天理教人から封筒が郵送された。「諭達第三号」と「大望」と「教会報」が入っていた。もちろん頼んだ覚えも連絡もなく、勝手に送りつけられた。
「諭達」は、天理教の重要なイベントを迎える際に、真柱(天理教のトップ)から信者に向けて発表される所信表明文である。重要なイベントとは3年後に教祖が誕生してから130年の区切りを迎えることである。天理教では「3年1000日」という概念があり、イベントの3年前から準備を始めることが多い。3年は1095日だから1000日からは1割近くもオーバーしていることになるが、理由は分からない。「諭達」は天理教人向けの所信表明であり、外にいる私にはあまり言葉の意味が理解できない。一つ分かったことは全国のほとんどの教会に掲げてある「感謝•慎み•助け合い」というスローガンが書かれた垂れ幕は、天理教人に向けてのものだということである。「諭達」から私が読み取れたのは「天理教人よ、感謝、慎み、助け合いをしろよ」ってことなんだと思う。https://sites.google.com/site/yutatu3rd/
「大望」というのは、天理教の青年部が発行するA5サイズ?で厚さ3mmほどの小冊子である。驚いたことが2点あった。一つは、これが月刊誌であるとういことである。我が家には年に2、3回しか届かない。加えて100円もするようだ。天理時報のように、もちろん購読申請していないし、お金も払っていないので、数ヶ月に1度でも文句は言えない。もう一つ驚いたことに、今月号に作家、適菜収のエッセイが載っていることである。彼は哲学者ニーチェに関する著書をいくつか書いている。「大望」では当たり障りのない文章であったが、私が時折目にする産経新聞での記事では、愛国保守というべきか、タカ派というべきか、非常に攻撃的色彩が強い。私が驚いたことは彼の思想ではない。彼の思想を天理教の媒体が採用していることである。彼のブログを見ても政治色が強く、かつ攻撃的である。http://ameblo.jp/tekinaosamu/ ニーチェのキリスト教批判や、適菜収のB層批評は、一歩下がれば「天理教社会学研究所のカインは何を偉そうに言ってんだ」と同等の反感を買う危うさがある。
天理教青年部が、なぜ攻撃的な思想の持ち主に記事を依頼したのか。理由を考えてみると①天理教青年部は執筆依頼をした人間を間違えてしまった②天理教青年部に存在する「改革的気運」を反映したかった。私にはこの2点しか思い浮かばない。①であれば残念な組織であるが、②であれば古典的な既成組織に新しい風を送ろうとしているのかもしれない。しかし、まぁ私の知る限りにおいて、「ニーチェやゲーテならこう言うだろう」という点においては勉強になるが、彼の思想が市場や論壇に定着しているとは言い難いので①が妥当かなと思う。天理教青年部編集者は、彼の書籍や思想をちゃんと下調べしたのだろうか疑問である。
もし天理教青年部が「天理教批判されようとも天理教も変わっていかないといけない。ここはきちんと改革的思想を表現してもらおう」と執筆依頼したのであれば私は評価したい。私に執筆依頼してくれれば、硬直した天理教組織批評ならいくらでも書くんだけど。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
1. 無題
青年会発行の雑誌は、月刊誌「大望」と季刊誌「あらきとうりょう」があります。
だいたい青年会の出版物に執筆される著名人は、適菜収さんはじめ、いわゆる「保守的」で右寄りな文化人が多いです。青年会主催の講演会しかりです。
たとえば、西部邁、渡部昇一、日下公人、石井英夫、堺屋太一、西尾幹二、手嶋龍一、金美麗などなど。他にもいらっしゃいますが、まぁバックナンバーをご覧頂いたら、そうそうたる保守論客が登場されています。
思うに、伝統とか忠義とか、親孝行ということに天理教の教えや体制が共通しているのかなと。
間違っても、田嶋陽子や上野千鶴子などは教内機関誌に執筆しないでしょう。
*産経新聞の「正論」に執筆されてるメンバーが多いのかな?
