天理教災害救援ひのきしん隊(災救隊)を政府や国民が特別視してはいけない理由

2017年4月21日の参議院、東日本大震災復興特別委員会において、民進党の藤田幸久氏が「天理教災害救援ひのきしん隊」、通称:災救隊(さいきゅうたい)について質疑をおこなった。私の論評は後にし、まずは動画から一連の質疑をテキスト化した。口語文のため読みにくいが、できるだけそのままを再現した。
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議長:藤田君

藤田氏:時間の関係で次移りますが、資料をご覧いただきたいと思います。これは実は天理教災害救援ひのきしん隊という恐らく、これは実は120年以上の経験のある日本最大の民間災害支援組織であるという風に思います。私も実は今まで、国内もさることながらスマトラの津波、ジャワ島の地震、パキスタンの地震、ハイチの地震、東日本大震災と行ってまいりましたが、実は日本国内にこういう組織があるっていうのは、直接目にしたのは5年前の筑波における竜巻の現場でございました。それから一昨年の常総を中心とした災害のときに、この、こういう方々の活躍を目にいたしました。で資料を持ってまいりました。1ページ目、実はこの組織はですね。阪神淡路大震災、新潟中越沖地震等々を活躍をしました。これみんなこの実際に、こういうしっかりとした装備を付けながら活動している状況であります。で、陸前高田の市長さんもおっしゃっておりますが、下から8行目ぐらいですけども、東日本大震災で絆という言葉がクローズアップされたが、まさに救援隊のこのあの皆様と被災地の関係にふさわしい言葉だろうと思っております。それから次のページいきまして、この部隊の凄いところは全部機材を持ってるんです。私も見ましたけれど、この必要な機材のところで、4行目くらいですけど、ダンプカー、パワーショベル、クレーン車、スコップ、チェーンソー、無線機、マイクロバス、給水車、で、全部これ自己完結的にやっております。で、これも宮城県の東松島の市長さんが、えーこれは上から8行目ぐらいですけども、泥やヘドロの処理、瓦礫の搬出、公園、公共施設内の清掃や整備、植樹、炊き出しなど、様々な要望に対応していただき、延べ1000名を超える方々がいらっしゃったと。それから次のページでございますけれども、この衣食住、自己完結でございます。え、衣の部分もそれぞれがしっかりした装備を着ておりますし、食の所は食料、飲料水、炊事設備を持参し、食事は全部この救済、災援、災救隊でまかないますと。大釜などの炊事設備も持ち込みます。で、これはあの熊本の阿蘇市長の佐藤さんという方が、これは下から7行目ぐらいですけども、産業資機材はもちろんですけども、衣食住と全てにおいて自己完結型であり、意識の高さと統率された行動に、これまでの経験の深さを改めて感じましたと。それから次のページに行きまして、こういう具体的なことをされておられます。例えば土砂崩れを起こした斜面に、この石段を造成する。右の方で倒木の処理、それからその下の写真で土嚢で土砂崩れを防止をするということであります。これは当時の兵庫県の知事の言葉が下の方に出ておりますけれども、阪神淡路大震災において医療活動や給水支援、瓦礫処理等を資機材の調達や隊員の宿泊場所の確保を含めて自己完結型の体制で出動していただきましたということでございます。それから次のページにいきまして、これがですね120年の歴史であります。左の一番上、明治24年の濃尾地震、それから関東大震災、そして右のページにいきまして、平成7年阪神淡路大震災、これ括弧で2万名が、この団体から実際に動員されていったと。えーそれから下の方にまいりまして、平成23年のところに東日本大震災、これ3万名、3万人くらいの方が実際に出動されているという歴史でございます。そして次のページでございますが、これは東日本大震災における出動記録でございますが、この宿営拠点地というのがあるんですね。宿営拠点地というのが右側にありますけども、こういう宿営拠点地を寝城にしながら、炊き出し、瓦礫撤去をおこなったという、この延べ3万人の中の内訳が出ております。で私もですね、こういう団体があるというのを知りませんでした。で、恐らくあの、日本で見てる中で、あるいは世界的にもですね、これだけの部隊というものは恐らく他にないんじゃないかと思っておりますけれども。で、これをですね、政府の方で、私も知らなかったんですが、政府の方でこういった団体があるっていうことの知見がなかったんじゃないかと思いますがいかがでしょう。

議長:内閣府緒方審議官

緒方氏:お答えいたします。いまご指摘のございました天理教災害救援ひのきしん、ひのきしん隊につきましては、災害時に組織的な動員力と建設機械などを用いた技術力を駆使いたしまして活動されていることにつきましては、承知をいたしておりました。

議長:藤田君

藤田氏:という程度なんですね。それで、つまり今私読みましたのは、阪神淡路大震災のときの知事も知っている、それから色んな市長さんも知っている、だけど政府でこれだけの部隊があるってことはほとんど実は共有してなかった。ということは私は共有することは非常に重要だろうと思っています。で、特に私も色んな援助に関わってきましたけど、この宿営拠点地を持っているというのは人道援助で路地があるっていうのは一番重要です。そして自己完結型の機材、それからお風呂も含めてですね、全部持っていく。こういう部隊ないんですね。それで、ということは実はあのこういう災害で、こういう部隊がいった所においては社会福祉協議会に登録をしたりしています。茨城県もこの筑波とか常総にいった後になっているんですね。たぶん恐らく阪神その他、災害でこういう部隊が行った後は、社会福祉協議会等の登録をしたり、あるいは県の災害関係者の中には知見があるんですが、これ現場を見たら凄いって分かるんですけども、重要なことは、事前にですね、こういう部隊があるんだと、ということは、ここにお願いをすればこういうことをやってくれるということを知ってるか知ってないかって非常に重要なんです。で、こういう実は部隊があるっていうことを政府で共有するためには、あの今はそれがないんですけどね、どういう風にしたら共有できるか、についてお答えいただきたい。

議長:緒方審議官

緒方氏:お答えいたします。今日、災害時におきましては、今お話ございました天理教災害救援ひのきしん隊のような技術やノウハウ、それから災害対応経験を持ちますNPO等のボランティア団体が、被災地に駆けつけまして、国、自治体では手が届かないきめ細やかな被災者支援活動を展開されていることを、でございます。こういった風な活動を促進していくためには、NPO等と国、自治体の連携が大変重要と考えておりまして、例えば熊本地震におきましては、300以上のNPO等が参加されました熊本地震支援団体火の国会議が設置されまして、その場を通じてNPO等と県との連携がはかられております。同会議につきましては、天理教災害救援ひのきしん隊につきましても参加されまして、熊本復旧支援に取り組まれたというふうに聞いておりまして、そういった風な連携におきまして、引き続き力を発揮していただきたいという風に考えております。

