天理教における修業的鍛錬とは何か

ツイッターという簡易ブログにて「天理教」と検索してみると、多くのつぶやきがみられる。大多数が天理教外の方のつぶやきであると思う。どんなつぶやきがあるのかは、実際にツイッターで検索してほしい。私は定期的に検索している。その主観的感想を述べる。そこでは「天理教に勧誘された」とか「天理教の太鼓のドンドコがうるさい」や「天理教が列をなして歩いている」というつぶやきが多い。ネットという特質から肯定的側面よりも、否定的側面が多いことは注意したい。好意的意見もあるが、それは天理教人による発信だと思われる。
こういった市井の声について、このブログを読まれている天理教人の方はどう思うだろうか。「そんな声をいちいち拾ってらんねーよ」とか「一部の意見だね」とか「言いたい奴には言わせておけ」と思うだろうか。もし私のことであれば、「言いたい奴には言わせておけ。けっ」となるだろう。しかし、こういった声は無視してもいいのだろうか。確かに、いちいちとすべての意見に反応するこは現実的ではない。社会の周波数をすべてキャッチすることはできないかもしれない。しかし、こうした意見を考察し、せめて社会が天理教に向ける周波数を知ることはとても大切な作業ではなかろうかと思う。つまるところ、私はこういった作業への取り組む姿勢から(でしか)天理教の衰退や天理教の今後を考えることができると思う。それは天理教がオリジナルな立場を形成してきた一方で、大衆のニードに敏感に反応してきた歴史がある。そこを無視してオリジナルな主張を繰り返すことは、天理教の将来が大変厳しいものとなる。

分かるだろうか。天理教が行っている古典的な布教戦略である「神名流し」(法被を着て列をつくって天理教の歌をうたいながら歩く行為)や「路傍講演」(町中で信仰体験を語る)や「個別訪問」(自宅に突撃訪問する)は、天理教人にとって、とても大切な宗教的行為である。しかし一方で、天理教と社会を乖離させる側面があることも大切な視点だと思う。

以前、ある青年が私に話かけてきた。上記古典的な布教戦略が苦手であると。人前で、どうしてもできないと。しかし、理の親(信仰上の上司)に相談しても「頑張れ」「気合いがたらん」「たんのうせい」と言われるのみだと。私はこの理の親の正論と侵襲性と方法論の乏しさと鈍感さ、青年の時代的感受性と敏感さと逃げ場のなさを感じた。

これらは、どっちが正しいという問題ではない。この行き詰まりにきてようやくだが、記事のタイトルの意味を考察する意義が出てくるのだと思う。つまり、天理教を信仰することへの目的性の探求である。上記、布教戦略は「布教」(においがけ)という名目で実施されることが多い。しかし本当にこれは布教の意味を達成できているのだろうか。私は布教よりも修業的要素が強いのではないかと思う。では、天理教のおける修業とは何なのか。ベテランの天理教人を見ても、この古典的布教戦略を進んでやっている人をあまり見た事がない。「路傍講演はやりたくない」というコトバは聞かれないものの、進んでやっている人はいないように思う。むしろ「やらされている感」が漂っていると感じるのは私だけだろうか。つまり、ベテランも「これって意味あるのかなーあんまりやりたくないんだよね」という違和感を無意識的に抱えているように見受けられる。こういった感覚は私は現代では、むしろ当然の身体感覚だと評価していいと思うのだが、それを言ってしまうと信仰的成熟度が低いと評価されることになるのだと思う。これらの布教戦略が「できて一人前」という信仰的イニシエーション採用している限り、この「やらされている感」から抜け出すことは不可能だと思う。

天理教における修業的鍛錬とは何か」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    たしかに、路傍講演や戸別訪問には、恥ずかしさを感じます。ただ、最近では、パンフレットの手渡しや、支部での神名流しなど、いわゆる気の弱い人でもできる方法が模索されているように聞きます。やらさせている感は確かにありますが、逆にしなくてもいい、自分の好きなように楽しいことだけやればいいという風潮にも疑問を感じることもあります。修行をまともにしていない坊さんの話を聞く人がいない状況もあるし、(できて一人前のシュツえーションは必要でしょうね)

  2. 匿名

    2. 無題
    私も気の弱いほうなので、人前でのパホーマンスは苦手ですが、共産党の人達が小さなデモをされているとき、見る人の目は冷たいだろうにえらいな~と思ってしまうのです。
    天理教の人達には恥ずかしさを、共産党の人達には賞賛を感じるのは、天理教は世間にそれほど認められていないのではとの先入観があるからかもしれません。
    天理市であれば違うかもしれませんが。

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