神は死んだ、我々が殺したのだ

ある教会子弟の、ある天理高校生と話す機会があった。その子は天理高校で寮生活を送っていたが、3年生で卒業前のため、1月いっぱいで寮を出て、実家である地方の教会に帰っているようである。その子が天理大学進学に際して親子で(親は教会長)色々と問題が勃発しているようなのである。問題は、自由にしたい子どもと、制限する親というどこにでもある構図であり、誰でも見覚えのあるInitiationである。しかし様相は一般的な発達段階でのInitiationとは異なるようだ。というのは、その子が怒っている核心は自由の獲得ではなく、“親子で向き合えない”ことだというのだ。その子は教会で生まれ、育ってきたために教会の経済状況や身分の公共性というものが身体化している。そのため「あれ買ってほしい」や「皆こうしているから私もこうしたい」などと要求を強引に押し通すことは言わないし、現実検討能力は非常に高い子だと私は思う。まー年頃だし親子だからある程度は無理なことを言ってるかもしれないけど、それが無理なことも承知しているだろう。しかし、大学進学に際し経済状況を鑑みて「もっとこうした方が教会のためにもいいんじゃないだろうか」という提案をすると、教会長である親御さんは「お前は分かっていない」や「親の言うことが聞けないのか」と議論を摩り替え、恫喝するようである。その子いわく「いっつも同じことの繰り返しなの。どっちがみんなのためになるか、どっちが効率的かという議論よりも、彼(親)には“自分の考えに意見されるのが許せない”のよ」ということである。なるほど高校生にしては、なかなかの洞見である。結局、現在も平行線のまま冷戦が続いているようである。
 先週の天理時報では天理教の“談じ合い”の大切さが書いてあった。談じ合いとは、つまり話し合いということだろう。しかし、上記の事例ではその談じ合いの屈折したパワーバランスが露呈している。強者による談じ合いこそ怖いものはない。一昔前(5,6年前)に、私も天理教人の会議に何回か招待されて参加したことがある。会議では議論が煮詰まってきたり、意見が分かれたりすると、その会議で一番偉い人(理の親)が出てきて「神様はこう言っている」と言って、その偉い人の意向に沿う形で神様は利用され、そのまま議決されることがかなり多かった。会議という民主的な場が、一瞬にしてファシストとなる。その「話し合ってる意味ないじゃん的嫌悪を感じたため、私は出席を拒否するようになった。あの天理教の、強者による、強者のための会議は思い出すだけで気分が悪くなる。きっと、天理高校生のその子も同じような気分の悪さを味わったのであろう。しかし、私は思う。その教会長の親御さんもまた、その気分の悪さを数多く潜り抜けてきたサバイバーなのだ。だから自分が上の立場に立ったときに、同じような仕方で強権力を発揮せざるをえないのだろう。だって、天理教内で育ってきた教会長はその方法しか知らず、弱者の話を汲み取るという経験がないのだから。そう考えると誰も悪くない。ただ、それを許せば、その子が将来的に天理教に嫌気がさす蓋然性は恐ろしく高いだろう。天理教を信仰することに「意味ないじゃん」とならないように“談じ合い”の基本ルールを定めてみてはどうだろうか。もしくわ、談じ合いを撤廃し、教会長の権限を明確にして徹底的な縦社会を構築するかである。自由と制限こそ、宗教がもつ葛藤なんだと思う。教会という閉鎖空間では、そのコントロールは教会長に一任される。しかし、その教会長の質が問題となる場合が多い。ある一定の実働的な監査制度がないと、天理教は足元(教会)から少しずつだが着実に崩れていっている。

私は例えそれが間違っていても、常に弱者の味方でありたいと強く思う。

神は死んだ、我々が殺したのだ」への28件のフィードバック

  1. 古い元教会長

    正に神は死んだ。
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_79.htm
    【不良教師事件】
     1904(明治37)年、日露戦争。この時、教祖派の泉田藤吉(中津支教会長。おたすけ人の鑑と云われていた)、万田万吉(島ヶ原会長、中和大教会の植田平一郎の兄弟)らが異端者、本部の方針に謀反する不良教師であるとして会長を辞任させられ、1400名が放逐された。平野樽蔵らが「天理教会本部は天皇と天皇の先祖を神様と言っている。教祖を神様と言う者は不良教師である。辞任してお詫びせい」。

     これにより、戦争協力体制へ進んでいくことになり、「借金をしてでも戦時国債を買え」という本部方針の下で250万円以上の戦時国債を買い協力した。日露戦争後、真柱の真之亮に勲六等の勲章が出される。

  2. 東風Z

    「この教え万に一つの間違いはなし」何度聞いた言葉だろうか。

  3. ただの父親

    こんにちは
    最後の教え、万に一つの間違いはなし・・
    判りますよ、すばらしい教え、と言う存在
    思想宗教は、教え、思想、考え方を提供するものです。

    しかし、それは、人に広めるのが重要では無いとも思います。

    その、すばらしい教えを、毎日反芻して、自分のあり方、所作動作態度、心使いが、今日1日、どうであったか? 反省模索をしながら、自分と言う人間の存在を向上させてこそ、生きて来るものだと思います。

    神の存在を否定して、霊界も否定して、徹底的にリアリストとして生きる人であっても、その教えを、自分に納める努力を、毎日し続けたら、人格も向上して、自分の身の回りの出来事も、潤滑に進む、なって来るの理、と言うものが実感できるでしょうし

    神の存在を信じるなら、教えを通して、神の示す、理想の姿に自分を近づける努力をしなくては、教えの意味が無いですよね?

