天理教にとってお盆って何ですか?

私の今年のお盆休みは3日間あった。15日から本日17日までの3日間である。

短い。

その3日間は私の実家の方へ家族と帰った。

私の実家は一応仏門であるが、一時期天理教を信仰していた先祖もいたりと
あまり宗教に抵抗も壁もない「お気楽」な家庭である。
もちろん、今年のお盆も宗教的色彩は墓参りなどのちょこっとした程度である。

話は逸れるが、私の友人に禅宗の友人がいる。
そこでは、決まった日に決まった時間に必ずお墓に行かなくてはいけないそうである。
しかも何度もお墓に行かなくてはいけないらしい。
だから、禅宗にとってお盆休みというのは、休みではなくお盆という一大イベントなのである。
私はその話を聞いて「禅宗じゃなくてよかった」と思ったが、
私も含め日本人全体として宗教行事を軽く考える傾向にあることは決していいとは思わない。
宗教行事が持つ意味は社会、文化、個人において重要な役割であることは忘れてはいけない。

話を戻す。
もちろん、実家の近所に知り合いの天理教教会があるので挨拶に行く。
当たり前のように歓迎される。教会の神殿に通していただいたが
神殿は「お盆仕様」ではなく日常の神殿であった。

天理教はお盆をどのように考えているのだろう。

上記のこの疑問がお盆の間ずっと疑問であった。
といっても昨日の話なんだけど。

天理教にとって、お盆とは全く関係のないものなのか。
それとも、お盆に対して何かしらの意味はあるんだけど、
私の近所の教会だけ何もしてないのか。

誰か教えて頂きたいものだ。
そこの教会にお中元を渡したのだが、よかったのだろうか。
甚だ心配である。