の問題は、悩みの種である。人は、苦しくなると何かにすがりたくなるのが人情である。
その人情に彼等はつけ込むのである。
ただ、間違ってはならないのは、宗教ビジネスは、信仰とは無縁のところにあるという事である。
神に対する信仰と神を利用したビジネスとは本質が違うのである。宗教を利用した金儲けは、
宗教の方から見れば、信者の弱味なのである。信者の側から見れば現世利益なのである。
どちらにしても欲得づくの問題である。お互い様なのである。双方ともお互いを損得で利用しているのである。
故に、結局は同じ穴の狢(むじな)にすぎない。騙される側も騙す方も所詮は、神を利用しているのに
過ぎないのである。金儲けの世界は、最初から神なんて関係ない世界の話なのである。
だから、ビジネスが成り立つ。信仰心があったら、ビジネスなんて最初から入り込む余地などないのである。
神を騙(かた)りながら、はじめから神とは無縁である。そこにこのビジネスの不思議さがある。
神に縁遠い人間に限って神を利用して、儲けたり、だまされたりするのである。
それが真の信仰の妨げになる。つまり、金儲けと信仰は本来、対極にあるものなのである。
神を信じる者は、神を信じるが故に、艱難辛苦や貧しさに耐えることができる。
神を信じないが故に、弱味につけ込まれるのである。
(略)
宗教というビジネスは、確かに、儲かるのである。宗教を利用すれば金儲けが出きる。
この事は、ハッキリと自覚しておくべきである。さもないと、宗教を利用すれば金が儲かると
気がついた時に、誘惑に負けて、自分達が本来求めていた姿を見失いがちだからである。
人間は、弱い存在なのである。例え、利用すれば金が儲かるとしても、自らの信仰に反する行為は
厳しく戒めなければならない。さもなければ、結局神に見捨てられるであろう。
「神について思う 宗教とビジネス」 より
http://www.k-koyano.jp/gody.html
みなさんお久し振りです。
法人乗っ取り事件の舞台、中〇大教会の中枢から極秘情報いただいて参りましたよ!
すでに、警察や検察庁などの捜査機関に相談済みで、世話人(島村廣義本部員)、中山治信本部員、高井久太郎准員、羽成守弁護士ほか、部内の裏切り者たちも、すでに「捜査機関ロックオン済み」なんだそうです。
ああ、遂に、ここまで来ましたかあ‥今後は一体どうされるのでしょうか中〇さん‥。
情報提供の知人によると、先月までの会議と比べると今月の本部3名同席の大教会中枢会議は非常に温和に進み、ほぼ大教会側の思惑通りに進行されていたそうです。それで知人は不思議に思って色々と聞き取り取材したところ、これらのネタにありつけたそうです。
またさらに、とんでもない事件が起きたそうで(これは教えてもらえませんでした)、それで大教会側は激怒して、大きく行動を起こされたようです。
今日は教祖誕生祭。これから再び知人に会って、さらなる詳細を伺ってきたいと思います。
続報、乞うご期待!
法人乗っ取り事件の続報さま
2017年4月18日 11:11 AM
これは島村、中山本部員、高井準員、羽成弁護士等だけではなく、そもそも指示を出している山澤廣昭内統領、中田善亮表統領もご一緒に、ということですか?
うわ~本部ひっくり返りますね~。ホンマにヤバいんとちゃいますか~。
続報お願いしますね、しびれ切らして投稿しちゃいました。
国会の天理教災害救援ひのきしん隊の話はすごいですね!
内閣府がおぢば来られるのもそう遠い未来ではないですね!
大きなにをいがけです。
国会での天理教災害救援ひのきしん隊の話、ユーチューブで見ました。
素晴らしいボランティア精神と実際の活動があるのに、内に向いては「金集め集団」としての長い長い歴史を今に刻んでいる。どれだけの真面目な人達を自殺に追い込み、家族を離散させ、また教会家族の住まいを奪い、路頭に迷わせ、どれだけ多くの係わった人達を不幸に追い込んできたことか。
全く矛盾だらけの天理教。いっそ「神」を語らず、純粋な「ボランティア団体」として看板を掛けかえればよい。それならばみな共感の善意の活動資金を出すだろう。
神を利用し「お金」で「命」の取引をさせるような、そんなまやかしを公言している教団トップ。だからこれからも不幸な出来事が続くだろう。罪作りな団体である。この団体は善と悪とが同居している。表の顔のボランティアで騙されてはいけない。
一旦入会させられるとこの善と悪の矛盾に苦しめられるのだ。
天理教よ、もう「神」は語らなくていいからボランティア一本で真っ直ぐに生きてください。
>国会の天理教災害救援ひのきしん隊の話
ユーチューブをチェックしました。
議論が嚙み合っていませんでしたが、国会で取り上げられたのは意義がありますね。
個人的には「末端教会様」の意見に賛同します。
災害救助、万一の為の救援活動を天理教専従者全員で取り組むなら、信者さんが毎月出す「金銭」も、その装備品や救助物資、関係者の生活費ということで、納得されるし賛同者も増えるでしょう。
今、天理教専従者が何人いるか不明ですが、全国の教会まで含めれば数万人はいるでしょうか?
この人数が1年間活動をすれば、延べ人数は国会で取り上げられた人数の数千倍になるでしょうけど。
教内のひのきしん隊の動きは素晴らしいと思います。
阪神大震災でも、どこのボランティア団体よりも早く現場に入ったそうですしね。
紛れもなく素晴らしいです。これには一切の反論はないです。
ここからは私の経験談です。
東日本大震災の時、私は妊娠中で、切迫早産(気をつけないと6ヶ月とか7ヶ月とかで産まれちゃいますよって状態)で絶対安静でした。
その年の5月、私は出産まで1ヶ月半ほど入院することになりました。トイレ、食事、洗面以外は
起きることはできず、陣痛防止の点滴を24時間つけている状態でした。
そんな中、所属の教会の奥さんが何回か大教会婦人会として東北に行きました。
そして、その時の話をベットの上で起きることもできない私に延々と語り続けました。
また行ってくるんだ!と。
病院まで15分くらい、上級から5分くらいの病院までは
「忙しい中来ました」って顔するのに、当時の交通事情では1日近くかかる東北には
「また行ってきたい」なんですねって思いました。
日本中が知ってる大きな場所でのひのきしんはそれはそれはありがたがられるだろし、
このような大きな評価も得られるでしょう。
行動には間違いないと思いますし、どれだけの大きな活動して来ただろうと思います。
だけどその裏で、何代にもわたる信者さんの気持ちも知らずに自身の活動を語る。
出産当日、私は夜中に緊急帝王切開をしたのですが、まだ点滴や管だらけ。
オペから半日も立ってない状況なのに早速お見舞いに来て東北の話を30分以上して帰りました。
相手が信者になった途端に扱いが雑になるのは何故なんでしょうね。
訂正
病院から15分くらい→自教会から15分くらいです。
>相手が信者になった途端に扱いが雑になるのは何故なんでしょうね。
バ会長 > 信者
バ会長=理の親=神の声だから何言っても良い
信者=下僕=金ヅル
信者としてみてませんよ
信者と書いて儲かる
金を要求できる、命令をできる、名誉(信者が多いほど自分の)になる、はけ口をぶつけられる
そんな存在としかみてません
大概の教会長は、本部が右を向けと言えば右を向き、カラスは白いといえばそのようにする
「たんのう」とか「徳積み」という詭弁で片付けてね。
信仰すれば幸せになれるという押しつけしか出来ないのであれば、それは信仰ではありません。
洗脳の世界です。自己満足の押し売りです。
信仰して幸せになる?そんな事一度も思った事も有りません。
信者になった?ならなくて良いです。
キッパリ辞めなさい。
上記の皆さんへ。
その通ーり。幼い子供の頃から教会の親奥様(会長の母親)という方から耳にタコができるほど言われた次の言葉。
白いものでも親(教会長のこと)から黒と言われたら、口答えはせずに素直にハイと答えろ。
と、これが洗脳だと気づいたときには、すでに遅しでした。素直になれとは、こういう意味ではないだろう。
つくづく、天理教とは恐ろしい宗教だと思うに至った次第。
ずっと長い間貴女が考える以上に心配をされてたのではないでしょうか。
心配で心配でかけつけられたんだと思いますよ。
出産は危険を伴うので、いてもたってもいられずに来られたのではないでしょうか。
匿名です
4月27日1:17PM さん
私への感想だと思いますが、
もちろん心配というか気にかけてくれていたことは感じてます。
そこには感謝しております。
が、この奥さんは私に数回にわたり「あなたは苦労を知らないからこのくらいの苦労はしたほうがいい」
と言い放った方です。
私自身、母親(信者)の家出や借金、社会人になってからはバイトという選択で教会の御用を優先したので経済的にも裕福とは言えないということなどはちゃんと見て入れば分かったと思います。
御用のためにバイトを休んだこともありますが、当たり前のような言われ方もしました。
ちなみに先の「苦労を知らないから」は妊娠中に2回も3回も言われました。
そして先日、教会のお子さんが高校生になり、お弁当作りが始まったのですが、
私の母に「思い出すでしょ〜」と言いましたが、私が高校の頃は母は家出中です。
これが公の場であれば「失言」ですね。
この発言でなぜに奥さんが私に「苦労を知らない」と言ったかよくわかりました。
夫のDVを打ち明けた時も「そ、そういうこともあるって!」と聞かなかったふり。
「私らがお助けするので!」と実家にまで乗り込んできたのに。
(ちなみに実家は信仰家庭ではないです)
私が育児に疲れているだけだと思っていたようです。
こういうことが多々あったので、今は少し距離を置いてます。
マコ様
こういう教会関係者がいかに多いことか。彼らには人間の心に寄り添う姿勢はありません。生まれつき顔にあざのある娘さんが思春期にさしかかり周囲からいじめられることを悩んで母親(教会の奥さん)にすがった時、「それはあんたの因縁や。因縁が切れるまでしっかり世間から笑ってもらいなさい。」と言い放ったそうです。
洗脳状態にある年配の教会関係者は大なり小なり、こういう冷酷で、かつ残酷な、ナイフで胸をえぐるような事を平気でもっともらしく言いますから。
後継者不足で躍起になっている本部ですが、こんな親たちに育てられて、誰が教会の後継をしたいと思うでしょうか。
私が上級に困り事の対処の仕方について相談してみても、「そういう事情を見せられるのは何で見せられるか、よくあんたが考えることだな。」の一言。これじゃあ、世間の人が教会に助けを求めて来ても、何の解決も癒しも得ることは出来ません。問題解決能力ゼロです。
天理教はもう終わっています。マコ様の教会の奥さんの話を聞き、うちの上級が持つ同じ空気感、同じ匂いを感じました。
自分も教会を預かる身ですが、あまり深入りしないことをお勧めします。立派な人格者の教会関係者もいますが、マコ様の現在の教会につながっていても、悩み事が増えることはあっても、利用されることはあっても、助かることはないですよ。徐々に距離を置き、離れることです。
(半分自分の愚痴になり、申し訳ありません。)
マコさん
マコさんが心で泣いた分、貴女は強く優しく深くなってると思います。
それは今後の貴女の人生の糧になっていくと思います。
お母様が戻ってこられたのはマコさんが優しく受け入れたからですよね。
マコさんの頑張りは種となり、苦労が節からの芽となり、未来を形作りますね。
苦しい千切れる程の思いの涙がこぼれる日を越えてきた自分を自分で誉めてあげてください。
匿名です様
あなたが真摯に信仰されておられることは感じます。
しかし、何故、マコ様のコメントへのあなたのコメントは理解できません。
「おやさま」ならどうしたでしょうね。きっとベットに不安を抱えながら臥せているマコ様の腰などなでたり、手を握ったりして無言で側に励まされたのではないのでしょうか?
自分の話したいことだけ話ていくのはただの自己中心と思います。心無い教会の奥さまにしか思えないのですが。
匿名です様
次のコメントがあったんですね!
でも、あなたへの疑問は変わりません。
mami 様
本当ですね。教祖ならそうなさったでしょうね。
東北の震災のひのきしんで心痛む思いの奥様もまた、無事出産が終わったとほっとしての我が子のように思っているマコさんに甘えられたのかもしれないですね。
マコさんが心を許せる方だったのかもしれないです。
匿名です様
コメントありがとうございます。
また、励ましのお言葉もありがとうございます。
しかし、母が帰ってきたのは借金問題と私の結婚です。
自分が頑張ってきたことは自分で褒めてあげていいと最近思えるようになりましたが、
事情を抱えた信者親子への、教会の対応というのには今思い返せば愕然です。
教会の方が見ているのは信者さんの気持ちではなく上級や大教会、本部です。
だから、行動力や頭のキレる人は多いですが、教会が拠り所ではなく
天理教運営事務所になってきているのも事実では…と思います。
ひのきしん隊は基本的に一期一会ですから、
瞬発力という意味では本当に力になると思います。
そこからどう寄り添っていくのか…はまた違う課題だと思います。
mami様
ありがとうございます。
この話には続きがあって、ベットに寝たまま延々と話を聞かされた私はいたたまれなくなり、
その日部屋の空調を切ったんです。
病室の窓は大きく、天気の良い日は室温も上がるし、点滴の副作用で体温も少し上がります。
でも、空調を切ればそれだけ節約になる、これくらいしかできないと思いました。
その後しばらくして主治医がまわってきました。
そして、少し蒸し暑い部屋に気がつき「暑いでしょ、空調調節しときますね」と
快適な温度に変更してくれました。
そして何かを察したかのように「今こんな状況ですけど、節約とかは事務の方でやりますから。
マコさんは出産に向けて頑張りましょう。部屋の温度管理も大事な治療ですからね」と
声をかけてくれて、ようやく私は自分が今できることは何かに気がつきました。
もちろん主治医は天理教の人でもないし、お見舞いに来た人が天理教とも知りません。
もっと言えば、お見舞いの人がきていたことも知らないでしょう。
奥さんの口からは「向こうの人はもっと大変。今のマコちゃんはありがたいのよ」とばかりでした。
主治医もそうですが、天理教ではない個人で東北にボランティアに行った人も(男性)、
「今のマコさんと東北は比べるものではないよ。悩みや苦労の大きさなんてその人にしか分かりませんよ。」
と励ましてくれました。
SNSで見知らぬ東北のママさんが「こんな時に東北に助けに来てくれてありがとう。こちらでは救助隊の方が負傷したという情報は出ていませんから安心してください。マコさんもお身体大事にしてください」(夫が仕事で即日派遣されたので、同じ職種の方と情報を共有しあっていた時にこのようなメッセージをいただきました)と励まされました。今まさに被災してる人ですら思いやりに溢れていました。
私は、その方々の心の方がよっぽどおやさまのようだとおもいます。
マコ様
当時の様子がわかり、心が温かくなりました。大変な経験されましたね。その中での多くの温かな隣人の方々の励ましがあったのですね。嬉しいです。
人と人の関係がどんなものかわかるのは危機にあった時ですね。私にもそんな時がありました。
近いと思っていた人が遠く、普段、ただの知人が近い人だったり。
ありがとうございました。
末端教会様
私は末端の一信者なので内部事情まではよく分かりませんが、
信者として教会に関わった時、疑問に思うことは少なくないですよね。
私もですし、私の友人も仕事がなかなか決まらなかったとき
「徳がないから違う?」と言われました。
それで人が助かるなら、教会いらないと思います。
話を聞いたり寄り添ったり、時には厳しくアドバイスすることも必要かもですが、
「天理教の教会」を預かっているという気持ちはないのでしょうかと思いました。
行事をこなしていくことばかりが優先されている気がします。
マコさん
東北のために痛みを堪えて空調を切るために動かれたんですね。
おやさまも同じ状況ならそうされたのでしょうね。
お母様が帰ることが出来たのは貴女の心が包むようにあたたかかったからだと思います。
人を救助されるご主人様もDVに関しておそらく後悔されていると思います。救助しきれなかった時の悔しさをマコさんにぶつけてしまわれたのかもしれないですね。
話を聞くことが出来るマコさんは優しい方なんだろうとおもいますよ。
「自分が頑張ってきたことは自分で褒めてあげていいと最近思えるようになりました。」とマコ様が書かれているので今の状況はわかりませんが葛藤の中から前向きに生きておられるのだろうと勝手に私は安心させていただきました。
私は匿名です様は自分の好ましいと考える「マコ様像」を作り上げているように思います。
DVについても簡単考えているように思います。どのような理由があろうと許されない行為です。
mami 様
同意します。
匿名です様の発言は、
以前は、天理教批判への否定と反論、
その後、オカルト礼賛、
最近は、苦しむ人や悩む人への同調と擦り寄り発言が殆どです。
トータルすると、天理教組織や上級の人たちへの不満不平を逸らし、人を助ける気のない金集めだけの天理教関係者や現体制を擁護し、改善や改革を訴える人を否定、排除しようとしています。
また、お供え掲示板で「自分の所属教会はおさづけの効果があるが、他の人には教える気はない」という教祖様の教えに反するような裏切り発言をしています。
個人的には、どんな考えや解釈をしても自由だと思ってました(違うなら違うで議論できますからね)が、これほど現教団維持と擁護ばかりする人(しかも、議論すらしようとしない)が書き込むのは我慢できませんね。
匿名です様が、なぜ自分の頭の中にある妄想や理想の中だけに生き、
現実をありのままに見ることが出来なくなったのか。
そういったことも、「洗脳」による弊害のひとつと考えられます。
「洗脳」されて、本当の「自分の心」を取られてしまってる人の特徴は、教団からの
洗脳による上辺のきれいごとばかりを話し、相手の心や、現実を全く見ないし、
見えなくなっていることですが、匿名です様は正にこの状態と見受けられます。
共感する言葉や庇おうとする言葉を次々並べながら、やっていることは、
「現実」を無視して、ただ自分が依存しているもの(教団)の悪い面をもみ消したり、
良い話しにすり替えようと、まるで 『工作員のような行動』 をしているだけなのです。
人はそうそう馬鹿ではないので、上辺に親切な言葉だけを並べようと、
「相手が本当は何を言おうとしているのか?」、「何が目的で、そういう突飛な解釈をしてくるのか?」
ちゃんと行間から伝わっているのです。
なので、あなたの意図に反して、皆、毎回抵抗するようなコメントを寄せているのです。
もしかしたら、気付いていないのは、洗脳状態にあるご本人だけかもしれません。
無意識レベルまで洗脳されている場合でも、現実に戻ることは可能だと思います。
他人の心配をしている場合ではないと思います。
確かに信仰は自由とはいいますし、他人の余計なお節介ではありますが、
ご自分でも今一度考えてみることをお勧めします。
末端教会子弟様
ありがとうございます。私は匿名です様のコメントに接すると母を思いだすのです。世間的に見れば悲惨な一生と思いますのに本人は「たんのう」とすべては親神様のおぼしめしと。会話は不成立でした。私は天理教から離れましたがその母に育てられた影響は根深くものと感じます。自己主張ができないのです。自己主張=わがままと思ってしまう。自分の痛みに鈍感で自己を置き去りにしながらジグザグに生きてまいりました。
私の知る限りですが教会の子女は自己主張が弱いように思います。「お供え」、「社会学」は貴重な掲示板と思います。自分を大切にしてほしいと心から願います。「陽気くらし」とはまず、自分が生きている充実感を持つことだと私は思ってます。若い方々に是非読んでほしいと思っています。
自分の祖先は身上(=命)を救われ、豊かな生活をなげうってたんどく布教に入り教会設立。おさづけに救われたと思ったのでしょう。祖先ような方々が多くいたから教団も大きくなり、「搾取教団」とも呼ばれるようになったのでしょう。その当時の時代せいでしょう。
現在は通じません。お供え=お金など口に、文字に、せずとも教内では自明のことと思います。時代の変化を把握できないほど自明だったから表統領が発言されたし、天理時報にも堂々と掲載されたのだろうと思ってます。
末端教会子弟様のコメントからおかしなことを述べてしまいました。ごめんなさい。
”たんのう”の一言でかたずけられるのは、ソフトなネグレクトでしょう。mami様の悲しみと寂しさを感じます。私の母は境界性人格障害でした。詰め所の金曜日の煮えたぎるカレーを、頭から浴びせたり(滑る床の上で何度もカレーの上に転び、野獣のように泣き叫んだを覚えています)、ありとあらゆる予防接種を受けさせないようにし、ありとあらゆる感染症にかかり、挙句、酔っぱらうと”お前を生まないようにするために、サリドマイドを飲んだのに五体満足で生まれてきやがって”とのたまう始末でした。ですから、いまだに”親にもたれかかるように”というフレーズを聞くと、日本語の意味は判るのですが、私にとっては、体中に血を塗りたくりホオジロザメにその身をまかせよと同義語に聞こえます。こんな私でも、堂々と生きておりますので、貴方様も堂々と自己主張なっさて下さい。ただ、貴方様の心のつらさは、我が身のように感じることができます。家庭内暴力、幼児虐待は被害者に拭い去れない傷を残しますが、それに抗いたくましく生きる人たちもあなたの周りにたくさんいます。貴方様の心に、勇気と安らぎが届きますように。
>「たんのう」とすべては親神様のおぼしめしと。会話は不成立でした。
これ、本当にキツイですね。
私の両親(特に母が)がこれです。
暴力やネグレクトまでは有りませんでしたのでT様のような事はありませんが、上級や外に向いているお袋の意識(家族・家の中はボロボロでも、見栄えだけ取り繕って、外から見て羨ましい、良い人だと思われるような言動ばかりする)を修正するのに、半年間怒鳴り合いの大喧嘩を繰り返し、私は血圧と内臓が限界を超えてしまいました。
まだ修正しきれてない状況が情けないのですが、手を変え品を変え、様々な方法を取っています。
今取り組んでいる「被包括関係廃止の手続き」も、お袋との闘いから比べたら可愛いものだと感じられます。だって、法律と理論・理性的話し合いで進められるのですから。
私はT様や末端教会子弟様のようにきちんとした文章が書くことが苦手なことと、また、母に繋がる方々のプライバシーも考えてると中途半端なコメントになり、誤解を与えてしまったと反省しております。私は多分、お二方より上の世代だと思います。過去の事です。
以前、ある時、友人に「あなたはおかあさんの夫みたいね」指摘されたことがありました。びっくり。私には母はかわいそうな女性と思ってきたことは事実でした。
その夜、夢を見ました。私が参加しているグループに母もいて母は生き生きと自由闊達に話しているのです。
私にも反論したりして。時折、笑ったりもしているのです。なんだ母さん、ちゃんと自分の感情を素直にだせるじゃない。母に反論されながらも私は嬉しくなって。そこで目が覚めました。それで友人の言葉の意味が分かりました。母をかわいそうと言うことで私は自分の感情に蓋をしていたと。私にとって母は加害者であったと。母は母、私は私、と。
ただ、温かなコメントは心からいただきました。ありがとうございました。
それにしてもT様は大変な母子関係を歩まれたのですね。その中から現在のT様をご自分で築かれてきたことに連帯というかなんか歓声というか私はパソコン前で胸を熱くしておりました。ありがとうございました。
末端教会子弟様の行動は多くの後継者の方々に勇気を与えるだろうと興味を持って「お供え」を読ませていただいております。
時間は確かに進んでいると感じています。
T様のご投稿は、他と異なる意見を述べられる場合でも、人を傷つけないように配慮されているのが感じられ、T様の暖かいお人柄をいつも感じておりました。いつかの、「雨の中、放り出され事件」は読まさせて頂いてましたが、それだけではなく、非常に辛い経験をされていることに驚き、又、T様の現在の文章が、そのような気配を微塵も感じさせず、他への暖かい思いやりに満ちていることに感動を覚えます。どんなにか、苦しい葛藤もあったことだろうと、推察致します。
ご自分の辛いご経験を、人への優しさに昇華させたT様に、人間の心の自由自在さ、強さ、ということを、学ばせて頂きました。これからも、ご投稿、楽しみにしております。
匿名です 様
2017年4月27日 6:10 PM
>教祖ならそうなさったでしょうね。
あなたは本当の教祖をご存知なのですか。教団がデフォルメして流布した、きれいごとばかりの教祖像を信じているなんて、正に教団の回し者としか思えませんね。
私は、神が存在する事すら信じられません。東北を襲った大震災、それに続く原発事故、さらには、熊本地震、さかのぼれば、阪神淡路大震災、いやいや、過去に遡れば限りない自然災害。これらすべては親神のなせる業なのですか。
ガレキの中から見えた、いたいけな子供の足に付けていた靴下が、今も脳裏から離れません。
癒えることのない被災者に神は何の手助けができたのですか。お尋ねします。
匿名です様、いつもの抽象的な答えではなく、信仰者もそうでない方も誰もが納得できる具体的な答えを切望します。
追伸 よもや災救隊の活躍などは書かないでくださいよ。
みなさん、間隔空いて申し訳ございません。
噂の「法人乗っ取り事件」ですが、主犯格および実行犯の名前が判明しましたので、ここにお伝えします。
まず、指示を出しているのは、山澤廣昭内統領と、中田善亮表統領。
そして現場責任者が、島村廣義本部員(中〇大教会世話人)で、
続いて、中山治信本部員、高井久太郎準員。
そして部内が、現在会計を持っている日高 彰(役員で、赤見分会長)、
故人ですが、櫻井雅夫(かつて役員で、星山分教会長。存命の夫人もそうらしい。シズエとか聞いた)。
有名な弁護士会長、羽成守(準役員で、日帝分教会長)。
彼も会計らしい。邑楽分教会長、坂本敏夫。
そしてもう一人女性がいるらしい。ここは引き続き調査いたします。
以上、ご周知のほど、よろしくお願い致します。
復興特別委員会で天理教災害救援隊を絶賛されていた民進党の藤田幸久議員。
こちらの 天理教社会学研究所様のツイッターを拝見しましたら、
「過去に何度も天理教を参拝した記録がある https://y-fujita.com/archives/18526 」とのこと。
以前、Youtubeを拝見しましたが、藤田議員のその話し方から、団体の事は何も知らずに、
偶然、天理教災害救援隊のことを知り、その活動に思わず感動して発表したというような話し方でしたが、
確かに130年祭のみならず、社会学様の過去記事にも、
天理教本部での「お節会」の2008年、2010年、2011年の参加者に藤田議員のお名前がありました。
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=518
今迄全く関係がなかったけど、最近、偶然何かの切欠で知り、感動したというようなお話しではなかったんですね。
なぜ伝えないのか?
なぜ伝えるのか?
と、つい考えさせられます。
一読者B 様
なるほど。
そういう事なら、民進党が最近の支持率低下から次の選挙が不安なので、天理教に媚を売って票を集めようという魂胆に思えてしまいますね。
末端教会子弟 様
そうですね。
裏を読まなければ真実や本質がわかりにくい世の中に生きている私達。
悲しいことではありますが、「不自然さ」や「違和感」を感じた時には、
その疑問から簡単に目を背けることは出来ないですね。
自分自身のリスク管理、そして世間を知り、人間を知る為の人生勉強としての意味も含めて。
東風Z様
真剣に悩んでいたら、ふっと答えに近いものが浮かぶ時があります。
人のためにと心を砕いていたら思いがけなく答えの概念が届く時があります。
私には分かりませんが、心のどこかに背負いながら歩いていくしかないと思います。
末端教会子弟様、お母さまの件 意思の疎通の難しさ拝見しました。お体ご自愛下さいませ。
mami様、”時間は確かに進んでいると感じています。”貴方様の心に勇気と安らぎが届きました事を確認し、私も安心し、勇気を頂きました。有難う御座います。
匿名様、過分な賛辞を頂き有難う御座います。この話は続いております。かいつまんで話しますと、私と兄の実印を偽造し、二人に総額3億円、使い込み、などを積算すると6億円近い借金が降りかかります。兄は自殺未遂、私はサラ金、闇金、やくざ、都市銀、地銀の弁護士と十数年にわたる泥沼の死闘を演じる事になります。ようやく片が付き始めたころ、私の足にまたホオジロザメがかみつきます。扶養の義務を果たせと、母が生活費月120万よこせと提訴しました。高裁まで争いましたが、扶養の義務は果たせとの沙汰あり、ただし月7万に減額となりました。(父母兄は自己破産しており、負債に対する義務はすべて私に降りかかります)この経験は、私に人間とは何か、幸せとは何か、陽気暮らしとは何か、etc、いろいろな考察をもたらしました。ですから、貴方様の信仰に関する悩みが危機的な状況にあるという事が察する事ができます。結論から申しますと、貴方様や、末端教会子弟様、のような優秀な方は本部の為にではなく、月日の為に天理に残るべきです。(残り方はいろいろあります。)決して無理はすべきではないと思いますが、あなた方の書き込みは多くの人々に、違う視点や、ひらめきを与えていると思います。
比較的規模の大きい天理教会には「常詰」と呼ばれる住み込みの家族が居る。
この常詰の子弟たちは、本当に可哀そうだ。朝は早く起こされて神殿周りや庭の掃除をさせられ、朝のおつとめ(勤業)に参拝を強要される。夏ともなれば朝の勤行は5時からだ。だから、掃除をするためには午前4時過ぎには起こされる。
勤行が終わって、ようやく朝食だ。学校に行っても眠気が襲ってくる。
学校から帰れば夕方の掃除が待っている。掃除が終われば夕方の勤行だ。参拝しなければ、会長さんに叱られる。時には、ひどい言葉も投げかけられる。もっともひどい言葉は「誰にメシを食わせてもらっているんだ」だ。中規模の教会で、このような言葉を投げ掛けられている少年を見たことがある。
小学校に行っているような、いたいけな少年少女に何をしろというのだろう。結局、常詰の子供達は常に人の顔色を見る卑屈な人間に育ってしまうのだ。
今時、僧侶だって労働基準法違反を訴える時世だ。15歳にもならない子供たちに天理教会は何をしろというのか。
教団本部は教内にこのような深刻な問題があることを把握しているのだろうか。
二言目には「ひとだすけ、ひのきしん」を連呼するが、体のいいこき使いのごまかしの言葉に過ぎない。おひざ元をしっかりと見据えよ、と言いたい。
教会に嫁いだと言う見ず知らずの火災保険勧誘員に言われた。
ドアを開けた私を見て、「まあ、会長さんがそんなおしゃれをしたらいけませんよお。みんながいう事を聞かなくなるでしょ。」「あ、はい・・・」「いつもそういう格好をしてるんですか」「ああ・・いけないんですかね・・・」
7,8年前に買った1000円Tシャツに値段以上に見える100円スカーフを首に巻き、30年程前に買ったイミテーションイヤリングをつけていた。
天理教信仰すると言う事は、そんなにみすぼらしい格好でないといけないのか。いかにも貧に落ちたみじめな格好ならいいのか?みじめな格好を良しとして受け入れるのは天理教内部の人間だけだ。世間一般からは気の毒がられるだけのものだ。身なりは人を表すのではないのか。贅沢は不要だが「身なり」は大事だ。小汚くしていれば良いと言うものではなかろう。
こうして天理教は学問も自由な自己表現も旅や文化的教養に触れることもタブーにしてしまう。
(ただし、大教会子弟は留学し、上等の衣類をお召しになり、また詰所の自室においてはほしい時に牛肉を焼いて食しておられます。夜中に「うん?焼肉?」と思うのですが、我々下々はその和牛の香しい匂いだけを嗅がせていただいております。
少しは配慮せよ。夜中の一人食いだから誰も気付かないと思っているのか。元々は誰のお金で詰所で勝手な真似をしているんだ?)
どこが陽気暮らしだ。
それから私はそもそも信者さんに「言うことを聞かそう」とはこれっぽっちも思っておりません。(怒り)
書き散らかしの独り言です。この場をお借りしたことお許しください。
T 様
お気遣いありがとうございます。
T様の歩まれた人生からすれば、私の苦労など児戯にも等しい内容でまだまだ修業が足らないと感じられます。優秀どころか、人生経験の足らない理想主義なのかもしれません。
「月日のために天理に残るべき」というお言葉、深く心に刻みたいと思います。
若い時は、「教祖様の本当の教えやお言葉が知りたい」でした。
後には、「教祖様の教えと矛盾する天理教組織や上級への批判」でした。
今現在、それなりに人生経験を積んできた中で、上級であれ末端信者であれ、それぞれの立場や環境や我欲や人間思案を認めることができても、教祖様の教えに触れることができる人が誤った道を歩んでいることへの静かな怒りです。たとえ熱心に信仰している信者さんでも「それは教祖様の本当の教えですか?」と問いたくなります。
非包括関係を廃止し教団からは離れる形をとりますが、教祖様の教え、月日親神から離れるつもりはありません。余計なお世話かもしれませんが、教団内に残る人たちに、常に情報発信をしていきたいと考えています。
>*適齢期の女性と、そのご両親の方々へ
>天理教の教会で紹介される縁談は、よくよく考えて下さい。
>教会長、教会長婦人は、貴方の幸せなど願っていません。
>とにかく、教会から離さぬよう、講社を守るよう、お供えを減らさぬようにする事しか考えていません。
satukiさんの投稿より。
正に、その通りですね。教会関係を見ても大教会長と親戚・縁戚関係者が大半。教会の信者さんを見ても同様で、がんじがらめの逃げ場がない世界を作り上げているだけです。
私が教会を離れた際も、叔母を始め遠い縁者にまで私の悪口を言いふらされた。私は教会の物を盗んだわけでもないし、何も悪いことはしていない。むしろ、長年にわたってお供えをしてきた。また、ひのきしんという名目で行事にも参加してきた。恩知らずなどと言われる筋合いはないはずだ。
職場を定年退職をした折も、上司の方々は、一応に、長い間ご苦労様とねぎらいの言葉を下さった。
教会長から、ねぎらいの言葉を貰おうとは思っていないが、悪者にされたのには正直参ってしまった。
所詮、天理教なんてこの程度のものだと思っておく方が良い。まあ。このようなことは天理教に限らず、宗教界では「離壇料」とかを請求されると聞いたことがあるので、五十歩百歩の世界だろう。
東風Z 様
その縁談に関する投稿は、私ではありません。「お供え」掲示板の
題名;「縁談には気をつけて!」匿名 投稿日:2017年 5月 2日(火)06時44分8秒 様 のものですので。
しかし、私も、自宅で母が教会を始めてすぐに、上級会長から、縁談(再婚)を勧められたことがありました。うちに養子に入ってもいい、ということで、「すごく良い方」だそうですが、お断わりしました。
今にして思えば、断ってて良かったと、本当に思います、その方と結婚してれば、私は、離婚でもしない限り、教会を続けなければならない羽目になってたでしょう。離婚する時、家を取られたりも、もしかしてあったかもしれない。(悪い想像を働かせ過ぎかもしれませんが。教会関係者の独身者は、教内関係者とくっつけさせるようにしているのかもしれませんね。教会と縁を切らせない(逃がさない)ために。
satuki 様
失礼しました。これからはもっとよく見るようにしますね。
それにしましても、この投稿は重要な示唆になります。縁談に乗られなくてよかったですね。
人助けなんて甘い言葉に吊られてはいけません。とんでもない世界が待ち受けているだけです。
本部員等の方々も、どこでどう繋がっているのか、正に魔界です。
未信者の皆さんにも、現行天理教(中山教と呼ぶ方が適切だと思っています)には絶対に近づいてはいけません、と言い続けたいですね。
東風Z様
私にも経験があります。
私はある教会の指子弟さんと付き合っていまして、彼の方では年齢的に結婚か別れるかはっきりしろという感じだったそうです。
その時の流れが、相手の教会の上級教会の後継者夫人が私の所属の教会の後継者夫人に
「はっきりしないなら別れて」と詰め寄ったそうです。そこで所属教会にバレてしまい、
どういうことだと私も詰め寄られる。
結果、お互いしんどくなり別れました。
その直後、所属教会の後継者夫人さんにその話が伝わり、「ラッキー!この忙しい時に若手を取られてる場合じゃないしー」と、それはそれはお喜びいただきました。
別れて3日も経ったかというくらいの時です。
当たり前ですがまだ傷心の私。「この人は私の幸せなど望んでいない」と思いました。
マコ 様
正に、人を数としてしか見ていないということです。悲しいですね。人の温みは微塵も感じることが出来ません。
ボランティアをされている方のほうが、もっと、もっと温かいです。
何故、このような宗教になってしまったのでしょうか。教祖も、さぞお嘆きでしょうね。本当に残念です。
天理教あるあるbotさんのつぶやき
>分かりましたが、八島氏はそこらへんを認めてはないですよね。八島氏は、生まれ変わりを否定していた>のですよね。つまり、教組がイザナミのミコトの魂、とか、道具衆の魂とかも認めてなかった筈ですが、>しかし、それだったら、なぜ裁判で「八島氏は異端ではない」などと、表統領さんは証言したのか?
いや、異端と決めつける証言はできなかったのではありませんか。仮に、異端だと証言すれば、八島氏側は当然、異端ではない教義の開示を求めて、法廷での議論が延々と続くことになりかねません。下手をすれば、史料集成部の全ての資料の開示を求められることになるかもしれません。教団自身がこれ以上に墓穴を掘ることを避けた、と見ることが出来るのではないでしょうか。
八島教学事件といい、三島神社移設問題といい、これが原因で多くの本部員の入院や出直しが相次いでいることから見ても、教団にとっては恥ずべき出来事ではあったのでしょう。
誰か、この方を助けてあがて下さい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11173839776
天理教信者または教会関係者様に質問です
10代で教会に嫁いで10年近くなります。一般の信者だった私が悪いんですが…夫(会長)とは上々級の前教会長御夫婦のとりなしでお見合い結婚しました。
ただし、夫とは未だに1度も夫婦関係が無く離婚を考えてます。
夫とはスキンシップレスで会話も新婚当初からあまり無く、私に対して常に仏頂面で外面だけは紳士的です。教会では主人と使用人以下の関係で家政婦以下の扱いです。教会に1分でも居るのが辛くなり2ヵ所のパートと季節では短期泊まり込みのバイトをしていて教会にいる時間をなるべく短くしています。
教会には最初から私の居場所も地位も皆無で、未だに姑が采配を振い私の稼いだお金も1円の果てまで搾取されます。お金が全く無いので月々内緒で実家から1万円の援助を貰ってますが雑費で消えていきます。服もなかなか買えず、ボロを着ているので皆にバカにされます。
初めは神様に感謝して何とか夫に仕えていましたが見向きもされず、腕を触ったら払いのけられ、それでも近づいなら平手で殴られました。結婚して7ヵ月の私の誕生日ですからよく覚えてます。悲しくてしばらく泣いて暮らした記憶があります。5年以上経ち三年千日の始まる年に上級の親奥様に何時になったら子供が出来るのかとよく言われました。非常に辛くて泣くになけませんでした。そして年祭の去年春、あまりにもしつこく急かされた挙げ句、あんたの因縁が悪いだの産み育ての徳分が無い、夫を立てていない、高慢と怒られ、神様にも申し訳ないとは思わないのかと責められたので、夫は私との子供を作る気が無いかも知れないと言いました。それで大事になり、結局私が悪者にされまました。
このゴールデンウィーク5月2日の朝、夫に
『おい、明日は出掛けるから車綺麗に洗車しておけ。中も掃除しておけよ。彼女は綺麗好きだからな。』
“彼女”とは教区で懇意にしている人です。美人で独身で本部女子青年から真っ直ぐ帰ってきて地元でバリバリ活躍している人です。夫とは学生時代からの付き合いだそうで表向きは精算したとしてますが嘘です。何故その人と結婚しなかったかというと、姑が彼女の教会に対して届かぬ嫉妬心を懐いていたからで、信者さんは多い、部内に数ヶ所教会や布教所があり裕福で後継者もしっかりしていて何もかも彼女の教会に太刀打ち出来ないからです。夫は姑に彼女と別れろ、結婚は許さないと命令したようです。姑の醜い嫉妬で夫は彼女とは結婚出来ませんでした。それでも未練がある夫に姑は親として制裁を下したのがデブスで超不細工な私との結婚です。
夫は会長なのに親に反して彼女との結婚を望んでいた。天理教では親に逆らう事はタブーですから仕方がないとは思いますが、結局結婚しても彼女と男女関係があるなら逆らう事になると思うのですが、いかがでしょうか?
上級の前会長様には
『○○さん、あんたは前世で妻に対して飲む、打つ、買うのほこりを積んだ卑劣な男だった。その妻だった者の恨みは根深いだろう。だから現世は醜女に生まれつき、因縁の人の妻という持ち場立場で生涯苦労しなければ助からんのだ。助かりたかったらたんのうしなさい。これは神様の御守護だ。不足してはいけない。夫を恨んではいけない。○○さん(姑)を逆恨みしてはいけない。そもそも因縁が悪いのだから我が身を恨む他に道は無い。』
そう言われました。
このまま耐えるしか助かる道はないんでしょうか?確かにタイ人やフィリピン人に間違われるような顔で私は幼い時からいじめられ友達もいません。就活もその醜さから鼻で笑われバイトの面接も落ちまくってました。実の両親と似ても似つかない顔。アイドル顔の弟やタカラジェンヌばりの姉とDNAが違うのではないかと思うくらい別世界の人種に見えます。幸い家族で一番成績は良いだけが取り柄でしたが…他は家族からも悲惨な扱いを受けてきました。両親も厄介払い出来て好都合だったのでしょうか、この不毛な縁談に飛び付きました。
離婚は運命から逃避する事になりますか?私はもう助かるか否かに拘りありません。ただ、このまま不倫を横目に年老いて惨めに死んでいく事をたんのうした方がよいのでしょうか?
惨めに死んでいく…こんな質問を書き込む自体、高慢なのでしょうか?
回答宜しくお願い致します
何も考える必要はありません。すぐに離婚するべきです。よく10年も我慢されましたね。この教会長の旦那さんも、姑さんも、天理教信者とは、とうてい思えません。あなたを人間として扱っていません。あなたを守ってくれるべき旦那様は、不倫相手の女性のことしか頭になく、あなたに対して、愛情は全く無いようです。なのに、何故旦那さんも、あなたとの結婚を承知したのでしょうね。
弁護士さんに相談して、早急に離婚へと話を進めて貰う方が良いと思います。夫婦関係が、結婚以来全く無いことは、当然離婚を請求できます。10年間の、虐待とも言える、精神的慰謝料も、請求できると思いますし、するべきです。しかし、旦那さんと、夫婦関係が全く無く、子供さんもいなかったのは、不幸中の幸いでした。別れた方が、今後、いい方に出会えるチャンスがありますが、このまま、今の教会に居ても、一生、死んでいる状態と変わらず、辛い思いをされるばかりでしょう。
タイ人やフィリピン人の女性は、目鼻立ちがはっきりしていて、魅力的な顔です。あなたも、精神的に明るくなれば、いくらでも魅力的になれますよ。いい人が見つかりますよ。
>誰か、この方を助けてあがて下さい。
ヤフーの知恵袋に投稿されているんですね。
設定、内容、質問者を含めた登場人物の心情や行動・発言に、無理と矛盾が多すぎます。
「釣り質問」かと思われます。
当該の質問、もう消されていますよ。私がみた時には3名の方がお答えでした。
どういった回答が寄せられることを期待した質問だったのでしょうか
すみません、末端教会子弟さんが「矛盾」と思われる箇所はどこですか?
良かったら教えて頂きたいです。
確かに、Yahoo!知恵袋は釣り堀みたいですけど、釣りにしては釣果(コメント)1桁での本削は不思議ですね。
あと、投稿されていたカテゴリは確か、家族関係の悩みでした。天理教を明記して釣るなら、宗教カテに投稿しそうなんですけれど…宗教クラスタの大漁を狙えるはずですからね。
釣りではなく、フェイク無しで身バレした、又は身バレを恐れた…それゆえの質問削除かな、と私は感じました。
睦輝 様
設定では、質問者は30歳前となります。
・普通教育を受けた(しかも成績がよい)人が、家政婦・奴隷扱い、夫婦関係もなく、浮気され続け、収入は全て搾取されている状態を10年間過ごす事からしておかしい。
・それらの解決策(弁護士に相談するとか、行政の窓口を訪ねるとか)を全く知らないのも異常。
・姑が夫の恋愛相手を嫌う理由が不自然。自分達より上の教会から嫁を貰うのは歓迎されるのでは?
・復讐でデブスの質問者と結婚させるってどんな姑ですか?
・それを受け入れる夫はどんな男ですか?
・浮気相手の家族は黙認してるんでしょうかね?
・「デブス不細工」だから友達が出来ない、イジメられる、就職できないって有り得ますか?
→家族や同級生や社会の人全てが「女性を見た目だけで判断して嫌う」人間だとでも?
・それでいながら、本人は「不細工」の基準を「タイ・フィリピン」等と差別的発言をする。
・上級の前会長のお諭は、オカルト天理教でも使わない「生まれ変わりの輪廻転生論」です。
・両親と顔立ちが似てない事があったとしても、姉弟との落差表現が酷すぎです。
・「天理教っぽい言葉」がちらほら見えますが、使い方が悪意に満ちています。
つまり、一見質問者本人は被害者、悲劇のヒロインのように書かれていますが、家族や周囲の人間だけでなく、関わった人全てが「異常な性格や価値観を持っている」と書いてある文章なんですよ。
天理教だけでなく、社会そのものから「被害者意識」を持っている人物、もしくは、天理教をバカにする、貶める目的の愉快犯かも知れません。
古い教会長さんに転載されてしまったので、大事になったら(間違った用語使用がバレたら)困ると思って削除したのかと思われます。
末端教会子弟 様
インターネットは、取り扱いを一歩間違えると本当に怖いですね。
改めて、末端教会子弟様の投稿を教訓とさせて頂きます。ただ単に読むだけでなく、背後に隠された誘導なり、悪意に満ちた本意を読み取る訓練をしなければならないことを痛感しました。
ヤフー知恵袋にはきわどい内容の質問が多数あり、半分は信用していなかったのですが、今回のは教団内の書き込みと信じてしまった部分がありました。自戒と反省をしています。
ただ、これからも真の教祖像を求める知人の代弁者として、さらには自分自身のためにも事実や感じたことを投稿してゆこうと思っています。
回答ありがとうございました。
成る程、宗教クラスタを集めて炎上させるだけが目的ではない可能性がありますね。
矛盾の指摘もほぼ納得いきました。
ありがとうございます。
ただ、一点だけ。
>自分達より上の教会から嫁を貰うのは
>歓迎されるのでは?
これは上級教会や他の上級系統であれば歓迎ですが、彼女の教会が質問者の所と兄弟教会など、同じ上級に属する同ランクの教会である可能性が高いと私には読み取れました。
ライバル視しあう教会や一方的に敵視する・される同ランク教会は多々あります。
そういった関係性の中で男女が恋愛となると、まるでロミオとジュリエットの様に「敵対関係にある所属間での許されぬ恋」となるのは事実です。
これは教会子弟同士に限らず、それぞれの信者同士でもありえます。
(所属同士のライバル感を信者も察していると、そうなります。)
そして教会の人間、特に奥様に知られると、奥様が介入し別れさせる事が多いのです。
その時は、教会間の因縁があるだとか、相手教会をボロクソに言って、そのライバル教会と縁がある相手に「あなたを渡せない」または「そんな相手を自教会に繋げられない」と言ってきます。
そして言いくるめて別れさせるのです。
そうなることを察して恐れる男女は、お互いの教会関係者に隠れて付き合ったりもします。
これらの、破局させられパターンも隠れ交際パターンも、実際に私は知っております。
ただ、質問者の夫は、別れた後も公然と不倫関係にあったようで、それを姑が知ってて黙認か?姑にバレないように夫が行動しているか?は引っかかる点ではありますね。
長々と失礼いたしました。
睦輝 様
まぁ、モノにもよりますが一つや二つなら有ってもおかしくない、そういう人もいるだろう程度のことなんですが、これだけ無理や矛盾が見えると作り話の設定ミスとしか判断できません。
これでTVドラマを作っても、誰も共感しないと思いますよ。
>ライバル視しあう教会や一方的に敵視する・される同ランク教会は多々あります。
愚かなことですが、現実にあるのは私も知っています。
これで得をするのは、上級だけなんですよね。
封建主義的体制や組織で、上の者が下の者を支配するために使われる「手」です。
「一列兄弟」の考え方なら下の者が一致協力して上の者を倒さなければいけないのに、下同士で喧嘩したり無理な競争をしたりして、上の者を安泰にさせてるんですから。
教会同志の競争など、喜ぶのは上級教会や、その上の方々だけ。教会同志が競って、信者獲得競争、お供え獲得競争をしてくれたら、上にとって、こんな嬉しいことはないでしょう。上の方々は、もっと競争して、お供えをどんどんあげてくれ、としか思ってないでしょうに、踊らされてるのも気づかないで、ほんとにご苦労様、です。まして、教会子弟同士、互いの信者同士で、ロミオとジュリエットのような悲劇があるとしたら、なおさらバカバカしい、笑えない話です。
末端教会子弟 様
本来、上級の立場としては下のイザコザを諭すべきなんですよね。教えに反した心遣いで部内教会同士が争っているのですから。
しかし実際は見て見ぬ振りどころか「いいぞもっとやれ」なのですから呆れます。
競い合って教勢拡大に励み、結果信者やお尽くしが増える事に繋がるのですから、上級としてはオイシイ状態なのでしょうね。
まあ今のご時世、教勢拡大などは土台無理なので、我が身を削ってお尽くしを増やす不毛な争いにしかなりませんが…。
satuki 様
仰る通りです。上級に踊らされているのです。
実際にシェイクスピアのロミジュリのような結末に至った男女が、存在するのかどうかまではわかりません。
しかし見聞きした範囲では、駆け落ち同然で教会からも天理教からも離れてしまった男女とか、教会長夫人の介入で別れさせられた後に女性が自教会の男性信者と結婚すると「他系統やライバル教会に貴重なようぼくを取られず済んだ」と公言した教会長夫人は実在します。
ある方の書き込みです。
ご参考にして下さい。
投稿内にあったコメントをコピーしておきます。
かなり深刻です。
簡単に神が目標やと言わないで、思い当たることがあるなら、それぞれも改善し、おやさまの教えに近付かせていただきたいものと思います。
「信者という線引きがない教会って良いですね。
会長の仰る事は、神様が言わせて居る事だからっていうのを聞かされてから、疑心暗鬼になってしまって信仰はしていても素直に教会を見れなくなっています。
どうしたら、その新興宗教みたいな見方はやめて貰えるんでしょうか…
言うことを聞かないと、ほら見ろってなるし、怒るし。
教会に来なくて良いって言うし。
ギスギスしてるし。
普通に信仰させて貰える教会へ行きたいです。」
「①《おぢばがえり》を繰り返されたらいかがでしょうか?
②そして、《おつとめ》をさせていただく。
③その《おつとめの歌の意味を知る》よう、努力する。
※出来れば十二下りまで
④《おふでさき》を購入し、拝読し、その意味を知る努力をする。
⑤《おさしづ関連》の本を購入し、拝読し、意味を知る努力をする。
⑥病んでおられる方がいれば、《おさづけ》を取り次がせていただく。
⑦悩みを抱えてる方がいれば、《お願いづとめ》をさせていただく。
⑧夫婦仲良く、家族仲良く助け合って暮らし、同じ思いで、《みんなは家族だと思い、仲良く暮らす。》
《教会に所属しなくても、自分の心を高め、人様の思いに立って生きて入れば、それで良いと思いますよ。》
では、逆に何故、教会に足を運ぶのか?
それはいんねん寄せて守護すると教えられてる方が集まっているからです。
《同じようないんねんを持っている者が集まり、一手一つとなり、信仰を深めて行く》為ではないかと思います。
会長は責任者であり、神様ではありません。
また、神様の代理人でもありません。
幸せに向かう為の道先案内人です。
そう考えますと、心の治った会長のいうことを聞くことは、幸せに向かう道であるとも言えます。
しかし、それは同時に《会長その者も、修行を怠ることなく、成人させていただかねばなりません。》
会長は人様のたすかりを願うスペシャリストであるよう、努力を怠らないこと。
その姿を見て、信者さんは信頼関係が生まれることが、教会の姿ではないかと思います。」
「信頼関係が、崩れてしまったのかも知れません。
納得の行かない理由で離婚して、一番辛い時に怒鳴られた事があります。
心配していて怒鳴ったと言いますが、私にとってどれ程辛い時期かはお察し頂けると思ってました。
お話会があれば、何となく人を上手く動かそうとするお話の内容だったり、また私の事を言ってるなと思わされます。
奥様に、俺は宗教を作れると思うってご自分で仰るほど口の達者な会長です。
達者な会長の仰るお言葉を、そのまま受け入れて服従しろと言われて居る気分になってしまったのが原因だと思います。
私の見方がおかしいと思います。
ですが…
会長は絶対に間違わないかと言えば、私はそうではないと思います。
お互いに人間として修行中の身ですから。
どうしたら上手に理解して頂けるのか、日々思い悩みます。
純粋に神様のみを信じて来て、30歳から天理を信じて頑張って来た私には、難しい会長のお話が理屈っぽく聞こえてしまい、強迫観念になる時があります。
会長が天理教は、宗教ではないと仰ります。
では、宗教法人て何だろう…
私は、何も知りません。
真っ直ぐ過ぎて、たまに何も分からなくなってしまいます。
苦しいです。」
コメントをされてる方は心を病まれていますので、表現がキツイかもしれませんが、これは逆に言えば、心からの叫びでもあると思います。
《この道は押し付けるものではなく、互い立合い、助け合うものであると思います。》
会長、教会を神格化させることなく、教会はたすけ場所の道場として、また、会長はその道場の責任者(管理人レベルですよ)として、《陽気ぐらしの手本となって通らせていただきたいものです。》
他所様の宗派をとやかく言うより、足元をしっかり見て通らせていただきたいと思うのですが?
教理云々よりそもそも天理教教会本部が教義改竄していたのは明白な事実 それに 現表統領 中田善亮「お尽くしは金」現状も改竄し、恐喝の疑いもかかってる時点で違法行為の疑いもある。天理教教会本部がカルト認定されるのも時間の問題でしょう。以前のコメントでも在籍の中からも内部告発も始まっているので、数年の内に天理教教会本部摘発もまじかでしょう。
人の善意を利用して儲けるような、こういった図式は、本当に腹立たしく思う。
五輪ボランティアを炎天下で酷使、陰でJOCと電通は濡れ手で粟の大儲け
http://news.livedoor.com/article/detail/10769641/
本間 龍 ryu.homma @desler 5月9日 twitterより
はっきりしているのは、JOCと電通が4000億円にものぼるスポンサー料を集めてながら
その使途を一切明かさず、ボランティアを無償にして利益独占を図る構図です。
商業イベントならそこで働く人が無償なんてありえないのに、「オリンピックだから」と
都合よく人を騙そうとする。極めて悪質です。
中〇大教会の会議出席者から情報いただけました。最近は非常に穏やかに議論が遂行されているそうです。
以前、どなたかのコメントで、
「法人乗っ取り犯たちは、すでに捜査機関ロックオン済み」と、あったかと思います。その所為なのか、親玉である島村廣義本部員、羽成守弁護士らは以前までの横暴、暴言は鳴りを潜め、大変おとなしくしているそうです。
情報提供者によると、中山治信本部員は会議の席で、負け惜しみかのように、
「今までの会計の予算組みのやり方が悪かった」とか、「以前のまま今の量のお供え(神饌物)をしてるのだろうが、経済的に疲弊している現状を踏まえて予算減らすとか、台数を減らすとか、身の丈相応の御供え(神饌物)にしろ!」
とか言ったらしく、その方は大変怒っていて、
「会長さん方は関係上、言いにくいところもあるだろうから、俺らが取っ絞めて次回にでも会議から追い出してやろうか、あのヤロウ!」
と仰っておられました(笑)
私は現在、本部との包括関係の解消の手続きを進めている関係上、宗教法人法など法律のお勉強を行政書士の先生の師事のもとでやっておりますが、思うに本部員たちがその大教会の会議に出席していること自体、宗教法人法違反ではないかと思いますよ。
これは「包括団体と被包括法人の相互規定」といって、各宗教法人には「自律性や自主性(自分たちが主となって決める)」「独立性」などが認められていますので、たとえ本部であっても、一方的に人事を押し付けて勝手に異動したり、一方的に解任とかはできないはずです。
しかし聞けば、島村廣義本部員らは、会長家族に隠密に、一方的に会計の人事を決め、思惑の人間に異動させ(これは後で説明)、覇権を掌握し、大教会を乗っ取ろうとしていたようですが、それが大教会側にバレて、弁護士や捜査機関に相談されて事件が発覚したということのようですね。
また、なぜ現在の会計責任者にしたという件ですが、天理教教規の57ページに興味深い条文を見つけました。
【一般教会規定第23条】
教会長の後任者を定めるときは、左(下)の方法による。
一、直属教会では、当該教会の役員および部属教会長の推挙による。
【一般教会規定第24条】
前条の教会長は、任命を受けた後に前任者から速やかに当該教会の財産およびこれを証する書類などの引継を受けなければならない。
前任者が出直し、その他の理由によって欠けた場合は、当該教会の財産管理に当たる者をもって、前項の前任者に代える。
とあります。つまり、現在の会計責任者にしたのは、会計というのは法人財産の一部ですが、これにさらに法人印を手に入れると、不動産その他のすべての法人財産を掌握することになります。とりあえずは会計責任者に任命して、後に法人印を代表役員から手に入れて、この会計責任者を会長にしようという、まさに「法人乗っ取り事件」といえます。
また、茶番の会議で会計を異動させたときに中山治信本部員が、この大教会の会計室に入ってきて、大教会長夫人に、
「金庫こちらへ渡してください。奥さん覚悟して下さい!腹くくってください!」
などと言って法人会計の金庫をむりやりに奪ったと伺いました。
これもやはり前述の宗教法人法の「相互規定」違反ですね。しかも法人会計金庫を強取・強奪しているので、刑法の「恐喝罪」ないし「強盗罪」に該当するのではないですかね。
全体を見ると7、8名で実行している事件で、これは両統領の指示(教唆)ということなので、「組織犯罪処罰法」にもかかってくるでしょうね。罪名は「組織的恐喝とか、組織的強盗ないし、これらの未遂」とかでしょうかね。
また、うちの行政書士の先生が、
「弁護士がいながら、こんな事件が起こっているということは、この弁護士も明らかに関係してますよ。というよりも主導側にいるでしょうね」
と仰っていました。世も末です。
特命
2017年5月17日 9:20 AM
そんな金庫奪ったりしたらお終・・・本部は明確に有罪ですね・・・とうとう本部の暗部が露呈しましたということか・・・これじゃ誰も助けられない・・・金に困って他人の金庫奪うとか・・・
本部も資金繰りに困っていたとしても強盗はね・・・摘発が現実化されますね。
ひどい話ですね。本部員て、甘露台のまわりでお面かぶって「おつとめ」している人たちですよね。
せっかくなので、僕がこの系統の方から聞かせてもらったお話をします。
いわゆる「法人乗っ取り事件」が起きてしばらく、この大教会の本部との交渉役の人が中山治信本部員と話していて、本部と部内の裏切り者たちの法令違反行為や、教理からかけ離れた教祖の教えに反する行為だ!と指摘したところ、中山治信本部員は、
「あんたら、法律ならべたり、〝おさしづ〟ならべたりしとったら、ほんまに両統領に切られるで!」
とか脅迫されたそうです。
この天理教は、法律ならべたり、おさしづをならべたりしたら、両統領にクビにされるそうです(笑)
というか「ほんまに両統領に切られるで」ということは、最初から大教会長さんや奥さんをクビにするつもりで「乗っ取り」をしかけたということですよね!?
最低やん。お前ら、早よ捕まって、刑務所で頭冷やして来い!
なぜ弁護士がいたのにこのような事に成ったのか? これ弁護士が法人乗っ取りを口実に、天理教教会本部を嵌めたとしか思えない。以前より中田善亮 表統領への嫌がらせを耳にしましたがその話といいこの杜撰な違法行為を止めなかった弁護士に違和感しか感じません。 宗教法人法を見れば一目瞭然各末端教会でもそれは周知の事実、各法人は独立性を持った確固たる独立した集団です。なのにそれを弁護士がいながら違法行為をやらせたっておかしな話です。恐らくこの弁護士他の宗教団体や他の組織から金をもらって動いてるんじゃないですか?本部も騙されましたとおもいました。おかしいです。この弁護士凄い有名人ですよね?こんなミスを犯すわけが無い!
絶対この弁護士が本部を嵌めたんとしか思えません。
https://www.google.com/search?q=%E7%BE%BD%E6%88%90%E5%AE%88&source=lnms&sa=X&ved=0ahUKEwiq-4mxqvfTAhVFzLwKHcoGCW4Q_AUICSgA&biw=1920&bih=990&dpr=1
法人乗っ取り事件。これみんな捕まったら、組織崩壊しませんか?
この社会学さんの記事を読んでいると、山澤廣昭内統領、中田善亮表統領、島村廣義本部員、中山治信本部員、高井久太郎本部準員、羽成守弁護士と当該大教会の二、三名が事件に関わっているということですよね。
本部の5名が捕まったら、真柱様かて任命責任や使用者責任の追及は免れないでしょうからタダでは済まないですよね。
やはり、この法人乗っ取り事件が本部崩壊の引き金になるのでしょうね。本部、自業自得です。
羽成弁護士かて、本部の顧問弁護士みたいな立場なんでしょ? そんで、法人乗っ取り事件被害の大教会の部内教会長ということやから、被害大教会も裏切られた上に散々ですけど、三、四名の部内教会長を失うことになりますよね。
こちらには組織の再構築をして頑張っていただきたいものです。なんせ私たちに他の大教会とは違う、たとえ本部であろうが違うものは違う、間違っているものは間違っているとハッキリと物申せる素晴らしい姿勢を示して下さっているのですから。
陰ながら応援しております!
>なぜ弁護士がいたのにこのような事に成ったのか?
この方は弁護士ですが、教会長でもあります。少なからず洗脳状態でしょう。法律にはプロですが同時に天理教があり、本部があるのです。
伏魔殿と呼ばれる本部は絶大な権力を持っています。本部の意向を神の意向と思えば、自分の知識と合わせれば、何事も不可能はないと勘違いしてもしょうがないのかもしれません。(勘違いで成り立っているのが今の本部です。)
その勘違いから始まった一連の騒動です。
おそらく、この弁護士は教会長であっても深い信仰はないと思います。もし、深い信仰があるならば、今の本部の、ありかたはオカシイと気づく筈です。弁護士も教会長も、この方にとっては職業にすぎないのでしょう。
羽成守のような悪徳弁護士は、懲らし戒めてもらいましょう!
日弁連 懲戒制度
https://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/autonomy/chokai.html
東京弁護士会のコンプライアンス
https://www.toben.or.jp/know/toben/kujyou.html
弁護士法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S24/S24HO205.html
弁護士職務基本規定
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/rules/data/rinzisoukai_syokumu.pdf
日弁連会則
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/jfba_info/rules/pdf/kaisoku/kaisoku_no_1_160422.pdf
古い教会長
2017年5月18日 5:59 AM
ご返信ありがとうございます。本当本部上層部もそうですが天理教弁護士のこの愚行は信仰者の風上に置けない愚かな悪しき因縁年かいえません。中山家は戦争参加はしたでしょうが戦場参加はしたことないでしょう。なぜ先の大戦でようぼく初め神風特攻隊として日本の若者がお国の為に命を落としたか、戦場参加したことない日本人の魂がない教義も改竄する嘘吐き中山家では理解できないのでしょうね。このままでは教団ないからも本部を仕留める動きが出るのでしょう。
この頼りない本部を倒す直属教会初め分教会が多く出てくるでしょう。
古い教会様、中山家や天理教弁護士に見切りがつきましたありがとうございました。
昨日のテレビである芸人さんがやっと売れて
実家に仕送りが出来るようになった話をしていました。
母親に仕送りのお金使ってよと言うと
「自分が働いたお金でやっていける。子供が用意したお金は使えない、そんなもんよ、親は」と話した。
いつ売れなくなっても良いように子供の為に貯金しているそうです。
実家は家と言えないような所でした
トイレもありません。それでも子供からの仕送りを使わない。親とはそんなもんと
立派な家に住み、良いもの食べて、良い車乗ってもっとお金お供えしろと言う親ってなんなんやろなと思いました。
本部の二枚舌を表統領、直々に露呈した。
〈中田表統領〉
発信というのは、対象や内容をハッキリさせた上で行わないといけない。
お道から教外・世の中に向かっての事と、本部から教内に向かっての事はまったく違う。
また、本部から直接伝えるべき事と、教会や教区・地域を通して伝えてもらいたい事を整理し、いろいろな手立てを用いて発信していきたいと相談しているところだ。
〔みちのとも 立教180年2月号 53頁〕
表統領の言動は、最近の「みちのとも」や「かなめ会報」から消えている。
本部も問題視しているのかな。
匿名 様
2017年5月19日 7:30 AM
そのような人たちが、奈良県の高額納税者に名を連ねているのです。
もし、教祖が存命なら次のように言われるかもしれません。「世も末じゃ」とね。
古い教会長
2017年5月19日 9:12 AM
問題視どころか【お尽くしは金】失言声明を早急に 表統領 中田善亮 から撤回と謝罪をすべきですし、この失言のを真柱から正式に謝罪すべき教団始まって以来の事件です。これが出来ないのであれば、この失言は教団全体の寄付金の減少にもつながるので、中山家の存在意義は無くなるでしょう。日本人なら切腹して教団から立ち去れば良い。それが出来ないから、中山家は教団の代表に相応しくないのです。最近社会学さんの記事を教団内の多くの人が見ているようです。私の系統の周りでも真柱や中山家批判をよく耳にするように成りました。
「本部が異端をやらせてる張本人」と系統内の大きな分教会長も仰ってました。系統内では周知の事実と成ってます。
今回小職は、
「中〇大教会大教会長、役員に対して両統領よりお話/立教179年6月22日 お玄関奥洋間」
という題名の文書を、法人乗っ取り被害の大教会関係者より入手したのでご紹介します。
これは昨年の10月14日、この大教会の秋季大祭祭典後の教会長連絡会議で、中山治信本部員が配布、そしてその音声を全員に聞かせたそうです。
(提供者は「音声を聞きながら、この文書を目で追って読んでいたが、両統領とも音声では、もっと下劣なことを言っていた」と証言。文責は中山治信本部員らしいが、都合よく改竄したのであろう。)
全文掲載しますが、一つ留意点として、この大教会の「会長夫妻が悪い、悪い」という前提で攻め込む宣誓のような文章なので、こうした悪意あるプロパガンダ、ガスライティングに騙されないよう、つられないよう、惑わされないよう、注意深くお読みください。
中〇大教会大教会長、役員に対して両統領よりお話/立教179年6月22日 お玄関奥洋間
【山澤廣昭内統領】
今日、急遽来ていただいたのは、中〇のことというか、大教会の様子などを意識するようになったのは、それはちょうど十数年前、両統領との懇談があったが、あの当時それ以降いろいろと世話人(島村廣義本部員/内統領と兄弟)から話を聞いたり、周りから話を聞かせてもらうけれども。
また実際にいろいろな集計、大教会としてのお供えのことであったり、人の面のことであったり、いろいろと見させていただく中に、中〇が大教会として、なかなか十分に機能していないということが多々見えているように思うのです。
実際に本部に運ばれてくる理立て一つにしたって単立の分教会に劣る面がありますし、人の面のご守護も然りですし、大教会の中では役員会等々が全く機能していない。
いろいろな各会の動きにしても停滞している状況である、と言われるようなところであると思う。
それを以前から何とかしないといけなかったと思うし、本部としても実際、中〇の教会や信者ようぼく等のことを考えますと、このまま放置しておけないような状況にあるのではないかと思うのです。
そうした上から今日、本部として一つ決断したところをお伝えして、今後いろいろ本部も中に入って中〇の動きを相談していきたいという上から、こちらは両統領、世話人が入って、こちら、中山治信、高井久太郎。
そちら、大教会での立場と教会名等々、それぞれ教えてもらいたい。
※「本部も中に入って」
‥宗教法人法第12条5-12項「包括団体と被包括法人の相互規定」違反。各法人は自律性、自立性、独立性が保障されているので、中まで入ってかき回すのは言語道断!
【大教会長】
栗原政夫、大教会の役員。日高彰、大教会の役員。櫻井雅夫、大教会の役員。
【山澤廣昭内統領】
一応やはり本部としても関わるについて、複数の人間で関わりをもって、いろいろと相談をし、指導すべきところは指導させてもらって関わらせてもらいたい。
そういう上から世話人(島村廣義)はあくまでも一人ですが、それを補佐するかたちでこの両名(中山治信、高井久太郎)、計三名が、今後、中〇に関わっていきたいと。
特に、聞いてみれば会計面のことなど、いろいろと心配なこともあるようですし、実際に、先ほど言いましたように、中での相談が全く成り立たないというような状況にあるようですし、大教会としての動き、形を作らないといかんと思いますし、そうした上から足繁く、こちらからも運ばせていただいて事を進めていきたいと思うことで、今日おいでいただいた。
これは両統領の責任で、代わって3名に行っていただくというかたちになりますので、本部としても本腰入れて、ずっと中〇の立て直しに関わっていきたいと思いますので、その点、ご了承をいただきたいと思います。
部内の方にも流してもらわないといけないということで、今日、お集まりいただいて、おいでいただいたのは、そうしたことです。
※「会計面のことなど」
‥やはり、法人財産狙いですね。
※「これは両統領の責任で、代わって3名に行っていただく」
‥結果、刑罰法令にも抵触しているということなので、これは両統領の犯罪教唆の証拠となります。
※「ずっと中〇の立て直しに関わっていきたい」
‥これも「相互規定」違反です。立て直しどころかメチャクチャにしているから、こうして部内からリークがたて続くのではありませんか、両統領さん?
【中田善亮表統領】
ただ今、内統領から申しました通りで、大教会の役割に関してですが、大教会をはじめ繋がる教会、あるいは教会に繋がる方々の成人、あるいは教会活動、丹精、そういうものが、おぢばから真っ直ぐに理が流れて活性化を図っていく。これが大教会の上での一つの大きな役割と思います。
しかしながら、なかなかそういうふうには伺えない状況が続いているように思います。今のままでは、これが好転していく、良いようになっていくようにはちょっと伺えない(思えない?)という判断を致しました。
これから、なかなか一朝一夕に進むことではありませんので長い年月がかかるかもしれません。しかしやはり順序良く前に運んでいかなくてはならない。
あるいは、ある意味では、組織というような組織体(組織というような集合体の間違い?)がある。あるいは、その組織に勤める人たちの心、心根、思い、そういったものがやはり一手一つになっていかなければ、なかなか事が進まない。
営利団体ではありませんので、やはり何のための中〇大教会なのか、というとうなことが皆さんにしっかり根付かなければ、本来の在りよう、順序良く一手一つになっていくということが難しい。同じ思いを持っていても、なかなか難しいものですから、今の状況では、これからいろいろと状況を相談いただいて、本部としては一中〇という名称だけではなく、そこに繋がる教会、あるいは、ようぼくの方々が勇めるような状況になっていくことは、これはやはり大事なことだと思います。そのために必要なことは、思い切ってメスを入れていかなければならないと思います。今ある状況をこれからどうして行くか、こういう体制をとりますので、本部としてはしっかり、こちらも腰を据えて相談させていただきたいと思います。
※「思い切ってメスを入れていかなければならない」
‥メスなんて入れてはいけません!やはりこれも宗教法人法の「相互規定」違反です。
ただ中〇に限ったことではありませんけれども、大教会もいろいろと状況が違いますので、どんなスタイルが一番いいかということは、これはもう一概に申せるようなことではありませんので、つくっていかなければならないと思いますので、やはり大教会として陞級された、そこに戻って一から本部直属教会というものを拵えていく、拵え直すという、つくり直すというぐらいの、それほどの覚悟でかかっていかなければならない。こちらもそう働きかけをさせていただきたいと思いますので、急な話だとは思いますが、内統領も申しましたように、このことを、役員会議というものが成り立っていないように思っておりますので、直属教会長、あるいは必要な方々に、このことをお伝えいただいて、そして世話人はじめ3人を遣らせていただきますので、引っ掻き回しに行くつもりでもありません、喧嘩をしに行くつもりでもありません。
※「引っ掻き回しに…喧嘩をしに…」
‥引っ掻き回されて、役員さんが一人出直され、大教会を離れてしまった人も出て、会議では最近まで喧嘩のような状況が続いていたと伺います。
お道の教会として、やはり教祖に喜んでいただけるような状況を、何とか年限をかけてでも作らせていただくということが目的ですので、その点において一つ、心を合わせて話し合っていただきたい。
やはり今申しましたが役員会議、それがやはりキチンと働くようにならなければならない。そして何よりも会計状況。これの明朗化と、そしてこれからどういうふうに変えていくのか、立て直していくのか。そういうこともみなさんで、いろいろとご相談いただかなければならない。
失礼ですけど、会長さんと奥さんだけで会計をやっていただくのは、もうやめていただいて、しっかりと会計の役割の方々とともに、内容のことも、予算立てて、そして歳出、そして決算ということがキチンとなるように。これは使い方云々ということではなく皆さんの気持ちに通じることですから、やはり大事なことだと思いますから、そういうようなことも昔のような一昔前のような、まあまあ、まあまあということでは済まない時代になってきておりますので、もっと言えば、監督官庁さんにもキチンと報告してくださっていると思いますけれども、そういうところも、だんだんと厳しくなってきています。ごまかしの利かないような方にも、どんどんなっていきますから。
お道は、そういうことには全体的に弱い面もありますけれども、本部直属教会などはキチンとしていただきたい。大教会の中でキチンとどういう状況になっていて、どのようにこれからやっていくのかハッキリとしていただいて、やはり一度、責められるべきは責められなければならない部分もあると思いますし、また整理するところもあると思いますので、その辺のところまで、人様の台所まで足を踏み入れるようなこともさせていただくこともあると思いますけれども悪気はなく、先々の事を思って一つご協力をいただきたいと思います。
※「何よりも会計状況」
「会長さんと奥さんだけで会計やって…」
「やはり一度、責められるべきは責められなければならない」
‥伺うと、大教会長さんは会計はやっていなかったそうで、夫人と役員さん方と事務方だったと聞いています。嘘の情報が本部に流れていたものと思われます。本当に大教会長夫妻が詐欺や横領などの不正を働いていたなら、それ以前に監督官庁からお咎めがあったはず。最初から捜査機関を入れるべきだったのではないのでしょうか。監査権もない人間が攻め込んで責めたて、監査のママ事でやったから大モメ事になってしまったのでは?
※「人様の台所まで足を踏み入れるようなこともさせていただくこともあると思いますけれども悪気はなく」
‥悪気がある、ないの問題ではありません。失礼極まりない、これも「相互規定」違反。
詰所の状況などにつきましても周りからも聞きますし、周りだけでなく部内先からもいろいろ我々の耳に入ってまいります。それがどこまでがどうなのかは分からないですけれども、やはり心配なことが多いですので、ここらで注意しなければ本部としても申し訳ないと思いますので、そういう方向で島村先生中心にと思いますのでご承知いただいて、対処いただきますようお願い致します。
以上。
(無題) 投稿者:末端教会子弟さま 投稿日:2017年 5月18日(木)21時13分47秒
>「あんたら、法律ならべたり、〝おさしづ〟ならべたりしとったら、ほんまに両統領に切られるで!」
これは、両統領を始めとする上層部が、今の天理教本部は「反社会的組織」であり、教祖様・本席の教えを否定する宗教団体になった、と宣言していますね。
この言葉が真実なら、天理教内だけでなく多くの人に聞いて頂いて、その信を問いたいところです。どこかのマスコミが取り上げてくれればいいのですが。
「乗っ取り事件」そのものについては、乗っ取り全体が違法なわけではなく、その中で行われる手続きや言動に違法性があるかどうかで判断せざるを得ません。
大教会側の人たちがどの程度証拠を集めたかわかりませんが、落ち着いたということは、確たる証拠を握ったということなのでしょうか?
法人乗っ取り 投稿者:司法書士の卵さま 投稿日:2017年 5月19日(金)07時01分16秒
2017年 5月18日(木)21時13分47秒 末端教会子弟さま
仰るとおり、たとえば一般の株式会社であれば、その企業の筆頭株主になれば最大の発言力、影響力を持てます。また株を100%取得すれば完全子会社化です。あまり良い表現ではありませんが、これが一般社会における、企業の「乗っ取り」です。
この「お供え」さん、社会学さんに投稿されている乗っ取り関連記事を総合すると、この法人乗っ取り被害の大教会においては、失脚させるがために本部と弁護士ほか部内の数名が結託して会長家族に秘密裏に計画をすすめ、本来、人事権の及ばないはずの他法人の人事に干渉、代表役員の意向を無視して、あたかも役員会議決のように見せかけて一方的に人事(会計)を決定、勝手に異動して、まずは法人財産の一部である「会計」を手に入れ、後に「法人印」を代表役員から奪って大教会の覇権を手中にしようとした、ということのようです。
これらは宗教法人法の「包括団体と被包括法人の相互規定」ほかの違反になりますが、これだけでは刑罰法令には抵触していません。ですので教会本部の所轄である文部科学省(宗教法人審議会)ないし、各教会(各法人)の所轄である県庁の宗教法人窓口へ被害の旨を申し出られるとよいでしょう。
可能性として考えられる抵触刑罰法令は全体的には、
脅迫罪、威力・偽計業務妨害罪、強要罪、詐欺罪、恐喝罪、強盗罪。
また、両統領、現場責任者である島村本部員は教唆罪の可能性。
そして組織的に行っているので「組織犯罪処罰法」への抵触が考えられます。
「組織的詐欺」とか「組織的恐喝」ということになるでしょう。
個人的に個人をも告訴するというのなら、当然ながら名誉毀損罪、侮辱罪なども含まれてくるでしょう。
また弁護士においては一般法規以外に、弁護士法、弁護士職務基本規定、日本弁護士連合会々則などがありますので、それらに違反、抵触していれば、所属弁護士会や日弁連へ懲戒請求や申し立てができます。
会議などが落ち着いてきたようですが、これは大教会側が何かしらの手続をすすめていて、加害者達がそれを認識したか、抑止のために大教会側から何かしらの威嚇があったのではないかと想像します。
中〇大教会大教会長、役員に対して両統領よりお話/立教179年6月22日 お玄関奥洋間
↓
中〇大教会大教会長、役員に対して両統領よりお話/立教179年6月26日 お玄関奥洋間
訂正、お詫び申し上げます。
2017年5月19日 11:55 AM 両統領お話さま
素晴らしい情報提供をありがとうございます。
隈なく読ませてもらいましたが、どうしても疑問に思うことがあります。
誰の意思で、この「乗っ取り宣言文書」を配布して、音声を皆に聞かせたのかです。
この文書は、どう読んでも宗教法人法違反や犯罪教唆などの証拠と成り得るとしか受け取れません。
そんな文書を両統領が「配布しろ、聞かせろ」と言ったのか。それとも、島村、中山本部員らが両統領に許可をもらって聞かせたのか。
まあ、いずれにしても両統領の許諾がなければ出来なかったことでしょうから。
すると両統領、相当お頭ヤバいですよ!こんなん、まるで社会常識がなさ過ぎます。
一般社会通念すら理解できていない輩がそれぞれ、宗教法人天理教、宗教法人天理教教会本部のトップに居座っているわけですから、もう致し方のない、どうしょうもない組織だとも証明しているということにもなりますよね!
2017年5月22日 10:16 AM お頭(つむ)大丈夫か、本部さま
本当に社会常識がないと思いますよ、これ。
「内統領、表統領がこう言っているから、これが道の上では絶対だから、言うことをきけ!」
と思い込んでいて、本気で
「これ出せば、みんな言うこときくで!」
と思ってやったんではないかと推測します。
「井の中の蛙(かわず)」「お山の大将」「イッツ・ア・スモ-ル・ワールド(それは小さな世界)」
世間の事は何も知らない。
自分ら本部在籍者が選ばれし、この世の絶対的存在ぐらいに思い込んでいる大バカども。
本部の崩壊も間近でしょうなあ…。
2017/5/19 14:36
twitter てんりさん 様 ten_ri_san のツイート
大教会が組織として機能していないというのが本部の言い分であると理解しました。
こういった最小規模の大教会に本部が介入するということは、今後、他にも同様の事例が出てくるかもしれませんね。
しかし、立て直すことが目的なのに、まず会計云々の話をするところが胡散臭いと、個人的には思います。
神崎大教会の教会長さまの、なさりようはあんまりです。失望を隠す事ができません。天理教自体が大嫌いになりました。ネズミ講の集金システムです。会長さまの親心は、どうなっているのでしょうか。親心という名のモンスターです。
「お尽くしは金」が本部の本音です。何が天理ですか? おやさま おやがみさま に謝れ!
むしろ その乗っ取り事件は、お尽くしは金教団本部VS真の天理教の戦いに見えてきました。
それでは本部も勝てないわけです。
天理教ではよく、低い心を持てと聞きます。
ことわざに、低きところに水たまる、とありますが、お金が集まるところは、ひとが集まりやすいといった意味の他に、悪人たちが、悪人のいるところに集まりやすい、といった意味もあるとか。
天理教本部も、道徳心という心はかぎりなく海抜以下より低いですよね。
中田善亮筆頭に。
ただいまツイッターにて、五季納のアンケートを実施しています。
五季納は大教会によって制度が異なったり、実施していない大教会があったりします。
それを明らかにする為のアンケートです。
ツイッターアカウントをお持ちの方は是非とも御協力をよろしくお願いいたします。
https://twitter.com/o_muthuki/status/867960684591554560
2017年5月17日 7:56 PM 「大量検挙」さまのコメント
>いわゆる「法人乗っ取り事件」が起きてしばらく、この大教会の本部との交渉役の人が中山治信本部員と話をしていて、本部と部内の裏切り者たちの法令違反行為や、教理からかけ離れた教祖の教えに反する行為だ!と指摘したところ、中山治信本部員は、
「あんたらな、法律を並べたり、おさしづ を並べたりしとったら、ほんまに両統領に切られるで!」
と脅迫されたそうです。
>この天理教は、法律を並べたり、おさしづ を並べたりしたら、両統領にクビにされるそうです(笑)
中山治信さんて、奥様が大変な身上いただいているんです。確か去年の秋頃か冬口やったと思います。
脳梗塞か、脳溢血か何かで倒れはってから白川の施設に入ってはって、内儀(ないぎ/教祖殿の女方)や、御供所(ごくしょ)の奥様方が頻りに噂しているのが、聞きたくないけど耳に入ってきました。
「神さん、おやさん、見抜き見透しやで。夫の悪事は妻にも当然ながら掛かってくんねんで」と。
乗っ取り被害大教会に対して、強要や脅迫、恐喝などと、相当に悪いことをしはったみたいで、おぢばでもその噂で持ちきりですわ。大教会の金庫を奪ったとか、マジで強盗罪ですやん!
大教会側は怒り心頭らしいですが、最近は相当に押し気味らしく、もうもう捜査機関や司法機関に「そろそろイきませんか、本部」と、言われてるて噂で聞きました。
最新情報ですが、どうも、誘拐紛いなことも起きているらしい。その責任の所在は分かりかねますが、本部(両統領ほか)は、その乗っ取り被害大教会を相当に疎ましく思っているようで、子ども奪ってまで血縁の因縁を切ろうとしているらしい。
それやったら本部も、養子なんか貰わんと「後継者、継承者おりませんねん」言うて、互選で次期真柱決めるとかしたら良かったんやないですか?言うてることと、やってることが矛盾しすぎで、もうついていけません。切ったら切られる。切りまっくったら、切りまくられる。これが世の道理、天理です。
切って切って切られているのですから、今後は、繋いで繋いで繋いでくれはったら、私らや世界の信者さん方が繋ぎのご守護いただけるわけですから、本部の皆も、我がの保身ばかり思わんと、世界に打って出ようやありませんか!
在籍者(現役)様
貴重な情報を有難うございました。考えてみればN山H信本部員も、ある意味、組織の犠牲者にも思えてきました。
本当に、本部は罪深い組織です。
難しいことは言いません。教祖の教え通りに通って頂きたいだけです。
在籍者(現役) さま
貴重な情報を有難うございます。
>夫の悪事は妻にも当然ながら掛かってくんねんで
一点質問させていただきたいのです。
これは、「夫の悪事により奥様が脳梗塞か脳溢血かのお手入れを頂いた」というように解釈できますが、どのような教義の解釈や読み取りをすれば、このような結論が出せるのでしょうか?
「夫の悪事を知った妻が心労のあまりに病気になった」というなら理解できなくはないのですが、「月日親神が誰かの悪事を家族の者に身上で知らせる」という解釈が理解できません。
奥様方はどのような理解でそのような噂をしてるのか、教えてください。
2017年5月27日 5:00 PM 末端教会子弟 様
>「夫の悪事により奥様が脳梗塞か脳溢血かのお手入れを頂いた」というように解釈できますが、どのような教義の解釈や読み取りをすれば、このような結論が出せるのでしょうか?
>「夫の悪事を知った妻が心労のあまりに病気になった」というなら理解できなくはないのですが、「月日親神が誰かの悪事を家族の者に身上で知らせる」という解釈が理解できません。
>奥様方はどのような理解でそのような噂をしてるのか、教えてください。
お返事ありがとうございます。
説明できそうな おさしづがたあったと記憶しています。少しお時間いただけますでしょうか?
本部在籍者とは、字の通り、本部に籍が在る者を指す。
本部員、本部准員、本部青年。そして、
本部婦人、本部女子青年が本部在籍者。
上記以外は、本部在籍者(の)家族、本部在籍者(の)子弟です。
インスタ
@da.i.an813
見てください
>「夫の悪事により奥様が脳梗塞か脳溢血かのお手入れを頂いた」
○根大教会の奥様も以前同様の身上だったと耳にしました。
夫である大教会長様も同じように悪事を働いておられたのでしょうか…?
匿名希望2017年5月28日 3:59 PM さま
>○根大教会の奥様も以前同様の身上だったと耳にしました。
>夫である大教会長様も同じように悪事を働いておられたのでしょうか…?
教祖様の教えからするとそういう解釈が疑問なので質問させていただいたのです。
月日親神が、夫の悪事を見て奥様を病気にするって有り得ますか?
天輪王?天理王? 投稿者:たろう
投稿日:2017年 5月26日(金)15時37分38秒
教祖中山みきが天啓を受けた神の神名は「天輪王命」なのでしょうか?それとも「天理王命」なのでしょうか?
たろう 様 投稿者:東風Z
投稿日:2017年 5月26日(金)19時49分30秒
私の手元にある資料(2002年10月26日櫟本分署跡参考館発行のほんあづま12月号付録の「みかぐらうた」本)によりますと、「天理王命」の神名は明治21年東京の神道天理教会本部が、本席のおさしづで禁止しているのに、目標札を発行しました。その時から使われるようになった。と書かれています。
教祖が教えられた「みかぐらうた」では「南無転輪王よしよし」と書かれています。
どちらが正しいのかは判断のしようがありませんが、教団本部は今更、神名が間違っていましたとは言えないのかもしれません。
何れにしましても、本当の教祖像を披歴しない、あるいはできない天理教なんか信仰に値しないと思っています。
何故かといいますと、例えば、鈴木(すずき)さんに対して鈴本(すずもと)さんと呼びかけているようなもので、失礼極まりないことだからです。
教団にとって都合のいい、ヨイショ記事ばかり書いている天理時報と教会の実態とを見比べてみれば、おおよそのことはお察しできていると思うのですが。
Re: たろう 様 投稿者:たろう
投稿日:2017年 5月27日(土)17時40分38秒
東風Z様
ご回答ありがとうございます。
「天理教フリーフォーラム」というサイトの「明治15年頃のみかぐら歌本」(http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/siryou1/hon-mikagurauta/hon-mikagura.html)にははっきりと「てんりんおゝ」または「天輪王」と書かれてあります。明治15年といえば中山みきがまだ存命中ですから、「天理王」はありえないと考えるのが常識的だとは思うのですが、どういう経緯で「天理」という名称が使われるようになったか知りたいです。
神名 投稿者:古い教会長
投稿日:2017年 5月27日(土)22時39分35秒
<天理教における親神・天理王命の神名>で検索して下さい。
天理教における親神・天理王命の神名 津井治郎
はじめに
天理教において神名というとき、親神・天理王命(てんりおうのみこと)を
指す場合と、親神の「守護の理」(はたらき)を説き分ける十柱の神名を指す
場合とがある。
本稿で問題とするのは、前者についてである。天理教の歴史に
おいて、親神の神名について文献の上では「てんりんおふのみこと」「てんり
おうのみこと」「天輪王命」「天龍王命」「天輪王明神」「転輪王命」「天倫王命」
「天理大神」「天理王命」など様々な表記がみられ、発音上はやや例外的な「天
龍王命(テンリューオウノミコト)を除けば、「テンリンオゥ」と「テンリオ
ゥ」の二種類の呼び方が存在したことが分かっている[おやさと研究所,1997 :2 16]。
それをめぐって、おもに天理教外の研究者lによってさまざまな
見解が提示されてきている。したがって、神名をめぐるいくつかの解釈を、詳
細に文献資料を整理した早坂正章、仙田善孝の成果と合わせて概観して整理し、
その上でどのように解釈することができるかについて最後に若干の考察を加え
ることにしたい。
(無題) 投稿者:末端教会子弟
投稿日:2017年 5月28日(日)09時30分29秒
>どういう経緯で「天理」という名称が使われるようになったか
「劇画 中山みき物語」によると、
明治17~8年頃、弾圧がますます厳しくなり教祖様が監獄に連れて行かれることも増えたため、隠れ蓑として「教会設置」を進め、5月に東京の神道本局から「神道直轄六等天理教会」として認められた。
この天理とは、明治5年以来、文部省、教部省の勧める「三条の教則」(敬神愛国、天理人道、皇上奉戴)から取ったもの(「てんりん」と「てんり」は似てるから都合がいい)だそうです。
本には記載がありませんが、何故弾圧が厳しくなったかは、明治13年に設立された「転輪王講社」が、明治14年に秀司が亡くなり、後を継いだまつえも翌年亡くなったために縁が切れて、教祖様の真の教えを説くお屋敷になったからだと考えられます。
在籍者(現役)様
”夫の悪事よりお手入れを頂いた” 本当の事は、神にしかわからない事をなぜ、天理教関係者は簡単に口にするのでしょうか。人の苦しみを神の目線で語ることは、天理教的には重罪(月日の規定する純粋な人間思案)に当たるのではないでしょうか。神を騙るのは、人間の居る地上に、神を引きずり落とす行為ではないのでしょうか。これに関してはスターリンが、(私はスターリンは好きではありませんが)無神論的神学論の立場でこう解釈しています。「本来、神は人間とは異質な存在で、人間の言葉では語りつくせない存在である。(スターリンはグルジアの神学生でした。)その神を人間の言葉で表そうとするとき、どうしても人間は神の姿、形に人間の願望を投影してしまいがちになる。」と。内儀、御供所のお話の中に、貴方様の願望が投影されていませんでしょうか。(もちろん、貴方様は人様の不幸を願う方ではないと思いますが、潜在意識を人は中々コントロールできないと思います。)私は常々天理教内の愛の不足を感じ、訴え続ける者ですが、本部員が末端の信者に対し、無意識に同じような事を述べるとき、天理教離れが生じます。神の手入れがあったか、どうかを決めるのは、やまいを得た本人だけができる事であろうと思います。天理教は、愛と天理教倫理に欠ける事がわかっていながら、誰もこれに異議を唱えないのは衰退の原因の一つではないでしょうか。
6号21、三人かたうでについて
転輪王講社の事情のあたりになるといつもこのおふでさきを思い出します。
おふでさき注釈には3人の実名がありますが違うのではないかと考えています。
私の思う3人とは
中山秀司 明治14年4月8日死 享年61
中山まつえ 明治15年11月10日死 享年32
山澤良治郎 明治16年6月19日死 享年53
です。
昭和3年の注釈にはいつも疑問を持っていますが如何でしょうか?
この @da.i.an813 さんはどちら様なんでしょうか?
2017年5月29日 1:28 PM やしきのそふじ様
おふでさき第六号は、明治七年の12月より明治八年の2月までに執筆されており、第六号21の「十人の中の三人片腕」は、教祖の片腕ともいえる位置に居り、そうした働きをすべき人間を指すものと推察します。
第六号の29より、元初まりのお話が始まっていることから、いわゆる「魂のいんねん」という尺度から見ると、この年の9月27日に出直している〝中山こかん〟は〝くにさづちのみこと〟の魂といわれるので、私の推論は、三人とは、この〝こかん〟と〝秀司(月よみのみこと)〟、〝まつえ(たいしよく天のみこと)〟であります。
大亮様の弟です。
◯亮様の弟です。
やしきのそふじ 2017年5月29日 1:28 PM さま
賛成します。
おふでさきを素直に読めば、教祖様の教えに協力しているようでも、十人のつとめ人衆に入っている内の三人は、「内心や心根では教祖様の教えに逆らっているので、いずれ火水風が退く(命がなくなる)ことになるよ」という厳しいお仕込みだと解釈できます。
書かれた時代が転輪王明神~転輪王講社の顛末を考えると、その三人が教祖様の教えに逆らった中心人物であり、その行動や生活ぶりに無理がたたって実際に命を落とすことになったのでしょう。
後の時代に、教祖様は「かんろだいつとめ」をお屋敷以外の場所でも認めていますし、「やまのなかでもあちこちと転輪王のつとめする」のですから、「つとめ人衆は十柱の神の魂を持つ生まれ変わり」等という解釈は、オカルト・荒唐無稽の作り話でしょう。
存命の教祖は姿も言葉もない事を幸いに、本部では好き勝手な振る舞いをしていますが、それぞれに、神から色んな身上や事情を見せられています。
もしかしたら、教祖は生まれ変わって居られるかも知れません。
存命の理ということにして、天理教教会本部はで教祖殿に留めて置いていたいのでしょう。
天理教道友社様。
◯亮様の弟の中田君。インスタ@da.i.an813で拝見致しました。
海外留学で青春を謳歌されていますね。個人的に陽気ぐらしを満喫されているようです。
少なくとも、神名流しも、においがけも一切されていないのは、明白ですね。
それは、個人の自由ですからいいと思いますよ。
でも、まさか天理に帰って来たら、本部青年とか本部員とかになって、「教祖のひながた」なんて語るのではないでしょうね。
古い教会長様
私もインスタ@da.i.an813 拝見しました。
しかし、彼もまだ若いんだからこんなことぐらい多めに見てあげては?
本部の人間だから、中山家の血をひく人間だから、20代の年齢からガチガチの布教師たれということですか?
むしろ羽目をはずすくらいの方が面白みがあると思いますよ。(別にインスタを見る限り羽目をはずしてはいませんが・・)
>本部の人間だから、中山家の血をひく人間だから、20代の年齢からガチガチの布教師たれということですか?
そんな事は思っていません。
それはそれで、いいと思いますよ。
それもいいじゃないですか。若いのですから。
ただ、末端の教会子弟には、どんな指導をしているかです。
年金も保険もかけられず、おぢばへ、おぢばへとお供えをして来た者からすると別世界の生活です。
そうだったら、信者子弟の若者も、教会子弟の若者も、もっと自由に羽ばたかせて上げればいいと思うだけです。
教会行事の動員ばかりに駆り出さなくてもいいと思っているだけです。
>私もインスタ@da.i.an813 拝見しました。
しかし、彼もまだ若いんだからこんなことぐらい多めに見てあげては?
本部の人間だから、中山家の血をひく人間だから、20代の年齢からガチガチの布教師たれということですか?
むしろ羽目をはずすくらいの方が面白みがあると思いますよ。(別にインスタを見る限り羽目をはずしてはいませんが・・)
海外留学の金を、だれが出してくれてんだってことでしょ
>むしろ羽目をはずすくらいの方が面白みがあると思いますよ。
何をしてもいいよ。好きにすればいいよ。若いのだから。
お道の若者よ、もっと自由に羽目をはずすくらい面白いことを一杯して下さい。
若いのだから。その方が魅力がありますよ。それが中田家の「ひながた」です。
そう言えば、お父さんも若い頃、羽目を外していた見たいですね。今は立派な表統領様です。
>むしろ羽目をはずすくらいの方が面白みがあると思いますよ。
今時の若者についての話しをしているのではありません。
今迄、教団トップの方々が、多くの信者さん、末端子弟に教えてきたこと、
強いてきたことを思えば、古い教会長様が疑問に感じたことは、
常識的に考えて当然のことだと思います。
かな子 様
大亮君の弟さんがどのような生き様をしようととやかく言うことはありません。でも、それって自分の力でされているのか、それとも、教団の経済力を背景におんぶに抱っこなのかが問題なのです。
私の母は、国民年金が創設された時から死ぬまでの50年余に亘って、神様を信じて年金の半分をお供えしてきました。教団はお供えをあぶく銭のごとく使っていたことを知らずに死んだことは不幸中の幸いだったかもしれません。
末端教会の子弟や教会住み込み(常詰)の子は、中学校を卒業するや否や天理高校二部に入学して、苦労(特に人権無視される)を重ねて居るのです。なかには、もっとひどい境遇に甘んじている子供たちも居るのです。
天理高校二部に入学するくらいなら、アルバイトをしながら公立高校の夜学に行く方が、はるかに自由があります。私の知人の常詰の子弟は天理高校二部に入学するに際し、教会長から次のようなひどいことを言われているのです。
それは「勉強なんかしなくていい。他人のメシを食って苦労をして来い」とね。このように、夢も希望もぶち壊すような言葉を平気で言うのが天理教の世界なんです。
大亮君の弟さんの年齢が分からないので、一概な評価は出来ませんが、成人年齢に達しているのであれば、一般的には自立できていることが最低の条件です。
そのうえで、他人に迷惑をかけない範囲で何をしようと、ご自由にされればいいんじゃないですか。
将来、道専務を目指しておられるのであれば、ランボルギーニを駆ってアメリカ大陸を縦横無尽に駆け回るようなことは止めて下さい。と言いたいです。
表統領なんか、このようなこと蟻の糞ほども感じていないでしょうね。
末端教会が、お供えを捻出する為に、自分達の子供の入学金すらもお供えするように上級から強要(その方が徳を積めるとか、諭されて)されて差し出し、そのせいで、中卒の学歴で終わり(その子供さんは、就職もままならず、今だにそのことで親を恨み続けているとか)、行きたい大学に進学できない子供さん達も多いとのこと。それらに比べて、この次男さんのインスタを見ていると、どうしようもなく不快な気分になる。
若者だから、自由を満喫するのはいいが、アホ息子で終わらないよう、留学したからには、きちんと勉学、知識を取得されて、中山家の血を引く者としての自覚と責任に目覚めて頂きたい、と思う。次男さんの生活費、留学費用、全てお供えなのは間違いなかろうから。
【天理教あるあるbot@プロフ変えたよ!】さんのツイートを転載させて頂きます。
大教会の為に長年御苦労なされた教会の先生が出直された。晩年は年金も払ってなかったから、梨の礫のお金で、入院しても手術しても国保にすら入るお金がなかったので全額実費で相当苦労された。そんな姿を青年時代から見てたから、従兄弟がポツリ。
「あの先生、人生楽しかったやろか」
あぁ…
大教会に尽くしすぎて、自分の足元が全然ボロボロで。そしたら病気した時、実際に助けてくれるのは医療であり金銭だけなんだよ。
大教会に長年尽くしても、屋根が落ちかけた貧乏教会の担任、息子達は教会から出て行き1人は事故死、1人は離婚。1人は自殺。ヨボヨボになってもバスに乗るお金もないから、自転車で数十キロの距離を何度もコケながら大教会に運ぶ姿を見てて、私は胸が張り裂けそうな気持ちになった。
青年という立場でそんなレベルがまざまざと見せつけられる。
そりゃみんな離れたくなるわな。
だけどそんな事情を知ってか知らずか、「お道は元気がない」とか言うてる表頭領とかおるしな。
弱者に寄り添うみたいなあざとい感情を通り越して、ほんとに無念で情けないという感じしかしない。
神様への御供えが、表さんちの次男のオーストラリア留学費用になってたら普通にショックでしょう。
末端が我が身を削り、子の進学も諦めて、必死で「尽くした」結果がコレなのです。
誰が上司の子の贅沢な学費を進んで負担したがりますか?
教団の要職に就いた時には、これまで尽くしてきた信者が納得をするような働きをして頂きたいものです。
末端教会に尽くして貰えれば最高ですね。
しかし、彼がいずれ教団で父親のような搾取を繰り返すトップになるのと、贅沢させてくれた教団に背を向け自由奔放に生きるのを目の当たりにするのと…どちらが信者の救いになるでしょうかね。
>>本部の人間だから、中山家の血をひく人間だから、
>>20代の年齢からガチガチの布教師たれということですか?
あたりまえじゃないですか! ヽ(`д´;)/
真摯な末端教会や信者はガチガチに幼いころから「貧に落ちきって」頑張ってますよ!!!
かな子さん、もしも「お供えリア充ぼっちゃま」を擁護したいのなら
「教団幹部が末端や信者から集めたお供えを、
恣意的(自分の好都合に)に湯水のごとく使用してもいい」という
原点根拠および教義的整合性を理解できるように説明していただけませんかね。
「教団幹部は徳があるからやり放題が許される」 なんていう
アホな選民思想(いちれつきょうだい とは真逆)にはもう騙されませんよ。
あ、それとも かな子さん、ぼっちゃまのご親族ですか?笑笑笑
10代までの若者なら、親の庇護のもとに多少の贅沢しようが遊ぼうが結構だと思います。それぞれの家庭の状況や事情はさまざまにあるでしょうから。
でも、今の天理教上層部が教祖様の教えを歪めて利用している単なる「職業宗教家」になっていて、集めたお供えや資産などを「教えの実現」のためには使わず、自分達の富貴や欲得のみに溜め込んでいるのは明白です。
そういう家庭の子弟たちが、20歳過ぎ(社会人として一人前の年齢)ても自分の置かれた状況や生活基盤などに何の疑問や考えも持たず、親の威光や立場そのままに「職業的宗教家」になってしまうのが、末端の私などからすれば、怒りや理不尽さを感じざるを得ません。
古い教会長さんの「まさか~」という言葉には、そういう末端の気持ちを込めた「いいかげん、勘弁して欲しい」という気持ちのこもった文章だと受け取れました。
そういう上層部の子弟たちが「職業的宗教家」になるかどうかを認めてしまうのか、容認してしまうのか、当然だと思うのか、絶対に許せないと思うのかは、それら上層部を支える我々「下の立場の者」の責任と義務でもあると思います。
>私の母は、国民年金が創設された時から死ぬまでの50年余に亘って、神様を信じて年金の半分をお供えしてき>ました。教団はお供えをあぶく銭のごとく使っていたことを知らずに死んだことは不幸中の幸いだったかもし>れません。
以上の投稿で皆様の誤解を招く点がありましたので、説明いたします。
国民年金制度は昭和36年4月に発足しています。この時点で母は障がい者でしたので間もなく障害福祉年金の受給が始まりました。
社会学とは関係がありませんが説明をしました。
私は中山家一族でも本部関係者でもありません。
主人が教会長をしているその家内です。
皆さんがおっしゃってることもよく理解できます。一れつ兄弟といいながら、教内には歴然たる格差がありますよね。しかし一方でこういう見方はできませんか? 布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か。布教をまったくしない教会は衰退の一途。私の教会の月次祭もまだまだ手が揃わない状態ですが、それでも賑やかな教会を参考にしながら細々とやっています。
うちの大教会、または上級はこちらのコメント欄によく書かれているような「厳しい搾取」はありませんね。言われるには言われますが、そもそも上級も私たちの教会に毎月いくら収入があるのか、こちらのフトコロ事情まではわかりませんから(^-^) 言われても馬耳東風です。
かな子様
>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か。布教をまったくしない教会は衰退の一途。
それは違います。
この組織はトランプゲームの大富豪・大貧民と似ています。布教活動を活発にしていなくても、初めから、いらないカードを人に押し付け、最高の切り札を貰って来る教会と。布教をまったくしないのではなくて、切り札を始めから持って行かれ、動きの取れないのが教会があるのです。
あたかも、初めから徒歩と乗用車で競争している。そんなシステムです。
でも、信仰は競争ではありません。豊かな教会になるためでもありません。衰退していても構わないです。そこに真心が、ありさえすればいいのです。
あなたは上級に恵まれているのです。そんな教会ばかりではありません。
古い教会長様
申し訳ありませんが、「大富豪」の例え話よく理解できません。においかげした信者を上級が所属変更までして持っていくのですか?
「末端教会は年金もかけられない、保険もかけられない」とおっしゃっていますが、それは教会の信者が減ったからでしょ。信者が減ったのは本部の責任ではなく、そこの教会長の責任なのではありませんか?
>>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か
いやいやいや根本的に教義解釈が違うでしょ。
かな子さんの解釈は、
「貧に落ちきれ」と教えられてきたのにもかかわらず
信者さんを増やし、お供えを集めて「そのお金で」経済的に豊かになっていいという解釈なんですね。
真摯な末端教会のなかには、
「年金もかけられない、保険もかけられない」のではなく
お供えが集まってきても神の御守護にもたれて
あえて 「年金もかけない、保険もかけない」 ところがあるのですよ。
(自己責任と言われてしまえばそれまでですが)
今の真柱が立命館の学生時代、母親である三代真柱の奥様に、自分の将来について切実に訴えておられたようです。
「いやや、絶対いやや・・・・」って。これは実話ですが、どんな立場にあっても陽気ぐらしっていう誰でも感じる事のできる職業ではないなって、思って我が運命とはいえ、将来を否定するのは正直な事だと思います。
だから何となく後ろ向きな感じに、俺よりましやって思ってました。
だから私たちは真柱よりははるかに自由なんですよ。苦虫をつぶした彼の顔を見るたびそーー思いますわ。
古い教会長様
なるほど。
実は私も「貧に落ちきれ」の教えにはずいぶん苦しめられてきました。いや、今でもストンと腹に治まっているかと言うとそうではありません。天理教をするということは、経済的に恵まれるのは悪いことなのかと、悶々と考えることもあります。
教祖が貧のどん底を通られたのは、ひながたの前半部分ですよね。後半は人々も寄ってきてお供え物を渡されていたようですし。
これって、一生貧のどん底を通れとおっしゃってるいる訳ではないと解釈出来ますが、皆さんはどう考えますか?
>教祖が貧のどん底を通られたのは、ひながたの前半部分ですよね。
教祖様は貧のどん底になってませんよ?(天理教に感じる疑問)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/kate/4499
中山家が貧乏になったのは教祖様が施しを続けられたからではなく、秀司の相場での失敗が原因ですから、教義として「貧に落ち切れ」が捏造と作り話です(証拠の資料やデータは櫟本分署跡保存会に)。
そもそも、信者さんに対して、「施しをして貧に落ち切れ」と説くならまだしも、「本部や上級にお供えして貧に落ち切れ」では、本末転倒どころか教えとしても滅茶苦茶です。
私個人的には、かな子様の「布教して信者を増やし経済的に豊かになる」は結構なことだと思います。
ただし、それは「教祖様の教え」ではなく、世間一般の「職業的宗教家」のやっている事です。
教祖様の教え(みかぐらうた)は、「なにかにつくりとれば、やまとはほうねんや」ですから、「皆で働いて何でも沢山作って、皆で豊かになりましょう」です。
「信者さんにお供えを出させて教会だけが豊かになろう」ではないと解釈します。
>>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か。布教をまったくしない教会は衰退の一途。私の教会の月次祭もまだまだ手が揃わない状態ですが、それでも賑やかな教会を参考にしながら細々とやっています。
>>(年金が払えないのは)教会の信者が減ったからでしょ。信者が減ったのは本部の責任ではなく、そこの教会長の責任なのではありませんか?
結局、信者の数ありきってことですかね?信者がいれば、あがるお金でそこから賄えるでしょ、と。
このブログで本部の問題点、あるいはテーマとしてるのは、「形のふしん」に流れて行く本部組織の現状。
このかな子さんて人は、表棟梁が示す「いまの天理は元気がない、お金をもってくれば元気になる」という信仰にあるまじき持論を展開しているから叩かれているわけだが、この手合いの人種とおなじ意見に聞こえます。
信者のお供え=自分の年金保険代なんでしょ?
>>そもそも上級も私たちの教会に毎月いくら収入があるのか、こちらのフトコロ事情まではわかりませんから(^-^)
それは当然でしょ。他人が他家の会計に口出す権利なんてありません。
本部がとある大教会の会計に口出ししてるから、法人乗っ取りだとこのブログでも騒いでいる話題のひとつではありませんか。
自分の子供を海外留学させるとき、かな子さんは、信者さんから頂くお供えを、留学資金(に限りませんが、私的なお金の使い回し全般)に回して当たり前、と思ってらっしゃるわけですね。
信者さんたちにも、必ず自分を奥「様」と呼びなさいと言ってるのかな。
かな子さんと同じ考えの天理教で食べている人は多いと思います。
>>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か
活発に布教活動する事はかまいませんが(路傍講演、個別訪問は迷惑ですが)
経済的に豊かになる為、お供えを集める為であればやめて頂きたいです。
お供えは神がもとめていませんので。
2017年6月1日 7:58 AM 時々ようぼく様
>>それは当然でしょ。他人が他家の会計に口出す権利なんてありません。
>>本部が、とある大教会の会計に口出ししてるから、法人乗っ取りだとこのブログでも騒いでいる話題のひとつではありませんか。
ですよねー(笑)「両統領の乗っ取り宣言」で表統領が「人様の台所まで足を踏み入れる」とか言ってましたからねー、サイテー!
それ真にうけて、金庫奪った中山治信本部員もサイテー!平気な顔で本部のおつとめとか、よう出てるわあ…恥ずかしないんかなあ…
>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か。布教をまったくしない教会は衰退の一途。
豊かな教会と衰退している教会が、布教活動を活発にしているか、していないかというような
単純な理由のみが原因となっているとは思えません。
血脈主義や身分制、親族優遇意識の強い組織の中で、不公平、不公正な部分が多く見受けられ、
それらについては、「いんねん」「徳」「不足を言わない」「たんのう」「神にもたれる」などの
言葉と共に、己を省みることのみを求められ、
更に経済的に豊かな教会とそうでない教会については、努力をしているか、努力をしていないか
の違いであると、まるで「努力をしてない教会はもっと布教して努力せよ」とでも云わんばかりの、
単純なレッテル貼りで片付けてしまうような評価の仕方は、とても宗教の考え方とは思えません。
布教活動とは、まず正しい教えを広めることこそが一番大切なことなのではないですか?
そう考えると、
>布教活動を活発にしている教会は人も集まるし経済的にも豊か。布教をまったくしない教会は衰退の一途。
という考え方あり方こそが、そもそも本当に正しい教えなのか、正しい信仰のあり方なのか、
と考えさせられます。
かな子 様
教団本部は櫟本分署跡保存会をぶっ壊すことに執念を挙げています。
教祖が最後のご苦労で、寒い中にも拘わらず冷水まで浴びせられる拷問を受けられた場所ですよ。余のような大切な場所を「理」が無いとかの屁理屈を付けてまで跡形も無きようにしようとしている教団本部を信用することが出来ますか。
一度、保存会を訪ねてみてください。いろいろな資料が保存されています。その一つ一つが教団にとって都合の悪いことばかりなのです。
質問させて下さい。
今回の表統領の発言も含めて
なにが正しい天理教なのでしょうか。
みなさんいろんな議論をしていますが
おふでさき、おさしず、教典、伝え聞いた話等
すべて信じてよいのでしょうか。
私は最近この宗教はもともと中山家がお金を集める為に
はじめた宗教なんじゃないかと思っています。
そう思うと今の天理教がしていることがすべてつじつまが合い
納得できます。
天皇ごっこ、殿様ごっこがしたかったのではないでしょうか。
匿名 様
2017年6月1日 1:14 PM
仰る通りですよ。世界ろくぢにふみならすを謳う宗教がこともあろうに、今は亡き三代さんの奥方に皇室の女性をと画策した二代さん。週刊誌に暴かれてアタフタとこの話はなかったことにしようと腐心した教団。
信者が困ろうが意に介さずおカネ集めに執心する姿に宗教の宗の字の欠片も見えません。
匿名 2017年6月1日 1:14 PM 様
匿名様の仰る通り、「お尽くしは命のつなぎ」と発表する表統領さん(美人局強迫事件の噂付き)や、両統領関与による大教会乗っ取り事件などの投稿記事を目にしてますと、あまりに情けない実態が透けてみえますが、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺もありますが、そもそも「最初から、これだけのものだった」のか、という疑問も湧いてきますね。
啓示者などを、異端者と呼んで追い出してきたのも、自分達の権力が、本席様やナライトさんから半ば強奪した形で手にした脆い基盤の上に拠って立っている、という不安、自信の無さから、脅威を感じる天啓者は異端と呼んで、邪魔者を必死に追い出して来た歴史なのだとすると、「宗教法人天理教」に本当に宗教的な価値や、人を救う力があるのかと、疑問も湧きます。
匿名様。
>「宗教法人天理教」に本当に宗教的な価値や、人を救う力があるのかと、疑問も湧きます。
それは、ないです。
何故か、天理教に入っても助かる人と助からない人がいるからです。全員助けてこそ、その能力があると言えます。
助かった人は、それぞれの個人が持っている、力と能力です。
末端で、本当に神を追い求めて信仰されている方もありますが、教団上層部は、自分の立場の安泰と金儲けしか考えていません。
天理教を信仰するのではなく、神、教祖、真実を信仰するしかありません。
匿名 2017年6月1日 1:14 PM さま
>私は最近この宗教はもともと中山家がお金を集める為にはじめた宗教なんじゃないかと思っています。
教祖様は「こうをつくれ」と仰ってましたが、「教会を作れ」とは言っていません。
教祖様は「信心しなさい」と仰ってましたが、「宗教活動をしなさい」とは言ってません。
これは、当時の明治政府が推し進めていた、天皇が神であるという「三条の教則」を国民に周知徹底させることが「教会」や「宗教」の役割であり、これに逆らう教祖様の教えは、弾圧され処罰される対象だったという歴史的な事実があります。
教会本部側は、何度も拘禁される教祖様の身を案じて「隠れ蓑」として「教会設立」を進めたと伝えていますが、その中で信者を集め教えていたことは、明治政府が推奨する三条の教則が入り混じり、教祖様の教えが歪められ、嘘や捏造が多く含まれてしまった事も否定できないでしょう。
明治政府の勧める三条の教則は国家の力を天皇に結集させる為に行われている政策ですから、これを取り入れることは、上層部(中山家)にとって富と権力を得やすい内容であり、我欲にまみれた人間にはこれ程都合の良いものはありません。
終戦までの60年の間にその「上層部に都合のいい教え」にどっぷり浸かった天理教上層部は、終戦後もその方針や教義を修正することができず(復元の失敗)、現在では、その歪んだ内容が多くの末端教会や信者を苦しませている、騙したままで続けている状態が、今の天理教全体の構造だと言えます。
自浄作用の存在しない組織は、その内部ではどんな理不尽なことも常識ハズレな事でも通用してしまいますし、昭和の頃の「某学会」のような「他宗教潰し」を画策したり方針にあげる団体もない現在、教祖様の教えに帰ることの出来ない天理教は、ゆっくりと消滅の方向に向かうだけのような気がします。
質問に答えて頂き誠にありがとうございます。
古い教会長様の
>天理教を信仰するのではなく、神、教祖、真実を信仰するしかありません。
末端教会子弟様の
>教祖様は「こうをつくれ」と仰ってましたが、「教会を作れ」とは言っていません。
教祖様は「信心しなさい」と仰ってましたが、「宗教活動をしなさい」とは言ってません。
お二人の考えのように教団、組織は間違っているが教祖の教えは正しいと考えている方が多いのですね。
私は教祖、中山みきも本当はどうだったのかと思っています。
教団のやっている事を見ないで教えだけを見れば良い事言ってるのになと思いますが
言ってる人達を見てると、どの口が言ってんのお供えほしいだけでしょと思ってしまいます。
すばらしいと言われる天理教の人もいますが、私の中ではお供えを1円でも貰った時点でアウトと思っています。
亮氏の弟の海外留学などの件です
残念な気持ちになられた方々のお気持ち、お察しまします。
致し方ない事ともと思います。
私の母方の祖父母(かつて会社経営)は、大教会の娘三人(嫁ぎ先は大教会、政治家、大教会の次男?)それぞれに振り袖や海外旅行、多額の結婚祝いをプレゼントしてました。
私は実孫の私達に当然その振り袖がお下がりしてくると思ってました。
それは大間違いで、大教会から実孫達に「成人式に着ますか?」という打診もなく、祖父母は私達に買ってもくれませんでした。
実孫達より大教会の娘達が優先なんだ~違和感を持ちました。
しかしながら、彼らの稼いだお金をどう使うかは自由なのだと思い至りました。
こんな風に大教会の子供達に色々と援助したい信者もいるんですよ。
中田家にも、どなたかがお金を負担してるかもしれませんよ~
匿名 さま
>教団のやっている事を見ないで教えだけを見れば良い事言ってるのになと思います
私は、今の教団内で語られている、矛盾とオカルトだらけの教祖像、教祖様の教えを歪めて上層部に都合のいいように解釈や利用して使われている教義を見て、「良い事言っている」なんて微塵も思っていませんよ。
逆に、「どこが良いと思って天理教やってるの?」と訊きたいくらいです。
>私の中ではお供えを1円でも貰った時点でアウトと思っています。
この考えは潔癖で素晴らしいと思います。
でも現実にこれを突き詰めていくと、世の中すべての団体や法人がアウトになってしまいます。
ボランティア団体だって活動にお金は必要だし、一般の会社だって従業員に給料を払っていますがそれ以上に労働させているのですから。
ただ、この矛盾を突き詰めて考えていくと、教祖様の教えてくれた「みかぐらうた」の世界をひも解く切っ掛けになると思いますので、その精神を忘れずに思案を続けて頂きたいと思います。
匿名様。
>私の母方の祖父母(かつて会社経営)は、大教会の娘三人(嫁ぎ先は大教会、政治家、大教会の次男?)それぞれに振り袖や海外旅行、多額の結婚祝いをプレゼントしてました。
大教会や上級は、当然として受け取っています。「有難い、助かった、こんどお返ししなければ。」という考えは微塵もありません。
あなたは神様からご守護を頂いて下さい。というスタンスです。
>中田家にも、どなたかがお金を負担してるかもしれませんよ~
今のご時世、そんな信者さんは居ないでしょうね。
もちろん、本人の金でも無いでしょう。
本部のいちれつ会か、本部のどこかの金を持って来ているのでしょう。
本部の一部には、そんな特別なシステムが有るのかも。
もし、親の金だったら、そんな遊びほうけたような事は出来ないはずです。
親も注意をするでしょう。
それとも、それぐらいの金は、屁でも無いという位、親が貯めこんでいるのでしょうかね。
2017年6月2日 7:56 PM 匿名様
>実孫達より大教会の娘達が優先なんだ~違和感を持ちました。
>しかしながら、彼らの稼いだお金をどう使うかは自由なのだと思い至りました。
>こんな風に大教会の子供達に色々と援助したい信者もいるんですよ。
>中田家にも、どなたかがお金を負担してるかもしれませんよ~
こういった方々が、上層部優先で、進んでお金を負担されるのは、
具体的には、どういう理由からなのでしょうか?
又は、どういう理由が考えられますでしょうか?
↑は、ただただ嬉しいという自己満足でしょう。
自分が選んだ人(幼い頃からかわいがった)に与えることが喜びなのです。
貢ぎたいのです。
祖父母にとって天理教の信仰は、幸せの源のようです。神様にもたれてるから、全く不安がないようです。ありがたいなぁ、結構やなぁばかり。
実際、彼らは非常に幸せな人生を送ってます。
祖父母は、孫達に大教会の子供達への援助の件を一切一言も話しませんでした。
府に落ちてない親戚がこぼすから色々と露見しただけです。
まわりの信者さん達は、大教会が娘達それぞれに豪華な振り袖を買って…と誤解して眉をひそめてたかもしれません。
国産高級車は、別の方がお供えされてました。
ちなみに、今、その大教会は現会長夫婦と一人息子+離婚後行き場のない中年男性一人しか暮らしてません。非常にさびれてます。
教会の子供達が大人になって信仰してないことが判明したそうです。
110周年式典の翌週に、分教会子弟が大教会に集まっておつとめするそうです。
私のような一般信者は、二週連続で遠方の大教会なんかに行けませんよ。
もはや誰だかわからない人達との交流にも無理があります。
そもそも大教会の成功した親族(オリエンタルランド元重役など)ですら実家の大教会に来ないのに、私達に繋がれというのは本末転倒です。
ちなみに私は神様祭ってマシな人らしい。
先程の投稿で名前を入れ忘れました。
末端教会子弟様
私の言ってる良い事とは
人を助けなさい的な事です。理とか徳積とかのお金集めのカルト的な話は私も大嫌いです。
>私の中ではお供えを1円でも貰った時点でアウトと思っています。
この考えは潔癖で素晴らしいと思います。
でも現実にこれを突き詰めていくと、世の中すべての団体や法人がアウトになってしまいます。
私は天理教は仕事ではないので天理教をしたい人達も仕事をして給料を貰い、その中で時間を作り給料の中で出来る活動をするべきと思ってます。
同じ宗教をしてる者同志で金を出す側とそれで生活する側がいる事がおかしいと思います。
こやま様
ありがとうございました。
確かに、傍から見てどうであれ、自分のお金を何に使うかは自由ですね。
信じているものにお金を使い、そして自分を幸せにすることが出来たなら
決して無駄とは思われませんね。
祖父母様がお幸せな人生を歩まれたことは心から、なによりのことだったと思います。
一方、偏らない裏表の様々な情報、現実を知ることが出来てしまう現代において、
「お金を出す(お供え)」という行為に対して、手放しで喜んでさせていただきたい、
とは思えない人が多く出てきています。
そういった場合には、自分のお金を何に使うかの自由があるのと同様、
お金を使わない(お供えをしない)という自由も当然あると思うので、
自分は心からそうしたいのか、そうすることが幸せなのかをしっかり見極めて、
自分や周りが幸せになると思われるあり方を選択するのがいいのでしょうね。
2017年6月3日 10:43 AM 匿名様
>同じ宗教をしてる者同志で金を出す側とそれで生活する側がいる事がおかしいと思います。
一列兄弟の考え方からすると、本当にその通りだと共感いたします。
お金の流れだけではなく、厳しく明確な上下関係を作っていることも、今の組織のあり方を
見ていると何の為になのかとの疑問を感じます。
様々な職業、様々な地域、立場の人たちが、心を磨く為に、(明朗会計で)必要経費を
出し合って、変な上下関係を排除し、共に相手を尊重尊敬し合い、必要な役割分担を順番で
担い合って、勉強会(講)を開くなどして助け合った方が、多くの人が幸せになれるのでは
ないのだろうかと思えるのですが。
>一列兄弟の考え方からすると、本当にその通りだと共感いたします。
お金の流れだけではなく、厳しく明確な上下関係を作っていることも、今の組織のあり方を
見ていると何の為になのかとの疑問を感じます。
理が違う、徳がある、魂が良い
本部員や会長達がよく使う言葉です。信者の金で生活してるくせに偉そうに
それでいて本当に良い事していると思っている。勘違いするな裸の王様達よ
あくまでも教会の責任役員であって、お供えも教会の建物も教会家族の物ではない
高級車のってブクブク太ってタバコ吸って酒飲んで自分達は陽気暮らしのつもり。
信者は疲れているぞ、月次祭、お供え、年祭、何周年記念、きりがない、日曜日の行事、
みんな仕事して疲れている、自分達は日曜の行事の後休めるからいいかしらんが
教団本部は、「お供えは命の繋ぎ」と言っているが、では、いったい年間如何ほどの金額が必要なのかを全信者に披歴すればいい。これこれの金額が不足しています。しっかりとお供えに励んでくださいと云えばいい。
そのためにも、根拠となる貸借対照表くらい公表してから云うべきだ。というより作製して公表する能力も持ち合わせていないのではないか。貸借対照表を作るのって結構難しいよ。
とにかく、今のようなどんぶり勘定でお供えを要求しても、余程のお人よしでもない限りハイそうですかと一つ返事でお供えをする人は、そうざらにはいないでしょう。今時、買い物の際にレジから打ち出してくる金額を1円でもおまけしてくれるところはありませんよ。
そろそろ、さもしい根性は捨ててください、と言いたい。
天理教の新聞「天理時報 立教180年(平成29年/2017年)6月4日号の一面に、
「中山大亮様と上川布恵様 9月1日午前10時 教祖殿で挙式」
「御成婚慶びの集い 10月26日夕づとめ後」と出ているが、
実父中田善亮表統領の醜態や悪事をしっかり清算してからの方が良いのではないか。
美人局(つつもたせ/ハニートラップ)にハメられて金をゆすられ、兄である真柱にはとても言えないので、妻の伯父に頼んで神奈川教区やその各支部に依頼して3000万円を調達させたり(現在もゆすられていてお金を渡しているとすれば、「お供えは命の繋ぎ」発言での集金号令や、法人を乗っ取ってその資金にしようという彼の悪辣な思惑と合致する。裏会計絶対つくってるよね 笑)、もうやりたい放題ですけど、結婚できても、その後に実父や、指示されて乗っ取りを実行した取り巻きたちが摘発、検挙、逮捕とかなったら、真柱をはじめ、大亮氏も危うい事になりますよね。
まあそれは教会本部組織の終焉を告げる出来事になるとは思いますが…。
宗教法人天理教との、包括・被包括関係の解消の過程を克明に綴っていて、文学的にも評価されるべき作品(ブログ)ではないかと思います。
私も、同様の手続きを進めていますが、この描写力は凄いですよ!私はここまでの感性をもって表現はできません。
真剣に、本部との関係解消をお考えの方、本当に勉強になりますよ。
是非々々ご一読ください!
みかぐらうた研究
http://mikagurauta.grupo.jp/
包括・被包括関係解消 様
いや、あの、掲示板の管理人さんにしても、取り上げて頂けるのは嬉しいのですが、そんなにハードルを上げられると今後の記事を書くのがキツクなります(笑)。
教会関係者の方には一つの手段・情報として、ようぼくや信者の方には教会制度の実態を知る切っ掛けにでもして頂ければと考えています。気軽にコメントでも質問でも寄せて頂けたら励みになりますので宜しくお願いします。
末端教会子弟様
見事な文章力で、貴方様、御家族、大教会役員の心の流れを描かれていると思います。そしてそれ以上に、その行間に暖かな家族の愛、両親との絆、葛藤が見て取れます。いい御家族ですね。大教会役員の方々はブラック企業の中間管理職の様な立場で、ある意味気の毒に思えます。企業からベテラン社員が辞めるのをくい止めるのは、職場改革、福利厚生の充実等でしょうけども、一度やめる決心をした者は引き留めるのが難しい、という事は、古今東西の真実だろうと思います。天理教が戦後一時期成功した、集金ビジネスモデルが崩壊してゆくのは、貴方様の様な事情を抱えたあまたの教会の人々が、関係解消に動くときに一気に加速するのでしょう。金の卵を産むガチョウが、逃げていく理由の大きな要因の一つに、「自分は頑張れるかもしれないが、家族の苦しむ姿は見たくない」という家族愛に苦しむ姿に天理教は気づくべきです。(私は、幼いころ虐待死寸前のところまで行きましたので、貴方様の様ないい御家族を見るとうれしい様な、暖かい気持ちになれます。ご報告有難う御座います。)
大教会長は世襲制ですか?
<yahoo知恵袋より>
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1062586740
nkt1133さん 2011/5/1823:39:04
天理教の大教会の教会長は世襲制ですか?真の親よりも導きの親を重要視する宗教なので、教会長は実の子供が無能な場合、信頼がおける弟子にその職を後継するのが適切だと思いますが。
ベストアンサーに選ばれた回答
kanon1009jpさん 2011/5/2311:22:20
ほとんどは世襲制です。
その資質も無いのに、子供の頃から「お坊ちゃま」などと
ちやほやされて育ち、大教会長襲名したら
信者さんのお供えで、贅沢三昧!! 独裁!!
