天理教を信仰する若者には未来がない

毎年、お盆と正月には天理教を信仰している若者から相談を受けることが多い。お盆や正月の里帰りでは、教会や信仰の後継問題が話し合われるためであろう。家庭環境や育った地域も異なるのに天理教で悩む若者の置かれている立場や混乱の状況は同じパターンばかりであることに驚く。

私は相談を受けて、できるだけ具体的な支援の情報提供をおこなう。しかし事情や背景が分からないので最終的には「行動するのはあなただから無理せずに頑張って」としか言えない。しかし、これまで何人もの若者が親である会長達とコミュニケーションができないと嘆いて、結局「もう二度と教会には帰らない」と天理教から離れていってしまうのを見てきた。驚くのはその天理教の若者達がみな社会的に優秀な者が多いということだ。中には政府の中枢で働くものや、何百人もの部下をしたがえる企業の幹部候補までもいた。こうなってしまっては天理教を出ていくことが、健全でまともな思考の持ち主だと考えることもできる。

親である会長達とのコミュニケーション不全というのは、私が会長達と話したときに感じる不全感と全く同じであると考える。なぜだか分からないが、会長達は多くの確率で「自分が絶対的に正しい」と疑いなく思っている。だから元々コミュニケーションなど成立しない。信仰とは自ら追い求め続ける内的作業というのが通常の理解だと思うが、天理教の会長達はなぜか「俺が正しい信仰を教えてやる。俺の話を聞け」という絶対的姿勢を崩さない。談じ合いと言いつつ「違う。教祖(おやさま)は実はこう言っているのだ」と神の権力を勘違いした自己解釈を展開することが多々ある。多くの会長達と話してみれば、そこに感謝、慎み、助け合いなんてないことはすぐわかる。それらは一部の人間というよりも一貫した体質であると大教会長や本部員のセンセイたちの話を聞いて思う。(天理教が発行する媒体などを見れば、自己の発言に正当性を与えるために「神様は〜」と自分が神にでもなったかのように教義を継ぎ接ぎしたものばかりで辟易する)

私が天理教を宗教ではなく自己啓発セミナーに近いと感じるのは、指導者たちの言葉が生活侵襲的すぎるためである(具体的な教義論ではない)。この議論に天理教人と一緒に踏み込んでしまうと、散らばった先人の歴史やパッチワークされた教典を引き合いに出されて結局うやむやにされてしまう。しかし一般的に宗教とは主体的な内的作業である。通常、指導者やメンターは、目標となる教義を提示することで「あとは自分で考えろ」と信仰へのチャレンジを促す存在であるはずだ。上下なんてものはない。信仰とは、失敗も含めて自分で教えを噛み砕くようなアソビの部分がなければ教えを涵養させることは到底できないだろう。誰かにあーだ、こーだ言われるのは信仰とは言わない。

しかし天理教と自己啓発セミナーは共通して、かなり具体的な生活にまで侵入する。まさしく「金を集める」「人を集める」という行為が究極の具体的侵入行為である。全国の各教会にいけばスローガンやノルマ表が掲げてあり、そこは厳かで落ち着いた信仰の場として相応しい雰囲気ではない。天理教の教会はポスターや張り紙だらけのガチャガチャした営業所やセミナー会場に近く、極めて神聖さに欠ける、といくつかの天理教教会を見て来た私は感じる。

その他にも「天理の学校へ進学しろ」「神名流しをしろ」「戸別訪問をしろ」「路傍講演をしろ」「新聞を配れ」「講習会をするから集まれ」などかなり生活や人生を縛ってしまうほど侵襲的で反宗教的だ。10月の秋の大祭において真柱の神殿講話で「ひのきしんに決まった形はありません。身の回りの小さなことも、地域社会で役立つことも、その現れ方は様々ですが、親神様にお喜びいただきたいとの真心からのおこないは、すべてひのきしんと言えるでしょう」と言っている。しかし天理教本部や大教会は決まりきった形や枠組みに、信仰を押し付けようとしているようにしか見えない。大号令で信者を行事等に動員させ、右向け右をさせる。決まった形はないと言う真柱は言行不一致ではなかろうか。もしくは天理教の実体を少しも知らないのであろうか。

天理教から離れた若者たちの話を聞くと、どう考えても彼らの方が天理教的感覚と天理教の教えを正しく理解し実践しようとしているように感じる。同じように感じている人は多いのではないかと思う。

反対に天理教から離れることができない若き信仰者たちは、天理教本部や大教会に、ことあるごとに大号令で集められ講習や行事に参加させられている。そして、いつの間にか社会から遊離した天理教用語と、人を追い詰める独特の言い回しを学ぶ。先日も天理教の若者と話をしたが、彼は「今後、天理教の教えを正しく理解する人はより少なくなる」と、大真面目にあたかも自分が正しく理解しているかのような偉そうな口ぶりであった。神や信仰とは生涯を通して問い続ける謙虚なものではないのか。天理教では違うらしい。「あなたがすでに天理教を正しく理解していると考えているなら、誰も人は付いてこないよ」と伝えたが、ピンときていないようだった。天理教から分離、独立する団体が多い理由がどこにあるか全く理解していないのかな。きっと彼は天理教教団から分離、独立する団体は、異端で悪で、天理教を正しく理解していない団体と思い込んでいるのだろう。カルト思想に近い。天理教の後継者育成は思想面でも間違っているんだと私は確信した。

しかし彼らのような若き信仰者は行事参加の人数集めや、においがけという名の営業、新聞の手配りという名の宅配サービスにすり替えられてしまい、自身の信仰に向き合い、教えを涵養させる時間などないというのが実際のようだ。北朝鮮は、体制に疑問を抱かせないように人民に集会や会合へ強制的に参加させて、考えさせる時間を奪うと聞いたことがあるが全く同じだろう。
そのような人集め、金集めの前時代的姿勢が天理教への嫌悪感となり、社会から向けられる不信感からいつまでたっても天理教は抜け出せない。「天理教は社会に認められ必要とされている!災害救援も自治体に要請されるほど信頼されてるんだ!」と多くの団体が要請されているにも関わらず、あたかも天理教だけが特別かのように天理時報では煽る。その欺瞞さに天理教以外の人間は気づいているのに天理教人だけは気づかぬフリをし騙されたフリをし続ける。

天理教は歴史があり規模も大きく新興宗教ではないと言われたことがある。学問的にはそうかもしれない。しかし一般社会から見れば、天理教だろうが、創価学会だろうが、幸福の科学だろうが、”その辺”の宗教は総じて怪しい、何をやっているか分からない危険な新興宗教のイメージというのが一般的な見方であろう。これが金と人を集めるという結果だ。

しかし今さら人集め金集めを止めてしまっては、収入の9割以上を信者からの寄付金に依存する天理教は間違いなく一年も待たずに財政破綻し法人を解散するしかないだろう。宗教法人は信教の自由を担保するために税金の優遇を受けている。裏を返せば宗教法人は財政破綻しても、国は一切助けてはくれない。企業は倒産しても救済措置があるが、宗教法人は簡単に消失してしまうことに気づいていない人が多いのではなかろうか。

確実に多くの天理教人が気付いているのに誰も言わないこと。それは組織を運営するのに金が必要なことは理解できるものの、”信仰”に金が必要であることを全く説明できていないことだ。なぜ神を信じるだけなのに金を出す必要があるのだろうか?この話をすると必ず天理教人はみな話をすり替える。私は天理教人からまともな回答を聞いたことがない。誰かいたら教えてほしい。

「天理教は組織が巨大だから運営に金がいるのは当然だ」。その論理は教団側から見れば当然かもしれないが、金を払う末端の信者たちの気持ちには全く寄り添っていない。部と同じ勘違い目線である。巨大な組織だから運営に金がかかるというのであれば、天理教の信者は幹部を食わせるために献金していることになる。幹部のための信者だ。そういうことになる。天理教本部があるから天理教があるという意識では社会から決して信頼されない。天理教信者がいるから天理教があり、天理教本部があるのだ。なぜ、天理教信者でもない外部の私がこんな基本的なことを言っているのか訳がわからなくなる。

こういうことを私が言うと、天理教人は「天理教も会費制にするべきだ」と言う。いや違う。会費制以前に、神を信じるのに金と組織が必要な根本的な理由を教えてほしい。組織があるから金が必要になる。その結果、多くの人が苦しんでいる。多くの人が天理教に不信感を持っている。献金だろうが、会費制だろうが、それは変わらない。会費制だから問題ないとなってしまっては、複数の会費が乱立するだけだ。いまでも献金の他に会費、お供えなど、名目を変えた支払いばかりではないのか。

そして何より私が最も天理教に失望するのは、弱者に寄り添おうとしない、そういった高圧的な姿勢を天理教人が示すことだ。大学で福祉学や経済学の概論でも学べば、「組織が巨大だから金が要る」という主客転倒は基本的な間違いであることに気づく。「誰の何のための献金行為か」と。このような弱者の視点を無視した偏った認識では、天理教は天理教であることの意味を失う。社会から信頼を得ることは決してないだろう。天理教の組織運営には哲学がない。

私が感じる天理教の矛盾は、こうした言行不一致に散見される。多くが私自身が経験したことに由来するが、寄せられる経験談には共通点が多い。これまで天理教学生会や青年会、女子青年会などの会合に足を踏み入れたことがある。そこには「陽気ぐらし」や「ひとだすけ」とは程遠いほどの特異的グループが形成される。学生会は、悩みながらも自己開示を求められ「皆仲良しイエーイ」と絶叫する「サークル的一体型モデル」が提示され、青年会は社会との付き合いに悩みながらも「何も考えずに神様にもたれて突き進もう」という「軍隊的モデル」が提示され、女子青年会は文句も言わずにコツコツと男性と組織を支えるという「おしん的モデル」が提示される。すべて「洗脳モデル」とも言える。そのモデルに適合しないものは、「助からない」「喜べない」「ふせこめ」「たんのうせい」「理がない」「徳がない」と徹底的に排除される。私も過去に言われたことがある。

「陽気ぐらし」や「ひとだすけ」というのは天理教人にとってみれば、多様性受容モデルではなく、「モデルに適合する人間のみに許される」メンバーズオンリーの特異的均質サークルでしかない。そんなグループから優秀な人間は生まれるはずはないし、陽気ぐらしとは真逆である。縦の伝導(信仰の継承)がうまくいっていないのは、清濁合わせ飲むような器の大きさが天理教にはないからである。天理教という特異組織に合わない組織、合わない人間を「異端」や「わかっていない」とラベルを貼り排除していることに気づかないといけない。まさしく社会から「異端」「わかっていない」と言われているのは天理教だと気づかないと今後組織は危険な方向に向かっていくだろう。

天理教が集めた莫大な金を株式や不動産へ巨額の投資をおこなうことは違法ではない。しかし宗教法人として倫理的に疑問が残る。教会に掲げられた人集め、金集めのノルマ目標や人集めのスローガン。毎月の御供を署名入りの祝儀袋に入れさせ、建物の建築時には献金袋とは異なる集金袋が配布される。金を集めている責任者たる大教会長たちは、天理教本部の責任役員も兼任している。つまり半強制的で巧妙な集金方法を天理教本部が知らないはずはない。非公開のその金の流れを把握している教会本部と大教会長、教会長は共犯関係にあることは間違いない。

これら半強制的な献金の信者への説明でよく展開されるのは「神様に喜んでもらう」という理由付けである。この説明も先ほどと全く同じ論理である。本当に神は喜ぶのだろうか。金を出すことで神が喜ぶと言うのであれば、天理教の神は薄汚れた欲まみれの神ということになると考えるのが普通だ。天理教人はそれでいいのだろうか。金を集めることが一番の問題とは言わない。しかし人々が必死に働いて得た金を毎月集めるためだけの説明責任を天理教は一切してない。「天理教の献金は自由だから」と、自由意思を偽装し、不安を煽る献金ビジネスは終わりにすべきだ。

文化庁文化部宗務課が発行している「宗教関連統計に関する資料集 平成27年3月」によれば、平成26年の家計支出における宗教関係品目では、「信仰・祭祀費」が約15,700円、「葬儀関係費」が約18,900円、「祭具・墓石」が約6,200円とある。つまり平均的な一般家庭では宗教への献金は年に平均約15,700円と考えてよい。月にすると1000円程度の支出である。月に1000円以上、天理教に献金をしている人は、日本人の平均を上げていることに貢献している。ちなみに我が家は正月や観光で寺社仏閣にいったとしても浄財金は家族全員でも年に数千円だろう。
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu_kanrentokei/pdf/h26_chosa.pdf

何度でも言う。天理教は、金を集める理由を個人の思想や組織の経費にすり替える以前に、宗教的意義を明確にするべきだ。金を心の問題にすり替える時代、不安を抱えた人間に金を出させる時代はもう終わっていると私は感じる。

私だけだろうか、献金の意義を「真心の御供」などと個人の思想や組織の経費にすり替える天理教人の説明は、結局神を侮辱していると思うのは。天理教の神はお金で喜ぶような人を差別するクズみたいな神なのかと。金を払う人間を必要とするなら、金を払わない人間を天理教は見捨てることになる。

天理教人が気付いていないフリをするのは、「天理教を信仰することが真に正しければ人も金も集めなくても勝手に集まる」ということだ。こういう話を天理教人にすると、ほぼ100%の確率で「人や金が集っても集まらなくても、信仰者としての振る舞い(頑張り)を神様は見ている」という話しに再びすり替わる。私にはまったくこの日本語が理解できない。金集め人集めを正当化するその歪んだ論理展開は全く論理の理がない。何度も言うが、天理教人をみて思うのは、天理教の神は人集め金集めを渇望する欲にまみれた神なのだろうか、という単純な疑問だ。歪んだ論理の背景には全農幹部と同じ、「俺らの生活のために献金しろ」という思想が見え隠れする。そこには「たとえ少額でも神様に集められたお金をありがたく頂戴し規模に応じた組織を運営する」という謙虚さは少しも感じられない。

天理教から抜け出せない若者は、天理教本部行事に集められたところで、学生会のように「天理教大好き!」という洗脳のような熱狂もなく、談じ合いというガス抜きも効果なく、ボディブローのように交通費の出費と胸に刺さらない幹部の自慢話で時間を無駄にした徒労感しか残らないようだ。せめてもの救いは、天理に行くことで高校時代や大教会の同じ境遇の友達を見つけ合って傷を舐め合うことくらいである。

