今年も終わります。悲しいけど晴れやかな年越し。

前にアップした記事が一ヶ月前。
まことに申し訳ない。

師走だから世間と同様に私も人並みに忙しい。
忙しいと言っても大したほどではない。
仕事柄、年度末の方が忙しい。

私が先週、先々週と忙しかったのは冠婚葬祭が突然2件入ったからである。
冠婚葬祭といっても葬なんだけど。
一つは私の組織の元トップが鬼籍に入られた。
昨春、社長を退任されたので隠居されたのかと思っていたが
会長職についておられたようだ。知らなかった。
会長すみません。

会社では、年明けに社葬を行うということになった。
元々は5日に仕事初めであったのだが、急遽5日は休みになり
6日からの開始となる。

私の同僚などは「こんな年末に亡くなられて大変だよ」と言っていたが
私はこれも会長の愛情であると思う。
もし仕事納め前であれば、会長の葬儀によって年末の業務能力は低下するであろうし
(仕事納めが伸びたかもしれない)
もう少し遅ければ年度末の決算業務に支障をきたしたであろう。
ちょうど年末年始という社会的休戦状態に突入したときに亡くなられた。
これ以上のタイミングであったと思う。おかげで仕事始めが延長された。

こんなことを言っては天理教の方に罵声を浴びせられそうだが、
「出直し」のタイミングというのはかなり人間的事情が優先されるのではないかと思う。
これを「たいしょくてんのみこと」やシンクロニシティと言って概念化してしまうと
「その人」性を埋没してしまうのでこの場合私はしない。
天理教の方に私が懐疑的になる点も同様である。まぁこれは後々。

今回の会長の逝去だけでなく、これまで私が経験した中で
惜しまれる方というのは亡くなるタイミングが非常によい。
もちろん、亡くなってよいことはない。
しかし事後的に「亡くなるのはあの時しかなかった」という時に亡くなられる。
このタイミングの良さは、故人のタイミングではなく
故人を取り巻く人にとってタイミングがよいのである。
そういった意味では故人から周囲への最後の感謝なのだと思う。
死ぬ瞬間まで周りに感謝していく人ほど周りに迷惑をかけずに亡くなっていくのだと思う。

よく「葬儀の参列者の数は、その故人を慕っていた人の数」というような
言説が聞かれることが多い。

しかしこれは本質的ではない。

故人が慕われていたかというのは、故人の思い出がいつまでも忘却されないことだろう。

反対に「嫌な人間」も忘れられない可能性は高い。
しかしそういった方は葬儀の参列者は多くてもタイミングは悪い。
最後まで「嫌な人間」としての腐臭をまき散らして亡くなられる。
もちろん故人への思いはいつまでも「嫌な物」として記憶される。

私もかつて嫌々参列した葬儀くらいはある。嫌々ではなくても業務命令や
役職などで社会的参列なんて嫌ほどある。
そんな葬儀は悲しくも何とも思わない。
酒を呑み交わしたことも、嫌味を言い合ったこともない、知り合いでもないんだから。

そして例外なく、慕われ惜しまれつつ亡くなる方というのは周囲に感謝できる方である。
亡くなった会長も同様である。そして私の祖父も。
最期まで、その感謝する気持ちを閻魔様や親神様が叡智界で受け取ったのと思う。

このタイミングの良さは、故人から私たちへの最期のプレゼントなのだろうと思う。
また神様から故人へのプレゼントであってほしいとも思う。

私のMourning workは長い年月を必要とするようだ。

また惜しい人を亡くしてしまった。

それではよいお年を!

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