春になり新学期が始まった。どの職場にも新しい顔ぶれとともに新たなスタートを切るところも多いであろう。
天理教の傘下にある学校法人も人事異動で新しい顔ぶれが並んでいた。その顔ぶれを見てみよう。引用先はそれぞれの組織のホームページから。
天理大学学長に就任した永尾教昭氏については天理大学のホームページに経歴が載っていたので引用してみたいと思う。
http://www.tenri-u.ac.jp/info/q3tncs0000000v6t.html
天理大学学長
永尾 教昭
昭和31年10月22日生
最終学歴:昭和55年3月 天理大学外国語学部フランス学科卒業略歴:
昭和59年9月 天理教パリ出張所(現ヨーロッパ出張所)赴任
平成7年7月 天理教ヨーロッパ出張所所長就任 (平成21年3月まで)
平成9年4月 宗教法人天理教教会本部准員登用 (平成23年4月まで)
平成21年4月 学校法人天理大学総合企画部長 (平成21年10月まで)
平成21年11月 宗教法人天理教海外部次長 (平成24年10月まで)
平成21年11月 学校法人天理大学評議員 (平成28年3月まで)
平成23年4月 宗教法人天理教教会本部本部員登用(現在に至る)
平成24年11月 宗教法人天理教道友社社長 (平成27年3月まで)
平成27年4月 学校法人天理大学常務理事 (平成28年3月まで)
私は永尾氏の経歴を見て驚いた。「研究歴がまったくない」のである。総合大学の学長が大学院(修士・博士)の学位を保持していないというのは珍しいのではないか。(きちんと全調査していないが複数の大学をみた限り)
整理をする。通常では高校を卒業して次に入る大学は4年間である。大学4年間を卒業すると学士という学位がもらえる。大学4年を卒業すると次に大学院がある。大学院は2年間の修士課程があり修了すると修士という学位が授与される。さらに3〜4年の博士課程を修了すると、博士という学位が授与される。大学では主に教養や専門的知見を学ぶことを主眼とし、大学院では大学で得た知見をもとに研究をおこなう。博士課程では特に自立した研究をおこなうことを目標とするのである。天理大学には体育学と臨床心理学の上位として修士課程が設置されている。
話を戻す。永尾氏の弁護をすると、一般的に大学の学長になるためには特別な学位は必ずしも必要ではない。それに彼の経歴をみると学校法人において豊富な経験もあり(天理大学のみだが)、また恐らく学長選挙を経ているために何も法律的、制度的に問題はない。
参考資料 学長の選考方法(国立大学) 文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/035/siryo/__icsFiles/afieldfile/2013/11/05/1340990_4.pdf
しかし高等教育機関である大学の長が、その上級学位を所持していないというのはいかがなものだろう。天理大学には体育学研究科と臨床人間学研究科の2つの上級学位(修士)授与機関があるが、彼がこの大学院の意義と研究の意味をどこまで理解されているのか?というよりも理解できないのではなかろうか?という疑義が生じる。
わかりやすいように比喩を用いるのであれば、別席を経てようぼく資格(学士)しか保持していない方が、真柱(学長)になるようなものである。教会長資格検定試験を経た教人(修士・博士)でもないし、お勤めやにおいがけといった実践(研究)もやっていないということである。准教授や教授を会長や大教会長に置き換えると、会長や大教会長には上記のような一定の資格や布教実務が求められる。しかし真柱になるための規定は特にない(と私は理解しているが合っているだろうか)。つまり身内の賛同があれば、誰でもなれるのである。
一昔前であれば、教授であっても大学院に行かずに学士しか持っていないという人もまれにあった。また研究はしていないが、社会で著名な実績を残した人が大学人となることもあった。しかし今では、ほとんどが大学の教員になるには博士の学位や博士と同等の研究歴が求められるのが常識となっている。
反論があるとすれば、それは「資格や学歴が大事なのではない。その人が何を考えて、何をおこなうかが重要なのだ」ということであろう。しかしこれは学歴主義批判と同等であり、社会が共通のルールで動いており、また社会の多数がその利益を共有している以上論を持たない。つまり「いい人であることは否定しないし、彼がやってきたことを否定するつもりはない。しかし「それとこれとは問題が異なる」ということである。それを是と言ってしまえば、医者も弁護士も学校の先生も「いい人とある程度の経験があれば、資格や課程は必要ではない」という極論になってしまう。
私は今の日本の大学教育や政府の大学教育政策に対して批判的に考えていることも多い。しかし大学教育自体を否定するつもりはない。大学では人の育成、科学技術による世界の発展、平和の共有など大学が果たすべき使命は非常に大きいと思っているからである。