    ただ、教えが捻じ曲げられていたら、常識的に考えると、おかしいな? って感じるとも、思います。 本当に正しき神の教えなら、常識的に考えても、違和感と言うのは、無いものだ・・とも感じます。

    すばらしい教えと言うのは、本来なら、人に広め、やらせる物では無いですよね? 自分で学んで、自分で実践するべき物だとも思います。

    毎日の反省、謙虚な気持ちで、教えと自分の行動を照らし合わせて見る事・・

    それが、できていて、初めて、この教えは、すばらしいって、言えるとも、思いますよね。

    偉そうに、人に教えの態度を要求するする人は、もう間違っていますよね?

    もうね、ここのブログに出てくる、天理教の教会長、大教会長は、信仰の基本と言う物から、理解されておられないと言う印象しか、持てません・・

    もっとも、そんな人は少数派であって・・多くは、謙虚に、すばらしい教えを、我が身に納める努力をされていると、思いますけども・・・

  4. ただの父親

    連投すみません。

    お供えと守護をつなげて考えるのは、何度も書きましたが、日本の詣で参りの伝統でしょう。

    仏教でも、貧しい人が、托鉢者に、匙一杯の施しを行うことで、心が変わると教えています。
    人を助ける、立て合うと言うのは、自分を変えて行くと言う基本だとも思います。

    もし人に上下があるとして、神的には、上に立てば立つほど、謙虚であり、首を垂れる稲穂であると思いますよね? 上に立てば立つほど、下の意見を汲んで、その気持ちを汲んだ上で、納得のいく采配が、できなければ、神の教えとは言えませんよね?

    常識的に考えても、お金の次に大事なものを差し出せ? 何て、おかしいでしょう? また、それに逆らわずに、唯々諾々と従うのも、神から見たら同罪になります。

    何の為に、怒りと言う感情があると思いますか?
    正当な怒りとは、進化向上の為にあるんです、現状がおかしければ、ふざけるんじゃない! と怒りを持って、現状を良い方に変えて行くために、その気力、エネルギーを持つ為に、神から、怒りの感情を与えられていると思います。

    変えることが大事です。 自分をどんどん変えて行くこと! ダメな現状を変えて行くこと、変えられないなら、逃げ出すこと・・

    正当な怒りすら、教えと言う物で、封じ込められてるなら、その教えがおかしい・・と常識的に気が付く方が、神的だとも、思います。

    もし、自分が虐げられている、苦しい、悲しい、悔しい、と言う立場にいるのなら、その立場は間違っているんです。

    あなたの心使いのせいでは無いと思います。

    神は、人の心使いが悪しき方に偏ったから、教えを伝えたと信じるなら、まず第一に、神の望む心使いとは、何であるのか、常に考えて、自問自答して、何が正しくて、何が変なのか? ダメなのか? 自分自身でも、常に考えて行くべきでしょうね・・と思っていますし、私自身は実践しております。

    神を殺してはいけませんよね、神の教えを、生かして(生きましょう)・・・

    ありがとうございます、感謝いたします。

  5. 東風Z

    日本人がお目出度いのか、それとも、人類自体がお目出度いのかは分かりませんが、正月3が日ともなれば有名な神社には数百万人の初詣者があるようです。一人が1円を投げ込んでも数百万円がある。1円ということはないだろうから総額はもっと多いと見込まれる。
    それで、一体どのようなご利益があるというのだろう。これだけ注ぎこんでも、最近の地球はいろいろな災害を招いている。何を信じてお賽銭を投げ入れているのか理解できません。
    そのようなことをするよりも、少しでも国際救済機関に寄付した方が生きてくると思うんですが、如何でしょうか。
    ただ、神社仏閣に対して畏敬の念を持つことを否定はしませんが、所詮は人間が作り出したものにほかなりません。例えば、「座敷わらじ」も一種の認知症現象がこのように伝えられたのではないかと思っているのです。幽霊だって同じかもしれません。
    万物の霊長たる人間は、返って目に見えない禍におびえ、一方で目に見えない神仏に救いを求めるのでしょうか。

  6. ただの父親

    こんにちは、東風Z さんのおっしゃる事も、判りますよね。

    神社の収入って、正月のお賽銭と、お札などの販売だけですからね、それで神社本庁に登録の上納金も払ってる訳です。神社本庁への上納金は、格によって固定されていますから、たくさん収入があれば、神社の経営は楽になります。

    守護を願ってお供えしてる訳でも無く、願いを掛けて、神社の維持費だと思って、100円玉を投げるのも、正月の行楽の一つでしょうね。
    神社詣では、行楽でもあると思います、できの良い神社って、テーマパークと同じですからね、グッズも買いたくなる様な、可愛いお守りとかある訳ですよ。
    団体旅行には、有名神社って組み込まれていますからね・・

    そんなもんでしょ?