この人は、教会本部からやめさせられました。
末端の教会などは「お供え!お供え!」と言われて
とても貧乏しています。
現状は人助けより、お金集めの団体と化しています。
昭和11年に、管長(真柱)の所得が70余万円。
当時の100円は現在の170000円。
約12億円の所得だったとは、驚きだ。
昭和11年大阪都民新聞社『社会科学から見た新興宗教の暴露』
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097310
これでは金銭感覚がマヒしても仕方ないですね。若江の家と言い贅沢三昧の生涯だったとは宗教家にあるまじき実態です。
昭和11年と言えば母は未だ結婚していなくて、別科生だったと思います。ある大教会の詰所で餅つきをしている写真が残っています。母の残している手記によれば、信仰心に燃えて、今でいうハリキッテいたころです。でも、その学費は女中奉公をして貯めたものだったようです。
当時の母がこの実態を知っていたならば、信仰心も変わっていたのかどうか。亡き母に聞くすべもありません。
どうか皆さん、決してマインドコントロールされないように注意してください。今の天理教もそんなに変わっているとは思えませんから。むしろ、より悪くなっているかのもしれませんから。
そりゃあそれだけ稼げたら、本気で職業宗教家になってもいいかも。
>そりゃあそれだけ稼げたら、本気で職業宗教家になってもいいかも。
⇒そりゃあそれだけ稼いだら、本気で職業宗教家になっているかも。
当時、日本人口の1割以上が天理教信者と言われ、国家予算規模のお金(全てが中山家に集まる訳ではないでしょうけど)が動く組織のトップですから、その報酬として多いか少ないかの議論は難しいところでしょうが・・・。
自ら望んでその収入を得たのか、それとも周囲の親戚連合に財政や運営を乗っ取られて贅沢三昧・放蕩三昧・色三昧の生活をあてがわれ、結果、教義が骨抜きにされたのか、興味は尽きません。
現在の教団組織の在り方・・・
< Yahoo知恵袋より。>
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12161314612
ID非公開さん 2016/7/600:41:52
天理教分教会長です。
現在の教団組織の在り方に対する矛盾、教祖の教えからかけ離れてしまっている現教団への嫌悪。
知れば知るほど「天理教」から心が離れてしまいました。
(お供え競争、形や数字に力点を置いて、上層部の自己満足に振り回されています。親様不在です。)
あれこれ本を読み、現在の教えがいかに都合よく書き換えられているかを知るにつけ、会長としての朝晩のおつとめが苦痛でしかたなくなりました。(おつとめが大事なのは知っているのですが。)
信者は数名しかおらず、朝晩の参拝者はゼロです。心が折れてしまってここ数か月、おつとめはストップしたまま。その事実は伏せて、かろうじて月次祭のみ実施しています。
こんなおつとめが出来ない自分に対して、日々罪悪感にさいなまれております。
自分の心に正直に生きようとすれば、もう「おつとめ」は出来ない自分がいるのです。(教えは大好きです。あれこれ本を読み一人で親様の教えを求めています。)
教団に対し忠誠心も無く、当たり前の事が出来ない人間が会長職にとどまっていても良いでしょうか?自宅なので、出ていく所もありません。義務が果たせない自分を本気で責めだすと心を病みそうな気がします。
どなたかご助言をお願いいたします。
ベストアンサーに選ばれた回答
nozonotamagoさん 2016/7/613:50:21
あれこれ本を読み一人で親様の教えを求めていると書いてますね。
おやさまの教え、一つでも理解できましたか?
教会のやり方はそれぞれありますがおやさまの教えは変わりませんよ。
あなたは天理教を信仰していますか?それとも教会を信仰していますか?
どこも同じように上級の教会を信仰しているところが多いと思いますね。
お供えの多さが理の重さ、理の親に逆らえば罰が当たる。
それが当たり前のようになっているところもありますよね。
でもそんなこと、おやさまは一言も言っていません。
うちの会長は仕事しながらの兼務です。どちらかといえば仕事優先でしょうか。
月次祭と本部に行く時だけ休みをもらっていますが、大教会の行事等は日曜日が重ならない限り行くことはありません。
上級の教会とは10数年前に絶縁状態で、順序参拝以外行くこともありません。
なぜかって?その上級は勘違いの殿様になりきっているからです。
上級ともめたとき、大教会長が間に入って話をしましたが、当然のように上級の肩を持ちこちらに折れるよう言ってきました。末端の教会より大事なのは上級だし、その上級も大教会の犬みたいな存在だったからね。組織とは恐ろしいものです。
それに怒った会長が真柱さまに事の流れを手紙に書き送りつけたんです。
真柱様の行動は早かったですよ。1週間もしないうちに大教会長が謝りに来ましたもん。
それから大教会公認の絶縁となったわけです♪
親神様は「陽気ぐらし」を見てともに楽しみたいと言われています。
それは教会を任された人にも言えること。
自身が陽気ぐらしができなくて人を陽気にできますか?
お供えに追われ生活を切り詰めて強盗や自己破産する教会長も珍しくありません。
「陽気ぐらし」とは決して好き勝手するという意味ではありませんが、心のゆとりは大事です。
貴方が何代目の会長になられるのか知りませんが、続いてきた家業を絶やさずに次へとつなげていくのは宗教に限らず色んな職種の方がやられています。
今一度、本来の天理教の信仰を見つめなおしてみてください。
教会組織の信仰ではなくおやさまの教えに沿った信仰です。
うちの教会ももう数年すれば信者が・・・今の会長の兄弟だけになるでしょう。
月次祭の手も半分しかいません。
お供えもほとんどないので大教会にもお供えはできないけど、本部には毎月させてもらってます。
会長は仕事をしているので食べていくには困りません。
朝晩のおつとめもしています。
教区や支部、大教会の行事等できないことは多いですが、最低限できる範囲でのことはやってます。
上級からも縛られてない(お供えのノルマもない)自由な形でやっています。
なので貴方もできる範囲で自分流の流れをつかんでみてください。
ちなみに・・・・
教会費だけを本部に収め教会として登録したまま教会活動を一切していないところもあります。
質問した人からのコメント 2016/7/6 18:15:53
丁寧なお返事を有難うございました。
矛盾の一つは上級信仰です。私が上級に矛盾点を発言すると、周りから制止される体制です。自教会の信者さんからも注意される始末です。みな黙って従う事が信仰だと信じておられます。
今回、NOZONOTAMAGO様の教会の様子を知り、心強く思いました。自分の信念を曲げず、教会信仰ではなく、信仰の本質に迫り、親様を慕って信仰していきたいと思います。有難うございました。
すみません。
どなたか「みちのとも 6月号」をお持ちの方はいらっしゃいませんか?
その中に「被包括関係を廃止した教会」の情報が載っているらしいのですが、記事の内容を教えて下さい。
(残念ながら、私の実家の教会ではありませんが。)
末端教会子弟 様。
ー告ー
法人の所在地 ・・・・・
法人名 ・・・・・
代表役員名 ・・・・
責任役員名 ・・・・
責任役員名 ・・・・
右法人は、今般、宗教法人天理教から離脱し、宗教法人天理教とは関係のない宗教団体となったことにより、今後は、右法人はもちろん、右法人の代表役員、責任役員並びに今後とも右法人と行動を共にする信者は、右法人が宗教法人天理教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はもとより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失したのでこの旨公告する。
平成二十九年四月二十五日
宗教法人天理教代表役員 中 田 善 亮
この 告 なるものを みちのともで時々見ますけど、
掲載する意味があるのでしょうか?
みせしめのつもりなのでしょうか?
教団幹部連中の傲慢かつ無慈悲な体質を表す告示だとつくづく思う。
「宗教法人天理教と被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益」
ってなんですか?
末端教会は1円たりとも給料はもらっておらず、むしろお供えをして教団を支え、
様々な教費を払っているんですよ。
享受していた利益ってなんですか?本部さん、教えてくれません?
もう詰所を使わせない?笑
いい大人が陰険なイジメですか?笑
法律上、被包括関係を廃止しただけで、
「貧に落ちきってこれまで教団に尽くしてきてた方々」に対して
おやさまがそんなみみっちい無慈悲なことを言うでしょうか?
金持ちの我がままな子供がケンカに負けて
「もうこのおもちゃ貸してあげないからねー あかんべー」と言っている図
が頭に浮かぶのは私だけでしょうか?大失笑
ほんとに情けない。呆れるほど恥ずかしい。
これが世界だすけを標榜する教団のやることでしょうか?
教団幹部連中の傲慢かつ無慈悲な体質を表す告示だと改めてつくづく思う。
古い教会長 様
転載有難うございます。
>被包括関係にあった当時有していた権利及び享受していたすべての利益はもとより、信者として詰所を利用する利益など一切を喪失した
この文言からすると、信者詰所というのは大教会の所有ではなく、本部の所有なのではないかと思えるのですが・・・。特に「おやさと館〇〇号」なんて呼ばれている(もしかして全部?)所は。
あるいは、全国の大教会の土地建物全て本部の名義になってるとか・・・。
それなら、大教会にも「出入り禁止」と言われる理由が分かります。
末端教会育ち 様
見せしめでもあり、腐ったミカンは早々に棄てるという意味もあるかと・・・。
おっしゃる通り、法律上の被包括関係を廃止しただけですから人間関係とは別のことなのですが、この告知一つで大教会や系列分教会の態度が一変し人間関係が全てなくなります。
こうして、たまに一つ二つが離脱したところで本部には痛くも痒くもないのでしょう。
一度に100とか200が離脱しないと、本部は真剣に考えないかもしれません。
5月27日、天理教表統領室 調査情報課が
「第9回 教勢調査―集計結果報告(全教)―」
を発表した。
【調査概要】
調査日 立教179年(平成28年/2016年)12月31日
調査対象教会 16,669 ヶ所 (17,126 ヶ所)
〔※()内は、10年前の第8回教勢調査の集計〕
提出教会数 16,522 ヶ所 (16,922 ヶ所)
提出率 99.12% (98.81%)
【集計結果】
信者総数 941,299 人 (1,216,137 人)
ようぼく数 648,005 人 (812,695 人)
ようぼくでない信者数 293,294 人 (403,442 人)
取り急ぎ、ご報告までに。
末端教会子弟 様
一つのおやさと館に複数の詰所が入っている所は、経費の節減のために詰所間で交互に風呂を焚くなど涙ぐましい努力をされているとか5月24日に天理へ行ったときに知人から聞きました。
一層のこと館入居の詰所だけでなく、近隣の詰所間でも話し合いで同様のことをされては如何ですか。
最も公衆衛生上問題がないか心配ですが。
それにしまして、第9回教勢調査さんの投稿された数値が教勢の劣化を如実に示していますね。このようぼく数の中に私も入っているのかと思うと失礼ですが笑っちゃいます。
教団は今一度教義について、真柱はじめ全教のそれぞれの立場の教徒が一丸となって談じ合いをするべき時ですね。神殿教話や月次祭後の教話など不要だということに何故気付かないのでしょう。
特に春秋大祭後の真柱の訓話なんか不要なものの最たるものだと思っている。
この場を始めいろいろな情報を見聞きして、天理教に対する感覚が、驚くべきことから恐ろしいことへと変化しつつあることです。
大教会長の教話の中で一番腹の立った内容は、信仰力が足りないから子供が出来なかった夫婦のことを話した時だ。では、四代真柱はどうだというのだ。これを見ているのであれば、大教会長は是非、反論してください。待っています。
末端教会育ち 様
全く同感ですよ。私などは怒りを通りこして、ばかばかしくて笑ってしまいます。
たしか前回までは離脱も社会的犯罪もすべて「懲戒」だったのが今回は「告」になっていましたね。
コトバンクによると
懲戒:不正または不当な行為に対して制裁を加えるなどして、こらしめること。
告:つげる。知らせる。
とあります。本部の重鎮の中にも多少常識をわきまえる方がいるらしく、さすがに「懲らしめる」はまずかろうということで今回の大英断?になったのかと想像します。
もし教団が懲戒、または告希望者を募ってくれたら本来の教えから全く逸脱したこの教団に属していても信仰的に何のメリットもないので真っ先に応募したいですね。
再度の投稿ごめんなさい。
教団本部へ
何も詰所を利用しなくても、月々の?万円のお供えを止めれば、近くのホテルに宿泊すればいいだけのこと。
奈良市内に行けば、いいホテルが安価でありますよ。ゆっくりと眠れるし快適です。
そもそも、再々天理に行くことも無い。せいぜい年に3回行くだけ。それも知人に会いに行くだけ。教祖墓地に参拝するが、三殿はパス。
散々尽くしてくれた教会をニベも無く切り捨てる非常極まりない教団本部。長い間ご苦労様でしたくらい云えばと思う。江戸幕府のお家取りつぶしに準ずる行為。自分たちが間違っていることに気付かずに何というハレンチ行為。
それでなくても、詰所の明かりが少ないと嘆いた三代さん。一人でも多くの人が利用してくれればとの思いにも天に唾するのと同じに見えてきた。詰所の運営に四苦八苦している多くの教会の現状に目をつむる教団本部。足元が揺らいでいることに早く気付くべきだ。
>この文言からすると、信者詰所というのは大教会の所有ではなく、本部の所有なのではないかと思えるのですが・・・。特に「おやさと館〇〇号」なんて呼ばれている(もしかして全部?)所は。
あるいは、全国の大教会の土地建物全て本部の名義になってるとか・・・。
詰所の普請をした時、我々の詰所の建築だと思って、信者さんにもお願いして、考えられない位のお供えをしました。
竣工式の日の挨拶で、「この建物は、一旦、本部にお供えして、改めて使用の許可を頂きました。」と言われました。
こんなシステムは、その日まで知らされていない事実でした。
だから、増改築をする時に、本部のお許しがいるシステムです。勝手に触る事は出来ません。
某・FBの投稿コメントです。
ある教会は、教会の住み込みをしてた人にまでノルマのお供えを強要していたようです。
そのご夫婦は住み込みなのでお金を払えるわけもなく、借金に借金を重ねて夜逃げをされ、遠い地で細々と始めたラーメン屋さんで生計をたてたとか。
そのご夫婦はそこまでされた教会を恨むこともなく、おやさまを一筋にお慕いしていたようです。
もぅ50年も昔の話です。実家の上級も自教会の上級もお金信仰です。
お供えの多さが徳の多さであり、真実の多さでもあるって考えなので、お供えを多くすると教会の筆頭役員にでもなれるのです。
昔からの役員はお供えができなくなったら外されます。
理とかないですね(´°ω°)チーン
>「この建物は、一旦、本部にお供えして、改めて使用の許可を頂きました。」と言われました。
>こんなシステムは、その日まで知らされていない事実でした。
>だから、増改築をする時に、本部のお許しがいるシステムです。勝手に触る事は出来ません。
やはりそうでしたか。
一般社会ではアパートでも賃貸マンションでも建物の修築はオーナーの責任なんですけど、どうして私の所属する大教会は「詰所修築ひのきしん」と称して信者さんからお金を集めてるんでしょう?
当教会は集めてませんけど。
某・FBのコメントです。
うちの会二代長は信者さんのお供えを会長が好きに使ってもいいという勘違いをしている人でした。大教会の仲の良い会長さんを自腹(信者さんのお供えなのですが)で北海道旅行に連れて行ったり、近所のスナックに飲みに行ったり、大教会にはいつも飛行機は当たり前でした。
でも、会長らしい事は全くしない人で、おたすけ・においがけに歩く事は全く無く、いつ行っても座ってテレビを見ておられました。息子さんが住み込んでいた信者さんには、教会で世話してやっているから、もっとお供えを出せと要求するし…餅を喉に詰まらせた時、その青年さんに助けられたのに、恩は感じていない、教会長としてより人間としてどうなんだという会長でした。
そんな会長だから、信者さんも次々離れて行き、教勢もどんどん落ちて行き、最後の方は大教会も飛行機ではなく夜行バスでした。教勢は現在も回復していません。就任時にこの人だけはやめて欲しいと、信者さんが団体で大教会長様に直訴したのですが、聞いてもらえなかったみたいです。(その頃は私はまだ他系統だったので、主人から聞きました)
二代会長は病院で出直されましたが、入院前は認知症で会長の職務が出来る状態ではありませんでした。最後まで信者に迷惑をかける会長でした。
↑上記のような所の会長は、裕福なお寺の感覚でしょう。
約10年前に私が受けた講習の講師は、確か更立分教会長(本部直属?)と言ってました。
大島紬の着物とハットで演壇に現れ「家内が用意してくれた大島です」「一流の人達に請われて、私がリーダーで一流の旅行をしてます」「一流の人達が朝席をしてくれと頼んでくるんです」
自分の交遊関係についての自慢話に辟易。
隣の席に座った方と共に鼻白む数日間でした。
まさにお寺の生臭坊主という印象。
そして、元公務員の信者が、定年退職後に統合失調症を煩い教会に住込むようになり、年金全額をお供えしてるという話も違和感たっぷり。
彼女の親族は全く教会に来ない、うちに預けっぱなしとか不平をブツブツ言ってました。
その方は公務員年金を全額提供してる訳ですし、親族は教会に対価を支払って、入院させてる感覚なんだろうなと思いました。
公務員年金は、国民年金とは額が違います。
私の実家にも統合失調症の人がいましたので、色々大変なのは理解できますが、大島紬で気取ってる彼が日常的に世話を焼いてる姿は想像できませんでした。
今までの来し方を振り返ってみると、家が天理教を信仰してきたから、こうなった。本部の中枢にあんな奴がいるから、こうなった。おやさまの教えを曲げて組織を運営している奴がいるから、こうなった。一生懸命、お金のない中を、これでたすかると思い御供をしてきたけど、こうなった。信じてきた結果、こうなった。このような思いを天理の教えでは、不足とか、たんのうができていない、とか言われますよね。教会長夫妻が、金の亡者で、御供を全部私利私欲に遣ってしまい、結局、教勢は衰退し、誰も教会に参拝しない状態に陥った。教会長のせいで、教会長夫人のせいで、大教会長のせいで、上級教会のせいで、本部のせいで、真柱のせいで、両統領のせいで、本部の中枢のせいで、今の自分はこうなった。すべては自分以外のせいで、こうなった。自分はもっといい環境で育っていたら、もっと良い教会の信者であったなら、もっと本部が親心をかけてくれていたら、もっと教会がおやさまの教えにそって導いてくれていたら。。。。。本部の息子は信者の真実の御供を海外留学に遣い、好き放題、自由な学生生活を満喫している。自分らは、俺なんか、私なんか。。。。 比べてしまいますよね。。。
組織の将来を案じているから、これからの道の将来を思っての示唆だから、こんな事では天理教が潰れてしまうから、間違った本部の状況を早く修復しないといけないから、間違いを糺さないといけないから。。。
この掲示板に書かれに来られている方々のご心情を察しますと、大変な思い、苦労をされて、物やお金のない中を一所懸命頑張って通って来られて、今、毎日を必死に生きておられるのがよくわかりますし、こんな上からのような事を書きだしますと、また反論を頂いたりもするのもよく理解しておりますので、それはそれで構わないのですが、、、。
皆さんの思いは、現在の天理教という組織はおやさまの教えから逸脱しており、おやさまの教えに沿った生き方をするように望むという事ではないかな?とも思いますし、それを早く周りの人々にも知らしめたいという思いももっておられるように感じています。
おやさまの教えに沿った生き方とは、いかなる生き方なのかな?と考えます。
2017.6.13 6:41PMの匿名 様
>おやさまの教えに沿った生き方とは、いかなる生き方なのかな?と考えます。
それが分からないのです。分かったようで分からないムズムズ感のようなものですね。確かなことは、教団本部は何かを隠しています。
既にご存知のことと思いますが、一例を書きますと、教祖の娘「こかんさん」は浪速の町へ神名流しに行ったという教団と。あれは教祖の長男秀司さんが借金をこさえて、その返済にこかんさんが浪速の町へ返済に行ったという人が居るのです。
借金の返済に行ったと言っている人が、教団を訴えた裁判で勝訴していますので、一般的には、この説が正しいと思うのですが、教団は認めていないのでしょう。とすれば、教団は何故裁判で反論しなかったのでしょうか。
私の想像ですが、教団が控訴をして裁判が延々と続けば、教団にとって不利な証言が次々と暴露されることを恐れて控訴をしなかったのかなと思っています。
更には、審理を通じて史料集成部の開示を求めらるような事態になれば、教団にとっては、正に晴天の霹靂となるような出来事になるでしょうから。
そもそも、宗教が秘匿しなければならない事柄とは何なんでしょうか。
某・FBの投稿記事より。
私は天理教に憤慨し、布教所を解散、神実様をお返ししました。
〇〇分教会二代会長様が出直した時や、三代会長様の就任報告祭も無視しました。
天理教はお供えした時だけニコニコして、事情なんてお供えお供えの連呼で何も考えてないじゃないか!?
と思案し、お道から遠退きました。
天理教撲滅運動や被害者の会にも所属しました。
さんざんやり合いました。
不思議なのは、私を天理教の人間だと知り、いろいろ自教会では言えない天理教の悩みや疑問等を質問しにいろいろなお道の信者さん達が私の職場に訪ねて来られた事です。
ビックリするような内容もありました。
教会のお供えがきつくて、
お供え出来なければ風俗で働け。と言って娘さんに脅迫まがいな教会長もいましたし、教会の神殿普請で強引に一家数百万円もお供えしろ。出来なければ神実様を取り上げる。
と考えられない内容ばかりでした。
そこで悟った事は私意外でも私以上にお道に悩んでいる人達が沢山いることに気がつきました。
私は何とおろかだったことか…。
一時的に離れた事で良い勉強になりました。
いまだにわたしを許してくれない先生方がたくさんおられますが、お道を精進しようと思います。
今後もご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。m(__)m
>いまだにわたしを許してくれない先生方がたくさんおられますが、お道を精進しようと思います。
某・FBの投稿者様は、先生方に対し、何か許されない様なとんでもない迷惑を掛けてしまった訳でもなく、
教団に疑問を持った末に離れる決意をし、自身の信念や良心に沿った行動や運動をされただけですよね。
それが、自分達にとって都合が悪いからといって、もしも「許さない」という発想をしているのだとしたら、
あまりに俗っぽすぎて、人様にお道を説く宗教者として相応しいあり方とはとても思えません。
客観的に見て、何か勘違いしているのでは、としか思えないので、
そういう話を読むと、「やはり離れてよかったですね~」、という言葉が、つい出てきてしまいます。
>おやさまの教えに沿った生き方とは、いかなる生き方なのかな?と考えます。
人生の目的:皆が陽気に暮らせる社会の実現
具体的方法:12下りの意味を理解し、かんろだいつとめをして、各々の心を入れ替え行動を変える
個別的事案:一列兄弟、たすけ一条、じっくり思案、こころ定め、世界ろくぢ、男松女松、貸しもの借りもの、八つの埃、たんのう、正直・働き、やさしき心、・・・・・。
天理教信仰をやめて5年余り、正直言って気持ちが軽くなりましたよ。所属教会、上級教会、大教会と本部の各月次祭に縛られ、ておどり学び等の行事に縛られ、平均すれば一周間に一度は何等かの行事があって職場を始め地域及び社会の行事との両立に悩みました。
転勤を拒んだがために昇進は遅れて、歩どまりに。友人との会合を断って疎遠になりました。それほどタフな体では無かったために尚更でした。信仰をやめてからは、風邪を引いて寝込むことも無くなり2年余り風邪とも縁が切れています。
それともう一件、天理教はお神酒が付きものです。これもいい加減にしてほしいですね。最近では直会時にお神酒が出ることも無くなったとは聞くものの、相変わらず飲む人は飲んでいるらしい。
何事も、ほどほどにしなければ三代さんのようになりますよ。私事で恐縮ですが、80歳目前ですが、血管年齢は50歳代前半、血圧は正常、骨年齢は40歳代後半と医師も驚くほどの体調です。ただ、物忘れはだんだんと進んでいます。
何事もくよくよせずに、食事はほどほどに、体は運動はせず、無理せずに適当に動かすだけ。道を歩くときは、ビニール袋を携え、目立つゴミを拾ってゆくのも体力的にも精神的にもいいものだと思っています。
自慢話のようになりましたが、日野原重明さんを尊敬しています。
末端教会子弟様。
記事拝見しました。大変重要な指摘だと思います。我々現代人は、科学、思想、哲学を知っていますので、天理教を手放しで賞賛する事はできません。江戸末期より明治にかけてのあの限定された時代の中での、限定された人々(登場人物 中山みき、修司、こかん、飯降以蔵、等)におりた神の啓示は、あの場限りのもので、我々はあの啓示を何かと結び付けて解釈してしまいます。その結果、八つの埃を持つ我々は、自分自身の欲望、希望を神の啓示に投射します。久しぶりに稿本教祖伝を眺めました。おびや許しの段にて、神に疑いをもった妊婦が苦しむ場面がありました。もし現在、病院嫌いの妊婦が、妊娠中に主治医を持たず、妊娠新中毒症にもかかわらず、おさずけのみにこだわり緊急入院する騒ぎを起こしたとします。天理教的に正しくとも、現在に生きる我々は、胎児のリスクを考え彼女を批判するでしょう。真の宗教とは、あの時あの時代、限られた登場人物におりた啓示までだろうと思います。現在の天理教信者は、その啓示を知ることにより応答義務が生じるという事を考えるべきです。(天理教信者であると決心をした者のみに義務は降りてきます)
某・FBの投稿記事です。
天理教を辞めた理由を今まで信仰していた人達に聞きました。
おじさんや両親が当時、教祖年祭りや大教会、上級、自教会の催しのさいに、なんだかんだでお供えを強要され、毎日生活がひもじい生活を強いられた思いと、おじさんや両親の家族の愚痴でよく覚えていると言っていました。
当然自分の代では、そのような事はしません。
お供えも心次第。
教会から強要されても教会の子供たちがすれば良いと。
大きな教会は教会子息を見聞を広める為と申して、海外留学をしている教会がたくさんあったそうです。
今のニーズに合わないのですよ。
お道は信仰するけど、教会の無理難題は両親の後ろ姿を見ているので、とても出来ません。
しかし、自分の心に信仰があるから、直々にご本部に参拝すれば良い。
と言う考えが多いのです。
お供えが出来なければソープで働け
と信仰の娘さんに対して平気で言う会長は罷免すべきです。
彼女は年頃なのに、着ている服はみすぼらしいボロボロの服です。
周りから見て天理教が素晴らしいと思いますか?
>古い教会長 @huruikyoukaityo 24時間24時間前
詰所 竣工式の日の挨拶で、「この建物は、一旦、本部にお供えして、改めて真柱様より使用の許可を頂きました。」と言われました。こんなカラクリは、その日まで知らされていない事実でした。だから、増改築をする時に、本部のお許しがいるシステムです。勝手に触る事は出来ません
上記の古い教会長様の書き込みをみて思うこと。
知らされた方は、まだ幸せです。知らない人達が殆んどでしょうね。詰所建築のために一生懸命お供えをした人、ひのきしんをした人。今も続く末端教会への詰所維持費の負担。何も知らずに尽くしていた両親を思うと、マインドコントロールに陥る恐ろしさを改めて感じます。
今思うことは、過去に教会建物の壁の一部を塗り替えるために、教区や上級の視察を始め、お運びとお許しに費やした時間と労力と費用の大きさに、これ以上の無駄は無いのではないかと感じたことです。
お許し、お許し・・・、わざわざ白鼻緒の下駄ばきで教祖殿に集まっていた当時のことを想い起こすと、本当にバカげた行事以外のなにものでもありません。
仮に、私が教会長だったら、さっさと壁の塗り替えをしてしまいますね。
そもそも。お運びやお許しの制度が、教団内部において規定化されているのでしょうか。そのようなことすら秘匿されているように感じます。
年を経た教会長が、それ上級だ、大教会だ、地区だ、教区だ、いや本部だと教団組織の事務的な処理に追われている姿を見ていて思うことは、一見は宗教活動のように思えるが、実は事務的な内容が多く、これが宗教活動かと思ってしまう。
東風Z 様。
詰所 竣工式の日、大きなカギの模型を作って、玄関前で真柱さんが大教会長にカギを渡す(下げ渡す)というセレモニーをしました。
当時は、意味も分からず、有り難く見ていました。
>大きなカギの模型を作って、玄関前で真柱さんが大教会長にカギを渡す
それ世間一般のイベントやセレモニーで、車を贈呈するのに「大きな模型のカギ」とか、賞金の授与で「大きな看板みたいな小切手」とかと同じですね。
見世物というか見物人には、そういう演出が「分かり易い」し「話題にもなる」でしょうが。
いや、問題はそこじゃないな。
大勢の信者さんが生活費を削って出してくれたお金で建てられた詰所や施設を、信者さんには何の相談も説明もなく本部に寄附し、その「使用権」だけを恭しく受け取って、さも「信者さんにとって良い事をした」とばかりに偉そうな態度と話をする大教会や上級が狂ってる。
「本部からお許しを頂いて使わせて貰ってる詰所なのだから、ご利益があるし低い心で使わせて頂きなさい」とでも言いたいのだろうか?
東風Z 様
>お運びやお許しの制度が、教団内部において規定化されているのでしょうか。
私の(父)教会の「教会規則」には、
(財産の処分等)
第十九条 左に掲げる行為をしようとするときは、責任役員全員及び天理教〇〇大教会代表役員の同意を得て、天理教代表役員の承認を受けた後、その行為の少なくとも一月前に、信者その他の利害関係人に対し、その行為の要旨を示して、その旨を公告しなければならない。但し、第三号から第五号までに掲げる行為が、緊急の必要に基づくものであり、もしくは軽微なものである場合、または第五号に掲げる行為が、一時の期間に係るものである場合については、この限りではない。
一、不動産又は財産目録に掲げる宝物その他の基本財産を処分し、または担保に供すること。
二、借入(当該会計年度内の収入で償還する一時の借入を除く)又は保証すること。
三、主要な境内建物の新築、改修、増築、移築、除去又は著しい模様替えをすること。
四、境内地の著しい模様替えをすること。
五、主要な境内建物の用途若しくは境内地の用途を変更し、またはこれをこの教会の主たる目的以外の目的のために供すること。
と、あります。違反に対する罰則規定はありませんが、事が役所・銀行や届出に絡む部分なら「手続きに不備がある」という事でそちらが受け付けてくれません。
分教会が「何かする」には大教会長の同意が必要で本部の承認を得なければなりませんが、上記の「詰所お供え」の事を考えると、大教会の規程は全く違うのでしょう。
「見せてください。教えて下さい。」と言っても無駄なんだろうな。
教会の名義関係について、あまりよく分かってない方もおられるように思いますので、投稿させて頂きます。
自教会の名義を「本部」にお供えしてしまってるので、辞めると教会を出なくてはならない、という投稿もあるようですが、本部が教会を、本部の名義にすることは、滅多にありません。
★本部のもの→ 宗教法人天理教教会本部の名義
*本部建物や直属の(昔の教務支庁教会)分教会など。
*例外的に本部の土地の分教会がある。(おそらく血縁など)
★大教会のもの→ 宗教法人天理教△△大教会の名義
★分教会のもの→ 宗教法人天理教〇〇分教会の名義
大概は、教会の名義は、「宗教法人天理教」〇〇分教会になっています。しかし、これを本部のものと誤解して解釈をしている方もおられるように思います。大教会なども、きちんと説明すべきだと思いますが、曖昧なのか、本部のものと思わせた方が都合が良いのか。
教会の名義を本部のものにしてしまうと、ちょっとした修繕も、営繕のハンコが必要になり、ややこしくなります。例えば、教会で事件が起きた場合、本部が賠償しなければなりませんが、本部は責任を被りたくないから、各教会名義の方が都合がいいのです。
*バブル期に、東京都内だったか、一等地の末端教会が移転しました。その際に宗教法人課が世話をする代わりに、移転の儲けを、上級、大教会すっ飛ばして、何億かは知りませんが、本部に直接お供えしろと強要しました。しかし、教会の名義は変わっていません。それをやってしまうと、法律上ひっかかるんだと思います。
正確には、各分教会は、「信者を含めて」宗教法人天理教〇〇分教会(自教会)のものです。
名義が「宗教法人天理教〇〇分教会」の場合、会長を辞めると出ていくことになります。個人所有ではなく、「天理教〇〇分教会」のものだからです。本部が追い出す訳ではなく、教会内 (上級や大教会も絡みますが) の「都合上」になります。末端教会長が教会を辞めたい場合、上級会長などの指示により、他の人が入って来て会長をやり、辞めた会長は出て行かなくてはならない、ということになります。
*実際にそうなった人を知っています。子供が独立していたから子供の家に行きましたけど。でも、他人がやるほどメリットのある教会はきょうび少ないから、辞めたいといい続けて死ぬまでやって、後は上級の次男とか奥さんが仕方なくやっている所もあります。
〇〇分教会を継ぐ人が他にいれば、その人が替りに住みます。自教会は会長の個人資産ではなく、役員や信者さんたちの物でもあるのです。だから、信者さんでやりたい人がいれば、信者さんが会長になって教会を担任します。
解散したら、土地は、上級か大教会が吸い取る形になります。「本部ではありません。」
しかし、元々は自分の個人名義だったものを、お供え(宗教法人名義にする)したり、あるいは、末端教会子弟さんのお父上などのように、本部の偉いさんの言われるまま「上げて」しまい、「宗教法人名義」になっている会長さんなどで、教会を辞めると出て行かざるを得ないが行き場が無いと嘆いておられる会長さん方、あるいは、現状の教団組織の中では、思うような教会活動ができないと思っておられる方は、現在、末端教会子弟さんが進めておられる、被包括関係解消申請をするのも、有効な方法と思います。教会を解散することは、表統領の承認が要る、と「天理教教規」には書いてますので、解散申請は、まず許可は下りないだろうと思います。本部との被包括関係解消することによって、本部からの承認を受けずとも、本部とは一切関わりを無くし、後は、信者さんと話し合い、自教会を解散して、元会長はそこに住み続けるか、あるいは、独立して教会を続けること、どちらも可能ではないかと思います。
古い教会長 様
末端教会子弟 様
匿名 様
それぞれのお立場からご教示を頂き有り難うございました。
古い教会長 様
本部は何かと威厳を示したいのですね。大教会の直轄教会で中規模の、私にとっては上級教会に当たりましたが、そこへ三代真柱がお入り込みの折は、十日も前から大騒動をして、当日は主な者はヘトヘトに疲れ果てました。大教会誌は会長以下全信徒は喜びに満ち溢れて・・・と報じましたが、実態は上記のごとくでした。
末端教会子弟 様
永年に亘り役員(責任役員ではありません。ただ、単に役員と呼ばれていただけです)を勤めましたが、教会の規則を見たことはありませんでした。本当にお運び、お許しの折は長旅もあって、ヘトヘトまでとは行きませんでしたが、正直疲れました。末端教会子弟様の教会の規定を見させて頂いて思うことは、一片の壁の塗装ぐらいでお許しが必要だったのか、判断に迷いますね。
今更とも思いましたが、思えば本部に振り回されていたのですね。
2017年6月16日 3:09 PMの匿名 様
私の知人の教会の名義は教団本部になっています。南都銀行からおカネを借りている関係からでしょうか。
負債の返済がおわれば、名義を教会に変更登記してくれるのかも知れませんが、知人が言うには、月々の返済がお供えに思えて、何か落ち着かない気分だそうです。古い教会長さんが仰って居られたように、多くの詰所は本部名義になっていると聞いたことがあります。
次に奈良に行った折に所属していた大教会詰所の登記の閲覧をしてみようかなと思っております。
何れにしまして、教団本部はことあるごとに“権威”を示そうと躍起になっているように感じます。よろこびこころなんて言わないでほしいです。
今年の3月から表統領が取締役に就任しとるけど、なにやっとんねん?
この会社と本部の関係をご存知のかたはいらっしゃいますか?
https://donburi.accountant/history/?ds=80196&do=7&cname=%E5%A5%88%E8%89%AF%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E5%A0%B4%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
奈良国際ゴルフ倶楽部のことですね。
奈良で一番格式の高いゴルフ場。他の役員には近鉄の会長の名前もありますね。天理のふとんやの井戸太(前田)、日本酒の豊祝(豊沢)。。。。
このゴルフ場の創設者だったでしょうが、中山正善が理事長だった。中山正善がなくなった後は東井三代次本部員だったと記憶する。天理高校二部(定時制)の学生をキャディーにしていたという、以前話題になったあのゴルフ場。天理高校から分かれた天理女子学院高校(定時制)はすでに廃校。
過去の役員名簿に出ていた、横山一郎は天理医療大学をつくったときの憩の家理事長。この横山は公安委員もやっていたはず。今の公安員は、教団沈滞の原因を作った(海外ばかりにいって国内対策を怠った)前の表統領・前天理大学学長。。。。この二人で、御供え(それが回付金になる)が減ることがわかっていながら天理に二つ目の大学(医療大学)を作った。失政の連続、いろいろつながりますな。
ということで、中田が役員になっていても不思議はないところ。自然な成り行きでしょうね。ゴルフ株をもっていてどうするのでしょうか。国会議員相手に接待ゴルフ?
いままでは、こんなことは誰も知ることはなかったでしょうが、企業のディスクロージャーあるいはIRが進むと、いろいろなところで公開されてしまうでしょうね。インターネットの情報を信じるなということは、もはやナンセンス。襟を正そう。
ゴルフ場様
ご丁寧な説明ありがとうございます。なるほど、あのゴルフ場の母体でしたか。
さもありなん、ですね。
仰るとおり、ネット上では本人たちが教団信者にはあまり知られたくない情報も普通に開示されています。
世間知らずの中田氏が某団体の会合で、世間の荒波をくぐり抜けてきた経営者さん達を前に、当たり前のことをもっともらしく語っている記事などを見ると恥ずかしくなります。
教内で批判されているうちはまだいいですよ。ただ外に向かって恥をさらすのは勘弁して欲しいなあ。
東風Z 様
(2017年6月16日 5:04 PM)の疑問について、事情に詳しい者に心当たりが有りましたので、訊いてみました。
>私の知人の教会の名義は教団本部になっています。南都銀行からおカネを借りている関係からでしょうか。
その教会の事情は、外部からは分からない事でありますが、考えられるケースは、
① 最初から本部名義の土地に、何等かの理由があって、教会を任された。
② 前任者が、大教会がカバー出来ない程の負債があった。
等の場合があると思います。
本部名義の土地だったり、あるいは、自教会名義ではローンが組めず、お金を借りられないので、本部が代わりに借りて、本部に返済しているのではないか、と思います。
一般教会で本部名義の土地は、奈良に、部内を数か所持つ教会を知ってますが、他には、直属分教会以外では知りません。本部名義の一般教会は「滅多に無い」ということで、あるとしたら、よほどの事情がある場合だと思います。
>多くの詰所は本部名義になっていると聞いたことがあります。
詰所が本部名義なのは、税金対策だそうです。
詰所は神様を祀っていないので、大教会名義では宗教法人の土地建物として認められないようです。本部名義だと認められるようです。
大教会によっては広大な敷地ですから、無税になるのは有難い。天理市はこれに不満らしく、詰所の土地から固定資産税をとりたいようです。しかし本部は天理市へ、毎年多額の寄付してますから、どうなんでしょうかね?
とりあえず、詰所に関しては、利害が一致しているようです。
2017年6月16日 3:09 PMの匿名 様
ご丁寧な説明を下さり有り難うございます。
知人の教会は、地震で全壊をして建て替えのやむなきに至り、ローンが組めず、本部を通じて南都銀行から融資を受けています。それ故に本部名義になったのですね。あと数年ローンを払わなければなず、80歳になる知人もローンの一端を担い死ぬに死ねないと言っています。むごい組織ですね。
詰所の名義の件もよくわかりました。本部はおぢ場を始め、詰所、教務支庁等で1千万坪もの不動産を持っていると聞きました。宗教法人だからいいものの、一般法人だったら有効活用のために格段の努力が求められるところですね。通常では不必要な不動産は持ちませんもの。
山野辺の道を歩いていたら、このような辺鄙なところまで教団名義の土地があるのかと首を傾げます。
教団本部も、もう少し末端教会のことを考えてくれていたならばと思っています。残念な組織です。
いろいろと有り難うございました。
>大教会によっては広大な敷地ですから、無税になるのは有難い。
いくら宗教法人の土地だからと言って、大教会の個人宅の土地建物まで無税なのは、どうなのだろうかと思う。無税故に、大教会長達は、末端教会とは格段の差の、広くて贅沢といえる個人宅に住むことができる。信者さん達のお供えを使っているのに、分不相応に贅沢な個人宅を持つのは如何なものかと思う。
大教会長や、上級会長などの個人宅に対しては、天理市は、きちんと税金をかけて頂きたいものだ。住居部分の敷地、住宅部分の広さ、きちんと測り、世間と同じように、税金をかけて頂きたい。又、それが、上層部会長たちの、分不相応な贅沢の歯止めに、幾分かはなるのではないか、と思う。
皆さんの議論の場がこちらやお供えの掲示板からTwitterに移行してきているみたいですね。
毎日「天理教」でリアルタイム検索をかけて見てしまっています。
今、情報交換として一番時代に添ったツールだと思うので、天理教に違和感を持たれている若い方も確実にたくさんの方が同じように「天理教」でリアルタイム検索をかけていると思われます。
本部が、一般教会を本部のものにすることは滅多にない、ということですが。
うちの上級教会の土地は500坪もある。ましてや大教会は、1000坪を超えるところも多いのではないだろうか?大教会の、広々とした土地と、何十億(河原町大教会は、建築費だけで65億とのこと。)で建築した教会建物は宗教法人天理教「大教会」のもの。
末端教会の土地などは、せいぜい100坪もあれば上々、ましてや上物の教会建物は、既に全く値打のない古いものが多い。本部にとっては、末端教会の不動産などは要らないのだろう。不動産などよりも、お供えを永久的に本部にあげてくれるように、「宗教法人天理教」という枠で、末端教会が逃げられないよう縛り付けているのだから。
それよりも、三代真柱が、教祖誕生祭などで集まった、500億だかのお供え金で、不動産を買い漁ったという、それらの不動産は、今、いったいどうなっているのだろうか? 何に使われているのだろう?
東京天理教館という不動産管理会社、大都市に、高収入を生む賃貸し高層ビルを5棟も持っている本部のことだから、大方、中山家や本部幹部のための 高収入を生んでくれる利益企業に化けているのではないか、と推測せざるを得ない。
南都銀行は、借りるとき、法人にするのを条件に入れる
でも知人教会は大教会通してたような
でも繰り上げ返済ができたからか、法人にする前に返し終わり
法人にしてあらためて借りて増築した。
天理教に対する不満や、失態をここで投稿されるのを見るにつけ、まだまだお道も捨てたものじゃないなと感じます。みんな天理教の教えが素晴らしいと思ってる。だからこそ、失態が許せないんです。教祖の教えに沿って欲しいんです。無関心や、本当に嫌いで興味ないのであればわざわざ投稿しませんもの。このサイトもきっと見ないでしょう。
こんなにも多くの人がお道に関心を持ってることに、ある意味嬉しさを覚えます。
教会住み込み様
>みんな天理教の教えが素晴らしいと思ってる。だからこそ、失態が許せないんです。教祖の教えに沿って欲しいんです。
教祖様の教えが素晴らしい。現行天理教の「理の親教理」や「上の都合の良い解釈」はゴミ。
「失態」ではなく、「悪意」でこのような組織を作り上げたこと、悪意の塊だと自覚も反省もできずに相続によって上層部に居座る馬鹿共が許せない。
もう「教祖様の教えがなんたるか」も理解できないだろうから、教祖様の教えに沿って欲しいなんて虚しいだけだ。
興味関心は、ヒトラーの演説による大衆操作や、オウムの麻原のように大勢の部下を集めた組織作りなど、やってることは非人道的で極悪非道だが、結果を見れば「多くの人間の支持を集めた手法」が知りたいのと、歴史の裁きとしてその崩壊ぶりを実際に見てみたい、と思うからだ。
まぁそう熱くならないでください。色々な意見があっていいじゃないですか。何もそれを天理教に求めなくてもいいとおもうんですがね。
熱くなってるのではなく、貴方の認識があまりにも「お花畑」だから言ってるのですよ。
>何もそれを天理教に求めなくてもいいとおもうんですがね。
ここに書き込まれている方達の苦しみや悩みが理解できませんか?
家庭の事情や人間関係のしがらみで、抜けるに抜けられない、子供の頃からの「お仕込み」で罪悪感と後ろめたさに苛まれている姿を。
まぁ、勿論、「お花畑」の意見を否定するものではありませんが。
んー。私はそういう天理教で苦しんだことがないから何もわからないのですね。両親はじめ、みんなお道が好きですし、私自身も、素晴らしい教えだと思っています。多少、教えと違うなと思うことはありますが、それもこちらが成人するためだと思っています。
教会の信者さんも喜んで信仰されております。天理教にも色々あると思いますが、教会は離れても神様から離れなければいいのではないでしょうか。
「匿名です」の二代目登場か?
>多少、教えと違うなと思うことはありますが、それもこちらが成人するためだと思っています。
↑
これ自体が教祖様の教えではない事は明白ですね。
勿論、貴方がどんな宗教を信じ、どんな信仰をしようが自由ですよ。
教会住み込み 様
私は天理教に人格の一部を壊されたと認識しています。ですから、天理教に拘わらないようにとシグナルを発信しているだけです。
完全な階級社会をを築いて何が「一列兄弟」なのか未だに分かりません。教会常詰の子として育った知人の悲惨な人生を見ていますと、これが「人助け」の教えなのかとも思います。
>それもこちらが成人するためだと思っています。
と仰っていますが、一人の人間の希望まで奪ってしまうことが成人を促す教えだとは到底思うことは出来ません。
教会常詰めの子として生まれた知人は優秀な子供でした。高等教育を受ければ、きっと素晴らしい技術者になっていたでしょう。その彼が中卒後に教会長かいら云われた次の言葉をどのように理解すればいいのですか。
天高二部に入学させられた知人は、「勉強なんかしなくていい。詰所勤務を通じて他人のメシを食い苦労してこい」だったんですよ。そして、後々も「高校を出してもらっただけでもありがたく思え」と再々云われたと言っています。
この教会長は、大教会の理事(今でいう責任役員)だったんですよ。このような天理教を社会が必要としているのですか。
人を人と思わないような宗教が、宗教を名乗って欲しくないですね。
教会住み込み 様。
日々はご苦労様です。
皆さま、教会住み込み さんの意見が一般的な天理教の方の考え方です。
教会住み込み さんは、懲りずに、今後とも、是非コメントを寄せて下さい。
そして、反論も書き込まれますが、情報として読んで下さい。
天理教には、いろんな天理教があることも知って下さいね。
一列兄弟とはみんな平等という意味ではないと思いますよ。兄弟だったら、先に生まれたものもいます。兄や姉です。弟は弟です。神様から見て一列兄弟なのです。
平等とは違いますよ。
勉強なんかしなくていいと言った会長さんはちょっとダメですね。
落第生の会長さんです。
でも、もしかすれば神様がその人にお道を通ってもらいたかったんじゃないですか?頭が良いなら、それを世間で活かすのではなくて、お道の中で活かして欲しいとの親心だと思うしかないですね。私ならそう思うかな。
言葉はひどいですが、結局は全て理の世界なので、成ってくるのが天の理ですよ。
>多少、教えと違うなと思うことはありますが、それもこちらが成人するためだと思っています。
↑
これ自体が教祖様の教えではない事は明白ですね。
↑
なぜそう思うのでしょうか?
御筆先の最後に、しあんたのむで
で終わられています。
そう考えるということです。私はそう思うということです。
だって全て神様がされてることでしょう。それをこちらがどう感じるか、どう悟るのかということが大事です。全ては陽気暮らしをさせたいとの思いで人間を作られております。ポジティブに考えないと神様に失礼です。
世の中、これまでの歴史を振り返れば、不名誉なこともありますよ。でも、それをどう悟って今後に活かしていくかが大事だと思うのです。不名誉なことがあるのは事実ですね。お道にしてもそうです。でも、それをどう考えるかが重要ですね。
教祖御在世のころ、お屋敷にまつゑ奥様がおられました。すごいむごい言葉を出しておられて、よりくる信者にひどい言葉をかけておられたと聞きます。本席様もひどいことを言われております。でも、教祖はまつゑ、本物と偽物を選り分ける役目やと言われております。まつゑ奥様が嫌でお屋敷に来なく成った人も大勢います。ですがそんなの御構い無し。親神様、教祖を慕って来られた人は本物の信仰を持っておられるのです。その方々の子孫がいま、教会本部を支えているのも事実です。
お道の歴史を勉強されたら、納得できる部分も多いにありますよ。
なんども投稿すいませーん。
教祖のひながたは現代にもありますよ。ひどいお道の人たちもいます。本当にこの人お道のひとか?と思う人もいっぱいいます。それで心濁すこともありますが、私たちはどこまでも教祖のひながたを辿ることが大事です。
教祖の御在世当時もそうやったんですから、今も色々あるのは仕方ないことですよ!
>そう考えるということです。私はそう思うということです。
そう思っているから「教祖様の教えではない」と言っているのです。
書き込みを読ませていただく限り、貴方の頭の中に「教祖様の教えの総論と各論」が整理されていないように見受けられます。
総論は「月日親神は、人間が皆陽気に暮らすのを見て共に楽しみたい」
各論は「つとめを行い、12下りを理解して心に納め、世の中を建て直しなさい」
です。
この総論と各論から外れるものは「教祖様の教えではない」混じりものです。
「教えと違うところがあっても人間の成人のためだと思え」は、仏教的現実世界の対処法、処世術です。
「人間が皆陽気に暮らす」ためには「教えと違うところを修正して正すこと」が総論・各論に沿った考え方で、そういう行動をするのが「正しいこと」になります。
勿論、間違ったことを言う・間違った事をしている相手が巨大で強い存在なら、正面から立ち向かっても潰されるだけです。だから、その解決法の「しあんたのむで」になる訳です。
間違ったものをそのまま受け入れたり我慢することが教祖様の教えではありません。
洗脳というのは恐ろしいものです。
自分の本心や本音が眠ってしまっています。
自分自身で考える。判断する。ものを言うという事が出来ません。
「いやいや、自分で考えて自分の言葉で、しゃべっています。」と言われますが、それは、立場のある人から聞かされた言葉であったり、書物で読んだものと同じだったりします。
話を聞いて、文章を読んで、その後、自分で考え判断することが大切です。
かつて私もそうだったように、人の話をオウム返しのように語っているだけでは自分の言葉ではありません。
洗脳されている人は自分が洗脳されているとは気づきません。
いろんな情報を心の栄養として取り入れ、よく租借して自分というものを、取り戻さなければなりません。
洗脳されている人自身は幸せ感がありますが、周りの者は振り回されて大変迷惑します。
それにも気づかないのが洗脳の恐ろしさです。
教会住み込み 様
あなたの教会の会長様は心の温かい方だと想像します。ゆえに、あなたは素直に教えに溶け込むことが出来たのだと思います。是非、その素晴らしい感銘を周囲の人達にも伝えてください。
私の知人は、夜学の大学に入りたくて教会を飛び出しましたが、教会に残された両親と弟妹達は、会長家族から今まで以上に酷い扱いを受けることになってしまったのです。
中卒しかできなかった弟妹達も、やがて教会を出てゆきましたが、残された両親の晩年は、会長家族からの朝の挨拶さえ返されない人生だったのです。
人を人とも思わないと書いたのは、この一事に尽きるということです。
比較的規模の大きい教会で、大教会長の親族でもある四代会長ともなれば、高慢人間になってしまうのかもしれませんね。
私は教義の議論は出来ませんが、現行天理教を肌で感じることも出来ません。
余談ですが、私は企業の管理職につきました、でも、部下の皆さんを呼び捨てにしたことはありません。女性には「さん」付けで、男性には「君」付けでした。退職後も嘱託として勤務し、その時点で部下だった人すべてに「さん」付けで呼びました。人格を尊重するうえで最低限のモラルだと思っています。
>結局は全て理の世界なので、成ってくるのが天の理ですよ。
天理教洗脳の怖いところです。
貧乏も理、病気が治らないのも理、事情も理
あなたの心が成人していないから神様も働いて下さらない。
もっともっとお供えして教会の御用をして神様に受け取って頂けるように運びなさい
そして会長さんに不足してはいけません。布教していなくても、いい車乗っていても、子供達を若先生と呼ばせ年上の青年さんを奴隷のように扱っていても、せっかくのお供えやひのきしんの行為が無駄になります。
都合良すぎです。
末端教会子弟様
なぜあなたはあたかも自分が全て正しく、未だ教内におられる方々であろう方々のコメントをいちいち否定するようなやり口なのでしょうか?
一体なにをどうされたいのでしょうか?
勉強不足であるかもしれない方々を論破し、それでご満悦といったところでしょうか?
恐らくご自分なりに勉強されて、わかったことがあるのでしょう。
恐らく現教団の嘘を暴きたいのでしょう。
なぜわかった者としてもっとやさしく導くことができないのでしょうか?
海外より さま
「教会住み込み さま」の書き込みに関しては、以前の「匿名です さま」と同様の、「教団擁護と理の親教理」が満載され、印象操作によって「反教団・反体制」の意見を封じ込め、中間層の人達に良心の呵責を与えかねない内容なので反論否定させていただきました。
厳しい言い方は私の性格もありますが、「真剣に考えてもらいたいから」の事です。相手にも、読んでいる方にも。
「やさしく導く」等というおこがましい事は出来ません。
私も単なる「末端教会の一子弟」なのですから、立場的には同等です。
(もっとも、私は相手が大教会長だろうが同等だと思っていますが)
自分の考えが100%正しいと思っているわけではないですが、何かを主張するなら「自分が正しいという立場」で言う必要があるのもご理解いただけると思います。
私の教義解釈や主張におかしな点や疑問がありましたら、遠慮なくご意見ください。
「一体なにをどうされたいのでしょうか?」というご質問なら、「教祖様の教え」に関して忌憚ない解釈やご意見、様々な考えが知りたい、出して欲しい、です。それが私自身の思索や思案を深めることにも繋がるので。
教会住み込み様
「教理のわざわいなる転化」これは、ナチスドイツ政権が、プロテスタント教会を取り込んだ時にある宗教学者が言った言葉です。宗教は政権に迎合してはいけませんが、現在を生き抜き、生きた宗教であらねばななりません。”親にもたれかかるように”この、神の啓示に使われたフレーズをいいように解釈し、パワーハラスメントに使用するのは、月日親神を騙り汚す行為であると断言できます。天理教は教祖伝(ここで、教祖伝の真偽はあえて問いません)の登場人物と神の社を通し親神との間に交わされた会話、逸話のみが真実であり、それ以外の真実はあり得ません。現在の我々は、それを自分の経験と結び付けて勝手な解釈をしていきます。ここに百人いれば、百通りの天理教ができ「教理の禍なる転化」が生じる故があります。教会住み込み様、天理教信者を公言した時から、この教祖伝やおふでさき書かれた神の言葉に対する「応答義務」が生じます。ここに書き込みをされる方々に対して、傷ついた方々に対して現状を肯定されるのであれば、皆が納得できる現在の天理教解釈を提示しなくてはなりません。現実的な痛みを癒す努力と、現在に活きる教義研究、解釈は天理教衰退を止める正攻法であり、貴方様、そして天理教信者の課題であると思います。
末端教会子弟様
早速のご返信有難うございます。
そのような意味合いだったのですね。理解しました。
このブログにコメントを書くことはかなり勇気のいる行為だと思っています。
教内にいる方が折角勇気を出してコメントした際に、頭ごなしに全否定のような流れが続くと、
折角存在するこのサイトの意味合いが薄れてしまうような感じがしましたので意見させていただきました。
生意気お許し下さい。
もっと多くの方がコメント欄に参加されることを願っております。
一体なにをどうされたいのでしょうか?とお聞きしたのは、
端から見ていて挑発的な論破合戦を展開したところで、あまり意味が無いように感じたからです。
論破されたから自分の考えを悔い改めもっと真剣に考え直す人は恐らく少数派だと思います。
残るのは相手側の屈辱感であり、実際にその後、展開することが少ないように思います。
そういった意味で「やさしく」と個人的な意見をさせていただきました。
一度、このサイトにコメントを多く残されている方々と実際にお会いし、
談じ合いが出来る場があればいいのになぁと思っております。
今日は時間がありますので、自分なりの所説をこの後、述べたいと思います。
このブログ名は天理教社会学研究所さんなので敢えて社会的なことから少しアプローチしてみたいと思います。
ただ頭のおかしくなった人間の言葉としてお付き合い下さい。
有難いことに今の時代、自ら求める情報はいくらでも追求することが出来るようになりました。
私の場合はある意味、311が大きなきっかけとなりました。
マスコミから流される情報に疑問や不可解さ、また不信感が募り、自ら情報を集めるベクトルに一変しました。
性格上、そういったスイッチ入ると、とことん追求しないと気が済まない質で、
気になることや疑問に感じることが連鎖的に広がり、膨大な時間とお金を費やして自分の納得のいくまで調べて来ました。
インターネットや書籍だけに限らず、様々な方に実際にお会いしてお話を伺ったり、現地に足を運んだり…。
一つ事業を潰すくらいにです。笑
その結果、学校教育や一般社会通念とされている認識がいかに嘘で固められているかに気付かされました。
まずそのことについてから述べたいと思います。
大学等の学問と呼ばれるものが一部コントロールされていることがわかります。
特に医療、農業、化学、金融、歴史などは完全にコントロールされいるいっていいかもしれません。
「プルトニウムは飲んでも大丈夫」といった東大教授が存在したことがわかりやすい例だと思います。
東大は特にひどい教授が多いですね。(極端な偏見ですみません)
戦後、法律関係においても売国的なことを助長した人間が勲章を得ていたり、全くおかしな社会です。
悲しいことですが、特にワイドショーなんかに出てくるお金に魂を売った御用学者があまりにも多いことに驚かされます。
エリート養成のトップである東大がそんな体たらくですから、
全てとはいいませんが教育機関がおかしな社会を作り上げる一つの機関になっているようにも感じています。
真実なのかどうか自ら検証しない教員の多さに驚きます。
単にそれを正しいと教えられて来たから、それを若い世代に教える。
ひどい言い方かもしれませんが、学校教育とは最終的に「権威」に屈するように洗脳されているように感じてしまうのです。
また埋め込み学習洗脳で、自分で考える力が本当に弱ってる方の多さに驚きます。
テストで点数が取れただけで、その人が優秀だと判定する世界は全くおかしな世界だと思っています。
社会に出れば、困った時にこっそり答えを教えてくれる友達関係、人間関係を築ける能力の方が大切のように感じます。
わかった人がわからない人に教え合う喜びを学ばせることこそが、本来、教育の姿なのではないでしょうか。
点数による判定はあまりにも管理側の都合のように思えてならないのです。
戦後、教育制度そのものがおかしな形にされていることにいい加減気付かないといけないと思います。
兄弟が教員をしているため、良くそのことに関して議論をしています。
さて、学問は何にコントロールされているか、それはお金の流れにコントロールされているように思います。
要は本質的なことは一部の人の都合によって隠蔽、歪曲されてしまうということです。(教会本部と似ていますね)
本質的なことを突き止めてわかってしまった人は逆に排除されている悲しい世界のようにも感じます。
学問とは究極の「人間思案」なのではないかと思います。
要は川の流れに人間の理屈という笊で掬って上がったものをあれこれ言っているだけのように過ぎないように思います。
本質は笊に上がらないものがあるということです。
決して学問、または「人間思案」を否定しているわけではありません。
そういうものだということだけです。
だから教祖は「学問いらん」と言われた所以なのかもしれません。
学術的なことにあまり縛られると本質が見えて来ないのではないかということです。
もっといえば難しい論理や論文は一部の人にしかわからないということです。
真理とはもっとシンプルで美しいものだと信じたい自分の願望がそう思わせるのかもしれません。
人間の思考方を演繹法、帰納法、弁証法で縛らずに、
もっと霊的な直感や理屈で解明出来ない事象を受け入れる勇気が必要なのではないでしょうか。
お金に関して以前にも記述しましたが、お金には互換機能と貯蓄機能があります。
互換機能は大変優れた便利な機能ですが、貯蓄機能にかなり問題があるように思います。
最大の問題は「利子」です。
利子に関してはキリスト教においても諸説があると思います。
そのお金を発行している機関は民間企業なのです。
所謂、一部の株主(人間)によってこのお金の世界が支配されている現実があります。
以前は兌換紙幣でしたが今は既に不換紙幣であり、単なる紙でしかありません。
世界通貨と言われるドルを発行しているFRBは既に民間企業なのです。
日銀においても然りです。
51%日本政府が持っていることになっていますが、実態はわかりません。←これは日銀の方がそう仰っていました。
たとえ51%政府が持っていたとしても残りの49%は誰が持っているのでしょうか?
こういう本質的で大切なことをなぜ教育機関は教えないのでしょうか?
またお金に関しては自分の親からその概念を学んでいるので、親の環境に大きく影響していると思います。
深刻な環境汚染や社会情勢を見れば、今までのような経済発展では行き詰まっている現実に気付かれている方は多いのではないでしょうか。
私たちはいい家、いい車を「買う」ために、また人よりも贅沢な生活をするために生まれて来たのでしょうか?
現実、地球に我々は生きているわけですから、いい加減、作られた嘘の価値観から抜け出し、
そろそろ「本質」といいますか、そういうものに気付くべき時節に来ているのではないかと思います。
教祖はそういった人間としての「本質」を説かれているように思えてならないのです。
私は海外に長く生活する者ですが、こういった感覚は日本人がいち早く覚醒できるのではないかと直感しています。
故に日本語で説かれているとも感じています。(なぜ日本で日本語なのかは長くなるのでここでは割愛します)
教祖が説かれた「八つのほこり」とは深く思案していくと別の言葉を使えば究極の「滅私」を説かれているのではないかと思います。
心の中心に自我ではなく、自分ではない周りの人への思いやりを思考の中心に据えることだとも思えるのです。
それを更に大きくして行けば「人類」や「宇宙」という大きなことに繋がっていくのかもしれません。
それが人間としての「成人」、所謂、親と教えられる神に子が近づく「神人化すること」を説かれているのではなかろうかとも考えられます。
その具体的な方法として「つとめ」が教えられたとも考えられます。
これは特定の人だけができることではなく、全ての人間が心一つで出来ると教えて下さっているのです。
現状はまだ教会制度という人間社会に縛られ、またお金の世界に閉じ込められている感じがしますが、
そういった今までの社会通念や嘘の価値観に気付き、曲げられた教理を自ら正していく人が教内に急速に増えていって欲しいと願っています。
難しいことかもしれませんが、本来の自分のと向き合い、教えられた教理を一度疑ってみて、納得出来ないところは自ら求める姿勢になるべきです。
まずは自分でしっかりと思案し、教祖が仰られたことを「こういうことかもしれない」「あのことをいってるのかもしれない」と、
日常生活の中で考え、教内、教外を含めた知人と話をするだけでいいのかもしれません。
別席も人間が形式的に後に作ったものですから、いちいち誘わなくてもいいのかなと感じています。
お金によるお供えも必要ないと思います。
おさづけの理に関しては、教祖は現身を隠されておりますが、ご存命であると聞かされておりますので、
個々がそれぞれ教祖と向き合い、本人の心が「神一条」にすっきり定まれば、
本部でなくともどこにいても直接、教祖からいただけるのではないかとも感じています。
目に見えるものではありませんから、自分がしっかり理を頂戴したと強く認識することでいいのかもしれません。←全くの異端的発想ですが。
なぜなら海外にいる身としては日本に行かなければおさづけが頂戴できないなんて、ある程度の金持ちしかようぼくになれないということになり、
同じ話を何回も聞くだけという全くナンセンスな形式に思えてしまうのです。
また心一つが我の理、心通りの守護と教えていただいています。
「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る」
これは世俗的にいえば「引き寄せの法則」と言われている現実にあるとされる現象とも言えます。
社会生活の中で実感されている方も多いのではないでしょうか。
具体的にもっと掘り下げたいのであればジェームス・アレン著「原因と結果の法則」を読まれることを強くお勧め致します。
この本は世界中で「聖書」に次ぐロングベストセラーとなっており、ほとんどのビジネス書がこの本に大きく影響されていると思います。
この本に書かれていることや教祖の教えと照らし合わせると、
人間の想像(イメージ)することがこの物質的な世界の中で現実に落ちると教えていただいているように思うのです。
今の世の中は知らず知らずのうちにテレビ・マスコミによって完全に洗脳された思考・イメージが現実になっているのではないかと思うのです。
教育やテレビ・マスコミによってで情報を操作されている現実に一日も早く気付くことが大切だと思います。
気付いた人から日々考えることを変えて行くことが必要なのかもしれません。
そういったことが真実であるならば我々はまずそれぞれが教祖が教えられる「陽気づくめ」の社会というものを、
出来る限り具体的に日々イメージすることが大切なのではないかと思います。
「意を乗せる」ことによって「祈り」になると思っています。
長文、失礼致しました。
最後に最近、海外にて話題になっている動画をご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=aW14RAJ35vs
時間のある方は是非、ご覧になってください。
今までの価値観を疑うきっかけになるかもしれません。
信仰関係の皆様
ひとつお教え頂きたいことがあります。私は、心から天理教を嫌っています。その一つの理由は、天理教が「一神教」(排他的)であることです。日本古来の信仰は、八百万神信仰で、仏教の伝来をすんなり受け入れたし、一般の神社でも複数の社があります。言わずもがな、イスラム教原理主義を日本人は理解できません。それに近いということです。
なーむーてんりーおーのみこ―と のなむが、「南無」と知って愕然としました。
南無はサンスクリット語で仏教用語です。
かりものかしもの で 仏教の無常を説く。 出直し、因縁は輪廻転生などから適当に引っ張ってくる。
助けたまえー で、神道の現世利益主義を説く。
日常の倫理規範 は、孔子の論語から。
高校の授業で倫理学を選択すれば、これくらいの初歩的知識は自然と頭に入ってきます。さらに、深くは大学4年間で宗教を体系的に学べますね。国士館大学、皇學館大学、佛教大学、龍谷大学、同志社大学には神学部があります。
天理大学に神学専攻はありますか?たとえあったとしも、4年間きっちりカリキュラムを組んだら、各宗教からのパクリ、寄せ集めがバレバレで、講義になりませんよね?
100年しか歴史がないことをあげつらうつもりはありません。キリスト教もイスラム教も仏教も、誕生100年で信者数は爆発的に増えていきました。
高校の教科書程度の活字数で、天理教の教理を体系的に示す資料があるのならば、ぜひお教えください。
海外より 様
素晴らしいご見識と思索を有難うございます。
出来るならもっと色々とお伺いしたいし、叶うならそれぞれのテーマで意見を交換したいところですが、この場では難しいかとも思うのでその機会が訪れることに期待して、1点だけに絞ります。
>お金に関して以前にも記述しましたが、お金には互換機能と貯蓄機能があります。
>互換機能は大変優れた便利な機能ですが、貯蓄機能にかなり問題があるように思います。
まさしく、この「貯蓄機能=蓄財」が人間の心を狂わし歪め、人間の精神を神の領域(人間が陽気に暮らすのを見て共に楽しみたいと思う、月日親神の願い)に引き上げることを妨げている大きな要因の一つだと思われます。
「みかぐらうた 一下り目」
三に さんざいこころをさだめ
四つ よんなか
五つ りをふく
六つ むしょうにでけまわす
七つ なにかにつくりとるなら
八つ やまとはほうねんや
「散財の心を定める事が豊かさの第一歩であり、その考えが広がると際限なく豊かになり、その気持ちで何でも生産すれば、その社会は物に溢れた豊かな社会になる」という意味かと考えます。
勿論、現在の天理教で言う「蓄財してはいけない(貧に落ち切れ)のだから神様にお供えしなさい」は間違いです。現実人間社会は「蓄財することが良いこと」という価値観で満ち溢れているのですから、その中で「一人で散財する」と豊かになれないのは当然です。
やるべきことは、この理を理解した人間が寄り集まって「散財心で豊かな社会」を構成し、それを広げていくことしかありません。その為の「こう」を作る必要があると推測します。
究極的には、蓄財機能を持たない貨幣経済社会を構築することが「みかぐらうたの世界」なのではないでしょうか?蓄財機能を持たない貨幣と考えると、紙幣や硬貨のような物質は不可になりますし、電子マネーのように実体は無くても数値化されるモノはダメです。保存の効かない数値化されないもの、例えば、人間の「ありがとう」という言葉や感謝を表す「態度」等が「交換機能だけを持つ貨幣」となりうるのではないかと考えます。
また、蓄財機能を持たない貨幣経済社会は、現在社会に比べてメリットや良い点が沢山考えられます。
まず、現在の犯罪、汚職、不正行為などが99%(予想)は無くなります。
お金に関わる職業が不要になるため、一人当たりの労働時間が大幅に減ります。
人間の思考が「自分のため」ではなく「相手のため」に変わります。
これにより、社会構造の変革や医療・福祉・教育分野は大きな発展を遂げると思われます。
「貨幣」は便利な道具です。便利すぎてその機能に人間の心が左右され支配されている程です。
どんな便利なものでも、危険性があるものなら捨てる勇気を持つことが「人間の成長・神の領域に近づく事」に繋がるのかもしれません。
長々と失礼しました。
また、海外より様が天理教とどのような関係・立場の方かも分からずに「みかぐらうた」を引用し勝手な解釈で理論を展開させた事をお詫びします。ご意見がありましたら遠慮なくお願いします。
末端教会子弟様
コメントいただき感謝致します。
貨幣に関しては仰られるようにまず地域通貨を作れるコミュニティーを作ることが理想だと思います。
その際に紙幣を発行するのであれば有効期限を設けることで、蓄財の問題は解決されると思います。
またそのコミュニティーは志を共にする仲間である必要があると思います。
少なくとも現状の貨幣社会は詐欺のようなものであることに気付き、欲の心を巧みに使われコントロールされた偽りの社会に気付き、更に教祖の教えられた「陽気づくめ」の世を実現しようという志が共有出来る仲間であれば尚、最高です。
個人的にはそういったものを形成する際に現状の教会制度が上手く活用出来るのではないかとも企んでいます。
無論、上下関係は一切無しにです。
深く思案すると究極はまず自ら自給自足出来る環境を整えていくことなのかもしれません。
有難いことに日本にはまだまだ自然に溢れる環境は残っています。
地方は過疎化が進み、チャンスは無限大にあると思います。
自然と向き合い、自然に学ぶ日々を目指すことが近道のような気もしてます。
教祖も「一に百姓たすけたい」と仰られていますから。
実社会において商売をしてきてずっと心の奥底に引っかかっていたことは、
「高こう買うて、安く売りなされや、値切るようなことをしたらあかんで」という教祖のお言葉でした。
最初は単に薄利多売のことなのではないかと一人合点していましたが、今では貨幣社会からの脱却の意味合いが含まれるのではないかとも推察しています。
思いついたら即実行、これが自分の性分であり、また深く思案するところもあり、実は早々にも今の事業を整理し、日本への本帰国を進めているところです。
帰国した際は是非、お会いしましょう。今から楽しみにしています。
お詫びなんてしないでください。私はただの変人ですから。笑
また帰国した後、落ち着いたら私も今までの膨大なインプットを徐々に自ら発信していこうと考えています。
「みかぐらうた」研究、陰ながら応援しています。
http://mikagurauta.grupo.jp/
このサイトは今後の教内の展開に大きな一つの道しるべとなる可能性が非常に高いと思っています。
楽しみにしています。
海外より 様
返信有難うございます。
驚きといいますか、現行の天理教の教えからよくぞその方向へ思索を進められたとある種の感動すら覚えます。しかも、私自身が漠然と構想し頭の中で組み上げようとしているシステムを実際に計画し実行に移そうとされているとは、もう表現する言葉がありません。
基本となるのは「農業を中心とする自給自足体制の確立」であることは間違いありません。
そして、それは閉じられた組織ではいけません。
過去に、自然の中で自給自足組織を作り、閉じられた団体として運営し消えていった幾つかの「カルト」と呼ばれた団体があったかと思います。外部との人の移動(参加や脱退)や物資の移動(売買)は不可欠です。
参考になるのは「農業生産法人ヤマギシ会」かとも思っているのですが、内部の運営方法や実態が調べにくく、まさか実際に参加することもできずに困っております。また、ヤマギシ会は「食糧生産」を主に行っているだけですが、こちらは規模の拡大とともにあらゆる物の生産に着手し、取り込む必要があると思います。取り込みきれない会社や産業は、投資等により経営の一翼を担って、此方の趣旨に沿った形での契約や委託をする形になるでしょう。
その為にも、内部での教育・人材育成が重要で、医療や技術開発、研究開発等も並行して取り組む必要があります。
もちろん、これら組織・会社の運営やあり方は、商業主義や強制的ノルマなどのない、互い立合い助け合い、一列兄弟、難渋する者のいない、といった教祖様の教えを実践するのが大前提です。
今の天理教本部がこの事に気付き取り組んでくれるなら、その資金力と組織力で数年のうちに形ができるのではないかと計算すると、残念でなりません。
サイトへの応援有難うございます。
自画自賛するつもりはありませんが、宗教関係のサイトで個人的に離脱や脱退するモノは数あれど、宗教法人ごと離脱する経緯を描いたサイトは日本初ではないかと思います。もちろん、たまたま私がそういう環境に生まれ育っただけの事ですが。
私は、長年エネルギー危機を研究していて、将来には絶対食料危機が来ると確信して、10年前、心機一転(サラリーマン家庭で育つ)、5反の田んぼと山林を購入し、新規就農いたしました。農地法の縛りが非常にきつく、実現までに数年費やしました。将来的には、「ヤマギシ会」的なものを目指して、現在地元の方々と交流中です。
翻って、田舎に住んでいる姑一族には田畑が残っていません。月給を稼げる職場がいろいろあることも一因ですが(都市化)、長年、田畑を切り売りして献金してきました。明治時代からの信仰です。
世間で揶揄されている
『やしきをはろうて、たうりたまえ、すってんてんのみこと』
を、見事に忠実に実践してきたのです。
先祖伝来の宗教を捨てて、新信仰に走った姑一族が、将来の食料危機を自給自足で乗り切れないのは憐れです。
天理市の広大な元農地の教団敷地。大金を投入した(元は全国信者の田んぼが資金源)コンクリ―ト建設ばかりで、もはや農地には戻りません。
この世に神がいるとしたら、この理不尽を見逃すはずはない。
姑が布教師で苦しんでいます 様
本当に天理教は恐ろしい宗教ですね。知人の教会は1955年(昭和36年)ころには、父(教会長)名義の田畑が2町歩ほどありました。ところが、教祖100年祭(1986年・昭和61年)には0になっていました。全てお供えに消えたのです。
挙句の果てに、地震により会堂が全壊して、今は教団本部を通じて奈良県内の南都銀行から借金をして、会堂を再建。いまだに借金を返しています。
地震の時、この田畑さえ有れば借金の額も少なくて済んだのではと思うと、今更ながら、教団本部ばかりがバカでっかくなって、余りのアンバランスに怒り心頭です。
挙句の果てに、代表役員が奈良県で一番有名なゴルフ場の取締役に就任しているなんて聞くと、バカバカしくて、お供えなんかしてられませんよね。ったく度し難いとはこのことです。
東風Z 様
ご返信ありがとうございます。
2町歩が0とはこれまたとんでもない被害額ですね。本部は不動産等ガッポリ貯めこんでいますが、万一宗教法人を解散することになったら、全財産は宗教法人役員の個人財産になるそうです(国庫に入るのではないらしい)。中山家本部員家は天理教が消滅したらウハウハ。彼らからしたら、一般信者はゴミくず以下なんでしょうね。やってられません。
腹立たしさに作文しました。ちょっと下品ですいません。
とにかく、まずは、「総括」が必要と思います。
:::::::::
「ヤマギシ会」とか「自給自足」とかアホぬかせ。
これまでさんざん、田舎のじいさんばあさんだまして、田畑を取り上げたやないか。
{屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと}
田舎で暮らすばあさんにとって、畑がないってどんなにミジメなことかわかるか?農作業で時間はつぶせんし、おすそ分けで作物譲り合う輪にも入れないんやぞ。食料危機でも来たら、子孫は田畑をだまし取られた先祖を恨むんやぞ。
オウムでさえ、教祖、幹部の過ちを総括し、「アレフ」と出直したぞ。過去の幹部の田畑の強制献金の間違いを認めるなら、総括して「エレフ」でも「オレフ」でも出直せ。
天理教信者に自給自足を語る資格なし。
末端教会子弟様
返信有難うございます。
私はそんな大それたことを成し遂げようという考えはなく、取り敢えずは自分を含めた家族を自然溢れる環境に移し、自給自足出来る形、またそういった環境での自立を目指そうとしているだけです。
都会は世俗的な欲望を満たすには大変便利なところなのですが、今の自分には既に興味がなくなり、何より子供の環境を考えたことが大きな要因のひとつです。
逆に言うとそういう環境に身を置かないとわからないことがあることに気付いたというか…そんな感じです。
現行の天理教の教えから今のような発想に至ったというより、まずは社会的な問題や噓偽りを追求し、本来の人間の本質とは何かを自分なりに研鑽していった中での影響が大きいと思います。
今までの色眼鏡が外れた頃、傍らにあった原典を読み返した時に、今まで感じ得なかったような意味合いがまるで頭を揺さぶられたように感じることができ、そこで改めて教祖の教えを研究し直し、今に至っています。
海外在住が長いという理由では済まされないかもしれませんが、恥ずかしながら「ヤマギシ会」という団体がそのような団体であることを知りませんでした。
早速調べてみて、更に驚きました。
自分の中で漠然としたものでしかなかった事を、70年も前から既に具現化し実践され、大きな結果を残されている方が存在されたということに驚きといいますか、何と言うか…言葉になりません。
私は農業に関しては福岡正信氏の思想に大きく影響を受けています。
既に故人であり、実際にお話を伺うことは叶いませんが、「わら一本の革命」という本に、とても深い感銘を受けました。
今後、「ヤマギシ会」を含め、創始者であられる山岸巳代蔵氏に関して勉強させていただこうと思います。
姑が布教師で苦しんでいます様
総括すれば「教祖の教え」と「教団の教え」は違うということです。
「教団の教え」は「教祖の教え」の一部を利用した悪質な教えということです。
私から言わせていただくと姑が布教師でまだ良かったですね。
ここに来られる方は実際の「母親が布教師で苦しんでいます」という方も多いと思うのです。
それは自分も含めてです。
私の先祖も明治時代に田畑、自宅全てをお供えし道一条になっています。
そこまでしなくとも良かっただろうにと今痛切に思いますが、恐らく今からでは想像もできないような空気感がそこにはあったことも事実だと思います。
人間である天皇を神と信じ込まされ、我が子をお国のためと戦前に送り出し、戦死が名誉とされた狂った過去があったことはご存知のことと思います。
そういった狂気に似た空気感の中で狂気沙汰が行われたようにも思うのです。
だからしょうがないじゃないかといいたいわけでなく、今、我々が出来ることはそういう過去があったということをまず受け入れるしかないように思うです。
受け入れた上でそれぞれが様々な行動をしていくほかないと思います。
これは人ごととしてではなく実際の当事者としての考えです。
本部の人達が信者に真実と教えて集めたお金を、最終的に個人資産にするようなことになれば(実際には既に為されているのでその日は遠くないと思いますが)、それこそご分家さんが自身で言われているように中庭に引きずり出されて撲殺されることになるしょう。
コメントの内容があまりにも「お前の母さん、で○○」的なレベルで閉口しました。
あなたこそ自給自足を語る資格がないように私には感じてしまいます。
管理人様
申し訳ございません。上記コメントの削除依頼をお願い致します。
管理人様
本日PM2:30に記載、送信した私のコメントの削除をお願い致します。
本意ではではない不適切な内容を記載、送信してしまいました。
不快に思われた方々に深くお詫び申し上げます。
海外より 様
お話の内容はよく理解できました。
私の先走った話をお許し下さい。
「ヤマギシ会」も以前、幾つかの点でマスコミに取り上げられ社会問題になった経緯があります。入会の際の「個人資産を寄付させる事」とか「子供の教育」「未成年者労働」「内部での家族関係」などだったかと思いますが、引き続き調べたいと思います。
姑が布教師で苦しんでいます 様
いきなり「総括」「総括」と連呼され、まるでどこかの団体のような印象を受けましたがどうなのでしょう?
問題点があるなら反省し改善改革を進めるのは当然でしょうが、今の天理教組織には全体的な改善改革を進められる立場である本部上層部が「問題だと思っていない」のですから反省もありません。
問題だと思っている人間が、それぞれ身を守りながら、それぞれの範囲内で出来ることをコツコツと取り組んでいくしかないでしょう。
私は、その為に「問題意識を持っている人」が情報交換をしながら協力体制を作ることが第一歩だと思っているのですが。
もちろん、天理教団に対して、それ以上の力で「外圧を掛ける」ことの出来る組織なり存在なりを動かすことが出来るなら話は別でしょうが、貴方にはそういう心当たりがありますか?
姑が布教師で苦しんでいます 様
返信下さり有り難うございます。
お父さん(教会長)名義の土地ですから、どのように処分されようとご自由とは思いますが、お供えという形になったのが、後々、子供さん連中で議論を呼ぶことになったようです。
本来ならば、農作業をされていた長男さん始め、他の子供さんに相談されるべきだったでしょうね。過疎地のことですから農業を継ぐ人も居なかったのかもしれませんが、それにしても、お供えに消えてしまって、当事者は困惑し、教団本部はヌクヌクとしているのですから宗教なんてサギみたいなものですね。
山名大教会のように、教祖百年祭に際して行った心定めは、3年千日の間、毎日百万円お供えしようなんて言って、部内教会長さんは抗議の自殺をされているのですから、三代真柱も一言「無理をしなくていいよ」くらい何故言えなかったのでしょうね。
〇〇な宗教にくっ付いている人達の心境が理解できません。
東風Z 様
農作業をされていた長男さんはさぞかし大変だったでしょうね。農業は結構トラクターとか耕運機とか設備投資が大変です。見込みが違ってくるのは、他に本業がなければ結構経済的にきついです。
また、2町歩とのこと、戦後の農地解放では小作一家に平均で3反が割り当てです(3反農家という言葉がある)。おそらく戦前からの地主さん、つまり、本当に先祖伝来の田畑であったと想像します。長男さんはじめご家族の方々が事態を呑み込むのにかなりの苦痛を感じられたことをお察し申し上げます。
>三代真柱も一言「無理をしなくていいよ」くらい何故言えなかったのでしょうね。
これで思い出すことがあります。結婚して、姑に夫婦そろって大教会に挨拶にいかされたのですが、大教会長は終始無言で全く笑顔なし。「おめでとう」「お幸せに」「仲よくね」・・・などお祝いの言葉も全くなし。姑は何らかのお供えをし、何かの粗品を「拝し戴いた」だけ。あとで「天理貴族」という(鳥貴族のような居酒屋さんみたい)言葉があると聞いて、なるほどなあと納得しました。庶民の心情や生活を知りもしないし、知りたいとも思わないんでしょうね。
① 天理教は長年、農村の信者に田畑を売って献金させ、教勢を拡大してきた
<屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと>
② これにより、一族および子孫が自立に必要な自給自足の貴重な手段を喪失
③ 天理教再生の方策として、今後は、農村での自給自足集団を目指す
これっておかしくないですか?
人としてのどうなの? 道義的責任はあるでしょう。
田畑を喪失した人すべて(子孫を含む)を受け入れる田畑は確保できるの?
(結論:できない)
農村はどこでも年に数回、水普請と道普請があります(手弁当での補修作業)。
自治体からはセメント材料費等の実費支給はある。これ、ほぼ9割がた、田畑周りの補修です。最近はどこも過疎で人手不足で、一人暮らしの田畑のない元農家のおばあさんも駆り出される。出ないときは一日につき不参金5000円を徴収される。年金収入だけで苦しいのならば出ないわけにはいかない。
そんな集落へ、集団的自給自足を目指す天理教集団がやって来るとします。集落維持活動へ参加を期待して自治体も集落も大歓迎ですよ(ただし宗教アレルギーがないこと)。噂を聞いて、どこからか積極的な誘致があるかもしれない。でも、そのおばあさんの家の田畑喪失が天理教献金が原因とすれば、その集団に優先的に入れてもらえるんですか?先祖の献金だったら証明できませんよ。入れてもらえなかったら、そのおばあさんの集落内の立場は、まさに生き地獄です。ミジメでミジメで。田畑を失ったミジメさ、集落の人から後ろ指もさされるし。
おばあさんの生産性も低いでしょうから、自立確度の観点からも集団から除外せざるを得ないのでは?だいたい過去に献金さえしなければ、田畑を維持できて、家族内で自給自足体制整えられたはず。
今、小さい集落に例えたけれど、自治体規模に拡大しても同じ「理」屈です。
こんなこと、道「理」にかなわない。
「理」不尽です。
<<<私が神ならば、絶対に許さない>>>
どうしてもしたいのならば、過去の教団の献金方法(田畑を売却させた)が間違いであったことを謝罪し、総括し、「エレフ」でも「オレフ」でも出直せということ。天理教は、あまりに適当に都合良く、「理」という言葉を使い倒しています。麻原は、天理教に集金システムを学び、最初は「真理教」の予定だったが、パクリがバレバレだからオウムをつけた と、ニュースで言ってました。
何度でも貼ります
(貴女こそ、自給自足を語る資格はないと逆ギレされましたが)
:::::::::::::
「ヤマギシ会」とか「自給自足」とかアホぬかせ。
これまでさんざん、田舎のじいさんばあさんだまして、田畑を取り上げたやないか。
{屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと}
田舎で暮らすばあさんにとって、畑がないってどんなにミジメなことかわかるか?農作業で時間はつぶせんし、おすそ分けで作物譲り合う輪にも入れないんやぞ。食料危機でも来たら、子孫は田畑をだまし取られた先祖を恨むんやぞ。
オウムでさえ、教祖、幹部の過ちを総括し、「アレフ」と出直したぞ。過去の幹部の田畑の強制献金の間違いを認めるなら、総括して「エレフ」でも「オレフ」でも出直せ。
天理教信者に自給自足を語る資格なし。
姑が布教師で苦しんでいます 様
この会長さんは、農業が好きで開墾し、後継者が居なくなった田畑をコツコツと買取り5人の子供さん共々に農業に勤しんでおられました。天理教なんて無くても良かったのです。
名称があったばっかしに、こんなことになってしまいました。名称は末代の理なんてほんぶにとって都合のいい理論を組み立て、末端教会をがんじがらめにしてしまったのです。
「理」が無いという言葉をよく聞きますが、理が無い所は、理のある所に比べて空気が薄いとでもいうのでしょうか。バカげた言い分に耳を傾けないことが肝要ですね。
私の祖母も、長く信仰していた天理教信者でしたが、持っていた田んぼをお供えしたら、子供も孫も、皆が良くなるのに、と所属教会会長からよく言われていたそうです。母から聞いた話です。祖母は田んぼはお供えしなかったようですが、商売もしていましたから、お金でのお供えは相当にしております。それでもまだ、そのように、田んぼもお供えしたら皆が良くなる、というように言われていた訳ですね。
教会は、信者が財産を持っていたら、お供えする方が良い、という考えだったのでしょうね。会長は会長で、運命がよくなるご守護を頂けるのだから、信者の為だ、という信念があったことでしょう。自分は貧のどん底で暮らしてる、善良な、いい会長でした。
教団本部の、信者の財産を取り上げる為の、偽教理の刷り込みが、全ての元凶ですね。
東井朝仁さんのブログ
http://www.k3.dion.ne.jp/~tooi/
その中の「私のスタンス」という記事を、こちらに紹介させて頂きます。
http://www.k3.dion.ne.jp/~tooi/yoisyuumatsu/yoi20130228.html …
さらに付言すれば、友人などから天理教の教えを聞かれた場合には要点を説明し、天理の地の見学を請われれば、奈良まで引率して案内することはしていましたが、こちらから入信(教団加入)を勧誘することはありませんでした。
なぜなら成人になってからの私の心の底には「宗教団体に入ると、神(教理)との純粋な対峙は遠のき、信仰を大義名分とした人間集団の俗的な行事や義務に翻弄される。だから、教理・経典の教えに救いを求めるとしたら、一人で教理・経典に触れ、神と自己とが静かに向き合える立ち位置をとったほうが良い」との考えが強かったからです。
勿論、宗教団体に加入することにより、「仲間が増え、孤独から解放され、同志から守られている安心感がある。また、指導者から教理を諭されて信仰に厚みが出来る」という人もいるでしょう。教条的に絶対的な帰依を求めることにより、全信者を組織防衛的に統括する宗教団体。その国家権力も容易に介入できない傘の下に入ること、不安と孤独とコンプレックスに陥っている人は、人生で今だかってなかった安寧が得られるのでしょう。
極端な例をあげれば、あのオウム真理教に加入した若者たちの心情も、かようなものであったのでは、と私は推察するのです。
だからこうしたほうが良いという断言は、私には出来ません。
しかし、もうその様な思惑や配慮が、私の心をとらえることは無くなりました。何故なら、私共家族は20数年前に天理教団を離脱して(離脱させられて)おり、どの宗教・宗派にも属していないからです。誰がどんな宗教団体に加入していようが、どんな教えを信じていようが「どうぞお好きに」という醒めた心になっているのです。
宗教団体に関しては全く興味がありません。
離脱した理由は、ここでは「抜き差しならない諸般の事情から」としておきますが、一言。
巨大なピラミッド型の天理教組織。その下部の一隅に位置する小さな教会の長(宗教法人法では代表役員という)を、戦前戦後を通じて40数年間必死に務めてきた父。その父が死去した際のことでした。
教団組織の上層部から、現住する教会(敷地)からの東井家の立ち退きを、突然に命令されたのです。本来はその地で長の任に当たって生活してきた父母の長男、私の兄が後継者となることは、教団内では衆知の事実となっていたのです。そこで教会関係者一同の嘆願書などをたずさえて、何回も請願に伺ったのですが、全く聞き入れて頂けなく、みな絶望のどん底に落とされてしまったのです。
私は「これは宗教上の問題ではなく、教団上層部の人間的な我慾(注・当時はバブル経済真っ盛りで、広大な教会の土地価格は高騰していた)に端を発していることだ。社会的・道義的に認められるものではない。宗教上の親(教団指導者)と子(下部組織の信者)の問題に歪曲化して、教団幹部は「真の信仰とは、親の言うことに子供は素直に従うことだ!」と有無を言わせずに恫喝しているが、問題のすり替えだ。これは一般社会の問題として、民事として法律的に厳正に処するしかない」と判断し、民事裁判に解決をゆだねたのです。
結果、4年にわたる係争は、私の敬愛してやまない老師に仲介に入っていただき、ようやく和解となりました。後日、地元の税務署長が「巨大宗教団体と個人の係争で、このように個人の側がつぶされずに対等和解で解決した例は、日本では初めてじゃないですかね」と感嘆されていたとのことでした。
父の死後、和解が成立するまでの期間、残された母親や長兄一家は、教団からの有形無形の圧力を受け続け、私にも、ある親しい人から「向こうは暴力団などを使って何をしてくるかわからない。朝チャン、くれぐれも駅のホームでは前に並ばない方がいいよ。気をつけて頑張ってな」と、密かな助言がありました。
仕事で疲弊して帰宅しても、神経は高ぶり、幼い子供3人の寝顔を覗きながらウイスキーをストレートでコップ一杯飲みほしても、全く酔えず、緊張した不安な日々が続いたのです。
この時こそ「宗教団体は恐ろしい組織だ」と痛感したことはありません。そうした事態を夢中で乗り越えてきたのですが、最近になってようやく、「天理」という実名を表現出来るようになったのです。
今でも教理は素晴らしいと共感し、教団の信者さんらには立派な方も多くおられます。みな温和で親切で腰の低い、良い人ばかりなのです。
しかし、信仰の名のもとに宗教団体が巨大組織化されていくと、必然的に集団は官僚制に組織化され、残念ながら権力の中枢にいる一部の指導者らによって、人間社会のどろどろとした欲望が渦巻いてくるのです。
ようやく歳月が苦しみや悲しみを洗い流し、今は静かな澄んだ心境から、懐かしく天理高校時代を想い出されます。
私は世界中のどの宗教でも、人々の心を励まし、生きる希望を与えてくれる素晴らしい教理・経典を持っていると思っています。絶望に伏した人を立ち上がらせ、涙にくれている人の心に、明日への望みをさとして
くれる。それは神や仏にすがるように向き合ってこそ生じる、信仰の光でしょう。
しかし!純粋に信仰を希求する人々も、集団に組み込まれ、ヒエラルキーが貫徹する上下関係が成立する組織となってしまうと、徐々に組織内部には名誉欲、権勢欲、金銭欲がはびこり、宗教団体は社会一般の常識は通用しない、排他的な特殊な人間集団に化してしまうのです。
だが現実は「正しい教えを広く国民に広めることが、弱者の救済と社会平和に貢献することになる。そのためには個人だけでは無力で何もできない。だから信者を増やし、統制のとれた強い宗教組織が必要になるのだ」と強弁する宗教関係者が多いのです。
私のつたない経験から、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する・・」(憲法第20条第一項)「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」(同条第二項)とありますが、はたして日本では完全に信教の自由が擁護されているのだろうか、と疑問に思います。
敵は国家権力だけではないのです。憲法第20条をないがしろにするのは、不幸なことに各宗教団体自身でもあり(宗教間の争いは陰湿。世界的に見ても不毛で残虐な宗教戦争ばかり)、同じ宗教団体内の排他性にもあります。
私が中学を卒業して東京を離れるまでの幼少年期の頃、前述したように教会だった私の家の門には、人糞(当時はまだ汲み取り便所ばかりだった)が捲かれていたり、塀には白ペンキで「邪教!」と大書されたりする嫌がらせが、頻繁に起こっていました。
また、私が小学生のころ、近くの商店街の八百屋に買い物に行った時、店のおばさんから「天理教だね。あんたのとこには売らないよ!」と怒鳴られ、悔し涙で帰ってきたこともありました。
一方、所属の宗教団体から離れた人は、かっての極左暴力集団内のリンチではありませんが、「地獄に堕ちろ!」とか「子孫の代までたたりがあるぞ」などの嫌がらせ電話や機関紙などによる誹謗中傷を日夜受け、地域によっては村八分にされて一家離散したり自殺に追い込まれるという痛ましい事例を、私は教団・宗派を問わず、嫌というほど見聞きしてきました。
こうした経験から、私はいつの頃からか「宗教でも政治でも、教団や政党には入らない。自分達だけが正義かの様な独善主義と、人が人を隷属して成り立つような閉塞した人間集団は、必要悪かもしれないが、私はノーだ!」との信念を形成してきたのです。
ただし、様々な宗教において、日夜一生懸命に布教に没頭されている方や、政党の党員として志を高くして活動されている方の中には、人間的にも素晴らしい方がおられます。そのような方々とは、心楽しく交流を続けさせて貰っています。
毎晩、テレビの横に置いてあるフクロウの絵が描かれた七宝焼の絵皿に向い、神様、ご先祖様、今日も無事に過ごすことが出来ました。有難うございました。明日も一家揃って、無事に元気に過ごすことが出来ますよう、お守りください」と手を合わせているのです。
これが、私のスタンスです。
匿名
2017年6月26日 8:20 AM さま
全文、感動いたしました。
私の父は、毎晩布団の中で手を合わせ(ズボラとも言えますが)、旅立つその日まで
{神様、仏様、ご先祖様、今日も一日結構に暮らさせて頂きありがとうございました。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏}と言って眠りについていました。
東風Z 様
>この会長さんは、農業が好きで開墾し、後継者が居なくなった田畑をコツコツと買取り5人の子供さん共々に農業に勤しんでおられました。天理教なんて無くても良かったのです。
名称があったばっかしに、こんなことになってしまいました。名称は末代の理なんてほんぶにとって都合のいい理論を組み立て、末端教会をがんじがらめにしてしまったのです。
一般世間では、田畑を売るのは、儲けたいから(宅地開発とか)、いろいろ理由があります。でも、農業が好きで、しかもご家族仲良く暮らしていらっしゃるところで、想像もしない急な農地喪失。耐え難いこととと想像します。きっと、四季の移ろい、発芽するときのワクワク感、収穫の際の報われた満足感、五感で自然に感謝されていたでしょうね。こんな悲劇をお聞きすると、私まで胸がつぶれそうです。
「許せません、天理教」
この思い、また時間があるときまとめて投稿いたします。
姑が布教師で苦しんでいます 様
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから 十四 25
天理教教祖の想いは、このおふでさきの一句に尽きますね。あまりにも程遠い教団の現実に何と表現すればいいのか、言葉が見つからないほどの悲嘆です。知人が余りにも気の毒に感じています。
今年は、殊の外おいしいコメが出来ました。一俵お供えします。と言ってはるばる天理まで運んできた米を見られて、教祖の喜びは如何ばかりかと思うのに、教団は田畑を売らせて現金を持ってこさせたのです。
この現金で、一時は笑顔になれても、田畑が無くなれば根はとだえ、枝葉も枯れてしまったも同然です。
カンロ飴 様
>私の祖母も、長く信仰していた天理教信者でしたが、持っていた田んぼをお供えしたら、子供も孫も、皆が良くなるのに、と所属教会会長からよく言われていたそうです。
>偽教理の刷り込みが、全ての元凶ですね。
書き込みをありがとうございます。天理教が長年田んぼの強制売却献金を奨励してきたかを示す、貴重な証言です。
普通、宗教での献金は信者の自発的行為であり、警察は不介入です。しかし、偽教理に基づく偽宗教ということがはっきりすれば、これは立派な詐欺罪です。外国では、カルトとして、厳しい取り締まりの対象です。今回、東風Z 様のお話で、2町歩というとんでもない巨額詐欺まで判明いたしました。
「天理教許すまじ」、私の頭はグルグルそのことが渦巻いています。
天理教機関紙「みちのとも」立教180年7月号の特集は「魅力ある教会に」である。
早速疑問だが、魅力をそなえた本部なら、それが伝播して各教会も魅力が増すのではありませんか?
こんな事を特集する前に、表統領の「お供えしなければ命が切れる」発言問題や、ハニトラ、美人局による金銭たかられ、ゆすられ問題。
両統領の指示による島村、中山治信本部員、高井準員らが実行し、失敗に終わったという大教会法人乗っ取り事件などの釈明や謝罪が先決なのでは?
こんな魅力のない本部に「魅力を増せ」と言われても、心はまったく動かない。
このままで本当に後継ぎの9月1日の結婚式は迎えられるのか?
まずは「魅力ある本部になってくれ」。そう願うばかりである。
早速疑問だが、魅力をそなえた本部なら、それが伝播して各教会も魅力が増すのではありませんか?
なぜそう思うのでしょうか?
魅力ある教会もありますよ。
下を言えばきりないですよ。
徳川将軍家 中山家
親藩 尾張・紀伊・水戸 中田家 山澤家他
旗本直参 本部在籍者
譜代大名 ゴマすり上手な金持ち直属大教会
外様大名 ゴマすりの下手な直属大教会
箸にも棒にも掛からぬ小規模直属大教会・分教会
農民・工商 何にも知らない善良な用木たったの68万人
実働用木は20万人?
年貢米の上納 多額の金を上納
江戸時代とそっくり
教会住み込み様
≫早速疑問だが、魅力をそなえた本部なら、それが伝播して各教会も魅力が増すのではありませんか?
>なぜそう思うのでしょうか?
魅力ある教会もありますよ。
下を言えばきりないですよ。
もちろん、 魅力ある教会も一杯ありますが、そうでない教会の方が圧倒的に多いのが現状です。
「下の事をいう」というより、最低限の条件として、本部に魅力を求める事は、間違いではないと感じます。
本部も、各教会も魅力一杯だったらいいですよね。
退職信者 様
水飲み百姓 末端教会(生かさず殺さず)
注釈:元気に生きていると本部にたてついて文句を言いだす。
死んでしまうとお供えをしてくれない。
弱りながらも、生かしているのが本部としては都合がよい。
伝え聞くところ 本部は五代目養子縁組の祝儀を直属教会に要求したらしい。
9月1日の結婚式では、更に更に多額に祝儀を直属教会に要求するんだろうな。
中小大教会や直属分教会の会長さんや奥さんは、今頃金の工面で夜もぐっすり眠られないだろう。
苛斂誅求は封建時代の話かと思いきやいまだに続く天理教。
こんな事やられたら大教会長さんだって自殺したくなりますよね。
西の方の大教会では、会長さん一家が夜逃げしたらしい。
ストレスから賭け事にはまってしまった大教会長さんもいるとのことです。
本部在籍者と要会の間には、我々一般信者には想像することができない大きな壁が有るらしい。
末端教会も悲惨な状況だが、中間管理職の様な直属教会や分教会の関係者にも悲惨な人生を送っている人達が多数いるらしい
本部在籍者は、ピラミッドの頂点のキャップストーンみたいだね。早く滑り落ちてほしいものだ。
末端教会(生かさず殺さず)
私は、関東に住んでいます。
私の町や周辺の地域の教会は、既に窒息状態です。
(生かさず殺さず)の域を越えてしまいました。
本部在籍者は、この現実を認識できないのです。
なぜなら本部神殿や周辺の建物があまりにも巨大だからです。
目に見える建物の大きさに惑わされて現実が認識できないのです。
(解っているけど認めたくない?)(まだ何とかなる?)
この状況は、天理から離れれば離れるほど顕著であると思います。
天理教は、既に関西の一地方都市のローカルな宗教団体なのです。
用木信者は、潮が引くように静かに静かに去っています。
祭典当日の神殿周辺のパイプ椅子が、がら空きになるのも遠い事ではないとおもいます。
2017年6月28日 11:58 AM 教会住み込み様のコメント
≫早速疑問だが、魅力をそなえた本部なら、それが伝播して各教会も魅力が増すのではありませんか?
>なぜそう思うのでしょうか?
>魅力ある教会もありますよ。
>下を言えばきりないですよ。
「魅力をそなえた本部なら」を言い換えると、「魅力ある本部なら」です。
私は「魅力のない教会ばかりだ」とは申しておりませんよ。
「本部に魅力がない」と言っているだけです。
その本部が魅力を増せば、我々部属教会も「現状から更に魅力を増せる」と申し上げているのです。
「教会住み込み」様、どうぞご理解ください。そして どうぞご自愛くださいませ。
イスラム教の自爆テロ(殺人)でさえ、ジハード聖戦という大義がある
天理教の、農家に田んぼを売らせて献金させることに 大義はあるのか?
@大義なんかあるか ボケ!!! ひたすら金集めたいだけやろ!!!
よって、天理教は宗教ではない。天理教は邪教である。
① 集金方法について 洗脳
1.「理」とか、天理用語独特の使いまわしをして、信者を抑えこむ
匿名 2017年6月21日 11:44 AM 様 より転載させて頂きます。
>結局は全て理の世界なので、成ってくるのが天の理ですよ。
天理教洗脳の怖いところです。
貧乏も理、病気が治らないのも理、事情も理
あなたの心が成人していないから神様も働いて下さらない。
もっともっとお供えして教会の御用をして神様に受け取って頂けるように運びなさい
そして会長さんに不足してはいけません。布教していなくても、いい車乗っていても、子供達を若先生と呼ばせ年上の青年さんを奴隷のように扱っていても、せっかくのお供えやひのきしんの行為が無駄になります。
都合良すぎです。
2.脅迫
徳を積んだら(献金したら)幸せになる=しなかったら地獄に落ちる (脅迫)
② 集団ヒステリー
年に2回も、何万人 何十万人(昔の話)信者を集めてお祭りし、信者のアドレナリン放出を高め、高揚させ、多幸感を与える。
よって、この「洗脳」と「集団ヒステリー」をもって、天理教は邪教どころか 「カルト」であると認定する
ちなみに、S学会はフランスでカルト認定され、布教禁止になったそうです。
天理教に比べればカワイイもんです。
洗脳を解くには
① 中山みきの素性がまず怪しい
私は、霊媒師くずれのみき婆はいたのだろうけど、「教理教義を語る教祖中山みき」は周りの人間が作り上げた虚像だと結論づけています。~の理とか、相当の博識なければ語れません。
#400 爆サイ掲示板 天理教を信仰されている方
みき婆さんが中山家へ嫁ぐ前の素性をご存知でしょうか?真偽の程は明らかではないのですが、私は以下の話を、ある奥様(実家は京都の宮内庁御用達、奈良の。。。店へ嫁ぐ、大正生まれ、話を聞いたときは60代)から聞きました。これ以上は身バレするので残念ながら書けません。
「みきが10代のころ、江戸末期、京都の七条で、商店の軒先で、父親と二人で、霊媒師(占い師)のようなことをして生計を立てていた。だから、明治時代になって、みきが「天理教」となって戻ってきた時は、周囲の人は大層驚いた。」
・・・・
おっしゃること、すべてがす~と納得です。どこかの文献で、日本全国の庄屋は5000軒ほどしかなかったと読んだことがあります。大金持ちで、かつ、人徳、博識、優れないと村を束ねられないし、名士名家揃いであったことでしょう。それにしては、中山みき伝に出てくる登場人物がお粗末だなあとずっと思っていました。教理教義が作り話満載なら、伝記も作り話満載で当たり前ですね。
「庄屋」「庄屋」と連呼すれば、信頼性が増し、多数の小作農が有難がると思ったのでしょうね。作り話を作った人たち、実に「やり手」です。賢いです。
たくさんの人が騙され、財産失いました。大金で庄屋前川家の戸籍を買うこと、あの時代(江戸時代から明治時代への激動期)、大いにあり得ると思います。だから、生年も没年も疑っています。
② 教理教義
あちこちの宗教からのパクリ満載で、永遠に理解不能ですよ。仏教の無常と神道の現世追及は共存しません。教理が矛盾だらけ。教理の基となる内容は各宗教のエエとこ取りの寄せ集め。しかも、ユラユラ中身が時代とともに変化する。
ごくの中身がいつの間にかはったい粉から米粒に変わっている。宗教から頂くものには「意味」があるはずですから、中身が変わるはずがない。ごくを売って稼ぐのが目的の「宗教ビジネス」だからこそです。神名も、転輪王、転輪王命、天理王命、ころころ変わる。あり得ません。
変わった段階
ステージ1 立教当初、みき婆が顔出ししていた仏教の「講」の知識
神社の元神職も加わる
ステージ2 真柱が、東京帝国大学宗教科在籍時、多くの優秀な学生の知恵を借りる。
ステージ3 戦争時、国家神道に入らんがため、崇拝信仰の体裁を神道に近づける
③ 教祖様の教理は素晴らしいが、現在の教団が悪いと嘆いているうちは、洗脳は解けません。
最初の宗教団体設立時、みき婆が頼りにしていた博徒が仲間に入り、最古大教会の初代教会長になった。博徒が改心してかたぎになるのは素晴らしいことだと思いますが、宗教団体の幹部となって人の上に立つことは自分の来た道を考えれば普通は控えます。立教の最初から、こんな程度の宗教団体です。
もっともっといっぱい書きたいことがあるのですが、なにぶん農婦をしていて忙しいです。時間がありません。「天理教を信仰されている方」掲示板では、神芝居『オウム天理教』が始まっています。ご興味のある方はぜひお越しくださいませ。
爆サイ掲示板
天理教を信仰されている方
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4474393/tp=1/
天理教を信仰されている方の続きやで~
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=5551753/tp=1/
天理教のここがおかしい
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4237660/osfp=1/
海外より
2017年6月24日 2:30 PM 様より、以下の投稿がありました。
>私の先祖も明治時代に田畑、自宅全てをお供えし道一条になっています。
<屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと>
これは、教団にとって、一石二鳥の、利点2つあります。
① 不動産が丸々、「現金」となって手に入る
② 布教師を「背水の陣」に追い込み、精神的に、布教活動に邁進させざるを得なくする
よく、話題に出てくることですが、昔の布教師は熱心だった、命がけで頑張っていた。。。。裏にはこういう背景があるのです。
天理教における道一条は、{ 破滅への<道> 直っしぐら }に思えてしかたありません。
20年近く前、新規就農のための農地購入の際、悪徳ブローカーの詐欺に引っかかり、裁判となりました。田舎の農地および農家住宅の売買は、農地法とかの縛りを外していくのが大変で、住友不動産とかの大手不動産会社は扱いません。取引価格が都会より数段低い上に手間ばかりかかる。外からやって来る者にとって、地元の良心的な不動産会社はどこかなのかわからない。今は過疎化で事情が変わり、自治体が助けてくれます。
公判中、何度も、被告席の悪徳ブローカーのデタラメ証言を聞かされ、血圧がグングン上がり、腹立たしさはMAXになりました。同情クレクレで、行きつけの美容院の先生に事情を話したところ
「まあね、騙される方も悪いのよ」
と、同情はもらえず、かなり、その先生に反発しました。
無事に農婦になれて、畑仕事に勤しんでいる今、ゆっくり振り返ると、
「世の中、詐欺に引っかかる方も悪いはなあ」
と、その先生の正しさに納得しています。
<屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと>
世間の人は同情していません。嘲笑しているだけです。
「「騙される方が悪い」」
先祖の宗教を捨てるからだ。
これらの嘲笑に耐え、農村で、田畑もなく、貧しく一人暮らしをしているおばあさん。それに対し、高級車を運転手つきで乗り回す天理貴族。明治維新で、江戸時代の封建的身分制度はなくなったのではないですか?
この点からも、天理教は宗教にあらず。
う~ん、遂に天理教を全面否定する意見が出てきました。私は、もう少し解釈を広げて神仏の存在自体に疑問を持っています。
一例として述べます。カインさんにお願いです。もし、これから書き込む内容がプライバシーを侵害していると思われたときは、直ちに削除していただきたくお願いいたします。
ある女性が旅行を終えた感謝のお礼を、日本でも有数の神宮にお礼参りに行かれる道中において、放火のとばっちりの被害に逢われて命を落とされた事件がありました。
神の加護があるべきはずの道中においてこのような最悪の事態に会われたことに、神の力が存在したのかという思いに至ったのです。
今は亡き職場の上司は言ってました。神戸の大空襲で生田神社が燃え落ちた時に、神の存在を信じなくなったと。
人間は弱い存在だと言われています。それを克服する手段の一歩が、先づ、自分に打ち勝つことが出来るかということです。満腹になっても目の前に置かれた大好物を見てグッとこらえることが出来るか。
何でもないことですが、これがなかなかできません。
だからこそ、自分に打ち勝とうとして神仏の存在を信じて信心の道に入るのかもしれません。勿論、心だけの問題ではありません。体が弱ければ、何故自分はこのような弱い体に生まれたのだろうとの思いが募り、目に見えない原因を知ろうとし、克服の手段を求めて信心の世界に入ってゆくのでしょうか。
人は十人十色と言われますが、人それぞれの想いは信心の世界でも同様ではないでしょうか。私は日野原重明先生の実行されている「腹七分目」を実行しようと日々努力をしていますが、達成できていません。
アルコールから抜け出せない人もあれば、酷い例では薬物から抜け出せない人、軽い例では、満腹になるまで食べ続ける人、いろいろな人が抜け出そうと思いながらも抜け出せない世界がある。
それらを克服する手段の一つが信心なのでしょうか。
天理教は、本当に「ようきゆさん」の世界実現のために存在するのでしょうか。いや、他の宗教もそれぞれの教義に基づいて説かれた世界実現のために努力していると思うのです。
ただ、天理教に関わってきて思うことは、どこかで、騙されているという気持ちが払しょくできていなかったことです。
東風Z 様
書き込みをありがとうございます。
私は、姑の「天理教どっぷり」に振り回され、天理教はもちろんのこと、宗教全般がいやになりました。世界中を見渡すと、宗教で幸せになっている人と宗教で不幸になっている人(イスラム諸国での戦争等)を総計したら後者の方が多いですね。米国でも、毎週教会に通っている人は減ってきました。
ただ、古来より日本は農耕民族ですから、そして、四季もある。極々素直に自然に感謝の念が沸き起こります。森に感謝する、川に感謝する、山に感謝する、花に感謝する、、、。それが「祈り」であると思います。祈る心があって、手を合わせる気持ちがあれば、それだけで、生きる「よすが」となります。八百万神信仰は、すべてを包み込みます。
「神様、仏様、ご先祖様、ありがとうございます」と常々手を合わせています。
お寺や神社にも、機会があればお参りしています(あちこち旅行した時とか)。
ところが、天理教は一神教だから、何でもかんでも親神につなげ、感謝の気持ちを「お金」ではかる。『おこがまし過ぎませんか、恥ずかしくはないですか』。私は、親神とやらを全く信じていません。たったの百年の歴史しかないのですよ。
実家の両親は、初詣は神社、そして、仏教の大宗派の総本山によくお参りに行ってました。亡き舅の一族も、熱心な仏教徒でした。ごくごく普通の家庭です。しかしながら、姑の天理教にさんざん引きずり回されて、疲れはてました。
以下の遺言書を 平成15年4月に記しました。
葬儀は「無宗教」でお願いします。バラの花と○○ちゃんのピアノ演奏でへ旅立たせてください。
{実家一族、舅をのぞく舅一族(姑の一存で、用木でもない舅を天理教で送った)がで待っていてくれるはずですが、会えないことは覚悟の上です}
すいません、一番大切なキーワードが抜けました。
『宇宙』へ旅立たせてください。
『彼岸』で待っていてくれる
姑が布教師で苦しんでいます
2017年6月30日 8:58 AM
すみませんが、何を仰りたいのかが良く理解できません。
ご自身が農地購入の際に、悪徳ブローカーに引っかかってしまい大変ご苦労されて、騙されたことに気付き、それを相談した人から「騙される方も悪い」と言われて、非常に腹が立ったが、畑仕事に勤しんでいる今は納得されている。
その上で私に対して「先祖の宗教を捨てるからだ」とのご指摘。
まとめると私も騙されて苦労したが、天理教で騙された人も自業自得、ざまぁみろ的なことでしょうか?
そしてご自身も騙されたご苦労されたが、天理教で騙された人は農業するな、と仰っているのでしょうか?
また「宗教」を否定されている立場で、八百万神信仰はされているということでよろしいでしょうか?
私の立場を明確にさせていただくと、
・天理教も含め多くの宗教教団組織はおかしい。(本来の真理が歪められている可能性が非常に高い)
・中山みき様の説かれたことは正しい。
です。
天理教でご苦労されたことは文面より大変良く理解出来ております。
どうか感情的にならずにお願い致します。
海外より 様
難しい議論は出来ませんが、曽祖父母の代から天理教に関わってきました。
感じたことを一言で書きます。私が地球上に生きていることが何か悪いことでもあるように感じてしまったことです。
ご恩報じをしろ、お供えをしろと言われ続けてきたからです。それ以外の何もありません。
東風Z 様
コメントいただき有難うございます。
何を返信させていただけばいいのか…言葉が見つかりません。
ただ、一つお願いすることが出来るのであれば、決して「地球上に生きていることが何か悪いこと」などとはお考えにならないで下さい。
東風Z様のここに書かれたコメントを全て読んではおりませんが、確かご年配の方であったかと思います。叶うことなら飛んで行って肩でも揉んで差し上げたい心境です。それは嘘偽り無くです。なぜなら元気のないお姿が父と重なり合うからです。何かお叱りを受けることがあるのであれば、遠慮なく叱って下さい。
海外より 様
温かい言葉をかけて下さり厚く御礼申し上げます。
この場に個人的なことを書き込むのは、少々憚れるところですが、ご容赦頂きたくお願いします。
天理教に関わってきて、全てが悪いことばかりだったとは思っておりません。現職中にお客様から次の言葉で問いかけられたことがあります。
あなたはひょっとしたら天理教を信仰していませんかと。そうです、と答えたところ、実は私もそうなんです。人との接し方が他の人と少し違ったので、常々そうではないかと思っていたと言われました。
その意味では、人を反らすことなくことなく過ごせたのではないかと思っています。
ただ、教会の人からは、お前は生まれてこなくてもよかったんだと取れる言葉を再々投げかけられて、今も心の片隅から消えることはありません。
若い頃は、死と向き合わなければならないほどの病気もしましたが、今は、80歳目前で薬の服用も無く元気に過ごせることは大きな喜びです。
天理教の方々にお願いすることがあるとすれば、余りにも権力的な形式にとらわれ過ぎた教団の姿を、もっとフランクな形に立て直すことではないかと思っていることです。
眞柱の教服は、真柱服と言い含めて梅鉢の紋の色も金色でなければならない理由などどこにあるのでしょうか。情けない宗教になったと思っているのです。
東風Z 様
「願わくばせめて今日という一日だけでも、生きたい」との思いの中、願い叶わず出直された方々も多いと思うのです。一日生涯というお言葉もありますが、日々、そのような気持ちで私は過ごして行きたいと思っています。115歳までまだまだ30年以上あります。日々、楽しんでお過ごし下さい!
梅鉢の紋のお話がありましたが、本来、教祖がお教え下されたのは12弁菊花紋なのです。あまり皆さんご存知ないかもしれませんが、この12弁菊花紋は現在の16弁菊花紋よりももっと古い由緒正しい紋章なのです。
「宗教」と言葉の概念は日本人にとって恐らく明治以降、極最近、植え付けられた概念だと思います。日本人には「宗教のようなもの」という感覚があると思います。その意味合いがわかるんです。外国語においても同じような表現を言語で表すことは出来ますが、日本人のイメージする「宗教のようなもの」という感覚と、外国人がイメージするその感覚とは異なると思うのです。なぜなら、日本人は正月に神社に初詣にいって、結婚式はキリスト教会で挙げて、お葬式は仏式という他国ではありえないことを平然と受け入れているんです。この感覚が実は大事なのです。
この続きはまた時間を作って投稿します。
『最凶最悪のカルト』オウム真理教が天理教に学んだ集金システム
「ストロー効果」と「紐づけ効果」
(分かりやすいように、私が命名しました)
夫婦で一緒にニュースを見ていた時ですので、たぶんニュースステーションだったと思います。オウムを報じている中で、いきなり「天理教」というキーワードが出てきてビックリしました。あれ以来、姑に全く頭が上がらない夫はそれまでのらりくらりと馬耳東風、私の愚痴をかわしていましたが、あの映像を見て、さすがにこれはマズい(ヤバい)と自覚したらしく、自分の代できっぱり天理教と縁を切ると約束してくれました。あの報道で、サーと波が引くように、天理教教団から多くの信者が逃げ出したことでしょう。
麻原は宗教(ビジネス)を始めるにあたって、どの新興宗教の献金システムが優れるかを勉強し、「天理教」だと判断したらしい。そして、さらに詳細の調査を、京都市内の調査会社(探偵会社)に依頼した。その調査員さんが、インタビューを受けられていた。顔出しか顔ボカシかは忘れました。調査報告に感心した麻原は、大変優れた天理教の集金システムを採用することに決め、最初は「真理教」の予定だったが、パクリがバレバレだからオウムを頭につけた と。
☆報告の内容 天理教の優れた集金システム
~ 二つのお金の流れを持っている
「ストロー効果」
まず、ピラミッド組織(階層)の教団をつくる。
底辺から、布教所→分教会→上級分教会→大教会→本部(この例では5階層のヒエラルキー構造) と積み上げていく。そして、ストローで吸い上げるがごとく、下から順にお金を上階へ上げて行き、最終的には本部の懐に入る。
これは、893の上納金制度、ネズミ講、もしくは茶道華道における家元制度と全く同じ。
新興宗教では、一番最初に組織した少数の幹部連中が、美味しい汁を吸えるようにできている。 そして、その美味しさを世襲制で子孫にごっそり引き継ぐ。これは北朝鮮と同じシステム。現状、現天理教団の中山家本部員家がそっくりそのままこのことに当てはまる。
「紐づけ効果」・・・天理教教団独自のすご技
各信者をそれぞれの階層にすべてつなぎとめ(紐)、常に、何らかの参加させるお祭りとかの行事を企画し仕掛ける。信者は絶対手ぶらでは来ないはずだから、それが集金(献金)となる。この仕組みを考えた人、なかなかのヤリ手です!本当にすごいです!
<姑の献金パターンと見事に一致する>
毎月の定期献金
・自宅での月次祭
・分教会での月次祭
・大教会での月次祭
毎年の定期献金
・本部へ団参 年2回 (春大祭と秋大祭)
隔年各隔年各各隔年・・・・の定期献金
(いつまでもエンドレスで続いていく)
・立教○○年祭
・教祖○○年祭
・大教会、分教会創立○○年祭
不定期の臨時献金
・分教会建て替えのための積立金
・大教会建て替えのための積立金
・詰所補修のための献金
・本部へ 孫が〇〇したからとか、お礼の献金
・「おびやゆるし」とか「ごく」を、本部に買いに行く
献金ではないけれども、教会関係者との冠婚葬祭の付き合い
今のところ、姑の年金の中で納まっているように見えます。だけれども、結局は子供世帯にしわ寄せが来ます。「宗教」が大義名分でついて来るから、本人には被害者意識ゼロ(実態は偽宗教カルトに騙されている)。老後資金が足りない時は、こちらに寄りかかる気マンマンです。子供は親を見捨てないという自信がある。何しろ、天理教の教理{子供は親に逆らってはいけない}で子どもを育ててきたから。
これらを長年貯金に回していてくれたら、今頃どんなにかゆったりとした老後資金になったかと思うと、口惜しさでいっぱい。
ここまでくると、もはや「信仰からくる献金」ではなく、『洗脳による搾取』である。仏教であれば、普段は檀家寺のご住職さまとの付き合いオンリーで、総本山に参拝するのは、遠方であれば、生涯において数えるほど。明らかに天理教の集金システムは、吐き気がするほど気持ち悪い。「異常だ」。
最凶最悪のカルトのお手本になった天理教も、やっぱりカルト。
あな恐ろし。
姑が布教使で苦しんでいます 様
あなた様の書かれていること、逐一、ごもっともと思います。ものの見事に、天理教の嫌らしい実態、悪賢い集金システムの仕組みを暴いておられます。史上最凶最悪の宗教、オウム真理教が学んだという、この集金システム、いったい誰が考え出したのか、詐欺の中でも、これほどの悪賢い詐欺はありますまい。
オウム天理教は、サリンを撒いたりの事件を起こして、結局は解散に追い込まれたが、天理教がいまだに、衰退はなはだしいとは言え、存在し続けているのは、オウムのように社会に迷惑をかけるという愚を犯さず、社会に物申さず、ひたすら社会からは亀のように首を引っ込めて、「信者をつくっては洗脳し、献金させる」事のみに専念しているからでありましょう。偽宗教教団として「賢い」処し方と言えるのかもしれません。
訂正です。
オウム天理教はサリンを撒いたり → オウム真理教はサリンを撒いたり
カンロ飴 様
返信ありがとうございます。
↑ まずは 大笑いしてしまいました。涙が出てきそう~ 腹イテ―。
昼食の準備中ですので、あとでコメントいたします。
姑が布教師で苦しんでいます 様
私は教団擁護派ではないので天理教団に対する批判は大いに結構だと思っていますが、過去の週刊誌ネタのような内容を引っ張り出して何を主張されたいのでしょうか?
書き込みにも若干の矛盾と無理があるようなので、何をされたいのか理解に苦しみます。
>自分の代できっぱり天理教と縁を切ると約束してくれました。
地下鉄サリン事件とそれに付随する報道ならもう20年近く前のことですから、そこで「縁を切った」のなら何故今でも「姑が布教師で苦しんでいます」という事になるのでしょうか?
過去のことであれ現状の問題であれ批判したい、というのなら分からなくもないのですが、事例を挙げた結果にレッテル貼りして非難する言い回しが「活動家の印象操作」のように思えて気になります。
どこの大教会が一番ひどいんですか?
末端教会子弟様
あなたの方こそ何をおっしゃりたいのでしょうか?
あれほど社会を騒がせた、凶悪な無差別テロの大事件を、過去の週刊誌ネタと、矮小化させているように思えますが、あなたの方こそ、印象操作のように思えます。
サリンの被害者は、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人と甚大なものですし、負傷者の中には、いま尚、重い後遺症で苦しんでいる方々もたくさんおられます。結婚もできなくなって、赤ん坊のような状態で、寝たきりになっておられる女性の方の映像を見たことがあります。被害者本人は勿論のこと、ご家族にとっても、過去の事件ではなく、現在も重くのしかかっている現実です。
そして、その凶悪なオウム真理教が、天理教の巧妙な集金システムを真似た、というのは事実であります。どこが印象操作なのか、末端教会子弟さんの言っておられることの理解に苦しみます。
>書き込みにも若干の矛盾と無理があるようなので、何をされたいのか理解に苦しみます。
末端教会子弟さんが言われる矛盾とは、どこの部分でしょうか?
天理教がどのように巧妙に、金を信者から吸い上げるかを、解説しておられます。信者の洗脳を解くには、教団が仕掛けている巧妙な仕組み(仕掛け)を、はっきりと、衆目にさらけ出すことが、非常に効果があること、また、必要なことと思いますが。
カンロ飴 様
一連のオウム真理教事件は大きな社会問題、日本初の組織的テロ事件だったのではないかと考えています。被害の大きさやその手法など、歴史的事件として記憶にとどめ伝えて行くべき事件だと思います。
その報道の中で「オウムの集金システムは天理教を真似た」という情報は、当時現実に私も耳にしていますし、ほぼ間違いない事実でしょう。
その事は厳粛に受け止めねばならない事と認識しております。
確かに天理教組織の集金システムや方法などは問題も多いし、現実にその中で私の家族も苦しめられてきたのは間違いありません。それを指摘する事は悪い事ではないし、改善を求めるのも当たり前かと思います。
しかし、天理教からすれば「オウムに真似された」だけであり、その点で「全てオウムと同じ」とは断じえません。オウムの反社会的テロ行為と同一に非難する事は「印象操作」と言えます。
矛盾と無理について申し上げます。
>これは、893の上納金制度、ネズミ講、もしくは茶道華道における家元制度と全く同じ。
歴史的に見て、これらと天理教ではどちらが先でしょうか?
「ネズミ講」は戦後の話ですが、その前身となる「無尽講」や「頼母子講」等は江戸時代からあります。
そして、現代ではネズミ講は規制されていますが、家元制度などは誰も批判していません。
>各信者をそれぞれの階層にすべてつなぎとめ(紐)、常に、何らかの参加させるお祭りとかの行事を企画し仕掛ける。
これも、他の宗教なり組織なりにも「付き物」です。
それを過剰に用意し集金システムに結び付けることは「姑が~」さんも褒めておられるところですが、問題はそれを「教義」として正当化し、洗脳状態にしてしまう所に巧妙さがあります。長年信仰を続けている人ほど、そういう洗脳状態から抜け出る事は難しくなると思われます。
カンロ飴様には誤解の無いように申し上げますが、私の家族も天理教では辛い目や嫌な思いを沢山してきました。ただ、末端ながらも教会を営んでいる家として、何のメリットも利得も無かったにしても、その加害者側の一員だったことも否定はしません。
だからこそ、冷静に現状や問題を分析し、是々非々で判断した上で批判なり改善なりをしなければならないと思っています。
盲目的に「最悪のモノ」と結びつけて「悪の塊」とするような論調や批判は、あまり好ましくないのではないかと考える次第です。
被包括宗教法人の末端教会をあずかるものです。初代より代々「お供えの強制」で苦しんできたため、自分が会長になってからは「お供え」としての金銭は一切上に上げていません。
しかし「姑が~様」の言われる「建て替え・補修のための積み立て金」と銘打った呼びかけが各教会に一斉に来た場合、我が教会だけが拒否できる、理由がありますでしょうか?
大教会も詰所も老朽化してきており、各教会とも信者が減ってお供え金が上がらない現状を見る時、その修繕費用が各教会(教会家族)に割り当てられるのは時間の問題のようにも思えます。
「お供え」は強制ではない、とはっきり言い返せますが、「積み立て金」を拒否する正当な答えが見つかりません。組織の一員なので、どういう言葉で拒否したらよいものか。。。
「姑が~様」のコメントを見て組織の圧力、見えない恐怖を覚えました。どなたかご教示お願いします。
末端教会 様
教会の運営、大変ご苦労されていると思います。
>「建て替え・補修のための積み立て金」と銘打った呼びかけ
一つの提案なのですが、その積立金によって確保される末端教会様の権利や持分などを明確に説明して貰い、書類に残すようにしたらいかがでしょうか?