上級学位としての研究歴がなぜ大事なのかというと、「研究」というのは専門的視点から物事の事実を深く検証することであるためである。「なぜ」という疑問を持ち、それを実際に検証・発展させることである。このトレーニングを受けていないということは、その意義も意味も見いだせていないということになる。
また研究をおこなうということは、国や団体から研究費というお金をもらい、きちんと管理し、報告書を提出しなければならない。昭和の頃であれば大学の教員というと「自由な時間のある人」の代名詞であったが、今ではそれも死語であるくらい多忙であるといってもよい(特に国公立大学では)。
天理大学に対する評価はどのようなものであろうか。「公益財団法人 大学基準協会」がおこなっている大学評価を参考にしたいと思う。
「天理大学に対する大学評価結果ならびに認証評価結果」2014年
http://www.juaa.or.jp/updata/evaluation_results/12/20141027_443500.pdf
私の感想としては概ね天理大学の評価は問題がないといってよいと思う。天理大学も例外なく志願者の減少はあるが、それは少子化を迎えた全国的な課題である。気になるのは「大学への助言」の中で、教員の研究成果が乏しいことが挙げられている。つまり研究をしてない教員が多いということである。
3 研究環境
- 提出された資料によると、人間学部人間関係学科では、研究成果をほとんど発信していない教員や、国際文化学部および体育学部では、著者および論文が少なく研究活動が不活発な教員がいるので、研究活動の活性化に向け、大学全体として組織的に取り組むことが望まれる。
- 人間学部、文学部、体育学部の専任教員において、過去3年間で科学研究費補助金の申請件数が少なく、外部資金の獲得について改善が望まれる。
P580より引用
次に上記で指摘があった国が毎年審査して研究費を付与する「科学研究費補助金」の申請を見てみよう。
https://kaken.nii.ac.jp/p?q3=%E5%A4%A9%E7%90%86%E5%A4%A7%E5%AD%A6&f=1
体育やスポーツの教員を中心とした研究の申請が多数を占めている。恐らく大学院設置に際して研究をおこなうように命令があったのだろう。また体育以外の教員はあまり研究をおこなっていないようである。国の研究資金というものは申請して必ずしも採用されるものではない。採用率は3割程度である。天理大学の研究者たちは研究費申請のレベルが低くて採用されていないのかもしれない。この天理大学の研究を重視していない姿勢は、そのまま学長の選任へ影響を及ぼしていると言われても当然であろう。
大学教員の役割は教育と研究である。そのため学生の指導や講義を一生懸命やっているという弁明もあるだろう。しかし、大学は小学校や中学校、高校ではない。決まった学習指導要領はなく、講義で何を教えようが教員の裁量一つである。それは教育と研究は紙一重であり、それぞれが相補的に機能させる必要があるからである。先ほど大学の教員は忙しいと言ったが、楽をしようと思えば楽に過ごせるのも事実である。研究をせずに講義だけ。講義も毎年同じプリントを使えば資料を作成する必要もない。多くても週に5コマ(1コマ90分)くらいと考えると毎日90分間話せばいいだけである。あとは専攻会や教授会といった会議だけで楽に終わることもできるであろう。
私は常々、天理大学は天理教の頭脳として役割を果たしていないと主張している。体育学部や外国語学部に対する外部からの評価は、教員養成や国際人養成という点で高く、天理大学にいなくてもその評判を耳にすることがあるほどである。一方で天理大学の中核とも言える宗教学科や天理教学科はどうだろう。外部研究費を獲得してきちんと研究成果として国と国民に貢献しているのか疑問が残る。いくつかの学会を見ても、活発な活動とは思えない。大学評価でも指摘のあったように、外部審査を受けない紀要や学会発表では研究成果とは言えない。
昨今の大学事情を俯瞰したときに、天理大学もまた、大学評価で指摘のあったように、教員に対して研究をきちんとするようにとのお達しが出ていると考えられる。しかし親が子供に勉強しろといったところで、親が学問の重要性やその姿勢がなければ何の説得力もないだろう。ましてや学長や理事長、校長という役割が、内部の組織で役職を輪番しているだけでは、彼らから秀でた知見も見識も垣間見ることはできない。彼らに一体何ができるのだろうか。天理教の専門家であることは理解できるが、彼らは学問や教育の専門家と言えるのか。大学や教育の発展のため、きちんと競争的選考がなされていたのだろうか。それとも天理教幹部として役員報酬を得ることが目的のただの名誉職なのか。そう思う人が大多数であろう。天理教で偉くても社会の業績と評価してくれる人はいないであろう。
天理教を巡る人材登用は個人商店に近い。同族の親戚だけで役職を回している。一般論として創業当初はいいだろうが、代を重ねるごとに優秀な人間は可能性を求めて流出し、無能な者だけが残る。天理教もまた厳しい社会の中で生き残れなくなり、無能な者だけでは何をやってもうまくいかない状態となるのは時間の問題である。つまり、まともな人材を登用できない天理大学から今後の天理教から社会的を牽引するような優秀な人材は現れないだろう。
