行政支援の難しさと、宗教支援の当たり前さ

昨日、天理教として被災者の疎開を積極的に推奨してはどうだろうかという提案をしてから多くのレスポンスがありびっくりしている。天理教が地震への支援に関してどのように行っているのかというのを知りたい人が多いようだ。また昨日の昼前に私が疎開計画を発表してから、大阪市、大阪府などの関西の自治体が、被災者のための住居を提供するという発表を聞いて驚いた。大阪府の橋本知事は今後2000戸(現在500戸)を目標に府営住宅などを提供する予定なのだそうだ。一方で、お金のある人や東北外に親族のある方は、飛行機や新幹線で東北外に避難し始めているようだ。また海外の駐在員や報道員も東北や東京からの撤退を始めている。

結局、お金のある人は逃げることができ、お金のない人が被災地にいて今の不安と将来の二次被害に怯えている。こんな不公平があってもいいのだろうか。かといって、こうした私の怒りも適切ではない。逃げる人も、批判する人も、明らかに寝ていないのに批判ばかりされている枝野さんも、みんな必死なのである。批判は後からできるものである。

天理教の疎開計画が存在するのか私には分からない。「話は進めている」という話と「そんな話はない」という話と両方聞く。報道では、避難している人は43万人と聞いた(真偽は不明)。43万人という人数を一挙に受け入れる自治体や施設はない。しかし行政のように住居を提供したところで、食事はどうするのか、光熱費はどうするのか、という問題はある。そして何より府営住宅に入りたくても入れない地元民よりも被災者を優先することに地元住民から批判もでるだろう。行政資源を被災者に多く提供することは非常事態だからと最初は迎合されるが、後々問題がでるのは目に見えている。また住居の提供となると被災者の心理的障壁もある。一時避難といえど、住居となると「地元(東北)を捨てた」という罪悪感が芽生えるのではないか。また地元での復興に直接関与できない疎外感などがでてこやしないだろうか。

そうした視点でも、天理市の天理教施設での疎開は適切だと思う。なぜなら住居として完全体ではないからである。詰所は、私も行ったことはあるが、住居のように完全密室にすることは不可能であり、どちらかというと合宿所や寮に近い。そうした場所では、人との交流は必然であり、一時的避難であり被災者の心情も「我々の地元は東北だから」と罪悪感や疎外感は薄れる。また信仰として関西に拠点がある宗教として、関西には多くの信仰者が存在する。これは手弁当でボランティア(ひのきしん)ができるという大きな強みである。

天理には、十分な物理的受容施設があり、その後の生活も大きな問題はないと思う。そして何より、多くの助け合いの精神が存在する貴重な場所であると思う。

あとは天理教が動くかどうかである。
ここで動かずに募金だけ呼びかけているようでは今後天理教の存在意義は全くなくなるだろう。

ある方から紹介していただいた朝日新聞の記事である。阪神大震災の経験者はみんな同じことを思うのだろうか。阪神大震災の最大の教訓は、結局人間同士の助け合いが復興ということなんだと痛感。
http://www.asahi.com/national/update/0317/OSK201103160089.html

今後も天理教の情報があれば伝えていきたいと思う。情報があれば教えてください。