いささか攻撃的なテーマを設定したが、かといって誇大とも思わない。これから論じるのはあくまで私見であるものの、読者の方も周囲を振り返ってすりあわせて頂きたい。その上で「カインの言ってることは杞憂に過ぎない」と仰るにであれば私の見識の甘さということにある。
歴史は21世紀を歩みだしたが、天理教の将来はまさしく21世紀が岐路になる。それは必然たる宗教として日本文化、世界文化の準拠となるのか、はたまた数多ある「そういうもの」の一つとして「ただあるだけの無害な集団」となるのか。(集団としてサイズは縮小しても天理教が解散することはないと思う)
こういった長期的展望を持って天理教を論じる方は少ない。私は聞いたことがない。主に天理時報からだけど。「陽気ぐらし」という目指すべき理想像はあるが、50年後100年後の天理教の姿を大風呂敷を広げて望見するような方はいない。政治も含め、夢を語る人がいなくなるのは寂しいものだ。かといって龍馬に頼るのも情けないかと思うぜよ。
前置きが長くなったが、本題に入りたい。しかし諸事情から、この記事はPCからではなくiPodから書いている。もう指がつりそうである。なので本題はまた今度。