天理時報のコピーを送っていただいた。一大イベントである教祖没後130年祭が終わったあと、2月6日に天理教本部に国会議員団が集まったという情報を得たためである。発信源は馬淵澄夫衆議院議員(民主党奈良)のツイッターである。天理時報のコピーは、その件に関する天理教本部の公式アナウンスを知るためである。
天理教130年祭で与野党国会議員団参拝。記念撮影。4列目の左端に。お道の下、呉越同舟。 https://t.co/kDxtEyZksP
— 馬淵澄夫 (@mabuchi_sumio) February 6, 2016
拡大写真をこちら。
前列右から2番目は天理教内統領 山澤廣昭氏、3番目は天理教表統領で真柱の実弟で、次期真柱予定中山大亮氏の父 中田善亮氏である。4番目は次期真柱予定の中山大亮氏、5番目が真柱の中山善司氏である。国会議員と思われる人物たちは、胸にネームプレートをつけているので、前列一番右の人物も天理教中枢幹部であると思われるが私には分からない。
国会議員を見ると、前列左2番目に前原誠司衆議院議員(民主党京都)、2列目左3番目に福山哲郎参議院議員(民主党京都)、最後列左5番目に辻元清美衆議院議員(民主党大阪)、そして4列目左一番目が馬淵氏である。民主党ばかりに偏って恐縮だが、私が自信をもって確認でき人物は4名である。ちなみに馬淵氏以外の3名のホームページやSNSには、天理教本部に参詣したことを書いていなかった。
加えて、ネットなどで過去に天理教との関わりがあったとされる議員が写真からは確認できなかった。例えば
http://anarchist.seesaa.net/article/41644682.html
その他に、写真の人物がわかる方がいたら教えてほしい。
では、これらを天理時報はどのようにアナウンスしたのか。天理時報第4463号2月14日のP2を参照しよう。小見出しは「国会議員52人が参拝」とあり、
2月4日から7日にかけては、国会議員をはじめ地域の役員など教外の関係者が招かれた。
6日には、衆参両院の国会議員52人(うち、ようぼく35人)が本部神殿で参拝した後、第38母屋でのレセプションに出席した。
あいさつの中で真柱様は、教祖年祭の意義についてあらためて説明。「年祭というものは一つの目的へ向かう一里塚のようなもの。私たちは、またこれから心新たに、陽気ぐらしへの歩みを進めていかなければならないと決意している」と述べられた。
この後、参加者を代表して、元・厚生労働大臣の川崎二郎・衆議院議員があいさつに立った。川崎議員はこの場にいる議員がさまざまな縁でお道につながっていることに言及した後、「しっかりお道の勉強をしながら、日本の国が少しでも良くなるように努力したい」と話した。
会場では、お道につながる議員同士、和やかに談笑していた。なお、この日に中席を運んだ議員や、ようぼくとなった議員もいた。
以上である。
これらの情報からわかることは、天理教は国会議員とのチャンネルを持っているということであろう。招いたのが天理教であるようだから、天理教から各議員に案内を出したのか、国会議員を束ねる人物がいるのかであろう。例年であれば、1月5日から7日に開催される天理教お節会に議員たちが初詣もかねて参詣していた。しかし今回は通常国会が4日に招集されることに加えて、130年祭という一大イベントに日程を合わせる意味も込めたのではないだろうか。
記事の中では議員たちは神殿に参拝したということであるから、天理教本部にお金をお供えとして提供したことは間違いないであろう。問題はその金が、どこから支出されているのかということである。政治資金であろうか、私費であろうか。
過去、週刊誌が天理教のお供えを政治資金から支出したとして問題にしたこともある。例えば
http://www.news-postseven.com/archives/20141222_293917.html
ちなみに靖国神社の参拝は私費である。
http://www.asahi.com/articles/ASH8H34DPH8HUTFK002.html
こういった事情もあったから、さすがに政治資金から支出してはないだろうが、確認は必要であろう。
もう1点、私が気になったことは、天理教は国会議員が信者(ようぼく)になった際には、天理時報に顔写真付きで紹介することが慣例になっていた。しかし今回は誰であるかも紹介はされなかった。今回は紙面が限られていたのか、政治色を無くそうという方針転換があったのかは不明だが、政治との関係は今後も厳しく見ていきたい。(政治と距離を置くのは結構だが、写真と記事を読む限りではべったりな関係である)
最後に、久しぶりに天理時報を読んでみての感想である。相変わらず反社会的な記事であった。P3の「視点」では、「『医者の手余り』の定義とは」として、無知に基づく一方的な解釈で現代医学を肯定しないような論調であった(基本的には著者が何を言いたいのかは皆目分からないが)。筆者は「医療技術の進歩は目覚ましく、がんの早期発見の確率は格段に高くなっているのだが、がんによる死亡者数は一向に減る気配がなく」と書いたり、高血圧の基準が突然変わったのは、患者を増やし降圧剤を売るためであるという。
ちなみに日本でがん患者が減らないのは、高齢化と長寿化が大きな要因であることは医学の自明である。また高血圧の診断基準の変化は高血圧の予後が脳卒中や心血管疾患と関連するという研究が増えているからである。日本高血圧学会の見解を載せておく。
http://www.jpnsh.jp/files/cms/351_1.pdf
この筆者の述べることは小さな一部分では合っているが、総論では大きく間違っている。どれも自然科学だろうが人文科学だろうが、大学1年生の一般教養で習うような基礎知識である。せめて天理時報のコラムニストと記者と編集長は大卒の方がやってはくれないだろうか。宗教新聞と言えども、読んでバカになるような偏向新聞では、さすがに購読者が減っているのも頷ける。
これは天理時報の無学なコラムニストの偏った一見解だけかと思いきや、天理時報一面では、明らかに現代医学を肯定していない記事であった。「医師の反対を押し切り」天理教本部へ参拝したという信者の感動話である。その信者は2年後に亡くなったが、天理教本部に参拝していなければ2年前に亡くなっていたと家族は思う、ということである。
当事者の体験談に対しては、私は何もいう気はない。しかし、これを取材し、記事にしようとした天理時報の記者と編集長は非常にバランス感覚と文章能力に欠けた人物であることは間違いない。なぜなら、この文章から読み取れることは天理教では病気になれば医学よりも信仰が大切であるということになるからである。バランス感覚にかけるというのは、この文章を読んだ者の多くが、輸血を禁止し社会問題になったエホバの証人の記憶が蘇るからである。医師のいうことなんかどうでもよくて、天理教本部にいけば治るというのは、現代医学への否定とみられても仕方ない。天理教は自前の病院を持っているのに、このような文章を書いていては、いつまでたっても天理教は社会に受け入れられないであろう。
ただ、私は本気で天理教が現代医学を否定しているとは思わない。二代真柱が病院を建設する際に信仰上の医学の必要性を整理したからである。今回の件はコラムニストと記者と編集長が、基本的な見識と文才を持ちあわせていないだけの不幸であると。
しかし、最近になり、この辺の事情も怪しくなってきたと感じることもある。私は教祖130年祭の真柱の講話の録音ファイルを入手した。その中で、真柱は教祖が亡くなる直前の歴史を読み返し「律が怖いか、神が怖いか」と人間に決断を迫る場面を想起した。それは法律を取るか、神を取るかの二項対立を教祖の言葉として人間に述べた場面である。律というのは警察の取り締まりのことである。つまり、警察の取り締まりを恐れてお勤めをしないのか、警察に捕まってもいいからお勤めをするのかということである(当時は新興宗教に対する警察の取り締まりは非常に厳しかった)。結局、お勤めをしたが警察には捕まらずに済んだという歴史の一部である。
ちょうど130年前の話であるが、なぜ今回、その場面を真柱が述べる必要があったのかは天理教の反社会的姿勢を考える上で重要であると私は思う。「法律なんてお構いなし」とする姿勢に転じるのであれば、社会にとって大問題である。今回の真柱の発言も非常に危なっかしいものであろう。天理教の衰退が、いよいよ分水嶺にきている真柱の焦りなのか。
今回の真柱の発言は歴史を紹介した単発であればギリギリ問題はない。しかし天理時報の医学批判と組み合わせれば、何か天理教が内部に向けて反社会的な姿勢を醸成させようという雰囲気があるのであれば大問題である。法律や社会に縛られるのではなく、俺たちには崇高な信仰の下にやらねばならぬことがあると天理教が曲解していれば、私はオウム真理教の記憶しか蘇ってこない。
tenrikyosyakagiakulabo@hotmail.co.jp
写真の前列右から「土佐忠雄」「中田善亮」「山澤廣昭」「中山大亮」「真柱」ですね。
国会議員のメンバーを見て驚きました。民主党の議員が、宗教団体を集票マシンとして利用している
自民党も同じだが、民主党のそれは、とても危険だ。
前原誠司の奥さんは、創価学会だとの噂が流れています。
前原誠司自身は、外国人からの政治資金問題で外相を辞任したはず。献金したのは、京都市山科にある焼き肉を経営する在日韓国人女性(72)である。4年間にわたって献金を受けていたらしい。ネットには確かな情報があふれている。