天理教の権力者たちは話し合い、談じ合い、耳を傾ける、寄り添うと言いつつも、最終的には「素直になれ」「伏せ込め」「徳を詰め」「理を立てろ」「心を寄せて」「勇め」と自分が神になったかのような文言を並べて最終的には自分の思い通りにしようとする。私の元には全国から続々と同様の経験談が寄せられる。その結果、会長たちは自分の思い通りになれば「俺の言ったことが正しいだろ。神様は見ているんだ」と言い、思い通りにいかなければ「お前は助からないぞ。神様は見ているんだ」と暴力的な言葉で若者を縛ろうとする。どっちに進んでも行き止まり。これがカルトじゃなければ何なのだろうか。

中には会長夫妻が高齢になり、毎日のお勤めや行事、天理時報の手配りが体の負担となってきため「早く教会に帰ってきて親の負担を継げ」と露骨に若者に嫌な物を押し付けるような言葉を吐き捨てる最低な会長夫妻もいるようだ。それが「お前の役割だ」(ご恩報じ?)と、都合のよい運命論(いんねん)で不安を煽りながら。
教会で生まれた子供たちに我慢を強いて育ててきた結果、成人し教会に寄り付かなくなってしまった我が子たち。天理教から距離を置き、給料をもらいながら家族で幸せを噛みしめる子供たち。そこには天理教の教会にいるよりも確かな”幸せ”がある。教会では実の親が”理の親”のため”ご恩報じ”と頑張って教会運営してきたものの、高齢となり支えてきてくれた信者も少なくなってきた。気づけば周囲には誰もいなくなり孤独と老後の不安だけが残る。天理教が大好きな「家族だんらん」や「たすけあい」「親のため」「御恩報じ」などの言葉は、自分の都合が悪くなったときだけ若者に吐き捨て「あいつは本当に大事なことをわかっていない。贅沢ばかりして全然伏せ込んでいない」と若者を悪者に仕立て上げる。高齢となった親を心配して遠方から来た若者は再度傷つき、より教会の実家には寄り付かなくなる。こうなってしまっては何のための信仰だろうか。若者が天理教を離れるのも納得できる。

天理時報の手配りなど分母である発行部数が減少しているために手配り率が自然に上がるのは当然の現象である。しかし天理教本部は「皆の頑張りで手配り”率”が上がっている。もっと頑張れ!勇め!」と相変わらず末端に負担を強いることしかしない。天理教本部は老いも若いも末端が疲れ切っていることは見て見ぬふりをする。

新聞の手配りという負担を強いれば強いるほど、末端の疲労は蓄積し組織が内部崩壊するなんて、少し考えれば小学生でも理解するだろう。まともな思考のできる経営者は天理教にはいないのか。このような点こそ専門家を配置せずに、特定の家系だけで役職を回してきた組織の劣化の結果だろう。天理教本部の会計責任者は天理大学の卒業だが、経営学科もない天理大学出身者で会計ができるのだろうか。天理教のバランスシートでも見れば、献金に依存しすぎるイビツな経営体質は会計的に非常に危険なものであると誰もが考えるだろう。会計責任者としてどう対応するのだろうか。(天理教本部の会計責任者が会計の専門家であれば謝罪するが)。
私は「天理時報の手配り」こそ、天理教を内部崩壊させる加速器だと思っている。手配りによって疲れ切った声が私には届くが天理教道友社には届いていないのだろうか。弱者への想像力なんて天理教にはできないのだろうか。

私も過去に天理教人に言われたことがある。「お道は知恵学問ではない」と天理教は学問を否定するような教えがあるようだ。私が天理教の運営や、やり方に口を挟もうものなら、「あなたは天理教の専門家ではない。そのような人間を我々は必要とはしていない。あなたは専門的助言だけでいい」と、面と向かって言われたことがある。その結果が、素人集団で時代遅れで数字も読解できない現在の天理教の姿ではなかろうか。天理教の専門家であることだけを必要十分条件とするなら、天理教教団は経営の素人、学問の素人ばかりとなる。天理教から人が離れ、天理大学が定員割れで入学者が減っているのは、まさしく、それを運営している人間が素人集団だからではないだろうか。天理教の運営を天理教の専門家だけでよければ、天理教は出版や医療、教育から撤退するべきだ。天理教しか知らない素人でも運営できるということは医学や教育学を侮辱していることになる。天理大学の学長は、天理教の名家の出身らしいが、彼は研究もしたことがない大卒だ。彼に「教育とは何か」をきいてみたいものだ。AERA以上の思想哲学を無知な信者たちではなく、教育の専門家に語れる知性をお持ちだろうか。聞いてみたいものだ。

高度経済成長で儲けた成金経営の結果、経営戦略が末端弱者に負担を強いることしか思いつかない。その経営モデルはすでに破綻している。天理教は倒産寸前のワンマン中小企業であろう。もうお分かりだと思うが、天理教が空中分解している根源が、天理教の政策や組織経営の失敗であることは明らかである。下部教会や末端信者に負担を強いることしか天理教本部はしない。上納金を集める一方で、社会保障も与えないのは組織として責任を放棄していることになる。震災の募金すら大号令で信者から集めた金のみで、天理教本部は一銭も支出していない。こんな無責任な天理教の政策は、天理教内部はもちろん誰にも支持されるわけがないと普通の社会人なら考える。

お金のトラブルや上納金のこと、大教会長による進路変更や婚姻などにも及ぶ強権的な人事権のことなど天理教人に聞いてみると、多くの天理教人が同意してくれる。「聞いたことがある」「よくあること」「それ〇〇大教会の話だね」「◯◯家であった話」と。私の元にも多く体験談と証拠ファイルが寄せられる。

しかし多くの天理教人が知っているのに、目の前の理不尽な権力に対して立ち向かおうとはしない。それが私には不思議で仕方がない。私であれば身内ほど厳しく糾弾するし、それが例えば人の道に逸れるようなものであれば、しかるべきところに突き出して徹底的に反省を促す。我が子の教育はそうしてきた。身内だからこそ厳しくありたいと思う。しかし天理教人は身内の権力の暴走には決して立ち向かわない。「そんな人もいるが一部だ」や「組織に問題があるのは分かるが、それは私には関係ない。私は私の信仰を深めるだけだ」と、天理教以外の一般人が聞いたら呆れる無責任な言い訳しかしない。こんな姿勢で天理教が「人助け」「陽気ぐらし」なんて、どの口で言えるのか私は不思議で仕方ない。こんな発言をする人間に誰がついていきたいと思うのだろうか。

次期天理教トップとなる中山大亮氏の婚姻が発表されたようだ。天理教本部では新郎新婦の実質的な後見人は誰かということで噂になっていると聞いた。実質的トップの今の統領や責任役員では140年祭まで天理教はもたない。次の表頭領の座を虎視眈々と狙っている人間は誰だと。結局、末端信者のことなど誰も興味がないのだろう。

話を戻すと、私は天理教問題で相談を受ければ、しかるべき窓口に紹介するようにしている。人権侵害であれば総務省や都道府県の人権侵害センター、お金であれば消費者生活センターである。もちろん場合によっては警察などの捜査機関である。現在、公益通報者保護法の改定が消費者庁で検討されている。基本的には労働者を対象としているが、宗教法人も労務が生じており範囲内と考えられる。また今回の報告では役員や退職者も含まれる。天理教幹部や辞めた人も守られることになるだろう。

天理教で悩んでいる方は、問題を整理し、証拠を収集し(動画や録音ファイル)、きちんとした行政機関に相談されることをお勧めする。私もこれまで天理教に関して行政には通報しているが、意外に行政は親身に相談に乗ってくれるし、各自治体の人権相談などは世間の関心の高まりもあり調査結果報告までしてくれる。また「相談件数としてきちんと分類・計上されるので個別事案であっても無駄ではない」と言われた(消費者生活センターからの助言)。

間違っても、会長や上級教会や天理教本部にある渉外課に相談してはいけない。「ちゃんと会長と相談するように」「たんのうせい(現状を喜べ)」と言いくるめられ余計に傷つくだけである。天理教本部は本気で人を助ける気はないのだろう。

ここまで書いていると、ある読者から天理時報9月4日第4490号の「時代担う若者の育成へ」という記事を紹介していただいた。次期真柱(トップ)である中山大亮氏が、後継者を育成するために講習会を開始するから「対象者が一人でも多く受講するよう、各直属教会での力強い働きかけをしてほしい」と本部幹部会で要請したとのことである。

この記事を送付してくれた天理教の若者は、この記事を読んで「将来への絶望」を感じたとのことである。その絶望を要約すると、「権力を用いてわざわざ地方から交通費も援助せずに若者を本部に集合させ、『俺が正しい信仰を教えてやろう』と偉そうなことを言う若きリーダーの姿勢に信仰のカケラもない。同じ世代で末端の苦悩を共感してくれると期待していた次期真柱まで、これまでとまったく変わらず集団主義の権力頼みしかみられない。『各直属教会での力強い働きかけ』によって強引に集められた若者たちを見て、きっとこの次期真柱は順風満帆なリーダーの一歩を踏み出すのだろう。」と。本当に北朝鮮のようだ。

ここは本当に平成の日本なのだろうか。天理教を信仰する多くの若者は苦しんでいる。天理教とは一体誰のための組織なのだろうか本当に私には分からない。

次期真柱である中山大亮氏はすでに権力を自身の力と勘違いしているのだろう。彼の言動でどれだけ多くの若者が苦しむのか、外の世界を知らない彼は全く想像ができないのであろう。自分の一声で多くの人間が右へ左へと動くのは、さぞかし気分が良いだろう。権力者が「力強い働きかけ」をする組織なんて人望も信頼もない現れである。もし企業の業務命令と勘違いしているのであれば、全国の天理教専業者に賃金と社会保障を与えるべきだ。賃金も与えず社会保障もせず、「金を出せ」「人を集めろ」ということが人の道として狂っていることに早く気づいた方がよい。

彼の言動を批評すると必ず反論がくる。「彼は時間をみつけては神名流しやにおいがけに積極的に行っているから、いい人だ。今日も天理駅で神名流しをやっていた」と。いい人?そうかもしれない。しかし本当に感情論で終わらそうとするなら、私の過去のデータをよく読んでほしい。

これまでの慣例から彼は年収数千万円の収入があると見ていいだろう。もしそれほど貰っていなくとも、将来数億円の年収が約束されている。もし天理教が大嫌いな人でも年間数千万円貰えるなら喜んで神名流しもにおいがけもやるだろう。神名流しを1回やれば数十万円貰えると計算すれば楽勝だ。年間数千万円をくれるなら私も”いい人”になろう。
彼は何不自由ない人生を送れるが、末端の若者はその日暮らしで将来の保証もない。この天と地ほどの違いは組織への信頼を破綻させるには十分すぎるほどの格差である。人の気持ちが離れる時は一瞬である。金の話はゲスいだろうか?しかし信頼を得るとは正にそういうことだ。もし高額な年収を適正化するか、公開する気がないのであれば、それに見合った結果を出さないと誰も納得しない。結果とは、これまでの権力経営ではいけないということだ。

例えばビル・ゲイツが、ビックカメラで営業していたとしよう。客は喜ぶだろう。しかし株主は「お前の役割は客に媚びることではない。営業利益を最大化することだ」と言うであろう。信者と同じ目線で営業(においがけ)することは決して悪いことではない。しかし権力を持っている人間の役割は、末端に媚びることではない。組織を変えるということは権力を持った人間しかできない。

信頼を得ることの難しさを誰か彼に教えてあげた方がいいのではないか。次期トップとしてやることは、信者に媚びて神名流しや布教をすることなのだろうか。お正月に国会議員を集めて挨拶をすることだろうか。

それとも献金に依存せずに、天理教の存在価値を高めて、天理教人が喜んで信仰生活を送れるように自信を取り戻させることではないだろうか。次期トップには次期トップにしかできない仕事があるだろう。組織を変えることだ。

末端の若者に金を払わず、権力を使って人集めをして何の信頼が得られると思っているだろうか。真柱や大会長たちに従順で何の力もない末端の若者の背後には、多くの信者が厳しい目と冷めた目で教会本部や大教会を見ていることを忘れてはいけない。

彼だけではない。天理教本部員のツイッターやFacebookを見れば、頻繁に刺身を食べて酒を飲んで、休みには旅行に出かけ、子供は天理大学以外に行かせ、海外に行かせてと文化的で豊かな”普通の”生活をしていることがわかる。
年金も健康保険も払えておらず、毎日の食事も節約している末端の若者が、その本部員のSNSをみたときのやるせない気持ちを天理教幹部は考えたことがあるのだろうか。その気持ちの機微が分からないから天理教から人が離れるのだろう。

権力を用いた集団主義の強化、これが天理教の人材育成の方法であり、天理教から人材が流出する原因であることに天理教本部は誰も気づいてない。そして会長である親と組織に、若者たちは絶望を感じるのであろう。

今後、天理教が空中分解、組織瓦解するにつれ、天理教本部の「研修会をするから本部に集まれ」「大教会に集まれ」「この書籍がお勧めだから買え」「◯◯会をするぞ、◯◯名集めろ」「新聞を配れ」「天理の学校に行け」という号令や、創業当時の関係者や伝説的逸話への回帰現象、逆行傾向は強まることは間違いないであろう。特に天理大学は教団から年間30億円もの支援がないと経営できないほどの異常事態である。天理大学は授業料が安いことで金のない家庭の学生が集まるが、値上げすれば学生が集まらないというジレンマを抱えている。そのため今後天理教信者の子たちに天理大学への進学を勧める傾向は強くなるだろう。これらの原点回帰現象は私が知らないだけでもう始まっているのかもしれない。
余談だが、私の経験や見聞きした中で「ダメな教会」の典型例は「大教会◯◯清掃ひのきしん」などと、大教会に忠義を尽くす行事があると考えている。社会に忠義を尽くせば、天理教への信頼やプレゼンスが上がると思う。しかし「ダメな教会」ほど部下教会や信者を集めて、権威づけをする傾向がある。北朝鮮と同じ。

天理教人は勘違いしてはいけない。天理教が正しいかを判断するのは天理教人ではない。神であり社会だ。神と社会がNOと言えば、天理教はこの世から消えるしかない。本当に天理教が正しいと思うのであれば組織、金、生活の実態を正々堂々と情報公開するべきだし、集めるだけの経営では今後天理教は内部崩壊していくだろう。真摯で謙虚な姿勢こそ、神と社会が見ているのではなかろうか。その謙虚さがないと誰も天理教を信じることはできない。電通のように追い込まれてからの遅すぎる方針変更ほど、信用を失墜するしかない。
天理教人こそ、「感謝、慎み、助け合い」のスローガンを外に言う前に自分で意味を熟考するべきだ。天理教に傷つけられた若者の話を聞くたび、私は怒りに震える。

tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教を信仰する若者には未来がない」への95件のフィードバック