議長:藤田君

藤田氏:だから駄目なんですね。つまり熊本で地震が起きた後に、そういうグループを作った中に入ってくださいという話なんです。そうじゃなくて、すでに政府の中で、こういう部隊があると、例えば日赤はこういうことができる、あるいは緊急援助隊だったら海外だったらこういうのがあると知ってれば、じゃあ連絡をしてここに行ってくださいと、おたくの部分の、この部分が行ってくださいと指示ができるけども、情報がないから今みたいに、Ad hocな話です。災害が起きた後の、そうじゃくて事前に政府の中に組むことが重要なんで、少なくとも地方公共団体、警察、消防、社会福祉協議会等においては、パンフレットもあることですから、これを共有してですね、常にあの政府の方で、そういうものを、情報を提供できる。すでに普段の段階から少なくとも都道府県、警察、消防、社会福祉協議会等については、これは普通の、なんか今の話ではワンオブゼムの話なんです。で、私も民間のNGO団体にいましたが格が違います。レベルが。プロです。ですからこういうプロ集団がいるということについてはワンオブゼムの扱いじゃない扱いをしていただきたいと思いますが、いかがですか。

議長:緒方審議官

緒方氏:お答えいたします。こういった熊本県の今回の対応の経験などを踏まえまして、全国の各自治体におきましても、それぞれの地域でNPOとの連携を深めていく動きを進めていっております。そういった中で、各自治体につきましても、また国の方におきましても、それぞれのNPOの活動につきまして承知していくことになっていくかと思っております。

議長:藤田君

藤田氏:あのね、起きた後に、地方自治体でこういう団体もありますからどうぞっていう話じゃないんで、政府の方で、非常にこれ重要なね、ありがたい団体があるんです。それを有効活用しないってことは政府の怠慢ですよ。だから、例えば政府の防災会議なのか、他の仕組みの中で、例えばあの中央防災会議ですか、日本医師会入ってなかったんですね最初、311の時、後で下部組織に入れましたけど、同じようなもんです。そういう意味での、政府の中できちっとこういう組織があるっていうことを、政府の方でしっかりね、認定をし、組み込んでくださいって話なんで、どうですか。じゃないと今のようなことになっちゃいますよ。後になってから、あの、後追い的にしましたみたいな。それじゃ間に合わないんだ。どうですか。

議長:緒方審議官

緒方氏:お答えいたします。NPOのネットワークがござますので、そういった中で活動されております団体につきましては、私ども承知する状況にございますので、そういった中で必要に応じましてお願いすることもあろうかという風に思います。

(女性議員が議長の元に歩みでる)

議長:速記止めてください。(音声ミュート、映像のみ)

(複数の議員が議長席に集まる)
(画面上部に「速記を止めている間、音声は流れません。何卒、ご理解ください。」と表示される)

1分40秒後
議長:改めて藤田君、質問お願いします。

藤田氏:あの起こった後のワンオブゼムのNPOではなくて、比較にならない、ある意味じゃ政府が持っていないような機能を持っている部隊、路地も含めて、を活用しなければ私は政府の怠慢になると思いますが、それに関して検討もされていない、検討する意思もないということですか。

議長:緒方審議官

緒方氏:天理教災害救援ひのきしん隊におかれましては、非常に活動を展開していく条件が揃っていると承知はいたしております。こういった風なNPOの活用していただくことも含めまして今後政府といたしまして検討したいと思っております。

議長:もし大臣、補足があればお願いしたいんですが。(大臣挙手)今村大臣。

今村氏:ただいま藤田委員の話を聞いておりましてですね、私もなるほどなと、噂には聞いておりましたけども、こんなにですね、以前から、こんなに、きちっと組織だった活動をしておられたということをうかがいまして、改めて大変感動しているところであります。それであの、我が国災害国ですから、いついかなることが起こるか分からないと、そういう中でですね、やはり今回の東日本もそうですし、熊本もそうですが、やはり初期活動ですね、これは非常に大事です。ですからそのときに備えてですね、どういうことができるのか、どういう体制でできるのか、どういうチームがいるのかというのはですね、これは国だけでは駄目だと思いますから、せっかくこういう色んな団体、チームもいらっしゃるわけですから、そういったものをある程度まとめてですね、きちんと、なんていうんですかね、把握しとくと言いますか、いざというときにはすぐ活動できるようなそういう体制づくりをすることも必要じゃないかと、備えを常にという言葉がありますが、そういったことにですね、準じて私もですね、また関係箇所と相談しながら、せっかくのそういった組織がですね、うまく機能的に活かせるような仕組みを検討していきたいという風に思います。

議長:藤田君

藤田氏:大変いい答弁をいただきましてありがとうござました。私は最後申し上げようと思っていたのは、この緊急援助隊は大変大きな問題を持っているんです。それは何かと言うと、自分たちの手柄を一切言わない団体なんです。だから120年たっても、この、こういうことが知られてなかったんです。ですから、今さきほど後ろの方で宗教団体がって話がありましたが、この団体は布教活動一切やっていないと思います。私が見てる限りで、でむしろ宗教団体が故に、あの手柄を言わないできてる。ですから例えば県とかに行くと新聞に出てるんです。こういう団体がやってくれた。ところが一般紙に載らない。だから知れないわけですけど、でも私はこれは大変な宝ですから、是非その背景が、逆に背景があるんで宿営地があるんです。ですからそれをむしろ有効活用していただきたいということを今の大臣の答弁に加えてですね、お願いをして次の質問に移らせていただきたいと思います。
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以上が委員会での質疑である。

全体的な印象として藤田議員の主張は、天理教の災害救援隊を、その他の数多あるNPOと一緒にせず、特別視するようにという要求であった。政府の答弁は「天理教だけを特別視はできないが、今後の検討にする」という当たり障りのない返答であった。同席していた今村雅弘前復興大臣こそ天理教に限らずに「力のあるボランティア団体は、災害前に政府と関係を築くべきだ」と前向きな答弁をおこなっていた。その直後に彼は失言で大臣を辞任してしまったが。

印象的なのは、藤田議員が天理教をゴリ押ししている点である。途中で質疑が中断したのもその影響ではないかと思われる。藤田議員の質疑を聞いている議員にしてみれば「災害救援で活躍している団体や優秀な団体はたくさんあるのに、なぜ天理教だけを特別視する必要があるのか。それはおかしいんじゃないか」という異議があったと考えられる(中断中の音声はミュートのため実際は聞こえない)。質疑の最終部で藤田議員が「今さきほど後ろの方で宗教団体がって話がありましたが」と言っていることから、どうやら議場内の他の議員から「天理教は宗教団体だろ」という野次があったと推測できる。しかし藤田議員は

「私は最後申し上げようと思っていたのは、この緊急援助隊は大変大きな問題を持っているんです。それは何かと言うと、自分たちの手柄を一切言わない団体なんです。だから120年たっても、この、こういうことが知られてなかったんです。ですから、今さきほど後ろの方で宗教団体がって話がありましたが、この団体は布教活動一切やっていないと思います。」

まず天理教という宗教団体の説明は一切していない。どちらかというと宗教団体であることを避けているようにも感じられる。そして、天理教が天理教災害救援隊の活動を声高に宣伝している事実は隠されている。新聞などの一般紙に取り上げられないことを「手柄を一切言わない」のではなく、「一般紙は天理教だけを特別視しない」という方が事実に近いだろう。なぜ一般紙はどこも天理教を特別視しないのだろうか。自己完結型の優秀なボランティア団体や、規模の大きいボランティア団体は天理教だけではない。確かに天理教は自己完結型の規模では日本で最大規模かもしれない。しかし天理教では天理教以外で活躍している他のボランティアの情報など一切無視されて宣伝されるのは誰もが知っている常識であろう。そのため天理教人は「天理教災害救援隊が、日本で素晴らしい唯一無二の団体」と洗脳されきっている。

