前回、原発の天理教的見方を考えようと予告した。その後、私なりに現在の日本での原発を巡る思考をなぞとうとした。しかし、いくつかの思想家(中沢新一、東浩紀など)の原発に対する見解を読んだ。中沢新一は、震災後に色々な方面からコメントを求められたが、あえて口をつぐんでいたようだ。
大きくまとめると、津波と原発はいっしょに論じられているが、全く異なるということ。原発に取り組むには今まで用いられなかったような全く新しい解法が必要ということ。そして誰もその解法を持っていない。たとえ解法を持っていても、自分で考えることをしない日本人には、きちんと考えさせることが大切であること。それはWWⅡで国際的信用を失い、その後復興して、今まさに2回目の国際的信用を失っており、これからの対応次第では、日本として国際的立場は失墜する可能性が高い。その中で原発では一人も死んでないから大丈夫という新自由主義や頑張れば復興できると政府が言っている状況では、この国の将来は見通しが悪いという展開になっている。今までにない、思考や行動の転換を行わなければ日本人は生きていけない。むしろ、これはポストポストモダンを生き抜くチャンスなのかもしれないということ。
私も概ねこの流れには賛成である。私自身がよく考えずに「ちょっとどう考えたらいいの?」と知識人に頼ったのも恥ずべきことなのだろう。いまひとつ、私もよく考えたいと思う。天理教人も、この状況をどのように読み解くか考えるべきだと思う。