  1. カインさんこんにちは。

    本文を読んで、学生時代のことを思い出しました。
    春学の、真柱さまのお話の中で「学生の皆さんは、本来の勉学を忘れることなく…」とおっしゃったのです。
    私は教会でも布教所でもない、もっと言えば信者家庭でもなく母親が熱心な信者でした。
    学校を休んだり友達との約束を断らせてまで天理に連れて行く様子を、母対家族で喧嘩している姿もしょっちゅう見てきました。

    自身がお道の教えに感銘し、どっぷり浸かっているとき、ある教会の娘さんは月次祭の日は学校を休んでおつとめ奉仕したとかおじば帰りをしていたとかいう話を聞くと「やっぱすごいな」と思っていたので、
    当時真柱さまの発言には耳を疑いました。勉学を忘れることなくって、真柱さまが言っていいことなのかって。

    今思えば、学業を疎かにし、途方にくれて行く若者を見聞きしていたのでしょう。真柱さまがそう言えば、
    教会の人間としては勉学を疎かにはできません。学校を休ませてまで教会を優先させることを良しとさせないようにしたのでしょうか。そこまでは分かりませんが…

    今回の記事もまた、心揺さぶられました。また読み返し、感じたことをコメントさせていただきたく思います。

  2. さっちん

     今月の記事は、天理教の問題点を総括したものですね。私はこの記事を、上級会長に送ってやろうと思います。上級会長や上級教会が、どうなろうと、私の知ったこっちゃありませんけども、【これが、あなたが身も心も捧げ尽くし、上級の「理」を潰してはならないと、必死に守り抜いている「天理教」ですよ】、ということを突き付けてやりたい。
     最近、上級会長から、会費や、仕切り月のお供え(普段より増やしてお供えしなければなりません。)の請求などが、来なくなりました。お供え請求をすることに、正当な理由が無いことを、上級は気付いてはいるのでしょう。
     今月の記事で、トドメを刺して差し上げたい、と思います。カイン様、有難うございます。

  3. 定詰とアルベールカミュ
    私の幼馴染は、詰め所の定詰でした。小学校5年生で転校して来て、高校卒業までクラスが同じでした。今は、ある公務員組織で、高卒として、異例のスピード出世を遂げています。ある事情で、父親がおらず、彼ら母子は、詰め所住まいとなりました。昔の詰め所は、木造モルタル、すりガラス木枠窓で、最初は、20畳位の畳大部屋を、ふすまで3つに区切り、3家族共同で生活しておりました。幼馴染曰く、「真冬に親子三人で、火鉢一つ。何かといえば、たんのうせよ、俺はあの時を忘れない」と申しておりました。彼と私の結論は、「貧乏と天理教は毒にも薬にもなる」です。カミュはその著書にて、神に背いた、シーシュポスは罰として、大きな岩を山の頂上に押し上げる、労役を課せられる物語を紹介します。そして、運び上げた瞬間にふもとへ転がり落ちる、真面目な努力が報われない、永遠のループに入り込みます。(シーシュポスの神話)カミュはそれでもなお、あらゆる悲惨を超えて、人間が生きようとする意志はなお強い、人生にイエス、と言おうと言います。「幸福と不条理は同じ一つの大地からうまれた、二人の息子である。この二人は引き離すことはできない。」私は、陽気ぐらしとは、喜び、悲しみ、憎しみ、全ての感情を、ありとあらゆる、経験、悲惨、を受け止めて、人生の最後に振り返って味わうものなのかと思う時があります。
    天理教にて生計を立てる皆様方、特に真柱様、貴方は、人生にイエスといえますか。(私は、本部中心にいる同級生にこのブログを紹介しました。真柱も読まれていると思います。)

  4. 末端教会子弟

    >「お道は知恵学問ではない」と天理教は学問を否定するような教えがあるようだ。

    下の者に「教育を施さない」のは、戦前までの西欧型植民地主義の施策と同じことをしている。

    植民地の奴隷には教育を施さず、インフラや産業なども与えず、ただ単に「奴隷身分」を親子代々続けさせて支配する。大日本帝国時代の日本の占領地の政策施策とは全く違う。
    確かに大日本帝国は海外に多くの植民地を持ち、武力によって西欧勢力を追い出して占領したが、その施策は「現地人による自治」を目指して、日本と協力して西欧型植民地主義と戦う事を目指してのものだったと言える。その目標や計画は日本の敗戦で頓挫し、結果として「日本に占領された」という事実だけが残って今に至るが、多くの現地政治家や有識者たちは日本帝国の遺志を継ぎ、戦後に次々と独立を果たしている。また、それに協力した日本人も沢山現地に残っていたのもよく知られるところだ。

    西欧型植民地主義の施策そのままに教団を維持運営し、天理教貴族となった上層部には末端の奴隷扱いされている信者たちの苦悩や苦痛などは全く理解できないだろうし、知ろうともしないだろう。教組様の教えを深く考える事もせず、親から受け継いだ貴族としての立場や身分での話しか出来ないのだから。

    下の者が何を言った所で、上級が自らの既得権益や立場を捨てる訳がない。
    こういう事を考えるのも、下がいなくなって自らの収入や立場が苦しくなった時だけだろう。
    こんな状況だからこそ、教祖様の「下からせり上がるのやで」という言葉を改めて考えさせられる。

  5. さっちん

    自由の翼 様

     今日はお元気なんですね。昨日は
    >両親の待つ天国に旅立つ時が参りました。さようなら、皆さまへ。
    なんて書かれてたので、ちびっと心配しましたよ。
    で、そのすぐ後に、「出てこいや!オバハン!」ですから、、大笑いさせて貰いました。
    吉本に行かれたらよろしいのでは?

  6. 核心

    現教団は教祖の教えからの乖離が酷すぎる。まるで、神がひたすら金を要求しているようにも見えてきて当然である。真実という言葉は、すべて金に置き換えられ金を多くお供えする者が助かり、金の金額が少ない者は助からないということなのだ。今や天理教の教信者一同は、金をお供えする信者を増やし1円でも多く上級、大教会へ献納するためにおいがけ、布教を推奨されるのである。
     天理教に入信さえすれば、悪いんねんが切れ幸せな未来が待っているかのように見せかけ巧みな話術で信者を先導していく、まさに悪循環のスパイラルが存在している。

     皮肉にも、教祖の本来の信仰を続けるには天理教団からの離脱以外にないのが現状である。
    一般信者であれば、天理教と手を切ることは容易ではあるが、教会で生活するものにとっては教団教理から逸脱することは、容易ではない。それは、土地建物までも教会本部名義に変更されており、生活の基盤がそこにある以上離脱することは、そこに住む権利を失い家族を路頭に迷わすことになるのである。
     教団の異常さに気づいたところで、仕事経験のない中高年、老年の教会長家族は容易に仕事も見つけることはできない、まして今まで全てをお供えしてきているので貯金なんてあるわけがないのである。
    真面目に教団の言うことを信じたつけが、この結果である。
     今後、こんなおかしな教団が滅びていくのは自明の理であろうと思われる。

  7. スギオ=ナミ

    現真柱はこれまで度々、『教えに自分を合わすのでなく、自分の都合の良いように教えを利用している人たちが多いように思う』というような話をしている。道の現状はまさに、この一語に尽きるのではないでしょうか。

    私たちは心の自由を与えられています。
    それを神はニヤニヤ、もといニコニコして見ているのです。

    この世で頼りになるもの、それは自分の心だけです。
    人さんメドウでは、いけません。
    神さんメドウで、いきましょう。

  8. 匿名

    このサイトで以前の記事[文書活動の低迷は天理教の知的劣化か]と疑問系でありますが、カネカネ統領の発現を聞けば一目瞭然でした。[知的劣化か?ではなく知的劣化してます。]とのタイトルの記事をサイと運営者の方に今後期待します。
    真柱の知的劣化!表統領の知的劣化!そもそも劣化でなく元々知性があったのかも疑わしい。彼らの知性があるならこの教団はこのような状態にはならなかった!中山家は責任を取って辞めれば良い!
    それにしても真柱や表統領、発言を知るととんでもない状態です。これはもう宗教ではない。中山家のお家信仰です。しかも教祖を悪用し金銭によるお供えをさせようとは不届き千万!愚の骨頂!
    本部は各信者や各部内を馬鹿にし過ぎです!いい加減やり返してやりましょう!本部にお供え上げなくてもいいです!心定めの金額だけ提出して、本部に納めるのを止めましょう!そうすれば本部は破綻するでしょう!
    皆さん心配しないでください!本部が潰れてもおやさまは御存命です!
    カネの亡者中山家を天理教団だから追い出しましょう!

    文書活動の低迷は天理教の知的劣化か
    http://tenrikyosyakaigakulabo.com/?p=1149

  9. 核心

    教団の現状を露呈し批判すれば、必ず教団擁護派と不毛の議論が繰り返される。人が目標か、神が目標かという言葉を引用し、あいも変わらず神様がなんとかしてくれると言うである。

     そもそも、神は天理教教団を作るために教祖の口を通して教えを説いたのではない。それが、いつの間にか教団ありきの教祖の教えとなってしまっているのだ。
     また、自身が神でもないのに神がニコニコしているということがどうしてわかるのであろう。自分の気持ちと自分なりに解釈した教理からの意見ばかりのように思われる。教祖の言った言葉は、万人に当てはまるものもあれば、その人個人に言った言葉もあるのである。そこをなんでもかんでも教理をひっつけ万人に当てはめて言うと本来の教祖の意図からのズレが生じるのである。

     もっと、冷静に周りを見つめ教理をもっと深く掘り下げた時に果たして、本来の教祖の教えはこんな教団存続のために使われていいものか考えるべきではないのか。もし、この教団が神によって承認されており至る所で、不思議な珍しい助けが行われ社会的に必要不可欠なものであるのなら、あっという間に70億人の人々は教団を通じて親神の存在を知り、人間生活を営む上で何よりも大切な信仰となるのである。
     しかし、現状として数十万人の信者しかいない上に教団の強勢は衰退している姿からは、神が喜んでいるなんて姿は想像しにくいと考える方が自然ではないのか。
     
     

     
     
     

  10. 匿名で。

    >心定めの金額だけ提出して、本部に納めるのを止めましょう!<
    まったくその通りです。お供えしないのが一番の近道でしょう。

    全国の心ある教会長さん。今後お供えを上に納めるのは止めましょう。親神と教祖は我々、純粋に真実を求めている者たちの応援に回っています。現教団を「どうにもならない所」にまで衰退に導いてくださっているのですから。

    真実も誠もなく、表統領のわが身思案から出た、「金を出せ発言。」
    「命のつなぎ」とは単にオブラードに包んだだけ。
    本心は「お供えが毎年10億円づつ減っているんだ。我が息子大亮の将来が淋しいではないか。真柱の父として、俺と大亮の輝かしい将来が、幻になることだけは阻止しなければならない。」そう思っているのです。見え見えです。

    あれこれ上手に言っているけれど、御恩報じとは詰まるところ、「お供えせよ」なのです。これ以上人々を苦しめる教団は社会にとっても害毒です。
    心ある人たちから立ち上がり、教会はお供えをストップしましょう。そうして中山・中田本部を破たんに導き、振り出しに戻し、一から出直せば(一度死んで)良いのです。

  11. 匿名

    匿名で。
    2016年12月27日 10:39 PM

    真柱体制がそもそもの間違い本席を追い出し挙句の果てには金の亡者!おやさまも中山家の金の亡者ぶりに嘆いてたし[中山=真柱=金の亡者」と認識でいい状態だな!もう真柱制度を廃止して本席を復活させましょう!真の天理教の信者は脳無し真柱や本部員の話なんかもう聞きたくない!本部の脳無し真柱、統領、本部員どもこれから各地から反乱が起きるからよく見とけよ!これは神の成す技、上と神の戦いどちらが勝つかな?脳無しでもこれぐらいわかるだろ!

  12. 匿名A

    紙面を重ねてすいません。記事以外のコメント・ご意見はこちらに欄に投稿したものを再投稿します。

    匿名A
    2016年12月27日 9:49 AM
    1955年(昭和30年)天理高校二部に入学した大教会直轄教会の常詰の子弟は天理教いちれつ会の四種扶育生だった。詰所勤務に決まっていて、入学時に教会長に次の言葉を投げかけられている。
    「勉強などどうでもよい。詰所で4年間修行してこい。分かったなー。」この言葉が天理教の若者に対する全てを表しているように感じる。
    ちなみに、この知人(二部生)は云っている。詰所では掃除洗濯は当たり前。遠くに帰る教会長の切符買いまで。切符ぐらい自分で買えばいいのにと思ったとも。正に会長が云った通り、クタクタで学校に行っても勉強どころではなかったそうだ。何度も学校を辞めようと思ったが、教会常詰の父母を思うと出来なかったと述懐している。

    教義を教えるどころか、丁稚奉公と何ら変わらい扱いだった。そして後に会長曰く。高校を出して貰っただけでもありがたく思え。
    この知人は、教会を飛び出し、苦労を重ねた末に適職を得て定年まで勤め、今は悠々自適に暮らしている。もちろん天理教とは何の縁もゆかりもなく。
    お金のお供えが「命の繋ぎ」だと。よくぞ云えたものです。.