    国際救助隊、サンダーバードでも、運営資金の寄付を募ってるなら、それはそれでしたら良いでしょう・・金持ちの喜捨もあると思います、身分が固定された欧米とかなら普通に、喜捨ってありますよね?

    それはそれで、やったら良いでしょう。

    人間だけが、神を意識する事ができます、宇宙の果てまで、調べて、解明しようとします。

    神はいるのか? 死んだら消えるのか? それとも別の世界があるのか? そんな事を考えられるのも、人間ですからね。

    何も無いと決めて、徹底的にリアリストに生きるのも良いでしょう・・
    でも、せっかくですから、自分の人格を磨いて、神と言う存在を探求するのも、良いか? と思いますよね。

    一つの教えを押し付けられて、それ以上、自分で探求模索もせずに、従ってることは・・つまらないですよね?

    お供えを出し続けて、辛いなら、それは実につまらない生き方に感じます・・

    私の結論は、天理教に参加するのは、いろいろ押し付けられるなら、まったくつまらない・・・・素晴らしい教えなど、実際、無くても困らない・・

    自分を、磨いて向上させるのに、一つの(教え)にこだわる必要は感じません。

  7. 古い元教会長

    ただの親父様
    >一つの教えを押し付けられて、それ以上、自分で探求模索もせずに、従ってることは・・つまらないですよね?
    お供えを出し続けて、辛いなら、それは実につまらない生き方に感じます・・
    私の結論は、天理教に参加するのは、いろいろ押し付けられるなら、まったくつまらない・・・・素晴らしい教えなど、実際、無くても困らない・・
    自分を、磨いて向上させるのに、一つの(教え)にこだわる必要は感じません。

    普通、考えれば分かることなのですが、子供の頃から刷り込まれ洗脳されてきた身にとってみれば、当たり前の言葉が、今になって、やっと身に染みて分かります。
    でも、今だに抜けきれない何かがあるのです。
    でも、これから勇気と自信と責任を持って自分らしく歩んで行こうと思います。

  8. ただの父親

    こんにちは、 嫌な書き方で、すみません。
    中山家に対する批判は、良く判ります、教えと教団運営を分けて、教団を批判されてる人が多く
    教会制度から、生まれつき天理教に組み込まれている人の、近親憎悪的な、怒り と言うのも、判ります。
    私は、息子が天理高校に行ってるだけなので、息子は卒業したら、普通に専門学校から就職したいそうですから、そうなった時点で、一切、関わりもないんです。
    息子が在学中だから、おぢばに年に何回も参拝して、お供えもしてますが、それ自体困らないけど、それも後数年の事です。
    私自身は、素晴らしい教えにも、教祖様にも、個人的に接する以上に、関わりが無く、教団運営には、一切ノータッチ、理の親? 何それ知らない関係無い・・自分の意思決定に、教団は一切関わりがないし、理不尽な要求に従うつもりも無いから、恨みも憎しみも無い・・と言う事です。

    自分を縛っている価値観を客観的によく見て、疑い、そこから脱却する事は大事です。
    自由には孤独が付き物ですが、基本的に人は内面的に一人で生きていますよね。
    信仰とは、神様と私だけの二人称であり、孤独な面があるものです。

    これは、人の支配であり、親神様のお心、思召しでは無いと感じたら、拒否するのが、神的には、正しいと思いますけど、それに慣らされてしまっていますよね。

    そんな場所は逃げだし、一人で、親神様に向き合い、(教え)と言う物を模索して、自分を向上させる生き方の方が、孤独ですが、よほど、理にかなっていると感じます。

    働きながら、生きてる方が、よほど世の中の役に立ち、人助けになると思います。 働く事は、側を楽にするということであり、神の理にかなっていますよね?