一般紙では取り上げられない代わりに、教団の機関紙や新聞では代々的に、これでもかと宣伝されており、布教用の冊子にも度々取り上げられている。これを「手柄を一切言わない団体」と説明できるか非常に疑わしいのではないだろうか。

加えて、この委員会での質疑に関して天理教内では早速「天理教災害救援隊が、国会で取り上げられたぞー!やったぞ!」という声があちこちで聞かれ、SNSで拡散させている教会長や本部役員などが多数いる。これが手柄を言わない団体といえるのか。幸いにも現時点で教会本部の公式として宣伝していないのが救いである。天理教本部が宣伝に利用してしまっては藤田議員の発言がウソになってしまう。

そして一国民として最も聞きたいことは、政府が一宗教団体を特別視することが、国民の信頼を得られるものかどうかであろう。藤田議員の発言だけを切り取ると「天理教災害救援隊の活動はなんて素晴らしいんだ」だけで終わってしまう。しかし、天理教災害救援隊が本当に信頼できるものなのか、国民の生活の復興を任せるほどの組織なのかという議論は全く触れられておらず非常に危険である。ここはきちんと事実関係を整理しないといけない。

結論から述べると、私は天理教災害救援ひのきしん隊を特別視し、政府の災害救援の第一線を担わせることに反対である。その理由を以下に述べる。

前提として、私は概ね藤田議員が述べた天理教災害救援隊の説明には賛同する。天理教の災害救援隊は歴史が長く、活動実績も豊富であると思う。この団体は、宗教法人天理教が所有している非法人の任意団体である。構成員もみな天理教の信仰者であることから、共助の精神を背景にしている。都道府県単位を分隊として定期的な訓練をおこない、関東地方や東海地方など地方ブロックごとの訓練も行われており、応急体制もとっている。天理教のホームページを見れば高齢者ばかりで非常に頼りない組織にも見えるが、都道府県単位の分隊の土壌として、数日から1ヶ月単位の訓練もおこなっており高齢者だけでない人も多く参加しており継続的なマンパワーも確保されている(この訓練も参加人数のノルマが課せられている大教会もあるようだが)。また阪神大震災や東日本大震災のような大規模災害の際には隊員だけでなく、天理教信者がボランティア(≠ひのきしん)として被災地に入るため、天理教全体として人手は非常に多いと思われる。また、この団体の趣旨の根拠となる「ひのきしん」は「神に対する自己献上」(諸井慶徳)とされており、人への善意というよりは神への感謝を肉体を使って表現することがメインである。利他的行為であるボランティア精神とは異なるものの損得のない精神に好感がもてる。この天理教災害救援ひのきしん隊の活動は尊敬に値することはいうまでもないことは前提としたい。

では、災害が起こる前に継続的な政府のパートナーとして国民生活の復興を担うに相応しい団体だと言えるのかという点で以下に私は反対の理由を述べる。

1 天理教災害救援隊の金銭の収支は不透明であり、国民の信頼を得ることは非常に難しい。このことは「天理教里親活動」の中でも取り上げたことと同じである。活動内容は素晴らしいが、宗教法人のお金の流れは不透明であり、財政的な疑惑が解消されない。つまり天理教災害救援隊のかかる費用や集めた募金が適切に使われているのかさっぱり分からない。国がNPOを重視し、NPOを支援しているのは、まさしくその点であろう。NPO法人のように法律の中できちんと収支報告を公告し、誰でも閲覧可能な活動実績を公開している組織を信頼するのか、組織の情報を一切市民に公開していない団体を信頼するのかは論を持たない。東日本大震災では天理教は被災地へ送る義援金と、災害救援隊等で使用する義援金の2種類を集めたが、きちんとした報告書や収支報告は一切公開していない。信者には救援の美談で騙せても、国民からは到底信頼できないであろう。

さきの委員会答弁をした役人は天理教災害救援隊のことをあまりよく知らない様子であったが、「知りようがない」というのが本音であろう。天理教災害救援隊を調べれば、美談は山ほど出てくるが、組織として、団体として“まともなのか”どうかは、天理教が情報を一切出さないために知りようがない、金の流れが不透明で信頼を得ていない組織を認めるわけにはいかないというのが本音だろう。国の事業に関わったものなら理解できるが、国民の信頼を得ない事業はどう足掻いても決して認められない。森友学園問題など利権や政治が複雑に入り組んだ特異な事例を除き、膨大な国の事業では基準に達しない事業は簡単に切られる。その際の決まり文句は「国民を納得させられない」だ。今回の災害救援の場合、税金は扱われないが、国民の生活に関わることであり、より慎重にならなければいけない。

2 天理教災害救援隊の意思決定や組織構造が不透明であり、誰も社会的責任を取らない。1とも同じであり天理教によく見られることだが、一部の人間によってすべてが決定される傾向が強い組織である。ある日突然に、わけのわからない方針が発表されることは大きな組織ではよくあることだが、それを災害救援に適応されるのは非常に危ない。その一部の人間が判断を間違っていれば、すべて間違ってしまうリスクが大きい。このことは天理大学おやさと研究所が2012年3月25日に発行した「東日本大震災における天理教の救援 -全教あげての活動と今後の課題を考える-」の中で、東日本大震災の天理教災害救援隊で指揮をとった田中勇一天理教災害救援ひのきしん隊本部長の講演録から見て取れる。活動自体は素晴らしいので、ケチをつけるようになってしまいで恐縮だが、本部長という役職にありながら感動話に終始しており、実際的なマネジメント論やシステム論は皆無であった。これは天理教災害救援隊の専門性の低さを物語っていると感じる。行き当たりばったりの根性論ばかりである。それはそれで大学生のボランティアサークルのようで悪くはないのだが、本部長が災害マネジメントや復興アプローチの教育や経験をどれほど受けているのか疑問でしかない。これは、天理教災害救援隊の活動が、非常に即効性があり柔軟性があるものの、東日本大震災では天理教本部が災害救援対策本部を設立し、その傘下に災害救援隊が位置づけられたことも、意思決定の不安定さを物語っている。大災害の対応手順が何もないような印象だ。このことから天理教災害救援隊の意思決定は、一部の人間によって容易に覆される危険性がある。この件に関しては、私も3.11の時にいろいろと耳にしたことと符合する。話を総合すると、天理教災害救援隊は意思決定に関して自律的組織とは思えない。

