「この大型ビジョンとレーザービーム、スモークと花火。次期真柱中山大亮氏の結婚披露パレード。高校生まで動員し、贅を尽くしたパレードは数千万円はくだらないでしょう。これだけのお金があったら、毎日世界で貧困で死んでいく子供たちを何人助けられたことでしょうね」
この言葉は、熱心に信仰する天理教人と話す中で語られたものである。天理教が衰退する全ての本質をあらわしていると私が感じた言葉だ。
おさらいしよう。毎月26日は天理市にある天理教本部の月次祭がある。その中でも1月と10月には「天理教の始まり」と「教祖の死去」という重要な記念日であり普段より大きい大祭が開催される。人が集まる記念日に合わせるように、天理教次期真柱である中山大亮氏の結婚披露パレードが開催された。新婚の若者を批評するのは気が引けるが、天理教が衰退し、信者が減少する象徴を感じざるを得なかった。
周知のように天理教は年々信者数が減少し天理教本部に集まる献金も激減している。天理教の関連施設や天理市などへの回付近や寄付金も減少の一途を辿っているほど、経営はヤバイ状態である。昨年12月には実質的教団運営者である表統領の中田善亮氏が信者向けの内部機関紙で「御供(献金)は命のつなぎ」という脅迫ともとれる発言をしたことで週刊誌にも取り上げられ、天理教から信者も離れた。
この問題発言をした中田善亮氏の実兄が、天理教のトップである真柱の中山善司氏である。その中山善司氏には子供がいないため、中田善亮氏の長男、中山大亮氏を次期真柱後継者として大学卒業後すぐに養子として迎えいれた。(中田善亮氏も中山家から中田家へ養子にいっている)
その中山大亮氏がこのたび、天理教の有力系統である河原町大教会の役員の娘と結婚することになった。すでに天理教役員や天理教と関係が深い有力関係者の前原誠司氏や高市早苗氏などへのお披露目は済んでいる。2017年10月26日夜に実施された結婚披露パレードは主に大祭で集まった多数の信者向けであると考えることができる。
この結婚には以前から全国の教会で不満がくすぶっていた。なぜなら今年夏頃から、天理教本部が、系統や都道府県支部を通して、各教会から金額を指定した祝儀を集めていたからだ。金額は1教会数千円と多くないものの、全国に1万6千箇所ある教会の数を考えれば集まる金額は膨大である。数百万円の祝儀であれば常識の範囲内として贈与税はかからないが、数千万円であれば十分に課税対象であろう。さてこの祝儀は個人か法人か、どこの財布に入ったのだろうか。
また天理教では1万6千箇所の教会の7割は後継者不在を抱える事情教会と言われる。その事情教会を抱える上級教会は、数千円すら払えない事情教会分の祝儀までも肩代わりして拠出したようだ。また系統と支部という2方向からの祝儀要請を直撃した教会も少なくなく数千円で済まなかった教会も多い。また大教会単位では本部を忖度し、要請金以上に自主的に祝儀を拠出した大教会も少なくない。
この件に関して、「たった数千円の祝儀だからいいだろう」という反論をする人は全く天理教の実態を理解していない。そもそも親類でも友人でもない人間に金額を指定した祝儀を出せと言われること自体が、普通なら狂った組織だと感じるだろう。
祝儀は気持ちで出すべきだと考えるのが常識だ。
加えて、天理教に従事する若者(青年)は最低賃金を圧倒的に下回る月に1-2万のお与え(給与)しかもらっていない。もちろん社会保険も年金も払っていない。「彼らは修行の身だから労働ではない」と反論されることもあるが、やっている業務は会長の運転手や教会の掃除、雑用をこなすことが大半でとても自分自身と向き合うような修行とは考えられず労働と言える。青年でなくても天理教の教会で生活する人間は就職を忌避され、金にならない天理教の布教一筋であることを美徳とされる。そのため子供や扶養家族がいても天理教を信仰する親はバイトしかしていない家族が多い。信者から集める献金方法にも大きな問題があるが、ここでは割愛する。
このような「文化的な最低限度の生活」が困難な教会家族や信者が多い中で、祝儀を出せという天理教本部は、国民が貧困で苦しんでいるのに数億円のミサイルを発射する北朝鮮と同じであると揶揄されて当然であろう。今回パレードで使用された大型ビジョンは1日1台レンタルするのに200万円以上かかる。しかも2台である。レーザービームや花火にも、専門のイベント業者が関わっているのは明らかであろう。天理教本部は収支報告を公開していないので誰も経費を知ることさえできない。一晩のパレードだけで総合経費は数千万円では収まらないかもしれない。天理教では全国から集めたお金をごく一部の人間だけが動かすことができるようだ。これほどセンスがなく、信者が離れていくバブルのようなことをなぜ天理教は平気でおこなうのか。
天理教は過去にも同様のパレードを開催したことがある。真柱継承報告祭や教祖の誕生祭などである。しかし、さすがに現代の常識でこれほど異様な金のかけかたをするのは、天理教と幸福の科学くらいではないか。ましてや神や教義に関することではなく、たかが次期真柱の結婚という私的な行事である。そこにまるで中山家の所有物であるかのように現役高校生まで動員するというのは、極めて教育上問題があるだろう。このパレードこそ、天理教的に言えば人間思案そのものの醜態であろう。私はもちろん参加してないが、当然のようにパレードの異様な状況はSNSで一気にリアルタイムで配信されたことは言うまでもない。
一昔前であれば政治家の暴言や芸能人の不倫などは誰も知ることはなく、また知ったとして批判されることはなかった。それが現代では一気に批判に晒される。天理教人が「これまでと同じように振舞っているのに、なぜ批判されなければいけないの?」という疑問を持っているとすれば、それは天理教人が恐ろしく社会の流れや常識から置き去りにされている証左であろう。なぜこれほど社会の流れから逸脱した頓珍漢なパレードを実施したのか。私は不思議で仕方ない。もし私が結婚披露の主催者であれば新しい門出を迎えた若者が、信者に愛されるような、信頼してもらえるような披露を企画する。天理時報に写真と御礼のコメントを載せて、集めた祝儀は国連の難民支援に寄付するでも学校建設に寄付するのでもいいだろう。「こんなリーダーにならついていきたい」と思ってもらえるようにするだろう。少なくとも、集めた祝儀を自分たちの威信のため、組織を盛るために使用することなど敢えて不評を招くようなことはしないだろう。今回のパレードは冷静に長期的にみると逆効果でしかない。なぜ天理教は、不評を招き天理教から信者が離れるようなことを敢えてするのだろうか。なぜ人に嫌われることを天理教はするのか、私は本当に不思議で仕方がなかった。
天理教は常に内向きで喜んでいるが、本当に社会で苦しむ人を知らないのだろうか。次の日には天理教青年会の総会があり、威勢のいいスローガンが並んでいるが、果たして天理教は世界で苦しんでいる人を何人救う気があるのだろうか。本当に疑問でしかない。世界情勢、社会常識を備えた人間であれば、この徹底した内向きな宗教団体が社会のためになっていないと思うことは当然であろう。
SNSで荒れたコメント以外に、実際に天理教の中の人間はどのように考えているのか、どうしても気になるので、本部に近いある役員に電話して聞いてみた。以下はその方の推論である。
今回の結婚披露パレードでは、「どうしても盛大に成功させ、天理教の威信を『これでもか』と信者にアピールしなければならない人間が一人いる」とのことである。その方は、ずっと表統領になりたくて仕方のない人であり、中田善亮氏の次の表統領の座を絶対に逃したくない人物であるとのことである。表統領になりたくて仕方のない権力志向の人間であれば、パレードを盛大に成功させ、中山家(中田氏)への忠誠心をこれみよがしに発露させるという十分すぎるほどの理由と意味があったということだ。
この推論がどの程度真実かはわからないが、金で困っている信者が多い中で、異様なほど金をかけて盛大にパレードを行う理由としては最も納得がいった。それが正しければ結局、天理教というのは権力ゲームでしかなく人を助けるなど微塵も考えていないのだろう。
天理教は今回の結婚披露パレードではか非常に高額な金をかけたが、天理教は「宗教として非常に安っぽくなってしまった」と感じたのは私だけだろうか。レーザービームとスモークで登場するのは、今のご時世、幸福の科学の大川隆法と天理教の中山大亮氏くらいではないか。パレードの沿道には若い子たちが「キャー」とディズニーパレードのような歓声を上げており、新婚夫妻は何の躊躇いもなく嬉しそうな表情を見せていたが、宗教法人の次期トップとして、この学園祭の王子様役のような勘違いの情景は、後世に渡って語り継がれるだろう。大金を掛けて一瞬で消えたレーザービームとスモークの中で語られた声に本当に社会と末端の信者は耳を傾けると思っているのだろうか。情けない。
中山大亮氏は養子に迎えられ天理時報に掲載されはじめた当初は、精悍な顔つきのラガーマンであり、爽やかで体育会系の明朗さが好感を持たれていた。信者は皆、天理教への明るい未来を期待した。しかしある日、自宅から数百メートルのところにある体育館で行われている天理教校マーチングバンドを見るために運転手付きのベンツで行き、何もわからない高校生たちに頭を下げさせていた。その庶民とはかけ離れた一連のやり取りの様子はすぐにネットで流れ、今でも天理教信者の中で語り続けられている。イメージが全てとは言わないが、こんな常識外れで庶民の苦しみを理解しない人間が後継者では、天理教を信仰する人間がどんどん離れていくのは当然であろう。
世界では食うものもなく、WFPによると毎年310万人の子供たちが栄養不良で死んでいる。この事実を人助けを標ぼうする天理教の人間たちはどれほど知っており、どのように受け止めているのか。天理教の言う人助けとは、「災害救済だけやっていれば金は自分たちのためだけに使っていい」というものなのかと理解に苦しむ。他の宗教を賛辞するのは好きではないが、生長の家は世界の貧困や環境問題に積極的に関与し寄付金も継続的にしている。天理教本部や本部員は、声高らかに陽気ぐらしを宣言するが、災害救援で信者に動かせるばかりではなく、実際に何か行動をして世界に貢献しているのか甚だ疑問だ。
私が聞きたいことは一つだ。信者から巻き上げた金を自分たちで存分に消費し、目の前でレーザービームとスモークを浴びせられ、神聖な神苑に大型ビジョンを乗り付けられ、天理教の神と存命の教祖は、果たしてどのような気持ちで見ていたのだろうか。
※天理教本部、大教会、上級教会、支部等から配布された書類、メモ、写真等を集めております。ご協力いただける方は下記メールに送ってください。送っていただく際には発行元とおおまかな日時をご記入ください。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
今回のお祝いイベントは、秋季大祭の日に合わせたと言うよりも、翌日が大ちゃんが会長を務める青年会総会だからその前日にしたのだと思います。
http://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/news/2017/10/27/25820/
『10月26日夕づとめ後、真柱継承者・中山大亮様と布恵様のご結婚を全教あげてお祝いさせていただこうと、本部東礼拝場前一帯で「御成婚慶びの集い」が開催された。
この催しは、かなめ会をはじめ婦人会、青年会、少年会、学生担当委員会による「御成婚慶びの集い実行委員会」が企画したもの。
当日は、神苑に設置された3台の大型ビジョンに催しの様子が映し出され、会場全体に慶祝の雰囲気が満ちあふれた。』
大型ビジョンは2台てはなく3台ですね。
レーザービームに関しては、ツイッターにこんな投稿がありました。
『あの空にビーム照射するやつ、今までは使用本数がラルクアンシエルが日本一位の19本やったけど今回のご成婚パレードでは21本使われてラルク越えの日本一位だそうな』
『詰所のおっさんが業者から「いや〜天理教さん凄いっすね!」って感じで聞いたらしいです』
専門業者も、芸能人のコンサートやイベントでなく宗教団体が、日本一位になるくらいお金を掛けて後継者の結婚を祝うイベントをやるのにビックリしたんでしょうね。
凄いっていうのは褒め言葉の様ですけど、単純に「天理教そんなに金あるんやな」の意味だと思います。
業者は高い仕事を発注してくれ、ちゃんと支払ってもらえりゃホクホクでしょうからね。
教団の内情とか本当のフトコロ具合なんて関係ない訳です。
表統領を狙う人物とは、誰でしょうか。
今回のイベント実行委員会のトップは、河原町大教会長らしいですけど…。
前真柱様は派手なことがお嫌いだったので、もし今もご健在だったらこんなことはありえなかったでしょう。
初代は本席との派閥争い、教会本部設置
二代は色情、戦後の復元とやかた構想、スポーツ推し、本集め
三代は歌
四代は なんや?
五代はこれから
さあさあ 楽しめ 楽しめ
色情とは何を根拠に?二代様はご自分の結婚祝いを元にいちれつ会を設立されました。大亮様も本当はそれに倣わなかったら世間にどんな目で見られるかぐらいご承知だったはずです。お金の管理を任せた相手を間違えてしまったのでしょう。
睦輝さんの言うように、
私も時期表統領を狙っているのは、
河◯町大教会の
深◯善太郎で間違いないと思いますね。
噂では河○町は
借金がものすごくあると
聞いたことがありますが、
どなたかご存知の方おられますか?
>時期表統領を狙っているのは、河◯町大教会の深◯善太郎
>噂では河○町は借金がものすごくある
表統領になると、ものすごい借金が帳消しになる程、金が入って来るのでしょうか?
もう、魑魅魍魎の世界ですね。まともな人間の居られる世界ではありません。真柱や、中山家などの「名門」のお家の方々、表、内統領さん達、本部在籍者の方々、大教会長たちは、禍々しい伏魔殿に「末代」、お住まいになってればよい。
我々は、明るい世界へ脱出しよう。
真義徳 2017年10月29日 10:44 PM
>色情とは何を根拠に?
最近見始めたのですね。二代真柱の下半身話は有名な話です。こちらのコメントでも散々上がってました。一人や二人と言う話でなく、各教会の長老に話を聞けば、「夜の接待の強要」をしてた話は良く出てきます。隠し子もたくさん居ます。直属から本部に登用された家族等は二代真柱が手をつけて孕ませた家族が多いのは周知の事実。皆さん口にしないだけです。その真実を知りたければそれなりの情報筋をおつくりになる方がよろしいです。
本部在籍の家、事実をしって本部から出てった家がらは濃厚です。ネットでは固有名詞は控えますが、私も数家の名前を知ってます。
匿名 2017年10月30日 4:04 PM
>私も数家の名前を知ってます。
と書かれてしまうと、その家の方はや中山家も冷や汗ものでしょう。そのような汚点を隠し、宗教たる神聖な集団を運営してきている綻びが現在出てきているのでしょう。このような人は世の中でも信用されません。やはり考え方やその人の行動に明確に現れます。一般的には【異常者】と思われ呼ばれる部類です。
今回の「天理教次期真柱の結婚披露パレードが不評だったワケ」不評に決まってる。各教会は貧困に喘いでいるのに【無駄な浪費披露宴】を選択できるその精神がまさに【異常】本部の行う判断に異常性しかない。
誰も彼に期待はしない。むしろ【贅沢な披露宴を中止】したのなら期待ぐらいはできますがね。
これが時期真柱の大亮おぼっちゃんの真価なのでしょう。
今回の結婚披露イベントに関しては本当に逆の意味で良かったと思います。
この、サイトなどでもいろいろな情報が飛び交っていますが今回の一件で本当にこの組織が真に腐っていること、教内の苦しんでいる信徒の事など屁とも思っていない事。問題に対して解決しようなどと思っていない事。改善、改革など全く念頭になく危機感なども皆無な事を再確認できました。そしてこの組織は本当に完全に終わっている事を確信しました。なので良い催しとなりました。
もう可能性や希望などはこの組織には一切ないと思って間違い無いでしょう。この調子で頑張ってお道ならぬ”外道の道”に邁進していただき消え去る事を願ってやみません。
その時は長年に渡る呪縛から解き放たれ、心が真に晴れてスッキリ陽気な気持ちになれるでしょう。(壮大なパラドックスとなりましたが・・・)
教内の末端の方、そして後継者として悩み苦しまれている方などは本当に、このクソ組織に見切りをつけ洗脳されている事を認識し眠りから目覚め真に自分を取り戻し、やりたい事を見つけ、可能性を求めて地に足をつけて、自分を大事に自分の心・気持ちに正直になって人生を歩んでほしいと切に思います。(自戒を込めて)この組織は沈みゆく泥舟です。いち早く脱出するべき、または検討をするべきだと思います。
長文失礼しました。
>色情とは何を根拠に?
根拠?
完全に事実です。いっぱい聞いています。語ることをはばかれる話ばかりです。
今の時代なら、週刊誌ネタになって逮捕されています。
とんでもないオッサンです。
古い元会長
2017年10月30日 8:40 PM
私も聞いたことあります。各教会に巡教に行っては性接待を強要していた。ただの異常性欲者、性獣人類みな兄弟と称し下半身の兄弟を作りまくった異常性欲者の性獣でセックス教団状態にしましたよね。
色情の根源中山家に嫁入りするのぶえさんも色情深きご因縁で導かれたのでしょう。そのうち婚前や結婚中の浮いた話が出てくるでしょうね。
二代真柱が大教会へ巡教されることが決まった時、母は困ったような口ぶりで子供に打ち明けた。
「真柱様には『おとぎ』の用意がいるんですって。」
当時はまだ分教会だった教会でショッキングな話を聞いてきた若い母は、これを誰かに話さずには
いられなかったのだろう。
子供は「おとぎ話」が必要な真柱様としてしっかり記憶した。
これは実話。
動画を見て気が付いた!!!
リトル・デズニーランドじゃないですか!
そうか、お忍びで義理妹やらと出かけたデズニーランドは視察だったのか。
カメラに向かって手を振る姿がバッチリきまっていたのは事前学習の成果だったのか。
いったい誰がこのショービジネスを立案したのか。(支払発生=ビジネス)
いったい誰が万歳三唱を立案したのか。
何事も開催後には反省会がもたれるはずだが、今回の立案者は」「恥」を知るべきだ。
この催しで「テンリ軽チャー」が促進されたことを恥じてほしい。
いくらなんでもこれほど信者を「なめた」人たちが中枢部に巣くっていたとは。
想像を超える酷さで、情けなくなる。
「私は天理教信者です」とは恥ずかしくて言えない状況を作ってくれた。
万歳三唱?????
自らの権力構造が着々と整って万歳なのか。
深い思索の習慣も無いのかもしれない軽い夫婦は今後の権力者にとり、格好の
協力者となるだろう。
信者はそれでもなお天理教につくすのでしょうか?
変な人しかいない集団。
狂ってるとしかいいようがない。
理不尽が強要され、
誰が見てもおかしいことを
みな黙ってやりすごす。
ろくでもない会長を
理の親と仰ぎ、
傲慢かつ名誉欲のあるやつばかり。
親神様の教えはどこへ行ったのだろうか?
天理教改革案
①大教会廃止分教会降格、詰所も廃止、系統も廃止
②各教会は月次祭は実施、おつとめは自由
③上級へのお供えの廃止、本部直へのお供えは自由
④別席、修養科は本部施設を宿泊所とし参加も本部直属とする
⑤その他もろもろ
聖地甘露台が倒壊して間もないのにレーザーパーティーで一発数十万の花火をドンパチ迷走極まりない(苦笑)
甘露台の新調費でドンパチやったんでしょうね。レーザーも甘露台のお供えで・・・
各教会からも、お祝いとして集金し 花火ドンパチ レーザービビビ(笑)
知り合いの教会長さんから聞いた話です。
今回の婚礼、披露宴は3回行われているそうです。
1回目は9月1日、あと2回は9月中の別日に行われています。
予想されていた方もいるかもですが、私はまさか三回もとは思わず、その話を聞いて、
そして大亮さんの発言と重ねて、引いてしまいました。招待者は合わせて1000人を下らないそうです。
公表されているのは挙式当日の一回のみだと思うので、どれだけの方が三回も取り行っている事を知っているのでしょうか。
私はその場にいたわけではありませんが、大亮さんの口から末端教会、名前も知らない1信者さんへの労いやお礼はあったのでしょうか。
のぶえさんはよく知ってる方なので、おそらくここまでしなくても慎ましく喜んでくれたと思います。
大亮さん、若気の至りでは困りますよ。
すみません、変な書き方をしましたが、
三回行われたのは披露宴の事です。
婚礼、披露宴とかいたのはおかしな表現だと思ったので訂正します。
>聖地甘露台が倒壊して間もないのにレーザーパーティーで一発数十万の花火をドンパチ迷走極まりない<
全くもっておかしな教団です。神聖なる聖地でドンドンパチパチ。こんな事を発想し、また実行に移す教団幹部の頭の弱さ、軽さが露呈した。
木箱に入った結婚記念品をもらった。みんなで祝い返しの金杯だろうと予想した。帰って開けてみたら、安っぽい型押しの焼き物の盃だった。汁椀の蓋として使わせていただく。
もう、この教団から何を訓示されても、はっぱをかけられても、何の意欲も無くなった。
嘘に塗り固められた教理がばれた。嘘っぱちの理の親教理もばれた。だから部内を多数抱えた上層部教会の自分は偉いと勘違いした二十代の後継者が年配者を平気でののしるのだ。吐き気がした。
この男、いい年をして詰所でゴロゴロ遊んでばかりいた。上層部子息というだけで、自分は偉いと勘違いするのだろう。そんな空っぽの男を「理の親」と崇めなければいけないのが現天理教である。
私は三代目の信者だ。だまされた。
大亮くん、あなたが生まれる前の天理教の黒い歴史を認識せよ。花火やレーザービームで浮かれている場合ではない。
大亮くん、初代、二代が偽教理によって世間並以下の「理の親」に黒いものを白だと言わされ、身包み剥がれた今は亡き祖母や父母の人生の失った時間の責任を取ってくれ。
新婚で浮かれている苦労知らずの若夫婦よ。天理教の闇から闇に葬られた全国の無数の信者たちの苦しくて悲しい過去の贖罪をする気で、本気で取り組みなさい。
成婚披露の動画がアップされているので再び視聴したが、やっぱり「なんじゃこりゃ?』ですな・・・
あのレーザー光線?になんの意味が有るのか?必要性は?全くもってわからない。
なんだろうな?今回の次期真柱の後継者の成婚について、めでたいのはいいとしよう。しかしこの演出はなんじゃ・・・です。
真柱は天理教で言えば天皇みたいにまつりあげたいところだろう。
そして、その気持ちを理解するとしよう・・・
理解したとして、それならもうちょっと品位のある厳粛な演出にできないものか?下品の一言。
真摯で真剣な信仰者からすれば聖地を冒涜・愚弄する行為だと断罪してもいいだろう。
確か会場は東礼拝場広場?昔から有る三島神社を札束積み上げて無理やり撤去移動させた場所だろ・・・最低やなこの教団・・・
演出については、お互いに慶び?を分かち合えるような・・・主役で有る二人と動員されているのかわからないが観衆・見物している人々の間に全くのコミュニケーション的なものが無い。心の交流が無い。教団は信徒・信者が心から喜ばしいと思っていないことをわかっているのかもな。
実は教団中枢部は一般信者・信徒などとはコミュニケーションなど取ろうという気は毛頭無いのがわかる。一人有頂天になって喜び浮かれ一人ハッピーになっている姿にしか見えなかった。やはりこういう催しひとつとってみてもこの組織の心理・考え方・意識がよく反映されていて、どういった考えで組織が運営されているのかが見えてくるから面白いと言えば面白い。
仮に日本の天皇家・宮家の方が成婚されてもこんな品位の無い演出は有りえないでしょう。威厳も何もあったもんじゃない。
この組織は我さえよくば・・・を厳しく戒めているがどうもこのようなものを見せられると教団は教団上層部中枢部さえよくば・・・を感じざるを得ない
現在、社会で生きている私たちは非正規労働を強いられたり、サービス残業を強いられたりなど厳しい環境で日々過ごしています。とても口に表せないような状況の方もたくさんおられる事でしょう。私自身もここ何年何十年と仕事のことで説明できないぐらいの状況を過ごしてきました。世間ではまだ3万人近くの自殺者や百万単位の引きこもり者が存在しているといわれ教内でも引きこもりの人が多いと聞きますし身近にも何名かおられます。そういった閉塞的な状況に有る人が多数おられます。
で、話を戻しますがご成婚はめでたい!でしょう。でも苦しんでいる人々への配慮、気遣い、思いやりなどを忘れてやしませんか?
だいたい、大ちゃんにしろ25才?何がわかるの?大学出てちょっとで社会経験もろくに無い若造に何がわかるのか?まず間違いなく世間で生きる人々の気持ちは分かりえないと思いますが・・・ただ、中山家の血を引くとのことで今や修理人?何がわかるんだろう?何ができるんだろう?解せないわ。今、25だろ、せめて30歳まで世間の荒波に揉めれ一般の人々と交わりいろんなものを見て感じて聞いて辛酸をなめてみろって!まあ普通に生きてりゃ辛酸はなめ放題だけどな!でも、あの天理本部・巡教などで何がわかる?ちやほや持ち上げられてなんの逆風もなく年を重ねて一体何がわかるのか?
上から目線で話をしたところで上滑りし人々の心には響かないでしょう。
教団の末端で苦しみあえいでいる人々、社会の底辺で生活さえままならず命さえも絶とうとしている人々がいてそれを理解したり寄り添う気などないようですな。その気が有るならあんな意味不明な独りよがりな催しはできないもんね。今の世界の情勢、社会の状況・成り行き・不透明さ・混沌としているさまを認識し思慮していればレーザー光線?とかありえないでしょう。
あ〜しんど・・書いていて疲れるわ
誰のための、なんのためのレーザー光線だ?????
長文大失礼しました。
レーザー光線当てたら空から甘いものが降ってくる、とでも思ってるのかしら?
いほり
2017年11月2日 1:15 PM
>レーザー光線当てたら空から甘いものが降ってくる、とでも思ってるのかしら?
甘露と言う甘いものどころか苦い苦言が振っておりますw
天理教真柱時期後継者候補の大亮氏の披露宴での演説を見ていると実力の無さを露呈してしまった。と思いました。各ジャンルに分けて解説させてもらいます。
台本を持って話している時点で説得力に欠ける演説。
自分の言葉じゃない。或いは本当に思ってる事なら記憶して言える。なので真剣みが足りない。と印象付ける演説に成ってしまっている。
人相
演説の内容では、「親孝行、夫婦仲良く」と言ってますが、彼の人相は親子の縁がとても薄い人相をしている。具体的に言いませんが、口元と耳に現れている。(人相学に覚えがあるなら分かる事)今現在彼が養子として居る事を表しているのか、親から養子として育てられて親子の愛が薄いのか、それを乗り越えられるのか?それとも暴走するのか?今後楽しみなところです。
ファッションセンス
百歩譲って法被は良いとしよう。しかしネクタイカラーの選択が駄目であった。
「黒い法被に黄色のネクタイ」、スズメバチ、踏み切り等危険地帯のカラーリング
自己の不安、それがファッションカラーリングに演出し、聴衆を不安にさせる色合い。
それとも「自身こそ聖域で他を寄せ付けたくない!」と言う驕った考えなのかもしれない。
舞台演出
花火とレーザーは是非も無く割愛させてもらいまして、首に下げられた花輪はいったい何なのか?ハワイですか?
法被に花輪 和洋折衷とは言いがたいアンバランス差
皆さんが感じた違和感つまりそれはアンバランス差だと思います。資金難なのに贅沢な挙式披露宴、ファッションセンスと舞台演出、教団挙げての一世一代の模様しがアンバランスであると言うことは教団自体が現在不安定に成っている。と無意識に演出してしまっているのでしょう。
追伸
人相でもう一つある。親からの愛、上司からの恩恵もあずかり難い人相もしている(ヒントは額)そしてそれと伴い、人を疑う人相にも成っている。彼が宗教団体の長、真柱になった際神の恩恵を預かれないという事とも言える。
上に立つ者なら他者を見つめるより自身を省みる日々しかなくなるのでそこを心得ない限り疑念と過ちを繰り返す悲劇の人生を歩む事でしょう。
不安な演出様へ 2017年11月2日 4:47 PM
貴殿が仰るとおりだと思いました。以前のぶえさんのふと見せた表情のコメントがありましたが、私は大亮さんの台本講演の際の表情に注目してみましたが、台詞の内容に対して喜怒哀楽が出ています。
挨拶の言葉は本人が教団の方々に対して話している言葉であるのに、その中で何故ここまで喜怒哀楽が出てしまうのでしょう?それも苦い顔が出てしまっているのです。特に「がんばって行きます」の際、顔は[頑張りたく無い顔]をしています。かえって「世界一陽気は夫婦」の際は笑顔に成っているので、「夫婦生活は楽しむが頑張りたくは無い。」と表情で表してるように見えます。自身で書いた台本ならここまで表情に表れませんよね?なんだか不自然だと思ったのですが、不安な演出様のコメントを見て気がつくことが出来ました。
日本国の天皇家、宮家の結婚についての御披露目などに関してはあまり派手派手しいこれ見よがしな演出などしないと思われる。常識的にもそうだし一般的?にもそうだろう。
それはあまり派手派手しくこれ見よがしにやると国民の反感を買うことをわかっているからだ。そのぐらいの計算?配慮はしているはずである。あるひとつの行動、行い、談話などはテレビなどを通じて見られているので、一挙手一投足まで注意深くしているはずだし、専門のアドバイザーがいるかもしれない。そのぐらい慎重にならなければ反感を買うし、人心が離れ支持を得ることができなくなり、結局は自らの立場を危うくすることになる。(事をわかっている)
さて、今回のとある組織の後継者の成婚披露、、、
全く何の計算も配慮もセンスも感じられない。
ただ、思いつき?でやっただけ。
はっきり言ってバカじゃないのか?と思う。
反感は買っても好感は持ちにくいだろう。
もうちと、計算、配慮すれば?
自分達の首を自ら絞めていることがわからないんだね、、、、
こういうの何ていうのかな?ことわざで有った気がする。とにかく有る意味笑える、笑わせてくれる団体?である。
今風に言うとリスクマネジメントが全くなっていない!てやつだね。
まあこのグダグダでベタな感じが似合っているかもね
全く洗練されていましぇーん
親孝行〜夫婦仲良く〜親の思いに添いきり〜
世界一陽気な夫婦になりたい〜(脳内お花畑状態?夢見る大ちゃんです)
(成婚披露の挨拶)
予言しよう大ちゃんは長生きできるでしょう・・・
しっかし、ウケるぜ!なんの変哲も無い道徳的な文言。(天理教いらんね)そして、聞き飽きた〜耳にタコな言い回し・・・またこれをこれからも続けていくつもりかな?(真柱になった暁には巡教の揮毫は報恩or感謝か?ド定番?)
これらを見て、聞いてひょっとして彼は天理製造のアンドロイド?じゃね?
と思ってしまう。時代は大きく変化しているにも関わらず言っている事は何も変わらない・・・ほんと壊れたレコードプレーヤーかよ・・・現実を見据えてものを言っていないしー・・・もう既に内向してしまっている。そう内向です。
神の代弁者だから、時代に左右されてはいけない?てか
挙句の果てには世界一陽気な夫婦???どんな夫婦や?説明を求む・・・
はっきり言って君たち夫婦の事はどうでもいいんだよ・・・
心に魂に響かない、感じるものが見出せないスピーチでしたね(まあ、社会経験も無いしね。まだ子供みたいなもんですな)
ほんと!天理教って生きていく為に必要でもない。むしろ重荷!
天理用語の理を、例えば「末代の理」を「末代のカモ」とも言ってるような、「理のおや」を「カモの親」詐欺師と言っていいでしょうか。
たまたま明治の初め曾祖母が魔がさして入信したとして、これは詐欺師のカモになったんだと、そして末代詐欺師のカモで生き続けなければならないので、貧困から抜け出すことができない。
それなのに「陽気ぐらし」を標榜するのは、根拠のない言葉で人を騙し続けてきたが、それも終焉に近づいてきた。早く世の中から消えることが信じた者達を救う道だと思います。
宗教学者の島田裕己氏によると10年後に消滅するのは天理教と立正佼成会だそうです。
信者から集めた祝い金を人助けに使うのならともかくも、自分の為の花火大会に使うのだからそりゃあ確実に消滅に向かうでしょう。
大亮くん。
あなたは二代が取り掛かって中途半端なままにしている「復元」をする気がありますか?今信者はだまされています。
全国の信者やまじめな教会関係者が教祖の真実の教えと本部が創作した偽教理の間に挟まってどちらが正しいのかと悩まざるを得ないのが現状です。教祖の教えと教団の方向性は、全く一本の筋が通らず、支離滅裂になっております。世界一陽気な夫婦になどと、能天気なことを言っている場合ですか。天理教存亡の待ったなしの喫緊の課題です。祭り上げられ、おべっかとゴマすりの小さな世界で信仰の本質、方向性のかじ取りが出来ないなら、ことある毎に花火大会してたらよろしい。世界一の陽気なバカ夫婦になったらよろしい。
それから、
人生経験も信仰経験もまだまだ浅いただの若造が真柱の息子と言うだけでもう修理巡教に出ているのか?
こういう感覚、思考回路だから、世間も信者もついていけないのだ。大亮くん、もう早々神の代弁者になったつもりか?
世間の人間が大なり小なり皆経験する経済的、又は精神的苦悩、惨めさ、諦め、絶望、言いようのない不安。それでも立ち上がる、勇気、踏ん張り、等々。
一通りの経験をして器を大きくしてから人にものを言いなさい。今から巡教だなんておこがましいにもほどがある。
大亮くん。こんなお山の大将が代々続くから、天理教が世間から距離を置かれ、陰で笑いものになるのだ。
代々浮かれていて気がついたら「天理教の信者減少に歯止めがかからない」などとというあなた達一族が見たくもない記事が世間の目に触れるようになるだ。
匿名教会
大亮様の教会本部でのお立場はあくまで青年会長(内統領管轄の部署長、つまり中間管理職)であって、まだ教団の責任役員のような立場ではありません。実権を握っているのは実のお父様であり、公での言動は殆どすべて善亮先生の意のままにされていると思われます。批判の矛先を間違えないでください。
>実権を握っているのは実のお父様であり、公での言動は殆どすべて善亮先生の意のままにされていると思われます。<
実権を握る舵取り役が向かう針路を間違えると悲惨ですね。大亮さんも操り人形のようなものかもしれません。
後10年というのは多くの教会関係者が感じていることです。巨大建物群だけが無残に残され、維持管理費を拠出していた全国信者の劇的減少。激増している後継者不在の事情教会。今後は前に進もうにも後ろに引き返そうにもどうにもならない大きな悩み事を本部は抱えそうですね。
人を助けてわが身助かる。とお聞かせ頂いていますが、人を泣かせば自分も泣くはめに。
>批判の矛先を間違えないでください。
確かにおっしゃる通りです。
矛先は本部在籍者集団です。
小沢一郎も言ってました。「神輿は軽くてパーがいい」
大亮君は、本部在籍者集団に担がれた神輿だと思います。
彼もまた、違った意味での天理教の犠牲者になるのかもしれません。
本席のおさしずの通り、「鏡やしき・地場は丸曇り」本当に末期症状だと思います。
善亮さんも神輿に乗せられた人間かもしれません。
だとすれば本部在籍者集団のどのあたりが強欲の母集団になるのでしょうか。
やはり山澤派閥ですかね。
山澤ににらまれたら本部員なれないよと八島さんから聞きました。
だいすけ樣ぁ~お父様ぁーぜんすけ先生ー
んーなんと麗しき響きファンタスティック!
金正恩将軍様ぁー
ところで、匿名教会さんのこの組織はあと10年で消滅するとの情報ありがとうございます!
元気がでてきました。私は軽いうつなのですが
希望のようなものが感じられうれしく思います。
10年との具体的な数字、リアルに感じられます。
遅かれ早かれ消え去るものと、また現在加速度的に崩壊消滅への道をまっしぐらにつき進んでいると思われますがこれこそ正に天理ではないかと思います。
神の道?誠の道?真実の道?を説きつつも際限なき組織拡大を目論み、巨大建物の建築、そのための集金システムなどにより、信徒を惑わせ、狂わせ、苦しませてきたことのしっぺ返しはとても筆舌では表せないものだと思います。これはただ事では済まされない、歴史に名を残し語り継がれる(当然悪い意味で)事になろうかと危惧しますが、、、
ほんの30年ほど?前まではソビエト社会主義共和国連邦という大きな国が有りました。もうひとつの大国であるアメリカ合衆国と張り合うほどの大国でしたが消滅するときはあっさり消滅しました。
人々に、また大衆にとって必要とされなくなったものは消え去る運命に有るようです。
時代は変化し、また変化し続けている。宗教と言えどもその変化におもねることはないとしても変化に対応して行かねば人心に訴えかける事はできないでしょうし共感も得られないでしょう。
人々に、はたらきかけるのならその時代というものをわかっていないとたすけれないのではと思われますが、、、
教祖さんの教えが神の啓示かどうかを証明する事は難しいですが必要とされるならば残って行くことでしょう。
宗教団体のための宗教?。本来は人のための宗教なはず。
この組織では宗教団体のための人々?という倒錯が起こっている。
もうこの金にまみれ汚れ尽くした組織には早々に消えてもらいましょう。
教祖は何を思うや?
教会数一万六千箇所?まあ実質的にはかなりの割合で死んでいる教会が多数あるだろうことはデータを見なくても想像がつく。
それにしてもそこそこの組織体ではある。
今この組織が崩壊瓦解の道をたどっている。
しかし、打つ手はない。そもそも肥大化し過ぎでコントロール不能だろう。
またコントロールしているのが何の競争も切磋琢磨も無く親が本部員で世襲で本部員?なぬるま湯環境の頭脳明晰なメンツが舵取りしているんだろ。沈没は必然。
退職信者様
ご承知かと思いますが、山澤派閥は今や永尾派閥の一部であり、永尾家はそもそも飯降家の分家です。
「世界一の陽気な夫婦」ですって?
「世界一列」を「陽気暮らし」していただくよう勤めるのが、あなた達の役割ではないのですか?
このままだと、「世界一能天気な夫婦」になってしまうでしょう。
私は、第三代の真柱から「おさずけ」を戴きましたが、もう、これを返還したいと考えています。
「おさずけ」を返還するには、どのような手続きをすればよろしいでしょうか?
どなたか、ご教示をお願いします。
山澤派閥 永尾派閥 飯降派閥 おや様の高弟の子孫は、要するにみんなゴミですね。
飯降家の人が、天理を嫌って関東の一地方都市に逃げてきているとその地の教会長が教えてくれました。
聞いたのは昨年の4月ごろです。
私の住む隣の市です。
天理教内のまともな人は、天理で生活なんかしたくないのでしょうね。
棄教希望者さんへ
「おさずけ」を返還する
信じる信じないは貴方次第という話になってしまうのですが、「須藤花井さん」から聞いた話です。
「おさずけ」を頂くという事は、神と繋がるという事だそうです。
おふでさき
17-14 いままではどんな心でいたるとも いちやのまにも心いれかえ
この歌が「おさずけ」を頂くという事と聞きました。
つづく17-15には しんじつに心すきやかいれかえば それも月日すぐに受け取る とあります。
「おさずけ」を頂く事は、神と繋がる事であり、現行天理教とは、全く無関係な事だそうです。
親神と共に在りたいと思う気持ちの表れが「おさずけ」の本質であると思います。
ナライトさんが排除されたあとの「おさずけ」に疑問を持つ方もいると思います。
その点についてどう答えたら良いかわかりません。
ただ私たちが、親神を慕う気持ちは充分に汲み取ってくれています。
「神には倍の力がある」とおや様も言ってました。
私達が神を一の力で掴めば、神は二の力で掴んででくれる。
百の力で掴めば、神は二百の力で掴んでくれる。
一万の力で掴めば、神は二万の力で掴んでくれる。
私達が親神を思えば思うほど、親神はその倍の思いで私達を守護します。
「さずけ」はその「証」であると思います。返還の必要は無いとかんがえます。
退職信者 様
貴重なアドバイス、有り難うございました。
神と繋がったままで、天理教とは縁を切ることにします。
退職信者様
勉強になりました。
ご教示ありがとうございます。
天理教内にはびこる格差社会、結婚もお家柄重視で格差恋愛は裏工作により引き離される。末端教会の生活はますます困難を極め年金は愚か、日々の食事にも事欠く次第だが、上級、支部から教務費それとは別にお供えの強要、土地建物も本部名義にされ教会を出るならば、ホームレスになるしかない状況である。上層部は、贅沢極まりない生活をし陽気暮らしを歌っている。こんな邪悪な組織が存続していること自体、不思議でならない。完全に本来の人助けから逸脱している教団は、一刻も早く店じまいすべきである。あと10年と言わず、5年で消滅して欲しい。
天理教が消滅しても信者は困らない、お供えや理不尽な上下関係から解放され
心の中で神様に感謝すればよい
困るのは偉そうにお供えで暮らしていた人たちだけ
これはあくまで自分の予想、予測ですが、教会本部は今後も今まで通りの運営、活動をしていくと思います。
そして教団から出て行く人は出て行かせ、残った人達からは今まで通りのお供え攻めをして行くでしょう。
そして最終的には全国にある機能停止した教会(いわゆる事情教会)の土地を本部のモノにして、その土地を売るなり、商売を始めるなりして金儲けをするつもりかも知れません。
ただそれをするには、さすがに各地の直属教会(大教会)が反発するのは目に見えています。
だから去年話しに上がっていた大教会の法人乗っ取りをしたのではないでしょうか?
大教会の人事を大方手中に収めてしまえば、後はなんとでも理由を付けて事情教会を簡単に潰して、本部の持ち物に出来るでしょうから。
末端から反発があったとしても、のらりくらりかわせばいい、それでもダメなら理由を付けて懲免すれば良いと…。
あくまでも一個人の予想です。
でも今までの教会本部の通り方を見ていると無きにしもあらずな気がします。
本日中山みき研究ノートを
初めて読ませていただきました。
衝撃の事実の数々…
以前からおやさまのひながた、
ひながたと言うことに
違和感と疑問を感じていましたが、
これほどまで今の天理教が言ってることと、
事実で違うのかと開いた口が塞がりません。。。
多数の金銭被害者を出して、開いた口が塞がりません。
税金すら払わないくせに何故宗教法人なのか?疑問です。寄付してるからですか?
宗教法人を剥奪して、課税すればいいんです。
退職信者様
おさづけを戴くということは神と繋がる事である、、、
なるほど、と思いましたが
私が感じるに本当にやさしく綺麗な心の持ち主が手当てし、一心に祈ればご守護というものがあらわれるのではないか?と
おさづけを戴いていても逆の有り様だとなんらの効能?も見られないであろうことは明白ですね
一番はおさづけを戴いたうえで誠真実の心の持ち主になれれば百人力てことでしょうか?
わたしは高校生でおさづけを戴きもう何十年もたってしまいましたが使ったことはゼロに等しいですね。
ダメ用木だなと思いますが無意識のうちにも教団の欺瞞に気づいていたのかもしれません、、、言い訳か、
イワシの頭も信心から
苦しいときの神頼み
触らぬ神に祟りなし
唐人が日本の地に入り込んで、ままにするのが神の立腹
この先は、唐と日本を分けるでな、これわかりたら世界治まる
高山の真の柱は唐人や、これが第一神の立腹
上たるは、だんだん世界ままにする、神の残念なんと思うぞ
筆の先で、皆、示されている通りにアラワレてきているだけです。
この道は、天然自然の教えであり、人工的な演出は真逆です。神聖なぢばを、ホコリで覆い尽くし、苦労の中、真実を尽くし運んでいる誠の用木を勇ませるどころか、萎えさせ、拠り所から遠ざけています。
神様は、情けない、どのよな思案したとても、人を助ける心ないので、と残念がっています。
お上は、教祖のひながたを辿ることを口を並べて説いて下さいますが、やってることは、ひながたの真逆をしておられます。真剣に、この道一筋に生きておられる方を何だと思っているのでしょうか。
御筆先の通りアラワレているなら、いよいよ往還道が見えてきた証だと思案しています。
それまで、一人でも多くの方が、お蔭を落とさないよう、神様、教祖の用木として共に、ただ一筋の真実の道を歩んで行きたいと切に願います。
レーザーにベンツですか?
爪の垢でも煎じて飲まれればいい。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171109-00010001-bestcar-bus_all
古い元会長さんがよく拡散されている東京天理教館などのビル群の所有。
私の親はもう80の歳になり正に人生の全てをこの道にかけて来た、この教団を支えて来た典型的な用木ですが。まさか教団がビルを所有し収益をあげているなどと夢にも思っていないでしょうし信じられないことです。
なので今更そんな情報を耳に入れるのも残酷なことなので知らせるわけにはいきません。こんな人生の全てを捧げたと言っても過言では無い無垢な人々を裏切り、宗教を隠れ蓑に、悪用利用し金に走り、蓄財に励み、私腹を肥やし、自己保身しか頭にない奴らを許すわけには行かない。
この落とし前はきっちりつけてもらわねば・・・マジで銃殺刑ものだ日本人は温厚で争いごとを好まないが国が国なら”チャウシェスク”・・・になってもおかしく無い
武士の情けで切腹にしてやっても良いが・・・
>一心に祈れば御守護というものがあらわれる
仰る通りです。
3週間ほど前の夜、知人の男性から電話がかかってきました。
母親が危篤状態になり病院へ運ばれたというのです。
母親は、悪性腫瘍に罹っていたのですが、4月ごろより延命治療を断り薬の服用を止めていました。
担当医から、早く家族や親類縁者を呼びなさいと言われたが、自分に何かにできることはないかと尋ねて来たのです。
私は、もう残された事は、おさずけを取り次ぐ事だけだよと伝えました。
後は、神さんに任せるしかないと話したのです。
2日後の朝、男性から電話があり母親が見舞い客と元気に話してると伝えてきました。
担当医は、何が起きたかわからない、奇跡としか言いようがないと言っていると話してくれました。
おさずけは何回やったか覚えていない、とにかく必死だったと言うのです。
そして先週の火曜日、31日に母親は無事退院しました。
この事態を目の当たりにした男性の妹さんと友人がぜひ別席を運びたいと連絡してきました。
一昨日私は、このお二方に話をしてきました。
「さずけの不思議な力を見てお席を運ぼうと思ったらそれは間違いだよ」
「さずけが効いたのではないからね」
「お兄さんの日々真実に通る心に神さんが答えてくれたんだからね」
「お兄さんの在り方を忘れたらだめだよ」
そのうえで
「日々神さんを心に思い、真実に通る、喜びの心で通る、この思いがあるなら運ぶ意味はある」
「そうで無いのなら運ぶ意味は無いよ」
このように話してきました。
「さずけ」は「病助け」の手段では無いと思います。
「ききたくばたつねくるならゆてきかす よろづいさいのもといんねん」
神と共に在りたいと訪ねた証が「さずけ」だとおもうのです。
親神は病助けや事情助けの為に、みきに話掛けたのではないと思います。
親神がみきを通して伝えたい本質は、「真実に通れ」と言う事です。
おふでさきには「しんぢつ」があふれています。
しかし、本部は「おふでさきのしんぢつ」には決して触れません。
なぜなら、彼らは己自身の「不実」を認識しているからです。
親神は、私たちに「さずけの取り次ぎ」を求めていません。
親神の思いは、私達が「日々真実と喜びの中で過ごす」ことです。
退職信者様
投稿ありがとうございます。
おさづけに関して貴重な体験談を聞かせていただき、正直感動という反応を超えて震えというか寒気のようなものを感じました。
本来はやはり体験談のような世界に生きるべきなのでしょうが今は打倒腐敗教団みたいになってしまい悲しい情け無い姿です。しかし、退職信者様のような方がおられまた行動されているんだなと思うとやはり希望というか安堵というか心が洗われる気がします。
これからも貴重なお話伺えればと思います。
ありがとうございます。
棄教希望者 さま
2017年11月6日 1:20 PM
私は以前、匿名で、本部に電話して同じことを聞きました。
回答
「できません。棺桶に入るまでお持ちください。」
姑が布教師で苦しんでいます 様
コメント、有り難うございました。
以前、私の妻が、夜中に「胆石」の痛みで苦しんでいたをとき、私が「おさずけ」をさせていただいたところ、「おさずけ」が終わる頃には、痛みがなくなり、妻も熟睡できました。
次の日、病院に連れていきましたが、そこで胆嚢にガンが見つかり、手術していただいたところ、無事に生還しました。
すでに三年半経過しましたが、今のところ、再発もなく、無事に過ごさせていただいています。
所属教会は、300kmほど離れた田舎にあるので、日参は出来なくて、これまで定期的に「お供え」を送ってきましたが、今回の「レーザー」や「花火」の映像を見ると、今後も「お供え」を送り続ける気持ちが雲散霧消してしまいました。
これまで「お供え」として送っていたお金は、今後は、「あしなが育英会」の方に送って、より役に立つ使い道に使用していただくことにします。
今後は、教会への参拝はやめて、神様との直接の対話のみにさせていただくつもりです。
2017年11月11日 9:53 AM
>神様との直接の対話のみにさせていただくつもりです。
そうです。それが一番です。私は、八百万神信仰ですので、神社、仏閣、お地蔵さま、青空、白峰。。。
あらゆるものに手を合わせます。常にお賽銭は10円です。
私は「信仰心」はありませんが『信心』はあります。
その昔、永平寺のご案内係のお坊様より
「手を合わせるだけで幸せになれる」と教わりました。
手の皺合わせ=幸せ だそうです。
棄教希望者 さまの前途が明るいことを心よりお祈り申し上げます。
合掌
姑が布教師で苦しんでいます 様
暖かいお言葉、有り難うございます。
これで、棄教の決心が、確固たるものになりました。
魑魅魍魎が巣くう「お地場」にも、もう近づかないことにします。
>私は、八百万神信仰ですので、神社、仏閣、お地蔵さま、青空、白峰。。。
あらゆるものに手を合わせます。常にお賽銭は10円です。
お賽銭10円でも、大勢の信者さん達の善意と一緒に、お地蔵様の前掛けや御帽子、お菓子などに使われたり、境内の美観を維持したり、有意義なことに使われて、お喜びいただいてるでしょう。10円とは、全くもって羨ましい・・。
大教会の〇〇年記念に、お供えをお願いしたい、と上級会長から、のし袋を送って来ました。「自分も、もう歳なので、大教会への最後の御奉公だと思っています」との上級からの手紙。(だから、大教会へのお供えを出してくれ、ということでしょうか?)
あなたの、大教会への最後のご奉公が、こちらと、何の関係があるのでしょうか?
洗脳による、勘違い信仰から来るずうずうしさを、まったくご本人は理解してないようです。
どなたか教えてください。
うちの上級は部内会長達が大教会に泊まった際の食べ賃、泊り賃のお礼と称して勝手に一定金額を大教会にお供えし、自分だけ良い顔をしている。
その裏で私たち部内が大教会に泊まる際、上級はその都度、現金回収する。(大教会へのお供えとして出してください、と言うので食費、宿泊料だと知らずにずっと上級に渡していた。)
不信に思い、このお供え金は大教会に納めているのか?と問いただしたらうちが立て替えてるからうちがもらっておくと言う。
頼みもしないのに勝手なお供えをして、裏で回収するやり口は私は納得出来ない。意思のないお供えを無理やり出させているのと同じだと思う。
そもそも我々末端が長年にわたり莫大な金額を納めたお供えで大教会の普請が出来、修理もし、また彼ら大教会一家はお手当までももらえてぬくぬく生きていられるのではないのだろうか。
大教会行事で招集がかかり大教会に泊まるたびに食費、宿泊料を支払うのはよその大教会でも一般的なことなのでしょうか?ケチな話ですが情報として知りたいのでどなたか教えていただけたら有難いです。
退職信者様。
日ごろ不満をぶちまけている私ですが、心が洗われる気がしました。退職信者様のような真実の方の、一人、また一人と草の根運動で世の中に光が漏れ広がるのだと思います。このような誠の心に親神様は働いて下さるのでしょう。
物事の本質、教祖みき様の教えの本質を求める心があれば、大丈夫な気がします。方向を見失ってしまっている現教団など相手にしなくても、目覚めた個々がしっかりした信念を持っていれば怖くないと思います。
現教団を相手にしている程の時間の余裕は本当は無い気がします。残り時間を有意義に「しんじつ」で生きていきたいと思います。
連続投稿、失礼しました。
末端教会の者様
投稿を拝見させていただきました。
わたしは末端教会の子弟ですが所属大教会(超零細)に宿泊することは無いのですが、おっしゃるように信者のお供えで建っているのだから宿泊料を取るのはおかしい!でしょ。ふざけるなレベルですよ
まあ食費の支払いは有りとしても宿代取るか?って話だと思いますが、、、そのぐらい大教会も台所事情がヤバいんじゃないでしょうか?
個人的な見解ですが他の方の見解も聞いてみたいですよね、、、おそらく同じではないかな?
(すいません、詰め所は宿泊料取られますね!
信徒のお供え金で建ってますけどね、、、こちらも維持管理費が赤字だと思われます。詰め所費との名目で毎月決まった金額納入してますね。建てるのに金取られ、建ってからでもまた取られ、取られてばっかり)詰め所も、ものの見事に伽藍堂化してますもんね、、、稼働率まじでひとケタ、、、何のための施設だ、、、
喜んでるのは竹中工務店だけか?中枢部竹中からバックマージン受け取ってそう、、、
ロンリーようぼく様
早速ご返事ありがとうございます。
>信者のお供えで建っているのだから宿泊料を取るのはおかしいでしょ。<
私は常識的な範囲において必要なお金は出し惜しみはしません。しかし、大教会は信者一同の涙と汗の結晶、自分たちで建てた建物です。食事材料も大教会のご神饌の供物代金になるであろうお供え金を上級を通して納金しています。そのご神饌を下げて調理し、皆で頂くのです。当然無料で宿泊でき、当然無料で食事(お供え金で先払い済です。)出来るべきです。
他の大教会の実情もお聞きしたいです。支払いの必然性がなければ「おかしいでしょ。」で突っぱねたいですが。維持管理費が赤字で(こちらの責任ではありません)建てるのに金とられ、建ってからもまた金とられ・・・ハア・・・
詰所は詳しくは知りませんが旅館組合等の関係で、有料になったらしいです。
末端教会の者様
私の所属大教会は、
信者に宿泊料や食費を取るような
ことはしませんよ。
詰所は簡易宿泊施設という法に基づいた扱い
になるようなので、
宿泊費や食費が取られますが、
教会がそれをしたら、
ちゃんと届け出をしなければなりません。
もし公にやっているようなら、
その大教会は法律違反ですね。
私の教会は車の購入時に信者にお願いしてお供え集めて車を買い
信者が教会の車を借りるとガソリン満タン返し以外に車お供えをとられます。
でも自分の子供が(働いている子供)車ぶつけても修理もしません。
匿名の皆様へ。
有難うございます。やはり所属大教会によっては理不尽、かつ大教会一家の利己主義がなされているのですね。理が違うから事故っても「修理代、信者持ちは当たり前だ」なのでしょう。裸のお殿様はお粗末な神経です。宿泊料、食費についてはおそらく無償が大方だと想像はしていますが。
>詰所は簡易宿泊施設という法に基づいた扱いになるようなので、宿泊費や食費が取られますが、教会がそれをしたら、ちゃんと届け出をしなければなりません。<
うちは上級へ泊っても宿泊料取られます。ご投稿の内容を説明し、自分たちがやっていることが法律違反であることを伝えます。
有難うございました。
そういえば、ある大教会に住み込んだらお与え月額1万円と、偶然にも同額の1万円を
身内に負担してほしいと言われたそうです。
お与えの金額は後になって知ったそうですが、大教会の会計が苦しいから住み込み料まで
要求されるのかとびっくりです。
住み込みさんがいないも同然の大教会が現実に有ること、これ又、信じられないことです。
勿論、住み込み料なんて大教会も言いませんよ。
言われた方も、断ったと聞いています。
背伸びして大教会になり、今になって体面を保つのに四苦八苦。
それでも部内教会を大事にできる、尊敬できる大教会であればよいのです。
天理貴族の一員として大教会の家族だけが優雅に暮らしてきた〇十年間に
分教会や部内の先生方と家族のほとんどは前会長時代に心が離れてしまった?
私の教会で最近おぢばがえりをするようになったか方が
教会が請求したおぢばがえり費用の内訳を見せてほしいと言いました。
レンタカー台、高速代、ガソリン代、詰所宿泊費、詰所食事費
行った人数で割るとかなりの金額多く請求されていました。
よくわからない〇〇お供えがある。
ちゃんと割り勘しましょうと言っておられましたが、教会の人は迷惑そうでした。
教会は信者から多く取って自分達家族の分は浮かせていたのでしょう。
おぢばがえりも商売ですか?