    働きながら、家族を守り、子供の可能性を見出してサポートし、政治も良くする生き方の方が、よほど理想社会に近づけるだろう? と私自身は思っています。

  9. ただの父親

    私が、オカルトで、おかしなことを言うのを期待された人も、見えるかもしれませんが?
    もちろん、私自身は神霊主義であり、基本的に霊とか大霊界を中心に、物事をとらえて考えています。
    ですが、この世の部分には、理性と常識で接していますし、実際の神霊は、人に命令はしません。
    守護霊を呼び出し、喋らす著書を出すなどは、私から見たら、低級霊現象であり、神の行動では無いし、人の口を借りて、いろいろ喋るのも、神とは言えないと思っていますけど、普通の人には判らない話。
    だから、ことさら、普段は、神が! とか、一切言わないし、理性と常識を持って生きることが、重要だと思っています。

    あるブログを読んでいて、教会でハロウィン・・クリスマス・・
    ドラッガーのマネジメントを教会運営に応用しようとか、書いていて・・
    いったい、あなたは、何がしたいのか? って思います。

    教会長って、まず第一に、信仰者では無いのか? ドラッガーではなく、デールカーネギーでも読めよ・・
    信仰と宗教はちょっと違いますよね・・
    まず第一に信仰者であり、それが布教もして、信者がいるから、教会を作って、集まる場所を作って行くのに、まず教会が先にあり、ちゃんと信仰もできていない、未熟な人間が、教会長になるから、迷走してしまう・・
    ブログからは、そんな未熟な人間の必死の行動は、判るので、大変だな・・とは思いますけど、共感はできない・・
    いっそ、布教師に戻り、働きながら家族を養い、日々の中で、教えを模索して生きた方が、良いんじゃ無いのか? それで信者が増えて来てから、教会にしたら良いのじゃ無いか? って思います・・

    偉そうに、言ってすみませんけども、私はその様に見ています。

  10. ただの父親

    連投すみません
    素晴らしい教え、と言う存在は、それだけで、素晴らしいと言う物では無いと思います。
    素晴らしい教えを、自分の生き方、心のあり方に取り込んで、日々模索しながら、教えを、我が身の中に取り込んで、自分を向上させて、自分を素晴らしい教えと言う物の、体現者と言う物にしていって、初めて、客観的に素晴らしい教えですね・・と評価できる物では無いでしょうか?

    素晴らしい教えが、絵に描いた餅なら、意味は無いと思いますよね。

    自分に体現できて、初めてそれは、存在する価値を持つ物だと思います。

    人にやらせる物でも無いでしょう・・教祖のひな型って、貧乏になることでは無いでしょう? それは形をなぞってるだけでしょう? そんな事を信者に要求する教団こそ、間違っていますよね?

    私達が、世界一の陽気暮らし夫婦になります! こんなセリフこそ、噴飯物だと、何故気が付かないのか?

    何にも見えていませんよね? 私にはそう感じます。

    ありがとうございました、失礼いたします。

  11. 東風Z

    大亮氏に神を語り、教祖を語る資格は皆無です。何の苦労もなく、いやいや、自分なりに苦労はしていると認識しているのかもしれませんが、私から見れば、真柱氏の養子になるのは以前からの既定事実だったでしょうから、敢えて苦労を求める必要はなかったはずです。
    薄っぺらな信仰心?で今後何を語るのかは分かりませんが、これを有難く受け入れる大教会長クラスは一体何者なのか。
    大亮氏は、羽織袴を着けて上座に鎮座しているよりも、真の教祖のひながたの道を歩んで見られれば如何か。

  12. 崩壊

    古い元教会長 様
    2019年5月30日 7:59 PM

    >これにより、戦争協力体制へ進んでいくことになり、「借金をしてでも戦時国債を買え」という本部方針の下で250万円以上の戦時国債を買い協力した。日露戦争後、真柱の真之亮に勲六等の勲章が出される。<

     豊田山墓地に中山真之亮の勲六等を讃える石柱が立っているので、かねてから、いぶかしく思っていたのですが、そういう事実があったのですね。「人たすけ」「陽気くらし」「世界一列皆兄弟」を看板に掲げる団体が戦争(殺人)に加担するとは・・・。 天理教はやはり宗教の看板を降ろすべきだ。

  13. 匿名

    >薄っぺらな信仰心?で今後何を語るのかは分かりませんが、これを有難く受け入れる大教会長クラスは一体何者なのか。
    大亮氏は、羽織袴を着けて上座に鎮座しているよりも、真の教祖のひながたの道を歩んで見られれば如何か。<

    これから、何の経験も無い若造真柱に米つきバッタよろしくペコペコする大教会長たちの茶番劇を見せられる事になります。

    ダイスケ夫妻は世界一陽気な夫婦になると能天気な頭だが、これからの真柱職はそう甘くない。現真柱夫妻の様に苦虫つぶした様な顔の夫婦にならないとも限らない。
    なにせ、天理教がここまで衰微する事を誰が予想しただろうか?まずはダイスケ夫婦よりも全国の信者夫婦が世界一幸せと実感できる様に努力するのが先決ですぞ。かの夫婦が今能天気な世界一幸せ夫婦を目指していては天理教の為すべき道がぶれてしまう。これからの天理教は相当厳しい道ですぞ。これからの教団の舵取りについて、夫婦喧嘩も辞さない議論を重ね、まずは信者の幸せを願う方針を夫婦で話し合って欲しい。ダイスケさん夫婦の幸せはまずは信者夫婦が幸せになってからで良いんです。しっかり夫婦で苦労し辛酸をなめて苦しんでください。人の心を知らずにいては口先三寸の真柱と言われますぞ。尊敬には値しないし、全国の信者から馬鹿にされる。
    まあ、現状では先細りの真柱ですから苦労するとは思うが。
    信仰はお金では無い!と夫婦で宣言されては如何でしょう?爆発的に伸び栄ると予想しますが。