私のブログにも書きましたが、天理教のお金集めはどうにも不明確な理由や内容が多いように感じています。
「婦人会・少年会・青年会」の会費について、担当者に「会と名の付くものなら会の規則と決算報告書を見せてください」と言ったら何も言ってこなくなりました。
「大教会普請、詰所普請のひのきしんなら、当然、こちらの協力した分の権利がありますよね?」というと、曖昧な返事やあやふやなままで放っておかれたりします。
世間一般なら、お金を出せば(協力すれば)当然その分の権利や持分が得られるのが当たり前です。一方的にお金だけ出して何も見返りが無いのは「寄付行為」(お供え)だけです。
「世間一般なら当たり前」の事を堂々と主張し、頑張ってください。
カンロ飴 様
ご賛同の書き込みを大変ありがとうございます。
あの当時、<ああ言えばこう言う>の上祐と多くの識者やコメンテーターの方々との論争が全くかみ合わず、視聴者はもどかしい思いをしました。その結果のニックネームが<ああ言えばこう言う>です。信じる者のみ救われる・・・です。一方、相手はどっと疲れる。私は、深部で洗脳されている方ではなく、未来前途洋々たる若者が私の書き込みを読んで悩み、疑問を持ち、自らの力で洗脳を解いてくれることを望んでいます。一人でも多く・・・。そのスタンスで投稿しています。
私の子供たちは、私が、私の命をかけて、「姑の洗脳」から守りました。小さい頃は事態が呑み込めず困惑していましたが(楽しそうなこどもおぢばがえりとやらに行ってみたいと駄々をこねたりして、阻止するのが大変でした)、成人した今となっては、「よくぞ守ってくれた」と心から感謝されています。だから、若い世代の信者さんを救ってあげたい。母心から。
>オウムのように社会に迷惑をかけるという愚を犯さず、社会に物申さず
もちろん、同意いたします。
>ひたすら社会からは亀のように首を引っ込めて
この辺りは、私は少し異なる見解を持っています。ひたすら「善い人の仮面」をかぶって、世間に『安心安全』感 を振りまきながら、積極的に布教に進出していったように思えます。
① おさづけ
昭和初期まで、大多数の貧しい庶民に医療は高嶺の花で(国民健康保険は戦後の制度)、病気、ケガ、栄養不良、病死・・・は最も耐え難い試練であった。「おさづけ」は、現在は、「病は気から説」および「プラシーボ効果説」で解明されている。当時の、医学的知識の乏しい、お医者様につながらない貧しい人々にとっては、「おさづけ」は、最後にすがるよすがとして、大いに前向きに迎え入れられた。つまり、「おさづけしてくれる人は善い人」。
② ひのきしん
河原の清掃するのに、わざわざ、天理教の白文字を浮き出した黒い法被で参加させる。ボランティアは匿名ですることにこそ値打ちがある。江頭2:50の東北震災ボランティアは清々しかったですね。自前で調達したトラックに支援物資を満載し駆けつけ、帽子を目深にかぶり荷下ろしの作業を黙々としているうちに、周りの人が、気が付いた。『江頭さんですよね?』。
天理教災害ボランティアのことを、国会議員を使って国会で紹介させる。お金を握らせているのがバレバレ。『陰徳』という言葉を知らないのか?
③ 国家神道に入るべく信仰形式を神道に近づけ、国家にすり寄り戦争協力した
天理教を信仰されている方の続きやで~ より
#817 2017/06/24 19:34
同じ新興宗教の「大本教」は戦争加担に徹底的に抵抗し、政府からの弾圧で潰された。
「天理教」
・国家神道に加わるため、教義も崇拝様式も変更して、神道にすり寄った。それまでは、神道と呼べるものではなかった。
・詰所群を積極的に三重県?の空軍部隊の宿舎として提供した。
・満州に天理教開拓団として組織的に送りこんだ。
・信者の子弟に「ひのきしん」として、大阪の軍需工場へ労働者として送りこんだ。
・調べれば、天理教の名のもとに、兵隊志願させた例もあるのでは?
あの時代、どこの宗教も戦争加担したとも言えますが、天理教は大本教とは対極の極み。 戦争に、教勢拡大のため、「積極的に」加担したということ。
[姑が布教師です]
私の師である、どん亀様のさらに詳しい解説です
#821 2017/06/24 20:08
ワイも前に書いたことがありますけど、国策として国中が一丸となって戦争に引っ張り出されていたのは周知の事実ですわ。ところ戦争反対を唱えていた宗教団体もあったが、天理教は政府に対しての機嫌取りか双方の利害関係があるのを前提として考えるのが自然と思う事が多々ありますわ。
おまけに本部内で天皇を受け入れる施設を造営していましたで。
・旧海軍航空隊予科練習生の宿舎として詰所を提供していた。
・満州に開拓団を積極的に送り込んだ。
・子ども以外に信者を軍需工場に勤労動員を率先して送り込んでいた。
・入隊志願者を募っていた。
戦争に率先して荷担していた事案は、それ以外にも何ぼでもありますで。
天理教が戦争継続するために積極的に軍部を支持し荷担していたのは事実ですわ。
[どん亀]
天理教を信仰されている方の続きやで~
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=5551753/p=4/tp=1/
>>ひたすら社会からは亀のように首を引っ込めて
>この辺りは、私は少し異なる見解を持っています。ひたすら「善い人の仮面」をかぶって、世間に『安心安全』感 を振りまきながら、積極的に布教に進出していったように思えます。
表統領の集会での発言です。
〈M集会員〉
今、お道が世界に向けて「発信すべきこと」は何か、伺いたい。
〈中田表統領〉
発信というのは、対象や内容をハッキリさせた上で行わないといけない。
お道から教外・世の中に向かっての事と、本部から教内に向かっての事はまったく違う。
また、本部から直接伝えるべき事と、教会や教区・地域を通して伝えてもらいたい事を整理し、いろいろな手立てを用いて発信していきたいと相談しているところだ。
〔みちのとも 立教180年2月号 53頁〕
「教外の人には、羊のような優しい顔で近づき、教内に向かってはオオカミのような厳しい顔で指導し仕込みなさい。」
と言いたいように思える。
末端教会子弟様
>しかし、天理教からすれば「オウムに真似された」だけであり、
確かに天理教からの言い分としては、麻原に真似された、ということになりましょう。
しかし、麻原は収監されてからは、芝居か、実際に呆けてしまったのか、愚鈍な行動をしているようですが、性来はカリスマ性もあり、頭のいい(悪知恵に長けた)人物であったと思います。でなければ、高学歴信者が多数、麻原に魅かれてオウム真理教に入信したりはしなかった筈です。その麻原が、「天理教の集金システムに感心した」という点、この点に注目するべきであると思います。数ある宗教の中でも、天理教が、格段に、巧妙に集金する仕掛けを持っていた、と言えます。
>盲目的に「最悪のモノ」と結びつけて「悪の塊」とするような論調や批判は、あまり好ましくないのではないかと考える次第です。
勿論、サリンを撒いたオウム真理教と天理教が同じだ、などと言っている訳ではありません。そのような印象操作をしたつもりもありません。天理教は、オウムのような反社会性はないが、ヘタレな集団である、と書いたつもりであります。誤解を招く文章になっていたのなら、訂正お詫び致します。
>「ネズミ講」は戦後の話ですが、その前身となる「ネズミ講」は戦後の話ですが、その前身となる「無尽講」や「頼母子講」等は江戸時代からあります。
「無尽講」や「頼母子講」は調べた限りは、共済制度のようなものと思われますが、ねずみ講なのですか? 当方、知識不足で、末端教会子弟さんのご説明は、ちょっと、分かりかねます。
カンロ飴 様
>数ある宗教の中でも、天理教が、格段に、巧妙に集金する仕掛けを持っていた、と言えます。
その点は同意します。逆に言えば、天理教内の人間にも「その事を知らしめた」という良い切っ掛けになったと言えます。ただ「天理教があったからオウム真理教が生まれた」と言わんばかりの主張には賛同できません。
「無尽講」の発生は共済制度のようなものとされていますが、中には、掛け金をくじ引きで分配して儲かったら抜けてしまうという「ギャンブル性の高い講」があったようです。その変形が「ネズミ講」です。
全ての無尽講や頼母子講がそうだとは言えませんが、説明が足りませんでした。発生そのものが古い歴史を持つ、という事が言いたかったのです。
>誤解を招く文章になっていたのなら、訂正お詫び致します。
私はカンロ飴様の主張に関して、間違っているとか非難している訳ではありません。
逆に、天理教批判や問題点の列挙などに賛同されるのは、天理教団の組織や集金システムで被害にあった方なら当然だし正直な気持ちだろうと思います。また私自身家族を含めて、天理教組織の歪んだ教理から派生する尽くし運びの強要に苦しめられ追い詰められてきた一員として、言いたい事や思う事は沢山あるのです。
だからこそ、問題点や組織の異常さや教理の歪みなどを整理して、冷静に分析対処しなければならないと考えています。「自分は何が出来るのだろう?自分は何をするべきなのだろう?」と。
そして、天理教に関係する者であれば、その基準や指針は「教組様の教え」なのではないだろうかと。
勿論、教祖様の教えをどう解釈するか、どう理解しているかは人によって異なるとは思うのですが、それでも「姑が~様」の「総括・総括」と連呼されたり、書き込みの内容が「何か異質の思想」に感じられて仕方がないのです。それで一言「何がなさりたいのでしょうか?」と問いかけたのですが、どうやらお答えする気も無いようなのでこれ以上のお話は止めようと思っています。どうやら目的が「別のサイトへの誘導とそれによる別の思想への洗脳」という様子が伺えますので。
末端教会子弟様
>「天理教があったからオウム真理教が生まれた」と言わんばかりの主張には賛同できません。
申しあげておきますが、私はそのような主張は全くしておりません。私の書いた、どの文章が、そのようなことを示唆しておりますか? 私は、麻原が研究し、参考にしたという「天理教の集金システム」を問題にしているのみです。麻原が、驚くべき教理をでっち上げることによって、自らオウム真理教を創りあげたのは周知のことです。天理教がなければ、それ以外の、集金に長けた宗教を参考にしたことでしょう。
>発生そのものが古い歴史を持つ、という事が言いたかったのです。
古い歴史を持つから、どうだと仰ってるのか、よく分かりません。天理教の集金システムがネズミ講なのは、実際の金の流れから、間違いないことですが、そのネズミ講は、古い歴史を持つのだから、天理教の集金システムがネズミ講なのは仕方がない、というご意見なのでしょうか?
家元制度も、師範の免状などにかかる費用などを上へと吸い上げる、ネズミ講と言えると思いますが、宗教とは違いますし、今、論じる対象からは外させて貰います。しかし、家元制度に対して、批判の意見も多い事とは思います。
>だからこそ、問題点や組織の異常さや教理の歪みなどを整理して、冷静に分析対処しなければならないと考えています。そして、天理教に関係する者であれば、その基準や指針は「教組様の教え」なのではないだろうかと。
お供え集金システムに関して言えば、教組は、お供えせよとは言っておられない、よって、集金システム自体、教祖の教えに反したことですね。
カンロ飴 様
先程も書いているように、私はカンロ飴様の文言に言っているのではありません。
「姑が~様」への指摘であり意見です。
出来ましたら、こちらの文意を正確に把握して下さい。
姑が布教市で苦しんでいます様
読んで心がスカッとしてます。
近頃ウンザリするようなコメント多し!私のPCもご機嫌ななめ!
久しぶりにお利口になったPCで、あえてこのコメント読めてよかった。
秀司というチンピラのような、いやそれ以上に質の悪い人間を生み育てたのが中山みきです。
中山家と前川家の家柄ってどうなんだろう?
たまたま先代が魔がさして天理教に入信したとしても、それ以前の先祖は、これを是として受け入れているだろうか。氏素性からしたら、末端教会の方たちに武家出身の方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
歴史から、修業もせず神が降臨したと自称しているみきですが、今の時代にみきが受け入れられたでしょうか?あの時代ちょんまげ時代が終わろうとしていた混乱の時代、そして飢饉で餓死する人々。
その時代、みきは真に世の中の人の為になったなら、全ては一代限りです。
一代で完結させず、富と権力を子孫に残した天理教が素晴らしいではなく、残酷です。
古い教会長 様
2017年7月4日 9:17 PM
「宗教人は、生きていく上で背骨となる精神のより所を人類に普遍的に提示すべし」
にもかかわらず、
>お道から教外・世の中に向かっての事と、本部から教内に向かっての事はまったく違う。
の発言。
傲慢で、あからさまに損得勘定が見えて、ゲスですね。表と裏、本音と建て前を使い分けできるのは、俗世の人間だけ。こんな「自明の理」を理解できない無教養の人物を、<世襲制>というだけで、「宗教人トップ」として戴かなければならない皆様がお気の毒でなりません。心中お察し申し上げます。
徳子 様
2017年7月5日 10:10 PM
書き込みをありがとうございます。
>中山家と前川家の家柄ってどうなんだろう?
前川家の方が、名字帯刀を許された格上の庄屋さんだったらしいです。中山家はとっても小さい村のただの庄屋。だからこそ、みき婆の来歴を疑っています。大庄屋のお嬢様が、ヤクザの大親分(のちの一番大教会の初代会長)と日頃から付き合いがあって、宗教の仲間に入れるか?と。奈良市内の大店のある奥様(実家は京都の宮内庁御用達)から、かつて、「幕末、みきとみき父が二人で、京都の小路で、霊媒師のようなことをして、貧しく暮らしていた」と聞きました。その奥様のおばあ様の家が祈祷所のすぐ近くだったらしい。
私は、霊媒師くずれのみき婆はいたのだろうけど、「教理教義を語る教祖中山みき」は周りの人間が作り上げた虚像だと結論づけました。後に、大混乱の時代に乗じて、大金を使って、前川家の戸籍を買った(あるいは養女ということにしてもらった)と想像します。
(参照)
A.姑が布教師で苦しんでいます
2017年6月28日 6:32 PM の書き込み
B.スレ番号 #400 爆サイ掲示板 天理教を信仰されている方
神芝居 『元祖ヲウム天理教』
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4474393/tp=1/
>氏素性からしたら、末端教会の方たちに武家出身の方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
まさに、おっしゃる通り、その可能性は大だと思いますよ。
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」明治時代編
~天理教教団は富裕層を狙い撃ちした
を執筆中です。論理的にまとめ、誰からも納得して頂けるものにしたいがため、大変時間がかかっています。立教初期、みき婆一族とその仲間たちは、財産を持たないひがみや妬みを「宗教ビジネス」で取り返す勢いだったのかも。
みき婆とは「血縁がない」と断じないと、前川家の代々のご先祖様は、この現代の地獄(多くの人が天理教のせいで財産を失い不幸になっている)を見せつけられ、周りの仏様に責められ、極楽浄土で嘆かざるを得ませんね。
姑が布教師で苦しんでいます様が巧みに命名された、ストロー効果、紐付け効果、の巧妙な仕掛けに、信者達がどれ程、搾取されているか。
我々が、口には出せないが、毎度毎度(また、教会の年祭が来る、)(今度は〇代目の会長さんの年祭ですって)と心に重く伸しかかって来る、これらの「仕掛け」、確かに、これ程、行事ごとの続く教団が、他にあるのでしょうか?
教祖誕生祭。いくら教祖が偉大な方だと言え、あまりに盛大にし過ぎるのではないでしょうか?私らの系統では、一教会25000円です。他の系統の御供え金額は知りませんが、20000円として、教会数でかければ、3億強。天理教の信者でいるうちに、億単位の金額も、たいして吃驚しなくなりました。しかし、その3億強からの金を毎年徴収されているのです。その莫大な金額を、「教祖の為に」にどのように使われたか、全く信者に知らされない。このことは、考えれば異常なことなのではないか、と思います。教団は毎年「教祖の為に」それだけの金額を集めるなら、「教祖の為に」どのように使ったか、報告義務があります。まさか、どなたかの懐に入ったりはしてないでしょうから。
2017年7月6日 9:40 AMの匿名 様
いやいや、懐に入っていると思いますよ。近年は高額納税者の名前を公表しなくなりましたが、以前は奈良県の高額納税者名の一覧に教団本部関係者の名前が多数あったと聞いています。
このことから想像しましても、現在も相当高額の所得がある方が多いんじゃないですか。
地方税も課税されていない人たちから集めたお供えやお礼が、高額所得の方の懐に入っていると想像しますと、宗教の名を騙る一種のサギのようにも感じます。
おカネが嫌いな人は居ないでしょうが、これほどおカネが好きな宗教も珍しいんじゃないですか。
来月には、比叡山において世界宗教者会議が開かれますが、天理教はどのツラ下げて行くんでしょうか。ちょっとした見ものですよ。
東風Z様
「どなたかの懐に入ったりはしてないでしょうから。」というのは、嫌味でございます。勿論私も、どなたか、本部のお偉いさんの懐と大教会長さんの懐に多大に入っているのではないかと、睨んでおります。でなければ、何故本部はきちんと、全教会へ、収支報告しないのでしょうか。全教会から金を集めているのに。
教祖誕生祭で集められたお供えの使い道はいったい何があるのでしょう? 教組への毎日の献饌代、教祖のお風呂?などの光熱費、お食事代、教祖の赤衣の絹、御供(ごく)さんの米。金平糖、教祖殿の光熱費、修理費、維持費。私の頭にはこれ位しか浮かんで来ないのですが、毎年、3億以上使う程なのかな・・と。
また、今、どれくらいの信者さんが、誕生祭におぢばへ足を運んでいるか分かりませんが、20万人の参拝者が来るとして、一人2000円お供えしたとすると、4億からのお供え金になる訳ですよ。まさに坊主丸儲け。「おぢば」という聖地、これは、中山家にとって打出の小槌。中山家は、ここを中山家の所有地にしているということですが、中山家の本音がはっきりと見て取れるではありませんか。(宗教法人天理教本部に変わってるという投稿を見た覚えもあるが、どちらにしても。)
教祖130年祭の事業として、スロープ棟の建設がありました。全教会に号令をかけて、どれくらい集まったのかは分かりません。
建築の関係者に、「この建物、どれくらいの費用か分かりますか?」と尋ねたら「約一億かな。」と言っていました。
なんと、その総費用は二億五千万でした。竹中工務店一社だけの入札なしの見積もり額です。
もちろん、それ以上集まっていると思いますし、竹中と本部の癒着と、特定の人間に多分、金が回っていると思うのは私だけでしょうか。
インターネットの時代になって、今までのウソや隠蔽は通用しなくなったので今後の本部は大変でしょうな~
数々の疑問
元々真柱が本席に嫉妬して追放したんでしょ?異端と追放されたのは本当に異端だったのか?真柱って必要か?二代真柱の女癖?などなど天理教とは思えない横暴ぶり
天理教の片隅でも聞かれる噂の数々、「中山家は信仰無いで~」とよく聞かされましたが
中田善亮の「お尽くしは金」で中山家の異端は明確になりました。
この発言を機に本部関係者各員にも聞き取りを行ったところ、乗っ取り事件の話あたりからみんな恐々としていて、中田善亮の「お尽くしは金」発言で、中山家への忠誠心はいっきにガタ落ちしたとのこと、本部などの正式な場では一切話さないが、裏では異端本部への対応策を皆で話しあってると聞きました。中山家には正直落胆の色は隠せないようです。
つまり全ては中山家が元凶であった。本部から中山家を追い出せばまともな天理教にもどるとの意見も今では当たり前に語られているそうです。
そもそもこのようなネットで語られているような教団の真実を無視するどころか弾圧してきたのが中山真柱体制の本部、今後は中山真柱体制をお供えをドンドン減らして真柱本部体制を潰していきましょう。そもそもあんなに資産いらない!
即、中山家が教団から出て行くなら飯降家か上田家に本部をやって頂きたいものです。
中山家は天理教のお荷物です!
「本部から中山家を追い出せばまともな天理教に戻る」について
この視点は、外れていると思います。
なぜ中田家から中山家に養子を送り込まなければいけないのか。
なぜ中山家を残さなければならないのか。
その理由は、中山家は本部在籍者達の「金のなる木」だと思うのですが。
真柱家は現在3人しかいません。
真柱夫妻が贅沢な生活を送っているという話は聞いた事がありません。
では、信者が上納する莫大な金はどこへ流れるのか。
流れる先は、本部在籍者達でしょう。
中山家は、本部在籍者達の「金のなる木」だと思うのです。
今の天理教の基本方針は「教祖ひながた」です。
「おふでさき」ではありません。
「神の意志」ではなく「目に見える中山みきの行動様式」です。
この基本方針に他家の名前が入る余地はありません。
では、本部在籍者達とは何物か
それはおや様存命中からつながる、俗に言う「高弟」の子孫達でしょう。
その他には、二代真柱の庶子達や二代真柱が選出した教内の子弟達がいるかもしれません。。
しかし、もし居たとしても「二代真柱の庶子や正善選出の子弟」につながる人達は、本部の中では「日陰者」扱いになると思います。
八島英雄氏の経歴を見れば良く解る事と思います。
「高弟の子孫たち」が「彼ら」を自分達と同等に扱うなど考えられません。
(差別?)(区別?)していると考える方が至極妥当であると思います。
「高弟」で名が知られているのが「飯降家」「上田家」それ以外にも「前川・仲田・辻・松尾・中尾」等々。
ほかにもあると思いますが詳しくはありません。
信者が詳しくないほうが彼らにとって好都合な事でしょう。
本部在籍者の全てが腐敗しているとは思いませんが、極々少数でしょう。
私の知り合いの分教会長が、「飯降家の人が天理教を嫌ってこの街に移住している」と話してくれました。
本部では、「カリスマ性の無い善司」は使い物にならないから、早く「若くて元気な大亮君」を真柱職に就けたいと考えているのではないでしょうか。だから結婚も早く進めるのでしょうか。
私は、本部在籍者達が「中山家」に隠れて贅沢な生活を送っているのが実態であると思います。
中山家は、本部在籍者達の「看板」であり「金のなる木」なのです。
付け替えるなど不可能だと思います。
本部在籍者達の「ドン」は「山澤家?」なのでしょうか。よくわかりません。
退職信者
全く仰られる通りだと思います。
私は現教団本部は一派独立の際に(正確にはそれ以前より)、当時の国家権力と何かしら「取引」をしたのではないかと推察しています。
退職信者様
すみません、敬称が抜けておりました。お詫び致します。
半月ほど前に知り合いが「御存命の頃」(高野友治著 立教164年2001年 1月5日 初版第1刷)という本を貸してくれました。
文中には「取次の先生」という語句が度々出てきます。
本部在籍者達の先祖と言う事が容易に想像できます。
終末近くp423に次のように書かれています。
明治十七年のころ、刻限に、
「取次は一人もいらん、神一人でよい」と仰せられた。
すなわち、取次人には何も頼まん、神一人でやると言われたわけである。
更に、p437~439では、明治十九年5月二十八日の神道本局員視察に係る河原城の人力車夫北村嘉助氏の回顧談として次のように書かれている。
このとき教祖は視察団に対して、どう言われたか記憶してないか尋ねたら、北村老人は、しばらく考えていて、
「教祖はなあ、私はこれまで道を説いてきたけれども、私をたすけようとする人は一人もありません、とおっしゃっていました」
「取次の先生方」は、所詮この程度であり、おや様存命中に親神から明確に否定されているのです。
(高野友治氏は、上記に対し論評を書いて居ません。事実の記載のみです。)
親神から明確に否定された「取次の先生方」の子孫の「本部在籍者達」は、今でも黒い法被の襟に「天理教教会本部」と白抜きして八町四面の狭い空間を意気揚揚と闊歩しているのです。
祭典当日、本部で「天理教教会本部」と白抜きした法被を着ている人をみたら「私のお供えはあの人の食い扶持になっているのか」と思ってもそれほど間違っていないでしょう。
「天理教教会本部」のはっぴを着ている人の中には、地方から出てきている勤務者もいますよ。
どちらにしても、あの仰々しいハッピなんか着ている神経が分かりません。最も、天理教の制服ですから否定はしませんが、一度、好感度調査をすれば面白い結果が出そうですね。
「天理教教会本部」の白抜きを見ると、俺は一段上に居るんだというような階級意識丸出しにも見えて嫌ですね。背中に月日の紋だけで充分でしょう。色もそれぞれ好きにすればいいんです。
あのハッピを見て固まってしまった若者は多い。
わざわざ、東京から連れてきた二人の青年も法被姿、教服姿、おつとめ着姿の黒々とした服装を見て、二度と天理には来てくれません。
退職信者
2017年7月7日 9:43 AM
「金のなる木」と御座いますが、真柱実弟で表統領 中田善亮の「お尽くしは金」という異端発言において今後お供えはぐんと減っていきます。そもそも教義改竄してる時点で信仰者への詐欺行為とも言えます。 現状でも本部は人員&給料削減が続いてます。その発言以前に中山=金のなる木ではなくなってます。そもそも教団は、教祖の教えが素晴しくて成長したのに、真柱体制にして一時は良かったのですが、やはりインターネット時代が向かい風になり、教義捏造は一瞬で発覚し、過去の捏造も発覚しているのです。
最低でも 中田善亮 の追放処分をしない事には中山家も顔が御座いません。 本部自体も一枚岩でなく元々中山家の悪事を知っている方は大勢います。特に現在の中田善亮の評判の悪さは誰しもが知っています。「お尽くしは金」も稚拙な中田善亮の発想でしょう。もう取り返しの付かない状態であるから、法人乗っ取り や お尽くしは金 のような教理から逸脱した行為が横行しているのでしょう。 100年祭には部内教会長が 銀行強盗 等起しましたが、今では本部が教会に強盗に入る次代になったそれが現実です。 事件が発覚した以上本部は早急に正式に謝罪対応をとったほうがよろしいでしょう。いくら隠しても、影では社会学さんの書き込みが話題となってます。今まで「御本部!」と言ってた会長さん達も「本部はどうしようもない(笑)」と発言が変わってきてます。表立って言われないから良いわけではないです。
乗取り事件も人伝えで聞きましたがはやり事実だそうで本部員が相当悪さしたそうです。「本部は異端だし勝手に信仰しよう!」と言うのが当系統の主流に成っています。
どんなに低く見積もっても、中田善亮の追放処分はしない事にはことは治まらないでしょう。世の中そんなに甘くないです。
「天理教教規」より
第一章 総則
(略)
第 三 条 天理教は、中山みきを教祖と仰ぐ。
(略)
第 六 条 天理教を信奉する者は、立教の本旨を体し、教祖ひながたの道を履むことを修行の要義とする。
第 七 条 天理教の教義は、原典及びこれに基いて天理教教会本部が編術し、真柱が裁定した天理教教典による。
前項の原典とはおふでさき、みかぐらうた及びおさしづをいう。
第 八 条 天理教を統べ理める者は、真柱である。
第二章 真 柱
第 九 条 真柱は中山氏を名乗る。
真柱の継承者は、教祖の血統者の系譜に基き、本部員会議において推戴する。
教祖の血統者の系譜は、内統領がこれを保管する。
「天理教教規」に、真柱は中山氏を名乗る、真柱の継承者は、教祖の血統者の系譜となっています。他の方が真柱になるには、まず天理教教規を改正しないといけないようです。
2017年7月9日 1:07 PM
金の成る木ではなく 詐欺集団 です。様
>今では本部が教会に強盗に入る時代になった それが現実です。 事件が発覚した以上、本部は早急に正式に謝罪対応をとった方が宜しいでしょう。
本当ですよね。「大教会法人乗っ取り事件」なんて、まさに「本部による大教会に対しての強盗行為」ですよね。
両統領の責任で押し入ったそうですから、先ず、山澤廣昭内統領と中田善亮表統領は犯罪行為を指示した責任を取らなきゃならないですよね。
大教会の世話人島村本部員は現場責任を取らなきゃでしょうね。
法人金庫と法人会計を強奪したという中山治信本部員は実行犯としての責任を取らなきゃですね。
最近の噂ではどうも羽成守弁護士がブレインみたいです。弁護士がいたら普通こんなこと起きないでしょ。確実に黒ですね。
あとの協力者たちは共犯とか幇助犯とかになるのでしょうね。
天理教の最高責任者は真柱。各法人代表役員と本部員が組織犯罪を犯しているわけですから、責任は免れないでしょう。
本日、テロ等準備罪(共謀罪)の趣旨を盛り込む「改正組織犯罪処罰法」が施行されますね。
先月?今月?の乗っ取り被害大教会の役員会議で「出る所へ出よう。刑事告訴だ、告発だ、裁判所だ」とか議題に上がってたみたいですよ。
大教会側は なるべく本部の顔に泥を塗らないようにと、信者さん方に気づかれないようにと、裏での交渉をもちかけていたみたいですね。
しかし、島村本部員や中山治信本部員らが それらの交渉をすべて切ってしまったので、他に致し方がないということで公表に踏み切ったという状況のようです。
うちの教会で そんな「告訴だ、裁判所だ」なんて出たら信者さん方ドン引きするやろなあ…。
まあ、それほど本部が、部内に対して酷いことをした、という証なんでしょうが。
第 八 条 天理教を統べ理める者は、真柱である.
というのであれば、真柱が代表役員に就任すべきだ。教内からは真柱と崇められて、ちやほやされているが、一旦、火急のことがあれば社会的な責任は表や内に責任を転嫁して、逃れられるように逃げ道をこさえている最低の制度だ。
見え透いた使い分けをするような人間は最低だ。
何かことがあれば教規を盾にして一刀両断に切り捨てる、表か内かは知んないけれど変な人が居る。
処分をする前に聴聞会を開くなり、言い分を聞いて処分をしているのだろうか。
とにかくこのようなヤバイ団体には近づかないことが肝要である。
教会という名称を持ったばかりに、苦労の上にも苦労を重ねる人たちを見ていると本当に気の毒に思えてならない。
何が、陽気暮らしの天理教か。胸に手を当てて、よく考えてみよう。
>Twitter ツイート @huruikyoukaityo 「古い教会長」さま
>#婚活 で一言、現真柱さんの縁談の際、在籍の娘さんで、適齢期で声がかかりそうになると、皆あわてて嫁に行ったらしい。
>それ位、真柱の嫁という立場になる事が嫌だったようだ。
>#天理教
>2017/7/12 20:05
私も このご逸話(笑)は知っておりました。
現真柱夫人は、当時すでに縁談が調っており、九州地方のとある有力教会への入嫁が決まっていました。
しかし、前真柱婦人が「あの子(娘)がいい!」とか言って、本部員らに指示して破談に持ち込ませて「御成婚」と、相成ったそうでございます。
今現在お幸せならばそれで結構なのですが、実は第三者関与の「略奪婚」だったのです。
つくづく天理教とは恐ろしい宗教だと思う、というよりは、ハッキリと恐ろしいと断定してしまいたい。
そもそも、教会設立に際して関係者は、宗教法人法はじめ天理教教規、自教会の規定の作成等を熟知していたのだろうか。
どのような手順を踏んで設立されたのかは知らないが、余りにも不用意ではなかったのか。
お供え欄において終活教会さんが、解散をしたい旨次のように書き込んでおられます。
>事情教会の終活方法 投稿者:終活教会 投稿日:2017年 7月 9日(日)15時26分20秒 返信・引用
>末端弱小教会の息子(介護離職で無職)です。
>高齢の母親が会長ですが介護認定され施設に入居させました。
>信者さんは高齢で3名しかおらず上級へのお供えにわずかな蓄えを切り崩していますが、もはや限界です。
>この際、教会を解散したいと考えています。
>知り合いの教会長に相談すると「解散は本部が認めないだろう」と言われました。
>先日、本部教庁教務課に行った時に、書類棚に「解散」のシールを見ましたが・・・
>解散を認めないのは本当でしょうか?他に方法はないものでしょうか?
>上級にはまだ相談していません。
>ご存知の方良きアドバイスをいただけると助かります。
この中で特に気になる箇所があります。それは「解散は本部が認めないだろう」という部分です。
包括・被包括関係などと訳の分からない部分を持ち出してくるのだろうが、教団本部は教会設立時に「天理教教規」を明示して納得させた上で教会設置をするように指導しているのか。
宗教法人法第43条第1項において、解散について次のように定めている。
宗教法人は、任意に解散することができる。と法律で定められているのにも拘わらず、教団本部がこの法律の趣旨に反するような教規を定めることが可能なのか。
上級教会長はじめ大教会長及び教団本部はいい加減な取り扱いに終始しないように、教会関係規定集を各教会に配布すべきだ。そして、その法令・規定集の中に解散に至る手続き・手順も明記するべきであろう。
私は、公益法人に勤務していたが、入会を希望する人(法人を含む)に対して、会の定款を始め民法の抜粋等関係法令集を明示して、納得の上入会申し込みをするように指導してきた。
やむにやまれぬ気持から教会を設立したが、二代・三代となって情熱も覚めて、さて、辞めようとするとああでもない、こうでもないと訳の分からない規定を持ち出して、表統領の承認が無ければ解散をできないなんて規定を持ち出してくる。あとだしジャンケンの最悪の在り方だ。
そもそも、表統領が解散を承認する要件には、どのような項目があるのか、教団本部はハッキリと明示すべきである。
信者が一人も居なくなって、残された会長が生活保護を受けている教会があると聞いたことがあるが、天理教とは、そこまでしても教会の負担金を出させようとするのか。余りの恐ろしさに声も無い。
辞めたいという教会があればさっさと辞められる制度を確立すべきだ。
さて、今後のことですが、各教会は宗教法人法を根拠にして、各教会の規定を制定すべきでしょう。
特に、解散については、責任役員3名だけの決議でいいのか。それとも、信徒総会を設置し、その決議に従がわなければならないのか。残余財産の処分についても解散時に付いて廻る問題であるから、どのような手続きを経て処分するのか等はハッキリとしなければならないと思われます。
決して、どんぶり勘定ではすまされないので、十分に留意する必要があると思います。
法人は、解散をしたとしても、清算事務があります。清算人は責任役員が就任することになると思いますが、清算事務は清算決了時に残余財産がプラス・マイナス0でなかればなりません。この時点で清算決了の登記を行い法人が存在しなくなります。単に、解散をしただけでは、法人格は無くなりなりませんので注意が必要です。従がいまして、宗教法人名義の不動産がありますとこの処分をするのは大変難しい事務になります。
何れにしまして、教会を解散しようと思われてる方は、とりあえず都道府県庁の宗教法人担当部署へ行かれて説明を受けられることをお勧めいたします。
天理教は本当に罪な制度を作ったものです。
東風Z様
教団本部の意図は、一度教会を設立させれば、骨までしゃぶり尽くす、ということでしょう。
「天理教教規」を見ると、そう感じざるを得ません。本部のみが思う通りにでき、教会が全く自分の自由にならないという、非情な規定ですね。基本的人権にも違反してると思います。宗教法人法にも抵触しています。
国か、都道府県の、宗教法人担当部署に報告して、教団に「勧告」して頂かねばならない程の、酷い問題だと思います。
2017年7月14日 7:29 AMの匿名様
本当に困ったものですね。そもそも天理教教会は誰のためにあるのでしょう。まさか、本部のためにあるとは思えません。
信仰を求める人たちが講を作るべきだったのですね。ただ、すでに法人教会になっている方で、近い将来解散しようと思っておられる方は、次の手順を踏むことが重要ではないかと思います。
会長が教会を解散したいということではなくて、信者の総意として解散したいという意思表示があれば、教会本部は手の出しようがないと思うのです。
そのためにも解散の気配を悟られないように隠密裏に事を進めることが大事でしょう。上級に相談する時期は信者の総意が決まった後でなければ、絶対に言いくるめられて、ほぞをかむことになります。
奈良県のさる大教会のように会長が放り出されて、本部の意を汲んだ人物が会長に座ることのないように注意すべきです。
手順は、所轄都道府県の担当部署と連絡を執りつつ、次の事務を進める。出来ればすべて録音を録ることが大切です。はっきりと録音しますと伝えても良いのではないか。
1.信徒名簿を作成する(〇年〇月〇日現在の名簿であることを記載する。代表役員及び責任役員も記載すること。信徒の住所・氏名・生年月日の記載があれば完全。ただし、個人情報の取り扱いには十分な注意が求められます。うかつにも他人には絶対に見せないこと。名簿の表紙に「取扱注意」の文字を入れて注意を喚起すること)
2.責任役員会議を開き解散のための3名の合意を固める(議事録を作っておくこと)
3.信徒名簿に基づいて、各信徒に解散についての役員会の決定事項を伝えて、事前了解を得る。
4.解散及び残余財産の処分案を示して、信徒総会を開催する旨を通知する。
5.信徒総数の4分の3以上の出席(委任状出席を含む)のもとに、出席者(委任状出席を含む)総数の3分の2以上の賛成を得て前項の議題の承認を得ること。信徒総会の成立要件については、教会の規則に従うのがベターですが、規則が無い場合は、都道府県の担当部署に相談してください。総会は全員の出席がベターですが、高齢者や体の具合の悪い方もあると思われるので、委任状の出席は認めなければならない。
また、代理人の要件も、信者の身内に限るとか、議長(会長)に一任するとかの制限を加えておくことを勧めます。天理教に関係の無い人が代理出席すると混乱のもとになります。
6、信徒総会に基づく決定事項を議事録として作成すること。議事録は通常は会長及び議事録署名人2名の合計3名が署名捺印するが、信徒数が少ない場合は信徒全員が署名捺印し、各自が議事録を所有する
この議事録を根拠にして、上級教会、大教会、教団本部へと話を進めることが重要です。
宗教とは、宗派のためにあるのか。信者のためにあるのか。の視点を議論するべきです。
天理教の信者が0になることは考えられないが、5月の月次祭の直前に訪れた本部は、あの広大な神域が閑散として居ました。信者の数が減少を続けているのは間違いない現実です。
こまごまと書いてすみません。
天理時報に掲載している「中島みゆき」のエッセイが凄い。
園長先生を上級の会長(又は所属の会長・大教会長)と変えて読むと、全て合点がいく。
面白い。
宗教法人天理教も中田◎亮を表統領にした時点で、中山家の腹の底を見せましたね。
表統領は推薦制ですので、直属教会長は、これ以上教勢ダウンのダメージを受けてなるものかと思い、中山の家紋を恐れず◎亮を推さず、反対の姿勢をとり続けましたが、真柱を始めとする権力には勝てず、ついに天理教は◎亮を天理教の社長にしてしまい、それより悪政のはじまりとなりました。
そもそも兄である◎柱は発達障害系の障害が周囲に感じさせるほどのスタートでしたから、その死活問題は鬼気迫るものはその時点で始まったというのは、おそらく全教の思うところであったと思います。その中にあって、弟である◎亮が社長(表統領)に就任するということは、天理教の政局トップは甚だ稚拙な独善的方向に舵を切り、進むことを覚悟した人は少なからずいました。
その独善的な方策に意見をする人たちは自滅させ、中山、中田関係者を本部員として手元に置く。誰も意見は言えないという状態に追い込んで置く。まるで北朝鮮の鏡が存在するようになり始めたのは、天理教としては大きな損失でしょう。
現真柱が継承した時に、新聞社が数社取材に来た時、真柱に対する周りの気の使いようと、真柱の扱いを見て「まるで北朝鮮のようだ。」と言ったらしい。
2017年7月15日 10:25 PM ああ無情さま
就任してから したい放題、やりたい放題の悪政を敷き、組織天理教本部を滅亡へ牽引する天理教表統領 中田善亮と内統領 山澤廣昭。
天理教には「集会」という組織があるが、そこで表統領に対して「おつくしは金」発言問題や、ハニトラ美人局金銭ゆすられ疑惑、大教会法人乗っ取り事件などの質疑応答などはないのだろうか。怖くて誰も言い出せないのだろうか。それならば そんな組織は形だけのもの。まったくをもって不要である。
渉外課に上級教会との事情の相談や苦情を申し出ても「上級を通して下さい」である。まったく話にならない。
組織としては完全に死に体の「組織天理教本部」。
今後は何か問題が発生したら、本当に「人をたすけたい」のであれば、臆さず警察、検察などの捜査機関や、裁判所などの司法機関に申し出よう。これらが最善の「大人の対応」である。
「オウム天理教」
素晴らしい誤植です。
大亮様。。。。あなたにご注進しておきたい事があります。
ここにある一見批判的なようぼく、信者の気持ちのほとばしりを感じられますか?これを感じられなければ、あなたの路傍講演は欺瞞以外の何者でもありません。真面目に天理教はこれで良いって思ってますか?奈良教区の教会を修理されているのでしょう?行けば感じるはずです。来年この教会あるかなぁって思うのはましな方です。明日なくなってしまうかもっていう教会は山ほどあります。あなたが行く教会は、大教会が上や下やの大騒ぎで取り繕ってしまうからひょっとして見えてないかもですが。
大亮様。。。。あなたは、世界の人々とは違う選ばれた魂をお持ちと思っていますか?もし、心のどこかでそう思ってるなら、大間違いです。魂の価値に上も下もないからです。同じ泥海から親神に食された同じ魂のはずです。だから世界中いちれつはみな兄弟姉妹なんでしょう?与えられた仕事がちょっと違うだけなんです。
その中にあっておつとめの巡航で、真柱、本部員、に頭を深々と下げさせ、平気な顔しているやつらの気が全くしれません。物事が動くのは心からではありません。形が動くことによって心も動くのですよ。あなたがその天理教の悪癖を払拭させる役目にあるとは青もいませんか?本部員も成り立ては大阪の商人のように一二年はヘコヘコしてますが、三年もたてばすっかり本部員が板に付きます。
あなたには、路傍講演の心の低さをいつまでも周囲に感じ取ってもらえるよう、自らを律して、将来、周囲に移して行ってもらえることがせめてもの私の願いです。
ああ無情さま
無理無理。絶対無理ですって!!!!
信者激減、教会潰れ放題を見て見ぬふりしてるような連中だもの。
そうですよね。申し訳ありませんでした。
京都市のN大教会の直轄教会のO分教会(これも京都市内にある)の会長は、50歳代の若さで早逝された。
晩年は自教会の苦しい事情と教祖130年祭にかこつけた大教会からの数字攻勢の板挟みで苦悩の連続だった。宗教家としてはあらぬ方向に行かれた悲しい晩年ではあった。
この教会の設立は明治中頃の後半であった。歴史が古いだけでは如何ともしようのない実態があったと思うが、親戚縁者で固められた裏事情もあったのだろう。
これが天理教会の実態だ。天理時報はこのような実態も報道しては如何か。
ダイスケ様、ダイスケ様と叫んでいる場合か。
天理教本部の乗っ取り事件を起こし乗っ取りの歴史まで自ら認めてしまった 世紀の統領 中田善亮 山澤廣昭 と賞賛されるでしょう! 彼らのおかげで、本部への過度な上納金制度も解消される日が近い。違法集団に上納するとかテロ組織の片棒を担ぐようなもの、大亮がなろうが所詮 中田善助の息子だから期待など微塵も無い。そのうち大亮自身のスキャンダルもわんさか出てくるでしょう。先日うちの若先生が現在本部青年なのですが色々教えてくれました。表向き何事も無かったように振舞っているそうですが、実際戦々恐々としているとか 裏では青年同士でも 中田善亮 山澤廣昭 の文句が当たり前らしいです。このような話が私に入ってくる時点で本部の信用も糞も無い状態です。本部はいつ潰れるか? という話まで出ているそうですよ。 楽しみです。
嘘と追従これ嫌い。
>古い教会長さんがリツイート
>satuki @sazannkasatuki 13時間前
>その他
>「続き」 生前の八島先生が「貯めこんだ資産を持ち逃げしてもいいから、嘘を吐き続けている人達が教団>上層部から退いてくれれば、教祖様の教えは復活するし天理教は救われるのに」と仰っていた言葉が耳か>ら離れません。
年間予算額500億円を超える時期もあった巨大教団が、たった一人の八島氏に訴えられて勝訴できなかった。
情けないことに、この恥の上塗りをするように天理教青年会が「確かな教理理解のために」という578ページにも及ぶ本を出している。
このような本を出すのであれば、裁判の場において堂々と八島氏の論に反論すればよかったのではないか。
裁判が長期間に及ぼうと相手は僅か一人の人間だ。500億円もの予算を執行する能力があったのだから、費用は有り余るほどあったはずだ。
なのに、教団はいとも簡単に負けてしまった。教団擁護派の方々の反論を待ちたい。
余談ですが、八島氏の出自について知人から驚くべき話を聞いた。これ以上に語ることはプライバシーの重大な侵害につながるので終わるが、それにしても教団は何を隠しているのか。
2017年7月19日 5:38 PM 東風Zさま
言ってあげましょうよ!
中山正善二代真柱の落胤でしょ!
落胤 様
う~ん! ここまで仰いますと嘘だと言い切れません。ただ、この話はあくまでも知人に聞いたことであること念のため申し添えます。
この知人はなかなかの人物で教団本部にとっては、目の上のたんこぶ的な存在感のある人です。
八島氏のお母様は大変な美人だったとも聞いています。もう、これ以上書く必要はないでしょう。女性には目の無かった二代さんですからさもありなんというとこでしょうか。
東京大学を目指していた八島氏を天理大学に呼び寄せたのも二代さんだったとも聞いています。
これ以上に裁判の場において争わなかったのは、二代さんの一声があったのかもしれません。
何れにしましても、教団本部は何時まで嘘を通すつもりなのか。見ものです。
東風Z 様 2017年7月19日 8:00 PM
「言ってあげましょうよ!中山正善二代真柱の落胤でしょ!」
>う~ん! ここまで仰いますと嘘だと言い切れません。
祖父は元本部員(故人)で私の所感ではきわめて誠実に生きていた人ですから嘘は言わなかったと信じています。
祖父は八島氏に非常に近い人物から聞いたと言っていましたので信憑性の高いお話であると思います。
>教団本部は何時まで嘘を通すつもりなのか、見ものです。
ウソ教理をタテに教団エゴを満たすがために信者を抑圧し、ここ最近の反社会的行為の発覚を隠蔽、抑止するがためにウソ論評を機関紙みちのとも、天理時報で連発。もはや信者の信望さえも失った教会本部。
中田善亮表統領の美人局金銭ゆすられ事件や、両統領や本部員らによる大教会の法人乗っ取り未遂事件も既成事実であると本部在籍の知人からの証言、太鼓判をもらっています。
また彼らは本部管内では知らぬ存ぜぬと平静を装ってはいるが周囲からは戦々恐々と畏敬、怯えているのが見てとって分かるそうです。みんな「もうその日は近い」と。
マスコミにまで叩かれた中田氏の「お尽くしは金、命の繋ぎ」発言問題や、美人局、乗っ取りなどを公式に釈明や謝罪などをしないと本当に教会本部は終わってしまうというのに…。
そんなことさえも理解できない本部の執行部は教内世論から斬り捨てられるのはもう時間の問題。
間違いなく消え去る(ウソになる)ことになるでしょう。
7月16日の日曜日、お地場に参拝してきました。3連休のなか日だというのに境内の人影は本当に寂しい限りでした。
別席場を覗いてみましたが、なんと初席の誓いを行う場所は中央の通路が手前四分の一ほどの所で板で仕切られていました。
初席の誓いを行う人も中席の手続きを行う人もまばらにしか来ない状態でした。
以前は手続きを行う人で長い列が出来たのですがね。
アーケード街を行き交う人も本当に少なかったです。
というかそもそも行き交う人がいなかった。そんな感じでした。
昔は、祭典当日でなくとも土日なら参拝の人で結構にぎわっていたもんですけどね。
八島氏の事が出ていましたが、私は八島氏から直接聞きました。
「私は、正善から呼ばれて天理に来た」とね。
正善が死んだら八島氏はお払い箱へ捨てられてしまいました。
本部の人達は、本当に「すごい」ですね。
最近思うのですが、「教祖様の高弟達・取次の先生方」と言う人たちは所詮江戸時代の庶民ですよね。
何を勘違いしたのか、この「庶民あがりの高弟達や取次の先生方」は、おやさまの側に居るから自分たちには権威あると思い込んでおやさまを慕う人達に立ちはだかってしまった。
その「高貴な意識?」は、現在の本部在籍者たちに脈々と受け継がれております。
「しんのはしらに」にとりついた腐った肉でしかないのに。
小沢一郎ではないが「担ぐ神輿はパーがいい」
これからも「大亮君」を担いで「中山座敷乞食教」を繰り広げて行くんでしょう。
いまの本部の体制は幕藩体制そっくりだが、中に居る人たちは本当に品性下劣だと思う。
当時の侍は「武士は食わねど高楊枝」と揶揄されてはいるが、総じて清貧であり知性も持ち合わせていたと思う。
「庶民あがりの教祖様の高弟達」の子孫の本部在籍者は、知性も品位も無く、
「座敷にすわって金・金・金、 金よこせー」と叫んでいるだけです。
私は、戦後の生まれで小さなころからお地場帰りをしていたました。
100万人200万にも人々が寄り来る天理が、まさか自分がいきているうちにこれ程に衰退する日が来るとは思ってもいませんでした。
せっかくですから生きて居るうちに「中山座敷乞食教」の滅亡をこの目で見たいと思う今日この頃です。
楽しみです!
「中山座敷乞食教」の滅亡。本当に楽しみです。
私は子供の頃から祖父母、両親が上級教会から虐げらる姿を見て育ちました。息子ほどの年齢の上級会長にぺこぺこする祖母の姿。若い会長が大好きな祖母や両親に偉そうに振る舞う様子。殿様と子分の様な情景。本当に子供には見せてはいけない姿だったと思います。違和感を感じつつ、中学生、高校生と成人するにつれて、「何か違う、何かおかしい、」の違和感が今では「天理教・偽物・嘘もの」の確信に変わってきました。
昭和30年代、上級会長夫婦は、信者の給料日を把握していて、給料日翌日には必ず集金袋(当時は布の巾着袋)をさげて、自転車に乗って金取りに信者宅を回っていたそうです。その上級信者の一人は取り立てから逃れるため自宅の新築と同時に住所をくらませ、他宗教に鞍替えし、天理教会とは縁を切りました。
また、祖母が祖父の遺族年金を少し受給していたため、部内である我が教会へもそれを当てに頻繁に「金取り」に来ていました。お金を握らせなければいつまでも居座る、とよく祖母が両親に不足を言っていました。自転車で来る上級会長の姿を見る度に精神的屈辱、経済的貧困の原因を上級会長の中に見て、惨めな子供時代であったと思います。今に思えば、今も多くいますが、まさに「乞食」の姿ですね。
現在の衰退、消滅に向かう教団トップの焦燥感を見ていて、私は未熟な人間ですので積年の仕返しがやっと出来る「親の仇だ」とひそかに嬉しく思います。衰退、果ては消滅してほしい。
消滅は天然自然の理。世のため、人のためです。上層部は今までしてきた事を胸に手を当ててよくよく考えなさい。合点がいくでしょ?
昔、本部の西側に三島と言う名の小さな公園がありました。
その傍らの木造アパートに「須藤花井」と言う霊能者がいました。
ご存知の方も居ると思います。
昭和58年、その「須藤花井さん」から聞いた話です。
「あのな 皇太子はな 先行ったら 自分から位を降りると言う時が来るからな、覚えておきや」
昨年の7月、TVのニュースで「天皇陛下御自身に譲位の意思がある」と流れた時は本当に驚きました。
33年も前の話が、目の前に現れたのですから驚きです。
須藤さんは次の様な事も話していました。
「あのな 5月になったら天理にお参りに来る者はおらんようになるからな」
今、私たちの間では、「5月に何が起こるのか」「何年の5月なのか」と話題になっています。
みんな「本部の滅亡」が近づいているのかもねと話し合っています。
当時はまだ洗脳が解けていなかったものですから「そんなバカな」としか思いませんでした。
もっと詳しく聞いておけばよかったと少々後悔しています。
みちのとも8月号に懲戒の記事がありました。
―懲戒―
現住所 不明
(不明になるまでの住所)大阪市住吉区・・・
所属教会 天理教東〇大教会部属、同〇阪分教会部属、
同〇港分教会部属、同〇港杉分教会部属
〇〇〇〇
昭和〇〇年〇月〇日生
主 文
被審人〇〇〇〇を罷免に処し、胸内におけるすべての役職を免じ、同人の教人及び教会長資格登録を抹消する。
理 由
右の者は、教会の基本財産である境内建物を無断で解体撤去処分し、境内地についても無断で売却した上、売却金を着服し行方をくらました。このことは到底許されるものではなく、懲戒規定第二条第五号に該当するものと認定し、同人を罷免とした審判会の平成二十九年六月二十七日付審決を相当と認め、主文のとおり採決しこの旨申し渡した。
よって懲戒規程第十一条にもとづき、この旨公示する。
平成二十九年七月六日
天理教表統領 中田善亮
退職信者 2017年7月20日 8:34 AM さま
>何を勘違いしたのか、この「庶民あがりの高弟達や取次の先生方」は、おやさまの側に居るから自分たちには権威あると思い込んでおやさまを慕う人達に立ちはだかってしまった。
仰ることはよく分かるし、現在の状況を見ればこういう判断もありなのですけど、普通、「高弟」と言われるのは「教祖様の教えや理を深く理解し、その実践と教えを広めるために尽力された人」ですねよ?
教祖様の教えを理解していたら、心に納めていたなら、そんな「権威あると思い込んで」とか「おやさまを慕う人達に立ちはだかった」事はないはずです。
そういう人物は「教祖様の高弟」ではなく、最初からそういう権威やお金目当てで集まってきて、教祖様の名声を利用したのではないでしょうか?
後に、多くの分派や1400人もの布教師を追放したという事実から考えても、教祖伝や逸話編には名前の出てこない、でも、初代真柱や高弟たちに強い影響力を持つ人物(達?)が居たのではないでしょうか?
古い教会長さんの書き込みを見て思ったことは、天理教において、教会と呼ばれる法人は必要がないと断言できることです。講でいいんじゃないですか。
包括・被包括とかややこしいことを云わなくても信仰は成り立ちます。
四国の八十八か所のお遍路では、私のようなものでも宿泊させてくれるところはいくらでもありました。
どちらのお寺に所属していますかなんて一度も聞かれません。健康のために歩いていますといっても皆さん暖かく迎えてくださいましたよ。余談ですが、坂東の道は豊でした。
詰所は使わせないとか、その他の権利を失うとか、まるで役所のような言い分を聞いていると、なんだか気分まで暗くなってしまいました。
末端教会役員様が、「みかぐらうた」研究ブログ、ツイート全て削除されております。
いったい、どうしたのでしょうか?「みかぐらうた」研究は、被包括関係解消の手続きや、それに伴う上級や大教会の反応なども詳しく書かれ、非常に参考にさせて頂いておりました。その記事を含め、全部消しておられるようです。大教会からの、抗えない圧力がかかったのでしょうか?
心配です。末端教会役員さん、ご無事なんでしょうか?
末端教会役員さんは、ツイート全て削除されておりますが、昨日、削除理由として、ある方から、紳士的でないなどの指摘をされたことを挙げられ、「お詫びに、出来得る限り削除します」と書かれておりましたが、どうも、末端教会役員さんらしくないと思いました。末端教会役員さんは、「お供え」掲示板や、この社会学コメントでも、拝見してきましたが、他の方の意見で、簡単にご自分の意見を引っ込めて、引き下がるような方ではない、と思われるからです。
ツイートやブログ、末端教会役員さん本人ではなく、他の方が消してしまったような感じが致します。何か、よっぽどの圧力か、脅しにさらされてるとしか思えません。杞憂であればいいのですが・・。
末端教会役員さんの今日付けのブログが更新されておりました。
駅のホームで、突き落とされたのではないかとまで、危惧しておりましたが、ご無事のようです。
「みかぐらうた」研究
謀反の根その4(すくいあぐれば)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/kate/4511
末端教会役員さんのブログが更新されました。
組織は、宗教団体とは思えない程の狡い卑怯なやり方で、裏工作をしているようです。
「みかぐらうた」研究
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1828825
。
退職信者 (2017年7月20日 2:57 PM)様
何年の5月になるのか、今後に注目ですね。
信仰されている方でも、信じる、信じないの温度差が有るのが「不思議な現象が起きた時の反応」。
今、不思議な状況で教祖様が現れ出ておられる現象を耳にします。
引き続いておきるのかどうか、また、なぜ、今なのか、注視し、考え続けます。
宗教団体とはいえ、社会の構成員である以上、説明のつかない行為は糾弾されるのが当然でしょう。
一信者として、どうすれば封建的教団の空気を換えることができるのか。
それには現実の教会で「もの申す」ことにつきるでしょう。
ある信者は、大教会長婦人(当時)から〇〇万円のお供えを個人的に要求された際、二つ返事で断りました。
そして何人もの信者へその事実を話ました。(バラしたのです。)
お供えの目的が何も示されず、会長夫人が単にお財布代わりにしていた彼女に頼み、断られたということ。
経済的に裕福な教会で育ち、経済的に裕福な(今では不如意)教会に嫁いだ方ですから、頼めばお金ができると思ったのでしょう。お供えを断った彼女は現在もお元気です。
信者も考え方を変える時代です。
必要以上に天理貴族を育成してしまった私自身の前近代的(封建社会的)、教会の会長はじめ先生方に対してのへつらい。これを改めます。
顔を上げて一列兄弟道の友、道の同士としてお付き合いしようと心がけます。
さて、このような時代、ダイスケさんと上川女史はどのような代表者とその夫人になられるのでしょう。
経済的な苦労を知らないままでは他人の苦労を理解できません。
せめて、親である現真柱さまから「苦労してきなさい」と単独布教に出すくらいの親心をお見せいただきたい。夫人となる上川女史には新婚の同居はせず、別居で伏せこみする覚悟をおすすめしたい。
その程度の覚悟を教内に向けて示さなくては、今時の信者はついてきませんよ。
そのくらい、疑問の根がはびこっているのが現状です。
中山家がどうの、山澤某がどうの等の「ウンコ事件」は、(ウンコ、世間ではやっていますね。)世間様が注目したら、怖いくらいのスピードでスキャンダル化する可能性もあるかもしれません。
せめて9月にスタートする若い世代の二人には、真剣に天理教封建社会を変えることに取り組んでいただきたいものです。
代表者として行動・発言する気概を持ってください。無理なお願いかな?
末端教会役員様のブログが更新されました。
ブログの【お知らせ】というところに書かれておられますように、
「現段階では事情は明かせませんが、少しの間、投稿と削除を繰り返す形で更新を進めたいと思います」
ということですので、削除されないうちに、社会学さんの方に載せさせて頂きます。
謀反の根その6(ところのおさまりや)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1842601
匿名信者様へ(2017年7月23日7:48PM)
「不思議な現象」「不思議な状況」とありましたので次の事もそれにあたるのかなと思いました。
先日 本部の朝勤めに参拝してきました。その時のことです。
「あしきはらい・ちょとはなし」と続き「いちれつすます」の太鼓が打たれた時です。
突然「うぉー」という音が聞こえてきたのです。はじめは何処で鳴った音かと思いましたが、二度目の最初の太鼓が鳴った時、それが叫び声であることに気がつきました。
三度目の最初の太鼓が打たれた時も「うぉー」と叫んでいました。
この時は、「ま 世の中広いからな こんな人も居るかもな」とこんな感じで気にも留めませんでした。
夕勤めの時です。「いちれつすます」の最初の太鼓が打たれた時です。
「うぉー」と言う叫び声があがったのです。あっ 朝の人が居る。
お勤めが終わった後、側の人に今日は変わった人がいましたねと何気なく声を掛けたらその人が話してくれました。
「あの人は、今日だけじゃないんだ。何年も前から朝夕のお勤めにきている。
✖✖大教会の信者だ。
最初は、大教会も本部もお勤めに来るのを止めようとしたが駄目だったらしい。
困り果てた大教会は、うちの法被だけは着ないでくれと頼んだらしい。
あの叫び声は、最初だけじゃないんだ。
途中で何回も叫んでいる。
「いちれつすますかんろだい」のところでも叫んでいるんだ。
だから「たぁーおじさん」とか「かんろだいおじさん」と呼ばれている。
叫び声だけじゃないんだよ。叫んだ後は、何かにおびえるように震えているんだ。
最近は、体力が落ちたのか叫び声が少し小さくなっている。
初めの頃は、すさまじかった。叫び声が神殿全体に響きわたっていた。」
この説明を聞いた時、恐ろしさを感じました。
その訳は次の様な事です。
「須藤花井さん」から聞いた話のひとつです。
「あんたたち、いちれつすますの意味を知っているかい。
あれはな 地球を掃除する時の手だと神さんが言っているで
あんたたち 良い豆と悪い豆が混ざった中から良い豆 拾うときどうする?
豆を台の上に置いて手のひらで ばーと回し広げてから拾うだろ。
つまり人間たちをばーと回し広げてその中から真実の心を持った者を救い上げるという意味だ。
真実の心を10点満点で表して、4点以下の人間は掃除の時にさらしてしまうと言っているで。
(以下という事は、4点では駄目)
掃除の後、真実の心が4点以下の人間に陽気ぐらしの世界を作ることはできん。
もし自分に真実の心が無いと悟ったら今からでも遅くはない。
真実をつくして点を稼げと神さんが言っているで。」
あの「うぉー」と言う叫び声は、欲深な人間達がそうじされる時に発する断末魔の叫び声なのか。
本部員たちは、毎朝夕「じば・かんろだい」に響き渡る叫び声から何かを悟っているのか。
あの「叫び声」は、親神が本部員たちに差し遣わした「警告」かもしれないと思いました。
「本部員たちよ お前達の最後はこの様な叫び声をあげて掃除されるのだぞ」とね。
教祖130年祭の神殿講話で善司さんは次ように述べています。
明治19年7月に、教祖が「四方暗くなりて分かりなき様になる、そのときつとめの手、曖昧なることにてはならんから、つとめの手、稽古せよ」(天理時報 教祖130年祭特集号より)
「四方暗くなりて分かりなき様になる」この時掃除されるのですかね・・・。
怖いですよね・・・。
あまり深く考えなくてもいいと思いますよ。
「あまり深くかんがえなくてもいい」
確かにそうですよね。私にとっては他人事ですね。
本部があの叫び声から何かを悟るべきだ。
以前、かんろだいが倒された時、本部は何の意思表明を行わなかった。
新しく作り変えてそれで終わり。
体制変革は為されず、ただただ金をせびるだけ。
大亮君の養子縁組 祝儀を宜しく。
大亮君の結婚式 祝儀を宜しく。
「金 金 金」
信者は、どんどんと逃げ去って行くばかり。
陽気ぐらしの世の建設を標榜する天理教の聖地「じば・かんろだい」で毎朝夕響き渡る「叫び声」。
この異常な現実を本部員たちは直視すべきだ。
2017年7月26日 6:37 PM 退職信者さま
早速、今日の夕刻に甘露台が倒されたそうですよ!
さあ、来る日がそこまで来ているようですね。
退職信者様
須藤花井さんのお話、是非、もっと伺いたいです。
宜しくお願い致します。
甘露台が倒された!様(2017年7月26日7:55PM)
情報 ありがとうございます。
私の下へも9時少し前に天理教の実情に詳しい方から連絡がありました。
精神に異常をきたしたと思われる人が飛び込んで倒したらしいとの事でした。
やはり「おふでさき」に書かれている通り。
今日は、26日ですね。
これは、神から本部に対する「大亮君への結婚祝い」でしょうか。
直属教会にさんざん祝儀をたかったから、神からしっぺ返しを食らったのだと思うのですが。
いやいや 神にはそれ以上の思惑があると考える方が自然ですね。
本部は、今後どのような対応を取るのかこれからが楽しみです。
飾東の人らしいですね。
おぢばに帰って来た子供達にはタイムリーな事情です。
周東系列の説教日が楽しみです
Dさんが書き込まれていました。
思い切って書かせて頂きます。
内容に関して不適切な文があるかと思いますが学の無い者が一生懸命に知恵熱を出しながら書きますのでご勘弁ください。
私の母は信仰2代目の天理教が大好きな方でした。
教会の子供として布教先で生まれた長女でした。
その母も数年前に出直しました。母は足が不自由で所属教会まで自分では簡単に行けず、地元のH大教会の部内教会に参拝させて頂いておりました。その会長さんはS
支部の支部長も努めており
信用していたのだと思います。その内に母が自分で歩いてトイレにも行けない状態になり,その会長さんの世話で施設に入所することのになりました。会長さん 奥様は最初は
熱心におさずけの為に面会に来てくれていたのですが母が痴呆症になった途端に来なくなりました。
職員の方に聞いたら母が痴呆症になる前は何何祭だからお供えをと50万だ 30万だと言って持って帰ってたそうです。施設の方も母に注意をしたようですがお供えだからと言う事を聞かなかったそうです。お金はお供えをしたんだから文句はありませんが
母が痴呆症になってお供えをしなくなった途端にお見舞いににも来ないなんてひどすぎる。母の亡くなる前に世話をしたんだから貯金をお供えしろと言ってるとも聞きました。これにはさすがに私が反対して断りました。
母が出直した時は顔も出してくれませんでした。これが教会長で支部長まで務める人のする事でしょうか。
施設に入る時 私に断りもなく家財道具をお金に変えて
お供えにしたとも聞いております。k県のh大教会はそう言う教育をなさっておられるのかと不信に思います。
元々 母 H大教会の信者ではありません。私が思ってる事は間違っているのでしょうか?
母が施設に入り痴呆症になるまでの約2年半で合計金額がわかっているだけで600万近い金額です。
とんでもない話様
よろしければこちらのサイトへ書いていただけませんか?イニシャルも不可なので、プライバシーは守られます。
https://tasukeai0418.jimdo.com
とんでもない話様
二度もすみません。
パスワードはトップページからメールを
下されば、お伝えします。
https://tasukeai0418.jimdo.com
海外より様へ
かんろだいが倒れた事に驚き返事が遅れました。申し訳ございません。
須藤さんの話は、内容が多すぎてこの場で細かく書くのは大変な事です。
簡単に言えば親神が須藤さんに話した内容は、おや様に話した事と同じだと言う事です。
おふでさきに書かれた通り、「地球の大掃除」をするということです。
おふでさきには、「ざんねんはらす」「そうじする」「かやす」などと親神の無念な気持ちが現れています。
その理由は、かんろだいを取られた事と17号58に書かれています。
かんろだいが取られたからその「かやし」をすると明確に書かれています。
世界を救う為のかんろだいを中山家が取り払ったのだからもう無事では済まない。
行き着くとこまで行ってもらおう。
陽気ぐらしの世界は、きれいに掃除した後の事になると言う事です。
「海外より」のお名前からすると、国外にお住まいと思います。
おふでさきの内容や須藤さんの話、現在の世界情勢から考えると早く日本に帰国すべきと思います。
のんきに生活していると帰国する機会を失うと思います。
須藤さんは常々、「世界情勢から目を離したらいかんよ。逃げる機会を失うからな」
第3次世界大戦の事です。現代の戦争は、ボタンひとつです。その破壊力は凄まじいものです。
第一次第二次大戦など比較になりません。
ひとたび火を噴けば、あっという間に世界に広がるでしょう。その時日本に戻ろうとしても手遅れです。
須藤さんは、親神の話を次のように説明してくれました。
「戦争は、わしが始めるのでは無い。人間が勝手に始めてしまう。
子供がおもちゃで遊ぶように自分たちの作った兵器を使いたくてうずうずしてる。
自分たちの作った兵器を飛ばし合って世界が火の海になる。
この戦争に懲りた人間は、やっと武器を捨てる決心をする。
武器がこの世に有ったら陽気ぐらしの世界は作れん。
人間が勝手に始める戦争をきっかけとして世界を「ろくじ」にする。」
この仕組みを大本教の出口王仁三郎師は「神一厘の仕組み」と表現しているではと思うのです。
正善は、おふでさきの中身を全て知っているはずです。
この大掃除の核心部分の約5年分を抜き取って信者に配ったのです。
抜きそこなったのが「いばらぐろおやがけみち」「ひのなか」「ふちなか」
「てんび火のあめうみはつなみや」等々です。
「いつ来るかわからん話だから隠しておこう」こんな感じでしょう。
正善は、「須藤花井」の存在を充分認識していました。
今年の1月、天理在住の人から次の様な話を聞きました。
「正善の娘さんが須藤さんを訪ね「父親の噂は本当か」と聞いたそうだ。
須藤さんは「本当だよ、あんたのお父ちゃんは、あちこちに女が居るで」と答えた。
娘さんは、この事を正善に話したらしい。
お勤めを終えた正善が、神殿から教祖殿へ向かう回廊で須藤さんを見つけ二人がにらみ合いになった。
本当の事を言って何が悪いと怒った須藤さんが正善に向って「えいー」と九字を切ったら
正善はその場に倒れた。
そして一週間に正善が息を引き取った。
本部員達は正善の後ろにいたからみんなこの状況を知っている。
善衛も夫人も善司も 本部中枢の人間も皆「須藤花井」の存在を認識している。
そして皆一様に口をつぐんで何も話さない。
「そうじやかやし」は本当に来るのかなぐらいの感覚なのだろう。
おふでさきにかかれている。
「みえてきたならとくしんせよ」
しかし、見えた時は既に手遅れだと思う。
この内容を、「考え過ぎだろう」と思う人もいるだろう。
その様な人達に言いたい。「どうぞご自由に」
あの神殿の「叫び声」「かんろだいの倒壊」
この異常な出来事から親神の意志を本部は悟るべきであると思う。
海外より様へ
これが、今 私が答えられる限界です。
貴方の期待するところの答えになっていなかったらどうぞお許しください。。
「親神・中山みき」は偽天理教の専有物ではありません。
神の存在を確信する人たちの心の拠り所であると思います。
甘露台が倒された!様 2017年7月26日 7:55 PM
本部在籍者や境内掛からの情報によると、昨日だけで結界内侵入しようとした人が4人いて、そのうちの一人が夕刻18時20分頃に真座にまで侵入、ぶつかっていくような形で甘露台は倒されたそうです。
現在は下二台の状態のまま置かれていて、台と台とをつなぐホゾが折れてしまうほどの圧力だった模様。
なにも倒した本人や、その方に関わる関係教会や、そこの方々が悪いわけではありません。
悪事をはたらく両統領をはじめ本部の偉い先生方、よくよく思案して、あなたたちから心を入れ替えて下さい!
退職信者様、書込みありがとうございました。
退職信者様の事実の正確な記述力のお陰で、私のぼんやりした記憶が戻りました。
6月26日の朝勤めで私も同じく異様な声に驚かされました。
でも、深い悟りをめぐらすことの無い自分でした。
南の左前方席から聞こえてきたその声をめぐって後日、この場で退職信者様のお書きになった内容を拝見することになろうとは・・・・・。
加えて昨日(7月26日)の甘露台の破壊!
昨日は日帰りでの参拝だったので、朝夕のお勤めには出ませんで、明けて本日、本サイトにアクセスして知った次第です。
攻撃された(!)甘露台は据替られてまだ間もないのですが、思い出したことがあります。
据替られた翌朝の朝勤めの時のことです。
ぼんやり頭の自分なので、退職信者様のように事実をきちんと書き込む力がないことが残念!
ですが、たしか、あの朝のお勤めは21回めのカウントがあいまいだったのか、あるいはどなたかがお疲れで間違えたのか、21、もしくは20回目のあとにもう1回「あしきをはろうて・・・」と続いたので、もう、びっくり!!!
詰所に戻り、人に聞いてみましたが、「前夜からのお疲れがあったのでしょう。」とスルーされました。
確かに自分には間違いがあったように聞き取れたのですが・・・・。
本部でのお勤めでも間違うこともあるのかもしれません。
でも、その甘露台が、と、考えると何か、現状何か、悟るべきことがあるようにも感じます。
また、上記の2例が起きた際、その場に「たまたま」居合わせた自分、道をあれこれ迷いながら歩く自分。
深い思案を怠りなくと、とぼけた頭に自分で活を入れねば・・・。
退職信者様、自分も退職した関東地方在住者です。
本日は暑さも一休み。
明日からはまた、猛暑だとか。
どうぞお元気に夏を乗り切ってください。
退職信者さま
大変貴重なお話、感謝申し上げます。
深く考えるところがあり、9月遅くとも10月には本帰国する準備を進めております。
私は信仰5代目で初代は教祖に直接お目通りさせていただいております。
祖父が以下のような話を母親に伝えております。
明かりが下からではなく、上から灯るようになる。
座敷に居て世界中のことがわかるようになる。
針金の先と先で話ができるようになる。
わしはそんなアホなことをいうからお道は馬鹿にされると子供の時分思っておった。
だが、すべてこの目で見させてもろた。
ただ一つだけまだ見ていないお話がある。
それは「朝になっても雨戸が開かず、外は火の海になる。たすけてくれーと外から聞こえるかもしらんが、神名を唱えておれば大丈夫やで」というお話や。
わしに代わって見届けてくれ、と。
個人的には2020年東京オリンピック以降の頃合いではないかと考えていましたが、あまいかもしれませんね。
おふでさきに関しては、第六号と第十四号の四十一首以降において、また第十二号、十五号、十六号の終盤において、何かしら隠蔽されているお歌がある可能性が高いと思います。
甘露台について。
さっさと石の甘露台にすればいいのに、なぜ本部はしないんだろう?
このことについて本部の先生や教校の職員に尋ねても「わからない」の回答しかありません。
倒した方や関係者の方が不憫です。
精神を病んでる方なら尚更、誹謗中傷を受けて余計に混乱されるでしょう。
昔、石の甘露台だった時があったそうです。
現在の形ではなくて、石を置いていたとか。
それを競艇の笹川氏が手に入れたと本部に言ってきて、本物かどうか確証はないもののお金を払って引き取ったそうです。
本部員の妻が話してました。
甘露台が倒されたことをどう思いますか?
石の甘露台なら倒れないと思います。
次に立てるときは、地中深くに基礎を打ち込んで鉄骨入れて固定すれば倒れないと思います。
斧を叩きつけても、ビクともしない強化ガラスで、甘露台の周りを囲むしかないのではないでしょうか?
再建しても、また同じようなことが、起こるでしょうから。
侵入すれば、大きなベルの音が鳴る警報装置も付けておけば、より安心だと思います。
甘露台が倒されました。教団終焉も近いでしょう。
教団が消滅に向かう教団自身が犯した罪の一つ。「三島神社鏡池の埋め立て」の記事が目に留まりましたので添付します。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
教祖ひながたをうたいながら、教祖ひながたにまつわる重要な遺跡を消し去り、隠蔽した教団本部。教祖様をも抹殺した神亡き団体。もはや宗教団体ではありません。
天理教 公式ホームページ より
【7月26日夕刻のふしについて】
2017年07月27日 (木)
7月26日午後6時20分ごろ、本部神殿結界内への侵入者により、かんろだいの上部が倒されるというふしを見せられました。
その後、定時に夕つとめが勤められました。
夕つとめ後、急遽、本部員会議が開かれ、その席で、真柱様からお言葉がありました。
引き続き本部員会議で、このふしについてねり合われました。
http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/information/2017/07/27/25057/
しかし酷い文章だ。経過報告のみである。
そのうち、倒したご本人や所属する教会、その関係者らが悪いとか言い出しかねませんから、みなさんネット情報の注視をお願い致します。
倒したご本人は重度の精神のご病気でいらっしゃるということです。
〇〇大教会長さま、関係のみなさま、本部に謝罪なんて一切不要ですよ。
神が、教祖が、倒されたその方を通して、内統領、表統領、をはじめとする悪の枢軸たちの所業に対しての「残念・立腹の念」を、甘露台をお倒しになられてまでお見せ、お知らせになったのです。
表統領あなた、ハニトラ・美人局以降もお金ゆすられていませんか。
教祖の み教えに「献金しなければ命が切れる」なんてございませんよ。
搾取してまで どうして信者を苦しめるのですか。
傘下の法人格まで乗っ取っらねばならないほど資金繰りに困っているのですか。
気に入らない人間はポイなんて、それこそご教理に反していませんか。
どうか大変な事態に陥る前にお気づきくださいませ。
そして今こそが、心底よりの改心の旬です。
神が与え給う最後の機会ではございませんか。
この旬を外さずに、どうか若いお二人が教祖にお結びいただけるようにしてあげてください。
老婆心より
海外より様へ
「朝になっても雨戸が開かず・・・」とても驚きました。
私が小学3・4年の頃、風呂の竃で古い桐下駄を燃やしてしまい母からひどく怒鳴られました。
その時母は次のよう言っていました。
「なんて事するんだ。また戦争が来るのに。朝になっても戸の開かない家が並ぶんだ。物は大切にしろ」
私は、「戦争 そんな ばかな」と思い気にもとめませんでした。
須藤さんに会ってからこの話をふと思い出し、須藤さんに尋ねました。
須藤さんは次のように話していました。
「その話、今なら解る。戸が開かないのは中性子爆弾でやられたという事だ。
あんたのお母さんは会長さんから聞いたんだよ。
戦前の会長は、別科と言ってな半年は天理で過ごすんだ。
当時の天理には、おやさまに会った人が沢山いたんだ。
会長さんは、そのような人から聞いたんだよ。」
母から聞いたのはその時だけです。ほかの信者さんから聞いた事もありませんでしたから、会長さんは私の母にしか話さなかったのかなと少々いぶかしく思っていました。
この話が、ここ「社会学」のコメントに現れた事は、本当に「驚き」の一言です。
須藤さんは、続けて次のようにも話していました。
「その時はな、あしきをあろうてのお勤めをするんだ。
交代しながら途切れず勤めるんだ。
そうすれば相手の撃った弾は、向こうへ返って行くんだ。
神さんは、不思議な助けをするんだ。」
本部は、おやさまを100%信じていません。
親神がおやさまを通して本当に伝えたい「そうじ」の事を隠しているのです。
本部は「そうじ?そんな事は例え話だ」この程度の感覚だとおもます。
神の言葉に「例え」などと言う曖昧な表現は存在しません。
平成12年6月26日 祭典中にかんろだいが倒されました。
九下り 九つ ここでつとめをしていれど むねのわかりたものはない
悟りの無い本部に、神は使者を遣わした。あの「かんろだいおじさん」です。
あの「叫び声」は、本部に対する「神の怒りの叫び」です。
何年も叫び続けてきました。そして今 再びかんろだいは倒されたのです。
世界情勢と本部の事情から察するに
今は「あいづたてやいでたならば」の時期に来ているとおもいます。
倒れにくさを追求するより、あえて、ゴム素材でしなやかさを追求するのもありだと思います。
甘露台の真上は青天井になっている。亡くなった祖母がよく言っていたことは、甘露台に「かわらけ」を置いておくと天から甘露の露が降りてきて、それを頂くと病まず弱らずの長寿のご守護が頂けるんだと。そのためには、全ての人が南無天理王命と喜べる心ひとつにならなければならないとも。
幼い私はそれを信じ切っていた。何処からこのような発想が出てきたのかは知んないけれど、祖母は死の間際までこれを信じ切っていた。あの当時としてはめずらしく100歳近くまで達者で生きた祖母にとって甘露台は、それはそれは有り難い存在だったのかも知れません。
この度の事件から思うことは、甘露台は崇拝の対象なのかということだ。法律的には礼拝所不敬罪が適用されるだろうが、親告罪であれば教団本部はどう出るのだろうか。
精神を病んでいる人の行為だとの書き込みがありますが、私は天理教に遺恨のある人の行ないだと思っています。
一列兄弟陽気づくめを説く教団であるならば、少なくとも人の恨みを買うようなあり方があったのかを問い直し、万人が喜べる教理を説くべきであろう。
何かを隠していると疑われるような教団から一日も早く抜け出すことが一番求められていると感じる。
本部員会議において練り合う課題は今更云うことでもあるまい。
責任取って、両統領が辞職すべきですよね?
本来ならば真柱中山本家がやめるべき事態ですし、もし倒した人が心病んでいるなら、その原因は?それを治せない教団にある。教団がおかしいからでしょ?宗教家としての責任が中山家にあるのは宗教家として当然「お尽くしは金」と表統領 中田善亮 が発言してから教団の問題点が鮮やかに見えてきました。資金難、法人乗っ取り、お尽くしは金 との協議改竄 責任は真柱中山家、少なくとも両統領にある。
海外なら大事件です。ローマ法王もつど謝罪してます。
現状の天理教教団、教会本部と教祖、中山みき様の説かれたこととしっかり分けて思案する必要があります。
同一上のものとして思案すると本質がわからなくなってしまいます。
今、目の前に起きた現実が世界の縮図として見せていただいていると私は考えます。
先ほど最新記事にコメントしてきました。
天理時報に、今回の件について内統領コメントが掲載されているようですね。
Twitter「天理教社会学研究所」@tenrisyakaigaku
天理教幹部かたり架空の不動産取引 現金4千万円詐欺‐産経ニュース
宗教法人「天理教」の幹部をかたり架空の不動産取引を持ちかけて現金4千万円をだまし取ったとして、県警は28日、詐欺容疑で、不動産会社「新菱(しんりょう)」(千葉県松戸市)の社長、中山正山こと井上卓三(67)=京都市南区=と、会社員、平井千尋(80)=東京都品川区=の両容疑者を逮捕し、さいたま地検に送検したと発表した。
送検容疑は平成25年11月6、8日に岩槻市の建設会社社長の男性(54)に「天理教の幹部がおり、静岡県熱海市の不動産を購入して天理教に売却することになっている」などと話し、11日にさいたま市内の金融機関から指定口座に4千万円を振り込ませ、だまし取ったとしている。
同課は余罪もあるとみて調べている。
http://www.sankei.com/affairs/news/170729/afr1707290004-n1.html
Twitter「satuki」@sazannkasatuki
「天理教幹部を騙って、4千万もの不動産取引詐欺」をした容疑者は、
★【天理教幹部という人間は、不動産をたくさん持っている】ということを、よく知っていたということだ。
#天理教
2017/07/29 10:02
・ひとりごと
容疑者の一人「中山正山こと井上卓三(67)=京都市南区=」は、「なかやましょうざん」とでも読むのであろうか。巧妙とかではなく、もう「お笑い」の世界である 笑
本物の本部員が捕まる前の予兆のようです。
退職信者 様
ご返信いただき有難うございます。
祖父のお話にはそのような続きがあったのですね…驚きです。須藤花井さんにお会いしたかったです。やるしかないですね、その時、あしきをはろうてのお勤めを。
「天理の霊能者」162pに須藤花井さんのお話が紹介されています。「月よりの神言」という私家版の本がかなり気になるところですが、ここに紹介されている事柄はまさに世に言われている「ポールシフト」のことだと思います。2001年頃から北磁極がかなり加速してズレていっているのを知っていましたが、ここ数年はなぜか発表を見合わせられている状況で、現在どこまでズレているか一般庶民には知らされていません。いずれにしても核兵器の使用により、天変地異が起きると書かれていますね。もし、このような状況になった際に、人口が三分の一どころでは済まないように思います…。
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/kantougen.html
『ほんあづま』2000年6月号巻頭言
「八島何故出て来ない。すぐ来い。天理大学が全国大会に優勝して、祝賀会が東本で行なわれているだ。」「私は柔道部ではありません。ラグビー部ですよ。」「東本で祝賀会が行なわれているのに、天大OBとして出て来ないという事があるか、早く来い。」「行きます、行きます。」
時は、天理大学が東本大教会を宿舎にして、柔道の全国大会に出場し、優勝し、東本大教会の三階大広間で優勝祝賀会が始まった時である。人は天理柔道の総帥、中山正信氏からの電話である。急いで東本へ行き、三階の会場に顔を出すと、挨拶もそこそこに「二人だけになれる所があるか」と言うので、一階の青年ホールへ行き、二人だけの話になり深夜に至るまで続いた。
『ほんあづま』の論調が、『稿本天理教教祖伝』のフィクションの洗い直しを進めて、すでに、こかんさんの大阪布教が、作り話である事が誌上で証明されていたのである。
分家「あまり教祖伝をほじるなよ」
八島「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。外部からあばかれたらどうします。山本周五郎が『樅の樹は残った』という小説を書いてから、極悪人原田甲斐が、実は仙台藩を救った忠臣であったと、常識が変わっています。今までの日本は天皇制軍国主義の思想統制があって真実が説けなかった。今から真実を説く、教祖伝の編纂をやり直す、と教会本部が発表すれば、混乱は起こりません。教内はうすうす気づいていながら、何時本部が真実を言ってくれるか待っているのです。後れたら皆が背を向けます。そうなったら取返しがつきません。」
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
豪気な御分家中山正信氏の言葉の中に怯えを感じた。私の頭の中に、戦後ニュースで見た、イタリアのムッソリーニがパルチザンに殺され、逆さ吊りにされた場面が走馬燈のように走った。
それから約二昔の歳月が流れた。正信氏が亡くなって十年、その間におつとめを教祖が教えた通りに復元すべき人が、また、ひながたを正すべき人が次々と世を去り、或いは教外に押し出され、みかぐらうたを歌い、教祖の教えを手踊りで、自分の身体で表せる人が次々と教団に背を向け、教えを求めても得られず、修養科生は十分の一に減り、教会は三分の一以上が活動を停止している。
拝み祈祷を営業政策にした神道天理教は迷信家の集団と化して教祖の教えは亡びようとしているのである。
昔、神道になるために、教祖を警察に売った。十余年前ひながたを顕彰し、おつとめの復元につとめている櫟本分署跡参考館を教外のものと断定した。然し今日櫟本のつとめ場所を見ると、捨てた良心の種が育って花咲くように教祖の教えた通り教祖と共に歌い、踊り、誠の心を取戻し、人の喜びを見て楽しむ心を我が身体で表す、世界たすけの働きの中心になるべき人が続々と誕生している。櫟本を苗床にして世界中に良心の花を咲かせなくてはならない。
こんな記事をみつけた。
『ある教会長が、面白い表現をした。
彼の所属する大教会は、太平洋に面した河口の絶壁の上に要塞のように立っている。大教会長は部下教会長たちに、この絶壁から飛び降りても、親神様のご守護で怪我一つしない。「安心して飛び降りて、おたすけに出かけろ!」と命令する。皆、その言葉を信じて飛び降りる。ところが実際はその絶壁の下では、瀕死の重症で皆苦しんでいる。大教会長自らは決して飛び降りない。運転手付きの高級車で絶壁と反対側にある緩やかなスロープを悠々と下って行く。飛び降りて瀕死の重傷で苦しんでいる部内教会長には見向きもしない。』
難解題教会ですね。
この大教会も大分問題があるのは有名です。異常性のあるカルト教会
このようなおかしな強要をしている分教会、大教会、本部関係なく今後とも監視し問題追及していきましょう。
はああ~。(ため息・・)もう天理教には近づかないことですね。私は深入りしない。恐ろしい~。教祖のみ教えを習って大教会長にまでなってるはずなのになぜ、あっちでもこっちでも大教会長、その家族の悪い噂ばかりが聞こえてくるのでしょう?高山に登ると、魂が腐る。
神様を語った社会悪ですね。「神様はお金と引き換えに命を守護するから金・金・金、自信を持って金を出させよ。」と時報で公言した「詐欺集団」。教祖の血を引く現幹部は貧に落ちきるどころか信者を騙して金集め。教祖在世当時も教祖を悩ましていましたね。時代が移り変わってもやっぱり中山家は貪欲の塊。変わりませんね。
崖からジャンプでなくても、実際に大勢の教会長を自殺に追い込んだのは殺人したのと同じ。オウム真理教と何ら変わらない。天の理によって消滅までは時間の問題と言われているが、今も大勢の関係者を苦しめている。
どなたか言われてました。「兵糧攻め」が一番だと。私たち教祖様を信仰する者の誠真実は堕落本部への資金源を断つ活動。「難渋の人を助ける心は神が受け取る」。
お供えを断つ活動は人助けであり、その輪を広げましょう。
難解大教会長の嫁は御分家の三女、つまり難解はご一統様。かなりの非常識人。よく部内教会は我慢してるなぁと思ってました。むかーし本部勤務してたとき、鏡池のベンチにスヌーピーのでっかい人形を抱き、たばこを吸っていている姿をよく見かけました。当時女性が外でたばこを吸っている人が見たことのない時代でしたから、でっかいスヌーピーの人形とたばこという光景のその破天荒さにびっくりでした。
ヤマダ制他老も多少のあばずれでもご一統様になりたいという純真さに、強蛮カラ人間であった彼もすがりついたんでしょうね。それ故、かれの性格の粗暴さと、中山一族の威光で教会を食い物にしている現実はもう真柱でさえ意見できない状況にあると思います。その参謀である◎亮ですら彼には頭が上がらない。まぁ、◎亮はもともとビビりですから仕方ないですけどね。
「難解大教会の嫁は御分家(初代当主は山澤?)の三女」
先日、知り合いから本が送られて来た。
天理教高知大教会初代会長 島村菊太郎物語 編・高知大教会 画・中城武雄
中身は、いつもの万歳天理教
第七章 出直しの内容
子どものいない菊太郎が重い身上になり、後継者問題が発生。
高井猶吉先生から、梶本松次郎先生の次男を養子に・・・
菊太郎は断るが・・・結局 押し切られる
明治43年大晦日 梶本國治郎 菊太郎の養子に p349
大正元年4月28日 國治郎 結婚 「妻は山澤為造の三女 サワ」 P373
直属教会の乗っ取り作戦がこんなにも早い時期から行われていた事に驚きました。
あっちに「山澤」 こっちに「山澤」 今も「山澤」 やれやれ
退職信者さま 2017年8月3日 8:09 AM
今話題の乗っ取り被害の大教会は 申し訳ないが教勢において芳しくないので やはり最終的には解体して土地の売却が狙いだったのでしょうかね?
ここ グーグルマップ見ると 山中の敷地持ち教会とは違い なかなかの立地ですよね!
今回の乗っ取りに関与しているのは中山、分家、山澤、永尾、高井系のようです。
でも〇〇大教会さん よく守り切りました、素晴らしい!今後の事件処理に期待です!
単立天理教会 国々所々つとめ場所の散歩道(非公認HP)
私の一番長い日(人のこころというものは)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1844646
私の一番長い日その2(いかなることも)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1844648
私の一番長い日その3(鏡のごとく)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1844657
私の一番長い日その4(心得違いはならんぞえ)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1844662
★ 事情により、数日間で削除するそうですので、早めにお読みください。
乗っ取り2017年8月3日 8:48 AM
乗っ取りを防いだわけですからむしろ教勢は伸びるでしょう。私も一連の記事の記憶で感想を書かせて頂きますが、乗っ取り側に弁護士が居ても防いだというその技を是非とも御教授頂きたいものです。私も小さいながら幾つかの部内を抱える分教会の会長をしていますし、教会と信者様を御守りするのが教会長としての役目です。私の方も数人の信用置ける方からこの話を聞き確信に至りました。天理教教会本部がこのような事をしかも以前からしていたと言うことですからまことに残念な思いで分離独立を決断致しました。確かにここ数年の教会本部の公式発言はおかしいですし見るに耐えない異端です。教団からは異端に成るでしょうが教団から出ないと教祖の教えに背く状態に耐えられなくなりました。部内も教義から熱心に信仰していたので全会一致で分離独立をするところです。 各ネットで真実の教祖の教えが多数上がり本部は必要無くなりました。むしろ異端は本部です。今後は当教会からもHP等で教会本部の協議改竄をして行きます。こちらの皆様には独立し次第御連絡させて頂きます。
時期 異端本部は朽ちて無くなるので皆様各教会の会長さんや役員さんも自分の教会と信者様を大切にしてください。異端本部や悪徳上級に騙されてはいけません。当教会も乗取られたくないので防衛の為分離独立を決断しました。しかし分離独立しないで防衛したその大教会は本当にすごいと思います。今後教団の台風の目に成ると期待します。教内に居ようが出ようが親神様教祖様はこの世界を見つめておられます。甘露台の倒壊 が良い合図 無駄なお供え強要されるのも心外です。
ご決断された由、一信仰者として心強く思います。
甘露台のような人間が便宜的に造作した「物」は信仰に必要ありません。
ところで乗っ取りを防いだ大教会は実存するのですね?
過去の記事を見ると大体分かります。一時期公開されていましたが被害者側への配慮として名前は公開しなくなりました。その分加害者側の名前は教会本部と言う著名で公にも知られた方々なので公開されております。両統領主導で違法行為をさせては本部も終わりです(ToT)教区や系統などで個人的に聞けば教えてくれる方が必ず居ます。私も教区と系統の仲居言い方からこちらのサイト教えてもらって以来です。教内の人の特徴として表では絶対に言いませんが個人的雑談で教えてくれます。もうこの話題で持ちきりです。様々なルートを使い確認作業をしてる人が居たりします。本部在籍者の中でも持ちきりだそうです。私の系統の若先生も「本部やってもうたわ!」と嘆いていました。異端本部など書かれてはじめはショックを受ける方多いでしょうが事実がたくさん語られるのがネットです。
匿名で申し訳ありません。様 2017年8月3日 4:30 PM
私二回目の修養科中なんですが ここでも社会学の噂で持ちきりで~す!!!
乗っ取りかけられたお教会は本部主導で子供を誘拐?されたとか?削除されましたが以前こちらの社会学さんで記事を見かけました。本当に気の毒です。異端本部とはまさにその通りだと私も感じます。天理時報などでは大亮御結婚 と囃し立ててますが、まったく持って喜べない自体です。天理時報が嘘つき新聞と言うコメントも見て以来私もその様に読むようにしています。おかしいのが本部関係者の方もこちらの社会学さんを見てらっしゃるように思います。気の性かも知れませんが以前こちらの記事で、教内の知的劣化?のような記事の後から天理時報が確実に反応しています。天理時報より真実を語っているのが社会学さんのコメントだと思い御拝見させて頂いてます。教内で一番信用できるサイトの一つと思わせて頂いております。
社会学さんと並び有名なサイトといえば
お供え掲示板
http://6706.teacup.com/5051/bbs
天理教教理を学び神意を悟る
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/
と上級の若先生から教えてもらいました。
うちの教養係の先生も内緒で
「社会学はあれ事実やで!汗 私も書き込んでるんや」
と教えてくれはったで(*^。^*)
本部はうさんくさいムードしかしないけど
教養係の先生が良い人しかもイケメンで最高やわ!
後は内緒!
facebookで天理教神殿なるページを見つけました。皆さんで正義を語りましょう。
https://www.facebook.com/pages/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E7%A5%9E%E6%AE%BF/244377948917099?ref=ts&fref=ts&sw_fnr_id=1284337586&fnr_t=0&rf=154537674594136
本部は自分たちだけ会社を作って、しっかりお金を稼いでいます。
会社名 株式会社 東京天理教館
本社所在地 東京都千代田区神田錦町1丁目9番地
設立 1960年6月
資本金 410,500,000円
代表取締役 小谷 幹雄
社員数 55名(2017年4月時点)
本社 東京天理ビル
〒101-0054 東京都千代田区神田錦町1丁目9番
TEL 03-3292-0502
横浜支店 横浜天理ビル
〒220-0004 神奈川県横浜市西区北幸1丁目4番1号
TEL 045-319-3811
本郷支店 本郷天理ビル
〒113-0033 東京都文京区本郷3丁目16番4号
TEL 03-3812-2775
福岡支店 福岡ようきビル
〒810-0041 福岡県福岡市中央区大名2丁目10番29号
TEL 092-771-0503
駒込支店 東京スイミングセンター
〒170-0003 東京都豊島区駒込5丁目4番21号
TEL 03-3915-1012
(所有物件)
東京染井温泉SAKURA 東京都豊島区駒込5-4-24
本郷天理ビル第2駐車場 東京都文京区本郷3丁目102-8
天理三島荘 奈良県天理市三島町159-1
天理わらく荘 奈良県天理市指柳町318-1
天理駅前駐車場 奈良県天理市川原城町675
天理300番地駐車場 奈良県天理市川原城町300
熊本春日土地 熊本市春日2-746
http://tokyotenrikyokan.co.jp/
>そよかぜXYZ 様 2017年8月3日 4:51 PMのコメント
>「乗っ取りかけられたお教会は本部主導で子供を誘拐?されたとか?削除されましたが以前こちらの社会学さんで記事を見かけました。本当に気の毒です。異端本部とはまさにその通りだと私も感じます。」
以下のコメントのことですね。
保護者としての憤り 2017年7月22日 4:46 PM
「先日 天〇中に関するコメントがこの欄に寄せられていたのですが 次に閲覧したときには既に消去されていました。
それぞれ個人がハッキリと特定できてしまうような文章だったので被害者保護の観点からのWEBサイト側の配慮の上の削除だったと推測しますが 個人的には大事件の可能性も否定できないと思いますので 個人が特定できないように記して全教のみなさんへの周知を促したいと思います。
ある教会のご子息様が入学して来られたのですが このお子様は1月の入学試験は受験されていないそうです。入試を受けずに入学しているのであれば いわゆる裏口入学?本部や大教会の口利き?という噂です。
みなさんきちんと受験しているのに また入学したかったけれども不合格だったお子様がいらっしゃるというのも事実です。保護者の間ではこうした教会本部の「えこひいき」に怒りや憤りをあらわにされる方も多くいらっしゃいます。
またそのお子様をお母様(奥様)がご主人様やお教会のみなさんに何の説明もなく無断で連れて出てしまったそうで 学校においてはお子様にご自分の旧姓を名乗らせています(どうも「姓自体変わっていないのに強要している」ようです)。
これは社会問題として国会などでも大きく取り沙汰されている「片親による子どもの連れ去り」なのではないかと もっぱらの噂です。
同様に子どもの親としては 一方的に父親を奪われ 突然にまったく違う環境に放ち置かれたお子様の精神的な傷害や負担 そしてお子様の将来などを心底より憂慮しております。とても他人事として見て見ぬ振りなどできません。
もしこの連れ去り事件の背後に悪い噂が絶えない両統領や本部員たち またそのお子様の入学願書に押印した大教会長やその周辺の人間らが関与しているのであれば これは「組織的な子どもの誘拐」で間違いなのではないでしょうか。
噂では既に裁判所などが介入しているとも聞きます。一親として お道の人間として いち早い事件の解決を望んでやみません。」
犯罪じゃん! 2017年7月23日 6:23 PM
保護者としての憤り 様 2017年7月22日 4:46 PM
「この子どもの誘拐とか、もしかしてあの大教会で起こる大事件との併発ですか?
私も今日、知人から聞いたんですけどね。
なんかもう天理教の本部って、 することなすこと滅茶苦茶ですよね、もうもう犯罪行為じゃん!
両統領なんでしょ、これやってるの。今の世の中、こんな本部の言うこと誰もききませんよ!
個人の思いとしては〇〇大教会に 具の根も出ないほどに本部をコテンパンにやってもらいたいです!笑」
子の連れ去りは違法 2017年7月25日 6:31 AM
「子の連れ去り事件」告発のコメントをTwilog中に発見しました。
被害者保護の観点から伏せ字を施して転載します。
古い教会長@huruikyoukaityo 7月16日
社会学より
「〇〇〇○〇〇にあった〇教会の〇〇〇の息子さん(中1)が天◯中にいます。 受験の時にはいらっしゃらなかったので、入学試験を受けていないのでは?と思います。 入学試験を受けずに入学出来ているとするならば、本部が関与しているのでしょうか? 」
#天理教 posted at 17:36:49
古い教会長@huruikyoukaityo 7月16日
「〇〇〇のお子さんは、〇〇〇の奥さんが勝手に連れ去って、実家の苗字を名乗らせて、天中に通わせているようです。 〇〇〇○〇〇も違法ですが、たとえ母親であっても、片親による子の連れ去りは違法です。 本部がこの連れ去りに関わっていたのならば、重大な犯罪に関わっていた事になる。」
#天理教 posted at 17:38:44
古い教会長@huruikyoukaityo 7月16日
「〇〇〇の奥さんは事の重大さを分かっておられるのでしょうか? 同じ子を持つ親として、突然父親と引き離され、全く違う環境に投げ出された息子さんの心の傷がどれほどのものかと心配すると共に、きちんと受験して入学した他のお子さん、保護者の気持ちとしては、憤りを感じてしまう。」
#天理教
posted at 17:39:41
天理教関係の学校には行かせ無い事です。
かんろだい倒した人って刑事責任は問われてないのですか?
だとしたら、結構気軽に倒しに行けちゃうんですね。
次、8月24日ですよね。
いくら厳重警備といっても深夜に一目散に突っ込んだら可能性ありますよね。
しかも捕まらないみたいだし。
恨みを晴らすチャンスあるかな。
雛型甘露台などというものはない、というご意見もあった。全く意味のないものの再建に金を払わせられるのは、バカバカしい限りである。石の甘露台がほんものであるのなら、それ以外のものは立てる必要はない。
ましてや、いつ倒されるかわからないものを、無駄に金を捨てるだけではないか。
本部には、そのように両統領に意見できる人はおられないのだろうか。
真柱は、何も仰ってくださらないのだろうか。
匿名希望2017年8月3日 10:25 PM
匿名2017年8月3日 10:38 PM
本部は所詮異端なので雛形甘露台?それすらいらない。立てる権利はございません。
最近本部に天理教を辞めて頂きたいという言葉を良く耳にします。ごもっともです。会社などを営みながら末端教会をやってる方ほど教義を熱心に勉強しており異端本部への批判は激しいです。
https://www.google.co.jp/maps/@35.6865333,139.7431933,3a,75y,282.6h,99.23t/data=!3m6!1e1!3m4!1snhIcs75frJbukdMfUZdchQ!2e0!7i13312!8i6656
この、英国大使館’(東京都千代田区)の裏にある「中山」さんはどちらの中山さんでしょうか。
建造物はどこかで見たような外観ですが
お教会の部内の方から話を聞いたことがあります。その昔本部に教会整理などをされ分教会をお供えさせられたりと元々本部に対する猜疑心が強い系統。私自身も聞いて本部が酷いと思いました。おそらくそれを知らず本部が再度手を出してしまったのではないでしょうか?そしてその系統の方々から反発されたのではと想像できます。本部は魔境に触れてしまった。触れてはいけない天理教団の黒歴史を開いてしまったのではないでしょうか?黒歴史の中では結構有名なお教会です。大変苦労されたと思います。そこに手を出す本部も本部甘露台が倒れるのも偶然なのでしょうか?私は色々教内の人には言えない各教会の歴史を調べたりしていますが、この系統のこのお教会に手を出した時点で神の怒りに触れたとしか言い表せません。本部は本当天誅が下った。とまとめましょう。今後とも様々な不思議な出来事が起こると思います。ある日突然本部の重鎮が身上やお出直しもありえる事態と、とても危険な状態です。そのお教会の怒りを治めるべく謝罪を御本部もなされた方が賢明でしょう。本部は未だに謝罪などをしていないのでしょう。そうでもしないと御本部の存在意義は無くなってしまうでしょう。御本部だから異端行為をしても良い訳はございません。それを改められないなら御本部は早急に壊滅するでしょう。神はそんなに甘くございません。中山家を一番戒められているのです。中山家が一番それを知っているでしょう。
そよかぜXYZさま
御紹介頂いたブログ教祖のおことばと比較されていて一目瞭然で大変納得しました。表統領先生は間違いを犯し続けている。私はとある大学の教授をしながら信仰しています。 みちのとも など教団の機関紙を読ませてもらっても何か違和感しかなくはっきり申しますと説得力が全くないのです。これでは今後現代社会と対峙しなくてはいけない教団として全く持って戦いきれないでしょう。教団の信者数も減る理由は 教祖の教えに背いているからでは本末転倒です。これは課題をしない不良生徒と一緒です。それに本部と言う教授が教授の役割を担えないほどのなにか問題を抱えているのでしょうか?大変著名で優秀な先生が沢山いらっしゃるのに何故中田善亮氏のような無責任な発言をする方が表統領と言う教団の重責を担っているのでしょうか?真柱様の実の弟とは聞いてますがこれでは中山家自ら本部を壊してしまうでしょう。もしかして完全血族やお家柄だけで人事を決めているのでしょうか?本部のような教団の中枢であり大規模な組織を完全お家柄だけではまず無理です。中田善亮氏には原稿を書くライターはおられないのですか?官僚組織のような優秀なインテリは居ないのですか?本当のエリートが居ればこのような稚拙な事も発言できませんし、このような致命的な問題も起きません。エリート層を役員会に招集された方が宜しいでしょう。そして既存の実力のない役員と入れ替えた方が宜しいです。 それとも意図的に教義改竄をしていては教団は終わるでしょう。社会常識からも逸脱しております。任侠の世界でも「本筋や掟を破ったものは抹殺される」教祖の教えに背いた 中田善亮氏 は宗教業界ですら抹殺の対象となり宗教業界だから尚の事と言うべきでしょうか。本部のような問題を抱え過ぎた組織はやがて朽ち果てます。それに弱った所を他の教団に狙われるでしょう。これが自然淘汰です。自然淘汰も親神様の成す事 本部は今や教団の底辺と言うべきでしょう。落ちきったら次は と教祖も仰ってますが 中田善亮氏の言動を総合的に見てもとても教団の強制をを上げることも出来ないでしょう。まず理路整然としていない文言が論理性にかける論理展開 大学の卒論では不合格です。学習院大学卒と言うことですが本当に卒業されたのでしょうか?と疑問が浮かびますが私自身大学内部の事は分かっているので察しが付きました。このようにしてどのように肩書きを繕っても中身が伴って居なければ直に見抜かれます。以前こちらのでも知的劣化とのタイトルの記事が御座いましたが正にその通りです。
引用
「神は、内と世界とを一切隔てない。内も外も世界中、一切隔たりのない同じ一つの理なのである」
「面目で、世界(外)に対しては よい顔して話し、内へは内へで、また違うことを言っていると、これは間違うぞ。
内外の隔てなく、教えの理を諭してくれるように以前から諭してあるはずだ。こうした事情を皆々よく聞き分けてくれ」
などと仰るのに、表統領は、
お道から教外・世の中に向かっての事と、本部から教内に向かっての事はまったく違う
と「月日親神・教祖の教えの理」を真っ向から否定、正反対のことを言っていますので、 もう目も当てられない、とても始末に負えない状況です。
http://blog.livedoor.jp/rokkouoroshini/
【坊主は、寺の再建とか何とか言つて、金ばかり取りに来るがね、コツチの意見は、寺はつぶれるに任せるが善いといふ持論だ。】勝海舟名言集より
https://twitter.com/KatsuKaishuBot/status/893147125579632640
北朝鮮と例えられる真柱体制の本部今回は指導者を比較して見ましょう。
表統領 中田善亮
http://www.kuromon.org/wp-content/uploads/2014/04/98da7d2ce39714846049cc72fce21cf4.jpg
山澤廣昭
https://pbs.twimg.com/media/CTxwZDXUYAASxw4.png:large
キムジョンウン
http://enigme.black/wp-content/uploads/2015/04/201504030204_R.jpg
中田善亮氏 山澤廣昭氏は意見優しそうに見えるが、共に肥満がなく苦労してない顔つきである。肥満である時点で強欲であると言えるし欲深いものは指導者としては向かない。それはキムジョンウンにも共通されることである。欧米では肥満では会社の重役に成れない。自己管理が出来ない者は他も管理できないという観点からだ。そして何より指導者に対して必要とされるものは魅力である。この3人に何の魅力もない。
世襲は悪いという短絡的な意見はしないが世襲なら確りとした教育が必要です。内統領 山澤廣昭氏もそうですが 表統領 中田善亮氏に関してはかなり教育が足りてないと判断できる。中山家は何を教育してきたのか?教義的改竄を見るからに嘘の付き方しか教えてないのではないか?と思われる。
不良信者改め40代不良信者 様
東京千代田区一番町一にある、中山家専用の東京母屋。
東京の一等地。皇居の西にある。表札は中山。
教内の人は殆ど知らない。
信者には赤貧を求めるが、幹部は贅沢の限りの生活。
https://www.google.co.jp/maps/@35.6865333,139.7431933,3a,75y,282.6h,99.23t/data=!3m6!1e1!3m4!1snhIcs75frJbukdMfUZdchQ!2e0!7i13312!8i6656
中山家と本部は都合の良い神を作り出しているが欲欲しい人に都合の良い神などこの世に存在しない。親神様と教祖は中山家と本部にとって都合の悪い神だから異端発言をするのでしょう。彼らが信じているのは親神様ではないのです。
中山家と本部の異端性を明らかにした 表統領 中田善亮 大先生に感謝いたします
昨年 天理で出会った布教の家にいる人が言っていました。
「布教の家にいる同僚の教会の後継者が、自宅に電話を掛けたら繋がらない。後でわかった理由が電話代が払えなくて止められていたそうだ。」
その教会の所属する大教会は。毎年、億の単位のお供えをするそうです。
>「教義改竄から見る中山家の嘘吐き教育」さま
>2017年8月4日 7:20 AM
>〈本部は〉嘘のつき方しか教えてないのではないかと思われる。
「乗っ取り被害大教会の会議出席者から聞いた」という話を聞かせてもらった。
島村、中山本部員(+高井准員)らは「島村先生が、中山先生が、こう仰ったので、こうしました」という大教会側の答弁に対して「そんなん知らん!そんなん言うてない!」などと平気でシラを切る(嘘をつく)らしい。
乗っ取るがためにその大教会へ入植(笑)したばかりの頃は、嘘空の「本部の権威」をタテに、またはそれを振りかざして、十字軍きどりで攻め込んだ勢いのまま、失礼かつ差別的な人権問題発言を連発していたらしい。
組織的犯罪行為があかるみになって以降は過去の言動を指摘されると「言うてない!そんなん知らん!」の連発らしい。すべてレコーダーに音声収録されているのにも関わらずである。
仰るとおり本部の人間には信仰心などなく「嘘つきばかりの中で長年暮らしていると自然と虚言癖が身につく」という素晴らしい「縦の伝道」が実践されているんだなあと感心した。
教理改竄嘘つき本部なんて絶対に見習ってはならない!
天理さん面白いことになってんなコミュニティーセンターでの茶飲み話にするわー天理さんには恨みある人けっこうおるしな
東京の知り合いが、今日 千代田区一番町一を訪れたそうです。
とても立派な建物だったと言っていました。
「貧に落ちきれ」 誰に向って言っているんだと怒っていました。
ストリートビューでも表札の「中山」確認できますね。
東京には、東京教務支庁と言う立派な支所が有るはずです。神殿もあります。
道を挟んだ反対側には、東京スイミングセンターもあります。
地続きで東京染井温泉SAKURAもありますね。
真柱や本部員、本部準員は教務支庁に泊まればいいですよ! 教務支庁に!
こいつら偉そうなこと良いながら私服こやしてんねんな!右翼の街宣車が何いうてるんやろおもうてたけどそういうことな部落開放同盟も一枚噛ませて貰いますわ 天理さんにおしかけたりますわ! いわしたる!右から左から挟み撃ちしましょや(*^。^*) ええ小遣稼いぎ見つけたわ
いったんで!もう全部いったりましょか!天理教信者の同志達!腐れ中山全部いったりましょ!神さん使って詐欺行為とかええ度胸してるやんか!しばくぞほんまに!
おはようございます。天理教教会本部は地元の方々から驚くほど嫌われてましたね。これらの事件から推測しても非常識で横暴な振る舞いをしてきたからでしょう。団体の顔が 中田善亮 だから嫌われるか問題起こして金巻き上げられて可愛がられるかですね。ヤレヤレ
最近SNSなど ネットで天理教さんの記事をよく目にします。内部から随分と騒がしいようですね。
最近、これ崇拝偶像か何かですか「かんろだい」というのは?これを信者が攻撃、倒壊したような事が書いてあるので 内部の不満分子らのクーデターか何かなのでしょうか?
以前たしか「サンデー毎日」だったでしょうか?天理教の代表者(中田氏?)が信者に対して「もっとお金を上納せよ!」と公式に号令をかけて問題視されているという記事を読んだことがあります。
ネットを見るとスゴイですね。その中田氏がハニートラップに嵌められて 強請られて お金が要るので 信者に必要外にも献金を強要しているのですか? それが事実ならば最低ですね 笑
うちは会費制のようなものですからイイですよ、余分に請求されないし。
あと詐欺行為で逮捕とか、幹部らによる法人(教会?)の乗っ取りですか?関係施設の土地を売却するなんて 教団運営自体が相当危険信号なのでしょうね。
以上、関係者と思われる人が驚くほどにボロクソに書いていらっしゃいますね 笑
内部からこれほど批判が上がる団体の今後、その日はそう遠くないでしょう。
古い教会長様(2017年8月4日 7:25 AM)
御教示ありがとうございまし。永年の疑問でした。
一時期良く見られた大教会風の建物、軒瓦はすべて梅鉢紋、表札は「中山」とありましたので、
これは何であるかと、仕事でこの建物の前を通るたびに考えておりました。
退職信者様(2017年8月4日 9:12 PM)
そうですね。東京教務支庁ありますね。山手線巣鴨駅から徒歩で行けます。
染井霊園の近くですね。創価学会の戸田会館もありますけど(笑)
桜の季節はいいですよ。あ、一番町のほうは千鳥ヶ淵が近いか・・・
教務支庁、神殿を敷地の隅に追い込むように据えているのが気になります。
天理教さん破綻ですか?2017年8月5日 7:57 AM
社会学さんのページもアクセス数も増えたのでしょう随分重たくなりました。天理教主催のイベントに参加してもこちらの話で持ち切りです。
あくまでも親の代は親の代です。我々の代は我々の代なのです。もしお子さんがいらっしゃるのであれば、自らの子供の代を親の立場として深く思案してください。今までは情報が広く出て来なかったのです。知った今、この嘘を今後も我が子に引き継がすのでしょうか?これ以上の詐欺行為を我が子にさせるのでしょうか?現実として、我々は我々の代で解決しないといけない時分に生まれて来ていると思うのです。我々の代で解決してやらないといけない問題なんです。人ごとの様に静観している場合ではありません。覚悟を決めて下さい。親との離縁覚悟の上で正すべきことは正す、今、それをやらなければ子の面前で全てが否定され、あなたの存在そのもの、全てが嘘になりますよ。
古い教会長 様
2017年8月4日 7:25 AM
有益な情報を有り難うございます。
奈良市内にも教団の所有地があります。奈良市高畑町にある浮見堂がある鷺池の南側の道路を挟んだところに、うっそうと木の茂る教団の研修寮と書かれた看板が下げられた数寄屋門のついた土地があります。
奈良市内では一等地ともいうべき景勝地のようですが、県はここに高級ホテルを造る予定があるそうです。
奈良市高畑町1194番地
この豪勢なお屋敷でなんの研修してるんですか?どうせ贅沢でしょー早く売却すれば良いのに、教団は二代の時に手を広げ過ぎて維持管理が出来なくなってきたんでしょう。これだけの土地建物は管理するのは大変人手と費用今後はもっと厳しくなります。
みなさま、お疲れさまです。
今年はもっと熱い夏にしたいな。
ご本部を赤く染め上がらせたい。
水浴びが気持ち良さそうだな。
甘露台が倒されるのなんて見ていられないよ。
もう二度と倒されないようにしてあげる。
奈良市高畑町にあるうっそうと木の茂る教団の研修寮と書かれた看板が下げられた数寄屋門のついた土地があります。(天理教校奈良研修寮となっています)
奈良市内では一等地ともいうべき景勝地です。
奈良市高畑町1194番地
https://www.google.co.jp/maps/@34.6794303,135.8386257,3a,75y,196.45h,94.43t/data=!3m6!1e1!3m4!1sSsSO33NbN2uagBdCiUiCHw!2e0!7i13312!8i6656
これから、またまた後継者講習会が始まるらしい。
これまで何度も繰り返されてきた後継者育成がいかに失敗しているか。
人材育成がいかにまずしいものだったのか。
誰とは言いませんが、ここで話題になっている、上に立つ人たちを見れば大体わかるでしょう。
親戚縁者、お友達、いうことを聞いてくれる人だけが、なにはともあれ後継者。それ以外は、頭数。
ブレーンもいるらしいが、ブレーンがブレーンになってない。だって人種(立場)も発想同じだもん。
そんなもんは百害あって一利なし。
失敗を身をもって示しているようなものです。
後継者講習会で嫌なことをいうやつを育てる度量があればいいのに。
あ、そうそう。
この掲示板を見て、講習会に出られる方。本当のこと言っちゃだめですよ。干されちゃいますから。
だれか言ってましたね。座右の銘は「面従腹背」
『本部が異端である』と分かった以上言う事聞くと異端ですよね。天理教をやる為には本部に背く方が正しいくなるから今後楽しみです。本部の方は所詮奈良の田舎者です。もうあの田舎の風習は飽き飽きです。
<金をためるとこの不始末やで>
(飯降政甚「新宗教」大正5年1月号における談話)
「秀司が息をひきとった時、教祖は門屋の右側、十畳の部屋に一段高くして居られた。
伊蔵が教祖に『親さん、先生(秀司)が今、息をお引き取りになりました』と知らせ、それを聞くと、教祖は、『あぁそうかい』と云って一段高いところから降り、別部屋に寝かされていた秀司の枕元にやって来て、
額をゴロゴロとして、『もう強情は張らせんやろ、張れるかい、張れるなら張ってみいや』と云い、
伊蔵を振り返って『伊蔵さん、うちのざまを見ておくれ。
金をためるとこの不始末やで』と涙一滴こぼさず云いなされ、元の所へ戻られた。
その時、父の感慨は、何とも例えるにも例えることができなかった。親様の御精神はこういうところにあるのかと無量の感慨に打たれたと云うことを父から承りました」。
(政甚は飯降伊蔵の息子)
「山澤が全ての元凶か」
良治郎、為造親子が「神への感謝」「おやさまへの思慕」を語りあっている姿が想像できない。
この親子 二人きりの時なにを話し合っていたんだろう。
為造は、母の実家村井家に養子に入り戸籍上の長男となって徴兵を逃れ
初代真柱の姉 梶本ヒサを嫁にもらい
梶本家の國治郎を高知大教会に養子として送り込み、
そこへ自分の三女サワを嫁入りさせる。
息子の為信を、真柱の姉玉千代の入り婿として「御」分家とよばせる。
為造は、職務摂行者として戦前の天理教を事実上支配する。
為造為信親子は、正善を「金と女」で篭絡し、陰で贅沢三昧な生活
正善は裸の王様ですね。実際あちこちで「裸になっていた」らしい。
そして今は、「軽ーい善亮大亮」を神輿に担ぎジタバタやってる山澤さん
山澤家に操られる中山家の連中は無能ですね。
そしてついに操る糸も古くなりこんがらかって切れそうです。
やはり「山澤が全ての元凶」だと思いますよ。
真柱4人、「真之亮 正善 前衛 善司」の中で一番まともな人は、「善司」でしょうかね。
善司さんは、真柱職に就くことをとても嫌がっていたそうですし。
そして真柱職に就くと「天理教の発展」に寄与するところが何も無いと言う素晴らしい業績。
本部員達の腐った実態を信者に伝えるべく、
いつもいつも暗い表情で、
いつもいつもカビの生えたようなくだらない神殿講話をおこない
信者の気持ちを萎えさせる。
善司さんの誰にも語らぬ「秘策」。なーんてね。
山澤をはじめとする本部員達に対する、彼なりの反抗なのか。
姻戚関係で強靭につながった本部の組織を「善司」一人で改革するなど夢物語であると思います。
善司さんは、時折ドライブにでかけるそうです。
愛車は、20年も前のボロ車だそうです。
出かけるその時だけが、一人になれ時間だそうです。
その時、彼は何を思っているのでしょうか。
走行距離は毎回ほぼ同じだから、同じルートを一回りするだけらしい。
戻ってくると、本部勤めの青年が車のメーターをチェックして走行距離を記録に取り上司に報告するそうです。
善司さんの車は、何月何日の何時に何キロ走ったか常に監視されている状態なのだそうです。
(本部勤めをしていた方が話していました)
あの無能を思わせる表情や話し方は、「善司さんの良心の現れ」と今は思っています。
善司さんも本部の犠牲者の一人かもしれません。
山澤が出兵逃れ~お恥ずかしい非国民やん現在右翼の街宣車にいびられる本部
おやさま「通り返しのみちやで~」
古いものですが若い人からの疑問です。
天理教の問題点をしっかり見ています。
封建的な体質のまま放置されているのですね。
天理教では「一信者」という人々は全く無視されます。(ひのきしんの時だけ員数扱い)
今でもその体質は変わらず、寮生活の中でも、力のある(金権体質の)教会の子弟はチヤホヤされ、お菓子などの差し入れも多いとか。
坊ちゃん、嬢ちゃんの世界。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13104897843?__ysp=5aSp55CG5pWZICDkuI3npaXkuos%3D
封建体質は教祖様の世界観とは真逆です。
真柱様は今後の人生をかけて教義の整理をすべき責任ある立場のはず。
天理教は神道ではないことを、きちんと教理整理してください。
ご自分のご先祖に親神様が降りたことではじまった道です。
信仰は原理主義であるべきです。
頑張ってください。
その手始めとして今回の甘露台破壊は最適なチャンスでした。
悟りは明らかに「甘露台不要」では?
むしろ人間宿仕込みの聖なる所であると、一般人にも近くで拝見できるよう、大改革をすべきです。
そして屋敷の掃除!!!
既得権益を手放さない天理村社会のメンメンを何故、罷免できないのですか?
命をかけて掃除に着手なさってください。
>むしろ人間宿仕込みの聖なる所である
これは間違い。
これが教団の「ぢばに理があり、それを管理する本部は偉い」に繋がる。
その他は概ね賛成。
某教会役員 様
ご教示ありがたく、勉強不足で失礼しました。
たしか、教祖様が歩かれて、ぴたっと歩みが止まった場所、足がすいつくように止まった所でしたね。
教祖様以外には一人だけ、同様に足が止まったとか。
何かの本では皆が試したところ、皆の足も止まったとかありましたが、真実は上記とか。
「聖なる所を管理する本部は偉い」という考え方は、まったくもって「うんこ」です。
恐縮ですが、重ねての質問、お許しください。
「人間宿仕込みの場」というのが間違いなのでしょうか?
いずれ「甘露」が天から降り注ぐという場所だと書いておられる方もいますね。
どちらが本当なのかと疑問に思っていました。
私的には聖なる場所=聖地という捉え方で、
甘露台を据えるという考え方そのものが神の望むことではないと悟った次第です。
御多忙中のお立場の方と存じますが、よろしくお願い申し上げます。
また、何かご教示いただければ、どなた様からのご教示も、さらにありがたく、よろしくお願い申し上げます。
「人間宿しこみの」と言ってると教団はやがて首を占める。DNAをたどってもアフリカに向かっていくし「地殻変動が」と言えど日本列島はユーラシア大陸からの別れ「人間宿しこみ」の場所 元始まりが日本列島 と言って教義破綻させた。
世論「うそやん所詮宗教やな」となるだけ
二代真柱「都合が悪いので異端にする!」
おやさま「心得違いは出直しや」
戦時中の日本帝国主義時に国家に媚び売る教義にかえた宗教は他にもあります。成長の家は「天皇万歳教団」に一気に変わりました。
「帝国主義下の教義からの復元だった。しかし未だ応法の教義の残骸の中」復元と良いながら二代真柱に都合のよいものは人の欲で残してしまった。
匿名信者 さま
>「人間宿仕込みの場」というのが間違いなのでしょうか?
おふでさきには「人間始め出したるもとのぢば」とあります。
これを、「人類創世の場所」と考えるのは科学的にも無理があります。
「神話の世界」と言ってしまえばそれまでですが、それでは「日本書紀」や「聖書」の創造神話と同じになってしまいます。
中山みき様は「月日親神の心を理解し、互立合い助け合い、人を助けて喜ぶ事の出来る陽気づくめ『人間』を始めだした場所(それまで世の中の人間が持っている価値観や考え方で生きているのは、本当の人間ではない、と言っている訳です)」として「ぢば」を定めてかんろだいを据え、そこでつとめをする事で「月日親神の心を銘々が修めなさい」と教えてくれたと解釈するとすっきり心におさまります。
かんろだいを囲んでつとめをするにはそれなりのスペースが必要ですから、当時の中山家には「その場所」しかなかったのでしょう。つとめをする意味やどのような事をするのか理解できない人は、その中心となる「かんろだいの場所」を決める事が出来なくて「足が停まらなかった」と考えれば、これもすっきり心におさまります。
つまり何処でも良い。とも言えますし、全てが「創生の場」とも言える。
「天理市のあの甘露台の土地だけではない」と言えるわけです。
おやさま「ここにしよか」で「印」をつけた程度
子供の頃学校の校庭で球技や絵を描くのに足で線を引くのと同じ
それが宗教か子供の遊びかの違い。本部はそれを大袈裟に盛り上げ過ぎて自分達が盛り上り教祖の教えを逸脱した。それが現在の「高山」状態と言える。
某教会役員様、お名前不明の2名様、ありがたく学ばせていただきました。
真摯になお答え、胸に収まりました。
なるほど、教えを知った私が「つとめ」をするということは、一層、親神の心を真にわが心の理として修めていく為なのだと気が付きました。
皆様のご教示でようやく心に納まりました。
教人なのに「つとめの手」が覚えられない、その理由もこれで納得。
皆さま、ありがとうございました!
>古い教会長 @huruikyoukaityo
>社会学より
>二代真柱。いかに応法の道とはいえ、いざひのきしん隊などともっともらしい名
>を付けて、炭鉱にもぐらせ、果ては弾薬を作るなど、老若男女こぞって、戦争荷
>担の道を歩ませた罪は、何回生まれ変わっても教祖から許しを乞えるものでは有
>りません。
私の母も九州の炭鉱にひのきしんに行っていました。坑外で石炭と石の選別に従事していました。大正5年生まれですから、まだ30代の半ばに届かない年頃だったのですが、余りにも暑いので女性陣も上半身裸でモンペ姿だったとも言っていました。約半月の期間で手の爪が剥がれそうになったり全身が真っ黒になったそうです。二代さんは、むごいことを要請したのですね。
今だったらセクハラ虐待と言われかねない事でも、当時は当たり前だったのですね。
天理教の歴史を詳細に紐解けば、まだまだ聞くに堪えない事柄が表面化するのではないでしょうか。
「おてふり概要」は山澤為次氏の著だ。手書きの絵と解説が付いているが、とても分かりにくい。
ある本部の方が「おつとめビデオ」の制作を企画しようとしたら、もの凄い剣幕で叱られた。
「おてふり概要」以外は認めないそうだ。
今、動画等で流れているのは本部公認ではない。
未だに本部公認のおてふり本は「おてふり概要」しかない。
山澤本に絶対権威を持たせている。
山澤がそんなに偉いのか?