  13. さっちん

    T 様
    >「幸福と不条理は同じ一つの大地からうまれた、二人の息子である。この二人は引き離すことはできない。」私は、陽気ぐらしとは、喜び、悲しみ、憎しみ、全ての感情を、ありとあらゆる、経験、悲惨、を受け止めて、人生の最後に振り返って味わうものなのかと思う時があります。

     T様は、知識、教養豊かな方で、私は、自分がそこらへんのことには疎い人間ですから、T様のような方には否応なく傾倒してしまいます。(すごいな~、何書いてるか、難しくてよく解んないけど・・・笑、という状態です。)
     上記のお言葉も、深い含蓄のあるお言葉ですが、異見、という程ではないのですけど、「陽気暮らし」が、人生最後に自分の人生を振り返って味わうものでしかないとしたら、ちょっと寂し過ぎます。人生を陽気に通る為でないと、宗教の教祖の教えとして、値打が無いのではないでしょうか。何の為の教祖の教えかと思います。教祖本来の教えを、正しく理解していれば、大雨が降り、強い風に吹きさらされ、嵐に遭おうとも、陽気暮らしを味あわせてくれるものでなければ、信者が付いて行くことはないでしょう。
     教団の教えが教祖の教えを歪曲したものであり、陽気暮らしどころか、陰気暮らししかできないのが、今の天理教であると思いますが、陰気暮らしの教えを撒き散らしている教団の力が無くなり、教祖の本来の教えが正しく拡がった時には、信者達に、陽気暮らしというものを、「人生を通して」味あわせて頂けるもの、と思わなければ、中山みき様は何の為のご苦労だったのか、と思います。又、そのような教えであって欲しいと思います。

  14. さっちん様
    お褒めいただき有難う御座います。私こそ、中年になり、貴方様のように何者をも恐れない、勇気と正義を忘れかけている者にとって、貴方様は、眩しい感じが致します。天理教は現世利益の宗教であると思います。しかしながら、教理に対する理性的なアプローチに欠けているのだと思います。人間の暮らしには、喜び、悲しみ、怒り、絶望などが内包されます。それを、たんのう、けっこうで陽気暮らしに強引に転化しようとする教団の方向性と、一般庶民の置いてきぼりにされた、感情の軋轢がこのブログに見て取れます。教祖の教えが正しければ、怒り、悲しみ、絶望(負の感情)も陽気ぐらしのの重要なパーツであるはずです。しかし、私はその感情に正しく向き合う事が苦手です。たくさんの天理教批判を書いてきましたが、いざ教団が混乱し始めたとき、私は、古い教会長様をはじめとする、沢山のここに、集われる思慮深い皆様方を傷つけた事に、生活基盤を怪しくさせた事に向き合わなくてはならないだろうと思います。いつも、仕事の昼休みに書いておりますので、時間に左右されております。さっちん様、皆さまお体ご自愛下さい。よいお年をお迎えください。

  15. さっちん

    T 様
     いえいえ、私もおばはんですよ。年は言いたくないですけどね。(笑)
    それに勇気と正義の人でもありません。投稿には、こうありたい、こうするのが良いのではないか、との願望、思いも入ってのことですから、勇気と正義は何割か差し引いて頂きたいと思います。(笑)
     来年も又、T様の貴重なご意見を楽しみにしております。T様のご意見は、おおいに啓発されるものです。

  16. 大前提は

    教祖や本席の様な人間達が大勢現れてヨロズタスケを勤める為のお地場なんだから、真柱はとっとと天啓者を用いなきゃダメなんですね。

  17. スギオ=ナミ

    先日の私のコメント、御理解いただけない方が多いのかもしれませんね。
    日本語が拙い私が悪いのでしょう。
    私は教団側に立って意見をしたつもりはなかったのですが。

  18. 匿名

    スギオ=ナミ様

    教団側に立ってるなんて全く感じませんでした。仰る通りと思います。

    >私たちは心の自由を与えられています。
    >それを神はニヤニヤ、もといニコニコして見ているのです。
    神様は、ニヤニヤ、ニコニコ、クスクス、ホクホクしながら、人間の陽気遊山を楽しみたいと思っておられるでしょうが、
    今の天理教の状態では、神様はきっと、悲しんでおられるのではないか、と思います。

  19. 定詰とアルベールカミュ2
    明けましておめでとうございます。前回、話が乱暴な終わり方で失礼致しました。お詫び申し上げます。「幸福と不条理は同じ一つの大地から生まれた、二人の息子である。この二人は引き離すことはできない」。身分の違いにより、会長宅のおもちゃ部屋から、真冬の土砂降りの雨中に、裸足で放り出されるのは不条理です。また、どんなに勉強ができたとしても、また、将来電車や、バスの運転手になりたいとして熱望しても、真柱や、大教会長にしかなれないのも不条理です。また、天理教に関係なく、将来の希望を見つけて職を得るのは、幸せであり、また、不況にあえぐ世間を尻目に、身分により、衣食住の安泰があるのは幸せです。幸福と不条理は光と影です。もし陽気ぐらしが、幸せを中核とするならば、夜の暗闇にろうそくのあかりが映えるように、不条理を背景に、幸福は映えるのではないのでしょうか。幸福続きの人生があるとするならば、(実際そのような人生は、成立不可能と思われますが)昼間にろうそくの明かりが見えにくくなるように、幸福感へのハードルは上がっていくでしょう。不条理に真剣に向き合う事で、陽気ぐらしが浮かび上がる、「怒り、悲しみ。絶望も陽気ぐらしの重要なパーツであるはずです」まさに哲学的展開となります。カミュは、ここで、自主的に、主体的に誰にも指図されることもなく、不条理を飲み込むことを勧めます。神の指図をも退けて、「人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、」この世界に支配者はなく、自分の人生の支配者は自分である自覚と喜びを訴えます。(ブログ主様の座右の銘 Gott ist tot=神は死んだ(ニーチェ)も、教会の権威と戦い、人権を確立させていったヨーロッパの哲学的伝統と、主体的に生きてほしいというブログ主様の主張が読み取れます)
    重要なことは、たんのうせよ言う人間に絶対に左右されてはいけない、自分と、自分の心の内にいる神だけが、自分にたんのうせよ、と唯一いえる存在であるとゆう事ではないでしょうか。。まさに、信仰は極めて個人的なものであり、他人に強制できる物ではなく、自分も強制させられる由縁は無いと言う事です。

  20. 超常現象

    教祖・本席が顕した霊救現象・超常現象についての議論が沸き上がってこないのは何故でしょうか?

  21. 末端教会子弟

    >教祖・本席が顕した霊救現象・超常現象についての議論が沸き上がってこないのは何故でしょうか?

    そんなモノは無かったからです。

  22. 超常現象

    他人の過去生、前生を話していたり、霊媒現象などが出てくる、お指図などは、何でしょう?

  23. 末端教会子弟

    >他人の過去生、前生を話していたり、霊媒現象などが出てくる、お指図などは、何でしょう?

    「みかぐらうた」と「おふでさき」の何処にありますか?
    霊媒現象などが出てくるお指図とはどれでしょう?

  24. 末端教会子弟

    ↑ 現在でもよくある「お祖父ちゃんにそっくり、生まれ変わりみたい」とか「〇〇の叔父さんと瓜二つ」とかいう雑談レベルの話ですね。

    遺伝子は親から子、孫へと伝わるのですから、親戚の誰かと似てるなんて当たり前にある雑談です。
    生まれ変わったとされる本人が、本人には知りえない前生の人の事を正確に言い当てたのなら検証する余地があるでしょうが、生まれた赤ん坊や妊娠中の子供のことをあれこれ言うのは、その場の雰囲気です。

    それよりも、「誰かに似てる(生まれ変わり)」という話は、その元の人の性質や性格まで周囲から教育されてしまう事があるので注意が必要です。良い性格や性質ならいいのですが、悪い部分を言われると本人が気にして直らなくなる場合すらあります。

  25. 超常現象

    形無き魂のDNAを調べる方法は今のところないでしょうけれど、千里眼の一部の透視能力なら実験はできるだろうと思います。
    教祖・本席当時も実験をしようとして、叱られたり、驚いて信奉者になったりした方も居られたのではないでしょうか?
    とにかく教祖の全知全能力が凄すぎてかえって不信を買ってしまった場合もあったのでしょう。

  26. 超常現象

    教祖・本席様が、おや神の全知全能力をどこまで体現していたかというはなしも聞かせてほしいのですが。

  27. 横レス失礼します

    超常現象様へ
    いろいろと教祖の不思議な話をお知りになりたいのはよくわかりますが、これはスレッド違い、またブログ違いのご質問です。ここでは天理教の若者の問題が論じられているスレッドですし、そもそも社会学ではそもそも不思議とか全知全能とかいった問題は扱いません。あなたが挙げておられる古老の生まれ変わりの話をいろいろと載せているブログの中で、ご質問なさることをお勧めいたします。

  28. さっちん

    T様 2017年1月4日 12:40 PM
     私の前の投稿で、「T様の書いてらっしゃることは難しくて良くわからないが、感心します」、と褒めてるつもりで書いたのが、取り様によっては、皮肉にも取れるな、と、書き方を反省してました。

    「幸福と不条理は同じ一つの大地から生まれた、二人の息子である。この二人は引き離すことはできない」。という意味、よくわかりました。辛い経験があってこそ、幸福感が、強いものになる、ということですね。
    只、天理教で経験する不条理、理不尽に限っては、天理教の中にいては、これが将来、幸福となって帰って来ることは無いだろう、幸福を感じるとすれば、天理教から抜けた時だけだろう、そう思わざるを得ません。

  29. 東風Z

    若き頃、教会長から云われたこと。

    有給休暇があるだろう。2カ月に一度くらい休みを取ってお参りしろ。ておどりはともかく鳴り物くらい出られるだろう。
    この会長何を「とんちんかん」なことを云っているのだろうと思った。毎月20日の月次祭、民間では経理の締め切りをして支払いの算段、請求書の作成とで残業を3時間しても仕事は終われなかった。
    だから一段落をした21日以降に仕事の帰り道、遠回りをしてまで参拝してお供えもし、月次祭当日に参拝できなかったお詫びも申し上げていても、不機嫌な顔で「ご苦労」の一言もない会長や奥方。
    お前の祖父母は天理教で助けてもらっているんだ、くらいにしか思っていない会長。
    これが天理教の実態です。人助けなんて夢のまた夢の世界です。
    教内の若者に告ぐ。一度は世上の働きを経験してから教会を継ぐなら継げ。1万5千円の約束手形を落とせなくて倒産したところはいくらでもある。一度、官報を覗いてごらん。破産財団すら形成できない、そのような情報が紙面いっぱいに掲載されている実態を知って欲しい。
    お供えをしろと、いとも簡単に云う表統領なんかさっさと引退して。

  30. 末端教会子弟

    超常現象 様

    >教祖・本席様が、おや神の全知全能力をどこまで体現していたかというはなしも聞かせてほしいのですが。

    親神様の全知全能とか、その能力を体現していた教祖様とか、全く意味が分かりませんね。

    仮に、教祖様が「摩訶不思議な超常能力」を持っていたとして、その人物を「ひながたにして辿れ」というのはどういう教えなんでしょう?
    オウム真〇教の「修行して宙に浮く能力を身に付けよう!」と同じでしょうか?
    それならそれで、教祖様以外に「超常能力」を身に付けた、修得した人が出現しないのはどうしてでしょうね?(噂では「愛〇分教会初代会長」は超常能力を持っていたと言われますが、眉唾物です)
    私は天理教の「おさずけ」を拝戴しましたが超常能力は使えませんけど、どうしてでしょうか?

    この記事のテーマに相応しくない内容ですが、超常現象様への質問として書かせていただきました。
    超常現象様からお返事を頂けるなら、『記事以外のコメントはこちら』にお願いします。

  31. 匿名で。

    泣いて助けを求めてきた見ず知らずの女性のこと。

    もはや天理教の教会の門と叩いても、今の天理教では人助けは出来ないのでしょうか。思考回路が硬直していて、昔ながらの教理の押し付けをするだけだから?
    我が教会に助けを求めに来た女性は「誰かに助けてほしいから探し探して天理教の教会の門をくぐったけれど、会長さんに人を助けろと言われた、今の私に人を助ける余力は残ってないのに。喜べと言われた。今の私は喜ぶ気力はないの。苦しくて仕方ないから教会の門をたたいたのに。厳しすぎてもう行きたくない。行ってみたけど心が救われた気がしない。電話帳にもう一つ天理教の教会があったからあなたの所へ来た。助けてください」と涙をポロポロこぼされます。

    苦しみの渦中にいる人間に対して、「傷口に塩を塗る」説法は、昔私も経験して辛かったけれど、今だに変わってないのですね。生身の人間の心の生理を理解も勉強もしていない会長さんが、壊れたテープレコーダーの様に、昔ながらの説法で苦しみに悶えて教会の門をたたく人達の心を更にえぐるのです。悪気はないのでしょうが。

    うちの教会は小さな末端教会、上級教会からのお金の苦労は骨身にしみているので、「お金も、何もいらないですよ。お金がいるとなったらもう来れないでしょ。何も思わずに気が向いた時に愚痴をこぼしに来て下さい。あなたの苦しみ、聴かせていただきますよ。」と答えたら「明日から毎日来させていただきます」と。

    教会上層部の信仰の目標は「本部からの発信」であり、「大教会長からの目標人数・目標お供え金額」であり、人の心に寄り添うという本来教会が為すべき事がおざなりになり、人を助けるという教会の本来の目標が見えていない気がします。目標の「お供え金額」などを発表するのではなく、目標の「心と身体・事情が助かった人数」の発表に変えてほしい。どこかずれてしまった天理教。教団の未来が見えないのは当然のことです。

  32. 超常現象

    教会本部が箱物でなく、よろずたすけの本拠地として人的進化を遂げているかが根本問題でしょうね。
    中山天理教の貯金箱として親里地場があるのではないのですから。人類を心身共に、より健康に安全に善導してゆく自覚の深さと人的資質があるかどうかですかね。
    いずれ現れる神の化身達とまではいかなくとも、その前段階としての、大工とうたわれている、啓示霊能者、神格者の様な方々が必要でしょうね。
    一地方の講元や教会長さんが頑張っても、最後には親里地場におたすけの相談をしたくなるものでしょうしね。
    たぶん教祖・本席様在世中も地方の講元さん達もそうだったんではないですかね。

  33. 匿名で。さん

    その女性が助かることを諦めずに、もう一度だけと匿名で。さんの教会を見つけてくれて良かったです。
    私も、傷に塩をぬるようなことを言われ、ずいぶんと傷つきました。
    若い頃、学生会に参加してくれたことのある未信仰の友人は、私の話を聞き
    「どうして人を助ける教会なのに、そんなひどいことを言えるの!許さない!」と私より怒ってました。

    私はやっぱりお道が好きです。だからこそ、厳しさは求めていません。
    いい時も悪い時も、包み込んでくれるようなあの教えが好きなんです。
    その女性が愚痴をこぼしきり、泣き切った後は、笑顔が戻りますように。
    見知らぬ誰かもそう願っていたよと伝えてください。

  34. はぐれ雲

    1週間ほど前より、半年ぶりに、この社会学ブログ、お供え掲示板にアクセスしてみました。
    半年以前は時々に、別HN・悪魔の鉄槌(ルシファーズ ハンマー)で投稿していた時もありました。
    半年ぶりに、アクセスした理由は色々ですが。

    半年ぶりに、カインさんのブログ記事を拝見し読んでみました。
    投稿欄も、半年分近くさかのぼって、けっこう初期の投稿欄も読んでもみました。
    自身の以前にした、青臭いままの投稿も読みしな。

    カインさんのブログ記事は、本当に伝わるものがありますね。
    もちろんに、社会学をという学識があるのも確かですが。
    カインさんの個人の感情や思考や心情も加えつつ。
    天理教人とも多くの接点を持ち、現場の空気も知り。
    何よりも、カインさんが天理教者ではないからこそ。
    伝わるブログ記事を書き届けることが出来ると思います。
    天理教人では、このような熱量のある、意義のあるブログ記事は書け得ないと思います。
    天理教人は、誤魔化しや、すり替え、逃避回避が大好きですからです。

    天理教の方々に、天理教な大人達の方々。
    今は、お筆先など読まなくてもいい。
    カインさんの、社会学ブログに上がる記事を、文面を、言葉を。
    何十回でも、最初から最後まで読み返して欲しいと願います。
    何を感ずるか、何を思うか、考えて欲しい。

    時々に、カインさんのブログ記事の投稿欄に。
    今回の記事は…どうのこうのと。と声が挙がるときもある。
    カインさんに、直接メールで、カインさん批判や。
    天理教お得意の、お前はわかってない!という声も多く届いているらしい。
    僕には、そのような天理教者の感性は理解できません。
    僕は、天理教者ではありませんから。

    でも、いつまでも、天理教という現実から。
    「神が見ている、神にもたれて、成ってくるのが天の理」などと。
    言い逃れをし、目を背け続ける場合ではないと思います。

    「天理教を信仰する若者には未来がない」
    今回の記事にも、天理教人が考えるべき問題と現実が、沢山に詰まっています。
    天理教のか方々全員に、コピーし読んで欲しい。
    まぁ、そう伝えても、考える切り替えが出来ないのも、天理教人の現実なのですが。

    天理教信仰云々は、別として考えても。
    このような、偏り、弱者を喰い者として成り立つ天理教現状を。
    親として、年輩者、大人として。
    先に産まれ生き行くものとして。
    次世代や若者達に、残す意義は在るのだろうか?