  14. 匿名

    大亮にそんな頭ないないw。関西大学で体育会系じゃ脳筋バカってやつでしょ。深く考えることができないからケロケロしていられるんです。ルイ16世は即位するのを非常に嫌がっていて、即位式のときも「世界が私の上に落ちかかってくる・・・」とうつ状態だったそうです。14世の晩期から慢性的な財政赤字を抱え、祖父の15世の時代にアメリカ独立戦争で多大な出費をしたフランスは、もう国家破たんの状況だったのをよくわかっていたからです。大亮は政治に興味を示さず遊び惚けていたルイ15世になると思います。

  15. ただの父親

    こんにちは。
    「 信仰はお金では無い!と夫婦で宣言されては如何でしょう?爆発的に伸び栄ると予想しますが。」

    世間では、それは当たり前であって、天理教が特別なので、それでは何も伸びませんよ、と思います。

    宗教と信仰、何度も書いていますけど、宗教は思想を広げる、教えを広げると言う団体です。
    信仰は、思想などによる、個人的な、内面の努力を指します。

    宗教を信仰すると言う事は、素晴らしい教えを、自分の心のあり方、行動に取り込んでいき、日々反省模索しながら、教えを心に納めて行く、その体現者になって行くと言う事です。
    なので、私的には、人を助けて我が身助かると言うのは、宗教的スローガンだと感じます。

    友人の教会長と話していても、それは布教者ではあっても、自身が信仰者としての精神的模索というのが、大変に弱いと言うか、感じなくて、何かに合わせようと言うか、強い向上の意思と言うのを感じないんです。
    天理教は、他人軸で生きることになると言う、東風Zさんの指摘でなるほどと、思いました。

    だから、私が、信仰的に、内面に突っ込んだり、教えの実行に付いて聞いたりしても、自分の説明の流れを壊されると、途端に不機嫌になる・・自由自在に、説明できないのは、型を繰り返しているだけで、実戦を戦っていない、武闘家の様に感じます。

    個人の信仰心よりも、教勢拡大、布教活動が優先されていると言う事でしょうか?

    時期真柱さんも、団体の、運営者と言う感じですよね? 青年実業家みたいな印象?
    個人的には、JC のボンボン達の様な印象を持っています。
    百田某を、講演会に呼ぶなんて、まさに JCのバカボンボン・・・

    これからも、宗教スローガンを打ち出し、目標達成を鼓舞して、イベントを行うだけだろうと思います。

    なるべくなら、私の息子が、そんな行動に巻き込まれ無い様に願っております。
    私にとっては、息子の事は息子の自由なので、息子自身の判断に任せていますからね。
    ただ、息子にも、内面の努力の事、人は向上を目指すべきだとは、教えて来ていますけどね。

    いろいろ、見守りたいと思いますよね。

  16. ただの父親

    ここのスレッドとは違いますけど、感想を一言

    「 少しハイレベルな信仰を天理教邪怪学の皆さんにお教えいたしましょう?」
    言ってる姿勢から、上から目線で揶揄していますよね?

    「人の陰口を言うのは重罪。陰口を言えば、その言葉通りの運命を、発した人が通ることになる。」 時と場合によるでしょう、独裁国家なら、批判も影で言わないと処刑されます。 一律にかぶせて来るのは、信仰とは関係ない社会規範に過ぎない。

    「人の欠点は土をかぶせて隠せば良い。人から陰口を受けたら、悪因縁を切る恩人と思って感謝すれば良い。」 処世術ですよね? 嫌いな人はどうでも良い人、憎むくらいなら、距離を取れって事です。

    「人を陰でほめれば、ほめた人もほめられた人も栄えていく…… 」
    陰で褒めるなよ、表で褒めた方が良いと思いよ・・表で褒めた方が、うまく行くと思う。

    「たぶん検定講習の講義は眠っていて、本部の恩情で会長にしてもらった人かと思うので、聞いても無駄だと思います。」

    馬鹿にしすぎだよね? これは人格を疑うレベルでしょう・・

    神を真剣に信仰していると言いながら、客観的に、この方、性格が悪いなって言う印象を、読み手に持たれる様な事を言い放つってのは、お笑いでしかないよね?

    笑ってあげたいと思います・・面白い事をおっしゃってみんなを楽しませて下さる・・
    陰で褒めて差し上げます・・

  17. ただの父親

    素晴らしい教え・・

    何度も言いますが、素晴らしい教え! だけなら絵に描いた餅です。
    素晴らしい餅! と言う絵画を見ても、お腹は膨れません。

    神の愛は素晴らしい! 愛と慈しみと尊びの心を持ちなさい!無償の愛を持ちなさい!
    読むだけなら誰でもできる・・毎日読んだら、愛が得られるのか?

