随分とブログの更新を怠ってしまい申し訳ない。忙しいという言い訳はしない。ブログの代替というわけではないが、先月から知人にすすめられてtwitterを仲間内でやっている。”つぶやく”ことがこのツールの主旨である。かといって実際は意味もなく有名人のようにつぶやいているわけではないが、オンラインで複数の人間に伝達できるという点で非常に重宝している。メールだと複数に伝達するには一斉送信しなくてはいけないし、「了解しました」という見ましたよ返信もしなくてはいけない。しかしオンラインだとなぜだか「見ていないやつが悪い」という雰囲気が出てきてしまうのが不思議だ。ついでにメールのように「届いてません」や「PCがないので見てない」という言い訳が通らない。
いま私が使用しているSNSツールは本ブログとtwitterとmixiで盛りだくさんである。そのツールごとに現実世界でのリアルな関係性が構築されている。意外にこういったツールを毛嫌いする人は多いが、私は発信することが好きであり、リアルな関係をよりおもしろくすると思っている。基本的に私は貧乏マインドだから使えるものは使わないと論理である。
さて本ブログだが、こんなブログでも毎日数百人の方が読んでくれているようだ。本ブログの主旨は天理教だが、その天理教に関しても先月のブログ更新からも色々なフィードバックやレスポンスを頂いた。その中には私のブログを見て共感、応援してくれるようなポジティブなものが8.9割、ネガティブなものが0.1割くらいである。残りの1割は私に「どう思う?」と相談、意見を求められる。すでにお気づきの方はおられると思うが、その相談、意見メールの概略は「天理教人にこんな(ひどい)ことを言われたんだが(されたんだが)」というものがほとんである。もちろん私なりに精一杯の誠意で返事を送る。しかし文脈や状況が分からない上に、私は天理教の組織内の人間ではないのでどうしようもない。なので「頑張って」としか言えない。しかし私に意見を求めるというのは、それほど切迫している状況なのだとも思う。そういった方には「個人を特定されない程度に脚色してブログでアップしていいか?」と許可をもらっている。今迄本ブログでアップしてきた事情やケースはそういったものである。今回もある読者に許可を頂いたのでアップしようと思う。私はこういったケースを通して天理教を批判したいのではない。事実を知ってほしいのである。もちろん当事者の天理教人(加害者)が本ブログを読むことはないだろう。しかし読んでいる人には「ひょっとして私も知らず知らずのうちに同じように人を傷つけているかもしれない」ということを振り返ってていただければ本ブログの使命は十分達成されていると思う。
今回はAさんという女性からメールをいただいた。Aさんは旦那さんと生まれたての子どもの3人で某教会に住み込んでいる。旦那さんは教会に生まれ育ち、会長跡継ぎである。奥様のAさんは一般家庭に生まれ育ち、旦那さんと出会い結婚となった。Aさんは結婚前は天理教の教えに対して好感を持っておられたようだ。しかし結婚前にお子さんができてから天理教に対する思いはマイナスへと転じ始めた。というのは旦那さんの両親(天理教のカイチョウさん夫妻)には堕胎するようにと言われたそうである。今でこそ「できちゃった結婚」というのは珍しくないはずであり、一定の市民権は得られていると思うのだが、天理教では「出来ちゃった婚は断固否定」なようだ。その後、結果的にそのまま結婚することになり出産されたそうである。出産後も本当に大変なことがあったようである。しかしこれ以上ストーリーを展開すると個人が特定される恐れがあるためここで止めておく。ただ、私がAさんからのメールを読んでいる間は非常に胸が締め付けられるほど出産後に大変な事態を経験されたのだ。しかし、この件に関してはその教会の上級教会の役員がしゃしゃり出てきては知った様な口ぶりで「すべて神様のおかげ」的な軽はずみな発言(本当はもっとひどいコトバ)でAさんを傷つけたのである。とても大変な事態がありAさんは十分に傷ついていることは想像に難くないが、それに上乗せするように上級教会の役員は二次的被害をAさんに負わせたのである。読者の方は何が何だか分からないかもしれないが、Aさんが経験した大変な事態を知れば上級教会役員の「すべて神様のおかげ」的な発言は考えられないと思う。実際、寛容な私でさえも「この役員は血迷っているのか?」と思うほどである。人の気持ちを想像する力が少しでもあれば、そんなことは言わない。例えるならば、身内が亡くなって打ちひしがれている状態の時に「あいつは生きてても仕方ないから、神様が早くに死なせたんだからいいじゃない」というようなものである。本当はこんな例えよりヒドイんだけどさ。
Aさんの補足では、この教会の系列は非常に「親(天理教における親:教えを教えてくれた人:理の親ともいう)を立てる」のに厳しい教会の系統であるようだ。しかしAさんにとっては親という名の権力でしかないという。慧眼である。だから「私が正解だ」という顔でしゃしゃり出てくることがカイチョウさんには可能なのだろう。
これが天理教教会組織の実態である。
よく天理教人の中に他宗教に対して否定的は発言をされる方が散見される。献血をしない団体などに対しても「ひぃぃなんてヒドイ宗教なんだ!」という感想を持たれる方は多い。一方で出来ちゃった婚を真正面から否定する天理教人も多い。本人は倫理的価値観に基づいて否定しているのだろうが、天理教人が他宗教を批判している理路は全く同じであることに気づいておられない。びっくりするほど無自覚である。
この際、天理教は「出来ちゃった婚反対の宗教団体」にすればいいのではないか。とさえ思う。天理教のドクトリンとして何を持とうが私は知ったこっちゃない。しかし、よく知らないくせに他を批判するのであれば、あなたたちも世間に問わなければ卑怯ではないだろうか。「天理教は(私は)出来ちゃった婚に反対で堕胎させようとしますが、世間のみなさんどう思いますか?」ってね。
天理教は神を悪用し、人助けというマッチポンプで自我を形成しているとしか思えない。
堕胎させようとするなんて本当に天理教人には腹が立つ。天理教人のどの口が「家族円満」なんて言えるのだろうか。出来ちゃった婚に反対ではないという人もいるって?そういう方こそ「よそはよそ、うちはうち」ではないだろうか。大切な跡継ぎである我が子が、とんでもない馬の骨の子を授
〉天理教は神を悪用し、人助けというマッチポンプで自我を形成しているとしか思えない。
もし中絶されていたら、若奥様の心中もさることながら、組織悪によって堕胎された魂の苦しみはどこに報うのやら。
神ならぬ人間の考えが、生命よりも尊重されるなら、そんな組織ドグマを親なる神が許すとは思えないが、、、
二代真柱さんなんかは、自由に羽ばたいてアチコチに婚姻外の落とし子がおられます。
それは立場があれば許されるのでしょうか。
もっと酷いことをしている、大教会長も居られますが、立場が偉いから許されるのですかね。
ブログ<原典からの出発>植田義弘先生のブログです。
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天理教の「御供え」についてをリンクします。
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命の泣き声~天理教への信仰でお悩みの方へ~
「命の泣き声」さんのホームページのリンクを張ります。
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