    親孝行だ、継がれていく教えだ、信仰だなどと、言葉をすり替えて。
    理不尽を強要し、人が人を踏みにじり成り立っている天理教を、後世や次世代に残す意義は在るのだろうか?

    天理教の現状は、偏り続けた結果の超高齢化社会である。
    天理教から、若者も年輩者でさえも離れていく一方であり。
    天理教に残される若者には、カルト思考も強要され、偏りも大きくなるだろう。
    苦難や尻拭いを押し付けられ、人生さえも踏みにじられるだろう。
    振り返ったときに、誰のための、何のための人生なのかさえも、わからなくなるだろう。

    そもそも、天理教そのものに未来が在るのだろうか?
    天理教の未来とは、さらにカルト思考が強まる詐欺集団組織の存続…ということになってしまう。
    ならば、社会的にも、天理教人にも。
    天理教は必要ない気もします。

    僕は、天理教が偏りを続けた、腐敗する原因の1つに。
    老執=ろうしゅう、というものもあると思います。
    人は、老いていくごとに、執着が強くなるものです。
    神様が、教えが、いんねんが、ご先祖からの信仰だから、何かあるといけないからと。
    切り替えのできない、年輩者をさらに追い込む。
    そして、子や若者たちまで巻き込もうとする。

    そして、天理教は集団化し。
    親をたてろ、センセイ、カイチョウサンなどと呼び。
    必要以上に、勘違いさせてしまう傾向が強い。
    その反面では、年輩の純粋な信者さん、障害者、諸問題をか抱える人、社会的弱者から。
    平気で、上納金を巻き上げ続けてもいます。

    天理教の若者にも、天理教そのものにさえ。
    未来などない。
    腐敗続ける天理教に未来を残すこととは。
    中山家を筆頭とする、天理教上層部の天理教詐欺集団を認めていくこととなる。
    もちろんに、天理教全体が詐欺集団として、社会から認識されることとなる。
    純粋である信者さんでさえも、疲弊している末端部の方々でさえも。
    同じ括りにされてしまう訳です。

    でも、天理教が腐敗する原因は、末端部にも大きく在るのも確かなのです。
    昔に、末端部に居たことのある自分だからこそ、そう強く思います。

    天理教人に、腐敗する天理教を改革するのは、残念ながら無理だと思います。
    天理教人が、天理教腐敗に関して、思う以上に危機感も問題意識もないからです。
    ある意味、サジを投げているからです。
    上層部を批判する陰口は有るものの、それ以上がないからです。
    でも、それで良いとも思います。
    腐敗する天理教に、何を期待するより。
    カインさんが時々に、伝えるように。
    自己防衛、自己責任も大切だからです。

    天理教人には、何も期待は持ちません。
    僕は、天理教の行く末などあまり興味はありませんし。
    天理教に求めるのは、今までの贖罪であり、謝罪であり、損害賠償です。

    でも、カインさんには、少し期待感はあります。
    天理教というカルトな組織が。
    カインさんの起こす風で、改革の波が起きたら。
    日本の社会にも、話題にも、注目にもなりますし。
    日本に住む天理教関係のないの若者達にも。
    「日本人もまだまだ、改革する志はあるんだ!
    組織は変えることができるんだ!」と、未来の芽になると思います。

    日本社会も、少子高齢化問題は。
    とてつもなく大きな問題として、これからも若者達にのしかかり続けます。
    先に産まれ生き行く大人達が。
    大人の尊厳よりも、子の未来の為に踏み台に成らないといけない時代だと思います。
    大人だからこそ、魅せる行動で示さなければならないときもあると思います。

    若者達が天理教から離れて行くことは。
    天理教な大人達の続けてきた結果です。
    そして、天理教に残される若者に。
    可能性や選択肢を、作ってあげることが。
    今の天理教人の役割でもあると思いますし、そうあって欲しいと願います。

    この場所が。
    天理教内外の、多くの声が届く場所であって欲しいと願います。

  35. 匿名で。

    真さま。
    ありがとうございます。そう伝えます。その女性は今日も来られて胸の内を吐き出され、私の手を握り、その後私のほっぺたを両方の手で10回位さすってくださり、「ありがとう」と言って、帰って行かれました。心からよかったと思えました。

    私の心は温かい教祖の御心こそ、頼りですが、今はすっかり教団からは心が離れてしまっています。ですから上にはお供えもしていないです。信者さんからお金は頂かない。そう決めています。だからこそ、自由に、教会活動が出来ると喜んでいます。その女性のおかげで、今日も気持ちのよい朝がスタートしました。感謝です。

  36. 匿名

    匿名で。 様
    >今はすっかり教団からは心が離れてしまっています。ですから上にはお供えもしていないです。信者さんからお金は頂かない。そう決めています。だからこそ、自由に、教会活動が出来ると喜んでいます。

     上にお供えをしていない、とのことですが、上からは何も言われないのでしょうか。匿名です。様のされていることは、教会長として、教祖の教えを体現しておられる、教会長として、立派なことと思いますが、なぜ、そのようなことが可能なのですか? 匿名。様のようにしたいと思っても、上からの圧力によって、お供えも、心ならずもさせられている教会長さん方が、殆どと思われます。差支えないようでしたら、お教え頂けませんでしょうか。

  37. こやま

    勝手な推測ですが、「匿名で」さんが強い態度をとることができるのは、居住されてる教会の土地建物を宗教法人登記されてないのでは?
    自分の所有物件として固定資産税を納めていれば法的にそこは私有財産ですし、大教会や教団から脅されたり退去を迫られることもありません。
    私の親族は、働きながらの教会運営なので昔からそのようにしています。
    後継者の叔父が警察を定年退職した際に、大教会長が直接!退職金のお供えを促してきたのですが、その妻が撃退してました。当然です!
    教会の名前をお返ししますと言ったら引き下がったそうですよ。

    某コングロマリット企業で働く友人が「ほとんどの人は、宗教とアプリケーション(ヤフー等)は最初に触れたものから離れない」と言い切ります。
    私も結婚を機に末端教会から脱出できたのに、夫の転勤先で見つけた教会につい参拝してしまいます。
    しがらみのない気楽な信仰上のお付き合いなので、このスタンスは気に入ってます。

  38. 東風Z

    教会長がお供えを断り切れない最大の理由は、教会不動産の法人登記も一因ですが、より大きな要因は、大教会長との姻戚関係にあるのではないでしょうか。以前、私が関係していた大教会は、直轄教会の3分の1を上回る教会が大教会長と何等かの姻戚関係にあって、がんじがらめになっています。えっ?。あの教会長も大教会長と血縁関係にあったのとビックリするやら、驚くやら。第一に教団本部もそうでしょう。
    いいことなのか、どうかは知んないけれど、ちょっとした出来事が瞬時のうちに広まってしまいます。
    宗教家は、信者との直接の会話を含め関係事は、絶対に他に漏らさない心構えが一番重要です。そのような基本が守れない天理教は最早、宗教ではありません。

    一例として、実際に聞いた話を書いておきます。
    大教会長のご分家の娘が他の大教会長の息子と結婚しました。そして生まれた子供を舅に抱かせない。大教会長の奥さんがストレスが高じてノイローゼ状態になっている、と聞きました。
    何の関係も無い私の母にこの話が伝わってきて、さらに、母が私にこの話をしたのです。私は、この話を妻を始め成人をした子供たちにも話していません。全くもって恐ろしい出来事です。
    いい話ならばともかく、このような世間体の悪い話が広まる天理教の世界って何なのと云いたい。
    お供えの話から話題がそれてしまってゴメンナサイ。

  39. 匿名

    東風Z様

    >宗教家は、信者との直接の会話を含め関係事は、絶対に他に漏らさない心構えが一番重要です。
    そのような基本が守れない天理教は最早、宗教ではありません。

    そのとおりですね。人の相談に乗る立場の宗教家であれば、当然の倫理だと思います。

    色々な人を見ていて、つくづく思います。
    どんな人やどんな出来事を見ても、様々な見方や解釈、対応の仕方があるのだと。

    真に思いやりのある人は、常に相手の立場に立つことが出来、深く知りもせず、
    個人のプライバシーに関わるようなことを、軽はずみに当人に不利になるようなかたちで
    口にすることはしない。
    問題があれば、陰口を言うよりも、当人と一緒に真剣に考えることが出来る。
    自分に関係がなければ、東風Zさんの様にそっとしておいてあげられる。

    意地の悪い人間、歪んだ人間は、標的にしやすい人を見つけては欠点を探し出して注目し、
    嬉しそうに悪口を広める。自分や自分の身内さえ利があれば他人の迷惑などどうでもいいのでしょう。

    表面的に人当たりが良いとか、親切な振りをしていても、こういうことろで必ず真の人間性が出ますね。

    真実とは、実はとてもシンプルでわかりやすいものなのではないでしょうか。

    こんなことを言っていた人がいましたが、その通りだと思います。

    思いやりのある人からは、思いやりのある行動、思いやりのある言葉が出ます。
    意地の悪い人からは、意地の悪い行動、意地の悪い言葉が、
    ひがみっぽい人からは、ひがんだ行動、ひがみの言葉が、
    裏表のある人は、表でお世辞や媚びへつらいを、そして影では悪口や馬鹿にする行為をするなど、
    その人の行動と言葉が、その人そのものを表現しているのです。
    いくら表面的に肩書きがあろうと、人当たり良く優しい立派な言葉を話していようと、
    質の良い人間が、陰口を広めたり、意地悪な態度、裏表のある態度をとることは100%ありえません。

    村社会化してしまった組織の中では、こういうことを目にしたり耳にしたりする機会も多いと思いますが、
    積極的にそういうことをする人は100%「質(タチ)の悪い人間」と判断して間違いはないと思います。
    宗教者としての表面的な仮面より、こういう言動にこそ人としての本質が表れるのではないでしょうか。

  40. 匿名で。

    お供えを拒否できる環境になったのです。
    上級教会の会長さんが新婚で出直され、現在後に残った元一般人の若奥さんが現在会長になっておられます。

    それまでのいきさつですが、その一般人の奥さんが会長死後、教会会計を見てびっくり。借金が相当残っていたらしいのです。その教会と上級教会は親戚関係で、「10年かかるか、20年かかるか、借金返済がすむまで、お供えは出来ない」という若奥さんの強い要求をのんでいるのです。次期会長候補である来たばかりの若奥さんに逃げられるのを恐れての事情もあったらしいです。私たち末端教会は激しいお供え地獄を味わってきたのに、親戚関係ならどうにでもなるのね、というのが、率直な感想です。(私の場合はこの親戚関係がラッキーな方向に動きました。)ですので私も筋を通しているのです。

    幸い私は仕事をしてきましたので、わずかな蓄えと、わずかな年金があります。家族一同骨身にしみた上からのお供え要求を信者さんに言う気持ちが湧くはずもなく、またお供えで助かるという信念も一切ないので、自信をもって自分の出来る自分流のお助けをしようと思っています。信者さんの数が増えなくても、結構。一人の人を丁寧に支えさせていただきたい。そんな気持ちで日々暮らしています。私ができる事なんて、微々たる事ですので、後は親神様が助け上げてくださる、そう思って教会間での見栄は気にしないことにしています。年末に教会同士の「競争一覧表・数字の結果表」を全教会にばらまかれますが、「それが何か?」という涼しい顔をしています。

    数名の信者さんが昔から自発的にお供えをされますので、年会費や、支部会費、巡教お礼等は今のところ出来ています。大教会巡教時のお礼等は上級が指示する金額を聞いてはいますが、敢えて勝手に減額しています。上級が何か言ってきたら「無いものは無いし、少し助けてもらえませんか?」と言ってやるつもりです。

    権利関係ですが、初代の意向で土地建物、全て本部にお供えしました。死ぬまで要求されるであろう年会費等は、信者さんが近い将来ゼロになりますので、そこは諦めの境地で「家賃」と思って年金から出すつもりです。

    私にとっても、子供たちにとっても、まさに「実家がなくなる」当事者です。お供え掲示板に書いておられた方と同様に私もこの実家を出る時、「虚無感」にさいなまれる時がくるのでしょう。

    末端教会に育って、改めて思う事は、本部、大教会、上級教会は信者や、部内教会からのお供えに頼る事無く、自分の生活の維持は独立独歩、自前の生活力を持つべきだと言うことです。人助けと言いながら矛盾に満ちた組織の中で、ピントのずれた活動にエネルギーを消費し、本質的な人助けの仕事が出来ていない、「存在の意味をなさない団体」だと言うことです。

  41. 東風Z

    2017年1月7日 12:26 PM
    匿名 様

    そうですね、村社会は有ること無いことが話題になりやすい雰囲気にありますね。天理教という狭い社会で、親戚関係にあると尚更なのでしょう。
    そのような雰囲気のなかにおいて、仰るとおり相手の立場に寄り添ってのみ解決のお手伝いをさせていただくことが何より大切ですね。良い勉強をさせて頂きました。
    ただ、教団の現在の在り方に疑問を呈する方々が多く、このブログに登場する様々の問題点を指摘する意見と云いますか、建議は悪口とまでは云えないと思っています。その意味から教団の執行機関の長という立場に居られる方々は真剣に聞いていただきたいと思っています。
    教会という所から嫁姑の話が漏れ、しかも人物まで特定できる話が聞こえてくることほど悲しいことはありません。