聞くところによると団参は浮かせるように費用集める教会の方が普通みたいですね。
末端教会の者様
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/seikatsu-eisei04/03.html
厚生労働省による旅館業法の概要が載っています。
参考にしていただけたら幸いです。
そもそも、信者のお供えで生きていこうとしているのが、本部や大教会、分教会。
生活するための信仰か 信仰するための生活か
最初は、信者のお供えで食べていく方々の心は清かったのだろう。
時間が経ち、濁っていく…
仕方ないのだろう。人間だから。そんな人間も神からすればかわいいわが子。
そして、信仰してても必ず助かったり、必ず良い方向へ事が運ぶ訳ではない。
レーザービームと花火で助かったのは業者。それは間違いない。
匿名様
詳しい資料有難うございます。これを示せば教会が宿泊費を徴収する事が違法である事がわかります。
>旅館業の種別は以下の4種がある。
旅館業にはホテル営業、旅館営業、簡易宿所営業及び下宿営業の4種がある。<
(詰所は簡易宿泊所営業にあたり、よって宿泊料、食事代を徴収することが出来るが、一般教会は宗教法人法の適用であり当然旅館業の種別に入っておらず、宿泊料徴収することは出来ないという訳ですね。)
>営業の許可
旅館業を経営するものは、都道府県知事(保健所設置市又は特別区にあっては、市長又は区長)の許可を受ける必要がある。<
(詰所は奈良県知事の許可を受けている。しかし全国の一般教会は当然ながら旅館業としての許可を受けてない。)
天理教は筋道だ順序だとよく言います。半面人権無視も甚だしいような事がよく行われています。今回の件でも法治国家において法による筋道を無視し、滅茶苦茶をまかり通している事がわかりました。今後は為されるがままではなく、きちんと「法」に基づいた話で物事を正していこうと思います。
よい資料提供、誠にありがとうございました。
私の所属教会は上教する度に、月次祭、ひのきしん、宿泊、お供え込みで毎月3万円の請求が来ます。交通費は別途自腹です。
欠席するとお供えの取り立ての電話がかかって来ます。「今月未だ未納だ」と。
支払う迄電話で督促が来ます。
最近では振込しますと返事して、振込もしてません。
大祭になると毎月の額に更に増やさなければなりません。同額だと電話で「額が同じだ。チョット増やさんか。大祭ぐらいは多めに寄越せ。」と図々しく叱責して来ます。寝るお布団はいつ干したか解らない位の煎餅布団。オマケにダニが沸いてて背中が痒いんです。大教会でさえ住込みさんが居ないのも頷けます。
この宗教から、何を学ぶんですか?
匿名様
いつもおつとめご苦労様です、、
>この宗教から何を学ぶんですか?、、、
人間の愚かさ、、、宗教とは何か?宗教の怖さ、、
集団になった人間の愚かさ怖さ
などが学べるのでは、、、
天理教にこだわらず
人生とは、人間とは、この世とは、自分とは
など広い視野視点で学んで生きたいすよね
匿名様
お辛い状況におられること、心中お察しします。
>今月は未納だと支払う迄電話で督促が来ます。
最近では振込しますと返事して、振込もしてません。<
「振り込みます」は良いお返事です。催促が来たら、「工面ができませんのでまだ振り込めません。出来たらその時に・・」とかわし続ければどうでしょうか。とにかくかわし続けるのです。
実際、上級が財布に手を突っ込むこと時はできないのですから、根くらべです。負けて出したら、足元を見られますよ。当方も精一杯したお供えが「少ない」と言われて、以後お供えは中止してます。
そんな上級教会にはいかない事。お供えはしないこと。「ほこりはよけて通れ」とおやさまは仰っておられます。
色々横の関係で話をしていると「上級に行かない、来てもらわない」を押し通している末端教会は意外とあるようですよ。徴収項目も系列で違い、好き勝手な項目を決めて金集めをしているようですね。「身上借り費」なんて項目作って各教会から万単位のお供えを巻き上げている所もあります。
現教団組織から学ぶことはありません。教祖中山みき様の教えをきちん学び、それをはっきり主張し矛盾点を指摘して回答してもらいましょう。私の上級はしどろもどろで回答できませんでした。教理など知らない。金集めが仕事、たくさん集めて上にいい顔する。それが仕事だと思っています。
生きる軸足はあくまで自分です。脱退した中島みゆきも「他人にオールを任せるな」と叫んでいます。
巡教と称し、真昼間から酒を搔っ食らって女子青年の酌で酔いしれ、腹一杯になり帰る時には懐にたんまりとお礼をもらうこれが現教団の言う陽気暮らしである。なんで、古びた教会にきて「そんな接待はいらん、手弁当持ってきた」と言えんのか?ほんま、この組織は腐り切っている。形ばっかり追い求めた結果、心が失くなってしまった。泥舟が沈むのも間も無くでしょう。
末端教会の者様
身上借り費!?
笑ってしまいました。
どこの系統ですか?
正直隠していても仕方ありません。
イニシャルでもどんどん公表して事実を明らかにしていく方が、
教団や信者の為だと思います。
匿名様。
横のつながりで聞いたのでその会長さんがどこの大教会所属なのかは、はっきりしません。
曖昧な記憶でTだったか、Kだったか・・
自分がいる間は年金で何とかなるが、息子の時代にはどうなるのか?と語っておられました。よいお方で「まあ出すものを出していれば後は神様が何とかしてくださるでしょう」と。
神様はお金をまいてくれる訳ではないし、何かをしてくれる訳ではないですよ。と伝えてみましたがそんな話は昔ながらの信仰者の耳には届かない感じでした。
息子さんは道一条の初老の独身で、大教会や支部の各種行事で出ることが多いから、決まった仕事が出来ないと母親の会長さんは言っておられました。先々年金もらえるのかどうか、母上が亡くなられたらおそらく食べるのさえ厳しいはずです。
そんな高齢二人暮らしの貧乏教会から、「身上借り費」正式名称はちょっと違ったかもしれませんが要するに「身上を借りていることへのお礼のお供え」の請求が毎月あるということでした。
こういう素直で上に文句を言えない従順な高齢会長さん、信者さんの血と涙のお供えが今の教団の経済を支えています。上納するからいつまでも上は目が覚めない。いつまで被害者が出続ける。
この中身のない本質を見失ったもはや巨大な残骸を確実に終わらせるにはお供えをストップするのが最短で最善の方法だと思います。
老人や困窮者から金吸い上げて大亮はどんな善行をおこなうんや~
狐の嫁入り のぶえちゃんはどう旦那の手綱を引くんや~
善亮さんと正恩さんはどちらが邪悪なんですか?
匿名3様
悪の顔をした悪と
善の顔をした悪と
どちらの方が邪悪でしょうね。
神様は、どう思われているのでしょうかね。
人間始めかけた・・・人間宿仕込みの元なるぢば
人類のふるさと元のぢば
などと聞かされ、いかなものでも恋しなる・・・
これの神床にお鎮まりくださいます。親神天理王命のみ前に・・・などと聞かされ・・・
でも本当かなこの場に神が鎮まっているのかなー
参拝すればみんな熱心におつとめしているし・・・でも自分は気持ちが入らないなー
信仰心が無いのか?不届きものなのか?でもなー
信じられないものを無理に思い込むのもなー変だしなあ
みんな、本当に信じているのかなーちょっと怖い気もするよなー
甘露台、ぢば?拝んでるけど・・・何に向かって礼拝?
木のモニュメント?地面?やっぱり親神さま・・・思い込み?
本当に・・・信じてる?・・・
てか、証明することもできないしなー
不思議な御守護を体験した人は信じれるのかな?
それは嘘です。
自分の所属している教会の上級は、後継者がもう、精神的にヤバい状態なので終わっています。
上級の教会長・教会長の妻もかなり世間離れしていて、一般社会では非常識とされる、酷い事ばかり言ってきます。
上級ではなく、所属している教会の人間から
「〇〇さんはもうダメ(自力では生きていけないという意味)なんだよねwww」 と馬鹿にされたことが3年ほど前にありました。
人助けどころか、人を死なせようとしているとしか思えません。
上級の教会の人間も、所属している教会も自分達が生きていくだけで精一杯という状況。
頭がもう、くるっています。
そういえばうちの上級会長も発達障害・人格障害です。無理難題は当たりまえ、こちらの財布に手を突っ込み、散々な目に遭いました。ほこりは避けて通れと教祖が言われています。もう相手にしないことだと腹を決めました。「もう、恨みしか無い様」が経験されたようなことは、私も経験してますので容易に想像できます。天理教世界では珍しいことでは無いのですね。こんな教会が存在していること、これは社会悪です。存在意義はありません。
また一般に洗脳されている多くの教会長の目は神に向いているのでは無く、上の人間に向いています。
どれだけ人を助けたいのか、どうすれば人の心に寄り添うことが出来るかでなく、どれだけお供え金を上に納められるか、また修養科に何人送り込めるか、そんなノルマに苦しめられているのです。(悲しいことにそれが信仰だと信じてやってます。)だから、元締めの大教会は大忙しの師走時期に全分教会長を招集してお供えの心定めをさせる。書面に数字を書かせて提出させる。
それが人助けを標榜する宗教法人大教会の責任者のする仕事ですか?人助けの競争をさせるのではない。人助けの心構えやスキルを磨く講話を垂れるなら招集する意味があるしこちらも行く意味がある。しかしお供えをもっと頑張れの叱咤激励だからやってられない。
天理教はもう終わったと感じています。少なくとも私は完全に心が離れました。吐き気がします。悪党の加担はしたくない、心底そう思います。
昔、地方のとある単立教会の後継者として養子になりました。
養子になるまでは理解力のありそうな優しさのある叔父と叔母だと思ってましたが、いざ養子として教会に入ってみると、何かとうるさく、融通がきかない人達だった事が分かり、相当に辟易してました。
アタマにきた出来事や言動は枚挙に暇がないのですが、その教会にいて一年以上過ぎた時、自身の都合でそれまでやっていたバイトを辞めて、別のバイトをはじめました。
しかしそのバイトはそもそもの時給が安く、勤務時間も短い事から以前のバイト程稼げませんでした。
それまで月次祭に月三万円お供えをしてましたが、結果的にお供えの額を減らさざるえませんでした。
「それでも、少しでも、できる限りなんとか」と思い1万円お供えしました。
その月の月次祭も終わり一息ついていたら、会長が自分に対し、「
なんだあのお供えは?もっとお供え出来んのか⁉︎」と言いました。
流石に言葉を失いました。
子供時分から読んでいた教祖伝逸話編の中には「形や価値ではなく一名一人の心を、誠真実を神は受けとる。」…と言う内容の話しがあり、自分もそれを信じて疑いませんでした。
しかしそれは嘘でした。
少なくとも養子先の会長夫婦には「一名一人の誠真実よりも、大勢の福沢諭吉」の方が受け取りたかったのでしょう。
そしてそれがキッカケとなり私は教会を出て、養子縁組を解消していく事になっていくのですが、またそれは別の機会に。
ハッキリ言う、「天理教は糞だ。」
転石人様
胸中お察し申し上げます・・・
天理教は「世の中は、金や物では無い!人間にとって大事なのは誠の心や」と・・・と言っておきながら、結局のところは金、金が一番、金がすべて、金、金、金が欲しい教団に成り下がってしまいましたね。(残念ながら・・・)
白黒つきました。
さあ、自分たちはどうすべきか?という問題に直面していますね。
自分を大事に生きていきましょう・・・
特命様
ご返信ありがとうございます。
因みに先の叔父、叔母は教会に入ったお供えを全額上納してると得意そうに言ってました。
それもあってか教会建物はオンボロ状態でした。
神殿の脇は床が抜けていて、大きめの板を置いて隠している状態でしたし、使われてない二階の部屋は物置状態になっていて奥は埃を被った使われる事もない物、着る事もない服が乱雑に放置されてました。(神殿の二階、丁度真上が埃まみれの物置になってたのは今思うと凄く皮肉だなと思う)
正直、「上級に上納する前に、自教会の整理、補修せいや!」と思ったものです。
考え無しに何の疑問も持たずにお供えする叔父、叔母も相当にイッチャッテましたが、それぞれ部内の教会の事情も鑑みずに只々そのお金を回収する大教会もイッチャッテます。
そして更にそのお金を回収してレーザービーム飛ばしたり、スモーク焚いたりしてる連中はもう完全にアタマの中イッチャッテます。
そのことを神様はどう思っているのか?
疑問に答えてくれる場所は、お地場にはないのか?
本席様までは答えてくれたんじゃないのか?
神様までイッチャッタのか?
云っちゃた様
神様は何も思ってないと思います。
もし思っているとするなら「自分でどうにかせい。」と言うところでしょうか?
自分は神様云々より「自分がどう思うか、自分がどう感じたか、自分がどう行動するか。」の方が大事だと思います。
地場に疑問の解決をしてもらおうとも考えていませんし。
真柱継承者の結婚馬鹿騒ぎには、ほんとあきれ返るばかりである。よくも壇上で「世界一陽気な夫婦になります」と言えたもんだ。頭の中がお気楽トンボで陽気なだけであろう。自分が汗水流さず、他人の苦労して稼いだ金で気違い染みた演出をする事自体、この宗教の馬鹿さ加減を披露しているようなものだろう。
現在、天理教組織内で時間を費やしている若者が不憫に思えてならない。常識を逸脱した待遇にも関わらず、見せかけの教理に騙され気づいた頃には、嫁もなく、仕事もなく、老後の年金すらない状況である。本部、大教会、上級はそんな若者を使えるだけ使って、自分たちの至福を肥やし使えものにならなくなったら、ポイ捨てである。教祖の教えから逸脱した組織はただの金集め集団と言っても過言ではない。
偽りの教えに早く気づいて、人生の軌道修正を早く行うべきだ。
レーザー花火に次いで呆れた税金の無駄遣い。
https://search.yahoo.co.jp/amp/www.sankei.com/west/amp/170419/wst1704190001-a.html%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEYASAB
転石人 様
教会を出られてよかったです。今は何をされているのか分かりませんが、全国には「能力開発センター」があります。
最近は、例えば「溶接士」は極端に足りない状態です。一人前になるには、どのような職種でも10年近くの時間を要しますが、能開センターで基本を学ばれて就職され、研鑚に勤められれば素晴らしい技能士になれると思います。
溶接だけではありません。能開センターにはいろいろな技能の基本を学べるコースがあります。
天理教で無駄な時間を費やすより、シッカリとした技能を身に着けて将来に備えてください。
そして、暖かい家庭を築いてください。教祖が最初に発せられたお勤めの文言は、「ちょとはなし・・・ふうふをこしらえきたるでな・・・」です。あしきをはろうて・・・ではありません。
天理教は何かを間違えましたね。
転石人様
そこの会長は理由も聞かず、あなたを見ずに、金だけを見てるのですね。
うちの教会は末端ですが、生活が苦しくなり、お供えについて減額させてもらおうと伺ったら
「お供えは心次第だから、そんなことはかまわない」
とあっさり承諾してくれたので、なんだか拍子抜けしましたけど。
だから天理教がくそっていうのが気にくわなかったのでコメントしました。
天理教の教会長に残念な人が多いということですね。
心を使わされた皆様方には、本当にお気の毒に思わせて頂きます。でも、私はどん底から助けて頂きました。
今は、恩返しの道中です。確かに、教会に行くことで心を使うこともあります。でも、それは人間同士だから、どうしても避けられない事だと思います。相手が教会長であっても、同じです。神様は都合のいい節ばかりをお与え下さる存在ではありませんが、いつもお見守り下さっています。
天理教は、くそではありません。心得違いが残念な結果になったと思います。
天理市の駅前広場の整備って14億円もするんですね。
一体誰が考えたんでしょうか?
追伸です。
東風Zさんの意見に賛成です。
>天理教で無駄な時間を費やすより、シッカリとした技能を身に付けて将来に備えて下さい。
匿名 2017年12月8日 4:42 PM 様
>でも、私はどん底から助けて頂きました。
今は、恩返しの道中です。確かに、教会に行くことで心を使うこともあります。でも、それは人間同士だから、どうしても避けられない事だと思います。相手が教会長であっても、同じです。
立ち入ったことをお伺いしてしまいますが、答えたくない場合は遠慮なくスルーして下さい。
どん底から助けてもらった、というのはどの様に「助けて頂いた」のでしょうか?
といいますのは、こういったサイトや掲示板等で、よく「助けて頂いた」という言葉を
見かけるのですが、教団に金銭的にも時間的にも多くを奉げ、理不尽な人々や要求にも目を瞑り、
我慢しながら、代々に渡り恩返しし続ける程の「助け」とはどのようなことだったのかと思い、
質問させていただきました。
大勢の方にコメントいただきありがとうございます。
東風Z様
今は世間で普通に働いています。
結婚もして、子供も出来ました。
正直言って資格も技能も持ってはいません。しかしながら今働いている工場でコツコツ働かしてもらい今度、正社員として雇って貰える事になりました。
もし教会を出ていく決断が遅かったら今の状況には到底辿りつけなかったでしょう。
結婚も無理だったでしょう。
むしろ養子先の教会は今の嫁さんが気に入らないかったのか、結婚の話しをウヤムヤされてました。
後継者もどうにか出来なくて自分を養子に迎えていたのに、結婚相手を選り好みしているですから、本末転倒です。
もし破談にしてたとして、その後どうするつもりだったのでしょうか?
考えただけでも恐ろしいです。
匿名様
自分のコメントに気分を害したならば、ごめんなさい。
確かに組織の中で頑張って信仰されている方には聞き捨てならんコメントでした。
しかしながら残念な結果だとは思っていません。残念な結果と思っているのは体制側の人々であって自分は真の意味で「運命の切り替え」が出来たと思っています。
自分もまた人生の道中です。
天理教の「お供え」について
掲示板から抜粋しました。
(無題) 投稿者:提案
投稿日:2017年12月 8日(金)01時22分36秒
>慎ましやかな教会長は、法外な御供えなど求めてはいません。
>お金の事でトラブルになるのは嫌だから、控え目な対応を心がけています。
>おさづけを取り次いで治るとは思っていない教会長の場合、恐ろしくて、お金なんて受け取りません。
>後でトラブルになるだけなので。
これが本当の天理教信仰者としてのあり方ではないでしょうか?
お供え掲示板によると、天理教の教会とプロテスタントの教会は、聖職者がいい人なら信者もそんなに献金するように迫られないが、悪い人だとかなり献金を取り立てるということで、すべてが運だという点でそっくりだそうです。
天理教の教会の人間は、普通に平気で嘘をつきます。他の人間には個人情報を、隅から隅まで徹底的に、強制的に、高圧的に聞いてくる。
ある一部の人間を反面教師として利用する。誰がターゲットになるかは分かりません。
ある一部の人間をいじめる。陰湿で計算高く。
誰がターゲットになるかは分かりません。
人間をどれだけ沢山お供えしてくるか・社会的地位があるか・無いかで好き嫌いが決まります。
表では、人が複数いる所では優しく接しているようでも、裏ではブス・不細工には極端に冷たい。
鼻で笑ったり。暴言吐いたり。
やりたくないと思った事は、裏で下の人間になすりつける。
大教会・教会の人間は実際は質素な生活をしているわけでもない。お供えをする側の方が質素な生活をしている事の方が多い。
大教会・教会の人間はだいたいこんなものです。
人助けとは程遠い。キチガイばかり。
結局、立派そうな看板を掛けているが、中身は欲望渦巻く俗世間そのもの。
いや、俗世間は教団ほど明確な上下関係に縛られることのない分、
かなりマシだと言えるでしょう。
意地の悪い人格障害者や、立場や肩書きを権力と勘違いした上から目線の
馬鹿者からは、軽蔑して距離を置ける自由がありますから。
「現実」をしっかりと受け止め、自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、
(自分の単なる一時的な欲望ではなく)自分を尊重して自分で考えなければ、
「現実」を見失うと、「自分にとっての真の幸せ」も見失うのではないでしょうか。
上層部の方々さえ幸せになって下さるのなら、自分は喜んで苦労をしますし、僕になります、
というのであればいいのですが、「自分にとっての真の幸せ」が本当にそこかどうかです。
>上層部の方々さえ幸せになって下さるのなら、自分は喜んで苦労をしますし、僕になります。
この場合の〝僕〟は自分の意思で仕えている場合のみに使いますが、
天理教の場合は、基本的人権を奪われ、強制的な労働をさせられ、年金さえ支払われず給料はお与えと呼ばれる数千円から1〜2万円程度。洗脳によって自由意志による選択権を奪われ、行動する自由さえ奪われると言う〝奴隷〟状態です。
転石人 様
よかった!よかった!と申し上げます。ご家庭を持っておられたのですね。何より素晴らしいことです。
どのような立場に立たれようとも、常に低い心で通られたならば、きっと幸せが待っています。
叔父さま叔母さまも一日も早く教団の呪術から目覚められんこと願っております。
80年の人生で、天理教を離れて6年が経ちましたが、この6年間が、教団にようぼくとして登録されていた56年間に比べて、何より穏やかな時間だと感じております。
>この6年間が、教団にようぼくとして登録されていた56年間に比べて、何より穏やかな時間だと感じております。<
東風Z様、大いに賛同いたします。
自分は教会長ですが、朝夕のおつとめをやめて久しいです。日々の献饌は御神水だけで、月に数回、水を取りかえるだけです。
私には神が神床に鎮座しているとは思えないです。
天地創造の神は無条件の愛で全生命体、宇宙環境を守護している存在であり、「お供え物」とはいったい何か意味はあるのか疑問です。教会が献饌する意味、本当の意味はどうなのでしょう?
単に人間側の自己満足に過ぎない気がします。
形にとらわれた神事に時間を取られることなく日々天に向かって晴れやかに親神様とご先祖様を思い感謝を申し上げる。今、一人の人間として自分に許された時間を大いに楽しませてもらっている毎日です。
教団がやれ祭儀式がどうの、足の運びがどうの、上級がどうの、大教会の心定めがどうの、などと数や形ばかりを追い求めるのに意味を見出せません。自分は何のための生きているのかと。
天を仰いでする祈り。畑にいては、鍬を置いてする祈り。どこにいても出来る神と自分のダイレクトな祈りの時間です。
「こうであらねばならぬ。」そう言う組織の呪縛から精神的に解放され、晴れやかですがすがしい毎日です。
教団に奉仕することを生業として上からは生かさず殺さずの生殺し状態に置かれている教会関係者にとっては、思い切って教団を離れた方がよほど人として有意義な生き方ができる気がします。私自身は自分が置かれた場所から離れられない天理教特融の事情があり、離れられませんが、常に「自分はこうありたい、こう生きたい」を、念頭において生きています。
東風Z様が少なくとも6年、そしてこれからも、人生においての取り返しがついたことを自分と重ね合わせ、心から喜ばしく思わせていただきました。。
>組織の呪縛
宗教法人なんてしょせんは人間事情と人間思案で作ったものですから、神や仏にとってはどうでもいいことです。カトリックのように聖職者が出家しているわけではないので、どうしても聖職者一家の生活コストや子供の教育費のかかりが多くなって、献金トラブルが絶えないではありませんか。
天理教の教会の人間は、普通に平気で嘘をつきます。他の人間には個人情報を、隅から隅まで徹底的に、強制的に、高圧的に聞いてくる。
ある一部の人間を反面教師として利用する。誰がターゲットになるかは分かりません。
ある一部の人間をいじめる。陰湿で計算高く。
誰がターゲットになるかは分かりません。
人間をどれだけ沢山お供えしてくるか・社会的地位があるか・無いかで好き嫌いが決まります。
表では、人が複数いる所では優しく接しているようでも、裏ではブス・不細工には極端に冷たい。
鼻で笑ったり。暴言吐いたり。
やりたくないと思った事は、裏で下の人間になすりつける。
大教会・教会の人間は実際は質素な生活をしているわけでもない。お供えをする側の方が質素な生活をしている事の方が多い。
大教会・教会の人間はだいたいこんなものです。
人助けとは程遠い。キチガイばかり。
私は天理教教会後継者のものですが、これほどまでに私の心の中に渦巻いていたもやもやを文章におこしていただき感謝申し上げます。
なぜ世のため人のために、信者さんからの真心のお供えを使うことができないのか、残念で仕方がない。
個人的なイメージだと青年会会員は大亮さんをカリスマのように崇め奉っている印象。
全面否定はしないが思考停止は恐ろしいぞ。
組織のためのではなく、中山家のためのではなく、困った人々のための宗教であってくれ。
こんな当たり前のことを次の世代のものにいわれて恥ずかしくないのか。
教勢が落ち続け、経営も信仰者もガタガタになった最後の最後に発する言葉はきっと、「神」のすることなすこと
と言って神に責任転換するのだろう。
一名一人 神がこわいか法がこわいか 人がなにごといおうとも神がみている気をしずめ
受け取り方次第でどうとでもなるのだから、上に立つ側は気楽だろう。
天理教には都合の良い魔法の言葉(教理)がたくさんある。
使い方次第で善にも悪にもなる。
さて、来年は明るく楽しく過ごしたいです。
天理教は、信仰の場ではなく、戦場です。
悪名高き『インパール作戦』のように後世まで人々に語り継がれる事となるでしょう。
杜撰な作戦を立案し、案の定大惨敗という状況です。軍司令官や高級参謀が真っ先に逃げ出してしまい、戦線に取り残された兵隊達が餓死、戦病死という事態になっているので、もはや戦闘を継続できるような状態ではありません。
壊滅するか、大損害になるかの違いだけで、何事もなく組織が存続する可能性は、ほぼありません。
指揮官が部下を弾除けにして、真っ先に安全地帯に避難するなんて許せません。
慰謝料も謝罪も何もいらないから、さっさと組織運営を終結させて下さい。
私は、天理教には何ら期待していないので、関わり合いたくもありません。
これ以上、被害者を増やしながら、無駄な存続をしないで下さい。
不幸な人を増やさないで下さい。
天理教の先人達が残した『負の遺産』によって子孫や関係者達が延々と苦しめられている状況です。
それは、本部も末端も変わりありませんが、どこかの時点で、この厄介な巨大組織を解体する必要があります。
しかし、言うのは簡単ですが、簡単には組織改革できない状況なのだと思います。
巨大過ぎて、組織改革も出来ず、失うものが多いので身動きが取れない状況になっているのです。
それは、本部も末端も同じですが、本部中枢の人達は、学校、病院などを運営しているので、宗教法人だけの問題ではなくなっているのです。
社会問題になれば、世間から迫害の対象になるのは、先ず、天理教関係者、すなわち被害者の人達が不快な思いをするだけなので、回避しなければならない最悪の事態だと思います。
天理高校や天理大学などの天理教関連の教育機関の卒業生や在校生も学歴差別や就職差別に遭ってしまうので、事態は深刻です。
天理教は、部外者の人や関わりの浅い信者には、親切な対応を心がけているので、社会問題になってしまうのは、かなり矛盾した事態です。
被害者が、更に世間を敵にまわして、孤立無援の状況に追い詰められていく事態は、避けなければならない最悪の事態ですが、隠蔽していいような事でもありません。
私は、本部の立場を守ろうとしているのではなく、全ての天理教関係者の立場を守る手段を考えている最中ですが、徐々に天理教組織を縮小させていく事ぐらいしか方策が思い浮かんでいないのが現状です。
一気に崩壊すれば、混乱して内乱状態か社会問題に発展していくだけなので、軽挙妄動は慎まなければならない事態です。
初代が、何らかの形で、罠に引っかかり、その後、延々と主従関係が出来上がってしまう縦社会が天理教なので、初期の頃は、天理教組織にとっては都合の良い制度だったのかもしれませんが、現状は、本部にとっても何ら利点もなく、末端にとっても最悪な組織運営をして関係者が苦しめられているのが実態です。
天理教は詰所などの膨大な本部施設の有効活用や地方の教会制度の見直しを迫られている事態ですが、大きな問題には目をそらし、小さな取り組みばかりを頑張って、肝心な問題には向き合っていない状態です。
私は、天理教被害者の一人なのですが、天理教教会本部から慰謝料や謝罪を求めているわけではありません。
論外な事態なので、関わり合いたくもないのが本音です。
おそらく、天理教の被害に苦しめられている人々の大半は、そういう心境なのではないでしょうか?
関われば、トラブルに巻き込まれるだけなので、関わり合いたくない。
慰謝料や謝罪なんていらないから、この状況から早く解放されたい。どうせ本部に言っても無駄。
そういう心境の被害者が多い気がします。
おそらく、北朝鮮の民衆も同じような心境なのだと思います。
どうでもいいから、さっさと自由にして欲しい。八百長の芝居に付き合わされているのは、もう嫌。
それが本音なのではないでしょうか?
昭和11年2月26日に、青年将校が兵を率いて決起した2・26事件が発生しました。
君側の奸を除去して、天皇親政を目指し、昭和維新の実現を行動に移したクーデターです。
殺された人達は、君側の奸と決めつけてはいけない良識的な人達でしたが、問答無用で殺されてしまいました。
その点が問題だったと思いますし、それ以後、下剋上の風潮が軍に蔓延してしまいました。
私は、クーデターを肯定する気はありませんが、もし、2・26事件を引き起こした青年将校達の言い分が聞き入れられていたら、その後の支那事変や太平洋戦争には発展していなかった可能性があると感じています。
それは、当時の農村の実態を代弁した行動だったからです。
天理教の現状も似たような状態です。
当時の日本人は、日本軍の実力を過信した状態でしたが、実態とはかけ離れた状態で、日本軍は、それ程、強い軍隊とは言えない状態でした。
もし、日本軍が本当に強い軍隊だったのなら、戦争にはならなかったのです。
ソ連(社会主義)の南下に軍首脳は危機感を募らせていました。
満州に兵を集中配置して、ソ連の南下を阻止するのが日本陸軍の最大の役割で、わざわざ海外まで兵を出していたのは、そういう状態にしなければ、国土を防衛できなかったからです。
陸軍始まって以来の鬼才と言われた石原莞爾は、中国と連携して、外敵(ソ連)から東亜を守ろうという考えの持ち主でしたが、当時の日本陸軍の主流は、何らかのきっかけを作って、中国と戦って屈服させ制覇したいという欲求が内在していました。
昭和12年7月7日に、ろこうきょう事件が発生した際、日本は不拡大の道を歩めば良かったのですが、好機到来とばかりに中国と戦いたがっている勢力が、どんどん戦線を拡大し、中国と全面戦争に突入していく事態になりました。
満州に集中配置していた日本陸軍の兵力を中国大陸に分散しなければならない事態が発生し、日本は出口の見えない消耗戦へと引きずり込まれていき、最終的には大東亜戦争へと発展していったのです。
それが歴史の流れです。
残念ながら、天理教の現状も同じなのです。
一部の人々の欲求を満たすために始まった戦が、出口の見えない消耗戦になっており、大陸から(大きな課題から)撤退できない事態になっているのです。
軍人育ちの東條さんが内閣総理大臣にされてしまったのは、そういう極右思想の持ち主(組織や権威に忠実な人)じゃなければ、国家運営の難局を乗り越えられないような事態にまで日本全体が追い詰められていたからです。
それなので、日本の現状も厳しいという事なのです。
一昔前の総理大臣なら『人の命は地球よりも重い』と言っていてでも通用し、そういう総理大臣の方が国民から支持されていましたが、
最近の総理大臣で『日本列島は日本人だけのものではない』と発言して、話題になった人がいます。
国賊のように悪く言われているわけですが、そういう綺麗事では、国家が存続できない時代になってきているのです。
現在の天理教にはクーデターを起こせるほどのエネルギーを持った人材はいません。そんなエネルギーのある人はとっくの昔に棄教してしまっているからです。正常な人間ほど組織の異常性に早く気づきますので、学生時代に「もうこの教団に明日はない」と判断して見切りをつけてしまっています。
事情教会率が90%を超えるのも時間の問題とささやかれているほどの、衰退期のカルトになってしまっていますので、このような現状では何をしたって悪あがきでしかないのですが、あえてできることがあるとすれば、それは末端の教会に献金を上納するよう求めなくても、大教会が自助努力で費用を賄っていくことくらいですか。
鳩山由紀夫さんは政治家として如何なものかと思いますが、
参謀さんの書き込みを本部や大教会の方々に見て欲しいと思います。
次の真柱となるだいすけさんが これからどこまで変革を成し遂げられるか 見ものです。
彼の代で変わらなければ組織は詰みます。
既に詰んだも同然ですが、彼の挙動に期待してます。
良し悪しは置いておいて、「変化」が楽しみです。
残念ながら、次期真柱の中山大亮さんが天理教組織を改革できるとは私はあまり期待していません。
しかし、本部の古狸の方々に比べると『世間の常識を身に付けた人物』だと思うので、評価はしています。
天理教組織で、長い期間、生きていると世間の常識を見失っていきますが、彼はまだ若く純真な青年のはずなので、天理教の邪悪な『におい』には染まっていない状態だと思います。
二十代の若者なので、人生経験の浅い未熟な状態ですが、頭がまだ柔らかい状態の人です。
その発想を古狸の方々が受け入れるかどうかが今後、重要になってくると思います。
『二十代の若者のくせに生意気な奴だ』と思いながら、古狸の方々が嫌がらせをしているような状況になっていれば、天理教に未来はありません。
彼は、学生生活の中で、一般の若者達との交流を深めてきたはずなので、普通の学生の目線から天理教を見る事が出来る貴重な存在だと思います。
彼が一般大学で学生生活を過ごしたのは、貴重な経験だったと思います。
天理大学で学んでいた場合『真柱様の甥』というだけで、ちやほやされますが、一般大学の場合、『新興宗教のお偉いさんの息子』という立場なので、逆に『深く関わりたくない』と思う学生がいても不思議ではありません。
彼は、これから天理教の薄汚れた雰囲気に苦しめられていくので可哀想な気がします。
それは奥様も同じです。
普通のサラリーマン家庭に生まれてきたかったと思っているはずです。
天理教の組織は、残念ながら面従腹背を生むような構造になっている。表面的には建前やきれいごとばかりで飾られていて、どこかおかしいと思いつつも、大教会では末席の者は意見も言えず、隅のほうでブツブツ言うしかない。要するに風通しが悪いのである。「みちのとも」の教会探訪では、うまく行っている教会の事例ばかりが紹介されるが、現実の大多数の教会はそうではない。当の「みちのとも」自体、そのことを数字データで示している。例えば、去年12月号の統計数字では、10月の修養科修了者はたったの52人だった。一番少ない月だったとはいえ、これは少なすぎる数字であろう。16,677か所の教会があるのに、この月にたった52人しか修養科修了者を出せなかったというのは、ようぼく育成のシステムが全くうまく行っていないことの現れではないか。それとも90%がもうすでに事情教会になっているのか。
戦艦大和のように巨大な天理教団は方向を変えるだけでも大ごとであり、まして組織改革など、この風通しの悪い教会制度の中では不可能に近い。しかし、大艦巨砲主義は明治時代の日露戦争までであり、昭和の太平洋戦争では戦艦大和などは不要、むしろ大和を作るだけの製鉄があれば、その分数多くの戦闘機を作らなければならなかった。旧日本軍は時代の流れを全く読み間違って、結果、大敗北を喫してしまったわけである。また個々の戦闘においても、敵側に攻撃パターンを完全に読まれているにもかかわらず、無駄な突撃を繰り返し、いたずらに戦死者を増やすという愚策を行った。
戦争という比喩は適切ではないかもしれない。しかし、この宗教離れが言われて久しい世の中で、同じような陽気暮らしのパターンばかり飽きもせずに繰り返して強調し、一般の人々だけではなく、教会関係者にとっても合わなくなり、これほど生活感覚がずれることばかりしていて良いのか。あのシャープでさえ再建のために台湾の会社に身売りをし、本社ビルを解体までした。天理教は本部や大教会の建物は巨大であるが、末端は疲弊しきっている。最近は、おぢばの天理教の土地の一部も更地にして量販店などに貸し出していると聞いた。おやさとやかたや信者詰所は維持するだけで精一杯、新たな普請の話など、どの直属教会からも聞こえてこない。
時代は変わったのである。これからの天理教の若者たちには、過去の負の遺産でもう苦しませたくない。天理教青年会の100周年用チラシの中に、「「親孝行、夫婦仲良く」を心がけて陽気暮らしを始めましょう」と書いてあった。たしかにその通りである。今立て直さなければならないのは、一軒一軒のようぼく家庭、教会家族であり、実際そこからしか、陽気暮らしは始まらない。そのためには、有形無形に押し付けられてくる大教会や上級教会の御用や天理教関係の諸行事から教友の家庭や家族を守るということが大切だ。
時代の空気も変わった。いまはインターネットの時代であり、末端布教所長でも自由に意見が言えるようになった。本部の大本営発表と天理教社会学研究所の情報と、どちらをより実感を持って教友は読んでくれるか、いうまでもないと思う。それでも、私は本部員や大教会長の良心を信じている。末端のようぼく家庭、教会家族を大切にするのであれば、自ら徹底的に反省して、今までの自分たちのあり方や教会制度を根本的に見直していただきたい。
天理教の人間は、価値の無い人間だと分かると
その人間と一対一の場で見下すような態度・冷たい態度を平気で取ります。
大したこともせずただ毎月、金をお供えとして受け取る。ぼったくり。
世間の冷たさと変わらない。同じ。
周りの教会の人間もあとを継ぎたくないと思っている人物しかいない。
私は、政治に関する知識がほとんどない状態なので、詳しい事までは分かりませんが、
日本は大東亜戦争の時に近隣諸国を戦場として戦って負けた敗戦国なので、戦後の日本社会は、近隣諸国に気を使いながら、外交をせざるを得ない事態が延々と続いている状態なのだと思います。
戦争関連の話を相手国からされると日本政府は反論し難い立場なので、不利な条件でも受け入れざるを得ない外交が延々と続いてきたのです。
しかも、日本国民も政府の政策に対して批判的な考えの人も多いので、政治をするのが難しい状態です。
日本政府は中国や韓国に主張すべき事さえ主張できない状態でした。
現在の安倍内閣は、中国や韓国に対しても主張すべき事を主張し、日本国内の従来の制度を変えようとしています。その政策が吉と出るか、凶と出るかは分かりませんが、変わらなければならない状況に、日本もなってきているのは事実です。
それは、天理教が世間体を気にしながら、宗教活動をしている現状と似たような状態です。
この投稿を書いている人物が何処の教区の誰なのかは、一部の天理教関係者や私の家族親類、知人友人には知れ渡っている事だと思います。
しかし、恐ろしくて天理教関係者は誰も寄り付きもしません。
私も近寄って欲しくもありません。
もし、私の家に交渉に来る天理教関係者がいるとすれば、若くて綺麗な女性か温厚な紳士が来ると思います。
若くて綺麗な女性が単独で交渉に来る事は有り得ない事ですが、温厚な紳士の付き添いとして同行する可能性は高いと思います。
しかし、私はそういう人達とは一切会うつもりはありません。
怒っているわけではありませんが、私の事は放っておいて欲しいからです。
そんな事をしている暇があるなら、組織改革をして欲しい。この制度に苦しめられている被害者に自由を与えて欲しい。
私と同じような状態になる人をこれ以上増やさないで欲しい。
今後の天理教は大教会の主従関係の縦社会の構造を徐々に弱めて、教区中心の活動に移行していった方がいいと思います。
教区間の交流も深めていって欲しい。
他に、今後の活動として検討して頂きたい事は、戦争関連の慰霊事業や祖霊殿に祀られている方々の慰霊をしていって欲しいと願っています。
この教団と関わって、不幸になったまま出直した先人は多いと思います。
そういう人達の『心の叫び』に現在社会を生きる天理教関係者は、向き合うべきではないでしょうか?
しかし、祖霊殿の建物を増築して拡張する事だけは、やめて下さい。
それが私の思いです。
天理教の現真柱を含む多くの年輩の役員先生方は、天皇陛下が退位する時期に、彼らも一緒に退位するべきだと思います。
若い世代に未来の天理教を託して、若者の柔軟な発想を積極的に取り入れる風通しの良い教団にしなければ、いつまで経っても時代錯誤な教団のままです。
大亮皇太子に期待する人もいますが、そのあたりはあまり期待しない方がいいんじゃないかと。彼は大学は一般とはいえ、関西から出たことはありませんし、もちろんサラリーマンとして普通の会社で働いた経験もありません。世間の常識を身に着けているとはお世辞にも言えないと思います。
一番いいのは、大学は関西以外の土地(それこそ天理教の影響が極めて小さい土地)で、普通のアパートで一人暮らしをし、卒業後は海外留学(もちろん天理教がほとんど知られていない土地)し、そのあとは海外でも日本でもいいから、会社勤めをしてサラリーマンとして生活する経験を持つことでした。
卒業後はすぐにこの業界に飛び込むなんて明らかにおかしいです。帝王学をいうなら、普通の学生生活とサラリーマンライフを必ずおくらせるべきでした。一万円を稼ぐときはどんなにしんどい思いをしなくてはならないかを知ることこそが帝王学なのですから。
>今立て直さなければならないのは、一軒一軒のようぼく家庭、教会家族であり、実際そこからしか、陽気暮らしは始まらない。そのためには、有形無形に押し付けられてくる大教会や上級教会の御用や天理教関係の諸行事から教友の家庭や家族を守るということが大切だ。
これは大いに同意します。大教会は末端に負担を押し付けすぎです。末端からの献金が0円になってもやっていける大教会を目指すという発想がほしいと思います。大教会がなんらかの事業をやって自給していくべきです。
長老方には引退して頂き、大亮さんや若い世代が中心になって組織改革を始めても、成果はあまり期待できませんが、それでもやらないよりはマシという気はします。
天理教は世間の常識からかけ離れた事をしています。
世間の常識が正しいのかどうかも私には分からない事ですが、天理教の常識の方が明らかにおかしいのは、誰もが分かる事です。
そろそろ、時代の変化に気付いて、組織改革を始める時期だと思います。
私は、天理教には何も期待していません。
やらないよりは行動してみた方がまだマシ。
その程度にしか見ていません。
組織改革に失敗したとしても『やらないよりはまだマシ』という気がします。
天理教関係者は、完全にこの組織から心が離れ、変えようとしている積極的な人すら、ほとんどいない状態です。
末期状態なのでしょうか?
組織改革ではなく、組織崩壊に向かっていくのでしょうか?
どんな関係であれ、変わろうとしない相手を変えることは出来ない。
変えることが出来るのは、自分の行動だけだ。
どんな立場であろうと、どんな関係であろうと、保身を恐れずに自分の信じた道を進み
行動する者が多数になることで、相手は変わらざるを得ないだろう。
それでも変われない人、組織は崩壊するのみ。
現在の天理教は、歴史戦、情報戦をしている状態です。
武器を持たない戦闘状態です。
『変える事は出来ない』と思ったら、何も変わりません。
幕末維新の頃に江戸幕府は消滅し、敗戦で軍閥が消滅しました。
天理教もこのまま消滅していくか、変わっていく段階かの微妙な時期だと思います。
細々と運営させていきたいと本部関係者は思っているはずですが、状況が更に悪化するだけです。
そろそろ、動き出さないと更に時代錯誤な集団になってしまいます。
誰がそろそろ動き出さないといけなんですか?
誰と誰が戦闘状態なんですか?
誰に向けての発信ですか?
変わる気持ちのない相手に、無理やり変われと言っても無理でしょう?
だったらこちらが今までしてきたことを変えることしか出来ないじゃないですか。
上の言うことを聞かないで、お供えも上納しないことです。
ひのきしんという無償の労働力も提供しない。
上からの改革なんて全く期待できない。既得権益を放棄することなんて絶対にしない。
ダイスケか何か知らんけど、天理内をベンツに乗って移動してるようじゃ今までの繰り返しにしかならないだろう。
ほんまにバカバカしくてやってられん。
本来の教祖の教えに添った行動をすればさえいいのです。
>お供えは上納しない。
人が助かること、喜ぶこと、世の為になる事に散財しても、上には持って行く義務はない。
>ひのきしんという無償の労働力も提供しない。
人が助かること、喜ぶこと、世の中の為になる事に力を惜しみなく使っても、上級から言われて教会の為だけに無償の労働力を提供する義務もない。
天理教に金を出したり、時間や労働力をささげるより、自分の周囲にいる困っている人たちを、自分の能力で助けてあげることこそが、親神様や開祖中山みきの教えだと思います。今の天理教に神はいないのですから。
>長老方には引退して頂き、大亮さんや若い世代が中心になって組織改革を始めても、成果はあまり期待できませんが、それでもやらないよりはマシという気はします。
どこも老害には悩まされていますね。実はほかの新興宗教でも事情は同じでして、老害のせいで組織改革がうまくいかなくて困っていると嘆く若手の多いこと。
匿名さんがおっしゃるように、一人一人が上から言われた事を聞かなければ済む事ですね。
それが出来ないのは自己責任という事になってしまいますが、
聞かなければいい、全くその通りだと思います。
長老方が威張っているのは、何処の宗教も同じなんですね。
一般社会では、高齢者は隅に追いやられてしまっているのに、宗教界は逆の状態です。
真ん中になればいいのに
匿名
2018年1月5日 4:31 PM様
<ダイスケか何か知らんけど、天理内をベンツに乗って移動してるようじゃ今までの繰り返しにしかならないだろう。
ほんまにバカバカしくてやってられん。
ほんま、その通り!
夢も希望も有りませんわ。
ダイスケ君は今25歳ぐらいやから平成5年ごろの生まれやし今までの事もな〜んも知らんし、耳に入ってないやろうし、言って見れば裸の王様みたいなもんで、何も知らんもんがまたおんなじ事を繰り返し、昔の金の集まる天理を夢見ている愚かな集団です。(後ろで操っている腐れ外道さんたちがいるんだろうけど)
この組織は本当に過去を省みて反省し悪いところは改めて改善し未来に繋げていくとかほんまにしない、とにかく反省をしない。
自分たちは神の代理、とでも思っているのかな。こんなタチの悪い集団も今時珍しい・・・
ヤクザ屋さんでも反省もしダメな事をしていれば退場させられるご時世ですが・・・(神を傘に着ているからなおさらタチが悪い)
やはりどう考えてもドツボが待っているだけだろう。
>ダイスケか何か知らんけど、天理内をベンツに乗って移動してるようじゃ今までの繰り返しにしかならないだろう。
ベンツに乗ってブイブイ言わせているなんて暴走族やっている頭の悪いガキみたい。
今のローマ教皇はアルゼンチンで枢機卿になってからも公共交通機関で移動していました。
教皇に選出されてからも教皇宮殿には住まず、「宮殿の奥にいたら庶民の顔がみられないから」と二間のアパートに住んでいます。
この教団と関わっていたら、心が駄目になってしまいます。
健康な人まで精神疾患になってしまう。
邪悪な心になり、疑心暗鬼になってしまう。
正常な価値観が失われて常識が麻痺してしまいます。部外者の人から見たら、気持ち悪くて、怖い教団だと思う。
私もそういう愚かな人間になってしまいました。
歪んだ人間になってしまいました。
普通は逆ですよね?
心が傷ついた人を救済するのが、宗教の本来の役割のはずです。
病気が治るとか、そんな事を言ってる事自体、胡散臭い。
信仰は何のためにするのか?
人が幸せになるためにするのではないでしょうか?
それを言ったら、説教されましたが、
天理教は、そんな事さえ分からなくなっている麻痺した教団なんですよ。
神様のために宗教優先で生きているのが天理教なので、会社勤めするより宗教優先。宗教が負担になってしんどくなっている人より宗教優先。
馬鹿馬鹿しい。
そういうのを世間ではカルト教団と呼びます。
人を大切にしない宗教は、何のために存在するのでしょうか?
神様のためですか?
明らかに矛盾してるでしょ…..
えっ、天理教ってカルト教じゃ無かったんですか?
町内会の人間でさえ近づかないですよ。
参謀さま
カルト教団だと気づけて良かったですね。
コメントの通り、全部わかっておられるじゃないですか。
ここからは、セルフカウンセリングで浮上してきてください。
ネットには良質なカウンセリングツールが多数あります。
ほんま、天理教なんて用なしですわ。
匿名様
私は、大丈夫だと思います。
あの空間(天理教の教会)で暮らしている現役の人々の方がシンドイと思います。
2018年1月5日 5:36 PMの 匿名様のご投稿の
>天理教に金を出したり、時間や労働力をささげるより、
共感いたします。
天理教にお金を出したり、時間や労働力をささげても、お金を受け取り、
無償で働いてもらった天理教上層部や関係者は当然喜ぶかもしれませんが、
一般社会とはなんの関係もなく、はっきり言って一般社会で認められることもないでしょう。
>自分の周囲にいる困っている人たちを、自分の能力で助けてあげることこそが、
親神様や開祖中山みきの教えだと思います。
一般社会で認められている人達、人格者の多くは、組織等関係なく、
自分の自由な裁量の中で分け隔てなく周囲の人を助けたり協力したりすることで、
自分も周りも「陽気暮らし」に導いています。
自由裁量で、というのがポイントで、
自分を犠牲にしたり、誰かの言いなりになったりしている訳ではない。
それぞれが相手を尊重尊敬し、お互い様の精神の中から生み出される助け合い、
こういったあり方こそが真の「陽気暮らし」を生むのではないでしょうか。
ということは、一般社会の方が「陽気暮らし」を実現しやすいのでは。
上から目線の不自然な上下関係は、確かに上は「陽気暮らし」が出来るでしょう。
しかし、下で支える方も同じように「陽気暮らし」をしているでしょうか。
わざわざピラミッド状に上下関係を作る意味、理由は何でしょう?
本部は、それなりに蓄えがあり、様々な事業を運営しているので、収入源には困ってはいません。
困っているのは、人集めと地方教会の反乱を抑える点です。
『不祥事を起こしたくはない』
それが本部中枢の人々の本音です。
何処の組織も中枢部は保守的です。
慎重に進めて、状況を伺いながら動き、ちょっとづつ変えていきたい、それが組織中枢の人々の思考パターンです。
宗教色の薄い行事を増やして、地方教会に頼らなくても人集めが出来ればいいのですが、それが出来ていないから、普段はガラガラの状態なのです。
あの状態が本部の現状です。
月次祭や行事の時だけ、地方の関係者を一斉召集して、一応、あの人数を確保できているのです。
道一条の教会長達にカネをばら蒔いてでも、人集めをしてきて欲しいのが本部なのです。
教会長は、家族は勿論巻き込み、親族(信者)も巻き込んで行事参加を呼びかけているので、皆から嫌がられ肩身の狭い思いをしている教会長や鈍感で図々しい教会長など、個人差があるので簡単には言えない状態です。
私が見た感じでは、熱心な教会長は強引で鈍感な人が多く、信仰に疑問を感じている教会長の方が常識的な人が多い。
それが実態だと思います。
熱心な教会長は、本部に操られて思考停止状態なので、相手に対する配慮はありません。
配慮しているつもりなのかもしれませんが、相当ズレています。
本部以上に苦しい運営なのが、おそらく、大教会や敷地の広い上級教会です。
敷地が広いだけで末端教会と変わらない状態で、本部とは違って、事業運営をしているわけでもなく、地方教会には変わりない立場なので、人集めをする大義名分もありません。
本部なら観光客やスパイも来るので、人集めは大教会より恵まれています。
本部は一応、人類発祥の地という事になっているので、人集めの正当な理由も一応は存在します。
大教会の場合、あんな場所に部外者は普通は行きません。うろうろしているのは、関係者か不審者だけです。
上級教会がおそらく最悪の運営をしている状態だと思います。人集めと収入源の確保の両方を考えないといけないし、末端教会からは嫌われるし、トラブルが発生したら、相談相手にならないといけないので、中間管理職の最悪な役割を押し付けられているのが上級の教会と呼ばれる存在です。
生活水準は、末端教会より少しはマシなのかもしれませんが、上級教会もたいして変わらないと思います。
上級教会もそうですが、末端教会は教会運営が全く成り立っていません。人も集まらない民家のような状態です。
収入源も少ないのに、宗教活動があるので、普通の会社勤めも出来ない状態です。
若い世代は子作りに励んでいますが、そのうちに気付くはずです。
甘い蜜を吸えているのは、若いうちだけです。
初代や二代真柱が無理な取り立て運営をして教団を拡張していった結果、天理教団はここまで大きくなりましたが、不幸な人を多く生み出し、後世に負の遺産を残してしまいました。
三代真柱あたりまでは、甘い蜜も吸えたのかもしれませんが、現真柱には、おそらく何の恩恵もありません。先人達の不始末を背負わされているのが現状です。
戦後の日本社会で、進歩的文化人と呼ばれる人々が旧日本軍の実態を暴いて、日本国内が二つに分かれて、内部分裂してしまい、中国・韓国などの近隣諸国も積極的に内政にまで介入してくる事態になりました。
学徒出陣で傷ついた若者達が果たした役割は、結局、新たな争いの火種にしかならなかったのです。
現在の天理教団も似たような事態になっています。
近隣諸国(行政機関や世間)からの積極的な介入が進む前に、新たなシステムに移行していかなければ、天理教は、内部分裂だけでは済まない事態になる可能性があります。
現に、私の周囲の人々は、天理教の実態を知り、快くは思っていないと思います。
その事については誰も何も言いませんが、噂になって広まっている可能性もあります。
私の現状は深刻な状態なので、親兄弟も非常に困っていると思います。
怒っているのか、怖いから関わりたくないと思ってるのかは、残念ながら私には分かりません。
しかし、家庭が正常な状態ではなくなっているのです。働き盛りの若い人が元気を失っているので、親兄弟に負担がかかっている状態なのです。
後継者が教会を継ぎたがらない現象が全国的に発生しているそうですが、
それは時代の変化の中でやむを得ない事だと思います。
いえ、当然の事だと思います。
天理教内で左派と呼ばれている人々でさえ、一般社会の人々からすれば、保守的な人々と思われているのが現状なのです。
宗教の話題が出てくる事自体、時代錯誤で気持ち悪いと思われている御時世なのに、
天理教は世間からは新興宗教と見られ、関係者からはカルト教団と思われている状態なので、存続が困難なのは当然の事です。
しかし、心配いりません。
潰れかかって存続が苦しくなってきているのは、天理教だけではなく、数多くの仲間が存在します。
葬式仏教の制度も次第に崩れ始めて、崩壊してきています。
仏壇仏具や神棚、神具店も斜陽産業です。
宗教業界が全般的に衰退してきているのに、神具や仏具が売れるはずがありません。
公衆電話も激減しました。
最近、公衆電話を利用する機会が全く無いので、どうなっているのか知りませんが、駅前やコンビニぐらいにしか存在しないのではないでしょうか?
