被災者受け入れのトラウマ

天理教が、天理教施設への被災者受け入れを検討しているのは本当のようだ。しかしスピードが遅く、また天理教全体として統一した受け入れ体制を敷く情報はない。つまり各教会や、下部組織の自主判断において「積極的に受け入れるように」ということになりそうだ。なぜなのかと知り合いの天理教人に聞くと「阪神大震災の時に、天理教は1万人の受け入れを表明した。しかし、宗教施設への避難には抵抗を示す人も多くて進まなかった」ということを教えていただいた。なるほど。そうなのか。阪神大震災のように同じ関西圏内であっても、それほど心理的な距離感があることを考えると、関東、東北の人にしてみれば「奈良?しかも宗教施設?やだよ」となることは無理もない。被害の大きかった双葉町は町民全体と行政機能全体で埼玉へ移動となるようだ。凄い。
さて、どのような支援戦略を天理教は構築するのか見守りたい。天理教全体を自治体規模と考えると、莫大な施設設備と豊富な人材がある。それらが余すことなく被災者に寄与されることを願います。

被災者受け入れのトラウマ」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    詰所解放は私もすぐに考えました。宗教を押し付けたりしないで、ぜひ提供してほしい。東京では牛込大教会がすぐに解放したと噂で聞いています。今こそ、教団のもつ力、教義にもとづく支援が発揮されてほしいと思います。もちろん断る権利は相手に残してあげて、、でも人命を助けるときはICとってる暇ないからねぇ。

  2. 匿名

    2. Re:無題
    >calmiさん
    支援する力がない私は、支援する力がある天理教を羨ましく思います。頑張ってほしい。それだけですね。

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