  42. 匿名

    東風Z様

    >教団の現在の在り方に疑問を呈する方々が多く、このブログに登場する様々の問題点を
    指摘する意見と云いますか、建議は悪口とまでは云えないと思っています。

    もちろん、東風Z様のおっしゃる通りだと思います。

    悪口は一個人の悪意や意地悪な心から生まれるものであり、
    その目的の多くは相手を貶め、逆に自分の立場を卑怯な形で有利にする為であることが多く、
    建設的な改善や相手の幸せなどは願ってもいないことが特徴です。

    しかし、こちらの場で話されているような実体験談や建設的な意見は、例え辛口であっても
    次元の低い「悪口」などとは、当然ですが一緒には出来ません。
    全く逆で、理不尽に人を不幸にするような矛盾に光を当て、皆さん真理に照らして物事を考えるという
    大切なことをしており、そこには、今までの経験で傷ついて来た心や矛盾に対する恨みの気持ちこそあれ、
    単に人を傷つけるだけの次元の低い悪意や意地悪さなどは存在していません。
    むしろ、そういうことの犠牲にならない為に、身を守る為に、体験を分かち合ったり、意見交換をしている
    という要素の方が多いのでは。

  43. 東風Z

    2017年1月7日 11:34 PM
    匿名 様

    二度に亘るご返信有り難うございます。

    以前、古い教会長さんが仰っていました次の言葉に信仰させて頂く意義が凝縮されていると思っています。
    >本来は高低のない世界(平和)たすけの教えであるのに、教内に厳然たる身分制度が出来上がっている。悩める人>たちに、いろんな情報を提供して本来の陽気な教えに復元したいのです。

    今時、道路にバナナの皮が落ちている光景は見かけませんが、それでも落ちているのを見かければ拾って近くのゴミ箱に捨てるのも「ひのきしん」だと思っています。大きな人助けはできませんが、少ない余生、このブログと併せて、身近なことからさせて頂こうと思っています。

  44. さっちん

    匿名で。様
    >年末に教会同士の「競争一覧表・数字の結果表」を全教会にばらまかれますが、「それが何か?」という涼しい顔をしています。
     上級教会か大教会かしれませんが、厚顔無恥極まれり、といったところですね。一般の会社の、支店同士の営業成績を競争させるやり方ですね。匿名で。様のように、気にされないのが一番ですが、中には、その「競争一覧表」のために、数字を上げなければならないと、必死にされてる会長さんもおられるかと思うと、誠に気の毒でもありますし、上の頭の悪さに呆れます。そんな、競走馬に鞭打つようなやり方をするより、もっと、他に、会長さん方の心を勇ませるやり方があるでしょうに。
     又、教会を、法人登録してある教会ばかりではないと思いますが、そのような、しがらみのない会長さん方からも、何も異議は出ないのでしょうか?「宗教団体でこんな、教会同志を競争させるようなことは、ふさわしくないですよ。」と言う人は誰もいないのでしょうかね・・・。

  45. 匿名で。

    さっちん様
    文言こそ「競争」との文字はありませんが、このような一覧表をばらまくことで自然と競争意識を持つのははっきりしています。私が頭が良いとは思いませんが、昔ながらの信仰を勘違いしてやっている会長さんたちは、やはり、これを見て「頑張ろう」と思うのです。大教会の思うつぼに、はまっていくのです。疑問の小さな声が上がるのですが、皆「上には素直」をたたきこまれていますので、声になって上にはあがっていきません。本音を腹にしまい込んで、建前信仰の方が多く、みんな嘘っぱちに思えます。やりきれません。私一人がみんなから不思議な目で見られております。

  46. 古い教会長

    匿名で。さま。
    >大教会の思うつぼに、はまっていくのです。疑問の小さな声が上がるのですが、皆「上には素直」をたたきこまれていますので、声になって上にはあがっていきません。本音を腹にしまい込んで、建前信仰の方が多く、みんな嘘っぱちに思えます。やりきれません。私一人がみんなから不思議な目で見られております。

    私も、不思議な目で見られております。
    もしかしたら、大教会も本部の思うつぼに、はまっているのかも知れません。
    真面目な人ほど、思うつぼに、はまりやすいのです。

  47. 末端教会子弟

    >本音を腹にしまい込んで、建前信仰の方が多く、みんな嘘っぱちに思えます。やりきれません。私一人がみんなから不思議な目で見られております。

    みかぐらうたの教え通りの状態ですね。
    「いつもわらわれそしられてめづらしたすけをするほどに」(三下り目五つ)

    嫌味や茶化しているつもりは毛頭ありません。

    「みかぐらうた」や「おふでさき」を素直に読めば、現状の教団組織が「高山」だし、その指示や命令で動く教会長や関係者たちが「から・とうじん」なんだという事がよく理解できます。教組様の教えを我欲や自分の都合で捻じ曲げ、それを恥も外聞もなく講釈垂れて、信者からお供えを取り上げ貧乏にして苦しめているのですから、みかぐらうたの教えに逆行しています。
    今の世間の政治体制や常識よりも封建的な制度と教育(洗脳)で崩壊寸前なのに何ら対策を打とうともしない本部には呆れるばかりです(一部の意見にあるように、信者が居なくなって天理教を解散した方が本部員達には都合がいいからかな?)。

    私自身、地方の末端教会の一子弟に過ぎませんが、自分たちに出来るするべき「めずらしたすけ」を模索し計画しています。とても上級に上げるお供えや神様が必要ともしていない御恩奉仕等する余裕はありません。

  48. こやま

    姻戚関係を忘れてました!おっしゃる通りですね!

    私は保健師兼ナースです。
    実は、15年前に奈良市内で開業してる某精神科ドクターに飲み屋で質問されたことがあるんです。
    「天理教の教会の人や信者って、鬱病の罹患率が高すぎるんだけどさー 本来、心の病を救う役割の宗教が精神状態に悪影響を及ぼすなんて、内部構造に何か原因があると思うんだよねー。うちに来る患者の約半分が天理教の人。」
    私は酔いが醒め絶句してしまいました。
    その先生、善い人柄の方だったせいか精神病患者にのまれたのか現在は閉院されてます。

  49. GK

    私は天理教教会本部で勤めています。
    ひのきしん者2年目です。
    元々勤める前から2年で勤務をやめるつもりでした。
    やめたいということを大教会長に報告にいったところ(やめるには大教会長の捺印が必要)、まだやめるには早いからもうしばらく勤めよと言われました。
    おそらく、やめたら天理教から離れると思ったのでしょう。
    なんでこいつが私の進路を決めてるんだ?
    と思いましたが、聞く耳持たずといった感じで、私が引き下がり、来年からも勤務が続くことになりそうです。
    同僚も同じようなケースが多く、みんな周りもそうだしいっか。というような状態です。
    年々、勤務者が減っているので、各教庁部署や大教会に、できるだけ長く勤めさせるよう根回しがいってるとも聞きました。
    いっそのこと若手勤務者が一斉に辞めて、教庁各部署破綻してしまえと思う程です。

    昨年末も忘年会として各部署たくさん飲み食いしてました。お金はどっからでてるのやら。

  50. 末端教会子弟

    GK さま

    >いっそのこと若手勤務者が一斉に辞めて、教庁各部署破綻してしまえと思う程です。

    「まず貴方が辞めるという行動を起こす」事を期待します。
    大教会長の言うことに引き下がることなく、最後まで正しいことを主張してください。
    願ってるだけ、期待してるだけでは、現実は何も変わりません。
    勿論、他の若手勤務者と語らい、皆で一斉に辞めることが出来るなら最高ですね。

  51. 匿名

    GK
    2017年1月11日 12:05 AM
    勤務者おつかれさん!GK君は正しいよ!何も悪くない!
    勤務者はやめた方がいいよ。まずここでも書かれているように教団の収益は下がってるそれは各教会が金銭的に大変だってことだよね。各教会からのお供えが、本部の経費に当てられている。施設や勤務者の経費に当てられている。良くここのサイトでも書かれているように建物が無駄に多い本部まずそこに無駄な経費がかかってる。それに本部員などの給料よりも勤務者やひのきしん者の給料を減らしてる始末、それにあの表統領、中田善亮が本部が破産寸前だから法人乗っ取りまでして金を作ろうとしてる。現に作ってるのかも?
    つまりその飲み食いは皆さんで一生懸命作り上げた尊い教会を世紀のアホ表統領 中田善亮 が売って作った金なのかもしれないね。
    思い切って勤務者は辞めた方がいいね。

  52. 東風Z

    GK 様

    教団本部の組織図がなく、かつ、あなたがどの部署にお勤めなのか分かりませんので、一般的なことを書いておきます。
    辞めるのは、「退職届」を書いて直属上司に出すことです。この時の注意点は、退職届の宛先です。会社であれば人事権のある人です。例えば〇〇株式会社人事部長殿です。教団では「天理教教会本部人事部長 殿」とか「天理教教会本部内統領 殿」だと思いますが、確認が必要です。
    次に、日付ですが緊急でない限り、退職届を書いた日付から約1ヵ月先の日付に退職する旨を書くことです。
    更に、退職時に「離職票」の交付を受けることです。どのような立場で雇用されているのかが分かりませんので、この部分も確認しておいてください。
    天理教は「ひのきしん」という名目で人を簡単に使いますが、教団本部のような巨大組織では、健康保険を始め社会保険、労働保険の加入は必要最低限の福利厚生です。そのような適用が無いのであれば、なお更、さっさと辞めることです。ひのきしん者からといって福利厚生の適用を認めないのは、人の善意を悪用したご都合主義の人使いに過ぎません。
    なぜかと言いますと、万が一にも「ひのきしん」中に障害を伴うような事故に遭遇すれば、労災保険の適用も受けられず、障害が認定されても障害年金の給付も受けられなくなります。
    GKさんの年齢が分かりませんが、20歳に到達して居られれば、国民年金の加入は必須条件です。それすら適用されていないのであれば、ご自分で国民年金に加入されるべきです。
    天理教は、「ひのきしん」などの天理教用語を自分たちの都合の良いようにあしらって運用している最低の機関です。
    何れにしまして、ひのきしんを辞めるのに大教会長の許可が必要だなんて、公序良俗に違反しています。
    大教会長は、自分の云っていることが反社会的な言動であることが分かっていない、哀れな人です。

  53. 東風Z

    上記の一部を追加訂正して、再投稿します。

    GK 様

    教団本部の組織図がなく、かつ、あなたがどの部署にお勤めなのか分かりませんので、一般的なことを書いておきます。
    辞めるのは、「退職届」を書いて直属上司に出すことです。この時の注意点は、退職届の宛先です。会社であれば人事権のある人です。例えば〇〇株式会社人事部長殿です。教団では「天理教教会本部人事部長 殿」とか「天理教教会本部内統領 殿」だと思いますが、確認が必要です。
    次に、日付ですが緊急でない限り、退職届を書いた日付から約1ヵ月先の日付に退職する旨を書くことです。また、退職の理由は書く必要はありませんが、あえて書くのであれば「一身上の理由により退職します。」と書くことで十分です。
    更に、退職時に「離職票」の交付を受けることです。どのような立場で雇用されているのかが分かりませんので、この部分も確認しておいてください。
    天理教は「ひのきしん」という名目で人を簡単に使いますが、教団本部のような巨大組織では、健康保険を始め社会保険、労働保険の加入は必要最低限の福利厚生です。そのような適用が無いのであれば、なお更、さっさと辞めることです。ひのきしん者だからといって福利厚生の適用を認めないのは、人の善意を悪用したご都合主義の人使いに過ぎません。
    なぜかと言いますと、万が一にも「ひのきしん」中に障害を伴うような事故に遭遇すれば、労災保険の適用も受けられず、障害が認定されても障害年金の給付も受けられなくなります。
    GKさんの年齢が分かりませんが、20歳に到達して居られれば、国民年金の加入は必須条件です。それすら適用されていないのであれば、ご自分で国民年金に加入されるべきです。
    天理教は、「ひのきしん」などの天理教用語を自分たちの都合の良いようにあしらって運用している最低の機関です。
    何れにしまして、ひのきしんを辞めるのに大教会長の許可が必要だなんて、公序良俗に違反しています。
    大教会長は、自分の云っていることが反社会的な言動であることが分かっていない、哀れな人です。

  54. 匿名で。

    GK様
    詰所勤務者、本部勤務者、みな上の都合で尊厳ある個人の人生を振り回されています。仰るように、エンドレスになってしまい、辞めれないと言うのが現状です。私が知っているご夫婦はエンドレスの予想が初めから分かっていたので「年限」を決めて受け、満了日にはきっちり去っておられます。強い心と自分を大切にする心が最も大切です。はっきり言って使い捨てですから、上手に利用されているだけで、大教会長はGK様の将来の責任を持ってくれる訳ではありません。

    GK様も2年と期限を設定しておられるのですから、約束の期限が来たなら、きっぱりと辞めるべきでは?印鑑を押さないとなったら、家出(本部出?)したっていい。私なら約束が違うと言って、荷物をまとめて家に帰りますね。印鑑を押さないのは脅迫であり、パワハラ。
    更にもう1年自らの人生を犠牲にされるのですか?大教会長などは、あなた様の「素直」に対して、感謝も申し訳なさも感じてはいません。失礼かと思いますが、GK様は上にとっては「使い捨て」要員ですから。

    ご自分を大切になさってくださいね。今こうした、人員が各部署、喉から手が出るほど欲しいのです。
    大切なGK様の有限の人生、軽く利用されないで、と切に思います。

  55. 匿名で。

    追加です。
    家出もいいのですが、東風Z様のコメントの通り、社会保障関係のことを忘れてはいけませんね。GK様がより良い方向に向かわれますよう応援しています。

  56. 匿名

    GK
    2017年1月11日 12:05 AM
    腐ってる系統の見分け方教会
    借金してでもお供えしろ という上級 (現在は表統領 中田善亮 も似たような事を言っているので本部が強要していた事が判明)寄付の強要で違法です。意外と君の系統はそうなんじゃないかな?
    真面目にやると本部から離脱した方がいいこの状況、つまり本部が異端だと宣伝してるようなもの(笑)
    天理教教会本部はもう天理教にあらず!異端教教会本部ですね。
    離脱する大教会も出てくるんじゃないかな? 乗っ取り事件の大教会も本部から嫌がらせを受けたんだからもう離脱したらいいのにね。大教会の離脱は前代未聞なので楽しみです!応援してます!離脱して本部と宗教戦争してくれたら天理教もましになるかもね。乗っ取りをとめたと言う事は教理が勝ってると言う事でしょうしそれぐらいしないと現在の贅沢強欲中山家と本部は治らないでしょうしね。そもそも中山家っておやさまの言う事聞いてなかったよね?本席様と喧嘩したり、追い出したりしてさ天理教至上最低な家は中山家なんだよね。その血を引く 表統領 中田善亮 さすが おやさま おやがみさま の裏切り者筆頭の血をひく中山家 こいつら追い出せば天理教はましになるよ!
    中山家を追い出して中山家から天理教を取り替えそう!