他にも存在そのものが消えかかっているものが世の中には沢山あります。
天理教の教会が本部だけになったとしても、不思議ではない時代なのです。
世間の人々は、大教会なんて気にしていません。末端教会の存在なんて、もっと誰も気にしていません。
天理教関係の人達は、自意識過剰になっていますが、関西人でさえ、天理教の名前すら知らない人は大勢います。
不祥事を起こさずに縮小していって、忘れ去られていく存在の一つが天理教です。
しかし、心配いりません。
役割を終えて、消えていく存在が他にも沢山あります。
天理教だけではありません。
そういう時代になってきているのです。
宗教不毛の時代です。娯楽のない時代には宗教にお参りに行くのが唯一の娯楽でした。でも今は娯楽なんかほかにいくらでもあります。しかも宗教よりも安上がりで手間いらずなのが。
バチカンのおひざ元のイタリアですら、神父や修道士や修道女になる人は、もはや「イタい人」という感じになってきているのです。2000年の歴史を誇る世界最大の宗教団体ですら、道一条で生きることは「イタい」と言われているわけですから、天理教のような新興宗教では推して知るべしです。
上級教会は何らかの収益事業をして末端の負担を減らすべく努力することが求められていくでしょう。事情教会どころかそのうち教会消滅が日本中で起こります。上級教会が末端教会からの献金で様々な費用を賄うことも不可能になります。
教会後継者が集団辞退するような事態になっても、根本的な問題は何ら変わらず、変わらないどころか、更に深刻な事態になっていくだけです。
残された教会後継者は、今まで以上に辞退する事が困難になり、教会を継ぐ予定ではなかった人達に、その負担が押し付けられていくだけなので、
結局、家族・親族から頼み込まれて、断りきれずに強引に教会長に就任させられる人が出てきます。
今まで通りのパターンです。
教会の数が減らないとその状況はいつまで経っても続きます、関西の都市部の場合は。
しかし、自然消滅していっている教会もあるそうなので、知らないうちに北海道・東北や九州・沖縄方面から順番に消滅していっているのでしょうね。
おぢばでの御節会の賑わいとはうらはらに、ここでは心の叫びのような内部告発の投稿が続いている。読んでいて、とても悲しい気持ちになってしまう。正月早々、九州の天理教と思われる民家で兄弟同士の殺人事件が起こった。梅鉢の御紋の旗を玄関に建てるのは、教会でないとふつうはやらないので、この家も教会なのかもしれない。本当に痛ましいことだ。高齢の母親と中年の息子さんが二人で住んでいたそうだが、息子さんのお嫁さんやお子さんはおられないのだろうか。この家が教会だとして、このような状態の末端教会は他にもたくさんある。参謀様の投稿にもあるように、現状からしてこの先のこうした教会の存続は大変厳しいのが現実である。
教会本部には教会長おたすけ相談室があるが、聞くところによれば、教会家族の問題がかなり寄せられているそうだ。信者のための悩みの相談ではなく、教会家族が信仰してくれない、後継者がそっぽを向いている、そんな内容である。知人の勇ましい教会長は、教会はおたすけ道場だから教会のマイホーム化は不可だと言って、じっさい自分の教会ではそのように実践されているが、これほど天理教の教会全般の現実を見ていない言動もない。(前に別のところでも書いたが、「自分が病気になったことは絶対に伝えないでほしい」と信者に名指しされたのは、まさにこの教会長であった。)私は、教会の信仰行事のために家族関係がギクシャクしてしまい、マイホームにすらなっていない教会を知っている。マイホームに足るだけの人間がおらず、高齢教会長夫婦だけ、または高齢教会長一人だけの教会だってざらにある。
本部は、こんな現状を知れば、御節会で人々がたくさん帰参して、おぢばが賑やかだと喜んではいられないはずだ。このような行事や月次祭以外は、本部神殿は参拝者も少なくひっそりとしており、本通りも閑古鳥が鳴いている。いつ行っても混んでいるのは、憩いの家病院だけである。世間の人たちのニーズがもはや宗教に向かっていないのは、これを見ても明らかである。そもそも、大規模な御節会をするよりも、それぞれの家庭で家族仲良くお雑煮を食べるだけで充分なのではないか。御節会をする場合でも、教区単位にして教務支庁で地域の人々向けに開催したほうが良いように思われる。
何もかもおぢばに、ご本部にささげ尽してきたあげく、末端がボロボロになってしまうのでは話にならない。おぢばの御節会に誘われて参加した未信者の方は、教会本部の巨大な神殿や豪華なおやさとやかたの建物と、自分を誘ってくれた会長さんの住む末端教会の、修理も行き届いていない建物を見比べて、「ああ天理教に入ってしまったら本部は金持ちになるが末端はずっと貧しいままなんだなあ」と思うであろう。本部の豪勢な建築群はかえって未信者に警戒心を抱かせてしまっている。天理教はどこで舵取りを間違えてしまったのか。
未信者ににおいがけする以前に、教会制度のために苦しみ、悲しみ悩んでいる教会家族や教会子弟たちにこう言いたい。本部員や大教会長は口が裂けても言わないだろうが、末端布教師の一人として私は声を大にして言いたい。
「もう無理して天理教の教会などしなくていいんだよ! あなたの人生の主人公はあなた自身じゃないですか! 教会のことなど、ほどほどでいいんだよ。教祖様は教会を作れなんて一言も言わなかったし、まして教会を代々継げなどと言ってもいないんだから。信仰行事しなければならないなんて、どこにもそんな決まりなんかない。毎日おつとめしなくても、世間の人たちは陽気に生きているじゃない。押しつけがましいお諭しで傷つくくらいなら、教会長からおさづけしてもらわなくても結構。そんなことよりも、しっかりと病院にかかりなさい。また、おさづけしなければならないという義務などもありません。上級の御用のひのきしんしなくても、世間の仕事をしっかり勤めればそれで十分じゃない。おつくしするお金があれば、自分へのご褒美に一流のお店に行って美味しいものを食べてみてはどうですか。遠方からおぢばがえりばかりするくらいなら、国内旅行や海外旅行に出かけて世の中の見聞を広げたほうがずっとよい。においがけに廻る必要などさらになし。かけがえのない家族と仲良く過ごすのが何よりの世間へのにおいがけになるのだから・・・。」
天理教の人達は、神様のために宗教行事をしている状態だった。
それなので、宗教行事を疎かにしてはならないという発想になり、強迫観念にとらわれた信仰生活になっているように見えた。
私は、神様を崇拝して大切にする事はあっても、神様のためというより、自分のためや自分以外の誰かのために信仰をしているという感覚だった。
自分中心と天理教の人達は思うかもしれないけど、私は神様に個人的なお願い事をした事はない。
神様に感謝するのが信仰なのではないかとも思う。私は感謝の足りないワガママな人間だけど、そういう風に思う。
神様のために宗教行事をするのなら、何でわざわざ教会や神棚を作るのだろうと思う。
天理教の人達は、その場所に神様が鎮座しているから、宗教行事を執り行わなければならないという強迫観念のような発想なのかもしれないけど、
私は、教会や神棚は、人間が信仰できるようにするために作った場所という風な考え方をしている。
神様のためにする宗教行事という発想だから「宗教なんかやりたくない!」と言ってる人にまで無理矢理、信仰を強要するのではないかと思う。
会社に行く前に
「会社に行ってきます。今日も一日よろしくお願いします」
と参拝してから会社に行き、会社から帰ってきたら、
「ただいま戻りました。今日も無事、会社勤めが終わりました。有り難うございます」
と参拝して、寝る前に
「今日も一日どうも有り難うございました。では、お休みなさい」
で寝る。
それで十分だと私は思う。
それすら出来ないのなら、その人は信仰そのものを必要としていない人だと思う。
でも、それはそれでいいと思う。
色々な人がいるから、それでいい。
色々な考えの人がいるから、楽しくて
色々な人がいて、嫌だから、信仰というものが
この世の中に存在するのだと思う。
色々と考えを書いてみました。
>正月早々、九州の天理教と思われる民家で兄弟同士の殺人事件が起こった。
天理教にのめりこんで教会長になった両親に育てられ、赤貧ともいうべき生活を「こういうのが親神様の御心にかなう生き方だから」と押し付けられ、結局のところこの兄弟は結婚のチャンスはおろか、まともに生活していくすべすら持てなかったのだと思われます。
カルト新興宗教の二世に彼らのような状況にある人は決して少なくはありません。創価学会やものみの塔聖書冊子協会なんかでも、このあたりの事情は同じです。
いくらお節会が華やかでも、そして人が集まっているようにみえても(大半は教団関係者ではない人を頼み込んで付き合ってもらったみたいですが)、ここが衰退期のカルトであることは素人目に見ても明らかです。
末端教会の赤貧生活を見た人はみんなこう思います「天理教の人って全然幸せそうにみえない。末端じゃこんなに困窮しているのに明らかに本部は豊かすぎる。こんなのおかしい。中央は相当搾取しているに違いない」。
本席様の様な方々の存在が前提ではあるけど、本部に本席様の席は用意されているのだろうか?
教会本部が、全ての問題の根を切る方法は、この問題を俎上にのせる事からではないかな?
天理教の信仰に希望が持ちたい。
今の教会制度に希望が持てない。
本当に自分がしている信仰は神様は喜んくれてるのだろうか?
こんな迷いばかりの私を神様はどう思っているのだろうか?
早く「この信仰は間違いなく最高だ!」と胸を張って言える自分になりたい。
でもどうすればいいのか分からない。もっと神様を求めればいいのか?求めるほど今の矛盾に苦しくなる自分がいる。不足をつむ自分がいる。
どうすればいいのか分からない。
通りすがりの独り言でした。
私は、世間の人々からは超保守的な人と思われていますが、天理教関係者からは、組織転覆を目論む革命思想の持ち主と見られて『危険思想の持ち主』という扱いです。
私は現在、完全な部外者なので、今更天理教団とは一切関わり合いたくもありませんが、どういう状況なのか近況がインターネットからしか伝わってこないので、前線視察(天理教教会本部への訪問)したい気もします。
部外者には親切なのが天理教なので、危害を加えられる心配もありません。
関わり合いのない人には親切で、関わり合ったら酷い目に遭うなんて、やっぱりカルト教団です。
家族に相当な迷惑をかけて負担をかけてしまっている状態なので、天理教なんか相手にせず、家族最優先で生きれば、現在のような奇妙な症状もおさまると思います。
そういう『当たり前の事』すら出来ていないのが天理教です。
神様や教祖や教えを大切にする前に、先ずは自分や家族を大切にするべきです。
組織の保身なんか気にせず、自分や家族を大切に出来る状態になった時、トラブルも激減すると思います。
様々な暴言も激減すると思います。
組織を存続するために無理な運営をしているから、責任転嫁や隠蔽、偽装、嫌がらせ、妨害工作が蔓延して誰も本心を語れない雰囲気を創り出してしまっているのです。
天理教教会本部の神殿に大勢の『憲兵』を配置して、甘露台(天理教関係者の信仰の対象)を警護しているのが現状ですが、甘露台を倒した人を処罰する(警察沙汰にする)事もなく、本人に『病気かもしれない』と供述させて、天理教関係者に広めたのは、警察にバレたらヤバい事が沢山あるという事なのでしょうね。
信仰の対象を倒すなんて、通常の宗教法人では有り得ない事だし、普通は警察に被害届けを出すはずですが、そういう事もしない。
捨て身のクーデター、テロ、特攻という犯行なのに、誰もその行為を責めようとはしない。でも称賛もしない。
それが天理教関係者の本音だと思います。
そういう事態になってきているにも関わらず、『又、お会いしましょう』と書いて、子供達の笑顔の写真付きの年賀状を出すところが『ズレている』と私は言いたいのです。
あの人達は、悪気もなく、そういう事をするので、計画的行動なのかと、あの人達の常識を疑ってしまいます。
『天理教関係者になれば、結婚も出来て、こんな可愛い子供達に囲まれて暮らす事が出来ますよ』と甘い誘惑をしてきて、天理教側の人間にしてしまえば、布教と称して、家族親族を宗教に巻き込む行動を強要し、全財産を乗っ取る。
そういう手法を今までしてきて拡大していったのが天理教の実態なのだと天理教関連の本を読んで(道友社以外の出版社の本を読んで)知りました。
私の知っている人で、正社員で会社勤めをしていたけど、退社して迷った末に、天理教関連の仕事に就いた人もいます。
兄弟が皆、天理教関連の仕事に就いて結婚していて子供も沢山いるのに、自分だけが結婚もできず、実家の教会に給料を納める状態で、結婚する場合でも結局、天理教関係者という状況になってしまうので、教会長の息子や娘は、辞める事が非常に困難な信者という状態です。
交代勤務で8時間労働、週6日勤務で、月給2万円という『明らかに違法』な雇い方ですが、結婚して子供もいます。
非常識な事が常識的に行われているにも関わらず、辞める事が出来ない。
表立って批判する事も出来ない雰囲気なので、独りで抱え込み、精神疾患に移行して、最悪の場合は自殺するという暗い仕組みです。
そんな事をしているにも関わらず『陽気ぐらしの天理教』と標榜して、見せかけだけの笑顔で無理な運営をしている集団が天理教です。
天理に行けば『お帰りなさい』の看板を数多く見かけますが、「何がお帰りなさいだよ….」と思わず言いたくなってくるような矛盾した事が天理教には沢山あります。
矛盾で矛盾を取り繕うような事をしているから、天理教でトラブルが多発しているのです。
都合の悪い事は隠して、都合よく書きかえてしまっているので、実態とはかけ離れた事をしている状態です。
実態はオウム真理教と同じような状態で、組織犯罪です。
警察沙汰になっていないだけで、やっている事がカルトです。
被害者を減らすために組織を縮小していく事を熱望します。
天理教の現状と日本の現状は、似ていないように見えてよく似ています。
戦後長い間、日本の政治家も国民も取り組まなければならない重大問題には目を背けて、避けて通ってきました。
それが安全保障問題や憲法改正、歴史認識、教育に関する問題で、生活保障制度もかなり厳しくなってきています。
若者は、政治には関心がなく、期待もしていません。ワーワーと騒いでいるのは年長者の人達だけです。
『政治なんて、どうせ変わらんだろう』
それが若者の本音で、若者にとっては政治なんてどうでもいい事なのです。
良くも悪くも無関心で、保守的な若者が増えてきています。
『誰かがどうにかするだろう』
と他力本願な事ばかり言って、実際は誰も肝心な事には目を背けてきたのが戦後日本の実態です。
『政治家や官僚は、いっぱいカネもらって、いい生活してるんだから、アイツらがどうにかするような事だろう』
と皆が『政治家や官僚には期待してないけど、オマエらがどうにかしろよ』
という思考ですが、ヤバい事態にならない限り、動き出さないのが、政治家や官僚という職業の人達です。
実際に自分の生活がヤバい事態にならない限り、大半の国民は、普通に自分の生活を過ごすと思います。
自己主張は強くなってきているが、自分に関係ないような事(政治)には無関心。
それが人間の本能なのです。
中東の紛争に巻き込まれる可能性はあっても、先進国同士が戦争する事態にはならないと思います。
北朝鮮問題(北朝鮮は先進国ではないけど)は、様々な国々がワーワー言って、威嚇して睨み合っている状態が今後も続き、事態は進展しないと思います。
北朝鮮が崩壊して喜ぶのは、北朝鮮の民衆だけで、何処の国の政府も北朝鮮とトラブルになっても国益に繋がらないので、北朝鮮がこれ以上、暴走していかないように威嚇して睨み合っているだけで、お互い動きません。
北朝鮮の民衆の事なんて、何処の国の政府も関心がありません。
『そんな事、どうでもいい』
それが他国の政治家達の本音です。
皮肉にも、北朝鮮の民衆の事を一番心配しているのが金正恩を中心とする北朝鮮首脳達です。
日本もノンキな事を言っていられるような事態ではないので、保守本流の安倍晋三さんが現在、日本のシステムを強硬に変えています。
それが吉と出るか、凶と出るか、それは誰にも分かりません。神のみぞ知る事です。
急速に変わっていけば喜ぶ人と反対する人が出てきて『安倍政権が暴走している!』と大騒ぎする人々も出てきます。
安倍さんは、首相として頑張って仕事をしているんだなと思います。
支持するとかしないとかの問題ではなく、批判されるのが嫌なら、何もしなければいいのが政治家という職業なので、知らない間に消えていく首相は
『何もしていない首相』という事なのです。
民主党政権は結局、何をしているのか分からないような政治をして、日本を混乱させてしまいましたが、民主党は、政権与党になるのが初めての経験だったので、政治の進め方が分からなかったわけです。
天理教の運営も素人の我々が騒いでみたところで、どうにかなるような話でもありませんが、騒がなければ、あの人達は、いつまで経っても動こうとはしません。
政治家の先生方や官僚達も事態が深刻になってきて国民が騒がなければ動こうとはしません。
中枢部の人達の思考は何処も一緒。
そういう事なのだと知りました。
私は政治の事なんて、ほとんど知らない人間ですが、
天理教の組織運営の酷さを見ていて、日本の政治の実態も分かるようになってきました。
天理教は、政治学、歴史学、宗教学、軍事学、心理学、福祉、医療など、様々な事を教えてくれた貴重な恩師です。
しっかり『お仕込み』の体罰を受けて苦しめられてきましたが、天理教がそういう教団だという事は、今に始まった事ではないので、そろそろ組織運営の見直しを真剣に考えて、動き始める『旬』なのではないかと
思います。
他宗教の運営を参考にしたり、福祉の制度を参考にしたり、政治家の先生の意見を参考にしたり、自衛隊の幹部の人に相談してみたり、いくらでも方法はあると思います。
二代真柱の中山正善さんが、誰かから『天理教とは、どのような教えなのでしょうか?』と聞かれて、
『私を見て下さい』と言ったそうです。
東京帝大を出て、頭脳明晰な人なので、よほど、自信があったのだと思いますが、皮肉にもその発言は違った意味で的中していました。
正善さんを見れば、当時の天理教の実態が分かってきます。
正善さんがリーダーシップを発揮して、独裁政治のような組織運営をしていたので、天理教の庶民の暮らしは苦しかった。
正善さんは様々な事を実現させた人なので、功績も沢山ありますが、天理教内の庶民に負担をかけてきたので、負の遺産も沢山残して、この世を去りました。
正善さんの場合、信仰者ではなく、宗教学者のような人だったので、理論上は正しいけど、庶民の暮らしからかけ離れた人でした。
私は正善さんに会った事はありませんが、
作家の芹沢光治良さんとは対照的なインテリです。
しかし、戦中戦後の激動の時代で、天理教が生き残っていくには、正善さんのような人がリーダーじゃなければ乗り越えられなかったとも言えます。
もし、もっと控え目な人が真柱職に就いていたら、天理教は、戦後のどさくさに紛れて消えていたかもしれません。
三代真柱、現真柱の場合、平和な時代のリーダーなので、おとなしい人でも務まりますが、世の中が荒れた時代には、正善さんのようなリーダーが最適だったのだと思います。強圧的な指導で多くの人を苦しめ、後世に負の遺産を残す結果になりましたが、
そういう人がトップに君臨していなければ、乗り越えられないような厳しい時代だったのだと思います。
>正善さんがリーダーシップを発揮して、独裁政治のような組織運営をしていたので、天理教の庶民の暮らしは苦しかった。
正善さんは様々な事を実現させた人なので、功績も沢山ありますが、天理教内の庶民に負担をかけてきたので、負の遺産も沢山残して、この世を去りました。
>しかし、戦中戦後の激動の時代で、天理教が生き残っていくには、正善さんのような人がリーダーじゃなければ乗り越えられなかったとも言えます。
もし、もっと控え目な人が真柱職に就いていたら、天理教は、戦後のどさくさに紛れて消えていたかもしれません。
独裁政治のような組織運営をして教団の庶民に苦しい暮らしをさせてまで組織を維持しなくてはならない意味ってあります?
仮に戦中戦後の激動の時代だけ止む終えず、ということだったら我慢も出来るかもしれませんが、戦中戦後とっくに過ぎた現在はどうでしょう。
未だ末端庶民に苦しい暮らしをさせてまで組織を維持しなくてはならないのは、一体誰の為なのでしょう?
人間の為に宗教があるのであって、宗教の為に人間がある訳ではない ということに、そろそろ皆気付き始めていると思います。
>そろそろ組織運営の見直しを真剣に考えて、動き始める『旬』なのではないかと
思います。
他宗教の運営を参考にしたり、福祉の制度を参考にしたり、政治家の先生の意見を参考にしたり、自衛隊の幹部の人に相談してみたり、いくらでも方法はあると思います。
これは無理でしょう。そもそも人権意識がないのですから。天理教がカトリックのように出家制度を整えて、トップもコンクラーベで選出することは絶対にありません。これからも世襲が発生する状況が継続され、貴族たちは自分の子供においしい生活をさせるべく奔走する日々が続きます。
>被害者を減らすために組織を縮小していく事を熱望します。
こちらが熱望しなくても、組織はもう徐々に縮小というか崩壊に向かっています。衰退期のカルトですから。
被害者を減らそうなんて考える必要はありません。これからは被害者は嫌でも減っていきます。子供たちが毎日のように棄教しまくっているので信者自体がもういなくなりつつあるからです。
(だから現在の真柱夫妻は、いつみても景気の悪そうな顔をしているのです。)
両親がインターネットを使って天理教被害の情報を収集し、このサイトも見ていると確信したので、
両親に向けて、情報発信したいと思います。
本当にキレて、社会問題にまで発展させようとするのは、実は私ではなく、あなた方の可能性の方が非常に高いので、天理教にとって最大の脅威は、私ではなく、あなた方です。
何度も書きますが、私は天理教被害によって心身共にズタズタになって、現在マトモな生活を送ってはいません。
私の場合、『こんな反社会的な集団は有り得ない』と呆れているだけで、馬鹿馬鹿しいので、行動に移そうとは全くしていません。動けるだけの体力もない状態で、面倒な騒ぎなんて『引き起こしたくもない』心境なのです。
しかし、黙ってズタズタになっているような『お人好し』ではないので、批判と抗議の投稿をしているだけの状態です。
私が動けば、天理教は確実に無茶苦茶な事になるので、騒がしい事態になるのは嫌だから動きたくもない。そんな体力すらない。
それが私の心境であり状態なのです。
これを両親は無茶苦茶な思い違いをして、息子が『危険思想の持ち主』で、組織転覆を企てていると勝手に錯覚している漫才のような事態になっているので、この場を借りてメッセージを送ります。
私は、共産党の暴力革命のような事態を引き起こそうという意思は『全く』ありません。
もし、共産党の暴力革命のような事をするとすれば、それは私ではなく、あなた方ですよ?
その点をしっかりと理解して、事実を誤認せず、堂々としていれば済むだけの事なのに、『何か』にとても不安を感じているようなので、付け加えさせて頂きます。あなた方がそういう心配や不安を感じる必要は『一切』ありません。
ビビっていれば、天理教側は、あなた方を『弱い奴』と判断し、集中的に色々な事を言ってくるはずです。そういう事態になっていた事を忘れてしまいましたか?
弱肉強食の外交で、弱い奴(言っていきやすい奴)と判断されて、都合の悪い事は全部あなた方に負担が押し付けられていたわけです。
両親の方が『お人好し』で、弱腰だから、こっちに言いに行こう。
都合の悪い事を本人(私)に言わせないために秘密裏に話を進めていこう。
毎回、そういうパターンになっていたではないですか…..
隠蔽、偽装の秘密主義の中で、天理教の世界は動いている事を我々家族だけが『お人好し』だから何も知らなかったわけです。
私自身も、当事者であるにも関わらず、正確な状況を把握していなかったので、余計に奇妙な行動をしてしまって、事態を更に深刻にしてしまう矛盾と悪循環に陥っていました。
毎回、本人不在のまま、都合よく話を進められていたので、秘密裁判のような状態でした。
『何か裏で動いているな……』と分かっていても一切教えてくれないのが天理教なので、毎回、本人だけが知らされていない状態なのです。
おそらく、他の天理教被害者の方々も状況は同じです。
天理教に関する事例は、かなりドロドロとしているので、常識的思考の天理教関係者は、本音を言えなくなります。
言えば、自分の身に災い(人災)が降りかかってくる可能性が高いので、怖くて言えなくなるのです。
嫌いという状態を通り越して『怖い』という心境になるのです。
蛇に睨まれた小鳥のようになってしまうのです。
何か不幸な事が起きたら、周囲の人々から報復されるのではないかと不安になり、疑心暗鬼になって、インターネットの世界で、ドロドロとした実態が公開される事態になっているのです。
インターネットなら、妨害されたとしても、たいした嫌がらせはされないので、普段言えないような過酷な実態を打ち明ける事が可能です。
『言えない雰囲気』になっているのが天理教の最大の欠陥なので、本音と建前を使い分けて、政治家のような生き方をしないと、この世界では生きてはいけません。
私は、天理教と関わるようになって、人の言葉をあまり信じられなくなりました。
親切心なのか、何らかの下心(布教活動)があって近づいてくるのか分からないような人もいて、敵味方の区別がつかない事態になってきて、心をズタズタにされる人が多数出てきているのだと思います。
嘘で取り繕った雰囲気なので、結局、現状が分からなくなってきて、様々なトラブルが発生しているように思います。
離れていく人々は、理由があるから離れていくのです。
宗教が嫌で離れていく人も勿論いますが、神の名を語り、様々な事を正当化する歪んだ雰囲気が耐え難くなってきて、夜逃げするような人やアルコール依存、自殺、うつ病、ノイローゼ、ひきこもりなどの発生に繋がっていくのだと思います。
それは人災なので、心がけ次第で防ぐ事が可能なのに自分に都合のいいように解決させたいと思っている人達がいるので、解決する事を妨害されているような奇妙な事態になっていました。
そういう事を言うと逆ギレする人もいますが、組織の体質的なものなので、特定の誰かが悪いとか、天理教の人が全員悪いと言っているわけではない微妙な事なのです。
旧日本陸軍の体質に似た『出来ないような事でも無理矢理、精神力で乗り越えさせよう』とする無謀な精神主義が天理教内には未だに残っている状態です。
先の大戦から思考パターンが抜け出せていない人も一部には存在する状態なので、特定の価値観だけを教える事に問題があるように思います。
かつての陸軍幼年学校の教育が問題視されるのは、その点だと思います。
陸士や海兵の将校生徒にも経済学を学ばせるべきだったというのが、大東亜戦争の教訓の一つです。
天理教には『バリ天』という言葉が存在します。
部外者の人が聞いても、何の事だかさっぱり分からない言葉ですが、『バリバリ天理教』略して『バリ天』なのだと思います。
熱心に信仰する事はいい事だと誤解している人もいますが、実際はそうではない事例の方が圧倒的に多いと思います。
それは宗教だけに限られた事ではなく、全てに言える事です。
オタクやマニアという状態になってくると周囲の人から気持ち悪がられます。
そういう視点で考えてみると『熱心に信心する事』が好ましい事ではない事が分かってきます。
しかし、宗教だからと言って、理不尽に迫害する世間の風潮も如何なものかと私は思います。
そういう状態の人を『宗教アレルギー』と名付けるとすれば、宗教アレルギーになって全く受け入れようとしない状態の人も『協調性に欠ける偏った人物』と言えます。
宗教だから馬鹿にする(あるいは迫害する)という思考パターンの人を私は大勢知っていますが、人格面で言えば、それ程立派な人ではない事が多い気がします。
最近の世の中の流れは、そういう風な流れになってきていますが、畏れる事を忘れた現在人もまた、新たな信仰に感化された『新興宗教の信者』のように思考停止の状態に陥っています。
何らかの説明可能な信念によって、無宗教を貫いている人に対しては、私はその信念を尊重していますが、そういう人は、むやみやたらと宗教を排斥するような事はしません。
信仰はしていないけど、信仰心のある人に対する敬意が感じられるので、立派な人のように思います。
しかし、そういう人は残念ながら少ない。
そういう人の事を良識的な左翼と呼ぶのだと思いますが、そういう人達は日本の行く末を憂いています。徐々に形式的左翼信仰の人達が増えてきているのが現在の日本社会の実態なので、無意識に奇妙な社会問題を引き起こしています。
いずれにせよ、極端な発想、偏った価値観に染まってしまうと無茶苦茶な行動を引き起こす可能性があるという事なのです。
宗教で言えば、オウム真理教の事例が近年最悪の事例として有名ですが、それに近い傍迷惑な行動をする可能性は、どこの組織でもあるという事を忘れてはいけません。
世界三大無用の長物の一つとして、無駄なものの代表格にあげられている戦艦大和。
ピラミッド、万里の長城、そして戦艦大和。
しかし、無駄な事をする事によって文明は進歩してきました。
進歩を忘れた時点で、社会は停滞し、やがて衰退していきます。
戦前の日本社会は、世界最大の戦艦大和と共に沈んでいきました。
戦艦大和は、ほとんど実戦に参加する事なく温存され、最終的には燃料が不足する状況に日本が追い詰められてきたので、燃料補給も困難な鉄の塊になってしまいました。
しかし、世界最大の戦艦大和をそのまま残して、敗戦に到るのは、日本海軍の沽券にかかわる事なので、許されない事でした。
『良き死に場所を与える』という発想が、武士や軍人にはあります。
現在人には理解し難い発想ですが、戦艦大和は良き死に場所を与えられて、大勢の乗組員を乗せて、航空機の援護もない状態で、沖縄の海に向かって出撃しました。
全く何の勝算もないのに水上特攻をして、あっさり沈められてしまった戦艦大和ですが、散り際が潔かったので、日本人から愛されています。
天理教も教団を縮小していく際、散り際だけは潔く散って、醜態をさらさないで欲しいと思います。
私が見てきた天理教の事例の場合、天理教関係者が事実をうやむやにして、自然消滅という醜態をさらしたので、失敗例が愚かだった事以上に、最終結末が悲惨な最期でした。
天理教の教会長を軍人で例えるなら、前線で戦っている兵隊を見殺しにして、指揮官から先に後方の安全地帯に撤退していくような醜態をさらし、第一線を壊滅状態にしてしまったのです。
信者を兵隊に例えるなら、政府や軍、指揮官からも見放されて、戦場に置き去りにされて、玉砕するしか道がない最期でした。
信者はぐちゃぐちゃな状態になって屍を戦場にさらす悲惨な最期だったのです。
そういう状態になっているにも関わらず『教会長なんかをアテにするから、そんな馬鹿げた結果になったんだ』とか『天理教なんかと関わっているから、そんな馬鹿げた事態になったんだ』とか、要するに『オマエが悪い』と言いたいのだと思いますが、
部外者の人達が言うのなら、まだ分かりますが、天理教関係者がそういう発言をする事自体、有り得ないような事です。
無責任にも程がある…..
天理教なんて信用する価値すらない宗教団体だと言っているにも関わらず、この教えは素晴らしいのだが、とか言って、どういう解釈をすればいいのか延々と議論をしている矛盾した状況だから、天理教内に精神疾患の人間があふれかえってしまう事態になっているんですよ……
>二代真柱の中山正善さんが、誰かから『天理教とは、どのような教えなのでしょうか?』と聞かれて、
『私を見て下さい』と言ったそうです。
「『私を見て下さい』と言えるようになりましょう。」と仰ったのです。違い分かりますか?
よく分かります。
何も語らなくても、天理教の教えを『実践できている』ような人間になりましょうという事なのでしょうね。
そういう人を見て、一般社会の人々は『あの人は素晴らしい人だな』と感心し、その人の信じる教えは、どうやら天理教というらしいぞ、という流れになっていくので、わざわざ口で説明して話さなくてもいいという事を言いたいのだと思います。
『聞かなくても見れば分かる』
それが真の宗教家なのだと思います。
素晴らしい事を言っていても、実践出来ていなければ、ただのホラ吹きになる。
そういう事を言いたいのだとも解釈できます。
残念ながら、正善さんは庶民の生活を一度も経験する事なく生涯を終えたので、芹沢光治良さんのようにはなれなかったのです。
上手く表現しづらい事なのですが、
その矛盾が天理教の庶民の暮らしに波及していって、実現してしまった結果が定着してしまって、現在のような矛盾した組織体質になってしまっているので、
『復元する』というのなら、天理教組織を復元するというのではなく、宗教家としての心構えをもう一度よく見つめ直してみて下さいという事態なのだと思います。
天理教の教会長だからとか、本部員だからとか、そういう地位に執着せず、天理教だからという事にも執着せずに、人として今、何が出来るのかよく考えてみて下さいという時期に天理教だけでなく、人類全体が直面しているように感じます。
おそらく、現在の世界経済の仕組みは、あと10年ぐらいしか持続できません。
様々な矛盾が今、社会問題になって現れてきています。
衰退産業ばかりが日本中にあふれかえっている(世界中にあふれかえっている)閉塞状態なので、我欲のために生きる現在人に警鐘している状態なのだと思います。
戦後の日本社会の信教に関する問題の中で、一番深刻で、国際政治を巻き込んだ大問題に発展しているのが靖国問題です。
戦後生まれ戦後育ちの人には到底理解できない、当事者(戦没者の遺族)の人達にとっては深刻な問題が靖国問題なのです。
その問題を政治的、思想的と決めつけてかかる人達は、この問題の本質が全く理解できていません。
戦後生まれ戦後育ちの人の場合、やむを得ない事ではあるのですが、高齢者に聞いてみれば分かる事です。
戦没者の遺族ではない高齢者でさえ、
『簡単に言えるような事ではない、あの戦争を経験してきた我々の世代の問題だから、若い世代の人達に語り継ぐつもりはない、平和に暮らしているのなら、それでいい』
という考えと
『再び、あの愚かな戦争を繰り返さないために若い世代の人達に語り継がなければいけない』
という積極的な人と、それ以外にも様々な考えの高齢者がいます。
『そんな事、私には関係ない』
と言っている高齢者は、よほど薄情な人か田舎の農村で安全に暮らしていた人か、そのどちらかです。
田舎で暮らしていて、三度の食事に苦労せず過ごしてきた人達でも、私には関係ない話だとは言えない事だと思います。
戦後の日本で、仕事に追われて考える余裕がなかった人達も、定年退職以降、一度は考える事だと思います。
『そんな事、考えた事もない』
と言ってる高齢者がいれば、よほど鈍感な人か、よほど平和な人だけです。
何故、靖国神社に総理大臣が近寄り難い状況になっているのか、靖国神社以外の無宗教の慰霊施設が出来ているのか、そういう様々な事が分かってきたら、天理教被害に苦しんでいる人達と非常に似ている事が分かってきます。
サバイバーズギルト(生還者の罪悪感)になって、戦後も苦しんで生きてきた人達は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という症状になっているのです。
バリバリ戦後生まれ戦後育ちで戦争体験を全く経験していない私が、戦争体験をしている高齢者の心境を、ある程度は理解できるのは、そういう事なのだと分かってきました。
メンタルクリニックに受診して薬物療法をするか、料金は高いですが心理療法という手段もあります。
いずれにせよ、天理教信仰が悪循環に陥っている状態なので、無理せず辞めて下さい。更に症状が悪化していくだけです。
私は、天理教との直線的な関わりがなくても心理的にシンドイ状態なので、天理教の教会で我慢しながら暮らすなんて到底できません。
もし、精神的に負担になってきているのなら、無理せず早く辞めて下さい。
無理に続けなければいけないような事は、現在の日本社会には、ほとんどありません。
健康に生きる事を最優先して下さい。
天理教、創価学会、幸福の科学などは終わった教団ですが、最近のニュースを見ていると、インターネットの普及で国や個人のニュースも情報を得ることができる中で、日本という国自体ももう終わってる国のように思えてなりません。
参謀さんの話しはとても論理的ですので、分かりやすいのですが、
参謀さんのおっしゃるには世界経済自体ももたないとのことですね。
私は教祖中山みきの信奉者ですが、こんな世界を何が救えるかといったら、やっぱり中山みきの教えの中にあると私は思うんです。
天理教団上層部がこだわる組織運営みたいな小さなことにこだわらず、一刻も早く中山みきの本当に望んだ「道」の姿に方向転換すべきです。
きっと本部には公表されていない中山みきのおふでさきやご逸話がまだまだあるんじゃないでしょうか?本部の都合で教えを隠蔽し湾曲してる場合じゃない。
もう人間社会がヤバい。過去の過ちは素直に受け止め、謝罪し、解体と再構築(教祖の望んだ)。
でも、もう遅いかもしれない。
神がいるなら、次の天啓が来ますよ。
中山みきの再来といわれるような天啓者を待ちましょう。
まぁ、人間の進化、変化する速度より科学や医療の発達が速いから、いずれコントロール出来ずに自滅しますよ。いずれ。
資本主義も限界がある。今現在では資本主義が一番マシだから主流。日本も資本主義。その国の法律のなかで存在することができるのが今の天理教。課税されたらひとたまりも無い。
人はいつか死ぬ。それまでにどう生きるか…
天理教に関わる色々な方々、先が暗くても、今を、生きていること(生かされている?)を楽しみましょう。
こりゃ幸福の科学の方が未だましだな。
>二代真柱の中山正善さんが、誰かから『天理教とは、どのような教えなのでしょうか?』と聞かれて、
「『私を見て下さい』と言えるようになりましょう。」と仰ったのです。
正善氏が、信者のお供えを自分の趣味に使いまくり、巡教先の教会で夜伽の女性を所望し、信者に莫大なお供えを上げさせては無駄な建物を建てまくった(学校や病院などを造ったという、いい面もあるのだろうが)という「天理教上層部の”ひながた”」をつくったのでしょうね。
今の天理教本部は、正善氏の「ひながた」どおりに忠実に、信者から金を搾取しているのでしょう。
>今の天理教本部は、正善氏の「ひながた」どおりに忠実に、信者から金を搾取しているのでしょう。
「永続するためには変わらなければならない」。ヴィスコンティの山猫という映画の名セリフだったと思います。
正善時代はそれなりにお金も集まりましたし、建物を建てまくることもできました。拡大に次ぐ拡大路線で、いわば教団の成長期だったからこそできたことです。
今は素人目にも衰退期とわかるので、昔のように面白いほど金が儲かるというわけではありません。
正善時代につくられた「ひながた」通りにやっていくことはできないのです。これに気づいている首脳部は果たしてどのくらいいると皆さんはお考えですか?
天理教と日本の近代の歴史(幕末維新から敗戦までの時代)は、密接な関わりがあり、天理教の先人が歩んできた道程だけを学んでも、正確には理解出来ない事です。
近現代史は、他の時代(古代史、中世史、近世史)に比べると複雑で難しい時代だと思います。
しかし、天理教でも歴史教育をしていった方がいいと私は思います。
もしかしたら、既にしている事なのかもしれませんが、
そうする事によって、天理教の先人達が歩んだ道程を更に深く知る事が出来ます。
歴史年表を丸暗記するような学び方ではなく、戦争体験の事例を聞く事は、平和の尊さに気付く事にも繋がり、心境も変わってくると思います。
参謀様、下記のサイトが一つの参考になると思いますよ。
偶然見つけたものですが、クリアな思考と知識の記述に驚かされます。
歴史教育って、難しいですね。
都合の良い解釈を刷り込まれる危険が皆無の教育ってあるのだろうか、とさえ思ってしまいます。
実は、自分が歴史嫌いだという事の言い訳にしか過ぎないのですが。
年号などというものは一つも覚えられなかった、興味が無かった・・・。
それが天理教を改めて見直す道中、一文字さんの書き込みに触発されて、歴史の重要性に気が付いたのです。
初めての事でした。
理解するには不可欠だということに漸く気が付いた次第です。
>天理教でも歴史教育をしていった方がいいと私は思います。
とのことですが、教内での教育には不安があります。
自ら求めていく中で学びたいと、今更ですが思う高齢者です。
https://thebbs.fc2.com/thread/262762/?count=100
当時本部食堂で行われていた披露宴の食事を担当していた者です。
確かに披露宴は3回行われました。
9/1に対外向け、つまり政界や企業著名人相手の披露宴
9/3に対内向け、本部関係者や大教会長相手の披露宴
9/7か8当たりに大亮氏と布恵氏に近い関係者相手の披露宴がありましたが、これは会場が別所だったため関わっておりません。仰る通り1000人を超える招待が合ったのは間違いではありません。
食事は本部勤務者と管内学生合わせた約500人ほど動員し用意されていました。会場設営や接待に関わった人数も合わせれば1000人前後の動員はされてたでしょうね
慶びのなんとかも合わせるといくらお金が飛んでいったかはもう想像出来ません(笑)
匿名信者様
歴史は、勝った側の人間が作るものなので、勝者に都合の良い解釈に歪められて後世に伝えられていきます。
匿名信者様が何歳ぐらいの高齢者なのか分かりませんが、昭和10年代後半に生まれた世代は、占領下に学校教育を受けてきているので『日本は悪い国』と教えられて育てられた世代です。
最近、今までとは違った形の『歪んだ歴史認識』が広まってきているので、歴史の本を読んだら、正しい知識が身に付くというわけでもなく、書いている内容をそのまま信じ込んでしまうと天理教の洗脳教育と同じような事態になってしまうので、注意が必要です。
日本は中国や韓国と歴史戦をしている状態なので、
『日本は正しい事も沢山してきて、感謝してくれている人も大勢いる』という主張も出てきています。
何が正しいのか、個人差もあるので、当事者の証言が正しいという保障もありません。
実態を知っているのは、その時代に生きて、その場にいた人だけですが、若い世代が聞いても、正確には伝わりません。
私は歴史をそのように見ています。
天理教と関わってきたお陰で、その点(事実は都合よく歪められる可能性がある)は大変鍛えられてきたので、良かったと思っています。
私は現在、精神疾患のため休養状態ですが、いずれ回復すると思うので、今は安静にしていようと思います。
匿名信者様は、天理教が若者に歪んだ歴史認識を植え付ける可能性が高いと考えているようですね。
確かにその通りだと思います。
天理教に都合の良い解釈をして、史実を歪めてしまう…..
天理教は、天理教関係者から信用されてはいない状態なので、何を始めても受け入れてはもらえないでしょうね…
天理教は今後、どのような教育をしていくつもりなのでしょうか。
現状維持の洗脳教育が今後も延々と続くのでしょうか?
気になるところです。
本部中枢の方々は、相当ツラい状況が続いていると思います。
最近、天理教は不祥事続きで、かなり荒れた状況になってきていると思います。
次期真柱の婚礼に関する出費は、天理教の体面を保つためにはやむを得ない事とはいえ、末端からは不評です。
しかし、大教会長や本部員の後継者の結婚ではなく、真柱の後継者の結婚なので、質素に済ませるというわけにもいかない事です。
真柱後継者夫妻が離婚するという可能性は極めて低い事なので、結婚式は生涯で一度きりの重要な事です。
これをケチったら、天理教教会本部は、末代まで笑われる事になる。
そう考えても不思議ではありません。
見栄を張るのが好きな天理教が次期真柱の結婚式をケチるとは到底考えられない事なので、私の目から見れば『その点は仕方がない』という感じがします。
私は一般家庭で育ってきましたが、結婚式にはカネをかける場合が多いような気がします。
葬式は簡素化されてきていますが、結婚式でケチったら、花嫁の方が納得しません。
いつまでも愚痴を言われ続ける事になります。
私は結婚式をした事がないので、正確な事は分かりませんが、おそらく、そういう事態になると思います。
様々な話題で賑わっている天理教ですが、組織運営をする側にとっては生きた心地のしない毎日だと思います。
これ以上、先送りする事も出来ない。
ついに決断しなければいけない時が来てしまったかと『陰気暮らしの極み』に達しているのではないでしょうか?
1月26日に何らかの動きがあるような気がしますが、どういう対応をしていくのか天理教の元信者として気になるところです。
もう何をやっても無理だし無駄だと思いますね。だいたい開祖がなくなってからこんな感じできているわけでしょう?今までのつけを払わせられているということなのです。腐ったものは落ちるしかないと思います。
以前、私は『現真柱と長老の方々は、天皇陛下退位に習って、現役を退くべき』と書きましたが、高齢の方々には、高齢の方々の残された役割があるので、『退かないで頂きたい』と主義主張が変わってきました。
最近は若者の活字離れが進み、書籍があまり売れません。
以前、書店で働いていた時期があるのですが、売れているのは、ほとんど雑誌です。
ハードカバーの本は新刊以外は『全く』売れていません。
天理教の若者も読書をする習慣がほとんど身に付いていないように感じます。
天理教関連の本が教会には並んでいますが、その本を誰かが読んでいる姿を私は一度も見た事がありません。
娯楽が沢山ある現在の日本は、宗教離れだけでなく、活字離れも進んでいます。
高齢者は若者に比べて考え方が保守的ですが、
学ぼうとする意欲は、天理教の若者より強く、知識も豊富なので、高齢者の年代が退いてしまうと天理教は更に薄っぺらな集団に落ちぶれてしまいます。
天理教教会本部はテーマパークのような娯楽施設に変貌すると思います。
天理教教会本部は、若者集めに必死で、若者が喜ぶ企画を考えているように見えます。
高齢者には、あまり恩恵がない状態です。
現在風に変わっていく事も必要ですが、若者に迎合していくだけでは、宗教法人として成り立たなくなります。
一般社会の介護現場のような殺伐とした宗教団体になってしまいます。
天理教は時代の波に翻弄され、明治から敗戦までの期間、政府の顔色を伺いながら教団運営をしてきました。
政府の方針に背けば弾圧の対象になるので、教団を存続させるために、やむを得ず国家神道に迎合していかなければ生き残れない時代でした。
信教の自由が保障されている現在の日本社会と同じように考えていたら、天理教が歩んできた明治から敗戦までの期間は分からなくなってしまいます。
戦前の日本社会では、権利を主張するという発想そのものがなく、平和を望めば『反戦思想の持ち主』という扱いをされ、処罰される時代でした。
そういう『時代の雰囲気』が分からなければ、天理教の歴史も見えにくくなります。
現在人の発想で考えれば、宗教団体が戦争に積極的に加担していったという風に見えてしまいますが、当時の状況を考えたら、戦争に積極的に協力する事が日本国民の義務であり正義だったので、戦争に反対すれば、カルト教団という扱いをされてしまう時代でした。
天理教では、戦争を美談や武勇伝に変えてしまって、肝心な事は抹消されているのだと思います。
残念ながら、私は天理教の若い世代との交流が中心だったので、大正世代の方々との接点がほとんど無い状態でした。
しかし、天理教の現状を見ていれば、察しがつきます。
厄介な事態が多発するのが戦場の実態なので、
思い描いたようには進展しません。
順調に勝っているわけでもないのに(実際はボロ負け状態なのに)『転進』や『玉砕』などの美辞麗句を連発して、大本営発表で国民を鼓舞し続けて、最後はあっけなく無条件降伏してしまう事態になったのです。
実態とはかけ離れた事をしていたので、崩壊するのは当然の事でした。
バブル崩壊も似たような仕組みです。戦争を経済に置き換えただけなので、バブル経済を経験してきた人達は、戦争の熱狂状態を少しは理解できると思います。
現在の日本社会は、真ん中(中流階級、庶民)で生きる事が難しい『格差社会』です。
どちらかの陣営に属さなければ、生き残る事は困難と言えます。
人権団体、動物愛護団体、労働組合、日本共産党、福祉、医療、介護などの世界も『歪んだ平等意識』に包まれて、本来の役割を見失った活動をしているのが実態です。
社会的弱者のために権利が私物化されているのでは?と思うような光景もよく見かけます。
「人権意識が歪んできているな…..」
これが私の本音なのですが、そういう発言をすると人権団体から差別や偏見という類にされて、抗議される事になりかねないので、言えない雰囲気に日本中が包まれている状態です。
上記の業界も思考停止と言論弾圧によって、マインドコントロールされている状態なので、内部の人達は、自分達の行動を客観視できなくなっているのです。
良識的左翼と呼ばれる人々は群れる事を好みません。一匹狼で生きる事を好む特性があるので、会社勤めを好みません。
喫茶店をしながら生計を立てている人がいますが、そういう思考の人達は、政治運動をする団体に属する事も潔しとしません。
私は保守的な思考の人間なので、組織の中で生きる事を好む特性がありますが、天理教の教会長は、喫茶店のオーナーのような状態で、独立運営している状況なので、天理教は組織として成り立っていない事を実感しました。
どちらの世界も矛盾した運営をしていると気付きもせず、思考停止になっているんだな….と感じました。
私は、完全に組織化された集団の一員として、助け合いながら生きる道を選ぶ事にしました。
>天理教の教会長は、喫茶店のオーナーのような状態で、独立運営している状況なので、天理教は組織として成り立っていない事を実感しました。
天理教が喫茶店のオーナーのように、全く独立運営できているなら、上級の言う通り、お供えを出さなくてもいいし、巡教などして貰わなくてもいい筈です。会費やお供えを半強制的に集められるという理不尽なこともされない筈です。天理教の教会長は独立運営ではなく、組織の歯車です。これは末端教会から大教会に至るまで同様に、本部が利益を得るための歯車の一つとなっています。天理教は強力な組織体制に縛られています。また、系統や血縁ネットワークなどもからみつき、がんじがらめです。
天理教会長が、独立運営をしている部分は、経費支払の時だけです。おじば、上級教会などの参拝に行くための交通費など、上は一円も補助してくれません。また、巡教などのお礼、旅費、全てこちらの負担であり、自教会で捻出しなければなりません。組織だから補助してやる、という意識は、上には全くありません。
戦後の日本社会は、アメリカナイズされていきましたが、最近は中国の影響力が増してきているので、日本の政治家は、中国寄りとアメリカ寄りが大半という状態です。
両陣営の影響が、日本社会に蔓延している状態なのです。
そういう手段を選ばなければ、日本は存続できないのです。
鎖国でも始めれば話は別ですが、鎖国をしたら、日本列島に暮らす一億数千万の民衆は、生存する事が出来なくなります。
日本は共存共栄して、近隣諸国と仲良くしていかなければ、暮らしてはいけない場所なのです。
天理教が日本の中でしか存続できないのと同様に、小さな島国である日本列島に住む日本国民は、孤立して存続する事は不可能なのです。
天理教の辞書に『共存共栄』という文字は、一応存在していますが、共存共栄の意味が分かっていない人達が一部には存在します。
主義主張を押し通して、他宗教の人達から嫌われているのが創価学会ですが、天理教の実態も大差無しという状態です。
創価学会の場合、仲間内で助け合っているので、宗教団体として成り立っていますが、
私が見た限りでは、天理教には仲間内で助け合うという事もありません。
天理教の看板を背負っているだけの状態なので、世間体を気にしながら、地味に活動を続けている状態です。
「天理教?何それ?」
という状態に天理教のお膝元である関西でもなってきているので、九州・沖縄や東北・北海道方面では、更に知名度の低い宗教法人になっていると思います。
『忘れ去られるぐらいの方がまだマシか….不祥事だけは起こさないでくれ….』と本部中枢の人々は思っているはずです。
無理な布教活動を実践して、傍迷惑な事態に突入するくらいなら、布教活動はやめて、慈善事業に励む方が『共存共栄』の精神を実践できると思います。
>天理教会長が、独立運営をしている部分は、経費支払の時だけです。おじば、上級教会などの参拝に行くための>交通費など、上は一円も補助してくれません。また、巡教などのお礼、旅費、全てこちらの負担であり、自教会>で捻出しなければなりません。組織だから補助してやる、という意識は、上には全くありません。
これはかなりきついですね。借金で首が回らなくなる教会長が出てくるのも当然だと思いました。
カトリックは独立採算ではないですが、神父が本山や司教座聖堂(カテドラルという)やルルドのような巡礼地に行ったり、巡教に行くことになると、教区に属する聖職者なら教区から給与が毎月ちゃんと出ているので、受け取っている給料の中から捻出できます。修道会に属する聖職者なら、費用は修道会から出ることになるでしょう。組織だからこそ聖職者の管理もしますし、給料も出しますということなのです。
天理教はこのあたりがしっかりしていないので、教会長はかなりしんどいのです。
本部の言い分は、教会設置、教会長職はやりたいから認可してやったんだ!やりたいからやってるんだろう!文句言うな!
さらに大教会や上級教会からもやりたいからやってるんだろう的な責め方をされる。
しっかり布教とおつとめして、お供えの金とひのきしん両方頑張れよ!本部、大教会、上級に足と金と人を運べよ!
俺の親がお前の親を助けたのだ!その子である俺を、助けられた親の子のお前が報恩することで神が喜ぶのだ!
神が喜ぶのだから、お前もふそくの心でなく、陽気に勤めるのだ!
がはは
これだもんなぁ
すみませんが、表現を訂正させて下さい。
日本共産党を始めとする左翼団体が『本来の役割を見失った活動』をしていると私は書きましたが、
『正常に機能していない状態』になっていると私は感じています。
権利を主張し、抗議し、様々な要求をしているのが日本国内の現状です。
日本の戦後の制度が、時代の変化に対応できなくなってきて、正常に機能していない状態になってきているのです。
それは日本だけではありません。
世界中、そのような状態になってきています。
正常に権利を主張したり、抗議をしているのなら、悪い事ではありませんが、過剰要求や言いがかりのようなクレームも発生しているのが日本の現状で、一部のクレーマーの苦情に企業側は過敏になっており、一部のモンスターペアレントの苦情に学校側は過敏になって、余計な労力を使って、企業運営を妨げ、マトモな教育現場ではなくなっています。
一般社会で暮らす正常な人々は感じている事です。
しかし、『言うのが悪い』という雰囲気にしてしまうと天理教のような風通しの悪い社会になってしまいます。
福祉の制度は、低賃金で働くより、福祉の制度を有効活用している人の方が恵まれた生活が出来ている事例もあり、不満の声も出てきています。
『貧乏人が優遇される世の中だ。何のために毎日働いているのか分からない、馬鹿馬鹿しい….』
と言っている人が実際に、私の周りにいる状態なので、世の中で沢山発生している事なのだと思います。
高齢者のワーキングプアという状態です。
年金の支給額が少ない高齢者は、働けなくなるまで働き続けなければならない状態になっている人もいます。
年金を未納状態だったわけではなく、給料が少なかったので、年金支給額も少ない状態なのです。
年金をきちんとかけてきて、現時点でも高齢にも関わらず働いているのに、生活水準は福祉の制度を有効活用している人々とたいして変わらないのだから、不満が募っても仕方がない状態だなぁ….と思いながら聞いていましたが、要するに理想の社会なんて無いという事なのです。
必ず『何の恩恵もない人』が出てくるし、しばらく経てば矛盾が出てくるものなので、戦後の日本社会が今後も延々と続くわけではなく、大きな変化が出てくるような気がします。
実際に戦後の日本社会でもバブル崩壊という大きな変化がありました。
実態とはかけ離れた事を続けていると、あのような事態になってしまいます。
参謀さんは歴史から社会情勢も大変お詳しいですね。
参謀さんは、天理教の歴史やおふでさきやおさしづなどの教理にもお詳しいですか?
もし天理教組織崩壊後、再建に向けての第三者の委員会等ができたら、参謀さんのような方が入ってくれればきっとよい意見を出してくれそうですね。
教祖の信者様
私は歴史も社会情勢も詳しくはありません。
社会情勢は、一般社会で暮らしていて感じる事を書いているだけです。
ただ、それだけです。
外に出れば、様々な人と出会う機会に恵まれるので、話していたら、様々な情報が入ってきます。
そういう些細な事に関心を持って聞いていれば、何となく分かってくる事もあります。
天理教にこだわっていると、そういう機会を見逃してしまいます。
一般社会で暮らす人々が何を求めているのかは、残念ながら天理教の教会の中で熱心に信心していても分からない事です。
一般社会の人々と接して、はじめて分かる事です。
私は幸いにも、天理教一色で暮らさざるを得ない教会の方々とは違い、一般社会の中で暮らしています。
その点が大きな違いだと思います。
私は、天理教から離れて、数年経つので、天理教に関する事は忘れている事が大半の状態です。
漠然としか覚えてはいません。
しかし、最近、思うのですが、詳しく知っていなくてもいいのではないでしょうか?
私達は、学者になるために天理教と関わっている(私の場合、関わっていた)わけではないので、
信仰は、本来、社会に出て実践する事が大切なのだと思います。
私は現在、ほとんど家の中でいる状態なので、偉そうな事を言えるような立場ではありませんが、
本部中枢の方々も、もう少し気軽に動ける立場なら、地域社会で暮らす庶民や天理教の庶民の暮らしを知る事が出来ますが、残念ながら、彼らはそういう事が出来ない立場です。
天皇陛下もその点は同じです。自由のない立場です。
真柱さんは可哀想な立場です。斜陽の宗教団体のトップなんて、誰も好んでなりたいとは思わない役職です。しかし、誰かが引き受けなければならないから、世襲制で順番がまわってきている状態です。
打倒天理教という雰囲気では、皆、陰気暮らしです。
私も現在、陰気暮らしです。こんな暮らしなんてしたくもありません。
天理教組織が崩壊する事は有り得ないと思いますが、大きく変わっていく時期だと思います。
嫌な役割を真柱さんは引き受けなければならないので、真柱さんが一番シンドイ立場ですが、この状態をいつまでも続けていても将来、更に困難な状況になって向き合わなければいけないだけなので、早く手を打った方がいいと思います。
私は小学生の頃、一列に並んで、注射を打たれる順番を待っているのが、とても嫌でした。
徐々に順番が近づいてくる、あの雰囲気が凄く嫌でした。
こんな嫌な思いをしながら、順番が来るのを待っているぐらいなら、早く終わらせたい。
どうせ注射を打たれるわけなので、嫌な事は出来るだけ早く終わらせたいと思っていました。
天理教も遅かれ早かれ注射を打たれる状況なので、早く注射を打たれて解放された方がいいと思います。
刻一刻と状況は悪くなっているはずです。私が去った頃より、確実に状況は悪化してきていると感じます。
何も知らずに陽気ぐらしをしている人も大勢いると思いますが、全く何も感じずに過ごしている人は少ないはずです。
何らかの対処をして、本部中枢が動いてくれれば、天理教全体の状況が良い方向に向かっていきます。
真柱さんは大変な重責を感じるはずなので、皆で、この状況を乗り越えていって欲しいと願っています。
>組織だからこそ聖職者の管理もしますし、給料も出しますということなのです。<
天理教の場合、大教会長一家にだけ、本部からお給料(どう言う名目かわかりません、お手当?)が出ているようですね。どうりで奥さんの高価な衣装や暮らしぶりに納得。
我々末端教会に対しては「お前ら貧に落ちきれ。徳積みだ。勝手にやれ。」毎月赤字なので現役時代の少ない貯金から取り崩し。薄い財布からの自腹です。
「一人残らず救い上げたい」と言うのに本部はどう言う理屈で大教会だけ優遇し末端いじめの様な差別をするのか?親孝行だけ強いて、子供が路頭に迷っていても徹底して無関心。教理と照らし合わしても本部がやってる事は全く天の理に背いていて支離滅裂で理不尽極まりなし。
匿名教会
2018年1月17日 9:11 PM様
本部と大教会は癒着?してるようですね。
大教会に子供が生まれると真柱が命名するようです。
うちの大教会でも長男坊はそうですね。
ところが後を継ぐのが無理っぽいようです。(本人の資質の問題、不登校、引きこもりなど)
しかし、冷静に考えてみれば世襲制に対してノーを思いっきり突きつけていますが、そこに生まれた人たちもある意味では気の毒でかわいそうな面が多々あるんですよね。
そこに生まれたから否応無しに天理教をしなければならない。なんて・・・
職業選択の自由なんか無く、まさに江戸時代真っ只中的な感覚ですね。
こういうことからもやはりこの現行の教団の制度は実質的に破綻しているんではないかと思われます。
確か、筆頭大教会である◯山大教会の後継者さんも教会を捨てて出て行ったと聞きますし・・・そりゃ考えてみれば、やりたくはないでしょうね。
死ぬまで天理教って・・・息がつまりますわ!出て行って正解!人生を謳歌伸び伸び暮らせれば良いですよね。
絶対強制でないとしても幼少の頃からそういう風に教育、仕向けられているとしたら人権問題になるのではないかと・・・
バブル崩壊後、企業が倒産したり、リストラが相次ぐ時期がありました。
私がまだ幼い頃の事なので、大人社会が大変になっているとは私は知りませんでした。
父がリストラに遭ったわけでもなく、会社勤めを続けている家庭の子供達は大人社会の苦労とは無縁の状態でした。
しかし、リストラされた人は、職を失い失業者になってしまうので、妻子共々大変な状況になってしまいます。
そして、もっと大変なのが倒産した会社の社長一家です。
従業員達は、会社が倒産したら、会社をクビにされて去っていきますが、社長一家は、倒産したら、その最終責任を取らなければならなくなり、借金取りに追われて、夜逃げしたり自殺したりという状況になってしまいます。
のちに知った事なのですが、父が勤めている会社の取引先の企業が倒産して、社長夫妻が土下座して謝りに来ていたそうです。
その話を聞いて『カネが無くなってしまったら惨めな目に遭うんだなぁ…..』と思いましたが、子供なので、どうする事も出来ないし、『大変だなぁ….』と思う事ぐらいしか出来ません。
父は、会社の社長でもなく、重役でもないので、金銭的な問題に口を出せる立場でもなく、そういう状況になって優しく見逃していたら、今度は自分の会社や自分の家族、そして従業員とその家族も路頭に迷う事になってしまいます。
その後、その社長一家がどうなってしまったのかは、父も知らない事ですが、会社の社長と言っても、どういう会社の社長に就任するかによって、大きな違いが出てきます。
廃業寸前の状態で運営している企業の社長は大変な状態なので、従業員共々陰気暮らしです。
皆、不幸です。
今、その話を思い出し、憂鬱な気持ちになっています。
天理教は、どのようにすれば組織体質を改善していけるでしょうか?
