やっぱり心配、20年後

$天理教社会学研究所


前回のブログで26日に天理に参拝に行くと予告していた。そのことについて報告したい。

朝に私用があったため天理に着いたのは昼過ぎであった。そのまま知り合い2人の天理教人(男性と女性)と合流し本部神殿参拝へ。ちょうどおつとめ→真柱のお話が終わったところ。昼前は適温であったが天理に着いてからは怪しい空となり寒かった。その後、知り合いは信者詰め所に行くとのことで同行しようとしたが、あまりに寒く、また色々な時間的都合(天理教人二人は青年会という部会の行事も引き続きあるとのこと)から私と女性Kさんと少しの間喫茶店で時間を潰すことになった。この女性Kさんは教会の子女であり、某国立大学を出た才女である。天理高校を卒業し天理教の施設で働いたあと、今は一般企業で多忙な毎日を送っておられる。もちろん話題は天理教について。Kさんの感想として「参拝の人数は以前より少ないなと思ったけど、高齢者の多さにはやはり驚く」という話をする。私は持論である「20年後はどうなってるんでしょうねー」とさりげなく話をしてみる。もちろんわずかの時間であったため深い話はできなかった。しかし多くの若者(特に天理教の内部側の)が天理教の将来を憂いているということが分かった。「じゃあお前が頑張れよ」ということになるのだが、この問題を「最近の若者は意欲がない」という世代間的枕詞で片付けられるとも思わない。日本全体が宗教に対して嫌悪感を持っているというレヴェルでもない。こういった天理教の将来について話をするときに、常々私が思うのは、若者が嫌がっているという話ではなく、オトナが遠い目をする傾向があるということである。バリバリ天理教の仕事をしているオトナこそ、口には出さないが真に天理教の危機感を感じているのではないかと勘ぐってしまう。今の60-80の高齢信者を支えている、40-60のやり手な教会の人を支える若手がいない。学生の時に進路選択を天理教内に留まるように強制的に制限される若者は、後々天理教には繋がる確立はかなり低いとKさんはいう。Kさんもまた天理高校→天理大学以外の大学(天理教のスカラシップを受けていた)→天理教本部の施設3年→天理教には戻らずに一般企業という経歴を持っている。Kさんもまた「進路を迷っていると理の親が出てきて、あれをしろ、これをしろと言い出す。それでも返答できないと、家族のいんねんの話になって何も言えなくなる」というお決まりパターンになる。私は、Kさんに対して「それはあなたが素直じゃないからよ」なんて信仰心の成熟には口をはさまない。ただ、私が主張したいのは、現代ではIdentityの形成途中の若者に対して制限を用いるばかりでは「あ、この人のようなオトナ(天理教人)になりたい」とは思わないだろうな、といことである。

その晩に別件があったので16:00くらいには近鉄電車で天理を出た。天理からの帰り道は毎回色んなことを考えさせられる。

地元の駅についてからは大学時代の友人2人と食事をした。二人とも大学時代は哲学専攻であり、一人はPh.Dの研究者Hくんで、一人は某宗教本部(仏教)の官僚Jくんという二人とも知的攻撃派である。大学時代の友達であるので、言いたい事が言える仲ではあるが、現象学やら時間論やら難しい話ばかりで「それって何?オイゲンフィンクとどう違うの?」と私はもっぱら聞き役であった。ただお酒が進んでくるとだんだんと話もシンプルになってきて「だからお前はダメなんだ」とおっさん3人のただのケンカに発展しかねないところで店員さんに「もう少し静かにして」と言われて解散した。Hくんは私の天理教の話に興味を示し、今度天理に行ってみたいと言っていた。

お店を出てからは雨が降っていた。知り合いの天理教人から電話があったので雨宿りがてら話をする。酔っ払いのおっさんの話を「あははは」と素敵な笑い声で流していただいた。酔っ払いの電話ほど面倒なものはなにのに申し訳ない。私は何を話したのかあまり覚えてないが、「めぞんどひみこ」という映画を見るように仰せつかったことは記憶している。

ということでとても濃厚な一日であった。