私の話は難しい2


私が「心定め」や「心を寄せる」ということに対して説明を求める。それってどういう意味ですか、と。しかしカイチョウさんの話からは「心」抜きで語られることはない。「心」の用語説明をするのに「心」を使用するのは同語反復であり説明にならない。経験的に大学1、2年生くらいはこういった思考ループから自力で脱することはできない。人間関係とは何かと問うても「人間関係とは人間の関係です」というのは同語反復でしかない。そこで私は「人間関係の説明をする場合は「人間」「関係」という言葉は使用してはいけない」と(厳しく)指導するのである。それを繰り返すと自身の思考の限界が分かり、光が見えてくるのである。そのトレーニングは大学院生でも同じである。意外に私たちは「分かっているつもり」で済ませることが多いのである。大切なことは、説明ができることではなく、自分が分かっていないことを説明しようとする志向性を持つことである。結局カイチョウさんに対しても私が学生の思考を明確化するような形で問うしかない。「心とはなんでしょう?」と。そこまで言ってしまうとカイチョウさんも困ってか「心とは魂だ」と今度はスピリチュアルな方向へいってしまった。すると当然のことながら「魂とは何でしょう?」と私は言わなければいけない。私も薄々カイチョウさんの限界を感じていながらも質問するなんて悪い人間だ。すると痺れをきらしたカイチョウさんは「心も魂も3次元なんだ。そういった言語的に説明できるものではない」と言われた。これには私も絶句した。ご存知のように3次元とは立体物である。机もパソコンも食器も3次元である。その「ただの物」と「心や魂」は同質なのだろうか。否。私は「魂や心」は5次元でもいいと思う。ドラえもんでさえ4次元ポケットなのに。これ以上はカイチョウさんの名誉のために控えておくが、結局具体的な説明はいただけなかった。「信仰や教義に具体性を求めてはいけない」と反論されそうだが、その反論には私も賛成する。しかし「お金」というものは具体物でしかない。抽象的思考を拒否しているわけではないが、抽象的思考から具体的事象を繋げる「教えに基づく生き方」を私は知りたかったのである。それだけである。他人の信仰に口を挟むほど私は物知りでも信心深いわけでもない。お金を求められたら「何でですか?」と聞くのが当然であろう。「その金額に対して、どれくらいのメリットが私にあるんですか?投資したら、その分回収できるんですか?」などと経済市場主義的な要求をするつもりもない。ただ、シンプルにその必要性を「あなたの経験から」聞きたかっただけである。

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