3 天理教災害救援隊で隊員として活動する人間の多くは、平時に天理教の業務をおこなっており、天理教からは最低賃金を圧倒的に下回る低収入や、アルバイトなどを兼務しているという点で即応できず、救援活動にも専念できない現状がある。彼らには常に金銭と生活の側面で不安定な部分があることは否めない。私は今回の記事作成について何名かの隊員から話を聞いた。実際はどのように出動するのかと。もし災害が起こったら数時間中に都道府県単位の隊長から連絡がくるとのことだ。しかし連絡が来ても『今から行きます』などとすぐに人は集まらないという現実があることを聞いた。特に天理教の末端の人間などは毎日のように行事や祭事が詰まっており、「明日はうちの教会のお祭りの日なんでいけません。さらに3日後には上級教会のお祭りなんで行けません。その次の日は大教会のお祭りが・・・」という返事ばかりだという。そこで出動日程を調整し、その日程で行ける人を集めるということで、即応性とは言い難い。藤田議員の質疑では災害が起こる前に体制を整えるべきだという主張は、専任ではない人間が多数いる災害救援隊は現実的には非常に厳しいであろう。
皮肉にもすぐに動ける人間というのは、信者から巻き上げた献金で安定な収入を得ているものの、現場にはいかない天理教本部の人間ばかりではないのだろうか。彼らは本当の現場には行かずに、役所まで義援金を持っていき天理教広報のカメラに収まるのが仕事である。天理教トップの真柱でさえも、お付きを連れた視察で汗をかいた様子もなく宣伝用のカメラに収まる。冷静に考えれば、彼には何の行政執行能力もなく、まるで天皇ごっこにしか見えない。

天理教災害救援隊をボランティア団体という認識であれば、仕事の合間を見つけて駆けつけようとする意思、これだけで尊敬に値することは言うまでもない。しかしこのような不安定な組織運営を信頼し復興の一翼を担えと言われても困難である。

以上のことから、私は天理教災害救援ひのきしん隊が政府と国民の信頼を得るためには、別法人やNPOを設立し財政的、組織構造的な透明性を向上するべきだと考える。天理教組織に関わることすべてに当てはまることが、天理教が発行する媒体も含めて、まともな議論を展開できる大人が天理教には不在である。「苦労して人を助けたぜ」という美談に明け暮れ、歴史学者のように教義をこねくり回すのは結構だが、きちんと現代の社会に認められるまでに組織構造を昇華させようとする大人は天理教の幹部には一人もいない。口を開けば「神様に喜んでもらうため、動員せよ献金せよ」と美談や感情論などの幼稚な議論ばかりである。信者や学生は騙せても、社会の一員として国民に認めてもらえるには到底物足りない。特に金の流れの不透明さや、信者への半強制的な献金などをおこなっている組織を特別視しろというのであれば、他の宗教団体もNPO団体も黙ってはいないだろう。もし天理教が災害救援に自信を持つのであれば、NPOのように天理教災害救援隊の「事業報告書」「貸借対照表」「財産目録」「役員名簿」を公開してみてはどうだろうか。きちんと広く国民に見てもらえばいい。そうできない理由でもあるのだろうか。

今回、気になって更にいくつかの資料を見返した。天理教災害救援ひのきしん隊というのは、天理教の対外政策の中で、天理教の中では非常に評価が高いと感じる。天理教の活動の中でも、例外なく社会に対して説明がしやすいからなのだろう。ただ、天理教人は誰もこの団体を組織論や災害マネージメントとして言及しないのが不思議で仕方ない。宗教たる所以なのか、冷静で知的な議論ではなく、表面的、感情的な「災救隊って素晴らしい!」という議論で終わってしまうことが残念である。これが宗教法人の限界であろう。この団体の意思決定と責任の所在が明示され、収支報告が毎年公開されていればより格段に信頼されると思う。ただ、やはり天理教本部が、同じ不透明さを持って国民への説明責任を放棄している以上、到底無理な話だと失望するしかない。

最後に、委員会で質疑をおこなった民進党の藤田幸久議員について、私は天理教との関係で強い疑義を持っている。ツイートもしたが、改めてここに再掲する。

天理教の災害救援隊を絶賛し政府に天理教災害救援隊をごり押しするように言った民進党の藤田幸久議員は、過去10年間に何度も奈良県天理市の天理教本部を参拝している。委員会質疑では天理教災害救援隊について「知らなかった」と発言していたが、本当に知らなかったのだろうか。なぜなら前述したように天理教は災害救援隊を広告塔にしてホームページでもSNSでも機関紙で何度も宣伝しており、信者も天理教災害救援隊の活動を誇らしく認識しているためである。もし藤田議員が天理教災害救援隊を本当に知らなかったのであれば、それは天理教のことを全く理解しようとしていなかったわけであり選挙のためでしかなく天理教信者に失礼であろう。そして委員会で取り上げた詳細な資料は誰が用意したのであろうか。画像に写っていた豊富な写真資料や、詳細なデータは、資料を収集している私でも知らなかったことがあった。つまり、藤田議員の質疑の裏には少なくとも天理教関係者が深くコミットしていることは間違いないのではなかろうか。特定の宗教団体が、国会で議員を利用して価値を高めようとしているのであれば、それは政教分離や宗教法人の公益性という別の深刻な問題として大いに議論の余地があろう。藤田議員と天理教の関係をきちんと整理してからでないと、一国民としてまったく納得できない。

天理教ホームページの災害救援隊ページ
http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/about/activities/saikyu/

2017年4月21日 参議院復興特別委員会  12:48〜
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?ssp=29467&type=recorded

藤田幸久議員 ブログ
https://y-fujita.com/archives/18526

以上のことから、私は政府が天理教を特別視することに反対する。

ご意見、情報提供は下記までお願いします。
tenrikyosyakaigakulavo@hotmail.co.jp

天理教災害救援ひのきしん隊(災救隊)を政府や国民が特別視してはいけない理由」への24件のフィードバック

  1. 睦輝

    参拝だけにとどまらず、国会答弁での天理教持ち上げ…。
    天理教信者の票田確保競争から一歩抜きん出たいと思ったのか、はたまた他に意図があるのか。

  2. 匿名

    天理教信者の票田を確保したかった、と見るのが的確でしょう。天理教教会長さんにとっては、お供えの確保の問題が、どうしても頭から抜けないように、政治家にとっては、票田確保が、一番大事でしょうから。

  3. 時々ようぼく

    ボランティア行為としては、非常に有意義なことをしているだけに、天理教の看板を掲げなければ、売名行為などの下心なく大衆に受け入れられ、美談として完結するのに残念なことだ、ということでしょうか。
    npo法人のように、収支会計をはっきりさせない組織を、ご丁寧に国会で取り上げ、わざわざ紹介したのには、答弁に立った議員と、天理教本部との関連、あるいは癒着を疑われても仕方ないですね。
    また、組織力の低下や、内外からの本部批判が激しい昨今、挽回を狙って、その議員へ手を回し、本部の手先よろしく、災救隊の話題を言わしめ、ひいては天理教本部礼讃を狙ってのことなら、とんでもないオナニー組織です。
    とまあ、そういうふうに思われても仕方ない連中が、組織の上層部に並んでいる裏返しでもあります。
    記事にある、「天皇ごっこ」がいいですね。
    真柱が、被災地を訪れる。何様ですかね。
    だれも呼んでねえし、被災者は一様にそう思うんじゃないですか。
    末端からかき集めた金を、天理教の看板で持っていく。
    他人から預かったお金を封筒に入れ、そこに自分の名前を書いて持っていくわけです。
    極端な引き合いをします。
    被災にあった地元の暴力団が、有事の時に助け合いの精神で、すべて持ち出しで、食事や水等の物資を被災者に供給しています。
    ふだんは近寄ることもおっかない組員が、汗水垂らして人のために動きます。
    ヤクザだからこそ、地元を守るという想いが強いからでしょう。
    でも、全てを手放しでその行いを褒めそやすことは難しいですね。
    ふだんはヤクザ屋さんです。
    持ち出しで 扱われた金銭の出所は、一体どこからだ、と穿った見方ができるからです。
    困ってる人には、出所なんてどうでもよく、今日一日を無事に過ごせるか? なんですけどね。
    災救隊だって、体を張ってるのはほぼほぼ末端教会の有志らだし、活動資金を担うのは信者たちの寸志が元です。
    天皇ごっこ、北朝鮮ごっこのお遊びしてる暇なんてないだろうに。
    他人の家を詮索する前に、内紛するアホ本部の家庭事情を解決させるのが先でしょうが。
    中山ぜんすけ、バカですね。

