天理時報4436号の視点「道路交通法の改正に思う」というテーマ。
あまりに欺瞞に満ちた、誘導記事で辟易する。私が天理時報の購読をやめたのも、こういったあまりに偏った見方や、一部の幹部による知性が全くない記事を読むことにバカらしくなったからである。
私が天理時報の購読を止めてからも、読者の方から「こんな記事がありましたが、どう考えますか」と記事のコピーが送られてくるので結局は天理時報の視点はほぼ毎週読んでいることになる。
なぜ私がこの視点を俎上にあげるのか。それはこの視点は天理教の幹部が執筆しており、天理教の社会のものの見方、考え方が強く反映されているためである。つまり天理時報の視点には天理教幹部の知的劣化が表現されており、それは「天理教の衰退の原因」が書かれてあると言っても過言ではない。社会の流れや読者の意向を読み取ることなく、一方的な天理教的主張でしかない。北朝鮮の労働新聞と同じく読む意味がまったく感じられない(行事報告などは別)。
天理時報は記者とコメンテーターを要していると思われるが、彼らの知性と技量は疑問でしかない。法律学や政治学、経済学、情報学、統計学などの専門性やメディア論やジャーナリズム論をきちんと大学で学んだ人間が編集に携わっているとは到底思えない。一宗教団体の新聞であるため、そもそも天理時報は社会の公器ではないという主張もあるだろう。しかし、取材をすること、文章を書くこと、主張したいこと、社会と照らし合わせること、その基本がまったくできていない。結局何が言いたいのか分からないまま「将軍様マンセー」で終わるのと似たようなものがある。
こんなものにお金を払う人がどれだけいるのか調べてみた。まずはWikipediaの「天理時報」から。
(20145年7月19日現在)
次に静岡教区中遠支部のホームページからの引用したものをまとめた。
現在、天理時報は12万6000部(2015年3月)の発行部数であるようだ。天理時報の購読者も驚くほど減っている。2.3ヶ月に1000部ずつ発行部数が減っていっていると思われる。全国手配り率は増加しているようだが、この数字は真実ではない。これは、単に発行部数が減少しているために増加しているように見えるだけである。そこで私は発行部数を手配り率で掛けた、実際の手配り数を計算した(黄色)。すると手配り数もきちんと減少しているのである。この数字は天理教道友社も把握しているはずであり、手配り数は減少しているのに「手配り率は増加している」と喧伝するのは読者を騙している。手配り運動について述べているサイトも、手配り率については言及しているものの手配り数にはあまり触れていないのも納得がいく。例えば福岡教区や奈良教区など。
(2014年7月だけは発行部数が急増しているのは分からなかった)。
天理時報の年間講読料は3960円(税込)であるため、12万6000部では4億9千896万円の売り上げとなる。1000部減少で396万円の減収である。ここのホームページの数値が正しいかどうか信ぴょう性が分からないため、断言はできない。しかしこれを見る限り、業績は悪化しているとしか言えない。私の天理時報への批判は、天理時報の購読をやめた読者も同じような感想を持っているのではないだろうか。個人的には天理時報の発行部数の減少に伴う減収よりも、天理教本部の影響力が低下していると考える方が天理教的には深刻ではないかと思う。悲しいかな、購読を止めた読者は天理時報に3960円の価値がないと判断しているのである。天理時報にそれを言ったところで「新聞の凋落は世界的な動きで、インターネットの発達が原因だ」と責任転嫁され、天理時報の質の向上については議論されないだろうが。
少し寄り道をしてしまったが、話を戻そう。「視点」である。
私が腹立ちを覚えるのは、情報をきちんと理解せずに、若者を悪者に仕立て上げている点である。視点の前半部分は道路交通法の改正の説明であり、大きな問題はない。しかし4段落目から雲行きが怪しくなる。
「特に、自転車と対歩行者の事故は近年大幅に増え、なかでも子供と高齢者が加害者となるケースが後を絶たない。」とある。私は調べてみた。各都道府県ごとのデータでは、バラツキが大きいので採用しない。そこで全国の警察を統括している警察庁の「交通事故統計」データを使用する。
(警察庁 平成26年中の交通事故の発生状況)
ここ10年ほど、日本の交通事故は発生も負傷者も死亡者も減少している。筆者は「自転車と対歩行者の事故は増加」ということなので、全体の数値は参考として掲げておく。
自転車に関連する負傷も全体的には減少していることは間違いない。年別に多少の増減はあるものの、全体としてどの年代も減少している。子供も高齢者も。天理時報の筆者は道路交通法の改定には自転車事故の増加があると言っているが、それはどこのデータをご覧になったのであろうか。まさか妄想ではなかろうな。日本の警察はそんなこと言ってはいないのだから、きっと海外のデータを見たのであろう。
次に天理時報の筆者は「特に、自転車と対歩行者の事故は近年大幅に増え、なかでも子供と高齢者が加害者になるケースが後を絶たない。」と続く。なるほど、では調べよう。
(警察庁 平成26年中の交通事故の発生状況)
2008年(H20)以降、自転車の対歩行者の事故も減少していることは間違いない。増加は2008年までしかない。つまり天理時報の筆者は2008年(H20)までのデータしかみていないのであろう。少なくとも「近年大幅に増え」と書くのは明確な間違いである。それとも、この筆者は現在2008年だと思っているようだ。誰か彼に今年は2015年ですよ、と伝えてやってくれんかね。
