「感謝・慎み・たすけあい」というスローガンの垂れ幕

私の近所にいくつかの天理教の教会がある。
大小様々な教会であるが、今思い出すだけでも5つくらい知っている。
もちろん、仕事先や旅行先でも度々天理教の教会を見つけることが多い。

本当に天理教の教会数は多いと思う。

そして2年程前かな。本記事のタイトルに掲げた「感謝・慎み・助け合い」という
横断幕が全国の教会に一斉に掲げられるようになった。誰でも一度は目にしていると思う。
この横断幕はカラフルなので、地味な天理教の教会も見つけやすくなったのではないかと思う。
今までは街を歩いてても教会かな?と思って見てた建物は
梅の家紋や○○分教会という看板を見ないと天理教と識別できなかった。
しかしカラフルな横断幕ができたおかげで教会を見つけやすくなった。
見やすいところに掲げられたカラフルな横断幕は一番目につく。
今では天理教のアイコン的機能を持っている。

このカラフルな横断幕が作られた経緯なんて私は知らない。

ただ、この横断幕が政策的に何を目指しているかは理解に苦しむ。
天理教は何を目指しているのだろう?
「私たちは、こんな素晴らしいテーマを掲げているのよ!」というアピール?
たった3つの言葉で? 

この横断幕を一般の人が見たらどう思うだろう、という視点は作成者にはなかったのだろうか。
私は少なくとも、これほど怪しいスローガンを掲げている宗教建物には近づきたくない。
さぁ皆さんはどう思いますか。顔も見えない思想なんて怪しいと思いませんか?

また、そのデザインも今風に言えば「ダサイ」である。
まるで、中高年対象のWindowsの初心者講習会で「何か簡単な作品を作ってみましょう」と
いわれて作られたようなシンプルさである。

この横断幕を発案し、選定した人間はきっと他人の心情に鈍感であるのだろう。
少なくとも、そこまで想像性が及ぶ人間ではないことくらい容易にわかる。
一大組織のストラテジーとしては思慮が浅過ぎる。
他者が奇異に感じることくらい気づいてほしいものだ。

もしくわ天理教の意思決定プロセス自体が死んでいるのだろう。独裁でもある。
誰か一人でも「こんなことは一大宗教の教団がやることじゃないっすよ、見たら引きますよ」
と言わなかったのだろうか。
もしくわ天理教の会議特有の「会長さんの鶴の一声で決まりましたが何か?」的な臭いもする。

こんなチープで他者感受性に鈍感な政策をやっていては、天理教の未来は暗い。
今だからこそ、ドシっと構えて人間的成熟を涵養した方が天理教の未来は明るいと思う結論は
そんなに間違ってはいない。
むしろ長期的視点で見れば、その方が長生きできるだろう。これはビジネスと同じである。
ビジネスという財貨の交換でしか成立しないドライな関係だからこそ
人間関係に価値を置く人間と会社が成功できるのである。むしろ本当の成功はそこにしかない。

少しくらい社会で働いた経験があれば当然の結論である。

政策やストラテジーというドライな言葉を使うと天理教人に
そんなものと信仰を一緒にしては困ると言われそうだ。
しかし前述したように経営力と人間力は同じであると考える人間に人は集まるのである。
もちろん、経営力と人間力は同じではない。
不思議なことに経営で成功する人間というのは、経済の勉強より人間(自分も相手も)を大事にする
ことに時間を割く人が多いと思う。少なくとも私の周りの成功者は皆そうである。
人に支えられていることに感謝し、そして自分をとても大事にしているのである。
まして顔の見えない相手に「感謝が大事だよ」なんてドン引きなことは言わない。

ということで、私はあの横断幕を非常に気持ち悪いと思う。
このブログに決して貼りたくないものである。

「この横断幕って怪しいよね。こんなことより地域に出て私たちの顔を覚えてもらおうぜ」と、
自主的に外した教会こそ本当の意味で生き残れる教会なのだと思う。

さて、皆さんはいかが思いますか?

「感謝・慎み・たすけあい」というスローガンの垂れ幕」への5件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    初めまして!
    いつも、良い刺激を受けながら読ませて頂いてます。「感謝・慎み・たすけあい」のスローガンは、多分、表統領の発案ではなかったかと…。まぁ全教的に受け入れてしまっている以上誰が言い出しっぺか等というのは問題外かもしれません。

    個人的には、そう悪くないと思っているのですが、一般人には分りにくいのでしょうかね?スローガンだけではなく、実際に何を行なっているのかが見えないから余計に怪しく写るのかも知れません。
    実際の動きが見えない以上、看板倒れは否めないです。

  2. 匿名

    2. コメントありがとうございます。
    全教的に受け入れてしまったということですが、各教会には受け入れるー受け入れないという選択肢はあったのでしょうか?