天理教は大きな教団なので、なかなか難しい事だと思います。
私は天理教の所属教会の会長の事を信用していません。
天理教だからというより、平気で裏切ったり騙したりするような人なんて信頼できません。
教えが素晴らしいかどうかなんて関係なくなってしまいます。
嫌な目に遭ってきた宗教に絶対に戻りたくないと思うのが普通の人間の心境なのです。
ずっとずっと肝心な事を私には言わずに隠して、自分に都合のいいように事実を歪めているような状態で、
肝心な事を言ってくれなかったら状況なんて分かるわけがない。
状況が分からなかったら、的確な判断が出来ない。
次第に滅茶苦茶な状況になっていって、無責任に放棄されてしまったので、インターネットで天理教の事を調べてみたら、ネット上に天理教の現状が書き連ねられていたのが、この惨状です…….
もう二度と会いたくはないと思いました。
その気持ちは今も変わりありません。
今でも急にイライラっとなってしまいます…..
何かのきっかけで急に嫌な事を思い出してしまうし、天理教に関する事が頭から離れない状態になってしまっています。
天理教教祖、中山みきさんの教えとは何か。
中山みきさんは貧乏を奨励しているわけでは決してありません。
中山みきさんは、裕福な家庭で育ちましたが、貧乏のドン底の生活を送る事になりました。
しかし、金持ちから貧乏に落ちる事によって、貧しい庶民の暮らしを知る事が出来たのです。
元々、貧しくて貧しいままの人生を送っても、その人生を有り難いと思う事なんて到底できません。
元々、金持ちで金持ちのままの人生を送っても、その人生を有り難いと思う事も出来ません。
それが当たり前の状態になってしまうからです。
戦中派は戦争で傷つき、戦後の日本社会で中心的な役割を果たす事が出来なかった人もいますが、元気な戦中派の方々やそれより少し若い世代の方々が中心になって頑張って働き、短期間で日本は経済大国になりました。
戦中派や昭和一桁世代、それより若い世代の方々も皆、戦争に巻き込まれて、貧しい生活を送りましたが、頑張って働いてきたお陰で、次第に生活水準も上がっていき、老後の生活に困る事はありませんでした。(そうではない方々もいるので、何とも言い難い事ではあるのですが….)
経済最優先で頑張ってきた事によって、その弊害も出てきてはいますが、今の日本は平和で豊かな国だと思います。
一昔前に比べて、世知辛い世の中になってきたとはいえ、それでも日本は恵まれた国です。
私は、両親や祖父母に心配ばかりかけてきた馬鹿息子、馬鹿孫なので、私の代で滅ぼしてしまうのかと思うと、悲しい気持ちになりますが、今は亡き祖父や先祖を祀っている仏壇と戦没者の慰霊をしていきたいと思います。
そして、存命の両親と祖母を大切にしていかなければならないと思っています。心配ばかりかけてきているので…..
今は外に出る事もなかなか出来にくい状態ですが、春ぐらいには再び働き出せるようにしていきたいと思います。
真柱さんが貧に落ちきるのは、立場上、難しい事だと思うので、貧しい国々でしばらく滞在して、現地の人々と貧乏生活を共にする事によって、中山みきさんの気持ちに近づく事が出来るようにも思います。
真柱さんは、天理教に一人しかいないし、一番トップなので、孤独な立場です。
思いついた事を書いてしまいました、失礼しました。
だいすけさんが真柱になった時が最後の好機。
この方がどれだけ変革を起こせるか
あとは、各々が良い方向へと向かう気持ち、行いをするだけ。
結果は後で分かること。当事者は持ち場立場で頑張れば良い。
重要なことは、今まで通りでは 良い方向へとら向かわないということ。
変化が必要
だいすけさん、頑張れー!
>真柱さんが貧に落ちきるのは、立場上、難しい事だと思うので、貧しい国々でしばらく滞在して、現地の人々と貧乏生活を共にする事によって、中山みきさんの気持ちに近づく事が出来るようにも思います。
現在のローマ教皇であるフランチェスコが、教皇宮殿で生活することによって庶民の感覚を失ってしまうことを恐れ、歴代の教皇が住まいした教皇宮殿ではなく、コンクラーベの時に使用した二間のアパートに住んでいるのを思い浮かべてしまいました。
昔のローマ教皇は貴族階級出身で、子供のころから贅沢な暮らしをしていましたが、現在の教皇は富裕層の出身ではなく、「宗教団体は庶民が大事」とわかっています。だからこそ金のかかる暮らしをしていると、一番大事な庶民の感覚を失ってしまうことを嫌というほどわかっています。しかし現在の真柱は、そもそも庶民ではありませんし、世襲の天理教の中では彼は生まれながらの皇太子さまということで、フランチェスコとは違って、もともと庶民の感覚というものを知りません。
したがって真柱が庶民の感覚を持つことを大切と気づくことはないと思います。よしんば貧乏な国に滞在しスラムの人々と同じような生活体験を持ったとしても、「まあ日本じゃないから」と頭の中で巧妙にすり替えて「〇〇国のスラムでしばらく暮らしてみたが、あそこからみれば末端の人たちは飢え死にしないし学校に行けるのだから、はるかにましな暮らしぶりだ」と説法して、「日本に生まれただけでもありがたいと感謝して献金に励み、ひのきしんをしなさい」で終わりだと思います。
きっと彼はこのまま眉間にしわを寄せて、どうみても陰気暮らしとしか思えない表情で、「年々信者が減って、献金も減っていく。困ったなあ」と死ぬまでつぶやいたまま人生を終えるでしょう。
>確か、筆頭大教会である◯山大教会の後継者さんも教会を捨てて出て行ったと聞きますし・・・そりゃ考えてみれば、やりたくはないでしょうね。
創価学会の副会長(年収数千万が保障される立場)でも子弟の棄教があるくらいです。親が新興宗教をやっていると、子供は精神的な苦労だらけで、当たり前の子供時代を送れないので、大人になって親に反発して、教団を憎んで棄教するのはよくある話です。少々貧乏でも精神の自由を大切にしたかったのだと思います。二世だからといって宗教を強制するのは児童虐待です。職業だけではなく宗教についても自由はあるべきです。
>天理教の場合、大教会長一家にだけ、本部からお給料
本部からも金が出るのに末端からもしっかり搾取ですか!?そのうち末端は消滅しますが?
本部だって年々献金収入が減少しているわけですので、そのうち本部からは一円も出なくなるでしょうに。
そうなる前に大教会は何らかの収益事業をやって、末端が消滅しても、それこそ本部からでなくなっても、十分に経済的自立できるようにすべきです。
>だいすけさんが真柱になった時が最後の好機。
この方がどれだけ変革を起こせるか
だいすけさん、頑張れー!
と投稿されていましたが・・・
金正恩が北朝鮮を変革できるかな〜
できねーと思うけどな〜
無理だろうな〜
一族には無理っしょ・・・
>だいすけさんが真柱になった時が最後の好機。
この方がどれだけ変革を起こせるか
だいすけさん、頑張れー!
・・・・・絶句!!!!!
今のまま大亮さんに「代かわり」されたら逃げ出しますよ、多くの年配信者は。
若い人たちには見えていない懸念がありますが、事態は現状より悪化します。
大亮さんがしっかり社会事情をはじめとした視野を広げる勉強をしない限りは
真柱職には就かせたくありませんね。
若いから「善」という能天気なことは考えられません。
ひょっとして上記書き込みはいつものまわし者?
いるんですよね、若夫婦の関係者なのか、確実に大亮さんへの早期世代交を望む人が。
一説には表さんとか?
どうなのでしょうね。分かりませんね。
あるかも、と、思わず信じそうになる位、大亮さんという存在は危ういのです。
理由としては、大学を卒業してから養子縁組をしたということは、子供~青年期入り口迄は
表さんの(!!!)子供としての躾を受けていただけですね。
今後も影響を受け続けるでしょう。
天理時報記事を読むだけでも透けて見える浮かれた結婚生活。
「おままごと」のような生活には呆れるばかり・・・。
インタビュー記事は掲載しないことを勧めますよ。
悪意を持って天理教を攻撃したいと考える人には格好の材料になりますから。
当分の間、苦労をさせる意味からも夫婦別居で、それぞれが世間の風に吹かれて
きなさいと真柱命令が出る、なんて事、ないかなぁ。
無いですね。
子供の大亮を手のひらで転がして操り、実権を握る垂簾政治を誰かさんがたくらんでいると考えていいでしょうねw。昔からよくある話です。皇帝が幼いので一族の誰かがすべてを仕切る。ラストエンペラー愛新覚羅溥儀は幼くして即位しましたが、清国がなくなって満州国が誕生してからは傀儡の皇帝として即位し、何一つ実権は与えられませんでした。
・・・もしかすると中山大亮はラストエンペラーなのかもしれません。滅びるならせいぜい華麗に滅びればよいのです。衰退期のカルトなのは誰もが認めるのですから。
>もしかすると中山大亮はラストエンペラーなのかもしれません。
冗談抜きでその可能性は十分あると感じられますね。
この後継者さんに子供が何人もできたとして、そのうちの誰かが引き継ぐ?もしくは現真柱のパターンを踏む。
どちらにしても、教内の(心の)声は「もうええやろ!その辺で・・・」
古臭い、時代にそぐわない。
信徒や一般世間の感覚とあまりに乖離しすぎのこの制度。
おそらくなんらかの形で教団自体が動き出すのではないかと見ています。
じゃないともう持たないところまで来てしまっているように思われますので。
完全破綻、完全崩壊、完全瓦解を望むなら世襲を全力でゴリゴリで続ければいいと思います。
その方がリセットされてスッキリするかもしれません。
隣国の世襲制も今のぶーちゃんで終わるような気がしますが・・・
今の現教団は何を思うや!
今のままでいいとはさすがに思っていないやろう。
で、何を考えているか?
恐らく、これ以上の衰退は食い止め、微増または現状維持、いややっぱり衰退を食い止めたい、だろうな・・・
ではなぜ衰退を食い止めたいのか?
まさか、この元の教えを広めて苦しんでいる人を救いたい!なんて思ってないだろうな・・
いや、口先では言っているが口先だけなんだよな~
苦しんでいる人を救うどころか苦しんでいる人を作っちゃってるからね・・
まさに倒錯ですよ。しかも、教内の組織内の人々をです・・・
世間や社会の人々を救済するどころか身内を苦しめているんだから話になりませんわ。
今思いついたんだけど、アメリカは核兵器を持ちました。この日本にもどさくさに紛れて二種類の原爆を実験かたがた落とし数十万人の死傷者を生みました。ほとんどモルモットです。
で、それからもアメリカは本国のネバダ州の砂漠地帯などで核実験を何度と無く行ったようですね。その際、自国民や兵士にわざと放射性降下物を降らせ人体実験の様なことをしていたことは知られています。(戦時中の鬼畜米英もあながち間違いではなかったね)
国も組織のためなら自国民も平気で犠牲にする、できるということなんでしょうが言葉が浮かびません。悪魔とでもいっておきましょう。先の大戦での日本軍の兵士の扱いにも同じ事がいえますね。
話は現教団に戻りますが、なぜ、自組織の人間までも犠牲にし、苦しめなけりゃならないのかわからない・・
搾取、搾取、搾取、年貢を取る立場 と 年貢を取られる立場か?
アホかこの教団!
天理教団ってすごいと思う・・・
だって、おそらくは自由で闊達、活発な議論とか一切ないと推測されますが・・・
不満などを言うと不足を言うな!で片付けられるし・・・
不足、不満も前へ進むための糧だと思うけどな・・・
一般企業でお客さんからのクレームは一切受け付けない!なんて有り得ないし、クレームがあるから改善もできるんだけどな・・・
まあ、近頃はクレーマーと言ってややこしい人もいるらしいが・・・
とにかく、思ったことや考えついたことなど、迂闊(うかつ)にしゃべれない、意見を言えない、意見交換がない、なんなら前向きで建設的な意見でさえ受け入れる素地がない、空気もない。そんな体質・・・終わってる・・・
これはやばいけど、よくそんなでここまでやって来たな・・とつくづく感心するところでもある。
この???体質は一般教会の日常にも浸透していると感じる。
とにかく思ったことを言えない。文句と捉えられる・・・
話にならない議論ができない。議論をすることを知らない。
英語で言うところのディスカッションてやつ・・・
これができない・・・ダメだこりゃ(いかりやの長さん)
アウトですね
これが現実で・・・
(中枢部上層部の選民意識と特権意識の世襲のかたが隠密にやってるのかな)絶望的ですな〜笑
この肥大化・肥満化した組織は動脈硬化を起こしそのうち成人病で死を迎えることになるでしょう。(ものを考える脳も動いてないし・・・)
根性(ハート)も腐ってるから心臓もやられるかもな
良かれと思って言っている意見すら受け入れられないなんて沈没決定ですわ。
で、風通しが悪い悪い、住宅でも何年も扉、窓、などを開放して空気を入れ替えないと家も痛むしカビも生えるし不健康極まりない。
やっぱり風通し大事ですよね。
あそこって扉窓をがっちり締め切った伏魔殿ですか?
薄暗くてジメジメ、カビ臭く魔物が住んでいるかもな(恐ろしや)
教友のみなさん。今は真冬で寒さも厳しいですがちょっと天気のいい日には窓を開けて換気をしましょうね・・・
私は今でも神社やお祭りで雅楽が流れてくると天理教の事を思い出して複雑な心境になります。
今は、薬物治療によって、暴言や殴ったり破壊するなどの攻撃的な暴力行為はおさまってきましたが、私を快く思っていない人は今でも大勢います。
家族にも迷惑をかけ、一部の天理教関係者からも嫌われていると思います。周囲の知人や高校の同級生からも不評です。
申し訳ないと思ってはいるのですが、関係を修復する事は難しいと思います。
『○○君(私の事)がまさかあんな奴だとは思わなかった。見損なった。昔はそんな奴じゃなかったのに、いつからアイツはあんな人間になったんだ….』
と思われているのでしょうね。
悪い噂が広まっているようで、SNSの拡散によるものなのか、高校の同級生が集まった時に話題になっているのか、詳しい事までは分かりませんが、今の私は、誰から嫌われているのかも分からない不安を感じている状況です。
孤独より苦しい状態ですが、この状況に比べると知り合いのいない職場で、新しくスタートする方が元気になれると思います。
一番悲しいのは、親が『あの子には、もう働く事は無理だろう』と思われている事です。
高齢の祖母まで心配してくれて『気晴らしに外に出た時に、これで何か美味しいものでも食べて元気出しなぁ』と、お小遣いをくれます。
三十過ぎの男が、九十近いお婆ちゃんからお小遣いをもらうなんて情けない話ですが、家族というのは有り難いものだと思います。祖母は、戦争を経験してきた年代の人なので、とても質素な暮らしをしています。
それを思うと贅沢する気にはなれません….
私は、もう謝ってくれなくてもいいから、放っておいて欲しい。
怒っているわけでもない。でも、会いたくない。
でも、天理教という宗教団体が今後どう変わっていくのかには関心があります。
天理教被害を受けたまま亡くなった先人や国難に殉じた戦没者の慰霊をしていって欲しい。
神道色も薄めていって欲しい。高齢者にとって神道は、戦争を思い出させてしまう事なので…
天理の人って(と言ってもうちの母親とか)自分の家が汚くなってても上級とか本部とか参拝に行ってしまうんですね・・・
なんだろう?
参拝に行くのはいいんだけど、まず自分のお家をある程度、掃除してから行こうよ。
小首を傾げます。
ベトナム出身の禅僧ティクナット・ハン氏も言ってました。
まずは自分の家の庭をキレイにしましょう。と・・・(ここでの庭は物理的な庭だけを指してはいないと思われますが)
そして、自分の庭がキレイになったら他の人の庭をキレイにするお手伝いをしてあげましょう。と
これらは、なんでも無い当然のことで当たり前のことなんだけどその当たり前が通用しないのが、かの有名宗教天理教さんでござんす。ってか
我が事を後回しにして尽くし(きり)ましょう。
その誠真実を神が受け取ってくれます・・・か?
立正佼成会の信者を母親に持つ人が同じことをいっています。
「うちのお母さんたら、家の掃除は怠けまくっているくせに、教会の掃除だけはちゃんと行くんだよ?これ明らかにおかしいでしょ」
あたり前田のクラッカー 様
私もそう思います。
誰かが以前、マザーテレサの言葉を紹介してくれていましたが、(最近の投稿なので正確な内容は掲示板を御覧になって下さい)
家が崩壊しているのに、わざわざ他の場所で慈善事業をするのは偽善だとマザーテレサは言っていたそうですが、まさにその通りだと私も思います。
先ず、家族を大切にする事が最優先だと思います。
家族に迷惑をかけて、家庭が暗くなってしまうようでは、宗教としての役割を果たしていません。
その点を改善しない限り天理教は、いつまで経っても荒れたままです。
基礎の部分がしっかりしていなければ、何を築いても無駄で、倒れてしまいます。
天理教がその状態です。
匿名 様
その話は、私も聞いた事があります。
立正佼成会の教会は、専業主婦の溜まり場のような状態だったそうです。
同年代の主婦が集まり、居心地がいいから毎日のように通っていたそうです。
自分だけ勝手に行って家族にまで宗教を強要しない点は、天理教よりマシですが、家事を疎かにして、働きもせず、宗教団体に入り浸っているわけなので、夫や子供には不評だったそうです。
参謀さん
参謀さんの今の心境、とてもわかります。
苦しく辛い時かもしれませんが、ゆっくり休養してください。
頭に悶々と浮かぶ考えを表現するのはとても良いことだと思います。少しずつ、過去の体験を整理していけると、心の中にゆとりが持てる日がいつかきっときます。
いつか前に進めるようになったとき、心の中にほんの少しでも、ちいさな自信を見つけることができるように祈っています。
そのちいさな自信を育てることで、まわりの視線や評価なんて本当に気にならなくなるんですから。
二代真柱50年祭を記念して?天理教会本部より記念品?が届いてました。
何やろ?中を開けてみるとしおりだ・・・
そして必殺の天理用語が記されてあります。
①神一条の精神 ②一手一つの和 ③ひのきしんの態度 ④陽気ぐらし ⑤たすけ一条の喜び 計/五枚のしおりでした。
何を感じたか?
いつまでおんなじ事言ってるねん・・・進歩ないな。これしか言うことないのかな・・・脳みそ固まってるんちゃうか?
だいたい、抽象的すぎるし天理用語やから普遍性に乏しいし理解に苦しむ
まあ、この言葉を何となくニュアンスだけでもわかってあげたとして、それをできなくしているのは”どこのどいつだ”?って問題・・・
①についてそれどころの話じゃない。言ってるあなた達が金一条の精神になってるやん・・・爆
②についてそれを乱し、苦しめ、できなくしてるのもあなた達です。
③について偉そうに言ってんじゃね〜金集めの態度を改めろよ・・・
④についてもそれをできなくし、壊しているのもやはりあなた達・・・
⑤についてそれどころじゃね〜わ・・・金をしぼり取られる苦しみだ。こっちは
とにかく、偉そうに能書き垂れてるけど状況がよくわかっておられないようですな。
状況分析しろよな。そして、腐敗し切った(意識的か無意識的かはわからないが)奴らに言われたくはないんだよ。
こちとら一般社会で生きて行くだけで精一杯なんだよ・・・
あんた達みたいに偉そうにふんぞり返って、たまに同じような話をしていれば勝手に金が下から上がってくるような特権階級じゃあないんです。
このしおり、ひょっとしてわしらを怒らそうとしているのかな?
それとも、かなりのブラックな高等ジョークか?
そんな、シャレが効くような組織ではないですな・・・
こっちからも提言しとく?
①まず本丸の世襲制をやめる②お供えをやめる。もしくは大幅減額なり何なりする。負担を減らす。③教会制度を一旦白紙に戻し再編する。てゆーか、一部の世襲者たちで運営するのでは無しに教内の優秀な人材を登用したりして改革を進める。④これまでの運営陣には退場してもらう。など・・・
しかし、しおり、なんていらないからもうちょっと使えるもの返せよな!
ほんま金集めてもお返しすることを知らん不義理な連中やで・・・
情けない(涙)トイレの後のケツも拭けんわ・・・クソの役にもたたん
次期真柱、中山大亮さんの婚礼後の発言について、私の考えを書きたいと思います(もう、だいぶ前の出来事を今頃、言うのは気が退ける事ですが…..)
私は、大亮さんの発言内容をほとんど知りませんが、『世界一陽気な夫婦』発言は、将来、天理教を背負う立場の人の発言にしては、あまりにも幼稚過ぎる気がします。
いずれはトップになるという自覚がまだ身に付いてはいない状態なのだと思います。
プライベートで、そういう発言をするのなら結婚して間もない二十代の若者なので仕方がない気がします。甘えようが、イチャイチャしようが、それは、あの人達の自由です。
しかし、いずれリーダーになって組織を統率する立場の人が、雑誌などに掲載されるような発言をする場合、もう少し慎重に言葉を選んで話さなければならないと思います。
全体の事を考えて発言しなければ、末端の人の心は更に離れていってしまいます。
見ている人が沢山いるんですよ?
それを意識して発言しなければならないと思います。
多分、子供が生まれても、同じような発言をするのだと思いますが、私の所属教会の会長と『天理教の次期真柱』は、学力は別として、たいして変わらないのだと思うと、天理教を辞めておいて本当に良かったと
思います。
天理教の現状を全然聞かされてはいないのでしょうね。
ズレています….
何故、天理教の若年層は、こういう精神年齢の低い発言をするのか。
天理教の若年層は素直で良い人が多いけど、ズレてる人が多い気がします。
天理教の高齢者の方々が不満を感じるのも無理はないと思います。
『陽気ぐらし』
このスローガンを見直す時期なのかもしれませんね。
命の泣き声 様
同じような境遇を経験した方から励ましのメッセージが届いて、嬉しいです。
有り難うございます。
命の泣き声さんも色々と大変な目に遭ってきたようなので、苦しい日々だったのだと思います。
その経験をその後の人生に活かし、人生を有意義に過ごしていって下さいね。
私も早く、そういう風な人生を歩めるようにしていきたいと思います。
今は、エネルギーを蓄える事に時間を費やしたいと思います。
裕福な家庭で生まれ育ったからといって、幸せとは限らないのだと私は思います。
物質的には恵まれた環境で暮らしていても、心豊かに暮らせているとは限らないのです。
今の子供達を見ているとそう思います。
恵まれた環境で育っているにも関わらず、あまり楽しそうには見えない子供もいます。
シラケているだけなのか、それとも孤独なのではないかと思います。
今は夫婦共稼ぎが普通になっているので、学校から帰っても家に誰もいない家庭が多く、親が離婚した家庭もよく聞く話です。
核家族家庭が多いので、お爺さんやお婆さんさえいない状態です。
天理教の教会では有り得ない話ですが、私はイトコを含めても四人しかいない家庭で育ちました。
一般家庭は、そういう状況なのです。
その四人のうち結婚して子供がいるのは一人だけで、残りの三人は独身です。
私以外の二人は正社員として働き、私の弟の場合は、彼女までいるのに結婚しようとはしません。
私がこういう状況なので、彼女に自分の兄を紹介したくないのかもしれません。(推測ですが)
この調子でいけば、私より下の世代はイトコの子供二人だけになってしまい、その子達は親戚がいない状態になってしまいます。
そういう状況になっている事を私は危惧しています。
しかし、それ以上に私が申し訳ないと思うのは、両親や祖母に対する事です。
両親や祖母は、自分達の老後より、子供(祖母の場合、孫)の将来を心配している状態です。
『あの子は要領が悪いから、最終的に野垂れ死にするのではないか….』と心配しています。
私は、自分の事なので、最終的に野垂れ死にしてしまっても仕方ないかなと思っているのですが、両親や祖母は、そういうわけにもいかないようです。
まぁ、簡単に言ってしまうと『最悪な状況』なのですが、こういう状況になってくると家族が結束してくるのです。
結束しないと乗り越えていけない。
そういう状況になって、天理教の『貧に落ちきれ』の精神が分かってきたのです。戦時中の同期の仲間の結束も同じような状態です。
困難な状況になれば、結束して乗り越えていかなければどうにもならないので、強い絆で結ばれる事になります。
最近は生存者が少なくなってきているので、消滅してしまいましたが、靖国神社や護国神社では、一昔前には様々な集まり(戦友会)があり、予科練(海軍飛行予科練習生)出身のお爺さん達の結束は強く、貧しく困難な状況だからこそ、人は結束するのだと思いました。
今の若者達の友達付き合いがウワベだけの状態なのは、良くも悪くも平和で恵まれているからです。
そういう気がします。
立正佼成会は暇な主婦には習い事のような感覚で参加できるところがあり、天理教と違って気軽にやれるというので、多くの主婦がかつて活動していたわけです。今は高齢者ばかりで、天理教と同じで衰退期のカルトという感じですが。
ここも教会の統廃合で数を減らして経費の負担を軽くし、その上で各教会が何らかの収益事業を行っていくべきうという意見が出ています。
大亮はかなり能天気で教団の現状を正しく理解していません。ルイ16世は祖父の死後に(大亮よりも若い年齢で)即位しましたが、フランスはヴェルサイユ宮殿を作ったルイ14世の時代でもかなり台所事情が苦しかったのに、15世の代にアメリカ独立戦争が起こり、その支援でかなりの金を使ったため、16世はそもそも王になることにはかなり消極的であったということで、即位したときも「世界が私の上に落ちかかってきそうだ・・・」と嘆いていたといいます。
大亮の「陽気な夫婦になりま~す」発言をみて、こっちのほうが恥ずかしくなりました。ルイ16世のほうが、大亮よりはるかに思慮深く現実をきちんと認識しています。
親孝行・夫婦仲良く・世界一の陽気な夫婦になりたい?とか何とか・・・
全く危機意識とかそんなもんは微塵も無いですわ
でも、これでいいんやで・・・
下手に頭の切れる、状況判断できてる奴がトップに来たとしても、もう無理なとこまで来てるからこのボンボンぐらいが丁度今の教団にはお似合いですわ
てか、この組織は何もかもが機能して無いやろ・・・機能不全体ですわ
よく例えられるタイタニック号とおんなじですわ
もう、どうしようも無いんです。なるようにしかならんのです。
コントロール不能なんです。誰も責任を取ろうともしないんです。(おそらく最期には責任の押し付け合いか、知らんふりを決め込むだろうな)
先の大戦の末期の軍首脳部と似てます。
一体、何をどうしたらいいのか?わからない。無理も無い。
やっぱり破綻を待つしか能が無いようで・・・
結局、人には素晴らしい面もあるが一つ間違うととんでも無い愚かなことをしてしまうと言うことです。それを見せてくれているのです。
その被害を被るのはとんでもない迷惑ですが・・・
最後はぜーんぶおつむの弱い大亮に押し付けて・・・かしら?ラストエンペラー大亮は何がなんだかわからないうちに、巧妙でずるがしこい大人たちによってすべての責任を取らされることになるとか?悲劇ですね~。
そういえば山一證券を思い出しません?「社員は悪くありませんから!」と涙で記者会見したラストプレジデントは、正直なところ社長職を引き受けるのが嫌で嫌で仕方がなかったそうです。
課長クラスが「こうすれば経営改善ができる」という提言を首脳部に出したということですが、課長クラスが「うちは危ない」と危機意識を抱いたときは、もうすでに課長クラスが思いつくような提言を実行したところで、どうにもならない状況だったのです。
翻って天理教はどうでしょう?課長クラスどころか、主任いえ平社員クラスでも「うちは危ない」と危機意識を十分に持っています。持っていないのはラストエンペラー候補くらいじゃないかと。
現にトップの真柱はもう気づいています。どうにもならないと。そして誰かさんと違ってサイコパスではなく、それなりにトップとしての責任や重圧を感じすぎるほど感じているからこそ、苦虫をかみつぶしたような表情でいるのです。
10年前は高校生だったと言う大亮さん。青年会創立100周年、青年会長の新春特別インタビューの記事を読んだ。
次代を担う青年会長大亮サマのキーワードは「楽しむ」だそうです。楽しい趣味特技を生かした匂いがけだそうです。大ちゃんの場合はラグビーだそうで、本部青年や勤務者、ひのきしん隊員らとタッチフットをして遊ぶそうです。その楽しいお遊びの中から信仰の喜びを伝えるそうですよ。彼なりに頭を使っているのでしょうが、暗い陰気暮らしを強いられている全国の教会でどれだけ「楽しい匂いがけ」ができるでしょうか。
本部青年会では楽しくやったらよろしいが、地方の教会を生き絶え絶えにしておいて、今更本部では「楽しむ」のですか?全国の教会実態を知らないボンボンの思いつくことは、やはりこの程度のことかなと。明るいが、頭の悪そうな彼の顔を見ていると毎回うんざりします。
本部青年会はお楽しみ会ですか?どうりで上級後継者が最近急に陽気になり始め、だいすけさんと同じ軽~い匂いをプンプン放ち初めて気持ち悪いと思いました。天理教の実態調査から始め、全国の貧に落ちた分教会を助けあげてから本部で楽しくやってほしいものです。
貧乏で、様々な事情を抱えている最悪な状況にも関わらず、天理教の人達は団結しません。何故。
一人一人が悩みを抱え込んだ状態に陥っていき、一人一人崩壊していっています。
一般社会の裕福な家庭の子達の中にも元気のない子がいます。
天理教の場合、貧乏でも楽しく暮らしている人もいれば、貧乏で、しかも元気がないどころか滅茶苦茶になって荒れている人もいます。
私の家庭は、貧乏過ぎるというわけでもなく、普通より少し貧しいという状況です。
天理教では、陽気ぐらしの人と陰気ぐらしの人が一緒になって活動する機会が多くあります。
それで余計にコジレテいくのだと思います。
他の教会がどうなっているのかは知りませんが、私の場合、教会からお祝いをされた事は結局一度もありませんでした。そういう機会が一度もなかったので仕方ない事ですが、葬式も家族葬のため、教会からは何もありませんでした。
私は、教会関係者ではありませんが、一応信者なので教会の結婚祝い、出産祝い、葬式には出席してきました。
結婚祝いは、おそらく一度だけの事ですが、教会は兄弟が多いので続きます。出産の場合、毎年毎年、出産ばっかり続いているような状態でした。
そんな状況で、お祝いばっかりしているのが、次第に精神的にも経済的にも負担になってきたのです。
私は、一般家庭の人間なので、天理教の冠婚葬祭のしきたりが分からなかったので、丁寧にし過ぎました。途中からやめるというわけにもいかないので、ダラダラと続けているような状況でした。
一般家庭と天理教では、冠婚葬祭の状況が違うので、仕方がない事なのですが….
あの人達が幸せになるために私は、この宗教をしているのだろうか….と思うようになっていきました。
風習の違い。これも人間関係が悪化していく一因でした。
教会側が不都合な事を一切言わない事も状況を悪化させていく一因でした。
しかし『家庭』が崩壊していなくて、助け合う事が出来れば、いずれは回復していく事だと感じています。
家族に感謝しています。
2018年1月20日 9:37 PMの「大亮サマのキーワードは「楽しむ」だそうです。楽しい趣味特技を生かした匂いがけだそうです。」にはため息しか出ません。
しかし天理教の内部だけで楽しんでいるわけですよね。外部じゃないですよね?これじゃ信者増えませんよ!とツッコミをいれたくなるのは私だけでしょうか。
大亮ちゃんは外の人間が怖いんじゃないですか?内弁慶かもしれません。そりゃあ怖いでしょうよ外の人間は。
一緒にラグビーやって天理教の陽気暮らしの話をしても、外の人間はありがたがって聞いてなんかくれませんからねえ。今はネットでちょっと調べれば下の人間の怨嗟の声がいくらでも。
たぶん外の人は大亮ちゃんにこう説教するでしょうよ
「あんたねえ、お嫁さんもらって派手なお祝いしてもらって、毎日お気楽極楽でいるけれど、下の人間は搾取されまくって結婚もできず、赤貧あろうがごとしだっていうじゃないの。これはよくないと思うなあ・・・」
外の人間と楽しみながらにおいがけしようとしても、説教する側になるはずだったのに、反対に説教されちゃった・・・てなことになるのがおちでしょ。
匿名 様
信者を増やす活動はしない方がいいと思いますよ….
創価学会のように仲間内で助け合いながら生きる道をお薦めします。
天理教に限らず、宗教の話をする事自体、世間の人達から嫌がられます。
評判が良かったとしても、宗教というだけで胡散臭いと思われてしまうのが現実です。
私は布教活動(パンフレット配り)をした事がありますが、不審者のような眼差しで見られましたし、学会さんからは敵視されていますからねぇ….
他にも、私は経験した事はありませんが、水をまかれたとか塩をまかれたという話も聞いた事があります。
そこまでして布教活動をする意味があるのでしょうか….
私は、世間側からと、天理教側からの両方から宗教活動を見てきているので何となく分かります。
リスクが高いわりには、誰からも喜ばれません….
親の立場の人が、子の立場の人を『虐待指導』している事が問題なのだと思います….
そういう嫌な目に遭わされてきたら、教えが素晴らしいかどうかという話ではなくなってきて、受け付ける事が出来ないトラウマになってしまうのです。
それが大きな災いになっているのではないでしょうか?
若い世代は、虐待指導をされてきた人は次第に減ってきていますが、相手に対する配慮の無い人が次第に増えてきているように思います。
素直で良い人なんだけど、相手を平気で傷つけている事に本人は全く気付いていない状態なのです。
次期真柱が、実際にそういう状態なので、地方も同じような状態なのだと思います。
陽気に明るく接する事は『善』と教えられて育ってきているので、仕方がない事なのですが、
若者達の間で『新たな事情』が発生している状態なのだと私は思います。
高齢者の世代とトラブルの中身が変わってきていると思うのです
今日は、本部の大祭の日ですね。
もし、本部が何も変わらず、
何の進展もなさそうなら、
私は、警察に内部告発しようと考えています。
私は現在、部外者の立場になっているので、
内部告発というわけでもないけど、動きやすい立場になっているわけなので、この際、言いに行こうかと考えていますが、今日の動きを見てから決めようと思います。
私は、天理教の状況をある程度知り、実際に被害を受けてきているので、警察も何らかの対応をしてくれるはずです。
末端の皆様方も『被害者の立場』なので、新聞に掲載されるような事態は避けて欲しいと警察に伝えておくので心配いりません。
さて、本部は改心してくれるでしょうか?
参謀さん、今日本部の参拝こられてるんですね?
だとしたら、良かったですね。どんな理由であれ、外出して体を動かすことはいいことです。
今日は真柱さんがお話すると思いますが、参謀さんにとってよいお話があるといいですね。
私も今、神殿に参拝に来ております。
教祖の信者 様
私が天理教の本部にまで行くなんて有り得ない事ですよ….
平日ならまだしも、大祭の日に行けるわけがありません….
それに、私は天理市在住ではないので、気軽には行けません。
外に出る機会も少ない私が直接行くなんて、現時点では無理です。
天理教内部で大祭の前に『何らかの騒動』が発生していたと推測するのですが、実際はどうなのでしょうか?
大祭の当日にも関わらず、閑散としているのは明らかに不自然なので『何か』があったとしか考えられません。
私は、大祭に出席していないので、詳しい事が分かりません。
誰か教えて下さい。
天理教の人間(大教会・教会の人間・その親戚など)は、価値の無い人間だと分かると
その人間と一対一の場で見下すような態度・冷たい態度を平気で取ります。
大したこともせずただ毎月、金をお供えとして受け取る。ぼったくり。
世間の冷たさと変わらない。同じ。
周りの教会の人間もあとを継ぎたくないと思っている人物しかいない。
人の個人情報はもらし、自分達の個人情報・都合の悪い事は必死で隠す。
大馬鹿天理教様
ご投稿内容を読んで思いました。
こういったことをする人達のことを世間では、
傲慢で高慢、
他人に対する配慮がなく、
ズルくて無神経、
自分の立場を勘違いしていて、
常にに上から目線の態度をとっている
とても図々しい人達
といいます。
天理教社会で生きていく上で重要になってくる事は、すぐ上の上司の存在です。
信者の場合、理の親である所属教会の会長
末端教会の場合、理の親である上級の会長や自分の親との間に利害関係が生じ、様々な親子喧嘩が発生しているのだと思います。
それ以外の周囲の天理教関係者は『○○さんの教会の事情』と考えているので、余計な口出しはしません。
毒にも薬にもならない存在です。
本部の場合、更に薬にはならない存在と言えるでしょう。
秋の大祭に次いで1月26日に天理を訪れた。何故こんなに寂しいのか。寒さのせいもあったと思われるが、豊田山の墓地の人影もまばら。教祖が身を隠された日というのに。あふれんばかりの人が居てもおかしくないはずだ。本部直轄教会長全員が参拝したのだろうか。何かがおかしい天理教。
>秋の大祭に次いで1月26日に天理を訪れた。何故こんなに寂しいのか。寒さのせいもあったと思われるが、豊田山の墓地の人影もまばら。教祖が身を隠された日というのに。あふれんばかりの人が居てもおかしくないはずだ。本部直轄教会長全員が参拝したのだろうか。何かがおかしい天理教。
何かがおかしい天理教・・・
というより、全てがおかしい天理教・・・だと思いますが・・・
根っこが腐っているような気がしますが・・・根っこが腐っているので何にも実らない。最後は枯れて、朽ち果てて倒れるだけでしょう。
「お供えをしないと命が無くなる」などと公式に発表し、またそんなバカな発言をするバカをそのまんま要職につけておくなんて腐っているとしか言いようが無いです。腐敗を腐敗と認識さえできていない・・・
これは末期症状。完全にアウトですね。即更迭しないといけない案件ですね。崩壊前夜・・・
今の教団という木はもう手遅れでしょう。やはり枯れて倒れるのを待つだけ。
手の施しようも無い・・・どこかに有る元の本来の種を探し見つけて一から育てて行くしか無いように思いますが・・・
何もかも・・・そしておかしい事をおかしいと認めず頑なに進み続け、軌道修正する事も無く、曲がったまま進み続けているのが現状でしょう。
本来の元の教え(羅針盤)を無視し、間違ったままここまで航海して来たが今さらもう元には戻れないでしょう。難破船のようなものでしょう。
今の教団は漂流している状態だと思われます。
このまま最後は大海のど真ん中で行くに行けず途方にくれながら没する運命じゃあないでしょうか?
今の教団にぴったりの英文が有ります。それは・・・
it’s too late.・・・・時すでに遅し・・
>「お供えをしないと命が無くなる」などと公式に発表し、またそんなバカな発言をするバカをそのまんま要職につけておくなんて腐っているとしか言いようが無いです。腐敗を腐敗と認識さえできていない・・・
全く危機感は感じていないようです。おそらく身の回りの難しいことは、全て部下に指示してやらせているので、自らネットを開くことも、パソコンを立ち上げることも出来ない方でしょうから、情報も入ってきていないようです。
ノー天気に全教区を回って、有難く接待を受けて裸の王様然となっています。生まれてこのかた、誰からも叱られた事のない方に、誰が首に鈴を付けにいくのでしょうか?
末端の人たちは完全に意識が変わっているというのに、上にいる人たちは旧態依然としているのですね。
これは組織が崩壊していくときによくあるパターンです。根本的に意識を変えない限り存続はありえないということに気づいているのは末端の人たちだけです。
天理教お供え 掲示板より転載しました。
天理教用語ですか? 投稿者:匿名
投稿日:2018年 1月29日(月)14時36分46秒 通報 返信・引用
《因縁なっしょう》っておみち用語ですか?
私の所属する教会では《因縁なっしょう》の言葉がよく使われています。
文字通り、因縁を無くすのです。
その為にお供えもします。
《因縁なっしょう》と言われお供えするのですが、又新たに新しい悪因縁が出て来て又《因縁なっしょう》とこれの繰り返しです。
でも、この言葉国語辞典にもネットのWikipedia にも出て来ません。
天理教用語でしょうか?
天理教 お供え 掲示板より転載しました。
《因縁なっしょう》っておみち用語ですか?。その通りです。この言葉で多くの人が洗脳されたのです。
今から60年余り前までは、肺結核を始めとする結核菌を病原とする病気(脊椎カリエスや腎臓結核等)は、「死の病」と言われるほど恐ろしい病気でした。結核菌は主に空気伝染する性質を持っていました。従って、親が肺結核になると、その家族にも容易に伝染しました。伝染して発病すると、当時は有効な薬もなく親が発病するとその子供達にも次々と伝染して発病しました。
天理教はこの現象を「因縁」と位置づけました。親の病気を子が引き継ぐ、すなわち、因縁が出たと言ったのです。先にも云いましたように、結核菌は空気伝染しますので、同居の家族に容易に伝染するのです。その当時以前は食糧事情も悪く幼い子供たちは抵抗力もなく、次々と結核に罹患したのです。
その後、抗結核薬ヒドラジット・パスカルシウム・ストレプトマイシンが開発されて結核は劇的な回復を見るようになり、多くの人が助かったのです。
病気の機序も知らずに、天理教は因縁という言葉でかたずけてきたのです。そして、因縁のなっしょうという言葉で、半ば脅かしながら貧しい人たちからお供えを巻き上げたのです。
ただ、結核菌はしぶとく生き続けています。薬に対する耐性菌が生まれて、主に高齢者が結核を発病しています。また、容易に伝染します。時々、新聞にも結核が感染したことが報じられています。注意すべき病気ではあるのですが、因縁という言葉でひとくくりに出来るようなものではありません。
天理教用語には十分気を付けましょう。
元々の天理教の教えがどのような教えだったのかは、私には分かりませんが、教祖亡き後の天理教は国家神道に迎合し、近代の天皇制を模倣した宗教団体に変貌してしまいました。
天理教の教えは神様の教えという解釈になり、教祖は月日の社という風に現在の天理教では考えられていますが、天理教の教えを神様の教えという風にしてしまうから、失敗が許されない事態に陥り、様々な矛盾や弊害が出てきて、トラブルが多発するのです。
戊辰戦争の際、薩摩・長州を中心とする新政府軍は、錦の御旗を掲げて、官軍を名乗り、攻撃してくる旧幕府軍側を天皇に歯向かう賊軍として正当性を主張しました。
大東亜戦争も大東亜共栄圏や八紘一宇、皇軍など、様々な大義名分を主張して、軍や戦争遂行を正当化しました。
そういう風に無理に教団の正統性を主張するだけでなく、教えまで無理に正当化したから、様々な矛盾や弊害が発生し、隠蔽や偽装が蔓延する教団になってしまったのです。
神様の教えではなく、教祖の教えなのではないのでしょうか?
教祖は、戦前の天皇陛下のような現人神ではなく、天理教の象徴的存在なのではないでしょうか?
真柱さんにしてもそうです。象徴的存在なのです。
信仰と教理を分離しなければ、戦時中の日本と同じようになってしまって国民を苦しめるだけです。
本部側も苦しい状況で、どうにもならない事態なのは分かるし、今の世代の人達の責任ではなく、先人達の責任なので、無理な事を言いたくもないけど、いくら何でも…..
こんな事なんて誰に打ち明ければいいのか分からないような事だし、騒ぎになってお互いに不快な思いをするのは私だって嫌なんですよ….
私は元信者なので、本部の人と関わる機会もなかったので、別に本部に対して腹が立ってるわけではないけど、私はほとんど家に独りでいるので、気晴らしになるような事は何もありません。
負の感情が内に溜まって、スッキリしません….
掲示板に投稿しても、その内容を見た人を煽動するような事態になってしまうし、
私の場合、天理教関係者に言っても、うやむやにされるか、逃げられてしまうだけだし、怒ってるとかそういうんじゃないんで、どうにかして、早くこの悪循環から抜け出して、人生を楽しみたい….
私の同年代の人達は、もっと人生を楽しんでいるので、私だって楽しみたい。
こんな生活なんて、もう嫌だ。
私は、知人達から、星野源に似てると言われていたので、芸能人に似てるのなら、容姿はそんなに悪くはないはずなのに何故だろう….
寂しい、虚しい、
現在の天理教が常識的組織運営に努めているのはよく分かりますが、
常識的とは到底言えない無神経な接し方をする人が実在するのは、紛れもない事実です。
道一条で凝り固まって、宗教家としての役割を見失っている人が実際にいるわけです。
そういう人は、天理教だけでなく、他宗教や一般社会にも確実に存在します。
そういう人が私の周囲にいたのだから、天理教全体で考えれば、それなりにいるのではないでしょうか?
宗教のための宗教活動のような状態になってしまっている人も一部には存在するので、家族を大切にして、相手の事を思いやり、親だからといって威張らず、自分の価値観を相手に押し付けない協調的な人間になる事を目指せば上手くおさまってくると思うのですが….
それと、私の所属教会の会長を見ていると、何も考えずに唱えているだけの状態だったので、天理教の教えを学ぶという積極的な学習意欲も全く感じられませんでした。
もしかしたら、天理教の教えがどのような教えなのかも忘れてしまっている状態なのではないでしょうか….
天理教の大教会・教会の人間(親戚も含む)は、自分達が嫌だと思った人間には涼しい顔で、平気で嘘をつきます。自分達が嫌いな人間には口だけで、一切人助けはしない。ただ、お供え(お金)を欲しいだけ。陰湿で計算高い、いじめもします。
まさか?
まさか?天理教だけは真っ当な宗教団体・・・
まさか?天理教だけは誠真実の道・・・
まさか?天理教だけは人を騙したりはしない・・・
まさか?天理教だけはお金を搾取したりしない・・・
まさか?天理教だけは人を助ける真実の道・・・
まさか?病院も有るし・・・
まさか?学校も有るし・・・
スポーツも盛んだし・・・
まさか?創価学会などと一緒にするな、こちらはこの世治める真実の道だぞ、邪教と一緒にするな・・・
まさか?神様が始めた宗教で有るぞ・・・
こう言ったまさか?がいくらでも有る・・・
まさか?まさか?
そのまさか?がまさか?では無くなり、化けの皮が剥がれ落ちてきた・・・
まさか?天理教だけは・・・
そう思っていただけにまさか?に気づいた人のショックは隠せない。
何世代にも渡って信仰をしてきた人たちの虚無感は計り知れない・・・
まさか?都心にビルを何棟も持っていて収益をあげていたなんて・・・
不動産を買い漁り全国に恐ろしいほどの土地を持っていたなんて・・・
まさか?天理教だけは真っ当な宗教だと思っていたのに・・・
この心の空洞、何を信じれば的な・・・
結局何も誰も信じられない・・・
己を信じる。これに尽きる。己を信じきる・・・しかないだろう・・・
自分をしっかり持とう・・・
しかし、神は見ていると思う・・・
この裏切り行為はちょっとやそっとでは済まされない・・・
私が予言しよう。後継者に子供はできない・・・
仮にできたとしても後継はできない・・・
負の重圧に耐えきれないであろう・・・
逆にかわいそうである・・・
大ちゃんは大丈夫か?
大ちゃんだめやろ 子供の時から女好きで評判悪いでーかえるの子はかえる
怨恨ーうらむこと。深いうらみ。
人に恨まれることほど怖いことはない。
夜もおちおち眠れない・・・
どうも寝つきが悪い、ぐっすり眠れないだろう・・・
怖い。念がつきまとう。
はっきり言う。教団に対して恨みの気持ちが有る。
間違った心遣いの一つでは有るが・・・
何世代にも渡ってこの教団と関わり、ここに来て、教団の欺瞞に気づいた。気づくことができた。
この恨みは消えない。この不信は並では無い。
今、生きている人はもちろん、もうこの世には居ない純粋無垢で誠真実の道だと信じ一生を教団に捧げて来た人たちに何と説明するのだ?
こんな事が許されるわけがない・・・
この怨念をひたすら一身に受け続ける教団とは一体なんだろう・・・
とても並みの神経では持たないであろう・・・
どんな神経をしているんだろう・・・
背筋が凍りつくようだ・・・
人には恨まれたくは無い。
人を裏切り、騙すようなことだけはしたくは無い。生きている意味がない。
死んだほうがましである。
オウム神仙の会からオウム真理教へ 編集
1987年(昭和62年)、東京都渋谷区において、従前の「オウム神仙の会」を改称し、宗教団体「オウム真理教」が設立された。同年11月にはニューヨーク支部も設立。
「真理教」は「天理教」にちなんだもので、命名には京都の私立探偵目川重治が関わっている。目川は「松本智津夫」から天理教の全容の調査を依頼され、その調査結果を松本に手渡し、その際、目川があんりきょう、いんりきょう・・・と「あ」から続けていき、「しんりきょう」に至ったという。後に目川は松本が麻原彰晃であると知った。[注釈 2] 時期は目川の手記では1978-1979年頃、ノンフィクションライターの高山文彦および東京新聞記者瀬口晴義の文献によれば1984年春頃とされている(詳しくは目川重治#オウム真理教を参照)[11]。高山は勢力を拡大し教団名が市の名前(天理市)にまでなるに至った天理教を自分の夢と重ねていたのではないかとする[12][13]。「真理教」の名前は石井久子以外には「いかにも新興宗教」と不評であり、宗教化で会員の三分の一が脱会した[14]。
散財アホ養子
Wikipedia より
戦いか破滅か 編集
1994年(平成6年)と1995年(平成7年)には特に多くの凶悪事件を起こす。そのうちいくつかの事件では当初より容疑団体と目され、警察当局の監視が強化された。
「信徒用決意」という決意文にはこうある。「泣こうがわめこうがすべてを奪いつくすしかない」「身包み剥ぎ取って偉大なる功徳を積ませるぞ」「丸裸にして魂の飛躍を手助けするぞ」「はぎとって、はぎとって、すべてを奪い尽くすぞ」[37]。これらが信者の監禁事件へと発展していった
役所担当者・知人等には話してませんから。モデルケースになり、教団としてはWikipedia 迄に載ってるから、鼻高々で自慢なんでしょうけど、とても怖くて言える内容ではありません。
天理教 お供え掲示板より転載
メッセージ 投稿者:加藤ハルアキ
投稿日:2018年 2月 1日(木)05時26分7秒 返信・引用
話の流れを切るような投稿で失礼します。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、私は、宗教法人の「被包括関係廃止手続きや出来事」を物語として記事に掲載しているブログ『1/17000の闘争と逃走』の管理人です。
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei
先日、第二部の終了に伴い、モデルとなった教会の方からメッセージを頂きました。
ブログの記事にもUPしましたが、多くの人に読んで頂きたいと思い、記事原稿をこちらに掲載させて頂きます。
お読みになり、何か感じる事や思う事がありましたら、遠慮なくコメントやメッセージを頂きたいと思います。
読者の皆様へ
私は『1/17000の闘争と逃走(第二部)』のモデル教会の者です。
私共の教会はこのたび本部との「被包括関係廃止」手続きを完了、無事に組織から独立しました。
私は、末端教会子弟の長男として生まれ育ち、逃れようがない運命として不安と呪縛を背負って生きてきました。
幸いにも、近年インターネットが発達してwebからの情報収集とSNSによる情報シェアのおかげで理不尽な組織環境から合法的に離脱することができたのです。もちろんインターネット情報だけでなく、良識ある多くの支援者の応援や手助けがあったことが実行する勇気とパワーの源です。
インターネットの掲示板やブログを見ると、よく似た環境の末端教会子弟ご同輩がたくさんおられることがわかります。中には既に組織離脱を実行された方もおられるようですが、多数の末端教会子弟は理不尽な組織と抗えない末端の立場によって、猛烈なストレスを受け悶々とした苦痛の末端生活を送っているのではないでしょうか。
私も同じだったのですが、悩んでいてもぶつぶつ愚痴を言っても環境や事態が変わることはないのです。
また、誰かがそれを改善するために何とかしてくれることもありません。
ましてや、上級や大教会、本部が自らの事を反省し、改善や改革などをしてくれるなんて絶対に有り得ないでしょう。
自分の人生は自分だけのもの、自分で作り上げるものです。
上級や組織を潤すために自分の時間、お金、労力は使ってはいけません。
それらは全て自分や大切な家族のために使われるべきなのです。
この宗教組織は生産性が無いネットワークビジネスと同じ、早くスタートした奴らが儲かる仕組みになっています。末端教会は上納のみで搾取される側から逃げ出せないように組織に縛られているのです。
もしかしたら、運よくか熱心な信仰かは判断が難しいでしょうが、信者が増え部下教会が沢山出来て『自分が上の立場』になった時のみ、末端の苦しみから解放されるかもしれません。
でもそれは、自分と上との関係はそのままであり、自分が味わった苦しみや悩みを下の者に、数を増やして押し付けているだけです。
組織から解放されるには離脱することがベストな選択、そのためには本部組織との「被包括関係を廃止」する法手続きで簡単に実現できるのです。
組織から離脱した末端教会は独立した宗教法人になるので、上級や本部など組織から干渉されることは無く、当然、上納金(お供え、つくし)や無償労務提供(ひのきしん)などいっさいありません。自分達で信仰の方向や教会の実務を考え実践できるのです。
私の場合、まるで頭上の曇天から晴天へと変わる如くスッキリと晴れやかな気持ちになりました。
組織離脱のメリットは、精神的・経済的・時間的・労力的な負担が無くなることや教会不動産の最終的帰属先が教団本部になっている現在の状況から独立した宗教法人になることです。
デメリットは、教団本部行事や研修などに参加できないこと、所属大教会詰所が使えないこと、教団の縦横組織と断絶されること、しかし、これらは逆にメリットとも思えます。
当教会は大教会普請、上々級教会普請、上級教会普請が連続したので、長年多額の普請お供えを上納してきましたが、当教会が1995年阪神淡路大震災で当教会は被災して神殿は傾き一部損壊でしたが、上級からの支援はありませんでした。自力ではとても普請など出来ないので23年経っても未だ傾いた状態です。
この教団組織はそんなもんです。世界助け、人助けはやりません、誠にざんねんです。
現在、当教会は数名の高齢信者さん達と楽しく月次祭を執り行いながら心穏やかな日々を過ごしていています。また、個人的ではありますが、地元貢献になればと微力ながら地域コミュニティで高齢者の健康増進活動をお手伝いしております。
このブログ(1/17000の闘争と逃走)を読んで自分も一歩前に踏み出したいと思った方へ
現実は行動のみで変えることができます。
そのためには、刷り込まれた組織信仰からの呪縛を解き、思考停止している自身から抜け出すことです。
「被包括関係を廃止する」行政手続きは決して難しくありません、必要書類と手順を踏めば誰でも出来ます。私の場合は、役所の担当者が親切に教えてくれました。県庁や法務局の役人は書類と手続きに不備がなければ事務処理してくれます。もし不備があっても都度修正を指示してくれますので頼れる味方です。
必要なことは、正しい取組みへのブレない強い意志と勇気、行動です。
やる気スイッチ入った方応援します!
考えれば考えるほどカルト教ですね。
苦しい….
とにかく苦しい….
誰にも打ち明けられないのが苦しいし、今の生活から脱出できないのも苦しい、抜け出せられない悪循環に陥っているのが苦しい、天理教の掲示板を見ている事自体が苦しいけど、見るのをやめる事が出来ないのが苦しい….ネット依存になっているのが苦しい….
書いたら嫌がられるだけだから書かないようにしたいのに、頭から離れなくなっているのが苦しい….
ネットに投稿してきている人は皆、苦しんでる。
でも、どうする事も出来ない悪循環に陥ってる。
参謀 様。
嫌がっていませんよ。
未来の若い人たちの為に、正直な思いを書いて下さい。
自分の為ではなくて、これからの人の為に書いて下さい。
情報を伝えて下さい。
人や組織を憎んで書くのではなくて、人や組織の為に書いて下さい。
正直に素直に書いて下さい。
古い元教会長 様
未来の若い人達の為に書くとするなら、信仰は無理せず、ボチボチすればいい。
熱心にならなくてもいい、真剣にならなくてもいい。
嫌ならしなくてもいい。参加しなくてもいい。天理教の教会の息子や娘だからといって、背負わなくてもいい。負担になるのなら、負担にならない人生を歩めばいいと伝えたいです。
そして、天理教に残って布教活動をしようと思っている人達に伝えたい事は、一体何の為の布教活動なのか、宗教団体は何の為に存在しているものなのかをよく理解しながら、活動をしていって欲しいと願っています。
信仰とは心豊かに暮らしていくためのものなのです。
本部側の人達は、あの広大な敷地を維持して運営していかなければならない立場なので、抱えている問題が沢山あります。地方教会も荒れているけど、本部も荒れています。
皆、どうすればいいのか分からず、何の為にこういう事をしているのか分からなくなってきて悩んでいます。
本部の場合、放棄するというわけにもいかず、今後も何らかの活動を続けていかなければならない状況ですが、自分が始めた事ではなく、世襲制で自動的に立場が決まってしまっているだけなので、好き好んで、中枢にいるようにも思えません。特に現真柱さんの場合は….
教団が栄えている時と沈没寸前の時とでは、状況が全然違うので、中枢の人達の方が心理的にシンドイと思います。
末端の人達より背負っているものが重いので、辞めたくても辞められない状況の人達です。
天理教被害に遭った人達が、インターネット上で、理不尽な境遇を強いられた事に対し、怒りの声をあげている状態ですが、本部側もどうする事も出来ず、このまま続けていても、事態は延々と悪化し、泥沼化していくだけだと思います….