永尾氏も、天理教の資料で検索をかけると永尾という苗字が多く、天理教の有力幹部であることは明らかである。彼らがやるべきことは「縦の伝道」でも「よふぼくを成人」させることではない。「何の信任も得ていない一族を役職から撤退する」というシンプルなことである。そしてのそのシンプルなことさえもできないことが現在の天理教であろう。中身ではない枠組みである。こんな閉鎖的組織が誰の目に魅力に映るのだろうか。営利企業であれば業績の好調によって一族経営も評価されるが、話は評判も収支も悪化し続けている宗教団体である。天理教をダメにした責任は彼らにあることは明白である。神や信仰を安売りしてはダメだ。天理教のだめの教え(最後の教え)が、本当にダメの教えになる日もそう遠くないであろう。
私は天理大学、延いては学問の私物化が心配でならない。
参考リンク
天理教の「御供え」について
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp
「永尾氏も、天理教の資料で検索をかけると永尾という苗字が多く、天理教の有力幹部であることは明らかである。」
本部在籍で「永尾」という家は2つあります。1つは大和出身の本席飯降伊蔵の末裔(前学長の親族)、もう1つは京都にある西陣大教会の会長家です。新学長は後者の方なので本部員の中ではどちらかというと「下っ端」ですが、海外生活が長いという理由で高く評価されています。
在欧ようぼくさんへ
〉高く評価される:
誰から評価されているのでしょうか。それも教団内部の評価でしょう。
学長の基準・評価が世の中とどれぐらいずれているか。いわずもがなですが、参考までに。
———————-
●奈良学園大学学長梶田叡一 島根県松江市生まれ。 京都大学文学部哲学科(心理学専攻)卒。 大阪大学教授を経て、京都大学教授、京都ノートルダム女子大学学長、兵庫教育大学学長、第4期・第5期中央教育審議会副会長(初等中等教育分科会長・教育課程部会長)などを歴任。 平成24年4月、学校法人奈良学園理事に就任。
●奈良大学学長千田 嘉博 1963年愛知県豊田市生まれ。1986年奈良大学 文学部 文化財学科 卒業。1995年イギリス・ヨーク大学、ドイツ・ドイツ考古学研究所に留学。博士(文学)大阪大学。 名古屋市見晴台考古資料館・学芸員、国立歴史民俗博物館・助手、助教授を経て、2005年から奈良大学に着任。2014年4月から奈良大学学長。城郭考古学者。著書に『織豊系城郭の形成』東京大学出版会、『信長の城』岩波新書など多数ある。
●帝塚山大学学長 岩井洋 上智大学 大学院 文学研究科 社会学専攻 博士後期課程 単位取得満期退学http://www.tezukayama-u.ac.jp/teacher/gyoseki/783609.html
●畿央大学学長冬木正彦 http://webinfo.kio.ac.jp/kio1/news_s.asp (下の方に名前アリ)
http://webinfo.kio.ac.jp/kio1/view2.asp?msg_no=257
注:帝塚山・畿央は親子二代で学長
初めまして。
今回の記事には特別関係はないですが、
私は天理教学生会で大きく性格が変わりました。
今でも、あの時の感動が教えそのものと思ってます。
だからこその、教えの実践ではなくもはや運営重視な風潮。
信仰心ではなく、学歴、忠誠心、血すじ…重視。
もちろん、それも大事ですけどね、何だか陰気ですよね。
ここ最近はあまり、教会にも行ってません。
天理教の教えは好きです。素晴らしい人も多いです。
だからこそ、ささいな疑問を投げかけているこのブログが好きです。
良いも悪いも、独自の視点で書いていってください。
宗教法人天理教は【犯罪の前に】互いたてあいたすけあいを実践している宗教法人であるとの認識をした方が良いと思われます。
大学も然りです。天理教の幹部は天理大学出身でオール天理と呼ばれている人達も少なく有りません。故に現在の教団幹部も天理大学出身は多いはずです。運営に関わっている人達も然りです。
犯罪も厭わない宗教法人です。
はじめまして。
命の泣き声と申します。
リンクしていただきありがとうございました。
記事を読ませていただき、実に素晴らしい人事だと思いました。
これを「ハロー!ほんわか人事」と呼びましょう。
一般常識的に言って、校長ってタマじゃないやろー!って人が何人もいますね。
もしかして全員だったりして…。
何故私がそこまで言えるかというと、天理幼小中高という英才教育を受けてきて、実際に授業を受けたことのある教師が複数人含まれているからです。
天理大学は「いちれつ会」の世話になって無駄な授業なんか受けたくないと思い、親と決裂した挙げ句その時点で天理教から逃げました。
親の英才教育は無駄に終わりました。
ことの顛末は私のホームページをご覧ください。
http://inochinonakigoe.grupo.jp
そんなことより人事ですよ。
素晴らしい「良い人」揃いじゃないですか!
