新年あけましておめでとうございます。2010年もよろしくお願いします。例年通り、近所の神社への初詣に行き、また知り合いの天理教の教会にも挨拶にいった。天理教の教会ではカイチョウさんと色々とお話をした。結局私が分かり合えないまま帰ることになったが、その話はまた今度。
本日、知り合いの天理教人に誘われてお節会に行ってきた。11:00過ぎに天理市内に入り、駐車場で迷って、12:00に東礼拝場というところで合流した。まったく知らない方に天理教のお節会を説明すると、天理教本部のお正月にはお供え物の鏡餅が全国から大量に集まる。そのお供えのお餅を正月5日から7日の3日間に参拝客に振る舞うのである。出汁にお餅と水菜という非常にシンプルなものであるがお代わりは自由。写真のような食堂のようなところで一気に食べる。参拝客が多いため、食べたらゆっくりせずにすぐに退場する。驚いたのは、給仕をしてくれたのは天理高校という法被を来た若い学生さんであったことだ。まさしく天理高校の生徒なのであろう。その他にも若い人が多かった。大変いいものである。若いときに他者に仕えるというのは大変貴重な体験だろうと思う。まだ学校は始まっていないであろうから、冬休みを返上して参加しているのだろう。現代の経済市場主義の中で育つ子どもには「こんなことして意味あるの?」や「受験勉強した方が時間を有効に使える」という責任者出てこい的若者が多いが(若者に限らないか・・・)、無条件に他者に仕えるということがいかに大切かということは社会に出たときに大きな財産となるだろう。そういった学生の姿勢を見て「来てよかった」と思った。肝心のお節の味はまずまずである。一緒に行った天理教人は「この出汁が絶妙にうまいでしょ」と言っていたが、私はそうは思わなかった。味は普通だ。むしろ味はどうでもいいと思う。お供え物なんだし。食することに意味があるのだと思う。なので、お餅の写真も撮らなかった。
終わった後は詰所というところに行って、椅子に座り、お茶とお菓子を頂き、何人かの人と談話し14:00くらいに天理を出た。私自身、貴重な体験ができたのではないかと思う。天理教人が「これでお正月が終わり、一年が始まるなー」と感慨深気に言っていた。私は天理教のお節でそういった気分にはなれないが、多くの天理教人にとってはお節会というのは大切な正月の宗教儀礼なのだろう。そういった文化は大切にしたいものである。
なにより一番伝えたいことは、正月の奈良盆地は寒いとうことだ。