天理教人はなぜ里親制度を希求するのか1


天理教での里親ブームは続いている。天理時報という媒体の影響力の大きさは凄い。私はひねくれ者だから、みんなが右へ倣えをしているときこそ「それはおかしいだろ」と言いたくなる。結局基本的なことかもしれないが、天理教が里親を求める理由を探りたい。

そもそも天理教、特に現在天理時報などで注目されている里親というのは、内容としての里親ではなく制度のとしての里親である。内容としての里親というのは、身寄りのない人に居住空間を提供するということである。制度としての里親というのは制度を取り仕切る団体なりに申請して許可を得たり、里子の提供を受けることである。そもそも内容としての里親というのは天理教的には今に始まったことではないと思う。私の親しい天理教人の教会にも身寄りのない人や家庭に帰れない事情がある人が教会の人間と一緒に住んでいる。もちろん子どもに限らずに。随分と前から。またそういった教会は多いのではないかと思う。そして私はそういった天理教の歴史ある地道な役割というはを高く評価する。昔から、天理教に限らずに宗教組織や宗教施設というのは行き場所の無くなった人を歓待(収容)してくれる貴重な存在である。もちろん現代日本は福祉制度や保護制度が充実しているが、現代だからこそか、それでも行き場所がない人は沢山いる。そういった意味で宗教施設というのは物理的に大きな施設をようしており、そこに信仰を持つ人々がいて迎えてくれるというだけで救われる人がいる生き場所となる。つまり歴史ある、対象者を限定しない内容としての里親というのは今の里親ブームの制度としての里親とは一線を画した方がいいと思う。ではなぜ今、天理教では制度としての里親が求められているのか。
続きは、また今度。


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