この方々のお話を聞いているときっと口調も優しく、「本当に良い人なんだなー」と島じみ…あっ、すみません。
しみじみ思いますよ。
天理教が「校長」に指名する基準は一体なんだと思われますか?
私の推測です。
一つ、「天理教教義に完全に洗脳されていること」
一つ、「天理教用語をしっかりと駆使して話をまとめあげることが出来ること」
一つ、「堂々とした立ち振舞いで、語尾を強く言葉を発信できること」
あっ、学歴なんか関係ないですね。
いかに洗脳度合いが大事で、その人々の中から発信力の強い人間が選ばれる訳ですね。
でも、天理教教義に洗脳されている本人たちは多分「幸せ」な感覚を実感されているでしょうね~。
強く洗脳されている上に、重要なポジションまで与えられて。
「我が人生に悔いなし!」
と、思われていると思いますよ。
羨ましい。
いや、失言。
アホですよアホ。
ただ生かされてるロボットで、自分の力で生きていない。
まったく羨ましくない。
こっちの方が失言か。
グローバル~とか、今の時代に~、とか、なんちゃらかんちゃら。
とりあえず現代社会の表面を撫でるような文言を拾ってきて、天理教用語とくっ付けて「それっぽい文章にする」。
リンク先に飛ばせていただきましたが、バカバカしくて読んでいられなかったですもんね。
こんなところで何も学べませんよ。
あっ、洗脳されていてロボットとして幸せに生きたい人にはもってこいの環境か。
ニーズに答えているってこと?
いや…。
アホかっ!
社会の一員として自覚せい!!
社会なめんな!!!
この言葉を、「ハロー!ほんわか人事」により「ほんわか村」の学校長となられた方々に送らせていただきたいと思います。
「社会なめんな!」
天理大学には教会の後継者、又はようぼく子弟が入るのだろうが、上に従順なロボットを作り上げるには、研究や論文などを著すような優秀な教授は不要だ。あまり優秀な教授にいられると、天理教に疑問を持つ者を造ってしまう危険性もある。本部が必要とする、お供え集めロボットを造るには、天理大学位の、ぬるま湯のような環境が、ちょうど適しているのだろう。
皮肉とユーモアに溢れた中にも、最後には、命の泣き声さんらしい、本質を突いた、キツイ一発。胸のすく思いが致しました。大学の評価は、「改善が望まれる」ばかりで、これで大学としての機能を有してるのだろうか?と疑問に思わされます。
第1位 奈良県立医科大学 (医学部) [公立] 69.6
第2位 奈良女子大学 (文学部) [公立] 61.5
第3位 奈良女子大学 (生活環境学部) [公立] 59.7
第4位 奈良教育大学 (教育学部) [公立] 57.7
第5位 奈良女子大学 (理学部) [公立] 57.3
第6位 畿央大学 (健康科学部) [私立] 56.4
第7位 畿央大学 (教育学部) [私立] 53.5
第8位 奈良県立大学 (地域創造学部) [公立] 53.2
第9位 奈良県立医科大学 (医看学部) [公立] 53.2
第10位 奈良大学 (文学部) [私立] 49.8
第11位 天理医療大学 (医療学部) [私立] 49.3
第12位 天理大学 (人間学部) [私立] 47.7
第13位 天理大学 (文学部) [私立] 47.7
第14位 天理大学 (体育学部) [私立] 46.4
第15位 天理大学 (国際学部) [私立] 46.4
第16位 帝塚山大学 (心理学部) [私立] 45.3
第17位 帝塚山大学 (現代生活学部) [私立] 44.7
第18位 奈良大学 (社会学部) [私立] 44.7
第19位 帝塚山大学 (人文学部) [私立] 42.3
第20位 帝塚山大学 (法学部) [私立] 41.3
第21位 帝塚山大学 (経済学部) [私立] 41.0
第22位 帝塚山大学 (経営学部) [私立] 40.3
第23位 奈良産業大学 (ビジネス学部) [私立] 35.6
第24位 奈良産業大学 (情報学部) [私立] 34.8
東大寺学園高校[普通/私]77
西大和学園高[特編入/私]76
帝塚山高校[男子英数/私]73
帝塚山高校[女子英数/私]73
