被災地にとってよそ様な天理教本部

天理市の信者宿泊用天理教施設(母屋や詰所)が、被災者の受け入れを公表しているようだ。実際に私が聞いたところによると複数の詰所が、挙手をしている。しかし混乱をさけるために、このブログで公表することはしない。これに関して天理教本部は強くイニシャチブを発揮しているようではなく、各施設所有者の判断によるところが多いようだ。というのは、前述したように天理教本部がイニシャチブをとって空振りした阪神大震災の教訓が生きているのだろうか。

今まで天理教本部の支援が不透明であったが、昨日付けの天理教ホームページにおいて具体的に支援状況が明らかになっていた。以下抜粋する。

3月19日、天理教教会本部から岩手県庁へ深谷善太郎本部員が、宮城県庁へは中田善亮本部員が出向き、教会本部からの義援金1000万円を、それぞれお届けした。その際、天理市にある天理教関係施設で被災者を受け入れる準備があることを、それぞれの県へ申し出た。また同日正午、教会本部から給水車5台が岩手県の被災地へ向けて出発した。途中、東京まではその搬送を災救隊大阪教区隊(宮田幸一郎隊長)の隊員12人が担当。その後、埼玉教区隊へ引き継ぐ。一方、災救隊埼玉教区隊(銭場佐登志隊長)の隊員50人は20日、磐井分教会(岩手県一関市)を拠点に岩手県内の被災地で給水活動を開始した。(3月21日記)http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?p=3193

これをみて皆さんはどう思っただろうか。私はこれを読んで天理教の支援は阪神大震災と同様に積極的な被災者の受け入れは空振りに終わるのではないかという予測を感じた。それは1000万円という金額ではない。教会本部の偉いさんが行く交通費は無駄じゃないのかということでもない。先方は忙しいのに、わざわざ出向くパフォーマンスが必要なのかということでもない。私が記事から感じたことは、天理教は行政にとって「よそ様」であるということである。行政にとってみれば今回は数多ある組織の一つである天理教が、義援金を持ってきて、被災者の受け入れを表明しただけのことである。以前、今回の地震での給水車の派遣について天理教は「国からの要請」という説明をし、これに対して私は「国が天理教に要請をするということは、天理教と国の間にはパイプがあるのではないか」という推測をした。もし、天理教ほど広範囲に一定の信者数や教勢があれば各自治体にも一定の存在感があるのではないかと。つまり内々や秘密裏に、行政と綿密に情報交換をし災害救援隊の活動など具体的な支援を話し合っているのではないかと思っていた。しかし、その場合に行政に出向くのは教会本部の偉いさんではなく実行部隊の責任者ということになる。行政との関係ができているのだから。つまり今回のように天理教本部の偉いさんが現地に出向くことは、「初めまして僕は天理教といいます。義援金もってきました。他にも色々頑張ります。これからよろしくね」という挨拶の意味があり、天理教と行政にあまり関係性ができていないことを示している。すでにパイプがあれば「あのさ、あれ天理教でやってくれない?」「あれなら天理教が5台所有してるんでいけますよ」という偉いさんでは分からない具体的な話が進行されるはずである。来週の天理時報にはパフォーマンスとして偉いさんが行政側に義援金を手渡している写真が載るのではないだろうか。そういった短期的なパフォーマンスがダメというわけではない。時間をかけて相手の信頼を獲得する地道な関係性こそが、天理教が外に開くという意味ではないだろうかということを考えた。