  4. ” 律が怖いか、神が怖いか ”。絶対関係にある人間対神の間においては、律より神が優先されますが、相対関係にある人間対人間、(対上級教会、本部、対真柱、内閣総理大臣、天皇、etc)は律が優先されます。私は何度も繰り返しますが、天理教は陽気ぐらし達成のための政策提言をすべきであり、そのための毎年の年次研究、レポートの作成発表は、必須であると考えます。そしてそれに賛同してくれる議員と政策懇談をするのは当然と思います。(それにしてもなぜ、民進党?、宗教関連法案は公明、自民と話し合うべきと思いますが。)天理教の歴史の中での官との対立は、学校で習い教祖の教えの重要なパーツであることは認識していますが、敵は身近に置き観察するのが、人間思案の勘所です。つまり対人間事案においては、天理教は人間思案に人間思案をかさね、自由民主主義の日本国において、どのような提言をするかによって、神の意志の実現を図るのが現実の一面として重要視されるべきです。そこがおろそかにされている為に、順法精神がおろそかになり、経理不在、不透明な組織に、不透明な政治家とのかかわりになってしまうのでしょう。政治家との関わりは、こちらも腹をくくり、思案に思案を重ねて慎重に事を運ばないと、金と権力が絡む世界では、あっという間にワイドショーのえさになること間違いなしです。

  5. 匿名

    災害救援隊の方々はまだマシですね。ご苦労様です。費用を自己負担してる人も多いはずです。
    新聞に広告出しましょう。
    病気・悪因縁は拝み祈祷で陽気暮らしへ。
    脳溢血100万円
    末期癌300万円 その他相談に応ず。
    貧困ビジネス・貧困労働有り。
    貴方の街の天理教。何時でも安心してお参り下さい。
    解り易くて良いと思います。

  6. 40代不良信者

    要は、民進党の立場として『災害救助なら自衛隊でなくてもいいじゃないか』ということも併せて言いたいのでしょう。まあ、従順というか考えない信者連は『国会で取り上げられた』と訳もなく喜ぶと思いますが、票田に囲いたい、支援がほしいと思っているからこその媚びに、自分達の政治的志向を忍び込ませたものでしかありません。
    その昔、大阪府東大阪市に清水行雄という市長がいました。教会子弟で、縁戚に分教会と布教所がありました。市長選に向けての演説会や決起大会はすべて教会、選挙活動は『ひのきしん(笑)』で賄われたと聞きます。結果、知人の女性(愛人だよね)に不正に資格を取得させて年金を詐取させたとかで現職で逮捕されました。古い記憶で書いていますからディテールに異同があるかもしれませんが、そういう事件もありました。政治とか言うリアリティの世界で解決し得ない人的心的支援が信仰の本領と私は思いたいのですが、これでは取り込まれて終わりです。戦前は『団体として存続させる』応法によってネジ曲がりましたが、今後は『宣伝、コンセンサス』のために取り込まれ続けるがゆえの応法で曲がり続けるのでしょうか

  7. 皆様方へ
    今回の政治絡みの話題について投稿が非常に少ないのが気になります。教祖の人生において、官、律との対立が天理教の重要なテーマになっていたのは記憶にありますが、やはり、皆様は法律や政治に関する無意識の忌避感を持っておられるのでしょうか。これは重要なポイントであろうと思われます。天理教においては、何か問題があるときは、適切に法律や、裁判において議論で解決する姿勢”リーガルマインド”が育ちにくいのでしょうか。このことは、経理の不透明さや、法人乗っ取りなどの発想に結び付きやすいのではないでしょうか。良き日本人として、積極的にならなくても政治や、法律、行政を監視し、自らの意見を持ち、選挙投票に生かすことは、我々の生活や子孫に対する有用な手段、権利であると思っています。今のグロテスクな教団の姿を形成した要因の一つに、一般的な法律に対するどこか、天理教律の優越を信じ込んでいるふしがありませんでしょうか。良き日本人と良き天理教人の一致はあり得るのでしょうか。非常に単純な事柄ですが、皆様方はどう思われておられるのでしょうか。このことは、本部、末端信者双方にとって重要な鍵になります。リーガルマインドの無い北朝鮮を見るように、天理教全体がそう思えてなりません。

  8. mami

    私は天理教を離れましたが「中山みき」の『・・・・、律が、律が怖いか、神が怖いか、律が怖いか。・・・』は『世界一列みなきょうだい』と合わせて忘れることが出来ない言葉です。この言葉は当時の社会では高山(権力)にとっては危険な見逃すことのできない言葉です。これを現代生きる私は「どう生きるか」を私に問われていると常に頭にあり、時にはそれに縛られているように感じることもあります。ここで皆様は憲法の信教の自由をから見て現在の天理教団に批判されています。私もその一人です。しかし、今、私の関心は「共謀罪」です。怖いと思う毎日です。国民主権」「基本的人権」「平和主義」の現憲法は現実と遊離している部分がありますがこの憲法があるから問題があった時、裁判で争う時の拠所になってます。天理教団だけでなく政治的な発言は個人の付き合いでもなかなか難しいのが現実です。是がもっともっと強まる空気を感じます。

  9. mami様
    ”共謀罪”いい視点だと思います。結局、該当する事件が起こった時、この法律を適用するその時の政府によって、この法律の特質は左右されるのでしょう。戦前の宗教弾圧の時は、治安維持法と皇室不敬罪が乱用されました。国のやり方はいつも同じです。戦争目的に天皇の名目利用の効率化の為に、神道の強化を図った政府は、キリスト教、仏教、天理教に対し神仏の隣に”天照大神”の護符を置かせるよう命令を出します。各宗教は抵抗を試みます。マンパワーは政府の方が圧倒的に足りませんが、ここでいつものやり方が出ます。小さな団体を徹底的に叩き、より大きな団体に見せしめを作ります。つまり。日蓮宗に対しては、創価学会の締め上げ、天理教に対しては、ほんみち教団への締め上げを見せつけます。双方とも、会長や、代表の逮捕拷問が行われ獄中死者が発生します。国民に対しては、天皇を侮辱し、治安を乱す邪宗教と印象操作します。国の言う事を聞かないと。こうなりますよとメッセージをターゲット団体に送ります。現在では、東京、大阪、地検特捜部が動き、週刊誌、ワイドショーの話題になる(官僚による意図的リーク)事件は国策捜査と言ってよいと思います。(官僚と地検は世直しのような形で捜査を進め情報をリークし、官僚の意図する方向へ持って行こうとします)ホリエモン、鈴木宗男然りです。新自由主義経済の是正、政治家の外務省への関与の是正と言うところでしょうか。(鈴木宗男の場合ロシア絡みですので話は複雑です。)皆様方は、創価学会のように、会長が獄中死するまで徹底的に抗うのが正しいのか、天理教のように国に従うのが正しいのかどちらと思われているのでしょうか。私はどちらも正しいのではないかと思っています。