奈良高校[普通]72
奈良学園高校[理数/私]71
西大和学園高校[国際/私]71
帝塚山高校[女子特Ⅱ/私]70
畝傍高校[普通]69
郡山高校[普通]68
奈良工業高等専門[機械]67
奈良工業高等専門[電気]67
奈良工業高等専門[電制]67
奈良工業高等専門[情報]67
奈良工業高等専門[物科]67
帝塚山高校[女子特Ⅰ/私]66
平城高校[普通]66
育英西高校[立命館/私]65
智辯学園高校[編入/私]65
一条高校[数理科学]64
一条高校[外国語]63
高田高校[教育]63
奈良北高校[理数]62
平城高校[教育]62
高田高校[普通]61
天理高校[Ⅱ類/私]61
奈良北高校[普通]61
一条高校[人文科学]60
奈良育英高校[選抜/私]60
お茶の水女子大附高[普]77
開成高校[普通/私]77
筑波大学附属高校[普通]77
筑波大学附属駒場高[普]77
慶応義塾女子高校[普/私]76
東京学芸大学附高校[普]75
早稲田実業高等部[普/私]75
早稲田大学高等学[普/私]75
国立高校[普通]74
豊島岡女子学園高[普/私]74
巣鴨高校[普通/私]73
明治大付明治高校[普/私]73
青山学院高等部[普通]72
国際基督教大高校[普/私]72
東京工大附科学技[化技]72
西高校[普通]72
日比谷高校[普通]72
立教池袋高校[普通/私]72
青山高校[普通]71
学習院高等科[普通/私]71
國學院大學久我山[普/私]71
立川高校[普通]71
中央大学高校[普通/私]71
桐朋高校[普通/私]71
戸山高校[普通]71
城北高校[普通/私]70
成蹊高校[普通/私]70
創価高校[普通/私]70
中央大学杉並高校[普/私]70
中央大学附属高校[普/私]70
八王子東高校[普通]70
広尾学園高[医進サイ/私]70
本郷高校[普通/私]70
錦城高校[特進/私]69
小山台高校[普通]69
淑徳高校[S特進/私]69
東京学芸大附高大泉[普]69
八王子高校[文理特進/私]69
明治大付中野高校[普/私]69
駒場高校[普通]68
新宿高校[普通]68
拓殖大第一高校[特進/私]68
帝京大学高校[普通/私]68
日本大鶴ヶ丘高校[特/私]68
法政大学高校[普通/私]68
明治大付中野八王[普/私]68
両国高校[普通]68
江戸川女子高校[普Ⅲ/私]67
国分寺高校[普通]67
竹早高校[普通]67
東京都立国際高校[国際]67
桐朋女子高校[普通/私]67
八王子高校[文理選抜/私]67
広尾学園高校[本科/私]67
朋優学院高校[国公立/私]67
明治学院高校[普通/私]67
江戸川女子高校[英語/私]66
桜美林高校[選抜/私]66
錦城高校[普通/私]66
十文字高校[S特選/私]66
白梅学園高校[特選I/私]66
東京芸大音楽附音楽[音]66
東京都市大等々力[特/私]66
東洋高校[特進選抜/私]66
日本大学第二高校[普/私]66
富士高校[普通]66
文化学園大杉並高[特/私]66
武蔵高校[普通]66
國學院高校[普通/私]65
小松川高校[普通]65
成城高校[普通/私]65
東京農業大第一高[普/私]65
日本大学第三高校[普/私]65
八王子高校[総合進学/私]65
町田高校[普通]65
武蔵野北高校[普通]65
明治学院東村山高[普/私]65
安田学園高校[S特/私]65
江戸川女子高校[普Ⅱ/私]64
大泉高校[普通]64
京華高校[S特進/私]64
佼成学園高[難関国公/私]64
小金井北高校[普通]64
十文字高校[選抜/私]64
淑徳巣鴨高校[アルテ/私]64
順天高校[特進類型/私]64
成城学園高校[普通/私]64
東京工業高等専門[機械]64
東京工業高等専門[電気]64
東京工業高等専門[電子]64
東京工業高等専門[情報]64
東京工業高等専門[物質]64
東京成徳大高校[特選/私]64
日本大鶴ヶ丘高校[普/私]64
八王子高校[文理進学/私]64
日野台高校[普通]64
三田高校[普通]64
北園高校[普通]63
駒込高校[スーパーア/私]