辻本清美は、北朝鮮 金正恩の側近、崔竜海(チョリョンヘ)と並んでワイングラスを持って乾杯する画像が既にながれている。
辻本清美が設立した「ピースボート」が使用した船には、北朝鮮国旗が描かれている。ピースボートは、北朝鮮の万ぎょんぼう号をチャーターして北朝鮮にも渡航している。
関係者が、麻薬の密輸に関わり逮捕されている。
この問題は、次世代の党の杉田水脈議員が国会で追及している。この情報も既にネットで見ることができる。
辻本清美は、確か社民党の土井チルドレンとして土井たか子から要請されて政界入りしたはず。
土井たか子は、北朝鮮系の帰化朝鮮人で本名は「李高順」
福山哲郎も帰化人です。この男、2013年11月20日の参院国家安全保障特別委員会で「防衛秘密情報が3万4000件も廃棄された」と政府を追及したが、このうち約3万件が民主党によって廃棄された事が明らかになった。
漏えいされた情報は、韓国に渡され、その後、中国人民軍にわたったそうである。
そして、この情報が中国共産党に伝わり、中国の対日強硬姿勢が崩れ、習近平が安倍総理と握手することになったといわれている。
民主党の国会議員には、韓国北朝鮮籍から帰化した人間が多数存在している。
ここに書いた事柄は、特別な情報ではない。全て公開されている情報である。
ただマスコミが「報道しない自由」を使って、新聞やテレビに流さないだけである。
日本国民は、ほぼ騙されている状態です。
民主党は、まさしく おふでさきに中に示されている「からがにほんをままにした」の重要な一部分である。
この様な、集団が天理教という組織にすり寄っている現実を見ると、不気味さを感じる。
詳しい事を知りたいと思う方は、青林堂出版 「余命三年時事日記」を読んでください。
この本は、昨年11月22日に出版発表されてから、アマゾンランキング書籍部門で一か月近くも総合1位を続けていたが、マスコミはこの本に一切触れていない。
ネットでも「余命三年時事日記」のブログがあります。このブログの始まりは2012年8月16日です。情報量は膨大で読むのは大変ですが、日本の現実の姿に目が覚める事だと思います。
「余命三年時事日記さんのバックアップ」で検索すると過去記事が読めます。
私たちは、天理教教団にも騙され、そしてマスコミにも騙されているお人好しです。
私は、天理教中枢部と在日勢力 反日左翼勢力 売国奴勢力が並んで写っているこの写真を見て、もうびっくり仰天です。
日本の国家存亡の危機と思えるくらいの恐怖を覚えます。
私は、ネットに関して知識はほとんどありません。
ネットの知識に詳しい方は、天理教本部が、在日勢力 反日左翼勢力、売国奴勢力とつながる証拠写真として
あらゆるところにこの写真を拡散ほしいと思います。
埃と埃が寄り合って互いにつぶれてほしいと思います。
春の大祭、年祭で、正月26日の様子を振り返るのは定番ですので、「律が怖いか」と話したことを大きく取り上げるのはちょっと神経質だとおもいます。ただ、たしかに天理教の人の規範意識の弱さ(たとえばどこかで指摘されていた人権意識の弱さ)は、この言葉と関係していることは間違いないと思います。規則だけではなく、社会のことを勉強しなくてもそれなりの身分の方は地位を得ることはできるし、勉強してとやかくいうヤツはうるさいと敬遠されるので、時報に限らずどこでも質は低下せざるをえないところ。そういえば、人権で問題になった?大教会長さんは学校の理事長になるらしい。。。。
土井たか子さんが、北朝鮮系の帰化人とは驚きました。どおりで、北朝鮮と仲が良いと思ってましたが、そういう事だったんですね。
日本国の上位クラスの人達は、帰化人の系統が多いらしいですね。藤原道長という、平安時代に日本を自分の思うままにした人は、祖先が藤原鎌足という、歴史教科書に載っている帰化人ですから。その、藤原氏の系統が日本をずっと支配してきた、という、これは古代史の著作を数多く書かれている、関裕二氏の説です。安倍信三さんも、確か、帰化人の系統と、何かで読みましたが。
日本は高山の支配層は帰化人系統、下流の被支配層は土着民族なのかもしれません。
たかこ、帰化人説は間違いですよ。出本は雑誌のwillで、裁判で敗訴して土井氏に謝罪しています。
いちれつきょうだいであってほしいと思います。天理教の外に対しても、そして、なにより内に対しても。だから、国籍・民族をとりあげて批判する書き込みはやめてくださいませんか。
律が怖いか 様
国籍は日本でも、太平洋戦争後などの現代に帰化している場合、日本よりも出身国の利益の為に行動し、日本に不利益をもたらしている売国奴といっても差支えない人たちがいる事は確かなことであります。
匿名 2016年2月16日 11:27 AMさん。
あなたの書き込みは他の掲示板でお願いします。
ここでは、ふさわしくありませんね。
どこのサイトでもそうですが政治ネタが絡むと荒れますね
前列一番左、なにかと話題な島袋?大臣だと思われます。
すごいですね、閣僚が並んでる…
はばまい が読めなかった人ですね。
島尻 安伊子(しまじり あいこ、1965年3月4日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)、沖縄・北方担当大臣兼科学技術政策担当大臣兼宇宙政策担当大臣。
島尻大臣でした笑
しかも「はぼまい」ですね。私が間違えてどうする笑
うちの元所属教会の会長、医療機関で付き添いで行って、身内でも無いのに診察室に入れろと言ってごねてつまみ出されたらしい。
貰って来た薬は薬学部出身でも無いのに、取り上げて制限する始末。
医者薬は必要性が無いとか、飲み過ぎだとか
ムチャクチャです。ただの熱心なだけの迷惑行為です。引き取ると言うと脚下だと。
政治家の偉い先生掲載するなら、窃盗だとか、迷惑行為だとか因縁詐欺だとか指導して下さい。
明治大学付属中野高校名誉校長先生。
最近もお墓に名前を彫るのにお礼として
20万円
病院で自分が入院している時に、他の患者さん達におさずけをしてあげたとか、そういうことは天理教誌で書かれてますが、どこまでが良くて、どこからは迷惑行為なのか、正直よくわからないのですよね。信仰熱心が過ぎると迷惑行為になりかねないのでしょうが、その線引きが、なかなか・・。
うちに巡教に来た先生が、ご自分の経験を話されたんですが、最初は、病院にお授けをしに行って、首根っこを掴まれて引きずり出された、何度も通っているうちに、病院も何も言わなくなり、黙認してくれ出し、おさずけを受けてくれた患者さんも何人か出来、神様のお話も出来た、というような。
信仰熱心は時に、端から見て、狂気と感じるのではないか、と思いますが。
匿名 2016年2月17日 10:16 AMさん。
それは、本当の「おたすけ」ではありません。
本当の「おたすけ」は黙々とするもので、人にペラペラ喋るのもではありません。
教会内の人や、天理教内の人に「私はこんなに、頑張っています」とアピールしているだけです。
その先生は洗脳状態ですから、世間の人は、偉いとも凄いとも何とも思っていないでしょう。
(続きです)だそうですが?
こんな状態だから、余計悪くなります。(させられる)そうすると悪くなったらなったで今度は悪い因縁が出て来たと言われ、入院でもしようものなら、理だてと称して、高額な金銭の要求が有ります。無いと行ってもこのご時世生命保険位には入っているから、下りた保険金全額とか言われますよ。言っておきますが、ここはそこら辺の天理教の教会じゃ有りません。明治大学付属中野高校名誉校長先生及び関係者の教会です。
これは一体なんなんでしょうね。何時もの常套手段です。
今度は悪くなる前に引き取り脱会し、現在です。会った事も無い中川ヨシ先生や遥か昔に来た近藤真彦氏や貴花田理事長のお話を何十年にも渡ってくり返しくり返し信者の前で披露し、多額の献金の為に彼らを利用したのは間違い無いですよ。
現在でも関わってる信者は、恐らく相当の額でお供えしてると思いますが、彼ら言う処の「勝手に持って来るんや。」でしょうね。
いくら申し立てしても指導すらせず、多額の献金が有る方が教団としても都合が良いからですね。ウラなら病院の先生でとれます。
律が怖いか…の話は現身お隠しまでの神人問答を語る上で欠かせないポイントですからねぇ。しかも今回の神殿講話で初めて語られた話でもないですし。
反社会的などうのこうのと意図を探ることもできるんでしょうが、勘ぐりすぎかと思いますよ。
規制されることなく自由におつとめが出来るということの有り難さを分からせてもらえるひながたの一端であると理解される方が一般的かと。
「律が怖いか、神が怖いか」
神の御心に適うことは、律をも越えるという喩え話ですね。
神とは愛そのものだと思います。
神(愛)を信じなさいと伝える意味の言葉であれば勇気が湧いてきます。
しかし、コメント欄にあふれる、教団内での意地悪、脅し、傲慢さなどは神とは逆のもの。
そしてこれら神とは真逆のものを守ろうとしている教団の「律(理の親制度や独自のカースト制度、
お供え制度などなど)」は、確かに「神」ではなく教団独自の「律」である。
カインさんのご指摘のように、「教祖のひながた」と称して、
「律が怖いか、神が怖いか」という言葉を、名前は神だが実は教団独自の律に、
より重要性を持たせ、重きを置かせる洗脳の言葉として使うことだけは避けてもらいたいですね。
「律が怖いか」「神が怖いか」を論じる時点で、どちらも脅しているような言葉にしか思われないのです。
「律も怖くない」「神も怖くない」「神は罪も罰も与えない」と言える生き方が、人として全うな生き方をしているのではないでしょうか。
元々、怖れを植え付けていく教えがあったということでしょうか?
