地震の支援の目的

地震の支援に関して、私は地震の被災者の天理疎開計画を述べている。そのことに関して、ある方からメッセージをいただいた。それは「天理教が支援を協力に押し進めることで、天理教の布教にもなる」ということである。

ここで、ふと私は立ち止まってしまった。というのは、言ってることは分かるんだけど、そういうことを言うことは天理教の価値を減ずるということである。

例えば、今回の震災に関して多くの企業や著名人が支援をしている。しかし、そういった行為も「結局は企業イメージのためだろう。イメージアップのためだろう」と言ってしまってよいのだろうか。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。しかし、私はそういうことに強く違和感を覚える。そして、そうしたことを口にだす段階ではないと私は思う。

もし私の違和感を共有していただけるのであれば、今後天理教が何らかの支援を行うとしても、それは天理教のためだと公言することは控えた方がいい。例え、誰かに「天理教の布教戦略だろうぜ」と言われても、黙々と、粛々と支援をするべきだと思う。「私は天理教だから支援をします」というものではないと思う。「あの人たちのおかげで助かってるよね。ところであの人たちは、どこの人だい?天理教の人たちだよ」とあってほしいと思う。なぜなら、助け合いというのは宗教が行うものではなく、人間同士のものだからである。

地震の支援の目的」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    1. お久しぶりです
    ちょっと気になったものですから、

    「天理教が支援を協力に押し進めることで、天理教の布教にもなる」

    これには賛成しかねますね。これをもし 天理教の信者ないし会長が言っているとしたら本質を外しています。
    「人を救けてわが身救かる」という教えの実践であるだけで、そこに布教という目的は存在しません(心の片隅はあるかもしれませんが…)。
    それを表出すことは断じてしてはならないことだと思っています。
    天理で詰所を開放して待っている信者はそういう人たちだと思っています。

  2. 匿名

    2. お久しぶりです
    >正ちゃんさん
    「人を助けて、わが身助かる」という教えは素晴らしいですね。しかし教義理念として理解はできますが、「自分が助かりたいから、他人を助ける」という理路になります。しかし、被災地へ向かった人や祈りを捧げた人は、自分のことや利益のことを考えてはいないと思います。「ただ助かってほしい」という思いだけだと。これほど純粋で、本質的で世界共通のものはないかと思います。幸いにも天理教はハード、ソフトの両面で強力に助けることができる稀有な組織体だと思います。期待します。

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