そういえば、1週間ほど前に誕生日を終えた。また一つ年をとってしまった。まぁいっか。
ここ1ヶ月くらい、このブログを見てメール等を送ってくる方が増えた。とてもありがたいが、基本的に返事はしない(だって挑戦的なんですもの)。気持ちのこもったメールには、私なりに最善を尽くした返事をしている。また情報提供のように、こそっと色々と教えてくれる人もいる。しかし私は天理教版ウィキリークスを目指しているわけではないし、確認のしようがない情報も多いので慎重に聞いている。
今回はメールにて「理の親不要論者ですよね」と同意を求められたため、私の立場を明確にし返事にかえたい。私がたまに言及している「理の親」について、私は「やっかいなもの」という表明を過去に何度かしている。なぜそう思うかは、過去のブログを参照されたいhttp://ameblo.jp/tenrikyosyakaigakulavo/entry-10403626366.html。
上記の過去ブログは2年前のものである。しかし2年前も今とあまり考えが変わらないのは自分でも驚いている。私は「理の親」という概念は肯定派でも否定派でもない。時には理の子の人権を縛る鎖となり、時には師となる。概念は道具であり、時には非常に便利なものとなり、時には凶器となる。「理の親」が凶器となる場合には猛烈に否定し、信仰的人格的成熟を促す場合には支持するのが私の立場である。物事は一面的性質だけで否定も肯定もできない。私にメールを送った方は「理の親」という概念自体が「世界一れつ皆キョウダイ」という教義から有り得ないと説明したからには否定派なのであろう。ただメールは教典を古語のまま引用されていたため不勉強な私には難しくて全部読めない(これからは分かりやすい日本語で書いてくださいね)。私は天理教の教義には「こう書いてあったから」という説明はあまり信用しない。なぜなら教義がどう書いていようと目の前の天理教人の振る舞いを信じるからである。そして何より天理教の教義自体も、教祖が実際に言ったことと伝承が二代真柱によって混ぜられて編纂された経緯がある。社会学的には、晩年の教祖が実際に言ったことには理解できない言葉や文として成立していないものが多分にある。そういったことからも原理主義的に教義に過剰にこだわることも私は好まない。先日紹介したフライデーの天理教記事において、「単に明るく生活するというより、互いの個性を認め合って神とともにあるという生活感を築くと解釈したほうが正しい。これらはすべて、天理教の外部の人から「なるほど天理教の人はいいものだ」と思ってもらえるような人(天理教では「なるほどのひと」という)に近づこうとする実践である。とあったように、天理教の真骨頂は教義ではなく信仰的実践であると思う。教義の内容よりも「目の前」の天理教人が天理教であると私は認識している。
理の親に限らず、その他の天理教的用語も含め、それらは内省のために「自分に向かって」使用されるべきものだと思う。
1. 納得、同感です・・。
つい教理で人を責めちゃうこと、私もあると思う。
教えを自分の都合に合わせて、他者に向ける・・。
理の親信仰についても。
こどもが自発的に「親」と慕うのは理解できますが、当人が「ワシは親じゃ!」というのは・・・。
「私たちの『をや』は、親神様・おやさまだけです」
と前真柱は仰ってますので。
2. Re:納得、同感です・・。
>スギオさん
真柱が「理の親は神だけ」と言ったというのは初めて聞きました。それは現在の天理教ではどのような位置にあるのでしょうか。天理教人なら皆が承知していることなのですか?それとも一部の人が支持していることなのですか?
3. 無題
おそらく、ほとんど知られていない事だと思います。
そのうちソースを調べます。
4. 柏木庫治の名言
とある青年が柏木庫治に相談に行きました。
青年
「私の父である会長は布教に行かずに百姓を手伝えと申します。 私は布教に行きたいのですが、どうすれば善いのでしょうか?」
庫治
「会長のいうことは聞かなくてはいけない。」
青年
「それでは百姓のお手伝いをする方が宜しいのでしょうか?」
庫治
「別に百姓の親父のいうことは聞かんでも良い。」
名言ではあります。
それぞれが成人し、教会や会長に依存しないこと。
教会の信者(いわゆる理の子供)ではたすからんと思います。
自らがおたすけに回らせていただく側(いわゆる理の親)に立ち、出来ても、出来んでも、教祖の歩んだ道を頼りに追いかけてみる。
気がついたら、一皮むけた人生をお与えいただけた。
そんな理の親子関係でありたいですね。
真柱さんの理の親発言は何度か2ちゃんで耳にしましたが、いつの話なのがソースは不明です。
「天理教の教義自体も、教祖が実際に言ったことと伝承が二代真柱によって混ぜられて編纂された経緯がある。社会学的には、晩年の教祖が実際に言ったことには理解できない言葉や文として成立していないものが多分にある。」
この言葉は意外ですね。そうすると、信者が信じ込んでいる教義には、実際には教祖が仰せになられてないお言葉が混じっている、ということになります。とすると、教祖のお言葉として会長や先生方に教わって来たものが、偽りであったこともある、という事です。天理教信者としては、足元がゆらぐようなことではないでしょうか?