全国人間関連学部偏差値2016年度
宗教学科はこちらです。
京都大学[総合人間/国/京]73
大阪大学[人間科/国/大阪]69
広島県立広島大[人文化]57
兵庫県立大[環境人/公/兵]56
福岡県立大[人間社/公/福]53
早稲田大学[人間科/東京]67
法政大学[人間環境/東京]59
関西学院大[人間福祉/兵]59
國學院大[人間開発/東京]58
専修大学[人間科/東京]58
日本女子大[人間社/東京]56
関西大学[人間健康/大阪]56
西南学院大[人間科/福岡]56
金城学院大[人間科/愛知]55
昭和女子大[人間社会/東]54
武蔵野大学[人間科/東京]54
昭和女子大[人間文化/東]53
文教大学[人間科/埼玉]53
白百合女子[人間総/東]53※
神戸女学院大[人間/兵庫]53
大正大学[人間/東京]51
神奈川大学[人間科/神奈]51
京都橘大[人間発達/京都]51
十文字学園女子[人間/埼]50
大阪経済大[人間科/大阪]50
東京都市大[人間科/東京]49
甲南女子大[人間科/兵庫]49
実践女子大[人間社/東京]48
愛知淑徳大[人間情/愛知]48
椙山女学園大[人間関/愛]48
名城大学[人間/愛知]48
大妻女子大[人間関/東京]47
天理大学[人間/奈良]47
広島文教女子[人間科/広]47
九州女子大[人間科/福岡]47
高崎健康福祉[人間発/群]46
文京学院大学[人間/東京]46
大阪産業大[人間環/大阪]46
神戸松蔭女子学院[人/兵]46
奈良学園大[人間教育/奈]46
広島修道大[人間環境/広]46
常磐大学[人間科/茨城]45
東京国際大[人間社/埼玉]45
目白大学[人間/東京]45
東洋英和女学院[人間/神]45
金沢星稜大[人間科/石川]45
神戸海星女子学[現人/兵]45
和光大学[現代人間/東京]44
帝塚山学院大[人間/大阪]44
筑紫女学園大[人間科/福]44
福岡女学院大[人間関/福]44
人間総合科学大[人間/埼]43
流通科学大[人間社会/兵]43
仙台白百合女子[人間/宮]42
埼玉学園大学[人間/埼玉]42
ルーテル学院大[総人/東]42
仁愛大学[人間/福井]42
長崎国際大[人間社会/長]42
尚絅学院大[総人間/宮城]41
恵泉女学園大[人間社/東]41
高千穂大学[人間科学/東]41
相模女子大[人間社会/神]41
田園調布学園大[人福/神]41
名古屋経済大[人間生/愛]41
大阪大谷大[人間社/大阪]41
関西国際大[人間科/兵庫]41
園田学園女子大[人教/兵]41
福山大学[人間文化/広島]41
宇部フロンティ[人健/山]41
東北文教大[人間科/山形]40
埼玉工業大[人間社/埼玉]40
愛国学園大[人間文化/千]40
東洋学園大[人間科/東京]40
清泉女学院大[人間/長野]40
愛知東邦大学[人間/愛知]40
名古屋芸術大[人間発/愛]40
鈴鹿国際大学[国際人/三]40
聖泉大学[人間/滋賀]40
大阪人間科学大[人間/大]40
太成学院大学[人間/大阪]40
京都ノートルダム[人/京]40
千葉商科大[人間社/千葉]39
山梨英和大[人間文/山梨]39
作新学院大[人間文化/栃]38
北陸学院大[人間総/石川]38
相愛大学[人間発達/大阪]38
羽衣国際大[人間生活/大]38
山陽学園大[総人間/岡山]38
東海学院大[人間関/岐阜]37
静岡英和学院大[人社/静]37
愛知みずほ大[人間/愛知]37
人間環境大[人間環/愛知]37
大阪国際大[人間科/大阪]37
徳島文理大[人間生/徳島]37
宇部フロンティ[人社/山]36
東亜大学[人間科/山口]36
鹿児島純心女子[国人間]36
八戸学院大[人間健/青森]35
石巻専修大学[人間/宮城]35
南九州大[人間発達/宮崎]35
志學館大[人間関係/鹿児]35
凄いんでしょうか?????
特定の宗教教団が運営している大学の宗教学科とは、どのような授業をしているのでしょうか。古今東西いろんな宗教を学び、研究し、結局自分とこの宗教が一番優れている、という結論に落ち着く授業をするのでしょうか?
きっと、障害者はゴミであり、神殿にはゲロを吐いても素晴らしいと教えているんでしょう。
※天理大学ではありません。
大学の授業で、天理教を勉強させるのは、本部としてはまずいのかもしれない。
原典を深く教えることは、天理教団が教えを歪曲していることが、バレバレになってしまうから、そりゃ避けますよね、きっと。
<御分家・中山正信氏と八島氏との会話>
分家「あまり教祖伝をほじるなよ」
八島「今、内部から発表しなければ取返しがつかなくなります。外部からあばかれたらどうします。山本周五郎が『樅の樹は残った』という小説を書いてから、極悪人原田甲斐が、実は仙台藩を救った忠臣であったと、常識が変わっています。今までの日本は天皇制軍国主義の思想統制があって真実が説けなかった。今から真実を説く、教祖伝の編纂をやり直す、と教会本部が発表すれば、混乱は起こりません。教内はうすうす気づいていながら、何時本部が真実を言ってくれるか待っているのです。後れたら皆が背を向けます。そうなったら取返しがつきません。」
分家「八島が知っている嘘だけではないのだ。真実を知ったら皆が怒って、我々を中庭に引き出して殺すだろう。」
八島「本部から発表すればそんな事は起こりません。」
(真実を発表して欲しいと願うばかりです)
天理教の「御供え」についてをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
原田甲斐は仙台藩を救った忠臣であったように正信さんは天理教を救った忠臣とは思えず、むしろ八島英雄氏のほうがおやさまの教理に忠実な真の中山みきの弟子と思われます。
本部の教義解釈にはうそ・ごまかしが多すぎますよ、気づいてしまえば「やっぱりね」と思うことばかり。
本部員、大教会長一同は「ほんあづま」を取り寄せてお勉強しましょうね。こかんさんの神名流しは史実だとまさか思ってないでしょうね?それから教典なんぞ嘘のかたまり。勉強しすぎると精神分裂症になるのがオチ。無駄ですから、念の為申し添えます。
>>匿名さん
私は今の協会本部の体制が嫌いです。
だんだん悪い意味で「宗教化」してきてますよね。
でも八島氏の研究や考えは非常に危ういです。どうしても教団内からの視点のために非常に恣意的です。彼の考えを肯定も否定もしません。
島薗や村上、島田や池田の研究の方が、客観的でとても学的ですよね。彼らはあくまで宗教学者ですから、ただいまいちピンとこない分析もありますが。池田氏は教団側ですが彼のレポートは論理的で非常に的確で読みやすいです。
うちの家はとっても貧しいです。父は教会をついでから仕事を辞めています。
結局、しわ寄せは末端にくるわけですよ。教養係で一ヶ月教会を空けても、報酬はたったの数千円です。
宗教にお金や政治が絡んでいけないのは明白なことです。それも理解しています。しかし、教会は「家」でもあるんですね。家族を養わなければいけない。
でも、信者や教徒は高齢化し、その数も減って、少ないお供えの大半が上級、そのまた上級に流れてしまいます。実質、布教所ですよ。
これにはちゃんとした原因があるみたいですね。長くなるんで詳しくは書きませんが、昔々に大まかに分類されてきていた教会の種類を細かくして、教会が一気に激増したみたいですね。そこで実質的に分教会レベルに達していない集まりも教会に分類された、ふざけるなって話です。
天理教の教えは「素晴らしい」ですよね。非の打ち所がないというか、無駄や隙がありません。
裏を返せば、すべて都合がいいように作り変えられているんです。
別席場、別席室がある階の下の階、2階に教義及史料集成室がありますね。あそこには本当に「中山美支」の教えが眠っているんでしょうか。
おそらく答えはNOでしょう。どっかに隠してあるはずです。あんなところ、行こうと思えばすぐにいけます。信者をなめきってますよね。
「我は天の将軍なり」
美支が発した第一声がこの言葉であることをどれだけの信仰者が知っているでしょうか。
今はそんな気さらさらないですが、いずれ教会を継ぐ時が来るのかもしれません。
向き合わなければなとも感じています。
とても面白い。神の意志は働いているね。
おやさまは、いまの天理教をどう思ってはるんでしょうね。
方向を間違えてるからブレーキをかけてはるのかも。
おやさまは、生前に天理教という教団を望まれてない気がします。
間違ってるかな?
このみちはな・・・
講を結ぶ・・・
せかいいちれつをたすけるためにあまくだった・・・
この意味は全世界を天理教信者にすることではないと思います。
生まれも育ちも性別も能力も宗教も風習も違う、考え方も違う人たちが
それぞれに理解と寛容を広げていくことで
陽気暮らしへと少しずつ向かうことが、
この道を歩くことかな〜って思っています。
教団があることの意味、見直さんとね。
どんなすばらしい教えでも、宗教組織化すればダメになるということでしょう。
宗教組織は人間思案がどうしても入ってしまいます。ですから、ピラミッド型教会制度だの、本部だの、そんなもので、できている「天理教」が無くならない限り、陽気ぐらしの実現なんて無理でしょう。
祖神は「天理教」という、特化したものができること自体を、きっと喜ばれてはないと思います。
一般企業であれば有能な経営者が必要でしょうけど、お道は心のキレイナ人というのが必要でしょう。
心のキレイな人がお地場に多ければ、今の教会本部なんて潰れても、神様は悲しまないよ。
経営力が乏しくとも、最悪、お地場と甘露台の勤めと修養課と、教祖、本席様の史跡だけ残れば、いいんじゃないか?
>一般企業であれば有能な経営者が必要でしょうけど、お道は心のキレイナ人というのが必要でしょう。
残念ながら、私の知る限り天理教の指導者に「悪い人じゃない」という人は沢山おられますが「有能な経営者」も「心のキレイナ人」も見当たりません。
現状維持が難しい状態です。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/
天理教の「御供え」についてをリンクします。
http://6706.teacup.com/5051/bbs
命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
http://inochinonakigoe.grupo.jp/
huruikyoukaityou@yahoo.co.jp
天理大学はどうしようもない大学ですが、永尾学長には改革面で期待しています。
学長就任直後から大学広報がHP更新など、突如活動しだしたように思います(笑)
(今まで何してたんだろう‥‥)
学歴はないのでしょうが、講話などでヨーロッパで文化摩擦を体験した話をいくつか聞きました。表現は工夫されていましたが、私には教内の古い慣習に疑問を呈していると受け取ることもできました。
また道友社社長時代には、天理カレーにまつわる展開が始まったと記憶しています。
カレー販売には一部から批判的な声があったという話がありますが、蓋を開けてみると天理公式のお土産ができたということで好評のようです。公式グッズ昔はたくさんあったらしいんですけどね。
ただ、年祭直前に3年の任期満了前に大学常務理事という役になり、「カレーのせいで‥‥」などと話しているエライ人もいましたし、「様」抜きで真柱にまつわる本(http://doyusha.net/SHOP/9784807305902.html)を出したからというトンデモな噂もありましたが。
あまり説得力のない文面ですが、他にも色々されてたように思います。
こんかい年再直前の人事、直後の人事、意外なものがたくさんありましたが
大学に関しては期待を持って見たいと思っています。
カインさんは天理教の教育関係者と例えば大学の学長とか教授と面談なりしたことはあるのであろうか?
おそらくは無いであろう。
基本は塩谷寛先生が最初にであった人物でバリバリの天理教徒であり、世界中の人間が天理教をしなくても私一人は天理教をすると、それが信条の人であった。「あんたは頭が良すぎる、阿呆になって天理教をしなさい」と諭されたのは晩年である。
天理大学学長大久保昭教先生は彦根分教会の会長で布教所が基本の家の近くにあって、子供の頃そこでしばしば出会っていたが、基本とは松本市の実業家の信者をどこに帰属させるかという件で面談している。基本は差し上げてそこは所属を彦根分教会の信者となった。天理教では著作物を出している。印象でいえば信仰者の匂いはなく、それは本人も認めていて、いつも下でに出てくれた。
天理大学学長の橋本武人先生は、おさしづ研究の本を出されていて、温厚な人格者である。
カインさんは理解しているはずだが、天理大学学長に大切なのは教理の理解度と高い信仰のレベルと、現場での布教(おたすけ)である。
塩谷寛先生はおたすけの現場での名手であり信仰信念は基本が手本と目指した強固な信念の持ち主だった。
カインさんは研究の経歴が無いから大学の学長として不安だというが、それでは高学歴の偏差値の高い大学で、「貧乏せい」を教えてくれるのか?塩谷先生は布教経験者であり、貧乏せいの実行もしてきていた。
橋本先生は「貧乏せい」を実際に通っていて、背中に赤子を背負っては匂い掛けするということで、学長就任以前基本の憧れのかたであった。
大久保先生の彦根分教会では月の1日はおかゆしか食べないで暮らすというルールがあって、とてもたまったもんじゃないと基本は思ったものだ。
天理大学学長田中喜久男は原典を教内雑誌で解説していて、基本はそれを学ぶことで、基礎知識をえた。
天理大学学長山本久二夫も原典の研究者として、お指図の解読の基礎知識を原告に与えてくれた。
研究とは、天理教の場合、原典の研究が全てであるが、高偏差値の大学では原典の読み方など教えてはくれない。
カインさんは、信仰の学という事を、説くけれど、「悧巧は道につけんで」とおやさまは言われている。
里に居て、原典を解読し、里に居て真の柱となる。地場の大学は地場らしくあればそれでよいのだ。
どうせ「胸のわかりたものはない」に変わりない。
天理教の教えは素晴らしいと思いますが本部は腐敗していますよ!
本部員と言われている人達の子弟 分家だけ優遇される仕組みになっています
アイツらは 言っている事と やっている事が全く違います。天理の学校は自分達の子供のためにだけ作られた学校です
末端教会には学費を「いちれつ会」と称して 恩着せがましく費用をだしていますが 自分達の子供は 毎年 内密に海外に留学させていますからね!
私 教会の人間ですが天理教 大嫌いです
近頃「働くよふぼくの集い」といって、天理を出て行った人に講師をやって貰っている。
素晴らしいね。(嫌味)
優秀な人材は、みんな一度は天理を離れているよ。
教会子弟のみんな、一度、天理教を離れてみてはどうでしょうか。
といっても、末端教会子弟は、お礼奉公とかいって、自由にはなれないんですよね。
悲しいね。(本音)
その点、本部の子弟は「いちれつ会」から全額奨学金を貰って、天理から出て行って世界で活躍しているのです。
素晴らしいね。(嫌味)
いちれつ会から奨学費用は、出して貰わない方がいいね。
天理の学校へ行くのだったら、よく考えてから決めて。