こういう状況になっているのを天理教関係者が閲覧してしまったら、ヤバい事になるだけなので、自由に閲覧できない状態にして、会員制にした方がいいと思います。
被害事例ばかりを毎日見ていると、違った意味で洗脳状態になってきて、精神状態が悪化していくだけで、頭の中から離れなくなっていきます。
精神科医もシンドイと思います。毎日毎日、患者の病気の話ばかりを延々と聞かなければならない職業なので、真剣になって聞いていたら、自分まで精神を病んでしまうと思います。
精神医学の知識がある人達なので、患者の症状が、ある程度は分かります。分からなかったら仕事にはなりません。
苦しみを共に分かち合うという事も大切だとは思うのですが、今のこの状況だと、その苦しみから抜け出せなくなってしまいます。
納得いかないと腹立たしく思っている人も大勢いるとは思うのですが、どうする事も出来ない事なので、新たな道を模索する時期になってきているのだと思います。
私もこの経験を活かし、新たな道を歩んでいきたいと思います。
早くそういう状態にしていきたいと思います。
参謀
2018年2月4日 1:01 PM
少し休まれた方がよろしいです。天理教と名乗っているのは中山教団であり天理教をしたい人達らが中山家とそれを支える天理貴族の退場を願っているのでしょうからなんら問題はないです。天理教のあるべき姿が現在の大型建造物建設とその維持にしか向いておらずこれですら表向きで実際は建設汚職の為に立てているつまり中山と天理貴族の懐を肥やすだけなのです。実際本部の醸造部だけ中山教団として浮いているのが現状だそうです。誰も現在の善司、善亮、大亮それを支える天理貴族を信用してないようです。それは当人達も気づいているようで彼らの公言する言葉にも見え隠れすると聞いています。疑心暗鬼の渦が本部を包みもう以前とは違う雰囲気が漂っているそうです。
中山教団の方々は何も打開策は生まれないでしょう。このまま崖っぷちまで突き進むでしょう。当人達にとっては一寸先は闇だからです。まずはその被害者に成らない事とそれより気をつけないと行けないのが共に加害者にならないことです。どんなに布教にほいがけをしても中山教を布教しててはされた方も騙された事に成るからです。
参謀様
>天理教被害に遭った人達が、インターネット上で、理不尽な境遇を強いられた事に対し、怒りの声をあげている状態ですが、本部側もどうする事も出来ず、このまま続けていても、事態は延々と悪化し、泥沼化していくだけだと思います….
「本部側もどうする事も出来ず」とありますが、出来ることは無限にあります。全国信者さんのお供えを今迄余るほど溜め込んでいるのですから。
本部側が、天理教という本物の宗教教団の宗教者であるならば、こういった事態を無視は出来ないはずです。すぐに全ての信者、末端教会に対し、これまでの矛盾を認め、真実を明らかにし、お詫びと保障、制度改正などを検討するでしょう。それが「誠真実」というものではありませんか?
そうできない理由は何でしょう?自分達やかわいい身内以外、末端などはお供えさえあげてくれれば後は苦しもうとどうでもいいのだということの証明ではありませんか?
言葉ではなく行動の方がはるかに本音に近いのです。
>こういう状況になっているのを天理教関係者が閲覧してしまったら、ヤバい事になるだけなので、
どのようにヤバい事になるのでしょうか、厳しくとも正しい現実を知ることは、個人個人の判断やリスク管理を高める上でもとても大切なことだとおもいますよ。
>自由に閲覧できない状態にして、会員制にした方がいいと思います。
被害事例ばかりを毎日見ていると、違った意味で洗脳状態になってきて、精神状態が悪化していくだけで、頭の中から離れなくなっていきます。
参謀様が悩まれていることは、会員制にして登録手続きがあるから見なくなり解決するという問題ではないのではないでしょうか。
会員制などにして隠蔽する必要性は全く感じません。
内部で何が行われているのか、なぜ苦しんでいる人々がいるのか、堂々と包み隠さずに広く一般の閲覧も参加も出来るこういった公開性のある場で談じ合い、社会全体で様々なことを考えていかなくては真の問題解決にはならないと思います。
それが不味い人達は「隠そう」とするかもしれませんが、汚い膿は膿がある以上、何度も出さなければ、包帯で覆うだけでは真の治療にはならないと思います。
こうした開かれた自由な状態では、参加閲覧したい人は自由に参加し、コメントで参加することも可能、そして嫌になったら見ないという選択も自由です。
一番苦しいのは、きれいな言葉とは裏腹な組織のおかしな論理に振り回され、「自分が悪いのではないか」と狭い環境の中で絶えて一人苦しみ続けることです。
インターネット普及のおかげで、あちこちにこういった場が出来、改めで現実を知るごとが出来、少しづつ眼が覚めて罪悪感なく自分の頭で判断する大切さを知り、真の自分を生きることが出来るようになりました。
参謀 様
決して参謀様を批判するつもりは無いのですが、ちょっと『世襲制』を絶対視されている感じがします。
末端教会であれ真柱であれ、親の後を継がなければならないなんて事はありませんし、決まりもありません。
既に子供は、親からその遺伝子と価値観(家庭環境や考え方)を受け継いである(世襲している)のですから、自分で考えられる年齢になったら、職業とか結婚相手とか残りの人生とか『自分で決めればイイ』のではないかと思います。
もちろん、真柱職ともなれば、巨大な権力とお金が絡む魑魅魍魎の世界ですから、周囲や多くの人の期待や思惑などが絡み、放り出そうとするなら、大きな力との対決になることは考えられます。
それでも「自分の考えを押し通す」なら、周囲からどんなに説得されようが、それこそ縁を切られようが、身一つで放り出されようが、自分の人生を自分で決める事は可能なんです。
それなのに、真柱になったというのは、本人の意思であり考えだと思われます。
唯一、可哀想だと思えるのは『真柱を継ぐ以外はお前の生きる術はないんだよ』という考え方しか教わらなかった場合です。世間一般の情報を遮断され、凝り固まった価値観を植え付けられ、まるで大空を知らないカゴの鳥のような「扱い」で育てられた場合です。
ただ、現真柱が真柱を継ぐのを嫌がったとか、普段の苦悶の表情など、ある程度世間一般の情報を持っていながらも、真柱を継承したと思えます。
理由や経緯は色々あるのでしょうが、それもやはり、現真柱ご本人の『決断』なのでしょう。
私のような信者や末端教会の立場の者は、真柱職程の多くの人や権力・お金が絡んでいないので、単純に比較はできないかもしれませんが「気楽」だと言えます。
勿論、子供の頃から仕込まれた宗教観や価値観や考え方を切り替えるのは、苦労や苦痛を伴います。
それまでの人生や生き方を否定し、新しい道を模索する事なのですから。
でも、今後の人生を「今と同じ苦痛を背負ったまま歩む」か「自らの人生を自ら決めるという苦痛を背負って歩む」かの選択だとも思えます。
その選択も「自分の判断」でしょう。
案外、自分の人生を自分で決めると「苦痛」ではないのかも知れません。
私の書き込みの根拠です。
宜しければお読みください。
https://ameblo.jp/kyoukai-sitei
三人の人からそれぞれメッセージを頂いていますが、三人に向けてメッセージを送りたいと思います。
私は元信者という立場です。
それなので、本部中枢や大教会の実態は、インターネットの内容を見て判断するしか方法がありません。
会う事すら困難な人達だったので….
巡教の時も頭を下げて、前を通過していくだけの存在でした。
講話を聞く事すら出来ず、外で待機しているだけの状態だったので、講話の内容も知りません。
後日、その時の講話を録音したテープを手渡されましたが、聞く気にもなれませんでした。
そういう状態は、本部が指示してやっている事なのか、それとも末端の人達が自発的にしている事なのか、その点が未だに分かりません。
私は未だに『そこまで悪質な人達なのだろうか…』と思っています。
関わりがないので、分からないのです。
本部の味方をするつもりもありませんが、批判的に書いてしまうと今度は、本部寄りの人達から非難されるので、結局、どういう風に書けばいいのかも、よく分からない状態です。
時々、インターネット上に急に登場してくる人がいました。
多分、その人が本部の人なのでしょうね。
私の投稿の粗を探して、非難しようとするので、嫌でした。
「投稿内容をチェックしている人がいるんだなぁ….」とその時、感じました。
天理教とは全然違う話題になってしまいますが、大本営陸軍部で作戦参謀をしていた瀬島龍三さん(陸軍中佐)に似ているなぁ…と感じています。
瀬島さんも天理教教会本部と似たようなタイプの軍人官僚です。
ノンフィクション作家の保阪正康さんやシベリア抑留の関係者、かつての同僚などから批判されていましたが、結局、肝心な事は何も語らず鬼籍に入ってしまいました。
大本営の中枢で作戦を立案した人なので、証言しなければならない立場の人でしたが、多くの謎を残したまま、真相を墓場まで持っていってしまいました。
色々とヤバい事をしてきたから、言ってしまえば、自分が今までに築き上げてきたものを全て失ってしまう事になる。
だから、真相を言うわけにもいかなかったのでしょうね。
天理教教会本部と同じような状況の人だったのだと思います。
私は、そういう重要な地位に就いた事がないので、心境を正確に理解する事は出来ませんが、相当な重圧だったと思います。(同情する気もないけど)
掲示板に投稿していると結局、誰か(本部側の人か末端側の人)に嫌がられるだけなので、こんな掲示板からさっさと抜け出して精神的に解放されたい….
余計に疑心暗鬼になって、今まで以上に強迫観念にとらわれて、また、変な宗教団体に引っ掛かってしまったら馬鹿馬鹿しい…
そんな風になったら本末転倒だから、宗教団体には関わらないように気をつけたい…
この際、ハッキリ言います。もう誰もが分かっていると思うけど、この宗教団体は正常ではありません….
天理教関連の事なんか、もう考えたくもない。
もし、私みたいに精神状態が悪くなってきている人がいたら、迷わず心理カウンセリングかメンタルクリニックに受診して下さい。
言い出しにくいとは思いますが、抱えている事を
誰かに打ち明けた方がいいです。
こんな状況を誰かに話すのは勇気がいると思いますが、悶々としながら過ごしていたら、症状は悪化するだけなので、苦しい!ツラい!と叫んで、『信頼できる人』に助けを求めて下さい。
神様とか仏様とか、そういう事に救いを求めてはいけません。
もし、求めたとしても、人が関わらない状態で、一人でしていて下さい。
公共の福祉機関に相談して、信頼できる臨床心理士や精神科医を紹介して頂いて下さい。
参謀 様。
人は誰も、自分は洗脳なんてされていないと思っています。
洗脳は情報を遮断される所から始まります。
洗脳状態の人は、色んな情報が入りすぎると、まるで過去の自分を否定されている様で辛い思いをします。
だから、実は洗脳され続けている方が楽な面もあるのです。
何故か?それは上からの指示通り動いていればさえ良いので、自分で考えなくていいから楽なのです。
ところが、色んな情報が入って来て、自分の頭で物事を考え判断して自分の責任で行動しようとした時に、慣れていないのでパニックになって辛い思いをします。でも洗脳が解けるには、その経験をしなければならない道なのです。
それを乗り越えるには多くの人の助けも必要になってきます。ただ、今はネットから多くの情報が入ってきますので、じっくり考え思案して自分らしさを取り戻し、自分らしく生きて行きましょう。
>掲示板に投稿していると結局、誰か(本部側の人か末端側の人)に嫌がられるだけなので、こんな掲示板からさっさと抜け出して精神的に解放されたい….
誰も嫌がっていないと思いますよ。むしろ共感されていると思います。
本部の人も立場があって言うに言えないだけです。
応援している人もあると思います。
参謀様
あなたの投稿を見させていただいております。
私はただの末端教会の子弟で年齢はド中年でございます。
あなたの投稿を拝見していますと歴史的な出来事などと合わせて(リンクさせて?)投稿されているように見受けられかなり混乱されているのかな?というのが率直な感想です。(当然、個人的な感想です)
もっとダイレクトに自分の感じている事、教団について感じている事、思っている事、感情を吐き出すでも良いし、せっかく投稿しているんですからストレートにぶつけてみては?と思うのですが・・・
本当に失礼ですがいまいち何を言いたいのかが良く見えないというのが率直な感想です。
まあ、それが悪いとかなんとか、というつもりはありません。
自由に表現すれば良いんですが・・
繰り返しますがもっと心の内をさらけ出しても良いのでは・・・と。
そうすればまた建設的で前向きな議論もできるでしょうし、新たな展開も生まれるかもしれません。
あくまで個人的な感想ですのでお気を悪くされたら許してくださいね。
ところで、だいすけさんとのぶえさんのこどもは授かるのだろうか…
まだその行為もしていないのだろうか…
古い元教会長 様
私は今、天理教の現場の状況が全く分かりません。
ほとんどの人がもう気付いている事なのですか?
それともまだ、ほとんどの人が気付いていないのでしょうか?
それと、もうひとつお聞きしたい事があります。
中山善司現真柱さんと、その弟の中田善亮さんは、実際はどういう人なのでしょうか?
会った事もない人達なので、どういう人達なのか全く分かりません。
責任者だから皆から嫌われているのか、それとも悪い人だから嫌われているのか、私には全く分かりません….
コメント頂き、有り難うございます。
私は元信者という中途半端な立場上、同じような立場の人がいません。
それなので孤立してしまっているのです。
一般社会の人にも、あまり言いたくもない事だし、天理教関係者に、そういう話をしたら、おそらく、必死になって否定するだけで、認めないと思うので、話そうとも思いません。
家族親族にも言いたくありません。
天理教の教会とトラブルになって大騒ぎになるのも嫌なので….
様々な事が分かってきて動揺しています…
天理教の教会関係者の人の方が、もっと動揺すると思うので、言わない方がいいんじゃないかな…と思っています。
多分、もう済ませたんじゃないでしょうか?
子供は多分生まれると思います。
あの二人は、まだ二十代でお若いんだから、『プライベートでは』しっかりと楽しんだらいいと思います。
嫌みで言ってるんじゃなくて、本当にそう思います。
でも『うらやましいなぁ….』とは、やっぱり思ってしまいます。
金銭被害について、お聞きしたいのですが、
他の方々は、だいたい、いくらぐらいの金銭被害に遭ってきているのでしょうか?
金銭被害と言ってもピンからキリまであるわけなので、自分自身が支出してきた金額が天理教内の人達と比べて多いのか少ないのかが、自分自身でもよく分からないのです…
私の場合、天理教で使った金額は、全部含めたらだいたい百数十万円ぐらいだと思います。普通車の新車一台分ぐらいですね。
完全な寄付状態の金銭額を金銭被害と呼ぶのでしょうか?
その点が私には分かりません…
それと、自主的に支払った場合は、どうなんでしょうか?
要求された場合は、金銭被害に相当すると思うのですが、自主的に支払った場合は、金銭被害には該当しないのでしょうか?
しかし、私は金銭に関する事は完全にあきらめています。
証拠もないし、何でも都合の悪い事は知らないとか言ってないとか逆ギレしたりして、言い逃れするような人達なので、言っても無駄だと思っています。
トラブルになるだけ時間の無駄で、お互いに不快な思いをするだけなので完全にあきらめています。
私が未だに不快で許し難いのは、裏工作をされる事です。
所属教会と関わっていても無駄なので、他の教会の会長さんに相談したのですが、うやむやになってしまい、おそらく教会間で連絡を取り合っていたようなのですが、こちらには何の音沙汰もない状態でした。
それじゃあ、ただ単に情報が漏洩しただけなので、相談したって意味がない….
しかも、かなり後になって分かってきた事なのですが、精神科医が入れ知恵されて、私の事を信用していない状態になっていたのです….
私が『裏工作をしている側の人間』という話の流れになっているようなので「天理教とトラブルになってきたら、裏で何をされるか分からない人達だな….窮地に立たされたら、相手(天理教の教会)は何をしてくるか分からないな…もう一切天理教には関わらず相談もしないようにしよう…」と思うようになりました。
最終的には、お互いに疑心暗鬼になって腹の探り合いのような事態になっていたので、もはや宗教ではない状態でした。
人間が裏で色々と情報操作しているだけの集団なので『信用できない』存在になっていました。
離れていった人達の中にも同じような動機で離れていった人は多いと思います。
良い人も大勢いるのは知っているけど、私が抱える心の傷は戻らないので、良い人だと分かっている人に対しても心の内を素直に話す気にはなれません。
聞いた側も苦しむだけなので….
ネットで調べてみたら、ヤバい事例が沢山掲載されていたので、天理教は怖いな…と思っています。余計な事を言ったら報復されるんじゃないかとも思うので、周囲の人にも思っている事を伝えられません。(こんな状況なんて、怖くて言えません…)
詐称、裏工作、報復を繰り返していたら、負の連鎖になっていきます。
信仰を信じられないというより、信用できなくなるのです。
人助けなんてしなくてもいいから、普通の親切が出来るような集団に変わっていって欲しい。
誰も天理教に多くを望んでいないと思うし、期待もしていないと思います。
全ての人に言える事なのですが、自分の価値観や常識を一度疑ってみる(客観視する)のは非常に重要な事だと思います。
『自分がしている事は正しい』と誰もが信じたいと思うはずですが、実は知らず知らずのうちに『非常識な事』をしている場合が誰でも一度はあるはずです。
それは天理教だけでなく、他の宗教団体でも一般社会の人にも言える事です。
天理教批判派の間では、世間に出て汗水流してしっかり働く事が正しくて、宗教活動に専念している人は世間知らずで苦労知らずという思考パターンに陥りがちですが、(まぁ、私自身もそう思っている側の人間なのですが…)
逆の立場の人達は『私は、何も悪い事をしているわけでもないのに、何でそんな理不尽な事を言われなきゃならないの!』と言って、腹立たしく思っているはずです。
あちら側の人達の『心の叫び』にも耳を傾けてみる事も重要だと思います。
『向こうは何も聞こうともしていないじゃないか!』と反論が返ってくる状態になっているわけなので、全然話が前に進まないわけなのですが….
天理教には残念ながら、真ん中の立ち位置の人が非常に少ない。
天理教擁護派と天理教批判派の抗争になって、両者一歩も譲らず、平行線の状態です。
天理教内では、天理教を褒め称えるような雰囲気が蔓延し、その一方で、インターネットでは、天理教を批判する事だけが蔓延している両極端な状態です。
第三者の立場からすれば、ネット上の投稿も相当異常だと思います。
私自身も今の自分が『正常ではない』と感じているので、冷静になって見ている人は誰もが異様だと思っているはずです。
敗戦直後やバブル崩壊後の『まさか、そんなはずがない….』と茫然自失の状態になるのと似たような心境。
私は敗戦もバブル崩壊の時も知らないような年代なので、この複雑な心境は初めての経験です。
自分の所属教会の会長だけが『特別に無責任な人』なのかと思っていたら、ネットを見てみると同じような事例が山のように掲載されていたので、全体像(実態)が見えてしまって、その当時は怒り狂って狂暴になっていましたが、最近は『もう疲れた…』という心境に変わってきています。
『もうどうでもいい…でも抜け出せない悪循環』に陥っています。
戦場で『自分の部隊だけが苦戦している』のかと思っていたら、どの戦線も実は壊滅状態だったと後になって分かってきたのと同じ心境です。
私は、この実態(インターネットに掲載されている内容)は、あまり見ない方がいいと思っています。
実態を隠そうとするつもりはありませんが、精神状態が悪くなるのは間違いありません。
ずっと天理教の家庭で育ってきている純真無垢な人が『こんな内容』を見たら、どう思うか…
私の場合、現在、天理教と何ら関わりのない元信者という立場の人間なんですよ?
それでも、未だに複雑な心境のままで、精神的に立ち直ってはいないので、教会で暮らしている人がこんな内容を見たらどうなるんですか?
私は、自分自身と似たような心境になる人が発生する事を望んではいません。
もし、知らせるとするなら、ネットの内容を見て知るより、誰かが知らせてあげた方がいいと思います。
相手と気持ちを共有できる状態なので、独りで抱え込む心配はありません。
異論もあるとは思うのですが、様々な事を深く掘り下げていって真相を解明していく事が本当に有益な事なのだろうか…と疑問に感じています。
結局、それでどうなるんでしょうか?
宗教活動を減らして負担を減らせば済む話ではないかとも思うのですが…
参謀様。
>私は今、天理教の現場の状況が全く分かりません。
ほとんどの人がもう気付いている事なのですか?
それともまだ、ほとんどの人が気付いていないのでしょうか?
気づいていない人も多くいます。
また、気づき方にも段階があります。これは、洗脳の解け方がそれぞれ段階があるということです。
ちょっとおかしいぞと思っている人は多いと思いますが、それぞれが被害者であり加害者でもあるので、おかしい部分は見て見ないふりをしたり、正論を振りかざしたりはしないで、堪能という信仰的な解決をしています。
>それと、もうひとつお聞きしたい事があります。
中山善司現真柱さんと、その弟の中田善亮さんは、実際はどういう人なのでしょうか?
会った事もない人達なので、どういう人達なのか全く分かりません。
責任者だから皆から嫌われているのか、それとも悪い人だから嫌われているのか、私には全く分かりません….
悪い人ではないと思います。嫌われているわけでもありません。
只、上に立つ技量がないだけです。家柄だけで身分が決まる事が問題なのです。
そして、この組織が下々の人達の多くの犠牲の上に成り立っている事を知らされていないのが問題なのです。
ボンボンで育って、何も知らずに大きな立場を与えられ、お人よしにマニュアルに添って動かされているだけなのです。
そして天理教の教えと相反する高山に住み、莫大な権限と資産を持っている事が批判の対象になっているのです。
教祖の教え通りの事をしていればさえ、何の批判も問題も無くなります。
参謀様。
>金銭被害について、お聞きしたいのですが、
他の方々は、だいたい、いくらぐらいの金銭被害に遭ってきているのでしょうか?
金銭被害と言ってもピンからキリまであるわけなので、自分自身が支出してきた金額が天理教内の人達と比べて多いのか少ないのかが、自分自身でもよく分からないのです…
私の場合、天理教で使った金額は、全部含めたらだいたい百数十万円ぐらいだと思います。普通車の新車一台分ぐらいですね。
大変な被害に遭われたのですね。そんな教会長も結構いるようです。
でも、ほとんどの人は、被害に遭ったとは思っていません。それは、お供えが人助けの為、世界平和の為に使われていると信じているからです。
もし仮に、このお供えを個人の資産として蓄えたり、見栄を張るような大きな伽藍建物を建て、信者に多くの負担をかけるようでしたら、後で被害を受けたと感じる人も出てくるでしょうね。
参謀
2018年2月5日 1:16 PM
現教団がおかしんですよね。中山家と側近貴族が天理教という看板を下ろして信者に明け渡すせばいいのです。中山天理教と天理教が存在することに成りどちらが正しいか?が明白に成るんです。教祖は「しんばしらのしんのすけ」までは名指ししてますがそれ以降はただ勝手に中山家が世襲し牛耳ったという見方があります。本席に選ばれたのも中山でなく飯降と上田 中山家に真柱や教団をまとめる力はないのです。だから教祖は指名しなかった。「高山谷底」など聖典の解読でも教祖自身の娘息子など家族親族への戒めという説も正しいことに成ります。私個人、二代真柱の隠し子の子孫の人にも話を聞いたことありますが「教団に残った者も多いが皆納得はしてない。むしろ不満だらけだ」と聞いたことがあります。二代真柱の悪行が現教団のこの不穏な空気を作り出していると私は考えます。
二代真柱より続く「中山本家vs中山隠し子」と言えるでしょう。やがて中山家は信頼を失い中山天理教は自然消滅していくのでしょう。 「天理教を残したいのであれば中山天理教団から中山を追放する事だ」と隠し子の人もおっしゃっておられました。
古い元教会長 様
洗脳されていると気付いていない人達は、そのまま洗脳され続けている方がいいような気もするんですけどね…(幸せに暮らしているのなら)
下手に知ってしまうと不幸になります。
でも、そういう人(思考停止状態の人)は指導能力が無いので、布教活動には行かない方がいいと思います….
余計なトラブルを引き起こして厄介な事になるだけです。
陽気暮らし教育(ゆとり教育)では、いずれ教団運営が成り立たなくなります。
現真柱さんや善亮さんでさえ、頼りないと思われている事態なのに、次代の若者達は陽気暮らし教育で更に指導能力が無くなっています。
素直で明るく真面目なのは良い事なのかもしれないけど、指揮官じゃなくて兵隊の役割しか果たせません。私はそう思いました。
本部中枢が『陽気暮らし』では、教団を運営する事は不可能です。
実態が陰気な状況になってきているにも関わらず、外面だけ陽気暮らしをしていたら、いずれ、バブル崩壊のような事態になってしまいます。
今後、更に運営が厳しくなってくると思うので、存続不可能な事態に陥っていきます。(というより現時点でも陥っています)
ある日突然、成り立たなくなって破産する危険性さえあります。
次期真柱の大亮さんは新婚なので、今が一番幸せな時期だとは思いますが、せめて外向きだけでも『苦労しながら頑張っています』とアピールしておかないと支持率は確実に低下していくと思います。
家に帰れば楽しく幸せに過ごせばいい事なので、プライベートな時まで頑張る必要は一切ありません。
肝心な時に頑張れなくなります。
『頑張らなければならない時だけ頑張っていればいい』だけの事なのです。
私はそう思います。
ラグビーをしていたのなら、根性はあるはずです。
いずれリーダーシップを発揮する事を願いながら、離れた場所から今後、天理教がどのように変わっていくのか見守っていたいと思います。
まさか、これ以上、堕落するような事態にはならないと期待していますが、もし、これ以上、堕落するようなら『もう無理』という気がします…
天理教の場合、中途半端な支出が色々とかかってくるので、丁寧にしていたら、無駄金ばかりがかかってきます。キリがありません…
大きな支出や大きな御供えをしてきたわけではありませんが、しなくても良さそうな事に無駄金を使っている状態で、天理教自体も『しなくても良さそうな事』に無駄金を使っている教団だと思いました。
『また無駄な事をしているな…』と感じている人は多いはずです。
部外者からすれば、明らかに無駄な事なのに、無駄だとも思っていないから(感覚が麻痺しているから)次第に衰退しているのだと『第三者の視点』から見て感じました。
天理教は身内で成り立っている状況なので、価値観が完全に硬直してしまっています。
部外者の若者からすれば、有り得ない習慣が根付いているのが『天理教の現状』です…
『隠し子』というところが、如何にも天理教という胡散臭さを感じますが、正妻の子も隠された状態で生まれてきた子も『どちらも悲劇』だと私は思います。
参謀様
かなりの時間と労力をこのサイトにお使いですね。
参謀様の書き込みは最初はなるほどと思うこともありましたが、最近はもうなんだか痛々しいです。
「このサイト依存」になっていないですか?
四月から社会復帰される予定ですよね?そろそろ、心身ともに違った方向に進まれた方が良いのでは?
あなたの天理教に対する憤りを言い方は、このサイトにはたくさんいますから。
演芸番組『笑点』
ゲラゲラと笑うような内容ではないものの、昔ながらの平和な雰囲気が漂う、どことなく懐かしい雰囲気の番組です。
昭和の古き良き日本の風景なのかもしれません。昭和40年代、50年代の日本は平和で、のどかでした。(のどかだったのだと思います)
戦争の影が色濃く残っている時代とはいえ、傷痍軍人や戦災孤児、戦争未亡人などの戦災遺族の人以外は、明るさを取り戻している時代でした。
現在の天理教もそういう二面性を残しながら続いている状況なのだと知りました。
若い世代は、かつての因縁指導をしていた頃の天理教の事を知りません。
何故か知らないけれど、一般社会の高齢者から敵視され嫌われているのが現状ですが、何故、嫌われているのかは若い世代は分かってはいません。
そもそも、この教団が『正常ではない』と全く感じてもいない鈍感な人もいるくらいなので、現在のアレフ(元オウム真理教)と似たような状態です。
天理教の高齢者は、天理教被害の当事者であるにも関わらず、世間からは加害者側の人達という風に見られ、肩身の狭い窮屈な思いをしてきたのだと思います。
現在も天理教の教会で暮らしている高齢者の場合、不祥事が発生すると自分達まで再びトラブルに巻き込まれてしまう理不尽な状況が延々と続いているので、腹立たしく感じていても外部機関に助けを求める事が出来ません。
こういう状況じゃあ『言いたくても言えない』という状態です。
連帯責任で他の人にまで迷惑をかけてしまう状況なので、我慢している状態です。
それは若い世代の人達にも共通する悩みなので、悶々としながら、精神疾患に移行してしまうパターンになっています。
『この掲示板は、存続する事に矛盾を抱えた状態』なので、うっかり見てしまうと見た人まで精神疾患に移行してしまい、見た人は天理教の真相を知ってしまったわけなので、黙って天理教の教会から離れていってしまう悪循環な状態です。
再び、心が戻ってくる可能性は『限りなくゼロに近い状態』なのですが、実家が天理教の教会じゃあ、仕方がないから戻っているだけで、信仰心はゼロかゼロに近い状態です。
その心境(言いたくても言えないような馬鹿馬鹿しい状況)は私自身も感じている事なので分かる事なのですが、天理教内部には、悪い人というわけではないけど、KYな人(空気が読めない思考停止状態の人)や二重人格者っぽい人がいるのも事実です。
陽気暮らしを勘違いして、幸せを見せびらかすのが陽気暮らしと錯覚している人もいます。
まさか次期リーダーまで、そういう状況だったとは….と危機感無しの状態に末端の人達からは不評だと思います。
でも、そういう実態を聞かされずに育ってきている場合、仕方がありません….
幸せな新婚夫婦に反感を持つと、嫉妬やヒガミという風になってしまうので、独身の人達は複雑な胸中だと思います。
アイツらノンキに贅沢しやがって….(私達の苦労をもう少し知れ!)という感情と
でも、一生に一度の事なんだし、今だけの事だし、もう少し幸せに浸っていてもいいのでは….
という感情が複雑に入り乱れた心境だと思います。
私の場合は、もう完全に気持ちが離れてしまっている状態で、関わりもない状態なので、今はシラケ気味状態です。腹も立たずという心境です。
無関係という心境なのかもしれません。
あの花火が上がった時点で『陽気暮らし教育も終結か….』
と悟ったのかもしれません。
悪循環の心境を経て、自由に巣立っていくのだろうなと感じています。
『この経験も無駄ではない』
そう信じながら、今は暮らしています…
ヤクザが相手を恐喝する事を『因縁を付ける』と表現しますが、
仏教用語の『因縁』に関する正しい解釈が必要な時なのかもしれませんね…
難癖を付けて相手を心理的に動揺させて脅す事なのか、せっかくこうして出会ったのだから、お互い仲良く助け合いながら暮らしていきましょうよという助け合いの心の事なのか、両者を見比べてみたら、中身が全然違ってきます。
陽気暮らしという解釈は、そういう風にも解釈できます。
今の掲示板の状況はヤクザ社会の抗争のような状態、それか国家間の歴史認識をめぐる戦いになってきて、足の引っ張り合いのような不毛な議論になってきています…
過去に信者が増えていくのを競うような事をしているから、脅されて無理矢理信者にさせられてしまった人間や勘違いして関わる事になってしまった人間などが出てくるわけなんですよ…
もう、ここまでくれば何かの因縁としか言いようが無いような状況で、こんなマイナーな掲示板で関わっている事自体が特殊な状況なので、敵味方関係なく、今後仲良く助け合いながら生きるしか道がないような気がします…
天理教が歩んできた道は因縁の付け方がヤクザ状態な場合もあり、ネズミ講のような状態だから、こういう変な事態になってきているわけです。
高級車に乗って、黒の着物を着て、豪邸に住んでるなんて、ヤクザ状態が習慣化してしまっているとしか表現できません…
親切心のかけらも無いチンピラヤクザのような事をするから人が離れて、誰も寄り付かない宗教団体になってしまうわけです…
関われば、何か因縁を付けられる完全なカルト教団が天理教で、今も昔もたいして変わっていないような気がします。
議論していても、被害事例が多数発生して掲示板を賑わせている時点で、既にヤバい宗教団体の仲間入りを果たしているわけです。
信者になれば、周囲の人は遠慮して因縁を付けない奇妙な事態が発生しているわけなので、やはり『正常ではない…』としか表現できません…
どんなに説明されて理論上正しくても、こういう事態になっている事自体がそもそも問題なので、辻褄合わせのコジツケのような事をしていても、出口の見えない消耗戦が延々と続くだけです。
因縁指導は無くなったけど、相変わらず因縁を付けるような布教活動をしている状態なので、何の為に布教活動をしているのか本末転倒のような事例が発生してくるのだと思います。
最近は、布教活動なんてしてたら、新たな因縁(トラブル)が発生するだけだから、宣伝だけの集団になっているようにも思えます。
ややこしそうな人と関わったら、トラブルに巻き込まれるだけだから関わらない、そういう逆パターンになってきています。
そういう精神的な無縁社会に天理教はなっているような気がします。
匿名 様
完全に天理教掲示板依存症になっています。
4月どころか『今すぐにでも脱出したい』存在です…
参謀
>洗脳されていると気付いていない人達は、そのまま洗脳され続けている方がいいような気もするんですけどね…(幸せに暮らしているのなら)
洗脳されている事は決して幸せではありません。思考停止しているので何も考えなくても良いから楽なだけです。
でも、知らぬ間に周りを不幸にしてしまいます。そして、結果的に自分自身が不幸になります。
だから、真実を知って、自分の頭で考え思案し、自分で決めて、自分の意志で、自分の責任で行動する事が大切です。
そのためには多くの情報に触れる事は、とても良い事です。
すると、周りに惑わせられる事無く、正々堂々と自分らしく前を向いて歩いて行けるようになります。
今は、しんどいかも知れませんが、慌てず真実を求めて楽しみましょう。そして疲れたら休んで下さい。
参謀さんへ
四月から社会復帰ですか!おめでとうございます。大丈夫です。参謀さんは気にならずもっと手前の事だけを考えたほうがいいです。私も傍観者の一人としてですが記事とコメントを読ませて頂いてますがこれだけしっかりされ方々が真の教えの為に考えて動き出しているのだと感動を覚えている次第です。私も一信者としてですが教団関係の学校に通っていたので昔の友人から様々な情報を聞きます。その内容はこちらのサイトに書かれている内容とさほど変わりません。友人曰く、「表向きは頭を下げているが皆本心から下げていない現体制の危うさを憂いてるを通り越し虚しさを感じる」と言ってました。 中山家の方々に対する猜疑心は高まる一方だそうです。善亮氏は有力大教会に嫁に出し血縁を固めているそうです。そしてその血縁だけを重宝し運営しているだから組織が善亮氏の悪戯に壊されていると聞かされました。つまり血縁以外の本部員は「白い目で中山血族を見ている」そうです。善亮氏は表向きは社交的に振舞う人らしいですが裏の顔がやはり見上げたものではないそうです。そのようにして中山血族、対、血族外の戦いが始まっているようです。
古い元教会長 様
確かにその通りだと私も賛同します。
幸せなのじゃなくて、楽なだけの状態ですね…
何の変化もない生活を毎日繰り返しているだけなので、私の目から見て暇そうに見えました。
田舎の役場で働くのが向いてそうな感じなので、良くも悪くも規則正しい公務員タイプの人ですね…
『有り難い』と言ってるけど、何が有り難いのか考えずに習慣化して、口癖のようになっている状態に見えました。
唱えているだけの状態です。
天理教以外の事には無関心で、何かに感動するわけでもなく、葬儀の時も悲しそうには見えませんでした。
感情の変化や好奇心が乏しい状態で、この人を見れば天理教が分かるというぐらい、天理教そのものでした。
周りを不幸にして、結局、自分も不幸になるという点も当たっています。
自分一人で生きていくわけではないので、信者がゼロでも子供達が不幸になります。
親の立場の人にとっては親孝行で素直で真面目な子供なので、自慢の子供かもしれませんが、信者や子供の立場になれば『傍迷惑な事をする存在』になります。
どこの宗教団体でも、一部の人がとんでもない事をして騒ぎになっているそうです。
新興宗教だけでなく、僧侶も神主も、どの宗教団体でも共通する事です。
うちの宗教は正しいとか正しくないとか、そういう問題ではなく、価値観がワンパターン化しているので、変化に対応できない状態です。
そういう状態の人がすぐ上の上司(理の親)だったので、息苦しかった….
所属教会を変えたくても変えれないのが天理教なので、機能不全に陥った状態でした。
参謀さんへ! 様
善亮さんがどういう人なのかは、会った事がないので分かりませんが、そんなに悪い人ではないような気がします。
何となく、そんな気がします。
天理教全体が機能不全で成り立たなくなっている状態なのだと思います。
それは一部の人が変えられるものではなく、特定の人にお金が集まっているようにも思えません。
参謀様。
>善亮さんがどういう人なのかは、会った事がないので分かりませんが、そんなに悪い人ではないような気がします。
善亮さんが問題なのは、三代真柱の息子である事を笠に着て、好き勝手な事をしている事です。
人の痛みも悩みも分からない人がトップに君臨して居る事が問題なのです。
善亮さんが、単なる普通の隣のオヤジだったり、親戚のオヤジだったら問題ないのです。
ちょっと、女好きで欲張りで、わがままな、人の良い変なオヤジで済むのですが、
前真柱の息子というだけで、余りにも周りが特別に扱うので、自分が偉いと勘違いしている所が問題なのです。
>前真柱の息子というだけで、余りにも周りが特別に扱うので、自分が偉いと勘違いしている所が問題なのです。
前真柱の息子として周囲が特別扱いをしたために勘違いするお馬鹿さんになったのですよ。
血族だけでやっていこうというなら、その血脈に連ならない限り、出世もおぼつきません。これじゃ北朝鮮ですね。金日成の一族だけがおいしい生活ができ、そうでない人は死ぬまで冷や飯食いどころか、最低限の食料にすらありつけないわけですから。
天理教は日本の中にいて北朝鮮の空気を体験できるテーマパークですかw?
参謀さんへ!(2月6日)様
>善亮氏は有力大教会に嫁に出し血縁を固めているそうです。
どちらの大教会へ嫁がれたのか、ご存知でしたら教えて頂けますか?
今後の教内の動きを理解する為に婚姻を通じた関係を知っておく事が、その、助けとなるからです。
天理教は教会間の婚姻により形作られたネットワークがありますね。
良い面も有るかもしれませんが、「どこも親戚だらけ」という状況は息苦しさの元にもなります。
においがけしたいと思えば、教外の人との結婚が一番望ましいはず。
表さんの場合、戦国大名もどきの策略とまでは申しませんが、「降嫁」という言葉が頭に浮かびますね。
今の時代、経済的心配無しに結婚に踏み切れる人は少数派の中で、教祖の血筋が続くことは結構な事でしょうが問題も含んでいると私は考えます。
(脱線事項ですが秋篠宮家でさえも相手方の経済的問題で婚約が危うい状況のようです。)
結婚披露にまつわる金銭的疑問(税金面でも問題になるのでは?)、多くの不動産物件保持に関する疑惑、これらに関する掲示板でのコメントが、なぜ、厳しい言葉になるのか。
使われている金がすべて信者からのお供え金だから、その使い方には当然ながら関心を持つ、これはまっとうな関心でしょう。
不動産物件から得ているであろう収入は、教団に入るだけなのか、或いは代表として名前を連ねる人たちが、そこから報酬を得ているのか!!!
末端の布教者家族の苦しい台所事情の一方では、天理教内の子弟が恵まれている現実も昔から「現に」見聞きしている信者の一人としては、構造的な問題がようやく解ってきた今、やるべきことは何か。
「においがけ」の前にその状況を問いただす義務が、責任が、社会の一員として有ると思うのです。
無責任に我が教会・家の助かりだけを願う信仰では、私は納得できません。
オウム真理教の信者の中にも清い心で信仰していた人もいました。
その人とは癌研で知り合いましたが、腰を痛めた私のために祈ってくれ、私は背中に暖かな空気を感じさえしたものです。
上層部の状況を知る由もなく信仰に「のめりこんで」、家族と別離、その後ガンで亡くなった!!!
昭和の終わりのことでしたが、今もって忘れられないのです。
祈っているだけでは社会的に無責任になってしまうのです。
心優しい天理教信者の方々に申し上げたいことは、現実を暴くことは「悪」ではないという事です。
「正す」必要が有ることは修正しましょうという当たり前の事を願って書き込んでいるだけです。
因みに、「ブーメラン」だとかの「かやし」があるなんていう脅し文句はスルーします。
「わが身思案」から躊躇していては、どうにもならない教団の現況。
「できない」とぐずぐずしているうちに、着々と真柱後継者体制が生物的父親により作られている状況は誰の目にも明らかなはずです。起きている事柄を見抜く洞察力が無いことは結果、「悪」に加担してしまうのではないかとさえ感じます。
信者ではなかった父が生前に漏らした言葉。
「部内教会の子供さんたちの高校進学までは天理教が費用をだしてやるのが筋だろう。」
現実は少数の者だけに授ける高額な音楽教育費用!「えこひいき」という死語に近い言葉が浮かびます。
高校生まではしっかりと親元で教育が受けられるように本部は制度整備をするべきだと常識人の父が言っていました。望んで天理の学校に進む方も昼間通学をかなえてあげましょうよ!ということです。
末端教会の貧しさに関しては語られることが多いものの、下支えする信者の貧しさは忘れられています。
以下は単なる愚痴ですから、忙しい方はスルーして下さい。
「ぽっくり信仰」があれば、そして効能があるのならば、宗旨替えしたい・・・、本音です。
年金があるお陰で何とか信仰は続けていますが、生活は切り詰め、安上がりな炭水化物でカロリー確保。
お陰でブクブク太ってしまうはめに。
貧しい信者は親も貧しかったから、結婚費用は当たり前に自分で働いて得た金で賄いました。
新婚旅行なんて無理無理!
成人式なんて出席すらしませんでした。式に来て行ける服なんて持っていませんでしたから。
欠席者には市からの記念品すら贈られてきませんでした、はい。
高卒で働いていた職場の先輩にこれを愚痴っても、「欠席したんだから当然だ」と馬鹿にされましたよ。
息子たちも出席しませんでしたから我が家には成人の記念写真すら在りません。
貧しい息子たちは教会参拝や天理に帰る費用を浪費と見なしています。
親の生活を見れば無理もない感情からだと言えます。
気が重くなる話になってしまい申し訳ありません。
気を取り直してガ・ン・バ!!!
古い元教会長 様
中田善亮さんがどういう人物なのか、ある程度は分かってきました。
教えて頂き、有り難うございます。
要するに(失礼な言い方になりますが…..)『バカ殿』なんですね。
トップは神輿に担がれて、ただ単に乗っかっていればいいだけの存在で、
側近達が教団運営について考えている状態なのでしょうね。
参謀様。
>トップは神輿に担がれて、ただ単に乗っかっていればいいだけの存在で、
側近達が教団運営について考えている状態なのでしょうね。
表さんは、本当に『バカ殿』で側近達に教団運営について任せられれば、まだいいのですが、おそらく、色々と口を挟み何事も自分が一番でないと気が済まない人だと思います。
自分は徳人だと勘違いして「いつも自分を中心に物事を考えている」ようなズル賢い所があるかも知れません。
昔は本部と言えば神にも近い雲の上の人天上人だったのですが今では本部の話が皆が見れるいい時代ですな
中山家の方々はおろか本部の先生の噂も無かった。でも不思議なのが善亮氏の噂は私も耳にしたことがある。わやしがちな方だそうで、いい噂話だったのを今でも忘れません。
古道様。
その「わや」な噂話を教えて下さい。
古い元教会長 様
二代真柱さんに似ているのかもしれませんね。
世襲制度で、頑張らなくても要職に就けて、
皆、チヤホヤしてくれるから勘違いをしてしまうのでしょうね。
周囲の人も肩書きを見て、人を判断する習慣が身に付いているのだと思います。
うちの会長がそういう人でした。
大教会長さんや上級の会長さん、他の教会の会長さんから指摘されたら、素直に聞いて反省するけど、信者が言ってる事なんて聞き流して、聞いてはいませんでした。
だから、上の人達は気付かないわけです…
「あの人がまさか…」と上の人達が気付いた時には『時既に遅し…』という状態です。
次第に私は「この人(会長)に何を言っても無駄だな….」と思うようになっていきましたが、周囲の人達は何かあったら『所属の教会の会長さん』にだけ連絡するので、不都合な情報は下には伝わってはきません。
「周りの人間は皆、会長の味方か…教会関係者は皆、グルだな…」
と思うようになって、何も言わなくなり、こういう掲示板が出来て、賑わってしまうわけです。
会長は毎回、そうです。
手柄話は、大袈裟なくらい言って広めるけど、不都合な事は黙って言いません。
手柄話より、不都合な事態になっている事を直ぐにでも言って欲しかったです…
不都合な事態を放置しておくと、更に不都合な事態になっていきます。
ヤバい状況だと知らされずに判断すれば、間違った対応をしてしまいます。
普通の企業では常識的な事ですが、うちの会長は、そういう『肝心な事』を怠っていたので、実態とはかけ離れた事をしているだけなので、最終的には帳尻合わせが出来なくなって、ガタガタと崩れてしまう。
今の天理教も同じような状況になっています。
不都合な事例を隠そうとする。認めないし、謝らない。謝ったら責任を認めた事になると思っているはずです。
責任追究されると思っているはずです。
知らない、言ってないの繰り返しで、全然、進展がありません。
大喧嘩になって滅茶苦茶になるか、あきらめて黙って去っていくか、
そういう結末になっているのだと思います
宗教離れが進む現在の日本社会で、三十代の私が何故か知らないけれど天理教と関わり、現在は天理教組織とは完全に離れた状態だけど、インターネット上で繋がったままの状態です。
他にも宗教団体は沢山あるのに、何で天理教と関わったのだろうか?と何だか不思議に思います。
天理教の教会家庭に生まれてきたわけでもないのに….
しかも、身内で成り立っている状態の教団で、皆が嫌になって離れていってるような状態なのに、そんな状態の所に関わっていたなんて、珍しい事例だと思います。
既に、天理教教会本部は、私が何処の誰かは把握していると思います。
何かの縁で関わってしまった教団なので、今更、信者に戻るつもりはないけど、元気になったら、一度、天理に行ってみようかなぁと思います。
未だにモヤモヤとして、心の中ではまだ決着がついていない状態なので…
表さんはどんな人?
ある大教会での講話で招かれた大教会長がぽろっと話しました。
言葉の表現は遠慮がちでしたが、意味はズバリ
「表さんには振り回されることが多い」
若手の大教会長は脇が甘いようで、自分が何を言ってしまったか、気が付かなかったようでした。
匿名信者 様
おそらく、天理教の最前線の現場がどういう状況になってきているのか、周囲の人が誰も何も言わないので、中田善亮さんは状況を把握していないのしょうね。
だから、おかしな対応をするのだと思います。
東條首相はミッドウェー海戦が大惨敗だった事を知らなかったという話を聞いた事があります。
陸軍出身の東條首相に海軍側が言わなかったそうです。
その結果、東條首相は「海軍の精鋭部隊は未だ健在」と勘違いしたままの状態で、情勢判断を誤ってしまい、インパール作戦などの惨劇に繋がってしまったそうです。
「こんな酷い状況になってきているとは言いたくても言えない…」と思っている側近の方々。
「こんなヤバい事になっていると信者に知られると厄介な事になる…」と思い、肝心な事を何も言わない教会長。
軍隊で例えるなら『前線で戦っている兵隊達の士気に関わってくる』という発想で、負け戦になっていてでも勇ましい事を言って、兵隊達を叱咤激励する前線の指揮官。
そういう状況だから、奇妙なトラブルが多発するのだと思います。
状況が分からないから判断を誤ってしまう。
そういう悪循環に陥った状態なのだと思います。
私は今までに鶏、ハムスターなどの動物達と苦楽を共にしてきて、ツバメは我が家を間借りしている状態でした。
現在は、うさぎやメダカ達と『同棲中』です。
さて、我が家で暮らしていた(暮らしている)大勢の動物達ですが、彼ら(彼女ら)の暮らしを見ていると様々な発見があります。
動物達には、動物達の世界観や縄張りがあり、こちら(人間)の価値観とは異なる価値観で暮らしています。
彼ら(彼女ら)は、言葉も通じない異民族のような存在ですが、ずっと共に暮らしていると何となく『以心伝心』のような間柄になります。
その事について、今後、書いていきたいと思っています
天理教教会本部のすぐ近くに石上神宮という神宮があります。
この神宮では、大勢の鶏達が暮らしています。
緑豊かな自然の中で、鶏達はのびのびと暮らしていました。
神々と自然と動物と人間が共存している空間が石上神宮です。
余談になりますが、かつて奈良県天理市には大きな仏教寺院が存在していたそうです。
しかし、明治の廃仏毀釈で廃寺になってしまったそうです。
神仏分離令によって、神社と仏教は別々の存在になってしまいました。
それ以前は、神社と仏教が入り交じった状態で、仲良く共存していたそうですが、明治の世になって、神社は神社の道を歩み、仏教は仏教の道を歩み始めました。
自分の縄張りを作って、独自の道を歩み始めたのです。
宗教とは、そういう堅苦しいものでいいのだろうか?と思います。
『こういう風にしなければならない』と決まり事を作って、制度化してしまっていいのだろうか?と思います。
鶏達には、人間の常識は一切通用しないので、立ち入り禁止の神聖な空間にでも平気でズカズカと入っていき、糞をする場合さえあります。
鶏とはそういうものだと思っているのでしょう。
日本の原風景を見たような気がする懐かしい感じの神社でした。
寛大なのか、いい加減なのか、それが良い加減なのだとも思います。
昔の日本の民家では、鶏を飼って放し飼いにしていたそうです。
我が家にも、かつて鶏が二羽暮らしていましたが、夜明けと共に餌を求めて騒ぎ出す近所迷惑なトリ達でした。
しかも交互に鳴いているので、ず~っと鳴いているような状態なのです….
冬場は遅いからまだマシなのですが、夏場は『超早起き』なのが鶏なので、餌を与えない限り早朝でも鳴き止みません。
仕方がないので、毎朝、夜明けと共に私まで早起きをして餌を与えに行っていました。
昔の日本人は、おおらかだったのだろうなぁと思います。
こういう生き物と一緒に暮らしていたわけなので…
今なら苦情が来るような生き物です。
しかし、養鶏場に連れていかれそうな幾多の修羅場を乗り越えながら、鶏達と一緒に暮らしていました。
鶏と言えば、家畜で、どの鶏も皆一緒と思いがちですが、鶏にも個性があり、鳴き声も違います。
勇ましい鶏もいれば、臆病な鶏もいます。
阪神大震災が発生する前日か数日くらい前に養鶏場の鶏達が騒がしくしていたそうです。
毎日、騒々しく騒いでいるのが鶏なのですが、異様に騒いでいたそうなので、人間は気付かなくても、動物は敏感に察知していたのでしょう。
『ヤバい….もうすぐ地震になる』と騒いでいたのに人間は気付かずという状態で、
後になってから『そういえば、あの時…』という事になったのだと思います。
動物も自然も大切にして共存共栄するのが好ましい本来の人間の生き方なのだと私は思います。
日本陸軍始まって以来の奇才と言われた石原莞爾ですが、石原莞爾は『兵達と苦楽を共にする』と言って、最前線に出て戦う羽目になる兵隊を神のように敬い大切にしていたそうです。(甘やかすというわけではありません)
兵隊達の気持ちが分かる指揮官だったという事です。
兵隊達も石原莞爾を慕って、指揮官と兵隊達の心がひとつとなり、士気が高まっていたので、第一線でも強い結束を保っていたのです。
それは軍隊の士気だけでなく、宗教団体や企業にも言える事です。
派遣切りを平気でするような企業では、従業員側の労働意欲も落ちます。
使い捨てで、不景気になったら、あっさり解雇される。そんな企業に人は集まりません。
働く場所も無いから仕方なく来ているだけで、他に良い条件の企業があれば、直ぐに辞めて去っていきます。
しかし、かつて不景気でリストラが大流行していた時でも、従業員を解雇しなかった企業もあります。
父親が会社をクビにされたら、妻子も路頭に迷う事になるので、経営者がそれを避け、給料は減る事になるけど、解雇にはしなかったのです。
そういう風になれば、従業員達も会社の売り上げを上げるために必死になって働くので、生き残っていく事が出来るのだと思います。(勿論、そういう風にはならず、倒産してしまった企業も沢山あると思います)
今までの天理教団
上に対しては ー 上級教会 大教会 天理本部
下に対しては ー においがけ おたすけ 困っている人を探してでも布教信者、信徒のために東奔西走・・・別席 おさづけ 修養科 おつくしなど
こうやって見ていると自分自身のことは何もない・・
自分を虚しくする。良いように言えば無我の境地か?
しかし、今までの教団の構造的問題はここに有るように思う。
周りのことに一生懸命で自分が無い。自分は置き去り。自分をいたわる、大事にする。なんてことは無い。発想も無い・・・
口をついて出るのは親神さま、おやさま、大教会長様、あ〜有り難い、もったいない、けっこう、けっこう・・・
これが本来の人の歩むべき姿なのか?教祖が説いた教えなのか?
教団の都合の良いロボットを生産してきただけのような気がするが・・・
自分は言うのもはばかるほどのド中年なんだけど未だに親に言いたいことがある・・・それは・・・
においがけ、おたすけ、信者、信徒のことに一生懸命になるのはいいけど
子供が親の愛情を欲している大事で多感な時期になんでそうなるの?と・・・
人格が形成されてしまう大事な時期ですよ・・・
せめて、10歳ぐらいまでは子供と一緒にいて遊んで、話しもし、楽しくできなかったのか?
で、その年齢を過ぎたらさっさと子離れして天理に専念すればいいじゃないか・・と
なんで大事な時期にそばにいてやれないんだと・・・
その時間は二度と戻って来ないんだよと・・・
おかげであまり人のせいにはしたくないですが精神的に私は親離れできていないんじゃないかと・・・俗に言われているアダルトチルドレンじゃ無いかと・・・
満たされない欲求を求めている?・・
不安定な状態です。何か不安な感覚がある気がします。
十分親の愛情を受けて育った子供は安心感があってドシッと構えてますね。
安定感もあります。人生にも良い影響が・・・
この差は大きいと思います。
人生に渡って影響が絶対出る。
不安で安定していない人をあえて量産して神に帰依させ教団につなぎ止めるためのまさか作戦ではないだろうな・・・
しかし、結果的に功を奏しているんでは・・・
なにがしかの問題を必ず抱えることになるからね子供は・・・
アダルトチルドレンとは・・・
「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持つ」と言う考え方、現象、または人のことを指す。頭文字を取り単にACとも呼ばれる。
↑
『機能不全・・と言えば今の教団は機能不全体だと思っている。
教団を一つの家族、家庭と見立てた場合膨大なアダルトチルドレンを産出しているのでは・・・
奇しくも『機能不全』と言うキーワードが合致したので
天理教の救済は、助ける側の人と助けてもらう側の人に分かれていますが、自分の力で問題を解決していかないと、誰かに依存していないと生きられない人間になってしまいます。
協力して助け合いながら生きる宗教団体に変わらないと、人が成長しなくなります。
失敗してもいいから、先ずは一度自分でやってみて、出来なければ周りの人が協力して、乗り越えていけば、一歩前進ですが、誰かに助けてもらうという発想では、いつまで経っても、自分の能力は変わりません。
天理教は団結力がありそうに見えて無い状態なので、皆で助け合いながら生きればいいのに….と思う事が沢山ありました。
それと気になった事は、天理教に関する話題ばかりで、外を向いていない人が多い気がしました。
外に向かって活動する時は布教活動か慈善事業の時ですが、おそらく、社会情勢や社会問題になっている事には無関心な状態の人が多いと思うので、慈善事業は、清掃活動か災害現場のボランティアぐらいしか出来ていないような気がしました。
一般社会の人達が、一体何を求めているのかも分からず、活動を続けていても自己満足で終わってしまう気がします。
社会問題になってきている事を話題にして、天理教団は今何が出来るだろうかと話し合う事の方が大切で、社会貢献になると私は思っています。
俺ってアダルトチルドレンかな?? 様
親の愛情に恵まれずに育ってきたんですね….
親離れ出来ず、満たされない欲求を内に秘めて、不安定になり、親の愛情に餓えたままの状態なんですね….
それでは、年上の女性が好みなのではないですか?
その満たされない欲求を年上の女性に求めてしまうのではないですか?
人間って、満たされなかったものが弱点になってしまい、執着してしまうのだと思います。
貧乏な生活を天理教に強いられてきた被害者の方々は、天理教の幹部の人達を敵視していますが、幼い頃に理不尽に貧しくて惨めな思いをしてきた過去の記憶が影響しているのだと思います。
私の場合、長男なので、母からの愛情には恵まれてきたのですが、同年代の女性との出会いもないまま三十代になってしまいました。
友人にもあまり恵まれませんでした。同年代の友人達のワガママに振り回されてきたので、あまり友人を増やしたいとも今は思えません。
孤独な人間なのかもしれません。
将来に不安を感じながら過ごしていました。寂しかったという記憶があります。
同年代との友情にも愛情にも恵まれない独りの青春だったので、私は年下の女性に憧れてしまいます。
青春に餓えているという状態なのでしょうか…
若者が経験する普通の恋愛をしてみたい執着心が強いです。
同年代の女性だと結婚や現実的な問題を考えないといけないので、もうあきらめています。
子供の頃は、無邪気な子供だったのに、いつの間にか、現実的な思考しかしない人間になってしまいました。
最近は、あまり笑いもしません。静かになりました。
もう一年ぐらい、家族以外の人と接する機会もありませんが、寂しくも暇だとも思いません。
こういう状態をひきこもりと呼ぶのでしょうね。
天理教教会本部は、宗教的観点から見るより、民俗学的観点から見た方が、興味深い土地のような気がします。
あの地域の風習が気になります。
現在は、天理教一色で、あの地域の事は、天理教の建物を見ていても、何も見えてきませんから…
まあみなさん 気張らずにぼちぼち行きましょう!