『逸話篇』一七八
「惜しいと思う金銭、宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで」 これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。
天理教の「貧に落ち切れ」 とこの逸話篇は、救済と金銭を結び付けて、金銭搾取の正当化に用いられる二代教理?と言えるものですが、はたして教祖は本当に金銭や財産を献上することを、ここまで強調したのでしょうか?
おふでさき、みかぐらうた、おさしづには「貧に落ち切れ」とも、「金銭をもって救済する」とも書いてありません。
私には教団用の教理のために「伝承が混ぜられて編纂された」可能性は大いにあると思われてなりません。
どんな嘘が意図的に混ぜられたのかはわかりませんが、「教義」を今一度しっかりと原典にもとづいて研鑽しなおす
天理教公式機関をたちあげるべきではないでしょうか?(現教団の顔色をうかがう研究者達で構成するのではなく)
足元がゆらぐということですが、こんなこともあったそうです。
↓
http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/top2.html
真実が明らかになることを望んで止みません。
足元がゆらぐということですが、こんなこともあったそうです。
↓
訂正後 http://www.lcv.ne.jp/~toyohumi/kantougen.html
真実が明らかになることを望んで止みません。
匿名 2015年12月25日 4:57 PM の話題です、「
『逸話篇』一七八
「惜しいと思う金銭、宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで二の切りを以て身の難救かったら、これが、大難小難という理やで」 これは、喜多治郎吉によって語り伝えられた、お諭しである。
天理教の「貧に落ち切れ」 とこの逸話篇は、救済と金銭を結び付けて、金銭搾取の正当化に用いられる二代教理?と言えるものですが、はたして教祖は本当に金銭や財産を献上することを、ここまで強調したのでしょうか?
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天理では埃の金銭はカウントしない、この原則を踏まえた上で、欲しいご守護しだいでは単価はあがる。
おやさまのお言葉 「さあ/\実を買うのやで。値をもって実 を買うのやで。」『稿本天理教教祖傳』322頁
原典ではお指図に、出した金の収支の理がきちんと書かれている。
理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、
月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く おさしづ 明治25年1月13日
ただしお金を出しても人から評価されたら、価値を無くす。
私は病気の度に金を出す母親のお供えを届けたが、礼は言わない。ほめられない。病気は即治った。
金銭出させて病気をたすける場合には、金額言う場合と言わない場合があって出させたら絶対治っている。
二の切りの教理の実践である。
理の親とは造語であるが、理の親への報恩と言う教え方を初代表棟梁諸井慶五郎はといた。
報恩信仰の第一人者であるが、選挙制で表棟梁になっている。
当時の天理教教会の役職者は、報恩信条で金集めして成果を競っていた黒埃である。
そこで、メソポタミア文明の教会信仰を、神学を諸井慶徳が全教にふれまわすと大歓迎された、
基本は、それは変だとして、18には理の親信仰を否定しm本当の天理教を選択した、
これからハせかいの人ハをかしがる
なんぼハろてもこれが大一 (1-71)
せかいにハなに事するとゆうであろ
人のハらいを神がたのしむ (1-72)
天理教の基本は、人に笑われることであり、お金で二の切りも、人に笑われてすることである。
以下はある末端教会長の嘆きのつぶやきです。
>>うちのおとんボケる前はお道一本、定職にもつかず上級への御用三昧。バイトで得たお金はほぼお供え、民間の保険など加入するわけなく神様保険。天理教徒の見本みたいな人。
今となれば上級教会行っても煙たがられ笑い者。そして借金三昧。
おかしない?<<
神殿で垂れ流し状態となり、いつ畳が抜けるか、、と嘆いておられます。
これが天理教の現実です。こうして貧困のどん底に落ちて救われる事は有りません。
ニノ切りなんて教団都合の妄想、神はお金などでは守護に差をつける事は有りませ
ん。お金の出し方如何など神には関係無くて、神が守護にお金を持ち出す事自体が、この教団が嘘だと言う証明だと思う。