「天理教おやさと研究所」のサイトを見た。この研究所の天理教的位置づけはよくわからない。研究者の名簿と経歴を見ると、学術的というよりも宗教団体所有特有のオピニオン組織のようだ。オピニオン組織ということは、天理教にとって痛いことは言わない。むしろ、ふわふわした議論の中で、信者を逸脱させることなく天理教(教団)志向へと導くことが最大の目的となる。その中で、「月間グローカル天理」というファイルを見つけた。
http://www.tenri-u.ac.jp/oyaken/j-gt.htm#TOC11
私はまだ巻頭の所長の文章しか読んでいない。私は非常にひねくれ者なので、所長が「上から目線で十把絡げの答えが考えだせるという考え自体が人間の傲慢である」といいつつも、後半は上から目線(神はこう言っている)の断定ばかりであることに違和感を感じる。しかし、それを読む限りでは天理教幹部が述べる教義解釈とニュアンスの違いがある。このことは非常に興味深いと思う。天理教幹部と研究所の人間が、信者に対して思考停止装置を求める水準の相違は何か。この違いは、今後の天理教を占う上で大変興味深いと思う。私も色々と読み比べて、今後問題提起をしていきたいと思う。もちろん私の文章が一番稚拙であることは間違いない。先に言っちゃってずるいけど。
1. コメント
数年前、教祖の年祭を前に、当時の真柱様は「非常時」と言われました。
本部役員、教会長さん達は、真剣に非常時としての活動を展開されました。
しかし、この度の大震災は、お道にとって、あの時以上の非常時ではないだろうかと思います。
仕事のある人や、どうしても動けない人は別にして、若い人や力のある人は、自教会の月次祭以外、本部、上級、教区、支部の活動を停止して、現場に駆けつけなければ・・・と思います。
本部は天理教を守る事を非常時と呼ぶのではなく、人類を守る事において、非常時と呼んで欲しい。
それで、もし天理教の力が衰えても、弱っても、集金が減っても、この非常時にあたらなければならないと思う。
今、天理教は、損な道、あほらしい道、一番、貧乏クジを引く事を、あえてしたら、力は弱ったとしても、値打ちは上がると思います。
2. おかえし
数年前の年祭前の非常時とは何をさすんでしょうか?あと、自教会の月次祭以外の仕事を停止することと人類を守ることの関連性、そして「守る」と「値打ち」の意味がよく理解できませんので、ご説明していただければ幸いです。
3. コメント2
数年前の非常時は、教勢の落ち込みに対するものだったと思います。
教会長は、上級、支部、教区の雑用と、上級への「お供え」に追われて、本来の「おたすけ」が出来ていないように思います。
大会や行事ばかり多く、人集めと、金集めにエネルギーが使われて、ヘトヘトになっています。
一度、すべてリセットして、何が教祖の望まれることなのかを考え直し、天理教の為の天理教ではなくて、世界たすけの為の天理教に生まれ替わらなければ、と思います。
でなければ、大きな節が天理教に現れてくるような気がしてなりません。
4. おやさと研究所 前所長について
私が存じ上げている前所長の井上昭夫氏は天理教幹部の一員であって、反逆的なアウトサイダーに見えました。内部に入り込んだ異端児がある意味、革命をおこそうとしてありとあらゆることを占い師のごとくやってみせましたが道半ばで一昨年退任されましたので、今のおやさと研究所は天理教幹部の色が濃くなっていると推察されます。
5. Re:おやさと研究所 前所長について
>れんげさん
先日、紀伊国屋で手に取った本が井上昭夫氏著の「グローカリズムの実践」でした。難しくて私にはよく分かりませんでしたが「反逆的なアウトサイダー」と言われるのは分かる気がします。私の主張に近いものを感じました。本日届いた天理時報にその書評が載っておりびっくりしました。それにしても退任されたのはどういう理由なんでしょうね。定年や栄転なら喜ばしいことですけど。
ここ最近、天理教は内向き政策になっていることを私は危惧していますが、その影響の退任でれば残念ですね。