最近の出来事

個人的なことになるが、先週に車を運転中に交通事故を起こしてしまった。幸い私に怪我はなかったものの相手は即死であった。相手といっても動物なのだが。飛び出してきたというよりも飛んできたので不可避であった。もちろん警察を呼んだのだが、警察が何かをしてくれるものでもなく「気をつけてねー」と去っていった。残ったのは車の修理費とやるせない気持ち。私の車はいわゆる“いい車”ではないため車両保険をかけていなかったのが残念であった。それでも50万はキツイ。いまどきのエコカーでもなく燃費も悪い車だから手放そうとも考えたが、されど愛車である。私の車に乗っていただくお客さんは、例外なく「素敵な車ね」と言ってくれるのが自慢である。そもそも私は物を大切にするタイプである。大切にするというよりも新しいものを買い換えるタイプではなく、永く使えるものをずっと使い続けるタイプなのである。手帳も、下着も、ステーショナリーも新しい変化よりも、毎年毎回同じものを選ぶ。ロングライフデザインである。こういってしまうと私は非常にこだわりが強くて、融通が効かない人間と思われるかもしれない。そうではない(知り合いの先生に病名が付けられそうだが)。もちろん機能主義でもあるから使い勝手がよくて、精神的にしっくりくるからこそ使っているのである。もし永く使っているもの以上の“永く使えるいいもの”があればいつでも乗り換える。しかしなかなか“いいもの”に出会うことは少ない。
車に詳しい友人が、今のエコカーは確かに家庭経済上はエコであが10年20年と永く乗れないと言っていた。骨格がしっかりした一昔前の車が一番強いのだそうだ。長い目でみたときに家庭経済上の差はない。むしろ世界的環境で考えるならば、エコカーだから排出ガスが少ないという評価と同様に、エコカーを大量生産するために発生するCo2の量を考慮しなくてはならないと言っていたのは慧眼である。私はエコに対して賛成派であるが、現在の経済合目的的なエコには懐疑的立場でもある。あとは天邪鬼性格であるため、皆が流れるものには「そんな簡単な話があるものか。へん!」とへそを曲げるタイプである。そういえば天理教の環境的立場はどんなものなのだろう。聞いてみたいものだ。

どんなに屁理屈をこねても手元に残るのは50万円の見積書というのは悲しい現実だ。生活どうしましょ。

追伸
26日は知り合いの天理教人に誘われて天理に行きます。大祭に参拝できそうです。仕事は偶然臨時休業なんです。