だとしたら、私が天理教人による強迫を受けた時、あまりにも恐ろしすぎてパニックにもなるのは当たり前だったんですね。
オギャーと生まれた時から、白か黒しか選択肢のない世界で育ったんだな~と、そう思うとそこから這い上がった自分の根性にあっぱれと言いたい。
信者でない自分からすれば、どっちも全く怖くないです(笑)
憩いの家さまのように、信仰されてない方にとってはどうってこともなく、なに寝言みたいなこといってるんだろうな~みたいなことなんでしょうね。
しかし、信仰している者にとっては重大なことなんです。
改めて考えたいと思います。
はじめまして。 私は韓国のカトリック信者です。 私の宗教とは別に、日本の大本敎と天理敎について、宗教学的に興味があって、インターネットの翻訳機で日本ネットの書き込みを読んでこのブログまで入りました。 それで私は韓国の天理教と、天理教に対する私の印象を書こうとします。
(私は日本語が分からないから英語で文章を書こうか、、言葉がおかしくても日本語で書いたほうがましだろうと思ってこんなに翻訳機を通じて書きます。 文章が変でも了解してください。)
天理教は1892年末-1893年初めに朝鮮に入ってきました。 里見治太郞という布教師が家族にも秘密にして釜山に密航して開始したそうです。 日本統治時代には朝鮮人信者が一万人まで増えたそうですが、敗戦以降、日本人が本国に帰ると、朝鮮人信者たちは弾圧を受けました。 一部の信者たちは’民族反逆者’という理由で生命の脅威まで受けたそうです。
1950年代から残っている信者らが大韓天理敎という名前で教団を登録して、反民族的宗教がないことを社会に見せようと勤めたとします。 1964-7年頃には韓日基本条約で韓国社会で反日感情が強まると、天理教にさらに強い圧迫が加えられました。 (当時、朴正熙(パク・チョンヒ)政権はほぼ国民の同意なしに韓日基本条約の締結を強行しました。 連日反対デモがあったが、朴正熙は戒厳令まで宣言し、国民を抑えました。)この時期、韓国の新聞記事を見ると、天理教について’日本の天理教から不法資金が流れてきたという疑惑がおり、警察が捜査を開始した’と報道するが、捜査の結果については私も知りません。 その他にも’天理教を信じなければ病気が治ると婦女者を幻惑する’という報道もしばしば起きるが、おそらく’おさづけ’を置いて出た言葉でしょう。 とにかく内務部長官が調査を命令して、教育部で’天理教の儀礼と教理を民族精神にふさわしく、改めない場合、類似宗教団体と見なしたい’という通告を送りました。 (彼以外にも、当時大韓天理敎の中でも公金横領が起こるなど問題がありました。)の政府だけでなく国民世論も非常に良くないので、大学生たちが大韓天理敎本部内に入って神壇神具を破壊することもありました。 『おふでさき』、『みかぐらうた』、『おさしづ』を韓国語に翻訳する作業もこの時期に始めていたが、日本色をなくすための動きでした。 当時、大韓天理敎の中に日本語を話せる人も、参考にするような資料も、学識の高い人も多くなかったために非常に難しい作業イオッダヌングンです。
今も韓国の天理教人たちは天理教が日本の宗教という言葉を強く拒否して、”日本で始まっただけで、日本の宗教ではない”と言います。 このような反応はおそらく政府は弾圧して、国民も天理教を悪く思った時代の経験のために出たのです。
その中、大韓天理敎で日本の天理教本部と関係を切って、神壇の神鏡をなくし、代わりに木製甘露台を安置することにしました。 大韓天理敎の主張によると、中山みきの教えにはこうすることが正しいが、敗戦以前の日本皇道神道を従う群れが歪曲したとします。この措置に信者たちが反発して1986年に天理敎韓國敎團という名で分離を宣言しました。 天理敎韓國敎團は日本の宗教法人天理教の傘下にあります。 (どちらの主張が正しいのかは私としては判断できないですね。)
2004年時点で大韓天理敎の信者数は三万人、天理敎韓國敎團の信者数は15万人だそうですが、実際の信者数はそれより敵を可能性が高いです。 そしておそらく今も大きく変わらないはずです。 韓国の宗教学者たちが書いた論文を見ると、若い韓国人信者は家族が昔から天理教を信じていたのに自然と信じるようになったケースが大半であり、新しく入ってきた若い信者はほとんどないとしますね。 (韓国の仏教やキリスト教の信者の中では青年たちの数が少なくないんです。)、そして若い信者は幼いころには分からないて、学校に入って友達を会った後になって初めて、韓国社会の天理教に対する印象を接して相当な衝撃を受けて、宗教的懐疑に悩まされそうです。
私が今まで韓国と日本の天理教について調べながら、天理教に対する私のイメージは大本敎より良くないです。 大本の開祖・出口なおを私はかなり肯定的に眺めます。 しかし、中山みきを私は出口なおのように肯定的に見ることはできなかったですね。 中山みきが悪人だとは思いません。 注目すべき宗教家だと思います。 しかし、私も簡潔に説明することはできないが、肯定的に評価したくないです。 19世紀、日本の農村社会でどうして天理教が人気を集めたのかはわかったけどそれだけなのです。 現実の苦痛に対するうぶな宗教的接近、そして極度の’中山家’中心的な姿が目にさわりました。 もし、天理教祖の五女・こかんが後継者になっていたら、さらにひどくなったのだろうという気がしました。 そして日本のネット上でも天理教の世論がかなり悪いですね。
翻訳機の限界に内容をよく理解できていない部分も一部いるが、このブログに書いたものを興味深く読みました。 私が接近できない資料をこのブログで見られるから良かったです。 それで私もが知っている話を書いています。 ありがとうございます。
中山みきさんが現在も生きてたら、私はディベートしてみたい(笑)
疑問に思うところを根掘り葉掘りありとあらゆる角度から聞きまくって、どんな回答が帰ってくるのかすごく興味があります。
憩いの家さんのように過去に中山みきに挑んだ人は大勢いますけどね。
乾邦人様
翻訳機を使っての、日本語への変換作業をしながら、書くのは大変でしたでしょう。長文書いて頂き、ありがとうございました。
韓国の天理教の状態も、あまり日本と変わらないのですね。家族が信じているから、自然と信仰するようになった信者ばかりで、それ以外の若い人達が入って来ないことなど。
韓国の信仰者の方々の記事を、天理時報などで、拝見することがありますが、私はそれらの記事に対しては、いつも感動して読んでおりました。韓国は、親日派が批判されると聞いておりますが、その中で天理教信仰を貫くのは、並大抵のご苦労では無かったろうと、推察致します。
今の天理教は、教祖本来の教えとは乖離していると、日本では批判されておりますが、韓国では、どうか、正しい教祖の教えを信者に伝えて頂きたい、と切に願っております。
>>匿名様
私は主に文献資料と信者たちがネット上に書いた掲示物で情報をまとめたために、私の答えが適切かどうかわかりません。
2000年代から韓国の反日感情が過去よりも多くの弱まったので、天理教も過去ではなく、状況が良くなりました。また、過去のように、国民世論に支えられ、圧力をかけることももうありません。その代わりに、存在感もそれほど消えて、神名流しをする人を見て「日本だけだと思った韓国にもあるのね?」と不思議に思っている若者もいます。
天理教韓国教団は日本の宗教法人天理教の傘下団体であるため、礼儀を韓国語であることを除けば、違いはありません。 (私が見るにはそうです。)神楽歌など原典も韓国語翻訳版を使用します。
大韓天理教も教義的な部分では、大同小異したようです。ただし、日本天理教本部との関係を断絶したということ、教服は使用しますが法被は身に着けていない(その代わりに黒い韓服を着る場合もあります。)木製甘露台を安置したということが違います。中山みきの教えは、元のはるかに一般的であるが、黄道神道をフォローしている群れが歪曲したと主張します。二代真柱の正善も「復元」をしながら、このような方針を支持したが、幹部らが邪魔したと言います。甘露台つとめを行わしますが、神楽面は着用しない。大韓天理教は天理教韓国教団より信者が少ないが、韓国のマスコミに相対的に多く報道されます。
日本で(天理教豊文教会など)宗教法人天理教との分離を宣言して異端という言葉を聞く人や団体があったが、そのような方の材料の多くを参照しているようです。
韓国で1960年代に創価学会は、信者に東方遥拝(皇居遥拝)をさせると弾圧を受けたことがあります。同じように日本宗教と弾圧を受けたにも、韓国の創価学会は、現在の公称100万人です。
韓国で創価学会と天理教の違いは何だったのでしょ?創価学会は、病気の治療を言わず、人生の真理などを話しました。
韓国で天理教はほとんどおさづけを前に出して「天理教を介して病気を治癒することができる」と宣伝して布教しました。そして、韓国が貧しい時代には、この戦略が有効ました。貧しい人々は、病院に行くお金が不足して、病院にもレベルが低かったのです。論文でも中年以上の信者が天理教に入信した理由を尋ねたところ、ほとんどの病気の治療と答えハドラン内容があります。しかし、韓国ではもはやこのような病気の治癒が有効な布教戦略になることがないですよね。しかし、まだそれはなく「天理教に入信する他の魅力」を打ち出しないね。
25日に部署異動発令やって。室長、部長、課長の人事異動。お友達内閣ができるんでしょうね。中田善亮の持ち前の、矛盾といがみの性格の悪い表統領の元に集まるのは誰でしょう。見世物です。
中田とは顔見知り程度の面識はありますが、あんだけ性格の悪い奴は他には見たことありません。頭は悪い、話は下手、人望は素質なし、ただただお立場だけのお坊ちゃんです。彼はこれまで、大天理教の中では誰も意見も言われないし、怒られたこともないし、普通の人間なら自然淘汰される人格であるのに、誰も触れない。北朝鮮、キムジョンウンさまとほぼ同格。粛清は得意です。
創価学会の病気の治療より人生の真理。それで信者が増えたのですね。なるほどと思います。
昔は今と違って医療水準が低く人々は宗教に「神頼み」をしそれでよかった。生きて行くのが精一杯の時代で「人生の真理」など宗教に期待はしなかったのでしょう。しかし現代では病気治療の頼みの綱は「医療・医学」です。おまじないのような「おさづけ」への期待は二の次になりました。現代は病気助けよりも、どちらかと言えば「人生の真理」を問うのが宗教の役割でしょう。この行き詰まり社会において、人々が求めているのは、「心の救済」ではないでしょうか。
天理教は今後、布教して信者を獲得し、その人々に本気で真向かう時、「銭や金は出したければあなた次第。出しても良いが、出さなくても良い。私たちはあなたの心の救済に力いっぱいで寄り添います。あなたの心の救済が私たち宗教にかかわる者の喜びです」と言える環境にならなければいけないと思う。身上助けの時も同様に。そうすれば教勢も必ず上向くと思う。誠・真実を神が喜ぶからです。
しかしながら神の御心に反して、巨大建築・巨大組織を作ってしまったため、今や「金」を集金しなければ維持できない。私たち信者は活動にはっぱをかけられ、ノルマを課せられ、表向きは人助けと思いこまされてやってはいるが、のどから手が出るほど金を欲しがっている本部の集金活動に協力してるに等しいです。良いことをいっぱい並べているが、本部が究極欲しいのは教団維持の「金」であり、巨大建築修理の「金」であり、二代真柱の道楽で作った見学者のいない参考館などを維持する「金」です。(考古学的価値は認めますが。)
信者の布教活動は教団維持のための集金活動であり、静かに神と対話し、人生の真理を探るための信仰活動ではないです。
この二枚舌の環境にいることに辟易します。天理教は嘘の嫌いなまじめな人程悩みを深くする場所です。今の天理教は「人生の真理」を追究する敬虔で心霊な場所ではないと思う。むしろ天理教はそれの邪魔をする。
本部は今までやってきたことが間違いだらけだったと認め(神不在・神の真意に背いていること)、やっきになって信者獲得に奔走しても所詮宗教としてのいろはの「いの字」から間違っていることに気づいてほしい。嘘・偽りは誰でも見抜く。魅力がなければだれもついてこない。
表統領さま。
思う存分、やりたい放題にやって下さい。
取り返しの付かないような行政をやって下さい。
とことん、天理教の悪い部分を表に出して、世の中から呆れられて下さい。
一度ペシャンコになったら、まだ救われる道があるかもしれません。
期待しています。
2016年2月24日 7:48 PMの匿名様
共感いたしました。
>やっきになって信者獲得に奔走しても所詮宗教としてのいろはの「いの字」から間違って
いることに気づいてほしい。嘘・偽りは誰でも見抜く。魅力がなければだれもついてこない。
真面目にこのお道を信じて歩んでこられた方、総ての心の叫びのように感じます。
この道が、この道に縁ある人々総てが好きだから、矛盾を心の奥に仕舞い込み、
見て見ぬ振りをしながら、気持ちを合わせ、様々に努力してきたのですよね。
>本部は今までやってきたことが間違いだらけだったと認め(神不在・神の真意に背いていること)
本部が一番大切にすべきもの、それはお金の集金でも、立派な建物でも、権力にすり寄ること
でもなく、理不尽な低い立場を受け入れ、自ら矛盾を背負い、言われるままにお金を出し続け、
それでも信じて一緒に歩んできてくれた末端の人々ではないでしょうか?