    得られないですよね? 神の愛、無償の愛、これらを体得する為に、日々の生活がある訳です。
    それらを得られるヒントが、素晴らしい教え、の中にあるのだと思います。

    信仰とは、その、神の愛、無償の愛を、心に得るための、日々の努力の積み重ねだと思いますよね。

    神に祈る、と言う事は、まさに、神の愛を神から頂く、教えてもらう事だと思います。

    素晴らしい教えから、日々の努力のヒントを得て、反省模索しながら、神の愛を得て行くこと
    日々、神に祈りながら、理想の姿、神の姿に導いてもらうこと、愛を頂くこと・・

    私自身は、そう言うのが、神への信仰の、基本中の基本だと思っています。
    日々、努力を積み重ねて、日々、模索しながら、向上して行きます。
    最後は、神の足元にたどり着き、私も神世界の一員に加えてもらいたいのです。

    私は、この世で、神を求めるって、そう言う事だと、思っていますよ。

  18. 匿名

    ただの父親様、スカッとする事を仰って下さいました。
    狭い世界しか知らない天理教世界にはこう言う上から目線で理屈をこねるが、見識ある人からは密かに笑われている様な人が確かにいます。精神レベルの低い人達が案外多いんですよ。若造でも立場が上だからと、そこに甘んじていて。程度の低さが見え隠れするんです、、。本気で相手にするような人では無いのですが、立場が固定されているので、、みんなで適度に相手にしないようにしてるんです。
    これは陰口かもしれませんね。すみません。しかし愚痴の一つも言いたくなる異常世界でもありますので。
    余談ながらご子息が無事に天理高校をご卒業されますように。かつては天理高校でもいじめの構造があったや、に聞きます。天理教の各種教育機関(専修科等が教育機関と言えるかわからないが)でも殴った、蹴られたの行為を経験したと修養科時代に同級生から聞きました。今でもあの異様な行進を本部の広場で見かけますが、戦時中の様な上下関係が現存してるのでしょうかね。現天理教の体質を見る様です。少なくとも民主的では無いと想像します。
    失礼しました。

  19. ただの父親

    こんにちは。
    匿名さん、ありがとうございます。

    すでに息子は、下級生の時、上級生の理不尽な、いじめ、にあっています。
    この時は、学校、寮、教会と公で迅速に対応して下さったので、事なきを得ました。
    天理教の看板がある以上、いじめ、の問題には、迅速に対応してくれる見たいです。

    内緒の話ですが、私の様な、父兄が、部外者? 一般信徒の場合、話が容易に外部に漏れるので、余計に神経を使うのだとか・・教会子弟や関係者子弟の場合は、また何か違うらしいです。

    社会学のブログは、天理教に浅く、薄く関わっている私の様な人間では知り得ない、内部の様子や、人間関係が、よく分かります。 こんな話しを読んだら、天理教には、深く関わろうとは思いません。

    息子も、天理高校二部に入る前は、天理教は陽気暮らしの宗教だから、天理高校二部だって、きっと楽しい!と思うと入学して、その全然陽気になれない天理高校二部暮らしに一時は、本気で帰りたいと思ったそうです。
    学校も一緒、部活も一緒、仕事も一緒、寮まで一緒では、そりゃあいろいろあるみたいですね。
    今は上級生になったので、ある程度、おぢば暮らしも天国?らしく・・自分は後輩には威張らない様にしている見たいです。 私自身も、威張るなよって、言って来たつもりですが・・

    それと、自分達が作業を頑張って支度する事で、おぢばがえりの子供達や、大人達が喜んでくれるのが、嬉しいと思えるようになって来たらしく・・人を助けて我が身助かる? とか、教義?に絡めて物を考えたりしてるみたいです。

    教理や素晴らしい教え、と言う物を、よく勉強して、よく考えるのは、良い事だと思います。 親としては、できれば、このまま卒業して、おぢばを離れて一般企業に就職して欲しいと願っています。

  20. 古い元教会長

    ドラマ『女王の教室』の阿久津真矢(天海祐希)のセリフ。

    「いい加減、目覚めなさい。
     日本という国は、そういう特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。
     そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
     今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
     世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの」
          ↓
    「いい加減、目覚めなさい。
     天理教という宗教は、そういう中山家を中心とした特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、あなたたち末端教会長と信者が、ひのきしんで、無償で働き、高額なお供えをすることで、成り立っているんです。
     そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?
     今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。
     天理教のしくみや真実の教祖の教えも知らず、不公平なんかに気づかず、徳分の違いと思い、酒でも呑んで、ぼーっと何も考えず、教会に行ったら、会長の言うことを大人しく聞いて、もし戦争が始まったら神の思し召しと思い、真っ先に危険な所に行って戦ってくればいいの」

