昨日の教会本部ぶらり旅の記事の続き。
教会本部での滞在時間はわずか90分であった。
しかし神殿にいたのは30分ほどである。
残りの時間は何をしていたのか。
ブラブラしてました。
神殿を出て、参拝だけして帰るというのも勿体ないので
天理本通りという商店街をぶらりと通った。
ちょうど、商店街のイベントをやっていたようで
お揃いの衣装を身に纏った若者たちが商店街を占拠していた。
商店街という細長い場所で踊っておられたので
何をやっているのか見えないし、通れないし、で結局商店街の入り口に
ある道友社という出版社の書店にだけ立ち寄った。
道友社というのは天理教出版物を扱っている会社?である。
帰ってネットで調べたのだが、道友社の組織概要は明記されておらず、
収支も不明、ネット販売の責任者は分かったが、組織体系なども不明であり
間違いなく天理教が持つ子会社なのだろう。
その書店では沢山の天理教の書物が販売されている。
見た事がある本も沢山あった。
今時、カセットテープやシングルCDも売っていた。需要があるのだろう。
いくつか興味をそそられる本もあり手に取ってみたのだが
やはり天理教賛美の自画自賛本しかない。当たり前だけど。
天理大学の先生の本もあるのだが、あまり学術性は感じられない。
んーなんだかな。
そういえば、天理教内ではM上和雄先生という人が有名だそうで、その方の
書物が沢山あった。ダライラマと一緒に映っている写真もあった。
同僚Kと私は思わず「おぉー」と感嘆の声を挙げたが、声を向けた先は
ダライラマであり、私たちはM上先生のことを知らない。
知らなくては評価もできないので、彼の書物を今後読もうと思う。
以前、知り合いの天理教人から噂で聞いた話によると。
M上先生は糖尿病患者?に対して研究を行ったようである。
その研究とは、患者を二つのグループに分けて、
一つのグループには吉本(お笑いの)を見せて
もう一つのグループには吉本を見せなかったのである。
結果は、吉本を見た患者群が見なかった群に対して有意に糖尿病の値が減少したのである。
考察として、「笑いは健康にいい」ということである。
この研究を知り合いの天理教人は嬉々として私に教えてくれたのだが。
私は何も驚かなかった。
なぜなら、それは子どもでも分かる常識だからである。
嬉しい、楽しい、気持ちいいというポジティブな感情が心身にいい影響がある
なんて誰でも知っている。最新の研究論文を読まなくても自明である。
特に日本人であれば、デカルトの心身二元論を読む前に心身一如という言葉が
あるくらい身体化された思想であるはずと思うのは間違いだろうか。
むしろ、心身医学や援助領域で今考えなければいけないのは
いかに援助者も被援助者もよりよく生きるかということである。
吉本を見て笑えば健康になるなら、365日24時間吉本で笑えるという検証をしてもらいたい。
福祉や医療現場で問題となるのは、持続可能な笑いとは何かという問いであろう。
そこではやはり、人生とは何か、病いとは何か、生きるとは何か、死とは何かという
極めてラディカルで答えの無い、決して笑えない問いと直面せざるを得ない現実がある。
そこにこそ、宗教や信仰という存在が人をよりよく生きる笑いとならなければと思う。
その点を留保抜きに教団(道友社)が「よいしょ」しているのは決して笑えないと思う。
また天理教人のメディアリテラシーの低さは現代日本のそれと同様でしかない。
天理教という明確な教義に拠って社会を見れば、「天理教的社会の見方」という
独自で一歩進んだ考えができるんじゃないかと思うのは私だけだろうか。
天理教の教えってそんなに悪くないと思うのだが、
それに基づいて思考を巡らし、社会を見ている天理教人は少ない。
メディアが言った通りに社会を批判し、社保庁を批判し、
相撲協会を批判し(おっと相撲ファンなので)、犯罪者を批判し、
「批判ばっかり言ってても陽気ぐらしできないよ」という天理教人に会ったことはない。
「嫌なことも多いけど、いい社会だぜ!」と言ってほしいものだ。
天理時報や神殿講話で聞かれる理想化された眩し過ぎる教義と
グチグチと社会の不満を述べる天理教人との乖離には愕然とすることが多々ある。
そして、その乖離が同一の人間から語られることは特筆すべき現象である。
なんだか怪しいね~と同僚と話して道友社を後にした。
1. いらしてたんですか
お会いしたかったですね。
駐車場…仰りたいことはよく解ります。検討する余地がありますね。
M上先生、その道では有名人ですね。その道ではなぜ宗教に??とも言われてます。元々、協会に生まれた生粋の信者なのですが…
あぁいう人を表に出して、宣伝するのは諸刃の剣ですね。
私は嫌です。本人ではなく、売り出し方が(苦笑)
これからも、提言よろしくお願いします。
2. こちらこそ、よろしくお願いします。
駐車場の件については、教会本部の考え方が分かりませんので何とも言えません。
天理教初心者や素人が神殿に来て観光地化するのを危惧しているのか。そうなると詰所の存在意義が形骸化するとでも考えているのでしょうか。
つまり教会本部としては人(天理教人)との繋がりが薄いままに、教えを涵養する気がないのに神殿に来られては困るという政策でしょうか。
しかし、そう考えると先に論じた「感謝・慎み・助け合い」というスローガンについて「人間関係を重視していたら決して思いつくはずはないアイデア」という結論とは矛盾してしまいますね。
なんだかなーですね。
M上先生では、創価学会の布教戦略とダブりました。創価学会と政治という繋がりも長くは続かない社会の風向きになってきています。
次国会で、もし矢野絢也氏の参考人招致が実現されるのであれば池田大作の証人喚問もあるかもしれませんね。自公も学会もそれだけは死守するでしょうが(係争中ですし)、もし実現すれば学会の社会的使命は意外に早く終わりを迎えるのではと注視しています。おっと話がずれてすみません。
適切なコメントよろしくお願いします。
3. 不案内
駐車場の件ですが、神殿を囲んで四方八方に駐車場があります。それは、どこから(車を止めるのに一番都合の良いところ)でもお入りください。という意味が強いのだと思います。
それが始めて来られる方に、かえって不案内になってしまっているのでしょう。
う~~ん、どうしたもんでしょうか。
全く天理教と関係のない方でも、総合案内書というところで言って頂ければ、神殿案内もしているのですが…もちろん無料で!!
4. ホームページの記載すれば解決だと思います。
私が一番に思ったのはホームページに「参拝方法」や「初めて参拝される方へ」などというコンテンツがあればだいぶ便利だと思いました。
むしろ、今の時代ではホームページに記載すればそれで大方解決することだとも思います。
車世代とネット世代は同世代ですし。
たぶん、京都や奈良の寺院のように大っぴらに参拝を商業化(観光地化)するのは教会本部も嫌うでしょうし。私もそれは望んでないです。
なるほど!無料で神殿案内をして頂けるのですか! 個人でも? 凄い!
皮肉にも総合案内書を入手するための案内が必要ですね・・・