世間様


先日、天理教人と話していると世間様(せけんさま)という言葉が多く使用されることに気づいた。

世間様とは字の通り、世間の人々ということ。

その言葉は世間の人と天理教の人という無意識的境界線なくして成り立たない。

話は知り合い(世間の人)の不倫という下世話な内容だった。それに対して天理教人が繰り返す「あの方は世間様だからな・・・」という説明には全く同意できなかった。「あの方は世間様だから(不倫をするものだ)」という説明は、何も説明していないばかりか「私たちは粗悪な世間一般とは違い、高貴な天理教人だから」という自己優越的ニュアンスが漂っていた。

こういった差別的思考をしていては、世間と天理教の間隙は広がるばかりである。相手と自分を無意識的にも意識的にも分離するストックフレーズの危険性や、思考の脆弱性は早々と意識化した方がよい。

そこに何故誰も注意を払わないのか不思議である。そこを意識せずに世間様に布教をして、世間様に断られてもそれを雑草魂のように美化(神様は見ている的な)していていは意味がない。断られても断られても心を折らさずに不足(不満・不平)を言わないのが天理教の美徳らしいが。

不足をしないことを「たんのう」と説明してくれた天理教人がいたが自己理解(自身の持つ差別性や嗜虐性)を担保せずに、「たんのう」を理解してはいけない。教義の安売りはしてはいけない。布教をして断られても、無意識的に「君たちは(所詮)世間様だからね」と見下していては布教の意味がないということである。

そういった人として当たり前の作法を教える人(センセイ)がいないのは何故だろう。世間と天理教の橋渡しをする人がいないと、どんどん天理教は世間から乖離する。こういった天理教人を見ていると、背中に「私はあほです」と張り紙をされていることに気づかない人を見ているようで辛い。

天理教人も世間で生きていることにそろそろ気づいたらどうでしょうか。



世間様」への1件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 世間様…ですか
    う~~~ん、「俗にて俗に堕せず」ってのはよく言われることですよね。天理教では、「里の仙人」というのがそれに当るような気がします。
    「人々の中にいて、世間の中で同じように生活しながらも気持ちは仙人(お道の信仰者として正しい生活)のように」では、単純すぎるかな(苦笑)
    しかし、これは世間と天理教を分けるという意味ではありません。
    しかし、天理教の信仰者が「世間様」というと逆説的になって(聞こえて)しまうきらいがありますね。
    天理教の信仰者は、市井の中で生活し伝道してこそ生きてくるものです。
    ですから、天理教の人間が世間様といってしまっては、教祖の教えに反するような気がします。
    まぁ、そう仰られた方が、どのような思いでいわれたのか、その真意は分かりかねますが…

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