  21. 匿名

    父親様、やはりいじめ問題に直面されたのですね。無事に解決に向かい何よりでした。今時いじめは国を挙げてまた各教育機関がその芽を見落とさない様にと、体制が組まれている様ですが、やはり一般からの入学者には特に気をつかっているのですね。
    天理教全体が上に逆らえない封建体質ですから、末端教会の子弟などは気にもとめてもらえません。大教会子弟が末端子弟を虐めても一般生徒さんへの対応とは明らかに違うでしょう。同窓の修養科生の言では天理教の学校のいじめはとても陰湿で、殴る蹴るの暴力有りであんな所に二度と行かないと言ってました。学校側も黙認していたのでしょう。人助けの天理教の教育機関がこれで良いのでしょうか?
    末端の我が息子も音楽がしたいと、かつては天理高校の願書を取り寄せて入学を考えた事が有りますが、父親様の手前で言いにくいですが、息子を行かさなくて
    良かったと思っています。
    息子様は無事卒業された暁には天理教を離れて世間の風をいっぱいすわれる方が絶対に良いです。父親様の客観的な冷静な見方、考え方のコメントの数々、なるほどなぁと参考にさせていただいております。
    いじめ体質は大教会内でも散見されますから、もう天理教は時代遅れの団体に間違いないのです。とりとめもない内容で失礼しました。

  22. ただの父親

    こんにちは。
    「 父親様の客観的な冷静な見方、考え方のコメントの数々、なるほどなぁと参考にさせていただいております。」
    ただのオカルト親父の独り言に過ぎないコメントを、好意的に受け取って頂いて、ありがとうございます。
    私も、悪意も無ければ、自分の方に誘ってる訳でも無く、こうして、書くことで、模索をしている訳です。

    自分自身の、精神的、人間的な向上を目指しています。

    息子のいじめを行った、生徒さんの親は、信仰3代のおぢば勤務者さんでした・・その子は下級生いじめの常習者だったので、退学すれすれになるそうでした、 私自身は、いじめは精神が未熟なだけなので、しっかりと学ぶチャンスが必要だと思っています、まあ無事に卒業したらしいので、この先は一旦一般社会で揉まれた方が良いと思っています、どこに進んだのか知りませんけども。

    入学した後って、子供達は、どこの教会、どんな家庭出身か、みんな話すそうです、勤務先でも、それについて話すそうです。 最初は、それも世間話しかと思ったけど、もしかして、事前のヒエラルキーの確認? なのかって思いますよね? 教会子弟は、天理教校学園に進むらしいので、天理高校二部には、教会子弟は少なく、住み込み?子弟とか、濃い信者の子弟が、多いらしく、息子の様に、父親が未信者と言うのは、極少数派らしいです・・だから、お父さんも、別席を運んで下さいって、言われた訳です。

    天理高校に進学した事で、息子も、天理教には、教内ヒエラルキーが存在する事に気が付き、意外に上下関係が厳しく、自由では無い実態とかも気がついているようで、宗教としてはともかく、卒業後は、普通に専門学校からの就職を希望しています。

    まあ、私も、それを希望しています。

    何はともあれ、天理高校二部を選んで進んだのは、息子の自由意志ですし、辞めずにそこで頑張っているのも、息子の頑張りですし、そのあと、外に出ようとしているのも、息子の希望ですから、親としては、サポートして、見守るだけですし、天理高校二部で、いろんな事を経験して、学んでいる事は、親としては、天理教に感謝をしています。

    教会長にも、天理教にも、感謝!をしています・・在学中のお供えは、もちろん常識的な範囲で行いますよ・・卒業後の一列会への寄付は、二部生は義務では無いですが、あとは息子に一任して、もう親としては、天理教には、関知しないつもりです。

  23. ただの父親

    こんにちは。
    オカルト親父とか、書かれてると言うので、該当HPを閲覧しましたが・・

    私が、ここに書いて来た事と、言いたい事と、K氏の言いたい事に、実は差異はあまり無い気がする。

    K氏は、キチンと信仰と言う物と宗教の違いを理解されているようだ、バランスを取る事を理解している。

    心を自由に、とらわれずに、教えを受け入れる事は、私でも良く判る・・
    心を自由に、とらわれ無いようにしないと、真実神とは、交流できないのと、同じ事だね。

    K氏の定義する、オカルトの意味が、少しは判ったかな・・それだと、私は、オカルトとはちょっと違うかもしれないな・・

    私の信仰する、大霊界世界観と存在する、神々の定義、役割、能力については、ちょっとくらい話しても理解されないだろうと思っています。
    大霊界世界観は、自分の掲示板では、基本的な事だから説明しないし、ここでは、書く事では無いからね。