この組織が行っていることは、神に近いものを粗末にし、
神から遠いものを大切にしているように見えるのです。
何億という信者さんの地と汗と犠牲の涙が染みこんだ大切なお供え金は、
今まで頑張ってくれた末端の信者さん、末端教会の功労者の方々にこそ、
老後に役立つようなかたちでまた還元する訳にはいかないのでしょうか?
「感謝、慎み。助け合い」という発想に立てば、当然でてくる考えだ思います。
まさか、末端には感謝もお返しも、助けもしなくていいという考え方ではないですよね。
匿名様
>この組織が行っていることは、神に近いものを粗末にし神から遠いものを大切にしているように見えるのです。<
本当にそのとおりですね。私たち信者は自分の大切な時間を「神から遠いもの」のために利用されているのです。表向きの善良ぶった顔の裏側に、実は汚い本心が見え隠れするのを感じているのに、逃げ出すこともままならず。
教会内でもまた上の教会、大教会に対しても、自分がしたいことは何なのか、したくないことはなぜしたくないのか、教団に対してこれは間違っていると思うことなど、みんなで談じ合える空気になればと思います。一度上のお偉いさんに思うことをばんばん述べたら後で周りの人から「もうそんな事、言ったらだめよ。これを最後にしなさいね。自分の顔につばがをかけてるのと同じだから。」とたしなめられました。上に気をつかい、八方美人ばかりがお偉いさんを取り囲んでいると言うこと。私は自分につばがかかっても恐れるものかと思っていますが、組織内でつるし上げられない保証はないです。
上の言うことに素直に従わない者は問題児と見る。問題提起すると、あいつは何者だ?と白い目で見る。表向きは「人助けの天理教」、実態は少数意見を受け止めきれない、世間並み以下にも届かない偏向集団です。
おやさまはこの姿をどう見ておられるでしょうか?
久しぶりにコメントします。
1月の月次祭は都合で欠席。2月に先生から連絡がありまして、布教所へ参拝しました。
このHPに出会ってから、布教所へ行くのが、面倒になっている自分がいます。
しかし、付き合いのもと、参拝してしまうのですよね。
なんとなく、ぎこちない空間にいる自分にこれでよいのか?
と思うこと。
天理の疑問を議題にすることは、非常に勇気にいることです。
これでは、心にストレスをためてしまう。
なんのための布教所か?と また 自分自身葛藤。
しかし、現実は、皆さんに合わせた空気の元、祭典を無事に終えることに徹しています。
先生の講話にしても、世間を知らないことが多い。
つまらないです。講話が。あくびがでてしまう。
このご時勢に天理教が批判されていること。インターネットで批評されていること。
知っているのか知らないのか?話題にもならない。
このまま、しばらくこの状態 続けていくのか?やめるのか?勇気を持って議論するのか?
未だ、考え中です。
今月の先生の講話の中で、「真柱さまが珍しいお言葉がありまして、(年祭130の仕上げの年に熱心に布教活動をされた方もそうでない方もいます。)私はその発言を聞いて少し驚いています。」の発言に私こそ、先生に対して驚いてしまいました。
こんなにネット社会で、情報が氾濫しているのに関わらず、天理教のいろんな情報を自らシャットアウトしているのでは
ないかとさえ、思わせる発言でした。
これは、深い。
なかなか、客観的に、議論できないのではないかと。
また、再度 悩んでいる 私です。
nanacy様
本物の縁で結ばれていれば、信仰をしていても、していなくとも、
参拝に参加しても しなくても、お互いを尊重し、いい人間関係を保てるのではないでしょうか?
加藤諦三さん(社会学者)の『感情的恐喝』を見抜く為の言葉よりシェアさせていただきます。
・ 相手の言うことに逆らったり、抵抗したり、断ったりすると、こちらが罪の
意識をもってしまう時には、相手は要注意人物である。多くの人は
罪の意識から相手の言いなりになる。そこが相手の付け目なのである。
・ 誰にでも「ハイ」と言っていい顔をしていると、相手になめられるだけでなく、
相手の欲求が日増しに増大してくる。そしてその欲求をかなえることが
相手にとってもこちらにとっても当たり前のことになりかねない。
・ 困っている時に相手を助けない人ほど、相手が献身的に自分を助けること
を欲求する。そしてその要求実現のために「立派な愛」を唱える。
そしてそれをしないと、相手が罪の意識に苦しめられるような発言をする。
これらの「愛の演説」はすべて「脅し」なのである。
卑怯な人間は道徳や規範を持ち出して弱い人間から心身ともに搾取する。
つまり反抗を封じるのに道徳ほど都合のよいものはない。相手に罪の意識を
強要して自分の利己主義を通す。彼らにとって利己的であることが許されない
のは相手であって自分ではない。要するにあなたは同じ人間として見られて
いないのである。扱い易い人間として見くびられているだけなのである。
・ 「罪の意識を持たされる」ことほど怖いものはない。
・自分の意志をはっきり伝えないと、周りにずるい人が集まって来ます
・寂しい人は、ノーとはっきり言えません。ずるい人は、そのノーと言えない人を狙います。
・ 受け身の我慢で、人は不幸になります。
・他人の不誠実に寛容になりすぎないこと。軽く見られるだけです。
・”断れない”ということは、”淋しい”ということです。
・なぜ?と考えることは幸運の始まりです。
・本当の原因は何か。そのことをハッキリ突き止めないと、物事の解決の解決は出来ません。
・ 幸せになる人は、自分を不幸にする人を切っている。
・自分を救う事が人を救う事です。
・自分に正直になったとき、大方のことは解決します。
代々の信者で何十年も何百万もお供えしてきました
何千万です
私の代でキッパリ絶ちきります!
宗教法人天理教本中野分教会元会長、
明治大学附属中野高校名誉校長先生、多額の因縁詐欺の献金行為、お止め下さい。
お二人の現会長につきましては、貴方の推薦があれば、何処なりと就職は可能かと思います。
ご指導お願い致します。
尚、宗教法人天理教本中野ふじ分教会のモウリイホ子会長も同じ行為が見受けられます。
末期癌患者の元を訪れ300万円を銀行で借りてお供えせよとの事だったそうですが、既にそれ迄に600万支払いしていたそうですが、死人に口無しですね。
因縁詐欺の献金行為お止め下さい。
2016年2月26日 5:15 PM 匿名 様へ
早速のコメントありがとうございます。布教所の先生方は純粋に信仰されている人たちばかりです。
お供え金も要求はあまりありません。
ただ、天理教の批判はしませんし、まして、教会の事情については一切言いません。
私も布教所の先生方も天理教を通して助かってきた経緯がありますから。
お互いに、それぞれ、信仰には、感謝していることが多々あります。
だからこそ、このようなHPでの批評について、問いかけてもその答えは出さないと思われます。
ましてや、教会に住み込み、布教師として人生を捧げている人々に対しては批判できないのです。
私が罪の意識を感じてしまう?そんなことはない。
いやなことはいやと言えるし。
やはり、このHPのことを深く議論しないほうが、お互いの身のためであると再度、思いました。
ただ、先生方がマインドコントロールされているのは、どうなのか?と思うわけです。
責任は重い。天理教の上層部の人たち。です。
純粋な布教師をだまして。
現代社会に対して、正直者が馬鹿を見るような風潮を少しでもなくしたいです。
本当に。
古い教会長様以外の教会長様たちはこれから先の事は考えておられないのでしょうか?
一部の人間が、騒いでいるぐらいにお考えなのでしょうか
今の若い人たちはネットでみんな知ってしまいますよ
後継者様たち、皆さんでよく談じ合う事ですね。
大きなお世話でしたか?