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」明治時代編
~天理教教団は富裕層を狙い撃ちした
江戸時代の300年間の封建社会、幕府は、生かさず殺さず、水飲み百姓(自分の農地はないが重税の年貢米を納める義務はある)を搾取していた。日本の総人口3000万人の約8割を占めていたと言われる。居住地選択および職業選択の自由がなかった。身分と職業は、世襲制で固定されてきた。
日本全国数千軒の庄屋で、総300万町(300万ヘクタール)の田んぼを持っていた(日本の国土面積は3800万町、そのほとんどが開墾不能の山林)。1軒の庄屋が数百町(数千反)の田んぼを持っていることなど、珍しいことではなかった。(中山家は大変小さい集落の庄屋。)
明治維新で水飲み百姓の身分制度はなくなり、士農工商は等しく『平民』になった。自由に職場と居住地が選択できるようになった。明治の文明開化の殖産興業により、工場で働く工員の需要も徐々に増してきた。
しかし、しかし、土地の所有制度は温存され、地主と小作人の関係は、昭和の農地解放まで続く。参議院の前身は「貴族院」で、一定以上の税金を納める金持ちしか議員にはなれなかった。
庄屋クラスの大金持ちであれば、お寺の檀家総代、神社の氏子総代を、先祖代々務めてきたであろう。また、教養のある旧制帝国大学卒業者は、費用がかかることから全国の金持ち子弟に限られた。 等々の理由から、天理教団は勧誘には、庄屋クラスではなく、「中農」クラスを狙ったのではなかろうかと想像する。農地を持つものは中農、下級武士、郷士(苗字帯刀を許される半農家)に限られた。あとの大半は、農地を持たない小作人である。映画「ラストサムライ」で真田広之が自ら鍬を持って畑を耕していたシーンがあったように記憶する。
「中農」とは、庄屋の規模ほどではないが、代々、自分の家の田畑があり、自分の家族や使用人たちで自ら耕作してきた農家です。集落のまとめ人的な役割を果たす(名士とか村長(むらおさ)とか村の三役として、村人の尊敬を集めた)。
都市部であっても、江戸時代は大店、もしくは武家が土地屋敷を持っていた。一般庶民は不動産を持っていない。江戸やおおさかでは、商家の大店が所有する長屋で多くの庶民が暮らしていた。農村では、水飲み百姓が庄屋の土地に小屋を建てて住んでいた。
◎<現在、過半の国民が不動産を持つに至った経緯>
① 第二次大戦後、累進性の相続税ができて、多くの金持ちは相続のたびに所有不動産を処分してきた
② 銀行の住宅ローンが充実してきて、個人で自宅を持つケースが増えた。
② 累進所得税により、現代日本では極端な貧富の差は解消された。
◎日本の持ち家率は61.7%と高く、65歳以上の高齢者についてみると、単身世帯の58%が一戸建てに住んでおり、夫婦世帯の一戸建てに住む割合は78.8%にもなる(総務省の「2013年住宅・土地統計調査」)。
結論:明治初期、自分の不動産を持っていた人口は、ほんの数パーセントにすぎない。つまり、天理教教団(正式の教団設立はもっとあとで)は、最初から金持ちを狙い撃ちした。
<屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと>
これは、教団にとって、一石二鳥の、利点2つあります。
② 不動産が丸々、「現金」となって手に入る
③ 布教師を「背水の陣」に追い込み、精神的に、布教活動に邁進させざるを得なくする。よく、話題に出てくることですが、昔の布教師は熱心だった、命がけで頑張っていた。。。。裏にはこういう背景があるのです。特に、先祖が名のある立派な家柄であるのであれば、何としても布教に成功して新規信者を獲得せねば、あまりにみじめで、格好がつきません。
立教初期、みき婆一族とその愉快な仲間たちは、財産を持たないひがみや妬みを「神を騙る宗教ビジネス」で取り返す勢いだったのかも。立教の早々に、みき婆に、大変目先の利く、神社の元下級神職の○澤とか、古くからの知人のヤクザの大親分〇蔵が加わった。そりゃ~京都や奈良のお上品なお坊さんや神主さんは負けるわ~ はなから勝負にならんわ。
宗教というより、みき婆が最初に修身道徳を語りはじめ、その取り巻きたちが仏教神道儒教の知識を、いいとこどりで寄せ集めて、作り上げてきた「雑感」でしかない。無常と現世利益が同居する矛盾の固まりで、信者の心の中で整合性が取れず、『悟り』の境地には至りようがない。明治時代のはったい粉のごくさんが、いつの間にか、扱いやすくするために「米粒」に変わっている。宗教には必ず意味があるのだから、中身が変わることなどあり得ない。10粒の米粒を2,000円で売って稼ぐ「宗教ビジネス」だと思えば納得できる。信者は単なるカモでしかない。気づいた信者から、今現在、大量に逃げ出している。
天理教は初めからおかしかったのか、それとも、途中でおかしくなったのか?
私は前者だと確信している。
残念ながら、改ざんや捏造が得意の教団にあっては、その答えを示す資料は残っていないであろう。各人が、自身の人生哲学にのっとって、この状況を客観的に判断し、解脱するしか方法はない。
◎ #400 爆サイ掲示板 天理教を信仰されている方
神芝居 『元祖ヲウム天理教』
~「前途洋々の若者の未来を砕く、罪深きエセ教理」
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4474393/tp=1/
◎天理教の一番教会である郡山大教会の初代教会長・平野楢蔵(1843年-1907年)は、「恩地楢」と河内・大和の国中一帯で一目置かれていた「やくざ」の大親分であった。
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」昭和時代編
~天理教教団は新地主層を狙い撃ちした
第二次世界大戦の敗戦後、GHQは、農村における貧富の格差の歪を解消するため、地主=庄屋から、強制的に農地を取り上げ、小作人に土地をほぼタダで分け与え、自作農を創設した。
当時は、今と違って、手作業での農作業も多く、代搔きはトラクターではなく、もっぱら「牛」が主体であった。最近、コンバインが稲刈りと脱穀の両方に変わった。6条植えの田植え機なんかは、当時は夢の話だった。一農家が1町(10反)も貰うと、あとあと大変な思いをすること(人件費を払って臨時作業員を雇うとか。。。)と、元々日本全国の農地面積に限りがあったこと(ハワイ移民とかブラジル移民の海外開拓、満州開拓の背景)からで、全国で平均的な割り当ては小作一農家あたり3反(3000平米)であった。全国で何千万人という新地主層の誕生である。
※※※
こぼれ話。。。戦後すぐの、○○市△△池の干拓事業で、川魚の漁で生計を立てていた漁民に、生活保証に、「好きなだけ田んぼをやる」と行政から通達があったらしいけど、漁民の方で、あとの農作業の労力の当てがないので(賃雇いの人件費が膨大になるので)、有難く、そこそこの面積のみもらって、残りは辞退したと。こんな機械化の時代が来ることがわかっていたら、目いっぱい田んぼをもらっていたのに。近年は、工業化が押し寄せ、工場立地で田んぼが大金で売却できたのに。今頃は大金持ちに。。。。等々のタラレバ話を聞きました。
※※※
戦後は、日本全体が高度成長期の波に乗って、農業の機械化と工業商業への労働者需要(給与所得が家計の中心になる)から、機械を導入できない農家は手作業に限りがあって3反の田んぼを持て余し、かつ、田んぼがなくても生きていける社会になった(工業製品で稼いだ外貨で食料輸入)。
機械化に乗り遅れた農家にとって、田んぼを売却することのハードルは一気に下がった。しかも、手作業主体であれば、田んぼ面積は少ないほど有難い。何と言っても、戦後、「タダ同然にもらった」もの。先祖伝来の土地を手放すという罪悪感も薄い。しかしながら、ここで重要なことは、例え所有権はなかったとしても、先祖はその田んぼで、長年、数百年間、極貧の中、汗水垂らして重労働をしてきたという事実に変わりはない。
そして、一度田んぼを手放すと、次々に手放すという連鎖が生まれる。兼業農家が、給与所得の向上につれて農業機械を導入すると、かえって、資産償却が困難になるという悲劇が生まれた。300万円のコンバインを購入しても、3反の田んぼの稲刈りには2時間程度で終わる。丸一日あれば、1町の田んぼの稲刈りは終了である。だったら、どうせなら、減価償却のため、もっと大きい面積の稲刈りをしたいということ(これを、機械導入による、スケール・デメリットと言う)。「農業機械導入」と「田んぼの経営規模の拡大」はワンセット。天理教に献金するために、一旦、田んぼを売却すれば、その後、次々に残りの田んぼも売却する方向へ流れるということ。売却理由が、天理教献金の他、いろいろ別の原因でも。結局、下り坂への誘因を、
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」
がトリガーとなったということ。
田んぼを売る原因
1. 本業の経営不振、経済面。
2. 跡継ぎ不在
3. 子供学費、結婚資金の捻出
4. 天理教への献金
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」バブル期編
~天理教教団も俗にまみれてバブルに踊った
<都市計画法>
(悪徳ブローカーに騙された悔しさをバネに、独学で宅建の資格を取りました)
1960年代~の高度成長期、田中角栄が列島改造計画を勧めた結果、乱開発が頻発した。虫食いで都市利用が進めば、インフラ等の行政管理が追いつかない。そこで都市計画法が1968年、「都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、もって国土の均衡ある発展と公共の福祉の増進に寄与すること」を目的として定められた。
この法律では、市街化区域に指定された地域に存在する農地は、農地の売買を厳しく制限する「農地法」の縛りをはずれ、届け出だけで、宅地並みの評価で売買取引されることとなった。
外国からの帰途、上空から日本列島を眺めてみると、森林森林また森林です。
実体は山国ですから、山林山林また山林です。日本の国土の7割超が山林です。戦国時代が終わって、平和な江戸時代に入ると、新田開発がどんどん行われました。それにつれ、順調に人口増加をしますが、江戸時代後期には人口増は止まりました。可能な限りの平野部を田んぼに開発し尽してしまったので、お米の生産量が増えなくなったからです。
つまり、第二次世界大戦後、高度経済成長に必要な工業用地、商業用地、住宅地は、未開拓の平野部の平坦な土地などもはや日本には存在しないから、「田んぼ」に求めざるを得なかったのです。お米は外国から輸入できるけれども、土地は輸入できない。この点、戦後、新たな農地開拓地を求めて、政府はブラジル(新大陸)移民を奨励したこととも背景は似ている(日本の2000年の長い歴史で、平野部には未開拓の地は存在しない)。
<バブル景気>
1985年のプラザ合意で、急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル120円台まで急伸した。円高による打撃を受けることの予想された輸出業界を救済するため金融緩和が実施され、過剰な流動性(金余り)により、銀行が不動産業や小売業、住宅への融資へ傾斜し、バブル景気が発生した。
バブル期、近所の市街化地域の田んぼが、坪40万円(宅地並み評価で)で売買された話を聞きました。1反300坪ならば、1億2000万円です。譲渡所得税を
払っても、1億円に近い現金が手元に残ったことでしょう。
1986年、教祖100年祭 はバブル景気のまっただ中。世の中は、イケイケドンドン、教団もイケイケドンドン。教祖100年祭に、各分教会に100万円の献金を呼びかけ(献金額を語呂合わせで決めるお粗末さ)、500億円をかき集める。
教団にとっては、農地=マネー。「田んぼ売れ売れ」がスローガンになってしまったのです。情けないの一言に尽きます。
◎東風Z 様より
2017年6月24日 7:55 PM
>山名大教会のように、教祖100年祭に際して行った心定めは、3年千日の間、毎日100万円お供えしようなんて言って、部内教会長さんは抗議の自殺をされているのですから、三代真柱も一言「無理をしなくていいよ」くらい何故言えなかったのでしょうね。
◎教祖100年祭には部内教会長が 金策に、銀行強盗 等を起しました。
厳しい修行に向き合っている比叡山や永平寺の僧がバブル景気に踊るはずはない。「金勘定」とは全く無縁の世界に身を置いているのですから。宗教人として、当たり前の矜持です。しかしながら、天理教団内の幹部連中は、俗世の世界と同様に、バブル景気に、金金金(カネカネカネ)と電卓を片手に踊ったのです。とても同じ宗教人のカテゴリーには入りません。
やっぱり天理教は宗教にはあらず。
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」 おまけ編
『20××年、元祖ヲウム天理教は宗教法人を解散する』
破産のしようがありません。
日本全国に不動産資産を、すでに、ゴッソリ貯めこんでいる。
東京には、収益ビルが複数建っている。
残余財産(数百億円?数千億円?主に不動産売却)は、宗教法人役員の梅鉢家および本部役員家の私有財産となるため、ウハウハ。
子孫の代まで、左団扇で暮らせる。
教団の本音は、宗教法人が続いても解散でも、どちらでも良かった。
信者の皆様、永いこと、大変お疲れ様でございました。
ただし、国税局との交渉は難航しそうですね。
長年にわたる、宗教法人としての固定資産税の免除。
そもそも、「性善説」から、「宗教法人」が膨大な不動産をガッポリ貯めこむことなど、税制は想定していなかった。 ← ☆当たり前☆
天◎市に天◎教が毎年10億円超寄付してきたと美談が語られますが、国民として当然の義務ですよ。全国から信者集まってきても、ホテルに泊まるではなし(観光業が潤うわけでもなく)、詰所に泊まるだけ。
その一方で、周辺インフラの維持整備は、自治体持ちですよ。
残余財産の清算方法を注意深く見守りましょう。
貯めこんだ不動産の多さに、日本国民はビックリするでしょうね。
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」
は、やっぱり本当だったんだ~~~!!!!!
{エセ宗教}のらく印を押されることが確定。
姑が布教師で苦しんでいます2017年8月6日 10:16 PM
その通りです。天理教は悟りに到達できない宗教です。
悟っていたのは 教祖 中山みき 本席 飯降伊蔵 上田ナライト 愛町分教会長 関根豊松 著名なのはこの4名だけ後は悟りに到達すると異端と言われ追放します。現に真柱の中山家は教団のお荷物ただの阿保一族いや馬鹿一族です。それを無理やり神格化させ崇拝させようとしていますがそれが失敗の始まり、
信者「あれ?天理教は 親神様おやさまの教えの宗教 真柱とか統領崇拝しても意味ないでしょ?」
真柱が制度が要らないことが皆さん分かってきたので事実上追放される運命でしょう。
ここ最近では咋に教義改竄し、終いには法人乗取りなど違法行為を本部自ら始めました。今まで強欲尽くしてきた始末です。早くいなく成れば良いのに
姑が布教師で苦しんでいます
2017年8月6日 10:16 PM
事実上の教団追放
2017年8月6日 10:41 PM
だから甘露台壊れ次は本部が壊れると言う事か!納得行ったわ!
「屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと」にされない様に自分の教会戻って戦う準備します!
お2人のおさしずに勝るとも劣らないお言葉に心からすみやかになりました!
ありがとうございます。
巨大宗教施設の画像を貼るスレ
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4091900.html
新興宗教は巨大な建物建てたいだけ
このセンセーショナルなタイトルすごい事になってますね!
天理教に献金しないと命がなくなる!? 天理教表統領中田善亮氏の発言は恐喝罪、詐欺罪に該当するか 天理教本部、教義を曲解し犯罪集団へ変質
http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1229
姑が布教師で苦しんでいます 様 2017年8月6日 10:16 PM
>破産のしようがありません。
>日本全国に不動産資産を、すでに、ゴッソリ貯めこんでいる。
>東京には、収益ビルが複数建っている。
>残余財産(数百億円?数千億円?主に不動産売却)は、宗教法人役員の梅鉢家および本部役員家の私有財産となるため、ウハウハ。
>子孫の代まで、左団扇で暮らせる。
>教団の本音は、宗教法人が続いても解散でも、どちらでも良かった。
>信者の皆様、永いこと、大変お疲れ様でございました。
大勢の信者が、教団のでっちあげた「貧に落ち切れ」「ご恩報じ」を素直に信じ、毎月毎月、無い中からでも何とか捻出して、教団にお尽くししてきた。信者らの、献身的なお供えにより、中山家始め、本部の名門と言われるお家の方々は、いったいどれほどの財産を築いていることだろうか?
教祖100年祭では三代真柱が、500億(それ以上かもしれない)もの信者のお供えで、不動産を買い漁っていた、と東風Z様の記事にもあった。
末端教会長らを苦しめ痛めつけ、財産を築いて来た本部や大教会長達に、これ以上お供えを上げる必要は全くない。もともと、教理にないのだから。
信者達のなけなしの金で財産築いた方々は、良心があるなら、自ら財産投げ出して、自分達に甘い汁をすわせてくれた天理教教団に「ご恩報じ」「お尽くし」すれば良い。
>信者達のなけなしの金で財産築いた方々は、良心があるなら、自ら財産投げ出して、自分達に甘い汁をすわせてくれた天理教教団に「ご恩報じ」「お尽くし」すれば良い。
言葉足らずであった。教団にお尽くしせよ、というのは、それをまた、自分達の懐に入れよ、という意味では勿論ない。天理教団を維持させるために、自分達の持っている財産を投げ出せ、ということである。
教団を破産させて、残余財産を自分達のものにするなど、とうてい許されることではない。
館群の維持管理営繕費、人件費、自分達の金で賄えば良い。八丁四方の鏡屋敷も、自分達の金で最後まで造るべきだ。二代が発案したバカげた権力誇示建造物、責任もって完成させろ。途中で放り出しては、二代の提唱したことが戯言に過ぎなかったと認めることではないのか?
ついでに、真柱への贅を尽くした接待費も、自分達の遊興費も、本部員子弟達の留学費も、自分達の金でやれ。牛馬に落ち切るか、貧に落ち切るか、だ。
【実験室】天理教っぽいお話
http://botiboti-icoka.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/25-c9ad.html
ブログより
「教祖伝は中山家にとってはいんねんの自覚の書でもあります。
もしもでありますが…。
編纂の際、秀司のことを始めとして、《中山家にまつわる史実を解っていて、伏せた》のであれば、中山家は末代たすからん道を二代真柱、自らが造ったことになります。
それは創作のレベルではなく、隠ぺいであり、史実を歪めた捏造でありましょう。
「ひながたなおせばどうにもならん。」
どうにもならんのは中山家とて例外ではないと言うことでございます。」
単立天理教会 国々所々つとめ場所の散歩道(非公認HP)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1850123
認証書の受取り
「被包括関係廃止実行編」の本編は本日で終了です。みなさま、長い間ありがとうございました。
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1850528
【緊急インタビュー】
単立教会役員さんから、「宣伝してくれるのはいいが、あの書き方では誰が投稿したか分からないので、読んだ人が勘違いします。」とのことですので、それもそうかと思いまして、補足しておきます。
【「被包括関係廃止実行編」の本編は本日で終了です。みなさま、長い間ありがとうございました。】という文は、ブログを書き上げた後の単立教会役員さんのツイートがあったので、それもついでにと私が付け加えたもので、ブログ記事内の文章ではありません、又、単立教会役員さんご本人が書かれてるような、誤解も受ける投稿になってました。注意不足で、先走ってしまいまして、単立教会役員さんにはご迷惑お掛け致しました。
単立教会役員さんの、「被包括関係廃止実行編」のブログ、教団に疑問を抱いている教会長さん方、多数の方々に見て頂きたいと思っております。(satuki)
ちょっとおかしな事になってるので、書き込みさせていただきます。
ブログにて「被包括関係廃止手続準備編・実行編」を書いていた元「末端教会子弟」です。
現実の教会離脱が7月いっぱいで完了し、ブログ記事も先日で一旦終了させていただきました。
多くの方からご声援、激励をいただき、感謝申し上げます。
また、事情により削除した過去記事については、加筆修正の上「1/17000の闘争と逃走」というタイトルの「フィクション」として別のブログに掲載を始めました。
http://ameblo.jp/kyoukai-sitei
決して宣伝のつもりではないのですが、再度読み返したいというお声も頂いてますので、宣伝です(笑)
個人的には、現在の教会制度を中山みき様の教えに近づけるには、一旦全ての教会が「被包括関係を廃止」して大教会や本部に支配されない内容に各教会の規則を変更し、その上でもう一度、本部と被包括関係を結び、改めて信仰と組織を見直すべきだと考えています。
これには下の立場の教会は賛成し、大教会や部下教会を多く持つ上級教会は反対するでしょうが、皆様には組織ではなく教義や信仰姿勢というものを真剣に考えていただきたいと思います。
既に教団から離れた形になった私がこういう主張をしても意味がないかもしれませんが、今の天理教を改革改善する具体的な方法だと考えます。
天理教の場合組織大改革は災害や戦争でもない限り起こせません。大改革をしたら一番困るのは本部だからです。そして現状これだけ異端と騒がれている状態ですので大改革等したら本部の上層部が一番危険命も危ない状態になるでしょう。「中庭で・・・黒門前に・・・」のお言葉通りなる日も近いのか・・・
中庭で・・・黒門前に・・・様へ
私も、同様に思っています。
数日前、植田義弘氏の「理の研究 第四部」鏡やしき・ぢばの理のp38に本席のさしずとして次のように書かれています。
「…澄んだ道から澄んだ心が鏡やしき。澄み切ったもの、曇りあっては世界は映ろうまい。
少しでも曇りあっては、世界は丸曇り。
まあ まあ まあ 言うて聞き捨てた(な)。」
神は、本部員たちの所業に心底 怒っているのですが、「おふでさき」も「おさしず」も信者の目に触れないように、本部は隠し続けて来たのです。
しかし、もう終わりですね。
やはり「黒門前に・・・」だと思います。
天理教市港分教会 中澤 忠喜 氏 の手記初めて拝見させて頂きました。 率直な感想ですが神は各所に降臨されると改めて思いました。親神様おやさまに対する思いすばらしい信仰者です。本部はこういう事ばかりをして来て訴えられることが無かったら今でも続けているのでしょう。唯の地上げ屋じゃないですか。身上事情が起ころうとも押し通す本部の傲慢な態度これを高慢といわずしてなんと例えるべきか。これは偉大なる預言書だ。神はいらっしゃる!と痛感させられる。「甘露台倒壊これは神による何らかの合図立て合いであろう。」と痛感しました。
http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/book/misima/kagami.pdf
単立天理教会 国々所々つとめ場所は散歩道(非公認HP)
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1860252
宗教法人法講話(抜粋)その1
ブログより
そして、本部から離脱する自由(権利)は、全ての宗教法人に認められた自由であり、天理教だけにはこの自由が認められない、というようなものではありません。ところが、この事を知らない、知らされていない天理教人が、実際の所大多数なのではないかと思われます。
中山家、山澤家等、本部中枢の手による「改ざん教理」を知らぬ間に信じ込ませられてる教友へ。
偶然行き着いた下記のブログは真実探求への手助けになる資料と思いましたのでご紹介します。
http://blog.livedoor.jp/pursue_the_truth/archives/2017-04.html
貧困教会にも太亮くん祝金請求が来た。さん
天理教は何を格好つけようとしているのでしょうか。教団本部がいかに厚かましいからと言えども、自ら結婚祝い金をくれとは言えないでしょう。出すか出さないかの判断は、あくまでもお祝いをする方の気持ちです。なのに何故貧困教会にも太亮くん祝金請求が来た。さんにまで請求が来たのですね。
上級教会長の意志なのか。それとも大教会長の鶴の一声なのか。いや、それ以上の教団本部の何等かの機関からの命令なのか。いずれにしても、最初に言いましたように格好付け以外の何物でもありません。
若い二人の門出ですから、おめでとうの一声を掛けるのは人としての暖かい気持ちの表れでしょうが、全ての教会に割り当てることを誰かが決めたとなれば、もう、お祝いではなく税に等しいものと思わざるを得ません。心の籠らないこのようなものを貰っても嬉しく思いませんが。
今回の二人の結婚に際しても、立場上お祝い金を出さなければならない人も多いとは思うのですが、自分の実力以上に良く思われようとするのであれば、切りがなくなるでしょう。
本部員及び大教会長は1万円。部内教会長は3千円で充分でしょう。それも強制ではなく、あくまでも自主性に任せてですよね。これが自然の姿です。
単立天理教会さん 快調にブログ更新!
http://mikagurauta.grupo.jp/blog/1860423
宗教法人法講話(抜粋)その2
ブログより
【仮に、大教会に皆、吸収されるようになったら、その大教会は今度は天理教教会本部に吸収・合併されないという保証は何処にあるのでしょうか?そして、天理教維持財団への一切合切の寄附というシナリオを想像する事が出来ないでしょうか?
今ですら、モノ言えぬ教団の中にあって、その時になって誰が異議を差し挟むことができるでしょうか?】
最終的には、天理教本部が全て吸収し、天理教維持財団を経て、相当数の超高層テナントビルに変貌するのだろうか?
東風Zさま。
>強制ではなく、あくまでも自主性に任せてですよね。これが自然の姿です。<
本当にその通りです。
まさか当事者から請求はないだろうとは思いましたが何でもありの教団ですから、もしや?と疑いました。
所属している大教会の意向なのか?とも思います。おそらく見栄の張り合いで、よその大教会がしたなら自分の大教会でもと思うのが人情。拒否する大教会は少ないと思います。
たとえ少額でも、祝う気持ちも、義理もない人から強制的に剥ぎ取るのは納得出来ません。
確かに上級・上々級は実力以上の「格好つけ」をしたがります。今までにも勝手に各種名目で大教会にお供え金を上げておいて、後から部内教会へ請求してくるので、たまったものではありません。いつか苦情を言わないといけないと思っておりますが、となると、今回の祝い金も上々級の見栄からかな?・・・
心の宗教のはずが、いつの間にか上にゴマをすって形にばかりこだわる、中身のない軽い集団になり下がってしまいました。
今後は一人で細々と嘘と真実の選り分けをし、教祖の残されたこの道の「本質」を探りたいと思っております。
ご心配をおかけしました。
貧困教会にも大亮くん祝金請求が来た。様
ご自分の信じておられる道を歩まれるのが最善です。ネットの皆さんも、きっと応援されていると思います。
こちらこそ、拙文にて失礼しました。
大亮ではあかんと神様のお告げが来たで
「善亮の血は五目混じり 汚れているならば清ませてからにせよ。9.1しきをしようものなら何が起こるかわからん ここは思案思案よう思案せ9.1はあかん遅らせよよう思案せ次ぐ者は他にもおることに」
satuki2017年8月12日 3:16 PM
さっちんさん お久しぶり!もっとがんばれよ!皆お前の意見を待っているぞ!
腐りきった本部を破壊しないと立て直すこともできず!
さっちんは神の使い 様
ひえ~~っ 神の使いなんて言われたこと、人生で初めてでござります。笑 しかし、天理教批判ばかりしているのに神の使いなんて、笑止です。私みたいな者を使ってる神様なら、ちりがみ様でしょうか?
satuki2017年8月12日 10:13 PM
いやさつきさん 素直に批判できるさつきを神はかわいいと言うよ!ちり紙でなくりさせる為の神がさつきに舞い降りたと神も言うよ!上級教会じゃなく 大教会で無く 本部がおかしいと神ももう知っておる!さつき今お前の出番ぞ!
神は困難を与えるしかしそれを乗り越えた物を縦横無尽に神は登用する!紙はちり紙でなく 神は神である!
それ以上があるなら反論求む!?
さつきお前の出番だ!両統領を倒し真柱し真の柱を立てさせ機会をサツキさんあんたがうけたまわったんだ!
臆せず行け!本部の唐人を倒せ!
さつきさんあんたをみんな期待してるよ!
さつきが天理教を変える! 様 2017年8月12日 10:50 PM
いやいや、こちらの投稿欄、拝見してますと、「神が舞い降りた」方々、大勢おられます。
私なぞ、もう出しゃばるのが恥ずかしくなる程の、神意を伝えようとされてる方々、教祖の思召しを受けた方々、たくさん来ておられます。
本部が、ネットの偽情報を信じるな!と、いくら時報で洗脳しようとしても、この社会学さん、お供え掲示板に集まって来る大勢の「神の使い」の方々によって、いつか、改革される時が来ることと思います。
明治期の天理教の教勢拡大に貢献した 「おさづけ」と「おびやゆるし」
「7歳までは神のうち」
明治中期、農村で大人になれた子どもは10人中7人
大阪学院大学経済学部教授 森田健司
https://thepage.jp/detail/20170605-00000003-wordleaf
自然に囲まれ、澄み切った空気、そして新鮮で栄養価の高い、おいしい野菜が手に入る、農村は今や都会に暮らす人々の憧れとなっています。子どもを自然のなかでのびのびと育てたい、退職後は農村に移住したいと考える人たちも増えています。
当時はさまざまな理由から、成人になるまでに命を落とす人も多かったといいます。
<農村での暮らしもまた厳しい>
冒頭に示したのは、明治時代中期の農村で撮影された手彩色写真である。多くの子どもたちが、思い思いの表情で写っている。しかし、この子どもたちの中で、成人になるまで生きられたのは、どの程度だろうか。多めに見積もっても、10人中7人だろう。残酷な現実である。
江戸時代中・後期における濃尾地方の調査では、一歳未満の乳幼児の死亡率は10パーセント台後半という結果が出ている(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』)。ほかの調査でも似たような数字となっており、江戸時代中・後期の農村においては、概ね2歳になるまでに2割の子が死亡していたと考えてよいだろう。
7歳までは神のうち――かつての日本には、このような悲しい言葉があった。簡単に言えば「7歳まではいつ死んでもおかしくない」という意味である。女児の背中に括られていた赤子は、いつ神様の元に帰ってしまうかわからない「脆い存在」だった。
<出産という一大事>
同時期の同地方における年齢別の死亡率を見ていくと、ある年代において、女性の死亡率が男性のそれを大きく上回っていることに気づく。その年代とは、20代~40代前半である。特に、20代後半の女性の死亡率は、なんと10パーセントを超えている(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』)。
この理由は、あえて説明するまでもない。出産に関連して、死亡しているのである。先ほどのデータから言えば、20代後半の女性のうち、10人に1人以上が出産の際、あるいはそのすぐ後で、命を落としているということになる。出産数約5.8人という数字の背後に、これほど厳しい現実があったことも知っておく必要があるだろう。
農村から都市に奉公に出た男性たちは、相当な割合で、家庭を持つこともなく亡くなった。また、農村に暮らす多くの女性は、出産の際に身体に多大なダメージをこうむり、若くして死亡することも珍しくなかった。更には、乳幼児期で人生が終わっている赤子たちもたくさんいたのである。
(ここまでが一部抜粋の引用)
ちなみに、私は、姑が本部に行って数千円(数万円?)でもらってきた「米粒」は気持ちが悪いので、飲まずに、庭に撒きました。「ゴミ収集車」に出したら、「罰」があるのかも。。。と、気色が悪いので。
生まれてくる子供たちが、延々と、いつまでも、
『五体満足で生まれてこられたのは、天理教のおかげだ。おやさまに感謝しなさい。』と
姑(子供達からすれば実祖母)から恩に着せられるのは目に見えていたから。
心から沸き起こる母の愛で、歯をくいしばって、飲みませんでした。
奈良市には、「帯解寺(おびとけでら)」という、安産祈願の有り難い有名寺がある(祈願後の腹帯は皇室の妃殿下に献上される)にも関わらず、です。
天理教は傲慢過ぎませんか?!
私は、実家の母と実家のご縁の神社で安産祈願のお参りしました。
ご先祖様にお守り頂いているという安心感に包まれて、無事の安産でした。
子供たちのためにも、今、心から、得体の知れない「米粒」をあの時飲まなくて良かったと思っています。
明治時代の農村で、貧困の中、医療に繋がらない大多数の小作人にとっては、「まじないもどきのエセ宗教」でも、すがるよすがとなったのです。今では、おさづけも、医学的見地の「プラシーボ効果」で説明されています。
いわしの頭でも神になります。私はお道の教理には矛盾を感じません。ご守護があったとかなかったとか、そんなレベルではないと思います。今問題なのは普遍的な教祖の教えが、いがめられようとすることを何とか止め立てしたいという事なんです。
ここに投稿している人の真実はそこにつきると思います。
人間なんてらららら2017年8月13日 8:04 PM
その通りです。表統領 中田善亮 内統領 山澤廣昭 の発言がおかしのです。
明治~昭和初期の天理教の教勢拡大に貢献した 「月次祭のあとの直会と称する宴会」
農村において、男女は平等に、誰もが、鋤鍬を持って田畑を耕し、農作物を収穫した。
きつい労働で体が悲鳴を上げても、自然相手の農業は四季折々の日めくりで決められた作業があって、雨天以外に休む日もなかった。明治、大正、昭和までの、機械のない時代の、手作業の農作業は、地面を這いつくばる厳しい肉体労働であった。
ところが、宗教(天理教)という大義名分を得て、堂堂と、朝から、月一で休むことができた。教会へ行けば、ご馳走とお酒の宴会が待っている。
月一も、第一日曜日とかではなく、「日にち指定(平日土日にかかわらず)」ができたのも、信者が農家だから。給料をもらうサラリーマンに、平日の月次祭参加はできません。
お供え物には、魚の干物なんかの動物性タンパク質まである
(仏教では禁忌み、あり得ない、仏壇に干物を供える家などない)。
お下がりは、結構な、酒の肴になりますね。野菜主体の「仏教の精進料理」では、酒は進みませんよね。
当方の上級会長、まあ、飲むわ、飲むわ、「ただ酒ほど旨いものはない」という勢いです。宗教人たるもの、信者の自宅で、毎月毎月、ベロンベロンに酔っぱらって良いのでしょうか?どうやら、月次祭の後の酒宴は、天理教ではスタンダードみたいですね。
立教当初には、博徒の親分さんが教会幹部で、その子分も信者だったのだから、ごく自然に、「ご馳走とお酒」はワンセットで天理教がスタートしたのでしょうね。
お寺さんに月命日に来ていただくと、ご住職の読経後は、せいぜいお茶菓子程度ですよ。昼間から、酒飲む僧職なんて皆無です。
信者の献金額は酒宴の御馳走代に見合わなかったであろうが、信者の方は、「ひのきしん」(肉体労働)で教会に奉仕するというギブアンドテイクがあった。
大教会とか分教会とかの普請です。
昔は工具機械類がないので、建築物は大工棟梁の指示の元、大勢の労働者の人力に頼った。今は、◎中工務店の一択ですか?
明治~昭和初期の天理教の教勢拡大と大教会建設
大教会建設&完成までの信者のそれぞれの役割
現金: 富裕層地主 → 「屋敷を払うて、田売って、スッテンテンになって」、献金
土地: 富裕層地主 → 広大な農地を現物として御供
材木: 富裕層山主 → 材木供給
労力: 一般の農村信者 → 農閑期のひのきしん
厳しい農作業で鍛えた体で、肉体労働は得意中の得意。
NHKの「ひよっこ」のみのるさん(出稼ぎ)のごとく
私鉄◎◎急行停車駅、大都市○○市まで15分の、☆☆駅まで徒歩5分のところに、☆☆大教会があります。すぐ近くは、◎◎百貨店です。電車の中から、大教会の看板が見えます。看板がなくても、独特の建築様式で、一発でわかります。敷地はもちろん、地元の農家が農地を御供しました。
昭和の戦後まで、あたり一面田んぼだったらしいです。☆☆市は、高度成長期に○○市のベッドタウンとして大発展を遂げました。
バブル期、この☆☆大教会に対して、マンションデベロッパーから敷地購入の申し入れがあったそうです。代替地は郊外に用意するとのことで、大教会長は移転を決めたそうですが、その敷地提供の子孫の信者役員さんが、「先祖はそんなつもりで御供したわけではない」と、大反対され、話は流れたと聞きました。
今時、大教会へ電車でやってくるものは少なく、ほとんどがマイカーだから、交通の不便(郊外移転)は気にならなかったのでしょうね。
<勝手に概算>
駅前超一等地: 坪300万円(バブル期) あるいは、もっと超えていたかも
面積 : 2反 600坪 (目測)
180,000万円= 18 億円
大教会長は、毎日、電卓で計算していたでしょうね。
反対する信者役員さんの説得に知恵を絞っていたことでしょう。
お疲れ様でした。
改称は 「転輪教」ですか?
天理教の再生に、「自給自足の農業集団を目指そう」とかの提案があったので、信者に田んぼを売らせて(田売りたまえ)、献金させてきた過去を反省し、「エレフ」でも「オレフ」でも出直せと、一喝しました。天理教の暗歴史に目をつむっての再生は、世間が許さない。
姑が布教師で苦しんでいます
2017年6月23日 11:30 PM
:::::::::
「ヤマギシ会」とか「自給自足」とかアホぬかせ。
これまでさんざん、田舎のじいさんばあさんだまして、田畑を取り上げたやないか。
{屋敷を払うて、田売りたまえ、スッテンテンのみこと}
田舎で暮らすばあさんにとって、畑がないってどんなにミジメなことかわかるか?農作業で時間はつぶせんし、おすそ分けで作物譲り合う輪にも入れないんやぞ。食料危機でも来たら、子孫は田畑をだまし取られた先祖を恨むんやぞ。
オウムでさえ、教祖、幹部の過ちを総括し、「アレフ」と出直したぞ。過去の幹部の田畑の強制献金の間違いを認めるなら、総括して「エレフ」でも「オレフ」でも出直せ。
天理教信者に自給自足を語る資格なし。
:::::::
<今回のテーマ>
天理教は初めからおかしかったのか? それとも、途中で天理教団によってゆがめられたのか?
御ふでさき
御かぐらうた
教祖の口から伝えられた御さしづ
(“御”をつけると、有難みが増すのでしょうね!“御”がいっぱいで腹いっぱいです。)
「教祖」の言葉、書き記した教えをしっかりおさめる。
教祖以外が発した言葉や、編纂した書物とは分ける。
↑ 本当にこんな事が可能だと思っているのですか?
改竄、創話の大好きな教団ですよ。都合の悪い文献は、とっくに始末していますよ。
立教の黎明期から、神社の元神職の◎澤とヤクザの大親分◎蔵がブレーンとして関わっているのですよ。
修身道徳を語る農婆のみき婆はいたのかも知れないが、教理を語る教祖中山みきは、本当にいたのかどうか、今となっては証明不可。
みき婆存命中に、口から発せられた言葉は、『転輪王』。
死亡後に、「天理王」なる言葉が教団内に生まれた。
・教祖の教えは正しくて、いつの頃からか、天理教団が天理教をゆがめた。
・教祖の教えに戻ろう
と、真剣に考えるのであれば、天理教を『転輪教』へと改称せねば、片手落ちですよね。
いいとこどりは、世間が、特に、天理教被害者が、許しません。
参照
天理教を信仰されてる方VOL.2
爆サイ掲示板 ♯523
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=5697859/tp=1/
姑が布教師で苦しんでいます さま
>修身道徳を語る農婆のみき婆はいたのかも知れないが、教理を語る教祖中山みきは、
「みかぐらうた」と「おふでさき」が意味する教理が修身道徳だと思ってるのですか?
>死亡後に、「天理王」なる言葉が教団内に生まれた。
存命中から「天理教会設立願」は出されていますが。
まぁ教団批判はある程度容認できる内容ですけど・・・。
某教会役員 様
2017年8月15日 9:48 AM
>存命中から「天理教会設立願」は出されていますが。
本文をよく読んでください。
「口から発せられた言葉」と書いております。
設立願は、取り巻き連中が出した可能性が大です。
だいたい、宗教の教祖たるもの、奉る神の神名を自ら「転輪王」から「天理王」へ変更することなど、片腹痛い。笑止千万。
「みかぐらうた」と「おふでさき」が意味する教理は、一体誰が取りまとめたのですか?
姑が布教師で苦しんでいます さま
>設立願は、取り巻き連中が出した可能性が大です。
応法派が明治政府に認可を貰いやすくするために「天皇の祖先の名を使った神名」として「天理王」と名付けたのはほぼ間違いない事だろうし、そのためにインド神話の王様名「転輪王」を改竄したのでしょう。
教祖自ら変えたのではなく、天理教会認可に動いていた応法派の仕業です。
>「みかぐらうた」と「おふでさき」が意味する教理は、一体誰が取りまとめたのですか?
誰も取りまとめていないから、今現在も解釈がバラバラなのです。
でも、素直に読んで解釈して「修身道徳」と受け取れますか?
大教会が本部に嫌気がさして独立する、なんてことにはならないですよね、ふふっ。。。
天理教の衰退の原因となった戦後の高等教育
1.日本史の授業
「神仏習合」。一つの宗教内でこれをやらかしたのが天理教。しかも、+陰陽道 +儒教 +修身道徳。良いものをてんこ盛りしたら、結局、化け物のような教えになった。真理はどこにあるの?
仏教から無常を取ってきて、神道から現世利益をとってきた。どっちやねん?
加持祈祷? おびやゆるし? おさづけ?
高校の日本史の授業で、「神仏習合は悪政だった。二度とこんなことはしてはいけない」と習う。
南無天理王命 な~む~てんり~お~の~み~こ~と~
南無(仏教用語、サンスクリット語) + 天理王 (奉る神の名) はぁ~ ???
2.漢文
否が応でも、テストで点数を取らねば落第する。義務教育ではない。返り点やレ点を駆使し、必死で意味を読み取ろうと苦戦する。ところが、漢字には、一文字一文字に意味がある。案外、古語オンリーの古文より点数がとりやすい。
高校で漢文にふれると、翻って、みかぐら歌は、ひらがなオンリー
@信者子弟 恥ずかしくなる
@非信者子弟 受け入れられない。漢字で意味を知りたい。
姑は尋常小学校がしかでていない。戦前の農村にあっては、それがごく普通のことであった。今は、高校進学率が90%になり、高校授業料無償化政策までできている。高等学校はもはや高等教育でも何でもなくなった。戦後生まれの日本国民の大半が、日本史と漢文を習い、「神仏習合」や論語を知っている。
一方、天理教人は、天理教内でしか通用しない、天理教用語を駆使して、何か教養があるっぽい錯覚におちいっている。奈良県大和地方の方言(なまり)が入っているのに。。。。教会長の姑の会話がまさにそれ。九州でも北海道でも、奈良弁で。こちらは、意味を知りたいとも思わない。談じ合う? はぁ~? 何で話し合うと言えないの? どんな宗教でも、宗教人が信者に語りかける言葉は、「日本語」です。
参照
天理教を信仰されてる方VOL.2
爆サイ掲示板 ♯554
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考えさせられるFBの投稿記事。
「居眠りはあかんやろ!」
「あんな上座でよく居眠りできるものだ!」
管内の学校の卒業証書授与式に出席した卒業生の父兄の言葉だ。
矛先は「真柱」。
子供達の晴れ姿を祝うその日に、誰よりも上座に置かれたお方のコックリ、コックリの居眠りが話題になっている。
管内の学校と言えども、近頃は未信者の子弟が多く入学している。その一番の晴れ舞台での出来事に、父兄たちの落胆は大きい。いくらその後の「お言葉」で立派な祝辞をお述べになられても、居眠りが前提なだけに彼らの心に響かない。
教内者は「お疲れなのだろう」と善意に解釈するだろうが、未信者父兄はそういうわけにはいかない。
ある父兄は「緊張感が足らなさ過ぎる。子供達にとって最高の晴れ舞台・卒業式での真柱の立ち振る舞いこそが、天理教をあまり知らない我々父兄をグッと天理教に惹きつけるのに残念だ」
「紋付・袴をつけてぞろぞろ追従していたお偉い方、少しぐらい注意したらどうなのか」と。
本部からの削除依頼。
ある方のFBでの投稿記事より・・・
また、大教会長から電話があった。過去の投稿への忠告。
「アレはマズいから、削除してくれ」だった。
「アレって?」
数年前、例の大阪おうたコンサートで本部員NY氏とMS氏が何を思われたのか会場費支払いのどさくさにまぎれて、コーラス隊に記念品として渡すDVDの製作費用だった40万円をお持ち帰られた一件の投稿だった。(念のため、その40万円は無事戻ってきました。)
今さら、削除してもネットの世界では、おそらくいろんなSNSで一人歩きしているに違いない。そう言えば、先日も「友達」から、私の投稿が転載されていると、ご報告を頂いたところだ。
まぁ、嘘じゃなく事実を書いているので全く気にしていないが、多くの人が私の投稿をお読み頂いている。有難いことだ。
この一件について、ある事情通の方から直接お話し頂いた顛末がある。
その時の理事長がお辞めになるとき、「わしも引くから、皆も一緒に引かせて貰おう」と、当時の理事を全員かどうかしらないが、引き連れてお辞めになったそうだ。その中には、NY氏とMS氏も含まれていた、という。誰もが、両氏のどちらかが、次の理事長だと確信していたそうだ。ご本人らもそう思われていたに違いない。ところが、この不祥事、失礼!この一件が理事長のこの采配となったらしい。
さすが、大御所、幕引きも上手だ。
もしや、私の投稿が原因でのその幕引きならば、私も本教の隅っこの埃のお掃除をお手伝いしたことになる。
まぁ、そんなことはないだろうが。(^o^)。
それにしても、私の投稿が、ガラケー愛用者でPCも使用されないし、もちろんFacebookなどSNSなど使われない大教会長に伝わるとは、とても奇妙だ。( ̄∀ ̄)
本部の皆さん、大教会の皆さん、本当に末端教会の実態を見にきて下さい。何だかんだ言っても表統領さんの本音がお金であるように、本部も大教会も信者を集める努力とお供え金を集める努力にのみ心血を注いでいるようにしか私には見えません。
信者さんは高齢で2人か3人。供えていただくお供え金も(合計で2,3万円)教会維持のための必要経費(支部費、月次祭費用、上級お礼、巡教お礼、大教会へ渡す神饌料、各種年会費、大亮氏婚礼祝い金、他にも大教会参拝旅費、宿泊費などなど・・・毎日の日供費用は自分持ちです。)の一部に充てたら後は自腹です。
雨漏りがしてます。修理できません。客間の冷房が壊れました。買い替えの費用がありません。古い木造教会のため白蟻被害が不安です。しかし予防を依頼することも、薬剤を購入することも、そんな余裕はありません。後は野となれ山となれで行くしか方法がありません。
体力があった時代はいち切り貢献してきました。しかし、今となっては本部からも大教会からも何のアフターフォローもなく使い捨てられ、今になってはつぶれるのを待つのみの心境です。
これが信者数、2,3人、末端教会の実態です。住まいは教団に取られ、老後はどこへ行けばよいのでしょう。後は野たれ死にです。
それでも喜べと。陽気に暮らせと。
虚しく響くメッセージ。「私たちは陽気暮らしの天理教」です。
>体力があった時代はいち切り貢献してきました。
いち切り貢献って?何ですか?
打算で、転輪王(仏教) から 天理王命(神道) へ チェンジした!
南無天理王命 な~む~てんり~お~の~み~こ~と~
南無(仏教用語、サンスクリット語)+天理王命(神道で奉る神の名)のチャンポンの所以
参考:
大国主命:おおくにぬしのみこと出雲大社の祭神 因幡の白うさぎの神話にでてくる
そもそも、転輪王(仏教)が始まり。天啓を受けたみき婆の口から出てきたのは、「転輪王」。
みき婆は、元々仏教に帰依していて、在家の得度まで受けていた。よって、南無転輪王~であれば、おかしさはない。
&&& 転輪聖王(転輪王)は古代インドの思想における理想的な王を指す概念。地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。ヴェーダ時代(紀元前2千年紀)半ば以降から輪を王権のシンボルとする観念はインド世界に存在し、転輪聖王の概念もその延長上にあるものである。バラモン教においてもこの観念は継承されたが、「転輪聖王」の概念がよりはっきり形成されたのは、寧ろインドにおける非正統派宗教である仏教やジャイナ教においてであった。転輪聖王に関する記述は『転輪聖王師子吼経』や『大善見王経』といった仏典の随所に登場する。(ウイキペディアより)&&&
なぜ、仏教の転輪王から神道の天理王命へチェンジしたのか? (勝手な推測)
1.明治維新の廃仏毀釈
明治政府は、皇祖神を祀る天皇を戴く近代国家建設を目指し、国家神道を国家の中心に据え、廃仏毀釈を行った。それまでの僧侶の地位が低下し、逆に神職の権威が高まった。江戸時代の皇室の菩提寺は京都の泉涌寺。泉涌寺の現在の檀家総代は、秋篠宮殿下である。みき婆の取り巻きは、これに目をつけ、素早く、転輪王(仏教)から天理王命(神道)へチェンジした。
2.神道の加持祈祷で儲かる 「宗教ビジネスの成立」
・ごくさん(初期は、はったい粉、途中で扱い容易の米粒に変更する)
・おさづけ
・おびやゆるし
3.神社の元神職 ◎澤 が側近にいた。
神の中身は変更しても、礼拝様式のチェンジはさすがに信者も気がつくから「南無」は残した。チャンポン宗教の出来上がり。さらに、陰陽道、儒教、修身道徳の教えまで、これでもかこれでもかと、てんこ盛りに詰め込んだ。
南無(仏教用語、サンスクリット語) + 天理王命(神道で奉る神の名) であっても、尋常小学校しか出ていない信者は、その矛盾に気づかないであろうことをいいことに。
まさか100年後、こんなに文明が進歩した世の中になると想像していなかったのでは?
天理教は、『転輪教』として、出直せ!
~ それが、みき婆の思し召しである
参照
天理教を信仰されてる方VOL.2
爆サイ掲示板 ♯548
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匿名様
いち切りとは「出来うる限りの、最大限に」というニュアンスです。分かりずらい言い回し(方言かな)で申し訳ありませんでした。
某教会役員 様
私が持っている「みかぐらうた(復元版)解説付き」によれば、次のように書かれています。(要約)
教祖御在世当時、唯一の印刷本みかぐらうたである。
明治十四年己五月
拾貮下り御勤之歌
と明治十五年の教祖のかぐらつとめ改訂を基にして、
教祖が教えた「みかぐらうた」を復元しました。
これによりますと、「よろづよ」から始まり順次十二下りまで書かれており、それぞれの終わりには、「よろづよ」にあっては「南無転輪王よしよし」が一度切り。
一下りから十二下りまでは「南無転輪王よしよし」が二度繰り返されています。
以上が勤められた後に、「かぐらつとめ」が勤められます。
ちょとはなし~このよのはじめだし よしよし。次に、~たすけせきこむ~かんろだい。で終わります。
ちなみに、「あしきをはろうて たすけたまへ てんりわうのみこと」は明治21年東京に神道天理教会本部が出来た時、朝夕のおつとめとして、本席の許しもなく作られたものであります。神道天理教会本部が奈良に移転した後、東京で前川菊太郎の名前で出版された『御かぐら歌』に初めて載ったもので、教祖時代にはなかったものです。と説明されています。
更に、「天理王命」の神名は、明治二十一年東京の神道天理教会本部が、本席が「おさしづ」で禁止しているのに、目標札を発行しました。その時から使われるようになったのです。とも書かれています。
先の部分と重複しますが、もう少し書きますね。
教祖時代のおつとめは、よろづよから始まって十二下り、そして、かぐらつとめです。
よろづよから十二下りのておどりの部分で心を作って、かぐらつとめをする。だからこの順番になっていたのです。
立教160年1月26日の春季大祭の真柱の神殿講話で「教祖が教えてくださったかんろだいつとめを国々所々の教会でつとめるのがようぼくの任務である」
以上が、櫟本分署跡参考館立教165(2002)年10月26日発行、立教168(2005)年4月18日改訂の抜粋です。
と言っているにもかかわらず、未だに、教え通りのおつとめが出来ていないとは不思議です。一体、何が本当の教えなんでしょうか。櫟本分署跡参考館のものは、異端なのでしょうか。
東風Z様
詳細をよく存じられていると思います。
「かぐらつとめ」「よろづよ・・・」「ちょっとはなし・・・・南無転輪王よしよし」
過去に行われていた「おつとめ」に関して、また経緯は史実を基にされていると拝察します。
人間の思考とは浅はかなもので、何時の時代でも社会情勢の変化と共に適時、合致するように都合よく改革、改変しようとする者の考え方が隆盛します。それを推進したのが山○、梅ちゃん、諸○、源さんらの主流であるようです。それらの者達の利害と思考が迎合し現在の教理、おつとめの基盤を確立させたのだと思います。
明治30年後半、それに異を唱えた保守的な者達を「異端者」という扱いで力でねじ伏せ、追放という愚行を行った者達の子孫が現在の中枢部と老舗大教会長に君臨している。
当初の教えを継承、または復元しようとしている故八島氏の櫟本分署跡保存会、天理教豊文教会、植田氏等は教団(当時の主流派の子孫)からすれば目の上のタンコブ。
故に創作、操作された教えに異を唱え、従わなければ異端扱いされるのが実情かと。
どん亀 様
20年も前ならいざ知らず、今の時代は何もかもが見えてしまっているのに、本当に困ったことですね。特に、天理時報は死んでいます。
今の時代は端的に申せば、どのようなことも可能な信教の自由があるにも関わらず、何もできない教団本部なのですね。過去の行いを反省すると真柱が一言発すればよいだけのことが何故できないのでしょうか。下々の信者さん達には反省しろ、/\といいながら天理教の高山が反省しなければ、誰も反省なんかしませんよね。
かんろだい据替、大亮氏結婚、二代真柱50年祭ということで、今月立て続けに3千から5千の特別お供え要請が大教会を通じて来た。冗談ではない。本部行事は本部の年間予算の中から支出してほしい。何のための毎月毎月のお供えなのか!お金が少ないなら少ないなりにつつましく質素にやっていただきたい。それが宗教家のつとめでしょう。末端教会はどこもそのように行っている。本部には残念の理が相当まわってきている。残念の理ほど怖い恐ろしいものはないと聞く。正直、がっかりですね。
東風Z様
今の天理時報は教内の出来事・予定・結果報告・適当でポジティブ過ぎる内容の論評等を差し障りなく書いているだけで金を出して読むに及ばんようなものです。
「何もできない教会本部」
そのとおりです。
少し付け加えるならば「何もしない教本部」かも知れませんね。
「過去の行いを反省する」
2代目が提唱しつつありましたが主流派からの猛烈な反対を食らっていますから。
まあ上層部の者達は、自分達の曾祖父母祖父母がズレていたであろう「お道」と云う大義名分を曲がりなりにも懸命にやっていた事を覆し声を大にして否定する勇気が無いのでしょう。
どちらにしても今の真ちゃんにはそれだけの度胸も器量も無いように思えます。
どん亀 様
人助けができない教団本部に成り下がりましたね。
天理時報は、二代真柱を偲んでとか。三代真柱を偲んでとか言っていますが、何を偲ぶのでしょうね。
二方の成人病を偲べとでも言うのでしょうか。ったく115歳はどこへ行ったの。
どん亀様、東風Z様 お二方とも、面白すぎます。(笑)
爆サイ掲示板
http://bakusai.com/thr_res/ctgid=119/acode=4/bid=98/tid=5697859/tp=1/ud=1/ …
の、どん亀様のご考察、ご意見は、たいへん興味深く読まさせて頂いてます。
こちらの掲示板の方にも、是非これからも、どんどん、ご投稿お願い致します。
>爆サイ掲示板
少し読ませて頂いたのですが、言葉使いがちょっと気になる人が多い感じですね。
教祖様を「みき婆あ」と呼び、最初から「人を騙す目的で宗教を始めた」という理論を展開する人がいますが、これが気になります。
勿論、主義主張や解釈は個人の自由ですからどのような意見を述べるのも自由なのですが、教祖様の残されたみかぐらうたやおふでさきが現在の(過去も?)天理教団と教えと一致していないのは明らかで、それを一緒にするのはどのような教義の勉強をされてきたのか疑問に感じます。
その方から、せめて「みかぐらうた」だけでもどのように解釈しているのかご意見を頂きたいくらいです。
>せめて「みかぐらうた」だけでもどのように解釈しているのかご意見を頂きたいくらいです。
ここに記されるより、爆サイ掲示板で直接聞かれた方が良いと思いますが。
匿名
2017年8月25日 10:29 PM
解釈に関しては中山家はじめ本部が明確に出来ない実態が見え隠れしているのです。そもそも真柱体制に疑問が生じる事態問題があるのです。【本席】【おさづけの理拝たい】【水のさずけ 息のさづけ】等々教団史には矛盾を孕んでいるからです。このまま指摘だけされ反論が出来ぬまま真柱体制、中山教と化した天理教は衰退の一途を辿るのは明白でしょう。
「大亮さま~」などなどと浮かれている場合ではないのが現在の本部の現状です。裁判沙汰も耐えないでしょう。
〔天理教本部・天理市をかけまわる街宣車〕
の動画も見た時は違和感を感じましたが今では腑に落ちる。悲しきかな教団
天理教も末期なのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=ZKuiBPf5PH4
匿名様へ
2017年8月25日 11:46 PM
右翼(大日本定士団?)街宣内容を聞き入ってしまいました。
「親神様とおやさまの教えを忘れたばかりか親神様とおやさまを悪用していると言っても過言でない輩が存在しているのも事実」
教団を愁いて信者が頼んだのでしょうか?それか右翼が嗅ぎ付けたのでしょうか?2016/06/19 に公開この動画で約1年前、その数年前から良からぬ動きが本部を中心に行われていたとなるその後の事件の数々そして甘露台の倒壊全ての辻褄があう。張本人は名前が挙がる人々?事件などは後に成ってわかるものでしょうが今後も様々な事柄が明るみになるのでしょう。警察沙汰に成れば分かり易くて良いのですがね。今後とも社会学さんを愛読させていただきます。
末端教会 2017年8月25日 8:47 PM 様
確かに言葉使いは、ちょっとくだけすぎではあると思いますが、ご愛嬌として(笑)、いろいろと興味深いご意見を投稿されてると思います。
【爆サイ掲示板】
● 天理教を信仰されている方
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4474393/tp=1/
● 天理教を信仰されている方の続きやで~
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=5551753/tp=1/
● 天理教のここがおかしい
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=4237660/osfp=1/
どん亀様のご投稿、一例、載せさせて頂きますが、どん亀様、無断転載お許しくださいませ。
「天理教のここがおかしい」 ♯81 より
【一般信者よりも分教会の関係者の方が煽りを喰らっていると思いますで。
分教会長は上級や大教会から毎月の圧迫を受けるし、その負担を信者に負担してもらわなければならない構図になっているから、実際に分教会の精神的・経済的なものは大きいと思いますで。
「信仰するのに何で金が要るんや!」
「感謝の気持ちをお金で代えさせてもらうのや!」
これを天理教の道理としてしまっとる事が天理教をおかしくしてしまっている要因やと思いますで。
中には「上から目線のお前が何で教会長やねん!(怒)」「上下関係は信仰に関係あるんかい?」と思えるような本部員や教会長がワンサカ居てるけど、宗教と云えども所詮は人間の集まりやから人間的な思考と思いが優先してしまう。
ワイも元々は教会の関係者やったから、そのところは理解できますけど。
結局は中山みきが説いた事が人間思案を優先していた者達に全て排除されたのが今日の教理として確立されたんやから、どうしょうもないない。
お勤めにしてもそうや、中山みきは宗教を否定していたから全く宗教的な教えは無く、当初はお勤めや神棚も無い。宗教組織と違うから宗教団体としての特色も無かったのが、いつの間にか宗教にしてしもた弟子達が勝手に宗教団体を創ってしもた。
宗教団体となれば組織を運営するのに金が必要やから「御供」と云う名目で信者から金を集めるようになった。まあこれが天輪講社から天理教になった経緯やけど。
屋敷を売ったり、大阪布教に行った話も事実と大きく違う。全くの後付けの話やし。
何でワイがこんなことを知ってるかと云うたらワイの先祖が明治初年から中山みきに接触していて熱心に信仰していたからやけど。
ワイのひけらかしでスミマセン。】
どん亀様、すみません。
【爆サイ掲示板】と成ると地域密着型でかなり影響があるサイトの一つです。このような方が出てくると成ると大分歪が生じているのでしょう。本部、大教会、分教会以前は大教会と上級がターゲットで書かれてましたが今では本部が主犯となる始末 その流れでおやさま、本席、真柱体制との不可思議な流れが露呈し過去に流れ去ったかのような教団からすると伏せたいであろう文献がネットを介して公開される。本部ももう出す顔ない状態・・・以前社会学さんの記事に「知的劣化~」などの記事がありましたがコメントの流れネットに氾濫する教団に無いする論調を見ても本部は打つ手無い状態が見て取れます。「現状がすばらしい、なぜすばらしいのか?」と明確な回答を出せず仕舞い。火消しのような動きを時より目撃しますがそれも失敗本当に「知的劣化」を起こしてしまっているのでしょう。そのような本部に信仰を預けられるのでしょうか?正直無理だと分かったもの達からこちらに書き込みをしているのでしょう。本部は維持運営に躍起に成り違法行為も辞さないとの記事やコメントを見た際、「この教団は時間の問題」と思っていました。時期に内外から訴えられたり各種メディアに嗅ぎ付けられたり、上記のコメントにもある様に右翼団体等に虚仮にされて消えていくのでしょう。
社会学さんでも話題に昇るお供え掲示板を初めて見ましたが良いこと書いてありますね。これほど天理教には賢人が多く居ると知り驚きです。それに引き換え現教団の方々は・・・
http://6706.teacup.com/5051/bbs
奈良の田舎者が暴れた性でネットが炎上してますな笑
今後も楽しみに拝見させて頂きます。
匿名 2017年8月26日 11:10 AM 様
どん亀氏なる人物の引用文章は、本部発行の「復元」にも掲載されている事ばかりだし、30年以上前から八島氏や他の方が訴えてる内容ですね。
逆に、今現在どん亀氏なる人物がどのような立場や位置にいるのかは不明ですが、祖先が明治初年から教祖のそばで熱心に信仰をされていたのなら、本部中枢に近い存在だということになりませんか?
もしそうならネットで本部批判の書き込みも結構ですが「本部改革に具体的行動で全力を尽くしてもらいたい」と思います。
現在、本部との被包括関係廃止といった具体的行動をネットにアップしている地方の教会もあるようですし、お供え等を上にあげないよう訴える人もいらっしゃいます。
情報や知識をお持ちの方は「具体的行動」で範を示して頂ければ参考に出来るのですが。
末端教会 2017年8月27日 10:14 AM 様
どん亀氏は、もう天理教信者は辞めてると書かれてました。確か、息子さんのお一人は、お寺の僧侶になられてるとか。まあ、どん亀氏が、天理教からは離れてることは確実です。
「具体的行動」を挙げることはもちろん大事ですが、天理教の呪縛から、解き放たれることも、同様に重要なことと思います。どん亀氏が仰ってることは、既に重々ご承知の方もたくさんおられるでしょうけれど、まだ洗脳から解け切ってない方も少なからずおられることと思います。
知識豊富な方から、天理教組組の嘘ごまかし、等々、教団が公にせず隠してきたことがあるなら、きかせて貰うことは、無駄ではないと思います。
>「本部改革に具体的行動で全力を尽くしてもらいたい」
真柱本人および中枢に近い血族でしか、無理です。
彼らが現行制度の受益者なのだから、改革は不可能です。
私が、華道のある流派の弟子だとします。その華道の体制に不満があっても、「
よそに移ってくれ」と言われるだけです。
天理教団はピラミッド構造の支配体制
真柱 → 本部 → 大教会 → 上級教会 → 分教会
1. 金の流れをすべて押さえている
しかも、これまでに、収益ビル等の不動産などかなりの資産を貯めこんだ
2. 人事権、役職配置の権限を掌握
3. 国会議員等の政治家をも抱き込んでいる
4. 聖地(ぢば)を所有
それでも、教祖の話は素晴らしいと信じるならば、天理教を離れ、『転輪教』として出直されたらどうですか?
どん亀さまの御言葉に、どれだけ救われたかわかりません。
先の見えているかたではなく、まだまだ長い人生が残っておられるお若い方が、少しでも天理教に疑問を持たれるのならば、爆サイ掲示板でどん亀さまのお話に耳を傾けてもらいたいと思っています。
私は、私の大切な子供たちを、姑の洗脳から守りました。
京都市長の門川大作と天理教
http://kyoto-daisakusen.jp/2013/06/07/%E6%9B%B4%E3%81%AA%E3%82%8B%E5%8F%8B%E5%A5%BD%E3%82%92%E8%AA%93%E3%81%84%E5%90%88%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%EF%BC%81%E3%80%80%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%B3%EF%BC%95/
2013/06/07
更なる友好を誓い合いました! 京都・ケルン50周年記念式典
午後から天理教河原町大教会がケルン市に設置され、大変なご尽力をいただいている文化施設「天理日独文化工房」へ。
・・・
今回は井幡さんのご出席が叶わず残念でしたが、京都からは天理教河原町大教会 深谷 善太郎 会長ご夫妻を先頭に29名の方々がご参加。
引き続き、日本の学生とケルンの学生をつなぐ貴重な役割を果たしていただきたいと思います。
【ケルンで雅楽を 「天理・河原町アンサンブル」公演】
同じくケルン日本文化会館のホールで開催された「天理・河原町アンサンブル」公演を鑑賞。天理教河原町大教会の雅楽部と吹奏楽団の皆さんによる演奏です。皆さんの素晴らしい演奏、中でもケルンに伝わる音楽に挑戦されたアンサンブルは感動的でした。
皆さんには、午前中の50周年祈念式典オープニングでもお世話になりました。
ドイツ人も魅了する雅楽の音色に、改めて日本古来の伝統音楽を大切にしていきたいと意を強くしました。
・・・
これからの100年、更に未来においても「日本に京都があってよかった」、「世界に京都があってよかった」と実感いただけるよう、市民の皆さんと力を合わせて更に努力を重ねるとともに、「国家戦略としての京都創生」に向けて国へ働き掛けを強めていくことを改めて決意しました。
<雅楽といえば宮内庁ですが、外人さんには皇室も天理教も区別できませんものね!>
京都市と天理教は、WINWINの関係です。
京都市; 税金投入不要で、文化会館建設とか雅楽演奏してもらえる
天理教; 行政のお墨付きの宣伝活動になる
この大教会の下の下の分教会(〇県☆郡の田舎にある)を知っていますが、親戚以外の信者がもはやいなくて、つぶれる寸前です。大教会長夫妻が、ファーストクラスに乗っていたら、お笑いですね。
ついでに、門川市長も大教会に参拝していたら、もっとお笑いです。
↑ 上記文を京都市(京都市役所)へメール送信いたしました。
タイトル「政教分離を確立してください」
要返信にチェックを入れましたので、京都市役所からの返信を待ちます。
ついでに、S学会がフランスでカルト認定され布教禁止になっていることも追伸します。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u158209992
40年祭当時のお供え金の受領書。
↑ 貴重な資料のご教示ありがとうございます。
2,000円×2000= 約4,000,000円
先祖伝来の田んぼを売って得たお金ではないことを祈ります。
ヤフー知恵袋より
下の回答者様もお答えですが、 価格の根拠が資料により異なることと、 一定の年に限定した貨幣価値の資料が見つかりませんので、 大正期の食べ物の価格を記した朝日新聞社の「値段史年表」を根拠とします。
資生堂パーラーのアイスクリーム 20銭 (大正10年)・・約400円
銀座木村屋のアンパン 2銭 (大正6年)・・約40円
太田胃散 30銭 (明治31年-昭和18年)・・約600円前後
うな重(並) 40銭 (大正4年)・・約800円
映画 20銭 (大正7年)・・約400円
コンサイス英和辞典 1円30銭 (大正6年)・・約2600円
週刊朝日 10銭 (大正11年)・・約200円
銀座ライオンのビール 18銭 (大正7年)・・約360円
銀座天国の天丼 18銭 (大正2年)・・約360円
レコード(SP) 1円50銭 (大正3年)・・約3000円
当時の1円が現在の2000円前後と考えると ほぼ妥当な金額ではないかと思われます。
匿名 2017年8月27日 11:49 AM 様
本部批判は結構なことなんですよ。
でも「祖先が明治初年から熱心な・・・」という文言なら、大教会とはいわなくともそれなりのポジションや立場だったと思うでしょう?
教祖様に関する公表されていない資料や口伝などが伝わっているとか、それ相応の伝承とかを知っている上での本部批判なり攻撃かと期待したのですけどね。
ちょっと期待を裏切られただけです。あぁ、期待した私が悪かったのですね。
末端教会 2017年8月27日 9:26 PM 様
爆サイ掲示板には、中山みき様は、京都の小路で、父親と霊媒師をしていたとか、中山家は、ほんとは庄屋などではなく、「稿本教組伝」では、そのように捏造してきれいごに書いているが、庄屋などの役職をするような人々なら、もっと知識教養ある立派な人物達の筈だが、善兵衛さんといい、秀司さんといい、ちょっと、人品が卑し過ぎる、というような記事もありましたが、、。
そこらへんのところになると、私らには、判断がつきかねるところですが・・。
匿名 2017年8月27日 10:20 PM さま
>そこらへんのところになると、私らには、判断がつきかねるところですが・・。
判断というより、根拠もなくそのような事を言うのは単なる誹謗中傷でしょう。
「庄屋などの役職を・・・」に至っては、江戸時代を実際に生き抜き善兵衛さんと秀司さんに実際に会って来て、人柄を確認してきたような書き方じゃないですか。確かに幾つかの出来事(教祖伝等が真実なら)から感心しない行動をしている事はありますが、まるで週刊誌のゴシップ記事のような印象操作かと思われる文章に感じました。
いえ、「ご先祖が明治初年から教祖のそばで熱心に信仰されてきて、そういう記録や口伝が残っている」という事なら納得できるのですけど、私の気の回しすぎでしょうか?もっとも、私も氏の発言全部を読んだわけではないので、何処かでそのような根拠や証拠をあげていたのならお詫びいたします。
当時のについて少し書かせてもらいます。
天保十年まで中山家は庄屋敷村の庄屋として代官所等に年貢、取り決め覚書などの書類を提出していたので庄屋をしていたのはほぼ事実と思えます。
当時の庄屋は村の代表として代官所や藩庁、郡奉行と折衝する事が求められるので、それなりの格式と家柄でなければならず代々世襲されています。
ところが当時の村は地域地域によって個々に格差があります。財政が豊かな村は帰農した武士が庄屋を勤める場合が多いですが、財政の乏しい寒村では馬子や駕籠屋が庄屋を勤める場合もあったようです。
ですから庄屋は高い知識と学識を有している場合が多いですけど、村によっては多少の読み書きが可能な者でも庄屋を勤めていた例はあります。
当時の庄屋敷村は財政が豊かとは云えない状態であったようですから庄屋とは云え身分的に高いとは言えなかったかも知れません。
中山家は天保十年頃迄は庄屋として代官所に書類を提出していたが、それ以降は提出していないようなので、それ以降の中山家は庄屋として存続していたとは言い難いと思えます。
その天保十年と云うのが立教の翌年なので、どうも中山家が庄屋として勤める事が不可能になった何らかの事案が発生していたのではないでしょうか。
たいした参考にはなりませんが少し不思議な話をします。
現在では知っている人は少ないのですが、中山ミキの存命中に曇天の日に限って中山家の敷地内と近隣に一坪位の範囲に空から雫がパラパラと落ちてきて舐めると微かに甘く、中山ミキが「明日はどこそこの辺りに落ちる」と云うと信者や住民は事前に器を置いて落ちてきた雫を舐めていたらしく、それを甘露と呼んでいたらしです。しかし中山ミキの死後は甘露が降らなくなったようです。
その現象の科学的な根拠は不明ですが実際にあった話として聞いています。
第一次後継者講習会来た。
プログラムがぐだぐだすぎて、一同困惑している。
組わけ班わけもなあなあでバラバラの行動。
挙句引率の大人もいなくなる。
組の交流ワークショップも、今どきどこの大学でも新学期にやりそうな平凡なもの。
感話は、男女別の聴講にしたものの、内容は性別関係なく、お二方とも病気治しのやつ、しかも助からず出直し。
夕食は組でも班でも大教会でもなくバラバラで食べた。
これを通じてどう後継者を育てるつもりだ大亮さん。
この責任は主催者のあなたにある。
今のところお勤めしか楽しみと意義を見出せんぞ‼︎
単立宗教法人 天理教会役員(元末端教会子弟)様
激しく同意いたします。
姑が布教師で苦しんでいます 様
↑ 上記文を京都市(京都市役所)へメール送信いたしました。
タイトル「政教分離を確立してください」
要返信にチェックを入れましたので、京都市役所からの返信を待ちます。
ついでに、S学会がフランスでカルト認定され布教禁止になっていることも追伸します。
色々と学びたいと思っております。
そこで、
政教分離を確立して下さい、ということですが、具体的に記事の中でどの部分が政教一致にあたると断定すれば良いのでしょうか?役所にメールされるほどですので是非ご教示をお願いします。
私はどん亀さんの書き込みは好きですよ。
時代小説の作者のように、いろんな資料を読んで、
教祖の時代を想像している。
いろんなおかしな事を考えたときに
どん亀さんの「神芝居」解釈だとすっきり行くんですよね。
変に持ち上げられて脚色されたものよりも、
あながち間違っていないんじゃないかなと思います。
掲示板だと記事が飛び飛びになるので、ブログにまとめてくださるとおもしろいかも。
新興宗教から脱却するためには二段階あって
組織に疑問を感じたときに
①組織はおかしいけど、宗教は本物
という風に考えると、なかなか宗教の呪縛から逃れられないけど
②組織もおかしいし、宗教も本物ではない。(宗教を絶対視しない)
という風に考えると、簡単に覚醒できる。
(創価脱会ブログみて思いました)
①は「元末端教会師弟」さん
②は「どん亀」さん、「姑が布教師・・・」さんかな
元「末端教会子弟」です。
掲示板に名前が出てたので書き込みさせて頂きます。
コーヒーミル さま
同意頂けるのは嬉しいのですが、何に対しての同意なのか教えてください。
焼きもろこし さま
①の「元末端教会師弟」は私の事を指していると思われますが、その比較は誤解を生みます。
私が「本物の教え」と言っていたのは「中山みき」の残した「みかぐらうた・おふでさき」から読み取れる「社会改革の教え」であって、現天理教団が発信する書籍や講話などで聞かされる「教え」ではありません。
②で挙げられた方がどの程度「社会改革の教え」を読み取られているかは不明ですが、爆砕を読ませていただいた限りでは「みき婆ぁとその一党」というように、「中山みき」と「教団を作った不肖の弟子たち」を一緒くたにした表現や物語風の文章等を載せている所からすると、どの程度読み取っているのかちょっと疑問を感じる次第です。
もし、十分読み取られた上で書き込みをされているのなら、お詫びいたします。
読み取られているなら、中山みきの理想とした社会、『陽気づくめの世』というのが具体的にどのような世界なのか、現在の世の中と何がどう違うのか、議論をさせて頂ければ幸いです。政治、経済、社会、教育、職業等、幅広い議論になるでしょうが、どれからでも結構ですのでお声掛け下さい。
そもそも「中山みき」を絶対視しすぎじゃないでしょうか。
元「末端教会子弟」さんは、「読み取る」ことと「信じる」ことを同一視しているように感じます。批判的に読み取る人もいてもおかしくはないですよ。
「社会改革の教え」
理想ならいいこといくらでも書けますよ。
かっこいい理想いくらを説いても現実がうまくいかなければ、
議論してもあんまり意味がないんじゃないかな。共産主義がいい例です。
それに「いいこと」を書いている人はたくさんいますよ。宗教家・作家を問わず
「中山みき」さんだけが特別でもないと思いますよ。
僧祖父母の代から天理教に関わってきたのですが、曽祖父母の名前も原戸籍を見て知ったくらいで、その当時の入信動機を始め信仰に関する話など両親・祖父母からも聞いたことはありません。
ただ例外が一つ、祖母は両親から聞いたであろう甘露水の話はしていました。甘露台に水が降りてきて、それを飲めば115歳まで生きられると言っていたように思います。
だったら、初代さんのみならず、多くの取り巻きが甘露水を飲んでいただろうに、何故115歳まで生きられなかったのでしょうか。結局、この話も作り話以外の何物でもないように思います。
教団本部は、さっさと包み隠さず本当のことを披歴すべきだ。そうでなければ、天理教(転輪教)ではなく、中山教であることを自ら認めたも同然である。
天理教を信仰されてる方 VOL.2へ投稿
http://bakusai.com/thr_res/acode=4/ctgid=119/bid=98/tid=5697859/tp=1/
#687
>隋、百済、新羅の使節が難波津に上陸しますから、その使節を一時的に留めて歓待しながら大規模な建物群を見せ付ける意味もあったようですわ。
歴史博物館の古地図では、あの辺り、大阪湾と難波津の間に突き出た半島でした。使節団が船上から見上げる建物群は、壮麗な文明を感じさせたでしょうね。古代の日本人は、凄いですね。それも含めて、ケルン市でドイツ人相手に、雅楽の説明しながら、どや顔する大教会長、私がもし隣にいたら、「バチモンどすえ」と詳しく解説するのに。
<鳥取県人の方に>
バチモン=バッタモン=海外高額ブランド品の違法コピー等
横にいる、門川大作京都市長も情けない。新興宗教の広告塔に成り下がって。。。
『千年の都』が泣きまっせ。
選挙で恩義でもありますのん? 信者は「選挙ひのきしん」で駆り出しですか???
どれほどの総本山が京都市内にあるか、わかってますか?????
内科医
2017年8月28日 8:50 PM さま
ご質問ありがとうございます。
返信を心待ちにしているのですが、今のところありません。匿名にしているので、無視かな? 通信手段は記入したのですが。。。
若かりし頃、○○系の団体で働いていたのですが、とにかく、海外出張は「おいしい」です(たとえ下っ端であっても)。相手国が、「外交儀礼」で歓待してくれる。現地一般市民が入れないようなところに観光案内とか、食事とか、要人との記念撮影(その写真も当然タダ)とか。。。『おこぼれに与る』という感じです。式典参加での訪問と、お遊びの海外旅行では、質(クオリティー)が違います。
これが、天理大学もしくは天理高校雅楽部であれば、私も問題にしません。私立学校には、等しく学校助成の税金が投入されております。今回は、一宗教団体に過ぎない天理教河原町大教会のサークルを引き連れています。
私は子供の頃、趣味で、○○○を習っていたのですが、京都市の姉妹都市交流でその教室が京都市を代表して、20年近く、その相手国の☆☆市と子ども交流(訪問したりされたり)してました(その習い事の分野では専属的に)。京都市の姉妹都市は、世界で8か国ほどあったと思います。その教室はそこそこ大きかったのですが、中堅どころで、それより大手はあと少なくとも10校はありました。大人になって分かったことですが、その教室が代表に選ばれるには、○○◎◎館を巻き込んで、○○が飛び交ったとの噂あり。
所詮習い事ですので、子供が小さい時に海外で○○○を発表できるのですから、お金がかかったとしても親としては納得です。そして、希望者は誰でも参加できましたから、平等です。
で、大教会では、平等に、ケルン市訪問の生徒が選抜されたんですか?そもそも、その大教会に連なる、○○県○○郡☆☆村の田舎の信者の家庭は、雅楽サークルの楽器や衣装の購入費の間接負担ばかりで、雅楽とは縁のない生活ですよね。大教会の広報誌に、京都市長やケルン市長と並んで写る、同年代の生徒たちを見て、その家庭の子弟は悲しくなりませんか?
京都市内には、京都女子大雅楽部、立命館大学雅楽会、龍谷大学雅楽部、同社社大学雅楽会。。。無数にあります (検索しました)。
恣意的に、一宗教団体が選ばれた根拠は何か?
選挙応援 → 広告塔 の関係を疑わざるを得ません。
結果的に、「天理教の宣伝」と「信者の信仰心高揚」に多大の貢献を果たしております。
公費が使われる際は、競争入札が行われますが、親善訪問は参加者負担で、目に見える形での税金等投入はありませんので、幹部連中での随意契約が可能であったと想像します。全国区で有名になった、長年の、京都市職員縁故採用の背景もあります。
追記
「天理日独文化工房」がベースにあると役所がいうのであれば、ならば、
オウム日独文化工房は?
そのそも S会日独文化工房は、建設不可(EU全土で布教禁止らしい)
違いは一体何なの?
新興宗教の三大嫌われ理由(週刊誌に書いてあった)
1.オウム 地下鉄サリン、殺人
2.天理教 巨額献金
3.S会 強引な勧誘
姑が布教師で苦しんでいます 様
返信ありがとうございます。いわゆる政教分離というのは全くの門外漢でして、よくわかりません。それでお尋ねしました。私も出来る事ならそういう指摘をしてみたいと思っているのですが、いまいち上述のコメントからは核心の部分が理解できません。
先述の「市長の記事」から、政教一致として糾弾すべきはどこの部分に当たるのでしょうか?私もいち有権者として知っておきたいですし、政教一致に該当するならば糾弾すべき事と強く思っています。
ご協力をお願いいたします。
焼きもろこし 2017年8月29日 8:33 AM さま
>批判的に読み取る人もいてもおかしくはないですよ。
そういう人がいてもおかしくないし悪いことではありません。
私が言いたいのは、「読み取って批判する人」と並べられるなら良いけど、「読み取っていないのに批判だけする人」と並べられたら、書き込みを読んだ人が勘違いする、と言ってるのです。
ただ、焼きもろこしさんの挙げた2名が「どの程度読み取っているか不明」なので、あのような書き方をさせていただきました。
>理想ならいいこといくらでも書けますよ。
逆ですよ。
「みかぐらうた」と「おふでさき」には理想世界そのものより、その実行と行動をどうすればいいか、そしてそれが如何に困難な道のりであるか、という事ばかりが書いてあります。
素直に読んでみて下さい。
内科医
2017年8月29日 2:36 PM さま
有権者として、ぜひ、市政に鋭く突っ込んでください。
期待します。がんばって下さい。
① 市長参加の式典であれば、必ず、マスコミ報道があります。新聞誌およびテレビとラジオ。出発前、式典中、もしくは両方。それが、市役所広報課の仕事です。そこに、「梅鉢マーク」か、「天理教」の文字か知りませんが、電波に乗ります。堂堂と「天理教河原町大教会」が連呼されるかもしれない。何しろ、式典のメーンのイベントが任せられているのですから。
② 最低でも、市長の公式活動ブログ(市役所HPからリンクされる)に、河原町大教会長の写真をデカデカと載せている。市長は、特定宗教の宣伝をしているに等しい。
③ おそらく事前に市長への表敬訪問(市役所)とか、事後の市長主催のお礼会はあったであろう。ブログでは、市長の天理教への感謝感謝の文字列だから。これには、目に見える形で税金が投入される。
④ 親善ですから、同様のことが、ケルン市でも行われる。
ケルン市民には、『TENNRI』が宣伝される。
ケルン市民は、市長公認だから、S学会と同類であるとはつゆほども疑わない。
そして、「2000年の歴史の雅楽」とともにやってくるのだから。
⑤ S会はフランスでカルト認定され布教禁止になった。今はそれがEU全土に広がった。
天理教は、日本国内では、S学会と同じ新興宗教のカテゴリーにある。
将来的に、天理教もカルト認定される可能性はゼロではない。
そうなった時、恥をかいて損失被るのは、京都市民であり日本国民である。
⑥ 推測ですが、ケルン市の「天理日独文化工房」とやらに、市役所から、いろいろ便宜を図っているのでは? 今の市長以前、つまり、もっと前の建設時から。通訳助けたり、申請書類の作成を手伝ったり。。。
焼きもろこし様
「神芝居」についての言及を頂きありがうございます。
少し滞っていますが今後も爆サイの方で継続させて頂きます。
確かに私は②に当てはまります。
しかし神に代わるモノの存在はあると思っています。
宗教とは、ある一定の観念に基づいて教え・礼式・建物・しきたり等を画一化して行動する集団の意味ですから、宗教そのものは人間が作り上げた組織、団体です。
ですから私は神や仏の存在は信じますが、「これが本当の神の言葉です。教えです。信じなさい」と、人間が作った教義を基にした組織、団体には違和感を感じます。
その宗教に自分自身が求める答えがあると思えれば宗教を信じれば良いのであって、またその要因がなければ信じる必要もないと思えるのです。
一定の観念とは創始者の思いと思考がベースとなっていますから、それが自分の観念が合致し自分とって正しいと思うから宗教を信仰出来るのであり、信じるに足らんと思うならば信仰する必要はないと思っているだけなのです。
私はただ、天理教が史実を湾曲し創作、創作されている内容が多分にあると思うので批判をしているだけなのです。
東風Z様
私は甘露を飲んだら115歳までの寿命があると云うのは胡散臭いと思っています。何故なら当時、屋敷に落ちてきた甘露と云う名の雫を飲んだ者が115歳まで生きていたとされる伝承がありません。実際に甘露を飲んで115歳まで生きていれば必ず伝承が残る筈です。
それに115歳の寿命というのも後付けなのかも?と思っています。
私の場合は、祖母が祖母の曾祖母、祖母から直接聞いた話を私も聞かされたので当時の事を多少知っているだけです。また私自身が仕事柄、日本史に関わっていたので独自に調べた事も多くあります。
布教部部会があり(教務支庁)、部長(大教会長)より先だって,7/26の件で天理時報や、みちのともに載った記事通りの挨拶がありました。SNS(かなり意識しているし、ここもみているだろう)などの不足の発言等は、それぞれ思案して・・・なんちゃらかんちゃら。
その後、ある会にて、過日、道では無い方が訪ねられ、おやさまの教えは素晴らしいけれど、天理教人の通り方がおかしいんじゃ無いかと、?エッ
数時間話した後、やっぱり素晴らしいですね天理教は。といって帰られたと、委員の発言がありました。しっかりしてくれよ君たちみたいに(^^)
あほか! 「おまえに言われる筋合いは無い、見てきたようなことを言うな」みんな、分かっててなんとかカントか頑張ってんだよ。みんな、暇じゃないんだよ。
この方の、発言で、道の行く末を案じたのであります。 (でも、攻撃者を対処する口と知識は持っている。ある意味私の知らないすごい通り方をしているのかもしれない)
とはいうものの、一人、一人になれば素晴らしい方々だと思う。 組織に巻かれて言いたいこともいえない現状が歯がゆい。私もしかりである。
しかし、組織の長い輩達は、いったいどこをみてるんだろう。素敵な仲間がいる所だけに、残念でならない。
姑が布教師で苦しんでいます 様
ご回答ありがとうございます。申し訳ありませんが確認してもよろしいでしょうか。
というのも確証を持って政治を糾弾していきたいと思っています。
私が2回にわたりご教示を願ったのはあくまで「市長の記事のどの部分が政教一致に当たるか」だったのですが、その文章の指摘がございませんので、モヤモヤしております。問い方が悪かったようで申し訳ありません。改めて、再度ご指摘頂ければ私のモヤモヤも晴れそうです。
分かりやすく数字で表して頂きありがとうございます。
そこで、
①、②、③、⑥は事実確認が取れないのです。ソースがあれば教えて頂きたいのですが、ありますでしょうか。
④ではTENNRIの名が宣伝されることが問題であると捉えればよろしいでしょうか?
⑤は政教分離と関係ないように思えるのですが、余談としての記載でしょうか?
ご指摘をお願いいたします。
内科医
2017年8月29日 10:34 PM さま
出来得る限りご協力します。頑張ってください。子どものころ、○○市役所のすぐ近くに住んでいました。建物の外観は今も同じだけれど、中身にはガッカリです。
① 京都新聞あるいは大手新聞の地方版なんかは取り上げているでしょうね。(図書館で閲覧可)
市民だよりでも良いのでは? 放送局分は2013年だと関係者じゃないとしんどいですね。市役所広報課とか秘書課には、当然取材の記録は残ってますが、市民が気軽に閲覧できるものでもない。
② {今回は井幡さんのご出席が叶わず残念でしたが、京都からは天理教河原町大教会 深谷 善太郎 会長ご夫妻を先頭に29名の方々がご参加。また、ケルンの市民の方々も多数ご参加。感謝の気持ちでいっぱいに。}
この記載の前に、「天理日独文化工房」での書画展オープニングの写真がでてますが、これが大教会長ではないのですか?今さらで、大変申し訳ありませんが、私は顔を知りません。
③ おそらく事前に市長への表敬訪問(市役所)とか、事後の市長主催のお礼会はあったであろう。ブログでは、市長の天理教への感謝感謝の文字列だから。これには、目に見える形で税金が投入される。
ケルン市主催の昼食会の記述はありますね(タダご飯)。これって、ケルン市民の税金ですが、結局は、京都市民の税金です(相互交流)。表敬訪問で記念品くれるとか、必ず経費発生します。これ位の情報なら、秘書課で教えてくれるのでは?
4.ケルン市民には、『TENNRI』が宣伝される。
当然大問題です。雅楽のパンフや書画展会場パンフに、TENNRIの文字があふれる。
ケルン市民は、宗教と思わずに近づくことになる。
5. 「S会はフランスでカルト認定され布教禁止になった。今はそれがEU全土に広がった。」
この点、市長および京都市役所職員に最も意識してもらいたい問題点です。
京都の恥、ひいては、日本の恥です。たとえカルト認定されなくても、ケルン市民が日本文化と「TENNRI」に興味を持って来日し、その「TENNRI」が100年ちょっとの歴史しかなく、しかも信者激減の新興宗教と判明した時の残念感、半端ないですよ。1200年の古都・京都の看板を信じて来日するのですよ。
6.全くの推測です。昔は、コネ全盛で、何でもありの時代でした。
傍証1 私の○○○教室の件。20年近く京都市姉妹都市交流事業に乗っかったあと(税金利用)、さすがに周囲から疑念の声が上がり(特定団体の優遇)、それまでの実績を利用して、独自に私的に姉妹校協定を結ばれました。
傍証2 京都市職員の大量縁故採用
これも、批判から、近年は採用試験成績公開の公正さが図られるようになりました。
傍証になるかどうか?3
ケルン市中心部(一等地)に、姉妹都市交流をきっかけとして、KYOTO シュトラッセ(通り)ができました。もし、天理日独文化工房が、そのKYOTO シュトラッセ(通り)の近くに姉妹都市協定後に建設されたとしたら、市役所の関わりの可能性大ですね。ケルン市も巻き込んで。。。
その時代、教祖祭には、近鉄の臨時列車がでて、百万人単位の参拝者がありました。
外部の人間の京都市職員からしたら、まさか「エセ教理に基づくエセ宗教」とは、想像もしていなかったのでしょう。天理日独文化工房も信者からむしり取った献金が源泉と思っていなかったのでしょう。そして、今日の信者激減の衰退。今さら、ヨーロッパに、「一神教」の新興宗教を持ち込むべきではない。日本人は八百万神信仰です。
違憲、違法何でもありですね笑 今後ともスキャンダルが絶えないので野次馬の私は楽しみな出仕方ありませんが笑
野次馬うまうま様へ
私も野次馬の一人です。松井一代 事件の様に成ると大変楽しめるんですがね!
松井一代 公式チャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC-pLUs-plAxcPJOnUlIhbfg
うまうま様
さなえ様
新潮、文春、ポスト、フラッシュ、現代。。。。。
記事になったら、立ち読みで済ませないで、応援買いしてあげてね。私も、10冊ほど買い込んで、あちこちに、ゲリラ的に「忘れ物」するつもりです。。。。の待合室、。。。のロビー
これまでの献金額に比べたら、微々たるものです。
天理教のお偉いさんは強要しすぎじゃない? 「頭が高い 高慢だ」と何時代ですか?と思った事があります。
以前店員が土下座強要で逮捕された事件がありましたがそれを思い出してしまいました笑
【しまむら店員土下座事件】
https://goo.gl/Ur5k2m
天理教への「お供え」も 血税流れる政治活動費
http://www.asyura2.com/11/senkyo122/msg/902.html
これあかんやろ
匿名
2017年8月30日 8:54 PM さま
貴重な情報ありがとうございます。
「天理教側は「前原さんは天理教の信者なのです」と打ち明け、こう答えた。」
年始に毎年参拝とは、筋金入りの信者ですね。
天理教河原町大教会と京都の政界の闇、ただの農婦の私にはついていけません。
報道では、枝野氏より一歩リードとか。
天理日独文化工房に前原氏も絡んでいたら、代表選も吹っ飛びますね。
どうなのかな?
姑が布教師で苦しんでいます様
2017年8月30日 10:28 PM
天理教の本部と民主党の関係を私も耳にしてこちらのサイトに来ました。旧民主党系や社民共産の議員にはスパイ疑惑が多いのです。参考までに数点添付しておきます。
【民主党の正体】 韓国民団生野支部での民主党議員の挨拶
https://www.youtube.com/watch?v=ywZrmEwdbQE
韓国民団の新年会にて共産党の爆弾発言がヤバイ!日本の国益はどうでもいい
https://www.youtube.com/watch?v=tKz8f5CHtr8
民主党 民団
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A+%E6%B0%91%E5%9B%A3
宗教団体は他国の政治出先機関の隠れ蓑にさる事が多いのでよからぬ政治家との接触は非常に危険です。
民主社民系政治家は危ない
2017年8月31日 1:09 PM さま
貴重な情報ありがとうございます。
かと言って、過去には、政界ダブル不倫で有名になった、堂々と信者(ようぼく)を名乗り、天理教機関紙に寄稿文を寄せていた女性の自由民主党衆議院議員もいましたね。
天理教に関わる政治家は、政党に関係なく、除外するつもりです。
↑
この「ダブル」は、男女とも、現役の自由民主党の国会議員という意味です。
何度も細切れですいません。
・天理教の教えの基本は 「ふうふ なかよく くらしてね~」
・天理教機関紙であれ、天理教の宣伝をする = つまり、天理教もその女性議員の宣伝する
・でも、自分は、国会で不倫する
こんなんが、自民党の国会議員だったということです。
あとは、有権者の判断。
最近の天理教本部への国会議員の団体参拝、自民党が減ってきて、民進党が増えたとは、私も感じてました。
奈良・天理市長、公務の出張中にデリヘル利用「違法行為はなかった」
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/31/tenri-mayor_a_23191927/
天理教○○員 ○ ○ ○ ○(中澤隼人)
(昭和42年2月10日刊 全天理教会に配布す)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
この小書を贈呈するに当たって
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
今から30年前、父は単独布教から部属教会21ヵ所をつくって、当時の旧制分教会長として、65才で出直したのであるが、父は晩年最後まで、自分は御本部の庭掃きでも勤めさして頂きたいと、心から言い暮らして出直しをした。一昨年の12月、母は91才の高齢をもって出直したのであるが、毎日往診に来ていた医師も奇蹟だというほど、一日一日を保っていた。そしてその最後の出直しの日、私は教会長として母の枕元に坐った。最後のお授けを取り次がせて貰ったのである。あるいはこれが母との今生の別れになるかもわからないと思うと、70才に近い身でありながら、子としての感情がこみあげて来る動揺を、一切神に凭れて、平静に平静にと自分の心を抑えながら母に言った。「お母さん、今お授けを取り次がさして頂きますが、もう一度身上を貸して頂きたいとはお願いいたしませんよ。神様の御思召しのままに御守護下さいませとお願いいたしますよ。しかしお母さん、もしも出直しをされても、また○○の教会に生まれかわって来て下さいね」。母は床の中で合掌したまま、いとも安らかな表情で、「それが一番の楽しみだよ」 と小さい声で言った。平静に平静にと努めていながらも、お授けを取り次ぐ私の両眼からは、熱い涙がとめどもなく流れた。そうして、そのお授けが母との最後の別れとなったのである。
何回生まれかわって来ても、道の御奉公一念に撤しきっていた母であり、それがこの世における何よりも一番の母のたのしみであった。およそ道の子として親里を慕い、道を想い、したがって道の最高の親たる真柱を愛さないものが、一人でもあるだろうか。私は道の子である限り、そうしたものは一人もないと信じる。かつて真柱は、天理教を一番愛しているものは俺だとおっしゃったことを聞いたことがあるが、私もそうだと思う。真柱ほど、教祖様の理想実現に想いをこめられていられる方はあるまい。
しかし真柱を愛し、真柱への一番の親孝心とは、当面の真柱の御機嫌を伺い、真柱の御機嫌に終始することでは絶対ない。いかにして一日も早く教祖様の御理想である陽気暮らしを世界の人類にもたらすかにある。しかるに本教の現状を見る時、輪郭の美は非常な勢いで整って来ているが、教祖様の理想である助け一条の陽気さは、声のみ大きくしてその実力は教祖40年 祭当時より、その信仰の熱度において、信徒の量において、むしろ低下しているのではなかろうか。
私は先般、宗教史専攻の東大教授笠原氏とお逢いして、いろいろ御意見を伺ったが、現在伽藍宗教といわれ、わずかに旧蹟として世の観光者によって命脈を保っている数多くの仏教本山の、最盛期から衰退に及ぶ当時の仏教と本教の現在とが、そろそろ似て来たような感じがしてならない。もちろん、本教はそこまで下落するとは思わない。しかし、宗教の一番の生命である人の救いにおいて、現勢とあまり変わりのないようなことであったら、それこそ教祖様に対し、真柱に対し、どこに親孝心といえるだろうか。
先般挙行された教祖様80年祭は、道の子の想いに想った親の年祭だけに、本教史上かつてない盛大な式典であり、天候にもめぐまれて終始されたことは、われわれ道の者にとっては嬉しい極みであった。しかし、あの170万人といわれる祭典への帰参者の中、本当に教祖様を慕い、親里を信じて帰参した道の子は、果たして幾人あったであろうか。当時の集会員会では、約30パーセントの声が出ていたが、その他はそれ等の人たちに勧誘されて、地場を踏んだ観光者たちである。私はけっしてこれを悪いというのではない。たとえ本人は単なる観光のつもりで来たとしても、やがては大きな匂いがけとなるからである。ただ私は、ここでもし道の指導者である教会長級が、あの姿そのままが現在の道の教勢の実力と誤り信じた場合、それこそ最も恐ろしい危険さがひそんでいることを憂える。
仏教の衰微した当初の原因が、当時の仏教幹部たちが、その当時の形の上だけの盛大さに囚われて、そのままを本山自体の信仰の実状と思いあがった誤りからはじまっている。東京にある一流教会の婦人会と青年会の共同主催の座談会が開かれた時のことである。某教会所属の最も熱心な婦人教会長の質問であったが、「先生、われわれは天理教貴族をつくるための信仰であるならば、私は道の信仰を直ちに止めます……」と熱烈な口調であった。私は貴族的とは、その人の人間としての価値が、その人の生活以下であった場合に起こる現象だと思うのであるが、教祖様ほど民主的に徹底された方はないのではあるまいか。
物貰いに来た一乞食の赤児を抱きとって、御自身の乳房を含ませられたあの御態度こそ、教祖から示された本教としての全人類に対する行き方である。もちろん、つくし運びは本教信仰上の真理であるが、それはあくまで陽気さの上に立ってのつくし運びでなければならない。どんな身上事情の苦しみの中でも、あくまで陽気さだけは失わない指導こそ、用木の使命だと思う。そこにこそ天理教の魅力が生まれる。最近のある仏教関係の雑誌に、最近における本教の批判記事が載っていた。もちろん仏教関係の雑誌だけに、天理教的の記述ではないが、私はこれを読ん で、本教の指導者階級にも読んで貰いたいと思った。是非一読しておく必要があるとさえ思った。これが、「50年後の天理教を想う」と題してこれを転載し、この小書を全国の指導者の立場にある皆さまに贈呈させて頂く所以である。
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50年後の天理教を想う
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昭和20年の敗戦とともに、天理教は、他動的に国家の宗教政策の制限から脱して、立教以来、はじめて自由な天地に出た。多くの人がなお混迷と虚脱の境にある時、中山真柱は直ちに「復元」を打ち出し、これを教団最高の方針と定めるとともに、原典のみにもとづく天理教教典の編纂に着手した。「復元」とは、要するに、教祖の教えの本来にかえれということである。これはまず教理面からはじまり、現在の教典が24年に公布、つづいて31年には、本部の正式の編纂にかかる「稿本天理教教祖伝」が完成、これで、教理の基本コースは確定した。だが教団の組織、実態の復元はどのようにすすめられているだろうか。
これに関する構想は、具体的に明らかにされていない。私の推測によれば、組織を一挙に改変することなく、まず組織の内容を形成する信仰を統一し、向上させ、その成人を待って、次第に理想に近づこうという、現実的な方法論がとられているかに見える。まず破壊してまったく新しい組織をつくろうというのではなく、漸進的で、あいまいな面が強い。新しいものはほとんどないといってもよいかもしれない。
この復元の実行は、教祖60年祭、70年祭、そして昭和41年の80年祭を軸としてすすめられたが、この歩みの中で、教理的には「ぢば」中心主義、組織的には「ぢば」にある教会、すなわち教会本部絶対主義の方向がすすめられた。こうして、真柱の絶対権威は高まり、施設はいよいよ本部に集中した。そして教団の動きは、本部の方針が打ち出されてのち、それが地方に伝わり、時をおいて次第に実行されるという、上から下へ理を流すという姿が強化された。
この本部中心の権威と統制力は強固なものであって、かつての茨木事件のように、大教会が本部に異を唱えて離反するという事態はもはや想像もされない。大西愛治郎のように、天啓によって自分が「かんろだい」であると称するような人間も出て来ないであろうし、かつての大平良平のように、教理の純粋化を求める運動も、その存在理由がなくなってしまった。では天理教は、もはや、異端を生むべき条件も必然性も皆無であろうか。それほど天理教の方向は安定し、完成しているのであろうか。私には、そうは思われない。
教理的にも、組織的にも、整然として統制がとれているかに見えるが、燃え上がる信仰情熱、内的エネルギーは、衰弱しつつあるのではないかと思われる。この内的エネルギーの衰弱は、異端が出ることよりはるかに危険な徴候であると見なければならない。復元は教祖の理想に照らしてみて正しく、その努力が20年以上にわたって行われているにもかかわらず、その実が思うようにあがらないというところに、現在の教団の最大の悩みがある。教理面では、神一条の信仰が事あるごとに下部組織へ向かって流され、講習会も大規模に、かつ根気よく開催されているけれども、その浸透は、まだ本当の心の深い部分へとどかない。そして、多くの人の信仰の実態は、あいもかわらぬ病気たすけ、御利益信仰の域にとどまっている。
それだけではない。復元の教理を説くべき立場の人の間に、早くも教理の固定化、ドグマ化という現象が生じている。これでは、造花のようにととのっていて美しいけれども、悩んでいる人を救う本当の力を欠くことになる。戦後、天理教信仰の目的は、陽気ぐらしであると宣明された。これはたしかに教団の隅々まで知れわたったが、それは言葉の空転で、実際は陽気ぐらしと
相去ることはるかに遠いものがある。
組織面では、世襲制によって主な人事は固定化し、明朗で公正な競争がなく、20年先の構成が大体わかるという具合である。これを動脈硬化症と呼ぶ人もあるが、青年にとっては、これは甚だ意欲をそぐ原因となるために、多くの有為な若人が、自分の能力をフルに発揮できる 新天地を求めて教会の門を出てゆく。天理教は、かくして人物経済上、大変な損失を重ねている。(注:このことは将来の天理教にとって、何ものにも代えがたい一大損失である)
それほどの能力も気力もないものは、安易なプチブル生活の地を求めたり、漫然と教団の中に生きているだけで、教祖の精神を喪失している。教会の後継者が少なくなりつつあるという現実は、前途の楽観を許さぬ事実である。極言すれば、天理教は、理想は高く、本部は壮大なのに逆比例して、信仰のエネルギーが低下し、人間は卑小となり、求めるものが物質的、形而下的になっているのが現状である。私は異端を待望する人間ではない。けれども、空洞をもつ大木になりつつある現状を放置する時、おそらく天理教は立教の宣言にふさわしい世界宗教として脱皮することは不可能であると思われてならない。
ここに思いきった信仰と行動力を持つ異端的人物の登場を待望するのであるが、この種の人間は果たして出て来るであろうか。出て来るとしたら、どこから出て来るであろうか、本部からそういうラディカルな人間は現れないであろう。青年会にしても、その本部は、失敗を恐れぬ不屈の精神に欠けているから、これも期待薄である。最も有望で有効であるべき文書の面ではどうかというに、溌剌とした昭和初期の個性と自己主張の時代は去り、自由な批判精神は失われ、真柱の亜流ばかり増えている。それも真柱の打ち出す復元の教理を完全にマスターした上、自分の独創を出してゆくならよいが、顔色をうかがって書いているような感がする。書く姿勢がおかしい。
これでは真に世に訴え、人の心を揺り動かす大文章は生まれてこない。本来ならば、何がなんでも訴えねばならぬ問題が山積しているのに、筆を執ることをなるべくなら避けようという傾向が強い。この面でも退潮と衰微の感はまぬがれない。このように見てくると、天理教は深刻な危機に立っている。人類全体が危機に立っている以上、天理教だけが安泰であるべき道理はないが、この二つの危機を認識する度合の深いものこそ、現代と次の時代をになう人間像である。
天理教は、短いとはいえ、教祖没後80年の歴史を持っている。この80年祭は、生命も財産も名もいらぬという強い信念の持主によって築かれて来たものである。この種の人は今も数多い。こうした行為を天理教では伏せ込みといっているが、これある限り、教団は容易なことではビクともしない。けれども、教団がビクともしないことが理想なのではない。真に人類の苦悩に応え、それを救済するために、教団はどんな犠牲をも辞さないというのが、本当の伏せ込みである。私が待望するのは、この種の大勇に生きる人間であり、これは、教団の保守的な側から見れば、異端と映るであろう。けれども、社会はその異端を望んでいるのではあるまいか。
大正の末頃、増野道興は、天理教の海外伝道の可能性について、次のような演説をした。日本中に布教を終え、その余勢をもって海外伝道をすべしという論は、正論に似てその実きわめて皮相的である。そんな甘い考えで事が成るものではない。天理教が日本で大いに圧迫され、禁止され、食って行けぬ時代になって、やむなく新天地を求めて海外へ大挙して出て行く。こういう時、海外伝道の道は開けるであろう。天理教は神の道であり、神の道は人間の欲を徹底的に排する道である。しかるに世人は欲の世界で生きている。
天理教徒が欲を離れ、人にも欲を離れさせる生活を徹底して行った時、神の道と人の道は必ず矛盾すべきものである。その場合、世間と政府は己れを是とし、神の道に生きるものを非として圧迫するに至るであろう。私は何をいわんとするか。どこまでも神の道に撤し、ために世人の非難攻撃を受けるに価する天理教を待望するのである。欲のある世人からほめられる天理教は、畢竟神の道とは無縁のものである。これでは日本の人心改造も、海外布教も成るものではない。筆者のいわんとするところは、この演説の中に尽きている。天理教は、現代、社会にいい子になろうとしており、また多くの人々は、組織の中でいい子になろうとしている。ここに問題がある。
明治20年の1月、教祖が姿をかくされる直前、政府の弾圧をおそれて、お勤めをすることをためらっている側近者に対して、教祖は「律がこわいか、神がこわいか」とせまり、さらに「律ありても心定めが第一やで」と明示された。これが天理教最大の指針の一つである。現在天理教は、新憲法のもと信仰の自由を保障されている。一切の弾圧はもはやない。律と神とは鋭角的に矛盾はしない。けれども、律そのものがなくなったのではない。今や律は教団の中に存在している。それは、明らかに人間の心のつくりあげたものであって、天理教の中に、一般社会の常識や約束事、すなわち人間思案が多くなっているのである。何はさしおいても、この教団の中の律を打破するのが物事のはじめである。
ソクラテスはにくまれ役を一手に引き受けた。アテネを愛する彼は、アテネを巨大な牛に譬え、それが眠りこけないように、自分がアブとなってうるさく耳元で音を立てるのだと自負した。彼は不幸にして、牛の尻尾で叩きつぶされる羽目になったが、現在、私のもっとも待望するのは、このアブ的人間である。これが、差し当たって出現の可能性があり、しかもきわめて重要である。大なる異端像が現れるほど天理教は成熟していない。けれども、天理教は自己にとじこもって眠っていてよい時ではない。眠りこけていたら、社会はさっさと天理教を見捨てて行くであろう。差し当たって、アブ的人間が多く現れること。そこから一人のソクラテス的人間が出現することを私は期待する。
40代不良信者
2017年8月31日 9:16 PM さま
タイムリーな話題提供ありがとうございます。
・天理教の教えの基本は 「ふうふ なかよく くらしてね~」
・夫婦そろって、天理教天◎教会の信者(ようぼく)である
・でも、自分は、全国市長会出席の公務出張中に、デリヘルで浮気する 計2回
(中学生の男の子がいる)
こんなんが、天理市長であるということです。
あとは、有権者の判断。
日本維新の会 はぁー
{ 政教分離 は 民主主義の第一歩 }
わたしは以前、元東大阪市長 故清水行雄のことを書きこんだこともあります。
(知人女性の健康保険証を、虚偽の住民登録を行い取得させた)
知人?
やはり政治的なものとのつながりは、逆に利用されることの危惧をはらむと考えて
敬遠すべきものと思っています。しかしこの男、何を狙って天理市か。
http://tengen.jugem.jp/?search=%CA%C2%B2%CF%B7%F2
この会長。この教会は「中山みき研究ノート」にも出てくる古い教会。
http://roy.hatenablog.com/entry/20121129/p1
前回の選挙を踏まえた提灯記事。
神殿から食堂まで200mベンツのオープンカーでパレード
学生は学校休んでお見送りでしょうか?
池田大亮大先生ですからね笑 ベンツ等外車などを放棄するイメージ戦略も打てない時期トップには失望です。やはり天理教は未だ江戸時代 中山を徳川と勘違いしてます。
>>池田大亮大先生ですからね
誰?
ディスるならちゃんと名前書こうね。
近頃「只ディスりたいだけ」の有象無象が出入りし始めてますね
「悪貨は良貨を駆逐する」
まじめな匿名さん
良貨なあんたが駆逐されるやんか笑
怒らんでもいいところで怒る事無いスルーしとこや
天理教信者さん
まじめな匿名さん
今の天理教と御本部では何言われてもしょうがない。本部が過ちを犯しているのだから・・・
匿名の誹謗中傷は酷いかも知れない。しかし天理教信者くんもまじめな匿名くんもオブラートに包むのが信仰なのか?無駄に上級を立てるのが信仰か?違うよね。誠と真実が信仰ではないか? この二つの言葉が失われた教団であるから様々な事をお見せ頂くのだろう。 言葉が汚いぐらいで腹を立ててはそれも埃、得心させて頂くのが、おみちを行く者の本分、ここの誹謗中傷に腹を立て、上から物申してる自身が本当の御守護を見た事は無いから腹が立つ 腹立ちは未熟な精神から起こる。まずは誹謗中傷を書く人に「にほい」をかけられるぐらい自身を磨く事
腹の立つのも分かるが、君たちの文章にも心が無い。自分を見つめれば分かる事、そのような心しか仕えない。自身の無知さに気が付けず薄い教理を強要してるからこの教団は衰退したまさにその状態がここに現れたと私は私自身反省させて頂きました。
衰退して、崩壊しても仕方ないわけです。何言われても仕方ございません。
9月3日、掲載の中島みゆき「四十行のひとりごと」
~東京駅へ向かっていたのに~
(私の解釈)
懐かしい「おぢば」の風景。
何も変わっていないように思うけれど、
何故か昔の道に戻れない。
よく知っている道なのに、
何も変わっていないように見えるけど、
古い道は消えたのどろうか。
歩いている道は似ているけれど、
新しい住人しか住んでいない。
「元の場所まで戻れないの よく知っている街なのに 何も変わっていないのに 知らない人ばかりで混んでいる」
「誰か あたしの帰れる道を教えてよ」
と書いてある。
内科医さま
1.上川氏と次女布恵さんは、京都市姉妹都市交流事業にのっかって、何度もケルン市に行っているのではありませんか? (自腹で旅費工面できる市民はそうそういない、せいぜい1回、2回)。
2.上川氏が、「天理日独文化工房」建設が、ドイツ国内で{ケルン市}に選ばれた経緯を最も良く知っているのではありませんか?
頑張って下さい。心から声援を送っていますよ~
(読売オンライン 地方ニュース 奈良版より)
天理教の真柱しんばしら継承者・中山大亮だいすけさん(26)と、天理教河原町大教会役員・上川修二さんの次女布恵のぶえさん(28)の結婚式が1日、天理市の教会本部で行われた。
大亮さんは4代真柱・中山善司さんの長男で、関西大を卒業後、天理教青年会長を務めている。布恵さんは京都市出身で天理教校専修科を卒業した。
式には信者ら約500人が出席。「互いに助け合い、陽気に勇んでつとめさせていただく決心です」と誓いの詞ことばが代読された。
姑が布教師で苦しんでいます様
2017年9月3日 5:52 AM
天理教の真柱継承者 結婚式に信者ら500人
http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20170901-OYTNT50267.html
オープンカーに腰掛?野球の優勝パレードですか?www
>1.上川氏と次女布恵さんは、京都市姉妹都市交流事業にのっかって、何度もケルン市に行っているのではありませんか? (自腹で旅費工面できる市民はそうそういない、せいぜい1回、2回)。
>2.上川氏が、「天理日独文化工房」建設が、ドイツ国内で{ケルン市}に選ばれた経緯を最も良く知っているのではありませんか?
またまた不正の香がします。今後何か出てきそうです。
野球の優勝パレードですか?w
2017年9月3日 9:22 AM さま
いえいえ、「皇室」と張り合っているのですよ。
① 今上陛下の際、全国から近衛兵を呼び寄せての、何十頭の、ご成婚の馬車パレード
②(警備上}皇太子殿下の際、ロールスロイス・オープンカーのご成婚パレード
脳内では、(殿下と妃殿下だと思いますよ)
「腰掛」は、野球か大相撲みたいですけど。。。
蝿記者
2017年9月3日 9:26 AM さま
1.の推論の背景を書きます。
私の○○○教室の件。市役所としても姉妹都市交流だから、毎年、何らかの、『民間人的交流』が必要です。
旅費をどう工面するか、市役所としても、特定の個人を選んで税金から支給するわけにはいきません。
あの当時、$360~240円の時代でした。
結局、教室生徒のうち、ほぼ隔年で、毎回、姉妹都市交流でその国を訪問できたのは、「お金持ちのお〇様」だけでした。市役所としても、ある程度まとまった人数の参加者を確保するのには、特定の団体を利用するのが便利なのです。そして、毎回、京都市長を京都市役所に訪問し、テレビや新聞で報道される。お金持ちの親からしたら、十分にもとをとっています。特にお商売をしておられるおうちにとっては自慢ですよね!
{今回は井幡さんのご出席が叶わず残念でしたが、京都からは天理教河原町大教会 深谷 善太郎 会長ご夫妻を先頭に29名の方々がご参加。また、ケルンの市民の方々も多数ご参加。感謝の気持ちでいっぱいに。}
この内訳、残り27人のうち、どれだけ河原町大教会関係者なのか、数字を知りたいですね。
がんばってください。
その際には、20冊の購入を決めましたよ!
後継者講習会実行委員長で ある中山大亮さん。
道の後継者が、この日を祝って神名流しをしている画像がUPされていました。
教会子弟は、感謝と慎みを持って通るように指導されている。
披露宴会場までの僅か200メートルの距離をパレードするのに、まさか新車のオープンカーを用意されたということはないでしょうね。
もし、そうだったとしたら感謝も慎みもないように思うのです。
後継者講習会実行委員長は何を感じ、何を考えているのだろう?
蝿記者
2017年9月3日 9:26 AM さま
今の京都市役所のこの体たらく、『文化庁』を京都市に移転させる資格はありません。
1200年の古都の重みを自覚せよ!
と、思います。
先ほど宮内庁から眞子さまと小室圭iさんの婚約内定の発表がありました。豪雨被害を心配されての延期等、皇室の配慮もあり、私を含め大多数の国民が心からの祝意を寄せていると思います。
それに引き替え9月1日の太亮氏の結婚式に何人の天理教人が関心を寄せたでしょうか?本部在籍者を集めて500人?200mをベンツのオープンカー?末端の教会長でありながら「勝手にやってろや」とすなおに思うのはひねくれ物の私だけでしょうか.
八町四面様へ
2017年9月3日 1:33 PM
>本部在籍者を集めて500人?200mをベンツのオープンカー?
非常に少ないですね。何かに脅えているのか?それとも全教参加にして参加者が少ないと余計に惨めだから固定数500でしたのか 派手にやれば、人数的にはもっと集められるはず。小規模でやればもっと小規模にできる。何か中途半端・・・それがこの教団の本部の実態なんでしょう。
500人は少ないですね。一般人のちょっとした人物の令嬢、あるいは子息の結婚式でも400人500人呼ぶ人は普通にいますから。
オープンパレードに人がいなければ、婚礼の仮装をしたチ☆ドン屋が二人できょろきょろしながら歩いているのと一緒ですから。
たったの500人はそれに近い。笑えてきます。
凋落の途にある教団。本部取り巻きは別として、全国信者がもろ手を上げて慶祝ムードになっている訳ではない。ほとんど他人事です。甘露台倒壊直後の婚礼は、未来の天理教の行く末を暗示しているようです。500人は質素が旨のパーフォマンスなのか、単に人が集まらないのかどちらなのだろう?次期トップがたった500人でオープンカーとは、またまたチ☆ドン屋に見えて笑えてしまう。
人は集まらなくても祝金のお金だけは強制的だからきっちり集まるだろうけどね。
お詫びのコメントが出ていた。どういう事なのだろう。
『この度、大亮様と布恵様のお慶びの様子を皆さんと分かち合おうと、写真や動画でアップしましたが、ご本部の許可を得ずしてしまいましたことをお詫び致しますと共に、申し訳ございませんが、シェアされた方、お手数ですが、全ての写真動画を削除して下さるようお願い致します!』
肖像権の問題でしょう。
勝手に若者の写真をネットで拡散したり
古い元会長さんはネットリテラシーをもっと学んだ方が・・・
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8229813.html
では、新聞社のオンライン記事の写真掲載は本部が許可済なのですかね。
そもそもオープンカー上の姿を姿批判されてしまったので、慌てただけのこと
のように見えます。
コメントは古い元会長さんのものではないのですから、肖像権云々を
古い元会長さんへ説くことは、少々、的外れのように思えます。
次期真柱後継者とその夫人ということで新聞記事にしたのは、
公人扱いという基準で新聞社も掲載したのでしょう。
皆さんはどのように受け止められましたか?
今後もお二人は内外から言動を注目されるはずです。
自覚が無くては誠に「アララ・・・」のことを招きます。
20歳過ぎれば普通は立派な大人。
「勝手に若者の写真をネットで拡散したり」とご指摘下さいましたが
本人が結婚前にはネットの機能を駆使して「お姿」を拡散していましたから
匿名様のご心配は杞憂かとも推察します。
しかしながら、コメントが正しく、本部の許可が無いお姿写真掲載は
今後、ダメということですと、
どうでしょう、「マ・サ・コatリトル皇室in天理」となりませんか?
若いお二人は信者数を増やすために、あえて、恥ずかしさを抑えて、
話のタネを提供してくださった、馬鹿を装ったとも考えられます。
うーん、深く検証してみよう~~。
次期真柱ですので公人です。
肖像権は、「日本国憲法第21条に表現の自由」に付随するものです。人権からの派生
全て許可制であると考えたら良いですが、公人となると「公の人」と成りその肖像権は薄らいでいく。
そして結婚式という披露の場であるという事で肖像権はより薄らいでいくでしょう。
そして本部も有名宗教団体天理教の本部として「公の団体」と位置づけられるので、法令順守は必須となります。
その次期長であるから公人と帰結するわけです。
肖像権
https://goo.gl/1noaG5
https://twitter.com/noir1011blanc
こちらはまだ、本部からのお達しはいっていないようで、にこやかなお写真が
見られます。
上記のお詫びコメントを確認したのですが・・・。
https://ja-jp.facebook.com/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E9%98%B2%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E6%95%99%E4%BC%9A-965918696813955/
連投失礼致します。
上記にコメントありました。
天理教って窮屈ですね。
>肖像権の問題でしょう。
>勝手に若者の写真をネットで拡散したり
という事なら、パレードを見送っている人やつい最近の後継者講習会の様子なども「肖像権」に引っかかりますね。
当然、顔が分からなくても後ろ向きでも背中からでも「肖像権」に該当するでしょう。
それを「オープンカーに乗っている二人」だけに絞って肖像権のどうのと言うのは片手落ちだし、一列兄弟世界ろくぢに反します。
天理教本部がそれらの写真に映っている人物全てに「承認を得た」という確証が出るまでは、結婚式パレードの写真等を削除するのは、片手落ちかと思います。
内科医さま
蝿記者さま
京都市:
日本人の信仰を集める多数の神社仏閣がある、千二百年年の歴史を誇る古都(首都)。
仏教の多くの宗派の総本山は、京都市にある。
ケルン市:
ヨーロッパ全土の信仰を集めるキリスト教(一神教)の聖堂<ケルン大聖堂>がある。
ローマ時代からの歴史のある宗教都市。
ケルン市街地は、威容を誇るケルン大聖堂を中心に、放射線状に都市は造られてきた。
(ヨーロッパ全土、古い都市はどこも教会を中心に造られている)。ケルン大聖堂は高さ150m超。奥行140m超。130mの京都タワーよりも高い。そのゴシック建築の迫力ある姿は、通りのどこからでも見上げることができる(高層建築物の制限)。そして、そのケルン大聖堂のすぐ近くにKYOTOシュトラッセがある。
若い信者が麻原に心酔し、麻原が「空中浮揚」の写真を公開した時点で警察や公安が動いておれば、松本サリンも地下鉄サリンもなかったのかもしれない。
多神教の八百万神信仰や仏教が裏目にでたとも言える(他宗教に対して寛容)。
しかし、この感覚で外国に出ていくのは危険だ。ヨーロッパ人はカルト宗教に対し、非常に厳しい。
世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教 だと思わない方が良い。
現実の世界三大宗教は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教(ユダヤ人はアメリカの金融、つまり世界金融を牛耳っている)。すべて、一神教である。だからこその世界戦争でありテロである。麻生大臣でさえ、先日失言して、米政府首脳をカンカンに怒らせてしまった。
そして、ケルン大聖堂の近くに、「天理日独文化工房」があれば、バカだと思う。
京都の恥だ、日本の恥だ。
天理教の奉る神は、「天理王命」という名の「親神」。当然、『一神教』である。
一神教の歴史ある聖地に新興宗教の一神教を持ち込んでどうするの???
しかも、教理は仏教と神道の寄せ集め。
ドイツ人には永遠に理解できないはず。
幸いにも、洗脳にひっかかるバカはいないとも言えるが。。。
大亮氏のお顔 う~ん 考え深いお顔立ち 特に両親の不仲が出ております。両親との決別など先々起こりうる事態でしょう。ここでは多くは語りませんが人相学を学んだ人間ならすぐに分かる。
https://pbs.twimg.com/media/DIrMdhnUQAA5aXL.jpg
>肖像権の問題でしょう。
勝手に若者の写真をネットで拡散したり
古い元会長さんはネットリテラシーをもっと学んだ方が・・・
2017年9月4日 12:27 PMの匿名 様は、私が以前ツイッターに、大亮さんの弟が海外留学先で女子と抱き合っている写真を、顔を隠して投稿したことに対して、おっしゃっている事と思います。
https://twitter.com/huruikyoukaityo/status/886739845208350720/photo/1
本部員の息子で、天理教のお金で留学して、将来かぐらづとめを勤めるであろう立場の人間は、若者とはいえ公人であると思います。
その頃、教内一般の若者は、行事に強制参加させられ、末端教会は教祖130年祭のお供えに四苦八苦している最中に海外で遊び呆けている写真を何枚も投稿する感覚が理解できません。
感謝、慎み、助け合いが一番必要な立場のお方であります。
数ある宗教の教祖と言われる方々は、どのお方も、贅沢を避け、質素な暮らしぶりであられたと思う。
教祖が亡くなり、教祖の血統をひく者が後を継ぎ、たまたま信者が増え、宗教教団として大きくなるにつれ、どの教団も、上層部の方々は贅沢三昧の生活を送るようになるのは、どうした訳か。それはもう初代教祖の理念などひとかけらも残ってない、搾取する特権を絶対に手放そうとしない、初代が断罪した支配階級が一つ増えただけでしかない。
教団を率いている方々は、自分達が特権階級だと大きな勘違いをしているらしいが、浅はかなことだ。
海外留学していた本部員の息子も、自分が、信者の貴重な金を使って海外留学している、という意識が少しでもあるならば、海外女性と抱き合っている軽薄な写真など、FBに載せられたりするものではない。教団の将来を見据え、責任の重さに、重圧をうけながらも、勉学に励んでいる筈だろう。
海外で遊び呆けたいなら、信者が、無い中でも苦労して出したお供えなど一切使わず、自ら汗水流して稼いだ金で行けばよい。それなら、海外女性と抱き合おうが、何をしようが、どこからも文句は出ないだろうし、いくらでも自由にすればよい。
代々続く家柄だとどんなにお金持ちでも質素な生活を幼少期より躾として身に付けさせられる。中田家に養子に行った善亮氏はその教育が足りてないと見る。足りてないと言うより、「成り上がりの成金」に感じてしまう。その下品な風習は、次男の素行、長男のお顔立ち、それら些細なものに出てきてしまうものです。そこ知れたものです
>その下品な風習は、次男の素行、長男のお顔立ち、それら些細なものに出てきてしまうものです。<
誠にその通りと強く同館致します。
見た目のお顔立ちは婚礼写真で見た通りです。品性のなさを感じるのは、私だけでしょうか?
たとえどんなお顔だちでも家庭に於いて受けた教育、躾、本人の学問に向かう姿勢、探求心など、それに裏打ちされた「教養の深さ」があれば、にじみ出る品格というものは自然と出てくるものです。
残念ながら、今回の大亮さんの全身からは緊張感も品性もオーラも、そういったトップに立つ人間としての魅力にはいささか乏しい。下降線をたどる天理教を牽引するトップとして、人としての魅力を身につけられますよう。ベンツ等での送り迎えを自ら容認しているようでは、本気度は伝わってきません。
父善亮さん、次期トップ大亮さん、己に厳しくあるべし。沈みゆく船は浮上出来るのか。教団にかかわってきた者として、誠に残念です。
素朴な疑問ですが
大亮氏に何故様を付けるのですか? 真柱にも様です。
人を持ち上げ過ぎの様な気がします。信仰対象は親神様おやさまですよね?
もしかして外国人が作った団体ではないのでしょうか?と思うぐらい日本語がおかしいです。
ご紹介させて頂きます。
宗派は違うが信仰とは何か、宗教とは何か、を改めて考えさせられました。
仏教、仏道とは何かをご自身そのもので表現されている。
真理、真実とは宗教や宗派などを超えて人の心に響くものなのだと思った。
このような素晴らしい日本人宗教家がいることを誇りに思います。
インドで1億5千万人の仏教徒を導く、81歳の日本人僧「私には黒い血が流れている」
http://www.jprime.jp/articles/-/10511
アンベードカル博士の言葉_bot (@babasaheb_japan) | Twitter
これに比べて「天理教は時代劇ごっこ」にしか成ってない事にすら気が付いてない。偉い偉くないなど位ばかり気にして中身の無い人ばかり、甘露代倒れ即修復して、時期真柱もよく結婚出来きますよね?今後宗教家の長に成る者として式を遅らせた方がよかったように思いますがね?これ程喜ばれない結婚式も久々です。
アンベードカル博士の言葉_bot @babasaheb_japanより抜粋してみました。
● 宗教は人間のためにある。人間が宗教のためにあるのではない。
● ブッダは仰いました。「真実を真実として、虚偽を虚偽として、まさしく知りなさい」。
● 人は、神の前でなくても平等だ。それが自然の姿である。
● 自助・自立・自己尊重。貴方を隷属から解放するのは貴方自身です。
● 思想や信仰は、人が依って立つ大地である。
だが決して、人を縛り付ける鎖にしてはならない。
● 活きた宗教は、人間の心の中にこそある。教条書の中には、ない。
● 身分の高低を云う者には、こう聞けばよい。貴方の心は深いですか、浅いですか?と。
● 力に屈して得られた安息を、隷属という。
それは、すべての尊厳と引き換えに自死や生贄によって細々と露命を継いだ野蛮な
時代へと戻ることだ。それは、平和ではない。
● 強者の矛(ほこ)を折り、弱者に盾(たて)を与えるのが『正法(Dhamma)』である。
しかるに邪悪な思想や迷信は、弱者から盾を奪い、強者に矛を持たせる。
● ガンディー氏は云う。「忍耐を知る者こそ強者だ」と。いやはや、笑わせないで欲しい。
彼は、社会的弱者に対してそれを言い、差別に甘んじよ・虐待に耐えよとお説教している
のだから、それでは独裁者礼賛もしくは悪魔崇拝と同じではないか。
● どれほど高価な燭台でも、灯りがともされ周囲を照らし出さなければ、簡素な松明に劣る。
それを知ることこそが、智恵の光明である。
● ブッダは人の子として生まれ、この世の道理を説いた。彼は超自然的存在でなく、
超自然的能力も使わず、奇蹟も起こさなかった。また、みずから神の子とも預言者とも
救世主とも名乗らず、ただ『道案内人』として生きたのである。
● カルマ(業)とは、道徳的秩序のための道具でしかない。カルマとやらを命令や習性の
言い訳にしてはならない。貴方の人生を決めるものは、運命や神の意志などではなく、
貴方自身の生き方なのだ。
2017年9月7日 1:59 PMの天理教は日本語がおかしい。 様
天理教並びに道友社は、日本語が分かっていないのです。大亮さんは大亮氏でいいし、真柱は、それ自体が敬称です。
創価学会の新聞公明新聞は、〇〇会長と報道しています。余程、常識的ですよ。
50年も以前に、教会長資格検定講習というものがありました。当時の教師に当たる人が次のようなことを言っていました。
天理教は成層圏を悠々と飛行するジェット機。一方、〇〇学会は超低空をすれすれの不時着寸前のオンボロ飛行機だと冗談交じりに言っていたが、今では、全くの逆ではないですか。常識的にもね。
ただ、私は〇〇学会員ではありません。宗教はもうコリゴリですから。
山階宮邸の宮殿跡地に建つ天理教河原町大教会。
全国100か所以上の天理教大教会の広大な敷地は、ほぼ9割方、農村信者の農地の現物お供えであろうと推察される。では、千年の歴史の古都の中心地で、そんな広大な敷地はどうやって見つかったのか? 明治維新によって、京都市内では、多くの宮邸や藩邸が不要になり、跡地には学校や工場(主に繊維関係)がどんどん建った。
特に丸太町大橋東詰界隈は、京都大学を始めとして、文教の府となり、古書店等のインテリ層相手の商売が盛んになった。
京都市民・・・宮邸跡地に教会ができて{さすが天理教は凄いわ}( ← 皇室の威厳を借りる )
農村の信者・・河原町大教会に参拝すれば、ついでに、京都観光もできる
<山階宮>
山階宮殿下直系の二男家三男家は、戦前の臣籍降下により侯爵伯爵となって今も続くが、直系には子孫がなく、皇族山階宮家は戦前に絶家している。
明治維新のドサクサ紛れで、新興宗教天理教は、京都市内のとっても美味しい位置に大教会を確保した。
『信じるか信じないか、あなた次第』
平安京への遷都に際し、あの地が選ばれたことの一要素に、北東の鬼門の位置に比叡山がそびえていることが挙げられる。比叡山は平安京の鬼門を守護している。平安時代は「陰陽道(おんみょうどう)」と呼ばれる、方角や風水の信仰が朝廷から民衆にまで広がっていた。この信仰に従い、平安京の鬼門を封じるために、最澄の比叡山延暦寺を初めとして、市街地にも赤山禅院や吉田神社などが建立された。
<鬼門>
・家の敷地の北東に、今でも南天(難を転じる)を植えている家が多い。
・家の中の北東の位置には、お手洗いをつくらないようにする。
・北摂は難波の北東にあり、昔は住宅地として人気がなかった(よそより地価が安かった)。
それに対して、裏鬼門の南西の位置には高い山がない。裏鬼門封じのために、東寺や石清水八幡宮、壬生寺などが建立された。東寺は官寺として建立が始められ、嵯峨天皇より空海に下賜された。
鬼門の比叡山・最澄と、京都の仏教界のシンボルとも言える裏鬼門の東寺五重塔・空海を結ぶ対角線の、ちょうど真ん中に、「天理教河原町大教会」はつくられた。
ワレは、平安神を奉る{平安教}の教祖なるぞ~。
平安京の結界に楔を打ち込み、都の安寧を打ち破る「邪神」をワレは許さじ。
畏くも畏くも、平安主命、助けたまえ~~~
どっかに、引っかかるバカはいてへんやろか?
