宗教法人への風当たりと、かなめ会という俗物

ここのところ日本での宗教法人についての動きが感じられることを報告したい。ある方から、天理教のかなめ会の2月定例会での議題について教えていただいた。かなめ会というのは、天理教本部に直属する会長らの集まりである。表向きは親睦会的なものらしいが、実質的には宗教法人天理教の支配権を握っているといわれている(私も正確なかなめ会の機能は分からない)。その中で1月に朝日新聞が「休眠状態の法人の実態、その法人の売買が問題となっていること。行政の不活動法人の整理縮小は進んでいない」という記事が紹介されたようで、各直属教会でも教会の整理をすすめるようにとの話があったようだ。。

http://www.asahi.com/national/update/0130/TKY201101290388.html

自明のことだが、宗教法人は税制面でかなりの優遇措置を受けている。これは世界基準である。しかし日本の場合は制度が緩く、一度法人資格を取得すればそれを維持することに大きな労力とならない。一方アメリカでは、日本と同じく税の優遇措置は同じだが、その基準や管理体制は厳しいと聞く。法人資格を取得しても、その運営面での監視や提出書類は厳格なようだ。そういった側面からも、現行の制度のままでは「宗教法人だけ特別なんておかしい」という世論が形成されるのは時間の問題となるだろう。かなめ会では、その点を考慮し「今後、活動実態のない法人への風当たりは一層厳しくなる。天理教も社会に誤解を招かないためにも不活動法人の吸収合併、整理縮小を行っていくべき」とのお達しがあったとのことである。私はこれを聞いて天理教が社会的な流れに歩調を合わせていく方向性であることを確信した。同時に、初代真柱が天理教への弾圧を弱め、社会的信用を得るために教祖の意向をスルーした流れが今の天理教であることを再認識した。

そしたら、先週木曜日発売の「週刊新潮」にて「宗教法人に課税せよ!」という記事が掲載されたのは、偶然ではなかろう。私はまだその記事を読んでいないが、聞いたとろこによるとその中で天理教に言及されているところはないらしい。槍玉に挙がっているのは、創価学会、幸福の科学、金閣銀閣寺など莫大な資産がありながらも運用面で不透明な教団である。記事の骨子としては宗教法人に課税することで、4兆円の税収が見込まれるとのことである。4兆円は大きいが、これはあまり現実的ではない。しかし宗教法人課税に対して世論が流れていっていることは分かる。

そしたら、今朝の朝日新聞に「遺産の預貯金9千万円を宗教法人へ 遺言書偽造事件」とうい記事が出た。暴力団が宗教法人を購入し、その法人を利用して税を逃れていたという事件である。色んな出来事が線でつながり、私はちょっと恐怖を覚えたほどである。流れは一気に宗教法人への風当たりを強くしている。これで、テレビメディアが食いつけば一気に世論が形成される。おぉ怖い。

http://www.asahi.com/national/update/0305/TKY201103050381.html

宗教法人の税制優遇措置は有名なことだが、天理教としては大きな問題ではないと私は感じる。天理教本部は、毎年天理市に対して用途を指定しない30億円超の寄付をしているからである。だからといって天理教は大丈夫という問題ではないが、被包括法人の天理教で活動実態の少ない事情教会といわれる教会の整理縮小は進められるべきであろう。
税制や不活動法人の問題よりも大きな問題と私が感じることがある。それは、かなめ会という天理教の中枢の実権を持つ組織で、教義とのすり合わせなしに社会的迎合方針を打ち出していることである。なぜならば、各教会の設置には神の許しが必要であるからである。その神の許しを、社会の流れに応じて人間の手で整理、縮小することに何の違和感がないままに進行していることである。かなめ会の総意として、そういうもん(神の許しなんて人間の作ったもん)だと言われてしまうと反論できないが、天理教の異端の多さの核心には、こういった教義的論理矛盾があるのだと思う。長期的視点で、そういった方針が天理教に利するはずはないと私は思う。

$天理教社会学研究所