考えてる人もいれば、諦めてる人もいるんでしょう。
少なくとも現状を良しとされる方は少ないのではないかと思います。
このサイトは問題提起としては抜群ですが、コメント欄には冷静さを欠いた一方的な罵詈雑言も多い。そして実際力がないんです。
コメントしないことで現実から目を背けているのではなく、より現実味のある世界で議論している会長さん方もあるということです。ただ、その議論をもって天理教全体を変えようということではないかもしれません。
どちらかというと、おやさまの教え通りに身近なところから人を守っていこうとか、正しい信仰を伝えようとか、そういうことだと思います。
組織がなくなっても、信仰の本質が変わるわけではないと思いますから、体制の是正は気のある人がやればいいのだと思います。
ネット上ではどんなことでも言えます。現実ではどうでしょう。ネットの論調が現実でも維持できる人はそういないのではないでしょうか。
コメント欄で上がるような声が実名で叫ばれるようになればレジスタンス運動になるかもしれませんね。
会長ではないもの様
今は仰せの通り、現実では言えないから、ネット上で言いたいことを言うしか無いという人が多いでしょうが、千里の道も一歩から、という言葉もありますので、まずは、皆の意識改革を目指すには、このネットでの意見は重要だと思います。
そのうちに、現実でも叫ばれる日が、そう遠くない日に来るかとも思います。
只、そういう日と、天理教の終わりの日と、どちらが先か、という問題があるかもしれませんが。
世の貧しい教会長様、家族の皆様。
もう自己犠牲しないで、教会の仕事で得たお金(お供え金)は人助けと言う日々の仕事の対価ですから(正当な対価です。)、上級へ上げないで、自分と家族の人間らしい生活のために使いましょう。霞を食べて生きれるはずもなく、行事に追われてまともに仕事にも就けません。教団本部は無責任で、末端教会やその家族が生殺しにされているのに、見て見ぬふりです。お供えは仕事(教会の仕事)で得た正当な対価です。親神様が立腹したり、ばちをあてるはずがありません。「少ないけれど工夫して上手に使え」、と不憫な気持ちと愛情とをもって見守って下さるはずです。
自分と家族のために使いましょう。道の路銀ですから。
参考迄に。
内容証明その1
私こと、○○は平成25年10月28日に宗教法人天理教本名古屋分教会を出て、現在××に居住しております。
つきましては私の所有物で有る銀行通帳、印鑑、役所関係書類及び公的書類に関わる一切のものを返却して頂きたく、ここに通知致します。尚、保管に邪魔と言われた衣類、日用品に関してはこの限りでは、有りません。公的書類については早急に返却送付して頂きたく、お願い致します。
平成25年11月25日
差出人 ○○
受取人 宗教法人天理教本名古屋分教会
代表
まてど暮らせど返事も無く、連絡をしたら筋を通してお礼を持って来いと言われる。
公的書類と通帳を返却と記載したが。。。
内容証明その2
前略、今回の件につき、勝手に天理教本名古屋分教会を出た事に付いては、非礼が有った事として、お詫び申し上げます。正社員時代の給料、退職金の全納、及び現在の障害者年金、給料と合わせて、毎月12万は宗教法人へ全て全納、役にたたない、給料が少ない等酷いことを言われつつも6年間、自分なりに頑張って来ました。お礼挨拶が無いという事でしたら、この場をお借りして、お申しあげます。長い間お世話をかけまして、有難うございました。再度お願いします。
私○○の個人所有物で有ります、銀行通帳、印鑑、役所関係書類の返還を早急に頂きたく、再度連絡致します。
差出人 ○○
受取人 宗教法人天理教本名古屋分教会
代表 ×× (原文のまま)
結局、こちらに来る用事も有り、その年の12月12日に届けたと言う事だったのですが、
衣類その他と受け取りしたが、肝心の銀行通帳は全額引き出され0円でした。居住していない10月28日時点での残額は30万程。
内容証明には、何処にも、預かって欲しい、引き出してお供えして欲しいとは、記載されていません。ひたすら【返還】と記載しています。未だ現金も戻って来てはいません。
何か有った時にととってあった10万は返して頂きました。(この時点での被害は20万ですね。)
開き直り、何が悪いんだと言う態度でした。
130年祭と共に犯罪も白紙にもどるんでしょうが、もう少しまともな指導をして下さい。
お金が欲しけれざ働いて下さい。以上
天理教本部に喧嘩を売った豊文分教会って、どのくらいの信者数がいるのですか?
元信者様
ひどい教会ですね。6年間も多額のお供えをしてきたあなた様に対して、そのような仕打ちしかしない教会に、遠慮する事はありません。少額訴訟制度を使って、変換請求なさったらいいと思います。簡易裁判所で、手続き等聞いてみられたらいいと思います。又、ネットにも少額訴訟について、載ってますので、参考にされたらいいと思います。
又、あなたが、過去にされてきた、多額のお供えについても、弁護士さんにご相談されてみたらどうでしょうか?
アドバイス有難う御座います。本人もやっと向きあって、話が出来る迄に回復してます。
多額の献金については、既に弁護士より説明を受けています。
ただひとつ。こちらは何度も言う様に、明治大学附属中野高校名誉校長とお口上手のマリちゃんとその関係者が営む教会ですよ。そりゃ信じちゃいますよ。歴代の卒業生の近藤マッチやら西条秀樹やらの話は出てくるわ、貴乃花とは写真に迄治まってるわ。現会長もパパとママがいたら怖いもの無しだ〜の状態ですよ。一体何が偉いんだか?
この件についても、多額の献金についても何度も教団には言いました。
恐らく指導すら出来ない状態なんじゃ無いでしょうか?意見の杭違う身内とは断絶ですね。洗脳されてしまいこの状況でも窃盗と判らないんですよ。流石教育者だけあって、犯罪にかけても洗脳にかけても一流です。
天理教信者の皆様、多額のお供えは、決してしてはいけません。信者の退職金を全納させ、障害年金まで、取ってしまうなんて、良識のある人間のする事ではありません。
又、誠に失礼ながら、出す方もあまりにも人が良すぎます。(ごめんなさい、辛い思いをされてる、と思いますが。)
信者は、必死な思いで出してても、ひどい教会は、そんな信者の心の内など、何とも思わないのでしょう。天理教に限っては、人の良いのは、損するだけです。皆様、天理教教会に食い物にされないように、気をつけましょう。
↑
もちろん、元信者さんのお身内の方か、お知り合いでしたか、その方が大金を騙し取られたような、そんなひどい教会は、一部でしょう。本当に信者をたすけようとしている教会、お供えを強要したりしない教会は除いてのことですので、念の為、お断わりしておきます。
一部のアホな教会長だけが悪くて、それだけで天理教信仰者全体の物差しにしてしまうことは確かに危険であるが、先日神奈川県川崎市で起きた有料老人ホームでの職員による殺人事件。
その犯罪行為については決して許されないけれど、その職員が逮捕されて片付けるのは発展性がないように思われる。ほかの職員による虐待行為は本当になかったか? そもそも社員教育はどの程度おこなわれていたのか。逮捕された職員の悩みをきちんと吸い上げてくれる職場環境だったら、事件は起きなかったのではないか。
似たことが現在の天理教組織に言えないか。
天理教本部を筆頭とする一部のアホな会長たちは、今後もアホなことを続けていくだろう。
私だけが真実を真面目にやっていけばいいんだ、ほかのアホな連中は知らないよでは、今回の事件が起きた施設に置き換えた時、あいつが捕まったから良かった、ハイ終わりで片付けてしまうことと同様ではないか。
一般の人からみれば、白いシャツについたシミばかりのほうに目が行くのが人の習性であり、そのシャツ汚れてるよと言われる。汚れてるのはそのシミだけなのに。
部分洗いをするのが面倒なら、シャツごと洗濯するしかあるまい。
徳迷気峰様の仰る通り、その一部の悪い教会だけを断罪したって、また、次々に同じような事が起こってしまうでしょうね。介護の現場と同じように。臭い匂いは元から絶たなきゃダメ、といいますからね。その大金を盗った教会の上級、大教会が知らぬ存ぜぬではいつまでも同様の事がおこり続けるでしょう。
民間会社では、使用者責任があるとして、従業員が事を起こした場合、会社の幹部が責任を執ったりします。最近は暴力団組織までが、上の使用者責任を問われて、下っ端が起こした事件で追及されたりしております。が、天理教に限っては、本部、大教会等は、知らぬ存ぜぬで済ましております。
下の教会の監督責任を、きちんと上の教会に負わせるようにしない限りは、同様の事件が起こると思われますが、そのようになぜ改革しないのでしょうか?天理教の一番上の方は。
障害者は気が弱いので、言いたい事も強くは言い出せませんね。もう一人障害者が居ましたが、健常者(会長)が働かず障害者の給料を徳積みと称して取り上げる。素晴らしいですね。こちらの教会では障害者はゴミですね。
勤め先でお弁当を持って来て下さいと言ったら、給料が少ないと一年間白米の梅干し弁当だったそうです。優しい事務の女子が度々卵焼きやらウインナーのおかずを恵んで下さったそうです。担当員は1ケ月4千円の小遣いでは何も買えないからとジュースを恵んでくれたそうです。「修行」だそうですよ。まるで乞食ですね。
障害に理解のある会社の方々には
本当にお世話になりました。又教会の信者さん達にも優しくして頂いたそうです。
名誉校長先生とご一緒ににおいがけに行かれたらいかがでしょうか?役所の方も知ってますので遠慮は要りません。障害者が苦手で大嫌いならせめて理解する努力位はされては如何でしょうか?本当に素晴らしいですね。
犯罪と洗脳にかけては一流です。
*お断りしておきますが、全ての天理教の教会に当てはまるものではありません。
ご注意下さい。
付け加えておきます。
彼らはそれ程多くは求めませんよ。自分達が作ったパンを買って上げたりだとか、作業が遅くても、今日も頑張ってるね〜と褒めてあげたりだてか、同居してたたつおさんの少しのタバコ代とかその位ですよ。
自分達より小遣いが多くて勘にさわるのなら、健常者なのだから職に付いて働けばいいんです。
元信者様
それは事実なのでしょうか?
開いた口が塞がりません。
閉鎖的な組織で、ばれなければ何をしてもいいというものではないでしょう。
周囲の会長、本部員などのお仲間はこのような事実を知っているのでしょうか?
それとも、見て見ない振りをしているのでしょうか?