楽して献金だけで食べていきたいもんどす。
Q.「藤原京」は、将来、世界文化遺産になるか?
A.天理市の存在が重しとなって、可能性はゼロです。
平城京も平安京も世界文化遺産となった。では、皇室の祖の地とも言える「藤原京」は世界文化遺産にはならないのか?石舞台古墳、橿原神宮、山の辺の道、談山神社、大神神社、石上神宮。これらの建造物群は現存し、なおかつ今も民衆の広い信仰を集めている。世界文化遺産に当然匹敵する、日本が誇る格調高い古代文明である。
<山の辺の道> 石上神宮HPより
山の辺の道は、石上神宮を中間地点として、北に行けば奈良へ、南に行けば三輪、桜井までおよそ35kmの道程となります。特に、神宮より三輪、桜井方面への約14kmの道は、「古事記」「日本書紀」や「万葉集」にたびたび登場し、自然地形にそってできた自然古道でもあります。
付近に点在する地名や旧跡、古墳は奈良時代以前より伝わり、行き交う人々を神話や古代ロマンの世界へいざないます。
この道を歩けば、四季の草花にあわせて、西に広がる大和三山(やまとさんざん)、遠く二上山(にじょうざん・ふたかみやま)、葛城(かつらぎ)、金剛(こんごう)の山々の眺望は時代を越えて美しいものがあります。
一方、天理教本部は、詰所だけでも100棟以上、神殿を囲む館(やかた)群。バリバリの鉄筋コンクリ―トの5階建でありながら、なぜか瓦をのせてわざわざ日本建築風に見せている。お隣りの山の辺の道の石上神宮の厳かな佇まいとの対極の、『成金趣味』全開のありよう。これを外国人に、「宗教」ですとは説明できない。
石上神宮に参拝しようと思えば、近鉄天理駅を降りて、延々と、どこの国かわからん異様な建物群をいっぱい見せつけられて、圧倒されて、半時間超歩いて、大鳥居に着く頃は、お腹いっぱいで、気分が悪くなっています。
年端もいかない若い後継者を「若先生」と呼び、昨日今日に来た右も左も分からない嫁を「若奥様」と呼び、「〇〇大教会長様・○○奥様」「○○前会長様」・・この気持ち悪い「ゴマすり」の呼称。
教会長が息子のことを「若先生」と呼べと、あえて信者に強要しているのを見聞きして、吐き気がした。
たまたまピラミッドの上に近い所に生まれ合わせただけなのに、こうしていつの間にか偉くなったような勘違いを起こさせる。
創られた階層社会である。本来は一列ろくじである。
神の前には、上も下もない。
末端教会、末端信者は卑屈になってはいけない。神の前には率直かつ真摯に、そして対等を意識して渡り合うべきだ。悪しき上下意識をはびこらせてはいけない。
>お供えはします。神様に。したいのです。心を。お金がどう使われたとしても。悔いはありません。
私ができるお供えは3千円です。
収入は一万えんです。二人の子どもがいます。
という書き込みがあった。考えてみれば我らも同じだ。
中間教会から上でこそ、下から上がるお供えから必要経費を抜いて上へお供えしているのであろうが、
例えば末端教会は、3万円のお供えを頂き、上級に5万円のお供えを持っていく。
差額は会長のアルバイトか年金か子供の仕送りで、それを賄っている。
(実際は、もっと多くの請求が上級からくる。)
将来、会長が病気になり、困っても「個人のいんねんだ。」と切り捨てる。
どこかで切り替えないと、全てが駄目になってしまう。
まず勇気を持ってお供えを減らしましょう。
>将来、会長が病気になり、困っても「個人のいんねんだ。」と切り捨てる。
それどころか、
「教会の芯である会長の身上は、その教会(信者全体)に対する親神様のお知らせだから、
なぜこんな事になったのか皆でねり合いをして、御守護頂けるよう教会あげて理立て(お供え)をせよ」
と、上級から(追い打ちをかけられるように)お仕込みを頂く事になる。
教会長はおいそれとは病気もできない。
勿體なや祖師は紙衣の五十年 句佛
爆サイ掲示板 「天理教を信仰されてる方VOL.2」 への投稿
http://bakusai.com/thr_res/ctgid=119/acode=4/bid=98/tid=5697859/tp=1/ud=1/
>大阪城のすぐ南側の都会のど真ん中にもM大教会が鎮座してますですねん。そこもホンマやったら固定資産税はどえらい額になりますわ。
興味津々、早速ストリートビューでのぞいてきました。間口は狭そうに見えて、奥行きと幅はタップリの立派な神殿ですね。先日、大阪歴史博物館の最上階から難波宮大極殿跡を見下ろしていたとき、そのすぐ近くにあったのですね。ビックリです。
河原町大教会・・・・京都御所の権威に乗っかる
大阪M大教会・・・・大阪城の権威に乗っかる
ついでに、すぐ近くに、四国K県の天理教K大教会大阪信者修練所なる建物を見つけました。どう見ても、「一般住宅+簡易宿泊所」です。ネーミングが軍隊みたいで笑えます。
四国の信者や大阪の分教会の信者(K大教会傘下)は、天理市本部に行けばK大教会の詰所があるわけですから、わざわざ、大阪市内のざわついた騒々しい環境で修行する意味はありません。
① 不動産投資 (固定資産税免除)
② 大教会長および親戚一族が、キタやミナミで遊ぶ時のための別宅
③ ①+②の一石二鳥
どれか?
さすが、不動産投資で財をなした「天理教ビジネス」、立地の目のつけどころが凄い。
ホテル業者、マンション業者からしたら、喉から手が出る程欲しい物件です。
天理時報 真柱に「様」をつける表記について。
古い時報を引っ張り出して下さい。以前は「真柱」と表記していました。
永尾教昭・道友社社長時代の途中から、「真柱様」と記述するようになりました。
なぜ変わったのかは不明。
道友社の方、この掲示板で理由をこっそり教えて下さい(^o^)
40代不良信者
2017年9月8日 6:35 PM さま
心打たれる句であるので、勝手にググらせていただきました。
「勿体(もったい)なや祖師は紙衣(かみこ)の九十年」
「勿体なや祖師は紙衣の五十年」
句仏上人【明治8年・1875・2月27日~昭和18年・1943・2月6日】とは、東本願寺第23世彰如上人(光演)。句で仏教を広めようとの願いをお持ちになり、膨大な句をお作りになったと伝えられている。
句仏人、【2月27日、2月6日】
真宗の生活(習俗・資料) より
句仏は句仏上人と尊称され、湖北地方では特にその名が知られ、俳句や書道の達人だったからその掛軸などは高価だった。 明治から大正期の東本願寺の23代門主だった。俳句をもって仏徳を讃嘆する、というまさに仏弟子そのものを自負する俳名であろう。
「勿体なや祖師は紙衣の九十年」。
もったいないことではないか。ご開山(親鸞)は冬の寒い日でも紙の着物で90年の生涯を送られたというではないか。
祖師は真宗の開祖・親鸞(1173〜1262)のことで、真宗の門信徒は「開山聖人」と崇め帰依している。ところで、紙衣(かみこ)とは珍しい言葉である。紙子、紙で作った衣服のことで、律宗の僧が用いはじめ、後に一般化した。軽くて保温性にすぐれ、近世以降安価なところから貧乏人が用いた。転じてみすぼらしい姿や惨めな境遇の形容の言葉にもなった。虚子の句に「纏うて古き紙衣を愛すかな」がある。
なぜ、ぼくが紙衣を持ち出したのか、親鸞という真宗開祖の生き仏さんが90年の生涯を紙衣で送られたということを「ああ、なんと。もったいないことよ」と句仏さんは感激されたが、それから100年後のわれわれでさえ、「ああ、もったいないことよ、今の世のこのぜいたくは」と痛切に反省させられるからである。
・・・・
http://www.shigayukan.com/2012/01/90.php
滋賀夕刊新聞社より
よく、災害時の非常時に、体育館やテントで寝るとき、防寒に「新聞紙」をかぶるようマニュアルがありますね。
姑が布教師で苦しんでいます
2017年9月8日 6:52 PM
ストリートビューで見ましたが、分教会風で記念写真取られてたので問題ないと思いましたが、一人現内統領 山澤廣昭氏そっくりな人が居るのですがあの乗取り事件の人が問題の人の写真じゃないですか? 内統領の兄弟とか書いてありましたよね?
写真
https://goo.gl/7ATBH2
匿名
2017年9月8日 7:16 PM さま
早速に、詳しい写真をありがとうございます。
玄関屋根(田舎の本軒入母屋造りで良く見られる建築様式)と大広間をのぞけば、一般住宅のジャンルと思います。「宮大工」でなくても、その辺の工務店で建てられる。分教会風であったとして、なぜに四国の大教会が自前の分教会を大阪市内の一等地に持つのか?
大変申し訳ありませんが、大統領にも棟梁にも、全く興味はありませんので、情報は持ち合わせてはおりません。K大教会の内情に詳しい方の書き込みを、どうぞ楽しみにお待ちくださいませ。
山尾志桜里氏不倫報道で民進党代表に成ったばかりの天理教信者の前原誠司代表も大変です。
前原誠司代表「コメントできる状況ではない」
http://www.sankei.com/politics/news/170906/plt1709060035-n1.html
道友社様
9月10日付けの時報の紙面より感じたこと。
大亮さんの結婚は「全教待望の慶びの日」などではありませんよ。信者も、ほとんどの教会も別段関心もなければ喜ぶ理由もありません。醒めて見ていますよ。そちらの都合勝手な華やかな見出しを書かないでください。
真柱の披露宴挨拶全文。
「・・皆様方には心よりのお祝いを頂戴いたしましたことを、心からお礼申したいと思います。・・・」
真柱さん。あなたは認識していますか?全国の食うに食われない末端教会が別段祝意もないのに大金3000円を無理やり取られたことを。高山の寝言など、見たくない。聞きたくない。
道友社は本部中心のきれいごとばかり書かないで教団弱者の実態も書かなければ共感は得られない。教会の7割以上は教団弱者なのだから。
購読者が年々減少しているのは経営面でも痛恨の極みだろうが、同船している船が泥舟であることをしっかり認識し、全国の苦しみながら死にゆく多くの末端教会関係者の実態に即した、彼らに共感される紙面を希望する。
現状、購読者減少は止められないだろう。
末端教会の者様へ
2017年9月8日 9:35 PM
私も天理時報見ました。式に際し本部の一方的な御祝儀集金問題が取り上げられ奇しくも甘露台倒壊も置き問題山積泥付き状態で「良く式挙げたな~」と祖父祖母両親家族一同で呆れてしまいました。祖父は古くからの信仰者現在の本部に対して懐疑心しか無いと苦言をていすのが日課です(笑)ここ最近の教内で噂される事件を祖父と話したら「珍しい事無いで昔からしとったで」と言われました。本部の悪行は今に始まった話ではないそうです。こちらでも書いているように本部が発刊する書物の脈略の無さや突如消えていく本席などの立場から考えたら「おかしな事だらけや~長年天理教やってるとそれが楽しみに成るねん」と言われました。昔から如何わしい組織運営をしていたが時代にそぐわなくなりこうやって道に集う用木の真実の声が届く様になっただけで昔から異常だったんだと改めて気が付かされました。
匿名様
2017年9月8日 10:38 PM
先代会長(父)は生真面目にお道一筋に生きてきた人でした。高齢の父は今のようにネットから情報を得るすべも持ち合わせず、理不尽な上級の言われるがままに命とお金を捧げて亡くなりました。
亡くなる数年前は私を含めた若い家族がこの教団の醜い実態をかんでふくめる様に父に説明しました。当初は半信半疑のような顔をして聞いていましたが、「それは、確かにおかしいなあ。お前たちが言っていること、それは、本当か??」と考え込むようになりました。父が信じて命をかけた道を否定し、少し可哀そうでしたが。
亡くなる数年前、「お前はお前の信仰をすればいい。お前達が上級を養う責任を感じることはない」と言って亡くなりました。
祖父様のおっしゃる通り、「本当に、おかしな事だらや~」です。
某氏の投稿記事。
(月次祭)また、彼の顔を見ることができなかった。
今日も仕事を休めなかったのだろうか、私と並んで上段に立つはずだったのに、若い教会長が代わりを務めた。若い頃は一緒に大教会の青年会副委員長を務めた。その頃、彼は勇んで勇みきってすべてに積極的に務めていた。
当時、彼の教会の月次祭は信者で溢れていた。
今やその時代の信者はほとんど出直し、参拝者は数人だそうだ。
晩婚だった彼には2人の中学生の子供がいるが、2人とも何年も不登校だ。
春、慶事に招いたら、「おめでとう。良かったな。でも、晴れがましい席には着きたくないねん。すまんな〜」だった。その気持ちは痛いほど理解できた。
天理時報、1面を賑わす記事は、真柱継承者のご結婚祝賀ムード満載、おめでたい。心からお祝いしたい。しかし、その陰には心から喜べない教会長も数多いることも、喜びいっぱいのお二人にもご理解いただきたい。
彼が心から、周囲の慶事を喜べるようになるまで、私は彼を励まし続ける。
中山家は天皇家を見習ったほうが良いですね。有名な話で「仁徳天皇 民のかまど」と言う話があります。
民の家から煙が出ていない事から天皇が不作を知り、課税を取りやめ、復活するまで課税せず仕舞に民から年貢を自ら納めた話
皆さん納めたくないわけじゃない。納められないんです。
苦しいだけなんです。好景気は富裕層だけ、貧困層は苦境で喘いでいる。
本当に参考にしていただきたいですし、周りの方に「民のかまど」の話を伝えてください。
仁徳天皇 民のかまどにみる聖帝物語
https://www.youtube.com/watch?v=KbeqYy8iXyk
これだけお布施に困窮してると、今後もっと様々な問題が出てくるでしょう。
【平将門の乱】も官僚の汚職による年貢高騰が原因ですし、あの【山口組と神戸山口組分裂騒動】の原因やはり上納金の高騰らしいです。不満がある人間が分裂し神戸山口組が誕生したそうです。これだけ経済的に不満が募ると天理教でなくても分裂問題も起きるでしょう。
経済問題は分離分裂の原因 様。
>これだけ経済的に不満が募ると天理教でなくても分裂問題も起きるでしょう。
残念ながら、天理教は分裂問題は起きないでしょう。
二代真柱が巧妙な組織体系を作り上げて、異論を言う人や問題点を指摘する人には「やれ不足だ」「やれ異端だ」と異端者にしてしまう。
教理や天理教の歴史を勉強していただっけでも、白い目で見られる。
思いを同じくするグループを作らせないように分断してしまう。実に巧妙だ。
天理教本部にもの申した人は、孤独に組織の外へ放り出される。
ネットが唯一の談じ合いのツールなのです。
かな子 さん
2017年9月8日 6:58 PM
>天理時報 真柱に「様」をつける表記について。・・・・。
>道友社の方、この掲示板で理由をこっそり教えて下さい(^o^)
そんなことお願いしても無理ですよ。でも、皆さんは全て承知の上で、それでもかすかな希望をもって投稿しておられるんじゃないですか。
掲示板のことはすべて「嘘」と切り捨て、独りよがりの教団本部がある限り、こちらも抵抗して、どのような小さなことでも本当のことを投稿し続けていれば明るい明日があるかもしれません。
末端教会の者(2017年9月8日 9:35 PM)様
教会の7割以上が教団弱者というのはその通りです。割合はもっと多いかもしれません。「天理時報」は、その教団弱者の末端教会が、一般信者家庭の購読料を教会教費から払っているのが現実です。負担は重いのです。しかし、当教会では最近も、ある信者家庭の方から「亡母は読んでたけど、私どもはもう読みません」と言われました。理由は、「天理ワールドの話ばかりや宣伝ばかりで面白くないから」です。教会関係者でさえ、今回の大亮氏結婚特集の時報にはしらじらと白けた感がありました。こんなことより、甘露台倒壊をめぐって、世界の事情を天理教的に考える教内有識者談話でもやってほしかった。
道友社の社長は代々本部員がなっています。一般信者のほうを向いて記事を書いてますか。ハッキリ言って、真柱や仲間の本部員に喜んでもらう紙面ばかり心掛けているのではないですか。真柱や大亮氏を様付けにしているのも、信者目線の書き方ではありませんね。教会本部の華やかなニュースの蔭で、末端教会では信者がどんどん去っています。きれいごとばかり書いても読者はついてきません。どんなに教団に不都合であっても真実を書いてほしい。
古い元会長様へ
2017年9月10日 8:39 AM
天理教は巧妙ではないと思いますよ。巧妙でしたらこれだけ具体的に批判が出てこないもの。他の宗教団体は事件や派閥闘争の書き込みが中心、天理教の場合宗教なのに教義を指摘されている時点でもう終焉を迎えている・・・ただ巧妙でなく強権を乱用していただけでしょう。しかも違法性がある強権それもネットの存在で乱用は出来なく成ります。現実的に分離分裂が起きなくても、皆さんの思いの中で心離れが起きてる時点でもう分離は発生していると言えましょう。後はその事が起きたら「やっぱり~」と皆さん思うだけのことです。もう宗教で教義問題が発ししてる時点で今後大きな分裂が起きます。社会でも習ったようにルターの免罪符でも起きたのですから
某氏の投稿記事。
300名を超える方々から、メッセンジャーでコメントを頂いた。
その殆どの方が、「私もそう思います」だった。そのうち教会長と思われる方は約220名。中には私以上に過激な意見をお持ちの方や私が知らない情報を下さる方が多く、信じ難い事実もあり、残念ながらとてもここに掲載はできない。益々、この度のかんろだいの一件はおぢばを守る立場の方々への神からの警告だと思うようになった。だからといって我々端々は関係ないとは断じて思わない。
本教は中心に近い内部から腐ってきている。内部から腐るものをくい止めるのは並大抵なことじゃない。メッセージを頂いた先生方共々、教え通りの道を進む。メッセージ、ありがとうございました。
(中略)
先日も知るはずのない所属の大教会長にここの内容の一部がリークされ注意を受けた。その文章は一旦削除したが、形を変えて再掲載した。ただ、ある先輩からこの部分は「異端」とされるであろうから削除するようにとのご指摘を受けたので、異端ではないので、これは「削除」した。
これからも自身の周囲に関わる方々を本教の教えを通して「陽気ぐらし」を体感して頂けるよう努力を惜しまぬ行動をしたい。
>今回の大亮氏結婚特集の時報にはしらじらと白けた感がありました。こんなことより、甘露台倒壊をめぐって、世界の事情を天理教的に考える教内有識者談話でもやってほしかった。<
本当にその通りです。本部や本部関係者を喜ばすための紙面なら、大金払って購読する意味がありません。そちらでどうぞご勝手に、と毎回白けた気分です。
今回の結婚式で浮かれる姿や、毎回本部が喜ぶようなイエスマンの従順な記事ばかり見せられては鼻白んで読む気がしません。
当教会でも、複数名から購読中止の依頼を受けたところですが、全国的にも購読者の減少にはもう歯止めがかからない実情ではないかと想像しています。
道友社様
貴社の視野には本部しか入っていないのですか?高山へのごますりはもう皆気付いています。だからこそ、この低迷、逼塞ではないのですか?購読料に見合う公平な内容と意識改革を望みます。
布教所の実家
読まれていない時報たくさん
断られた事を教会には言えず自腹でしょうね
手配りの意味も分かりません
聖教新聞にはなれませんでしたね
「オウム天理教」とは言い得て妙。
その昔新聞紙でお尻を吹いた。今ではトイレットペーパーも安いもの、天理時報はお尻ふくにも高い、内容も中山家中心に本部の真柱、統領 犬亮さま~とお偉いさんばかりしか書いてない。新聞紙以下穴もふけない新聞天理時報はちり紙以下の価値の無い紙を価値ある紙、福沢諭吉にさせたがってる。本部はなんて欲欲しい化け物なのだろう。
天理時報について母との会話
自分「天理時報って読んでないよね?封も切らずに溜まってるよ、読まないのならやめればいいのに。」
母 「ああ、〇〇新聞を読むのもおっくうになって時報も読んでないよ。やめようと思って会長さんに話したけどとめてもらえないんだよ。」
自分「お母さんも80歳過ぎたんだから読めないのはしかたないけど、お金はどうなってるの?」
母 「ずっと払ってたけど会長さんにやめるように話してからは払ってないんだよ。」
自分「じゃあ、お金を払わないのにずっときてるっていうこと?」
母 「そういうことになるね。」
自分「会長さんから購読料の請求はないの?」
母 「いっさいないんだよ。」
自分「やめるようにもう一回言ってみればいいのに。」
母 「一回だけじゃなく何回も言ったけどとめてもらえないんだからしかたないじゃないの」
自分「うーん、ーーーーーーん。」
五年前の母との会話、いまだにそのまま・・・・・・。
月一回の資源ごみの日に時報とビニールを分別してごみステーションへ直行。
会長さん、すみません!
匿名Z 様
道友社に直接断わりの連絡をされたらどうでしょうか?
それでも配達されるなら。郵便局で、受取拒否が出来ると思います。
https://www.post.japanpost.jp/question/121.html
昔天理で聞いた話です
八町四方にやかたが完成したらその内側の建物、神殿なんですけど・・は全部取り壊して芝生にして甘露台だけ置く・・・と聞いた気がするんだけど・・・確かに聞いた気がするんだけど・・・
天理教の信者の誰に聞いてもそんな話知らないと言われます
この話聞いた事ないですか?
芝生かどうかは分かりませんが、
二代真柱が打ち出した構想では、四方八方をやかたで囲み、神殿や他の建物を全て取り払い、かんろだいのみを残し、やかたの中から拝をさせる…
らしいです。
当時はやかた普請が可能だと思われていたようで…笑
川の上にあるやかたは橋(という理屈。実際は建物)だとか、国道を県道へ、さらに市道へと格下げして買い取らないといけなかったり(国会議員レベルの太いパイプと莫大な金)、全てのやかたが完成するまでに先に建てたやかたの老朽化、補修、再建築…
まさにきりなし普請ですね。(意味が違うか 笑)
意識の高い先生方は、今の神殿も仮普請であり、いちれつすましたら、本普請が始まる…ということらしいです。
いちれつすます から いちれつすまして
このへんの解釈や、誰が決めたのか、やかた普請は完成するまで止めないのか…
まだまだ知らないことばかりで、勉強不足で言葉足らずですが、こんな感じだったかと思います。
後継者講習会。10年前、20代で受講しました。
当時はまだまだ熱心にやっていた頃でしたが、なんとなく違うなぁという感じがしていまして、
ここ最近何がしっくりこないのか考えていました。
気がついたのは、例えば私は「鼓笛指導者講習会」にも参加してますが、こちらは鼓笛の指導をする人達が、鼓笛隊の指導する上での心構えや、音符の読み方、指導の方法などを数日間みっちり叩き込まれます。
帰ってから即実践につながります。
後継者講習会にはこれがない。
それぞれ立場も違うのに、とりあえずようぼくというだけの20代〜30代を集めてやるような内容ではなかったです。改めて教理を見直すでもない、当時は同世代のようぼくの一日(朝は参拝に行き、仕事に行き、休日は教会に行き…みたいな)をビデオで見せられたけど、なんの新鮮味もない。
講習という割には身についたと感じるものが何もない。班員も先生も良かったけど、一言で言えば講習会じゃなくて「交流会」なんです。帰ってから実践につながるものが特にない。
おぢばで信仰者と共に過ごす数日間、というだけでもモチベーションに変化があったりと意義があるとは思うんですが、今思い出しても何をしたかさっぱりです。鼓笛や少年会主催の講習会は何をしたか覚えてるし、学んだことを教会活動にも活かす事ができましたが。
もっと実践的な何かがあった方が教会活動や日々の生活に直結すると思うんだけどなぁ。
名称も、後継者交流会にした方がいいと思う。
教会関係者です。
後継者講習会が始まりましたね。
この『後継者講習会』っていうネーミングなんとかなりませんかね。信者子弟に声がけするのにまずネーミングの誤解から解いていかねばなりません。「後継者って、おれ教会の後継者じゃないって・・・」と一歩引かれてしまうんです。
たしか10年前の後継者講習会の実行責任者は、現表統領の中田善亮氏でした。
当時、この講習会全日程が終了して総括記事が(たしか、みちのとも?)に載りました。
参加者がふるわなかった理由を中田氏は「後継者講習会という名前がよくなかったのも一因である」と言っていました。
そして10年経ってまたこのネーミングm(_ _)m
後継者講習会。
私も
「なんで教会後継者じゃない人まで集めるの?人数が欲しいだけなの?」
と思っておりました。
本部としては「道の」後継者、と言いたいそうですね。
わかりづらいです。
表さんが名前が悪かったと言っていたのに、同じ名前を採用したのは誰?
青年会長のだいちゃん?
過去にお父さんがつけた(?)名前にケチつけられなかったのでしょうか?
青年会OBとなる40代以上の信者を対象に
「高齢者講習会」
なるトンデモネーミングな集いを企画している、青年会M和分会。
それを「面白そう」と拡散する、本部青年会公式ツイッターアカウント。
青年会員が40歳までの知識が無かったら
「天理教は40歳を超えたら『高齢者』扱いする宗教なのか!?」
となる一般的な感覚に気づかないんでしょうか?
今は60代でも年寄り扱いされたら怒るご時世ですよ。
教内だって、60代以上の現役教会長が多数いらっしゃるのに…。
後継者講習会の名前をもじって楽しく人集め、と思ってるんでしょうけれど…もっと常識あるネーミングセンスを身に着けていただきたいですね。
爆サイ掲示板 天理教を信仰されてる方Vol.2 #816
http://bakusai.com/thr_res/ctgid=119/acode=4/bid=98/tid=5697859/tp=1/ud=1/
先日来、湖東を200㎞超走り回っておりました。そこで、次々と4か所の分教会を目にしました。どこも大変立派です。北陸のお隣りゆえ、滋賀県は仏教県と認識していたので、ビックリでした。大阪、京都の都市部のごちゃごちゃしたところにある分教会、奈良、三重の山村の敷地目いっぱいに頑張って建てましたという分教会、それらとは全く違う、立派な邸宅然とした建物でした。ゆったりとした敷地に見事な庭もあって。。。田舎暮らし物件としてはかなり上等です。かつて、湖西もかなり走りましたが、分教会を見つけた経験はなし。
そして調べてみたら、湖東にズラーっと大教会が並んでいて、特に甲〇大教会が凄い。そして、湖西にはゼロ。明治大正時代、布教のパフォーマンスに優れる(人、金、交通の便が豊か)湖東を天理教団は優先的に選んだ結果でしょうか?
<湖東>
・多賀大社
・近江平野、近江米、近江商人、東海道 (経済的に豊か)
<湖西>
・延暦寺、蓮如上人(集落で蓮如忌を守っている)
・比良山系、冬季雪害(布教困難)
あの分教会で、立派な庭の草むしりをがんばっていたおじいさん、天理教団消滅のXデーには、あかの他人の財産の管理を長年にわたって無報酬で引き受けていたということになりかねない。不動産の所有権登記が、天理教本部へ移っていないことを祈ります。
偶然ですが、
40代不良信者
2017年9月8日 6:35 PM さまよりの投稿
勿體なや祖師は紙衣の五十年 句佛
姑が布教師で苦しんでいます
2017年9月8日 7:13 PM の投稿
http://www.shigayukan.com/2012/01/90.php
滋賀夕刊新聞社より
これの解説文に登場されているのは、湖西の高月町の浄土真宗のご住職様です。
斉藤由貴はモルモン教の教徒ということですが先日、テレビで彼女の今回の問題を放映している中で、斉藤由貴が「教えに反したことをしてしまったので教会から離れます。」と教会に伝えたとき、牧師さんが「教会のためにあなたがあるのではないですよ、あなたのために教会があるのですよ。」と諭された。と本人が言っていました。
私はモルモン教の教えには無知ですが、この話を聞いただけでこの教団の姿勢には本当に頭が下がる思いでした。
反対に、本来の教祖の教えを踏みにじって、どんなに建設的な意見でも意に沿わないものは排斥し、天理時報で大本営発表を強要し、事あるごとにお金を集め、組織を守ることしか思い浮かばない天理教教会本部には、もはや信仰はないと思います。
1万6千もの教会を率いているという責任感も、統率力も、信頼も、親心も、将来のビジョンもないこの教団に属している必要は、自身が信仰を続けて行く上でも、もはやないのかも知れません。本当に残念です。
>教会のためにあなたがあるのではないですよ、あなたのために教会があるのです<
大いに共感します。
上からの指令で各種行事に駆り出され、教会の大半を留守にせざるを得ない全国の教会長様。旅費もままならぬ中、それら行事をこなす事が信仰と勘違いしていませんか?最近の私は行ける時は行くが、行けない時は堂々と、欠席してます。自分の時間は神から与えられた個人固有のもの。信仰の本質を見間違えている上級、大教会の行事に時間泥棒・お金泥棒(旅費もお金)させることはありません。
今朝、ラジオで「人生の末路」を検証し、本を出版している鈴木のぶゆき氏が話していました。
「同調圧力を気にしない。」「自分は自分だ。」と思うと人生の多くの悩みは解消する。無理すると碌な事にならない。
しっかりノートに書き込んだ。
某・書き込みより。
>ご成婚・慶びの集い(天理時報・9月17日号の記事)
「今週号の天理時報見た?6面、あれ何?」
と科学者の従兄弟から電話があった。
「池辺晋一郎が書き下ろしたオリジナル曲だの、レーザービームや白煙噴射装置などが織り成す『光と音のページェント』って何?」
「東京にあるいくつかの教会は子供食堂を実施して、地域の貧困の子供たちに食事を提供しているというのに、天理では光と音のページェントですか?」
「しかも、ご丁寧に天理時報で1面殆どを使い宣伝までして」
「真柱継承者のご成婚は一ようぼくの私でさえお祝いしたい心でいっぱいなのに、天理は派手やね。やりすぎでしょ」
従兄弟はたまたま前を通った天理教教会の「子供食堂」の看板を見て、共感し、自分にできる唯一の協力と、それ以来寄付を続けているという。
一ようぼくからの辛辣な意見に耳を傾ける。
今、一番本教中枢部に欠けていること。
残念だ。
末端教会の者 様
行事をこなす事が信仰と勘違いしていないか
この言葉に同感です。それゆえに取り残されていく悩む信者。近所の高齢の信者夫婦(布教所住まい)がよく
「今の若いもん(会長世代)は教会にいなさすぎる」といつも苦言を呈していました。
私も、家庭の問題で悩んでいた時のこと、自分達から「我々がお助けします」と乗り出したのに、忙しいから1ヶ月くらいは顔出せないからと平気で言われました。
古い教会長様
私もその記事を見て思い出した事がありました。
現真柱様の継承報告祭。当時中学生だったと思うんですが、意味もわからず参加させられ、
教会の方から「ほらっ!万歳して!○ちゃん(同じ教会の子)がきてたらきっとバンザーイってやってくれるのに」と言われた事を。
一友人として布恵さんの結婚は祝福しますが、きっと当日も当時の私のような立場の人もいると思う。
立場があるので、披露宴に呼びたくても呼べなかった友人もたくさんいるだろうから、これはあくまで
「お祝いしたい人用に用意された時間」だと判断してほしい。賑やかし要員なんかいらないと思うので、
お祝いしたい人だけ参加してあげてください。
八町四面
2017年9月17日 10:40 AM
教会数16000となると、具体的な事をいったりやったりしない方が良いですね。具体的な事を本部という村で決めてしてるから各所文句が上がってくるんでしょう。一教会と違って、本部は各系統の統合の場であるわけですから、まずちゃんとした教理通り営む事が大切なんです。なのにこれをしない本部(意味不明)これだけで良いのに下手な横好きで、直属教会にチョッカイ出してやけどしてるのでしょう。所詮本部は浮世離れした貴族と変わらない。貴族が平民と同じ事したら平民の腕力や知恵に負けるに決まってますからね。皆さん各教会は各所各所々で現実と向き合いがんばっているのですから、貴族には到底その苦労は伝わらないでしょうね~
まず長い所本部員が1から作った大教会が存在しませんからね~
下から金取る事よりも大教会の一軒や二軒作ってみたらどうですか~?
本部の力量のなさは甚だしいですね笑
本部の月次祭で東筋で運転手付きで待ってる車どうにかならないんですか?歩行者の迷惑なんですけど。しかもみんな高級車だらけ。歩いて帰られてる人もいるのに。
偉くなりすぎてるんだろうなぁ。
私用でも運転手付きで買い物とか行く大教会長とかもいるらしい。
まぁその点俺んとこはましかな。
匿名様
本当にあの者達は何を考えとんのかわかりません。
大教会長、直属教会長達が青年勤めと云う名の下僕を専属の運転手にして高級車を乗り回しているのは久しいです。
あの者達は教会に上がる「収入(御供)」に比例した生活をすることは当然です。少しでも高額な車を乗るっているのは「自分自身で己を高い評価している表れ」です。
その理由として
「遠方の移動が楽」
「自分は高額車で移動するに見合ったお助けをしている」
「一般信者との差別化を図る」
「地位がある者の当然の結果」
「公共交通機関は庶民のみの移動方法」
結局は
「実るほど垂れる頭(こうべ)かな」
↓
「実るほど上がる頭(こうべ)かな」
でしょうな
徒然に
美談なる 浪速布教 ホンマは 借金返済 片腹痛い
常日頃 貧に落ちきれ いうものの ブランド志向 これ如何に
お粗末な 知識と思考 ひけらかし 金を集める こ れぞお道なり
お粗末
古い元会長(2017年9月17日 12:38 PM)様
時報の最終面には私もがっくりきました。今こんなことで慶びの花火を上げている場合ですか?扱いも大きすぎ、ページの無駄です。また、同時に第一面にはがっかりでした。雨乞い勤めが行われた場所を一巡して往時をしのび、自分も人生の思い出がありますなど、我々教会長ならだれでも書けるような記事を、署名入りでこんなに大きく一面に載せる必要があるのか?ようぼく信者教会長が本当に知りたいのは、そんなに雨乞い勤めが結構な御守護をいただけるのなら、なぜ天理教はいま雨乞い勤めをしないのかということです。
記事がないなら紙面を縮小したほうがいいです。天理時報は今の半分の紙面にして値段も半額にしてほしい。
匿名教会
2017年9月19日 1:55 PM
雨乞い勤めなどしないいやできないわけですよね。そもそもするだけの徳もないのでしても雨が降らない。物乞い勤めをしても金も降って来ないわけです。真柱様、大亮様、本席様はどこに行ったのですか?おさづけ、以外にも、息、水、扇など沢山のさづけがあったが、それを廃止したのは本部真柱体制です。本部はいったい何の本部なのでしょう?と教祖も嘆いてらっしゃるでしょう。ここまで来ると教祖に「真柱いらん」と言われそるでしょう。
うつ病の教会長が多い。そりゃ、お金がないわ、信者は減るわ、上級は理不尽に怒るわで先行き不安ですよね。
今どれくらいのうつ病の会長さんがおられるのでしょうかね。
原因がわかってない上層部の責任だ
>うつ病の教会長が多い。今どれくらいのうつ病の会長さんがおられるのでしょうかね。<
知り合いのまじめな教会長さん。表現は悪いが信仰による貧乏人の子沢山状態の中、嫁に愛想をつかされて、親子夫婦がばらばらに。逃げ出したお嫁さんは大勢の子供を連れて実家に逃げ帰り親がかり。
人を助けてわが身助かるで盲信した結果、上級は助けられたが(事情教会を引き受け上級は満足させた)一番近い家族に不足をさせてしまい、取返しがつかない状況になってしまっている。
こういう事例を見るにつけ、天理教の非情さと無責任さを感じる。
自分の人生は自分で切り開く。自分のより良い生活のための信仰であって、信仰のための生活ではない。
上級の言うことを無条件に聞く事が「信仰」だと思い違いをしてはいけない。ましてや、今の天理教は姿形、教えまで変えてしまっていて、人を助けられる体制にないのだから。
教会長ともなれば、今迄に代々に渡り多くのお供えをして教壇に貢献して来たはずです。
逆に困った時、教団は何をしてくれるのでしょうか?
例えば、天理教維持財団などから、今迄お供えしてきた分の半額でも返却してくれるような、
「心ある」制度などはあるのでしょうか?
また、止む終えず脱退する時には、希望をすれば、お供えした土地建物が返却されるような
「心ある」制度はあるのでしょうか?
一度お供えしたものは教団だけのものですか?
神に供えられた物ということは、教団のものというよりも皆のものではないですしょうか?
皆が幸せになる使い方をしないで、何の意味があるのでしょう?
立派な建物を建てるのと、功労者を不幸にしないこととどちらが大切なのでしょう?
下のものは一方通行で、ただただ尽くすばかりなのでしょうか?
それでもいいから、神様の為に、自分や周囲の愛する人々の為に、信仰しているのでしょうか?
もし神様が受け取っていたとしたら、尽くすばかりで報われないようなことをするでしょうか?
神様が受け取っていなかったとしたら、結局何の為に尽くしているのでしょうか?
教団を維持する為ですか?
宗教は人の為にあるのであって、人が宗教の為にあるのではない。とは有名な言葉ですが、
「心ある」こと というのは、そこに「神がいる」ということではないでしょうか?。
そして「心ない」こと というのは、そこに「真実の神はいない」ということだと思います。
結局、おじばに本席様の様な人達が不在なのが根本問題なのですね。
根本さまへ
2017年9月21日 10:22 AM
>結局、おじばに本席様の様な人達が不在なのが根本問題なのですね。
過去のコメントを読んできても居ないでしょうし歴史的に見て本部側が絶対に認めない。本部というか明確に言いますと真柱中山家が認めない。そもそも初代真柱体制が本席を廃止してしまったのがそもそもの間違い。おやさまの意思を告ぐものを抹殺し血縁に頼ったのが現在の天理教です。
そして中山家の「有能な人材は言う事聞かないから嫌い」は二代真柱から始まっているみたいです。現在の内、表統領を見ても数々の問題を起こし挙句の果てに甘露台倒壊・・・天理教組織には多くのインテリがいるにもかかわらず登用しない時点で「健全な組織運営」を為されていないと言えます。そしてこれら統領の責任は真柱にも「管理者責任」としてのしかかる。現在の統領を選んでる「任命責任」も真柱にある。これを現状の組織体制だと「誰も問えない(表立ていえない)からいいだろう」との慢心も見え隠れするし、「組織腐敗の温床の根源」とも言える。つまり腐敗して倒壊し崩壊するのは必然と言えるのです。
本部の悪い現在のイメージを変えるには、まず自ら統領が「甘露代倒壊の責任」をその役を自ら退く、或いは真柱から統領解任を申し付ける。とにかく政治家の様に辞意を持って責任感を示すことが大切
表統領 が問題多すぎて噂が絶えません。「真柱の実の弟だから問題起こしても今でもやってるんでしょう」と教団内でも「身内に甘い中山家」との印象が定着してしまいました。つまり現状表統領 中田善亮氏 に対する処遇の甘さは 真柱の責任ともなり真柱の問題となれば教団のイメージにも成りますのでにおいがけにも足枷にも成る死活問題なのでコメントが絶え間ないのでしょう。
よろずたすけ、たすけ一条のこのところとしてのお地場の実現には、超人的な人間が複数必要だと思うのですが、そういった魂は神がお地場に引き寄せるという仕組みになっているのだろうと想像します。
根本問題は歴代の中山真柱が、それを恣意的に見逃し続けているのではないかと思うところです。
人類たすけの為のお地場の人衆定めではなく、中山王朝の継続の為の本部人事に過ぎないのだろうなと思えて、北の金王朝とダブって見えてしまいます。
根本様へ
2017年9月22日 6:28 PM
中山王朝いい響きです。北朝鮮との類似点は今まで幾度となくコメントで語られてきています。似ていると言われるのがいやなら早いところ中山本部が改善をすることです。超人も幾度となく現れては皆に知られる前に消えてます。それは中山「真柱体制の本席に対する後遺症」と言うべき所業でしょう。中山真柱ははっきり申しますと能力はございません。東大卒の二代真柱ですらその頭は知れたものです。ただ政治家の友人が多く公共事業が天理を優先的に行われただけです。しかしその遺恨として残る「おやさと館」等の土地建物これが現在の本部へ重く圧し掛かっているのです。そもそもおやさと館は教祖がおっしゃったわけでないので建設中止し有り余る土地の売却をすれば健全な経営は為されるでしょう。それどころか余る位でそれを各教会の普請にあてれば教団の教勢も回復するでしょう。そもそも教勢が落ちたのも「中山真柱家をはじめとする本部だけ甘い汁を吸っている」と全教が気がついたからでしょう。それに本部が気がつくのが遅いだけです。本当間抜過ぎて呆れはて現在の教勢と言う訳です。
大亮氏の結婚のお祝いに続いて、今度は二代真柱の50年祭のお供えを集めますと連絡があった。「何だかなぁ!」
9月24日号の天理時報の記事です。
「またとない貴重書展観」
株式会社八木書店 取締役会長 八木壮一
数多くの貴重な古典籍を収集された二代真柱・中山正善様は、空前の大コレクターとして名を轟かせ、戦中戦後の混乱期に収集された貴重書の多くは「天理に入らなければ海外に流失したであろう」といわれている。
それらの貴重書を収蔵する天理図書館は「東は天理、西はバチカン」と称えられ、その後も蔵書を充実されている。
・・・・・・・・・・・・・・
と記述されている。
外から見ていると素晴らしいらしいが、世界たすけの為に、必死にお供えした信者からみると「何だかなぁ!」という感じだ。全財産お供えした人もいる。戦中戦後の混乱期に、よくそんな余裕があったものだ。
バチカンと並べられても嬉しくはない。
とにかく、祭りと称する行事が多すぎる。「つつしみ」なんて言葉、言い出しっぺが反故にしてしまっている。
本部のやることは、カネ食い虫以外の何物でもない。どこまでおカネに拘り続ける気なのか、空恐ろしい気がする。
言われるまでもなく、多くの天理教徒はつつましい生活をしています。
バチカンと張り合うなんて愚の骨頂。人は人、我は我です。バチカンの方すみません。
>今度は二代真柱の50年祭のお供えを集めますと連絡があった。<
今度こそ、このお供えは出さないでおこう。「出すものか」そう思う。
何だかんだで、お金を取る話ばかり。教団に尽くし切った当教会前会長出直しに際し、1円の功労金も弔慰金も霊前お供え金も本部からもらってはいない。取ることだけ。
小さな末端教会を馬鹿にしないでほしい。
大教会長の話。「甘露台倒壊に対して、大教会より本部にお供え金を出したい。よって、皆さん、お供え金をよろしく頼みます。」と教会長を前に。
何で教会や信者が埋め合わせをしなきゃいけないのか?神の知らせは教えを嘘で脚色した本部に対してである。
こうしてお金の要求ばかりが続く天理教の信仰。
この教団はことごとくおかしい。まだ気が付かないのか??もうつける薬がない。
人がこうして去っていく。
S東大教会は、普請の積み立て金をお詫びのお金として出したそうです。
もう、これからは金とコネ
カネコネでなんでも済ましてしまう形が当たり前になってしまう。
持ち場立場も(理)より(血)を優先。
経済優先、絶対的な階級、世情から乖離したままの旧態依然の変えられない流れ、しかし教えは変わる…
あかんやん!無理や!
本部中枢にいる者よりも、ここで書き込みされている方々のほうが格段に頭が良いですね。
高齢信者が亡くなるとお供えはがたんと減る。信者子弟がつないでくれても金額は少なくなるばかりであり、つないでくれるだけまだましなほうである。結局、末端零細教会では、自分たち夫婦の年金と教会家族の稼ぎでなんとかしのいでいる。上級へ上げるお供えも年々減る一方だ。
教会長仲間で、以前はおぢばで余生を全うしたいというはたくさんいたが、最近ではほとんど聞かなくなった。信者詰所も本当に人がいない。どの教会からも人を出せない状況が続いている。天理市も本部からの寄付金が減ったのに、なぜ10億もかけて意味のない凸凹広場を駅前に作ったのか。せめて天理市内の高齢者のために使ってほしかった。
自分が歳を取ったせいか、あんなみっともない醜聞をさらした天理支長が無風選挙で続投とは情けない。本部から推薦されたと以前聞いたが、だれも叱りつける者はいなかったのか。代わりの候補者は出せなかったのか。宗教都市天理のイメージがこれで、がた落ちになっていることを知ってほしい。
いほり
2017年9月25日 2:03 PM
>本部中枢にいる者よりも、ここで書き込みされている方々のほうが格段に頭が良いですね。
以前より興味深く観察しています。弁論部の立場から見ても、いほりさんの仰るとおりです。天理教の本部の側からの反論が時より見られますが皆さんの切実な意見に粉砕されており相手にされてない現状まさにここのコメンテーターの方が一枚も二枚も上手でより天理教を憂いて居ると私から見ても思います。組織の中枢が言論で負けていてはその組織はもう終わりを迎えていると言えるわけで、時事ネタで言いますと国会も解散したので天理教の中枢も解散した方がよさそうですね。
もっと優秀な言論者を中枢に置き全信徒に利益をもたらす政策を打たないとその王朝も終焉を迎えます。
2017年9月25日 2:03 PM いほり様
2017年9月25日 6:49 PM 某六大弁論部様
>本部中枢にいる者よりも、ここで書き込みされている方々のほうが格段に頭が良いですね。
こちらのコメント欄に集う方々は、煩悩の「欲」による曇りがないからではないでしょうか。
もし、欲があるとすれば、煩悩とは違い、本当の信仰を求めたい、真実が知りたい、
などの正しく生きる為、ものごとをより良くする為の、あった方が良い欲です。
身内がかわいい、お金も権力も欲しい、自分が上にいたいなどは、貪りと迷いに満ちた
煩悩の「欲」です。
おかしなこと、不自然なこと、理不尽なことをなぜするのか?
簡単です。「欲」を満たす為でしょう?それがわかれば全て解決するのではないでしょうか。
「神様が」、「理が」、「人助けしましょう」、などと、いくら立派な言葉で飾ろうと、
偏った行動、言動を見ただけで、
それは皆を良くする為のあった方が良い欲から出た言動なのか?
それとも一部の者の煩悩を満たす為の「欲」から出た言動なのか?
こちらのコメント欄に集う方々の様に、煩悩の「欲」による曇りがない目で見る
ことの出来る者からは、上辺の飾りなどに誤魔化されず、一目瞭然なのです。
>もっと優秀な言論者を中枢に置き全信徒に利益をもたらす政策を打たないとその王朝も
終焉を迎えます。
全信徒に利益をもたらす政策ということに共感いたします。
優秀な言論者とは、忖度ばかりではなく、正しいことを正しいと言い、間違ったことは
堂々と反論できる勇気のある、真の意味で愛のある、信頼のできる言論者でしょうか?
優秀でも教団の利益ばかり考えるような言論者でないのであれば共感いたします。
宗教とは何
2017年9月25日 7:33 PM
>身内がかわいい、お金も権力も欲しい、自分が上にいたいなどは、貪りと迷いに満ちた
煩悩の「欲」です。
それは、真柱、奥様、統領、大亮 のぶえ など役職、固有名詞の境無く 身内に【様】を付けてしまうその教団の体質に現れてます。「その対象を崇めなさい」と言う命令語のような誘導用法です。まず言葉の使い方の時点でその【欲】が見え隠れしています。無論日本語としても間違っており敬語の基礎として社会人なら誰でも習う一般常識です。つまり教語などと加固つけてますが一般常識から逸脱し世間との乖離をし人の道を外す違法行為をなす一つの要因と考えることも出来ます。
「天理時報」や「みちのだい」等の冊子によってその間違った日本語を乱用する非常識さは目に余る愚の骨頂です。
【天理世間知らず時報】 【道を外すだい】と揶揄されてもおかしくない所業に運営者が気が付くべき時が着ているのでしょう。
こちらのブログを見ていても【天理教の資金難】が取り上げられています。お布施一般人から上がっているのでしょうから、その【おかしな日本語】を改善するだけでもお布施の額は上がるかもしれません。なにせ世間の方は信用第一です。そのおかしな日本語でどれだけ信用を失っているのか?教団の方は知るすべも無いぐらい世間知らずなのでしょう。
「社長様」はNG 覚えておきたい敬語の基本
https://style.nikkei.com/article/DGXDZO51523590Y3A200C1W05001/
>身内がかわいい、お金も権力も欲しい、自分が上にいたいなどは、貪りと迷いに満ちた煩悩の「欲」です。
聖人でもない限り、誰でも身内がかわいく、お金も権力も欲しく、自分が上にいたいという煩悩の「欲」は
普通ありますよね。
また、自分と同じように、他人にも同じ欲はあります。幸せを望んでいるのは皆同じなのです。
しかし、お互い利益を分かち合い、助け合う気持ちがなければ、いち早く他人を陥れ、
踏み台にしてでも権力を手にして守り、そこに自分達だけはと安住しようとするのではないでしょうか。
表立って争うことは、双方にとって犠牲が多すぎるので、そこで「うまくやる、騙す」という
ずるい手法が生まれたのだと思います。
素直に自分の煩悩を認め、理解して受け入れ「理性」を育てなければ、本当の意味で、他人の気持ちも
理解出来ません。
錯覚を起こさせるような肩書きや立場、建前などで、自身の本当の動機や煩悩をオブラートで覆い隠し、
自分自身すらも騙していると、他人にも当然鈍感になり、
平気でを操作するようなこと(他人に敬意を払わない)や、都合の悪い者への理不尽な意地悪、
下々の者への上から目線の態度など、恥ずかしいとも思わず、罪悪感なく平気で出来るようになるのです。
本来宗教的な教えとは、こういった人間の過ちから目を覚まさせ、皆が平和で調和的な世界を築くための
礎である筈です。決して一部の既得権益者達に利用されるようなものではない筈です。
物事を本当に解決する為には、誤魔化しのない「本質」や「真実」を知り、その真の、根本の原因から
考えていかなければ、よくわからない献金やお詫びやお供えなどを続けるだけで、
上辺で堂々巡りするだけになってしまうのではないでしょうか。
それを「迷い」といいませんか?
以下
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2012/06/20120621T1717000900.html より抜粋
自分が宗教にカネをつぎ込んでいるのであれば、それはあなたがカモにされている証拠である。
また、自分が宗教に支払ったカネがどこに集まっているのか知らないのであれば、
それはあなたがカモにされている証拠だ。
詐欺師は悪魔のような格好でやってくるのではない。
詐欺師は天使のような格好でやってきて、最後は悪魔のように振る舞う。
大分まえに、ここのコメント欄に匿名で書かれていた
弱肉強食
という言葉を見て、昔は教団側が強者であり信者が弱者のようでしたが、今は教団側も弱者になりつつあります。
要は組織としては強者であり続けなければ生き長らえないことだと思います。
しかし、天理教の教理は、困っている人(弱者)を強者(助ける側)が喰らうのでは無く、「助ける」「互いに助け合う」そして最終的に「陽気ぐらしの実現」だと思います。
今は教団も助けてもらわないと生きていけない(存続できない)状態にあると思います。
誰か助けて!!
あ、神様助けて! か笑
2017年9月26日 11:23 AMの匿名 様。
>詐欺師は悪魔のような格好でやってくるのではない。
詐欺師は天使のような格好でやってきて、最後は悪魔のように振る舞う。
私も常々、思っていた事。
「羊のような顔をして羊のような態度で布教して、何かのきっかけでオオカミに変身する。」
羊でもオオカミでも、良いと思うが、羊なら羊のままでいて欲しい。
オオカミなら初めからオオカミでいて欲しい。
途中で変身されると戸惑ってしまうし、信用がなくなる。
何ごとも「承知をさせてもらい受ける」という基本は大事だ。
本当に相手に助かって貰おうとするならば、
都合の悪いこと、嫌なことは初めにちゃんと説明すべきだ。
古い元会長様(9月23日 9:05 PM)
>大亮氏の結婚のお祝いに続いて、今度は二代真柱の50年祭のお供えを集めますと連絡があった。
「何だかなぁ!」
そして、
末端教会の者様(9月25日 12:59 AM)
>今度こそ、このお供えは出さないでおこう。「出すものか」そう思う。
>教団に尽くし切った当教会前会長出直しに際し、1円の功労金も弔慰金も霊前お供え金も本部からもらってはいない。取ることだけ。
小さな末端教会を馬鹿にしないでほしい。
お二方のご指摘に天理教本部中枢の泥水浄化のヒントが有るように思います。
そもそも、50年祭のお供えって何に使う?
資金調達の機会としか思えません。
教祖の年祭と真柱の年祭は同義語ではありません。
普通の人間で単なる役職(いわば生業)についていた人の没後50年を記念して?何をするのでしょう?
法事に類する行事の関係者は自費で参集します。お車代なんて本部から支給されることもないでしょう。
年祭を執り行う会場費用もかからない。
その後に食事が提供されるのであれば、見合った額を出席者が世間相場と懐具合から寸志を包めばよいこと。
その機会を利用して資金を調達するのは「やくざ」や政治家のような組織でしょう。
そして末端教会様の書き込みで初めて知りました。
教会長出直しに際し、本部は何もしないとは!!!
万一、教会組織の大小で差別をしている結果であったとしたら、怒りは倍加!!!
何なんだ、天理教の金食い虫本部+周辺は。
このおかしな集金システムの「かなめ」は大教会です。
大教会長たちがもっと危機意識を持って、まず、本部へのお供えを再検討すべきです。
「わが身可愛い」ままでは死にます。
思考停止状態の大教会長たちは分教会に声をかけるだけでお金が集まると勘違いはなはだしい。
>「甘露台倒壊に対して、大教会より本部にお供え金を出したい。よって、皆さん、お供え金をよろしく頼みます。」
大教会長と言われる人々の中でどれほどの人たちが、信者さんのことを思って日々、活動されているか。
所属する大教会では代々、自分の一族・家族が大事で、かつ教団内での立場を強くすることに重きを置いているような人たちです。
六大学の一つ、立派な大学を出てもその視野は狭く(社会に出て苦労をしていませんから)月次祭講話の薄っぺらなこと、辟易する内容。
頭がついていかない上に、体も動かず、災救隊が関の山では無理もなし。
しかし、大教会長たちの覚醒を求めても、現実には実現は難しいことは想定範囲内の事です。
ではどうしたらよいか。
分教会長さんたちへの提案です。
一般信者たちを味方につけてください。
以下、説明を。
社会情勢から;
新聞報道によると、神社でも神社本庁からの離脱を実行した有名神社の例も複数あります。
取材によると、離脱の切っ掛けとなる考え方はそれぞれ違うものの、結果はどこも、上部組織への送金義務の解消が実現。
意味のない上部機構を養えるだけの賽銭が減少している状況であれば、上を斬って、自分たちの組織を守るという選択は納得できます。
地方のあるお寺では、昔から墓地の名義が各檀家名義であったものがいつの間にか寺の所有になってしまっていたことが発覚。
そこで、寺から離脱して、檀家集団で宗教法人化を図る試みが考えられています。
各家庭では;
天理教の各分教会、布教所においても少子高齢化はすでに現実のものとなっています。
各信者たちは、口には出さずとも、年金からのお供えは苦しく、まして自民党政権下で行われたバカバカしい施策のお陰で子供たちの年収は200万円程度で改善の見込みもない現実。
これでは子供自身が生きていくだけでも精いっぱいで親を扶養するなんて夢物語です。
もう、お供えが昔のように集まる時代ではないのです。
そこで、会長から、信者の皆さんに、上記の実情を踏まえて、お話しください。
「皆さんがこれまで真実のお供えを続けて下さったお陰で今があります。」
「皆さんの暮らし向きも様々、変わってきておいででしょう。」
「お供えの多少で御守護が塩梅されることはないのですから、お供えの額に悩む事はもう、やめましょう。」
「それよりも皆さんがこうして教会に集い、心おきなく神様の話や信仰の話ができる場としたいと考えています。」
ここからは信者さんへの提案として、
「つきましては、これまで、皆さんからのお供えは上級へ運び、加えて上級・本部へ納めなくてはならない少なくない額も運んでいました。私どもの教会ではこれをやめようと考えます。」
「と言っても、天理教本部から離脱するのではありませんよ。無い袖は振れないから、無理ないお賽銭程度を無記名でお賽銭箱にいれていただき、それをもって上級(大教会)へ運びます。」
「つまり、身の丈に合った信仰でよいのです。私ども教会もなんとか生活の糧を得る算段を考えなくては、今の世の中を実感できませんから。」
さて、こうなると最も困るのは大教会。
賽銭程度のお供えを差し出す部下教会には冷たく当たるでしょう。
でも、そんなこと、知ったこっちゃない!と、頭を低くして、可愛い信者たちを守り、自教会を守ってください。ゴキノウ?何、それ!
お供えの金額でいじめるような大教会長は信仰者として最低。
「ひとでなし」、人間とは言えません。
お供えの減額でいじめられたら、ありのままを信者さんに言いつけてください。
「会長がんばれ!みんなが付いている!」と励ましてくれますよ。
会長が頭を低くして信者の心に飛び込みましょう。
ここで注意。たしか、離脱教会の方が一案として会費制による教会運営を書いておられたかと思います。
が、宗教法人は「お気持ち」によるお布施が決まり。
お布施の性質上、額を決めて要求できません。
会費は課税対象になると法科出身の友人から注意を受けました。(間違いでしたらどなたかご教示ください。)
賽銭箱に無記名で!神様に受け取っていただきましょう。
しかし、人望が無い会長はここで淘汰されますね。
大教会長も然り。
人口が減少してきているのですから教会数が減少しても問題は有りません。
そして本部。
誰の結婚にあたってのご祝儀だろうが、年祭のお供えだろうがその金額は激減。
本部よ、困ったらこれまでの蓄財を吐き出してみなさい。
「売り食い」ってご存知かな?
一信者の自分でも、困って困って、いろいろな物を売って凌いでいます。
頭をひねって「これ、売れるだろうか?」とおじば帰りの足代を捻出しています。
本部から結構なお与えを頂く人々の(当たり前ですがお与えが少ない本部在籍、勤務者は対象外)金額を削減しましょう。
そして各詰所の整理統合に着手してください。
一大教会が詰所を維持管理できるほど財政的に豊かな大教会は少数でしょう。
広がっている詰所群は縮小します。詰所は本部へ供えられていますから本部が動くことで実現できます。
具体的には鉄道線路以西の地域は開発業者に売り払います。(裏金、癒着は神が見ています!これ、ダメ!!!)
特に天理駅近くの河原町詰所近辺は再開発して集合住宅を建設し、新住民を呼び込んで天理市の財政健全化を図るべきです。
天理市民の生活環境整備の足かせだった詰所群を整理すべきと重ねて主張します。
次に天理市以外にも在る教団施設を整理します。
これこそ至急、かつ、賢く動かなくてなりません。
「負の遺産」、「負動産」となりかねません。(すでになっているか?)
匿名教会様(9月25日 3:44 PM)のご指摘に賛同します。
>天理市も本部からの寄付金が減ったのに、なぜ10億もかけて意味のない凸凹広場を駅前に作ったのか。
せめて天理市内の高齢者のために使ってほしかった。
自分が歳を取ったせいか、あんなみっともない醜聞をさらした天理支(ママ)長が無風選挙で続投とは情けない。
本部から推薦されたと以前聞いたが、だれも叱りつける者はいなかったのか。
天理教は無責任のそしりを免れませんね。
宗教は、「人足と資金集め」と喝破した若者がいます。
なるほどなぁ!!!
バリ天の若者たちは気が付くまで現体制を支持するでしょう。
しかし覚醒している若者たちは、神の存在を信じる一方、泥水組織には足を入れません。
次期真柱と夫人、陽気なバカ殿さまとお水っぽい奥方を据えて、陽気暮らしを演出しようと画策しても、どだい、ローカルなニュース。
さて、10月26日の天理行きはどうしたものか。
かなめ会が表に出てきている慶祝行事であることが「みちのとも」に記載されていた。
イベント実行で仕事をした気になるレベルの頭脳集団ではバチカンとは程遠いなぁ。
残念を超えて、無念としか言えない。
流石に、まだ公式発言すらしていない次期真柱夫人を「お水っぽい奥方」などと揶揄するのはどうかと…。
河原町では一般信者と区別される事なく学生会・婦人会活動されてて、役員子女であるのを鼻にかける事もなく、とても気さくで良い子だったそうですよ。
彼女はまだ本部へ行ったばかり、自分の意思で活動出来るようになるのはまだまだ先でしょう。
婚礼のメイクですら、されるがままで文句も言えない状況だったかもしれません。
なにしろ地方から本部へ入ったばかり、ましてや「嫁」の立場で新入りです。
ガチガチ封建制度な本部の奥様方に、次期真柱夫人とはいえ「新参者」で「本部員血統でもない小娘」がどうあしらわれるか…想像に難くありません。
河原町の友人は「のぶりんがのぶりんらしく出来るか心配」ともらしていましたね。
話は変わりますが。
教会長(元教会長、教会長夫人も含む)の出直しの際、本部からは「内統領弔辞」が届きます。
だいたいは地方の人間に代読されます(本部から人が来るのは稀)。
その時に「玉串料」も頂くのですが、これは代読される方の名義だったような?
本部から金銭を頂いた、という話は聞いた事が無いですね。
大教会長クラスや本部員ならあるのでしょうか。
>教会長(元教会長、教会長夫人も含む)の出直しの際、本部からは「内統領弔辞」が届きます。
内統領ではなく、正しくは「表統領弔辞」です。
葬儀の際、本部からの玉串料はいったん教区が立て替えてあと、後日本部から教区へ立て替えた玉串料を納めるというかたちです。
仮に、私が教会長であっても、内・表どちらにしても、このような人から弔辞を貰っても有難くも嬉しくもないですね。
祭文も榊も要りません。静かに、身内に見送られるのが何より幸せです。人は亡くなれば水・空気・土に返るのみです。
地球創生期から現在まで何人の人が亡くなったのでしょうか。それでも地球が重くもならず、軽くもならず普通に回っています。
「表統領弔辞」は参考例集を見ながら支部の人が用意するのです。
だから文面はいつも同じです。
そして支部長が代読されるのです。
確かに心がこもっているとは、言い難いです。
失礼しました、表さんの弔辞でした。
本部からの玉串料も、一応はあるんですね。
古い元会長さん、それは代筆や代読の域を越えてますね。
支部が作成する「表統領名義にした弔辞」の読み上げ、じゃないですか…。
そりゃあ、16000ある教会の長が亡くなるたびに表統領がいちいち把握するとは思ってませんでしたが、せめて表統領室あたりに連絡が入って、文面指示くらいはしてて欲しかった…。
本部から末端へアクション?
ならん!ならん!
有り難みが減るやろ!本部やぞ!
大教会の上に教会本部やぞ!
かんろだいも本部だけやぞ!
睦輝
2017年9月29日 4:05 PM
各地の部内教会叩く前に、本部自ら自身のやる気の無さを自覚すべきなんです。お供えが運ばれても当然の如く頭一つ下げない。「お運びお疲れ様です」との労を労う姿勢もない。つまり「神へのお供えで無く自分達へのお供え」だと勘違いしているのです。本部は本当に末期状態です。言葉にせずとも自身を「神だ!」と思い込んでいるとしか思えない始末人は所詮人、人が神だと思った瞬間「自己肥大を起こし誇大妄想へと必ず変化する」その言動が、表統領「つなぎの意味を再度教えなくてはいけない!【金のつなぎは命のつなぎ】」などの平然と教義改竄するその無神経な異常性質、 中田善亮教等と言われても仕方のない異端ぶり、そして【甘露代倒壊】これを【神の怒り】としない天理教は宗教にあらず。流石 天理興行 と揶揄されるだけの 中田善亮 の無知劇場です。
天理教の信仰はもう死んだ。皆さんお気づきでしょう? 長年本部から大教会は生まれず 皆さんの周りでは過去に描かれた奇跡は怒らず。神に見捨てられているのです。その奇跡がある教会を本部は異端として排除し続けてきた。幸い残る 愛町 は金だけで繋がっているだけです。いつでも愛町教団として本部より勢力を誇れる信仰をしている。金を出すから特別待遇、本当は批判されると怖いからです。
関根豊松は、真柱の事を「しんちゃん」と小馬鹿にしていたのは有名つまり関根豊松の功績は本部は天理教をやっていない事を実証したに過ぎないのです。
睦輝様(9月29日 8:06 AM)
>流石に、まだ公式発言すらしていない次期真柱夫人を「お水っぽい奥方」などと揶揄するのはどうかと…。
お叱りありがとうございます。
私的には お水っぽい=清楚感が少ないという印象を受けているので、こうした表現が湧き出てしまいました。
ご不快に感じられた点、お詫びいたします。
「オミズ」という言葉のニュアンスが誰にでも届く表現ではないこと、学びました。すみません。
蛇足ですがメイクの問題ではありませんので。
可愛いお顔ですからファンもいらっしゃることでしょう。
今後の信者減少の歯止めとして活躍を期待する向きもあるようで。
ただ、現実には「大丈夫?」と心配する声もあります。
睦輝様がご紹介下された姿は、いわば「公式的な」一面。
想像で物を言っているわけではなく、行動を見聞きしている立場の方からの情報では、ちょっと、自覚に欠けるのではないかという声もあります。
複数の方から嘆きの声が有った事例です。
かんろ台倒壊前後にのぶりん様は東京デズニーランドへお忍びで遊ばれています。
初めてなのか、二度目なのか、情報は割れています。
いずれにしても、お供えでお出かけになっていたわけで、
「危機感も無し、感覚がぬるすぎる、そんなんで大丈夫なのかね。」が、複数の方の指摘点でした。
結婚したら行けないからと、軽い判断なのですね。
でも、天理養徳院の子供たちは行ったことが有るのかしら?と、大人としての判断を期待したかったですよ。
>なにしろ地方から本部へ入ったばかり、ましてや「嫁」の立場で新入りです。
>ガチガチ封建制度な本部の奥様方に、次期真柱夫人とはいえ「新参者」で「本部員血統でもない小娘」がどうあしらわれるか…想像に難くありません。
のぶりん様のお母上は井戸田の出ですから経済的にはかなり潤った環境でしょう。
天理教詰所のシーツなどのリースでおなじみの企業です。
最近はおじば帰り信者数激減と、コインランドリーで洗濯して経費節減を考える詰所もあり、昔ほどでの売り上げではないかもしれませんが、業務を拡大して9月には社名変更をしています。
井戸田さんも大亮さんの実の父親と一緒に仲良くゴルフ場の役員をしています。
天理教を取り巻くローカルな経済同盟(?)の血が恋愛結婚で繋がったという、うま味の有る結婚なのです。決してご指摘のような弱い立場からの嫁入りではないことは、押さえておきたいポイントです。
(余談ですがまた、躾ができていなかったのか、或いはそういう血筋なのか、のぶりん様の兄上様も褒められたものではないことも一次情報で聞かされています。)
そして、今度の婚姻でようやく納得した大亮さんの生物学的父親のかつての発言があります。
「日帰りでのおじば帰りではなく宿泊するように」 だと!
詰所経営が大変になっているから?
もっと言えば、宿泊しないとシーツやカバーで儲けられないから?
まさかね。
いや、まさかと思いつつ、案外、テンリコンツェルン擬きの号令だったかもしれませんが、ご本人に聞かないとわかりませんね。
教会の方と違い、自由時間が有って宿泊できるのは自分のような年金暮らしの者くらいで、社会で働いているうちは勤めを気軽に休める方は限られているでしょう。
世間を知らない人だからこそ、このようなバカバカしいことを臆面もなしに発言しているのです。
やりくりして交通費をねん出しての帰参。
私が同じような立場にいたら、帰参者がいるだけでも喜ばしいと、感謝の言葉を表明するが・・・。
以上、ご不快に感じる方もおいでのことと思いますが、話は決してきれいごとでは済ませない天理教の現状の一端なのです。
一信者ごときが大変失礼いたしました。
私は別にのぶりん擁護の立場では無いですし、上川と井戸田と中田の絡みも耳にしております。
ただ、例え井戸田の外孫で、井戸田が経済的な力を持っていようが、のぶりんは本部の新参者であり、「いち大教会役員の娘」で本部員子女でないのは事実です。
本部の奥様方は「名の知れた初代を持つ家柄」で「本部員として力を持つ家」かどうかで人を見る、と聞いた事があります。
天理教内でしか通用しない名家出身か否か、封建的で理の親だなんだで人間関係が出来てしまう代表例みたいですね。
それこそ本部の奥様方に「甘露台が倒れたのにディズニーへ行く子」「お里が知れる」などと陰口を叩かれていそうです。
天理教に限りませんが、『女の世界は怖い』ですよね?
それこそ大ちゃんからも、大ちゃんの実の父親からも目の届かない、本部婦人ネットワークでは何が起きるかはわかりませんよね…。
のぶりんがこの先「悪い意味で」本部婦人達に馴染んでしまわない事を願っています。
そう言えばこの頃、のぶりんパパこと上川役員の担当信者である、某党のM原代表の言動が色々とマスコミを賑わしてます。
河原町大教会は、次の選挙ではどこの政党を応援するよう部内へ通達するのでしょうねぇ…。
匿名信者
2017年9月30日 3:24 PM
睦輝
2017年9月30日 11:00 PM
こんばんは 中山家など本部の中枢部は大きな問題を二点ほど抱えていることに気が付きました。
それは「後退と閉鎖」です。
>そして、今度の婚姻でようやく納得した大亮さんの生物学的父親のかつての発言があります。「日帰りでのおじば帰りではなく宿泊するように」 だと!詰所経営が大変になっているから?もっと言えば、宿泊しないとシーツやカバーで儲けられないから?まさかね。
この交通機関が発展し東京⇔大阪 二時間強となりサラリーマンを初め自営業者もスケジュールをより酷使しされる現代で一泊するのも難しいです。あまりにも時代錯誤
>例え井戸田の外孫で、井戸田が経済的な力を持っていようが、のぶりんは本部の新参者であり、「いち大教会役員の娘」で本部員子女でないのは事実です。
井戸田って中山家と親戚でしたよね?また近親結婚ですか?中山家の血はそんなの綺麗なのですかね。血が濃くなれば奇形が生まれる確率が上がるのに・・・中山家は近親結婚を選ぶほど閉鎖的精神、他人を信用出来ない人間不信を感じざるおえませんね。
時代を逆行する発言と近親結婚を選ぶ閉鎖性、本部は長続きしないとしか思えないですね。
はじめて、投稿します。わたくし、末端教会の子弟です。
いつも、拝見させてもらってます。
自分自身言いたいことが有ります。
それは、天理教の教会の建物の建て方についてです。
いつの頃からか、おぢばの方向に向けて立てなければいけなくなったようで、自然に向くならかまいませんが、土地にたいして斜めにしてでも建てろ!と、ほんと、バカの所業です。見た目にも違和感が半端ない、というか異様!というか、精神にも悪影響を及ぼしかねないと、、、かんざねが据えられているならばどちらを向いても良いと思うんですがそこまでして忠誠を誓わせる従順さを要求する。正にカルト的だと思われます。
拝むことに対しては気持ちなどの内面が重要だと思われますがここでも形にこだわる、そして結局は末端に負荷をかけまくり疲弊させる!
誰がこんな愚かなことを思いついて、また実行に移したのか?なぜ、上は下を苦しめ続けるのか?考えれば考えるほどアタマが痛くなります。
まあ、組織もこんなことでは崩れ去るのもそう遠くはないでしょうし崩れ去るべきでしょう。
アーメマー 様。
どうでも良いことにこだわっているのが、現天理教です。
教会の方向ですが、大教会長の「お詫び書」というのを添付すれば90度向きが違っていても「お許し」が出たと聞いたことがあります。
「お詫び書」「お許し」って言うのもオカシな話ですが。
本部の権威を見せつけているように思います。
>誰がこんな愚かなことを思いついて、また実行に移したのか?なぜ、上は下を苦しめ続けるのか?
本部に自信がないから、制度として権威を振りかざしているのです。
凄まじい右肩下がりの教勢の責任を感じている本部の人間は誰もいない。
どうでも良い事に惑わされず、自分らししい信仰を貫いて幸せになって下さい。
教会の建てる方向をぢばに向けるようにさせているのもおかしな話やと思います。
結局は、おぢばは天理教の聖地やから足を向けるな、そやからこっちの方向に拝めと云うことですやろな。
国々所々につとめ場所が設けられた幕末から明治の初頭当時は、今日のように神を拝むと云う概念がなく、あくまで甘露台を中心に勤めていたから建物の向きなど全く関係がありませんでしたわ。
ところが何時しか天理教と云う宗教団体(組織)になってから神を拝むような教えになって神棚を奉るようになってから聖地の「ぢば」を崇めるために神殿をおぢばに向けさせて勤めさせるようになりましてん。
一例ですけど、河原町大教会が30数年前に建て替えられる前の神殿は神棚を北に置いてましてん。その当時はぢばを意識して神殿を建てると云う観念はあらへんし本部からの指導もありませんでしたわ。
希に当初から未だに現存している古い教会は北に神棚を置いていて、ぢば方向に向いてない所もありますで。 御無礼
桜井にある大教会は既存の建物を持ち上げて方向転換しませんでしたっけ?
上級、上々級の神殿の方角を改める普請のためにどれだけお供えの要請があったことか。
末端教会は自教会の修理諸々は後回しにせよと上級からのあからさまな強要。末端教会はいついつまでも未来永劫虐げられる。こんな信仰がありますか?
私は中学生くらいだったか、うちは末端なので本部、大教会、上級、上場級の各種年祭、記念祭のお供え、普請や修理のお供え要請がひっきりなしにあり、絞れるだけ搾り取られて陽気どころか一家は半泣き状態だった。
最近、亡き父の遺品を整理していたら覚え書きノートが出てきたが、神一条に生きた従順な父もさすがに我慢ならなかったのか、上級のいじめにも似た発言内容をその日時、時間まで数ページにわたり細かく記録していた。よほど腹に据えかねての記録だったのだろう。目を通してみると両親は上級より精神的、金銭的あり得ない待遇、抑圧を受けていた。生きていたら、よく耐えたと労いたかったが、もういない。
末端教会の惨状。理不尽を受け入れざるを得ない現状。みんなで声を上げて世間に知らしめたいと思う。
当該大教会甘露台の補償金のことなど、およそ宗教組織とは言えない本部の在り方上級も大教会も上にばかり気を遣い、いい恰好がしたいだけのこの上下制度。
最下位に位置する末端教会は声を上げよう。黙っていてはだめだ。
私達は丸い地球上に居ます。
どこから拝んでも巡りめぐって必ず甘露台の方角になるんじゃないでしょうか?
方角にこだわるのは、イスラムっぽいです。
教内の言葉遣い、やたら仰々しくてうんざりです。
教祖は学のない農民に易しい言葉で語られたと想像します。
自分が消化不良の借りてきたかのような言葉で講話されても伝わってきません。
皆様におかれましては。。と始まる話、興醒めです。
それにしても、本部が例の披露宴に招き、祝いのスピーチをお願いしたという前原代表、小池ゆりこに抱き付き戦法!天理教に旨味がなくなったら、モラルなく別の新興宗教に抱き付くのでしょう。
匿名様
確かに土台を持ち上げて向きを変えた教会の前例は多くありますわ。
桜井市所在の大教会がそうなのかは承知してませゆでした。
例えば一般住宅や倉庫、蔵の規模ならば容易に工事がてきますけど大教会規模の建物の土台を持ち上げて位置を変えるのは工事としては相当な費用と労力が必要なのは当選やと思いますわ。
ワイの知っている所で未だに西に向いたり東に向いている分教会が幾つかありますわ。
おじばがそれほど尊いところなら、中山家はじめ、そこにお住まいする人達は、神様の様に成人された人達なんでしょうね。
そんな神々しいおじばの人達にお逢いしたいものです。
K 様
仰る通りです。アルバート・アインシュタイン博士が同じようなことを説いておられえたと記憶しています。
間違っていらゴメンナサイ。
ところで、天理教のお偉い方々の表情には明るさが欠けているように思います。真柱氏はじめ本部員、大教会長諸々の役員さん、皆さん表情が暗いです。
昨日、臨済宗の僧侶が座禅を講義されているテレビ番組を見ました。ゲストの人達が一応に僧侶の表情が素晴らしいと評価していました。私も見ていて驚きました。天理教の人達にはない前向きで明るい表情と動作に感激しました。
精進料理の終わりには、たくわん一枚で全ての食器をきれいに洗って、水も使わずそのまま次の食事の時に使われるのだそうです。
本部の内・表さんのブタのように太った人とは雲泥の差を感じました。さぞかし、贅沢三昧をしているのでしょう。以って瞑すべし。
匿名信者 2017 9月30日 3:24 様
私ものぶえさんの交流があります。
確かに、清楚と言われたらのぶえさんのイメージではないですが、彼女はすごくほんわかして癒される、
あまり好きな言葉じゃないですが便宜上使わせてもらうと「天然」な部分もあります。
小さい子にも優しく、何事にも一生懸命な子です。
あまり詳しくかけませんがお道のことで葛藤し、涙ながら悩む姿も知ってます。
だからこそ本部…大丈夫かなと思う部分もあります。
また、お母様もいつも綺麗にはなさってますが、一度おさづけを取り次いでもらったときふと手を見たら
誰よりも荒れていました。きっと、いい暮らしをしようと思えばできると思うんですが、手荒れも気にしていられないくらいお忙しいと思いますよ。
ごきょうだいもみな関わったことがありますが、お兄様とは長男さんでしょうか?
確かに彼の方は好き嫌い分かれますね…それは納得です。
ただ、行動力は半端なく、長男さんが変えてくれたものもたくさんあります。
褒められたものではない、のは確かに彼の行動力から考えたら、嫌がる上層部はいるでしょうね。
布絵さんが、大亮氏にお嫁入りするにあたって、FBもお止めになった、という文を拝見しましたが、大亮氏も布恵さんも、これからは一切、ネット記事をご欄にならないのであれば、問題だと思います。
社会学研究所さんのブログや「お供え」掲示板をご欄になれば、天理教関係者や信者さん達が、どのようなことに苦悩しているか、即座に理解できる筈です。身分の固定した組織やお供えの強制など、天理教組織の抱える問題に対する疑問の投稿の数々を、じっくり読んで頂き、少しでも天理教組織を、より良い方向に変えて頂きたい、真の「陽気暮らし」ができる宗教団体へと、変えて欲しいと思っている。
「次期真柱」が、それらに一切目を通さないのであれば、教内の不満を抱える人達の思いも届かず、上と下とが乖離したままの現状が続く、ということである。
これから、大亮さんの巡教を受ける教会は、それぞれに、「次期真柱」を、下にも置かぬように扱い、過分に接待するだろうが、それらは全て、信者さんの財布から出た金で賄われているのである、ということを、よくよく理解して頂きたい。自分が真柱を継いだ時には、このような、真柱や大教会長などに対する、贅を尽くした接待は、是非とも止めさせて欲しいと思う。 いや、今からでも、「自分に対する過分な接待は止めて下さい。」、と宣言するくらいの思慮と賢明さがあって欲しいものだ。
マコ様、書き込み拝読しました。
以前のマコ様の書き込みからも布恵さんと近しい方なのだろうと思っていました。
誰しも知り合いが結婚したばかりなのに何だかんだ書かれては心が痛みます。
お気持ちを傷つけすみません。
ご理解いただきたいのは、一市井の立場の人の婚姻であれば、何もネットで注意喚起はしないということです。
反応していただきたいポイントは別にあること、キャラの点ではないことは冷静にお読み取り頂ければご理解していただけると思います。
この場は2chとは異なります。
多くの方々はこれまで天理教を信仰してきた中で、おかしい、変じゃないか?、
と、個々人が考えてきたことが、
「自分一人が疑問に感じていたのではなかったのだ!」と気が付いての書き込みなのです。
自分の場合、社会学さんのご尽力、膨大なご考察記録を拝読する中で、ボンヤリ感じていた種々の疑問が明確になった経緯が有ります。
申し上げたいポイント以下の通りです。
何か、反応の焦点が、「中山家に嫁いだ健気な弱き若嫁」を私が揶揄しているかのように、問題を矮小化しておられるようにも思えます。
失礼な言い方になりますが、自分のような一信者の者たちは、「お賽銭を受けとる教会の方々」とは受け取り方が違うのです。
はっきり書かなくても(これでも傷つける程度の軽減をはかって)読み取っていただけると思ったのが甘かったのかもしれません。(つまり、それほどに、お供えに関しての感度が、信者と教会で暮らす人とは隔たりがあるということでしょう。念のため付け加えますが、自分が知る、ある分教会の前会長は、子供たちに信者さんのお供えのお陰で云々と言い聞かしていると発言されていました。そういう方もいることを踏まえた上でのことです。)
デズニーランドへの費用は彼女がアルバイトでもして稼ぎましたか?
或いは周りの方からのプレゼントでしたか?
プレゼント?した方が社会で勤労した結果、得たお金でしたか?
お供えからのお与えは、イコール信者さんたちのお財布から出たお金です。
一信者たちであれば、誰とこの件で話しても、誰もが反応するポイントは、費用がお供えかどうかなのです。
それは決して、「女の世界は怖い」という矮小化した立ち位置とは異なります。
男女を問わず、一点は費用に関してです。
東京デズニーランドは入場料も高く、お供えを差し上げる側の者にとり、行くには躊躇する贅沢な遊戯施設といえます。
苦しいのは末端教会ばかりではなく信者たちなのだということ、クドクド、何度でも言います。
年金暮らしの人たちと話しますと、
「これまで頑張ってお供えしてきたがバカバカしくなった。」
「お供えできなくなったら言葉もかけてこなくなった。」
「自分たち一家のことしか考えていない。信者の事など『眼中に在るふり」』をしているだけ。」
そうした会話の最後には
「でも、教祖の教えは素晴らしい。教会がどのように濁っていても私は神様目標(めどう)でいく。」
なのです。
それはジジババたちの悲鳴です。
そして若い人たちは正規の雇用も難しく、結婚に踏み切れない人など「ザラ」にいます。
そうした世間の人から吸い上げたお金で結婚して、笑って、26日にはまた、お祝い?
社会をなめてはいけません。
大亮さんは一人で布教にでなさい。
大亮君へのはなむけの言葉 様。
>布絵さんが、大亮氏にお嫁入りするにあたって、FBもお止めになった、という文を拝見しましたが、大亮氏も布恵さんも、これからは一切、ネット記事をご欄にならないのであれば、問題だと思います。
天理教幹部は社会かい離も甚だしいです。教会本部のネット回線は反天理教の記事は見れなくなっているようです。
大教会の後継者や若い会長もFBを止める人がいますし、知らない末端の人とのFBの友人関係は拒否する人もいます。特別意識の強い後継者も大教会会長家族も多くいます。
大亮氏も布恵さんも、FB等でどんどん意見を言って、発信される方が良いに決まっていますが、本部としては都合が悪いのでしょうね。どんどん人の意見も聞いて論議して頂きたいものです。
匿名信者様
2017 10月4日 4:49
早速ご質問に答えますが、ここ最近はのぶえさんと直接の関わりはなかったので
確信めいたことは言えませんが、アルバイトらしきことをしていたような話は聞いています。
もし、テーマパークに行ったのがこのバイト代からであればよいのですか?
アルバイトしてたのか?とまくしたてた以上、もしのぶえさんがバイトなりなんなりで
社会で給料を得ていたとしたら恥ずかしい話ですね。
付け加え彼女はご結婚直前まで大教会女子青年として勤めていらしたので、お与えをいただく権利もあります。それはお供えだろうというかもですが、信者さんのために働いている人がお与え(お給料)をもらうのは何もおかしくないですから、そのお金をありがたく使うのは普通ですね。
同じく河原町内の大きな教会の後継者さんがお与えをコツコツ貯めてようやく指輪を買い彼女にプロポーズした話も知ってますし、女子青年しか経験していない方が結婚前(嫁ぎ先は教会)世間を知らないのは良くないからと半年ほどバイトもしていました。
もちろんいろんな方がいますよ。今時教会の娘さんだってオシャレだし、一般信者よりずっといい服着てるしお出かけもしてると思います。ただ、私が見てきた多くの方は、ちゃんとお金の使い方を知っているからありがたく使えるんだと思います。言われるがままにブツブツとお供えを出すよりよっぽど神様がお喜びくださるんじゃないでしょうか。
お供えなのだから…と言うならどう使うのが適切なのか伺いたいですね。
躾云々とも書かれていましたが、上川先生のところは比較的躾はきっちりしてるんじゃないでしょうかね。
あまり詳しい話はかけませんが、上川先生ご一家とは関わりもあるし、本当に頭の低い、心配りに長けた人ばかりですよ。
のぶえさんが可愛げもない、お道にうるさい人ならこんなことは言いません。
ご家族が嫌な感じならこんなことは言いません。
匿名信者様
2017 10月4日 4:49
では、のぶりん個人を糾弾するのではなく、本部へ苦言すべきですね。
パレードもブラスバンドも光のページェントやらも、のぶりんの知らないところで(結婚前に)本部が決めた事でしょうからね。
大ちゃんの関与の可能性は否定しませんけど。
ディズニー旅行の件ですが。
養徳院の子の事を考えて、全教が養徳院の子と同じ生活レベルになるよう自粛ムードになれば良いのでしょうか?
それは教祖の言う、親神の望む陽気暮らしでしょうか?
世界の難民の事を考えろ、君達は御供えで生きてるだけ恵まれてるんだって、養徳院の子にはオヤツ食べさせない訳じゃないですよね?
御供えでのTDLはダメで、生活保護でTDL行くなど贅沢する人達は良い訳じゃないですよね?
そちらにも苦言は当然出されているんですよね?
御供えで生活するものは、極貧であれど、あれもこれも贅沢と制限し、息抜きする場もないのが当然、なのでしょうか?
もちろん、人の御供えで生活してるのだから、行き過ぎた贅沢はダメです。
でも、人並みの幸せを得るのも、独身最後のささやかな想い出を作るのもダメなんですか?
海外へ長期旅行した訳でも無いのに。
のぶりんは京都の友達…天理教とは関わりのない子も含むメンバーで行ったんでしょう。
教外の子に「ごめん、甘露台倒れたからディズニー中止!」とか言っても理解できませんよ。
いくらTDLの入園料が高くとも、国内旅行なんてしれたもんです。
海外留学とか行ってる本部員子弟の方がよっぽど贅沢ですよ。
国内で進学もままならない教会子弟の事なんて、親も子も考えてないですよ!
匿名信者さんは常に養徳院の子たちを考えて御供えし、自制した生活をされているのでしょうね。
まさか「予想外のブーメラン」ではないですよね?
のぶりんのTDLなど少額の出費を叩くよりも、本部員や大教会子弟が湯水のように使う進学費を糾弾しませんか?
>ただ、私が見てきた多くの方は、ちゃんとお金の使い方を知っているからありがたく使えるんだと思います。言われるがままにブツブツとお供えを出すよりよっぽど神様がお喜びくださるんじゃないでしょうか。
なるほど、仰る通りですが・・。倹約もし、お金の使い方も心得ておられるのは、立派です。しかし、私はそのような言葉を聴いても、上層部教会の方々に対して、スッキリしないところが残ります。いくら上層部教会子弟の方々が倹約、金を大事に使おうが、その親御さん達は、下の教会から搾取する側だからです。その上層部教会子弟さん達が頂くお与えは、下から吸い上げた金だからです。生活の心配は全くないからです。
せいぜい、結婚相手にプロポーズするための婚約指輪を買うため、お与えをこつこつ貯めたり、ディズニーランドへ遊びに行くために半年、バイトしたり、所詮は、坊ちゃん、嬢ちゃんのお遊びの範囲にしか思えません。まあ、バイトをするなら、世間で3年位は、されてみたら良かったですね。3年千日と教祖も仰ってます。「嬢ちゃん」なんて、呼んでくれませんよ。
所詮、日々、生活費をやりくりして、お供えを捻出し、搾取され続ける下々の者達と、上層部教会方々とは、考えることが違いますね。
、
私らも、上級の教会から要求されるままに、ブツブツとお供えを出すより、自分達が使いたいことに使う方が、よっぽど神様がお喜びくださると思いますので、できることなら、是非、そうしたいものです。
今の真柱・中山家は、自分の家系・家族は神様と同じ位置に立っているというスタンツだ。
「お詫び書」「伺い」「お許し」という言葉がそれを感じさせる。
末端教会子女・末端信者と同じ目線で物事を感じようという姿勢は絶対に大事だ。
でも、現実には難しい。一番の問題は二代真柱が制定した「真柱姓は中山姓に限る」という決まりだ。
何故、右も左も分からない若者を真柱継承者にしてしまうのか?
だから、FBも閉鎖しないと、信仰的に浅い事がバレてしまうからか。
もっと真柱に相応しい、深い信仰をもった信仰者が教内には、いるはずだ。
本当にバカバカしい組織を作り上げてしまったものだ。
二代真柱の罪は深い。
>所詮、日々、生活費をやりくりして、お供えを捻出し、搾取され続ける下々の者達と、上層部教会方々とは、考えることが違いますね。<
全く同感です。
我々末端教会は上級、上上級、大教会、本部に至るまで、教会発足以来理不尽は搾取に泣いてきました。大教会などはお与えがあるそうですね。その原資は全部信者や下の教会からのお供えですよ。では末端教会の我々にはお与えがありますか?私も毎日教会のご用に従事してます。お与えをいただく権利があります。けれど信者激減の今、信者さんからのわずかなお供え金は各種年会費や不必要な巡教のお礼その他強制的なお供え諸々に消え、支部費、月次祭費用、日供費用、教会修理修繕に至るまで、全くの自腹なのですよ。権利があっても行使できないのです。甘いことなど言っていられないのですよ。
上は下から搾取出来ます。我々最下位に位置する末端教会はどこにも頼ることが出来ないのです。
お供えで生活しておられる上層部教会の方たちへ。
我々最下位に位置する極貧教会はお与えはありません。「人並みの幸せを得る事」も出来ません。
教祖の教えは「谷底せりあげ」ではなかったのですかねえ。
末端教会子女様
私自身も、いわゆる刷り込みってやつでしょうか、子どもの頃から「お金を持ったらお供えしなければならない」という全くおかしな価値観の中で育っていました。
いくら道専務といっても働いています。賃金をもらって何がおかしいんでしょうか。もらったお金を適切に使って何がおかしいのでしょうか。
私自身はその方々の普段からの心配りを知ってるので鼻で笑うような言い方に関しては苛立ちもありますけどね。その反面、当然いわゆる末端の苦労だって知ってますから私も疑問に思うことだって少なくはないです。
ぜひやってみてはいかがですか?
神様が喜ぶような使い方がしてみたいと。
誰にどう言われてもいいから、工面したお供えでテーマパークでもどこでも好きなとこにいってみてはいいのではと思います。できるわけがない!とおっしゃるのなら、半年だろうとアルバイトでお金を稼いだり、誰かを喜ばすためにコツコツお金を貯めた人達のことをあざ笑う事は出来ないと思いますよ。
その方々は誰にどうおもわれようと「やってみた」んですからね。
私の周りでも、後ろ指さされながらバイトしていた会長とかも知ってますが、その方は誰も知らない場所で地道にお助けもされていました。その人たちに会うための交通費、食費、通信費…それだって大事でしょう。
生活を工面するのは何も教会に限ったことではないです。ただ、どう使おうかって自分で考え出した時に神様がヒントを授けてくれることは多々ありますね。お供えに限らずだと思います。
末端教会子女様
ただ、お供えを豪遊に使ったり、意味のない建物に使うのは当然おかしなことと思いますよ。
何が違うって、そこにある気持ちが違うと思うので。
本部のことは詳しくないのですが、このサイトに書かれていることが事実であれば、
それは「適切」とは言いがたいですしね。
大きな教会といっても本部レベルとは違います。
やはり、慎ましさは感じますよ。
1つだけ付け加えておきたいのは、現真柱様ご夫婦は普段からかなり質素な生活をされていると言うことだけですね。
マコ様。
私が思うに、現真柱様ご夫婦や大亮さんご夫妻が問題ではなくて、今の天理教のシステムが問題という事です。
大亮氏の弟は海外留学して女子と遊び呆けていました。
ある本部員は教区のイベントのお金数十万円を「貰っておく。」と言って持ち帰りました。
その昔、ある本部員は芸者置屋の方との間に子供があります。
修理巡教先で、スーツを作らせた巡教員もいます。
多くの末端教会は子供を進学させるにも、夜間か天理の二部しか選択肢はない。
専門学校に入れようにも準備金が払えないのです。
考えられない位、高山と谷底を作り出しているのが現天理教です。
マコ様
>道専務といっても働いています。賃金をもらって何がおかしいんでしょうか。
別におかしくないです。道専務でも働いていれば、賃金を貰えるそうですね。それは大教会の方々や、本部員だけのことではないでしょうか? 末端教会では、道専務でも賃金など頂けないですよ。私達、末端教会では、その当然のことが、なされてないのです。処遇自体が違います。上の方々は、それだけ優遇されてるということです。まして、その賃金は、下からのお供えですよ。
>その方々は誰にどうおもわれようと「やってみた」んですからね。
私は別にテーマパークに行きたいわけではありませんので。ちょっと、仰ってる意味が分かりませんが・・。私は、身分も生活も保証されている方々とは違います、ということを言いたかったのです。
やってみよ、と仰りたい訳ですか? 私がやってみたいのは、上級教会や大教会などの「上からの縛り」から自由になりたい、ということですが、簡単にやれることではないと思います。テーマパークに行くなどということと、次元が違います。
>私の周りでも、後ろ指さされながらバイトしていた会長とかも知ってますが、その方は誰も知らない場所で地道にお助けもされていました。その人たちに会うための交通費、食費、通信費…それだって大事でしょう。
これも、仰ってる意味がよく分かりません。末端教会長さん達のことを仰ってるのではないですか? 末端教会長さん達は、そのような生活されてると思いますよ。大教会や、大教会役員さん、大きな教会の会長さん方が、そのようなことされてますか?
長々と進展の無いやりとりは見ていてしんどいです。
教団が発足してからは上下(天理教内なら親子)の関係が最初から厳然として有り、今も変わらずに続いている。権力も財力も下から上へのピラミッド構造。
教祖の現し身があり、多くの人々を救われた時代。現し身を隠されてから、本席派と真柱派との対立。東京から奈良へ教会本部を移し、明治から昭和までの全盛期と、第二次大戦後の二代真柱による復元とやかた構想、多くの分派や異端が出てきた時代。そこから現在に至るまで、天理教に関わる人々はどんな通り方をしてきたのか。
調べれば、これからの、良い方向へと向かう道筋は見えるはず。
封建的 封鎖的 上っ面のやりとりでは人は助からない。組織も助からない。
本音も建前も両方がバランス良く必要。
二つ一つ(相対するもの)が互いに立て合うことが天の理とするなら、「本音」と「建前」も二つ一つではないかと思う。「上」と「下」、「親」と「子」も相対するものではないかもしれないが、この二つが立て合えば、うまくいくはず。
匿名 2017年10月5日 12:29 AM 様
あなたの仰ってることは、建前ですよ。あるいは、単なる理想。
天理教が、今までどんな通り方をしてきたのか、調べたところで、「変えることができる方々」は、変える気がないのですから、変わることはない、と思いますね。 残念ながら。
マコ 2017年10月4日 10:36 PM さま
>いくら道専務といっても働いています。賃金をもらって何がおかしいんでしょうか。もらったお金を適切に使って何がおかしいのでしょうか。
賃金というなら、雇用契約に基づいた給与ですか?
労働基準法や最低賃金は守られていますか?
住み込みで食費や住居費を差し引いたとしても、きちんと計算されていますか?
教会長(経営者)が教会(宗教法人)から給与なり報酬なりを受け取る場合でも、役員報酬規定なり責任役員会の同意なりがないなら問題ですよ。
教団内では、こういった社会で当たり前のことが出来ていない例が多く、上の者の思惑一つで動く傾向があるのが問題なんですが、これを理解されていますか?
質素な生活をしてるとか、倹約に心がけてるなんて、法律や社会常識からすれば関係ない事です。
末端教会子女 さま
>私がやってみたいのは、上級教会や大教会などの「上からの縛り」から自由になりたい、ということですが、簡単にやれることではないと思います。
個人なら「天理教をやめる」ことです。
「上からの縛り」は教会規則によって規定されている事です。
教会ごと自由になりたいなら、この規定を変更して教会(宗教法人)と本部(宗教法人天理教)との「被包括関係を廃止」するしか方法がありません。
私の教会は既に実行しましたので、本気で行動に移したいならご相談にのらせて頂きます。
http://mikagurauta.grupo.jp/
準備さえキチンと出来ればそれ程難しいことではありません。
勿論、被包括関係廃止によるメリットとデメリットがありますので、判断はお任せします。
末端教会子女様
じゃあ、あなた位は一体何がしたいんですが?
小さいことでもやってみればいいと思う、といってるだけでテーマパークに行ってみようとも言ってないし、会長クラスでもお供えをただただ上に上げるのではなく、言われるがままの会議に出るだけでなく
その中から信者に会いに行ったりお助けに行く時間を捻出する工夫をしてるんです。
いつまでも「縛り」に中で生きていくしかないんですって諦めてるじゃないですか。
私も末端中の末端ですけど、ここで知り合った人に相談したり、教外の人に相談したりして今地道に
お道とは何かを考えてます。おかげで少しずつ、自分が好きだった天理教が見え隠れするようになりました。言われるがままの頃は分からなかったことも少しずつ分かってきました。
そういう気持ちはないんでしょうか。私闇雲な「何言ってるかよくわかりません」っていう言葉は嫌いなんで何言ってるか分からなかったらもう結構ですよ。
どうぞ言われるがままの中から1円でも自分の思うように使ってください。1分でも自分の思うように使ってください。神様はそこをみてるんじゃないですか。
大教会とか本部とか、末端とか関係ないです。一人一人が考えることでしょう?
ここでも「もうお供えはできません!」って上にはっきり言ってる人もおられますよ。
単純に言ってる事とやってる事があまりにもかけ離れているから信者が増えないんですよ
魅力が無いんですよ
天理教の人達は今の世の中を何時代だと思っているのですか?
士農工商の身分制度が厳しい時代に、人は平等だよと説いたからうけて広まった教えが
今では天理教内で身分制度が凄すぎて・・・上級、部下部内???
悲しいですね
つとめ場所様
私の理解が乏しいだけだったら申し訳ないですが、私は道専務も賃金をもらうべきだと思うし、
あなたがおっしゃる最低賃金云々等が守られていないと思うから、
それがたとえお供えからいただく賃金であろうと、適切な使い方をする方がいいと思います。
私に対して何か攻撃的に感じますが、私はまさにあなたがおっしゃるようなことを
「ちゃんとして欲しい」(それは上層部に対し)って言ってるんですけど。
難しい言葉並べてまくしてるような気がするのですが、私が「賃金をもらって何がおかしい」と思う意味を
理解されていますか?
マコ様
道専務も賃金を貰うべきだという考えは、間違ってるとは思いません。只、それなら、末端教会も含め、全ての道専務の教会長が、同じように貰わなければ、不条理だと思います。私の、先の投稿にも述べてあることですが、本部員や大教会だけが、賃金を貰っている現状は、上層部だけが優遇されていることになります。最低賃金だの、そういう、ややこしいことは分かりませんが。
上層部だけが賃金を貰っているのは何故でしょうか?上層部のやっていることが、下の教会よりも価値があるのでしょうか? 単に、本部員、とか、大教会という立場、地位から、それが当然であるという、教団上層部の偏った、勝手な理屈でしかないと思います。
末端教会が貰えないものは、上層部だって貰うべきではない。ましてや、末端が苦労して得たお供えではないですか。。上層部が貰えるものなら、末端教会だって貰わねば筋が通りません。
教団の作り上げたピラミッド組織によって、賃金にまで都合よく差配するのは、上層部の勝手が過ぎます。全教会、同じ条件であるのが、道理、本当であると思います。
末端子女様
一旦話を整理したいのですが、どこの業界でも当然役職が上の方がお給料は多いですよね。
それは企業でも同じです。
そして、(教団的に)上の方が受け取るお金というのはお供えですよね。
本部参拝者しかり各教会からのお供えしかり。
上の方から「いくら出せ」と言うのはおかしな話である、と言うのは当たり前だと思います。
だからこそ、末端だろうが道専務だろうが、自分の手元に来たお金(これだって信者さんからのお供えです)をどう使うか、テーマパークくらいであれば自己の楽しみのために使ってもいいし、美味しいものを食べること、信者さんや友人に会いに行くため、趣味を楽しむため…なんだっていいじゃないですか。
上のものが潤うのは下が出すからですよね?おかしいおかしいと言いながら差し出すからではないのですか?
もちろん、お気持ちわかります。言いたいことも分かります。私もそうですから。
だからこそ話を戻して、例えばのぶえさんがアルバイトをして友人とテーマパークに行くという一般的な感覚をお持ちだとすればきっとお供えの使われ方が変わって来ます。無論、どこまでそういうことに口を挟めるのか、それは私には分かりませんが…。
ちょっと皮肉も言えば、道専務はまだいいじゃないですか。
私ら(私の周りの用木友達とか)のように末端中の末端なんていくらひのきしんにかりだされてもお与えないんですから。
交通費も食費も何もかも自分で用意して仕事休んで行くんですから。
それでもお道の御用が楽しいと時間もお金も捻出してやってるんです。
末端子女様がどのようなお立場かは分からないし、ここで言いたくないかもしれませんが、
その中で自分はどうしたいかを考えることは大事だと思いますよ。
いただいたお供え、もっと違う使い方もあるんじゃないでしょうか。
マコ様。
教会もいろいろです。いくら説明しても理解して頂けない事も多くあると思います。
言うに言えない事も多くあります。
末端子女様。
実は末端教会の会長と言えど、お与えという給料を貰っているのです。
それは、本部から貰っているのではなくて、自教会から貰っているのです。
いくら零細教会の会長と言えど、会社の社長みたいなものです。自分の給料は自分(役員会議)で決められるのです。100万円貰っていても税金さえ払えば何の問題もありません。ただ、零細教会にはお金が無いだけの事です。(教会建物に暮らしているだけで現物給与という給料を貰っている事になっています。)
上級に持っていく「お供え」さえ減らせば良いのですよ。上級にお供えをしなくても捕まる事はありません。自分が納得できるお供えをして、自分が納得できる給料を貰う事に、法律上何の支障も問題もありません。
私が所属していた教会でも会長ご一家を始め常詰一家も市民税の申告をしていました。所得がないので税務署ではなく市民税の申告で良かったそうです。当然、その収入額は生活保護世帯並みでした。現金の手取りは少なくても、教会経費の住居費光熱費などの一部を居住者の収入として計算していたようですが、それでも会長ご一家(両親と子供3人)でも年間収入は200万円に足りませんでした。ですから、会長ご一家と言えどもつつましい生活だったと思います。
ただ、会長には巡教や葬祭の御礼などの臨時収入があり、常詰さんとは違った生活があったのではないでしょうか。信者さんが減った現在では、それも減りつつあり大教会の直轄教会という立場上教会の維持は大変なようです。
本部は、いつまで徳川幕府顔負けの封建体制(部内の部内の更に部内教会といったバカげた制度)を維持するつもりなのか。能がないとは当にこのことでしょうね。
余談ですが、常詰さん一家は、医療保護(生活保護制度の一環)の適用がありました。
教会の現物給与について。
教会従事者は確かに現物給与として教会建物に住んでいると言えるかもしれません。ただ当教会の場合、教会普請に係る信者さんからのお供えは微々たるもので(ひのきしんによる労働供与がほどんど)その費用の大方は両親が世間で働い自腹で建てた建物です。現物給与を受けているという認識は私ども一家にとっては違和感があります。自分で建てた家に自分で住んでいるからです。こういう実態の教会も多いのではないでしょうか。すべての末端教会が現物給与というお与えを貰っているというのは若干ちがうのでしょうか。(税金分だけはお与えですね。)
また現金によるお与えの実情ですが、当教会を含め、私の周囲の教会はみな貧困で、信者さんもゼロか親族信者のみ。お与え(現金での)など貰いようのない経済状態のところが多いと感じます。教会運営にかかる各種諸々の費用に対し、信者さんのお供え金を差し引いても個人的持ち出しのほうが断然多いです。ですので現金によるお与えなどあろうはずがありません。
大教会のようにお与えが出るなら、末端教会にも平等に扱われる組織運営、規則に変えていただきたいと思います。末端子女さまの投稿のように全教会、同じ条件であるのが、いちれつろくじの道理と思います。教団の作り上げたピラミッド組織によって、賃金にまで都合よく差配するのは、上層部の勝手が過ぎます。まったくもって同感です。
ですから当教会では上級に上げるお供えはストップして久しいです。
上級教会の人間も様々で、経済状態などの事情を鑑み「お供えストップ」を受け入れてくれている上級教会も中にはあるみたいですね。私の周囲ではそういう話を聞きました。上級と言えども鬼ばかりではないようです。上へのお供え金については言わなければ分からないです。上はこちらの無理に心が至っていません。上級には実情を声として届けるべきだと思います。そして一教会として、堂々とした自主性を持つべきだと思います。理不尽なお供えはどこへ上げようと神は受け取らないです。どぶに捨てるお金ならば身近な周囲の人に手を差し延べる為に使ったほうが神の受け取りになるはずです。
日々の怒りに任せて、長々失礼いたしました。
私の知り合いの教会は会長は仕事していない(たまにバイト)、嫁はバイトに行っています。
所得が無いので役所に言って子供の学費、給食費等免除してもらってました。
もちろん市民税等も払っていません。
おかしいと思いませんか。
免除等のお金は他の人が払った税金です。働けるのに働かない
一時テレビで話題になった生活保護の不正受給と同じです。
でも自分達は道一条やと尊い事をしてると思っています。
陽気暮らしってなんですか、感謝慎み助け合いってなんですか。
天理教人である前に日本人としての義務を果たしましょう。
みんな疲れてますよ
皆さんの仰る通りです。教会制度があるからこんなことになってしまったことに気付かれ始めたのですね。
本部の人たちに奈良県の高額納税者が多いということを考えますと、もう、滅茶苦茶な組織です。なのに、お供えが命の繋ぎだとか、よろこび心の涵養だとか、何を寝言云っているんだと言いたいです。
本部の人達は社会の現実をどこまで知っているのでしょう。今年の春に大学に入った孫娘が入学までの間、1ヵ月余りコーヒー店でアルバイトをしたのですが、客からは置き方が悪いだの、出すのが遅いだの、コーヒーがぬるいだの等と言われて一日中立ちっぱなしで時間給は870円、纏めてもらった給料から、きっちりと所得税が引かれていて、その税金が返してほしかったら来年の3月に確定申告をしろとまで言われて、源泉徴収票を貰ってきたが、もう、コリゴリだと嘆いている。そして、それを本業としている人たちは耐えて仕事をしています。そのような人たちに、軽々しくお供えをしろといえますか。
内さんや表さんも一度喫茶店のアルバイトを体験されては如何ですか。訳の分からない宗教(現行天理教本部)に関わったらよろこび心どころか、不足心が積もるだけです。
古い教会長様
昨日、諸事情で一時的にこちらを使えなかったため
別サイト(サイト名を出すのは良いのか分からないのでピンときていただければ幸いです)にて
返信をさせてもらっています。
よかったら目を通してもらえればと思います。
私も末端中の末端、所属している教会に対しても疑問に思うことは少なくないです。
ただ、私の場合はお供えより、信者としての扱いといいますか…そういう方に疑問が多いため、
比較的お供え(現金)に対してはまあまあ自分の価値観の中でやれていると感じています。
そのため、要求や制度に関しては無知な部分もあることは自覚しています。
一度だけですが奪うようにお供えを持って帰られた時があります。
確か婦人会の創立何年とかの記念の年だったかと思います。
あの時だけはやたらお供えの要求がすごかったので、何かただならないものを感じました…。
相変わらず貧乏な教会も多いのですが、最近は経済的に豊かな教会もあるように感じます。
信者さんの中には、貧しくても一生懸命教会に尽くしておられる方もあり、教会がそれにあぐらをかいているような状況もあります。
豊かになる事は結構なことですが、誰かの犠牲の上に成り立つのでは本末転倒です。
神様のご守護頂いた姿が、本部や大教会であると思っている人が多くいます。
だから中間教会もそれをモデル(ひながた)にして部内教会や信者さんに負担をかけているケースも多々あるのです。
お供えは上へ上へと集められます。ほとんどの末端教会長さんは、信者さんのお供えだけでは足りず、持ち出しの場合も多く、「お与え」を貰うどころではないと思います。
しかし、上の会長になる程、お与えとして、好きな程抜くことも可能でしょう。(勿論、余計に抜いたりしない、という真面目な会長さんもおられるでしょうけど。)
◎ 教会制度(ピラミッド制度)
◎ お供えの吸い上げ制度
これは言わば、「ネズミ講」による金集めであり、ネズミ講とは、上に行くほど、金が集まる仕組みになっている。
更に、年祭、時旬、心定め、仕切り月、誕生祭、婦人会等の各会と、吸い上げる名目は、いくらでも挙げられる。それらが、どのように使われているか、我々末端教会には、一切、知らされない。
東風Zさんの書かれておられる通り、本部の人たちに、奈良県の高額納税者が多いと言うこと、本部は、テナント貸し高層ビルなどをいくつか保有する不動産管理会社を経営していること等、それらの原資に使われているのだろうと想像されるが・・。 そして、大教会も同じことをしていない、とは言えないだろう。
つまり、上はいくらでも、その気になれば、私的な目的に、お供え金を使い込むことだって可能なのである。しかし、末端会長にはとうてい無理なことである。(上手く金をくすねて、自分の収入に使うことを勧めているものではありませんので、誤解されないように。)下の者は、一方的に出すだけの、滅私奉公を強いられるだけであり、自らが潤うことは一切ない、ということ。
このネズミ講である、ピラミッド吸い上げ組織が解体されない限り、天理教末端教会長さんに、陽気暮らしの実現はないのは確実である。しかし、本部や大教会が、自分達の「命の繋ぎ」であるネズミ講のピラミッド組織やお供え吸い上げ制度を手放す訳は無い。
ならば、末端教会長さんが陽気暮らし実現のために自らできることは、「お供えを止める(減額含む)」か「被包括関係解消」の、この2者択一、それ以外にはない、と改めて認識致しました。
後は、実行するかどうか、だけの問題となります。
このサイトで意見を交わしておられる一番大きな主題(テーマ)の根底に流れるのは、お金、お尽くし、上納金、お供え等と言われている金銭に関わる話が多いですね。上層部が働きもしないで、下から上がってきたお供えで悠悠自適に、快楽に暮らしているのが気に食わない。自分たちは今日、明日の生活を切り詰めて切り詰めて、本当にない中をお供えしているのに、それを湯水のごとくに遣う上級教会、大教会、本部が許せない。これは糺さないといけないから、このサイトに投稿して、本部、大教会、しいては自分が思っている天理教の悪い部分を発表してやろう。そうすれば、いつかは大教会、本部の耳に届いて、何らかのレスポンスがあるだろう。今の天理教は間違っている。上層部の人間がゆがめた。それを糺さないわけにはいかない。教祖の教え通りに沿った生き方を提唱しよう。という流れがここ最近の流れであるように感じます。
お供えをするのが経済上、難しい。でも、上級からの催促はひっきりなしにある。やれ、かんろだいの据え替えだ、ご結婚だ、という事にかこつけて、お供えを要求される。そんなお金もないのに。。そんなお供えを出す必要があるのか?まずは上層部がよく思案して、我が事と思って、お前たちからお供えをしろ! 我々はいつまでたっても搾取される側で、搾取する側にはなれない。だから、もうこんなシステムは間違っている。もうそろそろ、このシステムは時代とともに変遷してゆかなければならない。だって、私たちはいつまでたっても、苦しめられている立場、末端の末端の教会だから、一般信者だから。。。。
信仰という言葉は、信じて仰ぐという仰ぎみる対象を中心にして考える心の動きであるかと思います。そして、信心とは、言葉通り、信じる心であり、一人ひとりの心の動き、信じるという心の発動を中心に考える心の動きであろうかと思います。
もう一つ、信念という言葉もあります。自分はこう信じている、こう考えているという自らの主張を持って、その考えを主張します。「神様はいる」という信念を持つ人がいます。しかしその人が「神様」を信じているのでなく、「神様はいる」と主張する「自分の考え」を信じているという事です。
このサイトでの皆さんの考えは、信仰からですか?信心からですか?あるいは信念からですか?
そして、一番大切なことは、天理教の将来のためを思って、とか、未来の事を懸念して、とか、自分の事を他人の事、組織などに置換するような考え方を披露するのは、出来るならばそれぞれの皆さまの心にしまわれて、まずは、教えに沿った自分の動き方をそれぞれの歩みで進めていかれるのがよろしいのではないかと思います。
なぜ、自分の両親がお金のない中を、上級に、大教会に、また本部に尽くされてきたのか?ある種の洗脳、癖がついてしまい、そのような行動をとられているのか?それとも、子供達には知らされていない信仰の道程があったのではないか?と、考える事はできないでしょうか?両親の思いを汲み取る思案をされているのでしょうか?それとも自分の信念に両親の思いをまるめ込んだという事にはなっていないでしょうか? 親の世代はそうであったが、自分の世代はもうやめる。それはそれでいいでしょう。でも、そうするのであれば、粛々と進めて、このような場で、発表するのはいかがなものかと思います。自分と同じく、たくさん苦しんでおられる方がいるので、それをたすけたい、救いたいという考えは、少し横柄であるように感じるのは私だけでしょうか? ここに集う方たちが、大変な中を通ってこられて、葛藤の中で、どのようにすればいいか?という事を悩み悩んで投稿されているという事実はよくわかります。さすれば、その苦しみをわかっておられるのであれば、反対にお道の楽しみもわかることができるお立場であられるのではないかとも考えます。
しんどい中に楽しみの種あるというようなことをおやさまも教えて頂いております。どうか、その楽しみの種を撒いて、楽しみの芽を出されることをお願いしたいと思います。
長々とすみませんでした。また、反論、異論もあるかと思いますが、コメントは今日かぎりとさせていただきます。
匿名 2017年10月7日 10:14 AM 様
>自分の事を他人の事、組織などに置換するような考え方を披露するのは、出来るならばそれぞれの皆さまの心にしまわれて
>このような場で、発表するのはいかがなものかと思います。自分と同じく、たくさん苦しんでおられる方がいるので、それをたすけたい、救いたいという考えは、少し横柄であるように感じるのは私だけでしょうか?
このような場であるからこそ、発表しているのです。社会学さんの投稿の場は、お道を信仰していく上で、疑問に感じたこと、悩みなど、何でも発表できる場所である、と認識しております。お道の喜び、信仰の喜びを書かれておられる方も、勿論おられると思います。
苦しんでおられる方を、少しでも助けたい、救いたい、と思われて、意見を述べられる方もおられるでしょう。単に、不満、怒りをぶちまけて、スッキリされたい、という方もおられるでしょう。書くことで救われている方もおられるでしょう。いろんな方がおられると思います。
しかし、殆どの方が、それぞれ、ご自分が心から真実思うことを書かれております。だからこそ、共感者も多く、大勢の方に読まれているのではないでしょうか。教内の方からも、多く読まれているとのことです。
読者の方々が、それらの投稿を読んで、何を感じるか、考えるか、それぞれの自由であります。共感される方もいれば、違う意見の方もおられるでしょう。
お道の喜びを書く以外の投稿は、あまり出すべきではない、と制限するのは、如何なものでしょうか?お道の喜びを書いたブログは、他にたくさんありますが、自由に思うこと、意見を発表できる場は、滅多にありません。
管理人さんが、社会学研究所というブログに、コメントの欄を設けてくださったのは、いろんな方が、思うことを、自由に発表できるように、との主旨からだと思っております。
読者が、その投稿は読む価値がない、読むに堪えないと思われるのであれば、その投稿に関しては、読まなければ良いだけのことではないでしょうか。
匿名様。
>このサイトでの皆さんの考えは、信仰からですか?信心からですか?あるいは信念からですか?
そして、一番大切なことは、天理教の将来のためを思って、とか、未来の事を懸念して、とか、自分の事を他人の事、組織などに置換するような考え方を披露するのは、出来るならばそれぞれの皆さまの心にしまわれて、まずは、教えに沿った自分の動き方をそれぞれの歩みで進めていかれるのがよろしいのではないかと思います。
それでは駄目です。情報は心の栄養です。事実を知る事は、とても大事なことです。あらゆる事に関心を持ち、深めていく「根掘るもよう なんでして出ん」と言われています。自分をごまかして生きるのではなく自分の意志を持って生きる事が肝心です。
「ものを言い、ものを聞き、ものを見る」その姿勢が大事です。
どのように腐っても、おじばの事を見つめて通る事は大切だと思います。
おじばの先生方は人類のヒナガタなんでしょうwから。
↑の匿名 様
おぢばの何を見つめるのですか。腐りきった教団を見つめても何の役にも立ちません。
それとも、いいとこどりをするようにと仰るのでしょうか。それなら私は難しい内容ですが、歎異抄を読んでいる方がいいです。
天理高校二部を卒業して50年余の間、至らぬながらも教会と繋がってきました。しかし、本部の中枢にも籍を置いていた知人から本部の内情を聞いて、5年余り前に天理教とは縁を切りました。所属していた教会が悪いと思ったことはありません。しかし、歴代会長は本部の実情を少なからず知っていたとも思うのです。
そのことを故意に隠していたのか、それとも隠さざるを得なかったのか、その辺の事情がどうであろうと、今更どうでもいいことなのです。
今後、教団本部が隆盛を極めようが、あるいは、傾こうが私にとってはどうでもいいことなのです。
では、何故投稿を続けているのかと問われれば、現行天理教に入信しても決して、よろこび心が培われるとは思われないと感じるからです。知れば知るほど底なし沼のドロドロの世界があるだけです。
芹澤光治良氏が二代さんからの再三に亘る入信の誘いにも首を縦に振られなかったのは、教祖の真の姿を間近に見られ、その教えと現行教団本部の姿との比較に余りにも大きなギャップを感じられたからだと想像します。
何より、初代、二代、三代の各真柱の生きざまをご覧になればわかるはずです。
匿名様 2017年10月7日12:39PM
>おじばの先生方は人類のヒナガタなんでしょう
仰る通りです。
悪のヒナガタですね。
本席のお指図にも明確に書かれています。
「鏡やしき・ぢばが曇れば世界は丸曇り」と書かれています。
本席存命中から腐っているんですよ。それ以前からかもしれません。
当時は、悪事も隠せましたがインターネットの普及した現在では、
腐った「鏡やしき・ぢばの丸曇り」は「まる見え」ですね。
腐りきった「鏡やしき・ぢば」に住む本部員達の姿を見つめて通る事は大切です。
「他山の石」です。
10月7日の匿名さんは、自分が牧歌的に生きていかれたらよいのです。中田氏の例の暴言もイイネ!と鵜呑みにされるのでしょうか。
自分の頭で考えない人(発言しない)は、他人の思考のフォロワーのままです。
情報収集や意見表明は、自分の将来をデザインする行為の1つだと思います。
社会学さんと出会って、お供えを止めた信者さんを知ってます。信者も昔のように従順ではありません。
天理教世界で「みせられた」という表現がありますよね。
世間で働いた経験のない上層部の皆さん
「本当にみえてますか?」
日本の財政事情は、政府債務残高がGDPの205.7%!です。終戦直後の204%を超えてます!!
これからは、国民の大半が今よりも貧乏になるしかない状況で、ねずみ講的お供えシステムが続くはずがありません。
問題提起や上層部の実情が明るみにでることは、天理教の将来の設計図を地道に変えていくはずです。
「やさしいこころ」とは、互立合い助け合い一列兄弟世界ろくぢの教えを広め実現するために行動する心である。
「むごいこころ」とは、中山みきさんの教えに背き、強い者が弱い者を虐げ差別を助長し相争う現実世界を容認し、改善改革を否定する行動をする心である。
その場の批判的で核心を突く厳しい言葉でも、その先が月日親神の想いに沿っていれば「やさしいこころ」だし、その場で優しく苦しむ人に寄り添うような言葉でも、その先が月日親神の想いに反しているなら「むごいこころ」だ。
匿名2017年10月7日 10:14 AMさんは書き逃げをして議論を避けたようだが、教団への批判や提言を止めよというのは「むごいこころ」の塊だとしか思えない。
白いというて集めておいて、蓋開けたら黒かったら、世界に対して神に対して、どうゆう申し開きが出来ようか。
本席様没後の地場やしきは、人事的に、神の懸念する屋敷になってしまったのでしょう。
神文明の棟梁と呼ばれるような、スーパー啓示霊能者が、どこかで真柱の誘いを待っているのでしよう。
地場屋敷から、世界人類をたすけてゆく為には、先ず、仮トウリョウの善亮君が、地場屋敷と天啓者が不可分のものである事を発言すべきだろうと思われます。
これからはの天理教は大亮さんの手腕にかかっている。
本部員、大教会、青年会、色々なところで色々な人達とバトルを繰り広げ、次期真柱として、そして、真柱となってからの更に過酷であろう道中…
結果はともかく、とにかく変化を起こしてほしい。
ここのサイトを見ている天理教に関わる皆様も色々な変化を恐れずに通って欲しいと願います。
このままでは、落ちぶれていくのは明確。だからこそ、かわらなければ。良い方向でも悪い方向でも…現状からの変化が欲しいと切に願う今日この頃。
なんでもいいから変わりましょう、変えましょう。
人が動いて神が働く
今さら言うことでも無いけど、ものの見事に現行の宗教法人天理教は自組織の瓦解、崩壊をくい止めるのに必死のパッチで社会に貢献しようとか救済しようとかそーゆーのは一切無いね。布教の目的も助かってもらう!とゆーよりも頭かずをふやして銭を運ばせて組織の安定を図りたいというかなり悲しいとゆーかお粗末とゆーかほんと社会悪と言われてもしょうがない状況だね。
ここまできたら有る意味お笑いの世界だぜ!
みんなで笑ってやろう。
今さら言うことでも無いけど、ものの見事に現行の宗教法人天理教は自組織の瓦解、崩壊をくい止めるのに必死のパッチで社会に貢献しようとか救済しようとかそーゆーのは一切無いね。布教の目的も助かってもらう!とゆーよりも頭かずをふやして銭を運ばせて組織の安定を図りたいという魂胆見え見えで悲しいとゆーかお粗末とゆーかほんと社会悪と言われてもしょうがない状況だね。
ここまできたら有る意味お笑いの世界だぜ!
本末転倒?倒錯?ギャグ?もう笑うしかないな。
先のコメント重複しまして失礼。そして、訂正です。頭かずを増やして組織の安定を図る。安定はもはや無理で延命ですね。沈みゆく泥舟の延命です。
さて天理時報について、同じような意見が出ているかもしれませんが、内容があまりにもショッボイ。お金を出して購読するほどのものじゃ無いのは確か。(実質の献金ですね)
(ただし、その他の新聞も取っていないので天ぷら時の油取りに役立っている状況です。非)
内容もしょぼい上にいつもペラっペラで、、、
かなり前から思っていたんですがこんななら隔週にしたらいいのにといつも思っていました。その方が送料も節約にならないのかな?
もし、経費節約できるのに毎週刊しているんだったらやっぱり本部アホやね。
本部の財政などどうでもいいが、、、
あと、毎週毎週この内容の無いものが送られてくることが鬱陶しい。
まあ、あまりにお粗末、時代錯誤で笑えるので別の意味で読んでやってもいいけどね。とにかく泥舟本部はこのまま沈むでしょう。
腐敗臭を撒き散らし、構造的に破綻してるし、間違いない。
その姿を見届ける。
しかし、この今の状況を教祖さんどう思ってるやろね。
言葉を聞けたら聞いてみたい。
先のコメント重複しまして失礼。そして、訂正です。頭かずを増やして組織の安定を図る。安定はもはや無理で延命ですね。沈みゆく泥舟の延命です。
さて天理時報について、同じような意見が出ているかもしれませんが、内容があまりにもショッボイ。お金を出して購読するほどのものじゃ無いのは確か。(実質の献金ですね)
(ただし、その他の新聞も取っていないので天ぷら時の油取りに役立っている状況です。非)
内容もしょぼい上にいつもペラっペラで、、、
かなり前から思っていたんですがこんななら隔週にしたらいいのにといつも思っていました。その方が送料も節約にならないのかな?
もし、経費節約できるのに毎週刊しているんだったらやっぱり本部アホやね。
本部の財政などどうでもいいが、、、
あと、毎週毎週この内容の無いものが送られてくることが鬱陶しい。
まあ、あまりにお粗末、時代錯誤で笑えるので別の意味で読んでやってもいいけどね。とにかく泥舟本部はこのまま沈むでしょう。
腐敗臭を撒き散らし、構造的に破綻してるし、間違いない。
その姿を見届ける。
しかし、この今の状況を教祖さんどう思ってるやろね。
言葉を聞けたら聞いてみたい。
>布教の目的も助かってもらう!とゆーよりも頭かずをふやして銭を運ばせて組織の安定を図りたいという魂胆見え見えで悲しいとゆーかお粗末とゆーか<
・〇浦分教会の恥ずかしい土下座布教、やめてほしい。笑うしかない。
〇浦分教会の土下座布教も結局頭数を増やしていくのが目的であろう。人助けというより、何かに取りつかれていると言う狂気の空気感。
何を土下座してお願いするのか。頭を擦り付けて、人一人を数字の一つとして「落として」自己満足以外の何物でもない。
笑われそしられて通ったおやさま、だから頭を低くと自らに言い聞かせ、笑われてもそしられてもおやさまのひながた、結構、結構と敢えて土下座するのだろう。独りよがりの自己満足。世間からは、お気の毒様と嘲笑されているのに。
お互い開祖でも教祖でもないんだから、ただの人間。もっと自分を大切にして欲しい。
誰か指導はできないものか。
ここは2chでいうアンチスレみたいなものです。
もちろん「あ、確かに」と思うような意見もあるが、
(特に時報、上級へのお供え云々は・・・)
天理教を否定しなければ「思考停止」と言われ、
批判に反論しようと思えば
「読まなければ良いだけのことではないでしょうか」
と言われ、ここの方々と意見交換等は難しいと思います。
常駐している方々は多分教会関係者が多いと思いますが、
コメントの文量と時間見てみると時間が有り余っているんだなと思います。
もしくは
その時間に布教へは出ないのでしょうか。
「教会の信者さんが高齢になってお供えが微々たる額に…上級のお供えの催促云々」
とよく見かけますが、布教していないから新しい信者さんが来ないんじゃないですか?
