門戸を開き続けることの意味

先週、私が所属する機関が県からの要請により今月末から被災地へ数名が支援に行くことになった。「動ける」と評価された私も候補に挙がったのだが、放射能の影響を心配した上司が「お前には将来がある」という理由で私は行かない。このとき、言葉では言い表せない眩暈を感じた。行けなかった悔しさではなく、「実際に被災地へ入る」ということが現実として「リアル」に体験されたからである。メディアから伝えられる震災情報はチェックしていたし、私なりに被災者の心情を慮って心を痛めていたつもりである。しかし実際に震災を体験する状況に置かれ、被災者に接することの恐怖、どこか震災という事実を避けている自分への腹立ちを突きつけられ眩暈がしたのである。被災者と自分の間にある隔たりに強く困惑した。
前前回の記事で、3000人の被災者受け入れを表明した天理教の姿勢を評価した。同時に、被災者受け入れが進まなくても、その有意性を私なりに説明した。先週の天理時報において、天理教では現在被災者を50名ほどを受け入れているようだ。
阪神大震災の際に心のケアに対しての重要性が叫ばれた。トラウマやPTSDや臨床心理士という存在は、阪神大震災を契機に市民権を獲得した。兵庫県の精神医療は、その後も災害の心のケアに力を入れ、今回の東北地震の心のケアにも、16年前の経験が大きく生かされている。その16年前の心のケアの中心氏人物が天理市生まれの(天理教ではないと思う)中井久夫という精神科医である。その中井久夫が震災の支援で重要視したことは「存在すること」であるという。何か特別なことをしたり、苦労や悲しみを言語化させることではなく、「ただ存在すること」が被災者にも、支援者にも一番の安心感になるという。帰る場所があることが大きな安心感になる。震災で家を失った人には帰る場所がない。しかし帰ってもいい場所があるというのは大きな励みになるだろう。人類の故郷である天理に行けば、いつでも「おかえり」と声をかけてもらえる。このこそばゆい言葉に慣れるのには時間がかかるが、この言葉を投げかけられると恥ずかしながらも口元が緩む体験をしている人は多いのではないかと思う。
全国に展開する天理教の中にも被災した方は多くいるのだと思う。教会も無くなり、家族・信者も亡くした方がいるのかもしれない。まずその方たちにとって「天理があるから何とかなるだろう」という最終的な安心感が門戸を開き続けるcopresenceの意味だと思う。

参考
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/guide/president/ja/guide/president/files/h23_shikiji.pdf