    簡単に一言で言えば、全ての始まりの絶対神は、巨大な意思を持つエネルギー体であり、それ以外の存在は、2000億年の歳月の間に、絶対神が育てた、分身、子でしか無く、我々人類も、その最末端にいると言うだけだし、私が守護神と呼んでいるのは、同じ子であり、先達に過ぎない。物質宇宙は、物理法則に縛られて、厳然と運営されているし、広大な大霊界は厳密に絶対神の作った法則に従って運営されている。

    まあ良いや、書きたい事は書いたので、このくらいで、眺めるだけにします。
    またそのうち、書くかもしれませけどね・・ありがとうございました。

  24. ただの父親

    こんにちは。

    「 月次祭、教区内の活動と費用、直属(上級や大教会)の活動と費用(お供え)、教会の建物の増改築や土地の登記変更、会長交代などに関わる「お運び」に関わる手続き等々………
    金と時間と手間と複雑な人間関係、書類、さらに教会で生活している会長家族の人生、信者さん達とのやりとり…
    若い世代の方々が悩み、暗い未来を案じてしまう諸々の原因が「教会」という建物と制度(しきたり)にあると思います。」

    つまり、K氏の説明からだと、こう言う決まりと言うのに従い続けるのも、オカルトと言う事かな?

    天理教には、もはや神は存在しない・・ 教団が封じ込めてしまった・・
    ただの父親はそう思っています。

    儀式をしなくても神は許してくれるだろう? って普通に想うでしょうが・・神が儀式を指定したわけでは無いと言う事実を無視していますよね? そう言う考えが、オカルトと言う意味でしょうか?

    実際、本席様が不在の天理教において、神と言う存在は、ただの概念になってしまっています。

    実際に、親神様、教祖様の声が聴こえてしまう人、天啓のある人は、天理教を破門されてる訳です

    なら、K氏の方が、現実的には、よほど正しい天理教信徒であると感じますよね。
    現状の天理教なら、組織運営において、一切、神と言う存在、あやふやな、上層部が都合良く、使える、神様と言う存在を排して、教えをリアルに、神の理として、行使して

    個人的にも、教え、神の理を、自分の生き方に反映させる、信仰と言う努力をすべきだと思いますよね。

    あやふやな神と言う存在を、都合良く解釈して、それに支配されるのは、本当にオカルトだよね?

  25. 匿名

    放置プレー、リードオンリーにしようと思っていましたが、父親さんのいらだちが感じられるので書き込みます。

    K氏に絡んでいますが、察するに、構ってほしいからでしょう。
    理性的なK氏はスルーするはずのレベルの絡みだから、暇人の私めが一言。

     ≪ K氏の二人羽織文章は、実に上手く書かれているね、これはプロレベルだね

    ↑この二人羽織という表現は的外れ。
    同じ土俵で考察合戦したいのだろうけれど所詮レベルが違いすぎると外野は見ています。
    息子さんを天理の学校に通わせ、会長さんとのストレスを抱え、この場で独演会を開いたところで、外野でもわかる釣果は今のところYさんだけなのではないかな?
    釣り場にしていることは貴君の聖の神研究会でもうかがえるような書き込みをしているから、判る人にはわかっている。

    自由な書き込みを許してくださっている社会学研究所の器の大きさを良いことに、毎日のように書き込んでいる貴君は、たしか、
    「まあ良いや、書きたい事は書いたので、このくらいで、眺めるだけにします。
    またそのうち、書くかもしれませけどね・・ありがとうございました。」と書いたばかりですね。

    まあいいや。今日は雨天で暇だったのかな?

  26. ただの父親

    こんにちは。
    11日に、オカルト親父って、あなたのことじゃないか?と知らせを受けて、該当HPを見つけました。
    別にHPがあるとは、知らなかったな、そこから読ませてもらう事にした訳です。
    K氏に対して、一応、見ましたよ、と言うメッセージを込めています。
    それと、あなたの言う、オカルトの意味は、こう言う事だな? と言うメッセージでもありますね。

    私は、K氏とは関わらないと言ったはず、だから、HPを読んだ事だけを伝える。
    あとは、話す必要も無いでしょう、なにも噛み合う部分は無いと思います。

    それと、K氏の、二人称の文章は、実に上手い、プロレベルだと言う、感想を持っています。
    私は、マウンティングする気は無いので、上手い文章は、上手いと褒めます。

    それと、教え、について良く判る説明だから、普通の天理教徒も、一読されると良いと思います。
    良いと思うから、リンクを貼って、紹介した訳ですよ、それ以上の他意は持ち得ない。

    と、言う事ですね。

  27. ただの父親

    歪んだ鏡に姿を映しても、歪んだ姿しか見えません。
    それは、私の姿が歪んでいるのでは無く、映る鏡が歪んでいるんです。

    歪んだ心では、素晴らしい教えも、歪んで見えます。

    信仰とは、その歪んだ心を、自分の努力で、平らに、ピカピカに磨く事でもあると思います。

    しっかりと、磨かれると、よろしいかと思いますよ。

    ありがとうございました。

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