  57. 東風Z

    もう一度言います。
    GKさんの所属される大教会長は正直言ってバカと違いますか。いとも簡単にひのきしんをしろなんて云う神経が理解に苦しみます。
    ひのきしんとは言え、労働に違いない。労働者が労働上の災害に逢った時はあらゆる健康保険は使用できません。
    仮に、健康保険を使う場合は事前に加入している保険者に負傷・疾病の事由を申告することが必要です。そして健康保険を使用は出来ても保険者は治療費等の全額を労働保険に請求してきます。使用者(労働者を使っているもの)が労働保険に加入していなければ、保険者はGKさんに請求してきます。GKさんは労働上の疾病につき使用者にすべての費用を請求出来ます。

    仮にですが、GKさんがひのきしん中に高所から落下されて大けがを負われた場合を想定しましょう。
    GKさんを使っている教団本部なり、GKさんを教団本部に派遣している大教会長はGKさんの治療費は勿論のこと、これが原因で就労不能になられたときは、労働保険の給付に準ずる一生の生活保障をしなければならなくなります。
    その金額は、億単位になることが想像されます。教団本部なり大教会長がそのような補償をする保証は考えられません。用済みの人間はあっさりと捨てられてしまいます。天理教内でそのような例を見てきました。

    GKさん、保険の加入状況を確認されて、適用が無いことが分かれば、さっさと辞められることが肝要です。
    GKさんに限らず、労働を伴うひのきしんをされる方は、その辺の事情を考慮してひのきしんに参加してください。

    余談ですが、65歳から約5年間、週に2日出勤の事務をしてきました。従業員は3名でしたが、労働保険は加入していました。
    細かなことを書きます。事務職なのでケガ等の心配はなかったのですが、通勤途上のケガの心配がありました。踏切の線路上で滑って転倒し骨折をしても通勤途上であれば労災になります。労働保険は各個人が加入するものでは無く、使用者(企業なり個人が営業して人を使っている者)が労働基準監督署に届け出て加入するものです。
    ですから、天理教の教会でも常詰さんのような専従者があれば労働保険に加入すべきものと解します。

    以前にも書き込みましたが、天理教はもっと社会の在り方を勉強しろと云いたい。

  58. こやま

    GKさま

    20年前、私は本部勤務を3ヶ月で自力で辞めてます。
    事務職でした。
    まず退職手段を周到に準備してください。
    私は同じ課の方々に退職宣言し、辞表をそこの長に渡しました。海外ボランティアを次の行き先に決めてましたので、その旨も伝えました。
    大教会長の判は、彼女(当時女)が絶対に在宅してる日時を狙って、大教会長宅に直接インターホン押して行きました。
    封筒に1万円包んで押して捺印してもらいました。

    今でも同僚の方々には迷惑をかけて申し訳なかったと思います。
    ですが、彼らはその境遇を自ら選択しているし、私は耐え忍ぶ性格ではなく、極めて正しい判断でした。

    私は12才から様々なバイト経験者です。
    天理教教会本部が人生至上最悪の職場環境だったので早々に見切りをつけただけです。
    勤務初日から違和感がマックスでしたよ~
    権威主義、男尊女卑、意味不明の上下関係、男達へのお茶くみ、すぐにガラパゴスだとわかりました。
    猫かぶりして、期待をこめて色々様子を探りました。
    しかし、何ら学ぶべきものがないことは明白でした。

    教祖殿の詰所に教服姿の課長?に呼び出されましたし、中傷や批判にさらされました。
    私は全然平気でした。
    何を言われても、ふんふんと神妙に頷き、きいてるフリを決め込みました。意思強固で臨んで下さい。
    GKさん、後のイザコザも放棄できるし、海外逃亡がベストですよ。
    ほとぼりが冷めたら帰国すればいいんです。

    いちれつ会の扶育(奨学金)を頂いたことは紛れも無い事実です。私は心底感謝しています。
    だから、欠かさず天理教にお供えし続けています。

  59. こやま

    追記

    上役の人達との面談は、違法ですが、後の保険としてこっそり鞄に忍ばせたテープで録音しておきました。
    今は携帯電話で余裕でしょう。

  60. 定詰とアルベールカミュ3
    Gk様、匿名様、東風Z様記事、拝見しました。自らの運命を他人に握られる不安、不条理、察し申し上げます。カミュは著書「シーシュポスの神話」の中で、「人間のものはすべて、ひたすら人間を起源すると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかも、この夜には終わりがないことを知っているこの男、彼はつねに歩み続ける。」とシーシュポスを描写しています。神と人間は絶対関係にありますが、人間と人間は、相対関係にあります。天理を離れてもう何十年にもなる私は、細かい教理どころか、おてふりも怪しい状態ですが、教祖が望んでいた事は、とてもシンプルであったと、覚えております。それは、天理王命の名を広める(神名流し)事と、陽気ぐらしの実現だったと思います。(沢山の解釈があると思いますが、ここでは便宜上そうさせていただきます。)教祖が、中山家の財産を捨て、家族をも犠牲にして神名を知らしめたのですが、現状の、中山みき個人崇拝とそれに便乗する縁故主義(ネポティズム)は、本人としては望んでいなかっただろうと思います。つまり、縁故主義は、人間のもの、教会も系統もひたすら人間のものであり、人間のものは、すべて人間の内で片を付けるべきであるということです。ですから、本部を、おやめになるときは、法律と人間の習慣、礼儀に沿いながら、粛々とおやめになるべきです。神の名をかたり、妨害が入るならば、これは人間の事情であって、決して神は関係ないと示すべきです(時には、公の機関、法律関係者を介して)。我々は、神に対して盲人に等しい(盲人でありながら見ることを欲し)ですが、その存在を心の内に認めます。そして、ありとあらゆる、理不尽、不条理とぶつかり争い、時には解決し、時には不条理を飲み込み生きてゆく(しかも、この夜には終わりのないことを知っているこの男、彼はつねにあゆみつづける)のですが、焼けた鉄棒を、素手で握るような人生に、真摯に向き合うことで、一杯のビールが命の水と感じる夜もあります。

  61. 匿名

    東風Z様
     ひのきしん者は、労働者と認定されますでしょうか?
    ひのきしんとは 【天理教に対する無償の奉仕活動。基本的に信者は手弁当で参加する。】ということだそうです。
    http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%d2%a4%ce%a4%ad%a4%b7%a4%f3

    そして、「労働者」の定義としては 
    【労働者とは,労働基準法第9条によれば,「職業の種類を問わず,事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で,「賃金」を支払われる者をいう。」とされています。
    この労働基準法9条の定義する労働者に該当しなければ,労働基準法の保護は受けられないということになります。
    まず,労働基準法上の労働者に当たるかどうかについては,職業の種類は問われません。
    しかし,労働基準法上の労働者というためには,事業や事務所で「使用」され,かつ,「賃金」を支払われているという要件が必要となってきます。】
    http://www.mibarai.jp/roudousha/

     ひのきしんが、無償の行為なら、労災保険も雇用保険も適用されないことになります。天理教災害救助隊のひのきしんの方々は危険な災害地域へ派遣されて活動をされていますが、彼らは労災に入らせて貰っているのでしょうか?もし、労災に入らせて貰っていなくとも、災害補償の任意保険には入らせて貰ってるのでしょうか?
     「ひのきしん」というのは、うがった見方をすれば(うがった見方をしなくても)、信者をタダで都合よく使う為の、上にとって便利な言葉だと思います。上の人間に、ひのきしん者に労災に入らせる、なんてことは微塵も頭には無いと思います。
     大教会などの青年勤め、彼らの「お与え」も、わずか1万程だと書かれてました。青年さんは、主に教会長の車や、団参の時などの運転手をすることも多いと思いますが、多分、車の任意保険には入らせて貰ってると思いますが、万一事故で重傷を負った場合などの、青年さんの障害補償などは、きちんと付いているのでしょうか?
     そして、青年勤めをされてる青年さん達も、「お与え」Ⅰ万円が賃金と言えるかどうか?
     ひのきしんとは、信者をタダで都合よく使う為に、本部の悪賢い人が、労働基準法などの法律に引っ掛かって損をしたりしないように、考えた仕組みだとしか思えない位で、残念なことですが、ひのきしん者、青年さん、などに、労災は適用されないのではないでしょうか?
     本部勤務者は、賃金が支払われているなら、労災が適用されるでしょうが、
    GK様の、「私は天理教教会本部で勤めています。ひのきしん者2年目です。」
    と、ひのきしん者、とありましたが、もし、無給の勤務なら、労災の適用条件に無いのではないでしょうか?その場合には、健康保険はもちろん既に入られてることと思いますが、東風Z様の仰ってるように、20歳になられているのであれば、国民年金に、是非加入されるようお勧め致します。労働者に認定されていなければ、万一怪我など負った場合、労災からの障害補償が受けられなくても、健康保険、国民年金、両方からの障害補償が受けられると思います。

  62. 匿名

    GK様 
     しかし、国民年金の保険料は、毎月15250円払わねばなりません。国民健康保険料も、安いものではありません。あなたが現在無職の場合には、保険料支払いは負担が大きいことと思います。下記サイト、参考にして下さい。他にも保険料に関するサイトがあると思います。
     
    ※ 国民年金の保険料を納めることが、経済的に難しいとき
       https://www.nenkin.go.jp/service/kokunen/menjo/20150428.html

    ※ 国民健康保険料の減免制度
       http://www.kokuho.info/hoken-keigen.htm
     
     あなたにとって一番良いのは、あなたが、天理教(株)という、タダ働きをさせ、福利厚生も労災も付けてくれないブラック企業から抜け出し、世間に出て一般の会社に就職することではないかと思います。東風Z様が、「将来、天理教でやるにしろ、世間に出て働いてからにせよ」、と仰った言葉に、おおいに同意するものであります。
     社会保険(健康保険、厚生年金、労災保険、雇用保険)をきちんと付けてくれている企業、会社に就職するのが、一番です。健康保険、厚生年金保険料は会社が半額負担してくれます。労災、雇用は会社が負担します。
     天理教(株)のような親心の微塵も無いところに居てはいけません。世間に出て、見聞を広げる方が、あなたの将来のためにも、はるかに良いことである、と思います。

  63. 東風Z

    上記の各位

    より詳しい解説を下さって有り難うございます。
    GKさんもこれからの人生を真剣に考えられることと思います。
    それにしましても、匿名様が仰るように「ひのきしん者」が労働者に該当しないのであれば、法律の保護からも漏れた悲しい立場になりますね。(「漏れる」という、ちょっと表現が悪い部分がありますが、ご容赦ください。)
    人の善意にすがり切った、体の良い人使いが出来る教団にはあきれるばかりです。大教会長も自分の立場を良くすることのみが頭にあって、他人の幸福を慮る気持ちは皆無に近いことが分かりました。
    GKさん、どうか頑張ってください。この場の人は皆さん応援して居られると思いますよ。一般社会を経験されたうえで、信仰を続けられることはGKさんの心次第だと思います。

  64. こやま

    みなさま

    私が在籍した20年前の3ヶ月間、国民年金は天理教が支払ってくれていました。今はどうなんでしょう?
    今日、自分の年金手帳で確認しました。
    思い出しましたが、健康保険証も支給されました。

    今でも非常に胸糞悪いことがあります。
    近畿日本鉄道の莫大な株を保有すると、近鉄の全線が利用できる定期券がもらえるんです。
    親友が奈良県有数の資産家の娘で、それを毎日使ってたので現物を知っていました。
    それが目の前に沢山置かれ、本部員達のためにラミネートしました。
    御自宅や職場にお届けもしたし、おつかいのひのきしん者が取りに来ましたわ。
    「金がない」と毎日のように言われた生い立ちと比較して、こんなの馬鹿げてると思いました。

  65. 健康保険証

    ずいぶん昔のことです。保険証、本部の在籍者と呼ばれている人は「天てい」、教庁の勤務者は「天てろ」(だったかな)。同じ本部でも全く違う組織なのだと、思ったものです。近鉄の定期券じゃなくて、株主優待のフリーパスじゃないですか。ありましたね。そんなもの。買い物であろうが何であろうがフリーです。在籍者の口癖が、俺たちは給料もらっていない。でも、住宅、食事、昔は電話代まで本部持ち。死ぬまで住んでいてもかまわない(勤務者は出て行けといわれて路頭に迷う)。工事・電気関係は営繕部から来て手当、庭木の選定も便宜あり。これも税務上は所得のはず。巡教のお礼の割り当て、冠婚葬祭の謝礼等々、見えない収入も少なくないです。教庁でものを私用するのは我慢できるが、勤務者を私用するのはみていて我慢ならず。。。。いやなこと、だんだん思い出してきて、どうでもいいことまで書いてしまいました。

  66. 匿名で。

    話の流れに沿わない話題ですみません。15日発行の天理時報に、中田善亮氏の「教祖のひながたを順序良く踏み進めて行くことができるよう、しっかり心を揃えて勤めさせていただきたい。」とのコメントがありました。

    この、「順序良く踏み進める」とは、どう理解をすればよいのでしょうか?現状の「人間思案の天理教」では上下の関係を指すのかと思いますが、この期におよんで、まだ、そんな事を強調するのかとあまりの頭の悪さに呆れるばかりなのですが。ろくじに踏みならす気などさらさらないのが、確認できたような気がします。

    それとも、「順序よく」の意味は他にあるのでしょうか?年頭にあたり、信仰の心構えとして改めて考えたいのですが、他の理解の仕方があるなら、どなたかご教示くださればと思います。

  67. 割り込みました

    『教祖の雛形』

    この『順序』は人の序列でなくて、時系列の順序ではないでしょうか。おやさまは『月日のやしろ』と定まってまず『貧に落ちきれ』との啓示により周囲に施しをお始めになった、というのが『公式見解』だとおもいます。だとしたら、『順序』の一に来るのは『人間思案を排した施しの道』となります。しかしながら『施し』は、その対象と範囲を定めるに際して個人では限界があるから、その『対象と範囲は本部が定める』として『一般信者』は『自らが他に施す心定め』をして、『その心定めの分』を『本部に預けろ』。ということではないかと思います。

    悪くとろうとすれば、いくらでも悪く見えます。残念ですが、これが現状ですか。

  68. 健康保険証

    ひながたということなら、割り込みましたさんの前半部ようなことかなと私も思います。
    教祖の施しは困っている人のためのものです。いんねんのナッショウのためにされたわけではありません。そのひながたにならい、身の回りの困っている人に寄り添っていけばいいのであって、本部へのお供えに直結させる必要ないように思うのですが。教祖は本部や上級にお供えなどしてませんよね。中田表統領もきっとそう言うつもりでおっしゃったのでしょう。