    今回の記事での私の真意は、幼稚な執行部による中央集権はまずいということです。安易な政策で各教会の自立性を剥奪してしまい、信仰をプロパガンダでカバーしようという発想こそ信仰を粗末に扱っているのでは?ということです。また教団が持つその権力制に無自覚な部分も看過できないということです。表統領を筆頭に?教団の自己満足にしか見えません。(すみません、表統領が何かは分かりかねます)。

    そういう意味ではスローガンは幼稚さ示す一つのメッセージに過ぎず、それ自体に大きな意味はありません。私の主張はメタレベルなのです。

    スローガンですが、あのスローガンを「素晴らしい」と思う方も中にはおられると思います。しかし「引いちゃう」人の方が九分九厘圧倒的ではないでしょうか?自宅にオウムやエホバの方が勧誘に来られる時に感じるものと理論的には同じですね。しかし勧誘に来られる方が地域の方で信頼の置ける人なら私は話くらいはきいちゃいます。
    結局は人間関係なのと私は信じたいです。

    というのが私の意見なのですが、少しでも理解いただけると幸いです。長々と申し訳ありません。

  3. 匿名

    3. 無題
    明確なお答え、ありがとうございます。
    天理教が、教団を成立させ、現在の教会制度を確立した時点から「中央集権」は始まったと考えています。つまり、最初の時点では、全て(といえるかどうか分りませんが形式上は)の人が了解して始まった訳です。

    ただし、元々は迫害や干渉から逃れるための方便でした。教会制度は今でも方便だと思っています。神様からのお許しがあったのは事実ですが、jこれが一番良い方法だとは仰っていません。

    なんだかんだといっても最後は人間関係です。信頼できる教会長なら体制は関係ないのかもしれません。が今はどちらも依存しているのが現状ではないかと考えています。

  4. 匿名

    4. 教会制度について
    貴重なご教示ありがとうございます。

    話が教会制度にスライドしたようですので、敢えて私のスライドしますね。教会制度については、管見の及ぶ限り現行制度(中央集権)を拒否してしまうことの弊害も大きいと思います。つまり教えの涵養や縦の伝道がうまくいかなくなると推測されます(天理教には分派と言われる組織が多いのも同じことだと思います)。また、それがうまくいかないと推察できるのは幼稚な執行部と未熟な会長職が原因であると私は断言します。教会制度というのは一定の安定したシステムではありますが、それを運用する人間がダメだということです。成熟した人間が運用するなら、正ちゃんさんのおっしゃられるように現体制は方便に同意します。現状では「幼稚な人間」をシステムの安定という担保によって天理教が運用されているといってもよいでしょう。
    私の知り合いの青年達も非常に意欲的な考えを持っています。しかしヒエラルキー精神が身体化された上層部から感情論で否定され挙げ句の果てには「私たちも若かりしころは苦労したから」と理不尽な抑圧のもと意欲を削がれている現状があります。「私が責任とってあげるから思うがままやってみな」という当たり前のオトナは少ないようです。組織の幹部というのは意思決定よりも部下の意思決定や責任をリスクテイクするのが仕事であるはずが、自己顕示や部下の成功を恐れるように「神様はそう言ってない」などと権力を濫用して抑圧しています。
    結局、お前はどっちなんだ?と言われそうですね。大教会長の選任選挙制、信者の教会選択制、第三者機関の創設、会長の一般企業での就労体験学習と色々アイデアは浮かんできますが一番リアルなのは「みんなちゃんとしよーよ」というリーダーの登場ではないでしょうか?それは今の真柱でも可能だと思います。ちゃんとって何?というのは繰り返し私が書いている記事を見ていただければ分かって頂けるのではないでしょうか。

  5. 匿名

    5. 二重コメントになてすみません。
    どうやらコメントは投稿してしまったら編集できないようです。すみません。

    上記コメントで付け加えたいのは、ヒエラルキーや体制が上手に機能している教会や系統も存在するということです。私が聞いた話によると、愛知にある○○分教会は凄いらしいです。大教会ではないが、全国に支部を持ち、信者数も多く、勢いのある教会みたいです。そこでは、かなりクリエイティブな活動を地域で行っているということです。あまりに活動的すぎて天理教内で批判もあるみたいですが、この教会の成功の裏に流された汗は無視できないはずです。批判は妬み以外の何ものでもないでしょう。
    その教会のノウハウを教団が学ぶ姿勢を見せるくらいの危機感を持って欲しいものです。

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