次に私がもっとも腹立たしいと感じる部分を検証したい。天理時報の筆者は「実は、筆者は今回の自転車の取り締まり強化を大変結構なことだと歓迎している。なぜならば、実際に筆者も「危ない!」と思う自転車の危険運転を日ごろ何度も目にしているからだ。そして、目にするのは若い学生が多い。」と書いている。本当だろうか。
このデータをみて、天理時報の筆者は学生だけを悪者にしていいのだろうか。自転車乗車中の違反が事故になって相手を傷つけているのは、若者だけの問題なのだろか。少なくとも65歳以上も違反も多いし事故も多い。若者が特別に多いというわけでもない。これは自転車事故があたかも若者の交通ルールの悪化を原因とする議論のすり替えでしかない。自転車による交通事故は、誰が悪いというものではなく全年齢層が気をつけるものであることは間違いない。
では、より踏み込もう。若者を悪者としたい天理時報の筆者のために、若者と高齢者のどちらが悪人か比べてみよう。
(法務省)
このデータをみて、若者と高齢者のどちらの検挙者数が増加傾向にあるかは明確であろう。このデータから若者だけが悪人とは到底いえない。安っぽいメディアの、頭の悪いコメンテーターのように、「近年、少年犯罪が悪化」として片付けられるほどどこかの年代が特別に悪いのであろうか。
次に少年による犯罪別の送致人員についてみてみよう。
(法務省)
大きな波が2つある。今から50数年前と30数年前に比べると少年犯罪も大きく減少したものである。さて、50数年前と30数年前に少年だった危険な年齢層の人たちは、一体いまは何歳になっておられるのでしょう。きっと更生して自転車の違反もせずに真面目な社会人として生きておられるのでしょう(皮肉)。
最近の高齢者は怖い。殺人、強盗、傷害、暴行、窃盗とやりたい放題。天理時報の筆者が「お道の者として、このたびの道路交通法改正を、若い人たちや子供たちに対して、人々が互いにたすけ合う陽気ぐらしの精神を伝える好機として捉えたい。そして、その姿を社会に映していきたい。」と述べているが、滑稽でしかない。というより意味が理解できない。そんな方は天理教をやめて交通指導員にでもなれば、陽気ぐらしの目的が達成できるということなのかな。
むしろ自転車マナーよりも法律を守らなければならないのは高齢者の方ではないのだろうか。私は高齢者のみなさんに人を殺したり、人の物を盗んだりしてはいけないと伝えたい。それは人々が互いにたすけ合う陽気ぐらしの精神を伝える好機として捉えたい。そして、その姿を社会に映していきたい、と思う。
私が言いたいことは、若者より高齢者の方が危険人物であろうということではない。私が述べたことは社会学の自明であり議論にすらならない。若者や高齢者をターゲットにしたところで不毛な議論であり、くだらない。私が言いたいことは、この筆者のように誰かを悪者にし、一方的に上から目線で持論を展開することは何のためにもいならないということだ。この筆者が自転車に乗った若者に不愉快な思いをしたことがあるのは間違いないのであろう。しかし、個人的な恨みを紙面を使って晴らすことは、まともなオトナのすることではない。私には、Twitterで悪事を暴露する若者と、この筆者の違いが分からない。自分が舞台のヒーローにでもなった気分なのだろう。
私が腹を立てるのは、こういった「自分は正しい」と考える権力者こそ若者を潰し、正義感を振りかざすだけで未来のことは何も考えていないためである。この天理時報の筆者(諸)は何歳の方なのかはわからないが、もし高齢者であれば私の反論が気に入らないであろう。その気に入らない気持ちこそ、あなたが若者に植え付けている嫌悪感だと思うべきであろう。
私こそ若者の声を代弁しているとは思わない。しかし、こんな若者の悪口を堂々と書いている人間に、若者の育成ができるであろうか。「最近の若者はダメだ」と居酒屋でいうのには問題ないが、人事部長が広報誌で言ってしまってはアウトである。更迭である。人を育成する立場ということは文句や悪口を偉そうに述べることではない。もっと伝えるべき大切なことが天理教にはあるのではないだろうか。
天理教は後継者不足問題、信者の減少と、抜き差しならない課題を抱えている。その原因となる組織に対する嫌悪感は、今回の記事で明確に私に伝わってきた。すくなくとも、私はこの筆者の教会の信者になるくらいなら死んだ方がマシだと思った。
若者が継ぎたくない天理教を作っているのは誰か、そこが焦点だと思うが天理教幹部は継がない若者に問題があると思っているのだろう。人に物を教える資質のない者が、「交通安全を教えてやろう」なんて、どの口が言うのだろうか。
物を書くことを仕事の一部にしている私としては、せめて背景データの確認と社会の流れというものを確認してほしいが、この筆者はそれを求めるこができない教養と学習の持ち主なのであろう。それにしても天理時報の編集部やデスクは、「ちょっと事実とは大きく異なるので書き直してください。せめて日本の警察の資料を使ってください」くらい言えないものだろうか。天理時報「視点」の筆者は天理教幹部であり、幹部の書いたことは事実とは異なっていても、編集部は間違いを指摘できないのであろうか。天理教道友社とは、そこまで「終わった」組織なのだろうか。捏造なのか、勘違いなのか分からないが、一般紙であれば謝罪・訂正記事が必要なほどの偏向記事であろう。
天理教道友社の方たちは、長期的視点に立って、読者に何を伝えたいのか、社会にどういった貢献をしたいのか、自分の使命と役割とプライドを明確にして紙面を作っていただきたいものだ。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp