天理教の勧誘と集金はノルマ制である。なぜ天理教はそこまで金が必要なのか、それを説明できなければ全てが嘘っぽく聞こえる

天理教の一大イベントである「教祖130年祭」が昨日終わった。次の大きな動きは10年後になる。
毎日新聞が電子版で26日の昼過ぎには、その模様を配信した。
http://mainichi.jp/articles/20160126/ddf/041/040/003000c

約20万人が、ここに集まっていると思うと驚きである。以前、統計をとったときにも思ったが、30年前の100年祭のように1週間や1ヶ月などの期間で実施すれば、もっと多くの人が集まるのだろう。それには、私には想像もできない主催者として様々な問題もあるのだろうが。
ただ、この約20万人を多いと考えるか、少ないと考えるか。歴史をみれば明らかであろう。
下世話で申し訳ないが、私は今回天理教が回収した金額を知りたい。3年前に126億円であったお供え金が、2015年にいくら集めたのだろうか。天理教のお金と人は100年祭以降、順調に減少している。しかし年祭の前年だけはピョコッと増加するのである。詳しくはコチラ
(年祭は1月26日なので、年祭臨時収入は、前年の収入にほぼ反映される)

この年祭の統計を天理教が公表するのは、ずいぶん先のことになると思うので待つしかない。

今回は、私の体験談と実際に見た資料を開示したい。
まず定義を掲げたい。
ノルマ
とは半強制的に与えられた労働の基準量であり、大抵の場合時間的強制も付加される。(wikipediaより)

結論から述べる。ノルマと聞いて、営業職などの方は違和感がないだろう。しかし、話は仕事ではない。宗教である。あなたは宗教法人がノルマ制を採用していればどう思うだろうか。一気に、怪しい感じがするのではないか。それが普通の反応である。しかし天理教では未だに強いノルマ制が採用されている。これを今回の話にしたい。

少し前になるが、お正月に天理教の教会に挨拶にいった。神殿に入ると130年祭関連の掲示が複数、壁に貼ってあった。
私はそれらを写真に撮った。下の資料は、私が写真の一つからほぼ同じに作成したものである。
心定め
この資料は天理教がノルマ制であることの証拠である。
「心定め」というのは、教義的解釈はわからないが、普通に考えて数値目標と捉えて問題はない。
つまり、この教会の今年の数値目標のポスターである。特定できないように、数字は見やすいように少し変えたが大きくは変えていない。

右から順番に見ていく。
「初席者」というのは、天理教の信者になるために聞かなくてはいけない9回の話の1回目のことである。もちろん、この話は奈良県天理市の天理教本部でしか聞けない。
「よふぼく」というのは、上記の9回の話を完遂し、信者になる許しを得たもののことをいう。
「修養科生」というのは、3カ月間天理教本部で泊まり込みで教義の学習や、実習(といって掃除や雑用がメイン)をおこなう。
「教人登録」というのは、マスターのようなもので「よふぼく」の上位資格であり、数日の研修と試験をクリアすれば得られる。教会長や道専務という天理教のみで生活している人の多くがもっている。
「おつくし」というのは、お供え金である。ここだけ隠蔽しているためか単位が書かれていないが、単位は万円である。

これを見て、天理教はノルマ制を採用していることに間違いはない。

このポスターについて、この教会の方と少し話をした。それを以下に列挙する。
・心定めというのは数値目標だけではない。気持ちの結果である。
・130年祭に向けて少し気合いを入れた数字になっている。(例年より多めの目標)
・130年祭のみというわけではない。130年祭以外にも、大教会の記念年や教祖の誕生記念年など、2,3年に一度はこういった大きな数値目標を設定している。
・記念年でなくても、毎年数値目標は作っている。
・このポスターを誰に作れと言われるわけではない。でも皆やっている。フォーマットは上級から送られてくる。信者に周知させるためにも必要。
・明確に上から「お前の教会はこの数値目標だ」と言われることはないが、暗黙の圧迫はもちろんある。教会長会議では、実際に各教会の目標を調整する。
・特に大教会の建設や、天理市の詰所の建て替えなどで「○○円必要だ」と言われることはある。その要求金額を各教会で割り付けられる。
・ノルマと言われればノルマだが、達成できなくても何も罰則はない
・罰則はないが、金などは上納する際に、人的資源は申請するときに必ず上にバレるので、それなりの暗黙の評価は生じる。もちろん目標が達成できれば、「次はもっと数値が高くなるのはいうまでもない。大教会からも「あの教会は頑張っている」と注目される。

話した内容はこのような感じである。数値目標を「気持ちの問題」にすり替えるあたりは、天理教の大事なところはウヤムヤにする汚い姿勢が見事に反映されている。恐らく天理教人の私に対する反論は「これは個人の目標でありノルマではない」というだろう。しかし、それはブラック企業と同じ理路である。個人の目標であれば公開する必要も、仰々しく掲げる必要もない。神との個人的な約束は、信仰の本質であり、そういった姿勢を私は歓迎する。しかし共同目標として公開され、それに向かうことはノルマ以外の何者でもない。

最近聞いた話では、ある教会では「上級教会の会長が下の教会に来ることなんてほとんどなかった。しかし大教会が数億円の普請(建て替え)をしてから毎月「○○円、お供えするように」と来るようになった。こんな人間を信じられるか」といった話である。

こういったノルマ制は、今回に限らずに私も何度か目にしている。130年祭だからというよりも、これが天理教の平常運転なのであろう。このような「心定め」と偽装したノルマは、全国の教会でやっているのだろうか。それとも特定の教えをくむ系統(大教会)だけのことであろうかという疑問がある。
しかしネットでググってみれば、ノルマ制が一部なのか、組織の体質なのかは明らかであり、天理教のノルマ制の根深さはすぐに理解できる。

例えば以下のようなポスターである。画像をクリックすればリンク先に飛べます。

活動方針他ににもある。これらはググったら簡単に出てきたもので特殊な例ではないだろう。ググればこれ以外にもたくさん出てくる。
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加えて、天理教のノルマ制は学生の時から、叩き込まれているのだろう。この思考停止装置を発動された無邪気な若者たちは、なぜ信仰にノルマや数値目標が必要なのか考えることもしないのだろう。

そのほかにも沢山の資料がネットには転がっているので、気になる方は検索なりツイッターなりで調べてほしい。

話を戻す。初任給が20万円を切るような地方にある、おじいさんやおばあさんくらいしか集まらない小さな教会で、この金額を上納することを知れば(達成できなくてもそれに近い金額)、天理教が全国から年間、百数億円を集めるのも頷ける。こんなことをやっていては天理教が「陽気ぐらし」をできるわけがないし、そういった当たり前の感覚は天理教人にはないのだろうか。

ここからは少し考察を加えたい。なぜ天理教が社会にとって害悪となるのか説明する。
まず、根本に立ち返ろう。なぜ宗教がノルマを課す必要があるのだろうか。ここで気をつけたいことは、崇高な教えや教義解釈はどうでもよいということ。ノルマ制が事実としてあるということである。天理教の方には是非、立ち止まって想像してほしい。
つまるところ、ノルマ制を採用している宗教団体に、あなたは入りたいだろうか。

例えば、あなたが街を歩いて○○教の方に勧誘されたとしよう。その方は、とても優しくて、親身になって話を聞いてくれる。しかし、その方が所属する教会では「何名を連れてこい」というノルマがあったら、あなたはとのように思うだろうか。街であなたに声をかけた方は本当にあなたのことを思って声をかけたのだろうか。それとも、ノルマがあるから声をかけたのだろうか、声をかけられた私は心配にならざるを得ない。ここで大事なことは、ノルマがある以上、例えその人が本当にあなたのことを思って声をかけたとしても、すべてが嘘っぽく聞こえることでしかない。そう、とてもいい人であって嘘がない人であってもだ。天理教の方に質問してみればいい。例外なく「あなたのことを思っているに間違いないじゃない!!」と声高らかに宣言するだろう。しかし、傍から見れば、天理教人らが金のため、名誉欲のためと見られても今の天理教には反論できない。それほどノルマ制というのは印象も悪く、真実にはなりえない。

神を信じるだけなのに、陽気に生きるだけなのに、天理教を信仰したいだけなのに、なぜそこまで金が必要なのだろうか。天理教人はきちんと社会(信者にも)に説明すべきであろう。
巨大な組織を運営するのには金がいることは理解できる。では会費制にするなり、観光資源なり、冠婚葬祭なり、物販なり自助努力できることは山程あるであろう。極端な話、お供え金なんて、数百円でもいいじゃないか。なぜ祝儀袋に入れて名前を書いて申告する必要があるのだろうか。
どんな丁寧な天理教人も、この集金方法については一切誰も説明していない。
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「神様に喜んでもらうため」という詐欺な理屈では誰も納得できるわけがない。ノルマを採用しているなんて、だから天理教の教えは浅いと思われるのだろう。ノルマを強いるのであれば、なぜそれほど金がいるのか説明すべきであろう。
金を払えば助かる?苦労して頑張った分だけ神様は喜んでくれる?本当にそう思うのであれば、こそこそしていないでホームページにでも、大きくそう書きなさい。そうしないのは、天理教人もまた「ノルマで人を圧迫するような方法は本当は良くない。こんなことでは国民の信頼は得られない」と薄々感じているからであろう。汚い手法を使うことを黙認している宗教に、どんな善があるのか私には全く理解できない。

天理教はあまりに汚い、姑息な方法でノルマを心の問題にすり替えている。
なぜ人から金を奪うほど、天理教は金が必要なのか。
中身のない綺麗事ばかり言ってないで、丁寧に、親切に説明すべきであろう。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教の勧誘と集金はノルマ制である。なぜ天理教はそこまで金が必要なのか、それを説明できなければ全てが嘘っぽく聞こえる」への194件のフィードバック

  1. 金を欲しがっているのは人間達

    雪の影響で思ったほど参拝者は多くなかったのではないでしょうか。
    私は北礼拝場に新設した賽銭箱の多さに悲しくなりました。

  2. 匿名

     本当に、大教会、上級教会の会長さん方、ご本部の役員先生、幹部の方々全員にお聞きしたいものです。、なぜそこまで金が必要なのか、一体、誰が欲しがっているのかを。神様が欲しがってるとは、いくら何でも言えないでしょう。建物等の建築費、営繕費、学校等の運営費等で、金がかかるなら、そのことを表明し、会費、経費等名目で集めれば、その方が誤解も招かずに済むことなのに。
     それを、なぜ金が必要なのか、はっきり説明できないということは、あからさまにできないことに、金が要るのだ、と言われても反論できないでしょう。天理教が欺瞞的で、表と裏がある宗教と思われても仕方が無いことです。

  3. 憩の家

    私は信者でも何でもありませんが、天理市在住でもあり、昨日は10年に1度のイベントでもあるとのことで自転車で見に行ってきました。いやぁ、人、人、人で凄かったです。田舎の天理市にこれだけの人間が集まるとは・・・朝、上空を見ると報道関連なのかヘリコプターが数機飛んでいました。近鉄天理駅には珍しく団体用輸送なのかアーバンライナーまで見ました。内部の事は私はあまりよく分かりませんが、信者は減少傾向にあると言われてるようですが、あれほどの帰参者の数を見ると、?とも思いました。昔はもっと多かったということでしょうか?普段は、確かに本部周辺は閑散としていますが、、、
    最近、時間のある時にYou Tubuで初代の方々の動画を見たりしています。
    「結構源さん」とか(笑)「https://www.youtube.com/watch?v=rATQJku4_UA」
    当時の初代の方々を見ると、もっと天理教としての崇高な部分があったようにも見受けられます。(これは個人的に好評価しているという意味で)
    しかし、時代が経過してくと共に、組織の在り方や教えや形もどんどん変わっていくのは世の常で、現在では何を持っての天理教?(アイデンティティーとでもいうか)と問われる感じがします。
    大昔は、難儀や苦労、貧困、理不尽、その他諸々、あったことでありましょう。
    今は恵まれた結構な時代になりました。
    神頼みする必要が無くなった人が多くなった時代に入ったのかもしれません。
    祈ったところで同じ、ご守護?そんなもん、あるわけない。
    こうなってきてる部分もあると思います。
    今回感じたのは、私がもし天理教の幹部側だったら、「あぁ、良かった。たしかにうちは新興宗教の1つだし、昔に比べてボロが出まくってしまってるけど、なんだかんだで世間からはまだまだ見放されてねーや。20万人以上は来るんだ。呼びかけりゃ、これだけ帰ってきてくれるんだ。金も集まる。まぁ、なんやかんやで安泰だろう」こう思ってしまいますね。

  4. 古い教会長

    憩いの家さん、
    >大昔は、難儀や苦労、貧困、理不尽、その他諸々、あったことでありましょう。
    今は恵まれた結構な時代になりました。
    神頼みする必要が無くなった人が多くなった時代に入ったのかもしれません。

    そうなんですよ、だから天理教の幹部といわれる人は、神頼みではなく、末端の教会頼り、信者頼りになっているのです。信者や部内・末端教会に親心があるから、まだ安泰のように見えているのです。順序が逆転してしまっています。
    本当に危うい状態です。

  5. 憩の家

    信者ではない私ですが、少なからず傾注して見てみると、教えのようなものも自然に見えてきます。
    元々の教え自体は特におかしいものでもないような気はしますね。(最近、そう感じてきてます)
    中山みきさんに親なる神が宿って、覚醒のようなものが起きた云々は、正直凡人には理解不能の領域ですが、親に孝行、他に尽くす云々は、まぁそんなに悪いものではないと私は思います。
    見方によっては、そこに天理教という宗教を挟まなくても、道徳の範疇に収まる感じもしなくもないですが。
    内部がおかしくなってきているというのは、一体いつ頃からの話に遡る感じなんでしょうか?
    You Tubuで二代目さんからの60年祭からの動画を一通り見ました。
    現在は四代目の方ですよね?
    四代目の方、お見かけするところ、非常に控えめな方というか、贅沢を慎んで、徳のあるような顔つきにも見えますが、そうではないのですか?
    ただ、昨日の述べられてた話し方を聞く感じでは、熱意というか、あまり意気込みのようなものは感じられませんでしたね。作られた文章を棒読みしてるだけどいうか、自身としてはどうしていきたいのか?という部分は感じられませんでした。
    その点でいうと、二代目さんの場合は、いつも声に覇気があって、強い意志のようなものを感じることが出来ます。
    三代目さんは、石橋を叩いて渡るというか、しかしある部分では腹黒い一面も持ってそうだなという印象を受けます。
    カイン様は、前の記事で天理教維持財団の記事を書いて頂きましたが、現在の天理教は何を目指している組織なんでしょうか?
    病院経営も何だか終わってるような気もしますし、(相変わらずミス多いと聞きます)高校野球や柔道、吹奏学部も最近は今1つパッとしない感じですし、よく分かりません。
    金儲け主義に(しかも、ジリ貧なので、かなり焦っているように見えます)突っ走っているように見えてなりません。

  6. 生きるの疲れた

    目の前で本当に困っている人を一人も助けられない人間に、十人二十人助けられるわけがない。

    数を追うのをやめ、真に助けを求める人に寄り添うことが何よりも大切なはず。なぜそれがわからない?

    心定めというノルマに縛られたままの天理教には、もはや人を惹きつける力はないのかもしれない(本当は断定したいが、私も一応末端の一信者としてなのでこういう書き方になります…)。

    「あの人が信仰する天理さんなら、ちょっと話を聞かせてほしい」と思ってもらえるような日々の言動を示してこそ本当の信仰者。
    「四の五の言わずに別席行って神さんの話聞かせてもらえ」「三ヶ月修養科行け」などと言われて納得いくはずがあろうか?

    まずは傾聴の心を持って人様に寄り添える人間になること。そんな人の方が、書物や教理云々をたっぷり蓄えただけの人たちより数百倍素晴らしい。
    しかし現状はむしろ、教外の方々の方がよほど親身になってくれる。私もむしろ、そんな方々に助けられ、今を生きている。もし神様に感謝できるとすれば、そんな方々との出会いを与えて下さったことである。

  7. 匿名

    年収200万
    お供え年20万
    一家5人
    信者家庭
    子供らには食べさせても
    親はご飯と味噌汁だけ
    たんのうや~めた

  8. 古い教会長

    匿名さん、
    >たんのうや~めた
    それは、正解です。家族を守ってあげて下さい。
    憩いの家さん、
    >内部がおかしくなってきているというのは、一体いつ頃からの話に遡る感じなんでしょうか?
    それは、教祖在世当時からです。教祖派の人と秀司派の人があったのです。
    金儲けに走ったのが秀司派の方々でした。
    今は、その流れの延長で、結果、疲弊してしまっています。
    教祖は、中山家に意味があるとは仰っていません。上田ナライトだったり、飯降伊蔵だったり、異端と言われていますが、飯田岩次郎や茨木基敬から神の言葉が下がっています。教祖以外の中山家からは、小寒さん以外はありません。
    秀司派のみなさん、もう充分、お金を貯めているでしょうから、もう退場してもらっても、いいんじゃないでしょうか。
    秀司さんが亡くなられた時に教祖は「それだけ貯めたら本望やろ」と言われたそうです。
    これは、当時の側近の方が言われております。

  9. 古い教会長

    教祖派の方々が罷免された事件。

    【不良教師事件】
     1904(明治37)年、日露戦争。この時、教祖派の泉田藤吉(中津支教会長。おたすけ人の鑑と云われていた)、万田万吉(島ヶ原会長、中和大教会の植田平一郎の兄弟)らが異端者、本部の方針に謀反する不良教師であるとして会長を辞任させられ、1400名が放逐された。平野樽蔵らが「天理教会本部は天皇と天皇の先祖を神様と言っている。教祖を神様と言う者は不良教師である。辞任してお詫びせい」。

     これにより、戦争協力体制へ進んでいくことになり、「借金をしてでも戦時国債を買え」という本部方針の下で250万円以上の戦時国債を買い協力した。日露戦争後、真柱の真之亮に勲六等の勲章が出される。

  10. 古い教会長

    資料がありました。
    1881年(明治14年)
    【秀司の出直し】
     内蔵を建てることになり無事に棟上は済んだが、うち作りの出来ないうちの前年の暮れ辺りから秀司の身上が勝れなくなり、この年4月8日(陰暦3月10日)61才で出直すこととなった。「転輪王講社」開設から半年余を経た頃である。この間秀司は、「応法派」の頭目とでも呼べる存在であり、教祖の厳しい叱責を受けながらも、布教の公認を目指して奔走しつづける日々であった。そういう秀司に対して、教祖は、常々叱責を為されたきたが、その確執の根は深く、「お道」人になりきれない秀司に対するはがゆさにあったものと拝察される。教祖は、

     「なに事もこのところには 人間の心はさらにあるとをもうな」 (6.67)
     「どのよふな事をゆうにも筆先も 月日の心さしすばかりで」 (6.68)

     と、仰せ下されている通り、教祖の心には、我が家もなければ、我が子もなく、否我が身さえもなく、あるのはただ、世界一列の子供をたすけたい一条の親心、月日の心であって、小さな自己の心、一中山家という立場からは完全に離れきっておられた。これに対し、秀司は、常に中山家の立場から物事を見、教祖を産みの母として見、一貫して中山家の戸主としての立場から、「お道」と関わり続けて来た。秀司の評価を廻っては、一概な判断は禁物であるが、この時期、教祖にとって、

     「身のうちにどこに不足のないものに 月日いがめて苦労かけたで 」 (12.118)
     「年限は39年も以前にて 心配苦労悩み掛けたで 」(12.119)
     「このたびのつとめ一条止めるなら、名代なりとすぐに退く」 (15.88)

     とあるように、秀司は「お道」の妨害者の如く映じていたのである。

     「稿本教祖伝」によれば、こかんの出直しとの時と同様に、「可愛いそうに、早く帰っておいで」、と、長年の労苦をねぎらわれたことになっているが、真相は次のようであった。秀司が息をひきとった時教祖は門屋の右側、十畳の部屋に一段高くして居られた。秀司がなくなったとの知らせを聞くと、みきは、「アアそうかい」と云って一段高いところから降り、別部屋に寝かされていた秀司の枕元にやって来て、額をゴロゴロとして、

     「もう強情は張らせんやろ、張れるかい、張れるなら張ってみいや」と云い、伊蔵を振り返って「伊蔵さん、うちのざまを見ておくれ。金をためるとこの不始末やで」

     と涙一滴こぼさず云いなされたことが伝えられている(飯降政甚「新宗教」大正5年1月号における談話)。
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_59.htm

  11. 古い教会長

    中山家にお金が入りだす。

    【秀司の妻まつえが「転輪王講社」を引き継ぐ】
     教祖は、先にこかんと別れて6年目の今またしても、秀司を失うことになった。後には、その妻まつえと、ようやく五歳になる孫のたまへとの三人暮らしの身となった。こうして、まつえが戸主となった。まつえは、里の小東家の助力も得て、「転輪王講社」を引き継いだ。これには養子に行っていた音次郎が、信者総代として加担した。この頃から、まつえの義兄の小東政太郎やみきの甥にあたる前川半七などの親戚達が、営業を目的につながり始めた。こうして見ると、この頃既にお道の内部では、増え続けていく道人を廻っての利権が発生しつつあったことが知れる。この利権派は親族身内派と幹部信徒派とから構成されて行くことになるが、その次第は追って見ていくこととする。

     さて、秀司が亡くなった後、まつえが戸主となった。そして、まつえは、里の小東家の助力も得て、「転輪王講社」を引き継ぐことになった。まつえの義兄小東政太郎を事務長格に据え、養子に行っていた音次郎を信者総代として迎え、更にみきの甥にあたる前川半七などの親戚達が、営業を目的につながり始めた。こうして見ると、この頃既に「お道」の内部では、増え続けていく道人を廻っての利権が発生しつつあったことが知れる。お賽銭、御供などが無視できない金銭になっていたということと思われる。この利権派は、親族身内派と幹部信徒派とから構成されて行くことになる。
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_59.htm

  12. 元信者

    天理教は20年以上前に辞めました。
    天理教の信者は親神といいながら本当に信じているのかということがいいたいです。
    信者と言っても、8~9割は親戚関係でほかは高齢者とか社会復帰できそうに無い信者ばかり。
    よその教団に見られるような20~60才のもっとも知識生産力のある信者さんはほぼみかけません。
    信者が本当に知りたいのは、天理教がどんなすごい宗教かであって中山みきの人生(ひながた)など二の次です。そんなもん世のために尽くした人は他にもごちゃまんといます。
    「天理が人類発祥の地」だとしたらこれはすごいことです。それをなぜもっと主張しないか。本当に信じているのか?なにかいえばひのきしん・ひのきしん、お供えお供え。一列平等だといいながら信者を奴隷扱い。
    人生につまづいた人間に大して「甘え」の一言だけで片付ける。本当に天理教を真から信じてるのなら「天理教を信心していなかったから人生うまいくかなかったんでしょう」くらい言ってみろ。
    他にも障害者を突き飛ばしたり、精神的に病んでる人間に罵声を浴びせたり、思い通りにうごかないと陰湿ないじめをしてきたり、本当に天理教は異常です。大した教義でも無いのに道一条だなんて、ただのぷー太郎だよ。汗水出して働かないからこんなやくざ的なものの考え方になるんだろう。
    働いたら箔が落ちる(質が落ちる)???そんな安っぽい神様なのか、と昔S宗教信者の人が言ってました。本当にそう思います。
    働けるのに働かない人間は、最初のうちはいいかもしれないが、いずれ信者の気持ちは離れて行きます。立場が同じだから共感して仲間意識が出来て組織が広がって行くんです。他の教団をみてもそうです。それが最低条件です。「大教会長様、先生、若様、姫様・・・・」 一列平等だといいながらあなたたち何様?っていいたいです。
    いつまで殿様ごっこしてるんですか?昭和の終頃までならまだわかるが、今何時代だと思ってるんですか?
    近所の人は天理教を笑ってますよ。

  13. 退職信者

     130年祭に参拝してまいりました。
    年祭参拝は90年祭以来です。90年祭当時は、24歳でした。会長から信者さん達の世話取りを依頼され帰参しました。
    記憶が定かではありませんが90年祭は10日間ほどであったと思います。帰参する信者さんが多くて詰所に連泊できず
    2日目は伊勢に宿泊して帰りました。90年祭期間中の名阪国道は、上下線とも帰参する観光バスが数珠つなぎで走っていたのを覚えております。
     それを思うと今回の年祭は本当に寂しい限りです。名阪国道にも東名阪道にも御在所SAにも年祭を感じる要素は全く在りませんでした。天理教の衰退を肌で感じました
     しかし、これは当然の成行きだと思います。天理教教会本部が発する言葉に普遍性はなく真実のかけらも見受けられません。発展する道理がありません。
     数年前、所属教会の会長に「神様 親様は金をつくせとは言っていない。もう おつくしは止めた」と宣言しました。
    教会への参拝もやめました。集金掛かりの話を聞くのは無意味です。今はマインドコントロールも解け、開放感一杯です。神様 親様と共に毎日楽しく生活しています。
     ちなみに私は「教祖」を「おやさま」と読む事はしません。なぜ 本部は「教祖」を「おやさま」と読ませるのか。
    それは天理教教会本部が、「親様」と「親様を慕う人々」の心の絆の間に教会本部という組織を無意識の内に入り込ませるためだと勝手に思っております。意図的か否かは、わかりませんが組織が求める必然的な発想かもしれません。
     親様は天理教教会本部の親ではありません。私たち 子数の親です。教えの親であり、生みの親です。
    故に「おやさま」は「親様」と表記すべきだと勝手に思っております。

     

  14. 匿名

    画面に向かってひとりで
    うんうん、なるほど、やっぱり、 すご~い、そうそう
    拍手したり
    泣いたり笑ったり
    文明の利器にも感謝

    反論出来る人
    いてもおかしくないのにと( ^ω^)います
    あ、宴たけなわでしたか

    なんだか
    心の風通しがよくなりました
    明るい未来をありがとう

  15. 匿名

    >反論出来る人
     いてもおかしくないのにと( ^ω^)います

    反論する人は一人もいません。反論するとボロが出ちゃいますから。
    黙ってひたすら貝のように口を閉ざして無視を決め込んでます(笑)

    かつて八島英雄氏が「おやさまに背いた人が権力を握り、おやさまの教理に回心していない人の子孫が
    ずっと本部の中枢にいる」という主旨の発言をしたことがありましたが、それに対しての反論を聞いたこと
    がありません。背いたのはもちろん秀司派=神道派の立派なお方のことです。姻戚関係でガチガチに固めて
    退場なんてするはずがありません。

    140年祭までには多くの信者がこのことに気付くことでしょう。
    教会本部はけっして安泰ではありません。

  16. 匿名

    みちのだい180号 
    読み返していたら
    はからずも涙腺崩壊してしまった(:_;)
    教会長夫人さん方のにおいがけ、おたすけ談。
    ヤバイわ~
    何もしていない人もいるけど
    こんなに頑張っている人もいるんだと
    天理教
    やっぱり女性の方が元気だわ(*^^*)
    何時間でも喋れるしね~

  17. 匿名

    そして
    自らは動かない会長は
    他人のおたすけ話を引用して話におまけをつけて
    おばちゃんやおばあちゃんをお道から
    離れさせないように導くという・・・構図です
    おばちゃん達は教会で信者同士お喋りに花さかせています
    会長の話は聞き流して喋りながらひのきしんしてます
    お供えは少々高い女子会費用
    明日行く?とか相談してます
    ほんま

  18. 匿名

    > 教会長夫人さん方のにおいがけ、おたすけ談。
    > ヤバイわ~
    > 何もしていない人もいるけど
    > こんなに頑張っている人もいるんだと

    みちのだい180号も読んでいませんし、コメントを読んで感じただけですので、
    単に穿った見方なのかもしれませんが、
    お供え等の名目だとしても人様からお金を頂いて教会を成り立たせているというような事情がある以上、
    無条件でボランティアや人助けをしているような人々とはどうしても同じ見方にはならないのが一般的なのでは。
    ビジネスの世界では、お金を払ってくれる顧客に対して、満足して頂けるサービスを提供します。
    サービスは元手は掛かりませんが、お金を払って下さるお客様を繋ぎとめる重要な手段であり、
    お金を払って下さる方や、お客さんになってくれそうな可能性のある方に行われます。
    例え笑顔ひとつ、お客さんの愚痴を聞くことひとつでも、サービスの要素のない会社はお客も離れ、
    会社は衰退していくでしょう。
    においがけ、おたすけも、自立した個人個人がそれぞれの意思で、お金の絡まない無条件な
    あるいは犠牲的な立場で行っているのであれば心温まるお話しとして聞けるのでしょうが、
    そこに「お供え」やひのきしんなど、様々な条件が背後に隠れている場合は、
    純粋に感動出来ないものを感じてしまうのです。
    やはり教団の「お供え」等、必ずお金が掛かる習慣が、素晴らしい話でも宗教ビジネス的に
    見せてしまうのかもしれませんね。事実はケースバイケースなのかもしれませんが。

  19. 匿名

     熱心な会長(夫人)もおられるでしょうが、背後には、上級、大教会、本部などが、控えてますもんね。熱心な会長(夫人)たちは、上から見たら鵜飼の、魚を捕まえるのが上手い鵜のようなもの、と思うのは意地の悪い見方過ぎるでしょうか?
     一切、お金を取らない、おにおいがけ、おたすけでも、その会長(夫人)が、熱心にされるのだったら、ほんとに純粋に、たすけ一条の方だと思いますけども。

  20. 匿名

    みちのともに関して
    そうですね
    助けられた方にしてみれば
    まさか
    自分の事情や身上を何万という人に知らしめられて
    どうかと思います

  21. 古い教会長

    >助けられた方にしてみれば
    まさか
    自分の事情や身上を何万という人に知らしめられて
    どうかと思います

    ですね。初席者のご守護。修養科生のご守護とか言いますけれど、天理教サイドから見た言葉です。

    初席者・修養科生が出来るということは、実はこれはご守護ではなくて、これから、今から、たすけが始まるスタート地点なんです。
    人助けという、大変な事が始まる覚悟をする地点なんです。その時点でご守護といっているのは、それがゴールだと思っているからに他なりません。
    それがゴールと思っている人は、「にほいがけ」と称して天理教の嫌な匂いをまき散らしているに他なりません。

  22. 匿名

    一主婦です
    教祖さまの雛形は私の日日の中で生きています
    たとえば教祖さまが大根一本買うにしても品質の悪いものから
    お取りになられたとのことですが、私には絶対できないことです
    しかし自分の息子が八百屋を営んでいたら品質の悪いものから
    買ってあげると思います このこと一つとっても
    教祖さまは人間の母親の魂のお方だと一人納得しております
    少しでも教祖さまの教えを実感しながら陽気ぐらしをしていきたいと
    思います。

  23. 古い教会長

    一主婦さま、

    お道の方みんなが、そんな信仰ができればいいですね。

  24. 匿名

    「心と脳の白熱教室」

    「脳は主語を認識できない」

    人たすけたら我が身たすかる

    それ以上それ以下もありません

  25. 匿名

    ここに書かれている所属されている教会は大変そうですが、
    私は3代目の信仰です。
    ここに書かれている事実は聞いた事がありません。
    私はすばらしい会長さんに恵まれ、
    仕事も家族も子供も上手く行ってます。
    天理教に酷い人がいる=天理教は酷い。
    なんか単純ですね。

    そらいろんな人がいるわ。

    医者だって癌にもなる、
    教師だって犯罪を犯す。

    一つを取り上げ、そこをすべてだと言っているのがおかしすぎる。

    本当におかしいなら、とっくに絶滅してます。

    こんなアンチページで何が言いたいのか?
    2ちゃんとかわらない。

  26. 匿名

     匿名様
    すばらしい教会長さんに恵まれ、上手く行っておられるそうで、良かったですね。
    でも、あなたも一つを取り上げ、そこをすべてと言ってるのではないですか?
    >本当におかしいなら、とっくに絶滅してます。
       教勢が衰退しつつあるのは、おかしいからではないでしょうか?すばらしければ、発展してる筈でしょうから。

  27. そよちゃん

    末端教会で生まれ育ちましたが、両親が亡くなり、
    兄が教会を継ぎ、私は実家を出て独立しました。
    休日に月次祭があたれば行っています。
    お供えも、行かない月の分も持って行っています。

    昨年秋頃から、芹沢氏の著書「教祖伝」や「死の扉の前で」を貪り読み、現在は「人間の運命」の途中ですが、芹沢氏の少年期に比べたら勿論、自分は恵まれているのかも知れません。ですが、当時の辛かった記憶が蘇って読むのを中断し、何度も泣きました。

    私は何の信仰をしていたのだろう?
    おふでさきもみかぐらうたも、人によって色んな解釈があり、
    本当の教理って何だろう?
    いまだに分かりません。
    両親もきっと、私と同じように、深谷・諸井・柏木教理を天理教だと思い込んで子供に強いていたんだろうと思います。

    今年から、天理教は卒業しよう、上級の当番も、ひのきしんも、はっきり断ろう!
    おかき下げなんか捨ててやろう!
    そう思い立ちますが、
    天理教用語で責められたら反論できないな、唯一の親族の縁をも切ることにもなるのかなと、罪悪感もわき、諦観したり、楽観したりの毎日です。

    これが、小さい頃から受けた洗脳ですね。

  28. 2016年1月30日 11:52 PM の匿名さんへ

    匿名さん、あなたこそ何が言いたい?
    「一つを取り上げ、そこをすべてだ」 などという姿勢でカインさんは書いていない。

    「天理教を信仰している私個人はうまくいっているのだから天理教は素晴らしい。」
    匿名さん、あなたのこの思考こそ視野狭窄で幼稚で単純でおかしすぎる。

    アンチページと切り捨てる前に、カインさんの記事を熟読し、
    異議があるならそれに裏付けのあるデータで一つ一つ反論をすればよい。

    あなたの感情的短絡的な書き込みの方が「2ちゃんとかわらない」。
    いや2ちゃん以下です。

  29. 徳子

    一族との縁を切ってでも、天理教と離れて良かったです。
    本当に天理教はややこしい!

  30. 2016年1月30日 11:52PMの匿名さんへ

    あなたの家庭や教会が結構なことで良かったと思います。私の家庭も大変上手く行っています。
    神様 おや様に感謝しています。
     しかし、ここに書かれている事柄は、天理教全体の矛盾に満ちた現実の姿なのです。

    「本当におかしいなら、とっくに絶滅しています。」

    安心してください。確実に絶滅にむっかています。
    ただ天理教の組織や建築物が(各地の大教会も含めて)あまりにも巨大に成り過ぎたため
    沈没しはじめていることに気がついていないのです。
    巨大なだけに沈没するのに時間がかかる。ただそれだけの事です。
    私が思うに、現真柱さんがその地位を五代目さんに譲られた後は
    潮がひくように人々が去っていくのではないかと思っています。
    あなたも もう少し冷静になって天理教全体の現実の姿を認識した方がよろしいかと思います。

  31. 匿名

     >神では無く、(福沢諭吉さんが印刷された)紙が目標(めどう)
    さっちんさん いつもお上手ですね 
    さっちんさんのお母様から見れば大変親孝行の娘さんで
    きっとお喜びされているのではないでしょうか
    こちらからですみません
    そちらはハードル高くていけそうにないものですから。

    70,80、90の親世代が頑張って今のような立派な神殿ややかたが出来たのでしょうか
    大教会、分教会も然り
    親や祖先にしっかり手をあわせます

    日々生かされている身に感謝して
    感謝しても

    お供えは考え中

    昔買いあさったおやさまや天理教関係の本を読み返しています

    なんだかどんどん   天 理  に向かっている
    おやさまが
    引き戻そうとしておられるのかしら

  32. 古い教会長

    >匿名
    2016年1月30日 11:52 PM  様。
    >一つを取り上げ、そこをすべてだと言っているのがおかしすぎる。

    おかしいのは一つではなくて、天理教の成り立ちから根本的におかしいのですよ。
    あなたが幸せだから、おかしくても構わないという方がおかしいです。

  33. 匿名

    ご招宴に行ってきました。居並ぶ会長さん達を見回しましたが、喜びに満ちた溢れたと言うような表情の人は少ない印象を受けました。真柱、奥さんが各列をねぎらいの言葉をかけて回って来ましたが、「130年祭にむけて当家中山教の安泰のためのご支援、ありがとうございました」にしか受け取れませんでした。無駄に大金使ってこんな弁当食べに来たのかと空しかった。ばかばかしくて顔も見たくなかったです。欠席したかったが、上の教会からの半強制的な空気が流れていてやむを得ず出席しました。どなたかが指摘しておられたように、大すけさんの代になったら潮が引くように勢いが無くなるのはこれは間違いないですね。立派な建物にまぎれているので衰退に向かう静かな崩壊音が聞こえないだけ。
    ご招宴の時、天理図書館のそばに、二代真柱の学生時代の住宅が移築されているのを知り合いの会長さんが教えてくれ、初めて見ました。その昔にこんな豪奢な建物を若造に建てて与えた教団に改めて怒りがこみ上げました。この贅沢、全部、全部、信者からのお供えからではないか。教祖ひながた、貧に落ちきれという教理の元、なぜこんな金にあかせた贅を尽くした館が若造のために建てられ、中山家一族はそれに甘んじたのか?この中山教の10年先は確実に虫の息で、蒔いたる種はみなはえる、蒔いた種が実ったのだからしっかり刈り取っていただきたい。

  34. 古い教会長

    匿名さま。
    二代真柱の時代には、言葉にするのもはばかれることが、当たり前のようにあったようです。
    さすがに、秀司さんの生まれ変わりと言われていますが、色情因縁のかたまりだったのでしょうか。
    その当時は英雄だったかもしれませんが、今なら犯罪です。

  35. 匿名

    2016年1月31日 4:55 PM  の匿名様
     親孝行なんて言って頂いて有難うございます。思わず涙致しました。自分では相当に親不孝な娘だと思っているのですが、(教会のことで、不平タラタラ言って、母と口喧嘩したりもしますし、)そんな調子なんですが、でも非常に有り難い言葉、慰められます。福沢諭吉さん云々は、他に先に書いてる方いましたよ。私も上手い!と感心したので、使わせて頂きました。
     匿名様も、<お供え>について、にもどうぞ、いらして下さい。私も、社会学さんの方にも、時々書いてます。

  36. さっちん

       ↑ 名前書き忘れてました。いつもこちらに書くときは匿名でかいてましたので。

  37. 匿名

    真柱さんの飲み会は何のためにやってるのでしょうか?
    本当に頑張ったのは信者達なのではないでしょうか。
    招待された会長達はお礼?お供えを持っていくのでしょうか。

  38. とり

    議論がかみ合わない事がある理由は、教理についての正しさの検証と教団組織並びに運営についての正しさの検証が混同されているからではないでしょうか。

    教理に関して正しさを見出されているかたは教団自体に対しては疑問を抱きにくく、教団に対して疑問を抱いている方は教理にも疑問を抱きやすい。

    どちらが良い悪いとは言えませんが、ブログ主はこの辺りの位相の違いについて極めてフェアな立場で論じていると感じます。(主張に賛同できるか否かは別の問題として)

    例えば絶滅危惧種の動物を保護する自体は概ね良い事と認められるでしょうけど、それに関わる利権については言うまでも無く醜悪な事情を抱えています。愛護団体を潰す事は正義かも知れませんが絶滅危惧種の動物を絶滅するが
    ままにする事は正義とは言えないと思います。

    注意深くコメントを読むと、意外にも教祖の教理について異を唱えている方は多くない。少なくとも最初に教理に疑問を抱き、それが理由で教団に疑問を抱くという思考の順序の方は殆どいないと言えます。

    教理に正しさを見出しており、所属団体にも恵まれている方が教団に疑問を抱いて教理にも疑問を抱いてしまっている方に掛けられる言葉は残念ながら非常に少ない。

  39. 匿名

     カインさんのブログで、論じられている事は、歪曲された教理、又それらによって、組織をコントロールする事への疑問です。コメント欄のほとんどの方は、カイン様のご意見に賛同されている、と思います。
    とり様は >教理に関して正しさを見出されているかたは教団自体に対しては疑問を抱きにくく、教団に対して疑問を抱いている方は教理にも疑問を抱きやすい。 と言われてますが、
     教団への疑問を抱いているからと言って、教祖の正しい教理に疑問を抱いておられる方は、こちらのコメント欄には殆どおられない、と思います。その辺を混同されているのは、とり様の方と思います。 
      >教理に正しさを見出しており、所属団体にも恵まれている方が教団に疑問を抱いて教理にも疑問を抱いてしまっている方に掛けられる言葉は残念ながら非常に少ない。
     別に教理には疑問を抱いておりませんよ。勝手に断定なさらないで下さい。

  40. 匿名

    しかし、馬鹿げたプログですね。
    天理教研究所とやらは誰がどのような資料を元にやっているのか不明。
    学識ぶった形で出されています。天理教に不満のある方と、ない方がこの世にはおられます。
    その差は何でしょう。
    天理教の足を引っ張りたいのでしょうが、
    このような言葉尻だけを捕まえて、印象を悪く書かれている主様、
    もういいじゃないのでしょうか?意味がありません。

  41. 2016年2月1日 6:21 PM の匿名さんへ

    2016年2月1日 6:21 PM の匿名さん、よく読んでから書き込みなさい。
    カインさんは掲載する資料の出典は明記しています。よく読みなさい。
    印象を悪く書かれている」というのなら、あなたもその記事に対してきちんとした「確証のある資料」や「原典」をもとに反論をすればいいだけじゃないですか?
    都合の悪い事実は黙っていろということですか? 
    他人のブログをたいして読みもせずにいきなり「馬鹿げた」などと愚弄するあなたの「ただの悪口」の書き込みのほうが馬鹿げていて意味がありません。

  42. 古い教会長

    2016年2月1日 6:21 PM の匿名さんへ
    >もういいじゃないのでしょうか?意味がありません。
    どうも、こたえているようですね。

  43. お道大好き人間

    私はお道が大好きでしたが、常々教団の行いに疑問を持っておりました。
    おさしづでは政治には加担してはならないというような言葉がありますが、今の天理教は政治家を育てようとしていますし、他にも教えからすればおかしいようなところは多々あります。それは皆さんも感じておられることと思います。
    私はこれまでおやさまの教えを伝えようと、にをいがけに勇んできまたが、ここの記事やコメントを読んで(私の体験談も含めて)、それは無知故であったと痛感致しております。

    私が今までしてきたにをいがけは、結果、宗教法人天理教(元から腐敗している)の信者を増やし、それに伴い本部員の私腹を肥やすお供えを増やしてしまっていると気づかせて頂きました。

    今まで神名流しや路傍講演、個別訪問などで嫌な思いをさせてしまった皆さん、誠に申し訳ありませんでした。

    今回この記事に出会わなければ、お供えによっておやさまが望まれなかった教団の延命という不徳を積み続けてしまっていたことでしょう。

    おやさまのお言葉に「百万のもの持ってくるよりも一厘の心受け取る」
    とあります。
    正にその通りだと思います。

    おやさまが教団設立を反対されたのもそれに伴う権力や金によって人間が狂ってしまうのを知っていたからでしょう。
    今日、教団が衰退しているというのは正に道理でしょう。

    おやさまは男尊女卑の厳しい時代に真っ向から人間はみな平等であることを説かれました。
    そして天皇が神とされた時代に官憲にたいしても、天皇も人も同じ魂であると説きました。

    私も教団の実情を知った以上、この事実を一人でも多くの人に広め、おやさまが望まれていない教団に対してお供えをしないことでNOを表明していきます。

  44. 匿名

    とり様

    「議論がかみ合わない事がある理由」については、「教理についての正しさの検証と
    教団組織並びに運営についての正しさの検証が混同されているから」というよりも、

    このブログでも紹介された『天理教の「御供え」について』という掲示板の、
    投稿日:2016年 1月30日(土)18時27分22秒に、正直しんどいさんという方が、
    とてもわかりやすい言葉で的確なことを書かれておりましたので、転載させて頂きます。

    以下転載———————————

    「大教会長がネットはめちゃくちゃ書きよるな~って呟いてたのを思い出しました。
    上層部も沢山の方が見てるでしょう。じゃあなぜ反論しないのかと言いますと

    それは権力が使えないからに他ならないからだと思います。

    教会や天理教の中でしか使えない権力に言葉を乗せることで成り立ってますので
    ネットという上も下もない平等な環境は部が悪いということをわかっていると思います。
    この場で受け取る側の人間が、あなた達もっとお供えしなさい なんて言っても
    誰も聞きませんよ。その言葉は権力に乗せないと無意味に近いとわかってるんですよ。

    以下転載終了——————————

    「検証が混同されている」など、もっともらしい理由で、相手のせいにしてしまうのは
    簡単ですが、これこそ的を突いた本質ではないでしょうか。

    (正直しんどい様、勝手な引用をお許し下さい m(_ _)m )

  45. 古い教会長

    匿名様、
    正にその通りですね。教会で話している祭典講話を、ネットで世の人々に語りかけて下さい。
    130年祭のお供えの話など、納得する人はないでしょう。
    本部員たるもの、お道の囲いの中で語るより、世界に向かって世直しと世界平和を説いて下さい。
    世界の一流の人たちが意見を求めて来るくらいの自信と気概を持って外へ働きかけて下さい。
    包み隠さず、教祖時代の資料を出して下さい。
    批判とクレームを喜んで聞いて下さい。

  46. mami

    匿名様、古い会長様 私が思っていることを言ってくださってると「そうそう」とつぶやきながら読ませていただいています。
    二代真柱が中心になって編纂された教理は教祖時代の教理を復元されているのだろうかなどという気持ちが生じてしまい、、、、、、。

    カイン様はきっと130年祭前後に記事を出されるだろうと期待しておりました。(他力本願ですみません)
    「天理教の問題は、一部の人間の問題か、組織の問題化」のテーマを見た時、「出た―」究極のテーマです。
    胸がどっきんいたしました。様々な問題はこのことに尽きると思います。
    私はもちろん組織の問題だと思ってます。
    また「「苦しんでいる人をたすけてあげたい」それだけである。」この言葉に胸が熱くなりました。

    100年祭と違い自殺される方もなくほっとしてます。今でも「天理教よ甦れ!」で知った鮎が瀬分教会長のことがふっと
    浮かんでくることがあります。
    30年たってインターネットが普及しカイン様はじめ「お供え」などに自由に思いをコメント出来ることは大きい力になっていると思います。

    古い会長様 教えていただきたいことがあります。
    昨年入院した友人に中山みき(読みやすい)を読みたいと言われました。感想は「身分社会のなかで女も男も平等とか家を解体したりすごい女性だね」と。「だけどどうして男の子をわざわざ養子に貰ったのかわからんわ。」と。
    虚を突かれた思いでした。神の家族をつくるためと何となく思っていたものですから。
    中山家の戸主でもあり、魂のいんねんから初代真柱でもあるのですよね。
    みきは家制度を否定したわけではないのでしょうか。何かわからくなりました。

  47. mami

    追記 古い教会長さまでした。「教」抜けました。ごめんなさい。

  48. 匿名

    2014.11.26 自立人生様より お供えのついてより 引用させていただきます

    <やかた普請はカネ集め>:
    6月に出直された三代真柱が52歳であった30年前「四方正面」の
    立派な神殿建築は完成し、現在おやさとやかたも26棟出来た。
    おぢばには天理教教団始まって以来最大の教団建築が林立してい
    る。

    その一方、信者の数は教祖80年祭をピークにこの50年間、年々
    減少を続け戦後最低の水準となり、今も減少が続いている。
    布教や「心のふしん」は後まわしで、やかた普請とカネ集めに精力
    の大部分を注いだ結果の衰退50年である。
    形の普請を行えば、心の普請、布教もそれについて来ると考えた歴
    代真柱を筆頭とする教団本部の甘い思惑は見事に外れた。

    巨大な建築には莫大なカネがかかる。
    そのカネは全て信者のお供えである。
    教会本部が次々に「形の普請」を行うので、大教会や有力分教会も
    それにならい立派な「形の普請」を次々に行った。
    その結果、末端教会や一般信者は中山ミキの教えには無い、あま
    りのカネ集めに教団組織への不信をつのらせ、多くの信者が離れ
    て行った。
    それが50年にわたる天理教衰退の歴史である。

    とにかく天理教はカネがかかりすぎる。
    昭和20年終戦の当時、天理教は公称220万人の信者を抱える日
    本最大の新興宗教教団であった。
    昭和41年(1966年)教祖80年祭参拝者200万人。
    数字だけ見ると戦後天理教は教祖80年祭まで教勢が伸びて発展
    している様に見えるが、実際には終戦直後から一貫して教勢の衰
    退は始まっており、終戦時壊滅状態であった創価学会に信者数に
    おいて、昭和41年教祖80年祭の時点で完全に追い抜かれてしま
    ったのが実態である。

    <天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
    創価学会:
    昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21
    人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
    昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
    昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、
    組織壊滅。
    昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態から出発。

    創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱
    が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
    折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、
    実際、彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。

    その反対に、天理教は巨大な教団建築を立てるため信者から多額
    のお供え金を集める方針を取った。

    戦後、敗戦国家の再建にむけて日本中から大都会、大工業地帯へ
    人口の大移動が始まった。
    戦前、国策に迎合し中山ミキの教理をねじ曲げた天理教は国家の
    弾圧を受けることなく組織と信者はそのまま残った。
    戦後、高度経済成長前の日本はまだまだ貧しく、地方から大都会へ
    出て来た膨大な数の貧困層は、本来天理教が取り込むべき人々で
    あった。

    この戦後の日本で起こった地方から大都会、大工業地帯への人口
    の大移動は、膨大な数の人々を信者として獲得できる大きなチャン
    スであったが、おやさとやかた普請とカネ集めに精力を集中してい
    た天理教はこのチャンスを生かす事が出来なかった。

    また信者は移住した先の近くの教会に所属するのが自然で有るが
    戦前からの教会系統が邪魔をし、時代の変化に適応できず、組織
    制度の改革は全く行われず大きなチャンスを逃した。

    天理教は貴族生活の中で育った二代真柱の誇大妄想的発想で、
    あたかも、おやさとやかたや建物が出来上がることが本部の正しさ
    教理の正しさを証明するかの如く、誤った方針を取り、おやさとやか
    た建設に人モノカネの大部分を傾注し、巨大建築普請は実現した
    が、布教と人材の養成を行うための時代の変化に適応した組織制
    度の改革は殆ど行わず、旧態依然、時代遅れの組織制度をそのま
    ま残した。

    その結果、建物が次々に出来上がるにつれ信者は減り出し、戦後
    ゼロから出発した創価学会に15年の短期間でいとも簡単に追い抜
    かれてしまい、70年にわたる衰退のウズの中に落ち込んでしまっ
    た。

    二代真柱の戦後の20年間は教理や教えの優劣は別にして、創価
    学会のやり方が成功し、天理教は失敗したのである。

    組織制度は、教理のように絶対変えてはならないものではなく、時
    代の変化に対応できなくなれば変革すべきものである。

    戦前の天皇現人神の時代から、戦後天皇の人間宣言、民主主義
    の時代へと天地が逆転するほどの変化が起こったにもかかわらず
    天理教の組織制度だけが戦前のままで変化しないとは、一体どう
    いう事か。

    戦前の昭和15年、大教会(82個所)、分教会(232個所)のほかに
    支教会(1、120個所)、宣教所(10、617個所)があった。
    大東亜戦争の直前、昭和15年4月宗教団体法が施行され、国の
    宗教統制策により支教会と宣教所、計11、737個所全てを「分教
    会」の名称に改めないと「宗教団体」とは認められない国内の法律
    制度となった。
    そのため、天理教はそれまで「分教会」としての資格のなかった支
    教会と宣教所、計11、737個所を一挙に「分教会」へ名称変更した
    のである。
    その結果、それまで全教で232個所しかなかった「分教会」が昭和
    16年一挙に「1万1千969個所」へと増えたのである。

    戦後、復元の際、このかさ上げされた分教会11、737個所は、もと
    の支教会と宣教所に戻すべきであったが、二代真柱は誤った組織
    制度を復元することなく出直し、今日まで誤りは続き、「分教会」の
    資格のなかった末端分教会は今まさに大崩壊の過程にある。
    潰れて空き家になる前に「教会名称」を本部に返上するのが正しい
    道である。

    巨大普請とカネ集めの失敗と、組織制度改革を行わなかった失敗
    を、歴代真柱を始めとする天理教本部は一切認めず認識もせず方
    向の転換も心の切り替えも全く行わずに今日まで来ている。

    失敗を重ねて来たにもかかわらず教団としての組織制度改革や方
    向の転換は今後も行われる可能性は全くない。

    一つを変える事は、全てを変える道へとつながる。
    大きな変化が起これば上層部ほど失ものが大きいので、変革が必
    要であることは認識していながら、自己保身を考えると恐ろしくて何
    一つ変える事が出来ないのであろう。
    変革を行う意思が無い以上変化は起こりえず、変化が無ければ時
    代遅れのまま衰退は止まらず、とことん行きつくところまで行く。

    具体的には真柱、本部員、大教会長とその家族が明日食べるコメ
    が無くなるところまでいかざるを得ない。

    戦後、昭和52年頃まで会費や献金を取らなかった創価学会の収入
    源は出版物(聖教新聞、書籍)であった。
    「財務」と称するカネ集め力を入れ始めるのは信者が1、000万人
    を超え教団が巨大化した昭和52年以降のことである。
    <創価学会教勢>:
    昭和20年8月終戦時、信者離散、組織壊滅、戸田城聖ゼロから開
    始。
    昭和24年(1949年)300世帯(500人)。
    昭和26年(1951年)5、700世帯(9、500人)。
    昭和27年(1952年)2万2千世帯(3万7千人)。
    昭和29年(1954年)16万4千世帯(27万人)。
    昭和30年(1955年)30万世帯(50万人)。
    昭和32年(1957年)75万世帯(125万人)。
    昭和33年(1958年)130万世帯(216万人)。
    昭和35年(1960年)172万世帯(286万人)。
    昭和37年(1962年)300万世帯(500万人)。
    昭和41年(1966年)公称600万世帯(1、000万人)。
    昭和44年(1969年)公称700万世帯(1、160万人)。
    <創価学会巨大化、組織とカネ、衰退開始>:
    創価学会は昭和52年(1977年)以降「財務」(献金)に力を入れ始
    め、巨大な建築物を建てることに熱中し始めると信者数が減り出し
    カネ以外にも社会的事件を度々起こし、天理教と同じ衰退の道をた
    どり始める。
    平成元年(1989年)実動300万世帯(500万人)。
    平成20年(2008年)実動150万世帯(250万人)。

    天理教、巨大建築普請、信者が減る衰退データー:
    <おさづけの理拝戴人数(年間)>:
    昭和25年(1950年)天理ブール竣工。
    昭和30年(1955年)おやさとやかた別席場竣工。
    昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)
    37、681人。
    昭和41年(1966年)4月、いこいの家病院竣工。
    昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
    昭和59年(1984年)10月東西礼拝場普請竣工、ぢばを囲む「四
    方正面」完成(30年前、三代真柱52歳)。
    この年、昭和59年(1984年)26、237人。
    昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
    平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
    平成10年(1998年)四代真柱就任の年、約10、600人。
    平成18年(2006年)120年祭の年、9、991人。
    昨年平成25年(2013年)年祭活動1年目、5、541人。
    48年間で年間おさずけの理拝戴人数は32、140人減少(85.
    3%減少)。
    巨大なやかたの建設を行い、カネ集めに熱心になればなるほど信
    者が減る。

    <教会系統は利権>:
    50年前の東京オリンピック開催の頃、高度経済成長は地方から大
    都会、大工業地帯への更なる人口の大移動を促し、天理教の信者
    が所属教会の近くからいなくなってしまった。
    教会系統のため一般信者にとっては、信仰初代が入信時に所属し
    た教会に50年後、100年後の子孫も所属しなければならず、新幹
    線や飛行機に乗らないと所属教会の月次祭にも参拝できないという
    全くおかしな制度である。
    教会長も遠くに離れた信者の丹精が出来ず、いつしか途切れてしま
    い、教会と信者が共倒れになる誤った制度である。
    おまけに戦後40年間、布教活動に大きな支障がでる普請とカネ集
    めに全力を挙げ、また天理教を職業にする人たち(真柱、本部員、
    大教会、分教会)が生活するためのカネをお供えとして信者から集
    めた。

    戦後の混乱期から高度経済成長への期間、日本全国で信仰を求
    める人の数は最高潮に達していたが、やかた建築のため莫大なカ
    ネを必要とした天理教はそれら信仰を求める人々、特に地方から大
    都会に移住した膨大な数の人々を新たな信者として獲得できず、他
    の新興宗教教団がそれらの人々を信者として次々に獲得し急激に
    発展していった。

    教会系統は教会の近くに住む信者には通用しても、遠方の大都会
    に移住した信者には通用せず、天理教は多くの既存の信者まで失
    った。
    教会系統に関係なく、住んでいる地域の近くの教会に所属変更可
    能な制度に改めるべきである。
    それが出来ないのは、お供え金を出す信者を教団や教会の所有物
    と考えるからで、利権である。

    <世襲制度は諸悪の根源>:
    天理教を職業とする組織の中で、真柱の息子が真柱、本部員の息
    子が本部員、大教会長の息子が大教会長、上級教会の息子が上
    級教会長、末端教会の息子はどこまで行っても末端教会長、生ま
    れたその日に50年後の本人の立場が決まっている教団組織では、
    末端に行けばいくほどやる気を持てないのは当然である。

    やる気とやる能力を持った人物の登用への道を閉ざし、やる気とや
    る能力が無くても親の後釜にすわる世襲制度は、諸悪の根源であ
    る。

    末端教会の後継者が教会及び教団組織を飛び出し、世間で一般の
    職業を持ち、世間の人々の中で働きながら中山ミキの教えを実践
    する道を選ぶのは全く正しい選択である。
    教団の上層部にあって、気位だけが高く、口先だけで、やる気もや
    る勇気も無く、不平不満を持ち本音と建て前を使い分けながら、自
    分の生活が第一で教団組織にとどまる人間は一般信者の敵であ
    る。

  49. 匿名

    創立100年を超える教会は部内教会を多く従えている事になります
    部内教会、50以上で大教会になれます 上をたて分教会のままのところもありますが。。
    どちらにせよ
    大教会長、または後継者になる皆様
    10年後、信者様いなくなるかもしれません 
    信者の子供は信者ではありませんよ

  50. 匿名

     下に50以上もの教会を従えてるのが大教会なのですね。大勢の部内教会長さんたちから、へへ~っと頭を下げられるのは、さぞかし気持ちよかろうと思います。将軍様か、大名のごとく。この既得権(金が集まってくること、大勢から頭を下げられること、大教会長様、とたてまつられること)、これらを手放すのは、なかなか難しかろうと、こちらにも容易に察せられます。
     しかし、末端の苦しみの上に成り立っていること、現に、たくさんの事情教会が出てきていることを、ご存じないならともかく、ご存じなら、下のことを思いやるのが、上の方の勤め。江戸時代にも、民百姓の為、幕府はいろいろ改革しましたが、大教会長様も、心あるなら、今のお供え(上納金制度)が、教祖の教えに鑑みられて、正しいものかどうか、又、ご自分の地位が、砂上の楼閣であること、いつ崩れるかわからないものであること、よく、お考え頂きたい、と思います。
     

  51. 古い教会長

    mami様。
    >古い会長様 教えていただきたいことがあります。
    昨年入院した友人に中山みき(読みやすい)を読みたいと言われました。感想は「身分社会のなかで女も男も平等とか家を解体したりすごい女性だね」と。「だけどどうして男の子をわざわざ養子に貰ったのかわからんわ。」と。
    虚を突かれた思いでした。神の家族をつくるためと何となく思っていたものですから。
    中山家の戸主でもあり、魂のいんねんから初代真柱でもあるのですよね。
    みきは家制度を否定したわけではないのでしょうか。何かわからくなりました。

    これは、研究者の方が詳しいとおもいますが、ねつ造の可能性もあります。
    【真之亮の誕生】

     斯くして教勢頓に伸びゆくうちに、いちの本の梶本家へ嫁いでいたみきの三女おはるが、後に初代真柱となる真之亮を身籠ることとなった。教理では、先に飯降伊蔵のお引き寄せを見たが、この度の真之亮の身籠りも又深い神意に基づいたものであったとされている。こうして慶応2年(1866年)の春を迎え、この年5.7日、梶本家三男として真之亮が誕生した。

     これより先、おはるが懐妊した時から、既にみきは、「今度おはるには、前川の父上の魂を神が宿し込んでおいたで。これを真之亮と名付けてぢばに連れて帰り、道の真柱とするのやで」と仰せになって、その誕生を待ち兼ねられていた、と云われている。案のごとく玉のような男の子が生まれたので、早速このことをお知らせすると、大層お喜びになり、「先に長男亀蔵として生まれさせたが、長男の為親の思いが掛って、貰い受ける事が出来なかったので、一旦迎えとり、今度は三男として同じ魂を生まれさせた」、「今なる真柱は、木に譬えて言えば細いものや。なれど外から肉を巻けばどんな偉いものになるや知れんで」と仰せになって、真之亮と命名された。これが後の初代真柱中山新治郎誕生のいきさつであるとされている。聞かせて頂くところによると、この年から12年前安政元年おはるが長男亀蔵を生んだ時、既に「この者は道の真柱となるいんねんの者であるから、やしきへ貰い受けたい」という様な意味のお言葉を仰せ下されていたが、おはるは充分にその理を悟れぬままに(我が家の相続人であるから差し上げることは出来ないという思いで)過ごしていた。ところが1860年(安政6年)亀蔵は6歳で出直した。その時、みきはその遺骸をお抱きになって、「これは庄屋敷の真柱真之亮やで」と仰せになったと言われている。斯くて7年の後、真之亮誕生に際して、これこそ先の亀蔵の生まれ替わりである事をお聞かせ頂いて、人々は今更のごとく「奇しきいんねんの理」に粛然としたのであった。みきのこの「お話し」が事実であるとすれば、みきが「輪廻転生」論を説いていた例証になる。私は、後の応法派による脚色説話ではないかと訝っているが、いずれにせよ定かではない。
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_37.htm

  52. 匿名

    >100年祭と違い自殺される方もなくほっとしてます
    そうですね
    でも本当のところはわかりません
    保身のためにはお金も惜しみなく出している事でしょう

  53. mami

    古い教会長さま 
    ご丁寧にありがとうございました。
    あくまで伝承なのですね。永岡崇「新宗教と総力戦」p69「真之亮の生い立ち」でも「、、、、、。この伝えによれば、みきは真之亮がはるの胎内にいたときから、すでに後の「しんばしら」=真柱として定めいたということのなる。こうした伝承を額面どおり受けとることが出来るかどうかは微妙だが、ここでは現在の天理教において、彼が生まれながらにして、教祖に正統性を付与された教団指導者として位置づけられていることだけを確認しておこう。、、、、」永岡氏は小沢浩『生き神の思想史ー日本の近代化と民衆宗教』岩波書店1988年 p64を参考にされたようです。
    古い教会長様が希望されているように教祖時代の眠っている資料、開放してほしいですね。無理でしょうが!友人の疑問に適切に返事が出来ず、考えているうちに組織の問題の芽が戸主と真柱が同一であったからなのではと思ってみたものですからお尋ねいたしました。ありがとうございました。

  54. 古い教会長

    飯降家も上田家も教祖派だったのですが、その後、秀司派に取り込まれて行ったのでは。
    裏は鍛冶屋、表は大工・・・今は裏も表も鍛冶屋(中山家)になっています。そこに無理があると思います。
    【本席と真柱の問答】
     みきの後継者として本席の地位に立つことになった伊蔵が為さねばならぬことは、お道における真柱・真之亮との地位の調整であり、道人も又このことを気懸かりしていた。そうした手前いつまでも無視することはできなかった。本席は、真之亮に対し厳しく宣言した。「大工としったは神一条。裏は鍛冶屋、表は大工で神一条」。神意はこうである。「以降、事務的な管理処理など奥向きのことは真柱(鍛冶屋)の仕事であっても、教えの代表者は私(大工)だ。私によって、神の声を聞け」との断固たる宣言を為した。大学にたとえるならば、「真柱は理事長、伊蔵は学長」という立場である。これが、一席に席と教えを取りつぎ、最後に席を定める本籍という立場であった。

     だが、親戚連合の中には、「大工上がりのあんな人をなぜ中心にせねばならぬのか。中山家の者こそがつまり真之亮が全部たばねるべきではないか」という声もあった。
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/omithisonogoden_2ithinensaico.htm

  55. 古い教会長

    行政の柱と信仰の柱とを、中山家の掌中におさめる。
    【ナライト押し込め事件考】

     「ナライト押し込め事件」につき、芹沢光治良著「死の扉の前で」(P75~76)は次のように記している。
     「教祖様が昇天してから、飯降伊蔵先生が本席として、約二十年間、神のおさしずを取次ぎましたね。その間、初代真柱様は行政の柱として、本席は信仰の柱として、天理教を支えたが、信者は言うまでもなく先生方も、神の取次ぎ者であり信仰の柱である本席に、自然に心を寄せがちでした。教祖の孫であり、相続者である初代真柱様夫妻は、そのことがご不満であったが、教祖の定められたことですから、どうにもできなかったのでしょう。

     本席が亡くなると、また神のおさしずに従って、上田ナライトさんが「おさづけおはこび」をなさることに決まっていました。「おさづけおはこび」は、また、信仰上の中心行事であるから、信者はナライト様を本席に代わった信仰の柱と仰いだのです。それはまた、初代真柱様夫妻は喜べなくて、若様こそ行政の柱と信仰の柱とを兼ねた強い真の真柱に育てようとしたのです。

     初代真柱様が大正三年に四十九歳の若さで亡くなられると、十歳の若様が管長になったが、ご母堂様は、後見人の山沢や松村という大先生方の力を借りて、少年真柱を絶対権力をもつ真柱に成長させようと懸命でした。その手始めに、大正七年にはナライト様が狂気だとして、御母堂様が自ら「おさづけおはこび」をなさるようにしました。これで、行政の柱と信仰の柱とを、中山家の掌中におさめて、現真柱様にゆだねたという、歴史があるのです。

     ・・・教祖傳で、教祖様を生まれながらの神としたのは、本席がお亡くなりになってから現在まで、お道の内外に、時々神がかりになって道を説く者が現れて、本部でも苦労した経験があるので、真柱様は、中山みきの場合は人間に神が降りたのではなくて、はじめから神だったとして、将来の安泰をはかっているのです。・・・
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/nakayamamiyuki/omithisonogoden/omithisonogoden_naraitozikenco.htm

  56. 宗教って

    キリスト教にしろ仏教にしろ、どの宗教も結局は金ですね。
    そういえば、バチカン市国は宗教国家であり、天理市は宗教都市でしたね。
    バチカンの聖職者は天理教で言う本部勤務ですかね?
    教団の構図も良く似たものだと思います。
    同じにおいを感じます。
    明治からカトリックが天理教に何らかのモーションをかけていて上同士で非公式な関係があってもおかしくないように思います。
    近年両者は対話もしておりますし、その内容がまとめられた天理教とキリスト教の対話という本も出ていますね。
    結局どの宗教も本部があってあちこちに教会があるのは同じですよね。
    ここでは天理教がピックアップされていますが、すべての宗教の実態が明かされるサイトが出来るといいですね。

  57. mami

    確かに組織的にはいろいろ問題はあることは聞いたことがありますが天理教団と大きい違いはカトリック神父は独身制ですから世襲制ではありませんね。シスターも独身制です。

  58. 匿名

     宗教というのは、天理教に限らず、全て応法なのではないか、と思います。人が未だ成人していないから、宗教に帰依しているが、(上手く言えませんが)、真実に、この世界の摂理、言い換えれば神様の思召しを悟れている人には、宗教は必要無いと思います。人々が神様の思召しを、理解できるようになった時、宗教というものは消えていく、そういう世界を、神は待ち望んでおられるのではないでしょうか。

  59. 匿名

    mamiさん
    天理教団と大きい違いはカトリック神父は独身制ですから世襲制ではありませんね。シスターも独身制です。←

    この言い方では独身制なら悪くないというように聞こえます。

    カトリックの不正です。
    以下Wikipedia引用

    宗教事業協会は度々マネーロンダリングなどの違法な取引にかかわったと指摘されており、近年も2009年11月と2010年9月の2度に渡り、宗教事業協会とエットーレ・ゴティテデスキ総裁がマネーロンダリングに関係したとの報告を受けたイタリアの司法当局が捜査を行い、捜査の過程で2300万ユーロの資産が押収されている[12]。

    2013年5月22日、独立機関の聖座財務情報監視局は、2012年の金融取引において6件のマネーロンダリングの疑いがあると発表した[13]。2013年6月28日には、現金4千万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしたとして、スカラーノ司祭がイタリア警察に逮捕された。2013年7月1日には、幹部2人が辞任に追い込まれた[14]。

    引用終わり

    私の友人でメキシコに住むカトリック信者は
    カトリックは嘘ばかりつくから嫌になってやめたと言っていました。

    要は金によって人間が狂ってしまう訳です。
    信仰するのは自由ですが、
    お供え、献金、新聞、一口いくら、植福などは信仰でも神が喜ぶことでもありません。
    悪の片棒を担いでいることに気づいてください。
    お金の集まってくるところには悪は付き物です。
    始めは志を持っていた人でも狂わせてしまうのです。
    お金を出した皆さんの行為が上の人達を狂わせていることに気づいてください。
    また、悪をさらに助長していることに気づいてください。
    すべての宗教信者へ

  60. 匿名

    2016年2月2日 11:13 PM の 匿名様

    「宗教」は、本当に『神様の思召し(本当の)』を伝えているのでしょうか?

    人間に必要なものとして、神様が「宗教」を作られたのでしょうか?

    神様の思召しを理解してない人は。本当に「宗教」に入信することが
    いいことであり、必要なことなのでしょうか?

  61. 匿名

    2月3日 11:17 AM  の匿名様
     キリスト教や、S学会とか、もちろん今の天理教などは、もちろん、神様では無いでしょう。金儲け、人を支配しようとする人間が作ったものでしょうね。
     宗教というものは、本来は、教祖の教えを人々に伝えるものでありますから、2日 11:13 PM のように書きました。
    宗教という概念を述べたもので、本当に神様の思召しを伝えているかどうか、までは、度外視して書きました。
    >神様の思召しを理解してない人は、本当に「宗教」に入信することがいいことであり、必要なことなのでしょうか?<ということですが、私は入信することがいいことであり、必要なこととは一切書いてません。今は、人々は、そこまでの悟りができないので、宗教に入りたい人は、入って学んだらいいが、本来は必要無いのでは?というスタンスです。

  62. mami

    2月3日11:10PM の匿名様
    誤解を与えたようでごめんなさい。
    そうではなくて 天理教の末端教会に育ったものとして、神父にしてもシスターにしてもあくまでも本人の意思による(なるまで大変のようですですが)ことを言いたかったのです。
    神父はミサをあげることが出来るがシスターはあげられない男女不平等身分差があります。
    独身制ゆえか神父の性的虐待が問題になったりしてます。南米などの解放の神学などもカトリック本山が許さないとか
    イエス・キリストの信仰から考えるとおかしいと思ったものです。
    カトリック信者やプロテスタント信者の友人がいますがお供えの愚痴は聞きませんが牧師が安保法制など平和問題など話すと止められたと言ってました。信者の自己主張を嫌がるという雰囲気があるようです。その牧師に会うのが苦痛と言うから「行かなくてもいいじゃない」などと私たちがは言ってもダメだったのですが一緒に研究会にいたカトリック神父が「嫌なら行かなくていいでないの。神はどこにもおられるのだから」と。彼女は「自宅で祈るは。」なるほど信仰者にとって神父とか牧師は権威あるものとちょっと白けました!天理教にも言えることですね。だからこそ教団上層の責任重大なのにと思うと許せませんね。

    まるきり素直でない私ですが過って一度だけ素直に信仰者のお話を聴くことが出来たことがあります。カトリック・シスターのマザー・テレサさんが確か3度目の来日された時、カトリックの友人誘われてお話を聴く機会がありました。小柄な老婆で木綿のサリーを纏い素足に草履をペタペタと。お話、始まると小柄な方がだんだんと大きくなりオーラ―が。
     内容は忘れましたが「痛み」と言う言葉が残ってます。施しには「愛」がない。毎日食べている大好きなケーキを我慢(=痛み)して苦しんでいる方に差し出すことが「愛」と。たしか母親の質問に答えたように記憶してます。
    だいそれたことでなくていい。余ったもの要らないものでなくということでしょうね。
    今はわかりませんがこの会はシスター請願者多数と言われてました。(たの神父やシスター請願者減少状況で)
    中山みきとマザー・テレサを重ねたものです。

  63. 匿名です

    天理教の学校に通う子供達を救うために是非一人でも多くの方に知って頂きたいことがあります。
    天小に通っている子供の親御さんから聞いた話なので間違いありませんが、
    現在天理小学校、天理中学校は奈良県で一番
    いじめ、不登校が多いようです。しかし教団はそれを隠ぺいしているとの事でした。
    天理教団が隠ぺい体質であることは間違いありませんね。

  64. 古い教会長

    >天理教団が隠ぺい体質であることは間違いありませんね。
    そうですね。
    陽気の記事や時報の記事など、勝手に書き換えられていると聞きました。

  65. 匿名

    古い教会長 様
    「陽気の記事や時報の記事など、勝手に書き換えられていると聞きました。」
      何ですと!? それは又、あんまりですね。陽気の記事を読んで、ボロボロ泣いたことも数知れず・・・。
    感動し、記事に書かれてる方に比べ、自分は何と情けない、と反省したり、落ち込んだりもしたものです。そこまでして、信者をコントロール、洗脳したいのか、そんなことしていいと思ってるのか、許せません。

  66. 古い教会長

    本部に都合の悪いことは、全てカットされます。大学の先生方も公けに執筆するものには全てチェックが入るそうです。凄い権限を持った部署があるそうです。
    本当の教理を掘り下げ、語り合えるのはネットだけです。

  67. 匿名

    書き換えがあるのなら、伝聞ではなく資料を示した方が良いのではないでしょうか。幻の教祖絵伝の例もありますし、校閲・検閲は有るとわたしも思いますが、感動された記事などの全てが書き換えられてるとは思えません。
    ネットの投稿が全て正しいと思いこむことは、組織の発表が正しいと思いこむことと同じく、危険です。

  68. 天理教の救いの一手は大亮さんだと思います。彼の人は毎日時間を見つけて天理駅で路傍講演に
    立ち、頭を下げて、心を下げて教祖の思いを自らが消化しようとつとめ、これまで官僚的な上から目線も感じさせない、彼なりに何とかせなあかんという、必死さ、新年は、私のゆがんだ心に突き刺さります。

    実家の親は完全なる高慢人間ですし、今の真柱は、精神的にも切迫しているように感じます。私はご招宴にはいきませんでしたが、皆さんのお話を聞いてその雰囲気は理解できます。

    大亮氏は男ですが、最後のめざる一匹のような気がします。彼は立場の上から言えば、真柱後継者であり、青年会長でありますが、宗教法人天理教並びに天理教協会本部という組織をコントロールする環境にはありませんが、彼は何が問題か、何をしなければならないかという問題を理解しつつあると信じます。

  69. 金金、そして金と考えない天理教の方向性の最優先事項は、向こう十年を目安として、全教会の立場をすべて本部直属とし、教会長には、給与並びに福利厚生の手当てを行う。どうしても現直属と縦関係を堅持したい教会には経過措置として年限を仕切ってそれも認める。そうした場合は直属教会が事業所となって身分の保証をする。

    こうした経過を経た上で、最終的には各都道府県に一か所の教会並びに教会長を本部から派遣し正当な給与を支給する。お供えは、一切教会を経ることなく本部会計に計上する。

    こうした中で、信仰をしたいものは講社をはじめ、講元制度を行うこともできる。

    教会制度はいわゆる本部集約性とする。

  70. 退職信者

    私は、以前天理時報を取っていました。そこにはいつも統領のコメントが書かれていました。
    「人類の危機迫る今日」「人類の滅亡が近づく今日この頃」「人類の存亡に関わる危機的状況」
    この様な我々に対する警告の言葉が常に書かれていました。しかし、ある日を境にしてこの様な語句は時報の全ての
    紙面から消え去りました。以来時報を取ることはやめました。

    本部は多くの出版物を発行しています。そこに一つの特徴があります。おふでさきの御歌がいくつも引用されているのですが、親神から子供達に対する未来への警告と取られるような御歌は引用された事はほとんどありません。
    時報に限って言えば私が見る限り一度もありませんでした。せいぜい統領が発する象徴的な語句だけでした。
    出て来る言葉は、ありがたい・御守護だ・助かった・本部に御礼参りをしよう。こんな調子です。
    御利益信心そのものです。本部は、自分たちに対する批判は徹底的に潰します。自分たちに有利な事は虚飾します。

    かぐら勤めの独占、決して触れない警句的御歌の数々、質問されても答えられない御歌の真意、
    出来る事と言ったら教祖、教祖と叫ぶぐらいでしょう。

  71. 古い教会長

    匿名 2016年2月4日 10:17 AM様。
    >書き換えがあるのなら、伝聞ではなく資料を示した方が良いのではないでしょうか。

    たしかにそうですね。投稿された記事と掲載された記事を、知り合いに見せてもらいました。80パーセント違う内容になっていました。記事の内容は嘘ではありませんでしたが、インタビューを元に書き換えられていました。特定されるので資料は出せません。

  72. 匿名

     古い教会長 様 並びに 2月4日 10:17 AM の匿名様 
    どれが本当の記事で、どれが書き換えられたものか、わからないものを、これからは読む気がしなくなりました。
    全て創作、と思って読むのもいいかもしれませんね。感動的な小説は、泣けますが、それと同じことです。
    校閲・検閲が実際行われているということですから、仕方が無いですね。

  73. 古い教会長

    匿名 2016年2月4日 9:09 PM様。
    申し訳ありません。全てが嘘ではないのです。
    文章的に間違っていたり、文章が繋がらないところは修正されます。
    ただ、教理的な面で本部の見解と違っていたりすると、書き換えられるようです。
    テレビをはじめメディア・新聞とかも数社読んで、尚且つ自分で考えて判断しないと、偏ってしまいますよ。
    教祖伝や教理も道友社だけではなく、いろいろと読み比べることも大事です。

  74. 匿名

    夢さん
    本部にお供えが上がっている限り教団の上層部は変わりません。
    百歩譲って大亮さんが教団の腐敗を正そうとしても大亮さん一人で何が出来るでしょうか?
    その他の権力を持った取り巻きの上層部を抑えられるでしょうか?
    仮にその他の権力を抑えて教団の浄化に成功したとしても、お供えが上がる限り、必ず後の代に我を忘れる者が出てきて同じことの繰り返しです。
    おやさまが何度もその設立を反対された教団の懐にお供えをすることがおやさまを慕う者の信仰でしょうか?
    教団を狂わすお供えをするぐらいなら、
    そのお金でまわりの人たちを喜ばせた方がよっぽど生き金になると思いますが。
    そしてお道を通ることが楽しいと、
    教団のここはおかしいよな?と思うようなところがあっても、自分が信じた宗教が腐敗している事を知れば自分を否定されたかのように思ってしまうという深層心理があるので、
    あまりそこは深く考えないでおこうという心理が働くものです。

  75. 古い教会長

    匿名さん。
    私もそう思います。
    大亮さんが、いかに素晴らしい青年であっても、天理教を変えることは難しいでしょう。
    私も天理駅前で会いました。天理教教会本部のハッピを着ないで、天理駅前ではない場所で頑張って貰いたいです。
    彼が本当に問題意識をもっているのでしたら、ここにでも、自分の思いを書き込んで頂きたいですね。
    ネットも見られない環境なんでしょうか?

  76. 大亮です。

    古い教会長さん
    私も今の教団にはうんざりしている、
    というのが本当の気持ちです。
    私が真柱になりましたら教団を正して行きます…

    何て大亮さんが書き込んだら、
    それを見た上層部は今から大亮さんを潰しにかかりますよ。

    それににをいがけを頑張ってもらってはお供えをする信者を増やす結果になります。
    実際に大亮さんは初席者を10人以上お連れしていますし…
    にをいがけされた人達が信者になった後に
    天理教が金に汚いことを知ったなら
    「神様にお供えしていたつもりが、自分のお供えで教団の人達をさらに駄目にしてしまっていた」という事に成り兼ねません。

  77. 古い教会長

    大亮ですさん。
    ちょっと聞いた話ですが、大亮さんからにをいをかけられて、別席を運ぶと本部直轄の信者になれると噂になっているようです。

    >にをいがけされた人達が信者になった後に
    天理教が金に汚いことを知ったなら
    「神様にお供えしていたつもりが、自分のお供えで教団の人達をさらに駄目にしてしまっていた」という事に成り兼ねません。

    大教会でもそうですが、多分、特別扱いの信者になるのではないでしょうか。

  78. 古い教会長

    匿名 2016年2月4日 10:17 AM様。
    >書き換えがあるのなら、伝聞ではなく資料を示した方が良いのではないでしょうか。

    資料ではありませんが。
    実は、100年祭の頃の話ですが、本部に長くいた私の知り合いの会長の話です。本部の御用をしていた時、ある雑誌の編集に関わっていました。
    その会長の自教会の月報に記事を書いた時、肝心な部分を書き換えられられ、言いたい事と全く反対の記事になっていました。前会長の追悼の文集でも、古い友人が寄稿した文面は全く跡形もなく別の文章になっていました。
    会長曰く「読んで信者さんが勇む文章でなくては駄目だ」ということでした。
    また「教会の値打ちは、どれだけ金を集められるか。どれだけ人をあつめられるかだ」とも言っていました。
    これは、その会長の体質で、本部の体質では無いことを願うだけです。

  79. 退職信者

    古い教会長さんへ

    私の勘違いかもしれませんが、本部直轄の信者さんは村方と呼ばれていると思います。

    四下り目  六つ  むらかたはやく助けたい なれどこころがわからいで

    みかぐらうたのむらかたと本部直轄信者さんの村方には、何か神様の思惑があるのではないかと思うのです。
    おや様が、現身を隠されて130年も経ちましたが、教会本部の実態は当時のままだと思うのです。
    今も当時と同じなら、今、私たちが目にするおふでさきもみかぐらうたも過去に書かれたものと考えるのではなく、現在進行形ととらえて見る必要が有ると思うのです。
    何の根拠もありませんが、神様、おや様を思うと何処かに活路はないものかと考えてしまいます。
    藁にもすがる思いです。

  80. 元々中山家のある庄屋敷村という地域は、貧乏な村だったと思います。何故ならば、169号線を奈良から桜井に向けて走っていると、天理市内はかなり土地の高さが下がっているのがわかります。天理ダムから西に向かって布留川が流れていますが、庄屋敷村は扇状地で、櫟本から三昧田までは砂地のやせた土地であったと思われます。だから、田んぼに水を引いても枯れあがることから、綿農家が多かったという話を聞いたことがあります。町名からもうかがえますが、三島、川原城町という川を連想する名前となったのではないでしょうか。

    庄屋敷村といえば、安達、中山、北村といったところが昔から住んでいた人たちで、それに伴う小作人が住んでいたさびれた村であったと思われます。あるいは教祖がふしぎなたすけをなさるようになって、参拝者目当ての商人が移り住んで来たのが今の商店街の人たちです。

    だから、村方は基本的に信者でもないですし、便宜上、旭日や天元によりついているのだと思います。その村方といわれる人たちに、本部は気を遣い、おせちは村方節会というのが90年祭ころまであったと思います。

  81. 古い教会長

    >四下り目  六つ  むらかたはやく助けたい なれどこころがわからいで

    『村方はなおも早く救けたいと思っているが、あまり近くにいるので、つい人間思案が
    先になって、神一条の教えを理解できずにいる。
    むらかた:当時の庄屋敷村の人々を仰せられた。』
    という意味だと思います。
    本部直轄信者が、むらかやではないと思います。

  82. 村方とは露天商のようなそういう商人ではなく、本当の谷底、被差別部落のたすけをなさろうとしてたのだと思います。おぢばの北も南も被差別地区ですから。

  83. 退職信者

    私は、天理から遠く離れた末端教会の一信者です。周りにはお屋敷の歴史や教理に詳しい方はほとんどいません。
    今まで、詳しく説き聞かせていただく事がほとんどありませんでした。
    日々の生活の中に神様、おや様の守護を感じ取らせて頂くだけです。
    皆様の貴重な投稿を読ませていただけることを感謝しております。

  84. 立教までの教祖は、田舎の農家の主婦として、ごく平凡に従順に夫や親に従い、仕え、子供の幸せを何より願っていた人であったように思います。立教以降は大和という閉塞的な、外敵を作らず、知らない貧乏農家がそっと暮らしていた土地において、「世界たすけ」の声を上げられ、人間の本質を説き、それまでの常識をぶっ飛ばす、大革命戦士になられたのだと思います。

    もちろん親神様がこの世にあらわれた見える姿であったわけでありますから、人間中山みきではありません。物や金や名誉という、すべての物を取り払われ、退職信者さんが仰る「神の守護」の根源を教えられたのであります。しかし、宗教法人天理教、天理教教会本部という官僚組織を作ることにより、再び、物や金、名誉というものを幸せの根源としてしまった130年間という時間が今の姿でしょう。

  85. 憩の家

    天理教の信者さんに聞いてみたいのですが、何故、天理教の成り立ちを何ら懐疑的に不思議に思うことなく信仰出来るのですか?いきなり天啓がくだって、「我は実の神である。元の神である」と言い出した女性からの発端を信仰出来るのですか?
    そこに神が宿ったとか、何をもって証明出来るのですか?
    よく言われるのが、中山みきは気が狂ったとか、狂人でしかない、とか色々揶揄される部分もあると思いますが、なぜ、信者さんたちはそれに対して、違和感がないのですか?
    当時の光景を見た訳でもないしょう?
    生の中山みきを見た訳ではないでしょう?
    親神様といいますが、見たこともないでしょう?
    なぜ、信仰の対象として見れるのでしょうか?
    たしかに他の側面から見た場合、言っていることは、親に孝行、みんな仲良く助けあってという、一般的に道義的に見て、まぁ反社会的思想でもないし、悪くないだろうという教えというのは信仰を引き寄せる1つの要因になるのかもしれません。
    しかし、それであるなら、中山みきの存在以前からそのような思想はとっくの昔にあることですし、何ら新しい概念が確立されたようにも思えません。
    人間存在の理由は、「陽気ぐらし」と天理教の根本教義としてよく聴きますが、聞いたところで劇的に「へぇ、人間とはその理由のためだったんだ!?」というような、劇的な驚きも特に感じませんし、「ふーん」程度です。
    「ひながた」という言葉も聞きますが、それだったら、マザー・テレサが通られた道だって、ヘレンケラーが通られた道だって、皆立派だと思います。
    何もかもを親神様という言葉のロジックに持っていけば、そこで思考停止状態になってしまうと感じてしまうのですが、、、
    ま、今の本部が金集め組織になっているとか、そんな低次元な話を求めているのではなく、純粋に中山みきの教えとして論じた際に、原点を見つめた際に、それでもなお、信仰を引き寄せる何があったのか?という問いです。
    この屋敷にもらい受けたい、そうでなければ屋敷もろとも吹き飛ばす
    これは、交換条件ですよね。
    仮に受け入れなかったとしても、屋敷1つとの引換え条件に過ぎなかったのでは?とも取れます。
    受け入れれば、世界を救う
    屋敷1つ=世界
    これとの等価交換ですか?(笑)
    ちょっと、私は笑ってしまいますが(笑)
    精神医学的に見ると、やはり「?」という部分が出てくるのですが、そこのところ、信者さんはどう捉えていらっしゃるのでしょうか?

  86. 退職信者

    おや様の本質は、実在する神の認識
    ところが人間は目に見えるものしか信用しない。
    教祖 教祖とおや様ばかりをありがたがる。
    神様もあきれ果てて、「みき もういいから帰っておいで」
                      「えっ まだ25年残っておりますけど。」
                  「好きにやらせておけ」
    おや様が帰ってしまってから既に130年
    信者がどう捉えているか?
    捉える何も・・・  「鰯の頭も信心から」
    天理ばかりじゃない  あっちでも こっちでも  鰯を捧げてはしゃいでいる
    モーゼが見つめた景色と同じ
    どう捉えているかと訊ねる価値もない
    神様、「いちれつ心しやんたのむで」と言ってみきを連れて帰ってしまった

  87. 徳子

    憩いの家さま
    私は中山みきを女傑ではなかっただろうか?と思っております。
    日本が混乱していた時代に、中山家の暮らしは安泰で子孫に富をもたらした。
    なかなかできることではないです。
    天理教が始まる以前から、世の中には素晴らしき良書があり、本当にこの国を守るために命をかけて生きた人達がたくさんおられたはずです。
    そういう素晴らしき人達が、子孫に莫大な財と権力を残していくでしょうか?
    息子秀司が、信者の金をかすめ取る姿も見ていたことでしょう。見て見ぬ振りができるのもなんだかなあー?
    そこに、なにがあるんだろうか?と考えますよね。

  88. 徳子

    信仰に引き寄せるもの。それは掟と守護です。言葉を変えれば因縁と徳、自らそして周囲からもこの教えにがんじがらめに嵌められて、批判すること自体が罰当たりなんです。
    親戚、縁者全てを天理教一色にさせてしまう罠は、天理教の教えの中に、天理教用語の中にあります。

  89. 退職信者

    みきが去ったそのあとは どろうみ中へ沈みけり

    世界中の人間は武器を手に取り互いに殺し合い。
    海は濁り大気はかすむ。大地は果ての果てまで汚物でドロドロ。
    解決しようと、世界の高山は寄りあって話し合うが、心も言葉もバラバラでまとまらない。
    まるで、バベルの塔が崩壊した後のような 今の世界。
    破滅の大波が迫っているのに気が付かない。
    「あの大波は何物だ。」 ただただ眺めるばかり。波をかぶるまで分からない。

    ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も天理教も、他の諸教も 一列は、みなもやの如くだ。
                           
                「教祖様、いなくなちゃったけど、何処かに何か残っていない?」
                「あった、あった 赤衣があった」
                「おふでさきもあるよ」
                「いやいや もっと大きい物があるよ 屋敷だよ 屋敷  大きいのつくろーぜ」

    「ほんとーにあきれ果てたやつらだ。つとめを残してあるのに。」
    やはり「屋敷をはろうて たすけたまえ てんりおうのみこと」だな。

  90. 匿名

    憩いの家さん
    >生の中山みきを見た訳ではないでしょう?

    仏教徒もキリスト教徒も生の釈迦、イエス・キリストを見た訳ではないでしょう。

    >親神様といいますが、見たこともないでしょう?

    日本の多くの人が神社に神頼みに行ってますが、神様を見たことはないでしょう。
    自分の目で見ていないものは嘘か本当かわかりませんが、この様子だと皆さん自分が信じたいものを信じているということがわかりますね。
    天理教信者も同じことです。(強制されている人は除いて)

    >受け入れれば、世界を救う
    屋敷1つ=世界
    これとの等価交換ですか?(笑)
    ちょっと、私は笑ってしまいますが(笑)

    馬鹿にしているように聞こえます。

  91. 匿名

    宗教と金。
    目的が「金」でなければ、人からむやみに「金」を受け取るようなことはないのでは。
    もちろんお金だけが目的ではないでしょう。
    しかし、ことさらに他の綺麗な部分だけを強調して、「お金が目的なのではありません。」
    と聖人の如くに否定していながら、結局様々なものをお金に結びつけるというこの矛盾。
    相手から「金」を引き出すまで、洗脳するまでは、お金の「お」の字も出すことなく、
    真反対のことを話すようなズルさもしかり。
    いくら「神様」とか「雛形」とか表面的にいい話をしていても結局、

    「お金」を出させようとしていないか(相手を利用)
    相手を低い立場に置き、コントロールしようとしていないか(狡猾)
    相手の立場や肩書きによって、ころころ話や態度を変えないか(お調子者、計算)
    利害が対立しそうな者に対し、嫌味を言ったり、嫌がらせをするなどの
    行為はないか(下衆な行為)

    など、冷静に観ていれば、信仰とは真反対の行動はすぐに判断できるので、
    どのような宗教や組織でも、いくら一時的に話を聞いてくれようと、いい話をしていようと、
    このような自分の幸せの為に相手を利用するような行為が野放しになっているところには、
    むやみに近づかないのが懸命だと思われます。

    「神様」とか「ボランティアしてきました」など、表面的な話を差し引いて、
    単純に身近でどのような言動、行為をしているかが一番の判断基準だと思います。

    どこの宗教も、くさいもの(苦情やトラブル、問題点など)には蓋をして、美談ばかりを強調しますが、
    そもそも営業目的以外に、自分達の美談ばかりそうそうアピールするような必要があるでしょうか。
    はぐれ雲さんのコメントなど、虚飾のない失敗談からは多くのことを学ばせて頂いており、
    ありがたく思っております。

    参考;
    しくじり先生3HSP【洗脳され5億円を失った辺見マリ】9月14日(動画(29:44あたりから))
    http://video.9tsu.com/video/%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%98%E3%82%8A%E5%85%88%E7%94%9F3HSP%E3%80%90%E6%B4%97%E8%84%B3%E3%81%95%E3%82%8C5%E5%84%84%E5%86%86%E3%82%92%E5%A4%B1%E3%81%A3%E3%81%9F%E8%BE%BA%E8%A6%8B%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%80%919%E6%9C%8814%E6%97%A5

  92. 匿名(補足)

    憩いの家さん
    >生の中山みきを見た訳ではないでしょう?

    仏教徒もキリスト教徒も生の釈迦、イエス・キリストを見た訳ではないでしょう。

    >親神様といいますが、見たこともないでしょう?

    日本の多くの人が神社に神頼みに行ってますが、神様を見たことはないでしょう。
    自分の目で見ていないものは嘘か本当かわかりませんが、この様子だと皆さん自分が信じたいものを信じているということがわかりますね。
    天理教信者も同じことです。(強制されている人は除いて)

    >受け入れれば、世界を救う
    屋敷1つ=世界
    これとの等価交換ですか?(笑)
    ちょっと、私は笑ってしまいますが(笑)

    馬鹿にしているように聞こえます。

    補足です。

    私は天理教を支持する人間ではありませんが、
    憩いの家さんの「ちょっと、私は笑ってしまいますが(笑)」という言葉が、このような場ではあまりよろしくないと思いましたので、中立な意見を述べさせて頂きました。

  93. 退職信者

    「神を見たか?」と問われたら、「私は見た」と答えます。

    休日に勤務先が気になり見に行ったら、構内に空のペットボトルが落ちていました。
    一本、二本と拾いながら歩いていたら、最後は持ち切れず残りは足で蹴りながら集めていました。
    そこへ一陣の風。
    建物の陰から町の指定ごみ袋が一枚、 風に舞いながら私の足元へ落ちてきました。

    「やったー  神さん すごいー  ありがとうございます」

    「火 水 風  外に神なし」 

    神は、常に人々を守護しています。
    要は、見えるか見えないかという事です。
    日々の生活の中で、神の守護を五感で感じ取る。
    ただ、それだけの事です。

    「神を見たことがあるか」と 問われたら、 正しく答えるなら「いつも見える 今も見える」と 答えます。

  94. 匿名

    憩の家様の
    >生の中山みきを見た訳ではないでしょう?
    >親神様といいますが、見たこともないでしょう?
    などの質問は、

    洗脳や思考停止状態、マインドコントロールに
    陥っているかもしれない人々に対し、
    自分自身の感覚と頭で、改めてよく考えてみるよう、
    警鐘を鳴らしているのではないでしょうか?

    >受け入れれば、世界を救う
    屋敷1つ=世界
    これとの等価交換ですか?(笑)
    ちょっと、私は笑ってしまいますが(笑)

    について、馬鹿にしていると感じるのは、教団に傾倒されている人。
    傾倒してない者にとっては、確かに「屋敷1つ=世界」とは滑稽だと
    考えさせられはしても、「馬鹿にしている」などという発想は
    全く思い浮かばないと思われます。

    この場合、馬鹿にしてるかどうかよりも、前者の質問に続き、
    この話は滑稽なのではないか?という単純な投げかけに思われましたが、

    人により、受取り方が違うものだと認識いたした次第です。

  95. 匿名

     私は神様のことは、普段忘れております。思い出すのは、教会の月次祭の時だけ、誠に申し訳ないですが。でも、実の親(現実の家庭の親のこと)に対しても、心の中に気にはかけてますが、普段は忘れている。それと同じように、「親」神様ですから、それでも許してくださっている、と、勝手に思ってるのですが。

  96. 憩の家

    匿名さん、代弁して頂き有難うございます。
    決して、私は馬鹿にしている訳ではありません。私自身が天理教の成り立ちにおいて、直感的に「そう感じる感覚」です。
    この方の天理教会長との法論を全編私は見ましたが(https://www.youtube.com/watch?v=M9Se_X8_sEw)、客観的に誰が見ても、天理教会長さんの方が完全論破されているように思いました。
    結局、「信じる」or「信じない」に最後は集約されている感じで、何1つ論理的に回答出来ていると感じたものはありませんでした。
    私は信者ではありませんので、この方が会長さんに投げかけている質問云々は、世間一般の(天理教を知らない人間)が最初に教えを見聞した際に感じる妥当性のある質問ばかりだと思います。
    一般的に考えうる概念からして、「なぜ、いきなり天啓がくだって、自分は元の神だのと言い出した?」
    一般的に考えうる概念からして、「なぜ、屋敷と交換条件に世界を救う云々と言い出した?」
    代々信仰されている家系にお生まれになった方は、小さい頃から親なり近親者から「親神様は有難い存在なのよ。全てを創造された方なのよ。その教祖は凄い人なのよ」と聞かされてきて、何ら懐疑的な疑問も沸かないまま刷り込まれる部分もあるかもしれません。
    そこで、子供が成長していって、世界の偉人の伝記などを読むようになって、「お母さん、マザー・テレサだって、凄い人じゃないの?でも、テレサは親神様とか教祖の存在とか(恐らく)知らないと思うわ。ヘレン・ケラーだって」
    こう子供に言われたら、親としてどう回答するのか?という興味は少しあります。
    別に天理教教団(ま、現在は腐りきった組織なのでしょう)のことに関してどうのこうのではなく、原点の天理教の成り立ちの部分からして私は興味があります。
    ま、成り立ちの当時から、真実は歪曲してるような気もしなくはないですが、、、
    結局、最初に示した動画の法輪にあるように、『そもそもの教えからして、道義的に無理がある教え』だから、どこかで論理破綻してしまうという点があるように思えてならないのです。
    そこが結局、現代では「ひのきしん」だの「たんのう」だの、言葉に誤魔化せられてしまう部分ではないのだろうか?と傍目から見て思ってしまうのです。
    ま、10年に一度行われる年祭などは、金集め以外の何ものでもないと思っていますが。

  97. とくめい

    「実の親(現実の家庭の親のこと)に対しても、心の中に気にはかけてますが、普段は忘れている。それと同じように、「親」神様ですから、それでも許してくださっている、と、勝手に思ってるのですが。」

    それこそ、「親」なのではないですか?
    ふだんの生活では忘れている存在と自分では思っているけど、
    いつも心の中に自分では気づかない「親」がしっかり居るからこそ、
    自分の人生に自信を持って、前向きに突き進んでいけるのだと思う。
    どうしようもなく苦しいときにだけ、いつも変わらぬ親の愛情と癒しを
    求めて「親」を想い、求める。
    「親」は見守るしかできないし、見守ることしかしてはいけないと思う。
    それが健全な、「親子」の関係なのではないか。
    人間と「神」の関係も同じだ。

    今の天理教組織では真逆の親子関係がまかり通っている。
    日常生活で、「親」を意識し、よろこんでもらいたい、とか、尽くさなければ、
    などと考えていれば、自分の人生なんて歩いていけない。
    「親」に縛られがんじがらめになって、自分の素直な気持ちと折り合いも
    つけられず、ジレンマに苦しみ、それでも喜べ!なんて、拷問ではないか。
    こういう世界には、ハラスメントがまかり通る。
    自分の気持ちを殺して、他人の望みや要求を飲み続ければ、
    自分が他人の感情のゴミ箱になり、自分のゴミ箱がいっぱいになれば、
    自分より弱い立場の人間にゴミを押し付ける、この構造。
    天理教組織でも、虐待関係の親子でも、パワーハラスメントの上司部下関係、
    モラルハラスメントの夫婦関係、すべてに当てはまる。
    天理教組織は人を助けるための宗教団体とは言えない。
    完全に、一部の人間のための集金団体である。

    「神」は、人間のどんなことも 「見守ってる」だけ。
    毎日の生活で「神」を感じることも信じることも自由だけど、
    どんな小さなことにも「神」の存在を感じることができ、
    どんなことにも感謝の気持ちを持つことができるようになるためのものが「教え」。
    どんなにいい「教え」を聞いても、結局は自分次第。
    宗教は、ヒントにはなるけど、頼ってはいけないと思う。
    自分しか自分を変えることはできないし、救うこともできない。

    末端教会で苦しみ続けている方々は、八方塞でどうしようもないとお考えかもしれません。
    でも、知ってしまった人から、解ってしまった人から行動を起こさないと何も変わりません。
    しがらみの中で、八方美人のいい子ちゃんでは、自分の人生変えることはできない。
    天理教人から後ろ指さされる悪人になりましょう。
    (誤解の無いように。。。ここで言う悪人とは、組織に忠実でない、と言う意味です。)
    親心あふれる「神」は、自律し、自分の足で歩き出そうとする人間を
    愛おしく見守って下さっていると信じ、私ももがいている最中です。

  98. 匿名

     島田裕巳の「日本の十大新宗教(幻冬舎)」にも、中山みき様は頭のおかしい婆さん、といった書き方をされていました。私もそのような思いを持ったこともありますが、一概にそうとも言い切れないのは、やはり、「泥海こふき」ではないか、と思います。あれは、人類創生の様を、わかりやすい表現で表したものであり、決して、頭のおかしい婆さんが作り出せる空想、しろものでは無いと思います。「どじょう」が、泥海状態の地球に浮いていた、アメーバか、単細胞生物か、生物のDNAかはわかりませんが、そのようなものから、長い時をかけて、人類が生成された、その過程を表現したものである、と思います。壮大な、宇宙にみなぎるエネルギーによる人類生成、そのうち科学がもっと進歩すれば、解明されるであろう、人類誕生の過程を、今はそのように説いて下さったものが、「泥海こふき」であろうと思います。

  99. 憩の家

    もう1点、単純過ぎる教えだと感じるのが、『陽気ぐらし』に集約される部分ですね。
    そんなの、遥か昔からある概念の1つに過ぎないと思うのです。
    『お!?人間存在の原因とは、そういうことだったのか!?』って、初めての人が聞いてそう感じるほどの概念なんでしょうか?
    他の見方では、色々な宗教がある中で、本当の神様はこの天理教の『親神様のみ』だと聞いたこともありますが、何でそうなるのですか?
    というより、だめ(最後の究極の教え)の宗教がこの世に仮に出現(それが天理教)だったとしても、結局世の中の何が変わったのか?と、信者さんに問いかけてみたいのですが、、、
    天理教の経を唱える一説に最後の部分で「な~む~♪天理~王~み~こ~と~♪」とあると思いますが、「南無」というのは仏教用語のパクリになってると思いますし、因縁(いんねん)という概念も元は仏教です。

  100. 匿名

     憩いの家様、あなたがそうやって、一生懸命天理教の疑問点を、書きならべているのが、まるで、離れたいけど離れられない、本当は未練たっぷりの好きな人の悪口を、無理に言ってるような感じがするのですが。

  101. 憩の家

    私は、信者でも何でもありませんので、中のことは全く分かりませんが、色々とこの宗教には疑問が多いので興味がてら想いのまま殴り書きしてる感じです(笑)

  102. 匿名

     宗教で世の中が変わるかどうか、疑問ですね。キリスト教で、世の中が変わったか?十字軍のイスラム遠征、中世の魔女裁判、ヨーロッパの、カトリックとプロテスタントの戦争、キリスト教が無かったら世の中の戦争が、ほとんど無かったのでは?と思える程です。今もイスラエルやイスラム等、それらは続いております。宗教があるから、戦争が起こった、そう言っても過言では無いでしょう。 天理教は、自ら戦争を起こさなかっただけ、良い宗教に入るのでは?と逆説的にそう言える位ですね。
     要は、宗教の意義は何だろう、と考えれば、世の中を変える為にあるのではなく、自らの意識を変える為にある、ということだろうと思います。今まで顔を見るのも嫌で仕方が無かった姑さんと、天理教の教えを学ぶことによって、仲良くなれる、とか、喧嘩が絶えなかったご主人と、仲よく納まった、とか。そうして、世界一列兄弟、皆、意識が変われば、最終的には、戦争は起こらなくなる筈なんですが、そこまで、行きそうも無いですね。

  103. 憩の家

    そうなるとですよ、最初に事の発端で中山みきに天啓が下って、「受け入れれば世界を救う。受け入れなければ屋敷を吹き飛ばす」というところに結び付いてくるわけです。
    教祖(ここは、おやさまという表現ではなく、元祖の方という意味で)がまずありきでしょうに、、、
    天理教の親玉さんは、最初にそう言い切るところから始めた。
    で、周りは(幸か不幸か分かりませんが)その条件を受け入れた訳ですよね?
    元祖(教祖)は、断言して「救う」と言い切ったにも関わらず、結果的に「これですか?」と私は言いたくなるわけです。
    そこには、「おつとめ」なり色々な手法があるのでしょうが、それをしたところで、何もなってないでしょう?
    憩の家でも昔は、教服を着た事情部の講師の方々がよく院内で「おさづけ」などをしていたそうですが、(個人的に思いますが)身上部の医師陣とも絶対に軋轢があったはずです。
    患者さんが治って喜ばれたのは、我々の高度な医療の提供があってこそではないか。というより、それが全てではないか。くれぐれも「おさづけ」によって治った等とは勘違いしないで頂きたい。と・・・
    というより、「おさづけ」というヒーリングでは効かなくなってきたという事実が出てきたから、教団側は現実的な病院を80年祭に合わせて(あの当時が1966年とするなら、ちょうど高度経済成長の真っ只中で、資金も贅沢にあった時代であったことでしょうから、ちょうど良かったのかもしれませんしね)建設した一面もあると私は思うのですが
    当時は信者もたくさんいたし、多額のお金もあったし、医療設備にしろ、京大の教授級クラスの一流医師陣も金で引っ張ってこられた。大きな建物も建設出来た。
    ま、医療も否定はしていないという教えもあるので一概に何とも言えませんけども(修・理・肥)
    カインさんが以前ブログで書かれたように、天理教のお金の変動とその時代の景気の良し悪しとは見事に符号してますよね。

  104. 退職信者

    憩いの家様へ

    貴方の天理教に対するご指摘は、私も同感です。
    私は、天理教を信仰する母のもとに生まれ育ちました。天理教の考え方も至極当然の事と思っていました。
    正直なところ、10年前にこの文章を読んだら、腹立たしく思ったと思います。

    天理教の信者は、なぜ疑問に思わないのだ。確かにその通り。

    あらためておふでさきを開いてみました。
    おふでさきに「陽気ぐらし」という言葉はありませんでした。「だめ」もありません。もちろん「ひながた」もありません。
    強いて言えば「いんねん」が14回出てきました。(見落としがなければ)

    では何が書かれているのか。
    「神 月日 をや」 これは、多くて当然です。
    「こころ」 これは600回を優に越す出現です。
    「しんじつ」は、およそ300回、「つとめ」は、およそ100回
    意外なことに、「よふき」は、およそ30回ほどでした。
    教会本部の祭典で「陽気な世の建て替えのために」とかなんとか言っていますが、「こりやー、ほんすじから外れていますがなー」 ですね。

    天理教教会本部は
    「こころ」とは、どのようなものなのか説明できません。
    「しんじつ」とは何かと問われても答えられません。
    「つとめ」は、勿体無くて人様には見せられません。

    ならば、何ができるのか。すり替えです。
    天理教教会本部は、「解らない、答えられない」からすり替えを行ったと捉えるべきです。
    「おふでさき]から「みき」にすり替えたのです。
    出来たのが「ひながた みきの姿」「みきの通ったひな型の道」です。
    「みきは神につくし切った」だから「信者、お前たちもつくそう」 
    こうして「みき」は、拝みの対象になってしまったと思います。
    神が、人間に求める人としてのあり方から、信仰に成り下がったと思います。
    要するに今の天理教教会本部は、「鰯の頭も信心から」と本質的には同レベルです。
    やはり、天理教教会本部は、欺瞞に満ちた有形無形の偶像の世界だと感じました。

    「こころ」「しんじつ」「つとめ」「よふき」  目から鱗が落ちたような気がします。

    貴方の書かれた「疑念に思わないのか」に感謝いたします。

  105. 匿名

    憩いの家さん
    「受け入れれば世界を救う。受け入れなければ屋敷を吹き飛ばす」←

    実際に言っているところを見たのですか?笑

    元祖(教祖)は、断言して「救う」と言い切ったにも関わらず、結果的に「これですか?」と私は言いたくなるわけです。←

    実際に聞いたんですか?笑
    教団が脚色したかもしれないし、していないかもしれない。
    嘘か本当かわからない話にこだわって意味があるんですか?笑

    家身上部の医師陣とも絶対に軋轢があったはずです。←

    決めつけていますが実際に見たのですか?
    見ていないとすれば、あなたはただ教団を
    悪者と決めつけたい人のようですね。笑
    事実に基づいたコメントをして頂きたいですね。

  106. 憩の家

    見たというか、そのように事の始まりは言い伝えられているのではないのですか?
    中山みき、41歳の時に天啓でしょう。
    それまでは、普通の農家の主婦の1人だった方がいきなり覚醒のようなものを起こしたと。
    そうすると、その話も真か偽か不明だというなら、天理教そのものが何が何だが現在以上に不明なものになってきませんか?
    立教数百年という新興宗教の1つですから、仏教やキリスト教のように紀元前から起こったものなら、時代が数千年という単位なので、正しく継承されるかどうか不明?というのは頷けますが、それらから比べると数百年の歴史しか持っていない宗教なのだから、文献などがしっかり残っていたり、教えの形はこうだったとかという部分が曖昧になるというのは浅すぎる気もします。
    お釈迦様様でも、釈迦国の王家として生まれ、何不自由のない生活から「生老病死」に疑問を持ち、出家をして、菩提樹の元で悟りを開いたという言い伝えは万国共通としてあるではないですか。
    イギリスのペッペという学者が、釈迦の遺骨を発見してますし、実在していた方であるのは確証されてますし。
    それも、何千年前の方であるにもですよ
    なら、天理教はそれらに比べるともっと歴史が浅い訳ですから、成り立ちの部分からして、あーでもない、こうでもなかったとか、なる事自体が滑稽だと思いませんか?

  107. 憩の家

    実際に現在の教団に対しては、忌避感を持ってしまわざるを得ないという部分はカインさんのこのブログを通じても窺い知る事が出来るように、大多数の方が懐疑的な組織と感じているのではないでしょうか。
    ま、教団というのは横に置いておいて、純粋に原始的な教えに傾注されていらっしゃる信者さんもいらっしゃるのでしょうけども。
    おぢばに連れて帰る人数(ノルマ)にうるさかったり、金集めにうるさかったり、苦しくも「聖職」と呼ばれる一種からすると、あまりにも汚い組織になるでしょう。
    病院の医師陣に関しては、実際に知り合いの方から聞いたことがあります。(医学を否定されているようで歯がゆい感じがしたとかetc.)
    ま、これは成り立ちの部分の話以上に遥かに信憑性は高い話の1つとなると思いますが

  108. 匿名

     退職信者様の仰ってるように、天理教では、みき様にお降りになった神様が、説いた教えとは全く違うものを、信者に信仰させている、ということですね。ご教祖とは全く関係ない、異端の宗教ということでしょう。
     我々が教わって来たのは、只、ご恩報じということ、それは、おつくし、お供えを教会に上納すること、それが神様、ご教祖のお心に叶う、という、教団教理の洗脳を教わって来ただけなのですね。
     「おふでさき」はともかく、「おさしず」など、信者のほとんどが知らない、本来なら、それらを元に、信者に説くべきものと思います。天理教とは、「統一教会」並みの、怖い宗教といえます。金を差し出すことが信仰、ということになってるのですから。

  109. 退職信者

    投稿される皆様へ、そして読まれる皆様へ

    天理教教会本部は、偽物です。それを一番自覚しているのは、当の本部です。
    本部に向って「お前は偽物だ」と叫んでみても、「そうだよ。だからどうした」 と まあこんなものでしょう。
    彼らにとって批判は、さほど怖くありません。一番怖いのは「金が入らなくなる」事です。

    偽物を目の前に置きその偽物の評価の仕方を考える事は、自分の頭が偽物と同じようなものになりそうです。

    偽物はその辺へ捨て置き、神が人間に望むことを思索する方が自身にとって健全であると思います。

    文句を言いたいのもわかります。私も言いたい。

    しかし、みんなで偽物を囲んで唾を吐きかけると互いに唾がかかりそう。

    もう 止めよ

  110. 退職信者

    2016年 2月9日 2:05  匿名様へ

    もう少し補足したいと思います
    おふでさきとおさしづについてです。
    おふでさきは、神が「みき」を通して伝えた言葉。言葉というより、「心」と表記する方が正しいと考えます。

    おさしずは、「みき」が消えて おどろいた当時の人々が、「本席」を通して神にすがったものと考えています。
    「道の通り方が分からない。そんな事言われたってできない。もっと楽なやり方ないの。」
    ごねたり、すねたり、ぐずったり、わががまいったり。
    しかも25年間も。本席さんも困っていたと思います。

    しかし、当時の人々に思いを寄せれば、これは致し方のない事だと思います。
    明日の天気を気にしながら田や畑を耕していた人々に、いきなり思索を求めても答えがでないのは当然です。
    批判より、憐憫の情を持って思いを寄せたいと思います。

    おふでさきは神  おさしずは人間思案の塊  天と地ほどの差があると思います。

    しかし、時は既に130年も経ているのです。
    いまだに、本部は何かといえば、おさしずでは言いだします。
    人間思案の本部が、我が身保身の言葉を求めておさしずにすがりつく。
    哀れを過ぎて、もはや滑稽としか言えないような姿を感じます。

    私たちは、今一度 おふでさきに思いを寄せ
           「こころ」「しんじつ」「つとめ」「よふき」 が
          何を伝えようとしているのか考えるべきです。

    「こころ」 「しんじつ」「つとめ」「よふき」のつながりに思索をめぐらせるべきと考えています。

  111. 匿名

    憩いの家さん
    天理教そのものが何が何だが現在以上に不明なものになってきませんか?←

    不明なものになって問題でもあるんですか?

    原点の天理教の成り立ちの部分からして私は興味があります。←

    そうですか。研究してください。

    天理教も含めて金集めの宗教が無くなることを祈ってます。

  112. 憩の家

    私自身の文章表現がどことなく「上から目線」になって、不快な想いをさせられている方がいらっしゃいましたらこの場をお借りしましてお詫び申し上げます。しかし、謙虚というのも一見大切な部分ではありますが、そこに傾注し過すぎると今度は真実の姿を隠してしまう一面もあるのも世の事実としてあります。綺麗にオブラートに包み過ぎてしまうと本当はおかしいことなのに、流されてしまうようなことがあります。そこを信者ではない私は斜めからメスを入れたくなるのです。
    よくこのブログでは、「思考停止状態」という表現が出てきますが、これが一番恐ろしいことです。
    他の考えが入ってこない。批判的考察をしなくなるというのは危険です。
    ブログ主のカインさんも信者さんではないからこそ、「素(す)」の状態で天理教を見ることが可能な方だと思ってます。
    だから、決して天理教寄りの考えばかりでもなく、一般人としての視線も盛り込まれてるので、「ん!?」という着眼点(警鐘)を示されるのではないかと思っております。
    そして、皆さんの意見も大変勉強させられております。
    感謝いたします。

  113. 匿名

    憩の家 様
     こちらこそ、憩の家さんの疑問点を読んで、なるほど、と思う事多々ありました。こちらも、勉強させて頂きました。
    憩の家さんのお陰で、退職信者さんの、有意義なお話も聞けました。有難うございます。

  114. 退職信者

    憩いの家様へ
    あらためて お礼を申し上げます。また、ここまでの経緯を説明します。長くなりますがお許しください。

    貴方の「2016年2月6日11:02 PM」の投稿 「信者はどう捉えているのだ」を見た時、
    「信者に聞いてもわかりゃしねーよな。この俺だってわからねーよー」 正直こんな気持ちでした。
    「この投稿は無視」 と思いました。 しかし、「本当にみんな知らないんだよ。この俺も解らない。」どうしよう。
    「無視するのか」 「考えるのか」幾度も考えました。その時、「書け」が胸の内に湧いてきました。

    そして 「2016年2月7日 7:43 AM」 「2016年2月7日 12:54 AM」の投稿です。 
    次に  「2016年2月7日6:47 PM」の投稿へとつながります。 

    ここへ、貴方の「2016年2月8日10:11 PM」の投稿です。
    貴方の「陽気ぐらし」「だめ」「いんねん」等への問いかけです。

    私は、この問いかけにどう答えるべきなのだ。求める先は「おふでさき」しか無いと思いました。
    おふでさきと索引を広げて調べました。
    その結果が「2016年2月9日12:44 PM」の投稿です。
    「目から鱗が落ちたような気持ちです」にたどり着きました。

    その間、多くの方の投稿がつづき、互いに考えを述べ合っていました。
    皆さん「神とみき」を心に抱き、必死の思いでさけんでいるように思えました。

    そこで私は「2016年2月9日2:09 PM」を投稿しました。
    「みんな もうやめよ。  見ている方向がちがうよ。 見つめるのは神とみきだよ。」思ったのです。

    そして、匿名様「2016年2月9日 2:05 PM」の投稿です。
    貴方の「おふでさき」と「おさしず」の文字に目が止まりました。
    「この二つはなんだろう。同じ意味なら一つになるはず。」
    「おふでさきとおさしずは別物だ。それなら持つ意味も違うはずだ。」と気がつきました。
    そんな事は当然だろうと言われればそれまでの事ですが、今まで深く考えた事など全くありませんでした。
     
    そして「2016年2月9日3:38 PM」を投稿しました。
    「おふでさきは神」 「おさしずは人間思案の塊」に気がついたのです。
    「天と地ほどの差がある」に至りました。

    そして、最後の匿名様「2016年 2月9日9:28」
    貴方の感謝の気持ちを感じた時、再度憩いの家様にお礼を述べなければいけないと思い、ここに書き始めました。 

    「よふき」について述べたいと思います。
    「よふき」は、明るく元気に生活する事ではない、目に見える具体的な事象ではない事に気がつきました。

    それは、「己の目に見える、己が気がつく全ての事象」に臨む、
             「己の心のあり方と行動とその結果」に対する「己の喜び」であると気がつきました。

    例えるなら 「汚れたテーブルに気がつき、汚れたテーブルを拭いて、
             綺麗になったテーブルを見て、拭いた自分が、綺麗になったと喜ぶ」 

    この喜びが「よふき」です。
    「気づき」から「喜び」に至る全ての心の動きが「よろこびであり しんじつ」なのです。
    そして、この「喜びの心」でつとめることが「よふきつとめ」です。

    「陽気ぐらしへの世の建て替え」でもなく、「陽気につとめる」事でもありません。
    ましてや  おつくしなど  論外の極みです。

    我々に、神に捧げる物は何もありません。
    神は、我々に何も求めてはいません。
    神は、我々に「喜べよ」「喜びの心だよ」と言っているのです。 これだけです。

    そして今、 この文を書いている「今」 気がつきました。
    「こども」「しんじつ」「よろこび」「よふき」「つとめ」「神」は、すべてで「ひとつ」になるのです。
    すべてが「ひとつ」になったとき、「よふき」は、成就するのです。

    「朝 目覚めてから 夜 寝るまでの すべての時」を、「よふき」で通る事。
    それが、私たち「子どもの通る道」と悟りました。

    「ひな型の道」を通ってはいけません。神もおや様も嘆き悲しみます。

    この思索は、昭和63年8月に始まりました。そして、平成28年2月9日の今日、たどり着きました。
    足掛け29年かかりました。

    憩いの家様 そして最後の匿名様「2月9日9:29 PM」 そこに至る多く方々 そして「親神」に
            深く深く頭を垂れて感謝いたします。  本当にありがとうございました。
                                         
                                            2016年2月10日 AM 3:00 書き終わる。

  115. どうもこのサイトみていると、不平、不満をつらつら並べているだけ・・・思考停止?ってなんの事?原典(みかぐらうた・おふでさき・おさしづ)の理解もまるでなし。

    おさしづは、書き下げといって、教祖の言葉すべてがおさしづであった。現在残っているのは、現身をかくされる少しのお言葉だけ。書き下げは、に「お」がついたのがおかきさげ。

    批判するのは簡単だけど、その判断をする知識がまるでないと肝心のポイントに近づけません。又、現野党にようにあれはだめ、これもだめ、世間は受け入れません。なぜなら、国会で議論する対案が全くないから、信用もありません。

  116. 古い教会長

    >批判するのは簡単だけど、その判断をする知識がまるでないと肝心のポイントに近づけません。
    知識のない者ですが、今の現状が駄目と思っていたら、元々駄目だったということが分かっただけでも大きな前向きの一歩です。
    夢さんに、もし対案があるのでしたら聞かせて下さい。

  117. 夢様

    あなたには、我慢に我慢を重ね、漸く話す事が出来た方々の、
    苦しみや悲しみの声が、

    今、苦しんでいる方々の為に何が問題なのかを掘り下げ、
    共に模索している方々の真摯な声が、

    「不平、不満をつらつら並べているだけ・・・」

    に聞こえるんですね。

    「肝心のポイントに近づけません。」とは、
    あなたは解決策をお持ちなんですね。

    世間も受け入れる、
    「肝心のポイント」とは、ずばり何なのか?

    ここで苦しまれている方々の為に、
    是非、おっしゃって下さい。
    よろしくお願い致します。

  118. 憩の家

    退職信者さん
    29年もの歳月ですか、、、
    素直に脱帽です・・・

  119. 夢さんへ

    夢さんの 「対案」、 「解決策」 自分も聞きたいです。
    夢さん よろしくお願い致します。

  120. 天理教徒の最弱点は教理の理解度がかなり低いことです。明治20年以降は天理教の教勢は、燎原に火を放ったように、爆発的に伸び広がった。その頃から第二次世界大戦が終戦するまでは、みかぐらうたの一部と、別科で聞いた先人の話、八つのほこり、ぐらいでなかったと思われる。

    天理教も世間もみな生活レベルは低かったから、おさづけで通う互いの信頼関係は厚く、身上たすけはそれに伴う、つくし・運びは自然と浸透し、教祖50年祭立教100年祭の頃が意気も景気も最高潮であったように思う。

    戦後、三原典(おふでさき、みかぐらうた、おさしず)が各教会に下付されたが、おさづけ一筋でつき進んで来た人たちにとっては、教育を受けたこともなかったので、教理そのものの理解度は、かなり低く、教祖や高弟に対する尊敬の念、そのリスペクトが信仰信念の基になっているんだろうと考える。

    しかし、現天理教教会本部は、稿本天理教教祖伝、おふでさきの解釈について、疑問に思うことをこころよくおもわないどころか、談じ合うことさえお上にたてつくことだという雰囲気を醸し出す。そんなはずではない。

    末端教会の悲惨さは、私の叔母が86歳となりながら、教会の御用をしている苦労みてよくわかる。彼女は一言の文句も愚痴もこぼさないが、損得もない別の境地の世界に立っているのは明らかである。しかし誰しもそんな仙人のような心は持ち得ていない。

    長くなったが、遅ればせながらであっても、教理の勉強をもとに真摯に談じ合える場所を作らねばならないと考える。

  121. 元信者

    船に穴が空いて沈没しそうなのに暢気に談じ合うんですか?死んじゃいますよ。
    それよりもさっさと救命ボートに飛び乗って陸地に上がってから(社会に出て)ゆっくり談じあった方がいいんじゃないですか。

  122. 徳子

    夢さま
    あなたが、もし教会の息子であって、いよいよ教会を畳まなければならない状況におかれたなら、ましてや、私のように教会を売ってでも金を作らなければならない状況におかれたなら、一度その状況に置かれてみてください。
    おもしろいですよ~!天理教人が社会で通用しないことが、そして徒党を組んで弱い者いじめするんですよ。
    そこには、理論も常識も慈愛も人としての尊厳もないのです。
    そんな輩ばかりと談じ合っても、結局のところ脅しと強迫以外会話にはなりませんでした。

  123. 徳子

    私の心は、こんなつまらない、思慮深さに欠ける天理教に、たったひとりの女性(曾祖母)が入信したため、その子5人が5人とも天理教を盲信し、その孫、曾孫まで「考えただけでゾッ」としてきますが、みーんな天理教に毒されてしまいました。感染力がすごい!
    性質は、真面目で正直なゆえ、天理教団のいい餌食、いいカモだったんですよ。
    ゆえに、貧乏を自慢してもどうしようもないのに、貧しいことが天理教人として篤き信仰者だと思い込んでの暮らしぶりでした。憐でした。
    その中でも私は見たこともないんですが、曽祖父だけが亡くなる最期まで天理教を信仰しませんでした。
    天理教を拒み続けた曽祖父の精神は、私の中に心強い勇気になっています。

  124. 匿名

     夢様の、「末端教会の悲惨さは、私の叔母が86歳となりながら、教会の御用をしている苦労みてよくわかる。彼女は一言の文句も愚痴もこぼさないが、損得もない別の境地の世界に立っているのは明らかである。しかし誰しもそんな仙人のような心は持ち得ていない。」
     又、徳子様の、「ひとりの女性(曾祖母)が入信したため、その子5人が5人とも天理教を盲信し、その孫、曾孫まで、みーんな天理教に毒されてしまいました。感染力がすごい!真面目で正直なゆえ、天理教団のいい餌食、いいカモだったんですよ。ゆえに、貧乏を自慢してもどうしようもないのに、貧しいことが天理教人として篤き信仰者だと思い込んでの暮らしぶりでした。憐でした。」
     いかに天理教が、罪深い宗教か、お二人の投稿だけで、十二分に良く理解できます。夢様の叔母様が立たれている「損得も無い別の境地」というのは、それ程に、上からの金銭的要求がひどく、仙人のような境地に立たねば、仕方が無かった、ということでしょう、お気の毒な限りです。
     お二方の投稿だけでも、天理教がどんなに罪深い教団か、よくわかります。教団改革よりも、教団そのものが無くなって欲しい、切に思います。ご教祖の教えでは無い、異端の宗教、金集め宗教に過ぎないのですから。

  125. 夢さんへ 

    「肝心のポイントに近づくことのできる判断力と知識」に基づいた、
    夢さんの 「対案」、 「解決策」 が聞きたいのですが…….。

    それとも
    これまでさんざん既出し、ざっくりとしたありきたりの
    「教理の勉強をもとに真摯に談じ合える場所を作らねばならない」ということが
    夢さんの「対案」、 「解決策」であり結論なんですか?
    だとしたらあまりにも期待外れでした。

  126. 徳子

    教団は、浮浪雲さんも仰ってたように、なにをしても太刀打ちできないようになったらアジア系のブローカーに売るでしょう。
    労せず金を奪う集団は、自らの財布から人の為に役に立つお金を決して出さない。
    今までの教団をそして大教会をみたらそうじゃないですか。
    他人のお金だから、どうにかできたんです。
    もし、その時がきたらやりきれないですよね。
    だから、今のうちにカインさんのブログを通して教団の本質を知ろうではありませんか?

  127. 匿名

     「教団は、浮浪雲さんも仰ってたように、なにをしても太刀打ちできないようになったらアジア系のブローカーに売るでしょう。」 ま、まさか、そこまでのことを致しますか?  詐欺師達がこのような事をして、自分達が犯罪に使った会社を、売り飛ばしたりしますが、もしも、徳子様の言われる事が、当たってるなら、救いようの無い恐ろしい宗教団体ですね。

  128. 匿名

    私も決別しました。
    今は冷静になれないぐらい

    落ち着いたら、報告したいと思っています。
    皆さま ありがとうございます
    おやさま ありがとうございます‼

  129. 徳子

    私事で申し訳ないのですが、自教会の売却の件で本部に手紙を書きました。
    暫くたってから、自教会の世話役が来て、この教会は売ってもかまわん。
    その代わり、今いる信者が心を一つにして新しい教会を建てよ!とのお達しでした。

    でもね、私の住んでいる田舎町は人口1万足らず。
    そして歩いて30分位の所に立派な上級の教会があります。
    上級の教会とは、とても仲良しです。
    だから、この斜陽宗教である天理教も吸収合併すればいいと思ってたんです。
    でも、違うんですね~!
    状況も調べずに、単純に教会の数を減らすなってことなんでしょう。
    全く問題解決ゼロだな~!とそのときはっきり思いました。
    そんな人達の寄り集まるところに、発展的な考えが浮かぶでしょうか?
    教理云々も確かに一理あります。しかし、それを束ねる人たちがどうなんでしょうか?
    決して信者さんの行く末を考えていてくれるとは思われません。

  130. 徳子

    曾祖母は、生涯上級教会の一信者でいたいと切に願っていましたが、多系統の教会が、この町に2か所部内教会を作ったので、大教会も負けてたまるかって思ったんでしょう。
    大教会長から曾祖母に教会を作れと言われ、泣く泣く教会を作り、初代教会長になりました。
    教会を作るに当たって、信仰はしていないものの金銭的援助をした曽祖父がいます。
    今まで、信仰しないばっかりに曽祖父はないがしろにされ、初代である曾祖母のお道の生き方は立派だと、曾孫の私にまで語り継がれてます。
    光の当たらないところに、真実は隠れているのではないかと、時折思う徳子です。

  131. 徳子

    匿名さま

    勇気ある決断をしましたね。
    しばらくは大変だと思いますが、それでいいのです。
    信仰と教団の貢ぎ人とは違います。
    おや様は存命なら、匿名さまの喜ぶ姿を喜んでみておられると思います。
    私も、できるだけ人に対して優しく接していこうと、思っております。

  132. 退職信者

    憩いの家様へ

    我が家には、ニューファンドランドという種類の犬がいます。今年で6歳です。体重は50㎏を越します。
    子犬の頃から今まで散歩以外は、首輪を掛けた事はありません。自分でも首輪掛けられた嫌だなと思ったからです。
    最近、冬毛が抜け始めたので朝から廊下やリビングをみかぐらうたを歌いながらモップ掛けをしました。

    「な~む~   てん~り~お~の~   み~こ~と~」  まてよ? 憩いの家様も言ってたなあ

    おふでさきを調べました。(見落とし 重複がなければ)
    天の文字が現れたのは8か所です
    「天のあたゑ」         5か所
    「天も神」            1か所
    「天よりふかいをもハく」   1か所
    「ぢいと天とハぢつのをや」 1か所
    実質4回でした。

    おふでさきには、「なむ」も「てんり」も「てんのり」も「みこと」も、ありませんでした。
    こんなもの どこから持ってきたのだと思いました。

    本当に 天理教教団とは得体の知れない集団だと思いました。

  133. 匿名

    退職信者様  「日本の10大新宗教」島田裕巳(幻冬舎)の中に、このような記述がありました。

     みきの死後、天理教は、公認をとりつけるための活動に、それまで以上に、積極的に取り組むようになっていく。みきは、生前、そうした動きに対して一貫して反対の姿勢を示していた。そのみきがいなくなったことで、眞之亮を中心とした教団の幹部たちは、動きやすくなった。みき生前の1885年に、神道本局部属六等教会の設置を認可されたのを皮切りに、教派神道としての独立をめざす運動をくり広げていった
     そのためには、社会秩序を乱すことのない体制に順応した宗教であることを印象づける必要があった。教団では、教部省が出していた「教則三条」のなかにある、「天理人道を明らかにすべき事」ということばにもとづいて、その名称を天理教に改めた。1891年には、神道本局直轄一等教会に昇格し、1908年にはようやく悲願だった独立を果たし、教派神道として公認されることになる。」

  134. 匿名

    徳子様
    ありがとうございます
    私もおやさまに恥じないように生きていきます
    親神様 おやさま 信仰は させて頂きます

    感謝、慎み、親孝行 人として・・・
    したいこと
    しなければならないこと

    皆様 ありがとうございました

    考えられないような事を平気で言う 人達とは縁 切ります。
    あまりにも非常識で 空いた口がふさがりませんでした。
    思い出すだけでも 動悸がします

  135. 匿名

    途中からですが
    了解を得て
    録画してます
     後継者夫妻とのやりとり
    どこかで公開したいです

  136. 退職信者

    匿名様「2016年2月12日 5:05 PM」

    有難うございます。早速 その本を入手して読んでみたいと思います。

  137. 匿名

    公開 などしません
    自分が不愉快な気持ちになるような事はやはりダメですね
     喜ぼう
     楽しもう
     今日も一日
    ありがとうございました

  138. 匿名

    2016年2月12日 5:10 PMの 匿名様

    >考えられないような事を平気で言う 人達とは縁 切ります。
    あまりにも非常識で 空いた口がふさがりませんでした。
    思い出すだけでも 動悸がします

    文面から、あなたの悔しい気持ちが伝わってきました。

    本当に真心に照らした自浄作用がない組織なんですね。

    権力による弱いもの苛め。
    権力により行われる非常識な言動行動。

    組織内で権力を持つ者は、エゴを振るい、威張る事が許される。
    いや許されるどころか、味方され、庇い合い、決して咎められることはない。

    この様な権力構造による横暴がまかり通っている組織に

    神は宿っているのでしょうか?

    理不尽に人を苦しめる、権力という名の恐ろしい武器を使う者が、
    神と関係しているとはとても思えないのですが。

    苦しんだ分、どうかあなたはこれから開放され、
    神様親様の御心のままに幸せになって下さい。

  139. 匿名

    徳子様。教会を出るって、「いろいろありましたが長い間ご苦労様でした」の労いではなく、まるで脅しですね。神の愛、人への愛を語らう宗教人のはずなのに恐ろしいことですね。偽の証明です。

    私は今現在教会長をしておりますが、過去の体験のあまりの悲惨さに、兄弟姉妹・親族縁者、私の子供たちにいたるまで、誰一人として自教会につながっている人間はおりません。(教会抜きでは和気あいあいと仲良くやっております。)私は子としての責任感から親の教会を引き受けましたが、親族の誰にも、ましてや愛する子供たちの誰にもこの教会を引き継ぐ不幸を手渡したくないのです。ですから私、いつの日か必ず出て行く日がきます。教職舎の中の個人の道具を運び出して空っぽにし、行く先の当てを見つける。年老いて知らない土地で暮らす・・・親孝行のために自己責任で引き受けたとは言え、自分の人生の選択がこれで良かったのか、どうなのか?人生80年。4分の3は生きてきました。あと4分の1しか残りがありません。心が揺れています。納得のいかない、偽の信仰まがいの活動に自分の命の時間を捧げているのですから。当然上級の言うことは聞きませんけどね。だからお供えはしません。上級のお手伝いにも行きません。上級の月次祭には無理して行かない理由をいつも考えています。だんだんに行く回数を減らす算段を計画中です。馬鹿らしいです。本当に馬鹿らしい。今いる信者さんを大切に慈しみ、穏便に静かに出て行けることを望むばかりです。

  140. 古い教会長

    匿名様。
    >心が揺れています。納得のいかない、偽の信仰まがいの活動に自分の命の時間を捧げているのですから。当然上級の言うことは聞きませんけどね。だからお供えはしません。上級のお手伝いにも行きません。上級の月次祭には無理して行かない理由をいつも考えています。だんだんに行く回数を減らす算段を計画中です。馬鹿らしいです。本当に馬鹿らしい。今いる信者さんを大切に慈しみ、穏便に静かに出て行けることを望むばかりです。

    いいじゃないですか。ただ、後悔のないよう、楽しい日々が過ごせるよう、心煩わせることのないように祈ります。

  141. 匿名

     う~ん、教会長さんというのは、大変なんですね。なんと申し上げていいか、わかりませんが・・。しかし、これ程、末端教会長さん達が虐げられ、辛い状況にされる、というのは、宗教組織とはいえません。ましてや陽気ぐらしの天理教なんて、どこの口から言えるのでしょう。手をこまねいているだけで、こういう状況を打開できないのは、やりきれませんね。何とかならないものでしょうか。

  142. 元信者

    >後継者夫妻とのやりとり
    >どこかで公開したいです

    自分が辞めた時はネットなんてなかったから。
    今ならYoutubeで「有名人」にしてあげたのにww

  143. 憩の家

    天理教は、立教180年ぐらいですか
    それにしては、廃れるのがあまりにも早すぎます(^_^;)
    田舎の商売でも和菓子屋とかで創業何百年とかあったりしますが、その家系のみで代々やってきてるんだったら、よっぽどその『志』は立派なものだと思います。(何百万人いる宗教なら、少々は信者が減少しても、それなりに伝えていく人間はいるのだから存続は可能な部分もあるだろう?と思ってしまう部分もありますが)
    創業者からの家訓なり教えを決して忘れず、且つ、時代に則した経営をするのが生き残り続ける企業です。
    宗教も同じかと思うのですが、、、
    天理教株式会社(教会本部)は株主(信者さん)には、何の配当も無い感じに見えますね(笑)
    宗教ですから、物質ではなく人々が幸福になる『精神的配当』は大事だと思いますが
    オーナー(真柱)は、私物化してる感じなんでしょうか。
    第三者からメスを入れる監査役を入れないとダメですね。
    このブログは、そういう役目(監査)をしているかもしれませんね。

  144.   2016年2月12日 5:05 PM の 匿名より

     退職信者 様
    「日本の十大新宗教」の本、わざわざ購入される程のものでも無いですよ。
    みき様は頭の狂った気違い婆さん、というような著者の目線ですし、偏見、誤解も入ってます。退職信者さんに、お金を使わせるのも、気の毒なような気がします。
     立ち読みで十分です。ページ数も少ないですしね。

  145. 匿名

    憩の家様
     あなたのおっしゃる通りと思います。早すぎる終焉は、神様の御心に沿わない宗教に、神様のお手入れがなされた、というように思われます。しかし、教祖の死後、この130年間に、信者に与えた苦しみを思えば、もっと早くにお手入れを頂きたかったですね。
     さて、この先天理教がどうなっていくのか、誰にもわからないことですが、我々の生きている間に、天理教の最後を見届けることができるでしょうか?

  146. 元信者

    いやいや信じられんわ。
    ほんまに可哀想に

    (ただ単に独り言なので失礼しました)

  147. 匿名

    退職信者様   2016年2月12日 11:41 AM の退職信者様のコメントを拝見し、「記事以外へのコメント」欄の、匿名A様の、過去の投稿を思い出しましたので、参考までに、こちらに載せさせて頂きます。無断ですが、お許し下さい。

    匿名A 2015年12月13日 8:18 PM
     どなたか正確な情報がわかる方、教えてください。
    「あしきをはろうてたすけたまえ天理王のみこと」のおつとめは教祖の教えではなく「人間思案」からうまれた後利益を願う祈りであるとの話を耳にしました。これはH19年6月26日の本部月次祭において、本部役員であった当事天理大学学長の橋本武人氏が講話した内容です。人間が「天理教式祈りの体裁」を整えるためにあとづけで、この文言を創作したのでしょうか。教祖の伝えた祈りのことばとして毎日おつとめをしている者にとってこれは大問題です。作り事、まがいものなら、即刻、この箇所は省きたいですが。

  148. 古い教会長

    >匿名A 2015年12月13日 8:18 PM
     どなたか正確な情報がわかる方、教えてください。
    「あしきをはろうてたすけたまえ天理王のみこと」のおつとめは教祖の教えではなく「人間思案」からうまれた後利益を願う祈りであるとの話を耳にしました。これはH19年6月26日の本部月次祭において、本部役員であった当事天理大学学長の橋本武人氏が講話した内容です。人間が「天理教式祈りの体裁」を整えるためにあとづけで、この文言を創作したのでしょうか。教祖の伝えた祈りのことばとして毎日おつとめをしている者にとってこれは大問題です。作り事、まがいものなら、即刻、この箇所は省きたいですが。

    私も聞いたことがあります。第三節を二つに割って第一節が出来たと聞きました。

  149. 匿名

    おそらく10年後は悲惨な状況になっていると思います。私の大教会でも危機感はあるようです。10年先は無いと思って頑張ってほしいと年越しの挨拶をしていましたから。その昔はカシミヤなどの贅沢な洋服に身を包んで信者から批判の的になっていた大教会長とその家族ですが、今ではもらい物のような地味な服を着ておいでです。下からお金が上がらないのですね。高級座敷こじきをしておいでの時期もあったみたいですが、そのうち本当のこじきになる時が来ますからね。本部も同様です。
     今、全国的に月次祭に手が揃わない教会は7割位はあるのではないでしょうか?(調べたわけではありませんが)支部会等で近隣の教会長さんと話をするのですが、空っぽの名称だけの部内教会を預かっていて(月に1回風を入れに行くそうです。)実体が無いのに少年会費だ、婦人会費だと各種年会費やその他の負担金だけがのし掛かってきて・・・とこぼしておられました。自教会の世話だけでも手一杯なのに、御年83歳を超えておられ苦しい財布事情も垣間見えました。信者が一人もいないのに、少年も婦人も一人もいない実態のない教会なのに、どこからお金が湧いてくるというのでしょう?悲惨ないじめですね。17000箇所のうち活動実態のないこのような教会は想像以上に多いのではないでしょうか。
     我が末端教会の月次祭の実態ですが、自前の信者さん4人、上級会長含めて毎月6人で月次祭をします。たいこが一つ鳴るだけです。上級は自前の信者さんは4、5人くらい、その上の大教会直轄の教会は自前の信者さんは毎月2、3人。大教会直轄教会よりも零細な末端の我が教会の方がまだ少しは」活気があるのですからこれが今の天理教教勢の実態でしょうか。
     あと10年後、140年祭の頃には高齢の方は亡くなられますので全国の教会の様子は容易に想像できます。信者は減る一方ですので、最後に本部が寄りかかってくるのは全国17000箇所の教会長とその家族、親族。そういう意味でも教会数だけは死守するでしょうね。そう思うと恐ろしい事です。

  150. 退職信者

    2016年2月12日 5:13 PM 匿名様  2016年2月13日 5:03 PM様 古い教会長様

    皆さま 重ね重ね 有難うございます。

  151. 基地外の集まり

    宗教とは、信仰とは?
    A心を磨くものです。
    お供えとは?
    A契約では無いので、要求があってもする必要性は有りません。
    最後に、信仰の自由はある一部を除き世界共通項です。自分で選べるべきもので無くてはなりません。辞めたいけど辞めれない。邪教です。信仰とは辞めたい時には辞めれなくてはいけないからです。信仰とは選択できるもので、強制であってはならないものです。
    以上

  152. 匿名

    大教会直轄の教会 
    月次祭は1打席でも
    元旦祭は3打席

    本部は人材の育成と声高らかに謳っていますが 
    無理ですね
    まず、教会の息子さえ したくない とごねています
    息子 エライ 自分の飯代は自分で稼ぎましょう

  153. 匿名 お供え より 引用させていただきます

    約1年前に大きな悩みを抱えてしまいました。所属教会に話をすると、すぐに奥さんがおさづけを取り次ぎに来てくださいました。私は本当にありがたく思い、心からの感謝の気持ちを伝えました。
    でも後日奥さんが「おさづけに対する御供がないのはダメ。カラおさづけは良くない」という主旨のことを話していたことを妹から聞かされました。
    そして数日後、奥さんから直接私に電話があり、この困難を助けていただく為には信仰のない私の夫に別席を運んでもらうことが大事で、更に心定めもするようにと言われました。私は夫に正直にそのことを伝え、帰参と理立てについて相談しましたが、「信仰するのは個人の自由だが、教会本部に足を運ぶことを強要されたり、一宗教に高額の献金をしたり等という話は理解に苦しむ。もう少し冷静に考えるべきだ」と言われ、聞き入れてもらうことはできませんでした。
    私はそのことを教会の奥さんに話しました。信仰のない家庭に生まれ育った夫に不快な思いをさせたり嘘をついたりはしたくありませんと。
    すると奥さんは「今すぐ助けてほしいなら今すぐしなければならないことがある。旦那さんに理解されなかった?それはあなたに徳がないから。それに仮に今修養科を心定めしたって、今すぐ行けるわけじゃない。今すぐ助けてほしいなら今すぐやらなければならないことがある!旦那さんの気持ち云々じゃなくて、あなた個人の気持ちとしてやれることをやらなきゃいけないの!」とまくし立てられました。
    私は御供をしなさいと言われているんだと理解し、夫に内緒で貯金を解約して教会に送付しました。百万単位のお金です。
    翌日、奥さんから電話があり、前日とは別人のようなやわらなか口調で「御供受け取りましたよ。この御礼は旦那さんにも言っていいの?それとも内緒なの?」と言われました。
    この時私は何とも言えない複雑な気持ちになりました。私はいいカモだったのかなと。

    今も願うようなご守護は見せてもらえないどころか、状況は悪化するばかりです。でも当たり前だと思っています。お金でたすけてくれる神様なんていないはずですから。
    それよりも私は、言葉のきつい奥さんに口撃されないように奥さんの顔色ばかり伺いながら教会に繋がっていたんだなと自分で自分に呆れています。ただ、数百万円という授業料は高かったけど、私の子供たちにこんなおかしな信仰を引き継ぐ前に気がつけてよかったのかなと思っています。

    子供の頃から、人を見たら信仰はできない。人ではなく神様とおやさまを見て信仰しなければと思ってきました。なので、豪勢な暮らしをしている教会家族に対しても疑問や不満の気持ちを押し殺して御供をしてきましたが、何だかもう気持ちが切れかけています。
    でも、教会にお世話になってきたことも事実なので、完全に繋がりをなくすことに罪悪感もあり…信仰の難しさを感じています。

  154. 匿名

    一昔前はこういう考えの教会長が主流だったと思います。信者はひたすら助かりを願って借金を重ねてお供えを上げました。病気持ちの家族を抱えていた私の家族もそうでした。上の教会からは「助かろうと思うなら、借金してでもお供えせよ。はした金じゃあいけんからな」と。持って行った金額を見て「こんな金額で助けてもらおうと思うのか?よう考えてもう一回出かえて来い」と。両親が二人で暗い相談をしているのを思い出します。二人とも天理教の歪められた教えに洗脳され、上の言うことが信仰だと信じて疑わない人でしたから(理の親信仰というものに洗脳されていました)、自分の頭で考えると言う視点なんてありようもなかったです。子供にかかる費用はほとんど上に運ぶお金にかわり、みじめな子供時代でした。今から思えば何百万教会詐欺にあったでしょうか?
     今の天理教が変わらない限り、自分も末端教会を担任していますが、教会からは足を洗ったほうが良いです。光熱費や教会維持に必要な経費を、各個人が自分で決めた額を拠出するという発想なら理解できますが、人の弱みにつけこんでお金を要求すること自体「にせもの」だと思います。こういう被害に遭われる人が一人でも無くなります様に。親神様・教祖もこんな「教えにない暴走」から多くの被害者を救いたいと、このお道がすたれていくのを急いでおられます。今の衰退を見ればわかります。
    大金を要求されても絶対に大事なお金を出されませんように。大切な家族のために、そして毎日悪戦苦闘して頑張っているご自分のために、また周囲の経済的に困っておられる方々のために、養護施設などの幸薄い幼い子供たちのために等々・・・お金が生きる場所はいくらでもあります。教団は上がった莫大なお供えを人助けのためにはほとんど使っていないようですから。教会ではなく形を変えて、お金を生かして使うことこそ、親神様・教祖はお喜びになるし、そういう人にこそご守護くださるのではないでしょうか。

  155. 匿名

    宗教はその性格上(実態のないサービスなど)、人々から財産や時間を搾取(つまり
    対価の存在しないサービスにおいて金品等を要求)するのが唯一の機関維持方法です。

    そのための手段は概ねマインドコントロールに頼っているため、宗教に関わった時点で、
    通常の理性を持った人間性のある生活や人生を放棄したとみなすのが、最も適当です。
    これは変えられない事実なので諦めてください。

    まず、宗教に心の拠り所を求めてしまう前に、物事の因果関係の認識ができる
    健全な精神状態と健康状態を維持するのが最優先です。

    それと、わからないことをわからないと認める勇気も必要で、
    宗教のつくり話に惑わされないことが肝要です。

    あなたの場合は、既に合法的に精神を壊されてしまいました。

    最適な今後の処方は、これをもって教訓とし、自分で物事を判断できるように
    日々切磋琢磨することで、失われたことを挽回できます。

    本当に助けてくれる人は正気を保持する親密な人々なので、日頃から
    自身も正気になることで、周りに正しい頭脳の友人を獲得することを心がけてください。

    決して狂った心の人達と関わってはいけません。

    損をすることはあっても、得をすることはないと思います。

    2010/11/28ヤフー知恵袋 goodjapanese101さんのアンサーより引用
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1051154560
    (注:このカテでベストアンサーに選ばれている別の回答は、一般社会用のベストアンサーではなく、
    教団用のベストアンサーなのでしょう)

  156. さっちん

    2016年2月14日 12:35 PM の匿名様
     掲示板「お供え」の方に、匿名様のご意見を、載せさせて頂きました。天理教被害を少しでも減らす為に、匿名様のご意見を少しでも多くの人に知らしめる必要があると思いましたので。無断ですが、お許し願います。

  157. 匿名

    やはり
    信仰5代目
    自分も100万お供えしてから インターネットでお供え 天理教 を検索するようになりました
    月々は1,2万で 検索すること無く やり過ごしてきましたが。ブツブツ・・・
    どこの教会も同じですね
     
    それでも 天理教 お供えで検索すると 社会学 と共に 
    トップになり 嬉しいです
    お偉い方方 お供え お尽くし 理だて は講話で 使えなくなりますね
    何百回 聞き飽きました
    っていうか 私も 教会にいかないで
    ミサト研究会に おじゃまさせていただこうと思っています  
    (独り言 ありがとうございました)

  158. 退職信者

    八つのほこり
    天理教では、八つのほこりを説いていますが、おふでさきには五つしか書かれていませんでした。
    3-96 で歌われています。

    「うらみ」はおふでさきに、5回出現しています。
    その意味は、「自己責任」です。「神をうらむな」と言う意味で使われています。
    人間思案からくる「うらみ」ではありませんでした。

    「はらだち」という、表現はありませんでした。
    「はらのたつのもかハいゆへから」 が1回出現しています。 5-23
    神が、子供がかわいいから腹が立っていけんを言う事です。神の子供達に対する親心です。

    「にくい」はありませんでした。

    おふでさきに無いものを説いているのが、今の天理教です。
    信者の皆さん、早くねずみ講から逃げ出してほしいと思います。

  159. 匿名

    以下のとおり「八つのほこり」はおさしずに少なくとも4か所記載があります(見落とし御免)。確かにおふでさきには5つのほこりしかありませんが、3つは後の付け足しということでしょうか?教えてください。

    明治二十年十二月四日
    ○○○○○五十八才身上願(元○○会○○○号世話方)
    さあ/\/\いかなる処もよう聞き分けねば分かり難ない。本実真生涯の処、さしづして置こ。何程のこうのう尽す。それに身の処不足出ける。知らんと思うものと思う身の内かりものと言うた処、こうさして貰た結構やと思う心を、神が受け取るから、身に不足無し。これ八つのほこりの道もある処、理を聞き分け。今まで知らん間というものはそのまゝ。裕福に暮らす中にも、身の不自由となれば、どうもなろうまい。不自由の/\者もある。たゞ一番の者も、行けん者もある。それ、誠一つであれば、案じ無い。誠天の理である。ほんに日々の処こう暮らさして下さる、あゝ結構な事、と思て暮らすよ。まあ暫くの処、成程々々と心を定め、内々へも成程という処伝えて話。

    明治二十一年七月四日
    ○○○○○身の悩みに付伺
    さあ/\願通りのさしづ、どういう事を諭す。さあ/\どうも騒がしいと言うと、どんならん。そこで朝早うと言うのや。遠くの所より遙々運んで間違うてはどんならん。そこで朝早うと言う。そこでこれから願う者一人と取次一人と、二人はちゃ入れんで。真実の心運ぶのに、どういうものと思う。大抵の事情聞いて居るやろ。些かと思ても、大層の理がある。人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。そこで、たんのうという理を諭してやれ。もう一段。

    明治二十一年七月二十四日
    ○○○○四十七才身上願(○○国○○郡○○○村)
    さあ/\身上一条理を尋ねるから、一つのさしづしよ。人間というものは、皆かりもの。この理を分からんや、何にもならん。身のかりもの八つのほこり一時分からんやならんで。どうせこうせえとも言わんと。身のかりもの何を悪いとさしづすれば、分かるで。成ろとなれども、人間というものは心というものある。そこでどうせえとも言えんで。身上ありて心あるもの。身上無うては心に思う事も出けよまい。先ず/\誠日々の処第一。内々の処、誠という理を治まれば、自由自在と。成程の内や、成程の人やなあと言う。めん/\誠の理を映るからや。どうせこうせと言うわん。たゞ心次第とのさしづと。

    明治二十六年十二月二十四日
    ○○○○○妻○○指腫れ身上に付願
    さあ/\尋ねる事情、さあ/\まあ事情変わる、又変わる。又事情と言う。いかなる事情、身上案じる事要らん/\。案じる事要らんが、事情身に自由あれば、どうでも進まん。又尋ねる。尋ねば又事情聞き取りて諭してくれにゃならん。身の処尋ねる。尋ねたらこういうさしづ聞き取らにゃならん。皆話する、聞かす、よう聞き分け。これまで説いてある。どんな所でも話するは八つのほこり、又いんねん為す事諭して居る。いんねん諭する事、他に事情成程という道初めにそれ/\付いて、先々と言う。よう聞き分け。諭す中に内々理あるによりて、これ聞き分け。いんねん諭して先に諭すれば、いかなる事も自由。又めん/\諭す処から、めん/\先に定めにゃならん。先に定めてすれば皆自由そこにある。身に一寸事情あれば案じる。それどうなる、こうなる、めん/\思う事、すっきり思わんよう。すっきり治まれば日々治まりて、治まれば、先々言うまでやない。何も切なみとなる、こうなるという諭し置く。何も曇り無い。すれば誰に何を。これ一つ又どうにもこうにもならん。あちら風や、こちら雨や。話せん。不足ばかり。これ諭し置くによって、よく聞き分けてくれ。

  160. 憩の家

    教理があーでもない、こーでもないと、ごっちゃになってる時点でもうダメですよね。

  161. 廃れた教会息子

    島薗進さんの説は誰も知らないんでしょうか?

    「中山美支」が名実ともに中山家の家督になるためにヤケを起こしたという説ですね。婦人革命のやつです。

    あれも一理ありますね。最初読んだ時はなるほどと思いましたが、よくよく考えたら最初っから虚言だとしたら、とんでもない嘘つきですよね。
    だから、美支が言ってたことは考察しています。おふでさきは原本がありますから、教団側も歪曲しようがないでしょうし。
    おさしづはすべてが伊蔵さんの言葉ではないですね。こちらも原本があります。
    唯一見つからないのが、みかぐらうたですね。

    みさと研究所の植田先生の名がありましたが、かなり的確な分析をされる方ですから、一度お会いしたいですね。

    というかなぜ中山美支ではなくわざわざ中山みきと称するのか、小さい頃からの謎ですね。
    選挙みたいで、なんか嫌です
    例 麻生太郎→あそう太郎
    例 稲田朋美→稲田ともみ

  162. 徳子

    そうそう、秀司さんも慎之介さんも名前変えてますよね。
    和歌山の玉置山の頂上に玉置神社があります。大峰山の奥の駈け道の中にあるのですが、神社の主祭神は大国主命であり祀りかたが天理教の祀り方と同じでした。
    その山には、樹齢3000年の夫婦杉が今も健在に生きてますし、神秘的な場所です。

  163. 古い教会長

    あれだけ命をかけて「おふでさき」を守ったのですから、「みかぐらうた」の原本も絶対にあるはずです。外に出せない理由があると思います。
    多分、書かれている神名が違うのだと私は推察しています。

  164. 退職信者

    私が、以前投稿した中で、おふでさきの中の「しんじつ」の回数ですが、索引を利用したものですから重複が多く、改めて数え直しました。結果は、約170程でした。他のもの少なくなると思います。

    「しんじつ」「つとめ」「たすけ」「ざんねん かやし はらす そうじ」 これらの言葉がどこに出現するか色別の付箋を付けて調べてみまた。
    その結果、「しんじつ」「つとめ」はおふでさき全般にわたって出現しています。
    「たすけ」は、おおよそ前半に出現しています。
    「ざんねん かやす はらす そうじ」等は、後半に多く出現しています。

    おふでさき全体から感じることは、親神が、子供たちの行く末を大変心配し、子供を助けるために「みき」に天下り、「しんじつ」を説き、「つとめ」を教え、「かんろだい」を据えた。
    しかし、訳の解らぬ子供達に止められとても残念な思いである と言う事です。

    17-50 このみちはどふゆう事にをもうかな 月日ざんねんいちじょの事  と歌われています。

    おふでさきには、天理教教会本部が標榜する「陽気ぐらし世界実現」など どこにも書かれていません。
    おや神からすれば、この道は「月日ざんねんいちじょの事」です。
    これが「おふでさき」の本質だと思います。

    もう一つ、不思議な事に気がつきました。
    6-52  いざなぎといざなみとが一の神  これてしょこの大じんくゝなり  のお歌です。
    このお歌の下の句は、索引から消されています。
    「これて」 「しょこ」 「大」 「じんぐゝ」 「大じんぐゝ」 全ての項目から消されています。
    この下の句は、よほど都合の悪い事なのでしょうか。それとも私の索引が古いからか・・・

    秀司と山澤が始めた天理教ですが、やはり今でも山澤が牛耳っているんですか?

  165. 匿名

    退職信者さん
    2月15日PM1:01さん

    このみちハをしいほしいとかハいと
    よくとこふまんこれがほこりや(第三号96)

    と、ほこりについて5つだけ書かれています。それならにくい、うらみ、はらだちはどこから出て来たのでしょうか。それは「こふき話」で仰せられました。

    と言うことです。
    推測でものを言うのはやめましょう。

    天理教の皆さん、信仰はしてもお供えはやめましょう。

  166. 廃れた教会息子

    美支は「この家形取り払え」と説き、実践していわゆる”ひながた”を残したという。

    だが、現実はどうだろうか。組織としての教会数の維持に必死になる教団。

    いつかは教会も「取り払え」という教祖の眼差しの対象になるのではないか、という意見があります。
    天理大の池田士郎氏の論説ですね。島薗氏、関氏と共著した著書の中であらわしています。

    「復元」を宣言しながら、その原点に立ち戻ることはなく、応法派の体制が維持されつづける。
    なぜ、教会が作られたのかと抜本的に見直す、池田氏いわく「教会の出直し」が必要な時期にきていると私は思います。

  167. 退職信者

    匿名様 2月017日 2:28 PM様

    私の教会の、先代も今の会長も「こふき」などの話を信者に詳しく説き聞かしてくれたことがありません。
    恥ずかしい話しですが、「こふき」を印刷したものを目にしたことがありません。
    「こふき」についての詳しい資料や著作物など、どこで求めたらよいのか教えて頂けたらと思います。
    よろしくお願い申し上げます。

  168. 廃れた教会息子

    退職信者さん!

    親神が人間を造ったのは、泥海と表現されるよう混沌と化した状態であった世界を面白くなく感じて、人間が明るく勇んで暮らす「陽気ぐらし」を見て、人間とともに「よろこび」「たのしみ」たいと思ったからであり、親神の守護と恵みにより、人間は生かされており、天然自然が存在するというのが現在の教団が教える根本的な教理です。

    そのなかでも、元はじまりの話を昭和初期までは泥海古記、こうき本とよんでいたようです。
    元初まりの話、簡単にまとめると

    混沌としていた「どろうみ」の中に混じっていた「うを」(魚)が男の雛形(原型)、「み」(蛇)が女の雛形とされ、夫婦の雛形とし、男雛形には「しやち」(鯱)を仕込み、女雛形には「かめ」(亀)を仕込んでそれぞれ男女を創造したという教え

    ですね。
    詳しい内容は二代真柱の著書「こうき本の研究」にかかれています。昭和32年初版ですが絶版ではないはずなので、いちど道友社に問い合わせてみてはどうでしょうか?

    0743-63-1511

  169. 廃れた教会息子

    ちなみに、上の説明の原典は「改訂天理教事典」894ページです。あくまでも、現在の教団から公式に表明されている教えであることを、確認しておきます。

  170. 無名

    真柱でも表統領でもだれでもよい、多少の良心や思いやりがあるのなら、このような理不尽で時代に合わない教会制度をいっこくも早く廃止してほしい。本当にお願いだ!天理時報では、うまくいっている教会ばかり紹介しているが、そんなのは一握りで、現実はそうじゃありません。末端教会やそれに近い教会はどこも塗炭の苦しみで、教会家族の中にはノイローゼになったり、うつ病になったりで、もう本当にぼろぼろです。知り合いの兄弟教会では子弟が命を絶ってしまいました。すべて時代遅れの教会制度のためです。何が陽気暮らしの天理教か。生き地獄です。教会制度のためにこんなに苦しみ悲しみ恨みばかりがうずまいている。これ以上無理は重ねられません。

  171. 3代目信者

    はじめて投稿させていただきます。
    北陸にある末端教会の一信者です

    私の所属する直属では上々級をのぞく傘下教会のほとんどが世上働きをしています。
    信者も少なく、もはや風前の灯、組織としては成り立っておらず、どこか親戚の集まり状態です。
    教会の後継者もそれまでの信者以下の信仰心でしかなく、威厳も何も人を助けるどころか布教やにおいがけすらも出ないありさまです。おのずと月次祭などは信者も離れ、お供えも減る傾向です。
    学生層は学生会をしていますが信仰は無く、ただそのときを楽しむだけで卒業後はOB風を吹かしていつまでも会に居座り、青年会や教会の事は一切関わらないといった有様です。
    地方は高齢化と少子化でさらに人がいないわけですから教会に運ぶこともありません。
    もはや、教会に運ぶ理由が教会ありきの組織信仰から、ネットのLINEなどSNSでの繋がりによる個人信仰へとうつり変わっています。教会の在りようが制度であることはすでに誰もが知っていることで、認めようとしないのは教会をやめようと思う気概が無い関係者だけにあることが今の天理教です。

  172. 匿名

    末端教会を預かるものです。3代目の信者さんの投稿、まさに末端教会の現状ですね。私自身の熱が冷めています。熱くなる要素が無いです。数人の信者さんが昔ながらの信仰をしておられ、「上級は神様です」状態ですが、私自身は面従腹背。会長として、一人の人間として、偽りの信仰もいいところです。単なる教会の管理者、組織の歯車。ただそれだけです。可能なら辞めたいです。

    上層部の活動の本音が教勢増強であり、それが見えてしまうので白けてしまう。本来の誠真実のお助けと言うよりよりは、一人でも多く信者にすること。初席運ばせて、信者を獲得すること。本部はもちろんでしょうが、。大教会以下、切羽詰まり出したのを肌で感じます。

     私としては、金銭をもらわないお助けが本来の姿と思います。だから当然、教会当事者は働くべきであり、信者の年金や下の教会から上がるお供え金を自分の生活費として当て込まないこと。神はお金をほしがらない、欲しがっているのは人間であり、組織運営のための理不尽な無心なので、惑わされてお金を上に流さないこと。

     後継者問題は身から出たさびであり、風前の灯火の教会が多いと言うことは、一般社会の人も感じているところです。天理教の看板を挙げている者にとって、世間様にもお恥ずかしい思いをしています。世間で自分の身分を明かした時、「ああ母が天理教してました。だけど色々あって止めました。実家に神様が残ったままです。所属教会は、今してるのか、してないのか・・??よくわかりません・・」世間の人との会話で「昔はしてました。」といつも過去形。「今してます。」と進行形の」方に会うことは皆無に近い。
     お金のトラブル、過去の話として世間様から恨みのように聞かされます。 魅力のない天理教。メッキの斧をいくら振りかざしても、所詮メッキならば段々に刃がこぼれ本来の役目が果たせない。あ、金の斧だと思ったら、錆びてるよ。

    本当の信仰とは?教団挙げて本気で向き合うべきです。

  173. 匿名

    「ああ母が天理教してました。だけど色々あって止めました。実家に神様が残ったままです。所属教会は、今してるのか、してないのか・・??よくわかりません・・」世間の人との会話で「昔はしてました。」といつも過去形。「今してます。」と進行形の」方に会うことは皆無に近い。
    お金のトラブル、過去の話として世間様から恨みのように聞かされます。
     
     天理教が今までして来たことの結果が、このようになってるのですね。真に人を喜ばせて無い、人を助けて無い証拠です。お供えを過剰に召し上げ、信者が嫌気がさして離れて行ったという事を、如実に表しています。
     そのような状態の世間に、どうやってにおいがけをせよというのか。においがけをせよ、信者を増やせと言う前に、ご本部や、大教会等は、本来の教祖の教えに真剣に立ち戻るよう、改革をする決断をする事、それが先です。

  174. 一読者

    まつえ様、たまえ様、他、人間はじめもとの道具、と言われた人達に神の啓示が実現しなかった事も含め、本部にはそういった教理上の質問を受け付ける機関さえないのは何故だ?

  175. nanacy

    月次祭で今回、上級教会の奥様が布教所へ来られました。
    いつも奥さんは信者さんを増やせとかお供え金をくださいとか言わない人でしたが、今回は信者さんに布教活動につながるように力を入れてください。というような主旨ことを話されて。簡単にいえば、「信者さんを増やしてください」的な発言がありました。ここまで、天理教ご本部は危機感があるのかと思いました。
    結局、布教所の先生始め、信者さんたちそれぞれ、自分の今の状況で精一杯ですし。今の若い子にこの古ぼけた話を聞いて賛同するようなことは不可能に近い。それより、SNSでつながっている彼女・彼ら達に何を噂されるかわからない。まして、布教所も店舗経営しているのに、変な噂が立ち、売り上げにも影響されてしまうことも考えなくてはいけない。どこでもそうですが、上層部の浅はかな理想と現場の人たちの現実はあまりにもかけ離れています。
    今の状況を踏まえた布教活動をしなくてはいけないと思いますね。
    今後どうなるかは神様次第ということで。

  176. 匿名

     教会の所有権を本部が握っている末端の中には、廃業したいけれど、心ならずも教会を続けざるを得ないという会長さん方も多いことでしょう。これらの方々はどのようにすればいいのでしょうか?
     お供えを、ご自分が妥当だと思う金額以上には払わない、という決意、勇気を持つことではないでしょうか。今まで月30万お供えしていたとしても、3万が妥当と思えば、それ以上は出さないことです。固定資産税と割り切るのもいいかと思います。
     上級から何か言われても、お供えはこれで充分と思います、これ以上は、よう出せません、とそのように言ったらいいのです。これからそのように、多額の金を上納する事に疑問を持ち、異議を唱える末端の方々がどんどん増えていけば、上の横暴も少しは収まるのではないでしょうか。

     【お供えを少額にしても、出してる以上、追い出す事は、本部には、法的に出来ない筈です。】

  177. 古い教会長

    2016年4月18日 11:22 AMの匿名 さん。

    私もそう思います。教会として、教会教費を始め、各会の会費、支部・教区費等を納め続けているだけでも有り難いと思って貰わないといけません。
    払えない教会が沢山あるのですから。

    天理教の「御供え」についてをリンクします。
    http://6706.teacup.com/5051/bbs

    命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
    「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
    http://inochinonakigoe.grupo.jp/

  178. 匿名

    本部からの金銭の無心のせいで、地方教会でのたすけ合いに支障がでているんですけど。
    今後一切お供え金の強制には応じません。

  179. 匿名

     お供えの強制が信者の心を離れさせていることに、なぜ本部は気がつかないのだろうか?
    誠真実の心が大事と言いながら、心を踏みにじっていることが、なぜわからないのだろう?
    ともかく、信者から金をむしり取る、今の教団が早く潰れる事を、神に祈りたい。
    真柱が白紙に戻れ、と言ってるが、その為には、教団が一度潰れ、寄生虫どもを一掃しなければ、白紙に戻るのは無理なのだ。

  180. 基本

    貧に落ちきる⇒落ちきれば吹き上がる これがひながた

    カインさんはこの構図をたぶんご存じだろう。
    中山家は落ちきった⇒吹き上がった 八兆四方の神殿建築が開始、宗教都市天理市が出来た。 これがひながた。
    これを全部、全国の天理教会がするのが、教えの骨格である。

    地場は独り立ちしていて、?? 投機、投資で儲ける。??
    だってそうだろう、天災が予測できれば、投機投資はぼろもうけとなる。この株買ってよいですかで神に伺えば、金など減らない。見抜き見通しのかみである。 つまり独り立ち。
    真柱から43年で地震だとか、それ以外にも天災を知るすべを中山家は持っていて、数理は知っていて、楽々の事だ。

    ところが信者たちは法律に支配される諸井をはじめとする大教会長に操られ、政府に弾圧されて教祖の教えを、文書は焼き、天理を知る人は追放した。中山家以外に儲け続ける神の知らせの悟り方は、知るものは、天理教団には誰もいなくなった。

    親神が基本を用意しておいた意味はそこにある。

    貧に落ちきる⇒落ちきれば吹き上がる これがひながた
    これを全国において、国の真柱に、処の真柱に実行させて
    、「ここでつとめをしていれど、胸のハかりた者はない」の天理の正当性を証明させるためだ。

    独り立ちしていて国家の干渉にも曲げない、法律では絶対縛れない、医学の及ばぬおたすけの天理教の実現。
    そういう道の為には、法律に負け医学に負けしていては、到底無理であるから、カインさんのいう事に耳傾けないことである。

    でしょう、カインさん。

  181. カメさん

    同じような境遇の人間です。同感しました。あなたはそうではないようですが、天理教というだけで、笑われそしられ、つらい幼少期を過ごした者です。そのことと、神憑りに関して疑問を持ったので、現在、教会とは心理的、場所的にも距離を置いています。ただし、この世を創造した親神だけは、常に手を合わせております。

  182. とよ

    お供えはカネではありません。気持ちです。お金がお供えという風になっているのは、教えを半分くらいしかわかってない人が [お供えは金だ]と、広めていっただけなんです。だから
    [おさづけには金がいりますよ]
    とかいう間違ったことが当たり前と化してしまっているんです。大切なのは気持ちです。

  183. 末端教会

    >[おさづけには金がいりますよ]
    とかいう間違ったことが当たり前と化してしまっているんです。大切なのは気持ちです。<

    上級会長の講和で、〇浦分教会布教実習に行ったの際の話を聞きました。その教会ではおさづけ1回〇千円と決められていて道の路銀としてもらうことにしている、との事でした。これは、正常な行為なのでしょうか?私は非常に疑問に思いました。

    おさづけは純粋に人助け。お金を貰ったらいけないでしょう??
    教祖はお金と引き換えに守護するとは言ってないです。この尊いおさづけは夫婦で、親子で、隣人で、互いに取次合えばよいものだと思っています。夫婦でお金をやったり取ったりしますか?

    「おさづけにはには金がいる。」身上の古い信者さんにおさづけを申し出ようものなら、有難迷惑な顔をされるので、実際私も困っています。お金はいらないからおさづけを、と言っても、「神様にお供えがいるんでしょ??」「いいえ、あなたも私も平等にもらったおさづけですから、お金はいりません」「本当のところはどうなんですか?」と聞いてくる。(お金の心配しているのが表情でわかる)
    「神様はだれが取り次ごうと無条件に守護してくださいますから、取引ではありません。気軽に受けてください」と言っても納得しない。長年による教育だ。

    こんな信仰教育をしてきたから、今の衰退があると思っている。天理教に入ったら、助かりたいなら金がいる。子や孫は恐ろしくて寄り付かない。

    教会は道の路銀だなどと言ってお供えを懐に入れず、基本的には働くなどの自主自立の精神を持たねばならないと思っている。道一条などと言って人の懐をあてにしてはいけない。知らぬ間に身についた「乞食根性」は浅ましい。

  184. 匿名

    あなたの考えは違う。境遇あって助かったと実感がないから、そのような考えがしか思わないんですね。

  185. 末端教会

    匿名様
    私達一家は本当につらい半生でした。末端教会を担任していた両親の苦しみを見ながら成長した私達兄弟姉妹。姉は実家とは疎遠となり、妹は心を病み、兄弟姉妹、親子、離散状態になりました。
    (結論から申しますと、現体制の天理教組織から距離を置き、真実が知りたくて、ただただ天の親神を仰ぎ見、親神と対話する日々が長く続いた結果、一家は姉も妹もそして私自身、非常に心が解放され、心から天の親神にお礼が申せるほどの幸せな境遇をお与えいただいております。生活者としての豊かさはもとより、「魂」をも救われた感覚があります。憎まれ、疎まれても教団組織から距離をおいて良かった、そう思います。

    天理教は教祖の時代から姿を変え、変貌してしまいました。私は今現在、本当の教えを求めて一人「中山みき」の探求をしているのです。
    現教団の「嘘」の実態を知った今、残り少ない人生の時間で真実の教祖の教えに目覚めることのできた事を心から幸運だったと思っています。
    誠の人助けは、「助けっぱなし。」金銭を要求する事自体「嘘」がある。教祖の純粋な教えから始まって、周囲のとりまきが教祖の反対を押し切って組織を作り、「宗教団体」として巨大化し、世襲と言う欲望が出てくると、そこに「堕落」が起きてくる。現天理教の姿です。

    芹沢光次良の「神の微笑」「人間の運命」の購読をお勧めします。上記の事を強く実感します。芹沢氏は日本はもとよりヨーロッパでより認知された知の巨匠です。天理教によって筆舌に尽くし難い苦難の道を歩んだ作家です。二代真柱の親友として、天理時報に「教祖様」を長く連載しました。そして、天理教教団としての間違いや真柱としての在り方、その姿勢の間違いを真の友情として進言した人です。「欲の塊」と「知の探究者」。その天と地ほどに違う二人の人物像、品格の違いを知るにつけ、天理教団に失望したものの一人です。

    的を得ません。お許しください。失礼いたしました。

  186. 東風Z

    子供達に天理教は不要です。カメさんさんが仰っているように、天理教というだけで幼少期に限らず青年期にあっても、笑われそしられました。
    みかぐらうたに、わらわれそしられて、めずらしいたすけをするほどにとありますが、成人しきった心が存在しない限り、耐えることは出来ません。今、論じられている「いじめ」に等しい苦痛でした。
    我が家は、屋敷も田畑も無かったが、屋敷を払うて田売りたまえてんりんきょうのみこと、と言われた時の惨めさは80歳になった今も忘れられない経験です。

    そもそも、天理教の教会始め信者家庭に生まれたものは、全て信仰を継がなければならない理由が分かりません。
    元一日を忘れるなとか、ご恩忘れるなとかの宗教用語を連発して洗脳を諮ること自体、子供達への心理的な虐待行為だと思うようになった。

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