弱いものいじめが最低だというのは、宗教以前に人としての最低限の良識です。
その最低限の良識もないなら、人様に宗教を語るどころではないのでは。
うちの上級教会にも、障害年金を貰っている住み込み人さんがいます。大教会長やご巡教などで、お金が不足する時も多々あるのでしょうね、お金が足りない時は、その住み込み人さんに借りている、と上級会長から聞いたことがあります。
借りた分をきちんと、その住み込み人さんに返してあげているならいいのですが、その上級教会も、今は信者が少なくなって、内情は苦しい様子ですから、なかなか返すこともならず、住み込み人さんも「お供えにさして頂きます。」となってしまっている事が無いとは言えません。(想像です。)
障害年金を本人以外の人が使うのは、どうかしら、と思いますが。教会事情から、そうせざるを得ないのでしょうけど。
匿名様、コメント頂きましてありがとうございます。また元信者様のご経験における出来事に対し深い憤りを感じつつ、一方で天理教業界における決して表には浮き出ない氷山の一角なのかと情けなく思う次第です。
障害者と書きますが、こちらの業界では「障がい者」とも書き表します。
誰も好き好んでハンデを背負う人生を望んでいません。悲しくも病気や事故でハンデを背負う人生になったことを、障がいサービスを提供する側、利用する側、どちらも決して「害」とは思っていないからです。
天理教の頭の足りない会長と呼ばれる一部の世間知らずは、これを身上や事情、あるいは因縁に置き換え、信者にえらそうに投げつけて、心の成人促しをほざきます。
教理を説くのは、話を聞いたものなら誰でも出来ると思います。
門前の小僧、習わぬ経を読むとはまさにこのことであり、私も実は天理教の教えには賛同するものですが、現況の天理教組織に身を置くのは吐き気しか起きぬ感想しかありません。
本当に大切なことは、どうすれば助かったと思えるか、具体的方向性の示唆を、教会長と呼ばれるものは常に、迷えるものに示していかなければならないと思いますし、わかるようにわかりやすい言葉や態度、もしくは資料等で道を教えることが使命ではないでしょうか。
言ったと、伝えたとはちがいます。
お供えの金額はもとより、他人様の金銭を断りもなく使用し詐取したことは横領であり強盗であり、詐欺罪にも該当し、その金銭は本来その人が生活するために頂くもので、それを全額使い込みその人の生活を破断させる要素があるならば、殺人未遂すら適用されても良いと思います。
それぐらい、いまの教会長はお供え金に対してのモラルが薄く、宗教法人は何もかもが免税になると勝手な解釈が一人歩きしているのでしょう。
一部の欠陥教会のせいで、大半の真面目教会は迷惑しています。その線引きは、そろそろ第三者に委ねる時期にきているのかもしれません。
天理教本部だけがブクブク太り、それが頭の上にあるのですから。やせ細った17000弱の末端教会がいつまで支えられるやら。
茶番劇もいい加減にしてもらいたい。
もう20年も前のことですが、知人が修養科に入っていた折、会計の先生に預けていた40万円が、無くなっていた事があったそうです。その知人は確かに、会計の先生に預けていたと言っております。決して嘘を言うような人ではありません。しかし、その会計の先生は、預かった覚えは無い、と言ってたそうです。結局うやむやで、その知人は、修養科で、会計係の先生に40万円盗られた、という嫌な思いをしながら、泣き寝入りだったそうです。
私は、その知人の人間性は信用できる人ですが、まさか修養科の会計の先生が、そんな事はするまい、と思う気持ちもあって、半信半疑でした。
でも、今は天理教の先生、教会長の中には、少数とは思いますが、疑念を持たざるを得ない人たちがいることを否定できないと思います。信じられない人間性を持ち合わせている人がいる、ということを。犯罪を犯罪と認識しない人間がいることを。何をするか解らない人間がいる事を。
20年前、と書きましたが、30年位前ですね。40万もの大金を修養科に持って行く知人も知人ですが。
金の工面に難儀している貧乏教会長なら、咽喉から手が出る程欲しかったのでしょう。時期的には丁度、教祖100年祭の頃ですからね。各教会に、100万円のお供えの号令がかかっていた頃ですから。
ちなみに、教会長自殺事件の起こった、○名大教会の詰所です。
上の投稿の件ですが、
特定の個人に迷惑がかかるような事があってはいけませんので、一応お断わりしておきます。教祖100年祭の為に、会長が盗んだのでは無いか、というのは、あくまで私個人の推測ですので。時期も丁度その頃かどうか、はっきりとは断定はできません。知人は既に、亡くなっておりますので。
全部本当ですよ。ただ、正社員時代はまだ自由にしてたみたいです。
引き取ると言っても〈却下〉じゃ盆暮れ位は来てもいい〈もう一人知的障害者がいる〉
その子と言ってもおじさんだが、じゃ一緒でいい〈遊びじゃ無い〉???
はぁ?盆暮れに来るのが何がそんなに気にいらなかったのか解りません。もう一人の子の妹とは30年来の旧知の仲なので構わないと伝えたが(この時既に癌だった)あの600万引き出した末期癌の方ですね。既に亡くなってます。まぁ来ると言っても交通費がかかりますしね。ここは金優先ですから、住み込みの障害者なんかにお金はかけませんよ。何と言っても徳積みですから。休んだら少ない給料も余計少なくなります。彼も既に脱会しました。恐らく私達同様関わらない様指導を受けているはずです。障害者は役所で障害者手帳と言うものを交付して貰いこれによって、管理されてますからね。
仕事先の係員から、本人にお姉さんがいるのなら連絡しなさいと言われ、本人から連絡があり、上記が判明したんです。私の方で並行
して警察弁護士にも相談をしていたので、後は内容証明の通りです。「本当に天理教ですか?」(違いますカルトです)「僕達には理解しがたい。」担当者の言葉でした。
毎日昼抜きで会長はにおいがけに歩いているので、白飯の昼メシが有るだけ有り難いんだろうか?その後はマトモな弁当を持って来た様だったが。。。健常者なら厳しくてもここ一番我慢の為所教会での修行も納得いくが。上級も含めこちらの教会で私は助けて頂いた助かったと言う方、校長先生のお陰と言う方も多いと思いますが、私は理解しがたいです。
多額の献金にも(怖くて)疑問を持たない方、この事がどれ程異常かも認識出来ない方々、早く洗脳から気が付くといいです。
因縁と言う言葉を良く使われます。因縁が出たとか悪い因縁があるとか。天理教を止めたら死ぬとか。徳積みしなければとぶ(死ぬ)とか?
皆さんは因縁って見た事あるんですか?
私がこうして、書いている事は自分にツバを吐いてると有りましたが、そうなんでしょうか?
元信者様
おふでさきにある「いんねん」についてのお言葉は以下のものだけです。漏れがあったら、申し訳ありません。
第1号 62 このよふはあくしまじりであるからにいんねんつける事はいかんで
74 せんしょのいんねんよせてしうごふする これはまつだいしかとをさまる
第3号 147 二二の二の五つにはなしかけ よろついんねんみなときゝかす
第4号 54 どのよふなところの人がでゝきても みないんねんのものであるから
55 にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで
60 けふの日はなにかめづらしはじめだし よろづいんねんみなついてくる
61 いんねんもをふくの人であるからに とこにへだてハあるとをもうな
第7号 1 月日より三十八ねんいぜんにて あまくだりたる元のいんねん
2 月日よりそのいんねんがあるゆへに なにかいさいをはなしたいから
第8号 47 この月日もとなるぢばや元なるの いんねんあるでちうよぢさいを
第11号 29 月日よりひきうけするとゆうのもな もとのいんねんあるからの事
30 いんねんもどふゆう事であるならば にんけんはぢめもとのどふぐや
この中で、悪い因縁のことを意味するのは、第1号 62 のみです。
教会で、色情因縁だの、離婚の因縁、ガンの因縁などと説くのは、教祖の教えでは無いと思います。信者を教会に繋ぎ止めたい魂胆での脅し、と言って差支え無いと思います。因縁を説く教会長には、おふでさきを見せて、どこに根拠があるのかと、問い質したら良いのではないでしょうか?
