構造主義から天理教を観る④

文化人類学者のレヴィストロースは、世界各地の未開地民族のフィールドワーク研究を行ってきた。彼は宗教研究(シャーマン研究や神話研究)も行ってきたもので宗教にも精通しており、その業績は膨大で偉大なため私のブログよりも著書をあたってほしい。ただ、彼の宗教論は私もよく知らない。というのも彼が世界に名を馳せたのは「野生の思考」という著書である。これは哲学書や思想書ではなく、彼のフィールドワークに基づく実際の報告書なのである。この中で、従来まで未開地民族を野蛮として扱ってきたマルクス主義の“知識人による上目線”を快刀乱麻を断つように痛烈に批判した。その大きな武器となったのが構造主義である。その彼がフィールドワーク研究から得た知見を元に集約したのが「親族の基本構造」という本である。その中で人類の発展を構造主義的に読みほどき、人類の継続(結婚というコミュニケーション)には“女性の交換”が必要不可欠という慧眼を得る。またその女性の交換を促進するキーポイントが近親婚の禁止(Incest Taboo)である。
 コミュニケーションの活性化(人類の継続)を行うためには、交換を行う必要がある。経済であれば貨幣の交換(流通)である。貨幣は持っているだけでは意味がなく、使って初めて価値が生じる。そして二者間での交換を限定交換、色々な人との交換を一般交換とした。限定交換とは、二者間、つまり自分が働くお店でしか物を買わないということである(スーパーと小売の取引は無視して)そうすると、自分とスーパーだけでしかお金は動かない。レヴィストロースはこういった二者間での交換を限定交換といった。一般交換とは、実際生活と一緒で色々な場所でお金の交換を行う、買い物をする場所が色々あるということである。そうすることでお金は流通し、そのお金は多数の人のところに行き渡る。一般交換することで誰も得はしないし、損もしない。しかし常に動的状態となる。動的状態とはどう意味を持つか。それが生き続けるということである。選択肢はたくさんある方が楽しいのである。それを婚姻に当てはめると、二者間で女性を交換しても人類の発展はない。「うちの娘をやるから、あんたの娘をくれよ」では、男女の数の偏りによって消滅する。むしろ色々な人と交換することで発展するのだ。それを促進する最大の機制として発見されたのがIncest Tabooである。Incest Tabooがあることで、二者間の流通を抑止し、他民族、他親族への女性の交換として成立する。女性を迎え入れた親族は、自分の娘を嫁に出す(反対給付)ことで家系図は拡大する。またタイムラグが生じることで世代間交換が成立するため、親族(人類)は発展する。我々現代人にもIncest Tabooが存在する。しかしそれは遺伝学に基づく優生学的問題があるからである。しかし遺伝学的な問題だけだろうか。民法に3親等以内の婚姻が禁じられているからというよりも、もっと大切なのは「それってよくない感じがする」という倫理観である。我々は潜在的に“血が濃くなる”ことに対して「んーちょっとなー」という違和感を持つ。文化人類学的なIncest Tabooとは、そういうことであり、遺伝学を知らない未開人にも共通したものとなる。「それってよくない感じがする」という違和感は、レヴィストロースに言わせるならば、人類発展のために必要な身体感覚(無意識レベル)なのだ。畢竟、それを否定してしまうと自分の存在すら否定しかねない状況になる。ここで一つの疑問が生じる。「なぜ女性の交換であり、男性の交換ではないのか?」ということである。実は私もこの点にはすっきりしているとは言い難い。父権性社会が主であるために女性が交換主体とならざるを得ない(交叉いとこ婚)という説明(説明といってもレヴィストロースはフィールドワークだから、自分の目でみてきたことを言っているに過ぎない。そのため、別にレヴィストロースが編み出したものではない)は、「なぜ男性の交換はだめなのか」という説得性という意味ではイマイチである。女系の民族(exカンボジア)には適用し難いものがあるからである。しかしここに天理教の教祖は女性であったということでオリジナルの研究が発展できそうだが、誰かやってないのだろうか。
前置きは長くなってしまったが、レヴィストロースのいう「外婚」(私のいう教外婚)こそが、人類を継続させる本質なのである。つまり他親族、他民族との女性の天理教信者の交換こそが天理教を維持する文化人類学的回答なのであるり、私の回答でもある。今後天理教の衰退に歯止めをかけるためには信仰的近親者との婚姻は避けて、非信仰者との婚姻を推奨した方が天理教を維持できる可能性は高い。だって、私達が現在も先祖の血を脈々と続いてきた事実があるのだから。

さて、サッカーも勝ったし寝ましょ。

参考文献
クロード・レヴィストロース「野生の思考」
上野千鶴子著「家父長制と資本制」

構造主義から天理教を観る④」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    頭では別姓も事実婚もわかって応援しているけれど、自分と相手の間だけには適応されないでフツーに結婚してゆくひとは多いのではないかと思っています。弁識能力はあっても制御能力はないみたいなね(ちょっと違うけど)。家父長制は内面化されすぎているのではないかな。

  2. 匿名

    2. 無題
    非行少年の支援が大好きな私の父親は、「茶髪やピアスだからといって悪いやつではない」と言っていたが、私がしたらグーパンチでぶっ飛ばされました。でき婚も離婚も、表面的には否定しないものの、自分の娘や息子のこととなると全否定する天理教人が多いと思います。ぜんぜん自己一致してないじゃんって言いたくなります。そんなもんなんでしょうけど。

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