先日、松本復興大臣は偉そうな態度が原因で激烈な批判を浴びて職を辞された。これについてはコメントしないが、そのときに「私は九州の人間だから、B型の人間だから」と釈明したことは記憶に新しい。思わず「九州の人やB型の人はみんな偉そうなのか」とつっこみたくなった。私は九州の人間でもB型の人間でもないが、九州やB型の知り合いを想像すると皆さん温厚で礼節のある方ばかりである。九州の方やB型の方にとってみても「あんたと一緒にするんじゃないよ」と聞こえそうだ。
そのようなことが天理時報4238号でも見られた。いつも俎上に挙げられる3ページの「視点」である。今回は「信仰家庭には神様を祀ろう」である。そこではフランスやヨーロッパの婚姻形態を対立軸において日本文化の優位性を述べている。少なくとも私にはそう読めた。引用する。「ただ、ヨーロッパにおける婚外子や事実婚の増加の原因の一つは、正式な結婚をすると、離婚するときの手続きが面倒だという点にある(日本のように紙切れ一枚で済むわけではない)。さらに、かつて結婚式というのは必ず教会で行われたのであり、婚外子や事実婚の増加は、それが減少していることの裏返しでもある。つまり、夫婦の絆の弱まり、あるいは信仰心が薄れていることの証しでもあるだろう」とある。私は引用した中に含まれる3つの文章の繋がりがイマイチ理解できない。飛躍しすぎではなかろうか。1→2→3と進むところを1→3→7くらいの弛緩があるように感じる。これでは松本復興大臣ではないが、ヨーロッパの人から「夫婦の絆や信仰心が薄れていないわい」と反問されてもおかしくはないだろうか。社会学的にも看過できないほど強烈なethnocentrismである。天理教は天理大学という素晴らしい外国語教育機関を置きながら異文化理解という視点はないのだろうか。私はヨーロッパ文化には全くの門外漢であるが、出来る限りフランス人の視点で反論してみたい。管見の及ぶ限り、フランスの婚外子や事実婚のピークは60~70年代であり、現代ではむしろ家族を大事にする傾向にある。つまり筆者の論理でいう夫婦の絆も信仰心も薄れているのではなく、むしろ濃くなっているのである。引用先にもあるように、フランスではPaCS法という事実婚にも権利を付与する法律が存在する。法律が存在するということは、市民権を得ているということである。
事実婚だろうが、婚外子だろうが、それを批判する権利は我々にはない。なぜなら、フランス人がそれを許容しているからである。もしフランス人が「事実婚なんて認めねー」というのであれば話は別であるが。フランス人が「それでいい」といっているのである。許容出来ないこそ、認めることが異文化理解である。同じ事は外人が生魚を食べる日本人を見て許容できないことと同じである。我々が生魚を食べていることを批判されて、日本人は生き物への愛情が少ないと言われても我々としては「しったことか」となるだけで、刺身も寿司も食べるだろう。我々日本の文化が一番でも、他文化よりも優れているなんてことは全くない。その土地、そこに住める人々にはそれぞれの文化や慣習がある。その一部分を挙げて「あいつらはダメだ」や「我々の方が」というのは非常に狭隘な精神ではなかろうか。慎みはどこへ行ったのだろうか。
先日、天理教人と話した。天理教布教部より「十全の守護」と「八つのほこり」という教材を各教会長が毎日拝読するように(だったかな?)という指令があったようだ。教会本部が教会長の質的向上を目指しているようだと天理教人は言っていたが、どんどん内向きになる政策に早くも現場レベルでは疑問が吹き出しているとのことだ。私も教会長の質に関しては標準偏差が大きいと述べたことがあるが、天理教本部は構成員に対して「締め付け」でそれを是正しようとしているようだ。これは社会の中の天理教とは逆方向に向かっているのではないかと私は非常に違和感を覚える。カルト教団や破綻前の企業のようなきな臭さを感じる。これについては天理教人から詳細を聞いた上で、また今度。
1. 狭い村
全ての人ではありませんが、本部の先生方の発想は、狭い村の中での発想のように思います。
それが、世界で一番だと思っておられるので、タチが悪いです。
2. 無題
同じ場所に突っ込みを入れました(笑。既にブログに書かれているとは反応が早くておどろきました。
「絆」を「紙切れ一枚」と同じに扱っては困ります。一方で、「紙切れ一枚」がもたらす心理的絆の自覚というものはあると思いますが。
「婚活」する日本人はおかしい、とフランスの方が仰っていましたね。よっぽどそうだろうな、と思いましたけど・・・
3. Re:狭い村
>1sinnjyaさん
本部の先生方という集団は、個性があるようで実は最も均質性が高いかもしれませんね。天理教で育ち、大学だけ一般大学を出て、天理教に戻ってくるのが典型かなと。そうなると、「オリジナルだ」と思っている思考こそが、実は隣の人も同じことを考えているということになるかと。1sinjyaさんが仰られることを私流に言えば、本部の先生方は青年期後期(20-25歳くらい)で成長がストップしている方が多いのではと。自信もやる気もあって、何事もできそうな万能感はあるが、挫折はこれからというような。
ちなみに私は思春期真っただ中です・・・
4. Re:無題
>calmiさん
我が家に天理時報は金曜日に届くので遠方の方が手にする前に私が引用することもあるようです。
手は早いもので。
何より、九州の方は本当に「いい人」が多いですけんね~
5. 十全の守護・八つのほこり
「十全の守護・八つのほこり」についての説明は、天理時報6月5日号2面に掲載されています。
全ようぼく信者が対象と言うことでした。
6. Re:十全の守護・八つのほこり
>jitsu-waさん
そうなんですか。ありがとうございます。私はその部分の記事は読み忘れたと思います。申し訳ありません。ただ、私は天理時報は読んだらすぐに破棄しちゃうので、もう6月5日号は手元にないのです。とほほ。
私は批判は署名して堂々と本部に郵送し 善処していただいております
世界にみちあり道に世界あり おさづけで脳死のかた回復元気に人生過ごしておられこちらが感動します
>>私は批判は署名して堂々と本部に郵送し 善処していただいております
なんでここでは本名ではなくハンドルネームなんですか?
本部に署名できるのにここでは本名が出せないなんておかしくないですか?
竹の秋 が本名なわけないですよね。
どんな批判を本部になさったのですか?
本部は善処してくれましたか?(するわけないですよね)
>>おさづけで脳死のかた回復
そんな奇跡が起こっているのなら
「おさづけ後に脳死から回復したことを医師が証明した」 との
客観的な根拠をもって世間に公表すべきです。
良いにおいがけになるじゃないですか。
天理時報とかに掲載されたことがありましたか?
「竹の秋」
とても象徴的だ
竹の秋とは、竹の落葉時期を表す言葉で春を示しています
須藤花井さんは、「5月になったら天理にお参り来る者はおらんようになるからな」と言っていました。
つまり、竹の秋に何かが起こるという事でしょうか。
朝鮮半島も不安定
南アジアも不安定
中近東も不安定
アフリカ大陸は不安定を超えた混迷状態
混迷の度を深める世界情勢、今この時期、この掲示板に「竹の秋」が現れた事は、私にとって非常に意味深く未来を案じる象徴的な事実です。
今年の「竹の秋」は何とかやり過ごした・・・
来年の「竹の秋」か 再来年の「竹の秋」か はたまた3年後か 5年後か
「竹の秋」 それは、目に見える否定しがたい天理教本部崩壊の始まりの時期なのかも・・・