なるようにしかなりません。
参謀
2018年2月9日 4:04 PM
天理教一色ではないですね。本道り付近の人は商売の為だけに関わってるだけで、それ以外の人は天理教嫌いの人ばかりです。そのような方の天理教団に対する意見は一般常識ですのでこちらの意見に類似している事が多いです。そして南北に被差別部落地帯がありその部落の方々も天理教嫌いです。本部に近くなればなるほど横柄な人が多いのでその横柄な人と接する機会が近隣で多いので問題が発生します。その最たるものが「三島神社問題」です。奈良京都近畿地方は各宗教発祥地で宗教意識も高いので原天理教団のような似非主教には厳しい視点を持って当然です。
どこもかしこも逆風しか吹いてないのが現教団の実情です。
参謀様
>親の愛情に恵まれずに育ってきたんですね….
愛情に恵まれたのか恵まれていないのかは測ることはできないし基準も無いもっと壮絶な生い立ちを経験している人はゴマンといるでしょう。
ですがこの宗教団体で生まれ育つという事は特殊で独特な環境なのです。
なので投稿したような事例というか傾向のようなものが見られるのでは無いかという思いで書き込みました。
なので上記のような同情のような返しは気分の良いものではありませんし、私は個人的なことを書いているのではなく、少なからず有るであろう事の問題提起をしているのです。
そして、問題が継続して有る場合に自分と同じような寂しい思いをする子供たちが少しでも減ってくれればとの思いで投稿しています。
(構造的な問題を抱えていると思われるので問題提起しているつもりです)
>親離れ出来ず、満たされない欲求を内に秘めて、不安定になり、親の愛情に餓えたままの状態なんですね….
前述した通りで私個人に対しての同情的なものは不要ですし意味もありません・・・
建設的、生産的なものが全く見られません。
傷を舐め合うつもりもないし何も生まれないので・・・
>それでは、年上の女性が好みなのではないですか?
その満たされない欲求を年上の女性に求めてしまうのではないですか?
そんな、趣味趣向的な考察などどうでも良いです。
同情などクソの役にもたちません・・・
今、目の前にある問題をあぶり出しどうすれば良い方向に向かっていけるのかを考えた方が良いと思います。
この場は自由な場ではありますが、不特定な多くの教団関係者や一般信徒の方など様々な方が閲覧されていると思うのであまり個人的で独りよがり的な投稿はやめた方が良いと思います。
情報を共有するというか、良い方向に向かっていけたら良いと皆さん考えていると思います。ので個人個人問題を抱えているのは多かれ少なかれ皆あるのは当然の事なのでその中でどうしていけば良いかこの場で(天理教団ができない)ディスカッション的なことなどできれば良いのでは無いでしょうか。
また好き勝手に書きたいのなら自分自身でブログをやればなんら問題無いでしょう。
それがどこかの教団が掲げている(本当の)慎みだと思います。
表現するのは自由ですがものには程度があるという事です。
みなさんが見ているという意識だけは忘れてはダメだと思いますよ・・・
厳しいことを言いますがあまり個人的な事情(苦しいとか寂しいとか)をつらつらと書かない方が良いと思います。
苦しい人や寂しい(淋しい)人は掃いて捨てるほどいますので・・・
感情を吐露されても困りますわ・・・
その感情から何か気づきがあったとか、これを見ている人たちの救いになるようなことがあれば別ですが、ただ苦しい淋しいと書かれても「それがどうした・・・知ったこっちゃない」としか言いようがないのです。
何度も言います。苦しくて淋しいのはあんただけじゃない!
今このサイトは参謀さん。あなた個人の独占サイトになってると思いますよ。少しは空気を読んだ方が良いと思われます。
客観的な目線で投稿されてはと思います。
全く個人的なことを書いてはいけない。と言っているのでは無く程度の問題もありますし、この場は一応、公(おおやけ)の場ではないかと思うので・・・
長文失礼しました。
何のために存続させてるんやろ….
中山天理狂民主主義人民共和国の為
中山朝の為
教祖の教えに歯向かう為
主旨が間違った集団の行く先は皆さん見えますよね~子供でもわかる。
現在の天理教は、おそらく、加害者側の人物は死滅して『ゼロ』の状態です。
ゼロだと信じたいです。
本部中枢の人々も『こんな役割』なんて、本当はしたくはないはずです。
しかし、天理教被害に苦しむ人々は、現在も多数存在している状態です。
こういう状況の人々を一人でも減らすための宗教団体に変わっていって欲しいと願っています。
そして、加害者側の人物を祖霊殿から追い出して、天理教被害者の慰霊施設に変えて欲しいとも思います。
加害者としての責任を何ら果たさずに死んでいった迷惑な人達なので、当然だと思います。
子孫の人達だって大変迷惑だと思っているはずです。
不幸にも、こういう状況の宗教団体と途中参加で関わってきて、ウンザリしていますが、これも何かの縁だと思って、元信者として、時々、天理教被害に遭って死んでいった人々の慰霊のために本部に参拝したいと思います。
天理教団が真の平和宗教だと名乗るのなら、戦争で死んでいった人々や犯罪に巻き込まれた被害者の方々の冥福も祈るべきではないでしょうか?
私は、そのように思います。
>本道り付近の人は商売の為だけに関わってるだけで、それ以外の人は天理教嫌いの人ばかりです。
学生時代に石上神宮を見たくて天理市に入ったことがあります。帰りに本部を見学してきました。石上のような古い神社のある場所に、天理教というカルト新興宗教の本山があるのは、本当にシュールな光景だなあと苦笑してしまいましたw。石上にだけは天理教も手が出せないようですね。あそこの神域は侵されていませんから。
>何のために存続させてるんやろ….中山天理狂民主主義人民共和国の為中山朝の為
中山教帝国は金の生る木ですから。中山という姓を名乗る王家と、彼らの周囲にいる門閥貴族たちの豪華な生活のために存続させなくてはならないのです。王家の人間も門閥貴族たちもああいうカルト新興宗教の中にいる限りはお金に困らない生活ができます。彼らは他につぶしがきかないので外に出たら三日もちません。あっという間に飢え死にします。
>加害者側の人物を祖霊殿から追い出して、天理教被害者の慰霊施設に変えて欲しいとも思います。
オウム(現アレフ)だってサリン事件の被害者の慰霊をやっていません。カルト新興宗教に「被害者のために追悼を」といっても無駄だと思いますよ。
俺って、アダルトチルドレンかな??様へ
20代の時、自教会の売却による天理教人の強迫によって精神にかなりダメージをうけ、自分の苦しみはどこからくるのだろうかと模索しながらカウンセリングを受けたり、森田療法の集まりに参加したり、断酒会のアダルトチルドレンの会に参加しましたが、どれも微妙に違和感がありなんでだろうと考えるうちに天理教の教会で育った狂った教えと父の統合失調症による病的に暴れた中での不安定な中で育ったことが未だに影響をうけていることに気づき、私が知らないだけかも知れませんがインチキ宗教がもたらす害毒は世間の人にはなかなか理解してもらえない孤独なもんです。
いつも漠然とした不安の中で暮らしてます。
できることなら、天理教被害者の会の集まりが年に1回でもあればいいのにと思っております。
何のために存続?
何のため?そんなことどうでも良いと思うが・・
存続させるために存続しておるのだろう・・・
現行教団はそんな事を考察する値打ちも無い組織体だと思うが・・・
人生の主人公は自分自身だという事を肝に命じたらどうか?・・・
人生を宗教団体に乗っ取られていないか?・・・
そんなにこの教団組織が気になるかね・・・
もっと自分自身のことを考えた方が言いと思うぞ・・・
とにかくこのクソ教団に意識が行きぎるんじゃないか・・・
やっぱり主人公は自分だという事を肝に命じるのが得策だぞ・・・
全く考えるな!と言ってんじゃ無いが・・・
頭の中がこのクソ教団組織のことでイッパイのようですな・・・
脳みそが腐らないか・・・
こんなしょうもない組織に悩まされるなんて馬鹿臭いぜ・・・
そんな価値もね〜し・・・
時間の浪費だ・・・
存続のための存続なら、お供えが一円も入ってこなくなる状況にそなえて、大教会も本部も事業をして運営資金を得ればいいと思います。そちらのほうが献金トラブルが起こらないので末端は陽気暮らしができます。
匿名様
>存続のための存続なら、お供えが一円も入ってこなくなる状況にそなえて、大教会も本部も事業をして運営資金を得ればいいと思います。そちらのほうが献金トラブルが起こらないので末端は陽気暮らしができます。
もうやっていますよ。
株式会社 東京天理教館 千代田区神田錦町1丁目9番地
大都市に五棟の賃貸ビルを所有。他に温泉や駐車場も多数経営。
1960年6月設立 資本金 410,500,000円
代表取締役 小谷幹雄 社員数 55名(2017年4月時点)
商号 / 名称 財団法人天理教維持財団
法人番号 3150005003245
郵便番号 〒6320015
所在地 奈良県天理市三島町271番地
最終変更日 2017-07-14
法人番号指定日 2015-10-05
奈良ゴルフ場株式会社
中田善亮 年齢: 54歳 (2016年12月31日現在)
1962年3月5日 誕生
2015年3月 宗教法人 天理教表統領 (現)
2017年3月 当社取締役 就任
他にもいっぱい財団法人を作っていますよ。
匿名 様
現在の天理教団の問題点は、献金トラブルではないと私は思っています。
現在の天理教団の場合、金はそれなりに持っていると思うのですが、『人離れ』の方が深刻な問題になってきていると思います。
金を支払ってでも、人集めをしなければならない状況です。
かつての天理教被害者が未だに精神面と金銭面のダメージを受けたまま、それがトラウマ(心の傷)として残っている状態なのだと思います。
おそらく、御供え掲示板や社会学に投稿している人の大半は、高齢者です。
『例え少額であったとしても』天理教団なんかに貴重な財産を奪われたくない。
それが実態なのではないでしょうか。
現在の天理教団の問題点は、宗教の話ばっかりという状態で、宗教のための宗教団体になっており(その点は今も昔も変わらずの状態です)、人の幸せを置き去りにしている点です。
私の所属教会の会長は、宗教の話題ばかりして無理矢理、解決させようとする人だったので、宗教の押し売り商法のような状態でした。
常識的な話をしてくるのならまだしも、非常識な解決法で、解決させようとしてくるので、周囲を巻き込んで荒れる状態を実現させてしまったのです。
非現実的な救済法を相手に強要してくる背景には、年長者の『お助け話』を本気で信じきっていた素直さ、思考停止状態があります。
宗教一色に染まってしまった教会長は、宗教団体の運営のためだけの状態だったので、相手の事ではなく、天理教団のためという思考になっていました。
『信者なんかどうでもいい』
それが『無意識』のうちに現れている状態の人でした。
思考停止状態。この状態が周囲を不幸にしていき、最終的には自分も不幸にしてしまいます。
オウム真理教の信者と同じ状態なので、要注意人物です….
『信じる者は、救われる』という言葉がありますが、信じきっている人は、救われているのではなく、自己満足の境地に達して、思考が完全に麻痺している状態なのだと知りました。
そういう状態の人は、新たな価値観を必要とはしていないので、何の進歩もありません。
右翼、日本共産党、労働組合、人権団体、他の宗教団体などの組織で、偏った価値観で凝り固まった状態の人は、排他的で過激です。
幸いにも、天理教団には排他的な人はいても、過激な人は非常に少ないと思います。
参謀 様
>現在の天理教団の問題点は、献金トラブルではないと私は思っています。
いえ潜在的なもの含め献金トラブル(不動産等含)は多いと思いますよ。
>現在の天理教団の場合、金はそれなりに持っていると思うのですが、『人離れ』の方が深刻な問題になってきていると思います。
金を支払ってでも、人集めをしなければならない状況です。
根拠が明確ではない厳しい上下関係、根拠が明確ではない会費やお供え依頼、教団関係者以外からは単なる理不尽としか映らないようなシステムでは、人集めどころか、人離れが拡大してゆくのは当たり前です。その理不尽さをいつまでも改善しようとしない組織にわざわざ人集めをしなくてはならないのは、どういう理由からですか?
>おそらく、御供え掲示板や社会学に投稿している人の大半は、高齢者です。
今迄読ませて頂いて来て、年齢層は若い方から高齢者まで様々と思われますが。
>『例え少額であったとしても』天理教団なんかに貴重な財産を奪われたくない。
それが実態なのではないでしょうか。
実態というより、教団に矛盾を感じている場合はごく当たり前の感覚だと思います。
>現在の天理教団の問題点は、宗教の話ばっかりという状態で、宗教のための宗教団体になっており(その点は今も昔も変わらずの状態です)、人の幸せを置き去りにしている点です。
正しい信仰(宗教)の話しばっかりなら問題はないのではないでしょうか。
問題は、その宗教の話し(理の親、お供えは命のつなぎ等)が本当に正しく人を導き人を幸せにする宗教の話しなのかどうかです。宗教の話しをして人の幸せを置き去りにすることはありえなく、そもそも正しい宗教の話しは人を幸せに導くものです。
>思考停止状態。この状態が周囲を不幸にしていき、最終的には自分も不幸にしてしまいます。
この部分は共感いたしました。
自分の感覚、思考は、停止するのではなく、むしろ磨くことで自分で自分を幸せへと導いて行けると思います。
>『信じる者は、救われる』という言葉がありますが、信じきっている人は、救われているのではなく、自己満足の境地に達して、思考が完全に麻痺している状態なのだと知りました。
自己満足の境地に達して、思考が完全に麻痺している状態は、「宗教依存」の状態なのではないでしょうか?
宗教依存であれば、思考停止状態に陥っており、麻薬のように一時的な安心感、満足感を得るために、また不幸にならない為に、教団の求めるままに献金しなければならないなどの強迫観念が常にあり、そういった状態を正に「洗脳」と呼ぶのではないでしょうか。
2018年2月10日 5:41 PMの古い元教会長 さんのコメントを読んで思ったのですが、すでに事業をやっているのであれば、何も大亮ちゃんが結婚するからといって、お金を全国の末端から集めなくてもいいでしょうに。
出す方も出す方で、「事業で得たお金でやっていけばいいから、こっちは自分で稼いだ金は、自分の陽気暮らしのために使います」と宣言して、献金しない運動をやっていくといいと思いました。
現在の天理教の状況は、1960年代後半の全共闘運動に似ているのかもしませんね。
ちょうど、二代真柱が死んだ頃(1967年)は、そういう時代でした。
戦後の日本社会も相変わらず、戦前の価値観が残ったままの状態で、教育現場だけ民主的な教育に変わりましたが、企業も一般家庭も『親が子を支配する状況』のままでした。
それで、当時の学生達が立ち上がって、反発したのだと思います。
約50年経って、天理教もようやく、戦前の価値観から抜け出そうとしているのかもしれません。
変化の時を迎えているのだと思います。
匿名 様
天理教の場合、宗教活動で生活している人(道一条の人)と会社勤めをしながら、宗教活動(月次祭など)の参加を強要されながら、教会に献金している人がいます。
それで、色々と揉めているのだと思います。
待遇が同じというわけではないんですよ…..
匿名 様。
>出す方も出す方で、「事業で得たお金でやっていけばいいから、こっちは自分で稼いだ金は、自分の陽気暮らしのために使います」と宣言して、献金しない運動をやっていくといいと思いました。
大教会等・直属教会は本部・中山家に良い顔をしたいのです。と言っても部内・一教会〇〇〇円と集めて持っていくだけですから懐は痛くはありません。横並びですから、自分の所だけお祝いはしない。という選択肢はありません。もし、そんな勝手な事をしたら、〇根大教会のように本部に乗っ取られかねません。
私が天理教団で学んだ事は、親や親の立場の人が、親だからといって威張らずに、大切に(甘やかすという意味ではありません)子育てをしていれば、トラブルは発生しにくいという事です。
最近は、子が親を殺す下剋上のような家庭も発生しているそうですが、重要になってくる事は、幼少時の虐待の有無なのだと思います。
よ~く観察してみると機能不全家庭で育った子供達は後に様々なトラブルを引き起こしています。
農村型の保守的な家庭もそうですが、都会の現在的な家庭も『父親不在の状態』になっているので、マトモな状況とは到底言えません。
こういう状況の家庭や教育現場も『機能不全家族』なのです。
統率出来なくなって何でもありのワガママ状態になっているのです。
戦後の日本社会が、福祉を重んじ、国防を軽んじてきた結果、今度は、そういう事態になってきているのです。
父親として守る側の人間がいない社会になって、『リーダー不在』の状況の中、安倍首相が登場しました。それが良い事なのか、悪い事なのかは、私には分からない事ですが、日本社会が厳しい状況になってきている事だけは間違いありません。
左寄りの人達は『戦争反対!!』とか『安倍暴走内閣』などと元気に唱えていますが、それじゃあ『どのようにして国を守るのか』という状況になってきているのです。
戦火から、この国を『守る』という発想が欠落している状態なのです。
父親(自衛隊や警察)が睨みを効かせて、外敵や犯罪者から家族を守るという発想が、現在の母親達(戦後の日本社会)には薄いような気がします。
要するに家族は『亭主関白』でも『かかあ天下』でも駄目だという事です。
我が家の場合、元々は、どちらかと言うと『亭主関白寄り』な家庭でしたが、母は優しく、父は堅実なサラリーマン家庭で、バランスのとれた状態でした。
しかし、父の会社が『吸収合併』されて、父が『敗軍の将』のような状態になってしまい、急に熱意が無くなって、自信を失った状態になってしまいました。
戦争に敗れて、アメリカの属国のような位置付けになり、大人達が自信を失ってしまった状態に我が家もなっていたのです。
そういう状況になってきて、父親が元気を失ってしまったから、今度は母が頑張り、母が父親のような役割を果たしながら家庭のバランスを取っている状態なのです。
母は勝ち気な人ではありませんが、要するに我が家は『現在社会の縮図』なのです。
母が辛抱強い『大和撫子』なので、最悪の事態にはなっていませんが、私が(次の世代が)こういう状況になっているので、弟も家庭に近寄りたがりません。
だから、私はリストラを平気でするような無責任な外資系企業やブラック企業は大嫌いだし、派遣社員という雇用形態も大嫌いです。
こういうカルト企業が日本を駄目にしているのです。
そして、無責任な日本共産党も存在価値無しのような状態です。
政府の方針を反対する事だけが、彼ら(彼女ら)の仕事なのです。
我が家は、キツい性格の人が誰もいない状態なので、悪い人間が近寄ってきた時に、警察や自衛隊の役割を果たす人がいないのです。
威嚇して蹴散らし、国土防衛や治安維持をして『平和を守る』事が我が家に必要な事なのだと思います。
かつての精神科医は、大正生まれの戦中派の先生でした。
軍学校の出身者で、戦後、医師になった経歴の人なので、温厚そうに見えても、ただ単に温厚というわけではない先生でした。
精神医学だけでなく兵法も分かっているわけなので、患者を指揮官(自分の人生の主人公)にして、自らは参謀(補佐役)の位置で診察している先生でした。
もし、患者が『どうにもならない事態』になった時だけ、医師が指揮官の役割を果たすわけです。
「そういう事だったんだな」と最近になって気付きました。
義父(妻の父)が戦死して、靖国神社に祀られているという事は聞いていましたが、先生の死後、東京に行く機会があったので、その時に靖国神社に参拝し、遊就館を見学した時に目立つ場所に遺影が祀ってありました。
後日、調べてみると海軍兵学校出身のパイロットで、最終階級が海軍中佐だと分かりました。
日本全国で二百数十人しか採用していない頃なので、
各都道府県で数名という時代の事です。
天理教で綺麗事みたいな話ばかり聞いてきて、最終的には無責任に放棄され、インターネットで調べてみたら、こういう状況….
今後、もうちょっと現実的な指導をしていって欲しいと願います。
助ける宗教じゃなくて、協力して助け合う宗教。親切な宗教。共存共栄を目指す宗教団体に変わっていって欲しいと願います。
私は、こういう経験をしてきているので、実を言うと福祉団体も、あまり好きにはなれません。
組織化したら、ロクな事にはならないと思っているので….
何となく天理教に似ていて、綺麗事や理想を掲げている点が同じです。
福祉の世界では宗教の話は一切出てきませんが、何となく、現実的ではないような気がするので、違和感を感じています。
嫌いというわけではないけど、雰囲気が馴染めない….
>私が天理教団で学んだ事は、親や親の立場の人が、親だからといって威張らずに、大切に(甘やかすという意味ではありません)子育てをしていれば、トラブルは発生しにくいという事です。
そもそも「親や親の立場の人」という考え方自体洗脳ではないですか?
>親だからといって威張らずに、大切に(甘やかすという意味ではありません)子育てをしていれば、
という表現も非常に違和感と嫌悪感を感じます。誰が何の為に誰に子育てするんですか?
親子と呼んでいる関係性は、ただその方に宗教を紹介してもらったということだけですよね。それでその教え等で本人にとって何か助かることがあったのであれば、ご紹介頂いたことにお礼を述べて、その後お互いに良いお付き合いをさせて頂くことで充分ではないでしょうか。世間一般の常識ではそうです。
それどころか、世間ではそれ以上に一生の問題でもある良い縁談や就職先を紹介して頂いたり、人生に係わる良い情報を教えてもらったりという話もよくあります。だからといって、相手に一生感謝し続けろなんて押し付けるような人は、常識ある人であればまずいませんし、出来る時に自然に恩返ししたりしながら、お互いに助け合うことで互いに尊敬や信頼関係が生まれ、豊かな人間関係が育まれていく、例えばこういったあり方こそ「良い付き合い、健全な人間関係」と言えるのではないですか?
例えば人が困ってる時に仕事世話したから、人生を変えるような霊能者を紹介したから、紹介者の自分はあなたの「親」なので、あなたを子育てしますなどというのは、あまりに極端な考え方ですし、増してや上から目線で親の言うことを聞くことが大切なのですよ、などと他人に言うのは勘違いも甚だしいのではと思います。
陽気暮らしに繋がる、良い人間関係の前提条件は、お互いに「リスペクト(尊敬)しあっている」ということだと思います。
不必要で理不尽な上下関係を作る必要性は感じられません。
その通りですね。
お互いがお互いを補足しあうべきですよね。誰もかれも完璧ではないんですから。
本当の親子ですら子供に学ぶ事が多々あるといいのに、ネズミ講じゃあるまいし、どちらが上とか下とかそんな考えがいまだに天理教の常識となっているんですから恐ろしい。そう言う面が天理教をカルトたらしめているんでしょうね。上級教会がとか親会長がとかもういい加減目を覚ましませんか?
神様の前には高い低いはありません。
>上級教会がとか親会長がとかもういい加減目を覚ましませんか? 神様の前には高い低いはありません。
これは極めて難しいでしょうね。彼らは下の人間から甘い汁をすすっていくことしか考えていませんので。
神様の前には高山でも谷底でも同じとはいえ、そんなものはあくまで建前であって、お筆先にどんなにいいことが書いてあってもしょせんは絵に描いた餅でしかないのです。
何事も「お金」が絡むと難しくなる。
結局難しくしてるのは「お金」なのです。
間に「お金」を挟むから問題も起こるし、不公平も起こるし、
理不尽も起こるし、もらう側で居たいから立場にしがみつくし、
生活が掛かっているから上の顔色も伺わなくてはいけないし、
お金を出してくれる人集めを頑張らなくてはならなくなるし、
出す方は苦しくてもしがらみの中で断るに断れなくて無理するし、
そういう行動の辻褄を合わせるために、教えには無い嘘や言い訳が必要になる。
もう「お金集め」は止め、不必要な上下関係も清算して、
それぞれが一個人として自立し、必要な最低限の必要経費分の会費で
純粋に教典を皆で研究する勉強会にして、それぞれの境遇を超え、
一列兄弟のひながたを辿り、お互いを尊敬し合う中で共に学びあえたら、
その方が宗教に理解の無い一般の人達や世間からも
よほど共感を得られるのではと思いますし、
誰が考えても親様、親神様は、その方がお喜びになるのではと思いますが。
結局、組織をこうしてしまったのも、背景にある原因は「お金」ですよね。
結局人は「お金」の魔力には弱いものなのですね。
宗教によって、そのことに気付かされるとは、とんだ皮肉ですね。
自分達のまた上の上級の人間には、常に良い顔で対応するが、自分達よりも下の人間には、あらさがし・月に一度の教会の掃除はまったく参加せずすべて人にまかせっきり。
あらさがしも同時にしてくるわ、文句もいってくる。 お供え(お金)もたくさんしないとまったく満足しない。社会的地位が低い人間だと、あらさがしされほうだい。 頭がおかしい。
>結局、組織をこうしてしまったのも、背景にある原因は「お金」ですよね。
>お供え(お金)もたくさんしないとまったく満足しない。
組織をおかしくしないために、カトリックは出家制度を整え、道一条でやっていても金に執着しなくてもいいようにしました。イスラムは出家制度がないかわりに、聖職者はボランティアでやるという道一条でやれないシステムにし、聖職者一家の生活を信者が面倒を見るという地獄への一本道をなくしました。
献金トラブルをなくすためには、今から出家制度を整えるのはさすがに難しいと思いますが、イスラムを見習って職業的聖職者の廃止ならできるのではないかと思うのですが。
>組織をおかしくしないために、カトリックは出家制度を整え、道一条でやっていても金に執着しなくてもいいようにしました。イスラムは出家制度がないかわりに、聖職者はボランティアでやるという道一条でやれないシステムにし、聖職者一家の生活を信者が面倒を見るという地獄への一本道をなくしました。
要は、人間の弱さというものを謙虚に認めた上で、守るべき信仰が間違った方向へ行かないように、犠牲者や不公正が出無いようにと、誠実な先人達が知恵を使ったのでしょうね。
大切なものを守ること、少しでも犠牲者が出ないようにとの思いやり、大切にすべきことが明確であり、弱点もきちんと認めて予測できる、知恵と勇気と思いやりに溢れた判断とはこういうことだと思います。
逆に人間の弱さに蓋をして正当化し、特権を享受する方法は、上層部を作り神格化してしまうことです。
徳があるから、血筋だから、特別な方々だから、など様々な言い訳や理由を盛り込み特別な地位を作ることで、その方々は特権を享受することが許されるのです。
しかし、それも洗脳により支えてくれる下々の者がいなくなれば成り立ちません。
下々の者が、目覚めてしまったら全て終焉に向かうのです。
今一番注目するのは、そうなった時「どうするのか?」ということです。
本部名義にしてしまった各教会には土地建物を返却、お供えの額に応じた返金など、今迄の熱心な信仰者が馬鹿を見ることなく、報われるような、感謝されるような対策をとれるのかということです。
「財政が不足してるからもっと献金して下さい」というのはもう通用しないと思います。その前に末端の財政の方が緊迫しているのですから。
教団を支えてきた末端に対し、もしも教団に信仰に基ずいた良心、真の人助けの精神があるのであれば、上記のような対策等も検討材料になるのではないでしょうか。
いずれにしても、長年の信仰者で、今苦しんでいる末端や信者に対し、今後どの様な対策を取られるのか注目して行きたいと思います。
>あらさがしも同時にしてくるわ、文句もいってくる。 お供え(お金)もたくさんしないとまったく満足しない。社会的地位が低い人間だと、あらさがしされほうだい
真の信仰により本物の強さのある人間は、人のあら探しなどしませんし、興味もありません。あら探し、文句、肩書きで態度を変えるなどは弱い人間の典型です。
弱い人間が未熟なまま上の立場を与えられてやりたい放題やっているということでしょうか。
普通なら当然、迷いも無く近寄りませんが、何か避けられないような事情があるのでしょうか。
このサイトの住人は、上記のような方に正論をぶつけられるとダンマリを決め込みますね。ずっとそうです。
何とかかんとか言いながら結局鬱憤を発散させる場になっていますね。
ここでばつが悪くなれば他で鬱憤ばらし。
気の毒な人達です。
2018年2月20日10:40AMの「可笑しいですね。」さん
あなたの方こそお気の毒。
だって「真の信仰により本物の強さのある人間は、人のあら探しなどしませんし、興味もありません。」と書いてあるではありませんか。
こんなこともわからないなんて、本当に救いようのない人ですね。
上級教会の人間は、自分達のさらに上の立場の人間には、そんなことはまったくない(そんな一面はまったく見せない。)のですが、 社会的地位の低い自分には、あらさがしをし、反面教師として利用してきます。欠点を自分達が逆に指摘されると激怒してなおそうともしません。
その上級教会の人間の親戚の社会的地位の高い信者・他の上級教会の信者からもそういうような扱いを受けています。信者の立場ではありません。 精神的ダメージが酷いです。避けたいけれど避けられない事情があります。一般的な常識が一切通じず辛いです。信者が誰もいなくなりかけています。
自分の親戚にも熱心に信仰している人間がいますが普段は、自分だけをターゲットにし、見下し避けようとすると、脅迫するように「縁を切るぞ」と必死で止めてきます。
御自身から縁を切る事をお勧めします。
日に日に上級教会の状況が悪化していく 様
日に日に上級教会の状況が悪化していくストレスの中、
弱く、しかも避けられないという事情のあるあなたが、足元を見られて「スケープゴート」にされているのではありませんか?
匿名様の言うように勇気を出して縁を切ることを考えるなり、自分の身は自分で守って下さい。
神は自らを助ける者を助けます。
地獄から抜け出せるかどうかは自分の判断ひとつです。
人はなぜスケープゴートを作り出すのか?
https://synodos.jp/society/18244
日に日に上級教会の状況が悪化していく2018年2月20日 11:26 PM
あなたの御意見を見て私も縁を切ることが大切だと思います。他の方でも教会から出たなど勇気を持たれ出て行った方もいらっしゃる。
日に日に上級教会の状況が悪化していく 様 2018年2月20日 11:26 PM
相手が「縁を切るぞ」と言ってくれるのですから、遠慮なく縁を切れば良いのです。
信者の立場なら『教会に通わない』『連絡を貰っても返信しない』でいいでしょうし、
教会自体に関わる立場なら『被包括関係を廃止』すれば良いだけです。
その後は、自分で自分の人生を歩むという「本来の姿」になるだけですから、何も問題は有りません。
一歩だけ前に出る勇気を持ってください。
今日どんぐり広場の前を通ったらどんぐり保育園の子供達がお散歩に来ていました。
そしてお散歩がてら、広場のごみ拾いや空き缶やらを集めて、皆んなで広場を綺麗にしてました。
子供達は寒くてもやっぱり元気いっぱい。
保育園の子供達が戻った後は、どんぐり広場もピカピカに綺麗になっていました。
良く出来ました。
今月のみちのとも。また離脱の公告が2件出ていました。いよいよ活発に離脱の気運が高まっているようです。
「・・・天理教とは関係のない宗教団体となったことにより・・・今までの権利、享受していた利益一切を喪失したのでこの旨公告する。」中田善亮
全国各地の末端教会からの支えで今がある本部が何を上から目線で言うか。全国の支えに恩をあだで返す行為だ。
よく読むと詰所を利用する利益など一切を剥奪すると書かれているが、詰所を建てたのは他ならない当該教会、分教会、信者一同であり、その権利を剥奪するとはどういう道理からか?出資したのだから、利用する権利は十分あると思うが。
今後、離脱の気運が高まることを期待している。
暗闇の中にその幽霊学校は工事を中断したままの形で立っている。社会に良識的顔を見せ、その裏で多額の補助金等を騙しとっていた森友学園の建設現場。
小さな子供が連れ込まれても解り辛いので、近隣の住民はことさら神経質にパトロールや注視をしてるそうです。
京都では条例が変わり、安宿さが乱立。世界各国からの観光客を受け入れるのにやっとの対応です。今時は競争も激しく2500円から3000円位で白い綺麗なシーツのベットを確保出来ます。更に4000円も出せばバストイレセパレートで泊まれる所がワンサカ有ります。当然いい所から早く埋まります。
一方奈良県は全国でも観光の為のホテル不足全国1位です。
空前のこの観光ブームに、詰所を解放する訳でも無く、ただ自分達の為だけに使う施設として運営し、いつ行っても詰所の稼働率は恐らく月1の祭典日と夏の子供おぢばを除いて一桁だろう。
あのガランとした詰所の運営も考えなければ、老朽化が酷くなり、森友学園の様になる日も近いだろう。
コンビニも遠く、食事する場所も早仕舞い。天理本通りはシャッター街予備軍になれば、それもそれ程遠い未来では無い。おまけにベッドを備付してる訳でも無く、その殆どが和室の共同便所・風呂というものだ。外国人なら未だ喜ぶが、日本のホテルでは和室の稼働率はとても少ない。詰所が幽霊詰所となるのにそんなにじかんは掛からない。
今時わざわざ旅館でもなければ和室を希望する観光客もいないだろう。
自分達は余程高級で上質な宿を提供してるつもりでいるのだろうが、観光客は頼まれても泊まりたいとは言わないだろう。
詰所に関しても近い将来において、森友化するのは間違い無い。責任は教団本部に有ります。
壊すのにも老朽化を修繕するのにも、巨額な費用負担が有ります。
その時は信者にツケを回さず、自分達で負担するのが筋です。
宿が不足しているのは都内も同じでしょう。とくに安価な宿は。天理教は都内の割と便利な場所に教会を持っているのですから、そこを改装して安価な宿でもやればそれなりに収入があるので、献金トラブルも減るのでは?
匿名様 スケープゴート様 加藤ハルアキ様 ありがとうございます。今現在の状況を一日でも早く改善出来るようにしていきたいと思います。
いえ〜い!
本部員見てる?
まぁ教会本部は土地は持っているだろうから、本当に切羽詰まった場合は土地を売ってお金を工面するでしょう。
そうなった方が天理市民、特に本部周辺の町の人々にとっては理想的な街づくりが出来るだろうからいいと思うのだが。
近い将来、天理市内から天理教の建物が徐々に無くなっていくと推測します。
今現在の信者数に対して詰所の数は多すぎるし維持していくのも、もう限界でしょう。
憩いの家も親里館から新しい建物に移ったはいいけど、空になった館には次はなにを入れるの?って話しだし。
天理は近い将来、ゴーストタウンと化する事でしょう。
廃墟マニア垂涎の場所になるのではと・・・
不気味な街として有名になるかもです。
それで観光客が呼べるかもです・・・
かなり悲惨な未来が待っているように感じます。
教団の問題に限らずこの人生の中で多くの理不尽極まりないことが起こるのは明白です。外面、目に見える世界だけに囚われてしまうと無理(他人をコントロールする)に生きることとなり、それはストレスが生まれ心身を犯すことへ繋がる。従って教祖はそれを回避するために内面、自分と向き合い目に見えない世界、澄み切った心で優しい命の働きへ感謝する状態(自分をコントロールする)を作り上げることが必要と教えてくださっているのだと僕は思っています。徹底的に自分と向き合うことで自分がかけがえのない愛おしい存在、助かっている存在、神性を宿している存在だと気づく。普遍的でないことがら(教団の在り方など)を通し、普遍的なことがら(自然の法則)への信仰が生まれ育まれると僕は今思っています。
親里通り商店街も昔は栄えましたが、今はシャッター通りになってしまったと聞いています。
天理の本部も廃墟マニアにとってはたまらない魅力を持った場所になり、それこそ心霊スポットになってオカルトマニアの聖地になるかも。諸行無常栄枯盛衰は世の常です。
>転石人 さん
館の病院設備は今も残っていますよ。
新設された憩いの家は外来用(外の人間用)で館は天理人用です。天理周辺の高齢化に伴い市と共同で建てた総合病院です。
館は天理教人用ではありませんし外来棟も市と共同ではありません
私は、御供え掲示板で、自殺寸前の人、後遺症、依存症、精神疾患、ひきこもり、不登校などの悪循環に陥っている人を『救済したい』と書きましたが、私は、神様でもなければ、仏様でもないので、高慢な事を書いてしまったと反省しています。
悪循環に陥っている人は、救済されるのを待っているのではなく『同じような境遇に陥っている人』に出会う事を待ち望んでいます。
それによって心が満たされるわけなので、別に素晴らしい人格者じゃなくてもいいわけです。
同じように、貧・病・争で苦しんでいる人じゃなかったら、共感なんて出来ません。
現在、ひきこもり状態に陥っている私が感じているわけなのだから、似たような事を考えている人は多いはずです。
社会的地位が高くて、全てを持っている、無いのは人格だけ。
そういう人がひきこもり状態の人の家の前まで、高級外車で行って、側近がドアを開けて、アルマーニのスーツを着て、時計はロレックス。そういう状態だったら、結果は始まる前から出た状態です。
高級官僚が来てくれても嬉しくないし、そういう裕福な家庭が幸せというわけでもありません。
仮面夫婦、仮面家族に陥っている場合も多いと思います。
仕事が忙し過ぎて、妻や子供の方を向いていなくて、ある日突然、離婚届に判を押してくれと言われる熟年離婚。
妻の目当ては、夫の退職金。
夫が会社を定年退職して、まとまった現金が入ってくるのを静かに待つ妻。
家出する子供達。
自室にひきこもる子供達。
全然、幸せな家庭ではありませんが、周囲の人達は豪邸に住む金持ちだから幸せだと錯覚をして、子供が学校でいじめに遭う。
芸能人の子供は、ちやほやされるか、いじめられるかのどちらかだと聞いた事もあります。
一昔前に『GTO(グレート・ティーチャー・鬼塚)』というテレビ番組が流行りましたが、これはまさに現在社会を生きる子供達や先生達の『心の闇』を描いたドラマだと思います。
鬼塚先生の指導の仕方を見て
『こんな教師で良いのだろうか….』と思う人も多いと思いますが、天理教の現在の指導法は、残念ながら、鬼塚先生を敵視している内山田教頭のような状態です。
そういう教師(内山田教頭)を量産しようとするから、皆の心が離れてしまうわけです。
無理矢理、『こういう風な生き方をしろ!』と言って、神格化された教祖の生き方を幼い頃から強要されて育つから、子供達の心が壊れてしまうわけです。
しかし、実際は『大人達に従順な良い子になりなさい』という指導をしているので、教科書通りにもしていません。
私の従兄弟を見ていて思った事なのですが、キツい親に育てられた子供は『○○でなければならない』とか『○○しなければならない』という思考になり、戦闘的になる傾向があります。
引き下がるという発想があまり無い育てられ方をしてきているので、相手を打ち負かして、白黒をハッキリと付けたがります。グレーゾーンが少ない状態です。
私は近所の住民が外で立ち話をしていて、色々と言われているのを聞いてしまったので、親子喧嘩になった時に、近所の住民まで罵ってしまいました。
ハッキリと聞こえるように窓に向かって。
以前にも書きましたが、雇ってもくれないわけです。
ハローワークの職員も福祉業界も頭が腐っている状態なので、ブラック企業と仲良しの綺麗事集団です。
福祉業界も酷いがハローワークの職員も相当酷い奴らです。
ブラック企業と仲良くする事が企業側への敬意や配慮だと考えているようなので『正装とはモーニングの事を言うんですよ?』と馬鹿げた事を言い出したり、
『履歴書の書き方が悪いから、企業の人事担当者に熱意が伝わらないのではないですか?』と言って、ブラック企業側の味方をする。
学歴や職歴を詐称しろとでも言いたいのか、全く訳の分からない人達です。
企業の実態を何も分かっていないし、トラブルになりたくないから、とりあえずブラック企業側の味方をして、適当な事を言ったりする。
企業側が酷い対応をするわけがないと固定観念に凝り固まっているか、トラブルになると面倒臭いから適当な事を言って、のらりくらりとしているだけの役割しか果たしてはいません。
もし仮に私がヤクザみたいなコワモテなら、丁寧に親切な対応を心がけるのだと思いますが、相手が弱そうで何も言わなかったら、軽く見られるわけです。(勿論、そういう人ばかりではありませんが)
天理教だけでなく、ブラック企業も口先だけの綺麗事ばかりを並べ立てて、ハローワークには良い子に振る舞うので、ハローワークも分からないわけです。
ハローワークの職員の方が一般求職者以上に何も知らない状態です。
私が言っても聞いてはいません。
まぁ、その調子ですが、近隣の住民はそういう事なんて知らないわけです。
サボりたいから、サボっている。その程度にしか見られてはいません。
現在の日本社会では、三十代とか四十代ぐらいの働き盛りのおとなしい男性が一番いらない人材になっていて、何処からも排除されて、その辺をさまようか、ひきこもるかして、最終的に自殺する(自決する)、そういうカラクリなのだと思います。
自殺に見せかけた他殺のような事例も多数発生しているのだと思います。
若者の餓死や戦病死が多発していた太平洋戦争と同じような事を現在社会も実践しているのに、そういう風潮を助長するかのような事を無意識に左寄りの人達まで実践しているわけです。
綺麗事みたいな事を言っていた方が『正義の味方』になれる便利な世の中です。
名指しして申し訳ないのですが、現在の日本社会は、はぐれ雲風鈴さんのような人が結局、貧乏クジを引くようなカルト国家なのです。
カルトなのは天理教だけではなく、実はこの国全体が偽善に包まれたカルト国家になってしまっているのです。
私は、中山みきさんの考えや功績をある程度は認め、支持する者の一人ですが、残念ながら、全肯定する気はありません。
完璧な人間なんていないからです。
それと、中山みきさんは、強い人というわけではなかったのだと思います。
強い信念の持ち主だったのだと思いますが、心身共にタフな人間ではなかったと思うのです。
繊細で慈悲深い人だったような気がします。
人間的に弱い面もあるから、若い頃から浄土信仰をしていたのだと思います。
悩み、苦しみ、挫折もして、初めて相手の気持ちが分かる人間になれるのではないでしょうか?
天才、秀才、人格者は別物で、
秀才と呼ばれるエリート達は、優秀ですが、相手がしている事に歯がゆさを感じているはずです。
書類を提出すると『もっと早く出来ないのか!』と言い、
次に書類を持参した時には『もっと丁寧に分かりやすく簡潔にまとめろ!』とか言ってきたりする気難しい人なので、部下は大変です。
優秀な人の方が厳しいです。
適当に仕事をしていません。適当に仕事をしていなくて能力もあるから優秀な人と皆が評価するのです。
自分が言わなくても、周囲が評価して認めてくれるので、本当に優秀な人は、自慢なんかしません。
アピールして自分の能力を証明していないと認めてもらえない人は、残念ながら、それ程能力がないという事なのです。
優秀で人柄も良かったら、言う事無しなのですが、そんな優れた人は少ないと思うし、人柄が良い事と部下に甘いは、また別です。
そんな事をしていたら部下が育たない事を知っているからです。
天才と呼ばれる人は、一見すると奇人・変人に見えて、理解し難い人なので、下手をすれば、ただの変人で終わってしまう可能性があります。
いくら天才でも努力をしなければ、偉大な功績を残す事は出来ないし、運もあります。
ずば抜けた才能があっても、その才能を開花できない環境だったら、才能が埋没してしまいます。
坂本龍馬がもし、幕末ではなく、江戸時代の中頃の平和な時代に生まれていたら、あの人の才能を活かす場は、江戸時代の中頃にはないし、そういう身分に生まれていないので実現できません。
中山みきさんの場合、裕福な家庭で育ってきて、極貧になってしまった点も重要な要素だと思います。
ずっと裕福な家庭で生きていたら、世間知らずのお金持ちの奥様で終わっていたと思います。
お人好しで慈悲深いお金持ちの奥様で、平凡な日常生活を送りながら、生涯を終えていたはずです。
貧乏に転落して、初めて貧しい庶民の実態を知ったわけなので、生まれた時から、ずっと貧しい暮らしをしてきた人とは違った心境だったと思います。
貧乏な暮らしを生まれた時から、ずっとしてきた人は、それが当たり前になってしまいます。
金持ち家庭の場合も同じです。
どちらか一方の価値観しか出来ません。そういう暮らしをした事が無かったら実感がわかないと思います。
あと、もう一点気付いたのは、現在、you tubeで、天理教の教会で育ってきた人が、一般社会に出て経験してきた実体験をせっかく話してくれているにも関わらず、視聴回数が少ないという事です。
天理教関連の話題をしている時は、視聴回数が二百数十回だったのに、仕事の話題になると一気に二桁に激減してしまいました。
天理教関連の話題には皆、関心があるのに、自分達の仲間が一般社会で、どのような生き方をしてきているのかには、関心があまり無いのだなと寂しく思いました。
天理教は一体、誰を人助けする事が目的なのでしょうか?
世間の人達でもなく、一般社会で働いている天理教の教会関係者でもなく、家でひきこもっている人でもない。
天理教の教会で育った人が一般社会で、どのような境遇で生きているのか、関心はないのですか?
私は、その事の方が関心があります。
あまり話題にはならない事だし、世間に出ていった天理教関係者は、現在どうなっているのだろうかとずっと気になっていました。
you tubeに投稿して頂いている事に感謝しています。
でも、無理はしないで下さいね。
話す気になった時に、話したい事だけを話して、負担にならないようにして欲しいと思います。
天理教関連の話題をしたいと思います。
批判側というわけではなく、擁護側というわけでもない中立的な立場で書きたいと思います。
個人的な事は、HPやブログなどに書いてはどうかと御指摘があったので、この場を借りて、私の個人的な出来事を掲載する事は、非常に心苦しい事なのですが、この場を借りて掲載しなければ、何の意味も無い事なので、書き連ねたいと思います。
3月1日、私は、奈良県天理市に行きました。
行きたくもない場所なので、もう二度と行く事は無いと思っていました。
天理教から離脱して、初めて奈良県天理市に行ったわけです。
奈良県警天理警察署に行きました。警察に言いに行っても無駄だと思っていたし、ややこしい事態になるのは嫌なので、天理教の相談に行くのは、初めての事です。
私にとっては言いたくもない話題なので、私にとって天理教は、オウム真理教とたいして変わらない存在です。善悪に関係なく、受け入れられなくなっているのです。
そんな教団の元信者だとは人には言えません。
自分が悪いと言っているような心理状態になり、心理的な負担になって言えなくなるのです。
『そんな教団を信用したオマエが悪い』という心境になるのです。
靖国問題に似た傾向だと思います。
聞きたい事があったので、地元の警察署ではなく、天理警察署に行きました。
私自身(当事者)が天理教の実態が分からなくなってきている(麻痺している)と感じたからです。
何を聞きに行ったのかというと
①天理警察署は、天理教の実態をどの程度、把握しているのか。
②天理警察署に、実際、どの程度の被害事例や苦情が寄せられているのか。
それを知りたくて行きました。
感想は『警察は予想していた以上に頼りない』と思いました。
宗教法人に対する規制は、予想以上に弱く、放任状態なのかもしれません。
それか、天理警察署も『天理教と仲良し』なのかもしれません。あの町では、例え警察であっても市役所であっても、天理教には逆らえないのが実態なのかもしれません。
『言っている事がよく分からない』と言っていたので、『ネット上がどういう状態か知っていますか?』と言ってみて、『見て下さい』と言っても無駄でした。見ようともしません。
知っているという事なのかもしれないし、知ってしまったら、余計なトラブルに巻き込まれると思っているのかもしれません。その両方かもしれません。
私は誰にも言えないから、こういう状況に陥って、苦しんでいるわけです。
この投稿や今までの投稿は、世間に対して発信していると思っている人もいるようですが、違います。
天理教関係者に向けて、発信しているのです。
信者の場合、教会関係者以上に孤独なのです。
信者なんていないのが現状なのは、天理教関係者はよく知っていると思いますが、教会関係者に直接相談しても無駄です。
余計な事を信者に知られるとマズイと思われるからです。
周囲の人にそういう話をしたら、嫌がられるだけだし、宗教の勧誘だと思われる可能性もあるので、言えません。
結局、誰にも言えなくなってしまうのです。
私の場合、天理教被害だけというわけではなく、複合的に連鎖して、悪循環に陥っているので、心理的な負担や憤りが強い状態になっています。
それでも生き続けようとしているわけなので、執念のような状態なのかもしれません。
人間は、そう簡単には死にませんが、あっけなく死んでしまう場合だってあります。
自殺も事故死も、運なのかもしれないし、寿命かもしれません。
現実の世界はどこも同じ。頭、身体の弱い生き物は淘汰される。
いつの時代も、どこの国も、弱肉強食…もしくは適者生存とも。
時代が変化していく速度は年々加速しています。昔はゆっくり変化していました。
何かを選ぶということは、その他の選択肢を選ばないということ。
何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。
羽虫が飛び付いても犬はビクともしません。犬が吠えたってライオンはビクともしません。
楽しく、豊かに暮らしたいなら、まずは自分自身が「強く」なることが先決です。
弱い状態だと、強い状態よりも楽しく豊かに暮らしにくいです。
「強く(つよく)」よりも「強か(したたか)」の方が適切かな。
なんにしろ、まずは己が賢く、たくましく、それでいて他人に歩み寄ることのできる人間になることが「陽気くらし」の第一歩かと思います。
日本はまだ国民皆保険なので、他国と比べると恵まれていると思います。
国民が高い保険料を支えているから成し得るのですが、社会弱者が生きるうえでは、米国や北朝鮮よりも易しいと思います。
それもいつまで続くか分かりません。だからこそ「強か」になりましょう。
母はネット上の内容を見て実態を把握している。
でも言わないだけと確信しました。
私が天理教と色々揉めていると心配しているようですが、その事をズバリ言おうとはしません。
言っておきます。心配する必要はありません。
堂々としていればいいのです。
以前、私はある出来事で色々と揉めていました。
天理教の会長はそのトラブル解決には『一切』協力してはくれませんでした。
会長は不都合な事態になってきたら隠蔽をするだけなので、自分や天理教が不利になるような事は『一切』言いません。
『私達が正しい』という思考なので、変なトラブルが多発するのです。
しかも、どうやらそれが組織全体の体質なのだと分かってきたので、余計に腹立たしく思っているのです。
会長は邪魔をして妨害しているだけの存在でした。肝心な事は握り潰して、うやむやにしてしまい、知らない、言ってないだけしか言わないような人です。
不利な状況になってくれば逆ギレして乗りきろうとするので、全く何の役割も果たしてはいません。
肩書きだけの人です。
何故、会長が(天理教側が)次第に不利な状況になってしまうのか、理由は簡単です。
無責任で何の対処もせず、隠蔽・偽装・放置を繰り返しているだけだからです。
私はトラブル解決のための努力はしていました。最終的には、その違いなのだと思います。
普通は、それぐらいの事は最低限するはずだと思っていましたが、普通じゃないので、そういう事すらしません。
不都合な事を知られるとマズイと思っていたようなので、天理教信者なんて教会関係者以上に理不尽な立場です。
天理教と関わっているにも関わらず、完全な仲間外れで、情報が何も伝わってはきません。
情報が入ってこなければ、正確な判断が出来ないので、適切な対応も出来ません。
でも、このまま無責任に放置するわけにもいかない事だと思っていたので、結局、自分一人で何から何まで行動して解決に到りました。
弁解がましい事を言うわけにもいかないので、ただただ謝るだけでした。
解決させれば、それで済むというわけでもないと思っていたので、その後の状況がどういう風になっているのか近況をお聞きする事もありました。
色々と気苦労は絶えませんでしたが、仕方がありません。
トラブルが発生した場合、何らかの形で解決しなければならない事なのです。
大変そうだから放置する。そういうわけにもいかないと思っていたので……
それが社会人としての常識であり、モラルであり、マナーであり、ルールなのです。
私は一応、そういう事は分かっていたので、無責任に放置してはいません。
そりゃあ、凄く大変な事ですよ。トラブルになって無茶苦茶になっている事で謝りに行くなんて….
出来れば避けたいと誰もが思うはずです。
私の場合、何から何まで一人で、謝りに行くのも一人で行きました。
何人かで謝りに行くのではなく、一人ですよ?
信者でさえ、それぐらいの事をしてきているのに、会長は何もしない。
本部はもっと何もしない。
隠蔽・偽装・放置ばかりしているから、天理教はトラブルだらけの教団になってしまうのです。
今までの様々な投稿を読み返してみると「やはり明らかにおかしい」としか言えません。
第三者がすれば、明らかに異常な事だと思いますよ?
今から10年ぐらい前に大教会の月次祭に初めて参拝した時の事ですが、
「直会(月次祭の後の食事)の時に、お酒を飲んだり、勧めたりしてはいけない」と言われました。
私は、新入りなので、過去の経緯を知らないわけなので、教えてくれたわけです。
その当時でも、飲酒運転をすれば違反になる事ぐらい私でさえ知っている常識的な事で『昼間から』酒を飲んだりは普通はしません。
それをわざわざ言ってくるわけなので、どうしてだろう?と思って聞いてみると、何年か前に直会の後で飲酒して、飲酒運転をして、そのまま帰り、警察が張り込みをしていて、一斉検挙されたのだと言っていました。何人捕まったのかは知りませんが、大勢捕まったそうです。
天理教とはそういう所なのです。
そういう雰囲気が蔓延してしまうと、それが普通になってしまうわけなのです。
「飲酒運転をしたら、ヤバい事になるから私は結構です」とは言いにくい雰囲気が蔓延していたのだと思います。
私の肩書きは天理教の信者ではなく『○○分教会の信者』という状態なので、天理教の信者なんかになったら、自由な活動は出来ず、束縛されるだけなので、全然マトモな状態とは言えません。
皆がしている事に合わせるのが天理教内の常識なので「それは、おかしいのではないか?」
と余計な口出しが出来ない状態です。
それが嫌なら、天理教を辞めるしか道はありません。
人助けなんて、大半の人は『どうでもいい事なのでは?』と疑ってしまいます。
助けなくていい、協力すればいいだけの事なのに、役割分担が決まってしまっている状態なのです。
皆がしている事には、従わなければならない。それが非常識な事であっても、とにかく従わなければならない。
それがヤバいのだと私は言いたいのです。
天理教の教えの中に『飲酒運転してもいい』なんて、何処にも一言も書いていませんが、天理教の習慣も教えみたいなものなので、自分一人だけ違う事をするわけにもいかない村社会のような状態なのです。
誰かが警察に通報(内部告発)して、警察が検問をしていて捕まり、大教会長や役員が警察署まで謝りに行って、新聞沙汰にはならなかったようですが、天理教関係者の誰かが警察に匿名で密告していたのだと言って、裏切り者のような事を言っていました。
飲酒運転が交通違反になるという事より、内部告発した人間がいる事を問題視していたわけなので、組織内の秩序を維持するという発想にも限度ってものがあります。
仲間内を大事にしているわけでもないのに、不都合な事態が発生すれば連帯責任。
そんな居心地の悪い雰囲気だから、教会で育ってきた人達が息苦しさを感じて、どんどん離れていってる状態なのに、そういう事を分からない人が『信仰熱心な人』の方が多い状態なのです。
信仰心って一体何なんだろうなぁ….と疑問に感じてしまうのは、その点なのです。
残念ながら、気楽に適当に活動している人の方が、余計なトラブルを引き起こしません。
誰でも、世間の常識からズレた事を無意識にしてしまっている経験が一度くらいはあるものですが、天理教では、そんな事ばっかりだったし、それに疑問の声を出す事さえ憚られる雰囲気なので、精神的苦痛を我慢して精神疾患に移行しまう悪い流れなのだと思います。
そういう天理教の悪循環な構造や経験を書く事自体がこの投稿を見た人に悪影響を及ぼしかねないので、その話題を避けたいと言っているのに、それを悪い事だと言って、マナーとかモラルとかルールという道徳的価値観を持ち出してきて批判したり、荒らしや妨害投稿という風な扱いをされてしまう。
『常識が無いのは、お互い様でしょう….』という状態で、ネット上で飛び交っている情報は、天理教の裏事情(真相)を皆で掘り返している状態なので、
ろくな事実が出てきていない状態です。
頭痛がしてきて、気分が憂鬱になる内容ばかりです。
発掘調査なんかしても無駄です。
皆、言わないだけで、そう思っているはず….
学問をしている状態なので、信仰でさえありません。
知れば知る程、嫌になってきて、ウンザリしてきますが、今後はズバリ天理教の実態そのものをストレートに書きます。遠慮もしません。
教えが素晴らしいかどうかの判断は、個人の自由ですが、被害者が出てきている時点で、宗教の被害事例なのです。
それを『正しい教えなのだ』と言っていても、私には受け入れられない事です。
トラウマという状態なのです。
この調子でいけば、自殺者が発生するかもしれない事態でも、掲示板の秩序の方を最優先させてしまう。
別に今に始まった事ではないので、今更驚きもしませんが、冷徹な教団なので、完全に何かを見失った教団だと思います。
天理教被害で自殺者が発生する歪んだ構造は、そういう『言わせない雰囲気』や『○○しなければならない、○○でなければならない』という強迫観念によって発生してしまうのです。
天理教内部には、天理教を快く思っていない人も大勢いる事をネットの投稿を見て知りました。
皆、表向きは従っているような状態ですが、腹の内では違う事を考えている人もいて、本音と建前は違うのだと知りました。
何処の組織でも、そういうもの(本音と建前は違うもの)なのですが、今までそういう事に疑問を感じる事はありませんでした。
そういう事に疑問を感じるようになってくると疑心暗鬼になってしまって、全てがおかしい事のような錯覚に陥ってしまうのです。不平不満を言っていると思っている人も、もしかしたらいるかもしれませんが、本当にそうなのでしょうか?
