天理教は震災のひのきしん(ボランティア)を積極的に行っていることは天理時報が教えてくれている。天理時報を発行している天理教所有の出版子会社の天理教道友社のホームページを見ると「道友社スタッフノート」という記者のブログができていた。知らなかった。そこでは震災での取材が毎日アップされている。http://www.doyusha.jp/doyu/blog/
先日メールをやり取りした会長さんは、天理教の出版物や言論の検閲の天理教内での厳しさを教えてくれたが、このようなホームページでの一記者の日記は新しい試みではなかろうか。しかしこういったオープンな試み(姿勢)を行っているからといって、天理教は外部に開かれていると評価することできない。こういった選択的検閲の最大のモデルは中国政府である。根本的には宗教団体は政治とは違うわけで、全ての情報をオープンにする必要はないと思う。しかし新しい流れであることは間違いないと思う。その背景には天理教の外部への意識が変わってきているのか、インターネットという制御できない情報過多への後手の対応なのかは分からない。しかしこの情報化の中で、庶民の天理教に対する発言は非常に多く聞かれるようになったと思う。ホームページだろうが、ブログだろうが、一信者が天理教を発言することは多くなっている。良い意味でも悪い意味でも。どこまでプライバシーを保護し、どこまで知る権利を保護するのか、とても難しい舵取りが試されていると思う。対応を間違うと、一つの針の穴からの情報流失が組織を崩壊させる危険性を現代は持っていると思う。