天理教を精神分析する(教養編)


ある研究会のお知らせを聞いたのでお伝えする。
http://uemachi.cotocoto.jp/event/45183
元々は仏教系の団体であるが、排他的ではなく実験的でリアルな社会活動を展開しているイケてる団体であるようだ。今回は「なぜ宗教者がホームレス支援なのか」というテーマで天理大学の研究者が招聘されている。天理教に関する研究会というのは、その他の学術領域と比して意外に少ない印象がある。天理大学を中心とした研究会や学術会議は天理時報をみる限りにおいて、時折散見されるが、その内容はあまりに閉ざされており、公にされずに外部の人間が知る術は限定されている。私は天理教の発展のためにはAcademicや一般庶民レベル双方での知的、経験的探索が必要だと常々訴えている。そのためにも天理教の信仰者や研究者が開かれた研究会を持ってほしいと思うだが、なかなか難しい。難しい理由は2つある。1つは天理教が宗教団体であること。宗教団体という明確な教義をもつ組織では、そこに異物が混入することは組織の求心性を減じることに直結する。しかし、一方でそういった閉鎖的な姿勢は社会学的にカルトに分類される危険性もある。宗教の持つ「よく分からない」という閉鎖性は、中世であれば畏怖として扱われていた。しかし科学主義の現代では「よく分からない団体」というのは恐怖=カルトとなる。前回のブログにおいて天理教の建築学的評価の見直しを私は提唱したが、それは宗教を社会に開いていく一つの方法ではないだろうか。宗教研究というのは教義研究だけではない。むしろ教義以外の様々な側面(建築、芸術、社会規範)こそが、宗教組織が社会共同体の入場券となることは歴史が証明している。現在の天理教の知名度に大きく貢献している高校野球やスポーツの世界は、それに当てはまる。しかしスポーツは限定的で宗教理解に繋がりにくい(天理教と聞いて天理高校を想起する人は多いだろう。しかし天理高校を想起しても天理教理解にはならない)。天理教の持つ、資産管理を洗いなおして、その価値を見直すことが必要な時期にきているのではないか。
天理教の閉鎖性のもう一つの理由は、天理教の構成員(信者)の教養の低さである。ここまで言い切ってしまうと私が刺されそうだが、天理教信者は「頭が悪い」という意味ではない。天理教は歴史的に信者に知的教養を構造的に求めてこなかったという意味である。多くのノーベル賞受賞者や知識人、文化人を輩出しているユダヤ教徒は、その教義の前提として勉学の励行が挙げられている。同時に強欲を禁じる教義から蓄えた資産は教育の投資となった。その結果、世界的な知識層を形成した。一方天理教はというと貧病争の庶民の宗教であり、知的成熟は教義にはない(と思う)。宗教学的には、東大宗教学科で学んだ2代真柱中山正善が、それまで明確ではなかった天理教の教義を編纂しようとした。しかし、本当に教祖にまつわる逸話なのか、庶民の口から口へと伝承された噂話が教えとして誤って布教されていたのかという曖昧な境界で編纂は頓挫してしまった。一方で、当時2代真柱ほどの教養のある天理教人は周りにはおらず、仕方なく2代真柱は教外の作家や知識人に教義の編纂や逸話の作成を依頼した。そうしてできたのが現在の天理教教典と稿本天理教教祖伝であるとされる。つまり、この2つでは事実と伝承が曖昧なまま混在となっているのである。こうして分かるように、あくまで天理教は庶民のための教えであり、信者に対して知的教養は求めていない。より踏み込むならば、庶民を差別化するような知識は排除される傾向にあると言っても過言ではないだろう。それは現在の天理時報はじめ、天理教の布教戦略は、弱者(庶民)のためのものであることから明白である。これが無意識的であることにようやく気付く(意識化する)のは「天理教は弱者のためだけなのか」というConflictが芽生えることである。「だめの教え」(だめ=最終的な)というのは弱者のためではなく、全人類に対する救済ということであるが、それを「おたすけ」という言葉で記号化してカテゴライズすると、たすけられる人=弱者という自動展開となってしまう。そうすると天理教の金科玉条である陽気暮らし世界そのものが、弱者のためになってしまい、強者(天理教がなくても陽気に暮らしている人々)には天理教が必要なくなってしまう恐れがある。その無意識的葛藤を芽生えさせないためにも知的教養を信者に求めず(排除し)、「素直」という防衛機制を用いて思考制止を促すのだ。ではこのままでいいのだろうか。このまま行ってしまうと天理教の将来は社会的、宗教的マイノリティとしてかなりのダウンサイズが進行してしまう。そのためにも天理教のもつ資源や構成要素を見直し、外に訴えていく必要があり”開かれた天理教”という側面が必要となってくると思う。何が天理教の文化資本(@ P,Bourdieu)となるかボクにはよく分かんないので、皆さんが考えてください。

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