個人の信仰を否定する気はありませんが、それが正しい価値観だと信じきる状態をマインドコントロールや洗脳と呼びます。
お供え掲示板の文句をココで連ねるのはどうかと思います。
感謝・慎み・たすけあい
感謝・慎み・たすけあい
教えてあげたい善亮に
御供え掲示板から来た事は分かりましたが、投稿者名すら名乗らないつもりですか?
誰が投稿しているのかも分からない状態になっていて、ますます怪しい状態になっています。
『匿名』と名乗って投稿している人は結局、何人ぐらいいるのでしょうか?
これだけ酷い状況になっているのに、自分達の事なら良くて、私には完璧な投稿内容を求めるつもりですか?
今までの投稿内容を御覧頂いたら分かる事ですが、些細な失言をしただけでも、私が批判されているなんて有り得ない事です。
私は、加害者側の人間なのでしょうか?
違いますよ?
完全に被害者側の立場です。
宗教被害に遭って、金銭被害、精神的被害、今までの人間関係がギクシャクなっている被害、それに信者を騙している事が沢山ありませんか?
そういう状況にも関わらず、私に非があるのでしょうか?
私だけでなく、母や叔父(母の弟)も間接的な被害に遭ってきて、叔父の場合、私以上に自分の人生が滅茶苦茶な状態になってしまっています。
そういう状態になっている家庭なのです。
そんな状態の人でも何か発言すれば『文句』という事になってしまうのでしょうか?
いずれ叔父(母の弟)にも話さなければならない事のような気がしていますが、そんな重要な役割を私にさせるつもりですか?
そんな役割を果たすなんて私は嫌なんですよ。
叔父がキレるのは間違いありませんから、そんな事は怖くて言えません。
我が家の天理教被害で言えば、私は二番目で、一番の被害者が叔父(母の弟)です。
叔父は、毒親にず~~っと苦しめられてきているので、祖母の思考パターンが、実は天理教の教育によるものと知れば、確実に大惨事に発展していきます。
今でも十分ギスギスした状態なのに、この上、更に揉めるなんて、私は嫌です。
私だけでもう十分です。
叔父に真相を伝える事が優しさなのかもしれませんが、天理教のこんな事なんて、誰が聞いてもキレるか怖がるような内容です。
叔父(母の弟)に言ってしまったら、確実に裁判沙汰になります。
叔父は、私なんかより、ずっと頭が良いし、法学部出身なので、弁論で打ち負かす事は相当困難な相手ですよ?
私は法学部ではないので、日本の法律に関する事は、ほとんど知りませんが、叔父の場合、その気になれば、文系の知識は学者並みの実力があります。
元々は店舗の店長をしていた人なので、私のような頼りない人でもありません。
天理教にとっては、一番怖い相手だと思います。
叔父(母の弟)に真相を伝えて、裁判沙汰になる事は、私以上に、うちの両親が嫌がる事だと思うので、避けていますが、天理教被害者は何でこんな理不尽な目に遭わなければならないのでしょうか?
御供え掲示板で、二代真柱の夜伽伝説に関する投稿が出ていますね。
私は、天理市長のデリヘル利用騒動の真相の方が気になる出来事です。
天理教は言い逃れみたいな事ばかり繰り返しているので、暴こうとしてくる人達と無駄な攻防を繰り広げている悪循環な状態に陥っているのだと思います。
それなので、隙を見せた時に、バシッとやられてしまうのだと思います。
天理市長のデリヘル利用がバレて騒ぎになるなんて、日本全国でも珍しい事例です。
過去にそういう事例(政治家のそういうサービスの利用がバレる事)もあったのかもしれませんが、あまり聞いた事がありません。
政治家の御利用だって、沢山あるはずです。
知られていないだけです。
政治家だけでなく、社会的地位の高い人々は、気苦労が多い立場なので、少しぐらい羽目を外したっていいような気がします。
そういう方面のサービスを利用する事は、日本人女性から軽蔑される風潮がありますが、結局、そういう風潮が自分達(女性側)を苦しめ、性犯罪に巻き込まれる温床になっているわけです。
そういう事を言っていると変態扱いされて軽蔑されて誤解されるだけだから言うなと言う人もいますが、言うなと言われたら余計に言うのが私なのです。
私みたいな下っ端が言わなかったら、一体誰が言うんですか?総理大臣や天皇陛下が言うんですか?そんな事言うわけありません。
悪く思われるかもしれないから、とか言いながら良い子な優等生の真似事をしているから、天理教で様々な不祥事が発生するのです。
本当に常識的な運営が出来ていたとしても窮屈なのに、無理をしてカルト運営しているのが実態です。
子供がいる家庭は変態で、一生処女・童貞の人達が硬派な生き方の人達なのでしょうか?
結局、そういう宿命的矛盾になってくるわけなので、そんな事は綺麗事に過ぎない。
この国は理想や綺麗事が出回っている状態ですが、そんな事は実現不可能だから、強か(したたか)に生きて、本音と建前は当然ながら違ってきます。
本当に理想に燃えて頑張っている人達もいますが、ズレています。
閉鎖空間で純粋培養な状態の人達なので、現実的ではありません。
宗教・福祉・労働組合などの事例を見てきましたが、皆、生真面目に考え過ぎているので、しばらく、宗教アレルギー・福祉アレルギー・労働組合アレルギーのような状態になって、受け入れ難い状態になっていました。嫌いというより次第に受け入れ難くなってくるのです。(トラウマ)
生真面目に考えているわけだから、マジギレする点も同じです。
戦後の日本社会では、左寄りの集団が主流になって、今度は左寄りの集団が脱線している状態で、次第に崩壊に近い状態になってきています。
戦時中で言えば、罵声をはり上げている職業軍人という事になりますが、私は幸いにも軍隊に行った事が無いので、右寄りの価値観のアレルギー状態ではありません(天理教の実態は、左寄りに見せかけた右寄りの状態ですが)
そういう状態の人達は、強か(したたか)じゃないから、世間の常識から逸脱してしまっている状態なのです。
よく頑張っている模範的な人達ですが、残念ながら、ズレているので、私のような『はぐれ者』を手なずける事は出来ません。
私も福知山の脱線事故並みの大脱線な状態ですが、実は人生を脱線しながら生きている若者が多くなってきています。それを個性と呼ぶのでしょうね(笑)
宗教団体の、煩悩すら無い状態(思考停止状態)の人達を立派な人格者と呼ぶのでしょうか?
多分、それは違います….
ヘイトスピーチ(憎悪表現)は、抑圧的悪循環によって発生し、深刻化するものなので「するな!」と言えば、余計にします。
今の私の状態と一緒(笑)
皆、聖人君子になろうとするから疲れるわけです。疲れ果てて、荒れ果てているのが現在の天理教の状態です。
今の天理教の状態をズバリ書きます。狙われているのでは?
天理教は残念ながら、内外の敵対勢力から狙われています。
逃げようとするから追いかけられる、そういう悪循環に陥っているのです。
甘露台倒壊や天理市長の不祥事、中田善亮氏の失言などの事例は、そういう話の流れなのだと思います。
崩壊さんの投稿に対し、匿名さんの投稿が出てきていますが、どちらの意見も相手を思いやる気持ちに満ちあふれていると思います。
何故、崩壊さんが投稿を訂正したのかは、天理教社会学研究所の投稿を見れば分かる事です。
私に(私達家族に)気を遣って、そういう投稿内容に訂正したのだと思います。
匿名さんの投稿内容もその通りだと思います。
私は現真柱さんに直接お会いした事はありませんが、古い元教会長さんが仰る通り、悪い人達ではないと私も思います。
以前、天理教被害者の鎌田東征さん(どうやら実名で投稿していたようです)の投稿で、
「話してみたら、そんな悪い人達ではなかった」という風な投稿がありました。
『何で、そんな事を知っているんだ…』という話の流れかもしれませんが、S大教会で滅茶苦茶なトラブルが発生して、滅茶苦茶な事態になっているから、謝罪に行ったのだと思います。
滅茶苦茶な事態になっている場所なんかに普通の人は近寄りたくもありませんが、最高責任者の立場として、その現場(正確に言えば、戦場のような現場)に行ったのだと思います。
「うゎ…無茶苦茶な事態になってるな…」という状況の現場に行くわけなので、気分も憂鬱になります。
それは経験した者のみが知る最悪なぐらい嫌な心境なので、理論や理屈で分かるような事ではありません。
庶民で、普通のサラリーマンになっている方がよっぽどラクで陽気暮らしが出来ます。
飛行機事故で死んだ人の遺族に謝りに行くような立場なんて、誰だって『やりたくもない役割』ですが、結局、誰かが行くわけなのです。
誰が悪い、オマエが悪いと責任者探しをしているから、いつまで経っても延々とトラブルが絶えない状態なのです。
真柱さんは、相当嫌な役割が『世襲制』で順番が回ってきただけなので、そんな役割なんて本人もしたくはないと思っているはずです。
この状況を見ていて、真柱職に就任したいと思う人はいますか?
私なら「絶対に嫌」です。
誰が悪いというわけではありません。現在の天理教は悪循環な状態なのです。
攻撃する側は簡単です。テロをすれば、成功する可能性も高く、単独で実行する事も可能です。
一方、平和を守る側の職業(自衛官や警察官など)は、守るなんて少数では出来ません。
それは元自衛官のお孫さんなら、分かる事ですね?
××さん?
見ているのではないですか?
警察官も余計な事を言ってしまって、責任追究なんてされたら最悪なので、色々と気疲れする職業です。
見逃してあげるなんてしていたら、皆、認めなければならなくなってくるので、そういうわけにもいきません。
私は学生の頃、プールの監視員をしていた時期がありますが、一度認めてしまえば、言いがかりをつけて、強硬に違反しようとする人達も出てきます。
客も相手を見て言ってきます。
コワモテのヤクザみたいな監視員には怖くて言いに行けませんが、お人好しそうな人や弱くて頼りなさそうな監視員なら、無理な要求をしてくるわけです。
狙われているわけなのです。
注意をしたら、余計に言ってくるようなお客様方もいます。
金のネックレスや角刈りのお客様はだいたい威張っています。
威嚇する事が目的で、そういう格好をしている人達なので、怖がったら満足してくれます。
でも、病気にでもなれば、人間の本性が出てきます。
その状態で毅然としていたら、本当に強い人なのですが、そういう人は少ないと思います。
イカツイ人は意外とメンタルがもろくて繊細なので、何か危機的状況に陥ってきたら、潰れてしまいます。
そういう事例は多いはず。
なってくるのが天の理
ならない、なってこない、この現状を今の人達の言葉を使って表すなら
「スペック」が足りない
「スペック不足」
「スペック」を「能力」「器(うつわ)」「理」と言い換えれば分かるかな。
心のふしんが出来ていないのに、形のふしんをするからおかしくなる
本音と建て前
両方大事だけど、使い分け方が残念、頭をさげても舌を出している。さらに頭を下げてもらっている方はそれに気付かない。気付かない振りをする。
心はソッポ向いても形はそれなりにできる。
時間が経てばメッキが剥がれ、手抜きの部分が表れてくる。
全てスペックが足りていないから。
親神のいう「条件」を満たしていないから、満たせなくても心は受け取る。その心も足りていないから、形に表れる。
さらに、それを上に立つ人間が下の人間に責任を求める。自分のことはさておき
怖いわ 笑
狂気の沙汰
『反省は先にする方がいい』という天理教のビラが入っていて『ヤバい』という投稿が出てきているそうですが、
自分が悪いと思ったら、素直に認めて反省した方が結果的には苦しまずに済むと私も思います。
「私はそんな事は言っていない」とか「私はそんな事なんて知らない」と言い張って、無責任な対応をしているから、状況が次第に悪化していくのだと思います。
それが現在の天理教の状態なので『ここまで来てしまっている状態』なのです。
どっちが正しいかなんて、興味も無い事です。
ヤバい状況なのに『ヤバくはない』と言い張っていたら、全然進展がありません。
進展が無いどころか状況が悪化していくだけです。
参謀
2018年3月5日 2:24 PM
「ヤバイ」の意味は
「この状態になってる本部が言える言葉か?(笑)」という意味でしょう。人を助ける前に自分が助かれよ(笑)助かってるつもりになってるの?お前ら終わってるやん(笑)結局自分達は反省してるふりして信徒だけに反省させようという中山本部天理教というカルトのオカルト的トンデモ論にしか聞こえない(笑)
社会学の記事やコメントにこれだけ書かれて論証されている。それに真っ向から反論できない本部 天理時報でも 道友社でも 天理親里研究所 でも公然で反論できないわけです。
『反省は先にする方がいい』言葉とその理念はいいと私も思う。方や『後悔先に立たず』と言うことわざがあるように、先に反省する事は、途轍もない能力が必須と成ります。なので本部はまた「できもしない事を言ってしまった。」となります(笑)そもそも「やる気もないでしょう」(笑)散々間違った教理押し付けた本部はもう「オオカミ少年」状態(笑)嘘吐きは本部なのです(笑)
以前天理時報に『ネットのウソ情報』等と記事が出てましたが、天理時報のウソを誰が信じるんですか?
と言われたら執筆した記者も逃げるでしょう。新聞記者の文章能力もさほど高いわけではないので全国紙の記者ですら誤報を乱発しているのが現状です。
【疑って 見る 読む 聞く】事が読解力(リテラシー)の基本です。人はミスをする生き物 天理時報など教団の機関紙はそのミスリード(語読解)を誘っている文体になっています。
リテラシーとは
https://goo.gl/cezE9j
真柱は神の代理なんですかね?
本部員は神の使徒なんですかね?
教会長はそれを支える用木なんですかね?
信者はそれを支える…なんだ?
親神様の思し召し、教えを 中山みきの口を通して、筆に記して伝えたものが一番大事なんでしょ?
姿を隠した後に本席の飯降伊蔵さんに神が降りた時の言葉がおさしづなんでしょ?
本席派と真柱派との争いは初代の時からなんでしょ?
それが今に続いてるんでしょ?
んでもって、神懸かり的な事象や天啓者は、教会本部(真柱)が認めないんでしょ?
あとは、各々が思案して、行動するだけでしょ?
いつやるの今でしょ?
まさしく今、何をするかですね。
責任を取れとか取らないとか、誰が悪いとかオマエじゃないかとかそういう不毛な議論をしていても、無駄です。
悪循環に陥っている家庭が正常な状態の家庭に戻る事が一番大切な事なのです。
精神科医や臨床心理士に依頼して、講座を開催してもらって、様々な知識を修得する事が重要だと思います。
福祉の精神は必要です。
福祉施設も必要です。
現在の日本社会は、初心を忘れてしまっているだけなのです。
頭が凝り固まってしまって、当たり前のように存在している状態だから、有り難くなくなっているわけなのです。
有り・難い状態になってきて、存続が危ぶまれる事態になってきているわけです。
そういう制度が充実して完備されているのは、相当、恵まれた事なのです。
北朝鮮には、そういう制度は一切無い状態です。
あるのは、当たり前。
そういう状態になった時、堕落が始まります。
比叡山延暦寺も創建当初は、立派な教団でしたが、いつの間にか、僧侶が武装している武装集団(僧兵)に落ちぶれてしまいました。
そういう状態に陥る危険性は、何処の組織にもある事なので、十分注意しなければならない事なのです。
うちの会社は、そんな事はない、常識的な運営をしていると信じきっている企業は、逆にヤバい状態の企業です。
会社の常識に疑問の声を出す事が出来ない硬直した企業です。
天理の並河市長は、防衛大学校を2年次で中退しているそうですが、
防衛大学校は、私だったら3日ももたないような『超スパルタ式の学校』なので、2年生まで続けていた事に敬意を表します。
あの学校に行こうと考えている時点で、素晴らしい事だと思います。
私だったら仮に志願したとしても学科でもついていけないし、精神力や体力面でも無理な学校です。
『志』だけでは無理な学校なのです。
防衛大学校を卒業して、幹部候補生学校を出て、幹部自衛官になるわけですが、途中で民間に流れていく事も有益な事だと思います。
公益のために最善を尽くすという発想が現在の日本社会では希薄になってきています。
そういう国は、いずれ衰退し(現時点で衰退してきていますが)社会保障制度が破綻してしまいます。
財源が枯渇してしまうからです。
エリート達も、いきなり東大法学部に行かないで、是非とも防衛大学校も選択肢として考えて欲しいと願います。
東大法学部だったら、勉強さえ出来れば卒業できる学校なので、頭さえ良ければ、試験に合格して官僚になれるわけです。
『どういう動機で、東大法学部を志願したか』が重要だと思います。
『エリートになりたいから』とか『最難関の学校だから』とか、そんないい加減な気持ちで官僚とか政治家にはならないで欲しいと願います。
実際はどうなんでしょうね?
東大法学部の学生達に聞いてみたいものです。建前上の志望動機ではなく本音を
御供え掲示板の投稿を拝見しました。
どうやら、私が疑われているようですね。
私は、こちら(天理教社会学研究所)で、投稿できているので、何の不満もありませんよ?
『お供え管理人の実態』というTwitterの投稿も拝見しました。
御供え掲示板の投稿と両方見ていると何だか私が悪いような流れになっています。
うさぎさんまで登場してるじゃないですか….
怖いなぁ….
田中卓という名前を調べてみたら、
大正12年12月12日生まれ(94歳)
大阪府出身
日本古代史 専攻
皇學館大学名誉教授
歴史学者
と書いていました。
誰かが私を貶めようとしているのでしょうね….
怖いなぁ….
参謀さん、懲りてませんね。
ご自分のblogなりホームページ作られたら、如何でしょうか?
尤もしてはいけない、やめてくれと言うと倍になって仕掛けて来る、やって来るのは天理教の特徴ですが。
最近流行りの人狼ゲームというものをスマホのアプリでやってみました。
なんだか、天理教についての掲示板でのやりとりを疑似体験している気分になりました。
嘘と誠の闘い。信じたり裏切ったり。
しかし、この掲示板でのやりとりはゲームではない。
天理教の内部の諍いは、リアル人狼ゲームだと思いました。
さて、天麩羅食って寝ます
田中卓先生は、94歳で御存命のようなので、大学に問い合わせてみて、お会いできないか交渉してみたいです。
何か貴重な情報をご存知かもしれないし、この掲示板内にも田中卓先生を知る人がいるようですね。意外で驚きました。
古い元教会長 様
二部時代の知人から聞いた話です。センキョーから真柱邸までを渡り廊下で結ぶんだとか。
まさか、出来るるわけないでしょうが。ひょっとしたらひょっとするかもですね。
それっていわゆる「きりなしふしん」てやつですか?
信者にとっては「きりなしおそなえ」になりそうです。
匿名 2018年3月10日 12:33 PM 様
お供え掲示板が閉鎖して一番喜ぶのは、批判を封じたい、現体制を維持したい人間達です。
体制側の人間の仕業だと、私は睨んでいます。
参謀氏はこうして自分の濡れ衣も晴らせていないのに、他人の自演を暴くなんてできないですよ。
御供え管理人の自演を暴ける方なら、そもそも疑われる様な痕跡は残さ無いでしょう?
知人のクレーン業者から聞いた話です。
奈良県内のクレーン業者の約7割が天理市内に会社を構えているということです。
なぜ、クレーン業者が天理市内に集中したのか聞いたところ、「おやさとやかた」普請の
華やかなりし時代、天理教の「はこもの」建築を独占的に請け負ってきた某工務店の下請け、
孫請けとなり、クレーン業者もかなり儲かり、甘い汁を吸うことができたからだということでした。
その頃は、クレーン業者の作業員でさえ、天理教の信者でもないのに、午後2時のミュージック
サイレンが天理市内に鳴り響いたら、「おやさとやかた」普請の作業を中断し、柏手を四つ打ち、
サイレンが鳴り終わるまでの間、目を閉じて甘露台の方向に向かって頭を垂れるように元請工務店
から指導されたということです。かつて「おぢば」周辺に林立していたクレーンは現在は一基も見かけ
ません。人の気配の無い詰所のみ空しく林立しているだけです。信者さん達の「お供え」がいかに空しく
費やされたのかを物語る一つのエピソードとして紹介いたします。
天理教を信仰して一番喜ぶのは、建設業者と交通機関だけです。
祇園精舎の鐘ならぬ
教会本部のサイレン
盛者必衰の理をあらわす
枝葉と根にたとえて 親子や上下の関係性と重要性を説く講話をよく聞きます。
誰が悪いのだろうか…
親が根、子は枝葉というのは、可笑しな理論です。
「枝葉の子が、親である根に肥しをやる」っていう話も可笑しいです。
根に肥しをやるには人間です。
根はひたすらに枝や葉に水分や栄養を送り続けるだけです。
枝や葉は光を浴びて光合成をして成長し、時期が来れば落ち葉となって腐って栄養分となるのです。
でも、人間の子は、いつしか親になりますが、子である枝や葉は決して親である根にはなれません。
どう考えても可笑しい理論ですが、洗脳されていると、それに気づかないのです。
企業に例えてみます。
本社=教会本部
役員=本部幹部
支社=大教会
支社長=大教会長
支店=大型もしくは中堅分教会
営業所=末端分教会あるいは布教所
顧客=洗脳された、あるいは無知な信者さん達
一番被害を被るのは、営業所と顧客です。企業の場合、顧客の支払額に応じた対価があります。また、あって当然ですが、天理教の場合、対価は被害のみです。
営業マンは給料をもらうどころか・・・w
営業マンは給料をもらうどころか、生活費をギリギリに切り詰めて会社に奉仕しなければなりません。
それでも足りなければ、自ら命を絶つ営業マンすらいます。労災認定もありません。死に損です。
そのうえ、無駄金をはたいた顧客からの怨嗟もあります。言葉にもならない状態に追い込まれます。
このような「社会悪」が、いつまでも許されてはなりません。
営利法人中山商店はとんだブラック企業ですかそうですか。
営業マン自殺に追い込むなんて日本でも指折りのブラックぶりですなあ。
中山商店が上場していたならば、株主は激減、株価は暴落、近い将来、倒産の憂き目を見ることでしょう。
一番馬鹿を見るのは、何も知らずに投資を続けてきた株主です。
宗教は救済を売るサービス業です。
ネットのおかげで中山商店の実態がわかり、こんなブラック企業に入社するバカはいません。
もちろん顧客だって中山商店の救済なんか買おうとは思わないでしょう。だって中山商店より歴史も伝統もあり、ブランドイメージもよく、しかも安価で得られる救済を売る会社がほかにいくらでもあるのですから。
近江商人の「買い手よし 売り手よし 世間よし」が、中山商店では「買い手悲惨 売り手悲惨 世間ヒンシュク」になってしまっています。こんなバカげた会社の救済を、わざわざ高い金額で買う人が今もいるとしたら、白痴と罵倒されても反論はできません。
天理教教祖は、商売の秘訣?奥義?(正確な表現は忘れました)が、「高く買って(仕入れ)、安く売ることや」と教えられたと、昔、聞いたことがあります。利益を生む手段としては、当然、矛盾しています。品質の優れた商品を高く仕入れて安く売っていれば、売り主は損をします。商売としては成り立ちません。しかし買い主は得をします。したがって、売り主の世間での信頼や評判は次第に高まっていき、長い目で見れば最終的に売り主が利益を生む結果となっていきます。経営の神様とまで言われた松下幸之助氏が、天理教の教えに感銘を受けたのは、そうした教祖の教えにあると思います。しかし、今の教団組織は教祖の教えとは全く逆のことをしています。教団の収入を増やすために、末端から一方的に金銭を吸い上げ、これといった「人だすけ」にも使わず、一般社会に還元することもなく、教団の温存・安泰のことだけに専念しているように見受けられます。こうした状況が続けば、教団の信頼は地に落ち、信者は離れ、教団自体が「崩壊」することは誰の目にも明らかなことです。
>教団の信頼は地に落ち、信者は離れ、教団自体が「崩壊」
あのーすでにもうそうなっているんですけど・・・(大爆笑)
宗教は元手がいりませんからねえ。救済なんて値段があってないようなもんで、別に無償で提供したって全然OKてゆーか、親神様のご意志からいけば、むしろ無償で提供してもいいくらいのものでしょう?
しかも天理教よりもブランドイメージが高くて、救済の価格が安い宗教がいくらでもあるわけですしね。ぼったくり商法ですよ営利法人中山商店は。企業努力もせずアコギな商売の仕方をしているから「神の見えざる手(市場の大原則)」に従って中山商店は倒産するだけです。消費者はちゃんと見ていますよ。消費者をバカにしてはいけません。
>教団の信頼は地に落ち、信者は離れ、教団自体が「崩壊」
正確に言えば「崩壊寸前」ということですね。一応、宗教法人としての有名無実の組織は残っています。
また、依然として、洗脳から脱却できない気の毒な消費者も存在します。
この世に生を受け生涯を全うするまで、人生は苦しみや悲しみの連続です。楽しいことや嬉しいこと、幸せに感じることは、苦しみや悲しみを感じることに比べれば、ほんの少しの機会しかありません。もちろん、例外的に苦しみや悲しみよりも、幸福なことが多かったと感じる人々は稀におられるようですが、仏陀が説いたように、この世は「憂き世」であり、四苦八苦の世界です。私は宗教には「ブランド」というものは存在しないと思います。本来の「憂き世」を如何にして少しでも幸福に生きるべきかということは人類永遠の課題であると思います。仏教では、たとえお金や財産が何も無い人達でさえ、困っている他人様を少しでも楽にし幸福な気持ちにできる術があるという教えがあります。(その教えの名称は今すぐに思い出すことはできません)。仏教に限らず、キリスト教においても、人間は本来「罪深い存在」であり、現世で様々な過ちを犯すが故に、現世においては、常に自らの生き方を反省し、その過ちを常に悔い改めるように教えられています。天理教の「あしきをはろうて」というお勤めの言葉も、常に我が身の生き方の過ち(ほこり」を反省し、「ほこり」を毎日のようにはらい、掃除しないと人間は幸福になる(陽気暮らし)ことはできないということであると私なりに解釈しているのですが、教会本部自体が「ほこり」にまみれきっていれば、どうしようもありません。教会本部がこのことに気づかない限り、教団は正に「崩壊寸前」の状態です。
宗教にブランドがあるのかはわかりませんが、確実にイメージはあると思います。
たとえば伊勢神宮にお参りに行くならドン引きされませんが、天理教の本部にお参りに行くとドン引きされます。世間的にも伊勢神宮=〇天理教=×という暗黙の了解的なイメージはあるのでは?
匿名様。久しぶりのコメントになります。議論について行けていない事をお許しください。天理教のイメージは、こちらの投稿にもありましたように、戦前の内務省報告書にあった内容が未だに続いているように思われます。いわく、信者を抑圧する拝金教であると。宗教を真剣に論議するのであれば、批判から始めるべきだと思います。数千年の時を経た三大、四大宗教も未だに人類を救済できているとは言えないからです。私は天理教の宗教的核心は、おふでさきや、おさしずの中だけであると考えております。天理教を信仰すると誓った瞬間から、おふでさきや、おさしずに対する応答義務が生じます。ところが、人は生まれや、育ち、立場(大教会長の長男と次男では雲泥の差があります。)能力差で同じおふでさきでも受け取りかたが違います。その結果、あまたの教会の乱立となったのでしょう。つまり、宗教は、人間が作ったものであり、教会や本部に背くことは神に背く事にはならず、人の都合に反対するだけであると思います。イメージの上げ下げは、正に人間の活動による賜物だろうと思います。
>宗教は、人間が作ったものであり、教会や本部に背くことは神に背く事にはならず、人の都合に反対するだけであると思います。イメージの上げ下げは、正に人間の活動による賜物だろうと思います。
イメージ(ブランド)の上げ下げは、正に人間の活動による賜物だろうと思います。
全くそのとおりだと私も思います。
崩壊様
>教会本部がこのことに気づかない限り、教団は正に「崩壊寸前」の状態です。
伽藍堂だけが残り形だけは何とかとどめていますが、実質・実態はもう崩壊しているのでは無いでしょうか?
教団は『心が大事』とうたうがその根本が腐っているから何にも成って来ないからね。理は鮮やか!ってやつ・・・
カネ集め、信者集め、伽藍堂を立てることに注力している段階でもうすでに崩壊しているといって間違い無いでしょう。
それに気づかず熱心に礼拝している敬虔な天理用木もまだいるのはいますがね・・・
誰がバカを再任?様。
>それに気づかず熱心に礼拝している敬虔な天理用木もまだいるのはいますがね・・・
いや、気づいている人が殆どかも知れない。
「天理教の組織には問題があるよな。」と発言すると、
「組織って何?信仰に組織は関係ないよ。」と議論が途切れた。
結局、組織はどうであれ、俺は俺の信仰をするという事なのか?
それでいいと言えばそれでいいが、
本当にそれでいいのかと思う。
組織の事には触れたくないのかも知れない。
古い元教会長様
お久し振りです。天理教組織の問題は、何度も議題に上がっていますがやはり、北朝鮮労働党との類比が分かりやすいと思います。脱北者は、政治的な冷酷さ、貧困を口にしますが一方で労働党内で安定した地位をしめる本人家族は、不満はあろうとも口にしません。粛清よりは現状維持を取るのが人間の本能でしょう。ただ、中国による経済的締め付けはかなり効いたのでしょう。事態は流動的です。同じように、一つの教条に規定され監視される集団は、イデオロギートップ集団に経済的、軍事的締め付けが来ると(特に経済的締め付けは、平和ボケした人間にはリアリティーを持つようです)事態は流動化するようです。このまま、お供えの総額が減少することで、将来確実に動きが出るでしょう。しかし、それは皆が望む方向ではないと思います。組織が生き残りを賭ける時、その内部の力量関係と運と外部圧力等の変数が加わって、思わぬ展開となるのでしょう。天理教にて、家計を立てている皆さま方は色々なサインを見過ごさず、注意するべきです。
>天理教にて、家計を立てている皆さま方は色々なサインを見過ごさず、注意するべきです。
教会本部の黒門は、老朽化し、耐震強度不足のため解体中ですが、そのまま取り壊すのか、あるいは新たに耐震基準を満たした構造物として新築するのか未定だということです。教会本部のなさることなので、天理市と目と鼻の距離にある桜井市の大三輪神社の大鳥居に対抗するような巨大な構造物を建てようとしているのか定かではありませんが、一体、あの黒門という構造物自体、何の意味があるのでしょか? 神道の鳥居を真似ているのでしょうか? 解体撤去するのか、あるいは、新築するのか。天理教の一つの動きとして注視に値すると思います。
教会本部の黒門について
黒門の解体作業は終了したようですが、新築するのか、あるいは解体したままで何も造らないのかは、未定のようです。
過去からの「おやさとやかた」プロジェクトの将来、そして、天理教教会本部の末路を推測する上で、注目に値すると思います。
黒門とレーニン
崩壊様
黒門は私が子供の頃から慣れ親しんだ門ですが、その様な事にはなっているとは知りませんでした。共産主義であれ、天理教であれ、イデオロギーや教えには目に見える形や、匂い、肌触りはありません。ですから、その威容を誇示するためにレーニン像や、金日成像が立ちます。黒門もそうしたモニュメントの一形態でしょうけれども、門外漢が見れば威容は、異様に変身します。黒門の大きさは、本部の大きさにふさわしく、黒は誠実さやフォーマルを意味していると思われるのですが、創建当初の時代の雰囲気には合っていたのでしょうか。現在を生きる、天理教のフィールドは現在であると認識していればその思想が現れた物ができると思いますが、時代外れの物が出てくる場合は指導部の機能不全、つまり信者さんのお供えの無駄使いに終わるのではなく、天理教の現代に対応する思想の貧困を露呈することになります。
賛成。でも改革まで待てないし、無駄な毎月の上級へのお供えきつい。すぐにでも教会を辞めたい。あと何年我慢すればいいのか?改革にも洗脳者との闘いで、忍耐と話に勝てる自信勝てるない。
突然失礼します。うつはこのままいくと命の危険を感じる時におこることもあるみたいです。理屈じゃない生き物としての防衛本能のような このままだと危ない 防衛本能が自分をフリーズしてるような かくいう私もうつでした。雪どけはきます
宗教はアヘン
日本共産党マンセー
ここは便所の落書きですか?
愚痴を書き連ねたいだけなら、2ちゃんねるに行ったほうがよろしいのではないでしょうか?
天理教組織の批判だけでなく、今後は批判派として、どうして行きたいのか?建設的な意見は少なすぎる気がします。
天理教という組織のブラック企業に勤めつつ、社長の悪口を書き連ね、己の不幸自慢ばかり。
そうグチグチ不平不満を口にして、自分がどれだけ不幸なのかをひけらかして、不幸自慢ばかり。
傍から見れば、直ぐに辞めて好きなことしたらいいじゃん。
あなたはなぜ、そうしないの?って思ってしまうんです。
天理教をやめれば、住む場所がなくなる。
親族が村八分にされる…。不安はつきないことでしょう。
最低限の衣食住が保証されている現状が、信仰初代から続いているのであれば、天理教組織を抜ける判断はそう簡単にはできない事だと思います。
だけど、辞めたら辞めたで、新たな道が開けると思いますよ。
天理教という組織が嫌なら、辞めたらいい。
辞めた人を集めて、異端の会を結成して、おやさまの教えに忠実に沿ったグループを作ればいいじゃないの。
おやさまは陰口はお嫌いとおっしゃってますよ。
グチグチ陰気は話がかりするくらいなら、おやさまの雛形に沿った生き方を歩んでみてはいかがでしょうか?
なんちゃってよふぼく様
>ここは便所の落書きですか?
愚痴を書き連ねたいだけなら、2ちゃんねるに行ったほうがよろしいのではないでしょうか?
そう思われるなら、あなたも、便所の落書きに反応しないで、放っておいたら良いと思います。
>天理教組織の批判だけでなく、今後は批判派として、どうして行きたいのか?建設的な意見は少なすぎる気がします。
天理教という組織のブラック企業に勤めつつ、社長の悪口を書き連ね、己の不幸自慢ばかり。
この組織が本来のあるべき姿になって欲しいだけです。生まれた時から否応なしにこの組織にかかわり、刷り込まれ洗脳されて来たことに気づき、経験してきた事実と隠された真実を述べているだけです。
ブラック企業と言われていますが、私は決して天理教に雇われている従業員ではありません。お金を出資している株主です。
>そうグチグチ不平不満を口にして、自分がどれだけ不幸なのかをひけらかして、不幸自慢ばかり。
傍から見れば、直ぐに辞めて好きなことしたらいいじゃん。
あなたはなぜ、そうしないの?って思ってしまうんです。
それは、個人の自由でしょう。あなたが意見を言うのも、何を思うのも、自由なように。
>天理教をやめれば、住む場所がなくなる。
親族が村八分にされる…。不安はつきないことでしょう。
最低限の衣食住が保証されている現状が、信仰初代から続いているのであれば、天理教組織を抜ける判断はそう簡単にはできない事だと思います。
よく分かっていらっしゃいますね。
>だけど、辞めたら辞めたで、新たな道が開けると思いますよ。
天理教という組織が嫌なら、辞めたらいい。
辞めた人を集めて、異端の会を結成して、おやさまの教えに忠実に沿ったグループを作ればいいじゃないの。
それも自由です。そうしている方もおられます。天理教を辞めた人の書き込みもあります。
>おやさまは陰口はお嫌いとおっしゃってますよ。
グチグチ陰気は話がかりするくらいなら、おやさまの雛形に沿った生き方を歩んでみてはいかがでしょうか?
あなたの、この文章こそ陰口ではないのですか?
ここの書き込みは陰口ではなく、天理教の真実と、それぞれが経験してきた事実なのです。
これは、隠された天理教の真実を知らない人にとって、大きな救いとなっています。
これも、人助けの一つです。
なんだかね、みんな結局教祖の言うことも満足に理解もせず、せせこしい信仰をされてるようで。
組織が嫌なら離れればいいし、おやさまをお慕いするなら直接教祖殿に行けばいいし、天理教辞めたならこんなとこで書き込みしたりみたりする必要もないし。
そこら辺の神社にいって大吉引いたのに何もいいことなかったって文句言うてる人とレベルが同じや。
今が当たり前に幸せすぎて「当たり前」なことに慣れてしもて幸せボケかましとる奴らばかり。
みなさま,おつかれさまです。
何十年と私たち家族は,親神様,おやさまの教えを純粋に信じながら,日々実行し,陽気ぐらしの実践とともに生きてきました。
しかし,神殿境内で盛大に行われたあの結婚披露祝賀会を見せられた時に,これは天の理の教えとはちがう異様な光景だと感じたのが私だけではないということを知ることになりました。
教会で育った私が天理大学で学び,お礼奉公の本部勤務を勤め終え,25年前に辞職し,大企業,海外で就職し生活しながら年月がすぎ,子供の頃に教わった教えとは違う方向に進んでいる教会本部のあり様をながめながら,信者たちのお供えからお与えや生活費をいただいている教会大教会本部関係者の言動を見たり聞いたりしては,その言動が親神様,おやさまの真に導きたい教えとは違う方向に進んでいると初めて実感したのはおぢばで生活するようになってからでした。
その状況がここまで教えからはなれていることは天理時報を見ていても,政治家が顔写真付きでようぼくになったと記載されたり,海外では先祖代々信仰している布教者信者子弟よりも,拠点の月次祭には参拝しないけれど,何年かに一度の本部行事に誘われて参加する現地の人たちを写真撮影記載したりと,今まで親神様,おやさまの教えについてきた人々をなおざりにしている本部のやりかたは残念でなりません。
今ここで大好きだった親神様,おやさまの教えに真心でもって,素直に教えに従って生きるべく, 教会本部の活動には参加せず,おぢば帰りと日々のおつとめ,ひのきしんにはげみ, ようきぐらしのみほんとなるような職場生活と家庭の維持に専念します。
神様のみちびきのもと教会本部の洗脳から解放された一ようぼく教人です。
ひとりでも多くの人々が洗脳から解き放たれ,まことのようきぐらしのようぼくとして生きることをねがってやみません。
世の中には天理教以外にも信仰すべきものがあると思います。
神社やお寺にもそれぞれの神様、仏様がおられますので、神仏のご加護ということでしたら天理教の各教会だけではなく、近在の神社や寺にお参りすることもいいのかと思います。最終的には真実のある人ならどんな信仰でも神様はご守護くださると思うのです。
やっと宗教の洗脳から解き放たれ時がやってきた。
何事も現代の信仰はしないほうがよい。
おぢばがえりをはじめ,神社や寺院など,聖地を訪問するのはよい。おぢばでふせこむことで受ける御守護はある。
しかし, 宗教団体に属すると,そこにいる人々のネガティブなカルマに翻弄される。そんな人たちを多く見てきた。自分もそうだった。
信仰することで身上事情がたすかると信じる信者。とくに新しく信者になった人々。おさづけと他人まかせ信仰。
天理教内の実態は他宗教批判。人種差別。天理教階級社会。中山家を皇室化する。男尊女卑。人の陰口や信仰態度批判。井の蛙状態の人々。温室育ちの天理ボケとよく言ったものだ。天理教と日本国,日本人が,アジア諸国では最も優れていると錯覚している教団および天理教関係者。
家庭崩壊の原因が教会運営,天理教団所属にまつわる諸事項。
身上事情が実は,現在の天理教の非常識さと,人が本来もつ良心と常識のはざまで苦しんだ葛藤のすえ,自虐信仰心からおこる結果の賜物だと目覚める人々。
今,あなたが天理教ということで苦しんでいるならば,即刻教団を離れた方が良い。しかし, 洗脳がとけるのには時間と本人の努力がいる。
信仰は自分が求めてこそ神が喜ぶ陽気ぐらし。
陰気ぐらしはやめよう。
押しつけ自我流信仰,一般社会経験ゼロに久しい教会本部と教会拠点関係者の傲慢さにはこれ以上接しない。
あなたが息苦しく感じているのは当然のこと。
おやさま,親神様は現天理教団体をはなれて独り立ちし,一般常識を保ちながら,一般社会でようきぐらしをするのを見て楽しみにしている。勇気をだしてみよう。
天理教以外の世界には人生いいことがいっぱいある。
人間として大成できる機会があふれている。
いつまでたっても迷惑な天理教です。
『人助けとは』
レーサービームと、スモッグ。
困っている人など、眼中からはずし。
お供えを、中山家の満足に使い当てる。
幸福の科学とかわらない。
お供えの強要や、組織内の虐めにより。
自害を選んだ方々がいる。
オウム天理教
天理教で人助けというが。
僕は、天理教で救われた人を見たことも会ったこともない。
天理教で、人助けとは、何を指すのだろうか。
僕は、社会学ブログに投稿している。
はぐれ雲が、誰なのか。
旧、上級、部内の人々は、気が付いているはずだ。
でも、僕は、書き続ける。
末端の極貧を越した協会に生まれ。
理不尽な、教会の内情。
卑怯で御身大切な、毎日喧嘩三昧な理不尽な両親。
十代の事故でからだの一部を欠損し。
多くの理不尽で上っ面だけな、天理教の大人たちと、罵られ、反発し、争い続けた。
二人しか居なかった信者さん方々も。
その家族は、天理教は嫌いだった。
そもそも、人助けなどできない。
ただの極貧の末端教会。
上級も、見て見ぬふり、聞いて知らないふり。
天理教部内でも、人助けなどできていない。
沢山の方々から、財産を騙しとり。
強要よう、嘘、すり替えで、組織を大きくし。
困っている人がいても、上っ面で聞くふりをする。
本当に、人助けなどするきもない。
僕は、2,3年前から、うつ病を患っている。
原因は、天理教と、心ない他界した両親と、欠損した体で無理を続けたことだ。
うつ病になると。
死にたいという衝動にかられる。
生きていく意味さえ、みいだせなる。
天理教が、人助けなどということに、恥を感じてほしい。
人助けとは、自己犠牲、そして、とてつもないパワーが必要だ。
行政との連携も必用だ。
でも、天理教は、金を頭においてから、人助けのふりをする。
人助けするためには、自分の全身全霊を注がなければならない。
本当に、、人助けをする気持ちがあるのだろうか?
組織が腐敗するなかで、組織の中の人さえたすけられていない。
本部や上層部は、助かったという偶然を。
さも、天理教の信仰のお陰で助かったかのように、自己満足で話をする。
吐き気がする。
この世の中。
色んな方々が、問題をかかえて生きている。
でも、天理教を信仰していない家庭の方が、陽気に暮らしている。
陽気とは、笑っていれば良いものではない。
人間は、試練の連続だ。
それを、みな、乗り越えて生きている。
天理教は、天理教という型にはめて、物事を話す。
非天理教の人からすると、異様な世界だ。
天理教を信仰する、天理教な大人たちへ。
誇りをもって、てんりきょうを、信仰していますか?
天理教は、素晴らしいと、伝えられますか。
でも、天理教が腐敗したのも。
天理教の大人たちの責任もあるんですよ。
若者、子供には、罪はない。
組織が悪いから。
それだけで済むことでもないとおもいます。
大人たちが、見て見ぬふりをしてきた。
戦わなかったつけが、いまあるんじゃないのですか?
いい人とは。
優しいだけじゃ違うとおもう。
自分が汚れても、守るべきものがあるんじゃあいのかな。
天理教は、人助けなどできない。
外部より、内部の人助けさえできない。
人助けの看板を下げた方がいい。
僕のように、人生後悔しかない残らないような。
悲しい人生にはなって欲しくない。
だから、書きかけぶのだ。
本部、上層部の方々へ。
いつまでも、責任逃れはやめにしましょう。
本部、上層部も、社会学ブログに書き込んでください。
社会学ブログを読んでください。
匿名さんもおおいけど。
ネームつけると、少し気分変わりますよ。
自分の声を、全国に発信しましょうね。
かきかけぶ、書き続ける
訂正いたします。
天理教はさまざまなかたちをとる数えきれないほどの数ある宗教や信仰団体の一つであると社会,国内外では認識されている事実を,盲目的信者は知るべきである。しかし, 盲目的なゆえに, そのことを知るすべを持たない。
お金教がはびこる今の日本社会では,目に見えるものが全てを語るという物質主義を根底に,現代社会思想が発展し,宗教や信仰もそれを基軸にする世相である。
天理教の目に見える姿:神殿, 親里やかた,教育施設,法人施設,敷地など数えきれない物質的なものが,戦後の物質主義が植え付けたれた脳には,権力を感じさせる魅力があり,20世紀では信用するに値した。しかし,物質主義は21世紀には通用しない。
日本が大戦とともに失った精神的社会,人間を超越する存在が認められ重要視される世紀がもどってきた。
その事実に目覚めたものたちは, 宗派や信仰団体に所属したり,それを形成せずに, 神は人間のうちに内在し,また,その命(神)を愛し尊び,個々人に内在する神を尊敬し生きる道を知ることになった。
その参考書の一つである「神との対話」を読むことが,真実に目覚めることの一助になることは確かである。
神様の存在を信じる者にとって,この本は人間がどのように生きるべきであるか,なぜ今この世に生かされているのかを理解する助けになる。
神の思いが,宗教家団体の湾曲したしきたりや思想で伝えられている現状に不満を持つものには,救いの一冊になるであろう。
読者がどのように神の真実を受け取り理解するかによって,あなたがこれから何を指針にして生きていくかに気づき,ゆがんだ信仰生活から目覚めるきっかけになること望む。
天理教だけがようきぐらしを言っているのではない。
神は人間に生きる意味と目的を知ってほしかった真実が多くの著書で明らかにされている。
日本語訳である「神との対話(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)」は多数ある中の一冊である。
人間の本来もつ,くもりのない,叡智(えいち)を,かつてあったこの日本の地にも,復活させるときがきたようだ。
高山のしんのはしらハとふじんや これが大一神のりいふく
元本勤さん。
誰のお陰で大学に行け、誰のお陰で本部勤務なんかできたん?全く節操ないわ。何の本?
どうやら、イスラム原理主義的な「真柱派」と言うのが米一粒程極々少数存在するようだ。
特に正善・善衛をシャーマンやら天才として煽動し「崇拝」している。
あのバカダイスケさえもシャーマンとして崇拝する。
まったく理解に苦しむ。
私も,上記の匿名さんや,現況の理解に苦しむ多くの信仰者たちと同じように, 原典や先人たちの著書をはじめ, 大学の講義,ようぼく会や教会本部主催の勉強,講演会や講習を通じて教理を学び, 教理と教団の言動の現状とのギャップに気づき,親神様,教祖様が教えた真実の教えとは違った方向へ導く人々や導かれる人々が存在する今の天理教団の方向性に疑問をもちながら苦しんでいる人が多く存在することが残念でならない。
信仰初代はじめ,代々,私自身もおぢばで伏せ込み,毎日,毎月のお供えをし, 朝夕のおつとめにも,けがをした足をひきづりながら, 一日も欠かすことなく甘露台を参拝しに日参し, 回廊拭きから,こどもおぢばがえり,お節ひのきしん,国内外主要人物接待ひのきしん等々,多くの学びと神様に喜んでもらえるひのきしんと陽気ぐらしと喜びをえた日々が懐かしい。ようぼくとしての御用をしながらも喜べない人びとの声を多く聞かされると,心が痛む。
多くの人々の心がたすかり,陽気な心で日々過ごされることを願ってやまない。
今おぢばや大教会,教会,布教所で伏せ込まれている方々には心を倒すことなく,おやさまを慕い,どのようなご苦労も喜びの種として,その種が花を咲かす日を楽しみに,しっかりと親神様の教えを実行されることを,自教会,大教会,教会本部,おぢばで伏せこんだ者の経験者の一人として言えることは, 皆さまにはおぢばの理をしっかりと受け取っていただき,人生の花を咲かされますように,神様にお祈りいたしております。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さまに栄光あれ。
元本勤 様
2019年3月24日 11:35 AM
>今おぢばや大教会,教会,布教所で伏せ込まれている方々には心を倒すことなく,おやさまを慕い,どのようなご苦労も喜びの種として,その種が花を咲かす日を楽しみに,しっかりと親神様の教えを実行されることを,自教会,大教会,教会本部,おぢばで伏せこんだ者の経験者の一人として言えることは, 皆さまにはおぢばの理をしっかりと受け取っていただき,人生の花を咲かされますように,神様にお祈りいたしております。<
私は「おぢばの理」なるものは存在しないと考えています。「おぢばの理」という言葉は、信者を上級教会や教会本部に絶対服従させるための詭弁にすぎません。上級教会や教会本部にいくら伏せこんでも、喜ぶのは「伏せこまれた側」であり、馬鹿を見るのは一般信者や布教所、末端教会です。人生の花が咲くどころか、人生を破滅に追い込みます。そうした被害者を数多く見てきました。最善の方法は現天理教から離れることに他なりません。
伏せ込むなんて言葉を聞きますと、自己犠牲により成り立っているとしか思えないのです。上級や本部はこれをいいことに何でも有りになってしまっているんです。使われいる方に何かが起これば、全て不徳とか因縁でかたずけてしまえるからです。
宗教には、労使関係なんて意識は皆無ですから、これって、非常に危険な関係ですよね。
不徳と因縁。何か事情・身上が起きれば悟る側の我々信者は自分の運の悪さを思って納得するのが天理教ですね。
天理に出かけるにも遠方の私は体が辛くて辛くて・・・。
でも、元気な人には理解していただけないんですよ。
「まだまだ若い!」の一言で片づけられます。「ひのきしん」が最も辛い!
教祖の教えの中で恨みたいのが「ひのきしん」。
これは自己犠牲の最たるものだと実感しています。
「ひのきしん」こそ、最下層信者に課せられる苦難です。お供えは自分の考え一つで決められますが「ひのきしん」は相手が存在するから、断るのに苦労します。
無償の労働力をあてにする教団運営は前近代的です。いくら教祖の教えに在るからといえども承服できません。
天理教の方々に問います。
業務上(ひのきしんなど無償の業務を含む)起きた事故による疾病は、健康保険は使えませんよ。労災保険の適用になります。使用者(雇っている方)が労災保険に加入にしていなければ、使用者が治療費を負担しなければなりませんよ。
気安く、ひのきんをしてください、なんて言えませんよ。分かっていますか。体が辛いと言っている人を無理矢理にひのきしんに駆り出すなど言語道断です。
間もなく一斉ひのきしんデー。参加される方も心して参加してください。
余談ですが、仮に日雇いの人を一週間だけ採用する場合でも、労災保険に加入しなければなりません。
分からないことは、労働基準監督署に相談してくださいね。
因縁詐欺だと解っているのに、においがけで街でやたら宣伝。
お供えと称して金銭の要求。
終いには金の繋ぎが命の繋ぎウンチャラ。
こんな宗教団体は辞めてしまえ。
無くなってしまえばいい。
「電話がかかって来て、お金の要求があったら一旦電話を切り家族の人、子供孫又は役所に相談しましょう。間違っても現金を用意してはいけません。オレオレ詐欺です。
因縁が出る、祟りに合う、魂の浄化、来世、因果応報等の言葉が出てきても先ずは家族や子供孫に聞きましょう。
絶対にお金は用意してはいけません。
◯◯町内会パトロールの会でした。」
町内会の安全パトロールはこんな事言ってました。
先ずは、お供えです。お供えもせずに願い事をかなえてくださいなんて、図々しい。
こんな神殿講話をした人が居ました。大教会の役員さんです。
「お供えした人としない人が御守護が一緒言うなら阿呆らしくてしゃあないやろ。違いがあって当然なんです。今うちには◯◯◯万円の借金があって、後◯◯年支払いがあって、、、」
自教会の借金払いの為のお供えをしてくれ、と言う講話です。この人は大教会長の言いなりの操り人形の様な人です。借金が有るにもかかわらず、お供え競争している様な人間。大教会への見栄をはりたがるんです。
自分ら一家は数カ所ある部内からのお供えでのらりくらりと布教もせずにぶらぶらしていた人間です。日頃の暮らしぶりはみんな知っていますがぶらぶらする事と、夜になると酒でグダグダ言う日々です。
彼がお供えしたと言うなら、それは全部部内から上がった人の金です。
詐欺師と言うならホント、詐欺師と何ら変わりない。
ある宗教のえらいさんは日に3度朝ドラを見てる。よっぽど暇なんだなあ!と言われました。
私どもの詰め所でも「天理教の時間」と称して7:30 8:00 12:45分と1日3回事務所に人が集まります!
なるほどなあと思いました!
詰め所のふしんで1億5千万をかき集め、駅前の部内を3億で売却し半分を大教会におそなえ
いったい何をしたいのかさっぱりわかりません。
金をかき集めるだけで一生が終わるむなしい人生です!
知っています。本当です。天理教は警察に何かしらのお中元的な事はしています。
奈良県警幹部が創価学会で、本部に行事があれば警備と称してパトカーで本部前をウロウロさせ天理教に圧力をかけていると10年位前に聞いた事があります。
奈良県内では太鼓の音がうるさいと騒音公害で市民から通報されている大教会もあるらしくこの大教会にもパトカーが出入りししているようです。
しかし天理教は一般市民の中で生きている自覚を持ち、だめの教えと自分一人が勝手に言っているに過ぎない微小集団なのだから、早朝に太鼓でドンドコするのは自重すべき時代に来ていると思います。
おみきばあさんの口実
おみきばあさんは、天啓により神の言葉を伝える役割を果たすことを使命とし
人間のお尋ねを神に取次ぎ神の回答を口実するだけの人でした。
屋敷やお供えなどは必要ないと言っておられます
おみきばあさんが亡くなった時から神の言葉は聞けないのに、回答だと欲深い取り巻き者が自分の都合に良い事を神の教えと伝えたのです
この時から天理教はおみきばあさんの言っていた天理教中山家から欲深い者の意向伝達の組織と変革したのです。
御筆先には金品をお供えしなさいとは有りません。
おみきばあさんの血族が神の言葉を伝えることが出来るのであれば私も出来るはずですがそんな事は一切有りません
教会組織に入らないでも天理教の教えは実行できます
私の家族は教会組織に入らないで105年も陽気に暮らしています。
天理教は人間の元をはじめた神の教えです。
それを否定することは、現代社会の正義です。
そんな神などいないと、言う意見。そんな神はいたとしても天理教の神じゃないという意見。正義です。
正義の立場で真柱や、教団を批判する天理教社会学研究所さんは、多くの偽者の天理教信者を、
正義に目覚めさせました。
本物の天理教信者は、正義ではないが、中山みき天理王命の子です。
我孫子事件がありました。刑事事件になりました。依頼された行為といえ、あきらかに人を殺してます。
天理王命は高く評価しています。それが天理教の親神です。
天理王命は天罰を与えるとお筆先にお指図に、読み取れるものにだけ読み取れるように、
明確に、書いています。
赤い衣装の悪魔と、基本は呼んでいます。ギリシャ語に言う意味にて、呪詛するのが天理教の基本です。
批判は正義ですから、神は喜びますが、嘘をつくとお釈迦様の教えに反し、仏罰の対象になります。
また、正義の立場の批判にしても、確証のない個人攻撃は、人格攻撃は犯罪です。
基本は呪詛しますが、呪いではなく、神にささげます、お任せしますという意味の呪詛なので、無罪です。
参謀さんは隠し子などのいくつかの事実について不確実な状態で、二代真柱攻撃をしています。
オカルトである基本は参謀さんの正義を正義であれと、神仏に呪詛します。
また、基本は、天理教の真柱を信心の終身に位置させ、信頼しており、そのことは15年以上前から、
WEB上に、述べておりますので、社会的にも信用があり信仰の中心の人物の二代真柱への誹謗中傷、
証拠や資料の明示のない、故なき誹謗中傷をやめていただきたいとお願いする権利があります。
そこで、天理教を批判する社会正義において、参謀さんは、記述に虚偽の風説や、嘘の無いようお願いします。
参謀さんのこの掲示板の使用目的が、心柱の名誉毀損や虚偽の風説の流布にあるなら、違法行為です。
直ちにお止めください。
念のために、注意させていただき、警告とします。
また管理人において、参謀さんの投稿の内容を確認をお願いします。管理人さんも呪詛します。
匿名 2019年3月8日 7:01 PM
どうやら、イスラム原理主義的な「真柱派」と言うのが米一粒程極々少数存在するようだ。
特に正善・善衛をシャーマンやら天才として煽動し「崇拝」している。
あのバカダイスケさえもシャーマンとして崇拝する。
まったく理解に苦しむ。
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これを書かれました匿名さんに、はじめまして、私が真柱派の基本です。
真柱をシャーマンとして天災として、信心しています。
「バカダイスケ」さんもシャーマンだと思います。
ご批判はおありでしょうが、基本なりに根拠を持っています。
基本はイスラム原理主義的な立場には無く自由に研究する立場です。天理教団研究、天理研究などあります。
特に基本は、中山みきの予言を研究史し、天災の予言の分野では。
お筆先の2号 明治2巳年3月 72才老女 の歌の予言。これを現代に見立てました。
40 高山に火と水とがみへてある たれがめへにもこれがみへんか
41 たん/\といかなはなしもといてある たしかな事がみゑてあるから
42 しやハせをよきよふにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ
43 なにもかもごふよくつくしそのゆへハ 神のりいふくみへてくるぞや
44 だん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる
45 このはなしとこの事ともゆハんてな みへてきたればみなとくしんせ
について、
だん/\と十五日よりとあるのは、予言した明治2年、(1869年)の150年後の出来事で、2019年と、解読し、
「中山みきの権威と 上の権威のたたかい」と名づけて、2チャンネルに投稿しました。
火と水については、悪なら天災そのものに理解する、それがの基本で、善なら豊年と理解するのが基本であるとしました。今年の異常気象の予言と解析し、不幸な側に的中しています。
以上のように、まじめに研究しております。基本がオカルトであり、小粒ながら天理教研究家とご理解ください。
「ダイスケ」がシャーマンということですが、、呪術、呪法、祈祷の基礎知識の確認です。
呪文を唱えることも、一種の模倣です。おさづけの時に唱える文言も呪文ですから、正確に唱えることは必須です。
ふりをすると言う事も、一種の模倣です。
小さなモデルを作って例えば「のろいの相手方のモデル・わら人形」、それに杭を打ち込んで、相手に痛みを与えるというのも、模倣呪法です。
そこで中山みきの説では、元の地場に「この世のモデル=ひながた」をこしらえて、そのひな型において起きたことを世界に映すという、 これは典型的な大魔術師の呪法です。
「地場は鏡屋敷」というのは、呪法で言うなら、模倣呪法の最高レベルです。 世界中に効力が及ぶとすればです。
歴史的な事実が一つのモデルを示しています。
初代真柱が中山家に入る → 43年 関東大震災。 天災
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年 阪神大震災。 天災
三代真柱の真柱職に就任 → 43年 東北大震災。 天災
中山みき 誕生 → 126年 関東大震災。 天災
中山みき 甘露台の予言。 → 126年 東北淡路大震災 天災
中山みき「我は天の将軍なり。 → 126年 東北地方太平洋沖地震 天災
シャーマンとしてみても、中山家の出来事に天災をリンクする。しているわけです。
これほどに大掛かりな「ためし」を呪法として用いている。
中山家は世界の不幸のひな型の役割で、天災のモデル、ひな型は、そういうものとして、思案しなくてはなりません。
だから、基本は、真柱をシャーマンとして天災として、信心しています。
「バカダイスケ」さんもシャーマンだと思います。天災にかかわる人物と、やがてわかるでしょう。
>40 高山に火と水とがみへてある
須藤花井さんが教えてくれました。
「あれはなダムと火山だ。ダムが外れたら洪水が起こる。だから、川沿いにいたらあかんよ」
東北地方太平洋沖地震(平成23年3月11日)では、福島県須賀川市を流れる阿武隈川水系の支流・簀の子(すのこ)川に建設されていた藤沼ダムの堰堤が決壊しています。
下流地域では、死者7名・行方不明者1名を出し、流出や全壊の家屋、床上床下浸水家屋など多くの被害が発生しています。
水田や畑など農業関係にも大きな被害が出たそうです。
貯水池や農業用ダムが地震で決壊し、死傷者が出たのは、昭和5年以降世界で報告例が無いそうです。
2年ぶりに見たけど安心の天理教
書き込みづらさ天下一神様っているな!
