こどもおぢばがり

先日、後輩たちと仕事の打ち合わせを夜に予定していた。そのお昼に知り合いの天理教人から電話をもらった。「今、天理でこどもおぢばがえり(以下KOG)をやっている。私も天理にいる。娘を連れて来てはどうか?」とお誘いを受けた。いつも私を誘ってくれるこの天理教人は、いつも急である。仕事の打ち合わせか、娘との団らんかで選択を迫られた。打ち合わせのオーガナイザーは私であり、打ち合わせの相手は独身の若手研究者の後輩たちである。そこで「今日の打ち合わせは、おもしろいところに連れていってやる。打ち合わせは車中でやる。ちなみに娘も一緒だ」と伝えた。後輩たちはキョトンとした表情をしていたが、いつも同じ部屋でダラダラと打ち合わせをやるよりも刺激的なのか「楽しそう」ということで天理に向かうことが決定した。5人乗りの車に娘を入れて4人で天理に向かった。車中では仕事の話をしていたが、天理市内に入った途端に後輩たちはキョロキョロとしだした。普段は私の話なんてまともに聞いてくれない奴らだが、「これが宗教都市だ」という私の説明を真剣に聞いている。「千と千尋みたいだ」「おやさとやかたは壁だ」「隠れたワンダーランドだ」と好き勝手に感想を言っていた。駅前の立体駐車場に車を止めて、歩いてレトロな商店街を通った。神殿に着くと彼らは無口になり、言葉が出てこないといった様子だった。KOGの夜のパレードまで40分ほど時間があるようなので神殿の中に入り一周した。「え、入れるんですか?」と驚きつつ興味津々であった。やはり神殿に入ると、鈍感なゆとり世代も背筋がピリっとするのか神妙な面持ちになるようだ。神殿の内部を一周する頃には「東本願寺よりでかい」や「少子化が信じられないくらい子どもばかりだ」と再び口数が増えて率直な感想を言っていた。外に出るとパレード用のコースが作られ観客用のイスが並べられていた。その席もすでに8割ほど子どもで埋まっていた。我々も正面横のイスに腰をかけた。パレードまでは高校生のお兄さんがゲームをしてくれた。19:30になり夜のおつとめ(儀式)が始まった。当然のこと後輩たちや娘は天理教のおつとめを知らない。私は見よう見まねでできないこともないが、後輩たちのためにも止めておいた。おつとめの間、彼らはipadで天理教のことやKOGのことを検索していた。周囲の子どもたちがおつとめをしているのを「凄い。偉いなー」と言いながら観察していた。ちなみに後輩たちは理数系のポスドクであり、教育や子どもにはあまり関心がないタイプである。

パレードが始まると再び彼らの口数は減り、最後まで開いた口が塞がらなかった。鼓笛隊の多さはもちろんだが、車を改造したデコレーションカー(写真添付)には信じられないといった様子だった。

パレードが終わり、帰りの車中では打ち合わせの続きなんてできず、パレードの感想会だった。「海外旅行に来た気分」や「こんな世界が日本にあるなんて驚きだ」や「前代未聞のカルチャーショック」「今晩は眠れない」などと表現していた。(京都に帰った頃には0時くらいだったので、次の日には「家に帰ってすぐ爆睡した」といっていたが)

私の感想として、こうした天理教独特の世界観はとても大切だと思う。またオウムを知らない若い世代には、それほど宗教に抵抗もないことが驚きだった。一方で、情報過多と言われる時代において天理教に関する情報ソースが非常に少ないことは残念である。
天理教ではKOGのテレビCMをしたりホームページを開設しているが、実態や生の声は何も伝わらない。後輩たちもKOGのホームページで多用されていた「ひのきしん」という言葉を、天理教ホームページで調べてもイマイチ分かりにくい説明ばかりで外部の者には理解が難しい。何より実際の雰囲気は伝わってこない。これは天理教本部という立場なら仕方がなことだと思う。しかし天理教本部は信者によるブログやホームページの発信を快く思っていないようだが、それは天理教のとって生の声を伝える大きなチャンスを逃しているのではないかと思う。
次の日に後輩たちが同僚に「天理教ってめっちゃすげーよ。一回は行った方がいい」とipadの写真を見せ合いっこしながら楽しそうに話していた。正しい情報(布教)伝達とはそういうことであろう。

天理教社会学研究所
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