前回の天理教お節会の体験ルポについて私は「5年ぶりくらいだ」と説明した。しかしある読者から「去年も行ったというブログがありますよ」とご指摘いただいた。昨年は天理に頻回に行くことがあったので、失念してしまった。ただ、あまり記憶にない。なんでだろ。ごめんなさい。
話は変わって、天理教の建築学的見方について私は高い評価をしている。過去のブログhttp://ameblo.jp/tenrikyosyakaigakulavo/entry-10115950892.htmlでも取り上げていたようなので採録する。私の感覚としては「天理教の建築学的評価」というのはここ数年で少しずつ上昇してきているのではないかと思う。以前は建築学専門家の間にて時折、その評価を見直したり話題にされることが専門誌上でされることがたまにあった。しかしネットの普及とともに非専門家レベルで話題になることが散見されるようになっている傾向を感じる。あくまで私見だけど。そこで昨日紹介されたものをここでRTしたい。天理教人は、当たり前なのかその建築学的評価に気付くことは少ない。しかし、あの天理市の界隈の雰囲気や神殿の造りは誰が見ても驚愕するものである。巨大であり、厳かであり、繊細であり、奇妙であり、神秘的であり開放的である。見ている者の感受性を揺さぶるのである。京都や奈良にあれば、高い拝観料をとられるだろう。何度みてもやっぱりあれは驚愕である。詳しくは下記をご覧あれ。
http://osakadeep.info/2011/01/11/153249.html