メディアリテラシーと八百長

以前から公言しているように、私は大相撲ファンである。朝青龍が問題を起こせば「若者はやんちゃくらいがちょうどいい」と擁護し、品格問題が出れば「品格なんて口に出すものじゃない」と擁護し、賭博問題が出ても「相撲賭博なんて江戸文化だ」と私は相撲を擁護している。賭博があるということは、八百長があるのは当たり前である。大相撲はいつの間にか国技になり(国は相撲を国技と決めていない)、祝祭性のある神事のはずが健全なスポーツになっている。そのために何かあれば批判される。たかが神事と考えれば、賭博も品格もやんちゃも大した問題ではない。だって神事の本質は人間にとっての非日常性だからである。当人達がよければ、ある程度のことで「あーだこーだ」言うものではないのだ。日本の伝統文化(舞妓、歌舞伎・・・)とはそういうものである。興味のない人があまり他所の台所に入らないほうがいい。

今回の八百長疑惑も大した問題ではない。しかし私は八百長報道に怒りに近い疑問を持っている。それは警察の情報操作である。まずは事件を追ってみる。警察は賭博問題(犯罪)に対して数人の力士に対して強制捜査を行い、携帯電話を押収した(捜査権)。その携帯電話に八百長の疑惑となるやり取りがあった。それを警察は第三者の毎日新聞にリークした。ということである。これは警察の職権と証拠の乱用ではないかということで私は恐怖を覚える。ついこの間検察の証拠改ざん事件で、証拠の扱いに関して問題とされたばかりである。捜査目的外に証拠を利用し、第三者に漏らすという今回の警察の意図は悪意に満ちてはいないだろうか。そしてメディアも誰もこのことに怒りを示さないことが怖い。「今度は八百長ですか?まったく相撲界は腐敗しており遺憾ですな」と言ってる場合ではない。

例えるならば、あなたが痴漢疑惑で警察に取調べを受けて、警察があなたの携帯をみて「あなた浮気もしてるんじゃないの」とあなたの奥さんにリークするようなものである。こんなことがあっていいのだろうか。人を罰しようとするときの正当性を帯びた攻撃は非常に怖いものである。

今回は天理教に関係がないことで申し訳ない。