  10. mami

    Tさま
    「どちらも正しいのではないか」の部分をもう少し教えていただきたいです。
    私は以前、天理教団が戦争に積極的に協力したことを知り、驚きと哀しみを持ったことがあります。その後、いろいろと調べ、あの当時は仕方がなかったのではないかと言う風に変わりました。
    敗戦後、憲法で私たち、国民は「臣民」から解放されました。選挙権もあるようになりました。
    天理教団、2代真柱は戦後、そのことに対して(戦争協力)どのくらいの反省があったのでしょうか?
    天理教の衰退は皆様のコメントなども大きい理由と思っています。戦後の再出発にあたりの教団の在り方も大きい原因と考えてます。教内にリーガルマインドが育ちにくいのは当然と思います。ただ、現在、様々な意見がこの掲示板はじめ、いろいろと意見交換でき、今までの教団の在り方のつけが回ってきているように思っています。
    個人一人一人大事にしない「教え」など、絶対におかしいです。
    何か、支離滅裂な文でごめんなさい。

  11. mami様
    池田大作氏を描く”人間革命”より少し抜粋してみます。歴代会長、初代牧口氏、戸田氏、そして池田大作氏の言葉です。1943年(太平洋戦争中)学会幹部は総本山大石寺への登山を求められ、国の要求する”天照大御神”の御札を受けるよう説得されますが、これを拒否します。帰途、牧口氏は戸田氏に向かいこういいます。”私が嘆くのは、一宗が滅びる事ではない。一国が目の前でみすみす滅び去る事だ。祖宗大聖人(日蓮)の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。いまこそ国家諫暁の時ではないか。いったい何を恐れているのだろう。戸田君。”(日蓮は法華経最勝を説きます。法華経より、元寇を予言し名声を高めます。北条氏に仏法に基ずく治世を激しく迫りますが、疎まれます。彼は憂国と激情の人でした。)戸田はしばらく間を置き、答えた。”先生。戸田は命を懸けて戦います。何がどうなろうと、戸田は、先生のお伴をさせていただきます。”それから、一か月後、両名は治安維持法と不敬罪で投獄され、牧口氏は獄中死します。その後、池田氏はこう述べます。”国家主義と言うのは一種の宗教である。誤れる宗教である。国の為に人間がいるのではない。人間の為に、人間が国を作ったのだ。これを逆さまにした、”転倒の宗教”が国家信仰である。”牧口氏は義を貫き、信仰に殉じた人でした。ここには、日蓮とその弟子たちの国家観や、法華経に対する思いが見て取れます。戦後これが、創価学会の飛躍につながったのは間違いありません。一方、天理教は、遠藤周作の「沈黙」の登場人物である、ロドリゴ神父の立場に近いと思います。信者を守る為に、信仰の火を消さないために、ロドリゴ神父は、踏み絵を踏む決心をします。踏み絵に足を近づけた瞬間、足に激痛が走ります。そのとき踏み絵の中のイエスが””踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。”と語りかけてきます。”私は沈黙していたのではない。お前たちと共に苦しんでいたのだ。”強いものが弱い者よりも苦しまなかったと、誰が言えるのだ”と。
    私は、天理で軍事教練を行い、あるものは南方へ、あるものは特攻隊へ、帰る希望の無い片道切符の若者の世話をし、見つめつづける辛さは、ようきぐらしを掲げる天理教人にとってどれだけ辛かったかは、皆が口を封じている現在を見ると、気持ちの整理がついていないのだなと思います。戦時下の極限の対応についいて、双方ともよく頑張ったとおもいます。(その後の対応は分かれますが)私も、あの有名な”子犬を抱く若き特攻隊員の写真”は正視できません。つい涙ぐんでしまいます。

  12. 末端教会子弟

    >皆様方は、創価学会のように、会長が獄中死するまで徹底的に抗うのが正しいのか、天理教のように国に従うのが正しいのかどちらと思われているのでしょうか。私はどちらも正しいのではないかと思っています。

    何日か考えさせて頂きましたが、私は「国に従うふりをして教えを守り続ける」のが正しい道だと思います。

    教祖様は、明治政府の「天皇を神とする」方針や施政を否定し、お弟子さんや信者さん達に「一列兄弟、世界ろくぢ」を説き続けました。その結果、何度も官憲の手に掛かり投獄されます。最後のご苦労の際の拷問のような扱いは厳しく、釈放後は自力で起き上がれないほどに弱りほぼ寝たきりの1年を過ごして亡くなられます。
    教祖様のひな型を通るならば、官憲に捕えられようと投獄されようと、例え獄中死しようと月日親神の教えを説き続け、正しい事を貫くのが通るべき道だと考えられます。
    その結果、皆が投獄され獄中死してしまったら、誰が教祖様の教えを守るのでしょう?誰が「皆が陽気ぐらし出来る世界」を作るのでしょうか?

    厳しい言い方をすれば、教祖様は「皆が陽気ぐらし出来る世界」を作る事を実行した最初の一人ですから、例え獄中死しようと正しい道を説き続ける必要があったと思います。
    でも、後に続く者たち全てが獄中死する事は、教祖様も望まないと思います。
    後に続く者たちがやるべき事は、教えを守り続けて実現する事ではないでしょうか?

    その為には「国に従うフリをして教えを守り続ける事」、つまり「応法の道」なのですが、本部のやった「応法の道」ではない事は明白です。本部のやった「応法の道」は、教祖様の教えを歪め、排除するために国の方針を利用しただけですから。戦後に何一つ「復元」されなかった事からして、その意図は明白です。

    本来の「応法の道」は、多少の妥協や譲渡はやむを得ないものの、教えを守り続けながら、隙あらば乗っ取るとか転覆させて、国を「皆が陽気ぐらし出来る世界」に作り変える事です。

    戦争協力について申し上げます。

    上記のような「本来の応法の道」を持ち続けるならば、戦争に協力するのは「正しい」と言えます。

    戦争前、戦争中に「敗戦後の日本が今のようになる」等とは、誰一人予想も想像も出来なかったでしょう。
    それどころか、当時のアジア諸国は日本とタイを除いて全て列強の植民地で、原住民は奴隷身分だった訳です。戦争に負ければ「男は捕らえられて奴隷にされ、女は慰みものにされる」というのは、決して嘘でも誇張でもなく、アジア・アフリカ諸国で実際に行われていた事です。
    現実に、満州や朝鮮半島からの引揚者が、シベリア抑留の憂き目にあい、多くの女性が辛い目にあった事は皆さんもご存知でしょうし、ネットでもすぐに調べられる事です。

    今の日本社会が「平和・平等・自由」だからといって、「当時戦争を起こした事や戦争に協力したのは悪い事だ」とは言い切れないのではないでしょか?