ずっと前から疑問でした。
ここを見ている教内関係者へ。
ここを見ていても益はありません。
昔は考えさせられるな・・・と思っていましたが、
最近はカイン氏も心境の変化か
批判の仕方も雑というか、明らかに公平性を失っているので。
疲れているんでしょうか?
ここを見て腹を立てたり埃を積むくらいなら実動しましょう。
今後のお道を変えていくならネット上での活動より実動です。
本当に変えたいと思うなら、今から教会を盛り立てていく方法を
自分達で考えましょう。ネットに頼るのはもうやめましょう。
僕ももうここを見ません。
ですが、色々考えさせていただけた事は
大事にしていきたいと思います。
ありがとうございました。
カレーライス 様。
>「教会の信者さんが高齢になってお供えが微々たる額に…上級のお供えの催促云々」
とよく見かけますが、布教していないから新しい信者さんが来ないんじゃないですか?
ずっと前から疑問でした。
以前、偉い先生からよく聞かされた話です。「そして、そうだな。」と納得していました。
しかし、ちょっと考えて下さい。布教するのは信者さんを獲得する為ではないのではと思うようになりました。
布教とは教えを広めて、その方が幸せな暮らしが出来るように祈り寄り添うことです。
布教することは、教会の経済を潤す為に、新たな信者を獲得する事ではありません。
人を助ける事は、自分の時間もお金も力も捧げることです。
だから「布教していないから貧しくなる」のではなくて「布教しているから貧しくなる」のです。
この発言は、本当の布教をしていない人の発想だと、後々に分かりました。
カレーライス様
「読まなければ良いだけのことではないでしょうか。」と書いたのは私です。
教内の末端教会長さん方や信者さん達を苦しめている原因の、間違った制度だと思うことを、批判しました。充分に批判する根拠のある事と思い、また、重要なことだと思ってのことです。
それに対して、批判すること自体を、否定する意見を頂きましたので、不愉快と感じる方は、読まなければ良い、とそうお返事しました。批判を書かない方が良い、というのは、見て見ぬ振りをせよ、ということなのでしょうか?
教団が、どういう状態であろうと、そういう中でも教えに沿って歩まれようとされている方もおられるようで、そういうお考えの方は、立派だと思いますが、私は、そういう考えにはなれません。
意見交換が難しい、などと思われるのは、誤解でございます。
こちらのコメント欄は、真摯に意見交換してくださる方々多いので、できれば、今後も読み続けて頂きたく思います・
カレーライスさん、物事の実体、冷静に分析する力が無いのか、組織内の苦しい立場にないのか、すっとぼけたコメントしてますね。
まあ、それは自由勝手なのでいいでしょうけど。
お供えが増えないのは布教していないからだ!との意見でやはり布教の目的は金集め!ってモロに言っちゃってるとこがかわいいね。
まあ、せいぜい頑張って布教して頭数増やして金集めに励み被害者を増やし、人の人生狂わせ恨まれてください!そして気持ちよく天理泥船号と共に沈没してくださいね。
ガンバレ!
カレーライス様は、ある意味幸せな方だと思います。信ずるところを何の疑念も持たずに歩めることほど幸せなことはありません。
ただ、一言だけ言いたいことは、いま、宗教は何故窮地に陥っているかという現実です。天理教に限らず他の宗教も同じです。
その最大の原因はおカネです。お寺から離檀料を50万円も請求されただの、教会の壁を塗り替えるのに、大教会長・当該会長はともかく、教会役員が金魚の糞のごとく遠く数百キロも離れた本部まで出向いて、僅か数分で終わるお運びとお許しと呼ばれる、江戸幕府顔負けの将軍謁見に等しい愚行が未だに行われている事実。
少し長くなりますが書きます。路線バスが運行を始めた頃のことです。バス停が道路工事のため10日間程20メートルほど移動しなければならなくなりました。その移動のために所轄の運輸局の許可を得なければなりませんでした。その時に提出した書類は風呂敷包みにあふれんばかりの書類の山でした。それでもあれが足りない、これが足りないといわれて何度も遠くの運輸局へ足を運んだものです。
ところが現在ではどうでしょう。至極簡単です。安全性が確保されていればいいだけのことです。デマンドバスまで出現しています。それほど行政改革は進んでいるのです。
ところが、天理教はどうでしょう。バカバカしい制度をいつまでも御大層に残して権威を保とうとしているとしか思えません。おつとめ着に白鼻緒の下駄ばきで教祖殿に集まれだの頭の中が狂っているとしか思えない行事が延々と続いている不合理に何故気付かれないのですか。
もうこれ以上は書きません。あとは御想像におまかせします。本部よりはるか北越の山中より失礼。
ひのきしん隊で工具の使い方を教わったり、修養課で様々な人生に接し、学校では語学を、又病院にもお世話になりました。廉価なカルチャーセンターとしての教会本部にはネガティブなイメージを持っていません。これは皆さんのボランティア精神のお陰でしょう。
素人が想像するに、お地場において、教祖ご在世時に比べ、奇跡的な霊救現象や、法悦と云ったような宗教的な喜びが薄くなっているのではないでしょうか。
現在の教会長さんの中には教祖周辺の奇跡現象さえ信じられず、いずみ心の中で苦しんでおられる方も多いように聞き及びます。世界一列をタスケル親里地場になってゆくのが本当なら、お地場のつとめ人衆、本部人事に致命的な欠陥があったのではないでしょうか。
匿名 2017年10月7日 10:14 AM 様
>自分と同じく、たくさん苦しんでおられる方がいるので、それをたすけたい、救いたいという考えは、少し横柄であるように感じるのは私だけでしょうか?
匿名様のこの言葉が、引っ掛かっておりました。私は、自分が人を救えるなんて思ってませんし、そんなことができるとも考えておりません。しかし、天理教被害者が一人でも減ることに、ちょっとでも貢献できたとしたら、もちろん嬉しくないことはないですし、それは当たり前のことじゃないですか?
匿名様の上記の文章は、天理教の教えである、人をたすけること自体を、横柄だ、と否定されてしまっているように思えるのですが・・・。どう違うのでしょうか? 私には理解できません。
匿名様。
>なぜ、自分の両親がお金のない中を、上級に、大教会に、また本部に尽くされてきたのか?ある種の洗脳、癖がついてしまい、そのような行動をとられているのか?それとも、子供達には知らされていない信仰の道程があったのではないか?と、考える事はできないでしょうか?両親の思いを汲み取る思案をされているのでしょうか?それとも自分の信念に両親の思いをまるめ込んだという事にはなっていないでしょうか? 親の世代はそうであったが、自分の世代はもうやめる。それはそれでいいでしょう。でも、そうするのであれば、粛々と進めて、このような場で、発表するのはいかがなものかと思います。
それは、天理教を信じていたからです。そういった親々の巻いて来た種が今、芽生えて来ているのです。
お金のない中を、上級に、大教会に、また本部に尽くして来た結果。上級、大教会、本部だけが肥満を通り越す位ににブクブクと太っている姿をさらしています。
「何も言わずに粛々と止めれば・・」というのは本当に勝手な言い分です。
「盗人たけだけしい。」にも程があります。
部内を苦しめてきた上級、大教会、また本部は、しっかり、さんげして、責任を取らなければなりません。
信者が数人の末端教会の後継者です。全員が必ず助かる教えでも無いから、仕方ないですよね。
助かれば…心の切り変えが出来た、神にもたれ切れた、神がはたらいた、御守護を頂いたetc
助からなければ…まだまだこれから、助かっていないようで助かっている、前生のいんねんがある、自分だけでなく周りも変わらなければ、如何なる神の思惑か(人間には分からないこと)etc
私は、後出しジャンケンのようなことは言いたく無いので、はじめから「必ず助かる訳ではありませんが、多くの助かりを見聞きしてきました。少しでもいいので、教えを実践してみませんか?」と話をします。
予防線を張るなとか、そんな半端なことでは神がはたらくわけない と言われましたが、これでも良い方向へ向かっている方もいらっしゃるので、別に気にしていません。ほとんど外働きでまともなにおいがけはできていませんが…。
昔、超絶的な、大変な熱量を持った信仰者がお助けに出て、たくさんの人の助かりを経て、大きな教会がたくさんできました。
時代が経ち、代を重ねるに連れて、社会、人間関係の複雑化、科学、医療の発達により、今の教勢となっています。
時代が味方となれば、あれだけの勢いも生まれ、時代が敵(敵対、乖離)となれば今のかたちに。
真柱や本部が教理や規定を変えてきたように、その下の組織や人間も変わらなければいけないのではないのでしょうか?
とりあえず私は教会を継ぎますが、結婚は考えていません。結婚して子供を授かったとしても、継いでもらおうとは思いません 笑
カレーライス様
皆様が言っておられるように教会の困窮は布教していないからだとの発言は全くの的外れです。当教会の上級で思考停止している盲信教会長もあなたと同じ事を言っていました。自教会の経済的困窮を訴えた時の事です。布教してないからだと言われた時の虚しさを今でも忘れることが出来ません。布教して金を集めよ、そうすればお金の悩みは解決すると言わんばかりに。あなたと同じ認識でした。
布教イコール金集め。少なくとも私にはそんな思考はおぞましい。
私たちは現状の天理教の環境では「良心に恥じて」もうこれ以上の布教は出来ないのです。これ以上の犠牲者は出したくないのです。これがここに集う人たちの共通認識です。そしてここに集う人達は他人のお金をあてにせずに人助けを思い、貧しくとも自分の足で立とうとしている人ばかりと思っています。
布教しないのではなく布教できないのです。まじめな良心です。
【注意! 後継者講習会】
所属教会が、信者に無断で参加申込手続する事案が発生しています!
そろそろ人数獲得に苦しいところがやらかすかと思っていましたが、現実に起きています!!
今のところ私は2件聞いています。
(偶然?2人は同じ直轄大教会で、別々の教会所属の人です。)
参加対象年齢だけど、教会からの打診を断った方。
無断申込みされる可能性、頭の片隅にでも入れておいて下さい!
余裕のある方は、あらかじめキャンセル方法を調べておく事をお勧めします!!
所属教会が信用出来ないと思ったら、本部直轄の上級へ申込状況を確認して下さい!!!
参加を執拗に迫られたけど断った「つもり」が、本部から参加者向けの通知が届く。
ありえない事、あってはならない事です!
無料セミナーの水増し参加名義貸しじゃないんですよ、参加費も旅費もかかる講習会ですよ!
勝手にこんな事しておいて、「素直に受け取れ」だの「不足の心ではいけない」だの「親神様おやさまが呼んでくださってる」だのと諭せば信者が従うと思っている教会に、私は憤りを隠せません。
>昔、超絶的な、大変な熱量を持った信仰者がお助けに出て、たくさんの人の助かりを経て、大きな教会がたくさんできました。
お地場に、教祖、本席様が御在世だった事を見逃さないでください。
>布教しないのではなく布教できないのです。まじめな良心です。
観光スポットとしてならともかく、お地場に人様をお連れしても、信心の対象であるはずの本部の先生方の精神が人類の手本になるどころか、世間並にも劣る、ねずみ講の親分衆の様な人間さえ混じっている始末では、布教したら世間様に迷惑すらかけてしまうのではないかとさえ心配してしまいます。
目覚めない本部幹部のお陰で、神の残念は積み切り、お地場と世界の掃除の為に、目を覆いたくなるような現象が頻発するのでしょう。
疑問を質問。天理教会を横文字で表記するときTENRIKYOU CHURCHとしていてハッピなどもそうなってますがチャーチはあくまでキリスト教会のことじゃないんですかね
まあ、北朝鮮と体質的に酷似している団体なので細かいことは気にしてないのかな?
テンプルにしちゃうとお寺になるし?
まーどーでもいいっちゃいいんだけど、、、
そう言えばちょっと昔に「キリスト教との対話」ってゆーのが有ったけど、対話するのはキリスト教じゃねーだろ?
教内で必死に頑張って苦しみもがいている道の子供達とだろ!とあきれたもんです。
それにキリスト教側からすればこんなヘッポコ団体真面目に相手してないだろうよ。なんか勘違いしてるんだよな。
とにかく何をしてもズレてるのが今のご本部てすか?
キリスト教とも対等に、わたりあえる世界宗教天理教でございます!と内外にアピールしたかったのかな?
何をしてもいけてない、残念としか言いようがない。喜劇でございます!
今思ったけどこれまでの一連の出来事を映画化したりしたら面白いかもね!ちょっとしたコメディーになるかもね!かなりの資金と労力が必要だろうけど、、、
ひとつだけはっきり言えることは今の天理教と関わると精神を病む、そしておかしな人生を歩むことになる。周りの人間も巻き込む。軌道修正はなかなか難しい。ので関わらないことが最善。
やむなくの場合は距離をキチッと取る。ってことでしょうか!
人生は一度きり!自分の人生を大事にしよう!
構成員の人生をガタガタにしてそれと引き換えに成り立たせている団体ですなー。
長文失礼、とまらないなーかっぱえびせんみたいだなー
でもいつまで徳川幕府的運営を続けるんだろう?
愚かだね、ある意味かわいそうだね!
あわれんであげてもいいかもね!
でも、苦しんでいるのは末端の人たち。
誰かがだいすけさんの手腕に期待!ってコメしてたがキムジョンウンの手腕に期待?
徳川慶喜の手腕に期待!
チャウシェスクの手腕に期待!
構造的にダメなんだからダメでしょう!
これからも未来永劫世襲よろしく!笑
頭の中がお花畑?
長生きできるね!115までいけるんじゃ?
てか、115まで生きれても生きたくないわ!
80才ぐらいが丁度よくね!傘寿かせいぜい米寿
何がめでたい90才!とゆー本も出てるよ
天理教がCHARCHIはおかしいです。知り合いの教会が配った会長就任の記念手ぬぐいにも〇〇BRANCH CHARCHIと印字されていたのでチャーチはキリスト教のことだと思いました。適切な表現はないのでしょうか。
そこの教会は会長交代の際、前会長の「更迭」に際し今般私が就任しました。今後ともよろしく・・との挨拶文とチャーチの手ぬぐいとを大教会以下全教会に配布していました。「更迭」には一瞬目を疑いました。前会長は何かしでかしたのかと思いました。円満引退なのに「更迭」はないと思いました。チャーチと言い、更迭と言い言葉の意味を注意して発信しなければ天理教も素養を疑われ、世間に向けて恥ずかしいと思った次第です。
失礼いたしました。
報恩、感謝、報恩感謝、これらは天理ではよく聞く言葉の一つですね。
東京では恩賜公園というのがありますよね!はじめ恩賜ってなんだ?と思ったものです。
国もひとつの組織なので人民に対してあなたがたは国に恩があるんだよ!というのが統治しやすんだろね。
ところで、外部からまたは上部から報恩!感謝!と言われるのはこれはまぎれもない脅迫且つ強迫行為だと思います。
これは、天理教者のかたは意識的、または無意識的にこの脅迫により強迫、強迫神経症的になりかねないのではないかと、いつも何かに迫られている精神状態にあるのではと今感じましたので書いてみました。
とにかく息苦しい!こうであらねばならぬ!こうするべきだ的な空気を幼少の頃から感じていました。
仏教でいう融通無碍的な発想は皆無だと思われます。
また変な厳格グセというものでしょうか。これは天理のせいではなく一族の性質かもしれません。なんでもかんでも天のせいにするつもりはありません。でも、関係はあると思います。
”恩”というものに関しては本来は誰かに言われるものじゃなく自分自身が感じるものだと思いますが、、、アドバイスはいいと思うが
上から ”ご恩報じの意識を高めよう!”といわれても????ですね!
つまるところ ”ご恩報じの意識を高めよう!=お供えを頑張ってしよう!でしょ!直球で自爆!笑!
もうすこし、ひねれないかな?と思いますがおそらく台所事情が苦しいんでしょうか?
教祖さんが ”恩が重なりその上は牛馬の道が見えてあるぞや!”と残しておられるようですが、はっきり言ってこの言葉はわたし個人としては嫌いです。地獄におちるぞーといわれてるようなものなので。(はっきり言って脅しです。)
でも、とりかたひとつで簡単に言っちゃえば、してもらってばかりじゃだめだよ!してもらったら、ちゃんとお返しもしないとダメだよ!それを、社会、世界に対してやって行こう!ということだと感じますが、、、(これも社会通念上?一般的に道徳的に?認知されてる?考えかたとおもわれますが)
またそうじゃなく、その受けた恩を毎月毎月延々と特定の団体にお金で納め続けましょう!となってしまっているのがやはり問題ですね。まあ、実質破綻してると思われますが、、、
それに、その恩を感じ特定の団体にお金を納めるってことで外に対してはたらきかけができていないのが問題ですわな。組織の維持、管理、人件費、新しい建築物に使われて完全にもう組織の中だけで終わってしまっているのが現状でしょう。そこに、世界や社会に対してのアプローチが一切感じられませんが、、、
この宗教団体は完全に内向き、何がなんでも内向き、だと感じます。考えてみればよくもこれだけ内向的になれたもんだと感心するところです。いつから、なぜこうなってしまったんだろう?何かに怯えている?
天啓があったと思われる人が現れると排除、排除ですか?意見するやつも排除、はみだしものも排除、気に入らない奴も排除、何でもハイハイと言う事をきいて黙っておとなしい従順な人間だけが生き残ってきたということか?いろんな人がいて意見も有って個性もあって、おもしろい、よく言われる多様性ってやつですね。あそこには多様性は皆無ですか?多様性を大きな器で包含する器量も度量も無い。何かを守ろうとしているのか?(戦中の国家権力との対峙によって守りの体質になったと見てもまちがいではないか?) 金太郎あめのようにどこを切っても同じ顔かよ?人間じゃないな?ロボットの世界だ。
神の世界には多様性は必要ないか?邪魔か?人間には我というものが有るので、おれが、わたしが、の我が邪魔をするのかな?でもひとついえるのは画一的にはなりたくない。人間じゃなくなっていく、、、
今、ネット上で目にするものでNEW WORLD ORDER(新世界秩序)というものがあるという。それは新しい世界の管理者が一般市民を無機的に管理するというものらしいがそこでは多様性なんざクソ食らえ、で画一性が求められる。人間性の喪失である。似てるよね、天もそんなかんじかな?同じニオイがする気がする。
それと唐突ですが意見が既に出ていると思われますがこの団体は社会的にもひきこもっていると感じられます。今現在の日本は百万人単位の引きこもり者がいるといわれています。大きい社会問題です。無理につなげたんじゃなく先ほどのお供えを受け取る。で終わり、社会に向けてアクションできてないてことは立派なひきこもりだと思います。自組織がガタガタで外部にかまっていられないのが実状で社会に貢献していくパワーもないでしょうね!
最後にこの社会的にひきこもっていると思われる天ですがここにつながる構成員?のかた、わたしもそうですけど、この組織の社会的ひきこもり体質の影響を少なからず受けてませんか?
極端な内向性は何かに怯える!何かを恐れる!からくるんじゃないかと素人ながら思いますが、わたし個人は性格的な事もあるかとは思いますがかなり内向的です。まあ内向性が全てダメだということじゃないですが、度が過ぎると社会生活に支障がでますよね。
一企業の理念などでも社員は多少なりとも影響を受けますからね。良い影響なら全然いいんですけどね!
みなさんは大丈夫でしょうか?
今回も支離滅裂で長くなりました。失礼しました。
天理教によって一生癒えることのない心の傷を負った方は少なくない。その最大の原因は教祖の教えが正しく伝えられなかったという基本中の基本が欠けていたことだろう。
それが日常化して、日々の生活の中に様々な言動に現れて小さな子供たちの心まで蝕んでしまった。
貧のどん底に落ちきれという言葉が神の言葉だったのか。小学校の高学年の頃に天理教とは何の関係も無い周囲のものから揶揄され続けた「やしきをはらってたうりたまえてんりんきょうのみこと」の言葉は何十年という年月を経ようとも心の底に焼き付いているトラウマだ。
だいすけちゃんが天理駅前で路傍講演!てニュースあったけど、誰が聞くんだろう?そして何を話すんだろう?やってまーす!のパフォーマンスやな。しょっぼいパフォーマンスやな。だいいちクサイ。
えらそうにまさかあの時代錯誤のハッピでやってんじゃねーやろな?ほんまあれは天のダサい象徴だす。だいたい自分の所属している組織の屋号なりなんなりを背中にドーン!前襟に直属、所属とか?いつの時代や?わかった!江戸時代の火消しはあんな感じで時代劇でみる。
今はパナソニックになったけど松下電器の社員が背中に松下電器ぃーって書いた制服着てたらアホやで。どこも取引に応じてもらわれへんわ。恥ずかしいはず自分も恥ずかしい、見ている外野も恥ずかしいやっぱり、おかしい!センスもない、客観性も無い。裸の王様状態。
何から何まで江戸時代から変わってないないろんな意味で。
時間が止まってるわ。
こちとら神の世界なのだ!時代なんて関係ないのだ!時代がこちらに合わせるべきなのだ!ぐらいの感覚かな。
だいたい自分のお膝元でなんの障害も無いとこで一席ぶってもなんの影響も進歩も無い。つーかほんま誰も聴いて無いやろ!それなら、ネット上でいろんな意見当然不満もあるやろうけどそれらの意見を持っている人々と正々堂々と戦ってみろや!←現実的に無理やね。戦えんわ。戦えんし、けちょんけちょんになるのは確定。でも、自分はお高いところにとどまって涼しい顔してんじゃなく苦しんでる先輩教友の中に飛び込んでこないとあかんやろ!
まあ、飛び込んでこんやろな。聞く耳もあるかどうかだ?
その方が自分も勉強になるやろし得るものもあるはずや。それを無視してご近所の駅前で路傍講演。ほとんど、おままごとかマスターベーションやな。
時代が進み流れているってことはわかっているはずやから。あえてこの戦法?
ところで、天理教のくそでかい建築物群親さとやかたはじめ地方の各教会。ここでも徳川っぽく城、城を意識したような不合理極まる建築様式、親里やかたなんざありゃ要塞じゃ、軍事施設のようじゃ、アメリカのペンタゴンてあるらしいが似てるな。
で、いくらどでかいものを建ててくれても結構。それが、みんなの役に立って使われて利用されてるならドンドン建ててくれていい。しかーし、現実は超がらんどう、伽藍堂、正真正銘の伽藍堂ほとんど使われてまシェーン。
と、えらそうに言いましたがデータは無い。しかし、ざっと稼働率は間違いなく一桁?しかも、下手すりゃその前半じゃ無いかという疑いも。データも無いのにわかるってすごいな俺。
この伽藍堂群(詰所群も含む)何十年先には廃墟と化し、近い将来、地場もゴーストタウン化する可能性も充分考えられますな。
また今回も長ーくなってしもた許せ、、、
天理教の環境に生まれたら自分の好きなことをすることは罪、許されない。自分の可能性を追い求めるのも罪。
自分の事は横に置いといて、ひたすら自己犠牲的に生きることを強いられる。
それぞれの個人が自分の人生を思うように生きられたら天理教組織が成り立たない。ので洗脳され、精神的、経済的奴隷に成り下がる。でもそれをひながたとかいって肯定し納得させる。
みんながみんなそうじゃないとは思うがこういった環境で生きてきた人は多いと思う。
洗脳から抜け出さないと行けない。
天理教はよく有るいい加減な宗教とは違う!これが本当の人の道だ!と思い込ませられているパターン。
このウソを見破り現実を直視しみんなが目覚めないと行けない。
てか、目覚めてるか?もうすでに、、、
こんな馬鹿げた事はもういい加減やめにして自由でのびのび本当の陽気ぐらしってやつをやろうじゃないの。
「本部に花道が?」
14日、本部に行って来ましたが、東礼拝場と館の真東棟の間で、とんでもない長さの「花道」の設営が行われていました。
花道の高さは約1.5m、幅が約2.5mほどです。
足場の上に厚手の合板で作られたパネルが敷き詰められていました。
東筋の通りは、車が往来するためか花道は道に沿って置いてありました。
その部分の足場は車付きでしたから、人海戦術で動かして一気につなげるだと思います。
この「花道」は、もしかして「新郎新婦のお披露目花道」?
近くにいた人に尋ねたら、
「詳しい事はわからないが26日の午後か夜に新郎新婦がこの花道を歩くらしい」との事でした。
役者でもないのに花道を歩いて拍手喝采をあびるとはいやはやまったく。
本部の思考は、「停止」ではなく「異常」の方が似合っているかも。
「鏡やしき・ぢばは丸曇り」ではなく、もはや「真っ暗闇」ですね。
その太亮氏夫婦にもやがて子供が出来るだろうが、赤ちゃんは果たして幸せなのだろうか。いやいや、その前にまたまた出産祝いの督促が来るだろう。皆さん身構えておく方が肝要です。
カネ喰い虫のやることは何かにつけて派手ですから注意しましょう。生まれてくる赤ちゃんには何の罪もないのですが、周りが罪をかぶせてしまうのですね。そっとしておいてあげることは出来ないのでしょうか。
北朝鮮:ピョンヤン=(宗)天理教:おぢば
ピョンヤンだけはハッピーで問題が無いように見せている。
地方の人民は食うや食わずの悲惨な生活か?
何この、共通点!
東風Z様
だいすけ夫婦にもやがて子供ができるのであろうか?
できるかもしれないし、できないかもしれない。
二代続けて子供なし。も有り得る。
そうなれば、やはり神の意志は世襲はやめろ!との神意と悟るとこができるでしょう。
神の意志でなくとも世襲は弊害があることは明白だと思われますがね。
まあ、そうなったとしても、どこからか血をひくものを無理につれてくるやもしれませんがね。
これを、ごり押しともいいますね。
<ある書き込みより>
・・・・・
信者、教団発表約120万、実質信者推定42万余(民間各種団体調査機関発表)の立教200年に満たないローカル宗教は、あちこちで腐食感が目立ってきましたが、腐るにはまだまだ早い。
端々は「世俗・世間」という「空気」に触れるから、酸化・腐食が進んでも仕方ないが、中心に近いところから腐り始めるのはいかがなものか。
宗教内には、「特権」や「既得権」など、あろうはずはないと思うのですが、そういうものが見え隠れする時点で、腐りかけている。信者端々から集めた「真実」はせめて人助けのために平等に扱ってほしい。特に代々中枢にお仕えしたからといって、その方々の莫迦息子・娘に高額な投資をするのはやはり可笑しい。端々はきちんとそれを見ている。
今の世の中、或いはこの日本社会では表現しきれないほどの厳しさのなかでうつになって苦しんでいる人は数え切れないほどの多さになっていて社会問題化している事は言うまでもなく周知の事実だ。
さて、今の天理教がこれらの問題について少しでも貢献なり助け、救いになっているかというと残念ながらなりえていないと思われる。
それどころか、逆にこれら現実社会の苦しみの上に、もうひとつの苦しみを与えてしまっている。
特に天理教の末端の後継者や真摯に信仰し、道を求めている真面目な人間ほど苦しむ事になっている。
なので、教内で精神を病み、命を絶つ人も多いと聞くし現に私の周りにもいる。ひきこもりや不登校、社会になじめない人間の多さも調べるまでもなく相当数いる。
結果的に二重、ダブルの苦をうけている。そりゃ病むわ!耐えきれず自殺するわ!て事だ。
やはり、天理教者の苦しみは計り知れない。この悲劇的な現状を招いている原因はもう言うまでもない。しかしこの罪は重い!重すぎて、コチラも計り知れない。この二重の苦しみから少しでも解放され洗脳から解き放たれ人間らしい人生を歩めるようにと願わずにはいられないがそう簡単に解決できる問題ではなく複雑でもある。
罪は重い!と書いたが書くと軽くなる。
こんな文面で書きあらわせれるレベルのものじゃない。人の命と人生に関わるものだ。人間の尊厳に関わるものだろう。
そうなると、あの腐敗集団は人間の存在、尊厳を踏みにじっている。冒涜しているといっても過言ではなく、冒涜しているというレベルを超えて犯罪団体と言わざるを得ないレベルなのかもしれない。当の本人(団体)はそんな意識は無いだろうが、、、
>天理教者の苦しみは計り知れない<
天理教の教会は相談して解決出来る集団ではありません。帰ってくる答えは「では理を立てましょう」「後は神様にもたれましょう」これだけですから。
部内からお金を取ることが自分の信仰の深さと信じて疑わない上級一家の答えは、悩み事相談イコールお供えせよでした。私たち部内から絞り取るお供え金と彼らと同居していた女性の障害者年金が頼りの一家でした。その障害の女性を人目もはばからず、どれだけ虐めていたことか。
人として在るべき姿の基本的な要素の抜け落ちた世間に通用しない人達でした。最低の教会です。
その下に居た私たち部内教会も金銭的、精神的な面で当然のこといじめぬかれました。兄弟は心を病み、親子関係も分断され(上級が間に入って親子関係に亀裂をもたらした)上級から得たことは皆無でした。恨むと言う「ほこり」をかぶっただけでした。
こんな最低な人間でも、誰でも「人助けの教会長」になれるシステムもまた異常です。
本席様以後の中山家が、お地場をヨロズタスケの本拠地にする事を放棄した結果、世界中にご迷惑をおかけしています。
お供えを拒否するのが本部にとって一番のクスリ
<ある書き込みより>
教会長不在?
時代は流れ、どんなに大きく立派な教会も信者減少となった教会は祭典を終えれば閑散としてしまう寂しい教会がほとんどという時代となってしまいました、うちの自教会の会長も普段も人に使っていただけたらと考えるうちに策無く、気づけば平日は誰もいない教会となっています。
でもそんな教会はどこでも普通、親神様から見たら異常、教祖様から見たら悲しくて落胆されているかもしれません。どうせ、誰もいない教会なら、もっと有効に活用したい。端切れ一枚すらも大事にした教祖の思いを考えれば、教会というところもまた毎日、誰かのお陰でそこにあるわけですから感謝を忘れてはいけません。
上々級の教会では御用の無い期間は詰所を町内会の会合に開放してたりしているそうです。すばらしいですよね。
ネット検索しているとそんな教会が実はちらほらみつかります。
リンク先のこの方も教会を預かっている方で有効活用しています。教会は信仰している為の場所ではありません、人が集える場所ですから、多いにこういう活動は天理教の教会は可能な限り広めてほしいものです。
ある大教会の門前を通り掛かった。立派な塀をめぐらし、続く門は黒色一色に天理教〇〇大教会と書かれたいかめしい看板がぶら下がっている。
教会は、土地・所のひながたと自負しているが、敷居の高いこのような所に誰が相談に来るのでしょう。
仮に行ったところで、見すぼらしい姿であれば、あんたの来るところではないと追い返されるのが関の山でしょう。天理教は大切なものを見誤ってしまったのではありませんか。(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡と気楽に行けるところではありません。
お供え掲示板の方で、こちらの方でも、かなり書き込みがあった、本部の大教会乗っ取りの件について、昨日、下記の意見が寄せられておりました。、
「本部の大教会乗っ取りについてですが、どなたか情報をお持ちですか? 噂で聞いたのですが、中○大教会長i氏が辞職して本部のs氏が代表になったと聞きました。部内で何があったのか知りませんが、結局、本部員が代表になったわけですね。
まともじゃない大教会も多いとは思っていますが、最近は本部から、大教会長を引退した本部員が、問題のある大教会を引き継ぐというパターンが増えているようにも感じます。」
ここのコメント欄では、本部が大教会を乗っ取ろうとしたことがバレて、大教会が本部を訴えるとか、そのような経過になっていると思いましたが、上の投稿によると、すっかり乗っ取られているようですが、いったいどうなったのか、詳しい方がおられましたら、情報を上げて頂きたくお願い致します。
悪いのは本部で、大教会長は被害者の筈ですが、合点がいきません。何か他に事情があったのでしょうか?
理をたてる=お供え
いつからお金が一番になったのか詳しい方
教えて下さい。
私は天理教=お供えと上と言われる人の言う事は絶対のイメージしかありません。
<お供え掲示板> はぐれ雲さんの投稿の転載です。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
神様って本当に居るのだろうか?
僕は、神という個体有体はいないと思う。
だが、宇宙であり、地球であり、世の中の森羅万象自体が神なのではないだろうか。
そんな気がする。
昔に、母を介護し、病院で最後を看取った。
極貧の信者もいない、末端の天理教の会長を続けてきた母。
「苦しい、神様助けて!」と、病院のベッドの上で。
何度も口にした。
そんな母を、どこか冷めた気持ちで、看病していた。
宗教団体の中に、神様は居ない。
親神、祖様、神様と、天理教の人は、気なしにくちにするが。
言葉に出せば出すほど、神様は上っ面だけになってしまう。
神様は、公平も平等も与えてはくれない。
世の中は、不公平不平等で成り立っているのだから。
天理教の家に生まれた時点で、不公平なのだから。
神様に、公平も平等も求めてはいけない。
人は人でしかないのだから。
生まれ持った性分や個性があるのだから。
だから、人間なのだから。
教え教えと、口にするが。
何が、本当の教えなのだろか。
中山みきは、何を伝え残したかったのだろうか。
教えではなく。
本当は、提案であり、提言なのでわないのだろうか。
僕は、極貧の末端の天理教の教会に生まれ育ちました。
幼い頃から、沢山の理不尽を見て受けてきました。
沢山の理不尽な、天理教な大人達を見て受けてきました。
神様、教えという言葉に、逃げてばかりで。
行動が伴っておらず。
逃げる、その場しのぎ、手のひらを返す、上部だけの仲間意識…。
そんな、天理教な大人達を沢山の見て、争ってきました。
僕は昔に、天理教の教会を整理しました。
母の葬儀も天理教では執り行いませんでした。
僕は、天理教の家に生まれ育ち。
良かったな、楽しかったな…など。
思ったことなど一度もありません。
天理教も、大人も、理不尽だと。
子供ながらに育ち生きてきました。
僕の教会の上級は。
十何ヵ所を束ねる教会です。
大教会内でも、発言力はあったと思います。
前の上級の教会長には騙されました。
昔に、あとを継いだボンボンの若上級会長に。
僕は、こう言いました。
「貴方が神様を語るから、薄っぺらくなる。
末端の現状から目をそらすな!
成ってくるのが天の理…だと。
無責任にもほどがある。
神様を口にする前に、1つでも行動に移せ!
みんな、貴方から離れて陰口ばかりじゃないか。
神様神様じゃなくて、週一日でも、肉体労働の現場に行って。
泥と汗にまみれて、自分でお金を稼いでこい。
無駄な建物や、自分達の住居を何千万も借金して。
誰が、払ってる?
みんな、お供えじゃないか!
集金目的の月祭なんて、自分の所だけでやれ。
貴方は、神様神様と口で言っていれば良いかもしれないが。
末端の面倒も見れなくて、何が上級だ。
上にたつなら、もっと人間らしく成れ!
貴方から、だんだんと人は離れていく。
ずっと、本部や大教会の手足でいればいい。
貴方の言葉は、まったく響かない…」など。
立場、歳関係なく。
言ったこともありました。
天理教の本部や大教会や上級。
上層部は、ヤクザ以下の社会です。
上層部の陰口をする人は多いが。
変えようとする、行動する人はいない。
本部の中で、本部を変える動きもない。
集金に懸命で、体質を変える勇気が無い。。
末端も末端で。
デモや抗議をする勇気が無い。
まとまりも、熱量もない。
不平ばかりが募っていくばかりだ。
人が離れていくばかりだ。
でも。
天理教の中でも。
真面目に信仰心をもって、生きているいる人も沢山います。
それは、それで、素晴らしいことです。
僕も、子供おぢば帰り、学生会、などは。
ほんのり、楽しかった覚えはがあります。
社会に出てからは、大人になってからは。
逆になりましたが。
天理教の中の方々をすべて否定するわけでわない。
気持ちいい人も沢山いる。
ただ。
僕に対しては。
母も父も、上級も、同部内の教会長たちも。
僕の家庭の現実を見ずに。
後継者だ、因縁だと。
勝手な、恩着せがましい期待を、無理強いしただけであった。
天理教を信仰するならするばいい。
天理教からはなれるなら、離れればいい。
お供えをするなら、無理のないように。
お供えをしないなら、しなければいい。
それも、神様の受け止める森羅万象である。
僕は、天理教の行く末には興味はない。
天理教には、恨み辛みしかし残っていない。
僕は、天理教な大人達によって。
心身ともに、人生も壊された。
天理教な大人達によって。
子供や若者達の未来を。
決めつけたり、踏みにじることは。
絶対に許されるものではない。
不公平も不平等も、人間が造るもの。
神様でなく、人間が造るもの。
なら、人間が修復し、回復しなければならない。
天理教に可能性はあるのか、どうなのか?
それは、天理な大人達が向き合っていくことだ。
ネットで検索すると。
数々の天理教のサイトがあるが。
批判が多い。
批判のなかでも、時には。
天理教の良さを、載せる人がいてもいいのだろうに。
でも、批判が多いということは。
本部、上層部が、ブラックなだけの話だ。
人間として。
社会も天理教も、可能性や希望がある。
それを見いだせる人達が、もっと増えて欲しく願います。
そして、天理教被害が、もっと減ることも願います。
しかし、皆さん苦悩されてますね。わたしも他人事じゃなく苦悩してますよ。でも、これは、もう自分で解決するしか無いですよね。
ただ、この場で言われているように今のあの組織は本当の事を隠していて本来の教えが有るのか?この道は神の道なのか?今となってはわからないし、どういうスタンスで向き合えばいいのか?付くのか?離れるのか?悩ましい。混乱しますわ。
もし仮に天啓者が現れたとしてもまた隠されていた教えが有って明らかになったとしても結局自分の人生が劇的に好転するかどうかわからない。それとこれとは別で結局組織が腐敗していようが真っ当になろうが自分は自分と腹をくくらないといけないと自分自身自戒をこめて思います。
何かを期待しても儚いし依存しても虚しいしやはり自分を信じるしかないすよね。
私自身教友と呼べる人は一人もいませんし、家族ともこういったことで話したり相談しあったりすることも無く正直孤立している状況です。
しかし、
先にも書きましたがみんな、苦悩しまくっている、でも、この苦悩から逃げたらあかんし逆にこの苦悩を受けとめバネにして生きて行かなあかんと思うしそうする他に道はないだろうと思います。試練でもあり試されているともいえるのではと感じます。
人生は待ったなし!すよね。いつ死ぬかわからないしね。
まあ、あまり思い詰めないで気楽に行っても良いのではと思います。じゃないとほんまにうつになるからね。
なんだかんだで、自分を一番に、大事にしないといけないとこれまた自戒をこめて思いますです。
青年や教会住み込み家族、
さらには大教会長までも
夜逃げ、失踪が絶えませんね。
おやさまの教えを信心しているではなく、
本部や大教会が言うことを信仰している宗教。
まさに心ここにあらずで、
本部や大教会を信じて仰げと
呼びかける「信仰」ですね。
何を信じていいのか分からないし、
言ってることとやってることが違いすぎる。
そりゃ人も逃げるし、
逃げる方がまっとうだと思います。
本来、最高に成人した方々が、おつとめ人衆、おたすけ人衆として存在し続ける筈のお地場の御屋敷なんでしょうが、鬼上層部の問題も、結局宗教を支配欲に利用した、歴代真柱の任命責任なんでしょうね。
心の成人を基準にした本部人事を期待します。
非常に納得させられる意見です。
宗教の定義 – Chikirinの日記
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060513 …
ここ数年仏教が見直され世間に受け入れられている。
坐禅瞑想など人気であり素晴らしいと思う。
ただ、仏教は基本的に女性蔑視的なところが有るようで専門の修行道場でもほとんどが男性のみである。
ひるがえって天理教、教祖が女性でこれは世界の宗教からみても珍しく、また男女の差別は無いという画期的な教えを説かれた。
当時日本は江戸時代末期でまだまだ、男尊女卑の考えが根強く有った中で、まさに画期的、時代を先取りする先進的革命的な教えだった。
そこで現行の天理教団、しんばしらは男子とする!
折角中山みきさんの画期的な素晴らしい教えなのになんでそうなるの?と思わずにはいられない。
何で男子に限るのか?神性、霊性の有る人なら男女なんか関係ねーやろ!
女性蔑視してないかえ?人口の半分は女性だし、教祖さん自身が女性なのにな!
天理教のええとこ、ぶっ潰してるやん、とゆーか教えに背いてるやん自ら、、、だめだこりゃ!
やっぱり二代さんは、いたんか?
菩薩 様
全く同感です。が、
>やっぱり二代さんは、いたんか?
というところ、何がいたというのでしょうか?
できればそこのところ、ご説明をお願いします。
二代さんは、修司さんから続く応法派ですからね。
そうでなければ革新は無かったし、ほんみちの分派も無かったかもしれません。
教祖派からすれば、異端…というか相容れないでしょう。
現在の本部には、教祖派と言えるような人は居ないのでしょう。
応法派で出来上がった組織ですから。
いや、意外と四代さんは「国々所々のつとめ場所」的な話もしているし、内心は教祖派で…ちゃんと復元したい人だったりして?
>やっぱり二代さんは、いたんか?は、女性が一杯いたんか?かも。
<ある書き込みより>
今回の衆院選で判ったこと。政治家はどいつもこいつも、自分のことしか考えていない。「国民の生活と安全」?笑わすな!これを最優先に考えている政治家なんかどこにもいない。
今回の衆院選で、唯一ハッキリしたこと。与野党すべての政治家の興味は、ご自身の去就のみ。当選しても落選しても、次回の当選のための準備にしか興味はなく、税金を無駄につかい、国民のためには何もしない。
おたすけ人がこうなれば、本教は終焉する。本部員の不祥事、直属教会長の「やーめた!」、上に尻尾を振り続ける本教の「学校法人天理大学」傘下の学校関係トップの方々も政治家みたい。
中枢にいる方々にも、本教末端の断末魔の叫びがハッキリ聞き取れるのにどなたも知らん顔、そして、能天気におぢばでは「光と音のページェント」。あ〜ぁ
少し前の記事で国会議員と幹部が写真を取っているのが有ったが、(票が欲しいだけのクズ議員と)そんな輩達と写真に収まっている天理幹部もクズ仲間と言われても反論できまい。
腐敗組織の中枢部は完全に疲弊している末端の存在や現状を把握しているのだろうか?
見て見ぬ振りか?(疲弊の規模があまりにも大きすぎて手のつけようがないのもわかる)
疲弊している現状を憂うんじゃなく金が集まらないことを憂いているからな。
末端を切り捨てにかかっているか?
金を運んでいるうちはそれなりに・・・
それができなくなった途端用無しでサヨウナラ
というよりも、元から集金のための道具、コマ、人を人と思っていないだろうから切り捨てるというよりも物を扱うぐらいの感覚か?
しかし、光と音のページェントって・・・笑える。いや悲しみの感情が・・・
あ、まだあった。花道も用意されてるらしいね。
どんな顔して歩くんだろう?別の意味で見学に言ってもいいかもね
やっぱりピョンヤンだな
本部の大教会のっとりの情報が全く入って来なくなってますね。その後どうなったのか、どなたもご存じない、ということでしょうか。「中○大教会長I氏が辞職して本部のS氏が代表になった」という噂が本当なら、本部は権力をごり押しして、無理を通した、ということになりますが・・。
何がどうなったのか、よくわからないうちに、大教会長の首がすげ代わっているとは、怖ろしいことです。
匿名2017年10月21日 11:27 AM
その噂が事実なら面白いことに成りますね!事実乗取りが行われた確固たる証拠が白昼堂々と公表されるのですから!本部側がどのような言い分を申してももう信じる愚か者は居ないでしょう。どのように公開されるのか楽しみです!語本部様の話題提供を心よりお待ち申しております!!!
この雨と風はいったい何だ?また、その日が選挙の投票日になるとは、、、
というか、ナゼ選挙をしたのかイマイチよくわからないのだが。
このめぐりあわせ。どう悟ればいいのやら。
日本という国がこれからどうなっていくのか、、、
例の組織は自組織の事でアップ、アップなので社会や国の事を憂う余裕もなかろうな
そんな視野の持ち方はとうの昔になくなっているか?
自組織の存在価値と存在意義が薄れゆく中で何とか存在感を示さねば!とゆー感じかな
ぶっちゃけ、無くなっても何ら問題が無いどころかいっそ無くなってくれた方がスッキリ、清々、すがすがしい気分になれるような気がする!とゆーか成る。
一言で言うと終わってるとゆーことだ、、、
これが現実であーる。言い過ぎか?
匿名
2017年10月21日 11:27 AM
傍観者の私で申し訳ないですが「本部の乗取り」は教内注目の最重要事件です。早く本部よりの発表が聞いてみたい。
どんな発表をしても何かしらの手はずが言ってるのでしょうね。表面綺麗に繕った話にもう誰も騙されませんし、それに実行され結果が出たのならば、それは真柱が許したと言う事なのでしょうからこれは大惨事です。真柱自らが各部内の乗取りを認めたということに成りますからね。慌しくなります。
以前の投稿で、「心のスタンス」というブログから引用されていた記事ですが(投稿を探すのが大変なので、記憶で書きます、悪しからず。)、ある末端教会の会長さんが亡くなって、教会を継ぐ後継者の方も、ちゃんとおられるのに、本部が突然、その教会家族に、教会を立ち退くように、と理不尽な命令を出し、息子さんは、4年がかりで裁判で争い、結局、ようやく最後に示談にこぎつけた、というような記事でしたね。しかし、そんなこんなで、天理教に嫌気がさし、今は、天理教からは離れておられる、という内容でした。
明らかに、本部のほうが理不尽なことをしているのに、4年も裁判で争わねばならない程、末端教会(下)の立場は弱いものか、と不可解に思いました。
今回の、本部の、のっとり事件でも、大教会は、本部の立ち退き命令には逆らえなかったのでしょうか?
いずれ、みちのともに大教会の会長交代が載るやもしれませんが、大教会長の交代ともなれば、曖昧なことではすまされないことと思います。本部は、天理教の顔として、教団関係者の方々に納得のいくような、筋道の通った説明が必要と思われます。曖昧に書かれていれば、かえって教内関係者の疑念を増すだけと思われます。どういう理由で、会長が交代になったのか、過程も含め、きちんと細かく理由を書いて頂きたい、と思う次第です。
匿名2017年10月25日 3:53 PM
>>みちのともに大教会の会長交代が載るやもしれませんが、大教会長の交代ともなれば、曖昧なことではすまされないことと思います。本部は、天理教の顔として、教団関係者の方々に納得のいくような、筋道の通った説明が必要と思われます。曖昧に書かれていれば、かえって教内関係者の疑念を増すだけと思われます。どういう理由で、会長が交代になったのか、過程も含め、きちんと細かく理由を書いて頂きたい、と思う次第です。
本部は真実を言うような団体ではないでしょう公式発表している歴史からまず虚構、虚構の歴史から成り立っている教団ですので全ては虚構と言えます。ですので過去から現在まで虚構を信じ信じ込まされて居るのが「教団内の熱心信者の方々」でしょう。その虚構を下支えしている事に気が付いた者からこちらのブログ等に書き込みをしていっているのでしょう。そして現実教団の虚構の信仰をやめる者が出てきているのが現在の状態です。この流れは延々と続くでしょうね。遅くてもジワジワと信徒数減少していき早ければ突如本部が銀行への不当りを乱発して新聞等の報道に上がってくるでしょう。
>早ければ突如本部が銀行への不当りを乱発して新聞等の報道に上がってくるでしょう。
本部が不渡りを乱発したりするかどうか? その前に手持ちの膨大な不動産を処分するなどして、一応、世間的に見苦しい状況には陥らないよう体面を保つだけの資産は、本部は充分に保持しているのではないかと思います。
しかし、その、当たり前のことを、本部がするかどうか、ということですね。
本部の資産を処分して、体面保つなどという殊勝なことを、本部がするようには思えませんね。本部が、人助けなどより、実は「金集めを目的」としている、宗教団体の仮面を被った輩であるなら、一度、掴んだ金は減らしたくないのが本音ではないでしょうか。入ってくる金はひたすら溜め込み、出来るだけ出したくない筈です。(悪い奴らは、そんなもんです。)
自分たちの資産を減らすくらいなら、また、乗っ取りの画策をするのかもしれませんね・・・。
こんなことを想像しなければならないのは、残念なことですが。
二代真柱は戦後政界に進出していた天理教関係の人材(常岡一郎氏など)に政界から撤退するよう支持した。
政教分離の観点から宗教と政治が完全に一体化するのは問題は有ると思われるが天理教徒といえども投票権を持つ一国民で有り日々生活を営んでいる以上関心を持ち積極的に関わっていかなければいけない、関わっていくべきだと思われる。それが、社会・世界を良い方向に向かわせることになり悪い方向へ向かう力へのブレーキの役目も果たす事になると思われる。
では、なぜ二代真柱が政界からの撤退を指示したのか?これが大疑問である。何か不都合な事情があったのか?詳細はわかりかねるが何となく推測がつく。
簡単に端的に言うと天理教側から言うと、こちらは神の世界である。政治の世界?それは俗である。聖と俗。次元が違う。なので俗な政治の世界なんぞに首を突っ込むな!となったのではと思われる。本来ならお道と呼ばれるこの教えを治めた優秀な人材を輩出し政界・実業界などに送り込んで活躍させるべきであった。またそれが自組織の活性化に繋がり相乗効果もあったはずだ。しかし、二代は完全にそれを放棄したわけで有る。
もう一つ考えられる事。
天理教側・・・天理教は世界宗教を目指している。世界を視野にいれている。
政治の世界。日本という特定の国家の話。我々は世界を視野に入れている。次元が違う。
とまあこんな感じじゃないだろうか。あながち間違ってはいないだろう。
そして、天理教組織は社会・世間・世界へのリアルな関わりを弱め、関心は自組織にのみ向かい内向していく事になる。
訂正。前出の記事。二行目。支持→指示。
どこかの国と同じ
民衆はその日のくらしにも困っているのに
人様に喜んでもらいなさいと教わりましたが
身内の為にはお金は使うが信者の為にはなにもしない
他の掲示板の投稿です。
https://www.youtube.com/watch?v=YBkaQIXkWmk
万歳三唱、
レーザービーム、
花火打ち上げ
は?
は?
はぁ?
ふざけんな!!!!!
自分は以下のような信仰者を知っている。(自分も複数当てはまるが)
子供の進学費用に泣いてる末端教会や信者さんたち
修学旅行代もお供えさせられた末端教会の子や信者さんたち
自分で稼げるようになるまでいっさい小遣いなどもらえなかった末端教会や信者さんたち
私服などいっさい買ってもらえずに、小学~高校までほぼ学校ジャージで過ごした末端教会の子や信者さんたち
お年玉はすべてお供えさせられる末端教会の子や信者さんたち
初任給全額お供えさせられた末端教会育ちの人や信者さんたち
幼い頃、貧しくて小さい靴を擦り切れるまで履かされるたために外反母趾になってしまった末端教会の子や信者さんたち
有名大学に合格できる学力があったのに学費がないので高校卒業後すぐに働かざるをえなかった末端教会育ちの人や信者さんたち
そして、「貧におちきるひながたをまじめにたどった」ことにより、経済的な理由が大きく影響して独身でいる末端後継者たち
まだまだ挙げればきりがないが、
そんな人たちの「真心のお供え」を、贅沢なパフォーマンスに使わないでほしい!!
何のための教団組織か?
誰のための教団組織か?(中山家のためじゃねーよ!!)
せかいをたすけるためではなかったのか?
使うのなら世間の苦しむ人たちのために使ってほしい。
今回の費用全額赤十字等に寄付すべきだったんだよ。
ほんと呆れるわ。
「あえて言おう、カスであると!!」
大亮夫妻とその取り巻き、
そしてお供えを湯水のごとく自分の贅沢のために使う幹部や大教会長たちに、
山村暮鳥さんの『桜』の詩をおくります。
『桜』
さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに
匿名
2017年10月27日 9:57 AM
「万歳万歳」マンセーマンセー!www
聴衆やらされてる感まんさいで肘が伸びず(苦笑)
これはまさにどこぞの某朝鮮と同じ状態と化しましたねwww
ここまで盛大にやるとはまさに不自然何が不安なのでしょうか?
自作自演で盛り上げないと不安な組織状態が見え見えです。
反中山?反真柱?反頭領?反善亮?反大亮?反のぶえ?
何がこの教団で起こってしまってるのでしょう。空虚な実情を埋めるべく派手な演出・・・
もう、教団を非難する言葉は出尽くした感です。バカげたイベントに付き合う程ヒマもおカネもありません。
今は、芹澤光治良氏著「教祖様」サブタイトル「ふしぎな婦(おんな)の一生」を読み始めました。
まだ、読み始めたばかりですが、稿本天理教教祖伝より余程人間味にあふれていますよ。
善本社(☎:03-5213-4837)から昨年7月第13版が出ています。お急ぎの方は森下神具店さんでも購入できるそうです。ちなみに、私は善本社さんとは何の関係も有りませんので念のため申し添えます。
慶びの集いを見て、心が折れてしまいました。
信者から集めたお金が一夜にして飛んでいく様を
目の前で見ました。
花火を三回も打ち上げる必要があったのか。
こんなに幸せでいいのだろうかと笑顔で語る
大○さん。
何千万もする光のページェント。
正直見ていられなかったです。
自然と涙がこぼれてしまいました。
特設の花道を歩くお二人と
それに群がる信者を見て、
前記の方と同じく
○朝鮮にしか見えなかった。
今日の青年会総会も
感謝と挑戦が
感謝と朝鮮にしか
思えなかった。
今までがんばってきたが
もう天理教を信仰する心が
粉々になってしまった。
仮甘露台の作製費がどれだけかかるか知りませんが、馬鹿大教会長が一千万円も特別お供えをしてしまいました。
本部の花火費用に消えてしまった訳ですね。
仮甘露台の次は、仮トウリョウが倒されないように、注意してくださいね。
今回の成婚披露について思うことを素朴に書いてみる
通常の感覚から言ってあのような派手な演出(光線、花火など)の必要性がどこにあるのだろう。説明を求めたいところだ。
これが、芸能人なら何ら問題ないだろうが、、、
天理貴族とはよくいったものだ。
そして、この催しに使われた元金の出所だ。
自分たちで工面したお金でやるなら何をしようがまあ構わない。だがやはりこの催しもやはり信徒からの血税といっていいお供えだろう。
天理教団は教内に慎みを説いている。今回の催しを見て言うことと、やっていることが矛盾しているというしかない。
末端教会などのおかれている状況を把握憂慮していればこんな神経を逆撫でするようなことはできないだろう。
人を助けることを掲げている教団ではあるが末端教会などの苦しみもがいている人々を助ける気はさらさらなさそうだ。ここにも矛盾が有った。
信徒をATMとしか見ていないのだろうか?金を運べなくなれば用無しで見捨てるつもりのようだ。
そして元始めた教祖がこの様をどんな気持ちで見ておられただろうと思う。まあ、あえて言うまでも無いだろうがおそらくは頭をかかえて、憂鬱な気分になられているだろう。
完全に教えからも、自分たちの打ち出している方針にも反する事をやるという節操のない中枢部である。
全く周りが見えていないし、みる気もないようだ。
やりたい放題。やりたいようにやって何が悪い。こちらは徳川幕府だぞ!てな感じかな、、、
どうも、まともな要素が全く見えない。
やはり、このまま消えていく運命にありそうだ。大ちゃんがラストエンペラーになる可能性もまんざら否定できなさそうだ。
大ちゃんは最後の挨拶で、世界一の陽気な夫婦になりたい!と言っていたがどんな夫婦だろう?わかりかねる
さすがゼンスケ君の血を引いているだけの事は有る?
お顔、表情からは緊張感というか危機感などは全く感じられないように感じるのは私だけだろうか?
自分たちの陽気より苦悩している教内の人々を何とかする気はないのか?
それが今一番の性急に取り組まないといけない問題だと思うが、、、無いだろうな、、、
やはり、ぜつぼーてき!ですな。おあとがよろしいようで、、、
大教会に人が来ないので役がつくようなりました 部内の部内所属だから役はついても立場はあがりませんただ呼ばれる回数だけ増えて失敗?したら怒られて幹部に伺い立てなければまた怒られて 断れたら気分も明るくなれるけどことわれない私は御用にこころをこめれないですまた怒られる諭したがるそれを聞くのがバカらしいから私の情熱と違うものをつくります 皆さん非常に仲が悪くトップからトップの家族それから役員幹部それぞれが陰で文句を言ってるすばらしい大教会の御用をしてあげています 私ひとり天涯孤独者なら断るのとまどいませんのにずるずると、、、疎外感が盛りだくさん煙草を吸おうにも計算してみるとあらもう今日吸えないよ 美味しそうに煙草をふかしてそんなに長く消してのもったいない 力?のある教会のお坊ちゃんの失敗は笑って堪えて俗に言う末端教会の坊主の失敗は何があっても許さない私にかばう力のないこと許してね 有無言わさず呼びつけ断るなど言語道断 体だけ拘束かと思いきや心も拘束とは少しツライ 心だけが自由のはずじゃ?人前で叱られて情けなくて恥ずかしくて私その日近づいてきた野良猫蹴飛ばしました その時に辞めようもう辞めさせてもらわないと力の弱い猫にあたってそこまで思考回路が悪くなってたことびっくりしました 優しく穏やかに毎日暮らしたい 今まで要職についてやめた人の話を聞かせてもらいたい
>世界一の陽気な夫婦になりたい!・・・?だね
大亮君 「陽気とは何ですか」と質問したら彼はどのように答えるのだ。
今まで本部が、「陽気」について明解に答えた事は無いとおものだが。
私の周辺では、善司さんが真柱職を退く前におさずけを頂こうと別席を運びだしています。
この25日に一人の方がお授けをいただきました。
かんろだいが倒壊した後、4人の方が別席を運び始めました。
・お授けを頂くなら善司さんから
・早くしないと善司さんが真柱を辞めてしまうかも
・大亮くんから貰いたくない
安心してください。
皆さん教会にお供えはしてませんから。
もちろん本部の賽銭箱にも金は投げ込みませんよ。
新しい記事がアップされてます。
大ちゃんのぶりんお祝いイベントに関するコメントは、そちらの方へどうぞ。
初めてコメントを書かせてもらいます。
こちらのコメントで「善亮、大亮」等と名指しで書かれてて今まで正直心よくなく読んでいました。ですが今回の【御成婚 慶びの集い】の無駄金のかけ様を見て今までのコメントが正しいと確信しましてコメントさせてもらいました。
本当この教団は何を考えているのでしょうとつくづく思いました。私は末端の教会長なのでいざと成ったら天理教を辞めれますので衰退する姿を遠巻きに楽しんでいこうと思います。本当浪費することしか考えてない本部だと言う事がわかりました。
大亮の挨拶の仕方も成ってない。手は体の側面につけて深々と頭を下げような
それにのぶえさんは何か苦痛を感じてらっしゃっるようです。30秒付近の動画で
礼の後に頭を横に振る姿があります。そのときの表情をご覧ください。
女性は敏感です。この歪な教団の矛盾をヒシヒシと感じてらっしゃるのでしょうか
ボンクラ大亮を尻目に現実を感じてらっしゃるのでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=TT4iMrh63D0
真柱の嫁、はるえさんの巡教もお忙しいようだ。
随行員を引き連れ、物々しい雰囲気の中、黒塗りの高級車到着。駆け寄るドア開け係り。かばん持ち、先導役・・ああ馬鹿バカしい。ああ、このお粗末な景色の虚しさよ。
本部一族。一体何者なのだ?全国信者の血のにじむお供えで何不自由なく暮らし、権力を手にいれ、ばか息子のお祝いイベントに湯水のように信者のお金を使う。
たてまつり、雲上の人のごとくに祭り上げるバカ大教会長とゴマすり役員。「はるえ女王蜂」の有難迷惑な臨席のおかげで働き蜂である我々末端教会家族、信者一同はお金の負担も含めて全く遠慮会釈なく振り回される。
空しくなって大教会事務所の本棚に目をやれば「一列きょうだいという教えを求めて・・天理教」という表題のご立派な本が目に入る。何が一列きょうだいだ。天理教団と大教会長よ、あなたたちは一体宗教家として信者たちに何を示したいのか?一列きょうだいという教えを求めているのか?
まったく馬鹿馬鹿しさの限界を感じる。
そんな時、息子から電話が入る。「ほとんどの新興宗教は後10年もすれば消滅するらしいよ・・。」
苦労知らずの大教会長とその家族よ。天理貴族や女王蜂にぺこぺこしていい気になれるのもあとは時間の問題だ。あなたたちの今があるのは我々末端教会や、全国の多くの貧しい信者家族、そういった働き蜂がいるからであることを肝に命じてもらいたい。
彼らご一行は贅沢なご馳走を食べ、「何百万円もお礼金」を貰い、皆のうやうやしいお見送りを受け、黒塗り高級車で帰って行った。
ああ馬鹿バカしいの一言に尽きる。
退職信者 様(2017年10月28日 10:06 PM)
≫早くしないと善司さんが真柱を辞めてしまうかも
やはり同じことを危惧される方々がおいでになるのですね。
少なくとも現真柱には、比較すると後継予定者よりも内省的な印象が有るような感じがします。
現真柱には教祖の教義の確定をお願いしたいものです。
いくら言って声は届かないよ、と言う方もいます。
いえ、神様には届くはずです。
「裸の王子とお姫様」 様 (2017年10月29日 8:48 PM)
≫それにのぶえさんは何か苦痛を感じてらっしゃっるようです。30秒付近の動画で
礼の後に頭を横に振る姿があります。そのときの表情をご覧ください。
確認しましたが、そうですかね。
苦痛を感じながらも弾けた様子?を演技できた?
カメラ目線で弾ける姿は「陽気な夫婦」なんでしょうね。
>ある書き込みより。
天理教は素晴らしい宗教ですが、親神様、おやさまの御教えを無視して、お供え強要、嘘つき上手な教会がある事実上、
全ての教会が、おやさま目指して、信仰心があれば、信者は減っていないし、
かんろうだいのふしも、無かったと思います。
中には、においがけのチラシを見て、子供の頃の何処の教会か、わからないけれども、とりあえず、近所の天理教に行こう
天理教はどこも同じだと、勘違いして入信しても、天理教は言う事と、する事が違うと、残念になり、天理教に入らないようにしよう!
と、思う人がいる事実がある以上、誰がその責任をとるのですか?
私も、子供の頃から、良く友人に、天理教はやめた方がいいよ!
と注意された意味がわからなかったのですが
会長が長男に代わってから、
会長が代わるだけで、こんなに、悪くなり、信者も離れ、
でも、私の両親は不足しながら、妹の身上から、離れられず、苦労しております。
心の汚い教会に、おやさまがおられる気持ちになれないです!
古い元会長様のツイッターより引用
させて頂きます。
>以前、大教会の息子が詰所青年に向かって言った言葉。
「お前、お父ちゃんに言いつけて、お与え止めるぞ。」
こういった一般社会では悪の見本とされるような、傲慢、横柄、居丈高な言動が
当たり前に許され、まかり通っているとしたら、異常な世界ですね。
表向き、互い立てあい、一列兄弟と詠いながら、若い頃からこういったことを
許している親や周囲の大人たちの責任も重いと思います。
匿名
2017年11月3日 9:51 AM
そんな人ばかり!本部も名家がえらそうにして子弟が離れていく、大教会もそう、部内を多く抱える分教会ですらそう。負の連鎖でしかない。そして浪費家デビューした時期真柱候補夫婦、浪費の連鎖も始まり教団全体を食いつぶすのでしょう。
ある書き込みより
>私の理想の天理教
まず、お供え信仰は、やめる!
心遣いを見て、おやさま逸話編を元にして考える!
各教会信者へのアンケート調査をする場所を創り、教会がおやさまの御教えに添った日常を送り、感心した事、感動した事を書く
逆に、おやさまの御教えと違う事、
お供え強要、おさづけしない
我が子は可愛いがるが、信者の子供には冷たい
など、呆れる教会エピソードを書く場所と、教会変更したい所を書くその理由も添えて
本部から、教会変更許しを出すようにして頂きたく、思います。
信仰の自由があるのですから、教会を選ぶ自由は、今のままでは、無いのと同じなのです
教会がおやさまからの御教えに背いた生活言動して、信者は、因縁に縛られるのが、おやさまからの御教えですか?
>以前、大教会の息子が詰所青年に向かって言った言葉。
>「お前、お父ちゃんに言いつけて、お与え止めるぞ。」
お与えと聞いて思い出しました。天理高校二部時代の私のお与えは月額300円でした。これで、下着・靴下、歯磨き・石鹸等を買いました。1斤30円の食パンが欲しくて幾度となくパン屋の前に立っては、手にした小銭の少なさに買うのをあきらめたことか。それでも、あるだけでありがたかった。
当時、タイコ焼きが1個10円だったか、20円だったかは忘れたが、1個買って一度に食べるのが惜しくて、残りの半分を新聞紙(当時はビニール袋等は無かった)に包んで翌日に回したこともあった。
現在のお与えは300円ということはないでしょうが、その、お与えすら止められればどうすればいいのですか。まさか、下着まで大教会長家族のお古を使えというのではないかと疑ってしまう。
このような人が将来、大教会長になるなんて信仰の本質を理解しているのでしょうか。
大教会長さんは、是非答えてください。
私の本心は、現行天理教なんて無くなればいいと思っているだけです。
お与えについて最近伝え聞いた話です。
ある青年が本部勤めをして月の給料をもらったら1万円に届かなかったそうです。
彼は、給料明細を確認したら明細には11万円以上の金額が記入されていたそうです。
しかし、各種の項目で差し引かれてしまっていたそうです。
特に現物支給で7万円近く引かれていたらしいです。
彼は、本部から食事以外は何も貰っていないとこぼしていたそうです。
更に本部在籍者の子弟は、同じ勤務なのに2万円加算されていると怒っていたそうです。
本当に現行天理教は、早く潰れてほしいと思います。
天理教本部から神様がそして宗教で無くなった今でも続く最大の理由こちらを天理教の皆様方ごらん下さい。
【ナライト押し込め事件】抜粋
《この時の「おさづけの継承」こそ「おさしづ」時代の終焉を象徴する出来事であった。この変更は、それまでのように「おさしづ」に基づくものではなく、「本部員会議」によった。これにより天啓制が否定され、「本部員会議」の決定事項こそ「ぢばの声」となった。ここに中山家制天理教が完成したことになる。》
疑問点
・おさしづ等天啓(神の言葉)を無視し「本部員会議」が「ぢばの声」になった?
・本部員会議が神の声?
・議会上での多数決で決議されるなら親神様は本部で無くより大きい国会議事堂にいらっしゃいます。
これら上記の内容は、今でも本部が行ってる状態です。おかしいですよね。宗教団体の本部員たる高僧が神無視し、会議場の多数決等の決議が神の声になる訳ない。所詮人間の決定です。
・中山みきがはじめから神であった?
《 ・・・教祖傳で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりになってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなくて、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。・・・》
人は親神様がおつくりに成ったです。それがはじめから神だった?真柱と本部員は親神様にさんげしましょう。
このような非社会的な現状が今でも続くなら反社会団体ですし《ありもしない嘘を吹き込む》洗脳が今でも続いていることに成ります。
これらから読み解くと、天理教が二代真柱から世の賢人から見捨てられ世捨て人のような浮世離れして理由が分かります。
・神は神であり人ではない。
・中山みき個人が天啓者であって、中山家が天啓したのではない。
このような《歪んだ教義宗教》を掲げていたら世の賢人から相手にされるわけ御座いません。天理大学が今一ぱっとしない理由がちゃんとした教義を教育として施してないのでしょう。
教内魔境と魔禅をさせられる信者
天理教は神や教義にそむき鏡屋敷どころか魔境を作り出し各隠者に魔禅をさせる如く、「因果に落ちなければそれは畜生道なり」と成る。
信仰してても「パッとしない!」「ご守護ってなに?」「不思議な助けは過去の話」と思ってる方は正解ですよ。教団の教えが邪教と化していると断定できます。
しっかり教団各所の責任者は教義を見つめなおして頂かないと奈落の底に
参考
ナライト事件
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/omithisonogoden_naraitozikenco.htm
魔境
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E5%A2%83
野狐禅
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%8B%90%E7%A6%85
畜生
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%9C%E7%94%9F
私の家は末端教会で会長の父親は道一条というやつで勤めはせず収入ゼロ。子供の頃、月並祭、婦人会、上級などを合わせると月に5日から6日は祭儀にとられ親の意識は完全に天理教に、、、また自教会の信者の事に必死で当然意識を取られていて親子のコミュニケーションなど皆無、ろくに会話も無い、、、遊んでもらった記憶や抱いてもらった記憶も無い、、、子供は放っておいても育つ!の考え?今風にいうと軽いネグレクト?
優先順位が信者の方が断然上なのだ。
私はもういい歳をしたオッサンですがいまだに愛に飢えた感じが有り人生に暗い影を落としていると思われます。(いまだにさびしい気持ちが残っています)
現在の教会では親子のふれ合いは大事にしていると思いますが本当に優先順位は家族をいちばんにしてほしいというかするのが当たり前だと思います。
特に幼少期の子供に対しては充分かまってあげてほしいと、、、
人が成長する上で一番大事な事でしょう。
自分の家族すら守れないヤツに何ができる?
人様をたすける?地に足がついていない、、、
案の定、現在の教会からは人の姿は消えました。
ちなみにいとこも教会なのですが子供が多くて案の定愛に飢えている状態なのがわかっていました。
表情に愛情飢餓感が思いっきり出ていたのです。
結果、道を外してしまい苦しむ事になりました、、、
結局、弱い子供が天理教会の犠牲になってしまいました。誰かの犠牲の上に成り立ってきたと言っても過言ではないでしょう。
本当に悲しくさみしい事ですがこれが現実なんですね。
いつの時代も どこの世界も
弱肉強食
人間は 善悪、美醜、清濁合わさった複雑で強欲で強かだが、弱くもある生き物。
ほとんどの人は何かに縋って生きていく。
「縋るもの」が家族か、会社か、遊びか、友人か、宗教か…人それぞれ。
頭が悪いと手足は苦労する。
親が馬鹿だと子供が苦労する。
組織も同じ。
これからどうなることやら…
人生の時間は限られているからウカウカおかしな教会長の教会で信仰してはいられない。
天理教の教会はどこも同じとは言えないのが現実。
「色即是空さん」のご指摘通り、組織=教団・教会も頭が悪いと手足は苦労することになる。
一信者の立場の方々への提案。
現状の危急的避難策が一つある。
自分の大切な人生を無駄にしないためにも他の系統の教会・大教会に行ってみよう。
信仰の自由=教会の自由と考えてみよう。
天理教は信者の側が悟って出来の悪い大教会会長でも「生まれながらの魂のお徳がある」とかいって、
たんのうの心で不信感も自らの心の内に納めてしまう。
まるでSMの「打たれてもありがたい」状態で長年の内には洗脳されてしまう。
どうしたらスッキリさわやかに人生勉強が続けられるか。
天理教に限らず他の信仰・宗教も参考になるだろう。
問題は、どの宗教でも、金と時間を捧げる覚悟が必要ということ。
あるいは図書館で本を借り出して自習するか。
とは言え、大きく舵を切りたくない人もいるだろう。
天理教の中で何とかならないかと。
そうだ、普通の勉強や習い事だって先生を選んでから入会するよね?
ダメな師が説く講釈を我慢して聞いていても信者はむなしくなるだけ。
さっさと、そのような教会からお暇しよう。
真摯に信仰と自身の人生を深めるためにも別の教会に移る道もある。
どこへ行ったらよいかわからない?切り因縁になってしまう?
知らない人達の中に入るのはいや?
今生を大切にするか、又はこれらの心配事を優先するかは各人の覚悟による。
教会選びでは教内出版物での判断はお勧めできない。
本の内容はいずれも少なからず「編集」されているから、自分の目と耳と頭で判断したい。
真摯に求める人には必ず親神からの助けの綱がたらされるはずだから。
地域の、支部の催しで、直に接することができる他教会の先生と話すのもいいだろう。
近くの教会に「お参りさせてください」と出かければ断られることはない。
手探りで探し出すしかない。
信者側の積極的行動でぬるま湯天理教を少しでもかき回したい。
何もしなくても教会数の減少は現在進行中。
であれば、積極的に所属教会を移動するという選択肢も有るわけだ。
実際のところ、様々な事情から系統間を超えて参拝する信者は以前から存在する。
自教会の大教会では、自らの死期が訪れても、会長のお助けを拒む方々の話が耳に入ってくる。
心の中ではとっくに見切りをつけていたということだろうか。
聞くと、高齢を理由に距離を置くことから地ならしをしている方も複数いる。
このような話を聞くにつけ、この現象は自らが(教会が)まいた種だと納得できてしまう。
人間だから欠点は誰しもある。そんなことは承知している。
酷い言葉で批判するとブーメランで自分に帰ってくると非難する人もいる。
そういった常識的な判断の範囲内で発言しても何も変わらないのが天理教。
自分の人生をどうするか、子供たちの人生をどうするか。
「どうなるのか」ではなく、「どうするか」。
全て「見抜き見通し」の神様ではあるが、心の自由を得ている人間の務めとして
「考える」「行動する」そして機に応じて「反省し修正する」ことは当たり前のことだろう。
私はそう考える。
>心の自由を得ている人間の務めとして
「考える」「行動する」そして機に応じて「反省し修正する」ことは当たり前のことだろう。<
天理教は素直を良しとしますが、それは教団維持の為の都合の良い方便です。素直に思考停止になることが、上にとって都合がよいから。健康的な人間は何事も自分で考え、自分の意志で方針転換できるそんな自由と権利の上に生きています。天理教徒は自分の心の発露による自由を奪われ非常に不健康な生き方を強いられていると思います。
親神様からいただいた命です。人間思案の現教団に神は居ませんからそんなまがい物の権力に大事な時間を振り回されず、人生を楽しみ味わいましょう。贅沢のない範囲内で、旅行もいい。日本や世界に触れ、神の創り給うた天然自然の景色から生きる力を貰いましょう。コンサートで心を洗い、美術芸術で先人の精神に触れ、趣味の時間もいい、美味しいものを食べる時間も一つの幸せ。そうして心が満たされ、幸せな心境になって初めて、人は他人のことに手を差し伸べることが出来るのでしょう。しんどくて心が倒れて自分自身が辛い状況の中に居て、普通、人は他人の世話が出来る余裕があるでしょうか。
天理教は綺麗ごとを言い過ぎます。人間の生態を知りません。
この掲示板で見ましたが、金光教の教えでは神は人間が貧しい生活をしているのを見ても喜ばないそうですね。信仰で心を磨いて神の心に近づき、そして豊かになれよ、と言う意味でしょう。
天理教信者は心を磨き、その結果豊かになったとしても、その豊かさを表現するのをはばかります。まわりから、あいつは貧に落ちてない、最近身なりが良くなった等々、と批判するからです。信仰する値打ちがありません。
嘘の上に成り立っている教団、偽の教理が徐々に明らかになり、今は確信に至りました。親神様の御心を常に心のどこかに置きながら、人と自分の共生を目指して自分を大切に愉しんで生きることにしました。
神の言葉を会議で決めてる時点あかんやろしなんしか真柱はどないしたんや?真柱の価値ないやん。神の言葉が会議と聞いた時点で コックリさんを思い起こして身震いしたわ。コックリさんだったら狐やし下等霊信仰これ呪いやで
それに迷い込んだふりして家を破滅に追い込むらしい。もう迷いこんでるんちゃう?
狐の嫁入り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%90%E3%81%AE%E5%AB%81%E5%85%A5%E3%82%8A
「狐の嫁入り」といわれるものには、昭和中期頃までの嫁入り行列の提灯の群れを思わせる夜間の無数の怪火、俗にいう天気雨、古典の怪談、随筆、伝説などに見られる異様な嫁入り行列などがある。いずれも伝承上で人間を化かすといわれたキツネと密接な関連があり平成以降の現代においても、それらにちなんだ神事や祭事が日本各地で開催されている。
夜間の無数の怪火(レーザー光線)
天気雨(晴天ですぐやむ雨あたかも甘露は振ってるかのように思わせた)
生成以降の現代(確かに天理教本部で行われた)
お稲荷さんで考えても
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E
「元来は五穀豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった」
親神様おらんやん
呪いの信仰様
2017年11月6日 10:06 PM
あの違和感ある披露がすっきりしました。 正にキツネの嫁入り でしょうね。教団自体が長続きしないのでそうなる事も必然でしょうしあの金のかけ方に無駄な意地を感じました。浪費家大亮の異名を付けてもいいと思います。大亮を出汁に散財してる本部員も多いのだと分かりました。土地、館、大亮とまた負債が発生しましたね。
唐突ですが質問が有ります。どなたか解るかたおられましたら、教えていただけますでしょうか?
天理時報によく取り上げられている作家の山本一力氏この方は天理教とどういう関わりをもたれているのでしょうか?
それともロクな記事が書けないからなりふり構わず著名人を登用しているのでしょうか?
すきっと、という冊子にもいわゆる有名人と呼ばれる人が多数取り上げられていますよね。
支払うギャラもバカにならないと思うのですが、、、
よろしくお願いします。
どなたか教えて下さい
2017年11月7日 3:57 PM
山本一力
直木賞作家みたいですが天理教等宗教や政治団体との関係は見受けられません。道友社側の依頼を受けたのでしょう。百済らない人選ですが依頼者がただのファンじゃないですか?
私の推測ですが、天理教の偉いさんの知り合いか、予算に似合う人をチョイスしたか。
天理教の偉いさんで、世間に通用する文章を書ける人はいない。
かと言って、仮に部内や末端の中にも一般社会で十分通用して指導的立場にいる人があっても、そんな人には登場して貰いたくない。(理がないという理由からです)
ちょっと骨のある人には、せいぜい講演部講師ぐらいにしておいて、本部側の立場で物を言って貰う。
天理教の冊子には、もっと根本的で世間に通用し、感動を与えるような教理解釈を載せればいいのだけれど、そういう文章は現体制側にいる人には都合が悪いので、有名人に書いて貰って、お茶を濁しているにすぎないのです。
匿名さん、古い元会長さん、回答いただきありがとうございました。
回答いただいた中で特に古い元会長さんの
>仮に部内や末端の中にも一般社会で十分通用して指導的立場にいる人があっても、そんな人には登場して貰いたくない。(理がないという理由からです)
ちょっと骨のある人には、せいぜい講演部講師ぐらいにしておいて、本部側の立場で物を言って貰う。>
は印象的で、なるほどと、ある意味感心させられました。
教内にも素晴らしいかたがおられる・・・と、しかし、その人達にはあまり表へ出て欲しくない・・・
人材を活用する気がなく組織内の人材を埋もれさせ活性化できず、今風にいうとグダグダになり良い事が何も無い・・・
何か、この教団組織の体質がまた垣間見ることができました。
組織内からは金銭等の吸い上げはするが組織内の優秀な人材に出しゃばられると自分達の存在意義というか立場の確保、威厳とかプライドのようなものを脅かす・・・という感じなんでしょうね。
考えてみれば本当に民主的な発想やプロセスを持てていない硬直した、硬直しきった組織なんですね。
活性化されない淀んだ水溜りのようなものがイメージされますね。水も流れないと腐敗してしまいますからね。
わたしが思うにおそらく組織中枢部もこの流れはまずい!というのは頭ではわかっているんでしょうね。しかし、今までこのやり方でやってきて方向転換をしようにもできない。(なにせ硬直しきってるので)
自分達の非を認めたくいない。認めるわけにはいかない・・・という感じなんでしょうね。
物理的にも組織が無駄に肥大化してしまっているのでコントロールしきれない・・・
破綻・破滅に向かうまで非を認めないつもりなんでしょうね。(仮に破綻したとしても責任の所在はうやむやで誰も責任を取ろうとしないんでしょうね)
戦前の日本軍部になにか似たようなものを感じます。
とても神の道、誠の道、真実の道を説く教団とは思えない有様ですね。
これからこの組織に所属する信徒さん・後継者さんなどはこの組織とどう付き合っていくか?どう折り合いをつけるか本当に良い意味でも悪い意味でも正念場を迎える事になりそうですね。自戒を込めて気を引き締めないとと感じました。
長文失礼しました。
Twitterにて
「#天理教を改革する」タグを広めてみよう、と活動を開始しました。
ツイッターしてる方。
「#天理教を改革する」タグを付けて、天理教について好きにツイートして下さい。
文句だけでも構いませんし、こうあるべきだろうとの意見・提案が付属していると嬉しいです。
ココが変われば天理教マシになるかも。
ココが謎だよおかしいよ天理教。
これ改めろよ本部・教会。
こうすりゃ不満が減るんじゃないの。
こんな事やれるもんならやってみなよ。
泥舟だもの、改革とか言うだけ無駄。
毎月レーザービームしたら?(ネタ投稿)
などなど…
フザけたネタでもマジな意見でも、文句愚痴だけでも、暴露でも、改革をうたうヤツへの批判でも。
本当に何でも、なーんでも構いません!
と・に・か・く!!!!
まずは「#天理教を改革する」タグを使って下さい。
気になる意見には、リプライでコメントして下さい。
流行らせたいのです。
天理教人にタグを周知したいのです。
色んな意見がある事を知りたいし、知って欲しいのです。
ツイッターしてる方、どうぞ御参加下さい!
そして、良かったらお知り合いの天理教人にも拡散お願いします!
FBでの宣伝とかも大歓迎です!
どうか、どうか……
よろしくお願いしまーーすっっ!!!(Enterキー強打)
睦輝
2017年11月8日 11:07 AM
ハッシュタグいいですね!「#天理教を改革する」だと長いと思うと使ってもらえないので
「#天理教改革」か「#天理改革」で良いと思います。
いきなりですが、ふと頭に浮かんだ疑問?
少し前から教会の月次祭での祝詞の事。
その中の文言で親神様にもお勇みいただき、、、、とあり、それを聞いていてある時から何かモヤモヤ、、と
神が天理教でいうところの勇んだり、、、いずんだり、、、するものかな?そんなものではないだろう。人格神?、、、というものにしているのか?
また、子供である人間から親たる神に向かって、お勇みいただきたい、、、とはこれいかに、、、、と
それに神は森羅万象一時の休みなく寸分違わぬ働きをしてくださっているはず、、だから、やはり、、、
ちなみにこのことについては数年前に本部のとある部署に電話にて問い合わせしてしまいました。
ご教示いただけましたらよろしくお願いします。
祭文の作例集に書いてありますので、ほとんどの会長は、疑問も持たずに読んでいると思います。
祭儀式事態が神道の形式ですので、教祖の教えではありません。
文言や式の形式などの形には、意味がありません。
祭文は神が立腹すると怖いので、勇んでもらえるよう、おべんちゃらをしているようです。神はその手には乗りません。形より心の方が大切なのです。
止めてもいいと思います。
ご教示願います
2017年11月9日 11:47 AM
>神が天理教でいうところの勇んだり、、、いずんだり、、、するものかな?そんなものではないだろう。人格神?、、、というものにしているのか?
また、子供である人間から親たる神に向かって、お勇みいただきたい、、、とはこれいかに、、、、と
それに神は森羅万象一時の休みなく寸分違わぬ働きをしてくださっているはず、、だから、やはり、、、
あなたの仰る事は正しい。高慢甚だしい文面、神は上 人は下 本当神を理解していない愚かな人間の書く文章で真に恥ずかしい。
今後その祭文を天に唾はく「高慢祭文」或いは「唾はき祭文」と命名しましょう。
古い元会長様、匿名様ご教示ありがとうございました。
やはり祝詞なども、神道などの影響を受けているのですね。
神名も本来は転輪(聖)王?だとか、他にもたくさん有るようですね、仏教やヒンズー教も関係しているとか?(考え方によっては神名は特にこだわらなくてもいいのかなとも、、)所詮人が名付けたわけですよね
もう、何が何だか訳が分からなくなってくるんですが
祝詞に関しては、もう一つ《これの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に謹んで申し上げます》が有りますが(こういうのから豐文さんのようなのが生まれた?)心の中では『ここに親神さんはおらんやろ』とツッコミをいれています。『親神さん居るのはお地場だけやろ?』とまたまたツッコミをいれています。しかし、またお地場にも親神さん本当に鎮まってるのかなあと正直信じがたいところではありますが
やっぱり宗教ってのはややこしいものですね、、、
教祖さんは宗教をしたくて教えを説いたのではないとは思うんですが、、、
こんな事を考えていること自体が宗教に振り回されているような気がしてバカだなと思いますが、、、
ご教示願います 様
素晴らしいですね。自分の頭で物事をとらえようとされている事は素晴らしいことです。
決して思考を止めてはいけません。
組織(宗教)は思考を止めさせて洗脳に走ります。
それに気づいて「バカだなぁ」と思える事は素晴らしい事です。
はっきり言って「おぢば」に神は鎮まっていません。
神は世界中を駆け巡っています。
「〇〇ねばならない」と言う強迫観念をすてて自由に大らかに生きて行きましょう。
わたくし、信仰的には4代目(ヤクザかよ)となる末端教会の子弟、、、と言ってもすでに本気のオッサンですが、、、今日は相談があります。両親ともに教会の出でコテコテの天理です。父親は道一条ということで収入ゼロの家庭で、、、あまり詳しく書くと身バレするので、、、
正直天理教だけの世界、価値観、家族で遊びに行くとか旅行なんか有り得ない!子供に楽しい思い出を、、、とか皆無。
まあ、人助けのため、この世立て替えるため、、と子供ながらに思い替えながら過ごしてきました。ただ、これはもう過ぎ去ったことなのでどうでもいいのですが、今現在にいたるも何をするにも遊ぶにもお金を使うにも罪悪感らしきものがついて離れない。実際親おやは好きなことややりたいことなど一切せず生きてきて子供を育てた、、事は確か。
なので、何か裏切るような勝手をするような気持ちに捕らわれます。
実際、何か行動を起こすと(好きなようにして!と非難めいた事をよく言われました)自分たちが犠牲的に自分を押し殺し生きてきたので好き勝手する者は許せない!という意識は有ったと見る方が自然でしょう。
私自身、自分は自分、好きなように生きればいいと頭ではわかっていますが抜けきれない、、、
何かアドバイスが有ればよろしくお願いします。
と言うか恐らく同じ様な方が多数おられるのではと感じます。脱洗脳、カウンセリング的なものを本来は受けた方がいいと思っています。
まあ、もういい年齢なのでいまさらいいか!と思ったりもしますが、まだ若い方なら早めに脱洗脳したほうが得策ですね。
脱洗脳したいオッサン 様
信念を持って、自分の自由に生きて下さい。後ろめたさを感じる必要はありません。
世のため、人のため、人助けと言うのは間違っていません。
でも、天理教の為、上級の為、会長を助ける為というのは間違っています。
信念を持って楽しく、自分の周りの人達と助け合いながら自分の人生を作り上げて下さい。
正直言って教会の、あり方は間違っています。ただ、子供に負担を掛けているだけです。
もうお供えは必要ありません。その中の幾ばくかを人の為、世の為に使って下さい。
後は自分と家族の為に使って下さい。
ご教示願います
2017年11月9日 11:47 AM
Q、祝詞に関しては、もう一つ《これの神床にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に謹んで申し上げます》が有りますが(こういうのから豐文さんのようなのが生まれた?)心の中では『ここに親神さんはおらんやろ』とツッコミをいれています。『親神さん居るのはお地場だけやろ?』とまたまたツッコミをいれています。しかし、またお地場にも親神さん本当に鎮まってるのかなあと正直信じがたいところではありますが
やっぱり宗教ってのはややこしいものですね。
A、簡単です。そう思わせたいとの思惑がその文に入っているのです。
神床や地場だけにいるわけないです。 中山みき敵に言いますと「この世は神の懐~」なので、神の懐に人が住んでいると思うべきです。 そもそも 聖域とは、神との接点 接する場所なので、神自体はそもそも鎮座していません。鎮座するは、人の内面に居る神が鎮まる場所と解釈すべきでしょう。
そして神道の場合は、生前人であった御霊を神とあがめる為、鎮座が使われるのです。つまり極小の偶像的神を鎮座させているともいえます。
しかし、親神は創造の神或いはこの世の森羅万象の神であるので、鎮座するという言葉では収まらない神と言えます。
現在の天理教の神は、本部員会議で決まる神なので髪ではないです。先だって他のコメントでそれをコックリさんと表現しておられましたが、まさにその通りだと思います。オカルト的で人の欲が入った邪教だとなります。本部員会議神は真柱体制から始まっているので、それ以降、異端が発生したのは必然でしてその体制に立腹の神が各社に降りた。それを異端といい続けた本部員会議神どっちが邪教でしょうか勿論本部員会議神が邪教です。
おかげさまで、Twitterでの「#天理教を改革する」ハッシュタグ利用が進んでいます。
流れに乗りたいと、新規でTwitterを始めて下さるアカウントもあるようです。
タグとしては長い、とのご意見もありますが、タイムラインであえて目に止まるよう、意味も伝わりやすくわかりやすいように、文章ハッシュタグにしました。
(日本のツイッター界で流行るタグは長い文章が多いですし。)
この流れを一時的なものとせず、草の根運動的に継続して、いずれは色んな意見を取りまとめた上で実働組織に繋がればと思っています。
(実働しなきゃ意味無いよね、との意見も既に出ております。)
皆様の更なる御協力をよろしくお願いいたします!
愚痴、不満、意見、タレコミ、妄想、改革否定、改革不要論、天理教不要論、宗教不要論、などなど……天理教に関する投稿の全てに「#天理教を改革する」と付けるだけ!!
簡単ですので、お気軽に♪
ユーチューブで福島原発・ドイツのドキュメンタリーを見たのですが(リンク貼れなくてすいません)やはり尋常じゃない状況なんですね。大惨事から6年以上経過し少なからずも確実に風化している気がします。自分自身も関西在住で半分他人事のように感じてしまっているところも有ります。しかし、あれから東京オリンピックの開催がなぜか決まり株価も上昇したりして表面的には景気も上向きのように言われていますが・・・また
ラグビーW杯が開催予定などであの惨事がなかったことでは無いかと錯覚すら覚える現在です。ある意味情報操作され風化を促し忘れさせようとの意図を感じます。
本当になんと言って良いのやらこんな時にこそ弱い立場の人々になんらかの支援・援助を組織力を発揮してすることができないのかなと思います。社会で苦しみ、もがきどうしようも無い人々に手を差し伸べる。そういう仕事を宗教組織が受け持つものじゃ無いのかなと・・・そういうことなら喜んでお供え喜捨しても良いと思うが・・・
現実的に絶対無理だしそんな余力も無い何せ自組織がガタガタなので・・
本来なら信者から吸い上げた金、所有するビル不動産を売り払ってその金を支援に回せというんだ。それをすれば組織は息を吹き返すことができ本来の人の救済に立ち還れると・・・(まあ、息を吹き返さ無い方がいいが・)
それどころか組織は全く一切このことには触れない、禁忌というのか触れてはいけないもののように全く関係無いことのようにしている姿は日本の既得権益を手放したく無い原子力村と呼ばれている悪党となんら代わりはなく完全に無視を決め込み自組織のみに注力している姿は宗教以前に人として有り得ないことだと感じます。
そして意見すら発信しない・・・現実に起こっている諸問題からは一切目を背け神の世界だ誠真実だとか金科玉条?のごとく言い放ち自組織の保身だけに走り、正にこの世に救いはあるのかと考えさせられます。
先日の真柱後継者の結婚披露にしても大惨事で苦しむ人々がまだまだ多数いること。現在進行形で終息していないことを理解していればあのような慈悲の無い演出もできなかったでしょう。完全に関心が無い?共感力が無い?そもそも話題にも登らない・・・所詮は他人事?
大ちゃんニコニコで顔ゆるみっぱなしで・・・こんなに幸せで良いんだろうか?・・・って
地獄のような状況でのたうちまわっている人、放射能の影響で(発)がんなどの恐怖に怯えている子供達がわんさかいるんだよ
どう思ってるのか聞いて見たい・・ほんと
今日届いた天理時報の3面。どうして天理教は教会普請にばかりお金をかけるんだろう。部内を持つ上級教会長の教会普請に係る講演記事だ。テーマは御恩報じの実践へ。
「・・・部内教会の会長さんらと話し合い一人ひとり教会移転に際しての心定めをさせていただくことにした。おかげで不思議なご守護を頂き。無事移転できた。・・・」
勘違いするでない。不思議な御守護じゃないんだ。部内教会がどれだけ上級の圧力を感じノーと言えずに無理してお供えを運んでいるのがわからないのか。
箱ものばかりに注心して、箱ものに神は鎮座していないのを知らないのだろうか。そんなお金を部内教会に無理をさせて、借金を重ねさせ、これが信仰なのだろうか?「所詮は他人事さま」が言われるように、世間では、言うに言われる苦しみの中、泣きながら立ち上がろうしておられる多くの方々がいると言うのにまずはそちらの人助けではないのか?レーザービームや花火で巨額のお金を霧散する。神床の向きが違うといって無理な普請をさせる。信者激減の中、教会箱ものにお金をつぎ込む無計画さ。
この教団は人助けを叫びながら、本心はそんな気は微塵もない。本部は保身の内向き。教会は本部向き。本来の人助けなんて目に入ってない。
新築教会ができたとしても消滅寸前のこの教団を相手にする世間の人は一人もいません。自己満足の世界で何をめざすのか?不気味にだれもいない真っ暗の詰所群の例が既にあるではないか?
本部の手先はこんな記事を記載してご恩報じの実践だと言う。
本部よ、そろそろ親神様の望む本来の人助けをしようではないか。人助けの天理教ではないのか?
馬鹿馬鹿しくてやってられない。
末端教会の者様
心中お察し申し上げます。
そうですか!まだ懲りずにふしんに血道をあげている面々がいますか。
懲りない奴らですね。もう頭がおかしくなってるんでしょうね。
>「・・・部内教会の会長さんらと話し合い一人ひとり教会移転に際しての心定めをさせていただくことにした。おかげで不思議なご守護を頂き。無事移転できた。・・・」>
まだそんな愚かな事を恥ずかしげもなく言っている輩がいたのか・・・
でも、これよく使われる言い回しですよね。神の力が働いた!みたいな。
本当にその下でどれほどの人が苦しめられているかわかろうともせず
自分たちで勝手に酔いしれているんだからどうしようも無いですね。
つける薬が無い・・・ってやつですね。
人の痛みや現状を認識したり冷静に物事を観察する、客観的な物の見方などをできなくなってしまっているんでしょうね。一種の麻痺ですね。
ある意味かわいそうな人々とも言えますね。共感力というのでしょうか?全くもってない人もいますよね。(サイコパスてやつか?)
最近ふと思うことがあって・・・現在の中国(中華人民共和国)の建国の父として言われている毛沢東(1893〜1976)がいますが、彼は自らの権力のために自国民を何百万人(諸説あり)と殺害したんじゃないかと言われています。
文化大革命(1966〜1976)と呼ばれていますが革命でもなく文化的でも無い虐殺行為だったらしいですが考えられないことを人は時として行ってしまう。ことがあるということですよね。
単純に比較するのは危険かとは思いますが、今私たちが憂いているこの組織中枢部の人間も所詮はただの人間なんだと私は思います。だから平気で愚行を犯せる。前述した毛沢東が自己の権力を維持し、ままにしたいがために蛮行を行ったという点で共通点があり構図としても似ている気がします。(自組織の人間を苦しめているのが共通点)
考えようによっては命までは取られないからまだマシとも言えますがそんな単純な問題では無いですよね。
結論、人間は素晴らしい一面がありまた(表裏一体じゃ無いですが)愚かな面もある。て事ですか?
しかし、この毛沢東ですが人民大広場?に肖像写真が掲げられているのは不思議な事ですよね。人間て不思議な生き物ですよねほんと。
『所詮は他人事? 様(2017年11月10日 3:19 PM)』のご意見に全面的に賛成です。
ほんとにため息が出ます。
「君たちは人間なの?」と聞きたくなりますね。
「プロ市民」という言葉を昔、見たことが有ります。
「自分の頭で考え、言葉にして、発言する」市民を指すのかとも思いますが、否定的な意味も
有るのかもしれません。(意見なんて聞きたくない側にとっては)
そこに揶揄する気持ちも込められているのかもしれませんが、勇気を出して発言することで
人との交流も生まれますし、事態の変化も望めます。
発言を時として馬鹿にされる事もありますが、馬鹿にされて結構、低い気持ち実践の良い機会です。
めげずに 繰り返し あきらめず ですね。
めげやすい自分ですが愚直という美点も有るようなので仲間に入れてくださいね。
今日、奈良の櫟本分署跡へ行って参りました。
ナビが有るので意外とすんなり行けました。
建物は昔ながらの町屋風でとても警察施設が有ったとは思えませんでしたが当時はお寺の一部を借りて運営するケースも有ったとのことです。
中に入りましても意外に簡素質素で昔にここが警察施設だったと感じられるものは皆無でした。
少し拍子抜けしましたが、教祖の御苦労の記述を見ているとやはり89才の老齢でこの場に引っ張ってこられ2週間近くという長い間、しかも、季節は厳寒、よく耐えられたんだな!と思うと共にやはり、そこまでされてでも、譲れないものが有ったんだな!ということを感じた次第です。因みに、共に連行された仲田氏はその後体調を崩され若くして亡くなられたとのこと、、、
その譲れないものは何だったのか?について思いをはせてみる、、、まさか、腐敗教団を運営するために御苦労されたわけでもないだろうし、、、
やはり、大事なことが有ってそれを伝えたかったというのは間違いないと想像がつきますが、、、その辺りをもっと追求することが大事なのかなと、真意はいったい何なのか?どこにあるのか?
今の教団は形骸化された祭儀式と集金だけで終わってるからね。
ひとつ思ったのはこの史跡?天理教団としてはかなり重要だと思われますが、、、本来なら本部が保護、維持、管理すべきじゃないのかな?と思いましたが、なぜなんだろう?謎だ、、、クソほど金集めてるんやから大事にしろよ、、、その点賛否はありますが八島氏は偉いと単純に思います。なんなら礼拝の対象にすらなる場所かもしれませんので、、、
あの木戸窓から雪が振り込む中、正座を崩さず、凛としてかしものかりものの理を説かれ、私のこころを理解したものは、誰もいなかった。と帰り道の車夫の質問に答えられたんですよね。
そして間隔の広い窓の面格子からは、道を通る人が覗けば教祖のお姿がはっきり見える!
衆人環視の中でさらし者同様の環境であったことがはっきりわかります。
分署前の道は旧道の姿をとどめていて、たやすく往時がしのばれる所です。
教祖の「ご苦労」を語り継ぐ一方で、教団本部のぞんざいな態度は理解できません。
理解という生易しい言葉ではだめですね。
このことをもって教団本部は「真の馬鹿者」と言い切れます。
櫟本分署跡の保存状態は想像以上に良いように見受けられました。
しかし木造建築ですからメンテナンスには費用もかかるでしょう。
聞いた話では土地所有者さん?のご厚意も有って現存されているとか。
本部が異端と決めつけた教会の皆さんの力もあっての状況でもあります。
教祖の記念建物の中でも最重要の建物です。
これも聞いた話ですが、天理教本部は建物の引き取りを断ったそうですよ。
本来であれば「大金を積んで」でも、教団が維持管理すべきところでしょう!!!!!
私に「大金」があればお願いしてでも実行します。。。。。
そういえば天理教では最近、「大金」を一夜にして浪費しましたっけね。。。
うーーーーーん、人間の浅はかな考えではどうしようもなし。
神の思惑はどこに?
この保存の関しては八島のオヤジが誰に自慢してもいいところだと思いますね。
あれだけおやさま教祖樣中山みき様存命の理と言っておきながら、ご苦労様された場所は知らん、いらん、関係ねーって、、、一貫性も何も無い、、、
花火やレーザービームするんやったらそのお金で買い取り維持管理できるのに、、、
中山みきも教団にかかれば、銭儲けの道具か?
どこまで落ちれば気が済むんやろ?
外道の道まっしぐらやな、、、
日本は、経済格差という意味ではまだマシな国ではあるのだろうけれど、ひながたの国として、富の再分配に対してどういった考えがあるのかを教会本部で神様のお心を聞いてみたいと思っていたのですが、
トップの弟が恐怖信仰を捏造して貧乏人から巻き上げた浄財で、伽藍と花火とレーザー光線で楽しんでいた、金ファミリーが居たんですね。
金王朝マンセー
少し前に各教会には神が鎮まっているのか?と質問がありました。祝詞では『お鎮まりくださいます』、、、と謳っています。天理教では月次祭を仰々しくやります。神饌物など、、、
神に感謝申し上げる的な意味合いが有ろうかと思われますが、、、
裏返して見れば神が居る鎮まっている、ので礼拝の対象である。信者信徒を集めるための口実と言えば言い過ぎかもしれないが、そのような意図があることは充分考えられます。
例えば大教会を含めて上級が3ヶ所の末端教会の場合、自教会を含め月に4度の月次祭をやる。そして場合によっては婦人会と称してまた同じ回数おつとめとやらをやるところも有る、、、下手すると月に8回紋付き(袴)を着込みそれを毎月延々とやる、、、
いい加減嫌になるでしょ!嫌いになるでしょ、、、
また、これらの祭儀式をすることで思考しなくなる。できなくなる。何も考えなくなる。アホになる。そして『阿呆は神の望み』と聞かされる。考えていると何回もおつとめなどできない!そのうえに金銭が絡みついてくる、、、
人間性を失うか壊れるかどっちか、破綻するか?
これらを長年にわたり続けているのが現教団。
軌道修正とか見直しとか一切なしでここまで来ましたがもう限界にきていること、このままでは破綻するしかない事はわかっている事。今さらもう打つ手は無いこと、、、だけはわかっている。
既出御免 様
私も同じ境遇です。お察しもうしあげます。
何かに参加し、動く度に、お供えや参加費が出て行きます。
そんなものだと思っていたら、本部の人や、大教会長や上級の会長は動く度にお礼が入るというシステムになっている。
本当に自然に上へ上へとお金が流れるシステムを作り上げている。
でも、いくらお金を手に入れても、喜びも満足もない、欲にきりない泥水状態だと思う。
慶びや幸福感は得られないだろう。
部内であろうが、末端であろうが幸せに生きたいものだ。慶びや幸福感は下へ流れると信じたい。
「地持ち」といわれた中山家の土地について。
天理教教祖伝稿案第20稿(P61 1955 天理教教会本部)には、
「中山家の田地は約十五、六町歩と思われる。」
よのもと 1986年1月号(P35 高野友治)
「田地は四町歩ほど。大和ではあの時代に四町歩以上持っていた家は数えるほどしかなかった。」
あらきとうりょう149号(P49 1987 天理教青年会本部)
「四町歩から五町歩の間程度と推定するのが穏当と考える。」
中山みき研究ノート(P44 1987 八島英雄 立風書房)
「田地は四町歩以下ということです。中山家の記録でも三町歩余りが一番大きい時だったようです。」
随分違いが見えますね。特に1番上は…。
私は今まで生きてきて親と人生について話し合ったことが有りません。
何が自分に向いているのか?自分がどうやっていきていったらいいのか?など人生を生きていく上で大事な問題です。
本当に話し合ったことがありません。
親は天理教のことについては熱心でした。
天理教のことを一生懸命していれば総てはうまく行くと思い込んでいました。
親は子供と正面から向き合うべきでしょう。
なぜ、そんなに天理教に熱心になるのに子供に目を向けないのか?向き合わないのか?
とにかく意識やエネルギーのほとんどが天理教に行っている、、、
今から考えると気持ちの交流や深いレベルで心が通じていなかったなと、、、
そもそも自分の家族と通じ合えないのに信者と通じ合える?
そんなバカなことはない、、、
だから、やっぱりまずは自分自身を大事に、そして家族、そこからでしょ、、、順序がバラバラ
振り替わりの理、というのが有るらしい、自分の事は置いておいて他人の事をさせてもらうと結果自分のことが解決していた。というもの、、、
全否定はしないが場合によるだろう。
なんでもかんでも放っておいて後は神様任せ!って
現実を見ろよ、放置された子供の事を考えろよ
大事な時期に親子の関わりを持てなかった子供の気持ちは、、、何が人を助けるだ、、、自分の家族に対して関われないヤツ、守れないヤツに何ができる?
教祖とその家族との関わり方に影響されてるのかな?中山家は決して幸せな家庭環境じゃなかっただろうからね、、、
今さらですがさん。
私も満たされないまま大人になりました。
今さらですがさんと全く同じ思いです。
教会を営む家族の中であなたと同じ経験と思いを抱き続けて大人になりました。家族旅行の経験もなく適度な衣類も与えられず(風邪は引きませんでしたがボロボロ、穴あきズック)みじめな家庭生活でした。世間からかい離した生活状況でしたね。子供ですので文句も言えず、言えばうちは教会だの一言でした。陰気で劣等感が心を巣食い、自尊心も育たず、自信の持てない大人になりました。
今で言うネグレクトです。そんな環境で子供が心身健康で育つでしょうか。心に傷を負い、精神科のお世話にならなければまともに生きていけない。天理教関係者に精神の病を抱えた方が多いのは頷けます。
しんどくてどん底な人間が人を助けることが出来るだろうか。しんどくても人助けをせよ。「人を助けてわが身助かる」。これは一概には言えない。時と場合によります。
人間はやわなものです。辛いときは泣くもの。不安な時は、誰かに頼りたいもの。そんな貧乏教会を家族丸ごとで上は鞭でたたきたたき「人を助けてわが身助かる」とほざいてお供えや行事参加を強要してきた。
私もそんな親と天理教全体を許せなくて心を病んだ時期があります。こうして掲示板で過去への思いをさらけ出すことで癒されて、自分を取り戻している部分もあります。
自分を大切に生きていきましょう。
今さらさんの投稿に頷きます。
家族と向き合わなかった熱心家の父親は出直しましたが、我々兄弟が人の親になった時、天理教に対する忠誠心はほとんど無くなりましたが、子供に向き合えない自分達を発見します。
教祖、本席様以外のこの宗教の偉いさんは、特に専従者家族に対して、罪深い教えを垂れ流してきたのではないか?と感じます。
存命の教祖が居られるなら、そういった教団的な問題に対しても、お言葉を頂戴したいとつくづく思います。
おやさま教祖ひながた、家族を犠牲にしてまでも人を助けずにはいられない、この世人類を立て直す為には
多少の犠牲も致し方ない、やむを得ない、、(こかんさんとか?)
その苦難の道を通っていただいたので今の私達が有るのだ、、、ああなんと有り難い、もったいない(感泣
やっぱり、洗脳されてますね、大なり小なりどころかもろに影響を受けてると思われます。
『天理教、神懸かりから新宗教へ』を読みました。
天理王命の神名も何度となく名前を変えてそうなったようで。言ってみれば人によっての創作。
教祖についても後々美化、神格化された部分が多々あるようで、、、脚色されたようなもの?
YouTubeで新興宗教の建築物というのが見れるんだけどまあものの見事に醜悪で笑えた。立正こうせい会、霊友会、へんてこで無駄にデカいのが共通点でどこも同じ様な事やってるんやな、、、とその中でもダントツの天ですが、、、やっぱり宗教ってなんやろ?って考えさせられます、、、結局人間やもんねやってるのは(仏教でいう凡夫ってヤツ!)
天理教ようぼくに認定されて28年ですが、あまり熱心な信仰者ではなかったと思います。
実家であった隣は某天理教分教会でした。今はありませんが。
その教会の娘・息子さんとも幼いころ遊んでいた記憶もあり、地区での天理教の子供運動会も開催していた頃でしたから、
今おもえば、潤っていた時代だったと思います。私がご縁あったのは別の分教会でしたが、結局天理教に縁があったのだと思います。内情はいろいろあるのは当然です。どこの世界もそうであると思います。それは、それとしてできる範囲で今の教会に毎月の月次祭参加する。声があれば、献金もしています。天理教に限らず、地域の神事があれば、お供えしています。日常の習慣の一つですね。しかし、自分の生活が成り立たなくなるまでの献金はしませんし、できませんね。
現在の天理教団『この世治める真実の道』・・・とはほど遠く『自組織すら治めれないとんでもな道』・・・自組織が瓦解し食い止めるのに必死で・・
何がこの世治めるだ!・・・片腹痛すぎるわ
形ばかり建物、施設、それから祭儀式など格好ばかりでまさに精神的にも空洞化、伽藍堂化して、まだ続ける憐れさ。
形骸、形骸化この教団にぴったりの言葉
形ばかりにこだわり本来の中心・内容が欠落、(もともと内容など無かったのか?)スピリット、忘れられた、置き去りにされた・・・全く虚しい姿、
”おやさとやかた”と”サグラダファミリア”を同列に扱ったりして、なんだかなぁ〜外尾悦郎さんにインタビューなんかして・・・おバカ!
一緒にすんな全然違うわ!(向こうは世界遺産や)笑わせたいのか無理やりゴリ押しもいいところ・・・
末端から集金していかねば成り立たない組織
ご恩報じ、報恩・かね、カネ、金か?虚しい・・・
私は教会長から日々暴力を受け皹まではいつています。京都の西陣大教会上賀茂分教会の奥田晃会長です。この前京都地方検察庁へ刑事告訴をしましたが嫌疑不十分で不起訴でした。現金を200万以上脅迫されおまけに修養科まで無理やりいかされおまけにどこの教会でも行けとたらいまわしこの人は養子で奈良県十津川分教会の次男です。天理大学も5年で傷害事件を起こし示談前科なし。懲りない人です。5年で中退本当にバカな奴ですがこんな奴死刑になつてほしいとおもいます。教会長でもおやさまがいるかわからないそして私が修養科中肺炎になつた時詰所でオナ二ーばかりして私のことは知らん顔血のかよつた人間とはおもえない。みなさんどうおもわれますか?
そしてこの教会長の義父奥田和男は京都の西陣大教会の役員ですが相談するとあんたが悪い信仰とは金やお金がない者は助からないとさらに120万さんげで払えと要求京都検察審議会に起訴するよう要望そしてようやく昨日奥田晃会長を刑法246条の詐欺205条の傷害で起訴。大教会長の永尾隆司と奥田和男を詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。京都地方検察庁の検事さんがガさイレされ私に安心してください。天理教では別の事件でも捜査してたから私たちが懲らしめるから心を静めて公判まで共にがんばりましょうと激励されました。神様なんて本当はいないんだから今から修養科や専修科に行く人は冷静になつてほしいとおもいます。私は修養科にいつたこと後悔の毎日です。今回5人の検事さんが担当で心強いですがこの3人には恨みは消えません。また3人とも反省がないのががつかりです。可能な量刑を裁判所が判決することをねがいます。これは京都だけではなく全国の検察行政が今後取り締まる節目になるでしょう。
あとこの教会長の兄妹が精神病です。ちなみに措置入院を5回も十津川分教会で暴力行為があつたから。また教会長本人もいこいの家白川分院入院患者の1人です。保護室にはいつておられました。またさらに京都の西陣大教会では来年7月に大教会長が息子の永尾大和に交代しますがこの人物も金のもうじゃで冷淡な人物です。西陣もおわつたとおもいます。ただいえるのは金金のない者は助からないということしかも私は腰が悪くあまり働けません。給料を全額とあと銀行で借りてこいなど身上のため毎回12万要求されてました。おさずけをしても効果なし。病院の薬のほうが効果ありです。しかもあなたの家の近くには救急病院が2件あるからそこへ行けや死ねと言われもう死にたいです。ちなみに中山みきはいないと奥田晃会長がよくいいます。12月にはひのきしん隊にいつてエンジョィするようですが人の稼いだ金で遊ぶなんて^^許せない。京都地方検察庁の検事さんにすべてをお任せして私は前向きに500万近く取られましたががんばろうとおもいます。そのお金は看護師の免許習得のためてた大切なお金でした。本当にひどい教会ですし西陣大教会の永尾隆司が奥田晃教会長に指示していたことも明らかになりました。3人とも刑務所からでてほしくない。多分執行猶予もつかんでしょう。
たくや
2017年11月17日 12:11 PM
たくやさんがんばれ! みんな応援してますよ!天理教はいつから犯罪集団になったんですか?と憤りを隠せない信仰者ばかりです!
たくやさん
文面からは大変さがあらわれていますね。
かなり、複雑なように見受けられますが、頑張ってください。
おかしいものは、おかしい!と、ハッキリ主張するべきです。
応援しています。
たくやさん、応援しています。しっかり世間に知らしめましょう。それにしても上賀茂分教会、奥田一族は犯罪者ですね。厳罰を望みます。司法の良心を信じたいと思います。しかし天理教のこんな類の話は結構頻繁に聞きます。いかに犯罪の匂いに近い組織かと言う事です。いじめ、恐喝、詐欺。宗教の名の隠れみのに隠れてやっているのです。本部も知らないはずはないでしょうが、そんな指導が我々教会にあった記憶はありません。知らぬ存ぜぬの人の道に外れた無責任本部。
信仰とは金?金のないものは助からない?そうですよね。表統領中田善亮が声を大にして言ってますから。お供えは命のつなぎだ。金を積まねば命はつながらない、とね。
天理教のみなさん、一般のみなさん。天理教信仰者が布教に戸別訪問します。気をつけてください。天理教に足を踏み入れたら、金がなければ命はつながりません。貧乏人は助かりません。金がないなら余計な悩みがついて来ます。彼らは一見親切で善人ですが、間違って踏み入れたら命の引き換えにお供えの恐怖と戦うことになります。
昨日、天理で聞いた話です。
こかんさんは結婚していたそうです。
秀司が博打で借金作ったため、おや様が母屋を売った金で借金を払ったそうですが、
そのため大阪から帰って来た秀司は住むところがなく、
こかんさん夫婦の住まいからこかんさん達を追い出して
そこに入り込んだそうです。
これが原因でこかんさん夫婦は離縁し、旦那さんは出て行ったそうです。
その時点でこかんさん夫婦には、お子さんが居なかったそうです。
よくわかりませんが本部には、三大噓つきと言うものがあって、上記の件はその一つだそうです。
三つ話してくれましたが、こかんさんの話で驚き後二つは記憶に残っていません。
本部の高弟だか何だか解からん連中は、本当に江戸時代の大和の田舎の礼儀知らずで字も碌に書けない無教養で、そのうえ強欲で大嘘つきな連中だったそうです。
その筆頭が良治郎・為造親子だそうです。
そいつらのご子孫が、もったいなくも現在の高貴なご本部在籍者様達でございます。だってさ!
そんな事も知らずに、直属教会の初代の方々は必死になって神を伝えて生涯を終えたのでしょう。
思えば涙が流れてきます。
しかし、その初代の子孫達も本部在籍者達に完全に洗脳されてしまいました。
こかんさんが20歳の頃、教祖様の妹の息子で藤助という人を中山家の養子にし、こかんさんの夫として迎え入れたということです。3年ほど一緒に生活したそうです。秀司の不始末で母屋を売り、までは聞いていますが、住むところがないからこかん夫婦に出て行ってもらった、は初めて知りました。話の筋としては納得しますね。
表向きには、こかんさんが藤助を好まなかったので旦那が出て行った事になっています。
教団的にはあくまでも母屋を打ったのは「貧に落ちきるため」を前面に押し出したかった。信者をあおる美談への創作、ねつ造。
話の創作はどうにでも出来ます。貧に落ちきれと金品巻き上げられ、「屋敷を払うて田を売り給え」で裸同然になった今日までの騙された信者は詐欺にかかったのも同然です。
この教団の発信はあらゆる角度から真偽を確かめる必要があります。
「天理教の三大嘘つき話」の二つ目を思い出しました。
二つ目の嘘つき話は、「おかのさん」の話だそうです。
あの話は、作り話だと「正善」が本部員にじかに話したそうです。
「かの」という名前の女性はいたそうです。
秀司には複数のお妾さんが居て、庶子も複数居たそうです。
その中に「かの」と言う名の女の子が居たそうです。
「かの」は夫善兵衛の「愛妾」ではなく、秀司の「庶子」だそうです。
当時、本部は文筆家にお金を払って「みきの美談話」を複数書かせていたそうです。
おや様の逸話編にも創作話が沢山あるらしいですね。
私は、以前は完全に洗脳されていたから真剣に読んでいました。
そして、感激して涙流していました。
事実を知っている本部員から見たら、これって本当に「笑えるー」ですね。
洗脳がとけた今の自分で見ても大笑いです。
「やられたー」という感じですね。
ちなみに「天理教の三大嘘つき話」という言い回しは、本部の人達の会話の中で出て来る言い回しだそうです。
ご本部は、本当に嘘がお上手です。
退職信者様
「天理教の三大嘘つき話」の一つ目と二つ目、事実と全くかけ離れた嘘を、よく本部は、公に出す本に書くものです。おかげで、事実と思い込んだ大勢の信者たちは、美談に騙され、自分達も、教祖のひながたの何分の一でもと、金を、真実を、無理を重ねながらも教団本部に捧げて来ました。それを、本部自ら、「嘘つき話」と知っていながら、信者には嘘を平然と教えてきたとは、開いた口がふさがりません。
三つ目、も思い出されたら、是非、お教えくださいませ。
ホンマに皆さんホンマによくご存知ですわ。
「三大嘘つき話」以外にも中山ミキの伝承も多くが前述の○澤親子、諸○、山○儀○朗やらの操作で書き上げられたものですし
天保九年十月二十三日の加持祈祷の際にミキが神懸かりに陥り親神である「天理王」と名乗ったとされとりますけど、天理教が親神としての「天理王」と名付けたのはもっと後年の話やし、加持祈祷が行われた場に修験者の市兵衛は不在やった可能性もありますし。
ミキが「巡査の目前で水が一杯に入った大甕を持ち上げた」「秀司の足が動かなくなった場所が甘露台の位置になった」
留置されている時「明け方にランプを消した(巡査の許可なく立つことは不可能)」「退屈している巡査に菓子を買ってあげようとした(収監中、現金は取り上げられている)」などと云われていますけど、当時の警察は現在の警察とは比較出来ない位に容疑者の立場は人権が無視されて動きも制限されとるのに、実際はそんな勝手なことが出来るような状況ではありませんわ。
分署で巡査から水を掛けられた時は「冷たい」と言うて悲鳴をあげていたようやし、それが原因かもしれませんけど釈放時は風邪が悪化して歩くのは不可能やったみたいです。
ミキは神格化されて奉られていますけど、実際は人間染みた、どこにでもいるような婆さんだったようです。
明治三十七年には主流派が反対勢力のミキ派教師を大量に破門してしていますし、ホンマにやりたい放題してますわ。
そやからその前後に何人かの教師が天理教から分派して幾つかの小規模な宗教団体を立ち上げてますやろ。
長いウンチクになってしもてスミマセン
退職信者様
おそらくそれは八島さんの
『中山みき研究ノート』
に載っている内容かと思われます。
三つ目は「大和神社事件」だったはずです。
私はさらっと読んだだけなので、
不確定ですが、
もしお持ちの方は
教えていただけたら嬉しいです。
かのの話については、
『中山みき研究ノート』に、
二代真柱が話した内容が出ています。
昭和25年5月31日
教祖傳編纂についての本部員へのお話(記録橋本正治)
かのの話は芝居の台本を書く人が勝手に書いて、
その話が残ってしまったものである。
こんな事は何も伝わっていない。
なぜ分かっていても教祖伝に入れたのでしょうか?
本をお持ちの方がおられましたら、
ぜひ補足をお願いします。
うる覚えですが、「大和神社事件」の時、こかん様名義の債許状が取り上げられ、その後、秀司さんが地福寺へ行き秀司名義の債許状貰ってきて、お屋敷は秀司夫妻が取り仕切るようになり、日銭が秀司夫妻の懐に入るようになった。(当時でも、結構たくさんのお参りがあったようで、お金の他、お米などのお供えだったようです。)
教祖とこかんから、当主の秀司に利権が移って行ったので、
秀司夫妻はかなりのお金を貯めこんでいたようです。
この辺りのこと、詳しくご存知の方に教えていただければ幸いです。
退職信者様・ どん亀様の投稿を読ませてもらっていると、天理教というものの正当性というのか、「そんなものは無かった!」というしか無いのか!
天理王命の神名はいろいろな名前を経た末の創作(人間による)だった、というのは間違いないようですね。しかし、未だにその事実を知らない信者・信徒はたくさんおられるようですが・・・まあ、名前は百歩譲ったとしてもその中身は一体どうなんだ?というところが問題です。また、いろんな逸話なども都合の良いように創作(美化・神格化)され、物語の台本の如く人の手によって作られてきた可能性が高いようですね。
本当にイワシの頭も拝めばありがたく思えてきて、拝まざるをえない・・・
それを、10人、100人、千人、万人でやればそれこそなんとありがたい神様だ・・・となるのは確か・・・
この宗教団体は後の人々によって作られながら変貌を遂げてきたようですね私は教会で生まれ育ち、親も教会の出身、親戚もほとんど天理教・・・の環境で本当に教祖のひながたを通らねば・・・と思っていたクチです。三代真柱が教会内容の充実を打ち出した時には本当にそうせねば・・・と思いましたし。だいたい父親(末端教会長)は社会で仕事をすることもなく道一条という形で天理教だけをして人生を終えました。人間の、人の、人生がこんな風に展開し幕を閉じてもいいものか?と本当に考えさせられます。あり得無いと・・・
一体何が本当で何がウソなのかわからない。こうなったら全てを疑ってかからざるを得ない。
但し、何が本当で何がウソかが明白になったところで私の・・父の・・人々の・・失われた人生の時間が戻ってくることは無いということだけは確かですね。虚無感がハンパ無いです。
私たちは言わば人の作り上げた壮大なお芝居を見て酔いしれ熱狂し我を忘れたまま、芝居と人生を一体化させ、またその酔いを親から子供へ子から孫へと伝え、ずーっとお芝居を見せられてきたような感じですね。基本的に不安を抱えた人々が神という絶対的な揺るぎない対象を求めていたところに・・・てことか?
人は、酔いたい、何かに縋って生きたい、真実と事実の区別をつけるのを面倒くさがる。
本人が納得できれば、それは事実とは違っていても本人には問題ない。
さらに、確証のないものや、過去の人伝いの話を信じる。
誰かが書き込んだ「弱肉強食」という言葉がまさに天理教そのもの。
八島氏の指摘にもあるように、大和神社事件は現に同社の神官が「そんなことがある筈がない。神社の人間が警察のように人を拘束できません」と云う証言があるように架空の話やと思いますわ。
古い元教会長様が書いておられるように秀司は相談者(信者)から御礼として米、現金の取得をしていたようです。
ミキは相談に来た者達に「はったい粉」を手土産に渡していましたが、それは当時米の代用として年に二度収穫出来る大麦が栽培されて比較的安価に入手出来るので相談に来た者は現金での御礼の代わりに大麦を置いていったようです。
ミキが指摘していた「内なる者」と云う身内(秀司か?)の反逆によって蚊帳の外に置かれてからは、恐らく如才ない者(高弟達)の入れ知恵で相談事の御礼は現金または米にしたようですね。
米ならば毎食必要な物やし、余れば米屋に売って現金に変えられますし。
その直後に御供(ごく)が、はったい粉から米粒になったのかもしれませんわ。
とあることから、このホームページをみて、おせわになっているひとにみせましたが、「わたしはただおやがみさまをしんじるだけ」といってとりあえてくれません。かいかく・よくしようとする、かんがえがないほどなんでしょうか?(かんじにへんかんできません)
たくや様による
「京都地検が、西陣部内 上賀茂分教会長 奥田晃会長を刑法246条の詐欺、205条の傷害で起訴。
西陣大教会長永尾隆司、同役員 奥田和男を、詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。」
これらの情報は確証あるものなのでしょうか?信憑性は?
真実であれば、とんでもなく破廉恥な大事件ですから、私も情報の拡散に協力いたしますよ!
ただいまべっせきこうしゅうちゅう 様
殆ど全ての人が、この組織はオカシイと思っていますが、表立って言えないのです。
だから、「わたしはただおやがみさまをしんじるだけ」と言うのが精いっぱいなのです。
戦時中の言論統制に似た組織です。
身元がバレれば家族、親族、身内一同に迷惑がかかるでしょう。だから、匿名であったりするのです。
陰では、いろんな情報が飛び交っておりますが、ご存じないのは本人だけです。
裸の王様達が「かぐらづとめ」をつとめ「かなめ会」で議論をしている組織です。
ただいまべっせきこうしゅうちゅう様
混乱されているようですが、大丈夫です。
あわてず、騒がず、冷静に情報を見てください。
それで、疑問が出たらこのサイトでも書き込めば
皆さん答えてくれます。ので安心してください。
検察が容疑者を起訴するのはそれなりの証拠が整ったから起訴することになる訳ですわな。
今後は裁判所がどんな判決を出すかですわ。
これは天理教全体からすれば氷山の一角やけど、まあどちらにしても天理教の組織的な悪質行為の実態が犯罪として晒されるだけですな。
めでたしめでたしですわ
どん亀さま 2017年11月19日 10:10 AM
そうなんですね!
ところで、あの大教会乗っ取り事件はどうなっているのでしょうか?
とっても気になりますね。
信者をやめたいがネットに疎い、ネットを全く知らない人(特にお年寄り)に、どう働きかけをしていくか?
どう洗脳を解いていったら良いのだろうか。
乗っ取り事件は? 様
実はその話はワイも余り承知してませんでしてん。このサイトで初めて知りましたわ。
昔から分教会長が不在の事情教会に大教会から役員が出張ってきて古くからの信者と確執が発生したケースは多々ありますし、過去に本部の意向、仕来たりに差異がある大教会長が本部の命で更迭されて本部役員が一時的に大教会長を勤めた前例はありますけど。
件の大教会長がどの様な人物かは存じませんけど明らかに本部の考えと隔たりがあるから排除されたのは事実やと思いますわ。
そんな案件があるのに「理の親」などと勝手気ままなな事を吹聴しとる本部も道理が矛盾してますわ。
ただ本部の勝手な意向で信者が振り回されているのは気の毒なことですな。
本部から天啓者が出て行って年限が経つと、上層部は、魂への暴力集団へと落ちて行ったんじゃないだろうか? 代替わりするにつれ、その本部の汚れが広範囲に浸透、顕在化してきた結果が今の教団の有様なのでしょう。 宗教以前の問題として、弱い者いじめはいかんだろ。
神のかしものかりもの心通りの神の守護。
こころに感謝と喜びと優しさが深まっていかないならば、その宗教活動は無駄ではないか?
病まず死なず弱らず、健康長寿の現象が広まっていかないなら、その活動は無意味ではないか?
罪深い上層部の、気の毒な未来生を想像しちゃうのはオイラだけか?