信者を教え、指導する知識も経験も無いアホな会長は、因縁位しか他に言う事を知らないのでしょう。そのような事を言われる教会長の言葉等、信じる必要は全く無いと思います。
末端教会ですが、大教会から、ようぼく育成のための体制づくりをする、として、大教会、直属に育成部を設置する、との連絡が来ました。名簿を書いて送れ、ということです。
「その目的は、各教会と少年会、青年会、婦人会、学生担当委員会など育成に携わる各部各会が連携を取りあって、教会に繋がりのあるようぼく信者の子弟子女を幼少期から成人期に至るまで、漏れなく、切れ目なく、お道につなぎ、”実のようぼく”へと着実に丹精していく体制を構築することにあります。
ご存命の教祖がお導き下さるこの道が将来にもっと伸び広がっていくためには、親神様からお与え頂いた用木の種を芽生えさせ、その苗を時間と手間をかけて懇ろにお世話して、しっかりとした成木へと育てる丹精が欠かせません。」
名前を書いて送ったら、一生逃げられそうも無い感じです。何だか怖さを感じました。「丹精」が「逃がさない為の管理」の意味に思えます。
末端教会です。教団存続の焦りというか、こうしてもれなく名簿を出させ締め付けてくるのですね。教会担任者としても怖いです。その名簿に基づいて活動報告を出さないといけなかったり。私ならば、「該当者はおりません。ゼロではありませんが名簿報告の賛同が得られません。」として出さないです。知らない間に信者の一員のようにされてお気の毒ですもの。一生組織にマークされ、少年会だ青年会だと追い掛け回される運命です。若木こそ多様な世界を見せ、本人の自由意思で信仰を選ばせることが大切です。組織に振り回され、神と対話できない今の天理教では救われないのはわかっていますから。衰微途上の天理教団、これからは末端教会隅々にまではっぱをかけてくるでしょうね。怖いことです。
因縁の解説有難うございます。
悪い因縁と良い因縁があるのは知っています。
悪い因縁を切る為に徳積みをして信仰するのですが、お供え優先の為因縁と言えば悪くて怖いものと言う位置付けです。悪い因縁が出てくる。悪い因縁の姿等々です。
上級も所属も住み込みの条件は同じです。ああいった行為に対しては、誰も異を唱える人は居ませんよ。酷いし、お金を引き出し犯罪かそうで無いかも区別が付かないんですよね。洗脳ですね。こういう犯罪行為を素晴らしいと教え無いで欲しい。
こちらで同じ様な意見をお持ちの方々がいて
私は間違がって無かったんだとホッとしました。
正座をさせられて、一時間も延々説教。君はこれだけしかお供え出来ないんだ云々。言った言わないは割合しますが、可愛いそうでした。障害者に情をかけるなと言われました。
健常者が障害者に向かって、給料が少ない稼げないサボってる云々言ってるんですよ。
大教会も知ってますよ。文句言いました。
警察も法律も怖く無い人達です。だって警察なんて怖く無いと言ってましたから。
警察や法律が幸せにしてくれるのか。
弁護士がアンタの幸せを願ってくれるのか。
だそうです。会話より。
障害者が悪いんです。
障害は因縁なんです。悪い因縁を背負って生きている障害者はゴミなんです。
既に脱会してます。
それで全て丸く収まるんです。
他教会には当てはまりません。
最近問題になっている、モラルハラスメント。
モラハラを行うのは、サイコパスという人格を持った人といわれています。
うつ病など、精神的に追い込まれて精神を病んでしまったような人の近くには、
サイコパスのような人物がいることが多いと云われています。
サイコパスという人格を持つ人は、一般の生活者に混じっており、見た目は一見善良で魅力的でも、
決して甘い人ではないらしい。
サイコパスの特徴
サイコパス(精神病質)とは、思いやりや愛着といった感情をはじめとする「社会性」にいちじるしく欠ける人のことを
いいます。主な特徴としては、
・他者の感情や権利、災難などに対して無情であり冷笑的
・自己中心的で、相手への共感性が欠如している
・自身が万能であると信じ、平凡な仕事などを軽蔑するなど、傲慢で尊大な態度をとる
・口が達者で表面的な魅力を示したり、同情や関心を引いたりすることに長けている
といったものが挙げられます。
恐ろしいことに、サイコパスにとって“良心”というものは存在せず、自分の利益のためには他者を言いくるめて
騙すことなど平気です。相手が深く傷つ いたとしてもまったく罪悪感がありません。そういった特徴から凶悪事件
の犯人や、何度も犯罪を繰り返す犯罪者にもサイコパスは存在します。また、知能の高 いサイコパスは、
衝動性や無責任といった通常のサイコパスに通じる面が少ないために、問題を起こさず社会的に成功している人
もいます。
身近なサイコパスへの対処法
実際、身近にサイコパスがいる場合には、どのように対処すればよいのでしょうか。米国の臨床心理学者のマーサ・スタウトの書籍「良心をもたない人たち」の中で提唱されている「サイコパス(良心のない人)に対する13のルール」をご紹介します。
1. 世の中には文字通り良心のない人たちもいるという、苦い薬を飲みこむこと
2. 自分の直感と、相手の肩書き(教育者、医師、指導者、動物愛好家、人道主義者、親)が伝えるものとの間で
判断が分かれたら、自分の直感に従うこと。
3. どんな種類の関係であれ、新たなつきあいが始まったときは、相手の言葉、約束、責任について、「三回の原理
(三回嘘が重なったら嘘つきの証拠)」をあてはめてみること。
4. 権威を疑うこと
5. 調子のいい言葉を疑うこと
6. 必要なときは、尊敬の意味を自分に問いなおすこと(私たちは恐怖心を尊敬ととりちがえることが多い)
7. ゲームに加わらないこと(人の心をあおるのは、サイコパスの手口)
8. サイコパスから身を守る最良の方法は、相手を避けること、いかなる種類の連絡も絶つこと(サイコパスは社会の
約束ごとと切り離された世界にいるので、彼らを自分の交友関係や社会的つきあいの中に入りこませるのは危険)
9. 人に同情しやすい自分の性格に、疑問をもつこと(周りの人を絶えず傷つけておきながら同情を買おうと大げさ
に働きかけてくる相手は、サイコパスである可能性が高い)。
10. 治らないものを、治そうとしないこと(サイコパスのとった行動はあなたの責任ではない。あなたが責任をとる
べきものは、あなた自身の人生)
11. 同情からであれ、その他どんな理由からであれ、サイコパスが素顔を隠す手伝いは絶対にしないこと
(「誰にも言わないでほしい」と涙ながらに訴えるのは、サイコパスの得意技。「あんたは俺に“借り”がある」という
のは、サイコパスの典型的な台詞である)
12. 自分の心を守ること
13. しあわせに生きること(それが最高の報復である)
(参考文献:マーサ・スタウト著 木村博江訳『良心をもたない人たち』草思社文庫,2012年)
先にも述べた通り、サイコパスには有効な治療法がありません。周りの人たちがそれぞれサイコパスと関わらないように自衛するしかないのです。
( ヘルスケア大学の記事より http://www.skincare-univ.com/article/008867/ )
「警察や法律が幸せにしてくれるのか。」
「弁護士がアンタの幸せを願ってくれるのか。」
と言いながら、その方の金を使い込み、不幸な目に遭わせているのは、自分だという事もわかってないのか、それとも、わかっててやってるのか、ともかく脱会して良かったですね。しかし、あまりに酷いですね。そのような教会長もいるなんて、驚きです。人権センターに相談されるか、弁護士さんにご相談されるかして、何かその教会長を懲らしめる方法は取れないものでしょうか?このまま放っておくのも、許せませんね。宗教者の仮面を被った、犯罪者にすぎません。
どうにも扱えない自己愛性人格障害の会長が私の身近にいます。こういう人物からは「逃げる」が最善の対処法だと医学的見地からもはっきり言われていますね。サイコパスとよく似た症状があります。元信者様は脱会されて正解です。逃げられて良かったと言うことです。
その会長、おそらく自己愛性人格障害を患っているのではないか。一般的に自己愛性人格障害の人とかかわるとこちら側の精神が完全に破壊されます。何を言われようと、のらりくらりで本気で立ち向かわないこと。こちらの弱みを見せぬこと。つけ入られます。これを患う人は相手が自分に尽くすのは当然のことであると思い込んでいます。自分が一番偉いと思い込んでいます。また簡単に嘘もつきます。自己愛者は自分より弱いとみた人を徹底的に見下します。障害の方は特にターゲットになりやすく、また自己愛者は感情の起伏が激しいので時に暴力を振るったりします。私の身近にいる会長がこの自己愛者で、住み込みの障害の女性を邪険に扱い、時に暴力をふるうらしく、ひやひやしています。教会の中では「自分が一番」のお調子者で、けらいを(住み込み人)上手に手なずけ利用します。善良な周囲が振り回され、自分は能力があり全能だと思い込んでいるお山の大将なので、皆の困り者になっています。こういう人にこそお助けが必要なのですが。
自己愛はだれの言うことも聞き入れない強情な病です。お助けがお助けの場にならない教会、たくさんあります。
名簿の提出?
この個人情報の現代にそんな事をやっているボンクラ大教会は何処ですか?
拍子木よりも重たい物を持った事の無い、ドアホ会長の指導の方が急務です。
国会議員団の写真を見て、ふと思ったんですが、善司さんは真柱を辞めるんですかね。
中田なんとかさんの腹の中には、「善司 早くやめね~かな~」なんて気持ちがありそうで・・・
そうなれば俺の息子の中山なんとかが五代目真柱か ふふふふふ なんてね
山澤も相も変わらずという感じで座っているし。
最近、山澤の姻戚関係図なんてものをある所で見たが、あちこちの大教会と二重三重の繋がりで驚くばかり。
中山教なんてものじゃないね。山澤姻戚教団と呼ぶ方がぴったりする。
この図を見せてくれた人が言ってたが、山澤一族と中山家比べたら中山家の方がずっと増しだそうだ。
中山家の人間は、山澤一派の食い物にされたようなものらしい。
山澤にしてみれば「みき」の血脈だけがあればいいのかも。
130年祭も終わったことだし、話も下手でさえない善司じゃ見栄えが悪いから、ここらで役者の交代とするか。
どうだい中田のなんとかさんよ、そろそろあんたの息子の真柱継承祭でも考えようかね。
なーてね
前の真柱は、息子2人を養子にやって、なんで中山姓を棄てさせたのでしょうか。中山姓でないと真柱の継承権がないことは百も承知だとすれば、いまの真柱以外の継承を認めない、ということだったのではないかとも思えるのですが。
だとすれば、養子の二人は中山家から放り出されたことになってしまって、今度はその人の子供を中山家の養子にするというのはどうも解せない。ほかにも教祖の血を引く人はいるでしょうし、中山姓の人もいるんじゃないかとおもうのですが。その辺の判断はどのような教えが根拠になっているのでしょうか。
この辺の裏事情と教理に詳しい、ここをご覧になっている本部の方々、ぜひ書き込んでください。
中山姓の男子が何人も居ると分裂騒動が起こる。
本部は分裂を防ぐために養子に出したのではないか。
みきの血筋を欲しがる人もたくさんいるはず。
中山家に生まれてしまった人も犠牲者なのかもしれない。
古い古い過去において、真柱のご落胤?の存在があって、将来に「真柱」の継承ついて問題がおこらぬように、
善衛三代真柱は、自分のお子さんでも真柱継承者以外の兄弟は、養子にだしてでも、何とか真柱本家を守りたいと
考えておられたと推測しております。
できれば将来的には、真柱本家だけが「中山」姓を名のるという制度づくりも、ご本部はお考えでありましょう。
善司現真柱の弟の長男を、中山真柱家に養子に迎えるという結果については、想定外のことであります。
将来に「真柱」の継承について問題が
中山みきさまのお子さんだけが、特別な方々ではありません。
おやさまは、全人類の親であられた訳でありますから、
「いちれつは、みなきょうだい」と教えられたんだと思います!!
