何事にも相性はある。天理時報にも。


お久しぶりです。前から公言していたように年度末は大変忙しい。毎日のようにまとめ書類の締切があり徹夜することも。しかしようやく一区切り。来年度の準備もおっけい。4月しばらくまで落ち着いた日々を送れそう。何より落ち着いて寝られることが幸せである。

WBCの優勝は素晴らしかった。私はライブで見てはいないが(だって平日の昼間だもん)、WBCを見てる人を見ていた。

そして次の日?に天理高校野球部が選抜高校野球で負けたのを作新学院出身の取引先の方に聞いた。天理高校野球部、今回は優勝候補だったようだ。知らなかった。天理高校野球部の活躍は、天理教の広告塔としてかなり大きな要素を占めている。高校野球がなかったら天理もPLも智弁も知らない人が多いと思う。高校野球が持つクリーンイメージは新宗教団体にとって大きな武器となることは間違いない。確信犯的である。
その辺の宗教団体の広報戦略は大変興味深いものがある。「新宗教と高校野球」という本はないのかな。一度調べてみたいものである。

話は変わり、今月始めからわたしは天理時報を定期購読することになった。先月末に知り合いの天理教人から「天理時報とってる?とってないなら取りなさい」と言われ「そーですねー」と社交辞令で適当に流したつもりだったが… 本当に来た。ビニールに包まれてる!手続きなどした覚えはないのだが。不思議である。

そこで、初めて送られてきた天理時報をじっくり読んでみる。んーやっぱりしっくりこない。朝○新聞の「声」のような雰囲気がどうしても馴染めない。天理時報の論調は間違ってはいないと思うし、むしろ素晴らしいことばかり書いてある。このしっくりこない感じはなんだろうと思っていると、村上春樹が現代のイデオロギーを「過剰な正論」と表現している文に当たった。なるほど。しっくりきた。過剰なんだよ正論が。天理時報も朝○のコラムも。その否定を受け付けようとしない大学生のレポートのような雰囲気が読んでいてシンドイのだ。正論でもいい。ただもう少し建設的な思考文体や、こんなダメ日本を許容する姿勢を見せてほしい。「いやー今の世の中って素晴らしい!」と言って欲しい。ダメな現状に満足することは天理教の宗教戦略にとって不都合でることは私も理解しよう。「喜ばびましょう」と言いつつ、喜んで(満足して)しまっては負けというパラドックスに天理教の布教戦略の本質があることも認めよう。でもね、そこを理解している天理教人は果たして何人いるのだろうか。そのパラドックスを理解しないと「陽気ぐらし」が霞んで見えるのは私だけだろうか。私はこんなダメな日本を、ダメとは思わない。

その次の号から我が家に届く天理時報が不要書類のラックに未開封のまま積まれていくのであった。
いや、それはもったいないから最新刊は捨てずにリビングの読めるとこに置くようにしよう。
支払いはどうなるんだろう。まさか天理時報ってタダじゃないよね・・・