ちなみに天理教の教会育ちの学者で遺伝子の権威・筑波大学名誉教授の村上和雄さんも正論メンバーです。
2. Re:無題
>ザックさん
しょうじきいって青年会本部は完全な守旧派ばかり。教団改革の意識なんて何もないですよ。だって、連中はみな本部員とか大教会子弟ばかりですからね。改革されたら困る立場の人たちなんです。一番、あらきとうりょうらしくないのがこの青年会本部だと思う。
3. 特高警察
興味深く拝見しました。
むかし、保守派の論客の大日本帝国憲法を復活せよ(うろおぼえですが)といった内容の文章をあらきとうりょうが載せたときは、こけました。また、弾圧されたいの?。青年会の発想には、あらきとりょうが誕生したころから、どこか、特高に近いように思います。民主主義・自由主義大嫌い。→慎み大好き。結局、慎みはことあげ禁止です。
4. Re
僕も、ようぼくなので一生懸命頑張って親神様に喜んでいただけるようになります。そして、親様百三十年祭に向けて人助けに頑張りたいと思います。
天理教青年会はあらきとうりょうにあらず、かれきとうりょう(枯れ木棟梁)である。
他のコメントにもあったように、青年会本部は改革や改良や新企画をだそうなどという意識は全く無く、
ただ親の言うことを鵜呑みにすることが、すなおと解釈し、なんの覇気も感じられない正に
枯れた若者の集まりである。
そんな青年会に魅力を感じる者がいるだろうか。
青年会総会に人が集まらないことを、ただ何の策もなく嘆くだけでなく、原点にもどって考えてみたらどうだろうか。
『二ノ切とは?』
昔、上級の代替わりしたボンボン息子会長と話をしたとき。
ボンボン息子会長は、悩みを持ち。
本部で、財布の中のお金を、総て賽銭箱へ投じたらしい。
その後、道が開けたと、言っていた。
「命の次に大事なのは、お金だから。
だから、お金を神様へ捧げる」
最もらしい話だが。
所詮は上級のボンボンである。
その時、財布が空にしても。
教会に戻れば、お金はあるのだから。
説得力のない話だ。
命の次に大事なのは、なんだろう?
それは、人それぞれの価値観だ。
何故天理教は、本部、上層部にいくほど。
説得力のない、熱量のない、話しかできないのだろう。
なぜ、響かない、淀んだオーラしか残らない、欲まみれの人々が。
本部、上層部、に集まるのだろう。
弱気を助け、事故犠牲も厭わない。
そんな、魅力ある本部員はいるのだろうか?
衰退していく原因など。
溢れかえっている。
組織だから仕方ない。
因縁だ、理の親だと。
過去をほじくり返しても、原因はわかっても。
それをいつまでも、引っ張って引きずっても。
現行天理教のあしきは消えない。
人には、勇気がある。
神様は、勇気を与えてくれた。
色んな形の勇気がある。
勇気をもって、天理教に対面していますか?
困っている人がいたら、勇気をもって、寄り添ってますか?
この先、いつか…。
それでわいけないのでわないのです。
今、この瞬間でも。
泣いている人がいる。
もがき、苦悩する人がいる。
天理教が、支えになっていない人がいる。
天理教の原点、白紙に戻す、再生とか。
僕は、天理教の原点も、白紙も、もとの天理教も知らない。
そこに、固執するからこそ、前に進めない。
天理に原点、昔のいきさつなど、知らなくても良いと思っている。
中山みきになぜ、人が集まったのか。
大切なのはそこなのではないのだろうか。
天理教が、ねずみ講まがいのサークルであれば消滅すれば良い。
ただ、衰退していくにも、被害者はまだまだ出てくる。
巻き添えを食らう人が出でくる。
いつか、この先、でわなく。
今、被害者を救うことである。
僕たちができるのは、天理教被害者を減らすこと。
本部、上層部を、へし折り、変革すること。
天理教の原点よりも、思いやりの原点を探すことが大切だとおもう。
天理教から、若者が離れていくことは、とても良いことである。
若者には、学生会活動ぐらいがちょうどいい。
いつまでも、天理教組織の陰口に、身を置かず。
天理教から離れ、新しい自分の可能性に、探険心に望みや、未来をたくすのだ。
衰退していく天理教。
度がすぎた、皺寄せだ。
良いことは良い。
悪いことは悪い。
そう言えるだけでも、いいのではないのか。
天理教の衰退を止める必要はない。
それが、人助けだからだ。
そして、天理教の大人たちへ。
天理教の若者に、何を伝え残せますか?
それは、矛盾し、理不尽な天理教と戦う背中ではないのではないでしょうか?
理の親など、くだらない制度より。
子や若者は、天理教の大人たちを見ていますよ!
子や若者に、光る道を残していきましょう。
事故犠牲でなく、自己犠牲でした。
訂正いたします。
今さら何を言っても無駄ですよw