天理高校野球部の不祥事について。

ここ数回、連続ブログとして信条教育について検討している。そんな中、昨日の昼休みに「天理高校野球部が暴力事件で夏の大会辞退」というニュースを知った。シンクロニシティである。ちょっと調べてみるとネットではその情報が溢れていた。恐るべしネットの繁殖力である。
もちろん天理高校は天理教の学校であり、このブログでテーマとなっている信条教育である。しかし今回のような個別の事象において、全体論的な信条教育の是非を語るべきではないと思う。これは信条教育の成果でも問題点でもあってはいけない。
今回の問題について強いて言うのであれば、私は教育の目標は社会的自立であると思う。そう考えると信条教育に関わらず教育過程にあるものは未成熟であり、未完成である。教育の成果とは最低でも卒業時にしか判定できない。もしくわ死ぬ間際でもその学校の意義や信条教育なんて理解できないかもしれない。畢竟、罰するだけが教育ではなく、加害生徒の処遇や被害生徒、無関係な野球部員の将来を適切に扱うことこそ教育機関としての天理高校の意義があると思う。
個人的な感想からいえば、天理高校がスピード感をもって部長、監督の首を切って、無期限活動停止としたのは、私立としては避けられないことだろう。天理高校の初期対応としては、方法はそれしかなかったのかもしれない。しかし高野連の連帯責任を容認する姿勢には甚だ疑問である。本問題に関係のない球児だけのチームで出ればいい。私はその方が心情的に楽に天理高校を応援できる。高野連が連帯責任を容認するのであれば管理する高野連にも高校野球のドラマ性や神聖さを賛美する私達にも責任がある。自分の首をさらけ出さないでお上な態度で教育を語っていても、そうは問屋が卸さない。教育は効率とは対極にあるもので、時間がかかり、非効率的なものである。その非効率性を無視して教育を語る人間を私は信用しない。
それにしても殴った理由として「練習が軽くなったことを喜ぶ後輩をしかりつける」というのは、むしろ男らしいではないか。ただ病院送りはマズイよねぇ。

天理高校野球部の不祥事について。」への3件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 無題
    この事件について、教育的配慮を求めるべきは、おっしゃるように、たしかに高野連の側にあります。暴力事件を起こした生徒以外は関係ないのだから、無関係の部員たちのチームで出させてあげることに、とくに問題はないはず。
    我々としても、あまりに純粋な球児イメージで高校野球を見ることを、そろそろ卒業すべきかもしれませんね。そして天理教団も、スポーツを広告塔のように使うのを早くやめることです。

  2. 匿名

    2. Re:無題
    >thunder birdさん
    純粋に天理教を信仰しておられる方にとっては天理高校野球部を広告塔として使うことに多くの方が違和感を持っておられるんでしょうか。
    庶民目線では、その広告効果は絶大だとおもいます。私が天理教経営者なら、今後も戦略的に活用しますね。軽率でしょうか。

  3. 匿名

    3. 無題
    そうですね。たしかに野球、柔道、ラグビーなどスポーツは天理教の大きな広告塔になります。
    でも、問題が2つあります。
    1つは、天理教経営者が思っているのとは違い、世間の人々は、天理教の本体と天理スポーツの活躍はやはり別ものだと思っていることです。広告塔をいくら打ち上げたところで、かんじんの天理教が旧態依然としていて、その中身に魅力を感じなければ、信者は増えないでしょう。
    もう1つは、天理教の広告塔なるがゆえに、教育現場に過剰な期待とプレッシャーがかかり、かえって天理学園の生徒たちの教育をゆがめている結果になっていることです。教育機関は純粋に教育に徹してこそ、生徒たちものびのびとスポーツで心身を育成することができると思うのです。

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