将来的には、女性の「真柱」が誕生する時代が来るやもしれません。
楽しみであります。
理の親信仰でとんでも無い目にあった。
今思えば百年祭辺り、お供えを一本と言って要求が来る。
言い出したらテコでも取り立てがある。払う迄督促の電話が自宅や会社迄否応無くかかって来たウチの教会の「理の親」の会長。今度の月次祭迄に用意して上級に持って行きたいとほざく。今冷静に考えてみればこんな胡散臭い話は無いのだが、当時は疑う事すらせず銀行で借り、お金を工面していた母。
当然私にも一本では無いものの真実を出す様にと要求がある。結局の所、宗教の金銭被害者のおみちまっしぐらなのだが。。
この「理の親」の会長、当時《おたすけ》と称して毎晩男の家に入り浸り、酒を飲んで帰会。そしてそのまま神殿でゲロ。何度周囲が言っても来る日も来る日も男の家で飲んだくれて神殿でゲロ。時には朝勤め中に二日酔いで神床にゲロ。頼むからトイレでゲロをしてくれと云う側からこれみよがしに神殿にゲロ。
毎晩毎晩泣きながらゲロ掃除に明け暮れた。何で私が毎晩ゲロ掃除なんかしなくちゃいけないのか?神様。それこそゲロまみれのおたすけだ。当時はこれが徳積みだと言われれば素直な私はそれを信じてゲロ掃除にいそしんだ。よくよく考えたら、男にだらし無い酒癖の悪いただのおばはんなのだが、そこは理の親で会長だ。
会長と立てよと上級は言われる。ムチャクチャだ。思えばもうこの頃から、狂っていたんだろう。
理の親だか何だか知らないが、こんな人間でも今だに元会長として、崇めたて奉っている。
さっさと会長を辞職させるすべきだったのだ。
結局の所、「理の親」信仰なんて狂った代物に過ぎないのだ。
>「理の親」の会長。今度の月次祭迄に用意して上級に持って行きたいとほざく。今冷静に考えてみればこんな胡散臭い話は無いのだが、当時は疑う事すらせず銀行で借り、お金を工面していた母。
>結局の所、宗教の金銭被害者のおみちまっしぐらなのだが。。
そこは理の親で会長だ。
> 会長と立てよと上級は言われる。ムチャクチャだ。思えばもうこの頃から、狂っていたんだろう。
> 理の親だか何だか知らないが、こんな人間でも今だに元会長として、崇めたて奉っている。
> さっさと会長を辞職させるすべきだったのだ。
> 結局の所、「理の親」信仰なんて狂った代物に過ぎないのだ。
汚い(文字通り汚い)会長ですね。ゲロの中に転がしといて、放っとけば良かったですね。神殿で散々ゲロ吐かれて、神様も辟易され、既に「その神床にはお鎮まり」になってないのではないでしょうか?
ゲロ会長に金を無心されて、銀行で借りられてたお母様が大変お気の毒です。
自分達の財産を、ボロの教会長に食いつぶされた人達どれ位いるのでしょう。「理の親信仰」は、教団が作り出した、自分達に都合の良い教理の最たるものですが、我々下の方が利口になって、理不尽な上の要求は、断るようにするしか無いですね。教団も、上の教会も、改める意志など全く無いのでしょうから。
100年祭前に、ある教会の後継者が訪ねてきました。
「私はこれから結婚も出来ないし、生活もどうなるか分かりません。」と言うのです。
聞けば、母親である会長が会社の退職金を前借りしてお供えをしてしまったそうです。
私がその時、何を話したのかは覚えていないのですが、その後、彼と会うことはありませんでした。
確かに、そんな時代でした。これは素晴らしいことなのですか?これが信仰なのですか?
それで本当に助かったのですか時々思い出します。
子供の為に使うお金をお供えする事で、子供に得を積んでやるということは、今でも行われているのではないのですか?それとも、今はもうそんなことはしなくなったのでしょうか?何にしても、そのようなことを、我々は教わりましたし、信じてもいました。カインさんや他の被害ブログを見るようになってからは、天理教の教えに疑いを持ち出し、意識が変わってきましたが、これらのブログを知らなかったら、今も、当たり前に信じていたろうと思います。
息子さんの退職金を前借りして、お供えされた会長さんは、ひたすら息子さんにご守護を頂くために、息子さんの為、と思ってされたことでしょうが、そのようなことは、教祖の教えには無いことであるなら、そのように教えた天理教の先生方は、とうてい許せません。
色んな天理教のパターンは現実あります。だけどもそれは決して教祖から教えられたカタチではありません。むしろ、心の自由どころか、北朝鮮の強圧的に抑え込む手口によく似ています。だから我々は脱北もあり、粛清もありきです。疲弊している宗教法人天理教および天理教教会本部には談じ合い、練りあいなど互いの意見に気持ちを傾け合うなんて余裕はありません。
沈む泥船です。だれがその船に本気で乗り込みますかね。船長は誰か。◎田善亮殿下です。人間性の欠如した…オール天理野郎です。
そうですね、民主主義の下、談じ合い、練りあいなんかを天理時報やみちのともで出来る権利があるはずなんです。そういう訴えをするべきですね。
お供えしているのは我々ですもんね。みんなお供えしなくなったら回付金、どうするんでしょうね。道勇者様
自教会の若先生(現在は会長)にこんな質問をしてみました
Q:世間一般で犯罪と言われる行為で取得したお金をお供えはどうなのか?
答:尊い。
最初は不足するかもしれない(相手)が、後々必ず、必ず助かっていくから!
まさに、「法律を恐れるな」ですね。
教会長という人種は、法律も、世間の常識も、規範も、善悪も、感知しないという、世にも稀な珍しい人間なのですね。
そのような人間にさせる程の、天理教組織の持つスーパーパワーを、なぜプラス(人助け)に向かわる事ができないのでしょうか?
2さん 善亮殿下ってそんなに変わった人なんですか?
書類上は教人様。
賽銭箱は汚れたお金でも、洗浄して綺麗なお金に変わると、ある先生から聞いたことがありました。
一読者 様。
善亮表統領で天理教は末期的な状況になるでしょう。
http://www3.tokai.or.jp/ukishima/okane.html
はる様。
<諸井慶徳著作集 第3巻>とても説得力のある、素晴らしい文章でした。これを実践するならば天理教本部や教会にお供えをしない方が良いと思います。
本部や教会が神様の代理で受け取っているようですが、人間思案だらけの会長や本部に持って行くよりも、側の人たち、世の中の人たちが喜び、助かることにお金を使う方が、はるかに<諸井慶徳著作集 第3巻>を実践していると思います。
天理教の「御供え」についてをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
はる様 諸井慶徳氏は天理教山名大教会長であり約5か月兵役に行かれていたこともあり、教理と教団をどう統一されていたのかと考えています。はる様、教えていただきたい。どんなに質が高い教理(ひのきしん序説)でもこれを書かれた時は教団は戦争協力真っしぐらだったと思うのですが?
善亮氏の性格上に問題が多いのですか?
はる様
>どこの親でも子供に金を残してやりたいと考えているが、金を残して子供に与えるのが親の真の目的ではない。
これを書かれた時と現在では時代も背景も違いますね。余程の信者の多い教会かもしくは経済力のある資産家ならともかく、概ね
食っていく、失礼食べて行くのが、精一杯の現状です。
残すほども無いし、残らないです。こうして教会を自分の代で畳もうと教団から去ろうと云う人も大勢いる。そんな私もその中の一人なのだが。。。。一概にこの文献を当てはめるのは間違いですね。
教団に土地や建物を宗教法人として登録してしまい、悩んでいる教会長もいる。取り戻す為には更に莫大な費用がかかり、一旦登録してしまったら取り戻すのは不可能だろう。その為に多くの担任不在教会が有るのはご存知のはず。その時代にお供えを集め、信者を獲得する為なら又、こう言ったお金の使われ方がなされるのはあ
る意味理想であるが、金集めなら別だが、現状でこれを引用するのは危険をも孕んでいる。
はる様はどの様にお考えか?mami様同様に是非教えて頂きたい。
天理教の「御供え」についてをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
古い教会長さま・匿名さま 同意です。
私の縁者の一人は前真柱世代で頭もよく学問したかったのだけれど彼の父(分教会長)は「天理教に学問いらず」と上級学校進学を許さなかった。結局、父は出直し、彼は継がず、「法人」なので出て、苦労して小さな平屋の家を建てた。学歴がなかったので苦労したけれど自分の子供には自由に学問させ専門家になった。いいお金の使い方と思う(笑)
もう一人は世代はかなり後になるけれどワンマンな父(やはり分教会長)が怖く態度をはっきりさせず、だらだら時間を無駄に使っていたけれど父が出直し継がず「法人」なので共働きして建売住宅を建てた。でもしたい仕事にはついていないが信仰してないからと淡々!(代わりに関係ない私が反抗してでも10代頃家でればよかったのにと。私はよく深いかも(笑))
> 記事の中では議員たちは神殿に参拝したということであるから、
> 天理教本部にお金をお供えとして提供したことは間違いないであろう。
カインさんは天理教の神殿でお供えした経験はないのだろう。神殿には受付係もないし神殿でお供えするとすれば、賽銭箱に入れる手段である。
参拝しても無料で通れるのが天理教の神殿。・・・
> 天理教の「法律を恐れるな」という反社会的姿勢
> 医師のいうことなんかどうでもよくて、天理教本部にいけば治るというのは、
> 現代医学への否定とみられても仕方ない。
中山みきは医者の手余りたすけるが道の大と説いている。
現代医学で手に余ったら、親神の出番という事で、カインさんまさか現代医学は全能とは思っていまい。
医者でなおる病気は医者に、医者の手の余る病気は神仏に、これはあまりに自然である。
医者に診断に行って、どこも悪くないですといわれた、激痛がある。こんな場合は神の教えで助かるものと親神は教えている。
現代医学では「対症療法」は出来ても根本的な治療が出来ない病気は山ほどあって、医者の金もうけの道具になっている。治療法が確立していないから、人体実験的に、試薬の検体的に病人を扱うからである。
そういう病気は、天理のおたすけは実に有効である。治る確率は基本的にはものすごく高い。
カインさんの本論は
> 今回の真柱の発言は歴史を紹介した単発であればギリギリ問題はない。
> しかし天理時報の医学批判と組み合わせれば、何か天理教が内部に向けて反社会的な姿勢を醸成させようという雰囲気があるのであれば大問題である。
> 法律や社会に縛られるのではなく、俺たちには崇高な信仰の下にやらねばならぬことがあると天理教
と天理教をけん制している。
天理教はともかくとして天理の基本は医学の限界は、超えるのが天理。と思っている。
天理教の本質は「この世の建て替え」であり、法律や社会は建て替えねばならないから真柱はきちんと説くのだ。
「律ありても心定めが第一やで」というのは親神の教えだが、社会学的に言うなら、
「法律があっても、解釈が第一」という事であり、判例が第一という事である。
正義の判例が出るまで、律に対して律でというのが中山みきの真の態度であり、中山みきは決して律に背かない。
しかし天罰で、天災で不正義を正す。
オカルトだからできる。
政治家にはおせちでもどこでも貴賓席で格上の接待。見ててキモイですよ。末端信者には、なけなしのお供えを上納させ、しかも大事にしない。お供えも減って当然です。怒りを感じます。