天理教の被災者受け入れについて続々と各教会単位で受け入れを発表していると聞いた。私はこういった開放的受容性こそが宗教の本質であり、閉鎖的な宗教団体が多い中で天理教の対応を非常に歓迎している。天理教信者に関わらず、多くの被災者がこの制度を利用して復興への足がかりを掴んで頂きたいと思う。一方で、以前話をしたように「そんなに受け入れは進まないだろう」という予測もしている。実際に、「受け入れを発表してもそんなに来てくれない」という話もメディアを通して聞く。というのは、よく分からない宗教への抵抗、愛着ある地元を離れる抵抗、遠方に行くと復興に乗り遅れるという抵抗など被災者が乗り越えなければいけない心的ハードルはいくつもあるからである。しかし私はそれでいいと思う。いつでも門戸を開けておくことが何よりの励みと勇気になると思う。誰も来なくてもあそこにいけば受け入れてくれるという安心感や信頼感こそが、宗教や人間の拠り所となるのではなかろうか。誰も来ないからといって残念がる必要もなく、門戸を閉ざす必要もない。開き続けていることで助かる人はきっといると思う。天理教の本拠地は関西である。関西は東北の方にとっては文化も違う遠方である。だから、人はなかなか来ないだろう。だからこそ、意味があるのだと思う。