構造主義から天理教を観る③

ちょっと前置きが長くなったが、本題に入る。天理教の衰退をストップさせる文化人類学的ヒントとは、天理教人の「教外婚」である。天理教人が天理教を信仰していない人間と婚姻するということである。私の感覚として、天理教人は同じ天理教を信仰する人ととの婚姻に強いこだわりを持つ保守的な人が多いと感じる。実際に天理時報でみられる偉い人や、近所の天理教を見ても「同じ苗字」が多いことに驚愕する。これは、畢竟同族内婚姻の成果だと思う。そして、私のそういった感覚が正しければ、それは天理教の地殻変動的衰退と大きく関わってくる。なぜならば、天理教信仰者同士が結婚したからといって、天理教信仰者の絶対数は増加しない。その子どもができたからと言って、その祖父母は亡くなっていくのであるし、出生率と人口分布をみても亡くなるほうが絶対数として多いのであるし、減少していくのも当然である。また天理教の子どもと言っても、前回“縦の伝道”から“内の伝道”への転換といったように、天理教の子どもだからといって天理教を信仰するとは限らない。つまり天理教同士の結婚は信者数の減少を招くことは絶対となる。そういった同族婚姻が推奨される場合は今後構成員数が上昇する場合に“血を濃くする”という生存戦略が採用される場合のみである。しかし現在の天理教は構成員の減少であり“血を濃く”している場合ではなく“種の拡大”が最重要課題であるのだ。
教外婚(もちろん造語だよ)というのは私が初めて言った“異様な”考えだと思うだろう。しかし歴史的、文化人類学的にはすでに論証されているものである。その代表が文化人類学者のレヴィストロースである。

構造主義から天理教を観る③」への1件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    私は、宗派が仏教の人と結婚しました。
    仏教が気楽なので、むさ苦しい天理教には、戻る気にはなりませんでした。
    教会の娘ながら、脱会しております。

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