いかに信仰動機を駆動させるのか。

前回書いたブログのコメントに返事を書いていたら、随分長くなったのでブログに替えたい。

>匿名さん
こんばんは。いつもありがとうございます。ご経験から紡ぎ出される言葉には非常に勉強させていただきました。また私の見解を丁寧に補足いただき感謝申し上げます。
感想を述べさせていただきますと、何をもって正統とされるかは非常に微妙な課題を孕んでいると思います。なぜなら現実的問題として鼓笛隊と伝道を両立させるためには一時的に布教を忘れ、目の前の人といかに共同的に楽しむ(厳しい練習も含め)かということに没頭する必要があるからです。目の前に用意されたことに対して楽しむことをせずに、布教者の思うままに説法をしてしまっては非常に「天理教=つまらない」ものとなるでしょう。現実的と前置きをしたのは、今の天理教の方向性が過剰に「心」に還元する姿勢は現実には大して役に立たないという皮肉も込めています。
例えば、「こどもおぢばがえり」には「お楽しみイベント」(エンターテイメント)と「仕込み伏せ込みイベント」(教えに基づく学び)の2種類があります。ある会長様は天理教の素晴らしい教えを、なんとか子どもたちに伝えたいと「お楽しみイベント」は少なめに、「仕込み伏せ込みイベント」を多めにしたそうです。その結果、翌年の参加者は減少したそうです。つまり子どもたちには「こどもおぢばがえり=つまんない」となったのでしょう。これは布教という側面、伝道という側面、こどもおぢばがえりの意義から本末転倒ではないでしょうか。
私が何を言いたいのかというと、天理教の素晴らしさは人間関係が開始したその時点でその天理教人の人間性が<既に>担保しているということです。意図せずとも<既に>担保することになっているというのがポイントだと思います。私は「仕込み伏せ込みイベント」を否定しているのではありません。私も教義の紙芝居とお勤めと回廊拭きを体験したことがありますが、あれは非常に貴重な宗教体験であり、道徳教育であると思います。しかし伝道という側面から、それらは貴殿のおっしゃられる「一つの方策」であり、本物志向とは少しズレると思います。貴殿の仰られる本物思考とは目の前の天理教人の人間性が担保しおり、どのように振る舞い、接するかということだと思います。乱暴な言い方を許して頂けるのであれば「こどもおぢばがえり」は楽しいだけで十分だと思います。天理という地と天理教人である引率者は必要不可欠な要素なのですから。

ノンバーバルに関してはコミュニケーションにおいて非常に重要な視点だと私も思います。しかし昨今の心理学還元傾向に便乗するよりも、せっかく天理教の名を冠したブログを行なっておりますので、私は人間性や霊性などでコミュニケーションを論じて参りたいと思っております。

いかに信仰動機を駆動させるのか。」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    1. 批判ではありません
    おはようございます。
    投稿された方の話分り易く読ませてもらいました。それに対して、失礼ながら、カインさんは読者に対する配慮が少ないのでは、読者に分りやすい言葉を使おうとかは考えられませんか?それとも、分らない言葉は自分で調べなさいでしょうか?私の歳になると調べる気になりません、折角読んでいるのだから、分りやすく真意を伝えられたらと思います。

  2. 匿名

    2. ご返事、ありがとうございました。
    丁寧なご返事をありがとうございました。
     実は前回、コメントを入れたときに1000字を軽くオーバーして2000字近く送信しようとしていました。それでだめなことに後で気がつき再度、ワードで編集しなおし、字数も1000字以内に収まるようにしたので、言葉足らずな面もあったのではないかと気になっておりました。

     話は変わりますが趣味仲間の方にお会いした時に私が天理教人だということがわかり、その方が「子供の時におぢばがえりに参加しましたよ」と言われました。その方の家は仏教ですが、楽しかった思い出として記憶に残っているとのことでした。このような経験が一度や二度ではありませんでした。俳優の渡辺徹さんもずっと以前、TVでこどもおぢばがえりのことを話してましたね。「お楽しみ行事」と「ふせこみ行事」のバランスに関しては難しいところだと思います。団体責任者によって考え方も違うでしょうし、意義を考えると個人レベルで意見が分かれたりすると思います。私自身はまずは信者も未信者も人類のふるさとであるおぢばに帰るということが第一だと思いますので、そこを基準に参加行事も考えていくのがいいのではないかと思います。カインさんのおっしゃることも本当によくわかります。誰も来ないのであれば確かに意味がありません。「喜ばさずには帰されん」とは違うようにも感じます。夏のこどもおぢばがえりは子供達が主役です。しかし楽しいだけでもいけないと思います。道徳的に学ぶべきこともないと、ただの先に話した思い出として記憶に残るというレベルのことにしかならないと思います。これは引率する団の人がよく談じ合って行事も決めていくことが大事な気がします。

     ちょっと字数制限が気になって本物志向やノンバーバルのことも書きたいのですが、長くなるのが目に見えているので、また次の機会にさせていただきます。ご丁寧にご返信くださりありがとうございました(^^) 共感する部分もあり、いつも楽しく読ませていただいてます。また書かせていただきます。今日はこの辺で失礼いたします。

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