    例えば、「戦争に協力せずに、クーデターや政変などで大日本帝国を倒し、その後、侵攻してくる米露中英仏豪の全てを撃退して守り抜き、新たな日本を建設する」だけの力と能力があったのなら、戦争に協力したのは「非難される事」かも知れません。

    勿論、今現在「戦争を起こす事」や「戦争に協力する事」が正しいとは思いませんが、戦争を起こそうとする勢力がある以上、それに備えたり対抗する力を持つ事は必要な事だと思います。
    私は、「無抵抗で奴隷にされ、愛する女性や家族が凌辱される」事を受け入れることは出来ません。

  13. mami

    Tさまありがとうございます。
    お二方のコメントを読ませていただき改めて難しいと思いました。
    創価学会についてはほとんど知識はありません。藤原弘達氏の『創価学会を斬る』騒ぎと身近で折伏活動をみて否定的な見方しかできませんでした。その後、牧口氏の獄死を知り驚いたものです。
    遠藤周作氏作品は愛読書です。この『沈黙』に救われたことがありました「。神は同伴者」という氏の神との関係の在り方の到達と言うか解釈にすごく納得するものがありました。
    学生運動の尻尾でフラフラしていた頃、万が一、拘束されて仲間の名前の白状を迫られたら、私は恐怖のあまり、すぐ仲間を売ってしまうのではないかとよく悩み、「見ざる聞かざる言わざる」が一番ではなかったかと。その後、いろいろあり、売ることもなく活動からは離れました。個人で生きようと思いました。でもどこかで逃げたのではないかと言う思いからはなかなか「ゼロ」にはなることが出来ず時間がかかりました。
    私は戦争遺児でもあり、私は戦争に関しては「厭戦」です。だから私は靖国神社参拝はしませんが遺族の方々がお参りする気持ちは理解してほしいとも思っているのです。あの戦争は侵略戦争で戦死した人間は犬死とぱっさり切ってはほしくないし、また、利用のために崇めてもほしくありません。
    Tさまがおっしゃるように「双方ともよく頑張ったのだ」に深く共感します。
    天理教の方々の多くは忠実な臣民であることと信仰者であることが矛盾なく戦ったのだろうと思います。『新宗教と総力戦』を読んでホットもしました。
    第2次大戦の頃と世界は大きく変わりました。これからどうなっていくのだろうか?私たち一人一人が選択しなければならない時を迎えるのだろうか?時の政府に翻弄されていくのだろうか?昨今の日本、世界の動きに不安を感じます。

  14. 末端教会子弟様、mami様
    末端教会子弟様 ”国に従うふりをして教えを守り続ける事” これは、大いなる実務家であれと言う事でしょうか。私は、二代真柱は大いなる実務家であったと思います。宗教家として守るラインを決め、国の政策に対し妥協するところは妥協するが、ギリギリののところで踏みとどまり、天理教の温存を考える。このブログでは、二代目は賛否両論書かれていますが、その後の天理教の発展ぶりは、彼の実務者としての能力の証明になっていると思います。池田大作もしかりです。”民衆の幸福の為、平和の為、正義の為に戦うことは必然的に、権力の魔性との戦いを意味する。ゆえに断じて権力への監視を怠ってはならない。これこそ人類の悲惨を転換しゆく、永遠の闘争の道である”。彼は、魔性の権力の監視の為に、公明党の結党を決断します。太平洋戦争は二人の大いなる宗教家兼実務家のバックグラウンドなったのでしょう。
    mami様。お遍路の方々の背中に ”同行二人”とあります。(ご存知でしょうけれども、弘法大師と随伴遍路の意味です)「宗教は土着する」これはある宗教学者の言葉ですが、遠藤周作の中では、キリスト教の土着が大きなテーマであったと思います。「神は同伴者」まさに我々日本人はこの考え方に賛同し易いのは、我々は ”汎神論” が身に沁みついているのでしょう。唯一絶対の神よりも、すべての物に、あまねく神は存在すると血肉になっているのでしょう。しかし、この神に対するアプローチの違いは、大きな文化的ギャップのもとになって、戦争の遠因にもなっていると思います。我々は、キリスト教、イスラム教、仏教を学びその相違を考察するべきです。

  15. mami

    Tさま ありがとうございます。またまた難しい問いかけです!
    私は2代真柱の戦前の在り方は仕方がなかったと今は思うようになりましたが、、、。
    彼自身、戦後は権力の魔性に囚われていったのではないでしょうか。人間の限界かとも思いますが。戦後は彼の監視は神(親神)ではあったと思うのですが。それとも彼自身が神になり、また、日本人の多くがそうであるように血縁と目に見える形の組織拡大の目標こそ親神との、教祖との対話からでたことなのでしょうか。(占領軍から戦争協力者として囚われる恐れがあったと聞いたことがありますが。その心配がなくなった後に。)
    遠藤氏はカトリック者として日本にどうしたらキリスト教が根付くか随分悩まれたのを読んだことがあります。彼自身は「強者」と思います。だからこそ、逆説的に「沈黙」などの作品が生み出されたのだろうと思います。この作品は当初、カトリック教会で信者に禁止になったと聞いたことがあります。
    確かに私も汎神論が血肉になってるとよく感じることがあります。また、空気を自動的に読んでしまうことも。
    各宗教を学び、その相違の考察をのご提言、よちよちですが受け入れたいと思います
    末端教会子弟さまの教会の難儀な取り組みに信仰者の新しいかたちとして敬意を持ちます。疑問を持ったことを行動に移す。豊文教会の例があったとしても凄いことです。

  16. 末端教会子弟

    T 様

    これが「実務家」であるかどうかは判断できませんが、天理教(教祖様の真実の教え)を温存する事が残された者の務めだと考えます。
    「心すみきれ極楽や」という言葉がありますが、「心澄み切れ」という意味と「心の角(すみ)を切って丸くなれ」という意味もあるのかと考えさせられます。
    相手(国家等強い相手)と相反する部分があるなら、妥協する処、譲歩(上で譲渡と書きましたが、譲歩ですね)出来る所は「角を切る」ことで、互いにぶつかっても痛くないように傷つかないようにして対処するべきではないかと思います。勿論、丸くなっても芯や柱は曲げてはいけません。そして、機会やチャンスを逃すことなく教祖様の教えを実現する準備を怠らない事です。

    池田大作の「権力の魔性との戦い」は、現実の権力を持つ者との戦いであると同時に、自分に内在する「権力の魔性」との戦いを意味するでしょう。
    現実に、天理教上層部は自らの権力の魔性に取り込まれて「組織をままにしている」ように思われますし、池田大作の後半生も、名誉と権力を求め続けている(いた?)と思われます。

    自らの権力の魔性をコントロールできない者が国家権力をコントロールしようとして政党や政治家を産み出す事は、教祖様の教えに反しその隔てを拡大する事かと思います。

  17. 末端教会子弟

    あぁ、「心の角(すみ)を切って丸くなれ」なんて言うと、「お前の言葉自体に角があるじゃないか!」等と言われてしまいそうですね(特に「さっちん」さんとかに・・)

    でもね、同じ天理教、教祖様の教えを守りたいと思う同士なら、例え角があっても言うべきことは言わないといけないと思ってます。そうしないと、真剣に考えてくれないし、こちらの真剣さも伝わりません。