匿名3様
病まず、死なず、弱りなきように・・・この教団でうたわれていますが、病まず、死なず、弱らず・・・って違和感バリバリありますが・・・
生身の生き物である動物に限らず、命あるものは病気にもなり、だんだん弱り、いつかは絶対に死ぬ。そのいつか死ぬことが逆説的だけど救いじゃないですか?いつまでも生きていたい。人によってはそう思う人もいるかもしれませんがいつか死ぬ、また死ねるから人生が尊いものになるんじゃないかと思いますが・・・ただ、現在、ips細胞などの研究が進み将来的に臓器の複製ができるようになるかもしれません。そうなった時に、それこそ死なず・・
な世界が現れるかもしれませんがそれで人類は幸せを感じれるかは疑問だと・・・教団は、教祖が残された子供のために25年の寿命を縮めてまでも・・・とうたってますが平均寿命50才ぐらい?の江戸末期で90年生きればそれは115歳生きたと同じぐらいのことだと思いますが・・・それを、恩着せがましく寿命を縮めてまでも・・・と言っているところがやっぱり作戦だなと思います。(恩を着せ、恩を売るのがうまくて好きな教団です。名前は恩売り教・・でも良かった。それか金好教、どこかにありましたね。)
でも意外と信者はそれを信じているかも・・・ですね
また、寿命を縮めた・・・と言ってますが人間として肉体的に限界がきて死んだだけのことでしょう。ここでも完全に中山みきを神格化していますね。
世界では現在、実際に115歳ぐらいまで生きられる方がおられるようで、教祖さんの言ったことは間違いじゃなく本当だ・・と思われる人がいるでしょう。
しかし、115歳まで生きれたとして生きていたいか?という問題ですよ。
そこまで生きれば体もガタガタで自分のことができなくなり、おそらくボケまくるでしょうし、周りもどんどん死んでいくし、逆事を見る可能性は高くなり良いことより大変なことの方が多いと思いますが・・・少なくとも私は115才まで生きれたとして生きたいか?と問われてもうなずけないですね。個人的には80〜90年生きれればもう十分なんじゃないかなと思うんですが・・・傘寿or 米寿ですかね・・・
この問題についてはいろいろ意見があると思いますので他に意見が有ればお聞きしたいと思います。
四十姿で心は二十歳、百歳超えても健康で元気で仕事もできるなら、長生きしたいですね。所謂ピンピンコロリで115歳が理想ですね。
現在115歳の方がおられたら明治35年生まれですから、本席様がご在世で、世界の戦争や革命を実体験した人達ですね。もし記憶力がしっかりしていれば、近現代史もお地場宗教史もゴシップも含めて、より事実に近い事を聞かせて頂けるのだろうと思いますね。
それだけ生きれば、周りの人間の生まれ変わりとかを想像できるようになるかもしれませんね。まあボケて周囲に大きな迷惑を掛けるなら、考えものではありますね。
来生に若返った方がいいと思えば、無暗な延命措置は拒否しますけどね。(遺族が捕まらない程度にですが)
これは、熱心家の医療拒否の問題にも通じますね。
たくやさん頑張って下さい。僕も上賀茂分教会の奥田晃にお金を60万供えろと怒鳴られコンビニのatmで60万渡した会社員です49歳です。京都駅で声掛けされ別席を5回運んでいます。僕も以前上賀茂で常詰で住んでいましたがトイレ掃除や修養科へ行けとたくやさんと同じで強要され断ると僕の左足をスライングキックされ打撲でしたが会社を2日休んだことあります。修養科はノルマだからここに住んでる以上参加せーと怒鳴り^^^結局教会を追い出され今会社の上司の家に間借りしています。上司は天理教は宗教だから金目当てだといいます。騙されるほうがいいかもしれません。僕も心臓にぺースメーカーが入れていて病気が治りたければ寄付{莫大な金額}をしたら治るとウソを付かれてきました。上賀茂の上級に真栄分教会{二条城}の近くありますが1ヵ月20万の寄付を本部にしているそうだす。そして上賀茂の奥田晃は青年会ひのきしん隊の部員で来年5月頃教養掛の任命もある方です。検察が起訴したことを知りホットしたというよりこれから勝負だと思います。大教会の永尾大教会長奥田和男役員金のことしか言わない正解です。金の切れ目は縁の切れ目こんなガキらプリズンから出てくるな。
天理教分教会か、やくざの組事務所か、見分けのつかない教会もあるようですね。たくやさんや、ゆうたろうさんのような経験をされた方、また、現在、そのような環境におられる方々は、至急逃げ出すか、人権相談所窓口、警察署などへ相談に行かれた方が良いと思います。
上に素直だのと、全財産渡すようなことになって、後で後悔しても、返って来ません。振り込め詐欺だろうが、投資詐欺だろうが、還付金詐欺だろうが、ATM詐欺だろうが、金を請求する所は詐欺だと、テレビニュースでも、町内回覧板に載ってる警察からの情報でも、そう知らせてくれてます。
お供えや理立てに〇万、〇十万請求する教会は、あきらかに、宗教団体の仮面を被った詐欺です。渡す前に、一度、人権窓口、警察なり、相談に行き、暴力振るわれたら、これは、確実に警察に被害届を出すことが出来ますし、殴った者は逮捕されます。どうか、泣き寝入りされないように、自分の尊厳を守るべきです。
大なり小なり、神を売り物にしている人達の大半は、高弟だの側近だのを含めて、詐欺師へと落ちてゆくんですね。
そういったものに騙されない為にも、神は地場屋敷に天啓者が永続する、神一条の道をおつけになるつもりなのでしょう。
これまでの教会本部の名家だの幹部だのの人達の思い違いは銘々でサンゲしていただくとして、
真柱はじめお地場の人事権のある人達は、一日も早く、天啓者の方々をお地場に登用されることを望みます。
そろそろお地場も神一条の道を始めませんか?
今の教団組織がおかしいので、教祖の存在自体やが説かれたこともおかしいと批判される方もいらっしゃいますが、それは個人的には非常に残念だなぁと感じています。今の教会組織は、教祖の説かれたこととは全く違うことをしているように思いますし(祭儀式を未だ仰々しく行っている時点でおかしいのは明白です)、正直、離れることが可能であれば、今すぐ離れた方がいいと思います。
ただ現行天理教(教義、本部含め)と、教祖の説かれた「お道」は別物として捉え、研鑽し直す価値は十二分にあると思います。
私の場合、宗教という概念を超越したところでしか中山みき様のお話は理解出来ないように感じています。
例えば「かしものかりものの理」という教えを深く思案させていただく必要があると思います。
私たちは自分の肉体が「自分」だと考えています。身体意識、肉体意識です。
では、汗は自分でしょうか。汗は皮膚から出ています。水分ですから蒸発するものもあれば流れ落ちるものもあるでしょう。汗をかくと喉が渇きます。目の前のコップに水を入れます。それを飲みます。目の前にあった水が自分であることに気付けると思います。また人間は食べ物や水分を補給し、排出していますので、ある意味「筒」のようなものとも考えられます。この筒の内と外、どちらが自分なのでしょうか。どこからどこまでが自分なのか、そこを深く思案すると「この世は神の体や、思案してみよ」との言葉が深い意味で理解出来ると思います。要は身のうちは全て宇宙と繋がっているということです。その中で「心一つが我がの理」と教えていただいているのです。
人間世界の何千年と歪んできた中で「本質」なる真実を説かれたのが天啓なる中山みき様だと思っています。
>人間性を失うか壊れるかどっちか、破綻するか?
と仰られている方もいらっしゃいましたが、これはまさに今の社会とそのものと同じなのではないでしょうか。
教内の問題だけでなく、社会全体がおかしくなっていることに深い意味で気付く必要があると思います。
そのことに気付き、人間性を失わないよう、新たな道を歩まれている方が既に多くいらっしゃいます。
「鏡やしき、鏡ならどういう事もこういう事も、皆映る。善き事悪しき事映るであろ。」
とのお言葉は、まさにこの事ではないかと最近、感じております。
事実は小説よりも奇なりとも言われますが、それぞれが「嘘」に気付き「本質」に目覚め、行動を起こす時なのではないでしょうか。
既に500万回以上、再生されている動画をご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=dNVZ0ZPfE8s
8分24秒です。
※動画を見る時間のない方のために文字起こしを貼っておきます。
今この瞬間、あなたはどこにでもいられるし何でもできる。
なのに、あなたはこの画面の前に座っている。
一体やりたいことや、なりたいことから私たちを遠ざけているものは何なのだろう。
毎日、同じ部屋で目覚め、同じ道を通り、昨日と同じ1日を生きる。
かつて私たちの日々は、時間で縛られてはいなかった。
途中で何かが変わってしまったのだ。
今はすべてが計画されている。
これが自由になるための成長ということなのだろうか。
私たちは本当に自由なのだろうか。
—
食料、水、土地。私たち人間が生きるために必要なものは、今は企業だけに所有されている。
木々に私たちが食べる食物はなく、小川には飲むことのできる新鮮な水はない。 小さな家を1軒建てられる自由な土地もない。
それらの地球が与えてくれたものを、もし自由に手に入れようとすれば、あなたは刑務所に入れられる。
なので、私たちはルールに従って生きている。
私たちは教科書を通して世界を発見する。
若いあいだの何年もの間、私たちはただ座り、言われたことをオウム返しにして生きている。実験室で扱われる物質のようにテストされ評価される。
世界の中に違いを生み出さないように育てられ、違わないように育てられる。
結果として、与えられた仕事をこなすには十分な能力があるが、なぜそれをするのかということを問うまでにならない。
なので、私たちは、もう仕事ができないと言われる年齢まで働き続ける。けれど、その時には、私たちが働き続けた意味を考える時間は人生に残っていない。
その子どもたちもまた同じゲームを引き継ぐのだ。
子どもたちはひとりひとりは個性的だ、しかし、社会的にひっくるめれば、私たちの存在は「燃料」以外のなにものでもない。エリート存在を力づける燃料。大企業の看板の後ろに隠れるエリートたちの。
この地球は彼らの世界なのだ。
彼らのもっとも重要な資源は地下にあるのではない。
彼らの資源は「私たち」だ。
私たちは彼らの街を建設し、彼らの機械を操作する。私たちは彼らの戦争で戦う。
彼らを動かすものは金ではない。それは力だ。金は、彼らが私たちをコントロールするために使う道具に過ぎない。
私たちは食べるために、移動するために、そして楽しむためにお金に依存しなければ生きられない社会にいる。しかし、それは本来は価値のない紙切れなのだ。
エリートは私たちに金を与えた。
しかし、そのお返しに、私たちは彼らに世界を与えてしまった。
私たちの空気を清浄にした森のあった場所は、森を汚染する工場になった。私たちが飲んだ水のあった場所は、ひどく臭う汚染されたゴミ捨て場になった。
動物たちが自由に走り回った場所は、私たちの欲望を満足するために、永遠に続く虐殺の工場となった。
私たちには十分に食べ物があるにも関わらず、世界では何百万人もの人々が植えている。その食べ物はいったいどこに行っているのか。
私たちが育てる穀物の 70%は、私たちが肉として夕飯に食べる動物に飼料として与えられている。なぜ飢えを助長させるのか。それは、飢えを消滅されると、利益が得られないからだ。
私たちはまるで地球に広がるペストのようだーになってしまっている。
私たちは、私たち人間に生きることを許しているその環境を粉々に砕いている。
私たちは、この世界にあるすべてのものを売ることができる物質として見なす。まるで、この世に存在するものすべてが所有されるべきものであるかのように。
いつのになったら、私たちは、金という存在は食べることもできないまったく価値のないものだと気づくのだろうか。
私たちは地球を破壊しているのではない。その上に生きるすべての生命を破壊している。
もし、あなたがアメリカに住んでいるのならば、41%の確率で、あなたはガンになる。3人に1人は心臓疾患で死亡する。
私たちは、これらの問題に取り組むために、病院で処方された薬を飲む。しかし、ガンと心臓疾患の裏で「医療」そのものがアメリカの主要な死因の3番目だ。
科学者に金を投入すれば、科学者たちが私たちの健康の問題を消し去るような薬を発見し、すべての問題を解決してくれると私たちは思っている。しかし、現実は、製薬会社とガン社会は、私たちが病気になることに利益を依存しているのだ。
私たちは、自分たちが治癒の方向に向かって進んでいると思っているが、実際には「病気の原因に向かって進んで」いる。
私たちの体は、私たちが食べるものでできているが、その食べ物は、純粋に利益のために計画される。私たちは、有毒な化学物質や、薬や病気におかされた動物の肉を自分たちの体に詰め込んでいる。
でも、そんなことを私たちが知ることはない。メディアを所有する一握りの企業グループは、私たちにそのことを感づかれないために、「これが現実だ」というようなファンタジーで私たちを囲い込んでいる。
かつて人間は、天動説として地球が宇宙の中心だと考えていた。しかし、今度は、人間は、自分たちが地球の中心だと考え始めている。
私たちは科学技術を持ち出し、人間は最も賢いと言う。
しかし、コンピュータや自動車や工場が、私たち人間に知恵があるということを現しているものだろうか。それとも、それらはただ私たちがどれだけ怠惰であるかを示しているに過ぎないのか。
私たちはそのような文明の仮面を被っているが、その仮面を取ったら、いったい私たちは何者なのだろうか。
私たちはまるで自分たちが何でも知っているように振る舞う。しかし、見落としていることはたくさんある。私たちは小さなことを無視しながら通りを歩いている。
見つめ合う視線、分かち合う物語。すべてはまるで、「私には」背景なのだと思いながら、それを無視して歩く。もしかすると、私たちは自分ひとりではなく、より大きなものの一部だと感じているかもしれない。
しかし、私たち人間ははつながりを作ることに失敗している。
豚や牛や鳥、あるいは他の国の者は殺してもよい。でも、自分たちが理解し、愛する近所の人々やペットの犬や猫は殺してはいけない。
私たちは、自分以外の生き物を低く見、自分たちの行動の正当性のためにそれらの価値観を持ち出す。
しかし、自分たちが他のものものを低く見ているというだけで、殺害は正しいといえるのだろうか。
私たちは、崩壊間際の世界に生きている。
明日の戦争は、どんな勝者ももたらさないだろう。
なぜなら、暴力は答えにならず、すべての解決の可能性を破壊するから。
もし、私たち全員が自分たちの中にある欲望を見つめたなら、私たちの持つ夢はそう違わないことに気づくだろう。
私たちは同じ目標を分かち合っている。これは幸福なことだ。
しかし、その同じような喜びを求めて、私たちは世界を粉々にしているのだ。
私たちは、スマートフォンや大きな家や高性能の車を持ち、本当に幸せだろうか。
私たちは変化をもたらす誰かを待っている。
自分たちが変化になろうとは考えずに。
アメリカ大統領選挙はコイントスのようだ。ふたつの面がひとつのコインにある。私たちは、私たちが欲するそのコインの面であると同時に、作成された変化の幻影を選ぶのだ。しかし、人びとが真剣に選んで考えた何人もの大統領の登場の後も、世界は何も変わってはいない。
政治家が私たちの役に立つことは何もないということに気づくことに私たちは失敗している。政治家は、彼らに権力を与えるために出資するものに仕える。
この従属の世界の中で、私たちは「私たち自身を導くのは自分である」ことを忘れてしまっている。
変化を待つことを止めるべきだ。
そして、自分が見たい変化に自分が「なる」のだ。
この歴史の中で、人類が生き残った理由は、最も足が速いからでも、最も強かったからでもない。
人類は共に行動してきたから生き残った。
殺りくはもう十分に身につけた。今こそ生きる喜びを身につけるべきだ。
それは地球を救うことではない。この地球は、私たちがいてもいなくてもここに存在するだろう。
私たちが生きる時間はせいぜい 80年ほどで、その時間は地球から見れば一瞬の時だ。しかし、その影響は計り知れない。
私はしばしばコンピュータのない時代に生きたかったと思う。
しかし、私は気づいた。ひとつだけこの時代に生きる理由があるとすれば、それはインターネットが、私たちがメッセージを分かち合う力と、世界の多くの人びとと団結させる力を与えていることだ。
良かれ悪しかれ、この地球の未来の世の中を決めるのは、私たちの子どもたちだ。
私たちは、ただ、この破壊の仕組みに身を投じるのか、それとも、私たちは進化しているのではなく、退化していると気づき、目覚めるのか。
あなたは、自分自身のカーブする道を選ぶこともできる、あるいは、これまで数え切れない人びとが辿ってきた道に従うこともできる。
人生は映画ではない、脚本はまだ書かれてはいないのだ。
あなたがこれから書く脚本は、あなた自身の物語であり、そしてあなた以外の物語でもあり、私たちすべての物語でもあるのだ。
「鏡やしき、鏡ならどういう事もこういう事も、みな映る。善き事悪しき事みな映るであろう。」
「皆映る」の意味は、じば・屋敷の善き事悪しき事が世界に映るのでしょう。
おふでさきには
7号ー7 月日にはたんゝみえるみへるみちすじに こわきあふなきみちがあるので
8 月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんぱいしているとこそ
9 にんげんのわが子をもうもをもをなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
親神は、地球の行く末を案じておや様を遣わしたのでしょう。しかし、屋敷の人々は、欲に負けたのです。
屋敷に広がる欲の心は世界に映り、そして 今やこの地球は「彼らの世界」になってしまったと思うのです。
>私達に今できることは「嘘」に気づき「本質」に目覚め、「行動」する事です。
おふでさきの本質は、真実と喜びの心だと思います。
私達人間が、真実と喜びの心で日々過ごす(行動する)ことが親神の望みです。
そして私達の「喜びの心」が親神の「心の糧」なのです。
上級に、大教会に、本部にお金をお供えする。
上級に大教会に本部に伏せこむ。
じばに真実を伏せこむ。
こられは、神の望みではありません。
親神の望みは、私たちが日々喜びの心で生活する事 それだけだと思います。
宗教でさえも支配欲の深い人間のものになってしまった。のですね。
ほぼ全ての宗教家が詐欺師だと思っていいほどに。ですね。
2017年11月19日 2:07 PMのいほり 様
>どう洗脳を解いていったら良いのだろうか。
正直言って無理です。97歳で永眠した叔母は数年前に老人施設に入所しました。自身が受給している国民年金と亡き夫の遺族年金の合計額では入所費用の全額が払えず、不足分を子供や孫に支払わせていました。
その叔母が無くなった折に、見た貯金通帳の残額は無いに等しかった。結果、例え、ささやかな葬儀であっても、その費用もいやがうえにも子供たちに追いかぶさってきた。更に、教会へのお礼を始め祭官さんへのお礼・お車料・粗飯料が付いて廻った。その上に30日祭だの納骨だのと費用の出費が嵩んだ。
生前の叔母は、このような施設に入れたのも親神様のお陰だと喜んでいたが、月額17万円近くの年金を受給していて貯蓄が無いに等しかった原因は、全て教会へのお供えに消えていたのだ。
残される者の苦労も知らずに、ただ自己満足のために続けていた信仰が真の幸せだったのか。
洗脳された恐ろしさを垣間見る思いだった。このようなおカネの積み重ねが、あの巨大で無駄な建物やレーザービームの費用の一部に消えたのかと思うと、信仰=おカネの姿がありありと浮かんでくる。
当然ながら、子供達や孫は信仰できなくて居る。当然の帰結でしょう。
「たくやさん」や「ゆうたろうさん」始め叔母のような人を出さないようにするためにも、今後とも声を大にして発信してゆきましょう。
マスコミ(新聞・テレビ)もこのような問題は容易に取り上げてくれませんから。
「天理教のお供え」に「甘露台座談会」の資料が掲載されていました。
興味深いのは、甘露台についての問いかけに山澤為造は無言であったという場面です。
為造は記録に残る座談会で口を滑らせて本当の事を言ってはまずいと思い無口になったのでしょう。
為造は、皆には知られたくない本当の事を沢山聞いているはずです。
信じる信じないは貴方次第という話になってしまいますが「須藤花井さん」に関する事もその一つだと思います。
「須藤花井さん」は、本部の西側にあった三島公園の傍のアパートに住んでいました。
当時、須藤さんは「おもたりさん」と呼ばれていました。
私は、最初の頃皆さんが「おもたりさん」と呼ぶ意味が分かりませんでした。
「おもたりさん」と呼ぶ意味が分かったのは、かなり後の事です。
「須藤花井さん」は、おふでさき1-7「かみがでてなにかいさいをとくならば」の神であり、
みかぐらうた3-10「じつのかみにはそういない」の神でありそして「面足命」だということです。
須藤さんは、平成7年4月に「月よりの神言」と言う本を著しています。
その本のp77に次のような記述があります。
三島のアパートに三十年前に間借りをした時の事です。はきだめに鶴がまいおりて来た様な婦人が見えました。・・・・
今までお月さんが話されて来た事を二時間近くきいて貰いました。
「神さんは高知から出て来ると小さい小娘の時からきかされて来ましたが、やっぱり間違いはなかったですね」・・・
この方は高知大教会の島村ヒサノ様でした。
島村ヒサノさんは、この時「神さんの言う事をこの紙に書いてください」と言って白い紙の束を須藤さんに渡したそうです。
須藤さんは、その紙に書き溜めてまとめたのが「月よりの神言」だと言っていました。
私は、長い間 島村ヒサノさんの出自が気になっていましたので、先月天理在住の知人に調べて欲しいと頼みました。
そして今月初旬に連絡があり、山澤家の関係者らしいと言うのです。
その後この知人は更に詳しく調べたら何と驚きです。
島村ヒサノさんは、山澤為造の五女だと言うのです。
為造は、おや様から聞いて知っていたのです。
為造は、高知の初代島村菊太郎の後継者に梶本國治郎を養子縁組させてそこに娘のサワを嫁がせています。
そしてサワが亡くなって後、かなりの時を経て五女のヒサノを嫁がせたと言う事を教えてくれました。
その後も山澤家は高知大教会と深い繋がりを持っていると知人は教えてくれました。
山澤が高知を特別扱いして来た理由はこの事だろうと知人は話していました。
私は、島村ヒサノさんは本部の中でもあまり目立たない家系の人だろうと思っていたのですが、何と本部のど真ん中の人だったのです。本当に驚きました。
昭和35年から約40年近くに渡って天理に「じつの神」が存在していたのです。
その事実を中山家や山澤家など本部中枢の人達は知っていたのです。
山澤家の人々は、今でも信者が知らない秘密を家の中で話しているのでしょう。
天理の知人は、天理市内に住む人が自費で「月よりの神言」を復刻したらしいと話してくれました。
たくやさん大丈夫ですか?僕も京都地検から証人尋問として今日京都地検で呼び出されました。そして京都地裁で裁判の出廷をお願いされました。ただ難しい裁判になるのは事実で3人とも京都拘置所に収監されてないようです。というのは、上級の真栄分教会の井上会長が京都ナンバー1の弁護士を確保したからだそうです。僕も今日初めて京都地検で5人の検察官と話をしました。正直怖いところのイメージがありましたが、とても優しく今までの経過やお金のこと暴力のこと2時間話をされこれ以上被害者を出さないため、僕が怪我をした左足の診断書を警察病院で即とられました。すると最初は打撲と考えていましたが、骨挫傷{骨の中の筋が折れてる}診断でギブス固定されました。今松葉ついてます。つまり保釈金か悪徳弁護士の仕業でしょう。僕は今日京都地検でこれはここ京都地検だけでは、起訴はしているが、手ごわいやくざなみの奴らだから、状況により大阪高検や最高検の助言をもらいながらしていくと言われました。宗教という目の見えない処だから、また、信仰、信仰者という実態を被害を警察や検察庁にもっと被害告訴するべきだと検察官から言われました。沢山の届があると、最高刑でそして全国の教会を解体しなければ、これから被害者は増えると言われてます。今から勝負で西陣大教会、永尾隆司氏、奥田和男役員、上賀茂分教会奥田晃教会長の起訴{被告}全国の被害者の方声をあげてほしいです。僕も別席やめました。おさずけなんか効くわけないと思います。例えばもし、おさずけが聞けば医者はいらんでしょう。僕もこの教会長奥田晃からおやさまなんているかホントよくわかんないんですよ^^と連発されたことも。この人は奈良県十津川分教会の次男で養子で西陣大教会奥田和男の長女の、ふみよ氏の養子です。僕も仕事で残業の時、会社にしつこく電話してきて、お供えしてくれ、修養科行ってほしい。必ず助かるからと、言い会社の近くのコンビニで60万おろし、払うとその後、僕が電話しても出ない、もしくわ、もう終わったと切られ、僕のボーナスのほとんど取られました。これは、事実です。防犯カメラに僕との姿鮮明に撮影されてました。今日京都地検で見ました。これは、京都府警察本部も捜査してると思います。是非、この3人とそれを擁護{犯人隠匿}する真栄分教会井上教会長{西陣部内}計4人最高刑に処し、全国の教会がなくなる{解体査察}ことを願います。
たくやさん。被害に遭った者同士、戦いましょう。僕も力になります。僕も仕事をしながらですが、京都地裁でお会いしましょう。そして、全国の皆さん{理の親}陽気ぐらしが本当だったら金{莫大}を請求したりするでしょうか?冷静に考えるとこれが、本当だったら{中山みき}は金の亡者ですよ。今天理教の青年さんや常詰さん教会を出て、避難したほうがいいと思います。そうしないと、人生くるってしまうと思います。
ほんなんでもない百姓の女一人・・・・と言われてますが・・・
以下のような著書がありましたので資料として投稿させていただきます。
『まつろわぬ日本の神々』:記紀が葬った異端の神々 から
中山みきの母方は、天理市新泉町に鎮座する大和神社の祠官(しかん)・長尾家である。この長尾家は、倭国市磯邑(やまとのくにいちしむら)(大和郷)に祀られた倭大国魂(やまとおおくにたま)の神主の市磯長尾市(いちしながおち)(大倭直の祖)おおやまとのあたい)の末裔である。
倭(日本)大国魂神は、崇神天皇六年(紀元前九二)、それまで皇居の内で同殿共床(どうでんきょうしょう)で奉斎されていた天照大神と倭大国魂神が、宮殿の外へ出され、前者の天照大神がのちに伊勢に鎮まって神宮になったとき、大和郷に鎮まった神である。このとき、倭大国魂神を奉斎した皇女淳名城入姫(ぬなきのいりひめ)は髪が抜け落ち、身体も痩せ細らせてしまっている。中山みきはその倭大国魂神を奉斎する斎姫(いつきひめ)の霊等を継承しているわけである。
中山みきに代表される女性教祖たちは、新宗教を否定する人々から、かつて<狂女>の典型のように言われたこともあった。その<狂>の原点に戻って考えるとき、彼女たちが民間の巫女として、すなわち神の神子で御子である神子として出現したことがわかる。そのとき、世界一れつをたすけるために、中山みきの身体を、<社>とした天理王命の本質が浮かんでくると思う。
天照大神につきましてはおふでさきでも〜これてしょうこのだいじんぐうなり〜と言及されてますね
上記の著書の抜粋を投稿しましたがどこまで本当かはわかりませんがあながち根拠のないものでもないのではと思います。
何かの参考になれば幸いです。
ほんなんでもない百姓の女一人・・・・と言われてますが・・・
以下のような著書がありましたので資料として投稿させていただきます。
『まつろわぬ日本の神々』:記紀が葬った異端の神々 から
中山みきの母方は、天理市新泉町に鎮座する大和神社の祠官(しかん)・長尾家である。この長尾家は、倭国市磯邑(やまとのくにいちしむら)(大和郷)に祀られた倭大国魂(やまとおおくにたま)の神主の市磯長尾市(いちしながおち)(大倭直の祖)おおやまとのあたい)の末裔である。
倭(日本)大国魂神は、崇神天皇六年(紀元前九二)、それまで皇居の内で同殿共床(どうでんきょうしょう)で奉斎されていた天照大神と倭大国魂神が、宮殿の外へ出され、前者の天照大神がのちに伊勢に鎮まって神宮になったとき、大和郷に鎮まった神である。このとき、倭大国魂神を奉斎した皇女淳名城入姫(ぬなきのいりひめ)は髪が抜け落ち、身体も痩せ細らせてしまっている。中山みきはその倭大国魂神を奉斎する斎姫(いつきひめ)の霊等を継承しているわけである。
中山みきに代表される女性教祖たちは、新宗教を否定する人々から、かつて<狂女>の典型のように言われたこともあった。その<狂>の原点に戻って考えるとき、彼女たちが民間の巫女として、すなわち神の御子(みこ)である神子(みこ)として出現したことがわかる。そのとき、世界一れつをたすけるために、中山みきの身体を、<社>とした天理王命の本質が浮かんでくると思う。
天照大神につきましてはおふでさきでも〜これてしょうこのだいじんぐうなり〜と言及されてます。
上記の著書の抜粋を投稿しましたがどこまで本当かはわかりませんが、あながち根拠のないものでもないのではと思います。
何かの参考になれば幸いです。
それから、海外より様〜素晴らしい情報ありがとうございます。感謝申し上げます。これからもよろしくお願いします。
どん亀
2017年11月19日 5:20 PM
本部が発表してないとなると現在進行中或いはきわどい結末になったのでしょう。
大教会長が検察に御用・・・天理教も末期ですね。
たくや さん
ゆうたろう さん
出来れば裁判の日程が分かりましたら、ここに投稿していただけないでしょうか。近畿地方に住む知人に裁判の傍聴をするように呼びかけようと思っています。
傍聴席が、N大教会始めS分教会やk分教会関係者で占められてしまう恐れが十分考えられます。
是非、よろしくお願いしますね。
退職信者 様
拙い文に補足いただき有難うございます。
須藤花井さんのお話はいつも大変興味深く拝見させていただいております。
他にも何か思い出されたことがありましたら、是非、お聞かせくださいませ。
叶うことなら「月よりの神言」も購入させてもらいたいと思っております。
「甘露台座談会」を読ませてもらいましたが、山澤氏の絶句しているところは私も注目しました。
また本席様のご子息、飯降政甚氏の発言が一度だけしかないのも不自然に感じます。
当時の方達の上下関係が垣間みれる史料ですね。
勝手な想像ですが、真柱と親戚関係にある松村、山澤の両氏が高井氏に対して「あまりベラベラとしゃべるなよ」といった表情を向けているような光景が目に浮かびました。
残念ながら数多くのことが未だ隠蔽されているように思えてなりません。
既出御免 様
コメントいただき有難うございます。
ご紹介いただいた『まつろわぬ日本の神々』この本は知りませんでした。
こちらこそ情報をいただき感謝致します。
引き続き宜しくお願い致します。
「おさづけ」
おさづけについて「須藤花井さん」は、自分にしてもいいと言っていました。
また動物にしても良いと神さんは言っていると話してくれました。
また両手の平を強くこすり合わせて熱くなった手のひらを具合の悪いところに当ててても良いと神さんは言っていると話してくれました。
植物については話していませんが、基本的に助ける事に制約は無いと思います。
>両手の平を強くこすり合わせて熱くなった手のひらを具合の悪いところに当ててても良い
以前読んだ、気功の本に、そういう動作をするものが、ありました。気功と共通している、というのは、興味深く思います。神とは「宇宙エネルギー」を人間に与えてくれる「源」なのかもしれませんね。
http://enkakukikoucenter.com/?page_id=58
【気功とは、気を知り、宇宙エネルギーの流れを感じ、エネルギーの流れが悪いところがあったらそれを正し、自分自身に内在する気を高め、また自然界から気を取り入れ、そのパワーを必要に応じて利用する方法という事です。】
因みに、私は、みき様に降りた神は、宇宙エネルギーの源というよりも、かつて人間として生を受けたことのある御霊(神社などにお鎮まりになっているような神様です。)ではないかと思っております。
この世創った、宇宙を動かす神が、人間にかかるということはないそうですし、「我は天の将軍なり」とか、「我は元の神・実の神」などと、ものを仰ったりするようなことはないだろうと思います。
みき様のご先祖、長尾市が祀っていた、倭大国魂の神(大和神社のご祭神、多分、昔の大和地方の豪族の長、の御霊)か、それに関係する御霊かもしれません。
今日は天理本部の11月の月次祭です。日曜日で比較的暖かいのも有ってか参拝者が大勢、多数詰めかけていました。親子連れ、家族揃って参拝している姿は何とも微笑ましく、幸せな姿です。
しかし、残念ながらそれは表面的なもので、内実はそれどころではなく、大変な教会や信徒の方々が存在していることを忘れてはいけません。
でも、おぢばに来て先ほどの微笑ましい家族を見ていると、何事もなく、幸せな信仰生活のみが有るように錯覚しますね。
みんなが、明るく楽しく心の底から喜べる信仰生活を送れるようになれるように祈ります。
少し過激的なことを書きますが、二代目以降は「盆栽」のように感じるのです。
天然自然ではないのです。是が非でも「剪定者」が存在するのは確かだと思います。
鑑賞用ではなく、自らの鉢を飛び出して地面に根を伸ばした二代目というのは極稀なんではないでしょうか。
特に恨み辛み妬みがあってこんなことを言っているわけではありません。
「現状」とはそういうことなのではないか、と思うだけです。
現在は説く側、聞く側の多くの方が、その実態が「盆栽」であることに本能的に気付いている世代になっているのではないでしょうか。
ふと感じ思う事、、、
報恩、報恩、ご恩報じ、ご恩報じの意識を高めよう!
と事あるごとに現教団は言い放ちます。
延々と聞かされるほうはいい加減うんざりします。
言っているほうも疲れないのか?と思いますがこれが一番効果的な方法なのでしょうね、、、
疑うことを知らない純粋な人ほどこの罠にドハマりしていくと、、、
そして組織にとって都合の良い人材に、、、
例え助けて貰ったとしてもそれを延々と恩に着せられたら嫌になるのは間違いなく、しかし、やはりこの言葉は純粋な人に一番効果的な洗脳になるのでしょう。
ご恩報じが金銭のお供えだと言うことを間接的に言っているし、行いも教団組織のみに対しての報恩になっていて、社会、世界に対してのアプローチという広い視野がほとんど無く内向しきって組織内完結して
しまっていることが終わっていると感じますが、、
今年も残すところ後、一ヶ月ほどになりました。
一年の経つのが本当に早く感じられます。
さて、とある会合で年初の天理時報に掲載される真柱夫妻の表情について意見?が交わされていました。
陽気ぐらしを掲げているのにも関わらず表情が暗い・冴えないと・・・
正直私も同じことを考えていましたし、おそらく教内の信者・信徒の方も同じことを考えられているのではと推測がつきます。
新年早々、さあこれから頑張ろう!と思っている時に失礼ですがあの紙面の一面に写っているあのお顔・表情からは全く陽気が感じられない(不安・怪訝さは感じます。)というのが本音です。正直私も『なんなんだろう?』といつも思っていました。
しかし、ある時から自分自身納得できました。
それは、こちらの思い過ごしでしかないかも知れませんし、真柱夫妻の耳には入ってはいないとは思いますが、やはり教内、特に組織の末端の人々の苦しみ・もがき・経済的な困窮があり、それと引き換えに教団は何十、何百億のお金を吸い上げている。これが現状、現実、事実です。
なので、真柱夫妻の表情が苦悶で歪んでいた方が自然だな、と思えるようになりました。
写真の表情が不安で怪訝そうでもそっちの方が自然だと思えるようになりました。
あれが、満面の笑顔だとしたらその方が逆に神経を逆なでするなと思います。
繰り返しますがおそらく、夫妻の耳には末端の窮状は伝わっていないでしょう・・・しかし、末端の多数の人々やひょっとしたらもうこの世にはいないが真っ当に信仰をされてきた道の先人の方の魂までもが訴えているかも知れません。
本来の道に戻って欲しいとの念が伝わっているのではないでしょうか?
この念がなるべく怨念にならないうちになんとか真っ当な道に戻って欲しいものです。
信仰とは、なんぞや?これには答えはないと思われます。病気が快癒した。トラブルがおさまった。家族関係が良くなった。など色々人の数だけ有るのではないかと思われます。信仰をした結果そう感じられれば素晴らしいことです。
信仰の結果素晴らしい御守護があり感動して信仰を続けたい。というものですね。
で、質問なのです。私は天理教教徒で今までお道の信仰目的は因縁の納消だと教えられてきました。そして最近までそう思ってきました。
人は生まれながらにして平等ではなく過去を背負ってきている。と・・・
(カルマというやつでしょうか?)
生まれながらにプラスの人もいればマイナスの人もいる。
魂の徳というものでしょうか?
マイナスがあればその借りを返していかねばならない。
返した暁には苦労をしたくてもできなくなる。
借金のたとえ話がありました。借金でも返すまでは借金取りがやってくる。借金を返済すれば取りに来いと行っても借金取りは来なくなる。(往還道?)と、他系統(愛町系統です)でお話を真剣に聞いてうなずいていました。
信仰を代々重ねることが末代の理と言われているものでしょうか?
因縁と言われても目には見えないし、よく言われているのが因縁の自覚が大事だと・・・でも正直因縁って本当に有るのかな〜と思っていました。
とにかく信仰するには目的が有ってしているのであって、その第一は因縁の納消・・・だと。(生きながらにして運命を変える?)
親は、悪い因縁は自分の代で納消し子供には苦労を持ち越さない。
子供はその恩を感じまた信仰に励む。という図式。
仏教の本を読んでいる限りでは因縁納消という概念はないように見受けられました。(浄土宗ではこの世は穢土なのであの世に救いを求める?という考えが有るように聞きました。)
キリスト教では原罪という概念が有るようですね。(勉強不足でほとんど知らないのですが)
考えてみるに、目には見えないからと全くのデタラメと一蹴するのもどうかとは思うのですが、どうもその因縁説を説いているところでは何か暗いものを感じられることがありました。重苦しい空気と言いいますか、息苦しいものを感じられました。とても陽気とは言えない空気感が有ったように記憶しています。
今こうして投稿していて思うのはやはり心が救われる、心の救い?
戦後焼け野原から出発したこの国は食べるもの着るもの住むところなど生活に必死で働き続けてきました。その結果物質的には豊かになり体裁は整ったかに見えこれで幸せが手に入ったと思われました。しかし、いざなってみてわかったことは何か虚しい、満たされない、求めているものがこれじゃない。など心の空虚というか飢餓感が逆にあらわになった形になりました。
物質的に豊かになったことからの必然だったのでしょうか。
それから猟奇的な事件なども多発するようになり家族も崩壊していると言われて久しいのではと思います。何か間違ってきたのか?そうしてオウム真理教などの事件が起こってしまいました。時代を象徴する事件でも有ったように思われます。
オウムの一件でもわかりましたが世界の人々の心には何か空虚感のようなものが有るのは確かだと感じられます。
この今の混沌とした時代、何か虚しいような違和感のような・・
何を信じれば?的な、天理教の神様を信じれば全てが解決するわけでも無い
でしょうし・・・自分を信じるしかないだろう・・と言われてもみんながみんな強い人ばかりじゃないですし・・・
答えは無いように思われますが・・・
支離滅裂な投稿になってしまいましたがご意見が有ればお願いします。
信仰とは何か? 様
現行天理教が救ってくれると信じるのは大間違いです。
人は、先ず、自分に打ち勝つことです。タバコ・酒・ひいては覚せい剤麻薬と際限なく無間地獄に陥ってゆく。これ全て、自分に負けるからです。
分かっていても止められない、と聞きますが、これは言い訳に過ぎないと思います。
日野原重明先生は、「腹7分目」ということを云っておられました。食べ物だけの話ではないと理解して、なるべくこの言葉に近づける生活をしてきました。
ただ、宗教を全く否定はしません。生まれた時から心身に障害を持った方々にこそ宗教は寄り添うことです。ところが、天理教は、信仰=おカネに結び付きます。表統領氏の言葉がそのことを如実に表しています。
宗教の在り方が問われているのです。そこに気付かない天理教がおかしいだけです。
東風Z様
早速、貴重なご意見ありがとうございます。
>人は、まず自分に打ち勝つことです。
なんでも無いような言葉ですが重い言葉ですね。
ともすると何かに依存してしまい自分と言うものを虚しくしてしまいがちですが人生を左右する大事なこと(自分の事は自分が責任をとる)だと思います。
>腹7分目・・・
仏教でいう中道という考えに通ずるものだと思います。
何事も極端に走ることを戒める教えですね。
>生まれた時から心身に障害を持った方々にこそ宗教は寄り添うことです。
その通りですね。天理教の捉え方だと体などに障害を持って生まれてきた人は因縁が悪い・・・と決めつけるところが有りますし、障害を否定的観点で捉えがちです。障害を持っていても持っていなくても人としての存在に優劣は無いし、ひとつの個性とも捉えれます。とにかく障害を否定すると障害を持っている人をも否定、差別することになりますからね。
これは大事な問題だと思います。天理教に身上さとしが有りますが障害を持っている人から見れば失礼どころか人権に関わる問題かもしれませんね。
余談。昨日の投稿で因縁の納消・・・と有りましたが、なっしょう→納消に変換できません。この言葉も天理用語かもしれません。
広辞苑(かなり昔のですが)で調べましたらやはり載っていませんでした。造語くさいですね(笑)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171128-00000102-mai-soci
<詐欺>天理教かたり1億円詐取、3人逮捕 兵庫県警
11/28(火) 21:24配信
毎日新聞
教祖の親戚筋をかたり宗教法人・天理教(本部・奈良県天理市)の所有地への架空の薬局出店話で1億円をだまし取ったとして、兵庫県警捜査2課と芦屋署は28日、東京都江東区、医療コンサル会社役員、山本実(69)▽京都市南区、元天理市議、井上卓三(67)▽東京都品川区、不動産会社役員、平出千尋(81)の3容疑者を詐欺の疑いで逮捕したと発表した。
逮捕容疑は共謀し2014年3~10月、兵庫県芦屋市の調剤薬局チェーン会長(77)に対し、天理市内の教団所有地への出店業務の委託名目で、山本容疑者の口座に1億円を振り込ませてだまし取った、としている。
同署によると、山本、平出の両容疑者が架空の出店話を持ちかけ、都内のホテルなどで井上容疑者が天理教幹部として登場し「工作資金に1億円が必要」などと持ちかけていた。3容疑者とも「だましていない」と否認しているという。
井上、平出の2容疑者は天理教幹部をかたる類似の手口で数千万円をだまし取ったとして埼玉県警に既に逮捕、起訴されている。【田辺佑介】
信仰が因縁納消の道ということであれば天理教に縛られる必要はないのかと思う。
因縁を果たすために徳を積むというということであるが、徳を積むという考えは
本来、禅宗(達磨大師)からきていて天理教独自の考えではないと思うからである。
おやさまが人を助けなされやといわれたことは、ひとりひとりが隠徳を積み人様に
喜ばれること、助かってもらうことをすることで世の中が陽気ぐらしにむかって
いくことであろうと思う。
つとめとさづけだけすれば陽気ぐらしになるはずはないので本当はどうすれば
ひとをたすけなされやといわれたおやさまの心になれるかを考えることではないのだろうか?
教団に縛られる必要もないし、教会に縛られる必要もないかと思う。
120億のお供えがあれば、どれだけ世界中の人を助けることができるのにと思う。
有志の人やNPO団体が頑張って世界中の困った人を助けようとしているのに天理教自らが
リーダーシップをとって活動を起こさないことに憤りを感じる。
天理教みずからが教団としての徳が切れている状態ではないだろうか?
真柱みずからがシンバ(アフリカでいうライオン)となってアフリカの大地で学校でも、病院でも、教会でもたて、天理教に隠徳をつけていただけるよう希望する。
130年も経ってたらJICAより強力な団体となっていたはずであるが、、、、
また、日本においては介護施設、擁護施設を天理教本部独自が、建設し運営してほしい。
それであればお供えしようかなという気持ちもおきるのであるが?
以前より真柱の呼称について意見がなされていましたが、、、
真柱そのものが既に敬称なので敬称に様をつけるのはいかがなものか?と、、、
まあ、呼び名など気にしなきゃいいし、呼びたければ呼ばせておけばいいし、、、と思っていたが、、、
例えば企業で例えると、、、大から中小零細有るがそこの社員が自社の社長の事を社長様!って言ってたらそこの会社ヤバイでしょ、、、てかそんな会社ないよね。
そのぐらい、様をつけるのは???になる。
社長様と言うのは得意先や営業などの外部から顧客に対しての呼び方としては自然だが、内部の者が同じ組織のトップ?に様をつけるのはやはり???に思える
宗教だから会社などといっしょにするな!との意見も有ろうかとは思うが、、、まあ、天理教では基本的に上、上部を立てるのが絶対のようになってるからね。
しかし、形もだが、その裏の心理が良くないね。
この国が戦前に天皇を現人神と奉ったのと同じ構造かもね。(支配、コントロールするため)やっぱり権威付けをし、ひれ伏すように持って行くためか?
最近聞いた話です。
真柱は、本部内では「お上」と呼ばれているそうです。
「真柱様」とは呼ばれていないそうです。意外というか驚きというか。
おふでさきには「上」の語句が出現しています。
恣意的に選んでみれば・・・
4-18 いままでのうしのさきみちをもてみよ 上たるところみなきをつけよ
4-69 うちなるは上をふもうていづみいる こわみないぞや神のうけやい
特に7号は象徴的・・・
1 月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん
2 月日よりそのいんねんがあるゆえに なにかいさいをはなしたいから
3 上たるハそれをしらすになに事も せかいなみやとをもているなり
4 このところ元なるぢばの事ならば はぢまりだしをしらん事なし
5 上たるゑこのしんぢつをはやゝと しらしてやろと月日をもゑど
6 上たるハそれをしらすにめへゝの わがみしやんをばかりをもをて
7 月日にハたんゝみへるみちすじに こわきあふなきみちがあるので
8 月日よりそのみちはやくしらそふと をもてしんぱいしているとこそ
9 にんげんのわが子をもうもおなぢ事 こわきあふなきみちをあんぢる
更に
10-100 このみちを上ゑぬけたる事ならば ぢゆよぢざいのはたらきをする
そして
14-4 いつむのもどふしていつむ事ならば 上にハなにもしらんゆえなり
善司さんには是非とも須藤花井さんの著した「月よりの神言」を読んでいただきたいと思います。
もしかして 既に読んでいるのかも・・・?
以前にどこかの掲示板で見た覚えがあるのですが
詰所が天理市が植えている銀杏の葉が落ちて敷地内に入るので
勝手に切ったという内容でした。
たしかに不自然にその詰所の横の銀杏だけ小さく育っていません。
でも本当にそんな事天理教の人がするのでしょうか。
どなたか情報を持っている方がいれば教えて下さい。
お上とは、検索すると、「支配者、権力者」を表す言葉だそうですね。江戸時代の将軍様であったり、現代においても、政府とか警察などを指して、庶民が逆らえない組織という意味で、揶揄して使われますが、真柱が、そのように呼ばれているということは、おやさまの教えられた一列兄弟とは真逆の、縦一列世界ですね。
おやさまの教えを体現して、不平等や差別が庶民を圧迫している世間や社会とは全く別の、本来の人間が幸せになる仕組みやあり方を教内で作り上げ、信者たちに、心の平穏、やすらぎを味わってもらうべきなのに、一般社会よりも一段と強固な身分社会。その上に、捏造教義をたてに、善良な信者から金を巻き上げている。
これは神と繋がった世界ではない。反社会組織と言うしかない。
宗教団体と信じて、滅私奉公、ひたすら、金を献上している信者が、只、哀れである。
まあ、お上と呼ぼうが何と呼ぼうが構わないっちゃ構わないけどね。
お上に仕える?特権階級と搾取される側が厳然として有ることだけは確かなのでそこを何とかしないとどうしようもないわけで、、、
何とかせずに一旦破綻したほうがいいけどね(笑)
めちゃくちゃ画期的な事を閃いてしまった。
もう既に意見が出ているかも?ですが・・・
甘露台のおつとめをみんな?で勤める・・・それがいきなりなら12下りのおつとめからでも良い。とにかく参加、風穴を開ける。今のあそこは空気が淀んでいるから・・・
みんなと言っても人数が多いので、ある程度の資格(教会長が妥当か?)を持った人にしてもらう。
やっぱり教会長ならおつとめをする資格があるでしょう。
まあ、教会数一万七千箇所って言ってるけど実質正味数分の一だし、と言っても多人数なので希望者抽選でってことでどうでしょう。
予行練習などはきちっとしてね・・・すごい緊張感だろうけど・・
それでやってもらえれば伏魔殿のみなさんの特権意識は脆くも崩れ去る事でしょうし、何かが変わるのでは?動き出すのでは?と思います。
本部は中山家とその一派だけのものでは無い。という事を形に表す。
これは画期的?じゃないですか。ある意味革命やね・・・
新鮮な風がお地場に吹き抜ける気がする・・・
教祖、おやさまも多分喜ばれるのではないかな?「それはええことじゃ」とかなんとか・・・だって上も下もないんやから
でも冗談抜きでこれは検討というか実現してもなんら問題は無いでしょうしメリッットはあってもデメリットは無いでしょう。
既出御免既出さま
おっしゃる通りだとは思いますが、「かんろだいを囲んで国々所々の教会でつとめる」くらいの事でぶれるような本部員じゃないでしょう。
一円たりともお供えしないのが何よりのクスリだと思いますよ。
二代真柱50年祭での現真柱の祖霊殿における祭文の一部に
「・・・常に、親心もって道の芯として、全教の先頭に立って、道の子をお導き、お育て下さると共に、御教えの礎をお固め下さいました。別けても、三原典の公刊、教典、教祖伝の発刊、又、教え通りのおつとめの勤修(ごんしゅう)に心血を注がれましたが、それは正に復元の歩みであり、陽気ぐらしへの道でありました。更には、おやさとふしんを進め、人材の育成や教育に深く思いを致され、神殿、教祖伝、礼拝場のふしん、おやさとやかたの建設、学校、図書館、参考館、よろづ相談所憩の家の創設、さらには一れつ会、少年会の創立等その御生涯の中で遺された御事跡は枚挙にいとまがありません。・・・」
とありますが、教典一つを取ってみても嘘っぽいし、おやさとやかたを始め数々の建築や創設は、今や大きな負担となっているのではないだろうか。
そうでなければ、先年に発せられた表さんの「お供えは命の繋ぎ」なる言葉も出ないであったろう。
教祖、教祖、教祖と何かにつけて教祖を連発しているが、未だに真の教祖像を披歴できない教団を信じることなど夢の世界に過ぎない。酷な言い方とは思うが、社会の荒波の中に飛び出そうとする勇気のない方が、教会という名称にしがみついている姿が見られるように思う。このような状態がいつまで維持出来るのだろうか。
天理教によって虐げられた者にとっては、いほりさんが仰っているように >一円たりともお供えしないのが何よりのクスリだと思いますよ。< が、取るべき正解でしょうね。
いほり様
私の提案した甘露台づとめは各教会でやるのでは無く(それだと豊文さんになるので)本当のおぢばの甘露台でおつとめをする。という事なんですが・・・
甘露台でのおつとめは本部員さんしかしてはいけないのかな?
それだったらそれを変えればいいだけでは・・・と思いますが・・・
教祖さんが何とおっしゃったか?ですね。
教祖さんが甘露台づとめは本部員(世襲)のみに限る・・・と言われていれば今まで通りで良いのではと思いますが・・・
東風Z様へ
私には、あなたが、どこかにか、「へ」を付けると、天理教は、お道は更に良いと、何故書かないの思議できませぬ! それは、あなたが、たった今までの、たった今から後の人たちを、決して傷つけぬ道。それは四苦八苦してきたであろう、あなた自身が、あなたの投稿を読む人たちを、決して、傷つけることのない道であると、私は感じて思っています。そしてそれは、あなた自身が、決して傷つけられることのない道であると、私は感じて思っています。あなたの投稿が、あなたの人生が、まるで小説のようであっては決してなりませぬ! どうか、どうか御身大切になさってくださいませ。
東風Z様へ
何故書かないの(+か)思議できませぬ!
街路樹 さま
天理教だから出来た人間だとは限りませんよ。
逆に言うと天理教の人間だから世間の常識は自分達にとっては非常識なのかもしれません。神の思し召しだと勝手な解釈をして枝を切ったりすることが出来るのでしょう。
現に犯罪を犯して逮捕される会長も珍しくありません。本部員でありながら欲にかられ利ざやを得ようと投資して大きな損失を被っている者もいます。
本部員であろうと大教会長であろうとひとりの人間です。
信仰者だから人徳があり公明正大な意識を持っているとは限りません。
その逆を言えば出来た人間じゃないから、出来た人間になるために宗教を信仰しているんじゃないでしょうか。
既出御免さま
なるほどそういう意味でしたか。
しかし、かぐらづとめの役をそう簡単に手放そうとはしないでしょうね。
教祖存命〜明治時代は同じ床面で行なっていた儀式を、なぜわざわざ見えないようにしたのかがわかりません。
ありえない話しですが、本部の人間がかぐらづとめを盗み撮りして動画サイトにアップしたらものすごい反響を呼ぶでしょうね。
じろう 様
中堅教会や大教会に住み込んでいる家族(常詰と言われる方々)の子弟にとって教会生活は決して幸せな家族生活ではありませんでした。
幼いころから教理を「責め道具」として使われ、しみ込んだ恐怖から逃れるためにどれほどの時間を要した事でしょう。80歳になった今も、幼少の頃に受けた数々の呪いの言葉が悪夢となって甦ることがあります。
その言葉の一つを紹介して筆をおきます。
それは次のような内容でした。「誰のおかげでめしを食わしてもらっているんだ」これが小学校の低学年にも等しい少年に投げかけられた会長からの言葉でした。
街路樹様
天理でのイチョウの木の伐採について・・・ですが木の一本や二本切ることぐらいは普通にあると思います。
15年ぐらい前になりますが、とある盛大な教会内で会長さんが住み込み者のかたに刺殺されるという凄惨な事件がありました。
(新聞でも報道されましたのでご存知のかたもたくさんいらっしゃるでしょう)その会長さんというのは天理教内でも有名で生き神様と呼ばれた某分教会初代会長の一番の高弟と呼ばれたかたでした。
その事件が有った教会は天理教の中でも盛大(月次祭は広い神殿が人でいっぱいでした)で建物も古臭い屋根瓦のいかめしい様式では無く、垢抜けた現代風で合理的、信徒の方も明るく、自分が知っている教会の重苦しいイメージとは違い好感が持てるものでした。
私はそこに天理教会の理想、宗教組織の理想を見ていました。
「これが本当の教会というものなんだな・・・」と思っていました。
そして何度もお話を聞かせてもらいに参拝したものです。
ところが前述したような事が実際に起こってしまいました。
私は何を信用したら良いのかわからなくなりましたし、天理教組織のまた宗教組織のまた宗教の限界を痛感させられました。
人を救ける事を掲げている宗教(組織)の教会内で殺人による被害者と殺人者が生まれました。
この教会に理想的なものを感じ好印象を持っていただけに、やはり何かこの天理教(組織)の抱える闇のようなものがあるのではと思われました。また思わざるを得ませんでした。
かなり脱線してしまいましたが街路樹様にはかなり重苦しい事実を伝えることになりましたが、全てが悪いわけでは無く良い側面もありますので参考までに・・・ということでよろしくお願いします。
付け足し・・・
この事件では何があったのか?事件の原因は何か?等はよく知らないのですが私の感じるところでは、あまりに一生懸命になりすぎたのではないか?と思うのです。行きすぎ・・度がすぎたのでは・・と推察しますが・・・
やはり何事もほどほど、人を追い詰めたりしてはいけないし、いい意味でゆったりしていればこんな悲惨な事は起こらなかったと思います。
(良い音色を奏でる弦も張り詰めすぎると切れて音が出なくなるのと同じでしょうね。)
みんな何かに追い詰められているんじゃないかと・・・今、これを書いていて思いました。長文失礼しました。
貴ノ岩が懐にやすりを持っていなくてよかった。
優しくなる教えなのに、そうなれないのは払拭すべき支配欲が蔓延しているからでしょうか。
今、天理時報の元日号(今年の)を見ているんだけど真柱夫妻はなんとも言えない表情(無表情?)をされてますね。(少し前に投稿がありましたが、、、)
ちょっとぐらい微笑んでもいいと思うんだけど、笑顔はタダ、お金もいらないし、口角あげるだけでもね
こういっちゃ悪いですが被写体も悪いし、これを選択し載せているヤツもセンスのかけらも無いですね。道友社か?
これなら、写真を掲載しないほうがいいかもね、、
とにかく、教内購読者は一応見ているし、新春のお祝いの場面でこの顔されたら年頭からやる気も失せます。(それが作戦か?)
まあ、いろんな大変なことは有るのはわかりますが
愛が感じられません、、残念ながら、、、
おそらく来年も同じでしょうね。
あまり、人のことをとやかく言いたくは有りませんけどね、、一応公人ですしね、、、
笑顔のないのは毎年のことですね。お気楽な若夫婦は世界一陽気な夫婦になりますと宣言したけれど、舅、姑がこの陰気顔ですからね。ほんとに正月早々心が萎えそうになります。苦渋と言うか苦悶と言うか泣きそうな顔ですから。
実際、泣きたいのでしょうね。たたむにたためず、噓っぱちをやっている現実は本当は薄々かはっきりか自覚はしていて、トップとして、嘘に嘘を重ねる罪悪感が彼を苦しめているのでしょう。ましてや、教勢は消滅ラインに向かって限りなく突き進んでいるし。
現真柱は根っからの悪者ではなさそうなので、余計苦しむのでしょう。善亮、山澤あたりなら、悪党だからああ言う顔にはならないでしょう。善司さんは人としての器も小さいし、トップとしての才覚も疑問だし、嘘とはったりを上手に丸めるには善人過ぎて荷が重すぎるのか。自分はあくまでも引き受けたくなかったと言う真柱を長男という立場上無理に引き受けさせられ、自分の人生を棒に振ったお気の毒な人です。
私は教会の子弟でいいおっさんですが、独身です。(後継者ではありませんが)
修養科、検定講習なども終わっています。そこで伴侶(結婚相手)を見つけようと思ったりしましたが。その時はまだ純真な一用木でしたし・・・
結局、相手を見つけることができずに未だに独身ですが・・・(天理の人をお嫁さんにもらうと天理教をしなくてはいけない・・・の意識はちょっとあったかなと)
ひのきしん隊などにも参加したことがありますが、その時も後継者でいわゆる結婚適齢期を過ぎていて結婚できていない人が結構おられたように思います。
自分たちの親世代の頃は天理教も今のような状況ではなくまだ希望というか良いイメージがありました。なので教会の娘さんがお嫁さんとして嫁入りしてくれていたし喜んでとまではいかなくとも嫁いで来てくれる高貴な人もまだおられました。ので、結婚問題はまだ何とかなっていたでしょう。
しかし、今の天理教はどうでしょう・・・教会の娘さんがもう天理教はイヤだ!教会に嫁ぐなんてありえない・・・という感じじゃ無いのでしょうか?
その判断は間違っていないと思いますし、それはそれでしょうが無いことですが・・・(今の天理教なら誰も嫁には来ないでしょうね。特に末端。上部の教会ならまだ何とか来てくれる人もいますか?ここでも末端が苦しむ状況になっていますね。)
しかしその結果、ぶっちゃけ後継者(特に末端)があぶれてしまって結婚できていないところが多いんじゃないんでしょうか。推測でいってますが、おそらく大きな問題になっていますよね・・
まあ、自分の伴侶ぐらい自力で見つけてこい!と言われればその通りですが、ある意味特殊な世界ですし、かなりハードルが高いのは確かです。
一般企業でバリバリ稼いでいる人でも結婚できない人もいると聞きますからね。
とにかく、一人で教会をやっていくことは正直しんどいものですよね。
だんだん状況は厳しくなる一方に思われます・・・今後、より一層状況は悪化していくでしょう・・・
てっぺんの後継者さんは数ヶ月前にレーザー光線、花火、スモークに包まれてニコニコ顔でしたね・・・
末端が苦しんでいることなんてこれっぽっちも知らないんだろうな・・・
例え耳に入ったとしても他人事だろうな・・(まあ、打つ手もないしね)
教会後継者の結婚問題はどこもなかなか難しい問題です。天理教に魅力を感じているなら論外ですが、後継者でないなら天理教から精神的に決別する覚悟で家を出る等しないと・・看板を上げた教会建物に住んでいたら世間の女性は二の足を踏むと思います。経済力があることも大前提だと思います。
周囲の教会を見ていても、知力もあり体力的にも健康的な若者がどんどん年を重ねていってます。大教会住み込み、布教の家、本部勤務、自教会伏せこみと、何年も社会から離れ経済活動をせずに、いつの間にか30歳を越えて自立能力を奪われたまま、年ばかり重ねておられます。
今回の派手な婚礼も天理教は、世界助け、陽気暮らしを標ぼうしてますが、トップ達の我さえよくばの強欲が形に表れただけで、そんなキャッチフレーズは単なる宗教ビジネスのためだけのものです。上層部のやってる姿をみていたら、信仰者としての感動も納得も共感もありません。残るのは矛盾とため息と、冷めた感情、どうぞご勝手にやってください。
そろそろ泥舟から降りる時が来たかと思っています。はっきり言って利用はされたけど、いいことは何もなかったです。
先週の土曜日の夜、知り合いのお寺の息子さんと食事に出かけたのですが、そこでの話で、そのお寺の近くの分教会の事情を聞かせてくれました。
その教会には、娘さんが一人と息子さんが三人いるのですが、娘さんは両親と喧嘩別れの状態で家を出てしまった。
長男次男も家をでてしまい今は末っ子の男の子しか残っていないそうです。
更に教会のお風呂もトイレも壊れていて使えず、お金がなく修理もできない状態だそうです。
末の子は、トイレが使えないので夕方からは水も飲まないようにしていると話してくれました。
トイレは、朝出かける時に駅のトイレを利用していると話してくれました。
お寺の息子さんは、末の子が家で碌に食事が取れないのでよく食事に誘っていると話してくれました。
持っている携帯もとても古く、生活もとても質素で見ていても悲しくなると言っていました。
貧困状態の末端分教会の子をお寺の息子さんが心配して面倒をみているという話です。
これが陽気ぐらしを標榜する天理教の末端教会の現実です。
退職信者様
>お風呂もトイレも壊れていて修理することもできない・・・
冗談のようにも聞こえますが実際にそういった末端教会は存在するのでしょうね。
天理時報で状態の良い教会ばかりをこれ見よがしに紹介していて鼻につきますが、状況が悪化している教会の実態も紹介しろって、思いますが、そんな事するわけありませんね。
見向きもされず見捨てられ、勝手に消え去るのみ・・・金の切れ目は縁の切れ目は、天理教でもというより、天理教が露骨にしていることかも、ですね。
この日本の国は結構いい加減なところがあり腹立たしいこともよくありますが税金をとる代わりに福祉もそれなりにありますが、天理教では金を出させるだけ出させますがイザとなった時には本当に何にもしてくれないですもんね・・・冷たいものですね。何が誠の道だ。真実の道だ。
みんな愛想つかして逃げ出すはずだ・・・
苦しい末端から崩れている、ピラミッドで言えば下の基礎部分から崩れて来ているのでその上の中部、上部だけが安泰ということは物理的に見てもありえないことですね・・・崩壊は必然。
弱者救済なんかしたくない!
天理教です!
経済優先!
天理教です!
八つのほこりは他人に聞かせます!
天理教です!
数字がものをいうんです!
天理教です!
「理」や「徳」よりも「血統」です!
天理教です!
様々な矛盾を抱えています!
天理教です!
ありがとうございました!
>お風呂もトイレも壊れていて修理することもできない・・・
冗談のようにも聞こえますが実際にそういった末端教会は存在するのでしょうね。<
これは天理教を取り巻く確かな現実です。近隣の分教会一家も風呂が壊れたまま何年も修理できず、ちょっと離れた公衆浴場に週1回ペースで入りに行っていると言っておられました。夏場など申し訳ないがその教会長さんに近寄ると体臭と言おうか何とも言えない匂いがするので、世間的には普通に付き合えない範疇に入るのかなと思ってしまいます。
それでもそこの上級はきちんと上納金を集金するそうです。そのお風呂週一回の会長さんは律儀にも子や孫を巻き込み、言われるだけのお供えをかき集めているそうです。
この会長さん一家のような「洗脳」の恐ろしさを思うと同時に天理教という組織の血の通わない冷徹さ温もりのなさ、そもそも存在意義は何なんだろうと思います。
また、別の友人教会とはお互いに後継者がいないんだからもう教会の修理はせずに置こうよ、と話しています。その教会はどこかのアパートでも借りて教会を出る将来像を描いているそうです。修理代どころか、アパート住まいの資金を少しずつでも蓄えたい、教会にいる以上お供えも上げねばならず、修理出来るどころではないそうです。
この掲示板は本部も見ているはずです。そういった末端教会の窮状をアップすることは、単なる憂さ晴らしではなく、曇りに曇った「本部のお助け」になるはずです。みんなで今日まで教団を支えてきた末端の窮状をありのまま世間・世界に知らしめましょう。
そういう現実に見て見ぬふりをし、今回のような打ち上げ花火です。湯水のようにお供えを使う本部、おや様は貧乏せねば貧乏人の気持ちはわからないと貧に落ち切ったひながたがありますが、現本部員のようにぬくぬく人のお金で苦労知らずの者達には、貧乏人や貧乏教会の気持ち.が分かろうはずはありません。彼らからは弱い者いじめ、高慢、おごり、高笑い、の忌まわしい香りがしてきます。
天理教の限りなき消滅と言う天の理に添って、本部トップの背を見習いみんなで弱い者いじめ、高慢、おごり、高笑い、懸命の「においかけ」をしていきましょう。
何ともひどい窮状…
このサイトにもっと実状をさらして
いきましょう。
それがネットの強みであり、
天理教の現状を全体が知る
手がかりとなるはずです。
私も天理教の中にいますが、
このサイトで学ぶことばかりです。
特に窮乏してる教会の生々しい実状は、
ここでしか知り得ないと思います。
本当に。
すべて人間思案の茶番劇としか思えません。
神様とは自然の摂理と共に、遍くお働きになるだけではないでしょうか。
人間と同じようなレベルで、あれは良いから御利益授けよう、あれは悪いから罰を当てよう、
などと雲の上から考えたり、判断してコントロールするとは思えません。
ただ自然の法則=神の法則があるだけなのではないでしょうか。
不思議現象も、現代科学では未だ明されていないが、そういった自然法則の一端が働く
のだと思います。
その原因は、宗教団体等関係なく、ただ「要因」のみが存在するのであって、
教祖や霊能者、超能力者などは、何らかの才能才覚からその要因を働かせたり、
意思を感じ取ることが出来たのではないでしょうか。
そういった現象や作用は、宗教団体に入ったから、お供えをしたからという理由だけで、
普遍的な現象を起こせる訳ではないと思います。
それなのに、多くのお供えをしたら、組織に忠実だったら、引き換えに奇蹟や幸福を得られます。
というような錯覚や期待感を暗に与えているとしたら、そして、その期待感に引きずられて
気付いたら多くの時間や財産を失っていたとしたら、誰が責任を取ってくれるのでしょうか?
全て自己責任なので、教団側は責任を取ってはくれませんよね。
お供等を要求する時は、「神様に」との名目で集金し、上層部で使われますが、
お供えをし続け、教団を支えている末端側が困った時は「神様にもたれて」と神様に
責任を取らせる。
信仰者からの神様への奉げ物を奪い、責任だけは神様に押し付けるようなかたちに
なってはいないでしょうか?
正直、様々なコメント等を読ませて頂いてきて、信じられないような思いです。
人生、藁にもすがりたい気持ちになることはあると思います。
しかし、すべては自己責任です。自分の判断なのです。
一度失った時間やお金は戻りません。
若い人は結婚もできず、
仕事と御用の両立でへとへとになり、
安い酒で愚痴をこぼして、
悩みながら年齢を重ねていく。。。
風呂もトイレも修理できず、
修理しようものなら、
上級、大教会、本部へ伺ったのかと
なっていく。。。
巡教といえば、
大したこともない役員や上級会長が来て、
よく分からない話をして、
御車代とかお礼とかいうお金をもらって
酔っ払って帰っていく。。。
そして行事となれば
それ何人の心定めだ、
声かけだと叫び、
形ばかりで中身がない行事に、
時間をつぶし、
残るのは疲労感だけ。。。
そろそろ
気付きませんか?
特に若い方々。
洗脳から目覚めてください。
どう考えでも
今のままでは、
天理教は衰退していくばかり。
まさに沈みゆくタイタニック号。
親神様の思し召し、
それを説いたおやさまの教えを、
まっすぐにみつめ、
常に親神様と供にあるという真実を
心で信じる「信心」をしていただきたい。
おかきさげに
「かぎょうだいいち」
とあるのは皆様ご承知のこと。
漢字では私は稼業第一だと思ってます。
稼業、即ち、仕事の中で、
信心で以て、誠の心で以て、
相手を喜ばせる、
相手に喜んでもらう、
それが「なるほどのひと」
なのではないでしょうか。。。
一夜の間にも心を入れ替える
おさづけの理の拝戴の際にこのおかきさげをいただくのも、
稼業の中で信心を実践して
より良き世の中をつくってほしい
親神の言葉だと
私は思っています。
長々と失礼しました。
匿名3さんのご見解、ご明察ですね!!!
≫お供等を要求する時は、「神様に」との名目で集金し、上層部で使われますが、
お供えをし続け、教団を支えている末端側が困った時は「神様にもたれて」と神様に
責任を取らせる。
信仰者からの神様への奉げ物を奪い、責任だけは神様に押し付けるようなかたちに
なってはいないでしょうか?
確かにご指摘の通りですね。
これまで全く気が付かなかったお供えとお願い結果の関係性をズバリ言いきっておられ脱帽です。
匿名3さんは恐らく末端教会組織と上層部との間の事として指摘されていたかと思いますが、広く、
信者各人と上層部(お供えを受け取る側の人)として捉えても同じでしょう。
「神にもたれる」ことは信者にとれば美徳ともいえる、伝家の宝刀のような表現です。
息をして生きている毎日、寿命が来る迄を生ききる覚悟を、マルッと一言で言えば「神を忘れずに」
生きていくということになるのではないかと思います。
格別のご守護を願うためにお供えに走ることはある意味で、お金の都合さえつけば差し出すだけのことです。
「心を変える」という最も難しい策を取らずに、金銭で解決するという、ある意味で簡便な行動で助かる
のであれば、お助けは難しいことではないと言えるかもしれませんね。
でも、本来は心通りのご守護と聞いていたと思いますが。
実際には身上であればおさづけが伴うはずですし、昔は「添い願い」などという言葉を聞くことも無かった
のですが、修養科生の手記とか、若い会長さんの記事などのお助け話の中では「添い願い」が見られますね。
まぁ、気持ちの上で側の者も心から願うというのは理解できますが、古い信者としてはどうも落ち着きません。衆人環視の中で自分の心得違いを諭され、しかも皆で祈られては、なんだかおちおち病気にもなれない?
ような心地悪さを感じてしまうのは私が小心者だからかもしれませんが。話がそれました。
格別のご守護を願う際のお供えは、いわば安心料とでも考えて自分のお財布と相談するしかないのでは?
私の千円と別の信者さんの千円とではお財布の中での存在感が違うのですから、これを自己責任、自己決定と
呼ぶわけです。
少ないと言って増額を要求されるとすれば、もうその時点で天理教は信仰としてはアウトの宣言を投げつけられ、どなた様でも正当な物言いはつけられません。
お供えを明けて少額だったとがっかりする先生がおられたら、それはそれで人間臭いことと思えばよいかと。
お供えの多少でご守護のさじ加減が図られることは全くないと誰もが知っていますね。
ご守護と言ってもその助かる形には種々あって、病気が快癒するという形だけがご守護というものでもないのですから、我々人間の悟り方でいかようにもとれる、不思議の働きがご守護だと思います。
先生方は「神にもたれて」と、どこかのどなたかが最初に発した言葉を繰り返し定型的に発するのではなく、
相手の心に届くような言葉で説明していただきたいものですね。それこそが、神様に働いていただくポイントです。つまり心に届く適切な言葉を先生方の心に浮かばせて頂く事こそが神様の力を見せて頂く時なのです。信者さんに向けて「神にもたれて」というのではなく、自身に神からのアドバイスを願う必要があるのです。天啓者ではない普通の人間の心にもちゃんと神は働いてくださっているはずですね。
そして天理の昔からの高弟の家柄だとか、教祖につながる血筋だからと言っても、ネットで人の行状に関して情報収集は簡単にできる時代です。悪事は隠しようのない事と認識してホコリを立てないように心を修練する、厳しい生き方で自分を御する覚悟を持つことが人の上に立つ立場の方々の宿命です。
それが務まらないのであれば辞退するしか「責任の取りようは無い」のです。神に責任を投げては役目は務まらないのです。
何を生意気なことを言うのだと、いきり立つ方もいるでしょう。
しかし!威張るしか能のない上司は駆逐される現代ですよ。
交際費を湯水のごとく使うことでしか成果を挙げられない上司は即左遷の時代ですよ。
イベントを実行するしか能のない団体は予算の底が見えてきた時点で解散するご時世ですよ。
一人一人が人間としての完成度を上げる努力をしないまま、形だけのお勤めをしていても嘘っぽい匂いが
してくることを肝に銘じたいと改めて匿名3さんに触発されて考えました。
今日ふと思案が浮かびました。今日と言っても昔からの疑問ですが・・
それは、『みかぐらうた』の「やまいのもとはこころから」(病の元は心から)というもの
これは間違いのない言葉だとは思います。
心と体は一体で互いに影響しあっている。相互に関係しあっているので気を病めば心に精神に影響が出て体も病むことになる。と・・・なるほど
それは、わかるのですが、例えば家族の誰かが病気で倒れた、或いは命を返すことになったなどで、その亡くなった方が家族からも周りの誰からも心の綺麗な人として認識されている場合もあるでしょう。そんな時この言葉が慰めになるどころか傷口に塩を塗るようなことになるのでは?と以前から思っていました。
もう一つのお言葉で「難儀するのも心から我が身恨みであるほどに」・・・このお言葉も当人が我が身恨みできる身に覚えがあればいいですが、それがなければどうなのか?と・・・
現実に難儀している人に向かって、難儀するのも心から我が身恨みであるほどに・・・とは口が裂けても言えないでしょう。
わかりやすい例えですが先の戦争で亡くなられた多くの人々、原爆で亡くなられた方や先の大震災、津波、そして原発被害それに伴う避難生活など
で苦しむ人々にこのお言葉はあてはまらないんじゃないかと昔から感じていました。実際に困難に直面し、にっちもさっちも行かない人にこのお言葉は耳に入らないどころか怒りを生むんじゃないかと感じていました
宗教は普遍的であるべきだと思いますし、何よりも悩み苦しみ絶望してしまった、弱者にこそ寄り添い救済すべき物ではないかと思うのですが取り方によっては泣きっ面に蜂?的になってしまうのではと感じていました。
教祖は「むごいこころをうちわすれ やさしきこころになりてこい」とおっしゃられているので、そんな意味で言われているのでは無いと思いますが・・・
これらは私の知識、見識が狭量なためこういう解釈になっていると思われますが何か良い解釈があればご教示いただければと思い投稿させていてだきました。よろしくお願いいたします。
献金を受け取る先と功徳を出す側が違う…創価学会と同じですな。
献金は学会(&池田大作)が受け取り、功徳は仏が出す。だから仏の責任にされる。これでは仏がかわいそう。
天理教と創価学会は同種の新興宗教。
教会の人間がどれだけムカつく人間でも会長って理のある人だから
身上事情が起きた方にそらみたことかって言うようじゃ人としてどうかと思うけど
そんな会長でも何を言われてもいい覚悟で家族をたすけてくださいっていう姿に神様が働いてくれると思う
実は教会に何を言われても教会に繋がらなきゃたすからないって言ったのは旦那からのアドバイス
その時ほど旦那はやっぱり会長なんだなって思った
あるHPに書かれていました
あまりにも教会側に都合の良い解釈でびっくりしました
教会の嫁が書いているみたいです。
ある書き込みより
理の親教理にケチをつけるわけじゃないけど3歳児の親として悟った事
親の言葉を素直にハイとうけることと言われてるけど
現実の三歳児はイヤイヤ期真っ只中で素直にハイなんて言わない
力づくで反抗する(笑)
部内教会であれ信者さんであれ親の言葉を素直にハイとうけとめろといわれても理不尽な要求もあるし相手の内情も考慮せず上から物を言う教会がある
都合のいい理の親教理
私は親が子供をつなぎとめれないのは親の責任だと思うし
子供は親を選べない
子供は成人の途中であるならなおさら親は子に丹精しなければいけない
と思ってる
リアル3歳児と上級、部内をもつ教会として感じることである
ある書き込みより
末端教会長です。理の順序は教理ではありません。現在の上意下達のピラミッド組織にとって非常に都合よく作った「制度」です。同様に「理の親」は親神様、教祖以外にはないのですから上級が「理の親」と言うのは教理の改ざんであり、教祖の教えではありません。現在の天理教の衰退は教祖の思し召しに添わない教団のやり方への神の残念ですから、おかしいことはおかしいと上級交え、みんなで談じ合いすべきと思います。こんな風に上だ下だと言っていて、世界宗教と言えるでしょうか?みんなで考える時期が来ています。天理教はおかしな制度で多くの教会を踏みつけ、だからこそ沈没寸前の状況になっているのです。おかしな制度に惑わされず、建設的な意見ははっきり言うべきと私は思っています。後継者が逃げ出しているのもこうした悪しき偽物の教えで、下を踏みつけているからにほかなりません。
ある書き込みより
色んな教会を見てきました
お見合いで嫁いだ教会旦那は愛人がいて夫婦生活もないのに義両親に責められる奥さん
信仰がないとこから嫁いで信者さんもいないから自分の貯金が無くなったという奥さん
色々立場も違います
ある書き込みより
天理教特別語になってる人。
その‘いんねん’という言葉はどこからきましたか?
教祖様がご執筆時や 当時も、今 貴女が出会いたいであろう初めてさんばかりですよね?
内も外もなかった頃の共通言語として理解できる言葉を、文字もわからないかの、まずは現本部周囲の貧民(穢多)にでもわかる様に、ひらがな表記でお記しになられましたよね?
そこに‘天理教という団体の特別用語’という‘今風な後付け概念’はありましたか?
天理教の中に困った人がいます。
‘聖書’を拝読したこともないのに、うちが特別だ!と本気で思ってる人がいます。私、恥ずかしくなりました
本当に失礼な人だな。そう思いました
しかし、その人はその人の心にある垣根(ろくじではない心)に気づいてません
だからと言って、おふでさきを否定してはいません
悲しいのは順位をつけ支配したがる心です
その心は近代に国を支配する目的のために、あちらこちらの八百万の神様に順位付をしてしまった。そんな歴史と変わりません。
そんな使い方を教祖が教えて下さったのか。
高山に育つる木も谷底に育つる木も同じ魂 ですよね
信仰者として生きるのか
組織の構成員として生きるのか
それとも、何かに生かされているのか
さあさあ 思案 思案
先案じはいかんで
一名一人
何か言われたら
「人がなにごといおうとも、神かみている気をしずめ」
これだけで治るで!
とある会長の言葉。
再投稿です。
宗教というものは普遍的なものだと思われます。ある特定の人には心地よく別の境遇の人には受け入れられないようなものではないはずだと思います。
例として、広島で原爆の被害で亡くなられた方、後遺症で苦しまれている方など戦災に遭われた方、地震、津波による被害はもとより原発事故によって故郷を追われた人々にとって「難儀するのも心から我が身恨みであるほどに・・・』この言葉は災難に直面していない人にはいい言葉だと思うのです。
しかし、実際に災難に直面している人々にとってこれほど残酷な言葉もないように思うのです。
人的、物的被害に遭っていてもせめて心が救われる、癒される、「また頑張ろう」と思える言葉では無いと思うのです。
先にも書きましたが教祖は困難に直面している人に追い討ちをかけるような意味でこの言葉を残してはいないでしょう。本来の解釈があると思うのですが、どなたか良い解釈があればお聞かせいただけないでしょうか?
昔からの引っかかり様 2017年12月10日 2:57 PM
本来の解釈というのは存じませんが、個人的解釈で失礼します。
元々中山みき様の教えは、「ようきぐらし」ではなく「ようきづくめ」、「一列兄弟」であり「世界ろくぢ」です。これらの言葉から感じられるニュアンスは「個人救済の教え」ではなく「社会全体の救い、人類全体の救済」ではないでしょうか。
この視点で見たとき「難儀するのも心から我が身恨みであるほどに・・・」は、本来「皆が陽気にくらして欲しいという神の願いで産み出された人間」が、その長い歴史の中で我欲や自己中、我侭等の「ほこり」で「難儀する人」や「苦しむ人」を作り出してしまったわけです。
中山みき様は「神様の視点」で話し行動していますから、その言葉は「現在苦しんでいる個人」に向けられたものではなく、人類全体を「一つの身体」と考えての意味だと解釈するべきだと思います。
勿論、個人個人が救われれば、最後に「全体が救われる」という考え方もありますが、個人の悩みや苦しみは、地震や災害等の人間の力が及ばないものだけではなく、現実社会の差別や貧富の差、理不尽な上下関係やイジメなど、「人間自身が作り出したもの」が多いとも言えます。
そして、それらを一つ一つ解決し改善するのために行動するのが「たすけ」であり、そういう指針で日々を歩む事が「ひのきしん」と言えるでしょうし、そういう人生が「我が身助かる」と考えられます。
このような考えに立てば、先日行われた大介氏の披露宴での「世界一陽気な夫婦になります」という言葉がいかに頓珍漢な発言であるかが理解できるでしょう。
開祖がどんなに立派でも時代が下るにつれて・・・ということなのでしょうかね。
>現実社会の差別や貧富の差、理不尽な上下関係やイジメなど、「人間自身が作り出したもの」が多いとも言えます。
そして、それらを一つ一つ解決し改善するのために行動するのが「たすけ」であり、そういう指針で日々を歩む事が「ひのきしん」と言えるでしょう
実はこれこそがイスラムのジハードの一つなのです。イスラムのジハードにはいろいろな種類がありますが、決して「聖戦」と称して、他国に攻め込んだり戦争をして多くの人々を殺害することではないのです。IS国をみると、このジハードが悪い方面に解釈されたわけですが、天理教はテロこそはやらないものの、IS国と同じくらい悪い方向に行く解釈をしているような気がします。
匿名 さま 2017年12月11日 7:37 AM
>開祖がどんなに立派でも時代が下るにつれて・・・ということなのでしょうかね。
恐れ入ります。
私の書き込み(解釈)に対するご感想なのか、現状天理教団に対するモノなのかの判断がつきかねるので、もう少し詳しいご説明をお願いします。
私自身、イスラムのジハードに関してはあまり知識がないので、その内容についてのコメントは避けさせて頂きます。
とはいえ、「聖戦」という大義名分での戦争・虐殺行為は「全然違うだろう」という認識はしております。
中山みき様の存命中に、イスラム教の教えや共産主義思想などは日本に入って来ておらず、そのようなモノに触れる機会も無かったのではないかと考えられます。
しかし、世の中・社会に蔓延する、「人間のようきづくめの世界」を阻害するような社会制度や政治体制,悪習や価値観、風習などを排除する事でしか理想社会は実現しないという考えに至れば、その手段や方法論は別にして、短い言葉で説明するなら「似たような内容」と受け取られても仕方がないと思われます。
勿論、中山みきさんの教えは、暴力革命でもないし、テロなど考えも及ばず、また社会体制だけ変えればいいという訳でもなく、一人一人の心の建て替えが重要であり、それが集まって社会全体を建て替える事が出来ると教えておられると思います。
どこぞの神様のように大津波や大災害で地上を掃除して、神様の意を理解する人達だけ残すという教えでもないのですから。
>現実社会の差別や貧富の差、理不尽な上下関係やイジメなど、「人間自身が作り出したもの」が多いとも言えます。そして、それらを一つ一つ解決し改善するのために行動するのが「たすけ」であり、そういう指針で日々を歩む事が「ひのきしん」と言えるでしょう
これはつとめ場所さんの解釈ですよね?
この部分にいたく感動しました。天理教だろうがイスラムだろうが、正しいことは共通しています。
>一人一人の心の建て替えが重要であり、それが集まって社会全体を建て替える事が出来ると教えておられると思います。
これはきっと開祖が理想としたことで、「皆さん、ぜひこの方向を目指してください」といいたかったのではないでしょうか。
信者だけではなく、上層部もちゃんと「心の建て替え」ができれば、やたらと献金するように迫り、それこそ「献金しないと命がなくなる」なんて脅迫するような発言もしなかったわけです。
献金を脅迫によってゆすりとろうとする、まるで恐喝犯罪のような天理教に、果たして開祖の教えがあるのでしょうか?
そういえば2005年に少女たちへのセクハラで逮捕された、プロテスタント系の新興宗教聖神中央教会の教祖金保は、「献金しないと地獄に落ちる!」と信者を脅迫していたそうです。献金しないと死ぬみたいな発言をする人たちと、収入の一割のほかにもいろいろ巻き上げようとするエロ教祖と、いったいどこが違うのでしょうか?
>現実社会の差別や貧富の差、理不尽な上下関係やイジメなど、「人間自身が作り出したもの」が多いとも言えます。<
話の腰を折ってすみません。
本部婦人会の上下関係はすごいらしいです。上が下をいじめる、下はそれで精神を病む。
大教会婦人もいじめにあうのですね。
中田善亮ほか男連中は足の引っ張り合いで本部は伏魔殿だと聞いていましたが、女の上下意識も相当激しいらしいです。男の方がまだましだと、知人が教えてくれました。女は怖いですね。
人助けの天理教なのに、トップ女性陣まで仲間内でこれだから、我々はもうついていけないです。
びっくりしたので、情報としてアップします。
匿名
2017年12月11日 10:58 PM様
天理本部ドロドロですな〜
>天理本部ドロドロですな〜<
現実、やっていることが滅茶苦茶ですね。あの無責任な人の財布をあてにした婚礼といい。
実施に向けては本部員、ご婦人方も含めて、彼らが計画し承認をして行事化されているのでしょうから。
真柱は最後の「め〇ら判」を押しているにすぎないでしょう。
上の役付き婦人が睨みをきかすから、一度目をつけられたしたっぱ婦人は物も言えない雰囲気になるそうです。目をつけられた下は、その特定の上に対してびくびくなのだそうです。やくざの姉御か。
精神を病むまで、いじめるのですから恐ろしい世界です。
バチカンでも内部の権力闘争はかなりどろどろしているといいますから、天理教だとなおさらでしょうね。
カトリックの聖職者は出家していますから、給料は決して高くはありませんし(司教クラスでも十万円台の前半、修道司祭なんかだと月に数万円とか、修道会によっては給与を出さないので自分で賄うとか)、世襲が発生しませんので、子孫のために美田を買おうという発想がありません。
しかし天理市のメンバーは出家していないので、天理貴族という階層が発生しています。家族を抱えていれば、いい生活をさせたいと思うのは当然ですし、おいしい思いをするポストもなんとか世襲させようと考えるでしょう。
世襲というものが絶対に発生しないバチカンですら、それなりに大変というのですから、世襲が発生しまくりの天理市では、権力闘争は男女ともに激しくドロドロとしたものになることは想像に難くありません。
匿名 様(12月11日 10:58 PM)
女は怖いではなく、ダメな人は男女問わず×なんだということでしょう。
本部の婦人とはどういう方々なのですか。新聞に本部婦人任命の小さな記載を時折
見るにつけ、男性は本部員で女性は本部婦人なのか?位の認識でした。
修養科で同じクラスだった方が本部月次祭のかぐら勤めで附人として氏名が掲載されて
いるのを見たことが有ります。お面をつけている人の視野が狭く危険なので付き添う役
なのでしょう。きっと、本部婦人に出世していたのですね。
苗字が変わっていないので独身か養子さんでも迎えたのかなどと、
言ってみれば「どうでもいいこと」も感じながら質問している面がありますので、
スルーしていただいて構いません(笑)
さて、「いじめ」は日本人社会に満ち溢れています。
本当にあちらこちらでいじめが蔓延しています。
本部婦人の環境がそれほどひどいのであれば、本部婦人なんて地位にしがみつく
なんてバカバカしい選択ではありませんか。
自分は名誉欲が無い人間なので、地位に連綿とする方が理解できません。
婦人という(あるいは本部員)地位が神様の御用をさせて頂くありがたい地位だと
思うから我慢をされているのかもしれません。
でも、病気になるまで我慢していても、病気になってしまえば働けませんね。
天理教内も社会も同じです。病んで迄自分の仕事にしがみつくのは現代では美徳とは
言わなくなりました。自分の身を守れなくてはしっかりした働きもかないません。
もしもいじめがひどいのであれば、辞退することを考えてください。
辞退の理由は「いじめられました」で結構です。
実名を挙げて辞退するべきです。
いじめを表にあぶりだしてやってください。
ご自分は反発を受けてつらい目に合うかもしれませんが、その他の方が同じように
いじめられることを防げるかもしれません。
そうでもしなければいじめがはびこる環境は改善されません。
長い間いくつか職場を動いた経験から申し上げますと、いじめる人は強いのです。
なぜか、体も強い、心も強い、自分を一番愛している、動物として本能的に正しく、
エネルギーに溢れているのでしょう。繊細な人には他人をいじめられません。
どうぞ、誰かが勇気を出して言わなくては変わりませんから、信仰者としてお助け
するつもりで辞退してください。わが身も助かるのですから。
本部婦人と言っても尊敬されていますか?単なるお役にすぎないと思ってはいかがでしょう。
辞退後には新たな信仰上の役目が巡ってくると思います。
一言。現代ではいじめる側は年寄りとは限りません。
若い人でもいじめる側に回ります。
また、誤解されかねないのが年上の人が注意すると、逆恨みでいじめられたと吹聴する傾向も
ありますね。人にとやかく言われたくないという子供っぽさが抜けないタイプは男女問わず
教内にすら見受けられます。批判の趣旨を理解する能力が低いとどうしても自己弁明から、
いじめられたと言ってしまうようですよ。
あれこれ考え併せての判断から、いじめは表に出しましょうと申し上げます。
もしかするといじめではない、注意をしただけなのに悪く取られたというような
ケースも有るかもしれませんね。
天理の上層部の人間は選民意識(我々は神に選ばれし魂であり神に近しい人々である)が激しいようですね。というか選民意識の塊か?
鼻持ちならない人々です。
ピノッキオのように高くなりすぎた鼻をへし折ってやらねば・・・と思いますが・・・やはり世襲が諸悪の根源・・・でしょうか・・・
所詮はただの(同じ)人間ですからね・・・勘違いをされている方々がおられるようですね・・・なんとかして目を覚まさせないと・・・と思います。
現行天理教から逃れる方法は簡単ですよ。
とやかく言わずに、実名で上層部を批判することです。ある大教会長が祭事のあとの宴席で、現真柱に「子供を作る方法を」教えて進ぜようと発言して、家族共々教団を追われました。
言った方も言った方だが、更迭した教団側も大人げない。
所詮、天理教のレベルとはこの程度のものです。
>やはり世襲が諸悪の根源・・・でしょうか・・・
それはあると思いますね。金と力を持つポジションを得れば、こんなおいしい思いをぜひ自分の子供たちにもさせたいとなって、息子も娘も同じポジションにつけようとなるのは当然です。
仏教だって江戸時代は出家でしたので、世襲というものが絶対に発生しませんでした。でも明治以降・・・。
キリスト教でも仏教でも、聖職者に出家を義務付けたのは、やはり「世襲が発生すると堕落する」という道理があってのことで、出家制度は正しかったということがわかります。
要は、天理教を意識していてはダメです。教団内のあらゆるくだらない話(教団の緒行事、男女問題から金銭問題、上下関係のばかばかしさ、教団本部事務局内の陰湿さなど枚挙にいとまがない)の数々を聞いて、過去に勤めていた職場の方が、はるかに良好な人間関係だと感じています。それを上回る教団本部はじめ教内の人間関係の醜さに嫌気がさして、天理教を離れたのは正解でした。
私が言いたいのは、若い人たちが宗教と言う一見、心の深層にまで明るさを与えてくれるという幻想に囚われて、結局は心に深い傷を負うような状態にならないようにとの思いで書き込んでいます。
現在、天理教を称賛している人たちの多くは、中山家の親戚縁者、大教会長や上級教会長の親戚縁者たちの切るに切れない立場の人たちではないでしょうか。
血筋という目に見えない結びつきに、底知れない恐ろしさを感じています。
匿名 2017年12月11日 10:58 PM 様のご意見より
>本部婦人会の上下関係はすごいらしいです。上が下をいじめる、下はそれで精神を病む。
>大教会婦人もいじめにあうのですね。
>中田善亮ほか男連中は足の引っ張り合いで本部は伏魔殿だと聞いていましたが、女の上下意識も相当激しいら>しいです。男の方がまだましだと、知人が教えてくれました。女は怖いですね。
上層部ご婦人方は、まるで大奥にでも居られるかのようですね。
上層部の方々であれば、旦那様(本部員や会長など)の地位や立場によって、奥様にまで、上下関係が出来るのでしょうが、民間の会社宅の寮で、上役の奥様に、平社員や部下の奥様がこき使われ、逆らったら苛められたり、仲間外れにされ、精神を病んだりするという、それと同じ構図ですね。会社とは違い、天理教上層部ともなれば、旦那様だけでなく、親や子供、兄弟、親戚、縁戚、関係者等、あちこちに絡んで来るでしょうから、”がんじがらめ”の度合いも、より酷いものなのかもしれません。
「互い立て合いたすけあい」「陽気ぐらし}の精神を涵養するべき宗教団体のご婦人方が、世間の会社族の妻たちと同じような環境に苦しんでいるなら、世間に向かって、陽気暮らしのすばらしい教えを拡げる力など、あろうとは思えません。只の、血縁で結びついた特異な集団、村社会の一つにすぎない。
>現在、天理教を称賛している人たちの多くは、中山家の親戚縁者、大教会長や上級教会長の親戚縁者たちの切るに切れない立場の人たちではないでしょうか。
瓦解、崩壊し続けているのは負担の多い末端・・・末端から瓦解、崩壊しているのにその上に成り立っている中部、上部組織が安泰でいられるはずは無い。
崩れるのは時間の問題・・・隠し財産があるとのことだが・・・
ある意味、末端は基礎部分・・・基礎が崩れてきているんだからその基礎の上の建物も崩れるのは必定なわけで・・・
その崩れ去るものを横目にしながら既得権にしがみつこうとしている。
厚顔無恥でかわいそうな人々が我さえ良くばを実践しているのが今の伏魔殿か・・・
2017年12月12日 12:51 PM
匿名信者 様
>長い間いくつか職場を動いた経験から申し上げますと、いじめる人は強いのです。
>なぜか、体も強い、心も強い、自分を一番愛している、動物として本能的に正しく、
>エネルギーに溢れているのでしょう。
>繊細な人には他人をいじめられません。
大変失礼ですが、この部分は、言いたいことはわかりますが、
あまりに薄っぺらな見解に感じました。
はっきりと断言します。いじめる人は心が弱いから人をいじめるのです。
器が大きく、心が強い人で人をいじめるような人は見たことがありません。
恥の概念がなく 本能で動く「動物」と 「良心」や「理性」がある「人間」とでは
大きく違います。
神は自分に似せて人間を作ったといいます。
だとしたら、良心(=神)のある人間ほど神に近いといえるでしょう。
人に平気で意地悪をするような良心(=神)の少ない人間ほど神から遠く、
動物に近いというのは言わずもがなでしょう。
また、確かに繊細な人も他人をいじめられませんが、人として真っ当な人、
そして恥を知っている健康な人格を持つ人も他人をいじめるような卑怯なことは
出来ません。
もちろん、間違いや問題点を指摘したり、堂々と意見を述べることは、
必要なことであり、云うまでもなく、これらは「いじめ」とは言いませんし、
何の関係もありません。
私自身が様々な職場等で出会い経験して来た中で思った事は、
体も強い、心も強い人で、平気で人をいじめるような人間は見たことはありません。
特に立派な人ではなくても、人として真っ当な人、常識のある人であれば、
人を平気でいじめるなどという低次元な真似をするような人はいませんでした。
いじわるをするような人は、心が強いというより、本来心が弱く、心が歪んでいて
平気で人をいじめることが出来るか、自分の弱さや不安感を弱い者をいじめることで
優越感を得て誤魔化しているなどとよく云われますが、その通りだと思います。
>どうぞ、誰かが勇気を出して言わなくては変わりませんから、信仰者としてお助け
するつもりで辞退してください。わが身も助かるのですから。
>本部婦人と言っても尊敬されていますか?単なるお役にすぎないと思ってはいかが
>でしょう。辞退後には新たな信仰上の役目が巡ってくると思います。
立場の弱い側が辞退するのは、今の現実では致し方ないことともいえますが、
本来は、歪んでる側が辞退させられるべきなのでしょうね。
そうはならない、立場が上になるほど、ある意味やり放題が許される組織ゆえ、
理の通り、ますます人が離れ、衰退していくことでしょう。
>また、誤解されかねないのが年上の人が注意すると、逆恨みでいじめられたと吹聴
>する傾向もありますね。人にとやかく言われたくないという子供っぽさが抜けない
>タイプは男女問わず教内にすら見受けられます。批判の趣旨を理解する能力が低い
>とどうしても自己弁明から、いじめられたと言ってしまうようですよ。
きちんと話を聞けば、自己弁明かいじめかは、肩書きや立場、利害などのフィルターを
通してではなく、ある程度公平に冷静に物事を観ることの出来る人であれば
簡単に判別できると思います。
>あれこれ考え併せての判断から、いじめは表に出しましょうと申し上げます。
物事の透明化は、とても有効な解決法であり大切なことだと思います。
ただ、隠したい側は、誤魔化したりするでしょうから、完全中立な立会人のもとで
両方の話しを両者揃った場で公平に話してもらうような制度や場所があればいい
のですが。
>もしかするといじめではない、注意をしただけなのに悪く取られたというような
>ケースも有るかもしれませんね。
そのとおりですね。
しかし、現在問題になっているのは、平気でいじめなどを行うのは、デミサイコパスなど
「人格障害」の人達が多いと言われていて、そういった人達は「良心」というものが、普通
よりもかなり欠けている上に、非常に狡猾で悪知恵が働くので、被害者がいじめの被害
を訴えても、それこそ「注意をしただけなのに悪く取られた」などと、平気で嘘や
言い逃れをし、逆に相手が悪いかのように、相手を悪者にするようなことを簡単に
平気でやってのけるケースが多いらしいので、被害者が二次被害を受けないよう
注意をしてあげることも必要だと思われます。
こういったいじめによる被害者を理解したり、教内の被害者に寄り添うことなく、
人助けなどは出来ないと思い、日々勉強している中で、上記のコメントが気になった
ので、一言書かせてもらいました。
上層部を支えてきた下の人間=奴隷階級は、高齢化と子供たちの棄教によって急速に減っています。上層部は下の人間に何一つ関心を持っていませんが、これはたこが自分の足を食っているのと同じことなのです。上層部の愚かさは目を覆うばかり。下の人間を生かさぬよう殺さぬようという、昔ながらの知恵すらないのですね。
今日、またまた?たまたま?ふと頭によぎった事・・・
以前から不思議というか謎に思っていた事・・・
天理教の組織に大教会がありますが、ある程度?の大きさ、部内教会の数が増えれば必然的に分離させられてきましたね・・・
今、乗っ取りで話題になっている中◯大教会も元は郡山の部内ですよね・・・ここに書くまでもないですが相当な数の大教会が分離、独立を望んでしたのか?本部の命令によってさせられたのか?はよくわかりませんがまず間違いなく上の命令なんでしょうね・・・
これはいい事なんでしょうか、自分にはよくわかりませんが、全くうまく行っていないのではないかと・・・
分離させられた大教会が分離後、教勢が上向くことなく下向きになっているように見受けられますが・・・
私が一応所属している大教会(弱小零細ですが)は教祖御在世当時からの講名をいただいている大教会で、某有力大教会から分離させられたものです。
分離の際には教勢が芳しくない教会を寄せ集めて独立させられたとよく聞かされていました。
やることが汚いというかドギツイというか、えげつないやり方です。
とにかく詳細はよく知らないのでなんとも言えませんが上のやり方は下の
発展を願ってやっているのではなく上の都合の良いようにやりたいようにやっているとしか思えませんし実際のところそうなんでしょうね・・・
徳川幕府が幕藩体制で各藩の力を削ごう、無力化しようとした事と共通するものがあるように感じますが、考えすぎでしょうか?
所詮は人の考える事、やる事ですもんね・・・
匿名 様(12月14日 11:18 PM)
ご指摘ありがとうございました。
匿名様のご指摘は正しいと思います。
少し言葉が足りなかった点だけ補足させていただきます。
「心が弱い」に関して誤解を招きかねないとは思っていました。
業界が変われどどこにでもいる「いじめ」を平気で行う者たちは
主には男性でしたが、とにかく強い!(男性が男性をいじめる!!!)
正義感から、いじめに対して批判を口にしても気にせず聞き流します。
へこたれません。
心の中までは判断できませんが強いことが正しいということではなく、
とにかく心も面の皮も心臓も強い人たちでした。
天理教人ではありませんよ、一般社会での話です。
公平な立場の人が公平なジャッジをしてくれれば被害者も救われますね。
なかなかそうはいかないのが世の中です。
オリンパスの職場でのいじめでは裁判を起こし、最終的には勝てましたが
機会があって被害者の方と話したことが有りましたが、やはり弱い方でした。
もう少し、しっかりしなくては、と、失礼を顧みず申し上げた思い出があります。
他の例では、職場でいじめられた男性は心臓を病んでしまいました。
心が強ければ、何らかの反撃策をとることができたとは思いましたが、
相手が悪すぎましたね。私も陰ながらの応援で励ましましたが、自分の
為に戦える人ばかりではないのです。家族を養うため、職場では我慢と
いう方策で、ストレスをためこみ発病となりました。
この時はいじめの本人の仕事上の悪行を私がつかんでいたので、社長に
所謂「告げ口」をしましたが、それでも企業は弱い人よりは強い人を
選びました。いじめられていた人は家族の生活第一で我慢を貫きました。
言葉が足りないと誤解を招くので、補足しますが、能力的にはいじめる側が
劣っていました。人間的にも劣っていました。動物本能は強かったです。
学歴は関係ないのですが、念のため書きますといじめられた方は国立大卒。
いじめた人は漁業関係の高校卒。
彼からの今年の年賀状に初孫誕生の喜びが書かれていて、我慢の甲斐が
有ったように感じられたものです。
でも、本部婦人という立場は生活が懸かっているわけでもないでしょうから
退却して自分の身を守ることも弱い者としては選択の一つでしょう。
何も我慢して、いじめる人を喜ばせることはありませんから。
たまたま自分が歩いてきた40年以上の間での体験で、東京地域限定の個人的な
経験として受け止めて頂ければ幸いです。
といっても、いじめる者が東京出身ということではありません。
2017年12月16日 4:51 PM 匿名信者様
返信ありがとうございました。
匿名信者様も、表現は違えど同じご見解を持たれているということが判りまして
安心しました。
「いじめ」というものは根深いですね。
そこには様々な原因要因があると思います。
いじめの主犯者は、嫉妬や利害の対立、自分の劣等感解消の為に人を落として
優越感を得たいなど、動物的な欲望やエゴを満たすために、「人」としての自制を
効かせることが出来ず、表向きは巧妙にいい人を装いながらも、その影では
動物的な行動に走っている非常に迷惑で害のある人といえるでしょう。
通常は「人としての良心」等が自制心となるのですが、近年「人格」についての
研究が進み、その人として大切な「良心」というものが大きく欠落している、デミサイコ
パスといわれる人格障害の人が、一般社会の中で表向き普通に生活している
中に、実は一定割合混じっているということが判っています。
「デミ」ではない、「サイコパス」になると、ほとんど良心と言うものがなく、ハンニバル
博士に代表されるような猟奇殺人者レベルですが、そこまではいかない、表向き
一般人の顔をした「デミサイコパス」といわれる人格障害者の人々が問題なのです。
なぜなら、それらの人々は決して知能は低くはなく、悪知恵にかけては非常に
巧妙で、狡猾な為、被害者以外には良い人と思わせ、人を陥れることなど罪悪感も
なく喜んで出来る人々だからです。
あるサイトでは、サイコパスのことをこう表現していました。
http://s.webry.info/sp/bloom.at.webry.info/201412/article_2.html
以下、『サイコパスのイジメの特徴』より抜粋 ————–
私は「サイコパスは危険生物」だと思っているので、特別に警戒すべきであると
思っているが、社会的には、まだサイコパスの存在を知らない人が多い。
なぜ危険生物か?
例えば、カマキリが人間の姿に化けて貴方の隣にいるとしたら、貴方はカマキリを
「人間」として接するでしょう。しかし、カマキリは貴方を人間だと見ていない。
ただの獲物だと思ってる。サイコパスはカマキリ人間のようなものなのだ。
————————————————-
こういったサイトや掲示板等で、今迄様々な被害の現状を目にしてきましたが、
明らかにサイコパス、又はデミサイコパスと思われる事例も多く見受けられます。
知らないとは恐ろしいもので、もしも決して近づいてはいけないような人格の人に、
「宗教」「救い」という美名に惹かれ、近づいていたとしたら恐ろしいことです。
今後は、そもそも「宗教」とは何か、その役割や存在価値は何かという本質を
探求する他、「人間」というものについて、「人格」というものについて、
「それぞれにとっての幸せ」とは何かということなどについて、
ただただ、教団、上の言う事に機械のように従うのではなく、自分なりにそれぞれ
今一度、こういった知識や理解をも含めて見聞を広め、深めて行く必要がある
のではないかと思います。
どれだけ人間が進化、成人しても、
法律や科学が進化しても
弱肉強食は変わらない
まずは強くならないと
天理教だけでなく他の宗教でも、病気は神様からのメッセージで、その意味を考えて病を治すことをしています。また、人生は日々の徳積によってその後の未来が反映されることも教えられています。唯一天理教独自の教えが、かんろだい(人間創造の地)の教えです。この教えが荒唐無稽な虚言であれば、天理教の意味がなくなってしまいます。
現代の科学ではアフリカが人間発祥の地であることは変えざる事実でありますので、
例え、天理が魂レベルでの人間発祥の地であると言い逃れても、苦しいのではないでしょうか?「にんげんをはじめだしたるしょうこにかんろうだいをすへとおくぞや」とおっしゃられぢばさだめをされた地点が当時のおやしきの一地点であり、かんろだいづとめをするに十分な余地のある地点であったことは偶然なのでしょうか? 柱の真下にたまたま地点があり、母屋こわさなあかんというようなことになぜならなかったのでしょうか?あまりにもできすぎた話です。いずれにしましても150年前に人間発祥の地点と定めつけられたかんろだいも現代の科学においてはとても信じられるものではなく、これが天理教のよりどころとしては世界中の人々に笑われ、相手にされない原因であると思われます。いつまでこのおとぎばなしに振り回されなければならないのでしょうか?天理教はおさいせんのレベルで運用できるようなところまで縮小されなかればいけないのではないのでしょうか?神殿でおつとめをすると、なぜかほっとするという気持ちになります。それだけの信仰でもいいのではないのでしょうか?
誤字脱字が多くてすいません。
ざっと計算してみました。
15000の教会が年間80万円お供えする 120億(現在)
本部の1500人の給料 200万として30億 300万として45億
神殿、おやさとやかたの維持費として20億
残りは、一列会、憩いの家、天理大学、天理高校、天理教高、修養科だどの経費、で55億といったところでしょうか?
十年後、15000の教会のお供え半減 60億
本部の半分はくびで750人分の給料 200万として15億 300万として22.5億
神殿、おやさとやかたの維持費として10億
残りは一列会、憩いの家、天理大学、天理高校、天理教高、修養科だどの経費、で27.5億といったところでしょうか?
さらに十年後 15000の教会のお供え激減 10億
本部の9割はくびで100人分の給料 200万として2億 300万として3億
神殿、おやさとやかたの維持費として1億
残りは6、7億ですが憩いの家、天理大学、天理高校、天理教高、修養科などはなくなるでしょう?
それでも1部の管理者は私腹を肥やして残ると思われます。
組織はなくても信仰はできる様
お供え額激減、天理教組織の行く末の予想?面白く拝見させていただきました。
しかし、一万五千箇所の教会と言いましても現在のところ事情教会もかなりの数にのぼると見られますし整理統合もされています。また事情予備軍の教会も相当数あるでしょうし、これからも益々増え続けることでしょう。
一万五千箇所中実体のある教会は実際のところどれだけの割合になるのか興味深いものがありますが、教会全体が並列に並んでいるのでは無く、飽くまでピラミッド構造になっていて、末端から崩れてきているのでドミノ倒し的に順次崩れてきているのでは無いでしょうか?実質的な教会数は一層減っていくことになろうかと思われますが・・・
とにかく組織の基礎部分であり、下支えしている形になっている末端から崩壊、瓦解してきているのでその上に成り立っている上部だけが安泰ということは有り得ないと思われます。
刷新するためにお供え金を減らすことはこの崩壊を加速度的に早めることになるでしょうね・・・
また組織の上層部は体制の維持、崩壊の食い止めに必死で個別の教会の人々の苦悩や惨状など眼中には無く、集金のための駒、パーツぐらいにしか考えていないんでしょうね。
金を用意できなくなれば用無しで捨て去られるのがオチ・・・でしょうね
誠の心や真実の心などは微塵も無いように思われます。あるのは何度も言いますが体制の維持、それに必要なお金、それらに異議を持たない従順な構成員の確保・・・
事情教会率は70%と聞いています。これからは80%90%になるでしょう。
下の教会から搾取するのは愚劣なる自殺です。搾取は自分で自分の首を絞めているのと同じなのに。
大教会はわりと立地条件のいいところにあるので、地の利を生かしてそれぞれが独自に何らかの事業をやって、それこそ下が消滅して一円も入ってこなくなってもやっていけるように転換しなくてはなりません。宗教はもう商売にならないのですから。
手紙 消えない蒼い後悔」
僕は、高校三年の時に。
僕のささいな一言で、トラブルが起きてしまい。
僕自身も傷つき。
仲間や友達をも巻き込んでしまった。
十代の血気盛んな時期。
些細なかとでも、争いごとは起きてしまう。
そそれを引き金に、僕は少し対人恐怖症になりつつあった。
天理教の教会に、後継者として、生まれ育ち。
婿養子の父は、ギャンブル狂で、天理教も信仰もせず、借金ばかりを作って、借金取りも何回も来た。
跡取り娘の教会長の母は、家事もろくにせず。
天理教信仰に、天理教体裁ばかりを気にし、天理教信仰に逃げ込んでいた。
兄弟は、問題行動、借金を作ってくる人だった。
教会としても、信者さんは数人。
信者さんのご家族方々は、天理教が大嫌いだった。
家族家庭としても。
教会としても。崩壊し、成り立っていない僕の家だったが。
幼少期より、「僕が天理教をやらないと、みんながこの家を追い出される!」と、母に言われ続けてきた。
上級、同部内の天理教な大人達からも。
か家族の崩壊加減、理不尽を棚にあげられて。
は話しても、耳も傾けてもらえず。
後継者だから、因縁だからと。
家族の理不尽を、放って置いて。
僕には、後継者だからと、白羽の矢が何本も撃ち続けられてきた。
高校卒業後。
大学、専門学校、就職する。
同学年の人達を羨みながら。
高校三年生の時に起こした、トラブルを引きずりながら。
て天理教の修養科に行った。
四月に行ったことも あり。
に人数も多く、若い人達も多かった。
全国各地から、沢山の方々が来ていた。
皆、各々の立場や思い、事情身情を抱えていた。
修養科に通っていると、クラスがあり。
い色々な系統の人達と話す機会が増えた。
クラスや修養科生活も少し過ぎた頃。
ある時、同じクラスの詰所も同じ方向で。
他系統のKさんとう、天理教的にも、人間的にも、熱心な少し歳上の方がいて。
兄貴肌の方でした。
ある時。
Kさんが、Kさんと同系統の女の子を連れてきた。
「この子、◯◯君(僕)とはなしがしたいんだって!」と。
女の子は、Kちゃんという、同じ歳の女の子で。
す少し髪の毛を染めていて、明るい性格で。
お互い住んでる県は別でした。
教会の娘さんらしく、話を聞くと。
Kちゃんの教会は、里親をしているらしく。
天理教信仰してい教会の娘さんでした。
僕は、フレンドリーの方だけど。
相手を意識してしまうと、特に女の子には。
逆に、照れてしまって、うまく話が出来ず。
そっけない態度のようになってしまう。
携帯も普及していない時代で。
Kちゃんとは、偶然会うときしか、話が出来ず。
一度、Kちゃんから、喫茶店に行こうと誘われて。
照れながら、話をし、一緒に帰った。
本当は、Kちゃんといっぱい話がしたかった。
毎日、顔を会わせて、話がしたかった。
僕はKちゃんのことを意識していた。
Kちゃんのことが、好きになっていた。
でも、僕のひねくれた心が、弱い心が。
反面な天の邪鬼な態度をとってしまい。
Kちゃんとは、うまくはなしかけられずのままだった。
Kさん、Kちゃん、同系統の少し歳上の方で。
同クラスの、Iさんという、音楽好きな人がいて。
けっこう僕と話があって。
Iさんが、あるバンドのカセットテープをくれた。
「ザ ストリート スライダーズ」という、バンドの曲だった。
スライダーズのメンバーが、「ジョイ ポップス」という、ユニットで曲を出していた。
Iさんからもらった、スライダーズ、ジョイポップス、の曲は心に染みた。
三ヶ月の修養科生活が日に日に過ぎていって。
Kちゃんに僕からは、話しかけられずいられないままだった。
Kちゃんから話しかけてこないと、話が出来なかった。
ほんとは、毎日でも、Kちゃんと話がしたかったのに。
自分の気持ちの弱さを、本当に悔やみ。
そして、誤魔化していた。
修養科生活も、三ヶ月の過ぎて。
僕は、地元の崩壊した家族、教会に戻った。
修養科生活の最期まで、Kちゃんとは、うまく話しかれかれず。
地元の家の住所や電話番号も交換て出来ないまま。
尻切れトンボのような、お別れだった。
地元に帰って、上級勤めを終えて。
就職して。
事故を起こして、身体の一部を欠損し。
身体障害者になってしまった。
でも、健常者に負けないように。
崩壊した家族、教会を支えるように。
懸命に仕事をした。
社会に出て、色んな女性と出会い。
色んな形の恋愛を重ねた。
でも、修養科で出会ったKちゃんのことは。
ずっと、今でも、心の中に残っている。
今でも、Kちゃんともっと話が出来なかった自分。
連絡先も渡せなかった自分。
Kちゃんのとが、好きな自分。
今でも、これからもずっと。
Kちゃんのことは、心の中に想い残っていく。
スライダーズ、ジョイポップスの曲を今でも聴くと。
Kちゃんを強く思いだし、切なくなる。
兄貴肌だった、Kさんは。
熱心に、教会活動を続けているかな。
音楽好きだった、Iさんは。
親父さんが教会長を退くまで。
好きなように生きて、親父さんが退いたら。
教会を継ごうと思っている、と言っていた。
今は、地元に帰って教会を継いだのかな。
そして。
Kちゃんは、元気にしてるかな。
教会、天理教関係者、未天理教…。
結婚して、子供が出来て、明るい家庭を築いているかな。
僕も、色んな女性と色んな恋愛をしたけど。
今までも、今でも、これからも、Kちゃんのこと。
心の中に、想い続けていきます。
女の子の方から、話しかけてきたくれた勇気。
僕には、Kちゃんの明るい気持ちを受け止めて、伝える勇気がありませんでした。
今までも、今でも、これからもずっと。
Kちゃんに伝える勇気がなかった自分を。
責めて、後悔して生きていきます。
修養科に、何しに行ったの?って、話しになっちゃうけど。
天理教の勉強もろくにしなかったけど。
修養科に関しても、掲示板でも、色んな意見があるけど。
僕には、色んな経験をした、蒼い三ヶ月でした。
天理教の若い世代の方々へ。
十代、二十代、三十代の一年一日の、密度や重要性は。
四十代の何年分にも匹敵します。
天理教道に邁進する前に。
人として、恋愛して、仲間友人と。
かかえがたい時間を過ごし使って欲しいと願います。
僕は、修養科を三ヶ月過ごして。
今で二十六年の、年月を過ごしました。
そして、後悔は後悔のままで。
思い出に、変えられない想いもある。
歳は関係なく。
後悔は苦しいものです。
だからね。
これからの、天理教の若い方々には。
行動しない後悔よりも。
行動した結果を、思案して欲しいと。
僕は、強く願い思います。
僕は、天理教から離れたけど。
天理教で沢山苦しんだけど。
心身ともに、壊れたけど。
でもね。
Kちゃんや。
想う人が、天理教の中で生きています。
人を想う天理教になることを、思い願います。
誤字、脱字が多い文面になってしまいました。
お詫びいたします。
天理教なんて邪教でした。
天理教は幼少期強制入信させてきて。
暴力崇拝の偽神が祟ってきた。
そもそも天理教は神道ではない。
神社にいないし。
独自の教会持ってるし。
新興宗教。
天理教なんて居ないほうがいい。
コメントを削除する代わりに。
信じようが信じまいがこれが事実。
を突き付け。
我が家は弱小大教会の末端教会。元々は名前だけになっていた事情教会を親が引き継いで半ば強制的に受け継いだ教会である。
ぶっちゃけ、50年近くの年月が経ってしまった。
結構賑やかな時も有ったが今となっては月並祭と言ってもほんの数人で形だけ勤めているような状態だが、それでいいと思っている。
人を導くとか、助けるとかそんな事は簡単にできることでは無いと今更ながらに思う。天では神一条になれば良いと簡単に言うが・・・
それはそうと、もうすぐ今年も終わり新しい年が来ようとしているけど、2年か3年前の丁度元旦の日、神殿の窓から表の庭を見ていたら教旗を掲げるポールが根元からポキっと折れて電線にもたれかかっているでは無いか。
私は慌てて表へ飛び出しそのポール(長さは5、6メートルぐらいか)を降ろし何とか安全な場所へ寝かせた。(結構な重さが有る)
幸い何らの被害も出る事なく電線にもたれかかっている状態だったが人に当たれば大怪我、建物に当たればかなりの破壊力で被害をだしかねないと思われた。
このポールにも少し前には旗を掲げていたが天理教の衰退とリンクしているようにだんだん掲げる事が無くなって行った。自分が100年祭の頃に修養科に行き終了して帰ってくる時に(旗がかなり痛んでいたので)新しい旗を買って帰ったのも今では一つの思い出だ。
そのポールが根元から綺麗に折れて倒れた。それを見て私はもうこのポールが二度と立つ事は無いこと、旗が上がる事が無い事を悟った。
そうしてこの教団の行く末を暗示しているんでは無いかと思った。
これから年が始まる元旦にポールが根元からポキっと折れる。何かを感じずにはいられなかった。
各教会の皆さま。
ポールはおそらく鉄製だと根元から経年劣化で折れてかなり危険です。
人に直撃でもすればどうなるかわかりません。
建物などに当たったらかなりの被害が考えられます。
何十年も経っているならば点検をし処置を施した方が良いと思われます。
いっその事倒した方が良いと思われます。
とにかく危ないの一言です。
けが人など出ないよう祈ります。本当に危険です。
教祖100年祭までの3カ年で教会本部がお供え金を1500億円集めたと、このサイトで投稿されていましたが、これは本当のことなのでしょうか。
これが本当なら空恐ろしい事です。
正(当)に金の亡者たる所以となります。
ご存知のかたがおられれば教えて下さい。
よろしくお願いします。
大教会に行く機会があった。諸々の話し合いだが、信者減少の流れは止められず、教会長の兄弟姉妹、子どもや叔父、叔母、甥、姪頼みの教会が何と多いことかを目の当たりにした。地域に開かれた教会ではなく、自分たち身内による身内のための互助会みたいになっている。これが宗教法人か?
若い教会長夫妻は、信者一人作るよりは、子供を作った方が手っ取り早い、と冗談とも本気とも言える発言をしているが、確かに多くの教会で子どもをボンボン産んで詰所のホールは小さな子供がうじゃうじゃしている。一般信者さんの子や孫は一人もいなくておかしな風景。自前で子供を産んで彼らが成長し、それで教会が当分持ちこたえられる、とそんな計算を本気でしている。30代夫婦で4人、5人。どの教会もポンポン産んでお気楽な事。信者も激減、仕事もしてないのに、どうやって生活する気だろう。
天理教の教会は、社会の中でどう言う意味を持つ存在なのだろう・・
信者は空気だけといってもいい状況は、天理教だけではなく新興宗教全般にみられる傾向です。
身内頼みといいますが、その身内すらどんどん棄教しています。創価学会でも二世三世の棄教が当たり前になっており、幹部クラスの子弟も棄教しているのです。信仰の継承はまずありません。
子供が棄教したら、むしろ親は喜ぶべきです。なぜなら「自分の子供は正常な人間である」という証拠だからです。創価学会でも今なお教団に残っている二世三世はどこかおかしい人と思っていいと、棄教した三世がいっていました。
このあたりの事情は天理教も同じではないでしょうか。
匿名
2017年12月26日 8:12 AM様
天理教も今となってはとんでもな宗教団体に成り下がっていますが、創価学会は元々日蓮正宗の信徒団体でそれが本山?と揉めて独立し、今では芸能界、政界(公明党)あらゆる方面にに進出し、法曹界などにも人材を輩出しているのではと言われていますし(乗っ取りの動きとも取れますが)、フランスでカルト指定されていると聞きますし、ひとつ間違えればオウム真理教と変わらない側面も持ち合わせていると思います。
信徒団体として独立した時点で宗教団体と言えるのか?そもそも怪しいところが見受けられます。公明党として政界に進出している時点で政教分離に抵触していると思われますし、私的にはかなり不純な団体と認識しています。
純粋な宗教団体とは言えないと思われます。
ただ、創価学会の拠点で有る文化会館には若いサラリーマンや主婦などの現役世代が出入りしているのを見た事が有り、天理教がお年寄りの割合が多いのと比較して驚きました。私が不純と言いましたが何か惹きつける魅力が有るのでは無いかと思います。
(芸能人も多用し政治にも影響力を持っているので自分たちが世の中を動かしていると感じているのでは・・・と推測しています。)
不純と言いましたがそもそも宗教団体の定義自体が曖昧なのでしょうね。
基準と言うものが設定しようが無いのでしょう。
オウム真理教も宗教団体として認定されたんですからね。
昨日、ご覧になった方も多いと思うが、ある番組の中で、タレントのヒロミさんが、こども食堂の内装をリフォームしていた。毎度、見事なもので、感心したのであるが、それ以上に感心したのは、こども食堂をされている50代ぐらいの奥さんのことである。
親が仕事で家に居なかったり、病気で入院などしていたりで、一人きりで食事をしたり、満足な食事も食べてないような子供たちを見るに身かねて、こども食堂を始めた、ということである。ちなみに、こども食堂を全国最初に始めた方だそうである。
以前は居酒屋をしていたという、古い建物を借りて、狭い台所で、30人くらいの子供達に、おいしい、栄養のある料理を食べさせてあげたいと、奮闘されている。食事代は、ワンコインでいいそうだ。つまり、500円以下で、いくらでもいいそうだ。1円でも、5円でも、10円、50円でも・・。
経営的にも大変だろうが、それでも、子供達のためを思い、続けたいと言われている、穏やかでやわらかな物腰の奥さんを見て、神様だ!と思った。いや、現代の中山みきさんが、ここに居る!これぞ人助けだ!と。
この奥さんが神様なら、天理教教団は、悪の巣窟ではないか。こども食堂も、今、日本全国に何ヵ所かできており、更に、広がりつつあるそうだ。天理教より、一般の市井の方々の方が、困っている人を助けたいという、助け合いの心を持っているように思われる。
天理教団は、このような有益な福祉活動に対して、補助金でも出してあげればよいと思うのだが・・。
天理教とは、いったい何なのだろうか? 信者に寄生しているだけで、社会に役立つことを、何ら、していないのなら、存在している価値は無い。
天理教内でこども食堂を運営されている教会もありますね。
http://www.e-oji.jp/kodomo
偉いな!!!
もう1か所あります。
https://www.facebook.com/doukeikodomoshokudo/?hc_ref=ART1iZBTQSMATb6hSVgc0xdv4LLQ4SHY4bUnbhnnW7XYs0nu4QzNCM_lT2XHbCXaxIs&fref=nf
こちらは本部のお膝元で!!!
天理市での子ども食堂は「ひさまつ氏」が紹介なさっていた記事がソースです。
ひさまつ氏に敬意を表して。
http://aremocoremo.info/oh-really/
子ども食堂されてる教会は、他にもたくさんあると思いますよ。
一例を挙げますと…
Twitterアカウントを持たれてる、東大阪市の子ども食堂いっぺこっぺは勢河内分教会。
大和高田市では高田町分教会がたかだまちこども食堂を。
https://ameblo.jp/smoooooch030?utm_source=gamp&utm_medium=ameba&utm_content=general__smoooooch030&utm_campaign=gamp_headerInfo
麹町大教会でもやっているようです。
https://m.facebook.com/Kojimachi.kodomo/
多分「天理教」を前面に出すと、宗教施設じゃ行きにくいと感じる人も居るので、名前だけでは天理教の教会でしているとわからないように工夫されているのではないでしょうか。
追記。
東王子分教会さんのサイト
https://sites.google.com/view/eoji
に、天理教でこども食堂をされているところの一覧がありました。
「Q. ほかに「子ども食堂」をやっている教会はありますか?」の項をご覧下さい。
三年で1500億円集めたって本当? さん
聞くよりも見て納得ではありませんか。天理の近くに住んでおられるのであれば見に行ってください。
三島神社と鏡池をぶっ潰して建てた巨大建築、不動産屋顔負けの先代真柱の不動産欲ぼけ振り。このようなところまで教団本部名義の土地が有ったなんてざら。
詰所群だって目に見えないお供え。本当は1500億円どころじゃないでしょうね。
何事も、一見は百問にしかず、ですよ。
東風Z様
三代真柱の事は信用していたんですけどね・・・
不動産屋顔負けの欲ボケ振りだったとは・・・ショックです。
子供がゼンスケですからね・・・親の顔が見て見たい・・と言う事ですかね
孫がダイスケですね・・・先が思いやられますね・・・と言うか、先が見えてますね・・・
教会による子ども食堂は、やらないよりはやったほうがいい。
だけど、居場所のない子どもは常に居場所がないし、個食だろうし、ろくなものを食べていないだろう。
地域の中で、子どもがいつでも安心して出入りできる教会である方が、子ども食堂するよりも意義があると思う。
教会とは本来そのようなものではなかったのか。
とはいえ、今の教会長たちにそんな覚悟のある人間がどれほどいるのか。
現天理教組織がなし崩し的に延命するのはよく無い、子供食堂なり里親制度なり、現行の宗教法人天理教が組織や体制の維持、それに伴う集金体制など継続させるのは許されない事なのだから、とにかく、それらを一旦清算するのが筋・・・子供食堂やら里親やらは延命のための一手段に成り下がっているように見受けられる。
まず、人事だろうな・・・やっぱり世襲をやめる事。これに尽きるだろう。
世襲は百害あって一利なし・・・
まあ、もう遅きに失している感はあるけどね・・・
一旦破綻した方がいいとは思うけど・・・
「中山たまえ」は「たまえ」の魂ではなかった。
教祖殿は、捏造されているのか?
ある書き込みより
おふでさき七号65,67,72の解釈について
通説(『おふでさき註釈』)では、お秀の魂(明治3年㋂15日死亡)が、まつゑの子として宿し込まれ、「たまゑ」と名前まで付けておかれたとされています。
しかし、のちに初代真柱と結婚した「たまえ」は、明治10年に生まれ、その時の名前は「まち」です。7号が書かれた8年は、妊娠していた可能性が全くない時期です。また、明治12年に亡くなった「まつゑの子(智生童子)」がこの時期に生まれたのだとの説もありますが、この子は享年2歳とあって生まれたのは11年です。(復元39.68頁)
そうすると、明治8年に教祖の身近な人間で妊娠していたのは、こかんしかいません。
おふでさきの3~11号は、「高山の説教」である国の宗教政策についても語られていますが、身近な人間については、主にこかんが主人公です。この事が伏せられ、秀司やまつゑのこととして解釈されているために、大変理解困難なことになっています。
「天理教」はこかんを17歳の時とされる「大阪布教」でしか語りませんが、元治元年の吉田神社の裁許状の名前が「こかん」であり、「若き神」と言われたというこの人についてもっと語る必要があるでしょう。
創価学会は宗教団体か? 様
天理大学卒業の知人(二部の同級生)が言っています。
以前にも書きましたが、この山もあの山も教団のもの。山の手入れが出来ていないので近隣の住民の方からクレームが来て、本部の呼びかけで知人も山の清掃のひのきしんに出たが、何しろ経験がないものだから山の中をうろうろするだけに終わったとか。
その程度の教団です。どのようなことでも手に入れるのはおカネさえあればできるのですが、維持管理はそれ以上のものが求められると思うのです。
人を育てるにも同様のことが言えると思います。入信者をようぼくに育てるのも、育てる人間が余程成人していない限り無理でしょうね。果たして、本部にそのような人が何人居られるのでしょうか。口ばっかしでは駄目でしょう。かく言う私もダメ人間ですが。
今年も暮れようとしています。
今年は天理教組織にとって一つの節目になりました。真柱の後継者を決めたと言う事です。
次の体制に備えて準備を完了したと言う事です。
まあ、それはよしとして、もし仮にダイスケ君に子供ができなかった、として、どうするか、また今回のように中山家の血を引く人間をもってくる・・・と言うことになるんでしょう。
とことん血にこだわる・・・まあわからんでもない・・・教祖さんの血を引くもの・・・これを継承する。一理はあるだろう。
しかし、それでうまくいくか?本来の目的である救済が進んでいくのか、皆が陽気に歩んで行けるのか?と問われれば陽気は一部の上層部だけで大半は陰気に通らざるをえないどころか苦しみもがいている教友が数え切れないほどいるのは確かで・・・やはり世襲には弊害が多すぎる。
既得権益を守っただけのように感じるが・・・
教祖さんが本席さんを後継者に据えた時点で『血』に特に意味は無いと言う事が示されたのではないのか?
