こどもおぢばがえりのパレードを観覧したことは前回のブログで伝えた。今回は、そのパレードを見て私が感じたことや同行してくれた天理教人と話したことを考えたい。まずパレードを見て、その規模の大きさと質の高さに驚倒した。デコレーションされた車(元々は普通の車だろうが、パレードではもはや原型をとどめてはいない)やキャラクターなどの造形物もあるが、鼓笛隊やマーチンングバンドが非常に多い。一晩のパレードで50-100、いやそれ以上の団体が私の目前を通過したのではないか。これが10回(晩)続くのであるから、天理教にはかなりの鼓笛隊が存在することになる。全国に存在する鼓笛隊の天理教が占める割合はどのようなものなのだろうか。私が「これって凄いことだよなー」と話していると、天理教人は天理教鼓笛隊の長い歴史や天理教少年会本部が少年少女への宗教活動として鼓笛隊を積極的に推し進めている政策を説明してくれた。同時に鼓笛隊の本来の目的は「子どものための鼓笛隊」であるはずが、近年では大人が主体となる鼓笛隊が多くなってきている実状を話してくれた。つまり鼓笛隊を所有する地域や教会で子どもが集まらなくなり、仕方なくスタッフである高校生以上が演者も担っているとのことである。こどもおぢばがえりの行事の一つに鼓笛隊のコンテストもあり、本来なら子どもだけで出場することが望ましいが、大人も出場している団体が大多数であるようだ。だからといってコンテストを受けられないということではなく、暗黙の了解が存在するとのことだ。
それにしても、この天理教の音楽性は聞けば聞くほど奥が深い。天理教の音楽性の中核を担う組織は天理教音楽研究会という組織である。このホームページを見れば、その歴史とそれを支えてきた実力には驚かされるものがある。
http://onken.tenrikyo.or.jp/
天理高校吹奏楽部や天理教校マーチングバンド部、天理大学雅楽部がその分野で比類なきパフォーマンスを持っていることは私もたびたび耳にしている。その成果に直接的、間接的に関わっているのが天理教音楽研究会であるとのことだ。ということは、天理教の音楽性のパフォーマンスは天理教教団としての大きな政策の一つであると考えられる。私もこれを機会に色々と調べてみた。しかし残念なことに、その天理教の持つ音楽性を学術的に研究、アナウンスしている人はいない。天理教の音楽性は実践のみなのである。同じ文脈で考えられそうな政策の一つに天理教のスポーツがある。これは「天理スポーツ」という言葉があるように、天理教とスポーツは密接な関係がある。天理大学でも「天理スポーツ学」という講座が開講されている。二代真柱がスポーツに力を入れて天理大学にも体育学部があるのは大変素晴らしいことだと思う。スポーツをやっていた人間として「天理」というのはブランドである。同じ様に「天理音楽学」なるものがあってもいいと思う。もし既にあったらごめんなさいね。
なぜ音楽に疎い私がそんなに天理教の音楽学をプッシュするのか。こどもおぢばがえりの話に戻るが、パレードを見れば「うまい」「へた」だけでは物足りない社会学的視点が盛りだくさんであるからだ。むしろマーチングをやったことがない私には、あまり「うまい」「へた」はよく分からない。隣に座っていた鼓笛隊経験者の天理教人は「あれはだめだ。これはいい」と色々と評価していたが、私は全部の鼓笛隊を「皆すごいなー」と思った。だって私にはできないもの。ただ、私が今回最も主張したいことは、技術的評価だけでなく天理教における音楽の役割というのは非常に重要なのではないかということである。私がパレードを見て一番感じたことは、信仰伝達の系譜である。パレードを見ると子どもも大人もいるのである。小さい子どもは3歳くらいから旗を振り必死で行進に付いて行っている。小学生低学年は笛を吹き、小学生高学年から中学生はパーカションなどの大きな楽器を担う。高校生以上の大人は遅れた子どもの背中を押すなどサポートについているというのが多くの団体が採用していた定型であった。裏方ではもっと多くの大人がサポートしているのだそうだ。さすがに中高年以上はパレードに出ていないが、観客席にはいる。
パレードを見て、その鼓笛隊の生態学とでも言えるそれぞれの年代での役割があることに気付かされた。これはひょっとして信仰を支える上でとても重要な視点なのではないかと思う。というのは、子どもの視点から見ると、自分の成長過程とゴールが先見できるのである。つまり「もう少し大きくなったらパーカッションをして、もう少しお兄ちゃんになれば今度は指導する立場になる」と将来を先取できるのである。この視点は非常に教育的である。自分の将来を「ああいう風になるのかな」と予想できるというのは、強い動機付けとなる。特に小さい子どもであれば「あの楽器がしたい」や「ほめられたい」ということを欲望し、中高生であれば技術的評価を欲望し、大人であれば子どもの達成感や充実感を欲望する。より高い成長を求めるものは天理高校や天理教校の部活動として音楽教育を受けて、卒業後は指導者となるのも同じコンテキストであろう。大げさな表現をするならば、パレードを見ていたら信仰の全サイクルが垣間見れる。この循環こそが信仰の繋がりの本質なのではないかと私は考えていた。「縦の伝道」という言葉があるが、「教える人」と「教えられる人」に超えられない壁があっては伝導しない。そして今まさに天理教教団は信仰の伝導に大変に苦慮していると思われる。だからこそ、実践だけではない天理音楽学という視点も大変に大切だと私は思う。誰か天理音楽学という分野を開拓しれくれませんかね。大人と子どもが一緒の目的に向かって何かに取り組むことは、現代では非常に貴重な体験であることも感じた。ほんとみなさまお疲れ様でした。
今年の鼓笛オンパレードの最優秀賞は何処の団体ですか?