    今、同じ大教会系統のある元分教会長さんとお話をする機会があります。
    その方は「おさづけによって不思議なご守護やおたすけの経験があって、天理教から離れられないでいた」と言っています。
    私の普段の主義主張からすれば完全なオカルトですけど、その元会長の壮絶な人生経験と真剣な話を聞く中で、否定できない、否定してはいけないという気持ちもあります。
    この話は、ご本人の許可があれば、いずれブログの方に書いていきたいと考えています。

  18. さっちん

    末端教会子弟様
     へんなところに私の名前を出さないで頂きたいですね。(笑)
    末端教会子弟さんの行動的な所、妥協しない所、上におもねらない所など、認めるところは認めてますよ。
    お供え掲示板で、「今後どうなる?」と匿名で、末端教会子弟さんのこと、褒めてますから。被包括関係廃止によって、上級教会や大教会、本部が、どのような扱いをしてくるのか、末端教会子弟さんが、どう対抗されるのか、おおいに皆様の参考になると思いますので、ブログの方、頑張って書いてくださいませ。楽しみにしてます。

  19. 末端教会子弟様。
    「心澄み切れば極楽や」貴方様の文章のはしばしに出てくる教祖の言葉は、何故か心に訴えかけます。幼いころより聞いていた言い回しは、百の言葉より皮膚感覚で感じ取れるのでしょう。感慨深いものがあります。ヨーロッパ、アメリカ文化圏にも同じものがあり、”コルプス クリスティニアトゥム”(ラテン語でキリストの遺骸と言う意味です。)と言います。この遺骸は、ギリシャ神話、ローマ法、ユダヤ、キリスト教の一神教の伝統と言う3つの要素で構成されます。彼らと会話すると、たとえ話に、シジフォスや、イカロス(惑星や、解剖用語、にもあります。)、法律による統治(ローマ法よりの伝統、ネットで検索すると面白いです。)、善悪の基準に神の教え(宇宙物理学者がよく使います。”神はサイコロを振らない”等)が、はしばしに登場します。彼らと我々では腑に落ちる言葉にギャップがあり、原理原則の話はできますが、なかなか仲良くはなれません。このブログの内容も、宗教関係者には腑に落ちても、標準的な人々には腑に落ちない点があろうと思います。その中でも、貴方様のなさっていることは、法律と言う共通の物差しにて宗教法人の問題を浮き上がらせていると思います。法律による争いはストレスがつきものですが、お体ご自愛下さいませ。

  20. mami様
    貴方様の学生運動の話興味深く拝見しました。私が興味を惹かれる作家である、佐藤優氏の著書の中に ”私のマルクス”と言う表題の本があります。彼は50代ですが、同志社大学は80年代まで学生運動が盛んであり”同志社ガラパゴス”と呼ばれていたそうです。彼の同志社大学神学部時代の話なのですが、神学、マルクスとの出会い、キリスト教神学の膨大さ、緻密さの一端に触れることができました。彼は後に外務省ロシアンスクールに入り、ソビエトの崩壊をその目で、外交官として内側から目にします。詳しくは ”自壊する帝国” と言う表題の本に書いてありますが、キリスト教神学を武器にインテリジェンスをフル回転し、数々の貴重な情報(トリプルA)を外務省にもたらします。ここから、垣間見えるのは、政治家(学生運動活動家を含む)は、信念をもって政争にあたり、負けることもあれば、勝つこともあり、時には生命も賭す必要があるという事でした。撤退のタイミングにズレは許されません。貴方様は上手く撤退をなさっただけであり、良い活動家であったと思います。貴方様が過去のトラウマに苛まれません様、希望いたします。

  21. mami

    Tさま 
    暖かなメーセージありがとうございます。壮絶な人生を歩んでこられたTさまの言葉だからこそ力強く響きます。人は自分の誕生にはかかわることが出来ません。国も時代も親も選ぶことが出来ません。その当たり前のことに気が付くのに遠回りしたように感じます。学生運動と教会に生まれたことは繋がっています。詳しくは書けません。が、ある時、確か『誘惑者』(高橋たか子=高橋和己夫人)の中で主人公がデモの連中が「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」と叫んでる声に「自分が満たされてもいないで何故、みんなのためになれるの」的なことをつぶやく場面がありそれが当時の自分に響きました。白か黒か。オールオアナッシング。この考えから解放されなくては苦しいと。

    佐藤優氏の『国家の罠』読み、鈴木宗男氏への認識も新たにしました。佐藤氏に惹かれ数冊読みましたが彼の知性レベルは高く私の読解力ではなかなか!ただ、彼が闘い抜くことが出来たことに彼がキリスト者であったことが大きく関わっていたことだけはわかりました。

    どうであれ、生き抜くことしかないと思うのです。その過程で自分らしく自前の考え、感覚で、感受性で。他者もそうやって生きていることをしっかり認識すること。
    以前、アウシュビィツ収容所で不当な死の宣告を嘆く同囚の身代わりになって死んだコルベ神父(長崎に6年ほど滞在)を知りました。
    「友のために命を捨てるよりも大きな愛はない」(聖書)を実践されたことに驚愕したことがあります。
    今はコルベ神父にとって神との対話によってそれを選択したのだろうし、その選択しなかったら彼はその後、命あってもも生きていることにならなかったのだろうと。彼にとってそれが「生き抜くことの意味」だったなのだろうと。まぎれもなく「強者」の方でありました。

    またまた支離滅裂な文でごめんなさい。みんな、みんな「自分の人生」を生きてほしいと切に思います。

  22. 匿名

    先日天理教本部中枢の人間と会いました。その中で、「全財産をお供えし、今の天理教を作り上げた先人たちは偉大だ」という話が出ました。(正確に書くと本人から怒りのメールが来ますので、少し変えてあります。中枢の人間にもどうやら、このブログは読まれているようです。)相変わらずのズレっぷりですが、教団経営側から見たら、そう見えるのでしょう。そして、中大路の変貌ぶり(私は、かなり久しぶりに中大路を見ました)に話しが及ぶと、”本部の威容を遠くから見えるようにした”との様な事を言っておりました。私は「なんてバカな事をしたのか、あの暑い天理の夏に、どうやって老婆があの道を歩くのか、熱中症の患者続出ではないのか。ラブホテルと溜池の頃がよかったぞと」言いました。市政と市行政の天理教どっぷりが、あの都市計画に行き着いたのでしょうか。皆様方は、真夏の天安門広場、紫禁城に行かれたことはありますでしょうか。私の記憶では石敷きの表面は、5~60度に達し、脛がじりじり焼け、ツアー客が熱中症で倒れたのを覚えております。皇帝に謁見するまでに、人が倒れるのは日常茶飯事であったそうです。今は、皇帝が共産党に変わっただけですが、一党独裁、教条主義と言うのは、天理教であれ、中共であれ、行政と癒着すると、景色まで似たものを作るのかと感心しました。威容を振りかざした都市計画は、年老いた信者たちを天理から遠ざける要因になっているとすれば、皮肉なものです。

  23. 上記コメント私の名前T抜けておりました。その他のコメントの投稿も抜けており、管理人様にはご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。

  24. 徳子

    姑布教師で苦しんでいる方さまへ

    違うサイトを教えて頂きありがとうございます。
    アンチ天理教にとって読み応えがあります。

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