これまでに天理教はどのように東日本大震災を読解しているのかという点を考えてきた。その反応は賛否両論があったように思う。災害は神の残念、立腹という教義から「震災は神の天罰」(戒め論)という解釈が大勢であったように思う。しかしそのロジックを採用する限り、その場の理論的(精神的)安寧は得られるものの、災害が無くならない現実がある限り、長期的なフラストレーションに陥りペシミスティックが増幅し陽気ぐらしが遠ざかる危険性を私は提示した。その上で、どのように震災を紐解くのかは天理教災害救援ひのきしん隊の活動や、被災者の思いというリアルを想像されていれば天理教がどのような見解をしめそうが私は応援したいと思う。
このたびの震災で、ネットをはじめ色々なツールで天理教人も含めて多くの人が震災に対して声をあげている。もちろん政権への批判や原発への是非をめぐる激しい議論もある。天理教では、前述した震災に対する考え方や、被災地の悲惨さ、災害救援隊の活動状況などが多い。その中で、社会は大盛り上がりなのに、天理教人だけが口にしないテクストがある。それは原発という人災のこと。震災に声をあげている天理教人や講話をする先生方の話を又聞きしても、唯一聞かれないのが原発の天理教的見解である。原発に触れている話しや教義があるかもしれないが、天理教というオリジナルな見地から原発を語る話はきかない。
語られている問題よりも、語られないことがあるのはなぜかと思考を巡らすほうが本質的であることは経験的な身体感覚である。天理教人を見ると原発はアンタッチャブルな話題であり、どう読み取っていいかわからないから、誰かが口火を切るまでとりあえずスルーしているようにも感じる。天理教は人災をどのように見ているのだろうか。これは、天理教教義では追いつけないような新しいことであり、だれも言葉を持たないのだろうか。それとも本当に天理教では触れてはいけない“何か”があるのだろうか。次回はそのことについて「お道の視点から」を参考に考察したいと思う。
1. 無題
こんばんは、なるほど・・大変、興味深いですね。おふでさき、そして今、日月神示なども読んでいます。日月神示では原発のことを
にがよもぎとして表しています。天理でもきっとあるはずなんですが.,
2. Re:無題
>kaya さん
おふでさきも、日月神示もほとんど読んだことないです。「にがよもぎ」って何ですかね?