多分みんな知ってるのに忘れてるだけじゃない?
自分だけの嘆きに縛られたら、わからないまま!
ちゃんと伝えて下さい
自分がどうしたかを聞きたいです。
どうなったら良かったのですか?
↑
こう言う意味不明な人達が妄信的に動き回るからこの狂った教団はかろうじて支えられてるんですね。こう言う自分の頭で考えられない人間を囲っておくことこそ教団の利益になる思うつぼなんですが。
こう言う人達の目を覚まさせるのが、今後の課題でしょう。
教会生活で生活している者です。昨年の4月からです。共感して貰えるかは不明ですが、悩んでることを書いてみます。
大分前に、偶然にもこのブログを発見。天理教に対して様々な疑問を持っていたので興味本位でこのブログにアクセスしたところ、案の定…天理教に対して疑問をお持ちの方がこれ程いるとは少し驚きました…。
このブログにコメントしている方々は何かしら疑問を抱いているのですよね。
話は変わりますが、『教会から離れたいです』。。
これまで何度か教会内の人や会長さんに相談をしてみたのですが、皆殆ど同様の返答ばかり…『徳を積め』・『神にもたれる』・『伏せ込めば何とかなる』等、現実から目を背けるようなことしか言わない。
勿論、全員とは言いませんが。でも何故?僕は疑問しかない。一体いつまで、もしかしてこの先もずっとそんな事を言うのか?
天理教に神はいるのか?
本当に『神』や『親』の言いなりにしていれば良いのだろうか?
出来なくてもいいから、自分で何か行動をしてみるのもOKだと思う。
これからも天理教が存在していくのであれば、改革、軌道修正を行うしかない。でも、その気はあるのか?まあ改革等起こしたところで…期待はしませんが。
最近は将来のことを考えたり、どこか近場か何かで暮らせる場所無いかな?何て考えている毎日になっています。
誰にも相談できないので、ブログに書き込ませて頂きました。天理教はこれからどうなるのかな?
所々文章が変ですがお許し下さい。
教会生活辞めるか悩んでいる。 様
2019年11月17日 9:20 PM
>>話は変わりますが、『教会から離れたいです』。。
これまで何度か教会内の人や会長さんに相談をしてみたのですが、皆殆ど同様の返答ばかり…『徳を積め』・『神にもたれる』・『伏せ込めば何とかなる』等、現実から目を背けるようなことしか言わない。
勿論、全員とは言いませんが。でも何故?僕は疑問しかない。一体いつまで、もしかしてこの先もずっとそんな事を言うのか?<<
結論から申し上げます。迅速に天理教から離れるべきだと思います。文面から拝察するに、教会に住み込んでおられる青年さんだと思いますが、天理教は近い将来、間違いなく終焉を迎えます。『徳を積め』・『神にもたれる』・『伏せ込めば何とかなる』等は、あなたを引き留めるための虚言です。決して騙されてはいけません。まず、社会に出て経済的な基礎をつくられるべきです。ご家族がおられるのかどうか存じませんが、天理教から離れた後の生活設計をしっかりとたてられた上で、行動を起こすべきです。このまま、天理教という「泥船」に乗っていれば、ご自身も共に沈没してしまいます。
教会生活辞めるか悩んでいる様。
>>出来なくてもいいから、自分で何か行動をしてみるのもOKだと思う。<<
その通りです。親族の若い女性も大教会に伏せ込んで汚い世界を見てしまい嫌気がさして遠ざかりました。不信感からです。また別の大教会から逃げ出した青年さんがいて話を聞くと、まるでタダ働きの奴隷でした。
命からがら逃げても家を知られているからひつこく家まで押しかけて神にもたれよ、と各種行事に誘い出そうとするそうです。
今、天理教からは人が逃げ出していますから、体裁を重視する教会は頭数が一人でも多く欲しいのです。そんなのは人間の都合の集団です。信仰では有りません。こんな所に長く居ると年だけ重ね、将来働こうにも各種スキルを得る機会さえも失われ、自立自活の道を閉ざされるのです。言葉は悪いが天理教内で「飼い殺し」にされるのですよ。
バイトでもパートでも良いですから、社会に出て、自力で食べる事を考えて下さい。教会長には自分はハタハタを楽にする為に働きます、と言って出てください。天理教には教祖が言った「ハタハタを楽にする」と言う働く事をこのように肯定する言葉があるのです。
天理教は今沈しているいる最中です。それは神が見放している集団だからです。している事が神の目にかなっていないから沈没しているのです。そんな集団に身を置けば自滅するしかないんです。
勇気がいりますがその「飼い殺し世界」から脱出して下さい。社会は厳しくも有りますが世に役立つ充実感も有り、様々可能性もあるのです。
多勢の若者が疑問を持って逃げ出しています。一人だけではありません。どうか勇気を持って!!!
教会生活辞めるか悩んでいる 様
適切な無量の相談機関が複数あります。住居を提供してくれるところもあるようです。そこで適切なアドバイスが得られるかもしれません。ただし、バックに宗教が絡んでいるところは避けた方が賢明でしょう。
そのほか、いろいろなセーフティネットがあります。公益社団法人や非営利特定法人等が冠された団体であれば信用力は抜群です。
「行き場のない方の相談機関「」で検索してみてください。
更に、技能訓練センターも各地にあります。ご自分に合った技能を習得できます。知人(38歳当時)で電気が好きだった人がポリテクセンターでシーケンスを勉強して、今は大企業の電気設備の維持管理の仕事をしながら上級資格の取得を目指して勉強しています。
色々な技能コースがありますので、見極めて勉強なさっては如何ですか。
先ず、相談機関を検索してみてください。
匿名。様
ありがとうございます。
今は、寮や付きのアルバイトがあるみたいですね(と言っても、このブログのコメントを見て知ったのですが…)。
仮に辞めたとしても実家に戻るのは気が引けます。短期間か長期間か不明ですが取り敢えず近場に寮付きのアルバイトが無いか探し中です。一人暮らしはまだ…早いですかね?
何れにしよ、昨年の11月から今日まで言われるがままに道専務として伏せ込んで来ましたが、もうどれだけ自分の気持ちを殺して頑張ったことかなと思っています。特に約束も決めず日々を送っていたので、一年伏せ込めばもう十分な気がします。
確かに…天理教から人が離れたり逃げ出したりするのも無理はないですね。
本来は高低差が『無い』教えの筈です。
どうしてこれほど教祖の教えから外れているのですかね?変な解釈をした人がいるのですか…?
昨年の11月末には会長が僕を見下すような発言をしてきましたし…。
分かっているのですが、会長側からしたら見下してはいないのだろうと思います。
『たすけあい』…一体何なのか?
かなり変な余談を書いて申し訳ありません。
教会生活辞めるか悩んでいる 様
2019年11月18日 1:10 PM
以前にも同様の相談を投稿された方がおられますが、東風Z様がおっしゃるように、信頼できる公的な相談機関があります。地元のハローワークや労働局でも相談にのってくれるはずですので、一度、電話でお問い合わせになり、直接、出向いて相談を受けられるのも一つの方法かもしれません。就職は一生でとても大事なことです。アルバイトの場合、社会保険等に加入してもらえないケースが多く、老後の年金も不安です。雇用条件も不安定で、いつ解雇されるか分かりません。できれば、アルバイトではなく、定年まで長期間勤務できそうな正社員としてのお仕事を探されたほうがよいと思います。また、勤め先に寮が無くても、家賃が比較的安い、県営住宅や市営住宅等の公営住宅を借りるという方法もあります。
教会生活辞めるか悩んでいる 様
一旦出るとなると、いろんな嫌味や嫌がらせ、脅し発言があると思いますが、そう言う話はこの天理教世界では織り込み済みですからね。勝手に言わせて聞き流してOKですよ。命が無くなる、とか言うかもしれません。そう言った事を予め腹に置いて行動に移して下さいね。命が無くなる事はありませんから安心して。
一年も無意味な時間を過ごされたんですね。その辛抱は信仰的には無意味でしたが、神の目から見たら哀れに思い、今後力を頂けるものと思います。
こちらから働き掛けをしない限り、天理教の奴隷的伏せ込みはエンドレスですから、一年経った今が教会を出る好契機です。
崩壊。様
わざわざありがとうございます。皆様専門的に詳しいようで。色々な相談機関があるのですね。そう言った目を向けるのを忘れていたので…
勿論、最終的には正社員に就きます。
アルバイトから始めるのは良い事でしょうか?又、アルバイトをしたい、就職先を探したい。と、教会の方々に伝えた方がいいですか?何か勉強はなさった方が良いでしょうか?質問が多くなって申し訳ありません。
匿名様
そうですね。
神様は信仰辞めれば『命が無くなる!』
はい??間違ってもそんな事は言ってませんね。
崩壊様が言っていましたが、騙されてはいけないのも事実。人間自ら行動をすることに意味があるのだと思います。何か奇跡が起きたなら神様(?)なのかもしれないですが。
一年なんて誰でも耐えられるのでしょうけど、『自分はよくここまで頑張ったな』と、道中が辛かったので褒めています。
皆、声(意見)を出せば何か少し変わるのでは?と思っています。そしてコミニュケーションを取るのは必要不可欠な事です。何故なら如何なる時でも?お道は『たすけあい』なのですから。
変わらなければ一生現状維持のままでしょうね。
匿名様。
はい、世間が厳しい事は承知しております。
最近、久々に世間の人とお話をしましたが、やはり外の人とコミュニケーションを取るのも必要不可欠な事です、そこで痛感することも多々…。
脱出…罪悪感やら何やら半端なさそう…。
今は寮付きバイトを視野に入れてます。勿論、他の人のコメントも参考にしながら頑張ってみます。
ご自分の人生ですから、ご自分の思う通りに生きられたらよろしいのではないかと・・・
人生、すべてが学びです。努力をして、ムダになることは一つもない。・・と、そう、先達の方から教わりました。
バイトとか何とか、心配なさっているようですが、種をまく前から心配されても仕方がない、と思います。
まいたる種はみなはえる、で、来年の今頃、種が芽吹いてホクホクされているかもしれませんよ。
もちろん、何をするにつけ不安はつきもの、リスクもつきもの。当たって砕けろ!のつもりで、挑戦されてみて下さい。
教会生活辞めようかと悩んでいるさんに、おやさまのお導きとご守護がありますように。
「教会住み込み生活も一年経過しました。
皆さんにはお世話になりました。感謝しています。
つきましてはこの度教会の外での生活を始めたいと考えました。
具体的な方策を整えるにも、教会生活の中では時間的な縛りもあって
動くことができません。そこで何月何日をもちまして退出させて
頂きたいと思います。
荷物に関しては実家にとりあえず送りたいと思います。
ありがとうございました。」
上記は退出の際の波風立てないための大人の言い訳方法の「骨子」です。
いろいろ質問されると思いますが、答えないで(口を開かない)おけば
良いのです。多弁はおとし穴を掘りますから。黙っていれば相手が
勝手にイメージを作り上げるでしょう。教会から出るためには固い決心が
必要なので、相手にその点が伝わらないと、結局、騒動を起こすだけに
終わるかもしれないのです。
教会から出る人はザラにいます。教団から離れても、多分、貴方の心の中には
神様(天理王の命とは限りません。神様一般です!)という概念が残るかもしれません。
その時はその都度、神様と向かい合えばよいのです。
まずは外へ出ない事には、各種相談先を調べるにも方法も時間も整えられません。
一時的に実家に身を寄せる事も視野に入れてください。
親は行方不明の息子を心配しますから、今後の道を調べること、決める事を第一に
一時的に返ってきたことを伝えれば、親は内心、安心してくれるはず。
何よりも正規の仕事を見つける姿勢で始めるには住まいがあやふやでは履歴書にかけません。
前職を記入するにも、例えば親の家業を手伝っていた(就職難ですから嘘も方便です。)とか、
農家の手伝いをしていたとか、ぼかすこともできます。
正社員の職を得るために、一番先に行ってほしい相談先は各地に在る国の職業相談所です。
受付をすませばあとは画面上で条件を選び、自分で良いと思った企業のページを印刷できます。
自分でPCを持っていなくても無料で検索・印刷ができます。
アルバイト・パートも検索できますが、貴方は若い方のようですから、今からバイトで始めるのは
もったいないですよ。まずは正社員から始めましょう。
貴方の教会がもしも首都圏にあるのでしたら近くの職安(昔からこの言葉で表現していますから
交番や役所で近くに職安があるかどうか尋ねる際に、交番の人や誰が聞いても理解してもらえるはずです。)
で手始めに試してみてはいかがでしょうか。
職安は第一に尋ねる先として有効です。若い人向けに特化した窓口を設けている所もあります。
ただ、時間をかけてあきらめずに探すことと面接も10社や20社は人並みだと覚悟を決めてください。
いくつも複数受けても大丈夫です。あなたの人柄が素直な印象を受けますので注意点としては
ブラック企業につけこまれないように、しっかりと企業を観察することをお忘れなく!
教会生活辞めようか悩んでいる 様
2019年11月18日 6:06 PM
>>勿論、最終的には正社員に就きます。
アルバイトから始めるのは良い事でしょうか?又、アルバイトをしたい、就職先を探したい。と、教会の方々に伝えた方がいいですか?何か勉強はなさった方が良いでしょうか?質問が多くなって申し訳ありません。<<
世間に慣れる、社会に慣れるという意味では、短期間、アルバイトをするのもよいと思います。しかし、自分の興味や、特技、得手、不得手等を総合的に勘案して、定年まで長期間勤められる企業で正社員になられたほうが良いと思います。正社員であれば、ほとんどの企業が社会保険に加入しているはずですが、社会保険や労災保険、雇用保険等、法令で定められた制度に加入していない、いわゆるブラック企業もありますので、十分、調べられたほうがよいと思います。今、日本の国は少子高齢化が進み、年金制度をはじめとする社会保障制度が、将来、どのようになっていくのか、非常に不透明かつ不安定な状態にあります。厚生年金は、国民年金に比べれば、今のところ「部の良い年金」なので、社会保険のある企業をお勧めします。
天理教の教理では、「働くということは、はたはたを楽にすること」と教えられています。また「朝起き、正直、働き」という教えもあります。教会の人には、働きたいという意思を正々堂々と胸を張って、お話になったらよいと思います。誰もあなたを引き止めることはできないはずです。どういう仕事を希望されているのか存じませんが、自分が就きたい仕事の入門編的な書籍や雑誌等を読まれておけば良いと思います。お金を出さなくとも公立図書館で無料で借りることもできます。また、新聞やテレビのニュース等を毎日、欠かさず見て、経済や政治の動向を知っておくことも非常に大事だと思います。
蛇足ですが、厚生労働省管轄の「職安」は、現在、「ハローワーク」という名称で呼ばれています。ハローワークという名称の方が、現在では一般的です。
議論途中のコメント申し訳ありません。このシリーズがあることを認識して一気に読みました。真剣な議論と、信仰の本質を理解し、現状の天理教団体の運営にやるせなさなさに共感しました。私も教祖の教えと父母の信仰ではなく天理教会団体、上級のひどい仕打ちに疑問を持ってました。私の願いは、良識に目覚めた教会がみんなで一斉に離脱して本当の教祖様の希望した教えになれば良いと思います。
私の父の会長は議論では勝てないので、親に逆らうのか。と、途中で話しが終わります。私も父に根気よく話そうと思います。天理教壇ではなく教祖の教えを信じる仲間で未来を語りたいです。
今のしがらみからは離れたい、死んだ母の思い出の信仰は大事にしたいと思います、変ですよね。
末端教会長の子供 様
>今のしがらみからは離れたい、死んだ母の思い出の信仰は大事にしたいと思います、変ですよね。
変じゃないです。皆そこのところで悩み苦しんでいるのです。
上級という立場を、身分と勘違いしているところが問題です。
いくら言っても上の者は理解出来ないようです。
今後の身の振り方は考えておいた方が良いと思います。
末端教会長の子供。様
大丈夫ですよ。
その通りだと思います。
僕は教会に入り込んでこの教団の異常さに気付かせて頂きました。入り込んでいなければ何も気付けなかった事でしょう。
同じく一層の事、信者が離脱すれば御供えで生活することも、生計を立てることも不可能になる。たが万が一困るのは教会内の人。それが嫌なら全員が世上へ出て労働提供して賃金を得る。そうすれば毎日の衣食・生計etcも得た給料の中で自由に使えば良いと思います。因みに今は御供えが強制されるような雰囲気がありますが、任意でOK。
崩壊様が、『働くということは、ハタハタを楽にすること』。と言っています。
本来であれば教会民も世間に出て働くのが普通です。
最後に…
天理教に属さなくても、『神様』はいますし、何処にいても私達を見守り下さっております。信仰をするしない、神を信じる信じないも私たちの自由なのであります
まだまだ思う事が沢山ありますが、書くと長文になるのでこの辺で。
進路は今時、当人があーだこーだ言おうと教会が決定する事が出来るのですか?
決定権は此方には存在しないのでしょうか?
色々と訳分からなくなる…。
教会生活辞めようか悩んでいる 様
2019年11月20日 9:33 PM
>>進路は今時、当人があーだこーだ言おうと教会が決定する事が出来るのですか?
決定権は此方には存在しないのでしょうか?
色々と訳分からなくなる…。<<
当たり前のことですが、教会に個人の進路を干渉する権利などありません。個人の進路を決定するのは、その個人ですので、心配無用です。
崩壊様。
ありがとうございます。干渉する権利なんて一切ございませんよね、本当にその通りです。
何故か会長の独断で専修科へ行く事が決定していたので…
『行きます』と言っていないのにも関わらず願書を配布され、挙げ句の果てに今日、願書を早く持って来て!!と。
相手は専修科に行く事が絶対的に正しいと思っているようです!
僕は押し問答して勝利が出来る人間ではないので、今度言ってきたら最悪教会から飛び出ようと考えています。
教会生活辞めようか悩んでいる さま
「何故か会長の独断で専修科へ行く事が決定していたので…」
これは明らかに人権侵害です。このあたりの感覚は、天理教人と一般の人との感覚はかなり乖離しています。
教団では人権侵害が横行していますが、あまりにもそれが当たり前なので無自覚です。
そんな組織に一人で抗っても時間の無駄なので、さっさと逃げてください。一刻も早く。
教会生活辞めようか悩んでいる様
強い意志を持つ事が大事です。
一生の事です。
人にどう思われるか、なんて考える必要はありません。
上の人は、弱い人には強いけれど、強い人には弱いものです。
応援しています。
コメントありがとうございます。
この記事を自分の目線で読んで納得してます。
父の会長の目線で考えると、教団が悪いと認めると自分の人生を否定してしまうと考えてしまうのでしょう。
多分自分でもわかっているので、余計に一途に信じようとしてるようです。お供えはきっぱりともうしません。自分で出来ることをします。父の心をどうすれば解放できるか色々と試してみます。
教会生活辞めようか悩んでいる 様
2019年11月20日 10:42 PM
>>何故か会長の独断で専修科へ行く事が決定していたので…
『行きます』と言っていないのにも関わらず願書を配布され、挙げ句の果てに今日、願書を早く持って来て!!と。
相手は専修科に行く事が絶対的に正しいと思っているようです!
僕は押し問答して勝利が出来る人間ではないので、今度言ってきたら最悪教会から飛び出ようと考えています。<<
会長の言動は、明らかに人権侵害ですね。長年にわたり「天理教は絶対に正しい」という考えを刷り込まれた人は、世間の規範や一般常識が理解できなくなるのです。ある意味では、その会長さんも天理教の被害者と言ってもよいでしょう。大変、語弊のある不適切な表現であることを重々承知のうえで敢えて使わせていただきますが、その会長さんは天理教に洗脳されてしまった「狂人」です。「狂人」といくら押し問答をしても無駄な時間とエネルギーを費やすだけです。ある程度、生活の目途がたてば、迅速に教会を飛び出すべきでしょう。
末端教会長の子供 様
2019年11月21日 8:27 AM
>>父の会長の目線で考えると、教団が悪いと認めると自分の人生を否定してしまうと考えてしまうのでしょう。
多分自分でもわかっているので、余計に一途に信じようとしてるようです。お供えはきっぱりともうしません。自分で出来ることをします。父の心をどうすれば解放できるか色々と試してみます。<<
長年、正しいと思ってきたことを否定することは、間違いであると薄々分かっていても否定しづらいのでしょうね。その反動で余計に一途に信じようとされるのでしょう。一案として日本古来からある仏教寺院をお父様と訪ねて僧侶の話を聞いたり、キリスト教の教会を訪ねて牧師の話を聞いたりすることもよいかもしれません。「天理教ドップリ」の状態から抜け出す方法は、古くからある他宗教の雰囲気や教えに触れることから開けるかもしれません。
>>一案として日本古来からある仏教寺院をお父様と訪ねて僧侶の話を聞いたり、キリスト教の教会を訪ねて牧師の話を聞いたりすることもよいかもしれません。<<
補足します。初めは観光旅行ということで、例えば座禅体験のできる禅宗の寺院や最近ブームになっている西国八十八ヶ所巡り(バスツアー有り)、京都の紅葉で有名な寺院巡り、先頃、世界遺産に指定された九州のキリスト教教会のミサの見学等をされたらいかがでしょう。
崩壊様
末端教会長の子供様
古い元教会長様
匿名なんです。様
ぶたまん様
東風Z様
沢山のアドバイス・ご助言等、感謝致します!
文章力がほとんど無いため分かりにくい箇所があるかもしれません。でしたら申し訳ありません。
余談ですが、『願書』は来月の5日までに提出するみたいです。
>>余談ですが、『願書』は来月の5日までに提出するみたいです。<<
それ自体が違法行為であり犯罪です。警察署に被害届を出すべきです。もし、被害届が受理されなければ、弁護士等の司法専門家に相談するべきです。どの市町村にお住まいか存じませんが、市町村役場で弁護士による「無料法律相談」を実施しています。5日までに「願書」を出すということで、時間があまりありませんが、一度、相談されたらよいと思います。また、地元の法務局でも「人権相談」の窓口がありますので、相談されたらよいと思います。
また、仮に専修科に合格したとしても、全く登校せずに、そのまま教会から逃げ出すという方法もあります。いろいろな方法があるので、絶対にあきらめないでください。
専修科の事務所に「会長が勝手に願書を提出しましたが、入学する意思はありませんので、落として下さい」と電話してもよいかと思います。
その会長からは逃げるしか手はないですね。
話し合いでは解決しません。
よく考えて、計画的に行動して下さい。
古い元教会長 様
2019年11月21日 7:55 PM
>>専修科の事務所に「会長が勝手に願書を提出しましたが、入学する意思はありませんので、落として下さい」と電話してもよいかと思います。<<
それも良い方法ですね。ただし、電話ではなく、相手が確かに受け取ったことを証明できる「内容配達証明的郵便物」の方がよいと思います。当たり前のことですが、その郵便物には差出人の住所氏名と受取人の住所氏名を明記しておかなければなりません。
>>専修科の事務所に「会長が勝手に願書を提出しましたが、入学する意思はありませんので、落として下さい」と電話してもよいかと思います。
教校卒から言わせてもらえば、
電話をしても、即大教会長へ連絡が行き、、大教会長から上級や所属教会長から呼び出され、お叱りを受け、逆に監視の目が厳しくなるような気がします。
願書を出しても行く意思がないことをまず伝え、おそらく聞く耳持たずでしょうから受験しない。
それも無理で、無理矢理行かされて白紙で出しても、教校から大教会へ連絡、意向を確認、合格することもあるそうです。
興味本位で受けた、多宗教の人は受からなかったような話は聞いたことあります。
なんかこれ聞いただけでも、狂ってますよね。
何しても無駄なのかと無力感に襲われそうですね。。。
法的手段を取るのが最善だと思います。それには大教会も弱いと思いますよ。
天理教は人権意識が異常に低いです。数億円の借金を信者や教会に背負わせている殿様大教会では人の出直し以外は信者の教会行事の欠席を認めません。異常な神様中心主義で我々が社会の中で生きていると言う現実を理解していません。教内では殿様ができても世間に出たら箸にも棒にもかからない程度の世間知らずな人物です。哀れの極みです。
以前、天理時報の購読中止の電話を時報社にしたら、所属教会長に電話が行き、辞める理由を正されました。購読料はこちら持ちです。続けるも続けないも全く個人の自由です。天理教は個人の権利も個人の自由も無くて、何でも教会へ通報し教会の意向に従わせようとする体質があります。
一事が万事です。
教会生活を辞めようか悩んでいる様。
自分の意志をしっかり持って、行く気が無いならその旨、教会長の耳にしっかり入れておく事です。専修科の受験費用や立て替え費用などを後で請求されるかもしれません。それくらいの嫌がらせはしそうです。
どうやら私の勘違い…!
最近お話をしたのですが、私は『専修科に行く』と言っていたそうです。
『言っていない』(若しくは私の記憶が飛んでいたのかもしれない)と伝えたところ、”お前が行くと言ったんだ。俺は行かせようなど言っていない。人のせいにするな”…と言われました。
話したくないと思ったら相手にせず取り敢えずハイハイと流せば良いです。
一つ言える事
↓
↓
↓
天理教は何故か『NO』は許されない
何でも素直に行動すれば良いのかと言うと、違うと思う。何か不思議に思ったら意見として出すことも大切です。でも何故か皆、何も言わない。
うーん…このブログにはこれだけ天理教内で起きた事が書かれているのになぁ…
これを見た上層部の方は何と言うのでしょうかね〜
勿論悪口を書いているのではなく、起きた事を単に事実として書いているだけです。
ここに書き載せる=全世界の人に見られているのは元より、アンチされる覚悟で書かせて頂いております。万が一バレたときも同様です。
一つだけ質問があります。
御礼奉公…とは義務なのでしょうか?
勇んで出来るなら良いけど、中には嫌な人もいるはず。まあ…私は後者の方です。
個人の「意思」はこの教団には通用しないのか?
天理教は強引ですよ。だから個人の意志は自分で通用させるのです。
お礼奉公しないからと言って追いかけて来ることはないでしょう。皆それぞれの事情と言うものもありますから。
日本人は意に反してもつい情に流れてイエスと言ってしまいます。テレビで見ましたが、フランス人の人への対応は小気味良いと思いましたよ。フランス流は個人の意志をはっきりさせる。
「 ..ああそうですか。そうなんですか。お誘いありがとうございます。(一呼吸おいて)私は行きません。」
私も上級の誘いには反論せずににこにこ黙って聞いて、最後に一呼吸おいて相手の目を見て、「私は行きません」と笑顔の一言で断る様にしています。
この場合、多弁は不要です。一言だからインパクトが有ると思っています。
ぶたまん様
ありがとうございます。
進路は決定したのでそれに向けて頑張りたいと思います。また世上で働くことを心定めしました。誰に干渉されようが強い意志を持って1日1日を大切に過ごします!
教会生活を辞めようか悩んでいる 様
よく決断されましたね。私も教会常詰めの子として育ち、公立高校夜間部電気科に合格しながら、さらに他人のメシを食って来いと天高二部に入学させられて、卒業後は教会青年として勤めさせられましたが、電気の仕事をしたくて教会を飛び出しました。教会に残された両親始め兄弟姉妹に多大の迷惑を掛けましたが、意思を貫き通して81歳の現在があります。
教会を出れば因縁が出るとか、良い結果は待っていないなど嫌がらせ的な言葉の数々を投げかけられましたが、目的に向かって努力をしました。
今の若い人には就職先の選択肢も多いです。社会的な勉強もなさって目的完遂に向かってください。
くれぐれも、陰湿な恩を忘れるな等の言葉に惑わされることなく、天理教とはきっぱりと縁を切ってください。中途半端に教会に顔を出すようなことは、されないことが肝要です。
東風Z様
そうだったんですね…。
専修科は会長と話した上、私の判断で決めました。後悔先に立たずになっても大丈夫です。なので教会生活はまだ続きます…すみません。
しかし親(私の両親)もおぢばでの生活を終えたら就職して欲しいと願っているので、この意志だけは絶対に崩しません。
因縁が出る…などは人間が勝手に都合よく、脅しで発言しているだけではないでしょうか?
教会生活を辞めようか悩んでいる 様
よかったですね。
ご検討をお祈りいたします。
教会生活を辞めようか悩んでいる 様
よく決断されましたね。おめでとうございます。汚泥の中にいつまでも浸かっていれば、自分自身も汚泥の中の塵芥となり腐敗してしまいます。「普通の社会」で頑張ってください。
崩壊様
勿論普通の社会でも頑張りますよ、ありがとうございます。この先、いつまでも汚泥に浸かることはしません安心して下さい。
自分で決めて後悔するなら他人のせいには出来ないですからね。
>因縁が出る…などは人間が勝手に都合よく、脅しで発言しているだけではないでしょうか?
全くその通りです。
他に天理教から離れたら死ぬ。
悪い因縁が出てニッチもさっちも行かなくなる等。
色んな事を口実に言って来ます。
強い意志を持って《それがどうした》
と思う事です。
天理教から離れて幸せになっている人は、天理教信者より遙かに多いです。
また知り合いの教会が離脱したらしい。
方法はネットでなんとなく判る。父親を説得中。
新型コロナ、だいちゃんのバカ騒ぎをした親神様怒りのおさとしです。天理中心部にも感染してます。次期主導者として、汚名挽回のチャンス。黙ってるのはもしかしたら本当に能天気なだけの中x家の能力ですか? 何か神様を感じることをして欲しい。天理教を信じてた私のご先祖様が詐欺の被害者でないと思わせて下さい。
『卒業』
「信じられぬ大人との争いの中で
許しあいいったい何が解りあえただろう
仕組まれた自由に、誰も気づかずに
あがいた日々も終わる
この支配からの卒業
闘いからの卒業」
今は亡き、尾崎豊の卒業の歌詞の一部です。
天理教本部、上層部、上級、先生、会長…。
天理狂者もバリ天も天理教な大人たちも。
尾崎豊の真っ直ぐ過ぎる純粋さに、何か感じて欲しい。
僕も若い時から、天理教な大人たちと、争い闘ってきた。
許し合えることもなく。
解り合えることもなく。
恨み、辛みが残るだけだった。
天理教の先生、会長、信者の中でも。
良い人、悪い人、色んな人がいる。
教えの解釈さえも、バラバラで。
金集めばかりは、きっちりやる。
筋も通らず、人と向き合わず、臭いことには蓋をして。
偉そうに、浅はかな心と、お花畑な頭の中で。
人助けだとか、神とか、おやさまとか…。
軽々しく口にし、行動は伴っていない。
腐敗した教内でさえも、助け合いが出来ていないのに。
人助けだとか、言えるのだろうか?
天理教の存在意義とは。
中山みきの残したかった、伝えたかった、心情とはなんだったのだろうか。
腐敗した組織を変革する、メスを入れ大手術が必要なのに。
中山家、本部にビビって、陰口しか言えない組織内。
腐敗した組織を、肯定するお花畑な頭のボンボン会長たち。
でも、闘わなければならない。
天理教がゆえに、過去から現在に至るまで。
数多くの人達が、天理教に人生を踏みにじられ、壊されてきた。
闘いはまだまだこれからだ。
天理教内外の人として、人間の尊厳として。
腐敗した部分の大手術を行うべきだ。
方法はいくらでも、色んな角度から、指導するべきだ。
人として、歳関係なく、体験経験を説き。
人として、間違いは間違い、黒は黒と。
真っ直ぐに伝えるべきだ。
良心があるならば、腐敗した天理教を壊し。
破滅に向かう天理教からの、被害者を減らすこと。
何度、卒業すれば、本当の自分にたどり着けるだろうか?
何度でもいい。
人間、何度でもやり直せる。
死ぬまで生きているのだから。
若者の自殺者の人数が多い日本。
大人たちは、若者に何を残せるのだろうか?
腐敗した天理教を残してよいのだろうか?
このブログの存在価値は大きい。
人として、先に生まれた者として。
声を挙げ、残していくことができる。
全国の天理教内外の方々、若者たち。
沢山の魂の声を、届けてください。
天理教が人を助けているのではなく。
天理教が人に助けてもらっている。
中山家、血縁関係の取り巻き、本部役員、直属会長、先生、上級…。
土下座して、信者さん方々に、天理教を腐敗させた事柄に、懺悔しなさい。
『虐待』
先日、他のサイトで。
虐待を受けてきた子達を支援する関係者の書いた記事を読んだ。
今、コロナで外出自粛の要請が出ている中。
虐待を受けてきた子達は。
センター街、歓楽街に出かけ、遊び、人との接触をしているらしい。
理由は、「コロナで死にたいから」…。
虐待を受けてきた子達の心身の闇は深いと思う。
自身がなぜ生まれてきたのか。
自身がなぜ虐待を受けなければならないのか。
自分の居場所もなく。
自分の存在意義、在り方も判らず。
過去の深い傷と、未来への失望。
僕自身も、虐待は無かったにしろ。
後継者だからと、あーだこーだと。
幼少の頃から、極貧と理不尽と未来に失望していた。
天理教な会長達は。
仲間意識というより、傷のなめ合いが主で。
天理教な大人達は、後継者に、無理な夢を描き持たせる。
純粋に、中山みきの心情を通ろうと。
懸命に、教会に通い、一心にお勤め、お祈りをする。
僕の家が昔、教会だったころ。
向かいの家のおばあちゃんが信者さんで。
おばあちゃんの旦那さんは、酒乱でした。
おばあちゃんは、教会の朝勤めより早く、来て。
自身1人でお勤めをしていた。
その姿と、想いは、純粋であり、学ぶべきであり。
逆に、教会としての、無力さを思い知らされた。
天理教の存在意義は、あるのだろうか。
天理教も虐待だらけだ。
上が下の汁を吸い上げ。
贅沢をしつつも、自身は贅沢とは思わず。
人を踏みつけて、人を蔑んで、天理教は成り立っている。
信者や人の人生を、真に考えてもおらず。
都合の悪いことには、逃げて、蓋をし。
人が困れば、お供えしろという。
思いやり、尊さ、心を失っていく。
真柱や表や本部役員、大教会、上級、末端。
虐待の縮図で吹き溜まりだ。
ただ、純粋に中山みきの心情を通ろうとする人の邪魔だけはしてはいけない。
天理教の教えではなく、中山みきの心情をだ。
宗教団体は、集まって、勘違い意識をおこす。
信仰とは、神と自身の一対一の対話で討論で行動だ。
集団化して、洗脳してしまう。
以前、亡き母のあと整理のことで。
何年ぶりに。
上級の跡継ぎボンボンの会長と話す時間があった。
海外留学し、帰って来て、修養科にでて。
名前が出てこなくて申し訳ないが。
布教の家?でにおいがけに走り。
戻ってきて、上級会長の跡をついで。
今でも、においがけに力を入れてるらしい。
ボンボンの頭も心もがお話畑だから。
他人や末端の苦労も知らない。
人の痛みがわからない。
組織に従順し、組織の犬となり。
金集めだけはきっちりやる。
僕が、組織体制や社会学を例にあげ、反論したところ。
組織体制や歴史に肯定的で、意味があること、だと言う。
そして、自分が何を言っても組織は変わらないから、仕方ない、とボンボンは言ってしまった。
僕は、ボンボン上級会長に、口火を切った。
「何を言ってもじゃなくて、何も言わないだけじゃないですか!
自分可愛いだけでしょ!
間違っていることは、間違っている!
目を背けて何が人助けだ!においがけとか、する前に、部内の困っている人が沢山いる!
なんで、目を背けるんですか!
なんで、ネットの真実の声に目を背けるんですか!
人の痛みがわからない〇〇さん(ボンボン会長)には、人助け何てできない!
腐敗した組織を建て直すのが、人助けじゃないのですか?」と反論すると。
ボンボン会長は、下を向いてうつむいてしまった。
会長とは、本音が言えない。
でも、言わないと癌はコロナと一緒で、広がり続け。
多くの、命や人生を奪ってしまう。
ただ、末端にも問題はある。
同じ会長なら、同じ人間として。
間違っていることは、間違っていると言わなくてはならない。
そうやって、上の機嫌とりや、組織の陰口愚痴をいうだけで、行動、変革できなく。
人が、諦め、去っていくばかりだ。
天理教は虐待組織だから。
心に傷を持つ人は、離れた方がいい。
しかし、天理教内でも。
純粋に中山みきの心情を通ろうとする人達がいる。
金集めだけの腐敗組織に洗脳された人達。
純粋な人達の邪魔だけはしないで欲しい。
はぐれ雲さん、正論です。本当にそう思います。
私は中山天理教の息の根を止めるのはお金の流れを止める事しか無いと思っています。うちもボンボン大教会長で、幼児の様な純粋さは時にこの人は阿保かいな?と思わせるような人物です。天理教組織に大人の話合いは通じないと思っています。正論には下を向く。幼児ですね。目に見える様です。
多くの人の嘆きの中にかろうじて存在する中山天理教。
天理教は無料奉仕の若者を使って人助けをアピールしているが、所詮、洗脳された若者をを「ただで使っている」だけの事です。それにまつわる出費金も全部、全部、他人任せの他人の金頼りです。中山の懐が痛むことはないのです。
ですからお金の流れを止める事が最善で最終的有効な手段だと思っています。
元締めの中山は手を汚さず、命は金とを引き換えだと金儲けにいそしんでいるだけの者です。コロナが終わって本部に参拝の危険性を広報し、参拝の効き目どころか危険を自ら認めざるを得なくなった現状、まだ命のつなぎは金、と善亮はほざくのでしょうか。金を取る正当な理由も聖地と言われる本部に参拝する有用性も無いと言う事はコロナが証明したと思っています。
本部と言う地は聖地でもなんでもなく旅費と時間を使っていく特異性は何もない、とコロナが証明しました。今回善亮は全国の教会はじばと「息一つのもの」と言い、全国所々でコロナの終息と人々の安寧を願え、と言っている。それなら、今後も全国の教会で祈念すれば良い事であり今後本部に参拝する有難さも集結する理由もないと私は考えています。皆今ある地で一人ひとり、神と心の交流をし行動すれば良いだけです。じばは人を救う場所では無いとコロナは神の意思を我々に伝えました。「聖地じば」は中山ビジネスの単なる大切な集金場所であったに過ぎなかった。
じばも天理教組織も人類には全く関係のない存在です。
⤴︎
「コロナが終わって」を、
「コロナが蔓延し」に訂正します。おかしな文脈になり失礼しました。
「献金は本部へ、人ダスケはそれぞれで」という教えなのか?
PBバランス絶対主義で、庶民の経済状態をボロボロにしたお上より悪質だな。善亮教は。
比べるなら、白頭山から白馬に載ってやってきたデブ一族を頭脳として服従すればすべてうまくいくというチュチェ思想ぐらいかな?
どちらも狂ってるケドね。
ぢばね、ぢ、ば。
じばじゃないからね。
天理教を陥れようったってそうは行かないよ。
『天理教的な』
屋敷を払ろうて首吊りたまえ天貧乏のみこと。
天理教の悪口、困ってる教内外の人達は沢山見てきたけど。
天理教で、助かった人は、一人も見たことねぇ。
神様は、バカがお好きとある教会長。
不器用なバカは嫌いじゃないけど。
計算高いバカは嫌いだわ。
自分を低く見せても、お金だけは持っていくのねぇ~。
神にもたれていれば、怖いものはないとボンボンあととり上級会長。
あんたの言葉に、胃もたれするし。
あんたがもたれているのは、信者さんと部内教会の持ってくる上納金!!!
教会の息子はみんな同じ境遇だから…、と上級婦人。
あんたの血縁関係の子供はファミコン買ってもらえたけど、俺は買ってもらえなかったゼィ。
一列みな兄弟。
お偉いさん達、一列嫌いだから、足の引っ張り合い!
親神様、おやさま、御霊様。
家の掃除はしないけど、神殿掃除はたまにする会長。
しない会長がほとんどか!?
会長談話の神の話より。
好きなミュージシャンの詩、音が、たまらなく神!
上級住み込み時代。
急性胃炎で病院に担ぎ込まれ、入院。
御供さまの生米が原因ですかぁ?
自身の教会の歴史に詳しく自慢げに話する教人さん。
スゲー距離感置かれてた。
先生、先生って。
世間に出ればただの世間知らずのおっさん。
上級の会長!
お年玉くれるのはありがたいんですが…。
半分は、親父のギャンブルに。
半分は、お袋が上級の上納金に。
金は天下の回りもの。
しかし、天理教は、流れ戻るもの。
しかも倍返し!?
親父のギャンブルの為の借金取りが何回も来た。
上級の会長が月次祭りのあとの席で、俺に教会が古いからお前がいつか立て直せといった。
中学生ながらに、上級の会長にぶちギレたぁ!!!
信者さん、二人しかいないから。
飼っていた猫が数取りのところで、一応信者。
詰所や、大教会の修繕費とか。
信者数関係なく、一律教会で頭割り。
猫も信者なので、キャットフードでも良いっすかぁ!?
修養科。
楽しかったけど、みんなほとんど地元買えったら社会人!
日に日に教会にも、足も遠のく。
それでよし!
社会勉強の方が、人間としてよし!
高校の時に、天理教はまったく関係ないけど。
こどもおじばがえりに、行ったことあるよお!
楽しかったよぉ!と、何人もいてビックリした。
うん。
そのぐらいが陽気くらしですゎ!
天理教のお偉いさん。
謝罪いらないから。
俺の時間とお金返せ!!!
はぐれ雲さんの経験は本当にリアルです。私も教会の子供に生まれて辛酸を舐めました。これは過去の経験。忘れろ、と言われてもその過去は切り捨てられないんです。ずるずると今に至るまで、心の傷は引きずるのです。いくら過去だと切り捨てても、失った学歴は取り戻せないのです。家庭の経済にも影響が出る。生涯、貧乏暮しになる。
こんな世界があってはなりません。成人して大人になって、いろんな世界をみて、判断力がつくようになって、天理教世界が反社会組織であった、今も反社会組織である事を確信します。
命を大切にしない天理教。金が一番の天理教。今回コロナ拡大への懸念についての各種行事中止に向けての動きも後手後手で、神様を標榜する組織としては、余りにも人の命を軽視していると感じました。
こんな非常時に整理教会のお運び人を招集しており、本当の馬鹿、究極の無責任、善の仮面を被った本当の社会悪組織だと確信しています。
天理教は本当にずれてる!!
『居場所』
匿名様、ご投稿ありがとうございます。
匿名様のご投稿、その通りのままです。
天理教は反社会組織です、合法だから、更に質が悪いですね。
私は、地元の任侠団体の大親分さんと、親父の従兄弟が幼なじみだったという縁があり。
年に数回、親分宅でお茶を飲む時間がありました。
大親分のオーラと懐深い話には、毎回、心響くものがありました。
世間的には、ヤクザ。
でも、生き方、男、道として、筋を通して生きる。
深い、谷底も筋を通して生きる。
天理教の筋って、何なのでしょうかね?
お偉いさんは、役職と、権力がなければ、1人で何もできない裸の王様。
一対一だと、すぐ折れる会長が多い。
以前、跡継ぎボンボン上級会長が、何か信仰がどうとか…と言うので。
「一体、あなたはなにかしてくれたのか?一体何がしたくて、何がいいないの?天理教ごときが何をほざいてる!」と、一喝したら、下向いた。
過去の深い傷跡は消えませんね!
傷をつけた側は、教えがどうとか、神様がどうとか。
人を傷付けた意識もなく。
人の将来を奪った意識もなく。
仕舞いには、上納金さえせしめる始末。
天理教のお道とは、卑怯者が通る道かもしれない。
天理教に染まると、人として大切なものを、1つ1つ失っていく。
もう、天理教には、神の居場所はない。
中山みきの居場所もない。
ご苦労通られた、先祖の居場所もない。
居場所って、ほんと大事!
家族、家庭、兄弟、仲間、仕事場…。
温かい居場所、帰りたい居場所があるから、人間頑張れる!
元来、教会って、居場所じゃないのかな?
喜怒哀楽があって、存在意義があって。
支え合い、寄り添いが在って。
全てではないけど。
今の天理教会は、上納金回収や。
意味も持たない看板にしがみついて。
本部がどうとか、系統がどうとか。
けっこう、末端でも裕福な教会はありますよ。
それぞれの車をもって、専門学校にいったり。
立派な別宅をもっていたり。
天理教会やってます、ってだけで。
人助けも、腐れ組織改革もするきもない。
信者さんも、ある程度裕福。
でも、天理教って、教会も信者さん宅も。
崩壊しているところが多いのね。
でも、神だ教えだ因縁だと。
崩壊してることさえ気が付かない、認めない。
先祖って、子孫の繁栄を願うもの。
先祖さんも、天理教なんかに騙されて、後悔しているんじゃないかな。
先人の苦労とは、今や、おバカな中山家、取り巻きのための言葉。
自分の居場所や将来は、自分や仲間で作ってくもの。
家族は別問題。
温かい帰りたい居場所!
希望の溢れる将来!
作って行きましょうね!
『目に見えないものだから』
天理教に染まれは染まるだけ、人として大切なものを、1つ1つ失っていく。
神様は目に見えないものだから。
会長達の聞きあきた言葉だ。
おさずけの効力もなく。
人に寄り添おうと、耳を傾けることもなく。
人が困っていたとしても、ちんぷんかんぷんな教義の話をしだしたり。
独りよがり。
自身の学んだ教義が正しいと。
ボンボン跡継ぎ上級会長は。
においがけとか、大好きで。
時間があったら、個別訪問しているらしい。
もちろん、断られる。
だが、まだ続けると。
「自己満足でも、良いじゃん」と、俺に言ったり。
「自分独りなら、自己満足でもいい。
でも、あなたは上級の会長でしょ?
長が着くものは、自己満足より、周りを守らなくて
はならないのでわ?」と言い返しておいた。
天理教の根本は。
においがけお助け!と、跡継ぎ上級会長はいう。
見聞を広げるために、海外留学した。
見聞ってなんですか?
何を広げにいったのですか?
信者さん達の金で海外生活してただけでしょ。
あんたが海外で見聞を広げてる間に。
俺は、障害者の身で、家族教会極貧崩壊した心無き家族のために、必死で職人として働いた。
痛くても、辛くても、必死にだ!
見聞を広げてかえってきて、今度は布教の家でにおいがけに走り周り。
帰ってきたら、跡をついで上級の会長。
血縁者も、名前で呼んでいたのが。
上級の会長さん、と呼び方が変わる。
「みんな、会長たちは、布教の家に行けば良いのに…。」と、ご満悦に話して。
あんたは、働かなくても、収入はあるが。
末端教会は、仕事しないとやっていけない。
アホか、上級会長。
布教するより、自分の部内の事情教会どうにかしてあげなよ。
天理教フルコースを歩んで。
人を助けられましたか?
あなたの見聞は、とても狭い社会性と、とても広大な自己満足なお花畑です。
お花畑には、ケシの花でも満開ですか?
目に見えないものだからこそ。
目に見えるように、耳に聞こえるように。
人に、寄り添って一緒に思案しないといけないじゃないのかな。
NPO法人の方々のほうが、よっぽど寄り添って、考え合って、助け支えてくれる。
最前列で思案してくれる。
天理教にキラキラ見えてるものは、お・か・ね!!!
神様の御用だとか、ご守護とか、困っている人のためにとか。
うーん。
天理教のお供えって、困っている人のために使われてるのかな?
お札じゃないとダメなのかな?
わざわざ、部内教会のお供え成績、コピーして配布するのかな。
うちの上級だった教会は。
お供え金額の成績によって。
上級月次祭の役割が決まるらしい。
うーん。
ジャイアン!?
というより、部内教会集まらないと、人手足りないし。
朝勤め夕勤めの手も足りない上級。
ほんと、人が離れていく一方だ。
元来の天理教の教えって、素晴らしいものだとおもってます。
俺は、教えについては、まったく知らない後継者だったけど。
でも、元来の教えって素晴らしく尊いものなんじゃないかな。
それを、高額納税者、黒塗り運転手つき、高慢、暴言、自己満足、自己防衛主義者の。
天理教のお偉いさんが、長として広めるから。
尊い理が、理不尽になるんだな。
天理教としての理じゃなくて。
人間としてしての、理が、理不尽に変わるんだな。
何度でも言う。
目に見えないものだからこそ、目に見えて、聞こえる、心響くものにしなければならない。
困っている人がいたら、最前列で寄り添え。
困ってなくても、中山みきの心情を支えに生きてる人達の顔に、泥と迷惑をかけるな。
同じ天理教だからと、仲間意識で一緒にするな。
真柱、表、本部役員、先生、会長が言うことが、教義ではない。
集団で集まり、道をはずして、それでも集まらなければ何もできない、中山教義。
孤高に、中山みきを尊く思う方々の方が。
人として立派です。
『広き扉』
連投は、ネチケットに反する!?みたいなことが
以前サイトに書いてあったけど。
僕はアナログ人間なので、ご勘弁を。
社会学研究所。
素晴らしいサイトです。
長年運営されており、カインさんの記事も、色々な方面から、色々な事柄を記事にしており。
何よりも、あれだけの記事を書き続けた、ご足労はすごい熱量だと思います。
本当に、お疲れ様です。
僕は、一時期、社会学も、お供え掲示板もみない時期があったけど。
また、こうして投稿するようになりました。
昔の頃より、投稿者も連日増えて、熱意ある投稿が見られます。
でも、昔よりハードルが上がったというか。
初心者向けのちょっと抜けた投稿は減りましたね。
社会学研究所。
どれだけの人が読んでいるのでしょうかね。
何千?何万?
もしかしたら、昔より、読む人も減ってるかもしれませんね。
少しあきられてるのかもしれませんね。
投稿者でも、色々な意見や知識や経験があり。
文字にして伝え残す。
たまに、ヤジやおちょくり染みた投稿もあるけど。
それも、声の1つです。
「頭の良いやつ、足が遅いやつ、絵や歌が上手いやつ、人見知りなやつ…。
色んな人間がいてクラスなんだ!」
と、僕の好きなマンガに書いてありました。
社会学研究所も、クラスみたいなものです。
色々な世代や人がいて。
世代はおもったより、高いのかな?
僕は、後継者という立場でありまがら、天理教の勉強をしなかったし、それどころではなかった。
同部内で同じ地区の同窓生で、後継者いたけど。
中学卒業し、天理の高校、大学に通って。
今は、自教会の会長している。
仲は良いわけではなく、連絡もとってないけど。
昔から、裕福な上級の血縁教会だったけど。
その子とは、天理教について、論じたことはないが。
僕は、10数ヶ所ある部内でも、問題児だったので。
社会学研究所の記事や投稿で。
教義、歴史には無知な私が、天理教の黒歴史や中山教義を知った。
部内会長さん達も、知りつつも、タブーとされてたことかもしれない。
僕が不思議に思うのは。
僕のような経験しかなく。
無知な人間も、投稿できるという場所なのに。
僕は、天理教で素晴らしい人とは、数人しか出会えなかったけど。
天理教でも、素敵な人に出会いましたとか。
感動、心動かされましたとか。
天理教も、悪いばかりじゃないですよ!
所属教会は素晴らしいところですよ!
という投稿がほとんどないということだ。
あえて、書かないのか。
あえて、社会学研究所を読まないようにしてるのか。
でも、日本中の教会が、悪いばかりじゃない。
一列兄弟で通っているところもあるでしょ。
僕は、色んな人の声が聞きたい!
このサイトは、天理教弾圧サイトではなく。
悩み、考える人達の声の集まる場所で合って欲しい。
とりあえず。
お偉いさんたちや、本部員、、先生、会長達が。
投稿、反論しないのは、おかしいでしょ。
都合の悪いのは、蓋をするのが天理教だけどさ。
せっかく、カインさんが提供してくれてる。
全国、系統、教会、部内部外関係なく。
人として、声を挙げられる場所だから。
もっと、天理教で良かったこと。
俺には、経験できなかった。
天理教会の良いところを、声がききたいな。
反対派とか擁護派とかは、勝手にやって欲しいけど。
うん。
若い世代がどんな、天理教観をもってるのか。
知って見たいなぁ!って思って。
学生会、学修、春つど、修養科は、俺は楽しかったよぉ。
所詮、天理教遊びだけどさ。
でも、楽しかった。
まぁ、修養科では、色々あったけどね。
うん!
遠慮とか、投稿したら何て返されるだろうとか。
興味ないとか。
色々あるけど。
次世代、若い世代、学生…。
ぜひぜひ、声を届けて欲しいなと思います。
>>お偉いさんたちや、本部員、、先生、会長達が。
投稿、反論しないのは、おかしいでしょ。
都合の悪いのは、蓋をするのが天理教だけどさ。<<
上のお偉いさんに物事の筋を通して矛盾を正しても、反論出来ないで黙ってしまう。
肩で風を切って歩くお偉いさんも、突き詰めて質問して行くと不思議と皆、返事に困って黙ってしまったり、しどろもどろの受け売りで、訳が分からない話になって来る。
自分は何をどう理解して信仰しているのか、相手が納得する説明が出来なければ、入信のにおいがげもできないでしょうに。とにかく修養科へ行けば助かる、、程度の勧誘しか出来ない会長が多いです。人を助けて我が身助かると言いつつ、本音は教会へ運んでもらうお金である。しかしあからさまに初めからお金の話は持ち出さない。こうして知らずに入信したらお供え地獄が待っていた、と言う顛末です。皆天理教の二枚舌に騙されていくのです。だからお金とセットの信仰なんて、親神様の神意ではなく、ペテン師が真実の話など語れるはずも無いのです。
匿名様
ご投稿いただきありがとうございます。
匿名様のおっしゃる通りですね。
スーっと、匿名様の文章が胸に入ってきます。
自分の信仰してる理由さえ、揺らいでいる会長も多いと思います。
そもそも、会長と言えど、自身で魅せられて。
天理教の信仰をしてるわけではありませんし。
たまたま、天理教の教会に生まれ、後継者として、囲まれて。
反発すれば、ここから出ていけ!と。
結局、天理教をやらざるおえない会長が多いとおもいます。
自身で選んだ道ではなく、選ばされた道だから。
探求心も向上心も生まれなく、上から教わった通りの言葉しか出て来なくなってしまいます。
僕の昔の上級もよく言ってました。
修養科に行け、住み込みをしろ、参拝に来い。
天理教の勉強をもっとしろ!と。
僕の家族の崩壊をさしおいて。
因縁だことの、教会に生まれた理由を考えろと。
僕は
「俺がこの家に生まれたのは、俺でこの家の天理教を終らすに為だ!」と伝えました。
上級会長は、
「お前は何もわかっていない」と。
僕は、
「俺が、両親や兄弟に何を背負わされたかわかるのか?借金や極貧や、お前は後継者だからとか。わかっていないのは、あなたの方だろ!」とキレてしまいました。
天理教はなぜ故に、人間都合が悪いことには蓋をするのか。
上級、上の立場のひとには、手のひらをかえし。
腐った不条理に、蓋をすれば。
更に腐り、蓋から底から溢れ出す。
だから、中山教義は腐敗し、止まらなくなった。
僕の同部内だった末端教会でも。
二枚舌の会長の教会は立派でした。
僕は、腹黒くてきらいでしたけど。
天理教の立派って何なのでしょうかね?
建物が立派。
貧しく建物が古くても、心が立派。
やはり、お金を多く運ぶ教会が立派なんだろうな。
天理教としては。
匿名様。
また、スーっと胸に入ってくる声を聞かせてください。
またの、匿名様の投稿をお待ちしております。
ありがとうございます。