このような事がいつまで続くのか?続けるのか?行けるところまで行こうと言うことか?破綻せねばわからないのか・・・
これらは隣国の世襲体制を引いている独裁国とあまりにも酷似していて興味深いものがある。どうみても世襲でうまくいくとは思えないし、想像しても気持ち悪ささえ感じる。それほど世襲は危ないことだと思う。
世襲したい!と言う気持ちはその当事者からすればわからないではないが・・・私物化していると言われて返す言葉があるのかどうか?
この教団は誰のものか?中山家個人のものなら世襲なりなんなりすれば良いし、救済が進み皆が陽気に通れるならどんどん世襲をすすめてくれて結構!でも現状はどうだ?
もうどうしなければならないかは「言わずもがな」だろう
ある意味どうなってゆくのか危惧はするが興味深いものでもある。見届けようと思う。
年の瀬にふと思う・・・様
おっしゃることその通りです。ただ、私は布教の現場にいるだけ危機感は半端なものではないです。
かつて単独布教から教会長へ、さらには大教会長や本部員になるのも夢ではないという、柏木庫治流のサクセスストーリーが喧伝されたことがあった。しかし、柏木氏の場合、氏独自のキャラクターのほかに、大正から昭和にかけての特殊な時代背景があって、大教会長・本部員まで上り詰めることができたことを忘れてはいけない(なお本部員になれたのは二代真柱の抜擢があってのこと、いまの体制では無理)。たしかにいまも単独布教が行われているし、全国には布教の家もある。しかし、布教師たちの熱意にもかかわらず、現実にはうまく行っておらず、結果的に教会後継者の「単独布教してきました(どうだ偉いだろう)」という箔つけにしかなっていない。
なにも教団内で立場が上昇することに意味があるわけではないが、世襲制度によって階層が固定してしまっているために、一種の身分制度が確立してしまっているのが大きな問題である。いま教会長になろうと思えば、末端教会の場合はいつでもなれる。しかし、なりてがいない。そのため、大教会長家族で子どもを沢山産んで、配下の事情教会を継がせている。結果、ますます天理教内は身内社会化している。ところが、末端教会を継がせられた子弟の中には心を病んでアルコール依存症になったり、教会家庭がうまくいかず、離婚したりするケースもしばしば聞く。これはひとえに末端教会の大半が教会基盤が脆弱であり、教会だけでは生活ができないからである。(里親はどの教会にでも出来ることではない。安易に引き受けるのは子供にとっても問題が大きい。教会再生のために里親を勧めるのは本末転倒である。)
そもそも宗教者にとって「世襲」ということはありえないと思う。天理教では一名一人の理があるので、なおさらそうである。いまの制度を急に変えるのは難しいのはよくわかる。でも、本部員枠の半分は一般教会長から入れるとか、大教会長は形だけでも部内教会長で選挙して選出するとか、工夫はいくらでも可能であろう。少なくとも、今のありさまでは、将軍様の支配する隣国のことを笑えない。
また、教会として機能していない末端教会は思い切って整理統合したほうがよい。一般の人たちがみすぼらしい天理教の教会に行ってみたいということが考えられますか。それよりは、そこそこ人の集まれる教会を各市町村に1つか2つくらいにして、教会長資格のある者が輪番制でいるような形のほうが、負担なく運営できるし、未信者の方も足を運びやすいと思う。
中山家の世襲要員はまだまだ控えていることを、大亮夫婦の結婚披露宴で披露されていたそうです。
出席者の話によると、真柱夫妻をはじめとする中山家ご一統が壇上に上がったそうです。
それぞれの人が「叔父」「叔母」等というように関係が分かるような札を下げて子供から大人まで
登壇したそうです。
大亮夫婦にたとえ実子が無くても、替わりが控えているとばかりの中山家のデモンストレーション
だったようです。
列席者に向けて、子供を含めての親戚一同紹介なんて、天理教中山家の他にどなた様が考えるでしょう。
大手ホテル勤務の経験から言えば最近の披露宴では一般的に、親戚一同は。ほぼ末席に席次が割り振ら
れます。
友人・会社の上司・同僚が上席で披露宴進行も親戚一同の出る幕は全くと言っていいほどありません。
両親に感謝の言葉と花束贈呈はつきものですが。
アットホーム感を演出したなんていう言い訳は通りませんね。
この話をした人は大亮氏が実子ではない事など何処かに飛ばしてしまい、(養子も実子同様ということで)
「血が繋がっている」ことに、感嘆したそうです。
だからどうというそれ以上の内容は有りませんでした。
まぁ、天理教の場合、会長が話した事ですら、成熟している信者は噛分けて聞き取る「聞き取り上手」で
ありますから、右から左に聞き流す、害もない話ではありましたが何処か能天気な感想でした。
匿名布教所長 様
年の瀬にふと思う・・・様
本当に仰る通りです。
しかしながら、今の制度は決して変わりません。教区長は本部からの任命ですし、直属教会長が不祥事を起こしたとしても、後任には部内から選ばれるのではなくて本部から派遣されるのです。
必ず真柱さんに面会して許可を貰うシステムなのです。
大教会長の娘が恋愛して部内布教所へ嫁に行くのを、親の大教会長が必死で止めさせようとしたという話も聞いた。特権階級に居る者の愚かさだと思う。
>本部員枠の半分は一般教会長から入れるとか、大教会長は形だけでも部内教会長で選挙して選出するとか、工夫はいくらでも可能であろう。
普通なら、そう考えるのが当然だが絶対そうはならない。本部の知らぬ所で勝手な動きをされるのは嫌なのでしょう。
本部の方針のままに教団運営された結果、ものの見事に教勢は凋落の一途をたどっている。
本部中枢は、そんな事は関係ない。有り余るほどの貯えを持ち、子供を留学させ、遊び呆けている。
神が居るなら、こんな現状をどう感じているのやら。
↑ 見苦しい改行で失礼しました。
思い過ごしなのか、ここ社会学様に書き込みさせて頂く時にだけ、いつからか、
PC画面に異変が起きます。黒白フラッシュ現象?といいますか、表現が難しい。
慌てて他のサイトに飛びますと正常なのです。
大勢の方が集中してアクセスした場合とは異なる現象です。
自身のPCには当然ながらセキュリティソフトを入れていますし、
更新も毎日しています。
他の方は大丈夫ですか?
現在は幸い起きていません。
中山家は自ずから世襲をやめることは無いと思われる。なぜか?今までのやり方が間違っていたことを認める事になるから(たっぷり溜め込んだ財産を手放したく無いのが一番?)・・・それはできない、しない。
しかし、今のままではダメだと言うことはわかっているし、感づいているだろう・・・そこでジレンマに陥いっている?
まあこのままじゃジリ貧になることはわかっている。
天理教だけじゃあなく宗教法人たるものは社会の公器なのだ。
各地方の教会も、地域の社会の公器なのだ。決して一個人の所有物では無いし、所有物であってはならない。私物化することは許されないし、許されるものでは無い。そんな性質のものでは無い。
となるとやっぱり世襲するのはあかんとなる。
みんなの意見で話し合って世襲でいい、となったら世襲でいいが、世襲している奴らが勝手に世襲してたらこれは笑うしかない。
時代錯誤も甚だしい。
何時代ですか?江戸時代ですか?徳川さんですか?と質問しなければならない。
兎にも角にもまだ頭の中身は”ちょんまげ”を結っておられるようで・・・
早よ文明開化しなはれや。と言ってやりたい。
マリーアントワネットになりまっせ!てな感じ・・・
古い元教会長様 また皆々様
ふだん会社勤めなので、今回連投させていただきます。
私も事情教会の会長にならないかと言われたことが再三ある。しかし、そのつど断ってきた。教会と布教所ではまったく「理」が違い、教会になってしまうと、「理の親子」関係(教会制度)に完全に呑み込まれてしまうからだ。私が断った教会は別の人が家族ぐるみで引き継いだが、相変わらず事情教会のままである。布教力が強まるどころか、上級の御用を含む煩瑣な教会用務のため(お供えの重圧もあり)、かえって暮らしは苦しくなるばかりで、家族関係もギクシャクしてしまった。別の事情教会は教会長の成りてがないまま、上級預かりになっている。
中山家ご一統の大名ごっこは今に始まったことではない。二代真柱のときは、大名や貴族ではなく、将軍か天皇のようだった。お金も湯水のように使っていた。それに比べれば、こないだのレーザー光線など遊びのようなものだ。彼等のことは放置してもいいのではないかと思う。そのうちお供えも減って、そんなこともできなくなるだろう。大事なのは、我が家を、かけがえのない自分の家族をこそ、守ることである。自分たち自身を守れなくては、外に向けておたすけも何もない。自分が幸せな気持ちでないと、人は助けられない。そもそも、人助けの天理教なのに、その天理教の教会制度から身を守るなんて、考えてみれば悲しいことである。けれども、おぢばは四六時中オープンだから、本部や教会を通さなくても参拝できる。ありがたいことだ。
教友の皆様にとって、立教181年が良い年になることを心より祈っています。
来年は、茨木先生が罷免され、ナライト様が発狂された、大正7年、1918年からちょうど100年になります。
天啓者不在のお地場という異常事態が始まった分岐点だった訳ですが、そのことで救済能力が下降してきた事が、根本問題なのではないでしょうか?
支配を望む側が、誰かを何かを征服する為には、建前としての言い訳がいるというのは常識です。
「支配したいので、利益が欲しいので、一方的に言うこと聞いて私達に尽くしてください。」などという訳がありません。
その支配側の言い訳として、人間にとって絶対的な存在であり、尚且つ確認することは不可能という、
利用する側にとっては大変都合の良い、「神の名」が使われることは世界中で行われている。
「神に選ばれた特別な存在として」「神の使いとして」であれば、どんな理不尽な振る舞いも、
どんな残酷な行動も、神の名において正当化されてしまう。
世界中で人を誘導する為に使い古されてきた、この手法。
数々の矛盾がある宗教組織の「神」とは、一体なんだったのか、もう気付いている人々の方が多い
のではないかと思う。
次に出来ることは、「そこからどうするのか?」ということで、
それでもただただ従い続けることが、家族への思いやりであり美徳なのか?
その理由は自分が現実をしっかりと見ることへの不安、長い人生の時間が間違いだったかもしれない
ことへの恐れではないのか?それは単なる逃避や自己満足ということではないのか?
などと、いろいろ考えさせられています。
拠り所だと思っていたものが違った時、自分に寄り、自分自身に立ち返らず終えない状況となる。
本当の意味での自立した判断や客観性が求められている。
自身の内なる神との対話の大切さ。
正に「そこからどうするのか?」ということが試されていると感じています。
世襲がおかしくなる条件として、世襲してトップに立った人が決して小さくはない権能を有するという条件があります。
世襲であっても健全でいたいというなら、信者の統合の象徴として即位していただくだけで、現実的には権能がないという条件がどうしても必要になってくると思います。
江戸時代でも大店の主人は確かに世襲ですが、主人はオフィシャルな場に出たり、どこかに挨拶をしに行ったり、店の名前を売る宣伝の道具としての権能はあったかもしれませんが、実質的な経営権は主人ではなく、何人もの番頭による合議制でした。
天理教ではすでに真柱だけではなく、天理貴族という既得権をいっぱいもった階級が厳然と存在している以上、彼らがこんなおいしいポジションを禅譲することもありえませんので、カトリックのようにトップが出家して、血統ではなく法統による継続というのは100%不可能といえます。
年があけました。おめでとうございます。
年が明けたということで一応教会ですので元旦祭をしました。
で、ハテナ?なんですが、まあ、前々からのハテナ?なんですが月次祭でも神実様の扉の開閉・・・
開扉、閉扉なんですが、教祖さんは開けっ放し・・なぜか?存命にてお働き下されているから、ということらしい。まあ、それなりに納得。
ではなぜ親神さんを開閉するのか?がわからん。
親神さんは森羅万象一時も休むことなくこの宇宙の運行、太陽、月などのはたらき、地球の守護。人間の体内の働きを休む事無くされていると理解しているのだが・・・それを開けたり閉めたりなんでするの?と素朴に「変だな~」と思っていますが、こんな私こそがへんでしょうか?まあ、開け閉めするのも面倒だなと思っているのですがその意味、必要性がわからないので・・・そもそも、あの木で作った社の中に神さんが鎮まっているとは到底思えないんだけど、それを言っちゃうと元も子も無くなってしまうかな。まあ、火事になった時には真っ先に神実様を守る、持ち出すと聞いたことがあるからね。
でも、もし、火事で燃えたって神様は燃えないと思うけどね。それほど、あの神実様には不思議な力が有るのかな?今までそんなこと全然感じた事ないけどな・・・それから、神実様を有りがたく扱うようにしているけどこれは天理本部から下賜?されたものじゃないんだってね。自前で用意しているものらしいし。
どうも、だだの木製品にしか思えないんだけどな・・・それをカパカパ開け閉めしているだけにしか思えないんだけどな。そんな事を考えているわたしがおかしいのでしょうか?
そうそう、聞いたはなしによると近頃教会を辞めたり信仰を辞めたりする人が増えていて神実様を返しにくるんだってね。返しにくるということはやっぱり不思議な力が宿っているのか?いや、やっぱりただの木製品か?返されたほうもどうするんだろうね?神がやどっているという前提なら雑なあつかいもできないだろうし、と言って別で祭るのも大変だろうしね。て考えているとやっぱりあんまり意味の無いものの様な気がするな。親神さんがおでましになったり引っ込んだりしないと思うんだけどな・・・これ、神道の影響なのかな?教会数が一応1万6千箇所として1万6千の神実様があっても神はひとつで神が1万6千に別れることは無いだろうし。
私の母親は、布教所を開設していました。
その母親がいつも言っていました。
「火 水 風 ほかに神なし」
水を電気分解すると水素と酸素に分かれる。そして水素は酸素(風)と結び、火となりまた水に戻る。
火と水と風(酸素)は三位一体 まさしく神だ。
人間の体には、六割あまりの水と36度5分の熱(火)があり、風(酸素)が途切れる事無く出入りしている。
まさしく神そのものだ。
会長が、月次祭で社に向って「・・・お鎮まりくださる」という文句を言うと、私は心の中でいつも思いました。
「そこに神が鎮まってる訳ねーだろ 本気で神が鎮まっていると思っていたら本物の馬鹿だよね」
今の天理教の形は、神職であった山澤家が作ったものですよね。
表は中山、中身は山澤ですかね。
本日、天理市の知り合いから山澤家、梶本家の系図が届きました。
そこには、山澤家が天理教に入信した当時の社会的な地位がメモ書きされていました。
山澤家が天理教に入信した頃は、大和神社の信徒総代を務めていたそうです。
だから大和神社事件など起こるはずがないとの事らしいです。
大和神社の関係者も、神社は官憲ではないから人々を留め置く権限など無いと話ているそうです。
大和神社の関係者は、大和神社事件の話は天理教の作り話だと言っているそうです。
天理教は個人の救済をはじめ、この世の建て替えなどの壮大な目標を掲げここまで来た。
しかし、今となってはこれらは組織の維持のための方便。
集金のための方便。存在意義を維持するための方便。となり、これらが目的になってしまった。
本来の目的はひとえに一個人から世界の救済のはずだがそれらが目的じゃなくなり手段に・・・そして組織・体制の維持、そのための資金集め、そのための構成員の確保。これらが目的になってしまった。
今となっては目的と手段がそっくり入れ替わってしまった。
表統領はじめ本部の方々は決してこの世、人々の救いなどはもう思っていないと思われる。それは口では神殿講話としてしゃべっているが真剣に思い考えてしゃべっているとは到底思えない。
一応、それらしき言葉を並べているだけと考える。まあ、惰性でやっていると言っても過言じゃ無いだろう。
かなり、きつい言い方をするがこの世建て替えを掲げているにも関わらず自組織すら助けれていないどころか、自組織の人々を犠牲にし苦しめ続け下手すりゃ喰い物にしているんだから本当なら退場だ。(永久追放でもいいくらいだ)サッカーでいうならとっくの昔にレッドカードだ。自浄作用も無いし、とにかくもう上からモノを言う立場には無いと言っても言い過ぎでは無い。退場してもらわねばならない立場にいることをまず自覚することから始めなければいけない。決して上から偉そうに能書きを垂れることは許されないし、そんな時期は過ぎ去ってしまっていることを理解するべきだ。なので、まずは教内の人々に謝罪なりなんなりするのが本筋だろう。結果がすべてなのだ。世の中では結果を出せず悪化させているのにその立場に安穏と居続けるなんて有り得ないことなのだ。だから退場するべきなのだ。やはり感覚が麻痺していると言うか壊れていると言うか神経が図太すぎると言うか、やはり私有意識があるからそうなるんだろうか?
私有意識と言っても宗教法人として税制の優遇を受けているんだから私有なんてことは有り得ないし社会の、世界の公器なわけで・・・
悪政の結果もたらした疲弊、惨憺たる有様になって尚、体制を維持しながら同じことを繰り返すなんて一般常識や通常の観念で考えれば有り得ないことなのだ。本当にこの教団の上の奴らは信徒や教会関係の人々をなめている、愚弄している馬鹿にしている。いや、社会をまた世界を馬鹿にしている。
そんな気は無いと言ってもやっていることが物語っているのだ。
ふざけるな!と言ってやらねばならない・・・
複数の天啓者を含めた本部人事の再考を望みます。
もう30年以上前になりますが修養科へ行きました。
その時に、神実さんのお扉、開閉の際、拝(低頭)をしながら確か「ウォー」と声を出す。と教わり実際そのように練習した覚えがあるのですが今でもそうやっているのですかね?ふと思い浮かんだので・・・
これらはやはり神道の影響を強く受けているのでしょうね。
詳しい方がおられましたらご意見ください。
そういえば昔は榊を(鉢に入った)上段の間に置いてたっけ・・・
我が家は末端の教会ですが、建物が築何十年と経っていまして、それに加え建物の一部がバラックとはいかないまでもそれに近い、屋根部分がトタン屋根一枚それもプラスチック?樹脂?なのです。
当然この季節の寒気がもろに襲ってきて寒いのなんのって。
トタン屋根だと外気温とあまり変わりませんね。
周りの家いえは今風の建物で断熱も効いていそうです。
あまり愚痴をこぼしたくは無いですがやはりトタン屋根はこたえますね。(ぶっちゃけ見た目もかなりみすぼらしいのは確かです。)
それに引き換え天理教の平壌たるご本部では立派な建築物が乱立していますね。このアンバランスさは一体なんでしょうね。それでも有効に使われているならいいですが稼働率は怪しいように見受けられますが・・・
「おつくし」と称しての上納金のほんの一部でも積み立てれていたらトタン屋根じゃなく断熱の効いた部屋でくつろげていた事でしょう。
ほんと自虐的に生きるように洗脳された姿がこれです。悲&涙
天理教団は単独で存在しているわけでは無い。この世界、この社会、日本という国とも大いに関係しながら存在している。
そこで現教団組織はその世界、社会、国家にとってどういう存在か?
本来なら心の救い、魂の救い、人々の悩み苦しみに対しての救いであらねばならないはずである。少なくともそれらに寄与できていなければいけない。
またそれを前提に税制も優遇されているわけである。
今の教団組織は体でいうならガン細胞なのではないかと思ってしまう。
本来ならマクロファージやキラーT細胞などの免疫細胞であらねばならないと思うが現実は違っている。
存在しているのが望ましいのか、いっその事消えて無くなってくれた方が世の為か?と問われれば残念ながら後者を選択せざるを得ない様相である。
この組織はこのまま衰退して行くだろうと思われるが間違って息を吹き返すようなことがあれば身体中にガンが拡がり体を蝕み死を呼び込むことになるだろう。
有形無形の悪影響を及ぼしているのではないかと危惧するところです。
昔、ある盛大な教会でお供え金のことについてこう説いていた。
それは、助けていただいたお礼としてのお供えということだった。
その当時まだ純粋な用木だった自分はなるほど!と納得したものだった。
しかし、今でもその論理は納得するところではある。
「助かった、助けられた」という実感が有りそのお礼としての金銭のお供え・・・
まあ、そんな純粋な信仰も昔は有ったんだろう。
しかし、それも最初だけでそれを延々とやりお供え要求になり、毎月、毎月
生きている間ズーッとお供えせねばならないとなれば嫌になっちゃうのは確か。
それでも上は毎月、毎月お金を欲し吸い上げている。
そのお金は喜びや感謝、嬉し涙のお供えなはずが苦しみ、不満、恨みなどの負のエネルギーをまとったものになっていると思う。
それを延々繰り返している。
本部には負のエネルギーが充満しているように感じられる。
だからあまり参拝する気にもなれない。
おつとめをしていても気持ちが入らない。
何か大切なものが抜け落ちた感がいつも有る。
やはり感じられるのだ。
ここには大事なものが無いと・・・
人々の苦しみ、悩み、恨みなどの負のエネルギーを溜め込んで肥大化し延命を図っているこの組織には栄える道理がどう考えても無い。
やはり滅びゆくのがそれこそ天理。人を苦しめ栄える道理は無い。
社会学さんのtwitterを転載します。
天理教青年会の公式Twitterに関してのコメントです。
なお、青年会の書き込みに「本日」とあるのは1月9日なのか(多分そうなのでしょう)
確認取れませんでした。青年会のホームページのスケジュールを見ると、
9日の欄は記述はなく、カラーがオレンジになっているだけでした。
このように基本的な情報「いつ」が抜けていることからも、知的レベルに
疑問が・・・。
【社会学さんコメント】
特定の家系や天理教本部だけで天理教を独占せずに、研究というのであれば広く研究成果を公開すべきです。集合写真の中には国から研究費をもらっている研究者もいるようですね。天理教は誰のもの?
【青年会コメント】
本日、青年会本部にて天理セミナリウム(天理大学宗教研究フォーラム)が開催されました。
このフォーラムは、次世代を担う若手研究者の研究成果を発表する学術講演会として発足したものです。
青年会としても、教理を深め、求道面の充実に取り組んできます。
(発表テーマ)
1.二代真柱様とおふでさき研究
2.天理教と中西牛郎―復元以前の「天理教学」
3.道にたとえられる宗教―古代イスラエルの場合
4.「おさしづ」における一人(ひとり)と一人(いちにん)
5.「おふでさき」における動詞とその視点
6.医学研究にみられる 115 歳定命の問題
7.生命倫理学とはなにか
☆☆☆
興味深いテーマが並んでいます。
社会学さんのご指摘のように疑問が沸き上がります。
何故、研究成果を広く世に問うことをしないのか。
大亮氏が鎮座ましましているが、この発表会はなぜ、一般に公開できないのか、聞きたいところです。
仏教系の大学には正規の学生の中にも(欽ちゃんの他にも)退職した後に自費で学ぶ人々が大勢います。
天理教信者の中にも、自分の信仰に違う角度からの光を当てたいと考え、天大宗教学科で学びたいと思う方もいるやもしれません。
これでは研究も発表も、ちゃんとやっているとのアリバイつくり程度の認識なのかと疑われてもしかたないでしょう。
第一、発表者の氏名の記載が無いなんて!!!!!!!!!
いったい天理教の人たちって、ローカルすぎるのではないですか?
匿名信者
2018年1月9日 1:23 PM様
天理がローカルなのか?
教えに普遍性が有り組織も正常に機能していれば問題ないでしょうローカルでも。
ローカルというよりやはり内向していると感じられますが・・・
所詮自己満足的。現在の組織運営が大々的に公に自信を持って公開できるものではないことを本部も承知しているのでは、と思われますが。(後ろめたさも感じているのではと・・・)
よく言われる、人は騙せても自分は騙せないと・・
そして最近ふと感じること。
天理では”おつとめ”というものを重要視しその実践を熱心に説く。
しかし、思ったのは本当におつとめを勤めているのか。
もしくはお供えを集めるんだがお金だけを集めてはい終わりではさすがに格好がつかないから、言い方は悪いが格好をつけるためのおつとめに成り下がっている場合も有るのではないかと頭をよぎりました。
なぜこんなことを思ったかというと
①おつとめ自体が格好ばかりで形骸化していること。
②ほぼほぼ惰性でやられていること。
③祭典後の講話がなんの話しか?考えても理解できないこと。
これらからおつとめという奴はお供えを集めるための前儀式なのでは?と感じたのです。
現在の天理教のどこがどう素晴らしいのか?具体的に述べて下さい。
匿名
2018年1月10日 12:46 PM様
>現在の天理教のどこがどう素晴らしいのか?具体的に述べて下さい。
唐突な問いかけ?誰に向けた問いかけなのか、どういう意図で投稿されたのかはわかりませんが、この一文なかなか強烈なものが有りますね。
考えるに全く答えが出てこない・・・
どこがイケてないのか?なら容易に出てくるんですけどね・・・
なんか、さみしい、虚しい、情けない気分になりますね。
自分の意識もイケてないところにフォーカスしてしまっているので・・・
でも、やはり”アカンもんはアカン”と言わないと・・・
昔、コマーシャルで”うまいもんはうまい”というのが有りましたっけ・・・
天理教のどこがどう素晴らしいのか?
特命さんと同じように考えてしまいますね。
もし未だに信者として天理教に陶酔していた頃ならば天理教の全てが素晴らしいと言えるでしょうがね(笑)
現時点で素晴らしいと思うのは
巧みに確立された集金業務
教理という名文
自己満足を顔と言葉に出さない「ひのきしん」という草の根的なボランティア
縦割り社会を代表とするような近世の遺産とも言える封建的制度
7世紀に官吏が着ていた装束(教服)
お揃いのハッピ
自然破壊をすることも許された神殿の立派な檜柱
子どもに満足感を与えるイベント「こどもおぢばかえり」
「御供(ごく)」という万能薬
「いんねん、おそなえ、よふきくらし」という合言葉
本部食堂の肉無しカレーと朝昼夕3食の精進料理
おせちという名の焦げた餅の欠片が少し入った薄味の醤油汁
強制的動員力
その他、意図的に変質させた歴史的無形文化財の伝承
今日はこのへんで
お供えを集めるためのおつとめ? 様(2018年1月9日 7:23 PM)
発表者名の記載が欠けていることを指して「ローカル」と受け止めたのです。
発表の内容を今の時点では知ることができませんから、あくまでも伝達情報の一部が、
それも大事な一部が欠けていることを指摘しました。
どなたの研究発表なのか、AIの発表でもあるまいし、氏名を明らかにしないというセンスを問うています。
ただそれだけです。
お供えを集めるためのおつとめ? さんが「うちむき」と表現されたのは理解できます。
一般的に考えれば研究者という者は名前出しを望むもの。
名前を出さない研究発表では信頼されません。
でも、一人一人の顔がはっきり認識できる集合写真の同時掲載を見る限り、Twitter発信で顔を晒す覚悟があることからも、これは必要な基本情報に関する認識が甘いという状況レベルの話だろうと推測した次第です。
「Twitter発信の短所を自覚して、ホームページと連携した情報発信をしましょう」と、優しく呼びかければ良かったかなと反省しています。
ローカルルールでは世界で相手にしてもらえないことを言いたかったのです。
表現力不足は自分も同様でした。
ざっと計算してみました。
神殿1万坪として坪30万で30億
おやさとやかた内10万坪として300億
その周囲の詰所群100万坪として3000億
その他、白河、蛇谷山、各教務支庁などおたすけによりあがったお供えで蓄えた財産です。
同様に動産(現金、預金、有価証券)などもありますので現状からお供えが一円もあがらなくてもむこう100年は天理教本部は意味もなく存在しつづけるわけです。
そんな組織は無視して心ある人は無償でおたすけをするのではないでしょうか?
宗教(おたすけ)は無償でおこなうべきものだと思います。(理想ですが、できると信じたい!涙)
ガン細胞などと言いたくはないが 様
組織はなくても信仰はできる 様
ガン細胞は、この世の中で唯一自己矛盾を抱えている存在だと聞いたことがあります。
宿主が途絶える時ガン細胞も途絶える。このがん細胞は他の宿主に移ることは出来ない。天理教も同様の道をたどると考えることもできる。
太りに太った教団は、適正な維持管理が出来ずに、自らの身を持て余しているのだろうか。
要するに天理教という組織はバカだってことですよね。共存共栄をはかる寄生虫として利口にやればいいのに。
そんなことも思いつかないほど頭の悪い人材しかもう教団には残っていないということです。
末端の献金を一切あてにせずにやっていける大教会が存在しないという事実がすべてを物語っています。
下が死に絶えるのも時間の問題です。今度は大教会が飢え死にする番です。
私は弱小零細大教会の末端教会の子弟(すでに全力でおっさんですが)です。
天理教の末端で育つと当然のことながら経済的な余裕など有りません。
有りませんと言うより有ってはならないのです。貧乏でなでりゃならないのです。「おやさまのひな形を歩ませていただきましょう。」との洗脳を受けているのです。「ひな形たどりゃな、ひな形いらん」と・・・これほど怖いことは有りません。
そして、私も例にもれず「いちれつ会」からのお金で学校に行っていました。(育英会も二つ受けていました。)
で最近までそのことで「自分はいちれつ会から補助を受けているからお返しをしないと・・・いくら、しようかな?」と考えていましたが、「待てよ。そもそもいちれつ会から補助を受けないといけないのは親が天理教一本で収入も無く、また無い中でもお供えと言う上納金を毎月毎月納めてきたから、貧乏なんじゃないか、さんざん貧乏してきてもういいだろう。天理教は何百億と金集めてるんだし・・・」と思い直しお返しするのをやめました。(そもそも既に上納お供えを何十年に渡りしてきているのでお返しという言葉もおかしな言葉です。)それで正解だったと思います。危うく何十万円のお金が上へ行くところでした。汗
家族で旅行に行くことも無く、楽しい思い出も無く過ごした子供時代、天理教のことだけが頭の中に有った親の生き方、経済的困窮、もう十分、
身も心もお金も捧げてきています。(そのわりに何もうまく行ってませんが非)今更、もうこれ以上お金を出すことはないでしょう。
かなり洗脳から解き放たれていると思います。
良かった。良かった。
教祖や幹部は「親様のひな型」なんかたどっていないのですが?彼らはいったい誰のお金で暮らしているのですか?貧に落ちきれを実践せよといいますが、言う側は絶対に貧に落ちきっていません。
いちれつ会の返済なんかする必要はありません。原資がどこから出ているのですか?すべて末端の人たちが苦労してささげたお金なのです。自分たちで出したものなので遠慮なく使わせていただいて、「返済?自分たちで出してプールしておいた資金ですよ。うちは末端教会です。献金をするときは天に宝を積むという考えでやってきました。だから自分の貯金ですから使うのは自然ですし、もちろん返す義務もありません」と平然というくらいでいいわけです。
今日は上級教会の一月の大祭でした。とは行ってもガチの事情教会なんですけどね。
私は当然参拝せず・・・で思ったのが終わっている組織に関わり続けていると自分自身も終わって行くということ。
自分自身を大事にこれからの人生を有意義にするためにはこんなヘンテコな組織とはさっさと縁を切ること。
とにかく人生がおかしくなってしまいます。
だっておかしな組織でおかしなことを懲りもせずやってんだから。
さっさと手を切ることだ。
人生が終わってしまいますよ・・・
全く同じ意見です。おかしな組織に係わっていては、人生の浪費です。
私も上級教会にも、上上級教会にも、余程のことがない限り行かないと決めています。自分の人生は自分で責任を持つこと。それにはおかしな組織から距離を置く事だと思っています。井の中の蛙大海を知らずで、非常識な常識を誠と信じ、本部の餌食になっているとも知らないで、くそまじめに人数集めと上納金集めが信仰活動の目標だと思ってやっています。
そんな事に係わっていたら本当に人生が終わってしまいます。誰のための人生でしょうか。
自分を有意義に生きるための人生です。自分が人生を生き生きと楽しんで生きることがひいては人様の事を思う余裕も出て来ると言うものです。貧乏暮らしを強いられる為に生まれてきたのではありません。貧乏暮らしのぼろ教会を世間は憐れみを持って見ています。
信者の出入りもほとんど無く開店休業のぼろ教会を「あの人達どうやって食べているのかしらね?」と。信者にさえ教会の悲惨な生活状況を憐れまれる始末です。
こんな組織に捕まっていては自分を無くしてしまいます。
おかしな組織にさらばを言おう様 天理教被害者様
お二方のご意見を読み、末端布教所を預かる者として重く受け止めています。
それにしても陽気暮らしの天理教とはいいながら、これほど教内で怨嗟の声、内部告発の叫びが渦巻いている教団はいったい他にあるのだろうか? この状況について、教団トップがどう考えているかと思っていたところ、昨日届いた「天理時報」に「真柱様年頭あいさつ」の記事が一面に掲載されていたのに気が付いた。
真柱はこう言われたそうだ。「教会の活動にしても、それぞれの会の活動にしても、その本来の意味にふさわしく行われているならば、いま私たちが大変だと思っているような状態にならなかったのではないか」と。これを現状認識として言い換えるとこうなるだろう。「教会の活動にしても、それぞれの会の活動にしても、現在その本来の意味にふさわしく行われていないために、大変な状態になっているのである」と。つまり真柱は、教会の活動もそれぞれの会(青年会や婦人会など)の活動も、いまや本来の意味を失ってしまっているので、人が集まらなくなったのだという認識なのである。
だとすれば、教会の行事や青年会、婦人会といった会活動に対して、いやな思いをしてまで教会に足を運ぶ必要がないと思うのは当然だろう。わざわざ貴重な時間とお金を使い、義理や人情にほだされて教会に行く必要は無い。事情教会はしかるべくして事情教会になったのである。
しかし本当に悲しい。どんな教会でも最初はやる気満々で始まったはずであるが、いつのまにか教会活動という名前のルーティンをこなすだけになり、その上、上級教会・大教会の御用に人力(ひのきしん)と金銭(お供え)を上納し続けてきた結果、教会家族を疲弊させ、後継者にそっぽを向かれて事情教会化していく。尽して続けたあげくの果ては、親神様を祀っているのか、それとも貧乏神を祀っているのか分からないようなほど、老朽化してボロボロの神殿の中で、高齢教会長がぽつんと一人座っておつとめしている状態になっているのである。
私が聞いて一番つらいのは、人心が離れて開店休業状態のような事情教会になったのを、その教会の教会長のせいにするような発言である。こんな発言をするのは、その教会の事情にまったく無理解の上級会長・大教会長・本部員たちであり、しかもこの発言を真に受けて、当該の教会長が悩み苦しむので、ますます始末が悪い。教内を見回してみれば、うまく行っている教会など一握りにすぎない。大半が運営がうまく行かず、困窮している教会である。しかし、それが現代社会の波をまともに受けている最前線の教会である。もしかしたら事情教会となって消滅していく教会こそ、最先端を行っている教会だと言えるのではないか。
さすが教団トップだけあって、真柱は天理教が「大変な状態」に陥っていることを、しっかりと認識している。であるならば、何をどうしたらよいのか、もっと教内の英知をあつめて議論させてみたらどうか。教会制度が時代に合わないなら、事情教会は廃止して良しという英断を下すべきだと、私は思っている。天理教社会学研究所のTwitterでも批判されていたが、天理セミナリオ?などといって、御用学者たちを集めて、高踏的な内輪のアカデミーを作って喜んでいる場合ではないだろう。それとも、末端教会や事情教会の問題を真剣に考えてくれる学者はいないのか? そんなはずはないと思う。いずれにしても、これ以上、末端教会や末端信者を悲しませるようなことがあれば、陽気暮らしの天理教という金看板は降ろしたほうがよい。
真柱年頭あいさつより
「・・・道を伝えしっかり広めると云う誓いの元に生まれた教会があって、 こう言う状態になっていると言うことは、それぞれ一生懸命に動いているけれども、やはりそこに、何かつながらないようなところがあるのではないか。ともすれば、目前の事ばかりに力が入って、その先にある本来の目標を見失って、目前の結果に一喜一憂しているようなことを繰り返して、今日に来てしまったのではないか。
・・・私達には私達の目標があって・・あらためて目標をしっかり確かめて・・。」
匿名布教所長さんも言われているように、真柱は天理教の現状を認識していると思う。真柱のあの憂いに満ちた表情にその心情を察する。真柱一人ではどうにもならないほどに組織構造が巨大化してしまった。(組織と言っても内容充実にはほど遠い不活動の教会ばかりだが)
「私達には私達の目標があって・・」と言う言葉の意味は今の、人やお金に係る、「数や形」にこだわる不毛な活動は本来の信仰の本質では無く、教祖の教えた元一日の生き方をしましょう、という風に受け取りました。
しかし組織のトップとして、「お供の事は考えなくて良いよ、信仰はお金じゃないんだから。生き方、生き方だよ。」などとは言えない。真柱は弟の善亮ほどの悪党ではなさそうで、良心の呵責に苦しんでいるのかもしれない。
100年後と言わず、50年後でもいい。後世の人達が天理教をどのように評価しているのであろうか。
いや、評価にすら値しない集団に成り下がっているのかもしれない。
このような状態になる道筋を付けたのは初代真柱にあったのか。それとも、二代さんか、三代さんか。どちらでもいいことだが、今後を決定づける立場にある人は現真柱に他ならない。
ねつ造した似非ひながたと言われているひながたの実践を、と言っている場合ではないだろう。賢明な人たちは、何もかも分かってしまったんだから。
>真柱は弟の善亮ほどの悪党ではなさそうで
善亮はたぶんサイコパスじゃないですかね。弟の方が教祖としては適任だったかもしれませんね。新興宗教の教祖はサイコパスじゃないと務まらないといわれますので。
天理時報読みました。
御節会の餅の量を石(高)で書いてましたね。アホです。
やっぱり江戸時代から抜けきれないようです。(加賀百万石かよ・・・)
それから国会議員31名が来訪って???・・・
選挙の票欲しさに来とるだけやん・・誰でもわかる。こいつらは選挙で勝つためならどんな手でも使う。使えるもんは使う。利用できるもんは何でも利用する。
天理のことなんか、なーんも考えてません。間違いない。(断言)
だから、いちいち記事にするなっちゅうねん。(書くことないからしゃーないか)
ツッコミどころ満載の天理時報でした。
真柱がまともか、サイコかどうか?はよくわかりませんが、世の中のこと、天理組織の闇の部分など、何も知らなと思いますが・・・
もっと、外に出ていかないと・・・最小人数でもいいから連れて社会を観て世界を観て、話も聞き、匂いを嗅ぎ、実際に足を運んでやらないと、何も見えないでしょう。わからないでしょう。(もう遅いけどね)
あの要塞のような施設の中で崇め奉られて情報を制限されて良い情報だけ耳に入れられてズーッとやって来てるんだからそりゃ”井の中の蛙”にならない方がおかしいですわ・・・
まあ、次の後継者さんもそれをきっちり踏襲して世の中を観ることなく(若い身空で)、ご本部に鎮座されダイスケ様〜ってされて(親孝行、夫婦仲良くを目指しています。)いるからこの組織の先行きも見えてますね〜
これで良し、ですわ。ハハハハハ
もう同じことを何度も繰り返しますが、天理教の教会、特に大教会。と言ってもそんなに数多く見たわけではないのですが自分の見た中の教会、河◯町とか甲◯とか見たこと有るんですけど(芦◯も見たな城みたいやった)
正直なところ「何じゃこりゃ!こんなデカい建物要るか?」
異様で異常。庶民感覚、一般市民感覚からは考えられない。と、とにかく「何でこんな巨大な建物建てなあかんのやろ」どう考えても理解に苦しむ。首をひねるしか無かった。
一般の感覚からしたらとんでもない建築物なわけで・・・(世間ではささやかなマイホームのために30年とかローン組んで支払っているわけで神経逆撫でする)
また、建物の仕様が金のかかる、非合理な、簡素とはほど遠い、神さん祀るにはこんな”ごつい”建物建てなあかんのか?と???しか無い。
これが全国で展開されていて大教会の下の分教会でもやってるわけで・・・
天理だけでも大概見てて頭痛くなるんだけどこれが天理だけでは済んでいないという・・・
どんだけ建物を建てるのが好きやねん・・・それもいかめしい前時代的な見るからに威圧的な趣味の悪い。これだけでも宗教なんて糞食らえと言える。
これらが全て末端から吸い上げた金で建てているということに戦慄さえ感じるわけで・・・
ほんまこの団体アホやな〜とつくづく思う。思うしかない。狂っている。狂気というしかない。罪悪やなこれらは。犯罪になるかはわからないが裁かれるべき事案やろ・・・天が裁くかもな・・・
天理の幹部、真柱などにこれらについて聞いて見たい。「必要かこれらの建物?」と
こんな趣味の悪いクソ建物のために教内の善良な信徒たちが苦しめられてきたと思ったらほんま許せん・・・苦しめられているどころか人生を狂わされているからな・・・
やっぱりどう考えてもこの団体は消えるかリセットするしか無いやろ。
この悪政に対して清算しないとダメやろな。
責任の所在や反省をちゃんとするべきやろう。
でも無理やろな。規模があまりに大きすぎて再建できんやろ・・・
ひとつ貢献しているとすれば建築業界にはかなりの貢献にはなっているだろう。竹◯工務店とか・・・あと神具業界・・・
教内の善良な信徒にも貢献しろや!尽くすこと。金出すことばかり言いやがって・・・挙句は都会に収益ビルを何棟も持ってたとはな、悪質や。
極悪・凶悪と言っても差し支えないやろ・・・
百姓一揆ならぬ用木一揆起こすしか無い・・・(ネット上で少しづつでは有るが起こっているが)
天理教の信者は人がいいからな・・・それが良いとこで有り悪いとこでも有る。
戦うときは戦わなあかんとは思う・・・
下はもう金輪際一円も献金しないという献金ストライキをするしかないと思います。
信者が毎日のように出直すだけで、新たに入信する人のいない新興宗教では、広い礼拝施設は必要がありません。都内の教会はビルにして、最上階に教会を作り、下は貸し出してテナントの家賃で賄うシステムにすれば、下から搾取する必要はないし、ついでにいえば信者が0になってもやっていけます。最上階の教会で、ビルの管理責任者だけが天理教の神様を拝んでいるだけにすれば、万事めでたしめでたしです。
天理時報って・・・ 様
天高二部生の時です。年末になると詰所で餅つきをしました。食べ物が少ない時期でした。にも拘わらず、座布団を丸くしたような鏡餅を何枚も作って、リヤカーに蓆を敷き、その上に大きな鏡餅を何枚も積んで本部まで運びました。
詰所の青年さんが本部の人に米つきバッタのように何度もペコペコと挨拶をして鏡餅を降ろしました。
このお餅が節会になることは後になって知りました。何のことはない、これも信者たちの真心のこもったお供えの一部だったんです。
本部にお礼を言うよりも全ての信者さんにお礼を申し上げるべきですね。
大東亜戦争、太平洋戦争時代、軍部は国民のことをハガキ一枚で集めれて鉄砲の玉ぐらいにしか思ってなかったと検証番組などでよく観る。
遠方のニューギニアなどへ派兵された兵隊は戦闘で死んだのでは無く、補給が無く餓死や病死で死んで行ったことは有名な話だ。(インパール作戦なども同じ)
とにかく、人のことを人と見ていない。戦争の道具、物扱いだ。なので、戦死した後も遺骨を持って帰ってくることは無く石ころを代わりにしているとのことだ。いまだに有志の方が遺骨収集に旧戦地に足を運んでくださっているそうだ。
日本国と日本国民 そして 天理教と天理教徒
片や国家、片や宗教団体・・・だけどやっているのは対して変わらない、同じような人間がしているんだよね。
信徒の事を人間として見ているか?と問われれば???知らぬ間に物、道具
一つのデーター、数。
ぐらいの感覚になっているんでは無いかと・・・
天理教を通り、生活がままならなくなり困窮を極めても今まで散々お供えしてきていても上はまあ、知らん顔だろうし。
戦時中見捨てられた名もなき兵士に対しての扱いとなんら変わらないのではと思われるが・・・
国家の場合は運よく戦地から復員できた場合は軍人恩給というものが有るところはまだ救いだが天理ではそれらに該当するものは一切ないと思われる。
布教一筋自分のことを省みず人々のために一生を捧げてきた人たちには恩給のようなものがあってもなんら不思議ではないがそんなもの聞いたことも無い。「神が十分に与えている。水を飲めば水の味がする。」が出てくるだろう。(間違いでは無いが)
しかし、現実にお金が生活のために必要なわけで・・・
金を鬼の形相で集め倒し吸い上げ続け金満組織になり頭がパーになった。
困っている末端教会などに少しでも還元していこうという気などさらさら無いわな・・・取る一方、集める一方、天理の幹部は便秘が多いかもな
数年前に天理教一筋50年通って亡くなった父ですが葬儀の際、本部からの表か内か知らんが弔辞を偉そうに支部長?が読んでいた。
鼻についた「なにか偉そうなんだ。なぜか?読んでやってるんだぞ感・・
故人の労をねぎらうとか悼むとか哀悼の気持ちなんかこれぽっちも感じられんかった。
遺族に悔やみの挨拶もなかった。あくまで来てやっている。というスタンスだった。(まだ挨拶しに来い・・・と思ってたかもね)
ところで玉串料(香典)は確かなかったと思う。
自分とこが結婚するといえば祝儀をきっちり集め(半強制的)、年祭だと言っては集めしているが・・・
届かないながらではあったけど教会長として人生を捧げた一人の男にせめて金一封ぐらい、普通はするでしょ。(金の問題じゃ無く気持ちの問題でしょ)
あいつら血ぃー通って無い。まさにサイコパスいやスーパーサイコかも
神さんの話する資格ない。
まず、世間に出て額に汗してボロクソに言われながら日銭稼ぎからやり直せ。そして人の道から勉強し直せ。(神言)
社会学管理人さんのツイッターです。
「天理教の財政状況は悪化しているが私は天理教が財政破綻するには”まだまだ大丈夫”という認識だ。むしろ朝日新聞と同じく本業が業績悪化でも不動産業があるから潰れることはなく安泰だろう。天理教が全国にどれくらいの土地を所有しているか軽く調べただけでも驚きである。信者には一切関係ないだろうが。」
信者のお供えを貯めこんで、中山家やご本部の方々は、天理教が潰れても安心なように、不動産だけで食べて行けるように準備万端整えているようだ。既に現在、東京天理教館という不動産管理会社を運営し、貸しビルを数棟持ち、高額な収入を得ている。 http://tokyotenrikyokan.co.jp/
不動産を膨大に持っていれば、土地建物の販売、土地の借地料、今現在行っている、賃貸しビルなど、不動産を運用して、いくらでも金は入る。末端教会が、その日の生活にも困って苦しんでいるのに、この差はどうであろう。そもそも、不動産取得した金は全て、下から巻き上げたお供えではないか。
最近、着物レンタル会社が、成人式の着物のレンタル料金を大勢の客に振込ませ、行方をくらませた詐欺事件が話題になっている。思うが、これらの詐欺事件と天理教の上層部が行っていることと、そんなに違いがあるだろうか。教義を捏造し、「貧に落ち切れ」、お供えを出す事で「因縁切り」ができると教え、信者に、なけなしの金を上納させ、その金で我が懐を肥らせてきた。人道上、許されることではないが、法的にも許されるべきではないと思う。
宗教法人法を早急に改正して欲しい。(多分無理だろうが) 国税局は監査に入り、宗教法人が保持している不動産には、固定資産税をきっちり、かけてもらいたいものだ。
教祖は、貧しい人の気持ちを理解するために、貧に落ち切った、と信者に教えているではないか。自分達が溜め込んだ不動産、有り余る金、末端教会や信者たちに返還したらどうか?
「金銭二の切、施しをせよ」、そう、神様は仰っているではないか。
現天理教団の資産については第三者の立会いのもと公正な立場で不動産の売却などで整理し、信徒へ還元できるものならしていただきましょう。
しこたま、溜め込んだ資産を持ち逃げなど絶対許さんからな。
吊るし上げにしないと行けないかもな・・・
なんならやってみる・・・
しかし、老朽化したおやさとやかたの解体費用もかなりの費用になるだろな
やかた群を取り壊し、鎮守の森にして市民のみなさんの憩いの場にしたらいいと思うよ・・・
続・鎮守の森計画
企業が工場などを建てる場合、どうしても地域との軋轢や環境面でいろんな問題が発生すると言われているようです。
そこで昔読んだ本なのですが、工場などを建設する場合、緩衝という意味でも、また緑化をして地域住民に憩いの場として利用してもらうために鎮守の森的なものを作っているんだとか。
もともと人間は森に住んでいたそうなので理にかなっているのではないかと
森林ではフィトンチッドという人体にとって有効な成分が発散されているそうですし、有形無形の恩恵が得られそうです。
で、それと引き換えますが天理のあの要塞。完全、城壁化です。
威圧しています。
私は一応天理教徒ですが威圧感など心理的に圧迫を感じます。
この”おやさとやかた”こそが天理教団の心理を如実に表しているんじゃ無いかと思います。
威圧的、寄り添わない、上から目線、横柄、一線をひいている、近寄るな、内と外(上と下)をはっきりしたい・・・など考えると面白いです。
一般のかたならそれこそ不気味に映るでしょう。近寄りがたい雰囲気ですもんね。
二代さんがバチカンを視察してこうなったのかはわかりませんが相当いろんな意味でイケてない、イケてなさすぎる建物になってます。
ほんまに日本のペンタゴンと名付けてやります。
下手すりゃ軍事要塞ですわ。
理想はやっぱり森林公園化して必要最小限の施設だけでよかったでしょう。
緑化すればいいことだらけでいい考えも浮かぶでしょうがあんな要塞みたいな気色の悪い建物の中では伏魔殿化するのもうなずける・・・
木もすぐには大きくは育たないけど戦後ぐらい前から植林していれば、なかなか素晴らしい森林ができたでしょう。(高齢になる母が、夏、天理に参拝しても日陰で休めるところが無い・・と言ってました)
やっぱり今からでは遅いですね。今からやっても育つ頃にはこの教団がどうなっているかわからないし・・・
コンクリートで囲むんじゃ無く、木を植えるべきでした。残念
昔、まだ三島神社があった頃、西礼拝場から朝づとめの時に見える三島神社の木々の緑の綺麗だったこと。
心が洗われるような鮮やかな緑でした。
もうその緑もみることができなくなりました。
教団は緑、自然よりコンクリートがお好きなようです。
愚かです。
天理を信仰して、一番意味があるのは中山家と館を作る竹中工務店・参拝に通う教会長や信者が利用するJRや各種交通機関等が潤うだけで、他者は何ら意味すら無いね。
ただ毎月忙しいおもいして、往復してるだけで、得るもの無いし。。。。
二代目さんはわざわざバチカンまで見に行ったんですか!?
お金と時間をかけてバチカン視察に行った結果があれですか!?
バチカン・・・荘厳にして華麗
天理・・・威圧感
2000年の歴史と伝統ある世界最大の宗教団体カトリックと、百数十年程度しか時間のたっていない極東の新興宗教団体の違いですか。天理教は歴史も伝統もないので変なはったりをきかせるしかなく、心理的圧迫感を与える(それで献金をさせる下地になる)という方向にいったのでしょうか。
ちなみにカトリックでは献金トラブルはありません。神父は平日は世の仕事をしていることがほとんどです。
出家して世の仕事をしていますので、子供の教育費や家族の生活コストが発生しませんし、世襲が発生しませんので子供に財産を残そうなんて考える必要がないからです。
もちろん献金を信仰心とリンクさせる教義はなく、あくまで教会維持費程度の認識です。月に二千円か三千円程度でやっている人がいくらでもいます。
二代目もバチカンまで行ったのなら、カトリックのように軽微な献金負担でやっていく方向に転換すればよかったのにね。そうすればこんなことにはなっていなかったでしょうに。
某氏の書き込みより。
「みちのとも」昭和30年2月号に当時の本愛大教会長、秩父大教会長、牛込大教会長、高野友治(当時天理大学助教授)で
座談会が開かれた記事があります。高野氏の意見では教祖在世の頃の信仰初代は「おつくし」をしろとか説いていなかった、
なんでも助かってもらいたい、どうでもたすかってもらいたいと熱心に布教にも回っていたといいます。そして明治20年以降、
本席のおさしず時代以降に「つくせ」「運べ」というのは助けられた者が自主的に運ぶようになっていたことを言っています。
そして「教理にあるからつくし運びをやったんじゃないと思います。」と述べ、「しなくては居られんからやるという
のは、あれは大分後になってからと思うんですがね。」と述べています。
天理教は段階的におかしくなっていったということは以前の投稿でもわかりやすく時系列を追って書かせて
いただきましたが まずはじめの段階である明治期ですが、
1887年 明治20年 教祖現身を隠す
1891年 明治24年 教祖五年祭 神道本局直轄一等教会に昇格
1896年 明治29年 内務省秘密訓令 教祖十年祭の頃
1897年 明治30年 水屋敷事件(教祖に可愛がられていた飯田岩治郎に天啓、後に大道教会本部設立)
前川菊太郎がお道から離れる
1903年 明治36年 明治教典(神道の理論で説かれたもの)
1904年 明治37年 泉田藤吉などの教祖時代からの多くの教師(千人以上)を罷免
1905年 明治38年 中山正善(二代真柱)誕生
教祖が明治20年に現身を隠し、天啓者が一旦なくなってしまったが、本席に引き継がれ神の声は人々に届いていました。
それ以降、教団として布教の公認、弾圧を避けるため応法に走っていくわけですが、神はそんな道を間違える様子を見ながら
飯田岩治郎に神憑り、正しい道に行くように促したが、おやしきの皆は一派独立の為に異端として扱い、水屋敷事件はタブー
になったようです。その後、明治教典ができ応法のまま次の大正期に移っていったようです。
私が思うにはいつの時代にも教祖の原典を大事にし、どうでも人に助かってほしいと教祖が望んでいたように通ってきた
人にはやはり結構なご守護があったのではないかと思っています。中川ヨシ、関根豊松、など不思議な助けまでやってしまう
人たちは迷うこともなくひながたを通ってきたのかとも思います。
やはり一派独立を目指し、形的に宗教団体になり、大きな建物を建てるようになれば見た目には立派で人も集まるように
なるが、中身はそれと反比例していくことが起こるということも長い歴史をみて考えていかなければならないのかと私は
感じます。 又世界の宗教指導者達と天理教指導者自身の姿勢は我々には どう映ているだろうか インド仏教の佐々井氏は民衆の輪の中で 議論を交わし共に行進する ローマ法皇は庶民の生活を理解する為にアパート暮らしを行なってる しかしたかが200mの為ベンツを動かし 学業を休業させて迄 お見送りさせる さる宗教団体 神の目には どう映るだろう 教祖を愛するが故に 今以上に声を張り上げる 必要がせまってきているのかも知れない と私は考えるのですが
本当に世界救けを目指すなら、いろんな団体に寄付した方が世界救けになるような気がする! たとえば天理教ならAAA キリスト教ならばJOMASなど
JOMASについて
JOMAS (Japan Overseas Missionary Activity Sponsorship)
海外邦人宣教者活動援助後援会(代表 Sr.兄部純子)は、その名の通り、海外で活動する日本の神父、シスターに対して、その活動を支援するNGOである。アジア、アフリカ、南米等の貧しい地域に入り、活動している宣教者の申請を受け、例会において検討し、一般の方々からの寄付から支援金を出している。
支援下さる方々のほとんどが個人であり、その多くが創始者曽野綾子の著書や講演会等でこの会の存在を知り、応援して下さる方々である為、支援内容も、宗教的なものには使わず、貧しい方々への援助に限っている。具体的には学校、保育所、病院、診療所、孤児院等施設、奨学金、貧しい方々の生活向上プロジェクトを支援している。
運営は代表はじめスタッフがすべてボランティアで行っており、援助金、送金手数料など実費のみ支出している。また援助金の使用状況は、現地にいる邦人修道会の者が視察し確認、報告を行ない、帰国時にも現地の実情を例会にて報告している。
ご寄付をいただいた会員の方々にはご寄付の折の領収の葉書と、毎年2月初めにお送りする年間活動報告書と決算報告書をもって、報告を行っている。現在公式ホームページにおいてもお知らせと報告を行っている。
JOMASは1972年に作家曽野綾子が始め、2012年6月をもって代表を曾野綾子からSr.兄部純子(聖マリア修道女会)へ交代した。
ドイツでのキリスト教の聖職者、牧師の生活はどうなっているか?
ドイツから日本の禅を求めて渡って来て今現在、自給自足の農作業をしながら兵庫県の曹洞宗の安泰寺で道元禅師の教えを学びながら坐禅修行に励むネルケ無方さんは元々プロテスタント系の教会の人物ですがキリスト教に疑問や納得できず、はるばる海を渡って来られもう30年近くの年月を経ようとされています。
彼がいうにはドイツではキリスト教は社会に深く根付いていてキリスト教者ですと税金のように一旦国に納めるようになっている(給料からの天引き)ように著書では言っておられました。そこから牧師にお給料のような形で支払われているそうです。(天引きされるのが嫌ならキリスト教を辞めると届け出れば天引きはされないそうです。)金額も学校の先生ぐらいの金額だとのことでした。
政治と宗教の関係については色々問題もありますが、この制度は一つの形として悪くは無いと感じます。
天理教ももう少し改善や改革、第三者の意見なども取り入れて合理的な制度に移行でもしないと・・・
ドイツでは教会税になっているせいか、教会が信者に献金を求めることはありません。したがって信者は教会の中では献金をすることはありません。プロテスタントであろうが正教会であろうがカトリックであろうがです。
天理教は歴史も伝統もなく規模も小さいです。それなのに大きなことをやろうとしすぎです。身の丈にあった運営をしていれば、信者の負担も軽微なものですみ、教会長が困窮ゆえに自殺や犯罪行為に手を染めるなんてことにはならなかったでしょう。
要するに首脳陣が見栄っ張りなのです。中山みき開祖は虚栄心の強い人だったとは思えません。真柱と天理貴族の方々は、まずその見栄っ張りな性格をなおすべきです。
1887年 明治20年 教祖現身を隠す
開祖がおかくれあそばして百三十年くらいしかたっていません。
先日テルマエロマエという映画がテレビでありましたが、あれはキリストが処刑されて百三十年くらいたっているという時代設定です。
あの当時のバチカンは、丘の上に弟子ペトロの小さな御廟があっただけで、ローマ市民の大半にとっては全く無名のマイナーな存在でした。わずかな信者が御廟に時々お参りにきて、たぶんその時にでも開祖の祭祀をちょっとしていたくらいで、今からは想像もできないほど寂しい場所でした。キリスト教が隆盛するのは、ローマ帝国の国教になってからの話です。
日本国の国教にすらなったことのない天理教が、開祖の死後ようやく百三十年が過ぎたかというころに、あんなにも大きな建物がわんさか存在するのは明らかに不自然といえます。信者に相当な無理をさせたと素人目にもわかるではありませんか。本来なら開祖の墓所と親神様をおまつりしてある小さな祠があるくらいで、日本人の大半がそんなものを知らない場所というのが自然です。
もう30年以上たってしまいましたが、ベルリンの壁が取り壊され、その流れで大国であったソビエト連邦が崩壊しました。
あの巨大国家があっけなく消えて無くなってしまったのです。
いくら、壮大な理想を掲げていても、国民、市民、一般の庶民の生活ができなくなってしまったら元も子もありません。
なんだかんだ言っても毎日食べていかなければならないのです。
それが、できなくなったのでソ連は崩壊したと思っています。
天理教は国家では無く宗教団体ですが小さいながらも一つの国家みたいなものです。(現に中枢はバチカンのように独立国家的なものを望んでいたのでは・・・)
現在のこの組織は経済的に逼迫して来ていると感じられます。
私はここまで来たら改善などで立て直しするより一旦リセットさせてから一からやり直す方が賢明だと感じます。(当然旧運営者には退場してもらい)
その暁にはスモークをたき、レーザー光線を飛ばし、花火を打ち上げてもいいかなと思いますがいかがなものでしょうか・・・
以前に、修理巡教に来られた本部準員の先生に尋ねました。
「本部の準員先生方で談じ合いをされる事があるのですか?」
『それは、ありません。』
「本部を改革したり、良くする努力はされているのですか?」
『それも、ありません。私たちでは無理です。むしろ地方の会長さん方の声が集まる方が、改革の可能性があると思いますよ。』と・・
確かに、そう思えて来た。
これが嘘であったと言う証明として、後20年、生きている間に結末を見て死にたいです。
あと10年・・・
後継希望者が益々減リ事情教会が増える。本部に集まるお供えは激減する。本部は、今までの様なお金の使い方は出来なくなる。これまでの様な安易な考えが出来ない事を肌で感じる。あちこちの巨大建物は老朽化する。弱小大教会ではお供えが上がらず、その修理費用がまかなえなくなる。大教会が悲鳴をあげる。大教会は本部に直訴する。そんな事を言われても本部もお金がないからお前らで何とかせよ、と放りなげる。
贅沢三昧の本部は初めて事の深刻さを認識する。
その次の10年が終わる頃・・・
組織の再編成が為されるでしょう。その頃には大教会も食べていけない様になっている筈。生き絶え絶えの本部からお給金も出ず、下からの上納金も激減。大教会長もその家族も食べる為に仕事を探さざるを得ないでしょう。末端教会は自分の身は自分で守るしか無いと大教会からの理不尽な要求をもはねつける非常事態になっている筈。大教会はお抱え運転手などいるはずもなく、住み込みの青年も女子青年も居ない。神殿には上納金目標額、人数集めの目標人数の垂れ幕。信者激減ですっかり減額された目標金額。そんな垂れ幕が虚しく掲げられているのかも・・・
後20年後。
その頃私は、人生の終わりの時期を迎えている。私は教団に3代に亘り苦しめられた末端教会。組織再編が為され、中山家中心主義の巧妙なピラミッドが解体され、教祖の望まれた上も下も無い平たい世界が教団に実現されている姿を見て死ねる事を心の底から願う。この教団が嘘にまみれた宗教団体であった事、自分が感じていた事が間違っていなかった事、神が消滅を望んでいた事、この目で見て確認したいと思う。
匿名教会
2018年1月16日 10:44 PM様
この数年。でなければ数十年以内には何かが起こるでしょう。
起こらざるを得ないところまで来ている感じがしますね。
東南海地震がこの30年以内に発生すると言われてますがそんな感じでしょうか?
ただ、思うにこの教団がどうなろうと延命しようと崩壊しようと自分の人生には関係ない。と思うことにしています。
思うことにしているというより実際、関係するものではないと考えています。
一体化しない。宗教団体の盛衰と自分の人生を関連づけてはダメですね。
天理教団がどうなろうと陽気で明るく人生を歩みたいと思います。(とは言っても気にはなるんですがね)
でも、教会を預かっておられる方にはこれらは当てはまらないですね。
若い天理教徒の一人が某SNSで女子中学生や高校生の画像を集めて毎日自慰をしているのを発見したのですが、この行いは良いのですか?
>天理教は国家では無く宗教団体ですが小さいながらも一つの国家みたいなものです。(現に中枢はバチカン>のように独立国家的なものを望んでいたのでは・・・)
それは言えていると思います。二代目がわざわざ見に行ったのは、バチカン市国ならぬ天理市国の設立を夢見ていたからでしょう。しかし一番大事な点を見落としていた、いえ、無視したということなのです。
カトリックは歴史と伝統があり、国教にまでなったことがあります。最近は世俗化されてしまった国々が大半ですが、少なくとも第二次世界大戦前は、ヨーロッパでは国教と考えてもいい状態だったと思います。
そして聖職者は出家し、トップも選挙で決めるので、世襲の問題も発生しません。
出家や選挙は真柱と天理貴族にとっては都合が悪いということで、これは取り入れなかったのです。
バチカンは美術館を持っていますので、莫大な収入がありますが、天理教は世界遺産になるほどの建物や美術品があるわけではありません。世界史に掲載される画家や彫刻家の作品を多数所有していませんので、一般観光客に来てもらって収入を得ることはできません。
こんな状況で立派な建物だけはバカスカ建てたわけですので、信者や末端教会にとっては天理地獄が生まれてしまいました。
性欲に負けた者は永久追放しましょう。
人間としても終わっていると思います。
教会長のオッさんがマスこいとったで。
大教会は本部からのキックバックあるんですか〜
末端にもキックバックしなはれや!
上だけでうまいことやってる場合やないでしょうが・・・
でも、やりそうやな・・・
うちの大教会では干支の置物とかを送って来てたが(どうせ安いものだろうし、かさばって邪魔ですわ)そんなものいらんからたとえ五百円の金券でもいいから生活の足しになるもんをバックしろっていうんじゃ・・・こちとら余裕はね〜んだよ・・・
カツカツで生活しとるんじゃ馬鹿たれが
置物じゃ腹は膨れまへん・・・
そういや本部からも焼き物送って来てたな。
あれもいらん。邪魔。金券にしろ!てかお供え廃止にしろ!
こんな細かいことにも上の姿勢が伺える。
でも、下は黙って従うばかりで不服、不満があっても口には絶対出さない。出そうもんなら不足を言うな。で一蹴。
思ったこと感じたことすら口に出せないこの宗教団体って一体なんだ?
やっぱり海を隔てた隣国と同じですな。
あ、そこまでひどくもないか?隣国は身内でも軽く死刑にして殺してるもんね。
死刑にされないだけ良しとする?
先日の定例会で・・
他系統の会長さんの話では彼が所属する大教会の百数十ヶ所の分教会の内、80%がゼロ教会だと言う。ゼロ教会とはこの1年で修養科生も、初席者も、満席者も一人も出していない教会のことらしい。大教会長もハッパをかけるらしいが、既に地盤沈下が始まっている現状ではどうにもならないだろう。
不活動教会が90%と言われているがこれは実態に近い数字だと思った。高齢会長は年齢的にやる気を失いつつあるし、後継者もいないのが大方の実情だ。しかし高齢ながら、現教団の在り方に批判的な意見を持つ教会長も確かにいる事を知り、心強く思った。
今後、若い世代の会長が今まで様に本部や上級の言いなりにならぬ様、是は是、非は非で自分の頭で考え、間違った事にはノーと言い、いつの間にか洗脳されて巻かれてしまわない様にお願いしたい。
二代真柱50年祭を記念して?天理教会本部より記念品?が届いてました。
何やろ?中を開けてみるとしおりだ・・・
そして必殺の天理用語が記されてあります。
①神一条の精神 ②一手一つの和 ③ひのきしんの態度 ④陽気ぐらし ⑤たすけ一条の喜び 計/五枚のしおりでした。
何を感じたか?
いつまでおんなじ事言ってるねん・・・進歩ないな。これしか言うことないのかな・・・脳みそ固まってるんちゃうか?
だいたい、抽象的すぎるし天理用語やから普遍性に乏しいし理解に苦しむ
まあ、この言葉を何となくニュアンスだけでもわかってあげたとして、それをできなくしているのは”どこのどいつだ”?って問題・・・
①についてそれどころの話じゃない。言ってるあなた達が金一条の精神になってるやん・・・爆
②についてそれを乱し、苦しめ、できなくしてるのもあなた達です。
③について偉そうに言ってんじゃね〜金集めの態度を改めろよ・・・
④についてもそれをできなくし、壊しているのもやはりあなた達・・・
⑤についてそれどころじゃね〜わ・・・金をしぼり取られる苦しみだ。こっちは
とにかく、偉そうに能書き垂れてるけど状況がよくわかっておられないようですな。
状況分析しろよな。そして、腐敗し切った(意識的か無意識的かはわからないが)奴らに言われたくはないんだよ。
こちとら一般社会で生きて行くだけで精一杯なんだよ・・・
あんた達みたいに偉そうにふんぞり返って、たまに同じような話をしていれば勝手に金が下から上がってくるような特権階級じゃあないんです。
このしおり、ひょっとしてわしらを怒らそうとしているのかな?
それとも、かなりのブラックな高等ジョークか?
そんな、シャレが効くような組織ではないですな・・・
こっちからも提言しとく?
①まず本丸の世襲制をやめる②お供えをやめる。もしくは大幅減額なり何なりする。負担を減らす。③教会制度を一旦白紙に戻し再編する。てゆーか、一部の世襲者たちで運営するのでは無しに教内の優秀な人材を登用したりして改革を進める。④これまでの運営陣には退場してもらう。など・・・
しかし、しおり、なんていらないからもうちょっと使えるもの返せよな!
ほんま金集めてもお返しすることを知らん不義理な連中やで・・・
情けない(涙)トイレの後のケツも拭けんわ・・・クソの役にもたたん
すいません。転載ぶっこいてしまいました。
読んでいただき少しでも笑ってもらえたら幸いです。
記念品?と書きましたが、あれが記念品なわけ無いですね。しょぼすぎですわ・・・
しかし、天理の表現は何かよくわからない・・・
①神一条の精神 ②一手一つの和 ③ひのきしんの態度 ④陽気ぐらし ⑤たすけ一条の喜び などいちいち、それがどうした?どうしろと?意味が不明で・・・
例えばこれを一般企業として
①お客様一条の精神・・・とか?言い回し古っ・・・だし、精神をどうしろと????です。
②社員一丸の和?って・・・和でとめるなよ。その後になんかあるやろ?
③態度・・体言止めかよ。態度をどうしろと?
④陽気ぐらしがどうした?そもそも陽気ぐらしてなんやねん?やし陽気なのは一部の特権世襲グループでごんす・・・
⑤は末端的には、”被搾取一条の苦しみ”・・・です。笑えね~
しっかし、天理は印刷物多いですな。みちのとも?読まれずに放ったらかしで虚しい光景
結構上質の紙を使ってやがるからトイレットペーパーのかわりにもならね~
昔はお風呂を薪でわかしてたから燃料にもなったけど今は違うからただのゴミですわ。
考えたらもう紙の書籍を失くしてホームページにアップしろよな。どこかの木材を伐採してつくってるわけやから・・・頭かたいからな・・・融通とか臨機応変とか皆無か?
印刷物多すぎです。紙の無駄ぁあああああああああ。まじで無駄あああああああああ
ひょっとして教団の存在も無駄ぁああああああ????てか存在が悪ぅうううううううう
2018年1月19日 5:45 PMさんの書き込みを見て感じたのですが、事情教会率は70%と聞いていましたが、現実には90%とみていいのではないでしょうか。
2018年1月19日 11:37 PMさんの書き込みはごもっともと思いました。ただ四つの提案は100%不可能でしょうね
①まず本丸の世襲制をやめる
②お供えをやめる。もしくは大幅減額なり何なりする。負担を減らす。
③教会制度を一旦白紙に戻し再編する。てゆーか、一部の世襲者たちで運営するのでは無しに教内の優秀な人材を登用したりして改革を進める。
④これまでの運営陣には退場してもらう。
こんなことをやれば金が儲かりません。首脳部は今までのようなおいしい生活ができなくなります。
二代目がバチカンくんだりまで見学に行って取り入れたのは「でかい建物を建てること」くらいでしょう。聖職者の出家制度やコンクラーベや、ついでにいえば信者の献金負担を極力軽くするための様々な工夫(カトリックでは教会や聖職者が宗教専業でやっていることはあまりない。とくにクリスチャンの少ない日本では、大半の教会が学校や病院や福祉施設等をやっている)なんか、意地でも取り入れてたまるか!だったわけですし。
開祖は立派だったのかもしれませんが、それ以降がいかにして開祖の遺産で自分たちが楽して食っていくかしか考えていなかったのですよ。腐り果てた子孫です。天照皇大神宮教の開祖北村さよのように、「宗教で生活するな」という教えであれば、ここまで堕落しまくることはなかったでしょうに。
2014年8月29日 9:58 AM 元信者です。さんの投稿
>欲深い宗教団体です。
正にその通りですね。教団本部には東京ドーム(46,755㎡)1200個相当の土地があるとの書き込みを見ました。以前、教団の所有土地は1000万坪と書きましたが、それを優に超える1700万坪余と知り、開いた口が塞がりません。今は亡き叔母が永年に亘り、このような所に年金の大半をお供えしていたことを知って、虚しい気持ちの持っていきどころがありません。
不動産屋顔負けの三代真柱の欲深さにあきれるばかりです。天理教徒の〇〇さ加減が露呈した感がします。
甘言と脅迫の天理教用語を巧みに使い分けての結果がこれです。
更に、多くの信者さん方の悲しみを見てきた私には、呆れを通り越して怒りに近い感情を止められません。
この複雑な感情を、この場をお借りしてぶっつけるばかりです。
テレホン人生相談などでお馴染みのマドモアゼル愛先生のブログより
なるほどと思い、所々抜粋しました。
>歴史は人類が歩んだ記録のことですが、どうしても今を生きる権力者によって、ゆがんだものになりがちです。
>嘘には必ず目的がありますから、嘘にもいくつかのパターンが出てきますので、よく見ていれば、あああのパターンか、、次はこのパターンでそろそろ来るぞ、、、というように、競馬検討よりも簡単にできる面があると思います。
>すべて嘘というよりも、必ず、嘘が混じっています。嘘が90で本当が10程度ですと、本当の10を見せておいて嘘の90で人を支配するわけですね。
>現在の嘘も重要ですが、その嘘を決定づけるのに絶対に必要なことが、歴史なんです。本当の歴史を知ってしまったら、現在を維持できない構造があります。
>嘘をいつまで突き通せるか、、、嘘がばれて、真実の歴史を始めることができるか、、、大きな瀬戸際に来ているのが現在ではないでしょうか。
ちょっとしたほころびから、大きな嘘がばれていく出来事がこれから多くなってくるでしょう。
>やったことは必ず戻ってくるのです。私たちは今の時代からやがて投げ出されますが、それを投げ出されたと思うか、自由になったと思うかで、未来も違ったものになっていくと思います。
>もう歴史が元に戻ることはありません。無理に無理して築いた嘘は、崩壊の過程に入っています。すべてご和算にして出直すことで、大きな厄災をむしろ避けることができるようになると思います。
2018-01-19 歴史詐欺から目覚める時 より
https://ameblo.jp/mademoiselle-ai/entry-12345737410.html?frm_id=v.mypage-checklist–article–blog—-mademoiselle-ai_12345737410
>教団本部には東京ドーム(46,755㎡)1200個相当の土地があるとの書き込みを見ました。以前、教団の所有土地は1000万坪と書きましたが、それを優に超える1700万坪余と知り、開いた口が塞がりません。
遂に来るべきところに来たと言うところでしょうか?
もう、言い逃れはできませんね。
説明責任を果たさないといけないと思われますが、説明のしようが無いでしょうね。
昔から「理屈と膏薬はどこにでも引っ付く」・・・と言われていたようですが・・・
さすがに無理がありますね。
さあ、これだけ、信者の血税たるお布施、お供えを不動産に変えて蓄財に励んでいたと言うことで刑事事件になるのか?どうかはわからないですが最低でも道義的責任は問われますし絶対果たさないといけませんね。
ところで、私は全くの無知なんですが宗教法人といえども監査と言うものが存在しないのでしょうか?
一般法人?なら監査と言うものが当然あるとは思うのですが・・・
これ、完全に不正のレベルですよね。思いっきりメスを入れ膿を出さなければならないと感じます。
東風Zさん、貴重な情報お知らせいただきありがとうございます。
事実関係が明らかになり被害者が少しでも減る方向になることは嬉しいことです。もうこれ以上被害者、苦しめられる善良な人々が生まれることを阻止しなければと思います。
後継者が結婚します。はい、各教会何千円お願いします・・・
年祭します。はい、お金集めます。お願いします・・・
末端教会で人生を捧げた会長がなくなりました。
はい、弔辞読んで終わり〜〜〜って(格好だけ取り繕ってるだけやね)
ねぎらいや追悼の気持ちなんざ微塵もねぇ〜
「てめーら、人間じゃね〜叩き切ってやる!」の世界です。(昔の時代劇)
もしくは「てめーらの血は何色だ!」の世界です。
やっぱしサイコパスなのか?
宗教以前の問題です。人の道すらわかって無いようです。
これが誠真実の道を掲げる宗教団体の実態です。
みなさん!よーく肝に命じましょう。
こいつらは自分たちさえ良ければいい奴なんです。
教内の人々のことなんかな〜んも考えてましぇ〜ん
金運び虫ぐらいの認識でしょう。
ここまで来たら逆に笑えるな・・・
ほんま映画のネタになるで
だいたい、結婚式とか年祭とか勝手にしろや・・・てことや
いちいち集金するなってこと。
どこまで欲深いんじゃ・・
百姓一揆ならぬ用木一揆起こさねば、、、
とは、言っても鍬を振り回したり槍を飛ばしたりする事はせずとも現代にはインターネットという武器が有るのでこれによって集中砲火を喰らわし崩壊に導き、、、どす黒い組織を闇に葬り去りましょう。
でもね、世界を支配したローマ帝国でさえ外圧で崩壊したのではなく腐敗などによって内部から崩壊したらしいね、、、
だから、放っておいてもいずれ消え去る運命だろうけどネットの力で崩壊を加速させれるから皆さん頑張りましょうぞ、、、
>教団本部には東京ドーム(46,755㎡)1200個相当の土地があるとの書き込みを見ました。以前、教団の所有土地は1000万坪と書きましたが、それを優に超える1700万坪余と知り、開いた口が塞がりません。
こんな団体・組織が存在していていいんでしょうか?
かなり、悪質だと思われますが・・・
さすがに毒ガスはまいては無いが某凶悪団体となんら変わりはない・・・
と言うよりまだ、上を行っているように感じますが。
本当に存在が悪。無くても良い。と言うか無い方が良い。と思われます。
解体・解散を望みます。清々することでしょう。
わたしはこちらのサイトで教団のお金にまつわる問題点について投稿しています。
経済的に末端が疲弊し限界を越えている事など、、、
しかし、よく考えると経済的な面以上に、精神的なモノ、宗教で言う心の面、、というよりそちらの問題こそが深刻で既に破綻を迎えているのではと思われます。
それは、天理では他者に対して(ひたすらの)献身を説きます。(組織に対しての献身もですね)
人は献身ばかりで耐えられるほど強くは無いのです。
もっと、自分自身を大事にいたわる。ということをしないとバランスを崩し壊れます。
その破綻が既に蔓延しもう限界を迎え立ちゆかなくなり暗い影を落としているのでしょう。
本来救われるはずが真逆の結果になるなんて言葉も見つかりません。
あまりに根が深いと言うか根幹的な問題であり軌道修正も無理でしょう。
教団が打ち出してきた考え、方針に欠陥があったとしか言えないでしょう。
今後どうなっていくのか、、、
相当の資産をためこんでいながら、お供えを上にあげない教会(宗教法人名義にさせてある教会の場合)の会長は、お払い箱にして追い出し、本部や大教会に忠実な会長にその教会を任せるという手段を、教会本部が事実しているのなら、誠に悪質で悪辣なやり方だ。宗教団体ではない。
我々末端のものが、いくら声を挙げようが、上は知らぬ存ぜぬを決め込むなら、我々も、自分を守ることに専心せねばならない。
お供えを全部拒否するのは難しくても、大幅減額しましょう。お供えしなければならない、なんて教理は勿論無いのだから。本部が金欲しさに作った捏造教理にすぎない。
教会の事情により(信者が減った、教会修繕維持費に使わねばならない、等、なんでもよい、理由は何でもかまわない)、「お供えは減らさせて頂きます。」、とはっきり言ってもさしつかえない。
お供え、いや上納金だ。上納金を減らしましょう!できれば、きっぱり、止めるのが一番良いのだが。
>天理では他者に対して(ひたすらの)献身を説きます。(組織に対しての献身もですね)
信者には、人助け人助けと他者への献身を説きながら、上層部の方達は、人助けというものをしているのだろうか? 末端教会長は救ってくれず。これほど、言行不一致の団体も珍しい。
>教会の事情により(信者が減った、教会修繕維持費に使わねばならない、等、なんでもよい、理由は何でもかまわない)、「お供えは減らさせて頂きます。」、とはっきり言ってもさしつかえない。<
全くその通りですね。お供えを全く上納してない教会を複数知っていますが、実情を話して上に納得させたそうです。「出来ることはしますが、出来ないことはしません。」とはっきり言ったそうですよ。あっぱれ。
我々末端教会はもっと強く出ていいと思います。その話を聞いてうちも毎月のお供えはゼロにしました。上上からは白い目で見られますが知ったことではありません。こちらは命がかかっていますから。
教会建物のの修繕や維持管理費、細かく言えば教会ご用に使っている車の税金、車検代等、拒否する理由は教会として当然の理由です。
何か言われたら「じゃあとりあえず教会修理代〇百万円の請求書を回しますので支払いお願いしますね。昔から上級、上々級の教会普請の際には随分の金額をお尽くしさせていただきましたから、今度はうちがしていただく番です。」と。
「は?出来ない」と言ったら「ああそうですか。じゃあうちも出来ません。」
私はこれで、筋が通っていると思っています。何か言われたらそう言ってやります。
上層部だけが陽気暮らし出来る為の功名なルールですから、神様は知っています。だから何の罰もない。全く問題ない。お供えは減らしましょう。みんなでやめましょう。
匿名教会様
素晴らしいご意見です。
ウチも見習おうと思います!
>天理では他者に対して(ひたすらの)献身を説きます。(組織に対しての献身もですね)
からの追記・・・
”人を助けて我が身助かる”の言葉を聞いて子供心に感銘していたような記憶があります。
これは、教祖直々のお言葉かどうかはわかりませんが一つの真理でしょう。
しかし、ひたすらに献身(組織に対しても)することを良しとする考え方は
やはり、組織の都合に合わせた捏造、曲解教理なのでしょう。(信じ込むと極端に走る傾向に有りますね。集団心理?)
それに、まんまとハマってしまったわけです。
教団側にしてもそこまで、悪意もなかったのかもしれませんし、こんな悪い事態になろうとは思ってなかったのかもしれません。
どちらにしても、軌道修正をしない、できない、反省もしない、それに今更感がありますしね。もう、無理だし遅いでしょうね。
できるなら、とっくに改善してたでしょう。(改善という発想がそもそも無い?)
「神の計画に順じているので必要ない。」ということでしょうか?
今更、「本部が間違ってました!」なんて口が裂けても言えないでしょうね。
でも、薄々感じているかも・・・です。
残念な宗教?組織です。
この組織にたった一度きりの人生を捧げた人々がたくさんいることを忘れてはいけません。
末端様
2018年1月22日 6:20 PM
匿名教会様
>素晴らしいご意見です。
ウチも見習おうと思います!
というか、当然至極当たり前の事ですよね。
その当たり前が通用してこなかったのが今までの教団ですね。
時代は流れ変化していますし、いつまでも同じ手法が通用すると思っていたら大間違いです。
教団だけは時間の止まった(時)空間に存在しているかのようですね。
今まで苦しめられて来た末端教会の反転攻勢が望まれます。(問答無用でひたすら従うように教育されてきてますから)ここは対決するくらいの姿勢で望んでもいいのかなと・・・
そうしてまたそれが澱(よど)みきった空気を浄化・清浄化することになると思われます。
熊本地震で破損した神社で神社庁の包括下にある神社は、再建費用が神社庁から支給されていると聞きました。
一方、天理教団はどうなのでしょうか。聞くところでは1円の支援もないどころか、再建資金の借り入れも教団本部を通じて奈良県の銀行からのみ借り入れるシステムになっているとのことです。
当然、本部にキックバックもあるのではないかと想像します。だって、教団本部には雑収入が年間4億円以上あると管理人さんが書いておられるのを見たことがあります。
本部に入る4億円を超える雑収入の勘定科目っていったい何。
信者数が一定以上の宗教法人、例えば天理教教会本部、大教会等は、公益法人会計基準に基づいた財務諸表を全ようぼくまでとは言わないが、せめて全教会に配布すべきだろう。そうすれば、本部が如何ほどの面積の土地を持っているかも白日の下にさらされるであろう。私はある金融機関に一口5万円の出資金を出資しているが、毎年6月ころになると冊子になった決算書等が送られてくる。天理教だってこれくらいのことが出来ないわけがないだろう。
それとも、財務内容を知られるのが怖いのか。全く人をバカにした宗教教団だ。
下が上に抗議して献金ストライキをするのはいいアイディアです。そうですよね。今までさんざんむしり取ってきたのですから、本当に必要な時には援助してくれたっていいはずなんです。でもしてくれない。そんなのどう考えたっておかしいでしょ。
天理教はこういうことをおかしいと感ずる感覚がなかったのです。要するに世間一般と感覚が完全にずれちゃっているんですよ。感覚のずれがある限り、どんなににおいがけをしても新たに入信する人なんかいません。信者が減っているから新たに入信する人を増やしたいなら、まず金銭感覚も含めて世間一般の感覚を身につけなくてはいけません。
大教会はそのうち下から吸い上げることができなくなります。ストライキをするまでもなく、下の大半が消滅しかかっているのですから、一円も献金が上がってこなくなるのも時間の問題です。大教会はそのうち嫌でも収益事業をやらなくてはなりますまい。
匿名教会 2018年1月22日 5:36 PM 様
末端 2018年1月22日 6:20 PM 様
理不尽、過剰な上納金を出さないようにする方針には賛成です。
ただ、現状、人事権や建物の修理運用などの権利を全て上に握られていますので、全く出さない状態を長期間は継続できない可能性が高いです。あるいは、教会そのものを上に取り上げられる事だって有り得ます。
当教会が本部との「被包括関係を廃止」したのは、それが最大の理由です。
参考にどうぞ。
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei
思い出したことひとつ。
創価学会では親の目の黒いうちは脱会できない事情のある二世三世が、最近は一円財務というのをやっています(振込手数料のほうが高いのですがw)
一円でも財務は財務ですので、いちおうは「やったことになる」からです。
振込手数料のほうが高くなりますが、末端も一円財務を検討する時期がきています。
このあたりのことは末端教会の関係者だけではなく、創価学会を脱会した人たちや学会を一日も早く辞めたい人たちと連帯し、様々なアドバイスを受けてやっていくといいと思います。
理の親の言うこと(お供えをしろ!)を立てるべきか理(一銭二銭でたすけゆく)を立てるべきか
理の親という言葉そのものが、初代真柱の始めた天皇を崇めた明治政府に迎合する、組織(この場合政府)に素直にという考え方で
おやさまが教えられたのは「天皇も人間」「一列きょうだい」の教えです。
本当の親であればわが身が死んでも子供のためにというのが人間の親であるというのに
理の親という言葉の元に子供のほうがわが身死んでも親をたすけなさいというのが現在の教えになっています。
わが教会は月に3万円ほどしか日参が集まりませんので、大教会の教費(15000円)、支部費(7000円)、月次祭のお供え(5000円)を除いた3000円を上級にお供えすればいいかなと思います。交通費等は自腹となりますが、これで充分義理をはたしていると思います。
130余年前、大福や饅頭が1個5厘つまり、1銭で2個・1円で200個も買えた時代です。かけそば1銭、鰻重でも20銭で食べられたのです。200円あれば一家4人が1年近く暮らせました。1銭(今の貨幣価値では100円程度)
おさづけしても、100円、200円しかお礼はとらなかったと思います。
つまり、ほとんど只
===== 1月23日 大亮様御誕生日 ======
或る大教会の信者連絡報に記載されているそうです。
【 大 亮 様 御 誕 生 日 】
教会系列の異なる友人からきた新年最初の電話がこの報告だった。
連絡をくれた教友もびっくりしたそうだが、これはあまりに異常ではないかと感じる。
後継者(予定)の誕生日を一般信者が知る必要性とは何か。
いくら頭をひねっても、まともな答えは思いつかない。
やはりというか、大亮真柱早期実現を画策する一味の存在がどうも真実味を帯びてくる。
(この能天気な記載をした大教会はダイスケさんと結婚によって遠い親戚になっている。)
青年会の皆さん、「素直」と「考えなし」とは全く別物だと、いくら何でも同意してくれますよね。
誰かの指示が有っての記載だったのか、又は忖度の結果だったのか。
この様な「考えなし」の記載は「上」にむけての「おべんちゃら」としての効果はあるだろう。
しかし目にした人からは馬鹿にされるだけだ。
毎度の事だが、これも又、物事の判断基準が教会内部の基準でしかないことの表れだろう。
純粋培養(世間での就職経験が無い、等々)+世襲で「大教会長」となっている人々、特に若手は、教会といえども結構な経済的環境下で潤った生活しか経験してきていない。
祭典講話はするが信者と直接話をする事を何年もの間しないで自分の生活に捉われただけの人もいる。
本部の御用だけが自分の勤めと勘違いしているのか。
「神名流しをしています。パンフレット配りをしています。」
こんな形式的な事(やるだけマシと褒める人もいるが)をやることが免罪符となっている。
ダイスケさん然りである。
馬齢を重ねる結果が恐ろしい。
組織はなくても信仰はできる 2018年1月23日 11:16 AM 様
>わが教会は月に3万円ほどしか日参が集まりませんので、大教会の教費(15000円)、支部費(7000円)、月次祭のお供え(5000円)を除いた3000円を上級にお供えすればいいかなと思います。交通費等は自腹となりますが、これで充分義理をはたしていると思います。
【大教会の教費】(15000円)というのは、初めて聞きました。これは毎月支払うものなのですか?
被包括宗教法人教会が、毎年、包括宗教法人(本部)に支払わねばならない「教会教費15000円」(年に一回、真柱邸に払いに行っています)、それとはまた別のものなのでしょうか?
==== 1月23日 大亮様御誕生日 ======
或る大教会の信者連絡報に記載されているそうです。
【 大 亮 様 御 誕 生 日 】
どこの大凶会さんですか?
マジウケる!
こいつら、正真正銘のアホ、、、
金メダル級のアホ
死んでも治らないアホ
一生やっとれ、、、
やっぱりノースコリアをお手本にしてるようやな爆
ノースコリアでは独裁者のお誕生日をお祝いします。あそこも主体思想というカルト新興宗教やっているわけで、国家というよりはサティアンですので。
ただ金日成や金正日の生誕祭になると、国民にはいちおう菓子類や酒類が配られるそうです。天理教は真柱の誕生日に、お菓子やお酒がプレゼントされるわけじゃないのでしょう?
匿名布教所長さん
信仰継承は苦痛の連鎖さんの投稿より
>もう無理して天理教の教会などしなくていいんだよ!
あなたの人生の主人公はあなた自身じゃないですか!
このサイトにごちゃごちゃ投稿していますが正に、この二行がすべてを物語っているように思います。
天理時報にどこかの大教会の就任奉告祭が行われそれが8代目!と書いてあった。
この代を重ねる事に意味があるような言い回し、しかも8代目って・・・
いったいいつまでこんなことを続けるつもりか?いつまでも続くと思っているんだろうか?
歌舞伎役者か?落語家か?伝統芸能か?
続けば続くほど重重しくなりプレッシャーとなり拒否しようものなら裏切りの汚名・・・
本当に”信仰継承は苦痛の連鎖”になってしまっているんだろうな。
だから、精神を病んだり、ひきこもりになったり、最悪、自殺に追い込まれる・・・
どう考えているんだろう本部は・・・
本当にもういい加減にしないと、とんでも無い事、取り返しのつかない事になるよ。
各宗教施設が独立採算でやっている宗教団体は究極の格差社会です。神社しかり仏教寺院しかりプロテスタント教会しかり。檀家という先祖代々の安定した地盤を持っていると思われる仏教寺院ですら、宗教専業でやっていけるところは決して多くはありません。
儲かっている宗教施設は何の問題もなく、「信仰の継承に成功しました」とやれますが、貧乏宮・貧乏寺・貧乏教会では、子弟の棄教は当たり前になっています。だいいち親が継ぐことを嫌がります。「自分も親と同じ仕事をしたい」ともし子弟がいえば、親は「この仕事にだけはつくな」と猛反対しているのが現状です。
大亮様は知りませんが真柱の誕生日は、詰所の食事がちょっと豪華になります。
私は、ある京都の会長から騙され、お金を300万とられました。結果として修養科やお供えを強要され、しないとお手入れがくるなど言われ、会社から借金し身上も悪化し、会社も解雇されました。ゆうたろうさんやたくやさんの同じ教会です。その会長さんは、お金をださなければ、ウソの被害届を警察にだされ、会社もたとえ、天理教のウソでも、会社としては置いとけないとなり、懲戒解雇されました。今は生活保護を受給しています。この前私の失業を知った会長が退職金や失業手当を俺に渡せと言われ、拒否すると殴られ、頸椎捻挫の負傷をしました。その会長さんは青年会部員や修養科の講師や教養掛も今年されるかたです。34歳のかたです。私から言えば、お金目当て、毎日会社のホールで待たれ、お金お金と要求されてきました。警察にも相談しましたが、証拠がないと取り合うことが困難で、会長さんにお金をわたすと、ハハハとバカ笑され、しかも、その会長さんの義父が大教会役員で、御恩返しで100万給料日に、西陣大教会に持つてきてくれなど、しなければ、崇りがくると言われてきました。私は、今修養科に参加したこと後悔しています。私に身上がなければ、こんな宗教家がくることもなかつたし、状況も変わったと思います。全国の会長さんに言いたいことは、お金も大切です。しかし、身上があるからとそれを出汁にして、騙し、そして、俺には合わないという理由で捨てる行為は、信仰でしょうか。?
その会長さんは、もともと、奈良県十津川の方でした。いわゆる養子で京都の大教会の役員の娘さんと婚姻された方です。天理大学3年の時、部活のバスケ部の2つ下の後輩をボコボコにし、示談で解決し、警察も絡んでない方です。私がその会長さんとの出会いは、たまたま、私が勤務していた会社の近くで、帰宅途中しゃがんでおられたので、私が大丈夫ですか?と声かけしたのが、始まりです。その時お金もない、朝から何も食べてないと言われたので、私は可哀そうだと思い、コンビ二でパンとコーヒーをあげたのが始まりでした。そして、頭が痛いと言われたので、病院もお連れしました。もちろん、診療費は私が払いました。ここまで、させてもらつたのに、本当にひどい人ですし、天理教の方はこんな方ばかりで残念です。ちなみに、おさずけをいただいていますが、この会長さんは、どうでもよい、もし、いらんかつたら、ゴミで捨ててもいいよ。という方です。そして最後は、俺の信仰は女と金や俺のこと偉い人^^先生と云えなど^^俺の信仰にケチを付ける奴や金のない奴はいらんという方でした。私も会長さんからお金が底を付けたから捨てられました。人を助けることは助かる理を諭す。これは、私は、騙された1人です。会長は何をしてもいいのでしょうか?。34歳の会長ですが、お金がないというのは、本当でしょうか?。ちなみに、この会長さんは天理大学5年で中退^理由は、大学のお金を取ったからです。あと、セクハラ女性に対してして、退学を中退にした本当の悪等です。暴力団並みの悪です。修養科や天理教に関係したことで、不幸になり、職業もなくし、お金も取られ、災難です。もう2度とにおいがけなど、しないでほしい。早く忘れたいと今折に思います。全国の教会長、教人さんへ。、
京都市内で、今後においがけや青年会の方やめてほしいです。私は、天理教のハッピをもう2度と見たくないし、天理教の青年さんを含めて、会社でバイトや社員で労働することやめてほしいです。天理教の関係者は、大教会や教会から、出ないで、教会の御用のみで、社会との接触をしないで、教会に閉じこもることを願います。それは、一般の人が被害に遭い、迷惑です。私、天理教を信仰していると聞くだけで腹がたちます。時々、学校や刑務所で講演会をされるのも、迷惑です。この世から、天理教信仰者が消滅し、私を落としいれた会長には、早く出直してほしいです。
”においがけ” ?まだ仕事中で終わっていないのになぜか?この言葉が不意に頭に浮かんだ・・・
この言葉って、あくまでもこちら側が良いニオイで立場的に上、逆にニオイをかけられる方が立場的に下ということになってますよね。(基本的に)
今にして思うによくこんな言葉を使っていたなと・・・(これ教祖さんの言葉なのかな?)
とても、良いニオイでは無いし、それどころか、(今となっては)腐臭さえ漂っているし・・・
高慢はなはだしい文言に感じるが・・・
またまた今にして思うに今現在、自信を持って ”においがけ” などと言って布教できる人はもう皆無でしょう。(新規の信徒なら有りか?)
いますか?いたら、完全に客観的な状況判断などできていない、またその気も無い、情報遮断している鎖国状態の方達ですね・・・
またまた ”においがけ” なんて言葉はそのうちに「そう言えばそんな言葉昔聞いたことが有る!」という風になって行くのでは?・・・
またまた今となっては ”においがけ” してもらわねばならないのは
”天理教” さんの方ですからね・・・残念ながら・・・これが現実です。
認めるしか無いですし素直に認めるべきです。
此の期に及んで自信満々に ”においがけ” をしましょう!とか言ってる人や団体があればある意味危ないと思います。
こういう天理用語を冷静に見てみるとこの教団の姿勢がよくうかがいしれますね。
tokumei様
あなたに甚大な被害を与えた会長から、同じように被害を被った方の投稿を、ご本人様方には了承を得ず申し訳ありませんが、再び掲載させて頂きます。
たくや
2017年11月17日 10:28 AM
私は教会長から日々暴力を受け皹まではいつています。京都の西陣大教会上賀茂分教会の奥田晃会長です。この前京都地方検察庁へ刑事告訴をしましたが嫌疑不十分で不起訴でした。現金を200万以上脅迫されおまけに修養科まで無理やりいかされおまけにどこの教会でも行けとたらいまわしこの人は養子で奈良県十津川分教会の次男です。天理大学も5年で傷害事件を起こし示談前科なし。懲りない人です。5年で中退本当にバカな奴ですがこんな奴死刑になつてほしいとおもいます。教会長でもおやさまがいるかわからないそして私が修養科中肺炎になつた時詰所でオナ二ーばかりして私のことは知らん顔血のかよつた人間とはおもえない。みなさんどうおもわれますか?
たくや
2017年11月17日 10:56 AM
そしてこの教会長の義父奥田和男は京都の西陣大教会の役員ですが相談するとあんたが悪い信仰とは金やお金がない者は助からないとさらに120万さんげで払えと要求、京都検察審議会に起訴するよう要望、そしてようやく昨日奥田晃会長を刑法246条の詐欺205条の傷害で起訴。大教会長の永尾隆司と奥田和男を詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。京都地方検察庁の検事さんがガさイレされ、私に安心してください。天理教では別の事件でも捜査してたから私たちが懲らしめるから心を静めて公判まで共にがんばりましょうと激励されました。神様なんて本当はいないんだから今から修養科や専修科に行く人は冷静になつてほしいとおもいます。私は修養科にいつたこと後悔の毎日です。今回5人の検事さんが担当で心強いですがこの3人には恨みは消えません。また3人とも反省がないのががつかりです。可能な量刑を裁判所が判決することをねがいます。これは京都だけではなく全国の検察行政が今後取り締まる節目になるでしょう。
たくや
2017年11月17日 12:11 PM
あとこの教会長の兄妹が精神病です。ちなみに措置入院を5回も十津川分教会で暴力行為があつたから。また教会長本人もいこいの家白川分院入院患者の1人です。保護室にはいつておられました。またさらに京都の西陣大教会では来年7月に大教会長が息子の永尾大和に交代しますがこの人物も金のもうじゃで冷淡な人物です。西陣もおわつたとおもいます。ただいえるのは金金のない者は助からないということしかも私は腰が悪くあまり働けません。給料を全額とあと銀行で借りてこいなど身上のため毎回12万要求されてました。おさずけをしても効果なし。病院の薬のほうが効果ありです。しかもあなたの家の近くには救急病院が2件あるからそこへ行けや死ねと言われもう死にたいです。ちなみに中山みきはいないと奥田晃会長がよくいいます。12月にはひのきしん隊にいつてエンジョィするようですが人の稼いだ金で遊ぶなんて^^許せない。京都地方検察庁の検事さんにすべてをお任せして私は前向きに500万近く取られましたががんばろうとおもいます。そのお金は看護師の免許習得のためてた大切なお金でした。本当にひどい教会ですし西陣大教会の永尾隆司が奥田晃教会長に指示していたことも明らかになりました。3人とも刑務所からでてほしくない。多分執行猶予もつかんでしょう。
ゆうたろう
2017年11月20日 12:22 PM
たくやさん頑張って下さい。僕も上賀茂分教会の奥田晃にお金を60万供えろと怒鳴られコンビニのatmで60万渡した会社員です49歳です。京都駅で声掛けされ別席を5回運んでいます。僕も以前上賀茂で常詰で住んでいましたがトイレ掃除や修養科へ行けとたくやさんと同じで強要され断ると僕の左足をスライングキックされ打撲でしたが会社を2日休んだことあります。修養科はノルマだからここに住んでる以上参加せーと怒鳴り^^^結局教会を追い出され今会社の上司の家に間借りしています。上司は天理教は宗教だから金目当てだといいます。騙されるほうがいいかもしれません。僕も心臓にぺースメーカーが入れていて病気が治りたければ寄付{莫大な金額}をしたら治るとウソを付かれてきました。上賀茂の上級に真栄分教会{二条城}の近くありますが1ヵ月20万の寄付を本部にしているそうだす。そして上賀茂の奥田晃は青年会ひのきしん隊の部員で来年5月頃教養掛の任命もある方です。検察が起訴したことを知りホットしたというよりこれから勝負だと思います。大教会の永尾大教会長奥田和男役員金のことしか言わない正解です。金の切れ目は縁の切れ目こんなガキらプリズンから出てくるな。
ゆうたろう
2017年11月21日 2:46 PM
たくやさん大丈夫ですか?僕も京都地検から証人尋問として今日京都地検で呼び出されました。そして京都地裁で裁判の出廷をお願いされました。ただ難しい裁判になるのは事実で3人とも京都拘置所に収監されてないようです。というのは、上級の真栄分教会の井上会長が京都ナンバー1の弁護士を確保したからだそうです。僕も今日初めて京都地検で5人の検察官と話をしました。正直怖いところのイメージがありましたが、とても優しく今までの経過やお金のこと暴力のこと2時間話をされこれ以上被害者を出さないため、僕が怪我をした左足の診断書を警察病院で即とられました。すると最初は打撲と考えていましたが、骨挫傷{骨の中の筋が折れてる}診断でギブス固定されました。今松葉ついてます。つまり保釈金か悪徳弁護士の仕業でしょう。僕は今日京都地検でこれはここ京都地検だけでは、起訴はしているが、手ごわいやくざなみの奴らだから、状況により大阪高検や最高検の助言をもらいながらしていくと言われました。宗教という目の見えない処だから、また、信仰、信仰者という実態を被害を警察や検察庁にもっと被害告訴するべきだと検察官から言われました。沢山の届があると、最高刑でそして全国の教会を解体しなければ、これから被害者は増えると言われてます。今から勝負で西陣大教会、永尾隆司氏、奥田和男役員、上賀茂分教会奥田晃教会長の起訴{被告}全国の被害者の方声をあげてほしいです。僕も別席やめました。おさずけなんか効くわけないと思います。例えばもし、おさずけが聞けば医者はいらんでしょう。僕もこの教会長奥田晃からおやさまなんているかホントよくわかんないんですよ^^と連発されたことも。この人は奈良県十津川分教会の次男で養子で西陣大教会奥田和男の長女の、ふみよ氏の養子です。僕も仕事で残業の時、会社にしつこく電話してきて、お供えしてくれ、修養科行ってほしい。必ず助かるからと、言い会社の近くのコンビニで60万おろし、払うとその後、僕が電話しても出ない、もしくわ、もう終わったと切られ、僕のボーナスのほとんど取られました。これは、事実です。防犯カメラに僕との姿鮮明に撮影されてました。今日京都地検で見ました。これは、京都府警察本部も捜査してると思います。是非、この3人とそれを擁護{犯人隠匿}する真栄分教会井上教会長{西陣部内}計4人最高刑に処し、全国の教会がなくなる{解体査察}ことを願います。
ゆうたろう
2017年11月21日 3:02 PM
たくやさん。被害に遭った者同士、戦いましょう。僕も力になります。僕も仕事をしながらですが、京都地裁でお会いしましょう。そして、全国の皆さん{理の親}陽気ぐらしが本当だったら金{莫大}を請求したりするでしょうか?冷静に考えるとこれが、本当だったら{中山みき}は金の亡者ですよ。今天理教の青年さんや常詰さん教会を出て、避難したほうがいいと思います。そうしないと、人生くるってしまうと思います。
tokumei様、京都地方検察庁に告訴してください。
証人は多ければ多い程、犯罪者にとって不利になります。
80歳を超えた高齢の母親は中学を卒業するやいなや、ひたすら近辺の工場などで仕事をこなし教会のために親のためにと給料を運んだそうです。
給料袋の封を切ることなく全額お供えをしていたという事です・・・
その中からお小遣いさえ、なかなかくれなかったので親のあとを催促して回ったらしいです・・・
今となっては考えられない事です。
戦後のことなので世間一般も貧しかったと推測できますがそれに輪をかけて貧しかったんでしょう。
親の苦労する姿を見て放って置けなかったと言ってました。
(親思いで自己犠牲的な優しい性格が裏目に出るパターンですね)
おそらくかなりの年数そんな生活を過ごしていたようです。
そうして、また、教会に嫁ぐことになりました。(なってしまいました)
その際、親は娘に嫁入り道具としてほとんど何も用意せず(手ぶらで)嫁がせたようです。(布団も持たせなかったとのこと。非道い)
嫁ぎ先でも肩身の狭い思いをせざるを得なかったようです。
私の母親は自分の親を恨むような人ではありませんがやはり深層心理に深く影を落としていると思われます。
多分、心の奥底では涙を流して泣いていると思います。(これはあくまで一例です)
私は子供の頃から母親は少しかわいそうな人だなと感じとっていました。
でも、そういう境遇や扱いをされた人は、無意識にそれを次の世代にしてしまうことが有るんですよね。妙に厳しいとかですね・・・
深層心理に刻まれた(誤魔化せない)悲しみが子供にも伝染するんだろうと思います。
負の世代間の連鎖ですね。
影を落として行くんですよね。こびりついて取れないですよね。
お金の問題以上に深刻な問題です。
仮にこのような事実が有ることを組織が認識、把握したとしても受け付けないでしょうね。とても解決したり、なんとかなる問題では無いですからね。
どこまでも苦しまないといけないのは・・・
おそらく似たような事例、いやもっと非道い事例がゴマンと有るんでしょうね。
やはり、この組織の闇の深さ、罪の重さを感じずにはいられません。
>親は娘に嫁入り道具としてほとんど何も用意せず(手ぶらで)嫁がせたようです。(布団も持たせなかったとのこと。非道い)
嫁入り道具すら用意してやれないほど困窮していたという方が正しいでしょう。
娘がいれば、いずれ結婚するわけですから、世間や嫁ぎ先に対して体面を保てる程度の嫁入り支度をするのが普通ですが、天理教に洗脳されきった親を持つと、子供はしてはいけない苦労をするといえます。
匿名
2018年1月24日 7:20 PM様
>嫁入り道具すら用意してやれないほど困窮していたという方が正しいでしょう。
いえいえ、困窮していたというより、全額お供え金として突っ込んでいたんでは?と考えます。(または、上からの要求がすさまじかったか?普請?)
しかし、人の親として、可愛い娘が必死に我が身を省みず、尽くしてくれ、嫁ぐことになれば普通に考えて、どんな事をしてでも最低限の事はしてあげるはずです。(天理教であろうと何であろうと)それが、人(の道)っていうもんでしょう。
それに、全額お供えしたとしてもそのうちの一割でも五分でも三分でも積み立てていれば何も問題がなかったはずです。
ハナからその気持ちがなかったということです。
思いやりがなかったと言ってもいいでしょう。
家族の人生 < 天理教団 だったんでしょう・・・
こんな事を書いていると、それは、天理教のせいでは無く個人的な問題じゃ無いかと思われるかもしれませんが色濃く影響を受けているのは間違いないですね。(昔の人は純粋だったでしょうし情報も無く信じきっていたのでしょう)
やはり、おやさま、ひながた、この影響が強いと思います。
純粋であれば有るほどドハマりしてしまうんでしょうね。
優先順位が家族より教団、教会、普請などになってしまっているんですね。
いや、優先順位すらもなく犠牲にしてしまっていると言えなくも無い・・・
ありえないんですよ、こんな事・・・(時代考証云々の問題でも無いです)
恐らく母はこの一件で頭の中に???がいっぱい出たはずですし、それが延々潜在的にも有ったと思われます。モヤモヤですね。心の底から陽気になれない、上機嫌にもなれない。何か納得できない、消化不良でくすぶっているような気持ち。そして、その感情がその人の子供(私たち)にも間接的に悪影響を及ぼし連鎖を産みます。(前投稿にも書きました)
また、その物質的な事以上にそんな、薄情な事をされた本人は一生涯に渡ってその寂しさ、悲しさ、そして、時には怒りになった感情、また、非納得感、愛情飢餓感などを持ちつつそれを心の奥に封じ込め、それがいつまでも消えない!という苦しみにさいなまれる、ということになって行ってると思います。
(親が子に対して行った一種の仕打ち、裏切り行為だと思っています。)
高齢の母ですがそんな寂しさ、悲しさ、愛情飢餓感、満たされない思いなどを解消することなく、それを抱きしめながら、その感情と共に、この世にさよならを告げることになると思います。
(上記のような事を仮に天理中枢部に伝えたとして・・・
返答は・・・「知ったこっちゃね〜わ」・・・でしょうね)
最後に浮かんだのですが天理教を盲信すると人間性を無くす・・・
人間のいい意味での本能を無くすことが充分有り得る。
また人間的におかしくなるとも感じました。
『宗教は麻薬』と言われる所以でしょう。
長文失礼しました。
現在でも嫁入り支度どころか、それ以前のことーーー教育費すら出せない家もあるんじゃないですかねえ。
今の時代は娘を医者にするほうがタンスや着物よりもはるかによい支度といえます。
身1つでの布教が美徳なのだから、嫁入りも身1つで当たり前と思っている天理教人は居るでしょう。
結納したとしても、結納金などはなく扇一対で終了でしたっけね。
そんなですから、教育費はいちれつ会に頼るしか頭に無いでしょうし、その後は子どもが教団に携わり生きていくのが当然と思っています。
世間で働いて返すという一般的な奨学金返済と同じ方法も出来はしましたが、一般の奨学金返済ですら大卒新社会人には負担で問題になっている現在の日本。
いちれつ会から支援を受けた子どもの行く学校の学歴レベルで、まともに返済できるだけの給与がある仕事に就くのは至難の技かと思われます。
現教団に洗脳されている方は、教団に尽くす事が自分の幸せであり家族の幸せでもあると信じて疑いません。
身1つで嫁に出して苦労させるのも、教育費を用意せずいちれつ会頼みで子どもの将来を教団に縛り付けるのも「天理教人として当然」であり「子どもの幸せ」を願ってしている事なんですよ。
周りから「家族の幸せ < 天理教団への尽くし」になっていると言われても、本人の頭の中では「家族の幸せ = 天理教団への尽くし」なのです。
教団教理での洗脳は本当に危ないです。
この負のスパイラルに飲み込まれ、心を殺して教団に従う子。
負のスパイラルに自分で気付き、必死で世間に脱出する子。
この2パターンが増えたので、今の天理教団は人が減って陰気で元気が無いのでしょうね。
負のスパイラルを負と思わせずバリ天に育てる、次世代への洗脳が難しい時代になってきたのでしょう。
天理の子だから、教会の子だから…と色々と諦めそうになる子どもに「それは普通じゃない、異常だ」と外から気付かせる仕組みがあれば、もっとたくさんの子が洗脳されたり諦めたりせず教団から解放されるかもしれませんね。
そうして解放される子が増えれば、世代が進むにつれ必然的に教団から人が減り、組織も縮小するでしょう。
こんな雪の日ですが、明日の大祭後、琵琶湖の温泉で○○夫妻年頭会議です。
そんなお金があったら○教会の借金を返してほしいです!
天理教本部は年間の収支をみちのともで発表していますが、各○教会は発表しているのでしょうか?
世間ではどんな組織でも、1年の終わりか、年頭に収支報告があります。
お供えを何に使おうがもらったほうの勝手と考えているため、何の報告もありません。
なんのための○教会報かわかりません。
○教会の役員も誰一人反対意見の出せないような○教会ではお先真っ暗です。
真面目にやってる布教○○の会議はおにぎり2個です。それでにをいがけ実習にいかされます。
バカらしくて喫茶店かパチンコ屋で時間をつぶすのがおちです。
もう、早く死にたい。昨日、知り合いから、薬もらい、がぶ飲みして死ねるかと思いましたが、救急車で搬送され、胃洗浄され、助かりました。なんで、死ねなかつのか、考えています。
tokumei
2018年1月25日 11:01 AM様
あなたの事を疑うつもりは有りませんが、投稿内容が事実なら、あなたをそこまで追い込んだやつに仕返しの一つでもしてからにできませんか?
私なら自分を死ぬところまで追い込んだやつがいたら、悪いですが道連れにさせてもらいます。
だって自分も死ぬんでしょ・・・
付き合ってもらわないと・・・
借りは生きているうちに返しておいた方がいいと思いますよ・・・
でないと、成仏できずに幽霊となり、さまよう事になりませんか?
天理教教祖伝逸話「44 雪の日」
2018年1月25日 10:47 AM様
>明日の大祭後、琵琶湖の温泉で○○夫妻年頭会議です。
そうですか・・・明日ね〜年頭会議ね〜
で、なんで琵琶湖?
まあ、別にいいんだけどね〜
たまには天理を離れて気分転換てか?
さぞかしうまいもんでも食されるんでしょうな・・・
しっかし、時報に載っている後継者さんのお顔はなんとも◯抜けなお顔をされてますな・・・眼がね・・眼が飛んどる・・浮かれておる・・・陽気な眼か?ちょっと躁状態かもな・・・
綺麗な嫁はんと結婚できて、青年会長として持ち上げられて、気分はハイにならざるをえないか?・・
まあ、せいぜい頑張っておくんなはれ・・・
(でも、ほんと不思議とあの顔を紙面で見ると、拒絶反応が起こるね!
なんだろうな?)
tokumei
2018年1月25日 11:01 AM様
先ほどの投稿は死ぬなら?の前提で話しましたが、報復は生きながら合法的にできるでしょう。
とりあえず、死ぬのはやめて、合法的に報復なりなんなりしてからでも遅くは無いと思いますが・・・
犬死にだけはダメですね。何か爪痕を残さないと・・・
苦しみを与えた奴らと戦ってからでもいいでしょう・・・
死ぬ気があるならなんでもできるはずです。
tokumei 2018年1月25日 11:01 AM 様
★tokumei様 私なら、京都地方検察庁に告訴し、又、裁判の証人でも何でもして、少しでも恨みを晴らします。
「たくや 2017年11月17日 10:56 AM
昨日奥田晃会長を刑法246条の詐欺205条の傷害で起訴。大教会長の永尾隆司と奥田和男を詐欺ほう助で起訴。これから刑事裁判がはじまります。京都地方検察庁の検事さんがガさイレされ、私に安心してください。天理教では別の事件でも捜査してたから、私たちが懲らしめるから心を静めて公判まで共にがんばりましょうと激励されました。・・・今回5人の検事さんが担当で・・
ゆうたろう 2017年11月21日 2:46 PM
僕も京都地検から証人尋問として今日京都地検で呼び出されました。そして京都地裁で裁判の出廷をお願いされました。
京都地検だけでは、起訴はしているが、手ごわいやくざなみの奴らだから、状況により大阪高検や最高検の助言をもらいながらしていくと言われました。宗教という目の見えない処だから、また、信仰、信仰者という実態を被害を、警察や検察庁にもっと被害告訴するべきだと検察官から言われました。沢山の届があると、最高刑で、そして全国の教会を解体しなければ、これから被害者は増えると言われてます。今から勝負で西陣大教会、永尾隆司氏、奥田和男役員、上賀茂分教会奥田晃教会長の起訴{被告}全国の被害者の方声をあげてほしいです。」
いつもお世話になります。私、弱小大教会の末端教会の子弟ですが・・・
今現在教会からは信者さんというものが無くなり、形だけながら細々と教会をしているような事です。
で、そんな教会のお金事情、ことさら投稿するまでも無いとは思いますが何かの参考にでもなればと思い投稿します。
教会教費 1.5万円/年←そもそもこの費用の意味が解せぬ・・
支部費 5.000/月→6.0万円/年←こちらも今ひとつ意味がわからない
使い道もわからない。報告も無い
年間6万円は大きすぎる・・・
このお金が本部に流れているんでは?
と疑っている・・・有りそうだ・・
詰所費 8.000/月→9.6万円/年←これを書くと身バレしそうだが構わぬ
ほとんど誰も使用していない空き家の
ための究極の無駄経費
婦人会費 1.0万円/年
少年会費 0.6万円/年
青年会費 0.6万円/年
お供え金とは別に年間約20万円の出費(固定費)
お供えも片手は下っていないから軽く年間80万円が天理教の出費・・・
少し前までは片手+2万円していたとのことなのでざっと年間100万円が天理に消えていた・・・
繰り返しますが、信徒さんはゼロ。
その他、親は少ない年金での生活など・・・
生活は極貧とまでは行きませんがゆとりの無い面白みの無い生活です。
たまに家族で旅行に行ったりとか、おいしいものを食べに行ったりとかは無い・・・旅行なんてほぼ無し・・・
服装なども質素にするしか無い・・・
頭の中は「贅沢は敵!」ですね・・・
本部や直属教会以外はそんなものです。お地場帰り以外の親との泊りの旅行の記憶はありません。
馬鹿デカイ伽藍創りの為にみんなで貧乏自慢しましょう。という教えかと思っていました。
中山家のバカ殿が始めた道楽だったんですね。早く成人して天啓者を実現させなさい。ほんとにも~
先ほどの天理教であるが故の経費について書き込みましたが、これは、親の世代の熱心さ(洗脳の深さ)故の出費になってます。
冷静に考えて見ますれば、お供えという出費をしながら、また、別口で様々な名目での支払い、経費が有りそれをバカ正直に支払っていると言う・・・
どれだけ、お人好しなんだ!と思いますが・・・
あくまで、自分たちの日々の生活よりも天理ご本部、上級、大教会・・・
でもね、昔気質の高齢の親もさすがにネットの情報を見てはいなくともこのシステムはおかしいと気付き初めているようですね・・・
「出せば助かる!」と言う信仰は間違っていたと・・・
散々「出せ出せ!出せば助かるんだ!因縁も切れるんだ!ありがたいことでは無いか」・・・てな感じで幼少の頃からやられてくればもうたまったもんじゃ無いですわ・・・
前投稿でも書いたお供え、諸経費も自分たちの代になればもうなくなるでしょう。
棄教しなくてもお金はもう上には運ばない。絶対。(稼ぎも少ないから運びようも無い)運ぶぐらいなら、旅に行ったり、おいしものを食べたり、おしゃれな服を買ったり、今までしてこなかったことを出来うる限りやりたいと思います。
(おやさま、ひながたを刷り込まれているとなかなか出来ず、罪悪感すら有った)なので、年間100万円は限りなく0円になることは間違いないですね。
とにかく、同じような投稿を繰り返しますが今までの教団のやり方は狂気、狂っていやがる。
それを認めず、未だに続けようとしている、もう悪の他の何者でも無い。
こんな教団を有り難がって参拝している人たちがいるけど、事実認識、状況把握を冷静にした方がいいです。
とっとと滅びろクソ教団・・・
天理教でいう「陽気暮らし」というのはどういうものをいうんでしょうかねえ・・・
新興宗教に多い「究極のポジティブシンキング」でしょうか?
「出せば助かる」・・・逆に言うと「出さないと助からない」ということです。
親神様の教えというのは、そんな単純なものではないはずです。むしろ苦難が起こったら、それは決して不信仰や熱心さおよび祈りの欠如や献金の不足が原因ではありません。だいいち金銭という人間社会のものを、神様に提供しても、神様はそんなものを必要としないわけですから、本当は献金を教会にすることは何の意味もないのです。献金は信仰心とリンクして考えるものではないからです。
(カトリックでは月定献金を「教会維持費」と呼んでいるそうです。献金というから「神への信仰が云々」という話になるのであって、あくまで「教会維持費」とドライに考える方が、はるかに良心的だと思いませんか?)
天理教は新興宗教であるせいか、熱心さはあるのかもしれませんが、深く思索することが大きく欠けているように思います。
「灰色の断層」(ヨルダン社)にこういうことが書いてあります。
幸福でなければ生きがいがないかのように言います。しかし、人生は幸福であるはずだと考えるのはいったい何を基準にしてのことなのでしょう。人生が本来不幸なものであったとしても、別におかしくないではありませんか。人生は幸不幸になんの関係もない、生きるという単純な事実だからです。
金、かかり過ぎ・・・ 2018年1月26日 9:28 PM 様
>お供え金とは別に年間約20万円の出費(固定費)
これは会費のことでしょうか?こちらでは、教会教費や少年、青年、婦人会費、お鏡料(正月餅代)、献灯費(なんてものもあります) で、合計75000円くらいです。
上から、訳のわからない名目で支払わされてるような感じがしますね。私の方では勿論、「詰所費」なんてものはありません。最近まで、詰所の改修費を毎月〇千円払わせられてましたが、終わったところです。
あなた様の教会は、意味不明な金を、ずっと払わせてきたようですね。。上級教会か、大教会かは分かりませんが、信用できない所だと思われます。
金かかり過ぎ様の投稿に思う・・
私は高齢の一人暮らしの会長です。後十数年後、老人施設に入るまでの間と覚悟を決めてこの組織に付き合っています。
普通、教会子弟たちはアンチ天理教でも会長を引き受けるなりをしないと住居を失いますよね。私もその例に漏れずアンチ天理教ですが、生きる為に住居は必要。よって祖父母 、両親が建てたこの教会建物に住まい、命をかけてこの理不尽と闘っています。
私のように、棄教せずとも止むを得ず教会長を引き受けざるを得ない例は多いでしょうね。上納金はしていません。
上がのうのうとしていられる間は私達貧乏教会、信者一同、希望は持てませんから。上級、上上級、大教会の足腰がぐらつくまで、今それを希望に頑張っています。(本部は信者の金で不動産等全国各地に溜め込んでいるから存在自体消滅に追い込む事は出来ないかもしれませんね。)
私は若い頃から仕事をして来たので、贅沢しなければ普通に暮らせる最低限の年金、少々の預金があります。洗脳時代はどハマりでしたが、金かかり過ぎさんの様に、美味しいものを食べ、おしゃれな服を着、親神様が私達人類に用意して下さっている大自然を旅行したいと思って今に至ります。
天理教にどハマりの教友たちを見ていると、今は憐憫の情を持たずにいられません。女性なら化粧もせず、すすけた顔で洒落気の無い洋服に身を包み、金が無い、金が無い、天理に来る旅費を稼ぎにパートに行ってるなんて言う人も。私の知ってる男性の場合、緊張感の無いただ歳だけ重ねましたと言う、覇気の無い魅力に欠ける表情。
親神様の望む陽気暮らしはそうじゃ無いでしょと思う。天理教は完璧に人を不幸に導いています。
私が所属する大教会でも詰所費と言うのはありません。ボイラー修繕の時は、各教会を通して信者にお供えの要請がありましたが強制的なものではありませんでした。ただ、信者を前に「神様の修養所だからお供えすれば神様から御守護が貰える」と、大教会長がペテン師の様な事を言ったので胸が悪かったですが。
当方も大体年間7万少々の出費です。支部費についても会計報告を貰ったことはありません。教会教費は毎月5000円ですが、これについても会計報告無しです。
上は貰うのが当たり前と思っているのか、世間一般常識から言うと、あり得ないです。
末端 様
「教会教費」毎月5000円、というのも不可解です。「教会教費」と名のつくものは、包括法人天理教本部(真柱邸へ持参か振込)へ、年1回払う15000円のみの筈なんですが・・・。
詰所とは?信者の帰参時の、本部施設に勤務する人たちのための、
こどもおぢばがえりなどのイベント時のための宿泊施設と考えられる。
当方所属の大教会は大阪。最近寄りついていないので詳しくはわからないが
ほとんど、利用するものはいないと思われる。(稼働率、一桁前半は間違い無いでしょう)帰参してもわざわざ宿泊しない。当然日帰り。
それでも、建築時、それなりのものを建てないと格好がつかない、周りの大教会は皆立派なものを建てていると言うことで鉄筋3階建ての詰所を建設。
今にしてみれば、小さな一戸建ての民家のようなこじんまりしたもので十分で有った。(実際そのような民家のような建物を詰所にしている大教会が有った)と言うか、そもそも ”おやさとやかた” 自体がガラガラなんだからそこを間借りすればよ済んだはずだ・・・
とにかく、建物を建てることを良しとする体質。一体なんなんだろう?
建築会社と繋がっているのかと疑ってしまうほどだ・・・
建てる時に大きな負担をさせられ、建ってからは利用者がほとんど無く、維持管理費でまた負担させられると言う、全くもって馬鹿としか言いようが無い有様で・・・(利用者が皆無だが閉鎖するわけにも行かず、そのため詰所当番なるものの要請が有ってどこまで行っても愚かで)
無駄といえば教会の神殿の付属の会館もだ。
もう建てられてから随分経つが当時としてはなかなか立派な建物だったと思われる。
今となれば、ただの伽藍堂でほぼ何にも使われていないと思われる。(死んでいる)
何かに有効利用しようと(地域で使ってもらうとか)言う向きも無いと思われる。ただただ、老朽化していっているだけの建物になっているようだ。
もともと何か具体的に必要性が有って計画建設されたものじゃなく、本部のおやさとやかた構想の影響によって ”ふしん” をしよう!と言うことで建てたものだと推測がつく。何をやるにも深い思慮や計画性など何も無くただただ変なノリみたいなもので全てが動いてきたようで・・・
そのために大金が集められ負担をさせられ家計が圧迫させられてきた。
またそれらのことに未だに反省など無く、何も学ばず、問題意識など全く無い。
おかしいことをおかしいと思えない、感じれない、けったいな集団、天理教です。(行動に対しての検証が全く無い。客観的に物事を見たり思考したりすることが無い。必要もないと思い込んでいる節がある)
そういえば、子供の頃貧乏だったのでパン屋さんでパンの耳を買って食べてた時代が有ったな〜今にしてみれば懐かしい気もするが・・・
まあ、間違いなく大教会のかたや御本部の方はそんな経験はされていないでしょうね。自慢にもなりませんがね・・・
あ、そうそう、もう一つ言いたい大事なことが有ったのです。
大教会などで何かを建築する段になった時、誰かの意見を聞くとか検討するとかして、建築するのでは無く、ほぼ勝手にやってしまっているような気がします。一度立てれば50年〜100年とか使うものなので綿密な打ち合わせが必要だと思われますがそれらが行われたことを聞いたことが無い。ほんと愚かとしか言いようが無いです。
最近、教費金は年間15000円と知りました。ですので年間60000円は何だ?と今頃になって不審に思っています。おそらく教費金を含めた集金なのでしょう。教費金と言われています。言われるままに出していました。
会計報告を受けた事が無く、子沢山の上上級が色々自教会で名目を作って勝手なことに使っている様子です。(例えば子供おじば帰りの補助、夏の子供キャンプの補助などに。うちは数人の高齢者ばかりの教会でここ20年以上子供おじば帰りを実施していない為その恩恵にあずかれません。教会実態に応じて返金して然るべきで、子沢山の自分の所だけで勝手に自由に使うなよと思う。反論したとしても、あなたの所も子供を集めて実施すればいいんだよ。いつでも補助するよ、みたいなことになるでしょうね。)
折を見て会計報告の要請をしたいと思っています。人にお金を出させておいて、会計報告をしないとは、一般社会では考えられないことです。
天理時報1月28日号
一面大見出し
新年度全教区で「普及推進大会」開催へ・・・
組織の機関紙の普及のための大会を開催?アホか・・・
ようぼくの成人に時報は欠かせない・・・ぜんすけ君
そもそも成人てなんや?だし漠然とした表現で・・・
欠かせない・・・って、意味不明・・・
記事を読んでいると「時報の購読と手配りなどの活動がようぼく同志のつながりや絆になり得る。」
「お道に繋がり続ける可能性はぐっと高まるのでは無いか?」と述べているが・・・
スローガン
「ようぼく家庭に、もれなく『天理時報』を」
もれなくって???
「手配りひのきしんで、教友の絆を強めよう」
絆ってなんじゃ?ヘンテコ絆?
やっぱり笑える、と