前回のブログで「日本人は多神教と馴染みがある」と書いた点について、ある方からメッセージを頂いた。その内容は「天理教においても十全のご守護という十の神様がいる」と教えていただいた。確かに、古来日本で伝わる神名が天理教に存在することは私も知っている。国之常立神(クニトコタチノミコト)という神も十の神の一つである。私は天理教にその教えがあることは知っているが、天理教の神である天理王命(テンリオウノミコト)とのReligional nicheについては知らない。天理教ホームページによれば、十の神様の存在については親神様の広大無辺なご守護を、十の守護の理をもって体系的に説き分け、それぞれに神名を配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱の神名」と呼ばれることもありますが、決して十柱の神々がおられるという意味ではありません。と神であることを否定している。国之常立神は神ではなく神の働きの一つであるという宗教学的にアクロバティックな展開をしている。私は、この点については素人なのでよく分からない。そのまま天理教のホームページが天理教的見解と信じるしかない。しかし私に送ってくれたメッセージを読む限りにおいて、送信者である天理教人は、あまり教義を理解されていないのではないかと思う。以前私にコメントを残してくれた方も「理の親は神様以外にないと真柱が言ったことは天理教内では知られていない」と教えてくれた。天理教内での教義理解のコンセンサスというのはどの程度のものなのだろうか。非常に興味深いが、外部にいる私にはよく分からないということを考えた。
月日両神が二親で、み様とぎ様がアダムとイブで残りの6つが道具衆で、全部合わせて親神で。
神の性質云々。で道具衆の魂を持つ人間が8人現存する。
頭がこんがらがってきますね。
未来に持ち越されたコンセンサスは、誰が確定するのかな。
元の理
なんぼ読んでもわからん
なんで神名がいっぱいあるんや?
私がアホなんでしょうかね
カインさんの上の記事によると
『親神様の広大無辺なご守護を、十の守護の理をもって体系的に説き分け、それぞれに神名を配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱の神名」と呼ばれることもありますが、決して十柱の神々がおられるという意味ではありません。と神であることを否定している』
守護の名前であり、神様ではない、とすると、道具衆の魂、というのは、守護の理が魂に変身した、ということなのでしょうか?私もアホですね、わかりません。