  69. 東風Z

    2017年1月13日 5:32 PM
    こやま 様

    お尋ねします。
    在籍者、勤務者、ひのきん者、などの皆さんの組織上の立場はどのような位置づけに居られるのでしょうか。
    一般社会では、日にちに雇い入れられる勤務者(日雇いといわれる方です。国家組織にも結構多いです)、2ヵ月毎に雇い入れられる臨時社員(勤務成績により正社員に登用される方も多いです)、あるいは派遣社員(派遣会社の社員ながら社会保険の適用は無し。労働保険の適用はあり)など、多義にわたります。
    教団本部の人事制度を詳しく教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  70. こやま

    東風様

    私は3ヶ月間しか本部勤務をしてないので分類はイマイチよくわかりません。
    在籍者は、本部中枢と家族、+勤続年数が長い人達?
    私自身は、勤務者扱いだったと理解してます。
    弟が大教会の青年をしてました。
    彼はひのきしん者と言われてました。
    国民年金や健康保険も個人持ちで「御与え毎月2万円」でした。大教会長の運転手をしたら、時々、行き先でお礼を頂けたみたいですが。
    前年度の税金も支払えないと嘆いてましたが、彼は社会人を10年経験後に自ら魔界へ飛び込んだ馬鹿なんです。自業自得。
    私は人生転落、破滅だと真剣に反対しましたよ。
    洗脳って怖いですね。
    今は日雇いバイトしながら実家の教会後継者などとほざいて大教会にコキつかわれています。
    私は、彼が分教会を継ぐことは断固認めないと宣言してます。

  71. 東風Z

    こやま 様

    お忙しいところ、ご教授有り難うございました。
    う~ん、やっぱり「ひのきしん者」といわれる方のお立場は厳しいですね。教団は、あまりにも安易に人を使い過ぎですね。人を雇うと言う事は、その人の将来まで考えなければならないのですから、それなりの覚悟をもってするべきですよね。大教会はせめて、国民年金及び健康保険は確保すべきです。
    弟さんも、一日も早く社会人に復帰されることを願っています。ただ、私の知っている部内教会長さんは働きながら会長の務めをされていましたよ。自分の教会の月次祭は何とかされていましたが、上級や大教会の月次祭はオミットされていました。そうでなければ勤務が出来ませんから。その辺のことは割り切って定年まで勤められましたよ。
    頑張っていただきたいですね。

  72. さっちん

    東風Z 様
    >私の知っている部内教会長さんは働きながら会長の務めをされていましたよ。自分の教会の月次祭は何とかされていましたが、上級や大教会の月次祭はオミットされていました。そうでなければ勤務が出来ませんから。その辺のことは割り切って定年まで勤められましたよ。

     懸命な教会長さんですね。上級会長や、大教会長は、私たちの、老後の生活はおろか、年金の心配など、全くしてくれないのですから、(神様のことを一生懸命していれば、何も心配ないよう、ご守護して頂ける、と、そのような、無責任なことしか言わない。)信じてその通りにするのは、あまりにリスクが大きすぎます。会社を辞めて、神様一筋になったところで、将来、もしかすると、生活保護を受けなければならなくなるかもしれない、そうなって場合でも、「悪かったね」、なんて言葉は、上級会長や大教会長は、一切口に出さないでしょう。
     東風Z様の投稿にある、会長さんのように、上がどう思おうと、自分の生活を守り切ることが、大事だと思います。上の思惑なんて気にすることなんかないですし、第一、そんな余裕なんてありませんよ。

  73. さっちん

    訂正です。  懸命な教会長さん  →  賢明な教会長さん

  74. 匿名で。

    >教祖の施しは困っている人のためのものです。いんねんのナッショウのためにされたわけではありません。そのひながたにならい、身の回りの困っている人に寄り添っていけばいいのであって、本部へのお供えに直結させる必要ないように思うのですが。<
    >『順序』の一に来るのは『人間思案を排した施しの道』となります。<

    この道は困っている方たちへの施しから始まった順序であり、また教祖は自分の因縁納消のために施し(散財)していた訳ではないですよね。
    しかしながら、現在本部では、教祖の時代のような人助けのための散財は呼びかけられず、むしろ「自分の助かり」を願う行為に対し「命のつなぎ」と称してお供え金の強要をしてますよね。

    教祖の時代は「人助けのため、困難を抱えている人たちに対して散財しなさい」。
    今の中山教は「あなたが助かるため、本部に対して散財しなさい」。

    実入りが減って、維持費がまかなえない、だからお金がいるとはっきり本音を言えばいいのですが、上手いことを言おうとするから、その浅はかな魂胆が透けて見えるのです。中山一族の将来を憂う善亮氏の人格で彼が前者の意味で「順序」と言っているとは素直に思えないところもありますが。
    ご教示をありがとうございました。いろいろと考えさせていただきました。

  75. 末端教会子弟

    >この道は困っている方たちへの施しから始まった順序であり、

    今でもこの「嘘」を信じている人がいるんですか?
    「施して貧に落ちきる」のが本当の話なら、中山家の家土地財産全て売り払っていたはずですよ。

    みかぐらうたにも、「散財の心を定め、何かに作り取るなら、大和は豊年や」とありますから「皆が頑張って生産したモノを分け合えば、皆が豊かになる」という教えです。
    「施しだけしていては豊かにならない」事は小学生でも理解できます。

    「作り話や嘘の話」の順序守れ、なんていう与太話に耳を傾ける必要はありません。

  76. 匿名で。

    善亮さんの順序のコメント、多角的にご意見があり、考える時間が持てました。教理にうそが多いのは承知していますが、天理時報で彼がいう「順序」の意味は何なんでしょうね。やっぱり上下の順序のことかな?大教会長の集会で「本部第一・お供えよろしく」みたいな事を言っているようですので。

    確かに中山家の今の姿を見ていると、教祖の教えを守って、今以って施し続けてはいません。施すどころか弱者から、金品お供え、不動産に至るまでを、集めにかかっています。勝手都合でまことしやかな作り話や噓話、眉唾で見ないといけませんね。

  77. 古い教会長

    匿名で。さま。
    >善亮さんの順序のコメント
    ああいう立場で生まれ育った人は、順序からいうと、自分は上の立場だと勘違いしているのでしょう。
    大教会にも上級にも、勘違いしている人が沢山います。
    上の立場になるほど、低い心で通らなければならない教えなのですが。

    こかん名義の裁許状が秀司名義になり、金も物も秀司夫妻に入るシステムを作りあげたのです。
    その子孫が今の本部中枢です。

    http://www.yousun.sakura.ne.jp/public_html/ofude/ofu1-1.html

  78. さっちん

    >中田善亮氏の「教祖のひながたを順序良く踏み進めて行くことができるよう、しっかり心を揃えて勤めさせていただきたい。」とのコメントがありました。

     これは、中田善助氏の、自らの決意表明、と解釈していれば良いのではないでしょうか。
    「・・・・勤めさせていただきたい。」とコメントされてるのですから。ご立派なことです。さすが、表統領です。 

  79. 古い教会長

    さっちんさま。
    >「教祖のひながたを順序良く踏み進めて行くことができるよう、しっかり心を揃えて勤めさせていただきたい。」
    自分自身が「教祖のひながたを順序良く踏み進めて行くこと」ことなど、サラサラお考えではないでしょう。

    「しっかり心を揃えて勤めさせていただきたい。」というのは建前で、
    「しっかり心を揃えて勤め  ていただきたい。」というのが本音です。

  80. 末端教会子弟

    古い教会長 様

    「しっかり心を揃えて勤めていただきたい」の「勤め」も、教祖様の教えてくれた「かぐらつとめ」ではなく、「上への奉仕とお供えの事だ」とハッキリ書いていただかないと。

  81. さっちん

    古い教会長 様
    >自分自身が「教祖のひながたを順序良く踏み進めて行くこと」ことなど、サラサラお考えではないでしょう。

     解っておりますよ、表統領さんが、ご自分がひながたを踏み進めて行く、なんて気持ちはこれっぽっちも無く、信者達に向けた言葉だということは。(笑) 「お尽くしが命のつなぎ」と言うような方ですから。
     私が書いたのは、善亮氏に向けた皮肉で、そのように思ってればいいことで、無視しましょう、ということです。

     「教祖のひながたを順序よく」というのは、教祖が、人助けのために最初にしたことは、貧に落ち切ること(教団の教祖伝)ですから、信者達も教祖に見習って、ひながたを順序よく踏んで、まず、貧に落ち切る程の心で、本部にお尽くしをしなさい。」と言いたいのでしょう。

     

  82. 核心

    本当にこの組織は狂ってる。本部員には、近鉄全線が利用できる定期券が支給され、住居費、光熱費、全てタダ食事も本部食なら金がかからない。また、本部中枢のポジションにつき厚生年金はもとより月々の給与、ボーナスまでもらい仕事といえば、内容のないつまらない講演をし、昼から酒を食らうという有様。
     大教会長たちは、高級車を乗り回しトランクにはゴルフバックを持ち歩き、中には自分で靴下も履かず女子青年に履かせている輩もいると聞く。
     それに比べ、単独布教師は飯を抜き必死で信者を作るため歩き回り、なげなしの金すら教会に吸い取られ自身の国民年金さえかけていない輩も大勢いる。
     若いうちは、大教会も青年として月1万円で住み込ませ、だんだん年をとり使い物にならなくなったら放り出す。
     それでいて、偉そうに一列兄弟とか人助けとかどの口が言うのか?
    こんな腐った組織、早く潰れろ。
    教祖をダシにして私腹を肥やす、本部員、大教会、中間教会長は本当に必要ない。
    こいつら、マジでいなくなればよっぽど風通が良くなるのに。
    悪が栄えるとはまさにこのことだ。

  83. 皆様方へ
    「ひながた」という言葉は、私は ”泥海こふき” の中で聞いた記憶があるのですが、教祖自身が、「私のひながたを踏め」、あるいはそれに近い言葉をおっしゃたのか、記憶が定かではありません。”この道とおれ”は文字どおり、道の実践により、人生をいさみ、味わい、神と共に喜びそして天理王命の名を広める事と理解しております。(解釈が浅く、幼稚であることに笑われる方がおられると思いますが、ご容赦くださいませ。)もし「教祖のひながたを踏む」という言葉が、教団によって創造された言葉であるのならば、注意が必要です。江戸末期の黒船来航、桜田門門外の変、鳥羽伏見の戦い、維新の時代に、自分の妻が、先祖伝来の田畑を売り飛ばし、施しを始めれば、修羅場となり、家族が過労死に追い込まれるのは当然だと思います。それを、参考にせよではなく、なぞらえよに近い意味での「ひながたを踏む」をつかうのは、非情であるとおもいます。人に実行をせまるのであれば、自分ができているのが前提であり、責任ある人間の姿であると思いますが。私は、教祖自身は、自分自身を崇拝せよと仰っていないと記憶しております。あの大きな教祖殿は、本人の望みではなく、縁故主義を助長させるものであると思います。権威は権力、権力は力、力は金を集めます。陽気ぐらしへ探究、天理王命の神名を広めるのが天理教の目的であると理解しております。

  84. 古い教会長

    100年祭当時、本部に知り合いの多い、ある教会長が言っていた言葉。

    「教会の値打は、どれだけ人を集められるか。
    どれだけ金を集められるかだ。」と・・。

    その当時は「そうなんだ。」と思って聞いていた。洗脳され正常な判断が出来ない頃だった。

  85. さっちん

     以前にも書かれてましたが、信じる者と書いて、「儲ける」ですね。
    漢字というものが発明された頃の昔から、神様を使って、金儲けしてる例がいっぱいあったので、こんな漢字が出来たのでしょうかね。 

  86. 進化する魂

    儲かる事はいい事ですけどね。
    親里地場のやり方とは思えん。

  87. さっちん

    「儲」 → 信者 ですね。
    まさに、宗教は儲かる、と、昔々からの、世の常識であったのでしょう。

  88. 古い教会長

    核心 様。
    >大教会長たちは、高級車を乗り回しトランクにはゴルフバックを持ち歩き、中には自分で靴下も履かず女子青年に履かせている輩もいると聞く。

    ある大教会長は女子青年に手を付けていた。婦人さんが中田善亮さんに相談に行ったところ、「よくある話ですからね。」と取り合ってくれなかったらしい。全ての大教会長がそうではないと信じでいますが。

  89. ぼんやりと帝国になった大英帝国。
    大英帝国は、いち早く産業革命を起こしたがために、大量生産という侵略武器(他国を従わせる武器になるとは思ってなっかた。)を手に入れ、優れた海軍力もあり、自分達も知らぬ間にぼんやりと大帝国に成ったと言う説があります。そして、ぼんやりと衰退しました。天理教もぼんやりと金持ちになったんだろうと推測されます。当初、不思議な助けを標ぼうした天理教は、幕末から、維新の不安定な空気に包まれた世間に受け入れられたのは、道理であると思われます。しかし、日本人には、”賽銭”、お布施”と言う習慣があったのが幸いしたのでしょう。最初、食べていけるだけあればいいと思っていても、予想外の金を手にすると人間どうなるかは、御想像の通りでしょう。総本山の権威を上げようというベクトルには、布教の推進と、隠れた金儲けの動機があったと思われます。それは、天理教のみならず、バチカンも壮麗であり、他の宗教も似たり寄ったりです。その遺産の維持費に苦しむのは、またどの宗教も似たり寄ったりです。ならば、その遺産を活用し維持費をねん出できないものでしょうか。館を、ベンチャー企業、既存の大手企業に安く貸し出す、(幸い、月給十万でも、年金、健康保険つきであれば、天理教の中で朽ち果てる若者を救うことができます。ただし、本部の給料中抜きは厳禁)。外国人旅行者に泊まってもらう(やりようによっては大人気、いいにおいがけにもなります。失敗すれば、北朝鮮労働党のクムガンサンツアーになります。)人間が始めたものは、ひたすらに人間が処理することに、意義があると思われます。(宗教法人の資産を、宗教以外に使う事に違法性があるかどうかは、判りませんが)

  90. カラス

    世襲制をやめるべきだな。世襲制だから上が馬鹿ばっかになる。

  91. 匿名

    学校休んで月次祭にって、そうじゃないところもありますよ。学生の本分は勉強ですから、今やるべきこととして勉強をしっかりというのが真柱の話の主旨ですよ。

  92. 匿名

    何の議論か分かりませんが、啓示に疑問を投げかけるのであれば信仰を続けるのは難しいのでは。

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